TRICK 時遭し編 (明暮10番)
しおりを挟む

2018年12月


──照る斜陽、鳴り止まない声、ひぐらし。

 

 

 グチャリ。

 

 

 高い入道雲、枯れない青葉、厳かな境内。

 

 

 ザクッ、ザクッ。グチャッ。

 

 

 目眩く緋、空。

 

 

 グチュッ、グチュッ。

 

 

 夏、夏、果てしない夏。

 

 

 

 グチュリ。

 

 

 

 

 

 その者は神社の鳥居が見下す中で、顔を上げ、空を見た。

 いや、視線は空にある。しかしその目は、天空を映していない。

 

 

 その者は笑う。

 ひぐらしによる蝉時雨を裂くような、ケタケタ笑いを響かせる。

 

 

 玉石が太陽の光を反射させ、その者を照らす。

 真紅に塗れ、まだ暖かい血を滴らせるナイフを握っている。

 

 

 

 もう片方の手に握るは、腸。

 蜘蛛の巣のような血管が張り巡る、腸。

 

 

 その者は腸とナイフを掲げ、落ち行く血を有り難く浴びた。

 さも、贄を捧げる祭司のように。

 

 

 

 

 光の無い目は、虚空に向く。

 

 

 照り続ける斜陽、鳴り止まないひぐらし。

 

 

 いつまでも高い入道雲、一向に枯れない青葉。

 

 

 見飽きた境内、真っ火な空。

 

 

 夏、夏、果てしない夏。

 

 

 

 

 

 

 

 願わくは、この夏から、誰か────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── 一九六三年、西ドイツのある町に住む十二歳の少女「ヘレーネ・マルカルド」は、交通事故に遭う。

 彼女は辛うじて一命は取り留めた。だが意識は戻らず、昏睡状態のまま数日が経過した。

 

 

 ある日、彼女はとうとう目を覚ます。家族は喜び、我が子に労いの声をかけた。

 だが目を覚ました後のヘレーネは聞き慣れない言葉を喋り、振る舞いも別人のようになってしまったと言う。

 

 

 

 暫くして、彼女の話す言葉は「イタリア語」であり、特に訛りの強い地方の物だと判明する。勿論、ヘレーネも家族もそこに行った事はない。

 

 

 

 

 更にヘレーネは自らを「ロゼッタ・カステーロ」と名乗り、二児の子どもがいるイヴェンタ生まれのイタリア人だと説明した。そこですぐにイヴェンタの戸籍情報が調べられると、驚愕の事実が発覚する。

 

 

 

 

 

 ロゼッタ・カステーロはなんと、一九一七年に死去した三十歳の女性であり、実在の人物だった。

 過去の人物が四十六年後の世界に、一人の少女の人格として蘇ったのだ。

 

 以降、ヘレーネはヘレーネ自身の人格を無くし、ロゼッタとして生きたらしい。

 

 

 

 

 一説によれば、「魂は時間を超越出来る」とされている。

 ロゼッタも時間を超越し、死した少女の肉体へ転生したのだろうか────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────私の名前は「山田奈緒子」。

マジック一筋十八年目の、超実力派ベテランマジシャンだ。

 

 

亡き父「山田剛三」は日本を代表する偉大なマジシャンだった。

そんな父の影響を幼い頃から受けて、私は育った。

 

 

しかし今の私はとある事情により、記憶の多くを失っている。

少しずつ取り戻してはいるものの、まだまだ自分と言う人物を掴み切れずにいた。

 

 

 

そんな私だけど、今も健気にマジシャンとしてこの大舞台に立っている。

記憶を失っても手放さなかった熟練の技術を披露してやれば…………

 

 

 

 

客席はほら、この通り!

 

 

 

 

 

 

 

 

──寂れた舞台から見渡す客席に、デンデン太鼓を鳴らして応援するたった一人のファン以外、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

……客も失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君もうクビネ」

 

 

 ショーの終了後に楽屋にて、スマートフォンで動画を見ながら飯を食う座長にそう宣告される。

 

 

 

 

「クビって、えぇ……!? 今月ギリギリなんで勘弁して欲しいんですけどぉ……!」

 

 

 必死に彼に泣き付く、舞台衣装のチャイナドレスに身を包んだ女。

 先ほどのマジックショーで客を呼び込めなかった事を咎められての宣告だ。

 

 

「どうかお慈悲を〜……」

 

「お慈悲お慈悲言ってもネ。ウチももう、キツキツなのよ。年々客は減って行くしネ。だからリストラも兼ねてのクビ」

 

「そこを何とか……もう年末ですし、せめて年明けまで…………いや、半年先……やっぱ五年契約で……」

 

「しつこいネ君もっ! あと図々しいよっ!」

 

 

 ぴしゃりと叱られ、黙らされる。どうやらもう取り付く島もないらしい。

 座長がスマホで見ている動画では、マジシャンがマジックを披露していた。

 

 

 

 

「……今の時代、みーんなSNSか動画投稿サイトばっかりで、もうマジックをわざわざ舞台だとかテレビだとかで見やしない……いや。もうマジック業界自体が下火になってるかもしれないネ」

 

 

 悲しげな瞳で座長は天井を見上げる。

 

 

「昔が懐かしい……簡単なマジックを披露するだけで、みんながチヤホヤしてくれた……」

 

「どこ見てるんですか」

 

「戻れるなら戻りたいネ……輝いていた、あの昭和の時代に……」

 

「だからどこ見てんだ」

 

「と言う訳でクビネ」

 

 

 そう言い切ってから座長はまたスマホに視線を戻し、今度はVチューバーの切り抜き動画を見始めた。

 

 

 

 

 

 

 仕事がクビになり、荷物を纏めたバックを持ってトボトボと帰路につく。

 寒い北風が吹き荒み、着ていたダウンの首元を締めた。溜め息と共に白い息も漏れる。背後には彼女の唯一のファンが、デンデン太鼓を打ちながらストーキングしていた。

 

 

 

 自身の家でもあるアパートに到着。

 

 

 

 

「おい」

 

「アァーーオゥっ!?!?」

 

「マイコーかいアンタそれ?」

 

 

 部屋までの階段を上がっていた時に背後から声をかけられ、派手な悲鳴と共に飛び上がる。

 後ろへ振り返ってすぐ眼中に飛び込んで来たのは、派手な文字。

 

 

『平成じぇねれ〜しょんず・ふぉーえばー』

 

『平成と共に山田奈緒子を追い出せ』

 

『トリツクを愛してくれたアナタへ』

 

 

 背中にそう書かれた旗を差した大家のおばさんが、オレンジ色の鎧を着てぎろりと彼女を睨んでいた。

 大家の後ろにはバングラデシュ人の旦那と、高校生くらいの子ども二人が、同じく旗を背中に差して控えている。

 

 

「か、カチドキアームズ……!?」

 

「アンタぁ。家賃は?」

 

 

 家賃の催促をされた途端、彼女の顔が渋くなる。

 

 

「ね、年末に、凄い大きなショーのトリをやるんです! それさえ終わっちゃえばお金が入るんで──」

 

「アンタそう言ってもう何ヶ月滞納してんだい? このままじゃ家族が餓死しちまうよ」

 

「ハルサン! コノ人にもう、ジゴクを楽しませまショウ!」

 

 

 旦那がそう意見する。シャツの上にベスト、そして斜めに被ったハットと言う姿だ。

 

 

「風都探偵……!?」

 

「今すぐに払えねぇってんなら、荷物纏めて出てって貰おうかい?」

 

「お、お子さん大きくなりましたねぇ!? いやぁ〜! 昔はあんなちっこかったのに」

 

「ええいッ!! もんどぉーむよーーッ!!」

 

 

 大家は背中に差していた旗を両手で引き抜き、臨戦態勢に入る。合わせて旦那も子どもたちも、「エイエイオー!」と叫んで旗を構え出した。

 

 

 

 

 

 これはマズいと踏んだ彼女はすぐに踵を返し、階段を駆け上がって逃げる。

 

 

「こらぁーーっ!! 待てぇーーっ!! 平成終わる前には出てって貰うよぉッ!!」

 

 

 逃げる彼女を、まるで百姓一揆のように追いかけ回す家族。

 何とか必死に廊下を駆け、自分の部屋に転がり込んだ。そのまま鍵をかけ、締め出す。

 

 

「開けろー! 開けれぇーーっ!!」

 

「さァ、アナたの罪を、かゾえてくダサい!」

 

 

 部屋の前に陣取る一家の悔しがる声を聞きながら、ホッと一安心。

 持っていた荷物を部屋に投げ捨て、寒々しい居間にドカッと座り込んだ。

 

 

「ふぃ〜、助かった……あれ? 鍵かかってなかった? てか寒っ!」

 

 

 慌てていたばかりに鍵を開けずに、そのままドアノブを回した。しかしスムーズに扉は開き、お陰で部屋に逃げ込めた。

 

 もしかして鍵をかけ忘れていたのかと、首を傾げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉ」

 

 

 鍵をかけ忘れたのではない。不法侵入者がいた。

 奥の座敷にあるカーテン裏から男が姿を見せる。

 

 普通ならば悲鳴をあげるシーンではあるが、彼女にとって始めての事ではようだ。愕然とした様子は全くなく、寧ろ呆気が真っ先に現れていた。

 

 

 

 

「……『上田さん』ですか。勝手に入らないでくださいって何度も……」

 

 

 男──「上田」はニヤリと、得意げに笑う。

 

 

「まぁ、そのお陰で籠城出来たんだ。逆に褒めて欲しいねぇ?」

 

「てか……どこから入ったんです?」

 

「窓だ」

 

 

 彼がカーテンを開けば分解された窓枠と、取り外されたガラスが目に入った。

 得意げに工具を見せ付ける上田に、当たり前だが怒る。

 

 

「何やってんですか!? やけに寒いと思ったら……戻してくださいよ!」

 

「ちゃんと戻すから安心しろ。天っ才物理学者に出来ん事はない」

 

「やってる事は空き巣のソレじゃないですか……」

 

 

 前髪をなぞる妙な仕草を見せながら、上田は彼女の前に座る。

 寛いでいたのか、二人を挟むちゃぶ台の上には湯気の立ったお茶が置いてある。

 

 

「また勝手にお茶淹れて……」

 

「それより『山田』。実は俺は物理学を極め……錬金術を編み出してしまった」

 

「意味が分かりませんって」

 

「まぁ待て。それで作り出した物を特別に見せてやる」

 

 

 彼が着ている右半身が赤で左半身が青と言う変なベストのポケットから、マッチ箱を取り出した。

 マッチ自体は古い旅館とかで無料で渡されるような、凡庸な物だ。

 

 

「良いか? これはマッチだ」

 

「……見れば分かります」

 

「ベストのポケットから、マッチ。ベストから、マッチ……ベストマッチ」

 

 

 真顔の女──こと、「山田」。

 上田はお構いなしに、話を続ける。

 

 

「ただのマッチじゃない……どんだけ火を付けても、何度も使えるマッチだ」

 

 

 既に取り出していた一本のマッチを見せ付ける。

 何度も使えるマッチと豪語する彼だが、どう見ても普通のマッチだ。

 

 

 

 マッチ箱の側面を擦ると、頭薬が燃える。

 即座に上田はマッチを大きく振り、消火。赤い頭薬は炭化して黒くなっており、普通ではもう使えない。

 

 

「因みにマッチの赤い部分に、『リン』は使われていない。使われているのは、箱の擦る場所だけだ……リンと言えば……リンが初めて発見された経緯を知っているか?」

 

「……いえ」

 

「バケツ六十杯の小便で錬金術をしようとして偶然発見されたらしい。ウケるだろ?」

 

「良いから早く擦ってくださいよ」

 

「せっかちだなYOUは……見てろ、あっと驚くぞ?」

 

 

 黒く炭化したハズのマッチで、もう一度擦った。

 

 

 

 

 

 

 マッチは再び燃え出した。

 上田はそれを得意げに立て、ゆったり燃える火の向こうで嬉しそうに笑っている。

 

 

「どうだ? 凄いだろぉう? これさえあれば、一生火に困らないなぁ?」

 

「………………」

 

「ほれ? ほれ?」

 

「フッ!」

 

 

 突然山田は息を吹き、火を消した。

 彼女の息がダイレクトに上田の目に当たって、顔を背けさせる。

 

 

 

 その隙に彼の摘んでいたマッチを掠め取る。

 

 

 

 

 

 

 

 マッチの持ち手に、炭化したもう一つのマッチが逆さでくっ付けられていた。

 

 

「…………」

 

「マッチの火を消す振りをして、逆に付けた無事なマッチへひっくり返した」

 

「…………」

 

「先端を黒く塗れば、使用済みと思わせられる。そしてマッチを摘んでいるように見せて、もう一つを手の中に隠しておく……また手の込んだ事をしてからに……」

 

 

 トリックを見破られたと言うのに、上田は満足そうだ。

 

 

 

 

 

 彼はベストのポケットから、半分顔を出していた本を取り出した。

 

 

「この間、新刊を出した。題して、『上田次郎の新世界』!」

 

「……これがなんなんですか?」

 

「ベストのポケットから、ブック。ベストからブック……ベストセラー」

 

「ベストブックじゃないんですか」

 

「実は今回の本は日本の風習に大きく関わった内容にした。祭りとか俗説とかだ」

 

 

 それは物理学の分野なのかと疑問になる山田だが、言わないでおく。

 

 

「するとこの本を読んだ一人の女性が……俺の研究室を訪ねてきた」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『日本科学技術大学』

 

『ポプテピピックを世界競技にする部』

 

「エイサぁあぁイ、ハラマスコぉおぉイ!!」

 

「「「エイサぁあぁイ、ハラマスコぉおぉイ!!!!」」」

 

 

 

 彼の研究室を訪ねた女性は、五十路前かと思われる人だった。

 しかしとても美しい人で、一見では若く見えるほど。

 

 白髪の無い、綺麗な赤毛。それがまた、強い若々しさを感じさせる。

 品があり、丁寧ながらも、どこか素朴さが伺える女性だ。

 

 

 

 

「上田先生の御本を拝読しました。とても面白くて、何度も読み耽っています」

 

 

 丁重な、年相応の大人な物言いで、新著「上田次郎の新世界」を彼の前に差し出した。自分の本が美人に褒められたとあってか、上田は上機嫌だ。

 

 

「エイサぁああぁイ、ハラマス──」

 

 

 

 

 外から聞こえる部活の掛け声を邪魔に感じ、窓を閉める。

 それから振り返り、ニッコリと女性へ笑いかけた。

 

 

「いやぁ! ありがとうございます! 私はこれまで、日本の様々な村を股にかけて来ましてねぇ? 一度、全国に存在する風説だとか迷信だとかを纏めて論破してやりたいと思っていたんですよ! はっはっは!」

 

「先生の偉業は予々聞いています。数々の事件を解決なさったとか」

 

「どれもこれも、他愛もないモノでしたよ! 天っ才物理学者、上田次郎に解けない謎はありません!」

 

 

 高らかに豪語し、腕を掲げる。

 だが彼女の表情は何とも物憂げなものだった。やや俯き気味の顔を上げ、本題を切り出す。

 

 

 

 

「……先生は、『祟り』を、信じておられますか?」

 

「……祟り?」

 

 

 上田にとっては何度も聞き、半ば新鮮味が無い言葉だった。

 言うのは上田自身、祟りや呪いと呼ばれる物に幾度となく対峙し、その正体や真相を暴いて来たからだ。

 

 

「私、実は岐阜から来ました」

 

「わざわざ岐阜からですか……」

 

「……先生に、私がずっとずっと……追い掛けて来た、謎を解いて貰いたいのです」

 

 

 彼女の依頼に思わず上田は面食らう。

 

 

「待ってください。遠路はるばるお越しいただいた点は光栄ですがね? 私も暇じゃないんですよ。これから講演会をしにサルウィンへ行かなきゃで──」

 

「『どんと来い超常現象』」

 

 

 彼女は新世界の横に、もう一冊本を置く。上田の過去の著作だ。

 

 

「……」

 

「『どんと来い超常現象2』と『3』」

 

「…………」

 

「『なぜベストを尽くさないのか』」

 

「………………」

 

「『どんと来い超常現象2010』」

 

「……………………」

 

「『上田次郎の人生の勝利者たち』」

 

「…………………………」

 

「『上田次郎のロングブレヌダイエット』」

 

「………………………………」

 

「どれも良い作品でした」

 

 

 上田の作品全てを列挙された上に実物まで並べられ、断る意思を封殺された。

 それから彼女はニッコリと微笑んでから、本題を続ける。

 

 

 その笑顔はとても純真で、悪戯好きな子供っぽいものに見えた。

 

 

 

 

「……私は昔、『雛見沢村』と言う所に住んでいました。もう廃村になってしまいましたが……」

 

 

 懐かしむような、悲しんでいるような表情を一瞬見せる。

 

 

「……この村には、『オヤシロ様の祟り』と言うのがありました」

 

「オヤシロ様?」

 

「村の神様です。毎年ある祭りの日に、誰かを殺して誰かを消すと言う……怖い神様です」

 

「とんだ疫病神で……そう言った伝承は何かしら、村にとって後ろめたい事をカモフラージュする為に作られた物が殆どですよ」

 

「…………確かに全ては嘘っぱちでした」

 

 

 信じていると思いきや、何と依頼者本人からの否定。とうとう上田は意図が読めず、押し黙ってしまう。

 尚も神妙な面持ちで彼女は続けた。

 

 

「……私はとっくの昔に、オヤシロ様の祟りの正体を明かしています。けれどそれは……結局、永遠に謎にされました。私だけ、謎を追っていたから……生き残れたのです」

 

「ちょっとあなた、一体何を仰って……?」

 

「上田先生……雛見沢村を調べて、私の明かした謎を暴露してください」

 

 

 見間違えだろうか。確かに上田には目の前の彼女が「少女」に見えてしまった。

 

 

 

 

 

 

「みんなの無念を晴らしたいんです……最後まで信じ切れなかった、私の贖罪です……!」

 

 

 

 

 彼女は膝の上で拳を握り、涙を零す。指にエンゲージリングは無く、独身のようだ。

 寂しげでどこか垢抜けなさがチラリ伺えるのは、それだからだろうか。

 

 

 

 だが激情を晒す彼女はどこか、憐れに見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なかなか売れない本を買ってくれたから懐いたんですか」

 

「そんなんじゃない! 依頼人を断るなど、天っ才物理学者上田次郎の沽券に関わる!」

 

 

 二人は車の中にいた。

 もはや動く化石とも言っても良い、上田の愛車トヨタ・パブリカで高速道路を走る。

 

 その後ろを走って追跡する山田唯一のファンが、ドアミラーに写っていた。

 

 

「それで、その女の人が言った謎ってのは何だったんです?」

 

「その前に旧雛見沢村について調べてみた。ほれ」

 

 

 懐から取り出した資料の写しを山田に投げ渡す。

 

 

「旧雛見沢村。一九八三年に廃村。ただ、廃村になった経緯に関しては謎が多いようだな」

 

「……村民が全員死亡ってなかなかヤバくないですか?」

 

「確かにヤバいな。火山性ガスだとか。しかし依頼人は、村民全滅の正体は『寄生虫』と言う」

 

「…………その人の方がヤバいじゃないですか」

 

「その通り、ヤバい女だった」

 

 

 上田は別の紙を見るように催促する。

 次のは古い診察用紙のコピー。コピーが下手なのか、ズレにズレまくっている。

 

 

「コネを使いまくって彼女の経歴を集めたら、何と十五歳から三年間を精神病院で過ごしていた事が分かった。もっと調べさせたら、過去にクラスの男子を金属バットでボコボコにしたとか」

 

「ヤバいってレベルじゃないですよ!? 狂人ですか!? そんな人の依頼受けたんですか!?」

 

「仕方ないだろ……あんなに泣かれちゃ、断れるもんも断れん。形だけでも調査をしておかなければ」

 

「今度は上田さんがフルスイングされるかもしれませんね」

 

「ふっ……バット程度じゃ俺は倒れんよ」

 

「腕を震わせるな」

 

 

 高速道路に乗って暫く経ったが、やっと山田は気が付いたように質問した。

 

 

「……で、私も行く意味は?『私の記憶』とは……関係なさそうですけど?」

 

「何言ってんだ、長年のコンビだろ? 何を水臭い……」

 

「やっぱ怖いんですか?」

 

「は? 何言ってんだお前? この天っ才物理学者上田次郎に怖い物などない!」

 

 

 山田は改めて、彼から渡された旧雛見沢村のデータを見る。

 

 

「……死者二千人弱、村民全滅。二千人が犠牲になった事件なら、もっと資料多くても良いような……」

 

「怠慢かと思うほどデータがない。火山性ガスだと断定したなら、地質調査の報告書もあって良いハズだが、それすらも無い。三十年近く前とは言え、残されなさ過ぎだ」

 

「つまり依頼人はデータにない、何らかの事実を知っていて、我々に証拠と暴露を……と?」

 

 

 資料を後部座席に投げ捨て、呆れたように山田は首を振る。

 

 

「見つかるとは思えませんけど」

 

「同意だ、さすがに古過ぎる。まだ昭和の時代の話だ。ただ、ワールドワイドな俺のネームバリューで旧雛見沢村に世間の注目度を上げさせようってのが魂胆じゃないのか?」

 

「依頼人は事実ってのを話してくれた訳で?」

 

「いいや。彼女も旧雛見沢村に行くと言って……先に現地で待っていると」

 

「お目付けって事ですかね……あぁ。怖いってのは旧雛見沢村よりその人ですか。怖いからその、竜宮礼奈って人について調べたんですね!」

 

「俺は何も怖くねぇ!!」

 

 

 車は走る。灰色の道路を、岐阜へ岐阜へと。

 ミラーに写っていた山田唯一のファンは、まだ遠く微かに追いかけて来ていた。

 

 

 

 

 

 

 

山 田 奈 緒 子

 

 

上 田 次 郎

 

 

矢 部 謙 三

 

 

石 原 達 也

 

 

菊 池 愛 介

 

 

秋 葉 原 人

 

 

山 田 里 見

 

 

 

 

 

 

 

【卵の黄身は、緋色

 

 

 

 

 

 

 

TRICK

 

TRICK

 

ひぐらしのく頃に

 

 

TRICトリックK

し編

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 




【PILOTFILM・TORITUKU】の作品化です。
TRICKを好きな方々に伝わるような表現を心掛けて行きます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

公安部

 同じ頃、警視庁。

 

 

「あ、『矢部さん』。おはようございまっす」

 

「おう。おはようさん」

 

 

 公安部に現れた男『矢部』は、特徴的な髪型の刑事だった。

 部下である、少し不潔な見た目の男は自前のノートパソコンでアニメ鑑賞をしている。勿論、他の人に迷惑にならないようヘッドフォン着用。

 

 

「なんや。なに見とんや? え?『秋葉』」

 

「へへ……来月、劇場版が公開されるのでおさらいしてるんです」

 

「お前なぁ、ここ仕事場やぞ? ワシら警察が仕事ほっぽってアニメ見とるなんざ知れたら、世間が許さへんで。ただでさえ風当たり強いのに」

 

「まぁ、そう言わないでくださいよ〜。この話で終わりますから〜」

 

 

 窘めた矢部だが、気になったのかチラリとパソコンの画面を見る。

 

 

「最近のアニメは綺麗やなぁ。『マジンガーZ』か?」

 

「全然違いますよぉ。『ラブライブサンシャイン』ってアニメなんです」

 

「どんなアニメや?」

 

「女子高生がアイドルユニット組んで、トップを目指すって奴ですね」

 

「ほぉ〜。『キャンディーズ』や『トライアングル』みたいな事やるんやな」

 

「だいぶ違うっすね」

 

「そんで……なんや、ぎょーさん女の子おるなぁ」

 

「どの子も萌えるんですけど……僕の推しはこの子ですねぇ」

 

「この茶色い髪のか?」

 

「『国木田ちゃん』でしてねぇ〜。ファンの間では、『ズラ丸』と」

 

 

 突然、矢部が秋葉を思い切りぶん殴る。異様に髪を撫で付けながら。

 

 

「お前、今……なんつった? え? ヅラ、丸?」

 

「違いますよ〜。方言っ子で、語尾に『ズラ』って」

 

 

 もう一発の拳骨。

 痛みに悶絶しながらも、推しを理解して貰おうと秋葉は頑張る。

 

 

「き、聞いてみてください。ちゃんと方言ですから」

 

「そこまで言うなら聞いたるわ」

 

 

 ヘッドフォンを取り、スピーカーで音声を聞かせた。

 

 

 

 

 

『現実を見るズラ』

 

 

 パソコンを持ち上げ、開いていた窓から投げ落とす。

 ここは五階なので、パソコンの命は無いだろう。

 

 

「現実じゃボケェ!! アニメやからと許さんぞゴラァ!?」

 

「ああ……僕のマック……」

 

「ホンマ不謹慎なアニメやで……あ、風が吹いてる」

 

 

 髪を押さえながらピシャッと窓を閉め、何事も無かったかのような顔で振り返る。

 そして目の前に立っていた人物を確認し、驚愕。

 

 

 

 

「よぉ! 兄ィ!」

 

「石原ぁ!?」

 

 

 オールバックに金髪、ややダボついたスーツの男。

 彼は数年前まで警視庁に所属し、かつて矢部と共に現場を奔走した後輩刑事だ。

 

 その後は広島県警に異動して以降、たまに会うぐらいになっていたが、そんな彼が警視庁内に帰って来ていた。

 

 

「元気やったか、ええ? ひっさし振りやなぁ」

 

「兄ィも元気そうでなによりじゃ!」

 

「でもお前、広島勤務やったろ? なんで東京おるんや?」

 

「それがのぉ、兄ィ。広島の後、ワシは佐賀に行っとったけぇ」

 

「佐賀? フランシュシュの佐賀か?」

 

「ほうじゃほうじゃ! そのフランシュシュに行方不明じゃった娘がおるって聞いての、調査しとったんじゃ……まぁ、人違いじゃったけぇの!」

 

「あそこフランシュシュとはなわ以外何もあらへんがな」

 

「兄ィ、エガちゃんも佐賀じゃけぇ」

 

 

 石原を知らない秋葉が、おずおずと横から質問する。

 

 

「矢部さん……ええと、この方は?」

 

「おお。こいつは昔、ワシと一緒に数多の事件をスパッ!……と解決した、元部下の石原や」

 

「ほんでのぉ、兄ィ。ワシが佐賀行っとった時な? 偶然、公安部のお偉いさんにおうたんじゃ」

 

 

 石原の「公安部のお偉いさん」の台詞にビビッと反応する矢部。

 

 

「公安部のお偉いさんやと? お前ええコネおるやんけ〜」

 

「ほんでの? 兄ィの事話したら是非会いたい言っての?」

 

「お前最高やな!? ええ後輩持ったでオイオイ!」

 

 

 十年余り警部補の役職に甘んじて来た矢部にとって、やっと巡り出したチャンス。

 出世欲剥き出しのギラギラした目で石原を見やる。

 

 

「で、お偉いさんって誰や?」

 

「もうすぐ近くまでおるけぇ」

 

「来とんのかい!?」

 

 

 急いで髪と襟を整え、へっぴり腰の秋葉を叩いて姿勢を正してやり、「お偉いさん」を待つ。

 警視監か警視長かと胸を高鳴らせる矢部だったが、ドアを開いて現れた人物に愕然とする。

 

 

 

 

「やぁやぁ、矢部くん!」

 

「!?!?!?」

 

 

 高級スーツ、尊大な態度、大袈裟ながらも知的な顔付き。

 三人の前に現れたエリート風の男は、矢部の良く知っている人物だった。

 

 

「き、『菊池』ぃ!?」

 

「菊池……?」

 

「ち、ち……参事官殿。ごご、ご無沙汰しています……」

 

 

 彼は数年前までは異動した石原の後釜として、矢部の部下になっていた男だった。

 だが今や階級は警視正で、役所は参事官。つまり現在は、警部補である矢部の上司に当たる。

 

 

 つまるところ、所謂「キャリア組」で、未来の警視総監とも称される人物だ。

 

 

「いやぁ、久しいねぇ。元気かね矢部くん?」

 

「あ、は、はい。お陰様で……あ、あの、少し、失礼しますね〜?」

 

 

 菊池に一言断ってから、得意げに立つ石原をしょっ引いて部屋の隅に連行する。

 

 

「なんであいつ連れてくんねん……! つーかなんであいつ佐賀におったんや!?」

 

「ワシもいけすかんが……兄ィの出世の為にな? 紹介したけぇ!」

 

「いらん事しおって! ワシゃ、あいつにだけは出世させられたないわ!」

 

 

 矢部の部下時代から散見された鼻につく態度は、上司となってから更に強まった。出世後すぐの時に一度、ウザ過ぎて一発殴ったほどだ。

 プライドが無駄なところで高い矢部は、かつての部下に出世させられるのが屈辱に思えていた。

 

 

 すぐに拒否しようとする矢部だが、すぐに石原が詳しい訳を話して窘めようとする。

 

 

「せやけど、兄ィ。なんかあのお偉いさん、大事な案件抱えとるみたいじゃけぇ?」

 

「大事な案件?」

 

「その通りッ!!」

 

 

 いつの間にか背後に立っていた菊池に叫ばれ、矢部と石原は飛び上がる。

 

 

「東大理三卒で警視正かつ参事官ならびに、未来の警視総監たる僕が! かつて僕の上司だったヨシミで、出世に響く仕事を与えてあげようと言う訳だよッ!!」

 

 

 相変わらずの態度に矢部も、一時期彼に弄られまくられた秋葉も嫌そうな顔をする。

 ここは矢部謙三、絶対に断ろうと考えて一歩彼の前に踏み出した。

 

 

「お言葉ですが参事官殿。僕らも、市民の皆様を守る公安の一員です。出世ではなく、市民を守る為に」

 

「受けてくれるのなら僕の計らいで、費用はたっぷり用意する!」

 

「ありがとうございます菊池参事官殿。一生付いて行きます」

 

 

 金に弱い矢部謙三、関西出身、独身による、鮮やかな手の平返しだ。

 深々と頭を下げ、少しズレそうになったのを戻しながら矢部は質問する。

 

 

「……ところで素朴な疑問なんですがね、なんで参事官殿が佐賀に?」

 

「兄ィ、その方な」

 

「アマゾンッ!!!!」

 

 

 その理由を代弁しようとした石原を、奇声と共に殴る菊池。

 余裕ぶった表情が一気に鬼の形相となり、思わず矢部も押し黙る。

 

 

「……まぁ、佐賀にいた理由は良いじゃあないか。受けるのなら付いて来てくれたまえ」

 

「え? でも、佐賀」

 

 

 疑問を封殺しようとする菊池だが、次に鼻をすんすん鳴らしてながら近付く秋葉に注意が向く。

 

 

「なんだね?」

 

「いや。なぁ〜んか同じ匂いがするんですよね、僕と……」

 

「は? 馬鹿馬鹿しい。東大理三を出た現職参事官である僕が、君のような男と同じだなんて烏滸がましいにも程が」

 

「すいません、上着脱いで貰えます?」

 

「超忍法ッ!!!!」

 

 

 再び奇声をあげて秋葉を殴る。

 

 

「……さ。行こう」

 

「あ、はい」

 

 

 気を取り直して踵を返す菊池だが、背を向けた瞬間、矢部に上着をずり下ろされた。

 

 

「あ」

 

 

 

 高そうなシャツの背中には、赤毛の女の子の写真と文字が縫い付けられている。

 

 

『ゾンビィ一号ちゃん推し』

 

 

「参事官殿、これ、フランシュシュ」

 

「ファンガイアッ!!!!」

 

 

 菊池の鉄拳が飛び、矢部の頭の上の何かも飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 三度のノックが室内に鳴り響く。

 

 

「構わない、入りなさい」

 

 

 室内にいた男がそう声を張ると、「失礼します」の声と共に四人の男たちが入室する。

 最初に扉をくぐった菊池を見て、男は柔らかい笑みを見せた。

 

 

「菊池君、悪いな……こんな事を頼んでしまって」

 

「いえいえ、滅相も御座いません!」

 

「そこの三人は?」

 

「僕の部下として選出致しました。例の案件に参加したいとの事で」

 

「……質問だが、どうして全員、鼻血を出しているんだい?」

 

 

 矢部、石原、秋葉、菊池の全員が、ツーっと赤い筋を鼻の穴から垂らしていた。

 あの後、菊池は矢部の逆鱗に触れてちゃっかり彼に殴られた。

 

 

「えと、色々ありまして〜……」

 

「……まあ良い。さて、申し遅れた」

 

 

 男はスッと立ち上がり、四人を見据えながら名前を言う。

 老年に差し掛かってはいるが、まるで青年のように若々しい気風を持った男だ。

 

 

 

 

 

「一度は会った事はあるかな。『赤坂衛』……警視総監だ」

 

 

 

 赤坂警視総監。矢部らにとっては雲の上の存在だ。彼らは今、総監の執務室にいる。

 菊池はともかく、矢部ら三人はこれ以上ないほどに緊張していた。

 

 

「こ、公安部警部補の、矢部謙三です。こっちが部下の石原と、秋葉です」

 

「宜しく。そんなに緊張しないでくれたまえ。別に取って食う訳じゃあるまい」

 

 

 人懐っこい笑みを浮かべながら、赤坂は四人の前にやって来る。

 近付けばその体格の良さに驚いた。日本人離れした身長と骨格は、本人は「緊張するな」と言うものの強い威圧感を与えてしまう。

 大物を前に矢部は、執拗に何度も髪を撫で付けた。

 

 

 話をする段階に入ったと悟った菊池は、まず赤坂に聞く。

 

 

「赤坂警視総監、例の案件について、僕からご説明をしましょうか?」

 

「いや、説明させてくれ」

 

 

 重大なポストの人物でありながらも、彼の話し方は些かフランクだった。

 だとしても警視庁を牛耳る超大物だ。神妙な顔で、四人は彼の説明を待つ。

 

 

 

 

 

「君たちは、『雛見沢村』はご存知だろうか?」

 

 

 矢部と石原は知らないと首を振るが、秋葉はなぜか知っていたようだ。

 

 

「確か三十年前、当時の国土交通大臣のお孫さんがそこで誘拐されたとか。公安部が極秘調査し、何とか救出したものの、犯人は不明だとか……」

 

「良く知っているね」

 

「へへ……資料室にはしょっちゅう入り浸っていますんで」

 

「国土交通大臣……当時は建設大臣だったか……その誘拐事件の捜査に、私は参加していた」

 

 

 懐かしむようで、どこか物憂げだ。

 歳をとって刻まれた少なくない皺が、ヒシヒシと悲壮感を漂わせている。

 

 

「……しかし、なんで三十年前の事件の話を?」

 

 

 矢部の質問で、我に返ったかのように赤坂は表情を引き締めた。

 

 

「事件の際、雛見沢を訪れていた私は、ある少女に出会ったんだ。その少女に……僕の妻の死を予言されたんだ」

 

「え?」

 

「……尤も当時、大急ぎで東京に戻ったから……妻は今も元気だけどね」

 

「え? ホンマに信じたんですか?」

 

「あの時は凄かった。時間を止められたかと思ったよ」

 

 

 彼は愛妻家で有名で、娘が生まれてからは子煩悩でも有名だ。その娘が留学に行った際は、酷く気落ちしていたとか。それは昔から変わってないのかと少し呆れる矢部。

 

 

 赤坂の話は続く。

 

 

「……その数ヶ月後だったか。雛見沢村は火山性ガスにより、壊滅した。公安部も手を引き、事件の犯人は闇の中になってしまった」

 

「でも、誘拐事件そのものは解決したんでしょ? 壊滅したのは驚きですが、今更調べるような事では……」

 

 

 至極真っ当な矢部の意見。それを突き付けられた途端に赤坂は辛く、後悔を滲ませた表情となる。

 下唇を噛み、何かを想起するような渋面だ。

 

 

 

 

「……二◯◯五年になってから旧雛見沢村を訪れたんだが……偶然、誘拐事件の時にお世話になった刑事さんに会ったんだ。もう十年前に亡くなられたが……その人は雛見沢村の壊滅について、ある事を教えてくれた」

 

 

 四人をジッと見て、続けた。

 

 

 

 

 

 

「……僕の妻の死を予言した少女は……神社で腹を裂かれて、惨殺されたらしい」

 

 

 既に話を聞かされていた菊池以外の全員が、驚きを見せた。

 

 

「雛見沢村の災害は謎が多く、また多くの事件を有耶無耶にもした。洗い直す必要がある」

 

「ちょぉーっと待ってください! 三十年以上も前の事件調査しろ言うんですか!?」

 

 

 耐え切れず、矢部は声を荒らげる。例え警視総監の命令とは言え、過去の事件の捜査を公安部がするのは御門違いだろう。そんな事は元々公安部だった赤坂は良く知っているハズ。

 

 それでも赤坂の意志は固い。

 とりあえず菊池は矢部の髪を掴んで、抗議の声を黙らせた。

 

 

「……信じられない話だろうが、その少女は自分の『死』も予言していた。雛見沢村の災害の日は、その子の話に当て嵌まるんだよ」

 

「一体、誰なんですか?」

 

「それを知りたかった。その後は公安部長、参事官となって……余裕が無かった。後悔しているよ……妻を助けた後に、また雛見沢に戻っていればと」

 

「でもどう調べろと言うんです?」

 

「これを見てくれ」

 

 

 一度赤坂は自身の机に行き、資料を取って矢部らに手渡した。

 中身はどうやら、何かの出資報告書のようだ。

 

 

「『とある大物フィクサー』の金の流れを調べた、昭和五十八年当時の記録だ。莫大な金が、なぜか雛見沢村に流れているだろ?」

 

「なんなんですかコレ?」

 

 

 赤坂は口角を縛らせた。

 

 

「……以前の公安部が追っていた組織に関する物だ。結局、これも分からず終い……自分のキャリアが嘆かわしいよ」

 

 

 悲観的になる赤坂だったが、急いで菊池は励ましの声をかけた。

 

 

「警視総監殿は幾多の現場に立ち会い、解決に導いて来たではありませんか! こいつらと比べたら、輝かしい功績ですよ!」

 

「一言多いねんお前」

 

 

 つい菊池にも言葉遣いが荒くなった矢部。

 彼からの暴言を受けて呆然とする菊池を無視し、矢部は一歩前に出た。

 

 

「何かがこの、雛見沢って所で陰謀を働いていた訳ですね? その何かが大臣の娘を誘拐し、一人の子供を殺害した……んで、災害で突然の壊滅……これは何か、匂いますねぇ?」

 

「……これは完全に、私個人の頼みになる。費費は何とか経費で賄えるよう整えはしてやれるが……」

 

「分ぁかりました! 警視庁公安部警部補矢部謙三、引き受けます!」

 

 

 出世のチャンスの上に、金も出る。都会を走り回るよりも田舎でのんびり出来る……そんな魂胆はあれど、矢部は真相究明の為に赤坂の依頼を受ける事とした。

 

 矢部のそんな下心はともかく、快諾した事で赤坂は嬉しそうに笑う。

 

 

「有り難う矢部君!……これほどの役職になってしまったら、様々な事が出来なくなってしまう。君たちの存在は、私にとっての助けだ」

 

「それワシらが暇って事じゃけぇの!」

 

 

 要らない事を言った石原に、矢部の鉄拳が飛ぶ。

 殴られた石原は「ありがとうございます!」と叫び、床に倒れた。

 

 

「矢部警部補も結構な歳と言うのに、パワフルだなぁ。やはり現場一筋の人間は違う!」

 

「矢部さん、毛根を犠牲に気力だけはありますから」

 

 

 爆弾発言の秋葉に、矢部の拳骨が飛ぶ。

 彼も「ありがとうございます!」と叫んで吹っ飛び、壁に当たって床に伸びる。

 

 

「しかし昨今は体罰に厳しい。無闇に部下を殴ってはならないよ」

 

「まぁ、暴力なんて底が浅い人間の証拠」

 

 

 傲慢な口調の菊池に、矢部のアッパーが飛ぶ。

 殴られた彼も「ありがとうございます!」と叫び、背中から着地して伏した。

 

 

 

 改めて髪を整えながら、気絶する部下三人の中心で矢部は声高々に宣言する。

 

 

 

 

「是非是非、この矢部謙三に任してください!」

 

 

 公安部のリーグ・オブ・レジェンドが結集し、即座に彼らは旧雛見沢村に向かう事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 移動用の車に向かう最中、矢部らは警視庁から出た瞬間に吹く風に身を縮め込めた。

 

 

「なんでこない風強いねんな!」

 

「日本海側に低気圧じゃけぇの!」

 

「どうして参事官の僕まで行かなきゃいけないんだ……」

 

「まぁまぁ、仲良くしましょ。へへへ!」

 

 

 駐車場に停めてあった矢部の車の前まで着く。

 途端、菊池は勿体ぶった仕草でキーを取り出し、三人に見せつけた。

 

 

「待ちたまえ。まさか君たち、このチンケな中古車に乗ろうって訳じゃあるまいな?」

 

「別にええやんけ。もう一発殴ったろか?」

 

「矢部くん、僕は君の上司だが?」

 

「へっ! 警視総監からのお眼鏡が叶ったんなら、お前なんか怖ないわぁ!」

 

「クソッ!」

 

 

 矢部は人や状況によって、態度を即座に変えられる柔軟性を持つ男だ。

 追従する石原と秋葉を連れ、停めてあった昭和感満載の車に乗る。

 

 

「フンッ! 良いだろう! こっちはフォルクスワーゲンのオーダーメイド車で……」

 

 

 

 

 菊池のフォルクスワーゲンは、フロントガラスが粉々に砕けていた。

 空からノートパソコンが降って来て破壊したようだ。

 

 

「ほな行こか」

 

「最近の高級車は開放感あるのぉ!」

 

「あれ僕のマック……」

 

 

 何事も無いように走り出す矢部車。その後ろを菊池は全力で追いかけて来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ようこそ興宮』

 

『超サブカル映画祭』

 

『ムカデ人間やってます』

 

 

 一方の山田と上田は、既に岐阜県鹿骨市にある興宮に来ていた。

 旧雛見沢村とは山一つ隔てた麓にある地方都市だ。イオンが見えた。

 

 

「ここで休憩しよう」

 

「旧雛見沢村はまだ先ですか?」

 

「道路は閉鎖されているから歩きだな……おおう!?」

 

 

 運転席のドアが取れ、上田は窓枠を担いで受け止めた。

 本人は「次郎号ちゃん」と呼ぶパブリカを労わりながら、何とかドアを付けようと頑張っている。

 

 

 

 

 

 諦めた上田はドアごと担ぎ、山田と共に丁度良い飲食店を見つけた。

 店名は、「エンジェルモート」。軒先に、可愛らしいメイドの写真が貼られている。

 

 

「メイド喫茶? なんかファミレスっぽいですね。お腹空きましたし、腹拵えしましょうよ」

 

「何ともマニアックな」

 

「なら別の店行きます?」

 

「ミニスカじゃなければ出るぞ」

 

「入る気満々かよ!」

 

 

 次郎号のドアを傍らに置き、意気揚々と上田は入って行く。

 山田は呆れながらも、上田の奢りならばと嬉々として付いて行く。

 

 

 

 

 

 

「ご注文お決まりでしたらお呼びくだせぇ」

 

 

 ミニスカフリルメイド服を着た前期高齢者女性の店員が接客。

 

 

「ミニスカ……ミニスカ……ミニ、スカ……」

 

 

 手前に置かれた水を光のない目で眺めながら、上田は絶句していた。

 軒先に貼られていた写真のメイド娘は「レジェンドメイド」だそうで、昔の人物らしい。

 

 

 

 早速山田はカレー、上田はパンケーキを注文。

 スプーンを忙しく動かしてがっつく彼女を見ながら、上田はフォークでバターを突く。

 

 

「その様子じゃ何も食ってないようだなぁ?」

 

「前に死ぬほど餃子と寿司食べさせられて以来ですね」

 

「バッカな。そこそこ前だぞ」

 

「んで、上田さん」

 

 

 咀嚼し、嚥下してから、山田は辺りを見渡す。

 他の客たちは全員、一心不乱に蕎麦を啜っていた。

 

 

「依頼人は来ないんですか?」

 

「仕事があるからって、合流は明日の朝になるそうだ」

 

 

 旧雛見沢の下見も兼ね、一日早くここに来たらしい。

 廃墟とは言え、公的には立ち入り禁止の閉鎖状態。しかし事前に行政の許可を得た為、いつでも上田らは旧雛見沢に向かえるようだ。

 

 

「じゃあ今日は泊まりですね」

 

「許可は取ってある。運動がてら、旧雛見沢村を軽く見ておこうじゃないか」

 

「明日にしましょうよ」

 

「そう言うな。本当に火山性ガスが原因か確かめてやる」

 

「やけに気合い入ってますね」

 

「とっとと帰りたいからな」

 

 

 上田はパンケーキにかけようとメープルシロップを探す。すると山田がテーブル脇に置いてあった、シロップの入った小瓶を手に取った。

 

 

 てっきり渡してくれるものかと上田は腕を伸ばすが、彼女は自分のカレーにそれをドバドバかけ始めた為、呆然とその様を眺めるしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 お腹を満たした二人は旧雛見沢村の資料でも探そうかと、興宮市役所に来ていた。

 市役所と図書館が一体になっている所が何とも地方都市らしい。

 

 

「ようこそ〜、興宮へ〜!」

 

「おっきぃぃいいいぃぃいッッ!!!!」

 

 

 入り口で三十人ぐらいの職員と、うるさい鳴き声で叫ぶゆるキャラ「おっきー」が、凱旋パレードのようなノリで出迎えてくれた。

 熱の入った歓迎を受けながら図書館に行き、ドアを担ぎつつ上田は老人の司書に話しかける。

 

 

「あの〜、お尋ねしたいのですが〜……」

 

「今日はグランドゴルフはお休みだべ」

 

 

 お休みだと知らなかった老夫婦が、クラブを持って上田の後ろに立っている。

 

 

「いやそうじゃなくてですね……資料を探してまして」

 

「なんのだべ?」

 

「旧雛見沢村についてなんですがね」

 

 

 雛見沢と言う地名を出した途端、老人の表情は険しくなる。突然の変貌に、上田は暫し押し黙った。

 

 

「……なんでぇ、調べるか?」

 

「……あ、あの。私、こう言う本を出している者でしてねぇ?」

 

 

 差し出したのは「上田次郎の新世界」。海沿いに立つ上田の写真が使われた、B5サイズのクリアファイルまで付いている。

 

 

「…………」

 

「私は、どんな事象にも科学的根拠があると断言していましてね! 今回は消えた村の調査をしようかと、ここに資料を求めに来たので」

 

「悪い事は言わね。あの村にゃ関わるな」

 

 

 上田の本を手に取り、ポイっと後ろに投げ捨てる。

 その様を呆然を見届ける彼に代わって、控えていた山田が質問した。

 

 

「関わるな……とは?」

 

「あの村に関わると、碌な事にゃならん」

 

「でももう、無くなった村じゃないですか」

 

「……いっそダム計画を復活させて、沈めて欲しいもんだべ」

 

 

 老人は皺だらけの手を組み、落ち着きなさそうに黒目を動かす。

 見るからに動揺していると山田は気付き、更に質問を飛ばした。

 

 

「……何か知っているんですか?」

 

 

 老人は言い辛そうに顔を顰めた後、辺りを憚るように前のめり気味で語りかける。

 

 

「わしは昔、村の学校に本を持って行っちょったけ……知っとるべ……『綿流し』の日に起こる祟りを……しかもその数日後に、村が滅んだ事を……」

 

 

 

 震えて嗄れた声で、続けた。

 

 

 

「……あの村はな、呪われちょる……『オヤシロ様』の怒りに触れたんじゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 旧雛見沢村では、「オヤシロ様」と言う独特の神を信仰していたそうだ。

 オヤシロ様は村人たちの畏敬を受けて「古手神社」にて祀られ、毎年お祭りも催されていたらしい。

 

 

「綿流し」とは、その祭りの名前だ。

 だが不気味な事件が、綿流しの時に毎年起きていたらしい。

 

 

 依頼人が言っていた通りだ、「誰かが死に、誰かが消える事件」。

 村人たちは「オヤシロ様の祟りだ」と言って、恐れたそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 上田と山田は車の所まで戻り、村の概要を、図書館で借りた書籍で確認した。

 資料自体は幾つか借りられた。老人は渋々だが、司書としての仕事はしてくれたようだ。

 

 

「こんなの、祟りにあやかった殺人ですよ」

 

「ああ。この手の話は、幾つかのシリアルキラーの特徴に合致している。かの有名な『アルバート・ハミルトン・フィッシュ』は満月の夜に犯行に及ぶ事から、『満月の狂人』と呼ばれていた。ある種の縁起と言う物を何かに見い出し、条件が整うと実行する……シリアルキラー、特に快楽殺人犯の分かりやすい習性だ」

 

「……上田、そのお守りはなんだ」

 

 

 ここに来るまでに買い漁った「悪霊退散」と書かれたお守りを、上田は自身を模した「次郎人形」の身体中にぶら下げていた。

 

 

「大安売りされていたからな。ほら、旅の思い出に」

 

「ゆるキャラのお守りまで……この、おっきーってなんなんですか? 狐? 蝙蝠?」

 

「元々は旧雛見沢村のキャラクターらしい。その時は『ひっきー』と呼ばれていた」

 

「………………」

 

「ふっ。郷に入れば郷に従えだ……これで俺も、雛見沢村の村民。村民を襲う神様はいない」

 

「いや……祟りの被害者、村人ばっかだし」

 

 

 即座におっきーのお守りを引き抜く上田。

 その隣で山田は借りた本を見て、怪訝な顔付きだ。

 

 

「でも少ないですね。二冊しかないって……」

 

「まぁ、何も知らないよりかはマシだろ」

 

「……行くんですか?」

 

 

 車を停めていた場所は山道の近くの駐車場。

 この山道の先に、件の旧雛見沢村が廃墟となって存在している。道の入り口を遮るのは錆だらけの警告板と、頼りなく張られた紐のみ。

 

 

「軽く見るだけだ。夜までには帰る」

 

「歩いて何分になりそうですか?」

 

「地図によれば……片道で一時間になりそうだな」

 

「マジか……やっぱ明日にしません?」

 

「はん! 臆病風に吹かれたか! 天っ才物理学者に怖いものは無いッ!!」

 

「じゃあお守り取れよ!」

 

 

 荷物とお守りを満載した「次郎人形」を担ぎ、上田は歩き出した。

 看板を跨ぎ、先に先に意気揚々と進む彼だが、途端に立ち止まって振り返る。

 

 

 

 山田は道の入り口で突っ立ったまま、進む上田を冷ややかに眺めていた。

 

 

「……来いッ!!」

 

 

 山田の意地悪こそあったものの、二人仲良く旧雛見沢村への道を歩き出した。

 陽は既に、西へ傾いている。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

誰ソ彼

あぶ

 

赤ラーク

 

さはえり

 

おっぱい星人

 

さい大魔王

 

かいしゃちがい

 

プラマイゼロむしろマイ

 

戦車道

 

ゴンバ・ヂバサゼ・ボソゲ・バギゾパ・ダグバ

 

リューション

 

なにものだ日企谷八幡

 

 

 畳の上に、数々の習字作品が置かれていた。

 

 

 夕焼けが射し込む邸内。さっきまで満ちていた、子どもたちの楽しげな声が消える。

 がらんとなった家は寂しげで、遠く聞こえるカラスの鳴き声が望郷の念を煽る。

 

 

 

 ここは長野県の山中にある邸宅。

 山田の実家であり、今は母親の「里見」が一人で暮らしていた。

 

 

 

 

「……さっ。お夕飯の支度しましょ」

 

 

 畳にとっ散らかった作品は後で片付けようと決め、遅くならない内にご飯を食べようと台所へ向かう。

 そんな矢先に、ガラガラと入り口の引き戸が開く。来客のようだ。

 

 

「はーい? こんな時間にどな……」

 

 

 玄関先にいた人物を見て、里見は呆れた顔で言葉を切る。

 来客であるスーツ姿の色男は親しげに手を上げ、ニコリと微笑みかけた。

 

 

「お元気ですか? お母さん」

 

「『瀬田くん』……議員のお仕事は? 年末は忙しいんじゃないの?」

 

「そこんとこは上手く調整しますよ」

 

 

 男の名前は、瀬田。

 昔は医師だったが、数年前に長野県の市議会議員に立候補してから度々当選している、現職の議員だ。

 医師時代は回診の合間に良く来ていたが、最近は議員の仕事が忙しいらしく、なかなか見なくなっていた。

 

 

 瀬田はチラリと、居間の方を覗く。

 

 

「……奈緒子は、帰って来てないんですか?」

 

「……ええ。相変わらず東京住まいよ」

 

「記憶喪失なんて重傷だろうに……お母さんも歳なんだし、帰って来るよう言ったらどうです?」

 

「あの子だって子供じゃないんですから。それに記憶も、殆ど戻って来てるから」

 

 

 そうですか、と顎を摩りながら頷く瀬田。

 

 

「……まぁ、生きていただけ幸せかもしれないですがね」

 

「それより瀬田くん、何か用事があって来たんでしょ?」

 

「あぁ、そうだった」

 

 

 彼が里見に差し出したのは、誰かが彼女に宛てた願書。

 

 

 里見は書道家として有名で、彼女に文字を書いてもらった人間は吉報に恵まれると専ら評判だ。

 全国の芸能人、政治人などが、こぞって里見に文字を書いて貰おうと詰めかけるほど。

 

 

 彼女に渡された願書も、地方の議員が次の選挙に勝つ為、名前を書いて欲しいと願っている物だった。

 差出人の名前は「三木(みき) 舞臼(まうす)」議員。頭にネズミの耳のような飾りを被っていた。

 

 

「なかなか攻めた名前ねぇ。訴えられないのかしら?」

 

「この間、議員のパーティーの時に偶然知り合いましてね? お母さんの知り合いって言ったら、是非頼んでくれって!」

 

「瀬田くん、こう易々と勝手に引き受けられては困るわよ。あたしにも都合と言うものがあるんですから……」

 

「そう言わずさぁ。結構、金払いの良い人っぽいですよ、お母さん」

 

「何年言わせるのよ……あたしは、あなたの『お母さん』ではありません!」

 

 

 ピシャリと言い放ち、願書を突き返そうとする里見。

 

 ふと目に入った差出人の住所に気が移る。本当に議員を目指している人間の字なのかと疑いたくなる、下手な文字かつ横文字表記。

 

 

 

『──鹿骨市興宮……』

 

 

 

 

 それを見て少し考え込んだ後、里見は瀬田に聞く。

 

 

「瀬田くん。この、鹿骨市はどこの町なの?」

 

「あぁ。岐阜にある町ですね。昔はとても大きなヤクザが仕切っていたとか何とか。まっ! そのヤクザはとっくの昔に解体されたそうなんで、今はクリーンですよ」

 

「…………」

 

「どうしました?」

 

「……いえ。聞かない場所だったから」

 

 

 願書を渡せたのならばと、瀬田はそろそろ戻ろうかと考えた。

 

 

「じゃあ、お母さん! 前向きに検討してね!」

 

「はいはい」

 

「あと! 奈緒子に早く僕の事話してくださいね! お互い婚期逃しちゃいますよって!」

 

「全く……変わらないわねぇあなたは……」

 

 

 出て行こうとする瀬田を呆れながら見送っていた里見だが、次には大慌てで話しかける。

 

 

 

 

「車で来てるんでしょ? ちゃんと修理に出しなさいよ!」

 

「……え? しゅ、修理?」

 

「じゃ、またね」

 

 

 手を振り見送る里見を怪訝に思いながら、瀬田は近場に停めた自家用車に戻る。

 

 

 

 

 

 少し走らせた後に車は道中で故障を起こし、彼はレッカーを頼む羽目になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 里見は願書を持ちながら、再び居間に立つ。

 居間には、子どもたちの書いた作品が床にバラバラ置かれている。

 

 

 そのバラバラに置かれた作品が重なって、更には自らが加えた朱色の修正も加わり、偶然にも一つの文字を浮き出させていた。

 

 

『災』

 

【挿絵表示】

 

 

「……災い」

 

 

 再び願書に書かれた、鹿骨市興宮の地名を見遣る。

 書いた人物はかなり、悪筆のようだ。鹿の字の中身が横に飛び抜け、「月」の字が四角になってしまった骨とぶつかっていた。

 

 

『禍』

 

【挿絵表示】

 

 

「……禍々しい」

 

 

 災禍。

 彼女にとって、偶然とは思えなかった。

 そしてその二つで一つの、不吉な文字が示す先に──願書と、作品の先に一人娘、奈緒子の写真がある。

 

 

 

 

 

 

「奈緒子……」

 

 

 ぽつり、一人娘の名を呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空が夕焼けに染まる頃、公安組の車はまだ高速道路を走っていた。

 運転は石原にさせ、助手席には矢部。後部座席に菊池と、秋葉を乗せている。

 

 

 カーステレオで流している曲は、菊池が持参したCDのものだ。

 

 

「なんやねんな、このラップ」

 

「フランシュシュの曲だッ! 分からんのかッ!? 東大理三の人間なら聴くように、後輩に布教している!」

 

「首が取れたらとか、おっそろしい事言うとんなぁ。ゾンビ? ロブ・ゾンビか?」

 

「『ホワイト・ゾンビ』と比べるんじゃあないッ!!」

 

「よお知っとんな」

 

 

 道路沿いに立てられていた案内標識を見ると、やっと目的地である「鹿骨市」の名前が示されていた。

 

 

「兄ィ! 鹿骨市が見えて来たけぇ!」

 

「あと何キロや?」

 

「十キロやけぇの!」

 

「遠いなぁ〜ホンマ。金貰えへんなら来んかったで、こんなド田舎!」

 

 

 高速道路は山間に張られ、長いトンネルにも何度も入る。

 その度にトンネル内で増幅した走行音で曲が聴こえづらくなり、菊池はイライラ。

 

 

「トンネルの少ない道は無かったのかね!」

 

 

 スマートフォンで地図を見ていた秋葉が断言する。

 

 

「この道しかないっすね。下道使ったら一週間かかりますし」

 

「これだから郊外は嫌なんだ! 大体、参事官の僕が行く意味が分からない!」

 

「警視総監のお達しですから、仕方ないっすよ。何かあれば電話するように、番号も聞いていますから」

 

 

 秋葉は赤坂から預かった、彼の電話番号が書かれた紙を見せ、矢部に渡した。

 

 

「警視総監の電話番号確保や! これでコビ売れまくれるでぇ!」

 

「コビ売って、どないなるんけ?」

 

「そりゃ、昇進やろ! コビてコビて、コビウルオウダーや!」

 

「兄ィがマブシーッ!」

 

 

 はしゃぐ矢部に、呆れ顔を向ける菊池。人差し指をピンと立て、刑法を一つ捲し立てる。

 

 

「刑法第百九十七条! 公務員がその職務に関し、賄賂を収受し、またはその要求もしくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。この場合において請託を受けたときは七年以下の懲役に処する! こんなの東大理三を卒業し、六法全書を毎日読み返していた僕のような超絶エリートキャリア警官にとって、常識だ!」

 

「別に賄賂渡す訳やあらへんわ! コビ売るならなんの罪にもならんやろ!」

 

「上司として釘を刺しただけだ! 君ならやりかねん!」

 

「お前ここで降ろしたってもええんやぞ? えぇ? 今のワシはハイパームテキやで?」

 

 

 矢部の野望、菊池の自慢話が飛び交い、騒がしい車内となる。

 既に夕方。鹿骨市に着く頃には、もう夜も深まっているだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらの空も橙に染まっていた。

 森の中という事もあり、辺りはかなり暗くなっている。何とか山田と上田は目を凝らし、視界を確保する。

 

 

「……遠い」

 

「いつかの奥アマゾンのピラニア汁精力剤があるんだが、飲むのはまだ勿体ないな」

 

「あるんなら飲ましてくださいよ!」

 

「三万円だぞ。これは、俺が夜を添い遂げる為に取っておくんだよ!」

 

「使う予定あるのか?」

 

「黙れ」

 

 

 哀愁を漂わせ始めた上田の背中を眺めながら、彼女は必死に悪路を進む。

 途端に彼が立ち止まり、山田は少しぶつかる。

 

 

「イッテ! 急に止まるなしっ!」

 

「まぁ待て……ほれ、見えて来たぞ」

 

 

 上田が指を差す先を見据える。

 

 

 

 

 雑草が伸び放題の、田畑と思わしき場所。

 形を保ちながらも所々崩落した、家々。

 三十年あまり人の気を寄せ付けなかっただけに、荒廃の具合は著しい。

 

 

 

 黄昏に染まる、退廃的な世界。

 その場所こそが、目的地である「旧雛見沢村」。

 

 一夜にして住民が全滅し、そして地図から消えた曰く付きの廃墟だ。

 あれほど気が強かった山田でさえも、実物を前にして何か薄寒いものを感じてしまう。

 

 

「……なんか、雰囲気ありますね」

 

「……に、日本海側に抜けた低気圧の影響で、レイリー散乱が著しいな。つまり、最も夕焼けが赤く見える、ジャストな条件って事だ!」

 

「はぁ」

 

「因みにレイリー散乱とは」

 

「良いから行くぞ上田!」

 

 

 ダラダラ喋り倒し時間を間延びさせる上田を押して、二人は再び旧雛見沢村へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 振り返る山田。

 

 

「どうした?」

 

「いや……誰かいたような気がして……」

 

「や、止めなさい。オヤシロ様かもしれんだろ!」

 

「超常現象は信じないんじゃなかったのか……怖いなら帰ります?」

 

「怖くねぇって!!」

 

 

 何事もなく歩き出す、山田と上田。

 

 

 

 

 木々の隙間からこっそりと、人影が覗く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま旧雛見沢村に足を踏み入れた二人。

 道はあってないようなもので、雑草が茂る泥だらけの中を突き進んだ。

 

 

「どうにも……火山性ガスとは思えん。三十五年経ったとは言え硫黄の気配がしないし……どう見ても火山は見当たらない」

 

「そもそもそんな危険な場所なら、今になっても許可出ないんじゃないですか?」

 

「火山性ガスの危険はない……いや。村人全員を全滅させた規模なら、もっと形跡があって良いものだが……」

 

 

 ブツブツと呟きながら、荒れ果てた家々を見て回る。

 駄菓子屋、村役場、学校、診療所……三十年前までは、実際に人がいたであろう廃墟の数々を通り過ぎた。

 

 それらを眺めながら山田はつい、縁起でもない事を口走る。

 

 

「もしかしたら私たち、誰かの遺体のあった場所に立っているのかもしれませんね」

 

「や、やめろッ!! 言うなッ!! 歩けなくなるだろ!?」

 

「あ!」

 

「おおう!? なんだ!?」

 

 

 山田が指差す方へ、上田はビビりながら視線を向かわせる。

 

 

 

 

 

 落ちる斜陽が、鳥居の後ろより赤く輝く。

 石造りであったそれは、コケに侵食されて醜くヒビ割れていた。

 二人の前で遥か上より見下ろし立ち、逆光による影を鬱々しく落としている。

 

 

 

「あれが古手神社じゃないですか? オヤシロ様を祀っているとかの」

 

「あ、ああ……そうだな。地図によれば確かに、あれが古手神社だが……」

 

 

 地図から顔を上げれば、山田は既に神社への急な階段を上がっていた。

 

 

「勇敢過ぎるだろYOUッ!?」

 

「高台にありますので、見晴らし良さそうですし」

 

「た、祟られ……」

 

「逆に挨拶もしない人間こそ祟られそうな気がしますよ」

 

 

 山田に諭され、上田もまた大急ぎで階段を駆ける。

 道が少し泥濘だった為、濡れた靴のまま転んで階段を滑り落ちた。

 

 

 

 

 

 

 階段は三十段。

 神社自体は山の斜面を切り開いた場所にあり、恐らくここがこの村で一番高い地点だろう。

 

 多い段数にウンザリしながら山田はぼやく。

 

 

「なんで神社って……どこもかしこも高い所にあるんだ……」

 

「縄文時代に遡る。人間は死後、魂は海に還ると考えられていた為、古代人は海辺に祖先の霊を祀る場所を建てたんだ」

 

「なら、海辺にあるべきじゃないですか?」

 

「ところがドッコイ。縄文時代は地球の気温が高かった。つまり、今より海の面積が広かったと言う訳だ。これを『縄文海進期』と言う」

 

「それで?」

 

「縄文海進期を抜けると、地球はまた冷えた。冷えれば氷河は増え、海の面積が低下する。結果、元々海が侵食しなかった場所が地理的に高くなり、海が干上がった場所が低い標高となる。海に住んでいたハズの『フタバスズキリュウ』や『アンモナイト』がなぜか山の中で見つかるのは、そう言う背景だ」

 

 

 二人は鳥居を潜る。上田の蘊蓄は続く。

 

 

「海がないハズの栃木や群馬に『貝塚』が存在する事から……縄文時代の日本は、今より海に沈んでいた訳だ」

 

「へぇ。今の神社って、そのまま縄文時代からの場所を変えずに建てたから高い場所にあるんですね」

 

「勉強になったろう?」

 

 

 明らかに物理学の世界ではない上田の薀蓄。

 数々の寒村を渡り歩き、そこのインチキ霊媒師を撃退して来たと言う彼だ。嫌でも民俗学に興味を持ってしまうのは、学者としてあるべき姿だろう。

 

 

 

 古手神社は、二人が思っていたよりはかなり広い。

 苔と腐った木材だらけの拝殿と、手水舎がある。また枯れた森を経由した裏手には、崩落した小屋があった。

 

 

「神社って、廃墟になったら余計怖いですね」

 

「……やっぱ、やめないか?」

 

「ここまで来たならお参りしましょうよ」

 

「……なんでお前そんなに勇敢なんだ?」

 

 

 昔は白かったであろう玉砂利は、鈍色に煤け、コケが生えている。

 それらから顔を覗かせる参道を進んだ先に手水舎がある。その先にまた数段階段があり、そこが拝殿だ。

 

 古ぼけた賽銭箱がぽつんと、置かれている。すぐに上田は財布を抜いた。

 

 

「ごご、五百円〜五百円〜……待て。五百円でオヤシロ様は許してくれるのか……? ここは一万円を出す方が賢明では……」

 

「あれ? お賽銭はちまちま入っているんですね」

 

「覗くなタワけッ!!」

 

 

 雨風に晒され、腐食した賽銭箱。中には確かに五円玉がポツポツ落ちていた。

 

 

「大方、廃墟マニアかなんかが記念に賽銭してった物だろ。ケッ、不謹慎な事しやがる! オヤシロ様に祟られちまえ!」

 

「なんでオヤシロ様側についてんだ」

 

 

 上田の態度に呆れながらも、山田はポケットからガマ口を取り出し、一円玉を抜く。

 

 

「ケチな奴め! オヤシロ様がキレるぞ!」

 

「何言ってんですか! 一円玉って凄いんですよ。世界で唯一、水に浮くお金!」

 

「せめて五円玉に……おおいッ!?」

 

 

 山田の手から放たれたアルミの塊は小さなか細い音を立てて、賽銭箱に呑まれた。

 続いて彼女は一回、手を叩く。静かな境内にパンっと、破裂音が響いた。

 

 即座に上田が必死の形相で注意する。

 

 

「二回叩け! それ以前に、叩く前に二回お辞儀しろッ!!」

 

「別に良いじゃないですか。回数なんて気にしませんよ、神様なんて」

 

「お辞儀をするのだッ!」

 

「うるさいなぁ……分かりましたよもう」

 

「恥を知れ! 祟られろ!」

 

 

 上田の声が、境内に轟く。

 

 

 

 

 

 途端、何かが激しく倒れる音が木霊した。

 

 

「!?」

 

「うひゃう!?」

 

 

 瞬時に振り返る山田と、情けない悲鳴をあげる上田。

 後は、拝殿の向かって左手の奥にある、小さな建物からだ。見るからに物置の類だろう。

 

 

「……何か、落ちたんでしょうか?」

 

「おおお、おい……やめとけやめとけ……」

 

「……」

 

「おおーい!!」

 

 

 お守りまみれの次郎人形を掲げながら、ズンズン進む山田の後を追う。

 どうやらその建物は、祭具殿のようだ。入り口の戸を確認し、山田は頷く。

 

 

「鍵、開いてますね」

 

「やめなさい! 封印が解かれるぞ!」

 

「えい!」

 

「お前はなんでそんな怖いもの知らずなんだッ!! 馬鹿かッ!?」

 

 

 引き戸を思いっきり開く。二重扉のようなので、更にもう一度開く。

 

 

 

 

 その先には祭事に使うであろう、物の数々。

 お祭りの時に出す小さな神輿やら工具やら、破れた扇子に鈴、霞んだ鏡などが所狭しと置かれていた。

 

 

 何十年も光を浴びていないようで、埃とその臭いが二人に飛びかかった。

 それでも山田は容赦なく最奥目掛けて進む。

 

 

「お、おい……怒られるぞ?」

 

「……倒れたのはアレのようですね」

 

 

 山田が指差す。

 

 

 額縁が落ちていた。その上にある引っ掛けに立ててあったであろう物だ。

 二人は中に入り、額縁に近付く。入る際に長身の上田は頭をぶつけた。

 

 

 山田は落ちていた額縁を拾い上げる。見事な文字で「古手梨花」と書かれていた。

 

 

「古手…………」

 

 

 下二つの文字を見て、顰めっ面になる山田。

 

 

「なし、はな?」

 

「多分『リカ』だ」

 

「それは上田さんの分野じゃないですか」

 

「そいつは『理科』だ!……いや、同じ読みだ! ツッコミにくいボケをかますんじゃない!」

 

 

 上田は自前の懐中電灯を取り出し、額縁が飾られていた箇所を照らす。

 

 

「……固定具が落ちているな。道中、泥濘んでいた辺り、雨上がりなんだろう。湿気で固定具が劣化して、ポロっと落ちたって訳か。ハッ! そんなもんだと思った!」

 

「ビビっていたのはどこのどいつだ……ん?」

 

 

 額縁の裏、書道作品との隙間に、劣化した紙が挟まって折り畳まれていた。

 

 

「なんだこれ?」

 

 

 気になった山田はそれを抜き取り、パラっと開いた。

 幾度も雨に濡れては乾いてを繰り返して来たのか、酷く皺だらけだ。おかげで中の文字は所々掠れ、断片的にしか読めない。

 

 

 

 

 

 

『   と  お     やま     の き       ん      さん』

 

 

 

 

 

 

「……『遠山の金さん』」

 

「なにやってんだ?」

 

「遠山の金さんですよ」

 

「は?」

 

「この見事に咲いた遠山桜を! 忘れたとは言わせねぇ!」

 

「……大丈夫かYOU?」

 

 

 他の文字が読めないかと試行錯誤をする山田とは別に、上田は祭具殿内を見渡していた。

 

 

「さっき俺たちが入った印象からずっと、誰も入って来ていないようだ。落ちたのは自然現象に過ぎんな」

 

「おうおう! この背中に咲いた桜吹雪! 散らせるものなら散らしてみろー!」

 

「黙れッ! 散らすぞッ!……まぁ、こんなモンか。オヤシロ様なんて、恐るるに足りんな! はっはっ!」

 

 

 やっと心に余裕が出来て調子に乗った上田は、雄々しく、高らかに笑う。

 その時だった。

 

 

 

 

 

 

 ドタドタドタ。

 

 

「!?!?!?」

 

 

 何かが、どこかを何度も蹴ったような、明らかに人為的な音が響く。

 

 

「上田さん!? 誰か、いますよ!?」

 

「………………」

 

「……上田さん? 上田?」

 

 

 

 

 上田は立ったまま気絶していた。右手を上に、左手を横に伸ばしてL字を作るようなポージングのまま。

 

 

「肝心な時に役に立たないんだから……!」

 

 

 彼から懐中電灯を引ったくり、音のした方向へ恐る恐る向かう山田。

 音は、倒れた神輿の裏からだ。

 

 

「誰か? いるんですかー?」

 

 

 呼び掛けに応じる声はない。ゆっくりと、警戒心を最大限に抱きながら、神輿の裏へと回る。

 その更に奥に、片腕が欠損した仏像があった。

 

 

「……ん?」

 

 

 仏像の前に箱がある。丁度、日曜大工の工具を仕舞うような、古ぼけた箱だ。

 山田はそれに手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 ドタン、バタン、ドンドンドン。

 

 

「誰……!?」

 

 

 一際大きな音が鳴り、続いてみしりと何かが軋む音。

 危険を感じて振り向く山田だが、既に折れた神輿の柱が頭部目掛けて落っこちて来た。

 

 

「え!? え!? ちょちょちょ!?」

 

 

 回避する暇もなく、柱は山田の頭にぶつかった。

 

 

 

 

「にゃあーっ!!」

 

 

 奇声をあげながら山田も、上田と同じく気絶してしまう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月9日木曜日 時を越えた二人
鳴く頃


 照り付ける。

 

 風が吹く。

 

 川がせせらぐ。

 

 青葉が揺れる。

 

 雲が流れる。

 

 夕立が起きて、

 

 嘘のように止む。

 

 そして鳴き出す、

 

 ひぐらしたち。

 

 

 

 

 

 蒸し返す暑さの中を、風が駆け、心地良さを与える。

 

 風は葉をざわざわと鳴らし、大きな入道雲を呼び込んだ。

 

 黒い雲は雨を滝のように降らせて、飽きっぽく止めてしまう。

 

 濡れた草の隙間を光風が抜け、驚いて声をあげるは小さき者たち。

 

 

 光を浴び、短い命を、嘆くように。

 

 

 

 

 

 

 

 変わらない景色。

 

 変わらない音色。

 

 変わらない感覚。

 

 変わらない運命。

 

 

 また、やって来た。

 

 ひぐらしがなく頃に、戻って来た。

 

 

 

 キキキキキ………………

 

 キキキキキキ………………

 

 

 

 

 

 

第一章 時を越えた二人

 

 

 

 

 

 

「う……う〜……」

 

 

 脳までつん裂くような、喧しいアブラゼミの鳴き声に叩き起こされる。まず薄く目を開け、一度二度瞬いた。

 

 

「い……いたたたたた……」

 

 

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、上半身を何とか起こす。

 思考はぼんやり霞んでいるかのようだが、辺りに注意を払える程度の意識はある。

 

 

 

「……あっつ!!」

 

 

 まず感じたのは蒸し風呂の中にいるような暑さ。羽織っていたダウンを急いで脱ぐ。

 

 

「なんだこれ……ペッ! ペッ! うぇ……木屑食べちった……きったなっ!」

 

 

 ゆっくり立ち上がった折にやっと頭が冴え始め、ふと気が付いた。

 懐中電灯で視界を確保していたほど暗かったのに、祭具殿内はいやに明るくなっていた。

 

 

「……え? 朝まで寝てた?……てか、あっつ! なに? 火事?」

 

 

 火の熱さと言うより、まるで夏の燦々とした陽光を浴びているかのような陽の暑さだ。

 今は冬だよなと思っているだけに、とうとう自分がおかしくなったのかと疑ってしまう。

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 

 折れて頭に降って来たハズの柱は無く、綺麗な状態の神輿が堂々と立っていた。

 振り返ると、あの仏像。片腕がないのは相変わらずだが、手前に置いてあった木箱が無い。

 

 

「てか……なんか……」

 

 

 全体的に堂内が綺麗に見えた。

 古ぼけて埃っぽいのは変わらないが、もっと廃墟同然だったハズと想起する。

 

 

「……上田〜?」

 

 

 相方の名前を呼ぶも、返事は無し。

 何度か声に出すが、返事が返って来ないので呼ぶのを止める。

 

 

「あのヤロー、まだ寝てんのか……」

 

 

 悪態吐きながら歩き出し、神輿を通り抜け、彼が気絶していた場所へ行く。

 

 

 

 しかしそこに上田はいない。

 更に言えば、落っこちていたハズの「古手梨花」の書道作品が、元通り額縁に飾られていた。

 

 

「……遠山の金さん」

 

 

 意味不明な事を呟き、額縁の前に行く。

 

 微かに埃を被っているものの、傷一つ無く、比較的新しい。

 劣化で若干霞んでいた墨の字も、くっきり見える。明らかにさっき見た物よりも、幾分か新しい。

 

 

「……おかしい」

 

 

 そう言えば神輿にも、過度な腐食がない。古ぼけてはいるものの、それなりの管理が為されている程度には綺麗だ。

 数々の違和感に気付き、不安を抱いた彼女は急いで祭具殿を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白い玉砂利に、こんこんと清らかな水を流す手水舎、繁る鮮やかな青葉の木々。

 そして荒廃とは程遠い、厳かで堂々とした拝殿。

 

 

「…………は?」

 

 

 それよりも彼女の目を奪ったのは、空。

 

 

 照り付ける陽光、心地良さを感じる風、高い空と入道雲。

 肌を焦がすような暑さの感覚。

 そして一層喧しい、蝉時雨。

 

 

 

 

 

 年の瀬だったハズの世界は、夏に逆戻りしていた。

 

 

 

 

 

 

「……はああああああ!?」

 

 

 山田はこの頓珍漢な状況に、叫ぶしかない。

 その叫びに驚いたアブラゼミが一匹、どこかへ飛んで逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鬼ヶ淵死守連合・雛見沢じぇねれ〜しょんず』

 

「ダムは〜ムダムダ〜!」

 

「「ムダムダ〜!」」

 

 

 山田の前を、「ダム建設反対」の旗を掲げた集団が通り過ぎて行く。

 彼女がいたのは神社を降りて少し歩いた先、駄菓子屋の前。

 

 

 

 

「……どーなってんだ……!?」

 

 

 ここはとっくに廃村になっている為、自分たち以外の人間がいる時点でおかしい。

 通り去るその集団を、まるで幽霊でも見るかのような愕然顔で見送った。

 

 

 放心状態の山田の後ろから、駄菓子屋の店主である老婆が話しかける。

 

 

「カンカン棒、食うかい?」

 

「……それ、チューチューじゃ?」

 

「チューチュー? なんでぇ。おんし、ヨソモンかいね……なんつー格好しとるか。今、夏やど?」

 

 

 呆れ顔の老婆が親切にもチューペットを差し出した。

 少し躊躇したが、がめつい山田はそれを受け取った。

 

 

「あ、ありがと、ございます」

 

 

 チューペットを口に含む前に、溢れる疑問に耐えきれず山田は質問する。

 

 

「……あのぉ、聞きたいんですけど」

 

「なにか?」

 

「今って……何年の、何月何日ですか?」

 

 

 山田の質問を聞いて、店主はまずキョトンとする。

 

 

「暑さで頭おかしなったか?」

 

「んな訳ないじゃないですか!」

 

「貧乳だし」

 

「貧乳関係ねぇだろっ!?」

 

 

 コンプレックスを指摘されて怒り狂う山田。

 店主は怪訝に思いながらも、これまた親切に教えてくれた。

 

 

 

 

 

「六月の九日。んで、一九八三年の昭和五十八年やろ」

 

 

 

 

 間違いなく、今の自分は三十五年前の雛見沢村にいる。

 あまりの衝撃事実に、寧ろ現実味が持たずに大声で驚き喚く気力が出てこない。

 

 

 

 

「……マジか」

 

 

 気持ちと反面に、淡白な態度を取ってしまった。

 茫然自失のままチューペットを口を付ける。すると老婆が手の平を差し出した。

 

 

「はい、お会計」

 

「……え!? 商品だったんですか!?」

 

「十円」

 

「たっか」

 

 

 お金を寄せ集め、十円を払う。もうガマ口の中は空っぽだ。

 

 

 

 

 

 

 押し売りされたチューペットを手に持ち、腕にダウンを掛け、茹る暑さに顔を顰めながら村を歩く山田。

 

 

「絶対おかしい……いや、おかしくない訳ないが……それより上田どこ行った……」

 

 

 チューペットを啜ると、甘いイチゴ味が口に広がる。

 頰や首筋にそれを当てて冷やしたり、袖で汗を拭いながら、消えた相方を探す。

 

 

 村内の共用掲示板を発見し、ちらりと見た。

 

 

『六月十九日・綿流し 雛見沢村青年会』

 

『ダム建設に、あり〜べでるち 雛見沢じぇねれ〜しょんず』

 

『鬼退治、ご相談ください 鬼殺隊』

 

 

 どれを見ても消えた村、「雛見沢村」の文字がある。

 間違いなく、ここは本物の雛見沢村だ。

 

 

 

 

「……夢かなぁ」

 

 

 自分は気絶して夢でも見ているのだろうと思い立ち、チューペットで顔をがしがし叩く。

 

 

「ほっ! 目覚めよ! フランチェーン!」

 

 

 何度も何度も、現実を受け入れられずに顔を叩く。

 少しこの熱波に浮かされているのか、変な言葉も添えて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁度その頃、二人の男女が近くを歩いていた。

 中学生くらいの少年と少女で、紙を広げて難しそうな顔をしている。

 

 

「んんん〜? ここじゃないのかぁ!?」

 

 

 唸る少年の隣で、メモ用紙に筆算を書いて何か計算をしている少女。

 

 

「一二九七?……一二九二? それとも全部……う、うん?」

 

「……これじゃあいつの行きそうな所巡ってるだけになるよな……やっぱ解くしかねぇかコレ」

 

「もうワケワカメ。圭ちゃん解いて。おじさん、お手上げ! 万歳!」

 

「全く役に立たねぇ……」

 

 

 何やら謎解きゲームの類をしているようだ。

 少年はその問題が書かれた紙に指差し、話す。

 

 

「この、二と三だけ……なんでカッコついてんだろな?」

 

「んー……ヒント、なんて言ってたっけ?」

 

「これまた数字だ……『五十』」

 

「お手上げ。万歳」

 

「諦めんなよ!?」

 

「駄菓子屋でカンカン棒買おっと」

 

「おい!? おーい!? 待てってオイ……はぁ。聞いてねぇし……自由過ぎだろあの馬鹿……」

 

「今馬鹿って言った?」

 

「なんで悪口は聞こえんだよッ!?」

 

 

 駄菓子屋に行こうと角を曲がった時、二人は奇怪な光景を目の当たりにする。

 

 

 

 

 

 

「フランチェーン! フランチェーン!」

 

 

 奇声をあげながら掲示板の前にて、チューペットでひたいを叩く、やけに厚着の女。

 そんな不気味な光景に二人揃って真顔となり、思わず同時に一歩後退る。

 

 

「……ちゅ、チューチューで叩いてる……」

 

「カンカン棒でガンガン叩いてんね。え、怖い……」

 

「……あーゆーの、お前、慣れっ子だろ?」

 

「さすがに本物の狂人はちょっと……」

 

「てか、フランチェーンってなんだよ」

 

「あの人でしょ。賞取った人」

 

「『アインシュタイン』だそれは!! お前が言いたいのは『フランケンシュタイン』だろ!!」

 

「……賞取ったってだけで良く分かったねぇ」

 

 

 チューペットを叩く女へと、二人は恐る恐る近付く。不気味ではあるが、好奇心の方がまだ勝っている様子。

 少女の方が目を凝らし、見覚えはないかと女の顔貌を確認した。

 

 

「……知らない人かな。おじさんは見た事ない」

 

「お前が知らなかったら俺も知らねぇよ」

 

「……声かける? 無視する?」

 

「その二択なら後者だ」

 

「こうしゃ? 学校に戻るの?」

 

「『校舎』じゃない」

 

 

 ボソボソ話し合いながら近付いたばかりに、女はとうとう二人に気が付いた。

 チューペットでひたいを叩く奇行を止め、ジィーっと二人を見やる。

 

 

「………………」

 

「「………………」」

 

 

 目が合ってしまい、互いに気まずくなる。

 五秒間ほど沈黙した後、少年から恐る恐る挨拶をした。

 

 

「……ど、どうも〜……い、いやぁ……暑いですね……?」

 

「……こんばんわ」

 

「……昼ですけど……」

 

 

 向こうは自分の奇行を見られたと気付き、恥ずかしくなったようだ。イソイソと身支度を整え、その場を颯爽と離れようとした。

 

 

 

 だが急ぎ過ぎて、腕にかけていたダウンを地面に落としてしまう。

 

 

「あっ!」

 

 

 涼しげな急風が吹き、ダウンはひらっと少し舞い、彼女より離れた。

 彼女の手を離れて道に落ちたダウンを、通りかかった自転車が踏む。

 

 

「今年はぁ、巨人は負けたな」

 

「………………」

 

 

 野球の文句を言いながら、おじさんはダウンに気付かず自転車を漕いで去って行く。

 白いダウンの上に、茶色い線が出来た。

 

 

「………………」

 

 

 苛立たしげな表情で腰を折り曲げ、渋々拾おうとする。

 

 その時に溶けたチューペットの中身が、ドロっと飲み口から下へ零れる。

 今度はダウンに、桃色の模様が出来た。

 

 

「………………」

 

 

 さすがに哀れだと感じたのか、少女は気を遣って励ましの声を掛けた。

 

 

「え、えと……さ、災難だったね! ま、まぁ、こんな日もある! うん! おじさんもそうやって日々成長して来て…………うん! こんな日もある!」

 

「お前言葉思い付かなかっただろ」

 

「………………」

 

 

 全てに諦めたような顔でドロドロになったダウンを拾い、不機嫌そうに彼女は二人へ振り返る。

 

 

 

 その女とは、山田の事であった。

 

 

「……なんですか。星占いじゃ良いって出てたのに……」

 

「見ない顔だけど、村の人じゃないよね?」

 

 

 まだ彼女を危険人物だと見做しているのか、少女はややおよび腰で質問する。

 だが一瞬の気の迷いでああなっていたものの、山田は普通にまともだ。質問に対してはすんなり答えた。

 

 

「……えぇ。その……東京から来まして……」

 

「……え!? 東京!?」

 

 

 次に反応したのは少年だった。

 

 

「あの、俺も東京からここに引っ越して来たんです」

 

「ほぉ! 圭ちゃんと同じ!? なになに? 雛見沢って、実は東京でブームなの?」

 

「はぁ……」

 

 

 最近の子どもはドライと聞いたがとよぎったが、ここはだいぶ過去の世界と思い出す。昭和の子はフレンドリーなんだなと山田は思った。

 

 彼女が自分と同じ東京の人間だと知った少年は、警戒心を解いて話しかける。

 

 

「でも東京から、何しに? 旅行ですか?」

 

「綿流しにしては早過ぎるもんね?」

 

「えと……まぁ、あの……」

 

 

 まさか未来から来たなんて言えない。暫し言い澱み、口から出まかせを吐く。

 

 

 

 

「自分探し……?」

 

 

 山田は言わなきゃよかったと思ったし、二人も聞かなきゃよかったと思ってしまった。反応に困り、二人は山田の前で微妙な笑みを浮かべる。

 

 

 その痛々しい視線を受けるのが厳しくなった山田は、はぐらかすように質問をする。

 

 

「……そ、そう言う二人は!?」

 

「あ、私たちは」

 

「デート?」

 

 

 デートと山田に言われて少女は一瞬表情が固まり、次に真っ赤になった。

 

 

「んぇ!? いや、あの、でで、デートじゃ、デートじゃないない!!……そ、その、えっと……でも、そう見えるのかなぁ〜なんて」

 

「いやいや。こいつと謎解きゲームしてるんです」

 

「………………」

 

 

 恨みがましく睨む少女を無視し、少年は紙をペラっと山田に見せた。

 

 

 

『19「2」4037「3」1238』

 

 

 

 数字が横並びに羅列して書かれており、二と三だけがなぜか括弧されている。

 意味が分からずに山田は首を傾げる。

 

 

「……なにこれ?」

 

「お宝探しです。この数字が、村のどっかを表しているみたいで……」

 

「足しても引いても、語呂合わせにもならないし……括弧入った二と三が分からないんだわ」

 

 

 諦めたように肩を竦める少女の前で、山田は真剣に考え込む。

 

 

「んー……ヒントとかはありますか?」

 

「『五十』ですって。んだけど、これが何なのか俺らにはさっぱり……」

 

 

 メモ紙を見て、少年からヒントを聞き、眉に皺を寄せていた山田。

 

 次に小声で何かを呟きながら、何かを数えるように指を折る。

 どうしましたかと少年が聞く前に、彼女はやっと眉間の皺を離す。

 

 

 

 

「五十ってこれ……『五十音』の事じゃないですか?」

 

 

 山田はしゃがみ、砂の地面にチューペットの先で文字を書いて行く。

 二人も合わせてしゃがみ、その文字に注目する。

 

 

「あ、い、う、え、お、か、き……」

 

 

 つらつらと山田は五十音を書き出して行き、最後の「ん」まで到達する。

 

 

「この紙に書かれているのは、五十音順を数字にしたもの。数字を五十音に当てはめれば……」

 

「……あ! あーっ!! そう言う事か!?」

 

 

 気付いたようで少年は声を上げる。

 

 

「19は……五十音で『て』!」

 

「……ああ! なるほど!『レナ』も考えたなぁ!」

 

 

 少女も理解したらしく、感心したように手を叩いた。

 続けて山田は解説を入れる。

 

 

「括弧が付いているのは、それ単体の数字と言う意味です。その他は二桁で一つの数で……」

 

 

 山田は地面に書いた五十音表と数字を当てはめて行き、それをまた書き出して行く。

 

 

 

『19「2」4037「3」1238』

 

『19・2・40・37・3・12・38』

 

『て「い」りゆ「う」しよ』

 

 

 

 停留所。

 答えが判明し、二人は歓喜の声をあげて立ち上がる。

 

 

「停留所! この村で停留所は一つだけ!」

 

「村外れのだな!? いや! お姉さんマジ凄いです……!」

 

 

 あまり褒められ慣れていない山田は困ったように頭を掻き、照れくさそうに笑う。

 

 

「えへへへへへ!」

 

「おおう……こ、個性的な笑い方っすね……」

 

 

 感動したりドン引きしたりと、二人忙しない。

 

 ともあれ役目は済んだと山田も立ち上がり、上田探しを続行しようとした。

 しかしどこかに行く気持ちを悟った少女が、山田に握手を求めて引き止めた。

 

 

 

「私、『園崎魅音』! こっちは『前原圭一』!……ねぇ、村を案内するから付いてこない?」

 

 

 差し出された手を無下にする事が出来ず、おずおずと握る。

 それを少女──「園崎 魅音」は了承の意思だと受け取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の上田次郎。

 実は彼は、祭具殿から一歩も出ていなかった。

 

 

 

 

「……うはぁ!?」

 

 

 悲鳴をあげながら勢いよく起き上がる。

 彼が寝ていたのは、神輿の上。そこは山田からは死角となり、気付かれなかったようだ。

 

 

「は!? 山田!? 山田ぁ!?」

 

 

 一緒に横たわっていた次郎人形と鞄を拾い上げ、神輿から飛び降りようとする。

 しかし長身の彼は天井に頭をぶつけ、足がもつれ、真っ逆さまに床へ落っこちた。

 

 

 それでも再び立ち上がり、出口の方を見た。

 開きっ放しの戸口の向こうから、陽光が上田の顔へ差している。

 

 

「……朝か? と言うか……あつ!」

 

 

 蒸し返すような暑さに耐えきれず、上着とベストを脱ぐ。

 次郎人形と鞄をとそれらを抱えながら、大急ぎで祭具殿から出た。上枠に頭をぶつける。

 

 

 

 

 

 

 目の当たりにしたものは蝉の合唱と、青い葉。そして、綺麗な境内。

 廃墟となっていたハズで冬だったハズの景色が、様変わりしていた。

 

 

「……? まだ、寝ているのか? はぁあ!」

 

 

 彼もこれは自身の夢だと疑い、手を前に突き出して謎の構えを取る。

 

 

 

 

「目覚めよ……その魂……!」

 

 

 両手を腰に当てて、目を開ける。

 景色は変わらない。どうやら目も頭も覚めているようだ。

 

 

「……ど、どうなってんだ!? これは……!?」

 

 

 事態の理解が追い付かず、辺りを頻りに見渡してひたすら混乱。

 取り敢えずいなくなった相方を探そうと、祭具殿に戻る。上枠に頭をぶつける。

 

 

「山田ぁ! 山田ぁ!? 山田奈緒子ぉ!?」

 

 

 祭具殿にはいない。

 自分より一足先に出て行ったのかと思い、また外に出る。上枠に頭をぶつける。

 

 

 

 

 

 

 

「祭具殿の鍵かけ、忘れていたわ……」

 

 

 急いで神社への階段を駆け上がる、小学生くらいの少女がいた。

 長めの紫の髪を靡かせ、テテテと駆ける。

 

 

 

 

 その時、茹る暑さと喧しい蝉時雨の中で、奇怪な声を聞いた。

 

 

「貧乳ー! 貧乳ーっ!!」

 

 

 思わず足を止める。

 最初は後ろの道からと思ったが、信じたくない事に自分の神社から声はした。

 

 

「どこだ!? 貧乳ーーーっ!!!!」

 

「……ヤバい奴が参拝に来てる……」

 

 

 本能的に危機感を抱き、途中まで登っていた階段を今度は降り始める。

 だが声の主は鳥居を抜けて、颯爽と彼女の視界に現れた。

 

 

「くそぅ! 肝心な時に役に立たない奴め……!」

 

 

 階段を駆け下り、大粒の汗を流しながら、声の主である巨漢がやって来た。

 びっくりした少女はつい足を止め、男との邂逅を許してしまう。

 

 

 

 

 

 視線を下げていた上田と、少女の目と目が合う。

 鳥居の下、晴天の青、入道雲が俯瞰している。

 蝉が鳴く中、顔を合わせた二人。

 

 

 暫く見つめ合い、上田の方から、話しかけた。

 

 

 

 

 

 

 

「君の名は……!?」

 

 

 

 

 

 彼女にとってこれが、運命の出会いでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田は知り合った、村の住人である魅音と圭一に連れられて雛見沢村を歩いていた。

 停留所までの道中にある、色々な場所を魅音に案内して貰う。

 

 

「この川を上っていったら『鬼ヶ淵』って沼に付くよ。この村はその沼から流れる小川の谷間にあるって訳」

 

「殆ど自然ばっか……」

 

「お店とかそう言うのは興宮に集中してるからねぇ。どう? 気に入った?」

 

「まだ来てそんなにだから分からないんですけど……」

 

 

 見渡す限りの田畑と自然。遠くで納屋の水車が回り、田圃に張られた水の上をアメンボが滑る。

 深緑に満ちた森の向こう、遥かまで山々が連なって、更にその向こうより入道雲が蒼天の中から顔を出す。

 

 

 まさに日本の原風景とも言える景色。自然と心は穏やかとなり、山田は微笑みながら述べた。

 

 

 

 

「……良いですね、とても。お婆さんになったら、ここに住んでみたい」

 

 

 とんでもない状況に飛ばされたとは言え、今ある景色のお陰で落ち着けそうだ。

 山田は本心からそう思えた。

 

 

 

 

「ええと……山田さん、でしたっけ?」

 

 

 圭一がおずおずと話しかける。

 

 

「なんですか?」

 

「いやぁ。ずっと敬語ですから。俺ら、山田さんより歳下ですから、タメでも構いませんよ?」

 

「そうそう! それに山田さんは村にとってもお客様! ドーンと構えても良いって!」

 

「お前は構え過ぎなんだよ!」

 

 

 二人の会話を聞いて山田は何も答えず、愛想笑いだけ見せた。

 

 

 

 山田は友達が少ない……と言うよりいなかった。

 言いたい事をガンガン言う性格の上に、元から感情が希薄なタイプだった。

 

 

 つまりは人との距離の掴み方を知らない。だから敬語になっている。

 そんな事言って場を白けさせたくない山田は、はぐらかすぐらいしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

「……あ」

 

 

 朗らかだった魅音の表情に翳りが。

 それに気付いた山田と圭一が彼女の視線を目で追う。原因はすぐに、二人にも見えた。

 

 

 

『鬼ヶ淵死守連合・雛見沢じぇねれ〜しょんず・ほえば〜』

 

『雛見沢を愛してくれたあなたへ』

 

 

「ダムは〜、ムダムダ〜!」

 

「「ムダムダ〜!」」

 

 

 過激な文言が書かれた看板や旗を掲げ、数十人ほどの集団が畑道を並んで歩いている。

 山田も駄菓子屋前で見た、ダム反対を謳う者たちだ。

 

 

「……あー……気持ちの良くないもの見せちゃった?」

 

 

 魅音は申し訳なさそうに山田に聞く。

 

 

「ダムの工事があるんですか?」

 

「雛見沢村を丸ごとダムにする計画があってさ……昔からあったけど、ここ数ヶ月で突然、話が進められてね。もしかしたら本当に村が無くなっちゃうかもってさ」

 

 

 圭一も腕を組んで厳しい顔付きになる。

 

 

「俺もどちらかって言うと反対ですけど……デモで逮捕もされたり、怪我人も出したりしてますし……やり過ぎな気もするんスよね」

 

 

 ダム建設云々の話を知らなかった山田は、参考程度に聞いていた。

 そう言えば廃墟後もダムは建てられていなかったなと思い出す。

 

 

 

 

 デモ集団が前を通り抜けるまで、三人は暫し待つ事にした。

 待っている間、山田は思い出したように、探し人である上田の事を二人に聞いた。

 

 

「そうだ。あの〜」

 

「ん? どしたの山田さん?」

 

「人探しているんですけど。こう、背が高くて、もじゃもじゃ髪の、髭生えた性格悪そうな男の人見ませんでした?」

 

 

 魅音と圭一は同時に首を傾げる。

 

 

「いやぁ〜おじさんは……圭ちゃん見た?」

 

「俺も見てないな……お役に立てなくてすみませんね?」

 

「いえ、大丈夫です。そんなに優先してませんので」

 

 

 とは言うが、やはり上田の事は心配だ。もしかしたら自分一人が、ここに飛ばされたのではと不安にもなる。

 

 

 

 

 ぼんやりそう考えている最中、集団の声が一際大きく響いた。

 

 

「ダムは〜、ムダムダ〜!」

 

「「むだむだー!」」

 

 

 三人の後ろで、いつの間にか集まっていた幼児たちが真似した。

 それに呼応するように集団も声を張る。

 

 

「「ムダムダー!」」

 

「「むだむだー!」」

 

「「ムダムダー!」」

 

「「むだむだー!」」

 

 

 シュプレヒコールに挟まれ、自分たちも言わねばなるまいと言う強迫観念にやられた山田は、意を決して叫んだ。

 

 

 

 

「む、ムラムラーっ!!」

 

「ムダムダですよ! 山田さん!」

 

 

 集団と幼児たちは白けた顔をして離れて行った。

 

 

 

 

「ムラムラーっ!!」

 

「まだ言うんスか!?」

 

「ムッシュムラムラーっ!!」

 

 

 山田の奇妙な山彦が村に響く。




・1983年のセ・リーグは巨人が優勝する。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

停留所

 その山彦は神社にも届いたが、上田は聞き取れなかった。

 

 

 

 

「君の名は……!?」

 

 

 暫し膠着状態の少女と上田だったが、もう一人の声で時間が流れ出す。

 

 

 

 

「『梨花』〜! 早くしなければ負けてしまいますわよ〜!」

 

 

 ハッと上田は気が付くと、階下から「梨花」と呼ばれる少女と同い年ぐらいの少女が駆け登って来ていた。

 ショートカットを黒いカチューシャで固定した、活発そうな女の子だ。

 

 

「あ……『沙都子』……」

 

「祭具殿の鍵を閉め忘れるなんて、梨花らしくないミスですこと。ほぉーら、謎も解かない……と」

 

 

 見上げれば見知った友達と、見知らぬデカい男。

 やって来たもう一人の少女こと、「沙都子」もつい足を止めて状況の把握に努めた。

 

 

「……えと……その、そちらの殿方は……?」

 

「あ、や、あの。さ、沙都子ぉ〜!!」

 

「ちょ、ま、待ちなさい!」

 

 

 上田が呼び止めるのを聞かず、梨花は一目散に階段を下って沙都子の後ろに隠れた。

 

 

「り、梨花!? どうなさいましたの!?」

 

「危ないおじさんが来たのです!」

 

「危ないおじさん……」

 

 

 変質者扱いされ上田がショックを受けている内に、沙都子が梨花の前へ立ち塞がってキッと上田を睨む。

 

 

「子どもに手を出すなんて、サイテーな方ですわね!!」

 

「いや違う……私は通りすがりの物理学者で……!」

 

「みぃ……今、むっつり学者って言ったのです……」

 

「物理ぃッ!!」

 

 

 何とか弁明しようと上田も階段を一段降りる。

 しかしズッコケ、抱えていた次郎人形と共に階段をずり落ちた。

 

 

「ああああああ!!」

 

「きゃっ!」

 

 

 汚い物を避けるような感じで、滑り来る上田を回避した二人。

 そのまま上田は階段を滑り落ち、地面に倒れ伏す。あまりに派手な滑りっぷりに、沙都子は心配になってしまう。

 

 

「……もしかして……し、死んじゃいましたの……?」

 

「……ぷはぁ!?」

 

 

 上田は起き上がり、フラつきながらも立ち上がった。

 途端に心配の念は掻き消えて、彼に対する気味の悪さがまた舞い戻る。

 

 

「不気味で頑丈なのです……」

 

「い、家の電話から警察を呼びますわよ!!」

 

 

 颯爽と通報しようと階段を駆け上がる二人を、必死に上田は呼び止めた。

 

 

「ウェイトッ!? おじさんは怪しい人間じゃない!!」

 

「みぃ……自分と同じ格好の人形持っている人が怪しくない訳ないのです」

 

「腹を割って話そう!!」

 

 

 何とか必死に言葉を尽くし、通報だけは免れた。

 

 

 

 

 

 

 暫くして祭具殿の鍵を閉めた梨花が、拝殿前にいる沙都子の元へ駆け戻って来た。

 

 

「閉めて来たのです〜」

 

「何も盗られていなかったから良かったですけど……今度は徹底してくださいまし!」

 

「ごめんなさいなのです、沙都子……」

 

「はぁ……とにかく、謎解きを続けますわよ」

 

 

 チラッと、沙都子は後ろを見る。

 

 

 その先、上田は神社を隈なく観察していた。

 崩壊しかけだったハズが全て綺麗になっており、やはりここは過去の世界なのだと上田は実感する。

 

 

 

 

「俺は……時を超えた……!?」

 

 

 物理を学び、物理を極めた人間にとって、この状況は信じられない。タイムトラベルはSFの創作であり、現実には絶対に出来ないからだ。

 だがその不可能な創作の現象を、今自分がリアルに体験している。上田は暫し、拝殿を眺めながら呆然と立つ。

 

 

「いやいやいや待て待て待て……『一般相対性理論』と『ブラックホール理論』を適用するんだ。時空は質量の高い物体により、歪められる……つまり、祭具殿の中に何らかの磁場が発生し……待て。そうなると俺は光速で移動した事になる……だが、持っていた荷物があると言う事は、荷物も同様のスピードで……そもそも、時空を歪めるほどの質量を持つ存在など、惑星以外になにがあるんだ……」

 

 

 ぶつぶつ呟き、時間移動の推理を展開しようとする。

 二人からは何を言っているのか不明だが、難しい事を考えているとは分かった。沙都子は梨花に、ボソッと告げる。

 

 

「……学者先生と言うのは本当みたいですわね」

 

「頭の良い人は変わった人が多いのです。『入江』みたいに」

 

「あー……納得してしまいましたわ」

 

 

 二人の冷ややかな視線に気付き、上田は取り敢えず問題を後回しにして信頼感を勝ち取ろうと努めた。

 

 

「あぁ、すまない! 良い神社だから見てしまったよぉ。あの柱から屋根まで、黄金数1.618に近い! 数学的にも、最も美しい構造と言える!」

 

「……ま、まぁ……お気に召されたのでしたら……」

 

「おじさんはねぇ、建築学にも詳しいんだ。『内藤多仲』に東京タワーの作り方を教えたのも、私なのだよ! はっはっは!」

 

「やっぱり危ないおじさんなのです」

 

 

 梨花の言う通り、危ない事は言っていないようで言っているような。

 だが賢い学者とは思えたので、沙都子は謎を解いて貰おうと思案した。

 

 

「ええと……上田先生?」

 

「なんだね?」

 

「私たち、実は宝探しをしておりまして。宝の在り処を示したメモを持っているのですが……賢い先生なら、解いてくださります?」

 

「はっ! まっかせなさぁ〜い。この天っ才物理学者、上田次郎にかかれば、どんな問題も立ち所にズババッと解決可能だ!」

 

 

 早速沙都子は期待を込めて、持っていたメモを見せた。

 内容は魅音らの物と同じ、『19「2」4037「3」1238』。

 

 たかが子供の遊びと舐めてかかっている上田だが、数列を見て顔を顰めた。

 

 

「これはなんだ?」

 

「この数字が、この村のどこかを表しているそうですわ」

 

「一と九じゃ、どうなっても二にならない……フィボナッチ数列ではないか……しかし、なんで二と三だけ……数式に置き換え、どこかに代入しろと言う事か? いや、二次方程式と三次方程式を、それぞれ適用しろと言う事か?」

 

「あの、上田先生? 多分、そこまで難しく……」

 

「なんだとぅ……虚数だと……!? 宝物は存在しないと言う事なのか……!?」

 

「ひ、ヒントがありまして……ヒントは五十で……」

 

「座標の可能性もあるのか! 直交座標を使おう!『デカルト』の力、お借りします!! 我思う故に我ありーッ!!」

 

 

 一人暴走する上田を見て、不安そうに沙都子は梨花に問う。

 

 

「梨花……このお方、大丈夫ですの……?」

 

「だから言ったのです。危ないおじさんなのです」

 

 

 上田には結局、解けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道なりに歩き、郊外に辿り着く。

 ひと気がなくなり、そこは森に囲まれた場所。

 寂しくポツンと立つ、木漏れ日を浴びた待合小屋と赤錆びたバスストップ。

 

 バスストップの標識には、「雛見沢村前」とある。

 謎解きの答えが示した場所だ。到着と同時に、圭一と魅音は張り切って辺りを捜索し始める。

 

 

「あそこが停留所っス! よっし! 探すぜぇー!」

 

「あるぇー? 梨花も沙都子もいないし……もしかして一番乗りだったり!? シャアッ!!」

 

「さすがは田舎……結構歩く……」

 

 

 反面まだまだ元気そうな二人を見ながら、疲労感を負う身体を引き摺る山田。四十路に入った自分の歳を自覚する。

 二人がお宝を探している間、疲れた顔で時刻表を眺めた。

 

 

「……バス、六時間中に四本って……一日に、八本? 少なっ!」

 

 

 その理由について、魅音が教えてくれた。

 

 

「利用する人いないからね〜。基本的に村の人みーんな車も免許も持ってるし。田舎じゃ大事なアシよ」

 

「さすが、田舎……」

 

「別にバスなくても良いよな! 歩いて街にいけるし! どーせたった一時間だ!」

 

「若者ってすげー……」

 

 

 圭一と魅音はベンチの下、屋根の上、近くの木の裏などを隈なく探していた。

 そして見つかったのは、待合小屋の後ろの雑草の中。

 

 

「あった!」

 

 

 魅音がそこから小物入れを取り出す。

 小物入れには名前シールが貼られ、そこに分かりやすく「レナの宝物」と書かれてあった。

 

 

「間違いなくレナのもんだな。んで、これがここって事は……」

 

「おじさん達が一番乗りって事だねぇ! はっはっはっ! 勝った!」

 

「私が解いたんだけどな……ああ、なるほど」

 

 

 山田はもう一度、時刻表を見る。

 

 

「ヒントのメモが数字だけだったのは、『バスの時刻表』を表現していたんですよ」

 

「え?」

 

「ほら、バスとか電車の時刻表って、数列だけで到着時間の何時何分を表しているじゃないですか。二桁の数字でゼロから五十九の間……六十に行かないから、五十音順にした方が都合が良かったんですね」

 

 

 時刻表とメモを見ながら圭一も魅音も感心。

 

 

「ほ、ホントだ……レナすげぇ……!」

 

「山田さんも良く分かったねぇ……」

 

 

 謎解きの隠されたヒントはともかくとして、お宝である小物入れが開かれた。

 魅音から聞いた宝探しのルールは、中身の宝物を持って学校に戻る事。

 

 

 

 

 箱を開けると、中に入っていたのは折れた孫の手の持ち手。

 先端の方ならともかく、孫の手のアイデンティティのない持ち手の方だ。

 

 

 

 唖然とする山田に対して、それを見た魅音と圭一はケタケタと笑う。

 

 

「あはは! レナらしいお宝だね!」

 

「だと思ったぜ……レナっぽいな」

 

 

 レナを知らない山田だが、二人の会話からしてかなりアクの強い人間ではないかと想像出来た。

 

 

 

 

 そのまま山田たちは、お宝を先に見つけたので学校に戻る事にした。

 道中、色々な事を話した。例えば魅音ら園崎家は、村での有力者である事など。

 

 

「へぇ〜。園崎さん、お嬢様なんですね」

 

「あーあー、そう言う堅苦しいの無し無し。どう見てもおじさん、お嬢様って柄じゃないし」

 

 

 圭一がそんな彼女を茶化す。

 

 

「妹はお淑やかなのになぁ」

 

「あ、言ったなぁ? んまぁこれでも私、書道に生け花、何でも出来るよ! 実は超有能ガールだったり?」

 

「書道か……」

 

 

 そう言えば母親は書道家だったなと思い出す山田。久しく帰省していないが元気にしているかなと、ふと考えた。

 母の事とは別に、気になった事を一つ聞く。

 

 

「……二人とも、中学生でしたっけ」

 

「あ、はい。俺が中二で、魅音が中三。まぁ、田舎の学校ですから、学年とかあまり意識しないですけど」

 

「本来なら先輩は敬うもんだぞ〜?」

 

 

 魅音が圭一をデコピンし、それに圭一は怒る。

 二人の和やかな様子を後ろで見ていた山田だが、その視線は時折、魅音のある一点に注がれたりする。

 

 

 

「……中三……D? E?」

 

 

 胸だ。

 中学三年生と言えば思春期を迎え、子供から成人へと身体が出来上がる時期だが、それにしたって大きいのではと気になっていた。

 

 

「中三で……E……中三? なに食べてんだ……? やっぱお金持ちは食べる物が違うのか……?」

 

 

 敗北感と羨望でカオスになる胸中。

 ぼんやりしている内に、学校に辿り着いた。田舎らしい木造の建物だ。

 

 

 校庭に誰かいると気付いた圭一。

 

 

「あれ? 梨花ちゃんと沙都子がいるぞ」

 

「宝物はこっちが持っているし……あっはー、なるほど! ギブアップ宣言だね!」

 

「『知恵先生』と……アレ? 見た事ない人が……」

 

 

 校庭に入り、俯き気味だった山田は顔を上げる。

 どんよりしていた表情は、カッと愕然模様に様変わり。

 

 

 

 

 視界の先、幼女二人に呆れた目を向けられながら、知恵と呼ばれた女教師と会話する上田次郎の姿があった。

 

 

「へぇ! 東京の学者さんなんですか!」

 

「えぇ! 今、壮大な計画がありましてねぇ! 下町でロケットを作り、宇宙へ出発する計画を立てております! 目指すは火星への有人着陸!」

 

「なかなか立派な夢ですね!」

 

「知恵留美子さん……でしたね。何とも知的な名前だぁ……是非、同じ教育者として、私の本を読んで見てください……そして、感想を伺いたいところです」

 

 

 目からキラキラ星を出しながら、知恵に対して鼻の下を伸ばす上田。

 ふと隣に立っていた梨花と沙都子も、圭一らの帰還に気が付いた。

 

 

「あ。圭一たちも帰って来たのですよ」

 

「……あちらも知らない方を連れて来ましたわね」

 

 

 二人の声を聞き、上田は誰か来たのかと振り返る。

 

 

 

 

 視線の先に、少年少女と並び立つ、山田奈緒子。

 二人はほぼ同時に叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「何やってんだ上田ぁッ!!」

 

「貧乳ッ!?」

 

 

 山田に助走をつけて殴られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫くして、再び知恵と会話をしている上田。

 

 

「上田教授はこの村へは何しに?」

 

「私ですか? 私は物理学に飽き足らず、民俗学をも極めようと思いましてね! ここ雛見沢村の地質の調査も兼ねて、観察研究に来たんですよ!」

 

「知的好奇心の強い方で感心します! 必ず御本は読ませていただきますね」

 

「是非是非! 時間があればまた伺いに上がりますよ!」

 

 

 目からキラキラ星をずっと放出しながら、上田は話していた。山田に殴られた左頬は、焼いた餅のように膨れている。

 ふと知恵は山田の方を見やる。

 

 

「ところで、そちらの方は?」

 

「あぁ、こいつですか? こいつは私の、99.9人目の助手です」

 

「……アルコール除菌かっ!」

 

 

 ボソッとツッコむ山田。

 とにかく美人に弱い上田はひたすら、知恵に良いところを見せようと、ベラベラ嘘を交えながら身の上を話す。

 雑に扱われ、更にこの状況でも何も変わらない上田にも呆れ果て、山田はブスッと不機嫌顔。

 

 

 

 横から、山田とは初めて会った梨花と沙都子が自己紹介をする。

 

 

「初めまして。私、『北条 沙都子』と申し上げますわ」

 

「みぃ。ボクは『古手 梨花』なのです」

 

 

 古手梨花、と言う名前に、山田は反応する。

 確か祭具殿で見た習字と同じ名前だったなと思い出す。

 

 

「古手梨花って……もしかして、神社の?」

 

「その通りなのです。古手神社はボクの神社なのですよ。にぱ〜☆」

 

 

 無邪気で可愛い笑顔を見せる梨花。

 すると将来の、場合によれば現役の巫女さんなのかと、山田は素直に関心を示す。

 

 

 

 二人の自己紹介が終わった辺りで、魅音が意地悪な笑みを浮かべて横槍入れる。

 

 

「はいは〜い。それよりオヌシら、お宝は見つかりましたかのぉ〜?」

 

「うう〜……その様子では、私たちの負けのようですわね……」

 

「むっつり学者に関わったのが運の尽きなのです」

 

「物理だ!!」

 

 

 上田が梨花に突っかかる。さっきまでキラキラ星を送っていた知恵は、仕事に戻ってしまったようだ。

 どうやら上田も謎解きゲームをやらされたのかと、山田は気付く。

 

 

「上田さんも解かされたんですか」

 

「バーチ・スウィンナートン=ダイアー予想を証明した時ほどの難問だった……まぁ、この世のあらゆる公式を使えば、めちゃんこ楽に」

 

「公式とか計算はいりませんよ。あれ、五十音順を番号にしただけなんですから」

 

「……おぉう?」

 

 

 山田の話を聞いた沙都子が、ジトっと圭一と魅音を睨む。

 

 

「……お二人も山田さんに解いて貰ったようですわね?」

 

 

 指摘を受けた二人だが、一切悪怯れる様子もなく、揃って得意げなしてやったり顔を見せ付ける。

 

 

「へん! そっちだってその学者さんに解いて貰ってんじゃねーかよぉ?」

 

「そう! 答えを出せる人に頼るのも、宝探しの内!」

 

 

 くぅ〜!、と頰を膨らまして悔しがる沙都子を、横から肩を叩いて梨花が宥めてやる。

 

 

「そうなのです。とんだポンコツに頼ってしまったボクらの敗北なのです」

 

「俺はポンコツじゃねぇッ!」」

 

 

 大人げなく突っかかる上田。

 これからどうするかを皆が考える前に、もう一人、少女が手を振ってやって来た。

 

 

 

 

 

「みんな〜! お宝見つけられたかな? かな?」

 

 

 振り向くと、制服姿の、赤髪が印象的な少女が駆け寄って来ていた。

 お淑やかそうで可愛いらしい、美少女とも表現して差し支えない子だ。

 

 

 上田も彼女の声に気が付き、振り返る。

 

 

「……おう?」

 

 

 途端に表情が曇る。その変化に驚いた山田が横から聞いた。

 

 

「どうしました上田さん?」

 

「……あの子……」

 

「彼女欲しいからってさすがに中学生はマズイんじゃ……」

 

「そんなんじゃない!……いやな? どこかで見た事が……」

 

「え? 何言ってんですか。ここ昭和五十八年ですよ?」

 

「…………いや待て。まさか……」

 

 

 上田が結論に至る前に、少女はメンバーの元へ。

 見知らぬ二人を視認し、笑顔だった表情はキョトンと、不思議そうなものを見る様に変わる。

 

 

「ええと……魅ぃちゃん、こちらの方々は?」

 

「ああ。山田さんと上田さん。お宝探しを手伝ってくれたんだ。東京から来た学者さんだって!」

 

 

 コロコロ表情の良く変わる子で、次には好奇の篭った目を向けられた。

 

 

「ええ!? 大都会から!? あ〜果てしない〜♪……だねっ!」

 

「クリスタルキング……渋いな」

 

 

 なかなかエキセントリックな子だなと、山田は察する。

 改めて少女は二人に向き直り、自己紹介をした。

 

 

 

 

 

「初めまして! 『竜宮レナ』って言います!」

 

「…………え?」

 

「レナって呼んでください!」

 

「…………竜宮……レ、ナ……」

 

 

 上田は確信に至り、笑顔で「ちょっと失礼するねぇ?」と断りを入れてから、山田を連れてメンバーから離れる。

 

 

「なんですか!? どうしたんです……!?」

 

「間違いない……! あの子だ……!」

 

「あの子って……レナちゃんって子?」

 

「名前はお前に教えていなかったな……」

 

「は?」

 

「二○一八年に、ここの調査を依頼した……『依頼人の名前』だよ……!」

 

 

 山田は驚き、振り返ってからレナを一瞥した。

 皆、怪訝な表情でこっちを見ていたので、笑顔で会釈してからまた背を向ける。

 

 

「あの子がですか……!? あの大人しそうな子が……!?」

 

「ああ、間違いない! 依頼人、『竜宮礼奈』……本にもサインしたから覚えているし……なにより面影がある……!」

 

「……金属バットで男子を滅多打ちにした、あの?」

 

 

 もう一度レナを見るが、そんな事をしそうには見えない。

 彼女は手を組み、不思議そうに小首を傾げている。

 

 

「……上田さん、やっぱ間違っているんじゃないですか?」

 

「そんな事はないハズだが……」

 

「どう見てもバット持ちそうには……」

 

「とにかくだ! (うさぎ)(つの)だ!!……雛見沢村に災害が訪れた時、彼女だけが村の生存者の一人だった……もしかすれば、俺たちのこの状況の原因である可能性が高い……」

 

「……そう言えば私たち、タイムスキャットしたんでしたよね」

 

「スリットッ!……ひとまず今後、あの子に注意を払っておくんだ。いいな? ドューユーアンダースタン?」

 

「ど、どおーゆぅーあんたぁー……スタローン? ロッキー?」

 

「お前無理やり間違えてないか?」

 

 

 上田と山田は振り返り、笑顔で会釈しながら「お待たせ〜」と言って戻る。

 

 

「みぃ。なに話していたのですか?」

 

「いやぁ、なに。ついさっき君たちの先生と話していてね! 放課後で生徒たちの信頼も得ているから、是非遊び相手になってくれって言われたもんで、コイツにお前もどうだと誘ったんだ」

 

「ボクは上田を全然信頼してないのですよ?」

 

「……………………」

 

 

 梨花の言葉で泣きそうになる上田に代わり、山田が話しかけた。

 

 

「お宝探しの他にも、何かしているんですか?」

 

 

 魅音は誇らしげにニッコリ笑いながら、一歩前に出て答えた。

 

 

 

 

「『部活動』! みんなでゲームをして遊ぶんだ! そしておじさんが、部長って訳!」

 

 

 胸を張る魅音。

 なぜか前のめりになった上田。その爪先を、山田は踏ん付けた。




時系列について指摘される方が多いので先に述べておきますが、この作品は原作と、少しアレンジを加えております。
理由付けと展開も考えておりますので、どうかご理解をいただけたらなと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

部活動

 二人が案内されたのは、校内の一教室。

 細長の木板を敷き詰めた昔懐かしい床に、チョークの跡が見える黒板に学校机など、この光景を見れば強いノスタルジーに襲われてしまうだろう。

 

 部屋の横にはボードゲームやオモチャの入った段ボールが置かれており、恐らくそれが部活で使用する道具入れなのだろう。

 

 

 

 

 謎解きゲームの結果を聞き、レナはパチパチと手を叩いて魅音と圭一を称える。

 

 

「魅ぃちゃん圭一くんチームの勝ち! 答えは停留所でした!」

 

「レナってスゲーな。あんな凝った暗号考えてさぁ」

 

「えへへ……ありがと圭一くん! 授業そっちのけで考えた甲斐あったよ!」

 

「いや授業は聞け」

 

 

 答えを聞き、尚更トンチンカンな事をしていた上田を恨めしそうに沙都子は睨む。

 

 

「まさか五十音順を数字にしただけでしたとは……誰ですの。ザヒョーだとか言って山奥に入ろうとした方は」

 

「はっ! 私は未来ある若者の君たちを試しただけだ……メモを見た瞬間に、謎は解けていたさ!」

 

「その割には顔が本気でしたわよっ!」

 

「まぁまぁまぁ! そ〜れ〜よ〜り〜……もっ!」

 

 

 魅音はロッカーから道具箱を漁って、使い古しでくたびれたトランプを取り出した。

 

 

「今日はまだ時間あるし! 二人の歓迎会も兼ね、部活恒例『ジジ抜き大会』するよ!」

 

 

 魅音の提案に部活メンバーは手を挙げ、「賛成!」と声を揃える。

 しかしなぜか全員が、意地悪そうな笑みを浮かべていた。何かあるなと山田は察知する。

 

 

 部長である魅音が取り仕切り、上田と山田が何か言う前に話を進めた。

 

 

「今日は七人だからねぇ……うん! 最初四人、次三人でやろっかな」

 

「上田さんと山田さんは、それぞれのグループに入って貰いますわよ!」

 

「はぅ! 楽しくなって来たよぉ!」

 

「ボクの実力、見せてやるのです!」

 

「……これはワンチャン、やっと俺も勝てるな……」

 

 

 二人の返答を待たずして、参加しなきゃならない雰囲気に持ち込まれた。

 少し面倒臭そうな顔をする山田に対し、上田はノリノリだ。

 

 

「良いだろう! ババだろうがジジだろうが、俺に抜きで挑もうなんざ、片腹痛いぜ! 俺はラスベガスの名だたるディーラーから『上客』と呼ばれた男だぞぉ?」

 

「……それ『カモ』って事じゃないんですか?」

 

「どうする? YOUから行くか?」

 

「……じゃあ上田さん、お先にどうぞ」

 

 

 上田が勝負に乗る。対戦相手を志願したのは、彼のせいで謎解きゲームを負かされてしまった梨花と沙都子だ。

 

 

「自信だけは立派な人ですわね……では、私がギャフンと言わせてあげますわ!」

 

「ボクも憂さ晴らしするのです。にぱ〜☆」

 

「ふっ……青二才どもがッ! その言葉、神に返しなさい!」

 

 

 三人は一つに固めた学校机に付くと、ディーラーの魅音が即座にカードを配る。

 

 そして均等に配り終え、残った一枚が裏向きで置かれる。その一枚が、ババ抜きで言うところのジョーカーだ。

 

 

「よぉし! そんじゃ三人とも頑張ってね〜! あぁ、あと上田先生。負けたら罰ゲームだけど大丈夫?」

 

「罰ゲームでもなんでもどんとこ〜い! 今の俺はなぁ、負ける気がしねぇ!」

 

 

 

 

 

 ジジ抜きが開始され、数分後には、上田は一人残りで負けた。

 

 

 

「を〜ほっほっほ! 私たちの勝ちですわよ!」

 

「おととい来やがれ!……なのです!」

 

「………………」

 

 

 呆然と、最後に残ったジョーカー役であるダイヤの五を眺める上田。

 向こうでハイタッチする梨花と沙都子を前に、目を瞬かせている。

 

 

「まさか、共同でイカサ……いや。他の子供たちは二人の後ろにいた……俺のカードを教えるなんて、到底出来っこない……! なぜだ……なぜだ……!?」

 

 

 あれこれイカサマの可能性を疑う上田だが、魅音は無慈悲に指を突き付け、宣告する。

 

 

「上田先生の罰ゲーム、けって〜い!」

 

「……ひでぶッ!!」

 

 

 ショックで倒れる上田。

 大の大人のかっこ悪い姿を見ながら、山田はほとほと溜め息が止まらない。

 

 だがそんな山田も、ゲームに参加させられる事になるのだが。

 

 

「さぁて、次は山田さんだよ! 相手はこの常勝、園崎魅音!」

 

「レナも参加しますので……えっと。お手柔らかに?」

 

「きょ、今日こそ! 今日こそ俺はッ!! 今日から俺はッ!! 罰ゲームから解放されるッ!!」

 

「……やるんですか……」

 

 

 最初のグループ同様、席に座ってカードが配られ、二回戦開始だ。

 

 ニヤニヤと高みの見物に洒落込む梨花と沙都子は、山田と反対側の位置にいる。彼女の手札を見て他に伝えると言った事は出来ないだろう。

 

 

 そして相手は、余裕の笑みを浮かべた魅音に、穏やかに微笑むレナ、緊張気味の圭一。どうやら罰ゲームの常連は彼らしいと、山田にも分かる。

 

 

 

 配られた手札の中から、まずは同じ絵柄を抜く。

 手に持って見ると、トランプは酷くシワシワでボロボロだ。

 

 

 各々が手札から揃ったカードを抜き終えると、とうとう本格的にゲームが始まる。

 

 

「ふっふっふ……只今五連勝中の魅音様を止められるかなぁ?」

 

「むぅっ! 今日こそは負けないよっ!」

 

「クール……俺は、クールだ……ミスター・クール……!」

 

「…………じゃあ始めますよ」

 

 

 山田から時計回りに、ジジ抜きは始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 数分後。

 

 

「はい。一上がり」

 

「…………え?」

 

 

 山田奈緒子が最初に抜けるという、番狂わせが起きた。

 場にいた全ての人間が、この異常事態に湧く。

 

 

「う、嘘だぁ……!? ま、まさか、山田さん……!? あの一戦で!?」

 

「はうぅ……山田さん、お手柔らかにって言ったのに……」

 

「え? あれ? は? お?」

 

 

 驚く魅音、肩を落とすレナ、脳が停止している圭一と、反応は様々だった。彼女らの後ろで見ていた沙都子と梨花が、手を叩いて賞賛している。

 

 山田は調子良さそうに背凭れに身体を預けると、床に倒れていた上田に向かって口元を綻ばせた。

 

 

「これで私は罰ゲームから逃れられましたね」

 

「お、おい……YOU……? どうやった……?」

 

 

 顔を上げた上田が質問する。

 彼女はまず、真ん中に集められたカードを指差した。

 

 

「皆さん知っているようですので、タネ明かしは構いませんよね?……カードの裏。使い古しで傷だらけじゃないですか」

 

「……なに?」

 

 

 上田は立ち上がり、カードを拾い上げた。確かに彼女の言う通り、無尽蔵に傷や皺がある。

 

 

「いたってアナログなやり方ですよ。『マーキング』と言って、こっそり付けた印で柄を当てるやり方です。この場合は、カードの傷や皺の付き方ですね」

 

「………………」

 

「原理はそれと同じですので、後は分かりやすい傷のカードと、皆さんがどの絵柄のカードを避けているのかだけを覚えておけば……まずビリになる事はありませんから」

 

「……俺を先にさせたのは……まさかお前、俺を咬ませ犬に……!?」

 

「まぁ。まさか一上がりになるなんて思っていませんでしたけどね。えへへへへへへ!!」

 

 

 奇妙な山田の笑い声が響く。

 完璧な彼女の説明を聞き、魅音もレナも「降参だ」と示すように天を仰いだ。

 

 

「ひぇ〜! まさか一発で見抜かれるなんて思わなかった! 圭ちゃんでも七回目までかかったのに!」

 

「レナでも一回で覚えられなかったのに〜……」

 

 

 対する圭一は非常に焦った様子で抗議する。

 

 

「お、おい! このカード、前使ったのと別のだろ!?」

 

「お馬鹿ですわね! 日替わりで変えなきゃ、誰だって勝てますわ!」

 

「凄いのです! 上田と違って頭が回るのです!」

 

 

 山田の看破があったとは言え、勝負はまだ途中。

 数分後には魅音が抜け、そして最後の一騎打ちを制したのは──

 

 

 

 

 

「ごめんね圭一くん?」

 

「あああああああああああああ!!??」

 

 

──大体の予想は付いていたが、やはりレナだった。よって二回戦のビリは圭一。

 

 

「お前らズルイぞぉ!? 俺の知らないカード混ぜやがって! ノーカンッ! ノーカンッ!!」

 

「でも本当に初めての山田さんは勝ちましたわよ?」

 

 

 沙都子に論破され、「ぐぬっ!?」と押し黙る。情け無い彼に向け、魅音は指差しトドメを刺す。

 

 

 

 

「園崎家にはこんな言葉がある……『騙された奴の負け』……はい、バーツゲぇームっ!」

 

「……あべしッ!!」

 

 

 上田同様、圭一も床に倒れ伏し、負け組は揃って寝込んでしまった。

 そんな二人を、レナはキラキラした目で見守る。

 

 

「はぅ! 負けて落ち込む二人……親子みたいでかぁいいよぉ!」

 

「やられ役の敵みたいなのです」

 

 

 魅音はケタケタ笑いながら、笑い泣きによる涙目のまま山田に質問する。

 

 

「あー面白かった……それより山田さんって、なかなか観察眼の鋭い人と見たね! 東京で何かやっていたの?」

 

「……まぁ。これでも現役のマジシャンですけど」

 

「マジシャン……へぇ!『沢浩』とか『マギー司郎』とかの!? 道理で!」

 

 

 山田がマジシャンと聞き、レナの目が輝いた。

 パッと近付き、山田の手を取る。

 

 

「あのあの! どんなマジックが出来るんですか!?」

 

「ど、ど、どんなと言われても……色々? カードにコインに、紐抜けにリングに……」

 

「……よぉし!」

 

 

 魅音が笑う。

 彼女が笑うと何か巻き込まれるなとは、山田には分かって来ていた。

 

 

 

 

「おじさん、興味出て来たよぉ! 山田さん! 是非、マジックを披露して欲しいねぇ!」

 

 

 今日だけで色々こき使われるなと、彼女は静かに溜め息を吐いた。

 仕方ないと考え直し、片手間に取り出したのは自前のトランプカード。

 

 

 

 

 山田奈緒子のマジックショーが始まる。

 

 

「あのカードはボロボロで、どの絵柄か分かっちゃいますので……このカードを使いますね」

 

「……お前。いつも持ち歩いているのか?」

 

「マジシャンですから……てか、仕事の後すぐに連れ出されたんですから、片付けられなかっただけです」

 

 

 寝転がりながら質問する上田を黙らせ、箱から出したトランプの束を半分程度割る。

 使うのはその、割った片方の束だ。

 

 

「マーキングされたカードではない事を、確かめてください」

 

 

 カードの束は二十枚程度。

 差し出され、受け取った魅音は部活のメンバーらと共に一枚一枚見て行き、特殊なトランプではないか確認する。

 

 

「ん〜……無いね。新品同様。これじゃジジ抜きも真剣勝負になっちゃう」

 

「スベスベしてて、綺麗なカードですこと」

 

「裏にこっそり書いてある……と言うのもないね?」

 

「みぃ。普通のカードなのです」

 

 

 確認作業を済ませた後に、カードをまた束にして山田に返却する。しょげていた圭一も興味を示したようで、のっそりと立ち上がった。

 

 再びカードを手にした山田は、それを指差しながら宣言する。

 

 

 

 

「私はこの、何の変哲も無いカードで、この中の誰かが選んだ絵柄と、数字を……見ずに当てる事が出来ます」

 

 

 その宣言には全員がどよめく。

 新鮮な子どもたちの反応に気を良くしながら、山田は彼女らに話しかける。

 

 

「どなたかそのカードを一枚、選んでいただけませんか?」

 

「では、私が参りますわ」

 

 

 名乗り出たのは沙都子。

 

 

「沙都子さんでしたね」

 

「はい」

 

 

 山田はまず。二十枚のカードの束を切る。

 

 独特な切り方で、カード一枚一枚を右手から左手に飛ばして移すようなもの。

 その映える切り方がまた、全員の目を奪った。

 

 

 カードを切り終わると、裏返しのままの束を、沙都子の前に突き出す。

 

 

「では、好きな段から一枚引いて……私に見せないように、カードの絵柄を皆さんに見せてください」

 

 

 沙都子は山田の言う通り、適当に束を割って、中から一枚のカードを抜いた。

 それを山田に見せないように気を付けながら、後ろに集まっているメンバーにだけ表面を見せる。

 

 絵柄は「ダイヤのエース」だ。

 

 

「確認しましたね。ではまた、私に見せないように、束の上に置いてください」

 

 

 割ったカードをまた一つ戻し、その束の一番上に選んだカードを裏向けで乗せた。

 勿論、沙都子は山田へは裏面しか見せていないし、協力者に成り得る可能性の高い上田は地面に倒れたまま、見る事が出来ない。

 

 

「戻しましたわ」

 

「ではもう一度切ります」

 

 

 最初と同じ動作かつ、見事な手捌きでカードを切る。

 切り終わると一度ピタリと止まり、山田の目線がゆっくり手元からレナの方へ移る。

 

 

「では次に、レナさん」

 

「え? レナですか?」

 

「これから、束の下から順番にカードを抜いて行きますが……沙都子さんが選んだカード、何枚目に出して欲しいですか?」

 

 

 山田の質問に、また子どもたちは騒ついた。

 

 

「で、出来るの、そんな事が!?」

 

 

 魅音の驚きを聞きながら、山田は自信満々に頷いた。

 

 皆が口々に懐疑と好奇の声をあげる中、レナは何枚目にしようかと、左手の指を折って選んでいる。

 そして数字が決まり、おずおずと指定した。

 

 

「えっとえっと……じゃあ、『八枚目』!」

 

「八枚目ですね。分かりました」

 

 

 山田の指が、カードの裏側に移る。

 それから慣れた手つきで、束の下から順番に一枚一枚カードを抜いて行く。

 

 

「一枚目……二枚目……三……四……」

 

 

 抜かれたカードは机の上を滑って、中心で上手く停止。

 カウントダウンのように増えて行くカードを、固唾を飲んでメンバーは見守る。

 

 

「五……六……七」

 

 

 七枚目を抜いた。

 置かれていたカードが投げられたカードに当たって、僅かに弾かれた。

 

 

 そして問題の八枚目を、山田は引いた。

 

 

「沙都子さん」

 

「は、はい!」

 

 

 全員の注目が机の上から、山田の持つカードに集中する。

 

 

「あなたの選んだカードは……」

 

 

 裏向けだったカードが、ぴらりとひっくり返された。

 

 

「これですね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダイヤのエース」。

 的中だ。

 

 

「せ、正解ですわ……」

 

 

 沙都子の宣言の後、場がワッと湧く。拍手と賞賛、興奮の声だ。

 

 

「うおおお!? す、すげぇ!? どうやったんすか、山田さん!?」

 

「下から七枚出したのに……え? ど、どう言う事ですの!?」

 

「うはぁ……こりゃおじさん、驚いた……おったまげー」

 

「カードが動いたの!?……ど、どうやったのかな? かな!?」

 

「凄いのです! べりーまっちなのです!」

 

 

 予想以上の反響に、山田は思わず驚いた。

 この場にいる者全員が山田のマジックに魅せられ、驚き、歓喜している。

 

 

「うぉ……な、なんか……い、良いな……」

 

 

 数十年間、「売れないマジシャン」の看板を背負わせ続けられた彼女にとって、彼女らの声は素直に嬉しかった。

 灰色な上京生活を送って来ただけに、ちょっと報われた気がした。

 

 

 

 

 

「……これで金になればなぁ……学校側に請求でもして」

 

「このゲス外道めッ!」

 

「んなぁー!?」

 

 

 ぽつりと零した山田の愚痴に、いつの間にか横にいた上田が頭を叩いて突っ込む。

 

 

「それで、どうやったんですか!?」

 

 

 圭一の質問に、山田は叩かれた頭をさすりながらタネ明かし。

 

 

「誰でも出来る、簡単なマジックです。私のカードの切り方、覚えています?」

 

「確か……変わった切り方だったね。こう、手から手にピュンピュン飛ばすみたいな?」

 

 

 魅音の言った通りに、また山田は同じ切り方をしてみせた。

 

 

「これ、『オーバーハンドシャッフル』って言いましてね。切っているように見せて、実はこれ…………」

 

 

 山田は四枚だけカードを手に取り、そのオーバーハンドシャッフルをしてみせた。

 一番上のカードだけを裏面ではなく絵柄のある面にし、カードの動きを分かりやすくする。

 

 

 

「……あ!?」

 

 

 思わず声をあげる沙都子。

 不思議な事に一番上のカードが、一番下に来た。

 

 

「上から一枚一枚手に乗せて、順番を逆転させただけなんですよ」

 

 

 切ったカードをもう一度オーバーハンドシャッフルすると、元通りの順番になる。

 

 

「沙都子さんが選んだ一番上のカードを、これで一番下にする。これなら絵柄が分からなくても、選ばれたカードが必ず下にあるって、私は知る事が出来ます」

 

「でもでも! 最後、レナが言った枚数を、束の下から出してましたよね!? 最初に抜いたカードがダイヤのエースだったら分かるけど……」

 

「それも、簡単ですよ」

 

 

 マジック中と同じように、二十枚の束を手に取る。

 カードの束を持つ手を上げ、全員に手の甲側が見えるようにした。

 

 少し人差し指を動かすだけで、一番下のカードは後ろへ微かにズレる。

 

 

「下のカードだけ、私の方へスライドさせたんです。はみ出た分は手で隠しておいて……後は一番下を抜く振りをして、その一つ上のカードを言われた枚数分出すだけです」

 

 

 三枚のカードを同じ要領で抜いて行くが、一番下のカードは彼女の手中に残ったまま。

 

 

「オーバーハンドシャッフル自体、日本じゃあまり見ない切り方で、怪しまれる可能性があります。ですので、最初のシャッフルで見せ付けておいて、『この人のシャッフルはこうなんだな』と思わせ、違和感を消しておくんです」

 

 

 解説が終わり、子どもたちへ顔を向ける。

 全員圧倒されてしまい、ポカンとしていた。

 

 

 

 

 彼女たちのそんな顔を見ながら、山田は得意げに言った。

 

 

「どうでした?」

 

「すげぇ……は、ハマりそう……」

 

 

 カードを手に取り、オーバーハンドシャッフルを辿々しく真似る圭一。

 彼だけではなく、全員が山田のマジックを、タネ明かしをしてなお讃えた。

 

 

「ほ、他はどんなマジックが出来ますことっ!?」

 

「山田さんのマジック、もっと見たいです!」

 

「ボクもボクも!」

 

 

 更に山田へマジックマジックとねだる沙都子とレナ、梨花に押されてタジタジになる。あまり求められる事に慣れていないからだ。

 

 

「ちょ、ちょっとちょっと、待って待って……上田さん、落ち着かせてくださいよ!」

 

「チヤホヤされやがって……まぁ! 精々君は子どもの相手レベルが丁度良いって事だな! はっはっは!」

 

「……悔しいんですよね?」

 

「……いや全然? 全く? 悔しさの『く』の字もないよ!」

 

 

 上田の目から「羨ましいビーム」がダダ漏れだった事は、今更言うつもりはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けばもう日が落ち始めていた。橙に染まる空を、カラスが飛んで行く。

 魅音は手を叩いて全員を注目させ、部活終了を言い渡した。

 

 

「それじゃあ、今日はお開きにしよっか。上田先生と圭ちゃんの罰ゲームはまた明日ね!」

 

「くっそぉお……!! 俺は結局……! 駄目人間なのか……ッ!」

 

「……一体何をされるのか……穴に落とされるのか、裸吊りなのか……」

 

 

 絶望顔のまま俯く圭一と上田。

 そんな二人を心底から面白がった後に、沙都子は梨花の腕を引いて帰路につこうとする。

 

 

「では、私たちは先にお暇しますわ。山田さん、上田先生、また明日お会いしましょう!」

 

「みぃ。二人といると退屈しないのです。特にむっつり上田」

 

「物理だつってんだろッ!!」

 

 

 皆にお辞儀をし、それからバイバイ手を振って梨花と沙都子は帰って行く。

 合わせて帰り支度を始める残りのメンバーだが、ふと圭一が山田へ宿泊先について聞いた。

 

 

「上田先生と山田さんは興宮に戻るんですか?」

 

「え? この村、旅館ないんですか?」

 

「あー、ないない。観光事業は全くなんですってさ。てか、やるほど目立つ物もないですし」

 

「過疎ってんなぁ」

 

 

 圭一は宿泊施設がない事を忠告してくれた。確かにバスはおろか、電車も通っていない上に、道路と言ったインフラも最低限と言った感じだと山田は思う。

 焦った上田が山田を急かして学校を出ようとする。

 

 

「仕方ない。暗くなる前に興宮まで戻るぞ」

 

「……戻るんですけど、戻ってないんですよね」

 

「……だったら野宿でもするのか。蚊に噛まれて死ぬぞ!!」

 

 

 魅音とレナが支度をする最中、一足早く済ませた圭一が思い出したかのように話し出した。

 

 

「そう言えば俺も昨日、興宮でおっちゃんに話しかけられたっけ……あっ!」

 

 

 そして魅音とレナの方を向き、一つ質問をする。

 

 

 

 

 

 

「二人とも、『鬼隠し』って知ってるか?」

 

「……!!」

 

「え……?」

 

 

 圭一の質問に、二人の顔色が変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オニゴーリ?」

 

「それはポケモンだ」

 

 

 山田のボケも落日に消える。




・沢浩は、マギー司郎とミスターマリックの師匠に当たる名奇術師。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

鬼隠し

 朗らかな表情からの変貌に、質問者の圭一が戸惑った。

 

 

「ど、どうしたんだよ二人とも」

 

「……それ。どこで誰に聞かされた?」

 

「昨日、親父と興宮に買い物に行ってさ。偶然会ったおっちゃん……名前は聞いてなかったなぁ。太った、もう爺さんって感じの人」

 

 

 魅音が苦虫を噛み潰したように顔を顰める。

 

 

「……『大石』か……」

 

「え? 知り合い?」

 

「……う、ううん。何でもない……何て言われたの?」

 

 

 圭一は奇妙に思いながらも、聞かされたと言う内容を続けて話す。

 

 

「何でもさ、村で年に一度、『神隠し』が起きる日があるとか! で、この村って、鬼の伝説があったろ? 鬼にとって食われるから、『鬼隠し』……なあ、この話、マジかなぁ!?」

 

「……そ、そんなのがあるのか……?」

 

 

 慄く上田を見て、レナの目がギラリと光る。

 

 

「……はぅう! 怖がる上田先生、かぁいいよぉ!」

 

「……可愛い? こんなイケてる学者が可愛い訳ないだろ」

 

「お待ち帰りぃ〜っ!!」

 

「のぉん!?」

 

 

 レナが上田に掴みかかった瞬間、二人はヒュッと消失する。

 

 

「上田ぁ!?」

 

「……も、もう! 都会育ちなのにそんなの信じちゃ駄目だって! 神隠しとかある訳ないじゃん!」

 

「今この場で神隠し起こってますけど!?」

 

 

 圭一は納得行っていないようで、小首を傾げる。

 

 

「ん〜? そうなのか?『あなたも鬼に食べられるかもしれませんねぇ〜? んっふっふ〜!』とか言われてさ」

 

「めちゃくちゃモノマネ上手いね圭ちゃん。ビックリしたよ」

 

 

 二人が会話する後ろで、山田は消えた上田をバタバタ探していた。

 

 

「上田!? 上田どこだ!?」

 

『山田ぁー! ここだー! ヘルペスミー!』

 

「どこ? どこ!?」

 

 

 魅音は圭一を宥めるように、困ったように笑いながら否定する。

 

 

「ただのその、おっちゃんの悪ふざけだって……」

 

 

 消えた上田を探しながら話を聞いていた山田だが、「神隠しが起きる日」と聞いてハッと思い出した。平成の興宮で聞いた、図書館の司書が言っていた話だ。

 

 

 

 

「……それって……綿流しの日に起こるって奴じゃないですか?」

 

 

 

 

 朗らかな笑みを浮かべていた魅音が絶句する。彼女の小麦色の肌が、サァッと蒼白したかのようにも見えた。

 そんな魅音の様子など露知らず、圭一は好奇心を剥き出しに山田へ聞く。

 

 

「綿流しって、十日後のか?」

 

「あ、いや、ま、待って、圭ちゃ……!」

 

「それマジなんですか山田さん? 俺ここに来て一年ぐらいですけど、聞いた事ないッスよ?」

 

 

 それを横で聞く魅音の表情に、とうとう焦りが生まれた。

 

 

「そうですよね? 確か、誰かが消え──」

 

「も、もういいじゃんッ!!」

 

 

 机を手で叩きつけ、一気に二人を封殺する魅音。

 衝撃音が一度響き、それから静寂を呼び込んだ。

 

 

 

 

 いつも笑顔であっけらかんとした彼女の見せる、強い感情。

 これには山田のみならず圭一も初めて見たようで、身体をぶるり震わせ萎縮していた。

 

 

「……み、魅音?」

 

「…………神隠しも鬼隠しも、そんな物はないよ。ただの悪い作り話」

 

 

 俯いて影が出来た魅音の顔。恐る恐る、山田は彼女へ話しかける。

 

 

「……魅音さん?」

 

「……さ、さぁ、早く出よっか! 学校、閉められちゃうよ!」

 

 

 パッと上げた彼女の笑みは、無理やり作ったかのように若干歪んでいた。

 山田も圭一も、明らかに何かを隠していると察してしまう。

 

 同時に、これ以上の言及は許さないと言った、気迫を認めなければならなかった。

 

 

 

「うがぁぁ!!」

 

「うわぁ!? ど、どっから出て来た上田!?」

 

「ATフィールドを超えた……!」

 

 

 上田に続き、レナも再び姿を現した。

 

 

「待たせてごめんね!……帰ろっ?」

 

 

 上田とレナが帰って来たとあり、四人は学校を出る事に。

 不穏で、後ろ袖を引かれるような、何とも言えない気持ち悪さを抱えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 校庭を抜けて、夕焼けが染まる畦道を歩く四人の人影。

 帰りしなも魅音は村の名所などを、上田と山田に話してくれた。

 

 その後ろで圭一は、やはり先ほどの事が気掛かりなのか、隣にいるレナに聞こうとする。

 

 

「……な、なぁ、レナ……」

 

「圭一くん。また作って来ていい?」

 

「え? あ、お、おう。楽しみにしてるから!」

 

 

 二人のやり取りを聞き取った魅音が、案内をやめて突っかかる。

 

 

「作る……え? つ、作るって、なになに!?」

 

「レナにお弁当作って貰ってんだ……って、言ってなかった?」

 

 

 動きと顔を一瞬固めた後、あちらこちらに目を泳がせる魅音。

 

 

「き、聞いてないけど……そ、そ、そ、そうなんだ……へ、へへ、へぇ〜! う、羨ましいなぁ〜……」

 

「魅ぃちゃん、物凄くどもってない?」

 

「どもってないよ? 土門剛介っつってね。なーんつってね!」

 

「…………どうしたの?」

 

 

 少し魅音の様子がおかしいものの、雰囲気はまた最初のような朗らかなものに戻っていた。

 ただ、上田と山田の外野からは甘酸っぱさも伺えた。

 

 

「……あんのガキんちょ……モテモテしやがって……」

 

「上田さん。子供に嫉妬するなんてみっとも無いですよ」

 

「なんで俺には春が来ない……」

 

「…………巨根だから?」

 

「黙れッ! 殺すぞッ!!」

 

 

 宵の空にかかろうとする頃、三人は次々、道を別れて帰って行く。

 

 

「二人とも〜! 山田さんに上田先生〜! また明日〜!」

 

 

 最初はレナが。

 

 

「そんじゃ。俺、こっちなんで」

 

 

 次に圭一。

 現在は魅音と、山田上田が並んで歩いている。

 

 

「……今更だけど、なんか、部活に巻き込んじゃって……すいませんね?」

 

 

 申し訳なさそうに頭を掻いて謝る魅音だが、二人は首を振る。

 

 

「いえ、そんな……なんだかんだで私たちも楽しかったですし!」

 

「明日はクソガキ古手梨花を泣かしてやる」

 

「上田さんも楽しかったって」

 

 

 そう二人から言われ、魅音は安堵する。

 

 

「いやぁ、そう言って貰えて良かった! ほら、この村ってさ、刺激が少ないからね。山田さんのマジックとか受けると思うよ?」

 

「そうですかね? じゃあまた明日も何か、仕込んでおきますね」

 

「俺も何か嫌がらせを仕込んでやる」

 

「陰湿なんだよお前は」

 

 

 暗くなりつつある道を歩き、その先に現れた丁字路でとうとう魅音とも別れた。

 

 

 

「それじゃ、また明日! 暇があったら放課後に遊ぼっか!」

 

 

 手を振り、屈託のない笑顔を見せてから、走って行ってしまう。彼女の姿が見えなくなるまで、見送ってやった。

 

 

 

 

 

 ぽつんと、取り残された二人。

 ひぐらしの声が響く田舎道で、疲れ切った溜め息を同時に吐く。

 

 

「……上田さん。本当に何なんですか、これ」

 

「俺に質問するな……完全に物理法則を超えている……何が何なのか、全く分からん」

 

「……認めたくないですけど……超常現象?」

 

「よもや、こんなクソ田舎で体験するとは……」

 

 

 村の出口へと行く道を、二人揃って歩き出す。何となく道には廃墟時の面影が残っているので、迷わずに興宮へ辿り着けそうだ。

 道中、脳裏にあるのは「鬼隠し」の事だが。

 

 

「雛見沢村で、毎年綿流しの日になると……誰かが死んで、誰かが消えるって……興宮の司書さん言っていましたね」

 

「それに関しては何者かの快楽殺人に過ぎんだろ。タイムスリット」

 

「スキャット!」

 

「スリットッ!!……したとは言え、祟りやら呪いやらはある証拠にはならない。時間移動ノットイコール祟りだ!……帰れるまでに殺されない事だな」

 

「どうやって帰れるんですかね……」

 

「泣いたら元の時代に帰れるんじゃないか?」

 

「そんな……どこぞのローマ人じゃあるまいし……」

 

「……そう言って目薬を取り出すんじゃない」

 

「テンガーン! ネクローム!」

 

 

 勿論だが、泣いても元の時代に戻れるような事はなかった。

 

 

 常識を超越した状況ながらも、あまりに現実離れしている為に──或いは混乱するより前に子どもたちの相手をした事から、比較的二人は落ち着けていた。

 

 歩きながら、山田はふと思い出す。

 

 

「そう言えばあの司書さん……この年の綿流しの数日後に村が滅びたって言っていましたね」

 

「とすると……あと十日少しで滅ぶと言う事か? 全く火山の気配を感じないのに?」

 

「ねぇ、上田さん」

 

「……なんだ?」

 

「……どうにかして、村を救えないでしょうか」

 

 

 その山田の提案には、上田が驚かされた。

 

 

「何を言ってんだYOU! 俺たちは、元の時代に帰らねばならないんだぞ」

 

「それは勿論一番ですが……上田さんの依頼人だったレナさんが言っていたらしいじゃないですか。雛見沢村崩壊の、明かした謎があったって」

 

「ああ……」

 

「……やっぱり、裏があるんですよ。鬼隠しの事をなぜか隠したがってた魅音さんも……なんか胡散臭いですし」

 

「山田……お前……」

 

「雛見沢村の事件の真相をここで暴いて、現代で暴露すれば良いんですよ」

 

「考え方の次元が頭おかしい……」

 

 

 これからの動きについての話を一通りすると、今度は寝床の話に移る。

 

 

「そう言えば、宿はどうするんですか?」

 

「ハッ! 安心しろ、金はある! 俺はクレジットを持たない人間だからな!」

 

「なら安心ですね。当分はここで生活出来る訳だ……これもちょっとした休暇と思えば」

 

「……あ」

 

「へ? おい、なんだその、不吉な『あ』は」

 

 

 財布を取り出した彼は、一万円、五千円、千円を取り出し、「ダミット!!」と頭を抱えた。

 

 

「しまった……! この時代、『お札の肖像画』が違うではないかッ!!」

 

「何言ってんですか? お札は、一万円が『ふくさわわよし』」

 

「『福沢諭吉』……」

 

「五千円が『おけろひとは』」

 

「『樋口一葉』……!」

 

「千円が『やろエイッ! セーッ!』」

 

「『野口英世』ッ!! ()じゃなくて(くち)だッ!!」

 

「──じゃないですか」

 

「金にがめつい癖に金の事を知らねぇ女だ……」

 

 

 呆れ果てながらも教えてやる。

 

 

「一九八三年当時は、一万円と五千円は『聖徳太子』、千円は『伊藤博文』……翌年になると一万円は今と同じ福沢諭吉となり、五千円は『新渡戸稲造』、千円は『夏目漱石』になる。新渡戸稲造と夏目漱石のは見た事あるだろ?」

 

「夏目漱石は知ってますよ。『我輩は坊っちゃんである』の人!」

 

「『我輩は猫である』ッ! スネ夫かっ!」

 

「ドラえもんの方だったか」

 

 

 上田は頭を振りながら、心底困ったように溜め息を吐く。

 

 

「……とにかくだ。この時代にとって、俺たちの金は先過ぎるんだ! 恐らく……肖像画でオモチャか偽札だと思われるだろうな……」

 

「はぁ!? じゃあ、小銭しか使えないのか!?」

 

「小銭の法律は知ってるか? 各種類二十倍までをお金として扱うってのだ。つまり一円玉から五百円まで、それぞれ二十枚しか出せないって事だ。つまり一円玉から五百円まで二十枚ずつ出して……最大一三,三二○円までだ。まぁ、そんなに小銭はないがな」

 

 

 小銭に崩そうにも、お札が使えない為に崩せない。

 どうにかして騙して使わせて貰うしかないだろうが、そんなすぐに方法は浮かばない。野宿確定だろうかと、二人は諦める。

 

 

「……ダウンもこれ、シミになっちゃうだろうな……川で洗うか」

 

「最悪だ……こうなりゃ」

 

 

 興宮へのバス停に続く道を、上田は逆戻りに進もうとした。

 

 

「どこ行くんだ上田?」

 

「手分けして寝床の確保だ。今日会った子らに事情をでっち上げて……一食一汁の恩を擦り付け泊めてもらうぞ」

 

「田舎に泊まろうだ……」

 

「この天っ才物理学者上田次郎が野宿してたまるかッ!」

 

「……って、おい待て上田ぁ!?」

 

「それじゃ、また会おう……クロックアップ!」

 

 

 上田は颯爽と消える。

 一人、夕闇の中で取り残された山田は、一人叫ぶ。

 

 

 

 

「……寝床見つけたらどう知らせんだコラーッ!!」

 

 

 虚しい叫びは山の奥まで、染み渡って行った。

 傍若無人な上田に疲れ果てながらも、一食一汁の恩を受けさせる家を求めて、山田も歩き出す。

 

 

 

 少し歩いた時、唐突に耳へ飛び込んだ声に振り返る。

 

 

「あの〜……山田さん」

 

 

 魅音だった。一時間も経たない内の再会だ。

 どうしてまた現れたのかと不思議に思った山田は、首を傾げる。

 

 

「あれ? 魅音さん? 家に帰ったんじゃ……」

 

「……上田先生は?」

 

「あー……ちょっとどっかに……それより、どうしたんですか」

 

「……その」

 

「はい?」

 

「……山田さん。鬼隠しの事、知ってるんだよね」

 

「え? まぁ、又聞きですけどね……それで?」

 

 

 言ってしまおうか、決め兼ねている様子の魅音。

 当惑しながらも言葉を待つ山田だが、迷うのは焦ったくなったのか、意を決した表情で魅音は言い渡す。

 

 

 

「……まだ、『婆っちゃ』とかに許可とか取ってないけど……お願いが一つ……」

 

 

 山田と魅音の視線が絡む。

 

 

 

 

「……泊まる場所に困っているなら、どうにかするけど」

 

 

 その言葉に山田は食いつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『園崎』

 

 

 山田の眼前には大きな門と、屋敷が広がっている。

 壁に囲まれ、まるで俗世間と隔絶しているかのような、威圧と神秘性が漂っていた。

 

 

 それより目に付くのは門の前の、黒服スーツの二人。

 厳つく、筋骨隆々で、漆黒のサングラス着用。更にはヤバさを醸す顔の傷。

 

 

「………………」

 

「ここが私の家だよ」

 

「……え、これ……深作映画で見た奴なんですけど……」

 

「この人、客間に案内しといて」

 

「「サー・イエッサー!!」」

 

「おおう!?」

 

 

 魅音が命じると黒服二人は、山田に近付き荷物を預かる。

 厳つい男が目の前の少女に従っている辺り、魅音が何者なのか察してしまう。

 

 

「私は婆っちゃに事情を説明してくるから!」

 

「あ、あのぉ!? も、もしかして、魅音さん、や、や、ヤーさん!?」

 

「大丈夫大丈夫。取って食ったりしないしない!」

 

「ま、待って!? ちょっと待ってぇ!?」

 

 

 先に家に入って行く魅音。呼び止め縋る声虚しく、彼女は行ってしまう。

 

 

 

 残されたのは黒服二人と、貧乳マジシャン。気まずくなり、山田は背中を丸めながら何度も会釈する。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

「……その髪、良いっすね。うっすうっす……」

 

 

 ハゲを褒める山田。

 黒服に促され、そのまま屋敷内に足を踏み入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クロックオーバー……」

 

 

 その頃上田は、古手神社の前に来ていた。

 置いて来た山田をほくそ笑みながら、自分一人現代へ帰るつもりだ。

 

 

「はん! こんな快楽殺人者がいるかもしれん村にいられるか! 俺は一足先に帰らせてもらう!」

 

 

 階段を駆け上がるも、足を滑らせて階段を落ちる。

 

 

 

 最初と同じく鳥居を潜り、梨花たちがいないと確認しながら、祭具殿の前まで行く。

 開けて入ろうとしたが、南京錠がかけられている。

 

 

「オーマイガッ! そう言えば閉めてやがったな……!」

 

 

 他に入れる場所がないか小屋を回るが、窓や抜け穴と言ったものは見当たらない。

 

 

「どうしたものか……俺の予想では、この中に出口があるハズだ! エネルギー保存の法則だよ……!」

 

 

 あれこれと思案するが、どうしても無理だと結論付ける。

 

 

「プランAは駄目だ。なら、プランBッ!!」

 

 

 境内で突然、匍匐前進を始める上田。向かう先は拝殿。

 

 

「こう言う神社は拝殿の裏に。事務所があるもんだ!」

 

「みぃ。なにするつもりなのですか?」

 

「そこから鍵を盗み出し、祭具殿の扉を開く! 完璧な作戦だ……!」

 

「確かに完璧ですわね。不可能って事に目を瞑ればですが?」

 

「……おう?」

 

 

 聞き覚えのある声二つに、気が付いた時にはもう遅かった。

 上田は何かを触った感覚を覚えた途端、何かが引き上がる音を聞き、次には足から空へ飛んだ。

 

 

「ぐわーっ!」

 

 

 片足首にロープが巻き付き、木の下で逆さまに宙ぶらりんになる。

 バタバタもがく上田の目の前に、梨花と沙都子が姿を現した。

 

 

「を〜っほっほっほっほ!! ネズミが釣れましたわ!!」

 

「みぃ。それはネズミさんに悪いのですよ。にぱ〜☆」

 

「おおい!? おい!? なんじゃあコリャア!?」

 

 

 暴れる上田を見ながら梨花が、指差しながら言ってやる。

 

 

「声がデカいのですよ。誰か来たのかバレバレなのです!」

 

 

 ブラブラ情け無く揺れる、ブービートラップにかかった上田。

 ケタケタ笑う童女二人を前に、高らかに宣言する。

 

 

「こうなりゃ、プランCだッ!!」

 

「それはなんですの?」

 

「……そんな物は無い」

 

 

 諦めて天を仰いだ──側から見たら地を仰いでいるのだが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダム戦争

「話しかけられたとき以外は口を開くな!! 口でクソたれる前と後にサーと言え!! 分かったか、ウジ虫どもッ!?」

 

「サー・イエッサー!」

 

「お前は何の為に園崎家に来たッ!?」

 

「教官殿の教えに従う為であります!」

 

 

 外から響く、ハードそうな特訓の声を聞きながら一人、客間に待たされる山田。

 数畳ほどの広い空間に、見事な掛け軸と生け花が設置されている。

 

 四方を襖に囲まれた部屋で、どうにも落ち着かずソワソワとする。

 

 

「すげぇ……私の部屋より広い…………当たり前か」

 

 

 緊張感に押し潰されかけながらも暫し待ち続け、部屋に通され十分経過した辺りに、廊下側の襖が開けられる。

 入って来たのは魅音で、オボンの上にお茶を乗せて現れた。

 

 

「待たせてごめんね!」

 

「あ、あの〜……」

 

「いやぁ、知らなかったとは思わなかった! 鬼隠し知ってたから、てっきり園崎の事も知ってるのかなって思ってたから!」

 

「さいですか……」

 

 

 後ろ手に襖を閉めると、山田の前にお茶を置いてから、机越しに向かい合わせとなって座る。

 そして客の山田が飲むよりも先に、自分の分のお茶を飲み始めた。実は緊張でもしているのだろうか。

 

 

「婆っちゃに何とか、別宅を使わせて貰えるように言って来たから! 移動ばっかでごめんね? ウチ、広いからさぁ」

 

「だ、大丈夫なんですか? その、見ず知らずの人に別宅使わせて……」

 

「その代わり条件付きでさ……私のお願いを聞いて貰えるなら、綿流しまで使わせてあげる」

 

「……そう言えばお願いがあるって……」

 

 

 魅音の表情が引き締まる。真面目な話なのだと悟り、山田も座り直して背筋を張らせた。

 

 

「……山田さんって、マジシャンだよね?」

 

「えぇ……」

 

「……マジシャンの立場で聞いて欲しいけど……『霊能力』って、あると思う?」

 

 

 思わず眉を寄せる山田。

 

 

「……は? 霊能力?」

 

「ユリ・ゲラーは知ってる?」

 

「いや知ってますけど……」

 

「三田光一」

 

「古っ!」

 

「それで……どう?」

 

 

 これはどう言う意図の質問なのだと怪訝に思うが、山田は山田の立場で言い切った。

 

 

「霊能力なんて、嘘っぱちです。全てマジックの技法で証明出来ますし、冷静になって考えてみたらおかしいものばっかです」

 

「山田さんなら見破れるよね。しかも謎解きも出来て、ジジ抜きの時みたいな洞察力もあったし!」

 

「ええ……って。あれ、もしかして?」

 

 

 ここまで来たなら、魅音の言う「お願い」も悟る事が出来た。

 魅音は一度改まってから、満を辞して山田に依頼をする。

 

 

 

 

 

 

 

「……『雛見沢じぇねれ〜しょんず』。その『指導者』の、出鼻挫いて欲しい」

 

 

 

 

 

「雛見沢じぇねれ〜しょんず」と言えば、今日も今日とてダム反対のデモを行っていたグループだ。そう言えば魅音は、彼らを疎ましげな顔で見ていた。

 

 

「雛見沢じぇねれ〜しょんずって……あの、ダム反対派のですか?」

 

「まさにそれ……私たちは『雛じぇね』って呼んでるけどね」

 

「……はあ」

 

 

 略称はこの際どうでも良い気がするが、相手が真面目な顔なので真面目に聞いてしまう。

 山田もその略称を遵守して、魅音に詳細を聞く。

 

 

「雛じぇねの指導者とは、どんな人なんです?」

 

「まず、雛じぇねの事を話すけど……元を辿れば、作ったのはうちの婆っちゃなの」

 

「……え? お婆さんがですか?」

 

「園崎の本山でもある雛見沢をダムに沈めるなんて許す訳ないじゃんさ。それで村人や組の人で結成させて抗争してたんよ」

 

「じゃあ尚更、解散させるなんておかしい話じゃないですか」

 

「……問題が起きてね」

 

 

 魅音は悩ましそうに眉を潜めた。

 

 

「前は『鬼ヶ淵死守同盟』だったけど、今は『死守連合』。指導者が婆っちゃから、別の人に移ってね」

 

「それはどう言う経緯で?」

 

「……数ヶ月前から、強引にダム建設が進んでね。焦った婆っちゃらに、『私に任せれば絶対に阻止出来る』って売り込みに来た女の人が来たんだよ。勿論、私たちもどこの馬の骨か分からない人に任せるつもりは無かったんだけど……」

 

 

 一呼吸置いて、魅音は続ける。

 

 

「……村の人が、その人を推し始めてね。何でも、『不思議な力がある』とか、『オヤシロ様の遣いだ』とか。さすがに婆っちゃも士気に関わるからって、反対派の人たちを無理やり抑え込むなんてのは出来ないからさ」

 

「まぁ、そうでしょうね……」

 

「だから試しに、その人に鬼ヶ淵死守同盟を譲ったんだ……そしたらダム建設も遅延し始めたり、あっちから土地の権利についての協議したいとか、進展し始めたんだ」

 

「良い事じゃないですか」

 

「……問題は指導者の素行」

 

 

 話すだけでも頭痛の種なのか、魅音はコメカミを押さえた。

 

 

 

「……先月から園崎家に、お金をせびり始めてさ」

 

「え? ボランティアじゃないんですか?」

 

「要求金額、毎月百万円」

 

「ひゃっくまんえん!? しかも月給!?」

 

 

 金欠なだけに、百万円のワードが重く輝いて聞こえる。

 

 

「断ったよ。でも、『闘争にはお金が必要』『払わなければ建設会社側に付く』って迫って来るし、同盟の人も変に心酔してるし……困っていてね。これじゃ、計画凍結の前に村人で内部分裂起きちゃう。婆っちゃも、いっそ連合を解散させて主導権を握り直したい……ってのが、理由」

 

「私に任せたのは、その指導者の『不思議な力』を暴けって事ですね」

 

 

 魅音は強く頷いた。

 

 

「暴いて、村人たちの前で大恥かかしてやって欲しい! そこまでしたらみんな、また園崎家に戻って来るハズ!」

 

「でもその霊能力者って、何が出来るんですか?」

 

「詳しくは知らない。けど、人の心を読んだり、瞬間移動だったり、未来予知だったり」

 

「良く聞くインチキ能力の代名詞ですね」

 

「自称だけど、名前は『ジオ・ウエキ』」

 

「なかなかパンチ効いた名前だな」

 

 

 喋り倒して口が渇いたのか、残ったお茶を飲み干して魅音はやっと一息つく。

 しかし飲み足りないのか、山田に出したお茶を取って飲み始めた。思わず山田は二度見する。

 

 

「……組の人が無理やり解散させようとすると、村の人たちにショック与えるかもしれないしね。言っちゃ悪いけど、村外の人間で、園崎家と関連のない、顔の割れてない第三者が……つまり山田さんみたいな人が欲しかったんだよ」

 

「じゃあ……私、ここに泊まったら都合悪くないですか? 少しでも関連疑われたら……」

 

「だから別宅を使ってってさ。この屋敷から離れた所にあるし、組の人以外は園崎家の物だって知らないハズだし」

 

「それ絶対ヤバい取引する所じゃ……」

 

「とにかく!……鬼隠しが起こる綿流しまでには、ジオ・ウエキを村から追い出して欲しい!」

 

 

 鬼隠し、綿流しと、また妙なタイミングで現れた言葉。

 鬼隠しは綿流しの日に起こる、殺人事件と失踪事件の事。なぜその日までなのか。

 

 

「……綿流しまでにって言うのは、どうしてです?」

 

「……山田さん。絶対に誰にも言わないで……圭ちゃんにも……」

 

 

 少しだけ伏し目がちになり、言い淀んだ後に改めて続けた。

 

 

「圭ちゃん、この村に来たばっかりで……その……村を嫌って欲しくないから」

 

「……分かりました」

 

 

 手をピョコッと上げて、宣誓。

 

 

「……私、天才美人スーパーウルトラデラックスハイパームテキマジシャン山田奈緒子は、ここでの事を他言致しません」

 

「肩書き長っ」

 

「ただ、上田さんも鬼隠しの事は知っていますので、あいつにだけは話していいですか? 協力させます」

 

「う、うん……分かった」

 

「それで……理由は?」

 

 

 言い辛そうなのは、どう言えば良いのか迷っているからだ。

 頭で言葉を作り始め、ゆっくり話し出す。

 

 

 

 

 

「……鬼隠しは三年前から起きていてさ。死んだり消えたりしているのは、ダムの賛成派だったり中立派だったり」

 

「……え!?」

 

「婆っちゃも『オヤシロ様の祟り』って言っているんだけど……もし、それが今年も起こるとしたら……絶対にジオ・ウエキが『自分の力』だとか流すと思う」

 

「…………」

 

「そうなったら雛見沢村は、園崎家よりアイツに傾く可能性がある。勿論、園崎家の影響力が落ちるなんて事は無いとは思うけど、天下の園崎が本山の雛見沢村をまともに仕切れないなんて他に示しつかないでしょ?」

 

「…………」

 

「ヤクザってのは面子が大事だからさ……って、どうしたの山田さん?」

 

 

 山田の背筋は凍りついた。

 ダムの賛成派と中立派ばかりが死ぬなんて、十中八九反対派閥の陰謀。「園崎がやったのではないか?」と想像してしまったからだ。

 

 

 これ失敗したら、自分が今年の被害者だろうか。山田はつい表情が引き攣る。

 

 

「……あの。もし、ジオ・ウエキを……綿流しまでに追い出せなかったら……? こ、小指から?」

 

「あぁ。安心してよ! 別に指詰めとかはしないし! 堅気の山田さん巻き込んだのはこっちだしさ!」

 

 

 そう言う問題じゃないだろと、今度は山田の頭痛の種となる。

 

 

「それまで山田さんが、雛じぇねの解散に動いてくれるのなら構わないよ。さすがに別宅使わしておいて何もしないなんてだったら……追い出しちゃうけどね!」

 

「サラッと残酷だな」

 

「働かざる者食うべからずだからさ。でも、もし追い出してくれたなら……婆っちゃも、金一封くらいはって」

 

「お金出るんですか!?」

 

 

 不安は残るが、万年金欠病の山田は「金」に盲目となる。

 悔しいとは思うが、やる気が湧く。

 

 

「まぁ……こっちとしては気張って欲しいけど、気軽にね」

 

「ところで一つ、疑問があるんですけど」

 

「うん?」

 

 

 この疑問を言うか辞めるか、山田は躊躇した。

 しかし相手が魅音なら酷い事はされない気がするし、今この部屋には二人だけ。

 

 

「…………あのぅ……」

 

 

 恐る恐る山田は尋ねる。

 

 

 

 

 

「……鬼隠しの今までの被害者って……誰なんです?」

 

 

 山田奈緒子は鬼隠しを暴きたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の上田は、梨花と沙都子の住む家にいた。

 あの後何とか口から出任せを繰り返し、「研究者的立場から」だと主張した結果、何とか警察に突き出される事態だけは回避出来た。

 

 

「もっと優しく落としやがれってんだ……」

 

「粗茶ですが」

 

「……今更丁重にもてなそうが、俺の怒りは消えねぇ!!」

 

「元を正せば、上田の不法侵入なのです! 学者の癖に論点をすり替えるのですか?」

 

「お前本当に子どもか?」

 

 

 沙都子が淹れたお茶はかなり渋く、上田の顔はくしゃくしゃになる。その横で同じお茶を飲んだ梨花も、顔をくしゃくしゃにしていた。

 上田は居間を見渡し、子ども二人以外に気配がないと知ると尋ねた。

 

 

「親は?」

 

「私も梨花も……両親がいないのですわ。だから二人で生活しているんです」

 

「お、おおう……」

 

「別に気にしないでくださいな。慣れっこですし、今の生活も楽しいですし!」

 

「……あぁ。そうなのか」

 

 

 予想もしなかった重い話に思わず口籠る。

 何か別の話題でもと、部屋の中を眺めた。

 

 

 

 

 部屋の隅に、バットとグローブを見つける。

 

 

「野球やってんのか?」

 

「ちょいちょい参加してるのですよ」

 

「この村のお医者さんが、野球チームを組んでいるんですわ」

 

 

 その話に上田は興味を抱きながらお茶を飲み、顔をくしゃくしゃにさせる。

 

 

「ほぉ〜う?」

 

「上田先生は野球の経験がおありでして?」

 

「高校時代に甲子園で『徳島池田高校』のやまびこ打線を相手取って大活躍し、『畠山準』と大激戦を繰り広げ、噂を聞きつけたメジャーリーグのスカウトマンが音速ジェットでスカウトしに来たほどだ。ついたあだ名が、『東洋のゴロー』!」

 

「それ去年の甲子園では……?」

 

 

 今が一九八三年と言うのは忘れていた。彼の言ったのは一九八二年の話。

 

 

「……そうか。俺はこの頃、高校生だったか……」

 

「それで上田は野球、出来るのですか?」

 

「ん? ああ。道具を使うスポーツほど、物理的な競技はないからな。俺の大学でも、スポーツ選手のフォームや道具を分析するような事をしている力学の教授もいる。勿論、俺も嗜んでいる」

 

「筋肉はありそうなのです」

 

「鍛えていますから。筋肉は、裏切らない!」

 

 

 肉体や運動神経についても自信の高い上田。

 それを聞いて沙都子が手をパチンと叩き、提案する。

 

 

「なら、上田先生も監督に会ってみます?」

 

「監督さんに? さっき言ったお医者さんか?」

 

「実は私、監督……『入江先生』のアルバイトしていますの! また明後日も入江先生の所に行く予定ですから、お時間おありでしたら如何ですか?」

 

「んまぁ、有りだな。是非、学者同士、意義のある話をしたいもんだ」

 

 

 お茶を飲む。やはり渋すぎるので顔をくしゃくしゃにする。

 同じく梨花も顔をくしゃくしゃにしながら、この場にいない山田について聞いた。

 

 

「今更なのですが、山田はどこなのですか?」

 

「あいつか? あの不出来な貧乳は俺だけおいてさっさと町に行きやがった! お陰で俺は野宿か、徹夜の危機だ」

 

 

 酷い嘘を平気で吐く上田。

 そこで沙都子がまた彼に提案を入れる。

 

 

「なら泊まっていかれます?」

 

「お? 良いのか?」

 

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりにしたり顔の上田。

 梨花も賛成のようで、満面の笑みを二人に見せ付けた。

 

 

「沙都子以外にボクの遊び相手が増えるのです! にぱ〜☆」

 

 

 ともあれ、寝る場所を確保出来たとあり、上田は喜んだ。

 ここなら祭具殿に近く、信頼を勝ち取れば梨花に頼んで入れてもらう事も出来るハズ。

 

 

 さっさと帰って、研究と印税と『哲!この部屋』を楽しみにする日々に戻る。

 上田は雛見沢村から出たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 星が見下ろす空が、目一杯に広がる。

 もくもくと立つ湯気の中、温泉につかる矢部らの声が響く。

 

 

「冬の露天風呂は最高やな! ぬっくぬくやで! こりゃ頭皮に血が巡るなぁ!」

 

「兄ィ! ほれ、クラゲじゃけぇの!」

 

 

 タオルに空気を詰めて浮かせる石原に、まったりする秋葉。

 矢部は頭に、なぜか髪染め用のキャップを被って、湯船傍に置いた日本酒を飲んでいる。

 

 お酒の注ぎ方を見て、秋葉が忠告した。

 

 

「矢部さん矢部さん、徳利の注ぎ口はお猪口につけたら駄目らしいっすよ!」

 

「んなマナー知るかい! それで溢したら余計マナー悪いがな! くっ付けて、確実に、入れるんが最適や!」

 

 

 バシャバシャと温泉内をバタ足で泳ぐ菊池。

 

 

「はっはっはっ!! この温泉広い!!」

 

「お前の方がマナー違反やないかい!」

 

「わしゃ、マナーよりマネーが欲しいがのぉ!」

 

 

 大人数かつ、人がいない為にほぼ貸し切り状態の為、刑事たちははしゃいでいた。

 ここは鹿骨市の旅館。どうやら彼らも現地に到着したようだ。

 

 屋上露天風呂に浸かり、長距離移動の疲れを癒す。

 ふと秋葉が矢部に近付き、これから何をするのかを聞いた。

 

 

「それで矢部さん? 明日からは、どう調査するんですか〜?」

 

「今、仕事の話はええがな! 飯食って酒飲んで寝るッ! 今日のお仕事はそれまで〜い!」

 

「兄ィの言う通りじゃ、秋葉ちゃん! ワシ、腕が疲れてのぉ!」

 

「効能は筋肉もしくは関節の慢性的な痛み、運動麻痺における筋肉の強張り、胃腸機能の低下、軽症高血圧、糖尿病、軽いコレステロール血症、軽い喘息、痔、自律神経不安定症、ストレスによる諸症状、病後回復期、疲労回復、健康増進、切り傷、末梢神経循環障害、冷え性、うつ状態、皮膚乾燥症、高尿酸症 、関節リウマチ、強直性脊椎炎など! 至れり尽くせり! まさに効能の宝石箱ッ!! 僕のような成功者に相応しいッ!!!!」

 

 

 明日から明日からとは言うが、やはり自分の出世に関わる案件。チラッと仕事の話をする程度は構わないだろうと、矢部は決めた。

 

 

「ま〜ず〜は〜! ここの病院に行って、この子供のカルテとか入手するで!」

 

「例の大災害の〜、生き残りじゃな!!」

 

 

 お酒の下に敷いていた資料。菊池が作って来た資料をラミネーターにかけた物を一回手に取り、ぽいっと捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこには『前原 圭一』の名があった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月10日金曜日 指導者は霊能力者 その1
雛じぇね


 眩しい朝陽が障子の紙を通過する。その光を浴び、山田は目を覚ました。

 

 

「……フガッ?」

 

 

 枕と足元が反転し、片足が障子をぶち破っていた。

 

 

 

 山田に当てられた別宅は、小さな一軒家だ。

 森へ足を踏み入れたかけたような場所にある、一階建ての2LDKでテレビと冷蔵庫はあるが、エアコンはない。扇風機は、座敷の奥から引っ張り出した物を使用している。

 

 

 一見すれば不便だが、ここより不便な所に住んでいた山田にとって天国だ。

 

 

「えーっと、牛乳牛乳……」

 

 

 来る前に魅音は幾つか食料をくれた。

 山田は朝、スッキリした覚醒の為に牛乳を飲む。

 

 

「卵と牛乳に……」

 

 

 グラスに注いだ牛乳に、卵を入れる。

 

 

「……醤油を注ぎまして」

 

 

 醤油をトクトク注ぐ。

 白い牛乳は一瞬にして胡桃色となる。

 

 

「掻き混ぜて……レモン果汁をアクセントに……」

 

 

 山田特製、ミルクセーキの完成。

 それをグッと飲み、満足そうな笑みでプハーッと息を吐く。

 

 

「いやぁ〜快適快適! 夜は『遠山の金さん』が生で見れたし! もうここに住みた〜い!」

 

 

 上田の事をすっかり忘れ、大きく伸びをしながら時計を見遣る。

 朝の八時手前。今は扇風機をつけていないが、それでもまだ快適な程度には涼しい。

 

 

 部屋には、汚されたダウンが吊るされている。洗濯機があったので使わせて貰った。

 

 

「雛見沢村……なんて良い所なんだ……空気は美味いし、うるさい大家はいないし!」

 

 

 そう言った瞬間、家の前をドタドタと騒々しさが飛び込んで来た。

 折角の気分の良い朝なのにと、山田は一気に不機嫌顔。

 

 

「……なんだよこんな朝っぱらから……」

 

 

 カーテンを開け、外を確認する。

 数人の村人がどこかへ向かって走って行った。

 

 

 その内の一人の掲げていた旗を見て、山田は自分の仕事を思い出す。

 

 

 

 

 

『雛見沢じぇねれ〜しょんず・ほえば〜』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二章 指導者は霊能力者

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時刻の上田も起床。

 昨夜の詫びも兼ねて、梨花と沙都子の為に朝食まで作っていた。

 

 

「グッドモーニン! 冷蔵庫の物を勝手に使わせていただいたぜ!」

 

「おはようございます……あら、上田先生が!?」

 

 

 卓上には味噌汁とご飯、おかずはシャケの塩焼き、ほうれん草のおひたし。居間に入って早々、そんな豪勢な朝ご飯を目の当たりにして沙都子は嬉しそうだ。

 

 

「オーソドックスだが、朝はこんくらいで良いだろう。知り合いの刑事が料理好きでな? ちょこちょこ教えて貰ったんだ」

 

「やっと上田先生にも使える所が出来ましたわね!」

 

「人を道具みたいに言いやがって……おい。古手梨花は?」

 

「あの子、いつも一人で起きられた試しが無いんですから……梨花ーっ! 起きてくださいましーっ!!」

 

 

 沙都子は二階へ、梨花を起こしに上がる。

 腹が減っていた上田は先に食べてしまおうかと、キチンと手を合わせて朝食にありつけた。

 

 

 

 途端に誰かの怒号が聞こえた。高台の神社まで響くほどの大声だ。

 

 

 

 

「ダムの責任者と口論やそうじゃ!!」

 

「罰当たりな事しよる!『我が魔王女』に叶う訳ないだろ!!」

 

「八時だよ! 全員集合!!」

 

「馬鹿っ! まだ七時だ!」

 

 

 

 

 折角の朝を、ほんの少し邪魔されて上田は眉を潜める。

 

 

「……なんだ? こんな朝っぱらから……」

 

 

 呆れながらも興味を持った上田は、朝食を食べたら見に行ってみようと決めた。

 

 

「昼からは『哲!この部屋』……確かこの日は、伝説の『ドタキャン事件』回だったなぁ……!」

 

 

 過去の世界で見る長寿番組は、彼にとって実質リバイバル放送だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前原圭一は、今日はやけに目覚めが良かった。

 しかし気分は全く乗らない。死人のように通学路を行く。

 

 

「…………罰ゲーム……」

 

 

 昨日のジジ抜きの罰ゲームが、今日の放課後に行われる。

 何をされるのか憂鬱になり、機嫌の良い目覚めがいらないお世話のようにも思えて来た。

 

 

「………………」

 

 

 また、彼の心の中には、一つの蟠りもある。

 昨日の帰り際に見せた、魅音とレナの不自然な言動。

 

 何かを隠されていると圭一は気になり、ふと想起してはそればかり考えるようになってしまった。

  

 

 

 

「……この村。何かあんのか?」

 

 

 気になり、知りたくなって来てしまった圭一。

 だがそれは、目の前を通り過ぎ行く連中に気を取られて消える。

 

 

 

 

「……雛じぇね……」

 

 

 また何か問題でも起きたんだろうと、さほど注目しないようにはした。

 だがそのすぐ後ろを付いて行く、見覚えのある人物。

 

 

 

 

 

「山田さん?」

 

 

 考えを改め、何かあるなと踏んで圭一は駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 件の雛見沢じぇねれ〜しょんずは、ダム工事現場前に続々集結している。

 騒ぎを聞きつけた山田が彼らの後に付いて行き、様子を伺う。

 

 

「なになに?」

 

 

 山田は雛じぇねが張ったであろう、一際大きな横断幕を見やる。

 

 

『雛見沢じぇねれ〜しょんず・ほえば〜』

 

『ダムはムダムダ』

 

『戦わなければ生き残れない』

 

『祝え! 新たなる指導者の誕生を!』

 

 

「……なんて言うか、拗らせてんなぁ……」

 

 

 細心の注意を払いながら、山田も工事現場前まで行く。

 そこには多くの人間の集団が出来ており、その最前列より幾多も飛ばされた怒号が、後方の山田の方まで重なって響いた。

 

 

 

「なぁ〜にがオヤシロ様の遣いよっ! 恥を知りなさいっ!!」

 

「貴様ぁッ!! 我が魔王女に何たる口の聞き方やッ!!」

 

「単なるペテンでしょっ!?」

 

「うっさいわタワケェッ!! 村をダムにするなんざ許さんぞッ!! 絶対ッ!!」

 

 

 怒号が響く中、人混みを掻き分けて前へ前へと進む山田。

 そんな彼女の腕を掴んで引き止めたのは、見覚えのある人物だった。

 

 

「うぉ!? なんですか一体……圭一さん!?」

 

「や、やっぱり山田さんだ……! あの、ここは危ないですって!! 関わるのはマズイですよ!」

 

「仕事なんですよ! 雛じぇねの指導者の、インチキを暴くんですよ!!」

 

 

 

 山田がそう叫んだ瞬間、場はいきなり静まり返った。

 空気の変化に驚き辺りを見渡すと、山田と圭一の二人を、敵意の篭った目で睨む雛じぇね構成員らが包囲していた。

 

 

 

 これが法廷に立たされた被疑者の気分、なのだろうか。

 山田と圭一は夏場なのに冷や汗と鳥肌が止まらない。必死に圭一ははぐらかそうと言い訳をする。

 

 

「……い、インチキってのは、あの……い、良いチキンって意味っす!! この人と唐揚げの話してまして!! ねっ!? 山田さん!」

 

「え? ファ、ファミチキ好きなんです!」

 

「ファミチキってなんすか?」

 

 

 誤魔化そうとする圭一と山田だが、最前列から聞こえて来た良く通る女の声に注意が向く。

 

 

 

 

 

 

「ア〜タクシが、インチキと?」

 

 

 群衆が割れ、声の主に道を開ける。

 その先にいたのはピンク一色の服と、同色の大きなツバのハットを被った、小太りで貫禄のある豪華な服装の女だった。

 

 

 

 

「そう……仰いましたわよねぇ?」

 

 

 ハットにはデカデカと「シドウシャ」と片仮名が貼られ、分厚い化粧とキツイ香水の匂いが図太さと嫌みさを感じさせる。はっきり言って、山田の嫌いなタイプだ。

 

 

 この人物が、鬼ヶ淵連合・雛見沢じぇねれ〜しょんずの現指導者「ジオ・ウエキ」だ。

 

 

 

「………………」

 

「あ、あの……それは言葉の綾って言うんすか何と言うか」

 

「……ええ。言いました」

 

「……山田さん!?」

 

 

 山田は凛とした物言いと気概で、一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 囲んでいる構成員の凄みの効いた目に慄き、やっぱ一歩後戻りする。

 

 

「啖呵切ったなら行ってくださいよ……!」

 

「いや怖いですってコレは!」

 

「だから出ようと言ったのに……!」

 

 

 山田も圭一も後悔を滲ませた所で、ジオ・ウエキは突然、指をパチっと鳴らした。

 途端に二人の後ろを囲っていた者たちが前進し、二人を無理やり彼女の前へ押し込んだ。

 

 

「ちょ、ちょちょちょちょ!? 俺も!?」

 

「痛い痛い痛い! 髪を引っ張るなっ!!」

 

 

 近付けば漂う、香水の強い匂い。

 ジオ・ウエキは二人を眼前に据えると、べっとり口紅が塗りたくられた唇を釣り上げた。

 

 

 

「アタ〜クシは、本物ですのよ?」

 

 

 

 背後を構成員らで固められてしまった。

 もう逃げられないと、山田も圭一も腹を括る。

 

 

 

 

 

 

 

 事の発端は、構成員が材料の搬入を妨害したと言う現場監督らの主張からだった。

 そしてそのまま口論となり、一触即発の状態の中で、ジオ・ウエキが登場し仲裁していたそうだ。

 

 しかし監督らが怒り余ってジオ・ウエキを「ペテン師」と罵り、それに対して雛じぇねのメンバーらが集結して抗議したのが、ここまでの流れらしい。

 

 

 

 

「あんたに不思議な力があるなんてっ! あたし、信じないわよっ!!」

 

 

 膨よかな身体を震わして怒鳴る現場監督は、オカマだった。ガテン系の顔に濃い化粧と言うアンバランスな姿をしている。

 

 

「大体ねぇっ! ダム計画の話は既に進んでんのよっ! これ以上の文句は建設大臣に言いなさいっ!!」

 

「そーだそーだ!!」

 

「監督の言う通りぃ!!」

 

 

 監督の主張に対し、仕事仲間の作業員たちが口々に賛同する。

 だがジオ・ウエキは余裕のある態度を崩さず、彼らに言い放った。

 

 

「その建設大臣が強引に計画を進めたのが悪いんじゃあ、あ〜りませんの? 民主主義は一体どこに行ったのです?」

 

「そーやそーや!!」

 

「我が魔王女の仰せの通りぃ!!」

 

 

 

 互いの主張は堂々巡りの一方だ。

 ジオ・ウエキは監督らが何か言おうとするのを手で制し、再び山田と圭一を見遣る。

 

 

「それより……アタク〜シの力を疑う者がまた一人……二人、現れたようですわね」

 

「さっき『アタ〜クシ』だったよな……」

 

「丁度良いですわ皆さん!」

 

 

 ピンク色の手袋をはめた手をパチリと叩き、全員に対して声を張る。

 太っているからなのか、アルト歌手のように良く通る声をしている。

 

 

「ダム工事の方々も、アタクシ〜の力を知らないようですので……」

 

「今度は『アタクシ〜』……」

 

「今からここで披露致しますわ!」

 

 

 途端に人々から歓声が湧き上がり、その熱量に山田のみならず、現場監督らも尻込みを見せる。

 あまりにも度が過ぎた熱狂具合に、圭一は薄寒さを覚えていた。

 

 

「山田さん……これ、ダム反対の団体だとかよりも……新興宗教っすよね……?」

 

「だけど……必ず暴いてやりますよ……」

 

 

 山田はそう決意し、ジオ・ウエキと対峙する。

 

 すると彼女は人差し指を前後に動かし、合図を送る。雛じぇね構成員の数人が机と、トランプの入ったケースを持って来た。

 

 

「我が魔王女……これを……」

 

 

 恭しく差し出されたトランプケースを手に持ち、前に置かれた机の上に置く。

 

 

「では、ダム工事の方々もお近くまでいらしてくださいな」

 

「あたしに指図するんじゃないわよっ!!」

 

 

 そう噛み付く割に一同揃って近くに寄る、律儀な作業員たち。

 ジオ・ウエキはケースからカードの束を取り出す。

 

 

「ジョーカーは抜きますわ」

 

 

 二枚のジョーカーを抜き取り、念を込めて投げ捨てた。

 

 

「サイクロ〜ン!」

 

「「ジョーカーッ!!」」

 

 

 花嫁のブーケを取ろうとする来賓のように、雛じぇねメンバーはジョーカーを取ろうと手を伸ばしていた。

 彼女は不敵な笑みを浮かべ、山田を蛇のような目で見遣る。

 

 

「ア〜タクシは、インチキではありませんわ」

 

「『ア〜タクシ』に戻った……」

 

「あなたの選んだカードの絵柄を……見ずに当てる事が出来ますの」

 

 

 その宣言を聞いて、圭一はチラリと山田を一瞥。

 

 

「……山田さんと同じマジックをするんすかね?」

 

「的中マジックなんて、在り来たり過ぎます」

 

「マジックではありませんわ? タネも仕掛けもない……アタ〜クシの、能力でありますのよ」

 

 

 ジョーカーを抜いた、五十二枚のカード。まずカードをシャッフルする。

 それは山田のやった、オーバーハンドシャッフルではなく、二つの山を作って交錯させるように混ぜ込む「ファローシャッフル」。意図的に順番を変えられるようなシャッフルではない。

 

 

「〜♪」

 

 

 なぜか月光仮面のテーマを鼻歌で歌うジオ・ウエキ。

 何度か同様のシャッフルを繰り返した後、上から順番に九枚のカードを抜いて、縦に三枚ずつ均等に並べた。

 

 

「この中から一枚、カードを選んで持ちなさい。アタク〜シは、暫し後ろを向いておきますわ」

 

「なら……彼らを全員まず、離してください」

 

 

 山田は取り囲む雛じぇねメンバーに言いつけた。

 彼らが見ておいて、秘密の暗号を使いジオ・ウエキを補助するかもしれない。

 

 

「えぇ。宜しいですわ。皆さん! フルスロットルで離れてくださいなーっ!」

 

「「マッテローヨッ!」」

 

 

 メンバーらは素直に、蜘蛛の子散らすように全速力で離れて行った。

 

 

 

「「イッテイーヨッ!」」

 

 

 息も絶え絶えな合唱が響く。老年者にさせるものではないだろう。

 しかし彼らは、大体十五メートル向こうにいる。トランプの絵柄は、双眼鏡でも無ければ見えまい。

 

 

「……では! お選びくださ〜い! Time Judged All!!」

 

「タジャドル?」

 

 

 ジオ・ウエキは振り返り、山田、圭一、ダム作業員らに背を向けた。頭の後ろに目でもない限り、見る事は出来ないだろう。

 圭一と現場監督は不安げに山田を見る。

 

 

「山田さんのマジックとは違うっぽいっすけど……?」

 

「あ、あんた……本当に見破れるのっ!?」

 

「………………」

 

 

 まずは全てのカードを観察する。

 裏向けのカードは、全部マーキングもされていないと確認。また裏側の絵柄に特殊な意匠もなく、「マークドデック」と呼ばれる類の物でもないとも確認する。

 

 道具的な仕掛けはないと、山田は判断した。

 

 

 

 

 三枚ずつ縦に並ぶカードたち。

 山田はその一つを選び、圭一らに見せ付けた。

 

 

「クラブの五」。

 確認させたらまた裏返しにし、彼女に見られないように手の中に隠した。

 

 

「お選びになりました?」

 

「……ええ」

 

「ではでは……Ride on Right Time!!」

 

「ラトラータ?」

 

 

 ジオ・ウエキは、再び振り向き直った。

 彼女は早速、残った七枚のカードを集め、束にする。

 

 

「選んだカードを、アタクシ〜に見せないように、上に乗せてくださいな」

 

「………………」

 

 

 クラブの五のカードを、裏向けのまま乗せた。

 その束のみを使うのかと思えば、傍らに置いてあった残りのカードの山を全て、束の上に乗せる。

 

 

「これから特別な『(いん)』を使い……アナタのカードを的中させてみせますわ?」

 

 

 ジオ・ウエキは一枚一枚、山の上からカードを抜いて行き、机の上に縦に並べて行く。ハートのクイーンが四枚目に並んだ。

 

 

「キングやクイーン、ジャックにはそれぞれ、スペード、クラブ、ハート、ダイヤ毎にモデルがいることはご存知?」

 

「……いえ」

 

「ハートのクイーンは、旧約聖書外典『ユディト記』に登場する、『ユディト』と言う女性ですわ。アッシリアのメディア王との戦いで、敵の司令官を殺し町を救った、強い女性ですの」

 

 

 嫌味な声で語られる薀蓄に、少し山田は苛つきを覚えた。

 それから彼女は同じ要領で更に二枚抜き、二枚目の「スペードの五」が出た途端に並べるのをやめた。

 

 

「もう一度」

 

 

 彼女は同じ要領で、作ったカード列の隣にまたカードを並べて行く。

 しかし十枚目の「クラブの三」が出た途端に、並べたカードを裏にして一旦山にした。

 

 

「今日は振るわないですわねぇ」

 

 

 そうぼやきながら、彼女が手元に持っていた山の一番上から一枚を加える。

 そしてその手元の山に乗せてから、再度続けた。

 

 

「……最初の一枚が違うだけで……残り九枚は同じだろ」

 

 

 山田のぼやきの通り、彼女がまた縦に並べたカードは、最初の一枚以外は先ほどと逆の並びになるだけで同じだった。

 十枚目は「スペードのエース」。今度はやり直さず、そのまま十枚を表にして放置。こうして二つ目の列が出来た。

 

 

 

 三つ目の列は「ダイヤの八」が出て、三枚目で止まる。

 ここまで来たら圭一はその法則に気付く。

 

 

「……多分、十からのカウントダウンで並べて行って……その数字と同じ値のカードが来たら止めているんですよ」

 

 

 確かに最初の列は六枚で、最後の絵柄は「五」。

 二つ目は十枚で、絵柄は「エース(一)」。

 三つ目は三枚で、「八」。

 カウントダウンして行った数と一致する。

 

 

 ジオ・ウエキは同じ要領で四つ目の列を完成させた。

 四列目は「ダイヤの六」までの五枚だ。

 

 

 

「……では。最後の印を作りますわ」

 

 

 一つ目の列の、「五」を指差す。

 

 

 

「最後に出たカードの数字と同じ枚数、下に置きます」

 

 

 彼女は手元の山より、上から五枚を抜いて、裏返しのまま下に置いた。

 そのまま同じく、二つ目の列には十枚、三つ目は八枚、四つ目に六枚を置く。

 

 

 

「印は完成しました。さあ……Turn UPッ!!」

 

「タトバ?」

 

「……さすがにそうは聞こえないっすね」

 

 

 ジオ・ウエキは一つ目の列の下の山から、一枚目のカードを捲って行く。

 一つ目は「ダイヤのジャック」。

 

 

 二つ目は「スペードの三」。

 

 

 三つ目は「ハートのエース」。

 

 

 最後のカードを捲る前に、ジオ・ウエキは上目遣いで山田を見据えると、ニタリと笑う。

 

 

 

 

「……アナタの選んだカードは」

 

 

 四つ目は、

 

 

「……これですわね?」

 

 

 

 

 

 

「クラブの五」。

 

 的中だ。

 

 

 

 

 

「…………!?」

 

「えっ!?」

 

「なんですってぇ!?」

 

「その様子では、当たりのようですわね?」

 

 

 ジオ・ウエキは満足げに、取り出した扇子を開いて扇ぐ。扇子には「センス」と書かれていた。

 圭一も現場監督も目を剥き、何度も並んだカードを見渡している。

 

 

「や、山田さん……俺、プロじゃないんで分からないっすけど……な、なんも特別な動きはしてませんよ!?」

 

「どう言う事だってばよですわ」

 

「……ッ……!……ぜ、絶対、なにか仕掛けがあるんですよッ!!」

 

 

 トリックが分からないのに、思わず山田は衝動的に否定してしまった。

 根拠もなく、証拠もないので、すぐに論破されるだろう。だがジオ・ウエキはそんな事はせず、余裕のある態度をそのままに次へ移る。

 

 

「ア〜タクシ、喉渇きましたわぁ」

 

 

 十五メートルを猛ダッシュし、缶ジュースを捧げる雛じぇねメンバー。

 自販機で売っているような、「コカコーラ」の缶。封は切れておらず、彼女が軽く振るとチャプチャプと音が鳴る。

 

 

「コカコーラは最初、万能薬として売られていたらしいですわね」

 

 

 タブを摘むと、プシュッと開いた。

 

 

「最近の缶は開けやすくて良いですわねぇ。前まで引き抜いていましたもの!」

 

 

 彼女がそれを口にする……と思わせて缶をグルっと回し、飲み口を逆さにした。

 これでは中身が溢れてしまうと、一同は思う。

 

 

 

 だが、中身は一向に溢れない。

 二、三滴の黒い雫を落としただけで、中身が充填されているハズのコーラが溢れ落ちなかった。

 

 

「なっ!?」

 

「マジで!?」

 

「コーラが落ちてこない……!?……コぉ〜ラ参ったわね」

 

 

 現場監督のダジャレに、全員がずっこける。

 

 

 それから十秒間逆さまにするものの、やはりコーラは落ちて来ない。

 ジオ・ウエキはまた缶を元通りに立てると、圭一に差し出した。山田は顔を顰める。

 

 

「飲むんじゃなかったのか……?」

 

「そういえばアタ〜クシ、炭酸が苦手でしたの!」

 

「じゃあなんで出したんだ」

 

 

 差し出しされたそれを圭一はおずおずと受け取り、開かれた飲み口を覗く。

 やっぱり中は満杯まで入っている。そして何かフタと言った物がくっ付けられていた痕跡もない。

 

 疑問は尽きないがとりあえず暑い事もあって、圭一はむしゃぶりつくようにそれを飲んだ。

 

 

「……んぐっ。んぐっ!」

 

「うわ躊躇なく行った」

 

「プハーッ!……ま、間違いなくこれは……コーラッ!?」

 

「だろうな」

 

「げふっ」

 

「きたなっ」

 

 

 中身が入っていない訳ではないし、キチンと飲み口から液体は流れた。

 彼女は、中のコーラの時間を停止させたと言うのか。

 

 

 

 

「ほいっと」

 

「あら!?」

 

 

 今度は現場監督に、ジオ・ウエキはメモ帳とペンを渡す。

 

 

「何か書きなさいな。アタク〜ジュに見せないように」

 

「……アクタージュ?」

 

「あ、あたしが!?」

 

 

 現場監督はメモ帳に、「犬と猫」と書く。

 他に見られないよう山田らにもそれを確認させるが、ジオ・ウエキはすぐに告げる。

 

 

 

「『犬と猫』」

 

 

 メモ帳は裏に台紙があり、透かして読み取る事は出来ない。

 彼女は何と、現場監督の書いた文字さえ、離れた所から的中させた。

 

 

 

「……!?」

 

「え!? 今書いたのに!?」

 

 

 目を見開く山田と、驚きの声をあげる圭一。現場監督らは、口をパクパクさせて、物も言えなくなっていた。

 三連続での、超常能力。山田に考える暇は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白い話がありますの」

 

 

 ジオ・ウエキは、唐突に語り出した。

 

 

「一九六三年、西ドイツの『ヘレーネ・マルカルド』と言う女の子は、不幸な事故で意識不明になる」

 

「………………」

 

「病院で目を覚ました彼女は、何と訛りの強いイタリア語を話し始めたのよ」

 

「……? なんの話だよ……!」

 

「彼女は『ロゼッタ・カステーロ』と名乗り、出生地と誕生日を答えた」

 

「だ、だからなんの話なのよっ!」

 

 

 不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「イタリアの田舎に、その女性は実在しましたのよ。しかも、一九一七年に死んでいました」

 

 

 扇子を扇ぎ、晴れ渡る空から注ぐ日光を浴びた。

 

 

「魂は不滅。時を超え、誰かの中に宿るのです」

 

「………………」

 

「アタクシ〜の中にも宿っているのですよ?……『鬼の魂』が」

 

 

 彼女はメンバーらに机とトランプを片付けさせ、山田らに背を向けながら、宣言する。

 

 

 

「しかし園崎の方々は、そんなア〜タクシの頼みも無視するおつもりのようですわ」

 

「……!」

 

「……どなたか、園崎の方とご友人でございましょう?」

 

 

 クルリと振り返り、一瞬、聞き間違いとも思ってしまったほどの衝撃的な声明を放つ。

 

 

 

 

 

 

「十二日の日曜日……つまり、明後日ですわね。園崎家から、『三億円』を頂きに上がりますわ!」

 

 

 作業員や雛じぇねメンバーも含め、その場にいた者全てが驚きに目を剥いただろう。

 圭一も魅音の家に堂々と盗みに行くと言う彼女が信じられず、何も言えなかった。

 

 

 

 

 

 

 ただ山田だけが嫌悪と疑念に満ちた目で、高笑いを響かせるジオ・ウエキを注視していた。




昔の缶ジュースの缶は、今で言う缶詰めのように、タブごと引き抜く形でした。それが、蓋のポイ捨てが問題視され、1980年より今の押して開ける形となりました。
引き抜くから「プルタブ」。今の形式のタブは缶と分離しないので、「ステイオンタブ」と呼ぶそうです。
(アサヒビールの生ジョッキ缶が、所謂プルタブ式の缶です)

1983年代は木曜20時より、高橋英樹版の遠山の金さんが放送されていました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

明かす

 神社から出た上田は、階段を滑り落ちる。

 すぐに立ち上がり、先に降りていた沙都子と梨花に約束を交わした。

 

 

「山田を見つけたら、放課後には学校へ行く。それまで暫しのお別れだ」

 

「では暫しのさよならですわね」

 

「おう、勉強頑張れ。俺のようなジーニアスを目指してな」

 

「みぃ。上田のようにはなりたくないのです」

 

 

 相変わらずな梨花の毒舌を受けて絶句している隙に、二人は通学路を走って行く。

 見送ってから上田は拗ねたように小石を蹴った。

 

 

「……可愛くないガキめ! いつぞやの少年みてぇだ……」

 

 

 梨花たちとは反対の道を進む。神社から聞こえた怒号の正体が気になったからだ。

 

 道なりに進むと、「ダム建設現場」を示す看板が見えて来て、それを覆い隠そうとするかのように「建設反対!」の看板が並んでいる。

 

 様子を見に入ろうとしたが、彼が来た頃には解散していたようで、ゾロゾロ雛じぇねのメンバーらが「ムダムダ」「ダムダム」唱えながら去って行く。

 

 

 

 その人混みの中に、山田と圭一を見つける。

 

 

「おい! 山田と……君は昨日の少年じゃないか!」

 

「上田さん?」

 

「あ、上田先生!」

 

 

 圭一は慌てた様子で上田に近付く。

 

 

「どうした? なんでここに?」

 

「上田先生、聞いてくださいよ! さっきここで、雛じぇねの指導者が霊能力を披露してたんすよ!」

 

「霊能力ぅ? 何を言ってんだ、バッカバカしい……」

 

 

 自身が超常現象に巻き込まれている事は置いておき、上田は小馬鹿にするように笑いながら否定する。

 

 

「この世に霊能力なんて物は存在しない。少年、俺の本を読むか? 今まで俺が暴いて来た霊能力者たちとの鮮烈なる戦いを克明に書き記したベストセラー『どんと来い超常現象』だ。是非、読みたま」

 

「山田さんも、見ましたよね!?」

 

「……はい」

 

 

 後続の山田が、いつになく神妙な顔つきで近付いた。

 割と久々に見た彼女のその表情。とてつもない事が起きたのかとすぐに悟り、取り出しかけた「どんと来い超常現象」を鞄に仕舞う。

 

 

「何があったんだ?」

 

「さっき、ダム建設反対派グループの指導者と会ったんです。不思議な力があるとか、鬼の生まれ変わりだとか言っていましたんで……トリックでもあるのかと暴きに行ったんです」

 

「そしたらあの、ジオ・ウエキって女の人、三連続で不思議な事を起こしたんすよ!」

 

「なに? ジオウ? 仮面ライダーか?」

 

 

 ジオ・ウエキが起こした現象を、山田と圭一は出来るだけ事細かく説明する。

 

 

 

「まず最初は、トランプを使った現象……」

 

「何もない、普通のカードを並べたり置いたりしただけで、山田さんの選んだカードを的中させたんです!」

 

 

 聞かされている情報を頭の中で咀嚼しながら、上田は尋ねた。

 

 

「昨日やったYOUのマジックじゃないのか?」

 

「……いえ。シャッフルも特別な物ではなかったですし……ずっと手元に注目していましたが、すり替えるだの隠しておくだのもしていませんでした」

 

「三連続と言ったな……次は?」

 

 

 圭一が説明を入れる。

 

 

「ジオ・ウエキが開けた缶ジュースが、ひっくり返してもコーラが出なかったんです! その後、俺にくれたんですが……中身はちゃんと入ってたし、飲み口から飲めましたし……」

 

「三つ目は、ダム建設の責任者が書いた文字を、少しの間もなく言い当てたんです」

 

「鏡を使ったとかは?」

 

 

 山田は首を振った。

 

 

「……絶対にありません。開けた場所でしたし、辺りには反射物も無かったですから……」

 

 

 

 

 不可解な現象の数々。突破口やトリックが読めず、三人は唸りながら押し黙ってしまう。

 その内、圭一が不安げに呟いた。

 

 

「……もしかして……ほ、本当に霊能力じゃ……?」

 

「ある訳ないだろ少年……絶対に何か、トリックがあるんだ」

 

 

 すると山田が、何かを思い出したかのように声をあげた。

 

 

「……あ」

 

「山田さん、なんか思い付いたんすか!?」

 

「いえ、そうじゃなくて……」

 

 

 山田が見ていたのは、上田が左手に嵌めている腕時計。

 時間超越によってズレていた針を、キチンと合わせていたようだ。

 

 

「ん? 時計か? 俺のクォーツの三万円もする時計がどうしたって?」

 

「上田先生すげぇ!」

 

「いや、単純に今の時間の話ですよ……圭一さん、学校大丈夫なんですか?」

 

 

 時刻は既に、八時五十分に差し掛かろうとしていた。学校が九時過ぎからだとすると、遅刻寸前の危ない時間だ。

 現時刻を把握した圭一は案の定、慌て出す。

 

 

「や、やっべぇ!? あ、あの、山田さん上田先生、俺、もう行きますね!?」

 

「あ、圭一さん!! 魅音さんに、あの事を伝えといてくださいね!」

 

「伝えるに決まってんじゃないっすか!」

 

 

 教材の入った鞄を抱え、大慌てで圭一は走り去って行った。

 

 

 

 

 後に残された二人。上田はさっき山田が言った「あの事」について質問する。

 

 

「……あの事? それだけじゃ、無いのか?」

 

「……上田さん。もう一つ大事な話があるんですけど……絶対に、誰にも言わないって約束してください」

 

「なんだ急に」

 

「良いから……約束出来ます?」

 

「かったるいな……」

 

 

 上田は手をピョコッと上げ、宣誓。

 

 

 

「日本科技大の教授であり、天っ才物理学者の上田次郎は、ド貧乳の相棒山田奈緒子の話を誰にも話さないと、約束するのだった」

 

「なんであらすじみたいに言うんだ……誰が貧乳だコラァ!?」

 

「ツッコミ遅いな」

 

「……まぁ。上田さんはそこんとこ、信用出来ますし」

 

「だろ?」

 

「現状、誰に何を言っても狼少年になりそうですし」

 

「人を嘘つきみたいに言いやがって……」

 

 

 ともあれ三億円強奪の宣言と、魅音との約束の通り、昨夜彼女から託された「お願い」と鬼隠しについてを歩きながら話し始める。

 

 とりあえず聞いた事は、包み隠さずそのまま彼に伝えた。

 歩きながら話しを続け、古手神社前の階段下まで戻ったところで、魅音から聞いた「鬼隠しの被害者」についての情報を共有する。

 

 

 

 

「……なんだと!?」

 

「殺されたのは当時、ダム建設に賛成していた『沙都子さんの親族たち』と、中立派だった『梨花さんの両親』なんです」

 

「それじゃ、あの二人……同一犯に親を殺されたかもしれないのか!?」

 

 

 上田の語気荒い口振りから、あからさまな怒りが滲んでいた。彼は何だかんだ言って、人並みに正義感は持っている。

 

 

「だとすれば……酷過ぎる」

 

「同一犯なのかはまだ断定出来ませんが……一年目、一九八◯年は沙都子さんのご両親。旅行先で、崖から転落したとか。旦那さんの遺体は見つかりましたが、奥さんは今も未発見だそうです」

 

「……それだけなら不幸な事故としか言えないか……二年目のは?」

 

「古手夫婦の怪死と失踪……旦那さんが心臓発作で倒れ、その後に奥さんが後追い自殺をしたとか……ただ、奥さんの死体は発見されていないそうです……」

 

「……一方が消え、一方が死体……図書館の爺さんが言っていた、『オヤシロ様の祟り』まんまじゃないか」

 

 

 山田は続けて、三年目である一九八二年の事件についても共有をする。

 

 

「……三年目の被害者は、沙都子さんを引き取った親族の女性と……一緒に引き取られた、沙都子さんのお兄さんです」

 

「兄貴がいたのか……」

 

「そのお兄さんが行方不明になって……死体で見つかったのは、沙都子さんの叔父夫婦の奥さん……撲殺だそうです」

 

「明確な殺人事件はそれだけか……しかしまた一人が消えて、一人が死んでいる……」

 

「どれも、六月十九日……綿流しの日に発生しているとか」

 

「……偶然にしては出来過ぎだ」

 

 

 上田も、綿流しに起こる不可解な事件は聞かされていた。しかしまさか、今朝朝食を共にしたあの二人の親類ばかりだとは思わなかった。

 

 両親に親戚や兄弟が突然消えて、その傷が癒えるに三年は短過ぎる。それなのに二人はその過去を打ち明けず、明るく接していた。

 その事実と二人の心遣いに思わず胸が苦しくなり、上田は俯く。そしてまた山田も同じ胸中だった。

 

 

「……上田さんは、どうお考えですか? 村の人は、『オヤシロ様の祟り』だと……」

 

「……ダム建設に受容的な人々の死に失踪……何らかの陰謀があるに決まっているだろ」

 

「……上田さん。もしかしてですけど……今年の綿流しは……あの二人が……」

 

「…………」

 

 

 山田が呟いたその、不吉な想像。

 それは、古手梨花と北条沙都子の死と消失。あまりにも残酷だが、今までの流れを考えればあり得る予測だ。

 

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 二人が見上げると、古手神社の、苔が生えかかった、石造りの鳥居が見下ろしていた。

 堂々と立ち、村を俯瞰し、でも何も出来ない傍観者。

 

 そんな己を鳥居が嘆くかのように、蝉鳴が辺りに響き渡る。

 

 

 

 

 

「……帰宅は延期だ」

 

「上田さんなら言うと思いました」

 

「俺たちが守るぞ」

 

「ええ……必ず、鬼隠しを暴いてみせます」

 

 

 日の光を浴び、色彩を増して行く鳥居と、上田と山田は視線を合わせた。

 決意からか、それとも日本人的な信仰心からか、二人は手を合わせて礼をする。

 

 

 

 

 

「手を叩け! それ以前に、二回お辞儀しろッ!!」

 

「この状況で言うか!?」

 

「お辞儀をするのだッ!!」

 

 

 どこかへ飛び去ったカラスを見てから、二人は別の話題へと移り変わる。

 

 

「それよりまずは……園崎家の三億円だな……しかしあの子、ヤクザの娘とはな……」

 

「何をするのか、分かった物ではありません。とりあえず園崎家に注意勧告しておくのが良いでしょう……話はそれからです」

 

「あぁ。まずは、ジオウのトリックだな」

 

「もっと詳しく説明しますね」

 

 

 ジオ・ウエキがやったカードの並べ方、切り方、印の方法まで、上田に伝えた山田。

 それを聞いた上田は最初、難しそうに眉を寄せていたものの、違和感に気付いて険しい表情となる。

 

 

「待て。その霊能力者は、カウントダウンで、カードに書かれた数字が一致するまで並べたんだな?」

 

「同じ要領で四列。十から一までにカードが一致しなかったら、残った山のカードを一枚加えてやり直していました。四列出来たら、置いたカードの最後と同じ数字の枚数だけ、山を作っていました」

 

「最初、お前が選んだカードはどうなっていた?」

 

「九枚から選ばされました。私が取ったら残りを纏めて、その纏めた上に置いて……更にその上に山を乗せました」

 

「……列を作る時、どうやっていた?」

 

「どうも何も、その一つにした山の上から一枚一枚です。同じ枚数の山を作る時も同様で……」

 

「……ハッ! なんて単純なんだ!!」

 

 

 険しい表情がパッと緩み、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

 説明がやり易いように手帳を出してそこに図を書きながら、山田に説明を始めた。

 

 

 

 

「良いか? 確か、最後に置かれたカードは左より、『五』『一』『八』『六』だったな?」

 

「はい」

 

「つまり並べたカードの枚数は……カウントダウンだからそれぞれ、『六枚』『十枚』『三枚』『五枚』」

 

「え? なんで五で六枚?」

 

「指で数えろ! 十からカウントダウンすると、五は『六番目』に来るだろ」

 

「ええと、十、九、八、七、六、五……ホントだ」

 

「まぁ、人間は『図』を重視するからな。後々、記憶を撹乱するにうってつけか」

 

 

 しかしそれがどうしたと言う表情。

 慌てるなと手で制しながら、上田は続ける。

 

 

「そして次は、最後に置いたカードと同じ枚数で山を作るんだろ?」

 

「そうです」

 

「そこが、このトリックのミソだったんだ。最後のカードの数字と同じ……つまり左から、『五枚』『一枚』『八枚』『六枚』……」

 

「…………ん?」

 

「そして列にしたカードの本来の枚数は、左から『六、十、三、五』……山を置いた枚数と足すと、全て『十一』になるだろ?」

 

「……あ! ホントだ!!」

 

 

 感心する山田に対し、上田は最後の謎解きに移る。

 

 

 

 

「カウントダウンで決めた数字は何であれ、必ず十一になるように仕組まれていた。例え全ての列が二枚だけだとしても、カードの数字は『九』だからその枚数だけ山を作る事になる。だからどうやっても、十一になるんだ」

 

「じゃあ四列全て足したら、四十四……」

 

「そして選んだカードは最初、九枚から選んだろ? それを、束ねた八枚の上に置き、元の山の下に置くと……君の選んだカードは絶対、『上から四十四番目』に置かれる事になる」

 

「……あ、なるほど!」

 

「ああ、そうだ! 印だの何だのはただの騙くらかしだ! 重要なのは、怪しまれずに手元の山から四十四枚のカードを抜く事にある。そうなれば! 君の選んだ『四十四番目のカード』は必ず、上から抜いていけば『四列目の山の上』に来る仕組みだったんだ!」

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 上田はメモ帳をペンで叩きながら、結論付けた。

 

 

「印やら何やらは、ただの騙くらかし……」

 

「これは確かにタネも仕掛けも必要ない……が、結局ただの数学的な手品だ」

 

 

 昨日、山田が披露したマジックと少し似ていた面がある。

 置いた場所さえ分かれば、後はそれが必ずやって来るように導くもの。やはりジオ・ウエキの超能力はインチキだと証明された。

 

 

 

 

「カードの仕掛けは分かりました。でも、液体を止めた方法と、メモ帳の文字を読み取った方法が分かりません……」

 

「それは俺にも、まだ分からん……しかし、カードの超能力が、ただのマジックと判明した今……そのジオウの霊能力には全て、トリックがあると分かったような物だ」

 

「多分、カードの事を言ったとしても……その二つが解けていないと言われたらぐうの音も出ませんね……全て解かなくちゃ」

 

「焦るな。君の話だと、綿流しまでにだろ? まだ九日もある……それに。一連の事件はジオウが指示した可能性も見えて来たな」

 

「何とか、あいつの出鼻挫いてやりますよ!」

 

 

 

 二人は再び、歩き出した。

 

 

「それで……これからどうしましょ」

 

「放課後まで暇だな……しかしな。十二時から『哲!この部屋』がやるんだよ……見たい」

 

「それなら、私の家に行きます?」

 

「……なに? い、家?」

 

 

 唖然とする上田。

 

 

「雛じぇねを解散させてくれるなら、綿流しまで自由に使ってくれって、魅音さんが家を与えてくれたんですよ」

 

「…………は?」

 

「お菓子とテレビもありますし。えへへへへへ!」

 

「お前……そんな、美味しい思いしていやがったのか!?」

 

「上田さんが先にどっか行ったのが悪いんじゃないですか」

 

「………………ぐうの音も出ない」

 

 

 二人は一旦、園崎家の別宅に向かって歩き出した。

 陽はまだ、昇ったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に辿り着き、遅刻の事で知恵先生からお説教を食らった後、圭一は急いで魅音の元へと向かった。

 

 

「魅音!」

 

「あるぇ〜? めちゃくちゃ遅かったじゃん。もしかして知恵先生に絞られてたの?」

 

「い、今良いだろンなこと!……山田さんから、魅音に言っといてくれって、話が……」

 

 

 山田からと聞き、ピクリと瞼が震えた。まさか話しちゃったのかと思ったが、杞憂のようだ。

 

 

「実は朝に……山田さんが、雛じぇねのリーダーの超能力を暴くって言う所に遭ってさ……」

 

 

 圭一の話し口から、自分を責めるような雰囲気は感じられない。

 山田は約束通り鬼隠しの事を話していないようだし、寧ろ彼女が早々にジオ・ウエキと接触した事は吉報だ。

 

 

「へ、へぇ! 山田さんがねぇ!」

 

「俺も見たけどさぁ……カードを当てたり、液体を止めたり、心を読んだり……ま、マジに霊能力かもって……!」

 

「落ち着きなよ圭ちゃん! 霊能力とか無い無い!」

 

 

 その点については、魅音は山田らを信じている。

 今は霊能力だとかの話よりも、圭一が言いたいのは例の件だ。

 

 

「それより魅音! 落ち着いて聞いてくれ……!」

 

「…………どうしたの?」

 

「……そのジオ・ウエキが……お前の家から、三億円を盗るって言ったんだ……!」

 

 

 魅音の表情が、険しくなった。

 今の彼女は圭一の友人としてではなく、「園崎の人間」として聞いている。

 

 

「……分かった、圭ちゃん。こっちも婆っちゃとかに話しておくから」

 

「な、なぁ……大丈夫かよ?」

 

「大丈夫だって! おじさんの家、天下の園崎だよぉ? 完全に要塞だから! ネズミ一匹入れないからさ!」

 

「ゴキブリ出たって言ってなかったか?」

 

「アレはどう頑張っても無理だわ」

 

 

 すぐにいつもの、「クラスメイトとしての魅音」に戻った。

 まだ学校だし、圭一も動揺している。無闇に話を重くしても仕方がないと判断したからだ。

 

 

 

「それで……ジオ・ウエキって、それ以外に……何か言ってた?」

 

 

 鬼隠しや綿流しの事件について、圭一に溢してやしないかと、これとなしに聞く。

 遠回しに聞いた彼女の質問だが、彼は普段通りの様子で答えた。

 

 

「いいや。なんか、タマシーは時代を超えるとか、鬼の生まれ変わりだとか、危ねー事言ってたけど」

 

「そ、そうか。ふーん」

 

 

 単なるあいつの戯言かと、ホッと一息吐く。

 

 

 

 だが直後、圭一が尋ねた一言によって、安心はまた霧散してしまう。

 

 

 

「……なぁ。魅音……レナもだけどさ……なんか、隠してねぇか?」

 

「……!?」

 

「ほら、昨日言ってた、鬼隠しとか! 何か、あるんだろ?」

 

 

 どう嘘を吐くか、どう鎮めるか、どう話題を逸らすか。

 そんな急な事を、魅音はパッと思い付けなかった。

 

 

 

 

「…………無いよ。本当、本当だから」

 

 

 精一杯気持ちを抑え込み、それだけ言い切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『おおい! 来ないなんてあんまりだろーっ!』

 

 

『哲!この部屋』が終わり、ご満悦の上田。

 二人は園崎から当てられた離れにいた。

 

 

「哲さん若かったなぁ……これが伝説のドタキャン事件……!」

 

「ぐぉー……かぁー……」

 

「……寝てやがる」

 

 

 涅槃姿でイビキをかいて眠る山田が隣に。

 だらしない姿に呆れ果てながらも、ここから暇な事は確かだ。

 

 

「……思えば。殺人を防いでも、この村は滅ぶんだったな……」

 

 

 とは言うが、この村からは滅ぼした原因である火山性ガスや火山の気配は感じない。

 尤も、自然現象とは人間の想定の外からやって来たりもする為、一概に断定は出来ない。

 

 

「しかし村人全滅と言うのは怪しいな……見たところこの村は高台が多いし、ガスが蔓延しても被害を受けない場所があっても良いハズだが……」

 

 

 鞄を開き、現代で借り入れた雛見沢村の概説本を取り出した。

 村全体の地図が載っており、地理情報は把握出来る。

 

 

 

 

「……『ニオス湖』のような事もあるのか……」

 

 

 雛見沢村は渓谷に位置している村。

 その渓谷を作った水源は山奥にある、『鬼ヶ淵沼』と呼ばれる沼だそうだ。

 

 

 

 

 運動がてら、そこを見に行くのも良いと考え、上田は立ち上がる。

 寝ている山田が寝言を言った。

 

 

「むにゃ……消臭力と長州力が一つに……」

 

「どんな夢見てんだ……」

 

 

 革靴から、あらかじめ持って来ていたスニーカーに履き替え、資料を入れた肩掛け鞄と共に、鬼ヶ淵へと歩き出した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

山歩き

 家を出た上田は地図を頼りにしつつ、鬼ヶ淵沼までの山林道を進む。

 沼まで続く小川を遡るようにして辿るが、途中から傾斜も急になり、意外と体力を使う。

 

 

「鍛えていて良かったなぁ……しかし良い自然だ。毎朝のハイキングコースにでもしてみるか……」

 

 

 夏場と言う事もあり、汗が滝のように流れる。首に巻いたタオルで拭きながら、時折走る風を浴びて涼みつつ歩き続ける。

 

 

 風が木々を揺らし、絶え間ない蝉時雨。

 だがその自然の音の隙間から、場違いな機械音が聞こえる。カメラのシャッター音のようだ。

 

 

「お〜い! 誰かいるんですかぁー!?」

 

 

 上田の呼び掛けに応じるように音は止み、数メートル離れた岩の陰からひょっこりと人影が現れる。

 

 

 

 

「どうもー! あなたも自然観察ですか?」

 

 

 そう叫びながら駆け寄って来たのは、緑の帽子とタンクトップ姿の爽やかな男だった。

 首からぶら下げている一眼レフからして、彼が音を鳴らしていた者だろう。

 

 相手が人当たりの良い男だと感じた上田は、和やかな笑みで言葉を返す。

 

 

「まぁ、そうですね。私の場合はフィールドワークも兼ねていますがね?」

 

「フィールドワーク……へぇ! じゃあ、学者さんですか?」

 

「私、日本科技大の上田次郎と申します」

 

 

 上田が自己紹介をした途端、男は笑い出す。

 

 

「次郎!? ははっ! これは奇遇だ!」

 

「奇遇?」

 

「僕はフリーのカメラマンの、『富竹ジロウ』です」

 

「はははは! あなたも、『ジロウ』!? 確かに奇遇だぁ!」

 

 

 名前の一致に、今度は上田も笑った。

 こうした共通点により、二人は初対面ながら一気に距離を縮めた。

 

 

 

 

 

 仲が深まったところで二人は行動を共にし、一緒に渓流を歩いて鬼ヶ淵沼まで目指す事にした。

 道すがら、富竹は上田に尋ねる。

 

 

「フィールドワークと言うのは?」

 

「単純な地質調査ですよ。休火山の存在はないか、崖の風化の度合いはどうかとか」

 

「いつまで滞在予定で?」

 

「んまぁ〜……とりあえず、綿流しの後までですかね?」

 

「大学の教授なんですよね? 講義は大丈夫なんですか?」

 

 

 帰る手立てはまだ考えていないが、だからって「未来から来たので」とも言えまい。とりあえず、それらしい事を言って誤魔化しておく。

 

 

「えー……論文の研究の為と言う体で来てますので、大学側から許可は貰ってますとも。休んだ分は後日、補講と言う事で帳尻は合わせますので……生徒たちには悪いですがね? はっはっは!」

 

「いやぁ、自由で良いですねぇ。羨ましい!」

 

「カメラマンと言うからには、やはり個展用に?」

 

 

 上田の問い返しに、富竹は少し恥ずかしそうに頭を掻く。

 

 

「まぁ、そうですね。言っても全然無名ですから、鳴かず飛ばずですが。その点だけ言いましたら僕も至って自由ですよ!」

 

「いやいや何を〜! ここを撮りに来るなんて、なかなかのセンスだと私は思いますがねぇ?」

 

「いやいや! 上田教授こそ! 自分の足で調査を行うなんて、学者の鑑ですよ!」

 

「いやいや富竹くんこそ〜」

 

「いやいや上田教授こそ〜」

 

「「えへへへへへへ!!」」

 

 

 男二人の気持ち悪い笑い声が、清流のせせらぎと共に森へ響き渡る。

 

 

 暫く道なりに進んでいた二人だが、不意に富竹が足を止めた。

 そこは少し高い崖の上で、真下を覗くと底が見えないほど深い淵があった。

 

 

「あ。ここですね」

 

「ここ? 何があるんです?」

 

「良い釣りのスポットなんですよ。去年もここでフナ釣りしました!」

 

「フナかぁ……塩焼きにしたら美味いだろうなぁ」

 

「上田教授は釣りとかなさるんですか?」

 

 

 高らかに笑い、胸を張る上田。

 

 

「日本のみならず、海外の釣りスポットへ馳せ参じる位には釣り好きですよぉ?」

 

「海外の! どこ行ったんですか?」

 

「あれはカナダでしたねぇ。カナダ中西部サスカチュワン州の北部にある、年間十四万人が釣りに来るスポットなんですよ」

 

「カナダかぁ……自然王国で、僕も行ってみたいですよ……なんて所なんですか?」

 

 

 上田はねっとりと、そのスポットの名前を教えてあげた。

 

 

 

 

 

「……『オマン湖』」

 

「……お、オマン湖……!?」

 

「そう……オマン湖……」

 

「オマン湖……!!」

 

「オマン湖で……フィッシング……」

 

「オマン湖でフィッシング……!?」

 

「……キャッチアンドリリース……」

 

「キャッチアンドリリース……!?」

 

「オマン湖で、フィッシング、キャッチアンド……リリース」

 

「オマン湖でキャッチ……イテッ、イテテテッ! イテテテテテッ!!」

 

「そう。オマン湖でフィッシ……イテッ! イテテッ! イテテテテテテッ!!」

 

「「イテテテテテテテッ!!」」

 

 

 崖に立ちながら両手で股間を押さえ、悶える男二人の穢らわしい声がせせらぎと混じる。

 

 

 

 途端バチでも当たったのか、富竹の立っていた場所が崩れた。

 

 

「う、うおッ!?」

 

「あっ!?」

 

 

 姿勢が乱され、富竹は踏ん張り切らずに崖から川へ落ちかける。

 

 

「うわぁぁ!?」

 

「掴まれぇ!!」

 

 

 手を伸ばす上田だが、僅かに届かなかった。

 

 

 

 

「うあっ!!」

 

「おうッ!?!?!?」

 

 

 だがギリギリ、先ほどの猥談によって屹立した「上田の立派な大きな根っこ」が届いた。

 富竹は思わずそれを強く掴む。

 

 

「う、上田教授ぅぅ!!」

 

「掴まってろおおぅ!?……あーっ!? アアアアアっ!!??」

 

「た、助かった!? 助か……あっ!?!? 萎びてる!?」

 

「今、引き上げ……アーッ!!!!」

 

「うおうおうお!? ゆ、揺れ……あーっ!?」

 

「「あーっ!! アアアアーーッ!!!!」」

 

 

 

 無事、富竹は引き上げられ、二人は崖の上でへたり込む。

 

 

「あ、ありがとうございます……! 命の恩人ですよ……!」

 

「いや、良いんですよ。お互い、自然の厳しさを学べたんですから」

 

 

 そのまま渓流を道なりに進むと、とうとう開けた場所に出た。

 

 

 

 

 

 川の流れで泡立っていた白波は突如と消え、深い緑の凪の湖が現れる。

 崖に囲まれ、木々が立ち並び、群青の空と相まって壮麗な空気を醸していた。

 

 湖沿いの崖からクタリと枯れ木が、寄り掛かかるように倒れている。

 ここが雛見沢村の源、「鬼ヶ淵沼」だ。

 

 

「ここですか。鬼ヶ淵沼と言うのは」

 

 

 観察する上田へ、富竹はカメラを弄りながら話を一つしてくれた。

 

 

「沼から湧いた水が川となり、谷を切り拓いたんです。まさに村のルーツとも言える場所で、明治時代まで雛見沢は『鬼ヶ淵村』と呼ばれていたそうです」

 

「なるほど……昔から湖だとかの水場は、神の住まう場所として信仰されていた。『諏訪湖』は言わずもがな、山梨県の『山名湖』の水は霊水と崇められ、滋賀県の『琵琶湖』にも、浅瀬に古代の遺跡が発見されている。水は飲んだり、作物を育てたりと、豊穣と生命の象徴でしたからね」

 

「おぉ、さすがは上田教授……勉強になります!」

 

「分野は物理学ですが、日本人であるからには日本の風土を調べるのもまた一興です。はっはっは!」

 

 

 富竹は沼沿いを歩いて、写真映えのする地点を探している。

 その間上田は沼全体を見渡し、火山の気配などを調べた。

 

 

「ふ〜む……百聞は一見に如かずだな。火口湖にしては浅め……古手神社が高台にある辺り、恐らくは縄文海進による海跡湖。火山ガスはおろか、マグマ溜まりも存在しないだろうなぁ……つまり、ガス災害の可能性はほぼ無い……こんなの、地質学者が見たら一発だろうに……?」

 

 

 ブツブツ呟きつつ分析をしながら、鬼ヶ淵沼の視察を続ける上田。

 彼なら少し離れた地点まで歩いていた富竹は、大きく呼び掛けて手を振る。

 

 

「上田教授ーっ!」

 

「ん?」

 

「撮りますよーっ! 富竹フラッシュ!!」

 

 

 カメラを構えたので、咄嗟に上田は顎に指を当てて気障なポーズを取る。

 すぐにカシャっとシャッター音が鳴り、撮影完了。

 

 

「現像出来ましたら差し上げますね」

 

「いいですねぇ! 是非、私の次出す本の表紙を撮影していただきたい!」

 

「本も出版されているんですか?」

 

「何冊かは……そうだ! 一冊、私の代表作を差し上げますよ!」

 

 

 上田から富竹に近付き、鞄から自著「どんと来い超常現象」を取り出す。

 

 

「どんと来い……超常現象?」

 

「この世に起こる事は全て、科学で証明出来ます! 私は過去、様々な霊能力者と相(まみ)え、そのインチキを暴いて来ました! それらを克明に書き記したのが、この本です!」

 

「……………」

 

「富竹さんも、私の考えに賛同していただけますか?」

 

「……確かに」

 

 

 本を受け取りながら、彼は微笑んだ。

 

 

「僕も超常現象ってのは否定派なんですよ」

 

「はは! さすがは同じ、『ジロウの名を冠する者』! 感性も同じだッ!」

 

「それで一つ、上田教授にお聞きしたいのですが」

 

「……ん?」

 

 

 富竹は上田から身体を逸らすと、一度、二度と鬼ヶ淵沼に向かって一眼レフのレンズを向ける。

 静寂な沼の中、無機質なシャッター音が何度も鳴る。その合間を繋ぐような、富竹は語り始めた。

 

 

「この鬼ヶ淵沼……ある人に聞きましてね……そのある人ってのがとんと性格の悪い人で……各地の不気味な伝承を話して怖がらせるのが趣味な人なんですが」

 

「稲川淳二かな?」

 

「……昔。鬼ヶ淵沼は、『オヤシロ様』の宿る場所として、神前の儀式が行われていたらしいですよ」

 

 

 一度シャッターボタンから指を離し、ダイヤルを回して視度や露出を調整する。

 その最中の富竹の横顔は、どこかやるせなさがあった。

 

 

 

 

「……なんでも。『生贄』がここに、捧げられたとか?」

 

「…………生贄?」

 

 

 思わず膠着する上田。

 風が草を揺らす中で、富竹はまたシャッターを切る。

 

 

「ここは活断層が近いですし、地震も多い。豪雨になれば川は氾濫し、村は大洪水……その度に人々は『オヤシロ様の祟り』と信じて、怒りを鎮める為、村の女性を捧げたとか何とか」

 

「……はっ! 何とも浅ましい! まぁ、現代日本に於いて生贄なんざ時代遅れですよ! 地震になれば地盤補強、洪水になれば堤防、水不足になればダム! 科学最高ッ!」

 

「……その捧げられた女性と言うのは、『古手家の巫女』だそうで」

 

 

 それを聞いた上田は目を剥いた。

 富竹はシャッターを押すのを止める。

 

 

 

 

「古来の伝承。古手家の跡取り娘は『オヤシロ様の生まれ変わり』とされた」

 

「…………!」

 

「……人間の肉体からオヤシロ様を解き放つ為に身を捧げる」

 

「……それは……」

 

「上田教授は、二年前の『鬼隠し』と呼ばれる事件はご存知ですよね」

 

「確か、古手神社の……」

 

「神主さんが病死、奥さんが行方不明……嫌な事件でしたねぇ」

 

 

 カメラのレンズから目を離し、再び上田へ視線を合わせた。

 

 

 

 

「その奥さんは古手家の跡取り娘さんで……ここに身を捧げたらしいですよ?」

 

 

 

 

 

 何も言えずに固まる上田の手前で、次に見せた富竹の表情は、悪戯に成功したと言わんばかりの笑みだった。

 

 

「……噂ですけどね!」

 

「な、なんだ! やめてくださいよ!」

 

「確かに不気味な事件ですけど……上田教授は解き明かせたり出来ますか?」

 

「探偵ではないんで、憶測ですが……旦那さんが死んだショックで気が動転し、古手家の娘さんとあっては信仰心も厚かったでしょう……オヤシロ様の存在を確信し、後追い自殺をしてしまうと言うのはあり得る話ですか。ここはオヤシロ様信仰の中心地でもありますし、飛び込む場所としてうってつけでしょう」

 

 

 自分で言っておきながらなんて残酷なんだと身を震わせる。脳裏に梨花と沙都子が浮かんでしょうがない。

 

 

「……しかし確か……死体は見つかっていないんでしょう? だとすればもう一つ、可能性はあります」

 

「……自殺に見せかけた殺人で、誰かが遺体を隠したと?」

 

「古手家はダム建設には中立だったらしいじゃないですか」

 

 

 富竹は無理やり話を切らせようとするかのように、高笑いをあげた、

 

 

「……ははは! この話は村では出来ないですね! オフレコって事にしときますか」

 

「……私も、村に狂った暗殺者がいるなんて……信じたくはないですがね」

 

 

 二人はもう一度だけ鬼ヶ淵沼を眺めた。

 澄んでいる訳ではなく、濃緑色に濁った水面を覗いた。

 

 

 見入ればどこまでも飲まれ、沈んでしまいそうだ。それがまた不気味に思い、上田だけはつい目を逸らした。

 対して富竹は、最後に一度だけシャッターを切った。

 

 

 

 

「……帰りますか?」

 

「ええ。調査は終えましたんで」

 

 

 二人は来た道を戻り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道、また同じ崖から富竹が落ちかけたので、上田のモノで助ける。

 

 

「上田教授ーっ!! うわぁぁ!!」

 

「掴まれぇおおう!? あーっ!! おううううっ!?!?」

 

「落ち、落ち……あーっ! あーっ!!」

 

「「あーっ!! アアアーーッ!!」」

 

 

 再び崖の上でへたり込む二人。富竹はまた助けてくれた上田に感謝をする。

 

 

「に、二度も助けられましたね……!」

 

「いやなに……自然って言うのは予想外の連続ですよ……えぇ……」

 

「是非この御恩、お返ししたいですね……」

 

「それはまたいずれ……」

 

 

 村が見えて来た所で二人は別れた。

 気付けば真上にあった太陽は、西に向かって下り始めている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅー……ぐぉー……」

 

「オイいつまで寝てんだ! こんの寝太郎めッ!」

 

「ふにゃっ?」

 

 

 障子に頭を突っ込んでいた山田を叩き起こし、子どもたちとの約束通り放課後の学校へと出かける。

 

 

 

 

 

 道すがら、寝ている間に出掛けていたであろう上田にどこへ行っていたのかを山田は尋ねる。

 

 

「上田さん、どっか散歩してたんですか?」

 

「ああ。渓谷の方にある、鬼ヶ淵沼って所に」

 

「ガスが発生した所でしたっけ?」

 

「そうだが、俺が確認した限りでは火山の気配はなかった。だからと言って他にガスの発生源は思い付けないなぁ」

 

「そうだったんですか……尚更、謎ですねぇ……オカルトに片足を突っ込んでる気分……」

 

「だが思ったより綺麗な場所だったよ。行って良かったなぁ……男の友情も深められたし」

 

 

 誰かといたような口振りだなと山田は気付く。

 

 

「一人じゃなかったんですか」

 

「村外から来たカメラマンと仲良くなった……聞いて驚け! 名前が俺と同じ、ジロウなんだ!」

 

「それはまた奇遇でしたね……」

 

「さすがはジロウの名を冠す者……俺と同じ、筋肉モリモリマッチョマンの天才だ! まぁ少し腹は出ていたがな。次会ったら、俺の考案したロングブレヌダイエットを教えてやるか」

 

「全然痩せないって苦情来た、あの?」

 

「黙れッ! あれはやり方を間違えている奴らからの苦情だッ!」

 

 

 ピシャリと叱ってから、上田は続ける。

 

 

「まぁ、そのジロウさん、今度会ったらお前にも紹介してやろう。俺にも恩があるし」

 

「恩ですか?」

 

「あぁ……話せば長くなるが、崖から落ちた彼を俺は華麗に駆け寄りそして──おおう!? 知恵先生ッ!!」

 

 

 校庭で知恵先生と再会し、山田そっちのけで目から星をキラキラ飛ばながら華麗に駆け寄った。

 

 

「こんにちは知恵先生っ!! どうでした?『上田次郎の新世界』!」

 

「大変、参考になりました! 物理学者なのに、こんな細かく日本の風土を調べられて……尊敬します!」

 

「またじっくり話しませんか? それについては隣町のホテルで、朝まで語りま」

 

「そぉいっ!!」

 

 

 山田は近くにあった箒で上田をぶん殴った。

 

 

 

 

 

 

 

 校内の廊下を歩く二人。部外者だが簡単に入れて貰えた辺りは、田舎らしい緩さと言うべきだろう。

 上田は殴られて痛む頭を摩りながら、不安そうに呟いた。

 

 

「しかし罰ゲームか……なにされるのやら……」

 

「子どもの考える事ですよ。そんな怖がる必要ないんじゃないですか?」

 

「子どもだからこそ恐ろしい! それに俺は、もうあいつらを子どもとして見ないぞ……!」

 

「そんな大袈裟…………でもないのか」

 

 

 思い返せば部活メンバーの面子が濃ゆいと気付く。

 

 

 魅音はヤクザの次期頭首。

 レナは二人の知る限りじゃ、金属バットで生徒を殴った危ない人。

 沙都子は上田の話では、ゲリラ兵が作るようなトラップを仕掛けられる罠師。

 梨花は言動と思考が年不相応な、パワフル不思議っ娘。

 

 

 年相応な人物と言ったら、もしかしたら圭一しかいないのではないか。

 

 

「どうなってんだこの村、濃過ぎだろ……学園モノの漫画か?」

 

「俺の児童期でもこんな濃い奴らはいなかったぞ」

 

「まぁ……覚悟した方が良いかもですね」

 

「指詰められるのだろうか……」

 

「博打で負けた訳じゃないんですから……」

 

 

 廊下を進むと、突き当たりで見知った人物と再会する。

 二人にとっては全ての始まりとも言える存在、竜宮礼奈──レナだ。

 

 

「あっ! 山田さんに上田せんせー! 昨日ぶりですね!」

 

「うおおおおう!?」

 

 

 動揺を隠さない上田に、山田は肝を冷やす。

 だがレナは上田の動揺を、いきなり現れた自分にビックリしたのだ解釈してくれたようだ。

 

 

「上田せんせーってば! ちょっとレナが出てきただけで……驚き屋さんなんですね!」

 

「……ん、まぁ。今のは不意を突かれただけだ。俺に基本、死角はないッ!」

 

「はぅ! 強がる上田せんせーかあいいよぉ!」

 

「待て。デジャブが」

 

「お待ち帰りぃ〜!」

 

「アウチッ!?」

 

「……死角取られてどーする上田!」

 

 

 レナが上田を掴んだ瞬間、昨日ぶりに消失した。

 今度は探す事はせず、呆れたように首を振るだけの山田。

 

 

「何やってんだあの二人……」

 

「あるぇー? レナどこ行った……あ! 山田さん!」

 

「……あっ! 魅音さん!」

 

 

 続いて現れたのは魅音だ。すぐに山田は彼女に駆け寄り、ジオ・ウエキの件に対する確認を取った。

 

 

「圭一さんから話は……!?」

 

 

 魅音は対して危機感はないようで、笑い飛ばして言った。

 

 

「聞いたよ! 明後日、ウチから三億円を盗りに行くってのでしょ? ふはは! 上等じゃん! 取っ捕まえて『ケジメ』付けさせてやるさ!」

 

「やっぱヤクザだ……」

 

「そうなったらもう、もしかしたら山田さんの出る幕はないかもね。まぁ、綿流しまでは離れ使って構わないから」

 

「それは助かります……あ、あの〜……その場合でも金封は」

 

「無いよ?」

 

「ですよね」

 

 

 

 魅音の後から次々と、残りのメンバーががやって来る。

 暗い顔をした圭一を、逃げないように梨花と沙都子が両サイドから捕らえて連行していた。どうやら罰ゲームから逃れようとした彼を捕縛したようだ。

 

 

「あらっ! 山田さん昨日ぶりですわ!」

 

「上田より何倍も凄い山田なのです」

 

『聞こえてるぞーっ!!』

 

 

 連行されている圭一はしょんぼりと項垂れている。

 

 

「うぅ……なんであそこに罠があったんだ……!!」

 

「圭一さんは行動パターンが単純ですもの! 席から一番近い窓から逃げるなんてすぐに分かりましたわ! を〜っほっほっほ!」

 

「くっそぉぉ……! もう一つ隣の窓から逃げりゃ良かった……!」

 

 

 

 良く見れば圭一は後ろ手に手首を縄で縛られ、沙都子に手綱を握られている。

 

 

 途端に朗らかだった様子から一転し、不安そうな顔付きで山田に小声で話しかける魅音。

 

 

「………あの、山田さん」

 

「分かってますよ。魅音さん……大丈夫です」

 

 

 圭一へは鬼隠しの事は話すつもりはないと、改めて伝えておく。

 

 思えばこの面子の中、圭一が年相応な少年でいられているのは、知らなくても良い事を知らずにいられているからだろうか。

 

 

 

 

 部室に入るとレナと上田は先に着席しており、「いっせーの」をしていた。

 

 

「いっせっせーのっ! さんっ!」

 

「ぬぅ!?」

 

 

 丁度、上田が負けて終わったところだ。

 

 

 魅音が「はいはーい!」と部活の開始を告げたところで、圭一の縄は解かれる。

 痛そうに手を振る彼にこっそり近付き、山田はマジックを一つを教えてあげた。

 

 

「圭一さん。手首を縛られる時、こうしてましたね?」

 

 

 握った指と指を付ける形で、両手を合わせて見せ付けた。

 

 

「え? そ、そうっすけど……」

 

「こうした状態で縛られると、手の平を閉じた時に隙間が出来て縄抜け出来ますよ」

 

 

 そう言いながら山田は、握った指を上へ向けるようにしてを手首を開く。

 

 

「へ!?」

 

 

 手を開いて、また閉じるを繰り返している内に原理を理解したようだ。

 開いている際の手首の横幅の分、閉じた時に余剰を作り、縄を緩ませると言ったものだ。

 

 

「これで次から逃げられますね」

 

「……ほぉお……!……山田さん……あなたを、師匠って呼んで良いっすか……!?」

 

「……まぁ、何とでも……」

 

 

 変に懐かれたなと困り果てながら、圭一から浴びせられる憧れの眼差しを前に、顔を背けて見えないところで苦笑いをする。

 

 

「……師匠、素敵……」

 

「星を飛ばすな」

 

 

 圭一の目から山田に向かって、キラキラ星が飛ばされた。




一般的に火口湖は、空になったマグマ溜まりに水が入り込んだ物の為深いらしいです。
また規模が大きい物は 地震でズレた断層に水が溜まった断層湖と呼ばれ、これによって出来たのが諏訪湖、琵琶湖です。

ニオス湖の悲劇は、雛見沢大災害の元ネタらしいものです。ニオス湖は火口湖であり、水の底に火山ガスが充満していたのが、湖底爆発によりガスが噴出したのが原因らしいです(諸説あり)。

上田と富竹の「イテテテ」の下りは、「ピカルの定理」のとんこつくん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罰ゲーム

 暫くして経ってから圭一が、皆への話のタネとして、今朝見たジオ・ウエキとの一幕を語った。

 

 

「何となぁ!? 山田さんが選んだカードを的中させたり、缶を逆さまにしてもコーラが出なかったり、メモに書いた文字を当てたりしたんだよ!」

 

「ほ、本当に超能力者なのかな? かな!?」

 

 

 レナが山田を見つめて聞くが、その件についてはまず否定した。

 

 

「カード的中については明かしましたよ」

 

「ホントっすか!? 山田師匠が!?」

 

「はい」

 

「!?!?」

 

 

 明かしたのは俺だろと目を剥く上田を無視し、ジオ・ウエキのやったカードマジックを山田は解説込みで実践。魅音の選んだカードを的中させてみせた。

 圭一とレナは感心したように声を漏らす。

 

 

「全部十一枚だ……!」

 

「単純に見たら四十四枚抜くだけだね……」

 

 

 次に見抜いた山田に、梨花と沙都子が賞賛を送った。

 

 

「さすがは山田なのです! プロのマジシャンと言うのも伊達じゃないのです!」

 

「いやそれは俺が解い」

 

「こんなマジックを見抜けるだなんて……尊敬いたしますわ、山田さん」

 

「だから俺が」

 

 

 今度は魅音が話しかける。矢継ぎ早にメンバーが話すので、上田はなかなか口を挟めない。

 

 

「へぇ〜……これはおじさん、見破れんわ……でもやっぱ、こんなトリック使うって事は!?」

 

「えぇ……間違いなく、ジオ・ウエキに霊能力などない証拠ですよ。恐らく、残り二つの能力にも仕掛けがあるハズなんです」

 

「解いたのは俺で」

 

「山田には期待しているのですよ〜。オヤシロ様の遣いって嘘吐く人にお灸を据えて欲しいのです」

 

 

 上田の訴えは梨花の言葉に遮られ、次は全員の笑い声で掻き消された。

 これ以上はもう聞いて貰えないなと諦めた上田は、ぎろりと山田を忌々しげに睨む。

 

 

「……覚えてろよぉ……!」

 

「フッ……いつもの仕返しだ上田……」

 

「祟られろ!」

 

 

 

 

 ジオ・ウエキの話題で盛り上がる部活メンバーだが、本日のメインはそれではない。

 魅音は手を叩いて皆を注目させ、宣言する。

 

 

「はいはいはーい! そんな事より今日は上田先生と圭ちゃんの罰ゲームだよーっ!」

 

 

 

 目的を思い出したのか、罰ゲーム受ける側たる上田と圭一の表情は暗くなる。

 罰ゲームの常連である圭一はともかく、初めてである上田には魅音も安心させる為に声をかけてあげた。

 

 

「まぁまぁ! たかが罰ゲームなんだし、そこまで酷い事はしないからさぁ!」

 

「べ、別に俺はビビっている訳では……」

 

「そうだ。上田先生、おはぎ食べる? ウチの婆っちゃの特製なんだけど」

 

「おはぎ? 良いねぇ! 米は大好きなんだ! なんたって俺は、アベレージな日本人だからなぁ?」

 

 

 魅音から渡されたおはぎを嬉々として食べ、次に悶絶の声をあげる。

 

 

「ごっふぉ!? おっふぉ!?」

 

「上田先生ェ!? どうしたんすか!?」

 

 

 もがく上田と狼狽える圭一を見て、魅音は高笑い。

 

 

「あーっはははーっ!! 上田先生への罰ゲームは、『タバスコおはぎ』でしたーっ!!」

 

「うわぁ……えげつな……」

 

 

 山田はドン引きしたように、悪い顔の魅音を見やる。

 

 

 その足元で上田は、真っ赤に染まった口内を晒しながら悶え苦しんでいた。あまりの有様に圭一の血の気はサーっと引く。

 彼の不安を感じ取ったレナが優しく声をかけた。

 

 

「あ。圭一くんは大丈夫だよっ! 痛い事しないから! 夏らしくて楽しいと思うよっ!」

 

「そ、そうなのか」

 

「寧ろ…………うんっ!」

 

「……その不穏な間はなんだ……?」

 

「水ぅぅぅぅう!! 舌が焼けるぅぅぅうッ!!」

 

 

 もがく上田を見兼ねて、沙都子は魔法瓶を取り出してお茶を淹れてあげた。

 

 

「粗茶ですわ」

 

「た、たすか──お湯ぅぅぅう!! 渋ぅぅぅううッ!!!!」

 

「辛いお口にお湯は火に油なのです! にぱ〜っ☆!」

 

 

 今日も騒がしい部活メンバーと上田だが、魅音のみ窓から時折校庭の方を見て誰かを待っている様子。

 気付いた山田が彼女に尋ねた。

 

 

「誰か待っているんですか?」

 

「うん。圭ちゃんの罰ゲームを運んで来る人をねっ!」

 

「罰ゲームを……運ぶ?」

 

 

 暫くして、魅音は客人に気付き、窓を開けて手を振って呼んだ。

 山田もその方向に目を凝らすが、次にポカーンと口を開き、魅音と客人とへ目を行ったり来たりさせた。

 

 

「え? え!? もしかして、魅音さんって……!?」

 

「しょうゆぅこと〜!」

 

「は、はぁ〜……」

 

 

 こちらに向かって来ている、ボストンバッグを担いだ白いワンピース姿の人物。

 山田が驚いたのは、その人物の顔立ちが魅音と瓜二つだったところだ。

 

 

 どうやら魅音には、双子の姉妹がいるらしい。

 彼女に気付いた沙都子、レナ、梨花もまた窓から手を振って歓迎する。

 

 

「あ!『詩音さん』ですわ!」

 

「来た来た! 待ってましたぁー詩ぃちゃん!」

 

「久々の詩ぃなのです」

 

 

 魅音に対し、彼女の名前は「詩音」のようだ。

 後ろ髪を結んで快活そうな魅音とは違い、詩音の方は長い髪をそのまま流した、清楚で上品そうな雰囲気だ。

 同じ顔立ちでも、身に付ける物と髪でここまで変わるのかと山田は関心する。

 

 

 

 

「はろろ〜ん! お待たせー!」

 

 

 窓越しに手を振る詩音。

 最初は笑顔だったが、見慣れない二人を見かけてキョトンと目を丸くした。

 

 

「あれ? おねぇ、こちらの方は? 新任の先生?」

 

「違う違う。あっちにいる上田先生と一緒に、村の事を研究しに来た山田さん」

 

 

 魅音からの紹介を受けて、山田は会釈する。上田も倒れたまま片手だけ上げた。

 

 

「山田奈緒子です……ええと、おねぇって事は、詩音さんが妹さん?」

 

 

 その通りと、窓の向こうで首肯する詩音。

 

 

「そうなりますねっ! 私の方がお姉さんに見えます?」

 

「ちょ、し、詩音ったら……」

 

「それは思いました」

 

「山田さん!?」

 

 

 

 片割れをからかった後に、詩音は持って来たボストンバッグを窓から入れる。それを見て全てを察したのか、圭一の顔は青くなる。

 

 

「お前、絶対……絶対……それ……」

 

「ほいっと!」

 

 

 入り口から迂回するものと思っていたが、詩音は掛け声と共に、大胆にも窓を越えて室内に入った。

 お淑やかそうな口調と見た目だが、本質は魅音と変わらないようだ。

 

 驚く山田の隣に降り立つと、彼女は改めて自己紹介をした。

 

 

「ふぅっ! あ、はじめまして。魅音の双子の妹の、『園崎 詩音』です! 愚姉(ぐし)がお世話になってます!」

 

「愚姉なんて言葉初めて聞いたよ!!」

 

 

 あれだけ圭一や上田を手球に取っていた魅音だが、詩音には頭が上がらないようで振り回され気味だ。

 その横、沙都子はボストンバッグを開き、中身を覗いてから顔を顰めた。

 

 

「うわぁ……またまた際どい物を持って来ましたこと……監督がいたら『メイドの何たるか』とかで怒りそうですわね」

 

「うふふふふ! 圭ちゃんなら……多分、私より似合うんじゃないでしょうか?」

 

「やめろーっ!! 嫌だぁぁっ!!」

 

 

 辛抱堪らず逃走を図る圭一だが、それを魅音に羽交い締めにされ阻止される。

 そして沙都子がバッグから取り出したのは、改造されたメイド服だった。

 

 

 

 

 ミニスカ、ヘソ出し、リボンにネコミミカチューシャと、チョーカーまで。思わず山田はドン引きした声を出す。

 

 

「うっわ、際どっ!」

 

「お店に余っていた物を改造したんですよ。本日用の特別仕様!」

 

「これ着るのもうグラビアアイドルか何かでしょ……」

 

 

 少し圭一に同情する山田だが、どうする事も出来まい。

 言っている間に、もう圭一は魅音に引き摺られて別室へ連行されていた。

 

 

「はーい圭ちゃぁ〜ん? お隣で脱ぎ脱ぎしましょうねぇ〜?」

 

「はぅ! レナも手伝うーっ!」

 

「やめろぉぉぉ!! 死にたくないぃぃいい!!」

 

「嫌がる圭一くんもかあいいよぉ!」

 

 

 引き戸が閉められ、彼の断末魔の叫びが轟く。

 冷めた目で見送っていた山田だったが、上田がひょっこり、羨ましそうに耳打ちする。唇がタラコ並みに腫れていた。

 

 

「……あれは罰ゲームじゃなくてご褒美だッ!」

 

「何言ってんだお前」

 

「ところで……あの子は?」

 

「魅音さんの双子の妹さんで、詩音さんです」

 

「……双子かぁ……」

 

 

 少しだけ上田は、寂しげとも切なげともとれる表情を浮かべた。

 

 

「……? 双子に何か悪い思い出でもあるんですか?」

 

「あ、あぁ……まだ記憶がないのか……いや。双子には巡り合わせが悪くてな……」

 

 

 彼の脳裏に浮かぶのは、「二組のとある双子」。どちらも最悪の末路を辿った姉妹だったなと、遠い目で思い馳せる。

 そんな彼の元に近付き、詩音は丁重な姿勢でお辞儀をした。

 

 

「初めてまして! 園崎詩音です! 上田『先生』と呼ばれていらっしゃるので、学者さんか何かですか?」

 

「え?……あぁ、そうです! 私は天っ才」

 

「変態むっつり学者の上田なのです」

 

「黙ってろッ!!」

 

 

 横槍入れる梨花を黙らせながらも、詩音と挨拶を交わす上田。

 その内に着替えが済んだようで、圭一は改造メイド服に身を包んで室内に帰って来た。

 

 

 

 

「ぐう……こ、こ、こんな……!!」

 

 

 お腹に胸、下腹部と、曝ける所は全て曝したような危ないメイド服。それを着せられて、圭一は羞恥心で真っ赤になっていた。

 しかし部活メンバーは彼の姿を見て容赦なく、口々に品評する。

 

 

「似合ってる似合ってる!! お肌キレイだもんねー圭ちゃん? ホントは女の子じゃないぉ?」

 

「見てるこっちが恥ずかしいですわ……傍から見たら変質者ですわね」

 

「みぃ。真正面から見ても変質者なのです」

 

「恥ずかしがってる圭一くんかあいい……! スカート引っ張って必死に隠そうとしてるのがもう何と言うか……うぅ、お持ち帰りしたい……!」

 

「チョーカーのせいで誰かの奴隷って感じが増してヤバイですね?」

 

「お前らこの変態どもめッ!!」

 

 

 チラッと助けを求めるように、上田と山田へ視線を飛ばす。その姿が滑稽で、二人揃って吹き出した。

 

 

「や、山田さんに上田先生まで……」

 

「少年、似合ってるぞぉ? ちょっと化粧したら、本当に女の子に見えるかもなぁ!」

 

「罰ゲーム仲間だったのにーっ!!」

 

「俺は罰ゲームに耐えた! 耐えられない君は敗北者じゃけぇ」

 

「お前も悶えてただろ」

 

 

 山田のツッコミを受け、それとなしに上田は目を逸らす。

 圭一もこれで終わりかと思っていたが、意地悪い笑みを浮かべる魅音を見て、まだ終わらせる気はないらしいと悟る。

 

 

 

 

「さぁ淑女方、銃を持てぇ!! 今から外で水鉄砲合戦だッ!!」

 

「こ、この格好でかぁ!?……てか、俺も女にカウントしてんじゃねぇ!!」

 

「上田先生もやるよねっ!?」

 

 

 魅音からポイッと水鉄砲を投げ渡され、困惑気味に上田は受け取る。

 

 

「俺も女の子にカウントされるのか……」

 

「シュワちゃんも女の子になる時代から来たんですから、大丈夫ですよ上田さん」

 

「なに言ってんだおめぇ」

 

 

 

 

 

 そんな事もあり、今度は校庭に出て水鉄砲の撃ち合いが始まる。

 魅音、レナ、梨花と沙都子を相手に、女装状態の圭一が上田と共に応戦する。

 

 

「み、みんな俺を集中射撃しやがってぇ!! しかもコレ透けやがるしッ!?」

 

「少年、俺が助太刀してやる! これでも高校時代は、クレー射撃で日本代表に選ばれた事もあるんだ! 付いた二つ名はランボーッ!! ゲリラ戦は任せろッ!!」

 

「上田先生すげぇ!! 校庭のど真ん中でゲリラ戦をしようとするなんて!!」

 

 

 一蓮托生とばかりに結託する上田と圭一だが、女子グループは容赦するつもりはない。

 リーダーの魅音を筆頭に、水鉄砲を構えて突撃開始だ。

 

 

「よぉぉし! 梨花ちゃん、沙都子は挟み撃ち! レナは私と突撃するよっ!!」

 

「えへへ! 二人ともずぶ濡れのスケスケにしちゃうよ〜っ!?」

 

「を〜っほっほっほ!! 風邪引いても文句は無しですわよ!!」

 

「変態二人を退治するのです!」

 

「「誰が変態だッ!?」」

 

 

 

 

 

 窓の外ではしゃぐ子供の上田を横目に、教室内には山田と詩音が机を挟んで向かい合わせに座っていた。

 山田がプロのマジシャンと聞き、マジックを教わりたいと詩音が頼んだからだ。

 

 

「五百円玉が、二百円に」

 

 

 山田が見せ付けていた五百円玉が、両指で摘んで捻った瞬間に、まるで割れたように百円玉二枚となって分かれた。

 

 

「そして二百円は、四十円に」

 

 

 その二百円を両指で摘んで捻り、今度は十円玉四枚に変化させる。

 鮮やかな山田のコインマジックを見て、詩音は目を輝かせながら興奮し、小さく拍手。

 

 

「す、凄いです! どうやったんですか?」

 

「タネはこうです」

 

 

 山田の曲げられた指の内側には、関節と関節の間に挟まれた五百円玉と百円玉が隠されている。

 

 

「お金を摘んで注目させて、捻った瞬間に入れ替えるんです。一切指は開かない事と、すぐに小銭を入れ替えられるように練習すれば出来ますね」

 

「絶対に難しいでしょ……」

 

「えぇ。これは上級者向けです。ですので枚数を減らして、五百円を十円玉にすり替えるだけにしときましょうか」

 

 

 右手の指で摘んでいた五百円玉が、左指が触れた瞬間にサッと十円玉に変わる。

 左手の平を見せ付けると、摘んでいた五百円が挟まっていた。

 

 

「速過ぎますぅ……」

 

「何事も継続ですよ。まずは指を曲げて、関節と関節の間に十円玉を挟む」

 

「じゅ、十円玉を挟む……あぁ、落ちちゃった……」

 

「最初はゆっくりで構いませんから」

 

「不器用だなぁ、私って……」

 

 

 

 慣れない手つきながらも、何とか習得してみせようと頑張る詩音。

 それを見守りながら、山田はふと彼女に尋ねた。

 

 

 

 

「そう言えば詩音さんも、園崎のお屋敷に住まれているんですか?」

 

 

 唐突な山田の質問に面食らう。

 ガラスに触れた陽光が二人を挟む机に乱反射した。

 

 

「……と言いますと?」

 

「昨日、園崎さんのお屋敷に行きましてね」

 

「……山田さんが?」

 

「魅音さん、お屋敷の中じゃ全然、妹さんの事は言わなかったので。まぁ、昨日部活にお邪魔した時、あなたいなかったんでこの学校には通っていないのかなと」

 

「……山田さんはどうして呼ばれたのですか?」

 

「雛じぇねの指導者の……インチキを暴いて欲しいそうです。元々、園崎が仕切っていたから困るからと」

 

 

 呆れ顔で吐き捨てるように詩音はぼやく。

 

 

「……あの鬼婆さんらしいですね。園崎がやるよりも、第三者にやらせようって思ったんでしょうか」

 

「利用されているっちゃ、言われたらそうなんですが」

 

 

 詩音は十円玉をまた指で挟み、辿々しく震えながらも腕を持ち上げてみせた。

 

 

「……私はあのお屋敷……それどころか、村じゃなくて興宮に住んでいるんです」

 

「親元から離れて、と言う事ですか?」

 

「いえいえ……寧ろ興宮にお母さんとお父さんがいるので、どちらかと言えば親元を離れているのは魅音なんですけど……まぁ、言って私も親とは別居中ですけどね?」

 

「なんでそんな、姉妹で別々に……」

 

「…………」

 

「……あー……聞いちゃ駄目な奴、でした?」

 

 

 謝ろうとする山田の前で、詩音は首を振る。

 

 

「いえそんな……まぁついでだし、言っちゃおうかな」

 

 

 意を決したような顔付きを見せた後、詩音は園崎家の事情について語り始めた。

 

 

 

 

「園崎の頭首になるのは、一人だけ。だから双子は面倒なんです」

 

「………………」

 

「……姉の魅音が頭首候補に選ばれて、私は御家断絶。最近になってやっと緩くなりましたけどね。少し前まで、雛見沢村に来る事も出来なかったんですから」

 

 

 存外に重い話をされ、山田はギクリと表情を強張らせた。

 

 

「……え!? そ、そうだったんですか……あの、やっぱ悪い事聞いちゃいました?」

 

「いえいえ! 本当に、もう終わった後の話ですから! 今はこの通り自由ですよ?」

 

 

 姉妹は十円玉を隠した手をゆっくり、五百円を摘む片手へと近付ける。

 

 

「住んでいるのは興宮のマンションです。叔父さんが飲食店を経営していましてね? そこでアルバイトを」

 

「……ご両親と別居してるのは?」

 

「通ってた学校でちょっと、トラブルを……だから顔合わせ難くて……」

 

「うはぁ……まだ中学生なのに、ご立派ですね」

 

「…………えぇ。自分でも良く、生きていられるなと」

 

「……?」

 

 

 手と手が交差する。

 次に離れた時、五百円玉は十円玉に変わっていた。

 

 

 だが小銭を移動した時に挟みが緩くなったのか、手の中からポロッと五百円が落ちる。

 一回二回、机の上で跳ねた。

 

 

 

 

 

 

「……鬼隠しは、ご存知ですよね」

 

 

 今度は山田が面食らう番だ。動揺から呂律が怪しくなるものの、何とか持ち堪えた。

 

 

「……は、はい。上田さんも私も……噂程度、ですけど」

 

「……どうですか?」

 

「へ? どうって……」

 

「犠牲者も失踪者もダム賛成派ばかり……反対派の園崎家が粛正と見せしめの為にやったと、思います?」

 

 

 それは山田が、薄々と疑っていた事。

 どう返答しようか迷ったが、詩音が園崎とは別居中と聞き、魅音や本家に流れる事はないと高を括って頷く。

 

 

「……と言っても、あくまで可能性の一つで……完全に疑っている訳では……」

 

「……擁護とか、そんなんじゃないですけど……園崎家は、全く関係ないと思うんです」

 

「……それは、なぜ?」

 

「ただあやかって、便乗して、ダム建設反対に文句を言わせない風潮を作りたいだけ……理由までは考えていないですけど」

 

 

 詩音はまた五百円玉を拾い上げた。

 

 

「……あの人だったら、もっと巧妙にやりそうですし」

 

「あの人って……お婆さん……ですか?」

 

「……山田さん」

 

「……はい?」

 

「鬼隠しは事故でも祟りでも無い……絶対に人が関わっているハズです」

 

 

 それは山田も上田も、その意見で一致している。

 拾い上げた五百円玉をまた摘み、十円玉を挟んだ指を近付けた。

 

 

「……今年ももし起こるとしたら……梨花ちゃまか、沙都子かもしれない……」

 

 

 五百円玉が見えなくなった。

 

 

「何も知らない人が何も知らない内に、酷い目に遭うのはおかしいハズです」

 

 

 そのまま静止させる。

 

 

「……不思議ですね。初対面なのに、山田さんとは良い関係が築けそうです。波長が合うんでしょうか?」

 

「…………詩音さん?」

 

 

 

 指が離れる。

 五百円玉は、十円玉に。

 

 

 

 

 

「……あ。駄目だ」

 

 

 

 

 五百円玉が手から溢れて、机上に落っこちた。

 鈍い音が、外からの笑い声に混ざって鳴った。

 

 

「……やっぱ、不器用だなぁ……私」

 

「……詩音さん……?」

 

「……ふふ。おねぇには、『内緒』ですよ?」

 

 

 山田は、目の前にいる詩音が何かを知っている気がしてならない。

 同時に自分と同じ、誰かを失っている気がしてならない。

 

 そこまで踏み越えるには、まだ二人の距離は遠過ぎたようだ。

 

 

 

 

 外ではまだ楽しげに、皆が水鉄砲を撃ち合ってはしゃいでいる。

 

 

「少年!! 水補給中はお互いカバーしろッ!! そして士気を継続させる為に、お互い褒め合おうッ!!」

 

「はいっ! 上田先生ッ!!」

 

「今から返事は、マンメンミだッ!!」

 

「マンメンミッ!!!!」

 

 

 変な方向性で共同体となる上田と圭一。

 

 

「何をなさっているんですのアレ……」

 

「男の友情なのです。男は戦いの中で結ばれるのです」

 

「それっ! やっつけろーっ! 突撃ーっ!!」

 

「ズブ濡れの圭一くんに上田先生、かなりかあいいよぉ!! もっと濡れて!! スケスケになってっ!!」

 

 

 

 夏の空を背景に、水鉄砲から飛び出した一筋の水が光を纏う。

 どこまでも、いつまでも続いて欲しい、楽しい夏の始まりだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夜境内

 遊び倒した後に、夕焼けが差し替かって本日の部活は終了となる。

 バスの時間に間に合うように、詩音は先に帰宅。そして帰り道にて魅音、圭一、レナと別れた。

 

 

「そんじゃまたね〜!」

 

「死にたい」

 

「お疲れ様です!」

 

 

 そのまま山田と上田は、梨花と沙都子に付いて行く。

 元から居座っていた上田はともかく、今日は山田も古手神社にお邪魔する事となった。

 

 久々の客人とあってか沙都子は、嬉しそうにスキップをしていた。

 

 

「今夜は賑やかになりそうですわね、梨花!」

 

「明日はお休みなので飲み明かすのです」

 

「一々発言がオヤジだな……」

 

 

 山田の隣で派手にくしゃみをする上田。

 

 

「へーっくしゅッ!!」

 

「うわ汚っ!?」

 

「グズっ……はしゃぎ過ぎたか」

 

「やけに濡れてますね……」

 

「女子四人から集中砲火されまくりだったからな……俺はそんなにだが、少年はスケスケになっててほぼ裸だったな。かわいそうに」

 

 

 水鉄砲合戦によって、山田以外の全員は服が濡れている状態だった。夜も近付き、夏とは言え冷えて来る前には風呂に入りたいところだ。

 一応神社に泊まる事は決まっているものの、改めて山田は沙都子らに確認を取る。

 

 

「でも良いんですか? 大人二人もお邪魔しちゃって?」

 

「構いませんわ! 少し狭いですけど、布団は人数分あったと思いますし」

 

「足りないなら上田を追い出せば良いのです」

 

「お前の中で俺のヒエラルキーは底辺なのか?」

 

 

 古手神社の下に到着し、階段を上がる。上田は滑り落ちる。

 鳥居を潜って境内に入り、夕陽に照らされた神社を抜けて、裏手にあった二階建ての小屋に到着する。

 山田はふと気になり、拝殿裏にあった家を指差して聞く。

 

 

「あっちがお家じゃないんですか?」

 

「みぃ。二人ぼっちじゃあっちは広過ぎるのです」

 

「あー……ごめんなさい」

 

「全然気にしてないのですよ。寧ろ謝られると気を遣っちゃうのです。にぱ〜☆」

 

 

 そうこうしている内に沙都子が小屋の玄関を開けて、二人を出迎える。「おじゃまします」と山田が玄関に入り、上田は上枠に頭をぶつけた。

 

 下足場に立った際、沙都子がバタバタとバスタオルを担いでやって来た。

 

 

「山田さん以外は入る前にタオルで拭いてくださいまし!」

 

「みぃ、冷めて来たのです……ヒエヒエなのです」

 

「このまま風呂に直行だな! 先に使わして貰うぜ!」

 

 

 そう言ってタオルで身体を拭くと、そのまま我先にと浴室へ走る上田。

 

 

「お前の家かっ!」

 

 

 山田がツッコんだ。

 とは言いつつも風呂を代わりに洗ってくれるそうなので、梨花も沙都子も文句はない。

 浴室から浴槽を洗う上田の上機嫌な鼻歌を聞きながら、こじんまりとした居間に座る。

 

 隣の台所から沙都子がジュースを持って来てくれた。

 

 

「『ポンジュース』がありましたわ!」

 

「うわ、懐かしい……まだ瓶なんだ」

 

「ちょっとお高かったですけどもね?」

 

 

 沙都子の後ろからひょっこりと、もう一本ジュースを持った梨花が飛び出した。

 

 

「『三ツ矢サイダー』もあるのですよ!」

 

「この頃から缶だったんだ」

 

 

 シャツに腕を捲った姿の上田が、大急ぎで廊下を駆け抜けていた。

 気になった沙都子がちらりと廊下を覗くと、彼は玄関に置きっ放しだった自身の鞄を開けていた。

 

 

「そうだそうだそうだ……これを使おうと楽しみにしてたんだ!」

 

「なんですの?」

 

「はっはっは!『シャネルNo5』の、石鹸だよ!」

 

「シャネル!?」

 

 

 鞄からケースを取り出し、その中にあった薄紅色の石鹸を得意げに見せ付ける。

 シャネルと聞いて沙都子が反応した。

 

 

「しゃ、しゃ、シャネルって、あ、あの……ですの!?」

 

「あぁ!『マリリン・モンロー』が寝る時に五滴だけ付ける、あのシャネルNo5だ!」

 

「どなた様ですの?」

 

「嘘だろお前」

 

 

 シャネルは石鹸も出していたのかと、山田も気になって尋ねる。

 

 

「香水だけじゃないんですか? シャネルって」

 

「シャネルの発明は『香り』だ。その香りを作れる材料があれば、石鹸にも応用が出来る!」

 

 

 石鹸の中心にNo5とある。鼻を近付ければ気品溢れる、皇潤で、甘く儚い香りがした。

 山田は呆れ顔で自慢げな上田を見やる。

 

 

「そんな物持って来てたのか……」

 

「実は出発日に届いてなぁ……ここで使おうと持って来たんだよ!」

 

 

 シャネル石鹸を掲げる彼の手前で、沙都子は食い気味に値段を聞く。

 

 

「お、お幾らでしたの……!?」

 

「一個三,五◯◯円。五個セットの、一六,◯◯◯円! 産地直送!」

 

「う、上田先生!……そ、そ、その……!」

 

 

 沙都子が今までに見ないほどに興奮している。

 

 シャネルは昭和五十八年当時も、絶大な人気を放っていた。女の憧れでもあり、少しおませな沙都子は見事に食い付く。

 

 

「使いたいのかぁ?」

 

「使いたいのですわ!」

 

「なら、それ相応の頼み方があるハズだ……」

 

「……土下座しろって事ですの?」

 

 

 わざわざ窓を経由して玄関に入り、こっそり上田の背後に回った梨花が石鹸を引ったくる。

 

 

「取ったのです!」

 

「あ!? コラてめぇッ!?」

 

 

 そしてそのまま沙都子の手を引き、石鹸と共に浴室を目指して駆ける。

 

 

「沙都子、このままお風呂に直行なのです!」

 

「リカリカ大好きーっ!!」

 

「このヤロッ!? 待てぇーいっ!!……おふっ!?」

 

 

 全速力で追いかける上田だが、途中の梁に頭をぶつけて倒れた。

 その隙に二人はシャネルNo5と共に、浴室に駆け込んで鍵掛ける。

 

 

「か、鍵かけやがった……!」

 

「さすがに入り込むのはマズイですよ上田さん……」

 

「俺の楽しみを……!」

 

「小学生に土下座させようなんてするからバチ当たったんです。オヤシロ様のお怒りじゃー!」

 

「ふ、フン! 何がオヤシロ様の怒りだ! バッカばかしい!」

 

 

 強がりこそ言うものの、居間に入った上田は隅に置いていた、お守りだらけの次郎人形を抱き寄せる。

 山田は呆れ果て、梨花が持って来た缶ジュースに視線を移した。ふと、ジオ・ウエキの霊能力を思い出す。

 

 

「……ジオ・ウエキは、どうやってジュースを止めた?」

 

 

 的中マジックの後に行った、缶の中のコーラを静止させた術だ。

 

 フタでも付けたのか。

 いや、あの時ジオ・ウエキは、缶を片手だけで握っていた。フタを押さえ付ける事はまずしていない。

 それに元に戻してすぐに彼女は圭一にコーラを差し出していた。その際に山田も飲み口を確認したがフタなど付いていなかったし、それらしい物がくっつけられていた痕跡もなかった。

 

 

「……う〜ん?」

 

 

 何となくポンジュースの方が飲みたくて、グラスを用意して掛け声と共に注ぐ。

 

 

「いよーっ!!」

 

 

 彼女の注ぎ方は下手で、飲み口からボコボコ鳴らしながら入れる。

 オレンジの飛沫が散った。台所に向かう途中の上田がそれを咎める。

 

 

「中身が飛び散ってるぞ! もっと注ぎ口と平行になるように入れるんだッ!……ったく」

 

「さぁて……果汁百パーセントを…………ん?」

 

 

 山田は顔を顰めながら、ポンジュースの瓶の口を見た。

 次に三ツ矢サイダーの缶を見やる。ステイオフ式のタブが付いた、この当時としては新しいタイプの飲み口だ。そしてまた、ジオ・ウエキが取り出したコーラと同じ形状の物。

 

 

「やっぱ牛乳は瓶だよなぁ〜」

 

 

 石鹸を取られた腹いせか、勝手に冷蔵庫から牛乳瓶を取り出して飲もうとする上田。

 フタを開け、グイっと傾けて飲む。

 

 

 ガラスの瓶の中で、ボコっボコっと、牛乳が動く。

 それを見た山田はハッと閃いた。

 

 

 

 

「……もしかして……!」

 

 

 すぐに三ツ矢サイダーの缶を開く。

 

 

「プハーッ!……ん? おい。ポンジュース飲まないのか?」

 

「……上田さん。あの、瓶を垂直にしてジュースを入れたり飲もうとした時……ボコボコってなるのは、なぜなんですか?」

 

「なに? それは簡単だ。『表面張力』だよ!」

 

 

 ポンジュースの入ったグラスへ、更に溢れる寸前までジュースを流し込んだ。

 

 

「ほら、グラスにギリギリまで注いでも……ほんのちょっと、液体は盛り上がって形を保つだろ? コレだよ! 液体は自分の形を出来るだけ、内側に寄せて小さくなろうとする性質がある。垂直に入れる時のボコボコは、飲み口から入り込んだ『大気圧』が液体を下から押し上げ、しかも表面張力は内側に寄せようとするから……下に向かうよりも、上に向かう力が強まり、水のキレが悪くなるんだ」

 

「表面張力と大気圧……」

 

「表面張力については今日の水鉄砲合戦の時もそうだ。肉眼では線のように見えるが、実は『球体』が連なるようにして落ちている。雨とかもそうだ」

 

 

 上田の解説を聞き、納得したように頷きながら、山田は缶を手に取る。

 

 

 

 

 少し飲み口を触った後、ジュースでいっぱいの缶をひっくり返した。

 思わず上田は声を出す。

 

 

「おい!? 何して…………おおう!?」

 

 

 

 液体は、落ちて来ない。ジオ・ウエキの起こした現象を、山田は再現した。

 

 

「……なぁんだ。これだったのか」

 

「ゆ、YOU? どうやったんだ?」

 

「どうやったも何も、上田さんの言った原理の応用ですよ」

 

 

 缶をまた元に戻す。

 飲み口を覗いた上田は、納得したように目を見開いた。

 

 

「上田さんも見た事ありますよね? 水の入ったコップを、『ふるいの網目』を乗せてひっくり返しても水が溢れないマジック」

 

「……なるほど……!」

 

「あの時はふるいがあったから何かあると分かりましたが、今回は何も被せてないので不思議でした……でも、一つだけ、あったんですよ。『被せる物』が」

 

「盲点だった! この穴のサイズなら、大気圧と表面張力で液体は落ちない!!」

 

「缶には絶対、付いている物ですからね」

 

 

 

 缶ジュースを開けたタブがクルッと巻かれ、飲み口に差し込まれていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

「ジオ・ウエキは缶を開けた瞬間にタブをこうやって回したんですよ」

 

「これなら、飲み口を狭めると共に……飲み口を増やす事になる! そうなると水の重さは分散され、大気圧と表面張力の力が勝るッ!!」

 

「ふるいの網目の奴も、恐らく同様の原理でしょう。ジオ・ウエキは、こうやってコーラを止めたんです」

 

 

 もう一度缶を逆さにするが、やはりジュースは落ちない。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

「……ハッ! 実に巧妙な手品だッ!」

 

「これで二つのインチキは暴けました。後は、文字の的中の謎……」

 

「それを暴いて、雛じぇねの前でお前が再現すればジオウは追い出せるな!」

 

「何とか、綿流しまでに……」

 

 

 途端にドアが開く音が聞こえた。

 梨花と沙都子の「ふぅ」と息を吐き、火照った身体を手で仰ぎながら居間に入って来る。

 

 

「良い香りですことぉ〜……今日は良く眠れそうですわ」

 

「みぃ。ご飯食べてないのが悔やまれるのです。このままお布団に入れたかったのですよ〜」

 

「この泥棒コンビがッ!!」

 

 

 即座に石鹸を盗った事を糾弾しようとする上田だが、次の沙都子の話で黙らされる。

 

 

「あ〜嫌だ。昨夜、祭具殿に侵入しようとした上田先生に言われたくないですわ!」

 

「あ……」

 

 

 上田の表情は固まる。振り返ると、ゴミを見るような目の山田がいた。

 

 

「……上田。お前、私放ったらかして逃げるつもりだったのか……?」

 

「…………こ、これは、何かの間違いだよ! はっはっは!」

 

「最悪だなお前……」

 

「シャラップッ!! 黙れッ!! 俺だって必死だったんだ!!」

 

「開き直りやがった!」

 

 

 勝手に怒りながら次郎人形と共に、逃げるように浴室に行く。

 山田としては彼にはほとほとに呆れながらも、何だかんだジオ・ウエキの現象の解明に力になってくれたので、お咎めなしにしようと許してやった。

 

 とりあえず山田は、風呂上がりの二人にジュースを用意してやった。

 

 

「……あ。ポンジュースと三ツ矢サイダー、どっち飲みます?」

 

「あらぁ? 用意してくださいましたのぉ? 気が利きますわぁ! をほほほほほほ!」

 

「……なんか、おかしくなってません?」

 

「シャネルは女を変えるのですよ。にぱ〜☆」

 

 

 それからはジュースを飲みながら話し、帰って来た上田が梨花と晩御飯を作り、十時になる前には就寝した。

 山田もシャネル五番石鹸を使ってみたが、上田が使ったと考えるとエレガントな気分になれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、現代。

 矢部たちは興宮に到着し、早速調査を開始しようもする。

 

 その前に近場で見つけた喫茶店で、菊池と矢部は一休み。

 

 

「矢部くんッ!! 見たまえッ!! この店『コピ・ルアック』があったから注文したぞッ!!」

 

「人がトイレ行っとる間に勝手に注文すんなや! わしゃあ、ミルクティーが飲みたかったのに……なんや。見た感じフツーのコーヒーやないか」

 

「僕のような東大理三を卒業し、数多の国々を見て来たグローバル人な僕にこそ相応しいコーヒー!!」

 

「ニガッ。でもやっぱ匂いがええなぁ? どんな豆なんや?」

 

 

 菊池は得意げに説明を始めた。その間も矢部はゆっくりとコーヒーを啜る。

 

 

「インドネシアのコーヒーで!」

 

「おう」

 

「フォッサ科の『ジャコウネコ』と言う生物が!!」

 

「ズズッ」

 

「食べたコーヒー豆を!!!」

 

「はぁ〜苦い。ズズズッ」

 

「糞として排出させ、その中からまた取った豆で挽いたコーヒーであるッ!!!!」

 

「ブゥーーッ!! お前なんちゅうもん飲ますねんゴラァ!? きったな! ブゥエッ!!」

 

 

 怒鳴る矢部だが、菊池はしてやったり顔でメニューを見せる。

 

 

「コピ・ルアック……八千円!? クソが八千円!?」

 

「世界一高価なコーヒーと言われているッ!! まさに勝者のコーヒーッ!!!!」

 

「ネコがクソしたコーヒーが勝者て、なんかなぁ……」

 

 

 とは言うが八千円のコーヒー。ありがたく矢部は飲んだ。

 ふと彼はこの場にいない部下二人について尋ねる。

 

 

「石原と秋葉は?」

 

「例の前原圭一を訪ねるべく、当時搬送された精神病院へ話を聞きに行かせた」

 

「ならワシらは待っとくんか?」

 

「いいや。僕たちは、『別の生存者』を訪ねに来たのだよ」

 

「別の生存者か。どこにおるんや」

 

「ここだ」

 

 

 矢部は驚きながら辺りを見渡したが、それらしい人物が見当たらない。どの客もなぜかそばを啜っていた。

 

 

「誰や? どこにおるねんな?」

 

「……このコーヒーを、淹れた人物になるかな」

 

「………………」

 

 

 焙煎機のメンテナンスをしながら、窓際のカウンターに立つ中年の女性。

 矢部と菊池の視線を感じると、軽く会釈をし、他の店員にメンテナンスの続きを頼んだ後にこちらにやって来た。

 

 

「話は通しておいたよ。感謝したまえ矢部くん」

 

「態度はともかく仕事は早いなぁ。後で一発殴るからな?」

 

 

 長い髪を縛り、白と黒の落ち着いたカフェベストとカファーエプロンが似合う、五十路の女性。

 五十路と言うのは雛見沢大災害の年より逆算しての推定だが、彼女は幾分か若く見えた。

 

 

 彼女は矢部と菊池の前にあった椅子に座ると、落ち着いた口調で話しかける。

 

 

「東京からいらしたとか?」

 

「事件って訳やないんですけどね?」

 

「アレ? 大阪でした?」

 

「いやいや東京東京。ワシが大阪出身ってだけですわ」

 

 

 彼女が近付き、菊池と矢部も挨拶を交わす。

 身分を証明する為に警察手帳を出し、菊池が彼女の名前を告げる。

 

 

 

 

 

 

「『園崎詩音』さんですね?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その間、石原と秋葉は「前原圭一」が三十五年前に治療を受けていたと言う、精神病院にやって来ていた。

 待合室で秋葉はスマートフォンを、なぜか石原に差し出す。

 

 

「あ、すいません先輩。ここ、タップして貰えません?」

 

「なんじゃなんじゃ? え? ほうか?」

 

「……うおおおお!! やった!! 星五確て……イエエエエッ!! マーリンッ!! マーリンッ!! 先輩、あざっす!!」

 

「おお! なんか分からんけどワシやったけぇの!」

 

 

 二人が待っていると、看護師がやって来た。前原圭一のカルテと、退院後の行き先を尋ねていたようだ。

 

 

「前原圭一さんでしたっけ?」

 

「あ、はい。そうですぅ〜。えっと、我々、雛見沢村の洗い直しをしている者でして〜」

 

 

 看護師は首を振る。

 

 

「前原圭一さんのカルテは正確な日時は分かりませんけど、二○○○年には破棄されています」

 

「破棄ぃ〜? 何があったんじゃ?」

 

「ええ。破棄って事は、『死亡』したからかと……」

 

 

 石原と秋葉も知っている事だが、病院のカルテは患者の死後、六年間保存されて破棄される流れだ。

 一九八三年当時はまだカルテのデータ化もされていないハズだし、紙媒体以外では保存も望めない。

 

 それよりも前原圭一が既に故人だと言う事が、石原と菊池を落胆させた。

 

 

「参ったのお……生存者かと思っとったのに」

 

「その情報も古いですからね〜」

 

 

 亡くなったのならお手上げだと、二人は割り切って矢部らの所に戻ろうとした。

 だが、看護師は思い出したように話してくれた。

 

 

「そう言えば、当時からこの病院に勤めていらっしゃる先生が一人」

 

「おるんか! ほんならのう? その先生ぇ呼んで来てくれんかの?」

 

「それが、院長先生でして……」

 

「お偉いさんじゃないっすか〜?」

 

 

 警察が来たと言えば来るだろと教え、看護師に院長との接見を要求する。

 暫く待ち、看護師は院長からの許可を取り付けて、二人を案内してくれた。

 

 

 

 

 院長室に通されると、疲れた顔の老人がいた。彼が院長だろう。

 二人はソファに腰掛け、まずは秋葉から質問をした。

 

 

「前原圭一さんの事はご存知ですか?」

 

「えぇ。まだここに来た当初に担当した患者でしたから」

 

「ここに運ばれたって事は何か、精神の病って事ですよね?」

 

「仰る通り。彼は、酷い被害妄想と強い自殺願望、拘束していなければ自傷行為に及ぶほどの……今まで見て来た中で、特に激しい精神病を患っていましたから」

 

「お医者さんも大変じゃのぉ」

 

 

 労う石原だが、院長は当時を思い出しては眉を潜めるばかり。

 詳細に記憶を掘り起こそうとしていると言うよりは、「恐怖体験」による怯えのようにも見えた。

 

 

 彼は一度息を深く吐いてから、緊張した面持ちで話し始める。

 

 

「彼の最後は、心臓発作でした。入院し、一週間後に……突然……」

 

「ほんじゃあまだ子どもなんじゃろ? ひぇ〜! かわいそうじゃのぉ」

 

「………………」

 

 

 苦しむように、更に眉を潜める院長。ただならぬ気迫を感じ取り、恐る恐る秋葉は尋ねた。

 

 

「……ど、どうしましたぁ?」

 

「…………あの。雛見沢大災害の事を調べてらっしゃるそうですが、なぜですか?」

 

 

 院長の問い返しに、二人はどう答えようかと顔を見合わせた。

 結局は秋葉が言葉を選んで返答する事となる。

 

 

「実は〜、あの災害、色々と謎が多いものでしてね。急遽、洗い直しが必要と上が判断したんですよ〜」

 

「ガス災害……と、聞きましたが」

 

「公にはそうですけどね〜?」

 

「……ああ。やはりガス災害なんかじゃ……!」

 

 

 膝に置かれた彼の手がブルブル震え出す。

 その様子に驚き、秋葉と石原は心配の声を掛ける。

 

 

「えぇーー!? どうしました!?」

 

「寒いんかの? おーい! 冷房効き過ぎじゃけぇ!」

 

「先輩! 今、ガッチガチに暖房ですよぉ!」

 

 

 震えながら院長は、鬼気迫る様子で語る。

 

 

「……あれは、『祟り』なんだ……!」

 

「祟り……!?」

 

 

 頭を抱え始める。まるで思い出したくない記憶を、消そうとするかのように。

 

 

「…………夜な夜な聞こえる、前原圭一さんの声が、耳から離れないんです……三十五年前から、ずっと……!」

 

「なんて、言っていたんですか?」

 

 

 

 

 

 すっか「蒼白した彼の顔。

 唇を震わしながら、院長は告げた。

 

 

 

 

 

「……『みんなが殺しに来る。オヤシロ様が殺しに来る』」

 

 

 

 二人の背筋に、寒い物が通る。

 

 

 

 

 

 

「……暖房にせんかのぉ?」

 

「暖房ですよぉ」

 

 

 外気温との温度差で、窓には丸い水滴が出来て滴っていた。




マリリン・モンローの有名な、「寝る時に着るのはシャネルの五番だけ」を引き出したインタビューは、日本の帝国ホテル内で行われました。新婚旅行中だったらしいです。

長らくシャネルの香水は、活発な女性のシンボルされてきましたが、2012年に『ブラッド・ピット』が男性初の広告塔になりました。

コピ・ルアックと同様のやり方で採取したコーヒー豆に、象の物の『ブラック・アイボリー』があります。こっちはコピ・ルアックより高いみたいです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月11日土曜日 指導者は霊能力者 その2
入道雲


 雛見沢に朝が来る、古手神社に日が射した。

 既に起きていた上田と山田、梨花と沙都子ら四人は朝食を食べていた。

 

 

 朝食は昨晩作ったカレーの残りだ。山田がツッコむ。

 

 

「昨日のカレーかよ」

 

「残したら悪いだろ? 俺は米なら幾らでも食える」

 

「………………」

 

「コラ沙都子ッ! 野菜をこっそり俺のに入れるんじゃないッ!!」

 

 

 短いスパンで二度目のカレーとあり、さすがにうんざりはしている。とは言えがめつい山田はパクパク食べていた。一方で野菜嫌いな沙都子は目が死んでいた。

 

 その隣、梨花のカレーは他の者のカレーよりも真っ赤に染まっている。心配になって上田は尋ねた。

 

 

「……YOU。辛くないのか?」

 

「みぃ。どうせ同じ物食べるなら新たな刺激が欲しいのです!」

 

「いや、まぁ、だからてそんな……七味入れるか? もはや四川料理と化しているぞ……?」

 

 

 見た目にそぐわず辛党のようで、臆する事なく涼しい顔でモリモリ食べている。それを見て山田は感心していた。

 

 

「梨花さんって変わってますねぇ。私は無理だなぁ、七味とか入れるの」

 

「……ちくわとバナナを入れてタルタルソースと醤油かけている奴よりマシか」

 

 

 山田はかなり悪食家のようで、梨花の何倍も理解出来ない食い合わせでカレーを食べていた。

 その隣、皿の端へジャガイモを除ける沙都子。

 

 

「……コラッ!! ジャガイモを残すんじゃないッ!!」

 

「うぅ……上田先生がイジメる……」

 

「折角昨日と違い、新たなブレンドで煮込んだと言うのに……」

 

「……カボチャ以外になに入れたのですの?」

 

「これだよ!」

 

 

 取り出したのは赤ワインの入った瓶。

 

 

「……それどこで見つけたのですか?」

 

 

 途端に梨花が渋い顔となる。上田は得意そうに言った。

 

 

「戸棚の裏だ! 子供の君たちは飲めないだろうし、勝手に拝借させて貰ったぜ!」

 

「ワイン混ぜたのか。全然わからなかったなぁ」

 

「そんだけゲテモノにされたらなぁ!!」

 

 

 こっそり人参を皿の端に除ける沙都子。

 

 

「コラ沙都子ッ!! 人参を除けるんじゃないッ!!」

 

「七味追加するのです」

 

「胃に穴開くぞッ!?」

 

 

 

 

 朝食を済ませると、早速出掛けの支度を始めた。山田は上田に行き先と予定を聞く。

 

 

「上田さん、病院行くんですか?」

 

「病院じゃない、『診療所』だ。この村唯一で一番の医者と、日本で一番の頭脳を持つ天っ才物理学者は有意義な対談をしてくるのだ」

 

 

 上田とは梨花も沙都子も同行するようで、一人別行動となる山田に沙都子は尋ねた。

 

 

「山田さんはどうなさるんですか?」

 

「ちょっと、村を見て回ろうかと」

 

 

 山田としてもジオ・ウエキと出会ったダム工事現場前に行き、メモ帳の文字を読み取ったトリックの、考え得る可能性を試しに行くつもりだ。

 

 

「お昼過ぎには戻ると思いますんで、またそれまで」

 

「みぃ。今生の別れにならない事を祈るのです!」

 

「……神社の子にそう言われると不安になるな」

 

「にぱ〜☆」

 

 

 こうして一旦別れ、山田はダムの工事現場前へ、そして残りの三人は「入江診療所」へ向かう事となった。

 

 

 

 

 まさか平穏な朝がこれっきりになるとは、誰も知り得は出来なかった。

 今この時でさえも、着実に確実に、不穏が全てに覆い被さらんと、首を伸ばし始めていたのだから。

 

 丁度村を俯瞰する、巨大な入道雲のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜宮レナは、寝惚け眼で一階に降りる。

 途端に鼻を突いた、甘い「シャネルNo5」の匂い。彼女はこの匂いが何よりも嫌いだった。ぼんやりしていた頭が即座に冴え渡る。

 

 

 居間に続く襖を開けるのも、勇気を出さねばならない。

 一息吸って、深く吐いて、意を決して開いた。

 

 

 

 やはりだと、「気のせいかも」と信じていた一縷の希望を無かった事にした。

 

 

「あらっ、『礼奈』ちゃん。おはよっ!」

 

 

 底の知れない何かを、厚い厚い皮膚で覆い隠したような満面の笑み。

 短く切った髪、穏やかな声、優しそうな笑み。それがなぜかレナの神経を逆撫でする。

 

 

「…………『リナ』さん」

 

「あ。おはよう、礼奈」

 

 

 台所から出て来たのは彼女の父親。

 リナと呼ばれる女性の傍らに近付き、何も知らない笑顔を浮かべている。

 

 

「……おはよう、お父さん」

 

「今日は父さんが作ったよ。朝から少し重いかな……カレーだけど」

 

 

 鼻をスンスンと動かせば、確かに香るルーの匂い。

 それを、シャネルが邪魔をしているようにしか思えなかった。

 

 

「三人揃ったんだし! ねっ! 一緒に食べましょうよ!」

 

「食べるだろ? 礼奈」

 

「…………うん」

 

 

 父親は張り切って、台所に戻って行く。

 その間にリナは座布団の上に座り、運ばれて来るであろうカレーを鼻歌混じりに待つ。

 

 

 

「………………」

 

「……どうしたの、礼奈ちゃん?」

 

「………………」

 

「座らないの?」

 

 

 わざわざ自分の隣を、勧めて来る。本心を隠そうと決めていたのに、思わず躊躇を見せてしまう。

 

 

「………………」

 

「……まだ、信用してくれないの?」

 

「…………そう言う訳じゃ……ないんです……」

 

「…………礼奈ちゃん」

 

 

 リナは微笑みながら、少し困ったような顔を見せた。

 

 

「……私、あなたのお父さんとの『結婚』、本気で考えているの」

 

 

 本当だろうか。

 

 

「とても、深く……愛しているのよ」

 

 

 信じて良いのか。

 

 

「だからね? 是非、礼奈ちゃんと」

 

 

 その漂わせている匂いの元、「シャネルNo5」は誰からの物だろうか。

 知っている。父親が、楽しそうに、買って来ていた事を。

 

 

 その前に、あなたが、猫撫で声で、ねだっていた事を。

 

 こっそり見てしまった、父親がいなくなった途端に浮かべた、下卑た笑顔を。

 

 

 

 全部全部知っている。

 

 

 

 

 

「…………礼奈ちゃん?」

 

「……っ!」

 

 

 ハッと気がつくと、目の前には不安そうな彼女の顔。

 

 

「どうしたの?」

 

「い、いえ……寝惚けてまして……」

 

「あら? 礼奈ちゃんも低血圧なの? うふふ! 私もなのよっ! 朝がキツいのよねぇ……」

 

「お! 楽しそうにお喋りかい?」

 

 

 期待した顔で、父親がお盆に乗せたカレーライスを持って戻って来た。

 

 

「是非、父さんも混ぜて欲しいなぁ」

 

「あははっ! もう、寂しがり屋さんなんだから!」

 

「ははは! かもね!」

 

 

 何も知らない、幸せな笑み。

 ああ。何も知らない事が、どれほど幸せなんだろうか。

 知らずに、ずっとずっと、眠っていたい。

 

 憂鬱な朝を無くして欲しい。

 それが駄目なら、どこか遠くへ行ってしまいたい。

 

 

 

「ほらっ! 礼奈ちゃん!」

 

「…………失礼、します……」

 

 

 リナの隣に座る。

 二人が手を合わせて「いただきます」と唱和するのに合わせ、レナも「いただきます」と呟く。

 

 

「丹精込めて作ったからね!」

 

「お茄子も入っているわ。夏野菜カレーねっ!」

 

「美味しいと思うよ! 隠し味もあるからさ」

 

「あら! 当ててみようかしら?」

 

 

 

 茄子の味も隠し味も、分かりっこない。

 隣の女のシャネルが邪魔をする。

 

 どんよりとした、何とも形容し難い気味の悪さが、入道雲のように心に現れ広がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診療所への道すがら、沙都子は上田へアルバイトの話をしてくれた。

 

 

「栄養剤の……つまり、『治験』のバイトか」

 

「朝から『痴漢』とはさすがはむっつり学者なのです」

 

「治験だつってんだろ! あと物理だッ!! 死ぬまで言わせる気かッ!?」

 

 

 沙都子は小脇に抱えていたファイルを上田に渡す。

 

 

「毎日二回お注射して、その日の体調をそこに記録するのですわ」

 

「まぁ、確かに一般的な治験のバイトだな。しかし毎日注射とか大変だろ。大丈夫なのか?」

 

「針が小さい注射器ですし、敏感な腕とかじゃなくて脇腹に刺すように言われていますし、痛みはあまり気にしてはいませんわ」

 

「みぃ。もう三年も続けているのですから大丈夫なのです! 寧ろ僕らの生活の為なのです! 何が何でも続けさせるのです!」

 

「梨花、少し外道じゃありませんか?」

 

 

 記録表を見ると、一週間分の枠があって、そこに注射時間や健康状態の有無の記入欄がある。書き方も手馴れているようだ。

 思わず上田はふと思った事を聞いてみる。

 

 

「……しかしまぁ、なんだ。毎日二回注射って、まるで糖尿病の治療みたいだな。実は病気なんじゃないのか?」

 

「あら? 心外ですわね! 私、これでも凄く健康なんですわよ?」

 

「野菜食べられねぇ癖に」

 

「そ、それとこれとは別ですわ!」

 

 

 二人の会話を遮るように梨花が指差し言った。

 

 

「見えて来たのですよ」

 

 

 前方に、白く清潔感のある建物が見えて来た。

 今まで古い木造建築ばかりだった分、現れたコンクリート製の建物には少し驚かされる。

 

 

「ここがその先生の?……デカイな。こんな田舎に良く……」

 

「入江は良い奴なのです! でも上田に負けないくらい変態なのです!」

 

「……なんで俺は変態扱いされてんだ」

 

「さっ! 入りますわよ!」

 

 

 沙都子に勧められるがまま扉を開け、中に入る。

 すぐに飛び込んで来たのは白衣の男と、変な声。

 

 

 

「沙都子ちゃあぁぁあん!! 会いたかったよぉぉおぉお!!」

 

 

 両腕を広げて抱き締めようとしてくるその男を、沙都子は慣れた様子で回避する。お陰でその後ろにいた上田が抱き締められる。

 

 

「やめろぉぉ!! 俺にそんな趣味はないッ!!」

 

「うぉっと!? あ、し、失礼しました!」

 

「朝から不気味な物見てしまったのです」

 

 

 ウェーと舌を出す梨花。

 男は眼鏡を少し持ち上げ、見慣れないと言いたげな様子で上田の顔を凝視する。

 

 

「えっと……あの……ええー、どちら様でしょうか?」

 

「あぁ……私、日本科技大の上田次郎です。この村にはちょっとしたフィールドワークに来てましてね!」

 

「地質調査……おお! それは大層、ご立派な事を!」

 

 

 大急ぎで彼は手を白衣で拭き、それを上田へ差し出した。

 

 

 

 

 

「申し遅れました。僕はこの入江診療所所長の、『入江京介』と申し上げます。上田教授……で、よろしいですか?」

 

「えぇ、教授の上田です! 入江先生、よしなにお願いいたします」

 

 

 二人は握手を交わす横で、呆れた顔の沙都子がファイルと使用済みの注射が入ったケースを差し出した。

 

 

「相変わらずなんですから……ほら。今週も記録して来ましたわよ?」

 

「おっと! ありがとう沙都子ちゃん! お給与は後で渡すから、ちょっと待っててね?」

 

「それは、何の調合薬なんですか?」

 

 

 上田の質問に対し、入江は苦笑い。

 

 

「ビタミンやアミノ酸等ですよ。栄養剤の研究もしていまして、沙都子ちゃんに協力してもらっているんです」

 

「医者の傍らで研究ですか! なかなか、あなたもご立派な事をなされて!」

 

「いやいやいや……」

 

 

 そっと入江は上田へ耳打ちする。

 

 

「……沙都子ちゃん、酷い偏食家でお野菜が嫌いですからね。健康をサポートしてあげようかと……」

 

「栄養剤投与しなければならないほどなのか……少しは好き嫌い無くせってんだ!」

 

「その様子では、沙都子ちゃんや梨花ちゃんと親密なようですね」

 

「まぁ、私の研究のサポートをさせていましてね。彼女らの部活にもお邪魔したりもしましたよ!」

 

「ははは! 思った以上に村に馴染んでいらっしゃるようで!」

 

 

 

 入江はクルッと回り、再び沙都子と梨花に向き直る。

 

 

「それより! どうかなっ!? 待っている間……コスプレ、したくない?」

 

「したくないですわ!」

 

「みぃ……昨日の圭一のメイド姿で十分なのです」

 

 

 それを聞いた入江の目が血走った。

 

 

「なっ!? け、圭一くんが!? なんで僕を呼ばなかったの!?」

 

「お仕事の時間でしたし、お邪魔になるかと」

 

「圭一くんがメイドさんになるなら、僕は全てを投げ捨ててでも行ったのに!!」

 

 

 なぜか悔しがる入江に、上田が話しかけた。

 

 

「まぁ、なかなか似合ってましたよ。あれは面白かった! そのまま水鉄砲で遊んで」

 

「しかも濡れたんですか!?……女装したメイド圭一くんのびしょ濡れ姿が見れなかったなんて……鬱になりそう」

 

「……もしかして、そっちの人なんですか?」

 

「いえいえ! ただ、女装した圭一くんが見たいだけです! 彼が女の子だったら結婚したかったとは思ってますが!」

 

「メイド姿の圭一が見たい。濡れた圭一が見たい。女装した圭一が見たい。女の子だったら圭一と結婚した…………つまり、ホモでは?」

 

「…………ん?」

 

「ホモでは?」

 

「…………なんでそんな事言うの?」

 

 

 勝手に一触即発のムードになる上田と入江だが、その暴走は沙都子に蹴られて止められる。

 

 

「早くっ!! してくださいましっ!!」

 

「うおお!? ご、ごめん! すぐ用意してくるから!」

 

 

 受け取ったファイルとケースを抱え、大急ぎで奥に引っ込む入江。なかなか濃い人物であり、上田は唖然と彼の後ろ姿を眺めていた。

 

 

「……まぁ、面白い先生だな?」

 

「どうしようも無い変態……って事を除けば、とても良い人なんですけどね」

 

「でもあんな感じに曝け出す入江より、ひた隠す上田の方が危ないのですよ?」

 

 

 一々棘のある梨花の話し口に、上田はうんざりしたような顔を向ける。

 

 

「お前、隙あらば俺を貶すのやめないか?」

 

「にぱ〜☆」

 

「にぱーをやめろっ!……ったく……」

 

 

 呆れ果てながら目線を上げた時、「おおう!?」と叫んでそこまま釘付けにされる。

 ナース服を着た美人が現れていたからだ。

 

 

「お、おほほう!……ナースさんだとぅ!?……しかも、めちゃんこビューティー……!」

 

「上田先生? 上田先生……?」

 

「ほれ見た事かなのです」

 

 

 看護師は梨花らに気が付くと、微笑みながら歩み寄って来る。

 

 

「おはよう、梨花ちゃんに沙都子ちゃん!」

 

「おはようございます!」

 

「おはようなのです」

 

「それと……ええと、失礼ですが……?」

 

 

 目からキラキラ星を飛ばしながら、上田は出来るだけ低くダンディーな声で話す。

 

 

「私……いや、僕は、日本科学技術大学の教授……ふふっ、もうすぐで名誉教授なんですがね? そこで物理学を研究しております、上田次郎と申し上げます」

 

「まあ! そんなお偉い先生が! すいません、ちゃんとした格好でなくて……」

 

「いえいえ! 眼福……間違えた。病院での正装なんですから! 寧ろ僕の方がキチンとするべきでしたねぇ! 参ったなぁ、ははあ!!」

 

「うふふ! 面白い方ですわね」

 

「うほほう! ありがとうございます! ええと……」

 

 

 胸にある名札を見遣る。

 ついでに膨よかな部類にある彼女の胸も見て鼻の下を伸ばす。

 

 

「『鷹野』…………」

 

 

 

 

 次の二文字を見て、読み方がパッと出て来ず眉を寄せた。

 

 

「……『さん、よん』?」

 

「ふふふ、読めないですよね……これで、『三四(みよ)』と呼びます」

 

「三四さんですか! いやいや、なかなか、風情あって良い名前じゃないですか!」

 

「ありがとうございます。そう言われたのは初めてですわ!」

 

「初めて……うひょひょい! 光栄です!」

 

 

 小躍りしながら話す上田を、冷めた目で忠告する梨花。

 

 

「鷹野! 危ないのでその男から離れるのです! そいつ獣なのです!」

 

「獣?」

 

「バッ!? なんて事言うんだッ!!……あぁ、いやいや! 僕の界隈では、獣は『フレンズ』を意味するんですよ! その事を教えましてね? ははは! たーのしー!」

 

 

 良い所だけを見せようと頑張る上田に、梨花も沙都子もとやかく言う気は失せた。

 そうこうしている内に、入江が帰って来る。

 

 

「お待たせお待たせ……あっ、鷹野さん。ここにいたんですか」

 

「薬品の整理とカルテのカテゴリー分け、完了いたしましたわ」

 

「ありがとうございます! 助かります……あぁ、こちらは、日本科技大の……」

 

「先ほどお互いに自己紹介しましたよ。上田教授! この村は良い所ですので、是非楽しんで行ってくださいね!」

 

 

 上田は有頂天な笑顔で、鷹野にぺこぺこ頭を下げる。

 

 

「是非是非是非是非、楽しませていただきますよ! 研究なれどもパーリナィッ!! なんちゃって!!」

 

「うふふ……愉快なお方ですわ!」

 

「うひょひょい! はいッ!!」

 

 

 上田と鷹野は互いにキツく握手を交わす。その間、上田の視線は彼女の顔から剥がされなかった。

 

 

「しかし、ここの診療所の設備。かなり、充実していらっしゃいますねぇ!」

 

「ははは! 親の威光ですよ……医者のいない所で誰かの助けになるのが、僕の夢でしたので」

 

「それは本当にご立派だ!」

 

 

 沙都子が横から話しかける。

 

 

「それに入江先生は……ほら、前にも言いましたけど、野球チームの監督もされていますのよ!」

 

「地域密着型と言う訳ですね? そこまで出来る人はいませんよ!」

 

「あの〜……もう、離してもよろしいでしょうか?」

 

 

 鷹野と握手しっ放しだった。慌てて上田は手を離し謝罪する。

 

 

「いやいや、申し訳ない!」

 

「上田。帰るのですよ」

 

「もう少し待ってなさいッ!」

 

「なんで付いてきた上田先生が仕切るのですか……」

 

 

 梨花にグチグチと言われた為に、仕方ないので話は切り上げる事にする。

 最後にもう一度だけ、上田は別れの挨拶をしておいた。

 

 

「では、入江先生。また是非、お暇な時に伺います。なんせ私には、ノーベル賞レベルの研究を山ほど抱えていますからね!」

 

「ここに来てから上田、遊んでばかりな気がするのです」

 

「黙ってなさいッ!!」

 

「あの……どうしてまた握っているのでしょうか?」

 

 

 無意識で、また鷹野の手を握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の山田は、建設現場までの道をテクテク歩いていた。

 

 

「ダムは〜、ムダムダ〜」

 

 

 雛じぇねの行進をまた見た辺り、今日も活動は活発のようだ。

 

 

 

「……喧しいのは、蝉だけにしろっての……!」

 

 

 ブツブツ文句を言いながら、暑苦しい陽の下で工事現場へと足を進める。

 

 

 

 

「えぇ、本当に。そうですねぇ」

 

 

 

 背後から突然、年配の男の声が聞こえた。誰かと思い、山田は振り返る。

 

 

 立っていたのは恰幅の良い体格をした、中老年ほどの男。上着を脱ぎ、特徴的な色合いのシャツとサスペンダーが目立つ。

 意地の悪そうなニタニタ笑いを浮かべ、ロマンスグレーの髪を撫でた。

 

 

「私、暑いのは我慢出来ますがねぇ? 煩いのは本当に勘弁と思っているんですよ」

 

「…………」

 

「ほら、暑いのは仕方ないじゃないですか。太陽を無くさない限りは。んふふふふ!」

 

 

 唐突に話しかけては、こちらを小馬鹿にするような気に触る喋り方と笑い方をする。山田は彼へ最大限の注意を払った。

 男はそんな山田の警戒心を知ったか知らずか、ペラペラと減らず口を続ける。

 

 

「しかしまぁ? 煩いのは頑張れば無くせますからねぇ。例え百でも二百でも、一気に追い払えたり出来ますから!」

 

「…………どちら様ですか?」

 

「あー、喋り過ぎてしまいましたな! 良く舌が回るもんで、名乗り遅れてしまいましたよ! なははは!」

 

 

 愛想の良い笑顔と言うより、本心を隠しているような笑顔。

 男は胸ポケットから、何かを取り出した。

 

 

 

 山田にとっては見知ったもの。とは言え普通に見られる物ではないもの。

 怪訝に満ちた表情は、一瞬でギョッと愕然色に変貌した。

 

 

 

 彼が取り出したのは警察手帳だった。

 

 

「私、興宮署の『大石 蔵人(くらうど)』と申し上げます」

 

 

 入道雲が太陽を隠した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

夕立雲

 夏。

 遥かなる夏。

 果てしない夏。

 

 変わらない夏。

 誰かがいるか、誰かがいないかの夏。

 

 

 晩夏は訪れない。

 ひぐらしは鳴き止まない。

 自分はその先に行けやしない。

 

 

 

 祝福され、この世に生を受けたのに。

 世界は、自分を呪い続けた。

 

 

 重い重い枷と、辛い辛い罪を、永遠に嵌めつけて。

 

 

 

 苦痛、諦念、絶望、不運、狂気、暴走、罵声、決裂、崩壊。

 どれ一つ欠けた事はない。

 最後に行き着くのは、死と、何もない当たり前の夏。

 

 まるで夕立のように、悲劇は訪れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私、興宮署の大石蔵人と申し上げます」

 

「クラナド?」

 

「いや、蔵人(くらうど)です……ちょこっと訳あって村に来てるんですがね?」

 

 

 突如現れた、隣町の刑事。自分の身分を明かしたと言う事は、職務上必要な事を聞かれるのだろう。

 

 

 勿論、山田には身に覚えはない。そもそも自分は、先々日に未来から来たばかり。何かしようが無い。

 ならば堂々とするべきだが、大石が醸す得体の知れなさが妙な威圧感を生んでいる。山田は無い胸を張る事でしか虚勢を張れない。

 

 

「そ、その、刑事さんが、何か……!?」

 

「……おやぁ? 私の事を知らないのですかぁ? ちょっとばかし、ここらでは有名なんですがねぇ……んふふ!」

 

「お互い初対面だと思うんですけど!」

 

「で、しょうな。私も初めて見ましたからねぇ、あなたを」

 

 

 のらりくらりとした言葉遣い。山田は面倒になり、苛つきを隠さず厳しい口調で尋ねた。

 

 

「……なんなんですか?」

 

「まぁまぁ! お気に障ったのでしたら謝りますよぉ!……本題に入りますがね?」

 

 

 全てを見通したような、余裕の笑みのまま大石は本題を告げる。

 

 

 

 

「あなた……園崎と、何か取り引きしとりませんか?」

 

 

 たった一言で、堂々としたかった山田の心へ一気に動揺を作った。

 

 

「な、なんで!?」

 

「その『なんで』は、『なんで分かったのですか』のなんでですかぁ?」

 

「あ……えっと、あの、こ、これは」

 

「んふふふ! あなたの使われている家、昔に園崎関係で『イザコザ』があった場所でしてねぇ? そこに出入りしてる知らない男女がいると聞いたものですから!」

 

「イザコザって……やっぱ曰く付きじゃんあの家!」

 

「調べたらまだ園崎の保有のようですし……こりゃ何か関連があるなと思った訳ですよ!」

 

 

 話し方や態度、どこを取っても出し抜ける隙が見当たらない。

 それは彼が、「お前は絶対に園崎と繋がっているぞ」と決めてかかり、論破する情報を揃えている自信が滲み出ていたからだろう。

 

 

「あ、あの家使っているからって繋がっている証拠には……」

 

「あなたが学校で……んふふ! 園崎魅音らと接触もしていますね?」

 

「そそ、その縁で使わせてくれてるんです! 旅行に来て、泊まる所ないんで」

 

「と言う事は、あなたたちは余所者なんですな? あの園崎が余所者の旅行者に寝床を用意する慈善家なんて思えませんから……お嬢さんに気に入られたとは言っても、彼女はまだ組を左右出来る立場じゃないですからねぇ」

 

「や、あの、それは」

 

「あ! そうそう! 木曜日の夜、あなたと園崎魅音が一緒に歩いて、園崎御殿に行く所も知られているんですよぉ?」

 

「行きましたよ! 認めますよ!」

 

 

 ここまで追い詰められたなら、開き直るしかなかった。

 大石は満足げに両口角をにんまり吊り上げる。

 

 

「あなたでもご存知と思いますがねぇ? 園崎家はヤクザ、つまり暴力団です。そこと取り引きしている事実……ん〜……警察として見過ごせないのですよぉ?」

 

「別にそんな、危ない取り引きはしていませんよ! 第一、私……」

 

「堅気でしょう?」

 

「……へ?」

 

「刑事何年もやってりゃ、誰がヤクザか堅気かなんざ、すぐに分かりますとも! なはは! 私だってヤクザ相手に一人で堂々と話しかけられませんからねぇ?」

 

「……堅気だって分かったなら、もう良いですか?」

 

 

 これで解放して貰える訳はないとは内心分かっていた。案の定、大石は大袈裟な動作で首を振る。

 

 

「例え堅気じゃないにせよ、組と繋がっている事実は変わりありませんからねぇ」

 

「えぇ……もしかして、任意同行……って奴ですか?」

 

「そうなりますかな?……ここでぜーんぶ話していただけたなら別ですが? 事件性の有無だけ確認したいだけですから」

 

「はぁ……そこの集団、見えますよね?」

 

 

 山田が指で差し示した先には、相変わらず「ダムは〜ムダムダ〜」と唱えながら行進している、雛見沢じぇねれ〜しょんずの構成員たちがいる。

 彼らの事は、園崎との関係も含めて大石も把握していたようだ。

 

 

「雛じぇねですね。何だかけったいな女に洗脳されているだとか? 最近は園崎から離れているらしいですねぇ」

 

「……まさにそれです。雛じぇねの指導者のインチキ暴いて、追い出せ言われたんですよ」

 

「あなたが? 探偵か何かなんですかぁ?」

 

「……マジシャンなんです」

 

「ほぉ! マジシャンなんですかぁ! いやはや、六十手前ですがねぇ? 本物のマジシャンに会ったのは初めてですなぁ!」

 

 

 話題が逸れたと感じ、大石はわざとらしく咳払いして本筋に戻す。

 

 

「つまり……マジシャンの腕と目を見込まれて、インチキ暴きに起用されと言う訳ですな?」

 

「はい、そうです……別に何か犯罪ではないとは思いますけど」

 

「いやぁ、納得しましたぁ! 元は園崎家の手足だった死守同盟。乗っ取られて村で好き勝手されている今、また手に戻したいんでしょうな」

 

 

 そこまで推測出来るのかと、山田は驚かされる。

 

 

「え、えぇ……その通りで……元々は園崎に従っていたそうですし……強引に手元に戻すより、顔の割れてない誰かが立ち回った方がスマートって事なんでしょうね」

 

 

 お金の要求だとか三億円だとかの話はしないでおく。

 尤も、この男はもう知っていそうなものだが。

 

 

「こりゃもう一つ、納得! 余所者嫌いの園崎頭首がわざわざ、あなたに頼ったのはそう言う事だったんですね?」

 

「……もう良いですか? 今からそのインチキ暴きに行きますんで」

 

 

 話す事は話したと、山田は踵を返して離れようとした。

 だがこの大石、なかなか粘着質な男で、まだ話があるのか急いで呼び止める。

 

 

「まぁまぁ、待ってください! あなた、園崎家に利用されている事は多分、ご自覚でしょうね?」

 

「……そりゃ、まぁ……でも泊まる所いただいているんで文句は……」

 

「先に言っておきますが……あの雛じぇね。指導者のカリスマだとかで、半分危ない宗教になりつつあるそうですよ? ただの農夫の集まりと思われたら大間違いです!……何しでかすか、分かったもんじゃない」

 

 

 山田が一番驚いたのはこの大石、山田の心配をしている事だろうか。どうやら曲がりなりにも警察として市民の味方ではいてくれているようだ。

 言っても彼女の中での警察官とは「ヅラ被った奴」のイメージが強く、好印象は全く湧いてこなかった。

 

 

「集まって叫んで石を投げるだけの烏合の集が、一人の人間を崇拝し始め、陰険な組織になっちまっていますよ」

 

「………………」

 

「悪い事は言いませんが、今すぐ断りなさいな。あなたは園崎に良い様にされているだけですよぉ? これじゃほぼ鉄砲玉ですよ?」

 

 

 まさか金に釣られて、本当に良い様にされているとは思っていないだろうが。

 

 

 

 しかしそれでも、やるからには山田なりのプライドも存在する。

 一度また山田は大石に身体を向けた。

 

 

 

「マジックは人を喜ばし、夢を見せる芸……そして、技です」

 

「……ふぅん?」

 

「それを『どうだ凄いだろ』って見せびらかしているジオ・ウエキが、いちマジシャンとして鼻に突くんです」

 

「………………」

 

「利用されてるにせよ、それだけは私の意思ですから」

 

 

 山田はまた踵を返し、そのまま足を動かし始めた。次呼び止められようとも、もう振り返らないし、立ち止まるつもりもなかった。

 

 大石も彼女の意志に気付いたのかもう呼び止めはせず、大声で忠告を飛ばすだけに留めた。

 

 

 

「園崎家は、『鬼隠し』に関わっていやしないかとあなたも疑っているんじゃないですかぁ?」

 

「……!」

 

「身の危険を感じたなら興宮署にすぐ来る事です!」

 

 

 やはりあの刑事も鬼隠しを調査している。何か過去の事件でも知っているハズだ。

 

 だが警察には守秘義務があるし、自分も向こうも信用し合っていない今、聞くのは野暮だ。

 そう考え直し、振り向きも返事もせず、暑い暑い田舎道を逃げるように早足で突き進む。

 

 

 

「それと! あの入道雲! すぐに夕立が来ますよぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の予言通り、工事現場付近まで来た時には大雨が降り出した。

 

 

「わーわーわー!? 本当に降りやがった!?」

 

 

 急いで走り、工事現場前にあった農具小屋の庇の下に逃げ込む。

 

 

「にわか雨かなぁ……じゃあ、そんな降らないか」

 

 

 すぐに止んでくれる事を望んで、壁に凭れて晴天を待つ。

 辺りの道は泥になり始めて匂い立ち、乾いた暑さが湿り気を帯びて気持ち悪く蒸して行く。

 

 ウンザリ顔で雨天を見上げていた山田だったが、ふと工事現場の方を見た時、視界に入った光景に目を疑った。

 

 

 

 

「……うん? ジオ・ウエキ……?」

 

 

 工事現場から、ド派手な傘を差して出て来るジオ・ウエキの姿。

 咄嗟に山田は小屋の影に「シュワっ!」と隠れて、動向を伺う。

 

 

「……またデモとか……いや、一人だけか……なにやってんだ?」

 

 

 一人だけ、と思っていた山田だが、彼女の数歩後を追っかけて来た二人の男女に気付く。

 

 

「うぉ。もう二人いた!」

 

 

 傘と雨が邪魔をして、二人の良く顔は見えない。

 だが服装のみの印象だけなら、女の方はまだ若そうで、男の方は赤いシャツが目立つチンピラ風だ。

 

 一体どんな関係なんだと凝視していたが、特に彼女らは何をするでも無く、それぞれ道を分かれて去って行く。

 尾行しようとも考えたが、傘もなく「これ以上濡れたくないな」と思い、見送る事にした。

 

 

「……なにやってたんだろ」

 

 

 疑問に思いながらも雨宿りに徹し続け、十分後に夕立は通り過ぎる。

 

 

 ジオ・ウエキの行動の前に、トリックを暴く事が最優先だ。

 ダムの現場に入った山田だが、作業員小屋から現れた七人に止められる。

 

 

「あなた! 止まりなさいっ!」

 

 

 いつかのオカマ現場監督とその仲間たちに道を塞がれ、山田は軽く慄いた。オオアリクイの威嚇をして応じる。

 

 

「な、なんなんですか!?」

 

「……ん? あなた、こないだの貧乳じゃないのっ!」

 

「だ、誰が貧乳だ!? あなたよりあるわい!」

 

「な!? あたしの方が、おっぱい大きいわっ!!」

 

 

 関係のない議論に入りかけたが、反応に困っている作業員らの顔を見て、現場監督は咳払いをする。

 

 

「ここは鬼ヶ淵ダムの工事現場なのっ! こないだはデモ集団に圧されたけど、基本は関係者以外立ち入り禁止なのよっ!」

 

「この間ジオ・ウエキが手品をした場所を見るだけで良いんです!」

 

「ダメよダメよダメダメダメダメ……あなたは、戻らなくっちゃあいけないのよ!」

 

「私がアレのトリックを暴きますから! あなたたちだって、反対派が消えた方が嬉しいんじゃないんですか!?」

 

「そうは言っても、雨も止んだしお仕事再開なのっ! はいUターンっ!!」

 

 

 一歩一歩迫って来る作業員らの壁に気圧され、山田は渋々引き返す事にした。

 背後で彼らの点呼が聞こえる。

 

 

「お仕事よっ! 番号っ!! 一ッ!」

 

「二ッ!」

「三ッ!」

 

「五ッ!」

「六ッ!」

「七ッ!」

「八ッ!」

 

「四番は永久欠番よっ! 黒沢俊夫にみんな礼をするんだっ!!」

 

 

 何やってんだと愚痴りながらも、山田は工事現場を後にする。結局、三番目のマジックのトリックは分からず終いだ。

 

 

「……でもジオ・ウエキたち……工事現場から出てきたよな……何やってたんだ?」

 

 

 

 その疑問を考える暇は、無かった。

 

 

 

 

 一台の黒い車が突然現れて、見事なドリフトで山田の前に停車したからだ。

 

 

「なになになに!?」

 

 

 両手を広げて、アリクイの威嚇。

 停まった車の中から出たのは見るからに堅気ではない黒服の男たちが三人で、一斉に山田を囲った。威圧感の強さとしては、作業員らとは比べ物にならないほどだ。

 

 山田は身を縮めて命乞いをする。

 

 

「許してつぁかさい!!」

 

「山田さん! 探したよっ!!」

 

「…………ん?」

 

 

 聞き覚えのある声で冷静さを取り戻す。

 後部座席からもう一人、車から出て来た。その人物とは、園崎魅音だ。

 

 

「すぐに来てっ!」

 

「え? え? え!?」

 

「早くっ!! ほら! みんな乗せてあげてッ!!」

 

「「サー・イエッサーッ!!」」

 

「うにゃー!?」

 

 

 三人の黒服は山田の背を押し、無理やり後部座席に押し込んだ。そこは魅音の隣だった。

 

 

「ど、どう言う事ですかコレぇ!?」

 

「説明は移動しながら! ほらさっさと車出して!!」

 

「あの……魅音さん」

 

「なに、山田さん!?」

 

「私乗ったら、一人乗れなくないですか?」

 

 

 

 

 

 車の屋根にしがみ付く、不幸な黒服を乗せて走り出した。

 

 

「だ、大丈夫なんですか?」

 

「松田優作もやってたし大丈夫っしょ!」

 

「いやいや……」

 

 

 どこかへ向かう最中に、魅音は説明をしてくれた。

 

 

「ジオ・ウエキから園崎へ声明が来たの」

 

「え!?」

 

「山田さんの言ってた通り、明日来るってさ」

 

「時間とかは!?」

 

「言ってない。明るい内とかは言ってたけど……それにもう一つ」

 

「もう一つ?」

 

「……ジオ・ウエキは、山田さんを呼ぶように言いつけたの」

 

 

 疑問と驚きの混じった声で山田は叫ぶ。

 

 

「なんでやっ!?」

 

「こないだ、山田さん啖呵切りに行ったみたいじゃん。だから山田さんに向けての挑戦状だと思う」

 

「でも良いんですか!? あの、お婆様とか……?」

 

「寧ろ婆っちゃが呼べってさ」

 

「へ?」

 

「……山田さんが焚き付けたとか、ジオ・ウエキの仲間じゃないかって疑っている訳よ。だから懐に置いて監視させるって」

 

 

 冗談じゃないと、シートに身体を埋めた。

 

 

「じゃあ私、雛じぇねへの人質って扱いですか!? わ、私、無関係ですよ!?」

 

「それは私が分かっているから大丈夫!……圭ちゃんに黙ってくれているし、詩音も『山田さんは悪い人じゃない』って言ってたし」

 

「……詩音さんが?」

 

「でも婆っちゃが言うからさぁ……すぐ連れて来いって言っててね……私がいないと山田さん驚くと思って車に乗ったけど」

 

「いや、魅音さんいてもいなくても驚きますけどコレ」

 

「とにかくっ! お願い山田さん! 山田さんならジオ・ウエキが何をしてくるか解いてくれるって、信用してるから!」

 

 

 両手を合わせて、頼み込む魅音。

 彼女も彼女なりの立場があるのだろうと理解は出来たし、切羽詰まった表情の魅音を見れば断る気は失せた。

 それでも一言くらい小言を溢しても良いだろうと口を開いた時に、魅音が先に話す。

 

 

「ちゃんとご馳走するから!」

 

「是非、頑張らせていただきます」

 

「ありがとう!!」

 

 

 物に釣られた気もするが山田は快諾し、ホッと魅音は息を吐く。

 

 

 

 

 園崎家の屋敷が見え、車が停まる。

 車外に出て屋根を見たら、黒服の姿は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨上がりの道を歩く、梨花と沙都子。

 

 

「夕立には驚きましたわね」

 

「みぃ。入江が傘貸してくれたから助かったのです」

 

 

 黄色い小学生用の傘を腕に吊るしながら、二人は帰路を行く。

 しかし一緒にいたハズの上田がなぜかいない。

 

 

「それにしても上田先生、大丈夫なんでしょうか?」

 

 

 

 

 数分前、上田は謎の黒服集団に連行された。

「お慈悲を!」と助けを求めるも虚しく、彼は車に押し込まれてどこかへ消える。

 

 

「あれ……多分、魅音さんの……ですわよね?」

 

「魅ぃなら悪い様にしないと思うのです。それに」

 

「……それに?」

 

「上田が恨み買われるような事、出来る訳ないのです」

 

「……まぁ、それもそうですわね」

 

 

 大方、魅音の悪ふざけだろう。それにしてはやり過ぎな気もするが、上田が園崎に喧嘩を売るような事もしたとは思えない。

 どうせ夜までには帰って来るだろうと踏み、沙都子は昼食の話をする。

 

 

「お昼、どうされます?」

 

「カレーは勘弁なのです」

 

「お給与も入った事ですし、どこか食べに行くのも良いですわね!」

 

「なら詩ぃの所に行くのです!」

 

「では、早速…………」

 

 

 沙都子の表情が、一瞬で強張る。

 綻んでいた口元が固まり、垂れていた目元が丸くなった。

 

 小首を傾げ、「どうしたのですか?」と聞こうとした梨花さえも、彼女の視線の先にいた存在に愕然とした。

 

 

 

 そこにいたのは、赤いシャツを着た男。

 固めた髪は金色で、下衆な笑顔を見せ付ける。

 ポケットに手を突っ込み、ズンズンとこっちへ迫って来た。矮小に思えた輪郭が、段々と巨大になる。

 

 

 

 気付けば二人を遥か上から見下す、怪物が立っていた。

 

 

 

「久しぶりやのぉ、沙都子ぉ。迎えに来たからなぁ?」

 

 

 欲望と禍根、嗜虐の権化が、莞爾として笑う。

 

 

「さ、沙都子! 逃げ……!」

 

 

 手を引き、逃走を促す梨花。

 その小さな身体が男に突き飛ばされ、出来たばかりの泥に這い蹲るのは、そのすぐ直後だった。




・「黒沢俊夫」は戦前〜戦後に巨人で活躍した打者。戦後三十三歳の若さで亡くなり、彼の背番号「四番」は永久欠番となっている。戦中、徴兵される選手がいた中で残り続け、選手として全うした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

屋敷幽閉

「俺たち園崎構成員ッ!」

 

「「母ちゃんたちには内緒だぞ!!」」

 

「うるさい奴には鉛玉ッ!」

 

「「彼女はコルト・ガヴァメント!!」」

 

 

 雄々しいミリタリー・ケイデンスと共に門前をマラソンする黒服たちを眺めながら、山田は再び園崎の門を潜った。

 

 

「……ファミコンウォーズ?」

 

「とりあえず山田さんは離れを使わせるってさ」

 

「ほ、本当に大丈夫なんですか私?」

 

「大丈夫だって! 私が保証する! だから気楽に構えといてよ!」

 

「ちょっとそれは無理ですね」

 

 

 縁側を歩く山田と魅音の後ろを、ゾロゾロ怖い顔した人たちがカルガモの子どものように付いて来る。しかもどんどんと増えて行進のようになった。

 後ろを気にする山田へ魅音は続ける。

 

 

「座敷で婆っちゃとジオ・ウエキの事で話して来るからさ。山田さんは客間で寛いでてよ」

 

「めっちゃ付いて来てるんですけど」

 

「組が喧嘩売られたんだもん。ギスギスしているのは仕方ないよ」

 

「院長回診みたいになってる……」

 

「じゃあ、ここで待ってて、山田さん!」

 

 

 立ち止まり、傍らにあった襖を開く魅音。

 その先にある部屋にいた人物を見て、山田は愕然とした。

 

 

 

 

 震える手で湯呑みを掴む、上田の姿。

 

 

「上田ぁ!?」

 

「山田ッ!?」

 

「上田先生!?」

 

 

 彼の存在は魅音も予想外だったようで、山田と同じく目を見開いて驚いていた。

 山田は部屋に入り、上田に近付く。

 

 

「な、なんで上田さんまで……!?」

 

「俺が聞きたいぞ全くッ! いきなり連行されたと思ったら……」

 

「ちょっと!? なんで上田先生まで連れて来たの!?」

 

 

 魅音が付いて来ていた組員らに怒鳴ったと同時に、隣の部屋の襖が開けられ、一人の男が入って来る。

 

 

 

 

 

「頭首の意向なんで……お連れしました」

 

 

 ここまでなかなか厳つい顔付きの者を見て来たが、それらさえ凌駕する厳つさを放つ男だ。

 黒いサングラスで目は隠しているとは言え、その巨体と纏う空気が相手へ本能的に危機感を与えるほど。

 

 

 そんなあまりの厳つさに、上田も山田も恐縮する。

 

 

「や、ヤバイの来ちゃいましたよ……! 絶対人殺してますってアレ……!」

 

「おおおおお落ち着け落ち着け、リラックスリラックスリリリリクスクス」

 

「お前が一番落ち着けっ!」

 

 

 男は一歩踏み出し、丁寧に襖を閉め、客間に入る。それだけで部屋が寒くなった気がした。

 

 

「お二方」

 

 

 渋く、濃い声で話しかけて来る。二人の身体はビクリと跳ねた。

 

 

「は、ひゃーいッ!」

 

 

 上田の声が間抜けに裏返る。

 縁側から覗く組員らの視線を受ける中、男は存外に丁重な物言いと物腰で話し始めた。

 

 

「突然、ここに連れて来て申し訳ありません。ただ、ウチの沽券に関わるんで……そこは了承してもらいます」

 

「『葛西さん』! 本当に婆っちゃが連れて来いって言っていたのですか!?」

 

 

 魅音が男──葛西へ問い詰めるように尋ねた。

 彼は彼女の方へ身体を向け、まずは座るように手を差し出して促す。

 

 

「立ち話も何ですし、とりあえず座りましょう」

 

 

 ワイルドな風貌とは違い、礼儀作法はなっている人物のようだ。納得行かない様子の魅音が座ってから、彼も向かい合わせに正座する。

 

 

 次に縁側から覗く組員らに顎を上げて命じると、彼らは「押忍ッ!」の掛け声と共に襖を閉めて退散した。

 

 

「イエッサーじゃないのか……」

 

 

 困惑する山田。

 組員らを退散させたので、ここにいるのは魅音と葛西、山田と上田だけだ。落ち着いた状態で、葛西は説明を始める。

 

 

「その上田さん、でしたか? 山田さんを連行するなら関係者も連れて来いと命じられまして」

 

 

 隣室から組員が入って来て、部屋にいる全員にお茶を振る舞う。ずっと上田と山田を睨み付け、出て行く際も後ろ歩きのままで目を離さなかった。

 

 魅音は置かれたお茶を飲み干してから、葛西に抗議する。

 いつもの彼女とはどこか気迫の違う、据わった目をした「極道」の顔付きをしていた。

 

 

「……良いですか? 山田さんも上田先生も、私が巻き込んだだけです。雛じぇねと関係ない。なぜお二方が奴らの仲間にされているのですか?」

 

「そう言われましても……頭首は、山田さんらの登場と、ジオ・ウエキの発言を偶然とは思っておられないそうで……」

 

 

 食い付く魅音を葛西は両手で制止させ、説明を加えた。

 

 

「無関係ならそれで結構です。あくまで可能性を潰すと言う名目ですので……今日と明日、監視付きで過ごしてもらうだけです。如何せん、ジオ・ウエキの『三億円』の話は……厄介な話題でして」

 

 

 彼の言う「厄介」には、意味深長な思いが込められていた。

 疑問に思った山田は、湯呑みを持ってガクガク震えている上田に代わって二人に尋ねた。

 

 

「……どう言う事ですか?」

 

 

 山田が飲もうとしたお茶を魅音は引ったくって飲み干し、答えてあげた。思わず二度見する山田。

 

 

「……ジオ・ウエキが盗むって言った三億円……今度運ばれる上納金とほぼ、金額が合致しているの」

 

「正確には『二億九四三一万七五◯◯円』……偶然金額が近いと言うのも考えられません。ジオ・ウエキは何らかの方法で、上納金の金額を把握していると言う事です」

 

 

 つい山田は頭の中で三億円をイメージする。

 

 

「ほぼ三億円……チキンラーメン幾つ食えるんだ……!?」

 

「チキンラーメンどころか会社も買えるぞ」

 

「しかも予告した日曜日……上納金の運搬日でもあります。偶然にしては、あからさま過ぎます」

 

 

 眉を寄せ、釈然としない様子で葛西は顎を撫でて唸る。

 上田は恐縮しながらも、葛西の言った疑問に対する一つの可能性を述べた。

 

 

「つ、つまり、こうですか?……園崎家に、内通者いる……と?」

 

 

 魅音は上田の湯呑みを引ったくってお茶を飲み干すと、やや憤然とした口調で否定した。

 

 

「考えられないよ上田先生!」

 

「なんで人のお茶飲むの……?」

 

「ここの組員は皆、盃を交わした仲……絶対に園崎を裏切るなんてしない」

 

 

 彼女の主張に対し、葛西も同意するように重く頷いた。

 

 

「私も同感です。ここの連中が裏切るなんざ考えられません……仮にそうだとしても、裏切る予兆があればすぐに分かる……ウチの情報網はそれほど広大なんです」

 

 

 シビアなヤクザの世界だが、仲間内の義理は堅く仁義に厚い辺りは、さすがは昭和漢と言った気質だ。

 

 

「……と、すると……盃を交わした組員たちから離れた人……例えば、系列店の従業員、とか?」

 

 

 山田の意見に、葛西はまた頷く。

 

 

「大方、そこでしょう。系列店はキャバや飲み屋が多い……関係者が酔ってポロッと言っちまったんでしょうな」

 

「延期も視野に入れたけど……なにぶん決算日も近いし、他との取り引きもあるからね。三億円は予定通り、明日運び込まれる算段だよ」

 

 

 そう言いながら葛西のお茶に手を伸ばす魅音だが、湯呑みを持ち上げられてかわされてしまった。

 

 

「警備は強固にはさせるので、道中襲われる事はないと思いますが……まぁ、襲って貰った方が話は早くて助かるんですがね?」

 

 

 お茶を啜りながら呟かれた、葛西の言葉。冗談なのか皮肉なのか本気なのかが分からず、山田と上田は肩を狭めた。

 ぴょこりと山田は手を上げて、おずおずと葛西に尋ねた。

 

 

「あのぉ……それ、私たちに喋って良いんですか……?」

 

 

 かなり大事な話だ、部外者で疑惑の人物である山田と上田の前で話して良いのかと心配になる。

 

 

「ここまではただ、三億円の話……ジオ・ウエキは恐らくここまで知っているハズですから。警備状況までは、ここでは控えさせていただきます」

 

「でも、どっかで盗み聞きされて、ケータイとかで連絡とかされたり……」

 

「……携帯? 何をです?」

 

 

 携帯電話を知らず、キョトンとする葛西。上田は大急ぎで山田に注釈を入れてやる。

 

 

「おい……この時代はまだ、『肩掛け電話』さえ無いぞ」

 

「え?『しもしも〜?』を知らない世界……!?」

 

「『平野ノラ』の時代はまだ後だ……」

 

 

 山田の話はともかくとして、葛西は次の話を以て締めた。

 

 

「ジオ・ウエキはウチの組について、ある程度の知識があるんでしょう。従業員と親族か、友人か……何にせよ、面子が潰されるなんて事はあってはならない」

 

「……その、山田さん、上田さん……ごめんね? ご馳走するから……」

 

 

 手を合わせて謝罪する魅音を見て、山田はハッと気付く。

 

 

「……良く良く考えたら衣食住揃ってるし……役得?」

 

「……刑務所を出たくない元犯罪者かお前は」

 

 

 葛西はのっそりと立ち上がり、部屋を後にしようする。合わせて魅音も立ち上がった。

 

 

「……ジオ・ウエキの処遇についてはこっちで話しますんで……魅音さん、行きましょうか?」

 

「お茶でも飲んで寛いでてよ!」

 

「お茶は全部魅音さんに飲まれたんですけど」

 

 

 空っぽの湯呑みを指差しながら山田は抗議するが、無視された。

 

 

 

 葛西と魅音は二人を残し、別室で行われるであろう会合へ向かった。

 ぽつんと残された二人だが、辺りから醸し出される緊張感は相変わらずだ。肩の力を抜きながら山田はぼやく。

 

 

「……こんな事になるとは思わなかった……もうコレ北野映画じゃん」

 

「こんな事どころか、タイムスリット自体も予想外なんだがな……」

 

「……疑われて、指詰める事になったらどうしましょ……」

 

「………………グスッ」

 

「……泣いてます?」

 

「泣いてないッ!……それに……俺たちが、『鬼隠し』の犠牲者候補にでもなったら……!」

 

 

 どうやら上田は、鬼隠しの犯人は園崎だと思っているようだ。

 襖の向こうで誰が聞き耳立てているか知れたものではない。こっそり耳打ちするように山田へ話しかける。

 

 

「死ぬか、消えるか……いや。消えるってのも、実際死んだようなもんか……」

 

「上田さん……園崎家は関わっていませんよ」

 

「なんでそう言い切れる?」

 

「それは……まぁ……魅音さんも、詩音さんも、良い人っぽいですし……」

 

 

 大石の言葉が頭を掠めてしまい、断言までは出来なかったが。

 

 

「……正直、言い切りは出来ませんよ。『違う』って確証も持てないし、でもだからって『そうだ』とも思えないんです……」

 

「良いかYOU? 殺されたのは、ダムの中立・賛成派ばかりだ……それに二年目以外は、村内で起きている……あの葛西とか言う男の話し口からして、園崎の影響力はこの辺で強い。恐らく、興宮に逃げても追い付かれるだろう」

 

「………………」

 

「そして取っ捕まえ、見せしめとして派手に殺害する……こうすれば邪魔者は消せるし、村の人間は誰一人として、園崎に従わざるを得ないだろ……!」

 

「そこが妙なんですよ」

 

「……なに?」

 

「そんな毎年殺人しなければならないほど、ダム戦争は切迫詰まってたんでしょうか?」

 

「……どう言う意味だ?」

 

 

 山田は説明を始める。

 

 

「前にここに呼ばれた時、魅音さん言ってたんです。『園崎家の影響力が落ちる事は無いと思うけど、園崎が本山の雛見沢村をまともに仕切れないのは他に示しつかない』……これって、園崎家の影響力は前々から強いって言っているようなものですよね」

 

「……んまぁ、そう、捉えられるな」

 

「詩音さんも言っていたんです……『あの人だったらもっと巧妙にやる』……邪魔者を消したいなら、わざわざ殺さずとも村から追い出すなんて事も出来たハズです。殺すにしてもヤクザへの見せしめじゃあるまいし、死体を残す意味がありません」

 

「……いいや、山田。意味はある」

 

「……へ?」

 

 

 上田が反論を唱えた。

 

 

「お前が言っていた通りだと、この家は『鬼ヶ淵死守同盟』とやらを指揮していたんだろ? つまりは村の結束を重視していたんだ……結束力を高め、反対派閥が従わざるを得ない空気を作るにはどうするか……それは、毎年、同じような現象を作り、村中にこう喧伝するんだ」

 

「……まさか……」

 

「……『オヤシロ様の祟り』……だと! 邪魔者を消すとか、影響力とかではないんだ!『反対派閥に従わなければ祟られる』と言った、漠然とした恐怖で村人……強いては、ダム建設関係者に意識させるんだよ!」

 

「建設関係者まで……?」

 

「神の存在への恐怖と言うのは効果が強い……科学の時代になっても、なかなか否定しきれないからだ。もし、噂が蔓延したタイミングでダム関係者が事故死すれば……オヤシロ様の祟りを信じ込み、建設会社は手を引くだろう!」

 

「…………」

 

 

 彼の話も説得力がある。しかし本当にそうなのかと言った、ある種の疑いもあった。

 

 

「……なら、最初からダム関係者を消したら良いじゃないですか」

 

「……まぁ、そうだが……最初からすれば、園崎がやったのではと、疑われるだろ?」

 

「今だって疑われてんじゃないですか」

 

「……だが同じ方法で特定人物を殺し続けるには、広い情報網と人手、物も必要だろ。そうなると、園崎家以外に考えられない」

 

「そうですけど……」

 

「それにダム建設が進んでいる今、天下のヤクザとてなり振り構ってられんだろ」

 

 

 

 

 互いに話し合い、言い尽くした所で、組員が部屋に入って来た。

 

 

「離れに案内するッ!! 付いてこいッ!! カムヒャーハイヤーーッ!!」

 

 

 ふと上田は、置いて来てしまった二人について思いを馳せる。

 

 

「梨花と沙都子は大丈夫だろうか……」

 

「大丈夫ですよ。あの生活に慣れているでしょうし……まぁ、綿流しまでは何もされないでしょ」

 

 

 山田と上田は組員に急かされ、渋々立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 泥塗れの梨花は、男を見上げていた。

 

 

「なんじゃガキ? 沙都子のダチかぁ?」

 

 

 男は既に沙都子の腕を掴み上げ、逃げられないようにしていた。

 

 

「ヒッ……!」

 

「沙都子……! さ、沙都子を離すのです!!」

 

「あぁ!? 何言うとんじゃ? 沙都子は『家族』やからのぉ! これからはワシと暮らすんじゃ!」

 

 

 家族。その言葉を聞いて戦慄したのは、沙都子本人よりも梨花だった。

 泥に塗れながらも身体を起こし、敵意を剥き出しにした目で睨む。

 

 

「……! 今までほったらかしだった癖に……!!」

 

「おぉ?」

 

「今になって家族家族……欲しいのはどうせ、『北条家の遺産』でしょッ!?」

 

 

 今まで見た事もない梨花の激情。沙都子は目を丸くして、泥だらけで立つ梨花を見ていた。

 

 

 

 

 男の名前は「北条 鉄平」。

 沙都子の両親が死んだ後に、一度彼女を引き取った「叔父夫婦」の夫だ。

 

 しかし鬼隠しによって妻は殺害され、祟りを恐れて沙都子を放り出し村から逃げたらしい。引き取っていた時代に遺産を使い込んでいたロクデナシだ。

 

 

 

 大方また金に困ったのだろう。残っているかもしれない遺産を求めてとんぼ返りか……そこまで梨花は読み、あまりの馬鹿馬鹿しさに寧ろ冷静にさえなって来る。

 

 

「……沙都子……ボクの所に戻るのです……その人が沙都子にした事を、思い出すのです!」

 

「……ッ」

 

「沙都──」

 

 

 

 

 必死に説得しようとする梨花を、鉄平は無慈悲に蹴飛ばした。

 背丈の低い子どもは殴るより、蹴った方がやり易い。

 

 

「黙って聞いてりゃこんのガキんちょッ!!」

 

 

 梨花の身体は少し浮き上がり、泥濘の中にまた倒れ伏す。

 内臓が揺れて、全身が痛くて、頭の中は怒りに溢れ、気分が悪い。

 

 不快な感覚の中、鉄平の怒号が鼓膜を貫く。

 

 

「舐めた口効きやがりおって!! お前にワシらの事情に口出す権利あるんね!?」

 

「梨花!?」

 

「法的にはワシは『家族』なんじゃッ!! ガキんちょぉ!! 躾たるッ!!」

 

 

 近付く鉄平、梨花を踏みつけようとし始める。

 だがそれを沙都子は、背後からしがみ付いて止めた。

 

 

「や、やめて下さい!!」

 

「なんね沙都子!?」

 

 

 言わないで。言わないで。このまま踏み付けられても良いから。

 か細い梨花のこんがんは、雨上がりに鳴き出した蝉たちによって搔き消された。

 

 

 

 

 

「叔父様に……付いて行きますからっ!!」

 

 

 梨花の身体から力が抜けた。

 終わった。終わったと、頭の中で、泥の中で繰り返す。

 

 

 

 

 

 

 それからは何も覚えていない。

 

 チカチカする視界の先、無理やり彼女の手を引く鉄平らの後ろ姿が小さくなるのを、見るしかなかった。

 何度も振り返り、泣き出しそうな目でこちらを見る、沙都子の姿を見るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 こんな時になんで、上田はいなくなったの?

 あの二人は、結局、なんの変化も齎さないの?

「あの子」の言った通り、過ぎた希望だったの?

 

 

 

「……あは。あは、ははは……っ」

 

 

 乾いた笑いが出て来る。

 

 

 

 

「……役立たず……!!」

 

 

 二人に対してか、己に対してか。

 自分で言ったのに、言葉の矛先を向ける人物が、分からない。

 

 

 

 

 

 平穏は終わったのだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

災害と情景

 店の隅で矢部、菊池と、園崎詩音はコーヒーから漂う湯気を見ながら向かい合わせに座っていた。

 まずは矢部が話を切り出す。

 

 

「あれからもう、三十五年ですか。平成終わる前にってのもなんかの縁なんですかね? まっ、時代の総決算っちゅう訳で? 一つ、身の上のお話なんかとか?」

 

「………………」

 

 

 

 園崎詩音は幸運な女性だった。

 

 かつての園崎家はこの辺りを牛耳っていた、巨大なヤクザであった。

 詩音もその一族の娘として生を受けたが、双子だった為に、妹の彼女は村を追い出された。

 

 頭首は一人しかなれない。一方はどんな形であれ、間引く他ない。

 だがそんな彼女に、思っても見なかった事が舞い込んだ。

 

 

 

 

「……『姉の死』?」

 

 

 詩音は自らの家族に関した話をしてくれた」

 

 

「おねぇ……次期頭首候補だった園崎魅音が死んだんです。そうなると双子どうとかの話は無くなり、片割れの私が棚ぼたで頭首候補になったんですよ」

 

 

 菊池が資料を開き、園崎のその後を確認してから尋ねようとした。

 

 

「しかし、園崎家は……」

 

「……私の事を報告する為、各地の分家が集められました。その日が大災害の日……天下の園崎は、ただの自然災害で崩壊したんです」

 

「でも、あなた生きてんやないですか?」

 

「……私、興宮にいたんです。村を追い出されていた時にずっと住んでいたマンションを掃除しようって……幸運、なんでしょうか」

 

 

 その後の園崎家の末路だが、まず大災害によって主要人物と本山を失った園崎家は内部分裂。

 暗殺と抗争が立て続けに起こり、影響力は落ちてしまった。

 

 

 詩音は一度こそ園崎頭首に祭り上げられたものの、一気に親類や友人を失った彼女にその気は出なかった。

 うだうだしている内に園崎家は乗っ取られ、詩音は追放されてしまう。

 

 

 組の名は変えられて、「園崎」の名が消えた……ただ、詩音を残して。

 

 

「その後は残った親類を頼って……サボっていた学校に復学し、何とか高校は卒業しました。叔父が飲食店の経営者でしたから、私も色々学んで……ここ『園崎珈琲店』のオーナーになっています」

 

 

 波瀾万丈な詩音の半生を聞き、菊池は手を叩いて称賛する。

 

 

「その選択は賢かった! 昭和はヤクザが堂々と闊歩しておりましたが、平成に入り暴力団に対する対抗意識が高まりましてね! 法律が暴力団を淘汰しようと動き出したんです! 遅かれ早かれ、園崎家は衰退の道を」

 

「お前本人の前で言ったんなや!……あ、このコーヒー美味しいですね──」

 

 

 コピ・ルアックを詩音に引ったくられて飲まれる矢部。二回ほど瞬きした後に、矢部はまた彼女に尋ねた。

 

 

「あ〜……それで、ワシらが調べたいのはですね? 雛見沢大災害が、本当に自然災害やったのか!……なんすわ。何か、知ってる事ありますぅ?」

 

「……あまり、力になれないと思いますが……生存者と言っても、雛見沢村に戻らなかっただけですから……当事者って訳でもないですし……」

 

「んむ〜、そうですか〜」

 

 

 質問を終えた矢部と入れ替わるようにして、菊池がもう一つだけ聞く。

 

 

「では、当時の園崎家の様子とか?」

 

「なんでそないな事聞くねん」

 

「多角的な面からの捜査ッ! これは警察の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎ッ!! そんな事も分からずに警察名乗って、恥ずかしくないのかッ!?」

 

「よぉし、分かった。お前は後で五分の四殺しやからな」

 

 

 園崎家の様子についての質問には、詩音は思い出話のように次々と出してくれた。

 

 

「ダム反対派でしたので同盟を組んで、色々していましたね。他はまぁ……あまり仕事の方は分からず終いですが」

 

「村から追い出されてましたもんねぇ?」

 

「……あと、ウチの地下には、『祭具殿』があるんですよ」

 

「祭具殿? 祭具殿ってなんや」

 

 

 菊池はうんざりしたような顔で教えてやる。

 

 

「祭りの用具や神具を保管する場所だよ……しかしなんで地下に?」

 

「今だから言えますけど、『拷問部屋』でしたね」

 

 

 サラッと答える詩音。あまりにサラッとだったので、矢部と菊池は少しだけ反応に困った。

 

 

「いやいや拷問部屋て……」

 

「この村で言う祭具は、『そう言う機材』を指す言葉なんですよ? 私もそこに呼び出されて……」

 

「あーもう、大丈夫ですわ! うん! もうこの話やめましょ!」

 

 

 話を切り替えようと、矢部はまた別の質問をする。

 

 

「お姉さんはなんで亡くなりはったんです? 大災害の前なんでしょ?」

 

「…………詳しくは、知らないですね」

 

 

 どうにも歯切れの悪い様子で言い淀む詩音。困ったような微笑みもどこか、はぐらかしの念が滲んでいる。

 しかし突然、菊池が声を張り上げた。

 

 

「それに関しては僕が知ってますッ!!」

 

「なんでお前が知っとんねん。お前園崎家か?」

 

 

 菊池は勿体振るように微笑みながら、懐から手帳を取り出す。

 

 

 

 

「綿流しの後日に起きた事件……『営林署人質篭城事件』!」

 

 

 詩音の表情に歪みが現れた。

 矢部と菊池はその一瞬の歪みに、気付けなかった。

 

 

「なんやそれ?」

 

「雛見沢村で起きた事件さ! 一人の女子生徒が……」

 

「あ、あのっ!」

 

 

 慌てて詩音が話を止める。

 

 

「……そろそろ、仕事に戻ってもよろしいでしょうか?……この店、鹿骨市外にも支店を広げていまして……店を回らないと」

 

「あ、それは大変ですな。んじゃ、ワシらはここまでにしよか」

 

「お時間取らせました。何か分かりましたらまたこちらから伺いますので」

 

 

 これは正式な事件調査ではなく、あくまで疑惑のある雛見沢大災害の洗い直し。裁判所からの書類がないのに、悪戯に市民を拘束する訳にはいかない。

 詩音が話を切り上げたのならば、ここで会話は終了。矢部と菊池は同時に席を立つ。

 

 

「そんじゃ、ワシらはこの辺で……ホアタぁぁぁぁッ!!」

 

「おふっ!?」

 

 

 立ち上がった瞬間に矢部は菊池を殴る。五分の四殺しを有言実行した。

 パチパチと詩音は小さく手を叩く。

 

 

「腰の入ったパンチですね」

 

「知り合いの学者さんに空手習ったんですわ!」

 

「空手?……どちらかと言えば今のはカンフーかと……」

 

「ほな、また。あ、コーヒー、美味しかったですぅ〜……ほら、来いや!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 空っぽに飲み干されたカップ二つを残し、刑事二人は店を出て行く。

 

 

 

 

 先程の会話を反芻する、詩音。

 懐かしい気分になれた反面、ドス黒い不快感もまた胸に蟠っている。

 

 

 

 だが、詩音は一つの決意を固めつつあった。

 そろそろ、清算しても良い時期だと。

 

 

 

「………………」

 

 

 スマートフォンを取り出し、電話帳を開く。

 通話先の名前は「レナ」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『鹿骨市市長選 立候補・三木 舞臼』

 

『鹿骨市にディズ××ランドを!』

 

『スターウォーズの撮影を鹿骨市で!』

 

 

 とある事務所から出て来た、着物姿の淑女。

 高級スーツで口髭を蓄え、頭にネズミの耳のような飾りを付けた男と握手を交わす。

 

 

「ありがとうございます! これでスピルバーグ監督に勝てます!」

 

「私はただ、願掛けをしただけですわ。是非、当選を願っております」

 

「ありがとうございます! ハハッ!」

 

「あぁ、あと、現在は年末特別価格となっておりますので、最初に提示した額よりも割り増し料金になっています。支払いの際は基本料金の下にゼロ二桁足して、キッチリ口座に振り込んでくださいね?」

 

「ディズニぃぃぃーーーーッ!!!!」

 

 

 彼女──山田里見はお辞儀をし、顧客に見送られながら事務所を後にした。

 瀬田に勧められた仕事をこなし、やる事がなくなったので興宮を散策する。

 

 

 

 地方の町だが、それなりに綺麗な町だ。

 一般的な地方都市の域から出てはいないものの、目を楽しませるように様々な店が揃えられていた。

 

 里見はこう言った知らない街を歩くのが好きだ。

 荷物を包んだ風呂敷を持ち、流れる街の風情を見ながら、下駄を軽やかに鳴らして歩く。

 

 

 

 角を曲がろうとした時、不意に誰かとぶつかってしまった。

 

 

「あっ……!」

 

「おととっ」

 

 

 お互いに荷物を落としてしまう。

 

 

「す、すいません! ぼんやりしていまして……」

 

「いえいえ、私こそ不注意で……」

 

 

 しゃがみ込み、荷物を拾い合う。

 すると相手の荷物から、ぽろっと何かが零れ落ちた。

 

 

「落ちましたよ?」

 

 

 咄嗟に里見は拾い上げて手渡す。

 落ちたのは保険証やポイントカードだとかを一緒くたにしておく、カードホルダーだった。

 

 

 

 ホルダーのクリア部分から、相手の免許証が見えた……「竜宮礼奈」と言う名前らしい。

 彼女は何度も頭を下げてそれを受け取る。

 

 

「度々申し訳ありません……」

 

「急いでいらして?」

 

「待ち合わせしていたのですが……どうしても、相手が来なくて……仕方ないので帰ろうかなと」

 

「それは行けませんね。きちんと時間を守る……大人の基本ですのにねぇ」

 

「い、いえ……思えば私も、その方に無茶させましたし……」

 

 

 チラリと、彼女の持つ鞄から見知った人物の顔が見えた。

 

 

 

 

「……あら、その本……上田先生ですか!」

 

 

 上田の著書「なぜベストを尽くさないのか」の表紙である、上田の影がかった写真だ。

 里見が言い当て、礼奈は驚きながらも本を取り出す。

 

 

「ご存知なんですか?」

 

「知り合いなんですよ、私」

 

「……上田先生と……?」

 

「先生には色々とお世話になりましたから。娘の事でも尽力していただきまして……」

 

「…………………」

 

 

 目を伏せる礼奈の様子から悟り、里見はもしかしてと尋ねた。

 

 

「……あなたの待ち合わせ相手とは……」

 

 

 礼奈は頷いた。

 

 

 里見の脳裏に、奈緒子へ突きつけるような「災禍」の文字が浮かんだ。

 動揺したものの、少しも言動に出す事なく、里見もまた確信を得たかのように頷く。

 

 

「……そうなの……上田先生と……」

 

「……あの。これも何かの縁です」

 

「はい?」

 

 

 礼奈は里見と目を合わせる。

 

 

「……お名前、お聞かせしていただいても、よろしいですか?」

 

「えぇ……山田、里見と申します。長野県から来ました」

 

「山田さん……なぜでしょうか。初めて聞くのに懐かしい……」

 

「おほほほ! 山田なんてそんな、珍しい名前じゃありませんでしょう? 近所に一人はいたハズですよ!」

 

 

 礼奈は朗らかな里見に合わせて、微笑んだ。

 ずっと影が残っていた彼女の顔。やっと、パッとした陽光に照らされた気がした。

 

 

 

 

「……ご用事は?」

 

「終わりまして、暇なんですよ私」

 

「この町は初めてで? さっき、長野県からって……」

 

「差し支えなければ案内していただけません?」

 

「……はい、良いですよ」

 

 

 二人は並んで歩き、共に町を巡る事にした。

 途中、奇妙な二人組とすれ違った。

 

 

 

 

 

「せ、先輩……すぐお祓いに行きましょうよぉ〜……」

 

「アキちゃん! ワシゃあ、寺と神社と教会に行くけぇの! 兄ぃへの報告、任せたッ!!」

 

「嫌ですよぉ〜!!」

 

 

 見覚えがないような、あるような。そんな二人組の後ろ姿を少し眺め、すぐに里見は前を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圭一とレナは山間にある、とある場所に遊びに来ていた。

 誰もこない事を良い事に、不法投棄のゴミが捨てられている。

 

 

 汚く、足場も不安定で危ない場所ではあるが、この場所がレナは好きだった。

 

 

「さぁ! 今日のお宝はどこかなぁ!」

 

「ははは……本当に飽きねぇなぁ」

 

 

 レナが持って来た鉈を手に持ち、邪魔な木材を解体しながら、ゴミの山に頭を突っ込む。圭一はその「レナのお宝探し」に付き合わされている形だ。

 辺りにはタイヤのゴム、土砂、廃材、鉄パイプと、様々な物が散乱していた。

 

 

「おいおい……見ろよコレ! 公衆電話の受話器だぜ!?」

 

「うわぁ! 良いな良いな! 圭一くんは探すの上手いよねっ」

 

「お? そうだろぉ?『トレジャーハンター圭一』! これで売り込むのもアリだな……」

 

「犬みたいでかぁいいよ! レナのペットになる?」

 

「………………まぁ。うん。考えとく」

 

 

 犬扱いされて、釈然としない表情の圭一。ちょっと考えてしまったのが恥ずかしい。

 鼻歌混じりにゴミの山の上をスキップするレナに続き、奥へ奥へと進む。

 

 

 ふと、圭一は声をかけた。

 

 

「……なぁ」

 

「なぁに?」

 

「えっと……」

 

 

 聞こうか聞くまいか、迷う「鬼隠し」について。

 クルッと振り返り、満面の笑みを見せるレナの前で、今は辞めておこうと思い直した。

 

 

「……今からさぁ、お宝探しゲームしようぜ!」

 

「お宝探しゲーム?」

 

「どっちが多く、良い物見つけられるか!」

 

「面白そう! 良いよ! 罰ゲームは!?」

 

「……罰ゲーム無しとかは?」

 

「駄目駄目! 罰ゲームあってのゲームだよ! だよ?」

 

「仕方ないなぁ……んじゃあ、相手の言う事、何でも聞くってのは?」

 

 

 レナは手をパチンと叩いて、賛成した。

 

 

「圭一くんはどんな事を?」

 

「こないだの仕返しとして……ぬふふふ! メイド服着て、俺の専属メイドにしてやるッ!!」

 

「うわぁ……」

 

「お前、俺にさせた癖にドン引きすんじゃねぇよ!!」

 

「あははは!……うん、良いよっ! 圭一くん、家事とか何も出来なさそうだもんね! レナがサポートしてあげるっ!」

 

「さ、皿洗いと風呂洗いは出来ますぅーッ!!……んで、レナは?」

 

 

 何を命令しようか、顎に指を当てて考え込む。

 うーんと唸り、思い付いたように目をパッチリ開いたが、圭一と向き直り歯を見せてニッと笑う。

 

 

 

 

「……内緒っ!」

 

 

 悪戯っぽく、鼻先に指を当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「竜宮さん?」

 

 

 ハッと里見の声で、礼奈は追憶の海から舞い戻る。

 

 

「す、すいません……懐かしい街並みなんで、ちょっと昔の事を……」

 

「思い出に浸るのは楽しいですものねぇ」

 

「ええ…………」

 

 

 少し物憂げな顔付きで、空を眺めた。

 

 

 

 

「……楽しいですね」

 

 

 寒々しい冬空が、いつか見た入道雲……夕立の心配をして走った、夏空に見えた。

 蝉が鳴き、毎日泥んこになるまで駆け回った日々の思い出。

 

 

 この全ては、彼女にとって辛い過去になるとは。冒瀆だろうか。

 

 

「…………あ」

 

 

 ポケットの中でケータイが鳴る。

 どうにもスマートフォンが苦手で、今でもガラパゴスケータイだ。

 

 

「ちょっと失礼しますね」

 

「お構いなく」

 

 

 液晶に並ぶ、相手の名前を見て少し、出るのを躊躇した。昔の思い出に浸りかけていただけに迷う。

 しかし少し首を振って躊躇を消し、通話ボタンを押した。

 

 

 

 

 

「……詩ぃちゃん? 今日、私はお休みのハズだけど……」

 

 

 通話は、二分程度。

 最後は「分かったよ」と言い残し、礼奈は電話を切った。

 電話の相手について里見は尋ねる。

 

 

「お友達ですか?」

 

「友達でもあって、上司とも言うんですかね……私、この人の経営している店の一つを管理してまして」

 

「あら。店長さん?」

 

「はい。オーナーの友達が、夜に食べに行かないかって」

 

「……優しいお友達のようですね」

 

「……感謝しきれませんよ」

 

 

 ケータイを仕舞ってから、「案内でしたよね」と里見の案内役を続行する。

 

 

「お泊まりになられるんでしたら、あのホテルが良いですよ。あと……この先に馴染みのお店があるんです」

 

「馴染みのお店?」

 

「店員がメイド服なんです!」

 

「んまぁ! それはまた、愉快そうで!」

 

 

 礼奈と里見は、興宮を歩き続ける。

 思い出と、過去の情景を、後悔と共に引き摺りながら。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月12日日曜日 園崎三億円事件
三億円


 朝を迎える。

 埃っぽい匂いと、天窓から差し込む陽光を疎ましげに思いながら、上田次郎は目覚めた。

 

 

「……もう……朝か」

 

「くが〜……ぐが〜……」

 

「……こいつのイビキのせいで半分しか眠れなかった……」

 

「ふにゅ……乗るぞ累計ランキング……」

 

「夢見てんじゃねぇ」

 

 

 二人がいるのは園崎家の離れ。長らく使っていないそうで所々がボロがかっており、エアコンもなく、ガタガタ煩い扇風機一つで暑さを凌いだ。

 

 

 

 途端に二人を起こしに来た組員が扉をバァンと勢い良く開き、叫ぶ。

 

 

「グッドモォォォォォニィィィイイッ!!」

 

「ふごっ!?」

 

「アメリカァァァアァアァアァアッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三章 園崎三億円事件

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いそいそと身支度を終えると、二人は組員に連れられ、離れから屋敷に移る。食事は客間で振る舞われるそうだ。

 

 

 客間の卓上には白米、ブリの煮付け、シジミの味噌汁、フルーツポンチが二人の分、置かれている。腹ペコの山田は即座に目を輝かせた。

 

 

「いやぁ〜! 豪華な朝食だぁ〜! 園崎さんって素晴らしいお方ですねぇ! ビバ園崎っ! 園崎万歳っ!」

 

「フルーツポンチ……フルーツポンチ……逆から読めば、チン」

 

 

 途端に隣室の襖が開かれる。

 

 

「おはよう、山田さんに上田先生!」

 

 

 入って来たのは、着物姿の魅音だった。

 いつもの格好とのギャップに驚き、二人とも箸を止めてつい見入ってしまった。

 

 

「どうしたんですかその格好?」

 

「印象変わるもんだな……」

 

「そりゃ四六時中着てたら疲れるけど……有事の時ぐらいは次期頭首っぽくしないと」

 

 

 襟元を整えながら、困った笑みを魅音は見せる。

 お金持ちも大変なんだなと他人事に思いながら、山田は再び箸を動かした。

 

 

「魅音さん! カレイの煮付け美味しいです!」

 

「ブリだそれは」

 

 

 味覚が狂っている山田に指摘する上田。

 その間、魅音は綺麗な所作で二人の前に座ると、控えていた組員に朝食を持って来させた。どうやらここで食べるようだ。

 

 山田は白米を掻き込みながら今日の予定を聞く。

 

 

「今日は、私たちは何すれば?」

 

「マナーがクソ過ぎる」

 

「ああ……まぁ、とりあえず私たちの目に付く所にいて貰うってさ。それだけそれだけ」

 

 

 魅音から予定を聞かされ、上田はうんざりしたように顔を顰める。

 

 

「今日も一日監視させられるのか……気が滅入りそうだ」

 

 

 二人を安心させようと、魅音は急いで話を続けた。

 

 

「今日だけだから! 何も問題起きなきゃ良いし、ジオ・ウエキが捕まれば『ケジメ』つけるだけだし」

 

「しかし……監視して幽閉するなら、いっそジオウの方が良かったんじゃないのか?」

 

「それがさぁ……あいつの所在地が分からないんだよ」

 

「所在地が分からない?」

 

 

 顎に手を置き、不思議に思っているような顔付きで魅音は頷く。

 

 

「村にいたのに、気付けばフラ〜っと消えて……で、明くる日に興宮からやって来る。宣言したのが金曜日でしょ? 急いで尾行したかったけど、土曜日には現れなかったし」

 

「気付けば消えるか……もしかしたら村内に隠れ家があるのかもな」

 

「まさか……村の中の情報だったらすぐにウチに来るよ。村にいない事は確かだと思うけど……」

 

 

 土曜日は現れなかったと言った魅音の話に、山田は疑問を抱いた。

 確か昨日、午後に入る前にダム現場前で見たようなと。

 

 

「でも昨日私、ダムの工事現場前で見ましたよ?」

 

「へ? ジオ・ウエキを?」

 

「工事現場から、二人の男女を連れて……」

 

「おかしいな……昨日は一日中、ウチの者に村外への道は全て張り込ませたのに……さては見逃したかぁ?」

 

「デモって様子じゃなかったですけど」

 

「まぁ……ジオ・ウエキ自体、しょっちゅう独りで工事現場に行って、アレコレ交渉するみたいだから。本当がめついってのを取り除いたら良い活動家なのに……」

 

 

 そう言えば彼女の登場からダム建設の遅延や、園崎家との協議の機会が出来たらしい。

 確かにジオ・ウエキは詐欺師らしく、口が上手い印象を受けた。霊能力者と自称したのは、神秘性を与えてダム工事の作業員らにプレッシャーをかける為だろう。

 

 そうなるとなかなかの戦略家だ。故にだからこそ、彼女の意図が読めない。

 村人たちの味方なのか敵なのか、山田でさえも推測がまだ出来なかった。

 

 

 

 色々と考えながら、山田は「そう言えば」と魅音に尋ねる。

 

 

「……あの、お婆様とかは? この家に来てから一度も会ってないんですけど……」

 

「婆っちゃ? あー……婆っちゃってさ余所者嫌いでね。その……二人には会いたくないとかさ……」

 

「こわっ」

 

「いや、本当にごめん! おじさんのブリあげるから!」

 

「いやいや! ぜぇん然気にしてませんから!」

 

 

 貰ったブリをありがたく食べる山田。呆れ果てて上田もツッコむ気力もなかった。

 

 

 

 

 そろそろ朝食を終えようとした時、もう一人部屋に入って来る。

 厳つい顔の相談役、葛西だ。園崎家の雰囲気に慣れて来た二人だが、彼が登場しただけで一気に萎縮してしまう。思わず二人身を寄せ合い、耳打ちし合う。

 

 

「上田さんやっぱあの人、誰か殺してますって……!」

 

「あぁ……血も涙もなさそうな…………待て山田。あれを見ろ」

 

「あれ?」

 

 

 上田が指し示した先を見る。

 そこには葛西の胸ポケットから垂れ下がる、狐か蝙蝠か分からないマスコット「おっきー」のストラップがあった。

 

 

「お、お……おっきー?」

 

「おっきー?……あ、山田さん。これは雛見沢村のマスコット候補『ひっきー』だよ。葛西さんが考えたんだ」

 

「!?」

 

 

 魅音の説明を聞き、二人は一瞬固まった後にゆっくりと葛西へ向き直る。

 彼はどこか誇らしげな表情で、胸ポケットからひっきーを少し引き出して見せ付けていた。

 

 

 

 葛西は部屋に入って襖を閉めてから、魅音の隣に正座し、報告する。

 

 

「……『金庫』が届きました」

 

「あっ! もう届いたんですね!」

 

「金庫? 金庫まで買ったのか?」

 

 

 上田が尋ねると、魅音はチャーミングに笑いながら答えた。

 

 

「そう! 鍵とかも全く新調した金庫! 夜中に忍び込まれたり、合い鍵作られている可能性もあるかもだからねっ!」

 

 

 売られた喧嘩は徹底的に、と言う事かと二人は納得する。

 

 

 

 次にまたもう一人が部屋に入って来た。

 かなり年配の老父で、これまた据わった目をした男だ。

 

 

「葛西さん……三億の移動を始めましょうか」

 

「分かりました、シンさん……それじゃあ魅音さんに……お二人も同行願います」

 

 

 おずおずと山田らは自らを指差す。

 

 

「私たちも行くんですか……?」

 

「無線機の類は持っていないようですし……それに金には触らせる訳ではありませんから」

 

 

 葛西はそう説明をした後に、全員に立つよう促した。

 

 

 

 

 座敷を抜け、葛西らと共に縁側を歩き、三億円の受け渡し場所まで向かう。

 

 

 傍らに見える庭園は、なかなかに見事なものであった。

 松の木と鹿威し、それらに赤く鮮やかな紫陽花が顔を出し、岩に囲まれた小池で緋色の鯉が踊る。

 日本庭園に関して心得のない者であっても、つい見張れてしまうほどの美しさだ。

 

 上田は感に堪えたようで、庭園を見渡しながら手を叩く。途中、梁に頭をぶつけた。

 

 

「いやぁ……実に素晴らしいお庭で!」

 

「頭首にとって憩いの場は家だけ……自分の住む場所は整えておきたいと、庭は特に拘っております」

 

 

 少し進むと、庭で作業をしている造園会社の作業員たちを見つけた。余分な雑草、或いは木の枝や葉を刈ったり切ったりし、それを大きなフゴ袋に入れて回収している。

 彼らを見て魅音が葛西に尋ねた。

 

 

「造園会社の人は見なくて大丈夫ですか?」

 

「彼らは全て顔が割れています。何かあればすぐに住所も控えられますから」

 

 

 枝葉を満載したフゴ袋を台車に乗せ、作業員の一人が屋敷の裏手の方へ駆けた。

 葛西は続ける。

 

 

「それにこれから手入れさせる箇所は、保管場所と真逆の場所ですから」

 

「どこかに金庫置くんですか?」

 

 

 山田の質問にはシンが答えてくれた。

 

 

「見えますか。渡り廊下の先にある蔵が。あそこに保管します」

 

 

 指差す先には、十メートル程度の渡り廊下と繋がった、古びた蔵があった。

 上田はそれを見て、なるほどと頷く。

 

 

「確かにあそこならば裏口もなさそうですし、渡り廊下さえ警備していれば完全に独立する。金庫の運び出しも容易だし、一晩設置しておくのならば絶好の場所ですねぇ」

 

 

 既に屋敷内は警戒体制を敷いているのか、あちらこちらで組員が見張りをしていた。

 彼らとすれ違う度に、山田は「貧乳貧乳」と言われて睨まれる。勿論だが、彼女の方からも睨み返した。

 

 

 

 

 

 更に縁側を進み、内廊下に入る。

 そこから道なりに進むと、受け渡し場所と思われる待合室に入れられた。

 

 

 黒く、固そうなソファに、ガラス製のテーブル。およそ任侠映画でしか見た事ない光景に、山田は感嘆する。

 

 

「おぉ……!『アウトレイジ』で見た奴だ!」

 

 

 ソファには組員らしい二人と、机を挟んで向かい合わせに、系列店の従業員らしき人物が三人。端に座り、煙草を燻らせるホステス風の者だけが女だった。彼女は葛西らに気付くと、急いで灰皿にタバコを突っ込んで火を消す。

 

 

 テーブルには大きなジュラルミンケースが置かれており、金の気配に気付いた山田はふらふらとそれに近寄ろうとする。

 

 

「……欲望を隠せッ! 虫かお前はッ!」

 

 

 上田が彼女の肩を掴み、阻止した。

 

 

「尾けられたりは?」

 

 

 葛西に尋ねられ、上納金を届けに来た従業員の男が萎縮しながら答えた。

 

 

「道中、襲撃されたりはなかったです……尾行はされていないと思います」

 

「思いますじゃねぇだろ。ちゃんと確認はしたか?」

 

 

 身内の部下となれば葛西の口調はやや厳しくなる。これには従業員のみならず、山田と上田も冷や汗を滲ませてしまった。

 

 

「し、しました、総支配人……村に入れば廃品回収車とか農民以外には出会ってないですし……」

 

 

 従業員への追及はそこまでにして、次は組員へ話しかけた。

 

 

「金額は合っていたか?」

 

「えぇ、確認致しました。彼らからの上納金を合わせて、二億九四三◯万七五◯◯円……一銭の狂いもありませんぜ」

 

 

 最終確認にと、ジュラルミンケースが開かれる。

 

 

 

 

 詰め込まれていたのは、束に置かれた万札。

 聖徳太子が延々と並んでおり、山田はポカンとそれを見つめている。

 

 

「……どこの国のお金だ? ワヨシさんじゃない……」

 

「旧札だと前説明したし、輪吉(ワヨシ)じゃなくて『諭吉』だとも言っただろ……! しかし三億、なかなか大金だ……まぁ、俺の総資産額には程遠いがな? 三億円じゃせいぜい、俺の著書の一ヶ月分の印税収入と同じぐらいだな。あぁ、あと! 俺の一回の講演料とも」

 

 

 どんどん吐き出される上田の自慢話は、シンの一声で止められた。

 

 

「では、そろそろ金庫の準備を……」

 

「えぇ。始めてください、シンさん」

 

「へい……」

 

 

 シンは口元に両手を当て、大声で部下を呼ぶ。

 

 

 

「キャァモンベイビィィィィイッ!! アメリカァアァアァアァアッ!!!!」

 

 

 

 途端に襖がガラッと開かれ、台車に乗った金庫が持ち込まれる。

 一般的な四角形の金庫だが、鍵穴が三つ。それに扉が、枠に埋没する仕組みになっていた。それを見た上田は感心したように目を細めた。

 

 

「『オーバーハング構造』ですか。扉枠との隙間が殆どないので、バールのような物だとかでこじ開けられる……なんて事も難しくなりますね」

 

「新型の金庫でしてね。シンさんが秘密裏に入手してくれました……これだけの手際なら、合い鍵を作る隙もないでしょう。悪いですね、嫁さんが大変な時に……」

 

「いえいえ葛西さん、お気になさらず……では、失礼します」

 

 

 シンは懐から鍵束を取り出した。

 三つの鍵をそれぞれの鍵穴に差し込み、金庫の封印を解いて、また鍵を懐に一旦戻してから、控えていた組員らに収納を命じた。

 

 

「入れろ」

 

 

 奥行きがあり、組員らが三億円を丁重にジュラルミンケースから移すと、ピッタリ全て収まった。三億円を入れてからまた扉を閉めると、中のカンヌキが作動し、自動的に鍵がかかる。

 山田が「あぁ……」と物欲しそうな声をあげた。

 

 

 

 

 全ての行程を見届けた後、シンは葛西に鍵束を渡す。

 

 

「これは、葛西さんが預かっていてください」

 

 

 葛西は受け取った鍵束に、ひっきーのストラップを付けてから懐に。

 

 

「……ストラップいる?」

 

 

 思わず呟く山田。

 

 

 

 即座に台車で運ばれようとしていた金庫だが、重量が変わったせいで手元を狂わせた組員が、ガツンと金庫を強く柱にぶつけた。すぐに頭を下げて謝罪する。

 

 

「ソォーリィッ!!」

 

「何やってんだおめぇは……葛西さん、私に運ばせてください」

 

 

 不出来な部下に代わり、シンが金庫の運搬を志願。葛西は頷き、それを了承した。

 魅音はホステス従業員達を見てから、葛西に尋ねる。

 

 

「従業員たちはもう帰す?」

 

「この部屋で一旦待機させます……おい。無線機の類はねぇだろうな?」

 

 

 葛西に疑われ、従業員らが大急ぎで取り出したのは二つの機械。

 見慣れない代物の為か、葛西は眉を寄せた。

 

 

「なんだこりゃ?」

 

 

 対して若者の魅音は知っているようで、葛西に教えてやる。

 

 

「『ウォークマン』だよ。西城秀樹が上半身裸で音楽聴いてる奴」

 

「ほぉ〜? ウォークマン?」

 

 

 上田は懐かしい物を見るような好奇の目で、ウォークマンともう一つの機械をまじまじと眺めた。

 

 

「ウォークマン『TPS-L2』! こっちは『プレスマン』! 良い物をお持ちで!」

 

「ご存知なんですか、上田さん」

 

 

 葛西が尋ねると上田はペラペラ早口で捲し立てた。

 

 

「ウォークマンはステレオ音源が持ち運びで聴ける、唯一の装置ですよ! スピーカーと録音機能は無いんですが、いつでもどこでもヘッドフォンで高音質の曲が聴けるんです!」

 

「……おぉ……」

 

「こっちのプレスマンはその、ウォークマンの原型。モノラルですが、即座に取り出して録音出来てその場で聴ける優れものですよ! ニュースとかで、インタビュー音声の録音に使われているのはコレなんですから!」

 

「……すいません。学が無いもんで、ステレオとかモノラルとか……」

 

「プレスマンは、背面の単一のスピーカーから音が出るんで、どうしても音が平面的なんですよ。しかし、ウォークマンは左右のヘッドフォンから音が出るので、立体的になるんです! 一度聴いたら分かりますから!」

 

「いや、今は……」

 

「オタク特有の早口かっ!」

 

 

 上田の口をツッコミで止めてやる山田。その隣で魅音はウォークマンを、物欲しそうな目で見ていた。

 

 

「へぇ……婆っちゃにせがんでみよっ」

 

 

 ウォークマンとプレスマンの薀蓄はともかく、無線機の類では無いし、上田が確認した限りでは改造した様子もない為、従業員に返された。

 

 腕時計を確認し、葛西はシンに目配せする。

 

 

「……そろそろ、行きましょう」

 

「そうですね……オイッ! エミッ! カスッ!」

 

 

 シンは控えていた組員二人を呼ぶ。胸ポケットには「そのざき㌠」と刺繍がされていた。

 

 

「「へいっ!」」

 

「左右から金庫を護衛しろ」

 

「「サー・イエッサー!!」」

 

 

 組員のエミとカスを従えながら、シンが台車を押して金庫の運搬が始まる。

 魅音はそれを神妙な顔付きで見届けながら、葛西に確認の為に耳打ちで尋ねる。

 

 

「入り口とかは見張っていますか?」

 

「ご安心を。五人体制で、裏口も全て見張りを付けております。屋敷内にも既に二十人を配備……『チャカ』もありますし、鼠一匹も入れんでしょう」

 

 

 チャカと聞こえた山田は驚いた顔で聞く。

 

 

「アメリカの歌手もいるんですか!?」

 

「それは『チャカ・カーン』」

 

 

 上田がツッコむ。

 チャカとは言わずもがな、「銃」を示す隠語だろう。行き交う組員全員が拳銃を忍ばせていると思うと、堅気である二人の肝は冷えた。

 

 それはそれとして、山田は上田に質問する。 

 

 

「……なんでチャカって言うんですか?」

 

「引き金を引くと、『カチャッ』と音がする。それを逆さに呼んだだけだ……こう言う隠語は良くある。警察の事を『デカ』と呼ぶのは、昔の警察は『角袖(かくそで)』と言う上着を着ていた。頭と尾の一字を抜くと『かで』、それを逆さにして『でか』だ」

 

「へぇ〜……態度がデカいからデカじゃないのか」

 

「お前矢部さんをイメージしてるだろ」

 

「あいつ元気にしてるかなぁ。会いたくないけど」

 

 

 台車を押すシンに続く形で、山田らも縁側に移る。

 庭には造園会社の人々が組員らに見張られながら、作業していた。多分彼らも上田らと同じ、生きた心地のない気分だろう。

 

 

 

 

 縁側を進み、蔵へと続く渡り廊下へ差し掛かる。

 全員が縦一列で並んで歩き、廊下の半分まで歩く。蔵の扉はすぐだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時だった。

 

 

 

 

「おほほほほほほ!! ア〜タクシはこちらですわよ!!」

 

 

 

 屋敷の方より、耳障りな笑い声が響く。

 

 

「なッ!?」

 

「えっ!?」

 

 

 困惑と動揺を纏った表情で、上田と魅音は振り返る。

 

 

「……なんだと……!?」

 

「……ッ!?」

 

 

 合わせて葛西も、そして山田も振り返った。

 

 

 

 屋敷側へ続く渡り廊下の先に、それはいた。

 開かれた襖から覗く、マゼンタ色の服、「シドウシャ」と張り付けられたハット、「センス」と書かれた扇子、膨よかな体型──立っていたのは間違いない。

 

 

 山田と上田はその人物の名を叫ぶ。

 

 

「ジオ……ウエキ!?」

 

「ジオウッ!?」

 

「残念でしたわぁ! 天下の園崎が、アタ〜クシに出し抜かれるなんてっ!」

 

 

 山田も聞き覚えがある、ジオ・ウエキの芝居がかった声。間違いなく、本人の声だった。

 

 

「は、入られてんじゃん!?」

 

「なぜだ……!? 入り口は全て、固めたハズ……!?」

 

 

 狼狽えを口にする魅音と葛西の隣を、颯爽と駆ける者がいた。

 

 

 

「あ!? 山田ッ!? オイッ!?」

 

「山田さんッ!?」

 

 

 誰よりも先に身体が動いたのは山田。魅音も急いで彼女の後を追う。

 その間、ジオ・ウエキは襖を閉めて姿を隠してしまった。

 

 

「近くにいる奴は侵入者を追えッ!!」

 

「金庫はあっしらが守ります……!」

 

「任せました……!」

 

 

 金庫をシンや組員らに託すと、残っていた葛西と上田も屋敷へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 一足先にジオ・ウエキのいた部屋へと辿り着いた山田は、襖を勢い良く開く。

 しかしその先にあった部屋の襖が既に開いており、更に奥へと逃げたと悟る。

 

 

「奥に逃げたぞぉッ!!」

 

 

 葛西の怒号が飛び、庭にいた組員らが大慌てで屋敷内に飛び入って行く。

 山田の後ろを魅音が追って来ていた。

 

 

「ジオ・ウエキはどこ!? 奥ッ!?」

 

「どうやって……!?」

 

「ちょ、ちょ、ちょっと山田さん!」

 

 

 山田がいの一番に飛び込み、ジオ・ウエキを追う。

 内廊下に出た彼女は、左右を見渡す。

 

 

 

 

 

「こっちですわぁ!!」

 

 

 左手から声。ジオ・ウエキはその先の廊下の奥に立っていた。

 

 

「こっちにいるッ!! 葛西、回り込んでッ!」

 

 

 魅音の指示が木霊する。その間山田は真っ直ぐジオ・ウエキへ迫ろうとした。

 しかしまた彼女は襖を開けて部屋に逃げ込んだ。

 

 

「デブの癖に速いな!」

 

 

 山田はぼやきながら、逃げ込んだ部屋の襖を開ける。

 

 

 

 

 そこは完全に独立した、畳が敷かれただけの部屋。押し入れ用の物以外に襖はない。

 

 

「……消えた!?」

 

 

 隠れているのかと思い押し入れを開くも、座布団やちゃぶ台が詰められているだけで、ジオ・ウエキはいなかった。

 狐に化かされたような様子で唖然となる山田。

 

 

『お〜っほっほほほほほほ!!!!』

 

「へ!?」

 

 

 途端、今度は別の場所から彼女の笑い声が響く。同時にその声を聞き付け、外をドタバタ駆ける組員らの声が聞こえた。

 

 

「裏やッ!! 外におるぞ!?」

 

「中や無いんか!?」

 

 

 

 

 この部屋にはいない事を確認した山田もすぐに外廊下へ出て、組員らにぶつかりそうになりながらも声のした方へ突き進む。

 

 進んだ先、離れとは反対側の廊下にて上田と再会した。

 

 

「上田さん!? ジオ・ウエキは!?」

 

「どう言う事だ……!? 次は屋敷外から聞こえたぞ!?」

 

「中にいたハズなのに、急に外から……!」

 

 

 現場は混乱を極め、誰も彼もが消えたジオ・ウエキを探して右往左往とする有り様だ。

 

 

 

 

 そんな彼らを俯瞰し、嘲笑うかのように、彼女声は上から投げかけられた。

 

 

 

 

「三億、アタクシ〜がいただきましたわよっ?」

 

 

 

 

 外壁の庇の上に、ジオ・ウエキが立っていた。

 その場にいた全員が呆然と彼女の方を見上げた。

 

 

 

 地面から庇まで六メートルはあろう高さ。近場に梯子と言った道具の類はない。

 

 

「はぁ……!?」

 

「あんな高さを……!?」

 

 

 山田と上田が愕然としている内に、ジオ・ウエキは向こう側へピョンっと飛び降りた。

 

 

 

「外や外やッ!! 出よったぞぉ!!」

 

 

 組員らが叫びながら外へ駆け出した。

 すぐに彼らの後を追おうとした山田と上田だったが、屋敷内から息を切らして出てきた魅音に話しかけられて止められる。

 

 

「中だったり外だったりどっち!?」

 

「今、あの壁から外に出られました!」

 

「……やられた。あっち、裏山だ。山に逃げられたら探し様がない……!」

 

「魅音さんッ!!」

 

 

 葛西が駆け付ける。

 

 

「葛西さん! 鍵は!?」

 

「この通り……ずっと、持っていました」

 

 

 ひっきーのストラップ付きが付いた鍵束を見せ付ける。三つの鍵は一つも欠けていない。

 上田はホッと、安堵の息を吐く。

 

 

「な、なんだ! ジオウは失敗したようですなぁ!」

 

 

 しかし、場の空気は緊迫状態のまま一向に休まらない。山田は離れの方を見やる。

 

 

「……金庫は?」

 

 

 再び四人は渡り廊下へと戻る。

 離れの中には、金庫を設置し終わったシンと二人の護衛が立っていた。葛西の姿を見たシンが、心底肝を冷やしたような表情で尋ねる。

 

 

「侵入者は!? 捕まえましたか!?」

 

「取り逃がしましたが……金庫は?」

 

「この通り無事ですが……」

 

「……一旦、確認します」

 

 

 

 葛西は鍵を手にし、金庫へ。

 まずは取っ手を引くものの、ビクともしない。確かに封印されたままだ。

 

 

 

 一つ一つ、鍵穴へ差し込んで行く。

 

 

 まずは一つ目の鍵穴を解錠。

 

 

 

 

 二つ目、解錠。

 

 

 

 

 

 三つ目、解除。そして扉が開く。

 

 

 

 

 

 

 途端、その場にいた全員が、それこそ場数をこなして来たであろう葛西さえ目を見開き、口をはくはくとさせた。

 

 

「そんな、馬鹿な……!?」

 

「あり得ない……!! あっしが、運んでいたのに!?」

 

 

 上田とシンが愕然とする。

 

 

 

「三億が……ッ!?」

 

「なんで……!?」

 

 

 魅音、山田も、衝撃から次の言葉を発せられなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 金庫の中身は空っぽ。

 満載されていた三億円は、一枚の紙幣も残さず、全て消失していた。




・二億九四三◯万七五◯◯円は、日本屈指の未解決事件「三億円事件」の被害額。巨額の金が奪われたにも関わらず、銀行は被害額を保険で補填し、保険会社側も海外の保険会社からの補填を受けた為、実質国内の被害総額は〇円。
また奪う際に暴力や脅しは用いられず、傷害は無し。被害額の語呂合わせから「憎しみのない犯罪」とも呼ばれました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出題編

 空っぽの金庫、その事実を信じ切れずに葛西は中に手を入れるものの、やはり金は存在しない。

 

 

「…………おいッ!! 従業員や造園師含め、全員誰一人屋敷から出すなッ!!」

 

「へ、へいっ!!」

 

 

 即座に控えていた組員に葛西は命令し、その命令を伝えに走らせた。

 入れ違いに魅音は、金庫を守っていたであろうシンに確認する。

 

 

「ジオ・ウエキは本当に、金庫に近付かなかったんですか!?」

 

「そ、それは勿論です! あっしらが見張っていましたから……!」

 

 

 魅音はもう理解に至らないようだ。頭を抱えて、力無く壁に凭れている。

 混乱しているのは彼女だけではなく、葛西らも同様だ。ひっきーストラップ付きの鍵束を握り締め、納得行かないと顔を歪めている。

 

 

「……この鍵は、ずっと私が握っておりました。だから金庫が開くと言うのは考えられないし……それに、中身だけが消えるなんて、あり得ない……!」

 

「……オメェらじゃねぇべかぁ!? オメェがあの女と組んでやがったんだろぉ!?」

 

 

 護衛をしていたカスが、上田と山田を指差しで怒鳴り付ける。突然疑われた事もあり、山田はつい語気を荒げて反論した。

 

 

「そんな!? 第一私たちも、あの時ジオ・ウエキを追って金庫から離れてたじゃないですか!?」

 

「いいやどうだべかなぁ!? 何か仕掛けたちょったんじゃろッ!! オラ白状しやがれッ! ピロシキすっぞッ!!」

 

「ピロシキ!?」

 

 

 詰め寄ろうとするカスであったが、そんな彼を見兼ねた魅音が窘める。

 

 

「……鍵はずっと葛西さんが持っていたって言ったばかりでしょ。根拠もなく物を言うんじゃない」

 

「し、しかし魅音さん!」

 

「なら具体的に言って。二人はどうやって、鍵のかかった金庫から三億円を盗めたの?」

 

 

 およそ中学生とは思えないほどの貫禄と冷徹さに、カスのみならず場にいた者全てが思わず息を呑んだ。

 一旦魅音は深く息を吐き、すっかり臆面となったカスに続けた。

 

 

「……それに山田さんはずっと私が見ていた。上田先生は他の若い衆に流されていたし……金庫に近付く隙もないよ」

 

「……上田、流されていたのか」

 

 

 そう言えば途中からいなくなっていたなと思い出す。良く見れば着ている服や髪も乱れていた。

 上田は眼鏡の位置を直しながら鼻で笑う。

 

 

「ふっ……文字通りの人海戦術って奴だな……俺でもあろう者が揉みくちゃにされたもんだ。さすがは園崎の若い衆たちだ」

 

「なに悟った事言ってんですか」

 

 

 上田へぼやきを入れてから、再びカスやエミ、そして近くに集まっていた組員らを見やる。魅音に一蹴されたとは言え、彼らの目から疑念は向けられたままだ。

 

 

 その点、乗り越えた場数の分だけ葛西とシンは冷静であった。

 

 

「……一先ずこの事を頭首に報告しなければなりません。私は魅音さんと、頭首の元に」

 

「葛西さん、ジオ・ウエキの搜索はどうしやす?」

 

「若い衆に行かせましょう。それにそんな遠くには逃げられないハズだ。村の出入り口は全て、組の者で包囲している。出られる訳はない」

 

「そんならば、すぐ雛じぇねの構成員を調べ上げ、虱潰しに家を当たった方が良いです。誰かが匿っている可能性もありますから」

 

 

 異常事態とは言え、二人の判断は的確だった。まだ未熟な若い衆とは違う、ヒシヒシとした修羅を感じられた。

 

 

 ただただ呆然とそのやり取りを眺めていた上田と山田。そんな二人に、魅音は話しかける。

 

 

「……山田さん、上田先生。一先ず、離れに戻っていて欲しい。二人は関係ないって信じてる……けど、ウチの者は納得しないからさ……こっちも婆っちゃと話してくるから休んでて」

 

 

 それだけ言い残すと、彼女は葛西と共に屋敷へ向かった。

 一度どうしようかと二人見合わせたものの、後ろからカスに押されてしまう。

 

 

「いたっ!」

 

「うおっ!?」

 

「……ふん。魅音さんに気に入られているかは知らんべが、俺は信用出来ねぇべなぁ」

 

 

 更に彼は二人を掴み、蔵から乱暴に連れ出す。

 

 

「おら! また離れに閉じ込めちゃる!」

 

「やめんかカスッ!!」

 

 

 今度はシンが彼を一喝する。

 

 

「……とんだタワケめ。魅音さんに言われた事を忘れたんか……お前もさっさと、裏山で奴を探して来いッ!!」

 

「う……サー・イエッサー!」

 

 

 剣突を食らい、釈然としない面持ちのままカスは外へと走り去って行った。

 彼を見送った後、シンはまず二人へ謝罪をする。

 

 

「申し訳ありませんやね。流れ者の若い奴で……離れへは、あっしがお連れしますんで」

 

「……い、いえいえ。こんな状況なんです……我々が疑われるのもしょうがないですよ」

 

 

 上田がそう言って宥めたが、シンは首を振った。

 

 

「金庫はあっしが守っとりました。二人はおろか、誰も来ていなかった……誰がとは疑えんのですよ」

 

 

 ふと山田は空を見上げた。裏手の方で白煙が昇っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 シンに連れられ、二人は寝泊まりしていた離れに返された。

 上田は自身の腕時計で時刻を確認する。何とも長い時間の事に感じたものだが、まだ九時で午後にもなっていない。

 

 敷かれた布団の上に座り込み、山田は悔しげに顔を顰めている。

 

 

「……まさかこんなスピード勝負とは……てっきり夜に来るものかと思ってたのに……」

 

「しかし……ジオウは……どうやって屋敷に入り込んだんだ……!?」

 

 

 上田は部屋内を頻りに歩き回りながら、先程の出来事を頭の中で反芻している。

 

 

「それに入り込むだけじゃない……屋敷の中から、外へ……それに高い壁の上へ一瞬で移動した!……と思えば、金庫の鍵は開いていなかったのに三億円は消えた……どうなってんだ!?」

 

「………………」

 

「……ほ、本当に……霊能力、とか?」

 

「それはあり得ませんよ! こっちは彼女のインチキを、二つ暴いているんです。ジオ・ウエキが何でもない、ただのインチキ手品師だってのは明白です」

 

「なら、さっきの現象は何だ? 一体……どうやったって言うんだ!」

 

「……上田さん、良いですか!?」

 

 

 半ばパニックに陥る上田を黙らせて、山田は自分の推理を話す。

 

 

「簡単なんですよ! まず、私たちが見たジオ・ウエキは……別の人物なんです」

 

「……別の人物?」

 

「ほら、私たちが見たのはジオ・ウエキを思い出してください」

 

 

 二人が見たジオ・ウエキの姿は、まず屋敷の中にいた方と、次に壁の上にいた方。

 思えば顔の印象がない。あれだけ笑っていたのに、その笑顔さえイメージが出来なかった。

 

 それもそのハズ、どちらも大きいハットと扇子で顔が見え難くしていたからだ。

 

 

「帽子を目深に被って、口元は扇子で隠していました……ただ声と服だけで『ジオ・ウエキ本人だ』って思い込んだだけなんです! ちゃんと彼女を顔は誰も確認出来ていないんですよ!」

 

「ならばその、『声』の方はどうなんだ? 俺は知らないが……君や、園崎魅音らの感じからすると本人の声なんだろ?」

 

「……録音機、とか?」

 

「録音機?……『プレスマン』の事か?」

 

「上田さんが説明していたじゃないですか。あの従業員たちの誰かが、ジオ・ウエキの共犯者なんです。それで、あらかじめ録っておいた彼女の声を流して……」

 

「待った待った待った待った!」

 

 

 上田は遮る。

 

 

「君は勘違いしているようだが……この時代の小型スピーカーは、音質は良くないんだ」

 

「……え!? そうなんですか!?」

 

「あぁ。それにプレスマンはモノラル……思い出してみろ? 俺たちはあの時、渡り廊下の半分まで来ていて、ジオウのいた場所から十メートルも離れていた。しかし彼女の声は、かなり立体的に響いていたじゃないか! あの音質はとてもじゃないが、大型スピーカーを使わない限りでは不可能だ!」

 

 

 勿論、屋敷の中にスピーカーなんてすぐ目立つような機械は見当たらなかった。

 

 

「ウォークマンはステレオ対応しているから音質は良いが……アレはヘッドフォンでしか音が聞けない構造になっている。だからプレスマンでは音質が足りず、ウォークマンでは音すらも出せないんだ」

 

「じゃあ……あの声は、本物……?」

 

「ウォークマンの端子を改造してスピーカーに繋げばある程度は出来そうだが……そんな巨大なスピーカー、置いてたら目立っちまうだろ」

 

 

 つまりこの時代の技術的な意味で、プレスマンやウォークマンを使用するのは不可能と言う事だ。可能性が一つ潰れ、再び頭を抱える山田。

 

 

「……屋敷から消えた方法もまだ分かってない……直接見に行かないと」

 

 

 捜査する気満々で山田はパッと、布団の上から立ち上がる。

 そしてそのまま離れを出ようとするので、上田は引き止めた。

 

 

「ま、待てYOU!? ほとぼり冷めるまで中にいた方が良いんじゃないのか!? 俺たちは疑われているんだぞ!?」

 

「でもウダウダしている内に実行犯逃しちゃいますよ! 私の見立てじゃ、まだこの屋敷にいるハズなんですから!」

 

「お、おいっ!」

 

 

 止める上田を無視して、山田は意気揚々と離れの扉を開けた。

 

 

 

 

 

 庭にいた組員らに一斉に睨まれる。ゆっくりと扉を閉めて、また中に引き篭もった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……先の騒ぎはなんじゃ」

 

「婆っちゃ。三億円が消えたよ」

 

「……はぁ?」

 

 

 屋敷奥、現頭首のいる座敷にて、葛西と魅音は緊張を滲ませた固い表情のまま、正座をしていた。

 その二人の前、背を向けて円窓から外を見つめている老婆こそが、この園崎家の現頭首だ。

 

 

「……あんだけ若い衆おって……それにお前もおって盗られたと? 葛西」

 

 

 細い首を回し、頭首は二人に鋭い眼光を向ける。深淵を見て来たかのような、凍てついた瞳をしていた。

 この瞳の前では葛西さえも目を逸らしたくなる。しかし何とか堪えて、まずは謝罪をした。

 

 

「不甲斐ないです……しかし私が鍵を持っており、金庫は開けられず……中だけ無くなったんです」

 

「ジオ・ウエキが屋敷内に侵入もしたんだよ。入り口も、辺りも、組員が徘徊していたのに……正直言って、普通じゃ考えられない」

 

 

 庇うように説明をする魅音だが、老婆の目から妥協だとか許しだとかの感情は一切なく、ただただ静かな怒りと疑念が漏れていた。

 

 

 

 

 

 

「……見張ってた余所者二人。どうにか吐かせられんのか?」

 

 

 

 その目はここにいない山田と上田へ向けられているものだと察し、魅音は言葉を呑んだ。

 

 

「その……あの二人がやったようには思えないんですが……」

 

「知れたもんやない」

 

 

 葛西が諭そうとするものの、彼女は小鼻を膨らませるばかり。

 やや食い気味に魅音が、二人への擁護を口にする。

 

 

「婆っちゃ。あの二人は関係ないよ」

 

「魅音や……お前、やけに心置いとるが……こっちからしちゃぁ、得体の知れん余所者なんよ」

 

「…………」

 

 

 魅音に対しては些か落ち着いた、窘めるような口調で話す。それでも二人への嫌疑を払拭した訳ではなさそうだが。

 途端、襖の向こうで「失礼します」と一言断ってから、組員が一人入って来た。

 

 

「なんね騒がしい」

 

「それが……例の二人が屋敷内を見たいと」

 

「……なんやと?」

 

「……ジオ・ウエキの、トリックを暴くと……」

 

 

 その報告を聞いて驚いたのは、頭首だけではない。葛西も、そして何より魅音もそうだ。

 

 

「山田さん……」

 

 

 魅音は意を決して、彼女に提案する。

 

 

 

 

「……やらせてみようよ」

 

 

 不機嫌そうに息を吸い込む音が響く。

 この音には葛西さえも、冷や汗が流れた。

 

 

「……魅音や。私の話聞いとったか?」

 

「……勿論。見張りはつけさせるし……なんなら、私が」

 

「じゃかぁしかッ!!」

 

 

 頭首の怒号が木霊する。

 一番近くにいた組員はたまったものではなく、顔面蒼白になっていた。

 

 

「……お前、その二人となんじゃ? 童の頃からの仲か? するってぇと盃を交わした兄弟か?……どれでものうて、たまたま会うた行きずりの堅気じゃろがい。お前が良くても、こちとら良くはねぇ」

 

「………………」

 

「……余所者にあの女ぁ追い出させるっつぅのが間違いじゃったのさ。そんでみすみす三億奪われたんなら、園崎の面子は丸潰れよ……提案したお前、責任取れるのかぇ?」

 

 

 葛西は彼女の発言に愕然とし、急いで魅音の口を止めようとした。

 だが魅音は寧ろ制止させようとした彼の腕を掴み上げて阻止し、そのまま毅然とした態度で頭首に言い放つ。

 

 

 

 

「……尻拭いは自分で出来るよ。この案件は全て、この園崎魅音が最後まで責任を負う……その上で私は、あの二人に協力させる」

 

 

 彼女が次に提示したのは、「条件」だった。

 

 

「……もし、今日と明日までに三億円の在り処が分からなかったら──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ええと。私の小指が飛んじゃうんで……何とかしてっ!!」

 

「そんな責任おっ被せないでくださいよ!?!?」

 

 

 両手を合わせて頼み込む魅音に、山田は愕然とした声をあげた。

 その後ろで上田もまた仰天しながら話しかける。

 

 

「つまりその、ゆ、指詰めか!? 指切り!? 針千本飲むのか……!?」

 

「ハリセンボンは食べないけど……本当ごめん! 散々巻き込んでこんな事までしちゃうなんて……」

 

「なんか針千本の下り食い違ってる気がするぞ」

 

 

 困ったように笑いながら、魅音は二人の緊張を和らげようと軽い話し口で続ける。

 

 

「いやぁ〜……頑張って葛西と説得したんだけどそれまでで……婆っちゃったら頭カチカチだからなぁ〜……二人がジオ・ウエキの手下じゃないかってまだ疑っていてさ? だから私の小指を保証にって事で、この件を預かる的な〜?」

 

「……なんで、それほど……私たちに……?」

 

「……部活で遊んでくれたから、かな?」

 

「……それだけなんですか?」

 

 

 山田の問い掛けに、魅音は少しだけ俯く。その目には憂いが宿っている。

 

 

 

「……山田さんって、不思議な人に思えるんだ」

 

「…………え?」

 

「……詩音に似ているって言うか……いやまぁ、年齢で言ったら詩音が似ているんだけど……」

 

「……!」

 

 

 教室で交わした詩音との会話は、二人だけの秘密だ。なのに魅音はほぼ同じ事を言った。

 そしてにこりと、詩音と全く同じ微笑みを浮かべた。

 

 

「……そんな気がしたっ」

 

 

 双子ならでは、何か通じ合うところでもあるのだろうか──どう声をかけようかと迷っている内に、魅音は先ほどから一転し、神妙な顔付きで山田に今一度尋ねる。

 

 

「……山田さん。出来る……?」

 

「……山田……責任重大だぞ……?」

 

 

 二人の視線を受けながら、山田は数秒の沈黙の後に口を開く。

 その表情に迷いはなく、逃げの気概もない。

 

 

 

 

「……まず。金庫を見たいのですが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 座敷には葛西と頭首が残っていた。

 彼は恐る恐る、相変わらず外を眺めている頭首に尋ねる。

 

 

「……『お(りょう)さん』……本当に、魅音さんに指を詰めさせるんですか……?」

 

 

 頭首──「園崎 お魎」は首を振りながら、嗄れた声で話す。

 

 

「……そないなぁ事はさせん。覚悟のほどを計っただけじゃ……それに次の頭首が指足りのぅとか、他に示しつかんやろ」

 

「そ、そうですか……」

 

 

 安堵したように息を吐いた後、葛西はまた尋ねる。

 

 

「……仮に駄目だった場合、どうなさるおつもりで? さすがに三億は……こっちも見過ごせる額ではありません……」

 

「………………」

 

 

 暫く黙っていたお魎だったが、思慮深く口元を引き締めてから、また開いた。

 

 

 

 

 

「…………なんでぇ魅音があんな余所者に入れ込むか……見極めても遅ぅねぇさ」

 

 

 厳しい眼差しで外を見やる。相変わらず凍土のような眼をしていた。

 

 

 

 円窓の外からは、とても綺麗な紫陽花が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田、魅音、上田は金庫の設置してある蔵へ戻っていた。

 

 

 蔵の内部は他に出入り口はなく、三人が入った扉以外は侵入しようがない。勿論窓も存在するが、窓を塞ぐ格子に異常はなく、取り外されたりした痕跡はなかった。

 

 一通り蔵の中を調べてから上田は首を傾げ、唸る。

 

 

「あの時、侵入は絶対にされていないハズ……それに金庫の鍵がかかっていた……果たしてどうやって……」

 

「………………」

 

 

 山田は金庫の周りをぐるっと眺める。

 何を思ったのか開けっ放しだった金庫の中に頭を突っ込み、鼻をスンスン言わせた。

 

 

「鉄くさっ」

 

「金の匂いは諦めろッ!」

 

 

 仕方なく顔を上げる。

 その際に金庫の扉を見て、山田の顔が顰められた。

 

 

 

「あれ?」

 

「どうしたの山田さん!?」

 

「……そう言えばこの金庫、一回ぶつけられていましたよね?」

 

 

 

 台車で運ぼうとした組員が、油断して柱にぶつけていた事を思い出す。

 

 

「そう言えば派手にぶつけていたな……だが、それがどうしたってんだ?」

 

「その時、確か、金庫の扉に当たったんですよ。結構、強く……だから表面に軽いキズが付いていたんです」

 

 

 山田は金庫の扉を撫でるが、ツルツルとしていて新品同様だ。

 

 

「……これにはキズがない」

 

「YOUの気のせいじゃないのか?」

 

「確かにキズはあったんです……もしかして、これ、私たちが見た金庫では無いのでは?」

 

「え、マジで?」

 

 

 魅音は彼女の推理に耳を疑った。

 山田は続ける。

 

 

 

「恐らく金庫の中身だけが抜かれたんじゃなくて……『金庫そのものが入れ替わった』んですよ。同じ種類の物を用意しておいて、三億が入った物と取り替えて……」

 

「山田さん、待って」

 

 

 そして他でもない魅音が、山田のその推理に疑問を投げかけた。

 

 

「でも金庫の扉は、葛西さんの持っていたこの鍵で開いたんだよ? 三本とも鍵穴に入って解錠出来ていたし……同じ種類の金庫があるとしても、鍵まで一緒なのは考えられないよ」

 

「あぁ、彼女の言う通りだ。確かに鍵は合っていたし……それにこの金庫だって、確か急遽、園崎側が秘密裏に用意したんだろ? まさかジオ・ウエキが金庫の種類を先読みしていた訳はない……未来予知が出来るなら話は別だがな」

 

 

 魅音と上田の言う通りだ。

 金庫が入れ替えられたと考えるには、葛西の持っていた鍵が合った理由が分からない。

 

 

「やはり、YOUの気のせいだな」

 

「………………」

 

 

 山田は暫く考え込み、ぽつりと呟いた。

 

 

 

 

「……その鍵を手渡した人と、金庫を探した人、運んだ人も……シンって人……ですよね。あの人が協力者だったり?」

 

 

 その言葉は、さすがの魅音も聞き流す事が出来なかった。

 

 

「あ、あのさ……シンさんは三十年もここに勤めて来た古株だよ? 園崎への忠義も厚くて、私と詩音が赤ん坊の頃から遊び相手にもなってくれていた人……そんな彼が、あのペテン師に傾くなんて考えられない」

 

「それに、金庫の運搬中はずっと俺たちが見ていただろ!? 途中、ジオ・ウエキが現れて目を離したとは言え……それはほんの五分足らずの出来事だ! その間、一人で金庫を抱えてどこかに隠し、もう一つの金庫と入れ替えるなんざ不可能だ!」

 

「………………」

 

 

 シンが全てを執り行うには、あまりにも時間が少な過ぎる。

 また物理的な無理も存在していると、上田は指摘した。

 

 

「金庫の重量も考えなきゃいけない。金庫が五十キロとしても、中には三億円が入っている。まぁ、お前は金の重みなんて知らないだろうが」

 

「一言余計なんだよ上田!」

 

「お札……一万円は千枚につき、約一.◯五キログラムと言う。それが三億円になれば、大体三十一.五キログラム。金庫と合わせれば、最低でも八十キロは超える!……鍛えている俺なら別だが、とても老年っぽいシンって人が一人で抱えて運べる重量じゃない」

 

 

 金庫の重さも含めるとすると、金庫の入れ替え説はやはり無理がある。

 

 

「第一……金庫には他に、エミリカスが控えていたろ?」

 

「エミリカス……?」

 

「彼らの目を欺く必要も出て来る。不可能だ」

 

 

 

 上田がそう否定をした時だった。噂をすれば影が来ると言う風に、エミが魅音へ報告に現れた。

 

 

「魅音さん……造園会社の社員らもキャバの従業員らも、怪しい物は持ってませんでした」

 

「…………やっぱり、無関係なのかな……」

 

「それと……もう一つ、大変な事がさっき電話から……」

 

「……? なに?」

 

 

 

 

 

 大事な事とは、村外にいる組員が公衆電話で伝えたと言う、ジオ・ウエキの目撃情報だった。

 だが彼女が見つかったのは裏山では無く、更には村でも無い。

 

 

 

「興宮の駅……しかも、電車から下車したばかりなんです」

 

「……なんだと……!?」

 

「へえ!?」

 

 

 上田と山田は目を丸くする。

 つまり先ほどの騒動時には、ジオ・ウエキは雛見沢どころか興宮にもいなかった事になる。

 

 二人を押し退け、魅音はエミに詰め寄る。

 

 

「あり得ないって!? じゃあ、あの時見たアイツは……!?」

 

「仲間が問い詰めているんすが……『その者、私に非ず(ノット・アタク〜シ)』の一点張りで知らぬ存ぜぬ……」

 

「ノットアタクーシってなんだよ」

 

 

 少しずっこける山田。

 とは言え目の前でジオ・ウエキを見たものの、彼女は間違いなく不能犯だと判明する。

 

 

「……と、とにかく! そいつここに連れて来てよ!」

 

 

 魅音がそう命じるものの、エミは首を振った。

 

 

「あんの女、賢しい奴ですぜ……来る前に警察呼んでやがって……例の刑事がすっ飛んで来たそうで」

 

「大石……!」

 

 

 悔しげに魅音は呻く。

 巨大な暴力団組織ではあるものの、真正面から国家権力とやり合う訳にはいかない。ジオ、ウエキは園崎が手を出さないよう、既に取り計らっていたようだ。

 

 

 山田は躍起になって主張する。

 

 

「人間が同時に別の場所にいられる訳がないですよ! その本物のジオ・ウエキと、私たちが見たジオ・ウエキは別人なんです」

 

「だけど……声とか仕草とか、完全にあいつだったよ」

 

「仮にそうだとしても、あの壁上にはどうやって昇れたんだ? そしてどうやって屋敷に侵入した?……疑問ばっかで、マジにおかしくなりそうだぜ……」

 

 

 すっかり色を失った顔で、エミは呟いた。

 

 

 

「……本物の、霊能力者……?」

 

 

 認めようとした彼を、つい山田は一喝してしまう。

 

 

「そんな訳ないじゃないですか! 絶対トリックがあるんですッ!!」

 

「オウなんじゃ姉ちゃんワレェッ!? ピロシキされてぇかぁッ!?」

 

「いきなりキレるじゃんこの人」

 

 

 エミが突っかかるが、魅音が彼女を遮って威圧感で止めた。

 

 

「す、すいません……」

 

「……造園会社の人や従業員には、もう少し中にいるように言っといて」

 

「……ウッス」

 

 

 エミは会釈してから離れて行く。それを見届けながら山田はぼやいた。

 

 

「……サー・イエッサーじゃないのか」

 

「このまま不当に拘束すれば色々と問題になる……早いところ糸口を見つけないと……でも……」

 

 

 振り返り、魅音は不安そうな目付きで、祈るように尋ねる。

 それは自身の小指が惜しいからではない。園崎の面子がかかった瀬戸際なだけに、次期頭首としての焦燥から生じた不安だ。

 

 

 

 

「……山田さん。本当に……人間に出来る事なの? 今まで起きた事は……全部……」

 

「金庫の入れ替えも、ジオ・ウエキの別人にしても、辻褄が合わない!……一体、どうやって……!?」

 

「…………」

 

 

 

 消えた三億円、不能犯のジオ・ウエキ、そして屋敷内で見せた瞬間移動。解き明かすべき謎は、あまりに多過ぎる。

 

 

 どうすべきか考える山田は、向こうで昇る白煙をまた見上げた。焼却炉でもあるようだ。

 天へ天へと、雲と混ざりたいかのように、煙は揺れる。




・指切りは昔、遊郭の遊女が、意中の人に小指を切って渡したと言う話から。なぜ小指なのかと言うと、小指を立てるハンドサインは「心中立て」と呼ばれる、愛の誓いを意味したものだったから。
 尤も渡したのは偽物の上、お得意様を捕まえる為の策略だったそうです。ただこの話が転じて「約束を守る」と言う意味合いになり、それが賭博の世界では約束を守れなかった罰としての「指詰め」の風習が出来上がりました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

調査編

 山田がふらりと蔵から出れば、外を見張っていたカスを見つける。

 確か彼もあの時、金庫の護衛をしていたハズ。山田は恐る恐るカスへ話しかけた。

 

 

「あのぅ〜……」

 

「あ? ピロシキの覚悟出来たべか?」

 

「だからピロシキってなんなんだよ……ええと、ずっと金庫番をしていたんですよね……?」

 

「当たり前だべ! 金庫には誰も近付けさせんかったわ!」

 

 

 キレ気味で話され、少し心が痛い。

 後ろに立っていた魅音がギロリと睨んでくれたお陰で、その態度を軟化してはくれたが。

 

 

「何か、変な事があったとか……ありました?」

 

「そんなんは無かったべ。誰かが近付いて来たっつぅのも無かったからなぁ」

 

「……そうですか」

 

 

 本当に金庫は入れ替えられず、園崎家内に裏切り者はいないのか。

 そう山田は考え、諦めたように蔵へ戻ろうとする。

 

 

 

 途端、彼は呼び止めるように言った。

 

 

「ちょっくり目を離した時があったべか。一瞬だけ」

 

 

 彼のその話に、山田は「え?」と驚き声をあげる。

 

 

「それは……?」

 

「シンさんに言われたんだべ。『お前らも加勢しろ』ってな。それでエミと一緒に屋敷の中に入ったが……言っても、一分もねぇんじゃねぇか?」

 

 

 一分足らず。さすがにそんな短い時間では金庫の入れ替えは難しいかと、期待を打ち消した。

 その間ずっと蔵を調査していた上田だが、これ以上は何も分からないと判断し、魅音に提案する。

 

 

 

「なら屋敷の方を確認しないか? ジオウのいた場所を見てみよう……入って良いだろうか?」

 

「それなら構わないよ……山田さんは?」

 

 

 賛成の意を込めて、山田は頷いた。

 

 

 

 

 

 三人はまず、渡り廊下のすぐ先にあった部屋に入る。ここ自体は何の変哲もない和室だ。

 

 

「ジオウは最初、ここに現れたな」

 

「私が追いかけると、奥に逃げたんです……次に見たのは、あそこです」

 

 

 当時の状況を想起しながら、廊下の左手を山田は指差す。その先は行き止まりになっていた。

 

 

「行き止まりじゃないか?」

 

「あ、違うよ。確か突き当たりにもう一つ部屋がある」

 

 

 案内しながら魅音は、その件の部屋への襖を開いてやる。

 

 

 そこは山田が最初に見た通り、完全に独立した個室。

 次の部屋に行く襖も無ければ、廊下に出る出入口は一つのみ。

 押し入れは物で満載しており、唯一の出入り口には山田が立っていた。隠れる事も入れ違いで出る事も不可能だ。

 

 

「ジオ・ウエキは確かにこの部屋に入ったんです。でも消えていて……で、私が押し入れとか探している時に外で騒ぎがあったんです」

 

「……瞬間移動したのかねぇ。不気味〜……」

 

「………………」

 

 

 山田はくるりと振り返り廊下に出て、行き止まりとは反対の方を見る。そちらの方はまだ先が続いていた。

 

 

「こっちはどこに続くんですか?」

 

「あ。多分……」

 

 

 案内する魅音に続くと、二人も見覚えがある廊下に出た。そこは金庫搬送時のルートで、そのまま縁側に通じている廊下だ。

 

 縁側の方とは逆の方を見て、山田は呟く。

 

 

「つまり……この道を戻ったら……」

 

「三億円を金庫に入れた部屋に行くね」

 

「じゃあ、当時部屋に残っていた……あの従業員らがジオ・ウエキに化けられる事は可能……」

 

「山田。さっきも言っただろ? プレスマンじゃ、再生しても音質でバレちまう!」

 

 

 呆れたようにそう念押しで説明する上田だが、山田は確信を持って続けた。

 

 

 

 

 

「…………なら、声は本物なのでは?」

 

 

 

 

 山田の発したせん妄じみた推理に、上田はまた深く呆れる。

 

 

「本物って……じゃあ、あのジオウは本人だってのか?」

 

「違いますよ……詐欺師とか、物真似芸人が良くやる奴ですよ」

 

「……良くやる奴?」

 

「『オレオレ詐欺』とか。あれだって、みんな騙されるじゃないですか」

 

「オレオレ詐欺ってなになに?」

 

 

 未来の用語に困惑する魅音を余所に、山田は説明を続ける。

 

 

「私たちは、ジオ・ウエキの声を、『勘違い』したんですよ。そもそもジオ・ウエキ自体、かなり癖のある喋り方でしたから……イントネーションを真似て、声を少し低くしただけの女の声を、『ジオ・ウエキの声だ』って思い込んでしまったんですよ」

 

 

 山田は続ける。

 

 

「思えばジオ・ウエキ自体……服装から口調、仕草まで、かなり個性的でした……逆に言えば、我々はその『印象』が強かったんですよ。ジオ・ウエキはあのキャラクターで振る舞って、後に真似をする人間のハードルを下げていたんです」

 

「あー……そう言えばジオ・ウエキの物真似する沙都子、妙に上手かったっけ……」

 

「確かに特徴が強い人間は物真似しやすいとは聞くな……ジオウは雛じぇねで信奉されているんだろ? この一帯じゃ知名度が高い……つまり彼女を知っている者ほど、ジオウの影響が強過ぎて、あの物真似に騙されやすくなってしまった訳か」

 

「……でも、そうなると……」

 

 

 ふと思い立ってしまった可能性に、山田は顔を顰める。

 

 

 

 

「……ジオ・ウエキが、そのキャラクターを演じていたのは、この三億円事件強奪の為の布石……なら、かなり前から計画していたんじゃないですか?」

 

 

 その可能性を聞き、魅音はひたいに手を添えた。

 

 

「金にがめついどころじゃなくて……元から盗る気でウチに近付いたってこと……?」

 

「となると……ジオウが現れたのはいつ頃だ!?」

 

 

 すぐに魅音は指を折りながら想起する。

 

 

「えぇと……雛じぇねの話が出たのが今年初めての会合だったから……一月」

 

「すると五ヶ月前か……準備期間として十分な日数だな。ジオウは突発的でなく、前から地道に計画していたとなれば……ハッ! どうにも展開がスムーズだと思ったんだ!」

 

「えぇ……それほど時間をかけているなら……間違いなく協力者を募れますね。園崎家の中にも……」

 

「だ、だから山田さん……!」」

 

 

 だがやはりまだ魅音は、身内に裏切り者がいると言う推理には納得いかないようだ。

 

 

「その……園崎家の人間ってのはやっぱ、考えられない。まず全員、顔が割れているし、何度も言うけどみんなウチへの忠義心は強いし……裏切りとか匂わせるだけですぐに広まるよ!」

 

「…………だが……」

 

 

 上田はいつになく聡明で、物悲しげな表情を浮かべて説いた。

 

 

「逆に言えばそれは、『身内なら絶対に疑われない』って事なんだ! 三億円の情報が流れていたり、しかも決済日が近くそうそう延期が出来ない事情だったり……間違いなく、裏切り者の線はかなり大きい!」

 

「そ、それでも私には……」

 

「魅音さん」

 

 

 今度は山田が話しかけた。

 

 

「……否定したい気持ちは分かります。けど、まずは、相手がどんな規模なのか、そして色んな可能性を予想しなくちゃいけないんです」

 

「…………」

 

「……あなたは私たちを信用して、そして小指まで賭けてくれました」

 

「……!」

 

 

 思いがけない言葉にハッとさせられ、魅音は暫し、並び立つ山田と上田に見とれた。

 

 

「……間違いなら間違いだったと認めます……だからそれまでは……私たちを、本当に信じてください」

 

 

 それだけを言い残すと、山田は踵を返して廊下を走り、靴下で滑る。

 

 

「マイコーッ!」

 

「オイ真面目にやれ!」

 

 

 上田も彼女に付いて行く。

 そして少し俯き、また顔を上げてから、やっと魅音も歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 三億円の受け渡しが行われた、最初の部屋にもどる。

 今は誰もいないが、どこに誰がいたかは上田が覚えていた。

 

 

「従業員が二人と、ホステスっぽいのが一人。そんで、向かい合わせに座っていた組員か……」

 

「ホステス……その女の人が怪しいですね」

 

「でも怪しい物は持っていなかったらしいよ。それに体型が違うような……」

 

 

 魅音の話を聞きながら、山田は深く唸りながら推理する。

 

 

「体型に関しては何か、お腹周りに詰め物でもすれば誤魔化せます……でもそうなると荷物は嵩張るハズ……」

 

「そんな大きなバッグは持っていなかったな。服にハットに扇子に詰め物……ボストンバッグくらいは必要になるか」

 

 

 やはり違うのかと上田は思い始めるが、山田は諦めていない。

 

 

「……予め、どこかの部屋に隠していたとか? 従業員ならこの屋敷に来る機会は幾らでもあるだろうし……使わない部屋の押入れにでも、それとなく隠しておけるハズです」

 

「……フッ。そう言おうと思ってたところだ」

 

「…………」

 

 

 上田を呆れ顔で睨み付ける彼女に、魅音はもう一つの疑問を聞いた。

 

 

「あの部屋で消えたのは……どうやって?」

 

 

 

 

 

 すぐに三人は、ジオ・ウエキが消えた廊下の行き止まりに行く。

 窓はあるものの、木の格子が嵌められており、虫でしか通れなさそうだ。

 

 

 ならば可能性があるとすれば、やはり突き当たりにあったあの個室だけ。襖を開き、問題の部屋に入る。

 

 

「……廊下は袋小路ですし、確かに私、ジオ・ウエキがここに入って行ったのを見たんです」

 

「とすると……やはり、押し入れにでも隠れていたんじゃ?」

 

「そこはちゃんと調べました。でも、人が隠れられるスペースはなくて……」

 

「うーむ……押し入れと畳しかない部屋だし……大人どころか子どもも隠れられないな」

 

 

 上田と山田は部屋を見渡しながら分析する。しかし一望しただけでも何もない部屋だとしか思えない。

 襖の影から魅音が説明する。

 

 

「ここ、遠方から来たお客さんを泊める為の部屋でさ。あんまし使わないんだよね」

 

「何かありそうな気はするんだけどなぁ……」

 

 

 とは言うもののこれ以上は何も出ないと、さすがの山田も諦めたように廊下へ引き返そうとする。

 上田も一応、奥にある押し入れを調べてから、部屋を横断して彼女の後に続いた。

 

 

 

 

「…………ん?」

 

 

 部屋の中央の畳を踏んだ瞬間、彼は足を止めて俯き、その場で小さく四度くらい跳ぶ。

 そんな彼の奇行に気付いた山田が、心配そうに尋ねた。

 

 

「どうしました上田さん?」

 

「……この畳の沈み込みが、他と違う」

 

「はい?」

 

 

 即座に彼は踏んでいた畳の上から退き、這いつくばった。次にその畳と畳の隙間に爪を入れるように手を添え、一息に畳を返す。

 

 

 

 

「……おおう!?」

 

 

 上田が畳の下で何かを発見し、叫んだ。

 持ち上げられた畳で良く見えなかった山田と魅音は、何事かと上田の背後まで行く。

 

 

 

 

 

「あーーっ!!??」

 

 

 魅音も叫んだ。

 

 無理もない。畳の下にある地板が、返した畳の真下だけ枠を残して外され、穴になっていたからだ。

 下には土の地面が広がっており、冷たい空気が流れ出ている。

 

 

「そう言う事か……! あらかじめこの畳の下の板だけを取っ払っておいて、咄嗟に床下へ隠れられるようスペースを作っていたんだッ!!」

 

「じゃあ!? 私が追っていたジオ・ウエキ……ここに隠れていたんですか!?」

 

「そんな……う、ウチの床下に隠れる……って言うか、畳の下の板剥がしていたなんて、とか……え、えぇ……?」

 

 

 三人は顔を見合わせ、苦々しい声で同時に同じ言葉をぼやいた。

 

 

 

 

「「「どこまでも手間のかかる事を……!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とは言えこれで、一つ疑問が解消される。三人は返された畳の前に座り、口々に推理し合う。

 

 

「なら外の屋根にいたのはまた別の人間……って、事か?」

 

「一人目が床下に隠れて、ほとぼりが冷めた頃に出て来てまた、何食わぬ顔で受け渡しのあった部屋に戻ったって事……だよね?」

 

「屋根の上にいたのは中から外に……じゃなくて、外から梯子をかけて登った……と、言う事になるんですかね?」

 

「ジオウは『二つ』あった!!」

 

 

 上田がそう結論付けた。

 

 

「でも梯子とかあったら、それも運ばなくちゃいけなくないかな? あの後、若い衆がすぐに外へ行ったけど何も無かったよ」

 

 

 魅音の反論に対し、山田はある事を思い出した。

 

 

「……あ。そう言えば、従業員の人が『廃品回収車』を見たって言っていたじゃないですか。それなら業者装って近付けて……車を土台にして庇に登れますし、走らせたらすぐにトンズラ出来ますよ」

 

「廃品業者の車か……なるほど! アレならスピーカーも搭載しているし、ジオウの声をプレスマンに録音して、線を繋いでから高らかに響かせられるな!」

 

「……と言うか車とスピーカーまで用意するとか、もうガチじゃんさ。二人も良くここまで掴んだよねぇ……」

 

 

 仕掛け人であるジオ・ウエキに呆れ、そして山田と上田には改めて感心の意を投げ掛ける。

 

 

 しかしトリックは掴めても、証拠は掴んでいない。

 ただこれが正しいのならば、あのホステス女は明らかクロだ。

 

 

 容疑者をまず一人特定し、山田は立ち上がって上田に命じた。

 

 

 

「まだ、引き止めているんですよね!? その女の人だけは絶対に出さないように言って来てくださいっ! ゴー上田っ!!」

 

「任せろッ!! クロックアップッ!!」

 

 

 目にも留まらない速度で上田は出て行き、伝えに行った。

 今、部屋に残っているのは山田と魅音だけ。ぽつりと、山田は次の問題の解決に動こうとする。

 

 

「次は……消えた三億円ですね。寧ろこれからが本番かなぁ……あー疲れた」

 

「……ねぇ」

 

「はい?」

 

「……山田さんの推理が正しければ、金庫は入れ替えられた……んだよね」

 

「そう考えた方が都合良いんですけど……やり方がどうしても……」

 

「……分かった」

 

 

 それだけ言って魅音は立ち上がり、部屋から出ようとした。山田は困惑気味に一旦彼女を引き止める。

 

 

「ど、どうしたんですか?」

 

「…………」

 

 

 黙って振り返る。

 

 

 

 彼女の表情は部活の時のように、輝いた満面の笑みだった。

 

 

 

 

 

「……どうしたって。山田さんを……本気の本気の本気で信じてみるのさっ!」

 

 

 山田が面食らっている隙に、彼女はさっさと部屋から出て行く。

 

 

 

 

 誰もいない廊下を歩く彼女の表情は、朗らかなものから一変していた。

 真っ直ぐに鋭い眼差しで見据え、気持ちを押し殺すように口元を縛り、そして躊躇なく前へ前へと進む。

 

 決意、覚悟、そして若干の恐れを、強い意志で括り連ねた──「次期頭首の姿」をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 園崎邸の庭にて、上田は葛西やシン、他の組員らと共にいた。

 彼らの前には、共犯の疑いのある例の女が立たされている。上田の説明を受けた彼女は、ぎゃーぎゃー喚いていた。

 

 

「ちょっと!? な……なんで、あたしだけなの!?」

 

「疑惑があるってだけなんですよぉ。あのぉ! 違ったら帰しますから!」

 

「はぁあ!? 何が疑惑があるってのよっ!? このボンクラ天パーっ!!」

 

「ボンクラ天パー……」

 

 

 散々な言われ様に傷付く上田。

 その隣で葛西は冷たく、ドスの効いた声で尋ねた。

 

 

「……この女が共犯なんですね?」

 

 

 サングラスから覗く、葛西の眼光が下目遣いで女に降り注ぐ。

 これには味方側の上田さえも震えが止まらない。

 

 

「ひっ……! そ、総支配人……あ、あ、あたしじゃないですってぇ……!」

 

「そ、そうです! まだ決まってませんから! いやぁ……それにしてもあなた、良い香水をつけていますねぇ! それシャネルの五番ですよね? 私も好きなんで」

 

「黙れウスノロヒゲメガネっ!!」

 

「ウスノロヒゲメガネ……」

 

 

 泣き出しそうな上田。

 葛西さえもすぐに殴りかかりそうな迫力を見せ始めたところで、殺気を察したシンが引き止める。

 

 

「葛西さん、まずは落ち着きましょう。疑わしきは罰せず、さもなくば外道と同じですぞ」

 

 

 女と葛西の間に入り、それぞれに目配せをして宥めた。

 

 

「取り敢えず造園師たちは帰します……まだ仕事が立て込んでいるだとかで、これ以上拘束すりゃあ監禁とか言われます……」

 

「そうですね……彼らは帰しても良いでしょう。トラックや荷物は全て確認したが、何もありませんでしたし」

 

「一応、この女は他の従業員と一緒に別室に移しておきましょう。あっしに任せてください」

 

 

 疑惑の人物である女は、他二名の従業員と共にシンによって、屋敷内の部屋へ連行された。

 それを見届けてから上田は、葛西に女の処遇について懇願する。

 

 

「あの……仮に彼女がジオウの共犯だとしても……私刑ではなく、きっちり警察に引き渡してください」

 

「……極道がサツに頼ると言うのも、馬鹿みたいな話ですが」

 

「それなら暴力とかではなく……追放に留めてやってください。さすがに我々もその……堅気ですからねぇ……?」

 

「…………そうですね。巻き込んでしまった堅気に、我々の片棒を担がせる訳にはいきませんね……追放と言う形で、検討はしてみます」

 

 

 ホッと安堵する上田。さすがに自分たちのせいで人死にが出たとなれば夢見が悪い。そこだけは彼も自分の意見を貫かせて貰った。

 

 

「しかし何にせよ、あの女がジオ・ウエキの協力者だと言う証拠がなければ……証拠は見つかったんですか?」

 

「いえ、それはまだ……ただ、この屋敷中を探せば恐らく見つかると思うんです! 変装に使った服だとか帽子だとか!」

 

「服と帽子か……」

 

「事件後より誰一人出していないんですし……絶対、どこかに隠したままなんですよ!」

 

「……分かりました。若い衆に探させましょう」

 

 

 葛西が控えていた組員らを一瞥すると、彼らは「イーッ!」と返事して一斉に屋敷の中へと飛び込んで行った。

 

 

「……ショッカー?」

 

「だが内通者と判明しても……大事なのは三億円ですから」

 

「えぇ、それは、勿論! 今、絶賛調査中です!」

 

 

 夏の暑さとは別に流れている冷や汗を拭いながら、上田は心中で祈りながらそう答える。

 暫く二人の間に沈黙が流れ、居心地の悪さに上田は苛まれてしまう。

 

 何か話すべきだろうかと焦り、何か話題はないのかと頭の中で模索する。

 

 

 

 

「……上田先生」

 

「は、はい!?」

 

 

 唐突に葛西から名を呼ばれ、声をひっくり返しながら返事をした。

 

 

「……詩音さんはご存知ですよね」

 

「……詩音……あ、あぁ! この間、学校でお会いしましたよ! 確か魅音さんの双子の妹さんでしたっけ?」

 

「私、詩音さんの世話係でしてね……しょっちゅう、彼女とはお会いしているんですよ」

 

「……そうだったんですか」

 

 

 詩音の話をする彼の表情は、とても穏やかだった。

 それはまるで娘を思う、父のような。

 

 

 

 

「……あの人が言っていたんですよ。『山田さんと、上田先生は信頼出来る』と……」

 

「……詩音さんが?」

 

「魅音さんと詩音さんの二人から信頼を寄せられているとあっては……私としても、あなた方を疑う訳にはいきませんから」

 

「あぁ……だから葛西さんは、ずっと私たちの味方で……」

 

「詩音さんからハッキリ『信頼出来る』と聞いたのは……割と久々でしてね」

 

 

 葛西は身体の軸を、真っ直ぐ上田に向けた。

 

 

「……三億円奪還の件、是非とも最後まで協力していただけたらと」

 

「そ、それは勿論! 私に任せてくださいよ!」

 

 

 二人は硬く、握手を交わす。そして互いに笑い合い、親睦を深めようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 そんな和やかな二人だったが、息も絶え絶えな様子で帰って来た組員らの口からは、悲報が飛び出した。

 

 

 

 

「葛西さん!! 屋敷の中探しやしたが……服だとかは、ありませんぜ!?」

 

 

 証拠は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田は廊下を歩きながら、どうやって金庫が入れ替えられたのかと考えていた。

 

 

「入れ替えは確かに難しい……けど、金庫のキズが無かったり……一瞬だけだけど、あのシンって人が一人になれた時間があった……」

 

 

 廊下をゆっくり歩き、熟考する。

 

 

「……でも、担ぐのはまず無理……犯人は一体、どうやって……」

 

 

 思考を巡らせる。

 朝の始まりから、空の金庫を開けた時までの全てを。

 

 

「どうやって……ん?」

 

 

 ふと、気掛かりが幾つか見つかった。

 

 

 

 

「…………………………」

 

 

 

 なぜ二人の人間を使って、ジオ・ウエキとなり、撹乱しなければならなかったのか。

 

 

 なぜ、金庫を入れ替えるのか。

 山田の推測が正しいなら、三億円の入った金庫の鍵は、犯人が持ったままだったハズ。ならばジオ・ウエキの撹乱をせずとも、夜中にこっそり仲間を装って三億円を頂戴すると言った方法も可能だっただろう。

 

 

 

 

 そしてなぜ、今日を選んだのか。

 

 

「……金庫のままじゃないと、いけない理由が……ある?」

 

 

 

 

 

 山田の頭の中で、様々な人々の言葉が巡る。

 

 

 

『「オーバーハング構造」ですか。扉枠と隙間が殆どないので、バールのような物だとかでこじ開けられる……なんて事も難しくなりますね』

 

 

 

 金庫のままで無くてはいけない理由。

 

 

 

『お札……一万円は千枚につき、約一.◯五キログラムと言う。それが三億円になれば、大体三十一.五キログラム。金庫と合わせれば、最低でも八十キロは超える!……鍛えている俺なら別だが、とても老年っぽいシンって人が一人で抱えて運べる重量じゃない』

 

 

 

 重量を軽減し、迅速に運び出せる方法。

 

 

 

『造園会社のトラックにも、キャバの従業員らも怪しい物は持ってりゃしませんでした』

 

 

 

 それら全てを可能にする、魔法の道具。

 

 

 

『その……園崎家の人間ってのはやっぱ、考えられない。まず全員、顔が割れているし、葛西も言っていたけどみんなウチへの忠義心は強いし……裏切りとか匂わせるだけですぐに広まるよ!』

 

 

 

 協力者。

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端、彼女の脳裏には、天へ天へと立ち昇る白煙が現れた。

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 山田の中の、バラバラに散らかった点が、

 

 

 

「………………」

 

 

 

 線となり、連鎖し、

 

 

 

「……………………ッ!!」

 

 

 

 

 それは一本の筋道となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……繋がった……!!」

 

 

 

 気付けば正午は通り越し、陽は西へと落ち初めている。

 余裕はない。勝負は今すぐだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

解答編

 山田が屋敷の外に出ると、大急ぎで上田が駆け寄る。

 

 

「や、山田ぁ!? ジオウの服は無かったッ!!……ついでに、金庫も無かったぞッ!? どうすんだ!?」

 

「……上田さん」

 

 

 だがやけに落ち着き払った彼女を見て、上田もまた冷静さを取り戻した。

 

 

「屋敷に残っているのは?」

 

「あ、あぁ……! 疑いのある女と、ついでに従業員二人……あとは組員か?」

 

「……そうですか」

 

 

 少し残念そうに目を伏せる山田。しかしすぐにまた上田の方を向き、話しかける。

 

 

 

 

「……上田さん……お願いがあるんです」

 

 

 山田に言い渡された「お願い」は、上田を絶句させるほどの衝撃を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつまで経っても上田らの言うジオ・ウエキの服は見つからない。

 三億円の行方も分からず、トリックも分からず。葛西は庭の中に立ち、焦燥を隠せずにいた。

 

 

「……クソッ! 一体、どうやったんだ……!?」

 

「葛西さん! 金はもう、屋敷の外に行ったんですぜ!」

 

「村の一軒一軒、虱潰しに当たりましょう!」

 

 

 口々に提案を述べる組員たち。そろそろ彼らを押し留めるのも限界が来ている。

 

 それしか無いのかと、葛西は諦念を含ませた表情を見せた。

 ジオ・ウエキは本当に不思議な力を発揮して、三億円を奪ったのでは無いか。そんな馬鹿げた推察をしてしまうほどに理解が出来ず、情けなさから首を振る。

 

 

 シンが、苦渋に満ちた顔で葛西に話しかけた。 

 

 

「もう待っていられやせん。村中を捜索するしか、手立てはないです」

 

「………………」

 

 

 決断を迫られていた。

 

 

「葛西さん!」

 

「葛西さん……!」

 

「……葛西さん!」

 

「……イエス・マイ・ロード……!」

 

 

 組員たちが次の命令を待っていた。

 本当に屋敷にはもう何もないのか。見落としは本当にないのか。

 

 

 

「……ジャスッ、ドゥイットッ!!」

 

 

 シンにもそう迫られた。

 もう限界だと諦め、深い溜め息の後に、屋敷の捜索を取り止めを決定しようと口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あいや待たれぇ〜いっ!」

 

 

 それをまた止めたのは山田だ。

 この庭にいる全員の目が、彼女へ集中する。

 

 

「……山田さん……?」

 

 

 驚く葛西だが、他の組員たちはギャーギャーと山田に食ってかかる。

 

 

「おうおう!? なんじゃあ姉ちゃんゴラァ!?」

 

「堅気がウチに口挟むんじゃねぇべやッ!?」

 

「オマエハ、ヒッコんデイテ、クダサイ!」

 

 

 一斉に彼らから罵声を浴びせられ、オオアリクイの威嚇をする山田。

 

 

 

 

「……やかましいッ!!」

 

 

 殺気立つ組員らを葛西は一喝して黙らせた後、山田と顔を合わせた。彼の怒鳴り声に山田も震えまくっていたが。

 

 

「……まだ何か、あるんですか?」

 

「え、えぇ……このまま外を大捜索したって……恐らく三億円は見つからないでしょう」

 

「……それはどう言う……?」

 

「だって三億円は……まだこの屋敷に隠されているんですから」

 

 

 彼女の言葉を聞いて、まず信じてくれる人間はいない。怪訝な表情に変わる葛西の横から飛び出して、血気盛んなカスが怒鳴り散らかす。

 

 

「何言っとんべやッ!? 屋敷中を俺らが探したところじゃい!……それとも何か? 俺らが探し切れてないっつーんべか!? お前もうピロシキやぁッ!!」

 

「探し切れないじゃなくて、『絶対に無いと思える場所』に隠されていたんです」

 

「は? 絶対に無いと思える場所……?」

 

 

 隠し場所を言う前に、彼女は「まずは」と前置きした。

 

 

 

「この、一連の騒動には、『四人』の人間が関わっていました」

 

 

 山田は四本指を立てて突き出し、まず小指と薬指を折る。

 

 

「一人目は、屋敷の中に現れたジオ・ウエキ。二人目は、外壁の屋根に立っていたジオ・ウエキ……」

 

 

 次に中指を折る。

 

 

「そして三人目は、金庫を入れ替えた実行犯」

 

「山田さん……金庫の入れ替えは不可能だと、上田先生が仰っていましたが」

 

 

 葛西の反論を前にしても、山田は表情を崩す事なく、余裕を含ませて続けた。

 

 

「私も最初、不可能だと思っていました……でも、出来るんですよ」

 

 

 

 最後の人差し指を折らずに立てた。

 

 

 

「この……『四人目』の存在によって──でもまずは」

 

 

 

 山田はその人差し指を、ある人物に突き付ける。

 

 

 

 

 

 

「三人目……金庫を入れ替えた人物はあなた、ですよね?」

 

「…………」

 

「シンさん」

 

 

 そう差し示されたシンはただ、山田を睨むだけだった。

 最初に彼への宣戦布告を済まし──山田奈緒子のステージの幕が上がる。

 

 

 

 

 

 

 

 葛西含め、全員がまだ彼が犯行に加担していたとは信じ切れていなかった。口々に組員らがまた山田に怒鳴り散らかす。

 

 

「シンさんがやる訳ねぇだろうが!? ナマ言ってんじゃねぇぞ!?」

 

「おうおうおうッ!? シンさんは園崎にもう三十年も身を置いとる大物じゃあッ!? 裏切るわきゃねぇッ!」

 

「適当抜かしてんじゃねぇぞぉッ!!」

 

「ヒヨってるヤツいるーーッ!?」

 

 

 驚きからまたオオアリクイの威嚇をする山田。

 見兼ねた葛西が興奮する彼らを手で制し、代表して冷静に疑問を投げかけた。

 

 

「山田さん……確かにシンさんは、あの時金庫に一番近かった。一人になった時間もありました……だが、それはほんの僅かな時間。その一瞬で、どうやって金庫を入れ替えたと言うのです?」

 

 

 横でシンもさも不服そうに、口元を結んだまま頷いていた。

 冷静に質問をする葛西を前にしても、山田は余裕を失わずに続ける。

 

 

 

 

「その、『一人になった時間』が出来たところに、このトリックのタネがあるんです」

 

 

 合点が行かずに顔を顰める葛西だが、山田は続けて説明を始めた。

 

 

「そもそもなぜ、ジオ・ウエキが私たちを金庫から離さなければならなかったのか……それは勿論、当時金庫を守っていた我々を引き離すと同時に……『他の組員を移動させる為』だったんです」

 

「他の組員も……ですか?」

 

「あの時、葛西さんはジオ・ウエキの侵入の際に他の組員を動員させていました。そして一人目のジオ・ウエキが屋敷の中で隠れたと同時に、二人目のジオ・ウエキが登場します」

 

 

 あれほど批判的だった組員らも、つい山田の推理に引き込まれていた。

 

 

「この時、二人目のジオ・ウエキが現れたのは屋敷の裏、つまり金庫のあった蔵より、向かって左の方です。一人目は私たちを離す為としても、二人目はどうにも、『人を右から左に移動させよう』とする魂胆があるように思えたんです」

 

「……それをして、一体何に?」

 

「簡単ですよ。一人目は金庫番を独りだけにする為としたら……二人目は、さっき言った『四人目を移動させる為に現れた』んです。そして金庫番をしていたシンさんと協力し、金庫を丸ごと交換した」

 

「フン……馬鹿馬鹿しい……」

 

 

 横からシンが口を挟んで反論する。

 

 

「あの金庫は三億円を満載していて、かなり重量がありやした。それにまぁ、自分で言うのも何ですが、あっしはもう結構な歳……若いモンが相方だとしても、とてもすぐに持ち逃げられる代物じゃない。それにエミとカスがあっしと一緒にいた」

 

「あなた二人に指示を出して、一人だけになれていましたよね?」

 

「それもたった一瞬だったろうに……だよなぁ? エミ? カス?」

 

 

 二人はお互いに大きく頷き、証言する。

 

 

「たった一分ちょいじゃった」

 

「戻っても、シンさんは息切れしていたような感じはなかったべよ!? 金庫運んだんなら疲れちょるだろ!?」

 

 

 この通りだと言わんばかりに、シンは胸を張ってほくそ笑む。

 だが山田から動揺した様は伺えない。

 

 

「確かに、一人二人でも抱えて運ぶには、かなり難儀する金庫です」

 

 

 ですが、と続ける。

 

 

「台車を使えば、誰でも容易に運搬出来ます」

 

「金庫は確かにあっしが台車で運んどりましたが、ちゃんとあの場にあったじゃないですか? それに仮に運んだとしても、途中で組員らに見られる可能性もあろうに」

 

「違います……この屋敷に堂々と台車を……もっと言えば、金庫を覆い隠せるほどの袋を持ち込める人たちが……この屋敷にいたハズですよ?」

 

 

 そう山田が突き付けた途端、シンは微かに顔を歪め、そして葛西は察する。

 

 

「……まさか、そんな……ッ!!」

 

 

 自分たちの目も気にせず、当たり前のように台車を持ち込める人物たちが思い浮かんだからだ。

 

 

 

 

 

 

「…………四人目とは、『造園会社の人』だったんです。ジオ・ウエキが今日を犯行日にしたのは、『造園の仕事と上納金の運搬が合致した日だったから』なんですよ」

 

 

 伐採道具や機器、そして刈り取った草や枝葉を運搬する為に、必ず造園会社側から持ち込まれる物だ。

 

 蔵とは反対側、つまり屋敷の向かって右側にある庭園で作業していた造園師たち──山田が言いたいのは、組員らを屋敷の向かって左側に行かせた隙に、造園師の姿の仲間が「ガラ空きの右手から蔵に向かった」と言う事だった。

 

 

 

「造園の道具でしたら台車を持ち込んでも疑われませんし……切った枝や葉を集める『フゴ袋』に金庫を丸ごと隠せます。蔵とは逆で作業していて、それも見知った造園師の人たちでしたから、入った当初には入れ替え用の金庫を隠し持っているなんて、誰も想像出来ませんから」

 

 

 そう言われ、葛西を思い当たる節があって唇を悔しそうに噛んだ。

 さすがにやって来たばかりの造園会社の荷物など調べはしない。「あの時しておけば」と後悔しているようだ。

 

 

「そして組員らの目がジオ・ウエキの登場によって離れた隙に、入れ替え用の金庫を袋に隠して台車で走り、渡り廊下から落とすようにして台車からフゴ袋に入れて、用意していた空の金庫と取り替えたんです」

 

 

 葛西は一部納得するものの、肝心な事がまだ解決していないと質問する。

 

 

「……確かに、荷物の確認をしたのは事件後……ですが今も金庫は見当たらなかった」

 

「造園会社の荷物も総員で確認しやしたが、そんな物はありませんでしたよ?」

 

 

 シンもそう便乗して付け加えるが、山田は自信たっぷりに口角を上げて微かに笑う。

 

 

 

 

「そうなんですよ……そもそも『なぜ、金庫のままじゃないといけないのか?』」

 

 

 論点が変わり、眉を怪訝そうに潜める葛西。

 

 

「……どう言う意味ですか?」

 

「この計画は、まだ警備態勢の緩い日中でないといけないんです。夜になれば村中に散らばった組員が戻り、より警備は強固になってしまいますからね。また日中に金を手に入れたとしても、即座に荷物を確認させられる事は予想出来る……」

 

 

 それならば、と山田は続けた。

 

 

「一旦、組員が三億円を探しに村へ出て行って手薄になるまで、『絶対に見つからない場所に隠す必要があった』んです…………頑丈な、『金庫自体を活用した方法』で」

 

 

 山田は「そして」と続け、シンと葛西らに向けていた目を別の方へ移した。

 

 

 

「……もうそろそろだと、思いますよ」

 

 

 

 

 

 

 

 荒い呼吸と共に、ガラガラとタイヤが砂利を弾く音。

 全員の前に現れたのは、台車を押す上田の姿だった。

 

 

「はいはい通りますよぉ〜〜!」

 

 

 

 

 その台車の上に、「黒く焦げた、全く同じ形の金庫」が乗せられていた。

 

 

「これは……!? もう一つの金庫ッ!?」

 

「……馬鹿な……!」

 

 

 どうしても見つからなかった金庫が発見され、葛西は驚きから叫び、シンは戦慄したように目を見開いた。

 彼らの前まで金庫を運び終えた上田に、葛西は大急ぎで尋ねる。

 

 

「一体、どこにあったんですか……!?」

 

 

 黒焦げの軍手で鼻を掻きながら、自慢げに「隠し場所」を暴露した。

 

 

 

 

 

 

 

「……『焼却炉』ですよ!」

 

 

 蔵の前からも見えた、天へと昇る白煙。あれは焼却炉が使用されている証だった。

 園崎邸では、満載する枯れ葉や軽いゴミを焼く為に、自前の大型焼却炉を設置していた。

 

 上田は黒焦げの金庫を撫でながら解説をする。

 

 

「この金庫は、扉と枠の隙間を出来るだけ少なくし、火を入れない構造からして『耐火金庫』でした。外壁に熱を感じると、内部の耐火素材に含まれる水分が内温度を下げて、中身が燃えてしまうと言うのを防ぐんですよ! だから三億円は全く無事です!」

 

「ゴミか何かを燃やしている最中の焼却炉内に、まさか金庫があるなんて思いませんからね。金庫丸ごとを入れ替えたのは、『焼却炉に隠してやる為』だったんですよ」

 

「重たい金庫ですが……台車で運んでから、地面と面している側面投入口から押し込んでしまえば、持ち上げるよりも楽に仕舞い込めますからねぇ!」

 

 

 次に上田は「それから」と言って、何かの燃えカスを取り出した。

 そこには薄っすらと、「シドウシャ」と文字があった。ジオ・ウエキの帽子だ。

 

 

「金庫を隠せる上に、証拠も処分出来る! 変装に使われたとされるジオウの服の燃えカスを発見しました!」

 

「一人目のジオ・ウエキは、二人目が撹乱している隙に服を纏めて廊下を走り……外廊下に出たんです。そこで丁度、金庫を回収した四人目に渡して、あとはその四人目がゴミ処理を装って焼却炉に金庫と服を入れるだけ」

 

「焼却炉の場所も、離れとは逆の方でしたからねぇ! バーニングレンジャーッ! フライハァーイッ!!」

 

 

 何だか興奮気味の上田に、少し場は引き気味だった。

 山田は咳き込みをして気を取り直し、改めてシンを睨み据える。

 

 

 

 

 

「葛西さんの持っていた鍵で空っぽの方の金庫を開けられたのは、最初からその替えの金庫の物とすり替えて渡したからですよね? それによって我々はあたかも、『三億円を入れた金庫から、中身だけ消えた』と錯覚した訳です」

 

「…………ッ」

 

「それに畳の下の板を抜いたり、屋敷内にジオ・ウエキの服を隠したり……日頃ここに出入りしているあなたなら、全て容易に工作出来ますよね?」

 

 

 

 愕然とする葛西の視線の先で、諦めたように目を閉じたシン──ずっと組に尽くし、誰からも信頼を受けていたハズの男の、そんな様子を見て思わず息を詰まらせる。

 

 

 

 

 

 山田はシンに改めて人差し指を向け、言い放つ。

 

 

 

 

「シンさん……お前のやった事は全て──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──丸っとスパッとピロシキお見通しだッ!!」

 

 

 

 

 何も反論をしないシン。しかしエミは、尊敬する彼を庇おうと声を荒げた。

 

 

「そ、そんなんオメェの妄想じゃねぇかッ!?

 

「でも、彼しか金庫の入れ替えは出来ないんです。それに金庫を用意したのも彼でしたよね?」

 

「だったら証拠を見せろよ証拠をッ!! なけりゃピロシキだコノヤローッ!!」

 

「だからさっきからピロシキってなんなんだっ!?」

 

 

 今にも山田と上田へ飛びかからんとする気迫。

 それらに押されて黙り込んでしまった二人だが、場を収めてくれた人物がいた。

 

 

 

 

「…………そこまで。もう良い」

 

 

 松の木が騒つく庭園の中、魅音が下駄を鳴らして現れた。

 何かのメモ書きと分厚い本を携えている。

 

 

「み、魅音さん……?」

 

「……少し時間かかったけど。見つかったよ」

 

「見つかった……?」

 

「んっ」

 

 

 魅音が持っていた分厚い本は、「電話帳」。

 既に二◯一八年にはプライバシーの侵害対策によって存在しなくなった代物。山田は懐かしさから目を輝かせる。

 

 

「『タウンページ』だ! 懐かしい……!」

 

「面白い事を教えてやる! タウンページと言う名称は、丁度この一九八三年に公募された物なんだ! それまでは普通に電話帳か、『イエローページ』だったんだ! また一つ賢くなったなッ! 明日からみんなに言いふらしてやれッ!」

 

「その知識いまいる?」

 

 

 メモ書きを見ながら、魅音は冷たく丁重な口調で突き付けた。

 初めて見た、彼女の冷酷な側面。紛れもなく次期頭首と言う事だろうか。

 

 

 

 

「……街の鍵屋、金庫屋を片っ端から電話をしました。意外と多かったから大変でしたが……そしたらこの金庫屋」

 

 

 ピラッとメモの文字を見せ付ける。「金庫みすゞ」と言う店名と、そこの電話番号が書かれていた。

 山田と上田はその店名の読み方に難儀している。

 

 

「きんこみす……なんて読むんだあれ?」

 

「……かねこみすず?」

 

 

 魅音は尚も丁重で冷え切った口調を崩さず、されど少し辛そうな目でシンに突き付ける。

 

 

「この店で、同じ型の金庫を『二つ』購入した人がいました。シンさんの名義出したら『その人だ』と、証言しています。同姓同名だと仰るのならば、すぐにでも店主を呼んで顔を確認させる事も出来ますが?」

 

「…………」

 

「また……共犯と思われる造園会社とのスケジュールを組んだのも……あなたでしたよね?」

 

「………………」

 

 

 動かぬ証拠を突き付けられ、やっとシンの目が開かれ、顔に感情が表出した。

 だがそれは後悔や恨事、慚愧の念というより、悲壮と微かな安堵。

 

 

 

 

 

 

「…………組には、深い恩を感じとります」

 

 

 シンはまず葛西や他の組員らを見渡し、そして魅音へと向き直り、謝罪を口にした。

 

 

「仇で返す事となり、大変申し訳ありません」

 

「……シンさん……あんたなぜなんですか!? なんでだッ!?!?」

 

「………………」

 

 

 怒りの形相で問い詰める葛西。その隣で上田が思い出したかのように、彼へ尋ねた。

 

 

「確か葛西さん、金庫に三億円を入れる前……シンさんに、『奥さんが大変な時に』と言っていましたね?……なにか、あったのですか?」

 

 

 瞬間、葛西にシンの動機が察せられた。途端、滲ませていた怒気が潜まって行く。

 

 

「……まさか、それで……!?」

 

「……ここでは三十年ですが……嫁とはそりゃ五十年……幼馴染でね。先の戦争も共に乗り越えた仲なんです……ただ、去年から癌を患っていましてね」

 

 

 

 

 シンは空を見上げる。

 焼却炉からの白煙がまだ立ち昇っていた。

 

 

「……馬鹿な女で……癌を隠しとったんすわ。気付いた頃にゃ、医者もお手上げな状態で……もう先が無いと、腹を括っていましたが……そんな時に現れたのがジオ・ウエキ……あれは、アメリカの医者にかかれば必ず嫁は助かると言って……」

 

「……渡米費用と医療費を受け取る事を条件に……三億円強奪に手を貸したんですね」

 

 

 山田の代弁に、こくりと頷く。

 

 

「……嫁は……こんなどうしようも無いあっしに相応しくないほど……良い女でした。子どもは出来んからと皆があっしとの結婚を反対したが……関係ないと、駆け落ちたんですわ。戦後すぐは苦労もかけて、泣かせたりもしました……」

 

 

 

 

 消え入りそうな儚い微笑みを浮かべ、魅音と視線を合わせた。

 

 

 

 

「……今度はあっしが、あいつを救う番だって……昔から単純な男ですけ、そう思っちまったらやるしか無かったんですわ」

 

「……ッ」

 

 

 魅音は同情してしまいそうな心、そして走馬灯のように思い浮かぶ、幼少期から世話をしてくれた彼との思い出を──その全てを押し殺し、鬼に徹する。

 

 

 そんな彼女の表情を見て、どこかシンは安心したようにまた笑った。

 

 

「……それこそが……園崎家次期頭首の器でさ」

 

 

 そう言うとシンは懐から鍵束を出し、上田へ投げ渡す。その鍵こそが、三億円が入っている方の金庫の鍵だ。

 

 

 

 

 最後にもう一度彼は、深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………ケジメはつけます」

 

 

 下げた頭を、上げた。

 

 

 

 

「あっしの仕事は終えました」

 

 

 その手には、拳銃が握られていた。

 

 

「……ッ!!」

 

 

 

 下唇を噛み締めてまで情動を押し殺す魅音の前で、銃口を自身の顎下にくっ付ける。

 

 

「やめなさいッ!?!?」

 

「シンさんッ!!」

 

「あ……!」

 

 

 止めようとする上田と葛西、衝撃から動けない山田。

 一瞬だけ時が止まったような中で、彼は躊躇なく引き金を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 甲高い発砲音が、蝉時雨を切り裂く。

 弾丸は顎の下から脳天を貫き、シンは即死だった。

 

 

 

 

 

 

 呆然と立つ全員の中心で、彼は崩れ落ちた。

 

 

「そんな……!」

 

 

 止められず、立ち尽くす上田。その隣で葛西は、震えた声で吐き捨てた。

 

 

 

 

「……タワケが……ッ!!」

 

 

 死体は俯けに倒れ、生気の消えた目がぼんやりと、地を眺める。

 広がり行く血溜まりだけが空を映す。

 

 

 銃声を聞き付けた組員が飛び出し、シンの死体を見て誰もが愕然と衝撃を抱いて絶句する。

 一人の哀れな男は、信念を貫き通し、地獄に堕ちたのだ。

 

 

 

 

 

 

「……死体に何か被せてやれ」

 

 

 葛西が命じ、動揺を見せながらも組員らは、持って来たブルーシートでシンの死体を覆った。

 悲しい事件の幕切れとなる。

 

 

 

「…………」

 

「……こうなるなんて思っていなかった。けど……山田さん。これは極道の世界。裏切り者のシンさんに一片の慈悲をくれちゃいけないんだ」

 

「……魅音さん」

 

 

 山田が名前を呼ぶと、やっと魅音は鬼から一人の少女へ戻ったかのように、泣き出しそうな顔を見せた。

 潤んだ瞳のまま、何とか涙を零さず留め、まずは山田と上田に頭を下げる、

 

 

「……山田さん。上田先生。ありがとう」

 

「……私は、そんな……」

 

「二人は私たちを信じてくれた……だから真相を暴けた。あのままだと園崎は本当に、ジオ・ウエキに屈していた」

 

「……私からも礼を言わせてください。あなたがたは園崎にとって恩人です」

 

 

 再び頭を下げ、感謝を示す魅音と葛西。

 それらを受けながら山田は、嫌な予感を察知してしまう。

 

 

 

 

 

「……あのシンさん……なんで、最後に……」

 

 

 彼が死に際に放った言葉、「仕事は終えました」。

 

 

 この言葉が、山田にら引っかかって仕方がない。

 

 

 

 

 

 上田は三億円が入っている金庫を指差し、葛西に聞く。

 

 

「一先ずこの金庫は、どっか移動させましょうか?」

 

「………………」

 

「それは若い衆にさせますのでお構いなく」

 

「…………」

 

「あとは協力者を取っ捕まえるだけだね!」

 

 

 

 

 

 一つの邪悪な予想が、山田の脳裏に巡る。

 

 

 

 

 

「……まさかっ!?」

 

 

 山田は上田の持っていた鍵束を引ったくり、鍵を開け始めた。

 

 

「おい山田!? どうしたんだ!? そんなに三億嗅ぎたいのか!?」

 

「シンさんの最後の言葉……あれの意味が分かったんです……!」

 

「最後の言葉……意味……!?」

 

 

 一つ目を解錠。

 

 

 

 

 二つ目、解錠。

 

 

 

 

 

 

 三つ目、解錠。そして扉が開く。

 

 

 

 

 

 中は、空っぽだ。

 

 

 

「なにッ!?」

 

「え!? は、入ってないじゃん!?」

 

 

 唖然とする上田に、愕然とする魅音。

 

 

「どう言う事だ……!?」

 

 

 狼狽する葛西の前で、山田は空の金庫を手で叩く。

 

 

 

 

「……やられた!」

 

 

 山田は予想してしまった。

 既に金は抜かれていた事を。

 

 

「シンさんは隙を見て中身を取り出し……荷物の検査が済んだ後で、『四人目』に渡したんです!」

 

 

 四人目とは、既に解放してしまった造園会社の人間だ。

 確かにトラックには枝や葉を満載した袋が積み上げられており、その中なら余裕で紙幣だけでも隠せる。

 

 

 

 事態を把握した葛西は、あらん限りの声で叫ぶ。

 

 

「すぐに造園会社へ急行しろぉッ!!」

 

「葛西さん!!」

 

「なんだッ!?」

 

 

 一人組員が葛西に駆け寄り、報告する。

 

 

「女がいないんですッ! シンさん、あの女をこっそり逃していたんですよッ!!」

 

「……ッ!? なんだとぉッ!?」

 

 

 ホステスの女を連行したのはシンだ。自分が疑われる前に、女が逃走出来るよう取り計らっていたようだ。

 

 

 

 また一気に慌ただしくなる屋敷内。山田と上田はただ、それらを呆然と、眺める事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 解答は見つかったものの、それが「解決」とはならない。

 何か近い事を言われたようなと、山田は一人頭痛に苛まれていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

阿鼻叫喚

 震える手で家を掃除する。

 別室にいる叔父の声に怯え続け、夜は眠れず。

 鏡を見れば自分の顔が酷く窶れており、本当に自分の顔なのかと疑ってしまった。

 

 

 

 何度か顔を打たれた。

 髪を引っ張られた。

 腕を掴み上げられ、強く捻られた。

 たった一晩、既に心は限界だった。

 

 

 だが彼女はこれを受け入れる。

 これは自分に対する罰なのだと。一つ、罪滅ぼしなのだと。

 

 甘い自分のせいで、親も兄も、いなくなってしまったのだから。

 自分が弱く、甘えん坊のせいだから。

 

 

 彼女は全て、受け入れるつもりだ。

 稚拙に、蕭索に、真摯に、迂愚に。

 

 

 

 

 叔父、鉄平の声が響く。

 ビクリと身体を震わせ、何かヘマをしたかと思考を巡らす。

 

 

 だがいつもより潜めるような声で、自分に対してではなく別の誰かに対しての声だ。

 誰かとぶつぶつ、話している。

 

 

 

 

 

 客でも来たのか。なら、お茶を出さねば怒られるのではないか。

 する必要もないのに忍び足で玄関に行き、角から覗く。

 

 

 

「し、失敗……したんか……!?」

 

 

 鉄平が、派手な格好の女と話していた。見た事ないほどの動揺を顔に浮かべながら。

 

 

「金は盗れた!! お願い助けてよぉ……! あたし顔バレたから殺される……!!」

 

「そ、そな、相手を分かっとるんか!? すぐこの家にも来やがる……!!」

 

「だったら車出しなさいよッ!! あの廃品回収のがあるじゃない! 運転出来るんでしょ!?」

 

「か、堪忍せぇ……!」

 

 

 女は辺りを憚りながら、それでも強い語気で怒号を飛ばす。

 

 

「ふざけないでよぉ……!! あんたを紹介したのはあたしなのよ……!? 金が入れば、あたしはもう良いっての!?」

 

「そうとは言っとらん……! わ、ワシにはどうする事も出来んのじゃ……! お前を助けて心中は勘弁での……!」

 

「なんなのよ!? あたしの事好きなんでしょ!? だったら助けなさいよ!? アイツ全然連絡しないし! 村から出られないし……!」

 

「あの、金ヅルん所に匿ってもらえ! わ、ワシは無理じゃ! 園崎に顔も知られとるし……!」

 

「こ、この……屑野郎……!!」

 

 

 ヒステリックに喚き、半泣きの状態で家を出て行った。

 残された鉄平は一度溜め息を吐く。何だかんだ言って彼女の身を案じているのかと思った。

 

 

 

 

 

 身体を震わし、俯き、笑い出す。

 

 

「ギャハハハッ!! さ、三億じゃ三億じゃ……!! 成功したんじゃな!! ならあんな女、死んでも構わんわ!! ハッハッハッハッ!! 女装した甲斐あった!!」

 

 

 笑いが止まらない。狂った笑いが木霊する。

 一頻り笑った彼は、笑い過ぎの涙を拭いながら居間に引っ込む。

 

 

「さぁ、はよ連絡せんと……! イヒヒッ!『ジオ・ウエキ』様々じゃ……!」

 

 

 彼の口から出た、ジオ・ウエキの名前に驚く。

 なぜ一年も村を離れ、ダム建設には無関心だった彼が、反対派閥の指導者と知り合いなのか。

 

 沙都子はまた忍び足で居間の襖へ耳を当て、彼の声を聞き取る。

 黒電話のダイヤルを回す音が鳴り、暫くして鉄平が話し出した。

 

 

 

 

 

「ジオ・ウエキさんかの!? 三億円は……おぉ! 入ったんか!! 場所は……いつもあそこで良いかいの!?」

 

 

 嬉々として電話をとる鉄平。

 三億円、ジオ・ウエキとの関連。沙都子には、全く見当もつかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に夕方になろうとしていた。

 山道を下り、お宝探しから帰還する圭一とレナ。レナは両手に「お宝」を抱えて上機嫌だった。

 

 

「えへへー! 私の勝ちー!」

 

「クソォォ……! どうした圭一! なぜだ圭一!? 俺はなぜ、勝負に弱いんだ……!!」

 

 

 圭一に振り向き、ニヤッと笑うレナ。

 

 

「それじゃあ……レナの言う事、聞いてもらおっかなぁ?」

 

「ぐふ……」

 

「……返事は?」

 

「……い、いいとも〜……」

 

 

 朗らかに笑うレナ。

 

 

 

 

 夕焼けが染め、深緑の中に立つ、少し泥で汚れてしまった頬の彼女へ、不覚にもドキリとしてしまう。

 

 儚い月光のようだ。降り注ぐ雪のようだ。初夏の山中、夕陽の満月、可憐な雪化粧。

 この斜陽の朱に目を逸らせば彼女は溶けて、吸い込まれてしまうのではないか。

 

 妙な事を考えてしまい、気恥ずかしくなって俯いた。

 次に顔を上げると、本当に少女は消えていた。

 

 

 

 

「……へ!? れ、レナ!?」

 

「なぁに?」

 

「うおっ!?」

 

 

 いつの間にか隣に立っていた。

 過剰にびっくりしている圭一を見て、鈴のように笑う。

 

 

「圭一くん驚き過ぎだってばぁ!」

 

「つ、疲れただけだ! この前原圭一に死角はないッ!」

 

「あはは! 上田先生と同じ事言ってるよ!」

 

「……それで! 俺はレナに、何すりゃ良いんだよ」

 

 

 罰ゲームは、勝った方の言う事を聞く。

 圭一は「レナを専属メイドにする」だった。レナは、まだ内緒にされている。

 

 

 こう言う罰ゲームに関しては、この前の女装と言い容赦しないのが彼女。

 どんな無茶振りをさせられるのかとヒヤヒヤ。

 

 

 

 

「…………そ〜だねぇ……」

 

 

 ポっと、レナの頰に紅色にして、されど幸せそうに。

 

 

 

 

 

 二人は道路に出る。レナは独白のように話し出す。

 

 

 

 

 

「……どこか遠くに。一緒に、どこまでも……」

 

 

 圭一は驚き、彼女を見やる。

 

 

 

 

 

 

「……遠く遠く……オヤシロ様も追いつけない遠くまで……レナを連れてって欲しいな」

 

 

 

 切なげな横顔。およそ見た事のない、その横顔。

 本当に、彼女が、消えてしまう。本気でそう思ってしまうほどの。

 

 

 

 

 

「……なんちって」

 

 

 最初のような、意地悪な笑みになるレナ。

 目をパチクリさせる圭一だった。からかわれたと気付く。

 

 

「久保田 早紀ぽかった?」

 

「い、異邦人?」

 

「圭一くん、豆が鳩鉄砲食らった顔してるよ!」

 

「豆と鳩が逆じゃねぇか!」

 

「あははは!!」

 

 

 無邪気に笑うレナを見て、やはりさっきのは演技だったのだなと圭一は不貞腐れる。

 

 

「あまりからかうんじゃねぇ!……そんで、罰ゲームはよぉ……何させる気だ?」

 

「……ん〜……んふふ! 一日待ってくれる? 準備するから!」

 

「…………また女装?」

 

「明後日、火曜日のお楽しみに〜!」

 

 

 タタタと駆け出し、くるっとターン。

 呆れながら後ろを付いて行く圭一。馬鹿らしく思いながらも、自然と顔が綻んだ。

 

 

 

 

 

 一台の車がやって来る。大型のトラックで、恐らくダムの材料搬送か。

 道路の傍に避け、トラックを避ける。何の問題もなくトラックは通り過ぎて行った。

 

 

 

 

 レナがポカンと、去り行くトラックを眺めている。

 

 

「どうした?」

 

「圭一くん……あの、見間違いじゃないよ?」

 

「ん?」

 

「……トラックの助手席に……ジオ・ウエキ……いた」

 

「……へ!?」

 

 

 二人はトラックを追って、駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 園崎の方では混乱が巻き起こる。

 山田と上田、そして魅音は、葛西の運転する車に乗って畑の傍の道路を行く。

 

 

 目的地に到着すると既に何人か集まっており、騒ぎ、奔走していた。

 夕焼けの空には黒煙が上がっている。

 

 

 停車し、即座に畑の中へ走る。

 全員の目には、横転して炎上する車が写っていた。

 

 

 

 

 その小型トラックは造園会社の物だ。

 三億円を積んでいると思われる車。それが目の前で事故に遭い横転し、炎上している。

 

 

「三億円燃えちまうぞ!?」

 

「消化器持ってこんかい!!」

 

「近付くな!! 爆発しおるぞ!?」

 

 

 消化活動をしている組員たちだが、危なげな気配を察知し、全員退避。

 同時に車は爆発を起こし、山田らは顔を伏せた。

 

 

 

 

 一際大きな黒煙と紅炎が空に舞う。

 羽根を広げ飛翔する、カラスにも見えた。

 

 

 その後も尚燃え続ける車を見て、全員は呆然と立ち尽くす。

 爆発が収まったと同時に、また消化活動が再開された。

 

 

 上田は頭を抱える。

 

 

「……おそらく、焦って運転し、畑の溝にタイヤをかましたんだ……! 運悪くマフラーからガソリンが漏れて、炎上しちまったんだろう……!」

 

「………………」

 

「あの爆発じゃ、もう金は無理だ……!」

 

 

 紅々と燃え盛る車を、山田は訝しげにずっと見ていた。

 

 

 

 

 その後消防車が到着し、三十分かけて鎮火する。

 希望の可能性として荷台から飛び出したフゴ袋を全て確認するが、どれも切った枝と葉ばかり。

 

 魅音と葛西は諦念と悔しい思い、更には後悔を滲ませながら、黒焦げとなった事故車を眺めた。

 

 

「折角盗んだ金を荷台なんかに乗せないか……」

 

「落とす訳にはいきませんからね……助手席に積んでいたのでしょう……クソッ!!」

 

 

 鎮火した車の中からは焼死体が発見されたようだ。

 運転手もとい、山田の言う「四人目の実行犯」だろう。

 

 

 天下の園崎家を引っ掻き回した三億円事件は、釈然としない、誰も得をしない幕切れとなった。

 

 

 

 

 

 

 葛西へ一人の組員が報告をする。

 

 

「興宮に戻る前に造園会社の車止めて問い詰めやしたが……他はグルでは無さそうです。一人だけが誑かされたんでしょ」

 

「………………」

 

「向こうもいきなり、会社に戻る途中に一台離れて走り出したんで……混乱しとる様子でしたぜ」

 

「……そうか」

 

 

 今更そんな報告を聞いても仕方ない。葛西は掛けていたサングラスを整え、溜め息を吐く。

 

 

 

 

 一部始終を見ていた山田と上田に、横から魅音が話しかける。

 

 

「こんな事になるなんて……でも、山田さん達に感謝しているよ」

 

「……どうせお金は消えてしまうのに……私はただ、シンさんを追い詰めるような事をしたような気がします……」

 

「山田さん。これはヤクザの世界……シンさんは、然るべき報いを受けただけ。山田さんが気に病む事じゃない」

 

「………………」

 

「……あの別宅は引き続き使っても良いから。婆っちゃにも言ってあげる」

 

「………………」

 

 

 魅音は二人から離れ、車に戻る。

 入れ替わりに葛西が話しかけた。

 

 

「お二人は、どうされますか? もう我々の監視は解いて良い頃合いですが……」

 

 

 黙り込んだままの山田に代わり、上田が答えてやった。

 

 

「た、あぁ……私たちは、ここで……また何かあればそちらに伺いますので」

 

「……今日は本当に、ありがとうございました」

 

 

 一礼し、葛西も車に乗り込む。

 他の組員らの車と共に、二人は屋敷へ帰って行った、

 

 

 

 

 

 冗談のように辺りは静まり返った。

 山田と上田も、そこを離れようとする。

 

 

「なんと言うか……夢みたいに事件は終わっちまったな?」

 

「……やっぱり」

 

「ん?」

 

「……やっぱり、納得行きません」

 

 

 山田はまだ諦めていないようだ。

 

 

「どうしてだ?」

 

「都合が良過ぎるって思いませんか? 金を運んだ車が事故を起こして、三億円と一緒に炎上……絶対におかしいです」

 

「だが……死体も出た。三億円奪う為に、自作自演で死ぬ訳にはいかんだろ?」

 

「……車が田んぼに突っ込んだ所、丁字路だったじゃないですか。一方の所で待ち構えていて、車をぶつけるって事も可能です」

 

 

 山田の推理を聞き、上田は疲れたような顔を見せた。

 

 

「おいおい……三億積んだ車だぞ? もし金が破損したら一巻の終わりだ。かなりリスキーだろ!」

 

「助手席に積ませてあるのなら、人間ならともかくお金なら言うほど破損しませんよ。追突時に運転手も気絶しているだろうし……犯人は楽々三億円を回収して、それで車に火を付けて、後は逃げるだけですよ」

 

「仲間を手にかけた動機は?」

 

「造園会社の人間である以上、絶対に身元が割れて足が付く……口封じですよ」

 

「バッカな! そんな理由で殺すなんて……イカれてる!」

 

「……ヤクザから三億奪おうとする人間が、正常と思っているんですか?」

 

「んまぁ……それはそうだが」

 

 

 山田は自分の考えを続けて話す。

 

 

「……この道で待ち構えていたとすると……犯人は、必ず車はここを通ると知っていた人物……多分、事前に逃走ルートを指定していたんだと思うんです。それを知っていると言う事は……ジオ・ウエキの仲間がやったのでは?」

 

「仮に君の考えが当たっているとする……車を横転させるには、それなりに大きな車が必要になる。造園会社の小型トラックより軽ければ、追突時にその車も横転しちまう。それにフロントが破壊され、運転手も無事じゃなくなる! パンクさせたと言うなよ? 車はキッチリ四輪あったし、途中にゴム片も無かったからな……」

 

 

 田舎道を歩きながら、あれこれ議論し合う。

 だが考えれば考えるほど、意味も分からなくなり、こんがらがる。

 

 

「……本当に、三億円は燃えたのでしょうか……」

 

「詳しくは事故車を見分して、警察かどっかが判断するだろ」

 

「………………」

 

「何にせよ、三億円は無くなった。健闘はしたが、残念だったな」

 

 

 空は暗くなりつつあった。

 心に蟠りを残したまま、二人は引き続き使わせて貰えると言われた別宅へと急ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圭一とレナはトラックの行く先を予想し、そこに辿り着く。

 ダムの工事現場。終業時間になっていたようで、搬入口に人はいない。二人はこっそり忍び込んだ。

 

 

 搬入口付近に停めてある、トラック数台。その内の一台に近付き、ナンバープレートを確認する。

 

 

「ええと……うん。このトラックだったよ」

 

「よ、良く番号覚えてんな……本当に乗ってたのかよ」

 

「ジオ・ウエキが本当に乗ってたんだよ! 服は違っていたけど、女の人だった!」

 

「確かに……工事のトラックに女は珍しいよな……」

 

 

 好奇心が勝り、二人は奥へと行く。

 ふと、圭一は一つのトラックのナンバープレートに目が行く。

 

 

 

 

 

 

『63824』

 

 

 変わったナンバープレートだなと、圭一はそのトラックの荷台に被せられたシートを開き、中を覗く。

 

 

「……ッ!! 監督……ッ!?」

 

「……何やってんの? 圭一くん……」

 

「か、監督が……監督がいる……」

 

「もう! 馬鹿やってないで行くよっ!」

 

「コジマイズゴッドォーーッ!!」

 

 

 圭一を引っ張りながら、奥へ奥へと、作業員の気配に気を付けながら進む。

 

 

 

 

 二人が今し方横切った、一台のトラック。けに前面部が破損し、へこんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 暫く進み、辺りは暗くなってしまった中で、光がまだ照っているプレハブ小屋を発見する。

 そこに近付き、二人は壁に耳を合わせる。プレハブの薄い壁では、どう頑張っても音は漏れる。

 

 

「聞こえるね」

 

「……あぁ……ジオ・ウエキの声だ」

 

 

 彼女の特徴的な声はとても分かりやすい。

 二人は息を潜め、聴覚に神経を集中させ、中から漏れる声を聞き逃さぬよう注意した。

 

 

 

 

 

「ア〜タクシたちの勝利ですわねぇ! 決着ぅーーッ!」

 

「声が大きいわよジオウちゃんっ! コンドームみてぇに薄い壁なんだから!」

 

 

 レナが小首傾げる。

 

 

「……圭一くん。こんどーむって、なんだろ?」

 

「き、聞く事に集中するんだ! 質問は後!」

 

「……?」

 

 

 引き続き二人は耳を澄ませる。

 

 

「そうは言われましても、笑いが止まりませんわぁ!」

 

「うへへ!……それはあたしも同じよっ! こんな沢山の聖徳太子、初めて見たわよっ! 豊聰耳にも程があるわっ!」

 

 

 聖徳太子と聞き、圭一はピクリと反応する。ジオ・ウエキの宣言が脳裏に巡ったからだ。

 

 

「聖徳太子……じゃあ一万円札で……もしかして三億円か……!?」

 

「圭一くん?」

 

「レナ、落ち着いて聞け……ジオ・ウエキはな、魅音の所から三億円を盗む気だったんだ」

 

「……え!? じゃ、じゃあ、聖徳太子って……歴史の勉強じゃなかったんだ」

 

「……そ、そう思ってたのか……もしや三億円を本当に…………ん?」

 

 

 馴染み過ぎて見過ごしかけたが、ここはダムの工事現場。つまり、反対派閥の指導者であるジオ・ウエキの敵地のハズ。

 

 

 なぜ、彼女はここにいるのか──圭一はすぐに理解した。

 

 

 

 

 

 

「……嘘だろ……! ジオ・ウエキの奴、こことグルだったのかよ……!?」

 

 

 

 思い出したのは金曜日に見た、ジオ・ウエキの霊能力の三つ目。

 メモ帳に書かせた文字を即座に読み取る能力だったが、確かそれを書いたのはダムの現場監督だ。

 

 

 ジオ・ウエキは最初から、あそこで霊能力を披露する気だったようだ。村民らからの信奉を強める為に。

 そして現場監督と、事前に秘密裏に打ち合わせをしていたのだろう。

 

 

 メモ帳の文字は読み取ったのではなく、元々から決めていた訳だ。

 

 

 全てが繋がり、圭一は動揺する。それは隣で聞いていたレナも同じだ。

 

 

「ぐ、グルって……!? なんで……?」

 

「それは分からねぇが……」

 

 

 ジオ・ウエキの声がまた響く。

 

 

「とりあえず、ここに隠しておきなさぁ〜い! 仲間を呼んで山分けよぉ〜!」

 

「ここなら園崎も入れないからねんっ! キッチリ隠しておくわっ!」

 

「お〜っほっほっほっほ!」

 

「フハハハハハハハハハッ!!」

 

「……こいつら、密会する気あんかよ」

 

 

 テンションが高いのか、大きくダダ漏れの声。さすがに圭一も呆れてしまう。

 だがお陰でジオ・ウエキの秘密を暴けそうだ。

 

 

「……魅音らに知らせねぇと」

 

「出よう、圭一くん!」

 

「あぁ……」

 

 

 振り返り、逃げようとする二人。

 

 

 

 二人を囲む、六人の作業員に、そこで初めて気が付いた。

 

 

「……へ?」

 

「ひっ……!」

 

 

 作業員らは据わった目で、二人を睨み付ける。

 その眼にある光は、人間にある理性的な光は鈍かった。

 

 作業員らは口々に二人へ怒鳴る。

 

 

「このガキがッ! これはグレートに許せねぇなぁ!」

 

「俺たちの秘密を知ったッ! 今日は眠れないな……今夜だけだがッ!」

 

「お前たち捕まえろッ!!」

 

「「無駄無駄ぁ〜!!」」

 

 

 多勢に無勢だ。二人は敢え無く、六人の作業員らに捕らえられてしまう。

 

 

「くそッ!? は、離しやがれって!!」

 

「離して、離してよぉ!!」

 

 

 敢え無く圭一とレナは捕縛されてしまった。

 どんどんと空は夜に落ちて行く。




「笑っていいとも」は1982年10月から放送されたので、この時代ではまだ新番組でした。

ツッコまれる前に言っておきますけど、メタルギアの第一作目は1987年から。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

動転と故郷

 矢部と菊池は、精神病院に行かせていた石原と秋葉と合流するが、なぜか二人は身体中にお札とお守りを貼っつけていた。

 

 

「……お前ら、それなんやねん」

 

「兄ィ! ワシら、祟りに片足突っ込んどるようじゃ! お祓いけぇの!」

 

「町の神社とお寺に、あとキリスト教会にイスラーム教会、全部寄りましたぁ!」

 

 

 秋葉が服中に張り付けていたお守りを見やる。

 

 

「なんやなんや、えぇ? 無病息災、家内安全、悪霊退散……星五確定? なんのご利益やねんこれ」

 

 

 呆れた顔の、次いでボコボコ顔の菊池が二人を叱責する。

 

 

「なんだその体たらくはッ!! この科学の時代に祟りがある訳ないだろッ!!」

 

「ほんでも、本当に祟りなんじゃ!」

 

 

 二人は話だけでも、病院の院長から聞いた事を矢部と菊池にも共有する。

 

 

「大災害の後にのぉ、雛見沢村出身の人間が大挙したそうじゃ!」

 

「全員オヤシロ様の呪いを恐れていて、とても凶暴になってて……病院の人が何人も怪我させられたみたいですねぇ」

 

 

 菊池は肩を竦める。

 

 

「フンッ! それはただ、自分の故郷が無くなったショックで気を病んだに過ぎんッ!」

 

「んで、この前原圭一はどうやったんや?」

 

 

 石原と秋葉がそれぞれ、残念そうな表情で報告する。

 

 

「死んどったけぇの兄ィ! だからカルテもララバイバイじゃ!」

 

「でも、その圭一くんも同じ症状だったみたいですよぉ。それに死因も不明瞭で〜……」

 

「死因はなんや?」

 

 

 矢部が聞くと、秋葉は彼に耳打ちするように、声を潜めて話してやった。

 

 

「……し」

 

「耳元で話すなッ! 敏感なんやから!!」

 

「心臓発作ですって。それも、心臓に疾患があるとかは無かったみたいで、突然ポックリポクポク」

 

 

 石原が続ける。

 

 

「前日も叫んどったらしいのぉ。『オヤシロ様が来る』とな!」

 

「…………」

 

 

 矢部と菊池は、互いに目を合わせ、意気投合してから二人を睨む。そして同時に殴った。

 

 

「なにお前らだけお祓いしとんねん!? お守り寄越せオラァッ!!」

 

「上司を置いて勝手に行動するとは何たる不祥事ッ!! そのお札は没収するッ!!」

 

「お前のもよこさんかぁーいッ!」

 

「ありがとうございますッ!!」

 

 

 最期は菊池にも拳を飛ばし、矢部は一人で全てのお札やお守りを牛耳る。

 矢部謙三コンプリートフォームの完成だ。

 

 

「まぁ、これで粗方調べたな。これ以上はどないすんねんな?」

 

「兄ィ。そういやワシら、雛見沢村ってどんな場所か、全く知らんけぇ」

 

「地元の図書館かどっかで、調べるのもアリかもしれませんねぇ」

 

 

 二人の意見を聞き入れ、矢部を腕を高く振り上げて宣言した。

 

 

「んだらば図書館に行ってみよぉーっ!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 公安一行は村のあらましを知る為に、図書館へ歩き出した。

 太陽は真上。お昼時だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 礼奈と里見は、エンジェルモートに入る。

 店先に貼られていた「レジェンドメイド」の写真を指差しながら、礼奈は教えてあげた。

 

 

「このレジェンドメイドって子が、若い頃のオーナーさんなんです」

 

「あら〜! 可愛らしいわね! 今でも美人さんじゃないかしら?」

 

「お綺麗ですよ。都合が合えば会えるかもしれませんね」

 

 

 店内は人で賑わっていた。今日は休日のせいか、若い娘がメイド服で給仕をしており、それを目当てに来た人が多いようだ。そして客は全員、蕎麦を啜っている。

 

 席は運良く一つ空いており、二人はその窓際のテーブル席に通された。

 里見は席に着くと、楽しそうに手を擦る。

 

 

「なに食べましょうかねぇ〜……初めてですからメニューが分からないわ」

 

「今日のオススメはこれみたいですよ」

 

 

 礼奈がメニューを見せてくれた。

 

 

『あざといアザトースの丼もの』

 

『ガタノゾーアの石化御膳』

 

『クトゥルーパスタ・ルルイエ風』

 

 

「意外と尖ったお料理を出すお店なのねぇ?」

 

 

 里見は無難にブリの照り焼き御膳を頼み、礼奈もまた無難にハンバーグ定食を選んだ。

 可愛らしいメイドの店員が注文を取り終え、厨房に行くのを見届けてから、里見は店内を見渡して話し出す。

 

 

「楽しそうなお店ねぇ」

 

「気に入っていただけて何よりです。興宮にはいつまで?」

 

「一日だけ泊まって、明日の夕方には帰る予定です。書道教室を開いていますから、生徒たちを蔑ろには出来ませんし」

 

「あぁ、そうなんですか! 是非、時間が許す限り、楽しんで行ってください」

 

 

 微笑みながら水を飲む礼奈は何だか、子供っぽく見えた。

 里見はずっと思っていた事を尋ねる。

 

 

「そう言えば、上田先生にご依頼なさったそうですけど……」

 

「……あまり気持ちの良い話じゃないですよ?」

 

「構いませんよ、差し支えがない範囲で。人の話を聞くのが好きなもんですから!」

 

「ふふっ……私、子供の頃……雛見沢村に住んでいたんです」

 

 

 里見の表情に一瞬だけ、動揺が窺えた。

 

 

「……雛見沢村ですか?」

 

「……もう、無くなった村ですけどね」

 

 

 そう語る彼女は、とても辛そうだ。

 

 

「……その村が無くなった理由と言うのが、色々と謎が多くて……だから、上田先生に見て貰おうかと」

 

「ただ廃村になった訳ではないようですね」

 

「災害です」

 

 

 水を飲もうとした、里見の手が止まる。

 

 

 すぐに浮かんだのは、「災」の字。強い胸騒ぎがした。

 そんな里見の様子に気付かず、礼奈は続ける。

 

 

「お父さんもそれに巻き込まれて……亡くなりまして」

 

「……それはお気の毒に……」

 

「その時、私は……この町の病院に入院していて、助かったんです。後から聞いたら、原因は火山ガスだって」

 

「火山ガス?」

 

「でも私、違うような気がしていまして……もっとこう、隠されているような……今は村へは、許可さえ取れば入れるようになっていますし、なら上田先生に見分して貰おうと」

 

「そうだったんですか……今でも、村の事を思っていらっしゃるのですね」

 

「……辛い事の方が多かった気もしますけど……やっぱり、私の故郷ですからね」

 

 

 里見は微笑みを浮かべた。

 礼奈に対して羨ましいと言った気持ちと、和やかな気持ちを抱いたからだ。

 

 

「……故郷を思うという感覚……私は持てなかったもので……」

 

「……え?」

 

「……いえ。少し、羨ましく思ってしまって……」

 

 

 故郷を思う気持ちへの羨望、それは里見の生い立ちが関係している。つい遠い目で窓から外を眺め、追憶に浸った。

 

 

「故郷を知りたいと言う気持ち……私には、どうしても想像出来なくてねぇ……」

 

「……お嫌い、なんですか? その……山田さんの生まれ故郷が……」

 

 

 おずおずと聞く礼奈へ、里見ははっきりと答えた。

 

 

 

 

「……えぇ。大嫌いです」

 

 

 

 

 沖縄にある小さな辺境の島──そこが彼女、山田 里見の故郷だ。

 植物と海しかないような絶海の孤島で、また非常に閉鎖的でもあり、島民も外の世界に無頓着だった。

 

 故にその島独自の文化、そして信仰が形成され、島民はそれを信奉した。

 

 島に生まれ、島で育ち、島の者と結婚し、島で子を産み、育み、そして島で死ぬ。

 生まれてから島民には役割のようなものが形成され、それをただ全うするだけの生涯だ。

 

 

 何も疑わず、島と言う狭い世界をこの世の全てのように捉え、そして島の信仰を何よりも崇高なものだと信じて疑わなかった。

 

 

 

 里見はそんな島が──故郷が、嫌いだった。

 現在の島は人がもう住めないほどに環境状況が悪化し、無人島になったと聞く。

 

 しかし里見には、故郷がなくなったと言うのに全く心は痛まなかった。

 それほどに故郷を嫌い、同時に憎んでいたからだ。

 

 

 最愛の夫を奪い、一人娘にまでかつての「自分の役割」を引き継がせようとした、島の人間たちを。

 決別したのに何度もその糸を無断で繋ごうとする、彼らの執念を、里見は心底から嫌い、憎んだ。

 

 

 彼らのその「執念の理由」を知っていたとしても尚、憎んだ。

 

 

 

 

 

「……だからふと、思うんです。もし私が故郷を愛していたならば……どんな気持ちで以て、この『故郷』と言う字に向き合えるのか……文字と向き合う書道家にとって、やはり大事な問題ですもの……」

 

「……山田さんが羨むほど、私はそんなに故郷と向き合えていませんよ」

 

 

 礼奈は自虐的に笑う。

 

 

「……亡くなった友達とか、家族とかとも……私は最後まで向き合えず、自分勝手ばっかして……なのに生き延びちゃいましたし……」

 

「…………」

 

「……ふふ……これ、書道家の先生に言ったら駄目な話かな……」

 

「……構いませんよ?」

 

 

 少し目を伏せて、礼奈は話し始める。

 

 

「……故郷の『故』って字……『事故』とか『故障』とか、何か壊れた言葉に使われていますし……『物故』とか『故人』とか、人が死んだ意味にも使われていて……」

 

 

 皮肉を含ませたような、苦笑いを浮かべた。

 

 

 

「……だから私にとっての『故郷』……壊れて亡くなった郷だから、『()郷』……」

 

「…………」

 

「……故郷の謎が知りたいのも……ただ私が自分勝手した罪悪感をなくして、スッキリしたいからなのかもしれません」

 

「それは少し、違うんじゃないでしょうか?」

 

 

 その言葉に驚き、礼奈は顔を上げる。

 里見はジッと彼女を見据え、そして穏やかな話し口で問いかけた。

 

 

 

 

「……故郷を思う気持ちが分からないと言った私が言うのも何ですが……人は罪悪感から逃げたいもの。だから普通は原因を忘れるようにするのだと、私は思うのです……」

 

 

 それはまさに私の事だと自覚しながらも、里見は礼奈へ、諭すように語り出す。

 

 

「……でもあなたは原因から逃げていない。それは──」

 

「え……」

 

「……故郷を、まだ愛しているからこそ、向き合おうとしているんじゃないですか?」

 

 

 

 

 彼女の言葉が耳に入って途端、礼奈は衝撃を受けてしまい動けなくなっていた。

 尚も里見は、全て見通したような澄んだ瞳で語り続ける。

 

 

「確かに『故』と言う字は……悪い意味の言葉に使われている側面もあります……でもね? 文字には得てして、『多くの顔』があるものです」

 

「多くの顔……?」

 

「えぇ。人間と同じですよ!」

 

 

 徐に里見は風呂敷を開く。

 

 

 

 中から取り出したのは、最新型のアイパッドとタッチペン。

 そしてパッドを起動してイラストアプリを起動すると、慣れた手つきでキャンバスサイズと筆の設定を済ます。礼奈はそれを唖然とした顔で眺めていた。

 

 

「え……や、山田さん……?」

 

「便利な世の中ねぇ……本当は半紙と筆、自前で擦った墨が良いのですけど、こう言う場所では準備出来ませんもの」

 

「い、いや……結構、は、ハイカラな方なんですね……?」

 

「時代はインフォメーションテクノロジーによるユビキタスコンピューティング社会ですから」

 

「はい?」

 

 

 里見はタッチペンを使い、キャンバスに次々と文字を書いて行く。レイヤー移動もお手のもの。

 

 

 

 

「故と言う字は……確かに『故人』、『故障』、『事故』、『物故』と、死や不幸を意味した言葉にも使われます」

 

 

 ですが、と付け加え、今度は画面上に「縁故」「故事」「故旧」と書き連ねた。

 

 

「故には、『古い』と言う意味、そんなもう一つの顔があります……そして、また──」

 

 

 今度は、とある有名な四文字の熟語を書く。

 

 

「『(ふる)い』と言って捨てずに『温め』、それを力に『新たな事』を『知ろう』とする……」

 

 

 

 

 キャンバスには「温故知新」の字が書かれていた。

 

 

「答えは過去にある。古く伝わる物には意味がある。それを知ろうとする事はまた新たな発見となるから……決して愚かではない。寧ろあなたや、誰かの救いとなる」

 

 

 里見は一文字だけを書いた。

 

 

「私たちは求める。亡くなったからこそ知りたい、理由を。意味を。本当の姿を……その先にある、答えと結論を」

 

「……!」

 

 

 その書いた漢字の下にもう一文字を付け加え、話を締めた。

 

 

 

 

「思い、捨てずにここまで来て、亡くして知らないままだからこそ、向き合おうとさせる何かがある──『(ゆえ)に、あなたの(さと)』なのですよ」

 

 

 

 何度も説いた「故郷」の字が、そこにはあった。

 

 

 タブレットの電源を落とすと、いつの間にか前のめりになっていた礼奈の顔が黒い液晶に写った。

 視線を上げると、優しく微笑む里見の姿。

 

 

「一面だけを見ては駄目。文字には多くの顔……そして、不思議な力があります」

 

「……山田さん……」

 

「帰り続けなさいね? あなたはまだ、故郷を愛しているハズですよ」

 

 

 

 

 

 狙ったようなタイミングで料理がやって来る。

 まだ目が丸い礼奈の前で、里見は急いでアイパッドとタッチペンを仕舞うと、割り箸を割った。

 

 

「さっ。食べましょっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いただっきまぁーーーっす!!」

 

「ふぉ!?」

 

 

 寝言で叫ぶ山田に、上田はビクつく。

 時刻は午後八時。寝るには若干早い時間だが、今日は色々あり過ぎて神経が参っていた山田は家に着いた途端に寝た。

 

 一人起きていた上田は、呆れ顔で次郎人形の手入れをしていた。

 

 

「……夢の中でも食ってんのか。マジにがめつい女だ」

 

「あざとーす……がたのぞーあ……くとぅる、るるいえ……」

 

「何を食ってんだ……? クトゥルフ神話……?」

 

 

 そろそろ風呂でも入ろうかと立ち上がった際に、一つの事を思い出した。

 

 

 

「……俺のシャネルの五番石鹸……神社に置きっ放しじゃねぇか!」

 

 

 私物に関しては彼もまたがめつい男だった。

 

 

 

 

「取りに行かねば……ジュワッ!!!!」

 

 

 光速で神社前の階段下に到着し、忌々しげに鳥居を眺め上げる。

 

 

「あんのマセガキコンビ……使ってやがったら容赦せんぞ……これより、シャネル五番石鹸回収作戦に移る!」

 

 

 意気揚々と階段を上がり、途中でやはり滑り落ちる。

 

 

 

 

 

 境内まで登った際に上田は、拝殿の前でコソコソ動く影を発見する。

 まだ参拝客も来るかもしれない時間ではあるが、上田がその人影を訝しんだのは、梨花たちのいる小屋に行こうとしていたからだ。

 

 変質者の匂いを感じ取った上田は叫ぶ。

 

 

「YOUはなにしに神社へッ!?」

 

「うわっ!? ち、違うんです!!」

 

 

 声からして男だ。

 叱り付け、変質者か確認しようと近付いた際にその正体に気付き、「あっ!」と声をあげた。

 

 

 

 

「……入江先生!?」

 

「う、上田教授!?」

 

 

 診療所の医師、入江京介だ。

 

 

「あなた……そんな……確かに色々と言動は危うかったが……」

 

「いやいやいや誤解です誤解です!? ちょっと二人の様子を見に来ただけなんです!?」

 

「二人の様子を?」

 

「……梨花ちゃんと沙都子ちゃん、今日の野球の練習に来なかったんです。昨日は元気に診療所に来ていたので、心配になって……」

 

「確かに……それは心配だ」

 

 

 あの元気いっぱいな二人が揃って無断欠席。上田より二人との付き合いが長いであろう入江が、心配で神社に来るほど珍しい事なのだろうか。

 

 とは言え不埒な目的ではないと知った上田は、入江と共に梨花たちの家へ行く事にした。

 

 

「揃って風邪じゃないんですか? 共同生活しているとなると、病気も移りやすくなるでしょうし」

 

「それでも子ども二人だけですから危険ですよ……沙都子ちゃんに至っては薬の治験に協力してくれています。もし、僕の薬が原因とあったら……」

 

「不安ですねぇ……見に行きましょう」

 

「ところで上田教授は、何しに?」

 

「私ですか? マリリン・モンローの寝巻きを取り戻しに来た」

 

「……はい?」

 

 

 颯爽と森を進み、梨花らの住む小屋へ到着。電気は点いておらず、真っ暗だ。

 

 

「寝ちゃったかな……?」

 

「いや……昨日の二人は夜の十時辺りに寝ていた……まだ八時過ぎ。早過ぎる」

 

 

 いよいよ不安が頂点まで逹する。

 玄関先まで突っ走り、入江は戸を叩いて呼びかけた。

 

 

「梨花ちゃん! 沙都子ちゃん!?」

 

「鍵は!?」

 

「……閉まってます! こんな時間まで出掛けている訳はないだろうし……」

 

「おい梨花ー! 沙都子ぉー!」

 

 

 入江と上田の呼び掛けにも応答なし。

 上田は小屋から少し離れて見渡し、どこからか入れる場所は無いかと探す。

 

 

 二階の窓が開けっ放しな事に気付く。

 

 

「入江先生! あそこから入りましょう!」

 

「しかし……どうやって二階の窓まで?」

 

「久しぶりにやるかぁ……私はね、一九九九個の特技があるんですよ! 建物の壁を登るなんて、造作もない!」

 

 

 壁に手を掛けた瞬間、バリッと外壁を壊してしまう。

 

 

「やっちゃった、あぅ……やっちゃった……!」

 

「上田教授! ここにハシゴがあります!」

 

「それを使いましょうッ!!」

 

 

 ハシゴを伸ばし、二階の窓枠まで掛ける。

 

 

「入江先生は支えていてください! 私が登って、見て来ます!」

 

「お願いします……!」

 

 

 ゆっくりゆっくり、ハシゴを登る上田。たまに強めの夜風が吹き、揺らされる。

 

 

「危ない危ない危ない危ないあーあー!!」

 

「さ、支えています!」

 

「怖いなぁもぉ……」

 

 

 何とか二階の開いた窓まで到着。

 そこから中を覗いてみる。梨花と沙都子の寝室だ。

 

 

「梨花!? 沙都子!? いるかー!?」

 

「なんなのですか」

 

「おう!?」

 

 

 暗闇から、確かに梨花の声。

 しかしいつもの、明るい声ではない。風邪を引いた時のように嗄れ、鬱屈とした忌々しそうな声音だ。

 すぐに上田は窓から部屋に入ろうとする。

 

 

「いたのか!? 沙都子もい」

 

「役立たずッ!!」

 

「㌴㌠ッ!?」

 

 

 飛び出して来た梨花が、侵入しようとした上田を突き飛ばす。

 彼はハシゴを滑るように落ちて行き、支えていた入江と衝突して共に地面に平伏した。

 

 

「いててて……な、なにしやがるッ!? アナザーだったら死んでたぞッ!?」

 

「うぅ……り、梨花ちゃん、どうしたんだ……!?」

 

 

 呆然と、開いた二階の窓を眺めていた二人だったが、暫くして玄関の鍵が開く音が聞こえ、そちらへ視線が移る。

 

 

 出て来たのはやはり梨花一人。

 だがその相貌は、上田も入江も最後に見た昨日とは酷く様変わりしていた。

 

 

「……どこほっつき歩いていたのですか」

 

 

 髪は乱れ、目元に隈が出来て、服にも泥がついたままで肌色も悪い。

 目は半開きであり、足元も覚束ない。上田から見れば二日酔いの症状にも思えた。

 

 彼女のその酷い有り様に気付いた入江は、すぐに梨花へ駆け寄った。

 

 

「ど、どうしたんですか梨花ちゃん!?……沙都子ちゃんは!?」

 

「……もう帰って来ないのです」

 

「帰って来ないって……喧嘩でもしたんですか?」

 

 

 黙り込み、俯く梨花。それを見て入江は何かを悟り、顔から色を失わせた。

 

 

「…………り、梨花ちゃん……まさか……」

 

「………………」

 

「……か、帰って、来たのかい……!?」

 

「………………」

 

 

 コクリと、頷く。

 話が掴めない上田が、二人に尋ねた。

 

 

「帰って来た……? 誰がなんですか?」

 

 

 入江は上田と向き直り、悔しさと恐れを滲ませた表情を見せながら、その帰って来た人物の名を言った。

 

 

 

「……『北条 鉄平』……沙都子ちゃんの、叔父です……」

 

 

 入江は放心を見せ、梨花は諦念を目に宿す。

 失望と絶望、どん底の気分。それらが彼女を一日で窶れさせたのだろう。

 

 沙都子の叔父と聞き、上田はハッと思い出す。

 

 

「沙都子の叔父って……確か、一年前の鬼隠し被害者の旦那さんだったんじゃ……」

 

「……っ!?……そうですか。上田教授も、鬼隠しご存知で……」

 

「……魅ぃにでも聞いたのですか?」

 

 

 そう言えば秘密にしていたなと想起する。

 本当は山田から聞いてはいたが、元を辿れば魅音の話なので首肯した。

 

 

「そんなもんだ……しかし、帰って来たと言うのは? そう言えば事件後の動向は知らなかったんですが……」

 

 

 北条鉄平と言う男に関するあらましを、入江は暗い声で語り始めた。

 

 

「村を離れていまして……当時から沙都子ちゃんと…………『悟史くん』を虐待していた、本当にどうしようもない人なんです」

 

「……悟史?」

 

「…………消えた、沙都子ちゃんのお兄さんです。それにしても……あの人奥さんが亡くなって、オヤシロ様の祟りを恐れて逃げ出したんじゃ……」

 

 

 入江がそう言った途端、梨花は乾いた笑い声をあげる。

 いつもの天真爛漫な彼女とは違ったニヒルな姿に、上田も入江も本当に梨花なのかと目を剥いた。

 

 

「……そんなんじゃない。あいつは妻が死んで、縛られるモノなくなって、他に好きな人の所に転がりに行った男なのです」

 

 

 半開きの目が開いた。

 どんよりと濁った、死んだ眼をしていた。

 

 

「だから村になんの愛着もないし、沙都子にもなんも感じていない。遺産目当てで、ただ金の成る木にしか思ってないのです」

 

「…………なんて事だ……!」

 

 

 入江はひたいを押さえ、絶望を滲ませる。

 

 

「あんな人の所にいたら沙都子ちゃんが壊れてしまう……!!」

 

「明日、役場に訴えに行きましょう! 虐待の事を話し、沙都子を保護させるんです!」

 

 

 上田の提案は尤もで、一番現実的で確実な方法だ。しかし梨花は冷たい声で否定する。

 

 

「無理なのです」

 

「なんで諦める!?」

 

「…………『北条家』だからです」

 

 

 その意味が分からず怪訝な顔をする上田へ、入江が厳しい顔付きで説明してくれた。

 

 

「……北条家もとい、沙都子ちゃんや悟史くんのご両親は……ダム建設に賛成でした。ですので……村人は揃って北条家を憎み、攻撃していたんです」

 

「村八分と言う奴か……」

 

「今でも多くの方からの風当たりは強い……特に、反対派を率いていた『園崎家』。園崎家の影響力はここ一帯を牛耳っています。商業から経済……行政まで。園崎家が睨みを利かせている中です。役場も動き辛いでしょう」

 

「……つまり役場まで園崎家を恐れていると言う事ですか!? 馬鹿なッ!! あの子はダムとはもう関係ないだろ!」

 

「そう思えない人もいるのですよ」

 

 

 梨花はくるり、二人に背を向ける。

 

 

 

 

「……もう。無理なのです」

 

 

 

 家に帰ろうと、トボトボ歩き出す梨花。その背中は悲しく、目を離した瞬間に消え入りそうだ。

 

 

 

 

「……待ってくれ!」

 

 

 上田は呼び止める。

 ここで止めなければ、彼女がいなくなってしまいそうに思ったからだ。

 

 

「じ、実は! 園崎家は俺に、貸しがあるんだッ!!」

 

 

 その言葉には入江も梨花も驚かされ、彼女の足を止める強い要因になり得た。

 

 

「上田教授……!?」

 

「……本当なのですか?」

 

「……どうにかする!……待っていてくれ……!!」

 

 

 強く強く、上田は言い聞かせる。

 

 必ず沙都子を帰らせるのだと。もう彼女は背負わなくても良いのだと。

 

 

 

 

「……俺が必ず、何とか助けてやる……!!」

 

 

 訴える上田の前。

 梨花の目が、やっと目覚たかのように開かれた。




㌴も㌠も、フランスのお金の単価です。ただ、ユーロになってからはほぼ無くなった状態です。

TRICKや仮面ライダーゴーストで有名な脱出王「ハリー・フーディーニ」は、実は自分を主役にした小説をある作家に書かせた事があります。その作家こそ、クトゥルフ神話の大元で有名な「H.P.ラヴクラフト」で、『ファラオと共に幽閉されて』と言う作品がそれになります。

山田里見は「TRICK 劇場版(2002)」でネット通販を始めていたほどなので、かなりテクノロジーに強い人物だと解釈しております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月13日月曜日 雛見沢群像劇
克己心


「ぐがー……がぁー……」

 

 

 朝が来る。

 

 

「ふにゃ……リュウガのアナザー……実質龍騎……」

 

 

 山田はまだ目覚めない。

 

 

 

 

 

 

 

第四章 雛見沢群像劇

 

 

 

 

 

 

 

 視界の悪い暗がりの中、二人は寄り添う。

 ここはダム現場から離れた所にある、捨てられた掘建て小屋。

 森の中にあり、窓も無く、完全に密封された場所だ。叫んでも人が来ない辺り、かなり山の最奥にあるのだろう。

 

 

 まんまと敵に捕らえられた圭一とレナは、手首と足首を縛られて床に座らされている。

 手首を縛るロープは壁に打ち付けられた五寸釘と繋げられている為、移動は不可能だ。

 

 

「うぅ……」

 

「ジオ・ウエキめ……とんだ狂人だぜ……鉈も取られたし……」

 

「……人殺し……だよね……?」

 

「……レナ。もう考えるな」

 

 

 そうは言いつつも、圭一は昨夜の出来事を想起しては唇を噛む。

 ジオ・ウエキに捕まった時の事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 作業員らに捕まり、取り押さえられながらも身体を揺すって抵抗はする。

 尤も、相手は工事作業に徹して来た頑強な男たち。中学生の少年少女では太刀打ち出来ない。

 

 

「あ〜ら〜? なぁんの騒ぎですか?」

 

 

 騒ぎに気付いたジオ・ウエキとオカマ現場監督が、小屋から顔を出す。

 圭一とレナを見下す目には慈悲だとかはない。残忍で冷たい眼差しだ。

 

 

「……ジオ・ウエキ……!!」

 

「何事かと思えばネズミが二匹入り込んでいたのですね?」

 

 

 彼女は圭一の顔を覚えており、視認した途端に声をあげた。

 

 

「……あらっ! なぁんか見覚えがあると思ったら、あの貧乳女といた!」

 

「このやろぉ! 離せえ!! 魅音の三億返しやがれ!!」

 

「確か園崎家の跡取り娘の名前よね? あなたたち、その子とお友達なの?」

 

 

 ジオ・ウエキの格好は、今までのような派手なドレスではなく、喪服のような黒いワンピース姿。

 ハットもまた黒であり、膨よかな体格もあってか童話に出る悪い魔女にも見えた。

 

 

 彼女はその魔女と言う表現が適当だと思わせるような、凍えるような悪い笑みを浮かべる。

 

 

「それは尚更、逃がす訳にはいかないわねぇ?」

 

「……レナたちをどうするつもり……!?」

 

 

 レナの質問を聞き、ジオ・ウエキはニタァッと、ベッタリ塗った口紅を歪めた。

 そして両手を掲げてポーズを取り、控えていた作業員らと共に宣告する。

 

 

 

 

 

「お亡くなり〜!」

 

「「お亡くなり〜!!」」

 

 

 ノリは軽いが死刑宣告だ。圭一とレナの顔が瞬時に蒼褪める。

 二人が何かを言うより前に、ジオ・ウエキは捲し立てた。

 

 

「だだだって逃したらバレちゃうじゃない? そんな事したらアタ〜クシが一年かけた計画がオジャンジャンよぉ!」

 

 

 下卑た笑みを浮かべた現場監督が、彼女との関係を教えてやる。

 

 

「ジオジオちゃんはねっ! あたしたち、建設会社の協力者なのよっ!」

 

「だからアタク〜シがダム反対派の指導者として村人を洗脳! 暴徒に仕向けて犯罪させれば、世間の目はアタクシ〜たち、建設会社側に寛容になりますわっ!……って作戦よっ!」

 

「つまりジオジオちゃんは、建設会社のスパイなのっ! だから多少無理して工事遅れさせたりも演出したわ!」

 

 

 実際、活動の行き過ぎで逮捕される者が出た時、圭一は呆れていた。その感情を世間の人々に広げる事こそが、ジオ・ウエキもとい建設会社側の思惑だったようだ。

 

 

 

 

 

「……でもそれは単なる布石ッ! 建設会社側も知らないのは……ア〜タクシは元々、お金が目当てだと言う事ッ!」

 

 

 ジオ・ウエキは劇主演のような大袈裟な仕草を交え、声高々に「真の目的」を語る。

 

 

「一年前、アタ〜クシは『妹』とその『彼氏』……んまぁ、あの子何人も彼氏いるけど……その二人から、園崎家の上納金を奪う計画を持ちかけられたのです。最初アタク〜シは、あり寄りのなしと思っていましたが……アタクシ〜、当時から超能力者として名を売っておりまして、建設会社側からオファーが来ました。建設会社側に味方をつけられ、あり寄りのあり! やるしかねぇ、真の覚悟を決めた訳です!」

 

 

 息切れし、肩で息をするように深呼吸してから、また続ける。

 

 

「妹が園崎家の従業員ですから、色々と情報は入りましたわぁ。妻が危篤のヤクザだったり、庭園の整備を請け負う造園会社、屋敷の間取り、トイレの場所」

 

「トイレの場所は必要か……?」

 

「そのヤクザを味方にすれば、もう勝ったも同然! その造園会社にまた駒を作り……ア〜タクシは半年前から仕込み、隠れる時はこの工事現場にこっそり潜む! 絶対に園崎には捕まらない場所!」

 

 

 そこまで言ったところで、レナは気付いたようだ。

 

 

「圭一くん……ジオ・ウエキが消えたりするのって、工事現場に隠れたからだったんだ」

 

「帰る時はトラックに隠れれば完璧ですわ。その甲斐あり、アタ〜クシは天下の園崎を出し抜き、勝利したのですッ!!」

 

 

 誇らしげにジオ・ウエキは小屋に入り、ジュラルミンケースを持って圭一らの前に戻って来る。

 中を開けて、奪った本物の三億円を見せ付ける。

 

 

「この三億円の為に作った協力者は十二人……だけどぉ〜?」

 

「あのシンって爺さんと、さっきトラックぶつけて殺した造園会社の奴はノーカウントねんッ!」

 

「妹もバレたっぽいし、邪魔だからその彼氏さんも捨てるとして……残り九人。逆にお金を配布する人数が減ってウハウハですわぁ! 顔がバレている人間はいても邪魔ですものぉ!」

 

「ジオジオちゃん! あのシンって爺さんの話は? 例え作戦中に死んでも、奥さんの為に渡米費と医療費は出すって話!」

 

「払う訳ないじゃあないのぉ〜ゲゲゲイちゃん! 末期ガンなんて、この世界どこ行っても治せる訳ないもの!」

 

「キャアー! 冷酷ッ! 残忍ッ! しかしッ! そこにシビれる憧れるぅーッ!!」

 

「おっほほほほほ! コーラ飲むわっ!」

 

 

 小屋からまた、なぜか一リットルほどのペットボトルのコーラを持って来るジオ・ウエキ。

 どこまでもノリが軽い彼女らを見て、圭一は戦慄と共に怒りを燃え上がらせた。

 

 

「人が死んでんのになんでヘラヘラしてんだよッ!?」

 

「大した事ないわよぉ? 毎年、世界中のどっかで旅客機が墜落しているわっ! それよりは軽い軽い!」

 

「重い軽いの問題じゃねぇだろ!! この……人殺しがッ!!」

 

 

 その言葉が、現場監督の逆鱗に触れた。

 

 

「……こんのガキぃーーッ!! お黙りッ!!」

 

「ブッ……!?」

 

 

 現場監督は圭一を掴み上げ、ぶん殴る。

 一発ではない、捕まえられて動けない彼を、二発、三発とサンドバッグのように殴り続けた。

 

 

「やめてぇ!! 圭一くんに酷い事しないで!!」

 

 

 レナの悲壮に満ちた叫びが響き、やっと彼の拳が止まる。

 

 

「……ふふん。彼女に免じて、やめてあげるわっ!」

 

「ゲホッ……!」

 

 

 口を切ったようで、ダラリと血が滴る。

 情けないそんな圭一の姿を愉悦に思いながら、現場監督は雄々しく訴える。

 

 

「人殺し人殺しって、煩いわねっ! 三億円よ? 銃は剣より……じゃなかった。金は命より重しっ!」

 

「もう! ゲゲゲイちゃんっ! 暴れちゃや〜よっ!」

 

 

 プシュッと、ペットボトルの蓋を開けるジオ・ウエキ。

 

 

「冥土の土産に超能力をお見せしますわっ! 題して、『シュワッと弾けるウエキ・マミヤスパークリング』! イエィイェーイ!」

 

 

 飲み口を咥え、ペットボトルごと上を向き、物凄い表情でゴクッ、ゴクッとコーラを嚥下して行く。そのスピードは物凄く速く、たった十秒で一リットルのコーラを飲み干した。

 

 

「……プハァーッ! イエスッ! イエスッ!……ゲフッ……はい! 超能力ッ!!」

 

「……ただの宴会芸じゃねぇか!」

 

 

 思わずツッコミを入れる圭一。

 対してレナは、信じられないものを見るような目で、ジオ・ウエキを凝視していた。

 

 

 

「今……なんて?」

 

「え? はい超能力?」

 

「その前!」

 

「イエスイエス?」

 

「それより前ッ!!」

 

 

 圭一は驚いた。レナの表情は見た事もないほど怒りで歪み、声色も激情的だったからだ。

 お淑やかで、大人しそうな彼女の、凶暴な一面を知ってしまった。

 

 

 レナに問われ、ジオ・ウエキは眉を寄せながら自分の台詞を思い出す。。

 

 

「シュワっと弾ける、ウエキ・マミヤスパークリングかしら?」

 

「……マミヤ……?」

 

「あら。言って無かったわね。ジオ・ウエキは世を偲ぶ名前」

 

 

 空のペットボトルを捨て、彼女は不気味に微笑む。

 

 

 

 

「本名、『間宮 浮恵(まみやうきえ)』。覚えて地獄に行きなさぁ〜い!」

 

 

 間宮。

 その名前を聞いたレナの心臓が跳ねる。

 

 

「……妹いるって言ってたっけ……」

 

「お、おい、レナ……?」

 

「……名前、『間宮リナ』とか……言わない?」

 

 

 ジオ・ウエキ、もとい浮恵は興味深そうにレナを見た。

 

 

「あらあら? 妹の源氏名ね。本名は『律子』よ……あっ! じゃああなた、『竜宮礼奈』でっしょー!」

 

「……ッ!!」

 

「……え? 知り合いなのか?」

 

 

 当惑する圭一をよそに、浮恵は勝手に話を進める。

 

 

「律子は不出来な妹でねぇ……彼氏と一緒に美人局してるのよぉ? 男囲って貢がせて、最後は『ウチの嫁と浮気しただろ』って揺すって脅してさよならバイバイ!」

 

「……まさかレナん所……?」

 

 

 圭一が察してしまい、レナの身体が震えた。

 真実を知ったからでもあり、秘密を友達に知られたからでもある。混沌とした恐怖が、心を満たした。

 

 浮恵は尚も続ける。

 

 

「今のターゲットの男の……一人娘よねぇ? 何考えてんのか分からないし、オドオドしてて嫌いって言っていたわよん?」

 

 

 途端に何か悪い事でも閃いたようで、彼女は楽しそうに手を叩いた。

 

 

「不出来な妹に代わって、殺す前にこの子のお父さんに身代金要求しようかしら?」

 

「良いわねぇジオジオちゃんっ! 少年の方はどうするぅ?」

 

「そんなの、『サータ・アンダ・ギー』よ!」

 

「多分『サーチ・アンド・デストロイ』ねっ! おら、縛って森の納屋に隠しとけッ!!」

 

「あー、でも殺すのはお待ちなさ〜い? 一晩、恐怖に浸して懺悔させるのよ!」

 

「ディ・モールト素晴らしいわねっ! オラッ! テメェらさっさと連行しやがれッ!!」

 

「「無駄無駄〜!!」」

 

 

 組員らはそう返事をし、二人の手首と足首を縛って猿轡を噛ませた後に、この納屋に閉じ込めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「……レナ。その……なんと言うか……」

 

 

 レナの父親が、悪女に誑かされている。その事実を聞いてしまった。

 

 だからと言って友達を軽蔑するような男ではない。問題は、「父への危機を聞かされてしまった」レナの心境だ。案の定、父親を深く愛していると言っていた女の本性を知って、放心状態となっていた。

 

 

「…………圭一くん……」

 

 

 突然レナは語り始めた。

 

 

「……レナね。最初から……薄々だけど……分かっていたんだ。リナって人は、お金しかお父さんを見ていないって……」

 

 

 黎明を過ぎ、朝陽に照る。だがそれは外の話、この納屋の中はずっと真っ暗だ。

 

 

「……でも、お父さん……凄く、幸せそうなの……前のお母さんと離婚して、ずっとずっと後悔していて……なのに今は笑顔で、楽しそうに朝から晩まで過ごしていて……」

 

「…………」

 

「……お父さんが幸せなら……って、レナは黙っていたの……」

 

 

「でも」と続け、怒りがまた出てきたのか、下唇を少し噛む。

 

 

 

 

「……もう分かった。あの女は最悪だって……お父さんの幸せを奪いに来た悪魔なんだ……」

 

 

 怒りは通り越し、残るは何も出来ない自分への悔しさと悲しみ。下唇を噛んでいたのは怒りを押し殺す為ではなく、涙を我慢する為だった。

 

 

「……なんで……そこまで気付けなかったんだろ……! お父さんを幸せにしたいって思っていたのに……! 私が支えてあげようって思っていたのに……!」

 

「………………」

 

「私はずっとずっと……間違えて来た……! 間違えて、間違えて間違えて間違えて……みんなを不幸にしてきた……!」

 

「…………おいレナ」

 

「今度こそは幸せになって欲しいって……なのに、また間違えた……!」

 

「……レナって」

 

「今も……私がまた、お父さんを不幸にしようとしている……!」

 

「レナ」

 

「こんな私なんて……っ!」

 

「レナッ!!」

 

 

 圭一の叫びに、涙を零しながらハッと顔を上げる。

 

 

 

 

 

 そして、愕然とした。

 縛られていたハズの圭一の手が、自由になっていたからだ。

 

 

「……え!? け、圭一くん……!?」

 

「………………」

 

「ど、どうやったの……!?」

 

 

 圭一は何とか腕を使って這い、部屋の隅に置かれていた鉈を手に取る。

 

 

「山田さんに教わったんだ。両手を閉めて縛られるんじゃなくて、開いて縛られたら、閉じた時に抜け出せるってさ」

 

 

 鉈で足首の縄を切り、圭一は自由の身となる。

 そしてふらふらと立ち上がると、今度はレナを解放しようと歩み寄った。

 

 

「……マジにあの人、師匠って呼ぼう。もう『御山田様』だよ……」

 

 

 レナの近くまで寄ると、しゃがみ込んで視線を合わせた。

 

 

 

 

「レナ。しーーっかり、よく聞け」

 

 

 泣き顔の彼女の前で、太陽のような笑顔を見せながら訴える。

 

 

「親父さんの為に泣いて、思って、幸せを考えられる……そんな子が、親不孝な訳あるもんか」

 

「でも、私のせいで……!」

 

「……ははっ! レナって、自分の事『私』って言うんだな!」

 

 

 ハッとして、思わず黙り込んだ。いつも彼女はみんなの前で、「レナ」と呼ぶ。

 

 

「……レナ。お前は背負い過ぎなんだよ。そりゃ人間、間違うさ。俺だって何遍も何遍も、間違えて来たんだ」

 

「圭一くんも……?」

 

「………………」

 

 

 鉈で五寸釘とレナを繋ぐ縄を、切断する。

 その間圭一は、少し迷った末に自分の過去を話そうと決意した。

 

 

「……俺がなんで東京から来たか言ってなかったな…… 親の都合とかさんざ言ってたが」

 

「……え?」

 

「親じゃねぇ。俺が原因なんだ……受験勉強でイライラし過ぎて、その……モデルガンで子ども撃っちまって怪我させたんだ」

 

 

 あの朗らかで優しい圭一が、とレナは驚き、彼の過去を聞いて絶句してしまう。

 彼女のショックを察知しながらも、圭一は懺悔のように話を続けた。

 

 

「そんでまぁ……父さんと母さんはそんな俺を落ち着かせる為に、この村に越したんだ」

 

「…………」

 

「今でも思う。上手くイライラを解消出来なかったのかとか、親父とかに相談出来なかったのかって……でもその時はその時に精一杯で、間違えた……本当に怪我させた事、悔やんでも悔やみきれない。俺なんて生まれなきゃ良かったなんても思ってた」

 

 

 レナを切らないように気をつけながら、手首を縛る縄を分断する。

 とても悲しい目付きをしていた圭一だが、次に見せた笑みは溌剌としていた。

 

 

「……でも。そんな俺は……沙都子に梨花ちゃん、魅音に、お前に……救われたんだ」

 

「………!」

 

 

 最後に残ったのは足首の縄。

 

 

 

 

「……だから俺を救ってくれたように、今度は俺がお前らを救いたいんだ」

 

 

 丁寧に両断し、拘束から解放してやる。

 

 

 

 

「間違えないようにしたって、どうやっても間違いは出来る……でもこれからは間違ったら……俺とか魅音とか、全員に頼れ。そんで俺が間違えそうになったら、助けてくれ……もう一回言う。お前の味方は、沢山いるんだ」

 

 

 手を差し伸べた。

 

 

 

 

 

 

「……ほらっ。みんなを助けに行こうぜ……ジオ・ウエキを止められるのは、俺たちだけだ」

 

 

 その手を、レナは掴んだ。

 涙の目は、嬉しそうに綻んでいる。もう彼女を縛るものはないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝になり、上田は速攻で園崎に行く。

 貸しはあるハズだ。だから助けてくれるハズ──その期待は儚く散った。

 

 

 

「……無理だって!? ど、どう言う事です、葛西さん!?」

 

 

 通された客間で、上田は声を荒げた。

 向かい合わせに座っている渋面の葛西が、申し訳なさそうに告げる。

 

 

「……頭首は……あなたがたに『貸しはない』と言って聞かないんです」

 

「そんな……だって、山田と……!」

 

「私は本当に、山田さんと上田教授には恩を感じております。裏切り者を暴き、ジオ・ウエキに屈しかけた我々の面目を守ってくださりましたから……しかし、頭首の考えは違う」

 

 

 葛西が伝えた頭首の言葉は、上田に強いショックを与えた。

 

 

 

 

「……『三億円は結局、戻っていない。魅音との約束は三億円の奪還のハズ』……だと……」

 

「そんな、馬鹿な……!?」

 

 

 思わず机に手を突き、上田は前のめりになって訴える。

 

 

「三億は犯人側の事故で焼失した! もう取り戻せるものじゃないッ!?」

 

「……不甲斐、ありません」

 

「……葛西さん……お願いします……! 沙都子を、助けてやってください……!」

 

 

 頭を下げるが、変わらない。

 

 

「私の一存では役場まで動かせません……魅音さんも同様。あくまで全権を握っていらっしゃるのは頭首、『園崎お魎』さんです……あの方が納得しなければ、我々も動けないんです……」

 

「……だったらその頭首の所に案内してくださいッ!! 俺から言って聞かせてやるッ!!」

 

 

 立ち上がり、奥座敷へ行こうとする上田。

 葛西は急いで上田を羽交い締めにして止める。

 

 

「待ってくださいッ!? そんな事をしては、あなたの立場が一層悪くなるッ!!」

 

「三億円が三億円がって、そんな屁理屈が聞けるかってんだッ!! 離してくださいッ!!」

 

「村に居られなくなりますよ!? そうなると、助けられるものも助けられなくなるッ!!」

 

「だからって沙都子を見殺しに出来ませんよッ!!!!」

 

 

 騒ぎを聞きつけた組員らも、合わせて上田を取り押さえようとする。

 それでも彼は抵抗を辞めずに叫ぶ。

 

 

 

 

「その子の親がした過去だとか因縁だとかッ!……それを勝手に負わして……! 何になんだッ!!」

 

 

 

 

 血の繋がり、一族の掟、村の風習……上田は全てにうんざりしていた。

 脳裏に浮かんでいたのは、そう言ったもので不幸を強いられ、最後には命を落とした「ある親子」の姿。

 

 あの日見た「山の炎」はこの先も忘れられないだろう。

 

 

 

 

 

 そしてまた脳裏に浮かぶは、自分の血筋に縛られ続けている──山田の事。

 だから上田は、沙都子を他人事に思えなかった。

 

 

 

「……もう……もう良いだろ……ッ!」

 

 

 

 悲痛に満ちた声で訴えながら、取り押さえる組員らを引き剥がそうと精一杯暴れた。

 

 

 ふと、顔を上げる。

 いつの間にか目の前に誰か立っていた。

 

 

「誰だアン──」

 

「フンッ!!」

 

「ポゥッ!?」

 

 

 鳩尾を殴り、頭が下がる。

 その下がった上田の頭を鷲掴みし、思いっきり硬い机へ叩き付けて気絶させる。

 

 

 

 

 

「なんだい朝っぱらから……本家でぎゃあぎゃあ喚くたぁ、良い度胸じゃないのさ」

 

 

 畳の上で伸びた上田の前には、着物姿で冷たい目をした女が立っていた。

 魅音と詩音にどこか面影が似ているその彼女を見て、葛西は唖然とした様子で名を呼んだ。

 

 

 

「あ、『茜さん』……いらっしゃったのですか……?」

 

「三億の件でね。今来たところだよ」

 

 

 茜と呼ばれた女は上田を一瞥し、厳しく吐き捨てる。

 

 

「お魎さんの言う事は絶対。たかが手品暴いたからって、ウチが動くと思ってんのかい?」

 

 

 それから次は、部屋にある組員らと葛西を見据え、命じた。

 

 

「本当なら半殺しだが……まぁ、それなりの恩は恩だ。とっとと追い出して、そんでもうウチに入れさせないようにしな」

 

「茜さん……あの……」

 

「葛西。本当ならアンタも、指詰めるべきだったんだよ。良く考えて二の句継ぎな」

 

「…………分かりました」

 

 

 

 

 気絶した彼は組員らによって運ばれ、屋敷外に棄てられる。その衝撃で、上田は目を覚ました。

 

 

「ブフ……! 頼む……頼む……!」

 

 

 組員らは一瞥もくれず、一列になって駆け足で屋敷に戻って行く。

 完全に自分は見放されたのだと察した。

 

 

 

 

「……うっ……ぐぅう……!!」

 

 

 這い蹲りながら、上田は泣いた。

 しかしすぐに眼鏡を外し、涙を拭う。何度も何度も拭う。

 

 

 

「……………………」

 

 

 土を握り、眼鏡を掛ける。

 自分が泣いてどうする。沙都子は今、この時も泣いているハズだと、自らを奮い立たせた。

 

 

 

 

 

「……やるしかない……!」

 

 

 ふらつく足を何とか整え、立ち上がった。

 

 

 

 

 

「……こうなりゃ! プランBッ!!」

 

 

 身を翻す。

 向かう先は神社──悲しみと孤独に溺れている、梨花の元へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の山田。

 

 

「トイレツマルーーッ!!」

 

 

 倒した障子の上で寝言を叫びながら、まだ目覚めていなかった。

 

 

 

 

 

 途端、ドンドンと、扉を叩く音。

 寝坊助の山田と言えども、煩い音では起きざるを得ない。ゆっくり、鬱陶しそうな顔で顔を上げる。

 

 

「なんだよこんな朝っぱらから……新聞取ってねぇよ……」

 

 

 ふらふらしながら玄関先まで歩く。

 そして戸を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山田さん!! いや、師匠ッ!!」

 

 

 訪問者は圭一だった。




克己心 (こっきしん): 自分に打ち勝つ心。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番記者

「圭一さん!?……あれ、私ここに泊まっているって教えましたっけ?」

 

「魅音の奴から聞いたんすよ! この村小さいから、すぐどこか分かりました!」

 

「大丈夫なんですか? もう学校の時間じゃ……」

 

「それより師匠ッ!!」

 

「本当に師匠呼びするのか」

 

「大事な話があるんです……! あ、中失礼します!」

 

 

 辺りを憚りながら、サッと玄関に潜り込む。

 何かから逃げているような彼の挙動を怪訝に思い、尋ねる。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「山田さん! いや、師匠ッ!!」

 

「呼び方安定させろよ」

 

「……ジオ・ウエキ。魅音の所の三億円を、持っていたんです……!」

 

 

 彼の報告は、朝の気怠さを吹き飛ばすのに十分なインパクトを持っていた。

 

 

「三億円!? ジオ・ウエキが!?……やっぱり、あの事故で無くなってなかったんだ……」

 

「一から話すとキリが無いんですが……とにかく、伝えるべき所を伝えます! 我が救世主ッ!!」

 

「ランクアップ……!?」

 

 

 圭一の報告は耳を疑う内容の連続で、しかし山田にとって腑に落ちる所のある内容でもあった。

 同時に、想像以上のジオ・ウエキ──もとい、間宮浮恵の欲深さと狂気に戦慄する。

 

 

「……とんだサイコだな……ともあれ、三億円は無事なんですね」

 

「いつ高飛びするか分かりません……今日にも逃げちまうかも……俺たちが逃げたって知ったら、もっと早まるっす」

 

「私によりも園崎に報告したら良いじゃないですか?」

 

「ジオ・ウエキの下には雛じぇねがあるんです……なんかの拍子に村人が俺が園崎行った事喋ったら、気付かれていない今のチャンスを逃しちまう!」

 

「だから、園崎さん所から遠い私の所に?」

 

「そこの電話使えるっすよね!? 山田さんから園崎家に、この事を報告してくださいよ!」

 

 

 とは言うが、山田はかなり難色を示す。

 

 

「……昨日一昨日、園崎家にいたんですけど……あの人たち、事実と証拠がないと動かないと思うんです。それに、ジオ・ウエキは工事現場……村で唯一、園崎が易々と入り込めない所と言うのは良く考えたとは思います。普通じゃ入れない所にいるって言っても、園崎家は動いてくれるかどうか……」

 

「三億が盗まれているのにですか!?」

 

「向こうはそう思っていないんです。ジオ・ウエキの策略にはまっていて、三億円は燃えてなくなったと……園崎家、ダム建設に反対しているだけに、墓穴は掘りたくないハズです。間違いだったら、ただ建設現場に難癖付けて大暴れしただけになりますし」

 

「マジかよ……あ、なら……魅音なら聞いてくれるハズだ!」

 

「魅音さんだけでは無理です……多分、園崎家を丸っと動かすにはお婆さんの決定がないと……」

 

「……あー! じゃあどうすんだよーっ!!」

 

「………………」

 

 

 山田は少し考えて、考えて、考え抜くも、どうするべきか思い付けなかった。

 圭一たちの不在がバレるのは、まだ先だと思われる。浮恵に協力していた作業員はほんの一部だ。彼らにだって仕事はあるだろう。途中に抜け出して他の作業員に怪しまれるなんて事があれば、本末顛倒だ。

 

 

 早くて昼。今日中に終わらせなければなるまい。

 

 

「……てか、こんな時に上田はどこほっつき歩いてんだ……」

 

「……あの、師匠」

 

「………………あ、私の事か。なんですか?」

 

「作業員に変装して、三億円を奪い返すってのどうっすか? それが無理でも、決定的な証拠を写真に撮るとか!」

 

 

 単純だが、効果はある作戦だ。

 だがあまりにもリスキーで問題しかない。

 

 

「……誰が変装して潜入するんですか? 私は顔が割れていますし、園崎家にも頼れませんし……そもそもこんなスパイ映画みたいなやり方、話聞いて『やってやろー!』って人いるんですか?」

 

「上田先生は!? 上田先生はまだ、ジオ・ウエキらに顔が割れていませんよ!」

 

「……いえ、駄目です。あいつ、魅音さんと遊んでいる所を多分見られています」

 

 

 大石を思い出す。あの男が知っている事を、村中にシンパを作っている浮恵が知らない訳がない。

 要注意人物として顔を覚えられている可能性は明らかに高いだろう。

 

 事態は八方塞がりだと感じた圭一は、頭を抱える。

 

 

「んじゃどうするんすか……!?」

 

「でも、その作戦は有りですね……村外の人間で、作業員らに顔を覚えられていなくて……あと、ガテン系って言っても信じられそうな、ムキムキ」

 

「ムキムキ……」

 

「………………ん?」

 

 

 外から聞こえる音に山田は気が付いた。

 無機質で連発した音で、すぐにカメラのシャッター音だと気付く。誰かが近場で写真撮影をしているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 山田の脳裏に、上田の話が蘇る。

 あれは罰ゲームを受けに学校に向かっている最中の事。

 

 

 

 

「……『ジロウの名を冠す者』っ!!??」

 

 

 

 

 山田は驚く圭一を無視して家から飛び出し、辺りを見渡す。

 

 

 

 すると少し歩いた先に、村の風景を撮る、タンクトップ姿の逞しい身体つきをした男を発見する。

 速攻で、上田の言っていた男で間違いないと悟る。

 

 

「『ジロウの名を冠す者』ッ!!」

 

「え? へ!?」

 

 

 そう叫びながら、その男のそばまで駆け寄って捕まえる。

 圭一も追いかけて来たが、彼を知らないようで眉を寄せていた。

 

 

「……どなたです? お師様……」

 

「だから、ジロウの名を冠す者ですよ! この人に行って貰いましょう!」

 

「あ、あの……誰でしょうか?」

 

 

 知らないのは、突然捕まえられて勝手に話を進められている、この男もそうだ。若干怯えたような目を山田に向けていた。

 しかし山田としても退っ引きならない状況にある。圭一と協力し、彼を家まで引き摺り込む。

 

 

「話は後です! ほら、こっち来いッ!!」

 

「うわっちょっとお!? やめ……あーっ! あーっ!!」

 

 

 家に引き込まれたその人物こそ、上田が山で会ったと紹介していた富竹ジロウだ。

 彼は毎年この村に来ていると言うが、村外からの作業員が多い工事現場内ならば、顔を知っている人間は少ないだろう。

 

 

「この人なら! 作業員らもジオ・ウエキも顔知りませんよ!」

 

「妙案っすッ! 我が奇術師……ッ!」

 

「僕の意思はないんですか?」

 

 

 とりあえず困惑している富竹へは、上田の事と園崎三億円事件、そしてジオ・ウエキの事まで全てを説明した。

 勿論、彼には作業員に化け、三億円の証拠を欲しいと言う計画も。

 

 

「上田さんにも恩あるみたいですし、出来ますよね?」

 

「いやいやいやいや!? 僕はただのカメラマンですよ!?」

 

 

 圧をかけて山田は押すが、富竹は及び腰だ。

 

 

「いや、バレませんって。カメラマンにしてはムキムキじゃないですか! 寧ろカメラマンより、建設業って言った方が信じて貰えますって! ちょっと腹出てるのもリアルですし」

 

「いやでも、しかし……!」

 

「良いからピャーッと行ってピャーッと撮って来てくださいよ! それなりに園崎さんから報酬も貰えますって!」

 

「僕にはそんな事とても……」

 

 

 机をバンッと叩く圭一。

 

 

「さっきから出来ない出来ないって……出来ないじゃねぇ、やるんだよッ!!」

 

「……のっぽさん?」

 

「のっぽさんは喋りませんよ師匠ッ!!……そうじゃなくて。なんでやる前からそんな消極的なんだ……!」

 

「いや、僕はだから、ただのカメラマン……」

 

 

 何度も言ってるのにと悲しい顔をしながら訴える。しかし圭一は無視した。

 

 

「まだあんたは、男を魅せていないんだ……景色を魅せるのが、カメラマンなんだろ?……自分さえ魅せる事が出来ない男が、良い写真なんか撮れるもんかッ!!」

 

 

 よくもまぁそんな台詞が言えるなと、山田は呆然と圭一を見ていた。

 

 

「……今からあんたは被写体だ、魅せて欲しい……そして起死回生の一作品を撮る撮影者だ!……無茶な話とは思う。けどもう、これしかないんだ……!」

 

 

 富竹の前で正座をし、そして手を床に付いた。

 

 

「……俺はみんなの、幸せを守りたいんです……!」

 

「…………」

 

「…………よろしくお願いしまぁぁぁああすッ!!」

 

 

 鼻血でも出そうなほどの勢いで頭も床に付け、土下座して頼み込む。

 そんな真っ直ぐで骨っぽい言葉の数々は、同じ男の心に沁みるものがあったようだ。

 

 富竹は少し渋ったように顔を顰めてから、溜め息と共にフッと微笑んだ。

 

 

 

「……そこまで真っ直ぐな人、なんだか久しぶりに出会ったような気がするよ」

 

 

 首にかけていたカメラを持ち上げる。

 

 

 

「……まぁ、上田教授には恩があるからね。やれるだけ、やってあげるよ」

 

 

 シャッターを切り、頭を上げた圭一の顔を撮った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 工事現場前、そこにいるのは富竹ではなく、なぜか山田一人。

 事前に合わせた作戦はこうだ。

 

 

「私がまた、ジオ・ウエキに会おうとする名目で工事現場に乗り込みます」

 

 

 一回深呼吸し、山田は堂々と搬入口に乗り込んだ。

 勿論、またデモに来た村人なのかと思った作業員たちが止めに入る。

 

 

「あんた! ここは立ち入り禁止だ!」

 

「ジオ・ウエキは今日も来ていないんですか?」

 

「そんなしょっちゅうはこねぇよ! ほら、出て行け!」

 

 

 門前払いを食らい、渋々帰ろうとする……フリをしてからまた、振り返る。

 

 

「……これも何かの縁です」

 

「あ?」

 

「……本物のマジシャンに、会った事はありますか?」

 

 

 山田は荷物を降ろし、そこでマジックショーを開演させた。

 

 

 

 

 

「ここに、四枚のカードがあります」

 

 

 裏を向けたままのカードを開き、四枚だと示す。

 

 

「絵柄は全て……」

 

 

 一枚目を捲ると、「クラブの六」。

 一枚目を束の下に差し入れてから、一番上に来た二枚目を捲るとそれもクラブの六。

 同じ要領で三枚四枚と一枚ずつ表を見せるが、全てクラブの六。

 

 

「私の持っているカードは全て、クラブの六です……ですが」

 

 

 しかしまた一枚目を捲ると、なんと「ハートのクイーン」になっていた。

 一枚目だけではない。二枚三枚四枚も全て、ハートのクイーンだ。

 

 

「どうなったんだ!? さっきは三つ葉だったじゃねえか!?」

 

「なんだ、ええ!? どうやった!?」

 

 

 途端に湧き上がる作業員たち。しかし山田のマジックはまだ止まらない。

 

 

 

「ハートのクイーンでしたが、実は……」

 

 

 次は四枚全てが「ジョーカー」に変貌。

 どこかに隠し持っている素ぶりはない。たった四枚のカードの束を持っているだけで、絵柄を全て変化させてみせた。

 

 

 

「次は、これを使います」

 

 

 手にしたのは、アメリカの「五ドル札」。表には「アブラハム・リンカーン」が描かれていた。

 

 

「これを折って行くと……」

 

 

 半分に折り、それをまた半分に、またまた半分に折り、小さな四角形にする。

 次はそれを逆戻しにするように広げて行くと、「伊藤 博文」が描かれた「千円札」に早変わり。

 

 

 お札の変化マジックが成功し、作業員らからはまた歓声が湧き上がる。

 

 

 

 

「あと、もう一つ」

 

 

 取り出したのは、中央が凹んだコーラの缶。

 空き缶のようで、飲み口は既に開けられている。

 

 

「よっと」

 

 

 手の中に収め、何度か振った後、再び作業員らの前に現れた缶コーラは復活していた。

 しかも開いていたハズの飲み口が開いていない。

 

 プシュッと開き、用意していたグラスに注ぐ。中身もキチンとある。

 このマジックのインパクトが一番強かったようで、皆の度肝を抜いた。

 

 

「おお!? すげぇ!? 缶が戻った!?」

 

「どうしたんだおいおい!」

 

「おーいみんな! この嬢ちゃんすげぇぞ!!」

 

 

 山田のマジックを一目見ようと、いつの間にやら多くの作業員らが彼女を取り囲んでいた。

 この騒ぎを聞きつけた現場監督が走って注意しに来る。

 

 

「あんたたちぃーっ! なぁにやってんのよ!! ほら、散りなさい! 散れ! 散れやバカタレどもがッ!!」

 

 

 圭一によれば、彼は三億円事件の協力者の一人だ。

 山田は一瞬キッと睨み付けるものの、自らはまず何もしない。

 

 

「まぁたアンタなの!? ほら早く出て行きなさぁい!! サイサイサーイ!!」

 

「ウィーっす! おつかれさまでぃーっす!」

 

 

 抵抗も言い訳もせず、山田はチャラ男口調ですんなり出て行く。

 やけにあっけなく去る彼女を怪訝に思いつつも、現場監督もまた作業場に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 このマジックショーも作戦の一つ。家で提案した山田の計画はこうだ。

 

 

「私が幾つかマジックをして、作業員らの目を盗みます。その隙に富野さんは」

 

「富竹です」

 

「こっそりと、現場に入り込んでください」

 

 

 

 

 

 マジックの技法、「ミスディレクション」。人々の注意を、本命から逸らすマジックの基礎。

 作業員らが山田のマジックに夢中になっている内に、富竹は上手く気付かれず搬入口から忍び込んだ。

 そのまま停められたトラックを遮蔽物として隠れ、三億円が隠されていると言う作業員小屋に入る。

 

 

 

 まず小屋に入ったのは、事前の打ち合わせの通りだ。

 

 

「小屋にはツナギとかヘルメットもあるハズですし、バレない為に変装してください。あとは三億円を探して、写真に収めて欲しいです」

 

「カメラは『インスタントカメラ』にするよ。これなら小さいから、ポケットに忍ばせられる」

 

「仮に三億円が無くても、現場内でジオ・ウエキを撮っても立派な証拠ですので……無茶だけはしないように」

 

 

 

 

 

 小屋の中は誰もいない。

 急いで富竹は掛けてあったツナギを纏い、ヘルメットを被る。

 

 

「汗クサっ!」

 

 

 つぅんと立つ臭いに顔を歪めつつ、小屋の中で三億円を探す。

 簡易ロッカーの中、持ち込まれた雑誌の下、天井にかけられた荷物置きなど、目に付く場所は探し回った。

 

 

「無いか……まぁ、他の作業員が出入りする小屋には置けないか」

 

 

 三億円の捜索を諦め、ならばジオ・ウエキを探そうと小屋を出る。

 出来るだけヘルメットを目深に被り、顔を見られないようにする。万が一に自分の顔を知る者がいるかもしれないし、仲間の顔を覚えている人間ならば見覚えない自分を怪しむだろう。

 

 

 身体つきが逞しいお陰か、作業員らは富竹の存在に気付かず、普通に通り過ぎる。

 行動に注意しながら富竹はまず、一人の男を探す。

 

 

「……いた」

 

 

 現場監督だ。彼がジオ・ウエキに近い人間なので、尾行をすれば彼女のいる場所に連れて行ってくれるだろう。

 

 

 彼は作業員に指示を飛ばし、暑苦しい顔を更に暑苦しくさせていた。遠くから観察し、何かの拍子にジオ・ウエキの元へ行こうとする機会を待った。

 

 そのチャンスはすぐに訪れる。

 

 

 

 一人の作業員が現場監督に近付き、耳打ちで何かを告げる。

 すると彼はその作業員と共に、現場の奥へと歩き出した。

 

 

「来た……!」

 

 

 潮時だと判断した富竹は、一定の距離を置きながら尾行を開始した。

 

 

 彼の行く先は、まるで城塞のように組み立てられた、鉄骨とコンクリートの山。

 富竹はゴクリと生唾を飲み、緊張しながらも不自然な行動をしないよう細心の注意を払い、二人を尾け続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い、何もない、空っぽの部屋の隅で、ぼんやり座る梨花。

 

 

 

 

 どこからか声が聞こえた。

 やっぱり、期待し過ぎてはいけない。

 

 

「……そんなの分かっているわよ」

 

 

 あの二人が好転を呼ぶ確証はない。

 

 

「分かっている」

 

 

 次を考えなければまた、同じ結末だ。

 

 

「……分かっているってッ!!」

 

 

 傍らにあった枕を取り、投げようとした。

 しかし寸前に止めた。その枕は、一昨日まで沙都子が使っていた物。

 

 

 

 怒りに任せて投げようとしたそれを、抱き締めた。

 あの日、二人で使った石鹸の……シャネルの淡い匂い。

 

 

「………………」

 

 

 これからどうするつもりか。

 

 

「……分からない」

 

 

 このまま塞ぎ込むのか。

 

 

「分かんないって」

 

 

 もうああなっては、沙都子は……

 

 

 

 

「…………っ……」

 

 

 言葉が出せず、涙が溢れる。

 もう何時間流しただろうか。

 枯れるのを待つように泣いていたが、涙は止め処なく流れ出る。

 泣き慣れているハズなのに、涙は枯れない。

 

 永遠に永遠に。

 

 

「………………」

 

 

 ずっと沙都子の顔が脳裏にチラつく。

 彼女もまた、壮絶な過去を背負って来た者。

 同じく親を亡くし、辛い毎日を送った事もあった者。

 境遇が似ていたから、二人身を寄せ合って暮らせた。

 

 

 

 暗闇を照らす、光のような存在。

 そんな風にずっと思って来た……とは言えない。失ってから寂しさに気付いただけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 蝉の声が泣き止まない。

 耳を塞ぎ、全てを遮断しようとした。

 

 

 だがその手は止まる。

 誰かが窓ガラスを叩いたからだ。

 

 

 風かと思ったが、それは何度も何度もしつこく叩く。

 

 

 

「……なに?」

 

 

 

 ふらつく足で窓まで寄り、閉めていたカーテンを開く。

 入り込んだ太陽光で、視界が一瞬だけホワイトアウトする。

 

 

 

 

 

 明かりに慣れた網膜が次に捉えたのは、眼鏡をかけた、乱れた髪の見慣れた男。

 ここは二階、またハシゴをかけてやって来たようだ。

 

 

 馬鹿らしくなってまたカーテンを閉めようとする。

 だが彼の、真面目な表情を見て、自分でも不思議な事に窓を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 上田次郎が、叫ぶように言う。

 

 

 

「梨花ッ! 身支度をしろッ!……沙都子を助けに行くぞ!!」

 

 

 唐突にそう言って、彼女へ手を差し伸べる。

 

 

「ほら、行くぞッ!! 沙都子を助けるにはお前がいるんだ!」

 

 

 その手を梨花は、なかなか掴めないでいた。

 

 

「何やってんだ!」

 

「……それはこっちの台詞なのです。園崎家に頼めたのですか……?」

 

「うっ……そ、それは……あ、ああ! な、何とか便宜を図れたよ!!」

 

 

 あからさまに目が泳いだ彼を見て、即座に嘘だと悟る。

 

 

「上田は信用出来ないのです」

 

「……!? い、いや、本当なんだ! もう役所には話を」

 

「……もう良いのです」

 

 

 暗闇にまた沈もうとする梨花。

 上田は少し躊躇し、戸惑い、でも彼女の腕を後ろから掴んでいた。

 

 

「分かった分かった! 嘘だ! 園崎家の協力は無理だった……!!」

 

「……離せ」

 

「へ?」

 

「離せッ!!」

 

 

 無理やり彼の手を引き剥がす。

 梨花の目にあるのは、強い失望と諦念だ。しかしそれに勝ったのは上田への怒り。

 

 こいつは何で現れた、何で安い希望を口に出来た。嘘つきも大概にしろ……頭に噴き出た罵倒の数々。その全てを吐き出そうとした途端、剥がした彼の手がまた、梨花を掴んだ。

 

 

「待ってくれッ!! 聞けッ!!」

 

「ッ!?」

 

 

 今度は引き剥がされないよう、肩を掴む。

 そして目を合わせた。

 

 

「まだ、方法はある……! それは、沙都子自身の『証言』だ……!!」

 

「……沙都子の?」

 

「ああ! この時代でも、児童虐待を防止する法律はあるんだ……!! 園崎がいるんなら、鹿骨市から出れば良いッ!! どこか、県内の家庭裁判所か福祉相談所に彼女が証言すれば、法律が守ってくれる! 裁判でも良い! 弁護士でも……なんなら、俺が代理人になって提訴してやるッ!!」

 

「…………本当に上手く行くのですか?」

 

「親権を主張していようが、虐待が発覚すればすぐに行政は動く! 親権の停止と隔離を訴えるんだ……だが、それには沙都子自身の……被害者の証言がいる。そこまでしなければならない……!」

 

 

 この時代にも「児童福祉法」と言うものがあった。

 これは現在に比べ、機能性が全く無い法律とも言われている。事実、家庭裁判所の申告方法が分からない児童福祉士がいたほどだ。

 

 だが法律は存在しているし、手続きさえ上手く進めれば問題なく、鉄平から沙都子を引き剥がせる。ならば通常の裁判と同じく、証人を作る事が必須だ。

 

 

「……沙都子を連れ出すぞ……!」

 

 

 

 上田の説明を聞いても尚、梨花はまだ暗い表情のまま。

 

 

「……沙都子は、過去に罪を感じているのです」

 

「…………なに?」

 

「……その罪は、自分のせいだって……だから沙都子は甘えず、生きて行けるように……茨の道を望んだのです」

 

「………………」

 

「……沙都子は鉄平に尽くす事を禊と信じ、望んでしまったのです……もう、誰の言葉も届かない……」

 

「本当に届かないと思っているのか?」

 

「…………どう言う意味なのですか」

 

 

 上田の瞳は、真っ直ぐ澄んでいた。

 

 

 

「沙都子は今、迷っているハズだ……今の生活よりも、君との生活の方が楽しかったハズだ。そんなのは一緒に暮らしていたお前の方が、実のところ気付いていただろが」

 

「………………」

 

「……同時に世話焼きの沙都子にとっちゃ、生活力皆無のお前は未練だな。同時に、同じ境遇であるからこそ、お前は誰よりも沙都子に近い」

 

 

 つまりと上田は言って、真っ直ぐ真っ直ぐ梨花を見据え、結論付けた。

 

 

「沙都子の本心を引き出し、説得出来るのは……俺や、誰よりも、お前だけなんだ……!」

 

 

 喋り倒し、ゼェゼェと息切れする。

 疲れからか、やっと梨花から手を離した。

 

 

 

 

 瞬間、彼女は上田を押す。

 

 

「生活力皆無は余計なのです!!」

 

「㍌㍖!?」

 

 

 昨夜と同様、ハシゴを滑り落ちる。

 地面に平伏し、呆然としていると、玄関から梨花が出て来た。

 

 

「下。ずっと鍵開いていたのですよ」

 

「……なに?」

 

「わざわざハシゴ使うとか、覗き魔なのですか? さすがは天災むっつり学者なのです」

 

「だから天っ才物理学者と言ってんだろがッ!!」

 

 

 上田の叱りつけに対し、梨花は微笑んだ。

 次にはお互いに、見つめ合う。

 

 

 

「……さあ。沙都子の所に行くのです」

 

「……はん! 最初っからそう言えってんだ! この天っ才物理学者上田次郎が直々に動いてやるって言っているのに……」

 

 

 立ち上がると乱れた服を整え、拗ねた顔でそっぽ向く。上田その素直じゃない表情が少し、頼もしく見えた。

 

 

 

「案内してくれ」

 

 

 拝殿の方へ先に行く上田。

 その後を付いて行こうとした時に、一度梨花は振り返る。

 

 

 

 

 

 信じるのか。

 

 

「……あんだけ言われたなら……一回ぐらい良いでしょ?」

 

 

 

 彼女も駆け出す。かけがえのない親友を救う為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に来た魅音はまず、驚いた。

 

 

「……みんないないじゃん!?」

 

 

 圭一、レナ、梨花、沙都子の部活のメンバーが、全員欠席していたからだ。知恵先生に聞いてもみたが、全員無断欠席らしい。

 唯一連絡の取れた圭一の両親によれば、彼は昨夜から行方不明となっており、警察に通報したところだそうだ。

 胸騒ぎがする。全員がいないなんて、こんな事は初めてだ。

 

 

 

 

 

 昼休みの時間。彼女は他の生徒たちが校庭で遊ぶ中で一人、隅の方で黄昏ていた。まるでみんなが来るまで待つかのように。

 

 

「……どうしたんだろ」

 

 

 とても寂しい。それよりもとても心配。

 自分の知らない所で何かが起きた気がして、居ても立っても居られない。

 

 このまま学校を抜け出し、一人一人の家を回ろうとも考えた。

 考えただけではない、実際にそうしようと、身体が前へ進み出す。

 

 

 

 

 

 

 

「はいストップ」

 

 

 

 後ろ手を引かれて止められた。

 先生か、他の生徒か。しかし声音はその誰でもなく、意外な人物。

 

 

 双子の妹、詩音だ。

 

 

「し、詩音……」

 

「オネェ、少しお時間よろしいですか?」

 

「あれ……バイトじゃないの?」

 

「緊急事態につき抜け出して来ました」

 

「えぇ……」

 

 

 微笑み顔だった詩音は、スッと神妙な顔付きに変わった。

 

 

「……北条鉄平が帰って来て、沙都子を連れてったらしいです」

 

「え!? な、なんで……!? なんで帰って来てんの!?」

 

「大方、北条家の資産目当てだと思う。誰かに知恵付けられたんじゃないかな……自分たちがあれほど、使いまくった癖に……」

 

 

 彼女の表情に怒りが滲み始めた。

 なぜなのかは魅音は知っている。詩音は、「悟史の件」で鉄平を恨んでいた。

 

 

「誰から聞いたの、それ……」

 

「……葛西。ウチに食べに来ていてね……上田先生が、沙都子を助けたくて屋敷に行ったそうですよ?」

 

「う、上田先生が屋敷に!? 私聞いてないよそれ……」

 

「……聞き入れて貰えなかったそうですけど。ホント、変わらないね……あの鬼婆さんは」

 

 

 詩音は葛西の報告を聞き、わざわざ姉に伝える為だけにバイトを抜け、ここに来たのか。

 彼女は一見して温和そうだが、こう見えて自分と似た所がある。思ったことは絶対だと考えて、だから絶対に止まらない。ある種、カッとなりやすいのは園崎の血筋らしい。

 

 バイトを抜けてすぐに来たのも、一刻も早く伝えたいと思い立ったからだろう。

 

 

「……詩音さ」

 

「………………」

 

「……行くつもりなんでしょ。沙都子の家に」

 

 

 乗り込むつもりだなと、魅音は見抜いた。

 詩音は北条家の事になると、見境がない。「一年前のように」。

 

 

 見抜かれた詩音は、眉をハの字にしながら自嘲気味に笑った。

 

 

「……バットかなんかで一発殴って、沙都子を連れ出そうかなってね」

 

「凶暴過ぎだって……早まっちゃ駄目」

 

「……ほんと。なんであんなクズじゃなくて……『悟史』くんが……」

 

「詩音……」

 

「………………」

 

「……私の所に来たのは、クールダウンしたかったから?」

 

 

 ふいっと目線を逸らす。

 いつもは詩音に振り回されてばかりだが、こういう時の詩音はとても分かりやすい。

 

 

「……オネェ。どうしたら……沙都子が助けられると思う……?」

 

「……役場に言うとか……?」

 

「無理でしょ」

 

 

 分かっている。

 園崎が北条を敵視する以上、役場も似たような風だ。こればかりは魅音がどうこう手を回せない範囲だ。

 少し失望を込めた目を見せてから、詩音は独白のように話す。

 

 

「あのクズをどうにか消せないかな……って、ここに来るまで考えていて」

 

「………………」

 

「……あいつのせいで……そればっかグルグルしていて」

 

「………………」

 

「……今度は……沙都子がいなくなっちゃうかもって思って……あはは……やっと仲良くなれたのに」

 

 

 あまりに運がない。

 気運に見放され、突き放され、やっと故郷に戻れても彼女の心はまだ帰って来れていない。

 そんな詩音があまりにも可哀想だと、魅音は心を痛めて止まない。その理由の一端を自分が担いでいた事も含め、やるせない。

 

 

 詩音は縋るように尋ねる。

 

 

「……ねぇ……オネェ……良い考えはありませんか?」

 

「そんなすぐ、思い付けないよ……私……あの……頭悪いし……さ……」

 

「……このまま行くのもアリじゃない? あいつの死んだ嫁みたいにして」

 

「落ち着いてって詩音!」

 

「落ち着いてますよ。オネェの所に一回寄っただけでも褒めて欲しいですね」

 

 

 魅音にとって幸運だったのは、彼女の怒りが張り切ってくれた事か、ベクトルが違ってくれた事か。

 今の詩音にあるのは怒りより、呆れが勝っていた。だから落ち着けている。

 

 それもそうだ。一年間放ったらかしにしていた姪へ、金目的に親権を主張し出す身勝手なクズ。ほとほと呆れ返る。村から逃げた癖にと、そう思うのも無理はない。

 

 

 しかしそれでも、沙都子への心配は強い。

 魅音は胸中に渦巻く不安や不愉快、そして気鬱の感情に戸惑っていた。

 どうすれば良い、どうなれば良い。そればっかりが頭を巡る。もしかしたら、詩音より混乱しているかもしれない。

 

 

 

 

「噂じゃ、相当コソコソ隠れて悪どい事してたみたいですよ。なんで……あんな奴ばっか……」

 

 

 

 

 詩音の恨み節。

 その一言が、魅音の脳内にあった混乱の霧を払いのけた。

 

 

 

「…………詩音」

 

「うん?」

 

「……お願いがあるんだ」

 

「……なにか思いついたの?」

 

「うん」

 

 

 真っ直ぐ、詩音を見つめる。

 

 

「……沙都子を助ける方法」

 

 

 この時ばかりは、「園崎の名をかなぐり捨てる覚悟」だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

救い手

 暫くして午後の授業が始まる。

 机に肘付き、遠い空を窓から眺める少女は、魅音だった。

 

 

 雲が近く、空が低い。目を離せば落ちて来てしまいそうだ。

 夏の陽に輝いて、山は深緑を映えさせた。

 

 教室は暑く、窓が開けられている。

 蝉時雨が飛び込み、村は広いジオラマのようだ。

 

 一人ごちに見渡し、ちょっとだけ乱れた頭の中を整理。

 ただ目線は空ではなく、地に向かう。

 

 

 

 消えた者が、ひょっこり歩いていそうで。夏の幻想がまた、夢を見せてくれそうで。

 

 

 

「コラっ」

 

 

 頭をバサっと、教科書で叩かれ気が戻る。

 恐る恐る顔を上げると、顰めっ面の知恵先生がいた。

 

 

「授業中ですよ」

 

「……た、たはは……いやぁ、ごめんなさいです」

 

「……はあ。心配なのは分かります」

 

 

 部活メンバーが魅音以外欠席、しかも圭一に至っては消息不明。

 部長である彼女が先生以上に心配しているとは、知恵も気付いてはいる。

 

 

「……また先生がみんなの家を周りますから。だからほら、元気出して?」

 

「いやいや、大丈夫大丈夫! おじさんはメンバーを信じているってば」

 

「……そう? それじゃ前を見て、次の問題解いてくれます?」

 

「そ、それは遠慮したいかな〜……なんて?」

 

 

 結局答える事になり、嫌々ながらも席を立つ。

 

 

 

 席を立ち、もう一度だけ窓の外を眺める。

 ひたすら信じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、山田と圭一は、富竹が帰って来るまで寛いでいた。

 

 

「……大丈夫っすかね?」

 

「大丈夫でしょ。なんか凄い自信でしたし」

 

「それより主人!」

 

「まだ肩書きつけるのか」

 

「あの三つのマジックって、どうやったんですか!?」

 

 

 作業員らの囮になるに辺り披露した、三つのマジック。

 暇潰しがてら、それらの種明しをしてやる事に。

 

 

 

 

「まず一つ目。同じ絵柄だった四枚のカードが、四枚とも変化するマジックですけど……実は四枚とも、別々のカードなんです」

 

 

 上からクラブの五、ハートのクイーン、スペードの八、ジョーカーの順番に重ねたカード。

 

 

「一枚目のカードを見せている隙に、残り三枚の一番下をこう、弛ませて薬指で開けるんです。見せたカードは、一番下に入れる振りをして……下から二枚目に差し込みます」

 

 

 引き抜いたクラブの五を、ジョーカーの前に入れる。

 

 

「あとは上の一枚を抜く振りをして……三枚重ねて同時に抜くんです。そしたら相手には二枚目のカードを引いたように見えて、それがクラブの五だって錯覚させられます」

 

「おぉ……!」

 

「次は三枚ともをひっくり返し、上の一枚……つまりハートのクイーンだけを下にすれば、クラブの五は一つ上がって二枚目に来るので、同じ要領でひっくり返せば良いだけです」

 

 

 あとはそれを繰り返して、ハートのクイーンに化けさせたり、ジョーカーに化けさせたりするだけ。

 

 

 

 

 

 

 

「お札の変化マジック……これは本当に簡単です」

 

 

 マジックに使った五ドル札を見せる。

 後ろにひっくり返せば、すでに折り畳まれた千円札が貼り付けられていた。

 

 

「五ドル札を折り畳んで、後ろの千円札と同じ形にする。あとはこっそり返して、この貼り付けていた千円札を開くだけ」

 

 

 リンカーンがパッと、聖徳太子に変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後は缶コーラの復活マジック。これは圭一も興奮していた。

 

 

 

「缶コーラは、元から開けていないんです。軽く糊付けしていた、黒い紙を飲み口に貼って開いているようにみせていただけです」

 

 

 缶の側面に穴を開け、缶を潰しながら中身を抜く。

 ある程度ベコベコになったら、穴を赤いテープで塞ぐ。これで空き缶に見せられる。

 

 

「後はこれを振ると、残ったコーラの炭酸が内側から缶を押して、凹みが無くなるんです。グラスを用意して残ったコーラを出してやれば、さも缶コーラの時間が巻き戻ったように見える仕掛けです」

 

「すげぇすげぇ……!!」

 

「ジオ・ウエキには一回騙されかけましたからね。同じ缶のマジックを披露してやりました」

 

「一生付いて行きます! 嗚呼、女神様ッ!!」

 

「……いつか変な宗教にハマりそうだなこの人」

 

 

 圭一の将来を少し心配しながら、山田は「あっ」と思い出す。

 

 

「そう言えばレナさんは? レナさんも一緒に捕まっていたんですよね?」

 

「逃げたんですけど……途中で、親父さんに婚約者の正体を教えるって言って別れました。そのまま自宅に隠れるつもりだそうで」

 

「美人局か……えっぐい事するなぁ。しかもジオ・ウエキの妹……私の方が美人に決まってるだろ!」

 

「我が主はスレンダーでクールっす!」

 

「…………それ喧嘩売ってんのか?」

 

 

 マジックに使ったコーラを飲みながら、圭一はふと壁に掛かっていた時計を眺める。もう正午を過ぎていた。

 

 

「……時間の進みが早く感じましたね」

 

「……私も昨日の今日でだいぶ濃い時間を過ごした気がする……全然寝足りない……」

 

「……御山田様」

 

「なんだその呼び方」

 

 

 圭一はずっと抱えていた疑問を、彼女に聞く事にした。

 

 

 

 

 

「……あの。『鬼隠し』……何か知っているんですか? だったら……教えて欲しいです」

 

 

 魅音から口止めされている禁句だ。

 それを一対一の室内で問われ、山田はどうするべきかと口を歪めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ここで時間は戻る。圭一と別れ、自宅へ向かったレナの話だ。

 何とか帰ってこれた家には電気が点いており、不在では無いようだ。

 だが家にいるのは父親だけとは限らない。恐る恐る、扉を開け、リナこと律子がいないか慎重に侵入する。

 

 

 居間からドタバタと、忙しない音が聞こえる。

 大勢ではなく、一人だけのもの。

 

 

 襖を少しだけ開けて、覗く。そこにいたのは父親だった。

 

 

「お父さん……!!」

 

 

 居間に入り、事の真相を彼へ教えてあげようと父を呼んだ。

 だが次に言うべき律子の正体は、喉につっかえてしまう。

 

 

 

 父親は、必死の形相で、身支度を整えていたからだ。

 

 

「礼奈……! どこ行ってたんだ!?」

 

「その、お父さんごめんなさい……聞いて欲しい事が」

 

「あぁ……それより礼奈ッ!!」

 

 

「それより」。一晩消えていた娘への心配は無いのか。その違和感が、レナを愕然とさせた。

 

 

「お父さん……?」

 

「すぐに支度するんだ!……リナさんが、園崎に狙われているらしいんだ……!」

 

「…………え?」

 

「早くッ!! この村から出るんだッ!!」

 

 

 

 言っている意味が一瞬だけ、理解出来なかった。

 父の話を理解出来なかったのは、これが初めてかもしれない。

 

 

 彼はレナより、律子を優先している。

 

 

 

「……お父さん……!?」

 

「リナさんは今、二階に隠れている……! 良いかい? 園崎の人が来ても彼女の事は……」

 

「お父さん、聞いて……!!」

 

「さあ、早くッ!! 車に荷物を!!」

 

「聞いてッ!!」

 

 

 レナの叫びに、やっと父親の手が止まった。

 そのまま続けて、震える口で律子の正体を暴露する。

 

 

「あの人は……お父さんの事を愛していない……! あの人はお父さんを騙そうとしているんだよ!?」

 

 

 やっと告げられた。

 だが、父親は形相を厳しくさせ、レナへ詰め寄る。

 

 信じていないようだ、実の娘を。

 

 

「……礼奈。お前は何を言っているんだ……!?」

 

 

 憤怒し、語気を強めた、責め立てる声。

 レナの脳裏に、フラッシュバックする。

 

 

 

 離婚の原因は母親の浮気だった。

 その浮気相手の事を知っていながら、父親に黙っていたのはレナだ。

 

 その事を問い詰められた時のようだ。あの時も父親はこんな顔をして、レナを殴った。

 

 

 

 

 恐怖が湧き上がる。言わなきゃ良かったと、妙な後悔まで。

 押し黙ってしまった隙に、父親はレナの肩を強く掴んだ。

 

 

 

「リナさんに騙されている……!? こんな時に、何言っているんだ……!!」

 

「ぅ……うう……ッ……!!」

 

「お前がリナさんに懐いていないのは聞いていた……けど、彼女の命が危ない時に……!」

 

「…………ッ!!」

 

「……そうか……また、お前は壊すのか……!?」

 

「ッ!?」

 

 

 心臓が痛くなる。

 

 

 

「ああ、そうなんだな……お前は前からそうなんだな!」

 

 

 握られている肩が痛い。

 

 

 

 

「……お前なんか……! こうなるんだったら、あっちの方に行っていれば……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 彼の言葉がレナの心を抉った。

 

 抉って抉って抉って、底の底まで到達した。

 ヒビ割れたようにも、まるで掘り返したようにも。

 ただ奥まで行く途中、今までの事が走馬灯のように巡っていた。

 

 

 幸せも、間違いも、「嫌な事」も、「良い事」も。

 

 

 

 

 

 深奥にあったモヤモヤが、抉った穴から噴き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば、父親の手を引き剥がし、頰へ平手をぶつけていた。

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 唖然とする父親の丸い目には、叩いた側だと言うのに酷く狼狽しているレナの顔があった。

 

 

「…………!!」

 

「…………礼奈……?」

 

 

 真っ直ぐ合わせた視線と視界。

 目と目、顔と顔。

 

 レナは大粒の涙を流していた。

 そしてやっと、自分の娘の異常に気付けた。その顔は酷く汚れていて、その服は酷く寄れていて、顔をクシャクシャに歪ませながら泣いていた事を。

 

 

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 彼女の言葉は、謝罪だった。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

 涙を拭う事はしない。

 流れ落ちるままだ。

 

 

「ごめんなさい……ごめんなさい…!!」

 

 

 

 一、二歩、後退り。自分でも何をしたのか分かっておらず、混乱していた。

 

 

「……礼奈……?」

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……!!」

 

 

 とうとうレナは駆け出し、家から出て行く。

 

 

「礼奈ぁッ!!」

 

 

 父親が急いで彼女を呼び止める。

 だが彼女はもう遠くまで、行っていた。

 

 

 

 

 

 階段を降りる音。

 

 

「……ね、ねぇ! もう準備は良いでしょっ!?」

 

 

 隠れていた律子だ。玄関先で呆然と立ち尽くすだけの彼の後ろ姿を、鬱陶しく思う。

 

 

「早く車出してよぉ……!! 私、殺される……!!」

 

「………………」

 

「ちょっと!? 聞いてんのッ!?」

 

 

 叩かれた頰を、触る。

 そして思い出した。

 

 

 

 自分は礼奈を殴った。怒りに任せて、殴った。

 その時も彼女は泣いていた。

 何度も何度も謝って、泣いていた。

 

 

 後悔したハズだった。

 何もなくなってしまう自分に、彼女はずっと寄り添ってくれたじゃないか。

 いつの間にか礼奈の幸せの為を、願い始めていたではないか。

 

 

 

 今、自分は何をしていた。

 また礼奈を──自分の娘を、支えを、泣かした。

 信じてやれず、出て行くその手を掴めずにいたではないか。

 

 

 

 

 

 律子が彼の背中を揺さぶる。

 

 

「早くぅ……!! 死にたくないのぉ……!!」

 

 

 

 彼はくるりと、振り返る。

 そして一つの質問をした。

 

 

 

 

 

「……君の正体は、なんなんだ?」

 

 

 

 律子の目が丸くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──午前の診察が終わり、夕方まで休憩だ。

 淹れたコーヒーを飲み、ずっと抑え付けていた逸る気持ちにやっとの事で向き合う。

 

 

「……沙都子ちゃん……」

 

 

 入江は所内から、空を見上げる。

 誰もいない待合室に座り、上田が沙都子を連れ、ここに来るその時を待つ。

 

 

 

 約束した。

 沙都子を助け出せたら、真っ先にここに連れてくると。傷付いた彼女を診察してもらうと。

 

 

 だからそれまで、彼は待っていた。

 笑顔の沙都子がやって来るまで。

 

 

 

 

 

「……入江先生」

 

「おお!?」

 

 

 物思いに耽っていた為、背後にいた鷹野に気付かなかった。

 驚きで身体が跳ね、立ち上がった拍子にコーヒーをこぼしてしまう。

 

 

「うわわ!? やった!?」

 

「あぁ……もう、何しているの!」

 

「す、すいません! あぁ、ボクがやりますんで!」

 

 

 ハンカチを取り出し、染みを拭う。そんな彼へ呆れながらも鷹野は告げる。

 

 

 

「仕事の方も気にして欲しいわね」

 

「…………」

 

「楽しんでばかりはいられないのよ? 時間はないんだから」

 

「……分かっています」

 

 

 思わせ振りに微笑み、彼女は診療所の奥へ。

 一人残された入江は唇を噛み、また座り込んだ。

 

 

 染みのついた白衣を脱ぐ。ふと真っ白のものなんかこの世に無いのだろうかと、思ってしまう。

 それでもただ入江は、今はひたすら信じるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっちなのです!」

 

 

 神社から暫く歩き、上田と梨花は北条家前へ。

 雛見沢村に於いて有力な家系だったともあり、なかなか大きな家だ。

 

 

 上田は到着したと同時に颯爽と飛び込み、戸を叩く。

 

 

「沙都子!! いるなら出てきてくれッ!! 俺が来たぞー!」

 

「沙都子! 出て来て欲しいのです!!」

 

 

 二人の必死の呼び掛け。

 鉄平が出て来たのなら対処すると上田が言った為、恐れる事なく声を出せた。

 

 

 

 何度も何度も、「沙都子」と叫ぶ。

 暫くすると内側から、廊下を歩く音が聞こえ、それが玄関先まで近付いて、戸を開く。

 

 

 

 現れたのは──

 

 

 

 

「沙都子……!」

 

 

 

──変わり果てた、彼女の姿。

 前に見た快活さは顔から面影と共に消え失せ、濁った目と悪い顔色と、暗い影を落としていた。

 

 

 だが梨花と上田の姿を見て、目に少し、闇夜の中の蝋燭のようだが微かな光が宿る。

 

 

「梨花に……上田先生……!?」

 

「なんてこった……! おい、大丈夫か!? ほら、野菜を食べないからそうなっちまうんだ! 完全に貧血の見た目だ!」

 

 

 沙都子の憎まれ口を期待したが、出て来たのはか細い謝罪だった。

 

 

 

 

「……ごめんなさい……」

 

 

 謝罪の意味が分からず、梨花は震えた声で返した。

 

 

「…………なんで謝るのですか?」

 

「……もう、そっちに帰れませんの……」

 

「沙都子……?」

 

「……お声掛けが遅れました。私はこっちに暮らしますわ」

 

「…………」

 

 

 ああ、やっぱりそうだと、梨花の心にまた諦念が燻り始めた。

 だがそれを、意思の力で払う。

 

 

 もう後悔したくない、間違えたくない、見殺しになんかしたくない。

 頭の中がそんな決意に満ちつつあった。

 

 

 梨花はこの日、自分に素直になると決心した。

 

 

「もう……良いのですよ……」

 

「……え?」

 

「……どうして……自分にばかり罰を与えようとするのですか」

 

「梨花、私はそんな……平気ですわ。こっちのでの生活も、悪くはありません」

 

「嘘つきは上田で十分なのですっ!!」

 

「おう!?」

 

 

 不意打ちされて驚く上田を余所に、梨花は大きな声で捲したてる。

 自分でも、こんなに話せたんだと思うほどに、言葉や沙都子との思い出が連々と舌から放たれた。

 

 

「っ!?」

 

「沙都子はずっと、頑張って来たのですよ! 頑張って頑張って、頑張り続けて……ボクはそんな沙都子の強さに憧れているのです!!」

 

「……私はちっぽけで、弱いですわ」

 

 

 

 梨花は必死に首を振る。

 それは彼女の言葉を否定するものではなかった。

 

 

 

 

「ちっぽけで弱いのは……ボクだってそうなのです……!」

 

 

 堰を切ったように梨花は、そこからは思いの丈を捲し立て始めた。

 

 

「沙都子は確かにお野菜苦手だし、その癖に得意料理は野菜炒めだけだし、泣き虫だし、お茶は渋過ぎる!!」

 

「確かにあの渋さは考えた方が良い」

 

「でも……でも……!」

 

 

 空に浮かぶ雲のように当たり前に感じていたのに、まるで違った世界のようだ。

 梨花の心に一点の曇りはなく、ずっとここまで抱いていた不安はどこかに行った。

 

 

「すぐに笑って、精一杯……ボクを手を引いて歩いてくれるのです……」

 

 

 晴れ渡り、夏の始まりを予感させる、大きな入道雲。

 それを一緒に眺めて来たのだろ。

 

 

 

 

「……いつもボクより早く起きて、朝食を準備して……ボクの手を引いて、暗い部屋から朝日に連れ出してくれる……それにボクはどれだけ救われたのか……」

 

 

 思い出が巡れば巡るほど、涙が溢れ出す。

 

 

「……してくれただけじゃない。ボクだって、やらなくちゃ……」

 

 

 その「思い出」は一年、二年、三年、四年五年六年……ずっとずっと、連続して行く。

 先に行けば行くほど記憶は断片的。だけど、それを必死に掻き集めてみせた。

 

 

 

 

「……ボクは沙都子を見て来た。だから知っているのです……あなたの苦しみや、辛さを」

 

 

 少し雰囲気の変わった彼女の口調に、沙都子は驚いたような顔を見せる。

 

 

「でも挫けなかった。喪失も苦難も、沙都子はそれを抱えて歩いて来た。でも、抱えるには重過ぎて……いつしか、その重さを罪だと思ってしまった」

 

「……ッ!」

 

「……あなたの過去は決して、あなたのせいじゃない……すぐにはそう考えられない、認められなくても良い。ならせめて、あなたの悲しみを……私にも抱えさせて欲しいのです……」

 

「り、梨花……」

 

「ボクだって沙都子に救われた……だからボクも、沙都子を救いたいのです」

 

 

 目を背けてしまう沙都子だが、梨花はそれを許さない。

 眼前まで近付き、顔を押さえ、無理やり目を合わさせる。

 

 

 

 

「沙都子……ボクたちは、親友でしょ……!? その苦しみを私にも、抱えさせて……一緒にまた……みんなと遊びましょう……?」

 

 

 声が震え、次第に喉に力が入って行く。

 固まった喉からは声は出ず、か細い嗚咽。泣き出してしまった。

 

 

 

 呆然と彼女を見るだけの沙都子に、黙って見ていた上田が続ける。

 

 

 

「……沙都子。強さってのは、我慢する事だけじゃない。思いの丈を言う事もまた、強さだ……」

 

「…………」

 

「……梨花は本心で話した。次は、お前の番だ……さぁ。本当の事を教えてくれ……」

 

 

 

 その目に、光が宿る。

 暗い夜が終わりを告げ、黎明を迎えたかのようだ。

 

 上田に促され、沙都子は目を泳がせながら、何か言わねばと口を開き始める。

 

 

 

 

「……わ、私……私は……!」

 

 

 

 

 二人の顔が綻んだ。

 だが、障害は最後にやって来る。

 

 

 

 

 

「沙都子ぉッ!! 誰かおるんね!?」

 

 

 家の奥から、寝癖のある鉄平が飛び出して来た。玄関での騒ぎを聞き付け、昼寝から目を覚ましたようだ。

 再び沙都子の目から光が消えた。

 

 

「ひっ……!」

 

「おお!?……あん時……!」

 

 

 鉄平が梨花の姿を捉え、舌打ちを鳴らす。

 

 

「まぁた沙都子、誑かしに来たんか!?」

 

「お、おじさま……!」

 

「沙都子!!」

 

 

 梨花は叫び、家に戻ろうとした彼女を引き留める。

 

 

「……私から絶対に目を離さないで」

 

「え? り、梨花……?」

 

「何やっとんじゃタワケがッ!? また蹴られたいんか!?」

 

 

 背後から近づく罵声と怒号。

 怯えて震え、すぐに戻らなければと沙都子は思う。

 

 

 でも真っ直ぐと視線を奪う梨花を見ていたら、頭の片隅で「もしかしたら」と希望が照り出す。

 

 

 

「お前も離れんかいッ!!!!」

 

 

 

 鉄平の腕が沙都子に伸び、肩を掴んで無理やり引き摺り込もうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 その腕は、戸の死角から現れた何者かの手によって逆につかまれてしまい、外に引き出されてしまう。

 

 

「な、なんじゃぁ!?」

 

「お前が沙都子の叔父か」

 

「誰じゃおま……うっ!?」

 

 

 そこにいたのは自分より大きく、筋骨隆々とした男──上田。

 そんな男が自分を見下ろしている。とうとう鉄平は怯えを見せた。

 

 

「……沙都子の叔父なんだな?」

 

「ほ、ほうじゃ! さ、沙都子とワシは、家族じゃ……! 法的にも認められとるわ!」

 

「つまりお前は沙都子の親って事だな。親は子に対し、扶養義務がある……この時間は学校のハズだろ? 学校にも行かせないのなら、それは親の扶養義務に反するッ!!」

 

「きょ、今日の沙都子は、調子が……!」

 

「調子悪い子に家の番をさせて、怒鳴りつけるのか?」

 

「ウチのシツケにケチつけるんかのぉ!?」

 

(しつけ)って字を書いてみろッ!!『身を美しくする』と書くだろッ!? 支配する事ではないんだッ!!」

 

 

 上田が、梨花と沙都子の前に立つ。

 絶対に二人には指一本触れさせるつもりはないと、鉄平の前に塞がる。

 

 

「……裁判所に申告し、沙都子を証人にしてお前の親権を停止させる。……しかもどうやら梨花を蹴ったようだな。それはもはや『暴行罪』!! そんな危険な奴に……親の自覚がない奴に、親になる資格はないッ!!」

 

 

 

 言い放った。

 

 

 だがこれで下がる男では無いと分かっている。

 鉄平は明らかな殺意を込め、睨み付けた。怒りが勝り、もう上田への怯えはなくなっている。

 

 

 

 

「……上等じゃあ。ぶっ殺してやるからのぉ……!」

 

 

 ポケットから取り出したのは、折り畳みナイフ。

 ギラリと刃を輝かせ、上田の前に突き付けた。

 

 逞しい身体つきの上田とは言え、凶器を持つ人間に敵うのか。危険を察した梨花は上田に注意する。

 

 

「上田!? 危ないのです!!」

 

「おぉ!? 逃げるんか腰抜けェッ!?」

 

「………………」

 

 

 上田は立ちたちはだかったまま、逃げも構えもしない。鉄平を睨んだまま、動かない。

 

 

 

 

「……梨花。沙都子」

 

 

 二人の名を呼ぶ。

 彼は、やるつもりだった。

 

 

 

「俺の戦う姿を……」

 

 

 

 一歩、鉄平に近付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見ないでくれ」

 

「……え?」

 

「あっち向いてろ。こんな奴に、拳を使うまでもない」

 

「ワシを舐めとるんか!?」

 

 

 なぜか二人に忠告させる上田。

 何が何だか分からないが、梨花は沙都子を引っ張り、後ろを向かせる。上田と鉄平が何をするのかは分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 聞こえるのは、声と音のみ。

 

 

「ぶっ殺してやるからのぉ!!」

 

「……フンッ! 武器を使うのは弱い奴の証ッ! 武器なんか捨ててかかって来いッ!!」

 

「なんじゃとぉ!?」

 

「俺は……自分の身体一つで、戦う……来いよべネット……!」

 

「ベネットって誰なんじゃぁッ!? ふざけおってからに……! テメェなんか怖くねぇ……! 野郎ぶっ殺してやらぁぁぁぁッ!!」

 

「待てッ!!」

 

 

 なぜ待たすのかと、疑問に思って振り向きかける梨花。

 声が止み、今度は音が鳴る。

 

 

 

 

 

 

 ジーッ。

 

 

 ゴソゴソ。

 

 

 パサッ。

 

 

 ストンッ。

 

 

 ボロンッ。

 

 

 

 

 

 

「あ……あぁ……あぁ……ッ!!」

 

「……ほぉら!」

 

「ああああああああああッ!!??」

 

 

 

 聞いた事のない鉄平の絶叫が響く。

 次にはバタバタ逃げる音が鳴り、一人の気配が消えた。

 

 

 

「鉄平が逃げた……? 上田、やったのですか!?」

 

「待て待て待て待て待て!? まだ振り向くなッ!!」

 

「は?」

 

「よぉし……ホッ……ベルトが嵌らないな……買い替え時か……おうっと、ポジションが……良し、いいぞぉ」

 

 

 振り返ると、何も変わったところのない上田が、してやったり顔で立っていた。

 癖かどうかは知らないが、ズボンをずり上げている。

 

 

「上田、一体……どうやったのですか……?」

 

「はっはっは!『男の器』だよ!」

 

「…………意味が分からないのです」

 

「まぁ、奴は大した事ないな! 生物学的に声のデカい奴ほど小さいって聞くが、あれじゃタカが知れるぜ!」

 

 

 

 

 改めて梨花は、沙都子へ目を向けた。

 

 そこにいるのはもう、暗く、絶望に染まっていた彼女ではない。

 信じられないと言いたげな丸い目は、年相応に幼い。

 

 

「……沙都子。もう、自由なのですよ」

 

「……梨花」

 

「……ボクたちの勝ちなのです」

 

「……りかぁ……りかぁあ……!!」

 

 

 涙を流し、抱き着く沙都子。

 穏やかな表情でそれを受け入れ、頑張って来た彼女を労う。

 

 

 そんな二人を見て、上田も鼻をすする。

 

 

「……上田、泣いているのですか?」

 

「グスッ……な、泣いていないッ!! ドライアイなんだ!」

 

「………………ふふっ!」

 

「……なんだ、何がおかしいんだ?」

 

 

 目からは涙の痕がある。

 でも今の梨花は、満面の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

「上田はやっぱり、嘘つきなのです。にぱーっ☆」

 

 

 

 

 その笑顔を見て、拗ねた表情で顔を背ける。

 

 

 

 二人から見えないところで、上田も笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上田から逃げた鉄平は、道をひた走る。

 

 

「クソが……!! 覚えてやがれよ……!!」

 

 

 夜になれば奴らは眠る。

 その隙に仲間を集めて襲撃してやる。殺してバラバラにして、沼に捨ててやる。

 強烈な殺意を抱きながら走り、ある所で石垣を曲がった。

 

 

 

 

 

「どこ行くんですかぁ?」

 

「うげっ!? てめぇは……!?」

 

「フンッ!!」

 

 

 角で待ち構えていた何者かに腕を掴まれ、地面に突き倒される。

 その上にのしかかられ、鉄平は動けなくなった。

 

 

「ナイフですかぁ……こんな物を持ち歩いちゃ、銃刀法違反ですかねぇ?」

 

「な、なんめテメェがここにおるんじゃ!?」

 

 

 のしかかったまま彼は、淡々と述べた。

 

 

 

 

 

「銃刀法違反及び、『恐喝』と『麻薬の使用と所持』の疑いがある。署まで、ご同行願いますよ?」

 

 

 

 その男は警部補の、大石であった。

 少し離れた先に覆面パトカーが停められており、その中から詩音が出て来る。

 

 

 見た目は詩音ながらも、彼女は腰に手を当てて豪傑のように笑う。

 

 

「……あっはっは! なぁんだ! 結構強かったりするぅ?」

 

「……全く。あんたの口車に乗せられちまうたぁ、こりゃ参った参った。今日は厄日ですよ!」

 

「まぁまぁ。治安維持に一役買ったんでしょお? 定年間際に検挙率上げられて良かったじゃーん!」

 

「…………二度と、あんたの話は聞きませんからね」

 

 

 呆れた顔で彼女を見つめ、名前を呼んだ。

 

 

 

「……『園崎魅音』さん」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪怯れ

 正午、昼食を済ませた大石は、腹を摩りながら食堂を出る。

 

 

「…………ん?」

 

 

 そんな彼の前に現れたのは園崎詩音だった。

 

 

「……やっぱりここにいた。最近、ここの食堂にあんたが来るって、聞いていたよ」

 

「園崎詩音……んんん? あんた、もしや……!?」

 

 

 見た目は詩音でも、口振りと態度で、大石は察した。

 彼女は間違いない。園崎家次期頭首候補の、「魅音」だと。

 

 

「……これはこれは驚きですなぁ! 本当に、園崎魅音さんで?」

 

「魅音として来たら、どこで見られるか知れないからね。婆っちゃにグチグチ言われかねないし……背中、見る?」

 

「ここで事案を発生させて、冤罪着せるつもりですかぁ? やる事少し小狡いんじゃないですか?」

 

 

 いつも通りの、のらくらした話し方。だがその目は、ターゲットを定めた鷹のようだ。

 

 

 

 大石は、異常なまでに「鬼隠し」の事件に入れ込んでいる。

 村に来ては園崎の動向を聞き回り、酷い時は組員内の連携を崩すような話を流したりもする。彼は園崎きっての、要注意人物だった。

 

 

「それで、何しに私の所へ? 過去の事件を白状してくれたら、私の刑事人生に華を添えられるんですがねぇ?」

 

「お願いしに来た」

 

「…………お願い?」

 

「北条鉄平の余罪を調べ上げて」

 

 

 大石の顔に、困惑が現れる。

 

 

「……あの男か。また、帰って来たみたいじゃないですか。帰って来ただけじゃ、罪になりませんよ?」

 

「だからあんたが罪を探してよ」

 

「魅音さん、どう言う事か知りませんがねぇ……」

 

 

 彼女へ歩み寄る。

 何倍も大きな図体を誇示させ、睨み付けた。

 

 

 

 

「……私が追っているのは、鬼隠しだけですよ」

 

「………………」

 

「分かっていない訳はないでしょう? そっちが疑われている事ぐらい……こっちを貶める罠かもしれないのに、のこのこ『はい調べます』って言うと思っていたんですか?」

 

「……北条鉄平は、絶対に隠れて犯罪をしている。それを取り締まるのも、警察の勤めでしょ」

 

「知った事じゃない。鬼隠しとは関係ない……たかがチンピラ一人調べ上げるよりも、やる事があるんでねぇ」

 

 

 魅音は溜め息を吐く。

 

 

「……鉄平は沙都子を虐待している。下手をすればあいつ、殺すかもしれないよ」

 

「はっはっは! 今まで家絡みで北条家を攻撃していたそちらの言う事とは思えませんなぁ!」

 

「もし死んだら、綿流しまでに刑事人生終わるんじゃない? 事件を未然に防ぐ……職務怠慢?」

 

「犯罪組織にそう言われるたぁ、皮肉ですねぇ? 私にとっちゃ、その北条鉄平と園崎は似た者同士……なんなら、鬼隠しの事を白状してくださりましたら、動いてやらん事もないですよ?」

 

「ウチは鬼隠しと関係ないし、沙都子は園崎とも関係ない」

 

「そうですか。なら無理ですね。他を当たってください……んふふふ! 他がいればですがねぇ!」

 

 

 踵を返し、魅音から離れる大石。

 次に呼び止められようが、大石は聞く耳を持たないつもりだ。

 

 明確な敵意を背中で語り、興宮署へ戻ろうとした。

 

 

 

 

 

「……なぁんで、私が魅音として来たか分かる?」

 

 

 聞く耳は持たず、大石は足を止めない。

 

 

「そう言ったら、園崎相手のあんた絶対ボロボロ言うじゃん」

 

 

 尚も止めない。

 

 

 

 

「……『ことしつ』? 取っちゃったよ〜〜ん」

 

 

 

 ことしつ、言と質。「言質(げんち)」。

 その言葉に気付いた大石はハッと、とうとう足を止めて振り返った。

 

 

 

 

 

 

 イタズラっぽく笑う彼女の手には、録音機器「プレスマン」が握られていた。

 

 

「……あっ!?」

 

「ええと、何て言ってたっけ……私がぁ〜沙都子は園崎と関係ないって言ったのにぃ〜、犯罪者が一人の女の子を痛め付けているって垂れ込んだのにぃ〜〜……なら無理ですか、他を当たって、他がいれば〜?」

 

「……なんてこった」

 

「もし沙都子になんかあったら、テープ複製して匿名で記者とか、色んな所に送っちゃおうっと!……そしてその日の新聞の見出しはこうッ!『興宮署ベテラン刑事、職務怠慢で女児を見殺し! 救えた命、救えず終い』ッ!!」

 

 

 プレスマンを仕舞い込み、ニヤニヤ笑う。

 

 

 

 

 早計だった。

 憎き園崎家の跡取り娘を前に、怒りと憎悪を押し留められなかった。

 自分の言葉を取られ、本当にメディアに送られたのなら、自分は糾弾されて刑事人生は定年前に終わる。

 

 

「……ええ。さすがは園崎家、鬼ですなぁ……一杯、食わされましたわ……」

 

「ちょっと違う」

 

「ん?」

 

「……今日の私は、園崎家として来たんじゃない」

 

 

 彼女の目は、とても真っ直ぐだった。

 純粋で、曇りなく、まだまだ青いが希望に輝いている。その輝きに驚き、大石は目を瞬かせた。

 

 

 

「……『沙都子の友達』として来た。友達を助けて欲しい……あんたしかいない」

 

 

 園崎家の跡取りとして、してはならない事を彼女はする。

 それは警察に、「頭を下げる事」。

 

 

 

「お願い……沙都子を助けて……!」

 

 

 

 

 大石は魅音の手前、ただただ立ち尽くすのみだった。

 目の前にいる少女は、ひとりの友達思いな少女でしかない。

 

 

 その事実が彼の心を惑わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以上のやり取りにより、半ば脅迫された形で大石は、鉄平の周辺に関する事を捜査する羽目になってしまった。

 拘束した鉄平を立たせながら、詩音の格好をした魅音に報告をする。

 

 

「そんで調べたら……ひと月前に捕まえたヤクの売人が、鉄平に売った事を吐きましてねぇ! しかもどう言うタイミングか……彼の被害者を名乗る『男性』からの通報も!」

 

「被害者を名乗る男性?」

 

「んふふふ……そんでその通報によれば、この男は愛人と美人局やっていて、危うく犠牲になるところだったって話! その男性が言った『間宮律子』って女を調べたら、他に被害報告が見つかって、やっぱり北条鉄平の名前が出て来た訳でしてなぁ!」

 

「間宮律子……ん? どっかで聞いたなぁ……」

 

「こりゃ聴取の必要も無く、向こう数年は刑務所でしょうな!……暴れるんじゃない! ほら熊ちゃんたち、押さえて押さえて!」

 

 

 暴れる鉄平に手錠をかけて、覆面パトカーに押し込む。

 中にはもう二人の部下が控えており、鉄平は敢え無くお縄についた。

 

 

 

 

 一仕事終え、大石は部下らに聞こえないよう魅音に話し掛ける。

 

 

「……約束でしたよ。テープは私にくれると」

 

「うん。良いよ。はい」

 

 

 プレスマンからテープを抜き、大石に投げ渡す。

 

 

 

 

 だが、そのテープを見て、彼は愕然とした。

 

 

 

 

 

「……はぁ!?『西城秀樹のヤングマン』!?」

 

 

 パッと、魅音の方を見る。

 彼女が見せていたプレスマン。確かに大石も捜査に使う為、良く知っている物だ。

 

 

 

 

 

「これ、録音機能ないのよん」

 

 

 西城秀樹のCMを思い出す。

 アレだ、「ウォークマン」だと。

 

 

「………………」

 

「いやぁ、これは予想以上だわ。もうね、音が違う違う!」

 

 

 ヘッドフォンをつけ、別のテープを入れてなら音楽を聴き始める。

 その姿を見てあんぐり口を開けていた大石だが、次に吹き出して呆れ返った。

 

 

 

 

 

「……やっぱり、鬼じゃないですかぁ」

 

 

 

 

 一杯食わされた。

 目の前の少女は悪怯れる様子もなく、六月一日に出たばかりの、西城秀樹の新曲「ナイトゲーム」を聴いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 大石らの車を見送り、魅音はウォークマンを切る。

 ヘッドフォンを外してから、ふぅ、と息を吐いた。一仕事終えられ、肩の荷が降りる。

 

 

「……これで沙都子は助かった……よ、良かったよぉ……!」

 

 

 途端に脱力し、ヘロヘロとその場に座り込んだ。

 

 

 

「コラッ!!」

 

「うえ!?」

 

 

 背後から叱られ、飛び上がる。

 咄嗟に振り返り声の主を見やると、そこにいたのは魅音……の格好をした詩音。

 

 

「もう! 服汚れちゃうじゃないですか! 白いんだから、泥とか目立つでしょ!」

 

「し、詩音……あ、そっか。もう下校時間か……」

 

「……結局、誰もこなかったから部活はお休みにしときましたよ。圭ちゃんレナさんも……心配ですね」

 

 

 不安げに、いなくなった二人を探すように辺りを見渡す詩音。

 そんな彼女の不安もまた、魅音も同じく抱いていた。

 

 

 

「取り敢えず沙都子は助かったし……組の人使って探させるよ。三億の件でゴタゴタだけどね……」

 

「梨花ちゃまに報告しに行きます? このまま入れ替わった状態で!」

 

「いや、戻ろうよ一回……」

 

「どこで着替えるんですか。まさかここで? うら若き乙女が路上でお着替えするなんてそうな……」

 

「しないってば!! 学校で着替えよっての!」

 

 

 このまま沙都子らを見に行きたい所だが、入れ替わりを解除する為に学校へ。

 詩音は縛っていた髪を解き、そのヘアゴムで魅音は髪をくくる。お互い、この髪型の方がしっくり来る。

 

 

「どう? 久しぶりに入れ替わったけど……詩音、バレなかった?」

 

「平気平気! 全く! バレるのバの字も無かったですよ! 口調も真似したし、先生から出された質問は全部外したし!」

 

「それは全部正解してよ!?」

 

「そんな事したらバレちゃうじゃん。オネェの仕草から頭まで、ぜーんぶダビングしなきゃ」

 

「頭って言った今!?」

 

「そう言えば前に圭ちゃん、オネェの事『園崎の頭の悪い方』って言ってましたね」

 

「は、はぁ!?……あいつ、帰って来たら二分の一殺しにしてやる……!」

 

「分数分かるんだ! 凄い!」

 

「うがーっ! やめろーっ!」

 

 

 鈴のように笑う詩音に、不貞腐れる魅音。

 六秒間の沈黙の内に、二人の対称的な表現は儚げと安堵を帯びさせた、同じ顔になる。

 

 

「……ねぇ、詩音」

 

「なぁに?」

 

「……意外だったんだけどさ。詩音がバーッて沙都子の所に行かず……私の所に来るなんて」

 

「…………」

 

「……どうしたの?」

 

 

 詩音はぼんやり視線を落とし、儚く微笑む。

 

 

「……葛西に言われてましてね」

 

「そう言えば葛西が教えてくれたって……」

 

「こう言われたの」

 

 

 

 

 

 エンジェルモートに来た葛西。

 注文したデラックスパフェを詩音が運び、置かれる。彼の胸ポケットには、ひっきーがぶら下がっていた。

 

 

「……いや、申し訳ありません」

 

「仕事だから気にしないでって!」

 

「…………」

 

「……いつもの怖い顔がもっと怖くなっていますよ?」

 

「あまりからかわないでください……詩音さん、よろしいですか?」

 

 

 葛西はスプーンを持たず、神妙な面持ちで告げた。

 周りにいる他の客はずっと蕎麦を啜っていて、こちらを気にしていない。

 

 

 

 

「……北条鉄平が帰って来たようです」

 

 

 その報告を聞いた瞬間、詩音の頭は真っ白になる。

 

 

「……北条沙都子を連れ戻したとも」

 

 

 反対に顔色は真っ赤に染まる。

 給仕用のおぼんを、その場に叩きつけかけてしまった。それほど瞬間的に怒りが抑えられなかった。

 

 

「……これは全て、上田先生から聞きました」

 

 

 

 

 

 上田の名前が、冷静さを取り戻す要因だった。

 確か村に来ていた学者だと、沙都子たちと水遊びしていたと、思い出す。なぜ彼がそう報告したのか。

 

 葛西は続ける。

 

 

「あの方は北条沙都子を連れ戻そうと……こちらに協力を依頼しました」

 

「……なんで。村の人でもないのに……」

 

「鬼隠しの一件も知っておられるようですし……恐らく、北条家の事情を知っていられたのでしょう……こう言っておられました」

 

 

 取り押さえられながも、必死に叫ぶ上田の声。

 その言葉は、不覚にも葛西の心を揺すったようだ。

 

 

 

 

 

『その子の親がした過去だとか因縁だとかッ!……それを勝手に負わして……! 何になんだッ!!』

 

『……もう……もう良いだろ……ッ!!』

 

 

 

 

 

 恥ずかしそうに頰を掻く。

 

 

「ああ言った男と言うのは……近頃の若い衆にも見かけないもので……堅気なのに大した男ですよ」

 

「上田先生……なんで、そこまで……」

 

「……園崎家としては残念ながら拒否されました」

 

「……鬼婆らしいわ」

 

「……だから私はここに来ました」

 

「え?」

 

 

 パフェ用の長いスプーンを手に取る。

 

 

「詩音さん。あなたなら……北条沙都子を救えると思えるんです……しかし、決して一人でしようとは思わんでください」

 

 

 ホイップクリームをケーキとストロベリームースに絡めて、掬った。

 

 

「……私の立場では、出来ませんから。私に出来ない事が、『二人』には出来るハズですので」

 

 

 一礼し、掬ったそれを食べる。

 彼の話が終わった事を悟り、すぐに詩音は着替えてバスに飛び乗り、村へ向かった。

 

 

 頭の中は相変わらず、怒りと憎悪で満ち満ちている。

 しかしその感情の裏には、魅音の存在がキチンと立っていた。

 

 葛西の話を聞いて真っ先に彼女が思い浮かんだ。だから、会いに来れた。

 

 

 

 

 

 

「……勿論。オネェが何も思い付かないなら、一人で行こうって思ったけど」

 

「……葛西さんめぇ。その『二人』って、絶対私の事だったろぉ……」

 

「今だから思うけど、乗せられちゃったっぽいかなぁ〜……昔から意地悪に関しては口の上手い人だったし」

 

 

 話を聞きながら、妙な因縁だなと魅音は思った。

 

 沙都子の危機を上田が知り、園崎に頼ろうとしたから葛西が知れた。

 葛西の立場では無理な為、彼は身の軽い詩音に頼り、その詩音が魅音を頼った。

 

 

 それで終わりではない。

 自分も、園崎の敵である大石を……少し騙したとは言え、頼れた。

 

 

 連鎖、それはまるで各々が持つ糸を、互いに引き寄せあうかのような。

 だが三億円の事件を解決した山田を知る魅音にとって、最初の糸を握ったのが上田だった事が興味深かった。

 

 魅音の頭の中には、東京から来た奇妙な客人二人が浮かぶ。

 

 

「……あの二人。ほんと、何者なんだろね」

 

「あの二人……あぁ。山田さんと上田先生?」

 

「うん……山田さんにも助けられたからさ。色々、縁があるなぁって」

 

「へぇ〜! オネェ、実はあのお二方こそオヤシロ様の遣いだったり? 身分を偽って、不幸から救いに来た……」

 

「なに言ってんのさ……東京から来た普通の旅行者だよ」

 

「でもマジシャンと大学教授って、なかなか無い組み合わせじゃないですか?」

 

「……それは思う」

 

 

 詩音の冗談は置いておく。

 

 陽は落ちかけて、遠くの方から夕焼け色に差し掛かる。

 だが安心していられない。行方不明の圭一と、無断欠席のレナ。問題はまだ存在していた。

 

 

 

 

「……アレ?」

 

 

 前方を走る車に、魅音は注目した。

 運転席にいたのは、見慣れた人物だったから。

 

 

 

 

「……監督じゃない? 今の……」

 

「え? 監督って……入江先生? この時間は午後診察でしょ?」

 

 

 胸騒ぎがする。

 二人は互いに見合わせ、阿吽の呼吸で車の向かった方へ駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現場監督を尾けていた富竹。

 鉄橋を登り、工事現場の上層へと向かう。

 

 

「……上にいるのか?」

 

 

 作業員らの数は段々と減って行く。

 バレないよう一定の距離を保ちながら、尾行を続けた。

 

 

 

 

 

 しかしそこで、問題に気付いた。

 自分の後ろに、もう一人の作業員が近付いている事に。

 

 

「…………!」

 

 

 しまったと、肝が冷えた。

 明らかに進む方向は同じかつ、工事作業をすると言った様子には見えない。

 

 

 

 バレたのだろうか。

 どうしようか思考を巡らす内に、その作業員は富竹の肩を掴む。

 

 

 

「おい」

 

「…………!」

 

 

 

 

 こうなれば攻撃もやむを得ない。

 そう考え臨戦態勢を取ろうとした彼だが、寸前に止まる。

 

 

 

「早く行けよ。三億だぜ?」

 

「…………え?」

 

「ほら! 早く!」

 

「え? あ、そ、そーっすね!」

 

 

 

 バレていない所か、仲間に間違えられている。

 

 

 

 

 

 

 そのままハラハラしながら、仲間と思われながら昇り切ってしまった富竹。

 作業中の現場にある、通廊口。まるでコンクリートの洞穴のようなそこへ、入り込んだ。

 

 

 

 気付けば背後には五人の協力者と思われる作業員が付いて来ていた。

 富竹にとって運が良いのは、寂しげな電球が唯一の光源で顔が見難い事と、作業員らの先頭の為にまず顔を見られない事だ。

 

 しかしバレるバレないの均衡は果てしなく危うい。

 緊張感で心臓を痛めながら、とうとう到着してしまった。

 

 

 そこにいたのは、この場に似つかわしく無い女、ジオ・ウエキだった。

 

 

「お待たせぇ〜! ジオジオちゃん!」

 

「お待たされぇ〜! ゲゲゲイちゃん! もうっ、遅いわよぉ! こんな暗い所で待ってるア〜タクシ、ひっじょーにキビシーッ!」

 

「……『財津一郎』?」

 

 

 富竹が立ち止まり、その横へ作業員が並ぶ。

 圭一の言った通り、現場作業員らの協力者は全員で八人のようだ。

 

 現場監督は目の前にいるジオ・ウエキに尋ねる。

 

 

「それでジオジオちゃん……急に呼び出ししてどうしたのよぉ?」

 

「残念なお知らせがあります……アタ〜クシの信奉者情報によると、アタク〜シの妹は粛清不可避みたいなのよぉ」

 

「それがどうしたのん?」

 

「問題は園崎家がガッチリ、村の出入り口と興宮を監視してるらしいわ!」

 

 

 そう言えば妙に黒服の人たちがうろついていたなと、富竹は思い出す。

 丸ごと村が封鎖されていると言うのに、現場監督はどこ吹く風と言った様子だ。

 

 

「あたしたちのトラックかダンプ使えば余裕のよっちゃんイカじゃないの!」

 

「それは問題じゃないわ。ウチの不出来な妹が捕まれば、オシオキされるわ! そうなればあの子、絶対ゲロゲロするし……計画がバレちゃうわん」

 

 

 ジオ・ウエキは少し後ろに下がり、腰を曲げて何かに手を伸ばす。

 

 

 

 

「だーかーら、この……おっっも!!」

 

 

 傍らからジュラルミンケースを持ち上げ、全員の眼前に置く。

 富竹は確信した。あの見るからにお金が入っていそうなジュラルミンケースこそ、三億円の保管されている物だと。

 

 

 すぐに写真に収めなければと考えたが、困った事が一つ。

 

 

「……く、暗いし……静か過ぎる……!」

 

 

 薄暗いここでは、フラッシュを焚かなければ満足に現像出来ない。しかしフラッシュを焚けば、一瞬でバレる。

 勿論、焚かずに撮る事も出来るが、シャッター音は誤魔化せない。

 

 

 工事の音に紛れてやろうと考えていたが、ここは生憎、静かだ。

 困り果て、シャッターチャンスを逃してしまいそうになり、焦燥感だけが満ちて行く。

 

 

 

 そんな彼の焦りを、更に刺激するような事をジオ・ウエキは吐く。

 

 

「……ふぅ。ですので三億円、今から移動させちゃいましょ?」

 

 

 彼女の提案に、場はざわいた。

 

 

 

「ざわ……! ざわ……ざわ……!」

 

「え? ざ、ザワザワ……!」

 

 

 必死に富竹も、ザワつく演技をする。

 突然の取り決めに、仲間である現場監督も難色をしめした。

 

 

「ちょっとぉ!! もう一人の協力者がまだ来てないのよぉ? 折角、造園師の人を紹介して、ジオジオちゃんの格好をしてくれたのにぃん! 功労者じゃあないの! それに、あたしたちにも仕事があるのよ!?」

 

「でもこのままじゃ、バレバレになりますわ。アタクシ〜もそろそろ、この村とララバイバイバイしたいですし。そろそろお昼休憩でしょお? その隙に、ちょろ〜っと」

 

「無意味にトラック使っちゃ、現場のみんなに怪しまれるわよ?」

 

「幾らでも言い訳出来るじゃないのぉ〜!」

 

 

 現場監督は少し渋ったが、三億円の無事の方を優先したらしい。

 

 

「……んもう! 良いわよっ! 追加の搬入って事にすればどうにかなるかしら……」

 

「さすが、ゲゲゲイちゃん! ありがとっス! どーもしたッ!」

 

 

 富竹は内心で焦る。ずっと焦ってはいるが、更に焦る。

 圭一の心配通り、ジオ・ウエキはさっさと高飛びするつもりだ。だが予想外なのは、もうさっさと逃げる段階になっていた点だ。

 

 

「……どうしよう……」

 

 

 写真の現像には一時間程度かかるが、写真屋諸々は全て興宮。二時間以上はかかる。

 証拠写真を撮ったとしても遅い。富竹は諦めたように、俯いた。

 

 

 

 

 

 

「……ところでゲゲゲイちゃん」

 

「ん?」

 

「……なんか、一人多くない?」

 

 

 

 肝が冷える。

 バレた。顔はバレていないが、人数がバレた。

 

 

 

「……ッ!」

 

「そぉんな訳ないじゃあないのよぉ! ウチのセキュリティは万全……無関係者は一人も通さないわっ!」

 

「ほんとぉ?」

 

「証明したげるわ! 番号ーッ!!」

 

 

 作業員らが縦一列に並ぶ。

 富竹も瞬時に反応し、困惑しながらも何とか並んでみせた。

 

 

「行くわよぉ!! 一ッ!!」

 

「二ッ!」

「三ッ!」

「し、四ッ!」

「五ッ!」

「六ッ!」

「七ッ!」

「八ッ!」

 

「ほら! キチンと八で…………」

 

 

 現場監督、ジオ・ウエキ並びに、作業員らの顔色が変化する。

 

 

 

 

「……『四』? 四が……いる……?」

 

「!?!?」

 

 

 

 四番目は、富竹だった。

 彼らが四番を「永久欠番」にしている事は知らない。しかし、四を言った事がしくじりだとは察知出来た。

 蒸し暑いコンクリート洞窟が、一気に冷却したような気分だ。

 

 

「おかしい……! 四番目が、存在している……だと……!?」

 

「ゲゲゲイちゃん! 誰か紛れているわよ! 座敷わらし?」

 

「お座敷じゃないわよココはっ!……誰かいるんだなぁ?」

 

 

 作業員らがお互いを見合わせ始める。つまり、顔に注目し始めた。

 顔を見られたら一瞬でバレる。絶体絶命のピンチだ。

 

 

「四番は……誰だ……!?」

 

 

 現場監督が作業員らに近付き、顔を良く見ようとする。

 追い詰められた富竹。早鐘打つ心臓と、錯乱寸前の思考回路。

 

 

 どうする。

 どうする。

 どうする。

 どうする。

 

 

 

 

 

 窮鼠猫を噛む、と言う。

 

 

 

 

「…………お前かぁぁああぁあああッ!!??」

 

 

 富竹は、隣の作業員を思いっきり殴った。

 

 

「へ!?」

 

「こいつですッ!! こいつが、四番って言いましたッ!!」

 

「な、何ですって!? おらツラ見せやがれぇ!!」

 

 

 彼に殴られ、地面に平伏した作業員を、他の者がリンチする。

 富竹もそれに乗じつつ、その輪から一旦離れた。そしてごく自然な流れで、ジオ・ウエキの方へ。

 

 

「ぼかぁね! あの人をねぇ! 怪しい思っとったんですよねぇッ!!」

 

「なんでこっち来るの?」

 

「安全な所に持って行かねばぁぁあ!! お持ちしまっす!!」

 

「ちょっと……え?」

 

 

 更にごく自然な流れでジオ・ウエキからケースを受け取ると、一目散に通廊口の出口へと駆け出て行った。

 それを見送ったジオ・ウエキの隣で、リンチしていた男の顔を見た現場監督が叫ぶ。

 

 

「この子……知ってる子じゃないのッ!?」

 

「は? じゃあさっきケース持って行ったのは誰なの?」

 

「………………」

 

 

 善意がハッと顔を上げ、全速力で彼の後を追う。

 

 

「ま、待ちなさーーいッ!?」

 

 

 通廊口を出た彼らは、まだ鉄橋を降りている途中の富竹を視認し、即座に追いかける。

 

 

 しかしさすがに距離が空き過ぎていた上、通りかかる普通の作業員らを擦り抜ける彼の高い身体能力に、作業員らは全く追いつけない。

 その姿はまるで暴走機関車。

 

 

「や、ヤベーイ! ハエーイッ!? あれ誰!? 軍人!?」

 

 

 どんどん距離は離れて行き、あれよあれよで搬入口から逃してしまう。

 

 

「ぜってぇ逃がさねぇ!!」

 

「追え追えッ!!」

 

「……ッ!? ま、待ちなさいッ!!」

 

 

 現場監督が手を広げ、作業員らを止めた。

 

 

 

 そのすぐ前を、車が抜けて行く。その車は大石らの物だった。

 奇しくも偶然通った大石らの覆面パトカーが一瞬の足止めとなってしまい、彼らは富竹の姿をとうとう見失ってしまった。

 

 

「そんな……! 折角の三億円が……!」

 

「オシマイダーッ!!」

 

「おしマイケル……!」

 

 

 三億円は、奪い返されてしまったと悟り、現場監督と作業員らはヘナヘナと膝をつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヒィ、ヒィ……ま、まさか逃したの!?」

 

 

 息を切らしながら、ジオ・ウエキがふらりふらりと現れる。その形相は怒りに染まっていた。

 

 

「うぅ……! ジオジオちゃあ〜ん!」

 

「泣き言は良いわよ……ッ!!」

 

 

 被っていたハットを脱ぎ捨て、のしのしと歩く。後を恐る恐る付いて行く、現場監督と作業員ら。

 

 

「ど、どこ行くのぉ!?」

 

「どっから情報が漏れたのか……アタシ分かったわ……! とっとと殺しときゃあ良かった……!!」

 

「ヒィッ! ジオジオちゃんキレてる……!」

 

 

 演技振ったいつもの口調ではなく、怒りのあまり素の彼女が出ていた。

 流した大汗でグシャグシャになった化粧をそのままに、現場の隣にある森へ入って行く。

 

 

 

 着いたのは、圭一とレナを閉じ込めていた小屋。

 扉を蹴飛ばして入るものの、案の定もぬけの殻だ。現場監督は驚きの声をあげる。

 

 

「いない!? そんなぁ……!? ちゃんと縛ってたのに!?」

 

「……見なさい。ロープは片方切れていて、もう片方の分は切れていないわ……」

 

 

 ジオ・ウエキの指摘通り、一方のロープのみは結ばれたまま、形を保っていた。

 

 

「どう言う事なの?」

 

「縄抜けよ! あのガキのどっちかが縄抜けのやり方を知っていたのよッ!!」

 

「縄抜け……!?」

 

「古典的なマジックよッ!! そんでそれで逃げて、あの二人がアタシたちの情報を流したのよッ!!……ぐぅぅう……!!」

 

 

 髪を掻き乱すジオ・ウエキ。セットされていたのに乱れ、形相は化粧と共に歪み、まるで鬼女のようだ。

 文字通り、化けの皮の剥がれた彼女の本性──間宮浮恵の姿だろう。

 

 

「一体……!! どこの誰に……!!」

 

「…………」

 

「殺してやるわ……!! 三億はアタシの物なのよぉ……!!」

 

「……ジオジオちゃん。その、縄抜けは、マジックって、言った……?」

 

「ああそうよッ!!」

 

「…………」

 

 

 

 

 

 現場監督の脳裏に、ある光景が浮かんだ。

 作業員らの前で、マジックショーをする、一人の女マジシャン。

 

 彼女の登場と、襲撃者の存在。偶然だろうか。

 

 

「……いいや。絶対にあの女よ……」

 

「女……?」

 

「……ジオジオちゃん。首謀者が分かったわ! こないだ、貴女をインチキとか言っていたあの女ッ!!」

 

「あの女……誰?」

 

「貧乳ッ!!」

 

「……あ、ああ!? あの女ね!!……あいつ、マジシャンだったのか……!」

 

 

 首謀者が分かったのなら、彼女らにまた、希望が出て来る。

 浮恵と現場監督は、互いに不気味な笑みを浮かべた。

 

 

 

「……良いわ。上等じゃないの……! アタシを怒らせた罰よ……!!」

 

 

 

 乱れた髪と化粧と言う風貌も相乗し、この世の者ならざる雰囲気を醸し出す。

 不敵に笑いながら、彼女は狼狽える作業員らに宣言してみせた。

 

 

 

 

「うふふふふ……アタシに任せな。一瞬で見つけて……一瞬で三億取り戻してあげる」

 

 

 

 ひぐらしの鳴く声が、夕陽の訪れを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その少し前、ある事件が発生していた。

 

 

 

 放課後、レナの様子を見に来た、知恵先生。

 竜宮家を訪ねた時、まず異変に気が付いた。

 

 

「……あれ?」

 

 

 玄関口が、開きっぱなしだった。

 次にそこから外へ点々と続く、赤い痕。

 

 ペンキや絵の具、最初はそう思った。

 だがそれは血痕ではないかと、肝が冷える。

 

 

「……竜宮さん……?」

 

 

 知恵はゆっくりと、恐る恐る、玄関に入る。

 

 

 そして、真っ先に目に飛び込んだ光景へ、悲鳴をあげた。

 

 

 

 電話の受話器を握ったまま、倒れていたレナの父親。

 頭部から、赤黒い血を流していた。

 

 

 すぐに彼女は警察と、入江診療所へと通報する。




・「財津一郎」はコメディアンや俳優や歌手として活躍された方。「非常にキビシー!」や「許してちょうだ〜い」は昭和で流行語にもなった。現在は殆どテレビで見ななったが、唯一「ピアノ売ってちょうだ〜い」のCMで今も見られる。

・CDの曲で、表題曲を「A面」、カップリングを「B面」と呼ぶのは、アナログレコードの表裏をそう呼んでいた名残。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事過境遷

事過境遷(じかきょうせん) : 状況が変われば、心境も変わる。


 一方で山田と圭一。トランプタワーを作っている彼女の横で、圭一が据わった目で何かを語っていた。

 

 

「師匠。俺、思うんすよ。メイド服はミニスカより、やはりオーソドックスなロング丈が良いと。でも沙都子には、ミニになって貰いたいんす」

 

「はぁ」

 

「分かります? 我が救世主」

 

「いや全く」

 

「正直、いけすかない沙都子だけど、泣き顔とか恥ずかしがる顔はサイキョーに可愛いんすよ」

 

「はあ」

 

「入江先生がハマるのも良く分かるんです。こう、嗜虐感と言うか……なんと言うか、その、ゾクゾクするって言うか」

 

「へぇ」

 

「分かります? 御山田様」

 

「なんで一々同意を求めるんだ」

 

「だからミニスカ履かせて、こう、スカートを目一杯下げようとして赤面するのとか、最高だと思うんすよ」

 

「あれ、目の焦点が合ってない……」

 

「これが梨花ちゃんだとノリノリになりそうなんですよ。沙都子にしか出来ないんす」

 

「駄目だ。自分の世界に行ってしまわれた」

 

「今思い付きましたが、水着も良いっすよね。お師様」

 

「私の呼び名コロコロ変えるな」

 

 

 長い時間、ここで過ごしていた圭一の謎語り。

 それを聞きながらトランプタワーを作り続け、ようやっと二枚で完成する段階まで来た。

 

 

「よぉおおし……あともう少し……」

 

「梨花ちゃんと沙都子の水着姿、まだ見た事ないんすよね。絶対凄いと思うんすよ」

 

「おほほほほ〜、おほほ〜ほほ〜ほ〜」

 

「迷っているのは、フリフリの水着か、スク水か。ここが悩み所でして」

 

「ほほほほほほほ〜」

 

「勿論、布面積の話をしたらスク水は少ないんすけど、あのピッチリしたのが身体のラインを」

 

「ほほほほほ〜いおほほ〜いおほほ〜い」

 

「想像していたら滾って来たぜ。ひと段落したらエンジェルモートとプール行かなきゃ」

 

 

 

 カードとカードが立てられようとした。

 その時、勢い良く玄関のドアが開かれ、ツナギ姿の富竹が乱入する。

 

 

「僕は成し遂げたぞおぉぉぉぉぉぉおッ!!!!」

 

「フォイッ!?」

 

 

 衝撃で僅かに揺れるトランプタワー。山田は口から心臓が飛び出る思いだ。

 

 

「山田さんッ、圭一くんッ、僕はやったんですよ!!」

 

「止まれッ!! 入るなッ!!」

 

「え?」

 

 

 歓迎されるかと思いきや、山田から制止を言い渡された動揺する富竹。

 その横、圭一はまた語り出した。

 

 

「メイド服の話に戻すんですけど、魅音とレナに着せたいのは断然、オーソドックスなメイド服なんです」

 

「は?」

 

 

 三億円を取り返したと言うのに、山田はトランプタワーの心配、圭一は何か訳のわからない事を語りっぱなし。当惑した富竹は、呆然としながら後ろ手にドアを閉めた

 

 

 

 

 

 ちゃぶ台の真上にぶら下がっていた電気が落ちる。

 トランプタワーをメシャッと壊し、圭一と山田をマイワールドから引き上げた。

 

 

 

 

 

 

 

「ほら! 三億円です!」

 

 

 嬉々として富竹は抱えていたジュラルミンケースを、ちゃぶ台へ落ちた電気の上に開ける。

 キチンと中には本物の三億円がすっぽり収納されていた。思わず目が見開かれる圭一と山田。

 

 

「ま、ま、マジかよ……! こんな額見た事ねぇ……!」

 

「ちょ、ちょっと触るだけ……おーおーおーー! スベスベしてる……!」

 

「チャンスがあったんで……ふふふ! どうせならって取り戻しましたよ!」

 

 

 親指を立ててしてやったり顔の富竹に、山田は称賛を送る。

 

 

「仕事し過ぎですよ!! これで園崎家に返して……やっと金封を戴けるなぁ。もしかして三億円をくれたり……うきょきょきょきょ!」

 

 

 途端に富竹はパタンとケースを閉めた。山田の目に邪念が見えたからだ。

 取り返したのならばと圭一は意気揚々と立ち上がった。

 

 

「師匠! 早速返しに行きましょう!」

 

「いつ、あいつらの捜索があるか分からないからね」

 

「そうですね……あ、すいません。返す前に、金の匂いを嗅ぎたいです」

 

 

 早速園崎家に行こうとした三人。

 その時、妙な声が聞こえた。

 

 

 

 

 

「ムダムダ〜」

 

 

 

 

 

 かなり遠いが、聞き覚えのある掛け声。富竹が窓の方に目を向ける。

 

 

「なんか聞こえましたよ……?」

 

「多分雛じぇねですね。ジオ・ウエキのシンパばかりなんで、ここでやり過ごしましょうか。その間、金の匂いを……」

 

「ちょっとちょっと! お金が汚れたらどうするんですか!」

 

 

 またデモでもしているのだろうと、気にも留めない山田。雛じぇねの人間らがまさか、ジオ・ウエキが園崎の三億円を盗み、それを山田らが取り返したなんて知る由もないだろうと思っていた。

 

 

 

 

 

 

「ムダムダ〜」

 

 

 

 

 

 声がまた近づいて来た。圭一は少し緊張した面持ちだ。

 

 

「家の前を通りそうっすね」

 

「せめて、せめてひと嗅ぎ! アイアムスメルッ!!」

 

「アイアムスメルってなんスか!? マジック用語ですか!?」

 

 

 

 また、彼らの声があがる。

 

 

 

 

 

 

「ムダムダ〜ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 窓ガラスが割れ、石を投げ入れられた。

 そのまま更に沢山の石が一斉に投げ込まれ、窓ガラスを破壊して行き、驚いた山田は甲高い悲鳴をあげる。

 

 

 

「アァーゥオッ!?」

 

「師匠それマイコーっすよね!?」

 

「な、なんだ!?」

 

 

 

 外から聞こえる「ムダムダ」の合唱は段々と強まり、更には人数も増加。

 四方から石は投げられながら、お経のようなその合唱だけが不気味に響く。

 

 

「これ逃げないとマズイっすよ!?」

 

「富田 敬さんホラッ! 三億円持って!」

 

「富竹ですッ!! タイガーマスク!?」

 

 

 三人はこの異様な状況に身の危険を感じ、裏口からの逃走を図った。

 

 

 

 

 

 

 

「「ムダムダぁ〜ッ!!」」

 

 

 裏口を固めていたのは数十人の人間。

 雛見沢じぇねれーしょんず、と書かれた旗を掲げ、殺意にも似た憎悪を山田らにぶつける。

 

 

 彼らの存在に慄き、玄関から投げようと振り返るものの、その足さえまた止まる。

 

 

 

 玄関ドアを取り壊した雛じぇね構成員らが、家内に侵入。

 袋の鼠にされた。

 

 

「ちょ、ちょっとちょっと!? なんなんですか!?」

 

 

 アリクイの威嚇をする山田。

 三人、背中合わせに身を寄せ合い、迫る彼らを警戒する。

 

 

「し、師匠に手出しはさせねぇッ!!」

 

「山田さん! ここは僕たちがッ!!」

 

 

 

 彼女を守るように立ち塞がる富竹と圭一だが、さすがに多勢に無勢だ。あれよあれよで取り押さえられ、動きを封じられた。

 

 

「駄目でした……! 我が師匠……ッ!」

 

「富竹ジロウ……不覚ッ……!!」

 

「即落ち二コマかっ!」

 

 

 ツッコむ山田だが、彼女もまた捕らえられてしまう。

 手放してしまったジュラルミンケースもまた、没収された。

 

 

 

 三人が捕まった後、群衆は二つに割れて、何者かに道を譲る。

 その間を大手を振って歩き、山田の前に現れたのは、ジオ・ウエキだった。

 

 

「ジオ・ウエキ……!?」

 

 

 驚く圭一を一瞥した後、ジオ・ウエキは勝ち誇った顔で笑いながら、持っていた扇子の先を山田に向ける。

 

 

「雛見沢じぇねれ〜しょんずの情報網を駆使すれば、あなたが出入りしている空き家なんて速攻で見つけれますわ」

 

「え、私!?」

 

「あなた、作業員たちの前でマジックしたでしょ? んで、そこのガキがどうやら縄抜けマジックで逃げたっぽかったので……あなたの仲間ってすぐに分かりましたわ?」

 

「……しまった。『バケツ』掘った!」

 

「『墓穴』ですわよ」

 

 

 彼女のフィンガースナップに合わせ、構成員らが彼女らを縛り上げて連行する。

 もう手首だけを縛るなんて事はしない。身体をグルグルと結び、逃げ様がないようにした。

 

 

「し、師匠! この状態からでも抜けれる方法はあるんすか!?」

 

「準備なしじゃ無理かなぁ〜……」

 

「くそ……! 力不足か……! ジロウの名が泣いてしまう……!」

 

 

 連行される山田たちを眺めながら、ジオ・ウエキ……間宮 浮恵の笑い声が響く。

 

 

「今夜は、『イート・イット』ですわぁ!!」

 

「『ビート・イット』だろ!」

 

 

 山田が一瞬見た、浮恵の目。

 それは爛々と燃え盛り、理性は薄く……彼女が今まで見て来た「狂人」と同じ目をしていた。

 

 

 

 夕焼けの空になりつつある。

 最後の最後で、浮恵の執念に出し抜かれた訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「入江先生ー!」

 

 

 約束通り、沙都子を連れて診療所を訪れた上田。

 ずっと泣いていた沙都子だったが、道中で梨花に慰められ、今は落ち着きを取り戻していた。

 

 だが二日あまり緊張状態のまま過ごしていた彼女。その為、診療所まで運ぶ上田の背中で眠ってしまった。

 落ち着いた、安らかな寝顔だ。

 

 

「やりましたよ入江先生! この私、スーパーウルトラミラクルハイパームテキムゲンコズミックジーニアスの上田次郎・極が、沙都子を救いましたよー!」

 

「長いのです」

 

「鉄平との戦いは実に、白熱しました! 奴は銃を私に向けたのですが、咄嗟に私はこの右手で、銃弾を無効化したのです! それでも奴は抵抗を止めず、戦闘は一時間に渡り」

 

「どんな脳味噌してたらそんな誇張が出来るのです?」

 

 

 開かれた戸から出て来たのは、入江ではなく鷹野だった。

 

 

「……あら? 上田教授?」

 

「たたた鷹野さぁん!?」

 

 

 目からキラキラ星が流れる上田。

 

 

「上田。星、星」

 

「一体どうなされて……沙都子ちゃん? 少し窶れているように見えますが……」

 

「ええ! この話をすると長くなるのですが……そう、あれは、私がニュータイプとなり、沙都子の危機を察した所から始ま」

 

 

 話すつもりの上田の脹脛を蹴飛ばし、口を止めてやる梨花。

 

 

「良いから沙都子を運ぶのです!」

 

「こんにゃろぅ! 暴力系ヒロインは絶滅したと聞いたのにッ!」

 

 

 事情を察知した鷹野はすぐに治療の準備を始めてくれた。

 

 

「診察用のベッドがありますので、そこまでお願い出来ますか?」

 

「はぁい! 鷹野さぁーん!」

 

 

 ルンルンとスキップする上田は、入り口で頭をぶつけた。

 

 

 

 

 

 診察室まで運び、沙都子を寝かしつけてやる。

 穏やかな寝息をスゥスゥと立てていた。そんな彼女のひたいを、梨花は労わるように撫でた。

 

 

「沙都子……二日は虐待されていたハズなのです……」

 

「……そうね。脇腹を強く蹴られたみたいで、痣になっているわ。それに少し痩せている……ご飯もろくに食べてなさそう」

 

 

 鷹野は氷襄を持って来て、痣に当てて冷やしてやる。また脚部に切り傷が出来ていた為、包帯とパッドで止血した。

 

 

「骨が折れているとかは無さそうだし、応急処置で事足りそうね。また先生に詳しく診て貰わないと」

 

「そう言えば、入江先生はどちらに?」

 

「緊急の電話が入って、大急ぎで出ていかれました……詳しく聞く前に行ってしまって」

 

「そっちも大変そうですねぇ……なら帰って来るまで、待っておきますかぁ!」

 

 

 鷹野と一緒だとあり、やけに嬉しそうだ。

 梨花は彼を呆れながら見ていたが、助けてくれた恩人である事は決して忘れず、フフッと笑う。

 

 

「鷹野さんも村外の人で?」

 

「えぇ。入江先生とは縁あって、雇って貰えまして」

 

「あの……不躾なんですが……い、入江先生とは……その、こ、ここここここ」

 

「こ?」

 

「こここここっここ、こここ」

 

「みぃ。汚い鶏になったのです」

 

 

 どもり始める上田にツッコむ梨花。

 

 

「ここここここ……恋仲……だったり?」

 

「私と入江先生が? んふっ!」

 

 

 彼女は吹き出してから、耐え切れず愉快そうに笑う。

 

 

「アハハハ! いえいえ! そんな関係ではありませんよ! 尤も入江先生、研究とメイドと十代前半までの女の子以外に興味がございませんから!」

 

「改めて聞いたらなかなかヤバいのです」

 

 

 とは言え鷹野がフリーだと知り、上田は満面の笑みだ。

 

 

「そ、そうですか!……恋人なし。うひょひょい!」

 

「私の恋人は別の方です!」

 

「うひょひょ…………ひょ?」

 

 

 フリーではなく恋人がいると言う暴露を聞き、上田の笑みが真顔になる。目から溢れていたキラキラ星が、砕けてスターダストになった。

 恋人の件は梨花も知らなかったようだ。

 

 

「鷹野、恋人がいたのですか?」

 

「あっ、言っちゃった! なら、本邦初公開ですわね!」

 

「誰なのです? ボクの知っている人なのです?」

 

「梨花ちゃんは知っているわ。上田先生と同じ名前の人ね!」

 

「……俺と、同じ名前……同じ、名前……ジロウの名を冠する者……!!」

 

 

 何者か悟り、打ち震える上田。梨花もまた合点がいったようで、答えようとした。

 

 

「分かったのです!」

 

「待てッ!? 言うなッ!! 信じたくないッ!!」

 

「富竹なのです!」

 

「正解っ!」

 

「あああああああああああッ!!??」

 

 

 上田の思い人、鷹野三四には富竹ジロウと言う恋人がいた。そんな残酷な事実を知り、ショックから痙攣する。

 

 

「富竹さんが……!? あ、あなたの……!?……ばんなそかな……!?」

 

「彼をご存知でした? カメラマンの富竹ジロウさんです」

 

「……あの男ぉおお……! 助けなきゃ良かった……!!」

 

 

 同志と信じていたのに、盛大に、されど勝手に裏切られたと絶望する上田。

 そんな彼の気持ちなど露知らず、鷹野は甘えた声で梨花に話しかけた。

 

 

 

「ねぇねぇ、梨花ちゃん! 秘密教えたんだし……『祭具殿』、見せてくれる?」

 

 

 祭具殿。彼女から飛び出たワードに、上田は反応した。

 鷹野の頼みに対し、梨花はキッパリと断る。

 

 

「それとこれとは別なのです。あそこは立ち入り禁止なのです」

 

「そんなぁ……ほんのちょっぴり、見たいだけだから!」

 

「駄目なものは駄目なのです。この間、沙都子に怖い話を聞かせた罰も兼ねるのです」

 

 

 二◯一八年、廃墟となった古手神社の祭具殿に入った事が、この不可解な事象の始まりだった。

 あれから一度も訪ねていないが、少し中を見たとは言え気になる。元の時代に帰る鍵が、あそこにあるのだから。

 

 

「祭具殿かぁ! 俺も気になるなぁ。ほんの一時間見せて欲しいなぁ!」

 

「上田には絶対入らせないのです。不浄なのです」

 

「不浄……」

 

 

 恩人でも無理なものは無理らしい。上田は泣きそうな顔になる。

 同じく振られた鷹野も諦めたように溜め息をついて、立ち上がった。

 

 

「沙都子ちゃん、栄養失調の可能性もあるから、点滴の準備しておくわね」

 

 

 廊下に出て行く。

 恋破れたとは言え紳士的に尽くし、「あわよくば」を狙う男もまた後に続く。

 

 

「お手伝いしますよ!」

 

「上田教授……いえいえ、これは私の仕事ですから」

 

「まぁ、そんな事言わずに! この村について、色々と聞きたいですからねぇ!」

 

「村について?」

 

「以前、お話した通り僕はこの村の地質に来ましたが、実は風土にも興味を持っていましてね!」

 

「……風土ですか」

 

 

 彼女はクスクスと笑う。

 その笑みがやけに妖艶で、悪魔的に感じた上田は驚き顔だ。

 

 

「……鷹野さん?」

 

「ふふふ! 失礼しました。丁度、私の専門分野でしたもので!」

 

「専門分野?」

 

 

 笑うのをやめ、歩きながら鷹野は質問する。

 

 

 

 

「『オヤシロ様』の正体……どうお考えですか?」

 

 

 突然質問され、上田は顔を顰める。

 

 

「オヤシロ様の正体?……いえ。思えば、考えた事もなかった」

 

「あらあら……駄目ですわよ? 全国にあるどの宗教、宗派ともルーツを持たない、完全に異質な信仰……これ以上、風土学的にもそそられるテーマはないでしょう?」

 

「んまぁ……言われてみればそうですな?」

 

「では古くから伝わるオヤシロ様の伝承と一緒に、私の考察を一つお聞かせしましょう」

 

 

 そう言って得意げな顔で、オヤシロ様にまつわる伝承を語ってくれた。

 

 

 

 

「遥か昔……鬼ヶ淵沼より鬼が現れ、村人を襲った」

 

「……鬼ヶ淵沼……渓谷の奥にある?」

 

「そう! その沼より現れた鬼を鎮めたのが、オヤシロ様だそうです」

 

「まるで桃太郎みたいですね。難しいな……しかし沼から鬼……この曖昧な言い方が気になりますねぇ。妖怪やらは昔から、何かの災害を擬人化させたものでしたから。過去、沼を原因として村に災厄が起きたとか?」

 

「まぁ! ご明察!」

 

 

 手を叩き、無邪気な表情を見せた。上田の表情も、パッと明るくなる。

 

 

「ならば、恐らく病気。考えられるのは、『天然痘』!」

 

「天然痘ですか?」

 

「天然痘は江戸時代以降、何度か流行を繰り返しており、ここ岐阜県でも起きたとか……『さるぼぼ』ってあるじゃないですか。あれ、なぜ赤いか分かります?」

 

「んー……いえ。てっきりそう言う物かと……」

 

「天然痘を振り撒く悪神は、赤い色が苦手と伝えられていたんです。つまり、さるぼぼは実は、天然痘から子どもを守る為の魔除けだったんですよ。さるぼぼの存在は岐阜での天然痘流行を物語っていたのです! 雛見沢村でも天然痘が流行し、何も知らない村人は『沼から来た』と勘違いしたのでは?」

 

「へぇ……さるぼぼの話は初耳でした……本当に上田教授は素晴らしい方で」

 

「ふっふっふ! ならやって来たオヤシロ様ってのは、医者か何かでしょうな! となると現在のオヤシロ様は入江先生でしょうねぇ!」

 

 

 どうだと、してやったり顔を惜しみなく披露。これには鷹野も舌を巻いた。

 

 

「上田教授のその、病原体説は支持しますわ」

 

「はっはっは! まぁ、この世の超常現象やら伝説やらは、紐解けばなんてこと無いものですよ!」

 

「……でも、私は、病原体ではなく、『寄生虫』だと考えているんです」

 

「え」

 

 

 瞬間、上田の表情が固まる。

 

 

「……え? な、なんですと?」

 

「ですから、寄生虫説ですよ!」

 

 

 途端に上田は彼女から目を逸らして考え込む。

 なぜなら現代でも、「大災害の原因は寄生虫」と、竜宮礼奈が主張していた事だからだ。

 

 

「な、なんでき、寄生虫……!? 竜宮礼奈と同じ事を……!」

 

「どうされました?」

 

 

 しかしなぜ、寄生虫なのか。同時にそんな疑問も湧く。

 

 

「い、いえ! なにも!? なんで寄生虫なのかなーって……」

 

 

 現代のレナが主張していた事柄と何か繋がるかもしれないと、寄生虫説のその由縁を聞いてみた。

 自分の考察を語れる事が嬉しいのか、半ば鷹野は自己陶酔気味な仕草で話を続ける。

 

 

「もし、天然痘やペストと言った病原体だとすると……『鬼』と呼ぶのは些か妙だと。だって鬼って、妖怪の中ではかなり肉感的で、実体化した存在ではありませんか?」

 

「……言われてみれば」

 

「なら、私はこうです。『鬼』は、『凶暴化した村人』」

 

「凶暴化した村人? 一揆かな? 確かにここらは土地が痩せていますし、年貢の厳しい搾取でそう言った事もあるでしょうな」

 

「そうではありません、上田教授……『沼から発生した寄生虫が、人間を狂わしたのです』よ」

 

 

 突拍子のない彼女の主張に、上田は思わず失笑。

 

 

「ふはっ! あり得ませんよ! 人間をまるっと操る寄生虫が、自然界に存在する訳が……」

 

「上田教授。自然界だからこそ、何が起こるか分からないんですよ? 教授の仰った天然痘も……最初はただの、ラクダだけが罹る病気でした。それがいつの間にか、人間にまで感染するウィルスに変貌したのです……ウィルスも寄生虫も生物。生物であるからには、思いがけない進化も起こるハズです」

 

「……は、はは。ま、まぁ、そう言う進化を辿った寄生虫がいたとします……なら、狂わせる意味は? 栄養源は? 脳に寄生するものは大抵、人間をそのまま死に至らしめるかと」

 

「栄養源は血だとして、狂わせる意味としては……雛見沢村から、宿主を離れさせない為?」

 

「なに?」

 

「古来から伝わる、『オヤシロ様の祟り』はご存知ですか?」

 

 

 知ってはいるが、思えば殆ど名前だけだ。

 真っ先に浮かぶものが鬼隠しだが、彼女の口振りでは「鬼隠し以前の祟り」らしい。

 

 

「……いや?」

 

「それは、『村から出た村人に祟りが起こる』なんです」

 

「……なるほど。ババァが余所者に冷たいのは、その鎖国風習が少し残っているからなんですな」

 

「あら、そんな事があったんですか。まぁ、それはそれとして……」

 

 

 鷹野は息をすぅっと小さく吸い込んでから、説明を続ける。

 

 

「寄生虫は、気候や風土の関係上、雛見沢村でしか生存が出来ない。だから離れようとした村人を狂わして、無理やり引き戻そうとした。もし、それで凶暴化した人間が暴れた場合、彼らは『鬼』とされ、それを鎮めたオヤシロ様となると、上田教授の仰った通り、医者になります。現に……明治以前までこの村は、『鬼の住む村』として恐れられていたみたいですよ?」

 

「そんな馬鹿な……寄生していながらも、土地から離れた事を感知する寄生虫? あり得ませんよ!」

 

「ハリガネムシに寄生されたカマキリは、そのハリガネムシによって、水場に誘導させられるそうですよ? それに感知ではなくて、雛見沢を離れたばかりに死に掛けた寄生虫が、何らかのフェロモンを出した……とか?」

 

「まぁ、その方が特性としては妥当ですかね。まとめると、沼から現れた寄生虫が村人を狂わし、その姿が鬼となった……村から出ても狂うので、村自体が鬼の住む村と恐れられた。そしてその寄生虫に効く薬を持っていた医者が、オヤシロ様?」

 

 

 上田からすれば、辻褄が合っていそうで、でもツッコミ所のある説だ。

 第一、村から出れば狂うのに、なぜ村にいながら狂う人間がいたのか。

 第二に、そのような寄生虫がいるとすれば、とっくに研究されていても良いハズ。

 第三に、遥か昔に寄生虫を抑える薬なんかがあるものか。

 

 

 第三については、上田はある集落にて不治の病を治す薬を調合した者を知っているので、あり得なくもない。

 所詮、現代社会で使われている薬と言うのは、自然界の僅か数パーセントの物を調合した程度に過ぎないからだ。

 

 

 

 もしや竜宮礼奈は、彼女の主張を鵜呑みにしたなと、上田は薄々察して来た。

 さっきの梨花の口振りでは、村の子に色々と考察を語って怖がらせているそうなので、ありえなくはない。

 

 思いがけない形で礼奈の言った「寄生虫」の原因を知り、同時に興味も薄れて行った。

 

 

「うーん……面白い考察ですが、やはり寄生虫と言うのはさすがに……」

 

「上田教授にはこれを差し上げます!」

 

 

 立ち寄った部屋から何かを取り出し、彼女は上田に手渡す。

 ラブレターかと過剰な期待を寄せながら受け取ったそれは、スクラップブック。

 

 

「これは?」

 

「さっき言った、寄生虫説の根拠を網羅した本です!」

 

「いや、鷹野さん……やっぱ、寄生虫説は無理が……」

 

「まぁまぁ。語り切れない所も載っていますから、是非是非! 私、こう言った調査が大好きなんです!」

 

「大好き……うひひょう! そ、そうですか。まぁ、生物の進化と言うのは謎が多いですからねぇ! それを解き明かすのも、教授の務めですから!」

 

 

 スクラップブックを 嬉々としてバッグに仕舞った。

 

 

「では、お返しに僕の本でも……」

 

「本を出版されていたんですか?」

 

「ははは! ベストセラーですよ! こないだ、とうとう重版決定し……おう? ないぞう?」

 

 

 さては置いてきてしまったかと、天を仰ぐ。

 

 

「入江先生は遅くなりそうですし……今の内に取って来ますよ!」

 

「良いんですか? 教授の書いた本、気になります!」

 

「ウヒョア! 任せてください! 本当なら一冊千円プラス税の所、タダで差し上げますから!」

 

「プラス税?」

 

 

 上田は駆け出し、意気揚々と診療所を出て行った。

 最初はニコニコとそれを見送っていた鷹野。疲れたように、一気に表情を崩した。

 

 

 

 

 

 

 

「……何も知らないなんて、幸せ者ね」

 

 

 夕焼けになり、ひぐらしが鳴く頃。

 闇に沈む中で彼女はほくそ笑む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魅音と詩音が辿り着いた場所は、レナの家。

 停まっていた救急車が走り出し、次にはパトカーもやって来ていた。

 

 

 何かあったのか。

 

 家の前に駆け寄った時、大粒の汗を流して玄関から出て来た入江を発見した。

 

 

「監督!?」

 

「……詩音さん? ん? んん?」

 

 

 格好は詩音だが、髪が魅音の為、入江は混乱しているようだ。

 まず着替えてからにするべきだったと魅音は後悔したが、走り寄る彼を前に気を戻した。

 

 

「入れ替わっているんですか……?」

 

「ちょ、ちょっと訳あって……それより、ここレナの家だよね? どうしたの?」

 

「それが……」

 

 

 言い辛そうに顔を顰め、頭の中で言葉を纏めてから話し出す。

 

 

 

「……その、レナさんのお父さんが……バットか何かで頭を、殴られたそうなんです」

 

 

 

 詩音と魅音、そろって愕然とした。

 

 

「え!? 監督、本当なんですか!? レナさんのお父さんが……!?」

 

「強盗!?」

 

「今、警察が見分しているので、まだ犯人とかは……知恵先生が見つけてくれたので良かったですけど」

 

 

 警察から事情聴取を受けている知恵先生が見えた。かなりショックを受けているようで、口元を押さえて震えている。

 彼女を見て詩音はふと思い出した。

 

 

「……そう言えば知恵先生、放課後に家に行くって言ってたから……」

 

「それでもかなり危険な状態でした……応急処置はしたけど、これからどうなるのか……」

 

 

 嫌な予感がして、魅音は話しかけた。

 

 

「……レナは……!?」

 

 

 

 圭一と共に行方不明のレナ。

 もしかして彼女も襲われたのではないかと、不安になる。

 

 

「レナさん? いえ……家に倒れていた、お父さんだけだったそうですけど……」

 

「そ、そうなんだ……本当、こんな時にどこ行ったんだか……」

 

「誘拐された可能性も……」

 

 

 瞬時に顔を蒼褪めさせる二人を見て、失言だったと入江は謝罪した。

 

 

「あくまで憶測ですので! それに警察の人が言うには、家には荒らされた痕跡はないようですし……」

 

「で、でも心配だよ……すぐに園崎の若い衆に探させよう」

 

「オネェ! 私も手伝います!」

 

 

 居ても立っても居られず、二人は踵を返してレナ宅を後にしようとした。

 そんな二人を入江は急いで追いかける。

 

 

「そ、それなら僕の車で行きましょう! 送りますよ!」

 

 

 すぐに双子は入江の車に乗り込み、そのまま屋敷へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途中、車ですれ違った上田には気付けなかった。

 彼は鷹野から受け取ったスクラップブックを大事そうに抱えながら歩いていた。

 

 

「寄生虫ねぇ……ふはは! 鷹野さんって、意外と信心深いお方だったんだなぁ!」

 

 

 口では否定しているが、少し信じ込んでいる自分がいる。

 鷹野には、妙なカリスマを感じたからだ。

 

 話した事が嘘だろうが、信じ込ませてしまう魔性があった。

 

 

「どうやらそれを、竜宮レナは信じちゃった感じだろ……へっ! 寄生虫の話は解決だな!」

 

 

 スクラップブックを鞄に入れて保管してから前を見れば、山田が借りている園崎の別宅が視界に入った。

 

 

 

 

 

 扉も窓も全て破壊された、見るも無残な姿となっていた。

 

 

「なにッ!?」

 

 

 咄嗟に駆け寄り、家に入る。

 畳は土足で荒らされ、冷蔵庫や扇風機、障子が倒されていた。

 なぜか吊り下げ式の電気がちゃぶ台の上に落ちている。

 

 

 一瞬でここで、何か不穏な事が起きたと察知出来るだろう。

 

 

 

「……山田……!?」

 

 

 別宅から出ようとした時、出入口で立ち止まる。

 

 

 三人の男が立っていたからだ。

 チビと、ノッポと、デブ、それぞれ鉄棒、鎌、鍬を持っていた。

 

 

 リーダー格らしい、チビが怒鳴りつける。

 

 

「おめぇも、あの女らの『ナマカ』か!」

 

「……ナマカ?」

 

 

 独特な訛りに眉を寄せていると、続けてチビが怒鳴る。

 

 

「ジオ・ウエキ様が仰っていたんじゃ! お前らは、ダムの関係者と繋がっているってな!」

 

「そうだそうだ!」

 

「ブヒブヒ!」

 

 

 デブが背中にかけていた旗が目に入る。

 ジオ・ウエキの信奉者を表す、「雛見沢じぇねれ〜しょんず」の文字。彼女が何かを吹き込んだのだろうと察する。

 

 

「……山田をどこへやった」

 

「あの貧乳か?」

 

「あの貧乳だ」

 

 

 三人はニヤリと笑う。

 

 

「奴は裁きを受けるんじゃ! ダムの会社と繋がり、ワシらの動向を探りに来た罰じゃ!」

 

「そんなのでっち上げだ!!」

 

「ジオ・ウエキ様が捕まえた『作業員の一人が白状』しとるんじゃ! 言い逃れ出来んぞぉ!!」

 

 

 ジオ・ウエキの正体や、三億円の無事を知らない上田。その話が全く理解出来ずにいた。なぜ、彼女は突然、山田と自分を敵と見なしたのか。

 

 

 

 だがそんな事は関係ない。

 山田を捕まえたのはジオ・ウエキ。それが分かれば十分だ。

 

 

「……山田はどこだ……!」

 

「誰が教えるかい! ジオ・ウエキ様から言い付けられたんじゃ……この家に来る者を倒せとッ!!」

 

「……話す気はないんだな……!!」

 

 

 臆する事なく、彼らの前に立つ。

 彼の戦意に気付き、三人もまた迎撃態勢をとる。

 

 

「ワシらを舐めるんじゃないぞッ!! 我々はジオ・ウエキ様の忠実なる僕……ワシは『サル』ッ!!」

 

「俺は『カッパ』!!」

 

「ぼかぁ、『ブタ』だぁ」

 

「西遊記……?」

 

 

 三人はすぐさま上田を取り囲み、武器を向けた。

 上田はただその中心に立ち、三人を睨み付けるだけ。

 

 

「「「ニンニキニキニキ・ニンニキニキニキ……」」」

 

 

 不気味なお経を唱え、いつ襲い来るか分からない気迫を醸す。

 その中心に立たされてしまった上田だが、三人の構えが素人だと見抜くと、鼻で笑った。

 

 

 

 

「……面白い。掛かって来いッ!!」

 

「ブヒーッ!!」

 

 

 ブタが鍬を振り上げ、上田の背後から叩き付けようとする。

 だが上田は一瞬で空気を読み取り、身を翻して回避した。

 

 

「ウキーッ!!」

 

 

 回避した先で、サルが鉄棒を振り下ろした。

 上田はそれを避けはせず、逆に持ち手を掴んで受け止める。

 

 

「ホワチャーッ!!」

 

「うぎょっ!?」

 

 

 攻撃を受け止められ、動揺を見せたサルに強烈な一撃を浴びせた。彼は目を回し、地面に平伏す。

 

 

 

 

「カッパーッ!!」

 

 

 鎌で斬りつけて来るカッパ。

 サルへの攻撃で動作が止まっていたとは言え、何とか寸前でかわす。振り下ろされた鎌が、肩にかけていた鞄に擦れる。

 

 

「この鞄……高かったんだぁぁぁッ!!」

 

 

 怒りの咆哮を浴びせる。

 それに驚いて隙を見せたカッパの懐に潜り込み、ボディーブロー。そのまま彼は白目剥いて気絶する。

 

 

 

「ブヒーブヒーッ!!」

 

 

 再び攻撃を行うブタだが、上田は気絶したカッパの服を掴んで引き寄せ、旋回。

 ブタの前に仲間(なまか)のカッパが盾にされ、思わず手が止まる。

 

 

「ナマカぁ!?」

 

「はぁーッ!!」

 

 

 その隙にブタへ突撃。

 慄く彼の顔面へ、必殺のストレート。

 

 

「ワチャぁぁあーッ!!!!」

 

「ぶひどぅ!?」

 

 

 背中からぶっ倒れ、目を回して気絶、失神、再起不能。

 上田は一人で三人をやっつけた。

 

 

 

 

「……ハッ!! 通信教育で得た空手、柔道のスキル持ちで……何より田舎の農家が、元グリーンベレーの俺に敵うもんか……」

 

 

 

 呻き声をあげる程度にまだ意識のあるサルへ近付き、胸倉を掴んで握り拳を見せ付ける。

 

 

「山田はどこだッ!!」

 

「ひ、ひぃい!? や、『谷河内』の山の中でしゅうぅぅ!!」

 

「谷河内……確か、雛見沢より山中に入った……」

 

「これで許してくれます!?」

 

「俺は許そう……だがこの拳が許すかなッ!!」

 

「どりふッ!!」

 

 

 サルの鼻面にぶちかましてやり、彼は目を回して気絶。

 場所が判明し、覚悟を決めた上田のする事は一つだ。

 

 

「……待ってろ、山田……!!」

 

 

 谷河内に向け、走り出す。周辺の地理は、完全に覚えていた。

 今の彼にとって向かう所に敵なしだ。




・1982年に「スリラー」を発表し、1983年の四月には「ビート・イット」。この年はまさに、マイケル・ジャクソンの快進撃が止まらない時期だった。

・「富山 敬」は昭和を代表する名声優。タイガーマスクの伊達直人役の他、宇宙戦艦ヤマトの古代、ちびまる子ちゃんの初代おじいちゃん役、銀河英雄伝説の初代ヤン・ウェンリー役等。

・「ニンニキニキニキ」は、「ザ・ドリフターズ」の面々が声を務めた人形劇「飛べ!孫悟空」の主題歌にあるフレーズ。

・「ナマカ」は香取 慎吾主演の、ドラマ版「西遊記」より。なかまを、ナマカを聞き間違え、そのまま最終回まで間違え続けていたエモい言葉。個人的に名作だと思っております。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

驚天動地

 一方の山田たちは、車で運ばれて谷河内の山奥に連れ去られていた。

 すっかり暗くなり始め、ひぐらしが鳴く頃。

 山林の中で立てられた二本の丸太に、一方に山田、もう一方に富竹と圭一が縛り付けられていた。

 

 

 その周りを囲んでいるのは、雛見沢じぇねれ〜しょんずの構成員たち。ざっと見る限りでは、十人以上はいて、口々にムダムダ唱えていた。

 

 

「「ムダムダ〜、ムダムダ〜、ムダムダ〜……」」

 

 

 全員が必死に解こうともがくが、キツく縛られた縄を抜ける事は出来ない。

 

 

「クソォッ!! なんで分かんねぇんだよぉ!! 全員、ジオ・ウエキに騙されてんだってよぉッ!!」

 

「……圭一くん。それで通じるのなら、僕らをこうやって縛り付けたりしないよ」

 

「こりゃ参ったな……完全にあの女の情報網を侮っていた……」

 

 

 山田にとっての誤算は完全にそこだ。

 三億円事件に関しては全く雛じぇねが関わっていないと読んでいたばかりに、このような返しを食らってしまった。

 

 

 

 

 

「これが、アタシの力ですわ?」

 

 

 構成員らが掲げる松明の火に照らされ、ジオ・ウエキが姿を現した。

 いつもの衣装、いつもの化粧、しかしその表情には冷酷な闇が広がっている。

 

 この女なら人を殺しかねない……そんな気迫を醸す狂気だ。

 

 

「あなたがたは、アタシの三億円を奪ったと同時に……ダムの会社と繋がっていました」

 

「それは全部お前だろ!」

 

 

 圭一の叱責に対し、構成員らの殺気が集中。それをジオ・ウエキは宥めてやる。

 

 

「ステイステイ……残念ながら、作業員本人から聞いた情報ですので」

 

 

 まさか仲間の作業員を使って証言を偽装し、構成員らへの説得力を強めるとは。その点を挙げるなら、彼女の策略には脱帽だ。

 

 

「この三億円……おっっも!!」

 

 

 ケースを持ち上げ、見せつけてやる。

 

 

「……この三億円は、謂わば対価ですの。今まで愚直に戦争しかける事しか出来なかった園崎に対し……ダムの計画遅延にまで漕ぎ着けたアタシへの」

 

「何が遅延に漕ぎ着けただ! そっちがダムと繋がって、反対派閥に墓穴を掘らせようとしていただけだろ! お前のやった事は、ニンニキニキニキお見通しだッ!!」

 

「や、山田さん! ちょっと控えてください! 完全に僕らの分が悪いんですから!」

 

 

 雛じぇねはジオ・ウエキを信じ切っている。余所者の山田の言葉など届かないだろう。富竹の言う通り、無闇な刺激は命を縮める。

 

 

 

「俺たちをどうするつもりなんだッ!!」

 

 

 圭一の質問に対し、「待っていました」と言わんばかりにしたり顔を見せるジオ・ウエキ。

 

 

 

 

 

「お亡くなり〜!!」

 

「「無駄無駄無駄無駄ァッ!!」」

 

 

 呆気ない、死刑宣告。山田と富竹は顔を蒼褪めさせ、圭一に関しては二度目の為に「またかよ」と項垂れる。

 

 

「足元、見てくださいな」

 

 

 

 縛り付けた三人の足元には、藁が敷き詰められていた。

 ただの藁ではない、妙な臭いが漂っており、圭一はそれを嗅いで正体に気付く。

 

 

「……これは……! と、灯油!?」

 

 

 灯油を染み込ませた藁に、構成員らが持っている松明。

 これらが示す、三人の処刑方法は誰でも理解出来るものだ。

 

 

 

 

 

「一四三一年、五月三十日……フランスのルーアン、ヴィエ・マルシェ広場にて、ある人物が異端の罪で処刑されました」

 

 

 ジオ・ウエキは突然、語り出す。

 闇が訪れ、夜が支配を始めた。

 

 

「……あの有名な『ジャンヌダルク』です」

 

「星五……」

 

 

 ぼそりと呟いた山田の声は無視された。

 

 

「しかし当時、異端の罪で死刑になるのは……一度懺悔したにも関わらず、もう一度異端を犯した場合にのみでした」

 

 

 彼女はクスクスと笑う。

 

 

「……『男の格好をしない』と約束したのに、また男の格好をしたから処刑されたそうですよ? ウフフフフ!」

 

「…………」

 

「そのジャンヌダルクは、火刑に処されました……このように、棒に括り付けられ、藁に火を放たれ……」

 

 

 

 

 真っ赤な口紅が、大きく歪んだ。

 

 

 

 

 

「……残った遺灰は川に捨てられた……あなたたちの灰は、鬼ヶ淵沼にでも流しておきますわ!」

 

 

 耳障りな高笑いが、山林に木霊する。

 彼女に合わせて構成員らも、「ムダムダ〜!」と叫ぶ。

 万事休す、もうどうにもならない。ただ縄を解こうと、身を必死によじるくらいしか残っていない。

 

 

「くっそぉぉ!! 死んでたまるかぁぁあ!!」

 

「どうすれば良い……!!」

 

「ここまでか……くわばらッ!」

 

 

 恨みつらみを爆発させて暴れる圭一。

 寸前まで、突破口を探そうとする富竹。

 諦めた山田。

 

 各々の反応に関係なく、火は降ろされようとする。

 

 

 

 

 

 

 

「なんだてめぇ……おごっ!?」

 

 

 後方から誰かの悲鳴。降ろされかけた火が、止まった。

 

 

「貴様ぁ! どうして……ぎゃあっ!?」

 

「ここが……ぶはぁっ!?」

 

「わかった!?……ツエーイッ!!」

 

 

 次々に構成員を薙ぎ倒し現れたのは──

 

 

 

 

「山田ぁぁッ!! ここにいるのかぁぁッ!?」

 

 

 

──上田次郎。

 彼こそが真の救世主だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診療所から一旦、神社に戻ろうとする梨花。沙都子の着替えを取りに行くつもりだった。

 

 

「……上田、一体どこ行った……」

 

 

 ついでに帰って来なくなった上田の様子も見に行くつもりだ。

 

 

 その途中、向かい側からやって来た車。

 轢かれないよう道の端に避けたが、車はなぜかすぐ隣で停車する。

 

 

 

 

「梨花ちゃん!?」

 

 

 後部座席から顔を出したのは魅音。入れ替わりはもう解けている。

 

 

「魅ぃに……詩ぃに、監督もいるのですか?」

 

「良かった……学校来なかったからおじさん、心配したよぉ!」

 

「ごめんなのです……明日からまた、沙都子と一緒に行くのです!」

 

「沙都子ちゃん助かったんだね!?」

 

 

 運転席から入江も顔を出す。それから安堵し、座席に凭れた。

 不在中だった彼を発見し、梨花は少し怒った様子で詰め寄る。

 

 

「入江、どこ行ってたのですか! 沙都子は診療所で寝ているのですよ!」

 

「あ、そうだった! 上田教授と約束してたんだ! す、すぐに戻る……!」

 

「監督、待ってください!」

 

 

 アクセルを踏もうとする入江を止め、魅音を押し退けて詩音が顔を出す。

 

 

「梨花ちゃまは……圭ちゃんとレナさんを見ましたか?」

 

「みぃ。見てないのですが……二人も、学校行ってないのですか?」

 

「し、詩音、痛い痛い……そ、そうなんだ。しかもどっちも行方不明で……レナの所なんか、お父さんが誰かに襲われて病院に送られたんだよ!」

 

「……レナのお父さんが?」

 

 

 どうにかなると思っていたのに、その希望にザワザワとした、不安が灯り始める。

 上手くいっていたのは自分の前だけで、何かが裏でひっそりと事を進めていたんだと気付く。

 

 

 

 黙り込んでしまった梨花の気を取り戻させたのは、入江の声だった。

 

 

「……とりあえず僕らは診療所に行かないと。ほら、梨花ちゃんも乗って!……それで、お二人は?」

 

「そりゃ、沙都子に会うでしょ! 圭ちゃんとレナは必ずウチで探させるから!」

 

「私もこのまま乗り合わせます」

 

 

 梨花が乗るまで待っていた時、後ろから来た車がクラクションを何度も鳴らす。

 それにブチギレた園崎姉妹が車から顔を出し、同時に怒鳴った。

 

 

「ああもうッ!? 出すから鳴らすなッ!! 私見えますーっ!? 園崎の魅音様ですけどーっ!?」

 

「一回で良いでしょそう言うのはッ!? 何で何回も鳴らすのっ!?」

 

 

 だがその車から顔を出したのは葛西だった。

 

 

「……魅音さんに詩音さん……!」

 

「あ、か、葛西さん!?」

 

「丁度良かった……! 緊急事態です……!」

 

 

 車から降りて二人に走り寄る。その顔は酷く切羽詰まったものだった。

 鬼気迫る様子の彼を前に、魅音もまた次期頭首の顔で接する。

 

 

「どうしたんですか、葛西さん……?」

 

「……雛見沢じぇねれ〜しょんずが、園崎家の前で暴動をおっ始めやがりまして……!」

 

 

 彼の報告に、一同は絶句する。

 ジオ・ウエキ率いる彼らが暴動とは、只事でも偶然でもないだろう。

 

 

「なんで暴動なんか!?」

 

「あの狐女、何を思ったのか……山田さんをダム会社の関係者に仕立て上げて、雇った園崎に責任があるとかほざきやがって……! 金を要求しています!」

 

「山田さんとの関係もバレてるの……!?……と言うか、死守連盟はウチよりあの女信じてるワケ!?」

 

「一部の過激派だけのようですが……それでも二十何人は集まっています!」

 

 

 事件が発生だ。同時に、園崎が恐れていた事態でもある。

 ジオ・ウエキに村人を乗っ取られてしまう、その危険を。

 

 事態を重く察した入江は、彼女に戻るよう話す。

 

 

「魅音さん、屋敷に戻った方が良いですよ……!」

 

「ご、ごめん入江先生に詩音! 私、屋敷に……!」

 

「待ってオネェ」

 

 

 車から出ようとする魅音を、詩音は止めた。

 

 

「どうしたの……?」

 

「……どうして、ジオ・ウエキは……村人たちを屋敷に差し向けたと思う?」

 

「え? そりゃ、お金欲しさとか?」

 

「あの女なら自分から姿を出すし、何かしら予告を出すハズ。だって、いきなり暴動起こしても、園崎が乗る訳ないじゃん……出てこないで村人だけ焚き付けるなんて……まるで陽動作戦みたいじゃない」

 

「またお金盗もうって魂胆かも……!」

 

 

 その心配に関しては、葛西が否定した。

 

 

「屋敷内は厳重な警戒を敷いていますし、中にいる組員は全員調査済みです……もう、裏切り者はいないハズ……」

 

 

 梨花は皆の話を聞き、何か気付いたようだ。

 

 

 

 

 

 

「……山田は? そもそもなんで、山田をスパイに仕立て上げているのですか……?」

 

 

 

 月が照り始めた。ひぐらしも鳴き止む頃だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「山田ぁぁあッ!!」

 

「上田さん!?」

 

「上田先生ぇ!?」

 

 

 上田は群れなす男共を薙ぎ倒し、三人が縛られている場所を目指す。

 

 

「今、助けるぞッ!!」

 

 

 駆け寄り、ジオ・ウエキの姿を見てから上田は立ち止まる。

 何気に本物と邂逅したのは、始めてだった。

 

 

「……お前が、ジオウか……!」

 

「あなたもこの女たちの協力者?」

 

「今すぐ彼女たちを解放しろッ!! 俺は昔、提督として鎮守府に赴任し、艦隊を率いて海の怪物と戦った事もあるんだぞッ!!」

 

「上田先生すげぇ!!」

 

「嘘つけーッ!」

 

 

 思わず飛び出す山田のツッコミ。

 提督の話は嘘だが、彼女は上田の強さを知っている。彼ならば本当に助けてくれると信じてはいる。

 

 

 しかしジオ・ウエキは、余裕のある笑みを浮かべたまま叫ぶ。

 

 

「トマーレッ!」

 

 

 ジオ・ウエキは火を藁に近付けた事で、上田の猛攻は止まる。

 灯油に浸されたその藁に火が灯れば、その上で拘束されて山田たちは一瞬で炎に包まれてしまう。

 

 

「あなたの目の前で、この三人が焼け死ぬ事になりますわよ?」

 

「……外道めッ!……ッ!? ぐあっ!?」

 

 

 彼が動揺を見せた瞬間、背後から棍棒で殴り付けられてしまった。

 大きく仰け反り倒れ、そのまま十数人の構成員に取り押えられる。

 

 

 

「チクショーッ! 離せーーッ!!」

 

「さぁて、この方はどうしましょうか?」

 

 

 彼女は拳を前に出し、親指を横に立てた。

 それを見た瞬間、構成員らは一斉に叫ぶ。

 

 

 

「「殺せッ! 殺せッ! 殺せッ! 殺せッ!!」」

 

 

 親指は、下に向けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 上田も同様に縛られ、山田と背中合わせに括られてしまう。

 あまりの不甲斐なさに、項垂れて何も言う気配がない。

 

 

 

「突然の乱入に驚きましたが……これで儀式は行われますわね?」

 

 

 ジオ・ウエキは三億円のケースを抱え、踵を返す。

 

 

「ではアタシは、帰りますわぁ」

 

「帰るって……高飛びするつもりだろ……!」

 

 

 圭一の指摘に、彼女は反応しない。

 ただ手の平をピョコッと出して、一言。

 

 

 

 

 

「チャオっ!」

 

「エボルトぉぉぉぉおおお!!」

 

「誰だよ!」

 

 

 彼女一人、闇に消えてしまった。上田の叫びと山田のツッコミが虚しく響く。

 奪って奪い返され、また奪っての三億円強奪劇は、ジオ・ウエキこと、間宮浮恵の勝ち逃げで終わってしまうのか。

 

 自分の情け無い姿を見せてしまった上田はひたすら、皆に謝った。

 

 

「すまない……みんな……ミイラ取りがミイラになるとは……!」

 

「上田教授は頑張りましたよ……僕は、感動しました……!」

 

「上田先生……ビッグ・ボスって、呼んで良いっすか?」

 

 

 完全に諦めムードに入った男たちを見て、山田は往生際悪く暴れ出す。

 

 

「ちょっとちょっと!? 折角希望が見えたのに……私は抗いますからねぇ!? このクソどもーっ! 三億円寄越せぇーッ!! お前らタダじゃ済まないからなーっ!」

 

「……山田。それは完全に悪役の台詞だぞ」

 

 

 松明を掲げた、一人。

 構成員らがニタリと笑う中、この悍ましい儀式が成し遂げられようとしていた。

 

 

「さぁ。この世とお別れだぁ……なにか、言い残す事はあるかぁ?」

 

 

 山田は必死にもがき続け、勢い余って後頭部を棒にぶつけ、「にゃあ!」と悲鳴をあげた。

 同時にここまで来たら、もうなす術はないと悟ったのか、黙ってしまった。

 

 

 

 遺言を言える機会を渡され、上田はぽつりと口を開く。

 

 

「……富竹さん……あなたに、私の新刊の表紙を撮ってもらいたかった……」

 

「……僕も……撮りたかったです……」

 

「……あと鷹野さんと、幸せになって欲しかった……」

 

「僕も…………え? なんでそれ知ってるんですか?」

 

 

 それを聞いた圭一が突っかかる。

 

 

「鷹野さんと付き合っていたんすか!? あんなナイスバディのビューティーナースを!? どうやってモノにしたんスか!?」

 

「圭一くんやめて。そんな大声で言われて死ぬのは嫌だ」

 

 

 その話を聞いた構成員らは少し居心地の悪い顔で、お互いを見合わせてしまった。

 

 

 

 一方で頭をぶつけて、少しぐったりしていた山田。俯いていた顔を、スッと上げる。

 覚悟でも出来たのか酷く落ち着いていた。

 

 

「……上田さん、今まで本当にありがとうございました」

 

「……急になんだ」

 

「さっき頭ぶつけた時……なんか、一つだけ思い出しちゃいまして……」

 

 

 彼女は、記憶喪失だ。四年かけ、やっと二十代までの記憶を取り戻したに過ぎない。それでも断片的だが。

 そして今また、一つ記憶を取り戻したみたいだ。上田はつい鼻で笑った。

 

 

「……ハッ。こんな土壇場で記憶を取り戻すとは……ツイてないなYOU」

 

「でも、思い出した事で……言いたい事があるんです」

 

 

 闇夜の静寂の中で、松明の火がパチパチと鳴る。

 まるでこの世界に、二人だけのようだ。

 

 

 

「それを………最後に、一つだけ良いですか?」

 

「……なんだ?」

 

 

 

 上田は静かに、心穏やかに、長年の相棒の言葉を待った。

 

 

 少しの沈黙、温い空気、木々のざわめき。

 それらが緩んだ時、やっと山田は口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なぜ、ベストを尽くさないのか」

 

 

 

 山田の言葉に、上田はピタッと動きを止めた。

 

 

「……なぜ、ベストを尽くさないのか」

 

 

 諦念に堕ちた上田の目に、確かな黎明が宿る。

 その光が増すよう、山田は言葉……詠唱を続けた。

 

 

 

「Why !?」

 

「………………」

 

「Don't you!」

 

「…………」

 

「do your best !?」

 

「……ッ」

 

 

 光は次第に、強く、輝きを放つ。

 もうひとおしだと、山田は畳み掛ける。

 

 

「なぜ、ベストを尽くさないのか!」

 

「……ッ!!」

 

「なぜっ!……ベストを尽くさないのかっ!!」

 

「……ッッ!!!!」

 

 

 目が見開かれ、彼の周りに覇気が纏われ、それが辺り一面の空気を振動させるかのようだ。

 完全に光を取り戻し、闘気に火がついた上田。

 

 

 

 

 

「うおぉぉおお……ッ!!!!」

 

 

 彼を縛る縄が、ミチミチと千切れ出す。

 

 

 

 

 

 

 

「ベストだあぁあぁあぁあッ!!!!」

 

 

 

 

 

 その縄をとうとう、自力で切る。

 同じく解放された山田がフラッと離れる。

 全員が目を剥いた。

 

 

「上田教授!?」

 

「ビッグ・ボス!?」

 

 

 上田は突然、上着を脱ぐ。

 

 ベストも脱ぐ。

 

 シャツ一枚になり、両手を広げ、胸筋だけで胸元の布を吹き飛ばす。

 

 

 

 

 破れたシャツの断片が、天使の羽根のように舞った。

 

 

 

 

 

 彼の暴走に驚き、構成員は松明を藁に落とそうとする。

 だが上田は早かった。

 

 

「クロックアップッ!!」

 

 

 瞬時に距離を詰め、松明を持つ腕を掴み、放火を阻止。流れるように彼の顔面を蹴っ飛ばした。

 松明の火は、凄みで消す。

 

 

 

 

 そのまま彼は、山林を震わすほどの雄叫びをあげた──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高い景色。

 山々が連なり、眼下では清流。

 

 素晴らしい景色。綺麗な風景。

 二人は柵に手を置き、そこから一望する。

 

 

 自分も二人の後ろにいた。

 父親が柵から若干身を乗り出している。

 母親が隣に立ち、そんな彼を心配そうに見ている。

 

 

 

 二人の方へ、手を伸ばした。

 

 

 

 次の瞬間、二人は消えた。

 壊れた柵と、山の向こうに立つ入道雲が、眼前に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ!?」

 

 

 目を開き、上半身を起こす。

 気付けばそこは見慣れた入江診療所の診察室。

 右手には、点滴がなされていた。

 

 

「……今のは……?」

 

「目が覚めましたか? 沙都子ちゃん……」

 

 

 奥から出て来たのは、入江。

 コーヒーカップを持ちながら、心配そうな眼差しで沙都子の側に座る。

 

 

「……監督……」

 

「……大変でしたね。でももう大丈夫ですよ。魅音さんが色々と手を回して……北条鉄平は逮捕されたみたいです」

 

「……おじさまが?」

 

「……本当に良かった……沙都子ちゃん……」

 

 

 感極まり、泣きそうになる入江。

 目頭を押さえて、涙を堪えようとしていた。

 今まで自分を、特に気にかけてくれた人だ。彼の涙は、沙都子の胸中さえも熱くさせる。

 

 

 

 

「元気になったら僕と契約して専属メイドになってください……!」

 

「出て行ってくださいまし」

 

 

 一気に冷めた。

 そのタイミングで入って来たのは、彼女の着替えを持った梨花だ。

 

 

「おはようなのです。夜だけど」

 

「梨花! あの、さっきは本当、ありがとうございます……」

 

「良いのですよ。ボクも、また沙都子と暮らせるのが楽しみなのです。にぱーっ☆」

 

 

 家から持って来た着替えを、沙都子の足元に置いておく。

 その際にふと彼女は辺りを見渡した。

 

 

「……上田先生は?」

 

「上田教授は……おかしいな。鷹野さんが言うには……一回帰られたみたいですけど……」

 

「神社にもいなかったのです」

 

 

 この場に彼がいないと知ると、沙都子はとても寂しそうな顔を見せた。

 

 

「上田先生には感謝しきれませんから……その、おんぶして貰いましたし……」

 

「沙都子ちゃんをおんぶかぁ……」

 

「入江。流している涙が血涙になっているのですよ」

 

 

 圭一たち同様、現在上田も行方不明だ。

 とは言えこの事を、まだ精神的にも不安定な沙都子に話すべきではないだろうと判断し、梨花は笑顔のまま軽い口調で話す。

 

 

「……どうせ上田の事です。そこら辺ほっつき歩いて、美人さん追っ掛けているのですよ」

 

「散々な言い方ですわね……」

 

「でも上田にはボクも、とっても感謝はしているのですよ……うん。明日はまたみんなで、上田を弄るのです!」

 

「今日は泊まって行くと良いですよ。とりあえず明日の朝まで、体調が悪化しないか様子を見ます」

 

 

 それだけ言い残し、入江は診察室から出て行く。

 廊下に出た時、後ろから梨花がとことこ付いて来た。

 

 

「……沙都子、大丈夫なのですか?」

 

「……安定していますよ。薬も投与しましたから……言っても、少し危なかったかもしれない」

 

「……レナや圭一の事は」

 

「彼女が落ち着くまで秘密にしておきましょう……今は出来るだけ、刺激は与えたくはないですから」

 

 

 そこで会話を止め、梨花は神妙な顔付きのまま診察室に戻ろうとする。

 入江は少しだけ躊躇し、呼び止めるように尋ねる。

 

 

 

「……上田教授も……もしかしたら危険かもしれないんですよね?」

 

「………………」

 

 

 一番考えたくはない事だが、あまりに帰って来る時間が遅過ぎる。

 山田の件もあり、もしかしたら……と、悪い予感ばかり強まって行く。

 

 

 梨花はふらりと振り返り、悲しそうに首を振った。

 

 

 

「……上田たちは……もう、遅いのかもしれないのです」

 

 

 

 沙都子のいる部屋に声がいかないようボソリと告げてから、梨花は再び診察室に入る。

 入江は暫し立ち尽くし、沈んだ表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──そのまま彼は、山林を震わすほどの雄叫びをあげた。

 

 

 

 

「ベストを尽くせぇぇぇえッ!!!!」

 

 

 

 

 見るからに凶暴化した彼に対し、あれほど勝り気だった構成員らも慄き、及び腰になる。

 

 

「取り囲めぇ!! 数はこっちの方が勝ってんだ!」

 

 

 リーダー格の男が発破をかけ、構成員らは大急ぎで上田を取り囲んだ。その数は十四人ほどもいて、中には鉄パイプ、鉈、鎌、鍬と、凶器を持つ者も。

 彼らの後ろで山田はただオオアリクイの威嚇をしているだけだ。

 

 

 

 自力で縄を切った上田を見て、縛られたままの圭一と富竹は感嘆の声をあげた。

 

 

 

「上田先生、凄い……!」

 

「でも……! この数じゃ一人では……!」

 

 

 確かに彼一人では厳しいだろう。若干いけなくもなさそうだが、助っ人が必要だ。

 そこで圭一は提案する。

 

 

「だったら、富竹さんもですよ!!」

 

「……えぇ!? ぼ、僕にはとても……!」

 

「そうだなぁ……富竹さん、写真家でしたね!?」

 

「……そ、それが……?」

 

 

 圭一は静かに、唱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぜ、シャッターを切らないのか」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ベスト

PS4にて『ひぐらしのなく頃に 奉』が発売中です。
従来のシナリオに加え、まさかの追加シナリオ付き。儚い表情で立つ、お腹チラ見せレナのパッケージが目印です。
平成最後のひぐらし祭りです。


 圭一の言葉に、上田同様ピタッと動きを止める富竹。

 

 

「……なぜ、シャッターを切らないのか」

 

 

 彼のかけていた眼鏡が、光源もないのにキラリと光る。

 その光が増すようにと、圭一は言葉を尽くして詠唱を続けた。

 

 

 

「Why !?」

 

「………………」

 

「Don't you!」

 

「…………」

 

「release the shutter!?」

 

「……ッ」

 

 

 光がビームでも放つかのように強くなった。

 その光を浴びながら圭一は畳み掛ける。

 

 

「なぜ、シャッターを切らないのか!」

 

「……ッ!!」

 

「なぜ、シャッターを切らないのか……!!」

 

「……ッッ!!!!」

 

 

 上田と同じ覇気、空気、そして光と想い。

 辺りを震わし、「もう一人のジロウ」の闘魂にブースト。

 

 

 

 

 

 

 

「ぬおぉおぉおぉおぉ……!!」

 

 

 縄が音を立て、軋み出す。

 

 

 

 

「富竹フラッシュだぁぁあぁあッ!!!!」

 

 

 縄をぶち切る。

 まず愕然とした人物は、上手く行くとは思わなかった圭一だったりする。

 

 

「嘘だろ!? やった!」

 

「え!? そっちも!?」

 

 

 山田からも驚きの声があがった。

 

 

 

 

 

 

 富竹はまず、帽子を脱ぐ。

 

 ツナギも脱ぐ。

 

 タンクトップ一枚を、胸筋だけで張り裂けさせる。

 

 

 上田の白シャツ、富竹のタンクトップ。白と黒の二つの断片が大空を舞う。

 

 

 

 

 

「フラッシュを放てぇぇええぇッッ!!!!」

 

 

 彼の叫びは木々をなぎ倒さんばかりの気迫。

 上田を取り囲んでいた面々はまた態勢を崩し、凶暴化したもう一人を前に慄く。

 

 

「コブラだ! ヒューッ!!」

 

「カメラマンだーっ!!」

 

「フラッシュマンだ!」

 

「奴も取り囲めぇ!?」

 

 

 構成員らは即座に、二人を囲む。

 

 

「富竹さん!」

 

「上田教授……!」

 

「……一緒に戦いましょう」

 

「……はい!」

 

 

 

 

 

 二人は背中を合わせ、互いに構えた。

 二つの闘志が、火よりも熱い光線を放つ。

 

 揃い踏みの上田と富竹を見て、圭一は感銘を込めて零す。

 

 

「おぉ……! ベストマッチ……!」

 

「……二人のマイティ?」

 

 

 

 

 取り囲んでいた構成員らが、一斉に襲いかかる。

 

 

 縦横無尽に飛び交う凶器。

 上田と富竹は互いにそれらを回避。

 

 

 

 

「じゃあ死んでもらおうかなぁーッ!!」

 

 

 眼前にやって来る鉈を避け、空振りの隙を突き、

 

 

「ホワチャアッ!!」

 

「うぎゃッ!?」

 

 

 上田は顔面へストレートをお見舞いする。構成員は背中から倒れ、再起不能にされた。

 それを見て負けていられないのは富竹。

 

 

「俺参上ぉーッ!!」

 

 

 鍬を構えて振り下ろす構成員の懐に、敢えて突撃。

 

 

「オゥラァァッ!!」

 

「つよッ!?」

 

 

 振り切る前にタックルされ、構成員は後ろに吹っ飛び、控えていた他の面々をボーリングのように巻き込む。

 総員纏めて、気絶。

 

 

 

 

「行け行けーッ!!」

 

「命燃やすぜーッ!!」

 

「命を燃やせーッ!!」

 

 

 構成員らが追加され、二人に向かって武器を掲げて突撃。

 だが、持っている武器が鉈だろうが鎌だろうが鍬だろうが関係ない。

 

 

「「はああああああああッッ!!!!」」

 

 

 

 見切り、刃の側面を二人は瞬足で殴り、全て捌いてしまった。

 

 

「「チェストぉぉおぉおぉおッ!!!!」」

 

 

 

 衝撃で武器を手放してしまった構成員らを纏めて、正拳突きで一掃する。

 

 

 

 

「その程度かぁぁあぁあッ!!」

 

「富竹ダイナマイトぉぉぉおぉおッ!!」

 

 

 鬼神が如き戦いぶりに、構成員らは戦意を削がれる。

 しかし手加減はしない。上田と富竹は彼らへ飛びかかった。

 

 

 

「「アタタタタタタタタタタタァッ!!!!」」

 

 

 悪行への報いを与えるべく、拳と脚をくれてやった。一人一発は食らい、バッタバタと倒れ伏して行く。

 十四もいた構成員は、気付けば四人だ。

 

 

 

「こ、こうなったら俺がーーっ!!」

 

 

 追い詰められたリーダー格の男が、半ば錯乱状態で鉈を張り上げ、二人の元に駆けた。

 一度二人は顔を見合わせ、互いの名を呼ぶ。

 

 

「富竹さんッ!!」

 

「上田教授ッ!!」

 

「「とぉッッ!!!!」」

 

 

 

 

 掛け声に合わせ、二人は空高く跳躍。

 空中で一回転し、足を突き出した。

 

 

 

 

 

「「ライダァァダブルキィィイックッ!!!!」」

 

 

 同時に行った飛び蹴り。

 それを受け止めようとする男だが受け止められる訳もなく、身体一つでそれを食らい、後ろへ吹き飛んだ。

 

 吹き飛んだ際に、控えていた三人と衝突した。

 

 

「雛見沢じぇねれ〜しょんずに栄光あれぇぇぇぇッ!!!!」

 

 

 断末魔の叫びをあげ、彼は仲間たちを巻き添えにゴロゴロと山の斜面を転がって消えた。

 全て倒したと悟った上田と富竹は、決め台詞を吐く。

 

 

 

「……敢えて言おう……カスであるとッ!!」

 

「さぁ! 誰が僕を満たしてくれるんだぁぁあぁあッ!!!!」

 

「……あれ、頭に何か打ち込まれてんだろ」

 

 

 山田が呆れながら眺めていたが、二人に気を取られ過ぎて背後に気付かなかった。

 

 

 

「捕らえたッ!!」

 

「みゃーっ!?」

 

 

 静かに忍び寄った構成員が、山田を人質にしてしまった。その事態に気付いた圭一は叫ぶ。

 

 

「山田さん!? 師匠!? お師様!? 我が救世主!? 御山田様!?」

 

「どれかに絞れっ!!」

 

 

 上田と富竹もそれに気付き、悔しげな面持ちを見せる。

 

 

「山田……!」

 

「山田さんを離せッ!!」

 

 

 男は山田の首元に鎌を添えて訴えた。

 

 

「離して欲しけりゃ、戦闘を放棄しやがれ!」

 

「刃が当たってる当たってる!? カマしスギぃ!」

 

 

 更に首根っこまで刃を付ける構成員。

 人質を取られては手も足も出ないと、諦めが上田らに見えた時だった。

 

 

 

 

 

「その必要はないよ」

 

 

 刹那、構成員は横から飛んで来たレンガを顔面に受けて山田を解放した。

 

 

「おうふッ!?」

 

「うおっと……おお……一撃カマーンされるトコだった……!」

 

 

 レンガを投げて山田を助けたのは、魅音。

 彼女だけではなく詩音もおり、更にはゾロゾロと黒服の怖い人たちが姿を現した。

 圭一は驚きと歓喜を織り交ぜた声をあげる。

 

 

「み、魅音ッ!? それに……詩音も!?」

 

「遅くなったね、圭ちゃん!」

 

「はろろ……いやもう、はろろんの時間じゃないですかね?」

 

 

 園崎魅音の登場に、何とか立ち上がれた構成員らも完全に戦意を喪失してしまった。

 そんな彼らの心根を完全に挫くように、魅音は叫ぶ。

 

 

「園崎次期頭首に喧嘩売るなんざ上等ぉッ!! 首取られたい奴だけかかって来いッ!!」

 

「……戦闘狂しかいないのかここは」

 

「二人とも、なんでここが分かったんだ……?」

 

 

 圭一の問いかけと同時に、黒服たちがボコボコにされたサル・カッパ・ブタを連れて来た。

 

 

「山田さんがダム建設のスパイ扱いになっていてさ。おかしいと思って、別宅に行ったら家はボロボロ、前にはこいつらが倒れていて……ちょちょっと『尋問』したらここって教えてくれたんだ」

 

「オネェの尋問って拷も」

 

「と、とにかくッ!! みんな無事で良か……上田先生と富竹さん。その格好なに?」

 

 

 上田と富竹は、胸元が大きく破れている、かなりワイルドな格好。驚くのも無理はない。

 

 

 ともあれ園崎組の登場によって、雛じぇね構成員らの表情を怯えに変貌させ、悲鳴を叫び、蜘蛛の子を散らすように逃走を図る。

 

 

「逃がすわけないじゃんか! ほら捕まえて捕まえて!」

 

「「サー・イエッサーッ!!」」

 

 

 怖い人たちが構成員を追いかけ回す。当事者なら多分、一生ものの悪夢になるだろうなと、少し山田は哀れに思った。

 魅音と詩音は改めて現場を確認し、信じられないと首を振る。

 

 

「倒れている人はコレ……もしかして、あの二人がやったの?」

 

「本当にお強い……人間として強過ぎる気がしますけど」

 

「とりあえず服を着ろ!」

 

 

 戦闘は終わり、山田にもそう促される。

 しかし、二人の目にはまだ闘志の炎が宿ったままだ。

 

 

「……山田。まだ終わっていない……」

 

「へ?」

 

「えぇ、上田教授……ジオ・ウエキを倒しに……!」

 

「行くぞ! 待っていろジオウッ!!」

 

「ちょ、ちょっと!? お二人さーん!?」

 

「「シュワッチッ!!」」

 

 

 なんと二人はジオ・ウエキから三億円を取り返すつもりだ。

 そのまま疲れも見せず、闇夜に飛んで消えてしまった。

 

 山田は叫ぶ。

 

 

「……だからせめて服を着ろーッ!!」

 

「上田先生と富竹さんすげぇ!!」

 

 

 二人の戦闘能力を目の当たりにした魅音は、真剣な表情で呟く。

 

 

「あの二人……ウチの組に入ってくれないかなぁ……?」

 

「多分手に余るんじゃ……てか、同じ人間で括って良いんでしょうか?」

 

「事が済んだらスカウトしよっと…………て言うか、あれ?」

 

 

 思い出したように辺りを見渡す魅音。その様子が気になった山田は、彼女に尋ねた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「レナはいないの?」

 

「え? レナさん?」

 

 

 次に圭一が聞く。

 

 

「レナがどうしたんだよ? あいつ、一旦自分の家に帰ったぞ」

 

「え? じゃあ、ここにもいないの!?」

 

「……へぇ!? も、もしかして、あいつ家にいないのか!? レナが!?」

 

 

 興奮する圭一を宥め、詩音が説明してくれた。

 

 

「……レナさんは行方不明です。それだけではなくて……レナのお父さんが、誰かに頭を殴られて重体なんです」

 

「……!? どう言う事だ……? まさか、雛じぇね!?」

 

「可能性はありますが……でも安心して。今、葛西が雛じぇねの暴動抑えて、レナを捜索してくれるハズですから!」

 

 

 とは言うが、安心出来ないのが正直だ。

 

 父親の目を覚まさせる為に駆けて行ったレナが、消えた。山田と圭一の胸中に悪い予感がよぎる。

 

 

 

「……私たちも探しましょう。多分、村からは出ていないかと」

 

「……そのつもりですよ、マスターッ!!」

 

「………………あ、それも私の事か」

 

 

 事件はまだ終わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃のジオ・ウエキ──こと、浮恵。

 森林近くに置いていた車を走らせ、雛見沢に帰還。そこで待っていた現場監督らと合流する。

 

 

「三億円は取り返したわよ」

 

「んもぅっ! さすがはジオジオちゃん! 恐れ入ったわぁ!」

 

「半年かけた情報網と信頼を舐めちゃイカンですわぁ! おっほっほっほ!」

 

「抱いてッ!!!!」

 

 

 車から降り、高笑い。

 辺りには彼らの他に誰もおらず、浮恵の耳障りな笑い声だけが響く。

 

 

 三億円が取り戻せたとなればもう、この場に用はない。すぐさま逃走の準備を始める。

 

 

「さぁ。逃げるわよ! 言っても、谷河内からここまで車で十二分……今更追い付ける訳が」

 

「じ、ジオジオちゃん?」

 

「ん?」

 

 

 背後を指差す現場監督。

 妙な気配と空気を感じ取り、ザワザワとした胸騒ぎと嫌な予感がする。ゆっくりと、浮恵は彼が指差した方を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 全員の視線の先には、こっちに走って迫る二人の男──上田と富竹。

 上田はなぜか拾った雛じぇねの旗を担ぎ、富竹と並んで腕と足を振り全速力だ。

 

 

 足だけで、彼女らに追いついてしまった。浮恵は二人の姿を見て呟く。

 

 

「……ひ、必殺うらごろし……?」

 

 

 即座に迎撃態勢を取る作業員ら。

 待ち構えるなんて野暮ったい事はしない。作業員六人全員が、上田と富竹に向かって走り出す。

 

 

「じ、ジオジオちゃん! お金は……!」

 

「チィッ!!」

 

 

 トラックへの積み替えは諦め、乗って来た車で逃走しようとする浮恵。

 

 

「ふんぬぅッ!!」

 

 

 しかし上田は担いでいた旗を投げ、後部座席の窓を割って上手く、運転席にぶつけて阻止する。

 

 

「ギェッ!?」

 

 

 旗がシートにぶつかった衝撃により、彼女は顔面をハンドルに強打してしまい、そのまま伸びてしまった。

 

 

「こいつら人間じゃねぇ!?」

 

 

 現場監督もそう言うしかない。今のあの二人は超人だった。

 

 とうとう作業員らと衝突し、戦闘開始。

 折り畳み式のナイフを待って襲いかかる彼らだが、先行した富竹は拳のみで倒して行く。

 

 

「こんにゃろぉッ!! こんにゃろぉッ!!」

 

「和田アキ子!?」

 

 

 善戦する彼の横を抜けて、車に突き刺した旗をまた手に取っては、それを武器として振るい上田も作業員と戦う。

 富竹の拳を受け、或いは上田の旗を受け、作業員は全員バッタバッタと倒れ伏して行く。

 

 

 

 残るは現場監督。

 

 

「オカマ舐めんじゃねぇーーッ!!!!」

 

「「わいやぁあッ!!!!」」

 

「勝てるかーッ!!」

 

 

 腹部を突かれ、顔面を旗で殴られ、あっさり敗北した。

 

 

 

 

 

 

 気絶していた浮恵は、やっと眼を覚ます。

 早く車を出そうとアクセルを踏みかけたが、ドアを開けた富竹に外へ放り出される。

 

 

「ひ、ひぃいぃい!?」

 

「上田教授、三億円は?」

 

「見つけました」

 

 

 その間車内から三億円のケースを奪還される。

 味方は全滅し、三億円は奪い返され、浮恵にもう成す術はなかった。

 

 

「お、お、お慈悲……お慈悲をぉぉお……!!」

 

「消え失せろッ!!」

 

「ひぇえぇえぇええッ!?!?」

 

 

 情けない悲鳴をあげながら、彼女は腰も砕け砕けに車道を走って逃げて行く。

 後ろ姿を睨み続けていた二人。浮恵が闇に消えたところで、踵を返した。

 

 

 

「戻りましょう、ジロウよ」

 

「はい。次郎」

 

 

 

 

 来た道を、二人並んで歩いて帰る。

 それはまるで悪の組織を滅ぼし、静かに去って行くヒーローのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと、彼女は横たわっていた。

 眠るには硬い、木の椅子の上。

 

 

 

 父親を叩いた時から、家を出た時から、自分がどう言う道筋で歩いて来たかを思い出せない。

 ただ気付けばここに居て、横たわって、夜が訪れただけ。

 

 

「………………」

 

 

 手を天井に翳す。

 あの嫌な感触が忘れられない。

 

 大好きな父親を、自分は初めて叩いた。

 同時に心の奥底で沸いた、一つの黒の感情に怯えた。

 

 

「……私……お父さんを……」

 

 

 ほんの一瞬だった。

 

 

 

 

 

 

「……恨んだんだ……」

 

 

 認めたくはないのに、頭は事実を、心へ突き付ける。

 父親が自分に敵意を向けた時、自分を貫いたあの感情。

 

 あれは間違いなく怨恨だった。

 

 

「…………圭一くん……」

 

 

 今朝、彼から説教されたばかりではないか。

 人は何度も間違いを繰り返す。

 間違ってしまったら、頼れと。

 

 

 真っ先に、彼の元へ行きたかった。

 しかし決して懺悔をしたい訳ではなかった。

 

 

 

 彼と一緒に、どこか遠くに行ってしまいたい。

 

 そんな事をつい、夢想してしまった。

 

 だから自分は、ここにいるのだろうと苦笑い。

 

 

「……遠くに行こうって言って……もし、良いよって言ってくれるなら……どこに行こっかな……オヤシロ様も付いてこれない、遠くまで……」

 

 

 眠ってしまおう。段々と馬鹿らしくなって来る。

 結局、今の自分がしているのは、かくれんぼ。

 

 見つけて貰える時を、待っているだけ。

 こんな自分を、父親は探してくれるのかと。

 先生は、友達は……それを試してみたかった。

 

 

 目を瞑る。

 そして小言でおやすみなさいと、呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナの捜索が開始され、山田と圭一は魅音らの車で村へ戻る。

 その途中、道を歩く上田と富竹と合流。

 

 

「取り戻したぞ三億円」

 

「僕と上田教授に敵はいません」

 

「誰だこいつら」

 

 

 山田がそう言ってしまうほど、オーラが凄い。

 持っていたジュラルミンケースが園崎の組員に渡り、中身も確認された。二億九四三◯万七五◯◯円はきっちり収納されており、紙幣がヨレヨレな事以外に損傷はない。

 

 三億円は、やっと帰って来れた。安堵した様子で魅音は息を吐く。

 

 

「ウチの従業員の姉だとか、その為に根回ししていたとかダム会社とグルとか……とんだ狂人だわ」

 

「それで、ジオ・ウエキは……?」

 

 

 詩音がそう尋ねるが、二人は「あえて逃した」とほざく。

 

 

「あんな女、制裁を与える価値もないッ!!」

 

「僕らの拳が穢れてしまう」

 

「ちょっと!? えぇ!? なんで!?」

 

 

 愕然となり、二人に突っかかる魅音。彼女を何とか詩音が宥めさせた。

 

 

「ま、まぁまぁオネェ……お金は返って来たし、全員を逃した訳じゃなさそうだし」

 

 

 その他グルだった作業員らは、気絶させられていたところを捕縛出来た。

 彼らの存在は、「作業員でありながら現地にて、強盗・暴行・殺人を働いた」として、ダム計画へ大きな痛手を与える逆転の一手となるだろう。

 少し怒っていた魅音だが、今は腰に手を当てて大笑い。

 

 

「はっはっは! 色々あったけど、ダム戦争は勝ったな!」

 

「喜んでいる場合じゃねぇぞ魅音……」

 

「おっとと、そうだった……レナを探さないと」

 

 

 山田、圭一、魅音、詩音は車を降り、手分けして探す事にした。

 彼女らから少し離れた所で、上田と富竹が静かに佇んでいる。

 

 

「……もうかなり暗くなって来ています、危険な場所はやめておきましょう……良いですか? ひとまず私たちは村内だけを捜索します。オネェと私は、畑や田んぼの周辺を探してみます」

 

「俺は学校とか、神社とかを……」

 

「あまりこの村の地理に詳しくないですけど……私も分かる場所は探してみます」

 

「裏山は、ウチの若い衆たちに電灯持たせて探させるよ……言っても、まだ雛じぇねが暴れているらしいから遅れるかな」

 

 

 詩音が振り返る。

 異様な空気を纏わせて立つ二人に恐縮しながらも、指示を出す。

 

 

「お、お二方は沢の辺りをお願い出来ますか?」

 

 

 二人は同時に首肯した。

 

 

「任せたまえ」

 

「任されました」

 

「暇を持て余した」

 

「ジロウたちの」

 

「遊び」

 

「まず頭診てもらえ」

 

 

 山田がツッコむほど二人はおかしくなっていたが、渓流を散策した事のある二人なら沢の捜索は適任だろう。

 

 各々が散り、レナ捜索が開始される。

 彼女と最後に出会った圭一曰く、朝方に別れたらしい。ほぼ丸一日消息を絶っている。

 

 一体、彼女はどこにいるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰かの声が聞こえた気がして、レナは目を覚ました。

 

 誰か来たのか。

 ここを使う人を滅多にいない。夜ならば尚更だ。

 自分を心配した誰かが、名前を呼んでくれたのか。

 

 

 ゆっくりと、身体を起こし、表を覗く。

 

 

「ゼヒュー……ゼヒュー……!」

 

 

 見覚えがある。

 いや、見覚えがある程度ではない。自分の人生に於いて、本気で自分を殺そうとした初めての存在。

 

 

「……!……間宮浮恵……!」

 

 

 派手な衣装と、けばけばしい化粧の肥えた女。

 ジオ・ウエキとして村を翻弄し、更には自分にまで毒牙を向けた悪女。

 

 だが様子が変だ。

 いつもの自信に溢れた、厚かましい表情ではない。

 恐怖し、怯え、ずっと走って来たのか、窶れて疲れた顔。

 

 

「な、なんなのよあの男たち……! 人間じゃないわ……!」

 

 

 立ち止まり、呼吸を整えている。

 何しでかすか分からない女だ。レナは息を潜め、様子を伺う。

 

 

「くぅう……! アタシの半年がぁ……! 覚えてなさい……こうなったら、アタシのシンパ操って園崎に火を放ってやるッ!」

 

 

 頻りに背後を気にしながら歩いている。追手を恐れているようだ。

 

 

 もう一度前を向いた時、彼女はハッと立ち止まった。誰かが立っていた。

 最初は敵かと浮恵は怯え、懐からジャックナイフを取り出し刃先を向けた。

 

 

「だ、誰なの!?」

 

 

 

 闇を蠢く影だったそれは、街灯の下で輪郭を半身だけ露わにする。

 浮恵にとって良く知った人物だった。

 

 

「……り、『りっちゃん』!?」

 

 

 彼女の妹、間宮律子。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 レナは思わず声が出そうになった。

「リナ」を名乗り、自分の家族を潰そうとした最悪の女と再会したからだ。

 

 

 浮恵は律子だと気付くと、刃を下げて彼女へ嬉々として近付いた。

 

 

「…………」

 

「りっちゃん、生きてたの!? あ、いや、生きてたのって言うのか語弊があるわねぇん……え、えーと」

 

「…………」

 

「あ、アタシ、あなたの事探していたのよ! その、さ、三億は取り返されて、ひっじょーにキビシー状態なのっ!」

 

「…………」

 

「ゲゲゲイちゃんとか捕まったからトラックで逃げられないし、興宮は園崎でいっぱいだし、どこに逃げれば良いのやらだけど」

 

「……ねぇ」

 

「こうなったら園崎本家を炎上させて……ん? どしたの、りっちゃん?」

 

 

 律子の様子もおかしい。

 虚ろな目で、足取りも覚束ず、いつも小綺麗にしていた彼女とは別人に思えた。

 

 

 

「ほ、本当にどしたのよ!? ゾンビよあなた!? ジョージ・ロメロの映画でも見た!?」

 

「……あんたもアタシを」

 

「は?」

 

「アタシを見殺しにするのねぇ……?」

 

 

 影に隠れていたもう半身が現れる。

 

 

 後ろ手に隠れていた右手には、鉈。街灯に照らされ、鈍く光る。

 それを見た浮恵の顔より血の気は引く。

 

 

「な、なんなの!?」

 

「昔っからさぁ、あんたの顔がさぁ……嫌いで嫌いでしょうがないのよ……」

 

「な、なに!? やる気ぃ!?」

 

 

 再びナイフを向ける浮恵。

 だが律子は動揺を見せず、一歩一歩彼女へ近付いて行く。

 

 

「アタシはさぁ、綺麗なままでいたいのよ。でもあんたって、声とか、顔付きも似てるじゃん、アタシと。デブで汚くて醜くい……まるでアタシの劣化見ているみたいで無理」

 

「その言い方! アタシ、あんたより劣っているって事ぉ!? 美人局のやり方とか、三億計画とか考えたのは誰だと思ってんのよ!?」

 

「もう本当に無理。無理無理無理無理無理…………その癖にさぁ、アタシを見殺しにしようとかさぁ……」

 

「り、りっちゃん……す、ステイステイ、Stay Night……」

 

 

 鉈を振り上げる。

 

 

 

「ふざけんじゃないわよぉおぉ劣化の癖にさぁあぁああぁぁぁあ!?!?」

 

 

 次に響いたのは、浮恵の悲鳴。

 ジャックナイフと鉈では、明らかなリーチの違いと差。

 

 

 咄嗟に身体を引き下げる浮恵──だが遅かった。

 

 

「あ?」

 

 

 振り下ろされた鉈の切先。

 浮恵の額から左眼を潰す。

 そのまま顎までを裂いた。

 

 

 

 

「ぎゃああああぁぁぁあぁあぁ!?!?」

 

「なんで避けんのよぉお!?」

 

「あぁあぁああぁ!!!!」

 

 

 裂けた左顔面の激痛に、ナイフを手放し地面を這う。

 逃げようとする彼女の背中へ、律子は躊躇なく振り下ろす。

 

 

「ぎぃいぃ!?」

 

 

 血塗れの顔、パックリ割れた背中から流れる鮮血。

 苦悶の声をあげる。

 それでも逃げようと這う彼女を捕まえ、仰向けにさせる。

 

 

「だ……だずげ……」

 

 

 街灯の逆光を浴びる律子。

 浮恵に馬乗りになる。

 鉈を振り上げた。

 

 

「あんたアタシを殺す気だったんでしょぉ!? 実は園崎と組んで殺す気なんでしょおッ!? 分かってんのよ分かってんのよぉおッ!!??」

 

「やめでぐだ」

 

「クソ姉がぁあぁあぁああぁあッ!!!!」

 

 

 鉈を振り下ろす。

 

 

 鈍く、粘着質な音。

 飛び散る真紅。

 途絶えた、浮恵の声。

 

 

「死ねッ!! 死ね、死ねッ!!」

 

 

 ヒステリックな律子の叫び。

 広がった血溜まり。

 街灯が照らす惨憺。

 

 

 レナはその光景を直視し、胃の奥が熱くなり、吐き気を催す。

 

 

「うッ……!?」

 

 

 今、彼女の眼前で、殺人が起きている。

 

 

「死ねッ、死ねッ……あは、あは、あはははは!!」

 

 

 狂った笑い声。

 もうすでに浮恵は死んだ。

 顔面は斬り刻まれ、面影もない。

 返り血を全身に浴び、それでも鉈を降ろし続けた。

 

 ただの肉の塊を刻む、刻み続ける。

 

 

 

 

「げぇ……ッ!!」

 

 

 背を向け、遮蔽物の後ろに隠れた。

 込み上げる吐き気による嗚咽を、必死に押し止める。

 恐怖で身体は震え、涙が流れ続けた。

 

 

 両手で口を押さえているから、塞がっていない耳は容赦なく音を拾う。何度も、何度も、何度も、何度も、肉を潰すような音が。律子の狂った声が。

 

 

「…………!!」

 

 

 とても耐えきれない。

 奥歯を噛み締め嗚咽を我慢し、耳を塞ぐ。

 

 自分の浅い呼吸と、乱れた心臓の鼓動が良く聞こえた。

 

 震えて、怯え、目を閉じ、耳を押さえ、歯をくいしばる。

 見たくない、聞きたくない、お願いだから早くどっか行ってよ。

 

 

「助けて…………!」

 

 

 本心から出たのは、救済を求める声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圭一は、夜の学校に来た。

 

 

「レナぁ!! どこだぁ!?」

 

 

 懐中電灯を、学校の窓から差し向け教室を照らす。中には誰もいない。

 

 

「当たり前か……鍵、閉まってんもんな……」

 

 

 校庭に出たり、学校裏を見たり、近くの林まで足を運ぶ。

 何度も、声が枯れるまで彼女の名を呼んだ。だが応答はない。

 

 

「どこなんだよぉ……!」

 

 

 焦燥感と疲労ばかりが募って行き、息が切れ、学校の壁を凭れかかった。

 

 

「レナの好きそうな所……宝の山に……あそこは懐中電灯だけで行ける所じゃねぇけど……!」

 

 

 必死に彼女の行くであろう場所を頭に思い描く。

 一つ一つ、絶対に調べてやろうと、呼吸が落ち着いて来た圭一は思案した。

 

 

「…………よしッ!」

 

 

 休憩の時間さえ惜しい。

 自身に喝を入れて、再び圭一は走り出した。

 

 

 

 

 

「どわっと!?」

 

 

 焦り過ぎた。

 足元の確認を怠り、落ちていた箒を踏んで盛大に転ぶ。

 

 

「いぃ……いっつぅ……!」

 

 

 急いで手放した懐中電灯を拾い、立ち上がろうとする。

 その時に、ポケットから落ちたであろう、自分の財布に気が付いた。

 

 

「おっとと……しまったしまった……」

 

 

 財布を手に取る。

 ポケットに戻そうとした時、更に中からヒラリと何かが溢れ落ちてしまった。

 

 

 小さなメモ用紙だ。

 

 

「…………ん?」

 

 

 圭一は何のメモかと、拾い上げて確認した。

 

 

 

『19「2」4037「3」1238』

 

「お宝探しの……」

 

 

 謎解きがあまりにも見事だった事と、部活のゲームで勝てた記念にと保管していた。

 あまり気にも留めずに、財布にしまい直そうとした時、ハッと気付かされ、またメモを見た。

 

 

 五十音順を数字化したもの。

 

 

 そして次に浮かんだのは、レナの言葉。

 

 

 

 

『……どこか遠くに。一緒に、どこまでも……』

 

 

 

 寂しげで、儚い、あの横顔。

 

 

 

『……遠く遠く……オヤシロ様も追いつけない遠くまで……「待合室」のレナを連れてって欲しいな』

 

 

 

 待合室。

 もしかしてと、圭一は震える。

 

 

 

 

 レナは、自分を遠くに連れて行ってくれるシンボルを見出していた。

 決まった時間に来て、遠くまで運んでくれる、「バス」。

 

 

 

 

 

 

「『停留所』……!!」

 

 

 

 

 圭一はそれ以上何も考えず、ただ停留所まで全速力で駆けた。

 レナは自分の好きな場所に、お宝を隠していたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 錆びたバスストップが、ぽつりと立つ。

 待合室には二列、木のベンチがあり、レナは一番後ろに隠れていた。

 

 

 

 それから何分経ったか分からない。

 時間としてはほんの数秒か一分の、短いものかもしれない。

 しかしこの瞬間のレナには、一時間にも六時間にも感じられた。

 

 

 

「………………?」

 

 

 試しに耳を解放する。

 音は止んでいる、律子の声はしない。

 

 目を開ける。

 薄暗い。

 

 

 やっと、彼女はどこかへ行ったみたいだ。

 嗚咽を飲み込み、ふぅと息を吐き、上を向いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんた何してんの」

 

 

 

 

 律子がレナを覗いていた。




・「翔べ!必殺うらごろし」は、「必殺仕事人」の前に放送されていた必殺シリーズ作品。やけに爽やかな処刑用BGMと共に「先生」が現れ、担いだ旗を刺したり叩き付けたりして悪人を滅殺するのだが、この先生は死人の声を聞いたり、足だけで馬に追いついたり、ザッと十メートルは跳躍したり、お経を唱えて夜を朝にしたりと人外じみた能力を持っている。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罪作り

 嫌な予感が胸を騒つかせ続ける。手放してしまえば、一生手に届かなくなってしまうような焦燥感だ。

 

 

「……レナッ……!」

 

 

 夜道をひたすら駆け、停留所を目指す。

 圭一の目はもう、前しか映していない。

 

 

 月光が消えた。月を不吉に雲が隠してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナの真上、こちらを俯瞰する律子。

 

 その目に、彼女は凍らされた。

 街灯の逆光で影に覆われた顔。しかし目だけは爛々と、野生的な光を放っていた。

 

 殺意、敵視、狂気、絶望、怨憎。

 数多の感情が腐敗し、湿り気を帯び、目を通じて自分へ降りかかるようだ。

 

 

 

 いや、本当に、生暖かいものが降って来ている。

 血だ。彼女が殺した浮恵の返り血だ。

 

 

「あんたもアタシを追って来たワケ?」

 

 

 叫びも弁解も出てこない。

 気付いた時には、律子の両手がレナの喉を掴んだからだ。

 

 

 

「ぐぇ……ッ!?……!……!!」

 

 

 首を掴んだまま、上へ引かれた。

 首が締まり、呼吸が止まる。

 パニックに陥り、手を引き剥がそうともがく。

 

 

「あはははははは!!」

 

「ぅ……! うっ……!!」

 

 

 レナは咄嗟に、彼女の小指を掴んで思いっきり引く。

 

 全ての指に力を込めても、小指だけは筋力の差でどうしても力が入りにくい。相手が男だとしても、小指は子どもの力でも折る事が可能だ。

 

 

「イッ!?」

 

 

 ボキリと鈍い音が鳴り、律子の右手小指が外側に折れた。

 激痛に耐え切れなくなり、レナを待合室から放り出す。

 

 

「ゲホッ!……えほっ……!!」

 

 

 酸欠状態で頭がクラクラする。

 それでも逃げ果せようと這い、立ち上がる為に上半身を腕で支えた。

 

 

 

 

 脇腹に衝撃、そして激痛。

 律子が鉈の峰で、レナを殴った。

 

 

「がぁ……ッ!?!?」

 

 

 吸い込めた空気が一気に離れ、混乱から過呼吸に陥った。

 痛い、痛い、痛い痛い……脇腹を押さえて、街灯の下で無様にのたうち回る。

 

 

 べとり、暖かい物に身体が浸される。

 顔を上げると、そこは血溜まり。

 浮恵の惨殺死体の側まで来ていた。

 

 

「ひ……ッ!?」

 

 

 白い服は赤黒く染まり、気色の悪い感触が身体を包む。

 眼前には顔面が刻まれ、脳、骨、眼球が潰れて露出していた。

 

 我慢していた嘔吐が、再び込み上げる。

 何とか口を押さえて止めたが、律子に蹴飛ばされ路上を転がる。

 

 

 

 

「あっははははは!! ゴミ袋みたいッ!!」

 

 

 汚れ、血に塗れ、夏の暑さでむせ返る、染み付いた腐臭。

 どろどろに泣きじゃくり、怯えた目で律子を見るレナは、あまりにも穢らわしい。

 

 

「ぃ……あぁ……!?」

 

「見て、この指ッ!! これじゃあもう、マニキュア付けられないじゃないッ!? あははは!! 何てことすんのよクソガキッ!!」

 

 

 レナの身体を踏み付ける。

 何度も何度も踏み付ける。

 

 

「おぇ……ッ!!」

 

「このクソッ!! クソッ!! 生意気なのよガキの癖にッ!?」

 

 

 腕を投げ出し、無抵抗のレナへ、馬乗りとなる。

 狂った目をした、血濡れの律子が、レナを愉快そうに見下す。

 

 

「ゃ……ゃめて……!!」

 

「あっははははは!! 無様ねぇ!! 聞いてるわよ、あんたのお父さんから!!」

 

「……!?」

 

「離婚した母親のお荷物ってぇ!? 何考えてるのか分からないし、話し方はおかしいし!!」

 

 

 鉈が振り上げられる。

 

 

「『キレて学校中の窓ガラス割った』!?『生徒をバットで滅多打ちにした』!?」

 

 

 すぅっと、心が空いて行く感覚。

 

 

「そんな事友達に知られたら嫌われるよねぇ!!」

 

 

 自分は死ぬと言う直感と、或いは過去を暴かれた衝撃。

 

 

「あんたなんかを、愛してくれる人間はいないのよぉッ!!」

 

 

 街灯で鈍く光る鉈と、燃えるような律子の目を、ずっと見ていた。

 

 

 

 

 振り下ろされようとする鉈。

 レナは指先に、何かが当たった事に気が付いた。

 

 

 

 浮恵が持っていた、ジャックナイフ。

 刹那、彼女は考えるよりも先にナイフを握り締め…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走り、転び、道路に出た圭一。

 ぽつぽつと点在する街灯の下を走り抜け、停留所に辿り着く。

 

 

 

「…………レナ?」

 

 

 待合室の前に蹲る、二つの影。

 スポットライトのような街灯の光。

 白い明かりが宵闇を晴らすは、真紅の惨劇だ。

 

 

「は……?」

 

 

 立ち止まり、呆然と眺める。

 間違いなくそこには、二つの死体が転がっていた。

 一人は腕を投げ出して大の字になり、もう一人はうつ向け。

 

 

 

 

「ぅッ……!? うわああ!?」

 

 

 思わず腰が砕け、その場に尻餅。

 酷い殺され方だ。顔面は微塵切りにされ、生前の面影がない。

 だが見た事ある服装だ。圭一はすぐ合点が行く。

 

 

「じ、ジオ・ウエキ……!?」

 

 

 身体を震わしながら、もう一人を見る。

 浮恵の姿に比べ、まだ綺麗な姿なのは不幸中の幸いだろうか。

 

 しかし死顔は醜く歪み、恐怖の瞬間で静止していた。

 

 

 

 

 頭部から流れる血と、更には鋭利なもので刻まれたのか、首が傷まみれで血に染まっている。

 

 

 

 

 圭一を驚かせたのは彼女の首元。

 ナイフを自分で、何度も喉に突き立てたようだ。

 

 

「自殺か……!?」

 

 

 女の死体。圭一は、その死体の足元に財布が落ちてある事に気付く。

 中身を開き、免許証を抜いた。

 

 

 

 

『間宮律子』

 

 

 

 

 覚えがある。確か、浮恵が言っていた「妹」。リナとも呼ばれていた。

 レナの家へ、美人局目的に現れた悪魔の女とも。

 

 

 

 

 

 辺りを見渡した。

 されど肝心の彼女はいない。

 

 

 

 

 

「…………レナ?」

 

 

 圭一は名前を呟いて、そのまま立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道路を走るレナ。右手には、血濡れの鉈。

 むせ返る暑さの中、まるで厳冬にいるかのように震えている。

 自分の身体を抱き締めていた。震えを止める為に。

 

 

 

 一頻り走った所で、彼女は何かを発見する。

 一際大きな、何かの本だ。

 

 

 

 何の気まぐれだろうか。彼女はそれを、血だらけの手で拾った。

 

 

 

 

 名前がある。

 

 

 

 

『鷹野三四』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 捜索中、上田は気付いた。

 

 

「な、何たる事だ……!!」

 

 

 自分の鞄の中には、何も入ってなかった。

 鞄には、切り口があり、そこから全てダダ漏れだ。

 

 確か、最遊記三人組と戦った時、カッパの攻撃で鞄が破れていた。

 

 

 

「鷹野さんの『スクラップブック』……!! オーマイゴぉぉぉおットッ!!」

 

「どうしましたジロウ!?」

 

「最低だ……俺……」

 

「賢者タイム……!?」

 

 

 上田の悲痛な叫びが轟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──既に昼下がり。矢部たちは、興宮市役所に来ていた。

 入り口で職員が四十人体制で出迎えてくれる。

 

 

「ようこそ〜興宮へ〜!」

 

「オキティぃぃぃいいいいいいいいぃぃいいッッ!!!!」

 

 

 一緒にいたゆるキャラのおっきーによる熱烈な歓迎まで受ける。

 

 

「どういう挨拶やねん! やっかましいな」

 

「先輩! おっきーですよおっきー! カルデアは岐阜にあったんだ!」

 

「カルデラはくまモン県にあるけぇの!」

 

 

 四人は図書館に入り、司書と会う。

 カウンターでぼんやり、新聞を読んでいた老人へ菊池が話しかける。

 

 

「エクスキュースミーッ!!」

 

「じゃあしい! 図書館なんやから、静かにすんべさ!」

 

「すいません」

 

 

 仕方なく、矢部が話しかけた。

 

 

「あのぉ〜、ちょっとお話お聞かせいただきたいんですけどねぇ〜?」

 

 

 警察手帳を見せつけてやると、老人の眉間には更に皺が寄る。

 

 

「……最近の警察はお札を全身に貼り付けとるんか?」

 

 

 矢部と菊池の身体には、色々なお札やお守りが付けられていた。

 

 

「あ、これ特別な事情がありましてねぇ? 気にせんでください〜」

 

「……刑事さんが、何のようだべ」

 

「いやね? 別に事件とかってのやないんですわ。ちと、旧雛見沢村の資料が欲しいんですわ」

 

「……なんでじゃ」

 

 

 司書は驚いたように、目を開いた。

 

 

 一方、ホールでおっきーと戯れる石原と秋葉。

 二人を無視して、顔色の変わった司書へ菊池が質問する。

 

 

「どうしたんですか」

 

「もうちょい声大きせぇや」

 

「どうしたんですかッ!!??」

 

「極端かお前は」

 

 

 

 石原と秋葉とおっきーが、突如現れた隣町の蛇女のようなゆるキャラと戦っていた。

 

 

「ラミア! ラミア!」

 

 

 司書は半分うんざり、半分驚愕しながらも話し出す。

 

 

「……資料は今ないべ。昨日、東京の学者が借りて行きよった」

 

「東京の学者ぁ? また奇遇やなぁ。ワシらも東京から来たんですわ!」

 

「…………」

 

 

 何かを悟った司書は、カウンター下から何かを取り出して二人に見せた。

 それは上田の新著「上田次郎の新世界」と、付録のクリアファイル。途端に矢部も菊池も仰天し、目を点にする。

 

 

「え!? 先生ェ!? 東京の学者って上田先生!?」

 

「上田教授も来ておられるんですか……」

 

 

 まだ戦っている秋葉たち。

 

 

「ワシはのぉ、正義のヒーローになりたかったんじゃ!」

 

 

 何か言っている石原を無視して司書は続ける。

 

 

「……何でか、あの学者も、雛見沢村に疑問があるとか言っての」

 

「さすがは先生や! アンテナびゅんびゅーんやな!」

 

「……やめた方がええ……あの村は呪われとる」

 

 

 信心深い司書に呆れた様子で、菊池は彼の忠告を突っぱねる。

 

 

「それに関しては問題ないッ!! 我々にはこのお札があるッ!! まぁ僕は幽霊だとかは信じていないが、この男がどうしてもと」

 

 

 矢部は彼の顔面に一発いれて黙らせた。

 

 

「……まぁ、仕事なんですわ。そんで、司書さんが、旧雛見沢村について何か知ってはるんなら聞かせてもらいたいんですがねぇ?」

 

「……綿流しの日くらいしか知らんが」

 

「綿流し?」

 

「旧雛見沢村で行われていた祭りだよ矢部くん」

 

 

 全く無傷の状態で、殴られたハズの菊池が注釈を入れてくれた。

 

 

「お前、顔面頑丈になったか?」

 

「見たまえ。このお札のルーンが護ってくれたのだ!」

 

「じゃあ、そのお札を取って……そぉーい!!」

 

 

 お札の効果を無くしてからもう一発。

 今度こそ菊池を黙らせてから、矢部は話を続けた。

 

 

「当時の様子知ってはるんなら大助かりですわ」

 

「……あの日は祭りに参加しとっての。聞いたんじゃ」

 

「聞いたって、なにを?」

 

 

 思い出すのが苦痛なのか、顔を顰めながら、その日の話を粛々と述べて行く。

 

 

 

「……祭りの日。二つの事件が起きた」

 

「二つの事件?」

 

「……男と女がその日、死んだんだべ」

 

「それは殺人で?」

 

「一人は自殺……もう一人は殺されたらしい」

 

「どんなんかは、覚えていますかねぇ?」

 

 

 秋葉が箒を掲げ叫んでいる。

 

 

「エクスカリバぁぁぁぁぁぁあッ!!」

 

 

 箒が放つ謎の光を浴びながら、司書は矢部を見据えながら語った。

 

 

 

 

 

「……男は『首を掻き毟って死に』、女は『ドラム缶の中で焼かれて殺された』……そして暫くして、村は滅んだべ」

 

「ほな東京帰りますわ。ご忠告、ありがとさん」

 

 

 鬼気迫る司書の話を聞き終えると、矢部は真顔で東京に帰ろうとする。

 それを帰って来た秋葉、石原、おっきーが引き止めた。

 

 

「いやいやいや矢部さーん!」

 

「ここまで来たんじゃから、行くとこまで行かんかのぉ!?」

 

「オキティィぃぃぃいいいいいいいいぃぃいい!!」

 

「なんやねんコイツ」

 

 

 鬱陶しそうに頭を掻く矢部。その際に少しズレてしまい、それを見た市役所の所員たちは悲鳴をあげた。

 

 

「せやかてお前ら、人間が神さんに敵う訳ないやろぉ? ワシらもその内、首掻き毟って殺されんで?」

 

「安心せぇ兄ィ! どうせナイフかなんか持って、首にイーッてやったんじゃろ?」

 

「そっちの方がなかなかエグいですけどね〜?」

 

 

 三人は話し合いながら市役所を出て行った。

 そんな彼らの背中を、司書の老人は据わった目で見送っていた。

 

 

 取り残された菊池が立ち上がり、ふらふらと彼らを追う。

 

 

 

 

 

 

 資料はなく、しかしある程度の調査をしなければ、赤坂警視総監は納得しない。そうなれば矢部の「ケンゾー・警視グレードアップ計画」はオジャンだ。

 そう考え直した矢部は、とある決心をする。

 

 

「……しゃあない。行くかぁ」

 

「え? 行くって、どこにです?」

 

 

 矢部は一大決心をする。図書館から出て寒空へ指を掲げ、宣言。

 

 

 

 

 

「ワシらも旧雛見沢村にレッツラゴーや!!」

 

「え、矢部さんマジで言ってます?」

 

「呪われた大地に行くのは勘弁じゃ!」

 

 

 その宣言を聞いて渋る二人を、今度は矢部が説得する。

 

 

「ちょっと行って写真撮ったらええやろ。それに上田先生も調べとるらしいし、大丈夫やろ!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 公安カルテット、村へ飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で矢部たちに調査を命じた当の本人である赤坂は、警視総監としての執務をこなしていた。

 そんな最中に突然響く、扉をノックする音。

 

 

「入りなさい」

 

 

 許可を得て入室したのは、まだ若い女。赤坂は彼女の姿を見て目を丸くし、次に「やれやれ」と俯いた。

 

 

 

 

「……『美雪』、お前か……」

 

「えぇ、私です。赤坂警視総監?」

 

「……昔みたいに『お父さん』って言っておくれよ」

 

「公私を使い分けろって教授してくださったのはそちらですよ?」

 

「……本当に母さんそっくりだ」

 

 

 作業の手を止め、美雪の報告を待つ。彼女は抱えていた資料を、赤坂の前へ置いた。

 その手の薬指にはエンゲージリングが嵌められている。赤坂の実娘ではあるが、結婚して今の苗字は「反町」だ。

 

 

「旧雛見沢村で起きた事件について、何とか当時の捜査報告書を手に入れました」

 

「悪いな」

 

「わざわざ『ライター』として興宮まで行ったんですから……所謂、『鬼隠し』と呼ばれた一連の事件の物と、大災害までに起きた不審な事件の資料です」

 

 

 それらに目を通す赤坂。

 北条夫婦の事故から始まり、二人の男女の死亡で終幕した鬼隠し──その一連の事件とは別に起きていた、「とある二つの事件」の資料だった。

 

 

「鬼隠しと呼ばれる事件の前年秋に起きた事件です。当時進められていたダム建設の、監督になる予定だった男性が興宮市内で殺害されたもので……」

 

 

 赤坂は途端にどこか懐かしむような目でその資料を読んでいる。

 

 

「……大石さんの言っていたのは……」

 

「警視総監?」

 

「ん……いや、すまない。続けてくれ」

 

 

 怪訝に思いながらも美雪は続けた。

 

 

「二つ目は、『営林署籠城事件』。これは災害の前日に起きました」

 

「そんな事件があったのか……」

 

 

 事件の内容を見た彼は、悲壮感を滲ませた表情で眉を寄せた。

 

 

「……学校が丸ごと吹き飛んだ」

 

「一人の生徒が犠牲にもなりました。この事件を受けて、当時監督に当たっていた警部補が解任を受けたそうで……何でも、籠城事件の犯人である少女を疑心暗鬼に陥れた張本人だとか」

 

「…………」

 

「事件終焉の翌日中に、園崎家が判明させたそうです。園崎家に関する情報を流したり、有りもしない陰謀論を信じていたりとか……犠牲者が園崎家の人物だったので、怒りを買ってしまったのでしょうね」

 

 

 間違いない、その警部補とは「大石さん」だと赤坂は理解する。

 彼は定年間際に以上の不祥事から引責解任し、以後は目当てにしていた年金が支給されず、火車の晩年を過ごしていたとか。

 

 

 おかげで彼が必死に追っていた鬼隠しについては捜査は止まり、今になってやっと捜査資料が入った。

 赤坂自身も彼と偶然再会したのは、二◯◯五年の雛見沢村訪問時。災害後すぐに会いたかったものの、大石はその災害後に引っ越し、連絡先が分からなくなっていた。

 

 

 そこで初めて、「あの少女」の死を知った。

 当時の衝撃と嘆かわしさを思い出し、彼は首を振る。

 

 

「幾つかの資料はデータにして、既に菊池参事官へ送信いたしました」

 

「さすがだ……私情で捜査させて悪かったな。今度、母さんと彼とみんなで食べに行こうじゃないか」

 

「……『娘はやらん』って言って、取っ組み合いになっていたのが懐かしいですね」

 

「忘れてくれ」

 

 

 恥ずかしそうに眉間を摘みながら、赤坂は椅子を回してそっぽを向いた。

 

 

 美雪が次に彼へ話したのは、公安カルテットの件。

 

 

「それで……菊池参事官の紹介とは言え、あの矢部って警部補で良かったんですか? 調べたら色々、悪い噂があるみたいですけど」

 

「しかし検挙率は公安部でも随一じゃないか。過去には南シナ海の島で、『村上商事』の非人道的行為を暴いたとか」

 

「……優秀らしいですけど。公安の同僚の方々は『誰かいなきゃ何も出来ない奴のハズ』って首傾げていましたよ」

 

「曲がりなりにも公安部だ。県警から警視庁に引き抜かれたと言う事は、それなりに実績がある証拠だろう」

 

「……捜査サボって旅行した費用を経費にされたって聞きましたけど」

 

「まぁ人間、間違いはある。うん」

 

 

 執務室を出ようとする美雪。

 その際、スマートフォンを取り出して辿々しく操作する赤坂が目に入り、呆れ顔。

 

 

「そろそろタップになれましょうよ」

 

「いやぁ……俺の新任時代には携帯電話も無かったから……まさかタッチする携帯が出るとはな」

 

「それと、また私に電話番号間違えて教えていますよね?」

 

「……間違えていたか?」

 

「これ、昔の家の電話番号じゃないですか」

 

 

 現在の電話番号と昔の電話番号が妙に似ていた為、彼は不意に間違えて電話番号を言ってしまう事があるそうだ。

 電話番号は全て覚えていなくてはいけない時代の人間らしいと言えばらしいが。

 

 

「すまない……どうにも慣れんな」

 

「警視総監なんですからしっかりしてくださいよ、『お爺ちゃん』」

 

 

 不意打ちに「お()さん」と呼ばれ、また目を丸くする赤坂。

 彼のリアクションを楽しみながら、彼女は綺麗に一礼して退室する。

 

 

 

「…………参ったなぁ」

 

 

 苦笑いを誰もいない執務室で溢す。

 

 

 

 

 一瞬の間を置いて、「お父さんって言ってなかったよな」と気付き、真顔になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………お爺ちゃん?」

 

 

 たまげて椅子から落ちかけた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月14日火曜日 ワシらの登場
公安見参


 矢部たちは旧雛見沢村に通じる道の、入り口に来ていた。

 

 

「……お? なぁんか、見覚えのある車があるなぁ?」

 

 

 車に近付き、ナンバープレートを確認する。

 

 

「『品川5・せ40-68』……先生の車やないかい! やっぱ、先生も旧雛見沢村に行っとるんやなぁ!」

 

「ここからは歩きになるみたいだな。おい、私を担ぎたまえ! 私のフェラガモの三十万もする革靴が汚れるではないか!」

 

「フェラっ!?」

 

 

 菊池の履いている靴のブランド名に過剰反応する秋葉。

 そこへ一度役所に戻っていた石原がトコトコと三人の元へ帰って来る。

 

 

「兄ィ! 許可は取ったけぇの!」

 

「よっしゃ! ほな行くでー!」

 

 

 矢部たちもまた、立ち入り禁止の看板を抜けて村に続く道へ足を踏み入れた。

 担げ担げとゴネる菊池は、また殴って黙らせる。

 

 

 

 

 

 

「んで、こいつどこまで付いてくんねん」

 

「オキティいぃぃぃぃぃいいぃいいぃいッ!!!!」

 

 

 おっきーとは別れる。

 

 

 

 

 

 

 とうとう訪れてしまった、旧雛見沢村。

 どの家々も崩れかけ、苔に蝕まれ、切ない廃墟となっていた。

 三十五年前までここは実際に人がいて、生活していたハズなのだろう。

 

 

 

 タブレットを確認していた菊池が、警視庁から送信されたデータに気付く。

 

 

「公安からメールだ。何でも、大災害が起きるまでの事件らしい」

 

「なになに?……籠城事件で学校吹っ飛んだぁ? 何があったんや」

 

「ふむふむ、なるほどなるほど……おぉ。ちょうどここが事件現場のようだぞ」

 

 

 菊池が手を広げた先、古く大きなクレーターのある空き地があった。

 

 

「例の事件は、ここで発生した! 何でもガソリンを大量に撒き散らし、そこに発火だとか!」

 

「えげつないコトしますねぇ〜。なぁ〜んでそんな事したんでしょ?」

 

「頭クルクルパーじゃのぉ!」

 

「それについても送られたメールにあるだろうが、電池が勿体無いから興宮に戻るまで切るッ!!」

 

 

 廃墟と化した村を、暫し散策する四人。

 歩きながら、菊池は違和感を口にする。

 

 

「……火山ガス災害にしては、緑が豊かではないかね? 諸君」

 

 

 ずっとスマートフォンでネット掲示板を読んでいた秋葉が、そこで噂されていた旧雛見沢に関した都市伝説を教えてくれた。

 

 

「えーも……大災害後に旧雛見沢村の封鎖が解禁されたのは、災害の二十年後だったそうですよぉ? 火山ガスの影響が消えるまでにしても、ちょっと解禁まで長いっすよねぇ〜」

 

「兄ィ! そもそも図書館の資料がたったの二冊ってのがおかしいんじゃ! おっきーも言っとったけぇ!」

 

「ここでそんな話すんなや! 怖なって来たがな!」

 

 

 冬に加え、山間の為に空気が異常に冷たい。

 吹き荒む風を浴び、村の異質さに慄き、四人は身体を震わす。

 文字通り臆病風に吹かれた石原が、不安げに矢部へ話しかける。

 

 

「オヤシロ様って本当におるんかのぉ!? ワシら余所モンが来て、怒ったりしとらんかのぉ!?」

 

「安心せぇ! 今のワシは矢部コンプリートフォームや! 何が来たって怖ないわ!」

 

「兄ィカッチョイイーーっ!!」

 

 

 その時、一際大きな突風が吹く。矢部の頭の上にある何かが空を舞った。

 

 

「あー!! 矢部さんの矢部さんがーーっ!?」

 

「追えーッ!! あれがないと、矢部コンプリートフォームは成り立たへんッ!!」

 

 

 

 矢部は瞬時に顔を真っ青にして、メンバーと共に飛んで行ってしまったアレを追い掛け始める。

 

 

 黒いアレはあり得ないほど高く飛び、神社の鳥居を潜り抜けた。

 四人は大急ぎで階段を駆け上がり、境内へ。

 

 

 アレは寂れた拝殿の前辺りに落ちていた。地を這うようにして、それを矢部は回収する、

 

 

「あー、あったあったあった……危ない危ない、世界を破壊するところやったな」

 

「はぇ〜。廃墟の神社! なんか神秘感増し増しましろウィッチですねぇ!」

 

 

 秋葉は感嘆し、境内をスマホで撮影する。

 革靴を労わって控えめに走っていた為、菊池は遅れてやって来た。

 

 

「全く……ここまで歩かされたのは久しぶりだ……これは労災だ……!」

 

「遅いのぉ、ゾンビィ一号の参事官さん!」

 

「君と佐賀で会ったのが全ての始まりなんだよッ!!」

 

 

 飛んで行った何かを再装着し、気を取り直して辺りを見渡す。

 関西人としての習性か、賽銭箱が気になる矢部。

 

 

「こんな廃墟でもお賽銭するやつおるんかなぁ?」

 

「あー! 矢部くん、やめたまえ!」

 

「なんでや菊池」

 

「その賽銭箱の中に」

 

「おう」

 

「少女の死体が詰められていたらしいぞ!」

 

「おおおおぉう!?」

 

 

 肝が冷えるような悍ましい話をされ、矢部は一気に離れた。

 菊池の話に興味を持った秋葉が、ふと彼に尋ねた。

 

 

「それはなんの話ですかぁ?」

 

「警視総監も仰っていただろう……村の破滅を予言した少女。なんでも、その賽銭箱に死体があったみたいだ」

 

「酷い事しよるのぉ! ワシがここの警官じゃったら、犯人のケツに手ぇ突っ込んで、奥歯ガタガタいわせたのにのぉ!」

 

 

 義憤に燃えながら右手をガタガタ振るう石原の隣、矢部は真剣な眼差しで賽銭箱を見ていた。

 

 

「ワシには見えるで……! その少女の怨念が……!」

 

「矢部さーん、やめましょうよぉ〜」

 

 

 それでも気になるのが関西人の性分。ゆっくりゆっくり近付き、ヒョイッと賽銭箱を覗き込んだ。

 

 

 

 五円玉が数枚と、一円玉が一枚ある。

 

 

「一円玉入れとる奴がおるな……絶対呪われとるで!」

 

「兄ィ! 知っとるかのぉ!? 一円玉一枚作るのに、三円かかるそうじゃ!」

 

「ホンマかそれ? なら二円放り込んだら五円に勝てるなぁ? つか、これワシがもろうて帰ったろうか」

 

 

 菊池が待ったをかける。

 

 

「刑法第二三五条ッ!! 他人の財物を窃取した者は窃盗の罪とし、十年以下の懲役または五十万円以下の罰金に処するッ!! 賽銭箱に入れられた時点でそれは浄財ッ! つまり、所有権は神社側に移るッ!! 所有権が確立している物を取るのは、立派な窃盗罪だッ!! そこらの道端で一円玉拾うのと、賽銭箱から一円玉を取るとでは雲泥の差だッ!!」

 

「確か、お賽銭箱から一円玉を盗んだ人が一年の実刑判決受けたってニュースが昔ありましたねぇ」

 

「へえ〜! 二人とも物知りやのぉ! らしいで兄ィ!」

 

「冗談に決まっとるやろ! マイケル・ジョーダンじゃい! 第一、そんな罰当たりな事したらワシ、祟られるがな!」

 

 

 

 

 

 ゴトンッと、どこかで音が鳴る。

 誰もいないハズの村での異音。四人は思わず身体が跳ねた。

 

 

「だ、誰だッ!?」

 

「どどどど、動物じゃないですかね〜?」

 

 

 怯える菊池と秋葉に対し、矢部と石原はやけに呑気だった。

 

 

「あれやろ。先生も来とるんやろ。先生ぇー! お久しぶりでーす!」

 

「兄ィ、あっちから聞こえたけぇの!」

 

 

 音がしたのは、祭具殿の方から。

 四人は恐る恐る、その中へと足を踏み入れる。

 

 

 

 中は埃っぽくて暗い。

 それでも中が見渡せる程度の明るさなのは、腐って空いた天井の穴から日光が注いでいるからだ。

 矢部は上田に呼びかけながら足を踏み入れ、残りの面子もそれに続く。

 

 

「先生ぇ? ここにいらっしゃるんですかぁ?」

 

「こんな所に入るのか!? 僕のスーツは銀座でオーダーメイドの」

 

「まぁまぁ、お先にどうぞ〜」

 

「暗いのぉ! まっくろくろすけ出ておいでーッ!!」

 

 

 祭具殿内の梁が抜け、四人の上に落ちて来るのは、そのすぐ後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、梨花と沙都子は学校が始まる前に、一旦神社へ戻っていた。

 

 

「梨花! 急がないと遅刻しますわよ!」

 

「朝から走らせるなんて鬼なのです……みぃい……」

 

「元を辿れば、梨花が私を起こすと言って寝坊したのが原因でしょっ!」

 

「入江がいなくなってたのが悪いのです」

 

 

 まだ蝉も鳴かない穏やかな朝。

 沙都子にとっては何だか久しぶりにも感じる神社へ。

 

 鳥居を見上げると、爽やかな気分になれる。こんな気分も久しぶりだ。

 

 

「……梨花」

 

「うん?」

 

「……ただいま!」

 

 

 その言葉を聞き、梨花は寝ぼけ眼をパチクリさせ、満面の笑みで返す。

 

 

「……おかえりなのです。沙都子! にぱ〜☆」

 

 

 階段を一緒に上がり、神社へ向かおうとする二人。

 

 

 

 

 

 だがその足は、上からやって来た男のせいで一旦止まる。

 長く不潔な髪を振り乱し、大きな袋を担いだ男が叫びながら降りて来た。

 

 

「う、うわぁぁぁ!! 夏だぁあ!! 幻想郷は雛見沢にあったんだぁ!! 僕らタイムフライヤーッ!!」

 

 

 そのままドタバタ、どこかへ走り去る。

 次にやって来たのは、見た目からアホそうな金髪のスーツの男。

 

 

「兄ィがおかしくなったー! 兄ィ! どこにおるんじゃ兄ぃぃーッ!!」

 

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、どこかへ消える。

 そのまた次に降りて来るのは、高級スーツのエリートっぽいいけすかない男。

 

 

「一体これは……!? 青天の霹靂ぃぃぃぃいいッ!!!!」

 

 

 ふらふら足を動かしながら、どこかへ駆け出して行った。

 最後に降りて来たのは、妙な髪型の、前の三人より歳をとった男。一段一段静かに踏みながら、二人の隣を抜けた。

 

 

 

 

 

 

「だからねぇソウゴくん? おじさんの髪は本物だって、言ってるでしょ?」

 

 

 辺りをキョロキョロ見渡し、驚いた顔。

 

 

「あれ? ソウゴくん? ソウゴくーん?……ゲイツくんもいないなぁ」

 

 

 頻りに見渡しながら、どこかへ誰かを探しに行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 四連続で変人が降りて来たので、梨花と沙都子は固まっている。

 

 

「…………梨花、お知り合いですか?」

 

「あんな知り合いいないのです、沙都子も冗談やめるのです」

 

「……上田先生にしたって、古手神社は変な人ばかり来るような」

 

「ボクの神社を変人集会所みたいに言うのもやめるのです」

 

 

 二人はさっきの出来事を記憶から消去するよう努めながら、また階段を上がって行く。

 

 

 

 

 

 

 昭和五十八年に、また四人の異邦者がやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

第五章 ワシらの登場

 

 

 

 

 

 

 

 歯を磨く上田と山田。狭い洗面台の前に二人横並びになり、お互い腕をぶつけて押し退けあいながら、鏡を凝視し続ける。

 時折、歯ブラシを咥えて喋りもした。

 

 

「……ジオウが妹ともども殺されたって?」

 

「えぇ。圭一さんが見つけて通報しまして……私もチラッて見ましたけど、ジオ・ウエキなんか鉈かなんかで顔をメチャクチャにされていましたよ?」

 

「……良くお前はその後、飯を食えたよな」

 

「なんと言うか、死体とか慣れちゃいましたからね。えへへへへ!」

 

 

 歯ブラシをシャカシャカ動かし、コップの水を含み、上田は排水口に向かって吐いた。

 

 

「ハーッ! そんで、妹の方は?」

 

「プハーッ! 聞いた話じゃ自殺みたいです」

 

「お前飲んだだろ」

 

「なんでも持ってたナイフで、自分の首を切っていたそうですよ。こう、イーッ!……って」

 

「なんでまた……逃げ切れないと悟り、見捨てた姉を殺した上で自殺したのか?」

 

 

 上田が疑問を口にしたと同時に、二人は揃って洗面台を離れる。

 

 

「そのジオ・ウエキの妹が、三億円事件の時に屋敷内で化けていた女みたいですね。同一人物でした」

 

「それで思い出したんだ! 実は鉄平の家からジオウの服が出て来たんだよ。恐らく、YOUの言っていた『二人目』の正体だ。免停を食らっていたのに運転してたからな、まぁた余罪が増えたぞぉ?」

 

「鉄平って誰ですか?」

 

「あぁ、YOUは知らなかったか。あいつとの鮮烈なる戦い……是非、語ってやりたい所だよ!」

 

 

 ちゃぶ台に置いていたコップに、山田はジュースを注ぐ。

 大きなペットボトルのコーラだ。

 

 

「ペプシマーンっ!!」

 

「朝からコーラか……おい、それはどうしたんだ?」

 

「ジオ・ウエキが根城にしてた作業員小屋から見つかったんですって。アレなら私たちにくれるって……」

 

 

 冷蔵庫を開くと、ペットボトルのコーラがびっしり並べられていた。

 

 

「譲って貰ったんです。十本セットやったぜ! うひょひょひょひょひょひょひょ!」

 

「作業員……まさかジオウ、ダム関係者と通じていたとはなぁ」

 

「でもそのお陰で、ダム計画を止められるって、魅音さんたち喜んでいましたよ。有名な弁護士抱えているっぽいし、今回の件で間違いなくダム計画は凍結するだろうって」

 

「まぁ、現地人を誑かして暴動を起こさせた上、金を強奪したんだ。そんな奴らのいるダム計画なんざ、任命責任含めて凍結する他ないだろ!」

 

 

 山田はコーラを、上田は牛乳を飲む。

 

 

「プハーッ! それよりだ。竜宮レナ、あれはどうなった?」

 

「クゥーッ! 結局見つからなかったですね。なので、園崎家の人たちが村や周辺地域を一斉捜索するそうですよ」

 

「これも次期頭首の器か。まぁ、それならすぐ見つかるだろ」

 

「ですねぇ」

 

「今日はどうするんだ? 綿流しまで時間はある……何が起こるか分からんが、色々調査したいが」

 

 

 そう言えばこの村、近い未来に滅んでしまうのだった。

 思い出した上で山田は、眉間に皺を寄せて彼へ疑問を投げかける。

 

 

「……そもそも、災害ではないのなら、何があって村が壊滅したんでしょうか?」

 

「それが分からないんだ。だが、火山ガスの可能性は限りなく低い」

 

「もしかして、人の手によるものだったり?」

 

「なに?」

 

「今までそうだったじゃないですか。奇跡も厄災も、結局人が起こしたものでしたし」

 

「村人全滅だぞ? 人の手によるものだったら、一体何者なんだそれは?」

 

「……園崎?」

 

「どうして園崎家が本山の雛見沢を潰したがるんだ……」

 

「ですよね〜」

 

 

 何にせよ、情報が欠乏している。ピースがあまりにも足りない。

 とりあえず現時点での推理と考察は取りやめ、上田は意気揚々と立ち上がった。

 

 

「ひとまず現状、様子見に徹する他ない。俺は入江さんの所に行って、改めて沙都子の件を報告しに行く」

 

「私もやる事ないなあ。三億円取り返したし、園崎家に金せびりに行くかー」

 

「鬼隠しの犠牲者になっても知らんぞ……」

 

「大丈夫ですって! ダムの事は終わりましたし、今回の私たちは大手柄ですから! ははっ! ざまーみろ園崎のババア!」

 

「思っても言うなッ!! 殺されるぞッ!!」

 

 

 山田は昼までゴロゴロすると言って、上田だけ外に出た。

 

 

 

 

 そこはまた別の別宅だ。前の別宅は酷く荒らされた為、今の二人は別の場所を当てられていた。

 前より若干広く、山間にある家。空気が澄んでおり、吸い込む空気が美味い。

 

 

「さぁて。鷹野さんに会いに行ってから、知恵先生に会いに行こう!」

 

 

 ルンルンとスキップしながら、山道を歩いて行く。

 途中足を滑らせ、斜面を転がり落ちた。

 

 

 

 

 

 

 軽やかな足取りのまま入江診療所に到着。

 今度は入り口で頭をぶつけた。

 

 

「鷹野さーん! 入江先生!」

 

 

 呼び掛けに応じて現れたのは、入江だけだった。

 

 

「上田教授!」

 

「……鷹野さんは?」

 

「今日は要用でお休みです」

 

「……そうなんですか」

 

 

 見るからにガッカリする上田に気付かず、入江は彼の手を固く握る。

 

 

「それより上田教授……沙都子ちゃんの件、本当にありがとうございました……!」

 

 

 沙都子の件について、改めて彼への感謝を述べた。

 そう言えば昨日は会えなかったなと、上田は思い出す。色々トリップし過ぎて忘れていた。

 

 

「いえ、私は結局、沙都子を叔父から引き剥がす事しか……聞けば、園崎魅音が色々と便宜を図ってくれたそうで」

 

「北条鉄平から沙都子ちゃんを守ってくださった。沙都子ちゃんに仲間がいると示してくれた……教授の行動で救われた事は事実です。僕は、沙都子ちゃんの何でもありませんが……感謝しております」

 

 

 深く深く頭を下げ、同時に感謝の念を深く深く表す。

 またそこから更に頭を下げ、深く深く土下座する。

 

 

「あ、そこまで下げるんですか」

 

「本当に……! 良かったです……!」

 

「頭を上げてください。先生……」

 

 

 土下座した彼を起こしてやる。上田がここに訪れたのは、入江に会いに来ただけではない。

 沙都子の事を思っている彼に、その彼女自身の事を聞きたかった。

 

 

「……診察の時間は?」

 

「九時からなので、まだ一時間もあります。もしかして、患者として?」

 

「いえいえ! 生まれてこの方、インフルにもノロにも罹った事はありませんからねぇ!」

 

「ノロ?……牡蠣の名産地」

 

「それは能登ですな」

 

 

 聞きたかった事は沙都子もとい、村八分を受け続けている北条家についての経緯だ。

 上田はいつになく神妙な顔付きで尋ねた。

 

 

 

「……沙都子の、『北条家』について聞きたいんですがね」

 

 

 事態がひと段落し、彼は本格的に鬼隠しの調査を始めるつもりだ。

 上田の話を聞いた途端、にこやかだった入江の表情が曇る。

 

 

「……上田教授も、あの事件をご存知なんですね」

 

「…………少し、歩きませんか?」

 

「え? は? 歩く?」

 

「レッツ……ウォーキンッ!」

 

 

 

 

 二人はなぜか、診療所の近くの畦道を並んで歩いていた。

 

 

「…………なんか、サスペンスドラマみたいですね」

 

「一度やってみたかったんですよ! 京都の河原を歩きながら色々質問するアレ!」

 

「京都でも河原でもないですけど……」

 

「まぁまぁまぁ。良いじゃないですか! ロケーションは最高です!」

 

 

 気を取り直し、上田は話し出す。

 

 

「北条家は沙都子の両親、それにお兄さんと叔母が亡くなった、或いは行方不明となっていますね」

 

「……その通りです。特に沙都子ちゃんのお兄さん……悟史君は僕の草野球チームのメンバーでしたから、当時はショックでした」

 

 

 消えた沙都子の兄、悟史の名前が出る。良く彼の事を知らない上田は、その悟史の人となりについて聞いた。

 

 

「悟史君って子は、どんな子だったんです?」

 

「おっとりした子でした。大人しくて、少し気弱でしたけど……とても優しい子でした」

 

「一応聞きますけど、ダム建設云々に興味とかは」

 

「そう言った話は一度も……両親が亡くなってからは、彼自身もしたくなかったのでしょうね」

 

 

 ダムには比較的無関心だったと聞き、上田は唸る。

 

 

「悟史君にはダム建設に関する思いは薄く、二人を引き取ったと言う叔母も……まぁ、北条鉄平の妻ってだけで分かりますが、無関心だったでしょうな」

 

「えぇ、間違いなく」

 

「なら、この三年目の事件の意義が分からない。既にダム賛成云々の話は子供たちには関係ない。なら、なぜ二人を『オヤシロ様の祟り』として消す必要があったのか? ダム反対の不穏分子を取り除くにしても、あまりに執拗だ! 無意味過ぎる!」

 

「……なにを、仰いたいのですか?」

 

「実は三年目のみ、鬼隠しの犯人は違うのでは?」

 

 

 彼の推理に、入江は愕然とした顔を見せる。

 

 

「それは、誰が……?」

 

「分かりません」

 

「分からない……」

 

「一、二年目は不穏分子除去と言う動機があった……この点、反対派筆頭の園崎家が限りなく黒に近い。しかし、三年目だけは執拗過ぎる……実は、園崎家と交流する機会がありましてねぇ。あそこは、無関係な者には手を下さないだろうと思ったんですよ」

 

 

 園崎家の内情を知ったからこそ、上田はこの推理が出来た。

 入江は何とも言えないと表情で示し、少し言葉を選ぶようにして話し出す。

 

 

「……村の古い人々は、そう思っていません」

 

「……はい?」

 

「ここは閉鎖的な村です。村の人たちは自然と、集団主義が根付いています……家族、繋がり、連帯責任、因果応報……」

 

「……そう言う事ですか」

 

「……親のした事は、子も同様……その証拠に」

 

 

 彼の目は冷めていた。

 

 

「……今も、古い方々は……園崎家の方も含めて、沙都子ちゃんへ村八分を敷いているじゃないですか」

 

 

 確かにそうだ。

 園崎家の行政まで動かす力さえあれば、鉄平から沙都子はすぐに離せられた……が、それを向こうは拒否していた。

 梨花も言っていた。この村は、まだ古い慣習から抜けられない者の方が多いのだろう。

 

 

「………………」

 

「……そうでしょう?」

 

「……は、ハハハッ! いやぁ、都会に住んでいると、こんな考えは浮かびませんよねぇ! おばあちゃんが言っていた。田舎は粘着系が多いって!」

 

「お婆さん都会の人間なんですか……?」

 

 

 あっさり自分の推理を撤回してから、話の軸を沙都子の家族についてに戻す。

 

 

「えーと……では、沙都子ちゃんの家族とか、知っている事は?」

 

「殆ど、沙都子ちゃんと悟史君しか……その、僕も鬼ヶ淵死守同盟に入っていましたから、表立っては交流出来なくて……」

 

「そうだったんですか」

 

「ただ悟史君が言うには……母親は何度も再婚していて、家庭環境は不安定だったようです。父親とも上手くいっていなかったとも」

 

「多感な時期にその家庭環境じゃ……沙都子には辛かったでしょうね」

 

「両親が亡くなられた後に引き取った叔父夫婦は……まぁ、北条鉄平を見たら分かりますけど、酷い方で……魅音さん達の部活、あるじゃないですか」

 

「はあ」

 

「アレ、沙都子ちゃんと悟史君の為に作られたんですよ。虐待されている二人の、心の拠り所にと……」

 

「仲間は味方でいてくれたんですねぇ。粋な奴らだぜ!」

 

 

 子供たちには村の古い悪習が根付いていない事が幸いだった。

 次にぽつりと彼から漏れたのは、後悔と懺悔の言葉。

 

 

 

「……僕が最初から彼女に寄り添っていれば、こんな不幸は無かったのかもしれないのに」

 

 

 彼にとって、沙都子の為に能動的に動いてくれた上田は恩人でもあり、同時に羨望の対象にも映ったのだろう。

 上田もどう言葉を続けようか迷い、それでも何か言わねばと口を開く。

 

 

 

 

「……あなただって、沙都子の立派な心の拠り所ではありませんか」

 

「……上田教授」

 

「そこまで彼女を思ってやれるなんて、今のあいつは幸せ者ですよ」

 

 

 ふと遠くに見えた学校を眺め、上田は続ける。

 

 

「そろそろ学校の時間か……そう言えば、オヤシロ様信仰はここ独自なんですよね」

 

「ここ以外では聞きませんね。最近は無宗教の人が多いって聞きますけど、ここは若い子もオヤシロ様を信じています」

 

 

 顎を撫でてながら語り出す。

 

 

「思うんですよ。世界には様々な宗教があります。神を信奉し、その教義に従う……今ではそれらに胡散臭さを感じる層がいますが、彼らだって一つの宗教のような物を信じている」

 

「……宗教のような物?」

 

「あの会社の製品が良い、あの作家の本はいつも傑作だ、あの先生の教え方は素晴らしい……私たちはある種の確信を抱き、様々な場面で様々な人や物を信奉しているんですよ。我々は何かを信じ、それを拠り所に生きている」

 

 

 上田はにやりと笑う。

 

 

 

 

「と、なると……この現代社会で一番の宗教は、医学ですね。誰も彼も、医者を信じてかかりますから」

 

 

 その医学のエキスパートである入江は目を丸くした後、これは上田なりの励ましだと察して頰を綻ばせた。

 

 

「……医者は神になれるって事ですか?」

 

「まぁ、そうなるかもですが! 尤も、神にならずともあなたはあなただ。信じられている限り、あなたの存在を幸せに思う人は多いんですよ……沙都子含めて」

 

 

 蝉が鳴き始める。時間が九時に迫ろうとしていた。

 

 

「またお話を伺いに上がりますよ!」

 

「是非また、気軽に訪ねてください」

 

「……あ、あとこれ、鷹野さんに……」

 

 

 去ろうとする入江に上田は、自身の代表作たる「なぜベストを尽くさないのか」を渡した。




・一円玉を作るのに三円、五円玉は七円と高め。
 十円玉はそのまま十円で作れ、五十円玉は二十円、百円は二十五円、五百円は三十円と原価の方が安い。
 また千円は十五円、五千円は二十円、一万円は三十円と、やはり原価の方が安い。実は紙幣よりも、一円玉と五円玉を作る方が赤字になる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事件後

 通学路を歩く圭一。その表情は、苦悩に満ちていた。

 

 

「あのぉ〜……」

 

「……え!? だ、誰ですか!?」

 

「いやね? ソウゴくん探しているんですけど〜……こう、ノホホ〜ンとした子なんですけどねぇ?」

 

「え、誰……」

 

 

 不審者をやり過ごし、ドギマギしながらまた歩く。

 

 

 昨夜は惨殺死体に出くわしたり、警察に聴取されたり、両親から痛いほどの抱擁を受けたりと散々だった。

 ただ親に「また」迷惑をかけたなと、少し反省した。

 

 

 あんな出来事の後だから学校は休むかと言われたが、圭一は登校すると伝えた。

 どうにも自室で一人抱え込むより、学校に行った方がマシだと考えたからだ。

 

 

 

「…………」

 

 

 胸中にあるのはまず、自分が見てしまった死体の事。その後、あの場にあった二つの死体は間宮姉妹と確定した。

 そしてもう一つは、未だ行方不明となっているレナの事。

 

 

「…………」

 

 

 直感ではあるが、レナはあの場にいたのではないかと圭一は思っている。彼女の身に間違いなく何かあったハズだと、不安になって仕方がない。

 レナの父親は現在、鈍器で頭部を殴られて重体らしい。その事を早く伝えてやりたかった。

 

 

「……どこ行っちまったんだよ」

 

「おいっす」

 

「うおぉ!?」

 

 

 背後から声をかけられ、飛び上がる圭一。

 声の主は、悪戯な笑みを浮かべた魅音だった。

 

 

「み、魅音かよ……心臓に悪りぃなぁ!」

 

「あっはっは! ごめんごめん! 聞いたけど圭ちゃん、大活躍だったみたいじゃーん!」

 

「誰からなんて聞いたんだよ」

 

「富竹さんや山田さん、あととっ捕まえた作業員たち。聞けば、捕まえて縛っていたのに脱出して、山田さんたちと協力したって? 見直しちゃったよおじさーん!」

 

 

 肩をバンバン叩き、賞賛する魅音。

 酷く上機嫌だ。当たり前だろう、三億円は戻るし、ダム計画は凍結確定と吉報だらけだ。

 

 

 

 しかし、それは園崎の一員としての感情。

 部活メンバーとしては圭一と同様、やはりレナが心配のようだ。気丈に振る舞いつつも、どこか不安がっているような憂い目を見せる。

 

 

「……レナはウチの組総動員させて捜索しているから。早ければ今日中に見つかるって」

 

「……本当に悪りぃな」

 

「なんで圭ちゃんが謝るのさ。友達が友達探すのに全力で、悪い事なんてないっしょ」

 

 

 ポケットから何かを取り出し、圭一に差し出す。それを見た彼は目を輝かせる。

 

 

「うぉ、ウォークマン!? お前持ってんのかよ!?」

 

「何か聞いてみるぅ?『西城秀樹』と『マイケル・ジャクソン』あるけど」

 

「そりゃ、絶対マイコーだろ……! 朝からビートイットだぜ……!」

 

 

 カセットテープをウォークマンに入れて、準備をする魅音。

 その過程を眺めていた圭一だが、ふと、ボソリと彼女へ言葉をかける。

 

 

 

「……魅音。『鬼隠し』について、教えてくれよ」

 

 

 彼の質問に、魅音はウォークマンを落とさんばかりに動揺する。

 

 

「………………」

 

「……山田さん、話したの……?」

 

「……………」

 

 

 圭一は、首を振って、山田から言われた訳ではないと否定する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──昨日の話だ。

 富竹にダム現場を調査させ、山田のマジック解説を聞いていた時の事。圭一は唐突に、山田に聞いた。

 

 

「……あの。『鬼隠し』……何か知っているんですか? だったら……教えて欲しいです」

 

 

 とうとう質問されてしまったと、魅音から口止めされていた山田は困り果て、どうするべきか迷いを見せる。

 

 

「え、えっと……私も、あんまし知らないって言いますか」

 

 

 はぐらかし、有耶無耶にしようとはした。

 だが、圭一の次の言葉で考えが変わる。

 

 

 

 

「……俺、この村が大好きなんすよ」

 

 

 目を逸らしていた山田が、圭一の方へ視線を戻した。

 

 

「……魅音やレナが隠しているってのは分かるんです……でも、あいつらの事だ。俺だけ仲間外れにしよう……だとか、そんな事は考えていないって」

 

「……………」

 

「……なら。俺の為に、敢えて隠してくれてんだなって、昨日の夜にレナへ説教しながら……気付いたんです」

 

 

 間違いない気持ちだ。

 自分はここが好きで、みんなが好き。絶対に変わらない。

 だからこそ、みんなの幸せを守る為に、自分は精一杯頑張っているんだろう。

 

 

 語らずとも、彼のその気迫は山田にヒシヒシと伝わる。

 しかし山田としても、約束は約束だ。

 

 

 

 

「……すいません。やっぱり、言えません」

 

 

 驚く圭一。何か言葉を付け加えようとする前に、山田はトランプタワーを作ろうとしながら言葉を被せる。

 

 

「……『私から』は、言えません」

 

「……山田さん?」

 

「それは圭一さんが、魅音さんに聞くべきです。私じゃなくて、圭一さんが友達にです」

 

 

 静かにカードとカードを立てて、合わせて、タワーの土台を作って行く。

 

 

 

 

「皆さんが好きなんですよね。なら、私じゃなくて、友達に聞いた方がより納得するでしょ」

 

 

 山田なりの合理的な考えだ。精神論でもなく、説得でもない、淡々とした論理の帰結だ。

 だが簡素なばかりに、圭一はすんなり受け入れられた。

 

 

「私から言っても良いんですけど……まぁ、約束だしなぁ〜……」

 

「山田さん……」

 

「さっき言った事をありのまま言えば、それでもう解決じゃないですか」

 

 

 二つ目の土台を作りにかかる。

 その間は圭一を一切、一瞥もしない。

 

 

「私はあくまで、旅行者ですから」

 

 

 キッパリ言い放ち、それからはトランプタワー作りに夢中となり、休憩する時以外は圭一に反応しなくなった。

 彼女なりの照れ隠しだろうか。

 だがその言葉が、圭一に、改めて魅音たちへ歩み寄る勇気をくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──その時の自分の言葉を交え、魅音に話してやった。

 彼女は驚きから目を段々と丸くさせ、次には呆れ顔。

 

 

「……余計なお世話だったかな」

 

「でも俺の事を考えてくれたんだろ? ありがとな!」

 

「ばっ……! も、もぉう! 藪からスティックにそう言わないでよ!」

 

「藪からスティック……?」

 

「……圭ちゃんが言うなら……でももう一度聞くよ。本当に、この村を嫌いになったりしない?」

 

 

 圭一はしっかりと、頷いた。

 

 

「意外と心配性なんだな魅音は! 俺は絶対に、この村を嫌ったりするもんか!」

 

 

 満面の彼の笑みに、魅音も思わず、頰を緩める。

 

 

 

 

 

 

 

 圭一の思いを汲み、魅音は鬼隠しについて全てを説明した。

 

 

 一年目の沙都子の両親、二年目の梨花の両親、三年目は沙都子の兄と叔母。

 連続して綿流しの日に起こり、誰かが死に誰かが消える。だが被害に遭うのは、村に反抗的な者だけ。

 

 

 ダム建設を支持した北条家、中立的で北条家を庇った古手家。

 いつしか鬼隠しは「オヤシロ様の祟り」と呼ばれ、村人はそれを恐れて、村に歯向かえないと結束を固めた。

 

 

 以上の話をするのに、魅音はかなりの勇気を使った。圭一に嫌われるのではと不安だったからだ。

 

 

「……三年連続。多分、今年もあるだろうね」

 

「沙都子と、梨花ちゃんの親御さんもだったのか……知らなかった」

 

「圭ちゃんが来た時に、悟史くんの事も含めて話さないでおこうって決めていたんだ……その、ごめんね?」

 

「謝んなって。気を使ってくれた訳だろ?」

 

 

 チラリと圭一の表情を伺う。彼の表情にあるのは、真剣さだけ。彼は村の一員として、この事件を真剣に考えてくれていた。

 

 

「……たはは! 本当に余計なお世話っぽいね」

 

「いや。俺が村に来たばっかの時に聞いたらそりゃ、ビビってたかもしんねぇしさ? 時機が来たって思っといたら良いんだよ」

 

「そっかそっか」

 

「けど……沙都子に関しちゃ親に、兄貴まで……許せねぇな」

 

「…………」

 

 

 聞こうか聞かまいか、躊躇する。

 手の中で遊ばせていたウォークマン。

 カセット挿入部のカバーをパカリと開けて、意を決したように聞いた。

 

 

「……その、さ」

 

「うん?」

 

「……私たち……とか、思ったりした? 鬼隠しの……」

 

「いや」

 

 

 その質問に、圭一は即答だった。

 

 

「信じてるからな」

 

 

 予想外の返答に、魅音の方が面食らう。

 

 

「信じて……?」

 

「……まぁ、なんつーか。信じてるって言葉にしたけど……なーんかさ、『違う』って気がすんだよなぁ……」

 

「……気がする?」

 

「根拠はねぇけど……それに、鬼隠しの犯人が園崎でしたーって、サスペンスにしたってあからさま過ぎるだろ」

 

「…………そんな理由ある?」

 

「直感は大事にする派なんだよ」

 

 

 魅音が彼に隠していたのは、彼から疑いの目を向けられるのが怖かった面もある。

 勿論、彼女は「園崎の持つ情報」を話したかった。

 だが、これ以上は巻き込みたくないとも考えた。一方で、彼なら全てを……とも考えてしまう。

 

 迷っている最中、圭一が魅音のウォークマンを取った事で我に帰る。

 

 

「聴かせてくれんだろ? マイコー」

 

 

 興味津々にウォークマンを触りながら、ぶら下がっていたヘッドフォンを装着する。

 年相応な少年の姿。詩音にさえ黙っている事を、彼に言うべきではないだろう。

 

 

 

 

「あの〜、ソウゴくん知らない?」

 

「うわっ!? 戻って来た!!」

 

 

 帰って来た謎の不審者に、魅音が圭一を守るように立ちはだかる。

 

 

「圭ちゃんから離れないと、三秒後にぶっ飛ばすよ!!」

 

「はは! ゲイツくんもだけど、最近の子は、血の気が凄いなぁ〜……あ、ゲイツくんも見なかった?」

 

「なんで日本でアメリカの社長さん探してんだよ……やべぇよこのおっさん……」

 

「さーんにーぃいーちドーンッ!!」

 

 

 予告通り、魅音は不審者をぶん殴った。

 何か黒いものが宙を舞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カラスが飛んだ。

 羽が抜け落ち、屋根へポトリと落ちる。

 

 

 その羽へ、手を伸ばした。

 思い出したのは上田の薀蓄。カラスは暑さに弱く、夏は空を飛ばない。

 という事は、今日はまだ涼しいのだろうか。

 

 

 

 

「……暑い」

 

 

 羽を拾い、窓を閉めた。

 

 

 レナがいたのは、自分の家だ。

 警察が調査した後の閉鎖された我が家だが、キープアウトのテープを乗り越え、持っていた合鍵で易々と侵入出来た。

 

 

 なぜ家に帰って来たのか、自分にも分からない。

 ただ、父親を問い詰めたかったのかもしれない。持っている血塗れの鉈が、彼女の孤独に誑かしを初めているかのように。

 

 

 レナは知る由もないが、父親は襲われ、警察が現場を検分。その作業も終了した所で、雛じぇねの暴動騒ぎにより、竜宮家から人手がなくなった。

 重ねてジオ・ウエキらの死体が発見された事で、この家から警察は出払ってしまった。

 

 

 運が良かったのはそのタイミングで家に入れた事だろう。

 山道を経由し、誰にも見付からずに帰ってこれた。

 

 

 

 

「……なんで……」

 

 

 レナ目線からすれば、父親はいないし、家は刑事ドラマで見るようなテープで閉鎖中されているしで、明らかな異常事態だと見て取れた。

 自身の父親に何が起きたのか知らないレナは、深い混乱に陥っていた。

 

 

「…………」

 

 

 血だらけの服はそのまま。家に辿り着いた途端に、気絶同然に眠ったからだ。

 

 

「…………」

 

 

 今も心臓が早鐘を打っている。

 手には、あの嫌な感触が残っていた。

 

 

「……ハァッ……! ハァ……ッ!」

 

 

 胃から込み上げて来る、むかむかした物。

 暑さで渇きに渇く喉。

 

 リビングに行き、蛇口を捻る。

 浄水器を経由した水をコップに注いで、一気に飲み込んだ。

 

 

 

 それでも収まらない感情。

 チラリと、後ろへ目を向けた。

 

 

 

 

 

 カーテンに締め切られた窓際にある、丸テーブル。

 覚えている。それは、律子がレナの父親にせがんで買って貰った物。

 

 燃え上がるような胃の中、渇きが侵攻する喉、心臓の鼓動。

 これらの現象は、自分の感情によるものだと、すぐに気が付いた。

 

 

 壁に立てていた、鉈を手に取る。

 刃を向け、一思いに振り上げた。

 

 

 

 叩きつける。

 テーブルは割れ、両断。

 

 胃がむかついている。

 もう一度叩きつける。

 テーブルは木屑を散らす。

 

 喉が渇く。

 また叩きつける。

 勢い余って床を破壊した。

 

 心臓の音が耳の中で止まらない。

 何度も叩きつける。

 もう原形を留めていない。

 

 

 感情が収まった。

 

 目の前には、ズタズタにされたテーブルと床が、広がっている。

 

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 

 その場でペタリと、暗い部屋の中、座り込んだ。

 ぼんやりと、カーテンの隙間から溢れる日光を眺めて、次第に鳴き出す蝉の音を聞く。

 

 

 感情を抑えるなんて、慣れっこだと思っていた。

 ここの所ずっと不安定だ。

 

 

「……どうして……! また、『戻った』みたい……!」

 

 

 

 目の端に、置いていた鷹野のスクラップブック。

 あの状況で見知った人物の名前のある物だったからか、思わず拾ってしまった。

 

 

 

 つい、中を開けて、読んでしまう。

 

 

「……寄生虫……オヤシロ様の祟りの……正体……?」

 

 

 そこにあった内容は、凡そ信じられない物ばかりだ。

 雛見沢村の村民の脳には寄生虫が住み着き、それが人間を操って暴走させる。

 

 

 

「……その様子が、鬼に……!?」

 

 

 脳裏に浮かんだのは、昨夜の律子。

 狂気に陥り、殺人に罪悪感もない、黒く深い目。

 

 レナの知る、「リナ」としての律子は……あれは演技だとしても、あそこまで残虐になれる物なのか。

 明らかにあの狂気は、常軌を逸している。まるで、「鬼」。

 

 

「……間宮律子がおかしくなったのは……もしかして……」

 

 

 脳裏に浮かぶは、逃げる間際に見た律子の死に際。

 ナイフを首に何度も突き立てる、凄惨な光景を。

 

 

 

 

 

 途端、誰かが家の扉を叩いた。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 本を閉じ、思わず息を潜めて気配を消す。

 それでも来訪者は二、三度ほどまた扉を叩き、何か呼び掛けている。誰が来たのだろうかとレナは耳を澄まし、その呼び掛けの声を聞き取った。

 

 

 

 

「すいませ〜ん? あのぉ〜? ソウゴくん探してるんですけど〜?」

 

「…………誰?」

 

 

 家を間違えているのかと思い、居留守を決め込む。声の主は諦めたようで、暫くすると叩く音も声も止んだ。

 

 

 

 

 それを見計らい、レナは家を出る。

 恐る恐る扉から顔を出し、誰もいない事を確認した。

 

 

「……ここにいても仕方ない……圭一くんとかと話せれば……」

 

 

 辺りに気配がない事を察知すると、一思いにレナは飛び出した。

 途端に彼女はハッと気付く。

 

 

「……なんで私……こんな、ビクビクしてるの……?」

 

 

 ずっと頭の中にある、他人への不信感と恐怖。堂々としていれば良いのに、なぜこんなにも外が怖いのか。

 自分が自分でない感覚を漠然と引き摺りながら、レナは勇気を振り絞るように一歩一歩踏み出して行く。

 

 

 目指す先は学校。学校だったらみんなも、山田さんも上田先生もいる。

 まずはみんなと会おう、そしてあの日見た恐ろしい出来事について話そう。その為にレナは、道を走る。

 

 

 

 

 その足を止める存在が現れた。

 

 

「あのぉ〜…………」

 

「え……!?」

 

 

 彼女の前に立ちはだかるのは、二人の男。

 こんな暑い中でスーツに身を包んでおり、田舎の辺境ではあまり見ない格好でもある為異質に見えた。

 

 その内の一人である、ボサボサ顔と髭面の小汚い男が筆頭で話しかけた。

 

 

「ちょっとねぇ、聞きたい事があるんですよぉ」

 

 

 次に話しかけて来たのは、金髪の少し間抜けそうな顔の男。

 

 

「ほうじゃ嬢ちゃん! 話させて欲しいけぇのぉ!」

 

「…………」

 

 

 およそ見たことの無い人たち。思わずレナは尋ねる。

 

 

「お、おじさんたちは……誰?」

 

 

 二人は徐に、懐から何かを取り出して見せ付けた。

 それを見たレナの心臓が跳ね、凍り付く。

 

 

 

 

 

「僕たちねぇ、『警察官』なんですよぉ」

 

 

 

 捕まる。

 不意にそう思った途端、彼女の胸中は恐怖に侵食された。

 

 

 

 

 いや冷静になれ、竜宮レナ。自分は何もやっていない。

 必死に嫌な想像を振り払い、勇気を持ってレナはまた質問をした。

 

 

「な……何か、あったんですか……?」

 

 

 小汚い方は少し、説明が難しいと言いたそうに頭を掻く。

 

 

「あ、いや。僕たち警察ですけど、お仕事中って訳じゃなくてねぇ? 人探ししてるんですぅ」

 

「ほうじゃ嬢ちゃん! こう……なんじゃろうな!? 髪の毛がこう……何て言えば良いかのぉ!?」

 

「ええと……髪の毛が偽物っぽいおじさん見ませんでした?」

 

「直球ぅーーッ!!」

 

 

 目的は自分ではないのかと安心してから、レナは見てないと首を振る。

 

 

「そっかぁ〜……あ。ごめんねぇ? 急いでた? じゃあ、僕たちはこれで〜」

 

「兄ィーーッ!! ワシの兄ィーーッ!! どこ行ったんじゃーーっ!!」

 

 

 あっさり男たちはその場を去ろうとする。

 何だか個性的な二人組で驚いたものの、レナは手を振って見送ってあげた。

 

 

 

 二人は背を向けて歩き出す。

 その時同じスーツ姿の男がもう一人、走ってやって来た。

 

 

「どこにもいないではないかッ! てかあっっつッ!!」

 

 

 先の二人よりも綺麗な身なりをした、傲慢そうな顔付きの男だ。

 彼はその二人を見つけるとすぐに駆け寄り話しかけた。

 

 

「おい! どうだった!?」

 

「いやぁ……なかなか見つからないっスね〜」

 

「そこの嬢ちゃんに聞いたんじゃがのぅ! 見てないようじゃけぇ!」

 

 

 金髪が指差した先を見据え、その傲慢そうな男もレナを確認する。

 おずおずと、思わずレナは会釈した。

 

 

「誰だねあの子は?」

 

「第一村人さんです〜」

 

「馬鹿モンッ! こう言う時はまず名前を聞くもんだろッ!!」

 

「いや別に職務質問じゃないんですし……」

 

「君! 名前を言いたまえ!」

 

 

 唐突に名前を聞かれたので、ついつい焦ってしまう。

 早く三人に去って欲しいと思っていたレナは、とっとと自分の名を言ってしまおうと決めた。

 

 

「……りゅ、竜宮レナです……」

 

「竜宮レナだな!………………な、なに?」

 

 

 彼女の名前を聞いた途端、男の顔は訝しむものに変化する。それをレナは聞き逃したからだと解釈し、もう一度だけ名乗った。

 

 

「で、ですから、竜宮レナです」

 

「………………」

 

 

 唖然とした様子で彼はギョロギョロとレナを見やる。

 態度が変容した彼を不気味に思っているのはレナだけではなく、仲間である二人の男もそうらしい。

 

 

「どうしましたかぁ〜?」

 

「キクちゃんなんか気持ち悪いのぉ!」

 

 

 不気味がる隣の二人を無視し、男は一度背を向けて、持っていたタブレット端末を開いた。

 そしてそこに書かれてある資料を読む。

 

 

 

『営林署爆破事件 犯人の名前……竜宮礼奈』

 

 

 

 男は確認を済まし、確信を得た途端、顔をバッと上げて鬼気迫る表情で叫んだ。

 

 

 

 

 

 

「追えーーーーッ!!!!」

 

「!?!?」

 

 

 突然の追跡命令に混乱する二人。だがその二人よりも混乱しているのは、いきなり「追え」と突き付けられたレナだろう。

 

 

 

 

 刹那、彼女は思った。

 もしかして律子殺しの犯人だと思われているのでは。

 いや最初に浮恵が殺されたが、もしやそれも自分のせいになっているのでは。

 

 

 いや。もしかすれば、バレているのではないか。「自分が真相を知ってしまったから」。

 そうだ。誰も彼もが、信じ様がないんだ。

 

 

 

 

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…………こんなの嘘だ。

 この三人は私を捕まえに来たんだ。こんな都合良く警察が村を彷徨くハズなんかなかったんだ。

 

 

 思わず後退りし、気付けば、バッと身を翻して逃走を図っていた。

 目の前で逃げられて素っ頓狂な顔の二人。

 

 

「え? あれれぇ? な、なんで逃げるのかなぁ〜?」

 

「なんでキクちゃん追わないかんのかのぉ?」

 

 

 ただ唯一、命令した男だけは明確な敵意を向けてレナを追跡し始めていた。

 

 

「警察を見て逃げたんだから間違いないッ!! 諸君ッ!! 追えぇぇぇぇーッ!!」

 

「お、追うんですかぁ〜?」

 

 

 エリート風の男が命令を飛ばし、一斉に三人はレナを追い始める。

 レナはレナとて、振り返れば追って来ている刑事らを見て確信した。自分は何か良くない事を知ってしまったのではないかと。

 

 

「はっ、は……ッ!……はッ、はっ……!!」

 

 

 一目散に逃げるレナ。その後ろを刑事たちは口々に喚きながら追い続ける。

 

 

「ま、待てぇ〜い! 御用だぁ〜!」

 

「兄ィ! 一緒に追ってくれい! チェイサー! マッハ!」

 

「あーーッ!? フェラガモで犬の糞踏んだーーッ!?」

 

 

 命令を飛ばした男がそう叫んで立ち止まり、そのまま路上に転がっていた。

 それでもまだ二人の男が追って来ている。

 

 

 しかし土地勘は圧倒的に彼女の方がある。森の中に入ったり、足場の悪い細道を抜けたりと二人を翻弄。

 

 

「メルトリリスは欲しかったぁぁぁ!!」

 

 

 一人が坂道で転び、そのままゴロゴロ転がって行って離脱した。

 残り一人。ヤクザのような刑事だけだ。

 

 

「アキちゃんとキクちゃんの仇は取るからのぉ!」

 

 

 この男がしつこく欽ちゃん走りで追ってくる。

 錯乱しながらもレナは咄嗟に、傍らにあった石垣をよじ登り始めた。

 

 

「身軽じゃのぉ! じゃが、公安のニンジャ言われたワシにはなんて事ないけぇ!」

 

 

 刑事も石垣をよじ登るものの、先に登り切ったレナが上からバケツを落とす。

 

 

「こないでッ!!」

 

「バケツぅ!? グワーッ!!」

 

 

 それは上手く彼の頭に嵌り、視界を失ったばかりに石を掴み損ね落っこちた。

 

 

「サヨナラーッ!!」

 

 

 追っ手は全て撒いた。

 だが安心は出来ない、相手は子どもではなく大人。すぐに追い付いて来る。

 

 

 

 

「あの、ソウゴくん」

 

「知らないッ!!」

 

「ツクヨミちゃあん!!」

 

 

 途中で知らないおじさんを突き飛ばし、結局は自分の家に舞い戻って来てしまった。

 即座に玄関から入り、鍵を閉め、扉を背にしながらずり落ちて息を整える。

 

 

「ふぅ……! ふぅ……!!」

 

 

 自分は既に手配されている。

 捕まってしまったらどうなるのか。

 正当防衛は認められず、浮恵の殺害まで自分のせいにされ、もうみんなにも会えないのではないか。

 或いは知ってしまった寄生虫の話を忘れるまで監禁されるのではないか。

 そんな絶望が過ってしまえばもう止められなかった。

 

 

 今でも手に、律子を刺して、殴った感触が残っている。

 それが彼女の中で並んで、「おまえは罪人だ」と囁く。

 

 

「ふぅ……はぁ……はぁ……!?」

 

 

 手に残った感触が、もっと過去へ遡った。

 握った金属バットと、鈍い衝撃。

 それが彼女の耳元で喚く。割れたガラスと、悲鳴となって。

 

 

「……ッ!? ひ、ヒィ!?」

 

 

 玄関から離れて、再びリビングに。

 結局、ここに戻ってしまった。

 

 眼前には鉈と、破壊されたテーブル。

 脱ぎ捨てた、血だらけのワンピース。

 付箋の多い鷹野三四のスクラップ帳。

 

 

 進みたかった自分は、怯えて逃げ帰った。

 なんて馬鹿らしい、なんて体たらく、なんて小心者。

 

 

「………………」

 

 

 今更になって気付いた。

 父親は、どこにいるんだ。

 

 

「………………」

 

 

 そう言えばあの時、父親は二階に律子がいると言っていた。

 

 

 閉鎖された我が家、律子の凶暴化、いなくなった父。

 もしかして父は、律子に殺されたのではと、思い至る。

 

 

「…………嘘」

 

 

 いや、間違いない。なら警察が調査したこの跡はなんだ。

 そう言えば律子の持っていた鉈は、家の物だった。

 それを持って徘徊していた律子。

 

 

 父親は既に、この世にいないのでは。

 

 

 

 彼女はとうとう、守りたかった父を見殺しにした。

 殺人鬼、殺人鬼、殺人鬼、殺人鬼。

 

 

 

 

「なんで……なんで……?」

 

 

 父親に縋り付いていた律子が、なぜ唐突に彼を殺したのか。

 それは停留所で見せたあの、凶暴化が起きたからだろうか。

 

 なぜか。なぜだ。

 

 

 

 無意識に、鷹野のスクラップブックに、手が伸びていた。

 ここに全ての答えがあるような気がして。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

懐疑心

「よぉ。沙都子、梨花」

 

 

 登校し、教室の扉を開けた圭一。

 その先には元気な姿の二人がいて、圭一の呼び声に反応して振り返る。

 

 

「圭一さ……おっと?」

 

「うぷっ」

 

 

 二人に近付き、肩を叩く。

 いきなりの事で、梨花と沙都子はポカンと圭一を見ていた。

 

 

「な、なんですの? 昨日学校に居なかったのは、その……」

 

 

 休んだ事を弁明しようとする沙都子だが、圭一もまた浮恵に捕らえられていた為、その事を知らない。

 何も知らないとは言え圭一としては、辛い過去を背負いながらも気丈に生きる沙都子と梨花に、愛着が湧いていた。

 

 

「なんでもねぇよ! 元気なのが一番ッ! 元気があればなんでも出来るッ!!」

 

「みぃ。こないだKO負けした燃ゆる闘魂みたいな事言ってるのです」

 

「がははははは!」

 

「気持ち悪いのですわ……」

 

 

 

 

 鬼隠しによって肉親を失った梨花と沙都子。

 話を聞いた後、幼いのにここまで頑張って来た二人が愛おしく、そしてやるせなさを感じていた。

 

 自分は二人の支えになれるのだろうか。

 自分を目覚めさせた友達へ、恩返しをしたい。そう思っていた。

 

 

 圭一に続くように、魅音も教室に入って来る。

 

 

「ほらほら、逃げなきゃ二人とも! 圭ちゃんが月に一回の発情期だよ!」

 

「きゃー! ケダモノですわ! 離してくださいましっ!」

 

「心配するフリしてボクの柔肌に触れようって魂胆なのですか!」

 

「そうじゃねぇよ!? おい魅音コラァッ!!

 

 

 勿論、そんな彼の気持ちを魅音は知っている。

 いつも通り、いつも通りが一番だ。圭一を弄り、明るく笑う。

 

 

 

 

 一方で未だに足りないメンバーが一人。授業の時間が近くなると同時に、沙都子は暗い声で呟いた。

 

 

「……レナさんは来ておられないのですわね」

 

 

 月曜日、学校を休んでいた二人は、圭一とレナが行方不明だった事を知らない。

 魅音は困ったように髪を掻き上げた。

 

 

「昨夜から行方不明で……おじさんトコの若い衆で大捜索させているけどまだ見つかってなくて……」

 

「誘拐……とか、でしょうか?」

 

 

 沙都子が暗い顔を見せ、慌てて圭一は否定した。

 

 

「あ、あいつが誘拐される訳ないって! 寧ろ誘拐した側が心配になってくるぜ……今頃ボコボコにされていたりな!」

 

「とにかく! 引き続きおじさんとこの人が探しているから!……私たちはとりあえず、信じて待つしかない」

 

 

 

 

 レナは一体、どこへ消えたのか。

 心配する圭一たちとは別に、彼らの後ろに立っている梨花は激しい胸騒ぎを覚えていた。

 

 

「………………」

 

「……梨花?」

 

 

 下唇を噛み、気が付けば拳を震えるまで握り締めていたので、隣の沙都子が心配そうに声をかける。

 

 

「お顔が強張っているように見えましたが……」

 

「……何でもないのですよ! にぱーっ☆」

 

 

 頰を緩め、瞬時に満面の笑顔になれる……そんな自分に呆れ返りながらも、梨花は欺き続けた。

 

 

 

 

「……レナの失踪……『前』より少し早いわね……今度こそは無理かしら」

 

 

 誰にも悟られぬよう呟き、溜め息を吐く。

 教室の扉が開き、知恵先生が入って来た。今日も半日、授業が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ〜……うわ、若いなぁ〜菊池まこと」

 

 

 置いてある雑誌を読みながら、おかきを食べてコーラを飲む山田。イザコザは終焉し、昭和五十八年雛見沢村を完全に満喫していた。

 

 

「いやぁ、園崎さんはなんて懐の深い人なんだ。てかこの村、マジックすりゃ喜ばれるし、友達出来たし、タダでご飯食べられるし……これ元の時代より暮らしやすくない?」

 

 

 あまりに快適な為、家にいるペットの亀とハムスターを忘れている。

 ぐだぐだダラダラ過ごしながら、軽く伸び。

 

 

 

 家でまったりしていると、戸を叩く音が響く。来客らしい。

 

 

「はいは〜い……ヨッコラしょーいちと……あ、ヨッコラしょーいちって言っちゃった」

 

 

 立ち上がり、玄関口から戸を開いてやる。

 

 その先に立っていたのは五人の黒服。思わずオオアリクイの威嚇をする山田。

 

 

「なんすか!? なんなんすか!? なんなんなんすか!?」

 

「山田さん。葛西さんがお呼びですぜ」

 

「……へ? 葛西さん?」

 

「屋敷に案内しやす」

 

 

 そう言って、家の前に停めてあった車の扉を開け、乗車を促す。

 山田は導かれるがままに乗ろうとしたが、黒服らに恐る恐る質問する。

 

 

「……あのぉ〜」

 

「どうなすって? 乗り心地は良いっすよ」

 

「いや乗り心地じゃなくて」

 

「ホワッツ?」

 

「私乗ったら、一人あぶれないですかね?……これ前もあったぞ」

 

 

 黒服は五人。山田を合わせれば六人。車には無理して乗っても五人。

 一人だけ車に乗れない事に気付き、狼狽える黒服たち。

 

 

 

 ジャンケンで負けた一人が、トランクに詰められる事となった。

 

 

 

 

 車は園崎屋敷に辿り着くと、門の前で停車する。

 男たちは下車し、トランクを見ると開きっぱなしにされており、中に詰められていた黒服が消えていた。

 

 

「また神隠し起きてるよ……」

 

 

 山田も車から降りて、一人呆れながら門を潜る。すっかりこの空気感にも慣れたものだ。

 

 

 

 

「ダム戦争は終わったがッ!!」

 

「俺たちの戦いはッ!!」

 

「まだまだ続くッ!!」

 

「次回作にッ!!」

 

「ご期待くださいッ!!」

 

「くぅぅう〜疲れましたぁッ!!」

 

「失踪ッ!! 未完ッ!! エタッ!! 打ち切りッ!!」

 

 

 横一列に並び掛け声を叫ぶ若い衆の一人へ、山田は強烈なフックを与える。

 

 

「そぉーい!」

 

 

 いきなり殴られた若い衆が地面に転がる。その様を見ながら山田は怒鳴った。

 

 

「終わらねぇよ!」

 

 

 悶絶する一人とどよめく組員らを抜け、屋敷内へ。

 

 

 いつもの客間には葛西と、知らない女の人がいた。何だか、魅音や詩音に似ている気がする。

 ひとまずすっかり顔見知りとなった葛西に対し、山田は「どもども」と手を差し出す。

 

 

「あ、どもども葛西さん。お世話になってま〜す」

 

「いえ。お世話になったのはこちらの方です。山田さん」

 

「ええと……そちらの方は?」

 

 

 見知らぬ女の人に対し、葛西は恭しく頭を下げてから紹介してやった。

 

 

 

 

「こちら、『園崎茜』さん……魅音さんと詩音さんの母親です」

 

「えっ」

 

 

 山田からサーっと血の気が引いた。とうとう魅音詩音以外の、園崎家系の人間が現れたからだ。

 そして次期頭首の母親と言う事は、現頭首の実娘だ。おのずと彼女の立ち位置は想像出来る。

 

 

 茜は一度ぺこりと会釈をしてから挨拶を。

 

 

「初めまして、に、なるかい?……名前ばっかり葛西から聞いているせいで、なんかもどかしいねぇ」

 

「茜さん、こちらが山田奈緒子さん……三億円の件で、我々の為に尽力してくださった方です」

 

 

 あの葛西が下に出ている。間違いなく天下の園崎家でもトップクラスの人間だと悟る。

 即座に山田は茜の前にとりあえず土下座した。

 

 

「や、山田奈緒子と仰せつかまつりまするッ!!」

 

「『つかまつる』の使い方間違ってないかい?」

 

「この度は、大変お世話に相成りましたで候ッ!!」

 

「あんた、時代劇の見過ぎさ。ほれ顔をお上げ、こっちが緊張しちまうよ」

 

「はいで候!」

 

「語尾かそれは」

 

 

 恐る恐る顔を上げ、茜の顔を伺う。

 人相に性格的な荒々しさは多分に見受けられるものの、それでも幾分か落ち着いた女性に思えた。魅音より棘が多く、されど詩音より沈着とした……そんな気骨を感じた。

 

 

「……で、あんたが山田さんだね。もう一人上田って学者さんがいるって聞いたが?」

 

「出かけられたんですか?」

 

 

 上田の事を聞く二人に対し、半ばどうでも良さそうな表情で答えてやる。

 

 

「あぁ、上田さん……診療所に行くだとか言ってましたよ」

 

「噂に聞けば一人で敵中に突っ込んで野郎をぶちのめしたそうじゃないかい? 是非ウチに入って貰いたいね」

 

「スカウト……」

 

 

 まさか上田を引き入れに来たのかと一瞬思ったが、キチンと山田を呼んだ理由もあった。

 

 

「まずは……三億円を取り戻してくれた事と、こっちの非礼を改めて詫びたい」

 

「い、いえ、そんな……わ、私もぉ〜、人助けするのが〜、趣味ですしぃ?」

 

 

 本当は金に目が眩んだとは言えない。あわよくば三億円もと過ったのは一度二度、百度くらいある。

 白々しく下心を隠す山田へ、茜は続けた。

 

 

「お侘びと礼を兼ねてだが」

 

 

 その言葉を待っていたと言わんばかりに山田の目が光る。

 

 

「今使っている別宅は滞在する間、使って貰っても構わないよ」

 

 

 もっとあるでしょ、もっとあるでしょと、無意識に手を何度も突き出していた。あるでしょと言うより、「今でしょ」の動きだが。

 そんな山田の期待に応えるように、茜はきっちりと金の話を始めてくれた。

 

 

「あと……謝礼金も約束していたっけ?」

 

「そうでしょ……そうでしょ……!」

 

「百万でどうだい?」

 

「ひゃひゃひゃ、百億円ッ!?」

 

「どう聞き間違えたらそうなるんだい。百万」

 

 

 それでも結構な額。山田は目の前が一瞬、真っ白になる。

 

 

「ありがとさんです! もう、一生付いて行きます園崎さん! 園崎万歳ッ!」

 

「……やけに喧しい人だね」

 

「まぁまぁ茜さん……それより山田さん……本当は上田先生がいてくれた方が良かったのですが、耳に入れておいて欲しい事が」

 

 

 神妙な顔付きの葛西。

 山田は怪訝に思いながらも、彼らの言葉を待つ。

 

 

「雛じぇねは解散。ダム計画もこのまま行けば、間違いなく凍結」

 

「もう連盟だか連合は必要なくなったがねぇ……」

 

「……一部の雛じぇねの者が、未だにジオ・ウエキを信奉しているらしいのですよ」

 

 

 多大なカリスマ性で村を侵略し、蹂躙したジオ・ウエキこと、間宮浮恵。

 彼女の野望は砕かれ、まさかの出来事ではあるが死亡し、それによって村人は目を覚ますハズだった。だが、今も彼女を信じる者がいると言うのか。

 

 

「え!? でも、インチキは全部暴露したじゃないですか!?」

 

「それでもです……変に殺されたのが悪かったか……」

 

 

 葛西に代わり、茜が事情を説明する。

 

 

「あのまま逃げちまえば、あの狐女を信じる人間は寧ろ失望してたろうね……されど死んでしまえば、信奉者からすりゃ『殉死』。逃げたんじゃなく、不当に殺されたって思っちまった訳さ」

 

「んなメチャクチャ…………」

 

 

 

 そうとは言い切れない。これは山田が見て来た経験によるものだ。

 インチキだと暴いたのに、本人が認めたのに、果ては死んだと言うのに、信奉者は愚直に信じ続けた。

 

 そんな山田の考えを汲み取るように、茜は語る。

 

 

「……宗教ってのは、こんなんだっけねぇ。死んだ教祖は神格化される……こうなりゃ宗教の完成だ。誰の声も届かんよ」

 

「ジオ・ウエキは自分を、オヤシロ様の遣いだと喧伝していた……皮肉にも死後、本当にそんな扱いをされていると言う訳です」

 

「まぁ、本当に一部だけだ。だけど、もう奴らはウチの声が聞こえないし、永遠にあの狐女を讃え続けるだろうね」

 

 

 茜は鼻先に指を当て、静かにするように促した。

 

 

 

 

「「ジオジオ〜!!」」

 

 

 遠く聞こえる、集団の声。二人の言う、浮恵の信奉者たちのものだろう。

 

 

「……ダム反対の行進が、布教活動に様変わりさね」

 

「ウチへの抗議か、毎日毎日この前で叫びやがる……」

 

 

 忌々しがに顔を歪める葛西とは打って変わり、茜は言動共にまだ落ち着きがあった。

 

 

「根本にあるのはオヤシロ様信仰だろうけど、そこに不純物が混じっちまった。最後の最後で、あの『霊能力者』は──」

 

「………………」

 

 

 山田の目を伺ってから、茜は間を置いて続けた。

 

 

「……本当に『神』に成り上がったんだ」

 

 

 全て解決したと言うのに、虚しい。

 これに関しては、山田は何を言うべきか、見失ってしまった。

 

 

 間を保たせるかなように、葛西が忠告を口にする。

 

 

「……それで、山田さん。奴らはあなた……山田さんを敵視しております」

 

「……え!?」

 

「昨夜のデマが、山田さんがジオ・ウエキを殺したと言う事になったようで……あなたとご一緒に来た上田先生もまた、同様です」

 

「嘘でしょ!?」

 

 

 今でしょポーズで動揺する山田。すぐに茜が続けた。

 

 

「村にいる間は若い衆が目を光らせておくよ。何かあってもすぐに対処してやるさ……ただ、いつも見張っている訳じゃないから、極力奴らには近付かない方が良い。リンチされるかもしれんよ?」

 

「リンチ……ミンチ……ベンチ……?」

 

「本当ならさっさと村を出た方が良いが、そこはそっちの自由さ」

 

 

 

 

 そこまで言うと、茜はすくりと立ち上がる。

 

 

「そんじゃ、あたしはそろそろお暇するよ。会議があるからね」

 

 

 即座に葛西も立ち、襖を開けてやる。

 出て行こうとした時にもう一度立ち止まり、山田を一瞥。

 

 

「夜、また迎えに上がらせるよ。三億円を取り返した功労者を、ウチでもてなさなきゃならないからねぇ。その時に金封は渡すよ」

 

 

 一言加えてから、彼女は葛西と共に出て行った。

 

 

「…………」

 

 

 一人残った山田。

 青空に立つ入道雲を眺めて、微かに聞こえる掛け声に耳を傾ける。

 

 

「「ジオジオ〜!!」」

 

 

 解決したのか、そうではないのか。勝利の余韻は一気に冷めてしまっていた。

 三億円は戻っても、不穏がそこにいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室へ向かう途中、茜は葛西に話しかけた。

 

 

「山田と言ったね」

 

「はい…………山田さんが、どうされて?」

 

 

 彼女は「いや」と前置きし、少し考え込んだ後にまた続ける。

 

 

「……堅気にしか見えないが……ありゃ、何度も修羅場をくぐっている」

 

「山田さんがですか? 確かに修羅場にはいましたが……あれが初めてではないと?」

 

「まぁ、あたしや葛西に比べりゃ可愛いもんだが……堅気にしては良い目をしている」

 

 

 想起したのは、山田にジオ・ウエキが神に成り上がった、と話す前の山田の目。

 

 

 

 

「……特に、『霊能力者』って言った時……そこらの若い衆よりも目が据わったよ。ありゃ、狐女よりも前に……霊能力者だとかと不運な縁があったんだろうねぇ」

 

 

 茜は内心で、山田と対談して良かったと思っている。

 最近は退屈な連中としか会っていなかったが、やっと面白そうな人間がやって来た。

 得体は知れないが普通ではない山田奈緒子と言う女。本心から、夜の宴が楽しみだと口を歪ませる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼下がりに移る。レナは静かに、スクラップブックを読み進めていた。

 妙な魅力のある物だ。およそ非現実的なのに、説得力がある。

 

 オヤシロ様の正体、寄生虫、宇宙人、園崎陰謀説…………

 

 

 

 全ては信じていない。ただ間宮律子の豹変が、どうにも説得力を強めているような。

 

 

「……そう言えば姉妹で、魅ぃちゃんの所の三億円を奪ったって……!?」

 

 

 もしかして、園崎家が手を汚さずに自滅させる為に、寄生虫を暴走させたのでは。

 妙な妄想が、レナ自身も驚くほどに展開。

 

 

 暴走した彼女は父親を殺害し、姉を手に掛けたのではないか。

 それによって得をするのは、園崎だけ。

 

 

「……あり得ない……!」

 

 

 そうは思っても、ページを進める手は止まらない。

 この本が醸す魔術に、取り憑かれているかのようだ。

 

 

 鬼の正体は寄生虫で狂った人間。オヤシロ様はそれを鎮めた医者。

 村から出れば狂わされる、それが祟りの正体。

 

 

 村から出れば狂わされる。

 ここが強く、自分に当てはまった。

 

 

 私は過去、「暴走した」と言う経験がある。

 

 

 

 

「ヒィッ!?」

 

 

 

 数々の実体験が合致する。怖くなり、スクラップブックを放った。

 

 

「本当に…………寄生虫…………!?」

 

 

 この頭の中で蠢き、人間を操っているのか。

 壁に凭れ、頭を抱え、震える。

 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ…………

 

 こんなのはただの、空論だ。

 スクラップブックの仮説に則るなら、「首を掻きむしって死ぬ」ハズなんだ。

 

 

 

 

 いや。確かにやっていた。

 瞬時に、反射的に、昨夜の出来事が蘇る。

 レナの脳裏に、「あの時」の光景が蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

──暗い道路上、停留所前、寂しい街灯の明かりの下だった。

 醜い死体のそばでもあった。

 

 

 血だらけになりながら、レナは何度も律子に殴られ、罵られ、踏みつけられた。

 

 

「あっははははは!! 無様ねぇ!! 聞いてるわよ、あんたのお父さんから!!」

 

 

 

 こんな時でも彼女は、プンプンとあの匂いを撒き散らしていた。

 

 

 

「離婚した母親のお荷物ってぇ!? 何考えてるのか分からないし、話し方はおかしいし!!」

 

 

 

 父親からプレゼントされたあの香水の匂い。

 

 

 

「『キレて学校中の窓ガラス割った』!?『生徒をバットで滅多打ちにした』!?」

 

 

 

 すぅっと、心が空いて行く感覚。

 父親は律子に、全部話してしまっていた。

 

 

 

「そんな事友達に知られたら嫌われるよねぇ!!」

 

 

 

 自分は死ぬと言う直感と、或いは過去を暴かれた衝撃。

 

 

 

「あんたなんかを、愛してくれる人間はいないのよぉッ!!」

 

 

 

 街灯で鈍く光る鉈と、燃えるような律子の目を、ずっと見ていた。

 

 

 

 

 シャネルの五番の、匂いを放ちながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

「生まれて来るべきじゃなかったのよぉおおおおおッ!!!!」

 

 

 

 振り下ろされようとする鉈。

 レナは指先に、何かが当たった事に気が付いた。

 

 

 

 浮恵が持っていた、ジャックナイフ。

 刹那、彼女は考えるよりも先にナイフを握り締め────

 

 

 

 

 

 

 

「──ヒイッ!?」

 

 

 悲鳴と一緒に、律子の脇腹へ突き刺した。

 

 牛肉や豚肉を切るような、と思っていた。

 だが案外、人間の身体と言うのは柔らかい。

 

 それは肉に刺すと言うよりも、スプーンで掬うような感覚に似ていた。

 

 人を刺すと言うのは、あまりにも呆気なかった。

 

 

 

「──うげ……ッ!?」

 

 

 レナの反撃により、痛みで動揺を見せた律子。

 身を縮め、鉈を手放した。

 

 

「あ、あんた……!?」

 

 

 レナはそれから、何度も何度も引き抜いては、突き刺した。

 

 痛みに耐え切れず律子は叫び声をあげ、道に倒れ込む形でレナを拘束から解放する。

 

 自由の身になった途端、レナは無我夢中で起き上がり、律子が手放した鉈を掴む。

 ナイフは最後の一撃の際に、突き刺したままにしてしまった。

 

 

「はあっ、ハァ……ッ!?」

 

 

 鉈を構えて、律子の反撃を待ち構える。

 

 

 しかし彼女は、レナに刺された箇所を押さえながら、苦しみ悶えているだけだった。

 

 

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!」

 

「……ッ!?」

 

 

 泣きじゃくり、「痛い」とただただ連呼するだけ。

 その一転して弱り果て、悶える姿を見ていると、レナには罪悪感が生まれて来た。

 

 

「ああああ、あなた、やったわね……やってくれたわね……!? 痛い痛い痛い痛い……!!」

 

「はぁ、はぁ……ッ」

 

「なんで、なんで、なんでなのよぉ……! なんでこんな目に遭う訳ぇ……!?」

 

「……ッ……ッ……!!」

 

 

 血の臭いと、シャネルの匂い。二つが混沌と匂い立つ。

 気持ち悪さからか、罪悪感からか、レナは鉈を構えたまま片手で口を押さえる。

 

 

 

 その内、律子はあらぬ方向を見た。

 痛みに悶えていた顔に、恐怖が混ざる。

 

 

 

「……な、なんで、『あんた』、生きてんの……!?」

 

「……え……!?」

 

 

 律子の見ている方向に何かいるのか。

 しかしレナがそこを見ても、何もいない。

 すぐに律子にしか見えていないのだと気付く。

 

 

 

 

「こないで、こないで、殺したじゃん、だって今。ぐちゃぐちゃにしてやったじゃん、さっき」

 

 

 脇腹を押さえていた手を、離した。

 レナは一気に怖くなり、震えた足で立ち上がる。

 

 

「なんで生きてんのよ、なんで生きてんのよ。意味分かんない意味分かんない意味分かんない」

 

 

 律子の手が、自分の首を掴む。

 レナは転びながらも這うようにして、一気にその場から逃げた。

 

 

 背後から風が吹く。ここは山間にあり、良く強い風が吹いた。

 風上にいる律子が放つ血とシャネルの匂いが、ずっとずっとレナを追い立てている。

 

 

 それから逃げようと、逃げようと、夜道を走った。走り続けた。

 

 

 

 

 

 

「痒い、痒い」

 

 

 後ろからか細い声が聞こえてる。

 

 

「痒い、痒い、痒い、痒い、痒い」

 

 

 耳を押さえながら、レナは走った。

 しかし耳を押さえても、頭の中で声が反芻されてしまった。

 

 

 

 

 痒い、痒い、痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い痒い………………

 

 

 

 

 

 

 

「──あー! いた!」

 

 

 外で聞き覚えのある声。

 レナは口を押さえ、記憶の海から意識を戻して息を殺す。

 

 

「矢部さん、ここで何やってんですかぁ!?」

 

「矢部? 僕は常磐ですがぁ? 東京で時計屋を営んでいますぅ」

 

「兄ィが別人になった!?」

 

 

 こっそりカーテンを開き、窓から外を見る。

 あの警察三人が、家の前で突き飛ばしたおじさんと仲良く歩いている。

 

 

 

 サッと血の気が引いた。

 あの人も、警察だったんだ。

 

 

 あのエリート風の男が叫ぶ。

 

 

「まぁ良いッ!! これから殴られずに済むとなれば、素晴らしい事じゃないかッ!!……それよりもだッ!! 矢部くんッ!!」

 

「常磐ですぅ」

 

「女の子見なかったか? 短めの髪の、中学生程度の!」

 

 

 やめて、言わないで。そう心で願っても、届く訳がない。

 

 

「女の子?……ツクヨミちゃん? ツクヨミちゃんはロングだけど……」

 

「ツクヨミじゃないッ! なんで日本神話の神が出るんだ……不審な女の子だ!」

 

「不審な女の子……それなら、そこの家にいた子かなぁ?」

 

 

 あっさりと、自分のいるこの家を指差す。

 バレた。全員がこっちを見る前に、彼女はカーテンを閉める。

 外からは尚も声が聞こえた。

 

 

「良い家に住んどるのぉ」

 

「でも、なんか、見分の後って感じですねぇ? 事件かな?」

 

「という事は無人かぁ……隠れるのに打ってつけだなッ!! 行くぞ諸君ッ!!」

 

 

 バタバタと走り、鍵のかかった玄関の扉を開けようとする音が響く。

 中に入られると悟ったレナは急いで、逃走を開始。

 

 

「に、逃げなきゃ…………!!」

 

 

 まず彼女は、裏口へ走り、鍵を「開けた」。

 

 

 

 

 

「玄関は施錠されていますねぇ」

 

「なら裏口を探せッ!! あと、縁側の窓にも注意しろッ!!」

 

「アラホラサッサーじゃ!」

 

「ソウゴくーん? いるのぉー?」

 

 

 四人は家を包囲する。

 窓が施錠されていないか調べ、小汚い男──秋葉は裏口の前に立つ。

 

 

「裏口!」

 

 

 取手に手を掛けて引くと、いとも簡単にガチャリと開いた。

 

 

「あ! ここ、開いてますよぉー!」

 

 

 扉を開け、警戒しながら中へ入る。裏口には誰もいない。

 

 

「隠れているのかなぁ?」

 

「どけぇッ!! 突撃ぃぃぃぃ!!」

 

 

 秋葉を押し退け、エリート風の傲慢そうな男──菊池が突っ込む。

 その後に秋葉、間抜けそうな男──石原、不審者──矢部の順で入り込んだ。

 

 

 

 

 

 だが一階には誰もいない、何も無い。

 あるのはなぜか壊されているテーブルと、血のついた服。

 

 

「血塗れですねぇ!」

 

「これは殺人か!? やったぁ!!」

 

「キクちゃん、殺人が好きなんかのぉ?」

 

「ソウゴくんは?」

 

 

 菊池は屋内を見渡し、階段を発見する。

 

 

「一階にいないのなら、二階だ! 続けぇぇッ!!」

 

 

 強烈なバイタリティを発揮し、ヘロヘロの三人を無視して菊池は階段を駆け上がった。

 

 二階には幾つかの部屋がある。その一つ一つを確認し、一番奥の部屋。もうここしか逃げ場はないと踏み、扉を蹴り開ける。

 

 

 

 

 

 

「警視庁だぁぁぁぁぁッ!!!!」

 

「お縄につけぇー!」

 

「逮捕じゃけぇのぉ!」

 

「ゲイツくんでも良いよぉ〜?」

 

 

 

 駆け上がり、ドアを蹴破った先はレナの部屋。

 窓は開かれ、昼下がりの空が見えていた。

 

 

 

 裏口を開けておく事によって全員の注目を集中させ、その隙に窓から屋根を伝い、家から脱出。

 レナはスクラップブックと鉈と共に、村の中へ消えた。




・「アントニオ猪木」は1983年6月2日の試合でKO負けしましたが、その相手こそ「ハルク・ホーガン」。ハルクだ!ベストマンだ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

相見え

 園崎屋敷から出た山田は村をぶらぶらし、何となく古手神社に来ていた。

 見上げた先には石の鳥居がこちらを俯瞰している。

 

 

「……神様か……思えばこの時代に来てから、きっちりお参りしてないよなぁ」

 

 

 そう思い立つと階段を登り、鳥居を潜って拝殿の前へ。

 

 落ち着いた状態で、また明るい時間帯に見た境内はとても神聖に思えた。

 厳かに建つ拝殿は、古来から永劫まで村を見守り続けていた。寂れていても、威厳は確かに放たれている。

 雨風に少し傷んだ姿を含めて、疲れ切った老父のようにも見える、番人のような凛々しさがあった。

 

 

「……私がこの時代に飛んだのって、神様のせいだったりするのか?」

 

 

 超常現象は信じない癖に、幽霊や宇宙人とかは信じている山田。

 神様は人並み程度に信じてはいるが、関心はあまりない。どれだけ願ってもお金は増えないし、胸も大きくならないからだ。

 いつかの上田の言葉を借りるなら、「アベレージな日本人」のタイプだろう。

 

 

 

 その上で語るにしても、オヤシロ様が廃墟になった後もいて、自分に何かを伝えたくてタイムスキャットさせたのではとボヤボヤ考えていた。

 

 

「あの一円玉が効いたかなぁ」

 

 

 現代で賽銭箱に入れた自分の一円玉を思い出す。改めて賽銭しておこうかと考え、財布を開ける。

 

 

「あ、そうだった……オウシットっ!」

 

 

 一円玉と五円玉が一枚ずつ、十円もない。ここに来た時、チューペットを買わされたせいで懐が寂しい状態だ。

 マジックに使っていた千円だとか小銭は、全て富竹や詩音に借りた物ばかりで、もう返しているので今はない。

 

 

「まぁ、夜には百万なんだ。うひょひょひょひょひょ!」

 

 

 お金の当てが出来たと言うのに、一円玉と五円玉なら、一円玉を摘むケチな山田。

 

 

 

 一円玉を親指に乗せ、ピンッと真上へ飛ばす。

 

 

「オーズ! オーズ! オーズ! オーズ!」

 

 

 空中でくるりくるり回るそれを、大袈裟な動作で掴んだ。

 

 

「カモンッ!! おいエージッ! これを使えーいっ!」

 

 

 掴んだそれを、えいやっと賽銭箱目掛けて投げた。

 軽快な音を立て、中へ上手く入る。

 

 何度も上田に言われたのに、一回手を叩くだけで一礼もなし。

 

 

 

 

「……おっぱいが大きくなりますように……」

 

 

 そして何よりもまず自分の願望を唱えた。

 

 

「……てか、この村の巨乳率高いんだよ……オヤシロ様って、おっぱいの神様なのか……? だから巨乳が多いのかこの村……!? やった!」

 

 

 願いを込めた後、山田は振り返って家に戻ろうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰がおっぱいの神様なのですかっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 山田は瞬時に、再び拝殿へ振り返る。

 

 

「え!? 違うの!?」

 

 

 少女の声が聞こえたハズなのに、誰もいなかった。

 

 

「あ、あれ?……あら?」

 

 

 境内にはいつも通り、蝉の声だけが木霊する。

 梨花と沙都子は学校にいるだろうし、誰もいないハズ。

 

 

「…………疲れてんのかな。そういや、ここ最近、腰がキツイからなぁ……」

 

 

 気のせいだと思い直し、腰を撫でながらまた拝殿に背を向ける。

 

 

「……あ。腰の事も願っとこ」

 

 

 そしてもう一度、振り返る。

 

 

 

 

 

「医者でもないのですよ!」

 

「え!? ちが…………うの?」

 

 

 

 

 賽銭箱の前に立つ、小さな人影。

 見間違いではない、確かにいる。

 

 

 

「……え?」

 

 

 その者は山田と目が合う。

 向こうもまた、信じられないと言わんばかりに目を丸くしていた。

 

 

「……嘘……!?」

 

 

 山田も山田で、突如現れたその人影に、反応が追い付いていない。

 

 

 

 

「ボクが……視えるのですか……!?」

 

 

 

 良く見ようと一歩、拝殿の方へ歩み寄る。

 

 

 

 

 

 

 顔に、冷たいものがつく。

 

 

「どぉっ!?」

 

 

 思わず顔を伏せ、頰を触ると、水。

 次に空を見上げると、一匹の蝉が飛び去って行く様を眺められた。

 

 どうやら蝉に小便を引っ掛けられたようだ。

 

 

「あ、引っ掛けやがったこの野郎ッ!? ぜってぇ許さねぇッ!!」

 

 

 蝉を追おうとするも、既に遠い空の彼方に行ってしまった。

 

 

「虫の癖に小便垂らしやがって……! 駆逐してやるーっ! バッチクショーッ! バッ駆逐ショーッ!」

 

 

 たかが蝉相手に吠える山田。

 一頻り怒りを発散したところで、ハッとなってまた賽銭箱の方へ。

 

 

 

 

 見えたハズの人影も、聞こえたハズの声も消えた。

 

 

 

「あ、あれ? いない……?」

 

 

 拝殿へ駆け寄り、賽銭箱の裏や柱の裏を見やる。しかしやはり誰もいない。

 

 

「……気のせい? に、してはメチャクチャリアルだったような……」

 

 

 悶々と考えていた山田。

 暫し待ってみても、誰も現れる事はなかった。諦めて、今度こそ境内から去ろうと踵を返す。

 

 

「……疲れてんのかな。百万入ったら温泉行こ……最近、膝もヤバいんだよなぁ……」

 

 

 ぶつぶつ呟きながら、鳥居を潜って階段を下り、神社を去る。

 時折やはり背後から誰かの視線を感じたものの、振り返れど誰もいやしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の興宮署には、四人ほどの集団不審者が連行されて取り調べを受けさせられていた。

 内、三人を前にした大石は、呆れた表情で聴取を開始する。

 

 

「それでぇ……なぁんで東京の刑事さんがこんな辺境の村にいらっしゃるんですかねぇ?」

 

 

 三人は口々に主張を始めた。

 

 

 

 

「幻想入りですぅ!」

 

「タイムフライヤーじゃけぇのぉ!」

 

「ソウゴくんに会いたいなぁ」

 

 

 応接室のソファに、秋葉、矢部、石原が並んで座っていた。

 彼らの持ち物が置かれたテーブルを挟み、向こう側に座る大石は面倒そうな顔付きになる。

 

 

「だから僕ら、警視庁から来たんですってぇ〜」

 

「ほうじゃ! 警視総監直々の、ドリームメンバーじゃ!」

 

「僕は時計屋なんだけどねぇ〜?」

 

 

 尚も刑事だと主張する彼らだが、大石は疑念を払う事はなかった。

 

 

「警視庁の刑事ってねぇ、あんたたち……」

 

 

 テーブルに置いていた三人の警察手帳を手に取り、まじまじと眺める。

 

 

 

 

「……良く出来たオモチャですねぇ。こ〜れのどこが……手帳なんですか? 紋所じゃないですから……」

 

 

 昭和の時代と、平成とは警察手帳の形状が違う。大石は未来の警察手帳を、偽物だと思っている。

 誤解を取り払う証拠は何もないのだが、何とか三人は言葉を尽くして弁明する。

 

 

「いや、本当なんですよぉ〜! 信じてくださぁ〜い!」

 

「あそこで調査しとったんじゃろぉ! のぉ! 兄ィ!」

 

「クジゴジ堂に帰してくれるかなぁ?」

 

 

 アクの強いメンバーに頭が痛くなって来たのか、コメカミを押さえてソファに身体を沈める。

 次に、明らかに様子のおかしい矢部の頭を指差し、大石は指摘する。

 

 

「さっきから言っている事、おかしくないですか? その『カツラ』の人」

 

「あ」

 

「お?」

 

「ん?」

 

 

 目を丸くして大石を見つめる矢部。

 

 

「あのぉ〜……今、なんて言いました?」

 

「いやまぁ、私より若そうなのに、お気の毒とは思いますがねぇ」

 

「お気の毒?」

 

「カツラでしょ?」

 

「カツラ?」

 

「カツラ」

 

「いらっしゃ〜い」

 

「桂じゃなくて、ヅラです」

 

「今ヅラゆーたなお前?」

 

 

 朗らかな叔父さんと言った表情から一変、殺意剥き出しの表情で立ち上がる矢部。

 秋葉と石原は咄嗟に押さえつけながら、歓喜の声をあげる。

 

 

「兄ィ!? 戻ったんか!?」

 

「や、矢部さ〜ん! やっぱり、頭のソレは忘れないんですよねぇ!? 感動ですぅ……!!」

 

「………………ハッ!? 疲れてるのかなぁ?」

 

 

 再び座り、また元の叔父さんの笑顔に戻る。途端に石原と秋葉は床に崩れた。

 

 

「駄目じゃあ〜! トキワっちゅうのに戻ってもうた!」

 

「で、出た〜〜! 自分を王様の大叔父だと思い込んでいる警視庁刑事奴〜〜! 戻って来てくださ〜〜い!」

 

 

 疑いこそはしているものこ、さすがの大石も哀れに思って来たようだ。

 

 

「……病院の手配しましょうかね」

 

「それには及ばないですから! お金、ないですし……」

 

 

 病院への搬送を断る秋葉。彼らもまた、この世界では平成のお札が使えない事を理解していたようだ。

 

 

 奇妙な三人組に疲れつつも、大石は聴取を続行。

 腕時計を見れば、既に時刻は午後六時。

 

 

「……雛見沢分校の方で通報がありましてねぇ。通学中、道行く児童に『ソウゴくんはどこ』って聞いて回る不審者がいると……」

 

「ソウゴくん!?」

 

「まぁ、間違いなくこの方でしょうな」

 

「そもそもソウゴって誰なんじゃろな?」

 

 

 大石はまた言葉を続けた。

 

 

 

 

「で、問題は、あなたがた……別室のもう一人含めて四人で、竜宮さんの家の前で何やっていたんですかぁ?」

 

 

 メンバーひ竜宮家の前で張り込んでいた最中に、通報を聞きつけた警察によって連行されたと言う流れだ。

 必死に秋葉は誤解を解こうと、弁明する。

 

 

「不審な女の子を見かけたんで、追跡したんです!」

 

「そりゃストーカーですね」

 

「違いますよぉ! 凄くこう、血相変えて逃げ出したんで……」

 

「……ふぅん?」

 

 

 大石は何か心当たりがあるのか、顎を撫でて唸る。

 

 

「年恰好は中学生くらいで、髪は肩までの子じゃありませんでした?」

 

「え? は、はい。確かぁ、そうですけど……」

 

「今も村に潜伏しとる……と、いう事か」

 

「やっぱり、事件ですか?」

 

「ん? いや、こっちの話ですよぉ?」

 

 

 まだ疑われていると思っている石原が、ムッとして突っかかる。

 

 

「まだワシらを疑っとるんか!?」

 

「疑うのが警察の性分ですからねぇ。刑事なら良ぉくご存知ではぁ?」

 

 

 矢部を挟み、秋葉と石原は目配せし合い、疲れたように肩を落とした。

 

 

 

 

 その時、応接室に大石の部下である熊谷が入室する。

 

 

「失礼します」

 

「どうしたの熊ちゃん?」

 

「あの……もしかしたら、本当に本庁からの人かもしれないですよ?」

 

 

 大石が彼へどう言う事かを聞く前に、もう一人の人物が自信満々に飛び込んで来た。

 

 

「諸君ッ! この菊池愛介が東大理三パワーで誤解を解いたぞッ!!」

 

 

 そこにいたのは菊池。いつもは彼を疎ましく思っているものの、その時ばかりは輝いて見えた。

 

 

「キクちゃあん!」

 

「う、うわぁ! 菊池が攻めて来たぞぉ!」

 

 

 石原と秋葉は手を合わせて拝んでいる。

 一方で大石は意味が分からないようで、菊池を見やりながら熊谷に尋ねた。

 

 

「熊ちゃん……これは、どう言う事なんですか?」

 

「それが、大石さん……この人、例の件を色々知っていまして……」

 

「大石……君が大石蔵人かね?」

 

 

 会った事もない菊池から名前を呼ばれ、驚きと懐疑から顔を顰める。

 

 

「……失礼ですが、あなたは?」

 

「僕は警視庁公安部の参事官ならびに東大理三卒の超絶エリート、菊池愛介だ!」

 

 

 参事官と聞き、更に顔を顰める大石。キャリア組の上に態度が鼻に突いたからだ。

 ただそれよりも彼の関心を引いたのは、公安部の肩書き。

 

 

「……公安部」

 

「赤坂衛はご存知かな?」

 

「……その名前が出るとは。本当に本庁の方で?」

 

「まぁ、無理はない! 近々、警察手帳のデザインを変える手筈だからなッ! 我々のコレを偽物と思って貰っても構わんよ!」

 

 

 嘘を言っているような、嘘じゃないような。実際、旧デザインから新デザインには変わるものの、それは平成の、それも二◯◯二年の話。

 とは言え大石がそんな事を知っている訳はないので、菊池の自信満々な態度も合わさって「本当か?」と思ってしまう。

 

 

「熊ちゃんが言っていた例の件ってのは……」

 

「雛見沢村での連続怪死事件だよ。特に昨年の事件か? 北条家の人間が撲殺され、少年が失踪」

 

 

 熊谷は首肯し、訝しげながらも信じる態度を見せながら説明する。

 

 

「あれは秘匿捜査指定がかかっています……警察でも、知っている刑事はピンキリですよ」

 

「だから本庁の人間だと信じた訳ですか……こんな事、村の人間か我々しか知り得ませんからねぇ」

 

 

 二人が納得を見せた段階で、菊池は畳み掛けるように大石へ話を続けた。

 

 

「それだけじゃあない」

 

「それだけじゃ……?」

 

「連続怪死事件『以前の事件』についても聞かされているし……君の事も聞いているぞ?」

 

「ッ!?」

 

 

 驚きと懐疑がニュートラルな状態だった大石の表情だったが、その話を聞いて完全なる愕然を見せた。

 なんとかすぐに顔を引き締め、菊池を見据え直す。

 

 

「……あなた方が公安部としましても、こんな日本の辺境にわざわざ赴くとは思えんのですがねぇ?」

 

「お、大石さん……!?」

 

 

 本物の参事官かもしれないと止めようとする熊谷を手で制し、大石は菊池の返答を待つ。

 エリート然とした、自信満々な表情はそのままだ。

 

 

「我々は公安の仕事の一環として、監視対象組織の調査をしに来た」

 

「それは……園崎ですか?」

 

「御明察だ。まぁ色々と混み合った問題ばかりなんだ。我々を刑事だと信じ……怪死事件解決の調査に、参加させて欲しい」

 

 

 彼の発言に対し、ひっくり返りかけたのは秋葉と石原だった。即座に菊池の元に行き、大石らに聞こえないよう部屋の隅まで引っ張り込んだ。

 

 

「ちょちょちょちょ、菊池さん!? す、するんですかぁ〜〜!?」

 

「この状況は全く理解出来ないが、我々は職務に忠実であるべきだッ!」

 

「じ、時間溯行してまで、お仕事はするモノなのかなぁ〜? ほむらちゃんかなぁ〜?」

 

 

 石原は首を傾げた。

 

 

「じゃが、大丈夫なんかのぉ?『鯛とブルドッグ』が起きたとか言われんかのぉ?」

 

「『タイムパラドックス』だ!……まぁ、来たなら帰れるだろうし、何とかなるだろ。それよりも諸君、誇れッ! 我々は人類史上初めて……歴史を変える……ッ!」

 

「キクちゃんの発想のスケールがデカ過ぎるぅ!」

 

 

 クルリと再び振り返り、菊池は大石へ手を差し伸べた。

 

 

「信じていただけるかね?」

 

「………………」

 

 

 暫し考え込んだ後、彼はその手を握る。

 

 

「……分かりました。信じましょう」

 

「話が早くて助かる! ハッハッハッハッ!!」

 

「ゲイツくんとツクヨミちゃん帰って来ないかなぁ〜?」

 

 

 東京からやって来た、奇妙な公安カルテット。

 彼らの存在を怪しく思いながらも、大石は協力を選んだ。

 

 

 事件を終わらせる為に。殺された「おやっさん」の仇を討つ為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 別宅に帰った山田。

 

 

「帰ったぞ〜い……あれ。上田さん」

 

「よぉ?」

 

 

 上田は居間に寝っ転がりながら、テレビを見て寛いでいた。

 

 

「どこほっつき歩いていたんですか?」

 

「なんだその言い方は。完全にニートと化したYOUと違い、有意義に時間を過ごしているのだぞ?」

 

 

 本当は今の今まで診療所にいて、鷹野の出待ちをしていたなんて口が裂けても言えない。

 相変わらず不遜な態度の上田に、山田はカチンと来た。

 

 

「私だって有意義に過ごしましたよ」

 

「何したんだ?」

 

「神社で祈願です」

 

「ハッ! 片腹痛いわ! どうせYOUの事だ! 金が欲しいだとか、私利私欲で願ったんだろ!」

 

「違いますよ! ちゃんと、清らかな心で、村を思って」

 

「なら、胸が大きくとか願ったんじゃ」

 

「チェケラッ!!」

 

 

 空の湯呑みを手に取り、立ち上がった上田の股間に投げ当てる。

 彼は膝から崩れ落ち、酸欠の魚のようにパクパク口を開け閉めしていた。

 

 

「……あ、そうだ。上田さん、そろそろ準備してくださいよ」

 

「ぉッ……おぅ……ッ」

 

「園崎さんが、私たちにお礼だとかで宴会だそうですよ」

 

 

 上田はとても彼女の話を聞ける状態ではないが、無視して話す。

 

 

「しかも金封百万円っすぜ! えへへへへへへへ! 園崎様万歳! もうこの村に住もっかなぁ」

 

「がはッ……! か、金が入るってんなら、金の事は願うまい。やっぱり願ったのは胸に違いな」

 

「ソイヤーッ!!」

 

 

 ふらふら立ち上がった彼の股間に、テレビのリモコンを投げ付けた。

 今度は痙攣し始めたが、山田は無視。

 

 

 

 

 直後、戸を叩く音。

 軒先に出てみれば、黒服と共に、詩音も立っていた。

 

 

「準備はよろしいですか!」

 

「あれ? 詩音さん?」

 

「今日は私もお邪魔しますんで。オネェは準備で忙しいので、私がお出迎えに参りました〜!」

 

「あぁ、そうなんですか。上田さ〜ん、行きますよ〜」

 

 

 イモムシのように這いながら、虫の息状態で表に出る。

 家の前には車が停められ、黒服たちが乗車を促してくれた。

 

 

「……今日は、大丈夫なんですか?」

 

 

 車に乗れる人数を考慮して来たか、と言う問いだ。山田の質問に、黒服は自信ありげに答えた。

 

 

「詩音さん合わせて、今日は四人です! きちんと一人減らして来ました!」

 

「今日は上田さんもいるんですけど……」

 

 

 山田、詩音、上田、黒服三人。やっぱり人数オーバーだ。狼狽える黒服たち。

 

 

 

 

 

 

 

 くじ引きで負けた一人がフロントに、謎の器具を顔につけられた上で、カカシのように括り付けられる事になった。

 走行中の車内で、山田はドン引きした様子で詩音に聞く。

 

 

「……顎の所に器具つける意味はなんですか?」

 

「舌噛んだらかわいそうですから」

 

「その妙な気遣いはなんだ」

 

 

 車の中で揺られながら数分。小さな村だから、あと三分もしない内に到着するだろう。

 間を保たせる為か、上田が口を開く。

 

 

「まさかなぁ。園崎氏からまた呼ばれるとはなぁ」

 

「今回ばかりはお二人を見直さなくてはなりませんからね。お詫びも兼ねての労いの宴会、との事で」

 

 

 上田は満足げに踏ん反り返る。

 

 

「やっと向こうも、俺の頭脳明晰さに気が付いたか! まぁ、天才は大器晩成型だからなぁ。理解されるまで時間がかかるもんだ!」

 

「お母さんも言っていましたけど、ぜひ上田先生には園崎の専属ガードマンになって欲しいそうです!」

 

「理解されるまでまだ時間がかかるな」

 

 

 続いて山田は思い出したように、詩音へ尋ねた。

 

 

「前、私たちに貸してくださった別宅はどうなったんですか?」

 

「酷く荒らされましたし、元々あまり使っていなかったんで、リフォームより壊した方が安いって事で……今は放置です」

 

「あんだけメチャクチャにされればなぁ……」

 

「本当に昨日は大活躍でしたね!」

 

「まぁ、慣れっこですよ。慣れたとは言え、もうゴメン被りたいっすけど」

 

 

 詩音も山田同様に思い出したように、パチリと手を叩いて話し出す。

 

 

「そう言えば上田先生!」

 

「俺か?」

 

「上田先生って、本を出版されているんでしたっけ?」

 

 

 ボソッと隣で山田が毒を吐く。

 

 

「有名になったのになぜか全然売れないんですよね」

 

「黙れッ!……そうなんだ! なぜ、私が人生を勝ち抜いて来たか……その秘密を、余す事なく書き綴っているッ!」

 

 

 嬉しそうにカバンから、「IQ200 どんと来い超常現象5」を出す。

 

 

「わぁ、凄いです!」

 

「ハッハッハッ! もっと褒めたまえ!」

 

「上田さんが本出してるの、どうでも良くないですか?」

 

「俺の事を好きにならない奴は嫌いだ……」

 

 

 なぜ上田の著書の事を聞いたのかと、詩音は苦笑いを浮かべながら訳を話した。

 

 

「それがですね……上田先生の事、園崎家の中で話し合われたみたいでして」

 

「俺の事をか?」

 

「ケジメかな?」

 

「喋るなYOUはッ!……不安になるからやめて」

 

 

 詩音は続ける。少し表情に不機嫌さが滲んでいた。

 

 

「上田先生に、雛見沢村の事を書いて貰えばとか何とか」

 

「雛見沢村の事をか? なんでまた……」

 

「実は鬼婆さん……あー……頭首が、村を開くべきだと言われてて。ずっと閉鎖的で、村の事を知らない人間が多いから国に舐められるとか何とか」

 

 

 全てを悟ったように上田はしてやったり顔を浮かべる。

 

 

「なるほど……偉大なる俺のネームバリューを使おうって魂胆か」

 

「自分で言うな!」

 

「どう言う風の吹き回しかは知りませんけどね……あ、これ内緒にしてね!」

 

 

 黒服らに念を押し、「サー・イエッサー!」と快諾させてから詩音は声を潜めて続けた。

 

 

「余所者嫌いの癖に……利用はするんですね。ちょっと虫が良過ぎるとは思いませんか?」

 

「まぁ、俺たちも見て回ったが、この村は良い所じゃないか! ダムで消すには惜しい所だ。この村は、もっと知られるべきだろう」

 

「良い人ですね、上田先生」

 

「絶対金が目的だろ」

 

「お前とは違うッ!」

 

 

 園崎屋敷が見えて来た。

 突然、運転席と助手席の黒服が懐からスプレーを取り出し、口に吹きかけ始める。

 

 

「何やってんだこの人たち。ウォーボーイズ?」

 

「口臭ケアですよ」

 

「だからなんだその気遣い」

 

 

 もはや見慣れた園崎家の門。

 段々と近付いて行くにつれ、改めて豪勢な門構えだなと圧倒される。

 

 

「山田さん、上田先生」

 

 

 詩音はぽつりと、呟いた。

 

 

 

 

「……お二人は、鬼隠しを暴けますか?」

 

 

 彼女のその質問に、つい顔を見合わせて困惑してしまう。

 二人はずっと、その事件を考え続けている。しかしこの件を突然詩音から持ち出された事が驚きだった。

 

 

「ええと、あー……こ、この話はやめにしないか?」

 

「信用してくださるんですか?」

 

「おーい!」

 

 

 上田は鬼隠しは、園崎家の仕業と解釈している為、挙動不審になっている。

 だが山田は薄々、違うと思い始めていた為、落ち着いて話が出来た。

 

 詩音は少しだけ目を伏せた後、縋る目付きで山田を見やる。

 

 

「前にも話した事あったじゃないですか……何だか、山田さんは信じられるって」

 

「俺は知らないぞ」

 

「お前水鉄砲で遊んでいたからな」

 

「今回の件で確信したんです。沙都子を救ってくれた上田先生も含めて……お二人は、大きな事をしてくれると」

 

 

 山田は三億円の無事を確信し、動いていた。偶然とは言え圭一に教えた縄抜けが、三億円奪還の突破口となり、実際に取り戻せた。

 

 上田は沙都子を助ける為に、園崎家に談判しに行くほどに奔走してくれた。魅音が大石に掛け合ったとは言え、沙都子の本心を引き出し、大事な事を説いてくれた。

 

 

 間違いなく二人は、村と人に影響を与えている。鬱屈の霧の中にある雛見沢村に、松明を掲げて現れたかのようだ。

 

 

「……あと五日」

 

 

 詩音が呟いたのは、綿流しまでの日数だ。

 鬼隠しが起こる、忌まわしき日となった六月十九日までの、限られた日数。

 

 

「……止められるのでしょうか」

 

「止めるに決まってるじゃないですか」

 

 

 山田はあっさり宣言する。

 園崎の人間が前にいるのに大丈夫なのかとオロオロする上田だが、それでも山田は続ける。

 

 

「そもそも止められないのは……人が死んでいるってのに、誰も動かないからじゃないですか」

 

「…………!」

 

「やろうと思えば……みんなと協力して三億取り返せるんです。殺人が止められない訳ないですよ」

 

 

 挑戦的、挑発的。彼女のその言葉に驚く詩音と、心臓バクバクこ上田と、口臭スプレー吹きかけて聞かないフリの黒服。

 

 

 その内車は止まり、園崎屋敷前に到着した。

 車外に出てフロントを見ると、括り付けられていた黒服は消えていた。




・蝉の小便は体内に溜まった水分で、飛翔する時に身体を軽くする為に放出する。人間と違って尿素だとかアンモニアは含まれず、飲んでも問題はない(水溜まりを飲むようなものなので、衛生上おすすめはしない)。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大宴会

 空は暗がりに染まり始めた頃。

 上田と山田は屋敷内に通され、宴会場へと案内されていた。

 

 

『本日煙草厳禁』

 

「ほん、にち……ケムリクサ……いつく、きん?」

 

 

 貼り出されていた注意書きを読み間違える山田。

 そのまま奥座敷へ通される。

 

 

 

 襖を開くと、座布団に座って並んだ怖い顔の人たちが、一斉にこっちを向く。山田がぼそりと上田に耳打ちした。

 

 

「……ヤバイ意味の宴会ですかね?」

 

「ヒェっ」

 

 

 客人の存在に気付くと、奥にいた茜がスッと手を挙げた。

 

 

 

 

「……話はここまでにしようかね」

 

 

 即座に控えていた使用人たちがテーブルを用意し、畳と座布団だけだった広間は一瞬で宴会場に早変わり。座ったままの者たちは一切動いておらず、そのままテーブルの前に着く形となった。

 とんでもない連携プレイに、山田はただただ驚くばかりだ。

 

 

「園崎すげぇ」

 

「……あの女の方、見覚えが……」

 

「頭首さんの娘さんで、魅音さんと詩音さんのお母さんですよ」

 

「そうだ。確か俺も、屋敷で会ったっけな……良いブローだった」

 

 

 黒服に促され、二人は空いた席に座らされる。

 良く良く見渡してみれば、集会に来ている者の中には堅気っぽい人もいた。

 

 

「私たち以外にも……普通の人がいますね」

 

「ウチが抱えている議員や弁護士ですよ」

 

「おぉ!?」

 

 

 いつの間に後ろに立っていた葛西。胸ポケットには、相変わらずひっきーのストラップがぶら下がっている。

 不意打ちで飛び上がる二人を見て、彼は頭を下げた。

 

 

「失礼しました……上田先生。前は色々と申し訳ありませんでした」

 

「い、いえいえ……まぁ、上手い具合に丸く収まりましたし、恨みっこ無しですよぉ!」

 

「なんかしてたんですか上田さん?」

 

「んまぁ、色々となぁ」

 

 

 続いて二人の前に料理や酒が置かれる。

 酒の肴が入った、こじんまりとした三種盛り。勿論、箸も綺麗に揃えられて置かれた。

 

 用意が全員に行き届くと、茜の隣に座った葛西が仕切る。

 

 

「遠路遥々おこしくださって、感謝申し上げます。慰安として、専属の料理人に造らせた刺身と、各地から取り寄せた名酒を振る舞わせていただきます。是非、堪能していかれてください」

 

 

 刺身と聞いて、がめつい山田の目の色が変わる。

 

 

「やっぱ園崎さん最高っすね!」

 

「ヨダレ拭け」

 

「て言うか、魅音さんがいないですね」

 

「次期頭首といっても、まだ中学生だろ。それにこう言う事務的な話には、経理に精通した担当者が相手した方が良い。無闇にトップが知識もないのにあれこれ指示すれば、かえって不満を呼ぶ」

 

「あ、言ってたら来ましたよ」

 

 

 山田が指差した先、魅音が襖を開いた先から現れた。

 綺麗な着物に身を包み、客人に挨拶している。面白い事にまだ中学生の彼女へ、大人たちは恭しくお辞儀をしていた。既に次期頭首として全員に認知されているようだ。

 

 

「学校ではお転婆娘と思っていたが……こう見ると、なかなか礼節あって様になっているじゃないか」

 

「鬼婆さんに叩き込まれていますからねぇ」

 

 横から声がかかる。山田の隣に座ったのは詩音だ。

 

 

「あ、詩音さん」

 

「あの人ったら、やっぱり村外の人ばっかの会議には出てこないかぁ。村を開くって言う割に、やっぱ根っこは変わらないんですかねぇ〜」

 

 

 この場にいない現頭首に皮肉を溢す。

 

 

「まぁ……鬼婆の悪いところまでオネェは染まっていないですし、園崎はこの先も安泰ですかね」

 

「園崎魅音には色々と助けられたからなぁ。改めてお礼がしたい」

 

「オネェも上田先生にお礼したいって言っていましたよ。沙都子の件は私も感謝しています」

 

 

 沙都子の件だの、山田にとっては全く知らない話題が入る。

 

 

「車の中でも言ってましたね。沙都子さんがどうかしたんですか上田さん?」

 

「屑の叔父に引き取られかけてな。俺がビシッと言って追い返したんだよ!」

 

「どうせ股間見せたんだろ」

 

「おう!?」

 

 

 この場にいる人間は弁護士や議員とあって、育ちが良い。手を合わせてから食事に移る。

 育ちの良さと言う点では上田も負けておらず、手を合わして目の前の食材に感謝をする。

 

 

「この世の全ての食材に感謝を込め」

 

「ひょいぱく」

 

「手を合わせろッ!……なんで俺のを食べる!?」

 

「そっちの方が美味そうだったんで……あんま変わんないなぁ」

 

「このやろぉ……祟られろッ!」

 

「これも食って良いですか?」

 

「あ!? こいつ、俺の三種盛りも食ってやがる!?」

 

 

 バタバタと二人が攻防を繰り広げている最中に、魅音が上田の隣に座る。

 顔が同じ人間に上田と山田は挟まれ、少々異様にも思えた。

 

 

「おまたせ〜。ちょっとゴタゴタしてて」

 

「いえ、構いませんよ。お料理いただけるんですし、文句ありません」

 

「しかしこんな、行政や法律の専門家を集めてどうしたんだ?」

 

 

 上田の質問を受けて「そんなの当たり前でしょ?」と言わんばかりに鼻を鳴らす。

 

 

「ここに集まった人たちと協力して、ダムの凍結を迫るんだ。ついでに……賠償金も!」

 

「天下の園崎ですもの。怒らせたらどうなるのか示すんですよねぇ」

 

「そうそうそうそう! ふふふ……今に見てなよ、犬養建設大臣!」

 

 

 魅音と詩音は、悪い笑みを浮かべた。

 

 

 凍結や賠償金と言った園崎の訴えは妥当だろう。

 ダム建設の関係者が強盗、殺人、共謀、犯罪教唆、ありったけの犯罪を犯したのだから、選出した政府にも責任はある。

 実際、上田が工事現場を見に行くと、作業員らは完全に引き払っていた。向こうも事件を受けて諦めたのだろう。

 

 

「それでも……大功労者は山田さんに上田先生なんだから! あ。上田先生、お酌させて」

 

「いやいや! そんな、次期頭首にさせる訳にはいかない!」

 

「そうさ魅音。少しは自覚持ちな」

 

 

 魅音が手に取った徳利を横取りし、代わりに上田にお酌をしたのは茜だった。

 

 

「あ、お母さん……」

 

「あんたが良くても、他に示しがつかないだろ……失礼したね」

 

「こここ、これはこれは……!」

 

 

 一度彼女に殴られ、のめされた上田は分かりやすく動揺しながらお猪口を両手で待つ。

 

 

「昨日は本当に申し訳ない。けどウチにもウチの立場があるんで、許して貰えないかい先生?」

 

「はははは、はいはい! ま、まぁ、鍛えてますんで! あのくらい大した事ないですよぉ!」

 

「キョドってんなぁ天然モッコリ学者」

 

「天才物理くんだッ!!」

 

 

 山田のお猪口には、隣にいた詩音がお酌をしてやる。

 

 

「さぁさぁ、山田さんもどうぞ」

 

 

 詩音に並々と注がれてから、山田はゆっくりと酒を飲む。

 

 

「……おっ。これはこれはまた上等なお酒で……」

 

「味が分かるのかい?」

 

「なんか高いお酒ですよね。分かりますよ」

 

 

 分かっていない山田に対し、お酒を飲んで味を確認してから、上田は鼻で笑った。

 

 

「ハッ! 貧乏舌め! これは獺祭ですよね?」

 

「先生、こいつは『梵』だよ。獺祭は知らない酒だねぇ」

 

「…………」

 

 

 上田が酒の種類を外したと知ると、山田は水を得た魚のように煽り出す。

 

 

「ハッ! ざまーみろ味覚音痴!」

 

「歩いている時に後ろから踵踏みまくってやる……」

 

「お前陰湿だな」

 

 

 談笑している内に、満を辞して刺身がやって来た。

 マグロ、カンパチ、イカ、タコと、色とりどりのお造りだ。山田の目が輝く。

 

 

「うひょひょ! 待ってましたぁ!」

 

「見事なお造りだ! 帝国ホテルで食べた物と同レベルかぁ?」

 

「このイサキ美味しいですよ!」

 

「凄い事言ってやる山田。それはイカだ。スプラトゥーン!」

 

「プラトーン?」

 

 

 それからは料理に舌鼓を打ち、酒を飲み、会話を交わし、いつの間にか一時間が経過する。

 最初こそ厳かな雰囲気にあった宴会だが、参加者の酒が進み、酔いが回ると、一気に無礼講で朗らかな空気感となっていた。

 

 

 その証拠に、すっかりベロベロの上田が葛西と肩を組んで飲んでいた。

 

 

「上田先生聞きましたよ! 単身で立ち向かい、群れなす敵を一掃したと!」

 

「アッハッハッハッ!! あんな奴ら、どうって事無かったですよ葛西さん! ベストを尽くせば、無敵になれるッ!」

 

「どうですか上田先生? その武勇伝を含め、村の事を世間に紹介してくださったりは!?」

 

「良いですともッ! そうだなぁ……タイトルは、『U.S.A C'mon baby ヒナミザワ』!」

 

「USAの意味は一体?」

 

Ueda(ウエダ)Sonozaki(ソノザキ)All yeah(オール イエーイ)ッ!」

 

「最高ですよ上田先生!!」

 

 

 出来上がった上田らを、山田は遠くの方より呆れながら眺めていた。

 

 

「なんだよそりゃ……」

 

 

 園崎家の中とあり、不安だったのだろう。とっとと酔い潰れてしまいたかったのか。

 あまり酒が好きではなく、ちょびちょびと飲んでいた山田はまだ余裕があった。元より飲むより食べる方が好きなので、どんどんと刺身を頬張る。

 

 

「おきょきょきょ……みんな酒ばっかだから実質食べ放題だな。お次はハマチ〜」

 

「山田さんったら、それブリですよ?」

 

 

 魅音は酔っぱらった茜に絡まれており、残った山田と詩音で自然と会話をする流れになった。

 

 

「上田先生も楽しんでいらっしゃるようで、良かったです」

 

「ゴチになります! これだけでも三億円取り返した甲斐ありでしたよぉ!」

 

「それにしても葛西ったら……監督からお酒は控えるように言われていたのに」

 

「肝臓潰したらお終いですからねぇ〜……おしまいになる。お、しまいになる……んふふ。懐かしいな」

 

 

 刺身を食べながら、ふと詩音を一瞥する。

 どこか苦しんでいるような、辛そうなような、とにかく思い詰めたような表情をしていた。

 

 

「体調悪いんですか?」

 

「……いえ。そうではないのですが……」

 

「ふぅん」

 

 

 本人が言うなら大丈夫なんだろうと、山田は気にせずに刺身を食べる。奥で仲良くなった弁護士らとダサカッコいいダンスを踊る上田を見ていた時、隣にいた詩音に呼ばれた。

 

 

「……山田さん。少し、良いですか?」

 

「ん? 私?」

 

「廊下に出ましょう」

 

「え? あ、待ってください。この大トロだけ……」

 

「……それ鯛です」

 

 

 詩音に連れられ、広間を出て行く山田。

 その様子を、魅音は確認していた。

 

 

「昔は葛西と他の組のシマに突入してねぇ……その時の暴れっぷりから、『園崎茜は悪魔と相乗りした』って伝説になったモンだよ。あたしはそれを、『ビギンズナイト』って呼んで……」

 

「あ……あの、ごめんね、お母さん。ちょっとお手洗いに……」

 

「なんだい。話はこれからだってのに……」

 

 

 茜の絡み酒から逃避し、魅音も二人の後を追って広間を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は廊下を進み、詩音の案内で別室へ。

 部屋に入った折、視界に飛び込んで来た物に山田は驚きの声をあげた。

 

 

 

 

「ウヌャニュぺェィギュゥリュ星人っ!? 雛見沢に来とったんかワレェ!?」

 

 

 床の間に置いてある不気味な、ミイラっぽい小さな人間の置き物。

 なり損ないのプレデターじみた風貌はそのままだが、雛人形のような着物を着て、ひたいからツノを二本生やしているところが相違点だ。

 

 

「え? 山田さん、今なんて?」

 

「ウヌャニュぺェィギュゥリュ星人!」

 

「はい?」

 

「ウヌャニュぺェィギュゥリュ星人!!」

 

「……聞いても分からない……えっと、これの事ですよね?」

 

 

 詩音は例の小人を抱きかかえて紹介した。

 

 

「ウチの魔除けとして置いている、小鬼人形です」

 

「ウヌャニュぺェィギュゥリュ星人!!」

 

「それ、良く噛まずに言えますね……」

 

「ウヌャニュぺェィ」

 

「ビィークワイエッ!!」

 

 

 

 

 気を取り直して、山田と詩音は向かい合って座る。

 山田は友達との再会を喜び、魔除け小鬼と握手していた。

 

 

「……それで、話って何ですか?」

 

 

 魔除け小鬼を膝に乗せつつ、山田は質問する。

 詩音は神妙な顔つきで、本題を切り出した。

 

 

「……あの。ジオ・ウエキは、鬼隠しについて何か言っていたりしませんか?」

 

 

 彼女の発言を思い返してみるも、関連した事は一度も言っていなかったなと山田は想起する。

 

 

「一言も言っていませんでした……と言っても、彼女が鬼隠しの犯人とは思えないんですよね。今回の一連の事件は彼女らの欲が動機でしたけど、この三年間の鬼隠しはジオ・ウエキにメリットはありませんし」

 

「……鬼隠しの」

 

「え?」

 

「鬼隠しの意義って、何だと思います?」

 

 

 その質問に対して、山田は口籠る。小鬼の手を自分のひたいに付けて、知恵を借りようともしていた。

 

 

「ずっと考えていたんですけど……一年目はダム賛成派だった、沙都子さんの両親。聞いた所によると、旅行先で崖から転落されたとか」

 

「……はい」

 

「これは見方によれば、不幸な事故ですよね」

 

 

 あっさり答えた彼女に詩音は少し驚いたものの、ある程度自身も思っていた事のようで、納得したように頷いた。

 

 

「……確かに。崖から落ちたと言うのは……当時一緒にいた沙都子本人の話です。突き落とされた訳ではなさそう……ですけど」

 

「なら、そうなんですよ、やっぱり。ダム賛成派だった事と、その日が綿流しだった事で拗れていますけど、事故なんですよ」

 

「…………」

 

「その日に死んだ為に、村では『祟りだ』と噂が広まった。ただの事故死が、超常現象の類だと信じられてしまっただけなんです」

 

「……二年目は? その、二年連続で偶然が重なるのは少し考え難いのですが……」

 

 

 梨花の両親の事件だ。父親は心不全で倒れ、母親は行方不明に。

 また上田が富竹から聞いた話によれば、夫の死を祟りだと思い込んだ梨花の母は、鬼ヶ淵沼に身を投げたらしい。

 

 

「梨花さんのお父さんが亡くなった時の状況とかは?」

 

「奉納演舞の後に、村の人々と打ち上げをしていた最中らしいです」

 

「毒を飲まされたのでは?」

 

「監督の話によると……そう言った類のものはお酒からも、また遺体の体内からも検出されたなかったそうで……」

 

「でも正直言いますと、梨花さんの両親を殺害する動機が薄過ぎる気がするんですよね」

 

 

 山田は顔を顰め、考えながら話を続ける。

 

 

「中立派って事は別に、味方でもなければ敵でもない……日和見主義と言えばそうですけど、第一に介入すらしていない人を二人も殺す意味が無いです。そうだとしてもかなり神経質過ぎます……ダム凍結の為に議員や弁護士を抱えていた園崎家がやる意味はありませんよね」

 

「ではなぜ……」

 

「んー……なんで? ウヌャニュぺェィギュゥリュ鬼人」

 

 

 鬼人とオデコをオデコを接触させる山田。そんな事しても天啓はやって来ない。

 仕方なく山田はこの件を保留する事に決めた。

 

 

「二年目はまだ、考えなければいけませんね……でももし反対派の人間が行うにしても、彼らだってオヤシロ様は信じているんですから、古手さんを殺害するのはかなりリスキーかと……だって、オヤシロ様を祀っている神社の神主さんですよ? 殺したら自分が祟られるなって思うハズですし、もしかしたら二年目は村の人間であればあるほど不可能かもしれませんね」

 

「村外の人って事ですか……!?」

 

「それは分かりません。個人的な恨みとかもありますからね……」

 

 

 次に話す事は、三年目だ。

 

 

「三年目は、沙都子さんの叔母とお兄さんでしたっけ?」

 

「…………」

 

「……詩音さん?」

 

 

 ハッと、彼女は顔を上がる。

 

 

「あ……すみません……えと、続けてください」

 

「はぁ……えぇと。叔母さんが撲殺されて、お兄さんが行方不明なんでしたっけ」

 

「はい」

 

「これは意義も全て、一番簡単でしたね」

 

「……え?」

 

 

 一年目、二年目の話の時と比べ、山田の表情には余裕があった。

 詩音は希望をかけて彼女の言葉を待った……が、次の瞬間、凄まじい失望を受ける事となる。

 

 

 

 

 

「お兄さんが叔母さんを殺して、高飛びしたんですよ」

 

 

 

 一瞬、彼女の言葉を受け付けられなかった。

 ぼんやりしている内に、山田は続ける。

 

 

「三年目の意義は、虐待する叔母への恨みですね。これは薄々、分かっていまし」

 

「悟史くんがそんな事するハズないじゃないですかッ!!」

 

 

 気付けば詩音はテーブルを叩きつけ、怒鳴っていた。

 

 

「ほおっ!?」

 

 

 山田は鬼人を盾にする。

 

 

 いつものお淑やかな彼女とは別人のようだ。

 怯む山田の眼前には、鬼のような形相の詩音が立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……本当なの?」

 

 

 梨花は窓辺から月を眺めていた。

 この暗い部屋には彼女の他、既に寝静まった沙都子だけがいる。他に喋れる相手などどこにもいない。

 

 

「……あんたの姿が見られた?……山田に?」

 

 

 しかし梨花はあたかもそこに誰かがいるかのように、独りで喋っていた。それもいつもの天真爛漫とした喋り方ではなく、鋭利で冷たい歳不相応の大人びた口調だった。

 

 

「……姿は現していないのよね?……じゃあやっぱり、向こうから見えたって事……?」

 

 

 夜風がカーテンを捲り、月光が室内に溢れる。暗闇の中にあった寝室は一瞬、淡い光に照らされた。

 風が撫でた髪をそのままに、梨花は考え込むように俯いた。

 

 

「……彼女たちが未来から来た理由かもしれない」

 

 

 月光照る部屋の中へと目を向ける。

 

 

「……園崎屋敷で宴会があるって、魅音が言っていたわね?……多分、山田たちはそこかしら」

 

 

 そして梨花は怒ったように顔を顰めた。

 

 

「つべこべ言わない。早い内に確認はしておいた方が良いじゃない」

 

 

 風が止み、カーテンがまた萎んで月明かりを遮る。

 室内が暗闇に戻る刹那、眠る沙都子のそばに立つ誰かの足を、月光が一瞬照らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然の豹変に、山田は友達の鬼人ミイラを盾にするしかなかった。そんな彼女を、詩音は容赦なく責め立てる。

 

 

「確かに悟史くんは叔母に虐げられていましたけどねぇ!? 誰よりも優しい人なんですッ!! 事件当時、みんな悟史くんを疑っていましたよ! 今の山田さんみたいにッ!?」

 

「す、ステイステイ、ステイナイト……」

 

「でも彼じゃないんですッ! 悟史くんは沙都子を大切に思っていた……沙都子を置いてどこか行くような人じゃないッ!! 何も知らない人が、勝手に悟史くんを──」

 

 

 激昂し、興奮状態の詩音。どう宥めの言葉をかけるべきか思い付かず、山田はパニックに陥っていた。

 今にも掴みかかって来そうな剣幕の詩音を止めたのは、二人を追っていた魅音だった。

 

 

「詩音!」

 

 

 襖を開き、魅音は部屋に入る。

 自分の姉が不意にやって来たとあって、詩音の頭は冷えた。

 

 

「……オネェ?」

 

「魅音さん……? ど、どうしてここが……」

 

「二人が出て行くの見たからね。邪魔するつもりはなかったんだけど……」

 

 

 後ろ手に襖を閉め、魅音は詩音の隣に立つ。

 

 

「詩音、落ち着こう?……部屋の外で聞いていたよ……山田さんは知らなかっただけなんだからさ」

 

「……盗み聞きなんて、オネェも趣味が悪いね」

 

「安心して。ここでの事は他言しないから……だからほら、冷静になって」

 

 

 姉に諭され、詩音は下唇を悔しげに噛みながら俯き、やっと座る。

 他人なのに、まるで自分の事のように捉えている辺り、彼女にとって悟史とはどう言う存在なのか山田でも窺い知れた。申し訳なくなり、頭を下げて謝罪する。

 

 

「あ、あのぉ……すみません。悟史さんと言う方を知らずに、犯人扱いして」

 

「山田さんは山田さんなりに考えてくれたんだよね……と言うか、なんでそれ持ってんの? 私の子どもの時のトラウマじゃん」

 

「ウヌャニュぺェィギュゥリュ鬼人!」

 

「……はい?」

 

 

 魅音が詩音のお目付けを兼ねて隣に座る。同時に鬼隠しについて、園崎の立場を知っているであろう彼女を交えて話は続けられた。

 

 

「……去年の事件はね、実は……犯人は分かっているの」

 

「え? そうなんですか?」

 

「と言っても……これが良く分からなくて……それに、ね? 色々と不可解って言うか……」

 

 

 言い淀む魅音に代わり、毅然とした態度で詩音が話す。

 落ち着きは取り戻せたようだが、語気にはまだ怒りが宿っている。

 

 

「叔母を殺したのは、その村外のヤク中です」

 

「そ、そうなんだけど……」

 

「だから悟史くんじゃありません」

 

 

 その主張に対し、魅音はコクリと頷く。

 てっきり未解決事件かと思っていた山田は、小首を傾げる。

 

 

「犯人がいるなら、そう言ってもらえたら良かったじゃないですか」

 

「言ったら言ったで……捕まったのは遠い留置所で、しかも自殺したって話でさ。こっちは顔も名前も知らないから……本当にいたのかどうか」

 

「いたんですよ。そいつが叔母殺しの犯人です」

 

 

 詩音がそう決め付けるものの、山田は懐疑的だ。

 

 

「……なら、なんでその、悟史さんって方はいなくなるんですか?」

 

 

 その正論に、再び詩音はカッとなり睨み付ける。眼光に怯え、また鬼人を盾にする山田。

 そんな彼女に対し、魅音は呆れながら叱責する。

 

 

「詩音いい加減にして!……一応は事実なんだから」

 

「……くっ……!」

 

「……犯人はいたって言っても、山田さんの言った通りに『じゃあなんで消えたのか』って話は堂々巡り……でも詩音も私も、悟史くんはやっていないって信じている。それは悟史くんの事を良く知っている、詩音が一番理解している……ね?」

 

 

 怒りを押し殺すように下唇を噛む詩音。彼女の痛々しいその姿を見て、つい山田は自分を恥じた。

 

 

 状況証拠しかないのに、行方不明と言うだけで他人を疑って良いのか。

 若干思い込みの強い性格だと自覚はしているが、今回ばかりは堪えないと命に関わると山田は反省した。

 

   

 

 

「……とても気弱で、儚くて、ちょっとぼんやりした人でした」

 

 

 途端、悟史について詩音が独白のように話し始めた。

 

 

「でも、叔母から沙都子を庇ったり、その沙都子の為にバイトをしてプレゼントを買おうとしたり……いっつも誰かの心配ばかりで、自分の事は二の次のような、優しい人なんです」

 

「…………」

 

「……悟史くんがいなくなったのはその、沙都子にあげる誕生日プレゼントを買いに行った帰りでした」

 

 

 思い出すだけで悲しくなり、目が潤む詩音。

 強くなっていた語気は次第に弱くなり、か細くなった。

 

 

「……悟史くんが……沙都子を置いて……消えるハズないんです……でもこの一年間……ずっとずっと探して、痛い思いもして……なのに周りはだんだんと、悟史くんを忘れて行って……その癖に疑いの目だけは残っていて……」

 

 

 そんな彼女の姿を見ていると、山田も居た堪れない気持ちに陥る。

 

 

「……これじゃあ、悟史くんが報われないよ……誰かが信じてあげないと……探し続けてあげないと……!」

 

 

 

 

 黙って、詩音の話を聞いていた魅音。

 廊下の方に誰かいないか気を配りながら、とうとう話し出した。

 

 

「……山田さん」

 

「え? なんでしょうか……?」

 

「詩音も聞いていて欲しいけど……確かに今でも、北条家を目の敵にしている人はいる」

 

「…………」

 

「……でも……これ誰かに聞かれたらケジメ案件かなぁ……」

 

 

 自嘲気味に魅音は笑い、ジッと真っ直ぐ、山田と詩音を交互に見やった。

 

 

「……この話をすると、詩音はもっと混乱して、苦しむんじゃないかって思っていた……けど、今朝の圭ちゃん見ていたらさ」

 

「……圭一さん?」

 

「……私ってさ、ただのお節介焼きなだけなんかもってね。大反省大反省」

 

 

 すぐに彼女は表情を引き締め、まずは二人を見やる。

 

 

「……ここでの事は、村の人には言わないでね」

 

 

 そう念を押し、魅音は一年前の事件後の話を始めた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

闇夜道

──暫くして、三人は部屋から出た。

 山田の腕の中には、なぜかウヌャニュぺェィギュゥリュ鬼人がいた。

 

 

「……それ気に入ったのですか?」

 

「友達です!」

 

「……山田さん、あの……オネェも私も、山田さんの友達ですから」

 

「そんな目で見ないでください」

 

 

 広間に戻る途中、こっちへフラフラ歩いてやって来る人物がいた。

 頭にネクタイを括り付け、だらしない表情で千鳥足な、典型的酔っ払いスタイルの上田だ。

 

 

「よぉ〜! ガールズ〜! ヘイ、ヘイ、ヘブンズフィールッ!」

 

「……上田」

 

「うわぁ〜……上田先生ったら結構飲んだねぇ。どうする? 帰りは車出してあげよっか?」

 

 

 魅音に心配され、まだまだ飲めるぞと上田は見栄を張る。

 

 

「はっはっは! こんなの、酒呑童子と飲み明かした大江山の夜と比べたらなんて事ない!」

 

「駄目だ、酔ってる。いつもの虚言がただのファンタジーになってる……」

 

 

 呆れ返る山田をよそに、上田は魅音に話しかけた。

 

 

「ところで、君は広間に戻らないといけないんじゃないか?」

 

「へ?」

 

「宴会はお開きだぞ?」

 

「あ、もうそんな時間? うわぁ、やばいやばい!」

 

 

 閉幕の音頭を次期頭首候補が勤めなければ示しがつかない。

 魅音は知らせてくれた上田に礼を言うと、颯爽と広間へ戻る。

 

 

 続いて詩音も先に行こうとするが、その前にくるりと振り返って、山田へ謝罪と礼を言う。

 

 

「……山田さん。さっきは申し訳ありません……それと、ありがとうございます」

 

「いえ、私の方も……」

 

 

 ニコリと微笑むと、詩音もまた広間に戻って行った。

 泣き腫らした赤い目を隠すかのように。

 

 

 

 

 

 

 廊下には山田と上田だけが残っている。ふと彼は山田の抱く、見覚えのある人形に気付いた。

 

 

「……お前。それはなんだ?」

 

「ウヌャニュぺェィギュゥリュ鬼人!」

 

「なんでそれが昭和五十八年にあるんだ……あぁ、山田。面白い問題があるんだ」

 

 

 上田は突然、彼女へ謎掛けを始める。

 

 

「頭は、『head』」

 

「いきなりなんですか」

 

「まぁ聞け。肩は『shoulder』、胸は『bust』……あぁ。君の場合、バストじゃなくて『chest』かぁ?」

 

「ぶっ飛ばすぞてめぇ」

 

「それで胴体は『waist』。腰は『hip』……じゃあ、『あそこ』は?」

 

「BIG PENIS!」

 

「ぶっ殺すぞッ!!……まぁ、まんまと引っ掛かってくれたなぁ。正解は『there』! あそこってのは、『あっちこっちどっち』の方なんだよぉ〜ん!」

 

 

 だから何だと不快感を顔に出す山田へ、上田は続けた。

 

 

「この問題は、人間の『固定観念』の強さを実感させてくれる。人間は前提に連想させるものを並べられると、最後の物は全く関係ないにも関わらず、つい前提したものと同じ話題だと繋げてしまう。悲しい事に、前提が根深いほど、人間の思考ってのは簡単に固まるんだ」

 

 

 どうだ、と言わんばかりにしてやったり顔を見せ付ける上田。

 その表情に苛ついたものの、彼の言う事は今の山田たちにとって大事な啓示でもあった。

 

 

「……そうなんですよ」

 

「何がだ?」

 

「この村は、いつまでも『オヤシロ様の祟り』って固定観念に縛られているんです。だから人が死んでいるのに、簡単に諦められるんですよ!」

 

 

 魅音の告白、詩音の嘆き、梨花と沙都子の悲劇、悟史への疑念、その全てが山田の脳裏に渦巻く。

 これだけの人が不幸になり、大切な人を亡くしているのに、事件は「超常現象」として片付けられ、誰も見向きせず、寧ろ恐れて離れて行く。

 

 

「……YOU。園崎魅音らと、何か話したのか?」

 

 

 山田は真剣な眼差しで、上田と目を合わした。

 

 

「……上田さん。話したい事があるんです」

 

「なんだ?」

 

「でもここじゃ話せません。家に戻った時に……」

 

 

 

 

「一体それはどんな話なんだい?」

 

 

 第三者の声に、上田と山田も思わず飛び上がる。

 二人が振り向くとそこには、廊下の角から現れた茜の姿が。

 

 

「そ、園崎茜!…………さん」

 

「広間にいたんじゃなかったんですか!?」

 

「ちと酔っちまってねぇ。夜風に当たってただけさ」

 

 

 山田は一気に青ざめる。魅音から聞いた話はおよそ、茜にも誰にも話せないもの。しかし彼女から問い質されたとなれば、どうはぐらかせば良いのか。

 

 

「それで? 魅音と詩音と関係ある話なのかい?」

 

「あ、あの……いや、魅音さんたちは関係なくて……その言葉の綾って言うか」

 

「……まぁ、個人の事情に、無関係な奴は入っちゃいけないか。失礼したね」

 

 

 存外、あっさり茜は身を引いた。

 誤魔化せたかは分からないが、彼女は二人の前に立ち、ジッと、特に山田の目を見つめて来た。

 

 

「えと……なななな、なんでしょうか?」

 

「許して」

 

「……ふぅん」

 

 

 それから彼女は、上田の目さえも見据える。

 目を口ほどに物を言うと聞く。まさか茜は二人の目を見て、嘘を暴こうとしているのではと咄嗟に身構えた。

 

 

 

 

 そう思っていただけに、その次の言葉に面食らわされたが。

 

 

「……やっぱり二人とも、良い目をしているねぇ」

 

 

 思わず上田は目元を触る。山田はミイラ鬼人に目元を触らせた。

 

 

「ただのマジシャンと学者先生じゃなさそうだ」

 

「……え?」

 

「……死ぬような出来事を、ずっと経験していたりはするのかい?」

 

 

 ヤクザとなると、そう言った修羅場を経験した者を見抜けるのだろうか。

 思い返せば二人は普通じゃ死んでいるような局面を、幾度も脱して来た。その事実を踏まえると、彼女の観察眼は凄まじい。

 

 

「……おっと、これも個人の事情か。さっき言ったばかりなのに」

 

「……あの」

 

「ん?」

 

 

 山田は茜に話しかける。

 

 

「……鬼隠しは、園崎は無関係なんですか?」

 

「お、おいッ!? 山田!?」

 

 

 彼女の質問に上田は慄く。

 当たり前だ。園崎家に最も近しい人物に、何の前振りもなく聞くのだから。

 

 

 山田の質問を聞き、茜は目を細める。

 訝しげとも、不機嫌そうとも、或いは興味を示したようにも見える、曖昧な目付きだ。

 

 

「……変だねぇ。村の外の人間が、なんでそこまで入れ込むんだい? 村の者でも深く覗けない禁足地だ……どうして村の外のモンがそこに踏み入りたがる?」

 

「……個人的な興味です」

 

「そうかい。ならこの話はおしまいだ。こっちはそっちの事情に踏み込まない……だから、そっちもこっちに踏み込まないでおくれよ」

 

「三億円を取り返したんですから、教えてくれても良いじゃないですか」

 

「それはそれ、これはこれ。恩人なら触れてはいけない所に触れて良いのかい? 借りを貸す者返す者も、一定の距離を置くべきだろ?」

 

 

 話してはくれないかと、肩を落とす山田。

 一方の上田はなぜ、山田がここまで踏み込んだ事を茜に聞けたのかが分からない。

 

 

 

 

「……ただ一つだけ。鬼隠しとやらより、『ウチなら上手くやれるハズ』なんだがねぇ」

 

 

 彼女の言葉に、二人はまた驚かされた。

 遠回しで相変わらず曖昧だが、「園崎が関与を否定したかのような発言」だからだ。

 

 

「……無関係なんですか?」

 

 

 山田の問いに茜は鼻で笑う。

 

 

「勘違いしないでおくれよ。あくまで園崎ならもっと上手くやれるハズって、私の意見に過ぎんさ……この件なら魅音の方が良く知ってるよ……母親の私より、もっとね」

 

「そう言えば私、気になっていたんです」

 

 

 山田がまた尋ねた。

 

 

「魅音さんが園崎の次期頭首候補です。でも彼女は現頭首の孫……本来なら、現頭首の実娘の茜さんが候補のハズではないですか?」

 

「…………」

 

「……言われてみれば。だが、こう言うのは家柄とか風習があるんだろ……そうですよね?」

 

 

 

 

 この話に関しては上田の質問さえも、彼女は微かに笑うだけで答えなかった。

 

 

 山田に近付き、懐から取り出した何かを手渡す。

 分厚い封筒、つまり百万円の金封だ。

 

 

「ひゃ、百兆円!?」

 

「百万円。約束のだよ……これでお話はやめにしようかい」

 

「……え?」

 

「……山田さんだったかい? あんたは私が思ったより執念深い女なようだ」

 

 

 百万円を渡し、手を引っ込める茜。

 ふいっと目を逸らし、月を照らす池を眺めた。その横顔はやけに、儚い。

 

 

「……あんた」

 

 

 また山田に話をする。

 その話は、彼女を大きく揺さ振った。

 

 

 

 

 

 

 

「……家族とかの身内か誰か、殺されてないかい?」

 

 

 

 視線をまた絡ませる。

 

 

 

「……或いは、殺したか」

 

 

 

 

 目を見開き、山田は膠着した。

 脳裏に浮かぶは泣き叫ぶ母と……恐怖の表情で訴える、死の間際にある父の姿。

 

 

「……ッ!」

 

「茜さん……!? なんで……!?」

 

「……個人的な事情だったねぇ。三度目か」

 

 

 自嘲気味に笑う。その笑顔は魅音と詩音に似ていた。

 

 

「山田さん、何だか詩音に似ているとは思っていたが……そこなんだろう。ずっと誰かを探し続けて、手当たり次第に疑ってんのさ……憐れな子だよ」

 

 

 彼女はそれだけ言い残して、二人を通り過ぎて広間に戻って行く。

 

 ただその背中を、呆然と眺めるだけ。金にがめつい山田だが、その時ばかりはお金の事を忘れていた。

 

 

「…………」

 

「……山田。『黒門島』の事は、君には関係ない! 君は何もしていない!」

 

「…………」

 

「……気を確かにしろッ! もうあの件は……」

 

「……上田さん。大丈夫です」

 

 

 広間の方で手拍子が聞こえた。

 一丁締めで以て、宴会を終えたようだ。

 

 

 

 不穏と、自分の心を覗かれたような不快感、そして衝撃。

 ただそれを、降り注ぐ月光のみが慰めとして包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宴会後、山田は一人、奇妙な声をあげながら夜道を歩いていた。

 

 

「ひゃっくまんえん! ひゃっくまんえん!」

 

 

 百万円の入った封筒を掲げて「うしゃしゃしゃ!」と笑いながらスキップしている。大金が入った事で浮かれていた。

 封筒を少し開けて金の匂いを嗅ぎ、不気味な笑み。

 

 

「これが金の匂いかぁ……ちょっと、銀杏に似てる? 茶碗蒸し食べたい……茶碗蒸し食べ放題だなこりゃ」

 

 

 金に気を取られ、前方に気付かなかった。

 チラリと前へ向き直れば見知った人影を発見し、驚いて金封を隠した。

 

 

 

 

 

「楽しかったのですか?」

 

「……え? 梨花さん……?」

 

「にぱーっ☆」

 

 

 照る月明かりの下、いつものように満面の笑みを見せる梨花がいた。

 こんな夜中に子どもが一人。疑問に思わずにはいられないだろう。

 

 

「な、なんで? もう十一時過ぎですよ? こんな所でなにしてんですか?」

 

「みぃ。眠れないから夜のお散歩なのです」

 

「危ないじゃないですか、子どもが一人で夜道を歩くなんて……誘拐されますよ?」

 

「ボクはオヤシロ様の生まれ変わりだから大丈夫なのです!」

 

「なんだその自信は……」

 

 

 梨花は辺りを見渡し、上田を探す。

 

 

「上田は一緒じゃなかったのですか?」

 

「あー……宴会で接待受けまくりましてね。すっかり酔い潰れちゃって、今日は泊まりになるそうです」

 

「人生楽しそうで羨ましいのです」

 

「てか! 梨花さん、明日なんてバリバリ平日なんですから! 早く帰って寝て!」

 

 

 注意された梨花は、わざとらしく怖がってみせた。

 

 

「夜道は怖い怖いのです……ボクもう、怖くて歩けないのです……」

 

「ここまで一人で来たのに?」

 

「旅は道連れ世は情けなのです。神社までボクと帰るのですよ〜」

 

 

 真っ直ぐ帰りたかった山田にとって、ここから神社を経由するのは遠回りだった。面倒臭そうに顔を顰めてから、何度も逡巡した末に折れる。

 

 

「……はぁ。分かりました分かりました……子ども一人じゃ危ないですもんね。付き添いだけなら……」

 

 

 了承を得た梨花はまた、にぱーっと笑った。

 

 

「そうと決まれば一緒に帰るのですよ!」

 

「はいはい……」

 

 

 梨花に手を引かれ、一旦古手神社の方へ向かう事になった山田。

 

 

 思えば梨花も鬼隠しで両親を亡くした、一つ被害者のような立場の人間だ。

 真相までは知らないにせよ、明るく振る舞うその裏に陰りがあるのだろうか。悟史を探し続ける、詩音のように。

 

 

「……梨花さんは」

 

「みぃ?」

 

「……ご両親が亡くなられて、寂しくないのですか?」

 

 

 夜道を並んで歩きながら、山田はそう尋ねた。

 嫌な事を思い出させてしまったかと気を遣ったものの、存外に梨花は笑顔のままだ。

 

 

「最初は寂しかったのです。でも村の人たちや学校のみんなもいますので、もう寂しくないのです!」

 

「け、結構強かなんですね。凄いなぁ……」

 

 

 思いの外タフな梨花に驚かされながらも、ふと彼女は、魅音から聞かされた話を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──詩音が『ケジメ』をつけた日……私、婆っちゃを問い詰めたんだよね」

 

「……オネェが鬼婆に?」

 

「悟史くんを酷い目に遭わせたなら……例え婆っちゃでも容赦するつもりなかったよ」

 

 

 悟史を探し続ける詩音に言えば彼女をもっと混乱させると思い、更には祖母からの口止めもあって話せなかったと言う内容だ。

 神妙な顔付きで二人を見遣る魅音は、学校での明るい少女の姿ではなく、だからと言えども冷酷な次期頭首の姿でもない。親身に詩音を思う、家族としての姿だろうか。

 

 

「……お婆さんから、何て聞かされたんですか?」

 

 

 山田に尋ねられ、彼女は一言一句間違えぬよう、当時を思い出しながらゆっくり静かに言葉を継ぐ。

 

 

「……婆っちゃは二年目の鬼隠しの一件から、綿流しが近付くと村中を監視していたの」

 

「……監視?」

 

「勿論、去年もだよ……『誰がオヤシロ様の名を僭称しているのか』を確かめる為に」

 

 

 その言葉に、山田と詩音は同時に愕然とした表情となる。

 園崎家が鬼隠しの調査をしている。それは、一つの事実を同時に語ってくれていた。

 

 

「それって……!? じゃあ、園崎家は鬼隠しに関与していないって事……!?」

 

 

 詩音の問いに、魅音はコクリと頷いた。

 

 

「なら……じゃあ、なんでそれを明言しなかったんですか!?」

 

「ダムだよ。ダム反対派の結束を……村人全員の結束を固める為に、『園崎家の関与』を思わせぶる必要があったんだ」

 

 

 言い難くそうに真相を告げた。

 

 

「……その上で、『オヤシロ様の祟り』と吹聴するの。逆らう者は園崎が率先した祟りに遭う……謂わば、恐怖政治みたいな感じかな」

 

 

 山田が真っ先に浮かんだ考えは、「そんな物の為だけに?」だった。

 

 人が死に、梨花や沙都子、詩音までもが理不尽な喪失と恐怖を食らった。なのに、「村人の結束を固める為だけに、それらをオヤシロ様の祟りとして片付けた」と来た。

 

 怒りよりも、呆れがまず飛び出る。魅音も、山田のその感情に気付いたようだ。

 

 

「……婆っちゃも、ダムの建設阻止ばっかりで周りが見えなかったんだ。許してなんて言わないよ……私も呆れたし」

 

「……じゃあ、梨花ちゃまも沙都子も悟史くんも……ただ成り行きで使い潰されただけって言うの……!?」

 

「…………」

 

「村人の結束だとか何かで!? ジオ・ウエキの一件でゴタゴタしていたじゃないッ!? 思わせるだけ思わせぶらせて、結局は引っ掻き回しただけ!?」

 

 

 詩音からの怒りの抗議を受け、思わず魅音は黙り込んでしまう。

 またヒートアップしてしまった彼女を見て、山田は持っていた鬼人の手足を動かし、宥めてやる。

 

 

「魅音さんも聞かされていなかったんですから、彼女を責めるのは違いますよ」

 

「そうですけど……!!」

 

「それに……園崎家も園崎家で動いていたらしいじゃないですか。それは、どうしてなんです?」

 

 

 詩音を宥めてくれた事への感謝を含めて一礼してから、魅音はその訳を話し始めた。

 

 

「利用するにしても、村で好き勝手殺しをやっている人間なんて見過ごせる訳ないからさ……当然、去年も同じように目を光らせていたよ。村から興宮までの範囲を、組員総出で丸々二日」

 

「じゃ、じゃあ……! 悟史くんは誰に!?」

 

 

 また彼女は、言いにくそうな顔付きになる。

 

 

 

 

「いなかったんだ」

 

「え?」

 

「……そんな事の出来る人間は、村にも興宮にも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ドンッと背中を叩かれ、山田は意識を戻す。

 

 

「ボクを無視するなんて良い度胸なのです!」

 

 

 横を見れば梨花がふくれっ面で、こちらをジトッと睨んでいた。

 

 

「あ……ええと……ごめんなさい……」

 

「折角ウルトラセブンをウルトラマンセブンと言っちゃう人の愚かさを語っていたのに!」

 

「別に聞かなくても良かった」

 

 

 気を取り直すように、梨花は話題を変えた。

 

 

「山田とは何だか久しぶりに会った気分なのです」

 

「あー……そういや、一昨日から会ってなかったような」

 

「上田ばっかり、勝手に会うのですよ。あっちへウロウロ、こっちへウロウロ……雨で嬉しくて出て来たけど、すぐ晴れちゃって焦っているミミズさんなのです」

 

「ひでぇ例えだな……」

 

「山田は今までどこにいたのですか?」

 

「色々あったんですよ。下手すりゃ死んでたレベルで」

 

「山田も大変なのです、かわいそかわいそなのです……羽を捥がれたスズメさんみたいなのです……」

 

「だから例えが物騒なんだよ!」

 

 

 切れかけで明滅する街灯の下を通る。

 この頃にLEDなんて物は存在せず、電灯と言えば水銀灯で寿命が短かった。

 

 

「みぃ。久しぶりなので、また山田のマジックが見てみたいのです」

 

「まぁ、マジックぐらいなら」

 

「これでもボクは山田の技能を買っているのですよ?」

 

「上から目線だな」

 

「沙都子も山田に会いたがっていたのです! ウチでまたマジックして欲しいのです」

 

「一応言っときますけど、私はプロかつ、東京では超超超有名なんですよ? タダでやるのは破格の待遇なんですけどねぇ」

 

「上田が売れない貧乳マジシャンって言っていたのですよ?」

 

「あいつぶっ殺すッ!!」

 

 

 

 街灯が突然、プッと消えた。

 辺りは闇に包まれ、つい山田は驚き、消えた街灯の方へ目を向ける。

 

 

 

 

 

「山田!」

 

 

 梨花の明るい声が聞こえた。

 

 

「オヤシロ様はいるのですよっ!」

 

 

 唐突に告げられた、オヤシロ様の存在。

 意図が読めず、山田は顔を顰めて梨花へと向き直る。近くに光源は少なく、彼女の表情が伺えない。

 

 

「……いきなりなんですか」

 

「オヤシロ様は村の守り神なのです。村をずっとずっと、見守っているのですよ」

 

「あいにく、私は神様とかあまり信用していないんですよね」

 

「山田がどう思っても、オヤシロ様はいるのです」

 

「梨花さん、暗くなったからって私を脅かすつもりじゃ──」

 

 

 

 背後から足音が聞こえた。カサッ、カサッと、道の草を踏み進むような音。

 梨花のものではない。だって彼女の影は、山田の前にあるのだから。

 

 

 山田は振り返り、闇の中で目を凝らす。

 

 

「……上田さん?」

 

「…………」

 

 

 足音は一歩一歩近付いて行く。

 山田より幾分か離れた位置から、段々と近付いて行く。

 五メートルから、十歩前。

 十歩前から、気付けば五歩前……なのに闇の中で、輪郭さえも伺えられない。

 

 

「…………誰ですか」

 

 

 本能的な恐怖が勝り、一歩後退る。

 ドンッと、いつの間にかすぐ後ろに立っていた梨花と当たり、すぐに足は止まった。

 

 

 

 カサッ、カサッ、カサッ。

 謎の存在は、山田の目の前に。

 

 

「誰……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 電灯がまた、点灯した。

 

 

 

 

 そこには誰もいない。

 

 

 

 

「え?」

 

 

 辺りを見渡してみる。

 誰もいないし、隠れてもいない。雑草に挟まれた道の真ん中で、ただただ夜の静寂のみが辺りに広がっている。

 

 

 

「……梨花さん、今」

 

 

 山田は振り返り、梨花を見た。

 

 

 

 

 

「……聞こえた?」

 

 

 そして愕然とする。真顔でこっちを見据える、彼女の顔に。

 

 

「ッ!?」

 

 

 山田が目を見開いてたじろいでいる間に、彼女はまた満面の、子どもっぽい笑顔になった。

 

 

 

 

「……オヤシロ様はいるのですよっ! にぱ〜っ☆」

 

 

 

 ただただ面食らい、山田は何も言えなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

迷子と清算

 廃墟の中、暗闇の中。少女は一人、怯え続ける。

 

 

「あの本にあった事は……本当なんだ……!」

 

 

 寄生虫が人を狂気に陥らせる。

 信じられなかった鷹野のスクラップブックの内容が、異様で強力な信憑性を帯びさせる。

 

 人を鬼に堕とす寄生虫。これはまさに姉と礼奈と、父親さえ殺そうとした間宮律子だ。

 

 

 

「……首を……」

 

 

 スクラップブックには、もう一つ、重大な項目があった。

 村を離れようとする者を引き戻そうと、寄生虫は宿主に警告を発する。

 

 それが狂気、妄想、錯乱の症状となって現れる。

 

 

 

 その症状が長引けばどうなるのか。

 自らの妄想と、蠢く寄生虫に耐えられなくなり……最後には、どうなる。

 自分で自分を殺すハズだろうとある。

 

 

 

「……掻き毟って……!!」

 

 

 

 傷だらけの首から滴る血を拭いながら、レナは宵闇の中で怯えた。

 自分は無意識に、掻き毟っていたようだ。

 

 

 

 いずれあの時の律子のように、この痒みに耐えきれず、ナイフで首を自ら裂くのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

SPEC 蓋

 

乞うご期待

 

 

「私らで二次創作はぜってぇしねぇかんな」

 

「おい当麻ぁ!」

 

 

 左腕を三角巾で吊った女が書いた書道作品を突き付けて宣言し、隣にいた丸刈りの男がピシャリと叱る。

 

 

 

 

 その声に驚き、ハッと追憶の海から礼奈は現実に引き戻された。

 

 

「…………」

 

 

 不思議な淑女──山田里見と別れてから礼奈は、ぼんやり一人、カフェの野外テラスでお茶をしていた。

 喫茶店の店長になってからは、視察も兼ねたカフェ巡りが趣味になりつつある。

 

 コーヒーは苦い物と思っていた。

 ただ本場ブラジルでは砂糖を加えて飲む物だと知ってから、甘くして良く飲むようになった。

 

 ミルクのまろやかさがどうも受け付けない。黒のまま甘くして、それを飲む。

 

 

 時刻は午後五時。

 今日もまた寒いが、風が弱いので体感としては昨日よりもマシだった。

 

 

「……やっぱり、来なかったなぁ」

 

 

 東京まで行って、数多の事件を解決して来た上田に依頼した礼奈。「作品をありったけ持って行けば話を聞いてくれる」と踏んでいたが、そんな単純な人間ではなかったようだ。

 

 

「……三十五年。もうそんなに」

 

 

 村が災害で無くなって、もうそんなに経った。

 何も分からないまま昭和は終わり、平成を迎え、更にまだ何も分からないまま平成も終わろうとしている。

 

 時間だけが過ぎ、雛見沢村の記憶を拭い消して行く。

 今ではオカルトマニアも興味を無くし、廃墟マニアの界隈でも定番化され飽きられ始めた。

 どんな形であれ、故郷を覚えていて貰えれば真相に──そんな希望さえ砕かれる。

 

 

「………………」

 

 

 

 

 エンジェルモートで言われた、里見の言葉を思い出した。

 

 

「……帰り続けなさい。あなたはまだ、故郷を愛しているハズですよ」

 

 

 この三十五年間、彼女は悩み続けた。

 自分は本当に、村を思う資格はあるのかと。そして自分は、村を、みんなを好きだったのかと。

 

 村を思っていたハズが、いつの間にか自分の為だけになって、そのままみんなを裏切った。

 そんな自分が今更、村の為にと動く事は身勝手ではないか。

 

 

 

 里見の言葉は、一つの道筋だった。

 三十五年もの間、迷い続けた彼女への、労いと励ましにも聞こえた。

 

 

「……寄生虫……」

 

 

 鷹野から「貰った」スクラップブック、あれが全ての引き金。

 あの時の自分はどうかしていたと思っているが、スクラップブックの全てが妄言とは今も思っていない。

 

 妙な確信があった。昔も今も。

 

 宇宙人だとか園崎家の陰謀とかは、間違っていた。

 でも災害なんて嘘っぱちだ。何かがあるんだ。

 

 

 

 必ず、何かがあったんだ。その答えは、あのスクラップブックにある。

 

 

 

 

 

 

 しかしもう、あのスクラップブックはもうない。

 昭和五十八年の夏、自分にとっての運命の日。

 あの日、爆炎の中に消えてしまった。

 

 

 

 一人の「少女」と一緒に。

 

 

 

 

「……そう言えばなんだろ、話って」

 

 

 詩音から受けた呼び出し。

 友達の関係でもあり、オーナーと店長の関係でもあり、互いに村を知る者同士でもある。

 あまり二人で一緒に遊ぶと言った事はしなかったが、詩音はあれからずっと自分を気に掛けてくれた。

 

 

 今更、雛見沢村の話なんてしないだろう。仕事の話だろうか。

 礼奈は甘いまま真っ黒な、コーヒーを啜る。

 

 

 

 

 

 

「やっちゃったっス。飛行機の時間、めちゃくちゃ一時間前でした」

 

「どうすんだお前……このままじゃ野宿だぞ!」

 

「いただきました」

 

「何をだ!」

 

 

 

 口論しながら去り行く謎の二人組を一瞥しながら、今の礼奈は待ち合わせ場所である停留所のベンチで本を読んでいた。

 

 上田のサイン付きの「どんとこい超常現象」。文字も大きく読みやすい為、何気にハマっていた。

 既にカフェにいた時から一時間経過しており、辺りは斜陽の橙色に染まりつつある。

 

 

「………………」

 

 

 冬場は夏よりも、夜が早い。

 その分だけ、懺悔の時間は多くなる。

 

 

 礼奈は冬が嫌いだ。

 

 寒さがまた、夏を愛おしくさせるから。

 

 ずっと亡霊のように佇む思い出が、罪悪感となるから。

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

 読んでいた本の文字が、辺りが暗くなった事で読み辛くなった。ここで止め時だと悟った礼奈は、パタリと本を閉じる。

 

 

 

 真っ直ぐ、バスストップに付いた時刻表を見た。バスが来るのはずっと、三時間後。

 

 しかし礼奈はバスを待っている訳ではない。スッと、時刻表からその奥の方へ視線を変えた。

 

 

 

 

 街や山を隔てた、ずっとずっと先の方。

 ここをずっと行けば、すっかり風化した故郷「雛見沢村」に辿り着けるハズだ。

 

 今や誰の記憶にも、村の事も災害の事も残っていない。

 ただただ、村の出身者に対する畏れと侮蔑だけが残る。そんなものだ、記憶と言うのは。

 

 

 

 

 

 

 少しして、一台の車がバスストップの前に停まった。

 スピード調整を誤ってしまい、ガツンと衝突。バスストップがパタンと倒れる。

 

 

 

 

 

「あ、やっちゃった」

 

 

 運転席から顔を出したのは、詩音だった。

 詩音は礼奈の存在を確認すると、笑って手を振る。

 

 

「あはは……はろろ〜ん。お待たせしましたね、レナさん」

 

「……詩ぃちゃん」

 

 

 改めて、今や唯一の同郷の友達となってしまった詩音を見やる。

 

 

 顔立ちは彼女の母親に良く似ていて、歳を重ねた今でもとても綺麗だ。

 仕事中の時など目付きは細く凛としており、クールで厳しそうな印象が強い。

 

 

 

 しかし礼奈と会う、つまりプライベートの時は今みたいに、愛嬌のある丸い目になる。

 詩音は昔から穏やかな人だった。それが加齢と共に、大人らしい落ち着きへと変わった。

 

 

 

 彼女は「乗り越えられた人」だ。

 

 今も尚「取り残された側」の自分にとって、目眩くような優しい光。

 

 いつも羨ましく思い、同時に尊敬していた。

 

 

 

 

「レナさん?」

 

 

 ついついまた物思いに耽ってしまった。

 彼女に名前を呼ばれ、ハッと礼奈は気を取り直す。

 

 

「あ……ごめんね。ちょっとボンヤリ……」

 

「そうですか? 疲れているようでしたら、また後日にします?」

 

 

 折角、詩音から食事に誘ってくれたんだ。無碍には出来ないと首を振る。

 

 

「ううん、大丈夫だから……それじゃあ、行こっか」

 

 

 礼奈は助手席に入り、シートベルトを締めた。

 それを確認すると、詩音はニコリと笑って「じゃあ行きますか」と、アクセルを踏む。

 

 

 

 

 

 街の道路を走っている途中、礼奈は詩音に話しかける。

 

 

「珍しいね。こうやって食べに誘ってくれるなんて」

 

「ん?……うーん……そうですね。まぁ、たまには?」

 

 

 少し言いにくそうに詩音は、口をモゴモゴさせた。

 

 

「……ちょっと……話したい事もありましてね」

 

「どうしたの? もしかして、店舗を増やす?」

 

「それも考えていますけどね」

 

 

 詩音には商才があった。

 やはり園崎の家系とも言うべきか、彼女の持つ積極性とカリスマ性には恐れ入る。

 

 

「実はさ」

 

「うん」

 

「……礼奈に電話かける前に、警察の人が来ましてね」

 

「とうとう何かやっちゃった?」

 

「いや、やってませんから……ねぇ。とうとうって、なんです?」

 

「でも警察が来る理由なんて……」

 

「誓って触法行為はやっておりません」

 

「さっきのバスストップ……」

 

「あれは置き場所が悪かったんです」

 

 

 フゥと、一息吐いてから、詩音はハンドルを操りながら訳を話した。

 

 

 

 

「……雛見沢村の事、聞かれて……わざわざ東京から来たんですって」

 

 

 ピクリと、礼奈の身体が跳ねる。

 外の景色に向けられていた彼女の顔が、詩音の方へ。

 

 

「……どうして今になって?」

 

「再調査をするんですって。訳はあまり聞かされなかったですけど」

 

「………」

 

 

 礼奈は、彼女が自分を呼んだ理由を察してしまう。

 

 

「……ただ。思い出話をするだけじゃなさそうだね」

 

「………」

 

 

 詩音は一旦黙り込み、車を次の交差点で曲がらせてから口を開いた。

 

 

「……とりあえず。ご飯、食べてからにしましょうか」

 

「……うん」

 

「……市内の方に、新しいしゃぶしゃぶのお店が出来たって。ちょっと豪勢ですけど、どうです?」

 

「シャブシャブって、詩ぃちゃん駄目だよ。ヤクザでも外道って言われるシノギなんだから」

 

「違いますってのっ!」

 

 

 冗談を言ってから「あはは」と朗らかに笑う礼奈。

 

 

 

 

 その笑顔を見た時、詩音はふと、やめておくべきかと考えが過った。

 このまま何も知らせず、話さず、墓場まで持って行っても良いかもと。

 無理に彼女の笑顔を濁らせる必要はあるのかと。

 知らない方が彼女にとっての、幸せではないのかと。

 

 

 

 

 

 その考えは、釣られて笑う自身の笑顔の下で掻き消した。

 

 

 

 

 

 

 清算しなければ。

 

 

 礼奈の罪を、滅ぼさせる為に。

 

 そして自分が隠し続けてしまった罪を、償う為に。

 

 

 今日、言うしかない。

 

 死んでしまったみんなの為に。

 

 

 

 

 

 話し合わなければ。彼女と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 興宮にあった書道塾に、里見はいた。

 

 

COCODRILO

 

PARADISE・BLOOD

 

まどか⭐︎ガイム

 

キングスピア

 

鬼滅冥人奇譚

 

またせて

 

ごめんね

 

 

「そこは申し訳なさそうに書いて。うん、そうそう」

 

 

 彼女は書道家の界隈では、知らない人はいない有名人だった。

 書道塾の塾長から頼まれ、特別に一日教師をしている。

 

 

「山田先生がこんな所に来てくださるとは!」

 

「あんたダリなんだ一体!?」

 

「ダリじゃねぇ山田先生言うたやろがいヌッコロスぞゴラァッ!!……あ、申し訳ありません!」

 

 

 塾長と副塾長がお礼をする。里見は微笑みながら、謙虚に返した。

 

 

「いえいえ。やはり、子供たちに教えるのは楽しい事ですので」

 

「先生も一筆、書かれては?」

 

「教師費合わせて、六十万でお書きします」

 

「ですよねー? プロは値段から違いますねぇー?」

 

 

 里見の為に道具と通帳を用意するべく、その場を離れる塾長と副塾長。

 妙なポーズを決めてから、「スペード」「ダイア」と書かれた巨大な紙を突き破って廊下を駆け抜けて行く。

 

 

「……少しは後押し出来たかな」

 

 

 里見の脳裏にあったのは、どこか表情に影のある女性、礼奈の事だ。

 

 

 敢えて里見は礼奈へ、挑戦をかけるような話をした。

 

 

 

「……答えを『説く』のは簡単だけど、果たしてそれは『解いた』と言えるのか……」

 

 

 書道家らしい、言葉への拘り。「説く」と「解く」の文字を頭の中で書きながら、里見は延々と考える。

 だが礼奈の三十五年を無駄にしない為には、彼女自身が動かないと駄目だ。

 

 

 教室の外を眺める。

 知らない町の風景が広がり、大きな山が塞きとめる。

 その向こうに、旧雛見沢村があるのだろう。

 

 

「……奈緒子もまだ、探しているのね」

 

 

 世界でただ一人の、自分の娘。

 無事を祈り、自分はただ、出来るだけ近くにいるだけ。

 愛娘が、陰謀の中で迷わぬように。

 

 

「先生、準備が出来ました」

 

(スズリ)がボドボドだぁ!!」

 

「だったら新しいのを買ってこいよッ!!……ささ、こちらへ!」

 

 

 半紙と道具の前に座り、里見は袖を片手でずり落ちぬよう掴みながら、墨を擦る。

 その一連の動作一つ一つを、子どもたちと塾長らは固唾を飲んで眺める。

 

 

 

 墨が擦り終わると、筆を持ち、文字を書き始めた。

 里見はにっこり笑うと、子供たちへ視線を向け、話しかける。

 

 

 

 

 

 

「文字には、不思議な力があります」

 

 

 筆の毛先が、半紙の上に乗ると、濃く黒い墨が点となり現れた。

 

 

「書く人の思いが、白と黒の葛藤、渇きと潤い、強さと弱さに現れます。心が乱れれば線がズレたり、力を抜く所を強く書いてしまったり、不本意な場面で掠れてしまったり……書く人の全てが、この一枚の半紙に現れると言っても過言ではありません」

 

 

 点が線となり、複雑に曲がって絡む。

 

 

「恨みを込めるにせよ、親しみを込めるにせよ、文字に感情は隠せませんし、偽る事もありえません」

 

 

 線と線が収束しては、離れる。

 

 

「文字が与える感情、私たちは無意識に感じ取り、時に凄まじい影響を与えます。文字は最も強く、人の心に思いを染み渡らせる力がある……」

 

 

 時に強く、時に柔く、ただの線が意味を成して行く。

 

 

「……だからこそ、有りっ丈の思いを込めて書きなさい」

 

 

 とうとう筆先が、紙から離された。

 刹那彼女は誰にも聞こえないような声で呟いた。

 

 

 

「……頼んだわよ。奈緒子、上田先生……」

 

 

 書き終えた彼女の作品は見事な一文字だった…………が、読めない漢字だった。

 

 

 

 

 

 

 

『焛』

 

「……これは、なんて読むんですか?」

 

「じゅむぜいぃーーーーむッ!!」

 

 

 叫び出した里見に驚き、その場にいた全員がひっくり返る。

 その様を見ながら彼女は、「えへへへへへ!」と変わった笑い声をあげた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月15日水曜日 踊る竜宮レナ捜査線 その1
迷い人


 朝になる。

 出勤した大石は、興宮署内の仮眠室を牛耳る公安カルテットを起こしに行った。

 

 

「まさか宿を取っていなかったとは……皆さーん! 起きてくださーい!」

 

「起きてぃーッ!!」

 

 

 奇声をあげて飛び起きる石原に続き、菊池、秋葉の順番で目覚める。記憶喪失中の矢部は既に起床しており、笑顔のまま部屋の隅に立っていた。

 

 室内に入り、ストレッチをしている菊池に大石は話しかける。

 

 

「頼まれていた奴、どうにかなりそうですよ」

 

「おぉ! 素晴らしいッ!!」

 

「菊池さん、何か頼んでいたんですか?」

 

 

 秋葉の質問に、菊池は自信ありげに答えた。

 

 

「竜宮礼奈の捜索に協力してくれる刑事を探させた。雛見沢村を含め、近隣全てを捜索するつもりだ」

 

「各部署に声をかけましてねぇ。全く、菊池さんは人使いが荒いですなぁ!」

 

 

 やれやれと言いたげに頭を掻きながら、大石は訝しげに聞く。

 

 

 

 

「……レナさんが次の鬼隠しの被害者になる……本当なんでしょうな?」

 

 

 布団を石原らに片付けさせながら、菊池は捲し立てるように主張する。

 

 

「鬼隠しは、綿流しの日に男と女が一人ずつ……一方が死に、一方が消える事件だ。今現状、少女が行方不明ではないか」

 

「しかし……綿流しはまだ先ですよ?」

 

「今までが綿流しだっただけで、敵はいつでも良いとかならどうするのだね?」

 

「…………」

 

 

 菊池の口から出まかせも混ざっているが、その説得力は強い。

 更に彼は、大石が鬼隠しに執着している事も織り込み済みだ。その執着に付け入ってもいる。

 

 ここは大石も折れる他はない。

 

 

「……まぁ、鬼隠しと無関係と言えども、娘っ子が二日も行方不明なのは問題ですな」

 

「それで良いッ!! で、協力者は?」

 

「何とか、十三人は集めました。とりあえず全員集合したらまたお呼びしますよぉ」

 

 

 そう言い残すと大石は、そそくさと出て行った。

 布団を畳み終えてひと段落したところで、おずおずと秋葉が尋ねる。

 

 

「あのぉ……なんか色々話が進んでるっぽいんですけどぉ……そもそもなんで、その竜宮レナって子を見つけなきゃならないんですか?」

 

「警察がストーカーとかヤバいからのぉ!?」

 

「全く……そこから話させんとならんのか……」

 

 

 苛々した様子ながら、菊池はタブレットを取り出して資料を開きながら、訳を話してやった。

 

 

「ここに来る前、学校が爆破された事件の事は話しただろ?」

 

「ボンボーンじゃのぉッ!?」

 

「はい。ええと、それが?」

 

 

 察しの悪い二人に辟易しつつ、液晶画面を見せ付けた。

 資料にはしっかりと、その名が書いてあった。

 

 

 

 

「その犯人が、竜宮礼奈だ」

 

 記憶喪失状態の矢部は、明後日の方向を笑顔で眺めている。三人の話は全く聞いていないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

第六章 踊る竜宮レナ捜査線

 

 

 

・・・・・・・・・・

【卵の黄身は、橙色

・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 園崎屋敷に泊まっていた上田が帰宅し、居間に行く。

 先に起きていた山田がコーラを飲んでいた。テーブルの向かい側には、例の鬼人が座らされており、コーラも用意されている。

 

 

「あ、帰って来た。おはようございまーす」

 

「……なんでそれ持って来ているんだ」

 

「譲って貰いました。ほら、挨拶しようか?」

 

 

 鬼人を自分の膝の上に起き、手を振らせる。

 そのまま二人は見つめ合い、山田は気味の悪い笑みを浮かべた。馬鹿馬鹿しくなり、上田は顔を洗おうと洗面所へ行こうとする。

 

 

 その時に彼女の手元に、百万円の束がある事に気付いた。

 

 

「俺が預かっていたハズだろ!? なんで持ってんだ!?」

 

「刺身食べたくて」

 

「刺身なら昨日食っただろッ! ほら、返しなさいッ! YOUに持たせておくといつ全部消えるか分からん!」

 

「せめて、九十九万は持たせて!」

 

「金の亡者がッ!!」

 

 

 山田から百万円を取り戻し、奥にある金庫に入れた。

 

 

「今まで金欠だったメスのホモ・サピエンスに大金は渡せん」

 

「大丈夫ですよ! 私だって、お金は大事にしますから!」

 

「いいや信用出来ん! 丁寧丁寧丁寧に閉まっといてやる!」

 

「あぁ、私()百万円……」

 

「本性表しやがったな……」

 

 

 百万円を金庫に入れ、顔を洗ってから居間に座る上田。

 カレンダーを見る。もう六月の十五日目。十九日の綿流しまで、あと四日だ。

 

 

 

 

「……結局、園崎なのか違うのか」

 

 

 魅音の話を全て、上田には話した。

 今まで黒だと思っていた園崎は、限りなく白になりつつある。

 

 

「一年目は他殺か事故か。二年目は病死か毒殺か。三年目は悟史の犯行か否か……問題は山積みだ。何一つ解決していない」

 

「思ったんですけど」

 

「なんだ?」

 

「一年目と二年目は、偶然綿流しの日だっただけで、事故と病死じゃないんですか?」

 

 

 上田は牛乳を飲みながら、考え込む。

 

 

「まぁ、ありえるな。一年目も、沙都子が『二人が落ちた』と証言したらしいし、二年目で死んだ梨花の父親は急性心不全だったらしい……入江医師から聞いた」

 

「やっぱ病死なんですね」

 

「心不全と言っても病因は様々だ。狭心症だったり弁膜症だったり……しかし、疲れやストレス、血圧が関係している場合が多い。綿流しの日は奉納演舞をするだろうし、打ち上げで飲酒もするだろう。疲労した状態でお酒を飲み、村からは日和見主義を疎まれているストレスが祟ったとすれば……心不全が綿流しの日に起こるリスクは高まる」

 

「偶然じゃないですか」

 

「あぁ、偶然だな。しかしまぁ、祟りだとかよりは信憑性はある」

 

 

 その上で彼は、「同じ日に起こる点は奇妙だがな」と付け加えて牛乳を飲み干した。

 何にせよ最初の二年は事件性が薄い。

 

 

「尤も……梨花の母親が失踪した理由は分からないが。まぁ信仰心の高さ故に、旦那の死とオヤシロ様の祟りを結び付けてしまって後追い自殺したと言うのが妥当か?」

 

「……失踪と言えば、三年目ですね」

 

 

 唯一、明確に殺人事件として存在する三年目だけが異様に思えた。

 

 

「三年目、つまり去年。誰が沙都子さんの叔母を殺し、悟史さんを連れ去ったのか」

 

「北条悟史が犯人だろ。虐待されている沙都子を助ける為なんじゃないか?」

 

「沙都子さんを大事に思っていたから放ったらかしては消えないって、詩音さんが言っていましたけど……」

 

「寧ろ大事だから消えたんじゃないのか? 事件の真相が発覚すれば、沙都子は自ずと殺人犯の家族のレッテルを貼られる。優しい性格なら、自分から沙都子の元を離れようとするハズだろ?」

 

「……まぁ、そうですよね」

 

 

 あれほど、何者かによる陰謀と考えていた鬼隠しも、一つ一つ考察して行けば、日が被っただけの悲劇に過ぎない。

 何者かが裏から糸を引く余地も無ければ、そうする意味もない。

 

 

 

 ならこの村が最後に迎える結末もまた、偶然になるのだろうか。

 

 

「結局なんで、村は滅びるんですかねぇ〜」

 

「まさか災害まで偶然な訳は……」

 

 

 首を捻る上田。

 この時代に来て六日目。小さな村なだけに、誰がどこに住んでいるのかは大体把握している。しかしそんな事が可能な人間は、園崎かジオ・ウエキしかいない。

 園崎は、魅音の話を信じるのなら関与していないし、ジオ・ウエキは既に故人。容疑者はもういない。

 

 

「ぬあー! 分からーん!」

 

 

 すっかり頭打ちとなってしまい、山田はお手上げだと諦めて、バターンと床に倒れ込む。

 天井を見ながら少し考えた後、鬼隠しとは別のもう一つの心配を口にした。

 

 

 

 

「……レナさん、まだ見つかっていないんですよね」

 

 

 今尚も姿がないレナの事だ。昨日は園崎総出で大捜索したらしいが、見つからなかったらしい。

 

 

「ジオウの一件以来、姿が見えないな……本格的に誘拐の可能性を考慮した方が良い」

 

「悟史さんの行方、レナさんの行方、綿流し、大災害……あーー! やる事が多過ぎる! 上田、寿司食いに行くぞ!」

 

「あと四日だつっただろッ!!」

 

 

 山田は倒れ込んだまま、手足をバタバタしてゴネる。食い意地の激しい山田に辟易しながら、上田は今日の予定を取り決めた。

 

 

「今日は取り敢えず、竜宮礼奈を探そう。さすがに心配だからなぁ」

 

「寿司ッ!」

 

「全部終わった後だッ!!」

 

 

 顔を顰めて上田を睨み、残念がるようにして天井を見た。

 そして言おうか言わまいか迷っていた、昨日の出来事を話す。

 

 

「……上田さん」

 

「ん?」

 

「昨日、梨花さんと帰っている時に不思議な事が起こりまして」

 

「不思議な事?……ブラックRXか?」

 

 

 彼女と歩いている時に蛍光灯が消え、暗闇の中で草を踏み締める音だけが聞こえた。

 光が戻っても、そこには誰もいない。梨花はオヤシロ様のせいだと言う。

 

 

「音ってのは、どんなのだ?」

 

「こう、靴で草を踏むような……カサッカサッって音です」

 

「それで時間は夜で、辺りには何もなかったんだな?」

 

「はい。めちゃくちゃ静かでした」

 

「全く……YOUはまた古手梨花に食わされたな!」

 

「…………寧ろ散々食わされてきたのは上田さんですよね」

 

 

 山田の意見を無視して、上田は解説を始めた。

 

 

「まず音と言うのは、空気の振動が波となって伝わるもの。それが鼓膜を震わせる事で、俺たちは『音』を認識出来る。こんくらい分かるよな?」

 

「そりゃまぁ……」

 

「だがそれは逆説的に、空気の状態によって、音の伝わり方が左右されると言う事なんだ!」

 

 

 上田の蘊蓄に興味を示した山田が、やっとな事で寝かせていた身体を起こした。

 

 

「空気の状態……ですか?」

 

「あぁ。音が伝わりやすいか否かは、地上と上空との温度差が関係している。そして音の一つの特徴として、暖かい空気の中から放たれた音は、冷たい空気の方へと引っ張られるんだ。昼間は地上の方が熱く、上空の方が冷たい為、音が空へと昇るように屈折してしまい、遠くまでは響きにくくなる」

 

「じゃあ、夜中だと?」

 

「夜になると、地上の気温が下がるだろ? つまり上空の方が熱くなるから、音は引っ張られずに真っ直ぐ遠くへ飛びやすくなる。だから実は、夜の方が音は伝わりやすいんだ」

 

 

 それがなんだと眉を寄せる山田に、上田は結論を言ってやる。

 

 

「簡単な話だ。少し離れたところに沙都子か誰かを配置しておいて、草を踏ませる。音が響きやすい夜の中なら、些細なその音も大袈裟に、しかも近い場所だと勘違いして聞こえてしまう。それに梨花は直前にオヤシロ様の話をしたんだろ? そうやって『不可視の存在がいる』って事を意識させれば……あたかもそれが、オヤシロ様の足音だと勘違いする」

 

「街灯が消えたのは?」

 

「元から消えかけだったんだろ。梨花はその街灯が消えかけだと知って、タイミングを見計らったんだ。君を脅かそうとしたかったんだろなぁ」

 

 

 飲み掛けのコーラの蓋を開け閉めしながら、してやったり顔で見つめる上田。

 確かに納得が行くし、村に詳しい上に悪戯好きなところのある梨花ならやりかねない。

 

 

「…………本当にそうなんでしょうか?」

 

 

 それでも山田は納得いかない様子だ。

 

 

「なんだ? 本当にオヤシロ様がいるってか? 俺の説の方が根拠があるだろが」

 

「そりゃあ、そうですけど……なんと言うか……勘違いにしては音が近かったような……」

 

「何を言ってんだ、ばっかばかしい。意外とビビりなんだな?」

 

「あ、ヤブ蚊」

 

「ほぉん!?」

 

 

 どこからか侵入したヤブ蚊が、上田の眼前を通り過ぎる。それに驚き、上田は大袈裟に仰け反って奇声をあげた。

 

 

「ターンアップッ!」

 

 

 山田が上手い具合に手で潰してくれた。上田は呆然と見ているだけ。

 

 

「………」

 

「ビビりなのそっちじゃないですか」

 

「……ま、まぁ。反射神経が良い事は運動神経が優れている証拠だ。こんなの、ビビる内に入らない」

 

「なんで顔をガードしてんだ」

 

 

 呆れ果て、山田はコーラの飲み過ぎ故かトイレへと立った。

 

 

 

 レナはどこにいるのだろうか。

 今日の山田は、彼女を探すつもりだ。

 

 なぜだかそれが一番大事な事だと、直感的に思えてならなかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蝉と草が騒めく畦道の中、魅音が手を振りながら現れた。

 

 

「やっほー! 圭……うぇっ!」

 

「うおぉ!?」

 

 

 通学路で圭一と合流した途端、突然えずく。

 

 

「いきなりどうした……!? 風邪か?」

 

「うぅ……飲み過ぎた」

 

「の、飲み過ぎたって……な、なにを? コーラ?」

 

「お酒に決まってんじゃん」

 

「決まってんじゃんじゃねぇーよ! 普通にアウトだぞ!?」

 

 

 どうやら彼女は二日酔いのようだ。昨夜の宴会で、それこそお開きの後も茜に絡まれてしまい、随分と飲まされてしまった。

 完全な未成年飲酒の為、圭一はぴしゃりと叱り付ける。

 

 

「全く……良いか! まだ肝臓機能とかその他諸々が未成熟な少年期の内の飲酒は、大変危険だ! アルコール依存症とか〜、肝硬変とか〜、ええと……まぁ、とにかく色んな悪い事のリスクが高まるんだ!」

 

「はいはい」

 

「ウォークマンで聴き流そうとすんじゃねぇ!」

 

 

 ウォークマンを没収してやる。不貞腐れたようにむーっと下唇を突き出してから、魅音は不安そうな顔付きで別の話を始めた。

 

 

「……レナ。まだ見つからないみたいでさ」

 

「もう丸二日経つんだぞ……」

 

「そうなんだけど……けど、どこ探してもいないんだって。ホント、どこ行ったんだか……」

 

 

 父親の元に行ったっきり消えたレナを、園崎は総出で探し続けてはいた。だがそれでも、痕跡一つ見つかっていない。

 時間が経つほどに不安と焦りは募って行くばかりで、それは魅音のみならず圭一も、他のメンバーもそうだろう。同時に何も出来ない事がまた、無能感さえ募らせて行く。

 

 

「……なぁ、魅音よ……」

 

 

 圭一が口を開く。

 

 

「レナは、父親の所に行って……で、その父親が誰かに殴られて病院送りで……その父親の愛人だった奴が、姉のジオ・ウエキと一緒に死んでて、レナは消えた……」

 

「なかなか凄い、こう……なんだろ……凄い連鎖だね? 確か、その愛人ってのが間宮律子だっけ……じゃあ、あの時に通報したのって……」

 

「あ? 何の話だ?」

 

「あぁ……んまぁ、圭ちゃんも知っといた方が良いかなぁ」

 

 

 そう言って魅音は、沙都子を巡る事件の顛末について教えてあげた。鉄平の存在から、警察に捜査させた事、そして直前に間宮律子を通報する電話があったらしい事まで全てだ。

 

 

「……すげぇな。そんな事あったんだな……」

 

「めちゃくちゃ大変だったよぉ……あ。この事、誰にも言わないでね?」

 

「言わねぇけど……」

 

「で、さっき言った通り、直前に通報した人がいたんだけど……まぁ、時期的にレナのお父さんだろなぁ。そんで通報されて、その律子に後ろからガーン!……って感じかな」

 

 

 腑に落ちたように圭一は頷いた。

 

 

「……レナのお父さんも、頑張ってたんだな」

 

「そうかもね……あぁ、ごめんね、話の端折っちゃって……圭ちゃんの話の続きは?」

 

 

 少しだけ俯き、考え込むように話し出す。

 

 

 

 

「……レナにまつわる事件……俺には全部、偶然に起きたとは思えねぇんだよなぁ」

 

 

 興味を持ったように魅音は片眉を上げる。

 

 

「と言うと?」

 

「なんかこう、全部に……繋がりがあるように思えてならなくて……」

 

「んー……繋がりねぇ……」

 

「……その二つのどっちか……或いはどっちもに、レナが消えた理由がある気がすんだ」

 

 

 そこまで言うと彼は「よし」と呟き、足を止めた。

 突然立ち止まった圭一に驚き、魅音も歩みを止める。

 

 

「どうしたの圭ちゃん?」

 

「魅音……俺はな。学校をサボる」

 

「…………はい?」

 

 

 くるっと踵を返し、魅音に背を向ける。

 

 

「……あの……ウチの若い衆が探してくれているし、もし事件性があるなら圭ちゃんだけじゃ危険で……」

 

「それでもただ待つだけは嫌でさ」

 

 

 

 そのまま圭一は横顔だけを見せる。何とも、頼り甲斐のある微笑み顔をしていた。

 

 

 

 

「……やるだけやりてぇんだよ」

 

 

 レナの過去や苦しみは、捕まっている時に聞いた。全てを吐露してくれた。それだけにレナへの情は深く心に抱いているつもりだ。

 どうしても見つけてやりたい。はやる気持ちをそのままに、圭一は前を向いて駆けて行った。

 

 

「……圭ちゃん……」

 

 

 その後ろ姿を見送りながら、魅音は何とも言えない表情を見せていた。

 

 

 

 

 

 

「……ウォークマンは返して欲しいかな」

 

 

 圭一は颯爽と道を駆け戻ってウォークマンを返すと、また立ち去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、上田はまた村を練り歩いていた。

 鬼隠しが起こる綿流しまで、残り四日。更に雛見沢大災害が起こるまでも、一週間は切っている。動かずにはいられなかった。

 

 

「それよりもまず、竜宮レナを探さなくちゃなぁ……とりあえず、警察に話でも……」

 

 

 興宮署に行くべく、興宮の街を目指して歩く。

 しかし道中、古手神社の前を通りかかった時、思わぬ人物と出会った。

 

 

「……おぅ?」

 

 

 困った様子の男性と、彼を引っ張って神社に行こうとする女性。

 見覚えのある人物だなと近付いた時に、その男女は富竹と鷹野だと気付く。

 

 

「さすがにそれはマズいよ……」

 

「今、梨花ちゃんと沙都子ちゃんは学校なの! 今がチャンスよ!」

 

 

 何やら後ろめたい事をしていそうだが、鷹野のファンの上田は意気揚々と話しかける。

 

 

「これはこれは! 鷹野さんにジロウじゃないですか!」

 

「あ、ソウルブラザー!」

 

「あら? 上田教授?」

 

 

 上田に気付いた二人は会釈し、挨拶を交わす。

 今日の鷹野は私服で、ナース姿しか見た事のなかった上田には新鮮かつ麗しく感じた

 

 

「何ですか何ですかぁ? こんな朝からデートですか?」

 

「あ、あはは……ま、まぁ、そうなりますかねぇ」

 

「私が久しぶりにお休みいただいたので……あ! 上田教授、如何でした?」

 

 

 唐突に如何でしたと聞かれ、完全に没却していた上田はポカンと間抜けな表情を見せる。

 

 

「如何でしたって、何がです?」

 

「私のスクラップブックですよ!」

 

「あ」

 

 

 思い出し、次は顔面を青くさせる。鞄が破れ、そのまま落としてしまったとは言えない。

 

 

「あーー……いや、本当に面白かったですねぇ! 実にセンセーショナルでした! ただ、もう少し読みこなしたい所でしてねぇ、返却は待ってていただけます?」

 

「それでしたらもう、いつでも! 私の考察含めて語らえたらなと思っています!」

 

「はははは! 光栄ですよ! ははははは!……はは」

 

 

 興奮気味な彼女の手前、失くしてしまったと言う罪悪感に苛まれる上田。話題を変える為、二人に何をしていたかを尋ねた。

 

 

「それはそれとして……お二人は古手神社にお参りですか?」

 

「お参りと言いますか……あの、やっぱり辞めない?」

 

 

 富竹は些か乗り気では無さそうだ。

 諭されていると察知した鷹野は頰を膨らまし、ジッと睨む。可愛らしい仕草の為、鷹野のファンの上田はご満悦だ。

 

 

「もう何千回も打診しているのに断られ続けているのよ! 私にも我慢の限界はあるわ」

 

「何かするんですか?」

 

「そうですね……上田教授も村の事を調査していますよね」

 

「まぁ、そうですが」

 

「でしたら、私の好奇心が分かるハズですよ」

 

 

 彼女は階段の上にある、鳥居を指差した。

 

 

 

 

「雛見沢村最大のミステリースポット……『祭具殿』へ忍び込むんです」

 

 

 上田は目を見開き、素直に驚いた。

 自分たちがこの時代に迷い込んだ原因、祭具殿へ入り込めるチャンスだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭具殿

『結婚できない男』が13年振りに帰って来ます。楽しみですね。


 二人に同行する旨を伝えた上田は、また古手神社への階段を滑り落ちた後に、境内まで同行する。

 相変わらず閑散としており、人の気配はしない。

 

 

「誰もいないわね。やるしかGOよ!」

 

「やるしかGO……?」

 

 

 不法侵入にやる気な彼女に対し、富竹はまだ常識的であまり乗り気ではなかった。

 

 

「でも鷹野さん……強硬手段にしても、限度があるだろう? 法を犯すのはちょっと……」

 

 

 鷹野曰く、この村に来た時から祭具殿に入れて貰えるよう古手家に頼み込んでいたようだ。

 しかし歴史的に貴重な物が多い上、特別な理由のない者を入れる訳にはいかないと断られ続けていた。

 

 

「頼み込むのは諦めたわ。なら、忍び込むしかないでしょ?」

 

「祭具殿に入る事は諦めないんだね……」

 

「なかなかパッショーネな人だ、推せるなぁ……忍び込むって、どうするんです?」

 

 

 上田に手段を聞かれて、得意げに答える。

 

 

「ジロウさんが」

 

「私ですか?」

 

「僕ですよ」

 

 

 下の名を呼ばれたと思って目を輝かせる上田だが、鷹野は思い出したように手を叩き、ジロウとは上田の事ではないと訂正した。

 

 

「あ、そう言えば上田教授もジロウでしたね。ふふっ! 富竹さんの事です」

 

「なんだ……」

 

「メチャクチャ残念そうですねソウルブラザー」

 

 

 祭具殿の前までやって来る。

 初日以外、なかなか来る機会がなかった場所。こうして見れば、見事なお堂だと再確認出来る。

 

 

「富竹さん、実はピッキングができるんです」

 

「……なんで? カメラマンなのに?」

 

 

 富竹は困り気味な笑みを浮かべる。

 

 

「あはは……まぁ、カメラの手入れとかやりますから、変に器用になっただけですね」

 

「いや、それでピッキング出来るってのは……」

 

「とにかく、富竹さんが錠前をこじ開けてくれます。これでとうとう、念願の祭具殿よ……!」

 

 

 あくまでやる気な彼女を見て、説得は無理だと諦めたのか、富竹は渋々付き合う事に決めた。

 梨花たちは学校だから心配ないが、それでも参拝者に気を付けなければなるまい。鳥居の方に注意を払いながら、準備を進める。

 

 その間上田は辺りを憚りながら、鷹野に尋ねた。

 

 

「しかし、大丈夫ですか? ここは村にとっても貴重な場所ですし……もしバレれば、村外の我々は危ないのでは……」

 

「この日の為に色々と統計は取っているんですよ。この九時から十時の間は、比較的人が来ないハズですよ!」

 

「努力の矛先がズレているような……推せるなぁ」

 

「まぁ、別に何か盗む訳ではありませんし。写真を四、五枚撮ったら退散しますわ」

 

 

 首にぶら下げていたカメラを手に取り、期待に満ちた表情で祭具殿を眺めていた。

 

 とは言えやっている事は法に抵触している。

 乗り気ではない富竹は、彼女を何とか宥めさせようと今一度問いかけた。

 

 

「でも大丈夫なの? その、オヤシロ様とか……ほら、鬼隠しだって起きているのに」

 

「富竹さん、何を仰っているんですかぁ!」

 

「そうよ、ジロウさ……富竹さん!」

 

「露骨に言い直されると傷付きますよ?」

 

 

 祟りなんてまやかしですよ、と上田は続けようとした。

 しかし鷹野はニヤッと笑い、話し出す。

 

 

 

 

「何たって私、オヤシロ様の力を使えるんだから!」

 

「そうですよ!……おおう?」

 

 

 富竹と上田は、突拍子もない彼女の言葉に驚き、口をぽかんと開けて彼女を見やる。

 鷹野は懐からメモ帳とペンを取り出し、二人に渡した。

 

 

 

 

 

「私は、オヤシロ様と交信する事が出来ます」

 

「交信……?」

 

 

 なぜか上田は「交信」に反応し、変なポーズを取ろうとしかけた。

 左腕は上、右腕は横に広げる謎のジェスチャーだ。

 

 

「今から、ジロ……失礼」

 

「無理しなくて良いよ」

 

「無理して良いですよ」

 

「富竹さんの、好きな数字を的中させてみせますわ」

 

 

 本当にそんな事が出来るのかと、上田は富竹を見る。

 彼も困惑しているようで、どうやら初めて見せられる事らしい。

 

 

「まず、そのメモ帳に好きな数字を書いてください。勿論、私に見せないように」

 

「何でも良いの?」

 

「一でも千でも」

 

 

 富竹は訝しみながら、思い付いた数字を書く。

 

 

『34』

 

 

 上田が首を振る。

「三四さんの事好きなのは分かったが、バレバレだろ。リア充爆ぜろ」と言いたげだ。

 

 

 仕方なく、「3」に線を足して「8」にし、「84」とした。

 

 

「選んだよ」

 

「では、その前にオヤシロ様と交信する為、特殊な計算をします」

 

「特殊な計算?」

 

「上田教授と富竹さんで、1から9の間の数字を一つずつ選んでください」

 

 

 再び二人のジロウは顔を見合わせ、各々無意識に選んだ数字をメモ帳に書く。上田は「6」、富竹は「9」だ。

 

 

「その二つの数字を足して、二桁の場合は一の位と十の位を足して、数字を一つにしてください」

 

 

 6と9を足して15。

 更に1と5を足し、「6」にする。

 

 

「その数字に9を掛けて、二桁ならまた一の位と十の位の足してください」

 

 

 6と9を掛けて54。

 5と4を足せば、「9」。

 

 ここまでメモ帳に書き綴っているが、一回も鷹野にメモは見せていないし、数字を声に出してもいない。

 

 

「足したよ」

 

「これで準備は万端! では、最初にジ……富竹さん」

 

「もしかしてわざとだったりします?」

 

 

 上田の質問は無視された。

 

 

「富竹さんが最初に選んだ数字に、3を足してください」

 

 

 84に3を足して、「87」。

 

 

「次に、さっき出した数字を足してください」

 

 

 87に9を足して、「96」。

 

 

「最後に4を足してください」

 

「3と4……ふふ、『三四さんナンバー』ですね?」

 

「ふふふ……私の力が込められているのです!」

 

「オヤシロ様の力って言ってなかった?」

 

 

 タジタジになりながらも、富竹は96に4を足す。

 

 

「では、求められた数字を教えて?」

 

「『100』ピッタリだよ」

 

 

 鷹野は悪戯っぽく、微笑む。

 

 

 

 

「あなたの選んだ数字は、『84』ね」

 

 

 

 見事に彼女は、的中させた。

 驚いた富竹は鷹野を見た後、信じられないと言わんばかりの表情でメモ帳を何度も眺める。

 

 

「えぇ!? た、鷹野さん、どうやって……!?」

 

「うふふ、当たり?……これが、三四さんナンバーの力なのよ!」

 

「三四さんナンバー……可愛い。推せる」

 

 

 指で三と四を示し、してやったり顔の鷹野。

 何が何やら理解しかねている様子の富竹は、呆然と立ち尽くすだけだ。

 

 

 

「本当にどうやってメモ帳を見たんだい!? 何か、タネがあるんだろ?!」

 

「タネも仕掛けもないわよ?」

 

「…………」

 

「上田教授、どうでしょう? 信じてくださいます?」

 

 

 意見を求められた上田。

 真剣な表情でメモ帳を眺めていた彼だが、次には目を細めて「くっくっく」と忍び笑いの後に、高らかに笑う。

 

 

「はっはっは! 鷹野さん、なかなか面白い事を考えますねぇ!」

 

「あら。その様子じゃ、気付かれましたか〜……」

 

「え? じ、ジロウ、何か分かったんですか!?」

 

 

 次は上田がしてやったり顔を見せる番だ。

 富竹からメモ帳とペンを借りると、解説を始める。

 

 

 

「まず最初、我々は1から9の間で数字を選び、一桁になるまで一の位と十の位を足しましたね?」

 

「はい……その後に9を掛けましたが……本当にどうやって読めたんだろう……?」

 

「ジロウよ。これには、トリックがあったんですよ」

 

「トリック?」

 

「えぇ。誰が、どの数字を選んでも、最後の数字を言うだけで分かってしまうトリックが!」

 

 

 メモ帳に九の段を書いて行く。

 

 

「九、一が9。九、二18。九、三27……」

 

「……あれ?」

 

「気付きましたねジロウ? そう……九の段で求めた数字は、一の位と十の位を足すと『必ず9になる』特性があるんですよ!」

 

「……ああーっ!?」

 

 

 9、18、27、36、45、54、63、72、81。

 彼の言う通り、九の段の数字は全て、一の位と十の位を足せば9になる。

 

 

「最初に僕とあなたで選んで足した数字が、4になろうが8になろうが、9さえ掛ければ最終的に9になる」

 

「知らなかった……!」

 

「そうなれば、後は簡単だ。我々は必ず選んだ数字に9と、三四さんナンバーを足す事になる。3と9と4は、足して『16』……言われた通りに算出した数字に、その16を引いた数こそ、あなたの選んだ数字になるんですよ!」

 

 

 100から16を引けば、84。

 言い回しと遠回しな下準備によって巧妙に隠した、単純な数学パズルだ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 パチンと鷹野は手を叩き、トリックを見破った彼を讃えた。

 

 

「さすがは上田教授です! こんなアッサリ解かれたのはちょっぴりショックですが……」

 

「いやいや! 九の段の仕組みを熟知していなければ思い付けないトリックですよ! 鷹野さん、なかなか聡明な方で!」

 

「良くこんな事を思い付けるもんだよ……」

 

 

 余興が終わった所で、鷹野は富竹の肩を叩き、ピッキングを急かす。

 やれやれと頭を振りながら、彼はヘアピンを取り出し、南京錠の鍵穴に差し込んだ。

 

 上田は人が来ないか見張りをしながら、また鷹野に尋ねる。

 

 

「しかし、鷹野さんがここまで雛見沢の風土に熱心だなんて意外でしたよ」

 

「前に持論を展開したのにですか?」

 

「なぁに。たまにいるんですが、本や他人の論文ばかりで知った気になっている人間もいるもんですから。こう、実際に足を運ぶ人は少ない」

 

「これは私の性格かもしれませんね。この目で見ないと、気が済まないタイプなんです」

 

「研究者気質なんですねぇ」

 

 

 扉を閉じる錠前の鍵穴をカチャカチャ弄り、暫くすると軽快な音と共に開いた。

 

 

「良し。開いたけど……本当に入る?」

 

「やっと入れるのね! ここまで来たら退くのは野暮よ」

 

 

 先に祭具殿の中へ入る富竹と鷹野。

 上田は少し躊躇した後、振り返り村を眺めて、山田たちに謝罪する。

 

 

「俺は一旦、平成に帰る。許せッ! シュワッ!!」

 

 

 祭具殿の中へ、彼も飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の山田は、暇だしレナでも探そうかと外に出ていた。

 

 

「本当にどこ行ったんだか……透明人間か?」

 

 

 夏の暑さと蝉の鳴き声に苛つきながら、肩に担いだ鬼人ミイラと一緒に畦道を巡る。

 

 

「お金があるって良いんだなぁ。心まで余裕が出来て、凄く穏やかな気持ちなんだよ〜?」

 

 

 百万円は上田に仕舞われたが、何とか三万円は勝ち取った。その気持ちを鬼人に語ってあげている。通りかかる村人の目も気にしない。

 

 

「三万円かぁ……プリン食べたい。寿司も食べたいんだよなぁ…………プリン食べてから寿司食うか」

 

 

 レナ探しよりも寿司屋探しに移りつつある。

 

 

「あー、お金は素晴らしい! 何だか何に対しても優しくなれそうな気がする!」

 

 

 笑顔で天を仰いだ彼女に、冷たい水がかかった。

 

 

「どぉ!?」

 

 

 林に向かって、蝉が一匹消えて行く。

 かかったものは、蝉の小便らしい。

 

 

「またやりやがったな虫風情がこのヤロォ!?」

 

 

 山田は怒り、殺意を剥き出しにして蝉を追いかけ始めた。

 畦道を走り抜け、「待てぇー!」と叫ぶ。肩の上にいる鬼人の首が、あり得ない方向に曲がる。

 

 

 

 

 ふと、何か声が聞こえた。

 

 

「……ん?」

 

 

 足を止め、良く聞こえなかった声と、その主を探そうと見渡す。

 林はさざめき、風が吹く。

 

 

 

『違う……』

 

 

 

 やっと聞き取れた声。

 その時、何者かの気配を感じて振り返った。

 

 

 

「……あ!」

 

 

 立っていた者を見て、山田は不意に声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭具殿は、太陽が出ている時間帯にしては異様に暗い。

 古い建物にしては保存が行き届いており、内と外を繋ぐ穴は入り口だけではないかと思われる。

 

 

「とうとう入ったわよ、祭具殿!」

 

「暗いなぁ……一応、ライト付けよう」

 

「ほらほら、先に行くわよトミー!」

 

「分かった、分かったよ。だから落ち着いて……トミー?」

 

「……ところで上田教授、どうかなさったのですか?」

 

 

 上田は目を瞑り、左腕を上げて、右腕は横に広がる奇妙なポーズを取っていた。

 

 

「おぉ、ゴース……或いはゴスム……」

 

「あの〜?」

 

「……おかしい。なぜ、平成ジャンプ出来ない……!?」

 

 

 祭具殿に入れば平成に帰れるものと思っていたが、一向にその兆候が現れない。

 

 

「場所が違うのか……!?」

 

「今のは、何かのジェスチャーですか?」

 

「え? あ、あぁ! コレは『交信』と言いましてね……おっと、失礼! 行きましょうか!」

 

 

 場所が悪いのかと思い直し、上田は鷹野らと共に、祭具殿の奥へと赴く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「例の雛見沢分校、籠城爆破事件の犯人……竜宮礼奈」

 

 

 菊池は興宮署の、半ば物置き状態になっている窓際の部屋にて、これからレナが起こすであろう事件の顛末を秋葉と石原に説明してやっていた。

 矢部は「ソウゴくんソウゴくん」と呟きながら、にこやかな顔で隣の部署を彷徨っていた。

 

 

「学校丸々ドカーン!……と吹っ飛んだっちゅー、アレじゃの!?」

 

「その彼女が現在、行方不明だそうだ。しかし一度、我々は発見している。彼女は間違いなく、村に今も潜んでいるッ!」

 

「そもそもなぁ〜んであの子、そんな事やっちゃったんでしょうか?」

 

 

 秋葉の疑問に対し、菊池は資料を読みながら答えてやった。

 

 

「精神的に錯乱していたと言う記録もある。自分が寄生虫に蝕まれていると、本気で思っていたそうだ」

 

「寄生虫にですかぁ!?」

 

 

 鼻で笑った後につい後ろを見て秋葉は驚いた。隣の生活安全課から二人の刑事が、興味深そうに覗いていたからだ。菊池が使っているタブレットが気になるようだ。

 その二人に石原は手を振る。

 

 

「杉下警部になった気分やのぉ、亀山!」

 

「なんで僕が相棒の方なんだッ!! それよりほら、こっちを見たまえ!」

 

 

 液晶には、事件を纏めた資料が映し出されていた。

 そこに事件の経緯と、竜宮礼奈の動機と聴取の記録が載っている。

 

 

「事件は綿流しの数日後で、大災害の前日に起きた。またこの資料によれば、今年の綿流しにも事件が起きる。その事件の内容を過激に捉えた事が、竜宮礼奈の錯乱を引き起こしたとある」

 

「その事件って言うのが……?」

 

「そう! 通称、鬼隠しだ!」

 

 

 画面をスワイプし、そこにあった内容を読み上げる。

 

 

「死んだのは二人の男女。女の方は『ドラム缶に詰められ焼かれた』」

 

「何回聞いてもえげつないのぉ! 人間の踊り食いでもやりたかったんかのぉ?」

 

「そして男の方は自殺……『首を掻きむしって死んだ』とある」

 

 

 石原と秋葉は互いに見合い、自分の首を触りながら釈然としない顔で首を傾げる。

 

 

「……ええと……ちょっと想像つかないんですけどぉ〜……」

 

「首掻いて死んだってどう言うこっちゃ!?」

 

「フンッ。大方、科学捜査がまだ発展途上だった時代の資料だ。ナイフか何かで切ったのを、変に解釈したんだろ……実際、ナイフて自分の首を切って自死した女が、二日前に出たそうだぞ?」

 

 

 間宮律子の事だ。その事件の顛末は既に耳に挟んでおり、菊池も把握していた。

 その上で菊池はある主張をする。

 

 

「しかし、その事件の事は資料にないんだ」

 

「関係ないからじゃないんですか?」

 

「いいや。鬼隠しや、その前後一ヶ月に関する事件は全て資料で送られているから、漏れがある訳がない……もしその女が首を切った事件が鬼隠しと同様のものなら……明らかにこの資料よりも、『時間が早く起きている』!」

 

「それがどうしたんじゃ!?」

 

 

 菊池は呆れた表情を見せた後に、更に主張した。

 

 

 

 

「我々の知る時空よりも、『事件が前倒しして起こる可能性がある』と言う事だッ!!」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……ええと。どう言う意味ですかぁ?」

 

「チンチンプンプンカンカンじゃ!」

 

 

 説明されても状況と考え方が高次元過ぎており、石原も秋葉も理解が出来ていない。

 一から説明しても仕方ないと踏んだのか、菊池は単刀直入に言う。

 

 

「明日か明後日にも竜宮礼奈が、例の事件を起こす可能性があると言う事だッ!!」

 

「た、タイムパラドックスですかぁー!?」

 

「ひゃーっ!? 学校が丸々ボンボーンじゃけぇのぉ!?」

 

「竜宮礼奈がもし、現在精神が錯乱している状態だとすれば……彼女を即刻、確保せねばなるまいッ!!」

 

 

 その内、三人の元へ大石がやって来た。彼は部屋に辿り着くと、開きっ放しの扉を叩いて全員を注目させる。

 菊池は大急ぎでタブレットを隠す。

 

 

「ここにいましたかぁ〜! お時間になりましたので、我々もレナさん探しに参ります?」

 

「グッドナイスだッ!!」

 

 

 大石が振り返るとそこにはニコニコ笑顔の矢部が立っていたので、驚きから身体を跳ねさせた。

 

 

 

 

 

 案内されて公安メンバーは興宮署のロビーに移動する。

 

 

「園崎を刺激せんように、雛見沢村へは私らが捜索しましょう……皆さん、こちらですよー!」

 

 

 大石が呼び掛けると、颯爽と三人の人物が現れた。男刑事が二人と、女刑事が一人だ。

 

 

「あ、あれぇ? な、なんか見覚えある人がぁ……」

 

 

 秋葉に既視感を覚えさせる一人の若い刑事から、皆へ自己紹介を始めた。

 

 

「初めまして! 生活安全部生活環境課の、『悠木(ゆうき)(まこと)』です!」

 

「龍騎さん!?」

 

「いやいや、『悠木』です」

 

「あなたも時空を超えたんですか!?」

 

「は?」

 

 

 次はその隣に立つ、凛々しい雰囲気の刑事。

 

 

「刑事部捜査四課の『内藤(ないとう)(れん)』です」

 

「ナイト?」

 

「内藤です。大石さんとは、暴力団対策の関係で親しくさせていただいています」

 

「『捜査四課』とか懐かしいのぉ!」

 

 

 最後はどこか、男勝りな雰囲気のある女の刑事。

 

 

「私は刑事部の捜査二課から。『羽生(はぶ)美帆(みほ)』と申し上げます」

 

「ファム?」

 

「羽生です」

 

 

 以上の三人含め、大石と公安メンバーの八人が雛見沢村に赴く事になった。

 

 

「既に谷河内には、残りの十人を向かわせていますんで」

 

「仕事が早いなッ!」

 

「んっふっふっふ……そりゃあ、人生の半分も刑事やってますからねぇ」

 

 

 また聞くところによれば、集めた十三人は署内でも検挙率に定評があるらしく、尚の事期待が高まる。大石の人脈と人選、更に人望には菊池さえも脱帽だ。

 

 

「これだけ揃えば鬼に金棒! 十三ライダー揃えば、すぐに見つかるぞッ!」

 

「ただ、園崎の連中も見つけられんかったと聞いていますのでねぇ、我々も一筋縄ではいかないかもしれませんよぉ」

 

 

 大石のネガティヴな発言に対し、召集された刑事たちは口々に自信の程を言ってのける。

 

 

「そんな、暴力団が警察の真似事して上手く行く訳ないじゃないっすか!」

 

「俺たちはプロフェッショナルだ。奴らとは違う」

 

「竜宮礼奈は私たちが見つけるわ。どんな手を使ってでも」

 

「ナイトとファムは覚悟キマっとるのぉ!?」

 

 

 助っ人の心意気を感じた所で、早速だが捜索に向かわなければならない。

 記憶喪失状態の矢部を引っ張りながら八人は、警察署から外に出る。

 

 

 出入口の前で、突然助っ人三人は横並びになり、警察手帳をガラス扉に突き出した。

 

 

「「「変身ッ!!」」」

 

 

 それぞれ別の、謎のポーズを取った後に警察手帳をスッと懐に入れる。

 

 

「シャアッ!」

 

「ハッ!」

 

「フッ!!」

 

 

 先に三人は興宮署を出て行く。一連の流れを呆然と、大石は見ていた。

 

 

「……今のなんですか?」

 

「ふぉぉお〜ッ!! 同時変身だぁーーッ!!」

 

「ファン歓喜じゃのぉ!」

 

 

 興奮気味な秋葉と石原を押し退け、菊池もまた扉を抜けた。

 

 

「我々も続くぞッ!! 戦わなければ生き残れないッ!!」

 

「寂しい時ぐらい大丈夫なんて言わないで、ちゃんと寂しいって言いなさいッ!!」

 

「いきなりなんだ貴様」

 

 

 突然お説教を始めた矢部に驚きながら、菊池に続いて二人もエントランスを出て行く。

 残った大石は完全に当惑した表情で立っていたが、ハッと我に返り、彼らに続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴスム」

 

「ジロウよ。先程から、何を信奉しているんですか?」

 

 

 祭具殿に入り込んだ三人。鷹野と富竹にとっては始めてだが、上田にとっては久々に感じられる。

 中は相変わらず、御神輿、オヤシロ様と思われる木彫りの偶像に、「古手梨花」の名が書かれた書道作品が目に付く。

 

 

「なんでこんな所に娘の名前を書いたものを?」

 

「どうしてでしょうねぇ……案外、古手家の方はここを物置き程度に捉えていたとか?」

 

「そりゃなんだ……村人と古手家じゃ、信仰の熱に差があるんですねぇ」

 

 

 作品を見て語り合う富竹も上田の後ろで、興奮気味にシャッターを切る鷹野がいた。

 

 

「きゃー! ここが、オヤシロ様信仰の核! 想像以上だわ……!」

 

「不法侵入だけどね……」

 

 

 祭具殿の中を見渡し、上田は少し拍子抜けした様子だ。

 

 

「しかしまぁ、期待していた割には普通ですねぇ? これじゃ、一般的な神社の祭具殿となんら変わらないなぁ」

 

 

 彼の言葉を聞き、鷹野はピタリと動きを止める。

 

 

「……うふふ。本当にそうお思いで?」

 

 

 妖艶で、怪しげな笑い声。

 彼女の変貌に驚き、咄嗟に二人は振り返った。

 

 

「え? え、えぇ。なにか、こう、特別な物があるのかと……」

 

「キチンとありますわ……オヤシロ様信仰の、『正体』が……」

 

「……オヤシロ様信仰の正体?」

 

 

 祭祀用の小道具を退けた先に、布が被せられた、かなり大きな物が現れる。

 一見すればそれも、祭祀用の道具か何かだろうと気にも留めない。

 

 だが、鷹野はそれを、爛々とした目で見つめていた。

 

 

 

 

 

 布を取る。

 姿を見せた「それ」に、上田と富竹は愕然とした。

 

 

 

「この村はかつて、鬼の住む村として神聖視されていました」

 

 

 彼女は何度も、シャッターを切る。

 

 

「外界との接触を断ち、独自の宗教、独自の文化を作り上げていました」

 

 

 撮影をやめ、二人の方へ振り返る。

 

 

 懐中電灯の明かりに照らされた彼女の横顔は、妖しい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

「……故に、外へ出る者には容赦をしなかった」

 

 

 

 

 

 爪剥ぎ台、内側にトゲのついた首輪、「アイアンメイデン」に似た等身大の桶に、何かを潰す為に用いる道具まで。

 

 

 何に使うかは直感で分かる。

 この悍ましい道具の数々は、明らかに「拷問器具」だ。上田は目を見開く。

 

 

「これは……!?」

 

「知っていました?……雛見沢村の祭具とは、『そう言う物』を差すんですよ?」

 

 

 

 即座に近付き、埃で少し汚れたその拷問器具を調べ上げる。

 

 

「……確かに、これらは物理の作用を引き起こす道具だ。剥ぐ、吊る、押し潰す……北欧でも散見される、拷問器具と同じ作りですよ!」

 

「なんでそんな物が!?」

 

 

 あり得ないと困惑する二人へ、鷹野はまるで台詞を読み上げるかのように、説明した。

 

 

 

「雛見沢村に於いて、オヤシロ様の存在は絶対。そして裏切り者に対し、強い敵意も向けられた」

 

 

 呆然とする二人へ、彼女は微笑みながら続ける。

 

 

 

 

「……裏切り者、村を出ようとする者を拷問していたんですよ。『オヤシロ様の名の下』に」

 

 

 過去に使用されたであろう、拷問器具。触れていた上田は大急ぎで、捨てた。

 

 

「『綿流し』……一年の厄を綿に込めて川に流すお祭りですが、起源がいまいち不明瞭なんです。オヤシロ様が伝えただの、鬼ヶ淵沼からの水に不思議な力があるだの。まるで、綿流しと言うお祭り自体に、村は興味が薄いような……」

 

「…………綿、流し……!」

 

「ご明察ですわ、上田教授。綿は、『(わた)』が変化したものなんですよ」

 

 

 拷問器具を撫で付ける鷹野の姿は、退廃的な美しささえ感じさせられた。

 

 

 

「裏切り者を処刑し、村人に見せ付ける催し、それこそが『綿流し』の起源。村人から裏切り者を出さないよう、恐怖で村を支配した……この説を裏付ける証拠が、これらの拷問器具です」

 

「………………!」

 

「オヤシロ様は村を救った守り神なんかじゃない」

 

 

 暗闇に佇み、三人を見降ろすように据えられたオヤシロ様の偶像。

 鷹野は逆に、見下すような侮蔑の目で、眺めた。

 

 

 

 

 

「……恐怖と暴力の神様なのよ!」

 

 

 

 

 

 

 途端、祭具殿に大きな音が響く。

 木の板を叩きつけるような、激しい音。

 

 

「な、なに!?」

 

「え……?」

 

 

 音はすぐに止んだが、明らかに自然が起こすようなものではなかった。

 辺りに懐中電灯を向け、音源を探そうとする富竹と鷹野。

 

 

「た、鷹野さん、冗談はやめなよ……?」

 

「私じゃないわ?」

 

「なら、一体今のは……!? ジロウ、何か……」

 

 

 

 上田が消えた。

 

 

 

 消えたと思ったら、床に倒れて気絶していた。

 

 

「ジロぉぉおおウッ!!」

 

「しっ! ジロウさん!」

 

 

 鷹野が富竹を黙らせる。

 

 音が止んだかと思われていたが、実は違った。

 今度は床を摺り足で歩くような、小さな足音が鳴っている。

 

 

「誰か……いるの?」

 

 

 ずりっ、ずりっと、何者かが近付く。

 懐中電灯を向け、鷹野と富竹は固唾を飲んで待つ。

 

 

 人影は見えない。だが、確かに気配がする。

 そしてその人物は、あっさりと、角から現れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ど、どもー」

 

 

 山田だった。肩には、首がデタラメな方向に曲がった鬼人が乗っている。

 顔を出した彼女を見て、富竹は驚きと安堵を織り交ぜたような声で話しかけた。

 

 

「山田さん!? なんでここに……肩に乗せているの、なんですか?」

 

「友達です。ちょっと、神社に寄ったら開いてたんで……なんで上田さん寝てるんですか」

 

 

 上田はまだ気絶している。

 その間、鷹野は初対面であろう山田に会釈し、自己紹介した。

 

 

「このような場所でするのも忍びないのですが……入江診療所で看護師をしています、鷹野三四です」

 

「あ、ど、どうも。山田奈緒子です……」

 

「山田奈緒子さん……あ!」

 

 

 鷹野は合点がいったようだ。

 

 

「梨花ちゃんや沙都子さんから聞きましたが……もしかして、東京のマジシャンさん?」

 

「あ、まさしく」

 

「一度会いたいと思っていたんですよ! 本物のマジシャンを見るのは、実は始めてで……」

 

「あ、あの、鷹野さん……せめて外で話さない?」

 

 

 富竹がそう提案するのも無理はない。こんな埃っぽく、ただでさえ立ち入り禁止の祭具殿で挨拶はキツイものがある。

 中の写真を撮り終え、更にはお目当ての物を見れたご満悦の鷹野は、出て行く準備を整えた。

 

 

「失礼しました……外で改めてお話ししませんか?」

 

「えと……いいですけど……てか、上田。なんで寝てんだ」

 

 

 気絶した彼を富竹に回収させ、祭具殿から撤収しようとする。

 去り際、何かを探している仕草を見せる山田へ、富竹が困り顔で話しかけた。

 

 

「あの……山田さん」

 

「なんですか富岡さん?」

 

「富竹です。忍び込んだことは弁明しませんけど……驚かすようなことはやめてくださいよぉ」

 

「……驚かすようなこと?」

 

「バタバタって、床を激しく鳴らしましたよね? 寿命が縮んだよ……」

 

 

 山田は首を傾げ、怪訝な表情だ。

 

 

「え? あの音、そっちでしょ?」

 

「へ?」

 

「私はこっそり入り込みましたよ。デカい音がしたんで、泥棒かなって……」

 

「いやいや、僕らじゃないですよ。もう……ドッキリは勘弁してください……」

 

 

 呆れた顔で上田を支えながら、彼は先に行った鷹野に続いて出て行く。

 

 

 残った山田は暫し、祭具殿中を見渡していた。

 一度だけ、この時代に飛んだ時に見た光景。片腕のない偶像や、墨の黒が綺麗な書道作品、見覚えのある物ばかりだ。

 

 

 

 

「……? 女の子の声が聞こえた気もしたんだけどなぁ……」

 

 

 不気味に思いながら、蟠る疑念を残しつつ、彼女も祭具殿を出ようとする。




・上田の絵は「TRICK3 四話・死を招く駄洒落歌」で、山田の絵は「TRICK劇場版・霊能力者バトルロイヤル」で拝められます。

・刑事部捜査第四課は、暴力団対策を担当していた部署で、「マル暴」と呼ばれていた。
 現在は暴力団に限らず、テロ組織や麻薬密売組織と言った反社会組織にも対応するべく「組織犯罪対策部」として刑事部から独立している。なので現在、四課のある警察署は殆ど存在していない。
 因みに「相棒」の特命係の隣にある部署こそが、その組織犯罪対策部。暴力団を担当していたので、第5課です。
「よっ、暇か?」


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

番狂い

お待たせしました。


 レナはぼんやりと、割れた窓から覗く空を眺めていた。

 恐怖と嫌悪に襲われ、眠ることはできない。目の下には隈ができ、窶れた様子を際立たせている。

 

 

「………………」

 

 

 どうすれば良い。どうなれば良い。

 一晩中、それが頭の中を堂々巡り。

 白けつつある思考には、一つの決意が揺らめきを見せていた。

 

 

 

「……これしかないか…………」

 

 

 

 

 レナは移動を始めた。

 

 

 彼女がいた場所は、廃墟……山田が園崎家から貸して貰っていた、あの家だ。

 ジオ・ウエキのシンパによって破壊され、現在は取り壊し予定の為、立ち入り禁止状態。

 

 

 

 一応は園崎の私有地の為、警察や一般人はまず近付かない。

 壊れかけの廃墟の為、好き好んで入る人間はまずいない。

 森や山はともかく、こんな瓦礫まみれの薄暗い場所に、入りたがる者はそうそういない。

 故に、絶好の隠れ場所となっていた。

 

 

 

 

 しかし、レナはここを捨てるつもりだ。

 別の、「もう一つの場所」へ行くつもりだ。

 

 

 

 

 

 そのつもりだったが、思わぬ番狂わせが起きた。

 

 

「あら?」

 

「ッ!?」

 

 

 廃墟から出た所で、誰かに出くわした。

 レナの顔が蒼白になる。誰かに見つかった事もそうだが、見覚えのある人物だったからだ。

 

 

 

 

 

 

「ここでなにしてるの?」

 

 

 矢部だった。レナにとっては、自分を追っていた刑事らの仲間。その彼に見つかった。

 即座に逃げなければと、小脇に鷹野のスクラップブックを強く抱え、逃走を図ろうとする。

 

 

「あ! ねぇ君? ちょっと聞きたいんだけどぉ〜」

 

 

 

 

 

 だが、またしても、番狂わせ。

 

 

 

 

 

 

「ええと……ツクヨミちゃん……じゃなくて、竜宮レナちゃんって子、知らないかなぁ?」

 

 

 

 

 レナの足が止まる。

 驚き顔で、矢部を見つめる。矢部の表情に、嘘や策略の念はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この人、私の事を覚えていない?

 レナは恐る恐る、彼に問いかけた。

 

 

「……その人が、どうかしたんですか?」

 

 

 この人、誰かと間違えているのではと疑い始める。

 そんなレナの心境を無視し、矢部は一切の警戒をせず、ベラベラ喋り始める。

 

 

 

「いやね? なんかね? この子、なんか捕まえなきゃ駄目なんだってさ」

 

「……ッ」

 

 

 心臓を掴まれた気分になるレナ。

 警察は自分を強く、疑っていると確信してしまう。

 

 頭の中で「やっぱり」と「違う」が錯綜する。

 

 

「僕にも探してって言われたけどねぇ……僕、ただの時計屋なんだけどねぇ〜?」

 

「…………」

 

「どうしたのツクヨミちゃん?」

 

「……え!? あ、竜宮レナさんですか!? えと……わ、私は見てないです……」

 

 

 咄嗟に嘘を吐くが、今の矢部は一切も疑わずに、目の前にいる捜索対象に感謝した。

 

 

「あ〜、そうなの……じゃあ、仕方ないよね〜?」

 

「…………」

 

「じゃあ叔父さん、そろそろ行くからね? あ。あと……時計の針はさ」

 

 

 目の前にいるレナになぜか何か語り始めようとする、記憶喪失の矢部。

 彼の、本物か怪しい髪の毛を見ていたレナだったが、ふと、ある作戦を思いついてしまう。

 

 

「あの……」

 

 

 恐る恐る彼の言葉を遮った。

 

 

「どうしたの? ツクヨミちゃん?」

 

「…………」

 

 

 レナは考え切った上で、はっきり告げる。

 

 

 

 

「……お願いです。レナちゃんを、助けて欲しいんです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外に出た時には、上田は目を覚ましていた。

 そして祭具殿前には、もう一人がいた。

 

 

「あ、師匠!」

 

「お待たせしました」

 

 

 圭一だ。林の中で山田と遭遇した人物とは、彼のことだった。

 この時間は学校のハズだと、上田は聞く。

 

 

「……少年よ、学校は?」

 

「え、えぇと……訳あって早退です……」

 

「そんなことより上田さんに……えと、鷹野さんと富沢さんは」

 

「富竹です」

 

「なんで祭具殿に?」

 

 

 説明は鷹野がしてくれた。

 

 

「ちょっとした歴史探索ですわ。祭具殿はオヤシロ様信仰の、正体とルーツが眠っていますので!」

 

「へぇ」

 

「山田奈緒子さんでしたね。なかなかこの村、歳の近い女の人が少ないですから……ぜひお友達になりたいです」

 

「と、友達……!? やった……!」

 

 

 友達ゼロ人記録を更新し続けてきた彼女にとって、念願の友達だ。

 新しい友達の登場に、山田は肩に乗せていた鬼人に紹介してあげる。

 

 

「ほら、友達だよ、オニ壱!」

 

「ハムスターと亀と同格なのか……」

 

「挨拶して……」

 

 

 この時はじめて、彼女はオニ壱の首がへし曲がっていると気付く。

 

 

「アァーオゥッ!!??」

 

「それマイコーっすよね、マスター!?」

 

「オニ壱がぁあ!? オニ壱ぃぃいッ!!??」

 

 

 狼狽える山田を見て、鷹野は愉快そうに微笑む。

 

 

「やっぱり、マジシャンだけあってエンターテイナーですね! 愉快な方で」

 

「オニ壱ああああああああああ!!!!」

 

「……これを愉快と捉えるんですか?」

 

 

 あまりの狼狽えっぷりにドン引きする上田。一方で、鷹野の独特な感性に関心していた。

 

 暴れる山田らの横で、富竹は祭具殿を再施錠する。これで侵入の痕跡は消せたハズだ。

 

 

「よし……まぁ、指紋とか採取されなければバレないと思うよ」

 

「さすがジロ……富竹さんだわ!」

 

「鷹野さん、そんなに私の前でジロウって言うの嫌ですか?」

 

 

 後始末も済み、用事がなくなった鷹野と富竹は退散するらしい。

 

 

「行きずりで巻き込んでしまった感じですが、色々とお話しできて楽しかったです」

 

「いえいえ、こちらこそ! あ、そう言えば、入江先生から私の本は受け取りましたか? 昨日、預けたんですが……」

 

「あら、そうだったのですか? すみません、昨日と今日は非番で、まだ貰っていませんね」

 

「そうでしたか……まぁ、受け取ったらまた、ご感想をお願いしますねぇ〜」

 

 

 下心丸出しで握手を求めるが、「では、また」と鷹野にスルーされる。

 呆然と神社から出ようとする後ろ姿を眺める横で、富竹が慌てて追いかける。

 

 

「富竹さん、羨ましいっすね〜。あんな美人さんをゲットして!」

 

 

 そんな彼を呼び止めて、茶々を入れる圭一。富竹は恥ずかしそうに頰を掻く。

 

 

「は、ははは。ありがとう」

 

「どう言うところに惹かれたんすか?」

 

「そうだね……惹かれた、と言うよりも」

 

 

 少し考え、照れた笑いを見せた。

 

 

 

 

「……僕が支えてあげたい、って思ったからかな」

 

 

 富竹を呼ぶ鷹野の声。手を振って応答し、上田に頭を下げてから、彼も神社から出て行く。

 二人は階段をくだり、頭が見えなくなった。

 

 

「……かぁー! 富竹さん、漢っすねぇ〜! 俺もあんな人になりたいぜ!」

 

「ジロウはソウルブラザーだが、鷹野さんをゲットした件だけは許さん。爆発しろ!」

 

「あ、上田先生もマジリスペクトしてます!」

 

「ついでみたいに言うなッ!」

 

 

 上田は振り返る。

 

 

 

 神社の砂利の上で泳ぐ、山田の姿があった。

 

 

「オヨゲルヨッ! オヨゲルヨッ!!」

 

「……元々パーだった頭がマジにパーになったか」

 

「師匠、それは新たな鍛錬すか!?」

 

「少年。君の未来の為にそいつに触れるな」

 

 

 オニ壱の首は、上田が持っていたセロハンテープで補強してやった。

 

 

「ああぁ、良かった、良かった……痛かったろぉ、オニ壱!」

 

「上田先生のカバンって、何でもあるんすね」

 

「ハサミとノリは筆箱に入れていたタイプなんだ」

 

 

 道具を鞄に戻した際、ポロリと何かが落ちたので圭一が拾い上げる。

 

 

「あれ。なんか落ちましたよ……こ、これは……!?」

 

 

 拾い上げた物は、奥アマゾンのピラニア汁精力剤だ。平常心を取り戻した山田はそれを呆れ顔で見ている。

 

 

「そう言えば持ってきていたって言ってたな……」

 

「貧乏で頭がパーのお前には、一生手の届かない代物だぜ!」

 

「パーなのはお前の髪だろ。この天パっ!」

 

「うるせぇッ!……梅雨の時期は除湿かけるくらい気にしてんだ」

 

 

 精力剤を物欲しそうに見る圭一。

 

 

「どうした少年。やっぱ男の子なら、気になるかぁ?」

 

「飲んだらムッシュムラムラが止まらないって、ホントっすか?」

 

「ムッシュム・ラー村?」

 

「あぁ! 何かせずには入られない、最強の活力が手に入る!……少年、良かったら分けてやろうか?」

 

 

 試験管を取り出し、乳白色の液をちびちび注ぐ。

 それを見て山田が物申す。

 

 

「ビーカーがあるなら、私にも分けてくださいよ!?」

 

「お前が飲むと手が付けられなくなる。あと、これは『試験管』って言うんだ。小学校の理科で教わらなかったかぁ?」

 

「梨花さんからは何も……」

 

「そっちのリカじゃないッ! このツッコミ最初もしたぞ……」

 

 

 キッチリとコルクで栓をし、圭一に与える。

 

 

「い、いいんすか、ビッグボス……!?」

 

「俺は未来ある若者には、とことん支援を惜しまない!」

 

「ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 

「ここぞと言う時に飲むんだ!……あと、避妊はしろよぉ?」

 

「中学生に渡すのはアウトだろっ!?」

 

 

 山田の訴えを聞かない振りする。

 あらかた話し終え、上田は「ところで」と、圭一がここにいる件について聞き出した。

 

 

「どうして少年はここにいるんだ?」

 

「あー……これ、私から話します?」

 

「いえ、俺から話しますよ」

 

 

 本題に入り、凛々しい顔つきになる圭一。

 しかしその表情に明確な不安が宿っていると、素人目でも分かった。それほどに彼は、自分の感情に素直だ。

 

 

 

 

「レナを探したいんです」

 

 

 上田は怪訝な表情を浮かべる。

 

 

「探したいもなにも、園崎家が探しているんだろ?」

 

「そうなんすけど……俺が言いたいのは、その……」

 

 

 少しだけ次の言葉を考え、はっきりと告げた。

 

 

「……なんでレナが見つからないのか。それが、分かったような気がするんです」

 

 

 彼の発言は寧ろ、上田を当惑させる。

 

 

「どう言うことだ、少年……!?」

 

「完全に俺の憶測……になるんですけど。レナは、怯えていると思うんです」

 

「怯えている? 何に?」

 

「俺、思うんです……レナの奴、もしかしてあの夜、ジオ・ウエキの妹に襲われたんじゃないかって……」

 

「なんだって?」

 

 

 レナの父親が重体である事と、間宮姉妹の死は山田も上田も把握済みだ。

 その二つこそレナが見つからない原因だと訴え、更に彼は続ける。

 

 

「レナ、俺に言ってたんです。自分を連れ出して欲しい、待合室にいる自分をって……だからあの時、あいつ停留所にいたかもしれないんです」

 

「停留所って……あの姉妹が死んでいた場所でしたっけ……?」

 

「はい……その時に多分あいつ、襲われたとかで反撃して、そのショックで動転してんじゃないかって……」

 

「それが原因で彼女が死んだと思って、怖くなって隠れている……と言う事でしょうか?」

 

 

 可能性はある。

 レナが間宮律子に襲われ、抵抗し、逃げられた。

 だがその抵抗の際に、律子に何かしらの暴力を加えた。

 逃走中のレナが律子の死を又聞きし、自分が殺したのではと怯えて隠れている。

 

 

「……確かに、あり得るな」

 

「だとすれば、レナさんは今頃、精神的にも参っている状態……遅れて自殺だなんてことがあれば最悪ですよ」

 

 

 山田の心配も、尤もだ。追い詰められた人間が、どのような末路に至るのか──上田と山田は経験上、予想はできる。

 圭一は縋るように二人へ頼み込んだ。

 

 

「俺、レナを早く見つけないと、ヤバい気がするんです!……それで、実は今朝、レナのいそうな場所を一つ、思い付いたんです!」

 

「なに?」

 

 

 そこまで圭一は伝え切ると、改めて二人を交互に見遣る。

 

 

「本当は一人で行くつもりだったんすけど、山田さんに会いまして……」

 

「どうせなら協力しようじゃないですか」

 

「それもそうだ。大人の存在が、説得力を持たせたりもするから……どの道俺たちも探すつもりだったし」

 

 

 捜索協力を買って出た二人に安堵し、圭一は頭を下げた。

 

 

「……ありがとうございます、上田先生……山田さん」

 

「良いってこった」

 

「………………あ、山田って私か。ずっと師匠とか言われると、名前呼ばれたら反応できなくなるな……」

 

 

 

 

 三人は圭一の言う場所に、赴くこととなる。

 道中、圭一が言っていたレナのいそうな場所について、上田は本人に尋ねた。

 

 

「それでだ、少年。竜宮レナがいる場所ってのは?」

 

「お師様や上田先生が泊まっていた家っすよ」

 

「あのボロ家が?」

 

「暴徒が散々荒らしたせいで、あの家は撤去するみたいっす。レナを探していた時は立ち入り禁止でしたので、俺たちはノーマークだったんです」

 

「なるほど……そこを見なかったから『村にはいない』と言って、もう雛見沢から出たと思い込んじまったって訳か?」

 

 

 探してみる価値はあるだろう。圭一も授業を抜け出してまで行こうとしている分、確信はある様子だ。

 その上で山田は、圭一へ疑問を告げる。

 

 

「思っていたんですけど……なんでレナさん、逃げ隠れしているんでしょうか?」

 

 

 鼻で笑う上田。

 

 

「さっき説明したばかりだろ。はっ! とうとう脳のキャパも落ちたか!」

 

「おめぇ後で覚えてろよ」

 

「あの、マイマジェスティ」

 

「また呼び名増えてるし」

 

「さっき言った通りだと思います。こう言うと恥ずかしいんすけど……レナの性格は大体把握しているつもりです。親父さんの件とか、一切俺らに相談しなかったし……」

 

 

 捕まっていた時のレナとの会話を思い出し、やる瀬無さから少しだけ唇を噛む。

 

 

「その、なんでも抱え込む奴なんです。だから今回も……」

 

「……それでも、丸々一日隠れるほどなんでしょうか」

 

「山田、何が言いたいんだ?」

 

 

 自分でも考えがまとまっていないようで、難しい顔をして首を傾げる山田。

 

 

「そりゃ、レナさんの性格もあると思いますけど……半分、何かの意図があるような……」

 

「ともあれ、竜宮レナを見つけない事には始まらないだろ。何かあるにしても、彼女一人で何ができるってんだ」

 

「……そうですよね」

 

 

 納得しきれていない様子だが、山田はこれ以上の考察をやめる事にした。

 

 

 

 夏の暑さが蝉時雨と共に降り注ぐ中で、三人は学校の近くまで来る。

 すると、珍妙なものが視界に飛び込んだ。

 

 

「…………少年、あれはなんだ?」

 

「え? いや、分かんないっす……」

 

「めちゃくちゃ刺さってますね」

 

 

 三人の前には、チープでスケールの小さな出来の、段ボール製のエッフェル塔があった。

 その頂点に突き刺さってクタッとくたびれているものは、同じく段ボールで作ったであろう見覚えのあるキャラクター。

 

 

「『おっきー』ですよ上田さん」

 

「この時代ではまだ『ひっきー』だ」

 

「なんでエッフェル塔に刺さってんですかね?」

 

「新宿エンドか?」

 

 

 シュールなオブジェの下で老夫婦が「困った困った」と、分かりやすく困り果てていた。

 

 

「なんか、あからさまに困ってるみたいですけど……」

 

「話だけでも聞いてみるか。少年、寄っても良いよな?」

 

「あはは……俺も困っている人は見過ごせないっすからね」

 

 

 老夫婦に近付き、圭一から話しかけた。

 

 

「あのー! どうしたんですかー?」

 

 

 三人に気付いた老夫婦は、事情を説明してくれる。

 

 

「実はのぉ、園崎の人から頼まれてのぉ」

 

「『ひっくぃーん』の像を作っとったんじゃ」

 

「ひっくぃーん……?」

 

 

 独特な抑揚に違和感を覚えつつも、二人の話を聞き続ける。

 

 

「綿流しは村外の人も来る」

 

「村を宣伝する為、マスコット像を作ったんじゃ」

 

「だが」

 

「しかし」

 

「ひっくぃーんが風に飛んで」

 

「塔に刺さってしまったんじゃ」

 

「なんで交互に喋るんだ」

 

 

 山田はツッコミながら、老夫婦の方へ歩み寄る。

 近付いてみれば塔はそれなりに高く、上田と同じくらいだ。

 

 

「この通りワシも」

 

「ばーさんも」

 

「歳が歳なもんで」

 

「ひっくぃーんを助け出せず」

 

「困って」

 

「おったん」

 

「じゃ」

 

「どっちかが喋れっ!」

 

 

 そこでと、老夫婦は上田を指差す。

 

 

「……え? 私ですか?」

 

「そこの、むくつけき男よ」

 

「む、むく、むくむく?」

 

 

 なぜか股間を隠す上田。

 

 

「どうか、ひっくぃーんを救ってもらえんかの?」

 

「むくつけき、あんたの背丈なら助けられるからのぉ」

 

 

 確かに上田の背丈なら、十分に可能だ。

 少しだけ迷った後、上田は仕方なく、助けてやる事にした。

 

 

「少年と山田は先に行っててくれ」

 

「良いんですか上田さん?」

 

「こんくらい、俺のテクニックにかかればすぐに終わる。なんせ俺は学生時代、登山部だったんだ!」

 

「登山関係ないだろ」

 

「上田先生すげぇ!」

 

 

 上田の快諾もあり、山田と圭一は先に行く。

 残った上田は上着を脱ぎ、腕をまくり、ひっきーを助け出さんと勇んで進んだ。

 

 

「ほぉ〜れ! ひっきー降りてこぉ〜い!」

 

「気を付けろよぉ。割と強いぞぉ」

 

「あ、コイツッ!? 抵抗しやがってッ!! 降りてこいッ!! 天守閣ッ!!」

 

 

 意外と救出は難儀しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

菊池「台本形式は楽だなッ!!」

 

大石「あなた、なに言ってんですか……?」

 

 

 菊池と大石は学校近辺を警護していた。竜宮レナが現れるとしたら、ここが一番可能性があるからだ。

 

 

 変に生徒や教師たちを驚かせないよう、できるだけ少人数で行動する。その為、矢部に石原、菊池は村に散らばって別行動とさせた。

 

 

 学校を見渡しながら大石は溜め息を吐く。

 

 

「まだ中学生の娘が一人……どこに隠れているんでしょうかねぇ」

 

「ここまで探しても見つからないのは異常だな……」

 

「菊池さん。あなたの言う通り、竜宮礼奈は事件に巻き込まれた可能性がありますな」

 

「くそぅ……僕にこんな、ど田舎走り回らせやがって!」

 

 

 わざとらしくスーツの襟を整え、菊池は怒り心頭だ。

 その間、後ろに控えていた大石は、無線機で誰かと連絡をとっている。

 

 

「なにをしているのだね?」

 

「村外を捜索していた刑事を先ほど、招集したんですよ。ちょっと人手が足りないもんですからねぇ」

 

「なるほど! 良い采配だッ!! 僕から署長に働きかけ、昇格させてやるぞッ!!」

 

「もう定年ですからいいですよぉ。そうしてくださるなら、もっと早くあなたとは会いたかったですな……あぁ、来た来た」

 

 

 こちらの方へ走り寄る、二人の男。菊池の前で立ち止まり、敬礼をした。

 

 

「誰だね?」

 

 

 一人が警察手帳を見せ、自己紹介する。

 

 

「警備部、警備企画課の、『対屋 博也(たいや ひろや)』」

 

「ライアくんだな」

 

「対屋です」

 

 

 もう一人も、自己紹介をする。

 

 

「同じく警備企画課の、『甲斐 篤(かい あつし)』です」

 

「ガイくんか!」

 

「甲斐、です。濁点いりません」

 

 

 自己紹介を終えたところで、大石が二人に指令を与えた。

 

 

「お二人さんは、学校近辺の見回りをお願いします。今は授業中ですからなぁ、なるべく目立たないようにしてくださいよぉ」

 

「俺は警護に当たる」

 

「この捜索ゲームを面白くしてやるぜ」

 

「では、お願いしますよぉ?」

 

 

 二人は警察手帳を構え、変身ポーズを取ってから警護に向かう。

 

 

「学校周りは任せて、我々は別の場所を探しましょう」

 

「殊勝な心がけだな!」

 

「んふふふ。現場一筋、ウン十年ですからねぇ」

 

 

 持って来たタオルで汗を拭いながら、大石は先に行く。

 不意にその彼を、菊池は呼び止めた。

 

 

 

「大石くん。四年前の事件についてだが」

 

「…………」

 

 

 菊池から見えないところで、大石の表情は厳しく歪んだ。

 何とか表情だけは取り繕い、若干の微笑みを浮かべて振り返る。

 

 

「いきなりなんなんですかぁ、菊池参事官殿ぉ!」

 

「いま一度、鬼隠しについての君の見解を聞いておきたくてな」

 

「…………」

 

 

 自身の手帳を開きながら、菊池は続ける。手帳の表紙には、ゾンビィ一号のシールが貼られていた。

 

 

「一九七九年、つまりは今より四年前だな。興宮で、一人の男が殺された。死因は、酒瓶で頭部を叩きつけられた事による衝撃死」

 

「…………」

 

「ひと気のない路地裏で発生した為、目撃者はなし。今も犯人は特定されていないそうだな」

 

「……確か、そうでしたな」

 

「やけに他人事だなぁ。君の友人だったんだろ?」

 

 

 参ったな、と言わんばかりに頭を掻く。

 夏の暑さも相まって、苛立たしさも強まりつつあった。

 

 

「事件が起きたのは秋頃で、事件の内容だけで言えば、目新しさのないような未解決事件……ということもあり」

 

「鬼隠しからは除外されたんですよねぇ」

 

 

 菊池の言葉を続ける大石だが、更に菊池はその先を続けた。

 

 

「ああ。鬼隠しで、忘れ去られてしまった!」

 

「……菊池さん、今その話をされてもですねぇ」

 

「しかし君は、その亡くなった男性の死と鬼隠しは、繋がっていると考えている」

 

「…………」

 

「僕も暇していた訳ではない。色々と、興宮署で話は聞いたぞ? 鬼隠しに対する君の入れ込みはおかしい、なんて声もなぁ」

 

 

 居辛さを覚えて目を逸らす大石だが、菊池はまだまだ饒舌だ。

 

 

「大石くんッ!! 我々は、本気で鬼隠しを止めようと思っているッ! この三年間、どうして止められなかったのかを教えてやろうか? それは、君ほどの熱量をもって挑む刑事が少ないからだッ!!」

 

「……そんなもんですかねぇ」

 

「実際、署内の人間の大半は、事故や不幸によるものと考えている者が殆どだし、去年の事件は解決済みとも思われている。それでも『否』を突き付ける人間は、君以外にいるのか?」

 

「何が言いたいんですかねぇ。私しゃ菊池さんと違って大学どころか高校すら怪しいもんで、分かりやすく言ってもらえんと……」

 

 

 大石の言葉を遮り、菊池はニヤリと笑う。

 

 

 

 

「私なら可能だ。私なら止められるからだよ」

 

 

 

 

 その自信はどこから来るのかと、勘ぐる大石。

 暫し考えた末に、彼は察知した。

 

 

「……菊池さん、あんた……」

 

 

 この男は、自分の知らない情報を知っている。鬼隠しに関わる、何か大きな情報を。

 思えば竜宮礼奈の捜索も、妙な入れ込み様だ。何かを知っているのか。

 

 

 

「お互い、疑いっ子無しで行こうじゃあないか」

 

「………………」

 

「今年で終わらせるのだよ」

 

 

 大石はこの、菊池に従うことにした。

 

 

 

 

 

 その時、二人の更に背後から声がかけられる。

 

 

「大石」

 

 

 大石にとっては聞き覚えがあり、同時に今は会いたくない人物の声。

 先に菊池が振り返り、大石は溜め息を吐いてから、振り返った。

 

 

 

 立っていた者は、魅音。

 いや、魅音だけではない。傍には、黒服が立っていた。

 

 

「……魅音さん? 学校の時間じゃないんですか?」

 

「誰だねこのガキ」

 

「私のことガキって言った?」

 

「ちょちょちょちょ菊池さんッ!?!?」

 

 

 園崎に喧嘩を売ろうとした菊池を、慌てて大石は止める。

 

 

「そいつ誰なの? あんたの新しい部下?」

 

「部下ぁッ!? 寧ろ部下はこっちだッ!! いいかよく聞け!? 僕は東大理三を」

 

「菊池さんッ!! ちょっと黙っててくださいッ!!」

 

 

 ヒートアップする菊池を宥める大石。

 二人に向かって、魅音の従者である黒服が荒々しく話しかけた。

 

 

「おぉ!? なんだべなんだべオミャーらよぉッ!?」

 

「……なんか、変な訛りの人ですな。名古屋の人で?」

 

「ただの新人。あんたも黙ってて、カス」

 

「サー・イエッサーッ!!」

 

 

 部下を黙らせてから、改めて魅音は話しかける。

 

 

 

 

 

「どう言う訳? 警察がウチにカチコミに来ているらしいけど」

 

 

 

 大石は固まった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

嘘吐き

ぐんまけん

 

 

「どせいさん……?」

 

 

 奇妙な看板を通り過ぎ、山田と圭一は廃墟に辿り着く。

 改めて見ると酷い荒れ模様だ。柱は折れて、窓は全部割られ、壁は穴だらけ。

 

 

「ここに、レナさんがいるんですかね」

 

「とにかく探してみましょうよ」

 

「……そうですね」

 

 

 山田は立ち入り禁止を知らせるロープの前に立ち、上から跨ぐか下から潜るか迷う。

 跨ぐにしても足が上がらず、潜るにしても腰が曲がらない。

 

 

「……侵入は無理そうですね」

 

「我が女王! ロープ外しました!」

 

「ウルトラマンナイス!!」

 

 

 廃墟に侵入する。

 一階建ての小さな家だ。全ての部屋を見て回るのには大して、時間はいらない。

 

 

 壊れたちゃぶ台の上に、電気のカバーが落ちていた。

 山田はそれを持ち上げ、下に挟まっていたトランプ数枚を回収する。

 

 

「そう言えばトランプタワー、壊されてたんだった。回収しとこ」

 

「レナー! おい、レナ! いるんだろぉッ!?」

 

 

 瓦礫やガラス片を蹴飛ばしながら圭一は呼び掛ける。

 しかし声は虚しく響き、蝉の声に混ざって消えた。応答はない。

 

 

「……いない。クッソォ……外れかよ……!」

 

 

 当てが外れ、悔しげに柱を殴る圭一。

 トランプを回収し終えた山田は、あるものに気が付いた。

 

 

「……いや。そうとも言い切れない、かもしれないですよ」

 

「……え?」

 

 

 部屋の隅にある物を、オニ壱に指差させて示してやる。

 そこにあったのは、古ぼけた人形やら、ぼこぼこにひしゃげた小物入れなど。

 

 乱雑な状態の室内に比べ、それらのガラクタはいやに、規則正しく並べられていた。

 

 

「これ……私たちが泊まっていた時には無かったものですよ」

 

「……これは……!」

 

 

 そのガラクタから、圭一は一つを取り上げた。

 

 

「……公衆電話の受話器……」

 

 

 いつしか二人でやったお宝探しで、圭一が見つけてレナに渡したもの。

 これがここにある、と言うことは、レナはここに来ていた証拠だ。

 

 

「これ、俺が前にレナに渡した奴っす! やっぱ、レナはここに……!」

 

「待ち伏せしていれば来るかもしれないですね」

 

「でも……じゃあ、今はレナ、どこ行ったんすか!?」

 

「それは……分からないですけど」

 

 

 場所を変えた可能性もある。

 レナの痕跡を見つけたからと言って、ここに戻る保証はない。

 

 

「まだ近くにいるかもしれません。なら探しに行きますか?」

 

「…………それも、そうっすね」

 

 

 考える時間はなさそうだ。

 二人は急いで、廃墟を出る。

 

 

 

 

 

 外れた戸をズラして外へ戻った時、誰かとぶつかる山田。

 

 

「にゃあー!?」

 

「ネオスッ!!」

 

 

 珍奇な悲鳴が二つこだました。

 

 

「山田さん!? 大丈夫っすか!?」

 

「いってぇなぁ!? 誰だ!?」

 

 

 圭一に立たされながら、山田はぶつかった相手を睨む。少し頭を地面に擦ったであろう、オニ壱を撫でて慰めてやる。

 睨んだ先にはスーツ姿の男がいた。

 

 

「大丈夫だった?」

 

「ちゃんと前見て歩いてくださいよ!?」

 

「大丈夫そうだね。僕は英雄になりたいんだ」

 

「なんだこいつ」

 

 

 男の仲間だろうと思われる、もう一人が走って来て平謝りする。

 

 

「すみませんすみません! 俺から言い聞かせますから!」

 

「あなたたち、誰なんですか」

 

 

 二人が懐から出したものは、警察手帳だった。

 

 

「自分は、警部補の『左右田 淳一(そうだ じゅんいち)』です」

 

「ゾルダ?」

 

「左右田淳一です」

 

「ダビットソン?」

 

「淳一です」

 

 

 山田にぶつかった男も名乗る。

 

 

「僕は、『雑賀 諭(さいが さとる)』です」

 

「タイガ?」

 

「雑賀です。夢は、英雄になる事です。どうしたら英雄になれますか?」

 

「警察にしてはヤベーぞこの人」

 

 

 だがこんな真昼間に警察が村にいるとは、あまりない事だ。

 圭一は気になって、二人に話しかけた。

 

 

「あの、なんか事件すか?」

 

「事件と言うほどの事件じゃないんですけど……少し、急いでいまして」

 

 

 左右田ははぐらかそうとするが、なぜか雑賀は喋る。

 

 

 

 

「竜宮礼奈の居場所が分かったんです」

 

 

 愕然とする山田と圭一の前で、左右田は雑賀を叩く。

 

 

「バカっ! なんで話しちゃうの!?」

 

「英雄は正直者ですから」

 

「英雄失格だよ君っ!!」

 

「あ、あ、あの! レナのいる場所が分かったって!?」

 

 

 食いつく圭一に左右田は困ったように頭を掻き、その内隠しても仕方ないと踏んだのか、渋々と話してくれた。

 

 

「はぁ……何でも、『園崎家に幽閉されている』とのことで」

 

「はぁ?!」

 

「魅音のところに!?」

 

 

 山田と圭一は驚きと共に訝しんだ。園崎家に幽閉されているなんて、到底信じられる話ではないからだ。

 

 

「それでちょっと揉め事が……って、君ぃ!?」

 

 

 居ても立っても居られなくなったのか、左右田を無視して圭一は一人駆け出す。行き先は勿論、園崎屋敷だ。

 

 

「圭一さん!?」

 

「と、とにかく僕たちは行くんで!!」

 

「僕は英雄になるネオス」

 

「安易な語尾はやめろっての!」

 

 

 一気に走り去る三人の後ろ姿を、呆然と見る山田。彼女もまた、レナが園崎に捕まっているとは信じてはいなかった。

 

 

「どういう事なんだ……!?」

 

「どういう事なんでしょうか」

 

「うおぉ!?」

 

 

 いつの間にか隣に、男が立っていた。

 

 

「え!? 誰!?」

 

「興宮署の、『照辺 逸郎(てるべ いつろう)』です」

 

「ベルデ?」

 

「照辺です」

 

 

 その刑事の顔に妙な既視感を抱き、山田はまじまじと見つめた。

 

 

「……あれ? あなた、『神ヶ内村』にいませんでした?」

 

「はい? どこですそれ?」

 

「裂けてーーッ!!」

 

 

 茶番をしている暇はないと我に返る。

 山田はオニ壱を労わりながら、照辺と共に園崎邸へ走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 警察が皆、続々と園崎邸に向かっている。

 後に続くように、別行動を取っていた秋葉と石原が必死に走る。

 

 

「矢部さんどこ行っちゃんたんですかーっ!?」

 

「兄ィィィイ!! 待っとれよ兄いィイッ!!」

 

「アッー! 靴が脱げたぁあーッ!!」

 

 

 あまり舗装されていない田舎道で、秋葉がすっ転ぶ。

 不憫に思った石原が彼を起こしてあげる最中、彼らの隣をガラガラと、布を被せた農具をリアカーで運ぶ老人が通る。

 

 

「こんにちオキティー!」

 

 

 挨拶をする石原に対し、ドン引きしたように顔をタオルの頭巾で隠して会釈だけする。

 

 

「アキちゃん! はよぉ、起きるんじゃ!」

 

「足首を挫きましたーっ!!」

 

「イタティー!」

 

 

 二人の隣に、車が寄せられた。

「トヨペット・クラウン」。昭和の覆面パトカーと言えばこの車だ。

 

 

「なにやってんですか、お二人とも」

 

 

 運転席から顔を出す人物。見覚えがないので、名前を尋ねた。

 

 

「えと、どちらさまで?」

 

「僕ですか?『井寺(いでら)』です」

 

「あ、インペラーさん!」

 

「ちょっと無理がありません?」

 

「そのパトカーは?」

 

「手配してもらいました。はやく乗ってください」

 

刑事(デカ)だけに、デカしたーーッ!!」

 

 

 石原のよく分からないギャグと共に、二人は井寺のパトカーに乗り込んだ。向かう先は、園崎屋敷。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 圭一は必死の思いで、園崎邸まで休みなく走る。

 一方の山田と刑事たちは、ゾンビのような顔で後を追う。

 

 

「速いっつの……!」

 

「歳は取りたくないですね……!」

 

「二人ともそんな体力じゃ、英雄になれないよ」

 

「……一番遅れてる奴が言うなっ!……てか、あのベルデって刑事さん消えたし! 透明になれるのか!?」

 

 

 とうとう先行く圭一をそのままに、二人はヘトヘトに疲れて足を止める。

 山田は肩に乗せていたオニ壱を撫でながら、顔を上げる。そこは山の麓だった。

 

 

「この山……確か、この向こうが園崎さんの屋敷ですよね? ここ通って近道しましょうよ」

 

「あー、やめた方がいいですよ」

 

「なんでですか。道もあって、通れなくもないですよ」

 

「いやぁ、そうなんですけどね」

 

 

 困ったように眉間を掻く左右田。

 熊でも出るのかと聞こうとする前に、やっと追いついた雑賀が説明する。

 

 

「この山は『トラップ』だらけなんだ」

 

 

 山田は怪訝な顔をした後に、納得したように口を開く。

 

 

「あぁ。菅原文太の」

 

「それは『トラック野郎』です」

 

 

 左右田が訂正するものの、山田は止まらない。

 

 

「やもめのジョナサン」

 

「トラックじゃないですって」

 

「御意見無用!」

 

「だからトラッ、プっ!」

 

「これですか?」

 

「それは『トランプ』ッ!」

 

 

 左右田の指摘を受けながら、取り出したトランプをオニ壱に握らせる。

 ひと段落したところで雑賀は説明を続けた。

 

 

「村の子供が山のあちこちにトラップを仕掛けていてね。これがなかなか凝った作りで、大人でも痛い目に遭うんだ」

 

「たかが子供の遊びじゃないですか」

 

「ラビットホーン」

 

「ら、ラビットホーン? ビルドのフォーム?」

 

「兎に角ってことだよ」

 

「なんでわざわざ英語にするんだ」

 

兎に角(ラビットホーン)、この山を通ることはオススメしないよ。英雄としてね」

 

 

 体力が回復したのか、刑事二人は目配せした後に、警察手帳を突き出して変身ポーズを取ってから走り出す。

 山田も改めて走り出そうとした時、山の木々の中で何かを見つけた。

 

 

 

 

『ひいたらダメダメなのですわ♡』

 

 

 

 文字が彫られた小さな板にロープが括り付けられ、それが近くに立つ木の上から垂れている。

 好奇心に駆られた山田は、誘われるように、そのロープの方へ。

 

 

「………………」

 

 

 オニ壱にロープを握らせ、目を固く瞑る。

 そしてそのまま、一思いに引いた。

 

 

「御意見無用ーーッ!!」

 

 

 ロープはスルスルと落ち、

 

 

「んにゃーーッ!!??」

 

 

……間髪入れる間も無く、上から大量の大きな枝と葉も落ちて来た。

 枝と葉に押し潰されるように、山田は地面に平伏す。

 

 

 

 彼女の姿が枝と葉に埋もれた後、遅れて来た照辺が立ち止まり、警察手帳を突き出して変身ポーズを取ってから通り過ぎた。

 

 

「一発成功ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田たちが立ち止まっている内に、圭一は息を切らしながら園崎邸前に到着。

 門前には数人の黒服と、矢部が言い争いをしていた。

 

 

「だからね? ツクヨミちゃんを返して欲しいんですぅ」

 

「なんやワレェ!? ツクヨミって誰じゃあッ!? てか令状あるんか!?」

 

「ソウゴくんとゲイツくんも誘拐してますよね?」

 

「令状用意せぇ言っとるんじゃ!!」

 

「なんか……アレだね? その、丸刈りの頭を見てると……何か怒りが湧くんですよねぇ……」

 

「おのれも隠しとるだけで丸刈りじゃろッ!?」

 

「これは地毛じゃボケェッ!?……あれ? 疲れてるのかなぁ……」

 

 

 およそ、おしくらまんじゅうのような攻防が続く。

 圭一も息を整えつつ近付こうとした時、一人の男が先に、いつの間にか到着した。

 

 

「やめるんだ」

 

「どちら様ですか?」

 

「警部補の、『大手院(おおていん)』だ」

 

「オーディン?」

 

「大手院だ」

 

 

 大手院が矢部を引き止めるものの、構成員たちの怒りは収まらない。

 罵声を飛ばしても、矢部はそれをフワフワした物言いでかわしてしまい、また怒りを誘う負のスパイラルとなっていた。

 

 引き止めたと思った大手院もいきなり、「戦え」と扇動しはじめ、暴力沙汰一歩手前の状況に陥る。

 

 

「あ、あ、あのぉ!!」

 

 

 あまりの迫力に身を縮めていた圭一だが、意を決して二つの陣営に割って入って仲裁に入る。

 

 

「なんね坊主?」

 

「み、魅音の友達です!」

 

「次期頭首の……!?」

 

 

 一斉に黒服たちは左胸に拳を当てはじめる。

 園崎の者ではないにしろ、次期頭首の友人にまで手を出したらどうなるかしれないと判断したようだ。

 

 

「それ調査兵団ですよねぇ? 叔父さんもアニメは観るからね〜?」

 

「ええと……あれ? あんた、ソウゴくんっての探してた変質者?」

 

「ソウゴくん!?」

 

「……え。あんた、刑事さんだったんスか……?」

 

「いえ。時計屋です」

 

「??????」

 

 

 訳の分からない事を言う矢部に困惑しながらも、彼に質問するのはやめて園崎の方に質問をした。

 

 

「あの……レナがここに幽閉されているって、どういうことですか!?」

 

 

 勿論の事だが口々に否定する。

 

 

「このヅラ刑事がのぉ!!」

 

「地毛ゆうとるやろがい!?」

 

 

 頭を押さえながら怒鳴る矢部。あまりの豹変具合に圭一は恐怖を覚えていた。

 

 

「なんの証拠もないのに、竜宮レナを攫っているとか言うんじゃ!」

 

「こっちも魅音さんの命令で探しとるって言ってんのによぉ!!」

 

「ミツカリマセンデシタ!」

 

「なんの成果も得られませんでしたッ!!」

 

「戦え……戦え……」

 

 

 もちろん、圭一もまさか魅音たちがレナを拉致しているとは疑っていない。

 何かの間違いではないかと、矢部に別の質問をする。

 

 

「その情報ってのは、誰から聞いたんですか?」

 

 

 矢部は姿を思い出そうと、頷きながら話し出す。

 

 

「女の子だったねぇ」

 

「女の子……?」

 

「ちょうど、君ぐらいの歳かな? なんでもその子が、竜宮礼奈ってツクヨミちゃんが、黒服の男たちに連れ去られたって言っててね?」

 

「……竜宮礼奈ってツクヨミちゃん??」

 

 

 とは言え自分と同じくらいの歳の女の子、と聞いて胸騒ぎがした。

 

 

「自分も命からがら逃げて、廃墟に隠れていたってさ。何だか……泣けるねぇ叔父さん……」

 

「その子はどうしたんですか……!?」

 

「他の刑事がいる所を教えてあげてね? で、僕も助けに来て……」

 

「その……」

 

 

 恐る恐る、問い掛ける。

 

 

「……赤毛で、おとなしそうな感じの子でした?」

 

 

 顔を顰めて、矢部は告げた。

 

 

 

 

「そうだったね……あ! そうそう! そんな感じの子!」

 

 

 圭一の目が見開かれた。

 この刑事はレナを見つけていたし、レナは彼に嘘を吐いている。その二つの事実に混乱し、暫し言葉を失った。

 

 

 

 

 

「おおーーい!!」

 

 

 後からゾロゾロと、矢部の報告を受けた刑事たちがやって来た。

 その中に菊池と、大石も含まれている。

 

 

「あらら? 圭一さんもですか!?」

 

「あ……あん時の刑事さん……って、魅音も!?」

 

 

 大石と菊池と、更に対屋と甲斐も来ていた。

 彼らの後ろには、従者の黒服と魅音が。

 

 

「圭ちゃん!? 圭ちゃんまで嘘吹き込まれたの!?」

 

「嘘吹き込まれたって……やっぱり、レナ幽閉とかは誤解なんだよな!?」

 

「当たり前じゃん!! 幽閉したのは山田さ──ゲフゲフッ! なんでもない!」

 

 

 ポロッと山田と上田を幽閉した件を言いかけ、何とか誤魔化した。

 その内に圭一に置いて行かれていた左右田、照辺、雑賀の三人も到着する。大所帯となり、魅音はすぐに問い詰めた。

 

 

「ちょっとちょっと大石!? 何人引き連れてるの!?」

 

「な、なははは……いやぁ、魅音さん。だから我々もレナさんを捜索しているって言ったじゃないですかぁ!」

 

「……この人数で無線機全員に持たせてて、やけに本気じゃん」

 

 

 懐疑の目を向ける魅音。大石は苦笑いをして、目を逸らすだけに留めた。

 魅音の姿を見た矢部が、指差し叫ぶ。

 

 

「もしかして君!? ツクヨミちゃん!?」

 

「さっきから魅音魅音呼ばれているの聞いてなかった?……てかあんた!? 私が成敗した変質者じゃん!?」

 

「いやだから、僕はただの時計屋で……」

 

 

 更に三台の覆面パトカーもやって来る。

 一台目には悠木、内藤、羽生が乗っていて、二台目には知らない二人の刑事が乗っていた。

 

 三台目には井寺、石原と秋葉がいる。

 

 

「矢部さぁーん! どういうことですかぁー!?」

 

「おぉ!! 兄ィ!! 乙姫様は見つかったんかのぉー!?」

 

「あ、乙姫って言うのは多分、『竜宮』からきていると思いますよぉ」

 

 

 最後に遅れて来たもう一人の刑事がやって来て、捜索にあたっていた全員が集合した。

 多くの刑事が現れたとあり、場は物々しい雰囲気に陥る。

 

 

「み、皆さん来ちゃったんですかぁ〜……」

 

「……大石。レナを探してくれていることは感謝するけど、色々と違和感しかないんだけど。なんでレナ探していて、ウチに喧嘩売りに来る訳?」

 

「どこで間違えちゃったんですかねぇ〜?……なははは!」

 

 

 大石も笑うしかないほど、間抜けな光景だった。

 ここまで怒り心頭だった魅音も、呆れ果てて何も言えなくなっている。

 

 

 

 

「魅音!」

 

 

 状況が飲み込めないが、圭一は考えるよりも先に魅音に告げた。

 

 

「け、圭ちゃん?」

 

「レナ幽閉だのは嘘だ……だけど、この嘘を流したやつが分かった」

 

 

 圭一の発言を聞いて、その場にいた者全てが矢部を見やる。

 

 

「ぼ、僕ぅ?」

 

「やっぱ一番悪いのはこの変質者? もう一回殴られたい?」

 

「だから僕は時計屋なんだけど……」

 

 

 急いで圭一は否定し、大声で告げた。

 

 

 

 

「嘘を流したのは、レナなんだよ!! レナがこの刑事に、嘘言ったんだ!!」

 

「時計屋なの? 刑事なの?」

 

 

 その後、矢部から詳しく話を聞くと、レナと特徴の合致した少女から助けを求められたと分かった。

 

 警察がなぜレナを大捜索しているかについては、怪しまれながらも「捜索依頼が出たから」と大石が押し切る。彼からすれば、鬼隠しの主犯と疑っている園崎に「レナが鬼隠しの犠牲者になっているのでは」と言って刺激したくなかったからだ。

 

 

 菊池は矢部を問い詰めた。

 

 

「どうして竜宮礼奈を保護しなかったッ!?」

 

「叔父さん、顔が分からなくてねぇ?」

 

「だが君、一回見ているハズだろッ!?」

 

「黒髪ロングでちょっと男勝りな女の子しか思い浮かばないなぁ」

 

「誰だそれはッ!?」

 

「ツクヨミちゃん」

 

 

 二人がぎゃーぎゃー口論しているさなか、大石はまず魅音に弁明を済ませておく。

 

 

「お騒がせしましたなぁ!! まぁ、こちらも騙されたと言うことで、水に流してもらえんですか?」

 

「……婆っちゃには黙っててあげるからさ。これだけ人数いるなら早くレナを探してよ。村にいるのは分かってるんだから!」

 

「それはそれは、もちろん!」

 

 

 答えの前なのに、足踏みして進めないもどかしさに圭一は苛つきさえ現れていた。

 

 

「レナ……どうしたんだよ……!」

 

 

 なぜ、レナはそこまでして逃げようとするのか。ただ怯えているだけなら、こんな事はしないハズだろう。

 訳が分からず、圭一は一人パニック寸前にまで陥っていた。

 

 

 

 

 彼の心情を察してか、魅音が話しかけてくれた。

 

 

「大丈夫だよ、圭ちゃん。寧ろ、レナが無事って分かったからいいじゃん!」

 

「……でも、レナの行動が分からねぇんだよ……」

 

 

 何とか慰めてやろうと言葉を続ける。

 

 

「レナも驚いて、咄嗟に嘘吐いちゃったんだよ! それが上手い具合に、毛抜け……間違えた」

 

「今、毛抜けゆうたか!?」

 

「毛抜け刑事を騙せただけだって」

 

「言い直せてへんがな!?『間抜け』やろ!…………誰が間抜けやッ!?」

 

「ねぇ? その刑事さん二重人格なの?」

 

 

 魅音に喧嘩を売ろうとする矢部を、大石含めた刑事総出で制止させる。すぐに常盤と言う叔父さんに戻ったので問題はなかったが。

 

 とは言え焦ったレナの口から出まかせが、記憶喪失状態で頭フワフワな矢部を上手く騙せただけ。そこに深い意図はないだろう。

 

 

 

 しかし圭一は腑に落ちない。

 

 

「騙すにしたってさ……」

 

「え?」

 

「なんで……ここなんだ?」

 

「ここって、ウチってこと?」

 

 

 魅音もなぜなのかを考察した。

 

 

「そりゃあ……咄嗟に浮かんだのが私だからかな? ほら、部長だしさぁ!」

 

「咄嗟に浮かんだんなら、『あっちにいた』とか『向こうの道で見た』とかで良いだろ。なのにわざわざ、『魅音の所に捕まっている』なんて指定したんだ?」

 

「……あー。言われてみれば……」

 

 

 思えば確かに、違和感だ。その場凌ぎで言うのならば、変なストーリーを付けずにデタラメな方向を言えば良い。

 なのにレナは、かなりリスキーな嘘を吐いた。あまりに奇妙だ。

 

 

 無いと思われていた意図が、存在しているかのようだ。

 

 

「…………」

 

 

 魅音は何か思い立ち、圭一に質問する。

 

 

「……レナがいた場所って、あの廃墟だって言ってたっけ?」

 

 

 雛じぇねに潰される前に、山田らに貸していた別宅だ。

 即座に彼女の頭の中には、村の地図が展開される。

 

 

「え? あ、あぁ……実を言うと、俺もそこにいるんじゃないかって思っててさぁ……」

 

「廃墟の場所は……ウチとは真逆の方か」

 

「……なんか、分かったのか?」

 

「…………」

 

 

 魅音は、集まった刑事たちを見渡す。

 

 

 

 

 

 この状況、とても「見覚えがあった」。

 それは屋敷内で起こった、ジオ・ウエキたちによる大掛かりなトリック。

 

 人を、左から右へ誘導させ、金庫を交換する時間を作る。

 まさに自分たちが騙されたトリックと、似ている気がした。

 

 

 

 

 

「……レナはもしかして……警察の捜査網を撹乱したかった、とか?」

 

 

 もちろん、確証はない。

 だがこの状況があまりにも、あの時の状況と似ていた。

 

 

「撹乱?」

 

「廃墟の方って、そのまま村の出口側じゃない?……もしかしてレナ、今度こそ村から逃げるつもりかも……」

 

「…………!!」

 

 

 溢れる焦燥感。圭一は即座に、刑事たちに報告しようと振り返った。

 しかしその必要はない。二人の話に聞き耳を立てていた大石が、無言で承諾してくれた。

 

 

「皆さん!! パトカーを使って、すぐに村の出口へ向かってください!!」

 

 

 彼の命令に、十三人の刑事たちは意を決した目付きに変わる。

 

 

「ところで一人一人、改めて名乗ってくれまいか?」

 

 

 突然自己紹介を求めて来る菊池。その暇はないだろと大石が言う前に、本当に一人ずつ自己紹介をはじめた。

 

 

 

「生活安全部生活環境課、『悠木 真(ゆうき まこと)』!!」

 

「龍騎!」

 

「刑事部捜査四課、『内藤 練(ないとう れん)』」

 

「ナイト!」

 

「刑事部捜査二課……『羽生 美帆(はぶ みほ)』」

 

「ファム!」

 

「刑事部捜査共助課、『志座 澄海(しざ すかい)』……!」

 

「シザース!?」

 

「交通部……『王田 威(おうだ たける)』……」

 

「王蛇!」

 

「警備部警備企画課、『対屋 博也(たいや ひろや)』」

 

「ライア!」

 

「同じく警備部警備企画課、『甲斐 篤(かい あつし)』!!」

 

「ガイ!!」

 

「刑事部第三課……『左右田 淳一(そうだ じゅんいち)』」

 

「ゾルダ!?」

 

「生活安全部保安課、『雑賀 諭(さいが さとる)』」

 

「タイガ!」

 

「刑事部捜査共助課。『照辺 逸郎(てるべ いつろう)』!」

 

「ベルデ!」

 

「刑事部捜査一課、『井寺 充(いでら みつる)』」

 

「インペラー!!」

 

「交通部……『大手院 士郎(おおていん しろう)』……」

 

「オーディン!?」

 

「草加 雅人」

 

「草加ぁ!!」

 

 

 名乗りを終え、一斉に変身ポーズを取った後、ある者は走って、ある者はパトカーに乗って村の出口へと急行する。

 

 

「ふおわあぁ……! 十三ライダーだぁ!!」

 

「一人だけ違うのおらんかったかのぉ?」

 

「我々も負けていられないッ!! 行くぞーーッ!!」

 

 

 そのまま矢部一行も、目的地へ向かった。

 

 

 

 

 後に残った大石も、やれやれと頭を掻きながら歩き始める。

 

 

「ねぇ、大石」

 

 

 それを魅音が、呼び止めた。

 

 

「……どうかしました?」

 

「……どうせあんたの事さ。園崎疑って、鬼隠しと関連してるからってだけで、動いているんでしょ」

 

 

 図星を突かれ、大石は苦笑いを見せた。

 

 

「んなははは! 魅音さんには敵いませんなぁ!」

 

「……そうやって、鬼隠し解決のためだけにレナの捜索を利用するつもりじゃ」

 

「魅音」

 

 

 問い詰めようとする魅音を、圭一が止める。

 ただ止めるだけではない、彼もまた言いたかった。

 

 

「……鬼隠しの解決には、俺は賛成しますよ」

 

「………………」

 

「……だが、そのために俺たちを利用できるなんて、思わないでください……あんたが俺に鬼隠しのことを吹き込んで、魅音たちと不和を起こそうとしたようにさ」

 

「……言い掛かりは止してくださいよぉ」

 

 

 手をパタパタ振り、彼は背を向けて去って行く。

 その姿が角で消えるまで、二人は目を逸らさなかった。

 

 

 

 

「……私たちはどうする? 車なら、ウチも出せるけど」

 

「行くに決まってんだろ!」

 

「……だよねぇ!」

 

 

 圭一の肩を叩き、車の場所まで案内する。

 それについて行く途中、圭一はやっと気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ? 山田さん?」

 

 

 山田奈緒子が、いなくなっている事に気付く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふごっ!?」

 

 

 山田の目が覚めた。自分を生き埋めにした葉っぱや枝を掻き分けて、何とか日の光の中へ這い出る。

 

 

「ひぃ……ひ、酷い目に遭ったぁ……トラック野郎、恐るべし……!」

 

 

 服に付いた砂汚れや葉っぱを払いながら、道に出る。

 その時に横からバタバタと誰か向かって来る音が聞こえ、そっちへ視線を移した。

 

 

 

 やけに見覚えのある二人組だ。

 

 

「兄ィ! またみんなとはぐれてもうたのぉ!?」

 

「こっちにツクヨミちゃんがいそうだねぇ?」

 

「おるとええなぁ!? ツクヨミちゃーーんッ!」

 

 

 二人組の姿が鮮明になるほどの距離にまで近付く。

 山田が唖然としている時、二人もまた彼女の姿を見て唖然としていた。

 

 

 

 

「や、や、矢部ぇ!?」

 

「山田の嬢ちゃん!?」

 

「ツクヨミちゃん!?」

 

「誰だよ!」

 

 

 山田は、矢部と石原と遭遇した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ギターを背負った上田次郎は森の中で、逆さ吊りになっていた。

 

 

「こ……これは、どう言う事だ……!?」

 

 

 彼のズレかけた眼鏡の先には、信じられない人物が立っている。

 その人物とは、多くの人が今の今まで探していた、行方不明者。

 

 

「なぜなんだ……!?」

 

 

 あどけなさの残る顔付きと、憂いを帯びた表情。

 所々が煤けた、白のワンピース。

 木々の隙間を吹く風が揺らす、彼女の髪。

 

 後ろに手を組み、彼女はニッコリと笑いかけた。

 

 

 

 

「……どうして上田先生なのかな」

 

 

 上田はチラリと、地面の方を見た。

 白い紙が落ちている。その紙に書かれてある文面を読み、後悔したように目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

「…………かな?」




・「トラック野郎」は1975〜1979年の間に東映が上映した映画シリーズ。今でもたまに見る「デコトラ」のブームメントを作り出した伝説的作品。「ゴーオンジャー」に出てきた怪人エンジンバンキが言った「最終作は故郷特急便」とはまんま、トラック野郎最終作「故郷特急便」の事を指している。

・「仮面ライダー龍騎」で仮面ライダーベルデこと、高見沢逸郎を演じたのは「黒田アーサー」さんで、「TRICK 3」のスリット美香子の回にも村役場の職員役で登場している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

集大成

 時間は遡る。

 少し四苦八苦したが、何とか上田はひっきーを救出した。

 

 

「ひっくぃーんを救い」

 

「感謝しめすめす」

 

「この引きこもりの根暗め……! 星五だからと調子に乗るんじゃねぇ!」

 

 

 ひっきーの人形を老婆が回収し、残った老父は改めて感謝をする。

 

 

「むくつけき男よ」

 

「現代語で喋ってもらっていいですかね?」

 

「このままでは、ひっくぃーんは救えず、塔の完成には至れずに、四日後の綿流しで生き恥をかくところだった」

 

「まだ完成していないんですか」

 

「塔を紙粘土で包み、色を塗り、ニスを塗って完成なり」

 

「…………それあと四日で出来るもんですかね?」

 

「貴殿に、報酬を授けよう」

 

「もしかしてあなた、異世界憑依した殿様だったりします?」

 

 

 老父は上田を連れて、近くにある小屋に案内する。

 

 

「爺さんよ。大変じゃ。リアカーがなくなっておる」

 

「家に忘れてきたのだろう。取って来てくれぬか」

 

「御意」

 

「……生まれて来る時代、間違えてるよな」

 

 

 外で彼を待たせ、次に出てきた老父は、古いアコースティックギターを持って来た。

 

 

「……このギターは?」

 

「ワシがその昔、アメリカ兵から買ったものなり」

 

「いいんですか? そんな大層な物を、私に?」

 

 

 老父は時代劇の殿様のように、かんらからからと笑う。

 

 

「三味線も弾けぬのに、ギターなど弾けようものか!」

 

 

 チラッと小屋の中を見る。

 白黒の写真が飾られている。ギターを刀のように構えた、およそギターの扱い方を根本から間違えている、若い頃の老父だ。

 

 

「……ギター侍……」

 

「受け取ってくれ給へ」

 

「あ、じゃあ、遠慮なく……」

 

「しかし、ひっくぃーんの名前はあまり好かぬ。東京にできた遊園地にならい、『ひっきーまうす』とするのはどうか」

 

「この村が消されかねないのでやめた方がいいですよ」

 

「そげな物騒な」

 

「……ところで、私のこと『むくつけき』って呼んでいましたけど、どういう意味ですか?」

 

 

 老父は真っ直ぐ見据え、答えた。

 

 

 

「『薄気味悪い』と言う意味じゃ」

 

「ブッ飛ばすぞッ!!」

 

 

 

 

 ともあれ戦利品をいただいたのだから、儲けものだ。

 ギターを背負い、上田は廃墟に向かった山田らに合流しようと走り出した。

 

 

 道を出た所で、上田を背にしてどこかに向かう一行を見つける。

 

 

 

 

「あのクソハゲめッ!! ヤクザに喧嘩を売ってどうするッ!?!?」

 

「大石、とりあえず説明は?」

 

「そうだべそうだべ! 魅音さんの言う通りだべ!!」

 

「ま、参りましたなぁ〜……んなははは……はぁ」

 

 

 彼らの後ろ姿を見て、上田は顔を顰める。

 

 

「あれは、園崎魅音。従者三人連れて早退か?……一人だけ、見覚えあるような……」

 

 

 呼び止めるには遠い位置。追い掛けても仕方ないと、彼女たちとは逆の道を選ぶ。

 

 

 

 

「あ! 上田先生!」

 

 

 少し走ったところで、自分を呼び止める声。

 声のする方を見ると、そこは学校の前だった。呼び止めたのは、体操服姿の沙都子だ。

 

 

「沙都子か」

 

「昨日ぶりですわね! そのギターは? 上田先生、弾けるのでございますの?」

 

「まぁ、貰い物だ。一応、少し齧ってはいる」

 

「上田先生って、器用貧乏ですわね」

 

「うっせぇ言ってろ!……と言うか、ここで駄弁ってていいのか? 授業中だろ?」

 

「午後の授業は体育ですわ。今は先生が来るまで待機中ですの」

 

 

 確かにグラウンドには、沙都子と同じ体操服の生徒が集まっていた。

 

 

「学年がバラバラっぽいが……」

 

「生徒の少ない学校ですから、合同授業もありましてよ。体育がソレですわ」

 

「あぁ、そう言うことか」

 

 

 改めて沙都子の体操服を見る。

 平成の頃にはすっかり、教育現場では全滅したブルマーを履いており、上田にとっては懐かしさがあった。

 

 

「もうコスプレの界隈でしか見ないからなぁ……」

 

「?……あっ! もしかして上田先生にも、監督のような趣味がおありでして?」

 

「は!? 違うッ! 俺にそう言う趣味はないッ!!」

 

「やっぱり偉い先生はみんな変態ですわ! むっつり学者ですわね!」

 

「物理つってんだろッ!!……人のことむっつりだのむくつけきだの、失礼な村だぜ!」

 

 

 しかし、「むっつり学者」と呼ばれて気が付いた。いつもそう言ってからかう、梨花の姿がない。

 グラウンドの集団を今一度確認するが、彼女は発見できなかった。

 

 

「梨花は? 今日は、休みか?」

 

「梨花ですの? まさかぁ、ちゃんと来ていますわ! お手洗いに行くと言っていましたですわ」

 

「ならいいが……おいおい。先生来たぞ?」

 

 

 ジャージ姿の知恵先生が、グラウンドに現れた。

 いつもとは違ったスポーティーな姿の彼女を見て、上田は鼻の下を伸ばす。

 

 

「梨花、遅いですわね……」

 

「サボるつもりじゃないのかぁ?」

 

「うーん、ありえそうですわ……あ、なら上田先生が見て来てもらってもよろしくて?」

 

「は? 俺が?」

 

 

 先生が来たとあり、沙都子は生徒たちの方へ戻り始める。

 

 

「魅音さんと圭一さんも早退なさって、部活メンバーがもう梨花しかいないから少し寂しいのですわ! だからお願いしまーす!」

 

「待て待て、俺にそんな暇は……行きやがった。恩人に対する扱いじゃないぞ……」

 

 

 とは言うが、この天真爛漫さも彼女の素であり良さなのだと、鉄平と暮らしていた時の姿を思い出して、実感した。

 様子を見るくらいは平気かと考え直し、あと知恵先生へのアピールも兼ねて、梨花を探しに下足場まで歩く。

 

 

「あのお転婆にぱにぱドS娘め。教室で寝てやがったらデコピンしてやる! いやデコペンだ!」

 

 

 靴を脱ぎ、簀の子の上に立つ。

 少し褪せた茶色の下足箱が、上田のノスタルジーを煽る。

 

 

「そうそう! ラブレターが入っていないかとか、ウキウキしながら靴箱に行ったもんだ!……まぁ、呪いの手紙しか貰えなかったが」

 

 

 チラリと、何気なしに見た、誰かの靴箱。そこで上田は目を疑う。

 上履きの奥、少し見づらい場所に、手紙と思しき紙が置いてあったからだ。

 

 

「なんだと……!? 靴箱のラブレター、都市伝説じゃなかったのか……!?」

 

 

 上履きの踵部分に、名前が書かれている。

 そこには「前原圭一」の文字。

 

 

「あの少年に…………おのれぇ……モテモテしやがって!」

 

 

 情けない嫉妬心から、ラブレターを取った上田。

 誰からの物か確認してやろうと、手紙に目を通す。

 

 

 

「魅音か? 詩音か? 梨花と沙都子だったらドッキリ確定だなぁ…………おおう?」

 

 

 彼の目が、釘付けにされた。

 

 

 

 

 差し出し人に、「竜宮レナ」の文字があったからだ。

 

 

「竜宮……礼奈……!? ほっ……いつの間に!?」

 

 

 悪戯心などは、微塵もなくなった。上田は紙を開き、すぐさまその内容を読む。

 

 

 

 

『Dear 圭一くん。

 裏山で待っています。

 誰にも言わず、一人できてください。

 話したいことがあります。』

 

 

 

 

 数秒で読める、端的で質素な全文。

 読み終わった途端、上田の表情には切迫感が満ちる。

 

 

「……裏山……園崎屋敷の、裏にある……しかし、やっぱり……村に隠れていたのか」

 

 

 どうするべきか、上田は迷った。

 趣味の悪い、誰かの悪戯の可能性もある。しかし、何かを訴えたいレナの願いかもしれない。

 

 

 伝えるべきか、自分一人が行くべきか。

 

 

「…………?」

 

 

 紙に薄っすらと、文字が透けている。裏にも何か書かれているようだ。

 裏返し、目を通す。

 

 

 

 

「……ッ!? なんだってぇ!?」

 

 

 その一文が、彼に有無を言わさず、裏山に向かわせる決意をさせた。

 靴を再び履き、下足場を飛び出す上田。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 一部始終を梨花は、靴箱の影から盗み聞きしていた。

 そして何も言わず、靴箱から自分の靴を取り出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し前、診療所の入江はコーヒーを作ろうと、給湯室に向かっていた。

 

 

「さぁて。徹夜明け、頑張ろう」

 

 

 凝り固まった首と肩を回し、給湯室に入る。

 

 

「鷹野さんも珍しく外出予定……午後まで休めないかな」

 

 

 ヤカンに水を入れ、ガスコンロを点火しようとした。

 そこで点火の前に換気扇を付けてからと、鷹野の注意を思い出した。

 ガスが充満しないようにしないと。換気扇を付けに、窓際へと行く。

 

 

「…………え?」

 

 

 徹夜明けで惚けた頭が、スゥっと冷めた気がした。

 

 

 窓が開け放たれたままだったからだ。

 入江はすぐに、窓を閉めた。

 

 

 

 

「…………昨日、給湯室に行ったっけ」

 

 

 妙な胸騒ぎがする。

 彼はヤカンの水をそのままに、給湯室から飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裏山まで、時間がかかってしまった。

 荒れた道を突き進み、レナを探す。

 

 

「竜宮レナ……一体、どうしたってんだ」

 

 

 草を掻き分け、山の中へ中へと突き進む。

 

 

 

 

 

 

「んにゃーーッ!!??」

 

 

 

 

 遠くから、間抜けな悲鳴が響き、身体がびくりと跳ねた。

 

 

「……猫かな?」

 

 

 気を取り直して、前を向く。

 するとその先に、彼はとうとう発見した。

 

 

 木を背凭れに座る、人影。布を被るようにしているが、その裾からセーラー服のセットと思わしきスカートが伺える。

 

 

 間違いない。竜宮レナだ。

 

 

「いた……!」

 

 

 彼女は動かない。もしや、怪我でもしているのか。急いで上田は駆け付ける。

 背中に乗せたギターが振動で、微かに弦の音が鳴る。

 

 

「おい!? 大丈夫か!?」

 

 

 布を掴み、バッと引く。

 

 

 

 

 

 その下には汚れたカカシと、スカートだけ。

 

 

「ただのカカシですな」

 

 

 足に、何かが引っかかる感覚。

 

 

「待て。なんかデジャブ」

 

 

 

 

 

 

 反応するよりも先にロープが足に巻き付き、上田の頭と下半身がひっくり返る。

 

 

「おおおおう!?」

 

 

 いつかの夜の境内で味わった、逆さ吊りだ。

 腕が地面に着く程度の高さだが、この状態での身動きは不可能だ。

 

 

「なんだ!? なんでこんな、トラップがッ!?……菅原文太!?」

 

 

 世界が反転している。上田は腕を使ってもがくが、身体が縄ごと揺れるだけだ。

 その反転した世界に、誰かが現れる。

 

 

 

 

 

 

「上田先生?」

 

 

 竜宮レナだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──こう言った経緯により、上田は逆さ吊りに遭っていた。

 落ちていた紙とは、レナが本来、圭一に宛てた手紙だ。

 そして上田が見た手紙は、裏面を見せつけていた。

 

 

 

『今すぐ会いたいです。

 もしかしたら私、殺されるかも

 おねがい、レナを助けて』

 

 

 

 てっきり、レナは誰かに狙われているものだと思っていた。

 ジオ・ウエキがレナについて言及していたなら、彼女のシンパだったりが付け狙っていたかもしれない。或いは、園崎か。

 

 そう思い込んでいた上田は、こうしてまんまとハマった訳だ。

 狙われている、追われているとかではない。明らかなレナの意思で、上田はこのような目に遭わされている。

 

 

 

 

「……水曜日の午後は、体育」

 

 

 レナは、傍らに持っていたカバンを開く。

 

 

「上履きから履き替える時に、手紙に気付いてくれるかなって」

 

 

 中から二つの物を取り出す。

 

 

「圭一くんなら授業を抜け出してでも来るって、レナは信じていたからね」

 

 

 レナはにっこりと、上田に笑いかける。

 

 

「もう一度言うよ」

 

 

 その目は暗い。

 

 

 

 

「……なんで上田先生なのかな? かな?」

 

 

 

 

 

 取り出した物は、注射と、何らかの薬品が入った容器。

 自分に何されるのかを理解した上田は、一層もがく。

 

 

「そんな物、どこで……!? それは……麻酔か!?」

 

「多分ね」

 

「た、多分……?」

 

「麻酔って書いていたから持って来たけど。だから多分そうだと思うよ」

 

 

 注射針を容器に入れ、スポイトのように薬品を吸い上げる。

 使い方を知っているようだ。

 

 

「昔、病院にいたことがあったの。ちょっとの間だけどね。その時に注射とか、よくされたから」

 

 

 上田の脳裏に、竜宮礼奈の記録がよぎる。

 彼女は昔、金属バットを持って学校の窓や、同級生を殴り回った事件を起こしていた。

 おそらくその一件で、精神病院に入院していたのだろう。彼女の言っている病院の話は、それだ。

 

 

「……か、仮に、ここに前原圭一が来ていた場合も、こうするつもりだったのか……?」

 

「ちょっと違うかな」

 

「と言うか、このトラップはなんだ!? 愛川欽也か!?」

 

「それトラック野郎」

 

「よ、よく分かったな」

 

「沙都子ちゃんから聞いてなかった? この裏山は、沙都子ちゃんのトラップがたっくさんあるんだよ」

 

「…………だから、裏山に呼んだんだな」

 

「圭一くんは、沙都子ちゃんのトラップを見破れないから」

 

 

 眠らされてなるものかと、自由な腕を振り回して抵抗する。

 しかしレナは、それすら見越していた。

 

 先を丸く結んだロープで、彼の腕を囲む。

 それを引っ張ると、結んだ箇所が締まって、簡単に手首を拘束された。カウボーイの投げ縄のオマージュだろう。

 

 

「あちこちに沙都子ちゃんのトラップがあるから、縄には困らないよ」

 

「クソッ……!! 手際が良すぎる……!!」

 

 

 ロープを引き、木に縛る。

 上田の身体はノの字に反り、静脈を明け渡すように腕を突き出す姿勢になってしまった。

 

 

「じっとしててね」

 

「や、やめなさいッ!? 静脈注射は意外と難しいぞッ!?」

 

「肘の裏の、青筋のところに斜めから刺せばいいよね」

 

「なんでこんな事をするんだ!? どうしちま……いったぁッ!?」

 

 

 プスリと突き刺し、薬液を上田に注入した。

 針が抜かれると、赤い血がプクリと滲み始めた。

 

 

「……はじめてだけど、上手くいったかな」

 

 

 

 

 上田は、目の前にいる少女が、自分の見てきた竜宮礼奈なのかと怪しみはじめた。

 あのにこやかで、笑顔が常の、明るい少女が、冷たい笑顔を貼り付け、淡々とした口調で。

 

 

 いや、冷たい笑顔ではない。悲しい笑顔だ。

 そしてその笑顔に、見覚えがある。

 

 

 

「な……んで……」

 

 

 自分の研究室で、淡々と話す、未来の竜宮礼奈の姿。

 

 

 

 薬品を注入してから効果が早い。

 上田はぼんやりと、霞みつつある頭の中で、何かを思い出そうとしていた。

 

 

 

 

 ガクリと、彼の首の力が消えた。

 眠ったことを確認したレナは、奥からリアカーを引っ張って来る。

 

 

 

 

「……予定外だらけだぁ」

 

 

 リアカーの荷台に上田を乗せると、持っていたハサミを開いてナイフのように扱い、ロープを切断する。

 上田はそのままポトンと、荷台に落ちた。少し足が飛び出たが、身体全てを運ぶよりは簡単に、荷台に押し込めた。

 

 

 カカシに被せていた布を取り、荷台に被せて上田を隠す。

 もちろん、置いていたスカートも回収する。

 

 最後に、カバンも布の下に隠し、準備は万端。

 

 

 

 

「……………………予定外だらけだあ」

 

 

 顔を上げた時に、レナは疲れたように呟いた。

 

 

 

「…………」

 

「…………梨花ちゃん」

 

 

 その視線の先に立つ少女。

 体操服姿の古手梨花がジッと、レナを見据えていた。

 

 

「……どうしたの、梨花ちゃん? この時間は体育だよ? 抜け出したら、メっだよ」

 

「みぃ……レナ、どうしちゃったのですか」

 

「どうしたって?」

 

「上田なんか捕まえて、なにするつもりなのですか?」

 

 

 若干の苛立たしさを滲ませた視線を、梨花に向ける。

 

 

「本当は上田先生の予定じゃなかったんだけどね」

 

「レナ、なんだか怖いのです」

 

「……レナはいつも通りだよ」

 

 

 梨花は首を振る。

 

 

「……なんで? まだいつも通りだよ」

 

「レナはおかしくなっているのです……なにをしたいのですか?」

 

「…………」

 

 

 質問に、レナは少しだけ答えてくれた。

 

 

「……レナは、ずっと奪ってばかり。誰かの幸せとか、笑顔とか」

 

「…………」

 

「でもレナだって奪われてばかりだよ。お母さんとか、お父さんとか」

 

 

 不気味なほどに、淡々とした口調だ。

 梨花に話しかけているようで、虚空に話しているような、がらんどうな口調。それがあまりにも、不気味だった。

 

 

 

 

「……落ち着いて聞いてね。レナたちの頭の中には、寄生虫がいるんだよ」

 

 

 梨花の目がピクリと動く。

 

 

「……そんなの、いないのです」

 

「いるよ。レナは知ってる」

 

「証拠はあるのですか?」

 

「リナ……じゃなかった。律子さんの姿と、死に様がそうだった」

 

 

 豹変し、狂気に陥った律子の暴挙と最後。まるで取り憑かれたかのようなその姿を、レナは寄生虫によるものと解釈したようだ。

 

 

「寄生虫は人をおかしくさせて、最後は自殺させるって。一昨日のレナ、そのおかしくなった律子さんに殺されかけた」

 

「……偶然なのです」

 

「そうには思えないなぁ」

 

 

 失望したような声音でそう言葉を吐いた。

 

 

「……レナはここまで、奪われっぱなし。だから今度は、レナが奪う番だよ。そうじゃないと、フェアじゃないよね」

 

「寄生虫の薬だとかを探すのですか?」

 

「ううん。寄生虫はもう、諦めたよ」

 

「…………?」

 

 

 一体、彼女はなにをしたいのか、梨花にはとうとう分からなかった。

 しかしこのまま、見過ごせるハズはない。梨花は出来るだけ、抗ってやるつもりだった。

 

 

 

 

「……このまま放置はさせない」

 

 

 一歩進み、レナの方へ駆ける。

 途中、不自然な場所で迂回したり、跳んだりを繰り返す。彼女には、沙都子がどこにトラップを仕掛けてあるのかが分かっていた。

 

 

「さすが梨花ちゃん。お見通しなんだね」

 

「子どもだからってナメ」

 

 

 

 

 足に何かが絡む。

 心臓が動揺に跳ねた瞬間、梨花もまた上田と同じように逆さ吊りにされた。

 

 

「ちょ……ッ!? ここにも!? 沙都子、ボクに秘密で作ってたのですか!?」

 

「あ。それはレナが作ったやつ」

 

「卑怯者ーーッ!!」

 

 

 リアカーに置いたカバンをまた開き、また麻酔と、別の注射を取り出した。

 上田と違って背丈の低い梨花は、完全に宙ぶらりんとなっている。抵抗は圧倒的に無理だ。

 

 

「…………!」

 

「梨花ちゃん、体操服でよかったね。スカートだったら、おパンツが丸見えだったよ」

 

「レナッ!! ボクの話を聞いて……!」

 

 

 かなりの力で腕を掴まれ、注射を打たれてしまった。

 

 

「でもそんな梨花ちゃんも、かわいかったかも」

 

「レナ……あなたは……勘違いして…………」

 

 

 なんの麻酔なのか。効果があまりにも早い。

 自分がまだ子どもだからだろうか。色々と考える前に、意識が遠ざかる。

 

 

 

 

 

「……お持ち帰り」

 

 

 レナの歪んだ口元を最後に、深い闇に堕ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 警察が皆、続々と園崎邸に向かっている。

 後に続くように、わざわざ谷河内から戻って来た秋葉らが必死に走る。

 

 

「完全に無駄足じゃないっすかぁ〜!」

 

「兄ィィィイ!! 待っとれよ兄いィイッ!!」

 

「アッー! 靴が脱げたぁあーッ!!」

 

 

 あまり舗装されていない田舎道で、秋葉がすっ転ぶ。

 不憫に思った石原が彼を起こしてあげる最中、彼らの隣をガラガラと、布を被せた農具をリアカーで運ぶ老人が通る。

 

 

「こんにちオキティー!」

 

 

 挨拶をする石原に対し、ドン引きしたように顔をタオルの頭巾で隠して会釈だけする──────

 

 

 

 

「………………」

 

 

 今のレナの姿は、どこからどう見ても、農夫だ。

 服は盗んだ作業着で、顔と頭はタオルの頭巾で上手く隠す。

 

 

 リアカーの布の下には、上田と梨花が眠っている。

 そして今、自分が横切った二人は見覚えがある。いつかの、自分を追いかけ回していた警察だ。

 二人は園崎邸の方へ向かっている。レナの撹乱が、上手くいったようだ。

 

 

 隣を、「トヨペット・クラウン」が通り、あの二人を乗せてどこかへ行く。

 

 

「俺をパトカーに乗せない……良くないなぁ、そういうのは」

 

 

 後から来た刑事も、自分に気付かず通り過ぎた。

 みんな、園崎邸に行く事しか頭にない。

 

 

 

 

 思いがけないチャンスを作れた。

 今の自分はもしかしたら、ツイているのかもしれない。

 

 

 

 頭巾の下で、馬鹿な大人たちを嘲笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ふごっ!?」

 

 

 山田の目が覚めたのは、昼下がりの頃だった。

 全てが、動き終えた後だった。

 

 

 

 

 そして彼女は、石原と矢部に遭遇していた。

 

 

「お前ら!? なんで!?」

 

「姉ちゃんもここにおったんか!?」

 

「こっちの台詞だっ!」

 

 

 向こうもこちらを認知しているので、まず他人の空似ではない。まさしく本人だと把握した上で、山田は尋ねた。

 

 

「ど、どうやって……!?」

 

「それがのぉ? 神社の祭具殿に入ったらのぉ、ここにおったんじゃ!」

 

「やっぱり、あの祭具殿に何かが……」

 

「先生来とるのは分かっとったがのぉ、まさか姉ちゃんもおったとはビックラポンじゃ! なんか久しぶりじゃのぉ!? 今度、どっか飲みに行かんか!?」

 

「今そんな事言う状況じゃねーだろ」

 

 

 次に山田は矢部を見たが、ギョッと二度見。

 にっこり微笑みながら、明後日の方を向く彼の姿があったからだ。

 

 

「……なんか、矢部さん……雰囲気変わりました? え? 矢部さんですよね?」

 

「兄ィじゃ!」

 

 

 彼は山田の方を向いて、ニコニコしたまま会釈する。

 

 

「僕ねぇ、時計屋なんですよぉ〜」

 

「人違いだろこいつ。誰だ」

 

「アナザー兄ィなんじゃろなぁ……ここに来てからずっとこんな様子でのぉ? 記憶喪失じゃろなぁ?」

 

「……私が記憶戻って来たと思ったら、こいつが記憶喪失か」

 

 

 困った様子で顎を掻きながら、藁にもすがる気持ちで石原は聞く。

 

 

「姉ちゃん、何とかならんかのぉ?」

 

「いや、これ、もう頭の病院行きでしょ」

 

「兄ィは薄毛治療失敗してから医者嫌いなんじゃ!」

 

「よりによってその頭の医者か……」

 

 

 何を思い至ったのか、山田は矢部の頭に手を伸ばす。

 

 瞬間、彼は彼女の手を素早くはたき、殺意の篭った目で睨む。すぐに朗らかな表情に戻ってしまうが。

 

 

「おぉ! 頭のは本能で覚えてるんだ!」

 

「さっきも頭の事話した途端に元に戻りかけとったのぉ!」

 

「頭の話になると一瞬戻って来るのか……」

 

「ほうじゃほうじゃ。頭のなんじゃ」

 

「さっきから頭の頭のって、僕の事言ってますぅ? これ地毛なんですよ〜?」

 

 

 山田は、矢部の性格を戻す唯一の方法を思い付いた。

 

 

「あの、矢部さんの髪を動かしてくれませんか?」

 

「兄ィの? 別にええがのぉ……なんでなんじゃ?」

 

「矢部さんの記憶を戻せるかもしれないんです」

 

「姉ちゃんそれは本当かのぉ!? じゃったらワシも協力するけぇ!」

 

 

 石原はゆっくり慎重に彼の近くへ寄り、背後から矢部の髪を摘む。

 前髪がふわっと浮いた瞬間、反射的に彼は石原の手をはたいていた。

 

 

「お前、なにワシの髪」

 

「今だッ!! セイヤーッ!!」

 

「ぐほッ!」

 

 

 矢部が元の人格に戻った時を見計らい、山田は彼の頰を思いっきり殴る。

 突然殴られた彼は吹っ飛び、地面に倒れた。

 

 

「兄ィー!? 姉ちゃん何やっとんじゃ!?」

 

「矢部さんが戻った所で、殴って人格を止めたんですよ」

 

「そんなスロットみたいなやり方で戻るんかのぉ!?」

 

 

 ズレた髪を整えながら、また矢部は立ち上がった。

 振り向いた彼の表情は、二人にとっても見覚えのあるものだ。

 

 

「いったッ!? なんやいきなり!? 誰やゴラァッ!?」

 

「あ、戻った」

 

「ほんまじゃ!? 兄ィーッ!!」

 

「おぉ、石原に……なんや山田やんけ!? なんでお前もおんねん!?」

 

「だからそれはこっちの台詞だ!」

 

 

 ようやく彼の記憶は戻ったようだ。いつもの太々しい表情が、やけに懐かしい。

 

 

「てか、ここどこや? え? ワシら、神社におったやろ?」

 

「兄ィ、途中までアナザー兄ィになっとったんじゃ!!」

 

「説明が難しいな……」

 

 

 山田の口から語られた内容は、およそ信じられるものではなかった。

 三十五年前の災害前の世界に、全員タイムスキャットした事を話してやる。

 

 

「タイムスリットぉ!?」

 

「スキャット!!」

 

「スキャットぉ!? そなアホな……」

 

 

 信じられないと言わんばかりの様子だが、石原が本当だと教える。

 

 

「じゃが兄ィ、どうやら本当なんじゃ! 死ぬ前の『紺野純子ちゃん』がテレビで歌っとった!! ゾンビィ四号ちゃんのそっくりさんじゃ!」

 

「どないして戻んねん!?」

 

 

 山田は首を傾げる。

 

 

「んまぁ……祭具殿で何かしたら戻れるかと思いますけどぉ……」

 

「お、そうか。戻れるんならええわ。近場で温泉でも探そか」

 

「飲み込み早っ!」

 

 

 その場を離れ、秋葉と菊池と温泉を探しに行こうとする矢部を、山田は急いで止めた。

 

 

「ちょ、ちょっと待ってください! なんで矢部さんも、雛見沢村に来たんですか?」

 

「ワシらか? へへっ……極秘任務や! そっちこそ何しに来てん?」

 

「私たちは……上田さんも来ているんですけど。私たちも雛見沢村の調査でした」

 

「先生もやっぱおんねんなぁ」

 

「姉ちゃん、実はワシらもそうなんじゃ! 雛見沢村にはのぉ、なんか『怪しい影』があるみたいなんじゃ!」

 

 

 ベラベラ話す石原を殴り、矢部は黙らせた。

 

 

「アホッ! 極秘任務言うたやろがい!?」

 

「ありがとございますッ!!」

 

「良いじゃないですか! ここにいる時点で共同体ですよ。目的が同じなら協力しましょうよ」

 

 

 そう山田が主張するのに、矢部は渋る。

 

 

「せやけどなぁ〜? 今ん所、オヤシロ様がヤバいっちゅー事以外はあんま分かっとらんのや」

 

「つまり現代でもロクに何もしてないって事か」

 

「うっさいわボケェ! ワシにしては仕事したわいッ!!……まっ、そもそもワシら、平成の仕事をしとんのや。昭和の村とかどうでもええやろ? さっさと戻って、警視総監に報告せな」

 

「この薄情刑事! 薄情だから薄毛」

 

「それ以上言うたらしばくぞッ!?」

 

 

 怒鳴り散らし、そのまま二人は去って行く。

 

 

 彼らも雛見沢大災害の謎を解明しに来た事は確かだ。そして警察の立場からして、こっちの知らない情報も得ている。その情報を色々聞き出せるのなら、厄災回避の糸口が見つかるハズだ。

 

 

「……まぁ、上田が言ったら一発か。それにしてもまさか、あいつらもとは……『怪しい影』……」

 

 

 何の事だろうかと思案している内に、ハッと思い出す。

 

 

「……あ。そうだ……園崎屋敷行かないと……!」

 

 

 やっと山田も走り出した。全部が終わったとは知らないまま。




・東京ディズニーランドは、1983年の4月開園。ひぐらし本編中は、まだ開園2ヶ月目だったり。

・ブルマーが女学生の運動服として活用されたのは大正末期。しかし初期のブルマーは昭和ヤンキーが履いていたような形状だったが、年代を追うごとにどんどん丈が短くなり、昭和ごろには太腿を大きく露出する形となる。
 昭和でも旧型と新型が存在し、新型は我々が思いつくブルマーだが、旧型はドロワーズっぽい形状だった。ただ新型ブルマーは明らかに下着同然で、それらの不評が衰退の原因だった。旧型までで止めていれば、令和でもブルマーは存在していたかもしれませんね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

珈琲の香り

──涙を見せる彼女を前にして、上田はどうするべきか迷っていた。

 

 

 

「エイエイ怒ったぁあぁあああッ!?!?」

 

「「「怒ってないよぉぉぉおおおおおッ!!!!」」」

 

 

 

 

 閉めた窓ガラスを貫通する部活動の掛け声に耐えかね、カーテンまで閉める。

 陽の光を遮断した為、電灯の無機質な光が際立つ。

 

 

「えー……あ、これ使ってください」

 

 

 自分の講演会の宣伝紙が入ったポケットティッシュを渡そうとする。

 しかし礼奈はそれを断り、自分の持っていたポケットティッシュで涙を拭く。広告紙には「園崎珈琲店」の案内が入ってあった。

 

 

 

 断られた上田はとりあえず、自分のティッシュで眼鏡を拭く。

 

 

「それで……あー……雛見沢村の、祟りの真相と言うのは?」

 

 

 竜宮礼奈は、まだ微かに潤んだ目を向けて言い放つ。

 

 

「寄生虫です」

 

「なにか制限かかっているんですか?」

 

「『規制中』ではなくて、寄生虫です。あの、カタツムリに寄生するやつが有名で」

 

「やめなさいッ!……あの画像見て、数日間森に入れなくなったんですから……」

 

 

 しかし祟りの真相が寄生虫と聞き、上田は心の鼻で笑った。

 

 祟りや呪いは何かしらの科学的理由があると謳っている上田だが、寄生虫なんてものはまだ科学寄りだがSFの話題。

 確かにサイエンスだが、フィクション。つまり、現実的ではない。

 

 

「つまり、竜宮さんが仰りたいのは……村の人は、寄生虫によって死んだと?」

 

「はい……」

 

「……そもそも、なんで寄生虫なんですか?」

 

 

 なんとか理解に至ろうと努力するが、無理だった。

 礼奈はさも、当たり前のように主張する。

 

 

「私は一度、寄生虫だとかは嘘だと思っていました……でも、あの時の圭一くんの……」

 

「ビーフオアチキぃいぃいいいンんッ!!!!」

 

 

 廊下の方から、部活の掛け声。

 どういう訳か廊下でマラソンをしているようだ。

 

 

「……ええと、すみません。誰ですって?」

 

「……とにかく、寄生虫が人を狂わせるんです!」

 

 

 彼女は持ってきたカバンを開き、そこから数枚の新聞紙を取り出した。

 

 

『家族惨殺。娘による凶行』

 

『真昼の通り魔殺人。犯人は雛見沢村出身者』

 

『夫を殺害。金銭トラブルか』

 

『ダイヤモンドは止められない』

 

『憧れは砕けない』

 

 

 上田はその内の、二枚だけ取る。

 

 

「……第4部とメイドインアビスが逆になっている」

 

「それは今日の新聞です」

 

 

 礼奈に没収され、仕方なく他の新聞を見やる。

 

 

 全て、平成以前の古い新聞ばかりだ。

 そしてそのどれもが、殺人だとか自殺だとか、物騒な事件が一面を飾っている。

 

 

「…………」

 

 

 上田はその全てに目を通し、顔を顰めた。

 

 事件の犯人には、喧しいほどに「雛見沢村出身者」が貼り付けられていた。

 

 

「これは全て、大手の新聞社が出した、当時の本物の新聞です……村の出身者が、相次いで凶行に及んでいるんです」

 

 

 新聞の年代を見る。全て、彼女が言った雛見沢大災害以後のものだった。

 

 

「村が滅んでからみんな、連鎖的におかしくなっているんです」

 

「…………」

 

「村で何かがあって、寄生虫に操られ……滅んで」

 

「……待ってください」

 

 

 上田は眉間を押さえながら、礼奈の発言を止めた。

 

 

「これはたまたま、雛見沢村の出身者が起こした事件を、纏めただけですよね? 新聞の数も多いとは言えない……そりゃ、限定してピックアップしたものばかりを並べれば、『雛見沢村出身者ばかり』ですよ」

 

「でも村の崩壊の後すぐ、同じ場所の出身者が事件を起こすなんて、偶然とは思えません!」

 

「一部の出身者が自分の故郷が無くなったことで、心神喪失に陥っただけでは? そこから寄生虫に結びつけるなんて、あまりに論理が飛躍し過ぎですよ! はっはっはっ!」

 

 

 論理的に考えれば、原因はあっさりだった。

 

 

「私も忙しい身ですから、あまり信憑性に欠ける事は調査出来ませんねぇ」

 

 

 なにか高価な物を持って来るなら別だが、と心の中で冗談を飛ばす。

 

 

 礼奈は打ちのめされたように俯き、暫し押し黙る。

 彼女の姿を見て、言い過ぎたかなと罪悪感の芽生えた上田は、コーヒーを淹れてやろうと立ち上がる。

 

 

「コーヒーでも飲みませんか! 私は、豆から拘るタイプでして! これは友人から貰った、本場ブラジルの豆で」

 

 

 コーヒー豆の入った袋を取り出し、礼奈に見せつけようと振り返る。

 

 

 

 

 

 目の前には、いつの間にか迫っていた礼奈の顔。

 

 

「ヒュッ……!?」

 

 

 動揺している隙に、礼奈は豆をひったくる。

 上田が呆然と見ている前で、袋から豆を片手で何度も丁寧に掬い、ときおり揺らしたりしながら眺める。彼女の目は、真剣だった。

 

 

「…………だいぶ粗悪ですね」

 

「え?」

 

「欠点豆が多過ぎます。本場ブラジルの豆なら何でも良い訳ではありませんよ」

 

 

 上田に豆の袋を返すと、礼奈はソファの方に戻り、またカバンから何かを取り出そうとする。

 

 

「ご友人さんは、あまり豆に頓着しない方のようですね」

 

「いえいえ……お言葉ですが、その友人のコーヒー好きは有名なんですよぉ?」

 

「なら買ったけれど駄目だった豆を譲られたか、ですね」

 

 

 反論しようとしたが、思い当たる節があるので口を閉じた。

 その友人は、二枚舌でも有名だったからだ。

 

 

「コーヒーミルがあるのでしたら作りますよ。こちらを飲まれます?」

 

 

 カバンから出て来た物は、コーヒー豆の入った布袋。

 

 

「せっかく東京に来ましたので、お土産に買っていたんです」

 

 

 袋を開き、中身の豆を上田に見せる。

 自分の持っている豆とを比較。確かに礼奈の持っている豆の方が、傷付きが少なく、艶もある。

 

 

「コーヒーミルは?」

 

 

 押しの強い礼奈に負け、上田は驚き顔のまま、コーヒーミルの場所を指差す。

 大掛かりな物ではない、ハンディータイプの小さな物だ。

 

 礼奈はコーヒーミルを出すと、テーブルの上に置く。そして自身の持って来た豆の、傷の入った欠点豆を取り除いて行く。

 

 

「お湯を沸かしますね。給湯室は?」

 

「あ、私が入れて来ます!」

 

 

 

 

 させてばかりも気が引けるので、上田は給湯室まで走る。

 

 

「……俺が助手みてぇじゃねぇか!」

 

「ビーフッッ!!!!」

 

「!?」

 

 

 廊下から上田に向かって、部員たちの掛け声が叫ばれる。

 

 

 

 

 

 お湯を沸かして戻って来た頃には、豆挽きは済んでいた。

 持参していたのか、コーヒーフィルターに粉状になった豆が乗せられている。

 

 

 後はカップ上でゆっくり注ぎ、完成だ。

 

 

「計量器がないので、豆は私の目分量ですが……」

 

「い……いただきます」

 

 

 カップを持ち上げた時に、「なんの話だったっけ」と忘れかけてしまった。

 あまりに鮮やかにコーヒーを淹れてくれたので、ありがたく飲む。

 

 

 

 

「……美味い……!?」

 

 

 ブラックのままだが、明らかに自分で淹れた物とは全く違う。

 苦味の中に奥深さがある。ここのところ良い物ばかり食べ飲みしていて舌が肥えていた彼さえも、唸らせる。

 

 

「お気に召されたようで、よかったです」

 

「こんなの、初めてですよ! もしかして、プロの方ですか!?」

 

「喫茶店を経営していまして」

 

「道理でだ! あ、礼奈さんは飲まれないんです?」

 

「私は、ブラックが駄目でして……」

 

「あぁ……砂糖とか常備しときゃよかったな」

 

 

 あまりに美味い為、上田はすぐに飲み下した。きっちり、お代わりもいただく。

 

 

「これなら何杯でもいけますよ!」

 

「飲み過ぎると身体に毒ですよ」

 

「そういや、なんの豆ですか?」

 

 

 礼奈はにっこり笑いながら、袋に記載されている品名を見せつける。

 それを見て、ギョッとした。

 

 

「……コピ・ルアック……!?」

 

「久しぶりに散財しました」

 

「え? ウソ? 世界一高いって有名な…………」

 

 

 上田はカップの手を止めた。

 同時に、「やられた」と目を細めた。

 

 

「流石は東京、何でもありますね」

 

「………………」

 

「この豆、なかなか見つからなかったもので、大変でした」

 

「……………………」

 

「もう半分くらい、挽いちゃいましたけど」

 

「…………………………」

 

 

 確か、100グラムでも四千円すると聞く。

 上田はそれを、二杯も頂いてしまった。

 

 

 自分のあまり売れない本を全巻揃え、高価なコーヒー豆さえ差し出された。

 これだけ貢がされたのだ。上田の断る意思を、完全に粉砕される。

 

 

「お代わり、飲まれます?」

 

「…………はい。いただきます」

 

 

 コーヒーを淹れて貰いながら、チラリと礼奈の顔を見る。

 

 

 

 彼女はなぜか、笑顔だ。

 ただその笑顔は、とても悲しいものだった。

 

 

「寄生虫だって言うのには、理由がありまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 芳しいコーヒーの香りを嗅いだ瞬間、上田は目を疑う。

 目の前の礼奈が突然、子どもの頃のものに変貌したからだ。

 しかも視界は、上下が逆さまになる。

 

 

「上田先生?」

 

 

 研究室が、森の中になっていた。

 混乱する彼は、自分を吊り下げていた縄を突然切られたかのように、ボトリと頭から落下する。

 

 コーヒーの香りと、悲しい笑顔。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナナチッ!?!?」

 

 

 彼は床に倒れ、その衝撃で目を覚ました。

 そこは研究室でも森の中でもなく、古い掘っ建て小屋。

 

 

「……高いコーヒー飲まされたから引き受けたんだったな……策士め……こんな事、山田に言えないから隠していたが……しかしなんで俺がコーヒーミルとか持っていると知ってたんだ?」

 

 

 身体を起こそうとするが、足と腕が動かない。

 後ろ手に縛られている。足も、足首と太腿をガッチリ縛られており、少しも動けない。

 

 

「……ここは、どこだ?」

 

 

 薄暗い小屋の中で、目を凝らす。

 すると、後頭部に軽い衝撃。

 

 

「上田! 足が伸ばせないから退くのです!」

 

「……なに?」

 

 

 顔の向きを変えると、また鼻に衝撃。

 

 

「イテェッ!!?」

 

「ボクの体操服姿をローアングルで見ようったって、そうはいかないのです!」

 

「お、お前、梨花か!?」

 

 

 何とか体勢を整え、上半身を起こす。

 

 

 そこには、上田と同じく縛られた梨花がいた。

 いや、同じくではない。梨花に関しては胴体にも縄が巻かれ、床に突き刺さったパイプに繋がれている。

 

 

「……なんでお前も捕まってんだ」

 

「みぃ……上田を見つけて追っかけたら、トラップに嵌ったのです。にぱ〜☆」

 

「にぱーじゃねぇッ! けっ、使えねぇ!」

 

「ほいほい裏山行って情けない格好で捕まった上田に言われたくないのです」

 

「うるちゃい!!」

 

 

 ここで口論をしている場合ではなかった。上田は気を取り直して、小屋を見渡した。

 

 

 壁の所々に、虫食いとヒビ割れがある。

 機密性は著しく低い。声をあげれば、ある程度遠くまで届くハズだ。

 

 

「おおーいッ!! 誰かぁああッ!!」

 

「無理なのです。目覚めてからずっと、ボクが叫んでいましたのですよ……みぃ。喉が痛い痛いのです……」

 

 

 言われてみれば、梨花の声は少しガサガサだ。

 

 

「民家からかなり遠い場所なんだな……どこだここは……ん?」

 

 

 小屋の中で、気になったものを見つけた。

 

 

 それは作業用ヘルメット。ヘルメットの前面には、見覚えのある会社名が書かれていた。

 

 

「……確か、ダム工事の会社だったか……と言う事は、ここはダム建設現場に近いのか?」

 

「みぃ……なら納得なのです。建設現場から民家は遠い遠いのです」

 

「クソッ!!……一体、どうしちまったんだ竜宮レナ!」

 

 

 やっと見つけたと思えば、まんまと嵌められた。

 全く行動が読めない。彼女は、逃げたいのではなかったのか。

 

 

「……竜宮レナめ。あの注射器は見覚えがある……」

 

「ボクも見たことあるのですよ。沙都子が使っている物と同じなのです」

 

「と言うと、あの麻酔含めて、入江先生の所から掻っ払って来たんだろう……いつの間に」

 

 

 本当にその通りだ。彼女は昨日の夜には、診療所に忍び込んだ事となる。

 一体そこまで、なにが彼女を突き動かしているのか。

 

 

「今、何時くらいなのですか?」

 

 

 小屋のヒビ割れから、斜陽がそそぐ。もう夕方に差し掛かるようだ。

 

 

「時間か? じゃあ、俺の腕時計を見ろ」

 

「いけすかない時計なのです」

 

「ここから解放されたら、まずお前にデコピンしてやるッ!」

 

「児童虐待で訴えるのです! ここから出たら法廷で会うのです!」

 

「いいから時間を見るんだ、見たいんだろ! 後ろ手に縛られているから、俺から見えん!」

 

 

 時刻は、十八時手前を指している。

 良く聞けば、ひぐらしが鳴き始めていた。

 

 

「六時なのですよ」

 

「十八時な?」

 

「わざわざ訂正いれるところに器の小ささが出ているのですよ」

 

「シャラップッ!!……じゃあ俺は、四時間くらい眠っていたのか……」

 

「ボクは上田よりも前に起きたのですよ。その頃にはレナはいなかったのです」

 

「……このまま放置とかじゃないよな」

 

「上田にはご褒美なのですか?」

 

「放置プレイは趣味じゃねぇッ!!」

 

 

 何度かもがいてみるが、縄は外れない。

 切る物はないかと小屋を探してみるがヘルメットと、立て掛けられたギター以外はもぬけの殻だ。

 

 

「あのギターはどうしたのです?」

 

「貰いもんだ……それよりもだ、まずは脱出方法だ。多少無理して、あの扉から出られないか?」

 

「向こう側から何かで押さえつけられているのですよ。ビクともしないのです……みぃ」

 

「男の力で蹴ればどうにかなるか……幸い、膝は縛られていないから動かせる……良し。俺が行く」

 

 

 芋虫のように這い、唯一の出口である扉を目指す。

 

 

「死にかけの蛆虫みたいなのです」

 

「もっとお上品な喩えにしなさいッ!!」

 

「分かったのです……虫さんの赤ちゃんみたいなのです」

 

「ほぼ変わってねぇじゃねぇかッ!! お前を蹴るぞッ!!」

 

 

 上半身を跳ねさせ、足を駆動させると、何とか動けた。

 上田は必死に、レナが帰るよりも前に着くよう急ぐ。

 

 

「思いついたのです!」

 

「脱出の方法か!?」

 

「今の上田、ねずみ花火みたいなのです!」

 

「お上品な喩えの方か!? お前はなんでそんな、落ち着き払ってんだ!?」

 

「みぃ、心外なのです。これでも焦っているのですよ?」

 

「全くそうには見えんがな……」

 

 

 夏の暑さも相まって、ひたいから汗が止め処なく流れる。

 あと少しで出口だ。木屑だらけの服で、一心不乱に進む。

 

 

「上田」

 

「なんだ!? 少ししつこいぞ!」

 

「答えて」

 

 

 

 

 お転婆な梨花らしからぬ、寒々とした声。

 その声に驚いた上田は、思わず彼女の方を振り返る。

 

 いつものまん丸な彼女の目は、凛とした、真剣なものとなっている。

 一瞬、この少女は梨花なのかと疑ったほどだ。

 

 

「……り、梨花かお前?」

 

「他の誰でもない……だから上田、答えて」

 

「なな、なにが?」

 

「あなたは、ボクを救えますか?」

 

 

 板の隙間、虫食いの隙間、ヒビの隙間から、斜陽が突き抜ける。暮色の紅が、梨花の顔を逆光で影に落とす。

 それでも真っ直ぐとした、その目だけは輝いている……ようにも見えた。

 

 

「い、いきなり、なんだ……もしかして、二重人格の方でした?」

 

「性格が変わるくらい、長かったからよ」

 

「なにがだ」

 

「いいから早く答えて」

 

 

 いつもと明らかに様子の違う梨花。

 上田は戸惑いながらも、何とか言葉を選ぶ。

 

 

 

 

「なに言ってやがんだ、当然だろ。俺は天才物理学者だぞ?」

 

 

 暗がりからでも、梨花の目が閉じた事が分かる。

 呆れと、放念した様子がまじまじと見て取れた。

 

 

「……この事件とレナをどうにかしてくれたら……話すわ」

 

「話す? なにを?」

 

「それともう一つ」

 

「はい?」

 

 

 梨花は息を吐く。

 

 

 

 

「レナはずっと、この小屋の前にいるのです。一回逃げようとしたから、こんなキツく縛られているのですよ〜」

 

 

 

 バタンと、扉が開かれた。

 情けなく這う上田を見下すのは、冷酷な目のレナだった。

 

 

「……OH SHIT」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上田の「どんと来い超常現象」を読んでいた、富竹。

 

 

「……上田教授、コーヒーは豆から拘るタイプなのか……僕もやってみようかな」

 

 

 インスタントコーヒーを飲みながら、そう呟く。上田は自身のコーヒー好きを、自著に著していた。

 本を閉じると、最後のページだけをピョコリと開く。

 

 

「……二◯◯二年発行、二◯一四年第二刷……教授は未来に生きてるんだなぁ……」

 

 

 感心しながらも、「それよりも」と呟き、また本を閉じた。

 

 

「……ここのところ、『彼ら』の様子が変だ……調べる必要があるな」

 

 

 

 ホテルの窓から、沈み行く太陽を眺める。

 太陽はビルに吸い込まれるように、降る。

 そろそろ夜が、訪れる。水曜日が終わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梨花さんもいなくなったんですか!?」

 

 

 身体中を葉っぱにまとわりつかれた山田が、園崎邸からの帰り道で会った沙都子から聞かされる。梨花の失踪に気付き、その報告をしにわざわざ三人を探していたようだ。

 またその場には圭一と魅音もいた。

 

 

「学校のどこにもいないんですわ……!」

 

「神社の方にはいなかったのかよ?」

 

「帰っておりませんでしたの……」

 

 

 レナを逃し、警察は翻弄され、気付けば上田も消えて、梨花も消えた。

 今の時刻は夕方を過ぎ、空が暗がりに沈む頃。

 

 

「ちょっとちょっと……どうなってんの!?」

 

 

 あまりの情報量に、魅音は頭痛がする気分だ。

 老夫婦の手伝いをしていた上田が、沙都子からの報告を最後にいなくなった。

 沙都子から梨花を見つけてくるようにと向かわせたのに、その梨花もいなくなった。

 

 

 全く事態が把握できない。混乱するのが普通だ。それでも必死に纏めようと頑張る。

 

 

「ええと、まず落ち着いて整理するね……レナが、あの良く分からない刑事たちを騙して私の家に警察を差し向けた」

 

「んで、俺たちと一旦別れた上田先生が、学校前で沙都子に会う」

 

「私が運動場に来ない梨花を探してと、上田先生にお願いしたら……二人ともいらっしゃらなくなりました」

 

 

 山田は肩のオニ壱と一緒に、首を傾ける。

 

 

「…………つまり、どういうことだってばよ」

 

 

 本当に意味が分からなかった。

 

 

「上田先生と梨花、攫われたのでしょうか……」

 

 

 沙都子の推測に、魅音は普通に否定する。

 

 

「いやいやいや、か弱い梨花ちゃんならともかく、あの上田先生を攫うのは無理でしょ」

 

「……そうでしたわ。オトコのウツワで人を追い払える方ですもの」

 

「上田先生すげぇ!!」

 

「なにやったんだ上田」

 

 

 そんな事を言っている場合ではないと、圭一は頭を振る。

 

 

「とにかく、とにかくだ……ここはクールに行こう。分かっているのは、二人もいなくなったって事だな」

 

「あと、レナはもしかしたら……村から出たかもしれないって事だね」

 

 

 警察の責任を突き、大石から情報を流させた。

 

 

 レナに騙されたと気付き、村の各出入り口に見張りをつけたが、結局はこの時間までレナが来る事はなかった。

 その後は早急に、魅音が興宮に捜査網を敷いた。谷河内へは、警察が捜索するようだ。

 

 

「警察を家に集めて陽動したって言っても、たった三十分。馬か車でもない限り、レナの足でウチのシマからは出られないハズだよ」

 

 

 沙都子は気が気でない様子で、忙しなく手で頰や口元を触っていた。

 

 

「レナさん、どうなさったのですか……」

 

「問題は梨花ちゃんと上田先生だな。マジでどうしたんだか……」

 

「梨花ちゃんと上田先生もウチの人間に探させているけど……」

 

 

 事態があまりにも難解だ。

 どう行動を起こすのかを考える支柱が多過ぎる上、暗くなりつつある今の時間に動くのは悪手だろう。

 

 

「……ひとまず、今日は解散しようよ。梨花ちゃんまで消えたのは村にとって一大事だし、さすがの婆っちゃも便宜を図ってくれるハズだから」

 

 

 太陽はますます、見えなくなって行く。

 四人の近くにあった街灯が、二、三度の明滅の後に点灯する。

 山田の隣にいた沙都子の顔が灯りに照らされ、泣き出しそうなその顔が露わになる。

 

 

「おいおい沙都子……無理してんだろ?」

 

「……ごめんなさい。あの……二人がいなくなって……」

 

 

 沙都子の事を知っている者ならば、彼女の気持ちが分かるだろう。

 彼女は失い続けた。また失ってしまうのかと、怖くて寂しくて仕方ない。

 

 

「あの……あれだったら俺の家に泊まってけよ」

 

「……お気遣いに感謝しますわ。でもひょっこり、二人が神社に戻って来るかもしれませんので、空けておくのは忍びないですわ」

 

「なら私の方からも、神社の方に見張り付けさせるように言うからさ。あまり無理は……」

 

 

 圭一と魅音が気遣いを見せる中で、山田はぴょこっと手を挙げて提案する。

 

 

 

 

「あの〜。でしたら、私が神社に泊まりましょうか?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月16日木曜日 踊る竜宮レナ捜査線 その2
コンビ


紅楼夢楽しかったです


 翌日の朝日は、沙都子に布団をひっぺ返されて浴びせられた。

 

 

「起きてくださいまし!」

 

「オフッ!?」

 

 

 山田はまだ霞む目を擦りながら、ゆっくりと身体を起こす。

 寝惚け眼で周りを見渡すと、いつか泊まった覚えのある梨花と沙都子の家だと思い出した。

 

 

「あぁ、そっか……泊まってたんだった……」

 

「ご朝食は出来ていましてよ」

 

「あー。ありがとうございます」

 

 

 わざわざ布団一式用意させて眠らせていた、オニ壱を抱き起こし、山田は居間に向かう。

 ちゃぶ台の上には、野菜炒めとたくあんとご飯に味噌汁が並べられていた。

 

 

「どうぞ、召し上がってくださいまし」

 

「いただきまーす……おおう。ワンピースだってばよ」

 

 

 たくあんは、見事に全部繋がっていた。

 

 

「お味噌汁お味噌汁」

 

 

 思わず「おう!」と声が出てしまうほど、濃い口だった。

 

 

「ご飯食べよう」

 

 

 水を入れ過ぎたのか、やけにべっちょりとしていた。

 

 

「お茶を飲もう」

 

 

 相変わらず渋かった。

 

 

「野菜炒めーん」

 

 

 特別美味くないが、不味くもない。野菜の芯が混ざっていたりはしているが、山田には無問題だ。

 

 

「お口に合いますか?」

 

「アイマスアイマス」

 

「それは良かったですわ! 山田さんは美味しそうに食べますから、作った私も気持ちが良いですわ。梨花ったら、いつも私の料理にケチつけますの!」

 

「でしょうね」

 

「え?」

 

「なんでもないです」

 

 

 沙都子用の朝食を見ると、見事に自分の食べられる野菜しか入っていない野菜炒めで、山田が色々おっ被せられたと気付かされる。

 しかし根っからの貧乏症である山田は、食べられるだけ満足だった。

 

 

「……あの、山田さん」

 

「はい?」

 

 

 食事の手を止めて話し出す沙都子に、山田は食事の手を止めずに耳を傾ける。

 

 

「昨日、お布団の中で色々と考えていたんです」

 

 

 天と地が逆さになった状態で眠っていた山田の隣で、寝ようにも眠れない彼女は思いを巡らせていたようだ。

 

 

「その、二人が全く姿を見せずに村から出ると言うのは、まずありえないと思いますわ」

 

「どう言う事ですか?」

 

「私が上田先生を最後に見たのはまだお昼過ぎの話で、あの時間帯なら農作業とか駄菓子屋のおばさんだとか、目撃者は多いですわ。この村、案外狭いですから」

 

「まぁ、それは……村の人にもまだ聞き込みとかしていませんし、聞いたら誰か見ているかもしれませんね。結構あいつ、目立つし」

 

 

 都会の瀟洒な服を着た、身長一八○センチほどの大男だなんて、だだっ広い田舎じゃ嫌でも目立つ。

 

 

「そこで……私、今日、学校をおサボりして調査する予定ですわ」

 

 

 そこで初めて、山田の食事の手が止まった。

 傍らで食事していたオニ壱が、ひっくり返る。

 

 

「おサボりするんですか?……おサボり?」

 

「上田先生と梨花には、個人的に恩があります。二人は二人で出来ることをやって助けてくださいましたから……私も、出来ることをやり尽くして見つけたいと思っていますわ」

 

 

 沙都子を叔父から救った話は、山田は聞かされていない。それでも何かしたんだなとは、理解してやれた。

 

 

「警察には任せないんですか?」

 

「探偵モノでしたら警察の方は翻弄されるのが基本ですから」

 

「あ、そう言う感じ?」

 

「結局魅音さんたちが見つけて無駄に終わっても構いません……私は、やるだけやりたいのですわ」

 

 

 真剣な眼差しを山田に向ける。

 ここまでの心意気を見せられれば、山田も協力せざるを得ない。

 

 いや、山田は元から上田を探すつもりだった。

 

 

「……私も、必ず上田さんを探さないといけません。お供します」

 

「山田さん……」

 

「あいつから百万円取り返すんです」

 

「え?」

 

 

 上田は、山田の浪費から守るべく百万円を管理し、そのまま消えた。

 だから何としても、山田は百万円(上田)を探すつもりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 二人が神社を出たのは、八時少し過ぎ。

 山田と沙都子とオニ壱は、捜査隊を結成した。

 

 

「まずはどこから調べましょうか?」

 

 

 沙都子の質問に対し、山田は村の地図を取り出して提案する。

 

 

「じゃあ決めましょう。これ、そこの掲示板に貼り付けてください」

 

「え? わ、分かりましたわ」

 

 

 剥がれかけの青年会のポスター上に、ランドセルから出したセロハンテープで地図をペタッと貼る。

 準備が済むと、山田はオニ壱に持たせていた画鋲を受け取り、ダーツのように構えた。

 

 

「パージェーロ! パージェーロ!」

 

 

 投げた画鋲は、上手く地図に刺さる。

 場所は学校および営林署の近辺だ。

 

 

「決まった! ここ!」

 

「…………山田さん、これ何かのマネでして?」

 

「笑っていいともですよ……あ。笑ってコラえてか」

 

 

 ともあれ二人は、学校の方へ向かう。

 既に生徒たちが続々と登校している時間だ。サボるつもりの沙都子は心なしか、気まずそうに見える。

 

 

「見つかった時の言い訳が大変ですわ……」

 

「まずは少し離れた所から調べましょうか」

 

「ええ。それに、上田先生を最後に見た場所を探すと言うのは、『的を得て』いますわ!」

 

「おお! うまい!」

 

「えっへん!」

 

 

 胸を張ってドヤ顔を見せる沙都子。その時の彼女の胸を見て、山田は妙な劣等感を抱いたのは内緒だ。

 その時に二人のそばを、何かの材料を乗せたリアカーを引く老夫婦が通る。

 

 

「……あ! 第一村人発見ですわ!」

 

「……やっぱりオヤシロ様は、おっぱいの神様だった……? オッパイヤシロ様?」

 

「山田さん! 聞き込みましてよ!」

 

「ブ・ラジャーッ!!」

 

「変な返事ですわね……」

 

 

 老夫婦に付いて行くと、山田にとっては見覚えのあるオブジェの前に到着する。

 

 

「昨日見た新宿エンドだ」

 

 

 謎のエッフェル塔と、等身大ひっきーだ。

 

 

「そう言えば上田さんとは、ここの老夫婦を手伝うと言われて別れたのが最後でした」

 

「何か知っているかもしれませんわね」

 

「聞き込みますか」

 

「あ! 待ってくださいまし!」

 

 

 沙都子はランドセルを開き、中からヨレヨレの「お釜帽子」を取り出した。

 それを頭に被って、得意げな表情。

 

 

「古谷一行様ですわ!」

 

「金田一耕助な」

 

「これなら私も、名探偵ですわね!」

 

「…………結構、形から入るタイプなのか?」

 

 

 帽子だけ金田一耕助に扮した沙都子が、意気揚々と老夫婦に話しかける。

 

 

「あの〜、すみません。少し、お聞きしたい事がありまして」

 

「む? 古谷一行?」

 

「金田一耕助な」

 

 

 上田と梨花が消えた旨を伝えると、老夫婦は神妙な顔つきで昨日の出来事を想起してくれた。

 

 

「古手の娘と、あのむくつけき男が消えるとは……」

 

「まさに」

 

「奇々怪」

 

「界」

 

「なり」

 

「だから普通に喋れっつのっ!」

 

「なぜ『奇々怪』まで来て『界』で区切るのでしょうか……」

 

 

 上田については、老父の方が答えてくれる。

 

 

「残念だが、古手の娘もむくつけき男も見ておらぬ。むくつけき男とは」

 

「そのあだ名で統一するのか」

 

「ひっくぃーんを救ってもらった後、お礼を渡して別れたのみ。こちらも消えたリアカーを探すのに気が向いておっからな」

 

「そのリアカーですか?」

 

「いや。これは盗んだ」

 

「堂々としてんな!」

 

 

 沙都子が山田に話しかける。

 

 

「恐らくその後に、私が上田先生と会ったのですわ。ここ、学校に近いですから……」

 

「んー……収穫無しか」

 

 

 ここで聞き込みを続ける事は無駄だろうと踏み、再び雛見沢全域ダーツをしようと地図を出そうとした。

 そこへ思い出したように語り出したのは、老婆だった。

 

 

「あのむくつけき男だけならば、道でおうたぞ」

 

「え?」

 

「リアカーを探しに家から戻る最中。血相変えて走る、むくつけき男を見た」

 

「上田さんが? それはいつ頃の話ですか?」

 

「学校では体育の途中だった」

 

「と言うと、私が会った後ですわね!」

 

 

 老婆は、上田が走って行ったと言う方向を指差した。

 

 

「むくつけき男は」

 

「ちょっとクドいな」

 

「この方向へ行った。まっすぐと、ただまっすぐ」

 

 

 出しかけていた地図を広げ、老婆の言う方向とこの場所とを照らし合わせる。

 仮に上田がまっすぐ向かったのならば、園崎邸に着く事になる。

 

 

「上田さんも、レナさんが園崎さんの家に幽閉されているって話を、警察とかから聞いたんじゃないですか?」

 

「じゃあ、梨花と上田先生は別々に消えたのでしょうか……」

 

「それは分かりかねますが……二人が同時に消えたのは偶然とは思えません。恐らく二人とも、同じ要因で消失したと思って良いでしょう」

 

「梨花……」

 

「心配なのは分かりますが、とりあえずは捜査を続けましょう」

 

 

 コクリと頷き、沙都子は地図を注視する。

 

 

「でも上田先生は、魅音さんの所に到着はしていないようでしたわ」

 

「となると……その前ですか? 後は民家と、山ですかね」

 

「山……」

 

 

 ここから園崎邸の間には、渓谷の方から突き出た山が存在する。

 この山が原因で、地図上では直線距離で数メートルのところを、一キロメートル程度遠回りしてしまう。それに対してボヤいていた事を、山田は思い出した。

 

 

「ここ、園崎さんの所の裏山ですわ」

 

 

 沙都子にとっては、良く知っている場所だった。

 

 

「あぁ……確かそんな事、英雄デカから聞いたような……なんか、子供たちの作った菅原文太が」

 

「トラップですわ」

 

「すげぇな良く分かったな……そうそう、それが危険だとかで、大人も入らないとか」

 

「あまり村に詳しくない方でしたら、近道だと思って入るかもしれませんわね」

 

「上田さんは、この山に入った?」

 

「可能性は高いですわ!」

 

 

 思わぬ情報で、期待以上の指標が出来た。

 上田は裏山に入ったのではないかと推理を立てた沙都子は早速、そこへ自身も向かおうと顔を上げた。

 

 

「お爺様、お婆様、ありがとうございました!」

 

 

 行く前にまず、老夫婦へ感謝を述べる。

 

 

「儂はウヌの爺様ではないッ!!」

 

「婆様ではないッ!!」

 

「厳しいなオイっ!!」

 

 

 

 

 その場を後にし、再び学校前へ。

 登校中の子供たちは見えず、恐らく殆どが到着した頃だろう。

 

 

「山田さん、裏山に行きますわよ!」

 

「ちょ……ちょっと休憩しません?」

 

 

 早々にバテ始めた山田だが、沙都子はまだまだ元気だ。

 

 

「駄目ですわよ! 善は急げって言いますわ! あと熱い杭は……ええと……アレ? 出た鉄は熱い内に叩け? ええと……とにかく急ぎますわよ!」

 

「この村結構広いんですから」

 

「休むのは後! ほらほら! 早く早くですわ!」

 

「はぁ……はいはい」

 

 

 ひぃひぃ言いながらも、何とか例の裏山への一歩踏み出した。

 その時に、山田の目にとある人物が映る。

 

 

 

 

「……あれ? 記憶を取り戻した矢部さんじゃん」

 

 

 学校の中央口から出て来る、矢部の姿だ。彼だけではなく、秋葉の姿も見受けられる。

 二人とも何かを探しているかのように、運動場の真ん中でキョロキョロと辺りを見渡していた。

 

 

「……あの、沙都子さん」

 

「はい?」

 

「先に行っててもらえませんか? ちょっと、知り合いがいまして……」

 

「お知り合いですか?…………あの、カツラの?」

 

「おお、ご明察!」

 

 

 沙都子も付いて行こうかと考えたが、今になって先生に見つかり、授業に出るのは面倒だなと考え直し、先に裏山へ行く事を決めた。

 

 

「裏山の前で待っていますわ」

 

「多分、すぐに行けると思いますので」

 

「分かりました。では、またお会いいたしましょう」

 

 

 そう言い残し、彼女は走り去る。

 山田は沙都子を見届けた後に、矢部のいる運動場へと向かった。

 

 

 そのタイミングで矢部たちとは別に、もう一人の男性が現れる。

 矢部と同じく、髪が怪しい人物だった。

 

 

 

 

 

 

「さぁ〜て! 最終決戦やで!」

 

「心が踊りますねぇ〜!」

 

 

 昨日に大恥を晒したハズの矢部は、それを忘れたと言わんばかりのやる気で校庭に立つ。

 額の上に手を当て、辺りをキョロキョロ見渡す秋葉の横に、凛々しい顔つきと地毛が怪しい髪の毛が特徴的な男が並ぶ。

 彼は怪訝な表情で、二人に尋ねた。

 

 

「どうにも、信じられないですが……」

 

「信じるか信じないかはアナタ次第ですって、『海江田先生』! これ、一回言ってみたかったんすわ」

 

 

 彼がここ雛見沢分校の校長を務める、海江田だ。

 

 

「刑事さん……私は、どうやらアナタと『同じ秘密』を持つ者としてのヨシミで」

 

「秘密と言うほど秘密じゃないようなぁ〜」

 

 

 地雷に触れた秋葉が、矢部と校長先生の同時攻撃を受けて地面に倒れ伏す。

 

 

「断じて秘密なぞありませぬ。同志としてのヨシミで」

 

「その意気ですぜ校長!」

 

「一つ協力をしますが……やはり、刑事さんのお考えには少々、疑問がございます。どうにも刑事さんは、レナさんに偏見があるようで」

 

「だからね? コレ、さっきも言うたように……」

 

 

 矢部が説明をしようとした時、二人の間にやって来た山田。

 

 

「矢部さん。ここで何やってるんですか?」

 

「おお? 山田やないかい? お前こそここで何やってんねん?」

 

「私は……あー……散歩です」

 

 

 ちらりと海江田を見る。学校関係者の前で沙都子の事を話す訳にもいかない。

 

 

「なーにが散歩や! そんな気色悪い人形肩に乗せて散歩する奴がおるか!」

 

「気色悪い言わないでくださいよ!? 大事な友達なんですから!」

 

「お前もまあまあ気色悪いな……あ! よし、分かったぁ!!」

 

「等々力警部……?」

 

 

 突然矢部は、山田の腕を掴んだ。

 

 

「え!? なんすか!?」

 

「お前、竜宮礼奈の共犯者やろ」

 

「ほぁあ!?」

 

 

 あまりに突拍子がなさ過ぎて、間抜けな声が出てしまった。

 彼は、彼からして不自然な形で学校に現れた山田を疑っているようだ。

 

 

「なんでそうなる……てか、共犯者ってなんですか!? レナさん、何もやってないじゃないですか!」

 

「悲しいかな、多分恐らくこれから近いうちにやるハズやねん」

 

「警察としてどうなんだそのフワッフワの発言は」

 

 

 腕を解こうと山田は上下に激しく振る。

 矢部はそれを離そうとせんばかりに強く握った為、結果的に一緒になって腕を振り合っているだけとなった。

 

 

「離してくださいっての!?」

 

「白状せぇ! お前はいつの時代も悪どい奴やからなぁ!!」

 

「そっちこそいつの時代も役立たずだな!!」

 

「言うたなお前!? 結局平成終わるまで売れへんかった癖に!!」

 

「そっちだって平成終わるまで出世してないだろ!!」

 

「ヘイセイ……?」

 

 

 未来の元号を聞いて何かの暗号なのかと首を傾げる海江田だったが、すぐに二人の間に割って入った。

 

 

「生徒たちも見ています、良い歳した大人がみっともありませんぞ」

 

「ほら言われてるぞ矢部!」

 

「お前の事や山田ぁ!!」

 

「両方ですッ!! それに!」

 

 

 海江田は矢部をキッと睨む。

 

 

「まだ憶測の域を出ていないのに、レナさんを犯人扱いする事は例え同志と言えど」

 

「なんで同志?…………あぁ」

 

「どこ見て納得しとんねん」

 

 

 頭を押さえた後、海江田は続ける。

 

 

「……同志と言えど、許される事ではありませんな!」

 

 

 彼の鋭い眼光と、表情より滲む風格に押され、矢部は些かしおらしくなった。

 力が緩んだと気づいた山田は、目一杯の力を込めて腕を振り払う。

 

 

 

「と言うか、レナさんが何やったんですか? ちょっと妙な事しただけで、犯罪とかはしてないでしょ?」

 

「なんや、竜宮礼奈がワシらを巧妙に騙したって知っとったんか」

 

「いや、矢部さんの記憶と毛が抜けてたせいで騙されたって」

 

「毛は余計やろがい!?」

 

「言っていい事と悪い事はありますぞッ!!」

 

「分かりやすいなこいつら」

 

 

 山田の質問に関しては、相変わらず矢部は答えてくれようとはしない。

 

 

「だが残念やな、山田。守秘義務って奴や! 捜査の事は教えられへんのや」

 

「あのですねぇ……この際、お互い隠しっ子無しにしましょうよ! 多分、目的は一緒でしょ!?」

 

「だーかーらー教えられへんっつのッ!!」

 

 

 言わぬ動かぬの矢部に痺れを切らした山田は、最終強行手段に移る事にした。

 肩のオニ壱に、矢部の頭のアレを掴ませ、奪う。

 

 

「取った!!」

 

「おおうおッ!?」

 

 

 奪い返されないよう彼から一気に離れ、ヒラヒラと揺らして煽る。

 

 

「なに恐ろしい事しとんねん山田!?」

 

「このような禁じ手を使うとは……外道に堕ちるつもりですか……!?」

 

 

 山田に対峙する矢部と海江田だが、人質を取られたからには動き様がない。

 

 

「ほら言えーっ!! 言わないと、捨てるぞーっ!!」

 

「ワシの大事な大事なカツ……やなくて、katuraやぞ!?」

 

「言いたくないからって魔女語使うなっ!!」

 

「アナタはとても恐ろしい事をしていると分からないのですかッ!? かつらを刑事さんに返しなさいッ!!」

 

「何語だそれ!?」

 

「パギンバヅサゾバゲゲ!!」

 

「リントの言葉で喋れっ!!」

 

 

 説得は不可能と諦めた矢部は、山田の要望を聞く事にする。

 彼女が血迷った行動をしないよう宥めながら、矢部の方からレナの話を持ちかけた。

 

 

「い、言えって、竜宮礼奈のする事か!?」

 

「ええ! どうして矢部さんたちがレナさんに執着するのか、全部話してください!」

 

「は、は、話せば返してくれんのか!?」

 

「返すからさっさと吐けっ!!」

 

「うぬぬ……なんと恐ろしい女性だ……!! 刑事さん、ここは応じるのが得手ですぞ……!」

 

 

 山田の強行手段に戦慄する矢部と海江田。

 背に腹はかえられないと踏んだのか、渋々と矢部は要求に応じた。

 

 

「りゅ、竜宮礼奈はなぁ!? この学校で事件起こすねん!! 菊池から全部聞いとるわ!」

 

「どう言う話でそうなるんですか?」

 

「確かな筋から聞いた話やねん!! お前、竜宮礼奈がどんな娘か知らんやろ!? 金属バットで人殴れる奴やぞ!?」

 

「あ……」

 

 

 ふと思い出したのは、興宮に行くまでの道で、上田が言っていた彼女の過去。

 

 金属バットを持ってクラスメイトを殴り、そのまま学校の窓を割って回ったと言う話だ。

 しかしタイムスキャットし、若き日のレナを見て、実は間違いだったのではと半信半疑になっていた。とてもそんな事をするような子に見えなかったからだ。

 

 

「な、なんかな!? 親が離婚だの浮気だので、えらいストレス抱えとったらしいで!?」

 

「そ、そんな過去まであったんですか……」

 

「せやからな!? 竜宮礼奈は、凶暴な一面もあるって分かっとるんや!?」

 

 

 レナの二面性を強調する矢部。

 次に、その横に立つ海江田が口を開く。彼はとても、居た堪れない表情をしていた。

 

 

「レナさんの転校当時に、彼女のお父様から私もお聞きしております。彼女も、お父様もとても反省し、後悔しておられました」

 

「…………」

 

「あれは一つの気の迷い……だからこそ……今になってレナさんが『学校を爆破する』と言う話は、私は断じて受け入れられません」

 

「……は? 爆破?」

 

 

 キョトンとする山田。

 すると矢部は彼女に手招きし、こっちに来るように促し始めた。

 一旦、手に持っていたソレをオニ壱に預からせて地面に置き、山田一人が矢部に寄った。

 

 ここからは海江田にとって未来の話の為、二人だけの内緒話となる。

 

 

「な、なんですか?」

 

「ああ、あのな山田? ワシらの時代ではなぁ、この学校吹き飛んで無くなっとるんや」

 

「え?」

 

「当時の資料をワシら、持っとるんや! そこにはキチンと、『竜宮礼奈が学校に籠城し、そのまま爆破させた』ってあるんや!!」

 

「は?」

 

 

 衝撃の事実に絶句してしまう。

 

 

「間違いやないで! 正式な、警察の資料やからな!」

 

「じゃあ、矢部さんたちがレナさんを追っているのは……!?」

 

「それを阻止する為やッ! んで今、竜宮礼奈がいつ来てもええように、学校を見張っとるんや!!」

 

 

 まず第一に、山田は「ありえない」と思った。

 あの少女が、どうしてそのような凶行に及ぶのか、検討がつかない。

 

 

「な、なんで……!?」

 

「錯乱しとったんや!! なんでも親父が美人局の被害に遭ったりだの、アホな陰謀論吹き込まれたりだので……」

 

「…………!」

 

 

 実際にレナの父親は美人局に遭い、それどころか意識不明の重傷を負わされている。

 もしかして彼女は、父親が死んだと思い込んだ事で自暴自棄になっているのではないか。

 

 

「……でも、それだけで学校を爆破なんて」

 

「今やーーーッ!!」

 

「あ!?」

 

 

 矢部は山田の傍をスルリと抜け、例の物を握るオニ壱の方へ駆けた。

 ビーチフラッグのように山田も後から駆けたものの、敢え無くブツは矢部の頭に戻る。

 

 

「よっしゃあーーーッ!! おいコラ山田ぁ!! 逮捕じゃボケ」

 

「スコーン!!」

 

 

 振り返った彼の股下を蹴り上げる。

 矢部は悲鳴すら出さず、その場で倒れ伏した。

 

 

「押忍ッ!!」

 

「見事な一撃なり……ではなくて」

 

 

 気を取り直し、海江田が話しかける。

 矢部が頻りに呼ぶ、彼女の名前を聞いて合点がいったようだ。

 

 

「今更ですが、お名前が山田と言う事は……アナタが、山田奈緒子さんですね?」

 

「え? あ、はい」

 

「魅音さんたちから、色々と伺っております……圭一くんや沙都子ちゃんを助けたと……遅れましたが、ありがとうございます」

 

「さ、沙都子さんを?……あ。いえいえ、なんて事なかったですよ」

 

 

 沙都子を助けたとは良く分からなかったが、とりあえず謙遜する山田。

 

 

「今も東京の先生と共にレナさんの捜索を手伝っていると、お聞きしております」

 

「…………はい。ええ」

 

 

 その東京の先生も梨花と共に行方不明だとは、なかなか言えなかった。

 

 

「ですので、是非とも話しておきたい……レナさんが何を考えているのかは分からないが、しかしどうにも……彼女は何かを企んでいるとは思うのです」

 

「……企んでいる?」

 

「私の直感ですから、根拠は薄いです。しかしレナさんはああ見えて、とても賢い子です。理由もなく無意味な事はしない子だとは、思っていましたもので」

 

「………………」

 

「学校を爆破するまでとは、私は絶対に信じませんが……何か思惑がある事も確かです。お探しになられているのでしたら、その思惑を考えてみてはいかがでしょうか?」

 

 

 レナは何かを企んでいる。

 ならば何を企み、何を狙っているのか。

 海江田の直感による言葉選びだが、山田にもどこか、気に引っかかるところがあった。

 

 

「……私も捜索したいところですが、この立場では色々と制約がありまして……山田さんでしたらみんなの信頼もあるようですし、任せられますか?」

 

「……は、はい。何とか、見つけてみせます…………多分」

 

 

 ここまで信頼されると、寧ろ自信を無くしてしまう山田。

 次に海江田は、ある重要な事を話してくれた。

 

 

「まぁ、爆破とかの話ですが、間に受けない方が良いですぞ」

 

「と、言うのは?」

 

「刑事さんが言うには、営林署のガソリンを使って爆破するだとかで……しかし、現状は無理ですな」

 

「……え? ガソリンないんですか?」

 

「いや、発電機用の物があったのですが……」

 

 

 困ったように凛々しい眉を寄せた、呆れた表情で溜め息を吐く。

 

 

 

 

「この間、夜分にジオ・ウエキのシンパに盗まれましてな。ガソリンは今殆ど置いておりませんし、職員の方にも厳重保管するよう警察に指導されていましてね……村中の車から抜き取らない限りは、爆破なんて無理でしょうに」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

トラップ

 掘っ建て小屋に軟禁されている、上田と梨花。

 お互いに手足を縛られ、頑丈なパイプに繋がれた状態だ。とても逃げ出せない。

 

 

「ライブキング」

 

「グ……グモンガにするのです」

 

「結構コアなの知ってんだな…… ガだから、ガボラ」

 

「ラルゲユウス」

 

「ウルトラQも出せるのか……スペクター」

 

「タッコング」

 

「タイラントで来ると思ったが……グ、グ、グワガンダ」

 

「ダンガー」

 

「ガギ」

 

「そんな怪獣いないのですよ。出鱈目言うのはやめるのです」

 

「おっと。これはお前にとって、未来の怪獣、でしたね?」

 

「思い付かないからってゴチャゴチャうるさいのですよ。負けを認めるのですか?」

 

「厳しいな……ガマス」

 

「ガマスは超獣で、怪獣じゃないからアウトなのです」

 

「細けぇ!!」

 

 

 ウルトラ怪獣のみ限定のしりとりで、夜を明かしていた。

 それまでも何度か趣向を変えてしりとりをしていたようだが、梨花からしたら飽きて来る。

 

 

「最初はゴジラ怪獣で、その次はライダー怪人で……次は東映ヒーローシリーズで行くか」

 

「もうしりとりは良いのですよ……虚しいだけなのです」

 

「だからって、このままじゃ暇でしょうがないだろ」

 

「なんで逃げる方法を話し合うって発想にならないのです?」

 

 

 しかし縄はきつく結ばれ、更に自由に動けないよう、繋がれ固定されている。

 これらの状況から脱出するのは、かなり難しい。

 

 

「両手が空いていたら、ギター弾いてやれたのに……」

 

 

 すぐ横の壁に立て掛けられたギターを眺め、悔しそうにぼやく。

 

 

「たかがギターがなんの役に立つのですか……」

 

「お前、たかがギターだと!? これは『グレッチ』のアコギだぞッ!『丸の内サディスティック』にも出て来る!!」

 

「だからなんの役に立つのですかって言っているのですよ」

 

「眺めていると………………安心する」

 

「はい、役立たずなのです〜。上田二世なのです〜」

 

「このやろぉッ!! グレッチを上田二世と言いやがったなッ!?」

 

「役立たずは認めるのですか?」

 

「認めねぇッ!!」

 

 

 この状況でも、いつも通りの口喧嘩は止まらない。

 ただこの口喧嘩のお陰で、極限状態を乗り切っていられている。

 

 

「……沙都子。今頃、心配しているのです」

 

「学校サボって、俺たちを探していそうなもんだな」

 

「ありえますのです……いや。絶対にしていますですよ」

 

 

 その通り、沙都子は学校を休んでまで、二人を見つける為に奔走していた。

 梨花にとっては知るよしもないのに、彼女の事は良く良く分かっている。

 

 

「ったく……誰か、俺たちを目撃していやしないもんか?」

 

「これに関してはレナが上手(うわて)なのです。多分、『みんな』も知らないのですよ」

 

 

 梨花の言う「みんな」のニュアンスに、上田は妙な含みを見出した。

 

 

「みんな? 部活のメンバーか?」

 

「違うのです」

 

「じゃあ誰だ。村人か?」

 

「これが解決したら教えるのです」

 

「お前はなんなんだよ……」

 

 

 上田は、隣にいる梨花に対して若干の不気味な印象を抱いていた。

 目を覚ました時に見せた、やけに大人びた横顔と口調。とても子どもには見えなかったからだ。

 口達者で、人を小馬鹿にしたガキンチョ、と思っていたばかりに、その印象を抱く事は必然だった。

 

 

「……なぁ、梨花」

 

「なんですか?」

 

「ちょっとぐらい教えても良いだろ。何を知ってんだ?」

 

 

 彼の質問に対し、饒舌だった梨花は突然黙り込み、俯いた。

 顔が影に隠れ、怒っているのか悲しんでいるのかも伺えない。

 

 

「…………良いだろう。俺の方から、真の目的を言ってやる」

 

 

 沈黙が続き、上田は半分自棄になる。

 自分は村の崩壊を止める為に動いていると、告白するつもりだ。もしかすれば彼女は何かを知っているのではと、反応を見るつもりでもある。

 

 

「俺の目的は」

 

「村で美人を口説くですか?」

 

「そうだッ!……いや、違うッ!! 真面目に聞けッ!! 俺の目的」

 

 

 

 

 しかし、叶う事はない。

 言い切る前に、小屋の扉が開かれる。

 

 

 

 レナが姿を現した。

 

 

「聞こえていたよ……上田先生の目的って、なにかな?」

 

 

 レナに聞かれ、上田はしおらしく話す。

 

 

「……あわよくば、鷹野さんを富竹さんからゲッチュしたいです」

 

「寝取りはクズなのです! 地獄に堕ちるのです!!」

 

「うるせーッ!! 知らねーッ!! ファイナルファンタジーッ!!」

 

「ファイナルファンタジー……?」

 

 

 勿論、ごまかす為についた嘘だ。色々と上田の株が下がった気もするが、レナは気にせずに二人の前に立つ。

 

 表情こそ明るいが、その目は暗い。人間は微笑むと瞼が下がるので、瞳に光が入らなくなる。

 普通の事だが、今の彼女の微笑みが場違いに思え、光のない目が恐ろしく感じた。

 

 

「そうだね……今から私も、目的を話してあげるね──」

 

 

 

 

 

 彼女が梨花と上田に話した「目的」とは、二人を戦慄させるのに十分な内容だった。

 レナは誰の指図も意見も説得も通用しない、と言いたげな鋭い目を見せる。

 

 

 上田はまず、彼女が何をしに来たのかを聞く事に決めた。

 

 

「なんで……それを、俺たちに……?」

 

「二人は謂わば、エサだからね。邪魔する余裕もないし、出来ないし。暇そうにしてたから」

 

「レナ……! お願いだから、やめるのです!!」

 

 

 対して梨花は、レナを止めようと叫んだ。しかし当の本人は片耳を塞いで、うるさそうに顔を歪めただけだった。

 今の彼女にとって、説得は雑音。それを示しているようだ。

 

 

「………………」

 

 

 上田は必死に頭の中を回転させ、どうすべきかを考える。

 

 

 

 そして一つの、「方法」に至った。

 

 

「……れ、レナさん」

 

「ん? 上田先生、どうしたの?」

 

「………………」

 

 

 彼女が聞き入れてくれなければ、この方法は早々に崩壊する。

 運を天に任せ、レナに「頼み事」をした。

 

 

 

 

 

「ど、どうせなんだ。ここ、『言伝』を、頼まれてくれないか?」

 

 

 緊張で乾いた口で、何とか付け加える。

 

 

「………………山田に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぶらっくらぐーんっ!!」

 

 

 独特なくしゃみをかました山田。

 既に眼前には裏山が見え、道端で待つ沙都子と合流した。

 

 

「すみません、お待たせして」

 

「いえいえ、今来たところですわ!」

 

「嘘つくな」

 

「それじゃ……行きますわよ」

 

 

 沙都子に先導され、山田は裏山へ足を踏み入れる。

 何か見つかるのか、何があるのか。二人は緊張した面持ちで、林に入って行く。

 

 

 

 

 山中に入る出入り口の辺りまで来た。

 ここは山田も見覚えがあり、また苦い記憶もある場所だ。

 

 

「昨日、そこで罠にかかりましてね」

 

「え? どの罠でしょうか?」

 

「ほら、あれですよ」

 

 

 ロープを引っ張り、上から木の枝やら薪やらが落ちて来た。山田はそれの餌食となり、丸々半日意識を飛ばしていた。指差した場所は、その跡地だ。

 

 

「……え? あれに引っかかったのですか……?」

 

 

 信じられないと言いたげな表情を浮かべる沙都子。

 

 

「はい。あの、引っ張れって札があって」

 

「え。それを見た上で、引っ張ったのですか……?」

 

「なんでちょっと引いてんですか。引っ張るだけに?」

 

「普通の人は引きませんわ」

 

「私が普通じゃねぇって言いたいのかっ!」

 

 

 何はともあれ、山田が被害を受けた箇所を通り越し、森の中へ入る。

 森と言っても木と木の間が離れており、日光が差し込んでいた。鬱蒼とした感じではないが、やはり拓けた場所よりは木が影になっている為、幾分か薄暗い。

 

 

「山田さん。ここ、迂回しますわよ」

 

「なんでです?」

 

「落とし穴を掘った場所ですから」

 

「そんな子ども作った落とし穴なんてたかが」

 

 

 そのまま真っ直ぐ進んだ山田は、一瞬で姿を消した。

 大人一人が丸々埋まるほどの深い穴だった。

 

 

 

 

「大丈夫ですの?」

 

「なんて物作ってんですか!? ドッキリ番組の奴より深いっすよ!?」

 

「こんな程度、まだまだ朝飯前ですわ。もっと凄い物もありましてよ!」

 

「ここ戦場なんですか?」

 

 

 沙都子の助力も加えて、何とか這い上がる山田。

 オニ壱を心配しながら、服に着いた土や葉を払う。

 

 

「ここまで罠だらけとは、予想外でした……」

 

「ムムッ!?」

 

「え? 川平慈英?」

 

 

 沙都子が何かに気付いたようで、森の奥の方へ走って行く。

 山田も彼女に続くが、ぴったり彼女の後を追っていたのに落とし穴へ自分だけ落ちる。

 

 

「山田さん! 見てくださいませ!」

 

「沙都子さんちょっと地面から浮いていたりしません?」

 

「私の仕掛けた罠が作動していますわ!」

 

「こっちも作動しましたけど」

 

 

 不自然に木の上から吊るされ、垂れ下がったロープが見て取れた。

 ロープは二本。罠は二つ作動している。

 

 

「おかしいですわね」

 

「え、何がですか?」

 

「こっちの罠は私が仕掛けた物ですけど……もう一つは知りませんわ」

 

「覚えているんですか?」

 

「をーっほっほ! 私や梨花が引っかからないように、ノートに設置場所と日付も記録していますわ! この山の事は誰よりも知っていましてよ!」

 

「凄いけど、すげぇ凄くない……」

 

 

 ともあれそんな彼女が「記録にない」と言う罠が一つあり、自分の罠と一緒に作動していた。

 この事実に沙都子はきな臭さを感じている。

 

 

「裏山は基本的に、私たちしか入りませんわ。他の人は罠を恐れて、なかなか入りませんもの」

 

「じゃあかかっていたのは子供たちか、その事を知らない人間……」

 

「上田先生の可能性もありますわね!……ムム?」

 

「博多華丸?」

 

 

 沙都子は何かを見つけ、ちょうど切れたロープの真下辺りに跪いた。

 草を掻き分け、キラリと鈍く光るガラス状の物を取り出す。

 

 

 山田は彼女の方へ行こうとした時、掛かっていたタコ糸を踏み、また罠を作動させた。

 木の上にあったパチンコを引っ張るつっかえが取れ、丸石が発射。オニ壱に命中。

 

 

「これは……お注射ですわ!」

 

「ああああああああああ!!??!!」

 

「どうしてこんな場所に……」

 

「オニ壱ぃいぃいッ!! オニ壱ぃいいいぃいッ!!」

 

 

 地面に寝そべるオニ壱を回収しに行った所に、また落とし穴。

 山田だけがまた落ちた。

 

 

「……待ってくださいまし」

 

「おおぅ」

 

 

 その注射が落ちていた辺りから、轍が出来ていた。

 轍は山を下るように続いているが、的確に罠の位置を避けている。

 

 

「私のトラップの位置を把握しきっている人がいたのは間違いないですわ」

 

「深いんですけどー!」

 

「トラップを知らない人と、知っている人が同時にいたって事ですわね」

 

「この……よっこいショーイチッ!!」

 

 

 落とし穴から這い上がる山田。

 

 

 

 

 その時に彼女もまた、何かを見つけたようだ。

 

 

「……ん? メモ帳……?」

 

 

 A6サイズほどの物だ。

 自分の物ではないし、最初は沙都子の物かと思い、何気なしに拾い上げる。

 

 中を開くと、飛び込んで来たものは図と絵だ。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 そこにはまんま、「上田」の名前と、見覚えのある下手くそな絵があった。

 間違いなくこれは上田が所持していた物だ。

 

 

「ぶ、ブルース……野原ひろし?」

 

 

 メモ帳とオニ壱を拾って落とし穴から脱出し、沙都子に報告をする。

 

 

「沙都子さん、見てください!」

 

「なんですの……なんですかこの下手な絵」

 

「言ってやるな言ってやるな」

 

「上田先生の物ですか?」

 

「このメモ帳がそうなのかは分かりませんが……えぇ。この絵と文字は上田さんの物です」

 

 

 そもそもこの時代にはまだ公開されていない映画のキャラクターだ。

 上田の物で間違いないだろう。

 

 

「これを落としたのが上田さんだとすると……」

 

「やっぱり上田先生はここにいたのですわ!……でもこの、お注射が良く分かりませんわ」

 

「注射?」

 

 

 沙都子が見つけた注射は、良く見るタイプの物だ。

 だが良く見るとは言え、そんなおいそれと落ちている物ではない。

 このような森の中にある事自体が奇妙だ。

 

 

「中に液体が残っていますけど……」

 

「ひとまず、回収しておきましょう。針が危ないので沙都子さんのランドセルの中に」

 

「あまり傷を付けたくないですけど……」

 

「じゃあオニ壱に持たせましょう」

 

「分かりましたわ………………んん?」

 

 

 注射をオニ壱に持たせ、二人は次に轍を辿ってみた。

 轍は途中、土の薄い場所で見えなくなってしまったものの、その経路は沙都子の罠を巧妙に回避している。山の事を熟知している人間なのだろう。

 

 

 

 

「こうは、考えられないでしょうか」

 

 

 山田が一つの推測を立てる。

 

 

「上田さんは、多分誰かに誘われたか何かで、自分からこの山に入った。山の事を知らないので、ほぼ無警戒で入ったのでしょう」

 

「最初の山田さんのように?」

 

「うるせぇ。もし連れ去られたのなら、もっと抵抗の跡があっても良いハズですので」

 

「山に入って……それからは?」

 

「みすみす沙都子さんの罠に引っかかって、身動きが取れなくなったところを気絶させられたのでしょう。恐らくこの注射の中の液体は、麻酔か何かのハズです。力のない人間でも、打ち込めれば簡単に大の男を気絶させられますから」

 

「気絶させられて、リアカーか何かに乗せられて、そのまま連れて行かれた訳ですわね?」

 

「えぇ……それで問題なのが、誰が犯人なのか。罠の場所を把握していて、利用も出来た人物となると……」

 

 

 今現在、行方不明中のレナか、梨花と言う事になる。

 

 

「それに知らない罠が一つありますわ! 私から作り方を教わった人ですので…………」

 

「どうしました?」

 

「……その二人のどちらかと言うなら、恐らくはレナさんですわ。木登りも満足に出来ない梨花が、一人で作れるハズないですもの。レナさんはあー見えて、凄く運動神経が良いですから」

 

「では、レナさんが実行犯……だとしたら、なんでこんな……?」

 

「上田先生がレナさんに誘拐されたなら、もしかしたら梨花も!?」

 

 

 罠は二人ぶん作動している。

 一人が上田だとすると、もう一人は梨花とも言えるだろう。

 

 

「断定は出来ませんが、可能性は限りなく高いです……けど、梨花さんが同伴していたなら、罠にかかるなんて事はないハズ……」

 

「……こっそり付いて行った、とか?」

 

「ひとまず、見つけた事を調べましょう……この注射が、良い進展ですよ」

 

 

 オニ壱に握らせている、注射を見せつけた。

 

 

「この村で注射が手に入る場所と言えば……」

 

「……監督の所しかありませんわ」

 

「確か、診療所のお医者さんでしたね。間違いなく、これの出所はそこでしょう」

 

 

 そのまま山田は推測を続ける。

 

 

「上田さんのあの、デカい身体を隠して運ぶなら、リアカーで間違いないと思いますね。ほら、あの異世界転生したみたいな老夫婦が」

 

「異世界転生したみたいな老夫婦……?」

 

「リアカーを盗まれたって言っていました。となると、警察がてんやわんやになっていた時に、荷台を隠したリアカーを引いていた人物がいないかを聞き込めば、もしかすれば」

 

「や、山田さん……」

 

「……え? どうしました?」

 

 

 ひとしきり喋り続けていた山田だが、ふと沙都子の方を見れば唖然としている彼女の表情に気付く。

 

 

「あの……凄い、ですわね……探偵さんみたいで……」

 

 

 僅かな痕跡からここまで推測を立てられる山田に、羨望の視線を向けていた。

 沙都子は徐に、被っていた御釜帽子を取って差し出す。文字通りの脱帽だ。

 

 

「これは……お譲りしますわ」

 

「いらないです」

 

「しかし……山田さん、マジシャンのハズですわね? どうしてそんな色々と思い付けるんですか?」

 

「あー……」

 

 

 少しだけ言い辛そうに顔を歪め、沙都子から視線を逸らす。

 なんて言おうか迷った挙句に、結局はぐらかしはやめようと決めた。

 

 

「……こう言うの、初めてじゃないんですよね。以前からも上田さんに色々と巻き込まれて、その都度事件を解決していた……」

 

 

 途端に、山田の表情に影がかかる。

 

 

「……みたい、でして」

 

「……みたい?」

 

 

 やけにあやふやな物言いの彼女に、沙都子は訝しがる。

 山田は顔を上げ、鼻から息を吐き出してから、決心したように話し出した。

 

 

 

 

「……私、記憶喪失だったんですよ」

 

「え!?」

 

「今は何とか、色々と思い出して来ていますけどね。お医者さん曰く、強烈なショックによる心の問題だって言われていまして。でもそれでも……まだまだ人生の半分以上も忘れたままです。子どもの時の事とか、もうほぼ分からないですね〜」

 

 

 二人は山を降りようと、歩き出した。

 その間も山田は、身の上話を続ける。

 

 

「一番最初に思い出したのが、母と父について。次に上田さん。その次に警察の人とか、知人とか」

 

「大切な人たちを思い出したのですね」

 

「ハゲとか、おっかぁ様とか、バンサンケツマとか、アダモちゃんとか、大家のクソババァ一家とか」

 

「!?」

 

「その中で上田さんから、私が解決したって事件を聞かされて、段々と思い出して行ったんですよ。この村でも一つ、大事な事を思い出せましたし……なぜベストを尽くしたのかとか」

 

「それ大事な思い出なんですか?」

 

「お医者さんは、過去の経験と同じ体験をしたら良いって言っていました。だから上田さん、無理な所は別として、私と旅をした場所を巡ってくれたり。その都度いつもなぜか、すき焼きか寿司か餃子を奢ってくれたり」

 

 

 山田はバツの悪そうな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

「……上田さんには恩を感じていますよ。なんか昔も、色々助けて貰っていたみたいですし」

 

 

 思った以上に重い彼女の話にやや気圧されながらも、沙都子も沙都子なりに考えてくれたようだ。

 

 

「……山田さんは凄いですわね」

 

「やっぱそうっすよね! 自分でもそう思うんです!」

 

「少し謙遜して欲しかったですわ」

 

「申し訳ナイス」

 

「……私にはとても、難しいですわ」

 

 

 表情こそ微笑んでいるものの、その目はどこか悲しげだ。

 

 

「いつもいつも私は、誰かと一緒にいたくて、構って貰いたくて、色々と恥ずかしい事をして来てしまいましたわ」

 

「………………」

 

「今だって、自分でやるんだって思っても……結局、助けられてばかりで、私もそれを望んでしまっていたりで……だから、記憶喪失でも逞しく、自分らしさを失っていない山田さんが羨ましいです」

 

 

 過去の事を不意に思い出してしまったのか、涙目になった。

 山田にその目を隠そうと、そっぽを向いて拭う。

 

 それを気付かないふりしつつ、山田はあっけらかんと答えた。

 脳裏には、上田や魅音たちから聞かされた、彼女の境遇が巡っている。

 

 

「……沙都子さんだって、強みはあると思いますよ」

 

 

 その言葉に驚き、再び山田の方へ視線を向ける。

 

 

「基本的に人は、言われるまで自分の強さに気付かないもんですから。マジックの仕掛けみたいに」

 

「……そうでしょうか?」

 

「それに今だって、沙都子さんのお陰で分かった事もありましたし……」

 

 

 少し山田は、息を吸い込んだ。

 

 

 

 

「もう少し自信持って良いと、私は思いますよ?」

 

 

 

 

 思わず沙都子は頰を赤らめる。

 感動と、救いを受けたような気分だ。

 

 自分には報いだらけの人生かと思っていた。でもこの一週間の内に、彼女は既に救われていたのかもしれない。

 

 

「……山田さん……」

 

 

 もう涙目ではない。

 最後にもう一度だけ拭ってから、山田と笑顔で目を合わす。

 その笑顔は溌剌とし、決意に満ちている。

 

 

 

「ありがとうござ」

 

「ワッツァファックっ!?」

 

「!?」

 

 

 山田は落とし穴に落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山を出た頃には、山田の服は泥と葉まみれのボロボロだ。

 確かにこうなるハメになるのなら、誰も山中に入りたがらないだろう。

 

 

「二度と入らねぇ」

 

「これからどうしますか、山田さん?」

 

「リアカーの件を聞き込みましょう。それでこの注射についても調べましょうか」

 

「………………」

 

 

 心配そうな彼女の気持ちを察し、出来る限り安心させてやろうと声をかける。

 

 

「……今日中に、この騒動を終わらせてやりましょう」

 

「……はいっ!」

 

 

 気持ちを新たに、二人は道を歩き始めた。

 まず向かったのは、入江診療所。注射の事を聞く為だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここからが戦いだ。

 

 

 これは過去最大のワガママだ。

 

 

 どうせ狂って終わるのなら、狂ったように終わってやる。

 

 

 みんなおかしくなるのなら、せめて………………

 

 

 

「……待っててね」

 

 

 

 

 

 

 竜宮レナは、公衆電話の前にいた。




ダイ・ハードとブラック・ラグーンのクロスオーバー「DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread.」も、よろしくお願いします

https://syosetu.org/novel/208235/


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

電話口

平成も終わったし、ひぐらしも奉で終わりかなと思えば、まさかの再アニメ化。
7月を神妙に待ちましょう


「俺はやったぁぁーーッ!! ロアナプラから帰って来たぞぉーーッ!! 双子を救ったぜぇーーッ!! イピカイエーーッ!!」

 

 

 スキンヘッドのおじさんが全速力で田んぼを走り去って行く。

 その後ろ姿を眺めていたのは、圭一だった。

 

 

「……誰? 双子? 魅音と詩音か?」

 

 

 疑問に思いながらも、彼は山の中へと急ぎ足で入って行く。

 

 

 

 

 上田と山田が滞在している家の前に、息を切らしながら到着。

 

 レナはおろか、上田も梨花も消えてしまった。

 そうした事と、やって来た刑事の要請を受け、学校は午前までと言う運びとなる。

 

 

 下校し、自宅待機を命じられた生徒たち。

 しかしジッとしているなんて、圭一の性格上不可能だ。

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……や、山田さん、沙都子と一緒にどこ行ったんだよ……」

 

 

 最初は二人に会いに神社に行ったものの、留守。

 こっちの方に帰ったのだろうかと思い、走って来たようだ。

 

 

「……鍵かかってる」

 

 

 しかしここにもいない。

 圭一は疲れと焦りから「あーっ!!」と叫び、頭をガシガシと掻く。

 走って来た上に夏の暑さもあいまって、汗でビショビショだ。

 

 

「山田さん、どこだぁ? 俺を置いて探すとか、そりゃないぜ〜っ!」

 

 

 ここで黄昏ていても仕方がない。

 すぐに圭一は別の場所を探しに行こうと、振り返った。

 

 

 次の瞬間、背後に立っていた人物に肩を掴まれ、制止させられる。

 

 

「ッ!?」

 

 

 その人物の顔を確認し、驚き声にも似た声色で名前を呼ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか圭ちゃんも来てるなんてね」

 

 

 魅音だ。

 彼女も走って来たのか、ひたいから汗を流している。

 圭一と同じく、学校が終わったと同時に向かって来たようで、学校鞄も持ったまま。

 

 

「魅音!? お前、なんで!?」

 

「それは私にも言えた事だけど……山田さんに用があるの?」

 

「……なんだ、お前もそうなのか」

 

「ははは……変なところで考えが合うもんだね」

 

 

 圭一は入り口の、鍵のかかった戸を引いて留守だと言う事を示す。

 

 

「ここにはいないみたいだな。沙都子も学校に来なかったし、どこか二人で動いているハズだけど……」

 

「折角時間も出来たんだし、一緒に探さない?」

 

「それはいいんだけどよ……魅音はなんでマイマスターを」

 

「ま、マイマスター?」

 

「間違えた。なんで山田さんを探してんだ?」

 

「どう言う間違いなの……?」

 

 

 魅音は少しだけ気まずそうに笑う。

 

 

「昨日からモヤモヤしててね。レナの事とか、上田先生に梨花ちゃんの事。それに警察や、ウチの組の人を動員しているのに全く見つけられないなんて、どうにも何かの思惑がある気がするんだ」

 

「何かの思惑か……」

 

「そう。もうおじさんはお手上げだからさ、頭の切れる山田さんに意見を聞こっかなって」

 

 

 先の三億円事件以降、魅音は山田の持つ推理力と直感に一目置いていた。

 それは圭一にも奪還作戦の時に言えた事で、こうやって彼女の下宿先を訪ねている。

 

 この短い間に、上田と山田が村に与えた影響は大きいものだった。

 

 

 

 

「……なぁ」

 

 

 ふと、圭一が魅音に話しかける。

 彼にはずっと抱えていた、ある考えがあった。

 

 

「どしたの圭ちゃん?」

 

「……俺、思うんだけどさ」

 

「ん?」

 

「もしかしたら、レナ──」

 

 

 圭一が話し出したその瞬間、家の中からけたたましい音が響いた。

 

 

 ベルの音。屋内にある黒電話が鳴っている。

 

 

「……電話か?」

 

「みたいだね。こんな時に山田さんたちに用がある人って誰だろう?」

 

「警察の人とか?」

 

「かもしれない……」

 

 

 電話はずっと、鳴り続けていた。

 

 

「……出た方がいいかな」

 

「は? でも、誰もいないし鍵かかってんぜ?」

 

 

 魅音は取り出した鍵で堂々と、戸を開いてしまった。

 

 

「ええ!?」

 

「この家はウチの所有物。合鍵があって然るべきじゃあん?」

 

「で、でも良いのかよ!? なんか、悪くない?」

 

「盗みはしないしセーフ」

 

「顔面セーフみたいに言うな!」

 

 

 屋内は旅行者への貸し出し宿と言う訳もあり、必要最低限の家電以外は何もない。

 他は二人の荷物と、部屋干しされている厚手の上着。

 

 それを見て圭一は、つい呟く。

 

 

「……そう言えば山田さん、初めて会った時……やたら冬着だったな。なんでだろ?」

 

「実は札幌と雛見沢を間違えていたとか?」

 

「いかりや長介を高木ブーと間違えるレベルだぞ」

 

 

 部屋の隅に、依然として鳴り続ける黒電話。

 

 二人は一度、顔を見合わせた。

 どっちが取ろうか目で語り、魅音が受話器を取る。

 

 

「…………もすもす?」

 

「!?」

 

 

 警察か、それとも間違い電話か。

 半ば軽い気持ちだった魅音だが、受話器から飛び出した声に絶句する事となる。

 

 

『その声……魅ぃちゃん?』

 

 

 レナだ。

 間違いなく、レナの声だったからだ。

 

 

「…………ッ!?」

 

「……魅音? どうした? 誰だ?」

 

「け、け、圭ちゃん! レナ、レナ……!!」

 

「はっ!? レナ!?」

 

 

 魅音が言った「圭ちゃん」の言葉は、レナの耳にも届いた。

 

 

『圭一くんもいるの? あはは、ちょうど良かった。手間が省けたし』

 

「れ、レナ……なん、だよね? 声が似ている別人とかじゃ、ないよね……!?」

 

『うん。レナだよ、魅ぃちゃん……でもおかしいな。山田さんの所にかけたハズなのに……そこ、山田さんのいる家だよね?』

 

「ええと……」

 

『……まぁ、圭一くんもいるし、良っか』

 

 

 受話器からの声を拾えるよう、圭一も耳を寄せる。

 魅音は電話口とは言え、やっと会えたレナに対し急いで居場所を聞く。

 

 

「と言うかレナ!! 今、どこにいるの!? みんな心配しているから、早く戻って来てよ! 梨花ちゃんと上田先生もいなくなっちゃったし……!」

 

『ごめんね、魅ぃちゃん。後で待ち合わせるから、まずレナの話を聞いてもらえるかな?』

 

 

 レナの様子がおかしい事は、二人ともすぐに察せた。

 声色に一切の感情がない。彼女の声だが、彼女の物ではないようだ。

 

 どうしようかと焦燥する圭一に対し、とりあえず話を聞いてみると魅音は頷いてみせた。

 

 

「……分かった」

 

『ありがとう。今から言う事は、レナが決めた人以外には言っちゃ駄目だよ。約束してくれる?』

 

「う、うん……」

 

 

 レナの言葉を聞き漏らさないよう、息を殺すように黙り込む二人。

 三秒ほどの間を置いて、レナは話し始めた。

 

 

『話して良いのは、部活のメンバーと山田さんだけ。私の決めた人たちで、私の決めた事を守って、私の決めた場所に来て欲しいの』

 

「え?……どうして? やっぱ、普通に会えない?」

 

『普通に会えないからこう言ってるんだよ。だから言う事を聞いてね』

 

 

 突然の命令に、尚のこと困惑する。

 まるで彼女の話し口は、身代金を要求する誘拐犯のそれだ。

 

 耐え切れず、圭一は魅音から電話を取り、話しかけた。

 

 

「おいレナ!! なんだよその言い方ッ!!」

 

「あ、ちょっと、圭ちゃん……!」

 

「俺たちはずっとレナを心配して、探してたんだぞ! やっと声が聞けたと思ったら、決めた人だけに話せだの、決めた所に来いだの……今度は誘拐犯ごっこか!?」

 

 

 電話の向こうのレナは黙っている。

 圭一の言葉が済むまで待っているかのようだ。

 

 

「……なぁ。何があったんだ? もしかして、誰かに脅されてんのか……? 梨花ちゃんと上田先生も消えちまったし……何か、知ってんのか?」

 

 

 彼の質問に、レナはあっさり答えた。

 

 

『二人なら大丈夫だよ、圭一くん。だってレナが捕まえちゃったからね』

 

「は?」

 

『そう言う事。言う通りに聞かなかったら、縛ったまま頭を開いちゃうかも』

 

「……は……!?」

 

 

 言っている内容を脳が処理出来ない。

 それほどまでに彼女の話は性急で、辻褄さえ存在しないほどに唐突なものだった。

 

 

 彼女は言い切った。

 上田と梨花は彼女が捕らえて、人質にしていると。

 

 

「……おい……何言ってんだよ……?」

 

「なに……圭ちゃん!? レナは何て話してるの!?」

 

 

 やっと絞り出した声は、懇願するような情けのないものだ。

 嘘だと信じたい圭一へ、レナは言葉を付け加えた。

 

 

『……圭一くん。これから言う話はさぁ……魅ぃちゃんに聞かれたら都合の悪い事だからね。気をつけてね』

 

「意味が分からな────」

 

『なんだかんだ変われたとか幸せとか言ってたけど、人の幸せ奪った事には変わりなくないかな?』

 

 

 

 

 

 とうとう、圭一の口が止まった。

 説得しようとしたまま、開いたままになった。

 

 

 

『東京でモデルガン子どもに撃って怪我させて』

 

 

 

 唾液が蒸発し、澱んだ空気の中へ発散して行く感覚が生々しい。

 舌の先から喉の奥までの渇きが、声を奪う。

 

 

 

『幸せを奪って奪って、ちょっと反省したら逃げて』

 

 

 

 けたたましい蝉時雨も、魅音の案じる声も聞こえない。

 鼓膜に直接電話線を繋がれたかのように、レナの声しか聞こえない。

 

 

 

『村のみんなには黙ってて、いざ自分より酷い人を見つけたら、説得材料にやっと白状』

 

「ねぇッ!? 圭ちゃんッ!?」

 

「し、静かにしてくれ……」

 

「レナはなんて──」

 

「うるさいッ!!!!」

 

「ッ!?」

 

 

 やっと聞こえた魅音の声を、制してしまった。

 

 

「…………あ」

 

 

 呆然とする魅音を目の当たりにし、圭一は自分の行動にハッと怯える。

 

 

 

 

 

『……あはは。間違えちゃったね、圭一くん』

 

 

 

 

 

 全てを読んでいたかのような、レナの超然とした声が脳を撫でる。

 

 

『あの時、圭一くんが言っていた事だよ。「人は間違える」。思い出した?』

 

 

 そんなつもりで言ったんじゃない。

 言いたい陳腐な反論さえも、ショックからか飲み込んでしまった。

 

 

『で、もう一つ励ましてくれたよね。「自分の幸せに気付け」って』

 

 

 電話の向こうから、クスクスと笑い声が流れて来た。

 

 

 

 

 

 

『……もうレナを縛る物はないよ。レナはもう、どうしようもないほど間違えちゃったから……せめて、幸せを掴むんだ』

 

 

 

 とどめの一言を突き刺した。

 

 

 

 

『……圭一くん、みたいに。レナと圭一くんは、似た者同士なんだよ……だよ?』

 

「……ッッ」

 

『だからさ。乗り越えて行こうよ。過去なんて』

 

 

 

 

 もうこれ以上、聞きたくはなかった。

 無意識の拒否反応が、受話器を落とす事となって現れる。

 

 

 茫然自失の圭一から離れたそれを、魅音は慌てて拾う。

 

 

 

「れ……レナ……?」

 

『……じゃあ、魅ぃちゃん。今から言う事、ちょっと長いからメモしててね』

 

「圭ちゃんに、何て言ったの……?」

 

『それは……えへへ。二人だけの秘密っ。じゃあ、話すよ』

 

 

 即座に魅音は、持参していた自身の学校鞄からノートと鉛筆を取り出す。

 内容に何度か疑いを抱いたものの、口達者な圭一が取り乱す様子を見て説得は不可と判断し、聞き取る事に専念した。

 

 

 

 

『……分かった?』

 

「……うん。全部、書いたよ」

 

 

 レナの命令は、二分後に全て伝え終えられた。

 通話も終わるかと思われた寸前に、レナは「そうだ!」と思い出したように付け加えた。

 

 

『上田先生から山田さんに言伝を頼まれていたっけ』

 

「え? や、山田さんに?」

 

『ちゃんと伝えてあげてね。ええと────』

 

 

 聞き取り、ノートに書き出しながら圭一を見やる。

 

 

 視線を床に落とし、何かを悶々と考え込んでいる様子だ。

 後悔、自責、絶望……ごちゃ混ぜにされたそれらの感情を、表情に厳しく出している。

 

 

 

「…………俺の、せいかよ…………ッ!!」

 

 

 ただただ、項垂れるだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『入江診療所』

 

『本日、午後より診察を開始します』

 

『メイドさんに虐げられたい』

 

 

 入江診療所に辿り着いた、山田と沙都子。

 丁度、診察の準備に追われていた入江に、会う事が出来た。

 

 

「監督ー!」

 

「ん? あれ、沙都子ちゃん……え? 金田一?」

 

「八つ橋村ですわ!」

 

「八つ墓ですよ」

 

「六つ墓村じゃなかったっけ……?」

 

 

 そう呟いた山田の方を、入江は訝しげに見ている。相変わらず肩に乗せた鬼壱が、異様な存在感を放っていた。

 

 

「沙都子ちゃん、えーっと……あの、そちらの方は……?」

 

 

 そう言えば山田と入江は、初対面だ。ただ山田の方は、上田から色々と話を聞いていたので、相手が何者なのかはすぐに合点が行った。

 

 

「ど、どうも……山田奈緒子です。あの、上田先生の……」

 

 

 上田の名を聞き、向こうも気が付いたようだ。

 

 

「あ……ああ! 上田教授と鷹野さんから伺っています!」

 

「あ、そうですか……」

 

「頑張れば大きくなれますよ」

 

「なに吹き込まれたてめぇ、おぉ?」

 

 

 鬼壱を掲げて詰め寄ろうとする山田を宥めるように、沙都子が前に出て事情を説明してくれた。

 

 

「監督! 今、とてもマズい状況なんですわ! 上田先生と梨花が行方不明なんです!」

 

「…………上田教授と、梨花ちゃんが?」

 

 

 少し頭が冷えた山田が、彼女の後を引き受ける。

 

 

「昨晩から見当たらないんです。それでさっき、上田さんの目撃情報があった裏山を調べに行きまして……」

 

「裏山に……だからそんな、ヨレヨレなんですね」

 

「えぇ。こんな、ヨレヨレなんです」

 

 

 山田の服装は、何度も引っかかった落とし穴のせいで土まみれだった。

 大元の原因であろう沙都子はこっそり、そっぽを向く。

 

 

「……それで、えーと……入江先生にお聞きしたいのは……」

 

「二人を見たか、ですか?」

 

「それもですけど……まず、これに見覚えは?」

 

 

 山田から注射器を見せたれた瞬間、彼は激しく驚いていた。

 

 

「ど、どこでそれを!?」

 

「山の中で見つけたんです、薬品の入った注射器が。この辺に置いていそうは場所と言えば、ここだと思いまして」

 

「山の中に……く、詳しくお話を!?」

 

 

 入江に案内され、まずは診療所内の給湯室に通される。まず彼は窓を指差した。

 

 

「あそこの窓が開いていたんです。いつもは鍵も閉めているのに、今朝はなぜか……」

 

「全く使わないんですか?」

 

「換気扇がありますから、掃除をする時ぐらいです……あー。もしかして鷹野さん、掃除の時に閉め忘れたんですかね……?」

 

 

 次に通されたのは器具と、薬品が置かれた倉庫だ。開閉部にガラスが埋め込まれている保管棚の中には、瓶詰めの薬が数多並べられている。ラベルを見ただけでは全くどれがどの薬か分からない。

 

 室内に貼られている紙には、「整理・整頓・してくれるメイドさんが欲しい」と書かれていた。

 

 

「ええと……麻酔の類はぁ……」

 

 

 別室から持って来た鍵で保管棚のロックを解錠すると、手元のリストを見ながら麻酔保管棚にある瓶を一つ一つ確認している。

 全てを確認し終えた後、彼は困ったように首を振っていた。

 

 

「……一つ足りない。確かに……持ち去られています……!」

 

「やっぱり、監督の診療所に忍び込んだ人がいたのですわね!」

 

「でも、おかしいですよ……」

 

 

 扉を閉めると、彼はそこに付いていた小さな鍵穴を指で示した。

 

 

「保管棚はこの通り全て、施錠をしています。鍵は別室にあって、それは持ち去られていなかった上に、棚の鍵も開けっ放しではなかった……どう言う事ですかコレは……?」

 

「……何者かが最初から開けていた、こっそり後で施錠した……?」

 

 

 山田のその推理には、さすがの入江も否定的だった。

 

 

「仮にそうだとしても、誰が何の為に……?」

 

「……分かりませんけど……給湯室の窓の事もあります。誰か、レナさんに手引きを……」

 

「……え? レナさん?」

 

「あ」

 

 

 うっかりレナの名を言ってしまい、焦る山田。同時に沙都子も鬼壱も焦っている。

 

 

「い、いえ!? 違いますっ!」

 

「でも確かにレナさんって」

 

「あーーッ!? あそこにメイドさんがっ!?」

 

「なにっ!?」

 

 

 山田が指差した先には、メイド服を着せられた人体模型が置かれていた。それに抱き付かせて、何とか入江の注意を逸らす事が出来たようだ。

 

 

 その後は入江に注射器を返却し、二人とオニ壱はまた捜索に戻ろうと外に出た。

 

 

「……それでは、私たちはこれで」

 

「人の趣味に色々言うのはアレですけど、人体模型にメイド服を着せるのはどうかと思いましてよ?」

 

「ごめんね沙都子ちゃん。こればかりは譲れないんです」

 

「筋金入りですわね……」

 

 

 大真面目な顔でそう言う入江の腕の中には、メイド人体模型が抱かれていた。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、これで…………あ、そうだ」

 

 

 何か聞きたい事でも出来たのか、山田はもう一度だけ入江に尋ねる。

 隣に立っていた沙都子とオニ壱が「どうしたの?」と言いたげに、小首を傾げていた。

 

 

「あの、ちょっとお聞きしたいんですけど」

 

「はい? 僕でよろしければ」

 

 

 目を細めて、難しい事を考えていそうな様子の山田だ。彼女の脳裏には、矢部の話したレナの二面性についてが、蟠っていた。

 

 

「……人間の人格が変貌すると、言うのに……何かこう、理由と言うか、そう言うのがあるんですか?」

 

「人間の人格が……変貌?」

 

 

 少し動揺したように目を泳がせてから、入江はすぐに表情を引き締めて、色々と考察を立ててくれた。その表情には高い知性が宿っていた。

 

 

「……そうですね。まず、我々が『意識』と名称している現象の殆どは、『脳』によって培われております」

 

 

 自身の頭部を指差し、解説する。

 

 

「記憶、言語、行動、感覚、思考……感情さえも」

 

「感情、さえも……」

 

「えぇ。そもそも、我々人間には他の生物が持ち得ない性質を持っております。それは、『抑制』……つまり、我慢する事。これは思考や行動、意欲や注意、感情さえ司る『前頭葉』の発達が起因していると言われております」

 

 

 なかなか学術的な話になって来たので、山田も沙都子も顰めっ面になっていた。

 二人の様子に気付いた入江は、困ったような笑みを浮かべながら説明を変える。

 

 

「例えば、『夕食前だから間食は控えよう』とか、『恥ずかしい思いをするからやめておこう』だとかは、実は人間特有の思考なんです」

 

「え!? そうなのですか!?」

 

「僕たちは抑制によって行動をコントロールし、生活の為と他者とのコミュニケーションの為にと、上手く利用しているんです」

 

「ハッ!? それでは、私がお野菜を食べられないのは、生活の為で」

 

「沙都子ちゃんのはただの好き嫌いだから。いっぱい食べて」

 

 

 暫くして少し入江は、暗い顔を見せた。

 その機微に山田らが気付く前に、何とか表情を繕う。

 

 

 

「……性格が変わると言うのは思うに、『抑制の度合い』です。タガが外れれば人間、何をしでかすか分からない……と、言うのは、山田さんも沙都子ちゃんも経験がおありかと思います」

 

 

 入江のその話を聞き、山田は染み入る思いに打たれた。沙都子も同じ気持ちだったかもしれない。

 

 

「しかし、原因については難しい話でして……感情なのか、脳の異常なのか、一概には判断は出来ません。それに、自分と他者の関係を図ると言われるのは『扁桃体』と呼ばれる耳の奥にある部位でして、そこの異常も考えられます」

 

「………………」

 

「或いは神経細胞上の異常……つまり、ニューロンやシナプスの問題もあります……全てが全て前頭葉のせいとも言えないんです」

 

「………………」

 

「だから、『人格が変貌する』理由については……総括的に判断する必要がありますね」

 

「……あの、もう一つ良いですか?」

 

 

 山田は入江の話を聞き、ついつい思い出してしまった人物について話し出す。

 

 その人物とは、数日前に雛見沢村を引っ掻き回した悪女、ジオ・ウエキ──浮恵の事だ。

 浮恵がしていた話を何となく、思い出していた。

 

 

 

 

「……変な話かもしれません。ある、ドイツ人の女の子が、交通事故に遭いました」

 

 

 魂の転生の主張に使われた、「ヘレーネ・マルカルド」の話だ。

 入江は嫌な顔一つもせず、真剣に聞き入っている。

 

 

「その女の子は意識不明の後、何とか回復するんですが、起きた時に振る舞いも言葉遣いも何もかもが変貌していたんです」

 

「…………ふむ……」

 

「その子は訛りの強いイタリア語で自分の名前と生まれた場所を答えました。すると本当にその場所に、言った通りの人間が実在していたんです。それも、何十年も前に亡くなっていた人物です」

 

「………………」

 

「……この話をした人は、『魂の転生』だと言っていました。でも、入江さんからすれば、どう考えられますか?」

 

 

 暫く考え込んだ後に、入江は「憶測と僕なりの考えで恐縮ですが」と律儀に前置きして語り出す。

 

 

 

 

「……恐らくその子は、『前頭葉』を損傷したのでしょう」

 

 

 

 

 入江は自身の額を横になぞりながら、言葉を続けた。

 

 

「『フィアネス・ゲイジの症例』は、ご存知ですか?」

 

「いえ……」

 

「このゲイジは土木作業員で、真面目で几帳面で人柄も良く、誰からも愛される男でした。しかし岩に爆弾を設置する作業の時に、事故で誤爆させてしまい重傷を負ってしまいました」

 

「………………」

 

「その事故と言うのが、爆発で吹っ飛んだ杭が、左の頬から入って右の頭部まで貫通すると言うものでした」

 

 

 地味に想像出来る痛い内容に、沙都子はゾッとした様子で左頬と右側の額に手を置いていた。

 

 

「しかしゲイジの怪我は回復。麻痺もなく、外見に大きな崩れも見受けられなかった。これは抗生物質が無かった当時にとっては、『奇跡の出来事』。人々は彼の回復を喜びました──しかし……」

 

「しかし…………?」

 

「……ゲイジの性格が、全くの別人になっていたんですよ」

 

 

 その言葉を聞いた途端、山田と沙都子は驚きから目を見開いた。

 

 

「仕事は雑になって、嘘吐き。更には怒りっぽくなり、それまで慎重な性格だった彼は騙されやすい性格にもなったとか」

 

 

 入江は一呼吸置いてから、続ける。

 

 

「ゲイジの死後、遺体を確認すると、前頭葉が破壊されていた事が分かりました。この症例こそ、前頭葉と人格の関連について述べられた、世界最初の症例なんです。前頭葉の破壊が、ゲイジを変えたんです」

 

「じゃあつまりですわ!……さっきの山田さんの話に出ていた女の子は……」

 

「その通りだよ、沙都子ちゃん……性格が変わった原因は恐らく、事故で前頭葉を損傷したのではないのでしょうか」

 

 

 山田と沙都子は思わず、息を飲み込んだ。

 

 

「前頭葉には言語を司る言語野も存在します。ここの破壊によって、呂律が回らなくなったり、最悪の場合全く言葉が話せなくなると言った症状が現れます。その子の場合、失語症よる発音の乱れから、意思疎通が不能になったのかと」

 

「でも、でもですわ……実際にイタリアに、その子の言った人が生きていたって言う話はなんなのですか?」

 

 

 沙都子の質問に答えたのは、山田だった。

 彼女は納得したような面持ちで話し出す。

 

 

「……話題の為のデマカセ」

 

「え、えぇ!?」

 

「思えばそうですよ。イタリアの訛りだとか、何だとかって、一家庭が調べ切れるハズがありません。恐らく話を聞き付けたゴシップ誌の記者だとかが、でっち上げたんだと思います」

 

 

 山田の意見に対し、「科学的な話にするならばそうなりますね」と入江も同意の姿勢を示した。

 

 

 

 

「…………証拠なんて、幾らでも作れます。それが真実だとすげ替えられる場合だって……ありますよ」

 

 

 話し終えた彼、入江に対し沙都子は、驚きと尊敬が半々ずつぐらいの視線を投げかけていた。

 

 

「……監督って、意外でしたわ……頭の中の事に詳しいのですわね」

 

「意外って……ははは。まぁ、医者をやるからには当然だよ」

 

「少し、監督の事を見直しましたわ!」

 

「そう? なら僕だけのメイドさんになりゅ?」

 

「は?」

 

「ごめんなさい」

 

 

 聡明で若く、ややスケベな医者先生。山田が抱いた入江の印象は、それであった。

 

 だがなぜだか山田は、彼が時折見せた暗い表情に、違和感を抱かずにいられなかった。

 脳の話がそんなに嫌だったのだろうか。つい、そう思ってしまう。

 

 

 

 

 

「……真実にすげ替えられる……か……」

 

 

 彼の言葉がその瞬間、妙に気になって仕方なかった。

 山田はオニ壱と共に、首を傾げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田と沙都子を探していた魅音と圭一だったが、二人は案外あっさり見つかった。

 診療所を後にしていた二人は、呑気に駄菓子屋の前で買った、真っ赤なすもも漬けを吸おうとしていた。

 

 

「あー! いたー!」

 

「沙都子と主さま……!! ここにいたのか……!」

 

「主さまってどなたですの?」

 

「あ、私の事です。また呼び名増えたな」

 

 

 すもも漬けの入ったパックに小さなストローを突き刺し、すももが浸された汁をチューチュー吸い続ける山田と沙都子。

 少し話しにくい光景だが、事態は一刻を争う。魅音はすぐに用件を二人に伝えた。

 

 

「聞いて、山田さん! さっき」

 

「ごっふぉッ!? ぐふぉッ!?!?」

 

「……大丈夫?」

 

「あ、すみません。すもも漬けの汁でむせただけです。どうぞ続けて」

 

「さっき山田さんらの」

 

「ぐぇふごッ!? ぼっふぉおッ!?!? 酸っぱッ!!」

 

「吸うの下手過ぎない?」

 

 

 気を取り直して、先ほどあったレナとの電話の内容を伝える。

 その間、山田にすもも漬けを吸わせないようにさせた。

 

 

「山田さんらの家で、レナからの電話を受け取ったの」

 

「レナさんからですか!?……え? てか、勝手に入ったんですか!?」

 

「泥棒してないからセーフ」

 

「いやそう言う問題じゃないし!」

 

「レナも様子がおかしいし……何より、上田先生と梨花ちゃんを人質にしていたり……」

 

 

 なによりもその事実が、かなりのショックを招く。

 裏山で山田と沙都子が推測した通りだったが、それが事実だった事とやり口の読めなさに困惑するのは自然の反応だろう。

 

 

 

 

「………………」

 

「……?」

 

 

 それよりも山田が気になったのは、妙に暗く様子がおかしい、圭一の姿だろう。

 すもも漬けをまた吸いながら、彼の様子に注意する。

 

 

「レナさん……どうしてこんな事を……」

 

「何もレナの本意って決まった訳じゃないよ。あの……ほら、誰かに脅されている可能性もあるじゃん」

 

「……きっと、そうですわね。あの優しいレナさんが、梨花を傷付けるなんて事は……」

 

 

 あくまでレナの本意ではないと考える、沙都子と魅音。

 それはいつもの、天真爛漫とした彼女を知っているからこその信頼だった。

 

 

 

 

「……いや。あれはレナの意思だ。誰にも脅されている訳じゃない」

 

 

 

 しかし圭一は二人の憶測を否定する。

 驚いた様子で振り向けば、影のかかった彼の表情があった。

 

 

「レナがああなった原因は、その……俺にもあるんだ……!」

 

「圭一さん……!?」

 

「……レナを止めないと。出来る事なら最悪、俺一人でも行くから」

 

「ちょっと待って圭ちゃん、落ち着いて」

 

 

 焦燥感を募らせる圭一を、魅音は厳しい口調で咎めた。

 

 

「……レナに何言われたのかは知らないし、圭ちゃんも言いたがらないからこの際聞かないけどさ……一人だけとか、誰々のせいだとかは、こんな状況で言わないで。混乱するだけ。分かってる?」

 

「でもな魅音……! 早くしねぇと、上田先生も梨花ちゃんも……!!」

 

 

 圭一の次の言葉を、魅音は自分の宣言で以て封殺する。

 

 

 

 

「みんなでレナを止める。終わったらまた元通り。だから一人で焦っちゃ駄目」

 

「……!」

 

「分かった圭ちゃん?」

 

 

 そう言ってまた魅音は、ニコリと微笑んでみせた。

 こんな時の彼女はとても頼りになる。圭一もそこは信頼している為、これ以上は何も言わなかった。

 

 同時にまた自身の中でも、罪悪感は膨れて行く。

 

 

 メンバーの方針と結託を魅音が宣言したところで、再びレナの話に戻る。

 気が付けば山田は、肩に乗せたオニ壱にすもも漬けの汁を吸わせてあげていた。

 

 

「それでレナさんは何と仰っていて……?」

 

「うん……話は全部、メモって来たから」

 

 

 魅音は学生鞄からノートを取り出し、書き留めた内容を伝える。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

先回り

 レナからの指示は、妙に細かかった。

 

 

 この内容は山田と部活メンバー……つまり、魅音と圭一と沙都子の四人にのみ話す事。

 

 向かう場所は、小河内の山中にある山道内。その奥にある、電話ボックスへだ。

 しかしそこへ向かうにしても要求が細かく、まず山中へ入るのは魅音と沙都子の二人のみ。

 

 

 その間、圭一は麓にある停留所で、山田は山道の途中にある街灯の前で、それぞれその近くに隠した小物入れを探さなければならない。

 二人はその小物入れを見つけ次第、魅音らと合流する。

 

 

 

 以上を電話終了後、一時間半以内にこなす事。

 時間が超過したり、第三者への通報したり、言った事を守らなかったりした場合、梨花と上田の無事は保証しない。

 

 

 電話ボックスに着いたら、そこに貼っておいた電話番号にかける。

 電話が繋がると、一つのクイズをレナが出題する。

 クイズのヒントは、圭一と山田が探すであろう小物入れの中にあるらしい。

 

 

 そのクイズの答えこそ、レナの居場所だ。

 それらの「ゲーム」をクリアし、その場所へ日没までに到着すれば梨花と上田は解放する。レナ自身もみんなの前に戻るとの事。

 

 

 

 

 

 聞けば聞くほど、不可解だ。

 山田と沙都子もまず、首を捻る。

 

 

「レナさん、一体なにしたいんだ……? なんか、色々と回りくどくないですか?」

 

「えぇ、確かに……遊びと言うより時間稼ぎ、のようにも思えますわね」

 

「時間稼ぎにせよ、何が目的なのか分かんねえんだよな……俺たちを足止めしたところで、興宮とかにいる魅音トコの組員と警察には関係ないもんな……」

 

「……何にせよ、あと一時間しかないよ。やるしかないか……」

 

 

 とは言え要求を蹴れば、梨花と上田がどうなるのか知れない。

 彼女の居場所が判明しない以上、従うしかないだろう。

 

 

 メモ帳に使っていたノートを捲った時に、魅音は思い出したかのように山田を呼んだ。

 

 

「……あぁ、後……山田さんに、上田先生からの言伝だって」

 

「……え? 私に? 上田から?」

 

 

 山田は汁を吸い切ったすもも漬けの、まだすももの入ったパックを開けようとしながら目を丸くする。

 

 

 

 

「……てか、これ開かないんですけど」

 

「あ、私ハサミ持っておりますから、使われます?」

 

 

 パックが開かない為、沙都子からハサミを借りて切り開いた。

 中からすももを取り出し、それを頬張る。

 

 

「うめーー!」

 

「……もう良いかな山田さん?」

 

「す、すみません……どぞどぞ」

 

「うん……ちょっと長いんだけどね」

 

 

 魅音はその言伝を書き取ったノートを、山田に見せてやる。

 

 

 

 

『山田奈緒子 梨花もここにいるけども 無理して来るのはいいな止めるんだ デカらには絶対話すなよ』

 

『余談だが君が近くに来ると すぐさま俺たちが狙われる 息の根さえ止められるだろう 待機するんだぞいいな?』

 

 

「言伝してまでめちゃくちゃ念押してんな」

 

 

 

 山田に対する、上田からの忠告だった。

 あの男らしく、自分の命が惜しい故のお願いのようにも思えた。

 

 こんな状況ではあるが、上田らしく苦笑いを溢してしまう山田。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 しかし瞬時に、その苦笑いはスッと消える。

 次には、食い入るように上田の言伝を見ていた。

 

 

「え? 山田さん……どしたの?」

 

 

 あまりにも真剣な様子の彼女へ、魅音は心配そうに声をかけた。

 山田は怪訝そうに目を細めながら、疑問を呟く。

 

 

「……なんか、違和感が……」

 

「違和感? うーん……聴き間違えはないハズだけど……」

 

「いやまぁ、違和感と言うか……上田さんにしては変な言い回しがチラホラと……」

 

 

 今までも上田は手紙などで意思を伝える際、変な箇所で小難しい漢字を使ったりは確かにしていた。

 しかしこの言伝は、それを度外視したとしても、日本語としての言い回しに不自然さがある。

 

 

「こことか」

 

「えと……『梨花もここにいるけども』って、ところ?」

 

「上田さんなら……『梨花もここにいる』とか、『梨花も無事だ』とかって書きそうだなぁ〜……って。てか、梨花さんとかの無事とか、わざわざ言伝で言わないかもって」

 

 

「あと」と、山田は続けた。

 

 

「……『デカらには』ってとこも。上田さん、全く全然さっぱりすっぱりこれっぽっちも一切マッサイ売れないけど、あれでも本とか論文書いているんで」

 

「売れないけど云々はやめてあげない?」

 

「マッサイではなくて合切ではないのでしょうか?」

 

「結構、俗語とか略語とか……そう言うのには気を使うって、言ってたんです。上田さんなら間違いなく、デカよりも『警察には』って言うかなぁ……とか、思ったり………………思わなかったり?」

 

「どっちなんすか師匠」

 

 

 とは言え、不自然な部分を挙げると割りかし出てくる。

『息の根を止められるだろう』も、少し言い回しが冗長だ。『殺される』で結構のハズ。

 

 また所々、『無理して来るのは』や『君が近くに来ると』など、主語があやふやな箇所がある。

 

 どうにも山田は勘だが、上田らしくない文章だなと思えた。

 

 

「………………」

 

 

 もしかして彼はこの言伝の中に、何か別の意図を隠しているのではないか。

 字数を数えたり、縦読みをしたりと、色々と試してみる。

 

 

 

 

 

 熟考する山田を前に、魅音はふと少し前の事を思い出していた。

 

 

「デカって言ったら……前に山田さんたちが屋敷にいた時に、上田先生が言っていたよね。ほら、チャカとかの話」

 

「今更ですけど、チャカって組織裏切りそうなチャラ男っぽい感じありますよね」

 

「その感性はちょっと理解出来ないっすね、マイマスター」

 

 

 恐らく、園崎三億円事件が起こる直前の時の話だろう。随分前のようにも感じる。

 

 だが、あの時の話こそが、この言伝の真意に迫るヒントだとは思いも寄らなかった。

 

 

「チャカもデカも、由来は同じって奴だったっけ?」

 

 

 

 

 

 あの時の話を思い出した山田は、目をカッと開く。

 そして魅音からノートを受け取り、上田の言伝を何度も読み返す。

 

 

「え? や、山田さん?」

 

「どうなされまして……?」

 

 

 魅音と沙都子が、様子が豹変した山田を不安げに眺める。

 彼女らの隣に立つ圭一もまた、似たような表情で山田に問いかけた。

 

 

「あの、どうしたんですか? やま……間違えた。我が女王」

 

「圭ちゃん、間違ってるのは言い直した方だからね?」

 

 

 一頻り読み返し、確信に至った山田は魅音に手を差し出した。

 

 

「すみません、魅音さん。鉛筆か何か、書ける物を貸していただけないでしょうか?」

 

「え? い、いいけど……」

 

 

 彼女から鉛筆を借りると、山田はノートに何かを書き込み始めた。

 チラリと覗き見するならば、上田の言伝を全て「ひらがな」に書き直しているようだ。

 

 

 

 

『やまだなおこ りかもここにいるけども むりしてくるのはいいなやめるんだ  でからにはぜったいはなすなよ』

 

『よだんだがきみがちかくにくると すぐさまオレらがねらわれる いきのねさえとめられるだろう たいきするんだぞいいな?』

 

 

 

 

 

「…………あ」

 

 

 その書き直した文章を見た時、山田は「もう一つの真意」にも気が付いた。

「もう一つの真意」を知った時、彼女の脳裏にはレナに関する記憶が蘇る。

 

 

 

 

 

 

『彼女の経歴について調べたら、何と十五歳から三年間を精神病院で過ごしていた。もっと調べたら、過去にクラスの男子を金属バットでボコボコにしたとか』

 

『当時の資料をワシら、持っとるんや! そこにはキチンと、「竜宮礼奈が学校に籠城し、そのまま爆破させた」ってあるんや!!』

 

 

 彼女の持つ、強い凶暴性と影。

 相反してまた隠し持つ、強かで狡猾な部分。

 

 竜宮レナは己の目的の為なら、どこまでも残酷になれる少女だ。それは認めなければならない。

 

 

 

 

 

『学校を爆破するまでとは、私は絶対に信じませんが……何か思惑がある事も確かです。お探しになられているのでしたら、その思惑を考えてみてはいかがでしょうか?』

 

 

 ならば、その目的とは何なのか。

 何かを欲しているのか。何かに怯えているのか。

 

 

 

 

 

 

『私が運動場に来ない梨花を探してと、上田先生にお願いしたら……二人ともいらっしゃらなくなりました』

 

 

 上田は校内で何かを見つけて、裏山に向かったに違いない。

 この場合、何かは重要ではない。

 

 その、「何かはどこにあった」のかが問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『そう言えば、レナさんは? レナさんも一緒に捕まっていたんですよね?』

 

 

 

 

 

 

 

 もしかして彼女は────

 

 

 そう推理した時、さっきの場面を思い出す。

 

 様子のおかしい圭一と、彼とレナのみに交わされた秘密の会話があるらしい事。

 

 そしてわざわざ、このような回りくどいゲーム方式を取った理由も、気が付いた。

 

 

 

 

 

「……圭一さん」

 

 

 突然、山田に呼ばれ、彼はやや呆然としている。

 だが彼の返答と反応は待たず、山田は彼に問う。

 

 

 

 

 

「電話口での会話。教えて貰えませんか?」

 

「………………え?」

 

「それで確信が持てるハズ……私はもう、分かったんです」

 

 

 呆然な圭一の表情に、怯えが現れた。

 それでも山田は、引かないつもりだ。

 

 

「レナさんの目的も、真意も、長い長い逃走劇の理由も……今日までの全てと──────」

 

 

 

 間を置いて、彼女は宣言する。

 

 

 

 

 

 

 

「────繋がりました」

 

 

 オニ壱の右手がぴょこっと上がり、圭一を指差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 矢部と秋葉はまだ、雛見沢分校の校庭をうろついていた。

 

 

「全然こぉへんやないかい」

 

「来ないっすね〜」

 

 

 既に日は傾き出している。

 とは言え気温はまだまだ下がらない。矢部は髪の下をペロッと開けて、秋葉に扇子で扇がせていた。

 

 

「これ、ワシらここにおる意味あるんか?」

 

「あまり無いんじゃないですかね? 色々、手は回しましたし?」

 

「てか、竜宮礼奈どこやねん」

 

「竜宮城じゃないっすかね〜? あ、僕の場合は良く、アキバにいるんだろって言われるんですよ〜! その通りなんですけどねぇ?」

 

「なんの話しとんねん」

 

 

 思い返せば、予防策は既に打っている。

 

 学内にはもう教師しかいない上、使用されるであろう営林署のガソリンはほぼ無い。

 正直、学校を吹き飛ばす勢いの大事件なんか起きる事はない状況ではある。

 村内にも警察や園崎家の目もある。

 

 この状況でどうやって、成し遂げると言うのだろうか。

 

 

「ワンチャン、諦めたんちゃうか? ワシの完璧な采配で竜宮礼奈は降参したんやろ」

 

「矢部さんがちょっと引っ掻き回したトコありましたけどねぇ」

 

「やかましぃわい! 結果的に竜宮礼奈を村から遠ざけて、事件を防いだんやから寧ろエエ事やったやんけ! 怪我の肛門や!」

 

「肛門じゃなくて『功名』ですよ〜矢部さん! 痔になっちゃってます!」

 

「どっちでもええがな! んなもん!」

 

「え、えぇ〜? 良くないですよ〜?」

 

 

 立ち疲れたのか矢部は、その場でクッとしゃがみ込んだ。

 朝からなので、かれこれ六時間近くは立ちっぱなし。足がそろそろ張って来る。

 

 

 

 

「しっかし矢部さん。何だかんだですけど、この礼奈ちゃんもかわいそうな子ですよね〜」

 

 

 秋葉が扇子で矢部の髪の下を扇ぎながら、そう話しかけた。

 

 

「なんでや?」

 

「両親の離婚でお母さんと離れて、かと思えばお父さんが美人局の被害者になりかけて、今はその相手の女のせいで大変な状況とか、不幸のジェットストリームアタックですよ〜」

 

「そういえば親父さん、今も危ない状態言うてたなぁ」

 

 

 礼奈の父親は間宮律子によって頭部を殴打され、今も意識が戻らない状態と聞く。

 もしかしたら今の礼奈は、父親の状態を知らずにいる可能性もある。

 

 

「そりゃぁ、まだ中学生の女の子には耐え切れませんよね〜」

 

「………………」

 

「しかも事件後には村が災害で無くなって、お父さんも友達も亡くしたとか、めちゃくちゃ不憫でちょっと僕、泣けて来ちゃいますよ〜」

 

「………………」

 

 

 矢部は何も言わず、渋い表情で山の方を眺めていた。

 いつも饒舌な彼が暫しでも黙り込むのは、とても珍しい事でもある。

 

 

「……まぁ、だからと言って学校吹き飛ばすのはちゃうやろ。未然に防げて良かったんとちゃうか?」

 

「まぁそうですねぇ〜。後は見つけるだけですもんね〜」

 

「見つけるだけなんやけどなぁ……」

 

 

 少し居心地の悪そうな顔で、頭の上を撫で付ける矢部。

 その内、またのっそりと立ち上がった。

 

 

 

 

 そんな二人の元へやって来たのは、知恵先生だ。

 

 

「おぉ! なんか美人な先生来たで!」

 

「確かシエ……知恵留美子先生でしたっけ? 埋葬機関第七位の人みたいな名前っすね〜」

 

「意味分からんわ。お? なんか運んで来たな!」

 

 

 彼女は両腕で大きなトレイを持ち、その上に複数の物を乗せている。

 また背中にはリュックも背負っていた。

 

 

「お疲れ様です、刑事さん! 作り過ぎちゃったんで、お昼ごはんにどうですか?」

 

 

 オボンの上にはカレーライスが二つ乗っていた。

 後は簡単なサラダと、飲み物が入っているであろう魔法瓶とそれを淹れる為のコップ。

 

 

「おぉ〜! カレーですかい! いや、こりゃおおきに!」

 

「うわぁ〜! 良いんですかぁ!?」

 

「どうぞどうぞ、遠慮なく!……あ、ちょっとお二人がたで持ってて貰えますか?」

 

 

 トレイを秋葉と矢部に手渡す。

 二人はトレイの左右の取手をそれぞれ担当して待たされた。

 

 

「え? なんで二人でなんですか?」

 

「いやあの、これ一人でも良かったんちゃいますかねぇ?」

 

 

 矢部と秋葉の質問は無視し、彼女は自由になった両手で魔法瓶を手に持つ。

 二人のコップに、わざわざ淹れてあげるつもりらしい。

 

 

「あー! お茶までありがとうございますぅ〜!」

 

「いやいやでも、先生! お茶まで淹れて貰うんはさすがに悪──」

 

 

 

 

 魔法瓶の口から出てきたのは、熱々のカレーのルーだった。

 それがトクトクとコップに注がれて行く。

 

 朗らかな表情だった矢部と秋葉は固まる。

 

 

「すみません……元々、生徒たちに振る舞おうかと思っておりましたが、休校になっちゃいまして。かなり残っているんです」

 

 

 サラダにもそのカレーのルーをかけて行く。

 健康的な緑黄色は、茶色に支配された。

 

 

「校長先生にも振る舞っているのですが、ちょっと食べ切れなさそうでして……」

 

「あの、先生……ちょっと、カレーが多いんちゃうかなぁって……」

 

「カレーは飲み物ですから。実は裏の農園で野菜が多く収穫出来たので、みんなの為に作ろうと昨日から仕込んでいたのですが……」

 

「あの〜、シエル先生……?」

 

 

 逃げるにも、トレイを二人で持たされている為に逃げられない。

 彼女は徐にリュックを下ろし、中を開く。

 

 

「この通り、白米もカレーも沢山ありますから! お代わり自由ですよ!」

 

 

 中からタッパーに詰められたご飯と、カレーのルーが入っているであろう魔法瓶が幾つか取り出す。

 

 一本の魔法瓶には、ひっきー人形がぶら下がっていた。

 

 

「いやあのワシ、最近胃もたれが酷くてこんな食べられ」

 

「さぁさぁ! 片手が空いていますし、食べられると思いますので! 是非是非!」

 

「先生、あのぉー、ワシらが休校にさせた事怒ってはります?」

 

「いえいえそんな、私が楽しみにしていたカレータイムを無かった事にされたぐらいで……寧ろカレーの素晴らしさを濃縮して二人に伝えられる良い機会ですから!」

 

「めっちゃ怒ってはりますねぇ?」

 

 

 二人の言葉を無視し、知恵はどんどん皿にご飯とカレーを追加して行く。

 今の彼女からは「食べ切るまで帰さない」とも言いたげな、強烈なオーラが放たれていた。

 

 

「シエル先生、あの、僕ぅ……ちょ、ちょっと、偏食気味で……」

 

「大丈夫です! カレーはみんな大好きですから! あと私は知恵留美子です!」

 

「あはは、この人ヤバい。僕の心のヤバい奴ぅー!」

 

「さぁさぁ! 冷めない内に!」

 

 

 逃げられも出来ない為、二人は空いている方の手でトレイの上のスプーンを手に取る。

 しかしなかなか、スプーンをカレーに差し込められなかった。

 

 

 

 

「……あの、ほら。カレーって、寝かしたら美味くなるやないですか。ならまたぁ、ほら。明日とかに一段と美味くなったカレーを、生徒たちに改めて」

 

「さぁッッッ!!!!」

 

「いただきますぅ〜。いただかせていただきますぅ〜」

 

 

 知恵に発破をかけられ、ようやく二人はカレーを食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 道路沿いを行き、小河内を目指す部活メンバー。

 昼下がりのうだる暑さに顔を多少歪めているものの、足取りだけは早かった。

 

 

「……約束の時間までは?」

 

「ええと……あと、四十分ある。十分間に合うよ」

 

「大丈夫なのでしょうか……」

 

 

 不安げな沙都子だが、魅音は彼女の肩を叩き、明るい笑顔を見せてやる。

 

 

「……信じよう。上手く行くってば」

 

「……えぇ。そうですわね」

 

 

 沙都子もまた、ニコリと笑う。

 

 

「…………信じますわ」

 

 

 そのまま二人は何も言わず、目的地を目指す。

 小河内の山中、電話ボックスへと。

 

 ただただ信じ、一歩一歩を踏み締めて道路を行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女らを見つめる、一人の目。

 森の中に身を隠し、遠巻きから道路を覗いていた人影。

 

 その目が魅音たちを認知した時、不機嫌に細められた。

 

 

 

 

「…………どう言う事なの……?」

 

 

 握っていた鉈の柄を、ギリギリと握る。

 あまりに強く握っていた為か、腕が震えていた。

 それほどまでに、彼女は目の前の光景が信じられなかった。

 

 

 

 

「…………言ったハズなのに」

 

 

 道路沿いを延々と行く、部活メンバー。

 

 

 

 

 

「……二人しかいない」

 

 

 目的地へ向かっているのは、魅音と沙都子しかいない。

 圭一と、山田の姿がない。

 

 

 息を潜め、草木と木々の裏に隠れ潜む人影。

 その人影こそ、レナだった。

 

 

「……やっぱり、上田先生の言伝……何か暗号があったんだ」

 

 

 全てを察したレナは、身を翻して森の奥へ消えた。

 目は爛々と光り、焦燥感と怒りに満ち満ちている。

 

 狂気とも言える黒い感情が、彼女を突き動かしていた。

 すぐにレナは、二人の監禁場所へ戻ろうとする。

 

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 

 微かな気配を感じ取った魅音は、ふらっと振り返った。

 

 

「どうしました?」

 

「いや……気のせいかな?」

 

 

 次に魅音は鼻をヒクヒクとさせる。

 嗅ぎ慣れない匂いが、鼻に触れたようだ。

 

 

「……そう言えば沙都子さ。何か、香水とか振ってた?」

 

「あら? 分かりますの? うふふふ……『シャネルの五番』の石鹸ですわぁん……上田先生の物を拝借しましたのぉ」

 

「ど、どうしたの沙都子? キャラおかしくなってる?」

 

 

 真夏の陽光が照り付ける。蝉が鳴き続ける。

 そんな夏の陽気が醸した陽炎だったのだろうか。

 

 

 

 二人を見送る、巫女の服を着た少女の姿があった。

 それはどこかで蝉が飛び去ったのと同じく、風か空気のように霧散する。

 

 もう一度魅音が振り返った頃には、やっぱり何もいやしなかった。

 

 

 

 歩きながら沙都子は心配を吐露する。

 

 

「……山田さんは、辿り着けたのでしょうか……圭一さんも少し、道順が曖昧な様子でしたから……」

 

「こんな暑くなるとはねぇ……二十分も山の中迷ったら、間違いなく倒れちゃうんじゃないかなぁ」

 

「……都会人の山田さんの方が不安ですわね」

 

「信じよう。信じとこう」

 

 

 呼吸は少し整えてから、二人はまた山を登る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっつぅうーーーーーーッ!!!!」

 

 

 むさ苦しい暑さに満ちた山の中で、山田は叫ぶ。

 彼女は圭一を連れて、レナの指定した場所とはまた違う山中にいた。

 

 

 先導する圭一が、シーっと山田を静かにさせる。

 

 

「し、静かにしてくださいよ御山田様!」

 

「その呼び名はやめろ」

 

「もしかしたら、近くにレナがいるかもしれないのに……!」

 

「てか圭一さん、道は本当に覚えてるんですか!?」

 

 

 山田の質問に対し、圭一はやや微妙な顔つきになる。

 

 

「いや、あの時は無我夢中でしたし……こう、山の中って景色が似たような物っすから、覚えているかと言われたら何とも……」

 

「ちょっとちょっと!? 圭一さんが知っているって言ったから来たんですよ!?」

 

「あの時は殆ど、レナの案内で……そういや、やけに詳しかったな。お宝探しでこの山にも入っていたんすかね?」

 

「いや聞かれても知りませんよ」

 

 

 肩に乗っているオニ壱も、暑さのせいか首をカクカクさせていた。

 このままずっとここをさまようのなら、野垂れ死にもあり得る。

 

 

「マジで参った……」

 

「まいっちんぐマチコ先生っすね」

 

「やかましいわ。なんかこう、ベンガルとグローバルみたいに」

 

「ヘンゼルとグレーテルっすね」

 

「どこか上田か梨花さん、道標とか落としてないでしょうか……」

 

「あったとしても今からじゃ、そっち見つける方が寧ろ難しいっすよ。我がアドミラール」

 

「そろそろ呼び名安定させません?」

 

 

 ここまで来たと言うのに、まさかの遭難なのか。

 上田のメッセージはきちんと解読出来た。解読出来た上での、行動だ。

 

 しかしまさか、こんな有り様だとは寧ろ笑えて来る。

 最低でも、水を幾つか持参しておくべきだったなと、山田も圭一も後悔していた。

 

 

「うぅ……申し訳ありません、コマンダー……!」

 

「いえ……でも、この近辺なのは確かなんですよね?」

 

「はい。それは薄っすらと……近いハズなんです……!」

 

 

 焦れば焦るほど、体力を消耗してしまう。

 このまま倒れてしまえば、本末転倒だ。

 

 

 何か目印はなかったか。

 ここから何か見えないか。

 それか何か、聞こえないか。

 

 

 何か聞こえたとしても、この蝉時雨の中では難しいだろう。

 山田は音での探知は殆ど諦めて、真っ直ぐ目を向ける。

 

 

 

 

 

『……こっち…………』

 

 

 

 

 

 だからこそ、山田は驚いた。

 蝉時雨を裂く、鮮明な声が聞こえたからだ。

 

 

「…………え?」

 

「ん? どうしたっすか?」

 

「いえ……気のせい……?」

 

 

 

 空耳や幻聴ではないと、すぐに判明する。

 もう一度同じ声が、さっきよりも鮮明に聞こえた。

 

 

『こっち……です…………』

 

 

 山田は声のした方へ、振り向く。

 

 

 

 

 距離が離れていて、少し見えにくい。

 

 だが、誰か立っている。

 白と赤の、変わった装束を着た子どもが、立っている。

 

 

「…………え?」

 

『こっち……早く』

 

 

 かなり遠い。なのに、声は良く通っている。

 山田は愕然とし、目を点にさせた。

 

 

 人影はサッと身を翻し、山の奥へと入って行く。

 何度も何度も、山田へ呼びかけながら。

 

 

「け、圭一さん……えと、こっちです」

 

「え!? や、山田さん!? 分かるんすか!?」

 

「……聞こえないんですか?」

 

「? な、なにが……?」

 

 

 圭一は本当に聞こえていないようだ。

 もっと言えば、視界の奥にいる子どもらしい人影も、見えていないようだ。

 

 山田はその人物の導きに従うか、逡巡する。

 

 

 

 

『……早く。急いで』

 

 

 しかし山田はなぜか、この声の主が悪い者ではないと思っていた。

 なぜそう思うのかは分からない。ただ、直感で危険な人物ではないと思っていた。

 

 

 山田はその導きに、従う事にする。

 

 

「……こっちです。行きましょう」

 

「……大丈夫なんすか?」

 

「分かりませんけど……でも、行くしかありませんし……」

 

 

 声は呼ぶ。

 

 そして誘うように、その身体を揺らす。

 

 遠目からだが、頭に妙なツノがあるようにも見えた。

 

 紅白の衣装かと思えば、巫女服ではとも気付き始める。

 

 

 何にせよ、こんな山奥ではありえない装いだ。

 

 

 

 

『こっち…………』

 

 

 

 

 しかし、警戒心も恐怖もなかった。

 山田は半分、夢心地な状態で、声に導かれていた。

 

 

 

 

『この先……さぁ、早く……』

 

 

 

 人影はどんどん遠去かる。

 声も段々と遠去かる。

 

 何とかすがりつくかのように、山田は追いかけ続けた。

 

 

『早く……』

 

 

 追いかけ、追いかけ、追いかけて。

 

 

 とうとう、人影は去り退いて行ってしまった。

 一言、残して。

 

 

 

 

 

 

『梨花を……みんなを…………助けてあげて欲しい……のです』

 

 

 

 

 

 彼女は光の中に、消えたようにも見えた。

 

 

 

 

 

 ハッと、気が付いたのは、圭一に肩を掴まれた時だ。

 

 

「や、や、山田さん……!」

 

「……う、うぇ!? け、圭一さん、どうしました!?」

 

「覚えてないんすか!? めちゃくちゃ早かったっすよ!?」

 

 

 彼の方を向くと、汗だらけで息も絶え絶えな様子だった。

 自分でも驚くほど、先々進んでいたようだ。それにしてはあまり、疲労感はない。

 

 

 圭一は呼吸を整えながら「それよりも」と言いつつ、指を差す。

 

 

「……山田さん、あれっすよ……確か、あれだ……!」

 

 

 山田はその、指の先を見やる。

 その先にあったのは、一つの古ぼけた掘建て小屋だ。

 

 

 圭一にとって、とても見覚えのある小屋だった。

 

 

 

 

「あの小屋です……! 俺とレナが……ジオ・ウエキに監禁されていた……!!」

 

 

 一気に緊張感が増す。

 暑さだけが要因ではない、汗が噴き出す。

 

 

 これはゴールではない。

 寧ろ、最大の鬼門だ。

 上田と梨花を解放して、それで終わりなんかではない。

 

 

 

 レナと、二人は、対峙しなければならないからだ。

 ここからはより一層、覚悟を持って挑まなければなるまい。

 

 

「……行きましょう」

 

「は……はい」

 

 

 二人は一歩、前へ踏み出した。

 臆する事なく、しかしレナの存在を警戒しながら、小屋を目指す。

 

 

 途中、山田は何度も辺りを見渡した。

 

 

 自分たちを導いた存在は、何だったのか。

 

 

 

 それはまだ、分からない。

 

 分かるハズもないだろう。

 

 

 

 でもまた、近い内に会えるかもしれない。

 確信めいた直感だけが、山田の中にあった。

 

 だからこそ今はただ、進むしかない。進むだけだろう。

 

 

 

 

 

 小屋はもう目の前だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

獅子吼

獅子吼(ししく) : 大いに熱弁をふるう。


 小屋の中にいる梨花と上田。

 熱の溜まる室内で、汗だらけになっていた。

 

 

「……暑いのです」

 

「これ、解放される前に死ぬんじゃないか?」

 

「熱中症で死ぬのは経験した事ないのですよ」

 

「いやいや、バッカな……死ぬ事自体、経験した事ないだろ」

 

 

 上田のツッコミに対し、梨花はつまらなそうな表情を見せた。

 その間彼は、改めて辺りを見渡す。

 

 

 自身の隣に、立て掛けられたギターがあるだけ。

 縄を切り離せる物なんて無い事は、何度も確認した事だろう。

 

 

「参ったぜ」

 

「まいっちんぐマチコ先生なのです」

 

「それと『いけないルナ先生』は幼気な少年たちをオスに目覚めさせてしまった。俺もそうだったなぁ」

 

「暑さのせいで聞きたくない事暴露したのですこいつ」

 

 

 とは言え、少し暑さでボーっとするのは確かだ。

 意識を保つ為も兼ねて、梨花は上田に質問した。

 

 

「……あの言伝、良く即興で考えられたのですよ……」

 

「即興な訳がないだろ……昨日の晩から考えていた。まぁ、あの子の狙いを知ってからちょっとアドリブ入れたが」

 

「でもレナが言伝とかを受け取らなかったり、狙いが違っていたりしたらどうしていたのですか?」

 

「…………諦めるしかなかったなぁ」

 

「先読み出来ているのか詰めが甘いのか……」

 

 

 しかしと、梨花はつい不安を吐露する。

 

 

「……上田の言伝の意味、山田は分かってくれるのですか?」

 

「あいつなら分かるさ。まぁ、俺の最高にパーフェクトでジーニアスな頭脳を多少セーブして、凡人にも答えられやすいように考えてやった暗号だ。難儀するだろうが、解けない事はないだろぉ!」

 

「でも結構、あの言伝の文章がおかしかったのです。レナにも気付かれかねないのです」

 

「…………ま、まぁ、大丈夫だろ」

 

「本当に大丈夫なのですか?」

 

「大丈夫だつってんだろッ!! 俺が信じるお前とお前が俺で俺がお前の俺を信じろッ!!」

 

「頭大丈夫なのですか?」

 

「言っててこんがらがった……暑さで脳がヒートしちまいそうだぜ」

 

 

 とは言え、上田のおかげで助かる可能性が出来た事は確かだ。

 後はみんなの判断を信じ、祈るだけ。

 

 内心での梨花は、とても緊張していた。

 熱中症で死ぬだとかは考えていない。ただ、緊張していた。

 

 

 

 

「……ここで全部、おしまいになったら……」

 

 

 ぽつりと呟いた言葉はあまりにも小さく、蝉時雨に掻き消され上田の耳には入らなかった。

 

 

 その時、ゴンゴンと軽く木を叩く音が響く。

 突然の音に驚き、梨花と上田はビクッと身体を跳ねさせた。

 若干、上田の方が梨花よりも驚いているようだった。

 

 

「な、なんだ……!? りゅ、竜宮レナが帰って来たか……!?」

 

「……いえ。足音じゃなかったのです」

 

「気のせいじゃないよな? 確かに鳴ったよな?」

 

「しつこいのですよ。鳴ったのです」

 

「確認で聞いたって良いじゃない……」

 

 

 上田は身体を起こし、音源を探そうと小屋内を見渡す。

 もう一度、ゴンゴンと音が鳴った。

 

 

「入り口の方じゃないのです」

 

「……後ろ?」

 

「……みたいなのです」

 

 

 二人はくるりと、身体を捻って振り返った。

 確か背後は、ただの壁があるだけだが。

 

 

 

 背後の壁の、床との境目が腐敗して穴が開いていた。

 この小屋は傾斜に建てられているのか、そこから四段ぐらい下がったところの地面が見える。

 森が鬱蒼としているのか、太陽の位置の問題か、日中にしてはやけに暗い。

 

 

 二人はその穴に、ググッと顔を近づけた。

 ジーっと、穴の向こうを凝視し続ける。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 穴の下からヌッと、何かが現れた。

 

 

 

 

 

 

 

「ハァイ、調子良い?」

 

 

 干からびたムンクの「叫び」のような物体だ。

 さすがの梨花も驚きから、身体を大きく引いて床に転げた。

 

 

「なぁっ!? だ、誰なのですか!? 誰って言うか、なにっ!?」

 

「あ。わ、私です。私ですよ!」

 

 

 変な物体が退いたかと思えば、代わりに山田が顔を出した。その変な物体とは、オニ壱の事だ。

 

 

「いた……! 梨花さん、無事ですか……!? レナさんは!?」

 

「山田……!? だ、大丈夫なのです。レナはいないのです……山田が来たと言う事は、上田の言伝を解いたのですか!?」

 

「えぇ。まぁ、私の最高にパーフェクトでエクストリームな頭脳にかかれば、凡人の仕込みなんてすぐに見破れますよ」

 

「この二人似た者同士なのです……」

 

 

 山田は穴の向こうから、キョロキョロと小屋を見渡した。

 

 

「それで……アレ? 上田さんは?」

 

「上田ですか? 上田は────」

 

 

 

 

 梨花の隣でぐったり、気絶していた。

 突然ヌッと現れたオニ壱は、彼にとっては刺激が強過ぎたのだろう。

 

 

「……オネンネしているのですよ」

 

「すげぇ呑気な奴だな。心配して損した……」

 

「とりあえず早く、ボクたちを助けて欲しいのです!」

 

「えぇ、元よりそのつもりですよ。今からそっち側に行きますが……」

 

 

 穴からチラリと、二人を拘束するロープを確認する。

 ロープは二人の足首、手首、太腿を拘束している。

 その内手首の方のロープが、壁に刺さっているパイプに固く括り付けられ、繋がれた状態だった。

 

 

「切る物はあるのですか?」

 

「あー、確か……やべっ、どうだったかな」

 

「……ここで切る物持って来なかったとか言ったら、末代まで呪うのですよ」

 

 

 オニ壱を肩に置き直し、スカートのポケットを弄る。

 何か硬い物が指に触れ、山田は嬉々として取り出した。

 

 

 廃墟で回収していた、ちょっと折れたトランプの四十枚セットだ。

 

 

「……トランプしか持ってねぇ」

 

「末代まで呪ってやるのです。古手家の本領を発揮してやるのです」

 

「ま、ま、待ってください! う、上田さんを覚醒させる魔法の言葉があるんです! ほぉら上田ぁッ!! ベストだーーッ!! ベストだベストだベストだベストだーーッ!! ベストを尽くせーーッ!!」

 

「それ確か、昨日の晩に上田が言っていたのです。ワンクールに一回しか発動しないとか」

 

「深夜アニメかこいつはっ!!……あっ!! 上田さん確か、ミサンガ持っているハズなんです!」

 

「……それが?」

 

「それを上田さんの股間に巻けば」

 

「頭おかしいのですか?」

 

 

 どうしようと困り果てた山田は、溜め息を吐いて天を仰ぐ。木々が隠し、空なんか見えないのだが。

 

 仕方がないので小屋の中へ行こうとした山田だったが、彼女を止めに来たのは圭一だった。焦燥感に塗れた表情で、駆け寄って来る。

 

 

「や、や、やま……提督!!」

 

「なんでだよ」

 

「…………圭一なのですか?」

 

 

 彼も小屋の中の梨花らに気付くと、覗き穴に齧り付いた。

 

 

「り、梨花ちゃん……! 上田先生も……無事で良かった……!!」

 

「……山田、なんで圭一が……だって言伝には……!」

 

「大丈夫です、梨花さん。分かってます」

 

 

 しっかりと梨花の目を見据え、山田は頷いてみせた。

 梨花が真剣な様子の彼女を見て言葉を詰まらせている内に、圭一は山田を引っ張って忠告する。

 

 

「レナが来てます……!! 山田さんの言った通り、小河内に向かう俺たちを監視してたんですよ……!!」

 

「やっぱり……」

 

 

 ならばこの場に留まってはいられない。

 一度隠れて、やり過ごそうかと二人は離れようとする────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──では、梨花さん!……出来るだけ、彼女を刺激しないように」

 

「分かっているのですよ」

 

「梨花ちゃん! マジでヤバくなったら叫べよ!!」

 

 

 離脱する二人の背中を見送ってから、大きく息を吐く。

 次には必死に身体を捩った。

 

 

 気絶している上田を踏み越え、飛び上がるようにして進む。

 

 

 

 

「……ここまで来たのよ……無駄にしてたまるもんか……!!」

 

 

 確固たる意思で、彼女はキッと前を睨み付ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 邪魔する草葉を鉈でなぎ払い、レナは重い一歩一歩で小屋を目指す。

 

 今の彼女は、完全に頭に血が昇っていた。

 それでも小脇に抱えたスクラップ帳は肌身離さず持っている。

 

 

「バレた、バレた、バレた…………ッッ!!」

 

 

 跳ね出た枝、生い茂る草むらも、何もかもが憎たらしい。

 激情の一つ一つを込めて、怒りに任せて鉈を振り乱す。

 

 殺気と焦燥に満ちた目をしていた。

 あんな言伝、断っておけばこんな事にならなかった。

 

 

 怠慢だ。傲慢だ。

 痛恨の失敗を犯してしまった。

 

 

 

 

 だが同時に、自身の計画の「本質」は、まだ首の皮一枚繋がれ、辛うじて生きている。

 

 

 迎えるハズの獲物が、向こうから来ただけだ。

 まだ機会は失っていない。

 

 

「奪われてばかりなんだ……! 奪ってやる……取り戻してやる……!!」

 

 

 小屋の目の前まで来た。

 

 

「オヤシロ様から逃げ切ってやるんだ……ッ! 幸せになるんだ……ッ!!」

 

 

 そのまま扉を、怒りに任せて蹴破る。

 

 

 

 

 

 

 激しい音が響き、レナが小屋の中に入る。

 彼女の登場に驚いた梨花が、すぐに顔を向けた。

 

 すぐにレナは、二人から伺える違和感に気付く。

 気絶している上田に、なぜか彼に被さるようにして身体を横にしている梨花の姿。

 何かあった事は明白で、そして何が起ころうとしていたのかは即座に理解出来た。

 

 

「……なに、やってるのかなぁ、梨花ちゃん?」

 

「レナ……!」

 

「絶対に逃げようとしているよね、それ。絶対そうだよね?」

 

 

 梨花が弁明をするより早く、レナは一足飛びで彼女に近付いた。

 眼前まで到達すると、上田を踏み付けて梨花の首元に鉈の刃を付ける。

 

 

「ち……ッ!?」

 

「おぉう!?」

 

 

 よりによって巨きい根っこを踏まれた上田は、呻き声をあげた後にまた気絶。

 

 そんな彼を無視し、レナは声に覇気を込めて梨花を問い詰める。

 

 

「……山田さんと、圭一くん。来てなかった?」

 

 

 振り返り、背後からの不意打ちを警戒するレナ。

 凶器を持っている以上、寧ろここで二人に入って来られては困ると、梨花も入り口の方へ目を向けた。

 

 二人もそこは了承済みなのだろうか。

 姿を現さない。

 

 

「……知らないのです」

 

「じゃあなに? 上田先生の上に倒れてて、何してたの?」

 

「みぃ……熱中症で身体がダルかったのです」

 

「………………」

 

 

 納得してくれたのだろうかと安心した時、突然彼女は梨花の髪を掴んで思い切り床に叩きつけた。

 

 

「う……っ!?」

 

 

 露わになった、梨花の背後を確認する。

 どうにも何かを隠しているように見えたからだ。

 

 

「なにか持ってるの?」

 

 

 後ろ手に拘束された彼女の腕を捻り、手に何か持っているのかと目を向ける。

 

 

 

 しかし彼女の手には、何もなかった。

 また結んである縄にも、切られる予兆さえなかった。

 

 

「……持ってない?」

 

「レ……レナの、勘違いなのです。ボクたちはここで、大人しく待っていたのですよ……?」

 

「……そんなハズはない」

 

 

 レナは梨花の腕から手を離すと、彼女の身体を探り始める。

 とは言え、今の彼女の服装は体操服だ。

 ポケットも少なく、物を隠すのに適していない。実際、どこにも何も入っていなかった。

 

 

「……なら、上田先生……!」

 

 

 スーツの彼ならば隠し場所がある。

 すぐに倒れたままの彼に掴みかかるレナ。

 

 その際、スクラップ帳を床に置いた。

 気絶した上田を転がしたり、身体中を弄ったりと、ハサミやナイフの類がないか確認する。

 

 

 しかし、そんな物はどこにも発見されなかった。

 

 

「……ない?」

 

「だから言っているのです」

 

「いや、そんな事はない……! 絶対にあるんだ……!! どっかに隠してるんでしょ!?」

 

 

 立て掛けてあったギターを倒したり、近くにあった机の上に置かれたダム作業員のヘルメットなどを叩き落としたり、或いは床を睨んだり。

 ここまで疑い深いとは、と梨花は緊張から生唾を飲んだ。

 

 

 

 しかしその内、何か考え直したのか、ピタリと動きを止めた。

 

 

 

 

「……あぁ、そうだ。もう良いや」

 

 

 再度、梨花に近寄り、鉈を突き付けた。

 

 

「……元より、魅ぃちゃんも沙都子ちゃんも圭一くんも山田さんも……私の言う事聞けていなかったし」

 

「………………」

 

「……頭、開いちゃおうか? いっそ……」

 

 

 刃が、梨花のひたいに当たる。

 もう少し力を加えられたら、皮が裂けてしまうだろう。

 

 痛いのは覚悟している。

 命乞いなんかするつもりもない。

 

 

 しかし、もう死ぬつもりも更々ない。

 梨花はただ、信じるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでです、レナさん」

 

 

 

 

 レナに投げかけられる、第三者の声。

 聞き覚えのあるその声に、ジロリとレナは目を向けた。

 

 

「山田……!!」

 

「……山田さん」

 

 

 小屋の入り口に立っていたのは、山田奈緒子だ。

 

 

 

 

 

 と、頭の上で立つオニ壱だ。

 

 

「……それはなんですか?」

 

「友達です。それより、お久しぶりですね。レナさん」

 

「……ッ!」

 

 

 山田が自身に近付いて来ると察した為、人質を取ろうと梨花を抱き寄せ、鉈を首に突き付ける。

 しかしそんなレナの予想に反し、山田は寧ろ一歩二歩と、小屋から出た。

 

 

「え……?」

 

「出て来てください、レナさん……大丈夫です。警察だとか、園崎さん所の『イニヨシなき戦い』みたいな怖い人たちはいませんよ」

 

 

 山田の言った「イニヨシなき戦い」について、首を捻るレナと梨花。

 

 

「……『仁義なき戦い』?」

 

「仁義なき戦いの事言ってるのです?」

 

「そ、そこはもう良いでしょう!? ほら、圭一さんしかいませんから!!」

 

 

 圭一しかいないと言う発言に、ピクリとレナは反応する。

 

 

「……梨花ちゃんは連れて行きますから」

 

「えぇ。ご自由に。私たちは絶対に、手を出しませんから」

 

 

 即座にレナは鉈で、梨花を繋いでいたロープを切る。

 同じようにして足を結んでいたロープも切断し、歩けるようにした。

 

 解放する為ではない。無論、人質として運びやすくする為だ。

 

 

 

 しかしレナは、分からなくなっていた。

 山田の狙いはなんなのか。自分を説得するつもりなのか。

 

 

「……ねぇ、山田さん。なに考えているのかな」

 

「……それは、外に出たら教えます。私たちも、レナさんには戻って来て欲しいですから」

 

「……あはは」

 

 

 乾いた笑い声が、レナから溢れる。

 

 

「……山田さん。レナはもう、戻れないの。もう先も長くないし、家族もいないの」

 

「レナさん、それはお父さんの事を言っていますか? お父さんは、ご存命ですよ」

 

「そうじゃない。生きてるか死んでるかじゃない」

 

「……え?」

 

 

 どんより曇った眼が、山田を捉える。

 この、父親の生死は関係ないと言う旨のレナの発言は、梨花さえ驚かせた。

 

 

「……どう言う事、でしょうか?」

 

「とりあえず外に出よう? この中は……暑いからね」

 

「……分かりました」

 

「上田先生はどうします?」

 

「放置で」

 

 

 あっさりと山田は見放す。

 ピクッと、反応するように上田の身体が動いた。

 

 レナは了承し、立ち上がれるようにした梨花を連れて歩き出す。

 首にはしっかり、白刃を立てている。無理やり助け出そうとすれば、彼女の首はあっさり斬り落とされるだろう。

 

 

「……では、小屋の前まで」

 

 

 山田の先導に従い、レナは辺りを十分に警戒したまま、小屋を出た。

 

 

 

 

 小屋の前の、少し拓けた場所。

 圭一は別に隠れてはおらず、そこでジッと待っていた。

 

 

「圭一くん……」

 

「……やっと見つけたぜ、レナよぉ……!」

 

 

 圭一の言葉には、安堵と危機感が半々宿っていた。

 無理もない。行方不明になっていたレナを見つけられた事と、そのレナが梨花に凶器を向けている事とが信じられないからだ。

 

 

「……圭一」

 

「大丈夫だ、梨花ちゃん」

 

 

 しかし、目の前にある事全てが事実だ。飲み込まなくてはならない。

 それでも短気を起こしそうな脳内を何とか鎮め、深呼吸をしながら山田の隣に立つ。

 

 

 ここまで冷静なのは打算と、レナの狙いを知っているからだ。

 

 

 

 

「……それで山田さん。わざわざここまで来て、何が狙いなのかな?」

 

 

 山田はジッとレナらを見据え、落ち着いた口調で話を切り出す。

 

 

 

 

「まず、レナさんも気になるかと思いますので……どうやってここに辿り着けたのか。その、種明かしをさせてください」

 

 

 傍らに持っていたノートを取り出し、ぴらりと開く。

 

 

 

 山田奈緒子

 梨花もここにいるけども

 無理して来るのはいいなやめるんだ

 デカらには絶対話すなよ

 余談だが君が近くに来ると

 すぐさま俺らが狙われる

 息の根さえ止められるだろう

 待機するんだぞいいな

 

 

 

 そこに書かれていたものは、「上田の言伝」の全文だ。

 

 

「やっぱり、上田先生の言伝だったかぁ……」

 

「えぇ。余裕からか、時間に追われている私たちは従うだけだと踏んでいたのかは分かりませんが、これをわざわざ伝えたのがいけませんでしたね」

 

 

 ニヤリと笑う山田。

 彼女はまず、言伝の上の三行を指差す。

 

 

 

 

「場所を示したのは、私の名前を含めたこの三行です。ヒントは四行目の、『デカ』」

 

「デカが?」

 

「えぇ。以前、上田さんが垂れていた蘊蓄に、こう言うのがあったんです」

 

 

 園崎邸内で、金庫を運ぶ途中で上田が言ったものだ。

 

 

「なぜ、刑事をデカと呼ぶのか。それは、昔の刑事が『各袖』と言う着物を着ていた事に由来します。『かくそで』の、最初と最後の文字を抜き出し、前後を入れ替えて、刑事を表す暗喩として呼んでいました」

 

「かくそで、かで……で、か…………」

 

 

 意味に気付いたようで、レナは目を閉じて鼻で笑った。

 

 

「……そう言う事か。やられちゃったなぁ」

 

「お気付きになられましたね。『やまだなおこ』、『りかもここにいるけども』、『むりしてくるのはいいなやめるんだ』……」

 

 

「や」まだなお「こ」。

 

「り」かもここにいるけど「も」。

 

「む」りしてくるのはいいなやめるん「だ」。

 

 

 これら三行の文字列の最初と最後の文字を抜き、前後を入れ替えろと言う意味合いで、わざわざ上田は「デカ」と書いた訳だ。

 

 

「それぞれ抜き出せば、『やこ』『りも』『むだ』。前後を入れ替えれば……」

 

「……あはは。ダムは〜、ムダムダ〜……だっけ」

 

「えぇ。ダムは〜、ムラムラです」

 

 

 圭一と梨花とオニ壱が口々に、「ムダムダ……」と小さく訂正の声を出す。

 山田は少し顔を歪めた後、また何食わぬ顔で説明を続行した。

 

 

「ムダムダです。『ここにいる』で結構な所を『ここにいるけども』にしたりと不自然な言葉遣いだったのは、この最初と最後の文字を『やこ、りも、むだ』で揃える為」

 

「………山田さんの名前まで使うなんて、気付かないよ」

 

「そしてこれらの前後を、デカと同じように入れ替えると……『こや、もり、だむ』……『小屋、森、ダム』」

 

 

 後方へ指を差し、山田は言い放った。

 その指のずっと先には、ダムの建設現場跡地がある。

 

 

「ここは雛見沢村の、一つ山の向こうにある『ダム建設現場跡地』……そしてその、近辺の『森の中』にある『小屋』。確か、お二人がジオ・ウエキらに捕われていた場所のようですね」

 

「この単語が並べられた瞬間、どこの事を指してんのか俺には分かったんだよ。しかしまぁ、意外と近い場所に隠れてたんだなぁ」

 

「警察も園崎の人たちも、こんな穴場のような場所までは把握していなかったようですね。まさに、隠れるにはうってつけだった訳です」

 

 

 鮮やかなまでの解説に、レナはただ笑うしかなかった。

 笑い声だけなら、いつものレナだ。だが、その声の中には、狂気が見え隠れしている。

 

 

「ははははは!……凄いなぁ。完敗だよ。それで、ここに辿り着けたんだね」

 

「沙都子さんと魅音さんには保険として、言われた通り谷河内まで行ってもらっています。途中、あなたが監視していると予想していましたから、私たちも時間との戦いでしたけど」

 

 

 

 

 

 

 その頃、その沙都子と魅音は、レナに指定された電話ボックスに到着する。

 

 

「これだね! はぁ、疲れた……」

 

「あらあら、魅音さん。この程度でバテていては、部長の名が泣きましてよ?」

 

「疲れてないっ!! 断じて、疲れてないっ!! まだ余裕だし! こんな山道、あと六周出来るからっ!!」

 

 

 強がりながらも、魅音は電話ボックスの戸を開けて中に入る。

 ここに電話番号を書いたメモがあると聞いていた。

 早速、あちこち見渡して探してみる。

 

 

 すると、公衆電話の側面に貼られた紙に気が付いた。

 

 

「あ! あった!!」

 

「ありましたの?」

 

 

 それをペリッと剥がし、書かれている内容に目を通す。

 

 

 

 

 

『聖子ちゃんカット と掛けまして キノコ と解く。 その心は?』

 

 

 

 

 番号ではなく、謎かけだった。

 二人は目をパチクリさせ、小首を捻る。

 

 

「……番号じゃないじゃん。せ、聖子ちゃんカットと掛けて、キノコと解く……?」

 

「マッシュルームでしょうか?」

 

「いやそれ、『ずうとるび』だから!」

 

「『ビートルズ』ですわ」

 

「あ、そっか、ビートルズだった…………沙都子、違うって分かっててマッシュルームって言ったの?」

 

「……れ、レリビーですわ」

 

 

 番号云々よりも、その答えの方が気になって仕方なくなって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梨花を人質に取られ、手出しは出来ない膠着状態。

 山田に出来る事はまず、全ての種明かしを話すだけだ。

 

 

「それで……レナが来る前に梨花ちゃんも上田先生も助けられなかったようだけど……どんな思惑があって出て来たの?」

 

 

 山田はまた、ノートをペラリとめくった。

 次のページには、上田の言伝を全てひらがなにした物が書かれていた。

 

 

「思惑についての前に一つ……私たちは既に、レナさんの狙いに気付いているんです」

 

「…………へぇ?」

 

「最初から計画していた訳ではなさそうですが、村中を引っ掻き回していた真意は、まさにコレの為なんですよね」

 

「それも上田先生の言伝に?」

 

 

 山田は首肯し、真剣な表情で語り始める。

 

 

「小屋の場所を示すだけなら、私の名前を含めた四行だけで十分です。残りはカモフラージュの為……だと、最初だけ思っていました」

 

「………………違うの?」

 

「そうです。良く読んでください、所々まどろっこしい言い回しが多いですよね?『殺される』で十分なのに『息の根さえ止められる』、『すぐに』で十分なのに『すぐさま』……下手な小説の字数稼ぎみたいです」

 

「師匠、もうちょっと良い例えなかったんですか?」

 

 

 圭一のツッコミは無視し、山田は簡素にその意味を教えてやる。

 

 

 

 

 

「……『縦読み』です」

 

 

 レナは顔を顰める。

 無理もない。縦読みと言っても、最初の列からして意味が通じないからだ。

 

 

「あまり記憶にないんですけど……上田さんとは、似た事をやっていたんです。『会いたい、今から、シスラナ、手配』みたいな感じの暗号で……」

 

「あ、い、し」

 

「やめやめっ!! この話は関係ないから終わりッ!! ハイッ!!」

 

「てか主さま。シスラナってなんすか?」

 

 

 話を本筋に戻し、山田はポケットから小さなメモ帳を取り出した。

 裏山で発見した、上田のメモ帳だ。

 

 

「……一列一列縦読みする訳じゃないんです。ある、特定の列だけで結構です。その列は……」

 

 

 メモ帳を開く。

 そこには何かの、数式と下手な絵が描かれていた。

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

「松田優作?」

 

「この絵は良いですから」

 

 

 山田は無言のまま、ある数字を指差して示してやった。

 その数字とは、やかましいほどに主張していた「9」。

 

 

「…………9……」

 

 

 意味が分かったようだ。

 喉から絞り上げるような笑いが、レナから溢れる。

 

 山田の言う特定の列とは、9列目の事だ。

 

 

 

「9列目を、縦読みしてください」

 

 

 もう一度、ひらがなで言伝の書かれたノートを見せつけてやった。

 

 

 

 

 

 やまだなおこ

 りかもここにいるども

 むりしてくるのはいなやめるんだ

 でからにはぜったはなすなよ

 よだんだがきみがかくにくると

 すぐさまおれらがらわれる

 いきのねさえとめれるだろう

 たいきするんだぞいな

 

 

 

 

 山田は無言で項垂れ始めたレナに、言い放つ。

 同時に圭一もまた、悲しげな表情となった。

 

 

 

 

「あなたの狙いは……この、『圭一さん』だったんですね」

 

 

 

 

 けいいちねらい。

 圭一狙い。

 

 

 これが上田の言伝のもう一つの真意で、レナの本意だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決定的

昨夜はなんと、TRICK20周年
活動報告の方にお祝いのSSを書きましたが、是非ともそちらでTRICK愛を聞かせていただけたらなと思っております


『ドンビシャスな賀会』

『@ニャホニャホタマクロー』

『いつもここからの国から』

『なんとしてでも例守れ』

『マヨネーズのみ味せよ』

『仏の足元にあるの花』

『幸せナンバーは

『連勤辛いシフトわれ』

『日日日日日日日日』

『全国公開決定 シンデレラ

『お惚けボーイズ&ガールズ』

 

 

「祝えッ!!」

 

 

 奇妙な垂れ幕と通りすがりの一般クォーツァーが、興宮署前で目立っていた。

 何とか知恵から逃げ果せて来た矢部が、ふらふらとロビーに入る。石原が床で泳いで遊んでいた。

 

 

「石原。なんでここで寝とるんや?」

 

「床が冷たくてキモティーーッ!!」

 

「お前は幸せそうでええなぁ」

 

 

 すると奥の方から菊池も出て来た。どうやらこちらも、レナを見つけ切れていない様子。

 

 

「矢部くん……駄目だ! 全然見つからないッ!! 一体どこに…………」

 

 

 

 彼の姿を見て絶句する菊池。服がカレーの沁みまみれだからだ。放たれたいる匂いもカレーだ。

 

 

「……何があったのかね?」

 

「地獄から逃げて来たんや。おっそろしぃ……もうあと、五年はカレー見たないわ」

 

「と言うか君……学校の監視はどうした?」

 

「あー……おぉ。まぁ、竜宮礼奈が来んかったから、とりあえず秋葉に任せて来たわ。ワシの信頼する部下やからなぁ、大丈夫や!」

 

 

 哀愁の篭った目で、矢部は天井を見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 その秋葉は今、隙を突いて一人で逃げた矢部の皺寄せを食らっていた。

 

 

「さぁッ!! 逃がしてしまったあの人の分も食べなさいッ!! 食べるのですッッ!!!!」

 

「うららちゃん助けてーーッ!! フルスロットルーーーーッ!!」

 

「スプーンを動かしなさいッッッ!!!!」

 

「死ぬぅーーッ!! 誰かぁーー!! ヘルプ……ヘルペスミーーッ!!

 

 

 グラウンドの真ん中で、知恵に無理やりカレーを詰め込まれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな彼の様子は知らず、矢部は逃げ切れた安堵からホッと胸を撫で下ろした。

 

 

「そんでお前、まだ女の子見たからへんのかいな?」

 

 

 進捗状況を聞く矢部の表情には微かに、哀愁が漂っていた。

 

 

「君が見つけたのに取り逃したからこうなってるんだろッ!?」

 

「覚えてへんわそんなん。村ん中でも変質者変質者言われたり、ホンマ何があってんなワシ?」

 

「記憶喪失中の事を記憶喪失じゃけぇの! アピャーーッ!! ややこしーーッ!!」

 

 

 床を泳ぎながら石原が叫ぶ。

 その時、大急ぎで彼らの元へ走って来る男たちがいた。

 

 

「み、みなさん!!」

 

 

 大石と、その部下の熊谷だ。息を切らしながら、矢部らの前に立つ。彼らの表情には鬼気迫るものがあった。

 熊谷が床で泳いでいる石原を踏んでしまったが、誰も気にしていない。

 

 

「おー、どした? 竜宮礼奈が見つかったんか?」

 

「あ、あなたでしたか……記憶が戻ったのなら、病院に行かれてはどうです?」

 

「だからワシに何があってんな!?」

 

 

 怒鳴る矢部を押し退け、菊池が尋ねる。

 

 

「見つけたかッ!? 竜宮礼奈をッ!?」

 

「……いえ。しかし、関係して大変な事が起きたのですよ……!!」

 

「どうした!?」

 

「病院の方で、さっき連絡がありましてなぁ……!」

 

 

 大石は矢部らを見据え、伝える。

 

 

 

 

 

「竜宮さんのお父さんが……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的がバレてしまったレナ。

 何も言わず、ただずっと俯いている。

 

 

 打ちのめされているのか、ショックを受けているのか。

 しかし山田は容赦なく、捲し立てて行く。

 

 

 

 

「……この騒動の発端は、間宮姉妹の殺し合いの現場から始まっていたんですね?」

 

 

 あの晩路上で、鉈で切り裂かれ殺されたジオ・ウエキこと浮恵と、その傍らで死んでいた律子。

 圭一が隠していたレナの帽子から察するに、その場には彼女がいた。

 

 

「ジオ・ウエキを殺した妹はあなたを発見し、殺そうとした。しかし、あなたは何とか逃げ切った……その際、ナイフを刺すと言った防衛行動を取ったハズです。ジオ・ウエキの妹の脇腹にナイフが突き刺さっていました」

 

「………………」

 

「それであなたは、ジオ・ウエキの妹を殺してしまったのは自分だと思い、隠れていた」

 

 

 圭一は山田を見てから、また悲しそうな目でレナを見やる。

 

 

「隠れている途中か、その前に、あなた何かを拾ったかで、こんな事を知ったんじゃないですか?」

 

 

 校庭で言っていた矢部の話と、ここに来る前に上田から聞いた話を思い出す。

 

 

 

 

「……例えば、寄生虫が頭の中にいるとか」

 

 

 

 

 彼女が突き付けた内容には、レナのみならず梨花さえも目を開いて驚いていた。

 

 そもそも山田らがこの雛見沢村まで来たのは、二◯一八年の竜宮礼奈が「村の滅亡の原因は寄生虫」だと上田に言った事からだ。

 

 

「そんな事が書かれた何かを、あなたは拾った」

 

「……凄いね、山田さん。なんで寄生虫の事まで?」

 

「……また、それはいずれ」

 

 

 この場で「未来のあなたから聞いた」と言う訳にはいかない。

 山田はこれとなしにはぐらかし、話を続けた。

 

 

「恐らくあなたは、それを信じてしまった。信じてしまい、罪の意識も相まって自暴自棄になった。今までの騒動は全て、その結果によるもの」

 

「………………」

 

「隠れ家で偶然出会った矢部を騙して、警察の目を園崎家に向けさせる。その間あなたは、こっそり学校に忍び込み、圭一さんの下駄箱にでも手紙を仕込んでいたハズです」

 

 

 山田が梨花の服装に言及する。

 

 

「梨花さんは体操服を着ています。あなたはあの日、あの時間、学校では体育の時間があると知っていた。だからそこに手紙を仕込んでおけば、グラウンドに出る際に圭一さんが気付くハズだった。しかし誤算として、その日の圭一さんはレナさんを探す為に自主休校していた点と、代わりに気付いたのが上田さんと梨花さんだった点」

 

 

 山田の視線が、鋭いものとなった。

 

 

「授業に遅れそうな梨花さんを探すように上田さんに頼んでいた、沙都子さんの証言と、その後に必死の形相で裏山に向かう上田さんの姿を見た村民の証言は取れています」

 

「…………へぇ」

 

「本当ならばそこで圭一さんを捕らえるハズが、とんだ誤算でした。だからあなたは更に、用意していた麻酔で眠らせた二人を盗んだリアカーに乗せて、仕事に行く途中の農婦を装い、ここまで運んだ」

 

 

 一呼吸置き、そして滴る汗を拭ってから、また喋り出す。

 彼女のその汗には、緊張も混ざっていた。

 

 

「そして、私たちの家に連絡をかけて、圭一さんたちを呼んだ。わざわざあの家に電話をかけたのは、盗聴などを警戒してですね? あの家なら先日まで空き家でしたし、警察も把握していませんでしたから」

 

「……山田さん、本当にどこまで気付いているのかな? 殆ど正解だよ」

 

「…………ありがとうございます。何なら、あなたが本来しようとしていた事も、言えますよ?」

 

「言ってみて」

 

 

 乾いた唇を湿らせ、再び話し始めた。

 

 

「まず、あの回りくどい指定。谷河内の山に行き、圭一さんは入り口で。私は山の中腹で。魅音さんと沙都子さんが登頂の電話ボックスまで。最初は分からなかったんですが……圭一さんが狙いだと分かれば、こっちの物です」

 

「………………」

 

「……レナさん、あなた。最初から電話口でクイズを出題するつもりはなかったんですよね?」

 

 

 レナはサッと流れる汗を拭ってから、ニヒルに笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の魅音と沙都子。

 電話ボックスに貼り付けられた謎解きを持って、来た道を戻っていた。

 

 

「確か、ヒントが圭一さんと山田さんが待機するハズだった場所に隠してあるのでしたわよね?」

 

「それ探すのぉ? 山田さんの言う通り、電話番号はなかったけど……」

 

 

 二人は電灯の周りをそれぞれ、探してみた。

 しかし宝箱やら袋やら、それらしい物は一つも見つからない。

 

 

 暑さも相まって疲れて来たところだ。

 そんな時、沙都子が「あっ!」と声を上げた。

 

 

「魅音さん! 見てくださいまし!」

 

「え? なに?」

 

 

 彼女は道の脇にあった、森の中にいた。

 一本の木の後ろを指差しながら、魅音を呼ぶ。

 

 

「なになになに? 何かあったの?」

 

「これ!」

 

 

 沙都子が示した場所を見ると、木の表面に彫られた文字に気付いた。

 

 

『ヒント』

 

 

 その文字の下にあったのは、群生のキノコだ。

 薄い笠のキノコが、束になるようにして生えている。

 

 

「……なにこれ?」

 

「マイタケ、ですわね」

 

「マイタケ?」

 

 

 二人は顔を見合わせる。

 見合わせてから魅音は再度、マイタケに目を向けた。

 

 

「マイタケ……キノコ……聖子ちゃんカット……」

 

「マイタケ……」

 

「マイタケマイタケ……」

 

「……まいた、け」

 

「巻いた、毛」

 

 

 聖子ちゃんカットのカールした髪を思い出す。

 二人はまた顔を見合わせてから、納得したように「あぁ〜」と唸った。

 

 

 

 

「…………それで。だから、なんですの?」

 

「なんだろうね?」

 

 

 そして互いに目をパチクリさせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田は確信を持って、まくし立てる。

 

 

「あなたは指定した場所に隠れていて、遠巻きから私たちを追跡する。そして、山に入る私たちの立ち位置を分散させたのは、『圭一さんの側に誰も置かせない為』ですね」

 

「………………」

 

「私たちが山に入っている間に、入り口で待機する彼の不意を突き、麻酔を打つなどして気絶させてから確保するつもりだった」

 

「……ふふっ」

 

「わざわざ場所指定だのゲームをするだの回りくどかったのは、私たちの意識をそっちに向けさせ、なおかつ圭一さんを出来るだけ自然に孤立させる為だった」

 

 

 

 

 勝ち誇った笑みで、山田をレナを見据える。

 そしてそのまま、言い放った。

 

 

「そうなんですよね」

 

「………………」

 

「竜宮レナさん」

 

「………………」

 

「……あなたがやろうとした事は」

 

 

 山田とオニ壱は一斉に、彼女へ指を差す。

 

 

 

 

 

「……まるっとレナっと全てお見通しかなっ!!」

 

 

 

 

 ダメ押しにもう一言。

 

 

 

 

「……かなっ!?」

 

 

 カクンと、呆れたようにオニ壱の首が曲がった。

 圭一と梨花もまた、ちょっとだけずっこけかける。

 

 

 

 

 ここまで黙っていたり、たまに面白がるように微笑んでいたレナ。

 片手間にポケットから取り出した、麻酔の入った注射器を地面に投げ捨てる。

 

 本来ならば、圭一を気絶させる為の物だ。

 

 

「……山田さんって、やっぱり凄いよね。手先も器用で、頭もキレてて、肩凝りの悩みもなさそうだし」

 

「いやぁ、やっと分かってくれる人に出会え…………おい。肩凝りの悩みなさそうってのは何だ」

 

「師匠! 多分、お胸の話で」

 

 

 すかさず圭一の首根に力道山ばりの空手チョップをかまし、黙らせる山田。

 

 ひと段落置いてから、またレナは話し出す。

 なぜか人質にされている梨花だけが、山田に同情的な視線を向けていた。

 

 

「でも、でもでも……山田さんまだ、解けていないところがあるよね」

 

「……え?」

 

「なんで私が、圭一くんを狙っているのかな?」

 

「え」

 

 

 途端に、余裕綽綽な雰囲気を醸していた山田の表情に、焦りが見えて来る。

 そもそも圭一狙いと分かったのは、上田の言伝で初めてだ。

 

 

「そ……そりゃあ、あの、日頃の恨み辛みとかですよ! この際折角だし、圭一さんをボッコボコのみっくみくにしてやろうと……!」

 

「みっくみくってなんなのです?」

 

 

 レナは半ば、呆れた様子で首を振る。

 

 

「……山田さんが解けるのは、タネと仕掛けだけみたいだね。感情とか、気持ちとかは、難しいのかな?」

 

「ぐぅの音も出ない…………バッチンぐぅ〜……!!」

 

「全然バッチングーじゃないのです」

 

 

 次にレナは、試すように山田へ条件を提示した。

 

 

「……もう、答えてくれたら梨花ちゃんは解放してあげるよ。どう?」

 

「山田! 早くとっとと答えるのです!」

 

「えぇ!? そ、そういう展開になる!?」

 

 

 一転して、攻守が入れ替わったかのようだ。あれこれ頭を捻る山田。

 しかしどうしても、なぜレナが圭一のみを狙うのかが分からない。

 

 

 

 このまま時間が過ぎて行くだけか。

 

 そう思われていた時、悶絶していた圭一がふらりと、顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

「んな事は簡単だっつの」

 

 

 真剣な目で、レナを見る。

 

 

 

 

 

 

 

「……俺に言ってたもんな。『遠く遠く、オヤシロ様も追いつけない遠くまで、待合室のレナを連れてって欲しい』」

 

 

 

 

 彼の発言に、山田と梨花、そしてオニ壱は愕然とした表情を見せる。

 レナもまた、同じような表情だ。

 

 

 押さえていた首元から手を離し、一歩、レナの方へ歩み寄る。

 

 

「……あの後、お前は冗談だってはぐらかしていた。でも俺はずっとアレが、冗談には聞こえなくてな。それと……」

 

「…………」

 

「……レナは、実は寂しいんじゃないかって、俺は思っていたんだ」

 

 

 山田らの家に入った時、魅音に言いかけていた内容は、これの事だった。

 

 

「……だから狙いが俺だって分かった時に……完全に、俺も分かった」

 

「け、圭一さん……!?」

 

「俺と一緒に、村から逃げたかった……いいや、違うな」

 

 

 圭一は首を振り、止めようとする山田さえ無視し、レナの真意を言い切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……俺と、死にたかったんだろ?」

 

 

 

 

 

 

 レナは目を見開いた。

 

 

「……ここから、二人で逃げた後さ。レナだけ、家にいる親父さんに美人局の事を教えに行っただろ。でも、お前はなぜか、家じゃなくて村外れの待合室にいた。多分、親父さん……レナを信じてくれなかったんだ。そうだろ?」

 

「なんで……」

 

「それで逃げて、逃げて……寄生虫だとかを知っちまって、疑って、怖くて、寂しくて」

 

 

 また一歩、レナに近付く。

 

 

 

 

「……似た者同士の、俺だけしかいなかった……って、思ったんだよな」

 

 

 彼の言葉が進む度に、レナは段々と暗く影がかった表情を見せ始めていた。

 

 

「……寄生虫はいるよ。私にも、みんなの頭の中にも。最後はみんな、死んじゃうんだ」

 

「レナ。何に吹き込まれたか知らねぇが、そんなのはなぁ……」

 

「寄生虫に冒された人間の末路、知ってる? 首を掻き毟って死ぬんだよ……あの時の、律子さんのように」

 

 

 途端、圭一はビクリと身体を跳ねさせた。脳裏にあの凄惨な自殺現場が過ぎったからだ。

 

 

「アレは確か、喉をナイフで切ってたじゃねぇか。掻き毟ってねぇよ」

 

「ちょっとそこは違ったけど……でも大まか全部、鷹野さんのスクラップ帳通りだったよ」

 

「……え? 鷹野さんの……?」

 

 

 山田は昨日に初顔合わせをした、鷹野を思い出す。

 

 彼女は祭具殿に忍び込むほど、村の伝承やらオカルト話やらにお熱だった。そんな人物の書いた物だ。信憑性で言えば、コンビニで売っているようなオカルト雑誌並みの低い信憑性だろう。

 

 なぜそんな物を信じるのかと、レナが理解出来なかった。

 

 

 

 話の埒が明かないと踏んだ圭一は、父親の話で説得しようと試みる。

 

 

「それとなぁ! レナの親父さんは生きてんだ! 病院にいるから早く行ってやって……」

 

「お父さんの生き死には関係ないよ、もう」

 

「なに……?」

 

「……私ね」

 

 

 虚な目で、ふっと空を見上げる。

 空と言っても、鬱蒼とした森が隠していた。

 

 深緑の葉のドームが、心も身体も覆い隠そうとしているようだ。

 レナはそれを眺めながら、縷々語る。

 

 

「……あの時、お父さんにこう言われたんだ。『また壊すのか』『お前は前からそうなんだな』……この三日間、嫌というほど思い知ったの……私には、『嫌な事』がずっとずっと、付き纏い続けるんだなって」

 

 

 また、再び、圭一に視線を向けた。

 

 

「お父さんは、本当はそんな……厄病神みたいな私と一緒にいるのが嫌だったんだよ。お父さんがリナさんを好きだったのは、リナさんがいれば私を忘れられたから。お母さんといた時の幸せな家庭を思い出せるから」

 

「…………なんで」

 

「そりゃそうだよね。全部壊した自分の子どもと一緒に住むなんて、本当は嫌で嫌で仕方ないよね」

 

 

 吐き出した息には、諦念と絶望が混ざっているようだ。

 

 

 

 

「……圭一くん。お父さんが離婚しちゃったのは……私が、『お母さんの浮気を黙っていたから』なんだよ」

 

 

 

 場が一際、静まり返る。

 その中で語られたレナの話は、なによりも透き通って聞こえた。

 

 

「……あの時、凄いお父さんに叩かれちゃったなぁ……それで離婚しちゃって、家からお母さんの色が無くなって、お母さんもいなくなっちゃって…………」

 

 

 少しだけ間を置いた。

 

 

「…………なんだか、頭の中ぐちゃぐちゃして……気付いたらバット持って学校の友達とか窓ガラスとか、殴って殴って、血塗れになっちゃってて」

 

 

 山田の脳裏に思い浮かぶは、上田と矢部の話。

 彼女が金属バットで起こしたその凶行には、そんな事情があったのかと一人納得していた。

 

 

「……お父さんは仕方なく、雛見沢村に私を連れ戻したの。それが、みんなに出会う前の『竜宮礼奈』だよ」

 

 

 レナの過去を前に、山田と梨花は何も言えなくなっていた。

 

 

 だが圭一だけは、腑に落ちた様子だ。

 

 

「……『似た者同士』ってのは、そこかよ」

 

「圭一くんもぐちゃぐちゃになっちゃって、誰かの幸せを奪ったんだよね?」

 

「………………」

 

「お父さんに叩かれたんだよね?」

 

「………………」

 

「全部隠して、幸せな時間に浸っていたんだよね?」

 

「………………」

 

「圭一くんからあの話を聞いた時……とっても嬉しかったんだと思う。『レナだけじゃないんだ』『同じ人がいるんだ』『似た者同士なんだ』……」

 

 

 彼女の表情には一種の、恍惚が宿っている。

 それはすぐに、影がかったが。

 

 

「……言っちゃうとね。私、圭一くんが好きだった」

 

「……っ」

 

「……好きになった理由はあまり分からなかったの。でもあの時、やっと分かった。私たち、とても似ていたからなんだって」

 

 

 下唇を噛んでから、最後に一つだけ、言い切る。

 

 

 

 

 

「……どうせ死ぬなら、好きな人とが良いなって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふざけんなよ、レナ」

 

 

 止まっていた圭一の足がまた、動き出す。

 レナはピクリと反応し、丸くなった目を向ける。

 

 

「聞きやがれレナ。魅音が教えてくれたが……お前の親父さん、あの後警察に通報してんだよ。『美人局の被害に遭いかけた』ってな」

 

「……え?」

 

「親父さんはなぁ、土壇場でそのリナってのより、お前を選んだんだ。『家族』を選んでんだよ」

 

 

 一歩一歩、レナの様子を伺うようだった圭一の足だった。

 だがもう、躊躇はない。どんどんと、レナへ詰める。

 

 完全にレナは、動揺していた。

 

 

「それに俺も父さんに殴られたが、父さんは事件をキッカケに家族をやり直そうと考えてくれた」

 

「……ッ! と、止まって……!」

 

「あとどうせ死ぬからってなぁ、勝手に決めてんじゃねぇぞ。俺は死なねぇし、お前も死なねぇ。寄生虫もいねぇし、元より俺らは孤独なんかじゃねぇ」

 

「と、と、とま……っ!」

 

 

 圭一はもう、目と鼻の先まで迫っていた。

 

 

「確かに俺ら、似た者同士だよなぁ。互いに負けず嫌いだし、暴走したら止まらねぇし、笑い声もデカいし」

 

「……っ、ッ!?」

 

「なぁ、レナ。お互い、過去は色々やり過ぎたが……過去は過去だ。そんで人生、隠したい過去なんて幾らでも誰にもある。それを開けっぴろげにする事が、正しい訳じゃねぇ。隠したって良いんだ」

 

「……!?」

 

 

 圭一はやっと、足を止めた。

 そこは、レナが鉈を振れば、間違いなく直撃する距離だ。

 

 

「そこの小屋で約束しただろが。『間違えたら頼れ』ってな。だから、助けに来たぞ」

 

 

 汗だらけのその表情は、凛として飄々とした────いつもの圭一の顔だ。

 

 

「……過去、何しでかしたって、俺たちは絶対に変わらない。だから頼むから、レナも変わらないでくれ」

 

 

 レナの大好きな、彼の表情だ。

 

 

 

 

 

 

「変わらず、俺を好きでいてくれ。そんで俺が好きなら、生きて幸せになる方を選んでくれ」

 

 

 

 圭一は止まらない。

 頭の中のぐちゃぐちゃが止まらない。

 

 

 後悔が止まらない。

 彼への好きが止まらない。

 

 

 思考が纏まらない。

 計画が纏まらない。

 

 

 混乱している。

 混乱してしまっている。

 

 

 レナは彼の視線を前に、身体を震わせていた。

 

 

「違う、怖い……やだ、やだやだ……やだ……!!」

 

「……ッ、レナ!!」

 

 

 混乱が極まったのか、レナは梨花の首元に添えていた鉈の白刃を、圭一に向ける。

 刃は、圭一の鼻先に触れそうだ。

 

 

「違う、みんな死んじゃう! そんなのイヤッ!!」

 

「落ち着けって、レナ!!」

 

「どうせ、どうせなら……!!」

 

 

 錯乱するレナ。

 自分の声は届かなかったのかと、苦々しい顔付きになる圭一。

 

 だが、圭一はもうその場を動くつもりはない。

 なった時は、なった時だ。

 

 

 レナから一瞬も目を逸らさないよう、覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あのぉ〜」

 

 

 ヒートアップする現場で、山田が後方から気の抜けた声をあげた。

 レナの注意が、彼女の方に向く。

 

 

「なにっ!?」

 

「だいぶ、お二人の世界に入られていましたけどぉ……私たち、忘れられてません?」

 

「そうなのです。完全にボク、ただの置き物になっていたのです」

 

 

 山田が手の平を出した。

 

 

「今、ここにいるのはあなた方二人だけじゃなくて……私と」

 

 

 親指を折る。

 

 

「梨花さんと」

 

 

 人差し指を折る。

 

 

「オニ壱と」

 

 

 中指を折る。

 オニ壱がチャーミングにウィンクする。

 

 

 

 

 

 そして、薬指も折った。

 

 

 

 

 

「……上田さんもいるんですが?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最速で最短で真っ直ぐにぃーーーーッ!!!!」

 

 

 レナの背後から、叫び声と大きな腕が飛び出す。

 反応するよりも早く、その腕はレナの持つ鉈を取った。

 

 

「え……ッ!?!?」

 

 

 理解し切る前に、とんでもない力で鉈を取り上げられた。

 

 

「う、上田先生……!? なんで……!?」

 

「ヒーローは遅れて来るもんだぜッ!!」

 

「普通に遅いのです」

 

 

 呆然としながらも、レナは誰かは分かった。

 

 

 

 

 

 背後から鉈を取り上げたその人物は、縛って動けなくさせたハズの、上田だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

セント

Twitterにてこの作品が拡散されていたようで。広く知られる、良い機会でした。
この場でキッカケとなったツイートの発信者さん、またそれで興味を抱き拡散していただいた方々に、お礼を申し上げます。
これも様々な方からの支えと応援あってこそです。本当にありがとうございました。

今回の話から、随分前の話で張った伏線を回収します。
一応、「入道雲」辺りを読み直して貰えますと幸いです。


 鉈を取り上げられ、呆然とするレナ。

 暴れようにも、上田が彼女を羽交い締めにして動きを止めてしまった。

 

 

 それにより梨花も解放され、山田の方へと走り去る。

 レナは困惑気味に、上田の顔を見上げてから呟いた。

 

 

「な、なんで……!? ちゃんと、縛ってたのに……!? 切る物なんて、どこにもなかったのに……!?」

 

「それはですね、レナさん。あなたが──」

 

 

 彼女の質問には、山田が代わりに答えてやる。

 

 

「──私たちが仕掛けたトリックに、まんまとハマってくれたんです」

 

 

 答えは、小屋の裏で梨花らと話していた時にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

──手荷物はトランプだけ。それで縄を切るのは、さすがに無理だ。

 

 

「どうするかなぁ……」

 

 

 山田は困り果て、天を仰ぐ。

 

 

 

 

 その時、チラリとオニ壱の方を見た。

 なんとオニ壱、ハサミを持っているではないか。

 

 

「……オニ壱っ!? そのハサミ……ハッ!?」

 

 

 確か、すもも漬けのパックを開ける為に沙都子から借りた物だ。

 返したつもりだったが、オニ壱に渡していたのだろうか。

 

 何はともあれ、首の皮一枚繋がった訳だ。

 

 

「梨花さん! オニ壱に感謝してください!! ハサミがありましたよ!」

 

「その得体の知れないのに感謝は出来ないのです」

 

「今から小屋に入って、縄を──」

 

 

 言いかけたところで、圭一が大急ぎでやって来た。

 レナが近くまで戻って来ている旨の報告だ。

 

 

 

 

「レナが来てます……!! 山田さんの言った通り、小河内に向かう俺たちを監視してたんですよ……!!」

 

 

 

 

 予想はしていたが、ここまで早かったとは。切る物があるのに、二人を助けそびれてしまう。

 急いで中に入るか、それとも隠れて一旦やり過ごすか。山田が判断を巡らしている時、梨花が縛られた手を動かし、ハサミを渡すように催促する。

 

 

「山田! ボクに……ボクに、考えがあるのです! だから、ハサミを渡すのです!」

 

「え、えぇ!? 見つかったらアウトですよ!?」

 

「梨花ちゃん、無理しちゃマズいぜ……!?」

 

 

 渋る二人に対し、梨花はキッと横目で睨み付けながら説得する。

 およそ見た事のない、梨花の勇ましい一面。それは気心の知れた圭一までも慄いてしまった。

 

 

「山田はとりあえず、レナが入って来たら外に連れ出すのです! 圭一の名前を出したら、絶対にレナは出るハズなのです……!」

 

 

 そこまで話したところで山田もハッと、彼女の意図に気がつく。

 

 

「ハサミは一旦隠すんですか!? どこに……?」

 

 

 梨花は隠し場所を、目で示した。

 山田はそこを見て、まずは渋い顔になる。

 

 

「……見つかるかもしれませんよ」

 

「他より見つからないかもなのです! だから、早く……!」

 

 

 信じてくれと、瞳で懇願する梨花。

 必死な彼女のその様子を見て、圭一は山田の腕を掴み、首を縦に振る。

 

 

「山田さん! 梨花ちゃんを信じましょう!」

 

 

 彼の言葉が決定的だった。

 山田は逡巡した後、ハサミを梨花の手に握らせる。

 

 

「小屋の中にボクか、上田がいれば良いのです。山田と圭一はレナの気を逸らして欲しいのです」

 

 

 梨花の指から山田の手が離れる時、一言だけ残す。

 

 

「……分かりました」

 

 

 山田と圭一はそそくさと退散。残った梨花はハサミを握り、少しだけ跳んでそのまま、地面を這う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──上田はハサミをレナに見せつけ、受け取っていたと示してから懐に戻す。

 山田は更に、自分たちの計画を明かした。

 

 

「わざわざ圭一さんの名前を出したのは、ハサミを見つけられる前に、あなたの注意を私たちに向けさせる為です。小屋から出させて、残った上田さんがハサミで縄を切り、不意打ちする隙を作ったんです」

 

 

 上田は没収した鉈を遠くの茂みに放り捨てた。これでレナの手に戻る事はなくなる。

 

 

「それに、君が人質にするのなら、間違いなく梨花のハズだ。中学生で小柄な君じゃ、体格差のある俺を人質に使うのは間違いなく避ける。絶対に小屋に、俺を放置する事は確率的に高かった訳だな!」

 

「その割にはショック受けてたっぽいのです」

 

 

 梨花の指摘に、上田は知らん顔だけ見せた。

 レナも悟る。あの時の上田は気絶しているフリで、しっかり意識はあったのだと。

 

 

「……さて、問題のハサミですけど……梨花さんの服にも、上田さんのスーツにも無かったハズです。どこに隠していたのか……」

 

 

 どこに隠していたのか。それだけは、レナにも検討が付かなかった。

 縄で縛ってくくり付けていた、あの時の二人の手が届く範囲で、どこに隠していたと言うのか。

 

 

 

 

 

 

「一箇所、見落としていたと思いますよ……『ギターの中』、とか?」

 

 

 ハッと気付かされた。

 なぜか上田が担いでいた、古ぼけたアコースティックギター。アレだと。

 

 真っ先に思い当たったのは、ギターの中心にポッカリと空いた、穴だ。上田が得意げに説明を入れる。

 

 

「あれは『サウンドホール』と言ってだなぁ。ギターの音を響かせる為に作られた、空洞だ。弦の隙間からヒョイっと、中にハサミを隠し入れるなんて事は簡単だったんだ!」

 

 

 彼の出鼻を挫くように、山田は呆れ顔で話す。

 

 

「まぁ、取り出すのは簡単じゃなかったっぽかったですね。そこそこ時間食ってましたし」

 

 

 反論しようとする上田だが、取り出すのが難し過ぎたばかりに弦を引き抜いた事を思い出し、閉口する。

 

 

「後は上田さんが来るまでの時間を稼ぐだけ。その為に、あなたの前でアレコレ話していた訳ですよ。本当なら、『丸っとお見通しだよ〜』の、オニ壱の決め台詞の時点で」

 

「アレ、その変なのの台詞だったのです?」

 

「上田さんに出て来てもらう予定だったんですが、まさかハサミ取るのにあそこまで手間取るとは……」

 

 

 居心地悪そうにそっぽを向く上田。

 山田はチラリと、圭一の方へ感心したような目を向ける。

 

 

「でもまぁ、さすがは口達者な圭一さんです。あそこまで捲し立てたり引き出したり、時間稼ぎしてくれるなんてビックリでした。んまぁ、何はともあれ、全て私の手のひらの上だったって訳なんですよ! えへへへへへへへへへっ!!」

 

「言うほど手のひらの上だったのです?」

 

 

 勝ち誇ったように気持ち悪く笑う山田とオニ壱だが、圭一はどこか晴れ晴れとしない表情だ。

 上田に拘束されているレナだったがその内、悲しさを滲ませた瞳を見せたまま、圭一へと顔を上げた。

 

 

 

 

「……圭一くんが言ってた事、やっぱり……時間稼ぎの為の、出まかせだったんだね……」

 

 

 レナは脱力し、その場にヘタリと座り込んだ。

 上田は彼女の腕を掴んだまま、どうしようかと山田らの方へ目を向けていた。

 

 

「こっちみんな」

 

「どうすりゃ良いんだ……!?」

 

「……上田先生」

 

 

 圭一が上田にお願いをする。

 

 

「……レナの拘束を、解いてください」

 

「え……だ、大丈夫なのか、少年?」

 

「もうレナ、危ない物は持っていないですし……なんかあれば、すぐ呼びますから」

 

 

 少しだけ躊躇した後に、上田は恐る恐る拘束を解く。

 レナは全く動かず、座り込んだまま圭一を見つめていた。

 

 その目が醸す失望と絶望、悲哀と若干の怒り。混沌とした彼女の感情を受けながら、圭一はレナの元へ近付いて行く。

 

 

 

 入れ替わるように上田が、山田とオニ壱の方へ走る。

 彼もまた、いたたまれない様子だ。

 

 

 

 

「……俺が予想してしまった通りの結末になってしまったな」

 

「嘘つけ」

 

 

 チラリと、彼の腕の方を山田は見た。

 よく見れば彼は、小脇に本らしき物を抱えている。オニ壱はそれを指差した。

 

 

「上田さん、それなんですか?」

 

「鷹野さんのスクラッチブックだ。彼女、これを読んでいたようでなぁ……」

 

 

 ペラペラと捲り、さわりだけ目を通す。

 周りには消えないよう、声量を落として上田は続けた。

 

 

「……あぁ。確かに、俺が鷹野さんからいただいた物だ。どっかに落っことしていたんだ!」

 

 

 声色は嬉しそうだ。

 何が何だか分からない山田に、上田はスクラップブックの説明をする。

 

 

「この、俺に鷹野さんが貸してくださったスクラップブックには、村にまつわるオカルト的な考察が満載だ。彼女、この俺だけに鷹野さんが貸してくださった本の内容を鵜呑みにして、こんな事をしでかしたようだな。この、世界で唯一俺にだけ鷹野さんが貸与してくれた本を、偶然拾っちまったばかりに……」

 

「めちゃくちゃ強調してんな」

 

「それに、未来での彼女も『寄生虫』を信じ込んでいた。その原因は、鷹野さんのスクラップブックのようだな。寄生虫云々の記述もある……全く……こんなお茶目なオカルト本を、三十五年先まで信じていたとはなぁ」

 

「じゃあ、未来の彼女が上田さんに言っていた、『オヤシロ様の祟りは寄生虫のせい』って……」

 

「この本を下地にした、事実無根の妄言って事になるか……結局、村壊滅とは関係なさそうだな」

 

 

 レナをキーパーソンと捉えていたばかりに、上田は肩透かしを食らったような表情で本を閉じた。

 どうやら元の時間軸でもレナは鷹野のスクラップブックを読んでおり、それを本当の事と捉えてしまっていたようだ。となると彼女が話していた事に、一切の信憑性は消失してしまうだろう。

 

 

 

 ただの風変わりな女性の、思い込みと妄言。

 そんな結論になってしまったのなら、雛見沢大災害の謎の解明は振り出しに戻ってしまう。上田の呆気と悔しさは、山田にも理解してやれた。

 

 

 山田もまた少しだけ俯き、難しい顔つきになっていた。

 

 

「どした?」

 

「……この、スクラァッシュゥブック……」

 

「スクラップだ。あとクセが強い」

 

 

 パッと顔を上げ、ジッと上田を睨む。

 

 

「上田さんが落としたコレを、レナさんが拾ったのが一連の騒動の原因なら……」

 

「ああ」

 

「元を辿れば、落とした上田さんのせいじゃないですか」

 

「………………」

 

「おい上田」

 

「……は、ハハハッ! 全部、私のせいだ!」

 

「張り倒すぞワレ」

 

 

 山田から責任を追及され、上田はカッと眉間を強張らせながら反論する。

 

 

「シャラップッ!! そもそもコレは、ジオウに捕まったお前を助ける時に落としたんだッ! つまり辿り辿れば、お前が悪いッ!!」

 

「はぁ!? いやそもそも、辿り辿り辿れば、上田さんがそんなの借りるから悪いじゃないですか!?」

 

 

 ギャーギャーと醜い押し付け合いをする二人に呆れて、梨花は視線を変える。

 

 心配そうな眼差しの向こうには、呆然と座り込むレナと、彼女を見下ろす圭一の姿があった。

 

 

 その内、圭一はしゃがみ込み、レナと目線を合わす。

 

 

「正直に言う。確かに、時間稼ぎの為ってのもあった。梨花ちゃんの無事だけは、何よりも重視しなきゃだからな」

 

「……お喋りが上手な圭一くんらしいね」

 

 

 少し目を伏せてから圭一はまた、顔を上げた。

 

 

「……でもな。時間稼ぎってだけで……嘘は一つもない。あれは全部、俺の本音だ」

 

 

 レナは納得したように疲れた笑みを浮かべながら、顔を落とした。

 

 

 

 

「…………そんなところも、圭一くんらしいや」

 

 

 

 

 それから彼女が、再び顔を上げる事はなく、圭一もまた言葉を探し切れなかった。

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 一人、梨花は黙り込む二人を眺めていた。

 

 

 

 傷だらけで、虐げられ続けて、抑圧し続けた末。

 まだ十四歳の少女が背負うには重過ぎた、過去と使命感。

 

 これはただ、幸せになりたかった少女の、復讐と反撃でしかなかった。

 だからこそ圭一は、言葉を探し切れなかったのだろう。

 彼女の心を癒やす言葉を、自分が担うべきなのだろうかと。

 

 

 

 

 

 黙り込んだままの五秒が、重く長く続く。

 無理やりにでも梨花と圭一の注意を変えたのは、背後の者たちだった。

 

 

 

 

「何を言うッ! 辿り辿り辿り辿り辿り辿ればだな──」

 

「いやいや、辿り辿り辿り辿り辿り辿り辿れば──」

 

「何を言い出すかと思えば……辿り辿り辿り辿り辿り辿り辿り辿れば──」

 

「だから、辿り辿り辿り辿り辿り……えー……何回まで言いましたっけ?」

 

 

 相変わらず口論を続けていた、山田と上田。

 再度、空気の読めない二人をうんざりした様子で一瞥してから、梨花は圭一の方を見やる。

 

 丁度、圭一もこちらに視線を向けていた。

 

 

「……とりあえず、この二人をどうにかしてから……村に戻るのです」

 

「……そうだな……レナ、ちょっと待っててくれ」

 

 

 ゆっくりと圭一は立ち上がる。

 俯いたままのレナを憂い目で見つめ、待っていた梨花の方へ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 まだ頭の中が騒がしい。

 

 誰かが耳元で囁き続けているような、執拗さだ。

 

 消えない、消えない、消えない、消えない。

 

 脳が痒いような煩わしさを押さえ付けるように、ギュッと拳を握り続けた。

 

 

 

 ふとレナは、少しだけ目線を上げた。

 

 自分に背を向けて離れて行く、圭一の後ろ姿があった。

 

 もし手元に鉈やナイフがあれば、不意を突けたのに。

 

 

 

 

 その時、何かが視界に映る。

 

 注射器だ。麻酔薬が充填された、注射器だ。

 

 

 そう言えば山田に麻酔と注射器の存在を言い当てられた時に、ポイッと地面に捨てていた。

 

 注射器は丁度、去り行く圭一の足元にあった。

 

 

 

 

 誰も気付いていない。

 

 梨花も注意を向けていない。

 

 山田も上田も口論の途中。

 

 勿論、圭一も。

 

 

 

 

 

 

「………………あ」

 

 

 

 

 頭の中の何かが、執拗に囁き続ける。

 

 

 拾え。

 

 拾って、突き刺せ。

 

 刺して抉って、ほじくり出せ。

 

 

 

 何かがまた、レナを突き動かす。

 

 

 

 騙された。騙された。

 

 お前は仲間に、騙された。

 

 まだ復讐出来る。

 

 まだ一手は残っている。

 

 

 

 後ろから腕を掴まれて、注射器へ誘導されているかのようだ。

 

 それはレナの意識の外から現れて、思考と行動を支配した。

 

 

 

 

 

 拾え。

 

 

 

 ゆっくり這うように、身体が前のめりになる。

 

 

 

 拾って、突き刺せ。

 

 

 

 腕がピンと伸びる。

 

 

 

 刺して抉って、ほじくり出せ。

 

 

 

 指先が注射器に触れた。

 

 そこでなぜか躊躇が入る。

 

 だが、ほんの一秒の躊躇だった。

 

 

 

 

 

 殺せ。

 

 

 

 注射器を掴んだ。

 

 

 

 殺せ殺せ。

 

 

 

 

 膝が伸びて、立ち上がれた。

 

 

 

 

 

 殺せ殺せ殺せ殺せ。

 

 

 

 

 

 注射器を逆手に構えた。

 

 

 

 

 

 

 ブチ壊してやれ。

 

 

 

 

 ゆらりと身体が、圭一の方へ動く。

 

 蝉の声が、足音を掻き消している。

 

 誰もレナが立ち上がった事に、気付いていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梨花が山田らの方へ行き、話しかける。

 

 

「みぃ。何やってるのですか。大人げないからやめるのですよ」

 

「いやだって、上田さんが──」

 

 

 梨花の方を見た山田は、身体が強張ってしまった。

 目が見開かれ、呼吸が止まる。

 

 

 

 

 

「──ヒュ……ッ!?」

 

 

 

 苦笑いを浮かべながら近付く、圭一。

 

 その背後。狂気的な眼差しで注射器を掲げる、レナの姿。

 

 針が真っ直ぐと、圭一の首筋を捉えていた。

 

 

 気付いていない。梨花も、圭一も。

 

 

 気付いているのは、山田だけだ。

 

 

 

 

 

 

「圭一さん後ろッ!!」

 

「え?」

 

 

 知らせる山田。でも一手、遅かった。

 

 レナはもう、圭一のすぐ後ろだ。

 

 

 振り返り、彼の視界が捉えたのは、レナの顔だった。

 

 泣き出しそうな顔で注射器を掲げる、レナの姿だった。

 

 

 

 生物的な反射行動から、圭一は目を閉じる。

 

 もう注射器は、振り下ろされようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「やめて……!」

 

 

 

 梨花もやっと、視認出来た。

 

 そこから彼女に出来る事はただ、一つ。

 

 

「やめてレナぁッ!!」

 

 

 叫ぶだけだ。願うだけだ。

 

 

 

 

 

 

 ドンッ

 

 

「な、なにぃーーっ!?」

 

「どうしたんじゃキクちゃん!?」

 

「こ……これは……!?」

 

 

 興宮署の前で辺りを必死に見渡す、菊池の姿があった。

 

 

「今まで見ていたどやんすボディは……!?」

 

「あちゃーっ!! キクちゃんがゾンビィ一号ちゃん欠乏症になっとるーーっ!!!!」

 

 

 謎の症状に苦しむ菊池と騒ぎ立てる石原。

 そんな二人を無視し、矢部は大急ぎでパトカーを出すよう王田に命じていた。

 

 

「はようパトカー出せぇや! 竜宮礼奈を見つけに行くんや!」

 

「見つけに行くって、どこ行きゃ良いんだ。具体的に指定してくれねぇとパトカーは出せねぇ。イライラするなぁ」

 

「そんなん、村中走り回って探すしかぁないやろ!? 時間がないねんな!」

 

「こないだ、経理部の連中と喧嘩しちまってな。ガソリン代が経費で降りなくなっちまった。あまりガソリンを使いたくないんだ。イライラさせるな」

 

「お前の部署の事情なんか知るかいッ!」

 

「イライラさせるな」

 

「イライラさせるなbotかおどれはぁ!?」

 

 

 レナ捜索を焦り始めた矢部を、大石は急いで宥めてやる。

 その背後でヘッドバンギングを始める、菊池と石原は敢えて無視した。

 

 

「矢部さん! 王田さんの言う通り、アテも無く探して見つかるような話じゃないんですよ!」

 

「んじゃあ、どこにおるんや!? どこ行ったら見つかんねんな!? おぉ!?」

 

「それが分かれば、我々だって苦労は……」

 

 

 矢部は失望したような目で大石を睨んだ後、運転席を開けて王田を引き摺り出す。王田は無表情で路上に転がった。

 

 

「ワシが探す……!」

 

「矢部さん……」

 

 

 ドアを閉め、髪の毛を軽く整えてから矢部は、ハンドルを握る。

 鋭く、決意の籠もった横顔をしていた。

 

 

 

 

「手遅れになる前に、竜宮礼奈を探さなアカンのや……!!」

 

 

 エンジンを動かそうと、キーへと手を伸ばす。

 しかし、キーは刺さっていなかった。王田が寸前で抜いたのだろう。

 

 矢部は悔しさから、ハンドルを叩く。クラクションが虚しく、鳴り響いた。

 

 

「……なにやっとんねんッ!? キー抜くなやボケェッ!!」

 

 

 王田に向かって、怒鳴り散らす矢部。

 当の本人は、菊池らと共にヘッドバンギングをしていた。

 

 

「サガッ!! サぁぁぁーーーーガァーーーーッ!!」

 

「ホンマになにやっとんねん」

 

 

 一旦降りて、キーを奪い取ろうかと考える矢部。

 しかし助手席の方から、誰かが車内に入り込んで来た。

 

 大石だ。

 

 

「……なんや。ワシゃ勝手に行くで」

 

「……いえいえ」

 

 

 大石はニンマリと笑い、車のキーを差し出した。

 

 

「村に詳しいモンがいないと、余計に見つかりませんよぉ?」

 

「………………」

 

 

 キーを受け取りながら矢部は、呆然と彼を見つめる。

 

 

「……私だってね。竜宮さんを見つけたいんですよ。もう時間がない」

 

「………………」

 

「こんなりゃ、アテ無しでも乗ってやりますとも。えぇ!」

 

 

 シートベルトを締めてから、車を動かすように催促する。

 矢部はキーを差し込みながら、感動した様子で笑った。

 

 

「目暮警部はさすがやなぁ」

 

「大石です。あと警部補ですから」

 

「ほんじゃあ、行くでぇ」

 

 

 アクセルを踏み、パトカーは動き出す。

 次第に沈み行く太陽を情けなく思いながら、雛見沢村を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 針を突き刺そう。

 

 何度も突き刺そう。

 

 そうすれば死ぬ。殺せる。

 

 

 振り上げた腕を降ろし、注射器を圭一に刺そうとした。

 

 

 

 

 だが、途端に手が止まる。

 

 

「…………え?」

 

 

 鼻腔を、甘い香りがくすぐったからだ。

 

 覚えのある香りだ。

 

 そして忌々しい香りだ。

 

 

 

 手が止まり、身体も止まる。

 

 レナにとって、それ以前の問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 鼻腔をくすぐる、香水の香り。

 

 女性の憧れにして、忌まわしき匂い。

 

 

 

 

 

「シャネルNo.5」。

 

 あの女が付けていた香水の香りだ。

 

 死ぬ寸前の時まで付けていた、あの女の匂いだ。

 

 

 その香りが、突然現れた。

 

 何よりも嫌いな、恐るべき香り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 咄嗟に目を瞑って、十秒が経った。注射器が突き刺さるにしては、長い時間だった。

 圭一はゆっくりと、目を開く。

 

 

 視界に写っていたのは、やっぱりレナだ。

 だが、様子がおかしい。恐怖し、震え、膠着していた。

 良く見れば鼻を頻りにスンスンと動かしている。匂いを嗅いでいるようだ。

 

 

「れ……レナ……?」

 

 

 その内にレナの眼球がキョロキョロと左右に動き、彼女は三歩ほど後退りする。

 

 

「い、いや……なんで……!? なんで……!?」

 

「レナ? おい、どうしたんだ……!?」

 

「生きてるの……!? 生きてたの!?」

 

 

 注射器を握ったまま狼狽する。辺りを見渡し、怯えたようにふらつく。

 

 誰が見ても普通ではない。

 レナの奇行に、圭一を含めた全員が呆然としていた。

 

 

「レナさん……?」

 

「お、おい……!? 何があったんだ……!?」

 

 

 今の内に取り押さえるべきか迷っている上田。

 しかし凶器を持っている今、不意打ちで無しに突っ込むのは危険だ。ましてや相手は錯乱している。何をしでかすか分からないので近付けずにいた。

 

 

 静かに観察していた梨花もまた、レナの鼻に気が付いた。

 

 

「……何か、匂いを嗅いでいるようなのです」

 

「……匂い?」

 

 

 山田は試しに、スンスンと嗅いでみた。

 

 

「……あれ?」

 

 

 蒸れた土と草葉の臭いしかしない。

 しかしそよ風の中で、確かに異様な匂いがある事に気が付いた。

 

 

「……この匂い……」

 

 

 嗅ぎ覚えのある、甘い匂い。それが風に乗って、やって来た。

 山田が何の匂いなのかを思い出そうとしている内にも、レナの恐怖は増して行く。

 

 

「だって、なんで……!? あの時、あの時……!?」

 

 

 首や身体を大きく振り、辺りを激しく警戒。

 

 目に映るものは木々に草葉、オンボロの小屋に小さな石。何の変哲もない山の風景。

 

 しかし、だからこそレナはパニックに陥った。

 自分が捉えた異常と、場の普遍が一致していないからだ。

 

 

「あの時、だって、私…………!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 穏やかな姿を偽っていた、律子の姿が目の前に現れた。

 

 

「あらっ、礼奈ちゃん。おはよっ!」

 

「三人揃ったんだし! ねっ! 一緒に食べましょうよ!」

 

「……私、あなたのお父さんとの結婚、本気で考えているの」

 

「あら? 礼奈ちゃんも低血圧なの? うふふ! 私もなのよっ! 朝がキツいのよねぇ……」

 

 

 律子の言葉が、フラッシュバックする。

 

 

 

 

「昔っからさぁ、あんたの顔がさぁ……嫌いで嫌いでしょうがないのよ……」

 

「アタシはさぁ、綺麗なままでいたいのよ。でもあんたって、声とか、顔付きも似てるじゃん、アタシと。デブで汚くて醜くい……まるでアタシの劣化見ているみたいで無理」

 

「あんた何してんの?」

 

 

 まるですぐ耳元で話されているかのようだ。

 

 

 

 

「このクソッ!! クソッ!! 生意気なのよガキの癖にッ!?」

 

「離婚した母親のお荷物ってぇ!? 何考えてるのか分からないし、話し方はおかしいし!!」

 

「あんたなんかを、愛してくれる人間はいないのよぉッ!!」

 

 

 脳裏に浮かんだ、あの時の光景。

 あの時逃げた、血とシャネルの匂いが、またやって来ていた。

 

 

 

 

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!」

 

「痒い、痒い、痒い、痒い、痒い」

 

 

 そう言って首をナイフで突き刺す、彼女の姿さえも。

 

 

 

 

 

 

 

「おい! レナ!?」

 

 

 圭一の叫びは届いていない。それすらも掻き消す、頭の中の声。

 

 

「いる……!? いる……!! 近くに……!?」

 

「待てッ!? おい、やめろッ!?」

 

 

 罪悪感と、手に残った人肉を刺した感触がぶり返す。

 怖い、怖い、怖い。それでも消えないシャネルの匂い。

 

 

 完全に錯乱してしまったレナ。

 逆手に持った注射器を、自分に向けた。

 

 

「……ッ!? 駄目なのですッ!?」

 

「や、やめなさいッ!!」

 

 

 耐え切れず、上田は駆ける。

 梨花は叫び、山田とオニ壱は立ち尽くす。

 

 

 だが、間に合わない。レナは注射針を自らの首に刺そうと、していた。

 

 

 

 

 

 

 

 針が彼女の細い首に入ろうかとした時。

 針は、別のものを刺した。

 

 

 

 

 

 

「レナぁあッ!!」

 

「ッ……!?」

 

 

 圭一が、レナの首と針の間に腕を突っ込んだ。

 

 

「圭一く……ッ!?」

 

 

 針が突き刺したのはレナの首ではない。

 圭一の腕だった。

 

 

「いッ…………!」

 

 

 勢いあまり、圭一はレナに覆い被さる。

 そしてそのまま二人は──

 

 

 

 

 

 

 

「きゃあっ!?」

 

「うぶぉっ!?」

 

 

──仲良く一緒に、地面へ転んでしまった。

 

 仰向けのレナの上に、注射器を腕に刺したままの圭一がうつ伏せで被さる。

 

 彼女の視界には夕暮れに染まる空が微かに伺える、葉の隙間が見えた。

 レナはただただ、呆然とそれを眺めていた。

 

 

「……え?」

 

「いつつつ……つッ!?」

 

 

 圭一は注射器を手に取り、一思いに抜いた。

 情けない「やっぱイテェーっ!」と言う叫びが、辺り一面に広がる。そのまま圭一は怒りに任せて、注射器を投げ捨てた。

 

 抜けた後に血が漏れ出した腕を押さえながら、圭一はパッと飛び起きる。

 

 

「イダダダダダ!? け、結構深く刺さったぞぉ!?」

 

「だ、だ、大丈夫!? 大丈夫、圭一くん!?」

 

 

 レナも咄嗟に飛び起き、自身の服のポケットを弄る。

 持っていたハンカチを取り出し、それを圭一の注射痕に押し当ててやった。

 

 

「いつッ!? も、もっと優しく押し当ててくれ!」

 

「あ! ご、ごめんね! ごめんね………………」

 

「…………お、おう……大丈夫だぜ…………」

 

「……………」

 

「……………」

 

 

 その時に、互いにハッと我に返る。

 いつもの調子で接してしまったが、思えばここまで何があったかを、想起し始めていた。

 

 

 圭一もレナも、思わず俯き、呆然と目をパチクリさせる。

 レナに傷口を押さえさせながら、或いは圭一の傷口を押さえながら、二人は何があったのかを暫し忘れてしまっていた。

 

 

 ジワジワと思い出される、さっきまでの光景。

 暫し、気まずい空気が、辺りに流れ込む。

 

 

 

 

 

 

 

「えーーっと……おお??」

 

「…………なんだこれは?」

 

 

 それは山田らにも言える事だった。

 上田は駆け出した時の姿勢のまま固まり、山田は肩から落ちたオニ壱に気付いていない。

 

 圭一とレナ。二人が見せた「いつもの光景」に、全員が動揺していた。

 

 

「……なんだか上田、非常口のマークみたいな格好なのです」

 

 

 梨花に至ってはつい、いつもの感じで上田をいじってしまった。

 全員が、二人の醸す空気に、動揺をしているようだ。

 

 

 

 

 

 そんな時、風上から誰かの声が聞こえて来た。

 

 

「い、いたーー! やっと見つけたのですわーー!」

 

「おーーい! 山田さーん!! 圭ちゃーーん!!」

 

 

 別行動をしていた、魅音と沙都子だ。

 二人に気付くと、山田はとりあえず気を取り直す。

 

 

「あれ? お二人とも、どうやってここに……?」

 

「谷河内の方で何も起きなかったから、山田さんの言ってたダムの近くの山に来たんだよ!」

 

「い、一生分走りましたわ……! 草野球の練習よりハードですわ……!」

 

 

 山田の元に近付く、沙都子。

 彼女が近寄った際に、山田は沙都子から放たれる匂いに気付いた。

 

 

「……あっ。この匂い……」

 

 

 山田も思い出した。確か、シャネルの五番の匂いだ。

 確か彼女、上田から取った「シャネルNo.5の石鹸」を使っていた。

 

 さっきから風に乗って香っていた匂いは、彼女の匂いなのかと納得する。

 

 

「そう言えば沙都子さん、上田さんの石鹸を使っていましたね」

 

「うふふふふ〜、シャネルの五番は女を変えるのですことよ〜」

 

「思い出したように変わるな」

 

 

 それを聴くと上田はキッと、沙都子を睨んだ。

 

 

「そうだ! 色々あり過ぎてすっかり忘れていたッ! そろそろ俺の石鹸を返しやがれってんだッ!!」

 

「上田先生、非常口みたいな格好で何やっていらっしゃるのですか?」

 

 

 沙都子にも指摘され、走り出そうとした姿のままの自分を恥じた。

 

 

 

 上田の様子に呆れながら、山田は魅音と梨花の方を見やる。

 

 

 

 

 

「……あっ」

 

 

 魅音はボウっと、二人を眺めていた。

 怪我をしている圭一と、止血をしているレナの姿。

 

 奇妙な光景だが、どうにか魅音は納得に似た感情を持っていた。

 故に切なさと悲しさが、安堵の中に少しずつ混ざってしまう。

 

 

 

 対する梨花は、愕然とした様子でそれを眺めていた。

 

 

 レナから、狂気的な雰囲気が消えているではないか。

 つまり、「終わった」のだと、梨花は悟った。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 梨花は微かに首を振り、誰にも聞こえない声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

「…………これが……『奇跡』……なの……?」

 

 

 

 風に乗って、どこからか声が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

『奇跡……奇跡、なのです』

 

「え?」

 

 

 その声に反応し、振り返ったのは、山田だった。

 聞こえたようなその声の主を探そうと、辺りを見渡す。

 

 彼女の様子を怪訝に思った上田が、非常口のような姿勢のまま山田に問う。

 

 

「……どうしたんだYOU?」

 

「その姿勢のままいるのか」

 

「今更、動き辛くてな……んで、どうした?」

 

「いや……グリーンの名曲のタイトルが聞こえたような気がしまして」

 

「青と夏?」

 

「キセキじゃい」

 

 

 ふと見下ろした時に、地面に伏せるオニ壱に気が付いた。

 山田は錯乱しながらオニ壱を拾い上げた事は、言わずもがなだろう。

 

 

 

 そんな彼女の様子を、背後から梨花は見ていた。だが視線に、呆気はない。

 

 

 強い確信と驚き。梨花は暫し、山田から目を離せなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

十六夜

 夕暮れ刻から、次第に夜へと移る頃合いとなった。

 レナの気が落ち着いた段階で、山田らは山を降り始める。

 

 

 奇しくも部活のメンバーがやっと、揃った瞬間でもあった。

 しかしその道中は決して、晴れやかな気分ではない。それもそうだ、ここまで色々とあり過ぎた。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 先導する形で、魅音と沙都子と梨花が並んで歩き、

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 最後尾を付いて行く形で山田と上田と、少し首の折れたオニ壱が並んで歩く。

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 そしてその二組に挟まれて歩いているのが、圭一とレナだ。

 圭一がまだ、動揺を押さえ切れていないレナの手を引いている。

 

 

 なぜか暗い雰囲気だ。

 気まずく、鬱蒼とした気分だ。

 

 それもそうだろう。レナが上田と梨花を監禁し、皆を騙し、圭一を殺そうとしていたのだから。

 何とかレナは狂気を振り払えた、とは言え、どう言葉を投げかけるべきか。

 

 

「…………上田さん。あの」

 

 

 さすがにレナに話しかけるのはキツかった為、山田は隣にいる上田にボソッと話しかける。

 

 並んで歩いている三組だが、それぞれは若干離れている為、小さめの声で話せば会話は他の組に届かなかった。

 

 

「……なんだ」

 

「その……さっきは色々と必死過ぎて……言えなかったんですけど」

 

「……おう」

 

「……無事で何よりです。目立った傷とかもなくて……」

 

「……あぁ。だが、折角貰ったグレッチのギターがこんなザマだ」

 

 

 上田は、弦が引き抜かれたギターを担いでいた。

 とは言え、山田から心配と労いの声をかけて貰えた事が嬉しかったようだ。上田は微笑む。

 

 

「……とにかく、上田さんが無事で良かったです」

 

「あぁ……ハッ! なんだなんだぁ、YOUにしてはやけに素直──」

 

「百万円、落としてないですよね?」

 

「…………そんな事だと思った。この守銭奴め」

 

「あと矢部さんたちもタイムスキャットしてましたよ」

 

「だからタイムスリットだと……おおう!?」

 

 

 いきなり矢部たちの事を話され、驚く上田。オニ壱の首がカクッと落ちた。

 

 

 

 

 

 

 山田の叫びで後ろを見た後に、魅音ら三人はまた前を向く。

 なんだかんだで、いつも通りの山田らを見ると、少し緊張が解れたようだ。沙都子が梨花に話しかける。

 

 

「……梨花も、なんて事なさそうで良かったですわ」

 

「みぃ。体操服だから、腕とか足が蚊に刺されまくりなのです。痒い痒いのです……」

 

「帰ったらお薬を塗らないといけませんわね」

 

「あと、お腹ペコペコなのです。沙都子のお料理がこれほど恋しいのは久々なのですよ」

 

 

 そう言うと沙都子は丸い目になり、次には困ったように笑った。

 彼女もまた、梨花の無事が何よりも嬉しいようだ。

 

 

「もう……梨花ったら! 甘えん坊さんなんですわ!」

 

「わぷっ」

 

 

 ドンッと、沙都子が寄り添うようにぶつかる。

 今度は梨花が、「甘えん坊さんなのはどっちなのですか」と、呆れたように笑う。

 

 

 

 次にチラリと、沙都子と梨花は魅音の方を見る。

 

 

「………………」

 

 

 彼女の事だ。久々のレナとの再会に、派手なリアクションをするだろうと思っていた。

 だが、圭一と並ぶレナを見た彼女の反応は、気まずそうだ。小屋を離れる際も、「じゃあ、行こっか」だけと淡白だった。

 

 

「………………」

 

「あの、魅音さん?」

 

「…………ん? あっ。ご、ごめんごめん! 考え事してたっ!」

 

「レナさんの事でしょうか?」

 

「ま、まぁ、そう……なるのかな!」

 

 

 沙都子に話しかけられ、取り繕うような笑みを見せる。

 その際チラリと、後ろを一瞥した。

 

 

 釈然としない沙都子に対し、梨花は察したようにコショコショと小さく声をかける。

 

 

「……圭一と話したいのですか?」

 

「うん………………ん? んん!?」

 

 

 本音が出て、思わず魅音は自身の口を押さえる。

 暗がりでも伺えるほど、赤面していた。

 

 

「圭一さんと話されたいのですか? なら、私が呼びま──」

 

「い、い、い、良い良い良いっ!!」

 

「え? 大事な話でもされ」

 

「大丈夫大丈夫!! また後で良いからさっ!」

 

 

 沙都子を引き留めた後も、ついついまたチラリと、二人を見た。

 

 

 

 

「…………良い、から」

 

 

 表情は切なそうだ。

 彼女の目は、圭一とレナの繋がれた手に注がれている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子を観測した上田と山田。

 山田はオニ壱の頭部を落っことした事に気付いていない。

 

 

「……めちゃくちゃ二人を見てるな、園崎魅音」

 

「めっちゃチラチラ見てましたね」

 

「……まぁ、あの子……どうにも、少年に惚れていたっぽいからな」

 

「……えっ? そうだったんですか? 魅音さんが?」

 

「気付かなかったのか……」

 

 

 上田は溜め息を溢し、口を噤んだまま首を振る。

 

 

「……人間ってのは奇妙だなぁ。殺されかけたってのに、その相手と寧ろ距離が近付いちまった。殺したいほどアイラブユーってか?」

 

「でもまぁ、圭一さんの性格もありますよ。圭一さんずっと、レナさんの事を気にかけていましたし。結果的に何も起きなかったのなら、良いんじゃないですか? 知らんけど」

 

「大阪人みたいな話の締め方やめろ」

 

 

 二人もまた、圭一とレナの繋がれた手を見る。

 どちらかと言えば圭一が手を引いてやっている状態だが、間違いなく二人の心的距離は縮まっているハズだ。

 

 

 

 

「失礼します」

 

「はい?」

 

「詠います」

 

「なんで?」

 

 

 突然上田は、息を吸い込んだ後に一句詠み始めた。

 

 

 

 

「秘めて潜めしこの思い」

 

 

 左手をクルクルクルと回し、おでこに当てる上田。

 山田も咄嗟に真似して、なぜか頭の上まで手が行ってしまった。自分の手を二度見する。

 

 

「重ねて姫初め思い重い」

 

 

 右手をクルクルっと回して、またおでこに当てる。

 山田も真似するが、ペチっと自分のおでこ叩いて「なんてこった!」と顔を歪めた。

 

 

「曽根崎心中(しんじゅう)、それだけ心中(しんちゅう)……黒沢かずこは森三中」

 

「駄洒落かよっ!」

 

「駄洒落ではないッ! 文学だッ! 実は俺は、亀山歌の継承者なんだ。マーベラスッ!」

 

「てか森三中関係ないし!」

 

「優れた文学には遊び心があるものだよ」

 

 

 そう言って上田は突き出ていた枝に頭をぶつけた。

 枝には、「クレア黒沢」と文字が彫られていた。

 

 

 

 

「………………」

 

「………………」

 

 

「──おぉうっ!?」

 

 

 背後で頭をぶつけて転ぶ上田に気付かず、圭一とレナは共に歩く。

 

 

 レナを立ち上がらせ、とりあえず手を引いた。

 怪我をした腕には、魅音の持っていたタオルで硬く縛り、止血している。

 

 

 圭一は奇妙な感情を抱いていた。

 むず痒いような、恥ずかしいような、安心するような。とにかく、初めて抱いた感情だ。

 

 

 レナの手を引いていて思った。

 最初はヒンヤリとしていた彼女の指が、次第に熱を帯び始めている。

 血が通っているようだ。その様子に圭一は、謎の安堵を感じていた。

 

 

 

「…………れ、レナは……」

 

 

 前方と後方の全員が話し始め、黙ったままが厳しくなって来る。

「話さなきゃ」と、強迫観念に押されて、圭一はやっと口を開く。

 

 

「……レナは、さ」

 

 

 俯きがちだった彼女の顔が上がる。

 ぼんやりとした瞳だ。夢から醒めたかのような風にも思えた。

 

 

「……なんでさ……その……元に、戻れたって言うか……いやあの、元に戻るって表現は変だよな……何と言うか……」

 

 

 見切り発車の会話は、どこか尻窄み。

 何を言ってんだと圭一は、心中で自分を責めた。

 

 

 しかしレナは圭一の言いたい事を理解したようで、答えてくれる。

 

 

「……良く、分かんない」

 

「……え?」

 

「なんであんなに怖かったのか、みんなが敵に見えたのかとか……」

 

「………………」

 

 

 レナは言い辛そうに口をモゴモゴさせた後、決心したように開いた。

 

 

「……圭一くんと一緒に死のうって思ったのかとか……分からない」

 

「………………」

 

「……でもね。圭一くんの話を聞いたり、腕から血が出ているのを見てたら……」

 

 

 弱々しく微笑みながら、レナは圭一と目を合わせる。

 

 

「……圭一くんや、みんながいなくなるのがとても……怖くなってきたの」

 

 

 表情に対し、その目は泣き出しそうだ。

 

 

「……鷹野さんのスクラップ帳も……なんであんな物、信じ込んでいたんだろうなぁ」

 

「……そう、か」

 

「……圭一くんは、さ」

 

「ん?」

 

「あの時、言ってくれたよね。『過去は過去だ。そんで人生、隠したい過去なんて幾らでも誰にもある。それを開けっぴろげにする事が、正しい訳じゃない。隠したって良い』……良く思い付いたね」

 

 

 レナにそう言われた圭一は、少し気恥ずかしそうに頬を掻く。

 

 

「あー、あれなぁ……実は、俺が思い付いた訳じゃねぇんだ」

 

「そうなの?」

 

「レナを探しに行く前にな……魅音と、沙都子に俺のやった事を打ち明けてな」

 

 

 前方を歩く、魅音と沙都子を見る。

 

 

「そしたら言われたぜ……『仲間に隠し事はしたらいけないワケ?』とか、『償いをしたなら終わり』とか」

 

「………………」

 

「目から鱗って奴だな……みんな、俺たちが思っていた以上に、優しいんだ」

 

 

 

 レナは丸い目で、彼を見つめている。そして次には、見覚えのある微笑み顔となった。

 いつも見てきた、彼女のいつも通りの笑顔だ。

 

 

「……ありがとう」

 

 

 圭一はその笑顔を眺め、本当の意味で安堵する。

 

 

 気付けば、森を抜けて道路に出ようかとしていた。

 やっとみんなで、雛見沢村に帰れる。全員がそう思っていた。

 

 

 

 

 

 ただ、現実はそんなに甘くはないものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 道路をひた走る一台のパトカー。

 運転する矢部と、案内をする大石のペアだ。

 

 

「運転荒いですよ矢部さん!」

 

「警視庁じゃこれが標準や」

 

「赤坂さんは意外と丁寧でしたよ?」

 

「お? ここショートカット出来そうやな」

 

「ちょちょちょちょちょ!?!?」

 

 

 掟破りの地元走りを披露してやる。

 リアビューミラーにぶら下がっていた、「仁D」と書かれたスプリンタートレノのキーホルダーが揺れる。

 

 

「大体、探しましたからねぇ……可能性があるとすれば、この辺でしょうな」

 

「どこにおるんやぁ? 早う見つけんと、手遅れになるで……!」

 

 

 大石は自身の腕時計を確認する。

 

 

「……報告を受けて、もう一時間。こりゃもう、無理ですか……」

 

 

 内心、矢部も諦めが現れ初めていた頃だ。

 車を飛ばして、もう五十分ほど。村内は諦め、谷河内までの道を走っている。

 

 

「……いや、まだやまだや」

 

 

 アクセルを強く踏み込み、スピードを出す。

 もう矢部の中では、竜宮礼奈への敵意と懐疑心は一切なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 必死に礼奈の発見を祈り続ける、大石と矢部。

 その祈りは、とうとう届く事となる。

 

 

 

「……おや?」

 

 

 遠く、道路沿いを歩く複数の人影。

 もう暗くなっており、街灯が点々と点く頃だ。ひぐらしさえ鳴き止む時間帯。

 

 こんな滅多に人の往来があるとは言えない場所。

 大石は訝しげに思い、目を凝らす。

 

 

 次の瞬間、愕然とした様子で両眼をかっ開いた。

 

 

「矢部さんッ!? いました、いましたよぉッ!?」

 

「おおお!? おったッ!? おったでぇッ!?」

 

 

 すぐにパトカーは、その人だかりに寄せられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人だかりとは、山田と上田、そして部活メンバーの事だ。

 山を降り、森を出て、汗でベトベトになりながら一行は、道路に出た。

 ここまで来れば、村まで三十分ほどの距離。全員がホッと、息を漏らした。

 

 

 しかし次には、ドキリと肝を冷やす。

 パトカーが一台、こちらに寄って来たからだ。

 

 

「…………ッ」

 

 

 怖くなり、表情が強張るレナ。

 彼女のその様子を確認した魅音が、レナの肩を叩いてやる。

 

 

「良い? みんな。『レナは何もやっていない』。警察の目が怖くて隠れていただけ」

 

「え?」

 

 

 魅音の言葉に驚くレナと、首肯する部活メンバーら。

 

 

「レナは、あの夜にあった事はキッチリ全部言えよ。あの間宮律子の件は正当防衛で何とかなるって!」

 

「みぃ。ボクらも何とか口裏合わせるのですよ〜」

 

「レナさんも反省していらっしゃいますし……山田さんも上田先生もそれでよろしいですわね?」

 

 

 沙都子に話しかけられ、山田と上田は互いに見合わせる。

 そして「仕方ないな」と、肩を竦めた。

 

 

「まぁ、矢部さんたちの勘違いのせいっぽいですし、アイコロですよね」

 

「相殺な?……しかし、もう二度とないようにするんだぞぉ?」

 

「ところで上田さんたちが消えた件は、なんて事にしますか?」

 

「上田のせいで遭難した事にするのです。にぱー⭐︎」

 

「俺のせいか!?」

 

 

 レナは目をパチクリ動かし、全員を見渡した。

 潤んだ瞳で微笑み、申し訳なさそうに頭を下げる。

 

 

 

 

「……ごめんね……みんな……ごめんね……!」

 

 

 泣き出し、圭一の手を離して涙を拭う。

 彼女の姿を見て皆は少しだけ困った顔で笑う。

 

 

 

 レナを慰めようとする前に、パトカーは一行の前に停車。

 急スピードからの急停車なので、轢かれないかと全員少し慄いた。

 

 

 

 

 

 中から出て来た刑事は、大石と矢部だった。

 意外な人物たちに、山田は驚いて声をあげる。

 

 

「あっ! 矢部さんと、リトルバスターズさん!」

 

「私の事言ってるんですかねぇ? 蔵人です」

 

「良くここが分かりましたね!」

 

「いや、偶然や……それよりもなぁ……」

 

 

 上田の存在に気付いた。

 

 

「アレ!? 先生ぇやないですかい!?」

 

「本当にタイムスリットしてたのか……」

 

 

 次に部活メンバーが彼を指差し、口々に言う。

 

 

「あ!? あん時の不審者じゃねぇか!? 時計屋じゃなかったのかよ!」

 

「色々引っ掻き回してくれた間抜け不審者じゃん!? ソウゴくんは見つかったの?」

 

「あのずっとニコニコしてた人……? 結局ツクヨミちゃんって誰なのかな……」

 

「ブツブツ言いながら神社から出て来た人ですわ!?」

 

「見るからに目付きがヤバい感じの変人なのです!」

 

「ワシは一体何をしたんやッ!?」

 

 

 そんな事はどうでも良いと首を振り、すぐに矢部の視線が、レナに注がれる。

 捕まえられのかと動じてしまい、レナは半歩だけ下がってしまった。

 

 

 またレナを責め立てるのだろうか。

 全員が矢部の言葉に注意する中、彼から放たれたのは意外な言葉だった。

 

 

「竜宮礼奈やな!? 病院まで送るから、早うパトカー乗れ!!」

 

「……え? 病院?」

 

 

 魅音がどう言う事かと訝しむ。

 対して圭一は納得した様子だった。

 

 

「レナの父さんだ。ほら、今も入院中で──」

 

「それやッ!! その親父さんが今、大変なんやッ!!」

 

「え?」

 

 

 矢部が駆け寄り、焦燥感に満ちた顔でレナの前に立つ。

 現場にピリピリとした空気が流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっき、容態が急変してなぁ!? もう……保たへんのやッ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 全員が、胸に穴を開けられたかのような戦慄を覚えた。

 蒸し暑い熱帯夜さえ、冷え込んだ錯覚に陥る。

 

 

 

 さっきまで感じていた安堵が、一気に霧散してしまった。

 

 息を呑み、吐き出せない。

 レナは顔面蒼白で、矢部の報告を前に倒れてしまいそうだ。

 

 

 

 

「お父……さんが……!?」

 

 

 突然の展開に、レナのみならず皆が追いつけずにいる。

 ただ照り始めた十六夜の月光が、いつも通りにして物悲しく場を包んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パトカーが一台停車し、すぐに中から三人が降車する。出てきたのはまず矢部、大石、そしてレナと圭一だ。

 

 

「こっちや! 早く!!」

 

「は、はい!」

 

「間に合うか……!?」

 

「間に合うと良いんですがねぇ……!」

 

 

 二人に案内される形で、レナは大急ぎで病院に入った。

 

 

 

 その数分後に、もう二台のパトカーがやって来る。大石が残りのメンバーを回収する為に呼んだものだ。

 それぞれのパトカーから出て来たのは魅音ら部活メンバー、そして山田と上田だ。

 

 

 

 いち早く降車した上田、山田、魅音が病院に入る。

 しかし矢部ら既に、エントランスからいなくなっていた。山田は必死に辺りを見渡す。

 

 

「あ、あれ!? 矢部さんたちどこ行った!?」

 

「多分、集中治療室だッ!! そこに行けば良いッ!」

 

「あっ! ほら、地図があるよ!」

 

 

 魅音に示され、エントランスの壁に設置されていた院内マップを確認した。

 

 

 

『←集中治療室 ↑ハルケギニア リハビリステーション→』

 

 

 

 集中治療室は矢印の先、廊下の奥にあるらしい。

 

 

「こっちみたい!! 山田さん上田先生早くッ!!」

 

「ギーシュと決闘ッ!!」

 

「どこ行く気だっ!」

 

 

 上へ飛ぼうとする上田を山田は阻止し、三人は集中治療室へ走る。

 

 ようやく標識が見え、明確な場所が分かった。しかしその前で、突如現れた医者に引き止められてしまう。

 なぜか女装しており、胸に付いている名札から、名前は「アキコ」らしい。

 

 

「ここより先は、関係者と親族以外は立ち入り禁止なんですー!」

 

「えぇ!? そんなぁ!」

 

 

 医者に引き止められ、魅音は頭を抱えた。どうにか出来ないかと、上田は彼に頼み込む。

 

 

「どうしても無理ですか?」

 

「当院の規則なんですー! 申し訳ありせーん!」

 

「彼、ここで入院されている方の娘さんの、ご友人なんです。何とかなりませんか?」

 

「でも、規則なんですー」

 

 

 焦ったくなった魅音が上田を押し退け、直々に懇願する。

 

 

「ほんとお願い! 園崎権限って事で、そこを何とか!」

 

 

 それでも無理だろうと山田は思いながら、医者におずおずと頭を下げる。

 彼は難しい顔をしたまま、三人に言いつけた。

 

 

 

 

「良い〜よぉ〜!」

 

 

 一転しての快諾に、一同ずっこける。

 山田が首無しのオニ壱を労りながらツッコんだ。未だに山田は首無しだと気付いていないが。

 

 

「良いのかよ!?」

 

「良いわよぉ! 規則なんかクソ食らえよぉ!」

 

「な、なんかオーケーっぽいし……とにかく行くよ!」

 

 

 後続の梨花と沙都子が、息を切らしながら走って来る。

 上田は二人と合流しようと立ち止まるが、山田と魅音は気が焦っていたせいか集中治療室へ先々と行く。

 

 

 

 奥にあった両開きの扉を開くと、医者や看護師が行き交う廊下に入る。

 二人は無我夢中で突き進み、病室を目指す。

 

 

 

 向かい側から頭に花冠を付け、白い民族衣装を来た北欧人の一団とすれ違う。

 一人はなぜか熊の着ぐるみを抱えていた。

 

 

「サマーミッド。サマーミッド」

 

「メイクイーン。メイクイーン」

 

「ソノザキ・キョニュウ。コイツ・ヒンニュウ」

 

「!?」

 

 

 思わず二度見する山田だが、足は止めなかった。

 そのまま二人は廊下の角を曲がり、病室へ辿り着く。

 

 

 

 

 

 後に続いていた上田に、梨花と沙都子も、集中治療室への廊下に入る。

 

 

「さぁ、二人とも! こっちだッ!」

 

「レナさん、間に合ったのでしょうか!?」

 

「せめて間に合って欲しいのです……!」

 

 

 向かい側から、例の一団と遭遇する。

 なぜか上田だけ彼らに絡まれ、梨花と沙都子だけが先へ行く事となった。

 

 

 

 

 その間二人もやっと角を曲がり、病室へと辿り着いた。

 大きな広間には多くのカーテンがあり、患者と患者を仕切っている。

 

 

 

 

 

 レナがいたのは広間の更に奥にある、窓付きの壁一枚隔てた特殊な病室。

 窓の前で、魅音と山田が立ち尽くしている。

 

 

 ガラス越しで見えたのは、変わり果てた姿の父親に抱き付く、レナの姿だった。

 

 

「……あ」

 

 

 梨花はピタリと、少し離れた箇所で立ち止まった。

 沙都子だけ窓際へと近付き、山田らと合流する。

 

 

 

 

 ここからでも良く見えた。

 泣き叫ぶレナと、居た堪れない表情の圭一に矢部と大石。

 

 そして、一本線が真っ直ぐ横へ伸びた心電図。

 

 

 遅かったのだろう。そして救われなかった。

 

 

「………………」

 

 

 呆然と立ち尽くす梨花。

 彼女に気が付いた山田が、そっと歩み寄って来た。

 

 

「……来た頃には既に、意識を失っていたようでして……」

 

「………………」

 

「……梨花さん?」

 

 

 ふらりと立ちくらみを起こし、倒れそうになる。

 山田は急いで梨花を支えようとしたものの、何とか堪えたようだ。

 

 

 額を押さえながら梨花は、吐き出すように呟いた。

 

 

「……思えばずっと、そうだったわ」

 

「え?」

 

 

 雰囲気の変わった梨花に驚く山田。

 そんな彼女の様子さえ無視し、梨花は父親の死体に抱き付くレナを眺めた。

 

 

 

 

「……何かがある代わりに……何かが消える」

 

 

 

 

 魅音と沙都子がレナを慰めようと、病室に入って行く。

 

 

 

 

「……完全な大団円なんて……絶対にない……絶対に来ない……」

 

 

 

 レナを背後から抱き締める魅音の姿。そっと寄り添う圭一と沙都子。

 

 部活のメンバーは誰一人として欠けていない。

 なのに漂う、悲しみと遣る瀬なさ、そして孤独。

 

 

 

 

 

「……だからなのです……山田……だから……」

 

「はい……?」

 

 

 ジッと、梨花は山田の方へ視線を向ける。

 

 

 

 その瞳には縋るような、弱々しい光を浴びていた。

 

 

 

「……それでも。みんなを、救えますのですか……?」

 

 

 咄嗟に山田は、言葉を思い付けなかった。

 悲しい目付きで見つめて来る梨花を前にただ、黙り込んでしまう。

 

 

 あまりにも状況が仄暗い。

 山田にもまず、整理する時間が欲しかった。

 

 

 

 

 

 集団に絡まれていた上田もやっと到着する。隣には一人のお爺さんが付き添っていた。

 

 

「……なんてこった」

 

「ベニスニシスーーーーッ!!!!」

 

 

 落日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

TRICトリックK

 

 

 

言葉にならない夜は

あなたが上手に伝えて

 

絡みついた生ぬるいだけの蔦を

幻だと伝えて

 

 

心を与えて

あなたの手作りで良い

 

泣く場所があるのなら

星など見えなくて良い

 

 

 

呼ぶ声はいつだって

悲しみに変わるだけ

 

こんなにも醜いあたしを

こんなにも証明するだけ

でも必要として

 

 

 

 

あなたが触れないあたしなら

 

ないのと同じだから



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月17日金曜日 鬼隠しと大災害 その1
業深し


LAST WEEK/TRICꓘ

「私、超絶天才美人豊乳ハイスペックホルダーマジシャンの山田奈緒子は、変っ態むっつり巨根学者の上田と共に、既に消えた『旧雛見沢村』に渋々赴く」

「ちょっと見て帰るところがなんと、私たちは昭和五十八年の村へタイムスリスリスキャットしてしまう」

「割と村ライフを満喫していた私たちだったが、綿流しが近付くにつれて起こる事件に巻き込まれて行く」

「しかしウルトラハイパーデラックスマジシャンの私はインチキ霊能力者の陰謀と、レナさんの凶行をまるっと解決してみせた。天才ですから」




「鬼隠しが起こる綿流しまで、あと二日。そして村の崩壊まで、あと四日……」

「私たちがタイムスキャットした理由、そして事件の鍵を握るのは、オヤシロ様を祀る神社の巫女である古手梨花と言う少女だった……」


──様々な逸話のある脱出王「ハリー・フーディーニ」だが、死後にももう一つ逸話が存在する。

 彼は死の間際、妻のベスに一つの言葉を遺している。

 

 

「死後の世界があるのなら一年後、必ず連絡をする」

 

 

 ベスは賞金を懸け、多くの霊媒師を召集し、彼の声を届けられる本物の霊能力者を探した。

 本物だと信用されるには、生前にフーディーニが伝えた、「二つの合言葉」を当てなければならなかったが、約束の期日までにそれを言い当てられる霊能力者は出てこなかった。

 

 

 

 

 しかしその更に一年後に、とある霊能力者がベスの元を訪れ、なんと一つ目の合言葉を正確に言い当ててしまった。

 

 合言葉を伝えて信用させた霊能力者は、フーディーニがベスだけが交わした「九つの単語」さえも伝えてみせる。

 

 更にはフーディーニとベスのみしか知り得ないであろう、彼女の結婚指輪の裏に刻印された「ROSABELL(ロザベル)」の文字さえ言い当てた。

 

 

 

 

 霊能力者は九つの単語を唱え、それが導き出した答えである二つ目の合言葉を告げた。

 

 

「ROSABEL BELIEVE(ロザベル、信じなさい)」

 

 

 彼はベスだけしか知らない合言葉と暗号と、その解読法を使用して暴いてみせた。

 

 ベスは彼を本物の霊能力者と信用し、彼の言葉をフーディーニ本人からのメッセージだと認められ、こうしてフーディーニは死後の世界からこの世界へ、約束した期日の一年後に無事メッセージを伝えられた。

 

 

 

 

 

 しかし、その霊能力者の力は嘘だと、とある女性記者が自身の記事で暴露する。

 

 この記事でインチキだと判明し、ベスは彼が本物の霊能力者であるとする発言を撤回。

 結局、フーディーニからのメッセージを届けられる霊能力者は、以降現れなかった。

 

 

 

 

 

 なぜその霊能力者は、秘密の合言葉を答えられたのか。

 

 そこには、あまりにも単純な理由があった。

 

 

 それは──────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 既に日付は翌日に変わった、深夜0時過ぎ。興宮市内の居酒屋から、赤ら顔の男が二人出て来た。

 

 

「ハッハッハッハッ!! なんだ、お前も歳だなぁ! あれぐれぇで酔っちまいやがって!」

 

「なぁ〜にを言いますかぁ! それを言っちゃあ、おやっさんこそ! 生まれたてのヒヨコみてぇにフラフラじゃないですか!」

 

「なんだと!? 生意気なぁ!」

 

「おとととと!?」

 

 

 酔ってふらつき、掴み合って路上に転ぶ。落ちていたイチョウの葉が二人の服に付く。

 なんとか支え合いながら、愉快に笑って立ち上がった。

 

 

「全く! お互い、いつまでも若くないんですからねぇ! おやっさんなんか、六月の二十日で晴れて還暦になっちまったじゃないですかぁ!」

 

「うるせぇ! そう言うお前こそ、あと数年もすりゃ定年だろぉが! このジジイめ!」

 

「んなはははは! もう定年のおやっさんには言われたくないですわな!」

 

 

 肩を組みながら、ヨタヨタと夜道を行く。

 もう夜も深い。路上を行き交う者と言えば、彼らのような酔い潰れたサラリーマンや、水商売の女ばかりだ。

 

 寒さ運ぶ秋風を浴びながら、二人は肩を組みながら歩く。

 

 

 

 

 街の明かりがポツポツと消える。

 道路傍に並んだ水銀灯が、青白い光で照らす。

 

 二人はその傍を通った。

 照らされては暗がりに入り、また照らされては暗がりに、を繰り返す。

 

 

 

 少し歩いた時、酒臭い息を吐きながら一方の男が、上機嫌に話し出した。

 

 

「なぁ! 俺ぁ、もう今年いっぱいで定年退職だ!」

 

「そりゃ、おめでとさんですなぁ! 長い間、ご苦労様でした!」

 

「それで相談なんだがなぁ。やっぱ隠居するとすりゃ、どこが良いと思う!?」

 

 

 彼の話を聞いて控えめに笑う、もう一方の男。

 

 

「またその話ですかぁ? 定年が近くなった途端に……」

 

「あぁ! 俺ぁもう、人生の半分くらいをこの街で過ごした! 残りぐれぇ、楽しい場所に引っ越してぇもんだろ! ほら、刺激がねぇと人間はすぐボケるからなぁ!」

 

「そりゃ、寂しくなりますなぁ」

 

 

 ガハハと笑い、大きな声で話しながら背中を強く叩く。

 

 

「別に死ぬ訳じゃねぇだろぉ! 一年に一遍は帰って来てやるし……そうだ! なんなら、お前も定年になったら来たら良い!」

 

「私もですかぁ〜!?」

 

「それが良い! 母親ももう、結構な歳だったろぉ! 親孝行って事で、一緒に引っ越してくりゃ良いさ!」

 

「いやいや、私ぁ、とても……」

 

「いいや! そうするべきだ! お前が引っ越して来る頃にゃあ、俺も向こうに馴染んでいる頃だしよぉ。また昔みてぇに、色々と連れ回して遊び方を教えてやるって!」

 

 

 めちゃくちゃな提案に、思わず苦笑いしてしまう。

 しかし胸中では、満更ではなかった。「ありだな」とも、思っている。

 

 

 

 

「……そうですなぁ。まぁ、考えておきますよ」

 

「おう! 考えとけ考えとけ!」

 

「ところで……あー。どこに行きたいって言っていましたっけ?」

 

 

 顎を撫でながら、男は夜空を見上げつつ宣言する。

 

 

「北海道ッ! 北海道だー! 俺は、北海道に行くッ!」

 

「あーあー、そうでしたなそうでした! えー、家庭菜園をやるんですって?」

 

「それもそうだが、まずはパーッとススキノで遊ぶんだ!」

 

「あと、社交ダンスは始めるんでしたか?」

 

「社交ダンスぅ!? いや、言ってねぇぞ!?」

 

「んふふふふ! 私が始めたいんですよ!」

 

「いやいや! 似合わねぇ、似合わねぇよ!」

 

 

 また暫く談笑しながら道を歩く。

 段々と通行人が消えて行き、すっかり辺りからひと気がなくなった。

 

 深夜の街には、二人の笑い声だけが響く。

 

 

「んじゃあ、俺ぁここで帰る!」

 

 

 黄色信号が点滅し続ける交差点で、男は手を上げて去ろうとする。

 

 

「おやっさん、一人で帰れるんですかぁ?」

 

「何言ってやがんだ! 俺ぁどんだけ酔っても、絶対に家には帰れんだ!」

 

「はいはい、そうですかいそうですかい」

 

 

 互いに「では、また」と一言交わしてから、二人はその交差点で別れた。

 一方は角を曲がり、もう一方は交差点を渡り、帰路を急ぐ。

 

 

 

 

 

 

 ふらふらと、少し頼りない足取りで歩く男。

 アルコールが処理し切れないせいか、何度か呻いていた。

 

 

「うぅ〜……あー、ちと飲み過ぎだ」

 

 

 さっさと帰って眠ろう。そう考えた彼は、近道をしようと考えた。

 

 

 閉店後の酒屋と薬局の間にある路地裏。

 街灯はなく、真っ暗闇の中だ。

 

 

 だが、彼にとっては何度か通った道。彼自身も豪胆な人物でもあり、そんな暗闇に慄く事は決してしなかった。

 

 

 進路を変えて、その路地裏へ入り込む。

 口笛も吹く程度には、気分はまだ高揚していた。

 

 

 

 

 しかし街灯の光の下まで来た時に、足が止まる。

 光からあぶれた薄暗い中に、誰か座っていたからだ。

 

 

 微かに視認出来る輪郭からして、頭を抱えてうずくまっているように見えた。

 

 

 気になった男は、闇の中にいる者に話しかける。

 

 

「おいあんた? どした?」

 

「ッ……!?」

 

 

 声をかけられた瞬間、相手は立ち上がってから後ろに転びかける。

 ガシャンと、彼の背後にあった空き瓶の番重に凭れた。

 

 

「なんだオイ? 酔ってんのか?」

 

 

 心配になった男は、ゆっくりと人影に近付く。

 相手の顔はまだ見えないが、うっすらと伺える体格からして男のようだ。

 

 

「……怪我してんのか?」

 

 

 男にとっては、ちょっとした親切心からの声かけだった。

 彼は人情に厚い人物で、困った人間にはすぐに手を貸した。その性格は、歳を重ねた今でも変わっていない。

 

 

 しかし、この時ばかりはそんな性格が災いとなった。

 

 

 ゆっくり近寄る男。

 闇に目が慣れ、相手の姿が見えて来た。

 

 

 

 途端に彼は足を止め、愕然とした目で相手の着ているシャツを見る。

 

 

「……!? お前それ、血か……!?」

 

 

 ベットリと、赤い血が付いていた。

 

 

 

 相手は後ろ手に、番重から空き瓶を一本抜く。

 

 

「……返り血────うがッ!?!?」

 

 

 

 視界が一瞬、真っ白になった。

 

 世界が揺れて、思考が微睡みの中のように覚束なくなる。

 

 顔の側面に広がる激痛と、冷たいアスファルトに倒れたと言う認識が、最後だった。

 

 

 

 

「ぁ……?」

 

 

 地面に倒れた際に、痛む顔面を触る。

 血だらけで、ガラス片が皮膚に刺さっていた。

 

 

 空き瓶で殴られたようだ。

 

 何とか動こうとした彼だったが、その前に髪を掴まれる。

 

 

「やめろ──ッ!!」

 

 

 

 

 硬いアスファルト上に、顔面を叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰り道の途中、どこからか何かが割れる音が響く。

 その音と共に聞こえた、聞き覚えのある声も。

 

 

 

 彼はクルリと、振り返った。

 

 

 

「……おやっさん?」

 

 

 

 

 

 

第七章 鬼隠しと大災害

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あまりにも長い長い一日から、一夜明ける。

 古手神社への階段の前で北欧人集団が、草で生い茂った大きなポールを立て、その周りで踊っていた。

 

 

「メイポール! メイポール!」

 

「メイポル! メイポル!」

 

「メイプルストーリー! メイプルストーリー!」

 

「サマーミッド! サマーミッド!」

 

 

 

 

 

 あの後、山田と上田は古手神社に宿泊した。

 梨花から聞きたい事もあったし、上田もシャネルNo.5石鹸を取り返したかったと言うのもあった。

 

 

 

 山田は寝苦しい暑さの中で目が覚める。

 部屋の中で寝ていたハズが、なぜか一階の廊下に倒れていた。

 

 隣にオニ壱がいるが、まだ山田は首が無い事に気付いていない。

 

 

「うにゃ……あー、朝か……あっつッ!!」

 

 

 ぼやきながらフラリと、彼女は立ち上がる。

 同じタイミングで、部屋の中から寝起きの沙都子が出て来た。

 

 

「あ、沙都子さん」

 

「あら、山田さん。お早いですわね」

 

「いえ。今、ここで起きたところです」

 

「ここで?」

 

「なんか寝ぼけていたようで……廊下で寝ていました」

 

「はい?」

 

 

 沙都子は天井を見てから、訝しげな顔で山田を眺める。

 

 

「山田さん、二階で梨花と一緒に寝ていたハズでは……?」

 

「みたいですね」

 

「……二階で寝ていた人が、一階の廊下で目覚めます?」

 

「稀によくありますんで」

 

「………………」

 

 

 少しだけ思考停止した後に、沙都子は取り繕うように笑う。

 

 

「またまたぁ! 山田さん、朝からチョーゆにーくですわね! 夢遊病でもそんなのある訳ないですわ〜!」

 

「いやホント、稀によくありますんで」

 

「もー! 稀なのか、良くあるのか、どっちなのですわ〜?」

 

 

 ホホホと山田の話を冗談と捉えて笑いながら、居間へと向かう。

 

 彼女の背後で釈然としない表情をしながら、オニ壱を肩に乗せる。頭のあった部分を撫でていた。

 

 

 

 

 

 居間に到着した二人はまず、二度見する。

 

 ちゃぶ台に乗った次郎人形が、手を振っているからだ。

 

 

「ぃヨゥ」

 

 

 下手くそな裏声で話しかけて来る。

 何をやってんだと言いたげな顔をする山田と沙都子を見越し、座るように手を差し出して促した。

 

 

「……これなんなのですか?」

 

「なにやってんだ上田」

 

「上田ジャナイヨ」

 

 

 腕をパタパタと動かして否定するも、二人の呆れ果てた目線に耐え切れず、すぐに次郎人形の背後から顔を出した。

 

 

「よ、よぉ。グッドモーニング!」

 

「……上田さん。何がしたかったんですか?」

 

「相変わらず冷ややかだなYOUは……昨日あんな事があっただけに、場を和まそうとしたんだ」

 

 

 次郎人形を片付けながら、上田は物憂げな表情で呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、レナは安置された父親と共に、病院に泊まった。葬式はすぐには行えないらしい。

 

 父親の死去により、レナの親権は離婚した母親へと移る。

 連絡は即座にその母親へ渡ったが、遠方に住む彼女は諸々の都合を解決してから雛見沢に向かうと言い、二日ほど待って欲しいと頼んだ。

 

 

 離婚原因となった浮気相手と、今や婚姻している母親だ。死んだ前夫の地元に行くだけに、複雑な問題が発生してしまうのだろう。

 

 

 

 

 その間子ども一人が準備など出来るはずはなく、葬式は母親が来るまで待つ必要があり、その期間のみ病院で安置される算段となった。

 

 色々な許可は、魅音が病院側に「園崎権限」で働きかけてくれた。火葬までのサポートを極力するとも約束した。

 

 

 

 それでも、親族との突然の別れに遭ってしまった彼女への、真の慰めにはならないだろう。

 

 様々な迷惑をかけた罪悪感もある。

 誰がレナの心に安らぎを与えられると言うのか。

 

 

 

 

 最悪の事態から回避出来たものの、虚無感と悲しさが延々尾を引く結末となってしまった。

 

 

 

 

 

「……私。レナさんの事を何一つ知らなかったのですわ」

 

 

 沙都子は目を伏せながら、ぽつりと嘆く。

 

 

「いつも元気いっぱいで、裏表の無さそうなレナさんだっただけに……気付けなかった自分が情けないですわ」

 

「沙都子さん、自分を責めちゃ駄目ですよ。今回はあまりに、間が悪過ぎたんです」

 

 

 山田の言う通りだろう。

 

 

 

 

 レナの狂気は過去から現在までに至る、抑圧による爆発だ。

 

 間宮律子の存在を発端とし、ジオ・ウエキらの三億円事件が更に拗れを生んだ。

 

 更にヤケになった律子の凶行による父親の危篤からの死に、上田が落とした鷹野のスクラップ帳の存在やら、警察の介入に対する誤解などが積み重なってしまった。

 

 特にスクラップ帳の内容と、レナが見たダム作業員の死体の状況が上手く合致してしまったのが決定的だろう。

 

 

 

 

 

 あまりに運がない。

 そうとしか言いようがない騒動だ。誰を責めても、どうにもならない。

 

 

「本当にとんだ事件だった……冗談にもならないな。あれほど翻弄したとは言え……一番の被害者が、竜宮レナだったとは……」

 

「私、学校が終わったらすぐに……レナさんの所に行きますわ。少しでも慰められたらなと……」

 

「………………」

 

 

 すっかり、空気がしんみりとしてしまった。

 全員が黙り込んだところで、沙都子は思い出した事でもあるのか手をパチっと叩く。

 

 

「……あっ! 梨花を起こして来なきゃっ!」

 

 

 その言葉を聞いた途端、上田と山田は互いに目を合わせた。

 次には上田が言いにくそうに、沙都子へ頼み込む。

 

 

「あー……り、梨花なんだがな。ちょっと、調子が悪そうだったぞぉ?」

 

「え?」

 

「まぁ、ほぼ二日間ほど、飲まず食わずで監禁されていたようですし……精力馬鹿の上田さんはともかく、梨花さんには大変な出来事でしたからね」

 

「誰が精力馬鹿だ」

 

 

 恨めしく睨む上田を無視し、山田は諭す。

 

 

「だから今日は、ゆっくりさせてあげましょう」

 

「……山田さんが言うのでしたら……」

 

 

 沙都子は梨花を心配しながらも、山田らを信用する事にした。

 

 

 

 

 その後は上田が作った朝食を食べてから、沙都子のみが登校する。

 神社の階段を下ると、謎の儀式を執り行う集団と鉢合わせしてしまった。

 

 

「ちょっと! ここはオヤシロ様を祀っているのですわよ! オヤシロ様以外の信奉は禁止ですわ!」

 

「オヤシロ……サマー?」

 

「そう! オヤシロ様ですわ!」

 

「オヤシロ・ミッドサマー」

 

「ミッドはいりませんですわ」

 

「メイプルストーリー」

 

 

 沙都子が出て行った事を確認すると、残った二人は廊下の方を振り向く。

 

 

 

 

 

 そこには神妙な顔つきの、梨花が立っていた。

 

 

「……言われた通り、沙都子だけ学校に行かせたぞ」

 

「……ごめんなさいなのです。嘘を吐かせるような事させて……」

 

「今までされた上田さんの嘘と比べたらなんて事ないですよ」

 

「おう?」

 

 

 またしても山田を睨む上田。ちゃぶ台には、次郎人形と首のないオニ壱が並べられていた。

 

 

 

 梨花は居間へと入り、まずは深呼吸をする。

 今まで見た事がないほど、彼女は緊張しているようだ。

 

 

 

「……上田。山田……」

 

 

 真っ直ぐ、二人の方を見やる。

 山田と上田もまた、真面目な顔つきで梨花の言葉を待っていた。

 

 

「……今から、とても大事な話をします」

 

 

 二人の前で、正座をする。ちゃぶ台一つを隔てた先にいる二人を、見通しながら。

 

 

「そして、これから話す事を信じて欲しいと共に……誰にも、話さないで欲しいのです」

 

 

 前置きの後、梨花はもう一度だけ深く息を吸った。

 

 

 それから静聴に徹する山田と上田へ、祈りに似た言葉として息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

「二人こそ、最後の一手……解き明かすのです、『ボクら』と共に」

 

 

 

 

 

 外で折れたメイポールの鈍い音が、静かな境内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 どことなく雰囲気の変わった梨花に、山田と上田は少し慄いているようだ。

 

 これまでも何度か、彼女の豹変した様を見た事はある。

 その度に、纏う空気が子どもの物とは思えない梨花に、ある種の畏怖を感じてしまう。

 

 

 

 

「先に言いますのです。ボクは五日後、殺されるのです」

 

 

 その上で繰り出された一言目で、二人は感情を畏怖から怪訝に切り替えた。

 

 

「……どう言う意味ですか?」

 

「そのままの意味なのです」

 

 

 あくまで梨花の表情は真剣だ。

 暫し呆然としていた上田だったが、気を取り直したように鼻で笑う。

 

 

「ハッ! 学校サボってまで、何を話すかと思えば! もう俺は騙されんぞぉ?」

 

「本当の事なのです。それに今年の綿流しでも、また二人が死ぬ事になるのです」

 

「誰がだ?」

 

「富竹と鷹野なのです」

 

「なぬ?」

 

 

 小馬鹿にした風だった上田も、富竹と鷹野の名を聞いた途端に真顔となる。

 山田はずっと梨花の表情などを観察していたが、どうにも嘘を吐いている様子には見えない。

 

 

「……トミトミさんとタンタカさん」

 

「お前わざと間違えようとしてないか?」

 

「そして梨花さんが死ぬと言うのは、どうやって知ったんですか?」

 

 

 梨花は口元をキュッと結んだ後に、不安げな様子で話す。

 

 

「……ボクの予言、としか言えないのです」

 

「予言て……一気に胡散臭くなったな……」

 

 

 鼻で笑い、身体を揺らしてリラックスする上田。

 自分の話に興味を無くしたのだなと気付いた梨花は、食い気味に思いを伝えた。

 

 

「信じて欲しいのです。と言うか今更、こんな状況でドッキリ仕掛けようなんて、幾らボクでも考えないのです!」

 

「でもなぁ……山田?」

 

「さすがに予言ってのは……」

 

 

 半信半疑の、疑が多め。そんな二人に業を煮やしたのか、梨花はやや責めるような口調で言い放ってやった。

 

 

「自分たちの状況を無視してボクだけ否定されるのは論外なのです! 二人だって未来から来たクセにっ!」

 

「いや、そうですけど……」

 

「それとこれとは話は違うだろ〜?」

 

 

 鼻で笑う上田に、苦笑いの山田。

 

 

「そちらは予言で、こっちはタイムスキャットです。全然違いますよ」

 

「あぁ。正確には、タイムスリットな? ハッハッハ!」

 

「えっへっへのへ!」

 

 

 それから山田と上田は小さく笑った後に、ニコニコと梨花を見やる。

 

 三回くらい呼吸をして、首やら頬やらをポリポリ掻く。

 

 お互い目を合わせてから、また同時に鼻で笑う。

 

 また梨花へ視線を戻し、暫し見つめる。

 

 

 

 

 

 

 じわじわと違和感が後追いでやって来た。

 

 

「ホワォっ!?」

 

「おぉう!?」

 

 

 違和感の理由に気付いた瞬間、同時に叫ぶ。

 なんと梨花は、二人が時間超越者だと看破していたようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前 原 圭 一

 

 

園 崎 魅 音

 

 

竜 宮 レ ナ

 

 

北 条 沙 都 子

 

 

古 田 梨 花

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

【卵の黄身は、

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

TRICK

 

TRICK

 

ひぐらしのく頃に

 

 

TRICトリックK

し編

 

 

 

 

 

 

 

 

 逢魔ヶ刻と言うのは、忘れられた者たちが暫し目覚める時間でもある。

 

 

 荒れ果てた村にやって来た二人組。

 面白半分で赴いた何も知らない有象無象の一つかと、目覚めた「彼女」は怒りを覚えた。

 

 

 

 自分には、僅かばかりの力しかない。

 信仰は忘れ去られ、畏怖だけが残った。

 今や逢魔ヶ刻にやっと動けるほどに、弱々しい存在だ。

 

 

 

 それでも「彼女」は信じ、待ち続ける。

 

 

 既に亡くした「親友」を救ってくれる者を。

 

 もはや「彼女」の存在は、漠然とした影に成り果てていた。

 

 

 思考もなく、感情のみが形を成した存在。

 絶望と憎しみと虚脱が、長い時を経て「彼女」を獣に貶めていた。

 

 

 

 

 

 二人組の姿を感じ取った「彼女」は、死んだ目で顔を上げる。

 

 木々を隔てた先で駄弁る、その二人組を睨む。

 

 

 

 何を話しているのか、内容さえ頭に入らない。

 

 近付いて来た人間に対する、野生動物のような反応に近い。

 存在を知覚し警戒すれど、言葉なんて分かる訳はない。

 

 今の「彼女」はそれほどまでに、貶められていた。

 

 

 

 

 

 二人組は歩き出し、夕陽が照らす村の方へと向かう。

 

 ただただ「彼女」はその背中を、木の後ろより顔を出し、睨み付けるだけ。

 

 興味本位に村を汚しに来た余所者に、怒りをぶつけるだけ。

 

 

 

 

 

 あまりにも込めた念が強かったのだろうか。

 

 

 睨み付ける「彼女」の方へ、二人組の片割れがクルリと振り返った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

症候群

・「ようぐそうとほうとふ」様から、ファンアートを戴きました。あらすじの欄と、第一話内にて使用しておりますので、是非ご拝見ください。
ひぐらし業のキャラデザをオマージュした、上田と山田との事。とても素晴らしい。
本当にありがとうございました。山田がちゃんと貧乳です。ありがとうございます。


 突然突きつけられた爆弾発言に、やっと二人は聞く耳を持ち始める。

 

 

「な、な、なんで私たちが、タイムスリスリスキャットして来たと!?」

 

「だからスリットォッ!! 何年言わせるッ!?」

 

「そもそもタイムスキャリントンってなんなのです?」

 

「お前もか!」

 

 

 山田の質問には、梨花は腕組みをし、してやったり顔を見せ付けてくるのみ。

 その沈黙は「信じてくれたら教えるぞ」と主張しているかのようだ。

 

 

 どう判断すべきか迷った上田は、野球などでやっている、両手でTの字を作る「タイム」のハンドサインを出した。

 

 

「ストリウム光線なのです」

 

「タイムだッ!! 作戦タイムッ!!」

 

「認めるのです」

 

 

 上田は山田を引き連れ、次郎人形と首のないオニ壱と共に、部屋の隅に行く。

 梨花に背を向け、声を顰めて相談し合う。

 

 

「な、なんであいつ、俺たちがタイムフライヤーっての知ってんだ!?……言ったかYOU!?」

 

「言う訳ないじゃないですか! 言っても仕方ないですし!」

 

「んまぁ、そうか……」

 

「てか、タイムフライヤーってなんです? 時を揚げる?」

 

「それはfryerッ! これはflyerだッ!」

 

「…………何が違うんですか?」

 

 

 もうその話は終われと、次郎人形の腕をぶんぶん動かして気を取り直す。

 

 

「とにかくだ! (うさぎ)(ホーン)ッ!」

 

「羊のショーン?」

 

「話を続けるぞ!……あの子が、俺たちが時を超えた事を知っている……この件については、どう対処すべきか」

 

「めっちゃ自然に話されたから、めちゃくちゃ自然に返してしまった……」

 

「どうする山田?」

 

 

 山田は一頻り考える。考えた末、渋い顔を見せたまま首を縦に小さく振る。

 

 

「……梨花さんの話。信じてみる価値はあるのでは?」

 

「ソウルブラザーとタカノンが死んじゃうって話か!?」

 

「あと梨花さんも……何にせよ彼女、私たちの知らない情報を握っている事は確かです。予言かどうかはともかく」

 

「そうかもしれんが……」

 

「現状、もう私たちの情報が尽きて来てもいるんですし……」

 

「それもそうだが……」

 

 

 一緒に唸った後に、「仕方ない」と互いに目配せし合う。

 

 

「……信じましょう」

 

「……信じるか。一旦な」

 

「決まりましたね」

 

「信じてくれるのです?」

 

 

 いつの間にか真後ろで座っていた梨花に、二人は飛び上がって驚く。

 滑稽な二人の姿を梨花は、いつもの口調とは裏腹に少し不安げな表情で見つめている。

 

 

「盗み聞きすんじゃねぇッ!」

 

「別に隠すほど重要な話じゃないのです」

 

 

 それでどうするのかと、梨花はジーっと山田を見やる。

 返答を待つ彼女の前で、意を決したかのように頷いた。

 

 

 

 

「……信じます。とりあえず……です、けど……?」

 

 

 一応上田を一瞥し、同意見かを確認する。

 上田は目を丸くしつつも、次郎人形を頷かせて同意してくれた。

 

 

「信じる」の言葉を聞くまでは気を揉んでいる様子の梨花だった。やっとホッと息をつけたようだ。

 

 

「……ありがとうございますのです。ちょっと、安心したのですよ」

 

「でも、話は始まったばかりです。予言の詳細と、あとどうして私たちがタイムスキャットを」

 

「スリット……」

 

「して来たと分かったのかも……全部話してください」

 

「……そうなのです」

 

 

 梨花は途端にしおらしくなり、やや俯いた。

 

 

「けど、どこから話したら良いものか……いざとなったら迷うのです。こんな事を打ち明けたのは……初めてだから……」

 

 

 彼女自身も信頼して貰えるのか、不安だったようだ。肯定の場合の事を考え損ねていた。

 言葉を探そうと齷齪(あくせく)する梨花へ、気持ちを察した上田が提案をしてくれる。

 

 

「なら、質疑応答の形で話そうじゃないか。それなら良いだろ?」

 

「……分かったのです」

 

 

 提案を受け入れた後、颯爽上田から質問が開始された。

 

 

「まず、山田も言ったが……なぜ、俺たちがタイムフライヤーだと分かった?」

 

「時を揚げてどうするのです?」

 

「あいつと同じボケをかますなッ!」

 

「小粋な冗談なのですよ……でも、その答えはまだ控えさせて欲しいのです」

 

 

 突然の回答拒否に、山田も上田も拍子抜けな様子を見せた。

 

 

「あのなぁ……やらかした芸能人の答弁じゃないんだぞ?」

 

「いずれ話しますです……今はボクが、二人が時を超えた事を知っていると言う事実で十分なのです」

 

「一番重要なんだが……」

 

「じゃあ質問を返すようなのですけど、その質問に答えたら二人はどうするのです? さっさと未来に帰っちゃうのですか?」

 

 

 気まずそうに山田と上田、ついでに次郎人形とオニ壱は顔を見合わせる。オニ壱にもはや頭はないが。

 ただ梨花からある種の意志を感じ取れた。どうしてもこの先の出来事を回避したいと言う、執念にも思えた。

 

 

 山田から、仕方なく別の質問をする。

 

 

「……犯人は、分かりますか?」

 

「……分からないのです。それをボクと一緒に、明かして欲しいのです」

 

「殺される理由についても?」

 

「……分からない事ばかりで、ごめんなさいなのです」

 

「……なら、分かる範囲で構いませんので、殺される状況とか、方法とか場所とか……」

 

 

 やっと答えられる質問が来たのは良いが、決して気分の良い完璧な回答を持っている訳ではない。

 梨花は表情を曇らせつつも、「分かる範囲なら」と語り出す。

 

 

「死体発見は祭りの後。場所までは把握出来ないのですが……鷹野は焼死」

 

「なんだとぅ……!?」

 

「ドラム缶に入れられて焼き殺されるのです」

 

「タカノンが!?……犯人許すまじ……!!」

 

「上田分かりやす過ぎるのです」

 

 

 怒りに震える上田の横で、今度は富竹の方の死因を話す。

 

 

「次に富竹なのです……けど」

 

「……けど? どうしたんです?」

 

「……そうなのです。その話の前に、二人には話しておく事がありますです」

 

 

 いつになく神妙な顔付きだ。

 次にはやや身体を前のめりにし、彼女は必死に懇願した。

 

 

「今から話す事を聞いても、絶対に村や村の人たちを不気味に思わないで欲しい。そして二人も気を確かに持って……絶対に誰にも、言わないで欲しいのです」

 

 

 真剣な彼女にやや圧倒されながらも、二人はやっと頷けた。

 

 梨花は数秒ほど言い辛そうな顔を見せた後、深呼吸と共に吐き出すようにして話し出す。

 

 

 

 

 

 

「…………『雛見沢症候群』」

 

 

 

 

 

 

 聞き慣れない言葉に戸惑い、上田は眉に皺を寄せて聞き返した。

 

 

「なに……? 雛見沢……Syndrome?」

 

「英語にするな。嫌味か!」

 

「雛見沢症候群は名前にある通り、この村独特の風土病みたいなものなのです」

 

 

 彼女の口から発せられた「雛見沢症候群」の説明は、およそ二人の想像を絶する内容でもあった。

 

 

「……この村に住む人間。生まれながらの村人とか、村外から引っ越して来たとかは関係なく……この地に一定期間滞在する事で発症する病気なのです」

 

「未来でも聞いた事がないが……病気と言う事は、なんだ? 熱っぽいとか、神経痛とか?」

 

 

 梨花は首を振り、否定する。

 

 

「そんな『誰が見ても病気』みたいなものじゃないのです。この村の人たちみんなを見て、何か病気にかかってそうだなって思ったのですか?」

 

「俺の知る限りじゃ全員、健康そのものだったが……」

 

「そうなのです。発症しているって言っても、普通にしていたら症状なんて何もないのですし、そのまま生を全う出来るのです」

 

「それ病気か? ホクロみたいなもんだろぅ?」

 

「………………」

 

 

 

 二人を愕然まで陥れたのは、その症状についてだった。

 

 

「……二人はもう。症状が悪化した人間の様を見ているのです」

 

「は?」

 

「……昨日までのレナが、恐らくそうなのです」

 

 

 レナの名前が出た途端、山田と上田の脳裏にはレナの主張と鷹野のスクラップ帳がよぎった。

 まさか察し、鳥肌が立つ。

 

 

 目を見開き、ぱくぱくと口を開閉させる事しか出来なかった。

 驚くまいと踏んでいた山田でさえも、言葉を詰まらせる。

 

 

 

「え、じゃあ……!?」

 

 

 

 寄生虫、レナの様子、変貌した性格。

 これまで得た情報が、梨花のたった一言によって繋がった。

 

 

 

 二人の様子を見て、ある程度の情報を持っていたのだなと気付いた梨花は、ゆっくりと話す。

 

 

 

 

「……家族や親友さえ信じられなくなるほどの────強い敵意と妄想を、その人間に植え付ける病……なのです」

 

 

 衝撃の事実だ。

 動揺した上田は、次郎人形を落としそうになりながらもやっぱり床に落とし、身体を崩して梨花に話しかける。

 

 

「じじじじ、じゃあ、タカノンの話や、スクラップブックにあった内容は合っているのか!? 寄生虫症の一種!?」

 

「そうなのです。と言うか合っているも何も、鷹野と入江はその、雛見沢症候群について研究している第一人者なのです」

 

「なんぞ!?」

 

「鷹野は嫌な性格だから、怖がらせて反応を確かめる為にちょっと事実を変えて言ったのだと思うのです。上田はビビリだから格好の餌食なのです」

 

「!?」

 

「確かにただのオカルト話にしか聞こえないのですが、それでレナの発症を起こしたのだから自粛して欲しいのです」

 

 

 呆然とし、思考がショートした上田は、ただ一言呟く事しか出来なかった。

 

 

「ばんなそ」

 

「ばんなそかな!?」

 

「!?」

 

 

 山田にその台詞を盗られた上田。

 そんな二人の動揺は、勿論の事だが梨花の予想通りだ。

 

 

「……望むのなら、入江に説明するようにボクからお願いしておくのです」

 

 

 心配なのは動揺させた事より、その後。入江らの名前を出したので事実確認の保証を作った。なので嘘だと思われる事はないだろう。

 

 

 

 

 危惧すべきは恐怖。

 前置きしたとは言え、本当に二人は村人に恐れを抱かないものか。

 

 その恐れによって、二人から意欲を削ぎ取ってしまったのではないか。

 

 

 

 

 

 病気の事を明かしたのは時期尚早だったかと、そう後悔した時だ。

 事情を何とか飲み込めた山田から、質問が入った。

 

 

「……それが、冨永さんの死因とどんな関係が?」

 

「そろぞろ覚えようぜ山田」

 

 

 上田はともかく、山田は及び腰にはなってはいない。そんな姿に安心したのか、梨花は後悔を打ち消して説明した。

 

 

「……雛見沢症候群は、最初こそ人間の精神に影響を及ぼすのです。しかし症状が進行する毎に影響は精神を通じ、身体にも与えるのです」

 

「精神を通じて?」

 

「いわゆる……『自傷』か?」

 

 

 上田の推理に、梨花は首肯してみせた。

 途端に山田はある事を思い出した。昨日のレナの発言だ。

 

 

「……! レナさんが言っていた、『首を掻き毟って死ぬ』って奴ですか……?」

 

「く、首ぃ!?」

 

 

 怖がり、自身の首を掻きながら怯える上田。

 彼を無視しながらも、梨花はまた頷く。

 

 

「強い心労と妄想の果てに……最後は自分で自分を傷付け、死ぬ。それが雛見沢症候群の、最悪な末路」

 

 

 悲しげに目を細め、噛み締めるように梨花は続ける。

 

 

 

 

 

「富竹は、まさにそうやって死ぬのです」

 

 

 吹いた風が窓際の風鈴を虚しく鳴らす。

 

 

 済んだ青の晴天だ。

 だが今、ここにいる者たちの心は決して、晴々とはしていない。

 

 

 暗雲が立ち込めているような、そんな気がした。

 上田と山田はやっとの事、この雛見沢村にある根の深さに気付いて行く。

 

 

 気付くだけではない。踏み込んで行く。

 彼女の口から未来の話を聞いた時から、もう二人は後戻り出来ない所にまで背を押された訳だ。

 

 

 

 

 

 

 風鈴の音が止む。

 同時に声を発したのは、上田だった。

 

 

「そ……そんな……ははは!! 例え自傷だとして、死ぬ勢いで自分の首を掻き毟りなんざ出来る訳がない!」

 

 

 現実逃避にも似た否定だ。だが梨花は至って真面目だ。

 

 

「詳しくは入江に聞けば良いのです。それでも信じなくても、どうせ明後日に思い知るのです」

 

「こ、怖い事を言うなよ……」

 

「それにここまでの話は、上田の大好きな科学の話なのです。富竹と鷹野が死ぬかどうかは別にして」

 

「だが……人を操る、寄生虫なんてそんな……」

 

「上田、聞いて欲しいのです」

 

 

 困惑する上田を嗜めるように、梨花は諭してやった。

 

 

「……様々な病気や災害を、古代の人々は神の怒りや悪魔の仕業だと恐れていた」

 

 

 でも、と言葉を続ける。

 

 

「実際は目に見えない細菌が病気を作り、災害は目に見えない自然の摂理で引き起こされていたのです」

 

「………………」

 

「神のせいでも、悪魔のせいでもない……ただ、人間が『知らなかっただけ』なのです」

 

 

 梨花のその言葉は説教と言うよりも、祈りに近かった──少なくとも、山田はそう感じていた。

 

 

 

 

「……断言出来るのですか? 何でも科学で証明出来る時代だからって……何も見落としがないと」

 

「……!」

 

 

 梨花の言葉には、上田も思う事があり、つい山田の方を見つめてしまう。

 あれは黒門島の分家に山田がある孤島へ連れ去られた時だ。

 

 

 上田は彼女を救うべく、単身島に乗り込んだ。

 

 

 

 隣にいる本人はまだ、記憶にはないだろう。

 だが山田の口から突き付けられたあの言葉は、今でも上田の心に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

「ただ、上田さんたちは────自分たちの説明出来ない事を認めたくないだけ」

 

 

 

 

 

 あの時はあまり気にしてはいなかった。

 だが梨花のその言葉を聞いた時、不意に思い出してしまう。

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………なんですか? 私の顔に何か付いてます?」

 

「昨日の晩ごはんに食べたお味噌汁のワカメは付いているのですよ」

 

「え、マジですか」

 

 

 そのまま上田は、山田を見つめたまま。

 あまりに長く見て来るので、山田は怪訝な表情で尋ねる始末。

 

 ハッと我に返り、上擦った声で梨花の問い掛けに対し「いいや?」と否定はしてみせる。

 

 

「そ、そうだな……見落としはない、とは言い切れない。人類が知らない、未知の病気や現象があっても良い……とは、思うぅ〜…………よぉ?」

 

「雛見沢症候群も、その一つに他ならないのです。でも確実に研究は進んでいるのです……少なくとも、未知では無くなってはいますです」

 

「分かった分かった……認める。そう言う寄生虫がいてもおかしくない、とな」

 

 

 難色を示していた上田を、何とか諭せた。

 ひと段落置いてから、山田が口元を袖で拭きながら質問する。

 

 

「と言う事は……富竹さんが」

 

「だから富竹だと……合ってる!?」

 

「その病気がもう進行している状態、なんですよね?」

 

 

 彼女の質問への明確な回答を、あいにく梨花は持ち合わせてはいなかった。

 その上で梨花は、お願いをする。

 

 

「だからこそ、調べて欲しいのです。富竹にその兆候はないのか……誰が鷹野を、殺すのか……」

 

 

 ずっと膝の上で握っていた拳を開き、腕を上げた。

 するりと伸びた彼女の手は、縋るように二人の前で差し出される。

 

 

 

 

 

「これから起こる事件も、これまでの事件も…………ボクと一緒に、明かして欲しいのです」

 

 

 決意に満ちた目で、二人を見つめていた。

 

 

「…………そうしなければ、この悪夢の夏は終わらないのです」

 

 

 太陽が昇るにつれ、じわじわと上がる気温。

 その暑さを待っていたかのように、蝉がまた鳴き始めた。

 

 

 

 

 

 

 言い切り、梨花はやっと話を終える。

 ただ山田らにしてみれば、すぐ咀嚼し切れるような話ではないだろう。綿流しの日に鷹野と富竹が死ぬと言う予言に、人を疑心暗鬼に陥れる寄生虫症、更には梨花と言う少女の正体についてなど。

 

 

 事実、二人はまだ飲み込めていない様子ではあった。寧ろ、この情報量を飲み込める方がおかしい話ではあるが。

 

 

「……しかし、何と言うか……」

 

 

 上田はやや困り口調で話す。

 まだ疑っているのかと、梨花は語気を強めにして問う。

 

 

「……あれだけ言ってもまだ半信半疑なのです?」

 

「いやいやいや……言われてみれば、みたいなのはある。確かに入江先生ほどの医師が、こんなド田舎に診療所を構えているって事が妙なんだ」

 

「入江たちを責めないで欲しいのです。どうせ言っても信じない話なのですし……広めるには気分の良い話でもないのです」

 

「あともう一つだけ質問したいが……なぜ、この話を聞かされてんだ? 園崎家は知っているのか?」

 

「知っているのはボクたち古手家だけなのです……詳しくはまた、追々」

 

「気になるが、話してくれるのなら……しかしまぁ、園崎家は余所者に厳しそうだからなぁ」

 

「と言うのもあるのですけど、一番は組織として巨大な事もあるのです。どれだけ結束力があると言っても、秘密は必ず漏れてしまうものなのですよ」

 

 

 この間起きた、園崎三億円事件での一幕がそうだろう。

 金と情で口説けば、例え組織に貢献して来た者と言えども、綻びを作ってしまう。

 

 確かに園崎のように組織的な一派に知らせるには、リスクは高い。村への影響力があるだけに、その影響力が邪魔になり得る。

 

 

 

「雛見沢症候群の話題は慎重にすべきなのです。二人だって突然、『あなたの頭の中には寄生虫がいるのですよ〜』とか言われたら、ショックガーンでしょう?」

 

「確かにショックガーンではあるが……ショックガーン?」

 

「……レナの一件もあるのです。だから入江たちも、情報の出し方には気を遣っているようなのです」

 

「……鷹野さん、結構俺に話してはいたが……」

 

「驚かすつもりに含めて、村の外から来たから研究を狙う輩じゃないか確認したかったんだと思うのです。一応症候群の存在自体は、専門家の界隈じゃ知られているそうなのですから」

 

「つまり俺は信用されていなかったと?」

 

「上田のどの部分を見れば信用出来るのです?」

 

 

 毒舌を浴びせられ、上田は無表情でフリーズした。

 代わりを務めるように山田が口を開く。彼女はあくまで、これから起こる事件についての話題に徹していた。

 

 

「……なぜ、鷹野さんは殺され、トミーは……病死? するんでしょうか」

 

「それを調べなきゃいけないのです……」

 

「……これもやっぱ、『鬼隠し』と言う事になるんですか? 男女とも遺体で見つかってはいますけど」

 

 

 山田の疑問には、梨花も同意するように頷いた。

 

 

「その通りなのです。失踪はしていないものの、今年の鬼隠しはまさにその二人が被害者なのです」

 

「鬼隠しの被害者はどれも、ダムの建設を支持していた人たちばかりでした。沙都子さんのご両親と、叔母とお兄さんに、古手家の──」

 

「お、おい山田……!」

 

 

 考えを捲し立てる山田の肩を、上田は気まずそうな表情で小突く。

 

 

「いってーな! なにすんだ上田!」

 

「いや察しろッ!! しかも痛くしてねぇッ!」

 

「は?」

 

「お前ッ、あのなぁ……その話を梨花の前でするのは、その、デリカシーに欠けるだろ……」

 

 

 憚るように言い聞かされ、やっと気付いた山田は「あっ」と口を塞ぐ。

 

 

 上田の忠告通りだ。鬼隠しの被害者には、「梨花の両親」も含まれている。

 この話題をみすみす、本人の前で突き付けるのは如何なものか。

 

 

 しかし梨花は二人を真剣に見据えたまま。気にはしていない様子ではある。

 

 

「大丈夫なのですよ」

 

「す、すいませ……」

 

「謝らないで欲しいのです、事実なのですよ……だから、気にせず話すのです」

 

「ですよね。分かったか上田」

 

「少しは気にしろYOUッ!」

 

 

 あっけらかんとし過ぎな彼女に、上田はツッコミ。

 

 

 とは言え梨花本人の鶴の一声で、気負う必要はなくなった。

 山田は次郎人形をふらふら操る上田を無視し、また話し出す。

 

 

「でも、ダム戦争は先日終わりましたし……何より、そのお二人方がダムを容認している訳じゃなさそうで……」

 

「……ボクもずっと、そこが気になっているのです」

 

「いや気になっているって……まだ起こってすらいないだろ?」

 

 

 上田の横槍を「分かった分かった」と、梨花は口パクと手つきで封殺。

 まるで面倒臭い奴を嗜めるような彼女の挙動を前に、上田は素直にフリーズする。次郎人形で顔を隠して。

 

 

「じゃあ何が目的で、殺されるんでしょうか? それに何が原因で発症するのか……」

 

「そうなのです。そもそもダム戦争は『一年目の事件』で既に終結し…………あ」

 

「ん?」

 

 

 梨花は焦った様子で口を塞ぐ。

 何か言いかけた彼女を、山田は気にかける。

 

 

「えと、一年目の事件で? 沙都子さんのご両親のでしたっけ?」

 

「…………ちょ、ちょっと、こんがらがっちゃったのです。にぱ〜☆」

 

「でもダム戦争とか何とか」

 

「気にしなくて大丈夫なのです! ほら、続けて続けて」

 

「は、はぁ……?」

 

 

 煙に巻かれた気分ではあるが、おずおずと山田は続けた。

 

 

「まずなぜ、鷹野さんはドラム缶で焼かれるのか……どうして、その方法を……」

 

「……みぃ。思った以上以上に複雑なのです」

 

 

 そもそも、予言と言う形の不確定な未来を題材に話を進めているのだから、どこかで頭打ちになってしまうだろう。

 互いに押し黙ってしまった山田と梨花の横で、上田は仕方ないと言いたげに提案する。

 

 

「ならば、一年目の事件の現場から調べよう。情報を得ない分、どうにもならない」

 

 

 考え込むように顎を撫でながら、これからの行動を幾つか挙げてくれた。

 

 

「まずは、今日中に矢部さんたちの協力を仰ぎ 一年目の現場に行こう。当時の資料も入手出来るだろうしな。事件が起きた場所は分かるか?」

 

「みぃ……白川自然公園ってところなのです」

 

「後は入江先生に、梨花さんのお父さんの事を聞かないと。出来れば鷹野さんにも」

 

「上田。鷹野と……富竹には話さないで欲しいのです」

 

「え?」

 

 

 梨花は静かながらも、ひしひしと伝わる必死さを以て頼み込む。

 

 

「その……二人は、四年目の被害者……に、なるかもしれないのです。無闇にあれこれ話したり働きかけたら……寧ろ、墓穴を掘るのです」

 

「墓穴を掘るってそんな……」

 

 

 意見しようとする山田を制し、梨花は続ける。

 

 

「話は情報と証拠が揃ってからにしたいのです。第一今は、みんながみんなまだ疑わしい状況なのです……ボクは、確信が欲しいのですよ」

 

 

 山田と上田、オニ壱と次郎人形は互いに見合わせ、どうするかを目線で相談する。

 その内上田の方から「仕方ない」と首を振った事で、梨花の主張を受け入れる形となった。

 

 

「……分かった。だが鷹野さんと富竹さんにも会う必要はあるな。特にマイブラザーは発症する可能性があるのなら……メンタルケアをしてやらねば」

 

「マイブラザーって誰ですか?」

 

「よぉし……なんか、めちゃくちゃ捜査って感じで興奮するなぁ?」

 

「不謹慎なのです」

 

 

 手を擦り、若干楽しげな表情で上田は立ち上がった。

 そして二人を一瞥した後、拳を作って胸の前に待って来る。

 

 

「ここからが俺たちのステージだッ!!」

 

「おぉ。上田さんが珍しくやる気だ……!」

 

「まぁちょっと、梨花にはもう少し色々聞きたいが……そもそも俺たちは、『雛見沢大災害』の真相を暴く目的で来たんだッ!!」

 

「………………ん?」

 

 

 上田の発言を聞き、梨花は唖然とした様子で小首を傾げた。

 

 

「俺たちは未来を変え、そしてこれから来る大災害からッ!!」

 

「え? 大災害?」

 

「村民を守るのだッ!! 今ここに、日本科技大もう少しで名誉教授たる上田次郎が宣言するッ!!」

 

「待って上田待つのです。え? 災害?」

 

「どんと、こぉ〜〜いッ!! 超常現象ッ!! どんとこぉ〜〜いッ!! 鬼隠しッ!!」

 

「てか声がデカ過ぎる!! 静かにしなさいって!?」

 

「御唱和ください、この言葉をッ!! どんと、こぉ〜〜〜〜いッ!!!!」

 

 

 高らかに宣言に、胸の前の拳もまた高らかに振り上げた。

 困惑する梨花を他所に、山田も拳を振り上げて上田に合わせる。

 

 

「どすこーーいッ!!」

 

「どんとこいだッ!!」

 

「ミッドサマーッ!!」

 

「!?!?」

 

 

 外にいる謎の北欧人集団が、家の前で三人に向かって叫ぶ。

 その声に全員が身体をびくつかせた事は言わずもがな。

 

 

 

 

 

 

「……上田」

 

「なんだ梨花?」

 

「……詳しく、話すのですよ」

 

「え?」

 

 

 そして梨花もまた、二人に言いたい事が出来たのも、言わずもがな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……大災害、とはなんなのです?」

 

「オヤシロ・ミッドサマぁぁあーーーーーーーッ!!!!」

 

 

 ここから先は、遥か未来の話だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大災害

 夏の朝は昼と紛うほどに眩いものだ。

 

 朝が来たと、仕事に向かう誰かの車が遠くを走る。

 それら全てを望める、畑が挟む小さな小道。そこ行く沙都子の肩を、誰かが叩く。

 

 

 振り向くと、圭一と魅音がいた。

 

 

「よっ。おはよーさん」

 

「あら、圭一さんに魅音さん。おはようございますですわ」

 

「おっはー。おじさんはぁー……ちょっと寝足りないかなぁ」

 

 

 挨拶の後に、圭一はきょろきょろと辺りを見渡す。

 

 

「お? 梨花ちゃんは?」

 

「……もうっ、まだ昨日の次の日ですわよ」

 

「あー……そ、そっか」

 

 

 さすがの圭一でも察する事は出来た。

 丸一日、蒸した小屋で明かしたのだから体調を崩すのは無理もない。

 魅音が心配そうに、沙都子に聞く。

 

 

「大丈夫なの? 今、梨花ちゃん一人?」

 

「山田さんと上田さんが留守番をしてくださっていますわ」

 

「はは! そりゃ下手な用心棒より安心だねぇ!」

 

 

 それならと、圭一が魅音に提案を入れる。

 

 

「今日、学校午前中までだっけ? お見舞いに行ってやろうぜ」

 

「あー。祭りの準備に先生たちも行くからだっけ……生憎、おじさんも昼から村の会合に出なきゃでさぁ……」

 

「そうなのか? 大変だなぁ、次期当主様ってのは……じゃあ、俺だけで行くか」

 

「ホント、こればっかりはごめん! ひと段落ついたらスイカ持って行くからって、梨花ちゃんにも言ってて!」

 

 

 手を合わせ、行けない事を謝罪する魅音に、沙都子は首を振って「気にしていない」と笑う。

 

 

「圭一さんも、お気持ちだけで十分ですわ! 言っても昨日の梨花、お料理は食べていらしたし、明日には全快になっているでしょうし!」

 

「まぁ、あまり酷くはないんなら良いけどよ……」

 

「梨花は私が見ておきますから……それに圭一さんは、何よりも行かなきゃいけない所がございましょう?」

 

「!」

 

 

 鳩が豆鉄砲を食らったような、唖然とした顔を圭一は見せた。

 魅音は少し目を逸らして言い辛そうにした後、ニカッと笑って彼の背をかなり強めに何度も叩く。

 

 

「どぅッ!?」

 

「そ、そうだよ圭ちゃん! 病院のレナに差し入れでもしてあげなきゃね!」

 

「おうッ!?」

 

「みんなレナの復帰を心待ちにしてるって、ちゃんと言ってやりなよ!」

 

「イテェよ魅音! 車に追突されたかと思ったぞ!?」

 

 

 怒る彼の前で、朗らかに笑いながら「ごめんごめん」と軽く謝る魅音。

 

 そんな彼女の胸中は穏やかなものではない。

 勿論、レナの事を心配している点は絶対。

 

 対して、圭一がレナとくっ付くだろうと言う事も、認めたくない思いがある。

 だが、父親を亡くしたレナには慰めが必要で、その役割を担うのは圭一が一番適任だとも考えてはいる。

 

 

 早い話、「複雑な気分」と言うものだ。

 

 

 

 レナの話題となり、沙都子は俯きがちで心配そうに、表情を曇らせた。

 

 

「……今一番大変なのは、レナさんですわ。だからこそ、お節介でも慰めてあげなくては……」

 

「確かにそうだけどさ……沙都子よぉ。ほら、さ。そっとしておいてやるのも優しさだぞ?」

 

 

 家族を亡くした。だからこそ接し方に気を配わねばなるまい。

 気持ちの問題もあるが、人一人が亡くなった時と言うのは忙しいものだ。行政への届け出に相続の件、葬式までの準備など、遺族は忙殺される。

 

 

 時間を置き、葬式で慰めの言葉をかけてやる。

 本当に相手の事を思うのならば、寧ろ相手側の準備を待つ必要があるだろう。

 

 

「バタバタしている時に行って、お茶だけ啜って帰るみたいなのも嫌だろ? せめて……明日まで待ってやらなきゃ」

 

「……そうですわね」

 

「あー……なら、さ。圭ちゃん」

 

 

 また少し、言い辛そうにした後、弱々しく微笑んで彼女は頼み事をする。

 悲しさと心配、そこに混ざる複雑さを何とか押し留めながら。

 

 

「……せめてさ。『花』を、持ってって欲しいんだ」

 

「花?」

 

 

 供花(きょうか)の事を言っているのかと、圭一は考えた。勿論、魅音の意図もその通りだ。

 だがもう一つ、意図があった。

 

 

「ウチの庭で咲いてた、綺麗な花でね。ちょーど今朝切った物をさ、レナにもって思って」

 

 

 圭一が何かを言う前にと、「それと」と一際大きな声で話題を繋ぐ。

 

 

「レナ多分、何も食べていないだろうから差し入れも添えて……それならあまり、邪魔にならず慰めになるんじゃない?」

 

「……昨日の後だから、レナも俺と会いにくいんじゃないか?」

 

「だからこそ一回は会っておくべきだと思うね、私は。お葬式までイザコザ引き摺る訳にはいかないでしょ?」

 

「んまぁ、そうだけどよぉ……」

 

 

 もう一つの意図は、やはりレナと圭一を会わせるべきだと言う考えだ。花はそのキッカケにもなる。

 だからこそ魅音は、複雑ではあった。

 

 

「……綿流しにみんなで行こうって、誘って来たら良いからさ」

 

「……!」

 

「ほら! 圭ちゃんって……あー……口達者でしょ? 圭ちゃんならレナを慰めてあげられるって!」

 

「うげっ!?……だからイテェーよ!」

 

 

 そんな複雑な感情を何とか切り捨て、精一杯の力を込めて圭一の背を叩く。

 次いで沙都子に目配せし、後押しをするよう伝えてやった。

 

 沙都子も彼女の考えを汲み取り、圭一に話しかける。

 

 

「そうですわ! それに今、レナさんはお一人……お節介なぐらいが、レナさんもご安心なさいますわよ?」

 

「………………」

 

「あまり大人数で行くのも迷惑だと思うし……どうかな、圭ちゃん……?」

 

 

 口元を縛り、唸りながら熟考した後、圭一は困ったように笑った。

 

 

 

 

「……分かった。花と差し入れ、あと祭りに行く約束だな。了解」

 

 

 軽く敬礼し、降参とも言いたげな表情で二人の提案を飲む。

 魅音と沙都子は共に、穏やかに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 次第に気温は高まって行く。蝉の声も高まって行く。

 垂れる汗を拭いながら学校を目指す彼らを、停まった車の運転手らが見ていた。

 

 

 魅音らでもさして、興味も示さないような凡庸な車の中。

 その者たちは虎視眈々と、無表情に、子供たちを見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面戻り、古手神社。上田の放った爆弾発言の詳細を聞いた梨花は、愕然とした声で繰り返す。

 

 

「村人全員が火山ガスで全滅!? それで二人を呼んだのはレナで」

 

「ホルガぁーーーーッ!!」

 

「……二人を呼んだのはレ」

 

「ホぉールガぁーーーーッ!!」

 

「ちょっと待つのです」

 

 

 梨花は二人を待たせ、家の戸を乱暴に開けてから謎の集団に向かって怒鳴る。

 

 

「うるさいッ!!」

 

 

 またピシャリと閉め、居間に戻る。

 怒られた彼らは小声で「ミッドサマー」と口々に呟いた後、悲しそうな顔で黙り込んだ。

 

 

 

 

 唖然とする二人の前に再度ドカッと座ると、鬼気迫る形相で上田に詰め寄った。

 

 

「……レナが二人を呼んだのですか!?」

 

 

 上田と山田は若干、困惑した様子で首肯し、事の顛末を説明し出した。

 

 

「あ……あぁ……その大人になった竜宮礼奈が、俺の研究室にやって来てな──」

 

 

 その時の彼女を思い出す。

 疲れた見た目だが年相応に穏やかで、どこか若々しさを感じた中年の礼奈の姿。

 

 

 

 

「……先生に、私がずっとずっと……追い掛けて来た謎を解いて貰いたいのです」

 

「……私はとっくの昔に、オヤシロ様の祟りの正体を明かしています。けれどそれは……結局、永遠に謎にされました──」

 

「上田先生……雛見沢村を調べて、私の明かした謎を暴露してください」

 

「みんなの無念を晴らしたいんです……最後まで信じ切れなかった、私の贖罪です……!」

 

 

 

 

──彼女が持ち掛けた依頼を引き受けた事が、この受難の始まりでもあった。

 ここでは自分が、自著作品を礼奈に列挙させられた後に、高級コーヒーを飲まされて断る意思を封殺された事は隠しておいた。

 

 

「……とか何とか言って、もう一度雛見沢村を調べてくれと依頼して来たんだ」

 

「私は巻き込まれました」

 

「おいッ! 割と乗り気で付いて来てたろ!!」

 

「てっきりまた、私の記憶を取り戻す為に関係した場所へ連れてって貰えるんだと思ったんですよ。通称『聖地巡礼』」

 

「俺は最初に内容を言ったよな?」

 

「タダ飯食えるんで。えへへへへへ!!」

 

「良いから話を戻すのです」

 

 

 二人だけで話を始めたので、梨花は不機嫌声で遮る。

 彼女の少女らしからぬ貫禄に負け、二人は「はい」と呟き、言われた通り話を戻す。

 

 

「……それで、彼女と合流する前に、廃墟となった未来の雛見沢村に来て、祭具殿に入ったら……気付いたらタイムスリットだ」

 

「……だから最初の夜、忍び込もうとしていたのですか。未来に帰れると思って」

 

「私を置いて、ホント最低な奴だな上田」

 

「黙れッ!!」

 

 

 上田の話した、礼奈の言葉を聞き、山田なりに補足を入れてやる。

 

 

「……矢部さんの話だと、レナさんは学校を爆破したとの事です。何らかの原因で雛見沢少林拳を」

 

「症候群な?」

 

「症候群を発症したんでしょう。その後に精神病院に入ったらしいですし、それで災害を免れたんでしょうね」

 

「発症した原因だが……まぁ、それが今回の件だろう。父親に嫌われたと思い、更には殺されかけ、最後はタカノンのスクラップブックを拾った事がストレッサーとなったのだろう」

 

「そのスクラップブック落としたのは上田さ」

 

「黙れ黙れ黙れッ!!」

 

 

 二人の話を聞いた後に、梨花は口元に手を置いて考え込む。

 村が火山ガスで崩壊するなど、思っても見なかった未来だ。故に当惑している。

 

 

「……本当に自然災害なのです?」

 

「そこが疑わしいところなんだが……あぁ、そうだ。どうせなら、アレを見せてやろう」

 

「アレ?」

 

「あぁ。アレ……だぜぃ。山田!」

 

 

 上田はすぐに、山田へ命令を飛ばした。

 

 

「はい!」

 

「アレを持って来い!」

 

「サー・イエッサー!」

 

 

 威勢よく返事をし、立ち上がりアレを取りに廊下へ出ようとする山田。

 廊下に片足を出した途端に、動きを止めて振り返る。

 

 

「アレってなんですか?」

 

「………………」

 

 

 仕方なく上田が二階へ取りに行く。

 戻って来た彼が抱えていた物は、二冊の本だ。

 

 

「これは?」

 

「未来で俺たちが、興宮の図書館で借りた雛見沢村に関連する本だ。一冊目は村自体の歴史を著した概要書で、二冊目は災害後の報告書だ」

 

「……二冊目の方を貸して欲しいのです」

 

 

 手渡された書物を開き、まずは目次を読んだ。

 被害状況と原因、そして発生から発覚までのあらましなどが網羅されている。

 

 

「六月二十二日。突如として噴出した火山性ガスにより、村民二千人が……待って。綿流しの三日後……?」

 

「あぁ。どう言う訳か、君が殺されると言う日に起きている。偶然にもな?」

 

「………………」

 

「しかし、この数日村を見て回ったが、一切の兆候が見当たらない。それに廃墟となった村を見ても、生態系のダメージが見当たらなかった。ガスは鬼ヶ淵沼からだとあるが、どうにも火山があるようには思えん」

 

「………………」

 

「それにどうにも、未来じゃ雛見沢村の件を隠したがっているようにも思える。テレビでも特番はなし、関連書籍もなし。ネットで検索してやっと出て来るのは、オカルトサイトだ」

 

 

 一ページ一ページ捲り、大災害の概要を読み進めて行く梨花。

 あらかた把握した後に目を細めつつ、上田に質問した。

 

 

 

 

「……ねっと、さいとって、なんなのです?」

 

「なに?……あぁ、そっか。この時代にインターネットなんざ、都会でも普及してないな。こんなドドドド田舎じゃ無理もないか」

 

「こんなドドドド田舎で悪かったのです」

 

「まぁ、公にされていない上、俺たちの時代じゃ存在さえも忘れられてるって事だ。村関連の書籍がその二冊ってのが、それを物語っている」

 

 

 上田の解説を聞いた梨花は、合点がいったような感じで頷いた。

 大災害と聞いた時に見せた動揺は、もう落ち着いている。

 

 

「……つまり、『本当に火山性ガスが出たかは分からない』って、事なのです?」

 

「そこはまぁ、何とも言えんが……」

 

「未来のレナはなんて?」

 

「災害については何も…………あ、そう言えば」

 

 

 依頼に来た彼女は確か、昔の新聞記事を広げて色々と熱弁していたなと思い出す。

 その時の礼奈の様子に多少圧倒された事を、昨日のように想起した。

 

 

 

 

 

 

「──寄生虫が人を狂わせるんです!」

 

「村が滅んでからみんな、連鎖的におかしくなっているんです」

 

「村で何かがあって、寄生虫に操られ……滅んで」

 

「でも村の崩壊の後すぐ、同じ場所の出身者が事件を起こすなんて、偶然とは思えません!」

 

 

 

 

 

──村が崩壊した後に、雛見沢村出身者がこぞって精神的に不安定になった件についてだ。

 上田は以上の事も梨花に話してやる。

 

 

「村が災害に遭った後、村外にいた村の出身者が連鎖的に事件を起こしたとか……」

 

「………………」

 

「似たような事をタカノンも言っていた。村から出た者は、寄生虫が必死に引き戻そうとして、鬼みたいに狂わせるとか何とか……」

 

「………………」

 

 

 困惑するかと思われたが、意外な事に彼女は冷静だった。

 

 

「……あぁ。そう言う事ね」

 

「何がです?」

 

 

 目が据わり、何か気付いた風な彼女へ、山田はおずおずと話しかける。

 梨花は本を読み進めながらも、ただ一言だけ告げた。

 

 

 

 

 

「災害なんて嘘なのですよ」

 

「はい?」

 

「ワッツ? え? どしてだ?」

 

 

 突然の否定に、寧ろ当惑を見せたのは上田と山田だ。

 二人の反応を、予想通りとも言いたげな涼しい表情で梨花は眺めている。

 

 

「纏めて入江から説明して貰うのですよ。その前にボクも……問いたださなきゃ駄目みたいです」

 

「そ、そうなんですか?」

 

「とりあえず今から呼び出すのです」

 

「今から!?」

 

 

 梨花はすぐさま黒電話を取り、ダイヤルを回して入江診療所に連絡を飛ばした。

 そんな彼女の背中を、上田山田と、次郎人形と首無しオニ壱が見守っている。

 

 

「みぃ、おはようなのです。突然だけど、今から十分以内にボクの家に来てください。はい」

 

 

 ガチャっと受話器を置く。

 見守っていた面子は思わずガクッとずっこけ、山田はツッコむ。

 

 

「体育会系の先輩の呼び出しかっ!」

 

「迷惑じゃないか……?」

 

「まだ診療所を開ける時間じゃないのです。入江なら速攻来るのですよ」

 

 

 それから梨花は、二人に向かって告げる。

 

 

「……二人は入江が来る前に、一旦出て行って欲しいのです」

 

「な、なに?」

 

 

 突然の締め出しに混乱する上田。

 一方で山田は訝しみながらも、理由だけは予想してみせた。

 

 

「……入江さんを、説得するんですね? 二人だけで」

 

「平たく言えば、そうなるのです。入江が二人を信頼していると言っても、雛見沢症候群の件は極秘……山田たちに気を遣って、ボクの知りたい事を隠してしまいかねないのです」

 

「知りたい事、ですか?」

 

「とにかく入江には、色々隠した上で何とか、ボクが殺されると伝えてみるのです。二人はその協力者として手伝ってくれるとも……」

 

「いやいや、待て待て……信じてくれるのか?」

 

 

 上田の質問はごもっともだ。

 この先の未来で鷹野と富竹が殺され、梨花も殺されて更に災害によって村人全員が死ぬとは、あまりにも突拍子のない話。理性のある人間ならば、嘘だと一蹴するのが普通の反応だろう。

 

 

「……分からない。ボクの話ですから、信じてはくれるハズですけど……半信半疑ぐらい、かもです」

 

「本当に大丈夫なのか?」

 

「………………」

 

 

 梨花は曖昧な表情を見せた。

 いつも自信に満ち溢れている彼女の、知らない一面。入江を引き込めるのか、梨花でさえも不安そうだ。

 

 

 しかし何とかその不安を押し殺すかのように、次に彼女は凛とした眼差しを二人に向ける。

 

 

「……そこは、山田と上田次第になるかもなのです」

 

「なに?」

 

「私と、上田さん次第……?」

 

 

 藤色の長い髪を揺らし、彼女は頷いた。

 

 

 

 

 

 

「まずは鬼隠しを、明かすのです。必ず、入江には二人に話すように言っておきます、のです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫くして二人は、梨花の家を出ていた。

 途中、境内にいた例の集団に囲まれて花の冠を被せられたが、特に何の支障もなく二人は田舎道を歩いていた。

 

 

 上田は少し、疑わしい様子だ。

 

 

「殺される未来に、雛見沢症候群に、大災害……全く繋がらない上、梨花は嘘だと。理由を聞きゃ、後で入江先生からとか……どうにも秘密主義な感じがするなぁ……それと予言とか、んな非科学的な……」

 

「でも梨花さん、私が未来から来たのは知っていましたよ。それにあの口振り……時を超えた原因も知ってそうです」

 

「あぁ、そうだな。だが、色々と隠し過ぎだ。なぜ梨花が雛見沢症候群の研究を手伝っているのかとか」

 

「後から話してくれるんで、まずは良いんじゃないですか?」

 

「……梨花は普通の少女じゃない。だから得体が知れない……それに鬼隠しを調査させて、何が目的なんだ?」

 

「………………」

 

 

 梨花の話を信じるならば、今年も鬼隠しは起こる。何者かの手によって。

 それを阻止する為、過去の事件を追うのが目下の目的だ。

 

 

「提案したのは俺とは言え、もし過去の事件と今回とでまるで関連性がなかったらとんだ無駄足だなぁ。まぁ、調査はするが」

 

「………………」

 

「しかし、梨花が何を考えているのか分からない。そして、何者なんだ? 俺に説教かました様子を見ても、『お前のような小学六年生がいるか』状態なんだがな。アターッ!!」

 

 

 奇声をあげながら花冠を投げ捨てる上田。

 その隣山田はずっと、肩に乗せたオニ壱を労りながら黙り込んでいた。

 

 

「………………」

 

 

 首を傾げ、眉間に皺を寄せ難しい顔。

 梨花の意図を何とか、推理しようとしているようだ。

 

 

「………………」

 

「何か思い付きそうか、山田?」

 

「………………」

 

 

 

 山田はまず思ったのは、梨花が入江を信用している点だ。彼を引き込む事が重要なのかとも思える。

 そこから色々と思考の試行錯誤を重ね、一つの結論に至った。

 

 

 

 

「…………もしかしてですけど。梨花さん、鬼隠しを──」

 

 

 

 

 言いかけたところで上田が、オニ壱を指差して横槍入れる。

 

 

「と言うかYOU。いつまでその、壊れた人形肩にくっ付けてんだ」

 

「ハァ!? どこが!? オニ壱は壊れていませんよ!」

 

「いやだって、首がないぞ」

 

「はい?」

 

 

 パッと山田はオニ壱を見て、やっと頭部が消えている事に気付く。

 

 最初はポカンと見て、目を二、三回瞬かせ、足を止めてフリーズ。

 停止した彼女に気付いた上田は、振り返って恐る恐る話しかけた。

 

 

「山田? おい? どした?」

 

「………………」

 

「や、山田さん?」

 

「オニ壱ぃぃーーーーッ!?!?」

 

「うぉう!?」

 

 

 突然叫び出し、奇声をあげながらなぜか、オニ壱の身体を掴んで水田に投げ込んだ。

 ドタプンと、泥の中にオニ壱は消える。

 

 

「なんで投げた!?」

 

「ダメダカラーーッ!! ああああああーーッ!!」

 

「や、山田ぁ!? 待て、落ち着けッ!?」

 

「オニ壱ぃぃーーッ!! アタマガ無いナゼーーーーッ!?!?」

 

「やめろ山田ぁ!!……これが雛見沢症候群かッ!?」

 

「ヒナミザワショウリンケンッ!!」

 

「症候群だッ!!」

 

 

 田んぼに飛び込もうとする山田を、阻止する上田。オニ壱は既に、泥の奥へと沈んで見えなくなっている。

 

 

 

 

 二人の馬鹿みたいな茶番劇を、遠目から見つめる者たちがいた。

 車の中から、虎視眈々と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雛っ見♡…………沢…♡♡……村♡…♡…♡!連…♡…っ!続♡………!怪♡♡♡死♡…♡っ!事♡……っ件……♡っ捜…査……♡本♡…部……♡♡っ

 

「……なんでこんな、ハートマークやら何やらを……」

 

 

 ここは興宮署内にある、矢部たちが勝手に占拠した会議室。

 彼らはここを拠点とし、来る鬼隠しを阻止すべく、日夜捜査に励んでいた。

 

 

 

 

 立て掛けられた看板を見て、引き気味にボヤいた人物は大石。出勤した彼は、様子を見に捜査本部にやって来ていた。

 

 ドアを開けると、椅子にふんぞり返って肩をマッサージさせている矢部の姿があった。

 マッサージしているのは石原だ。

 

 

「矢部さん。昨夜はお疲れでしたな」

 

「おー! 波平さん! そっちこそお疲れサン!」

 

「だから大石ですって。ちょっとだけ声似ているとか言われますけどねぇ」

 

 

 そう言いながら、かいていた汗を拭いつつ傍らに置いていた椅子に座る。

 

 

「事件性はないとか言っとりましたが、レナさんを取り調べしなくて良かったんですか?」

 

「別に誰か傷付けた訳やないし……まぁ、親父さん亡くしてもーたから、これ以上子どもにとやかく言うのは酷やろ。かまへんかまへん」

 

「兄ィ! なんかいきなり男前になったのぉ!! やっと刑事っぽくなれたんじゃのぉ!?」

 

 

 肩を揉んでいた石原の顔面に裏拳。「ありがとうございます!」と叫びながら床に伏す。

 大石は感心したように笑った。

 

 

「んふふふ! んまぁ、そう言う事にしときましょうか。我々が追うのは、鬼隠しなんですからねぇ」

 

「せや! 鬼隠しや!」

 

「レナさんの件が無関係だったのはまぁ〜、正直なところ拍子抜けしちゃいましたが……もうあと二日です。そろそろ本腰入れてやらねばなりませんな」

 

「それはもう大丈夫。菊池がもう次の一手考えとるわ。ワシらはもう、綿流しまで待っときゃええ!」

 

 

 菊池と言えばと、大石は思い出したように話す。

 

 

「薬品の使い方も熟知していて、変わったやり方で識別しているとか何とか。あのじい様が驚いていたから、腕は確かなんですねぇ参事官は」

 

「あいつそんな凄い事出来んのか。いけすかんわぁ」

 

「さすがは東大理三ですかねぇ。アレが将来、警視総監になると言うのは嫌ですけどねぇ」

 

「分かる」

 

「しかし知り合いが警視総監になったとなりゃやっぱ、感慨深くなっちまうんですかねぇ! まぁ、参事官がなっとる頃にゃあ私はおっ死んでますか!」

 

 

 矢部は気まずそうに顔を背けて、聞こえないよう小声で言う。

 

 

 

 

「まぁ、警視総監になっとんのは赤坂さんやけどな……」

 

 

 未来で警視総監は、大石の友人の赤坂だ。そんな事は未来の話なので話せまい。

 ついでに不意に一つ思い出した事があり、矢部は興味から大石に質問する。

 

 

「そういや赤坂さんから聞いたんやけどな。なんか数ヶ月前ぐらいに、建設大臣の孫を救出したそうやないか」

 

「国ぐるみで隠された話題なのに良く知ってますなぁ……公安なら常識なんですな?」

 

 

 大石は腕を組み、懐かしむようにその時を想起し、語ってくれた。

 

 

「半年少し前に、赤坂さんと初めて会いましてねぇ。本人は身分を隠したつもりでしょうが、青過ぎてバレバレで! それなのに階級は私よりも上のキャリアさんで、対応に困ってしまいましたなぁ!」

 

「へぇ〜」

 

「ただ柔軟な方でしたよぉ。我々に情報を言って、協力を取り付けたんですからな。菊池さんより謙虚な方だから、あの人が警視総監になれば良いのにと思っちまいますな!」

 

「なっとるんやけどな」

 

「今なんと?」

 

「なんもない」

 

 

 石原はなぜか床を、ニョロニョロと這っていた。

 彼を鬱陶しく感じた矢部が勢いよく踏ん付ける。「ありがとうございます!」と石原は叫んだ。

 

 

「……お孫さんの救出はしましたが、犯人は分からず終いでしてな。私ぁ、ダム反対派の園崎が犯人だと言ったんですがねぇ……」

 

「なんや違ったんかい?」

 

「証拠不十分でしてねぇ。追求したらボロが出ると言ったんですが、赤坂さんはもう良いと……」

 

「え? 赤坂さんから取り止めたんか?」

 

 

 

 矢部を身を起こし、意外そうに声をあげた。

 彼の持つ赤坂衛のイメージは、妥協を許さない正義漢。彼ならば犯人をとことんまで追い詰めるハズだと思っていた。

 

 

 それが孫の救出後、あっさりと手を引いた。

 

 

「えぇ。まぁ、お孫さんの救出が目的ですから、深追いする必要はないっちゃないんですがねぇ……終わったらすーぐ東京に帰っちまいましたし」

 

 

 恐らく「例の少女」に妻の死を予言され、蜻蛉返りしたようだ。

 まだ赤坂も青い時代だ。その時ばかり、私情を挟んで捜査を取り止めたのだろう。

 

 

「あの事件後ぐらいに、ダム開発が強行されたと聞きましたな。建設大臣の逆鱗に触れたんでしょうが……先のジオ・ウエキ事件で凍結確定でしょう。園崎しか得してないのが気に食いませんなぁ!」

 

「そのジオウ事件っての知らんなぁ」

 

「矢部さん方が来る一日前の出来事でしたからねぇ」

 

 

 尤も矢部は記憶喪失に陥っていたのだが、大石は気を遣ってその話だけは止してやる。

 

 

「まぁまぁ、私と赤坂さんとはそんな仲で。お子さんが生まれた折には祝いに行きますかね」

 

「東京行くんか? ちと遠ない?」

 

「なぁに! 岐阜と東京なんざ、東海道新幹線で二時間くらいですよぉ! いやぁ、便利な世の中になったもんですな!」

 

「新幹線とかよぉ乗らんからなぁ。構内とか風キツいし」

 

「頭のそれが飛ぶからで?」

 

「大石さんこれ地毛なんですわ。うん。飛ぶとかないから」

 

 

 髪を撫でて地毛アピールをする矢部。

 

 その時、大石の部下でもある熊谷がおずおずと部屋に入って来た。

 

 

「失礼し……あ、大石さんいたんですか。おはようございます」

 

「あら熊ちゃん、おはようさん。どうしたんですか?」

 

「おう、くまクマ熊ベアー」

 

「なんですかそのあだ名……」

 

 

 矢部の変な名付けを嫌に思いながらも、その彼らに伝達があるらしい。

 熊谷は、床で矢部に踏み付けられながらビタビタもがく石原を無視しながら、それを伝えた。

 

 

 

「……矢部警部補にお客さんですよ」

 

「ワシに?」

 

「こんな朝方に? どなたですか?」

 

 

 二人の容姿も併せて伝えてやる。

 

 

 

 

 

「背の高い学者先生と貧にゅ」

 

 

 

 

 

 

 言いかけた途端、彼は背後に迫っていた人物に殴られた。

 何事かと立ち上がる大石らの前で、その人物は怒り心頭に主張する。

 

 

 

 

「誰が貧乳だバカ野郎この野郎おめぇ!」

 

 

 山田奈緒子だ。いきなり殴られてオロオロしている熊谷を、殺意剥き出しの目で睨んでいた。




・TRICKシリーズ全ての劇伴を担当された、「辻陽」さん。実は「仮面ノリダーのテーマ」と、龍騎の挿入歌「果てなき希望」の作曲者さんだったり。ビャァ〜オッ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

調査願

 山田の姿を認識した途端、矢部も大石も驚きの声をあげる。

 

 

「山田ぁ!?」

 

「あれ!? あなた、東京から来たマジシャンの……」

 

 

 乱入して来た山田はお構いなしに二人は罵声を飛ばした。

 

 

「うるさいハゲとデブ! 殺すぞ!」

 

「誰がデブやボケェッ!!」

 

「デブは私の方じゃなくて?」

 

「てか口わるっ!?」

 

「ご機嫌斜めのようですねぇ……」

 

 

 犬の唸り声のような威嚇をする彼女を、後から続いた男が何とか止める。

 

 

「ドゥドゥ! お、落ち着け山田! 人間に戻れッ!!」

 

「バカ野郎この野郎おめぇ!!」

 

「『いつもここから』になるなぁッ!」

 

「悲しい時ぃーーッ!!」

 

 

 上田次郎だ。

 ブチ切れ状態の彼女を何とか廊下まで引き摺り出し、入れ替わるようにして部屋に入った。

 

 

「あ! 先生じゃないですか!」

 

「フゥッ!……いやぁ、矢部さん! ご無沙汰してます! まさか、こんな場所でもお会いするとは! これも縁とやらですかねぇ!」

 

 

 初対面の大石が尋ねる。

 

 

「昨日の方じゃないですか。矢部さんのお知り合いで?」

 

「そらもう、二十年来の知り合いですわ!」

 

 

 ペコペコお辞儀する矢部に合わせて、上田もスマートに礼をする。

 その背後で閉めたドアを突き破って中に入ろうとする山田を、必死に押し留めた。

 

 

「山田の奴、どないしたんですか? バイオハザードみたいになってまっせ?」

 

「いや、ちょっとこいつ、今、だーいぶキレてまして!」

 

「キレてないっすよ!!」

 

「キレてんだろがッ!!」

 

 

 ギャーギャー喚く山田を押し切って何とかドアを閉め、鍵をかけた。向こうから激しくドアを殴る音が響く。

 

 

「恐らいですなぁ……これ我々、どこから出たら良いんですかねぇ?」

 

「最悪の場合……窓から出るしかないでしょう」

 

「ここ四階ですけど?」

 

「まぁまぁまぁ。その頃には元に戻ってるでしょう。ハハハ!………………多分」

 

 

 山田が暴走モードとなっている理由は、オニ壱の件だ。

 泥の底に沈んだオニ壱は見つからず、失意の念から人類に対して敵意剥き出しとなっていた。

 

 

 

 

 ともあれ矢部と再会した上田は、大石を交えて、椅子に座りながら対談を始める。

 

 石原と熊谷は、部屋の奥で長机を使って卓球していた。

 

 

「確か昨夜、矢部さんといた刑事さんでしたね? あの時はバタバタしていまして、挨拶が遅れて申し訳ない!」

 

「いえいえ、私の方こそ! 改めて、興宮署捜査一課に所属している大石蔵人です。以後お見知り置きを」

 

「セフィロスさんですね?」

 

「蔵人です。なんで皆さんこぞって、私の名前を間違えるんですか?」

 

 

 次いで上田も挨拶をする。

 

 

「では、私もご挨拶を……私、日本科学技術大学の、もうあと一経験値で名誉教授になる上田次郎と申します」

 

「先生、つい二年前もあと一経験値で言うてはりませんでしたっけ?」

 

「大石さん。お近付きの印に、これをどうぞ」

 

 

 上田は自著作品の「上田次郎の人生の勝利者たち」を手渡す。

 とりあえず受け取った大石は、困った顔でパラパラとページを捲る。

 

 

「あー、これはどうも……」

 

「サインも書きましょうか? 本来なら有料なんですがねぇ」

 

「いえ結構です」

 

 

 嬉々として取り出したサインペンを、嫌々懐に戻す上田。

 

 

 

 

「それで、ご用件は?」

 

 

 本をパタンと閉じ、わざわざこんな朝方からやって来た理由を聞く。

 

 

「ワシらに会いに来たんでしたっけ?」

 

「えぇ。少し、矢部さん方に頼みたい事がありまして」

 

「こっちも出来る事なら、何だって協力しますがなぁ先生!」

 

「実は、一年目の鬼隠し事件の資料が欲しいんですがね?」

 

 

 それを聞いた途端にギョッとしたのは、矢部よりも大石だった。

 

 

「あなたも鬼隠し調べてるんですか!? 大学教授のあなたが!?」

 

「へぇ! 先生もですかい! やっぱ先生、どこ行ってもこう言うのに巻き込まれんですねぇ?」

 

「そうなんですよ。まぁ、理由はちょっと、興味本位みたいなところがあるんですけど?」

 

「いやいや、興味で人が死んでる案件に介入しないでくださいよぉ……」

 

 

 難色を示す大石だが、無理もない。鬼隠し関連は犯人が分からない上、部外者が勝手に行動して巻き込まれでもしたら警察側が責任重大だ。

 それに有名な教授を自称しているとは言え、結局は権限もない民間人。易々と機密情報を流す訳にはいかない。

 

 

 

 

「あ、良いですよ。もう先生の頼みなら!」

 

「ちょっと矢部さん!?」

 

 

 と言うのにこの矢部謙三は易々と協力しようとしている。

 二つ返事で引き受けた彼を、必死で止めた。

 

 

「なんやねんな! 別にええがな資料ぐらい!?」

 

「いやいけませんよ! あんた本当に公安ですか?」

 

「公安に決まっとるやろがい。花の警視庁様やぞ」

 

「警視庁でも地方県警でもですねぇ……上田さんも聞いて欲しいんですが、一般市民に情報を渡しちゃ駄目なんですよ」

 

 

 断る大石を前に、上田も言葉選びを間違えたかと頭を掻いた。

 

 興味本位とは言ったが、実のところは次の鬼隠しを止めるべく、事件の洗い直しをしている。

 だが梨花の予言だとか、未来から来ただとかは言えるハズもないので、「興味本位」と言うのが関の山だった。

 

 

「どうにかなりませんかねぇ……私なら鬼隠しを立ちどころに、ベストを尽くしてズバッと角っと解決出来るんですが」

 

「角っとですかい先生?」

 

 

 それでも大石の態度は変わらない。

 表面上は物腰柔らかだが、彼は筋金入りの刑事だ。

 

 

「そもそも興味とは言え、なぜ鬼隠しを? そう言えばあなた、廊下の山田さん共々、園崎さんと仲が良いらしいじゃないですか?」

 

「おぅっとぉ?」

 

 

 その事も、彼には知られていた。上田は苦笑いしながら目を逸らす。

 

 

「まさかですけど、園崎家に何か頼まれているんですかねぇ? 警察の内情を知らせろ〜だとか?」

 

「いやまさかぁ! それはさすがに無いですよ! 寧ろ恩があるのは、あっちなんですから!」

 

「何にせよ、ヤクザと関わりのある方に情報は流せませんなぁ。まぁ、無関係でも流さないんですが」

 

「そう言って……拒絶した後に、『良〜よぉ〜』って言うのが鹿骨市セオリーなんでしょ?」

 

「いえ駄目です」

 

「ダミットゥッ!」

 

 

 身体を仰け反らして悪態吐く。

 矢部も何とか大石を懐柔してやろうと、横から口を出した。

 

 

「いやだからなぁ? グレゴリー」

 

「大石ですって。なんですかグレゴリーって」

 

「ホラーショー?」

 

「この上田先生はなぁ? これまで様々な難事件を、お一人で解決なさった凄い方なんや!」

 

「そりゃ本当で?」

 

「ハッハッハ! イグザクトリーッ!」

 

 

 矢部にヨイショされ、上田は意気揚々と自己アピールを繰り出した。

 椅子から立ち上がり、学者らしくウロウロしながら話す。

 

 

「私はこれまで、数多の霊能力者と相(まみ)え、そのインチキを暴いて来ました! 先日のジオウも含めて、暴いたインチキ霊能力者の数はおよそ六千人弱ッ!!」

 

「さすが先生!」

 

「いやそんなにいないでしょう?」

 

「付いた二つ名は、『平成のフーディーニ』ッ!」

 

「へいせい?」

 

「あ」

 

 

 思わず未来の元号を口走ってしまい、上田は口を押さえて黙る。

 すかさず矢部がフォローを入れた。

 

 

「へ、へいせい言うのはやなぁ? こう、いつでも平静やからっちゅー意味や!」

 

「はぁ……?」

 

「そ、そうなんです! 上田次郎は動揺しないッ!! 付いた二つ名は、『東洋の二宮金次郎』ッ!!」

 

「二宮金次郎は最初から東洋じゃ?」

 

 

 

 

 

 

 完全に動揺しまくりな上田を、「アルゴリズムッ!」と言う変な掛け声と共に突破されたドアが突き飛ばした。

 山田が渾身の力を込めてドアを蹴破ったようだ。

 

 

「や、山田ぁ!?」

 

「鍵を破った!?」

 

 

 即座に山田から距離を取る矢部と大石だが、彼女は息は荒いものの、落ち着きを取り戻してはいたようだ。

 

 

「あー、ストレス発散……あ、矢部さんとクラナドさん」

 

「蔵人ですって!」

 

「それ秋葉が人生言うてた奴やんけ」

 

「外で話は聞かせて貰いましたよ。あと矢部! 事件解決したのは上田じゃなくて私だろ!」

 

「うっさいわ疫病神! お前学校ン時の件含めて後で逮捕やからな?」

 

 

 次になぜか山田はしてやったり顔を浮かべながら、大石を見据えて宣言をする。

 

 

「大石さん。あなたは、一つとんでもない思い違いをしています」

 

 

 片目を一瞬細めてから、大石は取り繕った笑みで返す。

 

 

「いきなり何を……えぇ? 私が、思い違いですか? なんの?」

 

「えぇ。前に会った時に、仰っていましたよね」

 

 

 思い出すのは、この間の出来事。

 園崎からジオ・ウエキの追い出しを頼まれた山田の元を、大石が訪ねた時。

 夕立を呼び込む入道雲を前に、彼は言った。

 

 

 

 

「園崎家は、『鬼隠し』に関わっていやしないかと、あなたも疑っているんじゃないですかぁ?」

 

 

 

 

 

 園崎家が鬼隠しの犯人だと考えているような言動。

 事実、彼は色々と園崎関連を調査し続けてはいた。

 

 

「鬼隠しが、園崎さんによるものだと、あなたは思い込んでいます」

 

「……ちょぉっと、その言い方は引っかかりますなぁ? まるで園崎は関係ないと言っているような?」

 

「かもしれませんが、そうじゃないかもしれない」

 

「いや明言せんのかい」

 

 

 それでも山田は主張をやめない。

 大石へと指を差し、高らかに宣言する。

 

 

 

 

 

 

「今年の鬼隠しは、この私、山田奈緒子…………と、ほんのちょっぴり上田さんとで阻止します」

 

 

 うつ伏せになりながらも、抗議の眼差しで山田へと振り向く上田。

 彼を無視し、山田は怪訝な表情の大石へと言い放った。

 

 

 

 

「そして過去の鬼隠しも、スパッと丸っと解決してみせましょう。ナッチャンのジにかけてっ!」

 

「ジッチャンの名にかけてやろ。お前のじーさんなんか知らんわ」

 

「私だって知りませんよ」

 

「じゃあなんで賭けてん」

 

 

 これだけ言っても大石の表情は和らぐ事はなかった。

 ただ彼女が、鬼隠しについて何か秘密を得ているのではとは、薄々察する事が出来た。

 

 

 

 

「……山田さんあなたぁ……何か、知っているんですか?」

 

「……それは、事件の資料をいただいてから。あと、白川自然公園まで車出してください」

 

「ワシらはタクシーか」

 

 

 思わせぶりな山田の態度に、大石は暫し真意を探ろうと思考を巡らせた。

 しかし初対面時に抱いた山田への第一印象は、「聞かん坊」。説得でどうにかなる人間ではなさそうだと、判断する。

 

 

 

 尤も金さえ積めばベラベラ話してくれそうなものだが、警察官の立場でそれはマズイので考えない。

 

 

 

 

 

 

 

 数秒ほど熟考した後、諦めたように顔を曲げて溜め息を吐いた。

 

 

「……取り引きと言う訳ですかい。分かりました……資料は渡せませんがね? 調査は我々で、あなた方は『有識者の監修』と言う(てい)でどうにか手を打ちましょう」

 

 

 ここは折れて、出方を伺う姿勢を取る。

 大石の許可を取り付け、山田は「シャアッ!」と叫んで腕を引き、ガッツポーズ。

 

 廊下を横切った悠木が山田を二度見。彼の背後にある壁には「来年二十周年」の文字。

 

 

「ただあの事件、我々の管轄じゃないもんでしてねぇ。一回、白川署に寄らないと駄目ですね。まぁ、知り合いがいるんでどうにかなるでしょうが」

 

「有能やんけイッシー!」

 

「お願シャス!」

 

「ですが一度断っておきますけどねぇ、山田さん」

 

 

 山田の前へと一歩踏み出した大石。

 その間に上田は立ち上がって、服装を整えながら山田の隣で格好付けていた。

 

 

 

 

「あなた、園崎家だけじゃなくて、村の子どもたちとも仲良しのようじゃあないですか」

 

「それがなんです?」

 

「……んっふっふっふ。いいえ?」

 

 

 不敵に笑う大石。彼もまた一年目の事件に関し、何か情報を持っているようだ。

 

 

 

 

「今となっては、あなたに資料をお見せするのが楽しみですよぉ」

 

 

 老猾な雰囲気を感じさせる、丁寧ながらも粘着質な物言い。

 彼の真意が読めず、また山田も警戒心を高めた。

 

 

 今は飄々と佇む大石を、睨むだけしか出来ない。

 その奥、熊谷が放ったスマッシュで、石原がピンポン玉を顔面にぶつけていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こちら、『────』」

 

「東京から来た例の二人が、刑事らと共に興宮を出発」

 

「進路方向から予測。白川自然公園へ向かう模様」

 

「追跡を続行しましょうか?」

 

「………………」

 

「構わないのですか?」

 

「……はっ。ええ……はい」

 

「分かりました。撤収します」

 

「オーバー」

 

 

 無線機を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 白川自然公園は、興宮を出て北上し、車で三十分の場所に位置していた。

 長閑な森と山々に囲まれた、都市の喧騒とは無縁の、雄大な緑の王国だ。

 

 

 山田たちを乗せたパトカーは、駐車場への道を走っていた。

 

 

『いらっしゃいませ 白川自然公園へ』

 

「あ! 兄ィ! 見えて来たでぇ!!」

 

 

 運転手の石原が指差した所には丸太を輪切りにして作った看板があり、彫刻で出迎えの言葉が書かれている。

 裏には当然見送りの言葉があるのだろうと、看板を通り過ぎた後で上田はチラリと窓から見やる。

 

 

 

 

 

『ご完結 おめでとさんです 李岳伝』

 

「!?」

 

 

 二度見した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パトカーは駐車場に入り、停車。

 中から出て来た人物は、運転手の石原と、助手席の矢部だ。

 大石は別のパトカーで、資料を取りに白川署へと向かった。

 

 

「さぁ先生、到着ですぅ! ここが白川自然公園ですわ!」

 

「奥多摩みたいな所じゃのぉ! 空気美味しい! 空気美味しい!! スーハースーハーッ!!」

 

「喧しいわいお前は」

 

「ありがとうございます!!」

 

 

 騒ぐ石原を殴る矢部の後ろで、後部座席から山田と上田も出て来る。

 蒸し返すような暑さで、まずは顔を顰めた。

 

 

 

 

「あっっつ! どこもかしこもクソ暑いな……さすが田舎……」

 

「平成でこそ温暖化だの異常気象だの言われるが……夏場の平均気温は昭和からあまり変わってないもんだ……そうだ山田!」

 

「いきなりなんですか」

 

「気象予報で降水確率ってあるだろ? アレは何を根拠に、降水確率五十パーセントだの八十パーセントだのと決めていると思う?」

 

「……知りませんよ」

 

「現在と同じ気象条件の過去のデータを、百個抜き出すんだ。で、その中から実際に雨が降ったデータだけを更に抜き出す。その数が十個ならば十パーセント、八十個あったなら八十パーセントと、降水確率が決められるって訳だ」

 

「はぁ」

 

「因みに降水確率の実施は、一九八◯年に東京のみで開始。全国へは八六年からだ。どうだ、為になったろ?」

 

「その知識いまいる?」

 

 

 

 

 上田の無駄知識を披露されながら、一同は自然公園の中へと入って行く。

 向かう先は渓谷上にある、展望台。事前に大石から聞かされていた、その現場への階段をゆっくりと上がった。

 

 

「めっちゃ高いがな! ちょっと風強いんちゃいます!?」

 

「矢部さん。ここにいる全員もう知ってるんですから、外したらどうです?」

 

「いやいやいや先生? 外すとか、ないですから? これホンマに地毛なんで」

 

 

 矢部の言う通り、展望台までの道のりで既に駐車場よりも高所まで来ていた。

 チラリと手摺りから身を乗り出せば、眼下を埋め尽くす木々が見渡せる。

 

 

 

 

 

「ゼヒィー……! ヒュー……!!」

 

 

 体力に自信のある上田はどんどんと先を行く。山田はバテて十段下でヘロヘロ。

 途中から石原と矢部は、「グリコ」をして遊んでいた。

 

 

「オニ壱……! 私に力を……! オリャーッ!!」

 

 

 掛け声と共に一気に駆け上がって行く山田。

 上田らは「なんだコイツ」と言いたげな目で彼女の背を見ていた。

 

 

 

 

 

 案の定、展望台で死にかけている山田。

 彼女を尻目に後続の上田らも、到着する。

 

 

 

 

『手摺りにもたれるな 死ぬぞ』

 

『死んでもいいなら もたれろ』

 

『でっど と おあ と あらいゔ』

 

 

 物騒な注意喚起が載せられた看板を一瞥した後、渓谷が見渡せるフロアに立った。

 

 

 

 崖の先は、頑丈な墜落防止手摺りで遮られている。

 それを跨いだのならば、その先は奈落。底には流れの早い渓流があった。

 

 

 上田は展望台から崖下までの高さを、三角関数を使って見積もる。

 

 

「崖から渓流までの高さはぁ〜〜、あ〜〜……大体四十メートルか」

 

「四十メートルっちゅうとどれぐらいでっか!?」

 

「道頓堀のグリコの看板を二個縦に並べた高さと同じですねぇ。まぁ、落ちたら普通に死ねる高さですね」

 

「そりゃあねぇ! もう見たまんまですからねぇ! 死にますねぇ!」

 

 

 強風が吹き、矢部は頭を押さえて余裕がない様子だ。石原も端の毛を掴んで、飛ばないよう手伝っている。

 

 

 

 呼吸を整えた山田が、上田の立つ崖際まで行く。

 そっと下を覗き込み、青い顔で顔を引いた。

 

 

「高っ! 落ちたら痛そうですね……」

 

「痛いとかじゃない。漏れなく死ぬ。四十メートル舐めるな、YOUはスーパーマンか?」

 

「ヤッホーーッ!!」

 

「ヤマビコやめろッ!!」

 

 

 遠く山の向こうから、「バンサンケツマーッ!!」と全然違うヤマビコが返って来る。上田は驚いて目を剥く。

 

 山田は一息吐いてから、自分の立っている位置を指差す。

 

 

 

 

「多分、この場所から落ちたんですかね?」

 

 

 見てみれば、展望台を囲む墜落防止手摺りには錆や傷の類は少なかった。

 事件後に柵の破損を糾弾され、纏めて一新したのだろう。

 

 

「事件当日の物じゃないとしたら、参考にならんな……」

 

「これが折れるのか……ほいほいほい!」

 

「ちょちょちょちょい山田山田山田ぁ!?」

 

 

 山田は手摺りを掴み、目一杯揺さぶっていた。

 前例のある場所でするには、あまりにも不用心。急いで上田は彼女を止めた。

 

 

「やめろッ! 万が一折れたらどうすんだ!?」

 

「別にそんな、しょっちゅう折れるモンじゃないですよ」

 

「何か分かりましたー!?」

 

 

 後ろから矢部が、頭を石原に押さえさせながら声をかける。

 ただ上田は口元をきつく縛って、首を振るのみ。

 

 

「さすがに事件から三年経ってますからねぇ。当時の資料を大石さんが持って来るまで、待つしかありません」

 

「ほな! ワシら駐車場で待ってますー! 風が! 風が吹いてますんでー!」

 

「あ、そういえば矢部さん」

 

 

 山田は思い出したかのように、去ろうとする矢部を呼び止めた。

 

 

「なんや!?」

 

「村で最初に会った時、極秘任務だの怪しい影だの言ってましたよね」

 

「それがどないしてん!?」

 

「て言うかそれ以前に、どうして雛見沢村に来たのか教えてくださいよ」

 

 

 しかし矢部は、呼び止められて苛ついている事もあって教えてはくれない。

 

 

「だぁーれがお前に教えるかぁ! 極秘任務っつったら極秘任務なんや!」

 

「トップシークレットじゃけぇのぉ!」

 

「まぁそう言わずに矢部さん、教えてくださいよぉ」

 

「まぁ先生が言うなら教えますけど」

 

「!?」

 

 

 上田には従順な彼は、要請を受けてあっさり喋ってくれた。

 釈然としない様子で、山田が彼らを睨んでいる。

 

 

「ワシらが来たんは……ズバリッ! 雛見沢大災害の謎を探る為や!」

 

「それはまぁ、気付いていましたけど……誰の要請で?」

 

「聞いて驚かんでくださいね? これ、警視総監殿の直々なんですわ!」

 

 

 警視総監と言えば警視庁のみならず、日本警察のトップに君臨する警察官だ。

 意外な人物からの依頼と知り、山田は目を剥いていた。

 

 

「津川雅彦に!?」

 

「それはドラマの配役だッ!」

 

「何でも、大災害の前に村で()うた女の子が自分の死を予言して」

 

「「なんですと!?」」

 

 

 聞き覚えのある話題に、上田も山田も綺麗にハモる。

 矢部はその辺もキチンと説明してくれた。

 

 

「警視総監殿はですねぇ、この半年近く前に村に来てたんですわ!」

 

「兄ィ! それ言ってええんかのぉ!? 平成でも隠しとった事件じゃろ!?」

 

「先生やからええねん」

 

 

 良くはないだろと言いたげに、山田は眉を寄せた。

 

 

「で! その子が死んだ日、ホンマに災害起きてて、しかもその子は殺されていたとかっちゅぅ話で!」

 

「え……!?」

 

「んまぁそれ以外に、色んな大物のフィクサーってのが結構な金、なぜか雛見沢村に送ったようなんですわ!」

 

「トイ・ストーリーの会社が!?」

 

「山田。それは『ピクサー』だ」

 

 

 警視総監が公安部在任中に見逃した件を調査する為、矢部たちが旧雛見沢村に派遣されたと言う訳だ。

 

 村を一度見ておこうと来た時に、タイムスリットしてしまったようだが。

 

 

「てな訳ですわ! まぁ、色々は菊池のアホが知っとるハズなんで、また聞いといてください!」

 

「えぇ……分かりました。ありがとうございます」

 

「ほな、下で待ってますぅ!」

 

 

 それだけ言い残し、矢部は石原を連れて下山。

 階段を降りようとした途端、一際吹いた風が何か黒いモジャモジャした物を天へ飛ばした。

 

 

 

 

 残された二人は、まず互いに向かい合わせとなる。

 梨花の話は本当なのだと、認めざるを得ない。

 

 

「……梨花さん、本当に……予言してたんですね」

 

「あ、あぁ……おったまげーだな」

 

「……じゃあ、綿流しの日にあの二人が死ぬ事も本当……?」

 

「…………かもな」

 

「……私たちを未来人と知っていた事も含めて……何者なんですかね?」

 

 

 上田は怯えた表情で、辺りを憚るような声量で予想する。

 

 

「…………ま、マジの……オヤシロ様……の、生まれ変わり……?」

 

「さすがにそれは無いでしょ。神様なら死なないし」

 

「お前不謹慎過ぎないか?」

 

 

 山田は手摺りに寄りかかった。

 熟考しているような真面目な眼差しで、遠く雛見沢村を見据えた。

 

 

 勿論、ここからは山々が遮って見えない。

 だがその向こうに、確かにある。

 

 

 

 

「……でも、なんで梨花さんは『殺される』、んですかね?」

 

「な、なに?」

 

「大災害が実際に起きたとすれば、梨花さんは被災によって亡くなる訳で……じゃあなんで、その前に殺されたんでしょうか?」

 

「ハッ! 何を言い出すかと思えばYOU……そんなの決まってんだろ」

 

「なんですか?」

 

「オヤシロ様パワーだ」

 

 

 呆れた目で、上田を睨む。

 その視線を受けて「冗談だ」とはぐらかした後、彼女の隣に寄る。

 

 

 

 

 手摺りが壊れるかもなので、寄りかかりも手すらもかけなかった。

 

 

「……例え翌日に天変地異が起きようが、それを前以て予測出来る人間はいやしない。それは俺たちの時代でもそうだ」

 

「………………」

 

「人を殺したそのすぐ後に災害が起きたと言うのも……可能性としてはゼロではない」

 

「でも梨花さん、大災害は嘘だって……」

 

「自分が殺される事は知っていたが、災害が起きる事までは読めていなかった。あいつが森羅万象の全てを知っていると言う訳ではないんだろ」

 

「何か気付いた様子でした」

 

「それも含めて……村に戻ったら、入江先生を交えて説明して貰うだけだ。雛見沢症候群についてな?」

 

 

 上田は大きく咳払いをし、「今はここで起きた事件に集中しよう」と話を切ろうとする。

 

 

 だが山田はまだ、続けるつもりだ。

 ほんの少し黙り込んだ後、噛み締めるように疑問を口にする。

 

 

 

 

「……鬼隠しは、男女のどちらかが殺されて、どちらかが消える事件」

 

「あぁ、そうだったな」

 

「……次に来る事件、どっちも死体が見つかっているのはなぜか」

 

 

 富竹が首を掻きむしって死に、鷹野が焼死体で発見される事件。

 言われてみれば確かに、今までのルールとはやや逸脱している。

 

 

「何よりまず……なんで、二人が殺されなくちゃならないのか。今まではダム賛成派、中立派だったり、村全体の意見と対立した人たちばかりでした」

 

「その話はまた後にでも……」

 

「良くありませんよ。気になるんです」

 

 

 これは止められないなと、上田は肩を竦めて諦念。話に乗ってやろうと決めた。

 

 

「……それにまず、富竹さんも鷹野さんも……村の外の人間」

 

「余所者だから、殺されたとか?」

 

「それは無いですよ。富竹さんは毎年来訪するので、村の人とも顔馴染み。鷹野さんに関しては村に医療を届けている方……別に村に敵対している訳じゃない……」

 

「鷹野さんは雛見沢症候群の研究者でもあるな。それが、村の人間にバレたとか……あぁ、そうだった! 病気の事実は、古手家以外知らないんだったか……」

 

「例えそうだとしても、だったら同じ研究者の入江さんが殺されているハズです」

 

「確かになぁ……それにジロウの死因だが、殺されたんじゃなく、病気の発症によってだ。これが分からない……何がストレッサーとなって発症したんだ?」

 

「………………」

 

 

 山田は暫し考え込み、「あっ」と何か気付いたように声をあげた。

 

 

 

 

「分かったのか!?」

 

「あの二人、確か入っちゃいけないって言う祭具殿に忍び込んでいましたよね。上田さんも」

 

「あー……確かに、ジロウのピッキングで………………」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 上田は彼女の言わんとしている事を察し、青い顔で目を向ける。

 

 

「…………バレてた、とか?」

 

「あの時、屋内で何かバタバターって、音がしたんですよ。私のせいにされましたけど、私は抜き差し足足で」

 

「抜き足差し足だ」

 

「入ったので、音は立ててません……」

 

 

 山田もまた、青い顔をして上田と目を合わせた。

 

 

 

 

 

「……誰か、やっぱいたんじゃないです?」

 

「…………余所者が勝手に祭具殿に入ったから……ここ、殺されたと……?」

 

「…………じゃあ、私たちもヤバいんじゃないですか? ガッツリ、入りましたけど」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 二人は遠景の山々ではなく、展望台を瞬時に見渡した。

 誰かいやしないかと、不安になったからだ。上田に関してはカマキリ拳法の構えを取っていた。

 

 

 人の気配がしないと確認すると、二人は口を揃えて宣言する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「犯人絶対捕まえてやる……!!」」

 

 

 二人再び見合わせ、強い意志を込めた。

 

 

 梨花や富竹や鷹野のみならず、自らの命も危ういと気付き、俄然やる気を見せた。

 やる気と言うよりも、危機感から来た焦燥ではあるが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな二人の肩が、次の瞬間同時に叩かれた。

 

 

「出たッ!? やれ上田ッ!!」

 

「ホワチャぁぁあッ!!」

 

「うぉわと!? 危なッ!?」

 

 

 来たな犯人と迎え討つが、見覚えのある人物だった。

 両手を上げて呆然としているその人物とは、大石だ。




・「サザエさん」のアニメ自体は、1969年から続いています。

・東海道新幹線は日本最古の新幹線にして、世界初の高速鉄道。1964年に開業しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

事故意

「あ! け、刑事さん!?」

 

 

 大石だと認識した山田は声をあげた。

 

 

「ひ、酷いですねぇ!? 声かけなかった私も私ですが……」

 

「おお、驚かさないでくださいよ! 殺されるかと思った……!」

 

「何をそんな怯えてるんですか……」

 

 

 上田は拳を引き、恐怖の顔で頭を下げた。

 もう大丈夫ですとハンドサインで示した後、彼は持っていた鞄を開く。

 

 

「こんな暑い中、お待たせしましたねぇ! 色々と資料をお持ちしましたよぉ!」

 

 

 鞄の中から取り出した物は、当時の現場を収めた写真や調書、果ては壊れた柵の一部まで。

 予想外に充実した内容に、上田は愕然とした様子だ。

 

 

「こんなに……!? 所轄署も違うのに、良くこんな数の資料を……!」

 

「いやいや、本当に運が良かったですよぉ! 本来ならとっくに破棄されていた物らしいんでしてねぇ」

 

「はい?」

 

 

 大石は鞄の中から、事件の報告書を取り出し上田に渡す。

 受け取った彼は即座に読んだ。

 

 

「……『事故』。やはり、事故で処理されていますね」

 

「当時、展望台には人はいなかったようですねぇ。目撃者もございませんよ」

 

「なら、もう終わった案件だ。なぜ、これほどまでに資料が残されているんですか?」

 

「そこなんですがねぇ? 白川署の知人が、こっそり保管しとったんですよぉ!」

 

 

 大石は一度ニカッと笑った後に、二人の間を抜けて手摺りに凭れた。

 遠く下を流れる川を、じっと見つめている。

 

 

「その知人曰く、事件性のない事故との断定は恐ろしく早かった。彼はまだ捜査すべきだと主張したが、上層部に却下されたとか」

 

「………………」

 

「しかも早々に資料は処分せよとの命令……んふふふふ! これの意味する事は分かりますかね?」

 

「……圧力を、かけられていたと?」

 

 

 物憂げな表情を一瞬だけ見せた後、「ええ!」と肯定し笑顔で二人の方へ振り向いた。

 

 

「知人はずっと、事故に見せかけた他殺なのでは? と、考えていたようです。それで上の決定に納得いかず、命令に背いてまで資料を隠していた訳ですよ」

 

「仮に他殺とすれば……一体、誰が?」

 

「さぁ? 誰なんでしょうねぇ? んふふふ!」

 

 

 何やら楽しんでいるかのような、大石の挙動。

 金臭さを感じながらも山田は、資料に含まれている写真を取り出した。

 

 

 

 

 事故当時の、展望台の様子を写したもの。

 正常な柵と、根本から折れた柵とが撮られている。

 

 

「柵の高さは……大体、一一◯◯ミリメートルほどか。成人の墜落を防止するのに、十分な高さだ。格子の隙間は九十ミリメートル、乳児の身体も通らない。足をかける部分もないし、意図してやらなければ乗り越えは出来ないか……安全面に於いては問題はないが……」

 

「さすがは学者先生ですねぇ! 検分資料の数値とほぼドンピシャですよぉ!」

 

「いやぁ……それほどの者です」

 

 

 謙遜しない上田を嫌味に思いながらも、山田は写真を良く見る。

 

 

 

 この時代の写真だ。明度や彩度は、現代の物とは劣る。

 とは言えフラッシュも焚かれており、鮮明さはあった。現場を把握する点では問題ない。

 

 

 

 

「……この壊れた柵」

 

 

 山田は、沙都子の両親が転落したであろう現場の写真に注目。

 

 

「根本の方、残ってるんですね」

 

 

 彼女の言う通り、折れた柵の根本が残っていた。

 

 

「そりゃあ、そうだろ。地面に埋め込まれているからな。根本までは出て来ないだろ」

 

「でもこれ見た感じ……柵と柵の節目の所が扉みたいに開いた感じじゃないですか」

 

 

 写真から把握するに、根本の部分が折れた事で人間の体重だけで柵が動き、出来た隙間から落ちたと言う風だろう。

 ここがまず、山田が気になった部分だ。

 

 

「壊れた柵自体は、下に落ちてはいないんですか?」

 

 

 彼女の指摘には、大石も感心したように頷いた。

 

 

「えぇ。山田さんの仰る通りですよ。どう言う訳か根本が折れて、しかももう一方の根本も半分破損。まるで紐みたいにプツッと、柵と柵の間が開いて落っこちたと! だから細かい破片以外は、柵は落ちとらんのですよぉ!」

 

「じゃあ、こう言う事じゃないですか?」

 

 

 山田はある、一つの推理を立てる。

 

 

 

 しゃがみ込み、今ある柵の根本を指差して説明した。

 

 

「根の部分を、切っておくんです。それこそ、あともう少しで切れるほどにまで……」

 

「切る?」

 

「溶接用のバーナーか何かを使えば、溶かして切れるハズです。同じ要領でもう片方の根本を、半分切る」

 

 

 立ち上がり、柵と柵の節の前に立つ。

 

 

「後はご両親をここに誘導し、後ろから強く突き飛ばすんです。脆くなった根本は衝撃で切れて、半分切れた方も衝撃で捻れる……その結果、柵が開くようにして破損し、谷底へと落ちるんです」

 

「んー? 落とすのが目的なら、背後から足を抱えるようにして落とした方が手間がなくて済むんじゃないですか?」

 

「わざわざ柵を残したのは、事故と断定させる為。だって柵を跨いで落ちたのなら、明らかに他殺、或いは自殺で断定されているハズですよ。自殺に見せかけようにも、遺書だとかの偽造工作が必要になるし、なら『明らかに事故』って現場を作る方が楽かと」

 

「んなっはっはっは! これは驚いた! なかなかキレる方のようですねぇ!」

 

 

 大石は山田の切れ者具合を、愉快そうに思っているようだ。

 だが上田は彼女の推理に、反論を入れる。

 

 

「しかしバーナーで焼き切ると言ったって、時間がかかる。事前に実行するにせよ、客や従業員の目を気にしなきゃならない。それに溶接なんてのをやれば……」

 

 

 上田の言葉を、大石が続けた。

 

 

 

 

 

「──痕跡が残る。残念ながら山田さん、柵には焼き切った痕跡は無かったんですよぉ」

 

「え!? そうなんですか!?」

 

 

 大石は鞄から、柵の一部を取り出す。

 どうやらその、問題の根本を回収した物らしい。

 

 

 彼の言う通りボロボロとなってはいるが、切られたとか溶けただとかの、人の手が加えられた痕跡は見受けられなかった。

 錆びた鉄が、経年劣化でポキリと折れた、と言う風だ。

 

 

「この通りなんです。ほら、まるで虫食いのように崩れてますよねぇ? どうやっても、溶けたようには見えないのです」

 

「そんな……」

 

「しかし山田さんの推理、何もかも外した訳ではなさそうですなぁ?」

 

「へ?」

 

「奇妙な事に、ボロボロになっていたのは、『この破損した柵のみ』だったんですよ!」

 

 

 つまり沙都子の両親は、ピンポイントで根本が経年劣化した柵に寄りかかり、落ちたと。だが、そんな偶然がある訳はない。

 

 

「知人も山田さんと同じく、誰かが何らかの手を加えて破損させたと、睨んでいたんですよ。だから資料を残した」

 

「しかし、圧力と思わしき雰囲気で、捜査は終了……んん? どう言う事なんだ!?」

 

 

 意味が分からず、唸る上田。

 山田は「圧力と思わしき雰囲気」と言う彼の言葉を聞き、自分なりに噛み砕く。

 

 

 

 

「圧力をかけたと言う事は、かなりお金持ちじゃないと────!!」

 

 

 

 

 

 そう言った途端に、彼女は後悔した。

 アッと思った頃には、つい一つの名前が脳裏を過ぎる。

 

 

 

 

 しかし大石は無慈悲にも、その名を口にした。

 

 

 

 

 

 

「……んっふっふっふ! そう。『園崎家』なら、可能ですねぇ?」

 

 

 

 

 

 

 意図を把握し、上田も愕然とした表情で大石を見た。

 いつも見せつけている、貼り付けたようなニヤニヤ笑いを浮かべたまま彼は話し出した。

 

 

「山田さんの言う通り、本当は根本と溶接したのかもしれません……それを、知人が預かり知れない内に、別の物と入れ替えられたとすれば?」

 

「そ、園崎さんとはまだ、断定は出来ませんよ!」

 

「園崎家は鹿骨市のみならず、この県議にも影響力がある。白川署へ口添えする事など、容易いのですよぉ?」

 

「待ってください……!」

 

 

 園崎家ではないと言う反論を入れた者は、上田の方からだった。

 彼は毅然とした態度で、大石に面と向かって言い放つ。

 

 

「確かに北条家は、ダム賛成派だった。反対派の園崎家にとっては、反乱分子。排除する目的があった事は分かります……しかし! 園崎家は北条家に対し、村八分を敷く事で手を打った! ここで殺したりなどすれば、寧ろ疑われるのは自分たちだと、あの人たちが理解していない訳はありません!」

 

 

 あくまで魅音の口から聞いた内容については、隠しておく方針らしい。

 だが大石は、それに気付いているのか否か、矢継ぎ早に反論。

 

 

「いえいえいえ! オヤシロ様の祟りと宣えば、北条家以外に賛成を表明しようとなど思わないハズ。園崎家の動機は反乱分子の排除と共に、村に賛成派が現れない空気を作る事ではないでしょうか?」

 

「だから……二年目、三年目も、同じ時期に起こしたと?」

 

「言うのが酷ですがねぇ……皆が皆、迷信や陰謀論を『違う』と思えるほど、広い視野を持っちゃいない。特に子どもの時から、オヤシロ様と園崎家の恐ろしさを染み込まされた、村人たちなら特に」

 

「しかし……園崎家なら、もっと上手くやるのでは……!?」

 

 

 大石はニヤリと笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「上手くやらないから、皆が怯えているんですよぉ?」

 

 

 

 

 

 

 

 彼の言葉を最後に、上田はとうとう沈黙してしまった。

 これにはやはり上田自身も、園崎の関与を否定し切れない思いがあるからだ。押し黙ってしまった。

 

 

 

 

 

 大石は持っていたタオルで汗を拭う。長い舌戦で、彼自身も消耗していたようだ。

 それから次に、もう一枚の資料を取り出して、山田に渡す。

 

 

「……これは、なんです?」

 

「事件当時に行った、事情聴取の調書ですよ」

 

「事情聴取の……? 誰のですか?」

 

 

 大石はまたニヤリと笑う。

 だがその目は、鋭利で冷たく、厳しいものだった。

 

 

 

 

 

 

「……私が、『犯人ではと睨んでいる方』、なんですがね?」

 

 

 その言葉に驚き、山田と上田は食い入るように、調書に記載された名前を探す。

 探して、探して、紙の上部にやっと見つけた。

 

 

 

 生唾を飲んだのは、夏の暑さで喉が渇いたからではない。

 

 緊張と衝撃、動揺と愕然によるもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

『北条 沙都子』

 

 

 

 

 

 

 

 

 その名を見て、真っ先に声をあげた者は上田。

 怒りと呆れが半分ずつ内包した感情なのか、苦笑いを浮かべていた。

 

 

「ちょっと、刑事さん! 何を言ってるんですか! 沙都子が犯人? ははは……渡す調書を間違えたんじゃないですか?」

 

「いいえ? そもそも事情聴取を受けた関係者は、ご両親と同行されていた沙都子さんだけなんですから」

 

「それは我々も知っています。だからと言って、あいつが人を殺すなんて……それも、自分の肉親を! あり得るハズないでしょう!?」

 

 

 山田はジッと、食い入るように調書を読んでいた。

 その間も、大石と上田の議論は続く。

 

 

「ここから落ちて亡くなられた沙都子さんのお父さんですが、血の繋がった親ではなかった」

 

「母親の再婚相手だとは知ってます。血の繋がりがないから殺したと言うんですか?」

 

「違う違う! 問題は、沙都子さんとそのお父さんの関係が芳しく無かった事ですよ。実はですね、沙都子さんから度々虚偽の虐待報告が署に持ち込まれていましてね」

 

「なに……!?」

 

「おお。ご存知なかったのですか! 沙都子さんとお父さんとの関係が劣悪な事は、署では有名な話でしてねぇ……まぁこの通り、沙都子さんには残念ながら、動機があるんですよ」

 

「動機って……だからって、人を殺す訳が……」

 

 

 途端に上田は、ハッとして黙ってしまった。

 

 

 

 雛見沢症候群の名と、梨花から聞かされた症状の話が浮かんだからだ。

 もしかしたならと、可能性を疑ってしまった。

 

 

 

 すぐに考えを振り払い、また大石に檄を飛ばす。

 

 

「……じゃあ、おかしいじゃないですか! あなたの推理を信じるなら、沙都子が起こした事件を、園崎家が警察に圧力をかけてまで終わらせたんですよね? なぜ北条家を、園崎が庇うんですか!? 矛盾だッ!」

 

「自ら手を汚したくない園崎家が、沙都子さんを誑かしたとかでしょうかねぇ? 圧力があった事は確かなので、関わりがあったと捉えているんですが」

 

「ハッ! な、なんだ! 結局、憶測の域じゃないですか! 無理があるんですよ、その推理には!」

 

 

 あれほど饒舌だった大石が黙る。

 さては論破された為に降参したのかと、上田はしてやったり顔を浮かべた。

 

 

 だが、さっきからのニヤニヤ笑いが変わらない。

 何かを待っているかのように、黙っていた。

 

 

 

 

 

 

「……上田さん」

 

 

 そしてその時が来た。

 山田が調書を読んだ後、口を挟んだ。

 

 

「……沙都子さんは事件当時、車の中で寝ていたみたいですよ。だから展望台へは、ご両親だけが行った……とあります」

 

「ほら大石さん! 沙都子には無理なんですよ!」

 

 

 勝ち誇った上田の確信は、次の山田の言葉で打ち砕かれる事となる。

 

 

 

 

 

「でも、『ご両親が崖から落ちた』って、言ってるんです」

 

 

 

 

 彼女の言葉を待っていたと言わんばかりに、大石は口角をにんまりと釣り上げた。

 

 一瞬、山田の言っている事を理解出来ず、上田は「なに?」と聞き返す。

 

 

「沙都子さんはずっと車の中にいたって言っていたのに、ご両親が崖から落ちた事を把握していた……これ、おかしくないですか?」

 

「ち……駐車場から、見えたとか?」

 

 

 展望台を見渡した後に、上田は絶望する事となる。

 

 

 どうやっても、駐車場からこの場所は伺えない。

 それは実際に、ここにいるからこそ分かる事だろう。

 

 

 

 

「じゃあ、つまり……」

 

「山田……おい……」

 

 

「沙都子さんは……」

 

「……山田……もう良い……」

 

 

 

 

「現場にいたって、事で」

 

「やめろッ!!」

 

 

 つらつらと推理を述べる彼女に、とうとう上田が怒鳴りつける。

 驚いた山田は目を見開き、オオアリクイの威嚇をした。

 

 

「う……上田さん?」

 

「……! すまない……」

 

 

 謝罪し、気まずそうに目を背ける。

 空気が重くなり、二人が声をかけづらくなったところで、大石はやっと喋り始めた。

 

 

 

 

「……んまぁ、上田先生の仰る通り、私の話は憶測の域ですよぉ」

 

 

 前置きをした上で「しかし」と、語気を強めて続きを言う。

 

 

 

 

「沙都子さんが嘘を吐いていた事、捜査に圧力があった事。その二点の事実を、見過ごす訳にはいかないんです」

 

 

 そう話す彼の表情は冷たく、目ばかりが燃えるような執念で鈍く輝いていた。

 こうなってはもう、どうにも反論が出来なくなった上田。調書を渡された時点で、それが大石にとっての強い確信ではないかと思えなかった自分を恥じる。

 

 

 なぜ沙都子は嘘を。なぜ両親を。なぜ、なぜと、疑問ばかりが頭を埋め尽くす。

 

 

 

 沈黙してしまった上田。しかし勝ち誇った様子の大石へ、山田だけは話しかけた。

 

 

「大石さん」

 

「ん? どうしました?」

 

 

 

 

 

「誰か殺されたりしました?」

 

 

 

 文脈を完全に無視した、あまりにも唐突な彼女の質問。

 

 途端に今度は彼が目を見開き、固まった。

 調書から大石へと顔を上げた彼女の目は、訝しむように鋭い。

 

 

「……山田?」

 

「……窓から鑓に、一体何を言い出すんですか、山田さん」

 

「被るんですよ、あなた」

 

「どなたに?」

 

「……詩音さんに」

 

 

 不意に、初めて詩音と会った時の事を思いました。

 眩い夏の陽光が照る、穏やかな教室内でコインマジックを教えてあげた。

 

 詩音は言った。「山田さんとは波長が合う」と。

 

 

「詩音さん……あー! 園崎姉妹の片割れですねぇ? 私が詩音さんにですか?」

 

「詩音さんは今でも、悟史さんを探しています」

 

「確かに私も犯人探しはしていますがねぇ? 仕事なものですから」

 

「管轄外の、それも終わった事件まで追うなんて、明らかに普通じゃないですよ」

 

「………………」

 

 

 次に、園崎邸での夜に出会った茜の話が想起される。

 夜風が涼しい静かな縁側で、山田に突き付けられた彼女の言葉。

 

 茜は言った。「ずっと誰かを探し続けて、手当たり次第に疑っている」と。

 そこがまた、詩音と似ていると。

 

 

 

 山田にはどうしても、茜のこの言葉こそ大石の全てではないかと、思い始めていた。

 

 

 

 

 

「……詩音さんと同じ、強い執念があなたにはあります。それはどこから来ているんですか?」

 

 

 詩音だけではない、自分もそうだ。

 今でも父の面影と、真相を追っている。

 

 大石の執念の正体は、薄々気付いてはいた。

 

 

 

「………………」

 

 

 じっと彼女の顔を見つめ、黙る。

 ロマンスグレーの髪が揺れる度に、噤んだ口が歪む。

 

 

 追い詰めるような山田と上田の目線を受け、まずは息を大きく吐いた。

 

 

「……山田さん。あなたこそ、何者なんですか?」

 

「売れっ子マジシャンです」

 

「嘘を吐くな」

 

 

 上田からツッコミが入る。

 しかし表情は真剣だ。大石は暫し考え込んだ後、厳しい表情のまま二、三度頷いた。

 

 

「……一つ聞きますよ」

 

「……はい」

 

「今年の鬼隠しについて、あなたぁ〜……何か、知ってるんじゃないですか?」

 

 

 毅然とした態度で、山田は彼の質問を突き返す。

 

 

「まずはそっちが教えてくださいよ」

 

「こうして、資料を持って来て差し上げたではないですかぁ」

 

「いやこんなのなくても、別に参考になりませんでしたし?」

 

「駄々っ子か!」

 

 

 煩わしそうに頭を掻き、次には諦めたように目を閉じて天を仰ぐ。

 

 

「……分かりました。丁度ここから近いので、そこに向かいましょうか」

 

「向かうって……どこにです?」

 

 

 上田の質問には、口元だけの笑みで返す。

 山田が持っていた調書を取ると鞄に戻し、二人の間を通って展望台を後にしようとする。

 

 

「ちょっと、刑事さん!」

 

「付いて来てください、お二人方」

 

「だからどこに……」

 

「あぁ、あぁ! それと一つ!」

 

 

 人差し指をピンと上げるわざとらしい仕草の後、彼は一度踵を返す。

 

 

「あなた方は鬼隠しを、興味以外の感情で探っている……まぁそれは今朝会った時に気付いてはいましたが、先ほどの上田先生の様子で確信しましたよ。あなた方は子どもたちへの情で、動いていると!」

 

 

 気まずそうに顔を逸らす上田。

 大石は続ける。

 

 

「そして山田さん!」

 

「……!」

 

「あなたはとても強い正義感をお持ちのようですねぇ。事実と、情を、切り離せる方だ。先ほどのように、合理的に事実を求めるその姿勢には正直、感服しましたよ!」

 

 

 それは上田と違い、沙都子の証言による違和感を淡々と述べた事を、確認した上での評価だろう。

 だがいざ突き付けられれば、ずきりと心が痛む。

 

 

 

 

「あなたなら、どんな残酷な事実さえも暴ける。私はそこに、賭けたいと思っとるんですよ」

 

 

 またくるりと振り返ると、「駐車場で待っています!」とだけ言い残し、階段を一人降って行った。

 膨よかな彼の大きな背は、なぜか小さく、疲れ果てているように幻視してしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次第に見えなくなり、頭頂部が消えた頃になってやっと二人は同時に息を吐く。

 緊張で呼吸が止まっていたようだ。

 

 

「なんだあのじーさん!? 昭和の刑事ってこうも、ネチネチなのか!?」

 

「伊黒小芭内もビックリなネチネチ具合……! 完全に私たちを試す気で連れて来られましたよアレ……!」

 

「あぁ……! 小芭内伊黒もビックリだ……!

 

「はい……ん? ん? え? 伊黒と小芭内どっちが名前でしたっけ?」

 

「乗せたつもりが、実は乗せられていたって訳か……次郎上田、屈辱ッ!!」

 

「逆になってる!」

 

 

 悔しがり、地団駄踏む上田。

 一頻り動いてから、怒気を滲ませた口調で歩き出した。

 

 

「次は絶対に、クールに対処してやるッ! 東京科技大のもうすぐ名誉教授は、狼狽えないッ!!」

 

「上田さん! あの!」

 

 

 

 

 大石に続いて階段を降りようとするが、山田に呼び止められる。

 

 振り返った先にいる彼女の姿は、とてもバツの悪そうな様子だった。

 

 

「その……さっきは、すいませんでした。上田さんの事を考えずに、グダグダと……」

 

「………………」

 

「……沙都子さんが、そんな事する訳ないですよね」

 

「………………」

 

 

 返す言葉を見失い、上田は閉口して目を泳がせるだけ。

 とうとう何も言わず、彼女を置いて先に行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 この日もやはり、綺麗な夏空だ。

 山の向こうには雄々しく堂々と立つ、絹のように美しく白い、白い、入道雲。

 

 だがその内と真下は、荒れた雷雨なんだと。

 

 

 

 

「いたっ!」

 

 

 鋭い頭痛が襲って来た。

 同時にまた、思い出したくなかった記憶が蘇る。

 

 

 

 

「あなたの求めている真実が──必ずしも白く、正しいとは限らない」

 

 

 

 記憶の中の女は、机に置いていたグラスを取る。

 淹れられていた牛乳を一気に飲み干し、空になったそれを元の場所に置いた。

 

 

 

 

 

 

「ごちそうさま」

 

 

 

 勝ち誇った顔とその一言が、焼き付いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う……っ」

 

 

 ハッと我に返ると、そこは変わらず展望台の中。

 

 

「…………また、思い出した……?」

 

 

 喪失した記憶をまた一つ、取り戻した。

 しかし気分の良い記憶ではない。思い出せて嬉しいものでもない。

 

 

 

 まるで、今の大石に突き付けられた話に対する啓示のように、その記憶は帰って来た。

 嫌な予感と気分が、胸中に満ちる。

 

 

 

 垂れた汗を拭う。暑さによる汗と、冷や汗が混じっているように思えた。

 それからやっと、山田は歩き出せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駐車場に戻る。

 下で待っていると言っていた矢部と石原は、なぜかいなかった。

 

 キョロキョロと山田は見渡してみるも、人影なし。

 

 

「あれ? 矢部さんたちいないですよ?」

 

「私が来た頃にはいませんでしたな……まぁまぁ、私の車で行きましょう」

 

「じゃあ何か、矢部さんたちに書き置きでもしておきましょう」

 

 

 上田はそう言って自身の手帳を一枚破り、何かを書く。

 

 

 

 書き置きを残したところで、山田と上田は大石のパトカーに乗り、白川公園を後にする。

 途中見た丸太の看板を、また上田は眺めた。

 

 

 

 

 

 

『エロいな このすば このすばエロナ』

 

「変わってる……!?」

 

 

 看板を通り過ぎれば、もう公園の外。

 山田は彼にこっそり聞く。

 

 

「と言うかあの、上田さん」

 

「なんだ?」

 

「……なんであんな、書き置き残したんですか?」

 

「フッ。むしゃくしゃしてやった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、矢部と石原は駐車場に戻っていた。

 異様に頭髪を撫で付けながら、一安心と言った様子。

 

 

「あぶなぁ〜! アナザーだったら死んでたでぇ」

 

「アナザーじゃなくて良かったのぉ!」

 

「ちゅーか、オォ? 先生まだ戻っとらんやんけ?」

 

 

 一頻り辺りを眺めた後、乗って来たパトカーのワイパーにメモ紙が挟まっている事に気付く。

 

 

「なんやコレ? 何か書いてあんな?」

 

 

 パッと手に取り、書かれている内容を読む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ズレろズレろズレろズレろ

 ズレろズレろズレろズレろ

 ズレろズレろズレろズレろ

 ズレろズレろレズれろれろ

 ズレろズレろズレろズレろ

 

 

「キャァーーーーーーーーーーッ!!!!!!」

 

「アナザーだったーーッ!!」

 

 

 矢部の甲高い悲鳴が、公園の隅々まで響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 車で走り、二十分ほどの場所。

 辿り着いたその場所を見て上田は、まずは驚きの声をあげた。

 

 

「ここは……」

 

 

 興宮に戻ったかと思えば、車は町外れの墓所に停まった。

 山の中腹にある、蝉の声を抜けば街の喧騒も届かない土地だ。

 

 

「……来ると分かってりゃ、花でも買うべきでしたけどねぇ」

 

「刑事さん……あなた……」

 

「ほらほら。付いて来てください」

 

 

 案内されるがままに、二人は墓所に足を踏み入れる。

 門を潜り、立ち並ぶ墓石を間を進み、奥の方へと歩く。

 

 時折、参拝者とすれ違う。桶に水を汲みに行く人も。

 厳かで、穏やかな、墓所特有の空気が流れている。

 

 

 

 

「付きましたよ」

 

 

 彼が立つは、一つの墓の前。

 まず手を合わせて跪き、大石はその墓に眠る人物へ謝罪をする。

 

 

「……おやっさん。折角の天気ですけど、今日はちと、冷やかしに来ました。またちゃんとしてから来直しますんで、堪忍してください」

 

「大石さん……その、お墓の方は……?」

 

 

 山田が質問をすると、大石はのっそりと立ち上がり、背を向けたまま答えた。

 

 

 

 

「……山田さんが仰った、『殺された誰か』ですよ」

 

 

 空を見上げ、意思を固めたように頷いてから、その人物について語り出した。

 

 

「この人は私の友人であり、人生の先輩でもあり、兄貴のようで親父のような人でした。そりゃもう、戦後すぐからの古い付き合いでしたよ」

 

「……刑事、だったんですか?」

 

「いいや、大工でした」

 

 

 やっと彼は、山田らへ向き直った。

 

 

 

 

「……市内の人通りのない路地裏で、割れた瓶何度も突き刺されて……ズタズタにされていました」

 

 

 あまりにも凄惨な光景を想像し、山田と上田は息を呑む。

 

 

「犯人は見つからず、迷宮入り。おかしい事件でしたよ……あれだけの殺し方なら返り血も尋常ではないハズ……深夜とは言え目撃者がいても良いのに、一向に情報がない。指紋も採ったのに、該当者はなし。下足痕も途中で消失。犯人は煙のように現れ、煙みたいに消えたんですよ」

 

「………………」

 

「私はこの事件の犯人が、鬼隠しの犯人かもしくは近しい者かと考えているんです」

 

「鬼隠しの事件で、そんな事件は聞かなかったんですが……」

 

 

 上田の尤もな質問に、大石はゆったりとした口調で答える。

 

 

「そりゃあ、北条夫婦の転落事故の前年で、それも秋に起きた事件でしたからねぇ。死者はいるが、行方不明者はいないもんですから、鬼隠しの一つにされとらんのですよ」

 

「なのに、どうして…………犯人が分からず、殺され方が残忍だったから?」

 

「それもありますがねぇ。実はこの人……」

 

 

 一際大きな風が吹く。

 どこかの墓で焚いている線香の香りが、鼻を撫でた。

 

 まるで警告するかのような、風。

 

 

 

 

 

 

 

「現場監督だったんですよ。ダムの」

 

 

 

 

 暑さを無視するような寒気が、腹の底が脳まで迫り上がる。

 山田と上田は一斉に、鳥肌を立てた。

 

 

 

「ダム戦争が特に激化した時期。現場監督だった彼は、村の住人たちと何度も衝突しとりました。勿論、園崎家とも」

 

「そんな……!!」

 

「彼が死んだ翌年から、ダム建設に対し肯定的だった北条家と古手家の人間が殺される、鬼隠しが毎年発生。紐付ける条件には、十分でしょう?」

 

「だからあなたは、鬼隠しを……?」

 

「おやっさんの事件は今も解決していないどころか……進展が完全に止まった状況。関連性が疑われる、この連続怪死事件を追うしか、もう証拠は得られない」

 

「………………」

 

「時期と条件が違うとは言え、鬼隠しが起こる前年にダム建設の関係者が殺されるったぁ、偶然ではない。そう考え、捜査を続けてました」

 

 

 大石は握り拳を作り、ぎりぎりと力を込める。

 その目と口元は、憎悪に歪められていた。

 

 

 

「鬼隠しの黒幕は、間違いなくおやっさんを殺した犯人だ……そしてその黒幕は警察にも干渉可能な、強い組織力のある人物」

 

「……だから、園崎家しかいないと」

 

 

 山田がそう続けると、大石は自身を落ち着かせるように深呼吸をした。

 拳を緩め、弱々しい笑みを二人に見せる。

 

 

 

 

「これが、私の執念の元ですよ。山田さん」

 

「………………」

 

「お約束ですよ。さぁ、持っている情報を教えてください」

 

 

 山田は一度逡巡した後に、梨花から得た情報を言う。

 上田も仕方がないと踏んだようで、止めるような事はしなかった。

 

 

 何よりも、ここまで事情を晒してくれた彼の覚悟を、無碍には出来なかった。

 

 

「……鷹野さんと、富竹さんが、今年の鬼隠しの犠牲者になるかもしれません」

 

「なに? その情報筋は一体……」

 

 

 梨花の予言だと言っても仕方がないので、何とか説得力のある理由を述べる。

 

 

「ええと……あの二人、結構村の暗黒史みたいのに調べてるっぽいので……もしかしたら目障りに思われている……かも?」

 

 

 釈然としない様子で、やや不満そうに首を傾げる大石だが、それでも最後に首は縦に振ってくれた。

 

 

「……まぁ、良いでしょう。少し期待した情報とは違いましたが……それくらいでしたら」

 

 

 これで二人はもう大丈夫だろうと、山田と上田は胸を撫で下ろした。

 チラリと腕時計を見る。随分長い時間を過ごしてしまった。

 

 

 

「もうこんな時間か……そろそろ、雛見沢村に戻りましょう」

 

「えぇ、そうですなぁ……あぁ、そうそう!」

 

 

 もう一度大石は山田の方を向く。

 

 

「今の話はまぁ、ちょっと拍子抜けしちゃいましたが、山田さんの頭のキレは正直、期待していますよ!」

 

 

 これほど褒められても嬉しくない事だってあるのかと、山田は痛感する。そろほどまでにこの大石と言う男は、油断出来ないからだ。

 

 

 

 

 上田は先にパトカーの方を行き、大石はまた墓の方へ向き、手を合わせて頭を下げた。

 お参りが終わった途端、ぽつりと呟く。

 

「……今日はまだ来てはいませんか……」

 

「来て……? 誰がです?」

 

 

 大石は墓石の両端にある花立てを示し、山田に訳を話した。

 

 

「毎年二回、墓参りには来るんですがね。命日と……鬼隠しの犯人を挙げる意思表示の為に、綿流しの日と」

 

「はあ……?」

 

「その、綿流しの日に来た時にいつも飾られているんです。毎年毎年……」

 

 

 花立ての上を手で撫でながら、少し寂しそうな顔で微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「見事な、青い紫陽花ですよ。おやっさんのご家族は亡くなっていますから、一体誰なのか……」

 

 

 

 

 

 それだけ言い残した後、大石はやっと墓から背を向ける。

 山田は静かに、花立てと墓石を、見つめていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

短兵急

業の完結編、「ひぐらしの鳴く頃に 卒」が放送決定。
どうなる沙都子。どうなる梨花。七月の、ひぐらしの鳴く頃まで待ちましょう。


 あの日は晴れたお昼頃。

 

 外は暑かったが、六月ではまだ涼しい方だった。

 

 車に揺られて、少し微睡む。

 

 うつらうつらと、船を漕ぐ。

 

 

 コンコンと、音が鳴った。

 

 目を向けると、車の外に母親がいた。

 

 

 窓を叩いて、呼んでいる。

 

 鍵が閉まっていたようだ。

 

 開けてあげようと、目を擦りながら手を上げた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぁ?」

 

 

 沙都子は机の上で、微睡みから覚める。

 ハッとして前を見ると知恵先生が授業を進めていて、クラスメートたちは板書に勤しんでいた。

 

 

 

「……いけませんわ。梨花の為にもノートは写さなくちゃ……」

 

 

 大急ぎで手放していた鉛筆を取る。

 ほんの少しの居眠りで、頭は冴えていた。ノートに目線を向ける。

 

 

 鉛筆を立て、黒鉛を紙に当てた。

 

 

 書こうと指を動かした時に、ふと夢の中の出来事を思い出そうとして止める。

 

 だがどう言う訳か、もう忘れてしまっていた。

 

 

 

 気にせずまた、書き始める。

 どうせ何でもない夢だったのだろうと、納得させた。

 

 

 

 

 

 

 強い、違和感を残しながらも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時は少し戻り、古手神社での出来事。

 梨花が呼び出した入江は、死にそうな顔で居間に到着する。

 

 

 卓上には、次郎人形と首無しオニ壱が、並んで座っていた。

 それぞれ手に、「卒」と「業」の文字が書かれたボードを持ちながら。

 

 

「ゼェ……ゼェ……! 鳥居の前辺りで意識飛ぶかと思いました……!」

 

「みぃ。草野球チームの監督なのですから、もっと体力付けた方が良いのです」

 

「鬼コーチだ……」

 

「それで……話と言うのが──」

 

 

 梨花はまず、上田と山田に雛見沢症候群のあらましを教えた件を正直に伝える。

 分かりきっていた事ではあるが、入江は酷く動揺を見せた。

 

 

「ど、どうし──うぇっふぇッ!! ゼェー、ヒィーッ……!!」

 

「呼吸を整えてから喋るのです」

 

「す、すいません……ふぅ……雛見沢症候群の研究は、極秘中の極秘……第三者が知ったとなれば、大問題なんですよ!?」

 

「それは勿論、知っているのです」

 

「と言うより……どうして山田さんと上田教授に……!? もしかして……」

 

 

 入江が言い切る前に、梨花は首を振って否定。

 

 

「『組織』とは関係はないのです」

 

「なら、殊更どうして……」

 

「入江。これから言う事は、絶対に誰にも言っちゃいけないのです」

 

「……え?」

 

 

 次に伝えた事は、今年の鬼隠しは鷹野と富竹が遭う事と、その後に自分が殺される事だ。

 それらを回避する為に、上田と山田を引き込んだとも理由を説明した。

 

 

 言ったところで、信じてくれる内容ではないが。

 

 

「鷹野さんと、富竹さんが……お、鬼隠し、に?……それに、梨花さんが……?」

 

「………………」

 

 

 入江は一瞬だけ目を逸らした後に、神妙な顔付きで向き直る。

 

 

「まさか……そんな事、ありえません……」

 

「……ボクもありえないとは思うのです。でも、そんな気がしますです」

 

「……梨花さんの勘の鋭さは、良く知ってはいます。それで助けられた御恩もあります……」

 

 

 

 

 そう前置きした上で「しかし」と、一言入れてから反論した。

 

 

「……あまりにも不確定的です。それに鷹野さんには梨花さん同様、護衛も付けられています。それらを掻い潜って殺害するとは、難しいかと……」

 

「ならせめて、その警護を綿流しの日だけでも厚くしてあげて欲しいのです」

 

「それぐらいでしたら……でもそれ程の事なら、私に言えば良かったのでは……? その、山田さんと上田さんを巻き込んだ事に納得が行きません」

 

「もしかしたら、護衛だけでは足りないかもしれないのです」

 

 

 梨花のその宣言に対し、入江は懐疑的な目で以て迎える。

 犯人探し含めて、こちらに打診すれば良かったのではと言いたげだ。

 

 

 矢継ぎ早に梨花は、山田と上田を引き込んだ理由を話す。

 勿論、二人が未来人だと言う話はしないが。

 

 

「これから起こる事は恐らく……ボクたちでさえ見落としているところから来ているのです。もしかしたら、これまでの鬼隠しにはまだ『秘密』があるかもしれないのです」

 

「秘密……です、か……?」

 

「あの二人は組織や村の(しがらみ)に囚われず、自由に解き明かしてくれる力があるのです。それは入江も、知っているハズなのです」

 

「………………」

 

 

 上田は、戻って来た鉄平から沙都子を救ってくれた。

 噂に聞けば二人で協力し、園崎家から盗まれた三億円を取り返したとも聞く。

 行方不明だったレナを探し当てたとも聞いた。

 

 

 この数日に於ける、山田と上田の活躍は驚異的なものだ。

 正直本当にマジシャンと大学教授なのかとも疑ってしまうほど。

 

 

 

 梨花が信頼するのも無理はないかとは、入江は思った。

 だがそれでも、解せない点はある。

 

 

「……しかし、梨花さんの話はあくまで仮定。確証は、あるのですか?」

 

「ないのです」

 

 

 どうせ言っても信じないと、真意を隠した上でキッパリ告げた。

 入江はやや拍子抜けしたように目を丸くする。

 

 

「……言っちゃなんですが、良く上田教授も山田さんも協力してくださりましたね……」

 

「……あの二人の、ちょっとした秘密をつついただけなのです」

 

「ちょっとした秘密?」

 

 

 未来人の件だが、言える訳もないので「本当にちょっとした秘密」とはぐらかす。

 

 思えばこの点だけで二人を無理矢理納得させたが、山田らから疑いの念を拭えなかった。

 協力者は得ているようで、実はまだ自分は一人なのかもしれないと、梨花は多少なりとも焦っていた。

 

 

 

 

 

「……入江」

 

 

 入江に全てを語った事は、そう言った焦りが生んだものだろう。

 梨花なりにそう自覚してはいた。

 それでも引き下がる気にはなれない。梨花はありったけを賭けるつもりでいた。

 

 

 

「信じてくれないのなら、それでも良いのです」

 

「そ、その……確かに信じられない事とは思いますが、信じないとは……」

 

「研究の邪魔はさせない……せめて、山田と上田には協力してあげて欲しいのです。雛見沢症候群の事、組織の事……」

 

 

 惨劇を止める為なら何だってやってみせる。

 その為には、薬だけではない。毒さえも使わねば。

 

 

「もうお二人に知らせてしまったのなら……言い方は悪いですけど、緘口の為にも話す必要はありますね」

 

「事前に知らせなかったのは、ごめんなさいなのです」

 

 

 謝罪したその後に、キッとした目で入江を見据える。

 

 

 

 

「……でも。入江も、ボクに知らせてない事があるハズなのです」

 

「……へ?」

 

 

 心なしか雰囲気の変わった。

 時折伺える彼女のその一面には、入江も驚かされている。

 

 だが今回は一段と、神妙で本気だ。

 年不相応な気迫に当てられ、緊張から思わず生唾を飲む。

 

 

 

 

 

「……『集団発症』が起きたら、次はどうなるのですか?」

 

 

 

 

 梨花から問われた質疑は、彼を心の底から動転させるに十分な威力があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ルーキーズ 卒業』

 

 

 そう書かれた旗を掲げ、熱射の下で走り込みをする男たち。

 

 

「夢にときめけーッ! 明日にきらめけーッ!」

 

「夢が俺たちを強くしたーッ!」

 

「わたるがぴゅーーんッ!」

 

「誰が俺を満たしてくれるんだーッ!」

 

 

 高校球児っぽい男たちを尻目に山田らは興宮署に戻った。

 車から降りると、大石はすぐに別れようとする。

 

 

「それではお二人さん、私はこれにて!」

 

「あの、大石さん!」

 

 

 上田は急いで呼び止め、車内で再三に渡って言いつけたお願いを、念押しで口にする。

 

 

「当日、せめて鷹野さんと富竹さんの!」

 

「分かっていますとも! 当日は私らも祭りの警護をしますんで大丈夫です! では、綿流しで会いましょうか!」

 

 

 鷹野たちの護衛を約束した後、大石はニッコリ笑顔で立ち去った。

 

 残された上田と山田。目を合わせ、これからどうするかを相談。

 

 

「……今、何時ですか?」

 

「今か? 俺のこの、三万もするクォーツ時計によると……もう十一時か」

 

「どうします? 村に戻りますか?」

 

「まぁ、なんだ。飯でも食いに行こうじゃないか。俺たちにはまだ、九十万円も手元にある!」

 

「天ぷら食おう天ぷら! スイカ食いながら天ぷら食うぞ!」

 

「古来から伝わる最悪の食い合わせだぞ」

 

 

 市内で飯屋でも探しに行こうかと歩く。

 途端、山田は昨夜の事を思い出し、立ち止まる。

 

 

「どうした?」

 

「……折角、近くまで来たんですし……病院にいるレナさんも誘います?」

 

 

 父親の死後より、レナは病院で一夜を明かしたらしい。

 どうせならと言う山田の提案だが、上田は乗り気ではなさそうだ。

 

 

「今はそっとしてやるのが良くないか?」

 

「そうですか?」

 

「昨夜の時点でも、水すら喉を通らなかったほどだったろ……せめて、今日一日は整理をつけさせるべきだ」

 

 

 これは上田自身も経験した事だ。

 山田には話していないが、彼女が死んだと思った日から数ヶ月は強い喪失感に苛まれた。おかげで研究も講義も手につかなかった有り様だった。

 

 

 レナに上田は、その頃の自分を重ねているようだ。

 

 

「まぁ……明日一度、訪ねようではないか。その時に寿司でも餃子でも、ありったけ奢ってやろう」

 

「やった!」

 

「お前にじゃないッ!」

 

 

 再度二人は歩き出す。

 どこか美味い店があれば良いなと考えていた。

 

 

 

 

 そんな二人を呼び止める声。

 

 

「おぉ!? う、上田先生ではありませんか!?」

 

 

 振り返るとそこには、見覚えがあり尚且つ懐かしい顔の人物が、署内から出て来た。

 かつて山田らと事件を共にしていた矢部の元部下、菊池だ。

 

 

「あ、あなたは!? 確か、矢部さんの部下だった……!」

 

「矢部の部下全員集合なんだな……」

 

「失礼なッ!? 今は僕があいつの上司ですッ!!」

 

 

 高らかにそう主張すると、彼は手を差し出して握手を求めた。

 山田がその手を握ろうとするものの躱され、菊池は上田の手を掴む。

 

 

「お会いしたかったですよ上田教授! いやぁ、思い出されますねぇ! 我々が解決しまくった事件の数々を!」

 

「おい私は」

 

「ゆっくり旧交を暖めたいところですが、なにぶん僕も忙しい身で……」

 

「アウトオブガンチューかっ!」

 

 

 対する上田も悪い気はしておらず、寧ろ調子に乗っていた。

 

 

「えぇ、えぇ! 懐かしい……! 私が解決した、事件の数々……また語らいたいものです」

 

「殆ど私が解決したようなもんだろっ!」

 

「ともあれ上田教授! 今や同じ時代に飛ばされた身……お互い、協力して行こうではありませんかッ!」

 

 

 そう言って早々に立ち去ろうとする菊池。

 無視されて不貞腐れていた山田だが、「あ、そうだ」と聞きたかった事を菊池に聞く。

 

 

「あの、菊池さんでしたっけ?」

 

「なんだね?」

 

「うわ態度デカ……雛見沢大災害の時に、殺されたのは古手梨花さんで、合っていますか?」

 

 

 即座に置いていたパッドを開き、事件の資料を確認してくれた。

 

 

「その通りだ。古手神社の跡取り娘らしい。お腹を切り裂かれて腸とか引き摺り出された状態で、賽銭箱の中に捨てられてたみたいで!」

 

 

 想像するだけでも無惨な光景と言うのに、菊池はめちゃくちゃ嬉しそうだ。対して上田は、不機嫌そうに顔を顰めている。

 

 とりあえず梨花が殺される事は確定事項らしい。ならばと、山田は続ける。

 

 

「では、今年の綿流しの日に死ぬのは……富竹さんと鷹野さんだったりしません?」

 

 

 すぐに確認する菊池。

 資料を確認した彼は、驚いた目で山田を見た。

 

 

「……その通り……! なぜ知ってる!? まさか犯人かお前がーッ!?」

 

「なんでそうなる!」

 

「そうなんだろぉ!? 犯人なんだろぉお!?!?」

 

 

 おかしなテンションになった菊池を、仕方なく上田が窘める。

 

 

「落ち着いてくださいよ菊池さん」

 

「はい」

 

「うわぁ! いきなり落ち着くなぁ!?」

 

 

 不気味がる山田。

 冷静さを取り戻したタイミングで、山田は矢部から聞いたと言う事にして理由を付けた。

 

 

「確かに今年の綿流しで死ぬのは、その二人。鷹野三四はドラム缶に詰められて焼かれ、富竹ジロウは首を掻きむしって自殺! 是非見てみたいですねぇ!」

 

「こいつ止める気ないだろ」

 

 

 確認が出来た事は、梨花の予言は的中すると言う事。

 尚更、古手梨花の存在が謎になるが、その疑問はここで考えても仕方がない件なので置いておく。

 

 

「……分かりました。色々教えてくださって、ありがとうございます」

 

「私からも感謝しますよぉ、菊池さん!」

 

「勿体ないお言葉です上田教授!」

 

「やっぱりアウトオブガンチューか!」

 

 

 もう用は済んだと悟り、その場を去ろうとする二人。

 それを菊池は呼び止め、忠告を入れる。

 

 

「あー、上田教授!」

 

「はい?」

 

「だから私もいるっつの!」

 

「本来ならば、竜宮礼奈は学校に籠城し、雨樋に詰めたガソリンに引火させて未曾有の爆破事件を起こしていたハズです」

 

 

 矢部が校庭で話していた内容だ。

 本来の時間軸ならばそんな悲劇が起きていたのかと、肝を冷やす。

 

 

「この事件で園崎魅音は死に、大石警部補は懲戒免職を受けていた。大災害を受けて園崎家は没落し、園崎詩音のみが生き残っている」

 

「詩音さん生きていたんですか?」

 

「今は珈琲店のオーナーだ。まぁ、それは良い!」

 

 

 これが未来での確定事項だと説明した上で、菊池は困り顔で述べる。

 

 

「だが……起きなかった!」

 

「それは我々が阻止したからでは?」

 

「そうでもあるが……だからこそ、僕は恐れているんです!」

 

「と言うと?」

 

 

 彼が危惧していると言う事を話す。

 その内容は、未来を知っていると安心している二人に強い不安を与えた。

 

 

 

 

 

 

「竜宮礼奈は学校を占領しなかった。だが、我々がこの時代に介入したからこそ……異変が起きている」

 

「異変……?」

 

「それが良い結果に転べば良いが……最悪の場合。我々の介入によって、我々の知る未来の出来事が変容するかもしれない。この、竜宮礼奈の件と同じように……!」

 

 

 もう一度二人を、あの爛々とした目で見据える。

 

 

 

 

「あまり、真相に踏み込めば……これから起こる未来は予想出来ないものとなる。ご注意を……」

 

 

 相手の名前を言って、話を終えた。

 

 

 

 

「……上田教授」

 

「だから私はっての!」

 

 

 介入により未来は変わる。

 それが惨劇を止めるのか、それとも別の形に変容するのか。

 

 

 杞憂に終われば良いが。

 そう願いつつ、二人は鑑識を出て、そのまま署を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 木々のざわめきと蝉の声が、暑い空気を揺らしている。

 道路に映った木の影は、風に合わせて左右に踊る。

 

 

 陽射しを避ける為、休む為に、圭一は停留所に座っていた。

 

 差し入れが入った鞄を肩に掛け、古い新聞紙に包まれた花束を両手に抱えている。

 これから病院へ行き、レナに会う予定だ。

 

 

 時刻はもう昼過ぎ。

 明後日に控える綿流しの準備で教員も駆り出される為、今日は午前授業だ。

 

 

 

 

「あー……あっつ……」

 

 

 影の下にいるとは言え、茹だる暑さからは逃れられまい。

 滲む汗を拭い、死にそうな表情でベンチにもたれていた。

 

 

「バスあと十分かよ……ちくしょー……自転車で行きゃ良かったなぁ、やっぱ……」

 

 

 バスと電車は遅れる事はあれど、早く来る事はない。

 もう来るだろうかと言う淡い期待は早々に捨て、黙しつ座して待つ。

 

 

 

 何度も何度もバスストップの時刻表を確認。

 そこに並ぶ数列を眺めては、ふと思い出す。

 

 

「………………」

 

 

 想起されるは、先週の出来事。

 レナが考案したお宝探しゲームの、暗号だ。

 

 

「……て、い、り、ゆ、う、し、よ」

 

 

 やる事もなく、退屈に待つのは彼の性格ではない。

 ふらっと立ち上がり、待合小屋の後ろに行く。

 

 確かここに、レナのお宝が隠されてあった。

 

 

 ボロボロの、星泉のピンナップポスター。

 見つけた景品として、魅音とジャンケンの末に圭一の手に渡った。今は自室に置いてある。

 

 

「……持って来てやったら良かったなぁ」

 

 

 少し後悔し、汗で湿った髪を振りながらベンチに戻る。

 

 

 

 

 再びバスストップを見た時、暗号を難なく解いた山田を思い出す。そう言えば彼女と、上田のコンビが来てもう八日。

 

 この一週間は濃密だった。

 普通だったら死んでいたかもしれない局面に遭遇した。

 

 それでも山田と上田、そして部活のメンバーと手を組み、窮地を脱せた。

 特にあの二人には何度も助けられたものだ。

 

 

「……はは。本当に凄い一週間だったな……」

 

 

 しみじみと思い出しては、その濃密さに俯いて苦笑い。

 

 

 

 

 顔を上げた目線の先には、道路。

 嫌な事もついつい、想起してしまう。

 

 

「………………」

 

 

 

 

 浮恵と律子──間宮姉妹の死体だ。

 誰か分からないほどに顔面を刻まれていた浮恵と、恐怖の形相のまま死んでいた律子。圭一であってもあの光景は時折、夢に出て来る。

 

 

 忘れられていたレナの帽子を拾ったのも、ここだ。

 本当にこの場所だけで、良い思い出と最悪の光景が詰まっている。

 

 

 

 

 

 あれこれ考えている内に、遠くから二つの走行音が聞こえた。

 時間はいつの間にか、十分を過ぎていた。やっとバスが来る。

 

 来たのは二台。興宮からのバスと、逆から来たバス。

 

 

「………………」

 

 

 圭一は不穏な思考を振り払う。

 今からレナに会いに行くんだ。辛気臭い顔をしてはならない。

 

 

 差し入れと、古新聞に包んだ花を抱えたまま、首を振って気分を持ち上げる。

「よし」と意気込み、やっとやって来た興宮行きのバスに乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反対側に停まったもう一台のバスから、二人組が降車する。

 山田と上田だ。

 

 反対車線のバスに乗り込んだ圭一に気付く事なく、停留所の前に立つ。

 

 

「あー、食った食った。寿司・アンド・天ぷら・オン・らぁめん……贅沢三昧だー!」

 

「少し腹がキツいなぁ。運動して、晩に備えるかぁ」

 

「これから神社戻るんでしたっけ?」

 

「一旦、梨花と入江先生を交えて……色々聞かないといけない。俺たちに休みはないぞ」

 

「タイムスキャットしてもやる事変わんないですね」

 

「スリットな?」

 

 

 二人の後ろで停車していたバスが、再び動き出す。

 

 

 車内で山田に気付いた圭一が「大哥(タイコウ)ーッ! 山田大哥ーーッ!」と叫んでいた。

 

 

 

 

 

 勿論、その事には一切気付かず、二人は古手神社へ向けて進路を取る。

 

 

 

 

 

 

 

 何とか神社まで戻った二人。階段でまた、上田が転んで滑り落ちた。

 だが出迎えたのは梨花ではなく、学校から帰って来た沙都子だった。

 

 

「あら? お二人ともお出かけでしたの?」

 

「沙都子さん? 学校は?」

 

「今日は午前授業でございましたわ! ラッキー!」

 

 

 何とか階段を這い上がった上田だが、今度は境内にタムロしていた北欧人集団に捕まってしまう。

 

 

「梨花さんはいますか?」

 

「梨花ですか? 診療所に行ったようですわ。書き置きがおありでして」

 

 

 そう言って、梨花の書き置きを山田に見せてあげる。

 

 

 

 

『しんりょうじょ 待つ 梨花』

 

「男らしいな!」

 

 

 背後で北欧人集団にまた熊の着ぐるみを着せられる上田。

 山田は書き置きを読み、とりあえず診療所に行く事に決めた。

 

 

「じゃあ私たち、診療所に行きますね。梨花さんも待ってるみたいですし」

 

「私も同行しますわ! 丁度、監督からのバイトの報告もしなきゃですから!」

 

「バイトの報告?」

 

 

 着ぐるみを着てすぐ、なぜか集団に胴上げされる上田。

 沙都子が入江に協力している件を知らない山田は、彼女に内容を聞いた。

 

 

「アルバイトやってるんですか? メイドさん?」

 

「それはお断りしていますけど。お薬のバイトですわ!」

 

「あ! 知ってます! チカンのバイトって奴ですよね!」

 

治験(ちけん)だぁーッ!!」

 

 

 胴上げされながら、上田が叫んで訂正。

 

 

「監督の作ったビタミン剤を、毎日定期的にお注射しているのですわ」

 

「え……痛くないですか?」

 

「もう慣れたものですわ!」

 

「はぁ、そう言うモンなんですね…………ん?」

 

 

 沙都子がやっている治験のバイトの話を聞き、山田は妙な予感に苛まれた。

 

 入江と言えば、雛見沢症候群を裏で研究している人物。今となっては胡散臭さもある。

 

 そんな人物から治験バイトを引き受けているとあれば、嫌でも勘繰ってしまうだろう。

 

 

「………………」

 

「すぐに支度をいたしますわ。ごめんあそばせ」

 

「……あの!」

 

「はい?」

 

 

 離れようとした沙都子を、思わず呼び止める。

 勘が的中していなければ良いがと、微かに祈った。

 

 

「……変な聞きますけどぉ」

 

「どうされました?」

 

「……こう。ここ最近で、なんかちょっと入院したりとか、具合が悪くなったとかは……なかったですか?」

 

 

 唐突な質問に、沙都子は訝しげに首を傾げる。

 

 

「突然ですわね。いきなりどうなさったのですか、山田さん?」

 

「い、いえ。別に他意とかは……」

 

「んー……この間の……」

 

 

 鉄平の元から離れた後に入院したが、その事は伏せておこうと考え直す。

 

 

「……最近じゃないのですけど、三年前に」

 

「……三年前? つい最近ですね」

 

「山田さん。三年前は、最近とは言わないのですわ」

 

 

 三年前の言葉を聞いた途端に、自分の勘は的中したのだなと悟り、内心で慄いた。

 彼女の様子に気付く素振りを見せず、沙都子は寂しい笑みを浮かべて話す。

 

 

 

 

 

「お父さんとお母さんが事故で亡くなった時に、ショックで倒れてしまいまして……でもそれっきり、病気はしていませんわ!」

 

 

 山田は何も言えずにいた。確信に至ったからだ。

 上田は胴上げされている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『入江診療所』

 

『只今、休憩中』

 

『メイドにエロを求める奴はウマ娘に蹴られて死ねば良い』

 

『奉仕は萌え。エロに有らず』

 

 

 

 そのまま彼女たちは一緒に、入江診療所に到着した。

 熊の着ぐるみを脱ぎ捨てながら怒る上田と共に、扉を開ける。

 

 

「監督ー! 梨花ー! お邪魔しますわよー!」

 

「おジャマトリオー!」

 

 

 待合室ですぐに梨花は見つかった。

 沙都子たちを見てすぐに座っていた椅子から降り、溌剌とした笑顔で駆け寄る。

 

 

「沙都子ー! 今日はお昼までだったのですか?」

 

「えぇ。それより梨花、体調はもう大丈夫なんです?」

 

「ただの寝不足だったのです。グッスリ寝たから、もうへっちゃらなのです!」

 

「寝不足って……はぁ。心配して損しましたわ」

 

「にぱ〜☆」

 

 

 沙都子の前で明るく振る舞う彼女を見れば、今朝の様子とのギャップに驚かされる。

 どっちが素なのか、計り知れない。

 

 

 次いで、沙都子から山田らへ視線を移す。

 一瞬だが、目付きが真剣なものに変わった。

 

 

「……上田! 山田! 入江が会いたいって言っていたのです!」

 

「入江先生が?」

 

 

 上田が聞き返すと、梨花は満面の笑みで頷いた。

 と言う事は本当に、入江と話が付いたのだろう。これで雛見沢症候群の件を纏めて聞ける。

 

 

「監督は奥にいらっしゃいますの?」

 

「みぃ。上田と、変態で難しい話がしたいそうなのです」

 

「変態で難しい話……」

 

「なに言ってんだお前は。沙都子もそんなゴミを見る目で見るんじゃない」

 

 

 梨花はピッと廊下の奥を指差し、誘導する。

 一度二人は見合わせてから、示された方へと歩き出した。

 

 

 それを怪訝な目で見つめる沙都子。

 

 

「何かお二人とも……いつになく神妙なような……」

 

「……お話が終わるまで、ボクとお話しするのです」

 

「ん? んー、良いですことよ?」

 

 

 彼女の注意を逸らした後、もう一度だけ振り返る。

 

 二人の背を見る梨花の表情は、大人びた憂いに満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 奥にある扉を開け、部屋に入る。

 そこは入江の書斎とも言うべき場所だった。

 

 

 主である彼は、壁際にある椅子に座っていた。

 二人の到着に気付くと、サッと立ち上がる。

 

 

「……上田教授。山田さん……」

 

 

 メイド服を着せた人体模型に少し目移りしたが、すぐに彼へ注意を戻した。

 

 

 表情からは、警戒と焦燥が滲んでいる。

 それほど症候群の事は公にしたくなかったのだろう。

 山田と上田は、思わず身構えてしまう。

 

 

「い、入江先生……その、何と言いますか」

 

「いえ……梨花さんから色々と聞いています。別に責めるとか、そう言う意図はないんですが……」

 

「何か、ペンみたいな奴でフラッシュ浴びせて記憶を消されるのかと思いましたよ」

 

「何の話されてるんです山田さん?」

 

 

 

 

 入江が促すままに、二人は用意されていた椅子に座った。

 彼も着席したところで、「どこから話したものか」と戸惑いを見せながら口火を切る。

 

 

「……梨花さんからは、どこまで?」

 

「ははは……そんなに詳しくは聞かされてはいませんよ」

 

「そうだったんですか?」

 

「ただ、雛見沢症候群は脳内に寄生した寄生虫が原因の雛見沢固有の病理で、ストレスにより発症ステージが上がり、人を狂気的な疑心暗鬼にさせ、最悪の場合は首を掻きむしって自殺する。それで鷹野さんと入江先生はその研究の第一人者だと言うところだけしか」

 

「めちゃくちゃガッツリ聞かされていますね」

 

 

 そこまで知られているのなら仕方がないと、入江は溜め息を吐いた後に語り出した。

 

 

「……その通りです。詳細に語るのなら、症状は幾つかの区分に分けられますが……極度の被害妄想に、それに伴う幻覚や幻聴。大まかな症状は、まさしくそれです」

 

「恐ろしい病気だなぁ全く……」

 

「首を掻きむしるって言うのは、どう言うアレなんですかね?」

 

 

 山田の質問にも、入江は分かりやすく言葉を選んで答えてくれた。

 

 

「詳しくは分かってはいないんですが……末期症状に陥ると、リンパ腺の辺りに痒みが生じるようなのです。ただこれも、極度の妄想が生み出したもの……謂わば潔癖症に代表される、強迫観念による症状と見ています」

 

 

 なるほどと唸り、二、三回頷いた後に真面目な顔で山田は入江を見やる。

 

 

「良く分からないですけど、分かりました」

 

「お前もう梨花たちの所に戻れ」

 

 

 学術的な話に付いて行けない様子の山田に、上田は苦言。

 それを「まぁまぁ」と窘めながら、入江は続けた。

 

 

「しかし梨花さんから……まさか、鷹野さんと富竹さん、そしてご自身までもが殺されるとか……」

 

「入江先生は、信じていないんですか?」

 

「いやまぁ……梨花さんの勘の良さは知っています。信じるか信じないかではなく、協力はしようかと」

 

 

 未来を知る二人にとっては、勘が良いどころの問題ではないのだが。最早、未来予知だ。

 とは言え入江に言う訳にもいかない。お互いに一瞥し合うのみで、確認しあった。

 

 

「……それで、お二人に話したい事ですが……その前に二点、お願いしてもよろしいですか?」

 

「お願い?」

 

「えぇ。まず第一に、雛見沢症候群やその他諸々の件は、他言無用に願います」

 

 

 その件に関しては、まず口止めされるだろうなと二人は予想していた。

 確かに、公に広める訳にはいかない。噂話として仄めかすだけでも、レナは発症していた。

 

 人間が誰しも、残酷な事実に耐えられる訳ではない。

 事実が新たな悲劇を生むと言うなら、隠す事も必要だ。

 

 

「お約束しますとも! 私、上田次郎は口が硬い事で有名でしてねぇ!」

 

「私も口硬いですよ。燐葉石ぐらいに」

 

「燐葉石はめちゃくちゃ割れやすい事で有名だぞ」

 

「ははは……本当に喋ったら駄目ですよ。フリじゃないですからね?」

 

 

 穏やかに笑ってみせた入江。

 しかし次の瞬間、暗い影が表情に落ちる。

 

 その変化の訳を聞くより前に、彼は話を続けた。

 

 

「二つ目。これは、僕の個人的なお願いにもなるんですが──」

 

 

 さっきとは違う、弱々しい笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「もう、鬼隠しの再調査はしないでください」




短兵急(たんぺいきゅう) : いきなり攻撃を仕掛ける様。出し抜けに行動を起こす事。

・二◯◯九年公開の劇場版『ルーキーズ』
 興行収入八十億を突破し、ジャンプ連載漫画を原作とした映画作品では『鬼滅の刃 無限列車編』が出るまで最高額だったみたいです(実写化作品としては今も最高額)。
個人的にはデスノートとか銀魂とかだと思っていたんで意外でした。ゴー! ニコ学!

・「ブラックラグーン」をご存知の方なら説明は不要ですが、「大哥」とは中国語で「兄貴」と言う意味です。なんで山田に使うんだよ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

診療所

「俺はやったぜぇぇーーーーッ!! クソヤクザどもぶっ潰してユキオを救ったぞーーッ!! ハイボルテェーージッ!!」

 

 

 診療所の前にいるハゲたおじさんが、アドレナリン全開で園崎邸の方へと駆けて行った。

 

 

 

 

 そんな彼には気付かず、所内では沙都子と梨花が談話をしていた。

 

 沙都子は椅子に座り、宙ぶらりんの足を振り子のように揺らし、色々と話してやる。

 主に梨花がレナに捕まっていた間、行動を共にしていた山田の事だ。

 

 

「山田さんはやっぱり凄いお方ですのよ、梨花! ちょっと現場を見ただけで完璧な推理をしちゃうんですから!」

 

「ジジ抜きで一人勝ちした時から只者じゃないとは思っていたのです」

 

「マジックも出来て、頭もキレッキレで、ちょっと風変わりなところがアレですけど優しい人で!」

 

「ちょっとと言うか、だいぶ変わってるとは思うのです」

 

 

 一頻り話を続ける。

 すると途端に物憂げな表情となり、複雑さを滲ませた微笑みを浮かべた。

 

 

「こうは言っては梨花や皆さんに不謹慎ではありますけど……とても、楽しかったですわ。山田さんと一緒に山の中を歩いたり……」

 

 

 指を折りながら、昨日までの出来事を数える。

 

 

「……山田さんだけではない。魅音さんとも色々と話せましたし、圭一さんやレナさんの事も知れたり……」

 

「………………」

 

「……皆さんがそれぞれの苦しみを持っていて、形は何であれ誰かを思っていらして……やっぱり、皆さんお優しい方ばかりだなって、改めて気付けたり」

 

「………………」

 

 

 レナの起こした凶行は決して認められるものではないし、二度とあってはならない。

 それでも彼女の過去と、事件に至るまでに起きた事象に父親の死を鑑みれば、頭ごなしに責められるものか。

 

 またこの過程を経て、メンバーは更に結束した。

 過去と言うよりも、それぞれの「今」に踏み込めた良い期待にも思えた。

 

 

 暑さ忘れて陰忘る、とも言うべきか。

 惨劇に至らなかった事を「良かった」と安堵するだけで良い。それが彼女たちなりの赦しだ。

 

 

 

 梨花が様々な事を追憶しては思いに耽っていると、沙都子は更に山田の話を続けた。

 

 

「山田さんが記憶喪失だってお話は?」

 

「今朝ちょっと言っていた気がするのです。上田が記憶を取り戻す手伝いをしているとかとか……」

 

「そうそう! 上田先生も態度はアレですけど、お優しい人だとは私も知っておりますから!」

 

「態度はアレ過ぎるのですけど」

 

「上田先生は算数得意そうですし……今日たんまりと出た宿題を手伝って貰います?」

 

「名案なのです。ここに来て上田の有効活用なのです!」

 

「梨花ってば、上田先生に対して腹黒過ぎますですわよ……」

 

 

 そうは言いながら、困り顔で楽しく笑う。

 釣られて梨花もキョトンとした後に、穏やかに笑った。

 

 沙都子は二人の顔を思い出していた。ぶらぶらさせていた足を止める。

 

 

 

 

「本当に不思議なお二人ですわね……」

 

 

 次第に曇る表情。

 分かっている。別れは来るものだ。

 

 

「……綿流しが終わって、ちょっとしたら東京に帰っちゃうのですわね」

 

「……そう聞いているのですよ」

 

「富竹さんみたいにずっとずっと、夏の間だけ来てくれたりしないでしょうか」

 

 

 期待を込めた物言い。

 沙都子にとってはありえる話だ。だが梨花にとっては、叶うはずもない望みだと知っている。

 

 

「それとも色々あり過ぎて、村が嫌いになってしまっていたり……」

 

 

 だからこそ何も言えない自分を、赦して欲しかった。

 赦しを請う事も出来やしないが。

 

 

「……また鬼隠しが起きたら……もう絶対に来ないですわね」

 

「……みぃ。そんな事はないのですよ、沙都子」

 

「そうでしょうか?」

 

「そうなのです」

 

 

 代わりとして言ってしまうのは、彼女が求めているであろう言葉。

 同時に自身も願っている、先の希望でもある。

 

 

「それにあの二人なら……鬼隠しも止めてしまうかもしれないのですよ?」

 

「………………」

 

「そうなったら村の人からチヤホヤされまくりなのです。あの二人単純だからお鼻テングさんになって、年に何度も来るようになるかもしれないのですよ!」

 

「……ふふっ。そうだったら嬉しいですわね」

 

「にぱ〜☆」

 

 

 和やかに、そう談笑し合う二人。

 梨花自身も微かに望んでいた。全て解決し、全てが終わって、自分の知らない未来が来る事を。

 

 

 そんな希望を掻き消すように、ドアが開き、壁に叩き付けられる音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、鬼隠しの再調査はしないでください」

 

 

 

 

 入江の言う「個人的な要望」を聞いた二人は、お互い同時に目を大きくさせた。

 二人の感情を粛々と受け止めながらも、入江は一度目を伏せる。

 

 先に彼へ尋ねたのは、上田だった。

 

 

「それは一体……どう言う事です……!?」

 

「……そのままの意味です。沙都子ちゃんや梨花さんのご両親の事も、悟史くんの事も……これ以上は探らないで欲しいのです」

 

「あなた、なに言って……!? 梨花から聞いていないんですか!?」

 

「……お聞きした上での、お願いです」

 

 

 上田は椅子に身体を凭れさせ、思考を纏めようと額に手を置いた。

 

 

 これから起こるであろう鷹野や富竹、梨花の死には必ず、鬼隠しが関わっている。

 それら悲劇を回避する為に、鬼隠しもとい連続怪死事件の洗い直しは必須だと、梨花から言い渡された。

 

 

 入江は梨花の、信じられないような話を受け止めてくれた。

 なのに鬼隠しの件については、了承しないと言う訳なのか。

 

 

 あれこれ思案する上田の隣で、次は山田が彼に尋ねる。

 

 

「……それはつまり……暴いたら私たちに、不都合な事があるって意味ですか?」

 

「………………」

 

 

 彼女の質問に対しては、沈黙を使う。

 沈黙と言うのは認めた証にもなる。しかし、真意を塞ぐには何よりも最善だ。認めただけでは、何も分からない。

 

 ジッと見据え、入江の反応を伺う山田。

 その内、彼の方からまた話し出す。

 

 

「……この事件は、あまりにも根が深い。関われば、あなた方に危険が及ぶ」

 

「………………」

 

「……お二人の目的は、今年の鬼隠しを止める事です。過去は、無関係のハズ……そうでしょう?」

 

「そんな事はない……」

 

 

 反論したのは上田だ。

 彼は必死に、再調査の必要性を唱える。

 

 

「あなたが沙都子を大事に思っているのは知っている……なら! 彼女の為にも、真相を暴く必要はあるハズだ! これだけ連続性があるんです……過去の事件は無関係だと決めるのは早計ですよ! それに私たちには警察の協力者もいる……我々へのリスクは無くせるんです!」

 

「上田さん、違いますよ」

 

「なに……?」

 

 

 その上田の話に待ったをかけたのは、山田。

 一瞬たりとも入江から目を離さず、一呼吸の間を置き、推理を突き付ける。

 

 

 

 

「……不都合があるのは、私たちじゃなくて……入江さんたちなんですよね?」

 

 

 入江は何も言わず、目を固く瞑るだけ。図星のようだ。

 

 

「お、おい、山田……それは、つまり……?」

 

「入江さん。やっぱり色々思っていたんですけど……もしかして過去の事件、雛見沢症候群が関係しているんじゃないですか?」

 

 

 

 入江は分かりやすく動揺を見せた。はぐらかされて疑問を呈される前に、山田は続きを話す。

 

 

「事件が明るみになれば、間違いなく病気の事が世間にバレる……それを、阻止したいんじゃないですか?」

 

「………………」

 

「それにそれだけのプロジェクトなら、国が関係しているハズです……それこそ、警察にも影響力がある人たちの支援を受けて……」

 

 

 山田の目には、軽蔑の念が宿っている。

 まるで絞首台に立った死刑囚のように、入江は覚悟を決めた様子で次の言葉を待っていた。

 

 

 そんな彼に、山田は躊躇なく言い放ってやる。

 

 

 

 

「……鬼隠しは、あなたたちがやったんじゃないですか?」

 

 

 無慈悲に放たれた口撃。

 真正面から受けた入江の反応はと、山田は注目する。

 

 

 

 

 情けなく狼狽するか、苦し紛れの否定か。

 結果はどちらでもなかった。入江は椅子から立ち上がる。

 

 

「入江先生……!?」

 

「うぉっ!? やるんですか!? 相手しますよ! 上田さんが!!」

 

「!?」

 

 

 身構えた二人の前で彼は、まず深呼吸をする。

 次には膝を曲げて床に崩れ、土下座。

 

 完全に予想外だ。動揺を見せたのは、山田らの方だった。

 

 

「え、えぇ!?」

 

「この通りです……ッ!! お願いします……ッ!! この診療所の秘密も、僕らの立場も教えますッ!!」

 

「いやあの……」

 

「だからお願いしますッ! 僕の要求を、受け入れて欲しいんです……ッ!!」

 

 

 何度も頭を下げ、激しく懇願する入江。

 唖然とする山田の隣で、上田は彼を止めようと立ち上がった。

 

 

「入江先生……! やめてください!」

 

「協力は惜しみませんッ!! だから……!! だから……!!」

 

「落ち着いてください!!」

 

 

 二回、頭を下げた。

 するとピタリと動きを止め、入江は床を見ながら震えた声で、主張する。

 

 

 

 

「……これだけは言わせてください……僕は、沙都子ちゃんや……梨花さんたち……悪戯に人を不幸しようと動いた事は……一度もございません……それは鷹野さんだって同じです……」

 

 

 腕を伸ばし、上半身を起こす。

 垂れていた頭が上がると、真剣な入江の表情が見れた。その目には強い意志と、覚悟が宿っている。

 

 

「僕らを疑うのなら構いません。ただ、信じて欲しい……鬼隠しを止め、誰かが不幸になる未来を止めたい……これは間違いなく、僕の本心なんです……ッ!!」

 

 

 

 

 激情をぶつけられ、思わず山田は押し黙ってしまった。

 彼の主張と、覚悟に満ちた眼差しを前にした時、自分の推理が浅はかなものだったと思わず考えてしまった。それほどまでに彼の持つ、鬼気迫る雰囲気に飲まれていた。

 

 

 

 上田は入江の腕を引き、土下座をやめさせる。

 立ち上がり、眼鏡の位置を整えながら、立たせてくれた上田に頭を下げた。

 

 

「……すいません、取り乱して……」

 

「………………」

 

「……どうか、ご一考いただけたらと……」

 

 

 山田は椅子に座ったまま、入江を見上げていた。

 そして上田は、動揺を隠せないのか、入江から離れて部屋を歩き回っている。

 

 

「それじゃ……でも……クソゥ! 山田、どうする……!?」

 

 

 考えが纏まらず、とうとう彼女に縋り付く。

 山田も山田で動揺中だった。それでも何とか、返事を捻り出した。

 

 

「……上田さん。言う通りにしましょう」

 

 

 ゆっくりと山田も、椅子から立ち上がった。

 

 

「……今は、梨花さんたちの命が最優先です」

 

「……そ、それもそうだが…………いや……そう、だな……」

 

 

 上田も納得したようだ。とは言え、諦めに似た感情も伺える。

 彼は沙都子にも、並々ならない思いを抱いていた。沙都子の家族に起きた件を暴けない現状に、落胆を覚えているようだ。そしてそれを暴かせない、入江への失望もある。

 

 

 彼のそんな複雑な感情を汲んだ上で、山田は入江に聞く。

 

 

「……綿流しを無事に終えた後……全てを話してくれたりは?」

 

「……約束は出来ません」

 

「…………そうですか」

 

 

 どうやっても、上田の欲求は解消されないようだ。

 入江の一言を一区切りとしたのか、上田は首を振りつつ無理矢理、自身を宥めさせた。

 

 

「……犯人を捕まえれば、真相は分かる……それに賭けるしかないな」

 

 

 ずっと背を見せていた彼だが、やっと山田と入江の方に頭だけを向けてくれた。

 

 

「……すまない山田……落ち着く為……ウォーキングに行ってくる……」

 

 

 弱々しく微笑むと、ドアの方へと歩く。

 平静を保っていたのは、そこまでだ。溜まったフラストレーションが爆発したのか、ドアを乱暴に開ける上田。

 

 驚き、身体を縮める山田と入江を無視し、冷静を装いながら出て行く。

 

 

 

 

 

 彼の背中を見送る山田の目には、悲しみが宿る。

 

 上田はやはり、学者だ。結果だけではない、そこに至る過程までも拘る男だ。それは事件を追う上でも、意識的に重視している。

 故に、悔しいのだろう。結局、結果を待つだけの現状に。

 

 

 勿論、自分の拘りだけの話ではない。そこには真に、沙都子への情がある。

 彼女が疑われている事の方が、悔しいのだろう。情の厚さもまた、上田らしい。

 

 

 

 彼は診療所を出て行った。視線の先には上田ではなく、待合室にいる梨花の姿がある。

 こちらを伺っていた。何があったのかは、気付いている様子だ。

 

 

 立ち尽くす山田に、入江は話しかけた。

 

 

「……とりあえず、山田さんだけにも……色々と教えます。よろしいですか?」

 

「……その前に、ちょっと良いですか?」

 

 

 山田は開け放たれたままのドアを抜けて、待合室の方へ歩く。

 そこで待つ、梨花の近くへ寄った。沙都子の姿はない。

 

 

「……沙都子さんは?」

 

「……上田を追ったのです。心配だからって……」

 

「………………」

 

「……話は付いたのです?」

 

 

 診療所の入り口から、梨花の方へ目を向ける。

 その目を見た梨花は、自分の真意に気付かれたのだなと察した。

 

 

「……私たちに鬼隠しの調査をさせたのは……」

 

「………………」

 

「……入江さんが協力を渋ると見越して……調査させて焦らせて……無理矢理にでも協力させる為だったんですね?」

 

 

 梨花は目を閉じ、俯く。利用した事に、否定も肯定もしなかった。

 彼女のそんな態度に山田は、僅かな怒りを抱く。

 

 

「……殺されない為に必死なのは分かります……でも」

 

 

 思わず、山田は言ってしまった。

 

 

 

 

「……もう少しだけ私たちを……信用してくれたって良いじゃないですか」

 

 

 それだけ言い残し、また入江の方へと山田は戻った。

 

 

 待合室にただ一人残った梨花。

 誰にも聞こえないような声で、ぽつりと呟いた。

 

 

 

 

「……もう手段は選べない……みんなの為なのよ……」

 

 

 

 

 山田を追いかけ、梨花もまた診察室へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診療所を立ち去った上田は、一人畦道を歩いている。

 太陽は燦々と輝き、気温を高めさせて行く。

 

 遠く入道雲が、山の向こうから雛見沢村を覗いているかのようだ。

 そして水を張った田んぼの上をアメンボが滑り、オニヤンマが空を飛ぶ。

 

 

 上田の時代ではもう、そうそう見られない、夏の原風景。

 だが今、それらを懐かしみ、楽しむ穏やかさを持ち合わせていない。

 

 鳴き喚く蝉への疎ましさだけ、今は抱いている。

 

 

「………………」

 

 

 脳裏には大石の話が、ずっと反芻されていた。

 沙都子の供述の違和感や、山田の推測。正直言って、「沙都子による犯行」の線は濃厚だろう。

 

 だが、どうしても解せない。本当にそうなのかと、考えていた。

 探せば暴けるハズだと思っていたが、それさえ封じられた。

 

 

「……入江先生は何かを知っているんだ……だが、梨花や鷹野さん、富竹さんの事も大事で……」

 

 

 梨花たちを救う為には、事情を知っているであろう入江の協力は必要不可欠だ。

 そうなれば、沙都子の件は調べられない。笑えるほど分かりやすい、二律背反だ。

 

 

「…………上田次郎よ。これで良いのだろうか……?」

 

 

 自問自答しながら、立ち止まる。

 遥か先まで続く田んぼを見渡し、流れる汗を拭う。

 夏の景色を見たって、心と疑問は晴れない。

 

 

「……これが俺の……ベストなのか……?」

 

「ベストは着ておられないですわよ?」

 

「いや、そっちのベストじゃなくてだな…………おおう!?」

 

 

 

 

 背後から、突然話しかけられる。

 上田は驚いて飛び上がり、田んぼに落ちかけた。

 

 

 情けない人を見る目で立っていたのは、沙都子だ。

 

 

「さ、さ、沙都子!? 診療所にいたんじゃ……!?」

 

「上田先生が怖い顔で出て行ったのだから、気になって追っかけたのですわよ。全然、私に気付かないのですから!」

 

 

 思考に沈んでいたので、全く気付かなかった。

 呆然とした後に何とか取り繕い、いつも通りの雰囲気を出す。

 

 

「は……ハッ! 俺は天っ才物理学者だからな! 今、新しい公式を思い付く寸前だったのに邪魔しやがって!」

 

 

 言い返して来るだろうと踏んでいたが、沙都子は何も言わない。

 どうしたのかと注視すれば、迷いを思わせる表情の彼女に気付く。

 

 

「……どうした? たんまり出た学校の課題が憂鬱なのか?」

 

「……それも、ありますけど」

 

「あるのか……」

 

「………………」

 

 

 意を決したように彼女は、自分より背の高い上田を見上げた。

 

 

「……上田先生」

 

「なんだ?」

 

「上田先生は……鬼隠しを、止めてくださいまして?」

 

 

 心臓を握り締められた気分だった。まさか今考えていた事を、沙都子に突き付けられるとは思わなかった。

 

 どう返すべきかと黙る上田に、沙都子は縋るような眼差しを向ける。

 

 

「……私は、信じておりますわ。上田先生も、山田さんも……皆さんも」

 

「……沙都子……」

 

「…………なーんて!」

 

 

 重苦しい空気を察したのか、沙都子はニカッと無理矢理笑った。

 

 

「思えば上田先生も山田さんも、村にはご旅行に来られたお客様でしたわね! なのに勝手に巻き込んだらご迷惑ですわ!」

 

「いや!!」

 

 

 冗談で済まそうとした彼女だが、上田は真剣に答えてくれた。

 驚く沙都子の前で跪き、目線を合わせ、吹っ切れた様子で言ってやった。

 

 

 

 

「止めるッ!! 鬼隠しは、必ず止めてやるッ!! 全て暴いてやるッ!!」

 

 

 それは上田にとって、宣戦布告のようなものだ。

 沙都子を安心させる為だけの言葉ではない。明確な意思表示だ。

 

 

「だから……安心してくれ……今年は誰も死なない……誰も消えない……」

 

 

 一通り本心を吐き終えた。

 我に返ってみれば、少し気恥ずかしさがやって来る。上田は沙都子から目を逸らし、ゆっくりと立ち上がった。

 

 

 アメンボが水上を滑る度、波紋が出来た。

 それが田んぼの上で点在で広がっては、ぶつかり合って消える。

 

 それらを眺める上田の横顔を見ながら、沙都子は安心したように微笑んだ。

 同時に意思を固めたように、頷いた。

 

 

「……ありがとうございます」

 

「……な、何がだ?」

 

「……上田先生も山田さんも……私が欲しいお言葉を言ってくださります」

 

 

 いいや、と首を振る。

 

 

「……言葉だけではありませんわね」

 

 

 

 

 踵を返し、沙都子は上田から数歩ほど離れた。

 どうしたのかと訝しむ彼へと、クルッと振り向く。

 

 

「付いて来てくださいまし。鬼隠しのヒントがあるかもしれませんわ」

 

「ど、どこに?」

 

 

 遠く、行き先へと指を差した。

 

 

 

 

 

「……私のお家」

 

 

 また背を向け、沙都子は歩き出した。

 何が何だか分からないままだが、上田は彼女のその背を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院の敷地内にある小さな庭園。

 ツタが屋根を作る東家の下に、レナはぼんやり座っていた。

 

 夏のお昼は暑いものだ。だが太陽を遮るツタと、穏やかなそよ風が心地良さを与えてくれる。

 東家から少し離れた場所で、お年寄りたちが太極拳をしていた。八つ裂き光輪を放つ時のポーズだ。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 レナはもう一時間も、ここで物思いに耽っている。

 昨夜までの自分に、まだ折り合いが付けられていない様子だ。何よりも父の死を受け止めるのにも、咀嚼が足りていなかった。

 

 まるで自分の身体が自分を離れて、勝手に動かされていたような感覚。

 あの不気味な感覚が、まだ夏の暑さに焼かれる皮膚の上で燻っている。

 

 

 

 

 心はまだまだ乱れたまま。思い浮かぶは、死に際の父の顔だけ。

 ずっと身体は燃えるように暑い。

 

 しかし院内は、どうにも冷え過ぎるように感じた。

 かつて入院していた時の記憶がそうさせているのかは分からない。それとも医者や看護師たちが向ける哀れみの目が嫌だったからか。

 

 

 何にせよ今は昨夜の全てから身を離すように、ここにいた。

 蝉の声を聞き、風を感じ、影に支えて貰いながら陽光を受ける。自然が自らを癒してくれると信じて。

 

 

 

 

「………………」

 

 

 ブルトン戦でウルトラマンがやった高速回転をやり始める太極拳サークル。

 それらに目もくれず、何を見ている訳でもなく、レナはただ佇む。

 

 

 

「よっ!」

 

 

 突然、背後から声をかけられる。驚き、身体がぴょんっと飛び上がった。

 すぐさまパッと振り返り、声の主を見やる。

 

 

「あぁ、悪ぃ悪ぃ……驚かせるつもりなかったんだけど……ごめんな?」

 

 

 新聞紙に包まれた何かを両手で抱えた、圭一の姿があった。

 ぱちぱちと瞬いた後、滲んだ汗を拭いながらレナは反応する。

 

 

「圭一くん……!? アレ!? 学校……」

 

「それがなぁ? 綿流しの準備だから何だかで、午前授業だってよ。去年はそうじゃなかったのか?」

 

 

 そう言えばそうだったなと、レナは思い出していた。その隙に圭一は隣に座る。

 

 

「ちょっと様子を見に来たぜ。病院の人からここにいるって聞いて来たけど」

 

「そう、なの……」

 

「えと……やっぱ急、だったり?」

 

「……ううん。大丈夫だよ」

 

 

 寧ろ少し、気分が晴れた。今の自分に必要なのは、話をしてくれる人だと思っていたからだ。

 それにどうしても圭一とは、改めて話し合って謝りたかった。

 

 

「そのー……なんだ。ほら、何か差し入れ持って来たからさ。あー……レナ、お腹空いてねぇかなって……く、来る時にチューチューを買って来たしさ」

 

「チューチュー?」

 

「あ。こっちじゃカンカン棒だっけ?」

 

 

 いつもは雄弁な圭一だが、この時ばかりは慎重そうだ。

 レナは彼の口調から滲む気遣いを愛おしく思えた。同時に罪悪感も湧き起こるもの。この面倒な感情を乗りこなせるほど、まだレナは大人はではない。

 

 火照る身体を冷やすように、渡されたアイスキャンディを口にした。

 

 

 

「……ねぇ、圭一くん。その新聞紙のは……?」

 

「あ、コレか? コレはだなぁ──」

 

 

 

 

 東家の下で語らう二人。

 そんな彼女らを、太極拳サークルから監視する老父がいた。今度はスペシウム光線のポーズ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

信頼感

 沙都子の元々の家は、村の中心部にある。

 一度、鉄平から彼女を助ける際に、上田は訪れていた。どっしりと構えた二階建てで、村の有力者だっただけありなかなか大きな家だ。

 

 その家の前で、一人で立っている男こそ、上田だ。

 家の鍵は神社にあるからと、沙都子は一度取りに戻っていた。その間、上田は先に待っててと言われ、一人待っている。

 

 

 

 

「……あぁは言っちまったが、どうすりゃ良いんだ……」

 

 

 鬼隠しの調査をするなと言われたのに、もう鬼隠しの調査をしている。

 現状は関わりが深いであろう入江と組み、調査をしないと言う条件で情報と協力を得ている状況。これは立派な、契約違反だ。

 

 

「………………」

 

 

 あれこれ思案し、誰も見てはいないかと確認した上で開き直る。

 

 

「……ま、まぁ、言われたのは『過去の鬼隠し』の中止だからな! コレは一応、『今年の鬼隠し』のヒント探しだ! つまりセーフだセーフ!」

 

 

 大義名分という名の自己弁護をした後、上田はくるっと振り返った。

 

 

 

 すぐ後ろで立っていた人物に驚き、飛び上がる。

 

 

「うぉう!?」

 

「なに一人でブツブツ言ってんですか。ちょっと怖いですよ」

 

「ゆ、YOUか!? 驚かせるんじゃないッ!!」

 

 

 立っていた人物とは、山田だ。入江の関係者ではないと知り、ホッと胸を撫で下ろす。

 

 

「……てか、山田……なんでお前がここにいる。診療所で話を聞いていたんじゃ……」

 

「終わったんで、村をブラブラしてました。そしたらここで偶然、上田さんを見つけて」

 

「本当に偶然か……?」

 

 

 説明が足りなかったなと、山田は経緯を付け足す。

 

 

「沙都子さんの実家はここだって、入江さんと梨花さんから聞いたんですよ。ちょっと見に寄ったら、デカい独り言言ってる色々デカい人に遭ったんじゃないですか」

 

「色々デカいは余計だ貧乳」

 

「貧乳こそ余計だろ!?」

 

 

 怒る山田を無視し、上田は辺りにまた目を通す。

 

 

「……梨花は?」

 

「帰りましたよ。『疲れた』って言って」

 

「呑気なこった……あと五日で殺されちまうってのに……」

 

「………………」

 

 

 渋い顔を見せる山田。

 彼女のそんな表情に上田は気付く。

 

 

「どした?」

 

「……いえ」

 

「全く……梨花も災難だろうなぁ。鬼隠しの調査をするって言った後で、こうなるなんざなぁ……」

 

 

 なんだかんだお人好しの上田は、梨花の意図に気付いていない様子だ。

 彼女が入江に圧力をかけ、協力させた裏話を知らない。ある意味、途中で出て行って正解だったのかもしれない。

 

 

 山田は敢えて、黙っておいた。

 騙すような真似をされたと知って、良い気になる人間はいない。事実、山田自身がそうだ。

 

 

「……そうですね。梨花さんも拍子抜けかもしれないですよね」

 

「……なんか、妙に他人事っぽくないか?」

 

「そ、それより上田さん! ここで何やってんですか? 沙都子さんは?」

 

 

 話を深掘りされる前に、話題の矛先を変えてやる。

 上田は顎を撫で、難しげな顔をしながら話す。

 

 

「んまぁ〜……なんだ? ちょっと、鬼隠しのヒントを探しに……」

 

「それやるなって言われたばっかじゃないですか……」

 

「フッ。違うなYOU……言われたのは、過去の事件の禁止……これは、今に繋がる事件の調査だ。つまりセーフ」

 

「学者とは思えない屁理屈だなオイ」

 

 

 得意そうな顔さえ見せた上田だが、すぐに真面目な表情を見せた。

 

 

「……沙都子の一件だけはどうしても気になるんだ。どうにもおかしい……」

 

「…………その……上田さんは、犯人は別にいると? あ、いや、別にいるって言うか、真犯人と言うか黒幕と言うか……」

 

 

 沙都子を犯人扱いすれば、彼をヒートアップさせかねない。恐る恐る山田は聞く。

 だが案外上田は、熱いながらも冷静な物言いだった。

 

 

「あぁ! 第一、考えて見ろ! 中学生女子が一人の力で大人二人を、それも鉄柵を破損させるほどまで突き飛ばせるものか! 雛見沢症候群の発症でタガが外れたやら、鉄柵が細工されていたやらを加味したとしても、物理的な無理があるんだ!」

 

「………………」

 

「それに、ピンポイントで柵が壊れていたって言うのも怪しい……奇妙だ!」

 

 

 熱弁する彼を見ている山田は、ポカンとしていた。

 

 

「……まさかそこまで沙都子さんの事を考えていたなんて……意外でした」

 

「よせやい」

 

「ロリコンか?」

 

「張っ倒すぞッ!」

 

 

 とは言ったものの、山田にも事件当初の状況に違和を感じてはいたようだ。

 自然公園の状況を想起しながら、あれこれ考える。

 

 

「……確かに気になる点は、幾つかありました」

 

「例えば?」

 

「柵の破片ですよ」

 

 

 大石が持って来た物を思い出す。破損し、残った柵の根元の部分だ。

 

 

「大石さんは捜査後に、細工された物と入れ替えられたのではって言っていましたけど……私はアレはまんま、事件当時の物だと思っているんです」

 

「と言うと?」

 

「警察に圧力をかけられるなら、入れ替えなんてせずに『失くした〜』とか言って、分取れば良いじゃないですか。言い訳としては苦しいかもですが、証拠の隠蔽は出来ます。あんな下手くそな替え玉用意したって、怪しむ人には怪しまれてんじゃないですか」

 

「つまり……どうせ怪しまれるのに、替え玉を作るのは手間じゃないのかって事か?」

 

「そうですそうです」

 

「相手が慎重な人間だったらどうすんだ」

 

「慎重は人間ならもっと……上手くやるでしょ」

 

「ごもっとも」

 

 

 納得し、頷いた上で、上田は「なら」と話を続ける。

 

 

「君の言ったあの、『下手くそな替え玉』が本当に事故当時の物とすると……あそこの柵だけボロボロに錆びていたと言う事になるぞ」

 

「そうですけど……」

 

「さすがに不自然じゃないか? 焼き切ったのならまだ納得出来るが……」

 

 

 とうとうそこで、山田は黙り込んでしまった。

 確かにその理由には、全くの推理が立てられていない。

 

 あれこれ考えている山田だが、上田は既に別の事を考えていた。

 

 

 

 

「……そう言えば、俺が出て行った後、入江先生から何を聞いた?」

 

「………………」

 

 

 一瞬だけ、彼女は動きを止める。

 眉間に寄せた皺は消え、思考と言うよりも迷いを伺わせる表情となった。

 

 

「……単刀直入に言いますと……」

 

「あぁ……」

 

「……私たちが、未来で『雛見沢大災害』って言ってるものの……正体? みたいな?」

 

 

 ギョッと目をかっ開き、動揺を見せた上田。一気に山田に詰め寄る。

 

 

「ど、ど、ど、どう言う事だ……!? そんな、大事な話をしたのか!?」

 

「近い近い!」

 

「今話せ! ここで話せ! さぁ話せ! やれ話せッ!!」

 

 

 上田を押して離しながらも、山田は「話す、話すから!」と観念の声をあげる。

 だがその時に限って、待ち侘びていた沙都子が帰って来てしまった。

 

 

「上田先生〜! お待たせしましたわ〜!」

 

 

 急いで二人は距離を取る。 

 妙によそよそしい二人を見て、沙都子はキョトンと。

 

 

「どうかしました? と言うより、山田さんも来ていらっしゃったのですわね!」

 

「そ、そうです。私もお邪魔して大丈夫ですか?」

 

「構いませんわ!……あまり良い思い出のないお家ですし、賑やかで良いですわ」

 

 

 鍵と暗い笑顔を見せた後、沙都子は庇の下にある出入り口に寄る。

 ガチャガチャと開錠している内に、山田は上田へ耳打ち。

 

 

「……後で話します」

 

「仕方ないか……また、古手神社に寄って話そう。梨花にも聞きたい」

 

 

 戸が開き、真っ暗な玄関がその先に現れる。

 沙都子はすぐには入らず、数秒ほど戸の前で立ち尽くした。

 

 陽の光が入り、舞った埃が薄らと見える。

 色々と嫌な思い出が巡ったのだろう。入る事を暫し、躊躇していた。

 

 

 彼女の気持ちを汲み取った上田が、無理をしないようにと話しかけようとする。

 それを沙都子はクルッと身体を向け、八重歯がチャーミングな笑みを浮かべて止めた。

 

 

 

 

「さあ! わざわざ暑い中、取りに戻ったのですから……入って貰わないと損ですわ!」

 

 

 虚勢だと知りながらも、二人は沙都子を止められなかった。何かを言ってやる前に、彼女が先に家の中へ飛び込んだからだ。

 パチッと、玄関の電気が点く。山田が後に続こうと、足を進めた。

 

 

 

 

 

「山田、これだけは教えてくれ」

 

 

 上田の呼び止めに応じ、止める。

 不安そうな彼の表情が妙に痛々しい。

 

 

「……入江先生や、鷹野さんは、これまでの鬼隠しとは無縁だったのか……?」

 

 

 少し目を背けて、言葉を組み立ててからまた合わせる。

 

 

「……それは分からなかったです」

 

「……そうか」

 

「でも私は……少なくとも、入江先生がそんな事をする人に見えませんでした」

 

 

 

 

 山田はそう言った後、自信がなさそうに視線を落とした。

 

 

「……ただの、印象ですけど……」

 

 

 踵を返し、彼女も北条邸の中へ入って行く。

 

 

 診療所で入江の話を聞いた時、彼が沙都子たちを不幸にした人間ではと疑い、絶望した。

 だが山田のその言葉と、声を荒げて土下座までした入江の姿を思い出し、考え直す余地はあると自問自答する。

 

 

「……あの言葉は、嘘ではないと思いたいが……」

 

 

 入江の訴えが虚偽ではないと希望し、上田もやっと足を踏み出した。

 北条邸に入り、戸をゆっくりと閉める。

 

 

 

 

 

 

 外観から察せる通り、間取りもなかなか広い物だ。

 居間を抜けた先にある和室は、襖で幾つかの個室に分けられているものの、全てを取れば十人ほど入っても足りるほど広々としている。

 

 

 だが、雨戸で窓の全てが閉じられた屋内は、電気を付けなければ何も見えないほど暗い。

 また電気を付けたは付けたで、白熱灯の寒々しい光が目立った。それが無駄な広さも相まって落ち着かなさと虚しさを感じさせて来る。

 

 

 沙都子は窓を開けたり、電気の紐を引いたりと、視界の確保を引き受けてくれた。

 山田と上田はまず和室に入り、強いイグサの匂いに顔を顰めた。

 

 

「うわぁ〜……実家の匂いだ」

 

「なかなか広いな。御三家と言われるからには大方、地主か何かだったんだろう。土地も丸ごと所有物だから、子どもは代々ローンやら家賃の心配もなく住めるってところか。磯野家みたいだな、羨ましいぜ!」

 

 

 あらかた家中の電気を付け終わり、沙都子が二人のいる所に戻った。

 

 

「お待たせしてしまいましたわ! お電気は全部、付いてます!」

 

「電気代やらは誰が払ってる? 固定資産税もあるだろ」

 

「勿論、私ですことよ! しさんぜーって良く分からないのも、アルバイトのお金で何とか支払っておりますわ! 電気と水道は止めてたのですけど……今月は叔父様が契約しちゃったので、払わないと駄目ですわね……」

 

「……俺が纏めて出してやる!」

 

 

 懐から残っている九十何万円を出そうとした上田を、山田が必死に止めた。

「この守銭奴めが!」と罵る彼と押し合いへし合いを続けている間に、沙都子は縁側の雨戸を外し終えていた。

 

 

「お暑いのでしたら扇風機を持って来ますわよ?」

 

「そ、そこまでしなくて良い……何なら電気も消して構わないぞ?」

 

 

 沙都子の気遣いに、寧ろ気遣ってしまう上田。

 勿体ないからと電気を消す彼の後ろ、山田は和室の隅に置かれた和箪笥を見ていた。

 

 

 気になった拍子に、箪笥の内の一つを開ける。

 請求書や、役所からの案内が集められていた。その一つ一つを見てみると、北条以外の違う苗字に宛てた物も出て来る。

 

 

「『吉澤』、『松浦』……き、き……『キングジョー』? 外国人か?」

 

 

金上(かながみ)』を読み間違える山田。

 とりあえず引き出しを閉め、別の箇所を開く。

 

 

 

 その間上田は、本棚の中や縁側などを見て回っていた。

 

 

「あまり埃っぽくはないな。叔父と暮らしていた時に掃除したのか?」

 

「それ以前にもちょいちょい掃除しに帰っておりましたのよ! えっへん!」

 

「ほぉ? いつ帰っても大丈夫なようにか?」

 

 

 沙都子は少しだけ、目を伏せる。

 

 

 

 

「……にーにーが、帰って来た時の為に……」

 

「十年先までの資産税は俺が出すッ!!」

 

「出させねぇよ!」

 

 

 またしても金を出そうとした上田を、いつの間にか現れた山田が必死に止める。

 

 

「どっから出て来た!? あっちにいただろYOU!?」

 

「なんかちょっと、変な物見つけたんですよ! こっち来てください!」

 

「なに?」

 

 

 そう言って山田が示した物は、先程まで引き出しを物色していた和箪笥。

 上部に引き出しではなく、四角い開き戸があった。そこを開くと、これまた小さな箪笥が現れる。

 

 

「箪笥の中に箪笥……マトリョーシカか?」

 

「これなんか……一番下の引き出し以外、開けられないんですよ」

 

「壊したんだろお前が」

 

「上田さんと違って私は器用ですから、そんな事しませんよ!」

 

「俺だって器用な方だッ!」

 

 

「小さな箪笥」は、四段ほどの箱型。

 山田の言う通り、下の段は問題なく開くが、なぜか二段目から上全てが開かない。

 

 沙都子も二人の後ろから見て、首を振っている。

 

 

「それ、元々から壊れているのですわ! にーにーもお父さんも開けられないって言っておりましたの!」

 

「鍵も付いてるって感じじゃなさそうですし……壊れてますねコレ。あー良かった! 私が壊したんじゃなかった!」

 

 

 その箪笥を色々と弄っていた上田。

 途端に何か合点がいったようで、鼻で笑う。

 

 

「沙都子に山田よ。こいつはなぁ?『からくり箪笥』だ!」

 

「からくりダンス? 榊原郁恵さんがやってた踊りですの?」

 

「笑わせないと死ぬ人が出てる漫画じゃなかったでしたっけ?」

 

「ボケるな同時にッ!」

 

 

 上田は得意げな顔付きで、開けた一段目の中を指で探っていた。

 

 

「決められた方法じゃないと、開かないように細工された箪笥の事だ。日本が誇る、最古のセキュリティロックだな。複雑な奴だと何度も開け閉めする羽目になるが……幸い、こいつは簡単な部類のようだ!」

 

 

 一段目の中に指を入れ、上部にあるスライド式の鍵を開ける。

 それから二段目の引き出しを引けば、難なく開いた。山田と沙都子は同時に声をあげる。

 

 

「おぉー! 面倒くせぇー!」

 

「上田先生! 私も開けてみたいですわ!」

 

「よーし。ほれ、開けてみろ?」

 

 

 からくり箪笥単体で、持ち運びは可能だった。上田はそれを下ろし、畳の上に置いてやる。

 沙都子も二段目の引き出しの中に指を入れ、鍵を見つけて開けた。三段目が解放される。

 

 

「こうやってロックする以外に、開けるまでの時間も稼ぐんだ!」

 

「沙都子さん! 次私に開けさせてくださいよ!」

 

「駄目ですわ! これは私のモノですから私が開けますのよ!」

 

「そうなんだけど! そうなんですけど! 良いじゃないですか!?」

 

 

 山田の懇願は無視され、同様の方法で四段目の鍵も開ける。そして引き出しを引いた。

 

 

 

 三段目まで、何も入っていなかった。だが、四段目には溢れんばかりに何かが詰められている。

 機械的な物だ。小指ほどの大きさのガラス筒に、何か銀色の球が入っている。

 

 見た事もない物だ。三人ともそれを見て、怪訝な表情を浮かべた。

 

 

「……なんですの? コレ?」

 

「何入ってるんですかソレ? パチンコ玉?」

 

 

 沙都子は一つを取り出し、筒を動かしてみる。

 中の物体は固体ではなく、液体のようだ。とろりとろりと、上下に揺れた。

 

 

「銀色の……水? ですの?」

 

「待て待て……」

 

 

 上田は見覚えがあるようで、まじまじとそれを見つめていた。

 途端に思い出したのか、口元に手を置く。

 

 

「懐かしいな!『水銀スイッチ』だ!」

 

「水銀!?」

 

 

 水銀と聞くな否や、山田にそれを渡す沙都子。

 

 

「水銀って、何か危ない物って聞きましたわ……さ、さ、触っちゃった……!」

 

「なんでソレ私に渡したんですか?」

 

「とち狂って飲まない限りは大丈夫だ……コレはヒーターとか、電池で動くオモチャとかに入っていた物で、転倒の際に自動的に電源を落とす役割があるんだ」

 

 

 上田はその水銀スイッチの一つを取ると、左右に揺らして中の水銀を動かした。

 

 

「倒れると、中の水銀も動いて、片方の方に行く。その片方の方に行った時にスイッチが入って、電源を切るって仕組みだ」

 

 

 ゆーらゆーら揺らし、水銀を動かして遊ぶ上田。沙都子も真似して遊んでいる。

 山田もつられて遊ぶが、つい疑問を口にした。

 

 

「……なんでそんな物、こんなに集められてるんですか?」

 

 

 事情を知っているであろう沙都子に聞く。

 

 

「お父さんが電化製品の会社にいたって聞きましたわ。そこからじゃないでしょうか?」

 

「でもお父さん、この箪笥の開け方知らなかったんですよね?」

 

「あ、そうでしたわ!」

 

「仮にそうだとしても、持って帰る意味はないだろ」

 

「……じゃあ、コレはなに……?」

 

 

 それ以上は分からないようだ。沙都子は申し訳なさそうに首と水銀スイッチを振る。

 一頻り遊んだ後、三人は水銀スイッチを引き出しの中に仕舞う。

 

 

「とりあえず色々と調べたいなぁ……沙都子。コレを俺たちに預けてくれないか?」

 

「構わないですことよ」

 

「サンクスだぜ」

 

「あっ!? でも、絶対に返してくださいまし! そんな面白い物を手放したくないですわ!」

 

「分かった分かった! 誰が盗るか!」

 

 

 全ての引き出しを閉め、上田はからくり箪笥を持ち上げた。

 

 

「どうする山田? まだ、調べるか?」

 

「二階もあるみたいですし、そっち見に行きましょうよ」

 

「良し来た……そんじゃ、案内してくれ沙都子」

 

「モチのロンですわ! こっちこっち!」

 

 

 沙都子に連れられ、二人は二階へと向かう。

 窓を開けたとは言え、真夏の気温が晴れる事はない。汗を拭い、息を吐いてから、和室を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らを遠目に盗み見る者の存在に、気付く事はない。

 その者はただ無表情に、山田らが出て来るまで監視し続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すっかり話し込んでしまい、気付けば太陽は傾き始めた頃。

 レナは圭一を見送る為、圭一は家路を急ぐ為、二人揃って病院の駐車場沿いを歩いていた。

 

 

 

 さっきまでは雑談に華を咲かせていたハズなのに。

 別れが近いとなると、次第に口数が減って行く。

 

 気付けば道行く二人の口数は、ぽつりぽつりとしたものに。圭一が多く話題を出し、レナが淑やかに反応するような感じだ。

 そのレナの両手には、圭一から貰った花束が抱えられていた。

 

 

「魅音たちも待ってるしよ。綿流し、一緒に屋台を回ろうぜ」

 

「……うん……あ、でも、どうかな……」

 

「……ま、まぁ、気持ちが落ち着いたらで良いからさ」

 

 

 気遣い、気遣われの、何とも居心地が良いとは言えない空気が包む。

 何とかそれを脱却するべく、圭一は何度も話題を絞り出した。

 

 

 

 そうこうしている内に駐車場を抜け、圭一とレナは別れるところまで。

 不思議な事に、別れるとなればお互い寂しさを覚えた。圭一は足を止め、もう一度話しかける。

 

 

「そんじゃ……ええと、明日は家に戻るんだよな?」

 

「うん……さすがに、ね……お葬式の前に片付けておかないと」

 

「……そっか。まぁ……そうだよな」

 

 

 悲しげに微笑みつつも、しっかりと目を合わせた。

 同情と慰めの言葉はもう使わない。彼からかけられた言葉は、明日の話だ。

 

 

「……明日! とりあえず明日!……みんな会いたがってるし、顔見せに来いよ!」

 

 

 少しだけ驚き、丸い瞳で目を向ける。

 いつもの彼らしく、溌剌とした笑顔で応えてくれた。まだ太陽が明るい時間なのに、レナにはとても煌めいて見えた。

 

 

「……頼りたい時は何度でも頼れ。だからさ、ゆっくりで良いから立ち直って行こう。俺たちは待ってるからな」

 

 

 親指を立てて、レナの前に突き出す。

 真っ直ぐだけど、やっぱりどこかキザっぽい。思わず吹き出してしまった。

 

 

「……ふふっ!」

 

「んな!? なな、なんで笑んだよ!? 今のサイコーにカッコいいトコだったろうが!」

 

「……ごめんね。でも、それは自分で言っちゃ駄目なやつだよ」

 

「な、なにー!?」

 

 

 笑われて不服そうな圭一を見て、やはり「愛おしい」と言う気持ちが強まって行く。

 彼はずっと優しかった。

 口先は上手いけど、偽りの言葉をかけられた事はない。

 

 そんな、器用そうで不器用な彼だからこそ、レナは惹かれたのだと思う。

 

 

 

 

「……ありがとう、圭一くん」

 

 

 彼から貰った花を抱えつつ、片手を出してバイバイと振る。

 

 

 

 

「また明日ね?」

 

 

 合わせて圭一も、嬉しそうに手を振り返してくれた。




・沙都子が言っているのは、榊原郁恵が「ROBOT」の歌唱時に披露したロボットダンスの事。
 作詞が伝説のバンド「はっぴいえんど」の松本隆で、作曲が筒美京平と言うとんでもなく豪華な一曲。

・水銀スイッチは、現在ではどのメーカーも使っていない。ストーブ分解しても出て来ないのでご安心を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月18日土曜日 鬼隠しと大災害 その2
深夜枠


「おいで」

 

 

 不気味な仮面の男が目の前で踊っている。

 

 蓑虫のように藁を編んだ装いのまま、手足をかくりかくり動かせながら呟く。

 何度も何度も腕をクイッと引き、こっちへ来るよう促している。

 

 

 声は、椎名桔平に似ていた。

 

 

 

 

「私はね、お前のお母さんが生まれた島から来たんだ」

 

 

 彼の後ろには手押し車があり、その上に米俵が三つ乗せられていた。

 身体をそこへ向け、両手を下から上へと何度も動かす。

 

 

 動きに合わせ、ふわりふわりと米俵が三つ、宙に浮いた。

 

 

 

 

 母の、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 謎の人物は繰り返し、繰り返し、こっちへ来るよう誑かし続ける。

 

 

 

 

「おいで、おいで、おいで……」

 

 

 一度俯くと、彼はとうとう仮面を外した。

 奇妙な仮面のその下から、不気味に浮かべた笑みを晒す。

 

 

 

 

「来れないのかい? なら──」

 

 

 顔は、椎名桔平に似ていた。

 母の呼び声は強まり、駆けて来る音まで響く。

 

 

 

 男は一言だけ言い残し、身を引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っているよ。────」

 

 

 仮面を被り、煙のように姿を消す。

 

 気付けば自身の左目から、涙が流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおわっ!?」

 

 

 悪夢から飛び起きた山田は、がつんと何かに頭をぶつけた。

 

 

「んにゃーっ!?」

 

 

 痛がり、床を転がる山田。

 何にぶつかったのかと思えば、自分はテーブルの下に頭を突っ込んでいた事に気付く。

 

 寝相の悪さ故、彼女は敷かれた布団からかなり離れたそこにいた。

 同室にいる沙都子は、すやすやと眠っている。

 

 

 

 傍に、すっかり彼女のお気に入りとなったからくり箪笥が置かれていた。

 その上に、ヌイグルミが乗せられている。ある俳優に似ていたので声を上げる。

 

 

「椎名桔平!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 北条邸の捜索が終わった山田らは、特別もうやる事はないので神社に戻る。

 先に戻っていた梨花だが、体調が優れないと言って早めに眠っていたそうだ。その為、どうしても話がしたい山田と上田は、神社にその日も泊まる事になった。

 

 夜を迎え、食事をし、眠りにつく。

 

 

 廊下にかかった時計を見る。深夜三時で、もう土曜日になっている。

 すっかり眠れなくなった山田は、何か飲み物でも飲もうと居間まで来た。

 

 

「うおっ!?」

 

 

 驚いた声をあげた。上田が扇風機の風を浴びながら、大型のテレビを工具で弄り回していたからだ。

 彼は山田に気付くと、作業の手は止めずに声をかける。

 

 

「よぉ。早いな? 中途覚醒はストレスが原因の可能性もあるぞぉ……おっと? 君はストレスとは無縁な能天気人間だったなぁ? じゃあトイレか?」

 

「……夜通し弄っていたのか、それ……」

 

「沙都子が直してくれって言うから、やったってんだよ。こう見えて俺は、テレビ修理検定の一級を史上最速二日で取得したんだ!」

 

「……ちょっとなんか最近、沙都子さんに甘くないですか?」

 

 

 上田は何も言わず、黙々と手を動かし続けた。

 

 このテレビは北条邸の二階で発見したもので、壊れて電源の付かないそれをわざわざ神社まで運んだ。それを上田は延々と修理している。

 

 

 テレビは二十四型で、下部のキャビンと一体となっている形状だ。

 現代では「レトロ」扱いされている代物だ。だがこの時代に於いては、この家にある物よりも遥かに性能は良いだろう。梨花と一緒にこのテレビで番組を観たいのが、沙都子のリクエストだ。

 

 

 

 夕餉を終えた彼は、厚さ四十センチほどのテレビの中に頭を突っ込み、あれこれ弄り続けていた。

 

 

「……もう綿流しが明日にまで迫っているんですから。これからどうするのか考えましょうよ」

 

「考えろたって、犯人の特定すら出来ていないんだ。現状、警察に便宜を図って貰っているし、入江先生から鷹野さんに注意するよう伝えてもいる。それに、未来の事を知っている俺たちもだ」

 

「………………」

 

「元の時間軸より、遥かに分が良い。これもう、強くてニューゲームで完全勝利確定だろぉ?」

 

 

「うははははは」と、気味の悪い笑い声をあげる上田。

 言う通り、確かに未来の事を知っている分こちらが有利だろう。だが山田の表情は晴れない。

 

 

「……警察署で、矢部さん()部下の人が言っていたじゃないですか」

 

「あぁ……矢部さん()部下の人か……」

 

 

 二人は菊池が訴えていた事を思い出す。

 

 

 

 

『「竜宮礼奈は学校を占領しなかった。だが、我々がこの時代に介入したからこそ……異変が起きている」

 

 「それが良い結果に転べば良いが……最悪の場合。我々の介入によって、我々の知る未来の出来事が変容するかもしれない。この、竜宮礼奈の件と同じように……!」

 

 「あまり、真相に踏み込めば……これから起こる未来は予想出来ないものとなる。ご注意を……」』

 

 

 彼の口から語られたのは、自分たち未来人の介入によって、正史とは違う事件が起こっている事に対する警告だ。

 明らかに未来が変わっている証左だ。山田はこれから起こり得る、イレギュラーを恐れていた。

 

 

「私たちは未来を知っているからと言って……その通りに事が動く保証はない。私はやっぱり、迎え撃つよりもこっちから追った方が良いと思うんです」

 

「だとしてもだ……犯人に繋がり得る鬼隠しの調査は止められている。これを破れば、入江先生が俺たちを信用しなくなるって事になってんだろ? 今からじゃどうにもならん」

 

「そうですけど……」

 

 

 上田は修理の手を止め、背後に立つ山田の方へ振り向く。

 

 

「今、俺たちがやれるのは綿流しに向けての準備と、北条夫妻の事件の究明だ。無闇な行動は寧ろ、敵に意図が気付かれる恐れがある。そうだろぅ?」

 

 

 山田を諭し、またテレビの修理に戻る。

 だが十秒ほどで、テレビ内部から手を引いた。終わったようだ。

 

 

「よぉ〜し! 完ッ璧に治ったぞぉ! どうだぁ? 天ッ才物理学者に出来ん事はないッ!! 生意気な梨花め! これで俺に跪けッ!!」

 

 

 コンセントを付けてから、電源を入れる。しかしモニターは黒いまま。

 間抜けな顔で、チャンネルを変えるツマミを回し続けていた。

 

 

 終いにはテレビから火花が散り、情けなく腰を抜かす。

 

 

「うひょぉう!?」

 

「……上田」

 

「お、おかしいな? 違う回路に繋いじゃったかな?」

 

 

 呆れ顔で山田は、飲み物を取りに台所へ行った。

 台所に付くと、テーブルの上に置かれていた水銀スイッチの束に気付く。

 

 

「上田さん、なんでここに水銀スイッチ置いてるんですか?」

 

「沙都子があの箪笥を気に入ったもんで、中身だけ出しといたんだ!」

 

 

 ひょっこりと居間から顔を出す上田。

 

 

「一応引き出しの中を調べたが、別に何か混ざっていたって事でもなかった! そうなりゃそれは、無用の長物だ!」

 

「じゃあ捨てたら良いじゃないですか。ポイしましょうよポイ」

 

「YOUのような人間が自然を破壊するんだ愚か者ッ! 水銀だぞ!? 朝のゴミ出しで一緒に出して良い物じゃない!」

 

「いきなりなんだお前は」

 

「とりあえず適切に処分出来るまで、誰の目にも届かない所にでも置いといてくれ」

 

 

 居間で落雷かと思うほどのフラッシュが発生。

 テレビがまた何かおかしくなったのか、上田は頭を引っ込めて対応に追われている。

 

 

「ちょっと、上田さん!……誰の目にも届かない所ってどこに……」

 

 

 とりあえず山田は台所にあったビニール袋を一枚取り、中に水銀スイッチを全て放り込んで纏める。

 口を縛り、後は場所を探すだけ。

 

 

「……いやまず、何か飲もう」

 

 

 山田は袋を持ったまま冷蔵庫前まで行き、扉を開く。

 中には「ネーポン」と銘振られた、オレンジジュースっぽい物の瓶が置いてある。

 

 

「おぉ……! 幻のジュース、ネーポン!!」

 

 

 すぐに山田は戸棚からコップを取り、冷蔵庫前でそのネーポンを注ぐ。

 それをグビグビと飲み、「プハー!」と笑顔で顔を上げる。

 

 

 

 

「……もう一回飲も」

 

 

 もう一度注ぎ、グビグビ飲み、「プハー!」と笑顔。

 

 

「めっちゃオレンジジュース!」

 

 

 喉を潤した彼女は冷蔵庫を閉め、流しにコップを置く。

 寝直すかと考え、テレビ相手に格闘する上田を尻目に寝室前まで到着する。

 

 

 そこでふと、考えた。

 

 

「……あれ? なんか忘れているような……」

 

 

 両腕を組み、うーんうーんと思い出そうとする。

 首を傾げ、さっきまでの自分の行動を頭の中で逆再生させる。

 

 

 

 そんな時に、妙な気配を感じた。

 何も分からないまま、山田はその方へ目を向ける。

 

 

「……? 誰か?」

 

 

 知らない誰かに呼ばれた気分だ。

 目線の先は、二階に通じる階段。確か、梨花が一人で眠っている。

 

 

「……梨花さん? 起きたんですか?」

 

 

 応答はない。

 気になった山田は、ゆっくりと階段を上がる。

 

 

 

 

 

 二階の廊下の電気は付いていなかった。

 だが窓から差し込む月明かりのお陰で、視覚に問題はない。

 

 とは言え暗い事には変わりないので、山田は摺り足で一寸先を確かめつつ、梨花の眠る部屋へ向かう。

 驚かせない為に一声かけるべきかと思った時、何かが聞こえて足を止めた。

 

 

「……声?」

 

 

 子どもの声だが、梨花のものではない。だが、聞き覚えはある。

 山田はその声に誘われるがままに、ゆっくりゆっくりと進む。

 

 

 

 目の前に一枚の襖が現れる。

 そこまで辿り着いた時、何を話しているのかが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

「──梨花──あの人が────いるのです────」

 

 

 

 

 

 

 山田はガラリと、襖を開ける。

 視界に入ったのは、布団に包まる梨花一人の姿だけ。

 

 

「……? アレ?」

 

 

 部屋は決して、広くはない。一回だけ首を左右に動かせば、全て見通せる。

 布団と梨花と、人を隠すには無理のある家具だけ。

 

 第三者は、どこにもいない。

 

 

「……梨花さーん……?」

 

 

 応答はない。眠っているのだろうか。

 しかし山田は、今の梨花を見て違和感を抱いた。

 

 

 

 部屋に扇風機などはない。窓が開いているとは言え、熱が籠っている。

 

 対して梨花は、まるで冬場の時のように掛け布団に包まっていた。頭まですっぽりだ。

 

 

「……暑苦しくないんですか?」

 

「………………」

 

「……誰か隠しています?」

 

 

 気になった山田は梨花の傍らに座り、布団を取ろうとする。

 それを、寝ているとは思えない力で引いて阻止する梨花。

 

 

「梨花さん起きてます?」

 

「………………」

 

 

 力を込めて布団を引くも、梨花はそれを阻止。

 

 

「起きてますよね?」

 

「………………」

 

 

 両手で布団を掴み、「オリャーっ!!」と身体を動かしてまで力強く引く。

 それを同様の力で引き返す梨花。

 

 

「いや起きてるだろ!」

 

「起きてないのです」

 

「起きてんじゃん!?」

 

 

 山田は機転を利かし、上半身の方を引くフリをして、下半身の方から引っぺ返してやった。

 足からぺろんと、掛け布団の下が露になる。

 

 

「誰だーーっ!……って、誰もいない!?」

 

 

 梨花の身体だけしかない。その下に、もう一人はいなかった。

 だが何かを抱いて隠すような、胎児姿勢の梨花に気付く。

 

 

「……なに持ってます?」

 

「…………持ってない」

 

「持ってますよね?」

 

「持ってない」

 

「………………」

 

 

 山田は目を細めた後、窓の方を指差し、わざとらしい声で告げた。

 

 

「あ! 椎名桔平!」

 

「誰なのです?」

 

 

 人差し指の先は、勿論だが何もいない。

「UFOだ!」ぐらいの程度の嘘で気を逸らそうとするも、この時代に椎名桔平を知る者はいない。

 

 作戦は失敗に終わった。

 山田は腕を引き、どうしようかと口角を縛る。

 

 

 

 

 

 

 指先で、彼女の脇腹をデュクシと突き刺す。

 それに反応し、びくりと身体を震わす梨花。

 

 

「ソイヤっ!!」

 

「あ……!」

 

「取ったどーーっ!!」

 

 

 ガードが弱くなった隙に、山田は梨花が抱き締めていたソレを取り上げた。

 だが掴んだソレを見て、目を疑った。

 

 

 

 

 

 緑色の一升瓶だ。どう見てもジュースが入っているような代物ではない。

 細やかな絵と英語が描かれたラベルに、オシャレなロゴと、瓶の中で揺れる紫色の液体。さすがの山田でもそれが何か察せる。

 

 

「……ブドウジュースですか?」

 

「その通り」

 

「いやワインだろ!」

 

 

 山田はパッとラベルを見やるも、筆記体の英語は読めない。

 

 

「び、べ、べ……? は? 火星語かこれは……?」

 

 

 読むのを諦め、梨花の方を見る。その目は「まさか」と言いたげだ。

 梨花も観念したようで、悩ましい溜め息を吐きながら身体を起こす。

 

 

「ちょ、ちょっと、梨花さん!? いやまさかですけど、飲んだり!?」

 

 

 ふらりと起き上がった彼女は、またふらりと振り向く。

 赤い頰に、ややとろんとした瞳と、手に握る赤い水滴の付いたワイングラスを見て、確信に至る。

 

 

「飲んじゃったんすか!?」

 

「……悪い?」

 

「がっつり未成年飲酒ですよ!?」

 

「こんなの、甘酒と一緒なのです」

 

「いやいやいやまさかまさかまさか」

 

 

 山田の言う通り、彼女はまだ小学生にしてワインを飲んでいた。

 またパッと瓶を回し、裏にあった成分記載表を読む。

 

 

「……アルコール濃度十三パーセント!?」

 

 

 その隣に、製造者の似顔絵がなぜか描かれていた。

 

 

「椎名桔平!?」

 

 

 

 

 騒ぐ山田を尻目に、梨花は煩わしそうに頭を掻いている。

 

 

「……嗜む程度なのです。大目に見て欲しいのです」

 

「いやでも、半分まで減ってますよ!?」

 

「その半分は上田に、カレー作りの隠し味で使われたのです」

 

「でもでも、嗜む程度でも飲んじゃ駄目ですよ!?」

 

「なんで?」

 

「育ちませんよ!! お胸とか!!」

 

「………………」

 

「………………」

 

 

 

 

 言ってから山田は自分の胸を見て、悔しそうに口を歪めた。完全に自爆ではある。

 彼女の主張を聞き、梨花は鼻で笑う。

 

 

「……魅音と詩音は普通に飲んでいるけど、あなたの倍育っているじゃないの」

 

「うっせぇうっせぇわ! 育ってないのは……梨花さんもそうでしょ!?」

 

「こっちはまだ伸び代あるけど、あなたはどう?」

 

「まだ育ちますぅ〜!」

 

「私、十二歳。あなた、何歳?」

 

「この話やめましょう……て、てか、梨花さん、なんかキャラ変わりました?」

 

 

 言う通り、梨花の口調は若干大人びており、いつもの子どもっぽさは消えてやけに妖艶だ。

 酒は人の本性を暴くと言うが、もしやこれが彼女の素なのかもしれない。

 

 

 梨花は自身の口元を親指で拭い、話し出す。

 

 

「……胸騒ぎが止まないのよ」

 

「え?」

 

 

 吐露されたのは、不安の声だった。

 

 

「おかしい事だらけ……ジオ・ウエキもいなかったのに、一年目の事件が無かった扱いにされているし、赤坂が村に来たのもなぜか半年前……色々とおかしくなっている」

 

「………………赤坂って誰です?」

 

「なのに沙都子の件もレナの件も、良い方向に向かっている……そこが不安なの。これから私の知らない何かが絶対に起こる……それは果たして、これまでのように対処出来るものなのか……って」

 

 

 梨花の手が、ボトルの方に伸びた。

 それをサッと遠去けた山田を、恨めしそうに睨む。

 

 

 

 対する山田も、真剣な眼差しで受け止めた。

 

 

「……梨花さん。あなた、何者なんですか?」

 

「……何者とは?」

 

「まるでこれから起きる全てを、あらかじめ知っていた……いえ。未来予知と言うよりも、ずっと見て来たかのような……」

 

 

 山田の見解を聞き、目を瞑って乾いた笑いを出す。

 彼女の反応を訝しんでいると、また目を合わせて話す。先ほどとは違い、好奇の念が梨花の瞳に宿っている。

 

 

「何者かって言えば、あなたもそうじゃない?」

 

「質問に答えてください」

 

「答える以前にフェアじゃないってだけよ。私はあなたの事は何一つ知らない」

 

「私はご存知の通り、未来の東京から来た、ムチムチダイナマイトボディの超売れっ子マジシャンで──」

 

 

 

 

 

 

 途端に梨花が山田に詰め寄り、その口を手で塞ぐ。

 視界が彼女の顔に埋め尽くされる。瞳孔から虹彩までしっかりと、伺える距離だ。

 

 

「ん!?」

 

「静かに」

 

 

 引き離そうとするも、爛々とした梨花の目の迫力に押され、膠着する。

 彼女の目が、部屋の出入り口の方へ動く。

 

 

「……あなたは雛見沢症候群に感染していない。なのに、『感じ取る事が出来た』」

 

 

 山田も、梨花の視線の先へと目を動かす。

 

 

「それも強く、強く……」

 

 

 開かれたままの襖の向こうは、真っ暗だった。雲が月を隠し、明かりがなくなった。

 気配は感じない。誰もいないハズだ。

 

 

「そんな人間は初めて出会った。私はなぜかそれが嬉しい」

 

 

 

 目が闇に慣れ、薄らと見えるようになる。

 そして驚愕から、呼吸が止まった。

 

 

 

 

 襖の向こうの闇の中から、ひたりと爪先が現れたからだ。

 

 

「──ッ!!??」

 

 

 山田の視線は釘付けだ。

 最初は沙都子か上田かと思った。だが誰でもないと、なぜか直感でそう思い直された。

 

 

 

 

「あなたは、もしかして────」

 

 

 梨花は耳元で囁いた。

 

 

 

 

 

 

「────私と似ていて、全く非なる人間、かしら?」

 

 

 再び視線が梨花の方に向く。

 

 

 

 

 

 途端、彼女は一気に山田から離れた。

 その手にはボトルが握られている。

 

 

「……あ!?」

 

 

 没収していたボトルを奪い返されてしまった。

 だが山田はすぐに立ち上がり、廊下に出る。

 

 

 誰もいない。微かに見えた爪先も、消えていた。

 荒い呼吸を繰り返し、呆然と立ち尽くすだけ。

 

 

「今のは誰……!?」

 

 

 トクトクと、音が聞こえて我に返る。

 振り向いた先、梨花はさも当たり前かのようにグラスにワインを注いでいた。

 

 

「だ、だから飲んじゃ駄目って──」

 

「飲む?」

 

 

 グラスを山田に差し出した。ヴァイオレットの液体がゆらりと揺れる。

 てっきり飲まれるかと思っていただけに、意表を突かれた。唖然とした山田の表情が面白いのか、梨花はしたり顔だ。

 

 

「いらない?」

 

 

 雲が晴れ、月光が注ぐ。

 浴びる梨花の姿は、底冷えするほどに艶があった。歳不相応な魅力だ、だからこそ恐ろしさも感じた。

 

 

 

 山田は一歩踏み出し、また部屋に入る。

 

 

「……この村に来て、何度か見たんです。聞いたんです」

 

 

 賽銭箱の前や、山の中。

 自分を呼ぶ声と、藤色の髪をした女の子の姿を、見た気がしていた。

 

 

 幻覚だと思っていた。だが先程の現象と梨花の様子で、確信に至る。

 アレは確かに、存在していたと。

 

 

「……誰なんですか……!? 何者で、どこにいるんですか……!?」

 

「山田」

 

 

 梨花は膝を抱き、グラスを回しながら話した。

 

 

 

 

「……私が死んだら、沙都子も死ぬ。魅音も詩音も、圭一もレナもみんなみんな死ぬ……」

 

 

 落ち窪んだような声だった。この世への絶望を吐き出したかのような、暗い声だった。

 

 

「……私は、生きたい。生きて、その先の未来に行きたい……その為にはどんな痛みにも耐える。千載一遇のチャンスともなれば、何だってやる」

 

「………………」

 

「もう、私にとってあなたたちは……最後の希望なのよ。特に山田奈緒子、あなたがそう」

 

「……私が、なんで……?」

 

 

 二人の視線がまた交わる。

 上目遣いの梨花。瞳が潤んで見えるのは、見間違いだろうか。

 

 

 

 

「……散々、試すような事をして申し訳なかったわ。けど、確信した……あなたには、不思議な力がある」

 

 

 目を見開き、動揺する山田。

 梨花は無視し、続ける。

 

 

 

「私なんかよりも、もっともっと強い……もしかすれば、『あの子に近付ける』ほど」

 

「……っ!?」

 

「その力なら間違いなく、この永遠の牢獄を打ち壊してくれる」

 

「り、梨花、さん……?」

 

「でも同時に、その力が怖い。数多のイレギュラーは、あなたが関係しているハズ……それが吉兆さえも、壊し得るの」

 

 

 グラスを持つ彼女の指が、僅かに震えていた。

 山田がそれを見た瞬間に、梨花はもう片方の手で押さえて震えを止める。

 

 

「……お願い。私の仲間でいて欲しい……まだ言えない事はたくさんある……けど、必ず全てを話す。その子の事も、元の時代への帰り方も……話してあげるから……」

 

 

 梨花は頭を下げ、目を伏せた。

 

 

 

 

「…………こんな私でごめんなさい。ワガママだけど、信じて欲しいのよ……こんな事を話せるの、あなたしかいない」

 

 

 騙すような事をした罪悪は、彼女の中にあった。確かにあった。

 アルコールを入れなければ、それさえ隠してしまっていただろう。やっと心情を吐露出来た。

 

 

 安堵と、不安が、半分ずつ。

 罵る権利も、無視する権利も、山田にはある。

 試すような事をして、彼女に必要以上の恐怖を与えた。逃げられても文句は言えない。

 

 

 

 

 祈りも捧げたが、諦念の方が強い。

 何が起こるか察するのが怖くて、つい目を伏せた。

 

 

 

 

 

 一分、経過。もう無理かと思う。

 

 途端に持っていたグラスが、宙に浮いた。

 

 

 

「……!」

 

 

 顔を上げる梨花。

 グラスは宙に浮いたのではない。山田が手に取っていた。

 

 

 山田はワインを、仁王立ちのまま一気に飲む。

 喉を何度も何度も鳴らし、液体が減る毎に身体が仰け反って行く。

 

 今度唖然となるのは、梨花の方だ。

 

 

 ワインを飲み干した山田は「プハァーっ!」と言いながら、仰け反らせた身体を戻す。

 

 

 

 

「──ざっけんなーっ!!」

 

「!?」

 

 

 赤ら顔で、焦点の合わない目で梨花を見下ろす。

 足も覚束なくなり、ふらふら。有り様は完全に酒乱だ。

 

 

「こちとら、家に帰る為に頑張っとんじゃーい!!」

 

「あなた誰よ」

 

「それを勝手に、私の為にだのみんなの為にだの……」

 

 

 両手を広げ、宣言する。

 

 

「当たり前だーーっ!!」

 

 

 その言葉を聞き、梨花は信じられないと瞬いた。

 

 

「それ込みで動いてんに決まってんでしょーがっ! 私も、アホ巨根の上田も! んなもん察せずに勝手に試すなーーっ!!」

 

「……!」

 

「だからっ!!」

 

 

 一回ふらついた後、何とか立っていられた山田はビシッと、梨花に指差す。

 そして断言してやった。

 

 

 

 

 

「……大船乗ったつもりで、信じてください……! 私も、信じてやりますから……!!」

 

 

 一言余計につける。

 

 

 

 

 

「……謝礼次第でッ!!」

 

 

 ガクッと、ずっこける梨花。

 結局対価を付けるのかと、失望した。

 

 

 

 だが、絶望はなかった。寧ろ希望が湧いた。

 めちゃくちゃだが、今の彼女の言葉は胸に響く。安心して良いんだと、思えるようにはなった。

 寧ろ山田らしいと、失望より安堵が勝った結果とも言える。

 

 

 

「……謝礼ね」

 

「そうっ!! 謝礼っ!!」

 

「……いいわ」

 

 

 不敵な笑みを浮かべて、山田を見上げた。

 

 

「……古手家には代々伝わる、それはそれはウン十万はくだらないお宝があるの」

 

「え、マジすか」

 

「全て終わらせてくれたら場所を教えてあげる。元の時代に帰っても、その場所にキチンとお宝があるようにしてあげるわ」

 

「マジすか」

 

「……だから」

 

 

 腕を伸ばし、山田の前に翳す。

 掴んでくれと、手の平を見せた。

 

 

 

 

 

「……全部、暴いて。私を、助け」

 

 

 

 

 山田はバターンと、倒れた。

 

 

「──はぇ?」

 

 

 何事かと思えば、酔った彼女は床で大の字になって、グーグー寝息を立てていた。

 

 

「椎名……桔平!」

 

「だから誰よ」

 

 

 謎の人物の名前を叫んだ後、完全沈黙。夢の世界に去って行ってしまった。

 立ち上がり、山田の傍らでしゃがむ。手放されたワイングラスを、受け取った。

 

 

「……ありがとう」

 

「風祭モーターズーっ!!」

 

 

 叫ばれた変な寝言に呆れながら、梨花は窓の方へ目を向ける。

 

 

 

 

 

 空は明るくなっていた。鳥が鳴き始め、気温が増して行く。

 同じ頃、蝉もじわじわと現れた。

 

 

 

 夜は明けた。これで最後だと、決意する。

 

 

「……雛見沢は消させない」

 

 

 遠く空には、薄く消え行く月が見えた。

 清々しい朝の空気を、肺いっぱいに吸い込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梨花は気付いていない。

 

 眠る山田の左目から、涙が流れている事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中、また山田を誘う仮面の男が現れた。

 ふらりふらりと踊り、手で何度も促す。

 

 

 

 

「おいで、おいで、おいで…………」

 

 

 仮面の男は、確かに言った。

 あの時、去り際に、確かに言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待っているよ。『雛見沢』で」

 

 

 山田はうわ言のように呟く。

 

 

 

 

 

 

 

 

「椎名……桔平……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、居間。

 上田はテレビの中に頭を突っ込んで眠っていた。




・チャンネルを変える事を、今でも「チャンネルを回す」と表現するのは、この頃のテレビはチャンネルをダイヤル回して変えていた名残みたいです。

・「ネーポン」とは兵庫県発の飲料で、主に関西で出回っていた天然果汁のジュース。その後メディアで「幻のジュース」と取り上げられ、知名度を全国に拡大させた。
 1963年から、2007年まで発売されていた。製造元は廃業しているが、権利を譲り受けた愛好家が味の再現に成功し、2019年にシロップとして復活している。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

疑念惑

 入江が山田に伝えた事は、大災害の正体とも言える内容だった。

 メイド服を着た人体模型に目移りしかけるが、何とか無視。

 

 

「雛見沢症候群には、『女王感染者』と言う特別な感染者が存在するんです」

 

「ドSっぽい名前ですね……」

 

「そっちの女王様じゃないですね」

 

 

 この話をした時、同席していた梨花の表情が険しくなっていた。

 そして次に入江は、「墓場まで持って行く事」を約束させ、憚るような声で語る。

 

 

「この女王感染者が亡くなれば、他の感染者は一斉に末期症状となると、考えられております」

 

 

 察した山田は、梨花と入江とを交互に見やる。

 これから起こる未来を彼には言えないが、山田はこの瞬間、大災害の正体を知る事が出来た。

 

 

 

 

 入江は真摯な瞳を向けている。

 

 

 

 

 

「そのような事態になった場合──あらゆる措置を行使し、『村民の皆殺し』と『雛見沢の抹消』が実行されます」

 

 

 その話には、梨花さえも戦慄していた。

 山田もまた、嫌な汗をかいた事を覚えている。

 

 

 

 

 

 

「そいつが、大災害の正体か……ケッ! 胸糞悪いぜ!」

 

「そうですね。めっちゃ胸がムカムカしますね」

 

「気分悪いのです……」

 

「お前らどうした二人揃って」

 

 

 入江から聞いた話は、きちんと上田にも伝えてあげた。

 山田と梨花は二日酔いと寝不足の状態で、酷くグロッキーとなっていたが。

 

 

 

 現在は、朝の八時。直しかけのテレビの隣にいる上田と、円卓の向かいには青白い顔の二人が座っている。

 水を飲みながらフラフラする彼女らを訝しみながらも、上田は話を続けた。

 

 

 

 

「それで、その女王感染者とやらが……君、なんだな? 梨花」

 

 

 その通りですと口で言えず、だらしなく腕を上げて反応する。

 衝撃の事実だが、全く緊迫感がない。上田は少し、まとめ辛そうだ。

 

 

「つまりだな……梨花が殺される事により、村人の集団発症が起こる。それを防止する為に、政府の指示で村人ごと村が消された。それをガス災害として隠蔽したと……これが、雛見沢大災害の正体か……ッ!!」

 

 

 上田は震えながら突然立ち上がった。吊り下がっていた電灯に頭をぶつける。

 

 

「ハッハッハッ!! この上田次郎に、解けない謎なんてなかったッ!! これにて雛見沢大災害の謎、解決ッ!!」

 

「いや解決してませんし。寧ろこれから起こるんですって」

 

「……そうだったな」

 

「座れ」

 

 

 少し気分を取り戻した山田が即座にツッコんだ。

 上田は萎むように座る。

 

 

「……しかし、めちゃくちゃ驚きましたね。雛見沢症候群って、ここまで国家プロジェクトだったんですね?」

 

 

 水を飲み干し、深呼吸をしてから、梨花はやっと口を開いた。

 

 

「……経緯は聞いているのです。研究をまとめて学会で証明する事と、治療薬の完成なのです。ボクは女王感染者と言う事なので、入江たちに協力していたのですよ」

 

 

 学者としての性分からか、知らない用語について上田は質問をする。

 

 

「その……女王感染者ってのは、具体的に他とどう違うんだ? ボンデージの服着て、鞭でしばくのか?」

 

「にしおかすみこ?」

 

「そんな事しないのです。てか誰なのですかニシオカって」

 

 

 梨花は気怠げに身体を起こし、自身の頭を指差しながら説明してやる。

 

 

「鷹野が言うには、その役割は『女王蜂』みたいなのです」

 

「アヴちゃん?」

 

「山田しつこいのです」

 

「ごめんなさい」

 

「……女王蜂は自分から『ふぇろもん』を出して、他の働き蜂が子どもを産めないように、機能を抑えているみたいなのです。女王感染者の役割はそれで、ボクから出されるふぇろもんで他の感染者は発症を抑えているって事なのです」

 

 

 途端に山田と上田は鼻をすんすんと鳴らす。

 

 

「……何も匂いませんけど」

 

「いや、何か匂うぞ……おおぅ!? また俺のシャネルNo.5石鹸使ったのかッ!?」

 

「匂わなくても、ボクからふぇろもんムンムンなのです」

 

「無視するんじゃねぇッ!」

 

 

 説明を終えた梨花の表情に、影が出来た。

 

 

「……ボクが死んだら、村人は全員発症し、殺し合うのです。てっきりそれで村は滅んだと思っていたのですが……」

 

「……実際はそうなる前に、政府が村を丸ごと消していたって訳ですか」

 

 

 こくりと、梨花は頷く。

 女王感染者死亡後の措置について、梨花は聞かされていなかったようだ。鷹野も入江も、物騒な話の為敢えて話さなかったとの事。

 

 

 

 内容を聞いて一番の動揺を見せたのは、ここにいる山田らよりも梨花だった。

 自分一人の死が、望んだ事でないにしろ村を破滅に招いていた訳だ。

 

 

 それによる動揺と不安が、梨花を自棄酒させたのだろう。診療所から帰ると、ずっと飲んでいたらしい。

 未成年飲酒の件は、山田も秘密にしておこうと心に決めた。

 

 

「……なら分からないな。犯人は、梨花が女王感染者だと知っていたのか? それとも知らずに殺したのか?」

 

 

 上田の疑問はもっともだろう。

 

 

「知らずの場合は、全く動機が分からない。知っている場合なら、梨花の死によって村が消され、これまでの研究がパーになる事も知っているハズ。俺が研究者なら、護衛を付けてでも保護するんだがなぁ」

 

「あ、そう言えば梨花さんにも護衛はいるんでしたっけ?」

 

「え、いるの? どこ?」

 

 

 上田はカーテンを開けて、窓の外を見る。下からニュッと北欧人が現れ、驚く。

 

 

「いたぁ!?」

 

「そいつらじゃないのです」

 

 

 梨花が表に出て「帰れー!」と叫ぶと、例の北欧人集団は退散した。

 居間に戻り、改めて護衛の説明をする。

 

 

「『山狗』って、人たちなのです。四六時中守ってるって訳じゃないのですが」

 

「その人たちに会ったりとかは?」

 

「無いのですよ。鷹野曰く、フラーっと来てチラーっと見て、サーって帰ってるみたいなのです」

 

「社長出勤か!」

 

 

 説明を聞いて、上田は険しい顔付きになる。

 

 

「なら当分は厳重に見張るように言うんだ。この間は、竜宮レナに拉致されてたじゃないか。ホントに護衛してんのか疑わしいなぁ?」

 

「アレは半分上田のせいなのです」

 

「黙れ」

 

 

 じとっと睨む梨花から目を離す上田。

 

 

「……まぁ、実際、それで肝心の梨花を守れていないのだからな。なあなあでされたら困るだろぉ?」

 

「入江には言っといたのです。明日は鷹野と富竹を守るようにと約束してくれたのです」

 

「なんだ、完璧じゃないか……これは勝ったな! 今の俺たちは負ける気がしねぇ!」

 

 

 警察と入江たちのバックアップに、上田と山田の参加もある。

 後は富竹へ注意を促すだけ。これで数多の惨劇を防げるだろう。

 

 

 

 だが山田の表情は浮かない。それは梨花も同じだ。

 

 

「なんだなんだ、どうした? まだ気分悪いのか?」

 

「……まだ、安心は出来ませんよ」

 

「なに?」

 

「夜中にも話したじゃないですか……何か、思いも寄らないハプニングが起きるかもって……」

 

 

 そんな話もしたなと、上田は思い出す。梨花もまたそれに対する不安を、山田に吐露していた。

 レナの凶行を止めた時点で、全てが変わり始めている。

 

 いや。変わっているのは、最初からかもしれない。妙な不安が、山田を苛む。

 この不安を解消しない限り、勝ちを確信するのは早計だ。

 

 

「私は入江さんとの約束を破ってでも、過去の鬼隠しを調べるべきだと思います」

 

「いや、しかしなぁ……それで全部ぶち壊しにする訳には……」

 

「ボクも賛成なのです」

 

 

 梨花も手を上げ、山田に従う。

 ギョッと二度見したのは、上田。

 

 

「い、良いのか!? 折角、協力を取り付けられたのにだぞ!?」

 

「どーせ入江、日中は診療所だからボクたちの事なんて気付けないのです」

 

「そーゆー訳です。バレなきゃ、破ってない」

 

「発言がクズだぞ!」

 

 

 上田は溜め息を吐き、首を振る。彼はあまり、乗り気ではなさそうだ。

 

 

「本格的にやるのは綿流し以降だ……今は備えるべきだろ? 俺だって、沙都子の件だけはどうしても暴いてやりた……」

 

 

 そう言えば沙都子がいないなと、気付く。

 今日は休日の為、朝寝坊しているようだ。

 

 

「……全く。もう九時前だぞ」

 

「休日なんだから良いじゃないですか。私なら昼まで寝ます」

 

「それは寝過ぎだッ! 休日とは言え、眠り過ぎは身体に毒だ。いっちょ起こしてくるか」

 

 

 立ち上がろうとする上田より先に、梨花がサッと腰を上げた。

 彼が何かを聞く前に、二人に背を向ける。

 

 

「ボクが起こして来るのです。沙都子に元気だって、アピールするのですよ〜」

 

 

 そう言って居間を出て行った。

 彼女の足音が聞こえなくなるまで見送った後、山田はサッと立ち上がる。

 

 

「腹減った」

 

「欲望に忠実か!」

 

「メシ食べようメシ」

 

「YOUの家じゃないんだぞ!」

 

 

 とやかくごねる上田を無視し、山田は台所に着く。

 何かないかと見渡した後に、冷蔵庫に目が向いた。

 

 

「おい上田! 何か作れ!」

 

「暴君か!」

 

 

 渋々台所までやって来た彼を一瞥し、山田は冷蔵庫の扉を開けた。

 確か具材があったハズだと、内部に目を通す。

 

 

 

 

 

「……ん?」

 

 

 山田はある物を発見した。

 その様子に気付いた上田も、何事かと冷蔵庫の中を見やる。

 

 

「どうした? アイスクリームを冷蔵庫の方に入れちまってたかぁ?」

 

「いやあの……コレ……」

 

 

 彼女が指差した先を目で追う。

 視線が捉えたそれを、上田は愕然とした表情で口にする。

 

 

「ネーポン!?」

 

「その隣!」

 

 

 ネーポン瓶の隣には、封された袋が置いてあった。

 上田はそれを手に取り、中身を見てから山田を睨む。

 

 

「……水銀スイッチじゃないか……目に付かない所に置けと言ったのに、どうして一番目に付く冷蔵庫の中に入れたッ!?」

 

「あー。ネーポン飲もうとして、そのまま置きっぱにしてましたね」

 

「オイッ!」

 

「てへぺろりんが星人!」

 

 

 叱責し、呆れ顔で冷蔵庫から取り出した。

 自分がどこかに置こうと間近で見た時、上田の目が一驚からパチッと開く。

 

 

 

 

「おぅ?」

 

「どうしました?」

 

 

 すぐに袋の封を切り、水銀スイッチを一つだけ出す。

 ガラス筒の中の水銀は、凝固しかけていた。流れ方も鈍い。

 

 

「……結晶化しかけている」

 

「そりゃ、一晩中冷やしてたらちょっとは凍りますよ」

 

「いや、違うぞ山田」

 

「はい?」

 

 

 思い当たる節があるのか、上田は水銀スイッチを持って大急ぎで居間に戻った。山田も後を追う。

 

 

 

 やっぱり立ち止まり、冷蔵庫から昨夜の夕餉の残りを取って、居間に入る。

 上田は卓上に水銀スイッチをばら撒き、全ての状態を確認していた。

 

 

「……これもだ。これも……幾つか結晶化しかけているな……」

 

「だふぁら、ひひゃししゃらこふぉりまふよって(だから、冷やしたら凍りますよって)!」

 

「何言ってんだおま……食いながら喋るなッ!」

 

 

 残り物であるほうれん草のお浸しをムシャムシャ食べている山田。

 上田は気を取り直し、説明を始めた。

 

 

「水銀の凝固点……つまり、凍り始める温度は、約マイナス三十九度だ。冷蔵庫の温度はせいぜい、〇度から十度……水銀が凍るハズがない」

 

「んふぁらふぉふぇふぁ(それならそれは)?」

 

「飲み込め!」

 

「んぐっ……ふぅ……美味いなコレ!?」

 

「質問しろッ!」

 

 

 テレビ修理用に使ったドライバーを取り出し、プラスチック製のオボンを敷いてから、その上でドライバーの先端を使って筒に穴を開ける。

 オボン上に半ば結晶化した水銀が溢れ出す。

 

 

「だ、出して大丈夫なんですか!?」

 

「……なるほどぉ。ハハッ! 山田、こいつは水銀じゃないッ!」

 

「え?」

 

 

 上田はその液体を指先で突っついて遊び始めた。

 液体は上田の皮膚にも、染み込みはしない。

 

 

 

 

「これは、『ガリウム』だ! 液体の状態だったから、水銀と見分けが付かなかった……! おほほほほ〜!」

 

 

 ぷにぷにとその、ガリウムを触って、変な笑い声を出す上田。

 半ばドン引きした表情のまま、とりあえずお浸しを全部食べてから質問する。

 

 

「……んで、ガリウムと水銀って何が違うんです?」

 

 

 上田は得意げな顔で語る。

 

 

「ガリウムは約二十九度代で溶け始める、特殊な金属だ。固体の状態でも、人肌で難なく溶けるんだ。水銀と違い毒性はないし、濡れ性が強いから皮膚に付いたりもしない。凝固点以下でも結晶化はし難いが、まぁ凍る事は凍るな」

 

「じゃあずっと溶けたまんまだったから、水銀と間違えた?」

 

「夏場の気温は三十度を超える。エアコンも何もない場所に放置してりゃ、ずっと液体のまんまだ」

 

 

 オボンから手の平に垂らし、揺らして遊ぶ。

 山田も気になったようで、上田と同様の事をして手の平に乗せた。

 

 

「おー、おー、おぉー……! 楽しい!」

 

「飲むなよ?」

 

「飲むか!……でも水銀にせよガリウムにせよ、なんでこんな物を……?」

 

「さあなぁ? この時代じゃガリウムなんて、水銀よりも手に入り難いだろうに……おおっとそうだそうだ! ガリウムにはな? もう一つ面白い性質があるんだ!」

 

 

 ガリウムをぷにぷにさせながら、説明を続ける。

 

 

「ガリウムは、他の金属やらアルミニウムやらに付くと、その粒界に侵食して合金化するんだ」

 

「それって……えーっと。どうなるんですか? 硬くなるんです?」

 

「逆だ、『脆く』なる。これを脆化(ぜいか)現象と呼び──」

 

 

 

 

 

 

 瞬間、楽しそうだった上田の表情が真顔になる。口を閉じ、目をかっ開いたままガリウムを見つめた。

 山田が何だ何だと、ガリウムをぷにぷにさせながら目を向けた。

 

 バッと上田は顔を上げる。ガリウムはぷにぷにしたまま。

 

 

「……そんな……ッ!? まさか……ッ!?」

 

「……上田さん?」

 

「……山田。謎が解けたかもしれん」

 

「へ?」

 

「……一年目の、事件のからくりが……!」

 

 

 上田はガリウムを指差し、山田と目を合わせて話し出す。

 

 

 

 

 

 

「思い出せ! 自然公園で見せて貰った……壊れた鉄柵の状態を……!」

 

 

 確か、錆びたかのようにボロボロと崩れていた。

 誰かの細工の痕はなく、自然現象とも捉えられる壊れ方だ。それを思い出した山田は、上田の言わんとしている事を理解する。

 

 

「アレ……ガリウムで脆くしたって事ですか……!?」

 

「あぁ!! そうに違いないッ! あの柵なら、ガリウムによる侵食は起こる! 脆化現象により根本がボロボロになった柵に、成人二人が全体重をかければ……容易く折れるッ!!」

 

「或いは展望台に潜み、誘導してから突き飛ばすだけでも良い……」

 

「あぁ、そうだ……ッ! 沙都子が両親を殺しちゃいない……これは何者かが、そうなる事を良しとした結果……つまり、その何者かによる『未必の故意』だ……!」

 

「知らない言葉使うのやめて貰って良いですか?」

 

 

 未必の故意とは、事件が起こるかは不確定ではあるが、その確率を意図的に上げた上で本人が「誰か死んだとしてもそれで良い」と考えていた事件に対する法律用語だ。

 

 勿論の事だが、意図して状況を整えた時点で殺意ありと見做され、歴とした罪に問われる。

 

 

 とは言え、一連の可能性を聞いた山田は渋い表情でぼやく。

 

 

「どこまでも手のかかる事を……」

 

「だが、問題はどうやってガリウムを付着させたか、だ……あれほどボロボロにさせる為には、一週間ほど浸けておく必要があるだろうに……表面にペタペタ塗りたくれば、色でバレちまう。雨で流されるだろうし……」

 

「それなら簡単じゃないですか」

 

 

 上田の疑問に答えたのは、山田だ。

 

 

「柵の根本に、工具か何かで目立たない程度の小さい穴を開けるんですよ。で、そこからガリウムを注ぎ、内部に溜めて、脆くなるまで放置する。中は空洞でしたんで、出来ると思いますよ。これなら雨が降っても平気です」

 

「ハッ、だろうな。そんな事だと思った」

 

「おい」

 

 

 山田の推理を、さも自分は考えていましたとイキる上田。

 彼は有頂天だった。沙都子は無実だと思っているようだ。

 

 

「ヌハハハハ! 沙都子は何も悪くなかったんだ! あの調書も、沙都子の記憶違いかなんかだろ!」

 

「………………」

 

「山田?」

 

 

 ガリウムをぷにぷにしながら、山田は満足行かない様子だ。

 眉間に皺を寄せ、首を捻る。

 

 

「……記憶違いでも、『両親が崖から落ちた』なんて言うでしょうか? 普通ならやっぱ、『どっかに行っちゃった』とかじゃ……」

 

「こ、言葉の綾かもしれないだろぉ? 或いはアレこそ、捏造の可能性がある」

 

「捏造するにしても、小学生を犯人にしようなんて考えるのは無理がありませんか?」

 

 

 その指摘を受けた上田は、ガリウムをぷにぷにしながら押し黙る。

 山田は容赦せず、推理を続けた。

 

 

「寧ろ柵を脆くしたのなら、誰でも人間を突き落とせる状況だったと言う事ですよ」

 

「……なら、何か? YOUはどうしても沙都子を犯人にしたいのか?」

 

「そりゃ、私だって信じたくはないですよ……でも、断定するのは早いんじゃないかって思いまして」

 

「…………そうか」

 

 

 遊ぶのをやめ、ガリウムをオボンの上に乗せる上田。

 意気消沈する彼を見て、山田もハッとして気を遣う。

 

 

「あの、すみません……私ったら、また……」

 

「……いや良い。君の言う通りだ。まだ早かったな……すまない」

 

 

 場は、重苦しい空気を纏い始めた。沙都子の件に関すると、どうしても上田と噛み合わなくなる。

 だが山田の言い分も理解出来た。あくまで暴いたのは、「鉄柵を壊した方法」であり、犯人ではない。

 

 解決に至るにはまだ、ピースが足りないだろう。

 どうにかして、調書以上の証拠を手に入れなければ、疑惑は覆せない。

 

 

 

 

 色々と考えた時に、山田は気付く。

 

 

「アレ? と言うかそもそも……このガリウムがなんで、沙都子さんの家に?」

 

「………………あ、そう言えばコレ、沙都子の家で見つけたんだったな。テレビの事ばっかで忘れてた……」

 

「………………」

 

 

 からくり箪笥の中にあったコレらは、北条一家に存在を気付かれていなかった。

 沙都子の話を聞くに、父親と兄の悟史は開けられなかったそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 山田はふと、顔を上げた。

 

 

「……お母さんは、開けられたんですかね?」

 

 

 ハッと、上田は愕然とした表情で彼女を見た。

 

 

 

 

「沙都子の母親の……死体は見つかっていない……!!」

 

「それって、もしかして……見つからないのは────」

 

 

 二人は顔を見合わせた。

 同時に思い付いたとんでもない考えに自ら戦慄し、生唾を飲んだ。

 

 

 

 

 最後はけたたましく鳴る、黒電話の音で我に返った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 沙都子が眠る部屋に、梨花が入ったところまで時間は戻る。

 襖を開け、だらしない恰好で惰眠を貪る沙都子を、呆れ顔で見下ろした。

 

 

「沙都子〜、起きるのですよ。ほら、ボクはもうお元気なのです〜」

 

 

 窓は開いたままで、吹き込んだ風がカーテンを舞わせた。

 彼女の枕元まで寄り、掛け布団を取っ払ってやろうと座る。

 

 

 布団を掴む。

 その時に沙都子は、ぽつりと寝言を呟いた。

 

 

 

 

 

「……にーにー……お母さん……」

 

 

 引かれようとした腕が止まる。

 梨花の方を向き、眠る沙都子の目には涙が溢れていた。

 

 

 少しだけ、考えた。

 考えた末、布団を取り払う事をやめて手を離す。

 

 その手は、沙都子の頭の上に向かった。

 

 

「……大丈夫よ。沙都子」

 

 

 優しく髪を撫で付けてあげる。

 苦しそうな沙都子の表情は、些か柔らかくなった。

 

 

 何度も何度も、撫でた。

 カーテンは舞い、眩しい朝の光を半分遮ってくれる。

 

 湖面を漂う光のような、穏やかな陽光が天井に写った。

 梨花はただ、慈愛と懺悔に満ちた手つきで、沙都子を安心させるだけ。

 

 沙都子の中の悪夢を、払ってあげるだけ。

 

 

 

「大丈夫だから……」

 

 

 

 

 

 とろりと凪いだ海のような時間は、暫く続いた。

 黒電話の音で沙都子が起こされるまで、続いた。




・女王蜂がフェロモンで働き蜂の生殖機能を抑制している理由は、「女王蜂以外はメスが産めないから」だと言われている。
 働き蜂は基本的にメスですが、対してオスの役割は謂わば種馬なので、巣から出ずに働かない。つまり働き蜂が卵を産んでも、働かないオスばっか増えるので、巣の存続が出来なくなると言う話です。
 そもそも蜂の針自体が産卵管ですので、オスにはそれが無いので外敵から巣を守れません。箱入り娘ならぬ箱入り息子って訳ですね。よろしく〜ねっ!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

御冥福

お待たせしました。


 六月の朝は既に暑い。

 

 陽光が燦々と照り、蝉が鳴く午前九時半。

 その最中レナは一人、自宅に帰って来ていた。

 

 

「………………」

 

 

 村を逃げ回っていた時にも何度か隠れ家に使ってはいたが、今の気分で帰った自宅は妙に懐かしい。

 

 玄関を抜けて、靴を脱いで廊下に入る。

 五感が澄んでいた。空気も、少し前までは吸っているようで吸えていない気でいたのに。

 本当にあの時の自分はおかしかったのだと、家に戻ってやっと実感する。

 

 

 少し進んだ先に、受話器の置かれたチェストがあった。

 床は血の痕がある。父親は警察に通報した後、律子に凶器で殴られた。コレはその時の痕だろう。

 

 

「………………」

 

 

 立ち止まり、数分ばかり血痕を見下ろしていた。

 色々と考え込んでいたが、首を振って何とか我に返る。

 

 

 

 彼は最後の最後で、娘を思って行動してくれた。惜しみないほどの愛情をレナに与えてくれた。

 その事実が、今の彼女の支えとなっている。

 

 

 だから、引き摺ってはいられない。

 自らへの罪滅しと、過去からの脱却の為、自宅に帰って来た。

 

 

 

 

 リビングに入る。

 がらんとした空間に、カーテンの隙間から陽光が差し込む。それが戸棚のガラスに反射し、部屋を朧げながら照らしていた。

 扇風機も何も付けてないので、蒸し暑い。滲んだ汗を拭う。

 

 

 まずレナの目に入った物は、叩き、切り付けられ、原型を留めないほどに破壊された丸テーブル。

 壊した人間は、レナ本人だ。

 感情が爆発したかのように、父が律子の為に購入したそれを壊してしまった。

 

 

 

「………………」

 

 

 付随し、床にも生々しい痕がある。

 目一杯に鉈を叩き付けたので、仕方ないだろう。

 

 

 

 

 

 父の葬式は、自宅で行う事となっている。

 明日、レナの母親が来るらしいが、それまでにこれだけは片付けておかなければ。

 それが家に戻って来た理由だ。

 

 

「……ちょっと、埃っぽいなぁ」

 

 

 壊れた丸テーブル以外にも、掃除しなければならない事は多そうだ。

 レナは息を大きく吐き、服の腕を捲ってから、「よし」と両拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 その時に、チャイムが鳴る。

 不意打ちだった為、レナの身体が跳ねた。

 

 

「……?」

 

 

 こんな時間で、しかもこの家に用のある人がいるのか。

 不思議に思ったレナはカーテンを開け、窓から軒先を見る。

 

 

 

 

 あっ、と声をあげ、すぐに玄関先へ行き戸を開けた。

 来訪者はレナを見ると、にっこりと笑い手を振る。

 

 

「おっはーレナ!」

 

「はろろ〜ん! レナさん、お久しぶりです!」

 

 

 魅音と詩音の園崎姉妹だ。

 レナは驚いた顔で二人を交互に見ている。

 

 

「お、おはよう……えと、二人ともどうしたの?」

 

 

 衝動的に出迎えたが、どうにも二人とは顔を合わせ難い。特に魅音に対してはもっとだろう。

 ただ魅音も、複雑なレナの感情を汲んでいるようだ。いつも通りで、出来るだけ穏やかな雰囲気で話せるよう心がけていた。

 

 

「圭ちゃんから電話が来てさ。レナが帰って来るって聞いて、ちょっとね?」

 

「何か、お手伝い出来るような事があればと思いまして!」

 

「圭一くんが?」

 

 

 圭一は圭一なりに、レナが孤立しないよう気を遣ってくれたようだ。

 その気遣いがどうにも気恥ずかしく、二人を前に苦笑い。

 

 

「あー、迷惑だった?」

 

「……ううん、大丈夫だよ。レナも二人に会いたかったから」

 

「……あ、あははは! なな、なんだよぉレナぁ〜! メチャンコ恥ずかしいじゃん!」

 

「はいはい、オネェはちょっとどいててね」

 

「ちょちょちょちょ詩音!?」

 

 

 くねくねしながら照れる魅音を押し除け、詩音がレナの前に立つ。

 そう言えば彼女とは、部活で遊んで以来だから一週間振りだ。

 

 

「暑いでしょうから飲み物も持って来ましたよ。また、落ち着いた後にでも!」

 

「悪いよ詩ぃちゃん」

 

「あぁ、気にしないでください。所詮オネェのお金で買った奴ですし」

 

「言い方ぁ!」

 

 

 怒る魅音に意地悪な笑みを見せつけてやる詩音。釣られてレナも、小さく笑った。

 それから一度詩音は俯き、表情を質実なものへと変えてから目を合わせる。

 

 

「……色々は姉から聞きましたから……お父様の事、心よりお悔やみを申し上げます」

 

「そんな、畏まらなくても……」

 

「気を遣せちゃってごめんなさい。せめて、ご挨拶だけでもって……ね?」

 

 

 ちらりと魅音の方を向く。

 気まずそうに目を泳がせていた彼女だが、意を決したように息を吸う。

 

 

「……あのリナ……間宮律子だったっけ。あいつ、ウチの従業員でね」

 

「…………」

 

「お父さんの件は、雇い主の私たちにも責任がある。だから何かあったら、私に言ってね……可能な限りの援助はするから」

 

 

 言い切った、されどやはり襲いかかる罪悪と恐れ。やや目を伏せ、レナからの言葉を待つ魅音。

 心配そうに姉を見守っていた詩音が、レナの方へと目を向けた。その視線に促されるかのように、彼女は声をかける。

 

 

「……魅ぃちゃんが謝る必要はないよ。悪いのは間宮姉妹と、その仲間の人たちで……それに魅ぃちゃんの所も被害に遭ったって言うのも知ってるから」

 

「……でも……」

 

「魅ぃちゃんが背負う必要はないんだよ……それに寧ろ、レナの方が魅ぃちゃんたちに迷惑をかけた訳だから……」

 

 

 魅音の右手を両手で包み、伏せていた顔を上げさせる。眼前には困ったように笑う、曖昧なレナの顔があった。

 

 

「……だから、謝るのはレナの方だよ……ごめんね、魅ぃちゃん」

 

「…………」

 

 

 数秒ほど瞬き、魅音はレナの手をギュッと握り返す。

 二、三度頭を振り、「それは違う」と呟いた。

 

 

「……それなら、レナだって背負う必要はもうないよ。確かにレナには色々と振り回されたけど、さ……」

 

「…………」

 

「……あはは。私ったら……な、何が言いたいんだろね」

 

 

 バツが悪そうに口を曲げ、それから魅音も両手でレナの手を掴む。少しだけ驚いた顔をした彼女を見て、魅音はしてやったりと笑う。

 

 

「私も必要以上に背負わない、だからレナも背負わないでよ」

 

「……魅ぃちゃん」

 

「ほらさ……私たち、友達じゃん? 水に流せるところも、助けられるところもあるよ。だからまず、レナが自分を許してあげないと!」

 

 

 強く握る魅音の手を、レナは同じ力で握り返す。互いの力と体温を感じながら、次は頰を綻ばせ合う。

 あぁ、これが友達なんだな。二人はお互いにそれを理解し、手を取り合った。

 

 暫くして詩音が不機嫌に咳き込んだ。二人はハッと現実に引き戻され、パッと手を離した。

 

 

「美しい友情ではございますけど、放置されるのはさすがに悲しいですよ」

 

「ごめんなさい……」

 

「ご、ごめんね詩ぃちゃん?」

 

 

 気を取り直し、これから掃除だと詩音が促してやる。

 

 

「飲み物も冷やさなきゃですし、上がっても大丈夫です?」

 

「あー……ちょっと待ってて。やらなきゃいけない事があって……すぐ終わるから!」

 

 

 姉妹に断りを入れ、一旦レナは一人だけ家の中に入って行った。何だろうと、二人は目を見合わせ小首を傾げている。

 

 

 

 大急ぎでリビングに戻ったレナは、台所から大きめのゴミ袋を引っ張り出し窓際へ向かう。

 そこにあるのは、自分が粉々に壊したテーブルの破片が。

 

 

 

 

「……さすがに自分で壊した物は……ね?」

 

 

 苦笑いを溢しながら、袋の中に破片を急いで放り込んで行く。その表情にもう暗い影はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分かりましたわ! では、十時過ぎにレナさんのお家に!」

 

 

 受話器を置くと、鼻歌混ざりに沙都子が居間へ戻る。

 円卓を囲むようにして上田、梨花が並んでいた。卓上には宿題が広げられている。

 

 

「皆さん! 今日、レナさんが帰って来るそうですわ! 十時過ぎにお家に行って、お掃除をしますわよ!」

 

「行くのか? そっとしておいてやった方が良いんじゃないか?」

 

「綿流しも明日に控えておりますのに、一人ぼっちはかわいそうですわよ」

 

「そう言うものなのか……?」

 

「上田先生は私たちの絆を甘く見過ぎですわ。大丈夫ですってよ!」

 

 

 不安がる上田を跳ね飛ばし、沙都子も座る。鉛筆を取ると、頬杖付きながら唸り出す。

 紙の上には、十字に目盛が振られた図が描かれている。その横には(4,6)、(6,4)と、括弧で閉じられた二つの数字が幾つも並んでいる。

 

 

「うー……上田先生。どっちが上で、どっちが横ですの?」

 

「沙都子。上じゃなくて『y』で、横じゃなくて『x』なのですよ」

 

「その通りだ! やっと俺の教えが身に付いて来たなぁ!」

 

「これは上田の教えじゃなくて知恵先生の教えなのです」

 

 

 同じタイミングで山田が居間に入って来る。二日酔いのような顔でフラフラ、覚束ない足取りだ。

 

 

「お寝坊さんですわよ、山田さん!」

 

「どうしたYOU? 週末の東京駅前で見るへべれけサラリーマンみたいな顔してるぞ」

 

「んー、うぅ……なんか頭痛い……て言うかなんで私、二階にいたんだっけ?」

 

 

 畳の上に座り、置かれていた上田のお茶を飲む。

 

 

「プハーっ!」

 

「俺のだぞッ!」

 

 

 一応叱るが、もう良いと諦めて沙都子の質問に答えてやる。

 

 

「まぁ、こんなの初歩の初歩の基礎の基礎だな! 括弧内の左の数字がx軸で、右がy軸だ! 馬鹿でも覚えられる!」

 

「…………xとyってどっちがどっちでしたっけ?」

 

「縦がyで横がxッ! つまり左が縦に幾つ動かすかで、右が横に幾つ動かすかを示している数値だ!」

 

「じゃあ、横に動かした後に縦って事ですの?……ややこしいですわね。縦から横の方がまだ解りやすいのに……」

 

「因みに将来、『z軸』も出て来るからキチンと理解に励みたまえよ」

 

 

 何をやっているのかと、山田もチラリと宿題の問題を見やる。

 そんな彼女に梨花はこっそり、耳打ちした。

 

 

「……昨日の夜の事、二人には言わないで欲しいのです」

 

「昨日の夜? なんかしました?」

 

「……え、覚えてないの?」

 

「二階に上がってからの記憶がないんですよね。えへへへ!」

 

「……飲ませるんじゃなかった」

 

 

 ここまで酒に弱かったのかと、呆れ果て頭を抱える梨花。そんな彼女の心情を察する事なく、再度宿題を見やる。

 括弧の数字を元に、十字の図へと丸を書き込む問題のようだ。

 

 

「あ、これ知ってますよ」

 

「まぁ、めちゃくちゃ有名なアレだからなぁ?」

 

「キリストのやつ」

 

「何も知らないのかお前は」

 

 

 今度は上田さえも頭を抱えさせた。とは言え教えたがりの教授精神が出たのか、きっちり説明はしてやる。

 

 

「これは『直交座標系』だ。y軸とx軸を重ね、軸が重なる箇所を中心に座標を指定して行くものだ」

 

「上田の説明は難しいのです……」

 

「十字の中央から数えて、点を置いたり何番目か見たりするやつって仰ればよろしくて?」

 

「フッ。あいにく俺の頭脳は君たちの更に先へ進歩し過ぎている。そんな俺の説明を、解れなくて当然だよ!」

 

「子ども相手に上から目線で虚しくないのです?」

 

 

 それから更に上田は思い出したかのように、直交座標系に関する蘊蓄を披露した。

 

 

「この直交座標系を発明したのは、あの『ルネ・デカルト』だ。山田も知ってるだろ?」

 

「『あの』って言われても分からないですよ。偉い人なんですか?」

 

「『我思う故に我あり』って言葉が有名だな」

 

「氣志團?」

 

「その元ネタだッ!!……だから二人とも。直交座標系が出て来たらこう唱えろ!」

 

「嫌なのです」

 

 

 食い気味な梨花の拒絶を無視し、上田は立ち上がって、腕を振り回しながら叫ぶ。

 

 

「デカルトの力ッ! お借りしますッ!! フッ!! ハッ!!」

 

「……私たちと初めて会った時も言っておりましたわね」

 

「偉人へのリスペクトを忘れてはいけない」

 

 

 山田も立ち上がり、真似をする。

 

 

「デカチンの力ぁー! お借りし」

 

「黙れッ!! 今は朝だぞッ!!??」

 

「もう言っちゃってるのです」

 

 

 宿題を済ませ、少し早い昼食を摂った後は、呼ばれた通りにレナの家へと向かう。

 ただし行くのは沙都子だけだ。梨花は明日の祭りの準備の為、今日は神社から動けなくなる。山田と上田に関しては、鬼隠しの調査の再会だ。

 

 

「夕方には帰りますわー!」

 

 

 大きく手を振り、階段を駆け降りて沙都子が見えなくなる。三人は鳥居の向こうでただ、見送っていた。

 

 沙都子の気配がなくなった頃に、山田は聞く。

 

 

「良いんですか? 沙都子さんだけ行かせて」

 

「……綿流しの準備で、そろそろ村の人が神社に集まるのです。沙都子にとっては居心地が悪いハズなのです」

 

「あー……そうですよね」

 

 

 沙都子もとい北条家は村八分を受けている。園崎を筆頭とし、村の殆どの大人たちにとって今も北条の名は禁句だ。村人が大挙する中、沙都子には肩身の狭い思いをさせてしまいかねない。

 上田は鼻で笑った後、忌々しそうに目を細めた。

 

 

「全く! もうダム戦争は終わったってのに……田舎者の粘着力は良〜く知っているが、甚だ理解できないもんだ」

 

「それだけ地元思いって言うのもあるかもしれませんけど……」

 

「地元の為だから良しとする風潮も、俺は反対したいがな? それにこれは、守るだとかの範疇を超えてる」

 

「ダム戦争と鬼隠しのせいなんですかね……」

 

 

 二人の間に立ち、会話を聞いていた梨花も、少し俯いた後に意見する。

 

 

「……ダム戦争と鬼隠しで変わった訳ではないのです」

 

 

 上田と山田は同時に、梨花を見る。しな垂れた藤色の髪が顔を隠し、表情は読めない。

 

 

「それは遠い昔から続く、雛見沢の問題。もはや村民にとって当たり前となってしまった、『異常な因習』なのです」

 

 

 鳥居から先、山々に囲まれた雛見沢村が一望できる。

 のどかで緑も多い、現代では失われつつある日本の原風景だ。だがその闇はどこよりも深く、触れてはならない歴史が数多く眠っている。

 

 シャーロック・ホームズは「薄汚れた裏町よりも、のどかで美しい田園の方が遥かに恐ろしい罪悪を生む」と言った。雛見沢村はまさにその言葉の裏付けとも言える場所だ。

 

 

「……人が死んでいるのに、祟りで済ませて考えようとはしない。ボクはそれが、鬼隠しの真相を隠してしまっている気に思えて仕方ないのです」

 

 

 顔を上げ、山田と上田をそれぞれ一瞥する。

 凛と澄んだ眼差しに、燃えるような熱意が込もっていた。

 

 

「……もはや止められる者は、村に縛られない者しかいないのです」

 

 

 三人は一斉に前を向く。

 巨大な鳥居の下、様々な感情を含んだ目で村を俯瞰する。

 

 今日は晴天。入道雲が山の向こうよりこちらを覗いている。

 暫くすると村人たちが、工具や機材を持って現れた。

 

 

 綿流しはもう明日だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村人たちの登場を受け、山田と上田は一旦神社を離れようかと横にはけた。

 その時、上田は階段の下でとある人物を発見する。

 

 

 準備に向かう村人らを撮影するカメラマン、富竹だ。

 

 

「富竹さん!」

 

 

 もしかすれば明日、殺されてしまうかもしれない人物。会っておきたいと考えていた矢先の再会だ。上田は颯爽と階段を降り、彼の元へと近寄ろうとする。

 

 しかし階段から足を滑らせ、スライダーのように雪崩れ落ちる。村人たちは指を差し、「ダイダラボッチ、ダイダラボッチ」と言っていた。

 

 

「なにやってんだ上田……あ。じゃあ梨花さん、また後で」

 

「……頼んだのですよ」

 

「鬼隠し阻止したら古手家の秘宝をくれるの、忘れないでくださいよ」

 

「忘れてないのです…………ちょっと待つのです山田! 昨晩の事バッチリ覚えてるじゃないのですか!?」

 

 

 滑って転んだ上田を追って、山田も階段を駆け降りる。

 村人とのすれ違い様、指差しで「貧乳」「ナイチチ」と言われた。反応し、彼らを睨み付ける。

 

 

 

 

 

 その間上田は体勢を整え、富竹の前まで駆け寄っていた。

 

 

「マイブラザートミー!!」

 

「うん?……あぁ! ソウルブラザーウェルダン!!」

 

「なんだその呼び名は」

 

 

 奇妙なあだ名で呼び合い、肩を組む上田と富竹。山田は引いた目で二人を見ながら、歩み寄る。

 ここからどうやって、彼を殺されないようにするか。和やかな再会だが、ここが正念場だ。上田は言葉を選びながら、話しかける。

 

 

 

「時にマイブラザー・トミー・ジロウ。誰かに恨まれてたりしてません?」

 

「はい?」

 

「直接かよっ!」

 

 

 一切の隠し立てはなかったので、思わず山田がツッコミを入れる。

 案の定だが、富竹は当惑した様子で聞き返した。

 

 

「えぇと……ソウルブラザー・ウェルダン・ジロウ」

 

「だからその呼び名はなんだっ!」

 

「僕が恨まれているって言うのは、どう言う……?」

 

 

 どうすんだよと目で訴える山田を前に、上田は跳ねた自身の髪を撫で付けながら続ける。

 

 

「いやぁ……まあ、別に他意はありませんとも……ほら、明日は綿流しではないですか。いつかの、鬼ヶ淵沼で話した事を思い出しまして……」

 

「あぁ……つまり、僕が狙われないかと?」

 

 

 富竹も鬼隠しの事だと合点がいったようで、苦笑い。不安は垣間見えるものの、恐れや懐疑と言った感情は見受けられない。

 

 

「いえいえ……村の人とは良好な関係を築いていますし、僕自身も踏み込んではいけないところは把握しているつもりですよ」

 

「そう言えば雛見沢には長い事来ているんでしたっけ」

 

「えぇ。それにここだと、東京の知り合いはいませんし……仮に恨まれていたとしても、雛見沢まで追って来るほど血気盛んな人がいれば僕だって気付いていますとも!」

 

 

 それもそうかと納得し、上田は顎を摩る。 

 思えば富竹は村外どころか、県外からの旅行者。噂の広がりやすいこの村に於いても悪い話は聞かず、寧ろ村民からの反応は好意的だ。ダムの問題もなくなった以上、殺される動機も謂れもない。

 

 

 それに現状の彼の様子を見て、雛見沢症候群に発症しているような風でもなさそうだ。

 殺されるような恨みを買っておらず、発症の前兆もなく首を掻き毟る予兆もない。鬼隠しの被害者から程遠いように思えるが。

 

 

 

 

「と言っても、やっぱり当日は不安じゃないですか? ほら私たち、祭具殿に不法侵入しちゃった身じゃないですか」

 

 

 山田の意見には富竹も表情を曇らせた。さすがにまずかったのだと、自覚はしていたようだ。

 

 

「うん、まぁ……そうだね。僕もアレは軽率だったと反省しているよ……」

 

 

 上田も真剣な眼差しで忠告を入れる。

 

 

「梨花から聞きましたが、あそこは村にとっても神聖な場所……我々余所者が土足で踏み入ったと知られれば、オヤシロ様に対して敬虔な者にとっては十分な恨みになる」

 

「とすれば……ぼ、僕の鷹野さんも危ない……!?」

 

「そうです……私たちの鷹野さんも危ない」

 

「僕の鷹野さんが!?」

 

「私たちの鷹野さん!」

 

「僕のミヨッ!!」

 

「私たちのタカノンッ!!」

 

「張り合うなっ!」

 

 

 鷹野論争でヒートアップする二人に山田がツッコむ。

 とは言え富竹の心配は尤もだ。本当に殺される訳だから、祭具殿での一件は間違いなく関わっているだろう。

 

 そこで山田が提案を入れた。

 

 

「でしたら当日は私たちで、固まって行動しませんか? 鬼隠しは毎年、男女の二人がターゲットですし……四人揃っていれば、犯人も狙えませんよ」

 

「ハッハッハ! 実は私が、そう提案したんですよ!」

 

「確かに……! さすが上田教授!」

 

「おいコラ」

 

 

 何とか富竹らのお目付役に付けた。これで余程の事がない限り、富竹と鷹野の二人が殺される事はなくなるだろう。

 とは言え何が起こるのかは分からない。今からでも気を引き締めてかからねばならないと、二人は考えた。

 

 

 約束も取り付けたのでこのまま解散か。そう思われた時に、山田は思い出したかのように富竹へ話しかける。

 

 

「あぁ……ついでに聞きたい事があるんですけど、石垣島さん」

 

「富竹です」

 

「せめて竹富島だろ。それは隣の島だ」

 

 

 上田に突っ込まれながらも、山田は続けた。

 

 

「鷹野さんについて、色々と教えてくれませんか?」

 

「……鷹野さんの?」

 

「どうしてだ? YOU?」

 

 

 鷹野について知ろうとする山田へは、富竹のみならず上田からも訝しまれた。勿論雑談ではなく、彼女なりの意図を含んだ上での質問ではあったが。

 

 

「鷹野さんってあまり村じゃ見かけないんですよね。だから彼女の人となりを確認しておきたいんです。殺されるにはやっぱ理由があると思いますので」

 

「え? コロ?」

 

「山田ぁーーッ!!」

 

 

 急いで上田が彼女の口を塞ぐ。そのまま誤魔化すように笑ってから、取り繕ってやる。

 

 

「ま、まぁ! 村の外の人間同士なんです! 親睦を深める意味でも、話の種はあった方が良いですからねぇ! 来年も村に来るかもしれませんから!」

 

「はぁ……まぁ、上田・ソウルブラザー・次郎教授が仰るなら」

 

「なんかソレ系のミュージシャンみたいになってるしっ!」

 

 

 口を塞ぐ上田の手を振り払いながら、山田はツッコむ。

 それから鷹野の事を話す前に富竹は、「立ち話もなんですから」と言って一緒に歩くよう促して来た。

 

 

 

「これから村の風景を撮影する予定ですので、ご一緒にどうです? 良いスポットも知っているんですよ」

 

 

 二人は一度目配せし合ってから、富竹の誘いに乗ろうと決める。

 話が纏まったのなら早速と、三人は田んぼ沿いを歩き出した。

 

 

 

 神社の鳥居の前、振り返ってそんな彼らを睨み付ける、一人の老父には気付けなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

蜘蛛巣

 十時半頃に、圭一もレナの家にやって来た。その手にはお見舞い用のお菓子が抱えられている。

 

 

「もうみんな集まってんのかな……」

 

 

 家のチャイムを押そうと、手を伸ばす。

 すると指で押し込もうとしたタイミングで、庭への掃き出し窓がガラリと開いた。縁側を飛び降りて出て来た人物は、詩音だ。

 

 

「いってきま……あらら! 圭ちゃんじゃないですか!」

 

「おぉ? 詩音か? 電話かけたのは魅音と梨花ちゃんトコだけど……」

 

「オネェに誘われまして! それにオネェ、祭りの準備で午後には家に戻っちゃいますし、人手を減らさないように?」

 

「あー……なんか、悪いな」

 

「いえいえ。バイトも非番で葛西もいないしで、どうせ暇していましたし!」

 

 

 そうか、と呟いてから、圭一は次に出かけようとしていた事に注目する。

 

 

「どっか行くのか?」

 

「掃除用の洗剤が足らなくなっちゃったんで、ちょっと買い足しにです。まあ、使い走りにされてる訳ですね~」

 

「それくらいなら、俺ん家から余ってる奴を持って来るぞ」

 

「あ、大丈夫です! ついでにカンカン棒も買って来ますんで」

 

「チューチューだな?」

 

「カンカン棒です。早く都会っ子を抜いてくださいね?」

 

 

 そこまで話し終えると彼女はヒラヒラ手を振り、圭一を横切って走って行く。暫し見送ってから、気を取り直して玄関口に足を踏み入れた。

 

 

 

 

「おじゃまし」

 

「あ!? 待って!! 水で流したばっかで滑るから──」

 

 

 下足場は石畳で出来ている。

 魅音の警告はやや遅かったようで、濡れてスベスベの石畳を踏んだ圭一は、前のめりにすっ転んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 現在の彼はムスッとした顔で、転んで怪我した箇所を治して貰っていた。レナが彼の膝小僧に消毒液を塗り、絆創膏を貼ってやる。

 

 

「もっと早く言えよ……」

 

「ごめんね、圭一くん……」

 

「てか、圭ちゃんがピンポン押さなかったのが悪いじゃん。押してたら縁側から入って~、って案内出来たのに」

 

 

 思い出せば詩音も、掃き出し窓から縁側に出ていた。「そう言う事かと」と気付きながら、詩音との会話に気を取られてチャイムを押し忘れた自分を呪う。

 

 

 次にレナと魅音の格好を見る。レナはいつも通りであったが、魅音は三角巾を被ってエプロン姿と、過剰なほどのやる気が感じられた。

 

 

「なんか本格的だなお前」

 

「魅ぃちゃんったら、物凄いはりきっちゃって……でもでも、レナでも知らなかった掃除のテクニックとか、色々知ってて!」

 

「え? そうなのか? 魅音が? コレが?」

 

「コレってどーゆー言い方なのさ」

 

 

 魅音は腕を組み、自信満々げに忍び笑いを浮かべる。

 

 

「ふっふっふ……私はねぇ? 掃除のみならず、洗濯・殺菌・消毒・資産運用」

 

「資産運用は今はいらないだろ」

 

「エトセトラエトセトラなんでも出来る、ダヴィンチもびっくり大天才美少女なのだ!」

 

「こないだのテストはどうだったんだよ!」

 

「人間はね、成績が全てじゃないんだよ……嗚呼、まだ都会っ子が抜けないかわいそうな圭ちゃん……」

 

「姉妹揃って似た事言いやがる……」

 

 

 絆創膏を貼り終わり、「はい、おしまい」と言って、レナは優しく圭一の足に触れた。

 

 

「痛かったら言ってね。無理しちゃ駄目だよ?」

 

「あぁ……悪いなレナ。押しかけた側なのに世話になっちまってさ」

 

「気にしないで! それに圭一くんには、レナが迷惑かけちゃったし……」

 

 

 湿っぽい空気を感じ、大急ぎで明るく取り繕った。

 

 

「ま、まあ! この際水に流そうぜ! ほら、もう大丈夫だからさ──」

 

 

 

 

 その時にお互い、近い距離で目が合った。

 途端、様々な事を一斉に思い出す。「圭一くんが好き」だとかの、レナの告白が中心の記憶だ。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 顔が赤く染まり、よそよそしくなり始めた。パッと二人は距離を離し、目を逸らす。

 そんな圭一とレナの一連の流れを、魅音は腕を組んだまま停止して、呆然とした様子で眺めていた。

 

 

「なにこの空気」

 

 

 居心地の悪さを感じ始めた魅音を救ったのは、掃き出し窓を開ける音だ。沙都子もやって来た。

 

 

「お待たせしましたわー! 軒先が濡れてらっしゃったので、こちらから失礼しますわね!」

 

「沙都子の方がよっぽど、圭ちゃんより観察眼あるね」

 

「嘘だろ!? 滑って転べよ!!」

 

 

 いつもの部活メンバーらしい空気に戻った。忙しない魅音らを見て、レナは小さく笑う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の山田たち。富竹の誘いに乗り、村の中を散策していた。

 お気に入りの撮影ポイントだと言う箇所に着くと、富竹は首に下げているカメラのシャッターを切る。

 

 

「本当なら神社の境内裏に行きたかったんですけどね……もう少し祭りの準備作業が落ち着いたら行こうかなと思っていましたが」

 

「そこが一番のポイントなんですか? ジロウよ」

 

「この村で一番の絶景スポットなんですよ、ジロウよ」

 

「そろそろ普通に呼び合ってくれませんかね?」

 

 

 山田の呆気は無視される。

 シャッターボタンが押される度、パシャッ、パシャッ、と乾いた音が響く。レンズは遠い山々と、その前の畑に佇むカカシを映していた。

 

 

「神社の境内裏……僕は良く鷹野さんとそこで待ち合わせして、一緒に撮影に行ったりするんです。たまに鷹野さんに引っ張られて、村のオカルトな話題を調査してみたり……」

 

 

 ファインダーから離れた富竹の目。その目にはどこか、哀愁が漂っていた。

 

 

「彼女はああ見えて、忙しい人です。都会の荒波に揉まれ続けた人でもあります……誰かが寄り添ってあげないと、思いましてね」

 

 

 ハッと思い出したかのように目を丸くさせると、何とも言えないと言いたげな二人を前にはにかんだ。

 

 

「す、すいません。訳の分からない事をべらべらと……」

 

「いえいえ! お気になさらないでください! 決してその時にいたのが私だったらとか考えていませんから!」

 

「考えてんだろ!」

 

 

 上田の右手は、悔しさでギリギリと握られていた。

 そんな彼に呆れながらも、山田は続けて鷹野について質問をする。

 

 

「鷹野さんって、そんなに忙しい人なんですか?」

 

「んー……」

 

 

 この質問に対して富竹は、言葉を選ぶかのように間を置き、答えてくれた。

 

 

「そうだね。正直、敵だとか何だとかは、僕よりも多い人だと思いますよ。だから、一番守られるべきは彼女です」

 

「その、敵ってなんですか?」

 

「あー……さすがに僕もそこまでは……ハハハ!」

 

 

 誤魔化すように笑う富竹。「喋り過ぎたかな」との自責の念を感じられる。鷹野が雛見沢症候群の研究者である事は知っていそうだった。

 

 

「とにかくまぁ、鷹野さんはとても苦労人なんです。あまり自分の事を話さない人で、色々と溜め込んでいるハズですし……少しでも気晴らしになれたらなって」

 

「…………」

 

「これ、僕が言っていたなんて鷹野さんには言わないでくださいね?」

 

 

 恥ずかしそうに笑う彼の表情からは、やはり哀愁は消えない。

 その正体を聞くにはリスクが生じる。ただ二人は約束を守ると、黙って首を縦に振るだけだ。

 富竹は安心したように帽子を被り直すと、またカメラを構え、ファインダーを覗いた。

 

 

 その先を見た彼は「あっ」と声を漏らす。気になった山田が声をかけた。

 

 

「どうしたんですか?」

 

「僕にとっては苦い思い出と言うか、何というか……いやはや、ここまで来ちゃいましたか」

 

 

 シャッターを切り終え、彼が指差した。

 二人がそこへ目を向けると、見覚えのある家が建っていた。

 

 

 今や廃墟同然となってしまったが、元々は山田らに園崎家から充てられた離れだ。雛見沢じぇねれーしょんずの一件が想起させられる。

 

 

「あぁ、あれか……そうか。もうここまで歩いていたんだな?」

 

「そろそろ僕は、興宮に戻りますね。明日に備えて、今からフィルムだとかの整理をしたいので!」

 

 

 そう言い残した富竹は、二人に改めて明日の約束を交わして、足早に去って行った。

 見送り、姿が追えなくなったところで、二人は意見を交わし合う。

 

 

「ソウルブラザーはどうやら、鷹野さんらのグループに近しい人間っぽいな」

 

「じゃあ村に来ているって言うのはカメラマンとしてではなく、何か別の目的が……?」

 

「これも梨花に聞いてみるか……それより、何だか懐かしいなぁ、ここも!」

 

 

 上田はウキウキした様子で、その離れの前まで近寄る。軒先に立ち、変な構えを取った。

 

 

「……何やってんですか」

 

「君は知らないだろうが、俺はここでジオ・ウエキの刺客らとやり合ったんだ! 武空術を駆使し、凌ぎを削り、最後は親子かめはめ波で撃破だ!」

 

「ゲームのやり過ぎだっ!」

 

 

 当時の戦いをしみじみ思い出すかのように、上田はその場で空手の型を行っていた。背後で山田が呆れた目で見ている。

 

 

「しかし戦いには犠牲が付きものだった……俺はその時、大事な鞄を傷つけられた。図らずもその時の傷で、愛しのタカノンのスクラップブックを落としてしまうとは……」

 

「それがレナさんの件の原因になったんじゃないですか」

 

「まあ、俺は悪くないけどな」

 

「クズの発言だぞ上田……」

 

 

 クルっとターンし、蹴りを入れた。

 

 その時、彼は草むらの中にある物に目を奪われる。

 

 

「おおう!?」

 

「え? どうしました?」

 

 

 瞬時に上田は飛び込み、発見した物を拾い上げた。それは、鷹野のスクラップブックだった。

 

 

「……鷹野さんから貰った、スクラップブック……てっきり、谷河内までの道で落としたかと……」

 

「……アレ? だからそれを、レナさんが拾ったんじゃ?」

 

「じゃあなんでここにあるんだ? これは恐らく、俺が落とした物だ。なら、竜宮礼奈の物はなんだ……?」

 

 

 回収したスクラップブックを開き、中身を何度も確認する上田。

 次に持っていた鞄から、もう一冊のスクラップブックを取り出す。こちらはレナが拾った物だ。

 

 

「……内容も同じだ。同じ事を、何度も本に書く人なのか鷹野さんは……?」

 

「まあ、それは上田さんと同じですね」

 

「それどう言う意味だYOU?」

 

「でも、それならレナさんの件は、上田のせいじゃないって事じゃないですか……じゃあ、アレ?」

 

 

 違和感が思考を引っかき、山田を顔を顰めながら首を傾げる。

 

 

「レナさんが拾った方は、誰が落としたんです? 鷹野さん?」

 

「いや……あの日、鷹野さんは診療所にいた。具合の悪くなった沙都子を診て貰っていた……となれば、それ以前に落とした物か? しかし鷹野さんは、落とした事を一度も言っていない……」

 

「言う必要がなかったからじゃ?」

 

「かもしれないな。とにかく回収して、明日一緒に返そう」

 

 

 二冊のスクラップブックを鞄に入れ、上田はのっそりと立ち上がる。

 

 

 太陽は真上、時刻は正午の入口に入った頃だろうか。相変わらず蝉はうるさく、気温は高い。

 

 

「あっついなぁ……喉が渇いた……おい山田! チューチュー買って来い!」

 

「ハァ!? 嫌ですよ! てか、人をパシリに使うつもりか!?」

 

「そう言うな……ほら、千円やるから!」

 

「仕方ないですね」

 

 

 あっさり了承した山田は千円を受け取り、ゲスい笑みを浮かべていた。彼女の扱いやすさに、上田もまたゲスい笑みを浮かべている。

 駄菓子屋へ行こうとした時、山田は離れて行く上田に声をかけた。

 

 

「上田さんはどこに行くんですか?」

 

「矢部さんに連絡して来る! 明日の警護について、色々と聞いておかないとだからな!」

 

「分かりました! どこで待ち合わせます?」

 

「なら、富竹さんの言っていた境内裏とやらで会おう! 梨花と話もしたいからな! チューチューに梨花の分も追加するんだぞー! 自分の分だけだったらビンタだからな!」

 

「そんな事しませんよ!」

 

 

 一旦、二人は別れた。しかし上田がいなくなったタイミングで、山田はボソリと呟く。

 

 

 

 

「自分の分だけ多めに買おっと。うきょきょきょきょきょ!!」

 

 

 不気味な笑い声をあげながら、スキップで彼女は駄菓子屋までの道を行く。

 

 

 

 

「揺れるモンねぇ癖にスキップしとるな」

 

「!?」

 

 

 通りすがりの村人にぼやかれる。

 

 

 

 

 

 

 そんな山田を、遠くに停まったバンの車中より睨む人影があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参加オリ主募集

 

連載始めて四年目

 

そろそろ終わりにしませんか?

 

 

 村内の掲示板に綿流し用の告知が張り出された。

 古手神社の境内は村人で溢れかえり、露店や催し物の舞台造りに勤しんでいる。その中には園崎家の者も多く見受けられた。

 

 

 娯楽の少ない寒村なだけあり、一年に一度のお祭りへは多大な熱量で以て取り組まれる。世には「祭りは本番より準備が楽しい」なんて言葉もあるが、まさに今の村人たちの総意とも言える。

 

 

 

 

 ここにいる誰もが、楽しんで準備作業に励んでいた。

 ただ一人、梨花を除いて。

 

 

「…………」

 

 

 着々と建てられて行く舞台を見ながら、敷かれたテントの下で座っていた。

 

 何度経験しても、この日になれば心がざわつく。思念が頭の中を堂々巡りし、いつもは隠しているハズの不安が表情に出てしまう。

 

 今回は大丈夫だ。自分を信じてくれる味方は多い。富竹と鷹野の件も便宜を図ってくれた。何かあっても、必ず守ってくれるハズ。

 

 

 

 なのに胸騒ぎは止まらない。

 まるで何か、間違えているような気がかり。暑さによる汗とは違う、嫌な汗が何度も流れる。

 

 

 

 

 そもそも、「今回」は何もかもがイレギュラー続きだ。大まかな予想も何も立てられないほど、全ての順序や法則が狂っている。

 

 

「……赤坂が来たのは半年前……一年目の鬼隠しがない事にされてる上、ダム戦争がこの間まで続いていた……」

 

 

 表情に出ている不安を隠そうと、膝を抱え、そこに顔を埋める。

 

 

「……これも全て、山田の……?」

 

 

 脳裏に浮かぶのは山田奈緒子の姿。

 昨夜の一件で梨花は確信を得た。山田は間違いなく────

 

 

 

 

 

「梨花ちゃまー!」

 

 

 自分を呼ぶ声に気付き、ハッと思考の海より浮上する。

 呼んだ人物は一人の村人。舞台が出来上がったようで、梨花に具合を確かめて欲しいそうだ。

 

 

 梨花は不安を、完全に表情から消した。溌溂な笑みを浮かべ、「天真爛漫な童女」を演じる。

 胸中の蟠りを払拭し切れないまま梨花は、舞台の方へ向かった。

 

 

 

 その時に彼女は、拝殿の隅に出来た蜘蛛の巣を見つける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昔から気になっていた。

 時には柱と柱の間にまで巣を張る蜘蛛だが、どうやって向かい側まで橋渡ししているのか。糸を持ったまま、対岸まで跳ぶのか。

 

 

 どうやら違うらしい。

 

 巣作りの始まりにはまず、一本の糸を垂らすそうだ。

 

 

 それだけ。

 その垂らした一本の糸が風に流され、どこかにくっ付く。あとはそれを支柱にして、巣を作って行くそうだ。

 

 

 対岸まで跳ぶ訳でも、糸を放つ訳でもない。ただ垂らし、風に行き先を委ねるだけ。

 

 もし人の通る道にでも流れてしまえば、巣を作る前に壊されてしまうかもしれない。折角作っても、そこが人の目に付く所ならば、虫も寄らない場所ならば、骨折り損となる訳だ。

 

 

 

 

 それでも作らなければ、生きる事が出来ない。

 

 ただ垂らし、後は流されるまで待つしかない。

 

 そこが何よりも、絶好の場所である事を信じるしかない。

 

 

 今の梨花もそうだろう。最初の一本は、既に風に流れて対岸にくっ付いた。

 後は信じて編むしかない。壊されぬよう、目に付かぬよう、ただただ祈りながら。

 

 

 

 

 気を取り直し、再度舞台の方へ走る。今は古手家の巫女としての責務を全うしなければならない。明日に備えなければならない。

 

 彼女は様々な思いを胸に、檀上へ上がる。

 

 

 

 

 

 蜘蛛の巣に気付いた村人が、箒を使って取り払ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭りの前と言えども、診療所はきちんと機能している。

 ある程度の業務を終えた入江は、カルテを抱えて薬品保管室に入る。

 

 

「鷹野さん! お手隙でしたらこのカルテの整理を──」

 

 

 室内には誰もいなかった。ただメイド服を着せた人体模型がガラスの箱の向こうで手を上げている。

 

 

「アレ? 鷹野さん? 数分前はいたのに……」

 

 

 薬品が詰まった棚の前に、一枚の紙が置かれている。それに気が付いた入江は、カルテを抱えたままヒョイっと手に取った。

 

 

『暑いのでチューペット買って来ます。探さないでください 鷹野より』

 

 

 内容を読み終えた入江は目をパチクリさせる。

 

 

 

 

「そんな、夜逃げじゃないんですから……」

 

 

 人体模型が手を振っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田は、上田から貰った千円を握り締め、ウヒョウヒョ笑いながら畑沿いの道をスキップしていた。目指すは駄菓子屋、買うはチューチュー。

 

 

「ジャガイモー! タマネギー! ペロリヤーナ! キャベツはどうしたーっ!」

 

 

 有頂天な山田であったが、前方から来る十人ばかりの行列を見て足を止める。

 その者らは「雛見沢『びよんど』じぇねれ〜しょんず」の旗を掲げ、「ジオは〜、ジオジオー!」と叫んでいた。

 

 

 今は亡きインチキ霊能力者、ジオ・ウエキのシンパたちだ。途端に山田は、葛西と園崎茜から受けた忠告を思い出す。

 

 

 

 

『……一部の雛じぇねの者が、未だにジオ・ウエキを信奉しているらしいのですよ』

 

『……宗教ってのは、こんなんだっけねぇ。死んだ教祖は神格化される……こうなりゃ宗教の完成だ。誰の声も届かんよ』

 

 

『……それで、山田さん。奴らはあなた……山田さんを敵視しております』

 

『昨夜のデマが、山田さんがジオ・ウエキを殺したと言う事になったようで……あなたとご一緒に来た上田先生もまた、同様です』

 

 

『村にいる間は若い衆が目を光らせておくよ。何かあっても、すぐに対処してやるさ』

 

『ただ、極力奴らには近付かない方が良い。リンチされるかもしれんよ?』

 

 

 

 

 途端、上機嫌だった山田の顔から血の気がサーッと引いて行く。

 この道は一本道。雛じぇねの進行方向に自分がいる事を確認する山田。

 

 大急ぎで辺りを見渡し、隣にあった畑にカカシが立てられている事に気付く。

 そのカカシの顔の下半部は布で覆われ、斜め掛けに巻かれた額当ては左目を隠している。なぜか銀色のカツラを被せられていた。

 

 

「カカシ先生!?……じゃなくて! え、えーっと……!!」

 

 

 雛じぇねとの距離は、十メートルを切った。慌てた彼女はカカシの隣に立って俯く。更に腰と右腕を落とし、残った左手でだらりと下げた右腕を抱えた。

 

 

「雷切っ!」

 

 

 畑のカカシに擬態して欺こうと言う作戦らしい。

 見事にこの作戦は功を奏し、雛じぇねの者らは山田に気付く事なく通り過ぎて行く。

 

 

「ジオは〜、ジョジョーッ!」

 

「ふぁんとむぶらっどー!」

 

「せんとーちょーりゅー!」

 

「すたーだすとくるせいだーず!」

 

「すりーからっとだいやもんどー!」

 

「まちねへの招待ー!」

 

 

 ジッとカカシの真似をしている間に、声は遠ざかって小さくなって行く

 気配がなくなった事を確認すると、安堵の息を吐きながら道の上に戻る。

 

 

「まだやってんのかあの人たち……ジオ・ウエキはインチキだって証明したのに」

 

 

 呆れたように吐き捨てながら、スカートの土汚れを叩く。

 叩きながら、たった十人ほどだったなと行列の数を想起する。多くの雛じぇねメンバーは目を覚ましたようだが、一部は今もジオ・ウエキをオヤシロ様の遣いと思い込んでいるようだ。

 

 だいぶ数は減ったと考えながらも、十人程度でも遭遇してしまえば危険。気をつけねばと自身に言い聞かせ、顔を上げた。

 

 

 

 

 

 

「はろろ〜ん!」

 

 

 目の前に人が立っていた。

 驚いた山田はまた咄嗟に、さっきやったカカシの擬態ポーズを取る。

 

 

「千鳥っ!」

 

「ちょっとちょっと山田さん! 私ですよ私!」

 

「え?」

 

 

 聞き覚えのある声だと気付き、顔をぴょこりと上げる。

 立っていた人とは、詩音だった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

陰日向

「あれ? 詩音さんじゃないですか! なんか、久しぶりですね。二年ぶりですか?」

 

「いやいやいや。宴会以来ですから、四日ぶりですよ」

 

「そうでしたっけ?」

 

「それより山田さん、こんな所で何してたんですか?」

 

 

 山田はピッ、道の奥を指差す。その先には、薄らと雛じぇねの行進が見えた。

 察したように詩音は「あー……」と、頷く。

 

 

「私もたまにギロッて睨まれちゃったりします。子どもの頃、一回は見た事ある人たちでしたから……ちょっとショックですね」

 

「まだ詩音さんは園崎家の人ですから良いですよ。私なんて見つかったらその場で、叩っ斬られかねないですから」

 

「あら? 本家の方々は守ってくれないんですか?」

 

「いつもいるって訳じゃないですし、今日はほら……綿流し前ですから、色々と忙しいんだと思います」

 

 

 ある程度の事情を話したところで、今度は山田が詩音に目的を聞く番だ。

 

 

「そう言う詩音さんはここで何を?」

 

「あ。駄菓子屋でカンカン棒を買おうかなって!」

 

「チューチューですか?」

 

「カンカン棒です。そしたら山田さんを見かけたもので、お声掛けを……」

 

「なら、奇遇ですね! 私も、チューチューを買いに行く途中でした」

 

「カンカン棒です」

 

「チューチュー」

 

 

 どうやら目的は同じようだ。

 二人はそのまま並んで歩き、共に駄菓子屋へ到着。早速買ったアイスを一本、店前で食べている。

 

 軒先に立て掛けられている看板には『枝垂カンパニーとM&A交渉中』『不眠症、治します』『きんたま』と書かれていた。

 

 

「あーー生き返る! もうホント暑い! 願わくばずっと屋内に引っ込んでいたいもんですよ」

 

「あはは! それは私も同感ですね! 暑いと、下着とかほら、蒸れちゃいますし……」

 

「…………」

 

「んー……やっぱり小さいのかな……食い込んじゃってますから余計に……」

 

「………………」

 

 

 羨望の混ざった冷ややかな目で山田は、詩音の双丘を見ていた。

 そんな彼女の視線に気付く事はなく、詩音はチューペットを咥える。そのまま物思いに耽った様子で、中身を吸い上げていた。

 

 

「……色々とお噂は聞いていますよ。鬼隠しを、調べているとか」

 

「え?……まぁ、そうですね」

 

 

 入江に止められているとは言えない。

 複雑な山田の心中に対して、詩音は祈るような声色で尋ねる。

 

 

「……今年の鬼隠しを、阻止するおつもりで?」

 

 

 返答に迷った末、チューペットを咥えながら首肯するに留める。

 すると詩音は、物憂げな微笑みを見せた。

 

 

「……ホント。山田さんがあと、一年早く村に来ていれば……悟史くんはいなくならずに済んだかもしれませんね」

 

「……あの、この間の宴会の時、私ったら無神経で……」

 

「謝らないでください。寧ろ、謝るべきはこっちなのですから」

 

 

 チューペットを咥え、山田に向かって見せた彼女の笑みには、やはり影がかかっている。

 それからの詩音はまるで、堰を切ったかのように話し始めた。

 

 

「山田さんと初めて会った時……ほら。マジックを教えて貰っていた時に、ちょこっとだけ話しましたよね。『山田さんとは波長が合う』とか何とか……何でだろうって、ずっと考えていたんです」

 

「…………」

 

「結局、私の頭じゃ分からなくて……でも、宴会での夜の後も……やっぱり、山田さんは信頼できるって、思ってて……」

 

 

 詩音が辿り着けなかった、その「波長の合う理由」は、まさに彼女と別れた後に茜から聞かされた。不意に山田の脳裏、あの時の言葉が蘇る。

 

 

 

 

『……あんた』

 

『……家族とかの身内か誰か、殺されてないかい?』

 

 

『……或いは、殺したか』

 

 

『山田さん、何だか詩音に似ているとは思っていたが……そこなんだろう』

 

『ずっと誰かを探し続けて、手当たり次第に疑ってんのさ……憐れな子だよ』

 

 

 

 良く子どもを見ていると、改めて茜に感心させられる。

 同時に自身の事も看破された。あの言葉を思い出す度に胸が騒つく。

 

 

 

 

 

 詩音はハッとし、山田に対して失礼ではないのかと思い、頭を下げていた。思慮に耽る山田の沈黙を、不快感によるものと捉えたようだ。

 

 

「す、すいません、私ったら……あはは。私なんかと、似ている訳なんて──」

 

「──私は」

 

「え?」

 

 

 山田がこの話をするのは、十年程ぶりかもしれない。

 あまり話したくはない過去な上、更にこの時代で話す事にはリスクが生じる。

 

 しかし山田は、詩音には打ち明けなくてはと、まるで独り言のように語り始めた。

 

 

 

「私は、父親を殺されたんです」

 

 

 その告白は、詩音に呼吸さえ忘れさせる程の衝撃を与えた。

 

 

「父は有名なマジシャンでした。私がマジシャンを志したのは、一重に父の影響でもあります。子どもの頃は色んなマジックを私に披露してくれました……そんな父を、今度は私が驚かせてやりたい。それが私のルーツになります」

 

「………………」

 

「でもある日……水中脱出マジックの練習中に、仕掛けに不備でもあったのか……不慮の事故で、父は溺死してしまいました」

 

「……え……でも、殺されたって……」

 

 

 察したように目を見開く詩音。あえて山田は目を合わせず、遠い白雲を眺めながていた。

 

 

「勿論、私もその時は事故死だって思っていました。でも十六年経って、実は殺されたと分かったんです。そして実際に父の死は誰かの手によるもので、私が二十三歳の時に真犯人を暴きました」

 

 

 山田の母、里見は「黒門島」と呼ばれる島のシャーマンだった。島を守る大事な役割の為、決められた者と結婚し、島から一生出られないと言う運命を背負わされていた。

 しかし余所者だった父「剛三(ごうぞう)」と恋仲となり、駆け落ちをして島を出た。この一件で里見を奪われたと考えた黒門島の人間は、剛三を激しく恨んだ。

 

 剛三の死はその黒門島からの刺客「黒津分家」によるものだった────これが山田が暴いた、父の死の真相だ。

 

 

 長い話となるので、詳細は詩音に語る事はなかった。それでも彼女は山田の壮絶な過去に驚き、同情さえしてくれる。

 

 

「そ、そうだったの、ですか……凄いですね、山田さん。お一人で犯人を暴いてしまって……」

 

「………………はい。一人で頑張りました」

 

 

 本当は上田の協力もあったが、黙ってやった。

 この話で終わりかと思われたが、山田は更に続ける。

 

 

「でも、本当にその人たちが犯人かは……分からなかったです」

 

「……え? でも、暴いたって……」

 

「確かに犯人は逮捕させましたが、それは別の殺人事件での話。父の件は、証拠は不十分でしたので」

 

「自白はしていないんですか……?」

 

 

 少し躊躇った後に、山田は話した。ここまで来たなら話さねばと、覚悟を込めて口を開く。

 

 

 

「『呪いを使って殺した』なんて、警察は信じませんよ」

 

 

 詩音の反応を待たずして、続ける。

 

 

「私は呪いも霊能力も、絶対に信じていません。『全ての奇蹟にタネがある』、今でもそう思ってます……でも、この歳までに色々とありました。色んな霊能力者と対決して、時には死にかけて、誰かを亡くして……そうした中で、時々考えるんです。『本物の霊能力者は、実はいるんじゃないか』って」

 

 

 母の腕の中で息絶えようとしていた父が、今際の際に語った遺言を思い出す。

 

 

「……『本物の霊能力者はいた』。父は最後にそう言っていた……」

 

 

 次に思い出すは、山田が対決した最初の霊能力者である「霧島 澄子」の言葉。

 自ら毒を飲み、倒れ伏した彼女が遺した言葉は、記憶を喪った山田が最初に思い出した事柄だった。

 

 

「そしてある、死にかけた霊能力者は私に言った……『あなたは父を殺した真犯人に、殺される』と」

 

 

 

 

 半ば茫然自失となった様子で、譫言のように呟いた。

 

 

「……彼女はもしかしたら、本物だったんじゃないのか」

 

 

 風が吹いた。

 

 

「ひょっとして、私が殺されていないって事は……真犯人は別にいるんじゃないのか」

 

 

 木々が揺れた。

 

 

「捕まえた人たちは呪いで殺したと思い込んでいるだけで……本当は、私はまだ父の仇を討てていないんじゃないのか……父は私に、呆れているんじゃないのか……」

 

 

 

 

 駄菓子屋の外壁に張り付いていた空蝉が、風に吹かれてぽとりと落ちる。

 それを目で追った後、半ばトランス状態だった山田はやっと我に返った。急いで詩音の方を見る。

 

 

 既に溶けたチューペットを握りながら、詩音は号泣していた。

 

 

「や、山田さん……! そんなごど言わないでくだざいよぉ……!!」

 

「めちゃくちゃ泣いてる!?」

 

「あなたは立派でず……! ずっと、お父さんのごどを思っでいらじで……!」

 

「あーあー! 何か、拭く物は!?」

 

「ハンガヂ持っでまず……」

 

 

 自前のハンカチで涙を拭うと、深呼吸をして落ち着きを取り戻す。腫れぼったい目を山田に合わせ、優しく微笑んだ。

 

 

「……そうだったんですね。私が似ているって思ったのは、そこからかもしれませんね。犯人を追い続けているところとか」

 

「んまぁ……本当にその人たちが真犯人で、その霊能力者はインチキでしたから、ただの譫言だったって事もあります。父に関しても、本人の思い込みだったかもしれませんし……」

 

「それでも可能性として捨て切れないところ……何と言うか、山田さんらしいなって」

 

「………………」

 

 

 一つ、言うべきか迷った事がある。それは真犯人に関する、「もう一つの可能性」。

 だが山田にそれを打ち明ける勇気は、なかった。今でも知っているのは母親と、上田だけだ。

 

 

 

 

 迷っている内に、溶けたチューペットに気付いた詩音が「あっ!」と声を上げる。

 

 

「わわ! だいぶ話し込んじゃった!? おつかいの途中だったのに……!」

 

「え?……うわっ! ベッタベタ!?」

 

 

 山田の自分の手を見て叫ぶ。溶けて噴き出したアイスが、手をベトベトに濡らしていたからだ。

 駄菓子屋の時計を見ると、ザッと四十分も話し込んでいたようだ。道理でアイスも溶け切る。

 

 

「お婆さん! えーと、オネェとレナさんと圭ちゃんと、あと沙都子も来るから……カンカン棒、五つ追加でくださーい!」

 

「こっちもチューチュー十本追加で!」

 

「カンカン棒十本ですか!?」

 

「チューチュー十本です」

 

 

 駄菓子屋の店主である老婆からチューペットを受け取ると、詩音はペコリと山田に頭を下げた。

 

 

「色々とお聞かせくださって、ありがとうございます! あの……また明日、会えますか?」

 

「あ、明日ですか?」

 

「山田さんばかりお話させてしまいましたし……それに、まだ色々とお話をしたいですから」

 

「いや、まぁ……良いですけど……」

 

「それじゃ! 明日、お昼に『鬼の子地蔵様』の前で!」

 

「え?」

 

 

 約束を取り付けてから、詩音は大急ぎで走り去る。

 山田に関しては「鬼の子地蔵様」と言う聞き慣れない言葉に戸惑っていたが、それを聞く前に詩音は遠くへ行ってしまった。

 

 

 詩音は落ち着いた娘だと思っていたが、宴会での激怒っぷりを考慮すると、実は魅音よりも忙しない性格なのかもしれない。土煙を起こし、遭遇した雛じぇねメンバーを吹き飛ばす様を見送りながら、山田はそう思った。

 

 

「……鬼の子地蔵様って、なに?」

 

 

 縋るように、アイスケースからチューペットを取り出す駄菓子屋の老婆を見やる。山田の注文したチューペット十本を袋に入れながら、話しかけてくる。

 

 

「なんでぇ、おんし。まーだカンカン棒をチューチュー言うとんか。女がチューチューなんざ、都会モンははしたないのぉ」

 

「……あのー、お婆さん? お婆さんは、『だべ』とか『ちょる』とか、訛らないんですか?」

 

「ここはそんな訛り言う地域じゃないんよ。『ちょる』ってそりゃ、九州モンじゃろ?」

 

 

 それを聞いた時、山田は「あれ?」と首を捻る。

 

 

「……じゃあ、あの図書館の司書さんは……雛見沢村の人じゃないのか?」

 

 

 興宮の図書館で資料を渡してくれた司書の老人が、確かそんな訛りだった。色々と雛見沢村の事に詳しかったので、地元の人間かと思っていたが。

 

 

 とりあえず今は、鬼の子地蔵様だ。山田はそれを聞こうと、チューペット十本を受け取りながら再度老婆に問う。

 

 

「あぁ、あと……鬼の子地蔵様って、分かります?」

 

 

 

「裏山の山中にあるお地蔵様ですよ! 村のミステリースポットの一つです」

 

 

 老婆の嗄れた声ではなく、若く落ち着いた女性の声が横から投げかけられる。

 聞き覚えのある声。山田は振り向き、「あっ!」と驚きの声をあげた。

 

 

 

 

「奇遇ですね、山田さん?」

 

 

 にこにこと微笑み立っていたのは、鷹野だった。

 

 

 

 

「鷹野さ……アッ!?」

 

 

 駄菓子屋の前を、雛じぇねが通る。大急ぎで山田はまた、カカシの真似をした。

 

 

「神威っ!」

 

 

 気付かず彼らは通り過ぎる。

 

 

「ジオは〜、ジョジョリオーンッ!!」

 

「すてぃーるぼーるらーん!」

 

「すとーんおーしゃーん!」

 

「黄金の犬ーッ!!」

 

「この夢の果てまでーーッ!!」

 

 

 落ちていた空蝉を踏み抜いて、どこかへ行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方で上田。適当に見つけた公衆電話のボックス中にいた。壁には新聞から切り抜いた、ちょっとエッチな広告やらステッカーやらがベタベタ貼り付けられている。ついつい見てしまう上田。

 

 

『イデオローグ』

 

『メリトクラシー』

 

『ヒストリア』

 

「お問い合わせは1、1、1……ワンワンワン?」

 

 

 すぐに矢部から教えて貰った電話番号を打ち込み、連絡を飛ばす。

 きちんと電話は、矢部らの占拠する会議室の、勝手に奪った黒電話へと繋がった。じりりんと鳴った電話の受話器を取り、矢部が耳に当てる。

 

 

「はい? もしもーし。どちらさんですかー?」

 

 

 背後では石原と数人の刑事らが、踊っていた。

 

 

「あぁ、矢部さんですか? 上田ですよ」

 

「あ、先生ですか!? 昨日のあの書き置き、先生のでしょ!? あれ何やったんですか!? その日の夜ぅ、リトルナイトメア見ましたわ!」

 

「黄色いカッパの女の子に食われる夢やったそうじゃ!」

 

 

 横から声を出す石原を、矢部はぶん殴って突き放す。殴られて吹っ飛んだ石原は、刑事らとぶつかって一緒に床にバタバタ倒れる。

 

 

「それより矢部さん。明日の件に関して、そちらの計画をお聞きしたいんですが……」

 

「計画ぅ? あー……そりゃ、イシちゃんに聞かなアカンですわぁ。今ぁイシちゃん、署の刑事らと作戦会議中ですんで、それ待ちですねぇ!」

 

「イシちゃんて、ワシの事かのぉ兄ィ!?」

 

 

 突っかかる石原をまた殴り飛ばす矢部。

 吹っ飛んだ石原は「ありがとうございます!」と叫びながら、開いた窓から落っこちた。ここは四階だ。刑事らが窓の下を大急ぎで覗く。

 

 

「大石さんの報告待ちですか……では終わったら、古手神社に連絡してください」

 

「電話番号は?」

 

「タウンページ見てください」

 

「あ、この時代まだ電話帳ありましたねぇ!? 忘れてましたわぁ!」

 

 

 じゃあこれでと、電話を切ろうとする上田。

 だがその前に、何か思い出したように矢部が呼び止めた。石原が窓から、笑顔で這い上がって来ている。

 

 

「そうそうそう、先生ぇ! 昨日、公園から先生たち帰った後にですねぇ? 偶然、公園の管理人さんと話しましてね?」

 

「管理人さんと?」

 

「ええ! そんで、オモロい話を聞き出せましてねぇ、コレが?」

 

 

 矢部の聞いたと言う話を、上田にも教えてやる。

 途端に上田の表情は、愕然としたものへと変貌した。

 

 

 

 

「そんな……!? じゃあ、事件が起こる一ヶ月も前から……沙都子の母親は、公園に度々訪れていたんですか!?」

 

 

 上田の頭の中で、カラクリ箪笥の中のガリウムが繋がる。同時に鳥肌が立つ。

 

 

「えぇ、らしいですわ! そんでいっつも一人で来て、あの展望台に登っていたとか!」

 

「なんでそんな重要な事、その管理人さんは警察に話さなかったんですか!?」

 

「いや本人曰く話したそうですよ? 多分、揉み消されたんとちゃいますぅ? 知りませんけどねぇ?」

 

 

 受話器を握る上田の手が、ブルブルと震えている。

 それが本当なら、鉄柵に細工をした人間は────嫌な想像が抑えても抑えも、頭の中を駆け巡る。

 

 

 

 

 居ても立っても居られない。そう考えた上田は、決意を込めて話す。

 

 

「……矢部さん。今すぐに停留所まで、パトカーで迎えに来てください。また公園まで出して欲しいんです」

 

「へ? ちょっと先生ぇ? ワシら警察であってタクシーじゃ──あ、切れた」

 

 

 呆れた顔で受話器を置き、くるりと振り返る。

 石原が刑事らに胴上げされていた。

 

 

「なにやっとんねん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同時に受話器を置いた上田。すぐにボックスを出て、停留所まで走り出す。

 鬼隠しの件を調べるなと言われていた事などは、暫し忘れていた。

 

 

 焦燥感が、動悸を激しくさせる。

 上田は精一杯の力を込めて、畑道を駆けていた。

 

 

 

 

 

 雛じぇねと遭遇する。急いでカカシの真似をした。

 

 

「千年殺しッ!!」

 

 

 何とかやり過ごせたようだ。そのまま忍者走りで停留所まで急ぐ。

 

 

 

 

 

 ボックスの壁から一枚の広告が落ちた。

 その裏にはもう一枚の広告が、隠れていた。

 

 

 

 

 

 

『山田 剛三のイリュージョンショー 昭和五十八年六月二十日、興宮市民会館で開催』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大急ぎで帰って来た詩音は、玄関口から中に入る。さすがに下足場の石畳は乾いている頃だ。

 

 

「ごめんなさい! ほんのちょっとだけ時間食っちゃいました!」

 

「いやいやいや四十分のどこがほんのちょっとなのさ!? おったまげるぐらい遅かったよ!?」

 

 

 玄関先の廊下には、エプロンを脱いで帰り支度をしている魅音の姿があった。綿流しの準備の為に家へ戻らねばならないと怒っている。

 

 

「もう帰らなきゃ駄目な時間になっちゃったじゃんかー! まだやり残した所もあるのに、洗剤がないから出来なかったし……詩音の馬鹿! 許さない!!」

 

「許してちょんまげ!」

 

「駄目!」

 

「アイムソーリー!」

 

「もう一声!」

 

「ヒゲソーリー!」

 

「ん〜〜〜〜許すッ!」

 

 

 廊下には他に、拭き掃除をする沙都子がいた。沙都子にとっては、詩音との久々の再会。嬉しそうに手を振っている。

 

 

「あ! 詩音さん!」

 

「……あ。沙都子……」

 

 

 

 

 詩音は靴を脱いで家に上がると、すぐに沙都子の元へ寄る。

 そして彼女の前で屈み、心配そうな眼差しで視線を合わせた。

 

 

「どうなさいました?」

 

「あ……ええと……」

 

 

 詩音は鉄平帰郷の一件以降も、彼女を気にかけていた。怪我や精神状態を心配するのも無理はない。しかしその話題を持ち出す訳にはいかなかった。

 

 沙都子自身も、叔父との一件は皆に心配をかけさせまいと、梨花や上田以外には秘密にしている。また鉄平逮捕の一因に詩音の協力はあったが、魅音が警察と協力関係を取った事を園崎家に知られない為、秘匿としている。

 沙都子は、叔父の事を詩音らは知らないだろうと踏んでおり、詩音と魅音もまた、関係した事を言ってはならない立場にある。

 

 衝動的に駆け寄ってしまった詩音は、キョトンとする沙都子の手前、何とか理由を探した。

 

 

「その……な、何だか久々でしたから! 病気とかしてないかなって」

 

「あぁ……この通り、元気ピンピンですわよ! 夜もグッスリ眠れておりますし、食欲も問題ありませんわ!」

 

「そ、そうですか? 本当に?」

 

「意外と心配性ですのね、詩音さん?……本当に大丈夫ですことよ」

 

「…………なら、良いんです」

 

 

 安堵の息と共に、沙都子の頭を撫でてやる。

 突然撫でられて少し戸惑い、むず痒そうに「んぅ」とうめく。だが拒否はせず、寧ろそのまま沙都子は受け入れた。

 

 詩音らがした事を、沙都子は知らないままだろう。

 しかし、それで良い。元気なままの彼女を見られるのなら。

 

 

「……ん。詩音さんこそ、何だかお疲れのようですわね」

 

「へ? まぁ、オネェのパシリの帰りですから……」

 

「私が悪いみたいに言うな!」

 

 

 魅音が後ろでツッコむ。玄関先で靴を履きつつ、詩音が雑に脱いだ靴を揃えていた。

 その間沙都子は詩音の顔をまじまじと見ながら、分析する。

 

 

「目元がちょっと腫れておりますわよ?」

 

「……あ」

 

 

 山田との会話で号泣してしまった事を思い出す。それを言うのは恥ずかしいので、誤魔化してやった。

 

 

「ちょ、ちょっと不眠症気味でして……あ、あはは」

 

「まぁ! 私よりも良くないじゃありませんのよ! 不眠症でしたら鷹野さんに伺うと良いですわ」

 

「鷹野さんにですか?」

 

「お母さんも眠れない時があったので……鷹野さん、カウンセラーの資格を持っておりますから力になって貰えますわよ!」

 

「あ、いや、別に病んでるとかそう言うのじゃ……」

 

 

 言い淀んでいる内に、居間からレナと圭一が顔を出した。

 

 

「あ、詩ぃちゃん! 遅かったけど、何かあったの?」

 

「詩音よぉ! 玄関が濡れてんなら前もって教えてくれよなぁー!」

 

 

 二人を見た魅音は、つい下唇をキュッと噛んでしまった。

 何とかすぐに表情を笑顔に変え、皆に別れを告げる。

 

 

「さて、おじさんは家に戻りますか。より良い祭りの為、人肌脱いで来るからねー! 何か、余興のリクエストあるなら今の内聞くけど?」

 

「ビートルズを呼んで欲しいですわ!」

 

「今からじゃ……いや、一生かけても呼べないかなー?」

 

「レナは、えっとえっと……村民全員参加型はないちもんめ!」

 

「それ多分一晩で終わらないと思うよ」

 

「完全無欠大物天才マジシャン山田奈緒子大閣下の超絶怒涛イリュージョンショーーッ!!!!」

 

「圭ちゃん、いきなりどうしたの?」

 

 

 一通りリクエストを聞き終え、「それじゃ!」と言い残し、レナ宅を後にする魅音。

 軒先に出た時、後から付いて来た詩音に呼び止められる。

 

 

「あ、オネェ! 折角買って来たんですから!」

 

 

 持っていたカンカン棒を差し出された。

 今日は一段と暑く、冷えたアイスは日照りに雨だ。嬉しそうにそれを受け取った。

 

 

「おぉ! サンキュー、詩音」

 

「今日はもう戻って来ないんです?」

 

「んー、そだね。公由のお爺ちゃんと話し合って〜、予算の確認して〜、古手神社に行って進捗を確認して〜……今日は寝るまで戻れないかな」

 

「あぁ、そうなんですね……なら、言っておこうかな」

 

「え。何を?」

 

 

 アイスを口に咥える魅音へ近付き、悪戯な笑みで耳打ちをする。

 

 

 

「早くしないと、圭ちゃん取られちゃいますよ?」

 

「………………グフッ!?」

 

 

 間を置いてから噎せる魅音。顔が真っ赤なのは、暑さのせいではない。

 

 

「ちょ、あの、詩音さん!? え、いきなり何!?」

 

「え? だって、好きなんですよね?」

 

「……そうですけど」

 

 

 度々詩音に、圭一との事を相談していたようだ。

 

 

「さっきのオネェ……圭ちゃんとレナさん見てて、ちょっとモヤモヤした様子でしたし」

 

「……よ、良く見てるね。参ったなぁ……」

 

「危機感あるって感じですか?」

 

「…………うん。あるっちゃあ、あるけど……」

 

 

 二日前の出来事がよぎる。

 レナを許し、またレナからの好意に気付いた圭一は、間違いなく彼女を意識し始めていた。

 この件を自分の口から詩音に言う訳にはいかない。しかしあれほど劇的な進展を見てしまえば、臆病になってしまう。

 

 果たして、もう自分に入る隙はあるのかと。

 

 

「……そもそも圭ちゃん、私を女として見てない感じだし……レナなんてそりゃ、前からお弁当を作ってあげてたみたいだし……」

 

「あららら……ひっじょーにキビシーって奴ですね」

 

「財津一郎……」

 

 

 ここまで茶化すような態度を取っていた詩音だが、ふと表情に翳りが生まれる。

 

 

 

 

「……思いを伝えるなら、早い方が良いですよ。いつ、いなくなっちゃうか分かりませんから」

 

「…………」

 

 

 脳裏に悟史の顔が浮かんだのだろう。

 彼女の未練と痛みを察してしまい、魅音もまた押し黙ってしまった。

 

 空気を悪くしたと感じた詩音はハッとして、大急ぎで取り繕う。

 

 

「それに! ポテンシャルの面ではオネェにも分がありますよ! 恋愛なんて押せ押せの押せー!……ですから!」

 

「……うん。そ、そだね……」

 

「なんなら明日、祭りの最中に告っちゃえばどうです?」

 

「…………なんですと?」

 

 

 ニヤッと笑い、詩音は魅音を押し出す。

 

 

「さぁさぁ、そろそろ戻らないと!」

 

「ああ、あ、あの、詩音さん?」

 

「あ。告るか否かは明日の正午までに、私に確認とってくださいね」

 

「そんな急に!?」

 

「善は急げ、旨い物は宵に食え、思い立ったが吉日! 何でも早い方が良いんですよ!」

 

「明日とはホント無理だから! せ、せめて、夏の終わりに……」

 

「因みに『告白しない』って答えたら、村内放送で『園崎魅音は前原圭一にゾッコン』ってバラしますから」

 

「鬼か!?……アイタっ!?」

 

 

 軒先から道路まで押して、そのまま突き飛ばす。

 転びそうになったところを踏ん張り、恨めしそうな目付きでじとりと振り返った。

 

 

 

 

 後ろに手を組んだ詩音の姿が、儚げに映る。風が吹き、垂らした長髪が波のように揺れた。

 

 

「……どんなワケがあるにせよ、オネェが引く理由なんてないですよ」

 

 

 にこりと笑う。

 いつも見る、詩音らしい優しい笑みだ。

 

 

「妥協や遠慮は駄目。やってみなきゃ、前へ進めませんから」

 

 

 レナが起こした一件については、まだ話していない。けれど、圭一とレナに何か大きな事があったとは、見抜かれたようだ。

 何か言おうかと惑う魅音の手前で、詩音はクルッと踵を返す。

 

 

 

 

「……あなたの心へ向かって、僕は歩いて行く……By、財津一郎……それじゃ、また明日!」

 

 

 それだけ言い残し、詩音はレナの家へ戻ってしまった。

 

 呆然と、水滴が滴るチューペットを握りながら、魅音は苦笑いをしてみせる。

 ひたいから流れる汗を拭い、一言。

 

 

 

 

 

「それ和夫の方……」

 

 

 太陽は西へ落ち始める時間だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

響めき

「矢部さーん! 皆さーん! 二年ぶりー! 僕は生きてますぅーっ!!」

 

 

 カレー塗れの秋葉が、裏山の前で叫んでいた。

 その内「矢部さーん! 好きだー!」と叫びながら、どこかへ走って消えた。

 

 

 

 

 鷹野の案内のもと、裏山を昇る坂道を行く。熱波が降り注ぐ中、四十路に入った山田にとって苦行でもあった。

 

 

「し、死ぬ……干涸びる……」

 

 

 買ったチューペットで糖分と水分を補給しつつ、身体を冷やす。何とかそうやって身を保たせながら、先を行く鷹野の背を追う。

 

 

「大丈夫ですか山田さん?」

 

「大丈夫ではないです」

 

「ほら、もうすぐですから。ここまで来たならお地蔵様の前まで頑張りましょう!」

 

「パワフル……」

 

 

 舗装のされていないゴツゴツとした道は、登山用の靴を履いていない山田にとって歩きにくい事この上ない。一歩一歩が億劫になる状態の今、残された力は根性のみだ。

 

 

「オニ壱……私に、力を……! おりゃーーっ!!」

 

 

 一気に駆け上ったものの、鷹野の真後ろ辺りで力尽きる。

 

 

 

 

 

 五分ほど暫く歩き、目的地にやっとの事で辿り着いた。

 木々が生い茂った、山の中ほど。青葉がトンネルのように頭上を覆い、影を作ってくれた。直射日光を浴びずに済み、ほっと山田は息を吐く。

 

 

「ほら! あれですよ!」

 

 

 鷹野が指を差す先に、鬼の子地蔵様とやらがあった。見て呉れは古い木造の祠の中に屹立する石像と、まさに良く知る「お地蔵様」の形式だ。

 

 しかし普通と違う点は、そのお地蔵様の姿。大きさは百センチ程度とやや大きめで、服装は法衣ではなく、神職の者が着る神事服のような装いだ。それだけでもかなり特異な姿だ。元々のモデルである菩薩様には到底、似付いていない。

 

 しかし長い年月を経たのか、表面は雨風で削れ、苔むし、その全容は不明瞭となっている。表情と顔立ちも、どのような物だったのか最早伺い知る事もできない。

 

 

 

 

 それでも胸がぼよんと、大きい事は分かった。

 

 

「巨乳だ……!」

 

 

 チューペットを食べながら、まじまじと眺めて拝み出す山田の後ろで、鷹野は鬼の子地蔵様に関する伝説を語ってくれる。

 

 

 

 

 

 

「鬼ヶ淵沼は地獄と繋がっていると言われております……遥か昔、その地獄の鬼が沼より湧き出し、村人たちを襲ったと言われています」

 

 

 山田はお地蔵様の胸から、鷹野の方へ目を向けた。

 

 

「そこへオヤシロ様が村に降臨し、鬼たちを鎮め、人との共存を実現させたと言う……これが村で語られる、オヤシロ様の説話……山田さんは、聞いた事は?」

 

「あー……言われてみれば、村の伝説とか知らなかったです。その、あまり興味なかったもので……」

 

「まぁ……それは良くないですわね。私なんてもう、好奇心が滾ってしまって、休みの日は村の探索に費やしてしまうほどで……」

 

「道理でパワフルな訳だ……」

 

 

 そこで山田はふと、思い出す。思えば鷹野は、雛見沢症候群の研究を行う、学者肌の女性だ。科学と理論と事実主義の世界にいる彼女が、このようなオカルト嗜好を持つとはと意外に思える。

 或いはこれも、学者としての性分とも言えるのか。未知への挑戦と探究と言う点では、「らしい」かもしれない。

 

 

 山田は再び視線を、鬼の子地蔵様へ向ける。特に胸の方を注視しながら拝む。

 

 

「それじゃあ、これはその……沼から出て来た地獄の鬼、って奴ですか? どう見ても人間ですけど」

 

「うふふ……そこもまた、面白い伝説があるのですよ!」

 

 

 鷹野はチャーミングに笑い、心底楽しそうな声色で話して聞かせる。

 

 

「オヤシロ様によって鬼との共存が始まる以前……ある鬼が、人間に恋をするのです。そして鬼はその者と結ばれ、子を授かった」

 

「犬夜叉であった展開だな」

 

「けれど……」

 

 

 鬼の子地蔵の前へ歩み寄り、うっとりと鷹野はそれを見つめている。

 その表情は同性の山田さえ底冷えするほどの、妖艶さを纏っていた。

 

 

「……その時はまだ、村人にとって鬼は恐怖の対象。彼らはその子を、『忌み子、鬼の子』として罵った」

 

「六兆年と一夜物語……」

 

「そして最後には、罪なきその子を殺してしまった。あともう少し待てば、オヤシロ様によって救われたハズだったのに……嗚呼、何とも哀れで、物悲しい悲劇でしょう」

 

 

 鬼気迫る鷹野の語りには、妙な魅力と信憑性が宿っている。つい山田も聞き入ってしまう。

 

 

「事を知り、心を痛めたオヤシロ様は……その子を丁重に弔う事を、村人たちにせめてもの償いとして命じる。村人たちはその命を了承し、その子を形取った像を作らせ、永年に渡り弔えるようにした。それがこの、『鬼の子地蔵様』」

 

 

 鷹野の口から語られる、オヤシロ様と鬼の子地蔵様に関する伝説。それを聞きながら山田は、難しそうに顔を顰めて首を傾げる。

 

 

「……そのオヤシロ様の伝説って、大体何年前の奴なんです?」

 

「んー……最低でも室町以前には伝わっていたそうですので……もしかすれば千年前でしょうか?」

 

「……その割には何か、この、鬼の子地蔵様?……まだ出来てから多分、数百年ちょっとって感じなんですけど……」

 

 

 山田の疑問を聞いた鷹野は、嬉々とした様子で目を輝かせた。まるで待っていたその疑問を、と言わんばかりの反応だ。

 

 

「その通り! 何度か作り替えられているそうですわ。さすがに石像を千年保たせるのは難しいでしょうし、仕方ないでしょうね」

 

「あー。まぁ、そうですよね」

 

「作り替えられる度に胸が盛られているとも聞きましたわ」

 

「盛ってんか!?」

 

 

 山田は激怒し、拝むのをやめた。

 不機嫌そうにチューペットを啜る彼女を見つつ、鷹野は思い出したように話しかける。

 

 

「折角こんな、人のいない山の中まで来たのですし……秘密のガールズトーク、なんてどうです?」

 

「秘密のガールズトーク? 何ですか……あいにく恋バナとかは……」

 

「いえいえ……もっともっと、ディープな話ですわ」

 

「はぁ……?」

 

 

 怪訝そうな目つきの山田の手前で、彼女はにやりと笑う。

 澄んだ瞳が陽光に照り、それが一筋の灯火となって山田の心情を明かさんとするかのようだ。子どもっぽく見えながらも、その奥には言い様のない打算が潜んでいた。

 妙な緊張感が山田を苛む。まさに、鷹野の眼光がそれを引き起こしていた。

 

 

 もしかして、雛見沢症候群の事を梨花らから聞いたと、知られたのでは。緊迫を滲ませる山田の前で、鷹野は口を開く。

 

 

 

 

「鬼隠しについて、調べているみたいですね?」

 

 

 バレないよう息を吐いた。知られてはいないようだと、安心した。

 

 

「……良く、ご存知で」

 

「こう見えて私、情報網が広い人間なんですよ?……それに上田教授の著書も読ませていただきました」

 

 

 鞄から取り出した物は、上田の著書「なぜベストを尽くさないのか」、略して「なぜベス」。渋谷の若者の間でバイブルになっていると豪語していたが、真偽は不明。ただ知名度が上がってもなぜか売れないと、嘆いていた事は知っている。

 

 

「上田教授が、入江先生に預けていたようでして。一昨日、やっと拝読する事ができましたわ」

 

「んな物渡してどうする上田……」

 

「最初のページにCDが付属されていました。去年出たばかりの技術なのに凄いですわ! なぜか再生できなかったですけど」

 

「それDVD……昭和じゃオーパーツ……」

 

「あと奥付けの日付が二十年後になっていましたわ! 本当にユニークな方で!」

 

「あいつは馬鹿かっ!」

 

 

 過去の世界で未来の自著を渡す上田に、ほとほと呆れる山田。

 鷹野はなぜベスを斜め読みしながら、話を続けた。

 

 

「上田教授は過去、何度も霊能力者や呪い、祟りと対峙して来たと著されています。なのでこの村に来たからには、鬼隠しに挑むのだろうと思っておりましたが……如何です?」

 

「……まぁ、そうですね」

 

「良いですわね……科学と祟りの一騎討ち! 物理学者VSオヤシロ様! これはミステリーかファンタジーか……!」

 

「はぁ」

 

「不謹慎ですけど……私、今からでもその結末にワクワクしておりますわ!」

 

 

 まさかそれを語る鷹野自身が、今年の犠牲者だとは夢にも思わないだろうなと、山田は内心で憐れむ。

 未来で起こる悲劇なんて、彼女に分かる訳はない。興奮気味の面持ちで、鷹野は続けた。

 

 

「そして上田教授のお連れ様である山田さん……あなたも、お手伝いをなさっているのですか?」

 

「一応言っておきますけど、上田さんが暴いたって言ってる超常現象は、全部私が暴いたんですよ」

 

「あら? そうなんですか?」

 

「はい。あいつ、何もしてないです」

 

 

 何もしてない事はなく、実際に上田のお陰で窮地を脱した事も何度かあったが、山田はそれを言ってやらない事にした。得意げに、チューペットを啜る。

 

 

「でしたら山田さんに伺いますが……今年は、誰が狙われると、思われますか?」

 

「………………」

 

 

 ここで「あなたです」と言う訳にはいかない。言ったとしても笑われるだけだ。

 返答に困った山田は話題をズラす。

 

 

 

 

「寧ろこの鬼隠し……目的は何なんでしょうか?」

 

 

 和かだった鷹野の表情はぴたりと固まる。意表を突かれた様子だが、山田は構わずに続けた。

 

 

「犠牲者の内、一人は殺されて、一人は消える。今まで被害に遭った者は、ダム開発の賛成者だった北条家の夫妻と、その息子と叔父の妻。賛成でも反対でもなかった、古手家の夫妻」

 

「……村に仇なす者への罰と、戒めと思うのですが……」

 

「確かにそう思えます。けど、おかしいじゃないですか」

 

「おかしい、と言うと?」

 

「明確に賛成されていた北条夫妻ならともかく、以降は別に殺す必要もない人たちばかりじゃないですか。それにオヤシロ様を信仰しているなら、古手家へ手を出せないハズです。信仰を担っているのは彼らなんですから……寧ろ、罰当たりですよ」

 

 

 関心したように頷く鷹野。

 勢い付いた山田はそのまま、捲し立てる。

 

 

「最初の被害者がダムの賛成者でしたから、そう思い込んでしまっただけ……これらの事件には別の動機があって、何者かはその動機に沿って事件を起こしている……誰かがダム戦争とオヤシロ様信仰を隠れ蓑に、それを成し遂げようとしている……そう思えてならないんです」

 

 

 鬼の子地蔵様を一瞥し、山田は真剣な眼差しで鷹野を見据えた。

 

 

 

 

「だって……一連の事件、全然ダムの凍結に関係しなかったじゃないですか」

 

 

 

 

 山々の隙間を抜け、突風が吹く。木々を揺らして葉を切り、宙へ舞わせた。

 (どよ)めく森の中で、山田の長い黒髪は激しく吹かれる。驚いた彼女は髪を押さえ付け、目を瞑る。

 

 

 

 風は止み、ヒラヒラと青葉が舞い落ちた。

 すっかり顔を覆ってしまった髪を手櫛で直しながら、山田は俯けた視線を上げる。

 

 

 

「そこまで考察された方と会ったのは、始めてですわ……」

 

 

 葉が落ちる中、感極まった様子の鷹野は手をぱちぱちと叩いていた。

 

 

「是非、山田さんとは夜通し語らいたいものです……一晩で済むかは分かりませんけど」

 

「どんだけ語る気だ」

 

「私も、鬼隠しについて色々考察していましてね。地底人説とか、鬼ヶ淵沼のオッシー説とか」

 

「月刊ムーかっ!」

 

「轟沈した艦隊の怨念説とか」

 

「アイアンボトムサウンド!」

 

 

 一通り話した後に鷹野は、本筋へと話を戻す。

 

 

「しかしその様子ですと、山田さん……なぜ、この一連の事件が、『オヤシロ様の祟り』とされているか……ご存知ではなさそうですわね?」

 

「え?」

 

 

 自信に満ちた山田の表情が、間抜けなものへと変わる。口をポカンと開き、目は丸くなり、チューペットからドロっと中身が溢れる。

 

 

 

 

「この国はつい四十年も前までは戦時中だったのですよ。その影響か、村のお歳召した方々にはやっぱり、血気盛んな者も沢山います」

 

 

 そう言えば今は、一九八三年だったとふと想起する。

 山田らのいた時代よりも、戦時中までのスパンは短い時代だ。この時代の五十、六十代ならば、まさに戦時中の世代。実際に戦地を生き延びた者もいるだろう。

 

 

 

 

「それに閉鎖的な村社会と言うのは、敵に対して過敏なものです」

 

 

 次に想起されるは、山田と上田が過去巡って来た村々の数々。或いは教団の信者たち。

 村の文化が、法律や常識よりも尊重される。そんな光景を何度も見て来た。

 

 

 

 

「ダム戦争の仇敵は、死んで当たり前。事件を起こしても、警察は鬼隠しを秘匿捜査に指定するので報道もされない。その上、村の方々も『オヤシロ様の祟り』と信じて、緘口してしまう」

 

「………………」

 

「そうなれば感覚と言うものは麻痺するもの……山田さんは『ダム凍結に関係しなかった』と仰っておりますが、そのような未来を考えられるほど、冷静な者はいましたか?」

 

「………………」

 

 

 ジオ・ウエキと言うペテン師に心酔した、雛見沢じぇねれ〜しょんずが良い例だ。

 ダム計画凍結を渇望するあまり、易々と手の平に転がされてしまった。

 

 

 

 

「なり得るんですよ。村人全員が、犯人に──誰かが殺して、誰かが隠して、他の人間が口裏を合わせれば良いだけです」

 

 

 彼女のその主張は、山田に冷や汗をかかせるに足りる動揺を与えた。

 

 そうだ。単独犯とは限らない。

 これまでもそうだった。教団の人間全員、対立していると思われていた者たち、中には村人全員がグルだった事件もあった。

 

 

 山田は嫌な想像をしてしまう。

 もしかして、この村全てが蜘蛛の巣──既に自分は、巧妙に囚われているのではないか。

 

 

 

「……こんな話もありますわよ?」

 

 

 容赦なく鷹野は続けた。

 

 

「一年目の事件の後、村人らは園崎屋敷に集まって会議を開いた」

 

「…………!」

 

 

 その話には心当たりがある。

 魅音から聞かされたもの。園崎家は秘密裏に村中を調べ上げ、犯人を特定しようとした話。それはまさに、園崎家が無関係だと言う主張だ。

 

 恐らくはその事だろうかと思っていた山田だが、丸っ切り違った。

 

 

「皆が事件の事を話題にした時、現頭首のお魎さんは、ニヤリと笑ったそうですわ」

 

「え?」

 

「一年目も、二年目も、三年目も……事件が話題に出ると、またニヤリと笑った」

 

 

 こんな風にと言わんばかりに、鷹野もニヤリと笑う。

 

 

「だから村人は確信した。『一連の事件は、園崎家の差し金』だと」

 

「………………」

 

「ともすれば村人はそのお魎さんに報いる為、暗黙の了解で事件を起こしているとすれば?」

 

 

 グイッと歩み寄り、山田の眼前にまで立つ。驚きで彼女が一歩退けば、合わせて鷹野は一歩進む。

 最初に見せたあの妖しい瞳で、山田の目の奥まで見通そうとする。

 

 

 

 

「……あなたが村に来てから既に、全員に騙されているとすれば?」

 

 

 山田はオオアリクイの威嚇をする。気付けば鬼の子地蔵様の祠の隣まで押し寄せられていた。

 すっかり嫌な想像が、山田の脳内を支配する。あの夜に言われた魅音の話も、茜の話も、全てが嘘だとすれば。

 

 一年目の事件も、二年目も三年目も、果ては大石の親友の死も、園崎ぐらいの権力ならば実行も揉み消しも可能ではないか。

 

 

 

 

「……ち、近いっす」

 

 

 鼻先がくっ付きそうなほど、鷹野に迫られた。山田は押し返し、離す。

 その頃には鷹野の表情も、悪戯に成功した子どものような笑顔となっていた。

 

 

「まっ! これはあくまで考察! つまり、ファンタジーですから!」

 

「で、ですよね」

 

「でも、気を付けるに越した事はありませんわよ? 誰が刃物を袖の下に隠しているのか……うふふっ。分かった物ではありませんから」

 

 

 鷹野は腕時計を確認し、「あっ!」と声を上げた。

 

 

「あららら……さすがに熱中しちゃいました。そろそろ入江先生の所に戻らないと怒られてしまいますわ」

 

「もうそんな時間で?」

 

「名残惜しいですが、今日はこれにて……あっ!」

 

 

 ぱちんと手を叩き、彼女は提案をする。

 

 

「明日、どうでしょう?」

 

「……え? ど、どうでしょうって? 大泉洋? ミスター?」

 

「綿流しですよ! 一緒に巡りませんか?」

 

 

 既に富竹経由で同行を約束はしていたが、とりあえずここでも首肯し、約束を再度取り付けた。

 嬉しそうに鷹野は、小さく跳ねる。

 

 

「やった! うふふ! 同じ外からの人間同士、これからも仲良くしましょ?」

 

「あっはい」

 

 

 明日以降も仲良く出来るのかと、気まずくなる山田。思わず目を逸らし、眉間に皺を寄せた。

 そんな彼女の心情など知る由もなく、鷹野はくるりと踵を返すと、「ではまた、お祭りで」と言って去ろうとする。

 

 

 

 

 

「……あの!」

 

 

 鷹野の姿が消える前に、山田は叫んだ。足が止まる。

 

 

「……山田さん?」

 

「私……どうしても、魅音さんたちがそんな事をする人には思えないんです!」

 

 

 偶然だろうか。鳴き止まない蝉たちの声が止み、山田の声は澄んだまま鷹野へ届けられた。

 

 

「それに頭首が笑ったって話ですけど……笑うだけなら、簡単に出来ますよ! と言うか、そうしなくても園崎さん、警察に真っ先に疑われていますし!」

 

 

 遠目で良く伺えなかったが、振り向いた鷹野の目が驚きに満ちていた。

 

 

 

 

「あと……暗黙の了解で起こしたにしては、この事件は複雑です。そんな薄っぺらではない大きな意志が、あるように思えるんです」

 

「……!」

 

 

 

 山田の口から叫ばれたのは、鷹野が話した事柄への反論だった。

 意外そうに目を丸くし、暫し足を止める鷹野。一瞬だけ目を伏せると、また微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

「……あなたとは本当に、良い関係を築けそうですわ」

 

 

 それだけ言い残して手を振り、彼女は山を降りて行った。

 

 

 暫し止んでいた蝉の声が、また一斉に発せられる。微風が吹き、木々は嘶く。

 ぽつりと残された山田は、ふと鬼の子地蔵様の方へ目を向けた。

 

 

 

 

 

 

「………………」

 

 

 最初はやっぱり、盛られたと言う胸。次に、頭部の方へと向けられる。

 

 

「…………ん?」

 

 

 頭部の大部分は風化し、苔に覆われていた。

 しかし、側頭部から膨れ上がる何かが、山田の目に止まる。

 

 

 誘われるように近付き、側頭部に付着した苔を毟り取った。汚れを払い、隠されていた物を確認する。

 

 

 

 苔の下にあった物は、髪ではなくツノ。頭部の側面から下へ垂れるようにして生えた、水牛のようなツノだった。

 それを見た時、山田の目がカッと見開かれた。

 

 

 

 

 

 

 神社にて、賽銭箱の前で見た少女。

 山の中で、小屋まで案内をしてくれた謎の少女。

 

 

 山田が幻覚だと思っていたその少女にも、似たツノがあったと思い出した。

 

 

「……あの子は」

 

 

 

 

 彼女の背後に向かって、何かが近付く。

 

 

 

 

「………一体」

 

 

 

 

 更に近付く。もっともっと迫る。

 

 

 

 

「…………何者……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とうとう、山田の真後ろに立つ。

 ハッと気配を察した彼女は、急いで振り向いた。

 

 

 

 

 

 

 風が吹き、また山が響めく。

 青葉が巻き上がる中、山田の視線の先には、誰もいなかった。

 

 

 

 

 十本もチューペットがあった袋の中も、空の容器しかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、園崎屋敷には、魅音が帰って来ていた。

 庭で匍匐前進の訓練をする組員らを横目に、祖母のいる居間へと入る。

 

 

「婆っちゃー! 今帰ったよー! 遅れちゃったけど許してチョーダイ!」

 

 

 お魎は背を向けて、お茶を飲んでいる。思慮に耽っているようで、魅音が来ても一切の反応を示さなかった。

 

 

「婆っちゃ? どうしたの? 考え事?」

 

「…………魅音」

 

 

 嗄れ、されど威厳が込められた声色で、お魎は孫娘を呼ぶ。

 そこでやっと首を回し、流し目で魅音を見つめた。

 

 

 

「話がある」

 

 

 

 パタンと、魅音は開けた襖を、閉める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 儀式を行う北欧人集団を尻目に、パトカーは白川自然公園へと到着する。矢部と石原を駐車場に待たせ、上田は管理人の下へ一人で赴く。

 待っている間の矢部と石原は、駐車場で「二人はないちもんめ」をしていた。

 

 

 時刻は午後三時過ぎ。展望台で風を受けながら、沙都子の母を見たと言う管理人の男から話を伺っている。

 柄に「霧雨魔法店」と書かれた箒を抱えつつ、現場の前に立って様々な事を教えてくれた。

 

 その手には、沙都子の母親の写真があった。上田がわざわざ持って来た物だ。

 

 

「あー、確かにこの人だあ」

 

「間違いないんですね!?」

 

 

 管理人はくるりと振り返り、「間違いねぇ」と言って認める。

 崖から落ちるのが怖い上田が、五メートルほど後ろに立っていた。

 

 

「一ヶ月ぐらい前から何度も来てよぉ。ちょーど、落っこちたトコにいーっつも立っててよぉ」

 

「何か、やってたような感じでしたか?」

 

「どうだったかなぁ? 家族旅行の下見だなんの言っとったがなぁ〜……」

 

「何か持って来ていたとかは?」

 

 

 顎に手を当て、当時を思い出してくれた。

 

 

「男モンのボットンバッグ持っていたなぁ」

 

「ボットンバッグ?……あぁ。ボストンバッグか」

 

「後はぁ、なんか待ってるみてぇに小説を読んでたりぃ。海外の物書きの作品でな? エドガー・アラン・ポーの『陰獣』だった!」

 

「それは江戸川乱歩の方です」

 

「時たまに図鑑みてぇな本も読んどったが……まぁ、そんな感じだなぁ」

 

「ボストンバッグ……そこに工具やガリウムを入れていたのだろうな」

 

 

 衝撃の事実を突きつけられ、上田は頭を抱える。

 動機は不明だが鉄柵に細工をし、夫を突き落とした犯人は、沙都子の母親だ。

 

 証拠は多い。彼女しか開けられないカラクリ箪笥と、その中にあったガリウム、管理人の証言、更には遺体が見つかっていない事実もある。

 

 

 

 

「……見つかっていないと言う事は、犯行後に逃走した可能性があると言う事……なんてこった!」

 

 

 憎々しげに上田は吐き捨てる。このような事を、沙都子に言える訳がないからだ。

 上田の脳裏には、雛見沢症候群への懸念もある。「お父さんを殺したのは、お母さんだ」と言うのは簡単だが、それが原因で沙都子が発症すれば大惨事だろう。

 

 

 とは言えまだこれは、推理の段階に過ぎない。決め付けるのは早計だろうと、興奮する自分を落ち着けさせる。

 

 

「……入江先生が止めたがっていたのは……こう言う事だったんだな……」

 

 

 今になって入江が、鬼隠しの調査を辞めさせた理由に気付く。

 

 調べれば調べるほど、残された者が傷付くような真相が待っている。それを全て晒してしまえば、結末は「雛見沢症候群の発症」だ。

 入江はそれを恐れていた。だから止めたがった。

 

 

「……どうすりゃ良いんだ」

 

「あの〜? 仕事に戻ってええかね?」

 

 

 暫し葛藤に沈んでいた上田へ、管理人はおずおずと聞く。とりあえず笑顔で取り繕い、動揺を隠した。

 

 

「あ、あぁ……ハハハ! もう結構ですよ! すみません、お時間取らせて」

 

「では、自分はこれで…………ん?」

 

 

 去ろうとする管理人が、上田の鞄に注目する。

 鞄のジッパーは開いたままであり、中身が容易に覗けるようになっていた。

 

 

「どうされました?」

 

「……あー! それだぁ!」

 

「え、何が?」

 

 

 管理人が指を差した先、自分の鞄の中を見やる。

 視界に映ったそれを見た時、上田は吠えた。

 

 

「おおぅ!?」

 

 

 

 

 

 

 駐車場の矢部と石原は、北欧人集団を交えて、はないちもんめをしていた。

 

 

「コレ、はないちもんめやないなぁ?」

 

「いつまで踊ればええんかのぉ!?」

 

 

 いつの間にかメイポール・ダンスの大会と化している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田と別れた後、鷹野は入江診療所へ帰還。やや焦った様子の入江が、カルテ抱えたまま現れる。

 

 

「すみません、所長……鷹野三四、ただいま帰還しました!」

 

「どこ行ってたんですか!? チューチュー買うにしては長くなかったですか!?」

 

「あ。チューチュー忘れていましたわ」

 

「しかも買ってない……!?」

 

「うふっ。ミヨさんうっかり♪」

 

「許しましょうッ!!!!」

 

 

 業務に戻ろうと、待合室を横切る鷹野。

 

 ふと、椅子の上にあった物が目に留まった。

 

 

「……あ」

 

 

 そこには誰かが置き忘れて帰ってしまったであろう、世界各地の国旗が結ばれた、棒付きのリボン。ひょいと、拾い上げる。

 

 

「入江所長……コレは?」

 

「え?……あー! 多分さっき、診察に来た親子のですかね? 忘れて帰っちゃったのかなぁ……」

 

「…………」

 

 

 リボンを広げ、連なる国旗を眺めた。

 日本、アメリカ、ソビエト連邦、中国、イギリス、ドイツ……一つ一つを数えながら、端まで視線を進める。

 

 

「懐かしい……所長は、子どもの頃にしていませんでした? お子様ランチの旗集め」

 

「え?」

 

 

 突然話題を振られ、素っ頓狂な顔と声で応じてしまった。そんな入江の反応を見て、やってはいないのだろうと鷹野は察する。

 

 

「私はしていたんですよ。二十本集めれば願いが叶うと決めて──」

 

 

 旗の枚数を数え終わる。

 

 

「…………」

 

 

 リボンに括られた国旗は、十九枚しかなかった。

 鷹野は口元をキュッと結び、椅子の上にまたリボンを置く。その表情はどこか、物憂げだ。

 

 

 

 

「鷹野さん?」

 

 

 心配そうな入江の声と共に、鷹野は振り返って笑顔を見せた。

 

 

「……さてと。ロスしちゃった分、仕事を片付けなければいけませんわね。入江所長はもう、休まれてください。後はこちらでやっておきますので!」

 

 

 再び医務室へと向かおうとする。

 去り際、梨花たちの話を思い出して入江が、大急ぎで呼び止めた。

 

 

「あの、明日なんですが!」

 

「はい?」

 

「……出来るだけ明るく、人目の多い場所にいるようお心掛けを。一人になるのは避けてください」

 

 

 次の鬼隠しで、鷹野と富竹が犠牲者になると言う梨花の予言。妙な胸騒ぎを覚えた入江は、真っ直ぐ鷹野を見据えて忠告をしてやる。

 少しだけ間を置いてから、彼女は首を回して横顔だけを見せた。

 

 

「大丈夫ですよ。ダム戦争は終わりましたし、もう鬼隠しは起きませんわ」

 

「しかし……」

 

「ふふっ。心配してくださってありがとうございます」

 

 

 身体ごと動かして、入江へ正面を向ける。

 

 

「明日のお祭りは楽しみですわ」

 

 

 

 

 困ったような笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「盛大なお祭りになりますわよ、きっと」

 

 

 再び踵を返し、医務室へと消えてしまう。

 呆然とそれを見送った後、入江は先ほどまで彼女が触っていた、国旗のリボンへと目を向ける。

 

 

 

 その際、椅子の下に落ちていた、千切れてしまっていた二十枚目の国旗を発見する。

 菅井きんに似た人物の顔が描かれた国旗だ。

 

 

「……赤道スンガイ共和国」

 

「オッカァーーサマーーッ!!」

 

「!?」

 

 

 東南アジア系の外国人が、外から入江に向かって叫ぶ。なぜか両手を蓮華の形に組んでいた。

 驚いて、抱えていたカルテ全てをぶち撒ける。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秘密と参列

 時刻は更に進み、午後五時。

 清掃を終えて解散し、沙都子と詩音は帰路の途中だった。

 

 

「明日は綿流しなんですし、詩音さんもこちらにお泊まりになられては?」

 

「あー、ごめんなさい! 明日は午前だけバイトですので……」

 

「それは残念ですわ……上田先生に山田さんと、賑やかで良いかと思いましたのに」

 

「あれ? 山田さんたち、古手神社にいるんですか?」

 

「はい! 綿流しの日まで泊まるそうでして……これがとっても楽しいですのよ!」

 

 

 近況を話す沙都子は、いつもに増して楽しげだ。

 これまで不幸が重なって来た彼女だ。いきいきとした笑顔を見る度に、詩音は安堵した。

 

 

「上田先生なんか、私のお家にあった壊れたテレビを修理してくださって……」

 

「へぇ〜! 上田先生、やっぱ器用なんですね!」

 

「いえ。修理に失敗しまくってまして、昨夜なんか火事一歩手前でしたのよ!」

 

「やめさせた方が良いと思いますねぇ〜」

 

「そうそう! 山田さんって、下のお名前が奈緒子さんでして、私とちょっと似ているのですのよ! 奈緒子沙都子でコンビを組みましょーってお願いしまして……」

 

 

 それからもずっと、山田と上田の話を続ける。

 詩音にとって驚きなのは、あの二人がこれほど沙都子の中で大きな存在になっていた点だ。

 

 

 

 聞けば上田も、沙都子の為に園崎屋敷へ突撃したらしいではないか。あちらから彼女に歩み寄ったからこそ、こうして信頼を得ているのだなと、詩音は思う。

 

 

「……でも、ちょっと妬けちゃいますね」

 

「え? やける? あいにく日焼け止めは……」

 

「そっちじゃなくて、ヤキモチの方ですよ!」

 

「お餅の季節にしては半年早いですわよ?」

 

「あ、嫉妬って意味です。ジェラシー」

 

 

 少し俯き、寂しげな笑みを浮かべた。

 

 

「嫉妬と言うより……私も、もっと沙都子と仲良くなりたいな……って、意味ですね」

 

「え……?」

 

「その、ほら……何と言うか……悟史くんにも任されているって言うのも一つ、ありますが……」

 

 

 もじもじと両指を絡ませる。思いを吐露する事が気恥ずかしく、はにかみ顔になる。

 けれどこれだけは言っておきたい。ゆっくりと決意を深め、一呼吸置いた後に優しく微笑んだ。

 

 

 

 

「……それ以上に……あなたを守ってあげたい。誰よりも、あなたの寄る辺になれたらなって……今は思っているんですよ?」

 

 

 雲はゆったり東へ進み、吹いた風が草葉を騒つかせる。

 さらさらと流れる髪の下で、沙都子はただ呆然と詩音を見つめていた。

 

 

 色白な詩音の顔に赤色が差す。言っていてやっぱり恥ずかしくなって来たようだ。パタパタと手で顔を仰ぎながら、ふいっと目を逸らす。

 

 

「あ、あはは! な、何か、らしくない事言っちゃいましたー! いやー、どうしてもこの日になるとおセンチになっちゃうと言うか……」

 

 

 早足で歩き、沙都子の前へ前へと進んでしまった。

 並んで歩いても、この後何を話せば良いのか。珍しく詩音の頭は、混乱状態だ。

 

 

 綿流しの前日で、色々と気持ちが昂っている事が理由だろうか。その上、鉄平の件もあった。心情を抑え切れなかったのだろう。

 つかつかと進み、空回った笑い声を出し続けた。

 

 

 

 

「詩音さん! 待ってくださいまし!」

 

「!」

 

 

 そんな彼女を呼び止めたのは、沙都子だ。詩音の足が止まる。

 

 

「私も詩音さんの事、大切に思っておりますのよ……」

 

「………………」

 

「……詩音さん、今でもにーにーの事を、探していらっしゃるのですわよね……?」

 

 

 反射的に振り返る詩音。視線の先に、真っ直ぐな瞳の沙都子がいた。

 

 

「……多くの村の人は、もうにーにーの事を忘れようとしています。そればかりか怖がって、話題にもしません」

 

「…………!」

 

「でも詩音さんは、この二年間ずっと信じて、探してくれて……あまり皆の前で話してはくれませんけど、私は知っておりますのよ!」

 

 

 離れた分、沙都子の方から歩み寄る。意趣返しされたかのように呆然とする詩音の手前まで、ゆっくりと。

 

 

「……だから改めて感謝申し上げます……ありがとうございます」

 

「……そんな。私、ずっと……」

 

 

 泣き出しそうな表情の詩音の手を、沙都子は握ってやった。お互い少し、指先が冷たい。

 

 

 

 

「……明日は……一緒に、乗り越えるのですわよ」

 

 

 舌の先を噛んで、涙が出そうな気持ちを抑えた。そのまま天を見上げ、深呼吸をしてから、詩音は手を握り返す。

 次に見下ろす時には、二人とも微笑み合っていた。

 

 

「……沙都子」

 

「はい、詩音さん!」

 

「…………」

 

 

 感極まった様子で、詩音は口を開く。

 

 

 

 

 

 

「ここまで来たなら『ねーねー』って呼んで貰えないでしょうか?」

 

「それはちょっと」

 

「なんで!?」

 

 

 思わず仰け反り、叫んでしまった。

 

 草葉の陰から一部始終を聞いていた秋葉が「萌え〜!」と鳴きながら咽び泣いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神社の階段をヨロヨロと登る山田。裏山から直行で帰って来た為、足腰はボロボロだ。

 途中、準備を終えた村人たちとすれ違う。その際に「ナイチチ」「ヒンニュウ」と言われた。

 

 

「それ私が貧乳じゃなくて! この村の女の人がデカ過ぎんだバーカ!」

 

 

 虚しい怒号をあげてから鳥居を潜る。

 境内は、外出前よりも華やかに彩られていた。露店が並び、また拝殿前には大きな舞台も用意されている。

 

 

「おぉ、本格的! えーと……焼きそば、フランクフルト、イカ焼き、かき氷、りんご飴に……ズンドコベロンチョ?」

 

 

 まだ準備中の露店を確認しながら、山田は神社の裏へと歩き出す。上田が待ち合わせ場所に指定した、「絶景スポット」へと向かっているようだ。

 

 

「えぇと、こっちかな……あ。そういやチューチュー全部食べちった……まいっか」

 

 

 半日歩き続け、疲労が溜まった足を引き摺りながら境内裏へと到着する。

 そこまで行けば、石畳で舗装のされていない畦道に入った。歩き辛さに苛々しながらも、何とか目的の場所に辿り着く。

 

 

 

 神社は村の高台にあり、この境内裏には全くの障害物がない。

 遮る物はなく、広々と、高々と、雛見沢を一望できた。

 

 

 富竹が絶景スポットと豪語するだけある。

 遠く遥かまで連なる山々、沈み行く太陽、波のように揺れる青葉や水田の稲。その全てが眼下に広がっていた。

 

 

「ほぇ〜……確かに絶景スポットだなこりゃ……ヤッホーーッ!!」

 

 

 山に向かって叫び、やまびこを待つ。「ヌーブラーッ!!」と返って来た。

 

 

 

 

「さてと……あれ?」

 

 

 辺りを見渡し、上田を探す。しかし人影は一切なく、ただ木々の騒めきと、鳴き出したひぐらしの声が響くばかり。

 

 

「上田さん?……あれ。梨花さんの所に戻ったのかな……」

 

「まだ帰って来ていないのですよ」

 

「ノーブラっ!?」

 

 

 突然隣から話しかけられ、奇妙な驚き声と共に飛び上がる山田。

 立っていたのは、梨花だった。後ろに両腕を組み、悪戯成功と言いたげにニマッと笑う。

 

 

「駄目なのですよ山田。油断していちゃ! 明日が心配なのです」

 

「り、梨花さんですか……驚かさないでくださいよ。ただでさえ疲れているのに……」

 

「何やってたのです?」

 

「裏山の、鬼の子地蔵様を見に行ってました。鷹野さんに案内されて」

 

 

 鬼の子地蔵様と聞き、梨花は「あ〜」と、どこか納得したような口振りで頷いた。

 

 

「坂道だらけで大変なのです。だから山田、そんなヨボヨボのヘロヘロなのですか?」

 

「えぇ……あぁ、そっか。明日また、詩音さんと会いに登らなきゃならないのか……憂鬱になって来た……」

 

「あそこはボクたちも滅多に行かないのです……あ! 山田もしかして、その石像の前で内緒話しましたのですか?」

 

「え? ま、まぁ……」

 

 

 梨花はわざとらしく「あちゃー」と、自身のひたいを叩く。

 

 

「な、なんか、マズかったですか?」

 

「みぃ。鬼の子は口が軽いのです……あそこで内緒話をすると、なぜか村中に知られているって、言い伝えもあるのですよ。だから村の人は絶対に、あそこでコソコソ話はしないのです」

 

 

 それを聞いた山田は、鼻で笑った。

 

 

「ハハ……そんなの、ただの言い伝えですよ。石像が生きている訳ないじゃないですか。ドラゴンクエストじゃあるまいし!」

 

「ドラ……みぃ。未来人の言葉は分からないのです」

 

「なんかそう言うのは、伝承が盛られているだけですよ。あの胸のように」

 

「…………確かにアレは盛り過ぎなのです。みぃ……見てるとなんか、ムカムカするのです」

 

 

 そんな雑談を続けていると、やっと上田が現れた。

 別れた時よりもやけに、神妙とした様子だ。ずっと考え事をしているかのように、首を跨げている。

 

 

「あ、上田さん! 遅かったじゃないですか!」

 

「どこほっつき歩いていたのです?」

 

「……あ、あぁ……悪いな」

 

 

 いつになく口数も少ない。

 明らかに何かあったであろう上田に対し、二人は訝しむような目を向ける。

 

 

「なんかありました? めちゃくちゃしおらくなって……」

 

「……あぁ、いや。何でもない」

 

 

 上田は両手で顔を拭ってから、俯き気味だった顔を上げた。

 その際に、ゴミしか入っていない駄菓子屋の袋に気が付く。

 

 

「おい山田。チューチューは?」

 

「へ? あ。全部食べちゃいました」

 

「お前何本買った?」

 

「三本です」

 

「……どっからどう見ても十本買ってんじゃねぇか! 十本一人で食ったのか!?」

 

「…………美味しかったっす」

 

「この傲慢の権化がッ!」

 

 

 もう空っぽのチューチューの容器を、更にチューチュー吸う山田。

 呆れたように上田は首を振り、気を紛らす為に景色を眺め出す。

 

 

「それで、どこ行ってたのですか上田?」

 

「……あぁ、まぁ。興宮署だ。明日、祭りの間は厳重に警備するよう言っておいた。また神社の方に、詳しい計画が電話で伝えられると思う」

 

「とても心強いのです!」

 

「あと、ソウルブラザーとタカノンノンとの約束も取り付けた! これで俺たちは、セコムになれる!」

 

「未来人の言葉はやめて欲しいのです」

 

 

 何とかいつもの調子を取り戻して来た上田。だが、山田はまだ怪訝そうに眉を潜めていた。

 

 

「あぁ、そう言えば梨花。綿流しのスケジュールはもう決まっているのか?」

 

「スケジュール表は貰っているのですよ。ウチに置いてあるのです」

 

「そうか。まぁ、情報は多い方が良い。今の内にスケジュールを頭に叩き込んどくか……じゃあ、家に戻るか」

 

 

 帰宅を促され、梨花は一人テクテクと家の方へ歩き出す。

 山田も後に続こうとしたが、ふと振り向いた時に、景色を見て黄昏れる上田に気付いた。

 

 

「……どうしたんですか、上田さん。やっぱり様子がおかしいですよ」

 

「……いや。何でもない」

 

「それに上田さん、興宮署に電話しに行ってましたよね? 別に直接行く必要なかったじゃないですか……」

 

 

 山田の鋭い追求に対し、バツが悪そうに上田は頭を掻く。

 

 

「本当は、どこ行ってたんですか?」

 

「………………」

 

「……何か情報でも──」

 

「あー! もうこんな時間かー!」

 

 

 クォーツの三万円もする腕時計を確認しながら、わざとらしい声をあげる。

 

 

「あと五時間。日本時間の二十一時三十三分に、アメリカでは一台のロケットが発射される! スペースシャトル『チャレンジャー号』の、二度目の有人宇宙飛行だ!」

 

「……いきなり何ですか」

 

「この宇宙飛行は、アメリカにとって歴史的な瞬間でもあった! 同乗している『サリー・ライド』は、アメリカ人初の女性宇宙飛行士として、成層圏を出るんだ!」

 

「上田さん、どうしたんですか! はぐらかしてんですか!?」

 

「山田」

 

 

 振り向き、目を合わせる。いつものようにギョロっとした目が、山田を見据えた。

 どこかその目に、動揺が宿っているような。

 

 

「……必ず、明日話す。まだ確証が持てないんだ」

 

「何を今更……明日、死人が出るかもしれないんですよ? 仲間内で秘密はやめましょうよ」

 

「……頼む」

 

 

 問い詰めてやろうと近寄った山田だが、上田の真摯な目を前にして言葉を飲んでしまった。

 頼む、聞くな。そう言いたげな目をしていた。

 

 

 

 

 すっかり口を閉じた山田。今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、動揺を瞳に宿した上田。

 

 そんな彼らを、木の影より梨花は見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手を振り、去って行く沙都子と詩音を見送った。二人は「また明日」と約束してくれた。

 同じ頃、靴を履き終えた圭一も、玄関先から帰路に向かおうとする。

 

 

「……あの、圭一くん」

 

 

 レナはそれを呼び止め、「ん?」と振り返る。

 いつもは凛々しく見える彼の顔が、あどけなく年相応なものに見えた。

 

 

「どしたレナ?」

 

「……腕は、大丈夫?」

 

「腕?……あぁ」

 

 

 自身に突き刺そうとした注射器を、寸前で受け止めた圭一の腕。

 ぴらりと袖を捲ると、その部位にはまだ包帯が巻かれていた。

 

 

「入江先生のトコにも行ったし、ちょっとまだ痛ェけど全然大丈夫だ!……あっ。入江先生には、遊んでいた時に廃材置き場の釘が刺さったって言っといたからな?」

 

「……本当にごめんね」

 

「良いってよ……こうやってまた、レナと会えんなら僥倖ってやつだぜ」

 

 

 歯を見せて笑う圭一。

 あまりに屈託がなく、眩しい笑顔に、釣られてレナも微笑む。

 

 

「……それと、もう一つ」

 

「なんだ?」

 

「……その。あの時は自分でも訳わからなくなってて、勢いでワーッて言っちゃったけど……」

 

 

 思い出すだけで恥ずかしく、同時に罪悪感に苛まれる。

 恋焦がれた人と心中する為に友達を騙したと言う、何とも最低な所業をしでかしてしまった。

 

 丸く収まったと言うには傷付けてしまったもの、失ってしまったものが多い。

 そしてまた、縛り付けてしまったものもある。

 

 

 

 

「……圭一くんは、あの時レナが言った事……忘れて欲しい」

 

 

 憂いを帯びた物言いで、お願いをする。

 

 

「レナもあんな方法で……その……圭一くんを縛り付けたくないの」

 

「………………」

 

「……圭一は優しいから。言っておかないと、ずっと寄り添ってくれると思う……でもそれだと、自分が自分を許せなくなる。傷付けて、迷惑もかけたのに、虫が良いって……」

 

 

 一瞬だけ驚いたように目を丸くしたものの、レナの言葉が終わるまで黙って待ってくれた。言葉を探し、言葉を尽くそうとするレナの前で、ただ耳を傾けた。

 

 

「……だからあの夜の告白だけは……忘れて欲しいの。圭一くんはレナに……私に気を遣わず、本当に好きな人を探して欲しい」

 

 

 

 

 言い切り、口を噤んで俯いた。

 圭一は暫し考え込むように唸った後、二、三度小さく頷いてから話を返す。

 

 

「……分かった」

 

「……ありがとう。圭一くん」

 

「でも一つ、俺からもお願いだ」

 

 

 レナはパッと顔を上げ、目を瞬かせた。

 視線の先にいる彼は、挑発的な笑みを浮かべている。驚いたレナの顔を見て、してやったりと思っているようだ。

 

 

「だからって、自分に嘘は吐くんじゃねぇぞ。あの告白が無効なら、また別の方法でぶつかって来いよ。俺はまず、レナを嫌いになったりはしないからよ」

 

 

 そこまで言って、やはり恥ずかしくなって来たのか、圭一はフイと顔を背けて頬を掻く。

 少し格好が付かない圭一。それでもレナはまた、彼の事を好いてしまう。

 

 

 あぁ。どうしてこの人は、レナが求めてしまった言葉を言ってくれるのだろう。

 

 情けなくもあり、辛くもあり、それ以上に暖かく、どこか心地良い。

 一陣の風が吹き抜けるような、目には見えずとも確かに存在する優しさに、レナは涙を零してしまった。

 

 

「……あはは。本当に圭一くんは……変な人だよね」

 

「な、なんだよぉ! レナに言われたくねぇよ!」

 

 

 また恥ずかしそうに頬を掻く。

 するとその時に、思い出したようにレナへ質問をした。

 

 

「そういやレナって、本当は『礼奈』なんだよな? なんで『レナ』なんだ? 言いやすいからか?」

 

「あー……」

 

 

 涙を拭いながら、やや言い辛そうにレナは身体をゆらゆら揺すった。

 

 

「……雛見沢に来て、それまでの『イヤな事』を忘れようって思ったの。だから、()ヤな事の『イ』を抜いて、レナって……」

 

「あぁ……そうだったのか」

 

「……これだと『イイ事』もなくなっちゃうけどね」

 

 

 自嘲して苦笑いするレナ。

 その手前、圭一はムッと不機嫌顔だ。

 

 

「レナ、それはやめて欲しいぜ! 俺が困っちまう!」

 

「……え? 圭一くんが?」

 

「あぁ! そんな事されたらよ……」

 

 

 腕を組み、圭一は悪戯っぽく笑った。

 

 

 

 

 

「……俺の名前、『ケチ』になっちまうだろ」

 

 

 その意味を理解し、面白おかしくなったレナは吹き出す。しかしツボに入ったようで、吹き出してからも笑いが止まらなかった。

 

 

「ほ、ホントだね! あはは!」

 

 

 合わせて圭一も笑う。

 二人の溌剌とした笑い声は、鳴き始めたひぐらしたちの声に混ざった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──しゃぶしゃぶ屋なのに、他の客は相変わらず蕎麦をズルズル音を立てて啜っていた。

 その音に驚き、礼奈はハッと我に返った。

 

 

 

 鍋の中央に張られた波型の仕切りで、二種類のだしが混在しないように区切っている。

 片方は醤油だし、もう片方は味噌だし。詩音は味噌だしで豚肉をくぐらし、自身の呑水(とんすい)の中にある胡麻ダレに付けて食べていた。

 

 

「んー! これぞ幸せ……私は今、幸せを噛み締めている……!」

 

 

 満面の笑みで頬張る彼女は、何とも子どもっぽく見えた。

 オーナーとしての凛々しい彼女とのギャップだろう。そんな子どもっぽささえ礼奈には魅力的に思えた。

 

 

 もう五十手前と言うのに、詩音はとても活力的だ。

 唯一の同郷の友として、人としても尊敬している。

 

 

 

 

 肉をだしの中で泳がせながら、チラリと礼奈を見た。

 また、物思いに耽る彼女に気が付いたようだ。

 

 

「……食が進んでいないようですけど?」

 

「……へ? あ……ご、ごめんね? あはは……歳取っちゃうと考え事の時間が増えちゃうから……」

 

「うん、うん。分かります分かります。これが噂の更年期……最近、勝手に頭がボーってしたり──」

 

「あー……年齢の話、やめよっか?」

 

「そうですね」

 

 

 だしから、茹で上がった肉を取り出し、胡麻ダレに付けて食べた。

 礼奈も倣うように白だしで豚肉をくぐらせ、ポン酢でいただく。

 

 

 

 

 

「……そっか。もう、三十五年か……」

 

 

 噛み締めながら、ぽつりと溢した言葉。

 詩音の耳にもそれは届いた。ゆったりと小刻みに頷きながら、返す言葉を探している。

 

 

「……いやはや……時が経つって早いですよね。若い頃って本当、そのままずっと続くような感じだったのにね?」

 

「………………」

 

「お姉さんって呼ばれたかと思えば、気付いたらおばさんで、ハッとなったらお婆さんって言われ兼ねない歳で──あぁもう! 歳の話はしないって言ったのに!」

 

 

 鍋から昇る湯気の向こうで、詩音ははにかむ。

 釣られて微笑む礼奈だが、表情から影は消えない。

 

 

 ぐつぐつと湧き立つだしの上に、灰汁(あく)が溜まっていた。

 それに気付いた礼奈が、オタマを持って取り除いてくれた。

 

 

「私はね、詩ぃちゃんは凄いなって思うよ」

 

「そうですか?」

 

「大災害の後も、必死に未来を見ていてさ……」

 

「………………」

 

「……私はずっと、雛見沢に閉じ込められたまま」

 

 

 掬った灰汁を、灰汁取り用のガラ入れに流して行く。

 

 

「……ううん。私こそ、未来を生きて行く資格なんて……本当はないハズなのに」

 

「……レナさん。やめなって」

 

 

 詩音の制止も聞かず、オタマを置いたと同時に口走った。

 

 

 

 

「……人殺し、だしさ」

 

 

 絶句し、凝視する詩音。

 その目線の先にいる礼奈は泣き出しそうな顔で、口元を手で覆い隠していた。

 

 

「……決して忘れられない。あの時の痛みと、爆発……圭一くんの声も、憎しみのこもったクラスメイトたちの目も……」

 

 

 脳裏には当時の状況が映写機のように再生されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿な陰謀論を信じた自分は、寄生虫の特効薬を求めて学校で籠城事件を起こした。

 

 ガソリンをありったけ雨樋に溜め、時限発火装置で繋いだ。

 時間以内に薬が来なかった場合、自分含めたクラスメイト全員と死ぬつもりでいた。

 

 

 

 その際、寄生虫を媒介した張本人だと思っていた魅音の首と壁とをU字ロックで拘束し、絶対に逃げられないようにした。

 沙都子がいれば、ロックは簡単に外れていたハズだった。

 

 

 

 

 だがその時、沙都子はいなかった。

 自分は「リナだけを殺し、鉄平は殺せていなかった」。

 

 だから沙都子は鉄平に引き取られたまま、大災害まで会う事はなかった。

 

 

 

 

 

 圭一と梨花の立ち回りで、人質は「魅音以外」全て解放。

 しかしトラップに造詣の深い沙都子がいない事で、圭一たちは時限発火装置の場所に気付けなかった。

 

 

 

 間に合わないと踏んだ圭一らは、自分を気絶させる事で校舎外に連れて避難した。

 

 そこで中にいたクラスメイトたちが、泣きながら必死に訴える。

 

 

「魅音さんが取り残されたままだ」

 

「私を置いて逃げろって」

 

「ロックが開けられなかった」

 

 

 

 

 圭一が振り向き、校舎に戻ろうとした頃にはもう遅かった。

 

 

 

 

 

 大きな満月の下で、月光を凌ぐ閃光と炎が上がる。

 

 

 学校は、魅音と共に、爆発してなくなった。

 

 

 

 

 

 記憶の再生が終わった頃には、二人とももう箸は止まっていた。

 ぐつぐつと煮える音と湯気が、二人を区切っているかのようだ。

 

 まるで面会室。

 詩音は来訪者で、自分は罪人──消えない罪を背負い、過去と言う永遠の牢獄に今も収監された重罪人だ。

 

 

「……少年法と精神鑑定の結果で、私は罪に対して……何とも軽い罰で済んでしまった」

 

 

 詩音は「違う」と、首を振っていた。

 

 

「誰よりも許されない存在なのに……みんなが死んで、私だけが生き残ってしまった」

 

 

 背筋を伸ばした礼奈は、真っ直ぐと詩音を見据える。

 注ぐ彼女の瞳は、懺悔に満ち満ちていた。

 

 

「……この三十五年間、一度も自分の罪を忘れた事はない」

 

「違うよ、レナ、さん……もう、良いんですよ……」

 

「詩ぃちゃんはこんな私を……許してくれただけじゃなくて、助けてくれた。恩を返す為にも、私はやらなくちゃいけない事がある」

 

「……レナさん」

 

「……私を呼んだ理由は、それなんだよね?」

 

 

 一度瞳を閉じ、決意を込めて開く。

 

 

 これから突拍子のない事を言って、詩音を混乱させるかもしれない。

 雛見沢大災害は自然災害ではないかもしれないと言っても、信じてはくれないだろう。

 

 

 

 馬鹿げた陰謀論を信じた、あの時の「竜宮レナ」から何も変わっていないと、失望されるかもしれない。

 それでも礼奈は、この三十年余り続けた事を、告白しなければならなかった。

 

 

 

「……あの日から何も、変わっていない」

 

 

 雛見沢大災害の真相を暴く、と言う事。

 詩音は何も言わず、柔らかい眼差しで礼奈の言葉を受け止める。

 

 

 

 

 

 

「……私の『罪滅し』は……まだ終わっていない」

 

 

 一瞬だけ詩音は、自分の目を疑った。

 湯気の向こうの礼奈が、三十五年前の──「在りし日の竜宮レナ」に見えたからだ。

 

 

 

 部活でいつも見せていた、あの眩い笑顔の彼女に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻はやっと午後十時を過ぎた。冬の夜はすっかり深まり、オリオン座が夜空に照っている。

 街灯がチカチカ、道路上に瞬く。通る車のヘッドライトが灯台の灯りのように現れ、テールライトの赤を残して消える。

 

 気温は一度か、下手をすれば氷点下と思われる寒さ。

 路肩に停めた車から、二つの人影が降りる。礼奈と、詩音だった。

 

 

 吹いた風が熱を奪う。二人は身を縮め、靡く髪を抑えながら、厳冬の寒さに顔を顰める。

 

 

 

 誰もいないパーキングエリア。

 その一つ先にぽつりと街灯が照らす、寂れた山道があった。

 

 

 道の入り口には、なけなしの警告板と、遮蔽物。

 

 

 旧雛見沢村へ至る、礼奈と詩音にとっては懐かしい道だ。

 

 

 

 

「……災害以降」

 

 

 白い息を漏らしながら、詩音は独白のように話し出す。

 

 

「……ここに来るのに、今も勇気がいるんです。地元なのに、近付く事を避けていました……ここまで来たのはホント、数年ぶり」

 

 

 道の手前は店だのパーキングだのと、三十五年前よりも少し華やかになっていた。

 しかし道自体は、あの日から何も変わっていない。詩音はそれを、物憂げな表情で見つめた。

 

 

 ちらりと、礼奈を一瞥。

 影のかかった顔で、真っ直ぐと見据えている。

 

 道ではない。その先で、山の向こうにある、今は亡き故郷へ目を向けていた。

 

 

 通りがかったバイクのライトが、礼奈の顔を照らす。

 一瞬伺えた彼女の表情は、期待に満ちているようで泣き出しそうで。正負の感情が渾然一体となっているようだ。

 

 

 再び辺りを闇が覆う。

 礼奈はそのタイミングで詩音へ微笑み、口を開いた。

 

 

 

 

「……もっと。近付こうか」

 

 

 誘われるかのように彼女は、道の方へ歩き出す。

 疲れ切ったその背中を見ながら、詩音もまた意を決して後に続く。

 

 

 パーキングを横切る際に、詩音はある車が目に入った。

 今じゃ滅多に見られない、トヨタ・パブリカだ。

 

 

「……うわ。パブリカですよ。まだあったんだ、懐かしい……」

 

「あ……ちょっと詩ぃちゃん、他人の車だから触ったら……」

 

 

 詩音がドアの部分にちょっと触れただけで、枠からガコンと外れてしまった。一気に二人の表情が青くなる。

 

 

「え? なんで?」

 

「な、なにやってるの詩ぃちゃん!?」

 

「いやいや! 待ってください!? ちょっと撫でただけなのに!?」

 

 

 その際に礼奈はチラリと、車内を見た。

 後部座席にはズラリと本が並んでおり、それに気付いた彼女は「あっ!」と声をあげる。

 

 

「どんと来い超常現象シリーズに、なぜベス、人生の勝利者……この車、もしかして……!」

 

 

 ナンバープレートを確認する。品川ナンバーの為、間違いなく東京から来た車だ。

 

 

「やっぱり……! 上田先生、来てくれたんだ……」

 

「し、知り合いでした? なら……まぁ、ドアも許してくれますね」

 

「詩ぃちゃん……」

 

「ちゃ、ちゃんと弁償しますから……そんな目で見ないで」

 

 

 外れたドアをとりあえず、車体に立て掛けておく。ドアの裏にはなぜか「トイレツマル」の文字が書かれていた。

 

 

 車を通り越し、道の前へ再び歩く。途中、礼奈が上田について話してくれた。

 

 

「一ヶ月前、わざわざ東京に行って……上田次郎って言う学者さんに、雛見沢大災害を調べて欲しいって依頼したの」

 

「え……?」

 

「その人何でも、日本中の古い村とかに赴いたりしてて……祟りとか呪いとか、そう言うものの正体を暴いて来たんだって」

 

「……だから依頼したんですか? でも、三十五年前ですから……」

 

 

 詩音の言葉は尤もだ。既に終わった事までは、そんな上田でもカバーし切れないハズだ。

 それでも依頼に踏み切ったのはなぜか。理由を待つ詩音へ、礼奈はゆっくりと応えた。

 

 

「アレは災害なんかじゃない。寄生虫がいて、みんなを狂わして、それで…………」

 

 

 そこまで言ってから、首を振った。

 

 

「……違う。私は、見切りを付ける為に依頼した」

 

「……見切り、ですか……?」

 

「偉い学者先生が村を調べて、そして私にこう言って欲しかった……『あなたのそれは、全てまやかしですよ』って」

 

 

 くるりと礼奈は、詩音へ向き直る。

 

 

「私は今でも信じてる。鬼隠しもオヤシロ様の祟りも、全てはまやかしだって。大災害だって自然の物じゃなくて、寄生虫だって……全部全部、誰かが仕組んだ事なんだって……」

 

「………………」

 

「……でももう……疲れちゃった。信じ続けるには歳を取り過ぎて、真相に至るには時間をかけ過ぎてしまった」

 

 

 年齢の割に若々しいとは思ってはいたものの、小皺や白髪など、やはり「歳を取ってしまった」証拠が礼奈の顔にはある。

 

 

「だって、詩ぃちゃん……もう、三十五年だよ……? 私はもう四十九歳……なのにまだ、あの頃の自分が消えない……あの夏の自分が消えない……」

 

「……レナさん」

 

「何とかここまで自分を保って来た……でも……もう、限界が近付いている。これじゃあ、真相に至る前に私が壊れてしまう」

 

 

 加齢とは自然の摂理だ。一年一年、一刻一刻、我々は死へと近付く。

 その度に身体は衰え、考えも纏まらなくなる。気力も落ち、霞む目さえ止められない。

 

 

 抗えないのならば、諦める他はない。

 礼奈はもう、雛見沢村を追い続けるだけの体力を、失いつつあった。

 

 

「……誰かに止めて貰いたい。でもこれは、前を向いている詩ぃちゃんは巻き込めない事……」

 

「……だから、東京の先生に諦めさせて欲しかったの?」

 

「……うん。雛見沢村を巡って、私のこれまでを否定してくれたら……やっと、私は解放されるって考えたの」

 

 

 震えた唇の隙間から、白い息が吐かれる。

 

 

 

 

「……私の中の、『竜宮レナ』がいなくなってくれる……」

 

 

 

 

 礼奈は立ち止まった。

 気付けば道の手前、立ち入り禁止の看板の前まで来ていた。

 

 一本の街灯の向こうは、深い闇に染まっている。それを前に、礼奈は身体を震わせた。

 

 

「……でも、まさか詩ぃちゃんから声がかかるなんて」

 

 

 詩音は口を開く。

 

 

「……レナがずっと、あの日の雛見沢に囚われている事は気付いていました」

 

「……だろうね」

 

「でも私は……私の事でいっぱいだった。園崎家もなくなって、姉もいなくなって……私の手にはもう、何も残っていなかった……」

 

「………………」

 

「……あなたを、気にかけてあげられなかった」

 

 

 振り向き、礼奈は首を振る。

 

 

「……あなたは何も悪くない。詩ぃちゃんはそれでも、前を向いて──」

 

「それは違いますよ。レナ、さん」

 

 

 悲しみに満ちた目をしていた。それでも彼女は精一杯の笑みを作った。

 歪な笑みだ。けれども、気丈で安らかでもあった。

 

 

「……私も。あの夏に囚われている一人です」

 

 

 大きく息を吸う。肺を冷え切った酸素が満たす。

 吐き出すように、名残惜しそうに、言葉を継いだ。

 

 

 

 

「……全ての秘密を、ここで話す……それで、もう終わらせましょう」

 

「………………」

 

「……この三十五年と、あの夏を……」

 

 

 

 

 二人の視線が噛み合う。

 

 遠く道路を車が走り抜ける。

 

 闇が覆い、月は見えず、星は瞬き、街灯が唯一二人を照らす。

 

 

 

 今から行われるのは、「最後の発表会」。

 この三十五年で得た物と秘密を、互いに明らかにする。

 

 

 これで終わりだ。詩音から先に、恐怖の滲んだ表情で語ろうとする。

 

 

 

 

 最初の告白は、勇気が欲しかった。俯き、呼吸を整え、寒さに震える唇を何とか力ませて、吐き出そうとする。

 

 礼奈はそれを遮った。

 

 

「……怖がらなくて大丈夫。私は、知っているよ」

 

 

 にこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ。『魅ぃちゃん』」

 

 

 

 

 

 

 

 彼女とは、一緒にお風呂にも入った事がない。

 背中にある、「鬼の証」を見せない為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

暴走

 

激唱

 

雪、無音、窓辺にて

 

MGS with CQC

 

マイセンで通じる時代は終わってんだ

 

人間とかいう種族wwww

 

つづきは淫魔ちゃんねる

 

 

 生徒たちの作品に囲まれる中、興宮の書道教室で書き続けていた里見。

 庭でバトルファイトを行う塾長たちを尻目に、筆を何度も半紙の上に滑らせた。

 

 

 

 その手が、ぴたりと止まる。

 彼女の鋭い眼差しが、正面へと持ち上がった。

 

 

「……奈緒子……」

 

 

 スッと筆を置き、立つ。

 

 

 

 

 

 すぐ後に塾長たちが教室に戻って来た。

 

 

「いやぁ! まさかトリニティでカマすとは思わなかった!」

 

「運命は避けられないのかッ!?」

 

「山田先生! もうジョーカーも人類も助かりましたから、もう安心──」

 

 

 下駄を脱ぎ、室内に入り、里見のいた方を見る。

 そこにはもう彼女はおらず、「焛」の文字が書かれた紙が置いてあるだけ。

 

 

「……山田先生?」

 

「どこ行ったんです!?」

 

「剣崎ぃーーーーッ!!」

 

 

 

 

 最後に向けて、夜は進んで行く。役者は揃いつつある。

 これもまた、時が遭わせた運命なのだろうか。

 

 

 

 過去と、未来で、各々の真相へと近付きつつあった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月19日日曜日 綿流し
天涯比隣


 悪魔に(うな)されている。

 そこは水辺。母が着ている着物を泥と水に濡らしながら、泣き叫んでいた。

 

 

「あなたッ!! あなたッ!?」

 

 

 母の腕の中には、力無くぐったりと横たわった父が。

 何度も呼び掛ける母だが、父の反応は弱々しく、呼吸も浅くなって行くばかり。

 

 

「あなたッ!! 死んじゃ嫌ぁッ!!」

 

 

 今際の際にある父を引き留めようと、何度も何度も呼び掛ける。

 

 

 すると応じるように、父は微かに目を開いた。

 恐怖に強ばった鬼気迫る表情で、母に訴える。

 

 その訴えが、彼の最後の言葉だった。

 

 

 

 

「この世には……いるんだよ……ッ!!」

 

 

 震えた手を母へ伸ばしながら、彼はくぐもった声で叫ぶ。

 

 

 

 

「本物の…………!」

 

 

 開かれた瞼が、ゆっくりと閉じる。

 呼吸が小刻みになり、次第に止まって行く。

 

 

 

 

 

 

「霊能力、者が────」

 

 

 伸ばした腕が空を切り、水の中へ落ちる。

 父が二度と、目を覚ます事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば私の腕の中に、老婆が横たわっていた。

 血を吐き、虫の息の状態で、私の顔を撫でながら弱々しく告げた。

 

 

 

「あなたのお父さんはね……殺されたのですよ……」

 

「本物の力を持った……霊能力者に……」

 

 

 遠くに建つ風車がゆっくりと回っていた。

 

 

 

 

 

 その風車が、錆びた物見櫓に変わる。

 いつの間にか私は老婆ではなく、派手な化粧をした男を抱き上げていた。

 

 彼は頭から血を流し、死にかけている。でもその目に死への恐怖はなく、ただ勝ち誇ったように開かれていた。

 

 

 

「愚かな女……」

 

「私は、本物の霊能力者を知っている……」

 

 

 私が聞き出そうと声を掛けたら、「Au revoir(さよなら)」と言い残し、瞳を閉じてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 いつの間にか自分は、古い蔵の中にいた。

 そして震えた手で「古い鍵」と、父の遺した手紙を抱えていた。

 

 

 

『私はやがて、殺されるだろう』

 

『私たちの、最も愛した者の手で』

 

『それが、彼らが私たちに仕掛けた、復讐の罠だ』

 

 

『彼らは、幼い奈緒子の脳裏に何かを植え付けたのだろう』

 

 

 

『あの子こそ──島にとって、大切な霊能力者なのだから』

 

 

 

 

 今度は冷たい、ビルの空き部屋の中。小太りの男が、細長い眼鏡の男を連れ立って現れる。

 表情のない顔で、私に告げた。

 

 

 

「君も、『カミヌーリ』の血が流れているんだ」

 

 

 

 

 暑い。次は太陽の照り付ける、島の道中に倒れている。

 男はそんな私を見下ろしながら言う。

 

 

 

「君の能力はただ、無理やり封じ込められていただけだ」

 

「アナーキーによって、全部蘇る」

 

 

 

「──お父さんを殺した時の記憶も、一緒にね」

 

 

 

 

 

 

 父を殺したのは誰でもない。

 

 私と父しか開けられない宝箱の中にあった、あの鍵が証拠だ。

 

 箱から出られる鍵を、私が盗んだ。

 

 

 

 

 父を殺したのは誰でもない。

 

 

「────だ──や────」

 

 

 

 父を殺したのは他でもない。

 

 

「──ま────だ────」

 

 

 

 

 

 父を殺したのは、私。

 

 

「山田ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

第八章 綿流し

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぅえ……?」

 

 

 パチリと目を開ける。

 視界いっばいに、心配そうな眼差しの上田の顔が広がっていた。

 

 

 

 

「……うわ何だお前!?」

 

「おおう!?」

 

 

 反射的に彼の鼻面を殴る。上田はひっくり返り、鼻を押さえながらのたうち回っていた。

 

 

「にゃ……にゃにをすふんだふぉのふぃんにゅうふぁ(何をするんだこの貧乳は)……!!」

 

「な、なにすんだ!? そんな顔を近付けて……今貧乳つったか!?」

 

「こっふぃのふぇりふだふぃんにゅう(こっちの台詞だ貧乳)ッ!」

 

 

 山田はむっくりと起き上がる。辺りを見渡せば、梨花たちの家の寝室だ。

 窓からは燦々と陽光が入り込み、山田の顔に当たって眠気を抜き取って行く。

 

 

 布団や枕が部屋の隅々に吹き飛んではいたが、自分は上田に起こされたようだ。

 

 

「……何だ。起こしに来ただけか……普通に肩叩いて起こしてくれれば良いのに」

 

 

 上田は鼻を庇いながら、少し涙目のまま言葉を返す。

 

 

「お前がなんか、魘されていたから声を掛けたんだろうが……」

 

「……私が?」

 

「あぁ……悪い夢でも見たのか? 表情もやけに苦しそうだったぞ?」

 

 

 ひたいを拭えば、じっとりと汗をかいていた事に気付く。夏の暑さのせいかと思ったが、妙に嫌な汗だと感じた。

 起き抜けに呆然とする山田を見ながら、上田はニヤニヤ笑いで茶化す。

 

 

「まぁ、YOUの事だ。そのド貧乳が爆乳になって、今度は動けなくなるような夢でも見たんだろ!」

 

「………………」

 

「…………え。マジに見たのか」

 

「なワケあるかい」

 

 

 上田の冗談に対しても、やけに反応が少ない。何か物思いに耽っているかのように、俯いている。

 

 

「何だ何だ? 今更、夜が不安になって来たのか?」

 

「……そう言う訳じゃないですけど」

 

「矢部さんから、警察の動きも聞いた。何とな? 総勢二十人も私服警官を用意してくれたんだ! 富竹さんも含めて、梨花や沙都子らも見守ってくれる。怖いものは何もないぞ!」

 

 

 そう高らかに宣言した彼は、脱いでいた靴下を履いてから、寝室を出て行こうとする。

 襖に手を掛け、開けた瞬間だった。山田が急いで彼を呼び止める。

 

 

 

 

「上田さんこそ、昨日からずっとソワソワしてて……一体、何を知ってしまったんですか?」

 

「………………」

 

 

 上田は静止し、背中で山田の言葉を受けた。

 

 

「何を知ったにせよ……一人で全部解決しようなんて思わないでください」

 

「……ハハ! 何を言ってんだYOUは!」

 

「……嫌な予感がするんです」

 

 

 流し目で背後に座っている山田を見た。

 不安そうに顔を伏せ、肩を噛み、顔を顰めていた。

 

 

「私たちは、決定的な何かを見落としている気がするんです……ですから上田さんが、犯人に繋がる情報を得ているとしても……無闇に突き進まない方が良いと思います」

 

「………………」

 

「……聞いてるんですか上田さん」

 

「ジュワッ!!」

 

「上田!?」

 

 

 返答はせず、上田は颯爽と出て行ってしまった。

 立ち上がって後を追う気にもなれず、溜め息と共にまた思考の中に沈む。

 

 

 悪魔の内容は、残酷なまでに詳細に覚えていた。

 今まで取り戻して来た記憶で、何度も「忘れたままの方が良かった」と後悔した記憶たち。それが連なり、彼女を囲うかのように、夢として表出した。

 

 

 

『私はやがて、殺されるだろう』

 

『私たちの、最も愛した者の手で』

 

『それが、彼らが私たちに仕掛けた、復讐の罠だ』

 

『彼らは、幼い奈緒子の脳裏に何かを植え付けたのだろう』

 

『あの子こそ島にとって、大切な霊能力者なのだから』

 

 

 

 

 父の遺した手紙を思い出す。不安が胸に巣食う。寄る辺を求めて、膝を抱え丸くなる。

 

 

 記憶がある時から、記憶を無くした後までも解決に至っていない謎。

 思い出したくなかったそれが、この村に来てから何度も突き付けられる。

 

 

 どうすれば良いのかと、ひたすらに記憶を反芻し続けた。

 

 

 

 

 

「…………山田……」

 

 

 その様子を、襖に隠れて座る梨花だけが見守ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神社の境内は、朝から人の往来で賑わっている。

 食材や機材がひっきりなしに搬入され、開催を待ち切れない村の子どもが駆け回る。拝殿の前に建てられた舞台の前にはパイプ椅子が並べられ、着々と準備が終わりに向かっていた。

 

 

 村人が一丸となって催される、一年に一度の一大行事。それが綿流しだ。

 

 

 搬入物の中には、大量の布団や褞袍(どてら)も運び込まれている。

 それを眺めながら、現場の下見に来た矢部が菊池に聞いた。

 

 

「おぉ? なんや? ありゃ布団とチャンチャンコか? なんであんなモン持ち込んどんねん? 祭りで売るんか?」

 

「そうではない! 綿流しの綿とは、あの布団や袢纏(はんてん)の中の綿を差すのだ!」

 

「褞袍やチャンチャンコや袢纏とか名前多ないか?」

 

「一年の厄や穢れを綿に込め、古手家の巫女が鍬を使って布団を裂き、綿を抜く。それを丸めて川に流す事で、厄を流して次の一年を清く迎えようと言う習わしだ!」

 

「詳しいやんけお前」

 

「私が教えてましたからねぇ」

 

 

 自慢げに語る菊池の隣からヌッと、大石も現れて二人に敬礼をする。

 

 

「やぁやぁ、矢部警部補と菊池参事官殿ぉ! お早い内からお勤め、ご苦労様です!」

 

「おう、永沢くん」

 

「だから大石ですって! 日に日に私の名前から遠ざかって行くじゃないですかぁ!」

 

 

 菊池は辺りを見渡す。露店の数々や、「綿流し祭」「古手神社」と書かれた旗が参道沿いに並ぶ。

 また花火も打ち上げられる予定なのか、遠くで予行演習で打ち上げられた物の破裂音が響いていた。

 

 

「なかなか盛大な祭りのようだな」

 

「実は前まではここまでの規模じゃあ無かったんですよ。ちょっとした村の飲み会みたいな感じだったんですがねぇ? 鬼隠しが起きて、村人はオヤシロ様の祟りだと恐れちまいましてねぇ」

 

「なるほど! 祟りを鎮めるべく規模が大きくなったのだなぁ!」

 

「ご名答ですよぉ、参事官殿!……んまぁ、それでも二年連続起きちまってますがね?」

 

 

 大石は声を潜め、そう皮肉を溢す。

 

 

 

 

 

 二人が会話をしている最中、矢部はふらふらと露店を眺めていた。

 その時ある店を見つけ、彼の目を奪う。

 

 

『かつらむき』

 

 

 咄嗟に真顔で頭部を押さえる矢部。

 露店のテントで、老婆がひたすら大根の表面を薄く剥いていた。

 

 

 

 

 

 

 菊池は思い出したかのように、大石に聞く。

 

 

「そう言えば昨日、署内で見なかったが、どこか行っていたのか?」

 

「昨日ですか? んー……んふふふ。まぁ、私用ですとも」

 

「フン! 僕の情報網を舐めて貰っては困る! 殺された親友の墓参りだと聞いたぞ!」

 

「どうして知ってて聞くんですかねあなたは?」

 

 

 言い難そうに口をモゴモゴと動かした後、観念したように白状する。

 

 

「……鬼隠しを止める意思表示で、昨日の夕方に参りましたよ……」

 

 

 その時の事を、大石は思い起こした。会議を終え、時間が出来た彼は、花を抱えて親友が眠る墓へと赴いた。

 今年こそはと急いで向かったものの、既に花立てには「青い紫陽花」が供えられていた。

 

 

「一体どなたがこんな時期に、青い紫陽花をおやっさんの墓に……気になって仕方ありませんとも」

 

「青い紫陽花? 何の話だ?」

 

「……これは参事官殿には言ってなかった話でしたな。んふふふ! 失礼、何でもありません」

 

「無惨が探してる奴か?」

 

 

 ともあれ意思表示は済んだ。

 来年に定年退職を迎える大石にとって、今日の綿流しがキャリア最後の祭りとなる。

 

 退職してしまえば、もう鬼隠しを追えまい。故に今日と言う日の意気込みは、どの刑事たちよりも深く激しい。

 

 

 

 

「……えぇ。今年で終わらせますとも」

 

 

 無意識に拳が高く、握られていた。

 

 

 

 

 

 矢部はまた、もう一つ別の店に目を奪われた。

 

 

『かつらとり』

 

 

 また頭部を真顔で押さえる矢部。

 露店のテントの下で、数人の老父たちが謎の掛け声と共に、将棋で桂馬(けいば)を取り合っていた。

 

 

「けーばッ!」

 

「桂ッ!!」

 

「カイザーフェルゼンッ!!」

 

「アポロレインボウッ!!」

 

「デバフネイチャーッ!!」

 

 

 矢部が髪を押さえたまま固まる手前で、ひたすら桂を取り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼過ぎ。山田は詩音との約束通り、再び鬼の子地蔵へと向かっていた。

 昨日同様、死にかけた顔で山道をのろのろ登る。

 

 

「し……死ぬ……ひからび……乾涸びた……バスひとつ」

 

 

 倒れかけたので、一度立ち止まって念を込める。

 

 

「オニ壱……一緒に戦ってくれ……! ズーットチェイサーっ!!」

 

 

 六歩ほど走った後、「マッパっ!?」と叫びながら転んだ。

 

 

 

 何とか登り切り、地蔵様の前まで来た山田。心なしか鬼の子地蔵の胸が昨日より大きくなっている。

 詩音は既に待ち合わせ場所に立っており、山田を見つけて大きく手を振った。

 

 

「あ! 山田さん! はろろーんです! お元気でしたか?」

 

 

 山登りで死にかけた顔のまま、彼女もひょこりと手を上げて応答する。

 その様子を見て詩音は「お元気そうですね!」と返す。山田は思わず彼女の笑顔を二度見した。

 

 

「わざわざここまでお呼び立てしちゃいまして、すみません……」

 

「い、いえ……詩音さんこそ、ここまで大変だったんじゃ……?」

 

「え? いえ、全然?」

 

「パワフル……」

 

 

 

 

 祠の横には、休憩用と思われる長椅子が置かれている。

 二人はそこに座り、鳴き続ける蝉の声の中、持参した団扇で暑さを凌いだ。

 

 

「ところで、こんな山の中で待ち合わせた理由はなんだったんです?」

 

「ここならまず誰も来ませんし、内緒話に持って来いですから!」

 

「良いんですか? なんか、鬼の子地蔵の前で話した内緒話は村の人全員に知れ渡るとか何とか」

 

 

 昨日、梨花から聞いた、鬼の子地蔵にまつわる伝承を話す。

 それを聞いた詩音は朗らかに笑った。

 

 

「あはは! そんなの、ある訳ないじゃないですかぁ! そうだとしても、地蔵様の中に盗聴器でもあるんですかね?」

 

「ですよね。私だって信じてないですよ」

 

「それなら山田さん、この伝説は知ってます?」

 

「何です?」

 

 

 詩音は横目で鬼の子地蔵を見ながら、地蔵にまつわるもう一つの伝説を教えてくれる。

 

 

「葛西から聞いた話です。『村に大きな災い訪れる時、鬼の子は倒れ、眠れる鬼、這い出でん』、と言う言い伝えです」

 

「鬼の子が倒れて……鬼が出て来る? マトリョシカ?」

 

「何でも、鬼の子地蔵の下には一人の鬼が眠っているとか」

 

「なんで眠っているんですか?」

 

「さぁ?」

 

 

 ガクッと山田はずっこける。

 

 

「知らないんですか……」

 

「色々言われてはいるんですけどね。鬼の子の父親とか、オヤシロ様の言い付けを守れずに悪さをして封じ込められた鬼とか」

 

「あー……確か、オヤシロ様が鬼と人とを共存させたんですよね」

 

 

 昨日の鷹野の話を思い出す。

 村の伝承に山田が興味を持っているのかと思った詩音は、その話の更に先を教えてくれた。

 

 

「そうなんです。それで、その鬼たちの子孫こそ……園崎家だと言われているんですよ」

 

「詩音さんのところがですが?…………ツノ無さそうですけど」

 

「ある訳ないじゃないですかー! あくまで園崎が勝手に言ってるだけですよ! 確かめ様がないのに、言ったモン勝ちですよそんなの!」

 

 

 困ったように詩音は笑う。

 しかし笑い終えた途端に、少し表情に曇りが見えた。嫌な事でも思い出したのだろうか。

 

 彼女の変化を山田が心配するより先に、詩音は椅子より一度立ってから地面にしゃがみ込む。

 落ちていた石を拾うと、それをペン代わりにして土の地面に文字を書く。

 

 

「見てください。これが鬼婆さん……園崎家の現頭首の名前です」

 

 

 詩音は地面に、現頭首である「お魎」の名を書く。

 次に次期頭首となる詩音の姉、「魅音」の名を。

 

 

「……あれ?」

 

「気付きました?」

 

「はい……鬼の字が入っているんですね」

 

 

 

 

 二人の名前を見て、山田は気付く。お魎も魅音も、字に「鬼」の名が入っていた。

 

 

「園崎家の家系は代々、名前に使う漢字の部首に『鬼』の字を含ませるのが習わしになっているんです。鬼の子孫であると意識付ける為ですね」

 

「でも詩音さんの名前には鬼の字は…………」

 

 

 その理由を、詩音は淡々と語ってくれた。

 

 

「山田さんと最初にお会いした時、お話ししましたよね……双子は頭首の選別に面倒。だから姉の魅音が選ばれ、私は御家断絶を食らったって」

 

「………………」

 

 

 魅音の隣に「詩音」と、自らの名前を書く。

 

 

「魅音は『鬼』を受け継ぎ、要らない私は『寺』に入れられる。雛見沢の土を踏む事も許されず……自由も、思いも、奪われる……」

 

 

 石をポイと、捨てた。

 

 

「でも私、時々オネェと入れ替わって、魅音として村に度々入ってたんですよ。バレたら私もオネェも、『ケジメ』付けなきゃいけなくなるのに」

 

「今は全然普通じゃないですか。この間だってお屋敷にも入れていましたし」

 

 

 山田のその疑問を待っていたかのようだ。首を回し、にこりと力なく微笑むと、これまでの経緯を語り始める。

 

 

「……私が詩音として村に入れるようになれたのは、去年の鬼隠しの後なんですよ」

 

「え?」

 

 

 去年と言えば、沙都子の叔母が撲殺され、兄である北条悟史が失踪した事件だろう。

 詩音が度々見せる悟史への執着は、山田からもやや異様に思えた。何か関係しているのかと、詩音の話を引き続き静聴する、

 

 

「……沙都子の叔母が殺された時に、悟史くんが疑われていて……咄嗟に私、彼とのアリバイを言っちゃったんです。そんな……彼と一緒にいたって言うと、ずっと神社にいた魅音との話に齟齬が出てしまうのに……それで私、詩音だってバラしちゃったんです」

 

「そ、そうだったんですか……て、アレ? でもバレたらケジメを…………」

 

 

 山田の顔から血の気が引く。どうやら全て察してしまったようだ。

 ふらりと詩音は立ち上がり、身体の正面を山田に向けた。そして左手を上げ、三本指を出す。

 

 

 

 

「そう。オネェと一緒に付けたんですよ。ケジメ。だから今、許されているんです」

 

 

 

 彼女の出した三本指とは、そう言う意味だろう。爪を、三回剥がしたと言う訳だ。

 

 

 場面を想像し、山田も自身の左指が痛むような錯覚に陥る。銃で撃たれただとかよりも現実的で、容易に痛みが予想できた。

 戦慄して生唾を飲み、ぎゅうっと、左手を握り締める。

 

 

「……でも、戻った時には……悟史くんはいなくなっていました」

 

 

 どう言葉をかけれは良いのかと、山田は黙り込んでしまう。そんな彼女の気持ちは予想していたようで、詩音は山田の言葉を待たずに続ける。

 

 

「六月の二十四日……その日は、沙都子の誕生日でした。大きなクマのぬいぐるみを買って、プレゼントするんだと言っていたのに……」

 

「………………」

 

「ずーっと、探していたんですよ。警察から情報を聞き出そうとしたりとか、それまでとんと興味がなかった村の伝承やオヤシロ様の祟りとかも調べたり……彼に繋がるかもしれない事は全部調べ尽くしましたとも」

 

 

 そう語る詩音の表情には僅かに希望があった。だが次に「でも」と呟いた後、その希望は消えて見えなくなってしまう。

 

 

「……調べれば調べるほど。悟史くんが生きていないんじゃないかって……思うようになってしまって。今ではもう、一歩を踏み出すのも怖くなってしまったんです」

 

「…………詩音さん……」

 

「……これが私、『園崎 詩音』と言う女のあらましです。そして悟史くんを探し続けている理由は……」

 

 

 にこりと儚く、力なく笑う。

 

 

 

 

「……単純ですよ。彼の事が好きだからです。私にとって呪いだった『詩音』と言う名を、『いい名前だね』と言ってくれた彼を……」

 

 

 

 

 風が吹いて、地面に書かれた文字を消し去ってしまった。

 山田は少し間を置いた後に、やっと口を開く。

 

 

「……私に、打ち明けてくださった訳は……?」

 

「前も言った通りに、山田さんは私に似ているって思ったからと……」

 

 

 恥ずかしそうに俯くと、詩音は両指を合わせながら答えてくれた。

 

 

「……宴会での夜、山田さんにめちゃくちゃ怒っちゃったじゃないですか。その理由を言っておかないと、折角昨日、山田さんがご自身の事を打ち明けてくださったのにフェアじゃないなって思いまして」

 

「別にそんな、気を遣わなくても……」

 

「それに私、期待しているんです。山田さんに」

 

「……え? 私にですか?」

 

 

 詩音は顔を上げると、力強く頷いた。

 

 

「山田さんは真実を見通す力を持っているんです。そして誰よりも真実を重視し、どこまでも追おうとする強い意志を」

 

 

 真っ直ぐと見つめる詩音の目を、山田は見つめ返す。

 

 

「私はもう、それに賭けるしかないんです」

 

 

 

 

 遠くで破裂音が響く。予行演習の花が打ち上げられ、青空に白煙を漂わせていた。

 それは山田らのいる場所からも見えた。木々の隙間にから、天へ昇る一筋の煙を。

 

 詩音はそれを背中で聞いた。しかし一切後ろへ気を取られる事なく、ただ真っ直ぐ山田を見つめる。

 

 

「……鬼隠しに全ての答えがある。今夜の綿流し……何でもご協力します。共に犯人を見つけて欲しいんです」

 

 

 真摯な訴えを前に、山田は躊躇を見せた。

 詩音の願いに応えてはやりたいが、どこまで話すべきかが分からないからだ。

 

 

 今年の被害者、雛見沢症候群、未来での出来事……知っていても、言ってはならない事が多過ぎる。それがまた山田を苦しめた。

 自分の中にこれほどの秘密がある。なのに目の前の少女に、そのどれもが漏らせない。

 

 

 これほどまでに自分を信じてくれているのに、私は彼女を信じられないのか。

 板挟みの中、山田は何とか言葉を発せた。

 

 

「……今夜、私たちは祭りを、鷹野さんと富竹さんと巡ります。詩音さんはこの二人に注意して欲しいです」

 

「……え? 鷹野さんと、富竹さんに……?」

 

「……今年はこのお二人が狙われる。そんな、気がするんです」

 

 

 発したものの、何ともあやふやで要領を得ないお願いだろう。言ってみて自分が情けなくなり、山田は渋い顔で俯いた。

 案の定、詩音は唖然としていた。言い訳を必死に考え、大慌てで口に出す。

 

 

「あ、や、その、あの、確定しているって訳じゃなくて! あくまで私の気と言うか思い込みと言うかなんて言うか……」

 

「……分かりました」

 

「え!? 良いんですか!?」

 

 

 しかし詩音は、深い事情を聞く事はしなかった。

 

 

「言われなければ私、何も出来なかったんですから……私、山田さんの仰る通りにやってみようと思います」

 

「本当に本気なんですね……」

 

「ここまで全部打ち明けたんです。何が何でも犯人を捕まえて……悟史くんを見付けるんです!」

 

 

 またにこりと笑う。

 さっきまで伺えた絶望や儚さは、もうない。希望に満ちた、溌剌とした笑みだった。

 

 

 

 

「それではまた夜……いや。もうこのまま山田さんと一緒にいましょっか?」

 

「いや私といてもそんな、楽しい事なんて……」

 

「また手品を教えてくださいよ!……あ! この間教えて貰ったコインマジックですけど、ちょっと上達したんですよ!」

 

「……仕方ないか。分かりました分かりました、付き合いますよ……」

 

 

 椅子からのっそりと立ち上がり、神社の方へ戻るべく歩き始める。

 先導する詩音の背中を追って、鬼の子地蔵の前を通り過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁ、奈緒子」

 

「……っ!?」

 

 

 背後から名前を呼ばれ、足を止める。

 

 先を行く詩音は気付いていないのか、どんどんと坂道を降りて行ってしまった。

 

 

 

「こっちだ」

 

 

 気のせいではない。確かに背後に誰かいる。

 そしてその誰かの声は、聞き覚えがあった。

 

 

 

 

 

 

 

「こっちだよ、奈緒子」

 

 

 

 

 ゆっくりと振り返る。

 

 動悸がする。熱がこもった頭がぼんやりと曇り始め、立ちくらみが起きた。

 その衝撃は、山田の五感全てを奪った。

 

 

 

 首を回し、半ば夢遊病のような感覚で、身体を後ろへ全て向けた。

 

 

 

 

 鬼の子地蔵の祠の隣に、それはいた。

 

 

 

 

 不気味な仮面の男が目の前で踊っている。

 

 蓑虫のように藁を編んだ装いのまま、手足をかくりかくり動かせながら呟く。

 何度も何度も腕をクイッと引き、こっちへ来るよう促している。

 

 

 声は、椎名桔平に似ていた。

 

 

 

 

「言っただろう? 雛見沢で待っていると……」

 

 

 

 

 

 呼吸が浅くなる。動悸が早まる。眩暈が起きる。

 蝉の声も、風の唸り声も、木々の騒めきも、聞こえなくなった。もうその男の声しか聞こえない。

 

 

 祠からぬらりと身体を出し、ふらふら踊っている。

 

 

 

 

「さぁ、奈緒子。おいで……」

 

 

 

 手招きし、こちら誘う。

 足が一歩、前に出た。

 

 

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 もう一歩、前へ。

 

 

 

 

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 通り過ぎたハズの鬼の子地蔵の前に、戻ってしまった。

 もう奴とは目と鼻の先。手招きを続ける。

 

 

 

 

 

 

 

「おいで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あともう一歩で、彼の下に辿り着けた。

 だが身体が止まった。後ろから誰かが、彼女の肩を引いたからだ。

 

 

 

 

 

 

「山田さん……? 何か……いるんですか?」

 

 

 詩音が心配そうに立っていた。

 振り向き、彼女の顔を見た瞬間、山田の視界は黒くなり始める。

 

 

 

 

 

「……椎名桔平」

 

「え?」

 

 

 そううわ言のように呟いた後、糸が切れたように倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

「山田さん!?」

 

 

 愕然とする詩音の表情と声を最後に、山田は完全に意識を手放してしまった。




天涯比隣(てんがいひりん) : 遠くにいても、すぐ近くにいるように親しく思う事。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

意気地

 神社には多くの配線が持ち込まれ、露店の電球やあちこちに吊るされた提灯に繋がれる。この作業が終われば、晴れて祭りの準備は完了だ。

 あれほど厳かで閑静としていた境内は、賑やかで華やかな祭りの色に染まっていた。

 

 

 ただ一点、祭具殿の近辺を除けば。

 この辺りは露店で賑わう参道、本殿前から遠く、ひと気の少ない場所に設置されている。

 もはや人々の声が微かにしか聞こえないその場所。梨花は、祭具殿の前にいた。

 

 

「………………」

 

 

 不安と迷いに満ちた、物憂げな表情で見つめている。

 やはり今日と言う日は覚悟してもし切れない。鬼隠しの犯人を捕らえなければ、その数日後に自分は殺されるのだから。

 

 

 今度と言う今度は、こちらに分がある。

 事情を知る未来人たちが仲間におり、しかも警察との協力も取り付けてくれた。村で起きた様々な事件を解決してくれた実績もある。

 

 

 盤石だ。誰が見てもそう思う。

 富竹と鷹野は殺されず、犯人は捕まり、自身の運命は変わる。この昭和五十八年の六月をやっと、切り抜けられる。

 

 

 

 なのに梨花の心は晴れない。不安で不安でしょうがない。

 見落としはないか。何か予想だにしない事は起きまいか。そればかりが胸中に満ちる。

 

 

 

「……本当に……」

 

 

 梨花は一人、ぽつりと胸の内を吐露した。

 

 

「……本当に、上手くいくのですか」

 

 

 どれだけ気丈に振る舞えど、その実は誰よりも悲観的で心配性。冷静でいようとしても、不意に心を乱されれば自棄になろうとする幼さ。

 

 自分の事は分析し尽くし、本心を出さないよう表面を偽る事も出来た。だがやはり性根にある弱さや欠点は、どう努力しても消し去れなかった。故に、酒に逃げる事を覚えてしまった。

 

 

 

 

 今でも一人で考える時に、そんな自分が現れる。

 いつだって梨花は人知れず、自分と戦って来たものだ。

 

 

 

 

「やり直し」はまだ効く。

 しかしこの好機だけは、向こう二度と現れないだろう。千載一遇のチャンスが、小心翼翼としたプレッシャーを生む。

 

 故に疑ってしまう。本当に、彼らは上手く立ち回ってくれるのか。

 高く期待するほど、底に堕ちた時の絶望も深い。本当に、私は救われるのだろうか。

 

 

 

 

 奇蹟は起こるのか。起こしてくれるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梨花?」

 

 

 後ろから声がかけられ、ハッと振り向く。

 そこには心配そうに梨花を見つめる、沙都子の姿があった。

 

 

「……沙都子?」

 

「奉納演舞のリハーサルが終わってからお見えになりませんでしたので、探しましたわよ?」

 

 

 とことこと駆け寄り、梨花のすぐ目の前まで。それからジィっと、彼女の顔を凝視する。

 

 

「んー……少し、お顔色が悪いですわよ?」

 

「そう見えますか?」

 

「えぇ。大丈夫ですか、梨花?」

 

「みぃ。久しぶりの演舞ですから、ちょっぴり緊張しちゃっていますのです」

 

「まあ! 梨花も緊張なんてするのですわね。意外ですわ!」

 

 

 口を手で隠し、淑女を真似て笑う沙都子。梨花の胸中など、知る由もないだろう。

 

 

 そんな彼女を見て梨花は思い出す。

 そうだ。自分が死ねば、彼女や村の人々の未来も閉ざされる。

 

 もはや自分一人の問題ではなくなっていた。

 この世に生を受けてより、梨花はこの雛見沢にいる全ての人間の命の上に立たされている。

 

 

「しかし梨花。祭具殿の前で何して──」

 

 

 

 

 沙都子の質問をはぐらかすように、梨花は目の前にいた彼女を抱きしめた。

 いや、はぐらかす為だけではない。梨花がそうしたいと思ったからだ。

 

 

「へ? ちょ、ちょっと、梨花……!?」

 

 

 案の定だが、突然抱き締められた沙都子は顔を赧め、あわあわと腕を忙しく動かしている。

 どうすべきか戸惑っている沙都子に、梨花は囁くように話しかけた。

 

 

「……ボクだって不安になるのですよ」

 

「……え?」

 

「沙都子の叔父が帰って来た時から、ボクは不安で心配でしょうがなかったのです。いつ、みんながいなくなるのか……ボクの前から消えてしまうのか」

 

「…………」

 

「……奉納演舞に失敗するだとかよりも、ボクはそれが不安なのです」

 

 

 抱き締める腕の力は強くなる。

 なんと自分は執念深く、それでいて意気地なしなのだろうかと、内心で自嘲し呆れ返る。

 

 

 最初は驚いていた沙都子。だが梨花の吐露を聞き、抱き締め返してやった。

 

 

「梨花がこんなに弱音を吐くなんて、思っても見なかったですわ」

 

「…………ごめんなさいなのです」

 

「いえいえ、怒っていませんわよ?……寧ろ嬉しいですわ。私を頼ってくださって……」

 

 

 沙都子は優しい梨花を引き離し、柔らかい笑みを向ける。

 

 

「大丈夫ですわよ。上田先生と山田さんが、鬼隠しを暴いてくださりますわ!」

 

「……そう、なのです」

 

「それにほら。ダム戦争は終わりましたし……もしかしたらもう起きないかもしれないですわよ?」

 

「………………」

 

 

「この雛見沢」では、つい一週間前までダム戦争が続いていたのだった。

 鬼隠しに対する気の緩みが皆に出ている。「ダム戦争は終わったから、オヤシロ様の怒りは鎮まったハズだ」と。

 

 勿論、梨花は知っている。そんな例外はあり得ない。

 なぜなら「今まで」の事件はずっと、「ダム戦争の後」に起きていたのだから。

 

 

 沙都子の言葉が梨花を安堵させはしなかった。

 それでも彼女にだけは心配をかけさせぬよう、溌剌とした笑みで取り繕う。

 

 

 

 

「……なら、心配無用なのです。にぱ〜☆」

 

 

 

 笑顔の裏で、自分を責め立てた。

 やっぱり私は、意気地なしだと。

 

 

 

 彼女の裏側に気付く事もなく、沙都子は提案をする。

 

 

「ご体調が優れないのでしたら、監督の所で診て貰います? 丁度私も、バイトの報告をしに行くところでしたので」

 

「んー……本番まで暇ですから、ボクも付き添うのです」

 

「それじゃ行きますわよ!」

 

 

 腕を引き、診療所まで先導する沙都子。流されるがままに、梨花も連れて行かれた。

 

 

 

 

 

 

 祭具殿の、閉ざされた扉の前。

 小さな娘が、物憂げな雰囲気を纏って佇んでいた。

 

 

 

 鳥居へと行く二人を見送った後、今度は林の方へ顔を向ける。その目は二人を見守っていた時とは違い、厳しく鋭い、敵意が込められたものとなっていた。

 

 微風程度だったのが刹那、祭具殿の周りを突風が吹き荒む。少女の視線の先に、何者かが佇んでいた。

 騒めく林の中、落ちる葉を浴びながら少女を見つめ返している。

 

 

 儀式的で不気味な仮面で顔を隠し、体格や性別さえも蓑のような装束で覆っていた。

 鬼の子地蔵前で、山田の前に姿を現したあの存在だ。

 

 

 

 

 

 少女は問いかけた。

 

 

「……あなたは、僕たちの敵なのですか?」

 

 

 

 

 

 その者は答えた。ねっとりとした、男の声だった。

 

 

「どちらでもないさ」

 

 

 

 

 

 遠く拝殿の方より、神楽笛の音が響く。奉納演舞の楽器隊による音合わせだ。

 

 

「私の目的はね、あの山田奈緒子なんだよ。『オヤシロ様』」

 

 

 

 

 その者は仮面を外す。

 現れた顔は、中年ほどの端正な男のもの。怪しげに目を細め、ほくそ笑むように片口角を上げている。

 

 少女には分かる。その顔も声さえも、偽りのものだと。

 

 

 

 

 

 

 

 もう一度突風が吹く。

 木々の騒めきが消えた頃には、二人ともいなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃の上田は、梨花らの家の前にブルーシートを敷き、その上でテレビの修繕を行っていた。何度も火花を散らせるので、外でやれと梨花に言われた故の措置だ。

 石原と山から降りて来た狸たちが見守る中、上田は作業の手を止めずにその石原へ一つ頼み事をしていた。

 

 

「……それで刑事さん。任せられますか?」

 

「その時間なったら先生ェを見張っとったらええんじゃろ!? お安い御用じゃ! 兄ィにも頼みますけ?」

 

「えぇ。矢部さんや、他の未来から来た刑事さんたちにだけ話してください。それ以外には、くれぐれも内密に」

 

「了解しやしたー! アピャーッ! なんか公安みたいじゃのう!?」

 

「それが本来の公安刑事じゃないんですかね?」

 

 

 そのまま石原は持っていた鞄から、一台の無線機を取り出して上田に渡す。

 

 

「興宮署から至急された無線じゃ! なんかあれば、これにお願いしますわ!」

 

「いやぁ、わざわざありがとうございます……おおぅ、デカいな。何でもデカいのが昭和らしいなぁ」

 

 

 上田の顔ほどもあるその無線機を受け取った。なぜか小鳥たちがテレビの上に止まっている。

 

 

「ワシらの無線機専用の周波数に合わせとるけぇ! 他の無線機にも絶ッッ〜〜対に漏れんけぇのぉ! 先生ェの恥ずかしい話が他の刑事らに聞かれる事はありませんでぇ!」

 

「何から何まで助かりますよぉ!」

 

「ほんじゃ先生ェ! また、祭りン時に……」

 

 

 狸や小鳥、更には狐まで上田を囲み出した。それを見て石原は笑う。

 

 

「なんか先生ェ、ディズニープリンセスみたいじゃのぉ!?」

 

「ハッハッハ! 万象に愛される男、上田次郎ですから!」

 

「ほんじゃ改めて、また後で!」

 

 

 石原が去って行くと、動物たちが一斉にダーッ、と彼の後に続く。

 その様を後ろでぽつり、呆然と眺めるだけの上田。

 

 

 気を取り直し、再びテレビの修理を進める。

 脳裏には昨日行った自然公園での出来事が、延々渦を巻いていた。

 

 

 

 

 上田の足元には、その二冊の本が置かれている。

 何度も読み比べをしていたようで、どちらもページが開き放しとなっていた。

 

 

「……そんな馬鹿な」

 

 

 上田は熟考しながら、テレビに手を加え続けた。

 

 何か配線をショートさせて火花が散る。間抜けな声をあげて倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呻き声と共に、ゆっくりと目を開ける。

 蛍光灯の白い光が眩しく、目が慣れるのに少し間が必要だった。

 

 

「う……うぅ……」

 

 

 頭がハッキリし、視界も良好となってくると、さっきまでの茹だるような暑さは消えて、心地よい風の中にいる事に気付けた。

 

 

 パッと身体を起こす。

 山田がいたのは、診療所のベッドの上。無数の扇風機に囲まれ、その風を浴びせられていた。

 

 

「あ、あれ? 私、なんで……てか扇風機、多っ!」

 

「あ! や、山田さん!? 目を覚ましましたか!?」

 

 

 傍らには詩音がいた。ずっと看病をしてくれたようで、さっきまで山田のひたいに当てていたであろう氷嚢を持っている。

 

 

「詩音さん? ここは……」

 

「監督の診療所です! 山田さん、いきなり鬼の子地蔵の前で倒れちゃって……」

 

「……あ。そう言えばそっからの記憶がない……て、アレ? あそこからどうやって運んだんですか? ほぼこの場所の反対側だったんじゃ……」

 

「そりゃ私が山田さんをオンブしてここまで運んだに決まってるじゃないですか!!」

 

「詩音さんって自衛官でした?」

 

 

 山田らのいる診察室の扉が開き、入江が現れる。

 目を覚ました彼女に気が付くと、辺りに置いた扇風機を跨ぎながら近寄った。一台の扇風機に足がぶつかり、倒してしまう。

 

 

「あぁ……お目覚めになりました! 具合の方は? 吐き気がするとか、頭がぼんやりするとか」

 

「えー……大丈夫っぽそうですね」

 

「それは良かったです……どうやら軽い貧血のようですね。暑い中身体を冷やさずに山登りしたようですので、限界が来たんでしょう」

 

「でも詩音さんは無事じゃないですか」

 

「歳ですかね……」

 

 

 年齢を突き付けられ、山田は顔を顰めた。二◯一八年時点で、彼女は四十一歳を迎えている。

 沈黙する山田の横で、詩音が心配そうに聞く。

 

 

「もう起き上がって大丈夫でしょうか……?」

 

「医師としてなら、今日一日は安静にすべきと言いたいのですが……」

 

 

 ちらりと山田を見やる。

 入江は山田らが、鬼隠しを阻止する為動いている事を知っている。綿流しがある今夜、山田なら寝てはいられないだろうと察した上での目配せだ。

 

 案の定、山田はもう大丈夫だと手で合図する。

 

 

「全然平気ですから。そんな、心配しなくても」

 

「けど……凄い倒れ方していましたよ?」

 

「今はほら、この……多過ぎる扇風機のお陰で体調も戻りましたし」

 

「ごめんなさい、山田さん……私が山田さんの歳を考えずに、あんな山の中で待ち合わせだなんて言わなければ」

 

「大丈夫ですから歳の話やめて貰えません?」

 

 

 判断を乞うように入江を一瞥する。

 仕方がないと肩を竦めた後に、彼は首を縦に振った。

 

 

「……分かりました。しかし、祭りの最中にまた体調の変化がありましたら、すぐ私か、鷹野さんに言ってください。今夜は医務用のテントにいますから」

 

「いや〜、ホントありがとうございます」

 

 

 再び診察室の扉が開く。次に現れたのは、梨花と沙都子だった。

 

 

「山田さん!? 倒れたと聞きましたわよ!?」

 

「大丈夫なのですか?」

 

 

 二人もまた、山田のいるベッドの方へ進む。扇風機を避けつつも、避けきれずに何台か倒していたので入江に驚かれていた。

 二人の姿を見て、詩音が話しかける。

 

 

「お二人も診療所に?」

 

「はい。アルバイトの報告にと……鷹野さんに、山田さんが運び込まれた事を聞きましたので」

 

 

 ベッドの上に顎を乗せながら、梨花は疑わしげに山田を上目遣いで睨む。

 

 

「全然元気そうなのです。仮病なのです?」

 

「もう、梨花ちゃま! 仮病じゃありません! 山田さんの歳を考えなかった私の」

 

「歳の話やめてください」

 

 

 一層騒がしくなった診察室。入江は困ったように笑いながら、手を叩いて注意する。

 

 

「ほらほら! 診察室ではお静かに! 言う事聞けない沙都子ちゃんは、私だけのムフフな専属メイドさんにしちゃうぞ〜♡」

 

「そう言うのやめてくださいまし」

 

「調子乗りました」

 

 

 とは言え沙都子も山田の体調を気遣ってか、彼女の無事を確認すると診察室を出ようとした。

 

 

「大事なさそうでしたので、安心しましたわ。最近は夜でもお暑いので気を付けてくださいまし!」

 

「いやぁ、ご心配おかけしました……祭りには必ず、参加しますので」

 

「ご無理はだけはなさらないでくださいね? では私はこれで……梨花! 行きますわよ!」

 

 

 沙都子に呼ばれる梨花。しかし彼女はジッと、意味深長に山田と入江を見つめた後に、首を横に振る。

 

 

「みぃ……もう少し山田とお話するのです」

 

「全く梨花ったら……山田さんは病み上がり? ですわよ!」

 

 

 室内に残ろうとする梨花の意図を察し、山田も助け舟を出してやる。

 

 

「あぁ……私はもう、大丈夫ですから! チロッと話す程度なら全然!」

 

「そうなのですか?……まぁ、山田さんがそう仰るのでしたら……なら私は鷹野さんと会って来ますわ!」

 

「あっ!! そうだ!!」

 

 

 何か思い出したかのように詩音もパチリと手を叩く。

 

 

「圭ちゃんの事、オネェに確認しないと……! では私はこれで……山田さん、監督、また綿流しで!」

 

 

 そう言い残すと詩音は、脇目も振らず扇風機を倒しながら部屋を出て行った。入江は愕然とした様子で見送っている。

 

 彼女に続く形で沙都子も退室。

 現在は山田と梨花、入江の三人しかいない。鬼隠しと、雛見沢症候群について情報を共有している者たちだ。

 

 

 

 

「……えーと。それで梨花さん、私に何か?」

 

「今日は綿流しなのです。入江にも色々聞いておきたいのですよ」

 

 

 二人は同時に入江の方へ向く。彼は一度顎を撫でてから、神妙な顔付きで話し出した。

 

 

「『山狗』に、鷹野さんと富竹さんの護衛は要請しているよ」

 

「確か、梨花さんを見守っている人たちですよね?」

 

「えぇ。そうですが……我々研究員の護衛も、彼らの仕事の内ですからね。だから梨花さんもどうか、ご安心なさってください」

 

 

 そう入江は言うものの、梨花の表情にまだ不安が立ち込めていた。

 

 

「…………」

 

「……あの〜。大丈夫ですか、梨花さん?」

 

 

 山田に心配されて、とりあえずは「うん」と答えてしまう。

 次に梨花は入江を見て、もう一つの質問をする。

 

 

「山田が倒れたと聞いてビックリしたのです。雛見沢症候群の可能性はないのですか?」

 

「……えっ!? 私もなる可能性あるんですか!?」

 

「あるのですよ〜。まぁ、能天気な山田なら感染してもイライラしなさそうなのですから、悪化はしないと思いますのです」

 

「誰が能天気じゃい」

 

 

 それでどうなのかと、再度入江に目配せする。

 一応彼も感染を疑い、気絶中の山田を検査はしていたそうだ。

 

 

「それでしたら大丈夫ですよ。山田さんは感染していません。貧血と、軽い熱中症の合併のようでしたので」

 

「なんか怖いですね……マスクとかしようかな……」

 

「と言っても、村に来て一週間程度の山田さん方ならまだ大丈夫かと。森林や水辺に長期間いなければ、まず感染はしませんよ」

 

「なら良いんですけど……」

 

「ただ感染されていた場合、特効薬はまだ開発されていないので、覚悟していてください。村を出る際は一度、検査を受けに来るように」

 

「怖いなぁ……」

 

 

 目に見えない寄生虫症であると思えば思うほど、呼吸さえも怖くなって来る。

 まだ大丈夫だとお墨付きはあるものの、リスクが少しでもあるのならば意識してしまう。レナの豹変ぶりを思い出せば、その恐ろしさは瞭然だろう。

 

 

 ちらりとまた、山田は梨花を見た。

 俯き、不安げに両手を握っている。沙都子たちの前では見せない、彼女の弱さだ。

 

 

 山田は何を思ったのか、その手を握ってやった。驚いて顔を上げる梨花の手前、山田は真面目な顔で励ましてやる。

 

 

「……一緒に、乗り越えましょう」

 

 

 梨花は応えるように、ゆっくりと首肯する。

 

 

「……はい、なのです」

 

 

 その不安を拭い切る事は出来なかった。

 

 

 

 

 倒れた扇風機が、ガタガタ音を鳴らしてうるさい。

 入江は急いで、扇風機を起こしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診察室から出た沙都子は、待合室へと向かっていた。

 途中の廊下で、鷹野の姿を発見する。先に出ていた詩音と、暫しばかり挨拶を交わしている最中だ。

 

 

「あ。鷹野さ──」

 

 

 近付き、自身も話に混ざろうとする。

 その際に、自身に背を向けている詩音の背中が、見覚えのある別の誰かのものへと変わった。

 

 

「────え?」

 

 

 自分に背を向け、鷹野と話す詩音。それが、行方不明の母親の後ろ姿になる。

 更には診療所の廊下も、実家の玄関口へ変貌を遂げた。

 

 

 

 沙都子は柱の影から、隠れるようにして玄関を盗み見ている。

 早朝、まだ肌寒い朝。母親はこんな時間に、来訪した鷹野と会話をしていた。

 

 

 

 何を話しているのかは聞き取れなかった。

 ただ、何かを渡している様は視認出来る。

 

 

 その何かを、母親は抱えていた「カラクリ箪笥」へ────

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは鷹野さん、また後で」

 

「えぇ。また後で」

 

 

 詩音と鷹野の声が聞こえ、ハッと我に返る。

 既に詩音は鷹野とすれ違い、診療所を出て行ったところだ。そこでやっと、さっきのは幻覚だと気付く事が出来た。

 

 

「…………今のは?」

 

 

 半ば放心状態で立ち尽くす沙都子。

 詩音を見送り、くるりと踵を返した鷹野と目が合う。

 

 

 いつも通り、彼女は優しく沙都子に微笑んでくれた。

 

 

 

 

「あら、沙都子ちゃん。山田さんは大丈夫そうだった?」

 

 

 目を瞬かせた後、こくりと頷いた。




次回。綿流し祭、開催
連載開始から三年かけました。嘘でしょ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭囃し

 陽が落ちる。

 

 祭囃子が聴こえる。

 

 明かりが灯る。

 

 人で溢れる。

 

 

 宵闇に沈む村の中で、古手神社周辺のみはまるで燃え上がるかのように、明々と煌めいていた。

 

 

 

 

 一年に一度にして一夜だけの催し。村民一丸で一斉に行われる一大行事。

 それが「綿流し」。一年の厄を祓う日にして、村の守り神たるオヤシロ様への奉納祭。

 

 多くの村民、または祭りに参加した興宮の町民や県外からの旅行者にとって、飲めや騒げやの楽しい祭りとなるだろう。

 しかし一方、鬼隠しを警戒して気が気ではない者も多くいる。

 

 

 

 提灯や露天の明かりが闇を払い、人熱(ひといき)れが夏を盛り上げる。

 笑い声、歌声、雑踏、神楽の音に、多くの拍手……すっかり落ちた陽の下で、待ってましたとお祭り騒ぎが始まった。

 

 

 

 

 夏、夏、変わらない夏。

 

 この祭りは、ひぐらしのなく頃に始まる。

 

 

 

 キキキキキ………………

 

 キキキキキキ………………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夏だー! 海だー!」

 

「内地やろこの田舎。一生海なんか見れへんでここの村人」

 

「内地ンゲール! 婦長ぉー!」

 

 

 矢部が秋葉を引き連れて、祭りの警護をしていた。警護のついでに、祭りを楽しんでいた。

 カステラ、綿飴、射的にお面屋などの様々な露店へ目移りしながら、二人はウロウロ警護する。

 

 

「アーッ!! 矢部さん!? ロボットがラーメン作ってますよッ!? すっげッ!? 昭和なのにロボットすっげッ!?」

 

「ナニニシマスカ」

 

「これ人入っとるやろ。なんやお前、タカハシゆーんか? 名人か?」

 

 

 タカハシと言うロボットのような物が、菜箸で矢部の頭の上のモノを掴んで寸胴鍋に入れた。

「何すんねんお前何すんねんお前」と店前で騒ぐ矢部を横目に、石原と菊池は踊っている。

 

 

 

 

 

 

 

 彼らとは少し離れた場所を歩いているのは、イカ焼き片手に歩く大石。

 こちらは無線機を片手に、他の刑事たちと連携を取っていた。

 

 

「熊ちゃん? そちらはどうですか?」

 

『えぇ。今のところ、怪しい人物は見当たりません。祭りの参加者は皆、大抵決まっている人ばかりですので……知らない顔があればすぐに分かるんですけど……』

 

「それじゃあ駄目ですよぉ! 犯人は村外の人間とは限らないんですから! 目に映った人間は全員、疑ってかかりなさい!」

 

 

 イカ焼きを咀嚼してから大石は周波数を変え、別の刑事と連絡をする。

 

 

「そちら、草加雅人刑事!……山田さんと上田さんの動向は?」

 

『良くないなぁ、こう言うのは……』

 

「何言ってんですかあなた……決して、彼女たちから目を逸らさないように!」

 

『じゃあ死んで貰おうかな……』

 

「何かあったらまずあなたを取り調べますからね!」

 

 

 無線を切り、イカ焼きの残った部位を一気に食べ尽くす。

 設置されていたゴミ箱に串を投げ捨ててから、鋭い眼光でとある方を睨む。

 

 

 

 

 

 

 

 視線の先、人だかりの向こうで、やや離れた場所。そこには魅音と詩音が並んで歩いていた。

 澄まし顔の詩音の隣で、魅音はかき氷を間断なく食べながら、イチゴのシロップよりも真っ赤な顔で俯いている。

 

 

「……では、告白する方向で、よろしいですね?」

 

「…………よろしいです」

 

「ご覚悟の程は?」

 

「……てか! 詩音が勝手に話進めたんじゃん!? 覚悟も何もある訳ないよ!?」

 

 

 そうツッコミを入れられ、詩音の表情はチャーミングな笑顔に変わる。

 

 

「奥手過ぎるんですよオネェは! 誰かが背中押してあげないと、多分オネェ、一生圭ちゃんの『友達』で終わっていましたよ?」

 

「だからって余計なお世話過ぎるって!……その、やっぱまだ出会って一年だし、もう少し親睦を深めてから……」

 

「そんなに渋るなら入れ替わりますか? 代わりに私が告白してあげますよ?」

 

「それは駄目ッ! ヤダッ!」

 

「あ、今のオネェ可愛かったですよ!」

 

 

 火照る身体を冷ますようにかき氷を掻き込んでいた魅音だが、容器の中が空っぽな事に気付き、また俯いた。

 

 

「………………」

 

 

 その際に、昨日の事を思い出す。圭一たちの事ではなく、祖母との話の事だ。

 照れて焦り顔だった彼女の表情に、微かな影がかかる。その表情の機微に気付いた詩音が、心配そうに声をかけた。

 

 

「どうしました?」

 

「……ん? あ……いや! 何でもない!」

 

「そうですか?」

 

「それより山田さんと上田先生は!?」

 

 

 はぐらかすように、山田と上田の事を話す。詩音は「あー」と呟いた。

 

 

「上田先生は見なかったですけど、山田さんでしたらお昼に一緒でしたよ。でも貧血で倒れてしまって……」

 

「……え!? 山田さん倒れたの!? 大丈夫!?」

 

「ご本人は大丈夫と仰っていましたけど……」

 

「そっかぁ……奉納演舞までの余興、山田さんのマジックショーとかどうかなって思ってたけど……急だし、断られるかなぁ」

 

「一応聞いてみたらどうです?」

 

「……まぁ、そだね」

 

 

 突如、誰かが二人の背中をポンポンと叩く。

 振り返ると、沙都子と梨花が立っていた。

 

 

「こんばんはですわ、お二人とも!」

 

「奉納演舞までまだちょっと時間ありますので、一緒に祭りを回りますのです!」

 

「あら梨花ちゃま! お久しぶりですー!」

 

 

 大体一週間以上ぶりの梨花を、詩音は頭を撫でながら抱き付く。

 

 

「みぃ。お久しぶりなのです。もう三年ぶりになるのですか?」

 

「あららら? 山田さんもですけど、時間感覚どうなっちゃってるんですかー? そんな事言っちゃうのですか梨花ちゃまー?」

 

「んむんむ」

 

 

 トンチキな事を話す梨花のほっぺをむにむに弄る詩音。

 その様を見て呆れながらも、魅音は沙都子に話しかけた。

 

 

「やっほー沙都子! 沙都子さぁ、山田さんたち見てない?」

 

「山田さんですか? 診療所で見たのが最後ですけど?」

 

「あ、貧血で倒れたって時のかな。うーん、そもそも祭りに来てるのかなぁ」

 

「祭りには出るって仰っておりましたから、どこかにいらっしゃるかと思うのですが……」

 

「まぁ、境内回ってたら会うかな〜」

 

 

 山田たちを探そうと、魅音は辺りを見渡した。

 

 その際に、人混みの向こうからこちらを覗く大石に気付く。

 気付かれたと言うのに大石は、余裕そうな笑みを浮かべて手をヒラヒラ振っていた。「監視しているぞ」と、彼なりの意思表示らしい。

 

 

 一気に嫌な気分になる。大石へ敵意を込めて睨んだ後、すぐに目線を外した。

 

 

 

「……あ、レナ!」

 

 

 その先で見つけたのはレナ。

 向こうもこちらを見つけたようで、手をパタパタ振りながらやって来る。

 

 

「え、えへへ。お待たせさせちゃったかな……昨日はありがとね、みんな」

 

「いや全然全然! 集まったばっかだから!」

 

「レナさんも来てくださって嬉しいですわよ!」

 

 

 魅音と沙都子の声を聞いた詩音も、レナに気が付き挨拶をする。触り心地が良いのか、梨花のほっぺは弄ったまま。

 

 

「ちょっと遅めのはろろ〜ん、です!」

 

「あ、詩ぃちゃんも。えっと、はろろーん!」

 

「うん、元気でよろしい!」

 

「んむんむ。そろそろやめて欲しいのです」

 

 

 梨花の訴えも聞かずに、そのままほっぺを伸ばし始めた詩音。

 その間沙都子は、今揃っているメンバーを確認している。

 

 

「圭一さんはまだですわね? レナさんと来るかと思っておりましたのに」

 

「……今日はまだ見てないよ。真っ先に来てそうだけど……」

 

 

 それを聞いた魅音は少し、安心した様子だ。

 

 

「……まぁ、圭ちゃんだったら間違いなく来るっしょ! 先に私たちで露店巡りしちゃう? 山田さんたちを探すのも兼ねてさ!」

 

「賛成ですわ!」

 

「はい! そろそろお腹も空いてきたところです!」

 

「んむー、んむー。詩ぃ、正気に戻って欲しいのです」

 

 

 さすがに口の中へ指を入れようとしたのは阻止した。

 これから露店を巡ろうかと一同が歩き出した時、レナは魅音を呼び止める。

 

 

「あの、魅ぃちゃん! 病院で貰ったお花、廊下に飾っておいたよ!」

 

「んー? あぁ、アレね! 綺麗でしょ? ウチのお庭で採れたからめちゃ貴重だよ〜ん?」

 

「何かお返ししないとね」

 

「いやいや、良いよ良いよ! これも部長の務めってもんよ!」

 

「お掃除テクニック教えてくれたし、レナ流唐揚げの作り方とかどうかな……かな?」

 

「フッ。舐めて貰っちゃ困るよ……唐揚げなんて、私にとっちゃ朝飯前で」

 

「味付けで褒めてくれたのは圭一くんだけだけど……」

 

「詳しく教えてください」

 

 

 圭一を抜いたいつものメンバーで露店巡りを始める。それを見届けたところで、大石は人混みの中に消えた。

 

 

 

 

 ラーメン屋では、ロボットによって矢部が寸胴鍋の中に突っ込まれていた。秋葉がそれを救出しようと必死。

 石原と菊池は、相変わらず踊っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田たちはどこにいるかと言えば、神社への階段の下で待ち合わせていた。

 左手にはめたクォーツの三万円もする腕時計を眺めて待つ上田の元へ、山田が到着する。

 

 

「おぅ、山田! どこほっつき歩いてたんだ?」

 

「すみません、ちょっと遅れて……今、何時ですか?」

 

「んー? このクォーツの三万円もする時計は、十八時二十三分を示している!」

 

「……そんな重そうな腕時計、良くずっと付けてられますね」

 

「勝利者の証だからな。ほぉら。ずっと着けてたせいで、日焼け跡も出来ちまっている! ワイルドだろぉ?」

 

 

 腕時計を少しずらし、日焼け跡を見せ付ける。

 確かに左手首の辺りが、周りの皮膚よりも白みがかっていた。どうでも良い。

 

 

「日焼け跡とかどーでも良いですよ……事件は何時に起きるんでしたっけ?」

 

「二十一時。祭りの後だな」

 

「大体あと三時間か……まぁ、三時間ずっと鷹野さんらと一緒にいれば良いだけですよね」

 

「……そうなるなぁ?」

 

 

 階段下で三分ほど待つと、やっと富竹が現れた。

 

 

「お待たせしましたー、上田教授に山田さん! はい、いきなり富竹フラッシュ!」

 

 

 出会い頭にシャッターを切る富竹。

 反応が遅れた二人は、フラッシュがなくなってからポーズを取る。山田はエド・はるみの「コーっ!」のポーズ、上田はコマネチ。

 

 

「……なんでコマネチなんですか!」

 

「コマネチを馬鹿にするんじゃない! 二百万円のネタだぞッ!」

 

「だからなんだ」

 

「んまぁ、お二人がポーズ取る前に撮り終えてますから……突然すいませんね?」

 

 

 パッと富竹は、階段の先にある鳥居を指差した。

 下眺めると、辺りの暗がりも相まって、祭りの明かりでとても輝いているかのように見える。

 

 

「輝く鳥居をバックに並ぶ男女……うーん。とても良い画だと思ってしまいましてね。撮らずにはいられなかった訳です!」

 

「はー……確かにこうして見ると結構、やっぱ立派な鳥居ですね……」

 

「祭りのライトアップすらモノにしちまうとはなぁ。さすが、村のシンボルと言われるだけある」

 

「そう思ったところでハイ! もう一回富竹フラッシュ!」

 

 

 また不意打ちで撮影。二人は咄嗟に、「よろしく〜ねっ」のポーズを取った。

 鷹野はそのタイミングでやって来て、手をヒラヒラ振り三人の元へ駆け寄る。

 

 

「お待たせジロ……富竹さんに上田教授!」

 

「名前被るから名字で呼んでいるんですね」

 

「もっと次郎ちゃんって呼んでくださって良いんですよ」

 

 

 上田の影に隠れていた山田に、鷹野が気付く。

 彼女が倒れた事を知っているようで、少し心配そうだ。

 

 

「あら、山田さん! あれからご体調はいかがですか?」

 

「あ、何とか……」

 

「無理はなさらないでくださいね? 何かあればすぐ私まで……」

 

「はい! 富竹フラッシュっ!!」

 

 

 両手でピースする鷹野の両隣で、山田と上田はまた「よろしく〜ねっ!」のポーズ。

 あらかた挨拶が済めば、三人はやっと神社の方へ歩き出した。上田は階段の途中で滑って転げ落ちる。

 

 

 

 

 その様を呆れて見ていた山田の後ろより、声がかけられた。

 

 

「ダーヤマーさん!」

 

「誰だよっ!……あ、圭一さん」

 

 

 呼びかけた人物とは、すっかり山田の追っかけと化した圭一。

 階段を二段飛ばしで駆け上がり、彼女の隣まで辿り着く。

 

 

「こんばんはっす、ダーマ様!」

 

「略すなっ!」

 

 

 挨拶を終えた圭一は煌びやかな鳥居を見上げ、目を輝かせる。

 思えば彼は昨年から村に来たばかりだ。綿流しは初めてのハズ。

 

 

「いやぁ……なんて言いますか、結構大きい祭りなんすね! もっとこう、学校の校庭でやるような奴かなって思ってたんで」

 

「確かに凄い力入れてますよね」

 

 

 鬼隠しを経て盛大に行われるようになった経緯は知らないものの、この非日常的な祭りの空気と言うものは何歳になってもそそられる。

 先に行った富竹や鷹野、上田らを追うように段差を上がるが、その度に高揚感は少なからず湧いて出て来た。

 

 階段を上がり切り、鳥居をくぐって境内へ。

 いつも見ていた神社の景色は大きく様変わりしており、多くの参加者や目眩く光、派手めなテントの露店に埋め尽くされていた。

 

 

 振り返り、圭一に気付いた鷹野らが彼へ手を振る。

 それを笑顔で返しながら圭一は山田に話しかけた。

 

 

「山田さんは富竹さんや鷹野さんと回るんですか?」

 

「まぁ、その予定ですけど……」

 

 

 これから殺されるあの二人の目付け役とは、口が裂けても言えない。

 

 

「じゃあ俺も……折角なんで、魅音ら見つかるまで付いて行くっすね」

 

「あぁ……ちょっと聞くのは野暮かもしれないんですけど……あれからレナさんって、色々大丈夫なんですか?」

 

「レナですか?……大丈夫っすよ! あれから元気にやってます!」

 

 

 微笑む圭一からは、彼女への信頼が伺えた。

 気を遣ってはいるものの、過ぎてはいない。出会ってまだ短いながらも、山田は圭一と言う人物の絶妙な優しさにただただ感心していた。

 

 

「……さぁて! 山田さんも祭りの時ぐらい、今までのあれこれは忘れましょうよ! 楽しんだモン勝ちっすよ!」

 

「……んまぁ、そうですね……はい」

 

 

 山田からすれば忘れたいにも忘れられない状態ではあるが。

 

 

 

 二人は鷹野らと合流すると、そのままの流れで祭りを巡り始める。

 まず最初にチェックしたのは、あの変わった老夫婦が完成させた段ボール製のエッフェル塔。

 

 

「ひっくぃーーんッ!!」

 

「ひぃぃっっくぃーーーーんッ!!」

 

 

 塔の両隣で手を広げて叫ぶ老夫婦と、頂点に突き刺さった、上田が降ろしてやったハズのひっきー。上田は思わず二度見する。

 

 

「あの……それ、私が降ろしたハズじゃ……」

 

「おぉ、むくつけき男よ!」

 

「上田名誉教授と呼んでください」

 

「あの摩天楼に突き刺さった様が存外に良かった故、また刺したのだ」

 

「新宿エンド回避出来ず……」

 

 

 老婆がコンセントを繋ぐと、エッフェル塔に巻かれたライトが力なく光り始める。

 それを富竹がパシャパシャ撮っていた。

 

 

 

 

 次は鷹野から綿流しの流れを聞きながら、四人でフランクフルトを食べる。

 

 

「古手家の巫女による奉納演舞の後、集められた綿を使って綿流しが始まるんです」

 

「鬼ヶ淵の川に流して厄払いをする……なんだよね」

 

「その通りよ、富竹さん……うふふ。流すのが人の内臓ではなくて良かったわね……!」

 

「フランクフルト食べながら言う話題じゃないよ……」

 

 

 ウキウキと楽しそうな笑みでフランクフルトを頬張る鷹野。

 その様を隣で同じく頬張りながらガン見する、上田と圭一。

 

 

「……美人さんがこう、長くて太い物を頬張る姿って、どうしてこう……男の琴線に触れるんすかね、上田先生」

 

「あぁ、少年……それは、物理学者が長年に渡って研究してきた永遠のテーマなんだ……」

 

「そんなに美人の頬張る姿が良いならほら、私だって見ろー!」

 

「……フランクフルトを真ん中から食う奴に用はない。トウモロコシじゃないんだぞッ!」

 

 

 張り合おうとする山田を咎め、一向は更に出店の通りを進む。

 山田、鷹野、富竹が少し先を歩いている。その後ろで上田は、向かい側を歩く二人組に気付き圭一に耳打ちする。

 

 

 

 

「少年。園崎シスターズが来たぞ?」

 

「そ、園崎シスターズ?……あ! おーい!」

 

 

 上田の言った通り、魅音と詩音が露店前を歩いていた。

 すぐに圭一が呼びかけると、彼女らは同時にこちらへ目を向ける。

 

 

「け、圭ちゃん……!?」

 

 

 圭一を視認した途端に固まる魅音を押し退け、詩音が上田へ挨拶をする。

 

 

「あら上田先生! なんだかお久しぶりですね!」

 

「園崎詩音だったか? 三年ぶりだな!」

 

「言うだろなぁとは思ってましたけど、ホントどうしちゃったんです?」

 

「いやまぁ、なんだ? それほど久しい感じしないか?」

 

「もう! まさかそんな、時間が急に飛んだ訳じゃあるまいし!」

 

「……………………はっはっはっ」

 

「何ですかその反応?」

 

 

 若干気まずそうに、詩音の前に立つ時間超越者は目を逸らして顎を撫でる。

 その間圭一は辺りを見渡し、沙都子や梨花、レナがいない事について魅音に尋ねた。

 

 

「あれ? 梨花ちゃんたちは? 多分来てるよな?」

 

「あ……え……あれ、あの、レナたちは別のお店見に行ってて……」

 

「……? どした魅音? なんか様子が……」

 

 

 やけに魅音がしおらしく、怪訝そうに見つめる圭一。

 そんな視線を受け、魅音は余計にドギマギしてしまうのだが。

 

 

「い、いや、いやぁ? おじさん、全然普通だよぉ?」

 

「そうか?……いいや、やっぱ変だぞお前。顔も赤いしよぉ」

 

「か、顔!? え!? そんなに赤い!?」

 

「…………お前大丈夫か?」

 

 

 誰が見ても気付くほどの狼狽え具合。

 それもそうだ。「今夜中に告白しなければならない意中の人」を前に、魅音は意識しまくりだからだ。

 上田との挨拶中にそんな、不甲斐ない姉の姿を確認した詩音は見かねて、助け舟を出してやる事に。

 

 

「……あっ! オネェ、圭ちゃんに言う事あったんじゃないですか!?」

 

「!?!?!? え、そんな急に言う!?」

 

「お? 俺にか? なんだどうしたんだよ?」

 

「あ、いや、圭ちゃんね、これは、その……!」

 

 

 指をもじもじさせて俯き、魅音はしどろもどろに言葉を吐く。

 彼女の横で詩音はただ「二人っきりになろうと誘え」と目で訴えていた。

 

 そんな折に、上田は少し離れていた山田や鷹野、富竹らを呼ぶ。

 

 

「おーい! 我がジロウに鷹野さーん! オマケの山田ぁー! こっちですー!」

 

「オマケとはなんだ! 食玩かっ!」

 

 

 不機嫌顔の山田が目に入った途端、魅音は彼女の方へ飛び出した。

 

 

「山田さんっ!!!!」

 

「うひょいっ!?」

 

「飛び入りでマジックショー出来るっ!?!?」

 

「……はいぃ!?」

 

 

 逃げを取ってしまった彼女の後ろでは「何だったんだ?」と首を傾げる圭一と、失望から顔を覆う詩音の姿があった。

 魅音と言えば圭一から背を向け、目をぐるぐる回しながら山田に出演依頼を捲し立てる。

 

 

「必要な物があるなら何でも用意するからッ!! 何でも用意したげるからッ!?」

 

「いやそう言われましても……いきなりそんな、準備もしなきゃですし、ちょっと無理が」

 

「出演料十万円ちょいでどうッ!?」

 

「まぁ私ほどのマジシャンなら突然頼まれても全然対応出来るので全く問題ありませんけどね?」

 

「ありがと山田さーんっ!! じゃ、早速舞台の方に…………あ」

 

 

 ハッとして振り返ると、困惑顔の圭一にジトッと睨む詩音。

 魅音は申し訳なさそうに手を立てて、詩音に謝る。それから山田の腕を引き、舞台まで案内しに行ってしまった。

 

 

 

 呆れ顔で見送る詩音の方へ、入れ替わるようにして鷹野と富竹がやって来る。

 

 

「あら、やっと会えたわ! うふふ……今年のお祭りも盛況ね!」

 

「こっちも楽しんでるよ。ずっと食べてばっかだけどね!」

 

「もーっ……少しは控えないと駄目よ? 最近お腹出て来たじゃないの!」

 

 

 三人を呼んだ上田とも再び合流し、一層賑やかとなる。

 それ自体は良い事だが山田を伴って逃げた魅音を思うと、詩音は苦笑いするしかない。

 

 

「あ、あはは……楽しんで貰って何よりで……」

 

「……あ。それより魅音の……さっきのは何だったんだよ?」

 

「……えぇと。まぁ、またご本人に聞いてくださいな……」

 

「うん?」

 

 

 口々に談笑をし、その内に山田のマジックショーの話となり、舞台の方へ行こうと決まった。

 移動を始める一行の後方で、上田は腕時計を睨みながら気が気でない様子。

 

 

「…………事件発生まであと二時間……矢部さん、ちゃんと俺を見守ってくれてるんだろうか……?」

 

 

 とは言え、石原からは専用の無線機を貰っている。何か起きても、すぐに連絡は可能だ。

 故にこの心配が杞憂に終わると信じながら、上田も先々と行く鷹野らを追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 りんご飴の屋台の前に、梨花と沙都子とレナはいた。

 真っ赤でまん丸の飴を、突き刺さった棒を握って美味しそうに舐めている。

 

 

「デザートもお済みましたし、そろそろ舞台の方へ行きますわよ!」

 

「あ、そっか。そろそろ奉納演舞だもんね、梨花ちゃん。大丈夫? 緊張とかしてない?」

 

「みぃ。この日の為に、それはそれは血も滲むような練習をしたのです。緊張でフイにはしたくないのです」

 

「もー! 梨花ったら嘘ばっかり!」

 

 

 人熱の中で、少女たちの明るい笑い声が響く。

 並んで歩く三人だが、ふとレナは足を止めて振り返る。

 

 

「…………」

 

 

 視界は延々と、屋台と人だかり。

 目眩く光と、屋台より立ち昇る白煙、鳴り続く神楽囃子が満ちる今の景色が、夢の中のように思えて来た。

 

 立ち止まったレナに気付き、梨花も沙都子も小首を傾げながら振り返る。

 

 

「レナー?」

 

「レナさーん? どうなされましたー?」

 

 

 二人の声に呼び戻され、レナは儚げに微笑んで向き直る。

 

 

「あ……ごめんね。なんか、寂しくなっちゃって」

 

「寂しい……ですか?」

 

「……うん」

 

 

 再び三人は、飴を舐めながら並び歩く。

 物憂げなレナの表情が、何とも不安げだ。

 

 

「どうしたのですレナ?」

 

「………………」

 

 

 暫し考え込むように飴に口を付けていたが、思い立ったようでパッと離した。

 

 

「……明日、やっとお父さんのお葬式が出来るんだけどね……お母さんが色々やってくれて」

 

「あら! 良い事ではありませんか!」

 

「ちょっと驚いちゃったけどね。『あ、やってくれるんだ』って…………多分、理由はお父さんって言うより、レナかもしれないけど」

 

「え……?」

 

「…………もしかしたらお母さん、レナを引き取りに来るのかなって……」

 

 

 レナは俯き、口元だけを笑わせた。

 

 

「……そしたらまた、雛見沢から出るだろうし……このお祭りも当分来られないなって思っちゃって」

 

 

 恐らくそうなるだろうなと、レナなりに想像してずっと考えていたようだ。

 彼女の抱く不安の種は、母親の「今の家族」に引き取られ、雛見沢から出る……それよりも強く不安なのは、出た先で何をやらかすのかと言う点だ。

 

 

 

 

「……村の外に出てもレナは……上手く生きて行ける自信がない、かな……」

 

 

 そう呟き、取り繕うように目元を綻ばせた。

 頑張って笑顔になろうとも、表情に宿る影は拭えていない。煌びやかな祭りの中で、レナだけが灰色のようにも見えた。

 

 

「……なんてね。ごめんね、暗い話しちゃって……」

 

「…………あの……私……」

 

「決まった訳じゃないからね……まだ、レナの妄想だよ……だよ?」

 

 

 返す言葉を見つけられず、沙都子は考え込む。

 仮にそうなったらどうすれば良いのか。笑顔で送り出すのも違うのではないかと、色々と思案する。

 どれだけ考えても、甘酸っぱい飴の味がほろ苦く感じるだけだ。

 

 

 遠く、舞台が見えて来た。

 人々の談笑が遠く聞こえるような時間だ。

 

 

 

 

 

「ボクもっと、ワガママになって良いと思うのです」

 

 

 隣で梨花がそう、話しかけた。

 驚き顔でレナが彼女の方を向く。梨花は真っ直ぐ、真面目な顔でこちらを見上げていた。

 

 

「レナは人に尽くし過ぎなのです。大事な時ぐらい、自分の思う通りを選んだら良いのです」

 

「……梨花ちゃん?」

 

「ちゃんと話し合って、言っちゃうところは言っちゃうのです。どうしても出来ない事とか、譲れない所なんてどんな人にもあるのですから……大人が決めたからって、譲り切っちゃ駄目だってボクは思うのです」

 

「………………」

 

「だから、レナはまだワガママになって良いと思うのです」

 

 

 真面目な顔がパァッと、満面の笑みに変わった。

 

 

「でもワガママ過ぎるのも勿論駄目なのです! もう小屋に閉じ込められるのは勘弁なのです! にぱ〜☆」

 

 

 最後の言葉に沙都子は思わずドキリ。

 レナを気に病ませてしまうのではと不安になり、チラリと本人を見やる。

 

 

 一瞬、唖然としたように口を開いていたレナ。

 次に見せたのは、安心したような微笑みだった。

 

 

「……梨花ちゃんって、時々大人っぽい事言うよね」

 

「当然なのです。オヤシロ様の生まれ変わりだからなのです!」

 

「…………ふふ。そのアドバイス、ちゃんと覚えておくね」

 

「忘れたら手ずから罰を与えに行くのです」

 

「はーい!」

 

 

 顔を上げて真っ直ぐ見つめるレナの表情からは、影が薄れ去っていた。

 不安や心配は残っているが、それも軽くなったようだ。

 

 

 その間、沙都子はドッと息を吐くと、ササッと梨花の傍に寄って耳打ち。

 

 

「梨花ってばあんな事ズバズバ言って……こっちがちょっと緊張しましたわよ!」

 

「みぃ。言いたい事は言っておくのが正解なのですよ?」

 

「……でも、今回はグッジョブですわ」

 

「ばっちぐー」

 

 

 二人はサムズアップを見せ合った。

 そうこうしている内に彼女らは舞台の前に着く。

 

 

 

 

 

 

 途端、壊れかけのラジカセから鳴るような、ノイズ混じりの音楽が辺りに響き渡った。

 良くマジックショーか何かで使われている曲だ。

 

 珍しい物見たさに訪れた客で賑わう、その最前方。

 余興用に用意された小さなステージの上には、山田が立っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

神楽囃し

・仮面ライダー龍騎20周年おめでとう。


────私の名前は山田奈緒子。

この昭和の世に舞い降りた、超実力派未来人マジシャンだ。

 

 

亡き父…………この時代では全然生きているが、とにかく亡き父「山田剛三」は日本を代表する偉大なマジシャンだった。

そんな父の影響を幼い頃から受けて、私は育った。

 

 

父が磨き続けた技を引き継ぎ、平成のステージで進化させて来た。

つまり昭和の技術よりも先を行っている。

 

 

 

そんな未来人である私が、この大きなお祭りの大トリとしてひとたび未来のマジックを披露してやれば…………

 

 

 

 

客席はほら、この通り!

 

 

 

 

 

 

 

──さっきまで埋まっていた客席は、今やもぬけの殻。

 残っているのは魅音ら部活メンバーや上田、富竹、鷹野、そして感涙を流して叫ぶ圭一の、ほぼ身内だけ。

 

 

「山田様ぁぁぁーーーーッ!!!! 我が師匠ぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

 

 その後ろの道を、北欧人集団がパレードしている。

 

 

 

……一部の昭和人にはまだ早過ぎた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マジックショーを終えた山田は舞台横で蹲り、それはそれは随分と荒れていた。

 魅音は心底申し訳なさそうな顔で慰めてくれてはいたが。

 

 

「今までウケてたのになぜ……なにゆえ…………なしてやっ!!」

 

「ご、ごめーん山田さん! なんか集まってたみんな、奉納演舞やるもんだって勘違いしてたみたいで……!」

 

「そ、そうですよね。情報伝達がまだ甘かっただけで──」

 

 

 

 

 山田の次に現れたのは、村の青年たちで結成されたダンスチーム。

「It More Coco Color」と言うグループ名を名乗り、自作のダンスを披露していた。

 

 

「悲しい時ぃーーッ!!」

 

「かわいいねぇーーッ!!」

 

「バカやろこの野郎めーーッ!!」

 

「頭を下げれば大丈夫ぅーーッ!!」

 

「一歩進んで偉い人ぉーーッ!!」

 

 

 すっからかんだった客席は一気に埋まり、ドッと歓声と拍手で包まれる。

 それを舞台横で愕然と眺める山田。

 

 

「………………」

 

「まぁ、ほら、身内に甘いとかってのがあるからさ!」

 

「で、ですよね! 私がアウェイってだけで──」

 

 

 

 

 次に現れたのは、なぜか出演している矢部の部下の秋葉。

 

 

「ショートコントします!『人気のないスタンドバイミー』!……ダダダン、ツッダン。ダダダン、ツッダン──ニンキィナァイッ!」

 

 

 客数変わらず、爆笑と賛美の嵐。

 山田は納得行かないように口を曲げた後、ついには諦めて溜め息を吐く。

 

 

「……良く分からないネタでもほら、ウケる時はウケるからさ!」

 

「…………いやもう、出演料貰えますし……何より指差しで笑われたりしないだけまだ──」

 

 

 

 

 通りすがりの村民一家が山田を指差して「あーっはっはっは!」と嘲笑う。

 それからスンと真顔になり、何事もなかったかのように去った。

 

 

「………………」

 

「で、でも、めちゃくちゃ凄かったじゃん!? ほら! 持ってたボールを手と手の間で浮かせたヤツとか!」

 

「師匠……俺っ……!! 紐を入れた徳利(とっくり)が落ちなかったマジックに衝撃を受けました……ッ!!」

 

「え、圭ちゃんいつからいたの?」

 

 

 暑苦しい男泣きを見せ付け、震えた声で感想を述べる圭一……その後ろより、梨花とレナもやって来た。

 

 

「みぃ。なかなか良かったのですよ」

 

「観ててとっても楽しかったです!……あっ、山田さんこんばんはっ!」

 

 

 子供たちからの慰めを受け、山田まだ顰め面ではあるが何とか気を持ち直した。

 まずは立ち上がって久々に会ったレナと話を交わす。

 

 

「あー……こんばんはレナさん……あれからその、大丈夫でした?」

 

「……はい。その……あの時は本当にごめんなさい。レナはもう、大丈夫ですから!」

 

「なら良いんですけど……ええと、上田さんとかは?」

 

 

 遠回しに上田が富竹らから目を離していないかと、梨花に確認を取る山田。

 彼女の意図を察した上で、安心するようにと梨花は答えてやる。

 

 

「上田なら詩ぃと富竹、鷹野たちと一緒に舞台の方へ行ったのですよ」

 

「じゃあ、沙都子さんも?」

 

「沙都子はおトイレなのです」

 

 

 とりあえず上田は山田が離れている間も、ずっと富竹と鷹野を見守っていたようだ。

 そして詩音もまた裏山で交わした約束の通り、二人の傍にいてくれている。はぐれていないのならば、まずは安心だろう。

 

 ズイッと、魅音が山田に話しかける。

 

 

「それより山田さん! 個人的にはサイコーのショーだったからさ、何とか出演料に色付けてあげるからね!」

 

「ありがとござますありがとござます。もう信じられるのは園崎様だけですホント」

 

「山田さん…………俺も、貢いで良いっすか?」

 

「お金か食べられる物なら」

 

 

 

 

 気が付けば余興ステージに来ていた観客たちが、ぞろぞろとどこかへ移動を始めていた。

 何事だろうと山田が注視する横で、レナが思い出したように梨花へ話しかける。

 

 

「そろそろ奉納演舞の時間じゃなかった?」

 

「あ、もうそんな時間なのです」

 

 

 それを聞いた山田は、観客は奉納演舞が行われる舞台へ移動しているのだなと気付く。

 

 

「じゃあもう、早く行った方が良いんじゃないですか?」

 

「名残惜しいけどそうするのです。みんなももう来るのですか?」

 

 

 皆が首肯し、口々に移動する旨を話したので、この四人で舞台へ向かう事となる。

 移動を始めた時、後方にいた圭一は胸を躍らせていた。

 

 

「俺初めて見るからなぁ、梨花ちゃんの演舞。楽しみだなぁ……巫女服梨花ちゃん。むふふ……」

 

「………………」

 

 

 更にその後ろには魅音が立つ。

 圭一の後ろ姿を見てから、赤らめた顔で俯いた。

 

 

 

 

「……ぐっ……! わ、私は園崎魅音園崎魅音、次期当主に出来ない事はない……!」

 

 

 ぶつぶつと呪文のように自分への鼓舞を呟き、キッと前を向く。

 

 

「……あ、あ、あのさぁ圭ちゃん!」

 

 

 レナ、山田、梨花は先を歩いており、気付かれやしないハズだ。

 そう判断した魅音は、意を決して圭一を呼び止めた。すぐに彼はその声に呼応し、振り返る。

 

 

「んあ? どした?」

 

「え、え、え、えと……その……じ、時間ある!?」

 

「は? いや、今はないだろ?」

 

「あー! そ、そうだったね! おじさんウッカリ!」

 

「なんだよお前。落ち着けよ」

 

「さっきまで叫び散らかしてた圭ちゃんに言われたくないかなぁ」

 

 

 すぐに魅音は「じゃあさ、じゃあさ」と言って引き止め、緊張と恥ずかしさで半ば混乱状態の頭で何とか約束を取り付けた。

 

 

「……奉納演舞が終わって、綿流しまでちょっとだけ時間、あるからさ……神社の裏手に、来てくれない?」

 

「え? なんでそんな……」

 

「はいっ! これは部長命令っ! 分かった!? 奉納演舞終わったら神社裏! 来なかったら『前原圭一がやっぱカレーの具と言えばチクワだよなと言ってました』って知恵先生に言ってやるっ!!」

 

「おおおお!? そりゃ横暴だ!? 殺す気か俺を!?」

 

「それが嫌なら来いっ! 私は待つッ!! 以上ッ!!!!」

 

「お姫様を人質に取った魔王かお前は!」

 

 

 一気に捲し立て、魅音は圭一を横切って山田らの方へ駆けた。

 彼から背けたその顔は、赤提灯の灯りに負けないほど真っ赤っかだ。

 

 一方で呆気に取られ、首を傾げる圭一。魅音の真意にはまだ気付いていない様子だ。

 だがその内、何か察したようにしたり顔となる。

 

 

「……ははーん。さては、この俺様にドッキリでも仕掛けるつもりだなぁ……?」

 

 

 分かった気になったまま、圭一も先に行ったメンバーらの後を追う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 先に奉納演舞の舞台へと到着していた上田たち。

 余興用のステージとは違い、演舞用の舞台はしっかりとした桐造りとなっていた。

 

 神楽殿ほど華やかではないものの、無駄な装飾のない雅やかな舞台だ。

 鎮守の森を前に建てられた舞台の四隅には細い柱が立てられ、その柱と柱とを紙垂(しで)が垂らされたしめ縄が繋ぐ。そうやって舞台を囲むようにし、謂わば結界を張っている。

 

 

 既に大太鼓と笛を用意した奏者たちが浄衣(じょうえ)と袴に身を包み、最後の音合わせをしている。その為、辺りには澄んだ神楽囃子が木霊した。

 舞台の向かって左側には布団や袢纏(はんてん)が積み上げられ、中央奥には供物が並べられた折敷(おしき)が置かれている。

 

 また、舞台上やその周辺には極力電気が使われておらず、全て設置された松明の火で闇を払っていた。

 その為から露店が並んでいた場所と比べ、幾分か薄暗い。とは言えこの薄暗さもまた、今この場に漂う厳かな雰囲気作りに一役買っている。

 

 

 

 想像以上にきちんと造られていた舞台を見て、上田は鷹野を見ながら感嘆の声を上げた。

 

 

「いやはや……実は私はねぇ? 日本のみならず、全世界の祭りと言う祭りを股にかけて来た人間ですがね? これほど立派な舞台は見た事ないですよ!」

 

「奉納演舞は村にとって大事な行事ですわ。ここで手を抜けば、オヤシロ様に怒られちゃいますもの! するとまた祟りが起きるかもしれませんし……」

 

「はっはっは! ご安心ください! この上田次郎の手にかかれば、オヤシロ様の祟りも何のそのですとも!」

 

「まぁ! 心強いですわね!」

 

 

 気を良くした上田は胸を張って、得意げにしたり顔だ。

 隣でパシャパシャとシャッターを切っていた富竹だが、途端に顔を歪めた。

 

 

「ご、ごめん! ちょっと催しちゃって……お手洗いに行って来るよ!」

 

「えー? 今からなのよジロ……富竹さん!」

 

「すぐ戻って来るから!」

 

 

 我慢出来ないと言った様子でトイレへ行こうとする富竹に、上田は焦る。

 一瞬でも彼から目を離す訳にはいかないからだ。

 

 

「あー! 私もいきなり催してしまったー! ジロウよ! 共に行きませんか!?」

 

「ジロウもですか? なら共に参りましょうぞ!」

 

「御意のまま……あっ、でも、あの……クソぅ! 山田の奴はどこだ!?」

 

 

 この場を離れてしまえば、鷹野の目付け役がいなくなる。

 キョトンとする鷹野と、山田を探す為に見渡している周辺とを顔を行ったり来たりさせて、焦りを見せる上田。

 

 

 仕方なく無線機で矢部たちを招集しようかと思った時、彼の背を叩いて話しかけて来た人物がいた。

 振り返ると、そこには詩音が立っていた。

 

 

「行って来てください! 私、ここで鷹野さんと待ってますんで!」

 

「なんですと……?」

 

 

 詩音はこっそりと、上田に耳打ちする。

 

 

「……山田さんから、鷹野さんと富竹さんに注意するよう頼まれてます。大丈夫ですよ」

 

 

 話を聞いて少し驚いたような顔をした後に、上田は二、三度頷いて了承する。

 

 

「……じゃ、じゃあ、任せましたよ……?」

 

「はい、任されました!」

 

「では……ジロウよ、参るぞッ!!」

 

「はいジロウ……参ろう、共にッ!!」

 

「「プルスウルトラーッッ!!!!」」

 

 

 二人は掛け声と共に、トイレへ颯爽と飛び立って行く。

 それを見届けてから詩音は鷹野へ身体を向け、少し気まずそうに会釈する。対する鷹野はくすくすと微笑んでいた。

 

 

「こうやって二人きりで話すのも久しぶりね?」

 

「そ、そうですね。あはは……」

 

「うふふ! ねぇ、また一緒にオヤシロ様の祟りを追究しない?」

 

「あー……えと、またの機会に……」

 

「それは残念……」

 

 

 詩音は当初、失踪した悟史の行方を追う流れで村の風習や歴史を調査していた時期があり、その際に鷹野と交流をしていたようだ。

 しかし現在はそれを取り止めている。調べれば調べるほど、「悟史は生きていないのでは」と思ってしまうからだ。

 

 

「詩音ちゃんってなかなかの勤勉家だから、是非私の助手になって欲しかったのだけど……?」

 

「いえいえ、そんな、ありがとうございます……そう言う鷹野さんも、あれから進展はどうですか?」

 

「んー……『進退これ(きわ)まる』って感じかしら。調べられる範囲は調べ尽くしちゃったわね」

 

「何事も限界ってありますものね……」

 

「あれから色々、オヤシロ様の祟りの説を考えたのよ! 宇宙人説とか、鬼ヶ淵沼のオッシー説とか!」

 

「へ、へぇ……」

 

「十三人のライダーを集めて、鏡の世界で殺し合わせてる説とか!」

 

「その説は斬新過ぎる気が……」

 

 

 一通り喋ってから、鷹野はフゥっと息を吐いてから口元を手で仰ぐ。

 

 

「興奮して喋り過ぎたちゃったわ……ちょっと飲み物でも買って来ようかしら!」

 

「え!?」

 

 

 鷹野までその場を離れようとした為、大急ぎで詩音は呼び止めた。

 

 

「あ、わ、私も行きます! あッッついんで喉乾いちゃって!」

 

「ならついでに買って来てあげるわよ? そろそろ奉納演舞も始まるし、帰って来たジロウさんたちを心配させるかもしれないから、ここで待ってたら良いわ」

 

「い、いえ!……あの! 久しぶりに私も、同志の鷹野さんと色々と語りたいんで! はい!」

 

 

 そう言うと途端に鷹野は嬉しそうな笑みを見せた。

 詩音の殺し文句が効いたようだ。

 

 

「そう言われたら仕方ないわねぇ……よし! 同志として、舌が乾くまで語っちゃうわよ!」

 

「お、お手柔らかに……」

 

「じゃあ……ジュース屋まで歩きましょっ!」

 

「はい!」

 

 

 何とか彼女を見離さずに済むと安堵しながら、上機嫌に鼻歌を歌う鷹野のすぐ後ろを必死に付いて行く。

 途端、さっきまで鳴っていた神楽囃子が消えた。本番が近くなったようだ。

 

 

 

 

 

 鷹野と詩音がいなくなったタイミングで、山田と魅音、圭一とレナが現れる。

 通りがかりの村人たちに、また山田は指差しで「あーっはっはっは!」と笑われた。

 

 

「なんだバカヤローっ!?」

 

「荒井注ですか師匠!?!?」

 

「ったく……なんでお金貰える時に限って客が入らないんだ……」

 

 

 四人は舞台が良く見える場所に行き、そこで並んで立つ。既に梨花は演舞の準備の為、一行を離脱している。

 

 

「いやぁ……あの梨花ちゃんの演舞……全然想像できないよなぁ」

 

「どんな感じなんですか?」

 

 

 綿流し自体が初めてな圭一と山田へ、レナが教えてやる。

 

 

「とっても綺麗だったよ! しかも別人みたいで、どこか貫禄もあって、レナも初めて見た時にギャップで驚いちゃった!」

 

「ほぇ〜……そんなにか? そりゃ楽しみだな……!」

 

「思わず梨花ちゃんが戻って来た時にお持ち帰りしちゃった!」

 

「今年は俺が持ち帰るぜ。巫女服のまま」

 

 

 期待に満ちた瞳で舞台を見上げる圭一とレナの隣で、山田は辺りをぐるりと見回している。

 上田たちを探しているようだが、一向に見当たらない。

 

 

「どこ行ったんだ上田……」

 

 

 昨夜より上田の様子がおかしかった事もあり、やけに嫌な予感がする。

 彼は何か、鬼隠しに関する決定的な「確証」を得ているようだ。だが、それは山田にも話せないほど衝撃的な内容なのだろう。

 

 

「必ず話す」とは言っていたが、その前に巻き込まれてしまわないかと不安だ。

 上田は基本的に小心者で臆病な癖に、思っても見ない局所で大胆な行動を取る。しかも基本的にそのような時は、山田にすら計画や思惑を話さない始末。

 

 

 とは言え、彼のその行動で窮地を救われた事もしばしば……巻き込まれて窮地に追いやられた事もしばしばだが。

 なので上田に関し、山田は不安に思う反面、「あいつなら大丈夫」と言う漠然とした安心感もあった。

 

 

 

 

「……ったく、もう。不器用なんだか器用なんだか……」

 

 

 見える範囲にはいないと確認し、仕方ないと再び舞台の方へ目を向けようとする。その際に、俯いて黙りこくった魅音に気が付いた。

 

 

「魅音さん? どうしたんですか?」

 

「………………」

 

「……あの〜? 何か落ちてるんですか?」

 

「…………んぇっ!?」

 

 

 山田の声に気付き、魅音は真っ赤っかに染まった顔を上げた。

 

 

「あ、な、なんでもないっす!」

 

「……なんか、めちゃくちゃ顔赤くないですか?」

 

「え!? う、嘘……!?」

 

「夜でも熱中症とかあるっぽいですし、入江先生の所に行ったら……?」

 

「そそそ、それには及ばないから大丈夫! うん! あ、あははは! て、てか沙都子遅いねぇっ!?」

 

「……? は、はぁ……?」

 

 

 魅音は演舞後の事で頭いっぱいのようだ。

 

 

 

 

 怪訝そうな表情で彼女を見ていた山田だが、不意に響いた笛の音で舞台へと顔を向けた。

 山田のみならず、この場にいる全ての者が舞台上へ視線を浴びせる。

 

 

 階段を上がり、頭から徐々に姿を現した梨花。太鼓と笛の音に合わせ、一段一段ゆったりと登っているようだ。

 最後はトンと舞台を上がり切り、観客たちに全貌を晒す。

 

 煌びやかな装飾と、皺染み一つない巫女服に身を包んだ、澄ました表情の梨花が立っていた。

 その両手には錫杖(しゃくじょう)と鍬を合わせたような祭具が、恭しく乗せられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 演舞が始まった時、仮設トイレは行列だった。

 行列の真ん中に並び、沙都子はもじもじと足踏みをしている。

 

 

「う、うぅ……! 並び過ぎですわ……!」

 

 

 遠くで囃子が聞こえた為、もう奉納演舞は始まったのだと気付いてはいた。

 見なきゃ駄目で、膀胱も限界であり、二重の意味で焦る沙都子。

 

 途端に、彼女は天啓を得る。

 

 

 

 

「…………お家ですれば良いじゃありませんの」

 

 

 なんで気付かなかったのだろうと不思議に思いながら、行列を抜けて梨花の家へとひた走る。

 

 

 

 

 入れ違いで現れたのは、上田と富竹だ、

 

 

「じ、ジロウ……ッ!! 凄い行列ですよ……ッ!? 僕の膀胱は保つのか……ッ!!」

 

「あぁ、ジロウ……! 奉納演舞に合わせて用を足しておこうと言う集団心理による行列だろう……! このままでは、お互い漏らしてしまうッ!!」

 

「ジロウッ!! こっちのトイレ空いてますよッ!!」

 

「さすがだジロウッ!!」

 

 

 富竹が見つけた空きトイレへ駆ける上田。

 しかしトイレの扉に描かれていた文字を見て、二人は落胆する。

 

 

女性用

 

「これは女性用ではないかッ!!」

 

「これは男は使えませんね……ッ!!」

 

 

 

 

 急いでその隣の空きトイレへ駆ける。

 マークを見て、また二人は落胆。

 

 

『♀』

 

「これも女性用だッ!!」

 

「男は使ってはいけませんね……ッ!!」

 

 

 

 

 その隣のトイレのマークを見て、二人は両手を空へ広げて叫ぶ。

 

 

『❂』

 

「太陽万歳ッ!!」

 

「僕らのタイヨォーーッ!!」

 

 

 

 

 その隣のトイレに書かれている文字を見て、富竹は目をパチクリ瞬かせた。

 

 

JOSEIYOU

 

「…………これは……な、何のマークなんでしょう……?」

 

「ジロウよ、これは古代シーカー文字だッ! そして『JOSEIYOU』と書かれているッ!!」

 

「これは使えませんね……!」

 

 

 

 

 間髪入れずに隣のトイレのマークを見る。

 

 

【挿絵表示】

 

「これだぁーーーーッ!!!!」

 

 

 二人は一緒にそのトイレの中へ飛び込んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の矢部と石原は、とある屋台にいた。

 今度は菊池と秋葉が背後で踊っている。

 

 

「兄ィッ!! このロボットは手紙ィ、代わりに書いてくれるそうじゃッ!!」

 

「ほんま大丈夫かぁ? えぇ? さっき散々な目()ぅたからなぁ? コレ見てみぃや! 昔の松田優作みたいになってもうたわ!」

 

「なんか今の兄ィのソレ、昔を思い出すのぉ!?」

 

 

 矢部の髪は一度熱湯に入れられて乾かせたので、小さなアフロみたいに毛がチリチリとなっていた。

 

 

「それより手紙書いてみてぇや。おう? この人形出来るんか? なんや、喋れるんかい? 喋ってみぃや」

 

『少佐が「愛してる」と言ってくださった事が、私の生きていく道しるべになりました』

 

「これ自我持ってへんか?」

 

「最初っからクライマックスじゃのぅッ!?」

 

 

 

 

 遊んでいる公安部たちの横を、詩音と鷹野が通り過ぎて行く。「花鶏」とテントに書かれた屋台の前には悠木(龍騎)内藤(ナイト)が見つめ合っていたが、特に気にしない。

 道中、鷹野は自身が調べた事を語ってくれた。

 

 

「さっき詩音ちゃんに私、『調べられる範囲は調べ尽くした』って言ったわよね?」

 

「えぇ……でも、仕方ない事だと思いますよ。ただでさえ資料も少ないですし、後はもう憶測だけになっちゃいますよね」

 

「そうねぇ……でも、私はまだ『最後のピース』があると思っているの」

 

「……最後のピースですか?」

 

 

 鷹野は不敵な笑みを浮かべて、流し目で隣にいる詩音を見やる。その視線は全てを射抜くような魅力があり、暫し彼女をドキリとさせた。

 詩音の動揺を気付いているのかいないのか、鷹野は熱っぽい声音で「最後のピース」を話す。

 

 

「……古手家には、『禁じられた古文書』があると言う話よ」

 

「……え?」

 

 

 その話をする鷹野の目の奥に、燃え盛るような炎が見えた気がした。

 

 

「代々古手家のみに受け継がれながらも、その中身は古手家すら読んではならないと言う禁書……その中にこそ私は、オヤシロ様の正体が書かれていると睨んでいるのよ」

 

「……そんな大事な物を、梨花ちゃまたち古手家が持っているんですか……?」

 

「えぇ。園崎家すらその存在を知らない……トップシークレット中のトップシークレット……今の私はそれを探しているのよ」

 

「でも、古手家すら読んでは駄目な物なら……言っちゃなんですけど、もう場所は分からないんじゃないですか? その……梨花ちゃまのご両親はもう亡くなられてますし……まだ幼い梨花ちゃまが教えて貰っている訳はないかと……」

 

 

 詩音の考察を聞いて鷹野は「ちっちっち!」と茶目っ気を含ませて舌打ちする。

 

 

「いいえ。梨花ちゃんは禁書の存在も、場所も知っているハズよ……もっと言えば」

 

 

 鬼気迫る鷹野の語り口に、思わず引き込まれる詩音。

 何とも愉悦そうな笑顔で鷹野は、衝撃的な事を言い切った。

 

 

 

 

「……梨花ちゃんは、禁書の中身を読んでいるハズよ」

 

 

 それを聞いた詩音は目を丸くさせ、一瞬黙った後に小首を傾げた。

 

 

「え、でもその禁書って、古手家すら読んじゃ駄目って……?」

 

「えぇ。でも例外があるのよ……『オヤシロ様の生まれ変わり』ならば読んで良いのよ」

 

「確かに梨花ちゃまはオヤシロ様の生まれ変わりって言われていますけど……」

 

「ふふふ……なんで彼女が生まれ変わりって言われているか知ってる?」

 

「え?」

 

 

 思えばあまり深く聞いた事も、気にした事もなかった。てっきり古手家の娘だからだと思っていた。

 素直に分からないと首を振る詩音を見てから、鷹野は勿体ぶらずに教えてやる。

 

 

「古手家ではね? 八代続けて第一子が女の子だった時、その子がオヤシロ様の生まれ変わりだと伝わっているそうなの……そして梨花ちゃんこそ、その条件に当て嵌まるのよ」

 

「ど、どうやって調べたのですか?」

 

「危ない橋を渡って古手家の家系図を見たのよ。だから間違いないわ!」

 

「凄いバイタリティ……」

 

「だから、それを知ってる村の人は梨花ちゃんをオヤシロ様の生まれ変わりだって言ってるって訳……そんな特別な子に、禁書を見せない訳はないわ!」

 

 

 そう結論付ける鷹野。

 なるほどと詩音は一応の納得を見せるものの、次には苦笑い。

 

 

 

 

「……仮に読めたとしても、古い禁書ってもうそれ古文ですよね……梨花ちゃまどころか、専門家さんしか読めないんじゃないですか?」

 

 

 詩音の話を聞いた鷹野は、とても愉快そうに笑った。

 

 

「あははは! えぇ、そうかもしれないわね! でももしかしたらオヤシロ様の生まれ変わりだし、スラスラ読めていたり……?」

 

「か、かもしれないですね」

 

「とにかく、私は古手家の禁書の存在を確信してるの! どうにかしてそれを見つけてやりたいと思っているわ……!」

 

「気を付けてくださいね……あの、あまりやり過ぎると村の人に怒られるかもしれないですから」

 

「……うふふ。『怒られる』で、済めば良いわね?」

 

 

 鷹野の目がギラリと鈍い光を放った気がした。

 途端に詩音自身も、「怒られるで済めば良い」と聞いて、不意に去年受けた園崎からの「洗礼」を思い出してしまう。

 思わず呼吸が乱れ、自らの左手を摩った。

 

 

 そうこう話している内に、ジュースを売っている露店が遠くに見えて来る。

 すぐさま鷹野はタッと、駆け出した。

 

 

「あ……待ってください!」

 

 

 見失わないよう後を追う詩音。

 幸い道は混んでいない。奉納演舞が始まったので、そちらの方に客が流れているからだ。

 なので少し離れていても、まず見失う事はない。

 

 

 

 

 

 そう思っていた。

 

 

「イタッ!?」

 

 

 露店の横からヌッと現れた人物とぶつかり、詩音は道に尻餅突く。

 キッとぶつかって来た人物を睨み付ける。立っていたのは、生活安全部保安課の雑賀(タイガ)だった。

 

 

「ちゃ、ちゃんと前見なさいよっ!?」

 

「あぁ、ごめんね。大丈夫だよね?」

 

 

 それだけ言って何事もなく去って行く。

 カチンと来た詩音はすぐに立ち上がって後ろから蹴飛ばしてやろうかと思ったが、自分の役割を思い出してグッと堪える。

 

 

「ぎゃっ!?」

 

 

 しかしまた、さっきまでいなかった歩行客と衝突する。警備部警備企画課の対屋(ライア)だ。

 

 

「あんた。今日の運勢は最悪だな……俺の占いは当たる」

 

「なにがっ!?」

 

 

 また何食わぬ顔で立ち去る対屋。

 恨みがましく睨む詩音だが、また前を向いて鷹野を追おうとする──ところにまた、突如現れた人物に突き飛ばされる。

 

 

「ギェっ!?」

 

 

 その人物とは、交通部の王田(王蛇)だった。

 

 

「邪魔だ……イライラさせるな……」

 

「こっちの台詞ですよっ!?」

 

 

 とっとと立ち去る王田とすれ違って駆け出す詩音──に、また突然現れた刑事部捜査一課の井寺(インペラー)にぶつかられる。

 

 

「痛いってっ!?」

 

「どうです? 俺強いでしょ?」

 

「殴りますよっ!?」

 

 

 井寺を押し退けた──先で、刑事部捜査共助課の志座(シザース)と激突。

 

 

「アッだっ!?」

 

「私は卑怯もラッキョウも好きです」

 

「な、なんなのよコレ……!?」

 

 

 ここまで五連続でぶつかりまくった詩音──だが、今度は二人がかりでぶつかられる。

 刑事部捜査共助課の照辺(ベルデ)と、警備部警備企画課の甲斐(ガイ)だ。

 

 

「ディフェンスですか!?」

 

「生きるって事は、他人を蹴落とす事なんだ」

 

「俺を愛してくれよ」

 

「怖っ……」

 

 

 心底不気味に思いながらも、二人の隙間を抜けて先へ行こうとする。

 しかしまた前方にヌッと男が現れた。今度はぶつからなかったものの、その男は詩音の行手を遮るように立つ。

 交通部の大手院(オーディン)だ。

 

 

「ちょ……!? ど、どいてくださいよ!?」

 

「戦え……戦え……」

 

「な、な、な、何なんですかってのッ!! 何かの最終回ですか!?」

 

 

 無理やり押し退けた事で転びかける。

 何とか踏ん張り、急いで前を見据えてジュース屋を見た。

 

 

 

 

 

 鷹野の姿は、どこにもない。

 振り返ると、さっきまでいた男たちの姿も無くなっていた。




・途中のはただの、エジプトの文字です。

・突っ込まれる前に言っときますけど、スタンドバイミーは1986年公開です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

奉納演舞

エルデの王となるのに忙しかったので、遅れてしまいました。


 白小袖(こそで)緋袴(ひばかま)の巫女装束に、花冠を模した頭飾りとで身を包み、古手梨花は祭具たる鍬を握る。

 舞台の端には、鳥帽子と浄衣姿の楽人(がくじん)たちが神楽囃子を立てた。

 

 篝火が火の粉舞わせて照らす舞台の上、古手の巫女と楽人たちによる隔年の舞──「奉納演舞」が始まる。

 

 

 太笛が奏でる緩やかな調べへ、巫女の舞も緩慢とした動きで以て合わせた。

 間を含ませ足を上げ、ストンと下ろす。その身体の揺れに合わせ、頭飾りと鍬に付いた鈴や金細工が清らかな音を響かせた。

 

 

 次に鍬を片手で持ち、宙に円を描くようにして動かす。

 その途中より太鼓は次第に拍数を上げ、慌ただしくなる。加えて梨花の動きも性急となって行き、舞台上を急ぎ足で回り出す。

 

 だが梨花の舞に忙しさは感じられない。

 彼女はずっと凛とした表情だ。そして挙動の一つ一つに無駄がなく、急ぎの場面でも落ち着きがあった。

 演舞として、型として、洗練されて体を成した美しさが惜しみなく出ているようだ。

 

 

 澄んだ神楽囃子、暗闇に舞う火の粉、風の音や木々の騒めきさえも舞を完成させる要素の一つとなる。

 これら万象の中央にて舞う梨花の威風が辺りを払い、舞台下より見上げる老若男女全ての目を奪って惚れさせる。

 

 

 

 

 奉納演舞はとうとう終わりへと近付く。

 梨花は鍬を握り、振り上げる。見据える彼女の眼下に敷かれていた、古い布団が一つ。

 

 一際大きな太鼓の音と共に、梨花は鍬をその布団目掛けて振り下ろした。

 ばすん、どすんと鈍い音が鳴り、鍬先を突き立てられた布団に食い込む。

 

 

 そして思い切り柄を引き、布団を裂いて、中身たる白綿を引き摺り出した。

 

 何度も、幾度も、続け様に、重ね、重ねて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「梨花さんって双子でしたっけ?」

 

「双子なのはウチだよ山田さん」

 

 

 あまりにも見事な舞だったので、山田は梨花を別人ではないかと疑うほど。魅音も「気持ちは分かるけど」と言って話を続ける。

 

 

「梨花ちゃんっていつもは元気ハツラツって感じだけど、奉納演舞の時はホント物凄いからね〜。おじさんも初めて見た時はたまげたよぉ! いつも村内会議の時とか居眠りしてたからさ!」

 

「たまに別人かってぐらい変わるからなぁ……」

 

「あー、分かる分かる。毒舌なところあるもんね」

 

「いやまぁ、それもありますけど……」

 

 

 どうやら山田らに見せた、切実で大人びた言動は部活メンバーや村人には見せていないようだ。

 未来から来た事を知っている件も含め、本当に彼女は何者なのだろうかと山田は首を捻る。

 

 

 

 

「……ホントにオヤシロ様だったり?……いやいやそんな、梨花さんが祟りなんてする訳ないか」

 

 

 神楽囃子が消え、鍬を振り下ろす梨花の手も止まる。一年に一度たる奉納演舞の終わりだ。

 観客たちは盛大に拍手をし、この見事な演舞への称賛を送る。

 

 最後に一礼をする梨花。誰にも見せない下げられた顔には、不安が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 奉納演舞の終了と共に、また人の流れは変わる。

 梨花が鍬で裂いた布団や褞袍の綿が集められ、神社から離れた河原へと運ばれる。それに続かんと、観客たちは鳥居の向こうへと移動。

 

 これから「綿流し」が始まるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 参道を流れる人混みの脇で、大石は無線機片手に話している。

 

 

「では計画通り、鳥居前の張り込みと、綿流し会場周辺の警備に移ってください。特に園崎家の動向には十分注意を払うように。少しでも不審な動きを見せたなら、即座に私か菊池参事官まで連絡をお願いしますよぉ!」

 

 

 警備にあたっている刑事たちへ、共通の指示を飛ばす。

 一度切ろうかとした時にふと思い出したように、もう一言付け加えた。

 

 

「あぁ、あと……張り込み組は鷹野さんと富竹さんが境内から出ようとした際に、そのまま尾行をするように!」

 

 

 墓所での山田の訴えを尊重した命令だ。真意はさておき、「これくらいならば」と訴えを受け入れてやる事にした。

 あらかた伝え終えた後、彼はダイヤルを回して周波数を変え、個別に熊谷へと連絡を入れた。

 

 

「熊ちゃんは変わらず、最初に言ったとぉ〜りにやりなさい。決して『彼女たち』から目を離さないように!」

 

 

 スピーカーの向こうから「了解致しました」と熊谷の声が鳴り、プツッと消える。

 指示を終えた大石は無線機を口元から離すと、厳しい眼のまま歩き出す。彼は流れる人混みから逆行していた。

 

 

「……今年で全て終わらせてやる」

 

 

 強く決意を零し、ただ真っ直ぐと行列沿いを遡って行く。

 

 

 既に行く先は決まっていて、流れて行く客たちの方を見ていやしなかった。

 ふと彼の横を通り過ぎる、鷹野三四の姿に気付かず。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 観客たちが移動する中、山田は一向に見当たらない上田たちを心配に思い、辺りを見渡して探していた。

 

 

「どこ行った上田……いつの間にか魅音さんも圭一さんもどっか行っちゃったし……」

 

 

 まさか富竹や鷹野とはぐれたのではないかと焦る。

 このまま見つからなければどうしようかと思ったその時に、やっと見つけられた。

 

 

「あ、いた」

 

 

 会場の隅にいたのは、肩を組んでイカ焼きを食べる上田と富竹。

 見当たるのはその二人だけだ。

 

 

 

 

「あぁ。ちゃんと富竹さんだけと一緒だったんだぁ〜……」

 

 

 少し間を置いてからずっこける。

 

 

「駄目じゃんっ!!」

 

 

 鷹野がいないではないか。本格的に焦り出した山田はすぐさま上田の元へ駆け寄った。

 一気に走り寄る山田に気付いたのは、まず富竹から。

 

 

「あ! 山田さん!」

 

「なに? 山田? おいYOU! 今までどこほっつき歩い」

 

「エルボーーっ!!」

 

 

 勢いそのまま上田へ突っ込んだ山田は、彼の背面からエルボー・バットを食らわせた。

「みゃあぉッ!?」と甲高い悲鳴をあげ、肩を組んだままの富竹と共に上田はぶっ倒れる。食べかけのイカ焼きは路上にすっ飛んだ。

 

 

「何しやがるッ!! 三沢光晴かお前は!?」

 

「いや何しやがるじゃなくて、鷹野さんは!?」

 

 

 問い詰める山田へ答えたのは、一緒に倒された富竹だった。

 

 

「た、鷹野さんなら詩音ちゃんと一緒だと思うけど……いないのかい?」

 

「……見る限りいないっぽいですけど」

 

 

 ズレかけた眼鏡を元に戻しながら上田は立ち上がる。

 

 

「なら既に、綿流しの会場に行ったんだろ。園崎詩音もいないなら、二人は多分一緒だ」

 

「てか、なんで鷹野さんと別れたんですか!?」

 

「ジロウと共に友情の連れション行っていたからな」

 

「青春かっ!」

 

 

 詩音は山田との約束通り、鷹野を見守ってくれていたようだ。

 とは言え、視界に鷹野を捉えていないと不安になるのは仕方ないだろう。

 

 

「早く鷹野さんを探さなきゃ!」

 

「んまぁ、安心したまえYOU。祭りには刑事さんたちがいて、絶えず警備している。それに矢部さんたちもいるだろ」

 

「…………矢部なんか信用してるのか上田」

 

「失礼な奴め。なんだかんだ矢部さんたちも志して刑事になった人たちだ。いつも、それなりに職務は全うしてくれてるだろぉ?」

 

 

 二人の後ろを踊りながら駆けて行く公安部メンバーがいたが、気付けなかった。

 それはそれとして、いつの間にか富竹の姿がなくなっている。

 

 

「……って、富竹さん消えてるしっ!」

 

「あぁ、あっちだ」

 

「いつの間に……!? 忍者かっ!?」

 

 

 上田が指差した先を見やると、巫女服で帰って来た梨花を撮りまくる富竹の姿を発見する。

 地面に寝そべって際どいアングルから撮ろうとした為、レナからストップをかけられていた。

 

 

「……あの様子じゃ一人でいなくならなそうですね」

 

「とりあえず鷹野さんを探して合流しよう……そう言えばYOU、園崎詩音に鷹野さんらの警護を頼んでいたそうじゃないかぁ? YOUにしては機転が効いたなぁ。まぁ俺ほどではないが」

 

「一言余計だっ!」

 

「ともかく園崎詩音なら大丈夫だろう。あの子結構、真面目そうだしなぁ?」

 

「なま真面目ですね」

 

()真面目だ」

 

「確かに上田さんと比べると百倍信頼できますし?」

 

「せめて一.五倍で抑えたまえ」

 

 

 詩音が付いているなら大丈夫だろうとたかを括り、二人揃って楽観的な雰囲気だ。

 ひとまずあと四十分ほど粘れば、鷹野と富竹の死の運命を変えられる。それまでに鷹野を見つけようかと歩き出した。

 

 

 その最中、山田の背後にやって来た詩音が彼女の肩を叩いて振り向かせた。

 

 

「あ、詩音さん! ちょうど、探して行こうとしてたトコでしたよ!」

 

「よぉ? さっきぶりだなぁ。きちんとタカノンをお守りしてくれたか?」

 

「や、や、山田さんに上田さん、そ、その……」

 

 

 暑い夏夜に反し、詩音の顔は真っ青だ。

 ふと、立っているのが彼女一人だと言う事に気付く。

 

 

「鷹野さんは?」

 

「み、見失っちゃって……」

 

「あー、そうなんですか。まぁ〜、しょうがない。見失ったぐらいでしたらまだ」

 

「え、良かったんですか?」

 

「駄目じゃん」

 

 

 

 

 詩音の報告を聞いて一気に上田、山田の表情も真っ青となる。

 

 

「えぇえーーッ!?!? 見失なっちゃったんですか詩音さん!!?」

 

「ど、どうしてだ君ぃッ!? なま真面目なハズだったろッ!?」

 

「ほほほ、ほ、本当にごめんなさいっ!!……なま真面目?」

 

 

 何度もぺこぺこ頭を下げて謝罪を繰り返す詩音。長い後ろ髪が鞭のようにしなり、上田の顔面に当たって眼鏡をズラす。

 それから詩音は、顔を上げて心底申し訳なさそうな表情を見せた。

 

 

「その……屋台まで走って行っちゃった鷹野さんを追おうとしたのですが……もう冗談じゃないのかってぐらい通行客にぶつかられまして、気付いたら……」

 

「そんな龍騎の最終回みたいな事あるのか……?」

 

「龍騎は知りませんけど、本当に上田さんも、山田さんも、私を信頼してくださったのに……」

 

 

 尚も頭を下げ続ける詩音をこれ以上責める気になれず、後ろ髪の鞭を浴びながら上田は顔をまた上げさせた。

 

 

「や、やめなさいやめなさい! ここで謝っていても仕方ない……幸運にも、俺には警察の協力者がいる。まだ境内にいるハズだろうし、何なら鳥居前で刑事さん方が張り込んでいる。まだ慌てちゃいけないぞ!」

 

「うぅ……面目ありません……」

 

「すぐ矢部さんたちに話して来る。山田は富竹さんに付いているんだぞ! 分かったか貧乳!」

 

「!?」

 

 

 脈絡もなく貧乳と言われて動揺する山田を放っておき、上田は颯爽とその場を走り去る。遠くなる彼の背中に向かって、怒鳴った。

 

 

「貧乳は余計だ巨こーーんっ!!」

 

「山田さん、あの……私を信じて打ち明けてくださったのに、こんな結果になって……」

 

「えぇ、まぁ……上田さんもあぁ言ってますし、まだ挽回できますよ……そんなほら、気を落とさなくても……」

 

 

 未だ罪悪感の抜けない詩音を励ましてやる。

 ふと富竹らの方を見れば、彼らは私服に着替え直した梨花を連れて、移動を始めようとしていた。

 

 

「あぁ、もう移動してる……ほらもう行きましょう! 汚名だったらまだ挽回できます!」

 

「ええと……汚名は返上するものでは……」

 

 

 せめて富竹は見失うまいと、二人揃って走り出す。

 そして山田は食らいつくように、富竹の肩甲骨にエルボー・バットを食らわせた。

 

 

 

 

 

 

 

 一旦、山田らから離れた上田は、静かな場所で無線機を使おうと早足で会場を抜けようとする。

 事前に指定した周波数に設定しようとした時、すれ違った誰かに呼び止められた。

 

 

「あ! 上田先生! 探しましたのよ!」

 

「う、うん?……なんだ、沙都子か」

 

 

 足を止めた上田へ近付く沙都子。その表情はニヤニヤニマニマと、悪戯っぽい薄ら笑いであった。

 

 

「どうした。変な顔して」

 

「変な顔って失礼ですわね!」

 

「悪いが今、俺はとても忙し過ぎるんだ。話なら後でも良いか?」

 

「あら? 後回しにしてもよろしくて? 私、上田先生が喜ぶ物を預かっておりますのよ?」

 

「は? 俺が喜ぶ物?…………エッチな奴か?」

 

「上田先生……」

 

「じょ、冗談だ冗談だ。見るからに引くんじゃない」

 

 

 沙都子はニヤニヤ顔のままポケットに手を入れて、手紙を取り出した。そしてそれを「はい」と言って、上田に手渡す。

 

 

「何だこれは? 手紙ぃ? 誰から……」

 

「……んふふふふ〜」

 

「……何か気持ち悪いぞお前」

 

「上田先生も隅に置けないですわね? をーほっほっほ!」

 

 

 それだけ言い残すと沙都子は踵を返し、梨花たちの方へ駆けて行った。

 

 

「ごめんあそばせ〜」

 

「なんだあいつ……」

 

 

 呆れ顔で彼女の後ろ姿を見送ってから上田は、渡された手紙を開く。

 

 

 

 

「…………おおうっ!?」

 

 

 上田の目がギョロッと見開かれる。

 次の瞬間の彼は、無線機を耳に当てながらどこかへ走り去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは神社裏。表からの光が微かに届く、薄暗がりの中。

 星と眼下で照る提灯の光を忙しなく交互に見ては、もじもじと自らの指を弄ぶ魅音が一人。

 

 

「う、うぅ……やっ、やっぱやめときゃ良かったかなぁ……」

 

 

 真っ赤な顔を顰めさせ、緊張と後悔を声音より滲ませる。

 もうすぐ圭一が来るだろう。魅音は彼へ、告白をするつもりだ。

 

 

「……け、圭ちゃんだし、万が一振られてもまぁ、そこまでギクシャクはしないだろうし……うんうん。良し。気楽に行こう。深呼吸深呼吸、リラックス、リラックス……」

 

「なにブツブツ言ってんだお前?」

 

「アァオウッ!?」

 

「マイコーか?」

 

 

 後ろまで来ていた思い人もとい圭一に驚き、飛び上がる魅音。

 

 

「お、驚かさないでよ圭ちゃん!? 心臓止まるかと思った……」

 

「へっ……お前が何か仕掛けてると思ってなぁ? 先手必勝だぜ!」

 

「失敬な! あまりにも失敬過ぎる! 何も仕掛けてないよ!」

 

「あ? そうなのか? 何かのドッキリ仕掛けてんじゃないのか?」

 

 

 一世一代の告白の誘いを「ドッキリ」だと思われていて、魅音は恨みがましい目で圭一を睨む。

 一度張り倒してやろうかとも考えたが、本来の目的を思い出して踏み留まった。

 

 

「……ドッキリでも何でもないから」

 

「そんならどうしたんだ?」

 

「えと、その……つ、つつつ……月が綺麗ですね〜って……」

 

 

 圭一はチラリと、夜空に浮かぶ半月を見やる。呼吸の荒い魅音に反して、何とも思っていない雰囲気だ。

 

 

「月? いつもと変わんなくねぇか?」

 

「…………え、知らないの?」

 

「何が?」

 

「……くぅう……! 都会じゃ常識だってお母さん言ってたのに……!」

 

「何かお前、さっきから様子が変だぞ? らしくねぇな? やっぱドッキリか?」

 

「違うって!」

 

 

 両手を頭の後ろに組んだ、リラックスした状態の圭一。しかしそれなりに魅音を気遣っている事は口調から伺える。そこがまた嬉しくもあり、「気付かないで欲しい」と祈る理由でもあり。

 

 

「……たははは……ちょっと今から慣れない事するからさ……」

 

「それは俺も関係あるのか?」

 

「……う、うん。関係ありまくる」

 

「……分かった! ドッキリ仕掛けんのは、梨花ちゃんとか沙都子になんだな!?」

 

「違うからさ、ドッキリから離れなよ」

 

 

 両手を後ろに組み、目を伏せて口をぎゅっと結ぶ。

 覚悟は決めたつもりが、本人を前にすると覚悟し切れていなかった事を痛感する。

 

 

 それでも今更は退けないだろうと、一度息を吸って、吐いてから、キッと前を向いた。

 顔は燃えそうなほどに赤いが、この夜の闇が優しく隠してくれていて、圭一は気付いていない。

 

 

「あ、あの、圭ちゃん……」

 

「ん?」

 

「じ、実は…………」

 

 

 意は決した。

 とうとう魅音は募り積もった思いを放たんと、口を開く。

 

 

「……ずっと前から」

 

 

 告白されるなどと思ってもいない彼へ、言ってやろうとした。

 

 

 

 

 

「す」

 

「アァーーーーオウッッ!!!!??」

 

「!?」

 

 

 宵闇をつん裂くような、誰か女の悲鳴。

 その声に驚き、二人は辺りを見渡した。

 

 

「な、なんだ!?……マイコー?」

 

「え? え? ど、どこから?」

 

 

 続いて聞こえて来たのは、多くの人間の怒号と罵声だ。

 

 

「あんの余所者どもがぁぁーーッ!!」

 

「何としてでもひっとらえるんじゃあッ!!」

 

「事件だよッ!! 全員集合ッ!!」

 

「全員修造ッ!!」

 

「熱くなれよッ!!」

 

 

 不特定多数の声はどんどん熱と、その数を増やし、境内中に響く。

 何かおかしいと気付いた圭一は、魅音に背を向けて戻ろうとする。

 

 

「何かヤベェぞ……行くぞ魅音!!」

 

「あ、ま、待って圭ちゃ……」

 

 

 呼び止めようとする彼女の声はあまりにも小さく、駆け出した圭一の足を止められやしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アレ? そう言えば圭一くんと魅音ちゃんは?」

 

 

 富竹の言う通り、この場にいるのは梨花、レナ、詩音と山田のみで二人がいない。これについては梨花も同じく聞いて来た。

 

 

「ボクも気になるのです。土手で喧嘩なのですか?」

 

「いやそんな、昭和の不良じゃあるまいし…………ここ昭和か」

 

「んー……奉納演舞が終わった辺りからいつの間にいなくなってたかな?」

 

 

 思い出そうとするレナの話を聞いた詩音は、察したように口元を歪めた。

 

 

「よしっ、やった!……オネェはやれば出来る子……!」

 

「詩音さん何か言いました?」

 

「何も言ってませんです」

 

「そうですか?……アレ。そう言えば沙都子さんもいないじゃないで……あ、いた」

 

 

 山田がそう言った途端に、パタパタと沙都子が駆け寄って来た。

 

 

「お待たせしてしまいましたわー!」

 

「沙都子どこ行ってたのです? ちゃんとボクの晴れ舞台は見てくれたのですか?」

 

「途中から見ていましたわよ。それからちょっと、人探ししてて……」

 

「誰探してたのです?」

 

「あー……秘密ですわ!」

 

 

 とりあえずメンバーの半分以上は集まった。待つか移動するかを、詩音は皆な尋ねる。

 

 

「どうします? 綿流し、始まっちゃいますけど……」

 

「圭一くんも魅ぃちゃんもいないけど……もう行っちゃったかもしれないしね」

 

「上田教授も帰って来ないね。何かあったのかな……」

 

 

 富竹がそう心配すると、沙都子はニマッと笑う。

 

 

「んふふふふ……!」

 

「みぃ。沙都子が大石みたいなのです」

 

「まぁまぁ! 上田先生なら大丈夫ですわよ! をほほほほ!」

 

 

 明らかに何か知っているような様子の沙都子に、怪訝な目を向ける山田。

 とは言え彼女態度からして後ろめたい事ではなさそうだ。どこかで油でも売っているのだろうと、邪推する。

 

 

「……じゃあ、綿流しの会場に行きます?」

 

 

 全員が首肯した為、今いるメンバーで移動を始める事にした。既に辺りにいた客たちは綿流し会場へと流れ、舞台前は静まっていた。

 後片付けが始まっている舞台より背を向け、山田たちも綿流しが行われる河原へと歩き出す。

 

 

 

 

 

 

 今年こそ、何も起こらないように。それは梨花だけではなく、ここにいる多くの人間にとって共通の願いに違いないだろう。

 山田も、上田や矢部たちと共に尽力した。結果、富竹は今も梨花の視界にいる。

 鷹野とははぐれたが、今回は警察が能動的に動いている。すぐに彼女は見つかるだろう。

 

 

 今年こそは、今度こそはと、梨花もやっと希望を抱き始めていた頃合い。

 もう大丈夫だと、やっと胸を撫で下ろした頃合いだ。

 

 

 

 

 

 次の瞬間に、その安堵は脆くも崩れ去ってしまうのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 移動を始めた一行の前に、ゾロゾロと村の住民たちが集まる。

 最初は舞台の片付けに来た者たちかと思ったが、彼らはずらりと、一行の前で立ちはだかった。その数は悠々二十人はいる。

 

 

「え?」

 

 

 唖然とする山田を、彼らは怒気と、怨恨さえも見え隠れする目で睨み付けている。

 そしてその目は、彼女の隣に立つ富竹にさえも注がれていた。

 

 集団の先頭に立つ中年の男が一歩近付き、二人を睨みながらドスの効いた声で話し出す。

 

 

「…………オメェら……こんの余所者が……やってくれおったな……」

 

「な、なんですかあなたたちは!?」

 

「なんすか!? なんなんせいすか!? 南南西から鳴く風ですか!?」

 

 

 富竹は皆を庇うようにして立ち、山田はオオアリクイの威嚇をする。

 様子のおかしい彼らに、気の強い詩音が問いかけた。

 

 

「何ですか皆さん!? 山田さんと富竹さんに失礼じゃないですか!?」

 

「……失礼じゃと?」

 

 

 ぎろりと詩音を睨んでから、男は続けた。

 

 

「失礼と思うんなら、ワシらに付いてこんかい」

 

「こんの罰当たりがぁーーッ!!」

 

「オヤシロ様の怒りに触れ合ってッ!! ただでは済まんぞぉッ!!」

 

 

 口々に村人たちは罵声罵倒を浴びせかける。

 何が起きたのか、なぜ彼らは怒っているのかが分からない山田と富竹は、沈黙したまま目を瞬かせるばかり。

 

 困惑しているのは二人だけではなく、梨花や詩音に、レナと沙都子もそうだ。

 村八分を受けている沙都子に関しては怒る村人たちに怯え、近くにいたレナの背後にしがみ付いていた。

 

 

 

 

「……何かあったのですか? オヤシロ様に関係しているのなら、ボクにも教えて欲しいのです」

 

 

 梨花が村人たちの前に躍り出て、詳しく聞こうとした。

 怒りに染まった彼らであっても、梨花を前にすれば幾分か態度を変える。代わりに見せた感情は、畏怖と焦燥だ。

 

 

「あぁ、梨花ちゃま……大変な事になったんだよぅ……まずはその余所者から離れなさい」

 

「そんな顔じゃ、山田も富竹も怖い怖いなのです。二人は村の外の人だけど、ボクのお友達なのですよ」

 

 

 梨花が二人を庇おうとしても、男は憐れみの目を向けるばかり。

 

 

 

 

「……そのお友達が、梨花ちゃまを裏切ったんだよ」

 

 

 その目に再び怒りが灯り、富竹と山田を射抜く。

 男が片手を上げて合図をすると、控えていた村人たちが梨花の横を通り抜けて、一斉に二人を取り囲み始めた。

 

 

「うわぁぁ!? な、なにをするんですか!? 僕はただのカメラマンですよ!?」

 

「アァーーーーオウッッ!!!!??」

 

「見事なマイコーです山田さん!!……言ってる場合じゃないッ!!」

 

 

 どこかへ連れ去ろうとする村人たちに、詩音とレナは対抗しようとしてくれた。

 

 

「ちょ、ちょっと!? 何かの間違いじゃないんですか!?」

 

「待ってください!! やめて……っ!!」

 

 

 しかし多勢に無勢で、しかも相手は男ばかりだ。あっさり詩音とレナは押し退けられ、離されてしまう。

 その後ろで呆然と立ち尽くすのは沙都子と、梨花。

 

 

 

 何が起きたのか分からず、混乱する梨花の隣に、村人たちを纏めていた男が近寄る。

 

 

「さぁ、梨花ちゃま。我々も行こう」

 

 

 男は歩き出し、山田らを捕らえた集団の後に付いて行く。

 そのタイミングで沙都子は梨花に駆け寄り、彼女の服の袖を握って身を付けた。

 

 

「り、梨花……怖いですわ……」

 

「…………ボクたちも行くのです。沙都子は待っていても……」

 

 

 沙都子は首を振る。怖いハズなのに、山田たちを見捨てる気はないようだ。

 彼女の意思を尊重し、梨花もまた先に行った彼らの後を追い始めた。

 

 

 

 胸騒ぎは止まらない。抱いた希望が崩れ始め、夏の暑さとは関係のない嫌な汗が流れ続ける。

 

 

「……何をしたのよ山田……!」

 

 

 隣にいる沙都子には聞こえないほど小さく、苛立ちの声を溢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射的屋には、祭りの警備もとい遊びに来ていた矢部と菊池が陣取っている。

 コルク銃を撃って景品を落とそうとする矢部の隣で、菊池が無線機片手に応答を続けていた。

 

 

「なぁにぃ!? 綿流し中止ぃ!?」

 

「うるさいねんお前ぇ! 集中して撃てへんがな!」

 

「何でそんな勝手な事をさせた!?……えっ!? 村人たちが何か怒っているだとぉ!?」

 

「よぉーっし、当たったでぇ!……おい景品倒れへんがな! 何か底に仕込んどるんちゃうんかコレェ!?」

 

 

 屋台の主人である老人は、ただ穏やかな顔で矢部を見つめるだけ。彼の隣にはアジア系の外国人が、両手を蓮の花のように開いて立っている。

 釈然としない様子で首を捻りながらも射的を続行する矢部へ、菊池は話しかける。

 

 

「矢部くんッ!! 綿流しが中止だとッ!! 何かあったようだッ!?」

 

「雨でも降ったんやろぉ?」

 

「降ってないぞッ!!」

 

「ほら、アレや。沖縄でよーあったやんけぇ! カタブイやったっけ? ほら、こっちは晴れとるけどあっちは降ってるってヤツ」

 

「なら仕方ないなッ!! しかし、村人たちが何か怒っているようだが?」

 

「そりゃ人間誰しも怒るやろぉ〜」

 

 

 二人の背後から少し離れた道を、山田と富竹を囲んだ村人たちの集団、そしてそれを追う詩音とレナが通り過ぎるが、気付く事はない。

 構わず矢部は射的を続けるが、続いて入った通信に隣の菊池は耳を傾ける。

 

 

「誰だねッ!?…………あっ!! 上田教授でしたかっ! 失礼を!」

 

「お? 先生か? そういや石原が専用の無線機渡した言うてたなぁ」

 

「はい! はい!…………え? そこに行けば良いんですか!?」

 

 

 通信を終えた菊池は、矢部から射的を取り上げた。

 

 

「ちょぉ!? なにすんねん!?」

 

「遊びは終わりだッ!! 上田教授が我々を待っているぞッ!!」

 

「先生が? そんなら行かなアカンなぁ。よっしゃ! 石原と秋葉も呼べぃ!」

 

「僕に命令するんじゃないッ!!」

 

 

 そう言いながら言われた通りに、石原と秋葉に通信を送る菊池。

 集団が通り過ぎた後の道を、次は梨花と沙都子が通り過ぎる。二人が気付く事はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 村人たちに連れ去られた山田と富竹は、祭具殿の前で突き飛ばされた。

 

 

「イッタァっ!? もうちょい優しさとかないんですかっ!?」

 

 

 彼らに文句をぶつける山田だが、既に祭具殿の前に集まっていた他の村人たちの目線を浴びて押し黙る。

 二人の到着に気付いて振り返る村人たちの目は、どれも燃えるような怒りと恨みに満ちていた。

 

 

「……見せてやりなぁ」

 

 

 一人の村人がそう言うと、祭具殿前に立つ者たちが一斉に割れて、道を開けた。

 唖然とする山田と富竹の背中は押され、強引に歩かされる。

 

 

 四方八方より浴びせられる、負の感情に満ちた視線。それらに皮膚が焼かれるような感覚を覚えながら、息を呑みつつ前へ前へと進む。

 辿り着いた先は、祭具殿の入り口の前。

 

 

 

 

 そこには今まで無かったであろう、看板が立てられていた。

 看板に貼られていた紙を見た途端に、二人は顔を真っ青にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『余所者の不届き者 祭具殿の禁を破りたり

 穢れ呼び込み オヤシロ様の怒りに触れた

 祟りじゃ 祟りじゃ 災いじゃ

 今宵も祟りが起こるぞ 村に災いが降るぞ!』

 

 

 

 

 そう書かれた紙の下には、二枚の写真も貼り付けられていた。

 祭具殿に忍び込もうとする、富竹と鷹野、上田の姿。そして祭具殿から出て来た、山田と上田の姿。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い森の手前、鷹野は一人待っていた。

 そしてざわりと草を踏む音が聞こえ、待ちかねていたかのように振り返る。

 

 

「待っていたわ、ジロウさ…………」

 

 

 微笑んでいた彼女の表情が、驚きのものへと変わった。

 暗がりから現れたのは、ジロウはジロウでも──

 

 

 

 

「…………上田教授?」

 

「えぇ。上田、ジロウですとも!」

 

 

 上田は悲しげな目のまま、微笑んだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

祭り騒ぎ

 数分前より村人たちの動向が不穏なものとなり、合わせて警備にあたっている警察官たちにも混乱が起き始めていた。大石の無線機からはひっきりなしに連絡が飛び込んでいる。

 

 加えて綿流しの中止、一部村人の暴徒化、そしてその村人たちが頻りに叫ぶ「祟りが起こる」の声と言った濁流のような情報量に、大石でさえも冷静さを維持できない。

 

 

「一体全体どうなってるんだ……!?」

 

 

 大石の周囲にいる客たちの動きも慌しくなり、河原へと向かうだけだった人流は乱れ、境内のあちこちで響めきが起こる。

 

 

「客を放っぽってまで何をしているんだ……園崎め……」

 

 

 祭りの主催側が客たちを放置している事は確かだ。それほどまでに危険な何かが起きたのだと、判断するには十分だろう。

 どのような指令を出すかあぐねている大石の無線機に、熊谷からの連絡が入る。

 

 

『大石さん大変です!』

 

「大変なのは分かってますとも熊ちゃん! どうしましたか!?」

 

『村人たちがあの……例の山田って言う女の人を連行していますよ!?』

 

「山田さんを!?」

 

 

 一瞬、大石は「しめた」と言わんばかりに口角を吊り上げた。

 

 

「とうとう尻尾を出したかぁ!……熊ちゃん! 今、彼らはどこに向かっていますか!?」

 

『ええと……この方角は、祭具殿に向かっているようです!』

 

「祭具殿ですね!? 分かりました! 引き続き熊ちゃんは追跡しなさい!」

 

 

 目的地を見出した大石は蘭々とした目で無線機のダイヤルを回し、全ての警官たちへ指令を飛ばす。

 

 

 

 

「境内にいる者はすぐに祭具殿へ向かってくださいッ!!」

 

 

 そう言ってからすぐに大石は、たむろする客たちを押し退けて我先にと祭具殿へと駆け出した。

 やっと、やっと、おやっさんの仇が取れる……大石の胸中にあるのは、焦燥と期待だけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 祭具殿の前の立て看板に貼られた写真と紙を、山田と富竹は唖然とした表情で何度も見ている。

 不気味な文字と不吉な文章、そして祭具殿に忍び込む真っ只中を写した写真。特に写真の存在が、二人には大変な衝撃だったようだ。

 

 

「ちょっ……え……えぇ!? なんだこれ!?」

 

「なんじゃあコリャアッ!?」

 

「ジーパン刑事……!?」

 

 

 あまりの衝撃に、山田は断末魔のような叫びをあげるほど。そのまま狼狽えながらも、睨み付ける村人たちへ必死に主張した。

 

 

「こ、こんなの!! 幾らでも偽造出来ますよ! 騙されちゃ駄目です! これは合成写真ですっ!! ハイ、おしまいっ!! 解散っ!!」

 

「いや、山田さん……被写体と背景の影が全て、同じ濃さです。つまりこれは一枚のネガを焼き込んだ証……合成なら被写体と背景とは別の写真なので、陰影にギャップが出来てしまいますから……カメラマンの僕が断言します。これは本物です」

 

「この正直者っ!!」

 

 

 富竹による迫真の解説により、合成写真だと言う山田の方便は潰された。

 その上で二人をここに連れて来た村人の代表たる老年の男は、大勢を従えてまた一歩詰め寄る。

 

 

「……そんの写真が本物だと分かったところで……てめぇら余所者がなんで、祭具殿に忍び込んだか……?」

 

 

 声音は冷え切っているが、口調に怒りと殺意がみしりみしりと乗り上げている。

 彼の背後に控える村人たちの目もまた、恐ろしいものだった。今すぐにでも二人を取り囲み、袋叩きを始めかねないほどの気迫を纏っていた。

 

 

「さあ……何が目的か、言ってみれ。そんで、どうやって鍵を開けたかも……」

 

 

 口が裂けてもピッキングの事は言えないし、「好奇心で」と言えば火に油だ。

 言葉を間違えてしまえば私刑が始まると怯えながら、山田は必死に方便を交えて言葉を尽くす。

 

 

「その、あ、あの……あ、開いてたんですよ!」

 

「開いてた?」

 

「そう!」

 

「開いてたら人ン家勝手に入ってええんか?」

 

 

 至極真っ当な指摘を受けて、山田は一瞬だけ顔を歪めた。

 

 

「………………んまぁ、その……東京じゃ常識なんですよ、勝手に人の家入るのは。私なんか鍵掛けてても入られてますし。結構都民ってのは、皆さんが思うよりルーズなんですよ……ですよね、富竹さん?」

 

「いえ東京でもアウトです」

 

 

 絶対に口裏を合わせようとしない富竹に、山田は怒りのチョップをかました。

 代表の村人は悶える富竹を見ながら、呆れたように溜め息を吐く。

 

 

「ここはワシらの村じゃ。東京ではない……この村では、この村の『しきたり』に従って貰う」

 

 

 現状証拠写真がある以上、何を言っても言わなくても関係はない。

 村人たちはまた一歩詰め寄り、二人をどんどんと追い詰めて行く。

 

 

「祭具殿の禁を侵したその報い……どう(あがな)うつもりか……」

 

 

 途端に男たちは口々に罵声を吐き出した。

 

 

「こんのバチ当たり共がぁッ!!」

 

「お前らぁオヤシロ様に祟られても文句言えんぞぉッ!!」

 

「穢らわしい余所者どもめぇえ!! ケジメ付けぃッ!!」

 

「こんな奴らは、磔にしてやれッ!!」

 

「あなたを詐欺罪と住居侵入罪で訴えますッ!!」

 

 

 じりじりと詰め寄られ、山田と富竹は徐々に徐々に祭具殿の方へ後退り。

 

 

「と、富竹さん! この前みたいに全員、ぶっ倒しちゃってくださいよ!! おいお前ら! ここにいるカメラマンはめちゃくちゃ強いからなっ!! 謝るなら今の内だぞっ!?」

 

「さ、さすがにこの人数相手じゃ無理です!……三十人はいますよ……!?」

 

「ならシャッターだ、もう一人のジロウっ! フラッシュを放てーーっ!!」

 

「あれはワンクールに一回しか発動できないんです……!」

 

「お前もかっ!!」

 

 

 

 

 二人が逃げられないよう取り囲み、そして人の壁で押し潰さんと更に詰める村人たち。もはや誰一人として正気な顔をしていない。

 

 

「お、おい、やめろ!」

 

 

 強気な態度で止まるよう訴える山田だが、それで止まる訳はない。

 

 

「……やめてください」

 

 

 少し態度を柔らかくして懇願する山田だが、その声が彼らの耳に届くハズがない。

 

 

「…………許してヒヤシンス」

 

 

 どんなに言葉を尽くそうが、憤怒を纏わせた彼らを納得させられはしないだろう。何を言っても説得力がないからだ。

 追い詰め、追い詰められ、とうとう祭具殿の壁が背中に付く。

 

 

 

 

 

「……処遇はお魎さんが決める。園崎屋敷に来て貰おうか」

 

 

 ここまでかと覚悟し、目を瞑る山田と富竹。

 せめて上田と鷹野だけは無事であれと祈りながら、覚悟を決めて身体を強張らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「そこまでですよーーッ!! 警察だぁッ!!」

 

「良くないなぁ、こう言うのはぁ……」

 

「あなた邪魔ですッ!!」

 

 

 刹那、聞き覚えのある声が響く。

 響めきを見せた村人たちの背後より、十人ほどの刑事たちを引き連れた大石が参上した。

 

 

「警察……!? やけに早いな……!?」

 

「こんな所でなぁーにをやってるんですかー!? もしかして、鬼隠しとやらの途中でしたかねぇ!?」

 

「ええぃ! 人数はこっちが上だぁッ!! ダム戦争を思い出せえぇッ!! やっちまえーーッ!!」

 

「やるんですかぁ!? 公務執行妨害ですよぉ!?」

 

 

 発破をかけられた村人らが刑事らと衝突を始めた。

 反撃を受けた大石らは警棒を掲げたり、柔術を行使して対処して行く。

 

 

 

 しかしそれでも数の差で劣っている。山田たちのいる場所まで辿り着くまで時間がかかかりそうだ。

 代表の男は残った村人たち数十人で取り囲ませ、山田と富竹を捕縛しようとする。

 

 

「まだこんなに……!」

 

 

 まだ無理かと判断したその時、彼らの背後からやって来た二人組が数人を突き飛ばして乱入。

 現れたのは詩音とレナだった。

 

 

「山田さん大丈夫ですか!? あーもう! 何ですかコレ!?」

 

「今の内に二人は逃げて! ここはレナと詩ぃちゃんが!」

 

「めちゃくちゃパワフルガール……」

 

 

 男と引けを取らない膂力に山田は驚きながらも、レナに促されるがまま崩された包囲網の穴を駆け抜け、二人は逃走を開始。

 

 

「ありがとございます!! シュゥワーーッチッ!!」

 

「え、えぇ!? ジョワーッ!!」

 

 

 宵闇へ逃げ込んだ二人を追うべく、村人たちも走り出した。

 その内の数人は詩音とレナによってヘッドロックをかまされ、追跡を阻止されてしまったが。

 

 

「寄ってたかってとことん陰気なんですね! ほら反省しなさいっ!!」

 

「折角のお祭りなんだから悪い事しちゃ駄目だよ!……だよ?」

 

「この娘ら強ッ!?」

 

 

 それでも取り逃した六人ほどが、宵闇へ逃げ込んだ山田と富竹を追いに行ってしまった。

 出来る限り援護はしながらも、あとは無事を祈る他ない。詩音とレナは継続し、その場で戦った。

 

 

 

 

 暫くして、遅れてやっと辿り着いた梨花と沙都子。現場を見て、まずは当惑する。

 

 

「……何なのですコレ?」

 

「お祭り騒ぎですわ……」

 

 

 小さな彼女たちは、混沌と怒号と暴力が支配する手前でただ、呆然と立ち尽くすだけだ。

 

 

 そんな中、大石は暴徒化した村人たちを伏せながら無線機に向かって叫び続ける。

 

 

「応援来てくださいッ!! 早くッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の号令は、石原の持つ無線機から酷いノイズと共に鳴り響いた。

 ここは祭りの喧騒も届かない、神社から離れた森の中だ。

 

 

「おぉ? 兄ィ! 蔵っちが来てくれ言うとるがのぉ!? じゃけぇ、何か無線機の調子悪いのぉ!?」

 

「別にええやろぉ? 向こう十分人おるんやし、ワシらは先生からのミッションこなせばええねんな」

 

「アイアイサーっ!」

 

「てか、喧しいから無線切れ切れ!」

 

 

 ブツリと無線機を切ると、矢部と石原は木陰に隠れながら何かを見守る。

 その後ろの別の木陰からも、秋葉と菊池が顔を出した。

 

 

「でも何でしょうねぇ? 完全にシチュエーションが祭りの後にあるような男女の逢瀬なんですけどぉ? それなんてエロゲー!」

 

「上田教授は何かを掴まれているようだ……さすがは上田教授! 東大理三を出て一発で一類試験を突破し、次の警視総監として期待されている現参事官かつ、アメリカ出身であれば今頃FBI長官かNASAの局長になっていたと言われ、しかもあのマリリン・ボス・サバントから『天才』と称されたこの僕と同等の頭脳をお待ちのようだッ!」

 

「肩書き長ぁ〜! なろうでランキング乗りそ〜!」

 

 

 すっかりパーマがかった髪を夜風から守りながら、矢部は出歯亀根性でニヤニヤする。

 

 

「しっかし先生も好きモンやでぇ〜? 何やかんや言うて、ワシらに告白現場見せ付けんたいんとちゃう?」

 

 

 彼らの視線の先にある開けた場所には、上田と鷹野が向かい合わせに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上田を視認し、目をパチクリ瞬かせる鷹野。

 

 

「……ここに、どうやって?」

 

「手紙を貰いましてねぇ? この場所で待ち合わせると、書かれていましたので……ジロウとして来ちゃいました」

 

「…………あー……そう言う事……」

 

 

 納得したように頷きながら、半ば呆れたように鷹野は目を閉じて額に手を当てた。

 そんな彼女の悩ましげな仕草を楽しみながら、上田は説明を始める。

 

 

「園崎詩音と逸れた後、トイレから戻った沙都子と会ったんですよね?」

 

「えぇ。だから沙都子ちゃんに手紙を預けたのですけど」

 

「その時にあなた……『これをジロウさんに渡して』、とだけ告げてしまった」

 

「失敗ですわね……沙都子ちゃんは私とジロウさんが付き合っている事は知らないし……」

 

「何より……あの子にとっての『ジロウ』は、私なんですよぉ?」

 

 

 確か富竹との恋仲をカミングアウトした時、沙都子は眠っていたので聞いていなかった。

 

 それに村じゃ馴染みの人物とは言え、富竹は夏の時期しか村に来ない。

 決められた期間にしか現れず、会っても世間話程度しか話さない人間の「下の名前」なんて知る機会すらないハズだ。

 

 

 

 

 対して上田は沙都子らの元に泊まっているし、自己顕示欲も強いのでしょっちゅうフルネームで名乗っている。何よりも沙都子は彼に懐いている為、「ジロウ」と言われて真っ先に上田を連想してしまったのだろう。

 沙都子が手紙を渡す際に「上田先生も隅に置けない」とニヤニヤしていたのは、鷹野からのラブレターだと勘違いしていたからだ。

 

 

「いやぁ、子どもと言うのは正直で良い。今回に関しては沙都子の奴のファインプレーでしたよ! 富竹さんには悪いですけどねぇ」

 

「……教授もお人が悪い方ですわ。勘違いだと気付かれていたのなら、富竹さんにお渡しすれば良かったでしょうに」

 

 

 言いづらそうに目を伏せ、下唇を噛んだ。それから上田は意を決したように彼女と視線を合わせ、口を開く。

 同時に肩掛けの鞄から一冊の本を取り出した。

 

 

「……これ。あなたのですよね?」

 

 

 それは鷹野から貰ったスクラップ帳だ。

 彼女は嬉しそうに頬を綻ばせながら、返却されたそれを受け取った。

 

 

「やっと読んでくださったようですね! 私の渾身の考察……如何でしたか?」

 

「えぇ! かなりユニークでした! オヤシロ様と鬼の関係、村の風習と祟り……そして前に仰っていらした、寄生虫説」

 

「最近また新しい説を考えたのです。宇宙からの隕石で作られた矢に刺されると、オヤシロパワーを発現させる説とか!」

 

「ちょっとそれは時代を先取りし過ぎてますねぇ」

 

 

 一頻りスクラップ帳を捲っていた鷹野だったが、何かに気付いてその捲る指を止めた。

 同時に朗らかだった表情も、訝しむようなものへと変わる。

 

 

「……あら? この本……」

 

 

 

 

 鷹野が再び目を向けたところを見計らい、上田はまた鞄からもう一冊のスクラップ帳を取り出した。

 取り出した際に指が滑って落としかけたが、何とか手放さずに済んだ。

 

 

「えぇ……あなたからお借りしたのは、こっちです。そっちは……竜宮レナが持っていた方です」

 

「…………へぇ。レナちゃんがですか? んー……渡した覚えはないですけど」

 

「そりゃ勿論……これは彼女が、道中で拾った物なんですから」

 

 

 鷹野に渡した方は、間宮律子から逃げた際のレナが夜道で拾った物だ。

 彼女はこのスクラップ帳に書かれている内容に影響されて凶行に及んでしまった、ある意味で元凶とも言える代物。

 

 

「私としたらうっかりですわね……きっと、フィールドワーク中に落としてしまったのでしょう……」

 

「かもしれない……しかし」

 

 

 微かに憂いを帯びた瞳で、不敵に微笑む鷹野を見やる。

 

 

 

 

「……彼女が拾う事を期待して、あらかじめ置かれていたとすれば?」

 

 

 彼女はわずか頷いた。まるで関心したかのように。

 

 

「……んー……私、存じ上げないのですけど……拾ったレナちゃんに何かあったのですか?」

 

「……あの子、そこに書かれている内容を信じて、心神喪失状態になっていたんですよ」

 

「あぁ……あの行方不明騒動はもしかしてそれが……」

 

 

 心底から心を痛めたように、鷹野は悲しげな表情となる。

 

 

「それは申し訳ない事をしました。私に責任の一端があるでしょう……けれど、私が前以て置いたと言う理由にはならないのでは?」

 

「私があなたから借りたこのスクラップ帳と、竜宮レナが拾ったスクラップ帳……殆ど同じ内容でしたが、一箇所だけ違うんですよ」

 

「………………」

 

「……入江診療所にある麻酔の種類と位置、そして『換気の為、給湯室の窓は開けておく事』と注意書きがある所です」

 

 

 梨花や上田を眠らせたあの麻酔は、入江診療所からレナが盗み出した物だ。

 その方法も、鍵がかかっていなかった給湯室の窓から侵入したと言う、スクラップ帳にある注意書きに則っている。

 

 

「しかし実際は、給湯室には換気扇があるので、入江先生も滅多に開けない窓だそうですよ? なのに、当時はなぜか鍵が開けられていた」

 

「……そうでしたわね。ササッと書いたメモだったのでしょう。自分でも変な事を書きましたわ」

 

「私はね、こう考えているんですよ……あなた──」

 

 

 眼鏡を整えてから、上田は主張した。

 

 

 

 

「──竜宮レナが影響される事を見越し、『何か事件を引き起こせば良いと期待』して、麻酔の位置や侵入経路をあえて書き込んだんじゃないですか?」

 

 

 鷹野はただ、彼の言葉を飲み込むように小さく頷くだけだ。

 

 

「……仮にそうだとして、思った通りになるとは限らないじゃないですか」

 

「別にそうならなくても良いが、『なってくれた方が良い』と考えていた程度だったのでは? スクラップ帳は、可能性を高めさせる為の補助に過ぎない」

 

「では動機は?」

 

 

 上田は両手を腰に当てて、少し考え込んだ後に話した。

 

 

「……梨花から聞きました。雛見沢症候群の存在と、その研究者であるあなたと入江先生の事」

 

 

 鷹野は驚いたように目を開く。それから納得したように失笑し、呆れたように溜め息を吐いた。

 もう隠す必要はないのかと開き直りでもしたのか、彼女の態度から緊張感はなくなる。

 

 

「……はぁ。上田教授ったら、本当にお人が悪い……知っていらしたなら言ってくだされば良かったのに。わざわざ説だとか考察って体裁で話していた私が馬鹿みたいじゃないですか」

 

「まぁ、最初から知ってた訳じゃないんですが……この、雛見沢症候群の研究者と言うのを鑑みれば、あなたの動機を一つ推理出来るんですよぉ」

 

「それはどんな?」

 

「サンプルが欲しいんじゃないですか?」

 

 

 頷くなり微笑むなりと小さな仕草を取っていた鷹野だが、その時ばかりはピタリと動きと表情を止めた。

 

 

「雛見沢症候群のデータを収集する為、寄生虫の影響下にある人間を確認したかった……だからスクラップ帳で竜宮レナを焚き付け、凶行に及ぶよう期待した」

 

「…………」

 

「……そして同じ事を、沙都子の母親にも施した」

 

 

 真っ直ぐに立っていた鷹野の姿勢が、ふらりと崩れた。

 

 

 

 

「……つまり、私が最初の事件の首謀者ですと? それはちょっと文脈が飛躍していませんか?」

 

 

 上田は持っていたスクラップ帳を掲げて根拠を語る。

 

 

「実は沙都子の母親は、綿流しの日の一ヶ月前から事故現場に度々訪れていたそうです。その度に……この、スクラップ帳とそのまま同じデザインをした物を読んでいたそうですよ……当時からの管理人がそう証言してます」

 

「………………」

 

「……あなたもしかして、沙都子の母親に色々と教示し、夫を手に掛けるよう根回していたんじゃないですか?」

 

 

 瞳を閉じ、上田の推理に集中する鷹野。

 

 

「ガリウムの性質なんて、普通に暮らしていたら知る由もない。しかし、あなたが、私と同じ、研究者と言う特別な教養のある人間なら話は別です。スクラップ帳を通じて吹き込み、そしてガリウムを渡して、事件を起こすよう促したんじゃないですか?」

 

「……ガリウム?」

 

「もう惚けるのはやめましょうよ。国からの太いバックアップを受けているあなたなら、ガリウムの入手も容易のハズ」

 

「………………」

 

「……鷹野さん」

 

 

 それまで厳しかった上田の表情がふっと、物憂げなものとなる。祈るようでもあり、懇願するようでもある、人情に満ちた表情だ。

 

 

「……あなた、ここに富竹さんを呼んで……もしかして、殺すつもりだったのでは?」

 

「………………私が富竹さんを?」

 

「なぜ警察の目を掻い潜って境内から出られたのかは分かりません……けど、ここで彼と待ち合わせ……その、彼さえもサンプルにしようと画策していたのでは?」

 

 

 一歩二歩と上田は鷹野の方へ歩み寄り、何とか説得しようとする。

 

 

「もしそうだとすれば……おやめなさい。私はこの結論に至った事を、誰にもまだ話していません」

 

「………………」

 

「……それは私が、あなたを信じているからです。研究者として結果を焦る気持ちは良く分かる……しかし、故意に雛見沢症候群を発症させてデータを取るなんて、こんなの間違っている!『未必の故意』は、立派な犯罪だ!」

 

 

 上田の口から吐かれる熱い叱責。それをただ彼女は、目を閉じたまま受け入れていた。

 

 

 

 

「……今、遠くから刑事さんたちが我々を監視している。彼らと、何よりも同じ研究者である入江先生に全てを話し…………罪を贖っ」

 

「すみません、上田教授。素人意見で恐縮なのですが」

 

「てててて、て、て…………は、はい? 何でしょう? どうぞぅ?」

 

 

 沈黙を貫いていた鷹野からのいきなりの意見。しかも良く学会発表の際に専門家から言われる常套句の為、上田は戸惑ってしまった。

 鷹野はピョコリと挙手し、自信満々げに目を開く。

 

 

「仮に私が前以てスクラップ帳を置いていたとすると……色々と上田教授の推理に無視できない穴が生じるのですよ」

 

「あ、穴ですか? 私の完璧な推理のどこに穴が」

 

「まず、あの当時誰も見つけられなかったレナちゃんの行動を予想し、私はスクラップ帳を置けるでしょうか?」

 

「え」

 

「それに私、レナちゃんがいなくなった日はずっと診療所にいましたよね? ほら、沙都子ちゃんの看病の為に」

 

「………………」

 

 

 

 

 今度は上田が黙る番だ。

 

 

「上田教授の推理だと、私は誰よりも早くレナちゃんの様子と居場所を察知している事になりますけど、ずっと診療所にいてどうやってそれが分かると言うのですか? そしてどうやってスクラップ帳を置きに行ける訳です?」

 

「………………」

 

「あと沙都子ちゃんのお母様の辺りも、彼女が良く似た装丁の本を持っていたってだけで、私のスクラップ帳である証拠にはなりませんよね? その管理人さんの見間違いと言う線もあります」

 

「………………」

 

「決定的な証拠はございませんし、何よりレナちゃんの件では物理的な無理が生じています……まぁ、私が未来予知できるのなら可能かもしれませんけど?」

 

「………………」

 

「あ。それと、私の専門は医学と生物学……特に神経学や寄生虫学ですので、ガリウムとか化学分野は専門外ですよ?」

 

 

 完膚なきまでに推理を潰され、上田はただ真顔で目を間抜けに瞬かせるだけになっていた。

 そんな彼の様子を半ば楽しんで見ているように、鷹野は「ふふふ」と笑う。

 

 

「……でも、面白かったですわ。まさかもう一つのスクラップ帳から、そこまで話を広げられるなんて……本当に上田教授はユニークなお方。わざわざ警察の人まで待機させちゃうなんて!」

 

 

 どう返答すれば良いのか分からず、上田は口をハクハク動かして言い淀むだけ。

 

 

「……それよりも上田教授」

 

 

 途端、鷹野は艶かしい声で話し出した。

 

 

「な、なんです?」

 

「今日は綿流し、ですわね?」

 

「そうですけど……」

 

 

 自身の口元に人差し指を当てた、妙にあざとい仕草を取る。

 

 

「もしかしたら……鬼隠しがまた、起こるかも……ですね」

 

「……か、かもですが……?」

 

「……うふふ。今、この場には男が一人、女が一人……」

 

 

 鷹野はスクラップ帳を小脇に抱えたまま、くるりと踵を返した。

 長い髪が月明かりの下で揺れて波打ち、翻る。つい上田は見惚れてしまった。

 

 

 

 

「…………もしかしたら、オヤシロ様は私たちを選ぶかもしれませんわね?」

 

 

 

 

 意味深長に残した鷹野の言葉。それが上田の耳奥へ、甘ったるくこびり付く。

 気付けば彼女は木々の隙間を抜け、森の奥へと入って行こうとしていた。

 

 

「あ……っ!」

 

 

 すぐに追いかけようとしたものの、嫌な予感と恐怖心が彼を躊躇させる。

 もしかすれば、殺されるのは自分ではないかと脳裏によぎったからだ。

 

 

 鷹野はどんどんと森の奥へ行く。

 暫したたらを踏んだ後、上田は自らを奮い立たせた。まずは無線機で矢部たちに指令を飛ばす。

 

 

「矢部さーん! 付いて来てください! どうぞー!」

 

 

 それから一度深呼吸をし、茂みの中へと飛び込んだ。

 

 

「ま、待ってください、鷹野さん! 危険です!」

 

 

 暗い暗い森の中へ上田も続き、いつしか二人は闇に溶けて見えなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石原の持つ無線機から声が響く。しかしやけにノイズが邪魔しており、全く言葉が伝わらない。

 

 

「無線機の調子が悪いのぅ!? 妨害電波が飛んどるんか!?」

 

「なんや先生ぇ! 美人なねーちゃんと一緒に、森入ってったで!? えぇ? 組んず解れつか?」

 

「エロゲじゃないんですし、追いかけた方が良いんじゃないですか?」

 

 

 秋葉がそう意見した途端、木の後ろに立っていた菊池が三人の前へ飛び出した。

 

 

「よぉしッ!! ここからは尾行だ諸君ッ!! 僕に付いて来たまえッ!!」

 

「むっちゃやる気やんけコイツ」

 

「うぉぉおーーーーッ!! 尾行だぁぁあーーッ!!」

 

「叫びながら走るとか、尾行で一番やったアカン奴やで」

 

 

 大股で駆けて行く菊池に続く形で、矢部らも二人が消えた森に入る。

 いつの間にか雲が月を隠し、月光を遮っていた。一層暗くなる辺り一面、彼らは手探りで上田たちを追う事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗くなる森の中。鞄から取り出した懐中電灯を片手に、上田は鷹野を追う……既に彼女の姿を見失ってはいたが。

 

 

「鷹野さーん! 待ってください!」

 

 

 夜道を進みながら無線機を弄る。

 先ほどからどれだけダイヤルを直しても、ノイズばかりで矢部たちに繋がらない。

 

 

「な、なんで繋がらないんだぁあ〜……! ちゃんと付いて来てるよなぁ矢部さん……!?」

 

 

 何度も後方を確認しつつ、矢部たちがいる事を祈りながら、今や見えない鷹野の背中を追う。

 木々を抜け、茂みを掻き分け、土や石を蹴飛ばし必死に駆ける。

 

 

 暫くすると、川のせせらぎが聞こえて来た。一度上田は足を止める。

 そこは小さな崖の上。眼下に懐中電灯の明かりを落とすと、流れの強い川を確認出来た。

 

 

「おぅうっと危ない……鷹野さん、もしかして落っこちたりは……?」

 

 

 崖上から川を覗き込む。光で明かし、川底を確認しようとするも、水面に立った白波が底を見えなくしていた。

 上田は苦々しく歯を噛み締め、胸中で落ちていない事を願う。

 

 

「……本当に鷹野さんは何もしていないのか……? まぁ、それならそれで良いが……」

 

 

 思わず漏らした言葉。てっきり彼女が仕組んだ事だと思い、山田らにも話さずに説得しようとここまで来た。

 だがその本人に指摘された今は、「確かに無理だ」と納得させられている。

 

 

「……じゃあ一体、鬼隠しは誰が……」

 

 

 

 

 上田の背後に、こっそりと黒い影が近付く。

 抜き足差し足で忍び寄り、ほぼ真後ろの位置まで到達した。

 

 

 そこでガサリと音が鳴り、上田は身体をびくつかせながら首を回す。

 

 

「うひよぉうッ!? た、鷹野さん!? それとも矢部さ──」

 

 

 

 

 

 黒い影は、上田を羽交締めにする。

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 そしてそのまま首筋に、注射針を刺した。

 

 

「ぐああッ!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 境内から逃げ延び、山の中を走る山田と富竹。

 追手は既に撒いており、背後から人の気配がなくなった事を察してやっと足を止める。

 

 

「ひぃ……ぜぇ……! あーー……し、死ぬかと思った……!」

 

「ゴホゴホっ!……あ、あの写真は何なんだ!? 誰が撮ったんだ!?」

 

 

 木の幹に手を突き、富竹は苛立ちを言葉にして吐く。

 その隣で山田は膝を曲げて息を整えていた。

 

 

「と……とにかく……もう村にはいられないですし、興宮まで逃げます?」

 

「でも、鷹野さんが……!」

 

「あー、そうだった! はぐれてたんだった! 鷹野さん、どこ行ったんですか……!?」

 

「ソウルブラザー次郎もッ!!」

 

「アレは別に良いと思います」

 

 

 背筋を反らして軽く身体を伸ばす山田。

 頭の中ではさっさと逃げるか、二人を探しに行こうか迷っていた。迷ってはいるが、正直なところとっとと逃げたい気持ちの方が強い。

 

 

 ともあれまだ追手が来ているかもしれない状況だ。

 二人は休む間もなくまた山中を歩き出す。

 

 

 

 

 

 その時。

 

 

「たぉば!?」

 

 

 何かに躓いて山田は転んだ。

 彼女の間抜けな声に気が付いて、先導していた富竹が駆け寄る。

 

 

「大丈夫ですか!?」

 

「いったぁ!? な、なんかに躓いて……」

 

 

 何が足に引っ掛かったのかと、山田は忌々しげに眉を顰めながら目を向けた。

 

 

 

 

 丁度、雲が覆った月がまた顔を出した。月光が再び、山々へ照る。

 闇にも慣れて、些か良好となった視界の奥に、山田は見つけた。

 

 

「…………え?」

 

 

 それは大きな、男のものと思われる人間の身体。

 なぜか上半身が脱げた状態で、仰向けに倒れている。

 

 

 

 

「……上田さん?」

 

 

 咄嗟に上田の名を呼び、顔を近付けて良く確認しようとする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方の矢部たちは、早々に見失った上田を探して森の中を彷徨っていた。

 無線機は未だ調子が悪く、向こうからの連絡がない為に場所の特定が出来ないようだ。

 

 

「駄目じゃあ兄ィ! 全然ノイズじゃけぇ!」

 

「尾行だぁぁぁあーーッ!!」

 

「矢部さん! この森結構、深いっぽいですよぉ! どうします?」

 

「どーもこーもせんがなぁ? 先生ぇ見つけんと、ドヤされんのワシらやでぇ?」

 

 

 必死に草木を掻き分けて突き進む四人。

 途中、飛び交う「ガッツ石まっ虫」に悩まされた。

 

 

「うわっ!? 雛見沢にもおるんかガッ虫!? ほんまどこにもおるなぁ!?」

 

「尾行だぁぁぁあッ!!!!」

 

「お前そろそろ黙れェ!」

 

「OK牧場ッ!?」

 

 

 叫び続ける菊池を殴ってKOした後、ガッツ石まっ虫を躱しながら矢部は顔を上げた。

 パッと、月明かりに照らされた何かを発見する。

 

 

 

 ドラム缶と、その中に入っている何か。

 最初は物かと思ったものだが、どうやら黄色く長い髪をした人間のようだと気付く。

 

 

「おい、お前ら見てみぃ? こんな山ン中で五右衛門風呂やっとるでアレ」

 

 

 興味津々で近寄る矢部と石原だが、その背後で「ドラム缶」と聞いて嫌な予感に悩まされる秋葉。

 

 

「ど、ドラム缶?……あれぇ? 何か聞き覚えが……」

 

 

 思い出そうと秋葉が頑張る手前で、矢部は鼻をスンスンと鳴らす。異臭が漂っているからだ。

 

 

「なんか臭ないか?」

 

「油っぽいのぉ!?」

 

 

 

 

 瞬間、ドラム缶の中でフラッシュが起こった。

 そして一瞬の内に炎が舞い上がり、中に入っていた人影を丸ごと燃やす。

 

 

 薄暗がりを一気に赤く払い、轟音と共に火柱はどんどんとその勢いを増した。

 突然の事に驚き、公安メンバーは身体を縮めて一気に離れる。

 

 

「兄ぃーーッ!? ファイアーーッ!!」

 

「うおっちゃあッ!? あっつぅうーーッ!?」

 

 

 

 飛んだ火の粉が矢部の頭に燃え移った。

 その様を見ながら秋葉は合点がいったように手を叩く。

 

 

 

 

「思い出したーーッ! ドラム缶の焼死体って、今年の鬼隠しの奴ですよーーッ!!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 炎は人肉を、炭になるまで燃やし尽くすだけ。

 燃えて千切れた髪がヒラヒラ、上昇気流に乗って夜空へ舞う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を疑った。

 それもそうだ。顔が潰されていたのだから。

 

 

 

「……は?」

 

 

 地面には赤黒い血溜まり、そして無数の引っ掻き傷が残った首。

 飛び出た目玉の裏から伸びる視神経に、ガラ空きの鼻腔内まで見えてしまった。

 

 

 暑苦しい夜の山。脳を沸騰させるように、思考が掻き回されて乱された。

 まだ腐敗のない死体。だが既に飛び交う銀蠅が数匹、月明かりに照らされ鈍く羽根を光らせる。

 

 

 その軌跡の先に横たわる変死体を前に、山田は頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 絶句する富竹の前で、暗がりの山の中で、彼女の悲鳴があがる。

 

 

 

 

 

 

「いやぁぁぁーーーーッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひぐらしのく頃に

 

 

 

抜け出してって

抜け出してって

悲し過ぎる運命から

 

あなたは 奈落の花じゃない

 

そんな場所で

咲かないで

咲かないで

絡め取られて行かないで

 

音もなく飛び交う 時のカケラ



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

後の祭り

LAST WEEK/TRICꓘ

「私は、IQフリーザの戦闘力越えの天っ才物理学者、上田次郎だ。ひょんな事から貧乳の売れない記憶喪失マジシャンと共に、昭和五十八年の雛見沢村へタイムスリスリスリットしている。もしやウルトラホール……!?」

「綿流し前だと言うのにジオウの陰謀、園崎三億円事件、竜宮礼奈の消失と暴走と、ひっきりなしに事件が起こりまくる。なんだこの村は」

「しかしパーフェクトジーニアススーパーアメイジング物理学者の私は、これら全てを一人で解決してみせた。天才ですから」



「だが肝心の綿流し当日、貧乳マジシャンは間抜けにも祭具殿に入った事が村人にバレ、愛しのタカノンは行方を眩ませ……そして発見される、二つの死体……おぉ! オヤシロ様! これもあなたの仕業だと言うのか!?」

「更に何よりも大事件なのは……首に注射を刺された上田次郎で…………え? 俺死んじゃうの?」


「いやぁぁぁーーーーッ!!!!」

 

 

 顔の潰れた死体が一つ。山田の脳裏にふと、いつか見た首無し死体がフラッシュバックする。

 髪を両手で揉みくちゃに掴み、ただただ恐怖と混乱から悲鳴をあげ続けた。

 

 

「や、山田さん……! ここから離れましょう……!」

 

 

 不安定な山田の精神状態と、近場にまだ犯人がいる可能性を考慮し、富竹は彼女を連れて走ろうと決める。

 

 

「ほら! 山田さん!!」

 

「いやぁっ! いやぁあ……!」

 

「早くッ!! 立ってッ!!」

 

 

 しゃがみ込んだ山田を無理やり立たせ、その腕を引いて再び山林を駆けた。

 悍ましい死体と、唸る銀蠅の羽音を背後に置き去りにして。

 

 

 

 

 必死に山を下り、木々と葉の隙間より漏れる光を目指す。

 その光は街灯のもの。二人が飛び出したのは、麓の農道沿いだった。

 

 

「とりあえず村から出ないと……って、ここどこなんだ……?」

 

「………………」

 

「あぁいや! ここは多分、鬼ヶ淵沼の方だから……興宮よりもいっそここから谷河内方面へ……!」

 

「……あの死体……」

 

 

 曇った声音で山田は、最悪な事態を想像し、呟いた。

 

 

「……もしかして……上田さん、なんじゃ……」

 

「……っ!」

 

「今、この場にいないし……上田さん何か私たちに隠していましたし……も、もしかしたら犯人にバレて、こ、殺され……!」

 

「山田さん……!」

 

 

 彼女の肩を軽く揺さぶって目を合わさせ、富竹は何とか励まそうと声を張る。

 

 

「僕はあの人と出会って、まだ一週間ぐらいです。でも、上田教授がそんなすぐに殺される人ではないと確信しています……!」

 

「でも……」

 

「僕より付き合いの長い山田さんが信じずにどうするんですか!」

 

「……!」

 

 

 少し乱暴な口調だったと気付き、富竹は反省した面持ちで山田から離れて背を向ける。そして一言、「すいません」と謝罪した。

 

 

「……とにかく。僕らだけでも逃げなければ……そうすれば後は僕の仲間に便宜を計って貰えるハズですから……」

 

「……あの……私」

 

「……え? どうしま──」

 

 

 何かを言いかけた山田だったが、富竹が注意を向けた途端に鳴り響いた、茂の激しく揺れる音がそれを遮ってしまった。

 

 

「っ!?」

 

 

 さては追いかけて来た村人ではないかと、山田は身を縮めさせ、富竹は彼女を守ろうと立ち塞がる。

 山から茂を掻き分け、何者かが姿を現した。

 

 

 

 

 

 

「あー! やっと出られたでぇホンマ! んでここどこや!?」

 

「ちょ、ちょっと分からないっスねぇ〜? 田舎ってどこも同じ風景だから……」

 

「おぉ!? 誰やそこにおんの!?」

 

 

 そして持っていた懐中電灯の光を二人に浴びせる。

 眩しがる二人の視線の先、矢部と秋葉が立っていた。思わぬ再会に声をあげる山田。

 

 

「や、矢部さん!?」

 

「山田やないかい?」

 

「山田さん!? お久しぶりですぅーーっ!! 萌え〜〜っ!!」

 

 

 首からぶら下げていたカメラで山田を撮りまくる秋葉。鬱陶しそうにしながらも、山田は彼を無視して会話を続ける。

 

 

「矢部さんここで何してんですか!?」

 

「お前こそここで何やっとんねん? 綿流しやったんちゃうんか?」

 

「そ、そっちこそ祭りの警護だろ!」

 

「あの……山田さん、この方はお知り合いで……?」

 

 

 初対面の富竹は困惑した様子で矢部たちを見つめている。

 そんな彼の顔に懐中電灯のビームを浴びせる矢部。

 

 

「うお眩しっ!」

 

「誰やねんなこの兄ちゃん?」

 

「ぼ、僕は富竹ジロウですけど……」

 

「富竹ぇ? どっかで聞いたなぁ……」

 

 

 懐中電灯の光をハイビームに変える。

 

 

「うお眩しっ!」

 

「あー思い出した! 今日死ぬ奴やろ!?」

 

「何ですと?」

 

「せやろ? 首掻きむし」

 

 

 ポロッと機密事項を漏らした矢部を、秋葉が彼の髪を引っ張って黙らせる。

 それでも完全に訝しんでしまった富竹の気を逸らそうと、大慌てで山田が口を出す。

 

 

「そ、それより事件ですよ矢部さん! 大変なんです!」

 

「あの山田さん……さっきこの人僕が死ぬって──うお眩しっ!」

 

 

 矢部の腕を引いて懐中電灯の光を動かし、富竹の顔に浴びせて黙らせる。

 

 

「山の中で死体を見つけたんです!」

 

「死体ぃ? ほな奇遇やな。ワシらも死体見つけたんや」

 

「…………はい?」

 

 

 懐中電灯を富竹に向けたまま点けたり消したりする矢部。

 

 

「うお眩しっ! うお眩しっ! まぶうおしっ!」

 

「ドラム缶に詰められた焼死体や」

 

「はいぃ!?」

 

 

 目を瞬かせ、山田は愕然とした声をあげた。

 当たり前だ。今年起きる鬼隠しの事件がちゃっかり発生しているのだから。

 

 

「そ、それ、アレ、今年の奴じゃないですか!? なんでお前っ……お前ここで油売ってる場合かっ!?」

 

「安心せぇ! 石原と菊池に現場抑えさせて、ワシらは人呼びに来とるんやろが!」

 

 

 

 

 一方の現場を抑えている石原、菊池の二人。

 近場に流れる川から水を手で掬って来て、それで未だ燃え盛るドラム缶の中を消火しようとしていた。

 

 

「死体だぁーーっ!! 死体だぁーーっ!! 焼死体なんて初めて見たワーーイっ!!!!」

 

「キクちゃん! やっと無線繋がったけぇの!!」

 

 

 ノイズが消えて、通信可能となった無線機を掲げて喜ぶ石原。

 

 

 

 そんな二人の様子は露知らず、矢部は相変わらず懐中電灯をカチカチ点け消ししながら話す。

 

 

「うお眩しっ! うお眩しっ! まぶっしうお!」

 

「無線が調子悪くてなぁ」

 

「いやいやいや事件を起こさないようにするって話だったじゃないですか!?」

 

「起きたモンはしゃあないやろ」

 

「髪と一緒に道徳も抜けたか矢部っ!!」

 

「抜けてへんわ髪だけはァ!!」

 

「道徳は抜けてるのか……」

 

 

 立て続けに最悪な展開に遭遇し、山田はがくりと肩を落とす。

 

 

「……その焼死体って、誰のでした……?」

 

 

 それでも「鷹野ではない」と言う一縷の希望を込め、聞いた。

 彼女の質問には、矢部の隣に控えていた秋葉が答える。

 

 

「多分、鷹野サンシさんだと思います!」

 

「落語家みたいな名前やな。オヨヨ?」

 

「うおまぶ……ハイイッ!?」

 

 

 彼の報告を聞いた富竹。

 眩しがっている場合じゃないと、点けたり消えたりする光を瞳孔開いたまま浴びつつ、矢部たちを問い詰める。

 

 

「た、た、た、鷹野さんが!? えぇっ!? ほ、ホントに彼女だったんですか!?」

 

 

 鬼気迫る表情と気迫に押されながら、秋葉はおずおずと続ける。

 

 

「し、死体は女性のもので、切れていた髪の色も同じでしたし……あの、断定は出来ないですけどぉ……ほぼ間違いないかとぉ〜?」

 

「そ、いや、まっ、たか……はぁあーー!? 僕のミヨがぁっ!?」

 

「ミヨって誰やねん」

 

「サンヨンと書いてミヨだこのカツラがッ!!」

 

「カツラちゃうわッ!? いらっしゃーーいッ!!」

 

 

 声を荒げて矢部を罵倒した後、富竹はその場でガッカリと膝を落とす。

 それから更に胎児姿勢で道に寝そべり、大人げなく泣いた。

 

 

「ああああーーッ!! ミヨぉぉぉーーーーッ!! 僕のミヨぉぉぉおおおおんッ!!!!」

 

「私より酷い狼狽え方してる……」

 

 

 山田さえ引くほど慟哭する彼を、矢部はずっと懐中電灯をカチカチさせながら照らす。

 隣で無線を弄っていた秋葉が「あ、繋がった」と漏らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 無線も繋がったとあり、山田たちは矢部らを引き連れて死体のあった現場へ逆戻り。

 今度は富竹の精神状態が最悪となってしまっているが。

 

 

「僕はとんだクソ野郎だ……っ!! 愛した人一人も守れないクズなんだ……っ!!」

 

「ま、まだ鷹野さんって決まった訳じゃないですし! 希望を持ちましょう!」

 

「ミヨぉぉぉぉーーーーッ!!」

 

「私より付き合いの長い富竹さんが信じずにどうするんですか!」

 

「ミヨヨヨーーーーンッ!! おぇぇーーーーっ!!??」

 

「私より酷いのやめろっ!」

 

 

 山田が彼を励ましながら、矢部に上田の事を聞いていた。

 

 

「そ、それで、上田さんが矢部さんたちに警護を頼んでたってのは!?」

 

「何でも祭りの途中で、その鷹野って女と話すから見張っててくれ言われてなぁ?」

 

「……やっぱり一人で進めようなんてしてたんだな、あいつぅ……それで、なんで鷹野さんと?」

 

「それはワシらにも教えてくれへんかったわ。結構ベッピンさんやったし、告白見せ付けてんのちゃうって思っとったけどなぁ?」

 

「ミヨの彼氏は僕なんだよぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

「誰かこの眼鏡黙らせやぁ」

 

 

 叫び続ける富竹を、秋葉が懐中電灯カチカチ浴びせながら、背中をヨシヨシ撫でて宥めてやる。

 若干疲れたような顔をしながら、矢部は続けた。

 

 

「んでも見失ってもうたけどな?」

 

「相変わらずのザル刑事め……レナさんの時と言い、やる気はあるんかっ!」

 

「うっさいわぁ山田ぁ!? 無線が繋がんなるわ、ガッ虫おるわ髪に火ぃ付くわ散々やったんやぞワシらぁ!?」

 

「てか! 鷹野さんが神社から出さないようにしろって言ってたのに、なんでみすみす出しちゃったんですか!?」

 

「知らんがなぁワシぁ!? DJビッグマスターフライに聞けや!」

 

「誰だっ!」

 

 

 

 

 あれこれ暗闇の中で言い合いしながら、四人はやっと死体現場へ辿り着く。

 顔の潰れた、上半身裸の男の死体。一切動かされた痕跡もなく、銀蠅に集られ臥していた。

 

 

「うひゃー……こりゃまたエラいホトケさんやなぁ……」

 

「視神経まで丸見えの血まみれフィーバーですねぇ〜」

 

「ミヨぉぉぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

 

 死体を指差しながら山田は暗い声で続けた。

 

 

「……もしかしたらアレ……上田さんかもしれないんです」

 

「先生ぇ!? た、確かに先生見失ったんは、ここからそう(とぉ)ないけど……」

 

 

 そう考えるとまた怖くなって来たのか、山田は死体に近付けずに足を止めてしまう。

 億劫となった彼女の様子に気付いた矢部は、面倒臭そうに顔を顰め、すっかりパンチパーマ気味になったカミを掻いてから話す。

 

 

「あんな山田? 顔潰れてもうてるんやから、まだ先生ぇや分からんやないかい?」

 

「……もし上田さんだったらって考えたら、怖くて……」

 

「そう言うて前かて、首無し死体先生ぇや思ったらやっぱちゃうかったやないか?」

 

「…………」

 

 

 山田は「あぁ、そうだった」と言わんばかりに、少し恥ずかしそうに顔を伏せた。

 あの死体を見てフラッシュバックした首無し死体は、上田とはまた別人のものだったではないか。

 

 

「ほなとりあえず確認しよか? おう秋葉ぁ、死体照らしといてくれ。あと無線でセフィロスのコピー呼べ」

 

「喜んで〜」

 

「誰を呼ぶつもりだっ!」

 

 

 半ばやはり怖いものは怖い。それでも山田はふっと下げていた目線を上げ、また胎児姿勢で寝っ転がっている富竹を跨いで死体へ近付いた。

 

 

 

 

 

 上田か否かの判断として先にやったのは、ズボンをずらして男の象徴の確認。

 秋葉が照らす中で山田は、丸見えの象徴を顰めっ面で目に入れる。

 

 

「……………」

 

「どや? 先生のか?」

 

「…………いや……どんなんだったか覚えてないですよ……」

 

「何やねんな!? お前何年先生とおんねん!?」

 

「何年おってもチンポコなんて見るかいっ!」

 

「チンポコ言うなや!? 象徴て言え!」

 

 

 アソコでの判別は諦め、改めて死体の全貌を確認する。

 顔は潰れて、もはや人間の面影が残っていない。唯一残っている髪を見ても、上田の髪型と髪色に似ているような、いないようなと曖昧な判断しか下せない。

 

 

「……首……掻き毟ってますね」

 

 

 潰れた顔もそうだが、皮を突き破るほどに引っ掻いた首と手もまた衝撃的な特徴だろう。首根を掴んだ死体の男の両指が、剥き出しの食道へ突っ込まれている。

 さすがの山田もこのグロテスクな様を見るのは辛いようで、サッと目を逸らす。

 

 

「…………ん?」

 

 

 その目を逸らした先で視界に入ったのは、死体の左手首だ。

 

 

「……これ、上田さんじゃない」

 

「あ? 何か分かったんか?」

 

「上田さんずっと、左手に高そうな腕時計着けてたんです。すっごい自慢してたんで覚えてましたけど……」

 

 

 彼女が指差して示した死体の左手首には、何も着けられていなかった。

 

 

「……その死体にはない」

 

「犯人が持って行ったんちゃうんか? 先生が持ってた鞄も財布もないんやろ?」

 

「そ、そっか……持って行かれた可能性もあるのか……」

 

 

 そう納得しかけたところで、再び左手首を見て思い出してように「あっ!」と声を上げた。

 

 

「上田さん確か、ずっと腕時計着けてたから……手首のところに日焼け痕が出来てたって言ってました!」

 

 

 

 

 死体の手首に、腕時計の物と思われる日焼け痕はない。

 

 

「ほんならこの死体は……」

 

「上田さんじゃないです! あーーホッとしたぁあ……」

 

 

 とは言え疑問は残る。懐中電灯で照らしながら秋葉が、その新たな疑問を投げかけた。

 

 

「じゃあ一体、これ誰なんでしょうかね……?」

 

 

 山田は死体の下半身を覆うズボンのポケットなどを調べるが、身元を確認出来るような物は出て来なかった。

 

 

「……これが鬼隠しの被害者だとすれば、富竹さんのハズ……でも……」

 

 

 

 

 チラリと山田は、相変わらず胎児姿勢で泣く富竹本人を一瞥する。

 

 

「……富竹さんはこの通り、ご存命……じゃあ、本当に誰……?」

 

「他に祭りで消えた奴おったか?」

 

「さ、さすがにそれは……私も、知ってる情報以上の事まではカバー出来ませんし……」

 

「てか先生も消えたまんまやからなぁ」

 

「………………」

 

 

 死体が上田のものではないとしても、彼が無事だと言う証拠になり得ない。

 不安と心配、そして深い疑問が胸中に蟠る。そんな最中、秋葉の持っている無線に通信が入った。

 

 

「はい! しもしも〜?……あ! もう近くっスか!? もう近くですって!」

 

 

 

 

 その通信のすぐ後に、熊谷率いる警官隊が現場まで到着。

 

 

「到着しましたけど……うっ!……これは酷い……」

 

 

 死体を確認した熊谷は口元を押さえ、青い顔。まだキャリアの若そうな彼だ、こう言った死体はまだ慣れない様子だ。

 

 

「……もしかして、今年も鬼隠しが……!?」

 

「残念やけどなぁ……まぁ、起こってもうたんちゃう?」

 

「そんな無責任な……あなた、必ず止めるって大石さんに約束してたじゃないですか!? だから僕ら、あんたたちに従って……ッ!!」

 

 

 殴りかからんばかりの形相で迫る熊谷を、他の警官たちが引き止める。

 矢部としても全く気にしていない訳ではなく、苛立つ熊谷を見て申し訳なさそうに下唇を噛み、顔を背けていた。

 

 

「……んまぁ、とりあえずここは任すわ。ほな山田ぁ、一旦署に行こかぁ」

 

「な、なんで!?」

 

「なんでかてお前、一応第一発見者やがなぁ?」

 

「それもそうですけど……」

 

「ほい、両手首出せ」

 

「手錠はいらないだろっ!?」

 

 

 矢部と秋葉はそれぞれ山田と、まだグズグズ泣いている富竹を連れて山を降りて行った。

 彼を半ば忌々しげに見送った後に、熊谷は諦めたような表情で無線機を取り出す。

 

 

「……大石さん。今年も……起きてしまいました……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………そうですか」

 

 

 熊谷の報告を聞き、大石は悔しげに奥歯を噛み締める。

 その口元の痣からは血が滲み、ひたいには小さな切り傷が出来ていた。

 

 

 祭具殿前の大暴動は、何とか鎮圧してみせた。

 尤も無線が突然繋がらなくなり、指揮系統が大混乱を起こしてしまい、警察だけではどうにもならなかったのだが。

 

 

 

「……全く。あなたに感謝する日が来るとは……屈辱ですよぉ」

 

 

 憎々しげに流し目で睨んだ先には、憂いを帯びた表情の魅音が立っていた。

 

 

「しかしまぁ、さすがは園崎……あなたの鶴の一声で皆さん手を止めるんですから」

 

「……こっちとしても折角ダム戦争に勝ったってのに、まだ警察にマークされてんのが不愉快だけど?」

 

 

 暴動を起こした村人らは、騒動を聞いて駆け付けた魅音の一声で止まった。

 彼女の声は、即ち園崎お魎の声と同等。魅音が「やめろ」と言うなら、そうするしかない。

 

 

 現在は暴動に参加した村人たちが、暴行と公務執行妨害による現行犯で続々連行されている。

 その様を魅音は悲しげな目で見送っていた。

 

 

 

 

「……魅音さん」

 

 

 大石が彼女と向かい合わせになり、下目遣いで睨み付けながら聞く。

 

 

「鬼隠しがまた、起きたんですがねぇ? しかも死体が二つ」

 

「……っ」

 

「もしや、あなたたち園崎の自作自演で村人たちを焚き付け、暴動を起こし、我々の目を欺いている内に事件を起こしたんじゃないですか?」

 

「それは違う……!」

 

「何もかもタイミングが良過ぎるんですよ。まぁ事件が起きた以上、あなたには署へ──」

 

 

 魅音を連行とする大石の前に、圭一が立ちはだかる。

 

 

「……魅音は関係ねぇよ。だってずっと俺たちといたんだ」

 

「圭ちゃん……」

 

「前原さん、あのですねぇ……魅音さんがあなたと一緒でも、園崎家は何百人いると思ってるんですかぁ? 彼女が前原さんと一緒でも、命令を受けた誰かが犯行を肩代わりする事など容易いのですよぉ?」

 

 

 そう大石が諭しても、圭一は両腕を組んで、引き下がる意思はないと示す。

 

 

「んでも証拠ないだろ。じゃあ同行云々ってのは任意になるよなぁ?」

 

「………………」

 

「……魅音も、魅音ン家もやってない。文句あんなら逮捕状持って来いってんだ」

 

 

 旗色が悪いと踏んだ大石は頭を掻き、それから溜め息を吐いた後に二人から離れた。

 大石がいなくなったと確認した圭一は、ドッと息を吐いた。

 

 

「ぷはぁーーっ!? めちゃくちゃ緊張した……!」

 

「別に任意同行なんて行ってやったって良かったのに……ダム戦争中とか何百何千回も留置所入れられたから、今更だってばぁ」

 

「……そうだとしてもだろ。やってないならやってないって、きっちり意思表示してやらねぇと」

 

 

 真摯的な表情で圭一は、魅音を見つめた。

 その彼の表情と視線を受け、強張ったままだった魅音の口元が緩んだ。心なしか頬も赤い。

 

 

 

 

 

 

 

 次に祭具殿の前。

 丁度、主犯格の男が手錠を掛けられ、他の村人と共に運ばれる最中だった。

 

 

 傍らには例の看板があり、レナと詩音がそれをまじまじと見ていた。一方の詩音は何とも呆れたような表情だ。

 

 

「……しかしまぁ、凝った物ですねぇ……これを信じて私刑しようなんざ、ちょっとお馬鹿過ぎるんじゃないですか?…………一体誰がこれを?」

 

「オヤシロ様だ」

 

 

 詩音らの背後、主犯格の男が真面目な面持ちでそう主張する。

 

 

「オヤシロ様が我々に訴えてくれたのだ。その写真も、その手紙も、オヤシロ様の御技なのだ」

 

「それは違うと思います!」

 

 

 次に手を挙げて主張をしたのは、手紙を読んでいたレナだ。

 彼女は文章の方を村人たちに突き付け、一番最後の行を指差した。

 

 

「ここ! よく読んで!」

 

「ええと……今宵も祟りが起こるぞ、村に災いが降るぞ……これがなにか?」

 

「問題はこの最後の……コレ!」

 

 

 レナが示したのは「村に災いが降るぞ!」の、「(びっくりマーク)」だ。

 

 

「ここに、『エクスクラメーションマーク』がある!」

 

 

 聞き慣れない単語に、詩音と警官たち含めたこの場にいる全員が顔を顰めた。

 

 

「…………え、えく……?」

 

「このエクスクラメーションマーク……明らかに現代の人でしか書けない物だよ! オヤシロ様が書ける訳ない!……つまり──」

 

「つまり?」

 

 

 真っ向からレナは村人たちへビシッと指を差し、言ってやった。

 

 

 

 

 

「オヤシロ様と嘘吐いて、写真と手紙を張った人は…………この中にいるっ!! レナっとお見通しだよっ!!」

 

「だから祭具殿に入ったのは間違いないんじゃろっての」

 

 

 あっさり流されてしまい、レナは下唇を噛みながら突き出した腕を下ろした。

 

 

「……あ、それに関してのフォローはない感じ……?」

 

 

 ずっこける詩音。

 

 

 

 とんだ茶番劇で時間を取られたと主犯格の男は、また呆れたように溜め息を吐く。

 そして次に顔を上げた時、彼のその鋭い眼差しはまず詩音に向けられていた。

 

 

「……園崎詩音。村じゃ誰もが噂している……あのどっか行った北条家のガキを、まだ探しとるらしいな」

 

「……ッ!?」

 

 

 押し黙らせた詩音をほくそ笑みながら、男は続けた。

 

 

「誰も口にせんだけで皆、知っているもんさ……爪を剥ぎ、お魎さんから許されたと言うのに、馬鹿な事はもうよしな」

 

「……馬鹿な事、ですって……?」

 

「北条家は呪われて当然だったんだ。そんな奴らに情をかけて、何になる。とっくに消えた北条の女もガキも、オヤシロ様によって腑裂かれとるよ」

 

「は……?」

 

「この際言っておくよ……もう諦めぇ。北条のガキも、あの余所者たちも」

 

 

 ざわりと、詩音の周りの空気が変わった。口元は引き攣り、瞳は燃えるように爛々と開かれ、両手は爪が食い込まんばかりに握り締められていた。

 形相が変貌した詩音の横顔を見て、レナは驚きながらも駆け寄る。彼女が危うい挙動で男の方へ一歩二歩と踏み出したからだ。

 

 

「……呪われて当然だ死んで当然だって……ッ」

 

「詩ぃちゃん待って!?」

 

「あんた悟史くんの何を知ってるのッ!? 何の罪があったって言うのッ!? 沙都子を苛めるだけじゃ飽き足らずにまだそんなふざけた……っ!!」

 

「詩ぃちゃんっ!!」

 

 

 必死に詩音を引き止めるレナに対しても、男は冷めた表情で話しかける。

 

 

「そこの娘もだ、竜宮んトコの忘れ形見」

 

「……!?」

 

「噂はもう広がっとる。余所者に現を抜かして村を出て、帰ったと思えばまた村外の女に惚れおって……そんな了見だから二度も裏切られたのさ」

 

「そ、そんな……」

 

「オヤシロ様の罰が降ったのさ。このままその余所者と仲良くしていりゃあ、いずれ北条のガキのように──」

 

 

 冷め切って、そして憐れみを含んだ瞳でレナを睨む。

 

 

 

 

「──次はあんたが消えるかもなぁ」

 

 

 愕然としたような、怯えた表情のままレナは、雷電に打たれたかのように膠着してしまった。

 暫し呼吸が止まり、今にも泣き出しそうな彼女の腕を抜け、詩音は激昂の感情のままに村人たちへ突っ込む。

 

 

 

 

「それ以上は駄目ですよぉ」

 

 

 彼女を殴りかかる寸前で止めたのは、厳しい顔付きをした大石だった。

 

 

「離せっ!!」

 

「後の話は、我々警察で引き受けます。どうか、それで気を鎮めてください」

 

「あいつ、レナさんと悟史くんを……ッ!!」

 

「詩音さん!! 駄目です!!」

 

 

 死に物狂いで暴れて引き剥がそうとするも、大石の腕から離れる事はもう出来なかった。その内、諦めたように詩音は俯き、泣く。

 

 レナは微かに震えながら、ただショックで立ち尽くしていた。

 二人のそんな姿を見ながら、男はしてやったりと嘲る。

 

 

 

 

 

 

「オヤシロ様は人に罰を下す神様じゃないのです」

 

 

 

 

 

 

 男たちの背後から声がかかる。

 ハッと振り返ると、そこには怯える沙都子を背に控えさせた、梨花が立っていた。

 

 

「り、梨花ちゃま……!」

 

 

 あれほど雄弁だった主犯格の男も取り巻きたちも、オヤシロ様の生まれ変わりとされる梨花を前にして膝を折る。

 

 

「オヤシロ様は人が好きなのです。例え悪い悪い人だとしても……反省し、心を入れ替えてくれると信じていますのです。祭具殿に入った事ももう、許してくれているハズなのですよ」

 

「で、でも……」

 

「それにオヤシロ様は人の決めた事に干渉しないのです……先代がダム建設に中立だったのも、その考えあってこそなのです。だから賛成派も、反対派も……等しく人の子ならば、オヤシロ様は手を差し伸べてくれる、余所者だろうと関係なく……そんな神様なのです」

 

 

 梨花の説教を聞いた男たちは驚いた顔を見せ、そのまま警官たちに連行されて消えた。

 詩音が落ち着いた事を確認した大石は、彼女を解放すると、唖然とした様子で梨花に話しかけた。

 

 

「……これはこれはまさかまさか……いやぁ、見違えましたよぉ! さすがは古手の巫女の貫禄、とやらなんでしょうかねぇ?」

 

「……みぃ。お父さんの真似なのです……にぱ〜⭐︎」

 

 

 パッといつもの朗らかな表情に変わった梨花に釈然としないながらも、大石は首を捻った後に仕事へ戻って行った。

 途端に脱力した様子でへたり込む、詩音とレナ。二人の元へ梨花はとことこ駆け寄った。

 

 

「……梨花ちゃま……その……」

 

「みぃ。オヤシロ様はホントは、みんなと仲良くしたいのです。祟りや呪いは嘘っぱちなのですよ〜」

 

 

 そう言ってにっこり、レナの方へと笑いかけた。

 丸い目をしていたレナだったが、安堵したように表情が柔くなる。

 

 

「……ありがとね」

 

 

 幾分か二人から不安や怒り、恐怖の念を拭き取れただろうと梨花は胸を撫で下ろした。

 

 

 

 だが自身の中にある不安の種は消えない。

 背後にいる沙都子にも見えない箇所で梨花は、苦々しく唇を噛んだ。

 

 

「……山田……上田……」

 

 

 ぎゅうっと、拳を握る力を強める。

 

 

 

 

 

 こうして今年の綿流しはまさかの中止の上、鬼隠しも発生すると言う最悪の結末で幕を閉じる事となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神社の隅の方、人の目のない場所に、入江はいた。

 

 

「た、鷹野さんは……!? 富竹さんも無事なんですよね!?」

 

 

 彼は一緒にいた男を問い詰めるように迫る。

 男はまあまあと手を仰ぎながら宥める。

 

 

 

 

「えぇ、えぇ、大丈夫ですって入江所長。どっちも我々、『山狗』がきっちり見張ってますんで」

 

 

 

 

 髪を後ろで縛った、鷹のように鋭い目付きをした中年の男だった。

 どこか軽薄さのある口調で男は続け様に宥めの言葉をかける。

 

 

「今起きた鬼隠しとやらは、恐らく今までの事件の模倣犯ですんね……我々は関係ない」

 

「……本当なんでしょうね……?」

 

「本当ですとも。それよりこんなトコで自分と話しとるトコ見られちゃあ、マズいですぜ?」

 

 

 そう言われ、入江は眉を寄せて焦燥感を滲ませた後、「必ず僕に報告をするように」と念を押して去って行った。

 彼がいなくなった事を確認した男は、やれやれと肩を竦めた後に、忍ばせていた無線機を耳に当てた。

 

 

「『小此木』だ。富竹とマジシャンの居場所は掴めたか?」

 

 

 無線機の向こうから、別の男の声が響く。

 

 

『「鶯1」より「隊長」へ。二人共に、興宮署へ連行されました』

 

「了解……なら都合が良いな。その情報を『県警の大高』に流せ。向かっている途中だったろ?」

 

『鶯1、了解』

 

 

 無線が終わると男──小此木はニヤリと笑った。

 それから無線機の周波数を弄り、また別の人物に連絡を入れる。

 

 

 

 

 

 

「あぁ、こちら小此木。『三佐』ですかい? えぇ、首尾は順調ですよ」

 

 

 その実、祭りの終わりにして、祭りの始まりでもあったようだ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

先は祟り

『やめよう私利欲』

『とめよう暴力愛』

『いえよ、花の前』

『おいなんだ手このやろう』

『自転車の通行左』

『第一回肝試しゾゾ大会』

『大鳥ヘップバン』

『きをつけようェーン現象』

『やってやれデフェンスバトル』

 

 

「そんなに人間が好きになったのか……?」

 

 

 パトカーが興宮署に到着する。

 署の建物前には、屋上から垂れ下がる変な標識が書かれた垂れ幕と、金と黒色の体表をした宇宙人が立っていた。

 

 

「……う、ウルトラマン……?」

 

「カラータイマーあらへんからちゃうやろ」

 

「CV山寺宏一が似合いそうっスね〜」

 

「みよぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーッ!!!!」

 

 

 困惑する山田を他所に矢部と秋葉は、月に向かって慟哭し続けている富竹も連れて署内のエントランスに入る。

 そのまま署の階段を上がって四階まで行き、取り調べ室までの廊下を歩く。

 

 途中で、一旦別れていた菊池・石原と合流。二人とも、祭りで買ったであろうエアーガンでBB弾を撃ち合って遊んでいた。

 

 

「おう、お前らも帰って来とったんか」

 

「あ! 兄ィ! ちゃんと引き継いで来たけぇのぉ!!」

 

「焦るなよ二挺拳銃(トゥーハンド)! バンバンバーンっ!!」

 

「イッタっ!? お前なにすんねんボケェッ!?」

 

「ありがとうございます!!」

 

 

 ベレッタM92Fのエアーガン二挺で矢部を撃った菊池は、敢えなく彼の鉄拳制裁を顔面に食らって倒れた。

 廊下中に散らばったBB弾を鬱陶しく思いながらも、山田は石原に焼死体の件を聞く。

 

 

「……それで、焼死体はやっぱり鷹野」

 

「ミヨぉぉぉぉぉぉぉーーーーッ!!」

 

「……さん、でした?」

 

 

 石原が話そうとした途端、倒れていた菊池が起き上がって彼に頭突きを食らわせる。

 

 

「断定は出来ないッ!! 死体は既に炭化して、人相の判別は不可能だったからなッ!! ただ骨格の判別は何とか出来た。正式な検死結果を待つ必要になるが、恐らくは女性だと思われる! 彼女がまだ見つかっていない以上、鷹野三四である可能性は高いな!」

 

「他に特徴とかは……?」

 

「現場に落ちていた髪ぐらいだな。髪色は完全に彼女と一致はしているが」

 

「じゃあそれでベイスターズ鑑定したら分かりますね!」

 

「DNAだッ!!」

 

「あ、そっちか」

 

「確かに髪から採取したDNAを調べれば、千パーセント本人だと断定出来るだろう」

 

 

 そう言った菊池だが、次に彼は渋い顔で首を振る。

 

 

「だが無理だな。この時代では」

 

「え?」

 

「そも、我が日本国に於いて初めてDNA型鑑定が取り入れられたのは、一九八八年の六本木強姦傷害事件からで──」

 

「ちょちょちょちょ!? と、富竹さんの前で未来の話は──」

 

 

 廊下の隅で、また胎児姿勢になって泣いていたので聞かれていないようだ。

 矢部と秋葉が彼を、懐中電灯を明滅させながら照らしていた。

 

 

「……大丈夫そうでした」

 

「まぁ、そう言う事だ。そもそも一九八三年現在はまだ、DNAで個人を特定出来るのか否かすら議論の対象だった時代。科学捜査に於いて、まださほどの注目度がなかったんだ」

 

「何とかその、ほら、現代の知識使って無双しまくって、ホエールズ鑑定の準備とか出来ないんですか!?」

 

「ホエールズははベイスターズの前のチーム名ッ!!……さすがに自前で試薬の入手は無理だ、技術が専門的過ぎる。マルチプレックスSTR法どころか、DNA指紋法の設備も整っていないどころか存在すらしないからな。無理だなッ!」

 

「ホントに無理なんすか!?」

 

「ムリカベだなッ!! むーーりーーッ!!」

 

 

 持っていたエアーガンの銃口を山田に向け、菊池は首を激しく張りながらそう断言した。

 床の上を、倒された石原が泳いでいる。

 

 

「それ向けないで貰えます?」

 

「とにかく、僕と言う世界の天才未来人代表がいながら、みすみす鬼隠しを発生させてしまったのは不覚ッ!! せめて、古田梨花の保護を優先せねば……!」

 

 

 そうだ。あと二日程度で梨花は何者かに殺害され、それによる雛見沢症候群の集団発症を防ぐべく、災害による被災と偽られて全員殺される。

 

 これが雛見沢大災害の正体だ。

 だが正体が分かったところで、鬼隠しの首謀者も、梨花を殺害した者も分かっていないのなら、あくまでそれは大災害の真相。原因と元凶が分からないのなら、あまりに価値のない情報だ。

 

 

 山田はそれまでに、全てを明かしてやろうと覚悟する。

 

 

「……それじゃあ、矢部さんたちには、梨花さんの護衛をお任せしても……」

 

「言われなくてもやるつもりだッ!!」

 

「言い方が腹立つな」

 

「それで君は何をするのだね?」

 

「引き続き、鬼隠しを暴いてみせます……でも」

 

 

 山田は眉をひそめながら言う。

 

 

「……まずは、上田さんを探さないと」

 

 

 

 

 山中の惨殺死体が上田ではないのなら、生死を問わずに見つける必要がある。

 いや、必要はないのかもしれない。そうだとしても、山田には上田を放っておく事が出来なかった。

 

 これからの動きを明言したところで、菊池は大きく胸を張る。

 

 

「フンッ! 好きにするが良いッ!!」

 

「何で上から目線なんだ」

 

「まぁ我々には豊富な組織力がある! 古田梨花の護衛など余裕のよっちゃんイカで──」

 

 

 息巻く菊池であったが、山田の後方に目をやった途端に口を止める。

 彼の様子に気付いた山田も、何事だろうかとくるり、踵を返した。

 

 

 

 視線の先、廊下の奥より、ぞろぞろと壁が押し寄せるように迫る大勢の男たち。

 髪型からスーツに靴先まで限りなく統一された、無個性で無機質な風貌がかなりの威圧感を醸し出している。

 

 

「な、なになになに? なんなんすか?」

 

 

 オオアリクイの威嚇を始めた山田。

 そんな彼女を含めた公安メンバーに向かい、集団を率いていた眼鏡の男が呼びかける。

 

 

 

 

 

 

「こんばんは皆様。是非、あなた方に話を伺いたく馳せ参じました」

 

 

 物腰は柔らかだが、語気からは明らかに嘲りと軽侮の念が宿っていた。

 鼻持ちならないエリート気質な男は、山田らの数十歩ほど手前の位置で止まる。合わせて後に続いた多くの部下たちも足を止めた。

 

 

「何でも、警視庁公安部から参られたとか?」

 

「おぅおぅ、なんやワレェ?」

 

 

 謎の集団に対し、まず突っかかったのは矢部だ。

 先頭の眼鏡の男に詰め寄り、ガン飛ばす。しかし男は冷ややかな眼差しで見下すだけ。

 

 

「失礼ですがあなたは?」

 

「ワシか? ワシは矢部謙三や。お前の言うた通り、花の警視庁公安部様やぞ?」

 

「階級は?」

 

「警部補や。へっへっへ! チビったか?」

 

「初めまして。私、岐阜県警の『大高(おおたか)』と、申し上げます」

 

 

 彼──大高は警察手帳を取り出し、自身の身分証明欄を見せ付けた。

 合わせて後ろの部下たちも手帳を取り出し、なぜか一斉に見せ付けて来る。

 

 

「へっ! オウサマだかオマジオだか知らんが」

 

「オオタカです」

 

「どーせ若そうやしお前、実は巡査部長とかで──警部殿であられましたか! 失礼をッ!!」

 

「……変わり身早いなっ!」

 

 

 大高に敬礼する矢部に、山田は後方でツッコむ。

 身分証明が済んだところで、大高とその部下全員は警察手帳を懐に仕舞う。

 

 

「一連の雛見沢村連続怪死事件……現地での呼称に従い、鬼隠しと呼ばせていただきますが、その鬼隠しの捜査指揮を執っているのだとか?」

 

 

 大高の確認に、すっかり従順になった矢部が答える。

 

 

「その通りでありますッ!」

 

「お前はハケろ矢部っ!」

 

「お前今ハゲろ言うたかッ!?」

 

「もうハゲてるだろっ!」

 

「ハゲてへんわッ!?」

 

「ハゲてるって!!」

 

「ハゲてへんって!!」

 

 

 矢部と山田の口論を見て呆れ果てた菊池が、矢部を押し退け大高の前に躍り出た。

 

 

「僕は警視庁公安部参事官の菊池であるッ!!」

 

 

 背中が反り返るほど大きく胸を張り、相手勢に負けないほど威圧感たっぷりに迫る。

 

 

「参事官だぞッ!? 分かるかね!? つまり警視正ッ!! 上から数えた方が早い階級だッ!! ぼちぼち警視長への昇進も確定しているッ!! 頭が高いぞ県警風情がッ!?」

 

「せやっ! こっちには参事官がおるんやぞ!? 頭下げんかいっ!」

 

「……お前にプライドはないのか」

 

 

 逆に尊敬したくなる山田。

 胸を張って「どうだ」と腕を広げる菊池を前に、大高はまず眼鏡をクイッと上げた。

 

 

 

 

「警視庁公安部並びに、警察庁警備局から確認は取れています。『そんな人間、送った覚えはない』と」

 

 

 表情が固まる菊池と矢部。

 

 

「……は?」

 

「聞き逃されましたか? なら掻い摘んでもう一度……警視庁と警察庁は、あなたたちを知らない、と」

 

 

 大高と部下たちは一歩前進し、矢部と菊池は一歩下がる。

 

 

「ま、待ちたまえッ!? なぜ県警の警部風情が本庁とパイプなんかあるのだッ!? と言うか……我々の事は興宮署以外に知らせていないのに、なぜ知っているッ!?」

 

「つーか何でそもそも県警がここ来んねん!? 管轄ちゃうやろ!?」

 

 

 矢部の質問に対し、大高は一度ニヤリと笑うと、傍らにいた部下に目配せをする。

 それを合図にその部下は、バレエダンサーのような両足跳びと両足着地を決めた後に、鮮やかな手付きで書類を広げて見せ付ける。

 

 

「アントルシャ・ロワイヤル……! 僕がロシア留学時代にボリショイ劇場で公演されたボリショイ・バレエ団の『バヤデルカ』で観たものと同じ形だと……ッ!?」

 

「えー、何や何や?……これお前、警察庁刑事局からの許可証やんけ?」

 

 

 内容を二人揃って読み上げ、そしてまた二人揃って叫ぶ。

 

 

「「連続怪死事件の捜査主導権を岐阜県警捜査一課へ委ねる事を許可ぁッ!?!?」」

 

「そう言う事です」

 

 

 大高は得意げに鼻を鳴らす。

 書類を読ませた部下はクルクルとスピンしながら彼の後ろへ戻った。

 

 

「そして私、大高は、県警本部より秘匿事件捜査担当に任命されました」

 

「ま、待ちたまえッ!? はぁぁ!? なんでッ!? なんで県警風情に警察庁がッ!?!?」

 

「あなた先ほどから県警風情、県警風情と……はぁぁぁーー……」

 

 

 わざとらしく大きな溜め息を零した後、凍てついた眼差しで菊池を睨み付ける。

 

 

「……警察官を僭称し、勝手な捜査を指示した偽者『風情』がそう言うのは少し、分不相応では?」

 

「なんやとぉッ!?」

 

「っ!?」

 

 

 偽者呼ばわりを受け、激昂する矢部。菊池を押し退け、大高に立ち向かう。彼のその凄味にはさすがの大高も一つ後退り。

 

 

「偽者ちゃうわッ!! ワシらはなぁ、キッッチリ同じ地方公務員試験受けた真っ当な刑事じゃいッ!!」

 

 

 そんな彼の声に合わせ、石原と秋葉も駆け寄り、菊池含めて陣を作った。

 

 

「ほうじゃ! ワシらスーパー公安部じゃけぇのぉ!!」

 

「秋葉原人っ! こう見えて刑事人生十五年目のベテランだぞーっ!!」

 

「僕は国家公務員総合職採用試験一類に合格したからこいつら地方公務員風情とは違ありがとうございますッ!!」

 

 

 菊池を裏拳で黙らせ、公安カルテット総員で大高らに立ちはだかる。

 不意に冷や汗をかいてしまった彼だが、すぐに部下に汗を拭かせ、何食わぬ顔で反論する。

 

 

「では警察手帳をお見せください」

 

「おう見せたるわ!」

 

「あ、矢部さんマズいですよ」

 

 

 秋葉の忠告を無視し、矢部は堂々と、大石にも偽物と疑われた「現代の警察手帳」を取り出した。

 それを見て案の定、大高は失笑。

 

 

「……オモチャですかそれは? どこに手帳の要素がおありで?」

 

「ほ、ほら矢部さん……その形状の警察手帳は二◯◯二年からの奴で……」

 

 

 説明する秋葉に合わせるように、大高は手を叩いて指示を出し、控えさせていた部下全員に警察手帳を突き付けさせる。バッジケース型で縦開きの新型警察手帳とは違う、本当に手帳らしい横開きの物だ。

 この時代に於いて矢部たちの警察手帳は、実に出来の悪いオモチャにしか思われない。

 

 

 

 

「さて……」

 

 

 勝ち誇った顔で大高は一歩また踏み出し、合わせて部下たちも警察手帳を構えたまま前進。

 

 

「官名詐称と信用毀損並びに、公務執行妨害。あなた方四人、県警本部へ連行させていただきます」

 

 

 旗色が悪いと察したのか、意気揚々だった石原、菊池、秋葉はエアーガンを構えながら後ろに引いた。

 じりじり嫌らしく詰め寄り、すぐに彼らを確保出来るよう、刑事たちはメンバーを取り囲み始める。

 

 

 

 

「おう待たんかい」

 

 

 しかし矢部だけは動かない。ジッと、軽蔑を込めた眼差しで県警刑事らを睨め上げた。その顔はいつになく、シリアスだ。

 

 

「お前ら知っとるか?……偽者かどうかってのはなぁ。警察手帳で決められるもんやないんや」

 

「……いや、決められるものだろ」

 

 

 思わず山田がツッコむが矢部は無視する。

 

 

「刑事っちゅうのは、警察手帳が全てやない……行動や、行動が全てなんや」

 

「何ですって……?」

 

「どれほどキャリアで、どんっだけ媚び売って出世したところで……行動をした事無きゃなぁ?……それは刑事やないねん」

 

「はぁ?」

 

「んで、その行動っちゅーもんは……ただ仕事をこなす事だけちゃう。その仕事に、信念と正義の心を持って挑めたかどうかが重要なんや」

 

 

 矢部の熱弁に再び、県警たちは押される。

 刑事としての信念を語る彼の姿は、公安メンバーらの目頭を熱くさせた。

 

 

「兄ィ……!」

 

「矢部さん……!」

 

「前が見えねぇ」

 

 

 部下たちの熱い視線を受けて一瞬口元を綻ばせ、矢部は続けた。

 

 

 

 

「……今からそれを、お前らに見せたる」

 

 

 その発言に慄き、大高は身構える。合わせて背後の部下たちも様々なバレエポーズを決め、戦闘態勢に入った。

 それらを前にしても一切臆する様子を見せずに、矢部は立ち振る舞う。

 

 

 

 

「……これがワシの──」

 

 

 顎を引き、燃える目付きで県警刑事らを見据える。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──行動や」

 

 

 闘争心を放ちながら、腕を突き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルッと、踵を返し、そのまま全力疾走で逃走開始。公安メンバーも彼の後に続き、両手両足を振るって大股で逃げる。

 

 

「ちょっ!? お、おい矢部!?」

 

「逃すなッ!! エレガントに追えーーッ!!」

 

 

 大高の命令が叫ばれたと同時に、県警刑事らは飛んだり跳ねたり、ピルエットを決めたり爪先だけで走りながら、華麗に矢部たちの後を追った。

 公安組と追手たち共に角を曲がって行き、もうもうと立つ埃を残して彼らは見えなくなる。

 

 

「あんの駄目刑事……!」

 

「う、うぅ……山田さん、どうしましたか……?」

 

「あ、やっと立ち直った……」

 

 

 ずっと廊下の隅でメソメソしていた富竹が、まだ酷い泣き顔のまま山田に寄る。

 その横で大高が隣で気を落ち着ける為に深呼吸をし、眼鏡の位置を直してから、今度は二人に声を掛けた。

 

 

「あなた方も他人事ではありませんよ。先ほど発生した鬼隠しの第一発見者並びに被疑者として、県警本部への同行を願います」

 

「…………」

 

 

 廊下に散らばったBB弾を部下たちが箒とチリ取りで掃除し、綺麗になった後で大高は二人の方へ歩み寄る。

 

 

「勿論、令状はまだなのでこれは任意ですが……既に裁判所にも話は通っております。逮捕状が出る前に付いて来た方が、後々面倒な事にならないかと」

 

「…………おかしい」

 

「はい?」

 

 

 刑事らの威圧を跳ね除けるように、山田は大高を睨み返して言う。

 

 

「鬼隠しが起こるまで何もしていないのに、その後の事はとんとんで進んでいる……まるで、事件が起こる事を見越していたような……」

 

「はっはっは……何を仰いますのやら……」

 

 

 小馬鹿にするような乾いた笑いを、大高はあげる。

 

 

「警察庁刑事局からの命令です。そんな上手くタイミングが合う訳ないでしょう……それとも、この許可証を偽造とでも?」

 

 

 部下が警察庁の許可証を再び広げ、山田の顔にくっ付くほど近付けて読ませる。

 

 

「近いわっ!」

 

「さて、今は一秒でも時間が惜しい。同行されるのでしたら早いところ決めてください……あぁ、あと──」

 

 

 大高の視線が、山田から富竹の方へ移る。

 その目は嫌らしく、そして怪しく輝いていた。

 

 

「……富竹ジロウさん、あなたの事は聞いております。出身、経歴……『所属と正体』まで」

 

「……っ!?」

 

 

 泣き面だった富竹の表情が固まり、色を失う。

 凝然と大高を見やるその目ばかりが、戦慄に揺らめいていた。

 

 

「……まさか、お前たち……そんな……ッ……!?」

 

「……と、富竹さん?」

 

 

 あまりの豹変ぶりに驚く山田だが、問い詰める暇は与えられなかった。

 部下を控えさせた大高が彼女らに詰め寄って来たからだ。

 

 

 

 

 

 

「さぁ……」

 

 

 不敵な笑みを浮かべ、爛々とした目で、彼は迫る。

 

 

「ご同行を……」

 

 

 部下たちの視線と執念も含めて、とてつもない圧力だ。

 

 

「……願えますか?」

 

「……駄目です、山田さん……!」

 

 

 富竹の忠告も虚しく、その圧力に耐え切れず山田は、大高に屈服したかのように俯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すぐに顔を上げたかと思うと、明後日の方向を指差し叫ぶ。

 

 

「あっ!? シン・ウルトラマン!?」

 

「シン・ウルトラマンですって!?」

 

 

 一斉に大高や刑事らは、その指差した先を向く。注意が逸れた。

 その隙に山田は行動を起こす。

 

 

「今だ! 富竹さんっ!!」

 

「は、はいっ!!」

 

「「シュワーーッ!!!!」」

 

 

 グングンとズームアップするかのように飛び上がり、二人は颯爽と逃げた。

 大高らが気付いた頃にはもう遅い。

 

 

「あッ!? クソッ! 一度ならず二度までも……ッ!! ブリリアントに追えーーーーッ!!!!」

 

 

 彼の命令を受け、残りの刑事らがバレエ・ステップで追い掛ける。

 

 

 

 

 すっかり廊下には、息を荒げた大高しかいなくなる。

 そのタイミングで血相を変えてやって来た者は、大石だった。

 

 

「大高くん!? どう言う事ですかぁ!?」

 

「大高『くん』と呼ぶなぁーーッ!!」

 

「っ!?」

 

 

 声を荒げる彼に驚き、思わず足を止める大石。

 再び大高は深呼吸で気持ちを落ち着け、「失礼」と謝罪した後に、元の口調で話しかけた。

 

 

「……これはこれは、ご無沙汰しています大石さん」

 

「話は聞きました! 鬼隠しの捜査主導をなぜ県警が!?」

 

「偉大な警察庁様もやっと分かったのでしょう。過去三度、そして四度目さえも防げなかった興宮署にはもう任せられないと」

 

「こんなの認められませんッ!!」

 

「既に署長も裁判所も了承済みです」

 

「明らかな越権行為ですよ!?」

 

 

 鬼気迫る表情で問い詰める大石だが、大高はどこ吹く風と言った様子。

 

 

「それより大石さん。得体の知れない連中を、裏付けも取らずに刑事と認めて捜査に協力させたその失態……どう落とし前を付けられるのですか?」

 

「何ですって……!?」

 

「アレは偽者の刑事でした」

 

「だが、鬼隠しの情報を握っていたではありませんか!? 刑事としての経験もあったし……!!」

 

 

 わざとらしい溜め息を一つ。

 

 

「警視庁とも赤坂氏とも関係はありませんでした、これは事実です」

 

「そんなぁ……!?」

 

「あなたの処遇をすぐさま決めたいところですが……まぁ、保留としましょう」

 

 

 立ち尽くす大石を横切り、立ち去ろうとする大高。その際にポンッと、彼の肩に手を置き、嫌味な声音で囁いた。

 

 

「……亡くなられたご友人の仇を討ちたいのでしたら、これから私に貢献をしてください」

 

「……ッ……!」

 

「……分かりましたか? 大石『くん』」

 

 

 怒気を纏って振り返る大石だったが、既に大高は高笑いをあげて廊下の奥へ。

 すぐに追い掛け、投げ飛ばしてやりたかった。その思いを何とか、両手の拳を爪が食い込むほど握り締めて耐える。

 

 

 

 

「……ど、どうなっていやがるんだ……ッ!?」

 

 

 今の彼には困惑を言葉にして吐くしか、出来る事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シュワっと逃げた山田と富竹は、興宮署の玄関口を抜けて道路へ走る。

 丁度良い時にタクシーがやって来たので、必死に停めて乗り込む。そのまま急いで運転手に富竹は叫ぶ。

 

 

 

「し、鹿骨市へ! とりあえず! 早くッ!!」

 

 

 二人を乗せたタクシーが走り出す。

 興宮署が小さくなって行き、二人を見失った追手たちが道路上に散らばって慌てていた。

 

 

 やっと山田は安堵の溜め息を吐いた。

 

 

「な、何だったんだあいつら……いきなり現れて!」

 

「山田さん……」

 

「めちゃくちゃエレガントだったし……!」

 

「エレガント……?」

 

 

 窓の外を夜景が流れて行く。儚いその光を浴びながら山田は、富竹に聞く。

 

 

「……富竹さん。あの、大高って人……知っていたんですか?」

 

「……いえ。あの人は知りません……知りません、けど……」

 

 

 膝へ目を落とし、考え込む様子の彼の顔は、被っている帽子の影が覆って見えない。

 ただ事ではない大高の言葉への反応と、思い詰めたような様子。誰が見ても富竹に関係があると察せられるだろう。

 

 

 重苦しい空気が満ちる車内。山田は意を決し、富竹に聞いた。

 

 

「……あなた、本当に……カメラマンなんですか?」

 

「…………それは……」

 

「この際だから言いますけど、私も上田さんも、雛見沢症候群について入江さんから聞いてました」

 

「……え?」

 

「鷹野さんが研究の第一人者だって事も……あなたも彼女たちの、関係者なんですか?」

 

 

 やっと顔を上げた富竹の表情は、相変わらず蒼褪めた顔色だ。

 動揺で震えた唇で、恐る恐る彼は聞く。

 

 

 

 

 

「……山田さん、あなた……『東京』の人間、なんですか?」

 

 

 

 

 山田は顔を顰めた。

 

 

「……東京? は、はぁ……確かに東京の人間ですけど……」

 

「やっぱりそうだったんですね……全く。そうならそうと、初対面の時に言ってくだされば……」

 

「は?」

 

 

 納得したように頷く富竹だが、山田は相変わらず困惑しっ放しだ。

 

 

「え? 言ってませんでしたっけ?」

 

「……え!? 言ってました!?」

 

「言ったと思いますけど……」

 

「マジか……え? 言ってました? ホントに?」

 

「はい……まぁ、厳密に言えば私は違いますけど……」

 

「違うんですか!? なら……ど、どこの所属ですか!?」

 

「しょ、所属? ええと……長野……?」

 

「長野!? そんな辺鄙な所に支部があったのか……!?」

 

「あぁでも、沖縄なのかな?」

 

「沖縄!?」

 

「まぁ、沖縄の方は滅んじゃったもんなぁ」

 

「滅んだ!?」

 

 

 話が噛み合わないなと気付いた富竹。やっとその原因に思考が辿り着く。

 

 

「…………あ。東京住まいって意味じゃないです」

 

「は?」

 

「あぁ、もう……ややこしいんだよこの名前……!」

 

 

 頭をワシワシと掻き回し、苛つきを見せる富竹。

 何が何やら分からない山田は困惑気味に首を捻り、更に問いかける。

 

 

「その、東京は……何の意味なんですか?」

 

「………………」

 

「……富竹さん!」

 

 

 追求する彼女を前に、もう隠し通せは出来ないと踏んだのか、諦めたように顔を手で撫で付けた後、ゆっくり山田と目を合わせる。

 決意を固め切った、それでもって柔らかな眼差しをしていた。

 

 

「……分かりました。全てお話します」

 

「…………」

 

 

 静聴に徹する山田は、いつになく真剣な顔付きだ。

 少しだけ間を置き、言葉を纏めてから、富竹は口を開く。

 

 

「……それは──」

 

 

 

 

 

 途端、タクシーが急停車。

 ガクンと二人の身体が前のめりになり、会話が中断される。

 

 

「うわっち!? な、なに!? 何で急ブレーキするんだ!?」

 

 

 運転手に猛抗議をする山田だが、振り向いた彼の冷え切って据わった瞳を見て、息を呑んだ。

 まずは運転手の男は、タクシーの後部座席のドアを開いた。

 

 

「……降りな」

 

 

 そう二人に命じると、彼は先に降車。

 まずは当惑気味にお互い目を合わせ、そして言われたままにタクシーを降りた。

 

 そこは町外れの暗い、不気味な道路。

 降車した山田はまず、先に降りた運転手を探そうと辺りを見渡した。

 

 

「……う、運転手さん? 一体なに──」

 

 

 後ろ首を、何者かに当て身され、山田は気を失う。

 

 

 

 

 

 その様を見ていた富竹。

 

 

「恐ろしく速い手刀……! 僕じゃなきゃ見逃しウグッ!?」

 

 

 富竹にも手刀が首に入れられ、そのまま気絶してしまう。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

深憂と神様

 あれだけ人と出店に満ちていた境内は、幾つかの配線や消えた提灯を残すのみまで片付けられ、すっかり静寂なものへと戻る。

 光のない、深夜過ぎの青い夜の中。パチリと、神社裏にある家の一階にだけ明かりが灯る。

 

 

「…………」

 

 

 梨花は二階、暗い寝室で目が覚めた。

 暑さで寝苦しい以前に、ずっと頭の中を巡る思考と不安が彼女の心を苛め、浅い眠りと覚醒を繰り返していた。

 

 

「……ワイン……飲もうかしら」

 

 

 そう呟き、同居人の様子を伺おうと隣の布団を見やる。

 沙都子の姿はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 階段を降りて、電気の点いた居間に入る。

 部屋の隅には上田が修理中だった大きなテレビ、その隣には扇風機がカタカタ音を鳴らしながら、生温い風を吹かせていた。

 

 その風が送られる先、次郎人形が置かれたちゃぶ台に突っ伏して物思いに耽っている沙都子がいた。

 

 

「……沙都子?」

 

 

 梨花が声をかけると、彼女はハッとしたように顔を向け、それから弱々しく微笑んだ。

 

 

「……あら、梨花……起きていらしたの?」

 

「みぃ……ボクも眠れなくて……」

 

「明日は普通に学校なんですから、お寝坊さんの梨花は寝なきゃ駄目ですわよ?」

 

「……そう言って沙都子だけ夜ふかしさんなのもズルいのです」

 

 

 沙都子は身体を起こし、困ったように口元を指先で掻いた。

 

 

「……仕方ないですわね。では少し、二人でお話しでもします?」

 

「はいなのです」

 

「喉、渇いておりますこと?」

 

「カラカラなのです」

 

 

 ゆっくりと立ち上がり、「待ってて」と言って一度台所に行き、二人分のコップとポンジュースを持って来てくれた。

 冷えたジュースがコップに注がれ、まずは互いに一口飲む。

 

 

「……お祭り……大変な事になってしまわれましたわね」

 

 

 飲み込み、一度息を吐いてから、沙都子はそう溢した。

 

 

「……山田さんに富竹さん……どこに行かれたのでしょうか……」

 

 

 返す言葉がすぐにも思い付かず、コップに口を付けたまま梨花は小さく俯く。

 一人で考え込んではいたものの、沙都子自身誰かと話したかったのだろうか。それからはぽつぽつと、思いを吐露して行く。

 

 

「あぁ、上田先生も鷹野さんもまだどこにもいないって、監督が言っていらしたわ……みんな祭具殿に入っちゃって……それに今年もやっぱり鬼隠しが起きたそうで……もしかしたらオヤシロ様の祟りに……」

 

「……まだ死んじゃった人が、山田たちとは分かっていないのですよ」

 

「……私、不安ですわ……」

 

「……不安なのはボクもなのです。だから沙都子の気持ち、分かりますのですよ」

 

 

 コップを置き、沙都子は頭を抱える。

 腕の隙間から見えた彼女の瞳は怯えに震え、そして涙で潤んでいた。

 

 

「……それに、怖いのです。上田先生も山田さんも、みんな、みんな……にぃにぃやお母さんのようにいなくなるって考えたら……」

 

 

 瞼に留まっていた涙が、耐えきれずにぽとりと頬に流れる。

 

 

「テレビを直してくれるって言ってらしたのに……! こ、これじゃ……プレゼントを買って来るって言ってた……にぃにぃと同じで……!」

 

 

 一度流れてそれからは、崩落したかのように次々と涙が溢れて止まらなくなる。

 必死に拭おうと両手で擦るものの、涙は延々と流れて落ちる。

 

 

「もしかしたらオヤシロ様はまだ、北条家に怒っていて……! だから私の好きな人をみんな、祟りで──」

 

 

 

 

 感情が止まらなくなった沙都子を、梨花は後ろから抱き締めた。

 背中から感じる暖かさが、柔く被さる腕の感触が、沙都子の気を鎮めて言葉を堰き止めた。

 

 

「……言ったのです。オヤシロ様はそんな事をする神様じゃないのですよ……最初から沙都子は赦されているのです」

 

「……梨花……?」

 

「ボクが言うのですからホントなのですよ?……だから、信じるのです、今は」

 

 

 不意に強まる、梨花の腕の力。

 

 

「……山田も上田も、みんな生きているのです。必ず、絶対に生きている……だから恐れないで」

 

 

 その慰めの言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだ。

 沙都子からは見えない梨花の表情は、不安で今にも泣き出しそうだった。

 

 

 

 

「……ボクが付いているのです……」

 

 

 せめて沙都子の前では涙を溢すまいと、舌の先を噛み、固く瞼を閉じた。

 そして沙都子もまた回された梨花の腕へ、縋り付くように触れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は人の気も知らず、穏やかに緩やかに過ぎて行く。

 悲しみも喜びも、時間は人の理に干渉はしない。

 

 ただ過ぎるだけ、奪うだけ。

 止まる事はせず、悲劇へと進むだけ。

 

 時間は平等。

 そこに不等を見出すは、人の勝手。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──二◯一八年、十二月の興宮。

 夜の駐車場で礼奈に突き付けられた「魅ぃちゃん」の名前。

 それを聞いた「詩音」は、立ち尽くし、少女のように目を丸くするだけ。

 

 

「……魅ぃちゃん、なんだよね?」

 

 

 礼奈の手前で動揺を見せている「詩音」だが、何とか言葉を詰まらせながらも声を出した。

 

 

「……い、い……いつから……って言うか……し、知ってたんですか……?」

 

 

 瞬間、礼奈の表情は、少女のように、そして悪戯に成功したような笑みに変わる。

 

 

「……大体、十年くらい前からかな」

 

「割と最近……」

 

「ふふっ……十年は全然最近じゃないよ?」

 

 

 ここまでどこか影が絶えず付き纏っていた彼女の表情に、やっと現れた安らかで朗らかな光。

 指摘を受けて思わず口籠る「詩音」に、礼奈はまた続ける。

 

 

「ずっとアナタは私を引っ張ってくれて、色々教えてくれて……色々な所にも遊びに行った。でも不思議だった……旅館に泊まる時も、アナタはお風呂に入りたがらなかったし……前に給湯器が壊れたって言っていた時も、私は銭湯を教えてあげたのに行きたがらなかったし……」

 

「う……」

 

「……だから十年前、もしかしたらって思って……忘年会で酔い潰れていた時にちょっと……チラッて」

 

「え。そんなアッサリバレちゃうもんなんです?」

 

 

「詩音」は自身の背中に手を回す。

 代々、園崎家の跡取りには、「鬼の顔の刺青」が施されている。跡取りの選別から外れた詩音にそれがある訳はなく、ならば自ずとその理由は浮き上がる。

 

 

 雛見沢大災害の生き残りの一人にして、園崎珈琲店を営む店主「園崎 詩音」は──園崎詩音ではない。

 刺青があると言う事は、当時の園崎家次期当主として選ばれた方だと言う事。

 

 

 

 正体が知られたと悟った彼女は一度ガックリと肩を落としてから、また礼奈へ顔を上げる。

 もうその時には既に、顔付きが少しだけ変わっていた。お淑やかで穏やかな詩音の顔はどこにもなく──どこかガサツさが伺えるものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

「……レナも酷いね。分かったなら分かったって、その時に言えば良いのにさ」

 

 

 口調も丁寧なものから、砕けたものへと変わる。今、礼奈の前にいる者は正真正銘、「園崎 魅音」だ。

 拗ねるようにそう恨み言を漏らす彼女に対し、礼奈は申し訳なさそうに眉根を下げて、微笑んだ。

 

 

「ごめんね? その……言って良いのかなって思っていたし……言う資格もないって思っていたから」

 

 

 悲しげに開かれた瞳は、微か潤んでいる。

 

 

 

 

「……詩ぃちゃんを、殺してしまった私なんかに……」

 

 

 魅音は姿勢を正し、真剣な眼差しで彼女と向き合う。

 そして瞳を閉じて、あの時の出来事を頭の中で思い出していた。

 

 

「……あの日、詩音の気まぐれが起きてね。『久しぶりに学校生活をしたい』なんて言ってさ……」

 

 

 その時を想起し、一度吹き出す。

 

 

「だったら学校に戻りなよって言ったのに、それは嫌だ〜って……」

 

「……ふふ。詩ぃちゃん、意外とワガママだったからね」

 

「そうそう……だから、入れ替わったの。一日だけ、『魅音として』、学校に……」

 

「………………」

 

 

 魅音はそこから続きを話さなかった。目を伏せて、口を噤んだ。

 同時に礼奈も、罪悪感を滲ませた顔付きで俯く。

 

 

 

 

 直後、妄想に取り憑かれたレナが籠城事件を起こした。

 圭一たちはレナの仕掛けた発火装置を解除出来ず、首をチェーンロックで拘束された「魅音」一人、逃げ出せず爆発に巻き込まれ、死亡した。

 

 チェーンロックならば沙都子が解錠出来たハズだった。だが彼女は村に帰って来た鉄平のせいで家から出られず、学校にいなかった。

 

 

 

 

「……私が、殺してしまった。壊してしまった」

 

 

 言葉を続けたのは、礼奈から。

 

 

「……何度も死のうとした。それが償いになると思っていた。でも……出来なかった」

 

「…………」

 

「ならばせめて一人、この罪を背負って、苦しんで生きようと思った……なのに、アナタは私に手を差し伸べてくれた」

 

「……レナ……」

 

「……アナタの大事な人を、殺めてしまった私に……あの時の、『詩ぃちゃん』となって」

 

 

 礼奈の言葉を飲み込むように頷き、真っ直ぐ目を見つめて魅音も続けた。

 

 

「……正直に言えば……私、レナを心の底から憎んだよ。事件の後なんて、レナが入った病院に侵入してから……殺してやろうと思ったくらいに」

 

「…………」

 

「……大災害で、詩音どころかみんな死んじゃって、園崎家も無くなって……もう、残っていたのはレナだけだった」

 

「…………」

 

「……そう思ったら……恨みとか殺意とか、何か弾けちゃった。どれほどまた恨もうとしても……楽しかった思い出しか、頭に浮かばなかった」

 

 

 今にも泣き出しそうな顔で、魅音は笑った。

 

 

 

 

「……だから……許そうと思った──みんなとの思い出に縋り付く為に、そして私が……生きて行ける為に……」

 

 

 

 

 頬を伝う一筋の涙。それを隠そうと魅音は、そっぽを向いてしまった。

 その時に礼奈は悟る。「乗り越えられた人」かと思われた彼女もまた、自分と同じ「取り残された側」なのだと。ただそれを、「詩音としての自分」で、気丈にも覆い隠していたのだなと。

 

 

「……魅音でいる自分が辛くて、だから詩音として生きると決めて、死ぬほど勉強もして、身の振り方も全て気を配って……レナといる時だけ、あの日々を思い出せた。それが無かったら、私は耐えられなかったと思う」

 

「……魅ぃちゃん……」

 

「……ごめん」

 

 

 口を突いて出たのは、謝罪。途端に礼奈は焦りを見せ、話しかけた。

 

 

「どうして魅ぃちゃんが謝るの……悪いのは全部、私」

 

「レナを利用した事に変わりはない……あなたが何をしたにせよ、私が何でもして良い訳なんかない……それにあなたは、三十五年前のあの日からずっと……全てを悔やんでいる……それでもう十分よ」

 

「…………ありがとう。魅ぃちゃん」

 

 

 礼奈は感謝を口にし、深く頭を下げた。

 下げた顔からポタポタと、涙がアスファルトに落ちる。

 

 

 

「……今度は私の番だね」

 

 

 ゆっくりと、礼奈は顔を上げた。

 

 

「……ずっと、恐ろしくて誰にも言えなかった……この話を魅ぃちゃんに打ち明けて……私はもう全部を諦める……」

 

「……話?」

 

「……今でもあの時の声と、恐怖が、昨日のように頭にこびり付いている」

 

 

 流れていた涙を拭い、潤んだ瞳を輝かせて、魅音を見やる。

 

 

「……圭一くんが──」

 

 

 震えた口から白い息が漏れ、街灯の光を透かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──殺された夜の話」

 

 

 あの日、レナが入れられた精神病院に──大災害を生き延び、狂気に陥った圭一が、運び込まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜を迎えた警視庁。その前をヘロヘロの状態で歩く、左腕を三角巾で吊った女と丸刈りの男。

 

 

「な、何とか帰って来たぞぉ……!!」

 

「腹減ったっす。ギョーザ食いに行って良いっすか?」

 

「この魚顔ッ!!」

 

 

 

 警視庁内の廊下をツカツカと歩く、秘書の男。

 彼は資料を持って警視総監の元を訪ねた。

 

 

「失礼します、赤坂警視総監。来年度予算案について、修正箇所が──」

 

 

 

 

 扉を開け、室内を見渡した時に口を止めた。

 執務机に必ずいるハズの赤坂が、いなくなっていたからだ。

 

 椅子の後ろ、机の下、本棚の上など、部屋中を隈なく探した後に秘書は叫ぶ。

 

 

「赤坂マモルの消失ーーッ!?!?」

 

 

 時刻は既に、十時過ぎであった。

 

 

 

 

 

 

 

 この街に来るのも、実に数十年振りだ。

 途中で立ち寄った鯛焼き屋で、餡子の鯛焼きを購入。それを齧りながら、彼は商店街を歩いていた。

 

 彼には目指す場所がある。その為に、業務をかなぐり捨ててここに来た。

 暫く歩き、商店街を抜ける。入口に建つアーチに取り付けられた看板には、「興宮商店街」の名が刻まれていた。

 

 

 

 道行く人々は彼を一瞥しては、何事もなく通り過ぎて行く。誰も彼もが、この男の顔を知らないようだ。

 大方、仕事終わりのサラリーマンか何かだと思っているのだろうか。

 

 

 

 

「……一応、警視庁の最高責任者なんだがな……まっ。芸能人と違って、みんな顔なんて知らないか」

 

 

 鯛焼きを喰みながら苦笑い。

 コートを翻す、瀟洒なスーツを纏った生真面目そうな色男。

 

 彼こそ、警視総監となった赤坂 衛だった。

 

 

 

 

 雛見沢大災害の再調査の為に矢部たちを派遣し、以降は全く音沙汰がない。

 気を揉んだ赤坂は、意を決して執務室を抜け出し、東京都霞ヶ関から岐阜県興宮まで飛ばして来たようだ。

 

 

 いや。この街に来た理由には、矢部たちの報告を待てなかったからではない。

 自身が、「屈してしまった過去」を清算する為だ。

 

 

 彼か目的地としている場所は、旧雛見沢村。

 だがその前に、彼の進路は市内の精神病院へと取られていた。

 

 

 所持しているバッグの中には、実娘から貰った調査結果と、この三十五年地道に集めた資料が詰まっている。

 本来なら決して持ち出してはならない物も含まれている。もしバレれば大問題だなと、赤坂は頭を掻く。

 

 

 

 

「……いいや。こんな血に濡れた地位など……惜しくもないさ」

 

 

 足を止め、眼光鋭く顔を上げた。

 第一の目的地である精神病院前まで辿り着く。夜の闇の中、院内からは青白い光が漏れている。

 

 

「………………ここだな」

 

 

 次に辺りを見渡した。

 

 

 

 

「……しかし、菊池くんに矢部さんたちはどこ行ったんだ……連絡もしないし……」

 

 

 呆れ気味にぼやきながら、彼は院内へと入って行く。

 

 

 

 わざわざ出向く必要などなかった。高級椅子の上で踏ん反り返り、適当な部下を顎で使えば良い。

 だが赤坂にとって、これは自分の手で成さなければならない事だった。

 

 

 後悔と、若き日に作ってしまった汚点を雪ぐ為に、彼はこの街へ再び赴いた。

 何よりも、切願を自身によって蔑ろにされた、古田梨花に報いる為。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月20日月曜日 災禍、動く
地下牢


 湿った土の匂いが鼻を突く。不快で強いその匂いを吸い込んだ事で、山田は意識を取り戻させた。

 

 

「……う……うぅん……ん……?」

 

 

 薄ら目を開け、呻き声と共に身体を起こす。

 辺りはやけに薄暗い。また地面に付いている手や身体の感触から、自分は土の上に寝かせられていたと察する。

 

 

「……うぅ……ここは……?」

 

 

 やっと鮮明になり始めた意識と脳。山田はまず辺りを見渡した。

 

 

 

 

 

 そこはまるで坑道のような洞窟だった。床も壁も地面も全てが土で固められており、それを木の枠が補強して崩落しないよう支えている。

 山田がいたのはその洞窟の袋小路であり、まだ先がある。道の両端には一定の間隔で燭台と火の灯った蝋燭が立てられているばかりで非常に薄暗く、また道も先で角となっており、真っ暗で何があるのかも視認出来ない。

 

 

「……どこ……ここ?」

 

 

 それよりもこの場所は何なのかが問題だ。

 確か自分は富竹と共にタクシーで興宮署から逃げ、そしたら突然車は停まって、外に出たら首根を手刀で叩かれて気を失った。どうやら自分は気絶している間に攫われたようだと察する。

 

 

「……そ、そうだ……! 富竹さんは……!?」

 

 

 一緒に行動していた富竹を探すべくまた見渡すも、朧げな灯火と暗い土の壁ばかりで、他に人物はいない。

 山田は立ち上がり、服に付いた土を払いながら道の先を見据える。

 

 

「……本当に、な、なんなんだよこれ……」

 

 

 混乱と恐怖を抱きながらも、ここにいても仕方がないと決めて、山田は少しふらついた足取りで進み始める。

 何度か洞窟の中を彷徨ったような記憶はあるものの、この特有の肌寒さと湿った空気は慣れないものだ。音も自分の足音ばかりで、故に強く出る孤独感も恐怖を煽るのに一役買っている。

 

 

「……と、富竹さーん? 矢部でもいいぞー? だ、誰かぁー?」

 

 

 呼び掛けてみるものの、応答は一切ない。恐る恐る一歩一歩、道の両端にある朧げな灯火を辿るようにして山田は進んだ。

 

 

 

 

 暫くするとやけに広い空間に出た。

 物置のような場所で、汚れた布を被せられた大小様々な物が山田を取り囲んでいる。

 

 

「……なんだこれ?」

 

 

 その内の一つに近付くと、布を取り払った。

 布の下にあった物は、何らかのガスが詰められていると思われるボンベが数個。

 

 

「……ボンベ……?」

 

 

 何のガスが入っているのかと確認しようとした時、奥の方で大きな音が響いた。まるで鉄格子を掴んで揺さぶっているかのような音だ。

 それに驚き、身体を跳ねさせる山田。音は、この空間の隣から聞こえて来たようだ。

 

 

「誰……!?」

 

 

 生唾をごくりと飲み込み、極力足音を響かせないように忍び足のまま、隣の部屋へと行く。

 音がした以上、生き物がいる証拠だ。山田は最大限の警戒心を抱きながら、部屋の入り口から顔だけを出し、中を確認する。

 

 

 

 

 そこはさっきの物置と同じような場所。

 違うのは、土に深く埋め込まれるようにして立てられた鉄格子の牢屋があった点だ。どうやら音源はその鉄格子のようだ。

 

 

 蝋燭に照らされた先、目を凝らして牢屋の中を確認した山田はまず、大きな声をあげた。

 

 

 

 

 

「上田さんっ!?!?」

 

「や、山田ぁ!?!?」

 

 

 何と鉄格子を揺さぶっていたのは、行方不明となっていた上田だったからだ。

 彼の姿を認識した途端、すぐに牢屋の前まで駆ける。

 

 

「上田さん、ど、どこ行ってたんですか!? てか、なんで捕まってるんです!?」

 

「ど……どこから話すべきか……そう言うYOUこそ、なんでここにいる!?」

 

「知りませんよ! 富竹さんとタクシー乗ってたら、誰かに気絶させられて……」

 

 

 彼の名前を出した途端、牢屋にいたもう一人が上田の隣から顔を出す。

 

 

「山田さんも無事でしたか!?」

 

富田林(とんだばやし)さん!?」

 

「富竹です!」

 

 

 富竹もまた上田と共に囚われていた。とりあえず死んではいないと分かり、まずは安堵する。

 

 

「俺も富竹さんもこの通り無事だ……いや無事じゃないッ! おい山田ッ! 早く俺たちをここから出してくれッ!!」

 

「ピッキングしようにも、持っていた物は全部抜かれていまして……!」

 

「俺の三万円もするクォーツの腕時計も持ってかれたんだッ!!」

 

「僕の一眼レフもッ!!」

 

「物への執着が凄いな」

 

 

 少し呆れながらも、山田はまず牢屋の出入り口を確認する。

 出入り口は頑丈そうな南京錠で閉じられており、ちょっとやそっと叩いただけでは錠を壊す事は出来なさそうだ。

 

 

「……せめて何か、叩き壊せるような物さえあれば……」

 

「それかヘヤピンさえあれば僕がピッキングで開けられます! 山田さん女の人ですし、持ってませんか!?」

 

「ヘヤゴム派なんで……」

 

「持ってろよヘヤピンッ!!!!」

 

 

 上田が悔しそうに責め立てる。それに少しムッとした山田が突っかかった。

 

 

「なんですかその言い草!? と言うか警察の人から聞きましたけど、私たちに内緒で何か勝手に動いてたみたいじゃないですか!?」

 

「う……いや、違うんだ山田。それは……」

 

「鷹野さんともこっそり会ってたんですよね!?」

 

 

 それを聞いた富竹が上田に縋り付く。

 

 

「マイ・ブラザーハイッ!!」

 

「ブラザーハイ……!?」

 

「僕のタカノンに会ってたんですか!? どうして!?」

 

「いやあの、確かに会ってはいましたが、その、こっちの勘違いと言うか何と言うか……」

 

 

 しどろもどろになる上田へ、山田は続ける。

 

 

「……それに、鬼隠しは起きてしまいましたよ」

 

「なに? でも、富竹さんは……」

 

「山の中で、顔が潰された男の死体がありましたし、ドラム缶に詰められて焼かれた死体も……」

 

「ど、ドラム缶にって……」

 

 

 思い出されるのは、鷹野の死因。彼女はまさに、「ドラム缶に詰められて焼かれて死んだ」ものだった。

 男の死体は富竹ではないものの、恐らくもう一方の死体は鷹野である可能性が高いだろう。

 

 

 

 

「……上田さん……私たちの負けです」

 

 

 あれほど策を講じたと言うのに、犯人は未来から来た山田らに、その指示を受けて行動した警察や部活メンバーたちを出し抜いて犯行を完遂してしまった。果たして人間の所業なのだろうかと疑わしいほどに、上手く立ち回られた。

 

 

 そして事件は起きてしまった。山田の言った通り、鬼隠しを止めるべく動いていた者たちにとっての敗北だ。

 

 

 負けだと突き付けられた上田は顔を覆い、首を振るう。

 

 

「……なんてこった……」

 

「……それにもう、警察も私たちに協力してくれそうにないです。何か、別の管轄の刑事たちに捜査権が移ったとかで……」

 

「……何より僕たちも、その首謀者の手にかかっているかもしれませんからね」

 

 

 富竹の言った通り、この場にいる時点で全員が囚われている身だ。

 鬼隠しが起きたタイミングでのこの状況。関係していない訳がないだろう。

 

 

「……あれこれ言うのはやっぱ後にしましょう。あの、隣の部屋が何か物置っぽかったので、そこから何か探しに──」

 

 

 牢屋を離れようと振り返った山田は、その足を止めた。

 

 

 

 物置部屋とは別の道から、ぞろぞろと多くの者らが闇の中より姿を現す。

 着物を着た老父や老婆、彼らに仕えるように続く黒服を着た大柄の男たち。全員が厳しい、そして敵意を剥き出した表情と目を向けている。

 

 

「な……なんなんすか……?」

 

 

 山田はオオアリクイの威嚇をするものの、効果はない。

 黒服たちが牢屋の前を挟むように茣蓙(ござ)を敷き、そこに長老らが恭しく正座をして並ぶ。その合間、一瞬たりとも彼らは山田から目を背けず、睨み続けている。

 

 

「や、山田……!? 大丈夫か……!?」

 

 

 彼女の身を案じるような声をかける上田は、牢屋の一番奥まで逃げていた。

 両端を挟まれ、止め処なく注がれる敵意の眼差しを受け、思わず山田は後退り。

 

 

 

 

 一瞬の静寂の後、置かれた燭台の灯火がふらりと揺れた。

 

 

 

「……今年も起きた」

 

 

 

 底冷えするような暗く、嗄れてドスの効いた老婆の声が響く。

 途端、長老や黒服らはスッと姿勢を正す。

 

 

 

「……そんで、村の禁を犯した不届きモンも現れた」

 

 

 

 長老たちが座する茣蓙の先に、もう一枚上等な茣蓙が敷かれた。

 

 

 

「……礼儀も何もあったもんやない余所モンらが……」

 

 

 

 声の主がとうとう、蝋燭の前に現れた。

 

 

 

「……村でコソコソ、なにやっとる」

 

 

 現れたその老婆の醸す威圧感と気迫は、この場にいる何者よりも強大で恐ろしいものだった。

 落ち窪んだ目も、深く刻まれた皺も、少し荒々しい足取りも、所作や表情の全てに迫力があった。

 

 

 

 老婆は茣蓙の上に立つと、ぬらりと顔を上げる。

 山田を貫く鋭い視線には、明確な怒りがやはり宿っていた。

 

 

 

 

 恐ろしさから呼吸が浅くなる。同時に何とか山田は思考を巡らせ、その老婆が何者なのかを考えた。

 

 もしかしてと察するには、さほどの時間はいらなかった。長老らを補助している黒服たちは、彼女も見覚えがあったからだ。

 何よりも村の重役と思われる長老らが傅く存在はと推測するなら、あの人しかいないと分かった。

 

 

 

 

 

 

「……園崎家の……頭首さん、ですか……?」

 

 

 彼女は応答しなかったが、間違いない。

 山田の前に現れたその老婆こそ、魅音が「婆っちゃ」と呼ぶ園崎家の現頭首──「園崎 お魎」だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第九章 災禍、動く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お魎は茣蓙にはすぐに座らず、立ったまま山田と、牢屋の中にいる二人を睨み付ける。

 

 

「……おぅ、おんしら。何やっとったか言わんか」

 

 

 再び長老らの視線がこちらに一斉に向く。

 逃げ場はない。力付くで逃げようとしても、女である山田が屈強な黒服らに叶うハズもない。それを悟った山田は慄きながらも、口を開いた。

 

 

「……私たちを疑っているなら、それはオモンタガイですよ」

 

「お門違(かどちが)いです」

 

 

 後ろで富竹が訂正する。

 

 

「それに私たちも寧ろ、被害者みたいなものです!」

 

「祭具殿に入ったとに被害者面するんか」

 

 

 お魎がそう言った途端、長老らの表情が歪み出す。畏れと怒りを混ぜたような感情が、そこから滲んでいる。

 祭具殿に関しては必死に上田が牢屋から弁明する。

 

 

「いやまぁ、確かに入りましたけどねぇ? その、ちょっとし風俗学のフィールドワークみたいなもんですよ! 別に何も盗ってないですから!」

 

「と言うか、三億円の奴助けたの私たちじゃないですか!? それに対しての信頼とかは」

 

「恩着せがましゃアッ!!」

 

 

 淡々と語っていたお魎が明確な激昂を見せる。

 驚き、押し黙ってしまった山田と上田へどんどんと捲し立てた。

 

 

「余所モンが土足でなぁに祭具殿に入っとぉッ!? おのれら、村に穢れ持ち込むつもりかッ!?」

 

 

 お魎の気迫と怒号は洞窟中の隅々まで行き渡るのではと思わんばかりに、巨大だ。彼女と同じ怒りを持っているであろう長老らも、その感情の強さ故に多少の萎縮を見せていたほどだ。

 

 凝り固まったその感情を向けられた山田は堪ったものではない。反論しようにも舌先がビリビリと震えて、声が出せなかった。

 

 

 

 一頻り怒りを吐くと、お魎は一度息を深く吸っては吐き、少し落ち着きを取り戻してから続ける。

 

 

「……祭りの前日から、おんしらの動きは見張っとった」

 

「……え!?」

 

 

 愕然とする山田に、お魎は更に続ける。

 

 

「あの北条んトコの家を調べとった事、白川の公園行っとった事、なんや警察と手ぇ組んどった事……全部じゃ」

 

 

 本当に全て把握されており、驚き声さえも出せなくなった。

 

 

「それだけやない。おんしらに関わったモンには全員見張らせた。魅音が探せ探せ言うとった竜宮の娘と、あの前原っちゅうトコの倅、ほんで古田神社に詩音、あの北条の忘れ形見まで……」

 

 

 お魎の後ろでなぜか太極拳を始める老父がいた。エメリウム光線のポーズをしている。

 恐るべき真相を告げられ、そこまでするのかと改めて戦慄させられる。

 

 

「……鬼隠しをなぜに、余所モンが調べんね?」

 

「そ、それは、止める為ですよ! 魅音さんと約束したんです!」

 

「…………」

 

「……えーっと……話、通ってませんでした……?」

 

 

 やっとお魎は茣蓙の上に座った。

 

 

 

 

「……なんにせぇ、祭具殿に忍び込んだ事ぁ許せん」

 

 

 控えていた黒服らに目配せすると、彼らは颯爽と隣の物置へ走って行く。

 何をしに行ったのかと目で追う山田だが、そんな彼女にお魎は尋ねる。

 

 

「おんし、そこの二人の仲間やろ」

 

「……え? は、はい」

 

「仲間なら助けたくはないか」

 

「……出来るなら、助けたいです」

 

 

 山田のその言葉を聞き、牢屋の中の富竹と上田は感極まったような視線を向ける。

 一方で前に立てられた燭台の先で、お魎はほくそ笑んだ。

 

 

 

 

「……詩音から、『ケジメ』の話は聞いとるよな?」

 

 

 それを聞いた山田は分かりやすく動揺し、またそれをお魎は冷めた笑みで見やる。

 

 

「『鬼の子地蔵』ん前で話しとった事ぁ、みんなに知れとるわ」

 

「ど、どうやって……と言うか、えと……け、ケジメって……!?」

 

 

 黒服たちが、布に覆われた何かを運び込み、山田の前に設置する。

 それは何かの台のような物で、山田の腰ぐらいまでの高さがあった。

 

 

 詩音が鬼の子地蔵の前で語った事を思い出す。

 なぜお魎にそれが知れ渡っているのかも検討付かないが、それよりも「ケジメ」の話を思い出し、山田は目の前に置かれた物を見て息を呑む。

 

 

 布は無慈悲に払われた。

 

 

「……祭具殿入ったんなら、分かるハズや……この村で『祭具』っちゅうンは……」

 

 

 

 

 

 木の板二枚を立て、そこにもう一枚を横に据え付けた簡素な台。

 台の中心には、見た事もない大きな金具が取り付けられていた。

 

 

「……『そう言うモノ』を指すんね」

 

 

 何かを縛り付けるような布のベルトの先に、また何かを押し込んで栓抜きをするような機構の装置がある。

 まさかと察した山田は本能的な危機察知能力からか、その装置が何に使われる物なのか一気に察してしまう。

 

 

 

 

「……牢屋の二人……一人は死んで……おんしで三人か」

 

 

 お魎は顎をしゃくり上げた。

 

 

 

 

「三枚や。三枚、爪剥がんかい」

 

 

 

 ベルトは指を固定させる為で、その先にある装置を爪の下に埋め、金具を押し込みテコの原理で爪を剥ぐ。

 使い道を察してしまった山田は一気に蒼褪め、戦慄する。

 

 

 

 

 

 

 

「……まぁ、あのぉ……別にこの二人は仲間じゃないって言うか」

 

「おおう?」

 

「てかまぁ、そもそも祭具殿に忍び込んだのはこの二人ですし……」

 

「山田ッ!?」

 

「山田さんッ!?」

 

 

 あっさり仲間を売り始める山田に、上田も富竹もずっこける。

 

 

「だからあの、私はチャラって事でぇ……」

 

「このクズめッ!! 祟られろッ!!」

 

「祟られるのはそっちだろ! この不法侵入者! ざまーみろ!」

 

「このヤローーッ!!」

 

 

 訴える上田を無視し、山田は揉み手でお魎に擦り寄る。

 

 

「と言う訳で〜……私はもう良いですよね?」

 

「ほんなら、おんしの分一枚や」

 

「えーっ!? ちょっと……えぇーっ!? 本気で言ってますぅ!?」

 

 

 どっちにしろ爪は必ず剥かねばならないようで、救いがないと知った山田は心底嫌そうな顔でごねる。

 

 

「私あの、マジシャンなんで指がもう商売道具なんです!」

 

「知らん。やらんか」

 

「いやもうホント勘弁してくださいって……えぇー……?」

 

 

 逃げようにも逃げられない状況でもあり、ごね続けたってこの場にいる者たちの鋭く、そして冷ややかな目は変わらない。

 

 

「……ええと……ほ、ホントに、爪剥がしたら許して貰えますか……?」

 

「ケジメ付けりゃあ今回は不問にしたる」

 

「う……」

 

 

 今一度だけお魎に確認を取り、ちらりと辺りを見渡してから山田は、意を決したようにまた彼女を見据える。

 

 

「……分かりました」

 

「山田……!」

 

「一枚だけなら」

 

「お前だけ助かろうとしやがって」

 

 

 再び爪剥ぎ台の前に立ち、装置に指を乗せた。そしてそのまま躊躇を見せながらも、金具を自身の爪の下に差し込む。あとはレバーを押して金具を持ち上げさせ、テコの原理で爪をべろりと剥がすだけ。

 

 荒く乱れた息で深呼吸し、レバーの上にもう片方の手を置く。

 

 

 

 

「……いきます」

 

「やれ」

 

「うわぁーー嫌だーーっ!!」

 

 

 覚悟し切れず、山田は装置は手を離して地面に倒れ込んだ。さすがの長老らからも溜め息が漏れた。

 

 

「もうホント勘弁してくださいって……! 堅気には無理ですってコレぇ!」

 

「出来んのか?」

 

「出来んのです!」

 

 

 その内上田はごね続ける山田に業を煮やしたようで、鉄格子を掴んで説得しようとする。

 

 

「山田ッ! お前しかいないんだッ! でなければ誰がこの窮地を救えるんだッ!?」

 

「ほんならおんし、代わりにやれ」

 

「……おおう?」

 

 

 お魎が合図すると、黒服らは爪剥ぎ台を持って鉄格子のすぐ前に置いた。十分、上田の腕が鉄格子越しでも届く距離だ。

 唖然と装置を眺める上田に、お魎は続ける。

 

 

「こんの女が出来んなら、おんしが三枚剥げばええだけの話やろ」

 

「…………いやまぁ? それとこれとは話は別では」

 

「やらんかッ!!」

 

「やりますぅぅッ!!」

 

 

 怒鳴られて反射的に承諾してしまい、やるしかなくなってしまった上田。

 鉄格子の隙間から腕を伸ばし、先ほどの山田と同じように装置に指を固定させる。途中、山田と富竹が話しかけて来た。

 

 

「上田さん……見直しました。今日の御恩は忘れません」

 

「覚えてろ貧乳」

 

「マイブラザー……! あなたはまさに、漢の中の漢です……!」

 

「………………」

 

 

 隣から注がれる富竹の視線を浴びながら、上田は深呼吸をしてから腹を決めた。

 

 

「は……はは! ま、まぁ、爪を剥がしたところで、どうせ半年もすれば元に戻る。指を切るんじゃあるまいし、それと比べたら全然ヌルいもんだ……!」

 

 

 恐怖を紛らせようとしたいのか、準備を進めながらぺちゃくちゃと蘊蓄を話す。

 

 

「そう言えば……かのシリアルキラー、アルバート・ハミルトン・フィッシュは異常なマゾヒストで、激しい痛みさえ快感に変えられたと聞く。何と、自分の睾丸に針を刺すほどだったらしい」

 

 

 爪の隙間に金具が差し込まれる。

 

 

「その他にも背中や骨盤と、彼はあちこちに針を刺し込んだが……唯一、爪の間だけは出来なかったそうだ。どうしても激痛が快感より勝ってしまったからだ。なぜか?」

 

 

 レバーの上に、もう片方の手を置いた。

 

 

「それは、人間は手足が何よりも発達した生物だからだ。我々は数多の動作をほぼ手と足だけで行っている。そして特に指先! 物の形や温度も探れるほど、我々の指先には他の器官よりも神経が発達し、更には集中しているんだ!」

 

 

 レバーに置いた手に、力を込める。

 

 

 

 

「進化の過程で特に神経系が発達した箇所なんだ。そりゃ、紙で少し切るだけでもかなり激痛が走る訳で──無理だぁぁぁーーッ!!!!」

 

 

 指先が一番痛いと言うのを自分で明かしてしまい、上田は恐怖に耐えられずに装置から手を離して牢屋の中でぶっ倒れた。思わず山田はツッコむ。

 

 

「……自分の蘊蓄で墓穴掘るなっ!」

 

「く……っ! お、俺はこの日本にとって無くてはならない存在なんだッ!! この場にいる愚民どもとは違うんだッ! そんな俺がこんな事で大事な爪を剥いでたまるかッ!!」

 

「発言が完全に悪役だぞ上田……」

 

 

 山田と上田が出来ないとあって、消去法でお魎は富竹を顎先で指し示す。

「え? 僕?」と言いだけに自身を指差してから、富竹は覚悟を決めて立ち上がった。

 

 

 

 

 そして台の上に手を置き、すぐ地面に倒れ込んだ。

 

 

「無理ですぅーーッ!!」

 

「はやっ!」

 

 

 富竹も早々にギブアップした事で、率先して爪を剥ごうとする者はいなくなった。完全に呆れ返ったようで、場にいる長老たちは全員ひたいに手を置いていた。

 

 唯一、お魎だけは一切表情を崩しておらず、相変わらず厳しい顔つきのままだ。

 

 

「……誰も出来んのか」

 

 

 そして小さく「仕方ない」と呟くと、据えて暗い瞳で舐め取るように、山田らを眺める。

 

 

 

「……ケジメも付けれんなら、何されてもエエっつぅ事やな」

 

 

 

 その一言と同時に、黒服たちが一歩一歩、山田に詰め寄り始めた。

 すぐに座り込ませていた身体を立たせ、逃げるように後退りをするものの、すぐ後ろは上田らのいる牢屋だ。逃げ場所はどこにもない。

 

 

「ちょ……ちょ、ちょっと……!?」

 

「……でしゃばりどもが」

 

 

 黒服らに取り囲まれ、山田はもう成す手無しと目を瞑る。

 

 

 

 

「オヤシロ様のお怒りに触れたんじゃ……贖って貰わんとなぁ」

 

 

 殴られるのか、連行されるのか。何にせよ酷い目には遭わされるだろう。

 歯を食い縛り、これから訪れる事に山田は覚悟した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なにやってんの婆っちゃっ!?!?」

 

 

 途端、聞き覚えのある少女の声が洞穴中に響き渡る。

 合わせてパッと目を開いた山田の視界には、寝間着であろう白浴衣姿の魅音がお魎に詰め寄っている様が広がっていた。

 

 

「み、魅音さん!?」

 

「ねぇ!? どう言う事ッ!? なんで上田先生と富竹さんを牢屋に入れてる訳ッ!?」

 

 

 凄まじい剣幕で問い質そうとする魅音に、お魎はやや面倒そうな顔付きで答えた。

 

 

「何でかはお前も知っとろうが。こんの余所モンどもに、祭具殿に穢れを持ち込んだケジメ付けさせるとこや」

 

「だからって私に何も言わないで、役員集めて勝手に会合するってのはどうなのさ!?」

 

 

 次に魅音はキッと山田を取り囲む黒服らを睨み付け、困惑する長老らの前をノシノシと抜けて近付いた。

 

 

「山田さんから離れて、ホラッ!」

 

 

 黒服たちを山田から離した際に、牢屋の前に置かれた爪剥ぎ台が目に映る。途端に彼女の顔が歪んだ。

 

 

「……っ……こんな物また引き摺り出して来て……!」

 

 

 横目でお魎を睨んだ後、忌々しげにまた爪剥ぎ台を見る。

 

 

 

 

 良くそれを観察した魅音はスッと困惑気味な表情となり、「あれ?」と呟いて装置に近寄った。

 そして徐に彼女は、レバーを押し込む。

 

 

 

「…………婆っちゃ。コレ……」

 

 

 しかしレバーはビクともせず、装置が作動する事はなかった。元から作動しないよう、細工が施されている。

 

 

「……ロックかかってんじゃん」

 

「……へぇっ!?」

 

 

 驚き声をあげたのは山田だが、同様にその事を知らされていなかった長老や黒服らも口々に騒めき、当惑の目を一様にお魎へ向ける。

 

 

 

 皆の視線を一身に浴びながら、心底つまらなそうに顔を顰めてぼやく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ほんの戯れやろが」

 

 

 途端、肩の力が抜けた山田はペタリと地面に座り込んだ。

 牢屋の中では富竹と上田が抱き締め合っていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

秘密結社

 一連の騒動の後、お魎は魅音と長老たちを伴って、一度引き上げる。今この場にいるのは山田と、そして牢屋に閉じ込められたままの上田と富竹と、お目付け役として残された構成員らだ。

 

 背後から突き刺さる構成員らの視線を恐ろしく思いながらも、山田は上田に尋ねる。

 

 

「……それで。なんで、鷹野さんと会っていたんですか?」

 

「それについては僕からもお願いします、マイ・ソウル・ブラザー」

 

 

 二人に詰め寄られ上田は観念したように、そして構成員らに聞こえないよう声を潜めて答え始めた。

 

 

「……一連の竜宮礼奈の騒動と、鬼隠しに彼女が絡んでいると思っていたんだ。まぁ、勘違いだったがな?」

 

「え? 鷹野さんが? なんで?」

 

「竜宮礼奈の持っていたスクラップ帳は、俺の落とした物ではなかった。しかもそのスクラップ帳には診療所の侵入方法と、麻酔の場所までご丁寧にメモられていてな……作為的な物を感じたんだ。勘違いだったけどな?」

 

「仮に鷹野さんだとしても、動機は何だと思ったんですか?」

 

「彼女は、雛見沢症候群を研究している……その、サンプルが欲しかったんじゃないかと思っていたんだ。全て俺の、勘違いだが」

 

「めちゃくちゃ勘違い言うじゃん」

 

 

 その話を聞いた富竹はおずおずと口を開く。

 

 

「えぇと……レナさんの件は分からないですけど……教授は、鷹野さんが鬼隠しの犯人だと、思っていたんですか?」

 

「えぇ、まぁ……一年目の事件時、北条沙都子の母親が鷹野さんらしき人物と会っていた事、そして彼女もまたスクラップ帳らしき物を持っていた事を聞いたので、まさかと思いましたが……勘違いでした」

 

「くどいっ!」

 

 

 続いて上田もまた神妙な顔つきで、富竹を見やる。彼が、雛見沢症候群を研究するグループ側の人間だと言う事は既に山田から知らされていた。

 

 

「しかし、富竹さん……まさかあなたも、入江さんたちと同じ立場の人間だとは……」

 

「少し立場は違いますが……僕は謂わば、本部と入江さんたちを繋ぐ連絡役。こんな辺鄙な田舎にしょっちゅう、スーツ姿で診療所に赴く訳にもいきませんから、カメラマンを装って村に入り込んでいました」

 

「ふっ……カメラマンにしては、私に劣るとも勝らない肉体を持っているから、まさかとは思っていましたが……肉体だけではない。忍耐力と胆力まで、私と同じタイプの実力だ……あと破壊力とスピードと、射程距離と持続力と精密動作性と成長性と」

 

「その『本部』ってのが、タクシーで言っていた『東京』なんですか?」

 

 

 口が止まらない上田を遮り、山田が核心に踏み込んだ質問をする。

 彼は少し俯き、言おうか言わまいかと躊躇を見せた。しかし鷹野が殺された事実と、二人が既に雛見沢症候群について梨花や入江から聞いている事を鑑みて、「隠しても仕方がない」と判断したようだ。構成員らに聞こえないよう、更にぐっと声を潜めて、「東京」について語り始めた。

 

 

 

 

「東京は、日本の政界を裏から支配している……言うなれば、『秘密結社』です」

 

 

 富竹から聞かされた「東京」の概念は、およそ天上の世界の話とも言えるものだった。

 政治家、学者、自衛隊、資産家と言った各界の要人が在籍し、その強力な権力で以て政界に幅を利かせている組織だそうだ。元はとある名門大学の同窓生らが立ち上げた、「学閥」でもあった。

 

 日本が敗戦を期した太平洋戦争の後、アメリカの傘下となった国を憂いた者たちが、戦前の日本を取り戻し、再び世界で覇権を取ると言う悲願の元で活動をしていたそうだ。

 

 

「例えば、強力な兵器の開発も目的の一つでした。雛見沢症候群はまさに、研究を進めれば優秀な生物兵器となる……そう言った期待から、『東京』からの支援を受けていました」

 

「なるほど……確かに、雛見沢症候群のメカニズムを応用すれば、敵側の内部分裂を引き起こせるだろう。これほど兵器として優秀な材料はない。恐ろしい事考えるもんだ……」

 

「…………」

 

 

 すると富竹は弱々しく首を振る。

 

 

「ここまで説明したのは、あくまで『東京』がどんな思想の下で立ち上げられたのかの話です。今は少し……いえ、かなり違います」

 

「と、言いますと?」

 

 

 山田に促されるまま、「今の東京」についての説明を進めた。

 

 

「元々こそ極右的思想の組織だった東京ですが、時代と共に初期のメンバーは高齢となって、政界を去られました。それに伴う世代交代によって組織の方針が変わり、今では外交や経済を中心とした、より保守的な方針となりつつあります」

 

 

 眉を潜め、少し言い辛そうな表情になりながら続ける。

 

 

「……去年の秋の始めに東京の指導者だった『小泉会長』が亡くなられてから、一気に新体制派が力を持ち始めました。彼らはそう言った兵器開発の事実が世界に発覚する事を恐れ、雛見沢症候群の研究の打ち止めを決定しました」

 

「え?」

 

「僕の役目も連絡役から、入江先生や鷹野さんたちの監査役に変わりました。研究は向こう、三年後を目処に完全凍結の予定です」

 

 

 時代と共に変遷した「東京」の内部事情と、巻き込まれる形で研究を終わらされる事となった入江や鷹野。そう言った複雑な政変劇を聞いた上で、上田は一つ仮説を話し始めた。

 

 

「もしかして、鷹野さんが殺されたのは……新体制派による口封じだったのでは?」

 

 

 驚いて目を開く富竹と山田の前で、彼は真剣な口調で続ける。

 

 

「鷹野さんは研究を続ける為に、雛見沢症候群の暴露をチラつかせて、新体制派を脅していたとかは? それを受けた新体制派はとうとう、それまであった鬼隠しを装って、鷹野さんを殺害した……」

 

「……確かに、鷹野さんは少し強引な面もありました」

 

「祭具殿に忍び込んだりしましたもんね」

 

「なので、上田先生の仮説は……あり得るかもしれません……クソッ……なんで気付けなかったんだ……!」

 

 

 項垂れ、帽子を深く被り、肩を震わせる。そんな富竹の痛々しい姿を見て、上田はやるせなくなり彼を慰めようとした。

 

 

 

 

「……マイ・ブラ」

 

「ミヨぉぉぉぉぉぉーーーーッッ!!!!」

 

 

 突然叫び出し、おいおいと泣き始めたので、上田は驚いてひっくり返った。見張りの構成員らも何事かと、牢屋の方に目を向けている。

 すぐに山田は上田に近付くよう呼び寄せ、他の誰にも聞こえないように話し出す。

 

 

「でも……じゃあなんで、富竹さんまで殺されなきゃ駄目なんですか?」

 

 

 未来で聞いた出来事ならば、鷹野と富竹が今年の綿流しで殺されるハズだ。それについて、上田はまた仮説を話す。

 

 

「富竹さんの死因は、雛見沢症候群だ。鷹野さんの死を受けて発症した、と言うのが自然な流れじゃないのか?」

 

「……今それと同じ状況ですけど、富竹さん発症するように見えないんですが……」

 

 

 富竹は牢屋の隅で、また胎児姿勢のまま泣いている。

 凄まじい哀哭っぷりではあるものの、劇症化の気配は全く感じられない。

 

 

「……確かにそうだが……」

 

「仮に発症じゃなくて、人の手によるものだとすれば……鷹野さんと入江さんなら分かりますが、さっき言った新体制派側の富竹さんが殺される意味が分かりませんよ」

 

「彼は鷹野さんと…………こ……恋び……コイビト……!」

 

「認めろ!」

 

「……親しい仲だったから、大事を取って殺されたとかは?」

 

「言い方で逃げ道探すな」

 

 

 彼の言う通り、富竹が恋人に絆されていると見做された可能性もある。となれば鷹野の死を受けて、復讐として研究の暴露に動き出す可能性も多分にある。

 しかし山田は首を捻るばかりだ。

 

 

「だとしても、殺すにしては気が早過ぎませんか? 今の話聞いてても富竹さん、仕事は真っ当にやってるって印象でしたし……」

 

「かもしれないが……だが、これだと尚更、その後の事も合点が行く」

 

「その後の事……」

 

 

 梨花が殺された事で発生し得る、村民の集団発症を防ぐ為に行われる大量殺戮だ。

 

 

「東京とやらの新体制派は、兵器開発の事実を丸っと消したいようだぞ。梨花を殺し、決められた通りに村を滅ぼしてしまえば……その事実は雛見沢症候群の名前と一緒に、消えてなくなる!」

 

「…………」

 

「恐らく、祭具殿から出た君たちの写真を撮ったのも、その手の人間だ。鬼隠しを暴こうとしたばかりに……間違いなく、俺たちも狙われている……!」

 

 

 ふと彼の方に目を向けた時、首筋に針を刺したような傷が出来ている事に気付く。傷自体は浅そうだが、血が丸く滲んでいた。

 

 

「上田さん、それどうしたんですか?」

 

「……あぁ、これはだな……」

 

 

 上田は鷹野を追ってから、何がどうなって牢屋に入れられたのかを語ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──上田の背後に、こっそりと黒い影が近付く。

 抜き足差し足で忍び寄り、ほぼ真後ろの位置まで到達した。

 

 

 そこでガサリと音が鳴り、上田は身体をびくつかせながら首を回す。

 

 

「うひよぉうッ!? た、鷹野さん!? それとも矢部さ──」

 

 

 

 

 

 黒い影は、上田を羽交締めにする。

 

 

「ッ!?」

 

 

 

 

 そしてそのまま首筋に、注射針を刺した。

 

 

「ぐああッ!?!?」

 

 

 

 

 しかし上田は、注射内の液体が注入されるより前に、背後の何者かの手を取り、強靭な力で引き抜いた。

 相手も抵抗された事に動揺しているのか、今度は上田を押さえ付けようとし始める。

 

 

「な、なにをするだぁーーッ!?」

 

「……ッ!!……っ!」

 

「やめてーーっ!! やめてーーっ!!」

 

 

 二人揉みくちゃになっている内に、上田は崖から足を踏み外す。

 

 

「うわぁあぁあーーっっ!?!?」

 

 

 情けない悲鳴と共に川へと落ちて行くので、襲撃者は巻き込まれぬように彼を手放す他なかった。

 

 

「サヨナラーーッ!!!!」

 

 

 そのまま上田一人だけが、悲鳴と共にばしゃんと着水。

 後は川を流れていたところを、上田を捜索しに来ていた園崎家の人間に発見され、牢屋まで連行されたと言う訳だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

──山田は呆れ顔のまま言う。

 

 

「……上田さん、前も崖から落ちて生還してましたよね」

 

「水落ちは生存フラグだ」

 

「と言う事は上田さんも何者かに……もしかしたらその、東京って組織に命を狙われていたって事ですよね?」

 

「あぁ、そうだな……しかし俺は毅然とした態度で、果敢に犯人へと挑んだ! 地の利さえ得ていれば、俺が犯人を川に落としてやれたのになぁ! 惜しかったぜ全く!」

 

 

 虚勢を張る上田は無視し、山田は警察署であった事をふと思い出す。

 

 

「……捜査権が突然県警に移ったのも、やはり東京の力によるもの……なんでしょうか……」

 

「それほどの権力があるとはな……警察庁が俺たちの敵なら、もうどうにもならんぞ……」

 

「……雛見沢大災害のデータが残ってなかったのも、国絡みで隠蔽したからだったんですね……」

 

「……国家相手に、どう戦えってんだ!」

 

 

 ここで現れた東京と言う、あまりにも巨大な組織。

 二人が今まで相手取った連中とは、とても格が違う。今回の敵は人数も首謀者も推し量れない、雲を掴むような存在だ。上田が絶望するのも理解出来るだろう。

 

 

 

 この国の何もかもが、言うなれば敵だ。山田たちが束になったところで、およそ勝てる確率など見込みすらない。

 状況を把握すればするほど、「詰み」にいる事を実感させられる。

 

 

 

 

 それでも山田の顰めた顔と、厳しい目付きからは、諦念が伺えなかった。

 しかしもう一度上田に話しかけようとしたタイミングで、この場に動きが起きた。

 

 

 

 

 

 長老らの送迎と釈明に行っていたお魎と魅音が戻って来た。

 構成員らはすぐに姿勢を整え、中指と薬指のみを折った形にしてから手を突き出し、頭首に忠誠心を示す。

 

 

「ズヴィズダーッ!!」

 

「ず、ズバズバ?」

 

 

 困惑する山田をよそに、構成員らの前を通り越してから、お魎は魅音を控えさせる形で牢屋前に着く。

 まずは隣にいる山田をぎろりと睨んでから、上田と、まだ牢屋の隅で泣いている富竹に目を向けた。

 

 

「……爪剥ぎにあんだけ喚いとった連中が、人殺しなんぞ出来んやろ。おんしらは鬼隠しに関係ねぇと、一旦決めた」

 

「ご、ごめんねぇ、山田さんに上田先生! 婆っちゃ、みんなを試したかったみたいで……」

 

「じゃかーしぃ、魅音。一旦や一旦。全部信じた訳やない」

 

 

 爪剥ぎ装置にロックがかかっていたのは、初めからさせない為だったのだろう。

 長老らや構成員らに睨みを利かせさせたり、高圧的な態度で迫ったのも、果たして山田らが人を殺せるような胆力を持つ人間なのかと試すべく、プレッシャーを与える効果の為だったようだ。

 

 結果、三者ともロックかけられた爪剥ぎ装置の前で無様を晒した。

 

 

「おんしらにゃあ先の件の借りがあるんも事実。手荒な事ぁもうせん……」

 

 

 その決定に至るまで一悶着でもあったのか、後ろに控える孫娘をちらりと一瞥する。どうにも彼女は少し怒っているようで、ずっと眉を寄せていた。

 

 

「……じゃが、祭具殿に勝手に入った事をどうにかせんと、村のモンにも示しが付かんじゃろ。当分、牢屋の二人はここに閉じ込めておく」

 

「いやもう、今となっては願ったり叶ったりです」

 

「……殺されたくないから警察に捕まる鉄砲玉かっ!」

 

 

 さっきとはまるで反対の態度を取る上田に、山田は呆れながらツッコむ。殺されかけた立場なので仕方ないとは思うが。

 次にお魎は、唯一牢屋に入れられていない山田へ処遇を言い渡す。

 

 

「おんしは出てえぇ」

 

「え? い、いいんですか?」

 

「飯代は節約してぇん」

 

「間引きかよっ!」

 

「おんしが仲間売った事にすりゃあ、おんしだけ出とっても村のモンは納得するじゃろて」

 

「そんなの風評被害ですよ!? 私がそんな事する人間に見えますか!?」

 

「お前さっきやってただろ」

 

 

 牢屋の中から上田がそう苦言を溢した。

 とは言え山田だけ、園崎屋敷を出てまた村を回れる。突然消えて不安に思っているであろう梨花たちにも説明する必要もあるし、鷹野が殺された事に関して入江とも話さなければならない。やる事はたくさんある。

 

 

「…………」

 

「……? どうしたの、山田さん?」

 

 

 魅音が心配した通り、山田の表情は浮かない。脳裏には先ほどの話が延々反芻されている。

 

 

 この事件はもしかすれば、国絡みの巨大な陰謀ではないかと言う可能性が浮上した。それは梨花の死と村の崩壊を止めたい山田らにとっては、考え得る中で最悪の状況だ。

 

 

「……い、いえ……えと、いま何時ですか?」

 

「今は九時三十三分と、俺の三万円もするクォーツの時計が示してる!」

 

 

 腕時計を見せ付けて自信満々に時間を告げる上田だが、魅音は「ん?」と顔を顰めた。

 

 

「今は深夜一時過ぎぐらいだけど?」

 

「なに?」

 

「上田先生、それ壊れてるんじゃない?」

 

「バッカな! これは三万円もするクォーツの時計で──」」

 

 

 高級腕時計を見て固まる上田。

 改めて腕時計を見れば、秒針も分針も時針も全てかっちり停止していた。どうやら崖から落ちた折に壊れたようだ。

 

 

「今日は遅いし、山田さんはウチで泊まって行ったら良いよ」

 

「タワケ。この女はとっとと屋敷から出せ」

 

「ちょ、ちょっと婆っちゃ!? 上田先生も襲われてすぐなのに、追い出すのは酷いよ!?」

 

「離れ使わしとるんじゃ。ウチに泊まらせる義理はない」

 

 

 お魎はあくまで余所者には冷たいようだ。深夜、何が飛び出すか分からない夜道に山田一人を情け容赦なく放り出すつもりだ。

 そんな事はさせまいと食い下がる魅音だが、山田がその彼女を制した。

 

 

「だ、大丈夫ですから! 離れまでそんな、遠くないですし……」

 

「う……じゃあせめて、私が途中まで……」

 

「ならん。祭具殿入った奴を私らが送迎なんざ、村のモンに見られりゃ面子丸潰れじゃろが」

 

「婆っちゃっ!!」

 

 

 耐え切れずに怒鳴った魅音の声が、洞窟中に響き渡る。それほどの怒気を前にしたところで、お魎はこれ以上彼女の話を聞き入れる気はないようだ。

 今にも殴りかからんとする彼女の気迫を感じたのか、山田は大急ぎで窘める。

 

 

「出来るだけ! 出来るだけ、あの、明るいとこ通りますんで!? そんな心配しなくても……」

 

「心配するよぉ……」

 

「何だったら私が牢屋入りますから、代わりに上田さんを出してやってください」

 

「山田?」

 

 

 驚く上田。

 しかし山田の言葉は聞き入れられず、煮え切らない様子の魅音をそのままに、彼女は屋敷から早々に出される事になった。

 

 

 

 

 重厚な鉄の扉に遮られた蔵を出ると、見覚えのある庭に着く。

 そこから道なりに進み、屋敷の門の前に立った。外は一寸先も見えないほどの暗闇が広がり、ただ門前を照らす蛍光灯の青白い光だけが辺りの闇をぼんやり晴らしていた。

 

 

 門を出る前に、せめて屋敷を出るまではと付いて来た魅音に話しかけた。

 

 

「その……色々と庇ってくださって、ありがとうございます……」

 

「……ううん。私は何も……寧ろ謝っても謝りたりないよ、あの婆っちゃの態度に関しては」

 

「それにしても……まさか地下にあんな洞窟があるなんて……」

 

 

 魅音は足で地面を叩いた。

 

 

「元々は戦時中に掘られた、大きな防空壕でね。それを戦後に園崎が再利用したみたいだよ」

 

「防空壕だったんですか」

 

「これが滅法広くてね……まだどれだけ道があるのか把握し切れていないところもあったり……って、今はそんな話はいらないよね」

 

 

 そう言って苦笑いする魅音の表情には、明確な自責の念が感じ取れた。

 

 

「……気を付けてね、山田さん。何かあったらすぐ大声で叫んで。園崎総出で、めちゃ超特急で駆け付けるから……ですよね皆さん!?」

 

 

 後ろに控えていた構成員に檄を飛ばすと、すぐさま彼らは中指と小指を器用に折り曲げた状態で手を山田に突き付けた。

 

 

「ズヴィズダーッ!」

 

「グワシじゃん」

 

「そう言う事で……じゃあ、山田さん。おやすみ」

 

 

 魅音との別れの挨拶を最後に山田は門を出た。

 すぐに閉まる戸を見届け、少し怯えた顔で宵闇の中を一歩踏み出し始めた。

 

 

 

 

 

 あちこちからカエルの鳴き声が響き渡る、田んぼの畦道。耳元を藪蚊が掠め、その度に首を振る。ふわり匂い立つ泥と湿った草の香りが、絶妙に不快だ。

 

 

「くっそぉ……園崎ババァめ……! これで私が襲われたら化けて出てやる……絶対に化けて出てやる! バケバケバーだコンニャロー! バケバケバーでスリラーだコンニャロー! アァーーオゥッ!!」

 

 

 悪態吐いて虚勢を張り、何とか恐怖を押し殺そうと努める。

 出来るだけ暗い場所は避け、道に点在する街灯を辿るように進んだ。

 

 

 

 

 

 そんな彼女の背後に迫る、何者かの影。怪しいその人影はどんどんと彼女に近付いて行く。

 前ばかり見ている山田は一切気配を悟る事なく、人影の接近を許してしまった。気付けばそれは、もう山田の真後ろに立っていた。

 

 

 明るい街灯の下に辿り着き、少しホッとした山田──その彼女の肩を、何者かはガシッと掴んだ。

 

 

「ッ!?!?」

 

 

 叫ぼうとするその口は、振り返った拍子に塞がれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「むぐーーっ!?」

 

「落ち着け山田! わ、ワシや!?」

 

「れろれろれろっ!?!?」

 

「なんで舐めんねんお前ぇ!?!?」

 

 

 真後ろに立っていた人物は、矢部だった。口を塞ぐ彼の手を舐めてしまい、あえなく頭を叩かれてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し歩いた先の街灯下に古いベンチがあったので、二人はそこに腰を落ち着けた。

 山田の迫った怪しい影こと矢部は、すっかりモジャモジャになった髪を撫で付けながら、忙しなく辺りを警戒している。

 

 

「警察はおらんよな……!?」

 

「お前も警察だろ。警察が警察に怯えてどうする……」

 

「アホぬかせ! 今のワシらは一般ピーポーも同然や! これもアレも、全部タイムスリット──」

 

「スキャット!」

 

「スキャットしたせいや!」

 

 

 今の矢部はいつも着ていたジャケットを脱ぎ、派手なペイズリー柄のワイシャツ姿となっている。袖を目一杯捲って腕を晒している事もあり、一見すればアロハシャツのようにも見えた。

 モジャモジャになっている髪の毛も含めて、山田にとっては何だか懐かしさを感じる見て呉れとなっている。

 

 

「……それより矢部。お前ぇ……さっきは良くも私ら置いて逃げやがったな」

 

「お互い逃げ切れたんやからえーやろがぁ! ワシらかて必死やったんじゃい!?」

 

「大きな声出さないでくださいよ、夜中で響くんですから……てか、他の刑事さんたちは?」

 

「おぅ。三人とも今は山ン中隠れとるわ」

 

「意外と逞しいな」

 

「そんでお前こそ、何でこんな真夜中にこんなトコ歩いとんねん?」

 

 

 矢部に尋ねられ、山田は興宮署からここまでの出来事を全て話した。

 

 同じ未来人である彼に隠し立てはしない。上田が殺されかけたが生きていた事、そして富竹の事や「東京」と言う組織の事を全て共有する。勿論その上で、雛見沢症候群やそれを取り巻く政府側の動きなども全部話す。

 

 

「いや長いわッ!」

 

「あまり長くないじゃないですか! 小説にしたら三行ぐらいの地の文で済みますよ!」

 

「つーか情報量多いな!? どーなっとんねんこの村ぁ!?」

 

 

 いきなりバッと話されたので、矢部もまだ理解し切れていない様子。しかしそれでも上田が生きていた件を聞いては安堵していた。

 

 

「まぁ、でも先生ぇが生きとったんなら良かったわ。ほんならもう、安心して出られるなぁ!」

 

「え? 出るって、どこに?」

 

「どこって何言うとんねんお前! この時代からに来まっとるやろぉ!」

 

 

 それを聞いた山田は驚きから彼を二度見した。

 

 

「ちょ、ちょっと矢部さん!? さっきの私の話聞きましたよね!?」

 

「なんか聞いた気にならんかったわ」

 

「このままだと、明後日には梨花さんが殺されて……雛見沢が滅ぼされてしまうんですよ!?」

 

「せやからそーなる前に逃げるんやがな! ワシはこれから、あの古手神社行って帰れる方法探すトコやったんや!」

 

「じゃあ矢部さん、なんの為に警察使って色々動いてたんですか!?」

 

 

 少し顔を顰めると、矢部は自身の膝を摩りながら訳を話す。

 

 

「あんなぁ……今の今までは、ワシらが警察関係者やったからこそ色々出来たんや。今見てみぃ? ワシら完全に指名手配犯扱いやで!? これ以上無理やて!」

 

「無理って、そんな……」

 

「それにお前の言うところ、東京ってごっつデッカい組織が相手なんやろ? 勝てる訳あらへんがな! ほんなら村ごと消される前に逃げなアカンやろぉ?」

 

 

 矢部の主張を聞き、思わず押し黙ってしまった。それは残念ながら、彼の言い分の方が正論であり、説得力があるからだ。

 東京の介入により警察はもう動いてくれないどころか、山田らを捕まえようとしている。祭具殿への侵入がバレてしまった事もあり、村の多くの人間からも心底恨まれているだろう。

 

 

 山田は今自分が置かれている状況が「詰み」だと理解していた。だからこそ、矢部の主張を前に黙るしかなかった。

 そんな彼女の沈黙を納得と受け取った矢部は、「どっこいしょーん・こねりー」と言ってベンチから立ち上がる。

 

 

「まぁそんな訳や。ほれ、お前も来るんや。あの神社詳しいんやろ?」

 

「…………」

 

「……なんやねんなぁ! お前かて元の時代に帰りたいんやろぉ!?」

 

 

 それでもまだ何か考え込みながら座り続ける山田。焦ったくなった矢部は彼女の前でしゃがみ込み、目を合わせて説得する。

 

 

「このままやと、ワシら殺されんでぇ? そら、村の人間が死ぬんは後味悪い思うけどな? 物事には引き時ってもんが……」

 

「……まだ明後日までありますよ」

 

「なんやぁ?」

 

 

 やっと山田も、ベンチから立ち上がる。

 

 

「なら、ギリギリまでやってみましょうよ! 国が相手でも、やり方はありますとも!」

 

 

 無鉄砲にそう決意を口にする彼女を、矢部はしゃがんだまま呆れ顔で見上げた。

 

 

「だから山田、お前なぁ……」

 

「矢部さんだって、このまま負けて帰るのは嫌なんじゃないんですか?」

 

「は? ワシがか?」

 

「ひとでなしの矢部さんにも、人情はあるハズです」

 

「誰がひとでなしやッ!?!?」

 

 

 怒って立ち上がる矢部だが、その顔にはやはり迷いがある。

 

 

 確かに彼は自分の事を優先し、それ故のポンコツっぷりを何度も発揮して来た男だ。はっきり言ってゲスの部類に入る。

 だが刑事を志しただけあり、正義の心と人の情は確かにある。老若男女が身勝手に殺戮されると言う雛見沢大災害の真相を前に、やはり彼にも「許せない」と言った思いがあったようだ。

 

 

 今度は山田の熱意を前に、矢部がたじろいで押し黙る番だ。

 口を尖らせ、顔を目一杯顰めて、くしゃくしゃと頭を掻く。少しズレてしまう。

 

 

「……あー、ホンマなぁ……しゃーないなぁホンマ……」

 

 

 ズレた頭を急いで直しながら、折れてやる事に決めた。

 

 

「石原らにも言うとくわ……帰るんは、明後日まで延期やってなぁ。それまではワシも動いたる」

 

「矢部さん……」

 

「せやけど負ける思うたらソッコー帰るからなぁ!? もうソッコーやで!? バファリンよりもソッコーや!!」

 

「なんで薬と比較する」

 

 

 そう言うと矢部は踵を返し、神社の方へ歩き始めた。

 

 

「ほんならとりあえず神社行くでぇ。今の話はその、梨花っちゅー娘に言っといた方がええやろ?」

 

「そうですね。いやぁ、矢部さんアザマス! 日本一! ソフトウェア! プリニー!」

 

「最後の二つなんやねん」

 

 

 彼に感謝しながら後に続こうと、山田も歩き始める。

 

 

 

 

 街灯の光から出て、一瞬闇の中に入り込む。

 

 

 

 

 

 

 

『……ありがとうなのです』

 

「……え?」

 

 

 その時誰かの声が聞こえた気がして、足を止めて振り返った。

 

 

 

 

 

 

 街灯の下、小さな人影が立っている。

 煌々とした白い光が、真下にいるその人影を照らした。

 

 

 はっきりと輪郭と姿が見て取れた。

 

 

 少しおっとりした優しい顔立ちの、紅白が鮮明に分かれた巫女装束の女の子。長い藤色の髪が夜風に靡き、側頭から下向きに生えている二本のツノを覗かせた。

 

 安心したような、そして慈愛に滲んだ瞳と表情で、山田と向き合っている。

 瞬きをすれば泡のように消えてしまいそうな儚さを纏い、されどこの世の摂理を凌ぐような存在感が、彼女からは放たれていた。

 

 

 暫し山田は、この神秘性な少女に目を離せなかった。

 どこか梨花と似たその少女は、今にも泣き出してしまいそうな微笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

 

 街灯が明滅し、一瞬だけ辺りが暗闇に落ちる。

 ハッと山田が我にかえったと同時にまた街灯は点いたものの、もうその光の中に少女はいなかった。

 

 

「…………今の、女の子……」

 

 

 幻覚ではない、確かにそこにいた。そして何度も見覚えがある。拝殿の前で、山の中で、梨花の寝室で。

 

 

 

 

「…………」

 

「おーい! なにやっとんねん!?」

 

 

 一向にこない山田を、先導する矢部が急かす。それに返事をしてから、一度また街灯の方を向く。

 

 

 

「……どういたしまして……?」

 

 

 困惑しながらも一言そう残してから、やっと矢部の方へと駆け始めた。

 夜は深いが、まだ光はある。今はそれを何とか見つけ出すまでだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……こちら、『鳳1』」

 

「『奇術師』が園崎邸から出立。男と共に、『R』宅方面へ移動中」

 

「警察を向かわせましょうか?」

 

「………………」

 

「構わないのですか?」

 

 

 

 

 

「あぁ。警察どもに深入りはさせたくねぇってよ」

 

 

 無線を口に近付け、男が気怠げに命令する。

 

 

「それに今更、奴らだけじゃあどーにもなりゃしねぇ。『終末作戦』はもう佳境だ」

 

 

 椅子に踏ん反り返り、頭上にある白熱灯を眺めながら続ける。

 

 

「R宅の監視は続けろ。それと、奇術師が園崎邸から出て来たンなら……行方不明の『富竹二尉』はそこにいる可能性があるな。そっちの監視も続けて、姿が見え次第確保だ。オーバー」

 

 

 そう言って無線を一度切ると、周波数を変えてからまた別の者との通話を開始した。

 

 

 

 

「……あぁ、『三佐』。えぇ俺です、『小此木』です。富竹二尉の件はしくじっちまいましたが、居場所は予想出来ました。三佐の方で掛け合って、『番犬』の元に来る電話に注意するよう言っといてください」

 

 

 突然、「小此木」と名乗った男はニヒルに笑い始める。

 

 

「いやぁ、しかしまさか警察庁まで動かせるとは……警察内部は新体制派の巣窟だってのに、良く通せやしたね。誰か良い助っ人でも手に入ったんですかね?」

 

 

 彼の無駄話を咎めるような声が無線から飛び出し、小此木はつまらなそうに首を振る。

 

 

「……えぇ、分かりました。こちらでも引き続き……仕留め損なった『学者』の捜索を続けます。勿論、『二佐』の監視も……えぇ。任せてくださいよぉ」

 

 

 無線は向こう側から切られた。同時に小此木はそれを目の前の机の上に放り投げ、疲れたように溜め息を吐く。

 

 

「やーれやれだ……お上は好き勝手物言えて気楽なもんだ。こっちは神経擦り減らして作戦を実行してるってのによぉ……」

 

 

 一人ぼやいた後、机の引き出しを開ける。そこには一挺の、「S&W M39」が置かれていた。

 それを手に取り、ブラインドのかかった窓に向かって構える。

 

 

「……最後にコレ使ったんはいつだったかな……四年……五年も前か?」

 

 

 引き金に触れながら、悪魔じみた笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

「…………あぁ。どうせなら面白くなってくれ……この終末作戦はよぉ……!」

 

 

 構えを解き、愛おしそうに銃身を撫でる。本当に撃てるその日を、心待ちにしながら。




・上田はTRICK本編で、劇場版含めて三回ほど崖から落ちて生還している。特に新作スペシャル一作目での生還劇はもはや人間じゃない。

・山田と矢部がペアを組んで行動するエピソードは、「まるごと消えた村」「100%当たる占い師」の二度ほど存在する。

・サイレントヒルの新作のシナリオを、ひぐらしの作者である竜騎士07さんが担当されるようです。竜騎士さんは以前にも和風ホラーアドベンチャーゲーム「祝姫」でもシナリオを担当されていたり。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

黒探し

 神社まで辿り着いた山田と矢部は、境内への階段を上っていた。途中、山田が段から足を滑らせかける。

 

 

「うわっ! ここなんかツルツルしてる!」

 

「ツルツル言うなやッ!?!?」

 

「あ! なんかここに生えてた苔、ハゲてますよ!」

 

「ハゲてる言うなやッ!?!?」

 

「おいヅラ!」

 

「直接言うたなお前ッ!?!?」

 

 

 騒動が起きてそれどころではなかったのか、境内はまだ屋台や舞台などが片付けられていない。誰もおらず、光もない無人の祭り会場はひっそりとしていて不気味に思えた。

 祭具殿の方へ行こうとする矢部を引っ張って阻止し、二人揃って梨花と沙都子のいる家に着く。

 

 

 さすがに寝ているだろうかと思っていた二人だったが、山田らが玄関先に立った途端に居間の電気が付き、寝間着姿の梨花が戸を開けた。

 

 

「待ってたのですよ」

 

「起きてたんですか……」

 

「あんな事あったのに眠れないのですよ……沙都子はぐっすりなのですけど」

 

 

 不安で泣いていて、そのまま泣き疲れて寝てしまった事は黙っておく。

 ふと目を向けた折に、山田の後ろに立つ矢部に気付いた。

 

 

「あ。例の不審者なのです」

 

「誰が不審者やっちゅうねんなぁ? 失礼な娘っ子やのぉ〜……前に竜宮レナ迎えに行った時会うたやろ? おぅ、覚えてるかぁ?」

 

「被り物変えたのですか?」

 

「被り物ちゃうわボケェッ!?!? ガキやからて容赦せんぞゴラァッ!?!?」

 

 

 ひとまず立ち話は何だからと、キレる矢部を押し留めながら居間へと通される。

 修理中だった大きなテレビと次郎人形が存在感を放つ中、山田は祭りの裏で起きていた事を全て伝えた。

 

 ずっと厳しい顔付きをしていた梨花だったが、上田と富竹が無事だと知るや否や、驚きと喜びを折半させたような様子で声を上げた。

 

 

「ホントなのですか!? 上田と……と、富竹も生きているのですか!?」

 

 

 予想以上の食い付き具合だったので山田は少し驚き、前のめりに迫る彼女をまずは宥めた。

 

 

「え、えぇ……園崎さんもとりあえず無事は約束してくれました」

 

「……魅ぃの所なら安心なのです……良かったのです……ホントに……」

 

「でも……残念ながら鷹野さんは助けられませんでした。すいません……」

 

 

 途端に梨花は心苦しそうに目を伏せ、唇を噛んだ。助けられなかった事を、彼女もまた残念に思っているようだ。

 

 

「……でも死ぬ運命にあった一人をまず救えた……間違いなく、大きな一歩。未来は変えられるのです」

 

「バック・トゥ・ザ・フューチャーか?」

 

 

 余計な茶々入れをする矢部を無視し、山田は本題とも言える「東京」の件について話し始めた。

 

 

「それと、富竹さんから聞きました……雛見沢症候群の研究には、『東京』って組織が関わっているとか何とか……」

 

「……そこまでもう……」

 

「えぇ。病気の研究も向こう三年に停止するとか、それで東京内でも派閥争いが起きているとか……」

 

「……それは初耳なのです……そんな事が起きていたのですか……」

 

 

 どうやら梨花は雛見沢症候群を取り巻く「東京」の内情の事は知らされていなかったようだ。思えば組織の内輪揉めの件を、入江らがわざわざ梨花に言う必要もなかったのだろう。余計な心配を与えてしまう可能性もあった。

 

 また雛見沢症候群が兵器利用としての研究が進められていた件も知らされておらず、協力者であった梨花にとっても衝撃的だったようだ。少し悲しそうな目になってしまった。

 

 

 梨花にその諸々の実情などを話した上で、山田は上田と出した一つの仮説を話してやる。

 

 

「となると、全て分かったかもしれません……東京の新体制派は、兵器開発として研究が進められていた雛見沢症候群の存在を消したい……だから梨花さんを殺害し、取り決められた通りに村を滅ぼす。そうすれば兵器開発の事実は、雛見沢症候群の存在と一緒に消える……」

 

「……ヘーキ開発なんて……」

 

「鷹野さんはそれを実行する上で障害となったので、殺された……」

 

「……筋は通っているのです」

 

 

「でも」と、梨花はその仮説に反論する。

 

 

「……みぃ……そこまでやるものなのですか?」

 

「はぁ? なに言うとるんや? 現にその通りに、未来じゃ事件起こっとるやないかい!」

 

「そうなのです……けど、引っかかるのです」

 

「引っかかるって何がやねんな! お前コナン君か?」

 

「その……どこが引っかかりますか?」

 

 

 山田が尋ねると、彼女は親指を唇に押し付けながら話し始める。

 

 

「雛見沢症候群の研究は、三年後に止められるのですよね?」

 

「は、はい。そう聞きました」

 

「なら、別に村を消す必要はないと思うのです」

 

「え?」

 

 

 梨花は神妙な顔付きで続けた。

 

 

「逆に村を消しちゃえば、誰かがその陰謀に勘付く可能性もありますし、何よりそんな大きな事件にしなきゃ隠せないほどの話でもないのですよ。今だって世間の人たちどころか、ボク以外の村人はシラナイシラナイなのです」

 

「確かにシラナイシラナイやな」

 

「ヘーキの事はボクだって知らなかったのですから、そのままのやり方でやればラクチンラクチンなのです」

 

「ラクラクチンチンやな」

 

「矢部っ!!」

 

 

 矢部が納得するほど、梨花の反論は説得力があった。

 また山田もそれ聞いてハッとさせられる。

 

 

「……言われてみれば……村を消してしまえば、その偽造工作やら人員やらでお金も手間もかかるし……現に私たちのような、未来で探ろうとする人間も出て来る……たかだか兵器開発の事実を隠すのに、今も昔もフットワークの重さは世界一な日本の政治家にそこまで決断出来るかぁ……?」

 

「急に辛辣やないかお前。新聞のコラムニストか?」

 

 

 更に梨花は続ける。

 

 

「鷹野が暴露しようとして殺されただけなら分かりますなのですが……ボクにはどうにも、村を丸ごと消しちゃう動機が『東京』にはないように思えるのです」

 

「ほんなら『東京』ちゅーんは結局関係あらへんのかいなぁ〜?」

 

 

 それは無いと山田は首を振る。不自然な警察の介入や、鷹野や富竹が狙われた件も含めて、明らかに組織的な思惑がある。薄らとしているが、それだけは確信があった。

 しかしまだ判断材料が足りない。二十二日の火曜日に梨花を殺す「黒幕」は、まだ別にいるのだろうか。

 

 

 

 

「……となるとやっぱり手掛かりは…………」

 

 

 まだ完全に解明し切れていない、雛見沢連続怪死事件──「鬼隠し」。もはやこれしか黒幕に迫るものはないと、山田は思った。

 となるともう四の五も言ってはいられない。

 

 

「……梨花さん」

 

「はいなのです?」

 

「……決めました」

 

 

 キッと梨花を見据えて、山田は言い切る。

 

 

 

「私、今日中に鬼隠しの『犯人』を暴いてやります」

 

 

 

 驚き、目を丸くする梨花の前で、更に彼女は自信に満ちた口調で続けた。

 

 

「元々、綿流し後に本腰入れて捜査するって話でしたし」

 

「……今までケーサツも誰も解決出来なかった事件を……今日中に、なのです?」

 

「それしかもう手はありませんから」

 

 

 山田の言う通りだ。後はなりふり構わず、やるだけをやるしか道はないだろう。

 

 

「どうしても私、鬼隠しには梨花さん殺害の動機に繋がるものがあるように思えるんです」

 

「それって一体なんやねん? 事故やったり病死やったり殺しやったり、全部バラバラやんけ?」

 

「確かにバラバラです……でも一つ、共通点があるじゃないですか」

 

「……一人死んで、一人消えるっちゅーアレか?」

 

 

 大きく山田は頷いた。

 

 

「えぇ。一人消えているのは絶対に原因があるハズです……でもまずは梨花さん。まず、私たちがやる事は……」

 

「……やる事は?」

 

「……東京の事や兵器利用の話を踏まえ、入江さんから聞き出す事です。彼らがシロなのか、クロなのか」

 

 

 まだ時間は二時を過ぎた頃合い。日の出はまだだが、今から既に待ち遠しい。

 絶対に今日で全て暴き、明日はその事実を元に備える。だから今日しかない。崖っぷちの中に、梨花は山田の覚悟を前に、少し微笑んで頷いた。

 

 

 

 

 あらかた話が終わったところで、難しい顔をした矢部が質問する。

 

 

「あんな? 聞きたいんやけど」

 

「なんですか矢部さん?」

 

「むっちゃスルーしてたけど、なんでこいつワシらが未来人っての知っとんねん?」

 

 

 その問いに対し、梨花は「にぱー☆」と笑ってはぐらかした。

 

 

 

 

 直後、階段を降りる誰かの足音が鳴り、暫くして寝ぼけ眼の沙都子が襖を開けて現れた。眠りが浅かったようだ。

 

 

「あ。沙都子……」

 

「うぅん……梨花、まだ起きていらっしゃったの──」

 

 

 

 

 まだぼんやりしていた彼女の頭は山田の姿を捉えた途端に一気に醒め、驚きから彼女の名前を叫ぶ。

 

 

「山田さんっ!?!?」

 

「は、はい!? 本人です!!」

 

「電話の受け答えかい」

 

「山田さぁぁーーんっ!!」

 

 

 次に飛び込むように居間へ入り、飛び込むように山田へ抱き付いた。

 

 

「うおっ!?」

 

「うわあぁぁーーん! 無事で良かったですわーーっ!!」

 

 

 殺されたかもしれないと不安に思っていただけに、山田が無事と分かった際の反応も大きい。強く彼女を抱きしめながら、沙都子は泣きじゃくる。

 あまりにも激しい感情をぶつけられ、山田は「どうしたら良い?」と困り果て、矢部と梨花へ視線を送る。矢部は「知らんがな」と口パクで伝えた。

 

 

「てっきり殺されたかもしれないって、私……私……!」

 

「えーと……ま、まぁ、色々ありましたんで、はい……」

 

「とっても心配したんですからぁ!! もうっ! どこ行ってましたのっ!?」

 

「あのぉ……ええと、ど、どこまで言えば……」

 

 

 しどろもどろな山田に呆れ果て、仕方なく梨花が助け舟を出してやった。

 

 

「勝手に祭具殿に入ったからケーサツに怒られてただけなのです! ほら。そこのおじさん見覚えありませんか?」

 

「え?…………あ。頭のおかしい方……」

 

「どんな印象持たれとんねんワシ!?…………頭おかしいてどっちの意味で言うとる?」

 

 

 そう言って髪を押さえる矢部。

 とりあえず山田は祭具殿の件で警察に連行された後、刑事である矢部がここへ帰しに来た、と言う事で辻褄を合わせた。

 

 

「上田さんと富竹さんはその、園崎さんの所でお説教受けてますけど……明日には戻ると思いますよ。多分」

 

「あぁ、良かったですわ……! 皆さま無事で……!」

 

「でも……あの、鷹野さんは……残念ですけど……」

 

「…………そうでしたわね……」

 

 

 安堵に満ちていた沙都子の表情に影が出来る。何度も診療所で世話になった鷹野も、沙都子にとっては大事な人であった。山田らの無事が喜ばしいと共に、喪失感も辛いほどに湧く。

 

 抱きしめていた山田から腕を離すと、泣き腫れた目を拭う。

 

 

「朝になったら監督にもお会いしないといけませんわ。一番辛いのは多分、監督でしょうし……」

 

「それはボクたちがやるのです。多分、今日は学校がお休みになると思いますから、沙都子はゆっくりすると良いのですよ〜」

 

「…………うん」

 

 

 気持ちの整理が付いていない彼女を、梨花は宥めてやる。

 差し出されたティッシュで涙を拭っている時に、ふと山田はおずおずと尋ねる、

 

 

「あ、あのぉ……祭具殿に勝手に入ったのはマズかったですよね? やっぱり……」

 

「駄目なのです! 訴えたら間違いなくボクが勝つのです!」

 

「いやでも鍵開けて勝手に入ったのは上田とかで、私は勝手に開いていた扉を見て『もしや空き巣か!?』と思って、祭具殿を守る為に見に入っただけですから寧ろ褒められた事やったと思うんですよ」

 

「喋り方ひろゆきなってもうとるやんけ」

 

 

 彼女が何と言おうと祭具殿に不法侵入した事は紛れもない事実で、鬼隠しと共に村中へ既に知れ渡った大事件だ。

 だが現在の管理者である梨花は存外に、入った事に関して寛大でいてくれた。

 

 

「反省したなら許してあげるのですよ。ごめんなさいするのです」

 

「ごめんなさい」

 

「オーケーなのです!」

 

 

 横から矢部が口を出す。

 

 

「それでええんかいなぁ? オヤシロ様は怒っとるんちゃうんか?」

 

「あの……オヤシロ様は怒ってない、みたいですわ」

 

 

 そう答えたのは沙都子だったので、意外そうな表情となった山田と矢部。

 沙都子は「ですわよね?」と梨花に確認を取ると、彼女はこくりと首肯する。

 

 

「勝手に入った事は駄目なのですが、山田も上田も、富竹も……鷹野は分からなくなっちゃったのですけど、みんな反省していると思うますのです。ならもう良いのですよ」

 

「ホントに良いんですか?」

 

「盗みをした訳じゃないのですし……そもそも祭具殿の鍵を簡単な物に変えたのはボクなのです。前の鍵は大きくて重かったのですから……だから落ち度はボクにもあるのです」

 

「そ、そうだったんですか」

 

 

 梨花はそのまま、「なので」と続けた。

 

 

 

 

「もう勝手に入った事、オヤシロ様は許してくれますのです。にぱーっ☆」

 

 

 いつも見せる屈託のない笑顔で以て、話を締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜明けを迎えて朝となり、野宿している部下を放ったままこの家で一泊した矢部が、大あくびをしながら居間に入る。

 山田は修理中のテレビの前で、髪を乱してうつ伏せになって眠っていた。

 

 

「貞子かこいつ」

 

 

 矢部の後ろからひょっこりと、同じく起床した梨花が顔を出す。

 

 

「そのテレビもちょっと邪魔なのです……上田に悪いけど、しゅーり屋さんに頼むのですよ」

 

「デカいテレビやなぁ〜。子ども一人入るんちゃう?」

 

 

 そう言いながら矢部はまだ眠っている山田の頭をベシッと叩いて起こす。瞬時に彼女はガバッと顔を上げた。

 

 

「ふぉっ!? わ、私は伽倻子じゃなくて貞子ですっ!!」

 

「どんな夢見とってん」

 

「僕のジュース半分あげるっ!!」

 

「そりゃサダヲや」

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えるとすぐに神社を出て、入江診療所へ向かう。先ほど先生からの連絡網で、鬼隠しの犯人が潜んでいる事を考慮して明日明後日まで休校する旨が伝えられた。なので休日となった梨花も、山田と矢部に同行する。

 

 山田はふとそんな彼女に、昨夜した祭具殿辺りの話の事を尋ねる。

 

 

「……なんだか、アレなんですね。村の人と梨花さんとじゃ、オヤシロ様への考え方に差があるんですね……?」

 

「祭具殿にある物は怖い物ばかりなのです。怪我しちゃうかもですから入っちゃ駄目なのです。それだけの話なのです」

 

「昨日なんか私、殺されるんじゃないかってぐらい村の人に詰め寄られましたけど……」

 

 

 今だって通りがかりの村人にギロリと睨まれ、小声でぶつぶつと呪詛を呟かれた。

 

 

「貧乳めが……」

 

「ナイチチめ……」

 

「!?」

 

 

 それを隣にいた矢部が面白がる。

 

 

「だははは! 言われとんな山田ぁ?」

 

「偽物め……」

 

「!?」

 

 

 次に小言を言った村人に、矢部は頭を押さえながら反応する。

 そんな彼らを悲しい目で見送った後に、梨花は話を続ける。

 

 

「オヤシロ様は……怖い神様じゃないのです。祭具殿の道具が使われていたのも、昔の村人が勝手にやっちゃった事なのです」

 

「えぇメーワクやなぁホンマ。信者が過激っちゅーんはどの世界でも同じなんかぁ?」

 

「…………」

 

 

 梨花と矢部の言葉を聞いて、ただ山田の脳裏に流れるは数々の霊能力者たちの所業と、何も知らず慕う者たちの痛ましい姿。何度も霊能力者と対決を繰り広げて来た山田だが、真に大変で恐ろしかったのは、信者をけしかけられた時だった。ジオ・ウエキの一件もそうだった。

 

 

 そして何より、「とある村」での出来事がどうも雛見沢村の様子と被って見えた。

 あの時は霊能力者が、と言うよりも村のしきたりと神への信仰に狂った村人たちがとても恐ろしかった。

 

 

「……何だか……『糸節村(イトフシムラ)』を思い出しますね、矢部さん」

 

「トイレツマルか?」

 

「あの時も……神の為なら人殺しも厭わない、そんな村の人たちとの戦いでした」

 

「お前があの村の奴ら騙しとったんが悪いんやろ」

 

「矢部! 偽物っ!」

 

 

 矢部は真顔で髪を押さえて沈黙した。

 ずっと隣で静聴していた梨花だが、山田のその話に関しては首を振る。

 

 

「……確かに行き過ぎなところはあるのです。でも……確実に村には『新しい風』が吹き始めているのです」

 

「……新しい風?」

 

「村の因習に抗おうとする、変えようとする……次の世代が、この村にもいるのです」

 

 

 広大な自然に囲まれて、合掌造りの古めかしい家々が残っている。朝風に吹かれて切れた青草が、オニヤンマと共に青空へ舞った。雛見沢村のそんな原風景は、昨夜の騒動などなかったかのように、とても長閑で素朴で、綺麗だ。

 

 電信柱が連なる道の真ん中、アメンボが波紋を作る田んぼに挟まれた道で、梨花は訴える。

 

 

 

 

「まだ時間が足りないだけ……だからこそボクは……みんなと一緒に、『新しい雛見沢』を迎えたいのです」

 

 

 それだけ言うと梨花はくるっと背を向け、走り出した。

 山田と矢部は困惑気味に目を合わせた後、その背を追いかけるように駆けた。

 

 

 

 

 

 

 診療所はまだ開いてはいなかったが、先に着いた梨花が必死に呼びかけた事で、入江が中からふらりと現れた。

 鷹野が死亡した件がかなり堪えたようで、たった一晩で見るからに窶れている。

 

 

「あ、あぁ……梨花さん、丁度良かった……私も是非、あなたとお話ししなければと思っていたところで…………」

 

 

 目を擦って頭を上げた際に、山田の姿を見て「あっ!?」と驚き声をあげた。

 

 

「や、山田さん!? 良かった……あなたは生きていらしたのですね……!」

 

「お、おはようございます……あの、鷹野さんの事……守れずに、何て言うべきか……」

 

「……いえ。山田さんは良くやってくださりました……警察に便宜をはかって貰えましたし、こちらも山狗に要請もしましたし……これだけやって無理だったのならもう、仕方ないですよ……」

 

 

 疲れ切ったようにそう呟くと、彼は診療所の中に入るよう促す。

 山田と梨花が先に入り、最後に矢部が続こうとする際に入江へ耳打ちした。

 

 

「あのぉ……」

 

「はい?」

 

「ここって……その。いや、ワシの事やないですけどねぇ? その、知り合いに〜、困っっ、とる奴がいましてぇ」

 

「は、はい……」

 

「ワシの事やないんですけどね? ここって……薄毛治療ぉ〜……とか、やってはるんですかねぇ?」

 

「薄毛治療?………………あぁ、なるほど」

 

「どこ見てそんな納得したような事言いはりました? ワシの事やないって言いましたよねぇ?」

 

 

 ともあれ四人は診療所の中の、誰にも聞かれないよう入江の執務室で話し合う事になった。

 山田は包み隠さず、昨夜の出来事を全て話す。次いで東京の事、雛見沢症候群の兵器化の事も。

 

 

「……何回この話する必要あるんだ。矢部さんと梨花さんにそれぞれ二回はやったぞこの流れ」

 

「つべこべ言わんと全部もっかい話さんかい!」

 

「まぁ、その……そう言う事です。兵器の事とか、梨花さんも知らない事情もあるみたいですけど……?」

 

 

 途端に入江の顔から色がなくなり、頻りに梨花の顔色を伺うようになる。それから観念したように肩を落とすと、まずは頭を下げて謝罪する。

 

 

「……申し訳ありません。物騒な話ですし、軍事運用の件は極秘だと言う前提で研究が認められていましたので……」

 

「……そのヘーキは、もう出来ちゃったのですか?」

 

「……残念ながら。出資者の要望には逆らえませんので……」

 

「それはここにあるんですか?」

 

 

 山田の問いに、入江は首を振る。

 

 

「いえ。研究の凍結が言い渡された際に、軍事研究に纏わる資料や試薬の破棄も命じられましたので……今はどこにもないハズです。一度当局の監査も入りましたから、見落としはないかと……」

 

「じゃあ……今は何の研究をしていますです?」

 

「治療法の確立に重点を置いてます。これで雛見沢症候群を撲滅し、病気自体を無かった事にしろとお達しを受けていましたので」

 

 

 それを聞いた矢部は安堵したように息を吐く。

 

 

「それやったらええやんけ? 兵器開発してないっちゅーならもう、健全な研究やんなぁ山田ぁ?」

 

「……じゃあ尚更、なんでこの村消されるのか分からなくなったじゃないですか」

 

「え? け、消される?」

 

 

 思わずポロッと未来の出来事を言ってしまい、咄嗟に矢部が山田の口を塞ぐ。

 真っ青な顔になる未来人二人に飽き飽きしながらも、梨花が話題を変えて有耶無耶にしてやる。

 

 

「ボクを護衛している、『山狗』たちはどうなっていますか? 鷹野の護衛にも当たっていたハズなのです」

 

「確か、梨花さん親衛隊でしたっけ」

 

「アイドルの追っかけか?」

 

 

 初めて聞いた矢部だけ困惑している。

 そもそも梨花には山狗と言う部隊が護衛に付いており、彼女が殺されて集団発症が起こると言う事態を防いでくれているハズだ。

 

 しかし当日はその目を掻い潜って殺害され、それ以前に鷹野の死もみすみす引き起こしている。梨花が彼らの仕事ぶりに不信感を持つのも無理はないだろう。

 山狗について、入江は困ったような顔で話した。

 

 

「あちらも、鷹野さんの死を受けて大変混乱しておりまして……当局から責任問題を糾弾されている最中です。もしかすれば、研究凍結に先立って任務終了となる可能性もあるかと……」

 

 

 それを聞いて梨花は顔を顰めるだけに留める。

 

 

 

 

 あらかた入江らの立場について聞き終えた。山田は「本題だ」と言わんばかり、彼へ鬼隠しの件を切り出す。

 

 

「入江さん……もしかしたら今後、梨花さんが殺されるかもしれない……って、話だったじゃないですか」

 

「え? え、えぇ……していましたね。まだ半信半疑ですが……」

 

「私、梨花さんを狙っている人間がいるとすれば……鬼隠しに糸口があるように思えるんです」

 

 

 途端に入江は苦しそうな顔となる。

 彼のその気持ちは重々承知だ。そもそも彼が山田らに鬼隠しの再調査をしないよう言ったのは、一年目の事件の犯人は沙都子かもしれない可能性を隠す為だ。

 

 

「……一年目の事件、犯人は沙都子さんじゃないかもしれませんよ」

 

「……えっ!?!?」

 

 

 故に山田のその言葉は、入江の意表を突いた。

 山田は続けて、北条家で見つかったガリウムやボロボロの柵と言った調査結果を伝え、唖然としている入江に対し一つの推理を提示する。

 

 

「そのガリウムは、沙都子さんのお母さんしか開けられない絡繰箪笥の中にありました。しかも彼女は現在、行方不明……もしかすれば、犯行は彼女の手によるものだったかもしれません」

 

「そんな……!」

 

「……やはりあなた、沙都子さんの犯行だと思って……捜査の停止を私たちに……」

 

 

 ちらりと彼は梨花に目配せする。そして真剣な表情の彼女を見て、決心したように口を開いた。

 

 

「事件後、沙都子ちゃんは……雛見沢症候群の末期症状を、発症しておりました」

 

「ボクが入江たちに協力して、何とか治療薬を作れたのです」

 

「そして大石刑事から、沙都子さんの供述についての話を聞かされ……間違いなく彼女は雛見沢症候群の症状で以てご両親を突き落としてしまったかと……」

 

「やっとんなぁ目暮警部」

 

 

 同業者である矢部は感心しているものの、調書の話を彼にもしたのかと山田は忌々しげに顔を歪めていた。入江が再調査を止めたがった原因がまさか大石だとはと、ただただ気分としては悪い。

 

 

「……事件後、警察には圧力がかかっていたそうですけど……それは、あなたたち『東京』としての力、だったんですね」

 

「……はい。それしか方法が思い付かなかったんです……」

 

 

 謝罪するように入江は深く深く、また頭を下げた。傷んだ髪がパランと弱々しく垂れる様はどこか哀愁があった。

 

 

「……沙都子ちゃんのお母さんは、村八分の事を受けて大変気を病んでおられました。自分もそうですが、やはり二人の子どもが冷たい扱いを受けている事を、大変憂慮されておりまして……カウンセラーの心得のある鷹野さんに、何度か心理カウンセリングを……」

 

「ほんならソレで発症してもうたんやろか?」

 

「……鬱病は、治りかけの時期が一番危ういと言います。なまじ活力を取り戻したばかりに、自殺をはかってしまうとか……もう少し根気強く寄り添っていれば……」

 

 

 後悔と嘆きを滲ませて声を震わせる入江を前に、もはや山田はこれ以上問い詰める気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 診療所の開業時間となり、山田らは暑くなり出した外を歩いていた。

 こっそり髪を持ち上げて、その下を手で扇ぐ矢部の前で、山田は梨花に聞く。

 

 

「……どう思われましたか、梨花さん? 入江さんは……私たちの味方でしょうか?」

 

「……ボクは……入江は全面的に信用しても良いと思うますのです」

 

「ですよね……あれが全部演技だったらもう役者やれってレベルですもんねー……」

 

 

 それほどまでに入江の挙動一つ一つに、真摯さがあった。沙都子を守ろうとした姿も、山田たちが無事で安堵した姿も、嘘臭さが全くなかった。

 

 

「と言うか沙都子さん、末期症状まで行ってたんですね……あ。もしかして、アルバイトって言って打ってた注射……」

 

「その通りなのです。アレは、雛見沢症候群の症状を抑える薬なのです。沙都子に気付かれずに病気を治療して、かつお金の支援も出来る……とっても賢いやり方なのです」

 

「はぁ〜……何だか色々、分かって来ましたね」

 

「いや分からん事の方が増えてもうたやんけ!」

 

 

 矢部がツッコむ。

 

 

「結局、コレ殺すんは東京なんか東京やないんか分からんくなってもうたわぁ!」

 

「コレって言うんじゃないのです」

 

「東京の方から、三年で治療法見つけて治せ言うてたんやろ? ほんなら、村消す必要あらへんやんか!」

 

 

 色々と知れたと同時に、梨花殺害の黒幕について一層分からなくなった。治療法の確立を命じた東京に、梨花を殺して村を消すような動機はない。

 推理はまた振り出しに戻ってしまい、釈然としない様子で悔しそうに山田は口を曲げる。

 

 

「……一体誰が、梨花さんを……」

 

「案外こいつ、誰かの個人的な恨み買っとっただけちゃうか?」

 

「そんな事ないのですっ! もうカツラは黙るのです!」

 

「誰がカツラやぁッ!?!? いらっしゃぁぁあーーーーいッ!!!!」

 

 

 まだ情報が足りないのかと項垂れる山田。

 だが入江から聞いた話を何度も頭の中で反芻する内に、妙な事に気が付いた。

 

 

 

 

「…………アレ? ん?『軍事研究の資料と試薬は全部破棄した』……?」

 

 

 確か入江はそう言っていた。試薬と言う事は、兵器は何か液体の薬剤型なのだろうか。

 ふと山田が想起したのは、上田が首から注入されかけたと言う注射の話。そして本来ならば、雛見沢症候群の末期症状を引き起こし、首を掻きむしって死んでいた富竹の運命。

 

 

「…………もしかして……」

 

「山田? どうしたのですか?」

 

 

 雰囲気の変わった彼女が気になり、梨花が尋ねる。

 顔を向けた山田の表情は、緊迫感に満ちていた。

 

 

「……入江さんが破棄したって言っていた、雛見沢症候群を使った『兵器』……それが誰かの手に渡っているかもしれません」

 

「……え?」

 

「どう言う事や山田?」

 

 

 焦った様子で彼女は来た道を戻ろうと、振り返る。

 

 

「す、すぐに入江さんに言わないと──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「入江先生の所に何か、あるんですかぁ?」

 

 

 突然現れたもう一人の声を聞き、山田は足を止めた。

 心底嫌そうな顔で天を仰いだ後、恐る恐るまた振り返る。

 

 

 

 

「おやおやぁ。何だか、面白い組み合わせですねぇ?」

 

 

 恰幅の良い風貌と、人を馬鹿にしたようなニヤニヤ笑いを浮かべた老刑事。一番会いたくない人物が今、すぐそこに立っていた。

 彼を見て、矢部は驚きと一緒にその名を叫ぶ。

 

 

 

 

「バスタードソードマンやんけ!?」

 

蔵人(クラウド)ですって!!」

 

 

 遠く入道雲が立つ青空の下、黒いシャツの大石が立ちはだかる。

 彼と最初に会った時もこんな空だったなと、不意に山田は思い出していた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

そよ風

 一方、園崎屋敷の地下に幽閉中の上田と富竹。二人は何とか園崎の人間に掛け合って、電話を用意して貰えた。

 地上から地下まで続く長い電話線を数人ががりの構成員が引き、その線を持って横一列で並ぶ彼らの目を気にしながら、富竹は黒電話のダイヤルを回す。

 

 

「……もしもし。長らく連絡出来ずに申し訳ありません、富竹です」

 

 

 彼が連絡を入れた先は、自身が所属している「東京」の調査部。組織内機関の監査と不正行為の調査を請け負うこの部署ならば、鷹野の死を受け、黒幕の捜査をしてくれるハズだ。

 

 電話口の男は富竹の生存を知り、驚き声を上げた。

 

 

「富竹さん!? ご無事でしたか! 入江機関の鷹野氏が殺されたと報告があり、てっきり……!」

 

「現地の協力者たちのお陰です。しかしお電話をしたのは僕の生存報告だけではなく……件の事件を受け、入江機関ならびに警察庁、更には当局内の全面的な調査をお願いする為です」

 

 

 はっきりと、そしてキチンとした口調で話す富竹を、隣で上田は唖然としながら眺めていた。さっきまで鷹野の死を嘆きまくっていた姿は何だったのかと言いたげだ。

 

 

「彼女の死は、東京の人間が引き起こした可能性が高い。また今後も現地の住民が狙われる可能性もあるとの事で……早急に行うべきと考えております」

 

「早急な対応を、ですか……」

 

「一連の事件は、雛見沢症候群を巡る旧体制派と新体制派の派閥争いによるものだと考えられます。鷹野氏を殺害した犯人を探し、尋問するべきです」

 

 

 調査部は、警察当局から引き抜かれた優秀な人材を多く入れている。富竹が要請すれば、明日とも言わずに今日には動いてくれるだろう。少なくとも今までがそうだった。

 

 電話口の男は深く頷き、一度何かを気にして後方を一瞥した後、一層受話器に口を近付け、辺りを憚るように話し始めた。

 

 

「……分かりました。こちらの方で準備を進めましょう。元より、鷹野氏の死は最重要事項ではありましたので」

 

「ありがとうございます! あぁ、良かった……!」

 

「ところで富竹さんは今、どちらに? お泊まりになられているホテルにはいらっしゃらないようでしたが……」

 

「今は身を隠している状況です。僕も、鷹野さんを殺害した者に狙われている可能性もありましたので……」

 

 

 それを聞いて男は「そうですか」と安心したような声をかけて、また後方を一瞥する。

 

 

「……お怪我は、ありませんか?」

 

「怪我? え、えぇ……ミヨを喪った心の怪我は盛大に負ってしまいましたが」

 

 

 突然抒情的になった彼を、上田は二度見する。

 男も困惑気味に「なるほど」と呟く。

 

 

「時間と共に癒されると思います。厳しそうであれば、カウンセリングにかかるのも手ですよ」

 

「えぇ、ありがとうございます。僕は大丈夫ですので……」

 

「そ、そうだ。富竹さん、えーっと……ほ、他に協力者はいらっしゃいますか?」

 

 

 矢継ぎ早に質問を繰り返す彼に、富竹は多少なり違和感を覚え始めていた。

 

 

「協力者は……一応、います。ただ東京の人間ではないので、何者かは差し控えさせてください」

 

「それは困ります。こちらとしても把握しておく必要が……」

 

「あの……僕の要望を早々に上へ通して欲しいのですが……」

 

 

 男はまた後方を見てから頷き、焦った物言いで会話を切った。

 

 

「わ、わ、分かりました! では早速、その通りに! どうかご無事で! もう少しです!」

 

「え……あ、はい。ありがとうございます……?」

 

「では!」

 

 

 電話は向こうから切られ、釈然としない様子で富竹は受話器を置いた。

 

 

「……とりあえず、東京の捜査部に話は通しました。これでもう、大丈夫と願いたいですが……」

 

「マイ・ブラザーよ、あなたには感謝しかない……やはりあなたは、私の大親友ですよ……!!」

 

「もう一人のジロウよ、嬉しい言葉をありがとうございます。これが鷹野さんの弔い合戦となれば良いんですが……」

 

 

 借りた黒電話を返却しながら、上田は先ほどの会話を思い返す。

 

 

「しかし……何だか、根掘り葉掘り聞く人でしたねぇ」

 

「仕方ないですよ。向こうも鷹野さんの死でバタバタしている様子でしたし……情報は得たいハズですから」

 

「そうですよね……しかしどうにも……話を長引かせたかったような気もするような……?」

 

 

 気のせいかと上田は割り切り、とりあえず立ち上がる。

 

 

 

 

「じゃあ……スクワットしましょうか、マイ・ブラザー」

 

「えぇ。マイ・ブラザー」

 

 

 やる事もないのでその場でスクワットを始める二人。

 

 

「うぉぉーーッ!! 結果にコミットぉぉぉーーッ!!」

 

「おぉおーーッ!! ミヨぉぉぉーーーーッ!!」

 

 

 見張りの構成員らもなぜか一緒にやり出す。

 

 

「うおぉーーッス!! おおおおーーーーッ!!」

 

「うぉぉおーーーーッ!! アアーーーーッッ!!!!」

 

「ぬぁぁあーーーーッ!! マッシュルーーーーーッッ!!!!」

 

「「「「ハアァアァァーーーーーーッッッッ!!!!」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蒼天と入道雲が望む夏空の下、大石が山田らの前に立ち塞がる。

 山田や矢部としては、本当に今会いたい人物ではない。昨夜は明確に警察より追われ、矢部に至っては官名詐称等の容疑がかけられている。大石が彼らを止め、逮捕する口実は幾らでもある。

 

 

 緊迫する空気感の中、ニヤニヤ顔の大石を警戒して見据える、山田たち。

 手錠でも出して迫って来るのかと思っていたが、次の瞬間大石は目を瞑り、溜め息を吐く。

 

 

「そんな警戒なさらないでくださいよぉ!…………あなたたちを逮捕しようなんざ、今は考えとらんですから」

 

「……え?」

 

 

 先ほどのニヤニヤ顔から一転、大石は苦々しい顔付きを見せた。

 

 

「捜査権が県警に移ってから、私は完全に……彼らに情報を渡すだけの引き継ぎ係にされちまいましてねぇ?」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

「全く……昔からの管轄署が鬼隠しを捜査出来んなんざ、馬鹿げてる……」

 

 

 およそ見た事がないほど、悔しげな感情を剥き出しにする。山田らよりも彼と交流があるであろう梨花さえも、その大石の姿には大変驚いていた。

 

 

「……みぃ。じゃあ、ここで何してるのですか?」

 

「……村の巡回はもはや、生活の一部になってましてねぇ……本当は村を出歩くなとお達し食らっているんですけどね?」

 

「……まだ理由はあるのですね?」

 

 

 鋭く見抜く梨花の前で目をギョッとさせた。

 それから彼は一度バツが悪そうに口をモゴモゴさせると、白状したように開いた。

 

 

「……山田さんに、お会いする為です」

 

「……え? 私に、ですか?」

 

「なんでコイツやねんな?」

 

 

 大石は警戒を受けながらも一歩踏み出し、そして彼女の前で頭を下げる。

 

 

「申し訳ありません。私は……あなたを、信じ切れなかった」

 

「え?……え!?」

 

 

 突然の謝罪に愕然としながらも、一行は大石の次の言葉を待った。

 下げていた頭をもう一度上げた時には、彼は酷く困憊とした表情に変わっていた。

 

 

「実は、綿流しを張っていた刑事らには……富竹さんや鷹野さんではなく、あなたと上田先生を見張らせていたんです」

 

「……!」

 

「あなたらは私の知らない、何か情報を握っている……そう思ったばかりに、鬼隠しと関係があると睨んでしまったばっかりに……」

 

 

 苦しそうに顔を顰めてから、大石は吐き出すように言う。

 

 

「…………冷静ではいられんかったんですよ。村人らがあなたを取り囲んでいると知った時…………そのせいでありったけのデカ祭具殿の方に向かわせ、鷹野さんを境内から出しちまった。そしてあなたの推測した通りに事が起きた」

 

「…………」

 

「…………大石蔵人、一生の不覚です」

 

 

 鷹野が境内から出れたのは、そう言った背景からだったのかと山田は理解する。

 しかしだからと言って、大石を責める気にはなれない。彼もまた、黒幕に出し抜かれた人間だからだ。

 

 

「……大石さんも、全部が悪い訳ではありません。村人を煽った人間がいたなんて、誰も分かりませんし……それに、あの時警察の人が来なかったら、私たちが危なかったかもしれませんから」

 

「…………お優しいですねぇ……信じ切れなかった事、ますます悔やまれますよ」

 

 

 大石が山田に不信感を抱くのも仕方がない。

 山田らもまた、雛見沢症候群や未来の話を隠したいが為に、挙動不審な様を見せてしまった。寧ろそれに勘付いた大石の洞察力は間違っていない──尤も、彼のその洞察力の深さ、そして鬼隠しへの執念をも利用されたようだが。

 

 

 謝罪を述べた後、大石は表情を整えてから、「しかし」と続ける。

 

 

「あなたがまだ何か隠されている事だけは、私としては聞かねばなりません。あなたぁ、何を以てこの鬼隠しを捜査しているんですか?」

 

「…………」

 

「……どうしても答えてはくれませんかねぇ?」

 

 

 判断に迷った山田は、隣にいる梨花をつい見てしまう。しかし彼女の表情にはやはり、大石への不信感がある。

 どうやら梨花もまた、彼に何か因縁でもあるようだ。それに彼は、今や「東京」の触手が伸びた興宮署の人間で、その点も含めてやはり信じ切れない様子。

 

 

 暫く戸惑い、迷った末に、山田は意を決して言った。

 

 

 

 

「……上田さんと富竹さんは無事です」

 

「や、山田!?」

 

「今は園崎屋敷で保護されています。上田さんは誰かに殺されかけました」

 

 

 驚く梨花を無視し、山田はつらつらと本当の事を述べて行く。

 

 

「そして、とても大事な話があるんですが……それはここで私が言っても、とても信じてくれるような話じゃありません」

 

「…………つまり、信用するに足る人物から……直接教えてくださると?」

 

 

 大石の明察を受け、山田は臆する事なく首肯する。

 彼の言った「信用に足る人物」とは無論、入江の事だ。山田は入江を交えて、大石に全てを明かさせようと決意したようだ。

 

 

 だがこの決定には、大石への不信感が強い梨花は戸惑いを隠せていない。矢部もまた、山田に焦った様子で尋ねる。

 

 

「え、えぇんか……!? あんの茶風林は」

 

「だから大石ですって」

 

「警察の人間やぞ……!? 敵に情報漏れたらどないすんねん!?」

 

 

 ツバを飛ばして忠告する矢部を、彼の髪を少し引っ張って黙らせると、山田は続けて話しかけた。

 

 

 

「その代わり一つ、教えてください。昨夜見つかった、顔を剥がされた死体は……どこにあります?」

 

 

 眉間に皺を寄せ、山田の質問の意図をはかりかねている様子の大石。それには梨花も気になった。

 

 

「な、なんで死体を……なのです?」

 

「あの死体、上田さんでも、富竹さんでもなかった……なら、誰の死体なのか気になるじゃないですか。今までは過去の事件でしたが、この事件は今実際に目の前で起きた鬼隠し……逃す手はありませんよ」

 

「……それなら警察の方で、今日の昼にも検死しますとも。山田さんが動くまでもございませんよぉ?」

 

 

 これは大石の言う通りだが、山田は毅然とした態度で説く。

 

 

「あなたも分かっているハズですよ……今の興宮署は、何か胡散臭いと」

 

「……!」

 

 

 図星を突かれたようで、大石は動揺からネクタイを直す仕草を見せてしまった。

 

 

「そんな今の、県警が支配する興宮署で……真っ当な検死結果が得られるでしょうか?」

 

「…………確かに、担当する検死官も、向こうが用意した人間ですが……」

 

「…………」

 

「…………一つ聞きます。仮に私が、遺体の安置所を行ったところでぇ……一体、なにをなさるおつもりですか?」

 

 

 その問いを待っていたと言わんばかりに、山田は鼻を鳴らしてほくそ笑んだ。

 

 

 

 

「確かめるんですよ。握り潰される前に……私たちが」

 

「……ッ!」

 

 

 そよ風が吹き、ふわりと靡く白のスカートと長い黒髪。真っ直ぐこちらを見据える山田のその目を、その気迫を、大石は無視する事が出来なかった。

 どこかの家で鳴った風鈴の音が止む。風鈴の陶器部分には「茶」と書かれていた。音が消えたタイミングで大石は、ふっと微かに笑ってみせた。

 

 

 

「……検死が行われるんは、前にレナさんのお父さんが入院されていた、あの病院ですよ」

 

 

 観念したような困った笑顔で、場所を言った。それが信じられないと言わんばかりに、梨花は目を丸くさせる。

 場所を告げてからまた大石は厳しい顔付きとなり、改めて山田に忠告する。

 

 

「何をなさるんかは分かりませんが……県警らはあなたらを探しております。もし、病院でヘマでもやらかしゃあ……その時は、私でもどうにもなりません。お覚悟のほどは?」

 

「……何とかしてみますよ。もし捕まっても、あなたの名前は出しません。そして『信用に足る人』は夕方頃、多分、レナさんのお父さんのお葬式に来られますので、その時に来てください」

 

 

 約束を取り付けられて満足なのか、大石はまたいつものニヤニヤ顔に戻る。

 

 

「んふふふふ! では、夕方ぐらいにまた伺いますとも!」

 

 

 手をヒラヒラさせて踵を返し、三人から離れて行った。

 暫し見送り、彼が道の角を曲がって消えるのを待つ。最初にドッと息を吐いたのは矢部だ。

 

 

「ひぃぃい……! つ、捕まるか思うたわ……! お前も良ぉあんなんと取り引き出来たなぁ!?」

 

「と言うか山田! 大石を引き込んで大丈夫なのですか!?」

 

 

 狼狽える二人の間で、山田はずっと凛とした表情をしていた。

 

 

 

 その表情のまま、黙ってヘナヘナと尻餅つく。

 

 

「なんやねんコイツ……気丈なんは顔だけやないかい!」

 

「ふ、ふふふ……わ、わ、私にか、かかれば、けけ、ケーサツを手玉に取るなんて、お茶の子茶フーリンですよ」

 

「初めて聞いたでそんな言葉」

 

 

 何とか緊張を解きほぐすよう努めながら、依然心配気な梨花へと自分の考えを教えてあげた。

 

 

「大石さんは、信用して良いと思います……アレだけ鬼隠しに執念してるんです。向こうから言われたって、あの人は絶対に引き込まれないですって」

 

「……確かに大石のあの執念は尊敬しているのです……でも! 入江は沙都子の一件で大石を嫌っているのです。果たして、話してくれるのでしょうか……」

 

「そこは……まぁ、梨花さん次第かと……梨花さんが言うなら、動いてくれますよ」

 

 

 やっと緊張がほぐれ、山田はゆっくり立ち上がってから彼女にお願いする。

 

 

「梨花さんはこれから……入江先生にその大石さんの事を取り付けておいてください」

 

「……さっき山田が、血相変えていたのはどうするのですか?」

 

「それはここに帰って来た時に聞きますよ……とりあえず、今は……」

 

 

 汚れた服を叩きながら、矢部の方を見た。

 

 

 

「……じゃあ矢部! 病院に突撃するぞっ!」

 

「突撃するぞやないねん。門前払い食らって終わりやないかい」

 

 

 場所は聞き出したもののノープランな山田に、ほとほと呆れ返っている。それでも彼女は諦めるつもりはなさそうだ。

 

 

「だったら矢部さんが刑事って事で、何とか出来ないんですか!?」

 

「お前アホかぁ!? 検死控えとる病院とか、警察うじゃうじゃおるで!? 看護師騙せても、そいつら騙せへんわ!」

 

「騙すも何も、お前本職だろ!?」

 

「ここじゃパンピー同然や言うたやろがい!?」

 

 

 ギャーギャー口論を始める二人を交互に見ながら、梨花は溜め息を吐く。

 それから呆れ顔のまま微笑み、意見してやった。

 

 

「なら、魅ぃの所に頼んでみるのです」

 

「み、魅音さんのトコですか? でもあの病院、園崎権限通じないトコでしたけど……」

 

「園崎権限てなんやねん」

 

 

 梨花は指をチッチッチッと動かす。

 

 

 

 

「園崎家の強みは、人の多さなのですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二時間後、例の病院の前には十人ばかりの柄の悪い男たちが大挙していた。

 

 

「おうおうおうおう!? ヤクザは病院(ビャァウイン)入れんのかぁッ!?」

 

「なにサツが病院(ビャァウイン)仕切っとんじゃオラァ!?」

 

病院(ビャァウイン)はみんなのモノだろがぃッ!?」

 

 

 病院前で激しく騒ぎ、見張りを担当していた警官らがすぐさま鎮めに現れる。

 

 

「何なんだお前らッ!? 病院(ビャァアオゥ)で騒ぐんじゃないッ!!」

 

「そっちが入るん拒否したのが悪いんやろがい!? 病院(ビィイヤァオゥ)にそんな権限あるんか!?」

 

「うるさいテメェらッ!! そんなに元気なら病院(ビィイヤオウッ)は必要ないッ!!」

 

「ンだと!? お前この病院(ビィヤァァァァオゥ)の医者かぁ!?」

 

「ビィイィイヤァァァァオゥッ! ブッ飛ばすぞーーッ!!」

 

 

 警察とヤクザたちの押し問答が続く後ろ。警官らの注意が逸れている隙に、病院へサッと入り込む二人の人間。

 一気にロビーを突っ切り、警官らが通り過ぎる隙間をコソコソと抜け、院内の奥へ奥へと進む。

 

 警官らの気配がなくなったと察知すると、二人は立ち止まり、同時に息を吐き出した。

 

 

「はぁあーー……な、何とかなるもんだな……! 園崎やっぱスゲェ……!」

 

「しっかし間抜けやのぉ。ワシら変装しとるとは言え、全然気付きよらんでぇ? えぇ?」

 

「てかビャァオゥってなんだ。ノリダー?」

 

 

 

 

 

 二人が病院に来る二時間前の事。梨花のアドバイスを受け、すぐに公衆電話で魅音と連絡を取った。

 

 

「……と言う事でぇ〜……病院に入る為に陽動して貰えたらなとぉ〜……」

 

「えぇ〜!? てか死体の検死とか、警察に任せりゃ良いじゃん!?」

 

「いや、それは……」

 

 

 東京の事を言う訳にもいかず口籠る山田。矢部も受話器に耳を近付けながら、狭いボックスの中で押し合いへし合いしている。

 どう言い訳しようか迷っていたが、魅音は「いや」と言って、前言を撤回した。

 

 

「……鬼隠しを暴く為だよね、山田さん」

 

「……え、えぇ。その通りです」

 

「…………昨日から警察の動きがおかしいのは知ってる。それと何か関係あるんだよね?」

 

「…………はい」

 

 

 電話越しに魅音は理解を示したように頷いた。

 

 

「……分かった。でも、私らがやるのは陽動だけ。それで良い?」

 

「ありがとさんです! 園崎万歳!」

 

「あ、でも……山田さん多分向こうに顔割れてるから……変装しないと駄目じゃない?」

 

 

 魅音がそう言った時、後ろから声がかけられた。

 

 

 

「はろろーん! 姉ぇ? 誰とお電話中ですか?」

 

「……アレ? 詩音?」

 

 

 なぜか詩音が園崎の本家に来ていた。突然の登場に唖然となっている隙に、彼女は受話器に耳を寄せる。

 丁度その時に、電話の向こうが気になって山田が声を出した。

 

 

「み、魅音さん? どうされましたー?」

 

「……ん? んん!? や、山田さん!? 山田さんですか!?」

 

 

 すぐに受話器を、齧り付くようにひったくる。耳元でいきなり大声を出されたので、山田は矢部は一斉に受話器から顔を離し、ボックスの壁に頭をぶつけた。

 

 

「ご無事だったんですね……! 上田先生も富竹さんもいなくなって、私もうずっと気が気じゃ……!!」

 

「あ、あの、し、詩音。その事なんだけどー……」

 

「今どこですか!? すぐにお会いしたいのですが!? もう場所さえ言って貰えたら、園崎専用のジェット機で向かいますっ!!」

 

「ないよそんなの」

 

 

 感極まって泣きながら山田の無事を嬉しがる詩音に、電話越しながらタジタジとなる二人。

 その時にふと、詩音と初めて会った時の事を思い出す。

 

 

「……あ。確か詩音さん……コスプレの服、めちゃくちゃ持ってるんでしたっけ?」

 

「めちゃくちゃ持ってます!」

 

「…………」

 

 

 山田と矢部は同時に気持ち悪い笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今の二人は、詩音から当てがわれた服を着て変装している。

 まず矢部は白衣を着てから眼鏡をかけ、整った髪型のカツラを被らされている。風貌と雰囲気だけなら、どこかの病院の偉い先生だ。

 

 

「……なんか矢部。おったまげるぐらいそれ似合ってるな……」

 

「せやろぉ? えぇ? 菊池に見せてやりたいわコレ!」

 

「ドクターXに出てそう」

 

 

 そう言う山田の変装はと言うと、赤いジャージにこれまた眼鏡をかけ、髪を二房のお下げにした姿だった。

 

 

「お前は何やねんソレ。学校の先生か?」

 

「なんか私もこの服、しっくり来るなぁ……なんでだろ……」

 

「どことなくヤクザっぽいなオイ?」

 

 

 だがその山田の風貌が面白かったのか、通りすがりの入院患者たちに指差しで一斉に「わははは!」と笑われてしまった。

 

 

「お前ら笑うなっ!!」

 

「ヤンクミやんけ」

 

「……さて。変装は完璧です……後は向かうだけですね」

 

「こんな上手く行くとは思わんかったわ」

 

 

 二人は院内案内を確認しながら、慎重に廊下を進んで行く。目指すは検死前の遺体のある、安置室。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、わ、分かりました! では早速、その通りに! どうかご無事で! もう少しです!」

 

「え……あ、はい。ありがとうございます……?」

 

「では!」

 

 

 電話は向こうから切られ、釈然としない様子で富竹は受話器を置いた────

 

 

 

 

 

 

──富竹からの連絡を受けていた男は受話器を置いたと同時に、心底疲れたような顔で振り返る。

 

 

「ど、どうだ……!?」

 

 

 通話を受けていた電話には数多の線が付いており、それらは男の背後にある多くの機械と繋がっていた。その機械を見ていた別の男は、耳にかけていたヘッドフォンを外し、大きく頷く。

 

 

「逆探知成功です。富竹二尉は、この座標の地点に隠れています」

 

 

 メモに書き殴った座標の数値を、一連の流れを見守っていた若い男に手渡した。

 男はそれを、光のない死んだような瞳で読み、戦々恐々とする調査部の者らの前で小さく頷いた。

 

 

「……ここは確か、園崎家と言う大きなヤクザの屋敷がある場所だったな」

 

「ご存知なんですか……?」

 

 

 一度ちらりと彼を見てから、すぐに目を逸らす。

 

 

「……協力に感謝致します。以後、また富竹二尉から連絡があれば、私まで」

 

 

 素っ気なくそう言い残すと、男は何度もペコペコと頭を下げる調査部の者らに背を向け、事務室から出て行った。

 

 

 

 

 廊下を行き、階段を降り、誰もいないロビーも隅の窓際に立つ。

 すると外から窓がコンコンと叩かれ、それに気付いた彼は窓を開いた。

 

 

「…………先ほど、富竹二尉より連絡があった。彼は誰かに囲われた状態で生存している……そしてその誰かは、園崎家で間違いない」

 

 

 窓の外、庇の影が色濃く覆う中に、スーツ姿の女が背を向け立っていた。

 男からの報告を聞いた彼女は満足そうに小さく笑う。

 

 

「上出来です。早速、こちらの方で『先方』に情報を共有しますわ。引き続き、彼の動向に注意を」

 

「……富竹二尉の生存を、理事会に伝えはしないのか」

 

「必要ありません。鷹野さんの死、そして富竹さんの生存不明である現状こそ、我々の大義に必要不可欠なので」

 

 

 そう言ってから、「本来なら死んでいて欲しかったのですが」とぽつりと溢す。

 男はそんな彼女を心の底から侮蔑したような目を向け、棘の籠った口調で話しかける。

 

 

「……あの子には手を出すな。この事件で理事会は十分、旧体制派への不信感を募らせる。そっちの勝ちだ」

 

 

 だが彼のその訴えを、女はわざとらしい溜め息を吐いてから却下した。

 

 

「まだ足りません。『H173』による富竹さんの死が失敗に終わった以上、まだ旧体制派に分があります。アレで死んでいれば、誰が見ても入江機関の責任と言えたでしょうに……鷹野さんの死も、赤の他人の犯行だと言い逃れられてしまいます」

 

「……だからあの村を消して、雛見沢症候群と言う危険な研究を続けさせていた旧体制派に、その失った命で以て償わせる訳か」

 

「さすがの洞察力ですわ。『公安部資料室第七課』の肩書きは伊達ではありませんわね」

 

 

 頭に血が昇る。

 男は反射的に窓から身を乗り出し、そこに立つ女へと拳を繰り出そうとした。

 

 

 

 だが振りかぶったその腕は、背後に立っていた屈強な男に掴まれて止められた。

 

 

「…………ッ……!」

 

 

 睨む男の前で彼女は、肩を微かに震わせ、静かに笑っていた。

 

 

「ふふふふふ……前にも申し上げた通り、あなたは四六時中見張られています」

 

「……くっ……!」

 

「少しでも妙な動きを見せれば……例えば雛見沢に赴こうだの、園崎家に一報入れようとするだのすれば……」

 

 

 振り返った男の目には、自分を取り囲むように立つ多くの男たちの姿がある。

 皆がまるで張り付けたかのような真顔と、明確な敵意を滲ませた瞳を向け、こちらを見ている。

 

 

「大事な人を一人、喪う事になりますわよ?」

 

 

 人並みにしか身体を鍛えていなかった自分を恨む。多勢に無勢で、勝ち筋は一切ない。

 悔しげに歯を食い縛る男の前で、女はやっと到着した高級車に向かって歩き出そうとしていた。

 

 

 彼女が影から出ようとした瞬間、雲が太陽を覆い隠し、辺りを薄暗くさせる。

 部下が開けた車のドアより乗り込もうとする途中、その薄暗がりの中で女は思い出したように、一言加えた。

 

 

 

 

 

「あぁ! もう一人……その、『大事な人のお腹の中』にいましたっけ?」

 

 

 男の目から放たれる強い殺意を受けながら、女は歪んだ笑顔を見せて車に乗り込み、そのまま走り去って行った。

 雲が晴れ、再び辺りに太陽の光が満ちる。それを合図とするように男たちは彼を解放し、何事もなかったかのように散り散りとなって消えた。

 

 

 

 

 開かれた窓の前、一人ぼっちで残された男は、涙を流し、屈服したように膝を突いた。

 外ではどこまでも青い空と、遠く立ち登る入道雲が見えている。

 

 

 吹き入るそよ風に、心地良さは全く感じられなかった。




・昔の電話での逆探知は、逆探知するまでにある程度時間が必要となったので、それまで何とか相手と会話を保たせなければならなかった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

変遺体

 病院の廊下を忙しく、されど落ち着いた足取りで突き進む山田と矢部。何とか怪しまれず、大石から聞かされた遺体安置室のある棟まで辿り着いた。

 

 

「おったまげるぐらいスンナリいけそうやな」

 

「えぇ……本当に私たちの変装は完璧ですよ。どっからどう見ても、偉いお医者さんと学校の先生にしか見えない」

 

 

 そのまま堂々と、関係者以外立ち入り禁止の棟に足並み揃えて入ろうとする。

 しかし偶然すれ違った一人の医者が、二人を引き留めてしまった。

 

 

「ちょっと待ちなさいよーっ!」

 

 

 ぎくりと二人揃って肩が微かに動き、足が止まる。

 振り返った山田は小さく「うわっ」と呻き、顔を顰める。二人を引き留めたその医者は、レナの父親の元に向かう折に遭遇したあの「アキコ」だった。

 

 

「そこは立ち入り禁止よーっ!?」

 

「なんでこいつ女装しとんねん。新喜劇か?」

 

「なに勝手に入ってんのよーっ!」

 

 

 ズンズンと詰め寄るアキコを前に、そっと山田は顔を背ける。一度会った時に間違いなく顔は覚えられているハズなので、バレてしまうと思ったようだ。

 ならば矢部に言いくるめて貰おうと、山田は小声で彼に命じる。

 

 

「や、矢部! なんとかしろっ!」

 

「何とかしろて、どないすんねん……!?」

 

「だからなんか、ほら……偉い先生風で!」

 

「だからどないせぇって……あー、もう! しゃあないのう……!!」

 

 

 言い合っている内にアキコは二人の眼前まで来た。瞬時に矢部は表情と姿勢を整え、更に声を出来るだけ低くし、威厳を持って話しかけた。

 

 

「えー……ワシ、やなくて、わ、私は、偉い先生です」

 

「自分で言うーっ? お名前は?」

 

槍魔栗 三助(やりまくり さんすけ)です」

 

「芸名みたいな名前ねー?」

 

「ええと……あの。し、死体の検死に立ち会う為に、召集されたもんでして……」

 

 

 それらしい理由を言った矢部に、山田は称賛の意を込めてサムズアップする。

 アキコも少し納得したように頷いたが、彼女の顔を見た際に目を凝らし始めた。

 

 

「んんー? あら? なんか見た事ある顔ねー?」

 

「ぎくり」

 

 

 眼鏡をかけるなどして人相を変えているとは言え、やはり山田の姿に覚えがあるようだ。首を大きく捻り、思い出そうとしている。

 

 

「んー? どこだったかしらー?」

 

「あ、あ、あのぉ〜? もう検死の時間が近いんで行きたいんですが〜?」

 

 

 思い出される前に急いではぐらかす矢部だが、アキコは未だ二人に対して懐疑的だ。

 

 

「でも怪しい人はこの先に入れられないわよー! 特にそこの女!」

 

「な、なんでですか!? どう見たって、私は学校の先生じゃないですか!?」

 

「まず学校の先生が入れるって前提はなんなのよー?」

 

 

 思わぬ妨害に遭い、また二人揃って頭を抱える。

 もう言いくるめの台詞が思い付かない。山田は半ば自棄になって、必死に彼に頼み込む。

 

 

「ど、どうにかなりませんかー!?」

 

「いいや駄目っ!! 二人ともここから出てって!」

 

「お願シャスっ! すみませんっ!!」

 

「良ぃ〜よぉ〜っ!!」

 

 

 一転して快諾し出し、山田と矢部は一斉にずっこける。

 

 

「良いんかい!?」

 

「良いわよぉ〜? そう言う時代もあるわよぉ〜! 新時代よ今はぁ〜!」

 

 

 そう言って和やかに送るアキコを背に、胸を撫で下ろした様子で再び廊下を進む二人。

 

 

「な、なんとかなりましたね……!」

 

「さっきの時間はなんやってん」

 

「このまま真っ直ぐ行ったら遺体の安置室……フッ! 勝ったな!」

 

「せやろか山田」

 

「西の高校生探偵……?」

 

 

 ここまで来たものの、矢部からは一向に不安が消えていないようだ。

 

 

「相手は国やろ? ワシぁ刑事やから分かるけど、政治関わっとる事件は解決すんのムズいでぇ? 全部お偉い先生方が、警察も利用して隠してまうからな!」

 

「だからこうやって、隠される前に見に行くんじゃないですか」

 

「せやかて工藤」

 

「モロ言ったな」

 

 

 刑事としての立場からやはり危惧している事があるのだろう。この際だからと、矢部は窘めるような言い方で続ける。

 

 

「仮に死体になんかあったかて、それが決め手になるんかいな? それに興宮署は国側やし、梨花て娘殺した犯人どころか、まだ鬼隠しの事もよぉ分かってへんのやねんでぇ? 全部もう、隠されとったらどないするんや?」

 

 

 それを聞かされた山田は突然ぴたりと、足を止めた。矢部は少し前に進んでから、怪訝な顔をして振り返る。

 

 

「なんや? どした?」

 

「……矢部さんは」

 

 

 

 

 くっと顔を上げ、矢部と目を合わせる彼女の表情は、どこか自信に溢れている様子だった。

 

 

 

 

「……『ハリー・フーディーニ』は知ってますよね?」

 

 

 

 突然フーディーニの話を始めた真意が分からず、呆然とする矢部。

 

 

「あぁ?……おぉ。何度かお前や上田先生から聞かされとるで?」

 

 

 山田は彼の困惑に構わず、「フーディーニ最後の逸話」を話し始めた。

 

 

「フーディーニは死ぬ間際、妻のベスにこう言ったんです。『本当に死後の世界があるのなら、私は必ず方法を見つけ出し、一年後に連絡を取る』……と。そしてその声を伝えられる、『本物の霊能力者』を探せ、と……」

 

「おぉ……?」

 

「その際にフーディーニは、妻との間に『二つの合言葉』を決めていたんです。一つ目は二人しか知らない秘密の言葉で、二つ目なんかは二人で決めた『九つの単語と解読法』を使った暗号なんですよ。勿論、解き方は死んだフーディーニが教えてくれます」

 

 

 少し一息入れて、続きを語る。

 

 

「その合言葉と解いた暗号が言えたのなら、その霊能力者は本物だと言う証拠になりますから。更に暗号の解読には、妻が嵌めている指輪の裏に彫られている文字も見通さなきゃいけません」

 

「用意周到やなぁ」

 

「でも結局一年経っても、フーディーニの言葉を聞き、合言葉と九つの単語さえ言い当てられる霊能力者は現れなかった……」

 

「なんや。駄目やったんやないかい」

 

「この話、実は続きがあるんです」

 

「えぇ?」

 

「フーディーニと約束したその更に一年後……その、合言葉、単語、指輪の文字と暗号の解答分を全部を言い当てた霊能力者が現れたんですよ」

 

 

 驚いている彼の反応を楽しんでいるように、山田は微かに口角を上げる。

 

 

「妻はその人を『本物の霊能力者』と認めて、その人の言った言葉をフーディーニの言葉だとも認めたんですよ」

 

「それやったら、お前がしょっちゅう言うとった『霊能力者はおらん』って話はどないやねんなぁ? おるやんけ!」

 

「えぇ、そうですよ。霊能力者なんていません……その霊能力者もインチキだったんですよ。しかもそれを暴いたのは、雑誌の記者」

 

「はぁ? じゃあどないして合言葉とか、全部言い当ててんな?」

 

「簡単ですよ」

 

 

 したり顔を見せてから、山田はそのタネを教えてあげた。

 

 

 

 

 

 

「合言葉。実は妻がポロっと、新聞の取材か何かで言っちゃってたんです」

 

「……は?」

 

 

 矢部から拍子抜けしたような呆れ声が出る。

 

 

「それに指輪の裏の文字の事も、友人に漏らしていたようですよ。霊能力者はその、漏れた情報を集めていただけです」

 

「ほんなら九つの単語言うんは? それも漏らしてたんか?」

 

「えぇ、そうですね。暗号に使われた九つの単語を、雑誌の記者に内緒で教えていたんですけど……その記者が、さっきのインチキ霊能力者の友達だったんです。だから九つの単語を入手出来たんですよ」

 

「解読法の方もか?」

 

「それはフーディーニ本人が。『暗号の単語には指定した数字が振られていて、その数字の通りにアルファベットを並べると一つの単語になるんだ』……と、自伝の中で。霊能力者はそれも把握していて、だから暗号を解けたんです」

 

 

 

 タネが分かり、尚の事呆れ返る矢部。そこまで行くも最早、漏れた情報を集め切ったインチキ霊能力者の方を褒めたくなる。

 

 

「なんやねんな〜? そりゃ、夫婦揃って詰めが甘かっただけやないかい!」

 

「まぁ、妻のベスも、フーディーニと約束した期間より更に一年経った頃でしたから諦めが付いていたんでしょうし、精神的に参っていたらしいですから」

 

「はぁ〜! しょーもな!」

 

「でも、言えるのは──」

 

 

 そして最後に山田は、このフーディーニ最後の逸話から導かれる教訓を告げた。

 

 

「──巧妙に隠し切れたと本人が思っていても……絶対に何かしらの『穴』は、必ずあるものなんです」

 

「……!」

 

 

 呆れ顔だった矢部は、彼女のその言葉で顔色を変えた。ハッと気付かされたように見えた……そして彼はもうそれ以上、山田にネガティブな事は言わなくなった。

 

 

 

 

 

 

 二人はこっそりと進み、とうとう遺体の安置室に到着。

 警備員がトイレに立ったタイミングを見計らい、そろっと室内に潜り込んだ。一応、扉には鍵をかけておく。

 

 

「なんて完璧な潜入……! あまりに完璧過ぎて笑いが出そう……うしゃしゃしゃしゃっ!!」

 

「こないなトコで急に笑うなやアホ!」

 

 

 山田の額を叩いて黙らせる。

 遺体安置室には二つの寝台が置かれ、その上に白い布を被せられた死体が二つ乗せられていた。間違いなく、昨夜の事件で出来た謎の死体だ。

 

 

「本来やったら、鷹野って女と富竹って男やってんな?」

 

「えぇ……でも、富竹さんは生きてます。ならこの死体は誰なんでしょうか……?」

 

 

 布を取ろうと手にかけた際、昨夜見た死体の姿がフラッシュバックする。顔が潰された、あまりにもグロテスクな光景だった。

 しかし躊躇はしていられない。山田は布を掴み、少し持ち上げては下げてを繰り返してから、心底嫌そうな顰め面でそれを取った。

 

 

 

 

 

 布の下から出て来たのは顔無し死体──の方ではなく、全身丸焦げの焼死体の方だった。

 

 

「うぉーわっ!? ガングロっ!?」

 

「ガングロってレベルちゃうやろ!……おぉ、これやこれや。ワシらが見つけた焼死体っちゅーんは!」

 

 

 つまりこの死体が、「鷹野 三四」の物と言う事だ。

 つい山田は生前の彼女の姿を想起し、やるせない気持ちになってしまう。今目の前にある遺体にはその生前の面影は伺えないほど、焼け焦げていた。

 

 

「……鷹野サンヨンさん……」

 

「そんな名前やったな」

 

「……助けられなくて、すいませんでした。でも、仇は討ちますから……!」

 

 

 もう物言わぬ彼女にそう意思を伝えてから、布を被せようとする。

 しかし何か疑問にでも思ったのか、被せかけた布をまた取っ払った。

 

 

「被せんのかせぇへんのかどっちやねんお前」

 

「…………あの。完全に私の願望なんですけど……」

 

「なんや?」

 

「…………これ。本当に鷹野さんなんですか?」

 

 

 山田のその発言に、矢部は馬鹿にしたような呆れ顔を見せる。

 

 

「何言うとんねや? 一瞬やけど燃える前の姿はワシも見とるけどなぁ? 確かに、アレは女の身体や! んで髪の色も(おんな)じやったでぇ?」

 

「でも……顔は見てないんですよね?」

 

「こっち背中向けとったからなぁ」

 

「んー……?」

 

 

 眉をハの字にし、唇を尖らせながら考え込む山田。ふと、人相が判別出来ない死体の顔を見て、矢部に尋ねる。

 

 

「あの……こう言う、全身焼けた死体から、どうやって『この人だ!』って判別出来るんですか?」

 

「あぁ? まぁ、現代やったらDNAやら骨格とかですぐ分かるけどなぁ。この時代やったらやっぱ、歯型ちゃう?」

 

「歯型……」

 

 

 何を思い立ったのか、山田は半開きの状態だった死体の口を覗き込んだ。見た感じ、歯はまだ残っていた。

 

 

「あー。残ってますよ」

 

「お前、よぉそんな死体の口ン中とか覗けるなぁ?」

 

「折角だし、写真とか撮っときましょうよ」

 

 

 そう言って山田はポケットからインスタントカメラを取り出した。調査用にと、あらかじめ持って来ていた物だ。

 カメラ上部にあるダイヤルを回してフィルムを回し、レンズを覗き込みながらシャッターボタンに指を置く。

 

 

「はーい。笑ってー」

 

 

 笑わない死体の代わりに、隣で矢部が笑う。

 ボタンを押し、シャッターを切ると、薄暗い部屋がフラッシュで瞬いた。

 

 

「……良し。一応、()()()()()は全部カメラで撮っときましょう」

 

「せやな……お前そのカメラどこ向けとる?」

 

 

 カメラのレンズは、矢部の頭に向けられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、病院前では、まだ警察と園崎組とが一触即発の状態で睨み合っていた。

 

 

「ビャァァァァーーオウッ!!」

 

「ビャヤアアアアアッッ!!!!」

 

 

 奇声をあげて威嚇し合う双方。そこへ、事態を聞き付けた大高がやって来る。

 

 

「何をやっているんですか!! 全くクラッシーじゃないッ!!」

 

「あ! 大高警部! ビャァアオゥッ!」

 

「そのビャァアオゥッをやめなさいッ!」

 

 

 すぐに大高は、引き連れて来た直属の部下たちを向かわせ、優雅なクラシックバレエで以て園崎組を圧倒させる。そして敵わないと踏んだのか、悔しげに顔を歪めた後に、彼らは退散してしまった。

 

 

「フッ……これこそ、県警流グレート鎮圧術……!」

 

「警部! 助かりました!」

 

「ところで、彼らは何だったのですか?」

 

 

 尋ねられた警官は首を捻る。彼も良く分かっていないようだ。

 

 

「あれは多分、園崎の人間じゃないですかね」

 

「園崎家? あの、園崎議員の?……それがなぜ、病院の前で騒いでいたのですか?」

 

「さぁ……」

 

 

 大高はちらりと病院を見上げる。

 そして昨夜の遺体がここに運び込まれている事を思い出しては、胸を騒がせた。

 

 

「……遺体の安置場所は公にはしていないハズ……いや、しかし……」

 

 

 掛けていた眼鏡を整えると、声を張り上げ部下たちに命じる。

 

 

「皆さん! 私について来てください! グレースフルにッ!!」

 

 

 先陣を切る大高に続き、ピルエットを決めながら部下たちも院内へ入って行く。

 目指す場所は勿論、遺体安置室だ。

 

 

 

 

 

 

 そしてその遺体安置室では、山田と矢部が顔無し死体の方の確認に移っている頃だった。

 眼窩や口内が剥き出しのその死体を前に、山田は顔をしわくちゃに顰めながら調査して行く。

 

 

「……あの時は気が動転してましたけど〜……よ、良く見たら痩せてるし、上田さんっぽくないですね」

 

「しかもなんか……うーわ! 痣多いなぁ? 手の指も膨れとるし」

 

「拷問でもされてたんですかね……?」

 

 

 矢部が死体の腕を取る。肘の裏辺りには、無数の注射痕があった。

 

 

「見てみぃ。めっちゃ注射打っとる……あー、そう言うかぁ」

 

「何か分かったんですか?」

 

「手の指膨れとるやろぉ? コレ、何かずっと点滴されてて、薬が指に溜まっとるんやでぇ? 癌治療やっとって死んだ知り合いがこんな感じなっとったわぁ」

 

「へぇ〜……じゃあこの人、何かの治療中だった……?」

 

「なんで治療中やった奴が顔潰されて山ン中捨てられとんねん」

 

 

 首を傾げながら、次に二人は首に注目する。

 雛見沢症候群の末期症状でもある、強烈な首の掻痒感(そうようかん)。その痕が生々しく残っていた。

 

 

「この人は多分、雛見沢症候群だったハズ……もしかして、その治療をしていたんじゃ?」

 

「やったらなんで殺されとんねんって!」

 

「んまぁ〜……そうですけどぉ……」

 

「つーかそもそも、どこで治療受けとってんな? その症候群の治療とか、普通の病院でやらへんやろ」

 

 

 彼の言う通り、雛見沢症候群の存在は国絡みで隠匿されている、表向きには「存在しない病気」だ。それを治療する場所なんてどこにあるのか──

 

 

「…………あるじゃないですか」

 

 

 山田の脳裏に浮かんだのは、入江診療所。

 

 

「あそこならば設備は揃っていますよ!」

 

「あぁ? ほんならあんの医者、まだ何か隠しとんのかぁ?」

 

「……これはまた問い詰めまくる必要ありまくマクリスティですね」

 

「ありまくマクリスティやな」

 

 

 次に矢部は死体の手を取りながら、懐から出した物をその指に押し付ける。それは朱肉だった。

 

 

「何やってるんですか?」

 

「菊池から言われとんねん。指紋取っとけーって」

 

 

 死体の指に朱肉をべっとり付けさせ、赤インク塗れのその指を、更に持参したメモ帳の紙に押し付ける。

 指を離させれば、紙にはくっきりと指紋が付着していた。

 

 

「へへっ。これでええやろ?」

 

「い、一応インクも拭っといてくださいよ!? バレまくマクリスティですから!」

 

「バレまくマクリスティやな。さっきからなんやねんソレ?」

 

 

 ハンカチでインクを拭い落とした丁度その時だ。

 鍵をかけた安置室の扉が叩かれた。二人は同時に身体を跳ねさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうには、大高とその部下が大挙していた。

 大高は扉を開けようと、ガチャガチャとドアノブを回している。

 

 

「鍵が掛かってる……どなたか! 鍵を持って来てください!」

 

 

 彼の命令を受けて、警官の一人が病院から鍵を預かって来た。それを受け取ると、すぐに大高は扉を開錠し、思い切り開いた。

 

 

「誰かいるのですかッ!?」

 

 

 開け放たれた入り口より、大高と部下らが一気に雪崩れ込む。

 

 

 

 

 

 彼がまず目にした物は、布が取り払われ、晒された状態の二つの遺体だ。

 それを見た途端、大高は顔を蒼褪めさせ、目を背けた。

 

 

「うぉう……ッ!? し、した……うぉわおぅ……ッ!?」

 

 

 どうやら彼は死体に、それもこのような惨いものに慣れていないようだ。脂汗を流して倒れそうになる彼を、多くの部下らが必死に支えた。

 

 

「大丈夫ですか!? 大丈夫ですかッ!? 元気ですかッ!?」

 

 

 献身的に大高を心配する彼らの後ろ──開いた扉の後ろに隠れていた、矢部と山田の姿があった。

 彼らがこちらに気付いていない内に、二人揃ってこっそり安置室から出て行く。

 

 

 

 

 安置室から離れ、早歩きで廊下を進む二人は、歓喜で気持ち悪い笑みを浮かべていた。

 

 

「いひひひひっ! やった! やりましたっ! 間抜けかアイツら!!」

 

「ハッ! 学歴だけのボンボンやから、死体に慣れとらんかったわ! 菊池みたいな死体マニアやったら終わっとったけどな!」

 

「はっは! もろたでエ藤(えとう)

 

「クドウな?」

 

 

 しかし調子に乗っていたばかりに、良く確認せず角を曲がってしまい、その先にいた通りすがりの人物と山田とが衝突してしまう。

 

 

「あうちっ!」

 

「イタっ!?」

 

 

 幸いながらも肩と肩がぶつかった程度で、どちらかが倒れると言う事態にはならなかった。

 すぐに山田は立ち止まり、その相手に平謝りする。

 

 

「す、すいません! 急いでたもんで……」

 

「いやいや、良い良い。じゃが病院じゃから、もう少し落ち着いた方が……」

 

 

 山田がぶつかった相手は、老年の男だった。

 物腰は柔らかで優しそうだったので山田は安堵するものの、男は後ろに控えていた矢部を見て目を凝らす。

 

 

「…………お前さん」

 

「え? わ、ワシ?」

 

「この間まで興宮署おった、公安の刑事じゃろ!?」

 

「え」

 

 

 その老人はアッサリ、矢部の変装を看破してしまった。

 すっかり面食らい、真顔で膠着してしまった彼に代わり、山田は急いで弁明する。

 

 

「い、い、いいいいいいやぁ!? この人は、偉い先生です! 今日! ここに運び込まれた遺体の検死に参られて〜」

 

「……それを担当する医師とはさっき話したわい。その偉い先生とやらじゃなかった」

 

 

 山田も真顔で膠着する。

 言葉を失った二人の前で彼は腕を組み、厳しい顔付きで詰問を始める。

 

 

「……ワシは興宮署で、鑑識をやっとるモンじゃ。そっちの男、『ソウゴ君、ソウゴ君』言って、署内を彷徨い歩いとった。じゃから覚えとる」

 

「ホンマにワシに何があってんな」

 

「ほんで刑事だと詐称していたと聞いた。そんなお前さんが、なぜここにおるんじゃ? どうやって知った?」

 

 

 もう誤魔化せないと諦めたのか、山田と矢部は意気消沈した様子で肩を落とす。

 

 

「うぅ……折角、大石さんに教えて貰ってここまで来たのに……」

 

 

 ふと山田がぽつりと口にした大石の名。それを聞いた途端、老人の表情がふっと驚きに変わる。

 

 

「なんじゃ? 大石?……蔵人がぁ、お前さんらに教えたのか?」

 

「え?……は、はい。えと、大石さんのお知り合いで……あっ!」

 

 

 廊下の奥から、大高の部下が華麗に舞いつつこちらへ向かって来ていた。侵入者の存在を悟り、捜索を開始しているようだ。

 焦る山田の姿を見た老人は、ちらりと部下たちを視認してから、全てを察したような口振りで二人に声をかける。

 

 

「……付いてこんかい」

 

「……え!?」

 

「良いから早く」

 

 

 どうしようかと山田と矢部は目配せするが、考えている暇はない。先導する老人に続き、二人も急いで歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そのまま三人は病院の裏口から脱出し、近くにあった公園に落ち延びる。少し離れた所で太極拳サークルが太極拳をしていた。

 辺りに警察の気配がないそこで、老人は急に味方した理由を話し出した。

 

 

「……蔵人とは、奴が興宮署に配属された頃からの仲じゃ。じゃからワシも、あいつの調査に協力しとる」

 

「……そうだったんですか……じゃあ、大石さんの、殺されたお友達の事も……?」

 

「あぁ、知っとるとも。それが、あいつを鬼隠しに執着させている事もなぁ」

 

 

 とりあえず彼が味方だと確定し、やっと山田は冷や汗を拭った。

 話を聞けばこの老人は、興宮署の鑑識課に長年勤めているベテランの鑑識官らしい。鬼隠しで発生した遺体も、何度か検死に立ち会って来たそうだ。

 

 

「それなのに今日の検死にゃあ、ワシはいらんと言われたんじゃ。じゃから直談判に来たんじゃが……門前払い食らってなぁ」

 

「やっぱ、県警が主導しとんねんや!」

 

「県警さんの動きがおかしい。資料を待って行ったり、処分を命じたり……事件を解決したいんかそうじゃないんか分からん。それに前々から捜査しとる興宮署の人間は完全に蚊帳の外じゃ。納得行かんわいな」

 

 

 苛立たしげに老人は溜め息を吐く。

 それから期待を込めた眼差しで、山田を見やる。

 

 

「……お前さん、遺体安置室に入ったんじゃろ? 遺体はどうなっとった?」

 

「しゃ、写真は撮りましたんで、あとは現像するだけです」

 

「そうか……もし、現像出来たら、ワシにも見せておくれ」

 

「協力してくれるんですか?」

 

「この際じゃ。それに蔵人が味方しとるんなら、信用してもええじゃろ」

 

 

 そう言って彼は疲れたような微笑みを浮かべた。

 思わぬところで味方が出来たと、ガッツポーズを見せる山田。一方の矢部は、懐から紙を取り出して老人に渡した。

 

 

「ほんならコレ、照合しといてくれや」

 

 

 その紙は、顔無し死体の指紋を取ったメモ用紙だ。おずおずとそれを受け取りながら、老人は尋ねる。

 

 

「コレは?」

 

「昨日のホトケの指紋や。顔潰れてた方のな?」

 

「ほぉ、なかなかこれが豪胆な奴らじゃわい……分かった、調べてみる」

 

「何か分かったら雛見沢村に来てください!」

 

 

 山田が会う場所の取り決めを済ませると、老人は手をひらりと上げてその場を去って行った。

 彼を見送ると、残された二人はドッと流れ込んだ疲労感から、膝に手を付きへろへろと項垂れる。

 

 

「ひぃい……な、なんか、色々起こりまくったな今日……!」

 

「ホンマ、こーゆーの辞めて欲しいわ……! ワシもう還暦前やで?」

 

 

 疲れて項垂れる矢部の横で、山田は背筋を伸ばし、腰を捻ってストレッチする。

 

 

 

 さて、これからどうしようか。

 そう思った時だった。ふと、公園内にある掲示板が目に入った。

 

 

「…………」

 

 

 掲示板に貼られているポスターを見た途端、彼女の動きが止まる。

 

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 

 

 

 山田の変化に気付いていない矢部は、まだ膝に手を付けた状態だ。

 

 

「ほんならさっさとカメラ屋探して、フィルム現像するで! 一時間あったら出来るやろ!」

 

 

 そして彼もやっと身体を起こした。

 

 

「おい山田ぁ! 聞いとる──おらんし」

 

 

 さっきまで隣にいた山田が、消えていた。

 辺りを見渡しても彼女の姿はない。ただ、太極拳サークルがメタリウム光線のポーズをしているだけ。

 

 

「どこ行ってんアイツぅ!? こんな大事な時にぃ……」

 

 

 髪を直しながら園内をウロウロと歩き回る。その内、掲示板に気が付いた。

 

 

「なんやコレ?」

 

 

 貼られているポスターに目を向けた。

 

 

 

『書籍化 おめでとう バッソマン』

 

「しょせきか、おめでとう……バス、ロマン……藤原紀香か?」

 

 

 特に気にも留めず、そのまま山田を探しに公園を走り去って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 矢部が見たポスターの隣には、もう一枚別の広告用ポスターが貼られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『山田 剛三のイリュージョンショー 昭和五十八年六月二十日、興宮市民会館で開催』

 

 

 和かに笑う、一人の男マジシャンの写真が大きく載せられていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もう一度

「──と、言う感じでまぁ? フーディーニの声を伝えられる霊能力者は現れなかったんですよぉ!」

 

 

 牢屋の中にいる上田は、スクワットしながらフーディーニ最後の逸話を話してやっていた。それを聞いている富竹もスクワット中だ。

 

 

「悲しい話です……! 同じ、大事な人を喪った者として、その奥さんに同情してしまいます……!」

 

「しかしインチキだと判明して良かった! 傷心中の未亡人を騙すなんざ、酷い話ですからねぇ!」

 

「酷い話ですッ!! うぉぉぉーーッ!! ミヨぉぉーーーーッ!!!!」

 

「ちゃんミヨぉーーッ!!!!」

 

 

 亡くなった鷹野三四に捧げるスクワットは、二百回目を超えた段階で終了した。二人ともバタンとその場で倒れ込み、呼吸を整える。

 

 

「ふーっ、ふーっ……天国の鷹野さんも見てくれているでしょうか……」

 

「えぇ……見ていますとも……まぁ私はまだまだ余力が残っておりますので、全然まだまだ弔えますがね?」

 

 

 汗を拭いながら、富竹はポケットから財布を取り出した。

 その財布の中には、在りし日の鷹野の姿を撮った写真が折り畳まれていた。彼はそれを抜き取り広げ、悲しい眼差しで見つめる。

 

 

「……鷹野さんはとても聡明で、それでいてキュートな方でした」

 

 

 愛おしそうに写真を撫でる。

 二人で山歩きをしていた時の物だろうか。写真の中の彼女はとても楽しげで、困ったように歯を見せて笑っていた。

 

 

「でも僕は薄々、感じていたんです……彼女はどこか、他人とは一線を引いている……その証拠に、僕は彼女の過去を知らない」

 

「……秘密主義だったんですかね?」

 

「と言うより……誰も信用していなかったのだと思います。それこそ、僕を含めて……」

 

 

 きゅっと口を結び、苦々しい顔付きとなる。

 

 

「……『東京』は陰謀で渦巻いています。国の実権を狙っては、潰し合い蹴落とし合いばかり……そんな場所に身を置く以上、組織の人間を信用出来ないのは当たり前です。それに僕の立場は、入江機関の監査……ハニートラップの類だと疑われても仕方ないですよ」

 

「そんな悲観にならないでくださいよ……ほら。その写真の三四さんは、屈託のない笑顔です」

 

 

 上田は微笑みながら慰める。

 

 

「あなたにそんな笑顔を向けたんだ。全部ではないにしろ、間違いなく信頼は勝ち得ていたハズですよ!」

 

「……そうなんですかねぇ?」

 

「えぇ!」

 

 

 それを聞いた富竹の硬い表情は、些か柔らかいものとなった。

 もう一度彼女の写真を撫でると、名残惜しそうにしながらまた財布の中に戻した。

 

 

「……この悲しみを他の人に味合わせる訳にはいかない。三四さんを殺した奴は、必ず見つけ出してやる」

 

「その意気です!……まぁ、今は牢屋の中ですがね?」

 

 

 牢屋の外では園崎家の組員たちが、横一列に並んでスクワットを続けていた。

 

 

「外の山田が何とかやってくれると良いんだが……」

 

「そう言えば上田教授。山田さんとは恋人なんですか?」

 

 

 

 

 ぴたりと上田の動きと表情が止まる。その様に気付く事なく、富竹は続けた。

 

 

「ジオ・ウエキに捕まっていた時にも上田教授、山田さんの名前をいの一番に叫んでいましたし」

 

「………………フッ。勘違いされては困りますがね?」

 

 

 眼鏡と腕時計を異様に弄くり回しながら、早口で否定する。

 

 

「私みたいな高貴な人間が、あのような社会的にもバスト的にも最底辺のメスのホモサピエンスと恋人になる訳がないでしょう?」

 

「そうなんですか? 結構、息が合っていたような気がしていましたので……」

 

「腐れ縁って奴ですよぉ。あいつ、記憶喪失になっちまったんで、私が情けをかけて、◯◯七九番目の助手として置いてやってるだけです」

 

「コロニー落とし?……と言いますか、え? 山田さん、記憶喪失だったんですか……?」

 

 

 否定する事に集中していたせいで、つい山田の秘密をポロッと溢してしまった。一瞬「やってしまった」と言わんばかりに顔を顰めたものの、次には開き直ったように山田の事を話し始めた。

 

 

「えぇ、そうなんです。とある事故で……言ってももう、記憶喪失から七年も経ってて、日常生活に支障はない程度には回復してますがね?……けれど、まだまだ忘れている事は多い──」

 

 

 そう言った途端、上田の表情に翳りが生まれた。

 

 

 

 

「…………いや。忘れていた方が良い事もあるんでしょうが……」

 

 

 ふと、彼の脳裏に浮かび上がった、「あの日の光景」。

 焼き付いたその記憶は、今でも彼の前に度々現れては震え上がらせてしまう──

 

 

 

 

 

 

 

──そこはうそ暗い、外の光が微かにだけ青く差し込んでいる洞窟だった。

 

 

 冷たい空気、止まらない地鳴りと揺れ、鼻に付く土とガスの匂いが、今も感覚として残っている。

 

 

 天井が崩れ、それによって出来た岩々の壁が、二人の間を遮っていた。

 壁の向こうにいる山田の表情は何とも儚げで、何とも危うげだった。

 

 

「……全部、私たちの責任なんです」

 

 

 底冷えするような、諦念と決意の滲んだ声だった。心臓が握られるような嫌な気分が迫り上がる。

 そんな上田の気分を知ってか知らずか、山田はまだその声で続けた。

 

 

「私たちがここに来なければ……きっと、あの呪術師の女の人がこれをやったハズです」

 

「…………」

 

「……私たちが、ここに来なければ……」

 

「……山田! 良いから来いッ!」

 

 

 自身に渦巻く最悪な予想を打ち消すように、そして祈り願うように、上田は彼女を呼ぶ。まだ壁は塞がり切ってはおらず、少し頑張れば乗り越えられるハズだ。

 

 

 

 

「上田さん」

 

 

 しかし彼女はその願いに応じず、ただ真っ直ぐこちらを見据え、しっかりと名を呼ぶだけ──いつも何か、悪い事を思い付いた時のような、自信に満ちた笑みを浮かべて。

 

 

 

 

「最後に一つ──賭けをしましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………上田教授?」

 

 

──富竹に名を呼ばれ、ハッと我に返る。

 気付けばそこは牢屋の中。そして地響きが続く洞窟ではなく、整備された薄暗い土の洞窟だった。

 

 横目で見れば、富竹が訝しむような顔で心配していた。

 

 

「どうされました? いきなり黙り込んで……」

 

「……い、いや? ちょっと、P対NP問題に対するゲーデルの不完全性定理からのアプローチは可能であるかについて考えていたところです」

 

「………………なるほど。それよりもう、山田さんは大丈夫なんですか?」

 

「まぁ、大丈夫ですよ。脳と言うより心因性、つまり精神によるものですし、身体に不自由はなさそうでしたから」

 

 

 そう言ってから上田は、牢屋の中から洞窟内を見渡した。その瞳には微かに恐れがあった。

 

 

「…………」

 

 

 山田の記憶喪失は心因性によるもの。つまり「忘れてしまった」のではなく、「思い出さないようになってしまった」と言う事。記憶自体は脳の奥底に眠っている。

 

 

 忘れていた記憶と同様の状況、そして強いストレスが、思い出すキッカケになる。

 それだけなら良い。思い出すだけなら良い……しかし上田は知っている。「それだけではない」事を。

 

 

 

 

 記憶喪失に陥った山田を連れ、上田は何度か二人とゆかりのある村を巡った。彼女の記憶を復活させる為に。

 その思惑は見事に当たり、山田は次々と自分との思い出を取り戻して行ったが……困った事があった。ふと、ジオ・ウエキに捕まってしまった時の事を思い出す。

 

 

「……なぜ、ベストを尽くさないのか」

 

「Why !?」

 

「Don't you!」

 

「do your best !?」

 

 

 あれはまさに、「蛾眉(がび)村」で、言霊使いと戦った際に起きた一連の出来事と全く同じ行動だった。

 

 

 

 

 

 山田は記憶を取り戻した途端──「その記憶と同じ事を再現する」と言った行動を、無意識で起こす事がある。

 これまで良くあったのは、突然ショックを受けたかのように立ち止まったり、悲鳴や誰かの名前などを叫んだり……記憶の想起と共に幻覚や幻聴も伴っているようだった。

 そして思い出された記憶がショッキングな物だった場合、記憶の混濁と気絶さえ起こしていた。

 

 

 上田が恐れているのはそれだ。

 

 必死に彼が思い出さぬよう祈っていた、「ムッシュム・ラー村」での忌まわしい記憶。まだ思い出せていないあの記憶を取り戻した時、彼女はまた何をするのかと恐れていた。

 

 

 

 

「……今でも洞窟に入るとヒヤヒヤするもんだ……」

 

 

 山田がここにいない事に少し安堵する上田。

 もういなくなられるのは御免だ。そして次こそはもう戻って来れないだろうと、予感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 興宮市民会館は、人で溢れていた。とは言え平日なので、既に定年の老人や主婦と言った人たちが多いが。平日開催なのは、彼のスケジュールを無理矢理獲得したが故だろう。

 

 

 それでもこの人の数。

 それもそうだ、当たり前だ。「彼」は、日本を代表するマジシャンなのだから。

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……!」

 

 

 息を切らし、市民会館に辿り着いた、赤ジャージと眼鏡の女。

 夏の暑さにその格好は割と厳しい。汗水を垂れるほど流し、焦燥に満ちた顔で入り口に飛び込んだ。

 

 玄関ホールで踊る北欧人集団を切り抜け、奥へ奥へとひた走る。

 

 

 会場は人でいっぱいだ。観覧者が扉から溢れているほどだ。そして既にショーは始まっているようで、中からは拍手や歓声が響き渡っていた。

 

 

「ちょ、ちょっと……!」

 

 

 観衆を押し退け、掻き分け、その隙間に無理矢理身体を捻じ込み、会場の中へ中へと突き進む。

 そしてやっと、人混みに弾かれるようにして、ホールの中へと入れた。

 

 

 

 鳴り響くのは、マジックショーの曲としてあまりにも定番な「オリーブの首飾り」。

 カーテンを閉め切った暗い会場で、眩いスポットライトに当たるその人を見た瞬間、彼女は思わず震え上がってしまった。

 

 

 

 

 衝撃的なまでの再会、そして本当ならあり得なかった、理を超えた邂逅。

 

 シルクハットから飛び出した兎を笑顔で抱えるその人こそ、彼女がずっと追い続けていた人。

 

 

 

 腕に抱えた兎を放り投げた途端、それは鳩となって宙を舞った。

 驚きと感嘆の声が観客席から響き、万雷の拍手が鳴る。

 

 

 飛ばした鳩が、垂れ幕の前を横切る。その垂れ幕には、「山田剛三のイリュー()ョン()ョー」と書かれていた。

 

 

「…………っ!」

 

 

 掛けていた伊達眼鏡を外し、会場の最後方から彼を見守る。その瞳は涙で潤み、今にもその涙点から溢れてしまいそうだ。

 

 

 整った髪と、切り揃えられた髭が素敵な、タキシード姿の男。

 彼の名は山田 剛三。山田──奈緒子の父だ。

 

 

 次に剛三は、最前列に座る老父を指し示し、ステージに上がるよう促す。彼はおずおずと、少し恥ずかしそうに頭を掻きながら壇上へ上がる。

 すると剛三は懐からトランプを取り出した。彼が得意とする、トランプマジックを披露するつもりらしい。

 

 

 剛三はマイクを片手に持ちながらトランプの束をぱらんと開き、老父に言う。

 

 

 

 

 

 

「──この中から一枚のカードをお選びください」

 

 

 やっと聞けた父の声は、錆びついた記憶の中にあったものと少し違う気がした。記憶の中の声よりも厳しく、ずっと穏やかだ。

 これが本当の父の声だと、噛み締めるように聞き入る。

 

 

「選んだカードは私に見せず、皆様の方へ向けてください」

 

 

 手振りを交えて彼に説明し、そしてトランプを一枚引かせる。

 老父は言われた通り、引かれたカードを剛三に見せぬよう手元に持って行き、そしてくるりと客席の方を向いて、自身が引いたカードを見せ付ける。それは「ジョーカー」のカードだった。その間剛三は手を後ろにして、万が一見てしまわないように俯いている。

 

 

 再び剛三の方へ向き直った老父は、カードを裏向けにしたまま剛三に渡す。その受け取ったカードは束の一番上に置かれた。

 そして束をしっかりと握りながら一回切り、選ばれたカードがどこにあるのか分からなくした。

 

 

 剛三は一度、自信たっぷりな笑みをニヤリと浮かべる。

 そのままがっしりと握った束を立て、客席に掲げてみせた。

 

 

 

 すると、束の中から一枚のカードがゆっくり、ひとりでに、横からはみ出てくる。

 何事かと皆が目を見張る中、そのカードはまるで弾かれたかのように横から勢い良く飛び出した。

 

 

 飛び出したカードは宙を回転しながらカーブし、客席側に落っこちた。困惑する最前列の観客に、剛三は「拾ってみてください」と手で示す。

 

 

 

 一人の主婦がカードを拾い上げて絵柄を見ると、彼女は「あっ!」と声を上げた。そしてすぐに、他の皆に見えるようカードを掲げる。

 

 

 

 カードの絵柄は、老父が選んだ「ジョーカー」だった。

 

 

 

 

 カードマジックは見事的中。再び客席から拍手と歓声が巻き起こる。

 剛三をそれを気持ち良く浴びながら、深々と頭を下げた。

 

 

 

 一連のマジックを奈緒子は、涙ながらに観ている。

 剛三はテレビに出るような、派手なだけのマジシャンを嫌っていた。なので自身の知名度に関わらず、こうやって地方の舞台にも積極的に立っていた。何だか落語家みたいだなと、ずっと思っていたものだ。

 

 

 歳を重ねる毎にどんどんと錆びついて行った父の姿と思い出が一気に蘇るようだ。

 もう観る事が叶わないと思われていた彼のマジックを観て、溢れる感情が抑えられない。

 

 

 拍手は鳴り止まない。歓声は響いたまま。

 笑顔で彼を讃える観客たちのその後方で、奈緒子は一人、子どものように涙を流す。

 そしていつしか、拭っても拭っても溢れて止まらない涙をそのままに、目一杯の笑顔で拍手を始めた。

 

 もう一度だけ観られた父のマジックを、万感の思いで讃えるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マジックショーが終わり、観客からホールからゾロゾロと出て行く。山田もまた、それに従うようにして、再び炎天下の街へと出て行った。

 しかし久々に会えた父に対し、まだ未練があるようだ。会場前にいたスタッフに、彼女はおずおずと聞く。

 

 

「あのぉ〜……」

 

「なんだネ君?」

 

「な、なんか見た事ある人だな……えっと、お父さ……じゃなくて……山田先生はどちらにいるとか分かったりはぁ〜……」

 

「追っかけなの君?」

 

 

 教えてくれないものだと覚悟していたが、案外すんなり教えてくれた。

 

 

「山田先生はもう、そこのホテルに戻られたよ。そんで、帰るのは今日の夕方だネ」

 

「今日の、夕方……」

 

 

 居ても立っても居られず、山田は父が泊まっているホテルの方へ駆け出そうとする。

 

 

 

 

 しかし背後からガシッと肩を掴まれ、止められる。

 振り返るとそこには白衣の医者──ではなく、汗だくの矢部が死にそうな顔で立っていた。

 

 

「や、矢部さん……!?」

 

「お前どこ行っとんねんなぁ!? いきなり消えた思うたら、こんなジジババだらけのトコおってからに!」

 

「あ、あの、すみませ……」

 

「写真も現像してもろたし、もう用は済んだわ! とっとと村戻んで!」

 

 

 再び山田の目は、父のいるホテルに向けられる。

 今すぐに会いに行きたい、そしてまた話してみたいと言う欲求を抑えられなかった。

 

 

 

 

 同時にまた、これは一つのチャンスだとも考えていた。

 

 

「……お父さんを……救えるかもしれない……!」

 

 

 父が亡くなるのは──殺されるのは、この一九八三年の翌年。もしかしたら一言助言するだけで、彼の死を回避させられるかもしれない。

 本当ならば有り得なかった再会。もう一度だけ観られた父の晴れ舞台……それが、「もう一度だけ」で終わらせずに済めるとすれば。

 

 

 逸る気持ちを抑えられず、矢部の腕を振り払おうとするものの、驚いた彼は一層引き止めた。

 

 

「お前どこ行くつもりやねん!?」

 

「す、すぐに戻りますから!」

 

 

 そう言ったものの、山田はすぐに動きを止める事となる。

 警察が辺りに大勢、現れ始めたからだ。病院の一件がバレたのだろうか。

 

 

「……っ!」

 

 

 父との距離を裂くように、パトカーや巡邏の警官らがホテルの前の道路に蔓延る。

 

 

「そんな……」

 

「もうこの街おんの無理やて!? ほら来んかい!」

 

 

 山田も諦めがやっと付いたのか、矢部に引かれるがままにその場を離れた。

 遠く遠くなって行くホテルや市民会館を、見えなくなるまで目で追ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日は朝早くから忙しない。

 家には葬式会社の人たちが出入りし、式の準備を進めている。

 やっとの事父の遺体が棺桶に安置され、持ち込まれた花で彩られる。

 

 その花に囲まれるようにして置かれた父の遺影は、少し若い頃のもの。何の影も感じられない、笑顔を浮かべていた。

 

 

「………………」

 

 

 レナはぼんやりとその遺影を眺めていた。棺桶の窓はまだ開かれておらず、最後にもう一度だけ見たいその顔はまだ拝められない。

 たった一週間の内に何もかもが変わったなと、人知れず自嘲気味に微笑む。人生の転機なんて呆気なく、素っ気なく、いつも突然訪れるものだ。

 

 気持ちの整理は既に出来ている。父がいない事はまだ慣れないが、深い悲しみは癒えつつあった。偏にそれは、村の仲間たちのお陰だ。

 

 

 だが今の、レナの心は晴れやかではない。

 ちらりと後ろを一瞥する。そこには葬式会社の人と話し合いをしている女性……自分の生みの親たる母がいた。

 

 見た目は最後に会った時から変わっていない。いや、少し化粧は薄くなっただろうか。

 実に数年ぶりとなる彼女との再会は、感動と呼べるものではなかった。それもそうだ。母は父以外の男に浮気し、その人の子を身籠り、出て行ったのだから。そんな人物に、今更どんな顔して話しかければ良いんだ。

 

 

 

 でもこうやって、前の夫の葬式を執り行ってくれた点は、彼女なりの償いになるのだろうか。なのでレナはもう、必要以上に彼女を恨むつもりはなかった。これまでの経験が、一歩レナを大人にしたのかもしれない。

 

 

 

 

「ではお願いします」

 

 

 母は話し合いを終えると、少し気まずそうな顔でレナを見た。

 一瞬だけ逡巡するように俯いた後、覚悟したような雰囲気で彼女の方へ歩み寄った。

 

 

「……礼奈ちゃん。お腹空いてない? ひと段落付いたから、興宮で何か食べに行く?」

 

 

 あいにく食欲はない。レナは彼女に背を向けたまま首を振る。

 

 

「……大丈夫です」

 

 

 自らの母とは言え、久しぶりに会った上に別れ方が酷いものだった。距離感を掴み損ね、敬語で話してしまう。

 レナに拒否されて、悲しそうに母は視線を落とす。それでも何か言いたい事があるのか、また顔を上げた。

 

 

「……ねぇ。ちょっと、お話があるの」

 

 

 やっとレナは横顔だけを向けた。

 母はじっと目を合わせ、続ける。

 

 

「……ここだと準備の邪魔になるから……お外まで来てくれる?」

 

 

 そう言って、先に庭へ出て行った。

 後に続きながら、何を話されるのか薄々勘付いていたレナは、小さく溜め息を吐く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「父さん……学校の制服って確か、喪服に使っても良いんだよな?」

 

「あぁ。問題ないよ」

 

 

 圭一もまた自宅で、レナ宅で行われる葬式の準備を始めていた。

 制服のシャツに腕を通しながら、自身も喪服を用意している父親に色々と聞く。

 

 

「何か待ってった方が良いかな」

 

「それは父さんたちが用意するよ。圭一は、まぁ、そうだな……レナちゃんに掛けてあげる言葉を考えておいたら?」

 

「ハハ……な、なんかクサいってソレ」

 

 

 照れ笑いを浮かべる。

 着替えが済むと、一息だけ入れてぼんやりと考える。

 

 

「………………」

 

 

 考えているのは、山田と上田の事だ。

 二人とも無事ではあるが、圭一は今彼女らがどう言う状況にあるのか知らない。彼の視点から見れば、二人は昨夜の動乱の後、行方が分からなくなったままだ。

 

 

 村では噂が立っている。「昨夜の死体が、あの二人だ」と。

 まだ死体の特定はされていないが、もしかしたらと考えて、ただただ不安になるばかりだ。

 

 

 二人が無事なら良いが。

 レナの事も含め、かなり複雑な感情を胸中に巻きながら、気を落ち着けようとまた一息入れる。

 

 

「……ちょっち気分転換しに行くか……父さーん! 散歩に行って来るー!」

 

 

 そう言って玄関まで行き、靴を履く。

 靴内へ折れ曲がった踵部を直していると、後ろから名を呼ばれる。

 

 

「……圭一」

 

 

 振り返ると、苦々しく口角を結んだ父が立っていた。

 

 

「……色々あったなぁ」

 

「え? いきなり何だよ?」

 

「正直ここ最近、気が気でなかったよ……息子が攫われて殺されかけたり、レナちゃんはいなくなったり、そのお父さんが亡くなられたり……昨夜も殺人事件だ! 全く、とんでもない所に来たものだと思ったよ」

 

 

 それを聞いた圭一は胸がキュッとなり、思わず父から顔を背ける。

 

 

 

 

「……でも父さんは、この村に来て良かったと思ってるよ」

 

 

 その言葉に驚き、また顔を向けた。

 父は感慨深そうに、微笑みを携えていた。

 

 

「すっかり顔付きが変わった。良い顔をするようになった……父さんほどではないが」

 

「一言余計だよ!」

 

「ははは!……そうだ。東京にいた頃よりも、お前は大人っぽくなったな。そして、乗り越えられる奴になった」

 

 

 彼はスッと瞳を閉じ、これまでの事を思い出している様子だ。

 

 

「……色々あった。良くない事の方が多かった……けど、だからと言って、全て間違っていた訳じゃない。その証拠にお前は優しく、それでもって友達の為に必死になれる男になってくれた」

 

「…………」

 

「……父さんは嬉しいぞ?」

 

 

 圭一は恥ずかしそうに目を逸らし、鼻を掻いてから、玄関ドアに手をかけた。

 

 

 

 

「……ありがとう」

 

 

 一言感謝を言ってから、誇らしげに圭一は外へ出て行く。

 父はその、少し大きくなった息子の背を、ドアに阻まれて見えなくなるまで見送った。

 

 

 

 

「イライラするなぁ……」

 

 

 一方の圭一は、なぜか軒先に立っていた王田刑事に驚き、身構えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 夏の暑さも蝉時雨も、何だか心地良く思えるようだ。鼻歌混じりに圭一は畦道を歩く。

 暫く歩けば、レナの家の近くに来ていた。今はどんな様子なのか気になり、覗いてみようと家の前まで寄った。

 

 

 

「ねぇ、礼奈ちゃん」

 

 

 ふと、聞き慣れない女の人の声が聞こえる。

 竜宮家の庭を囲う塀の向こう、誰かがレナと話しているようだ。

 

 

 

 

 

 

「もう一度……お母さんと暮らさない?」

 

 

 その声を聞き、圭一はピタリと動きを止めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 開け放たれた窓から流れ込む風がカーテンを踊らせる。

 窓の向こうから見える高い空と入道雲、生い茂る木々の全てが、額縁に飾られた絵画のようだ。

 

 

 一人沙都子は部屋で、写真立てに飾られた家族写真を眺めていた。

 

 

「…………」

 

 

 写真には幼い頃の自分と、兄と、母が写っていた。みんな屈託のない笑顔を浮かべている。

 何も気苦労なんてなかった時代もあった。こうやって笑える時間もあった。だけど今は、その写真を見ても笑えない。

 

 もはやこの写真の中にいる人間で、残っているのは自分だけ。兄も、母も、同じ日にいなくなってしまった。

 

 

 今年もまた鬼隠しが起きた。また大事な人がいなくなるのかと、恐れて震える夜を迎えた。

 自分はまた来年も怯えるのだろうかと、考えれば考えるほど憂鬱になって来る。思わず吐いた溜め息は、とても深いものだった。

 

 

「……にーにー……お母さん……」

 

 

 願わくば生きていて欲しい。そして、もう一度会いたい。孤独は梨花たちが埋めてくれるが、それでも芯たる部分が満たされる事はない。

 肉親の不在。彼女の歳では、まだ慣れる事は出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 がらがらと、戸口が開かれる音がする。誰か帰って来たのかと思えば、すぐに声が聞こえた。

 

 

「梨花さん? いますー?」

 

 

 山田の声だ。

 すぐに沙都子は立ち上がり、玄関先にて帰って来た山田を出迎える。

 

 

「山田さん! お帰りなさ……」

 

 

 そこにいたのは赤ジャージで眼鏡の女。

 

 

「え。誰?」

 

「いやいや、私ですって。山田奈緒子です!」

 

「……ずいぶんと……運動しやすい格好ですわね」

 

「ちょっと、変装する必要があったんでぇ……学校の先生みたいですよね?」

 

「えぇ、学校の先生みたいですし、ご両親が亡くなられた後にヤクザの人に引き取られたような人にも見えます」

 

「細かっ!」

 

 

 次に階段を降りる音が響き、すぐに廊下に梨花が現れた。

 

 

「呼んだのです……なんなのですか、その、不良生徒が集まるクラスを更生させようと奮闘する熱血数学教師みたいな格好は」

 

「だから細かいなっ!」

 

 

 おさげにしていた髪を解きながら、少し山田は居心地悪そうな顔で言う。

 

 

「……あの、梨花さん」

 

「どうしたのですか?」

 

 

 逡巡し、一瞬だけ口籠る。

 それでも言わなければと思い、真っ直ぐ梨花を見つめ、山田は口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……少し、聞きたい事があるんです」

 

 

 太陽は既に西陽。

 雲が隠し、辺りは少し、うそ暗くなった。




・ドラマ版ひぐらしで圭一の父親役を演じた方は、龍騎の浅倉役で有名な萩野 崇さん。圭一役はマッハ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

時遭し

 びっしりと草を貼り付けた、自作のギリースーツに身を包む謎の三人組。

 山の中でもぞもぞ動きながら、たまに顔を上げては辺りを警戒していた。

 

 

「……矢部さぁん……深夜にどこか行ったっきり、帰って来ませんねぇ〜……」

 

 

 まず声をあげたのは、秋葉。顔に黒いペイントを塗り、完全に野戦スタイルだ。

 次に隣にいた二人目も話し出す。

 

 

「もしかしたら兄ぃ、捕まってもうたんじゃないかのぉ!?」

 

 

 石原だ。彼は目元を黒く塗り潰している。

 次に、そのまた隣にいた三人目が静かに語り出す。

 

 

「……『筋肉』は信用出来ない……」

 

「キクちゃん、キャラ変わったのぉ?」

 

「私はこっちだぞ!」

 

 

 木の影から現れた菊池が、石原の隣にいた三人目を蹴飛ばして帰らせる。菊池が出て来た木には、『警…視゛庁♡♡………公安…♡…っ部♡♡♡゛!緊♡…♡…急♡………っ捜♡…♡゛査♡っ本♡♡♡♡部♡゛』と書かれた看板が掛けられていた。

 

 

「なんだアイツ!?」

 

「ジョンガリ・Aですねッ!!」

 

「全く……あー最悪だッ! この僕が野宿なんて一生の恥だッ!! 蚊に刺されまくりだしッ!」

 

「仕方ないですよぉ〜。僕ら、お尋ね者も同然ですからね〜」

 

「ほうじゃ!」

 

 

 石原が続ける。

 

 

「ワシら、こんの時代じゃ警察に仲間おらんからのぉ! ワンナイカーニバルじゃけぇ!」

 

「ワンマンアーミーじゃないですかねぇ〜?」

 

「じゃけん、大石ちゃんみたいに、ワシらの話信じてくれるモンがおったらえぇんじゃがのぉ?」

 

 

 彼の話に対し、菊池は小馬鹿にしたような鼻笑いをする。

 

 

「そんな都合の良い人間なんぞ、今となってはそうそういる訳がないだろ?」

 

「まぁ、そうですよねぇ?」

 

「そうなんだぞ」

 

「それより矢部さんは?」

 

 

 秋葉が彼の名を言った途端、草を踏む誰かの足音が辺りに響き出す。

 咄嗟に地面に伏せ、身を隠す三人。暫くして足音の主が、三人がいる斜面の下の道に現れる。白衣を着た男だった。

 

 

「病院の先生じゃ!」

 

「なんで山に病院の先生がいるのだね?」

 

「アレ? でもなんかぁ〜……矢部さんに似てません?」

 

 

 秋葉の指摘を聞いて、背を乗り出し良く良く観察してみるものの、丁度背中を向けているので顔が判別出来ない。

 

 

「兄ィかのお?」

 

「矢部くんはあんな賢い見た目してないだろ」

 

「じゃあ矢部さんじゃないかぁ〜」

 

 

 その時一陣の風が吹き、白衣の男の頭上にあったモノを吹き飛ばした。

 

 

「あ、矢部さんだ」

 

 

 矢部だと確信した三人は即座に立ち上がり、彼の元へ駆け寄って胴上げをする。

 

 

 

 

 

 帰って来た矢部は白衣姿から元の格好に戻す。また飛んで行って消えてしまったモノに代わって、元々愛用していたパーマ状態のモノを使用した。

 

 

「ホンマ大変やったわぁ〜。えぇ? 警部補矢部謙三、大活躍やったでぇ?」

 

「何があったんですか矢部さん!?」

 

「一々説明すんのも面倒やから、ダイジェスト版でお送りするでぇ!」

 

「今はなろうとかで禁止されてる奴じゃないですかぁ〜!?」

 

 

 深夜に山田と再会した矢部。そこで彼は彼女から、秘密結社「東京」と、その東京が研究支援をしていると言う風土病「雛見沢症候群」の存在を聞かされる。また、梨花の死と共に、村人を全員殺害すると言う東京のマニュアルがある事も知る。

 

 東京の手が興宮まで伸びている現状、昨夜の鬼隠しで発見された死体が隠滅させられる事を恐れた二人は、変装をして病院に潜入。見事、死体の写真や情報を得る事が出来た。

 

 

 しかし梨花殺しと、ましてや鬼隠しの犯人はまだ分かっていない。果たして未来人・矢部 謙三は、国さえ関わっているこの難事件をツルっと解決出来るのか!?

 

 

 

「と言う訳や!」

 

「情報量が多いな!……となると、今年起きるハズだったカメラマンの死、そして竜宮礼奈の凶行は雛見沢症候群によるものと言う事か……」

 

「物分かりだけは早いな菊池」

 

「それでッ! 病院で手に入れたって写真は!?」

 

 

 菊池にせっつかれ、矢部は写真屋ですぐに現像して貰った遺体写真を彼に渡す。

 

 

「ほれ写真や。写真屋のおっちゃん、ごっつ震えとったでぇ」

 

「おぉ!! 死体の写真だーーッ!? うひょひょひょひょッ!! 惨殺死体だぁぁ〜〜〜〜!?!?」

 

「こいつホンマに死体好きよな」

 

「ところで兄ィ!」

 

 

 死体写真に興奮する菊池を置いておき、ギリースーツを鳥のようにはためかせて遊んでいた石原が尋ねて来る。

 

 

「兄ィ、この時代に警視庁の知り合いとかおらんのかのぉ?」

 

「あぁ? 何言うとんねん! この時代ワシまだ交番勤務やでぇ? おらへんに来まっとるやん!」

 

「おらんかぁ〜!」

 

「つーか何で、知り合いおるか聞くねん?」

 

 

 秋葉が代わりに説明してやる。

 

 

「ほら、現状僕ら、頼れる相手ほぼいないじゃないですか」

 

「『国立無念』って奴やな」

 

「『孤立無援』ですよ〜。エルメスみたいな間違いしないでくださいよ!」

 

「それに兄ィの話聞いとったら、『東京』って大きい組織も関わっとるんじゃろ!? ワシらだけじゃ非っ常にキビシーッ!……じゃないかのぉ!?」

 

 

 石原の意見を聞き、「その通りだ」と矢部も秋葉も深く頷く。菊池は死体写真を見ながら、ジョンガリ・Aと踊っている。

 相手は証拠の握り潰しもお手のものな、巨大勢力。もし梨花殺しや鬼隠しに全面的に関わっているとすれば、矢部一行や山田らだけでは太刀打ち出来ないだろう。誰か強力な助っ人がいなければ。

 

 

「なるほどなぁ……ここはいっちょ、『死中にガッツ石松』を求めなアカンな!」

 

「『死中に活』です矢部さん! またエルメスになってるー!」

 

「ほんで、ワシらの話信じてくれるような奴おるんか?」

 

 

 そこで秋葉が思い出したかのように意見する。

 

 

「赤坂さんとかどうでしょう?」

 

「ガッツやなくて?」

 

「ガッツ石松に求めても仕方ないですよぉ〜……ええと、赤坂さんなら、その古田梨花ちゃんに予言を受けていましたし、信じてくれるんじゃないですかね?」

 

「あー! 確かそやったなぁ!『福山雅治』やな!」

 

「????…………あ!『伏線回収』ですね! 全然合ってないし!」

 

 

 確かに赤坂であれば、この時代に於いても矢部らの話を信じてくれる可能性はあるだろう。だが、問題がある。

 

 

「んで。この時代の、赤坂警視総監の電話番号知っとるんか?」

 

「ワシは知らんけぇ!」

 

「僕もっす」

 

「知らんのかい」

 

 

 活路が見えたものの、また途絶えてしまった。困った顔で頭を掻き、どうしようか考え込む矢部だったが、ふと何か思い出したようで、ポケットから財布を取り出した。

 

 更にその財布を開いて出した物は、一枚のメモ用紙──それは雛見沢に向かう前に赤坂本人から貰った、彼の電話番号が書かれた物だ。

 

 

「……これにかけてみる?」

 

「いやいやいや無理ですって。この時代から何十年後の電話番号だと思ってるんですか?」

 

「繋がったら警視総監、昔の電話番号教えた言う事なるのぉ! ポンコツもエェところじゃ!」

 

 

 難色を示す秋葉と石原だが、矢部はなりふり構わず反対を押し切る。

 

 

「ミラクル起きるかもしれんがなぁ! よぉ言うやろ!?『旅人に一番必要なのは、最後まであがいた後に自分を助けてくれるもの、それは運や』て!」

 

「それキノの名言ーっ! 良くは言われないかなー!?」

 

「どーせワシらに残っとるんはコレだけやねんな! 試すだけならエェやろ?」

 

 

 そう言って矢部は公衆電話を探しに歩き出し、続けておずおずと石原と秋葉も続く。菊池も暫くして置いて行かれている事に気付き、急いで追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 梨花と山田は場所を変え、拝殿の前で話す事になった。

 

 

「話ってなんなのですか?」

 

「え、ええと……」

 

 

 言いづらい内容のようで、少し後悔したような具合で口ごもる。何やら小さく呟いているものの、忙しなく鳴る蝉の声が全部掻き消してしまった。

 

 ふと、彼女の目が太陽の方へ向く。

 照りつける太陽は西陽で、遠くの空は橙色になりつつあり、夕方の予兆を見せていた。その前にその前にと、山田は焦りを微か表情に浮かべながら、意を決して話し始めた。

 

 

「…………変な質問ですけど……」

 

「構わないのですよ」

 

「……もし、もしですよ? この時代で、自分の父親に……未来で起こる死の事を教えたら……ど、どうなりますかね?」

 

 

 その質問をした後にちらりと梨花を見る。案の定、彼女はポカンとしていた。

 

 

「あ、えと……む、昔見たドラマの話です! なんかこう、ふと思い出しちゃったと言いますか!?」

 

「…………山田のお父さんは、近い将来死ぬのですか?」

 

 

 誤魔化しも虚しく梨花に看破されてしまい、山田は間違い申し訳なさそうに頭を下げた。

 

 

「なるほどなるほど……山田のお父さんは、どんな人なのです?」

 

「ど、どんな人って……この時代だったら、本当に有名なマジシャンです。山田剛三って人で……」

 

「……!」

 

 

 その名を聞いて一瞬、梨花は驚き顔となる。だがそれが山田に気付かれる前に、何とか取り繕った。

 

 

「…………テレビで観たかもしれないのです。あ! 山田がマジシャンなのは、お父さんの影響ですか?」

 

「え、えぇ……まぁ……」

 

 

 時間の超越について知っている梨花なら何か分かるだろうかと期待して、山田は質問した次第だ。何か知っているのだろうかと不安に思った時、梨花は少し唸った後に口を開いた。

 

 

 

 

「……山田は、上田とどうやって出会ったのです?」

 

 

 次に彼女の口から飛び出したのは質問への回答ではなく、上田との馴れ初めについての尋ね。完全に予想外だったので、当惑したように山田は顔を顰めた。

 

 

「う、上田さんとの出会い? なんでそんな……」

 

「大事な事なのですよ。少なくとも、山田のお父さんのお話をするには」

 

「…………」

 

 

 そう言われると断る訳にはいかない。

 山田はふと空を見上げ、何とか上田との出会いを思い出そうとする。

 

 

「…………ええと、あれは二◯◯◯年の夏……私が、マジックショーの舞台をクビになっ──クビじゃなくてリストラですね。実力も人気もあったんですけど、仕方なく辞める事になりましてね? 仕方なくです」

 

「それで?」

 

「ええと……ちょっとお金に困ってた時に、上田さんが出していた雑誌の広告を教えて貰ったんです。超能力を目の前で実践して、自分が見破れなかったら賞金を出すみたいな感じの……」

 

「上田にそんな事出来る訳ないのです」

 

「その通りです。実際あいつ、私にコロっと騙されてやがりました。えへへへへへ!!」

 

 

 変な笑い声をあげてから、気を取り直すように咳き込んで続ける。

 

 

「……んまぁ、実はそれは一次試験とかで……本当は学長の娘さんが変な宗教団体にハマっているから、率いている霊能力者のインチキを暴いて、目を覚させて、それで連れ戻してくれってんで……私に同行するよう言って来まして……」

 

「解決したのです?」

 

「……えぇ。まぁ、解決ぅ……し、たのぉ〜か、な?……一応」

 

 

 その時の事は既に思い出している。そして思い出すほど、苦しい記憶だ。

 

 結局、その学長の娘は殺され、霊能力者のインチキを暴いても信者たちは目を覚まさず、しかもその霊能力者は毒を飲んで自殺。自分たちの身は守れたものの、幕切れとしては最悪な事件だった。

 

 

「山田が使えるって思った上田が、それからも言い寄って来た訳なのです?」

 

「その通りです。あいつホント、あの手この手で私を引き摺り出してからに……」

 

「なるほどなるほどなのです」

 

「……それで。上田さんと私の出会いが、どうしたんですか?」

 

 

 梨花は何度も頷いた後、やや真剣な顔付きでやっと、最初の質問について答えてくれた。

 

 

「……山田のお父さんに未来の事を忠告すれば……死ぬ運命は、とても高い確率で回避出来ると思うのですよ」

 

 

 それを聞き、山田は目を丸くさせ、期待から微かに口元を上げた。

 すかさず梨花は「でも」と続けた。

 

 

 

 

「もしそうなった場合……上田との出会いも、高い確率でなかった事になるのですよ」

 

「……え?」

 

 

 期待の微笑みから一転し、唖然と口を開いたままになる山田。

 梨花は理由を述べて行く。

 

 

「山田のお父さんが生きた結果、山田はそのお父さんにマジックの技術を教わるのです。そうなれば、山田もお父さんを継いで、有名なマジシャンになれると思うのです」

 

 

 それを聞いた山田は息を呑む。実際、彼女が本格的にマジックを始めた頃には、父はもう亡くなっていたからだ。もし生きていたのなら彼に師事したかった思いもあった。

 

 

「……私が……父の、跡を……」

 

「でもそうなった山田は……上田の広告に興味を示すのですか?」

 

 

 示さないだろうと、山田は首を振る。マジシャンとして大成出来てしまったのなら、金の為に上田と会う動機もなくなる。

 

 

「山田がいない上田は、一人でその宗教団体に立ち向かって……もしかしたら殺されるかもしれないのです」

 

「……!」

 

「或いは山田に代わる人が出来るのかもしれない……そこは予想は付かないのですが、少なくとも上田の人生に、山田が関わる事はなくなるのです」

 

 

 更に梨花は、「そうなれば」と言って続ける。

 

 

 

「……今、『この場』に、山田はいなくなるのです。もしかしたら上田もいないのかもしれないのです」

 

 

 

 一瞬、蝉の声も鎮守の森のざわめきも、聞こえなくなったような気がした。

 山田は呆然と目を丸くさせ、ただ梨花の話の続きだけを待った。

 

 

「山田がここにいるのも、その時上田と出会ったからこそなのです。もしこの世界で未来を変えてしまったら……その未来から来た山田たちにも勿論、影響は出る……と、思うのです」

 

「…………え……?」

 

「ややこしい話なのですが……こればっかりはボクも想像するしかないのです。もしかしたら大丈夫なのかもしれないし、山田に代わる誰かが来た事になるかもしれないのです」

 

 

 梨花は腕を組み、眉を寄せてうんうんと考え込んでいる。タイムパラドックスほど考証が難しい事柄はないのだから、仕方ないだろう。

 その横で山田は狼狽え、目線を右往左往とさせながら、何とか言葉を絞り出した。

 

 

「…………私たちがこの村でやった事全部……な、無かった事になる……い、いや……それだけじゃなくて……」

 

 

 俯き、汗でじっとり濡れた自らの髪を触りながら、考え込む。

 

 

 

 

「…………上田さんと、会わない未来に……」

 

「あくまで可能性なのです」

 

 

 梨花は言う。

 

 

「ボクも想像付かない事をあれこれ決め付ける気はないのです」

 

「…………」

 

「分かって欲しいのは……一つの選択は、一つを捨てる事になる……と言う事なのです」

 

 

 それもそうだと、山田は納得する──いや、納得したのではなく、納得させた。今のこの状況で、軽はずみな行動を慎むべきだと思い直した。今さっきまで話していた事は忘れ、目の前の事に集中するべきだと、何度も心中で自らを言い聞かせる。

 

 

 しかしそれでも、蟠りと未練は消えない。父に抱く憧憬を捨てて忘れられるほど、山田の頭は合理的に出来ていない。

 

 

「…………」

 

 

 黙り込み、苦しそうな顔付きで俯く。そんな、深く迷いを滲ませる山田を一瞥し、少し目を伏せ、梨花はまた口を開いた。

 

 

 

「……行ってみたら良いのです」

 

 

 意外なその言葉を聞いた山田は、すぐに彼女の方を向いた。

 

 

「山田にとって、絶対にないハズのチャンスなのです。後悔のないよう、キチンと整理を付けるべきなのです」

 

「……止めないんですか?」

 

「みぃ、ボクは言ったのですよ。想像付かない事をあれこれ決め付ける気はない……だから止める気もないのです」

 

「で、でも、もしかしたら……き、今日までの事が全部……!」

 

 

 梨花はクスクスと、小さく笑う。

 

 

「山田たちは既に良くやってくれたのです。お陰でここまで……沙都子も、誰も、失わずに済んだのです」

 

「………………」

 

「ボクにとったら十分なのです。にぱーっ☆」

 

 

 いつもの溌剌とした、満面の笑顔を見せ付けた。

 山田にとっては背中を押して貰えたようなものだ。だがいざ押されてみれば、躊躇も出て来る。もしかしたら取り返しのつかない事になるかもしれない選択なだけに、慎重にもなる。

 

 

「……私は……」

 

「決めるのは山田なのです」

 

「………………」

 

 

 遠くでカラスが飛んだ。空は橙色に染まり始めた。

 渇いた夏の空気を思い切り、山田は吸い込む、それを全て吐き出した頃には──もう心を決めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 山田は鳥居を潜り、階段を降りて行く。

 後ろでそんな彼女を見送る梨花。その目には、憂いが宿っている。

 

 

 

 

 

 行かせて良かったのか。

 

 

「……誰だってチャンスがあれば……未来を変えられる機会があれば、どうやったって掴みたいでしょ?」

 

 

 それは私たちだって同じだ。

 

 

「えぇ……でも……」

 

 

 でも?

 

 

「……山田たちを巻き込んだのは私たち。その償いって事で良いんじゃないかしら?」

 

 

 

 

 

 

 

「どうなるのかは、僕にも分からないのですよ?」

 

 

──気が付けば梨花の隣に、藤色の髪を靡かせた、巫女装束の少女が立っていた。

 不安そうな眼差しで見るその少女に顔を向け、梨花は儚い微笑みを浮かべる。

 

 

「……山田の父親の名前……確か、興宮でマジックショーやってた人よね?」

 

「……はいなのです。一番初めの『カケラ』の時から……ずっと必ず、この日に来ていたのです」

 

「……まさかあのマジシャンの娘だなんてね。『山田』ってありきたりな名前だから、全然想像付かなかった」

 

 

 もう一度小さく笑うと、感慨深そうな声音で続ける。

 

 

「……不思議ね。『あなたが投げやりで選んだ人』が……件のマジシャンの娘だなんて?」

 

「…………」

 

「これこそ、『オヤシロ様』の思し召しって事なのかしら?」

 

 

 皮肉混じりな彼女の言葉。少女は少し困ったように俯いた。

 

 

「……あぅあぅ……イジワル言わないで欲しいのです……未来の僕がおかしかったのです……」

 

「ふふっ……」

 

 

 彼女の反応を面白がるように笑うと、スゥっとまた憂いを帯びた表情となる。

 

 

「……もしかしたら、彼女は来るべくしてこの村に……この時代に来たのかもしれない」

 

 

 蝉の声は消え、手水舎から流れる水のせせらぎだけが境内にこだまする。斜陽が鳥居に影を作り、それは二人のいる拝殿前と重なった。

 

 

「なら……その行く末をまずは見てみたいじゃない」

 

 

 東からそよ風が吹く。

 

 

「山田は始めるのか、終わらせるのか」

 

 

 風は強まる。梨花の髪とスカートが、花が開くようにふわりと靡く。

 

 

 

 

 

 

「……時が遭わした、その再会を」

 

 

 

 

 突風が吹き、木々が遠くから波立つように揺れる。

 境内を木の葉が舞い、水の音が搔き消え、風に驚いたカラスの声が響く。

 

 

 風は止み、また水の音が聞こえた。

 木の葉がふらりふらり、玉砂利の上に落ちて行く。

 

 

 

 鳥居の影が少しズレている。

 気が付けば梨花の隣にいた少女は、消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 牢屋の格子扉が開かれる。ずっと弔いスクワットをしていた上田と富竹は、その扉の方を向く。

 開けたのは、一人の黒服だった。

 

 

「…………」

 

「……ここから出ていいかなぁ〜〜?」

 

 

 スクワット途中の中腰姿勢で上田は聞く。

 黒服は腕を掲げ、「いいとも〜〜」と言った。

 

 

 

 上田らにとって半日ぶりの地上は、既に夕陽に差し掛かっていた。斜陽を浴びながら二人はタオルで汗を拭い、清々しげな表情で肩を組む。

 

 

「我がマイブラザー……次はあの、夕陽に向かって走りましょう。私たちの鷹野さんに捧げる為に……」

 

「えぇ、マイブラザー……僕の鷹野さんに捧げる為なら、何だってやり切ってみせますよ」

 

「私たちの鷹野さん」

 

「僕のミヨッ!!」

 

 

 園崎邸の庭でそう会話をしている二人の元に、魅音と詩音が揃って申し訳なさそうに現れる。

 

 

「上田先生ー! 富竹さーん! 本当にごめーん!!」

 

「私も園崎の人として謝罪します! ウチの鬼婆さんと愚妹(ぐまい)が本当にご迷惑をおかけ致しました!」

 

「愚妹なんて初めて聞いたよ!!」

 

 

 詩音も事情を聞かされたようで、魅音に合わせて頭を下げている。

 確かに半ば監禁されていたものの、園崎の複雑な事情は上田らも理解しているつもりだ。また、親と子ぐらい離れた歳の娘に頭を下げさせているこの絵面を想像し、やるせ無くなった二人は急いで魅音らを止める。

 

 

「いやいやいや全然、大丈夫だからなぁ? 寧ろ飯も布団も電話も用意されてたもんだから、ちょっと薄暗いビジネスホテルに泊まったようなモンだ!」

 

「そうだよ、大丈夫だから! こうやって上田先生と親睦も深められたし、何より僕の三四さんを失った悲しさと向き合えたし……」

 

「私たちの鷹野さんです」

 

「僕だけのミヨぉぉーーッ!!!!」

 

 

 恨まれていないと安心したのか、姉妹揃ってホッとした顔付きとなる。

 

 

「ありがとう上田先生に富竹さん! 本とか写真集出す時はバックアップするから!!」

 

「何だったらオネェをモデルに撮って良いよ富竹さん!!」

 

「え、ちょ、詩音?」

 

 

 ガヤガヤと騒がしい彼らの後ろより、もう一人が葛西を伴って現れた。

 

 

 

 

「あまり園崎の敷地で煩くしないどくれ。お魎さん、昨夜と今日で色々あったからもう休みたいってさ」

 

 

 そのもう一人とは、着物の喪服に身を包んだ茜だ。腕にはラッピング用紙に包まれた花が抱えられていた。

 上田は彼女にボコボコにされたトラウマが未だ消えないようで、へっぴり腰で身構えている。一方の富竹は彼女とは初対面なのか、おずおずといった具合で頭を下げていた。

 

 

「は、初めまして……」

 

「あぁ……あんたかい。この時期になると村に来るって言う写真家ってのは。災難だったねぇ……お詫びと言っちゃなんだが、葛西をモデルに撮ってやっとくれ」

 

 

 葛西は茜を二度見する。冗談かと思ったが、茜は本気だと言う顔をしていた。

 

 

「お母さん、もう準備出来た?」

 

 

 魅音がそう聞くと、茜は頷く。

 

 

「香典も用意したさ。ほれ、あんたらも喪服に着替えて来な」

 

「誰かのお葬式なんですか?」

 

 

 上田がそう尋ねると、彼女はまた頷き、誰の葬式に行くのかを教えてくれた。

 

 

「竜宮さん所さ」

 

「え?……あぁ、礼奈ちゃんのお父さんの……今夜やるんですね」

 

「娘らの友達の親以前に、殺したのはウチの従業員だからねぇ……」

 

「裏切り者だったじゃないですか」

 

「だとしても従業員は従業員だ。お詫びをしなきゃぁ、筋が通らんよ」

 

 

 そう言ってから葛西に目配せし、車の手配をさせる。

 

 

「先生も乗ってくかい? あんたも参列するだろ?」

 

「……えぇ、勿論……富竹さんはどうしますか?」

 

「僕も参列しますよ……レナちゃんもかわいそうに……」

 

 

 魅音と詩音は着替えの為に一度屋敷に戻り、富竹も葛西に続いて先に門の方へ行く。

 上田もその葛西らに続こうとした時、後ろから茜に尋ねられる。

 

 

「あの、山田ってのは?」

 

「山田? あいつはとっくに出ているハズですがねぇ……」

 

 

「まぁ」と言い、楽観的に話す。

 

 

「あいつも、今頃竜宮さん所に行ってるでしょう。一人で料理も出来ない奴だから、精進料理にありつこうとか考えているハズですよ!」

 

 

 肩を竦めて、鼻で笑い飛ばす。

 もう遠くの空は、暗くなりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰るまで暇になり、何となく街を散歩していた。

 街灯がぽつぽつと照り出し、家々の明かりが目立ち始める。車のヘッドライトに照らされ、それが通り過ぎるとまた薄暗がりに浸った。

 

 

 彼はこう言った出先の街を歩くのが好きだ。

 時間と共に姿を変えて流れる街の風情を見ながら、革靴を軽やかに鳴らして歩く。

 

 

「良い街だなぁ。向こうの村では祭りもあったそうだし、里見と奈緒子も来年連れて来てやろうかな?」

 

 

 そう楽し気に呟きながら、自分が宿泊していたホテルの前まで来る。

 帰りのバスが来るまでゆっくりしようかと、ロビーに入る為に扉に手を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あの!」

 

 

 背後から声をかけられる。緊張しているのか、上擦った呼び声だった。

 誰だろうかと振り返ると、そこには一人、大きなバッグを持った女が立っていた。

 

 

「……君は?」

 

 

 男が尋ねると、彼女は少し躊躇したように唇を噛んでかは、やはり緊張した面持ちで口を開く。

 

 

「……こんばんは。は、初め、まして……」

 

 

 挨拶をし、深々とお辞儀をする。合わせて彼も、不思議そうな面持ちながらも会釈をした。

 次に顔を上げた彼女の表情は、どこか泣き出しそうにも見える。

 

 それでも気丈に表情を繕い、深い呼吸の後で彼の名を呼んだ。

 

 

 

 

 

 

「……山田、剛三……先生」

 

 

 彼女──奈緒子は、少し覚束ない笑顔を見せた。

 眼前にいるマジシャン──剛三に。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

もう二度

 自分を呼び止めた彼女に、剛三は見覚えはなかった。当たり前だ、まさか目の前にいる彼女が、未来から来た自らの娘だとは思わないだろう。

 剛三は怪訝に思いながら、自分のファンだろうかと考え、物腰柔らかに応じた。

 

 

「……こんばんは。今日のショーに来てくれた方ですか?」

 

「え、えぇ……結構、後ろの方でしたけど……」

 

 

 ふっと微笑み、「そうでしたか」と嬉しそうに頷く。

 

 

「楽しんでいただけましたかな?」

 

「……はい。やっぱり、山田剛三先生です……素晴らしい舞台、でした」

 

「良かった良かった。また来年には大きなショーを行いますので、是非お越しなられてください」

 

 

 そう言ってから、「私はこれで」とホテルに戻ろうとし始めた。

 ドアが開かれ、ロビーへ片足を入れる──その前に、大急ぎで奈緒子は話しかける。

 

 

 

 

「あのトランプのマジック! とても面白かったです! 輪ゴムを、使ったんですよね!?」

 

 

 途端、剛三の足は止まる。次には驚いた顔付きで、また彼女の方へ身体を向けた。

 彼の興味を引いたと察した奈緒子は、続け様にトランプマジックのタネを話し始めた。

 

 

「最初の束からカードを選ばせた後、カードを見ないよう控えていた隙に、後ろ手で持っていた束に輪ゴムを巻いた……それを上手く手で覆って隠しながら、渡していたカードを、輪ゴムを巻いた束の一番上に置かせるんです」

 

「…………ほぉ……?」

 

「次にあなたは、その束を一回切りました……すると巻かれていた輪ゴムが捻れて、一番上に置かれたカードを押し飛ばすようになる……そうですよね?」

 

 

 タネを見破った彼女を、ただのファンではないと悟った剛三は、半開きにしていたロビーへの扉を閉め、一歩奈緒子の方へ寄った。

 

 

「……あれは新作のマジックだった。良く見破れたね?」

 

「は、はい……」

 

「……もしや……君は、同業者だね?」

 

 

 口調がお誂え向けの敬語から、少し厳しいものに変わっている。彼は同業者に対しては厳しい人だったと聞く。同じ土俵にいる以上、妥協を見せるのは相手に無礼だと言うのが、彼のプロなりの信条だった。

 

 そして奈緒子にとってはこれが嬉しい事だった。父が自分を、一端のマジシャンとして扱ってくれたと思えたからだ。

 すぐに奈緒子は首肯する。

 

 

「先生ほどではないですけど……一応、小さなステージには何度か……ぜ、全然、売れてはないですけど……」

 

 

 いつもの強情や見栄っ張りも、父の前ではさすがに鳴りを潜める。気恥ずかしそうに、前で組んだ指を遊ばせた。

 

 

「……それで、先生に……見て貰いたいんです……ご迷惑ではないのなら、ここで……」

 

「……君のマジックを?」

 

 

 少しだけ後悔したように眉を寄せたが、次には振り切ったようにしっかり目を合わせ、力強く返事をした。

 

 

「……はい……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は少し場所を変え、ホテル脇にある小さな路地にいた。

 剛三はホテルの隣にあるブティック前の、小さな段差に座っている。ブティックはもう閉店しているのか、ショーウィンドウの向こうは真っ暗だった。

 

 どんなものかと見定めようと、厳しい眼差しで吟味に徹している剛三。その前で奈緒子は、緊張した面持ちでマジックを披露し始めた。

 

 

 

 最初に披露したものは、縄と徳利を使ったマジック。

 奈緒子が持った徳利の口に、するすると縄を入れて行く。そして縄を持った状態で徳利から手を離すと、なんと徳利は縄に釣られるようにして宙に浮いたまま。奈緒子は得意げに剛三へ目を送る。

 

 

「入れる時こっそり、その縄をジグザグに折っただろう? するとその折った所が玉になって、徳利の口で引っかかる」

 

 

 剛三はあっさり、見抜いてしまった。

 

 

 

 

 

 次に披露したのは、空中でボールを浮かせるマジック。奈緒子の開いた両手の中で、ボールはふわりと浮いていた。

 糸か何かだと思われる前に、奈緒子は腕を広げたり縮めたりしてやる。それでもボールは位置を変えず、その場に固定された状態だ。

 

 

「いいや、やっぱり糸だ。『インビジブル・スレッド』ってのだ」

 

 

 それも剛三はあっさり見破る。

 

 

「袖の下にリールを仕込んでいるだろう? そうすりゃぁ腕を広げても縮めても、リールが糸を巻いたり出したりするから、ボールが浮いている位置は変わらない」

 

 

 奈緒子は苦々しい顔で、手首より少し奥の所で巻き付けた小型のリールを見た。

 

 

 

 

 

 最後に披露したのは、四つのリングが繋がるマジック。別々だったリングとリングを擦らせると、何とそれは次々に繋がって行き、とうとう四つ全てが繋がって垂れ下がった。

 

 

「一つ目のリングに切り込みがあるだろ? それを手で隠しながら、そこに別のリングを入れるんだよ」

 

 

 更に剛三はリングを指差して続ける。

 

 

「もっと言ってやる。別々なのはその切り込みのあるリングともう一つだけで、もう二つは元々繋がっているリングだ。上下に重ねちまえば、繋がっている事には気付かれない」

 

 

 剛三の言った通りだ。奈緒子が手に持っているリングの内、一番上の物は切り込みのない物、その下のは切り込みのある物、そこから下の垂れ下がっている二つのリングは元々繋がっていた物だ。

 

 

 全て見破られ、奈緒子は残念そうな面持ちで道具を鞄に片付けた。その間も容赦なく、剛三は指摘する。

 

 

「少し、道具に頼り過ぎだな。それにどれも、昔から使われているマジックだ。昔こそウケていただろうが、今はテレビで観客の目は肥えて来ている。いずれ、時代遅れのマジックと見做されちまうぞ」

 

「……!」

 

 

 彼の指摘を受けて痛感する。やはりこの時代でもやや時代遅れだったかと。

 

 そして同時に衝撃を受ける。父はこの頃から既に、観客と時代の移り変わりを憂慮していた。これは幼少期、テレビ番組のマジシャンを嫌っていた父の姿とは真逆に思えたからだ。

 

 父が嫌っていたと思っていた「派手なだけのマジック」も、彼なりに認め始めていたのだろうか。奈緒子にはその事実が驚きだった。

 

 

「マジシャンってのはエンターテイナーだ。観客がいてこそ成り立つ。『つまらない』と思われたら負けだ。観客はタネや仕掛けが分からなくたっても、古臭いモンだってのはバレてしまう」

 

「…………」

 

「そう言う時代になって行くんだよ。悲しい事だがね」

 

「……そうですよね」

 

 

 項垂れ、打ちのめされ、暗い声で言う。

 

 

「……薄々、思ってはいたんです。私のマジックは……古臭いって」

 

 

 奈緒子を照らしていた街灯が、チカチカと明滅する。それを物憂げに見上げながら、思いを吐露した。

 

 

「いつの時代にも、時代遅れはある……私はそれに気付いてはいたけど……受け入れようって思わなかったんです」

 

「…………」

 

「……拘りたかったんです。今までの事は、間違っていなかったんだって。だって時代遅れだって認めちゃえば……私の今までが、間違っていたって事になる……」

 

「…………」

 

「……私はそれが、怖いんだと思います」

 

 

 剛三は腕を組み、目線を下げ、思慮に耽っている様子だ。彼もまた、奈緒子の言葉に共感出来るところがあったのだろう。ふと、彼は尋ねる。

 

 

「……まぁ、俺がボロクソ言ってしまったが、お嬢さんの技術は洗練されている。手つきも仕草も、流れるようだ。マジシャンの歴としちゃあ、なかなか長いだろ?」

 

「……はい……二十年になります」

 

「二十年かぁ……確かに長いな。それだけやって売れないんじゃ、やっぱ間違っていたかもな。古臭いマジックだと思われてな……」

 

 

 やはりプロとしての父は容赦なかった……いや、仮に目の前の人物が自分の娘だと知っていても、彼は同じような厳しさで以て接するだろう。それこそが彼の、プロたる所以だ。

 

 ただただ、奈緒子は打ちのめされるだけ。落ち込み、顔を下げた。

 街灯の明滅が止む。空はもう暗い。その中で剛三は、ゆっくりと語り出した。

 

 

 

 

 

 

「だからって、古い事は蔑ろにしちゃぁ駄目さ」

 

 

 ふっ、と顔を向ける奈緒子。剛三はまたしっかりと、彼女の目を見ていた。

 

 

「今ある新しい物ってのも、元は古い物を使った応用品だ。マジックもそうだ。先人が練り続けた技術が、こうやって我々の糧になっている。一から全く新しい物を作るってのは、俺でも出来ないよ……」

 

 

 そう語る剛三の目は、とても真っ直ぐで真摯で、眩いものだった。

 

 

「だからこそ……自分が今まで受けた『影響』を、どう血肉にして行くかが重要だ。新しい物に飛び付く事だけが影響じゃない……歩んで来た人生で受けた影響を、どうやって新しい物として披露してやるのかがエンターテイナーだ」

 

「…………!」

 

「だから、分かるな? 学ぶしかないんだ──人生で起こる全ては間違いでもあって、正解でもある。間違いのまんまにすんのは勿体ない」

 

 

 剛三はニヤリと笑う。

 その自信たっぷりな笑顔を見て、奈緒子は身動き一つ出来なくなった。

 

 

 

「古いモンを新しいモンだってやってやるのも技術。騙すのは、マジシャンの本懐だろう?」

 

 

 いつもマジックを披露する時に、娘に見せていた悪戯っぽい笑顔。

 奈緒子はやはり、この人には敵わないなと吹き出してしまった。

 

 

 

 

 ふと、自分がマジシャンとしての道を歩むキッカケを想起する。

 マジックでいつも私を驚かせていた父を、逆に驚かせたかった──幼い頃からあったその負けん気が、ルーツだった。

 

 父の死後はその跡を受け継ぐと言う目的に変わった。だが当初の目的を果たせなかった事は、ずっと彼女の心に引っかかって残っていた。

 

 

 

 今はその、最後のチャンス。まだ自分は、父を驚かせていない。

 

 いや、もしかすれば、「これが最後」にならなくもさせられる。

 奈緒子が、未来の事を教えてやれば、剛三はこの先もずっと、奈緒子たちが来た二◯一八年も生きていられるかもしれない。

 

 

 最後のチャンスだ。二度とない、最後のチャンスだ。

 

 

 

 

 

「……最後に、もう一つ……マジックを見て貰えませんか?」

 

 

 奈緒子はそう言って、ポケットからトランプを取り出した。

 座っている剛三の前に立ち、裏返しのまま広げたトランプの束を突き付ける。

 

 

「この中から一枚、カードを引いてください」

 

「……ほほぉ。最後の最後で的中マジックか? よほど自信があるようだ」

 

 

 まず剛三はトランプ裏の柄を良く良く観察する。マークドデックと言う、裏の柄に微かな目印が付いているトランプではないかと確認したかったからだ。しかしそう言った物は見当たらず、正真正銘の普通のトランプだと判断する。

 

 それから剛三は、カードを一枚引き抜いた。彼もマジシャンだ、奈緒子がサッと後ろへ引いたのを確認してから、見えないようぴらりとカードを返す。

 

 

 柄と数字を見て、またニヤリと笑う。さあ、どう当てると、挑発的に微笑みながら奈緒子を見やる。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は、度々明滅を繰り返す街灯の下にいた。

 その表情にはどこか、迷いもあるように見えた。それが気になり、剛三は怪訝そうに眉を寄せる。

 

 

 

「…………トランプの柄を当てる前に……」

 

 

 深く呼吸をしてから、続けた。

 

 

「……一つ、予言マジックを披露しましょう」

 

「……なに?」

 

 

 寄せた眉を、もっと寄せる。そんな困惑した父の表情に関係なく、奈緒子は進める。

 

 

「…………あなたは……」

 

 

 ピッと剛三に指先を向ける。

 

 そうだ、これで良い。あと一言言えば良い。

 

 これでまた、始まるんだ。

 

 新しい、自分の人生が。

 

 真の意味で父を継いだ、自分の人生が。

 

 

 

 

「近い、将来────」

 

 

 

 

 口を開き、止まった。

 

 街灯は一回強く明滅した後、元に戻ったように彼女を照らし続ける。

 

 その光の下にあった彼女の目は、酷く潤んでいた。

 

 

「……どうしたんだね?」

 

 

 剛三が尋ねると、彼女は一度目を伏せてから、鼻を啜った。

 強く閉じた瞼の線の歪める、大きな涙粒が溢れて落ちた。

 

 

 

 もう一度尋ねようとした時、彼女はまた顔を上げた。

 すっかり涙で濡れた目と震えた指先を向け、弱々しくもやけにハッキリとした声で話した。

 

 

 

 

 

「……あなたには、取り返しのつかない不幸が訪れます」

 

 

 いきなりそう言われて、剛三は不審がり、当惑する。それでも構わず奈緒子は続けた。

 

 

「それを回避する術を、私は知っています」

 

 

 目からはポロポロと涙が流れる。声も震えて、泣き声の一歩手前だ。

 

 

「でも……」

 

 

 奈緒子は、更に続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……教える事は──やっぱり出来ません」

 

 

 細やかに首を振る。

 

 

「あなたがいれば、もっと良い人生を歩めるでしょう。心に何も影を作らず、思い残りもなく、綺麗なスポットライトを浴びれるでしょう」

 

 

 何度も下唇を噛む。

 

 

「でも……」

 

 

 奈緒子の脳裏には、これまでの人生であった思い出が、走馬灯のように流れていた。

 

 

 

 何て辛く、暗く、悲しい人生だろうか。

 売れないマジシャンのままで、上京の時から住んでいる場所は変わらず、しかも何度も死にかけたし、死に対面して来た。

 

 我ながら何て波瀾万丈だ。そんな人生、誰が見たって間違いなハズだ。

 

 

 

 

「……それでも……そうだとしても……」

 

 

 山田奈緒子には、切れない。間違いだらけの人生だと、切って終わりに出来ない。

 

 

 

 

「……私にはもう……かけがえのないものが出来てしまった。大事だって思えるものが出来てしまった」

 

「……君、は……」

 

 

 また街灯が明滅する。

 奈緒子は息を吐いた。

 

 

 

「……これまでの事を、忘れたくない」

 

 

 脳裏に浮かぶは、あの男。

 

 いけすかなく、変に計算高く、肝心な時に弱虫で強情で見栄っ張り。ずっと縁を切りたかった男。

 

 

 

 

「……もう、忘れるのは嫌なんです」

 

 

 でも彼だけだ。

 

 こんな自分を、見捨てなかったのは。

 

 

 

 

「……私にはやるべき事があります。とても大きな敵と戦います……まだ私には、救うべき人がいます……」

 

「……君は、一体……!?」

 

「だから、ごめんなさい」

 

 

 溢れる涙は止まらず、震えて掠れた声で、謝る。

 

 

 

 

「ごめんなさい……」

 

 

 何度も謝る。

 

 

 

 

「ごめんなさい……っ……」

 

 

 大きく鼻を啜り、泣きじゃくる。

 

 

 

 

「ごめんなさい……っ……!!」

 

 

 大きく俯き、泣いた。

 剛三は呆然と見ている事しか出来ない。彼からすれば、いきなり訳の分からない事を言われて泣かれたのだ。仕方のない反応だろう。

 

 奈緒子は指を差したまま、ハッキリと言った。

 

 

 

 

「……あなたの選んだカードは──スペードの五です」

 

 

 そう言われ、剛三はトランプに目を落とす。

 

 

 持っているのはスペードの五。的中だ。

 

 

「……どうやって……」

 

 

 剛三は驚いていた。全く、タネが見破れなかったからだ。

 自分と彼女との位置、マークドデックの可能性、カードの広げ方など、ありとあらゆる事象を思い起こす。しかしそれでも、タネが分からない。

 

 

 困惑した眼差しで見つめる彼の前。彼女は涙目のまま差していた指を、スッと剛三からズラした。

 その先を見ようと、剛三は振り返る。

 

 

 

 

 

 

 背後にあったのは、閉店後のブティックのショーウィンドウ。

 そのショーウィンドウの向こうは真っ暗だ──鏡のように、こちらを写すほど。

 

 

「………………」

 

 

 そこには唖然とした表情の自分と、カードの表がきっちり反射されていた。

 

 

 

 剛三はハッと、思い出した。このマジックを、知っていると。

 

 

 

 

 そうだ、コレは──前に披露してやったマジック。

 披露してやったのは観客にではない──自分の、娘だ。

 

 

 

「…………ッ……!!」

 

 

 バッと振り返る剛三だが、その瞬間パッと、明滅繰り返していた街灯が消えた。

 そしてその下に立っていた、あの女性も消えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 鞄を持って、早足で道を離れる奈緒子。涙は止まらず、何度も目を擦っている。

 同じ頃に剛三は路地から表に飛び出し、消えた彼女を探そうと辺りを見渡していた。

 

 

「……おぉい!!」

 

 

 声を張り上げるが、返事はない。そして剛三の声が聞こえないような街の喧騒に、奈緒子はもう入り込んでいた。

 剛三はトランプを持ったまま辺りを駆ける。

 

 

「おおぉいッ!!」

 

 

 どれほど叫べど、もう彼女の姿はない。家路を急ぐ人たちが遮り、見えなくなっていたからだ。

 必死に見渡し、潤んだ瞳で、剛三は呟いた。

 

 

 

 

 

 

「……奈緒子……ッ……!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──山田は暗い山道を、とぼとぼと歩いていた。

 連なって照らす街灯を道標にするように、ただふらふらと歩いていた。

 

 

 

 雛見沢停留所が見えて来る。誰かの気配を悟り、顔を上げた。

 

 

 

 そこには梨花が立っている。

 優しく柔く、物悲しげな微笑みを携えていた。

 

 

「…………おかえりなのです」

 

「………………」

 

 

 足を止め、少しの沈黙の後、山田は口を開く。その目は赤く。腫れぼったい。

 

 

「……今になって後悔してます……この選択をして……本当に良かったのかなって……」

 

「……もう一度、戻っても良いのですよ?」

 

「…………」

 

 

 山田は弱々しくも首を振った。

 

 

「……もう戻りません」

 

 

 覚悟を決めたように、そう言い切った。

 

 

 

 

「…………もう、二度と……」

 

 

 ツゥっと、一筋の涙が流れて消えた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

打ち明け

 ボンネットに黒服が括り付けられた車が二台止まり、中から園崎家の面々が出て来た。

 その中には勿論、上田と富竹もいる。ちらりと、まず上田はボンネットの男に目を向けた。

 

 

「土竜の唄……生田斗真?」

 

「じゃあ先生、私らは先に行かせて貰うよ」

 

 

 そう言って茜は魅音と詩音を連れて、目の前にあった家の中に入って行く。魅音は茜と同じ喪服仕様の着物姿で、対して詩音はフォーマルブラックだ。

 

 彼女が入った家とは、葬式を執り行っているレナの家だ。既に参列者がいるようで、玄関口には色々な人が立っていた。故人の仕事仲間や友人がその殆どだろう。

 上田と富竹は喪服の準備が出来ず、少し入り辛さを感じていた。

 

 

「こんな格好で少し、忍びないですが……」

 

「僕なんてタンクトップ一枚ですから」

 

「まぁ……一応我々、旅行者ですし、あの子も事情は知っているだろうから大丈夫だとは思うが……行きますか?」

 

「そうですね……行きましょう、ジロウよ」

 

「えぇ、ジロウよ」

 

 

 二人揃って一歩を踏み出した、その時だ。

 

 

 

 

「う、う、上田先生ッ!? 富竹さんッ!?!?」

 

 

 二人を呼ぶ愕然とした声。振り返ると、そこにいたのは前原一家。特に圭一が上田らを見つけた途端、鬼気迫る形相で颯爽と近付いて来た。すぐに上田は声をかける。

 

 

「よぉ〜少年! この通り、私は無事で」

 

「俺の師匠はどこですかッ!?!?」

 

「…………」

 

 

 彼は山田を心配していたようで、あんまりな扱いを受けた上田は表情を固めていた。

 代わりに富竹が、ちょっと面倒臭そうな顔になりながらも教えてやる。

 

 

「や、山田さんも無事だから安心してよ! 多分、もうすぐで来るんじゃないかな」

 

「そ、そうなんですか? はぁ〜……無事そうでホッとしたぜ〜…………あ。上田先生も元気そうで何よりッス!」

 

「あげたピラニア汁返してくれないか?」

 

 

 その圭一の隣を縫って現れたのは、彼の父親だ。彼は上田の前に立つと会釈をした。

 

 

「もしや、あなたが上田先生と言う方で?」

 

「え、えぇ……」

 

「はじめまして。自分は『前原 伊知郎』……この圭一の父です」

 

「あれ? 私たち、一回会っていませんでした?」

 

「え?……いえ。多分、初対面かと……」

 

 

 とりあえず二人握手をし、挨拶。伊知郎はまず彼に感謝をした。

 

 

「圭一から話は聞いております……息子を助けてくださったとか。何と感謝を申し上げれば……」

 

「いえいえ! 私にかかればあんな連中、私が昔相手とったインドの怪僧と比べたらなんて事無い! はっはっは!」

 

「上田先生スゲェ!」

 

 

 横で圭一が感動している。

 そして上田も褒められて気が乗って来たようで、そのまま伊知郎との会話を続けた。

 

 

「何でも、複数人を相手に無双したとか。現実は小説よりも奇なりとは言いますが……いやぁ。創作者の端くれとして、少し嫉妬してしまう展開ですねぇ」

 

「ほぉ? そうなんですか? 実は私、本を出版していましてねぇ? 私もまた、創作者の端くれなんですよぉ!」

 

「なんと多才な方だ……本は僕も出していますが……まぁ売り上げはそこそこで……」

 

「本を売って成功すると言うのは難しい事ですからねぇ! その中でもやはり生き残る為には──」

 

「精々、分譲地を買って、一軒家を買う程度しか売れなかったですし……」

 

 

 上田の表情が固まる。

 

 

「この間も重版の話も上がりましたが、発売一ヶ月にしてやっと、と言った具合です……」

 

「…………」

 

「さぞ、上田先生の御本ならば、世界レベルの売り上げとなっているかと思われます。僕も、まだまだですね」

 

「…………えぇ! 私なんて、とある繁華街にある一坪を買って、そこに超巨大な高層ビルを建てられるほどの売り上げにこの間とうとう到達しまして」

 

「ちょっと! もうそろそろ……」

 

 

 痺れを切らした伊知郎の妻の一声により、上田と伊知郎の話は終わらされた。

 前原一家が家の中に入って行くのを見届けてから、上田はドッと疲れたように溜め息を吐く。

 

 

 

 

 そんな折、後ろからまた忙しない様子で二人を呼ぶ声が聞こえ、踵を返した。

 

 

「お二人ともー! ご無事でしたかー!」

 

 

 入江だ。いつもの白衣姿ではなく、喪服である黒のスーツに身を包んでいた。彼はホッと安堵したような表情で、二人の元に駆け寄る。

 

 

「お、お、お怪我はないですか……!?」

 

「いや……私は大丈夫です。鍛えてますから」

 

「僕も大丈夫です。ムキムキぼでえですから」

 

 

 二人は同時にマッスルポーズをしてみせる。富竹は少し腹が出ている。

 とりあえず二人が大事ないと分かった入江は、「そうですか」と流して話を続けた。

 

 

「ところで山田さんは? 大石刑事と会ってくれと言っていたようですが……」

 

「山田が? あいつどこほっつき歩いてんだ……」

 

「……あぁ、そうでした。この件について、富竹さんにもお伺いを立てておこうかと……」

 

 

 入江が尋ねたのは、大石に「東京」や雛見沢症候群の事実を明かす事についてだ。一応、監査役の富竹に相談しておきたかったようだ。

 最初こそ富竹は難色を示す様子で、難しそうに唸っていたものの、これまでの事を踏まえた上で首を縦に振ってくれた。

 

 

「……鷹野さんが殺され、マイブラザーも殺されかけた……」

 

「マイブラザーとは……?」

 

 

 入江の困惑を無視し、富竹は頭の後ろを掻きながらぼやく。

 

 

 

「……『番犬部隊』からも追加の報告は来ないし、やむを得ないか……」

 

 

 朝方に連絡した「番犬」と言う東京の一部署からの返事が、未だ来ていない。鷹野の死などの要因ですぐに動いてくれるのかと期待していたが、存外に腰が重い。富竹はそれにヤキモキしているようだ。

 

 

「……ともあれ最低限の口止め、そして最重要機密は話さないようお願いしますよ」

 

「それは、勿論……ありがとうございます富竹さん」

 

 

 

 

 話をしている三人の元に、今度は梨花と沙都子がやって来る。梨花は黒のワンピース、沙都子も白のブラウスと黒のジャンパースカートの喪服姿だ。

 

 

「あ。上田なのです」

 

「上田先生!?!?」

 

 

 梨花はともかく、沙都子の反応は強いものだった。颯爽と彼の足元に駆け寄っては足にしがみ付くように抱き付いた。

 

 

「おおう!?」

 

「うわあああん! 上田先生も無事で良かったですわぁぁーーっ!!」

 

「僕も無事だったんですけどね」

 

 

 横で富竹が主張するが無視される。

 思いの外泣かれてしまい、上田は周りの目が気になって居心地が悪そうだ。

 

 

「と、とりあえず落ち着け沙都子。今はお葬式なんだ、騒ぐのはハイセンスナンセンスだぞぉ?」

 

「どっちなのですか」

 

 

 ぼそっと梨花が突っ込む。

 ともあれ上田に諭された沙都子は、涙を拭いながらやっと抱き付くのを止めた。

 

 

「グスっ、グスっ……もう、悲しんだら良いのか喜んだら良いのか分かりませんわ……」

 

「みぃ。ボクのハンカチでお目目拭くのです」

 

「うん……ありがと梨花…………これポケットティッシュ……」

 

「家に余るほどあるのです」

 

 

 潤んだ目をティッシュで拭い、何とか泣き顔から回復する沙都子。

 その隣は梨花はちらりと上田らを一瞥してから、彼女に話しかけた。

 

 

「……沙都子ー。ボクちょっと上田と話すのです。先に行ってて良いのですよー」

 

「え? 今更話す事でもありますこと?」

 

「感動の再会みたいだった割に扱い軽くないか?」

 

 

 上田が少しショック気味に突っ込む。

 とりあえず沙都子を言いくるめ、彼女だけ先にレナ宅へ行かせた。あとこの場に残っているのは、雛見沢症候群にまつわる秘密を共有しているメンバーのみだ。

 

 まず梨花は、実際に生存している富竹を感慨深そうに見つめる。

 

 

「……無事で良かったのですよ」

 

「……鷹野さんは助けられなかったけどね」

 

「……今はその犯人を見つける事が大事なのです。偉い人とお話できる富竹なら出来るのですか?」

 

 

 期待を込めて聞いてみるも、富竹の返事は力無い首振りだけだった。

 

 

「先方から連絡は依然なし……興宮署の動きも含めて、僕の知らない東京の介入が起きている事は明白だ……だけど一切の情報が来ていないんだ」

 

「……やっぱり、東京が関わっているのですか?」

 

「何とも言えないが……とりあえず明日の朝には本部に帰るよ。実際に上層部と会って、色々と聞き出してみる」

 

 

 新幹線を使えば、ほんの二時間で東京に行ける。災厄が始まる明後日までには余裕で間に合うだろう。

 富竹生存で希望が出来たと、ホッと胸を撫で下ろす梨花。その彼女へ、上田が尋ねた。

 

 

「なぁ? 山田の奴を見てないか?」

 

「山田?……あー……」

 

 

 山田とは停留所前で会ってはいる。しかし泣き腫らした顔を見られたくないと、落ち着くまでその辺を歩くと言って一旦別れた。

 レナ宅での葬式の事は伝えているので必ず来るとは思うが……まず彼女の父親の事は言わない方が良いだろうと、梨花は判断する。

 

 

「ちょっと散歩するって言ってたのです!」

 

「散歩だあ? なに呑気してやがんだ! この状況で散歩して良いのは右京さんだけだぞ!」

 

「すぐ来るハズですので、待ってると……あ」

 

 

 ふと目を向けた先、件の山田がそこにいた。

 少し俯きがちな彼女を見つけた途端、上田は誰よりも早く声をかけた。

 

 

「おぉい山田ぁ!」

 

「…………あ。う、上田さん」

 

 

 すぐに駆け寄る上田。その後ろからチラリと見える梨花は、心配そうな眼差しを送っていた。

 

 

「こんな大事な時にどこほっつき歩いてたんだ!」

 

 

 上田の叱責を受けながら、梨花のその眼差しに対する返事として、「もう大丈夫だ」と真っ直ぐな視線で以て示した。

 

 

「……すいません。ちょっと……」

 

「全く……黒幕が俺たちを狙っているかもしれないんだ。あまり夜道を一人で歩くんじゃない」

 

「……心配してくれているんですか?」

 

 

 その切り返しに上田は表情をピシッと固めてから、鼻で笑って否定した。

 

 

「いいやぁ? 全然? 全く? 誰がYOUみたいなド底辺貧乳マジシャンなんか」

 

「ソイっ!!」

 

 

 山田から怒りの鉄拳が飛ぶ。それを腹部に受けた彼は、地面に倒れ伏した。

 倒れた上田を踏んで乗り越えると、彼と同じく待たせていた富竹と入江の方へ行く。

 

 

「お待たせしました」

 

「ご無事でなりよりです、山田さん……」

 

「あのジロウをたった一発で……! 山田さん。あなたもしや、北斗神拳の継承しゃ」

 

「入江さん」

 

 

 富竹の言葉を遮り、入江にまず興宮での事を報告する。

 

 

「興宮に運ばれたって言う死体は、何とか私たちで写真や指紋を押さえました」

 

「そ、そうですか……行動力の化身ですね……」

 

「……それより………少し、最悪な予想を言っても構いませんか?」

 

「……え?」

 

 

 次に山田が言った「最悪な予想」を聞いた途端、入江のみならず、富竹や梨花さえも戦慄する。それほどにまでさせるほどの威力が、「最悪な予想」にはあった。

 有り得ないと言わんばかりに小さく首を振りながら、入江は山田の言葉を繰り返した。

 

 

 

 

「……は、破棄したハズの『薬品』が……誰かの手に……で、ですって!?」

 

 

 

 彼の言う「薬品」とは、雛見沢症候群の兵器化を目的として作られた、危険な代物。だがそれは、研究の凍結に先立って全て処分されていたハズだ。

 何とか立ち直れた上田は、思わず山田に詰め寄る。

 

 

「どう言う事だ山田……!?」

 

「まず入江さんに聞きますけど……その、兵器化した薬品と言うのは、どう言う物ですか?」

 

 

 すっかり顔面は蒼白色となっている。恐る恐ると言った具合に入江は富竹と、そして梨花に伺いを立てるような目線を送った。富竹は小さく頷き、一方の梨花は話してくれる事を期待するように目を合わす。

 二人の反応を見た後、入江は意を決して、薬品の詳細を語り始めた。

 

 

「……兵器化した、雛見沢症候群を由来とする薬品……それは人為的に、『病気の末期症状を引き起こさせる』ものです」

 

 

 それを聞いた途端、全てを察したような目を向けたのは、「とある人物の死」を知る上田と梨花。

 

 

「……まさか……山田……!」

 

 

 思わず梨花はチラリと、そのとある人物──こと、富竹を見やる。

 そうだ、本来なら彼は昨晩死んでいたハズだ──「首を掻きむしって」。

 

 

「はい……富竹さんの死は」

 

 

 二度見する富竹だが、山田は構わず続ける。

 

 

「破棄されたハズの、その『薬品』によって起こされたものだったかもしれないんです」

 

「な、なぜ、そう言える?」

 

「上田さん……確か誰かに襲われた時、首に注射針のような物を刺されたんですよね?」

 

 

 山田は、自身の首に注射を突き刺すような仕草を取りながら言う。釣られて上田もまた、その傷痕を覆う首のガーゼに触れた。

 

 

「てっきり上田さんを、麻酔か何かで眠らせる為なのかと思っていた……けど、もしかすれば……」

 

「……お、俺を無理矢理発症させて……と、富竹さんのようになっていたのかもしれない……って、コト?」

 

「そう考えられませんか?」

 

 

 山田の推理を聞き終えるや否や、梨花は入江に縋り付き、鬼気迫る声音と表情で聞く。

 

 

「その薬品はどこなのですか!?」

 

 

 だが入江はまだ「有り得ない」と首を振る。

 

 

「薬品は全て、破棄されたハズです……! 資料も製造方法も含め、監査局が何度も立ち入っていましたから……み、見落とすだとか、隠すだとかなんて無理だと……!」

 

「絶対なのですか!?」

 

「それは保証するよ」

 

 

 代わりに口を開いたのは、静聴に徹していた富竹だ。

 

 

「兵器開発に関連する全ては、入江機関だけじゃなく、僕たちや、他多くの部署が、幾度も慎重に実行した。誰かの手に残っているなんて有り得ない事だよ」

 

「薬品を元々管理していたのは誰ですか?」

 

 

 山田の質問に、入江はすっかり動揺しきった震え声で答えた。

 

 

「……まず、入江機関の所長である私……そして殺された鷹野さん……他にも開発に携わった研究員がいましたが、計画の凍結が決まってからは東京に戻ってしまいましたから……」

 

「となると、この村で薬品の存在を知るのはもう、入江さんだけ……しかし彼は、確か、祭りの時……」

 

 

 上田が言わんとしている事は分かる。今年の鬼隠しを、入江が引き起こすのは不可能だ。

 彼は村唯一の診療医で、祭りの最中はずっと、境内に立てられた医務用テントにいた。その事は祭りにいた多くの参加者が証言しており、つまり入江にはアリバイがある訳だ。仮に薬品を隠し持っていたとしても、犯行を実行は出来ない。

 

 

 もしくは共犯者の存在も考えられるだろう。しかしここまで多くの秘密を打ち明けてくれた彼が、何より薬品がまだ存在する可能性を受けて分かりやすく狼狽している彼が、どうにも全ての黒幕に思えなかった。

 

 

「とにかく、その薬品が残っている可能性があるんです!」

 

 

 山田はひたすらに訴える。

 

 

「そうじゃないと上田さんに注射を刺した理由、そして富竹さんの死因に説明が付きません」

 

「あ、あぁ……確かにYOUの言う(ゆー)通りだ。ダジャレじゃないからな」

 

「……ボクも、山田の推理に納得なのです……」

 

「そんな……」

 

 

 彼女の推理には説得力があった。上田も梨花もそれに賛同する。入江に関しては半信半疑と言った感じながら、外部への流出が可能性として上がった事で、不安がその潜めた眉に出ていた。

 

 そんな中、富竹一人が釈然としない様子を見せながら、手を挙げる。

 

 

 

 

「ところで、何で僕が死んでいる前提で話が進んでいるんですか?」

 

 

 とうとう禁断の疑問を口にする。途端、山田と上田と梨花の表情が真顔で固まった。

 薬品の存在を推理する余り、もはや別の未来となった富竹の死を思いっきり口走っていた。

 

 

「あの……えと。僕が死んだとかって言うのは一体」

 

「「忘れろ忘れろ忘れろビーームっっ!!」」

 

「びぃーむなのですっ!」

 

 

 大声と変な挙動で、強引に三人ではぐらかす。

 

 

 

 

 

 

 そんな彼女らの元に現れる、最後の珍客。

 

 

「……んっふっふ。人様の葬式だってのに、騒がしい大人がいたものですねぇ?」

 

 

 その珍客の声に反応し、四人は一斉に目を向ける。

 

 

 暗闇の中からふらりと現れたのは、大石。山田が全てを話してやる為に呼んだ男だ。

 彼を見るや、梨花の眉間に自然と皺が寄る。

 

 

「大石……」

 

「しかし梨花さんに入江先生、そして富竹さんとは! 言っちゃ何ですが、妙な組み合わせですなぁ?」

 

 

 いつもののらりくらり、飄々とした物言い、そして崩れないニヤニヤ笑い。怪しいその態度もそうだが、更には彼は現職の刑事でもある。場に油断ならない緊張感が漂うのも無理はない。

 

 

 

 

「お約束通り、『信用に足る人』を連れて来ました」

 

 

 思わず身構える入江と富竹だが、間を取り持つように山田が紹介する。即座に大石は興味深そうに自身の顎を撫でながら、入江を見やる。

 

 

「ほぉ〜……? まさか、入江先生がぁ?」

 

「…………っ……!」

 

 

 ニヤニヤ笑いだが、その眼差しは鷹のように鋭い。また大石自身、先の沙都子の両親の事件で、入江に疑念を向けていた。

 そして入江もまた、大石の追求から沙都子を守るべく手回しをした。その事実があるからこそ気まずい上に、その事実を明かすかもしれない。入江の緊張と疑心は計り知れないものだろう。

 

 

 

「……入江。打ち明けるのです」

 

「り、梨花さん……でも、しかし……」

 

 

 そんな二人の間にある思惑を悟った上で、梨花が入江に発破をかけた。

 

 

「大石は確かに胡散臭いのです」

 

「辛辣ですなぁ」

 

 

 困ったように頭を掻く大石。

 

 

「……でも」

 

 梨花は説得を続ける。

 

 

「……お昼に大石とお話した時に分かったのです……大石は、誰よりも真っ当に刑事なのです」

 

「……え?」

 

 

 その言葉に入江以上に驚いたのは、当の大石本人だった。ずっと浮かべていたニヤニヤ笑いは消え、唖然とした表情で梨花を見つめていた。

 

 

「ボクには大石のその執念の理由は分からないのです……でも、全てを解き明かしたいその気持ちは、ボクにだって分かります」

 

「……あなた、一体……?」

 

「……多くの人が恐れ、諦めたその闇に、大石は刑事として踏み込み続けた。それは決して、誰にでも出来る事ではない……そんな大石の勇気と、刑事としての矜持は、今のボクらにとって大きな味方になるのです」

 

 

 大石を一瞥した後、梨花は真っ直ぐ入江と向き合う。

 暗がりの中で黒い喪服姿、しかし不吉な雰囲気はない。その何色に染まる事のない黒が、今この場で何よりも美しく思えたからだ。

 

 

 

「全てを費やし、事件に挑む……それだけに、真実を取り上げられ続ける苦しみも、並大抵のものではないのですよ」

 

「…………」

 

「一つ綻びが出来てしまった以上、秘密なんて無理なのです。寧ろ、囚われてしまう人が増えるばかり……もう、大石や村の人だけじゃなく、今のボクらもまた同じなのです」

 

「…………」

 

「……時が来たのですよ」

 

 

 俯き、考え込む入江。そしてその後ろ、緊張した面持ちで見守る上田と山田、それに富竹。

 方々から向けられる祈りと、懇願の視線を受けながら一人、やっと入江は顔を上げる。その表情は決意に満ちていて、曇りのないものだった。

 

 

 

 

「……分かりました。打ち明けましょう」

 

 

 その言葉が飛んだ途端、固まっていた皆の表情が和らいだ。

 ただそれでも大石だけは、顰めた顔をまだ正してはいない。寧ろここからだと、腹を括っているかのようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、矢部たち公安一行。村外れにある狭い公衆電話のボックスに、四人が缶詰状態となっていた。

 ギュウギュウに押し合いへし合いをしながら、矢部は未来の赤坂から渡された電話番号を打ち込む。電話機の上には「怪異注意」と書かれた紙が貼られていた。

 

 

「これで無理やったらどないする?」

 

「万事休すって奴じゃのぅ兄ィ!!」

 

「もうどーにもこーにもなりませんね〜」

 

「良いからダメ元で早く掛けたまえ!」

 

 

 菊池に急かされ、うんざりした顔で矢部は受話器を耳に当てた。受話器からはくちゃくちゃと不快な咀嚼音が鳴る。

 

 

「なんやコレぇ? あぁ? クチャラーに繋がってもうたでぇ?」

 

「矢部さぁーーんっ! 怪異起きてますぅーーっ!! 助けてメリィーーっ!!」

 

 

 電話ボックスの向こう側に怪しい花嫁が立っているが、矢部は気にせず番号を打ち直す。

 

 

「あ、なんや。番号間違ぅとったわ。ええと……」

 

 

 謎の花嫁に部下たちが怯えている手前、矢部は呼び出し音が消えるのをひたすら待つ。

 コールは四回、五回と増えて行く。さすがに無理かと諦めかけたその時、ガチャリと言う音と共に呼び出し音が消えた。

 

 

『……もしもし?』

 

 

 受話器の向こうから若い男の声。まさか繋がるとは思っていなかった矢部は、小さく驚き声をあげてしまった。

 

 

「うぉお! マジで繋がりおったで!?」

 

『……どちら様ですか?』

 

 

 気を取り直し、矢部は恐る恐る、相手に声をかけた。

 

 

「あのぉ〜……? いや、間違い電話やったらすみませんけどねぇ?」

 

『はぁ……?』

 

「おたくさん、もしかしてぇ……赤坂、衛さんと言う方やないですか?」

 

 

 いやいや違うだろと首を振る部下たちと、怪しい花嫁。実のところ矢部本人も「そんなミラクル起きる訳ないか」と半ば諦めてはいた。

 

 

 

 

 

 少しの沈黙が続く。もしや向こうは悪戯電話かと呆れているのではないかと、思い始めた時だ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………はい。本人ですが」

 

 

 怪訝とした表情で受話器を握るは、若き日の赤坂だった。




・去年に実施した再編集の際にやむなくカットした場面ですが、一応圭一の父と上田は二、三日目辺りで会ってました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

紫陽花

 梨花に諭された事で大石へと打ち明けられた、雛見沢症候群とそれを巡る国の動き、そして女王感染者と緊急マニュアルの事。

 そんなあまりにも大きく、そして信じられない話に、大石の分かったような分からないような表情を見せた。

 

 

「うーん……何か、小説の筋書きを聞いた気分ですが……」

 

「今お話した事は全て、事実です。到底信じられるような話ではないと思いますが……」

 

「……まぁ、何ですか。大の大人が揃いも揃ってドッキリ仕掛けているようには見えんですからねぇ。少し噛み砕く時間は欲しいですが……まぁ、信じてみますよぉ」

 

 

 理解に努めようとする彼の姿を見て、ホッと安堵する山田と上田、そして梨花。

 

 

 

 

「四年前」

 

 

 だが大石はどこか、興奮と緊張を滲ませた雰囲気で、入江に一つ尋ねる。

 

 

「……四年前の秋。興宮で、当時ダム建設の現場監督を務めとった方が惨殺されてます」

 

 

 咄嗟に上田と山田は、彼が前に言っていた「おやっさん」の話だと悟った。

 だがどうして今その話をと聞くより先に、大石はやや食い気味に続ける。

 

 

「私の勘じゃあ、連続怪死事件とあなたらは必ず関係している。現に、研究の責任者だった鷹野さんが焼死体で発見されましたからねぇ」

 

「…………」

 

「……四年前のこの事件と、あんたら機関っての……関係しているんですかい?」

 

 

 口調はいつも通り、飄々と標的を追い詰める彼らしいものだ。だが所々の語気に宿る荒さと、爛々とした眼差しが、縋りと祈りを入江へと向けている。「そうであってくれ」と期待している。

 

 

 しかし対する入江の返答は、まず横に振られた頭からだった。

 

 

「……その事件に我々は」

 

「…………」

 

「……一切、関与していないかと」

 

 

 断言された。

 途端、大石の表情からふっと、興味の念がなくなる。

 代わりに満ちたのは、失念の影だ。

 

 

「……なら、私の出る幕はここまでですかねぇ」

 

「お、大石さん!?」

 

 

 徐に背を向けた彼を急いで呼び止める上田。

 不安げな一同の視線を一斉に受けながら、大石は落ち込んだ横顔を向ける。

 

 

「上田先生。前に言ったハズですよ……私ぁ、おやっさんを殺したヤツを捕まえる為、この事件を追っとったんです。これなら、園崎家を張り込んどいた方が良いってもんです」

 

「そんな……! あなた刑事でしょッ!? 梨花の身に危険が迫っているって言うのに!」

 

「梨花さんが?」

 

 

 上田の説得で少し興味を持った彼に、山田が続けて事情を話す。

 

 

「その東京って組織は、雛見沢症候群の事実を隠したいんです! だから、村を丸ごと消す為に梨花さんを──」

 

「それはぁ……確固たる証拠があっての事ですか? 動機は?」

 

 

 大石のその切り返しを受け、山田はハッとして言葉を止めた。

 それは彼女自身、もっと言えばこの場にいる全ての人間がまだ確信に至れていない事だからだ。

 

 動機も何も、分かってはいない。

 誰が黒幕なのかも、実行犯も、分かってはいない。

 分かっているのは、あと少し先の未来で本当に起こると言う事だけだ。

 

 つまり、大石を真の意味で納得させられるロジックが、まだ組み立てられていない訳だ。

 

 

 すっかり挙動不審となり、目を泳がせる山田を見て、大石に微か見えていた興味の念は、再び消えてしまった。

 

 

「……それに、今の私に興宮署を動かす力はないんですよ。綿流しの一件でやらかしちまいましたからねぇ」

 

「…………」

 

「私にはもう……どうする事も出来んのですよ」

 

「そう言って本当はあなた、怖いんじゃないんですか?」

 

 

 そう声を張ったのは、上田だった。

 その指摘を受けた大石は目を丸くさせ、思わず身体ごと上田の方へ向けた。

 

 

「思えばあなた、そうなんですよ。事件の主犯が園崎家だって思い続けているのも、結局はこれまでの捜査が間違っている事を認めるのが怖いからだ」

 

「ちょ、ちょっと……!?」

 

 

 山田の制止を無視し、尚も上田は声を荒げ、続ける。

 

 

「確かに梨花が狙われている件は、まだ完全に確証がある訳じゃない……だがそれだって、あなたのご友人の仇が園崎家だって事も同じだ! そっちだって確証はないッ! あなたが前に挙げていた根拠も、結局は状況証拠だッ!」

 

「…………」

 

「あなたが園崎家を目の敵にしてるのは、安全圏だからですよね? ヤクザ相手ならどれだけ責め立てても文句は言われないが、国が相手となると話は違う。あなたはねぇ? 真実と退職金を天秤にかけて、後者の方を選んでいるに過ぎな──ノオオゥッ!?!?」

 

 

 梨花が上田の向こう脛(弁慶の泣き所)を蹴る。

 これには堪らず、上田は呻き声をあげながら脛を庇い、情けなく地面に伏す。

 

 一連の彼女の行動には大石のみならず、この場にいた誰もが驚いた。

 一同の注目を浴びながら、梨花は一度深呼吸をして、話し出す。

 

 

「……良いのです。大石とボクとでは……積み重ねて来たものが違うのですよ」

 

 

 にっこりと、無理矢理作った笑顔を見せる。

 

 

「……全てが無駄になる事が怖いのは……ちっぽけなボクにも分かるのです。大石ならもっと尚更なのです」

 

「……梨花さん……?」

 

「……大石を巻き込む権利なんて、ボクにはないのです。だから、もう……話を聞いてくれただけでも嬉しいのですよ」

 

 

 狡猾で、執念深く、何を考えているのか分からない老刑事──梨花は大石の事を、そうずっと思っていた。

 ニヤけた顔を貼り付け、与えてはならない人物に、与えてはならない情報を与える厄介な男──そうずっと思っていた。

 

 だが目の前の、いつもよりしおらしい彼は、昼間に非礼を詫びた彼の姿は、間違いなく血の通った人間の姿をしていた。こんな大石の姿を見たのは初めてだ。

 

 

 そんな彼の人間らしい、芯のある一面を知れただけでも梨花は満足だ。

 刑事として、正義の立場にいてくれていた彼を知れただけでも満足だ。

 

 

 

 

「…………」

 

 

 大石は申し訳なさそうに目を伏せる。

 少し逡巡するように身体を後ろへ、梨花たちの方へとふらふらさせてから、やっぱり背を向けてしまった。

 

 そのまま何も言わず、宵闇に消えようと一歩踏み出す。

 それを山田が止める。

 

 

「せめて……竜宮さんのお父さんに、お線香でもあげに行きませんか……?」

 

 

 ぴたりと足を止め、竜宮家の方を大石は向く。

 その前に停まっている黒い車を見て、首を振った。

 

 

「……私が園崎とカチ会えば空気が悪くなりますよぉ?」

 

「…………」

 

「……それに。竜宮さんトコの美人局の件……北条鉄平との繋がりやらは分かっていたのに、私は発破かけられるまで動かなかった……動いた頃にはもう遅かった……情け無いですよ。私にお焼香をあげる権利はない」

 

「……そう言わずに」

 

 

 山田は大石の前に立ち塞がるようにして立つ。

 

 

「……責任を感じているんでしたら、尚更行くべきだと思います」

 

「…………どうですかねぇ」

 

「…………」

 

「…………」

 

「…………負けないでっ♪ もぉ〜お〜少しっ♪」

 

 

 突然歌い出す山田に全員がズッこける。

 入江がボソッと「ディズニー映画みたい」と漏らす。

 

 

「さぁ〜い〜ごまでっ♪ 走り続け」

 

「山田。知らない歌を歌うのはやめるのです」

 

「え? あ、そ、そうですか……ええと……恋のっ♪ ダウンロぉ〜ドぉ〜♪」

 

「突然歌うのをやめるのです」

 

「ふぅたりっ♪ パぁ〜レぇ〜」

 

「やめるのです」

 

 

 元気付ける為に突然歌ったが、梨花に封殺される。

 とは言え大石も肩の力が抜けたのか、半ば呆れを含んだ微笑みを見せてくれた。

 

 

「……分かりました。全く、山田さんには敵いませんなぁ……」

 

「き・み・が・いれ」

 

「山田っ!」

 

 

 今度こそ山田の歌は止められた。

 地面に伏していた上田も立ち上がり、一同は元々の目的でもあった礼奈の父親の葬儀に向かう。

 

 玄関から屋内に入る前、富竹が入江にぼそりと耳打ちする。

 

 

「……入江先生。分かっている事とは思いますが……」

 

「…………えぇ。大丈夫です」

 

 

 入江は少し苦しそうに顔を歪めた後、何ともない風を装って富竹に目配せした。

 

 

「…………連続怪死事件の件までは話しませんよ」

 

 

 そう言いながらも「本当に良いのか」と悩み、俯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 下足場で靴を脱ぎ、廊下に上がる。

 すると丁度現れた圭一が、山田を五度見した上で視認し、声を上げる。

 

 

「アァーーオゥっ!?!?」

 

「ま、マイコー……!?」

 

「や、や、山田さぁぁーーんっ!?!?」

 

 

 そう言えば綿流しの一件以来の再会だなと思い出す山田。

 なんて言い訳しようかと考える前に、圭一は一瞬で彼女の前に詰め寄った。凄まじい圧だ。

 

 

「大丈夫ですかッ!? お怪我はッ!?!?」

 

「え、ええと、問題な──」

 

「もう……ッ! 俺……ッ!! 山田さんになんかあったんじゃと思ってぇ……ッ!!」

 

「あの」

 

「うおおおお山田さぁぁぁぁーーッッ!!!!」

 

 

 そのまま跪き、山田の足に抱き付く。

 

 

「お慕い申しております……!!」

 

「…………」

 

 

 足に絡まる圭一を引き摺り、仕方なく進む山田。

 そんな二人を無視し、後続の上田らは続々と先へ向かう。

 

 騒ぎを聞き付けて次に現れたのは、喪服姿のレナだった。

 

 

「圭一くん? どうかしたの…………あ、あぁっ!?」

 

 

 彼女もまた山田と上田の姿を見て声を上げる。圭一よりは大人しい。

 

 

「上田先生!? 山田さんも!?」

 

「僕も無事です」

 

 

 アピールする富竹だが無視される。

 レナは上田と、圭一を引き摺って歩く山田に駆け寄り、安堵を滲ませた潤んだ目で見つめる。

 

 

「け、け、怪我はないですか!?」

 

「フッ……全く全然。なんてったって、鍛えてますから」

 

「はぁ……良かった……もう、どこ言ったんだろって不安で不安で……!」

 

 

 その場でへたり込みそうなほどに安心し切った様子のレナ。

 山田は思い出したように、圭一を引き摺りながら話しかける。

 

 

「あ、あの! 綿流しの時、なんか守ってくださってありがとうございました!」

 

「……っ」

 

 

 途端、レナの表情が一瞬曇る。

 綿流しで起きた暴動を止めた折に、村人に言われた暴言を思い出してしまったようだ。

 

 だがすぐ明るい笑みに戻し、山田の感謝を謙遜しながら受け取った。

 

 

「……う、ううん! なんて事ないよ! 山田さんも大丈夫そうで良かった!」

 

「えぇ、大丈夫なんですけど。すいません、コレ剥がして貰えませんか?」

 

 

 尚も足にへばり付く圭一を剥がそうとするも、彼はめげずに「好きだぁぁぁーーッ!!」と叫んでいた。

 

 

 

 葬式会場となっている居間から、誰かがまた廊下に出た。

 その人物を見た途端、大石は顔を顰める。出て来たのは、園崎茜だったからだ。

 

 

「……おや」

 

「…………」

 

 

 居心地悪そうに目を逸らしたが、一瞬遅かった。

 二人の目が合い、暫し張り詰めた空気が辺りに立ち込める。こうなっては黙ってやり過ごす方が難しい、意を決して大石はいつもの調子で話し始めた。

 

 

「……いやぁ、こいつぁ驚いた! 昔と違って、最近はとんとお見かけしないもんでしたから、一瞬どなたかと思いましたよぉ!」

 

「やめな、大石の旦那。ここはよそ様のお通夜だ。憎まれ口は控えとくれ」

 

「おおっと、これは失礼失礼……」

 

 

 ちらりと、大石の後ろを茜は一瞥する。

 二人の間にある鬼気迫る雰囲気に、廊下にいた者たちは気が気ではない様子。圭一は別だが。

 

 

「……少し早いが、私はお暇しようかね」

 

 

 静謐な通夜の空気を荒らしてはならない。そう判断した茜は、サッと大石を横切って玄関へ向かう。

 

 

「あぁ、レナちゃん。明日の告別式にはまた来るからね?」

 

 

 レナに一声入れ、スリッパから靴に履き替える。

 その後ろ姿が消えるまで、大石は見送る。それからホッと、緊張が緩んだと息を漏らす。

 

 それは他の皆も同じだ。緊迫が消えたと同時に、ぞろぞろとレナに案内されるがまま、上田と梨花、富竹と入江が居間へと入って行く。

 居間にはレナの父親が安置された棺桶と、その上に飾られた遺影と花があった。

 線香の煙がふわりと立ち昇っている。

 

 

 梨花は沙都子や魅音と再会し、彼女らの傍に座る。

 

 上田は圭一の家族と一緒に、入江と富竹は詩音の近くと、それぞれの場所を確保する。

 

 それから見慣れない女の人が挨拶に現れたが、多分、彼女がレナの実の母親なのだろう。

 

 

 

 皆が先に入った事を確認してから、やっと大石と山田も中へ入ろうとする。

 

 

「……それじゃあ、行きますかな」

 

「圭一さん。そろそろ離れてくれません?」

 

 

 未だ「離れとうない!」と喚く圭一を振り解きにかかりながら、山田も大石と居間に入る。

 

 

 

 

 

 

 死者を偲ぶ、鮮やかな供花が二人の目にも映る。

 菊や百合、カスミソウや桔梗と、葬式では良く見る花々だ。

 

 その中に一つ、珍しい物があった。

 

 

 

 

「……っ!?」

 

 

 それを見た途端、大石の目が見開かれ、足が止まり、一瞬だけ息を呑み込む。

 

 

 

 立ち昇る線香の煙の向こう。

 煙の白を掻き消すような、鮮やかな青。

 綺麗に飾られた、綺麗な花束。

 

 

 山田もまた、驚き顔でそれを見ていた。

 

 

 

 

 

 青い紫陽花が、供えられていた。

 

 それは大石にとって、見覚えのある花。

 綿流しの日。

 死んだおやっさん墓前に、必ず供えられていた物と同じ、花。

 

 

 すぐに大石は震えた声で、少し手前の方にいたレナに話しかける。

 

 

「りゅ、竜宮さん……あ、あの紫陽花、は……?」

 

「え?……あぁ。あの紫陽花はですね──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰から貰った物かと聞けた途端、大石は居ても立っても居られずに、大急ぎで玄関から飛び出した。

 表に出て、すぐに横へと目を向ける。茜を乗せた車が、今にも走り出そうとしていた。

 

 

「待ってくださいッ!!」

 

 

 ありったけの声量で呼び止めると、後部座席の窓が開く。そこから、不思議がった表情をした茜が顔を出した。

 

 

「……四年前ッ!! 殺されて亡くなった、ダムの現場監督! 知ってるでしょう!?」

 

 

 ここでも事件の取り調べでもするのかと、呆れ顔を見せた茜。

 玄関口からは、圭一をやっと振り解いた山田が事の顛末を見守っていた。

 

 すぐに大石は続ける。

 

 

「……あの人の死後! 毎年綿流しの時期になると、お墓に青い紫陽花が供えられているんです!!」

 

 

 その話を聞いた途端、茜はハッと目を丸くさせた。

 

 

「……あんただったんですか!?」

 

「……!」

 

 

 騒ぎを聞き付けた上田と入江もまた玄関から顔を出す。

 

 彼らの視線を受け、もうのらりくらりかわす事は出来ないと悟ったのだろう。出立しようとする運転手を引き留め、茜は車を出る。

 そしてお互いに、信じられないと言いたげな顔と目で以て見つめ合う。

 

 

 暫くして茜は、全てを察したように吹き出した。

 

 

「……はっ。もしかして、たまにウチらの前に供えられていた白い桔梗……あれ、あんたなのかい?」

 

「……えぇ。あの、青い紫陽花に合わせようと……」

 

「……あぁ。そうか……なんだ、そうだったのかい……」

 

 

 一人納得する彼女に突っかかるように、大石は尋ねる。

 

 

「なぜですか!? 園崎家は……ダム工事に反対だった! それなのにどうして! あんたはおやっさんに、花を!?」

 

「私だけじゃないさ」

 

 

 思わせぶるように微笑み、茜は教えてやる。

 

 

「……お魎さんも、毎年供え物のおはぎを握っているよ」

 

「え……ッ!?」

 

 

 彼女のその話に驚いたのは大石のみならず、この場にいた殆どの者もそうだった。

 あれほど冷酷で厳しく、そして村の誰もが恐れる園崎家の頭首が、敵でもあるダム関係者の為におはぎを握っていた。思わず「有り得ない」と口に出してしまうほどの話だ。

 

 

「嘘じゃあないさ」

 

 

 首を振りながら、茜は訳を話す。

 

 

「紫陽花を供えるよう提案したのもお魎さんでね……丁度この時期が一番綺麗で見頃だからって、毎年毎年供えに行ってるのさ」

 

「……だからおやっさんの命日ではなく、綿流しの時期に……」

 

「秋になるとさすがに、花の色も錆びちまうからねぇ」

 

「……改めて質問に答えてください。敵同士だったあんた方が、なぜ……?」

 

 

 遠く輝く月を見上げた彼女の横顔は、物憂げで儚く思えた。

 宵風が吹いて、切れた葉を宙に遊ばせる。彼女の髪がそよぐ。

 

 

「……ダムに反対する為、まぁ私らもしっちゃかめっちゃかやったさ」

 

 

「でも」と言って、続ける。

 

 

「元を辿れば、国がおっ始めた事」

 

 

 また大石の方へ目を向ける。

 

 

「あの人らは頼まれた仕事をしていただけ」

 

 

 寂しそうな瞳のまま、微笑んだ。

 

 

 

 

「……人が死ぬ事……それも、殺される事なんざ望んでいなかった」

 

「……ッ!」

 

 

 その茜の一言は、大石を震わせるほどの威力があった。

 それもそうだ。今まで、園崎が全ての黒幕だと思って直走って来たのだから。

 

 茜の口から出たのは、鬼隠しへの関与に対する明確な「否定」。

 これまで霧がかっていた領域が、澄み渡って行くかのようだ。

 

 

「あの事件の犯人は分からない……だけど仮に、私らと関係のある人間がやった事だとすりゃ……だとすりゃ、心から詫びるよ。まだ分からない以上、私らはあの御仁を偲ぶべきさ」

 

 

 茜は首を振る。

 

 

「いや。関係なくたって、精一杯偲ぶよ」

 

「…………」

 

「……ダム戦争が終わりゃあ、酒を飲んでお互い水に流したいと思ったさ……でも、死んじまった」

 

「……えぇ」

 

「……悲しい事さ」

 

 

 一度そこで二人、思慮に耽るように口を閉じた。

 遠くの田んぼからカエルの声が響き渡っている。

 

 しかし二人の間には、深い沈黙があった。

 不思議と気まずさはない。あるのは理解と、そして柔らかな安堵だった。

 

 茜はそれ以上何も言わず、車に乗り込んだ。

 大石や、皆が見送る中、車は一度Uターンし、宵闇に赤いテールライトを残して去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

「…………へへっ」

 

 

 俯き、小さく笑う大石。

 次には肩を震わし、呆れたようにぽつりと漏らす。

 

 

「…………お魎の婆さんめ……全く……あんの人は……」

 

「…………」

 

 

 そんな彼の背中を、特に印象深く捉えていた人物がいた。

 入江がそうだ。彼はずっと、罪悪感と共に悩んでいた。

 

 大石と茜。二人の対話を見て、自分の「秘密」が村に不和と疑念を振り撒いていたのだと、深く実感したからだ。

 

 

 

 一人思い悩む入江には気付かず、大石はくるりと振り返り、恥ずかしそうに髪を掻く。

 

 

「……いやぁ、すいませんなぁ! お騒がせしました!」

 

 

 そう言って手を合わせて謝罪し、苦笑いする大石の顔は、存外にスッキリとしたものだった。

 

 

「さっ!……皆さん、お通夜に戻りましょう」

 

「……大石さん……」

 

「そんな目で見ないでくださいよぉ、山田さん!」

 

 

 大石は真面目な顔付きになり、山田に頭を下げる。

 

 

「……ありがとう。あなたが引き止めてくださったお陰です」

 

 

 深い深い、大石からの感謝を、山田は微笑み顔で受け入れた。

 再び屋内に入って行く彼を見届けてから、上田は顎を撫でながら、悔しそうな顔で口を開く。

 

 

「……全く。あの園崎ババァ、存外に情のある婆さんだったのか……分かるかッ!」

 

「……思えば、魅音さんがお婆さんを怖がってなかったのって……意外と裏では孫に甘々なのかもしれない」

 

「意外過ぎるだろ」

 

「でも!……園崎が一連の事件に関与していないって言う、明確な確証が得られましたねぇ……」

 

「まぁ俺はずっと前に気付いていたが」

 

「最後の最後まで疑っていたのどこのどいつだ」

 

 

 お魎のそんな一面に驚きながら、二人もまた葬儀に戻ろうとする。

 途中、上田は首を捻りながら言う。

 

 

「……しかしだとすりゃ、あの刑事さんのおやっさんを殺したのは誰だ? 言っても、園崎側の身内の可能性を否定し切れていなかったが……暴走した奴が勝手にやった犯行だったり?」

 

 

 まだまだ謎が多い。

 パズルのピースは嵌りつつあるも、それぞれが繋がらずに点在しているようだ。まだ全体像を掴み切れていない。

 

 

 タイムリミットは明後日。準備をするのなら明日しかない。

 黒幕が分からないまま、臨むしかないのか。大きな不安を抱えながら、二人は竜宮家の玄関戸を越える。

 

 

 

 

「……あのっ!!」

 

 

 それを呼び止めたのは、入江だった。

 二人が振り向いた先に立つ彼は、どこか怖がっているような表情だ。

 

 軒先の電灯に当てられ、影がかった顔。

 それは真っ直ぐ、二人を見据えた時には、意を決したものとなっていた。

 

 

「…………私は、まだお二人に隠していた事がありました」

 

 

 入江は「隠していた事」を話そうと、言葉を続けようとする。

 

 

 

 

 しかし、「おおい!」と呼びかける老人の声がそれを一旦遮った。

 

 

「待たせたのぉ!」

 

 

 現れたのは、山田が病院で出会った鑑識のお爺さん。何やら血相を変え、焦った様子で走り寄って来た。

 

 

「あ……お爺さん……」

 

「嬢さん! 大石の奴もおるかの!?」

 

「お、大石さんですか? 丁度、お葬式に……」

 

「大変な事が分かったんじゃ!!」

 

 

 そう言って彼は、懐から折り畳んだ紙を取り出す。

 広げてみれば、それは指紋の照合に関する書類だった。

 

 

「ほれ! 頼まれとった死体の指紋! 前科者の物をやっても一致せんかったんじゃが……」

 

「……これは……」

 

「あぁ、そうじゃ! 試しに、『コレに付着しとった指紋』を照合してみたんじゃが……そしたら一致じゃ!!」

 

「……!」

 

 

 すぐに大石へ知らせようとした時、またしても「おーーい!」と呼び止める声。

 

 

 

 

「山田ぁーーッ!!」

 

「や、矢部さん!?……と、公安の方々!?」

 

 

 声の主は矢部。他、石原や菊池、秋葉の面々も揃っていた。

 矢部もまた鑑識の爺さんと同じく、血相を変えて焦った様子だ。

 

 

「どうしたんですか……?」

 

「聞くんや山田ぁ! ワシぁ、ミラクル起こしたんや!!」

 

「カプセル怪獣?」

 

「そらミクラスやッ!!」

 

 

 矢部からの報告を聞く前に、上田は彼が握っている写真に気付く。

 

 

「……? 矢部さん? その、写真は?」

 

「え?……あぁ! これは、こいつと病院忍び込んで撮ったヤツですわぁ!」

 

「聞いてないぞ……なんですかそりゃ?」

 

「焼かれて死んだ女の死体ですわ」

 

「タカノンッ!?」

 

 

 上田が矢部から引ったくったのは、鷹野の焼死体の顔写真。

 生前の姿とはまるで違う無惨なその姿に、痛まし過ぎて涙を流してしまう。

 

 

「あぁ……! 我らがタカノン……! なんとお労しい……!」

 

「……あのー。上田さん、みっともないんで泣くのやめません?」

 

「ァァーーーーッ!!!!!」

 

「叫ぶなっ!」

 

 

 山田にツッこまれながら泣き叫ぶ上田。

 だがふと写真を改めて見た時、何かに気付いたのか「おぉう?」と声をあげる。

 

 

「……待て……ん?」

 

「どうしたんですか上田さん?」

 

「…………何だ? なにか……違和感が……いや、既視感も……?」

 

「は?」

 

 

 写真を見ながら唸る上田。

 そこへ、先ほどの彼の慟哭を聞き付けた富竹が、様子を見に現れた。後ろで入江が居心地悪そうに顔を顰めた。

 

 

「マイブラザー? どうしたんですか?」

 

「あぁ、マイブラザー……あ! そ、そうだ!!」

 

 

 富竹を見た途端に何か思い出したのか、上田は彼に近付き、勝手にポケットを弄った。

 困惑する富竹だが、上田は気にする事もなく、彼の財布を取り出す。

 

 

 そして中を開き、そこに挟まれていた「一枚の写真」を取り出す。

 それと焼死体の顔写真とを見比べ、確信を得たように目を見開き、急いで山田にも見せる。

 

 

「み、見るんだ山田ッ!?」

 

「え?…………」

 

 

 見せられた二枚の写真。

 途端、山田の中で、足りなかったピースが埋まって行くかのような感覚が満ちて行く。

 

 

 

 

 

 

『彼が死んだ翌年から、ダム建設に対し肯定的だった北条家と古手家の人間が殺される、鬼隠しが毎年発生。紐付ける条件には、十分でしょう?』

 

『犯人は見つからず、迷宮入り。おかしい事件でしたよ……あれだけの殺し方なら返り血も尋常ではないハズ……深夜とは言え目撃者がいても良いのに、一向に情報がない』

 

 

 鬼隠しに含まれなかった、最初の事件。

 犯人は未だ不明。

 

 

 

 

『一年目、一九八◯年は沙都子さんのご両親。旅行先で、崖から転落したとか。旦那さんの遺体は見つかりましたが、奥さんは今も未発見だそうです』

 

『あぁ!! そうに違いないッ! あの柵なら、ガリウムによる侵食は起こる! 脆化現象により根本がボロボロになった柵に、成人二人が全体重をかければ……容易く折れるッ!!』

 

『……沙都子ちゃんのお母さんは、村八分の事を受けて大変気を病んでおられました。自分もそうですが、やはり二人の子どもが冷たい扱いを受けている事を、大変憂慮されておりまして……カウンセラーの心得のある鷹野さんに、何度か心理カウンセリングを……』

 

 

 最初の鬼隠し。

 落ちた夫婦、疑惑の妻、そしてガリウム。

 

 

 

『古手夫婦の怪死と失踪……旦那さんが心臓発作で倒れ、その後に奥さんが後追い自殺をしたとか……ただ、奥さんの死体は発見されていないそうです……』

 

『二年目で死んだ梨花の父親は急性心不全だったらしい……入江医師から聞いた』

 

『知っているのはボクたち古手家だけなのです……』

 

 

 翌年の鬼隠し。

 急死した梨花の父親、そしてやはり消えた母親。

 古手家は雛見沢症候群については知っている。

 

 

 

 

『三年目の意義は、虐待する叔母への恨みですね』

 

『……犯人はいたって言っても、山田さんの言った通りに「じゃあなんで消えたのか」って話は堂々巡り……』

 

『六月の二十四日……その日は、沙都子の誕生日でした。大きなクマのぬいぐるみを買って、プレゼントするんだと言っていたのに……』

 

 

 その翌年の鬼隠し。

 殺された叔母と、消えた沙都子の兄の悟史。

 叔母と夫の鉄平と共に、二人を日常的に虐待していた。

 

 

 

 

『強い心労と妄想の果てに……最後は自分で自分を傷付け、死ぬ。それが雛見沢症候群の、最悪な末路』

 

『富竹は、まさにそうやって死ぬのです』

 

 

 そして「本来」起こるハズだった、今年の鬼隠し。

 雛見沢症候群や、それに関わるもの全てを知る、富竹の死。

 焼け死んだ鷹野と合わせ、「東京」関係者の死。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 何もかも、不可解の塊でもあった、鬼隠し。

 

 

 

「………………」

 

 

 

 しかしとうとう、山田は糸口を見つけた。

 

 

 

「……………………ッ!!」

 

 

 

 

 線となり、連鎖し、それは一本の筋道となる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……繋がった……!!」

 

 

 

 

 

 

 振り返った先には、梨花の姿があった。

 やりきったような表情の山田を見て、彼女もその表情の意味を悟ったようだ。

 

 梨花の目は、激しい情動から、潤んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 黒幕は────






「……先生に、私がずっとずっと……」




TRICꓘ

×

ひぐらしのく頃に




「追い掛けて来た、謎を解いて貰いたいのです」




クロスオーバー二次小説
















「旧雛見沢村。一九八三年に廃村」

「ただ、廃村になった経緯に関しては謎が多いようだな」

35年前にんだ村



「村民が全員死亡ってなかなかヤバくないですか?」
 
「確かにヤバいな。火山性ガスだとか」

「しかし依頼人は、村民全滅の正体は『寄生虫』と言う」





「わしは昔、村の学校に本を持って行っちょったけ……知っとるべ」

「『綿流し』の日に起こる祟りを……」

「しかもその数日後に、村が滅んだ事を……」

「『オヤシロ様』の怒りに触れたんじゃ」

オヤシロ様の祟り





『   と  お     やま     の き       ん      さん』


「……『遠山の金さん』」


「上田さん!? 誰か、いますよ!?」

「え!? え!? ちょちょちょ!?」
 
「にゃあーっ!!」






そして二人は




「タイムスリット」

 
「スキャット!」

 
「スリットッ!!」




   スリップ

   スキャット

タイムスリットする













Mystic Antique



「ダムは〜ムダムダ〜!」
 
「「ムダムダ〜!」」

「園崎の本山でもある雛見沢をダムに沈めるなんて許す訳ないじゃんさ」

「ムラムラーっ!!」

ダム戦争に沸く1983年の雛見沢村



「アタ〜クシは、本物ですのよ?」

「アナタのカードを的中させてみせますわ?」

「我が魔王女の仰せの通りぃ!!」

「ただの宴会芸じゃねぇか!」

設反対派を率いる霊能



「園崎家から、『三億円』を頂きに上がりますわ!」

「そんな、馬鹿な……!?」
 
「あっしが、運んでいたのに!?」

「あいや待たれぇ〜いっ!」

園崎億円事件



「ファンの間では、『ズラ丸』と」

「兄ィは薄毛治療失敗してから医者嫌いなんじゃ!」

「だからねぇソウゴくん? おじさんの髪は本物だって、言ってるでしょ?」

「前が見えねぇ」

かの公安部揃い



「……レナ。まだ見つからないみたいでさ」

「上田先生がレナさんに誘拐されたなら、もしかしたら梨花も!?」

「……どうせ死ぬなら、好きな人とが良いなって」

「ふざけんなよ、レナ」

「まるっとレナっと全てお見通しかなっ!!」

「かなっ!?」

踊る宮レナ捜査



「…………『雛見沢症候群』」

「家族や親友さえ信じられなくなるほどの」

「強い敵意と妄想を、その人間に植え付ける病……なのです」

「ショックガーン?」

「千鳥っ!」

雛見沢症候群



「雛見沢症候群には、『女王感染者』と言う特別な感染者が存在するんです」

「この女王感染者が亡くなれば」

「他の感染者は一斉に末期症状となると、考えられております」
 
「そのような事態になった場合」

「『村民の皆殺し』と『雛見沢の抹消』が実行されます」

「千年殺しッ!!」

明かされる大災害の真相



「……自殺に見せかけた殺人で、誰かが遺体を隠したと?」

「悟史くんがそんな事するハズないじゃないですかッ!!」

「んっふっふっふ! そう。『園崎家』なら、可能ですねぇ?」

「あなたが村に来てから既に、全員に騙されているとすれば?」

深まる連続怪死事件の謎







そして


「な、なんかに躓いて……」

「…………え?」


今年もこってしまった


「……上田さん?」




鬼隠し


「いやぁぁぁーーーーッ!!!!」

「ミヨぉぉぉぉーーーーッ!!」











山田と上田


村のみんな



今と過去に渡る 雛見沢の物語は






ついに最終章











Thanks

You



「Rが家から飛び出しました!!」

「どこにも逃げ場はねぇんで」

雛見沢 VS 黒幕




「ワシ、参上ッ!」

「僕の学歴にお前が泣いたッ!!」

未来をけた




「これよりッ! 公由家主催ッ!!」

「『ひっきーのえれくとりかるぱれーど』を開催するッ!!」


「悟史くんを助けなきゃいけません!!」

「生きているんですね……!?」

最後の戦い




「をーっほっほっほですわーっ!!」


「梨花ちゃぁぁーーーーんッッ!!」

「梨花ぁぁーーッッ!!」



「これも君が……カミヌーリの血を引く故なんだ」

「どこまでやれるのか見ものだよ……奈緒子」


「ありがとう……なのです……!」







「お前らのやった事は────」

「──全部お見通しだ」








TRICトリックK

し編

─ 最終章 ─
















「……上田さん」



「魂は時間を……越えるらしい、ですよ」



「だから──」




「やめろッ!」


「俺はもう……君を……ッ!!」






「10と2……」


「7と──」



「山田……ッ!?」








ラストステージ


















「うぉぉぉぉおーーーーッッ!!!!」

「なのですッッ!!」

「な"のですッッ!!!!」

「オヤシロパワぁぁぁぁーーーーッッ!!!!」


\ インマイハーッ!/

さよなら 雛見沢


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2018年12月 幕間
烏有と余喘


──雨樋に溜めたガソリンに火が付き、一瞬で学校は吹き飛んだ。

 

 全てが真っ赤な炎と白い閃光の中、目の前で爆ぜた。

 楽しい思い出、傷だらけのトランプ……取り残された詩音と、一緒に。

 

 

 やけに月が綺麗な夜だった。

 

 

 

 

 前代未聞の爆破事件を起こした張本人は、ほどなくして確保された。

 一度留置所に入れられたものの、支離滅裂な供述と繰り返される自傷行為を受け、その日の内に市内の精神病院へと送られた。

 

 

 寄生虫のせい、宇宙人のせい……そんな狂気的な妄想に取り憑かれた彼女の目を覚まさせたのは、衝撃的なテレビの速報。

 雛見沢村が火山性ガスによって全壊した、と言う内容だった。

 

 

 

 

 

 

 

──少し欠けた月に雲がかかっている、深夜の空。

 その日のレナは、病院の屋上に立っていた。

 

 

 勿論、治療中の身で易々と抜けられる訳はなかった……普通では。

 その日は雛見沢大災害により、興宮一帯は言い様のない緊迫感に包まれていた。

 

 山を越えた先での大災害と言う事もあり、興宮でも避難指示が発令された。

 混乱と衝撃が、街を覆う。深夜帯の今でも、屋上から俯瞰した街は慌ただしいものだった。

 

 救急車のサイレン、車で埋まる道路、不安がる人々に満ちた歩道。

 災害が起きてからまだ五時間しか経っていないのだから、対応が遅れているようだ。

 

 

 それはレナのいる病院もそうだった。

 見回りに来る医師や看護師たちも、明らかに動揺していた。

 また災害の報道が生んだ混乱により、精神疾患を悪化させた患者たちが病院に押し寄せていた。

 入院患者も同様で、中には暴れる者もおり、その対応にも追われているようだ。

 

 

 異常事態故の多忙、それによる疲労と不注意。

 見回りに来た看護師が、部屋の鍵を掛けるのを忘れていた。

 

 

 

 

 

 レナはふらりと、監禁部屋のようだった病室から抜け出した。

 そして今は、屋上に忍び込んでいる。

 

 街は慌ただしい。明かりが消えず、クラクションやサイレンの音が止まない。

 そんな喧騒をレナはどこか、遠い場所のように感じていた。

 

 

 レナの脳を覆っていた妄想は、テレビの速報を見た途端、なぜか消えた。

 園崎家の陰謀、寄生虫による洗脳……色々と考えるハズなのに、なぜか消えた。

 

 代わりに心に満ちたのは、深い絶望と虚無感。

 そして、楽しかった思い出ばかり。

 

 はからずもそれらが、レナの妄想に満ちた脳内を叩き起こしたのだった。

 

 

 

 

 しかし、正気に戻った訳ではない。

 深い絶望は彼女に凄まじい罪悪感と後悔を作り、そしてみんなが死んだと言う事実は、彼女から感情を動かす気力さえ奪った。

 屋上に辿り着いたレナは、まるで夢の中にいるかのような足取りで、手摺りまで行く。

 

 靴を脱ぎ、素足になると、その手摺りを乗り越えた。

 再び足を付けたのは、その手摺りの向こう側、狭い縁の上。

 

 

 爪先だけが、宙に浮いている。

 少し身体を前に倒せば踵も浮き、後は真っ逆さまに落ちるだけ。

 五階下の病院前広場に人はいない。

 

 暑さや宵風も感じない。感覚が先に死んでいるかのように。

 遠く遠く、サイレンの音が聞こえる。

 階下から、心を病んだ患者の叫びが響いている。

 

 

 覚悟や勇気、そんな前向きな感情で死を選んではいない。

 あるのは虚無感。

 自分の生さえどうでも良くなる虚無感。

 そればかりがレナを、死へと突き動かしている。

 

 

 着ている患者衣の裾が、風で翻った。

 それが合図と思い、レナは全体重を前へかけた。

 

 

 アスファルトに叩き付けられれば痛いのだろうか。

 痛いより先にさっさと死ねるだろうか。

 

 そんな嫌な疑問がふと浮かんだ。生存本能によるものだろうか。

 

 どうでも良い。

 レナは全てに身を任せ、瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 誰かの叫びが響く。

 

 とても若い少年のもの。

 

 やけに聞き覚えのある声。

 

 

 ハッと我に返ったレナは、咄嗟に手摺りを掴んだ。

 

 

「…………!!」

 

 

 身体は斜めに傾いたまま止められた。

 もう一度叫び声が響き、レナは確信したように目を見開いた。

 

 

「……圭一くん……!?」

 

 

 その叫び声は、圭一のものと似ていた……気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋上から院内に戻り、レナは声を殺して廊下を歩いている。

 巡回する看護師たちに気を付けながら、声が聞こえたと思われる階を探し回っていた。

 

 

 電気が消えた、暗い廊下に入る。

 鍵のかかった病室が並んでいる。その扉の前を通ると、中から患者の呻き声が聞こえて来た。

 

 必死になって探すレナの耳に、またあの叫び声が入り込む。

 

 

「……っ!」

 

 

 声は、すぐ手前の扉から。

 ガチャガチャと、何かを軋ませるような激しい音も聞こえる。

 

 中に入ろうとしたものの、鍵がかかって開かない。

 しかし扉には患者の様子が伺えるよう、鉄格子の入った小窓が付けられていた。

 レナは扉の前で背伸びをし、その小窓から中を覗き込んだ。

 

 

 部屋は薄暗がりで、窓から差し込む街灯の光だけが中を照らしていた。

 目を凝らせば十分に見える。そのレナの視線の先には、ベッドが見えた。

 

 そしてそのベッドの上に拘束された、少年の姿も。

 

 

「出せぇぇぇーーッ!! 出してくれぇぇーーッッ!!!!」

 

 

 喉を潰さんばかりに叫び散らすその有り様を見た時、一瞬「勘違いだったか」と思った。

 しかしベッドに横たわり、ベルトで拘束されている彼の姿は、間違いなく前原圭一だった。

 

 

「……っ!? 圭一くん……!?」

 

 

 村民は災害で全員亡くなったと聞いた。しかしそこには確かに、圭一の姿が。

 

 

「うわぁぁぁぁーーーーッッ!!?? やめてくれぇぇぇーーッ!!??」

 

 

 その姿はすっかり変わり果てている。

 レナの知る、快活で優しい彼の姿は、どこにもない。

 ずっと天井を見開いた目で見て、そこにいる何かに怯えて叫んでいる。

 

 

 圭一は何とか火山性ガスから逃げ切ったのだろう。

 そして自分だけ生き残った事を察して、心を壊してしまったのだろう。

 

 今のその狂った圭一の姿は、「奇跡の生還者」と言うにはあまりにも惨めだった。

 

 

「……っっ……!!」

 

 

 思わず口を手で覆う。吐き気が込み上げたからだ。

 友達の変わり果てた姿を見ると言うのは、あまりにも辛い。

 しかも、元々が優しい少年だった事も含めて、ショックは大きくなる。

 

 

 同時にやっと悟る。

 

 自分が狂っていた時……皆はこんな気持ちで私を見ていたのだなと。

 

 籠城事件を起こした時の怯え、引き攣った表情をしたクラスメイトの姿が思い出される。

 

 自分は、なんて、愚かな女だったのだろう。

 

 

 そしてそんな自分を、最後の最後まで説得しようとしてくれた圭一は、なんて眩いのだろうと。

 

 彼と言う存在の凄さ、そして有り難みを、今はヒシヒシと実感している。

 

 

 だが、遅過ぎた。

 そしてもう、取り返しのつかない事になってしまった。

 

 今の自分に、あの時の圭一と同じ事など出来ようか。

 

 

……出来る訳がない。

 この身は既に、罪で穢れ切ってしまったのだから。

 

 今のレナはもう、開かない扉から狂った彼を見て、静かに泣く事しか許されないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大勢の足音が廊下に響き渡る。

 ハッとそれに気付いたレナは、圭一の部屋から少し進んだ先にある廊下の突き当たりに隠れた。

 

 そしてレナが身を隠した瞬間、廊下の奥からゾロゾロと多くの男たちが現れる。

 チラリと覗き見る。

 

 彼らの格好は、お高いスーツ姿。どう見ても病院の関係者には思えなかった。

 スーツの男たちは皆、無機質な無表情。加えてそれぞれの歩き方も足並みが揃っており、兵隊のようだともレナは思った。

 

 

 彼らが立ち止まったのは、圭一の部屋の前。

 スーツ男が部下を一瞥すると、彼はすぐに鍵を取り出し、解錠した。

 そしてそのまま全員が室内に入り込み、またバタンと扉が閉められる。

 

 レナはそれを見計らい、再び扉の前に立ち、小窓から中を覗く。

 薄暗がりの中、男たちは圭一を囲み、話し合っていた。

 

 

「こいつが、前原圭一だな」

 

 

 男の一人がそう聞くと、部下は頭を縦に動かした。

 

 

「既に、カルテも作られているようです」

 

「そのカルテは破棄させろ。どうせもう必要ねぇ」

 

 

 必要ない? どう言う事?

 彼らの会話の意味を理解しようと思考した時、また圭一の叫びが響く。

 

 

「外せェェェェッッ!! みんなが殺しに来るんだよぉッ!!」

 

 

 暴れる圭一を男たちが抑える。

 それでも尚、彼は叫ぶ。

 

 

 

 

「オヤシロ様が殺しに来るんだよぉお!!??」

 

 

 

 

 

「オヤシロ様なんざいねぇ」

 

 

 スーツ男がそう、ぞんざいに吐き捨てた。

 レナは耳を疑った。今、彼はなんと言った?

 

 

「そんじゃ早速……ほれ。例の薬」

 

「はい」

 

 

 そう言って部下は、薬品の入った注射を取り出した。

 スーツ男がそれを受け取ると、少しプランジャーを押して、針の先から薬品が出る事を確認する。

 

 そして圭一の、腕を取った。

 

 

「『カリウム』の過剰摂取は不整脈を誘発させ、心不全を引き起こす。しかもカリウムはごく自然な栄養素の一つである為、毒物として検出されない……そうだったよなぁ?」

 

 

 レナの心臓が跳ねた。

 恐ろしい事を口にする男だが、部下は不気味に笑うだけ。

 

 

「良くご存知ですね」

 

「俺の、前の上司が教えてくれた」

 

「注射痕についてはご安心ください。鎮静剤を打つ名目で、既にもう幾つか作っています」

 

「そりゃ大助かりだ。また薬を飲まさせにゃならんのかと思っていた」

 

 

 そう言って男は、注射針を刺し込もうとする。

 

 

 

 居ても立っても居られない。

 このままでは圭一が殺される。

 

 最後まで自分の味方でいてくれた圭一が、殺される。

 

 相手が何者なのかは分からない。

 しかも相手は屈強な男たちで、対してこちらはちっぽけな少女。武器もなにもない。突撃したところで、あっさり捕えられるだろう。

 

 

 だが、黙って見ている訳にはいかない。

 レナは、今は鍵のかかっていない扉のドアノブを、回そうとした。

 

 

 

 

「──やめ、るんだ……レナ……」

 

 

 しかし、その手は止まった。

 圭一の声が聞こえたからだ。

 

 

「やめろ……やめるんだ……」

 

 

 幾分か落ち着きながらも、うわ言のような細い声。

 

 

「……レナが、欲しい……ってん……なら……命だって……くれてやる……」

 

「……!?」

 

 

 その言葉に聞き覚えがあった。

 籠城事件の時に、圭一が自分に訴えていた言葉。

 

 

「俺……は……レナ、を……救う為……に……」

 

 

 あの時と同じ言葉。

 今の圭一は、籠城事件の時の幻覚を見ているのだろうか。 

 今言っている言葉は、扉の前にいるレナに語り掛けている訳ではない。あの時の再現をしているだけだ。

 

 

 でも今は違う。

 

 

「……レナ──」

 

 

 あの時とは違う、澄んだ気持ちで彼の言葉を受け止められる。

 

 

「──おれを、しんじろ──」

 

 

 

 

 それが圭一の、最後の言葉だった。

 プランジャーが押し込まれ、薬品が彼の血中に流れ込む。

 

 飲むのとは訳が違う。血管から直に流し込まれたのなら、効果が出るのは早かった。

 男が注射針を抜いた。

 

 同時に、圭一から呻き声があがる。

 

 

「アッ……ッッ……ガァ……ッ……!!」

 

 

 身体が痙攣している。

 声がどんどん、か細くなって行く。

 

 

 何度か震えて、その内、動かなくなった。

 部下がサッと圭一の脈を取ると、男に頭を下げながら報告する。

 

 

 

 

 

「…………死亡確認」

 

 

 手が震え、ドアノブから離れた。

 涙が溢れて止まらない。せめて声は漏らさぬよう、必死に口を押さえた。

 

 

 圭一は、こいつらに、目の前で、殺された。

 悪夢だと思いたいほど、恐ろしい現実だった。

 

 

 事を済ませた男は注射器を部下に返すと、淡々と指示を飛ばす。

 

 

「記録上じゃあ、こいつは今日から一週間後に死んだ事にしといてくれ。直後に死んだとかだと、将来色々と疑われちまうかもだからな」

 

「分かりました」

 

 

 男は部屋を出ようと、振り返る。

 人を殺した後だとは思えないほど涼しい顔をしていた。

 だがその顔を見たレナは、思わず「あっ」と声を出しそうになった。

 

 

 

 

 

 髪を後ろで縛った、鷹のように鋭い目付きをした中年の男。

 見た事ある顔だ。

 

 白いワゴン──園崎家の特殊部隊が乗っている物と思っていたあのワゴン。

 それに乗り、学校にも現れたあの男。

 

 

 

 部屋を出ようとしていたので、レナはまた隠れる。

 男は部下に色々と聞きながら出て来た。

 

 

「そういや、営林署吹き飛ばした竜宮ってのもいるんだったか?」

 

「その子もやるんですか?」

 

 

 それを聞いて肝が冷えたが、男は首を振る。

 

 

 

 

「いやぁ。んな連続して心不全じゃあ疑われんで。『作戦中』を見ちまった、あの前原圭一だけで良い」

 

 

 

 彼らの足音は延々と響き、とうとう聞こえなくなった。

   

 

「…………」

 

 

 壁を背にし、ずるずると身体を落として、レナは床に座り込む。

 

 

「……ぅ……うぐ……うぅ……っ……!」

 

 

 嗚咽と共に、暗闇の中で泣いた。

 改めて、みんな死んだ事を悟り、涙が止まらなかった。

 

 

 あれほど憎んでいたみんなが、今は堪らなく恋しい。

 そして最後まで自分の味方でいようとしてくれた圭一に、感謝と謝罪しかなかった。

 

 

「う……うぅ……うぁ……っ……!!」

 

 

 自分は間違っていた。

 何もかも間違っていた。

 間違った末、大事な人を殺してしまった。

 そして、間違ったからこそ……生き残ってしまった。

 

 

 

 

 

 部屋の鍵は開いたままになっていた。

 病室に入ったレナは、息を引き取った圭一の傍に立つ。

 

 あれほど苦しんでいたのに、その顔は安らかなものだった。

 今は眠っていて、朝日と共に目を覚ますのではと思うほど。

 

 

 しかし握った彼の手から伝わる冷たさが、死を表していた。

 手を握り、床に崩れ落ち、彼の額を撫でながらレナは謝り続ける。

 

 

「……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

 

 ポタポタと涙が、圭一の枕元に落ちる。

 どれだけ呼びかけても、触れても、もう起きる事はない。この謝罪だって、何度言ったって届きやしない。

 

 

「ごめんなさい……!……圭一くん……魅ぃちゃん……みんなぁ……っ……!」

 

 

 その日、レナは決意した。

 自分はこの先ずっと、「罪滅し」に捧げよう。

 

 そして圭一を殺した連中を暴こう。

 

 大災害の謎を暴いてやる。

 

 

 

 

 一生をかけてでも、必ず。

 レナはぎゅうっと握った、圭一の手の感触を思いながら、決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──礼奈の話が終わる。

 ふぅと白い息が漏れ、曇った夜空へふわり広がって消えた。

 

 話を終え、ふと魅音の姿を見る。

 驚いたようなとも、困惑しているようなとも取れるような表情をしていた。

 

 

「……信じてくれるかは分からない。でもこれが、あの日……私が病院で見た事の全て……」

 

「…………」

 

「……圭一くんは誰かに殺された。そして何者かが、『作戦』と言って村を滅ぼした……それが、雛見沢大災害の正体」

 

 

 礼奈は、黙祷するように目を閉じた。

 

 

「……誰なのかは分からない。でも、あの時のように、園崎家の仕業とは思えなかった……あの男、オヤシロ様を否定したから……村の人がそんな事を言う訳がない」

 

 

 目をまた開く。

 魅音はただ黙って、ジッと、真摯に話を聞いてくれていた。

 

 

「……それを全部暴く事が、殺されたみんな……見殺しにしてしまった圭一くん……そして、殺してしまった詩ぃちゃんに報いる為だと思って……」

 

 

 ずっと張り詰めていた礼奈の顔が、ふっと自嘲気味な微笑みに変わる。

 

 

「……結局、分からなかったけどね?」

 

「…………」

 

「……私……ほんと、何にも出来ないんだね……」

 

 

 顔を逸らした礼奈の目からポロポロと、涙が落ちる。

 人生を罪滅しに捧げた、しかし何も分からないだけで年月だけが過ぎて行った。

 

 そんな自分のこれまでを鑑みて、情けなくなったのだろう。

 礼奈の中には悔しさと、自責の念が渦巻いている。

 

 

「……あの日誓った事さえ遂げられない……このまま地獄に行くまで私は、後悔し続けるしかない……」

 

 

 涙を拭い、上擦った声で礼奈は嘆く。

 

 

「それが、馬鹿な私に残された、罪滅し……」

 

 

 少し落ち着きを取り戻してから、深い呼吸の後にまた魅音と向き合う。

 

 

「……信じられないよね。でも、あの出来事があったからこそ……私は大災害に疑問を持ち続けられた」

 

 

「それが実を結んではないけど」と、ぽつり礼奈は漏らす。

 魅音は何か考え込むように俯いた。

 

 

「……もうお終い。もう、ここが限界……」

 

 

 それは東京に行ってまで、上田教授に調べさせようと思った時から決めていた。

 これで竜宮礼奈の冒険は終わり、贖罪の日々は続く。

 

 

「……分からない事だらけだけど……もう、仕方ない」

 

 

 覚悟は出来ていた。諦めるのも勇気だ。

 そう言い聞かせ、礼奈は「終了宣言」をしようとした。

 

 

「これで、全部、お終い──」

 

「いや、終わらせないよ、レナ」

 

 

 魅音が礼奈の宣言を遮った。

 驚いた礼奈の視線の先には、凛とした表情の魅音がいた。

 

 

「……え? ど、どう言う事……?」

 

「あのね、レナ。大災害の事追ってたの、レナだけじゃないから」

 

「え?」

 

 

 途端、魅音は急に手を叩く。

 良く響く夜の中、彼女のハンドクラップが山の奥まで届く。

 

 

 すると突然、誰かが暗闇の中からぬらりと現れた。

 さすがに驚き、礼奈は身体を跳ねさせる。

 

 

「え!? だ、だ、だ、誰!?!?」

 

「落ち着いて。私の部下だから」

 

「……へ? ぶ、部下?」

 

 

 暗闇から現れたのは、老人だった。

 しかし全く知らない人物ではない。礼奈にも見覚えがあった。

 既視感の正体を探ろうと色々想起している内に、やっと思い出し「あっ!」と声を上げた。

 

 

 

 

「と、図書館の司書の人ぉ!?!?」

 

「おばんです」

 

 

 その人物は興宮市役所で図書館司書をやっていた男だ。礼奈も何度か本を借りに行っているので、見た事も話した事もある。

 

 

「え!? ちょ……え? ど、どゆこと!?」

 

「その人、元園崎家の人でさ。お家騒動の後も、私について来てくれたの」

 

「そうだったの……!?」

 

 

 男はこくりと頷くと、懐から上田の姿が写されたクリアファイルを取り出した。

 

 

「魅音さんは県外のわしにも良くしてくだすったべ。その恩を忘れる訳ないべさ」

 

「…………確かにこの辺の訛りじゃないとは思ってたけど……」

 

「そんで図書館の司書として働きながら、色々と大災害について探っていたんべさ」

 

「…………え?」

 

 

 魅音も大災害について探っていた。その事実にまず驚かされる。

 呆然とこちらを見やる礼奈に、魅音は隠さずに訳を話す。

 

 

「礼奈みたいに最初から疑っていた訳じゃないよ……でも、自分の村に何があったか調べたくなってね」

 

「そんで、わしも協力し、色々と当時の調査結果などを洗ってみたんべさ」

 

「そしたらどうも怪しいって気付いて……いっちょ、調査してみたの」

 

 

 まさかそうだったなんて。礼奈は少し、信じられずにいた。

 

 

「わしも図書館司書の立場を使い、図書館に村の事を聞きに来た人物がいれば、魅音さんに報告する事もやっちょった」

 

「その中に上田先生って人と〜、女の人? も、いたんだっけね。東京の大学から来た人だから怪しんでたけど、まさか呼んだのがレナだったなんてね?」

 

 

 そこまで知っていたのかと恥ずかしくなった。じとりと、恨めしそうに彼女を睨む。

 

 

「……それなら上田先生の話してた時に、教えてくれても良かったんじゃない?」

 

「あ、あはは……いやまぁ、打ち明ける気だったし……」

 

 

 申し訳なさそうに頭を掻いてから、一度咳き込んで話を戻させる。

 

 

「……それで、実は最近、図書館を訪ねに来た人がいたの」

 

「魅音さん。二◯◯五年は最近やありませんぜ」

 

「割と最近だっての!……それでレナ。誰だと思う?」

 

 

 素直に分からないと、困惑気味に首を振る。

 魅音は勿体振らずに、少し笑いながら教えてくれた。

 

 

「大石! 覚えてる? 十年前に死んじゃったけど……」

 

 

 その名を久しぶりに聞いた。

 忘れる訳がない。事件当時、何度も電話でやり取りしたのだから。

 確か自分の起こした事件の時、その自分に色々と情報を渡して疑心暗鬼にさせた元凶だとかで糾弾され、懲戒免職にされたと覚えている。

 

 

「そんでその大石と、もう一人知らない男の人がいてさ……それがまぁ、凄い人でね。知り合ってからこれまで何度か、やり取りしてるんだけど」

 

「……その人はどんな人?」

 

「もうすぐで来るハズだけど」

 

「え?」

 

 

 魅音は「もうすぐ」は、本当にすぐだった。

 またもう一人、誰かが駐車場に現れた。

 

 

 革靴をコツコツと鳴らし、街灯の下に立つ。

 その場にいた全員が、そっちの方を見る。

 

 

 

 立っていたのは、明らかに高そうなスーツとコートを纏った、屈強な男。

 自分より一回りも歳を取った人物ながら、未だ若々しい雰囲気を残した男。

 

 礼奈に身覚えはない。見た事もないだろう。

 誰なのかを聞こうとするより前に、男は恭しく話し始めた。

 

 

「お久しぶりです、魅音さん。それと、カスさん」

 

 

 図書館司書ことカスさんは、「ピロシキ」と言いながら会釈する。

 そして礼奈に目を向け、彼は自己紹介した。

 

 

 

 

 

 

 

「はじめまして──私は、赤坂 衛。警視総監をやっております」

 

 

 本当に凄い人が来たと、礼奈は思わず慄いた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

有象と無象

 あまりの急展開に、礼奈はやや混乱気味のようで、赤坂と魅音とに目線を行ったり来たりさせていた。

 彼女の混乱を察した上で、赤坂はなぜ自分が雛見沢について調査していたのか、その訳を話し始めた。

 

 

「……私は大災害が起こる数ヶ月前に、実は雛見沢を訪れていた」

 

「え……?」

 

「尤も、秘密の捜査に来ていたから、君たちと面識はないよ……そして、その秘密の捜査と言うのが……」

 

 

 赤坂は魅音を一瞥してから続けた。

 

 

「……当時、建設大臣だった犬飼氏のお孫さんの誘拐事件……それはダム建設を反対する、園崎家が引き起こしたものと見て捜査に来たんだ」

 

 

 礼奈は驚きから「やったの?」と言いたげに魅音を見やる。すぐに彼女は首を大きく振って否定した。

 

 

「しないしないしない! 堅気を巻き込むなんて、婆っちゃする訳ないって!……多分」

 

「地方のヤクザもんにそんなミッションインポッシボーは無理だべ」

 

 

 急に英単語を使い出したカスに驚く礼奈。

 赤坂は尚も話を続ける。

 

 

「その通り、園崎の犯行ではなかった……この裏には、『東京』の陰謀があったんだ」

 

「岐阜ではなくて?」

 

「都道府県の事ではなくてだね……本当にややこしい名前だな……」

 

 

 彼が話した内容は、「東京」と呼ばれる秘密結社の存在の暴露だった。

 戦後に登場し、戦前日本の復活を掲げ、政界の裏側で暗躍していた組織、それが東京。

 

 

「犬飼氏のお孫さんの誘拐は、まさにその東京の仕業だった。当時の雛見沢で、ダム開発が進んでいた事は知っているね?」

 

「は、はい。でも、災害の少し前に凍結して……」

 

「その通り。その原因こそが、お孫さんの誘拐だ。東京が誘拐し、園崎家の仕業だと偽装する為に雛見沢へ連行。その後私たちが救い出したものの、犬飼氏は脅迫に屈し、凍結の書類に判を押した……これが事のあらましだよ」

 

 

 一気に様々な事を教えられ、礼奈は理解し切れず難しそうに顔を顰める。

 だが何よりも分からない事がある。そんな重大な話をなぜここで、警視総監の座に就いている人間が話してくれているのか。

 

 礼奈のその疑問を察した上で、「もう少し聞いて欲しい」と言ってから赤坂は話を続けた。

 

 

「東京が誘拐事件を起こしてまで開発を止めようとしたのには理由があった」

 

「理由……?」

 

「……雛見沢症候群と言う──寄生虫症の研究の為だ」

 

 

「寄生虫」の言葉が出た途端、礼奈は息を呑んだ。

 流れ込んだ冷たい空気が、肺を凍て付かせたような感覚。一瞬、吸い込んだ空気を吐き出せなかった、それほどの衝撃。

 

 

「……雛見沢の風土に由来する寄生虫が人の脳に寄生し、宿主のストレス値に応じて被害妄想、自傷、殺人衝動を引き起こさせる病……」

 

「そ……それって……」

 

「……鷹野三四や入江京介は東京から派遣された研究員だった。君の訴えていた事は全て、事実だ」

 

 

 くらりと、思わず立ちくらみが起こる。

 倒れそうになった礼奈を、魅音がすぐに近寄っては肩を抱え、支えてやる。

 

 

「大丈夫? レナ……」

 

 

 心配してかける彼女の言葉に、礼奈は小さく頷いて返す。

 

 

 立ちくらみを催した理由は、礼奈自身も分かっている。

 本当ならば、自分が信じて来た事が事実なんだと喜ぶべきなんだろう。

 

 しかし礼奈は今、この瞬間に実感した。

 自分が寄生虫に執着していた事、圭一を殺した存在を見つける事、その全てが自分の生きる意味であったからだと。

 

 残ったのは、強い虚脱感だった。

 そして漏れたのは、乾いた笑い声だった。

 

 

「……レナ?」

 

「……ううん、大丈夫」

 

 

 支えられている状態から立ち直ると、礼奈は真っ直ぐ赤坂を見据える。

 その真っ直ぐな目は、凛と澄んでいた。だけどどこか丸いその瞳が、彼女の止まってしまった少女性を醸し出しているように思えた。

 

 赤坂は一切目を逸らさず、ただ自責と後悔を滲ませる憂いた顔のまま、礼奈の言葉を待った。

 

 

「……あなたがその事を知ったのは、いつの話なんですか?」

 

「……事件を解決させた、すぐ後だ。私は村から帰る時に、古手梨花と言う少女に言われたんだ」

 

「梨花ちゃん……!?」

 

「あぁ」

 

 

──あの日の事は、昨日の事のように覚えている。

 犯人と盛大に撃ち合い、怪我を負った赤坂は、村を出る折に梨花から話しかけられた。

 

 彼女の事は噂で知っていた。オヤシロ様の生まれ変わりだと村の人から慕われている、神社の娘。

 彼女は自分に言ったのは、不思議な話だった。

 

 

「あなたは本当ならば、もっと早くに来ていた」

 

 

 それまで年相応の可愛さがあった彼女。その彼女から出たのは、大人の自分でもゾッとするような冷たい声。

 驚いて目を離せない自分の前にいた彼女は、大人びた冷たい表情をしていた。

 

 

「……東京に帰れ。あなたの妻が、事故で死んでしまう前に」

 

 

 出産を控えた上で、元から持病を持っていた妻が入院中である事は、大石ら警察の仲間にしか話していない。彼女が知っている訳はないと、戦慄してしまった。

 だからこそ、「子どもの悪戯だ」と決められなかった。この少女から放たれる神秘的な雰囲気もまた、赤坂が気圧された理由だ。

 

 

 すぐに村を発とうと思い立った彼に、少女は吐き出すように言った。

 

 

「この村はダムに沈まない……それはもう決まっている事」

 

 

 淡々とした声音だった。

 しかし何か、祈っているようにも聞こえた。

 

 

「そして私の命は奪われる。それも決まっている事」

 

 

「だから」と言って続けた彼女の目は、潤んでいた。

 

 

 

 

「……私を……私たちを助けて」

 

 

 その時の震えた声音と、潤んだ目が忘れられなかった。

 

 

 すぐに赤坂は妻に連絡を入れ、部屋から出ないように言った。

 そして東京に戻り、彼女の無事を確認したその日に、屋上から降りて来た看護師が階段から転落して怪我を負った。階段のパネルが崩れかけていて、そこで足を滑らせた事が原因だった。

 

 後で妻から話を聞くと、赤坂が連絡をかける直前、彼の無事を祈ろうと屋上に行こうとしていたらしい。

 もし彼女が足を滑らせていたならばと考えれば恐ろしい。最悪の場合死んでいたかもしれない。

 

 

 偶然にせよ何にせよ、妻はあの少女──古手梨花に救われた。

 それに恩情を持った赤坂は、梨花と再会すべく村に戻ろうとしたが────

 

 

 

 

 

「……私が雛見沢村について調べていた事を、『東京』に知られてしまってな。警察庁に呼び出された私は、『近藤』と名乗る女と対面し、その近藤から村にまつわる全ての事を聞かされた」

 

 

 溜め息と共に白い息が大きく吐かれる。

 当事者である礼奈らの前で話すのは、場数と年齢を重ねた赤坂にも勇気が必要だった。

 

 

「その上でこう言われた。『雛見沢でのあなたの立ち回りは目を見張るものがある。是非、我々の同志となりませんか』、と……」

 

「……あなたはそれに、食い付いたんですか?」

 

 

 冷たい礼奈の声。赤坂は首を振った。

 

 

「……断ったよ。しかし……入院中の妻を、人質に取られてしまってな。従わざるを得なかった」

 

 

 赤坂は苦しそうに、一度口角を結んだ。

 

 

「……それからは公安の人間と動く傍ら、その立場を利用し、東京……いや。近藤の所属する派閥に、仇なす者の情報を流した。結果、私の出世は約束され……今や警視総監だ」

 

「村や、助けを求めた梨花ちゃんを捨てて得た地位、なんですよね?」

 

 

 棘のある礼奈の言葉。明確な敵意と怒りが、ふつふつと感じられた。

 宥めようとする魅音だったが、赤坂は彼女を「大丈夫だ」と手で制した。

 

 

「……その通りだ。そしてその片棒を担いでもいる……大災害に関する情報統制、研究機関を監査する組織への潜入……妻とお腹の子を守る為に何でもやったよ」

 

「…………それって、雛見沢大災害は……災害ではなかったって事ですか?」

 

「……認めるよ。そして雛見沢症候群には女王感染者と呼ばれる人物がいて、その人物が死亡すると、他の感染者が一気に暴走すると考えられていた」

 

「……その女王感染者って人が、あの日死んだって事?」

 

「そうだ。彼女の死で村民が一斉に発症すれば、ずっと秘匿されていた雛見沢症候群が公になる……そうなれば、それを兵器利用していたと言う事実も明るみになってしまう」

 

「……だから、なの……?」

 

「……雛見沢大災害は、この世から雛見沢症候群の痕跡を抹消する為に行った…………」

 

 

 赤坂は一呼吸置き、辛そうに固く目を瞑ってから、また開いた。

 その目には、涙が溜まっている。

 

 

 

 

「……東京による虐殺だ」

 

 

 礼奈は顔を覆い、空を見上げた。

 星が瞬いている。辛うじてオリオン座の形は覚えていて、そのオリオン座が頭上にあった。

 

 顔を覆う指の隙間から、熱い涙が溢れた。

 星を見上げていた目は、今度は冷たいアスファルトへと向けられた。ポタポタと涙が滴り落ちて、アスファルトに点々と染みを作る。

 

 

「……なんでそれを、みんなに言ってくれなかったんですか」

 

「…………」

 

「組織の為ですか? 国の為ですか? 妻と子どもの為? それだったら村一つ無くなっても良かったんですか……っ……!?」

 

 

 悲痛な礼奈の訴えは、この場にいた誰もの心に深く突き刺さる。

 振り返り、礼奈が泣き顔で見た魅音。彼女も、涙を流している。

 

 

「……魅ぃちゃんも酷いね……この話、十年も前にこの人から聞いていたんだよね。じゃあ、どうして私に……」

 

「いや」

 

 

 否定したのは赤坂だった。

 再び向き直って見た彼は、親指で溢れた涙を拭っている。

 

 

「最初こそ私は守秘していた。しかし魅音さんとカスさんに色々と問い詰められてね……打ち明けたのは少し経ってからだ」

 

「……それでも黙っていたのはなんでですか……?」

 

「レナ」

 

 

 続きを話してくれたのは、魅音だ。

 

 

「この赤坂さんも、全部知らされている訳じゃないって事も分かったの」

 

「あぁ……発端となった女王感染者の死の原因が分からなかったからな」

 

「……その女王感染者って、誰ですか?」

 

 

 礼奈の切実な問いに、赤坂は答えた。

 

 

「……古手梨花だ。古手家は代々、女王感染者となる家系だった。彼女が何者かに殺害された事で、悲劇は起きたんだ」

 

「……私たちは、梨花ちゃんを殺した奴を探していた。でも、危険が大きかった……」

 

「東京は今も尚、雛見沢大災害の事実を隠そうと必死だ……私を警視総監と言う立場にして、身動きを封じようとするほどにな」

 

「だから、レナ……あなたを巻き込めなかった」

 

 

 赤坂は持っていた鞄を開き、中から数枚の資料が入ったファイルを取り出す。

 

 

 

 

「しかし私は、全てを暴露する。雛見沢症候群の資料は全て消したつもりだろうが……残っていたんだよ」

 

 

 ちらりと、赤坂は魅音を見た。

 

 

「公安部の人間がこっちに来ていただろ?」

 

「えぇ……変な人たちだったけど」

 

「彼らに言った雛見沢村の再調査と言うのは、嘘なんだ。彼らは東京の目を逸らさせる為の、生き餌だ。おかげで現地に潜入していた私の娘が立ち回りやすくなってくれたよ」

 

 

 ファイルから出した資料は古いカルテと、何かの数値が書かれた学術的なものだった。

 そのカルテに書かれている名前を見て、礼奈はハッと息を呑んだ。既に破棄されていたものと思われていた、圭一のものだったからだ。

 

 

「……前原圭一くんが運び込まれた病院に行って来た。矢部さんらに圭一くんの情報を渡していて正解だったよ……公安部が現れ、慌てふためいていた彼は資料を破棄するつもりだったんだが……」

 

「そこを、あっしが盗んでやりやしたよ。長年マークしていやしてねぇ。今年に入ってやっと、尻尾掴んだんだべ!」

 

 

 カスが得意げに、「アーマードコアの新作ッ!」と叫びながら腕を掲げる。

 

 

「あそこの院長も、当時から東京の口利きがあった人物だ。圭一くんを殺害した連中を院内に通し、毒物となる薬品を渡した人間だ。この資料こそ、唯一現存する……圭一くんから得た、雛見沢症候群に関するデータだ。あの院長、東京との交渉材料にする為に、全部残していやがったんだ」

 

 

 再びカルテと、雛見沢症候群のデータが載せられた資料をファイルに収めると、礼奈に差し出す。

 

 

「……先ほど、その院長に資料の存在を突き付けてやった。そして、雛見沢大災害時に自身が行った事……つまり、前原圭一くんの殺害への加担だね。それの暴露を約束させたよ」

 

 

 差し出されたそれを、礼奈は震えた両手で受け取った。

 

 

「……確かに私は、自らの保身の為に、悪魔に魂を売ってしまった。国の為だ、妻の為だと言い訳をしようとも…………」

 

 

 受け取ったファイルを、愛おしそうに胸に抱いた。

 

 

 

 

「……犠牲が必要な事など、あってはならないんだ……ッ!」

 

 

 赤坂はそう言い切ると、足を揃え、礼奈の前で深く深く頭を下げた。

 彼から吐き出されたのは、三十五年もの間封じてしまっていた、思いだ。

 

 

「俺は……ッ!! 諦めたんだッ! あの時……ッ!! 雛見沢も梨花ちゃんも、全てッ!!」

 

 

 やっと吐き出き、堰を切った、積年の思い。

 大粒の涙を流し、震えて嗄れた声で叫ぶその言葉は、確かに三十五年と言う長過ぎた時間の重みがあった。

 

 

「梨花ちゃんがくれた奇跡を、蔑ろにしたんだッ……!! 彼女は妻を救ってくれたのに……俺は……ッ……!!!!」

 

 

 膝から崩れ落ちた彼は、アスファルトの上で両膝を突き、礼奈らの前で土下座をする。

 

 

「本当に申し訳なかった……ッ……!!」

 

「…………」

 

「謝って済む事じゃないッ! 許される事ではないッ!……それでも、もう俺からはこれしかない……ッ!!」

 

 

 寒く冷たい夜の中、悲痛な赤坂の謝罪がこだまする。

 

 

「……申し訳なかった……ッ!!!!」

 

 

 

 

 額を地面に付け、心の底から謝る。

 彼は警視総監と言う立場にいる、礼奈らにとっては天上の世界の人間だ。

 

 でも今の背は、とても小さい。抱えていた重過ぎるものが、彼をここまで矮小化してしまうものなのか。

 礼奈はファイルを抱きながら、土下座をしてまで悔いる彼の背を暫く見ていた。

 

 最初に抱いていた赤坂への怒りは、もうなかった。

 

 赤坂はこの三十五年間、村を忘れないでいてくれた。礼奈やみんなと同じように、忘れずに戦っていた。

 だから礼奈は労いを込め、許す事にした。

 

 

「……確かに遅過ぎた。でも、取り返しのつかない事をしたのは私も同じ」

 

 

 魅音の方を見てから礼奈は言った。彼女もまた、自分を許してくれた人だ。

 

 

「……そんな私たちに出来るのは……犯した罪を忘れない事。だからやっと、ここまで来れたんだよね……?」

 

 

 涙を拭い、礼奈は俯く。

 切ない横顔に見せたのは、自嘲気味な微笑みだった。

 

 

「……でも、何だか……虚しいかな……みんな、私よりも色々知ってて、やってくれちゃったんだし」

 

 

 それを聞いた魅音はとても申し訳なさそうだ。

 

 

「……ごめん。レナを……巻き込みたくなくて……」

 

「……魅ぃちゃんは優しいよね。圭一くんが引っ越して来た時も、圭一くんが村を嫌いにならないようにって……鬼隠しの事を隠したりしてね……」

 

「……怖かった、って言うのもある」

 

 

 魅音が礼奈に向けた目は、心配そうな眼差しだった。

 

 

「全てを明るみにしたら……レナが、いなくなってしまいそうで、さ……」

 

「…………」

 

 

 彼女の懸念は、当たっていた。

 この三十五年間、礼奈にとっての生きている理由は、償いと圭一の仇だった。それがなくなった今、礼奈にあるのは強い虚脱感だ。

 灯台の光も見えない、暗い夜の海に放り出された気分。不安と、現世に対する執着の消失がただ心に満ちる。

 

 

 本当ならば魅音は、最後まで礼奈に赤坂との事は隠し通しておきたかった。

 しかし礼奈が全てを清算しようと動いた事で居た堪れなくなり、話す事にした。

 彼女に、安らいで欲しかった。

 

 

 

 

「……かもね」

 

 

 礼奈は曖昧にそう答える。

 その回答が魅音に確信させた。全てが終わった時、それは礼奈の終わりでもあると。

 

 

 赤坂はゆっくりと身体を起こしていた。顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

 カスも背を向け、静かに泣いている。

 もう魅音は、礼奈に何も言えなかった。何も言えず、そして何も言えない自分が嫌で、メソメソと泣いていた。

 

 

 

 ふっと顔を上げ、星空を見上げた礼奈の表情は、憑き物が落ちたようだった。

 

 

「……私、結局……何も出来ていなかったなぁ」

 

 

 声音はとても、安心したような柔らかいものだった。

 

 

「……何も……してあげられなかった…………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいえ。あなたもまた、やり切ったのですよ」

 

 

 もう一人、知らない誰かの声が聞こえた。

 魅音や赤坂、カスにとっては聞き覚えのない声。しかし礼奈にとっては、知っている人物の声だった。

 

 

 全員が声のした方を向く。

 一瞬だけ明滅した街灯の下、そこに着物姿の老婦人が立っていた。

 

 

 その姿を見て、礼奈は驚き声と共に名を言う。

 

 

 

 

「や……山田、さん?」

 

「こんばんは、竜宮さん」

 

 

 山田里見だ。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む



 里見がお淑やかにお辞儀をしたので、合わせる形で礼奈らもおずおずと頭を下げる。

 

 

「皆さん、お揃いですわね?」

 

「や、山田さん……なんでここが……!?」

 

「え? どちら様?」

 

 

 初対面の魅音が困惑している。それは魅音のみならず、赤坂やカスも同じだろう。礼奈はまず、彼女の紹介をしてあげた。

 

 

「こちら、長野県で書道家をされている、山田里見さんです」

 

「はじめまして」

 

 

 山田里見の名を聞いた赤坂は、思い出したように「あっ!」と声を上げた。

 

 

「もしかして……私の前任の警視総監であった『御手洗(みたらい) ちかお』氏の依頼で、筆をふるってくださった?」

 

「あら、懐かしいわねぇ! 警視庁のロビーに飾りたいと言われて、『真実』の字を書かせていただきましたの!」

 

「あの作品は今も警視庁の象徴です」

 

「御手洗さんはお元気にされてます?」

 

「いえ、不倫報道で降格処分に。それで私が後任です」

 

「あれま…………まぁ、真実は明るみになったのは良かったのかしらねぇ?」

 

 

 次にカスも里見に関する事を思い出したようだ。

 

 

「そうだべ!? あっし、『富毛村(ふもうむら)』に知人がおってな!? あんたの事言っちょったべ!?」

 

「あらあらまぁ……これまた懐かしい……」

 

「立候補しちょったじゃろ? 北平山(ひらやま)を北ヒマラヤって書き間違えちょった」

 

「お黙れーーっ!!!!」

 

 

 一喝し、カスを黙らせる。

 普通に会話をしているが、こんな時間に彼女がここに現れるのは場違いだろう。

 

 

「あのぉ……や、山田、さん?」

 

 

 改めて魅音が尋ねる。

 

 

「はい?」

 

「どうしてここに……?」

 

「……あー! そうですわねぇ、ごめんなさい! いきなり部外者が物知り顔で現れたのですもの! 驚いてしまいますよねぇ?」

 

 

 里見は茶目っ気のある笑みを浮かべてから、スッと、神妙な顔付きになる。思い出に耽っているかのような、安らかな表情だ。

 

 

「……私の夫も、雛見沢大災害があった年……ここ、興宮に仕事で来ていましてねぇ。とても気に入ったようで、『綿流しと言う祭りがあるそうだから、来年、奈緒子も連れて行こう』って言ってましたのに……」

 

 

 しかし村はなくなり、夫の剛三は脱出マジックの練習中に死去。その約束は果たされなかった。

 

 

「……折角、あの人がまた来たいと言っていた街に来たのですから……雛見沢と言う場所がどのような所だったのだろうと立ち寄ってみれば、皆さんが話されているところに……盗み聞きする形になってごめんなさいね?」

 

「い、いえ……そうだったんですか。旦那さんがあの時、興宮に……」

 

 

 礼奈が意外そうに聞く。

 

 

「えぇ……私も、一度訪れてみたかったわねぇ……」

 

「…………」

 

「……竜宮さん」

 

 

 里見は礼奈としっかり目を合わせ、話しかける。

 

 

「あなたは何もしていないと嘆かれていた……でも、あなたは大きな事を成し遂げたのですよ」

 

「……え?」

 

「その大きな事は、もう一度あなたたちに機会を与えてくださった……起こるハズのなかった、奇蹟を起こしたのです」

 

 

 彼女が言っている事が理解出来ず、礼奈は小首を傾げる。

 しかし里見はすぐに全てを話さず、次に赤坂の方を向いて話しかけた。

 

 

「赤坂さん。あなたが選んでしまった選択は、暴くべき真実を隠し、多くの人を亡くしてしまいました」

 

「は、はい」

 

「……でも。だからと言って、奥さんと子どもを見捨てる事が正しかったとも言えません。不条理に命を選ばされ……あなたもまた、苦しんだハズ。そして苦しみながら、一度は見放した真実を取り戻そうとやり切った」

 

「…………」

 

「……頑張りましたね?」

 

 

 赤坂は目を丸くした後、感極まったように俯いた。そして無言のまま、里見に深く頭を下げる。

 続いて里見は、魅音の方へ。

 

 

「園崎さんも、ここまで死に物狂いでやって来られたのですよね? 珈琲店を経営し、お友達も助けて、そして赤坂さんと共に、真実を暴くべく頑張った」

 

「……!」

 

「生半可な覚悟で出来る事ではない。今のあなたは、とても誇らしいですよ」

 

 

 思わず去来してしまう、楽しかった夏の記憶、そして双子の妹である詩音との事。

 気丈に見えながら、いつも一抹の不安が拭えなかった魅音にとって、その里見の言葉はとても沁み入るものがあった。

 

 

 最後にカスの方を向く里見。

 

 

「ごめんなさいそこの方」

 

「へい……」

 

「寒くなって来たので、暖かいお飲み物を買って来てくださらない?」

 

「へい…………え?」

 

 

 労いの言葉かと思えばまさかの使いっ走り。

 

 

「歳を取るとどうにも冷えが厳しくってねぇ……手も悴んじゃって……」

 

「…………」

 

 

 自分も結構な歳だがと困惑するカス。

 しかし、冬の岐阜はとてつもなく寒いのも事実。今だって恐らくマイナス二度ぐらいはあるハズだ。ここまでの低気温ならば、厚着していても堪えるものがあるだろう。

 

 すぐにカスは魅音らに一度お辞儀をしてから、「パンツァーフォーッ!」と叫んでコンビニへ買い出しに行った。

 

 

「あとカイロもーっ!……あ! 熱くなり過ぎるやつはやめてちょうだーいっ!」

 

 

 追加で注文を言ってから、里見は「失礼」と謝ってまた礼奈の方を向く。

 

 

 

「……レストランで話した事。覚えていらっしゃる?」

 

「……はい。故郷のお話は、しっかりと……」

 

「良かった……そう。あなたが帰り続けたからこそ、捨てなかったからこそ……本当に、最後の機会が巡って来れた」

 

 

 相変わらず何を言っているのか分からない。

 だが里見はそんな礼奈の困惑を受け止めながらも、今度は三人それぞれへ視線を送り、優しい笑みで以て問いかけた。

 

 

 

 

「……時を戻せるのなら、あなたたちはまた、当時に戻ってみたいですか?」

 

 

 何とも非現実的な質問だった。普通であれば、間違いなく三人とも呆れ果てていただろう。

 しかし里見の穏やかな口調と、異様で神秘的な雰囲気が、不思議とこの質問に真摯さを与えていた。

 だからこそ三人とも、真正面からその問いを受け入れられた。

 

 

 

 

「……戻れるのなら……戻りたい」

 

 

 震えた声で魅音が言う。

 

 

「助けられるなら……全部助けたい。沙都子も、詩音も、あの時のレナも……」

 

 

 そしてやはり思い浮かぶ、大好きだった少年の姿。

 三十五年間、あの日の姿のまま変わらず何度も夢に現れた、思い人たる少年の姿。

 

 

「それに……圭ちゃんにも……思いを伝えられていないのに……」

 

「……戻りたいのは、俺もです」

 

 

 

 赤坂も口を開いた。

 

 

「ここで雛見沢症候群や大災害の真相を暴露しても……恐らく……梨花ちゃんを殺した人間は分からず終いだ……!」

 

 

 それでは駄目だと首を強く振った。

 

 

「俺は約束を果たしたかった……ッ!!……俺は彼女を生きて救いたいッ!!」

 

 

 二人の思いを聞いた後、「あなたはどう?」と礼奈を見やる。

 彼女はくっと口を結び、悔しさと悲しさを顔に出していた。

 

 

 

 

「……私も出来る事なら戻りたいです……何度も思いましたよ……」

 

 

 礼奈は「でも」と、弱々しく首を振った。

 

 

「……無理なんです。時間は一方向にしか進まないんです……」

 

 

 抱えていたクリアファイルを落とした。持っていられないほど、気持ちが昂っていた。

 そのままわなわなと震えた空っぽの手で、顔を覆う。

 

 

「もう戻れないんです…………みんなと駆け回った裏山にも、田んぼにも、学校の校庭にも……!」

 

 

 里見は黙って、彼女の言葉を聞いている。

 

 

「もう過ぎ去った事なんです……出来ない事なんです……! 圭一くんと宝探しをした事も、綿流しも……沙都子ちゃんの作ったトラップに驚いたり、梨花ちゃんの奉納演舞を見たりしたのもっ!!」

 

 

 礼奈は深く息を吸い込み、泣き腫らした顔を晒して、慟哭のように訴えた。

 

 

 

 

 

()()()()のマジックをまた見る事も────っ!!」

 

 

 

 

 

 その名は宵闇の中良く通り、山の向こうまで響く。

 今は亡き故郷へと届かんばかりに、遠く遠くまで響く。

 

 響き渡ったその名前……自分が言ったその名前に驚き、礼奈は息を呑んだ。

 今、自分の脳裏に現れた「山田奈緒子」の名前。知らないハズの人の名と顔、そしてマジシャンだと言う事も知っていて、目を瞬かせて当惑する。

 

 

「…………え?……山、田……さん……?」

 

「……私の事ですか?」

 

「……違う……山田奈緒子さん……東京からマジシャンで…………」

 

 

 次に控えていた魅音も愕然とした様子で髪を掻き上げ、慄いていた。

 

 

「待って……上田先生……私……あ、あ、会った事がある……!」

 

「……先生の御本で、ですか?」

 

「違う!……実際に会ってる……一緒に、部活でジジ抜きをして遊んだ……さ、沙都子も助けてくれた……!!」

 

 

 様子のおかしい二人を見て、赤坂もまた困惑していた。

 

 

「……山田さん……? 一体、これは……」

 

「…………」

 

 

 里見は歩き出し、三人から離れた。

 背を向け、向けられる視線を浴びながら、駐車場入り口にある街灯の下まで行く。

 

 

 星が瞬き、月明かりが街を照らす、澄んで綺麗な冬の夜。里見はほぉっと、白い息を吐く。

 

 

 

 

「……雛見沢は、神が宿る土地。そこに『あの子』が向かったからこそ…………奇蹟は起きた」

 

 

 街灯の下で足を止め、小さく俯いた。

 

 

「故郷を思う願いが……去ってしまった人たちへ捧げ続けた思いが、祈りが……」

 

 

 彼女の肩が震えているように見えた。

 

 

「……応えられた……」

 

 

 里見はくるりと振り返り、また三人と向き直る。

 悲しそうで、だけど感慨深さに満ちた、暖かい微笑みを携えていた。

 

 

 彼女は誇らしそうに三人と、そして雛見沢のある山の方を見渡し、語る。

 

 

 

 

 

 

「──文字には、不思議な力があります」

 

 

 懐から畳んでいた和紙を取り出した。

 

 

「私に出来るのはここまで。ただあなたたちを、送り出す事ぐらいしか出来ない」

 

 

 彼女を照らす街灯が明滅を始めた。

 その下で、畳んでいた和紙を両手で開き、三人に見せ付ける。

 

 

 

 

 

「……取り戻してらっしゃい」

 

 

 里見の視線の先に、三人は立っている。

 

 白いワンピースと帽子の、不思議だけど優しく、可愛らしい少女。

 

 上着を腰に巻いた、朗らかでお転婆で、頼れる部活のリーダー。

 

 精悍で活力に満ち、確かにその目に正義の炎が宿った刑事。

 

 

 そこに立っていたのは、「あの時」の三人だった。

 決意に満ちた表情で並び立つ、三人の姿だった。

 

 

 

 

 

 街灯の光が、弾けたように消える。

 月が雲に隠れた。

 夜の闇が辺りを覆う。

 星空に、一筋の流星が見えた。

 

 

 

 次の瞬間、灯りは何事もなかったかのようにパチリと点く。

 再び闇が晴れた駐車場──そこには里見の姿しかなかった。

 

 

 

「…………ごめんね。奈緒子」

 

 

 開いた和紙をまた懐に仕舞い込むと、静かにその場を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──赤坂は目を覚ます。

 どうやら居眠りをしていたようだ。彼が目覚めたのは、自宅の卓上だった。

 

 

「…………何か……妙な……夢を見たような……」

 

 

 奇妙な気持ちで顔に触れる。

 手に濡れた感覚が広がった。どうやら自分は泣いていたようだと気付く。突っ伏していたテーブルにも涙の水溜りが出来ていた。

 

 

「……俺は……一体……」

 

 

 途端、電話が鳴る。

 涙を拭いながら赤坂は立ち上がり、電話の方へ行く。

 

 

 受話器に手を伸ばした時、思わず躊躇してしまった。

 もしかしたら、「東京」からの命令かもしれない。入院中の妻とそのお腹の子を盾にして、また自分に下らない政戦の手伝いをさせるつもりなのか。

 

 

 電話は鳴り続ける。

 しかし赤坂は直感で、「この電話は無視してはならない」となぜか思った。

 

 やっと、受話器をカチャリと取った。

 

 

「……もしもし?」

 

『うぉお! マジで繋がりおったで!?』

 

 

 受話器の向こうから聞こえたのは、軽薄そうな男の声。訛りからして関西の人間だろうか。二重の意味で「東京」の人間ではないとすぐに分かった。

 

 

「……どちら様ですか?」

 

 

 悪戯電話だろうか。半ば苛つきを声に宿しながら、赤坂は応対を続ける。

 

 

『あのぉ〜……? いや、間違い電話やったらすみませんけどねぇ?』

 

「はぁ……?」

 

『おたくさん、もしかしてぇ……赤坂、衛さんと言う方やないですか?』

 

 

 一体どうしてそんな、恐る恐ると言った様子で話すんだと、赤坂は訝しむ。

 悪質なセールスか、もしくは詐欺師か。刑事の立場として見極めてやろうと、少しの沈黙の後に通話を続行させる。

 

 

「…………はい。本人ですが」

 

『やっぱ違いますよねぇ〜……って、ぇぇえぇえええぇッ!?!?』

 

 

 電話越しに絶叫を聞かされ、顰め面で受話器を耳から離す。

 

 

『ほ、ホンマに……え? 赤坂さんですか?』

 

「……あんたは一体誰なんだ。まず名乗るのが礼儀じゃないのか?」

 

 

 すると向こうは、まるで部下が上司にするような諂った口調で名乗り始めた。

 

 

『は、はっ! 自分……え〜……矢部、謙三と言う者なんですが〜』

 

「……え?」

 

 

「矢部謙三」の名を聞いた途端、脳裏になぜかその男の顔が浮かんだ。

 想像ではない。確かなビジョンで、しっかりとした記憶で、矢部謙三の事が思い浮かばれた。

 

 彼は警視庁公安部、階級は警部補、独身で、頭の髪は実は──彼の部下の名前も含め、それもなぜか全て知っている。

 

 

『実は……あのぉ〜……まぁ、信じられへん話かと思いますけどねぇ?……ちょっちぃ、私らの話ぃ、聞いてくれまへ──』

 

「伺いましょう」

 

 

 赤坂から食い気味に了承する。

 この男の話は聞かねばならない……聞かねば後悔すると、なぜかそう思ったからだ。

 

 

 この時の彼の脳裏には、見た事のない「一文字の漢字」も浮かんでいた──愛する妻と、約束を交わした少女の姿と一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──上田、富竹と別れ、喪服に着替える為に屋敷へ戻った魅音。

 庭の青い紫陽花が良く見える、外廊下の途中。前には先導する詩音の背中があった。

 

 

 ぴたりと、魅音が立ち止まる。

 それに気付いた詩音が不思議そうに振り返ると、「えっ?」と小さく驚き声をあげた。

 

 

「……オネェ? 泣いているんですか?」

 

「……ふぇ?」

 

 

 彼女の言った通り、魅音はポロポロと涙を流していた。

 

 

「わっ……!? なにこれ……あ、あは! なんだろコレ……!?」

 

 

 なぜ泣いているのか、自分でも分からなかった。

 悲しいような嬉しいような、懐かしいような……訳の分からない感情が止め処なく溢れ、それを抑え切れずに泣き出していた。

 

 必死に涙を拭う魅音を、詩音は心配そうに声をかける。

 

 

「体調が優れないようなら、私だけでもお通夜に……」

 

「……違う……」

 

「……オネェ?」

 

 

 衝動のまま、詩音を抱き着いた。

 突然の事に呆然としている彼女の胸に、顔を埋めた。

 

 

「ちょ、ちょっとオネェ!?」

 

「……な、なんか、ごめん……あ、あはは……なんだろコレ……」

 

 

 ギュッと詩音の服を掴み、離れないよう縋り付く。

 なぜだか安心した。二度と会えないと思っていた人と再会を果たせたような、嬉しいけど辛い、そんな安堵がただ胸いっぱいに渦巻いていた。

 

 

「…………会いたかった……」

 

 

 最初こそ驚き、恥ずかしさが勝っていた詩音。

 しかし彼女の、深い深い安堵は体温越しに伝わっていて、今は暖かな気持ちで受け入れられた。

 魅音を抱きしめ、その背を優しく撫でてやった。

 

 

「何言ってるんですか! 殆ど毎日会ってるじゃないですかぁ?」

 

「……そ、ソなんだけど……」

 

「……落ち着きました?」

 

 

 顔を埋めたままコクリと頷き、やっと魅音は離れる。

 泣き腫らした目と、今になって羞恥が襲って来た真っ赤な顔。そんな姉の可愛らしい姿が面白くて、詩音は思わず吹き出してしまう。

 

 

「ぷふっ! 自分から抱き着いた癖になんで恥ずかしがってるんですかー!」

 

「いや、ホント、なんか……あ、アレ? なんだったんだろ……?」

 

「誰かに甘えたさんになる時って、たまにありますからねぇ?」

 

「ち、ち、違うよぉ!? なんか、ホント、あの…………うん。わ、忘れて……」

 

「どーしよっかなぁ?」

 

「忘れてってばぁ〜っ!!」

 

 

 一頻り恥ずかしがった後、魅音は目を逸らしながら、ボソッと。

 

 

「…………ありがと」

 

「ふふ……なんの感謝なんですか?」

 

 

 再び二人は廊下を歩き始めた。

 魅音は少し足を早め、詩音の隣に立った。

 

 

「ねぇ、詩音?」

 

「まだなにか?」

 

「いや、変な質問だけどさぁ……門って書いて、中に火って漢字を入れた漢字って、なんて読むの?」

 

「んん? つまり……門構えに火? そんな漢字ないような気がしますけど……」

 

「そうなの?」

 

「と言うかオネェ、さっきから変ですよ? どうしたんですか?」

 

「……な、なんなんだろうね? あはは〜……」

 

「おクスリされてます?」

 

「するかっ!!」

 

 

 たわいも無い話を続けながら、目的の部屋の前で立ち止まる。

 最後にまた、魅音は聞いた。

 

 

 

「出る前にさ、まだ時間あるし……コーヒーでも飲まない? 淹れるよ」

 

「え? なんでコーヒー?」

 

「んー……なんか、コーヒーって気分になった」

 

「……ふふっ。ホント、変なオネェ!」

 

 

 襖を開き、二人仲良く部屋へと入って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ねぇ、礼奈ちゃん」

 

 

 時間は少しだけ戻る。それは、まだ父親のお通夜の準備をしていた頃。

 居間で突然、母親から打診された同居の話。

 

 

 

「もう一度……お母さんと暮らさない?」

 

 

 掃き出し窓は開いていて、カーテンが揺れていた。

 レナは知る由もないが、その窓の外の庭、そしてその庭を隠す塀の向こうで、圭一が聞き耳を立てている。

 

 

 母親は伏し目がちに、レナの表情を伺っていた。

 塀の向こうの圭一も、心臓の高鳴りを押さえながら、レナの言葉を待っていた。

 

 

 

 

 レナの答えは決まっていた。

 真っ直ぐ、母親の顔を、決意を込めた目で見据えた。

 

 

 

 

 

 

 

「……行けない」

 

 

 その目からツゥっと、涙が落ちる────




continuing to

LAST STAGE/TRICトリックK し編


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6月22日水曜日 ラストステージ
大作戦


──これはとある山村に隠された、禁じられた古文書にあるお話。

 

 

 

 

 その一族は、長い長い旅をしていた。

 

 どこから来たのかは分からない。

 空の果てか、地の底からか、或いはこことは違う世界からなのか……とにかく想像する事も出来ない場所から、彼らは旅を続けていた。

 

 

 彼らは安住の地を求めていた。

 そしてついに、その探し求めていた土地を見つけた。

 

 美しく澄んだ沼。そこより流れた川が切り拓いた、豊かな山の渓谷。

 彼らはここを、旅の終着点に選んだ。

 

 

 

 

 しかしその土地は既に、人々の営みに溢れていた。

 先住の人間たちによる村が作られていた。

 

 

 彼らはその村人たちを尊重し、共存を望んだ。

 しかし村人たちが彼らを受け入れる事はなかった……彼らは、人ならざる姿をしていたからだ。

 

 村人たちに出来た、その人ならざる彼らに対する恐れはいつしか明確な敵意へと変わり、とうとう悲しく悲惨な事態を引き起こしてしまった。

 この美しい地に、血が流れてしまった。

 怒りと暴力に、満ち溢れてしまった。

 

 共存など、夢のまた夢であった。

 

 

 

 ある時、これに心を痛めた一人の少女が現れた。

 彼女は一族の者であったが、村人との宥和を求めるべく、人の姿を模して村の神社に現れた。

 神主ならば、村人たちを説得してくれると期待したからだ。

 

 

 だが人の姿を模しても尚、頭から生えた二本の角だけは隠せなかった。

 人々はその異形の姿を恐れ、神主さえも彼女を拒絶した。

 やがてその神主の跡取りが彼女を見初め、子を授かるに至ったが、それでも村人たちとの宥和は叶わなかった。

 

 

 人ならざる彼らが現れた事で、村に血が流れた。

 澄んだ沼の水を穢してしまった。

 村人たちはそれが許せなかった。

 

 これは誰でもない、彼女の一族がこの地に降り立ったばかりに起きた罰。

 そして対話を拒否し、暴力を選んだ村人たちの罪。

 

 

 

 彼女は決断した。

 

 全ての罪と罰を背負い、祓おうと。

 その為に討ち滅ぼされる人柱となろうと。

 

 

 

 

 禁書は伝える。

 人柱となる事を選んだ彼女を討つ役目を担ったのは────その彼女の、実の娘であったと──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最終章

ラストステージ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──小此木造園は朝から慌ただしい。

 事務室には大量の機材が設置され、数人の男たちが随時無線機に齧り付いている。

 

 中央にあるテーブルには、およそ造園会社には似つかわしくない物が綺麗に並べられていた。

 S&W M39、H&K MP5SD……拳銃と銃器、そして大量の銃弾だ。更にはRPG7と言う榴弾発射機まである。まるでこれから戦争にでも行くかのようだ。

 

 薄墨色の作業服を着た男たちが、室内を右往左往としている。

 そこへ茶色の作業服を着た男が現れた。途端、室内で準備を進めていた作業員らは手を止め、その男に向かって姿勢と足先を正し、敬礼をする。

 

 

「ほぉ〜、こりゃあスゲェ。『野村さん』の大盤振る舞いの話、本当だったんだなぁ」

 

 

 満足そうに男は、傍らにあったRPG7を撫で上げる。

 その男とは、この小此木造園の社長である「小此木 鉄郎」だった。

 

 

「銃弾は足りそうか?」

 

「ハッ。最終的には毒ガスを使いますが、村民の一掃には十分な量かと」

 

「ほぉ〜、そうかそうか」

 

「しかし……RPGはやや、過剰装備では?」

 

「いいやぁ、そうでもねぇ。車両で村から脱走しようとする奴らもいるだろう。その場合、RPGの方が都合が良い……まっ。様々なケースに備えておくンが俺のやり方だ」

 

 

 小此木はそう言うと、部下たちを掻き分けて無線室に向かう。

 その内、近くにいた部下に状況を伺う。

 

 

「どうだ?」

 

「ハッ。『R』は同居人と共に、自宅にまだいます」

 

 

 インカムを受け取ると、小此木はすぐ自身の耳にスピーカー部を当てた。

 

 

『梨花〜。大丈夫なのです?』

 

 

 ややノイズ混じりだが、沙都子の呆れ声がきっちり聞こえた。

 それから少しを間を置いて、梨花の気怠そうな返事が聞こえた。

 

 

『みぃ〜……頭イタイイタイなのです……』

 

『もぉ〜! 学校がお休みだからって羽目を外し過ぎなんですわ!』

 

 

 鬼隠しを受けて実施された雛見沢分校の休校は、明日までになったそうだ。

 

 

『今日は魅音さんたちと遊ぶ約束ですわよー?』

 

『お昼まで様子見るのです〜……』

 

 

 それから暫くは沙都子の小言と、出かける準備をしているのかガサゴソとした生活音が流れる。

 そこまで聞き終えたから小此木は、インカムを部下に返した。

 

 

「へっへっへ……隙を見て一昨日から仕掛けておいて良かったぜ……」

 

 

 梨花の動向を探るべく、作戦開始に先んじて盗聴器を仕掛けていた。

 仕掛けたのは二十日の夜。その日、梨花は竜宮家の葬式が終わった後、沙都子と一緒に園崎家へ泊まった。家がもぬけの殻となっている隙に、寝室や受話器の中、居間など数箇所に設置。

 

 更に梨花の家には八人体制で部下が見張っている。これでまず、梨花を見失う事はないだろう。

 

 

 

「よし。まず、一昨日からのRの動きを確認するぞ」

 

 

 小此木は数人ばかりの部下を集め、口々に報告させる。

 

 

「ハッ。竜宮家での葬儀の後、Rは園崎邸に宿泊」

 

「ただ一度、神社に戻っております。着替えを取りに来たようですが、祭具殿にも入っております」

 

 

 小此木は顎を触りながら唸る。

 

 

「Rは滅多に入らないだろ? 祭具殿へは何をしに?」

 

「戸締まりと、侵入者がいないかの確認のようです」

 

「あぁ……まぁ、直近で入られているからなぁ。しかしありゃ、我ながらベストショットだったぜ」

 

 

 ニヤニヤと笑いながら、小此木は室内に立てられていたホワイトボードを見る。

 そこには作戦の流れと割り当てる人員の数が書かれている他、梨花や沙都子、園崎魅音と言った人物の写真が貼り付けられていた。

 

 

 その写真の中には、祭具殿から出て来た上田や山田を撮った、隠し撮り写真があった。

 それは綿流しの日、祭具殿の前に張り出されていた物と同じ写真だった。

 

 

「村人を煽動させる為に撮るたぁ、『三佐』も恐ろしい事ぁ考えるモンだ」

 

「隊長。続けても?」

 

「あぁ、話の腰を折っちまった……Rが祭具殿から出て、園崎邸に行ったんだったな」

 

「はい。さすがに内部の動向は掴めませんでしたが、翌朝二人は竜宮家の告別式に参加した後、そのまま帰宅しております」

 

「Rの動向もだが、注意してぇのは奇術師と教授、そして富竹二尉だな」

 

 

 ホワイトボードに貼られた上田と山田、そして富竹の写真を一瞥する。

 

 

「竜宮家での葬儀の際、入江所長と話していたって情報もある。もしかすりゃあの二人、雛見沢症候群の事を嗅ぎつけたかもしれねぇ」

 

「二人は葬儀の後、富竹二尉と共に、前々から園崎家より与えられている家へ行っております。その家にも、五人体制で見張りをつけております」

 

「昨日の動向は?」

 

 

 別の部下が報告する。

 

 

「昨日は一二◯◯に、園崎家に呼ばれていました」

 

「確か……園崎家で会合があったンだったな。鬼隠しに関する集会だろう」

 

「はい。村の長老たちの他、村長である『公由(きみよし) 喜一郎(きいちろう)』、そしてRも招集されております」

 

「まぁ、園崎・公由・古手は村の御三家だ。集会に参加するのは分かる……だが、あの三人の余所者が呼ばれる意味が分からねぇ」

 

「祭具殿侵入に関する弁明、とかでは?」

 

「その線もあるのか……そう言えば所長も呼ばれていなかったか?」

 

 

 確か会合と近い時間に、入江が園崎邸に行っていた事を思い出す。

 

 

「えぇ、呼ばれていました。何でも、園崎頭首が体調不良のようで診て欲しいと頼まれたそうです」

 

 

 それ自体は珍しい事ではなく、これまで高い頻度であった。

 表向きは村で唯一の医者である入江は、村民から重宝されている。頭首が高齢である園崎家もそうで、度々検診に来て欲しいと入江に頼んでいた。

 

 今回もその検診の一環だろう。だがその屋敷に上田、山田、富竹たちがいたのが不穏だ。偶然なのだろうか。

 

 

「会合が終わったのは?」

 

「一五◯◯です」

 

「三時間か……例年より長かったな」

 

「入江所長は最初の一時間後に帰られました。そして会合が終わった後、村の子どもらが園崎邸に集まっていました」

 

「やけに客が多いな……」

 

「カードやボードゲームの類を持ち寄っていたそうで、遊びに来たようではありました。昼下がりに集まったのは、竜宮礼奈の告別式が落ち着くのを待っていたようです」

 

「その後は?」

 

「一八三◯に解散。それぞれの家に帰宅しております。以降、誰も外には出ておりません」

 

「そんで夜が明け、今に至るってか……やはり奇術師と教授辺りが不穏だなぁ」

 

 

 昨日は半日も園崎屋敷にいて、その間に様々な人間と会っている。

 楽観的に捉えるならば、会合で祭具殿侵入について詰められ、その後に竜宮礼奈を慰める目的で集まって遊んだと思うだろう。しかし場所が、この村で唯一部隊が追跡出来ない園崎屋敷なのが引っかかる。

 

 また、入江もそこに一時間ほどいた。間違いなく、何か話をしていたハズだ。

 

 

「……入江所長は?」

 

「現在、診療所地下区画で監視下にあります。診療所には現在、一階に五人、地下区画に六人の隊員が警備しております」

 

「外部との連絡は不可能か……」

 

「連絡と言えば……如何しましょう? 村全体の通信手段の遮断は?」

 

「必要ねぇ。今回、俺たちには強力なバックアップがある」

 

 

 小此木の歯を見せ、凶暴な笑みを浮かべる。

 

 

「番犬部隊の調査部は、野村さんが買収済み。富竹がどれだけ連絡を飛ばそうが、上層部の手前でブロックだ……それに岐阜県警にも、雛見沢からの通報を無視するよう要請済み。そんで既に興宮に続く道も全て、俺たちの部隊や県警が封鎖している」

 

 

 もはや村は完全に包囲されている。外からも中からも、ネズミ一匹出入りは出来ないだろう。

 

 

「ヌル過ぎるぐれぇだ。何だったら今から学校に榴弾ぶち込んだってお咎めなしだ」

 

 

 彼らの勝ちは確定している。後は実行に移すだけだ。

 小此木は声を張り上げ、この場にいる全員に聞こえるように指示を飛ばす。

 

 

「Rの確保は、今から一時間後……一◯◯◯に開始する! 確保後、速やかに三佐の元へお連れしろ!」

 

 

 小此木の指示は無線部隊を通じ、全ての部下に即座に伝わる。

 更に彼は強い口調で念を押すよう、もう一つ命令を下す。

 

 

「いいか? Rの殺害より前に村人は殺すな! R殺害と緊急マニュアル発令が俺たちの自作自演だと思われちゃあ間抜けだ! 騒ぎは出来るだけ、必要最低限に抑えろ!」

 

 

 それからニタリと笑い、もう一つ付け加えた。

 

 

 

 

 

「ただし邪魔者がいた場合、躊躇するな。引き金は軽くて良い」

 

 

 指示を言い終えた小此木は背を向け、部屋から出ようする。

 

 

 今の彼は最高に昂っていた。これほどの大作戦は久々だからだ。

 上司の命令には従う、一方で行動原理は自分の満足──戦い、打ち負かす事にある。彼は根っからの兵士で、「戦闘狂」だ。

 

 

 これから始まる作戦に沸る小此木だったが、その彼を呼び止める一人の部下。

 

 

「隊長。少し、よろしいですか?」

 

 

 その部下は、梨花の家の受話器に仕掛けた盗聴機を担当していた。呼ばれた小此木は怪訝な顔で近寄る。

 

 

「どうした?」

 

「先ほどから、R宅宛てに奇妙な連絡が交わされていまして……」

 

「奇妙な連絡だぁ?」

 

 

 貸してみろと出した手に、部下はインカムを乗せた。

 すぐにそれを耳に当てる。聞こえて来たのは、どこかの家が梨花宅にかけている電話の音声だ。

 

 

 

 

 

 

『…… 8と1、9と3、8と4、1と6……』

 

 

 聞こえて来たのは、数字の羅列。声は少女の物だ。

 

 

『9と1、10と2、8と2』

 

「……あぁ? なんだこりゃ?」

 

『9と3、8と2、9と1、2と1……えー、繰り返しまーす。8と1──』

 

 

 それからまた同じ数字の羅列を言ってから、連絡は途絶えた。

 訳が分からず、小此木はコメカミを掻いた。

 

 

「何かの暗号か? オイ! 誰かペンと紙持って来い!」

 

 

 部下からメモ用紙と万年筆を受け取ってすぐに、また梨花宅に電話が入る。

 

 

『5と1、2と4、10と4、7と5』

 

 

 さっきと同じような数字の羅列。今度は老父の声だ。

 

 

『5と3、2と3、7と4』

 

「五、三、二、三…………」

 

『4と2、6と1、4と2、9と1、2と1。繰り返ぇーすッ! ひっくぃーんッ!!』

 

 

 そしてもう一度同じ数字を言い、連絡は終了。

 小此木は全ての数字を書き取り、それを顰め面で読む。

 

 

「……何を意味している。五十音か?」

 

 

 すぐにまた別のメモ紙に五十音表を書き、それを参照しながら数字と当て嵌めてみる。

 

 

「お、う、い、う、き、え……いや違う。逆か?……を、う、い、う、ら……これも違う」

 

 

 五十音ではない。ならばとアルファベットにしてみるも、それもまた意味不明な言葉になってしまう。

 するとまた声が聞こえた。幼い少女の声だ。

 

 

『8と1、7と5、9と5、7と4、2と4、9と1、9と3、2と4、7と1』

 

 

 聞き覚えのある声だ。すぐに小此木は合点が行く。

 

 

「この声は……北条沙都子か……今度はR宅からどっかの家にかけてんのか?」

 

 

 声の主は分かっても、話している数字の意味は分からない。

 必死に耳へ全神経を集中させメモを取ってはいるものの、検討が付かない。

 

 

『2と2、9と1、9と5、5と3、1と6、9と5、7と4、2と3……ええと。繰り返しますわー!』

 

 

 そして例に漏れず、もう一度繰り返してから通話終了。

 沙都子は何をしていると別の盗聴班に目配せし、報告させる。

 

 

「Rと話しています! これから出かけると……」

 

「となると、Rは一人になるな……作戦開始の時間を早めるぞ。R宅の監視班は北条沙都子がいなくなった後、五分経過してから突入しろ」

 

 

 指示は飛ばしたものの、疑念は消えない。

 やはりあの、謎の暗号だ。普通に考えて一般家庭同士が交わすようなものではないだろう。明らかに作為的だ。

 

 

 こちらの正体がバレたのか。いいや、仮にバレていたとして何が出来る。既にこちらの準備は万端で、しかも村は丸ごと包囲されている。県警の力を含めれば、例え興宮に逃げられたって即座に捕まえられる。

 

 だが先ほどの暗号は不穏だ。小此木はすぐに部下へ命じた。

 

 

「村人同士の怪しいやり取りが見られた。やはり、通信手段の遮断を実行するぞ」

 

「分かりました。待機している工作員に交換機を破壊させます」

 

「良し……おい! 誰か暗号の解読に詳しい奴ぁいねぇか! 今さっきR宅で交わされたこの暗号の解読をやって欲しい!」

 

 

 すぐに該当する部下が名乗りを上げ、暗号を書き取ったメモ用紙を渡す。部下は皆優秀だ、これで何か分かれば良いがと期待する。

 直後、古手神社で動きがあったようだ。現地の部下から無線が入る。

 

 

雲雀(ひばり)10から(おおとり)1』

 

 

 鳳1とは小此木のコードネームだ。自前のトランシーバーを手に取り、応答する。

 

 

「こちら鳳1。どうした?」

 

『R宅に三人の村人が向かっています』

 

「なに?」

 

 

 小此木の眉間に皺が寄る──

 

 

 

 

 

 

 

──突然やって来た三人は、梨花の家の前に着く。

 それを森林に身を隠した部下が双眼鏡を覗きながら監視する。

 

 

「村人は三人とも四十代の男。今、R宅のチャイムを押しました」

 

 

 邪魔が入ったと小此木は苛つき、自身の頭を撫でる。

 

 

「Rが連れて行かれるかもしれん。そうなったら報告しろ」

 

 

 無線を切ろうとする小此木だったが、即座に部下が切迫した声音で止めた。

 

 

「ま、待ってください! 誰か出てきました!」

 

 

 玄関戸が開いたと思えば、中から少女が飛び出した。

 最初は沙都子だと思っていた。しかし緑のワンピース、ロングの青い髪を見て違うと判断する。

 

 

「Rが家から飛び出しました!!」

 

「なに!?」

 

 

 飛び出した梨花はやって来た男たちに囲まれ、護衛されるようにして一気に鳥居の方へ向かう。

 梨花は風邪気味だと聞いていた小此木は、彼女が出て来たと言う報告に困惑する。

 

 

「本当にRか!?」

 

「服装はRが良く着ていた物です! 髪も本人のものと一致していましたが……」

 

「顔は見たのか!?」

 

「……駄目です。村人たちに遮られて良く見えず……」

 

 

 ならば変装の可能性もある。梨花の家には、殆ど同じ背丈の沙都子がいるではないか。

 それに髪もカツラの可能性がある。彼女たちは部活の一環で、コスプレの類をやっている事は織り込み済みだ。変装用のカツラがあっても不思議ではない。

 

 

「クソ……鳳1から(うぐいす)5!」

 

 

 鶯5は神社前を監視している分隊だ。

 

 

「こちら鶯5」

 

「Rと思われる人物が三人の男と共にそっちへ行く! 引き止めろ!」

 

 

 しかし鶯5は渋い顔をしていた。

 

 

「……それは困難かと思われます」

 

「どうした!? 何かあったのか!?」

 

 

 彼の目線の先、古手神社へ続く階段の下には、大勢の村人が集まって来ていた。

 

 

「……神社前に村人の集団。ざっと、十人以上はいます」

 

「……何だと!?」

 

 

 多くの目がある前で梨花を攫う訳にはいかない。

 鳥居を抜けて階段を降りた三人の男と梨花を確認したものの、それを見逃すしか出来なかった。

 

 緊急事態に焦る小此木は、盗聴班に急いで命じる。

 

 

「R宅の音声は拾えたか!?」

 

「は、はい! 拾えていますが……」

 

「中にいるのは北条沙都子か!?」

 

 

 部下は首を振る。

 

 

 

 

「いえ……Rです」

 

 

 それを聞いた小此木はすぐにインカムを手に取り、居間のコンセント内に仕掛けた盗聴機が拾った音声を聞く。

 

 

『うるとらまぁ〜ん、えいてぃ〜♩ うるとらまぁ〜ん、えいてぃ〜♩』

 

 

 歌っているが、確かに梨花の声だ。

 つまり彼女はまだ家にいる証拠。出て行ったのは変装した沙都子だと判明した。小此木は安心したように息を吹く。

 

 

『……ふふん、ふふんふ〜んふ〜んふぅ〜〜ん……英語のトコ分かんないのです』

 

「……へっ。どうやって俺たちの目に気付いたか知らんが、詰めが甘いぜ……鳳1から雲雀10! Rはまだ中にいる! 引き続き監視しろ!」

 

「雲雀10、了解」

 

 

 続け様に神社前に控えている部下にも指示を出す。

 

 

「鳳1から鶯5! 神社から出たRと思わしき奴を追えるか?」

 

「鶯5、了解」

 

 

 わざわざ変装し、守らせて出て行った事が引っかかる。万が一に備え、出て行った方の梨花を追跡させる。

 次にまた、小此木の元に一報が来る。

 

 

「鳳6から鳳1。交換機の破壊に成功しました」

 

 

 指示していた電話回線の交換の破壊についてだ。どうやら成功したようで、これによって雛見沢村全域の電話は使い物にならなくなった。

 

 

「鳳1、了解……ふぅ。これで妙な暗号も送れねぇな……」

 

 

 だが不特定多数の人間がこちらの存在に気付いている事は確かで、出し抜こうとしている事も確かだ。これは非常に危うい状況ではある。

 小此木は思考を巡らせる。突然集まった神社前の村人たちがもし意図して集まったとすれば、それを行えるのは村で絶大な影響力を持っている園崎家に他ならない。

 

 

「やはり、昨日の昼の会合で何かあったのか?」

 

 

 ならばその「何か」を聞く必要がある。小此木はすぐに無線を入れた。

 

 

「鳳1から鶯10」

 

『こちら鶯10』

 

 

 鶯10は診療所の警備に当たっている分隊。そこで幽閉状態の入江の監視も担っている。

 

 

「入江所長に昨日あった園崎家での会合の詳細を聞け。多少、手荒な方法を取っても良い」

 

 

 入江はあの時、園崎屋敷にいた。間違いなく、何か知っているハズだ。

 拷問の許可を仄めかし、無線は切られる。後は梨花を確保するだけだと、小此木はそう考えた。

 

 

 五分経過し、雲雀10から作戦開始の声掛けが入る。

 

 

「雲雀10から鳳1。これより、R宅に突入する」

 

 

 無線から「鳳1、了解」と声がかかる。

 近辺に人の気配がない事を確認してから、監視に当たっていた八人が突入を開始。

 

 玄関戸の鍵は開いている。そこから突入する者たちと、裏口から挟み込む者たち、そして標的の脱出を考慮して四方から見張る者たちとで役割を分担。まず、こっそり抜け出せる事は出来ないだろう。

 

 

「雲雀10から鳳1。Rの居場所を報告されたし」

 

 

 盗聴機によると、梨花はまだ居間にいる。

 

 

『ふ〜んふふんふん、ふ〜ふ〜ふ〜ん〜来ると言う〜♩』

 

 

 うろ覚えの「ウルトラマンレオ」を歌っていた。完全に油断している。

 

 

「鳳1から雲雀10。Rは居間にいる」

 

「雲雀10、了解。確保に移る」

 

 

 確保用のテーザー銃を構え、相方と目配せし合う。

 それを合図に、とうとう部隊は梨花の家へ一斉に突入する。

 

 

 土足のまま玄関から廊下に上がり込み、居間を目指して駆ける。

 目的の部屋の前に着くと、すぐには襖を開けずに耳を澄ます。中からは確かに、梨花の楽しげな声が聞こえていた。

 

 

「セブ〜ン、セブ〜ン、セブ〜ン♩」

 

 

 部屋から移動はしていないようだ。雲雀10は思わずほくそ笑む。

 

 

「へっ……何も知らねぇで……呑気に『ウルトラ()()セブン』歌ってやがる……」

 

 

 廊下の奥を一瞥すると、裏口から侵入した仲間が待機している。これで仮に逃げられたとしても、すぐに捕まえられるだろう。

 

 

 テーザー銃の銃口を向け、引き金に指をかけた。そして一息で襖を開け、一気に居間へと雪崩れ込んだ。

 後は梨花に向かって放つだけだ。

 

 

 

 

 

 

 しかし雲雀10は居間の中を見た途端、「あっ!」と愕然の声をあげる。そのまま慌てて、小此木へ無線を飛ばした。

 

 

「こちら雲雀10! 緊急事態発生!」

 

 

 雲雀10の眼前に、梨花の姿はない。

 誰もいない居間、大きなテレビ、積まれた座布団、中央にはちゃぶ台──そのちゃぶ台の上に、ラジカセが置いてあった。

 

 

 

 

 

 

 

『ウルトラセブンをウルトラ()()セブンって言う人とは仲良くなれないのです。にぱーっ☆』

 

 

 そのラジカセは、延々と梨花の声を大音量で流していた。

 ラジカセの傍らにはぽつんと置かれた、次郎人形。まるでこちらを嘲笑っているかのようだった。

 

 

 

 

 

 その情報は即座に小此木へ渡る。

 

 

「ラジカセだと!?……クソッ……! 盗聴機の存在に気付かれていたのか……!?」

 

 

 完全に想定外だが、まだ巻き返しは可能だ。

 ならば外に飛び出した梨花が、本物だったのだろう。そっちはまだ追跡中だ、取り逃してはいない。

 

 

「鳳1かは鶯5! Rの確保は可能か!?」

 

「こちら鶯5。辺りに人はいない……護衛と思われる男が三人いるが、こちらは六人。制圧は可能です」

 

「良し……許可する! すぐに確保しろ!」

 

「鶯5、了解」

 

 

 一応、その梨花が本物だと見做しているものの、蟠りは消えない。

 確かに昨日時点で、梨花と沙都子の二人が家にいたハズだ。そして出た方がどちらか一方だとしても、必ずもう一方は中にいるハズ。

 

 

「鳳1から雲雀10! 徹底的に屋内を調べろッ! 隠れている可能性もあるッ!!」

 

 

 梨花の家はそんなに広い家ではない。勿論、内装は全部隊、頭に叩き込んでいる。大人が数人がかりで調べ回れば、ほんの十分で隅から隅まで探し尽くせるだろう。

 

 

 とりあえずは外に出たもう一方の確保だと、部隊からの報告を待つ小此木だが、掛けられたのは困惑した声だった。

 

 

「お、鳳10から鶯5!」

 

「どうしたッ!?」

 

 

 度重なる異常事態に、小此木の声も荒っぽくなる。その声に少し驚きながらも、鶯5は信じられない物でも見るかのように前方を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 梨花を確保しようとした彼らの前を、軽トラ数十台が並んで遮る。車列はザッと道の端から端まで並び、遠回りは出来ない。

 何だこれはと困惑する彼らに応えるように、一台の軽トラのスピーカーから大音量で声が響く。

 

 

 

 

 

「これよりッ! 公由家主催ッ!!『ひっきーのえれくとりかるぱれーど』を開催するッ!!」

 

 

 

 

 

 その声の主は、雛見沢村の村長である公由喜一郎だ。

 並んだ軽トラの荷台には段ボールで作った、村のマスコットキャラクター「ひっきー」が乗せられている。一台だけ、なぜかエッフェル塔に貫かれている。

 

 軽トラだけではなく、村人たちもぞろぞろとその車列に追随して歩いていた。すっかり、梨花たちと鶯5はパレードによって分断されてしまった。

 

 

 報告を受けた小此木は唖然とする他ない。

 

 

 

 

 

 

「……どうなってやがる?」

 

 

 脳裏に浮かぶは、東京から来た奇術師と学者の顔。

 何をした、何を考えている、それよりも自分たちについて何を掴んだのかと……ひたすらに考えを巡らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

山 田 奈 緒 子
前 原 圭 一

 

 

園 崎 魅 音
上 田 次 郎

 

 

矢 部 謙 三
竜 宮 レ ナ

 

 

北 条 沙 都 子
石 原 達 也

 

 

菊 池 愛 介
古 手 梨 花

 

 

大 石 蔵 人
秋 葉 原 人

 

 

山 田 里 見
園 崎 詩 音

 

 

 

 

 

 

 

【卵の黄身は、 山田と上田】

 

 

 

 

 

 

 

TRICK

 

TRICK

 

ひぐらしのく頃に

 

 

TRICトリックK

し編



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

進行中

 謎のパレードに阻まれ、立ち往生を食らっている隙にどんどんと梨花たちは離れて行く。

 しかもそればかりか、パレードの開催を聞き付けた村人たちがぞろぞろと現れ始め、人目も多くなる。

 

 追跡をしていた鶯5らの分隊は、すぐに装備を隠して一般人を装う。服装は作業服だが、農業や林業に従事している者が多いこの村では、平日では似た服を着ている者も多く、浮いてはいない。

 物珍しさでやって来た村の子どもたちを横目に、鶯5はこっそり無線を使用する。

 

 

「……鶯5から鳳1。Rと分断された上、人が集まり出している……」

 

 

 報告を聞いた小此木は、皺の寄った眉間を指で潰す。

 

 

「多少強引でも車列を突破出来ねぇのか?」

 

「……やってみます」

 

 

 無線を切った直後に機会は来た。車と車との間隔が比較的広い二台が目の前まで来る。

 すぐに鶯5は飛び出し、その隙間から向こう側へ出た。また彼を倣って、二人ばかりの仲間も通り抜ける。

 

 

「よし……ッ!」

 

 

 オブジェを乗せた車と集まった村人のせいで視界がやや遮られたが、梨花を守護する三人組の姿は見失っていない。

 

 

「あのー! すんませーん!」

 

 

 横並びで梨花に追随するように歩くその三人の所へ行き、鶯5は一般人を装って話しかけた。

 すぐに三人は足を止める。その隙に仲間二人も近寄り、逃がさないよう包囲を始める。もう数人の部下も、車列を潜り抜けて来た。

 

 

 どうやったって詰みだ。鶯5は勝ち誇ったように鼻で笑った。

 

 

「営林署のモンです〜! ちょっとここら辺に明るくないモンでしてぇ〜……」

 

 

 この地域の人間の訛りや気質は頭に叩き込んでいる。県外の人間だとバレやしない。

 

 

「……ちょいと、道を聞いてもエェですかねぇ?」

 

 

 仲間が回り込み、抵抗されないようテーザー銃をこっそり忍ばせる。

 後方から、謎のパレードがなぜかスピーカーで流している森 進一の「花と涙」が響く。お陰で村の連中はそっちに注意が行って、こちらに気付いていやしない。

 

 

 三人組は抵抗せず、こちらへ振り向きながら壁となって守っていた梨花の姿を晒させる。

 厳しい顔付きで鶯5を睨む三人の後ろ。そこに立っていた少女も、遅れて振り向いた。

 

 

 

 

「…………へ?」

 

 

 鶯5が間抜けな声をあげるのも無理はない。そこにいたのは梨花ではないからだ。

 梨花と似た服を着た、梨花と同世代と思われる、全く似ていない少女だった。太々しい顔でチューペットを食べている。

 

 

「…………」

 

「なんじゃい」

 

 

 三人組の一人が低い声で聞く。思わず呆然としていた鶯5はハッと、我に返る。

 

 

「あ、いや……す、すんまへん! 大丈夫です! 失礼しやっす!」

 

 

 そう言って彼らに背を向けた鶯5の顔は、蒼白としていた。

 こっそり振り返って少女を再確認するが、やっぱり別人だ。まだチューペットを食べながらこっちを見ている。

 

 鶯5は必死に頭を回転させた。

 確かにあの子どもは梨花の家から出て来た。三人組が阻んでいたとは言え、出て来たところはしっかり視認している。

 どこかで入れ替わったのか。いや、出て来てからずっと今まで監視の目があった。無理に決まっている。

 

 

「鶯5。どうした?」

 

 

 無線から小此木の声。一旦思考の海から出て、小此木に急ぎ、報告をする。

 

 

「こ、こちら鶯5。追跡人物はRではありません」

 

「なに!?」

 

 

 彼の強い困惑と焦りが、無線越しからでも伝わった。

 

 

「どう言う事だ!?」

 

「我々がRだと思い追跡していた人物が、別人だったんです」

 

「じゃあ誰だ!? 同棲している北条沙都子か!?」

 

「で、でもなくて……ええと……」

 

 

 今一度チラリと、その子を見やる。

 何度確認しても、梨花に似た服を着ている別人だ。空になったチューペットの容器をタバコのように咥え、まだ太々しくこちらを見ている。三人組は太極拳を始めていた。

 

 

「……恐らく、村の子かと……」

 

「クソッ……どう言うこった……?」

 

 

 本部にいる小此木は忙しなく、苛立たしげに頭を掻く。

 

 

「目を離してはねぇんだな!?」

 

「は、はい。一度も──」

 

 

 次の瞬間、別の隊からの報告が入って来る。

 

 

「雲雀10から鳳1ッ!!」

 

 

 梨花宅の捜索を担当している雲雀隊からだ。その突然の報告に、小此木は鶯5との通話を中断して耳を傾ける。

 

 

 

 

「Rを発見しましたッ!! げ、現在、R宅から西へ逃走中ッ!!」

 

「見つけたのかッ!? どこにいたッ!?」

 

「ブラ──うわッ!? クソォーーッ!?!?」

 

「おいどうしたッ!?」」

 

 

 小此木の無線機の向こうから、何かを激しく引き摺るような音と雲雀10の悲鳴じみた悪態が響く。

 

 

 その様子は同じ無線を共有している別働隊のインカムにも流れる。

 何が起きたのかと、鶯5は近くにいた隊員と不審そうに目配せ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雲雀10に異常が起きた事は明白だ。小此木はひたすら、無線機で呼びかけ続ける。

 

 

「鳳1から雲雀10ッ!? 何があったッ!? 報告しろッ!!」

 

「こ、こちら雲雀13ッ!!」

 

 

 雲雀13は同じ、梨花宅突撃班の人員だ。山狗部隊の中でも比較的若い部類の隊員でもある。

 彼は今、他の隊員と共に神社の裏手を滑り降り、まだ視界に捉え続けている梨花の背中を追っていた。

 

 

「雲雀10は境内のトラップにかかっている! 今追っているのは雲雀9と──うおわああッ!?」

 

 

 トラップが作動し、木の上に吊るされていた丸太が降りかかる。

 何とか前方へ飛び込む事によってそれを回避するものの、すぐ後ろを走っていた仲間が巻き込まれてしまった。

 

 

「うぎゃーーッ!?」

 

「クッ……! 雲雀9沈黙ッ!! あとはひば──」

 

「ミュウミュウーーーーッ!!??」

 

 

 情けない悲鳴が聞こえ、雲雀13は背後を一瞥する。

 一緒に走っていたもう一人もトラップに引っかかり、足首をロープで拘束されて転んでいた。

 

 

「ちくしょぉ……ッ!!……こちら雲雀13ッ! 現在追っているのは俺だけですッ!! 応援をッ!!」

 

「場所はどこだッ!!」

 

「古手神社の裏手、鬼ヶ淵方面ッ!! 山の中に逃げるつもりですッ!!」

 

「追っているのは本当にRなんだろうなッ!?」

 

 

 小此木に言われ、走りながらも必死に改めて梨花を確認する。

 後ろ姿で顔は見えないが、服装はいつも梨花が着ているワンピース姿。長い髪も、髪色も背丈も一致している。

 

 

「お、恐らくはッ! 顔は確認出来ていませんがッ!!」

 

「他に何か判別出来る箇所はないのかッ!?」

 

「え、ええと…………!!」

 

 

 曲がり角で、梨花が曲がる。

 横顔は髪に隠れて見えなかったが、向かい風を受けたワンピースが、彼女の身体の線を浮き出させていた。

 

 

 そこから伺える彼女の胸は、ストーンと貧しい。事前に視認していた梨花の幼児体型と一致する箇所だ。

 雲雀13も道を曲がりながら、報告する。

 

 

「胸はありませんッ!!」

 

「何を言ってんだッ!?」

 

 

 トンチキな雲雀13からの報告にずっこけかける小此木。

 しかし体型が一致していると言うのも有用な情報だ。梨花と沙都子は身長に差はないが、体型は違う。沙都子の方が少し身体付きが良い。走っている人物は沙都子の変装ではないと察する事が出来る。

 

 そう判断してからの小此木の選択は早かった。すぐに近場にいる隊員へ命令を飛ばす。

 

 

「鳳1から各位ッ! Rが古手神社裏より鬼ヶ淵方面へ逃走中との報告ッ!! 先回り出来る者はすぐに移動しろッ!! ただし敵の罠も確認されているッ!! 十分に注意しろッ!!」

 

 

 彼の報告を聞いてすぐに、山の近くに待機していた山狗部隊も動き出す。

 逃げている彼女にもう、逃げ場はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 追跡から一分経過。尚も逃げる梨花に追いすがりながら、雲雀13は荒い呼吸に混じってぼやく。

 

 

「ゼェ……ゼェ……! チクショ……Rはこんな、走れるガキだったか……?」

 

 

 ぼやきながらも続けた追跡劇だが、それは突然終わる事となった。

 次の角を曲がった梨花の足が止まる。前方には彼女の背丈よりも高い崖が、壁のように立っていた。

 

 

 気付けばそこは袋小路。道の左右を、高いフェンスが囲っている。

 すぐにフェンスを登ろうとしたものの、背後の気配を察して足を止めた。

 

 

 追手の雲雀13が、テーザー銃を構えて立っている。

 暑い中走らされたせいでダラダラ垂れる汗を拭いながら、勝ち誇ったように口角を上げる。

 

 

「へ……へへっ……で、デッドエンドって奴だなぁ……クソガキぃ……!」

 

「…………」

 

 

 梨花は諦めでも付いたのか、背を向けたまま俯いている。絶望もしているようで、その肩は微かに震えている。

 テーザー銃を使うまでもない。そう考え、すぐに彼女を捕縛しようと雲雀13は近付いた。

 

 

 抵抗する素振りはない。真後ろに近付き、彼は梨花の肩を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……雲雀13、から、鳳1』

 

 

 暫くして、雲雀13のざらついた声が全隊のインカムから流れる。

 

 

 

『……本物のR、を、確保した。裏山の麓、フェンスのかかった袋小路だ』

 

 

 報告を受けた小此木は深い安堵の息を吐き、椅子に座って脱力する。

 

 

「よし……鳳1、了解。すぐに別働隊がそっちへ着く。Rと共に本部へ帰還しろ。罠にかかった隊員はその間に救出だ」

 

 

 続けて他の隊へも命令を飛ばす。

 

 

「全隊に告ぐ。終末作戦は次の段階に移る。一度本部へ帰還しろ」

 

 

 彼の命令は、同じく梨花と思しき人物を追っていた鶯5らの隊のインカムにも届く。こっちは偽者を追わされていたのかと、少し落胆する鶯5。

 しかし作戦は成功で終わった。鶯5は仲間を連れて、言われた通り本部へ帰還する。

 

 

 その鶯5らの後ろで、パレードの車列はバラバラに散らばって解散している。

 チューペットの容器を咥えた少女はニヤリと笑った。後ろで太極拳をしている老人は、仲間の石頭をチョップして痛がっている。

 

 

 

 

 一方の小此木も、隊員と拳を合わせて勝利を分かち合っている。

 

 

「しかしぃ……奴らもやってくれるじゃねぇか。へっ……すんなり行っちゃぁツマラねぇと思っていたからなぁ。歯応えがあって良い」

 

「偽者で隊を撹乱するまでは良かったんですがね……Rが脱出に失敗したのが痛かった。詰めが甘かったんですね」

 

 

 隊員の話を聞き、小此木は皮肉っぽくせせら笑う。

 このまま梨花が届けば、「三佐」が手ずから彼女を殺害し、マニュアルに則って村人の殲滅作戦が開始される。これでやっと、長かった雛見沢での任務が終了する。

 退屈な諜報部隊が嫌だった小此木は、この作戦の成功を実績として再び実戦部隊に戻れる。これ以上に嬉しい事はない。山狗から解放されるのだから。

 

 

 

 

 しかしふと、頭によぎる違和感。

 その違和感を認識した途端、朗らかだった小此木の表情は厳しくなる。

 

 

「Rは捕まった……最初に連れられて出て行った方は村の子どもだった……じゃあ、北条沙都子はどこ行った?」

 

 

 一緒に家にいた事は確認されていた沙都子。その彼女がどこにもいないではないか。

 本物の梨花が捕まった今なら些細な事だろうが、それだけが気になる。第一、鶯5らが確認した少女はどこから降って湧いたのか。

 

 

「知らねぇ内に家に隠れてやがったか……いや。そんでも北条沙都子はいない訳が分からん……」

 

 

 梨花発見の報告で完全に思考のリソースがそっちに向いていた。そのせいで細かい疑問点を無視してしまっていた。

 それにまず、最初に電話で交わされていた謎の暗号も解読出来ていない。それともその暗号のやり取りも虚しく、梨花を捕まえられてしまったのだろうか。

 

 

 意図があるのか、単なるマヌケか……小此木は胸騒ぎがしてならない。

 

 

「…………」

 

「あの、隊長……」

 

 

 無線を担当していた隊員が話しかけてくる。

 

 

「どうした?」

 

「先程、謎の無線を傍受しまして……」

 

「謎の無線? どっかのオタクのアマチュア無線じゃねぇのか?」

 

「いえ……とりあえず、聞いてみてください」

 

 

 隊員からインカムを受け取り、その「謎の無線」を聞いてみる。

 聞こえて来たのは、ハッキリした少年の声だ。

 

 

『えーっと……7と4、9と2、9と1、9と3、5と5』

 

 

 またあの数字の羅列だ。

 声の主は続ける。

 

 

『それと……4と3、8と4、1と6、9と2、7と5、7と3、7と1。繰り返す。4と3……』

 

 

 繰り返し終えた直後、今度は老父の声で別の無線が入り込んだ。

 

 

『2と2、9と1、8と2、3と5、7と4、10と2、6と5、10と2、7と2、7と5、10と3、7と2、3と1、9と3。こちらも繰り返す。2と2──』

 

「……な、なんだこりゃ? 奴らも無線機を使ってんのか?」

 

 

 それよりもまだ、奴らの方では作戦が続いているようだ。もう梨花は捕まっていると言うのに。

 嫌な予感がする。小此木はすぐに自身の無線で、梨花を捕まえたと言う雲雀13に聞く。

 

 

「鳳1から雲雀13! Rはまだ確保しているのか! オイッ!!」

 

『……こちら雲雀、13。取り押さえて、待機している』

 

 

 すぐに無線から彼の声が聞こえた。だが何か怪しい。

 そして冷静になってその声を聞くと、ややいつもの雲雀13よりも声が高い気がする。無線越しのざらついた音声では、パッと聞いただけでは違いに気付けなかった。雲雀13が若い声である事も理由にある。

 

 そこで小此木は質問を変えた。

 

 

「……雲雀13。本名で名乗れ」

 

『…………』

 

 

 プツッと、無線が切れる。

 すると傍受している無線の方から、少年の声が聞こえた。

 

 

『えーっと……5と1、2と4、7と1……5と1、2と4、7と1……アイウィル撤収ッ!』

 

「は?」

 

 

 そしてこちらも、プツッと止む。

 小此木が唖然としている中、途端に別働隊からの報告がインカムから飛び込む。

 

 

「こちら白鷺(しらさぎ)4!」

 

 

 その無線を伝える白鷺隊の前には、簀巻きにされて気絶している雲雀13がいた。

 

 

 

「Rはいないッ! 雲雀13は拘束されているッ!! 無線の人物は偽者だッ!!」

 

 

 嫌な予感が的中した瞬間だ。本部内でも隊員らのどよめきが起こる。

 すぐに小此木は時計を見る。雲雀13の偽報告を受け、全隊を引き上げさせてからの時間を測っているようだ。

 

 

 

 

「……五分……クソッ! 奴らに五分も与えちまったのか……ッ!!」

 

 

 たった五分、されど五分。何かを遂行して終わらせるには十分な時間だ。

 どこで梨花を見失った。それよりも、連れて行かれた方と逃げた方のどっちが本物なのか。それさえも検討が付かない。

 

 

 どこで何が起きた。必死に思考を巡らせる内に、小此木はハッと一つの可能性に思い至った。

 

 

「鳳1から鶯5ッ!!」

 

 

 無線を飛ばしたのは、最初に梨花らしき人物を追った鶯5だ。

 鶯5らの隊は現在、本部への帰りの途中だった。

 

 

「こちら鶯5。報告は聞きましたが……」

 

「そっちがRを追っていた時、軽トラのパレードが遮ったと言ったな!?」

 

「は、はい。一瞬だけRを見逃してしまいましたが……」

 

「……あぁ、やっぱりそうだ、クソッ……!」

 

 

 合点が行った。小此木は悔しげに机を叩く。

 

 

「パレードで走っていたって車はどうなったッ!?」

 

「ええと……確か、本部の命令を受けた直後に終了して、散り散りに……」

 

 

 それを聞いた小此木は、雲雀13を回収した白鷺4に聞く。

 

 

「鳳1から白鷺4! 雲雀13の無線機はッ!?」

 

「こちら白鷺4……確認しました。取られています」

 

 

 と言う事は、こちらの通信は敵に筒抜けのようだ。パレードの車列は小此木の帰還命令に合わせ、動いたのだろう。

「やられた」と悟った。

 

 

「全隊に告ぐッ! 敵に無線を奪われたッ!! 各位、今後は事前に指定した二番目の周波数で通信を行えッ!!」

 

 

 そしてサブの周波数に変えた後、続け様に命令を飛ばす。

 

 

「岐阜県警に協力を仰げッ!! R捜索に動員させろッ!! そして村内にいる部隊は軽トラを探せッ!! 人員が足りない場合は診療所から動員させるんだッ!!」

 

 

 無線の向こうの隊員らから疎に「了解」と返事が来る。

 包囲網は出来ているとは言え、あまり作戦を長引かせる訳にはいかない。たかだか地元民に一杯食わされたとバレれば、実戦部隊への復帰も立ち消えだ。

 

 

 それ以上に危機的なのは、向こうがこちらの正体を認識していると言う事。もしかしたら自分が思っている以上に、多くの事が多くの人物にバレている可能性がある。

 

 

「……雛見沢症候群の事を他の村民に流したのか……!? パニックになるって思わねぇのか……!」

 

 

 村民を動かしていると言う事は、全ての秘密を開示していると言う事でもある。でなければ秘密結社だとか武装勢力だとか、到底信じられる話ではない。

 それよりも、「あなたの脳に寄生虫がいる」と言う話をまず信じられるのか。信じた上で狼狽えず、梨花の為に協力出来ると言うのか。だとすればその異常な結束力の源はなんなのだ。

 

 

 疑問が疑問を伴って小此木に襲いかかる。

 

 それでも分かる範囲で相手を認め、動くしかない。

「敵はこちらの正体を完全に認識し、行動している」──諜報部隊として致命的な事実だが、認めるしかない。その上で勝ちを取るべく、こっちもやるしかないのだ。

 

 

 

 

 

 

(つぐみ)1から鳳1」

 

 

 無線が入った鶫とは、山田と上田のいる家を監視している隊だ。

 

 

「こちら鳳1。どうした?」

 

「教授と奇術師の家に、一台の軽トラックが到着。家の裏手に停めて……何かを降ろしているようです」

 

「軽トラック? どんな形状だ?」

 

「三菱のミニキャブで……荷台に、変な人形が突き刺さったエッフェル塔が積まれています」

 

 

 それを聞いた鶯5は、急ぎ無線で話しかける。

 

 

「鶯5から鳳1! それは確かに、パレードの車列で見た物です!」

 

 

 変な人形が突き刺さったエッフェル塔。あのインパクトは忘れられないだろう。

 パレードの時に走っていた軽トラだと言う裏付けも取れた。小此木は一、二度頷くと、すぐに鶫1に命じる。

 

 

「よし……鳳1から鶫1へ告ぐ。すぐに屋内へ突入し、制圧しろ。ただし中には富竹二尉もいる、場合によっては発砲も許可する」

 

 

 

 

 

 

 命令を受けてからの鶫隊の行動は早かった。すぐさま銃を手に取り、家の前に待機。

 隊員数は五人だが、全員が拳銃持ちかつ自衛官。武器を持っていない一般人など、恐るるに足らない。同じ自衛官である富竹だけが危険因子だろう。

 

 五人の内、三人は正面から。残りの二人は裏手から。

 隊員らは一度見合わせ、準備が出来ていると伝え合うと、一息の内にドアを蹴破り突入する。

 

 

 

 

 

 

「生足魅惑のマーメイドぉぉーーーーッ!!!!」

 

「やれソウカイーーっ!!!!」

 

 

 それを待っていましたと玄関で待機していた、上田と山田。

 ジオ・ウエキの遺品コーラを振って、三人組に噴射させてぶっかける。

 

 

「うわッ!?」

 

「うげっ!?」

 

「なんだぁ!?」

 

 

 完全に不意打ちを食らった三人はコーラを浴びて視界を奪われ、狼狽える。

 その隙に上田は持っていたコーラの瓶を逆手で持ち、彼らに襲いかかる。

 

 

「やれ上田っ!!」

 

「ホワチャーーッ!!」

 

 

 訓練を受けた自衛官とは言え、視界がままならない状態で襲われればひとたまりもない。しかも上田は、武術の心得がある。

 

 

「レイヴンズっ!?」

 

「グールっ!?」

 

「ザナドゥッ!?」

 

 

 謎の悲鳴をあげて彼らはコーラで殴られ、軒先で伸びる。

 まだコーラの飛沫が舞う中で、瓶を持った上田は残心を残し、構えを緩めた。

 

 

「ほぉお〜……」

 

「どうだコノヤローっ! 上田は近接つよつよだぞーーっ!!」

 

 

 しかし振り向いた二人は揃って両手を上げた。

 

 

「動くなッ!!」

 

 

 裏口から入った隊員二人に、銃口を向けられているからだ。

 

 

「遠距離よわよわでした」

 

「許してください」

 

 

 さっきまでの威勢はどこへやら、山田と上田は情けなく降伏する。

 しかし銃を向けている鶫の隊員は怪訝そうに目を細めた。

 

 

「……オイ。富竹二尉は──」

 

「ここだぁーーッ!!」

 

「リベンジャーズっ!?」

 

 

 トイレに潜んでいた富竹が、隊員の一人をブッ飛ばす。

 すぐに残ったもう一人の隊員が銃を向けるが、背後に迫っていた老父にシャベルで頭を殴られる。

 

 

「ひっくぃーーんッ!!」

 

「ゴッドファーザーズっ!?」

 

 

 彼もまた、奇妙な悲鳴をあげて倒れる。

 老父とは、軽トラに乗ってやって来た男だった。

 

 

 富竹はすぐに山田らへ寄って話しかける。

 

 

「さぁ、山田さん! 早くここから離れましょう! 恐らく、この近くにいる別の隊もここへ向かっているでしょうから!」

 

「えぇ……そうですね……て言うかコイツらの悲鳴はなんなんだ」

 

 

 山田は懐から紙を取り出すと、それを見ながら自前の無線で連絡を入れた。

 

 

「ええと……10と3、10と4、7と1、9と5、2と4、9と1、2と1──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──8と5、9と2、4と3、9と1、10と3……』

 

 

 鶫隊の異常は小此木にも伝わっている。

 おかげで無線機から傍受された山田の声を聞く余裕もない。

 

 

「オイッ!? 鶫1ッ!? どうした! 応答しろッ!!」

 

 

 返事はない。考えたくはないが、直前に聞こえた悲鳴からして、突入は失敗したようだ。

 向こうは来る事を予知していたのか。とすると、見張りもバレていたのか。小此木はとうとう、冷や汗を見せた。

 

 

「こちら、雲雀4! 教授と奇術師の家に到着します!」

 

「鶯5! こちらも到着します!」

 

 

 無線から報告が来る。実働隊である雲雀と鶯も来たようだ。二つの隊合わせて、人数は十五人ほど。これはさすがに突破出来ないだろう。

 小此木は間髪入れずに命じる。

 

 

「躊躇するなッ!! そのまま突入して射殺しろッ!!」

 

 

 命令を受けた部隊が、小銃を構えて一斉に山田らの家へ向かう。

 しかし彼らの足が止まった。向こうから、一台の車が突っ込んで来るからだ。

 

 

 

 それは黒い高級リムジン。運転席にいるのは、上田。

 

 

「撃てッ!! Rが乗っている可能性もあるッ!! フロントを狙うんだッ!!」

 

 

 上田の姿が認識されたと同時に、隊員らは小銃を構えて一斉射撃を敢行。

 放たれた無数の銃弾は、リムジンのフロントに着弾する。普通ならばこれでバッテリーは使い物にならなくなり、エンジンは停止するだろう。

 

 

 

 しかし、そのリムジンの車体が銃弾を弾いてしまった。

 

 

「ッ……!? ぼ、防弾仕様だとぉッ!?」

 

 

 そんな特殊加工の施されたボディが、小銃の銃弾など通す訳がない。

 完全に段取りが狂った隊員らは、尚も突っ込んで来るそのリムジンを命からがら避けるしか方法はなかった。

 

 

 

 作戦が成功した事を悟ると、運転手の上田はハンドルを叩きながら叫ぶ。

 

 

「ど、どうだッ!!? ハッハーッ!! 園崎御用達の防弾リムジンだッ!! 正直半信半疑だったが、しっかり防弾リムジンだぞぉッ!!」

 

 

 興奮した上田はクラクションを押す。クラクション音はなぜかミュージックホーンに改造されていて、パラリラパラリラと音を響かせた。

 

 

 

 そのままリムジンは颯爽と道を走り去って行く。

 取り残された部隊も乗って来た車に乗りながら、無線を飛ばす。

 

 

「こちら雲雀4ッ! 教授は防弾仕様のリムジンに乗って逃走ッ!! 園崎邸方面へ向かったッ!!」

 

「防弾リムジンだぁッ!?」

 

 

 思わず小此木はそう聞き返す。そんな物まで用意しているとはと信じられなかったからだ。

 まさかそのリムジンに乗って、梨花を連れて郊外まで逃げるつもりなのか。

 

 

「クッ……! 道路封鎖班に人員を回せッ!! 防弾仕様のリムジンが来るかもしれんッ!!」

 

 

 どうやら敵は一筋縄ではいかないようで、作戦が悉く崩されている。

 更に認める必要があるだろう。手玉に取られているのは、こちらの方だと。

 

 

「分からねぇ……どうやってんだ……!?」

 

 

 これほどの盤面を、昨日のたった一日だけで整えたと言うのか。

 しかも向こうは、こちらが梨花を狙っていると知った上で行動しているではないか。彼女を狙っているなんて、協力者となり得る入江や富竹でさえも考え付かないハズだ。どうやってその情報を得た?

 

 

 

 

 そうだ、そもそも最初からおかしい。向こうは、どうやって、終末作戦の存在を知ったのか?

 まるで、未来を知ったかのように──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……えー……あー、あーー……テステス』

 

 

 小此木らのインカムに、女の声が入る。

 最初は混線かと思ったが、その声は明確にこちら側へ呼びかけを始めた。

 

 

『えー……鳳1さんって小此木さん、ですよね?』

 

 

 しかも一切名前を伏せてコードネームで呼び合っていたと言うのに、小此木の名前を出して。

 本部内でどよめきがあった後、一斉に視線が彼の方へ向けられる。

 

 

 小此木は仲間らに「大丈夫だ」と目配せした後、一呼吸入れてから話しかけた。

 

 

「……どちらさんでして? 名乗らんのは失礼でやしょ?」

 

 

 声は少しだけ止む。

 そして次には、声の主の名前が明かされた。

 

 

 

 

 

 

 

「……初めまして。超売れっ子マジシャンの、山田奈緒子と申します」

 

 

 上田の運転する防弾リムジンの後部座席に、山田は鶫隊員から取った無線機を持って座っていた。

 声の主があの奇術師だと分かり、小此木は「どう言う魂胆だ」と訝しみ、唇を舐めた。

 

 

「……あぁ、例の……走行音が聞こえやすねぇ。車の中、それも相当なスピード……さっき報告にあった防弾リムジンってのに乗ってんですかい?」

 

「はい、その通りです」

 

「古手梨花もご一緒で?」

 

「…………」

 

「……まぁ、答えねぇか。いやしっかし、そっちから掛けて貰って助かりましたわ。聞きたい事が山ほどあるんスよ」

 

「こっちも、山ほどございます」

 

 

 その間も小此木は抜け目なく、他の隊員にはもう一つサブで設定していた周波数に変更させる。これで山田の奪った無線機も、使い物にならない。

 これで彼の持つ無線と、彼女の持つ無線とで、二人きりの会話となる。

 

 

 

 

 暫しの沈黙の後、切り出したのは小此木からだ。

 

 

「あんたら、どうにもこっちが古手梨花を狙っていると……分かって行動している」

 

「へぇ! 梨花さんを狙っていたんですか? 知らなかったです」

 

「白ばっくれんのはナシにしやしょうよ。こっちもまどろっこしいのは嫌いなんスわ…………こちらの目的、知ってんですンよね?」

 

 

 引っ掻き回すのは無理だと踏んだ山田は、「えぇ、そうです」と正直に答えた。特別隠すような事でもない。

 

 

「全部、分かっているんですよ。あなたたちの目的、そして……黒幕も」

 

「黒幕? そりゃ、俺の事ですンね。この小此木鉄郎が──」

 

「どうせそこにいるんですよね?」

 

 

 山田の張り上げた声が、無線を通して小此木らのいる部屋に響く。

 

 

 

 

 その部屋の奥に座っていた人物にも、きっちりと届いた。

 

 

「全部、あなたが仕組んだ事だった……そうですよね?」

 

 

 その人物は驚いたように顔を上げた。靡かせた長い髪が、ふわりと揺れる。

 山田はそんな驚いた「黒幕」の様子を想像しながら、したり顔で言ってやる。

 

 

 

 隊員らの視線が、黒幕に注がれていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

解合し

──六月二十日、山田が真相に気付いた時まで遡る。

 

 

 

 

 

 大石と茜の話の後、山田は竜宮家の二階にある和室にいた。

 他には梨花と上田は勿論、富竹と入江の「東京」側の人間も、山田の推理を座って聞いていた。

 

 

 彼女から語られたのは、鬼隠しの真相と黒幕。それを聞いた四人は大変に驚いていた。

 

 

「そんな……まさか、そんな事が……!」

 

 

 推理を聞いて特に狼狽えていたのは富竹だった。半ば信じていないようではあったが、入江が諭してくれた。

 

 

「……ありえない、話ではありません。今の『東京』の状況を鑑みれば……それにここまで疑惑が深まっている今、否定する方が難しいですよ……」

 

 

 入江は畳に並べられた物を厳しい眼差しで俯瞰する。

 山田が矢部と病院に侵入してまで得た、鷹野の焼死体の写真。その横には生前の、楽しそうに口を開けて笑う鷹野の写真も添えられている。

 そして鑑識のお爺さんが持って来た、顔なし死体の指紋照合の結果が書かれた書類。

 

 この全ては、山田の言う「黒幕」の可能性を高めさせる材料となり得た。

 続けて山田は主張する。

 

 

「私たちは全部の事件が偶然、別々で起きていたと思っていた……でも、違うんです。明らかにこれは誰かの『意志』が絡んでいます。そして、その全てを実行出来る存在も……」

 

「……これだけの事象を起こすにはかなりの人数が必要だ。それも、村に精通した人間の……クソッ! そう言う事か……ッ!」

 

 

 上田も合点がいったようで、悔しげに膝を叩く。

 山田はじっと、真っ直ぐ梨花を見ながら続ける。

 

 

「……梨花さんを守る目的で組織されている『山狗』……彼らが買収されているとしたら?」

 

 

 その主張に梨花は息を呑んだ。

 今までの事件に何者かの強い意志が存在している事は薄々悟っていた。だが、ここまで大掛かりに盤面を整えられていたとは想像付かなかった。

 

 

「……マイ・ブラザー」

 

「まだやってんのか」

 

「その、山狗と言う部隊が一枚噛んでいると言うのは……ありえる話なんですか?」

 

 

 上田がふと、富竹に尋ねる。

 彼の質問に対し少し答えにくそうに俯いたものの、富竹は意を決したようで、すぐに顔を上げて毅然と答えた。

 

 

「……可能です。山狗は諜報部隊として組織されています……現地でのスパイ活動、特定人物の監視のプロです……特に、彼らを率いる『小此木鉄郎』には良くない噂も流れていました」

 

「良くない噂?」

 

 

 山田が聞き返すと、一瞬の間を置いてから続けた。

 

 

「彼は元々、実戦部隊から出向を受けた身です。とある作戦での失態を受けて解雇させられ、今は山狗の隊長となっています。度々彼がその実戦部隊への復帰を『東京』に打診していたのは知っていましたが……」

 

「……ボクが死んで、雛見沢村の抹消が起きたら……『東京』の力関係が変わるのです。そうなったらその小此木は、作戦の成功を手土産に実戦部隊に返り咲ける……」

 

「小此木は優秀な隊員ではありましたが、狡猾で手段を選ばない凶暴性も指摘されていました。それに彼が実戦部隊での作戦に失敗し、山狗に異動して来たのは五年前……」

 

「……その翌年から大石の友達の死……そして、鬼隠しが起きているのです」

 

 

 状況証拠ではあるが、小此木には動機がある事と、残酷な作戦も躊躇わずにやる人間性の持ち主である事が分かった。

 同時に敵は、どこに目と耳があるのか分からないプロの諜報員たちだと認めなければならない。

 

 

「……梨花を守る存在がいるのにどうやってと思ったら……まさかその守る存在が敵だったとはなぁ……完全に盲点だった!」

 

 

 上田は納得したように呟く。

 山田も彼の話に共感し、大きく頷いた。

 

 

「『オーマイモト冬樹』とは良く言ったもんだ……」

 

「『灯台下暗し』だ……一瞬分からなかったぞ」

 

「それに矢部さんが言っていた、『赤坂』って人の話も気になります。でも、『東京』の人間ですからどこまで信じて良いのか分かりませんけど……」

 

「敵の撹乱の可能性もある。あまり間に受けない方が良いんじゃないか?」

 

 

 上田はそう言ったが、梨花は首を振って強く否定した。

 

 

「……赤坂は信じても良いのです」

 

「なんだ梨花? 知り合いだったか?」

 

「知り合いと言うか何と言うかなのですが……とにかく、信じてあげて欲しいのです!」

 

 

 妙に熱を入れて「赤坂」と言う男を庇う梨花。口ごもってはいたものの、彼の人となりを知る機会でもあったのだろうか。

 とは言え、梨花からは明確な確信が感じられた。その赤坂を信じる方向に話を進めても良いだろう。

 

 

「……じゃあその、赤坂さんのリークによると……警察庁の官僚に岐阜県警と、『番犬』って部隊の一部が買収されているとか……」

 

「『番犬』……確か、富竹さんの所属する部隊……でしたね?」

 

 

 山田と入江の視線が刺さる。富竹は深刻な顔で頷いた。

 

 

「……思えば地下牢で電話をした時、無駄な会話が多かった気がします……あれは逆探知するまでに相手との会話を長引かせようとする手順そのものです」

 

「告発は電話口でブロックされる、と言う事か……無闇に連絡を取って居場所がバレるのはマズイな……他に連絡先はないんですか?」

 

 

 上田がそう聞くも、富竹は「誰が買収されているのか分からない」と言って首を振る。確かに買収の疑いがある以上、無闇に連絡を入れるのはリスキーだ。

 

 

 敵は雛見沢に根を張る諜報部隊「山狗」に、警察庁と岐阜県警、そして雛見沢の消失によって旧体制派を滅ぼしたい東京の新体制派に、本来ならそう言った汚職を捜査する「番犬」。

 

 もはや集団どころではない、「組織」だ。

 山狗が実行し、警察庁の大義名分で動ける岐阜県警が村外までサポートし、番犬の助けは借りられない。裏では新体制派が巨額の金や人脈を使って糸を引いていると来た。

 

 

 山田と上田は頭を抱えながら、渋い顔で天井に吊るされた電球を見上げた。

 

 

 

 

「…………無理ゲーじゃん」

 

「デカ過ぎんだろ……」

 

 

 あまりに大き過ぎる。そして、その道のプロしかいない。挙げただけでも自衛隊、政府、警察を相手にする必要がある。

 これは今まで何度も修羅場を潜り抜けて来た二人と言えど、完全に初めての相手だ。教団だとか因習に囚われた村人たちだとかとは規模が違う。巨大で強大で、それでいて雲の上のような見えない存在──どう勝てと言うのだ。

 

 

「ちょ、ちょっと!? やる前から圧倒されてどうするのですか!?」

 

 

 完全に打ちのめされている二人に梨花がツッコむ。

 

 

「何とか勝てる方法はないのですか!?」

 

 

 そう梨花に言われても、山田と上田は顔を顰めて唸るばかり。

 それでも何とか案を提案はする。

 

 

「うーーーーん……東京全部が敵って訳じゃなさそうですしぃ……現に病気の研究は三年後に取り止めってお達しも出してるんですからぁ〜……多分、新体制派の中でも極々一部の過激派がやってる事だと思いますけどぉ〜〜……」

 

「だからその、極々一部の奴の企みを知らしめたらイケるとは思うがぁ〜……電話口はシャットダウンされているしぃ〜……」

 

「赤坂さんって人も敵に首根っこ掴まれてるっぽいですからどーにもならなそうですしぃ〜……」

 

「ばななのななち」

 

 

 次に富竹の方を向くものの、彼は腕を組んでうんうん唸っている。

 

 

「僕が直接東京に行けたら良いけど……山狗ほどの精鋭が僕を村から出す訳ないかなぁ〜……出たところで岐阜県警もいるし、仮に村から出たとしても興宮から出られるのかが……」

 

「まさかここまで外堀を埋められているとは……正直、我々の力だけではどうにも……」

 

 

 入江は辛そうに目を伏せている。眉間に刻まれた皺から、彼もまたどうにか打破出来る術を必死に考えているとは伺えるが。

 

 

 だがすぐに答えを出せる問題ではない。梨花や多くの命がかかっている事を前提にすれば慎重にもなる。

 唸り、考えあぐねる三人を見て、梨花は力なく肩を落とす。

 

 

「……どうにか……ならないのですか……」

 

 

 ここまで分かったのに、どうする事も出来ないのか。結局自分は、矮小な存在なのだろうか。

 分かれば分かるほど、真相に近付けば近付くほど、敵の大きさと身の程を知る──皮肉だ。そう思い、梨花は項垂れた。

 

 膝に置いた手がギュッと、服の裾を握る。

 自分が死ぬのは……恐らく山狗が動くのは明後日の二十二日。もしかしたらもう既に動いているのかもしれない。

 

 

 遅過ぎた。

 梨花もまた、打ちのめされてしまった。

 やるだけやって、ここで頭打ちなのか。

 

 他に手はないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドタン、バタン。

 窓の外から、大きな音が鳴った。

 

 

「……うん?」

 

 

 俯かせた頭を上げ、梨花は窓の方を見やる。カーテンが遮り、外は見えない。

 今の音は三人にも聞こえたようで、「今の聞こえた?」と言わんばかりに顔を見合わせている。

 

 

「……山狗ですかね?」

 

「なワケあるか。二階だぞ?」

 

 

 山田と上田が立ち上がる。合わせて梨花も立ち上がる。

 

 

 

 恐る恐る窓辺に近付き、梨花がかかっていたカーテンを開けた。

 窓が少しだけ開いていて、誰かが聞き耳を立てていたようだ。

 一瞬、本当に山狗かと思った。しかし、違った。

 

 

 

 そこには屋根の上で滑って落ちそうになっている魅音と、それを助けようとするレナがいた。

 

 

「ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ助けて助けて助けて……!」

 

「み、魅ぃちゃん掴んで掴んで早く早く……!」

 

「……なにやってるのです?」

 

 

 窓を全て開けて、梨花が声をかける。

 パッとこちらへ顔を向けた二人は驚いた顔をした後、苦笑いする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暫くして、上田と富竹の屈強コンビに救われた二人は、バツの悪そうな顔で座っていた。

 明らかに先ほどの会話を聞いていたであろうこの二人に、山田は困り顔で尋ねる。

 

 

「……聞いちゃいました?」

 

「えぇ、そりゃまぁ、バッチリ。窓も開いてましたし……ね、ねぇ〜レナ?」

 

「お葬式の前に掃除してて……えっと、換気した後で鍵開けたままなの思い出して……お隣の部屋から屋根伝いに……えへっ。聞いちゃいました」

 

 

 聞かれていた事を知り、全員が額を手で覆う。

 雛見沢症候群、秘密結社「東京」、鬼隠しの真相、梨花の危機。全部知られた。

 困った困ったと顔を顰めている彼らへ、魅音は言い訳をする。

 

 

「だ、だ、だって山田さんたち、めちゃ深刻な顔で二階行くんだもん!? そりゃ気になるじゃんかー!」

 

「に、二階に行く理由は私が伝えたじゃないですか!?」

 

「『見えない物を見る為に望遠鏡覗きに行きます』って理由で通用すると思ったの!?!? てかレナん家、望遠鏡ないしっ!」

 

 

 どうやら山田がトンチキな理由を言って、寧ろ魅音らの好奇心を煽ってしまったようだ。山田の横で、上田と梨花、富竹と入江が揃って溜め息を吐く。

 

 

「じゃあなんなんだっ!? どんな言い訳すりゃ良かったんだ!? 最後の手紙を恋人の家まで届けに行くって言えば良かったのか!? 泣いてる人に笑顔を持って行くって言えば良かったのかぁ!?!?」

 

「頑なにバンプの歌詞なのはなんでなんだ」

 

「オーイエーアハーンっっ!!」

 

 

 逆ギレをかます山田を宥めるように、レナが弁明を入れる。

 

 

「あ、あの! 確かに勝手に聞いちゃったのは良くないけど! レナたちだって梨花ちゃんの力になれるかもだから! だから、あの……」

 

「……え? 二人とも……信じてくれるのですか……?」

 

 

 梨花が驚いたのはそこだ。こんな小説の筋書きのような話を、真正面から受け止めてくれている。到底信じられないようなこんな話を信じてくれている──梨花はそこに驚いている。

 

 魅音とレナは一度目配せをし合うと、二人同時に難しそうな顔を見せる。

 

 

「んー……確かにこう、飲み込むのに苦労する話だけどさぁ……な、なーんか不思議と受け止められる自分がいて〜……」

 

「レナもそう、だね……」

 

 

 レナは少し、悲しい表情になる。

 

 

「……山田さんたちが二階を使うって聞いた時……なにか、こう……胸がギューってして……『ここで行かないと絶対に後悔する』って思っちゃって……」

 

「私もそんな感じで……レナも一緒とは思わなかったけど……なんだろ? 虫の知らせって奴なのかなぁ……?」

 

 

 良く分からないが、どうやら二人は協力的なようだ。

 しかし協力的とは言え、二人はまだ中学生の子ども。巻き込む訳にはいかないと入江は渋い顔だ。

 

 

「……お気持ちは嬉しいのですが……今、こうやって話し合っているだけでも非常に危険なんです。お二人の身に万が一があれば……!」

 

「万が一たって……聞いた話だとこのまま放置してたら、明後日には絶対にみんな殺されるんじゃないの?」

 

 

 魅音の反論を受けて、入江は押し黙ってしまう。そして懺悔するように深く深く、俯いた。

 それでも仲間を巻き込むのは苦しいと、梨花は二人を諭そうとする。

 

 

「……でも、ボクのせいでみんなが傷付くのは見たくな──」

 

「……待ってください」

 

 

 そんな梨花を遮ったのは山田だった。

 何かを考えている様子の彼女の口元が、一瞬だけニヤリと上がった。

 

 

「……梨花さん。これは……もしかしたらチャンス……かも?」

 

「え……?」

 

「園崎家の組織力があれば……どうにかなるかもしれない……いや、待って。園崎だけじゃなくて……」

 

 

 天啓を得たようだ。山田は目を大きく開き、この場にいる全員を見渡した。

 

 

「……向こうが訓練を受けた部隊だったら……こっちだって結束力は負けていませんよ」

 

「山田……なにか、思い付いたのか……?」

 

 

 上田にそう聞かれた山田は、ニンマリと不敵に笑う。

 その笑顔は上田も良く知っている。今までもそうだった。確信を得た時、犯人を出し抜く方法を思い付いた時、いつも彼女はこうやってニンマリ笑う。

 

 

「……えぇ。最強の特大イリュージョンを……でもその為には、協力者がたくさん必要です。聞いて貰えますか?」

 

 

 自信満々に胸を張って言う彼女に、梨花が問う。

 

 

「それは……どう言うモノなのですか……?」

 

 

 山田はポケットから突然、マッチ箱を取り出した。

 箱の中から一本のマッチを取り、その赤い先端を、箱の側薬にぴたりと付ける。

 

 

 

 

 

 

「向こうは私たちが……『梨花さんが狙われているって事に気付いていない』、と思っている」

 

 

 マッチを擦り、火を付ける。

 それはすぐに振って、消す。先端は燃え尽きて、黒くなってしまった。

 

 そして彼女は、燃えてもう火が付かないハズの先端をまた、側薬に付ける。

 上田は彼女がやっている事に覚えがあった。

 

 

「YOU……それは……!」

 

「……そこが、狙い目です」

 

 

 マッチを擦る。

 黒く炭化したハズの先端が、また燃えた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──上田が運転する防弾リムジンが走り去る。その後を追おうと、山狗らの車が猛スピードで駆ける。

 その時、ひょっこりと茂みから顔を出した村人たち。皆、頭に木の枝や葉を付けたヘルメットを装着し、カモフラージュしていた。

 

 リムジンが通り過ぎた事を確認すると、山狗らが来る間にカゴいっぱいに詰めた何かを道へ盛大にばら撒いた。

 それは釘を折り曲げて作った、まきびし。

 

 気付かずにその上を通った車両のタイヤはパンクを起こす。

 制御が効かなくなり、先陣の車が急ブレーキをかけて停車。田んぼ沿いの一本道の為、完全に後方が詰まって全車両が停車する羽目になった。

 

 その様を見てほくそ笑みながら、村人らはまた茂みに隠れた。

 

 

 

 

 

『う、鶯5から鳳1! 車両がパンク! 標的を見失った!!』

 

 

 山狗らの叫びは本部にも届いていた。

 それを頭の後ろで聞きながら、小此木は山田との対話を続ける。

 

 

「……本当に全部、分かったんですかい?」

 

 

 リムジンに揺られながら、山田は言う。

 

 

「えぇ。何もかも、全て」

 

「ほんじゃあ、言って貰いましょ。おたくの言う黒幕っつーのは……なんですん?」

 

「まぁ待ってください。物事には順序と言うのがあります。まずは鬼隠しの真相について、あなたたち山狗がやった事を言っても良いですか?」

 

 

 無線から漏れるその声に、その場にいる隊員全員が注目している。

 小此木は辺りを見渡し、最後に黒幕である「三佐」と目を合わせてから、「面白い」と言わんばかりに目を細める。

 

 

「……聞きやしょ」

 

「えぇ……一つ一つ、全て……何もかもを」

 

 

 山田はキッと前方を睨む。

 

 

 

 

「……解き、(あわ)して参りましょう」

 

 

 

 

 控えている部下が、山田の無線の逆探知を開始した。

 その様をほくそ笑みながら、小此木は彼女の推理を静聴する。

 

 

 

 

 

 

「一年目の事件……沙都子さんのご両親が崖から転落した事件です。原因は柵の老朽化で、そこに体重をかけたばかりに破損し、二人は転落してしまった……旦那さんの遺体は見つかったが、奇妙な事に奥さんの遺体は発見されませんでした」

 

 

 概要を聞けば、不幸な事故だと誰しもが思う。しかしそうではないと大石は睨み、独自に捜査をしていた。

 

 

「一方でこの事件……沙都子さんによる犯行ではないかとも思われていました。雛見沢症候群を発症した彼女が、両親に殺されると思ってしまったばかりに、二人を突き飛ばして殺してしまった、と……」

 

「筋は通ってますねぇ」

 

「これは違います。沙都子さんは、誰も殺していません」

 

「ほぉ?」

 

「犯人は、遺体の見つかっていない奥さんです。と言うかそもそも一緒に落ちてすらいなかった……旦那さんを突き飛ばしたんです」

 

 

 思い出されるのはボロボロになった柵の根本と、沙都子の家で見つかったガリウムだ。

 

 

「事件前の公園で、奥さんが一人で来ているのを掃除のおじさんが見ていました。彼女は柵の根元に工具で穴を開け、ガリウムをそこに流し込んだ」

 

「ガリウム……」

 

「ガリウムは鉄を腐食させる効果があるんです。大体丸一日ガリウムに浸された根元はボロボロになって、衝撃を与えればポキリと折れてしまうよう細工されていました。後は旦那さんをそこに誘導し、後ろから突き飛ばせば……その衝撃で柵は折れ、旦那さんは崖へ転落。しかも折れた柵が残っている事で事故だと断定され、誰も殺人だと思わない」

 

 

 山田は首を振る。

 

 

「いや……良く調べたらそのトリックは気付かれてしまいます。でも、捜査は止まった……沙都子さんの犯行だと思い込んだ入江さんが、捜査を終わらせるよう促してしまったからです。当然、清掃員の目撃情報も蔑ろにされてしまいました」

 

「それは俺も知ってるんで。聞けば、あの沙都子って子の供述が怪しかったようじゃないですかい? その理由は?」

 

「……その前に二年目の真相を言っても良いですか?」

 

 

 勝手に話を進める山田に、小此木は人知れず不快な表情を見せる。

 山田も山田で、相手の返答を待たずにすんなりと二年目の話に移った。

 

 

「二年目は、梨花さんのご両親です。旦那さんは奉納演舞の後に心臓発作を起こして死亡。奥さんはそれをオヤシロ様の祟りだと思い込み、鬼ヶ淵沼に身を投げて、そのまま行方不明となってます」

 

「さすがに病死はどーしよーもねぇな」

 

「病死じゃなかったんです」

 

「なんですって? じゃあ毒殺ですかい? でもねぇ、アレ、毒物は検出されていないんですよ」

 

「それについては私からッ!」

 

 

 突然声が野太い男の物に変わり、さすがの小此木もギョッとする。

 リムジンでは、運転する上田の耳元に、山田が無線機をくっ付けてやっていた。

 

 

「世の中には人間にとって栄養素となりうる物質でも、多量に摂れば毒となる物も存在します! しかも人間の体内にあっても不思議ではない物だから、それが原因だとは誰も思わないんですよッ!」

 

「……その物質ってぇのは?」

 

「ふふふ……一年目にガリウム……そして二年目には『カリウム』ですか……なんともハイSPECな殺害方法だぁ……」

 

 

「カリウム」の名が出た途端、小此木は眉を潜めた。

 

 

「カリウムは人間の体内に約二百ミリグラムは含まれています! その効果は心臓機能や筋肉機能の調整、そしてナトリウムを尿に流して排泄させて血圧を下げるなどなど! 成人で約三千ミリグラムは摂取するよう、世界保健機構でも定められておりますッ!」

 

「……それがなんですん?」

 

「しかしこのカリウム……過剰摂取してしまうと手足の痺れ、筋肉機能の低下……そして最悪の場合、心停止を引き起こしてしまうのですよぉ〜ッ!」

 

 

 上田は片手を振り上げようとするが、運転中の為に山田に押さえ付けられる。

 

 

「勿論、カリウムの過剰摂取なんて、食生活にだらしない人間でもなる事はありません! 考えられるのはサプリメントの過剰摂取……そう! 薬として飲む事ですッ!!」

 

「梨花さんが証言してますよ。お父さんは高血圧で、処方された薬を飲んでいたって。それに飲み残していたお薬も、梨花さんのお家から見つかりましたよ〜」

 

 

 煽るような山田の言葉を聞いて、小此木は思わず自分の頭を撫でた。「チェック漏れだ」と後悔しているかのようだ。

 山田はそんな彼の姿を想像しながら、更に追い込む。

 

 

「私の知り合いに、薬に詳しい人がいるんです。その人に調べて貰った結果……お薬のカプセルからは、三千ミリグラムを余裕で越える量のカリウムが入っていると分かりました」

 

 

 知り合いとは言わずもがな、菊池だ。

 彼は口に含んだ薬物を判別出来ると言う特異能力を持っている。今回もその能力を使って、薬の内容物の判別をして貰った。

 

 

「あなたたちは処方箋と称し、この薬にすげ替えて飲ませ続けた……処方箋の名前は入江診療所になってますねぇ?」

 

「常人なら多量のカリウムを摂取してもすぐ尿として排出されるが……梨花のお父さんは高血圧、腎臓機能が弱まっていたと推測されます。結果そのまま高カリウム血症を患い、心停止を引き起こしてしまったッ!」

 

「綿流しの日に症状が出たのはさすがに偶然だったみたいですけどね」

 

 

 再び自分の耳元に無線機を当て、山田は続ける。

 

 

「さて、梨花さんのお母さんはどこに行ったのか……それは、あなたたちが攫った」

 

「……突拍子もねぇですね。動機もなにもねぇ」

 

「聞きましたよ? 梨花さんのお母さん、研究を止めるよう言っていたようですね。でないと秘密にしている事を公表してやるとか何とか?」

 

 

 どうしてそれをと聞く前に、自ら気付いて止めた。

 入江だ。間違いなく、入江が言ったに違いない。

 

 

「黒幕にとって研究の邪魔になった……そこで、二人には消えて貰う必要があったんです……たかだか、研究の為だけに」

 

 

 小此木の後ろで黙って聞いている黒幕は、悔しそうに口を歪めた。

 

 

「それに一年目と同じ状況を作る事で、信心深い村人たちの心理を利用した。おかげで沙都子さんのご両親の事件と関連付けられて、村人は『オヤシロ様の祟り』と恐れ、詮索する人が現れなくなった。梨花さんのお母さんも、良く考えたら沼から見つからない事なんてあり得ない事なんですが……そうやって村の人たちは諦めが付いてしまった」

 

 

 思わず食ってかかろうとする黒幕を、小此木は必死で制止させている。

 

 

「……じゃあ、その二人の奥さんはどこ行ったんです?」

 

「それが、一年目の事件で……沙都子さんのお母さんに犯行をそそのかした理由です」

 

「……は?」

 

「サンプルが欲しかったんですよ、雛見沢症候群の。だから沙都子さんのお母さんにアレコレ吹き込んで、発症に導いた。一般の人がガリウムの効果だとか知る訳ないですし、ツテもないのに入手も出来ませんからね」

 

 

 ほくそ笑む山田。

 

 

「確か……村八分で気を病んでいた彼女のカウンセリングを引き受けていたんでしたっけ」

 

 

 そしてとうとう、勢いそのまま、その名を突き付けてやった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ですよね?『鷹野さん』」

 

「……っっ……!!」

 

 

 黒幕──鷹野三四は、愕然と立ち尽くしていた。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

白日下

 ぴたりと言い当てられ、動揺を見せる黒幕──こと、鷹野三四。

 殺されたと思われていた彼女は、今小此木の後ろで立ち尽くしている。

 

 

「な、なんで……っ!?」

 

「……シッ……」

 

 

 口を挟もうとする鷹野を、小此木は制する。

 分かる訳がない。聞けば状況証拠で彼女だと断定しているのみで、確固たる証拠はない。つまり山田の発言はハッタリで、こちらがボロを出すのを待っているに他ならない。鷹野だと言い当てたのはマグレだ──小此木はそう判断し、あくまで鷹野の存在を隠した上で続けた。

 

 

「……山田さん。そりゃあ、変ですんね。昨日の新聞の地方紙、読んでねぇんで?」

 

 

 小此木の言った「昨日の新聞の地方紙」には、綿流しで発見された焼死体の、その身元が判明した事を報じていた。

 

 

「死体の身元は、おたくが言った『鷹野三四』だと言っとったんですん。確かぁ……あぁ。通ってた歯医者にあった歯型のデータと、一致したんでしたっけね? 信頼出来る機関が検死して、信頼出来る新聞が報じとるんですわ」

 

「嘘の検死データをでっち上げるのも、そっちじゃ簡単では?」

 

「はっはっは……陰謀論じゃあるまいし。それにおたくが鷹野さんだと断定してんのも、研究責任者だからカウンセリングしてたからって、状況証拠ばっかだ」

 

 

 小此木の指摘に、山田は口籠る。

 言い負かしたと思った小此木は、更に挑発してみせた。

 

 

「ならまず、あの焼死体が別人だと言う確証はあンですかい? え?」

 

「…………」

 

「ないんでしょ?」

 

 

 黙らせてやったと小此木の口角が上がる。

 

 

 同時に山田の口角も上がった。

 

 

「ありますよ」

 

「なに?」

 

 

 今度は小此木が黙る番だ。

 山田は持っていた二枚の写真を取り出して、それを眺めながら言った。

 

 

「今、私の手元に、例の焼死体の顔を撮った写真があります」

 

 

 それは彼女が、矢部と共に病院へ潜入して得た写真だ。

 次にもう一枚の方を見やる。

 

 

「そしてもう一枚……こちらは富竹さんから頂いた、鷹野さんの写真です」

 

 

 そこに写るのは、口を開けて困ったように笑う鷹野の姿。

 山田はその、「開けた口から覗ける歯」に注目する。

 

 

「鷹野さん、この写真からも分かる通り、綺麗な歯をされてますね──でも、同じ歯型だと断定された焼死体の歯ですが……」

 

 

 もう一度、焼死体の写真を見る。

 

 

 

 

 

「……特徴的な『八重歯』が残ってるんです」

 

「……ッ……!」

 

 

 小此木は思わず息を呑んだ。

 

 確かに山田の写真に写る焼死体の犬歯は、他の歯とはズレて生えていた。火で燃やされ続けた死体とは言え、その歯はくっきりと残っている。

 

 

「誰の死体かはまだ分かりませんが……少なくとも、鷹野さんの死体ではないと分かります。じゃあ彼女はどこへ行ったのか……を考えた時に、どうしても疑惑がどんどん湧いて来るんですよね」

 

「……あんた……」

 

「富竹さんから事情は聞いています。雛見沢症候群に対する執念……中止を宣告され、すぐに東京へ帰って説得しようとするほどの熱意……何か彼女には研究者としての意地……以上の事情があるように思えました」

 

 

 小此木は思わず恐れてしまう。この女はどこまで知っているんだと、慄いてしまった。

 それは鷹野もそうだ。山田の推理を聞き進めるごとに、顔は段々と蒼白して行く。

 

 

「そして鬼隠しが起きる一年前の秋……末期症状となった男の人を確保し、秘密裏に人体実験したんですよね? 確かな筋からの情報ですので、合っているハズです」

 

「……入江……!」

 

 

 鷹野は忌々しそうに、その「確かな筋」たる人物の名前を呟く。

 それもそうだ。その人体実験で実験体の執刀を担当したのは、他でもない入江だったのだから。

 

 

「沙都子さんが末期症状を発症した際も、彼女を実験体にしようとしたんですよね。その時は梨花さんが協力したおかげで何とかなったそうですけど……とりあえず鷹野さんは、発症した人間を『人間と思わない』ような性格の人だと判明しました」

 

「まさかそんな人だったとはなぁ……さすがの俺もドン引きだ」

 

 

 上田は鷹野への幻滅を口にし、吐き捨てた。

 対して山田は感情を排し、ただ淡々と次へ次へと話を進める。

 

 

「しかし一方で、『あなた』が関わっていない事件もありました」

 

 

 もはや彼女は小此木ではなく、その後ろに立つ鷹野に向けて話を進めていた。鷹野の右目がびくりと痙攣する。

 捲し立てる山田に圧倒でもされたのか、無線機を手に持つ小此木も、周りで聞いている他の隊員も、固唾を飲んでその推理ショーを聞くしかなかった。

 

 

「偽装工作も、犯行の実行も完璧にこなす山狗と言う手駒を得て、しかも現女王感染者の梨花さんのご両親を殺した事で、親を亡くした彼女の警護と言う名目で四六時中監視もさせられるようになった。貴重なサンプルを手中に収めたも同然……あなたはこれ以上、リスクを犯してサンプルを作る必要はなかった。本来なら、三年目は起こるハズはなかった…………」

 

 

 山田は少しだけ口を止めた。脳裏に、詩音の顔がよぎる。

 それでも「突きつけなければ」と、山田は余計な考えを捨てて、言った。

 

 

 

 

「……そう。叔母を撲殺したのは、誰でもない悟史さん本人」

 

 

 悟史の名が出た途端、小此木を含んだ山狗の隊員らは目配せ合った。

 ただ一人、鷹野だけが無線機を凝視し続けている。

 

 

「残念ながら、その行方だけは分かりませんでしたが……これが真相になります」

 

 

 しかし次の山田の一言で、全員が拍子抜けしたかのように目を開く。

 

 

「叔母の殺害後に逃げたのか、それともあなたたちが秘密裏に回収したのかは分かりません。入江さんも知らないようでしたし……何にせよ、これが三年目の真相となります」

 

 

 鬼隠しの全てを言い切った山田は、誇らしげに微笑んだ。

 

 

 

 

 いかがでしたかと聞くように、山田は黙って小此木らの反応を待つ。

 完全に煽られていると感じた彼は、さっきまでの砕けた口調をやめて、明確な殺意を込めた声で話しかける。

 

 

「……その話だと、入江所長は俺らの裏切り者……そんで、その裏切り者は俺たちの手中にある」

 

「脅迫ですか?」

 

「あぁ、脅迫だ。今すぐ診療所に行き、古手梨花を渡せ。でなければ、入江所長の命はない」

 

 

 さぁ、どう出ると、してやったり顔で返答を待つ小此木。ここまで盤面を整えたであろう彼女とは言え、本質は戦いを知らない一般人だ。命を選ばせる方法が、絶対に効くハズだ。

 

 

 

 

「……やれば良いじゃないですか」

 

 

 そう思っていただけに、彼女のその返答に愕然としてしまった。

 

 

「入江さんだって覚悟しているんです。一思いにどうぞ」

 

「……お前は一体、なんなんだ」

 

「もう良いでしょうか? 推理ショーは終わりです、皆さん」

 

 

 

 

 

 そして決め台詞を言ってやろうと、人差し指を前方に差した。

 

 

「……お前らのやッ」

 

 

 しかしそれは、車が急カーブで曲がった事により、山田が車内で転がってしまって中断されてしまう。

 

 

「うにゃーーっ!?!?」

 

 

 山田の間抜けな悲鳴を最後に、無線はプツッと切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然の大声で耳を痛めた小此木は、顰め面で無線機を頭から離す。

 そのまま待ってみるものの、もう山田からの無線は来なかった。倒れた拍子に無線機でも壊したのか。

 

 

 すぐに小此木は切り替え、逆探知を続けていた隊員に尋ねる。

 

 

「発信元は分かったか!?」

 

「はい、既に……ここはどうやら、園崎邸のようです」

 

 

 それを聞いた小此木は納得したように頷く。

 

 

「……なるほど。確かにあそこはぁ、唯一俺たちでも潜入出来ねぇ場所。しかも守ってくれる人員もいるし、ぐるっと壁で囲って籠城出来る……ハッ! 外には逃げられねぇと諦めたか! まだ俺たちに分はある!」

 

「……言ってる場合なの? 小此木……」

 

 

 やっと口を開けた鷹野の声は、怒りで震えていた。

 小此木が振り返るとそこには、癇癪を起こす寸前と言った様子の彼女が、こちらを睨んでいた。

 

 

「あの女に……殆ど全部掴まれているのよっ!? 鬼隠しの事も、雛見沢症候群の事も全部ッ!!」

 

「全部ではありやせんよ。北条悟史の件は……どう言うこったか、入江所長も黙っていたようで」

 

 

 どうやら三年目の事件については、山田の推理に誤りがあるようだ。小此木はその点を挙げて彼女を落ち着かせようとするが、寧ろ火に油だった。

 

 

「それ以外は殆どバレてるじゃないッ!? これが全部外部に流出したら……私たちは破滅よッ!?」

 

 

 正体がバレた事に、かなり動揺しているようだ。無理もない。終末作戦に先駆け、完全に彼女の疑惑を消そうと死の偽装までしたのに、まさか富竹が撮った自分の写真でバレてしまったのだから。

 怒りの収まらない鷹野は更に、小此木をヒステリックに責め立てる。

 

 

「そもそもカリウムのカプセルッ! 全て回収したんじゃなかったのッ!?」

 

「……隅々まで探したんだが……どっか、畳の隙間にでも入っていたんですかね……」

 

「呑気な事言ってんじゃないわッ!?」

 

 

 鷹野は机に拳を叩き付けた。

 

 

「それに元を辿ればあなた……上田教授の暗殺にも失敗しているじゃないッ!? 用意した偽装用の死体も完全に無駄よッ!」

 

 

 綿流しの際に発見された顔のない死体は、本来なら上田のものだと偽装する為の物だった。

 しかし上田の、予想外の膂力により、川に落として逃がしてしまうと言う失態を犯してしまった。間違いなく全てが拗れたのは、あの男を生かしてしまった事にある。

 

 

「あなたたちねぇ!? 私が幾らで雇っていると思っているのッ!? 一億よッ!? なのに仕事も満足にこなせなくて……何が諜報部隊よッ!!」

 

「今からでも挽回出来ますん。Rを回収し、富竹を含めた奴らを殺害すりゃ丸く収まる」

 

 

 興奮状態の鷹野を宥めようと、小此木は次にする行動を話した。

 

 

「あの広さじゃ包囲は無理だ……園崎邸へは速やかに突入。中にいるヤクザどもを鎮圧し、Rも教授も手品師も全員確保する」

 

「……簡単に言うじゃない」

 

 

 呆れて吐き捨てる鷹野。

 

 

「園崎邸には推定で三十人ほどの構成員がいる。しかも全員、頭首の為ならすぐ命を捨てられるような連中よ。派手に戦争になって、騒動を聞き付けた村人たちに気付かれでもしたら終わりよ?」

 

「戦争はしません。比較的穏便な方法を使います」

 

「……どうするつもりなの?」

 

「それは──」

 

 

 小此木がプランを言う前に、隣室から来た隊員が彼女を呼ぶ。

 

 

「鷹野三佐!『東京の野村さん』より無線です!」

 

 

 その名を聞いた途端、鷹野の表情に一瞬だけ怯えが見えた。

 

 

「くっ……! こんな時に……っ!」

 

 

 小此木へ「とっとと作戦を始めろ」と目で合図を送った後、鷹野は野村と電話をするべく一人隣室へ行ってしまった。

 扉が乱暴に閉められる。それを見送ってから小此木は、深く溜め息を吐いた。

 

 

「……やれやれ。『雛』のお守りは疲れる……」

 

 

 そう言ってから小此木もまた、持っていた無線機で誰かにかけた。

 

 

 

 

 

「あぁ……『県警の大高さん』ですかい? ちょいとぉ、頼みたい事があるんですわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 隣室に行った鷹野は、すぐに置かれていた無線機を取った。

 向こうから流れたのは、丁重な口調の女の声だ。

 

 

「電話が繋がらなかったので……指定されていた無線にかけましたが?」

 

「……申し訳ありません。村の交換機を破壊しましたので、電話が一切使えない状態になっていまして……」

 

 

 その野村は、執務室から東京の景色を眺めつつ無線をしていた。

 

 

「穏やかではないですね。それほど切羽詰まっている状況……と、言う事でしょうか? 未だに終末作戦の完了が報告されていないもので、クライアントがざわついておりまして?」

 

 

 鷹野は無意識に、自分を抱き締めるような仕草を取る。

 

 

「も、申し訳ありません。もうあと、一時間以内にはカタが付くハズですので……」

 

「もしかして報告にあった……あの二人が関係しているのですか?」

 

 

 黙り込み、唇を噛む。しかしその沈黙が答えだろうと、野村はほくそ笑んだ。

 

 

「図星のようですわね?」

 

「……の、野村さんにお願いが御座います」

 

「何でしょう?」

 

「……例の二人……山田奈緒子と、上田次郎……二人の親族に関する情報を探って欲しいのです」

 

 

 察したように野村は頷いた。

 

 

「……なるほど。二人の家族を脅迫材料に使う……と、言う事ですか?」

 

「え、えぇ……身内を人質にされたのなら彼女らも考えるでしょう。幸い、二人とも東京都から来ている人間……都内の戸籍を洗えば、簡単に……!」

 

 

 しかし彼女は首を振る。

 

 

「出来ませんわ」

 

「え……?」

 

「出来ません、と言うより……出来なかった、とでも言いましょうか……」

 

 

 言っている事が分からず、鷹野は眉を寄せる。

 

 

「……どう言う意味ですか?」

 

「実は報告を受けた折に、既に『東京』で身元の確認を開始していたのです」

 

「だ、だったら……」

 

「実在しなかったのです」

 

 

 一瞬、鷹野の表情が固まり、次には「はい?」と困惑の声が漏れた。

 

 

「都内にいる住民を片っ端から調べました。お二人とも特別珍しくもない名前ですので、同姓同名の人が多くて骨が折れましたが……報告と該当する人物は、一人もいませんでした」

 

「そ、そんな、バカな……う、上田次郎なら! 所属している大学も分かっています! 本も出版されています! そこに問い合わせれば……」

 

「それを我々がやっていなかったとでも?……日本科学技術大学の上田次郎教授。そんな人物、確かにいなかったですよ。そして仰っていた本とやらも、記載されている出版社からは出版されておりません」

 

 

 もしや、全て嘘を言われていたのか。

 あの能天気そうな見て呉れはフェイクで、この日の為に騙っていたのか。いやそんな訳はない、あり得ないと、鷹野は髪をくしゃっと掴む。

 

 

「……あの二人の身元についてはこちらも困惑している状態です」

 

 

 野村は悩ましく、息を吐いた。

 

 

「名前も偽名の可能性が高く、これ以上は探し様がございません。親族を脅迫材料に使う作戦は、出来なくなってしまいましたわね」

 

「……なんで……どうして……じゃあ、あの二人は何者なの……!?」

 

「確かに気になるところではあります……が、向こうは実体のある人間で、幽霊ではありません。ならどうとでもなるハズですよ」

 

 

 混乱状態の鷹野を諭しながら、野村は続ける。

 

 

「今はやるべき事をやるだけです。こちらも最大限のバックアップをしているのですから、失敗は許されませんよ?」

 

「……はい。分かりました」

 

 

 クスクスと、野村は小さく笑った。

 

 

 

 

「鷹野三佐。あなたの悲願は目前……この終末作戦の完遂により、あなたと『お祖父様』は神となるのですよ」

 

 

 無線はそこで切られた。

 後は呆然と立ち尽くす、鷹野の姿だけがあった。頭の中は延々と、あの二人の事ばかりだ。

 

 

 実在しない人間──そんな訳はない。現に自分はそれぞれと会話し、綿流しの時は同じ時間も過ごしている。それを思い出すだけでも、あの二人からは嘘っぽさはどこにもなかった。

 

 

「……一体……何者なのよ……!」

 

 

 ふと思わず脳裏に浮かんだのは、「オヤシロ様の遣い」。

 そんな訳はない。だが、突然降って湧いた二人に対し、そんな非現実的な事さえも可能性として捉えてしまう。

 

 

 

 だからと言って引く訳にはいかない。

 オヤシロ様の遣いだとしても、跳ね除けるまでだ。

 

 

 全てはこの研究を馬鹿にして来た者たちに目に物を見せてやる為。

 そして、「お祖父ちゃん」に報いる為。

 

 鷹野は改めて、覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 野村との無線が終わったと同時に、小此木がノックの後に部屋へ入って来る。

 

 

「終わりました?」

 

「……なに?」

 

「ちょいと聞いておきたいんですがね……」

 

 

 彼は気味の悪い笑みを浮かべた。

 

 

「……入江所長はどうしますんね?」

 

 

 裏切り者への処遇をどうするか、と尋ねているようだ。

 鷹野は冷酷な表情へと顔を引き締め、淡々と告げる。

 

 

「殺しなさい。敵への見せしめにもなるわ」

 

「方法は?」

 

 

 顎を引き、鷹野は少し考え込む。

 

 

「……そうね。どうせだから、『アレ』を試してみましょう」

 

 

 そして冷たい声で小此木に命じた。

 

 

 

 

「『H173』を使いなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──その一方で野村は、無線機を置くと、次は机上に常設してある電話を手に取った。

 

 

「……赤坂さんですか? 野村です」

 

「……はい。野村さん」

 

 

 その電話で掛けた相手は、赤坂だ。

 彼は今、警視庁にいる。

 

 

「予定より少し、遅れが出ているようです。赤坂さんはそのまま、内偵の妨害を続けてください。雛見沢での事が明るみになり、買収が進んでいない部隊が動くなんて事があっては堪りませんもの」

 

「……えぇ。そうですね」

 

「……それと赤坂さん。今一度、確認しておきますが……」

 

 

 椅子の上で足を組み、見下すような仕草で彼女は続ける。

 

 

「勝手な行動をされると、臨月を迎えていらっしゃる奥さん……と、お腹の子の命はございません。彼女は四六時中、『東京』の部隊が監視しております……勿論、監視の目はあなたにも」

 

「……分かっています」

 

「では、そのまま励んでください。期待していますよ?」

 

 

 通話が終わり、受話器を開く。

 しかし赤坂はそこから動かず、ジッと電話を睨み付けていた。

 

 まるで野村以外の誰かからの連絡を待つかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──上田が運転していたリムジンは、山狗らが特定していた通り、園崎家の門前に停まっていた。

 銃弾を受けて傷が付いたその車両からまず上田と、髪を振り乱した山田が降りる。

 

 

「イタタタ……上田! 運転が荒いぞっ! もっと丁寧に出来ないのかっ!?」

 

「馬鹿かYOUはッ! 銃を持った特殊部隊に追われてるのに道交法なんざ守れるかッ!」

 

 

 そのリムジンから出て来たのは、憎まれ口を叩き合うその二人だけだった。梨花も、富竹も乗っていない。

 二人が門の前に立つと、すぐにその門が開き、待機していた魅音と構成員らが出迎える。

 

 

「良かった! 無事に着けたんだね!」

 

「助かりましたよ魅音さん……て言うか防弾リムジンなんて良く持ってましたね」

 

「昔使っていたヤツを引っ張り出しただけだけどね……いやぁ。残り物には福があるんだなぁ」

 

 

 門を潜り抜けると、即座に閉め切られる。後は構成員らで守りを固め、山狗らの侵攻を待ち構えるだけだ。

 また構成員らは全員、銃を所持している。彼らの懐からチラリと見えるそれを見て、「味方とは言え怖いな」と山田は肝を冷やした。

 

 

 守りの準備が整ったと同時に、魅音は無線と一枚の紙を取り出し、その紙を見ながら通信を始めた。

 

 

「えーっと……3と1、4と1、7と1、10と3、10と4、7と1、8と5、6と5、8と1、9と2、7と5、10と3、7と2、3と1、9と3! 繰り返ーす!」

 

 

 暗号を繰り返す彼女を、山田は関心し、上田は得意そうに眺めていた。

 

 

「……上田さんの考案した暗号……めちゃくちゃ便利ですよね」

 

「ふっふっふ……まぁ、本当はちゃんとしたモノにしたかったんだがなぁ……あんなに上か下かで反発受けるとは思わなかった……」

 

「えーと、合言葉はこうでしたっけ……デカチンの力ーっ!」

 

「デカルトの力ッ!」

 

 

 通信を終えた魅音は、山田に向き直って話しかけた。

 

 

「しっかし山田さんの考えたこの作戦……なかなか良いよ。絶対敵はこの園崎邸に梨花ちゃんがいるって思い込んでるよ!」

 

「……でも、この作戦の要は……何よりも『葛西さんたち』が担ってますからね……」

 

「その点については大丈夫。とっくにもう出発しているよ」

 

 

 二人の会話を傍で聞いている上田は、心なしか不安そうだ。

 

 

「……ここから大体二時間粘るのかぁ……結構長いぞ」

 

 

 そんな上田に反し、魅音は自信たっぷりだ。

 

 

「大丈夫だって! 梨花ちゃんはもう見つけられっこないし! 特殊部隊程度で崩されるウチじゃないし! 万が一突破されても、地下の祭具殿通ってちゃっちゃと逃げちゃえば良いし!」

 

「そうですよ上田さん!」

 

 

 山田も腕を振り上げて自信たっぷりだ。振り上げた拍子に隣にいた構成員を殴り倒してしまった。

 

 

「最終的には沙都子さんのトラップ塗れの裏山に逃げちゃえば良いんです!」

 

 

 その振り上げた山田の手には、「サトコノートですの♡」と書かれた黒いノートが持たされている。

 

 

「デスノート……?」

 

「これは沙都子さんがくれた、裏山に仕掛けられたトラップの場所を記したマップですって。これさえあれば、私たちは引っ掛からずに逃げられますよ」

 

「なるほど……最悪の場合でも、そこに籠城すりゃ良いのか。あいつの罠の恐ろしさは身をもって知っている……アレには特殊部隊も敵うまい」

 

「えぇ……もう勝ち確です」

 

「勝ったな」

 

「この勝負……もろたでっ!」

 

 

 調子に乗る二人。

 その時、屋敷の外から多くの車の走行音が聞こえた。どうやら敵が屋敷のすぐそこまで迫っているようだ。

 魅音は門の方に目を向ける。

 

 

「おーっと……どうやら敵さんがお出ましのようですなぁっ!」

 

 

 すぐに構成員らも姿勢を正し、来るべき戦いに備える。

 頼り甲斐のある彼らを見て、山田も上田もホッと一安心。

 

 

「これだけいたら突破は無理でしょ!」

 

「ハッハッハ! 山狗じゃなくて、負け犬部隊って呼んでやろうかぁ?」

 

 

 門の前で、車が停まる音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に聞こえたのはドアの開閉音と、サイレンの音、そして拡声器越しの男の声だった。

 

 

「こちら岐阜県警ーッ!! 警部の大高だーーッ!!」

 

 

 途端、山田らの表情から余裕さが消えた。

 門の破風からニョキリと、棒に貼り付けられた書類が飛び出す。

 

 魅音は持っていた双眼鏡で、その書類が何なのかを確認。

 

 

「……うっそ……そ、捜査令状ぉ!?」

 

 

 その書類は、本物の捜査令状だ。地方裁判所裁判官の実印も押されている。

 門の向こうにいる者たちに令状を見せ付けた後、大高は拡声器で更に続ける。

 

 

「この通り令状が出ているーッ!! これよりマーベラスに家宅捜索を開始するーッ!! ここを開けなさーーいッ!!」

 

 

 煽るようにパトカーのサイレンが鳴り響く。

 警察が乗り込むと言う予想外の事態に、構成員らは動揺を隠し切れていない様子。それは上田と魅音もそうだ。

 

 

「馬鹿な……! こんなすぐに令状が発行される訳がないだろ!?」

 

「こ、こんなに動きが早いなんて……!?『東京』ってのはどんだけ強権なのさ!?」

 

 

 天下のヤクザと言えど、警察相手に悶着は起こせない。無論、その警察が敵と癒着関係にあったとしても、国家権力に変わりはない。正面から撃ち合った日には園崎家は終わりだ。

 

 更に大高は声を張り上げる。拡声器が少しハウリングを起こした。

 

 

「門を開けないと言うのならーーッ!! 強行突破もやむを得ないーーッ!!」

 

 

 声が止んだ直後、けたたましいエンジン音が響く。

 それは間違いなく、チェーンソーの音。魅音は顔からさーっと血の気を引かせた。

 

 

「ヤバイ……! 裏手は格子の数寄屋門だから、チェーンソーなんて使われたら五分も保たないよっ!?」

 

 

 突破されるだけなら構成員らで抑えられるが、警察が相手ならやり様がない。

 山田は悔しそうに顔を顰めた。

 

 

「……ここまで警察を使えるなんて……完全に舐めてた……!」

 

 

 サイレンと、チェーンソーの音が混沌と場を支配する。

 門の向こうにいる警察らを見ながら、山田らは緊迫感と共に後退りをするしかなかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

二十一

──山田たちは如何にして多くの村民を味方にしたのか、そして梨花はどこなのか。

 全ての答えは、昨日にあった。

 

 

 

 

 

 協力を申し出たレナと魅音を見て、山田が梨花たちに提案したのは「隠すのをやめる」事だった。

 敵に立ち向かうには数が必要だ。そこで、一部の村人たちに協力を募り、総出で梨花を守ろうと言うのが彼女の主張だ。

 

 

「梨花さんの命が危ない以上……守るべき秘密なんてありません」

 

 

 燃えるマッチを摘みながら、山田は雄弁をふるう。

 

 

「敵は私たちが、梨花さんを守る為に動き始めているなんて気付いていない……つまりもう、チャンスは明日しかないんです」

 

 

 そう言ってマッチの火を消した。

 

 

 

 

 

 

 村人たちの協力を仰ぐにしても、雛見沢症候群や山狗や「東京」など、あまりにも難し過ぎる話が多い上、到底信じられないような話ばかりだ。

 そこで手っ取り早いやり方は、「園崎家」の影響力を借りる事だ。どんなに無茶で信じられないような話だとしても、頭首であるお魎の鶴の一声で村人たちは意を固めてくれるハズだ。

 

 

 しかし問題は、どうお魎を説得するかだ。次期頭首である魅音が味方だとしても、彼女を説得しない限りはどうしようもないだろう。

 

 

「魅音さんでどうにか出来ませんかねぇ……?」

 

「うーーん……私が言ったとしても婆っちゃが動いてくれるかどうか〜……まず話が難しいし……」

 

 

 山田の懇願も虚しく、魅音は「難しいだろう」と渋る。

 それを見た梨花は一瞬だけ迷うように顔を伏せた後、パッと顔を上げて提案した。

 

 

「魅ぃのお婆ちゃんでも、ボクのお話は聞いてくれると思うのです」

 

 

 梨花の言う通りだ。彼女はオヤシロ様の生まれ変わりとして村で大事にされており、その気持ちはお魎にもある。

 だからと言って話を信じて貰えるのかは別じゃないのかと聞く二人だが、梨花は首を振る。

 

 

「そーゆー難しいの、面倒だから言わないのです。要は従わせたら良いのですよ! にぱーっ⭐︎」

 

 

 そう言う梨花のいつもの溌剌とした笑顔は、どこか黒い。

 

 

 

 

 

 

 

 

──お通夜の後、梨花は園崎邸に泊まる旨を伝えてから、一度神社に戻った。

 その際に上田が護衛を申し出たが、断っている。

 

 

「あまりボクと一緒にいたらバレちゃうのですよ」

 

「しかし……危なくないか? もしかしたらもう、家には山狗が張っているかもしれないんだぞ……」

 

「ボクが殺されるのは二十二日。それ以前なら大丈夫なのです!」

 

「計画が早まっている可能性とかは……」

 

 

 心配性の上田に、梨花は首を振ってみせた。

 

 

「絶対に二十二日なのです! トーケーは取れてるのです!」

 

「お前は暁美ほむらか」

 

「誰なのです?」

 

 

 とにかく二十二日までなら大丈夫だと豪語する梨花を信用し、上田は山田と富竹を伴って帰宅。

 沙都子と共に神社へ帰ると、梨花は彼女に「用事がある」と言って一人、祭具殿に入った。お魎を説得する上で必要な物があるからだ。

 

 

 懐中電灯を持って、埃っぽい中を進む。周りには不気味な拷問器具が立ち並んでいる。

 梨花は神輿を横切り、その先にある片腕のない仏像の前に立つ。

 その仏像──ではなく、オヤシロ様を模った木彫りの像を退かし、その後ろにあった木箱を手に取る。

 

 

 木箱をくくる暇を外し、蓋を開ける。その中に、丁重に布に包まれて保管されていたのは、一冊の書物だった。

 その書は今にもほつれて崩れてしまいそうなほど、経年劣化が進んでいる。梨花は書物が存在する事を確認するとまた布で包み、箱に戻す。

 

 

「……禁書の解放……古手家が始まって以来の大事件よね」

 

 

 梨花は暗闇に向かって振り向き、そこに立つ誰かに語りかける。

 

 

「……確かに……これはともすれば、雛見沢症候群以上の秘密……これを読んだら最後、今までのオヤシロ様への価値観がひっくり返っちゃうんだから」

 

 

 そう言う彼女の微笑みに憂いはなく、寧ろ悪戯を仕掛ける楽しさが滲み出ていた。

 

 

「……大丈夫よ。読ませるのは園崎お魎にだけ……あの人なら墓場まで持って行ってくれるわ」

 

 

 諭すように呟くと、梨花は木箱を抱えて祭具殿を出ようとする。

 

 

「……っ!」

 

 

 ふと、出口まで来た時に、何者かの気配を悟って懐中電灯の光を向けた。

 その光を眩しそうに浴びたのは、風呂の準備をしていたハズの沙都子だった。

 

 

「……沙都子なのですか?」

 

「あ……えっと……」

 

 

 沙都子は祭具殿の前で、怯えて縮こまっていた。入ると不幸に遭うとも言われる祭具殿の近くまで、しかも夜中に来たのだから怖いのは自然だろう。

 それでも彼女は、こうやって祭具殿の前で待っていた。

 

 

「……ボクが心配だったのです?」

 

「……当たり前ですわ。夜更けに祭具殿に入るなんて……すぐ戻るって言っても心配になりますわ」

 

 

 上田にしろ誰にしろみんな心配性だなと、梨花は困ったように笑う。

 

 

「……えへへ。心配させちゃったのです。用は済んだので、さっさと鍵をかけるのです! 今度はきっちりかけないと、また上田たちに入られちゃうのですよ!」

 

 

 怖がる彼女を安心させようと、冗談めかして明るく振る舞った。

 

 

 風呂を終えたら、「明日の会合の為の話し合いがある」と言って、園崎邸に行く予定だ。

 沙都子を一人にするのは心苦しいが、大事な親友であるからこそ、彼女を巻き込みたくない。色々あり過ぎた彼女には、これから幸せになって欲しかった。

 

 そんな色々な思いを募らせながら梨花は、祭具殿を出ようと一歩進んだ。

 

 

 

 その一歩が止まった。

 自ら祭具殿に入った沙都子に、抱き締められたからだ。

 

 

「……沙都子?」

 

 

 怖かったのだろうか、それとも不安だったのだろうかと、抱き締める沙都子の意図を読み取れない。

 半ば慌てる梨花へ、沙都子からその胸中を吐露してくれた。

 

 

「……ごめんなさい。梨花が……どこかに行ってしまうかもって……」

 

「魅ぃの所に行って来るだけなのですよ?」

 

 

 沙都子は首を振る。

 

 

「……そうじゃありませんわ……にぃにぃのように……ずっと会えなくなるかもって……」

 

「……どうしてそう思うのです?」

 

「なんだか梨花、綿流しの日からずっと……気を張っているように見えるのですわ」

 

 

 その言葉に思わずと胸を突かれ、息を飲んでしまった。

 

 

「まるで何かと戦っているみたいで……それでいてとても不安そうにしていましてよ……私はそれが心配なのですわ」

 

「……ボクは、そんな……」

 

「もう……水臭いですわね……」

 

 

 沙都子は身体を離し、目を合わせる。

 やっと伺えた彼女の表情は、困っているようで怒っているようにも見えた。

 

 

「辛い事があるなら……私にも打ち明けて欲しいですわ」

 

「……!」

 

 

 真っ直ぐでひたむきな眼差しを、梨花に向ける。

 

 

「梨花は私を助けてくれたし、私が辛い時は庇ってもくれましたわ……だからせめて少しだけでも、今までの恩返しくらいさせて欲しい……私にも、梨花を守らせて欲しいの」

 

「……沙都子……」

 

「梨花の為ならどんな話も信じるし、どんな事だってするつもりですわ」

 

 

 次に見せた彼女の微笑みは、何とも頼り甲斐のあるものだった。

 

 

 

「……だって私は、梨花の一番の親友なんですのよ?」

 

 

 沙都子その言葉は、梨花の胸中に残っていた漠然とした孤独感を、ほぐしてくれた。

 友達にすら話せない秘密があると言うのは、存外に心に来るものだった。話しても信じてくれないと思う不信感と、それを抱く自分への罪悪感が、いつも梨花について回っていた。

 

 

 しかし今、やっと気付けた。

 自分が思う以上にみんなは味方でいてくれるし、弱くはないんだと──何よりも沙都子はもう、守られるような子じゃないのかもしれない。

 

 思わず泣いてしまいそうなのを、舌の先を噛んで耐える。

 

 

「……ボクの話を聞いたら……もう後には引けないのですよ?」

 

「覚悟の上ですことよ?」

 

 

 彼女の固い決意を受け、梨花もまた「話す決意」を固めた。

 もう梨花に罪悪感も、孤独感もなかった。

 

 

 

 

 一陣の風が吹く。木々が激しくざわめき、驚いて二人は一緒に顔を伏せた。

 その吹いた突風が、開け放たれたままの扉から祭具殿内に流れ込む。それに煽られ、壁に立てかけられていた額縁が落っこちてしまった。

 

 

 何が落ちたのかと目を向ける梨花。それは父が昔に、筆と墨で書いた梨花の名を飾った物だ。

 その額縁の裏から、何か小さな封筒が落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──禁書を携え、梨花はそのまま園崎邸に向かった。もう時間は深夜を回っている頃だった。

 床につこうとしていたお魎を呼んだ梨花は、二人だけで話し合いをする場を設けさせた。

 

 暗視ゴーグルを付けた構成員らが庭から見守る中、襖で締め切られた部屋でお魎と梨花は座して向かい合う。そのお魎の手には、禁書が開かれていた。

 

 

「古手家に伝わる禁書なのです」

 

 

 読んでいるお魎の手前で、梨花はその内容を語り始めた。

 

 

「遥か昔、鬼ヶ淵沼より鬼が湧き出し、村を襲った。そこへ村人たちの前にオヤシロ様が現れ、鬼を鎮めた……これが今、村で広く伝わっているオヤシロ様伝説なのです」

 

「…………」

 

「……でも。禁書に書かれているのは、全く違う事なのです」

 

 

 本から梨花へ移したお魎の目には、確かに驚きの念が宿っていた。それに気付いた上で、梨花は続ける。

 

 

「鬼とは、この地に流れ着いた流浪の民の事……しかし共存を望んだ彼らを恐れ、拒否し、手を上げたのは……村人たちの方だったのです」

 

「…………」

 

「……そしてオヤシロ様とは……この争いを鎮める為に現れた流浪の民の娘。つまり……」

 

 

 梨花は一呼吸置いて、言った。

 

 

 

「……鬼だったのですよ」

 

 

 そう突き付けられたお魎は、まだ何も言わなかった。ただ静かに梨花を見つめて、次にはまた禁書に目を落とした。

 梨花は続ける。

 

 

「オヤシロ様は村人との宥和の為、当時の古手神社に取り入ったのです。そして神主の跡取りに見初められ、子宝を授かるに至ったのです……でも、村人との宥和は出来なかった……だからこそ、彼女は決意したのです。自らが人柱となり討たれる事で、村人たちを納得させようとしたのです」

 

 

 お魎が開いたページには、鬼を討ったとされる剣の絵と、一人の少女の名が書かれていた。

 

 

 

 

「人柱となったオヤシロ様を討つ役目……それを担ったのは他でもない彼女の娘──古手家開祖たる、『古手 桜花』なのです」

 

 

 その名はお魎も知っている。だからこそ、書かれているその名から目が離せなかった。

 紙を捲る手が止まったお魎に、梨花は少し冷たい声で話しかけた。

 

 

「園崎家は長く、『自らは鬼の子孫』と名乗って来たのです。これ見よがしに背中に鬼の刺青まで彫って……」

 

「……何が言いてぇん?」

 

「筋を通す時なのです」

 

 

 再び視界に入れた梨花の姿に、お魎は戦慄させ覚えた。

 据えた目でこちらを見やる彼女の冷めた表情は、そしてその雰囲気は、とても子どものものとは思えなかったからだ。

 

 

「園崎家はその立場を使って……本来のオヤシロ様の姿を歪めてまで、村人たちからの畏敬を集めたのです。そしてあまつさえ、自らが村を牛耳っていると驕り……沙都子たちを傷付けた」

 

「…………」

 

「全部、ボクたち古手家が……人柱となったオヤシロ様の覚悟を尊重し、本当の歴史を封印して来たからこそなのです」

 

「脅すんか」

 

「未来永劫従えって訳ではないのです。オヤシロ様も、開祖の古手桜花も望んでいないハズなのです」

 

「ほんじゃあ筋を通すんなら何すりゃええ?」

 

「ボクは命を狙われているのです」

 

 

 唖然とするお魎。それでも梨花は訴える。

 

 

 

「……明日会合を開いて──村の重役たちに協力させて欲しいのです」

 

 

 微かに笑う梨花の表情こそ、お魎には真に「鬼」に見えた──それもそうだ。彼女こそが本当の、「鬼の子孫」なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──禁書をお魎に解放した事により、「筋を通させる」と言う名目で半ば強引に全ての話を信じさせた。その上、園崎家の全面協力させ取り付けた。

 朝になるとすぐにお魎は連絡網を使って重役らを召集。敵を欺く為、梨花の話は伏せて「鬼隠しの件の意見交換」と言う事で集まって貰った。

 

 

 勿論、上田と山田も呼ばれた。

 朝早く園崎邸にやって来た二人の前に、元気よく魅音が現れる。

 

 

「おはよー!」

 

「えっと……例の件、梨花さんは上手く行ったんですか?」

 

「行ったっぽいよ山田さん! しっかし梨花ちゃん、あの婆っちゃを説得するなんて凄いね!? え……実は天才児……?」

 

 

 どうにかなったらしいと知り、山田と上田もまずは胸を撫で下ろす。

 

 

「まずは第一歩ですね……!」

 

「あぁ……しかしぃ、雛見沢症候群に『東京』、そして山狗……他の村人らが信じるかどうか……」

 

「それなら大丈夫っ!」

 

 

 そう魅音は自信満々に答えながら、屋敷の方に腕を広げた。

 すると襖が開き、三人の人物が姿を現す。魅音は彼らの紹介を始めた。

 

 

「雛見沢三銃士を連れて来たよ」

 

「雛見沢三銃士!?」

 

 

 まずは気難しそうな老婆から紹介する。

 

 

「園崎家現頭首の婆っちゃこと、園崎お魎」

 

「たわけ……」

 

 

 次に一人の少女を紹介。

 

 

「古手家現頭首にして村のプリティーマスコット、古手梨花」

 

「頑張りますのです。よろしくなのです」

 

 

 最後に細い目をした、穏やかそうな老父を紹介。

 

 

「公由家頭首にして雛見沢村村長。公由のおじいちゃんこと、公由喜一郎」

 

「おじいちゃんです。どうも」

 

 

 三人を紹介し終えてから、魅音はにかっと笑った。

 

 

「これが雛見沢三銃士!」

 

「村長以外は知り合いだったぞ」

 

「村が誇る御三家でもう話は進めておいたよ。公由のおじいちゃんも協力してくれるって言ってくれたし、役員会の人たちも鶴の一声で協力してくれるよ!」

 

 

 その喜一郎は未だ信じられないと言わんばかりに、禿げ上がった頭を掻いていた。しかしお魎に逆らえないようで、彼女をチラリと見てからおずおずと背中を曲げた。

 

 

「少し、話を咀嚼する時間が欲しいが……お魎さんと梨花ちゃん、それに魅音ちゃんの頼みなんだ。是非、協力させて貰うよ」

 

 

 そう申し出る喜一郎。確約を得られたとあって、顔を見合わせて喜ぶ山田と上田。

 

 

 しかし一転、優しそうだった喜一郎の表情が厳しいものとなる。

 

 

「……その為には、お前さんらも協力せんといかん」

 

「え?」

 

 

 草履を履いて庭に出ると、彼は眉を潜めながら二人の元まで歩く。

 オオアリクイの威嚇をする山田の前に立つと、上田さえ睨みながら続けた。

 

 

「梨花ちゃんは不問にすると言ったが、多くの村のモンはまだ納得しとらん……祭具殿の侵入の件を」

 

「許してください」

 

「だから、まず誠意を見せんといかんな」

 

 

 腕を組み、威圧感たっぷりにそう言った。

 

 

 

 

 

 暫くして役員らが集まり、会合が始まる。お魎が出席しているとあり、空気は非常にピリピリしている。

 長机を前にして座る彼らの冷たい眼差しは、同じく出席している山田に向けられていた。その視線を浴びて戦々恐々としている隣で、進行を務める魅音が丁寧な口調で話し始めた。

 

 

「祭具殿侵入の件ですが、古手家頭首による寛大な計らいにより不問と言う事となりました。しかし当事者から謝罪をしたいと言う申し出があったので、まずはその機会の場をここに設けさせていただきます……では山田さんどうぞ」

 

「おすみませんでした」

 

「許せるのです」

 

 

 山田は促されるまま梨花の方を向き、頭を下げ、本人の許しも得られた。

 

 

「……えぇ、この通り、和解が成立しましたので──」

 

「納得できるか余所モンがぁぁぁあッ!!」

 

 

 魅音の声を遮り、役員らが口々にがなり立てる。 

 

 

「梨花ちゃまが許しても、ワシらは許さんぞぉッ!!」

 

「なんでオメーらが鬼隠しに遭わんのじゃあッ!?」

 

「あぁオヤシロ様! お鎮まりくだされぇ!!」

 

「ザッケンナーッ!!」

 

「ザぁコザぁ〜コ♡ 不法侵入♡ 罰当たり♡ 社会不適合者♡」

 

 

 怒りを露わにする者、オヤシロ様の許しを乞う者と反応は様々だ。中には机に身を乗り出し、今にも山田に飛びかからんとする者さえいた。なぜかメスガキもいる。

 彼らの感情や罵声を一斉に浴び、山田はひたすらオオアリクイの威嚇をするしかない。

 

 そこへ見かねた魅音が助け舟を出してくれた。

 

 

「ご静粛に願います。件の騒動については園崎、公由家でも放免すると言う意見で一致しております」

 

「ほ、本当なんかお魎さん!?」

 

 

 あの余所者嫌いのお魎が、と言いたげに、重役らは愕然とした様子で彼女を見やる。一方のお魎はいつもの顰め面で、否定せずただ佇んでいた。

 次に役員らは縋るように喜一郎を見た。最初は悩ましい表情をしていた彼だったが、腕を組み、観念したように頷いた。

 

 

「梨花ちゃんとお魎さんが言うなら……」

 

 

 村長とは言え、立場は園崎家の尻に敷かれているようだ。隣に座るお魎を横目で見ては、気まずそうに口を閉じた。

 これで本当に、御三家からの許しが得たと皆に示してやれた。特にあのお魎がと言う衝撃が大きかったようだ。いきり立っていた役員らは、すっかりしおらしくなってしまった。

 

 だが彼らからしてみれば甚だ疑問だろう。どうやってこの余所者が、園崎お魎に取り入れたのかと。

 その疑問を明らかにすべく、魅音は続けた。

 

 

「さて、我々御三家で意見が一致した理由につきまして……この山田奈緒子さんは、鬼隠しを解決すると表明されたからです」

 

 

 またしても場が騒つく。

 それもそうだ。彼らは、鬼隠しは園崎がやった事なのではと思っていたからだ。その鬼隠しを解決すると魅音が表明した事は、「園崎は関与していない」と言ったようなものだ。

 一人の役員が慌てた様子で聞く。

 

 

「そ、それじゃあ……鬼隠しは園崎さんと関係ないんかい!?」

 

「そう言う事になります」

 

「ほんなら鬼隠しの会合の時……お魎さんが意味ありげに笑っとったのはなんだったんじゃ!?」

 

「演技に決まっとろうが」

 

 

 お茶を啜りながら、お魎が訳を話す。

 

 

「ウチのせいや思わせときゃ、村のモンは団結するや思うとったん。賛成派増やさんようする為なぁ」

 

「そ……そうやったの……?」

 

「でも……もう、今年の鬼隠しは終わったんじゃろ?」

 

 

 別の役員が質問する。

 

 

「山ん中で顔剥がされとった男と、看護師の鷹野さんじゃ。ともすりゃ、今までの事件と同じ犯人なんか!?」

 

「あの死体は偽造です。鷹野さんは生きていますよ」

 

 

 山田はそう言い放つと、場は静まり返った。

 

 

「そして……全ての事件を裏で操っていた人物こそ、その鷹野さんなんです」

 

「な、な、なな……なん……!?」

 

「そして彼女の次の目的は……梨花ちゃんの殺害。それも、行われるのは明日です」

 

 

 突然突き付けられたその情報は、到底理解に及ぶ話ではなかった。知らなかった事を幾多も浴びせられ、もはや役員らは騒つくほどの余裕もないようだ。皆、半信半疑気味に互いを目配せ合っている。

 

 

「突然こう言っても、寧ろ疑問が尽きないと思います。そこで、ちゃんと説明してくれる人をお呼びしました」

 

 

 山田はそう言うと、真向かいにある襖をビシッと指差した。同時に、その襖は開かれて、入江が姿を現す。

 村の老人はみんな世話になっているだけあり、彼の登場は少なからず動揺を生んだ。その空気を感じ取りながらも、入江は意を決して口を開いた。

 

 

「皆さん、今から話す事は全て事実です……その上で狼狽えず、最後まで信じてください」

 

 

 忠告を入れてから入江は、全てを告白し始めた。

 

 

 

 開示された情報は雛見沢症候群と自らの立場、そして終末作戦の存在や梨花が女王感染者と言う特別な存在である事も全て。その説明だけでも、長い時間を費やした。

 

 

「……これが、私たちがこの村に来た理由です」

 

 

 全てを知った役員らは呆然と、皆一様に頭を撫でる。自分の脳内に寄生虫がいると言う事実に戸惑っているようだ。

 入江は恐れていた。明かす事で、雛見沢症候群の発症を促してしまうのではと。

 

 

「そんな……わ、ワシらの頭ン中に……」

 

「お、落ち着いてください! 現在は撲滅の為、治療薬の製造が進められている途中ですので──」

 

「別れた恋人に浮気してるだろと詰められたのはそう言う事だったのか……」

 

「え?」

 

 

 役員らは口々に話し出す。

 

 

「子どもん頃に弟が幻聴を訴えとったが……それじゃったんか!?」

 

「都会行った倅が上司殴ったんはソレか!?」

 

「叔父が精神分裂病で入院しとったなぁ……」

 

「割りかしみんな心当たりあったんだな」

 

 

 山田がボソッとつっこむ。

 それもそうだ。研究者と現地の老人とでは体感に差があるだろう。納得する者がいても不思議ではない。

 

 予想以上に混乱が少ないと安堵した入江は、「でも」と注釈を入れる。

 

 

「雛見沢症候群によるメリットも一応は判明しております! どうやら成長ホルモンの分泌を促していると言う結果もありまして……例えば女性なら、乳房が大きくなったり等」

 

「おぉ!!」

 

 

 男性陣から歓声に似た声があがる。その話は知らなかった山田と梨花も反応していて、山田に関しては入江に突っかかった。

 

 

「え!? ちょ、それ知らない……あのー! 入江さん! 私! 雛見沢症候群にかかりたいんですけど!? 出来ればデメリット消した上で!!」

 

「ウゥンっ!!」

 

「おすみませんでした」

 

 

 収拾がつかなくなった場を、魅音は咳き込み一つで鎮めた。

 とりあえず前提の説明は問題なく済んだとあり、入江は本題を切り出した。

 

 

「……つまるところ、雛見沢症候群による集団発症を起こす為に、女王感染者である梨花さんが狙われている可能性が高いのです。ですのでその、お力添えを皆さんに──」

 

「じゃけど! おのれもその東京ってモンの一人なんじゃろ!」

 

 

 一人の役員に指摘され、思わず入江は押し黙ってしまった。

 

 

「ともすりゃ裏で繋がっとるかもしれん。ワシらを皆殺しにしようなんざ考える連中しゃあん……そんなモンを信用しろなんざ出来ようもんかい!」

 

 

 役員の指摘は、山田にも向けられた。

 

 

「おのれもそうじゃ! お魎さんと村長に認められたかて、余所モンは余所モン! こればっかりは納得出来ん!」

 

 

 彼らから「そうだそうだ」と賛同の声があがる。またしても良くない空気に乗ってしまった。

 権力を盾にしたとしても、それ以上に外部の人間への忌避感が強いのが彼らだ。そしてその凝り固まった考えは、年寄りであるほど拭えないもの。説得するのに、半日では時間が足りない。

 

 厳しい意見が飛び交い、魅音の進行も遮られ、議会が収拾不能な領域にまで達する。

 

 

 

 

「ボクの話を聞いて欲しいのです!」

 

 

 その流れを変えたのは、机に叩き付けられた梨花の手だった。

 瞬間、大人たちの声が止んだ。静かになった事を確認してから、梨花は語り始める。

 

 

「……山田はボクを何度も助けてくれたのです……入江だってそう。入江は、沙都子や悟史をずっと気にかけてくれた優しい人なのです……少なくとも、北条家を村八分していた人たちと比べれば」

 

 

 村八分の事を言った途端、役員の何人かが目を伏せた。中にはやはり、やり過ぎだと思っていた人間もいたようだ。

 

 

「敵はこの村の、その塞いだ空気を利用して隠れて来たのです。余所者や異端者に強く当たる一方、身内を信じ過ぎるその隙を狙われたのですよ」

 

 

 お魎が顔を伏せた。その「隙」を利用し、村人たちから鬼隠しを追及する意思を奪ったのは、他でもない自分だからだ。

 

 

「……ボクだってそうなのです。みんなの優しさにつけ入って、雛見沢症候群の存在を隠して来たのです……だから、ごめんなさいなのです」

 

 

 深く頭を下げて謝罪する彼女の姿で、やっと役員らはどよめきをあげる。

 

 

「なにも梨花ちゃまが謝る訳は……!」

 

「ううん、謝らなきゃいけないのです……こうやってまた、みんなの優しさにつけ入ろうとしているのですから」

 

 

 顔を上げた梨花。その表情はこの場にいる者全てを驚かせるほど、凛々しかった。

 

 

「……敵はこの村を調べ尽くした軍団なのです。だからこそ逆に、その敵を良く知る入江の存在は必要なのです……そして村のしがらみに囚われない考えを出せる、山田たち外部の人の存在も欠かせないのです」

 

 

 梨花と山田の目が合う。二人とも淀みのない、真っ直ぐと決意に満ちた眼差しをしていた。

 

 

「ボクはみんなを助けたい……でも一人では出来ない。だからみんな、ボクと一緒に戦って欲しい……もしかしたら死ぬかもしれない危険な事に、みんなを道連れにしてしまうけれど……」

 

 

 胸に手を当て、吐き出すように言った。

 

 

 

「……ボクを、助けて欲しいのです……!!」

 

 

 梨花は話し終えた。

 役員らは真剣な彼女の姿とその言葉に圧倒されているようだ。呆然と、放心した様子で梨花を見つめていた。

 暫く沈黙が続いてから、再び魅音が口を開く。

 

 

「園崎家と公由家は、梨花ちゃんを守る為に一個小隊を相手に戦う事を決定いたしました。察するまでもなく、これは大変危険な決定です」

 

「…………」

 

「……皆様にも家族や立場がございます。この作戦は、園崎家ならびに園崎組の人員でまかなえます。なので互いにこの話を忘れ、ここで退席して貰っても構いません。それに対する罰則を科したりなども致しません」

 

「…………」

 

「……どうか、ご検討を」

 

 

 魅音が発破をかけても、誰も声を発さなかった。

 すぐに決められる話ではない。誰だって大きな敵に立ち向かうのは恐ろしい事だし、しかも自分の命がかかっているとあっては尚更だ。拒否し、出て行く者がいたとしても、責められるべきはこちらだろう。

 

 

 暫くの後、一人の役員がのっそりと立ち上がった。

 出て行くのだろうかと皆が目を向ける──しかし彼は周りを見渡し、皆に語りかけるように話し出した。

 

 

「……ここにおるモンは、戦争を知るモンばかり。国に煽てられた末、親兄弟の誰かが戦死したってモンもおる……なのに戦争には負け、いなくなったモンは無駄死にだったと突き付けられた」

 

 

 それから彼は真っ直ぐ、梨花らを見据えた。

 

 

 

 

「もう負けるんは嫌じゃ。そんで、奪われんのも嫌じゃ……ワシはその話、乗ったわい」

 

 

 彼のその言葉に押されるように、次々に声があがる。

 

 

「ダム戦争で余ったやる気は残っとる! オヤシロ様を軽んじる罰当たり共に鉄槌を食らわせてやらぁ!」

 

「道連れだなんて言わんでくれ梨花ちゃま! 最後まで利用して、連れ添わせてくれぃ!」

 

「可愛い梨花ちゃまを狙う輩なんぞ俺が切り捨てちゃるからのぉ!」

 

「ヤッタルデーッ!!」

 

「一致団結♡ 東京分からせ♡ 田舎のイイとこ♡」

 

 

 どうやら意思は固まったようだ。

 決起に湧き上がる彼らを前に、梨花は感極まった様子で泣き出す。

 

 

「みんな……ありがとうなのです……!」

 

 

 つられて泣きそうになっている魅音、満足げに頷く喜一郎、そして誰にも見えない時に微笑むお魎と、反応は様々だ。

 その中で山田と入江は目を合わせ、何とかなった事を喜び合った。

 

 

 

 

 

 

 

 そこへ、隣の部屋から上田が現れる。

 

 

「おい」

 

「……あ、上田さん。待ちました?」

 

「さんまのお笑い向上委員会のゲスト並みに待たされたぞ。なに盛り上がってんだ」

 

 

 村民らを味方に付けたからと言って、終わりではない。寧ろ戦いの始まりだ。

 部屋に入って来た上田が手を叩き、皆を注目させた。これから彼の口より語られるのは、昨夜山田と練りに練った「大作戦」の説明だ。




・精神分裂病は、統合失調症の昔の名称。しかしこの名称は差別に当たるとされ、二◯◯二年から現在のものに変更されたようです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。