純子ちゃんが誰かの日記を見ちゃったとよ?(ゾンビランドサガ短編集) (高杉ワロタ)
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純子ちゃんが誰かの日記を見ちゃったとよ?
月夜にあなたと 上


 ゾンビとして第二の生を受けてからというもの、純子の頭の中には常に幸太郎のことがあった。

 

 いつもサングラスをかけていて、その奥では何を考えているのか純子には想像つかなかった。

 彼はいつも不遜な態度を取っている。しかしそこに不思議と不快感を覚えない。

 アイドル時代より、他人の目線に晒されてきた純子だからこそ、彼が自分たちに向ける視線の中には卑しさなどは感じなかった。

 

 もっとよく彼のことについて考えるようになったのはやはり純子の殻を破りに来た時のことであろう。

 やはりどこか今の時代のアイドルを軽んじて、そして軽んじていた自分に対しても自己険悪に陥った純子に新しい世界を見せてくれた。

 よくよく考えれば自分よりも遥かにあとの時代の愛やさくらが自分と同じように一生懸命みんなを楽しませようとしているのは見てきたはずなのに。

 

 冷静ではなかったのかもしれない。そうやって少し恥ずかしくなっていたとき、ふと思った。

 彼は一体どうして私たちをよみがえらせてまでアイドルをさせようと思ったんだろう…と。

 

 

 純子は間違いなく昭和のアイドルとして伝説だった。それは数十年経った今なお追悼番組が製作される程度には決して過大評価ではないだろう。

 そんな純子だからこそ気づけた。幸太郎とこのフランシュシュの特異性を。

 仕事を一つ取ってくるだけでもすごく大変だ。純子の駆け出しのころ、相手がアイドルという存在そのものに理解を示さず空振りになることがほとんど。

 時代が変わったとはいえ、彼が観光と称しているがそんなに簡単なことではないはずだ。

 

 歌にしてもそうだ。少なくとも純子の経験では新しい曲は一人で作れるものではない。

 作曲家と作詞家が曲を生み出して、そこに振付師が曲を彩るような魅せ方を編み出す。

 彼が作曲をしていたことはたまに目にすることはあるので知っていた。されど作詞家や振り付け担当は謎のままであった。

 もしかしたら自分たちが知らないだけでほかに誰かが一緒に製作しているのかもしれない。そんなことを考えたこともあった。

 だけど長いとは言えないまでもそれなりの時間を過ごして来て、彼以外の人の面影は一切見えたことはなかった。

 

 これでもアイドル暦はそれなりにあり、全国クラスに駆け上がるまでは数年近く掛かっていた。その間にいろんな人の曲を歌って来たりもしてきたゆえに、相手に会ったことなくともその残り香を純子は感じることができる。

 歌詞や曲調、振り付けなどは明らかに純子たちのこと一人ひとりを考えて計算されつくしたもの。作詞作曲振り付けすべてを幸太郎一人で賄っている。尋常ではないことだ。

 

 

 この人は一体どれほど私たちのことを見ているんだろう?そこに気づいてからは純子の中で幸太郎の存在は日に日に大きくなっていた。

 彼のことをもっとたくさん知りたい、そんな欲求が湧き出るのも至極真っ当なものであった。

 そして、〝それ″が起きたのはちょっとした好奇心からだった。

 

 ある日、幸太郎はいつものように観光(営業)から帰ってくるとシャワーを浴びに行った。そしてちょうどフランシュシュのほかのメンバーは外に遊びに行っていた。

 屋敷に残って掃除をしていた純子はまだ掃除されていない幸太郎の部屋に入っていた。

 

 純子が幸太郎の部屋に入ったのは別にこれが初めてではない。愛やさくらなどと共に、パソコンなる代物でサガロックについて調べたとき以降でもサキと共に何度かここへと足を踏み入れたことがある。

 その時は楽器やらいろんな本が置かれていたことにまず驚き、そして随分使い込まれていたことにも気づいた。

 彼の過去は知らない。しかしきっと並々ならぬ努力をしていたのだろう。

 そうやって心の中で幸太郎に対する好感度がまた上がった純子だが、その時幸太郎の机の上に置かれていた一冊のノートが彼女の目を引いた。

 どこにでもある市販のもの、もはやくたくたヨレヨレにまでなったそれは日記帳のようだったが、不思議と純子の心がざわついた。

 

 

 

 ────見ちゃいたい。

 

 

 

 そんな好奇心が純子の中で湧き上がる。

 

 しかし、純子はそれを選ばなかった。

 他人の日記を覗き見る。それは相手の心の庭に土足で踏み入れることだ。そんなことはしたくはない。

 相手の心中を知るということはいいことばかりではない。相手を傷つけることもある。自分の好奇心のために幸太郎に対してそんなことはしたくない。

 純子は欲望を理性で無理やり抑え込んで掃除に戻り、換気のために窓を開けた。

 

 ────ひと際強い風が部屋に入り込む。

 

 舞い込んできた風は幸太郎の机の上の雑誌やノートなどを床に吹き落してしまった。

 掃除するものが増えてしまいました。。。純子の少し肩を落とす。

 そうやって純子は床に落ちた雑誌を一冊ずつ拾い上げて、ふと手が止まる。

 幸太郎のノートが床に落ちていたのだ。

 

 ────見ちゃいたい。

 

 悪魔のささやきが聞こえる。

 

 仕方ないのだ。片づけなければならないんだから。

 あれだけ理性がダメだと言っているのに。いけないことをしている背徳感と、見てしまいたい欲求に、純子は心臓が止まっているにもかかわらず、ドキドキする感覚を錯覚する。

 純子の幸太郎に対する想いは、本人の恋愛経験のなさからか、〝年頃″の女の子だからか、恋心という域に居た。

 

 もっと幸太郎さんのこと知りたい。純子の手はゆっくりノートへと近づく。

 しかし、だからこそ純子は踏みとどまる。幸太郎のことを想うからこそ見てはならない。

 そんな抵抗をする純子にまるで追い打ちをかけるかのように、一陣の風が神の見えざる手かの如く表紙を巻き上げ、日記の中身が目に入る。

 直後、純子はすさまじい後悔を覚えた。

 

 

 

『俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいで源さんがしんだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいで水野さんが雷に打たれた。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。俺のせいだ。』

『あの時俺がCDを拾ってあげなければ源さんは死ななかったのかもしれない。夢を追いかけてられていたのかもしれない。駅で迷子になっていた水野さんをライブ会場に案内しなければあんなことにならなかったのかもしれない。昔から俺になにかいいことがあれば必ずと言っていいほど周りに災厄が降り注ぐ。』

『こんな幸運なんて要らんかった。ほしくなかった。俺が死んだっていいから彼女たちを生き返らせてくれ。』

『ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめ』

 

 

 

 日付はおよそ10年前のものだろうか。中には志半ばで死んでいったさくらと、そのあとを追うかのようになくなった愛についての後悔や嘆き、悲しみが余白など見つけられないほどびっしりと綴られていた。

 

「あっ…あっ…」

 

 取り返しのつかないことをやってしまった。純子は口がパクパクするばかりで呼吸は浅く、しかしどんどん増えていき、手はどうしようもないほどに震える。

 どうして覗き見なんてしてしまったのか。後悔と恐怖と罪悪感ばかりが頭の中を駆けまわる。

 

 そうこうしているうちに幸太郎がお風呂から上がったのか、バスルームのドアが開く音がした。

 まずい、戻ってきてしまう。

 そう思った純子はもはや言うことを聞いてくれそうにない両手を抑えながらなんとかしてノートを机の上に戻し、力の抜けた足腰を叱咤させて幸太郎の部屋から逃げ出した。

 



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月夜にあなたと 下

 洋館から逃げ出した純子はいつぞやの砂浜でもう夜だというのに黄昏ていた。

 早く戻らないときっとみんな心配するだろうに頭の中は幸太郎の日記のことでいっぱいだった。

 そこに書かれていたのはきっと彼が触れられてほしくないものなのだろう。そんなものを自分の好奇心で覗き込んでしまったのだ。

 純子は幸太郎のことをもっとよく知りたくはあったが、だからといって彼を傷つけてしまいかねないようなやり方を望んでいなかった。

 

 謝りに行こう。

 日記を読んでしまったことも含めて彼に報告してその上で罰を受ける。いや、彼のことだ。もしかしたら怒らないかもしれないが、その代わり失望するだろう。

 もう一度死ぬよりも彼に失望される方が純子はもっと怖い。しかし、それもきっと罰なのだろう。

 純子は覚悟を決め、立ち上がろうとして────

 

「家出のゾンビィガールはここですk「ヒヤッ!?」アガッ」

 

 突然耳元で響いた大声にびっくりして急に立ち上がってしまう。

 頭になにか尖ったものがぶつかったのを感じるとともに、誰かがうめき声をあげて倒れる音を聞いた。

 痛む頭を抱えながらも振り返った純子が目にしたのは倒れ悶えている幸太郎の姿だった。

 

 

 幸太郎が起き上がってから、幸太郎と純子は言葉なく一緒に膝を抱えて海を見ながら座っていた。

 やっぱり謝らなければならない。余計な言い訳も要らない。

 どんな結果になろうとも甘んじて受け入れよう。純子は意を決して口を開き、

 

「日記を勝手に読「気にするな」

 

 幸太郎の言葉に被せられる。

 

「ですが…」

「机の上に置いて風呂に行った俺の落ち度だ。お前が気に病むようなものではない」

 

 幸太郎の声には咎めるような音色はない。それどころかむしろ純子のことを気遣おうとしているように思える。

 

「それにぃ、あれは思春期の高校生の黒歴史ノートなんじゃい!そっちの意味の方で恥ずかしいんじゃボケー!」

 

 そんなはずはない。

 ほんの1ページ程度しか見ていなかったとはいえ、純子にも察せる。あれはきっと今のゾンビアイドルプロデューサー巽幸太郎という存在の始まり。

 幸太郎が言うほど軽いものではないはず。だが本人にそう宣言されてしまった以上、純子はなにも言えなかった。

 

 

 何分経ったのだろうか。砂浜に波が打ち付けられる音だけが響き渡って時間が流れていく。

 

「幸太郎さんは…」

「…なんじゃい」

 

 純子は自分の疑問を口にする。

 

「幸太郎さんはどうしてそんなに頑張れるんですか…?」

 

 さくらと愛のため。

 それはあのノートに綴られた後悔と今の幸太郎の態度を見れば誰でもわかることだ。

 しかしだからこそ純子にはわからなかった。さくらや愛の死から10年。それで今ほどの技量を手にする。

 常人どころかそれなりに才能を持った人間にとってだって簡単なことではない。それほどの執念を重ねていることは想像に難くない。

 だというのに────

 

「そりゃ当然佐賀を救うために決まっとるんじゃろがい!」

 

 だというのにどうしてこの人は、自分の想いをひた隠しにしてまでがんばれるのだろうか。

 

 

 

 

 佐賀を救いたいという言葉はきっと嘘ではないだろう。

 しかしまた、それがすべてだとも純子は思っていない。

 

 誰だって頑張れば認めてほしいと思う。

 生前、アイドルとして数多のステージを駆けてきた純子とてやりきったあとは誰かに褒めてもらいたかった。

 人間であれば大なり小なり抱えて当然のものである。

 

 まして、想いを抱いた相手のために自分の人生を捧げてまでその夢を叶えさせようとした相手だ。

 恩着せがましく敬えとまではいかなくても、たった一言、たった一言の労いの言葉すら求めない。

 そのひたすらなまでにストイックな在り方に純子は胸が締め付けられ、目尻が熱くなるのを止められなかった。

 

 

 そんな純子を見て、幸太郎はやれやれとでも言いたげに頭を搔いた。そして重むろに語る。

 

「全部自分のためだ。俺は自分が見たい光景を実現させたいだけだ」

 

 その音色に先ほどのようなおふざけは感じ取れない。前の時もそうだったが、幸太郎という人間は〝そういうシチュエーション″になると驚くほど真っ当になる。

 きっと根は生真面目な人なのだろう。

 

「本当にそれで全部なんですか…?」

 

 けど純子はそれだけでは納得できない。そんな純子を尻目に幸太郎は立ち上がる。

 

「それで全部さ。そのためならば死んだ人間をよみがえらせるし神にだって喧嘩を売る。それで自分が見たい世界を実現できるのだ。これ以上の報酬などこの世界のどこにある?」

「そんなの…」

 

 そんなの、人間一人が背負いきれるものではない。

 

 

 

 純子は立ち上がった幸太郎の背中を見上げる。どこまでもまっすぐで、燃えるような意志。それでいて、

 

 

 脆く、今にも折れてしまいそうで────

 

 

 純子は思わず幸太郎の背中に抱き着いた。自分でもなんでかはわからない。

 完全に無意識の行動だ。だけどこうしなければならないとも思った。

 

「もっと、もっと私たちを頼ってください…!」

「現在進行形で頼ってとるじゃろ。アイドルはプロデューサーだけでは無理に決まっとろうが」

「そうじゃないです、そういうことじゃ…!」

 

 目を閉じているのに、両目から雫が溢れるのを止められそうにない。

 幸太郎の両手が純子を包んでから引きはがし、まるで舞台に立ったかのように両手を広げて宣言する。

 

「いいか純子、よく覚えとけ。俺は

 

 

 神に宣戦布告し!佐賀を救う男にして謎のアイドルプロデューサーッ!

 ────巽幸太郎様じゃい!

 

 

 お前たちが佐賀を救い終わるまでこの俺は決して倒れはせん!」

 

 

 ああ、きっと私の言葉だけじゃあ届かないんだろう。純子はそう思った。だから、

 

「約束、約束してください…」

「なんとでも言え、全部叶えてやる」

 

「私たちフランシュシュと幸太郎さんが佐賀を救った暁には────さくらさんと愛さんにすべてを話してください。全部です。」

 

 サングラス越しに幸太郎が目を見開いたのを純子は感じた。

 

「本気か…?」

「本気です。まさか幸太郎さんは過去の言葉を撤回するのですか?」

「ふ、ふん!どのみち全部佐賀を救うって目標がまず近くなってからの話だしぃ?お前たちのようなすっとこどっこいにはまだまだ遠い話じゃい!」

 

 また普段の調子に戻った幸太郎に、純子は自分の涙をぬぐった。

 今のままでは駄目だ。

 この私、紺野純子はもっと強くならなければならない。

 佐賀を救って、幸太郎をギャフンと言わせられるほどに強くならなければならない。

 

「ほら帰るぞこのボンクラゾンビィ、大体明日もイベントじゃろがい!あっ」

 

 その時何かが砂浜に落ちる音がした。幸太郎がかけていたサングラスが根本から割れていた。どうやら先ほど純子が頭をぶつけたときに壊してしまったらしい。

 

 

 そこで純子は初めて幸太郎の素顔を見る。

 月光に照らされた〝彼″は整ってはいるものの、どこにでもいるような特徴のないことが特徴のような青年だった。

 〝彼″の素顔のことは自分の中にだけしまっておこう。

 そしていつの日か、彼に安らぎが訪れんことを祈って。

 

 

 ◇

 

 幸太郎と砂浜から戻ってきてから数日経ったある日のこと。

 純子の中であることが気になった。なぜ自分が幸太郎に選ばれたのかと。

 

 さくらと愛は当然だ。日記にもあるようにきっと今の幸太郎の原動力となるような存在だろう。

 サキとリリィに関してはともに佐賀出身で、年齢的にも生前どこかで接点があってもおかしくない。

 自分以上に謎であるゆうぎりとたえのこともあるが、それにしたってなんで接点のない自分が幸太郎の蘇生対象に選ばれたんだろうか。

 

 正直自分以外にも佐賀生まれで若くして亡くなったアイドルはほかにもいる。

 さくらをサポートさせるためって言うならば、もう少し年齢を重ねたアイドルの中から探せばよかったのではないだろうか…

 愛とさくらが呼びに来るまでの間、答えの出ないループに純子はハマり続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゾンビ共が寝静まった深夜、幸太郎は机の引き出しの中から〝それ″を取り出す。

 父親からもらった古いレコードだった。

 幸太郎の幼い頃、両親はいつも共働きであり、幸太郎はいつも家の中で独りであった。

 そんな中、父親の物置から見つけ出した〝それ″は、幼い幸太郎にとって唯一孤独を紛らわせてくれるものだった。

 

 父親が若い頃に追いかけていた若くして亡くなったとある伝説の昭和のアイドルのレコード。

 そこに刻まれた音色は今なお色あせずに記された歌声を正確に奏でてくれる。

 

 

 源さくらと水野愛が〝巽幸太郎″にとってのきっかけであるならば、〝それ″は〝乾幸太郎″にとっての始まりだったというだけの話。

 

「なんじゃい、寝付けん…コーヒーを飲み過ぎたか…」

 

 そうつぶやく幸太郎の口元はしかし不思議と緩んでいた。



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ドリーミードリームサガ
ドリーミードリームサガ 上


短編集という形でうっかり続いてしまいました。
下は本日中に


 幸太郎が死んだ。佐賀を救ったすぐ後のことであった。

 

 

 フランシュシュの活躍によって佐賀県には活気が戻り、全国住みたい都道府県ランキング堂々一位を獲得できたし人口も少な目から年を追うごとに増加していった。

 海外でも日本や東京がどこにあるかを知らぬ人は居れども、佐賀は…九州!であることを知らない人間は生まれたばかりの赤子を除けばもはやこの地球上には存在しないほど。当然フランシュシュが活動した場所やタイアップしたお店は聖地となって日本どころか世界中からも観光客が訪れるようになるようになった。

 

 そして数日前に行われたフランシュシュ単独野外ライブでは世界中から集まったファンはついには50万人に届いた。フランシュシュはまさに佐賀の星であり、伝説となった。

 最初のあの拙いゲリラライブからここまで僅か数年。フランシュシュはみな、魂を燃やすかの如く駆け上がってきた。

 

 彼女たちを陰から支え続けた謎のプロデューサーである幸太郎も含めて。

 

 

 フランシュシュがここまで成長してもなお後方業務は彼一人であった。作詞作曲振り付け考案、衣装製作を始め、営業や宣伝告知やグッズデザインにスケジュール調整、法律顧問に資産管理などなどなど。フランシュシュの秘密が少しでも外部に漏れ出る可能性を減らすためにありとあらゆる業務を彼は一人でこなしていた。

 

 仕事を手伝おうととしても彼は頑なに拒み、そんな暇があるならファンに応えるために練習でもせんかと突き返すのみだった。しかし彼はゾンビではない、人間だ。並の人間どころか優れた人間ですら数人居なければ捌ききれぬほどの途轍もない激務は、明確に幸太郎の肉体を蝕んでいった。

 

 最後のライブの一か月前から彼の咳は止まらず顔が土色になったのを見て、ついに耐えかねたフランシュシュは幸太郎に休まなければライブをボイコットすると抗議した。これだけ大きくなった彼女たちがすでに決定していたライブを取りやめる。ファンたちと向き合い続けてきたからこそそれがどれほど重い物なのか身に染みてたし、それが同時に彼女たちの決意の重さをも物語っていた。

 

 さすがの幸太郎もこれには折れ、せめてライブまで待ってほしい、ライブが終わった後に一度プロデューサー業務から身を引くと約束した。

 それを聞いたフランシュシュは全力でレッスンに励んだ。ファンたちのために、そして今まで支えてくれた幸太郎に最高のライブを見せてやりたいと。そしてこれが終われば彼も休んでくれる。少し長い休暇を取ってみんなでどこかに出かけようと輝かしい未来に思いを馳せながら。

 そして迎えたライブ当日。当初は暴風雨が予告されていたにもかかわらずその日はまるで嘘のように空が晴れ渡り、フランシュシュはこれまでの中でも過去最高のパフォーマンスを叩き出す。世界各地から詰め寄せたファンたちの歓声は隣町にまで聞こえるほどであり、ライブは無事に大成功、彼女たちは笑顔でステージの上から去ることができた。

 

 はたして、フランシュシュと幸太郎と交わされた約束は果たされることとなった。幸太郎の死によって。

 

 

 ◇

 

 

 幸太郎の容態が悪化する前からフランシュシュの面々は彼を助けるために幾度も話し合いをしていた。しかしどれも成果を上げることができなかった。目に見えるほどにやせ細っていく幸太郎の姿を見て彼女たちはみなが心を痛めた。

 リリィは大好きな重機カタログを熟読しようにも数秒も集中できず、逆に愛はお肉のやけ食いがどんどん増えていき、あのたえでさえうろたえるばかりであった。みなことあるごとに手を止めては幸太郎の部屋の方向をつい視線を向けてしまい、またすぐにそれを誤魔化そうとあからさまにキョロキョロしだす。

 そんな彼女たちの中にとある昏い考えが浮かんでくるのも無理からぬという話である。

 

 ライブを終えた数日後のその日、さくらの目にちょうど階段を降りようとしていた幸太郎が目に映った。その動きは以前の幸太郎に比べれば呆れるほどに遅く、まるで何年も病院で寝たきりの老人のようであった。

 

 ──いっそここで背中を押してしちゃろか…

 

 そんな考えがさくらの脳裏をよぎった。

 幸太郎のゾンビ化はフランシュシュ内でも何度か話し合われたことだ。身体が蝕まれ続けるならばゾンビにしてしまった方がマシであると。だが同時にそのアイデアは検討されては破棄されてきた。

 方法がわからないと言うこともあるが、彼は未だに生者で、ゾンビィたちは皆自分が死んだときの瞬間、その恐怖を覚えている。そしてゾンビとなるということは同時にほかの誰かと結婚して子孫を作るという生物として当然の幸せをも奪うということになる。さくらもできることなら彼には普通の人間としての幸せを享受してほしかった。

 

 だけど今目の前の苦しそうな幸太郎の姿を見るとその考えが揺らぐ。

 虚ろな足取りでさくらが幸太郎に近づいていき、もう少しで手が届きそうなところまで来た。その時、幸太郎が突然振り返った。何年も目にしていたなかった憑き物が落ちたような笑顔。さくらは思わず虚ろな世界から引き戻される。そして、

 

 さくら、俺は────

 幸太郎は糸が切れたように階段から崩れ落ちる。最期に何を言おうとしたのか、さくらは終ぞ聞くことができなかった。

 

 

 ◇

 

 

 みんなが駆け寄ってきた時には幸太郎はすでに息絶えていた。事が事であるために今は彼の亡骸が傷まぬよう地下室に寝かせた。

 ただフランシュシュの面々はショックは受けては居ても、これが幸太郎とは永遠の別れとは思っていない。元々幸太郎が不慮の事故や病気で死んだ場合は無条件でゾンビ化させるとこはずっと以前から彼女たちの間で取り決めていたことだ。

 それでもやはりさくらは沈んでいた。

 

(私のせいやんけん…私幸太郎さんになにをしようとしたと…)

 

 さくらは幸太郎には手を下していない。しかしその直前に思わず殺意を抱いてしまった。ならば幸太郎が死んだのもきっと自分のせいだ。

 彼が倒れる直前、さくらに何か言おうとしていた。遺言になるそれを聞くことすらできなかった。さくらは自分を責める。

 ゾンビ化として蘇らせることはできるかもしれない。だがたえのように意識が覚醒しなかったりさくらのように記憶を失ったままの可能性もある。彼が最期になにを言いたかったのかは永遠に闇の中へ消えてゆく。

 

 そんな時、サキがふとあることを思い出した。

 

「そういやぁよ、グラサンのやつ、この前のライブの直前にあたしらに渡したい手紙があるって言ってなかとか?」

 

 その言葉にさくらの目に光が戻る。

 

「言ってたでありんしたな…ライブが終わって少ししたら読めとも。確か場所は…」

「たつみの部屋の机の中だって言ってたよー」

 

 そうだ、手紙だ。たとえもう肉声を聞くことができなくなるかもしれなくてもなにを思ったのかを手紙に遺してくれているかもしれない。

 気づけば愛から手が差し出されていた。

 

「私たちはアイツが最期に私たちになにを伝えたかったのか知る義務があると思うの、さくらはどうする?」

 

 その手を取るのにさくらは迷わなかった。

 

 

 ◇

 

 

 手紙とやらは意外とすぐに見つかった。それは手紙というよりは分厚いノートだった。一体どれだけ言いたいことがあったんだあの謎のプロデューサーはと一同は思いつつも読み進める。

 しかし一通り最後まで目を通し終えたとき、サキは怒りのあまりにそれを床にたたきつけた。

 

「ふ、ふざけんじゃねぇ!なんだよこれ!?」

 

 サキだけではない。さくらもリリィも、あの純子でさえもだ。あれだけ沈んでたさくらにしてもこれにはさすがにムッとした。

 

 そこに書かれていたのはフランシュシュの引継ぎに関するマニュアルであった。ゾンビのことを知っていてかつプロデューサー業務を兼任しうる人物のリスト、営業先の信頼性の順列や自身が過去に作ってきたコネの一覧、現地スタッフとの最適な調整の仕方、作詞作曲や振り付けのやり方に関するアドバイスなどなどなど。それらが事細かにびっしりと書き込まれていた。特に作詞作曲の部分などは一人ひとりについてしっかり考えられており、間違いなく血がにじむほどの努力の末に編み上げた巽幸太郎というプロデューサーとしての経験そのもの。だが、

 

「グラサンのやつ、初めから死ぬつもりだったわけかよ!」

 

 それが彼女らを逆撫でするものであった。

 思えば彼は業務から身を引くとは言ったが休養を取るとは一言も言っていなかった。あれだけライブが終わるまで待ってくれと言っていたのも大方これを完成させるまでの猶予というわけだろう。

 特に過労死したリリィの前で過労死するなど火に油を注ぐも同然。

 

「いいじゃない…そっちがそのつもりならこっちにだって考えがあるんだから…」

「あ、愛ちゃん…?」

 

 水野愛は激怒した。

 

「アイツが死んだということはむしろこっちの手間が省けたと考えるべきよ」

「ということはまさか…」

「ええ、予定通りアイツをゾンビとして蘇らせるのよ!」

 

 必ずや、かの邪智暴虐のグラサンを再び連れ戻して引っ叩いてやらねばならぬと決意した。

 愛には幸太郎のことがわからぬ。愛は、アイドルである。肉を食らい、さくらをどやんすしながら生きてきた。けれどもアイドルを置き去りにして死ぬような邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 自分たちをゾンビとして蘇らせ、佐賀を救うために共に歩んできたのに、自分一人だけ死に逃げなど許してやる道理などない。

 

「でも愛ちゃん…私らゾンビ化の方法とかわからんと…」

「そうね…確かに私たちは人間をゾンビにする方法は知らない。だけどアイツはそれに辿り着いて見せたのよ。だから私たちだって諦め──「愛はん!」えっ…!?」

 

 言葉を言い切る前に愛はゆうぎりにビンタされる。

 

「弱気なこと言いなすんな愛はん!確かにわっちらはゾンビにする方法は知らなんし!されど幸太郎はんはそこに辿り着いてみせたでありんす!だからわっちらだって絶対に諦めてはいけないんでありんす!」

「え…?うん、それ今私が…」

 

 涙目になって愛を叱咤するゆうぎりに愛は抗議しようとするも、

 

「いいや、ゆうぎり姐さんの言う通りだ」

「え…?」

「リリィもゆぎりんの言葉で目が覚めた気がする!」

「私も弱気になっていました!」

 

 困惑する愛を尻目にサキもリリィも純子もゆうぎりの言葉に次々と賛同する。

 

「なんなの…」

 

 呆然とする愛はそう呟くことしかできなかった。さくらは愛の肩にそっと手をのせた。

 

 

 幸太郎がフランシュシュにとってどんな存在なのかはうまく説明できそうにないとさくらは思った。

 初めはただの変人であった。妙に態度がデカくて、変に自信満々で、何言ってるのかわからなくて。それでも彼のおかげでステージの上に立つことができ、死んでも夢を叶えてくれた恩人なのは間違いない。

 

 だけど今となって、さくらの彼に対する感情はそれだけじゃないように自分で思えた。恋愛感情なのかどうかはわからない。それでも彼とはずっとそばにいてほしいと、そう思える相手であるとだけははっきりと言える。そう思っているのはたぶん自分だけではないだろう。そうでもなけりゃみんなしてこうも必死に幸太郎を蘇らせようとはしない。

 

(愛ちゃんなんかはきっと顔を真っ赤にして否定しそうけんね…)

 

 つまるところフランシュシュはみんな幸太郎のことが好きだったのだ。

 

 ゆうぎりとたえがゾンビ化の秘訣を知るとあるバーのマスターをとっちめたのは幸太郎が死んでから数日後の話。

 

 

 

 ◇

 

 

 屋敷の地下室で幸太郎の身体をフランシュシュは取り囲んでいた。すでにゾンビ化させる方法をバーのマスター徐福から聞き出した彼女たちはその下準備を終え、残すは幸太郎の魂を呼び戻すのみというところまでやってきた。

 

「グラサンのやつ、生き返ったらぜってーびっくりするとやろ」

「もう私たち死んでますけどね」

 

 サキの言葉に純子がゾンビジョークを返す。

 

「幸太郎さんが目を覚ましたらみんなでせーのであいさつしない?」

「それはいいアイデアでありんすな」

「ヴァ」

「でもたつみー目が覚めても昔のリリィたちみたいに意識がないただのゾンビみたいになるかもー?」

「まあその時は思いっきり刺激を与えてやればいいわ。幸い私たちには時間だけはあるんだし」

 

 そう言いながら愛はフランスパンを鞘み納める。ここまでほぼ不眠不休でみんな疲れ切っていたが、あと少しで幸太郎にまた逢えると思えばその程度の疲労などどうということはなかった。

 

「準備はいいんだな?」

 

 徐福が再確認する。返答は頷きのみ。

 

「じゃあ始めるぞ」

 

 幸太郎の肉体は光に包まれた。

 

 

 

 フランシュシュ一同幸太郎の手を握りしめる。それと同時に彼との過去を思い出す。

 

 初めて地下室ミーティングに佐賀城でのラップバトル、駅前での拙いゲリラライブでフランシュシュとして初めて一歩踏み出しての久中製薬での失敗、フランシュシュの大躍進の第一歩となったドラ鳥とのコラボCMにガタリンピック。チームの空中分解の危機になりかけて、でもどうにか大成功させて過去のトラウマと別れを付けることができた佐賀ロック。遺してきた家族や親友に告げることができた自分の想い。そしてさくらにとって、フランシュシュにとって本当の始まりとなったアルピノでのライブ。

 

 絶対に忘れられない大切な想い出が駆け巡って行き、手をより強く握りしめる。

 

「幸太郎さん…」

「幸太郎はん…」

「幸太郎…」

「グラサン…」

「ヴァ…」

「たつみ…」

「幸太郎さん…!」

 

 

 

 7人の想いを受けて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────しかし幸太郎の魂は帰ってくることはなかった。

 

 

 

「どう、して…?」

 

 光が消えても幸太郎の肉体は動くことはなかった。

 

「こいつはもう二度と戻ってはこれないな…」

 

 それを見て徐福は目をひそめた。

 

「普通の人間であれば誰しもが多少の未練を持っている。その現世との未練の糸を辿って魂を肉体にとどめるわけだが、こいつの場合は完全にきれいさっぱり燃え尽きちまってやがる。燃え尽きた魂は呼び戻すことはできん。だがらもう二度と目覚めることがねぇんだ…」

 

 そう言い切るや否や、幸太郎の肉体は急速に風化していく。フランシュシュたちがさっきまで握っていた幸太郎の手も徐々に砂となっていった。まるで幸太郎の存在した証すら消えてしまうかのように。

 

「い、いやだよたつみ…!お願いだから目を覚まして…!」

「幸太郎さんどうして…!?」

「グラサンてめぇ…ッ!」

 

 サキとリリィと純子は嗚咽を漏らす。ゆうぎりは目を伏せ袖で顔を隠し、たえもまた泣き出し始めた。

 

「な、なんで…」

 

 愛は崩れ落ちるように座り込み、泣くことすらできずに放心状態となった。

 

 

「ぁぁっ…ぅぁ…ぁぁぁああ──」

 

 

 もう消えかかった幸太郎の手の感触にさくらは絶叫した。

 

 

 

 

「───────────────────────ッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 



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ドリーミードリームサガ 下

「────────────────────ッ!!!!!!!???」

 

 

 

 

 自分の口から漏れ出たような悲鳴にさくらは布団から跳ね起きた。

 

「はぁはぁはぁはぁ…かほっけほっけほっ…」

 

 息が荒いせいか少し咳き込んでしまった。背中に手をやれば寝汗でびっしょりになっていた。最悪な寝覚めである。現実味のない夢。

 思えば佐賀がたった数年で救われるだとか地球上から佐賀を知らぬ人間が居なくなったなど現実的に考えればまったくあり得ないというところで気づくべきだったのに…。

 しかし幸太郎が過労死して、あまつさえゾンビとしても蘇れなかったというのは妙に真実味を帯びていた。

 

 こんな夢を見てしまった原因には見当がついている。数日前に見てしまった幸太郎の健康診断の結果のせいだろう。先日に大成功に終わったアルピノでのライブで、ネットでの評価を見ようとして幸太郎の部屋に忍び込んだとき、ゴミ箱にくしゃくしゃにして捨てられていたのを優れた動体視力を持った愛が見逃したのをリリィが見つけたのだ。

 どうやら幸太郎はこの歳ですでに慢性的な胃痛や寝不足に襲われていたようだった。

 

 と、そこでさくらは気づく。

 

「あれ…?みんなはどこへ行ったと…?」

 

 時刻は深夜2時。普段ならばまだ全然お休みの時間なのに誰もいない。しかもみんなしで掛布団を吹き飛ばしたような痕跡があった。

 

「…?」

 

 らちが明かないのでさくらはとりあえず部屋を出ることにした。あんな夢を見た後である。今はとりあえず一刻も早く幸太郎の顔が見たかった。

 

 ◇

 

 

「愛ちゃん…?」

「う、うわぁああ!?」

 

 幸太郎の部屋へ向かう途中にさくらは愛を見つけた。壁に隠れて幸太郎の部屋をちらちら見ていた。

 

「どどどどどどうしたのかしら、さくら…?」

「愛ちゃんがなんかおかしかと…」

「な、なんでもないわよ」

「…」

 

 しかし愛の様子はどうもおかしく、挙動不審になっていた。よく見れば愛のパジャマの背中の部分にはぐっしょり濡れた痕があった。

 

「それよりもさくら、なにか用でもあるの?」

「ちょっと幸太郎さんの様子を見に行くだけと…」

「奇遇じゃないの…」

 

 どうやら愛の目的地も一緒だったようだった。

 

「ねぇ愛ちゃん…」

「どうしたの?」

 

 とりあえず二人は話しながら移動することにした。

 

「さっきやな夢見ちゃったと…」

「それってどんな夢?」

「幸太郎さんが居なくなっちゃう夢…」

「──ッ!」

 

 思わず愛の足が止まる。

 

「私も似た感じな夢を見た…。中々休まないアイツを殺そうとして、でもその前にアイツが勝手に…」

 

 愛は震えながら両手を抱きかかえる。

 

「バカみたいよね…全然非現実的なのに…妙なところで未来予知っぽくて…笑いたくなっちゃう」

「私は笑わんとよ…」

 

 震える愛の両手をさくらは自分の手で包む。

 

「あんな夢を見たのはきっとわたしたちにまだ力が足りないんじゃけん。絶対に諦めちゃダメとよ…。」

「さくら…そうね」

「でもそのためにもまずは今幸太郎さんにどうやったら休んでくれるか考えんと…」

「それは私だって知りたいわよ…」

 

 こうなったらいっそ幸太郎をこの手で…。そんな昏い考えが頭をよぎり、

 

 

 

『さくら、俺は────』

『い、いやだよたつみ…!お願いだから目を覚まして…!』

『幸太郎さんどうして…!?』

『グラサンてめぇ…ッ!』

 

 

「──ッ」

 

 幸太郎の最期とリリィ達の嗚咽の幻聴が耳をちらつき、昏い考えは思わず消し飛ぶ。

 

「ま、まあとにかくまずはアイツのとこに行きましょ」

 

 愛のその言葉にさくらは従うしかできなかった。

 

 

 

「お、おぅ…奇遇だな…」

「あなたたちまで…」

「ヴァ…」

 

 気づけば幸太郎の部屋の入り口に全員で大集合していた。どうやら全員嫌な夢を見てしまって不安になったらしい。サキたちはどうやら別ルートだったようだ。

 

「とにかくアイツの顔をちゃっちゃと拝んで、解散しようや」

 

 サキの言葉に全員が同意する。

 

「じゃあ、行きますね…?」

 

 純子はドアを開けた。

 

 

 ◇

 

 

 

「なんじゃいお前ら…まーだ寝てなかったんかい」

 

 開口一番にそんな言葉が飛んで来た。時刻は深夜2時半。まだ寝てなかったようだ。

 しかし幸太郎の言葉に誰一人返事することができない。

 

(ぁぁっ…幸太郎さんがまだ生きとる…)

 

 脳裏にリフレインする土色の顔になっていくやせ細った姿でも風化した姿でもない。正真正銘生きている健康な姿の幸太郎。

 

「ん?どうしたんじゃ?」

 

 もう二度と聞けないかもしれないと思ったその声。ゾンビたちは不確かな足取りで幸太郎の傍まで来て彼に触れる。

 

「う…ぁっ…」

 

 最期に握りしめた彼の手の感覚と砂になっていった時の感触とは違う、生者のぬくもり───

 

 

 

「「「「「「「うわぁあああああああああんんんん!!!」」」」」」」

「な、なんじゃい!?」

 

 ゾンビたちは幸太郎に泣きついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──ってことがあったんですよ」

「オメーゆうぎりに手出してねぇだろうな?」

「だから出しませんって…」

 

 泣き虫ゾンビィどもに襲われてから数日、幸太郎はBAR New Jofukuでいつものように愚痴っていた。

 幸太郎は夢を見るのは好きではなかった。フランシュシュ全員に一人ひとりなぜゾンビとして蘇らせたのかと罵られる夢や、ステージの上でとてつもなく大きなトラブルが起きてフランシュシュが傷つくような夢ばかり見ていた。もう精神が擦り切れるほど見てきたし、さくらが記憶を失ったときの夢見は史上最悪であったと言っていい。

 

 しかしそんな彼だが、久々に最高に幸せな夢を見ることができたのだ。佐賀を救うことができ、フランシュシュ史上の中でも最高のライブに携わることができ、引き継ぎ作業も完成させて、しかもさくらに看取ってもらえたのだ。

 

 最期にさくらのおかげで自分はここまでこれたと感謝を伝えようと思ったがそれはさすがに望みすぎだろう。控えめに言っても最高の夢であったと言っていい。

 普段は神に感謝しない幸太郎でもこの時ばかりはお賽銭を入れてやってもいいというぐらいには礼を言いたかった。

 

 だというのにである。いい夢見で醒めたしとりあえず仕事をしようと思って起き上がったところでゾンビィどもが揃いも揃って辛気臭い顔で襲来してきたのだ。幸太郎自身はフランシュシュたちにどう思われようが構わないと思っている。いや、むしろ死者を蘇らせるという冒涜を犯したのだ。そんな人間は彼女たちに好かれる権利などないという考えすらあるし、そのために彼女らとは距離を取っていた。

 しかしながらそんな幸太郎でもさすがに彼女たちの泣き顔を見ると心が痛むのだ。幸太郎が好きなのはステージの上で最高の輝いている彼女たちの笑顔なのであって、泣き顔を見てしまうとこちらまで胸が苦しくなって何もできなくなる。

 

 だがゾンビィどもがなぜ泣いたのかをいくら考えても思い出せず、こうしてお酒に浸っているのである。もしかしたら自分の仕事が至らないせいなのだろうか…。

 少なくとも好感度調整がほぼカンペキにうまくいっていることは間違いないであろうから自分を心配したという線はまずありえないだろうとだけは言えるが…。

 そうでもなければことあるごとにサキにぶっ倒れろと言われながら殴られないし、愛も抜身のフランスパンで切りかかってこようとしないだろう。あれは完全にアゴ狙いでこちらを気絶させに来るつもりである。また純子が睡眠薬を購入してそれをコーヒーに混ぜて持ってこようと画策していることもすでに察知済みである。これは間違いなく好感度調整がカンペキである証拠だろう。

 

 ゾンビィどものことはさておいて、夢の中であった引継ぎマニュアル制作はいいアイデアなのかもしれないと幸太郎は思った。自分がいつどんなことになるか分かったものではない。いざというときのために作った方がいいだろう。

 

「我ながらグッドなアイデアじゃい」

 

 そう自画自賛しながらおちょこに口を付けようとして…

 

 

 

『『『『『『『うわぁあああああああああんんんん!!!』』』』』』』

 

 

 思わず取りこぼしそうになった。

 これである。あの夢を見た夜からそうなのだが、事あることにゾンビィどもの泣き顔が脳裏にこべりつくのである。それも幸太郎が乗りに乗ってるときに限って。

 夜もうちょっと起きて仕事を片付けようとするたびにあの声が再生されるし、牧のうどんでごぼう天肉うどんを頼もうとするたびにあの光景が脳内再生されるのである。おかげさまで仕事は思うように進まず、気晴らしに食べたいものも好きに食べれないという有り様。まさに地獄である。

 

 だからこうしてそのような幻聴とおさらばしようとしてお酒に逃げるしかなかった。すでに1合飲み干しており、2合目に手を付けようとしたところで…

 

 

 

『『『『『『『うわぁあああああああああんんんん!!!』』』』』』』

 

 

 再び脳裏をちらついた泣き顔に思わず肩を震わせる。仕事もダメ、ちょっと営業のために身体に悪い食べ物を食べるのもダメ、お酒に逃げるのもダメ。

 

「な、なんでじゃい…おれが何したってんじゃい…」

 

 幸太郎は一升瓶抱えながらめそめそ泣いた。

 

 

 

 

 

 

「はぁ…こりゃ時間がかかりそうだ…」

 

 そう呟きながらイカゲソをかじるマスターの目には、しかし愉悦の色が浮かんでいた。



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