稀代の投資家、帝国貴族の3男坊に転生 (ノーマン(移住))
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1話:目覚め

ノーマンと申します。別サイトで毎日更新をしていましたが、システムトラブルで難しい状況になりましたので、ハーメルンさんにお世話になる事にしました。投稿済みの115話分を5分おきに公開していきます。何卒よろしくお願いします。


宇宙暦752年 帝国暦443年 オーディン軍病院

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

ふと目をあけると、白い天井が見える。

ここはどこだろう......。

そんな事を考えながら周りを見渡すと、腕には点滴がされ、定期的に機械音が聞こえる。

 

なにやら頭に巻かれている感じがする。

手足を動かしてみるが、特に問題はなさそうだ。

 

視線を右に向けると窓が見える。

オレンジがかった陽光が目に入る。どうやら夕方らしい。

 

落ち着いて現状を把握しようとするが、頭がボーっとして思考を進めることができない。どうしたものかと思っていると突然ドアが開いた。

 

「お気づきになりましたか。また安静が必要です。そのままお休み下さい。ご家族をお呼びしてまいります」

 

30歳位の女性医師が、ゆっくりと話しかけてきた。欧米系のキリっとした顔立ちだがやけに身長が大きい。そのまま女性医師は部屋を出て行った。

 

しばらくすると勢いよくドアが開く。

 

「ザイトリッツ、目覚めたのですね!!」

 

部屋に入ってきたのは30歳と50歳位の女性。やけにクラシックなスタイルのドレスを着ている。病院という場には合わないな......。などと考えていると、先ほどの女性医師も部屋に入ってきた。

 

「マリア様、カタリーナ様。ザイトリッツ様はまだ覚醒されたばかりです。安静にする必要がございますので、お静かに願います」

 

「ごめんなさいね。久しぶりにヴァルハラに出てきたザイトリッツにこんなことがあって。わたくしたちも万一のことがあったらと不安でいたものですから」年配の女性が答える。

 

「覚醒はされましたが、お話などをされるにはもう数日安静にされてからがよろしいと存じます。万が一の状況はもう御心配には及びません。一度、お屋敷に戻られ、お休みになられてください。ザイトリッツ様もそれをお望みになると存じます」と女性医師が言うと

 

「お義母様、ローゼの言う通りですわ。峠は越えましたしニクラウス様にもお伝えせねば。一度戻りましょう」

 

「そうね。ザイトリッツ、本当に心配したのよ。ローゼの言うことを聞いて安静にしていなさい。またすぐ参りますからね」

 

何やら話が勝手に進むが、年配の女性から鬼気迫るモノを感じ、思わずうなずいてしまった。

 

「ではローゼ、くれくれもザイトリッツをお願いね」

 

と言い残すと、クラシックなドレスの二人組は部屋から出て行った。ドアをみると数名従者やメイドのような恰好をした者が見える。

 

「ザイトリッツ様」

 

ローゼと呼ばれた女性医師が話しかけてくる。

 

「ザイトリッツ様は交通事故にあわれました。まだ意識がはっきりしないと存じますが、安静にしていれば回復いたします。今はお休み下さい」

 

考えるのも話すのもまだキツイ。

一度うなずくと、目を閉じる。

 

目を閉じる前にドアの方に目線を向けると、6歳位の男の子が見えた。

 

初めて見るはずなのに彼がパトリックであることが分かった。

なぜだ?という疑問が浮かぶが、今は考えがまとまらない。

 

夢でも見ているのだろうか。

ザイトリッツと呼ばれることに違和感も納得感も感じる。

 

違和感の方を考えてみる。

そもそもこの身体は子供のようだ。はっきりしないが、そこそこの年月生きていた気がする。

 

祖母も母も、あんな貴族のような恰好をしていただろうか?いや、中流階級だったように思うし、なんとなくだがかなりの期間、教育機関に通った記憶もある。

 

はっきりしないが、日々値動きをするものを先読みして元手をつくり、その金で組織を買い取り再生して儲けた気もするし、子供がいたような気もする。

 

次に納得感の方を考えてみる。

 

不思議な話だが、やけに鬼気迫るモノを感じた年配の女性は祖母でマリア。若い方は母のカタリーナであるとなぜかわかる。

 

ニクラウスは父親だ。軍関連の仕事をしていたように思う。軍服を着ている印象がなぜかある。

 

そしてパトリック。

そう、彼は乳兄弟だったはずだ。

 

でもそうなると......。

 

乳母のカミラはなぜ顔を出さないのだろう。祖母マリアと母カタリーナがいるのに彼女が顔を出さないのはおかしい。

 

一瞬しか見えなかったパトリックの表情。泣いていたように思う。

 

他にも、祖父レオンハルトが反乱軍の名将との戦争で戦死したこと。

参戦した多くの帝国軍人が戦死したため、父は本来伯爵家を継ぐはずが軍を退役できずにいること。

 

生まれたのがレオンハルトが戦死した年であるため、祖母が私をレオンハルトの生まれ変わりと思い込み、溺愛していることもなぜかわかる。

 

色々なことが頭を駆け巡るが、なぜかパトリックの泣き顔と、カミラが顔を見せないことが気にかかる。

 

だが、そこで限界だった。

意識がはっきりしない中で思考したせいか、もう眠気にあらがうことができない。

 

私は意識を手放した。

 

 

翌朝、人の気配を感じながら目を覚ます。

目線を左に向けるとローゼ先生が目に入る。

 

よく見ると目の下にクマがうっすらとだが見える。夜勤明けなのだろうか、初めて見たとき感じたキリっとした印象はうすれている。メイクが乱れているからか。それともイスに腰かけたままうつらうつらしている......。無防備な状態を見たからだろうか?

 

窓からは日の光が差し込んでいる。

光量からすると、早朝ではないが、お昼でもないように感じる。

 

ローゼ先生に声をかけるべきか悩んでいるうちに、人の気配が近づいてくる。スッとドアが開くと、祖母のマリアが見えた。

 

「ザイトリッツ、気分は如何?」

 

カツカツと足音を立てながら祖母がベットに近づく。人の気配と足音に反応したのか、ローゼ先生が目をさました。

 

「これはマリア様、ご無礼をいたしました。勤務後にザイトリッツ様のご様子を確認していたのですが」

 

「おばあ様、おはようございます。ローゼ先生が傍にいてくれたおかげか、安心して休むことができました。昨日はご心配頂いたにも関わらず、お礼も申し上げず申し訳ありません」

 

視界の端でローゼ先生が恐縮する空気を感じる。

 

「あら、ザイトリッツ。レディーを気遣うのは貴族の男性の務めですが、5歳のあなたにはまだ早いわ。教えてもいないのにしっかり務めをはたせるとは。さすがレオンハルト様の生まれ変わりです」

 

うっとりしながらこちらを見つめてくる祖母。

生まれ変わりの可能性はあるけどレオンハルトの生まれ変わりではない。まあ、そんなことを明言する必要はないだろう。

 

「マリア様じきじきにくれぐれもとのお言葉を頂きましたしご出産の際は私も立ち会いました。万全をと思い私自身で御傍におりましたが、お見苦しいところを申し訳ございません」

 

どうやらローゼ先生は俺を取りあげてくれたらしい。

 

「むしろここまで尽くしてくれるのはありがたいわ。ローゼ、身分の違いはあるとはいえ、あなたはザイトリッツの母も同然です。自分の体調も顧みず、ザイトリッツの傍にいてくれたこと、決して忘れません。ザイトリッツ?あなたもローゼがあなたの命の危機に自らを省みず尽くしてくれたこと。くれぐれも忘れてはなりませんよ?」

 

「おばあ様、まだ頭がもやもやしておりますが、昨日に比べるとかなり回復しています。これもローゼ先生が付き添ってくれたおかげでしょう。もちろんこのザイトリッツ、三男ではありますが御恩はお返しするつもりです」

 

「恐れ多いことでございます。私はルントシュテットのご支援を頂いて医療大学を卒業できました。御恩を思えば当然の事にございます」

 

ローゼ先生が恐縮した様子で返答する。

 

「おばあ様、ローゼ先生は昨日わたしに付きっきりでした。おばあ様がいらっしゃった以上、ローゼ先生にはお休み頂いたほうがよろしいのでは?」

 

「そうね。ローゼ、ご苦労でした。今日はわたくしがザイトリッツの傍におります。さがって休みなさい」

 

「しかしマリア様......」

 

「しかしではないよ。ローゼ先生。私の為にも帝国臣民の為にも休むべき時に休んでくれ。ローゼのような美貌の持ち主がクマを浮かべて激務をこなしても周囲が落ち着かない。

 

私の主治医はローゼなのだろう。ならちゃんと体調にも万全を期してくれ」

 

休もうとしないローゼにきちんと休めと伝えると

 

「あらあら、私やカタリーナは寝ずに心配していたのにローゼのクマは心配するのねえ......」

 

とおばあ様がすねだした。

 

「おばあ様、正直記憶があいまいなのです。いろいろと確認したいことがございますが、ローゼ先生が同席では話せないこともございましょう。おばあ様と話した後ケガによる影響なのかはローゼ先生と相談しますが、おばあ様と忌憚なくお話がしたいのです。いけませんか?」

 

「マリア様、恐縮ですがザイトリッツ様にここまで言われては控えざるをえません。一旦帰宅し体調を万全にしたいと存じます」

 

そうローゼが言うと

 

「あらあら、ザイトリッツは淑女の扱い方まで覚えているのね。一体だれが教えたのかしら......」

 

などと言いながら、目だけは迫るものがある。

 

「おばあ様、お戯れはおやめ下さい。いろいろとはっきりしない部分があるので、確認含めお話ししたいのです。それともおばあ様は私と話したくないのでしょうか?」

 

すがるような目線をあえてマリアに向けると

 

「そんなことはないわ。ザイトリッツ。ちゃんとお話ししましょうね。ローゼ?ザイトリッツが気にするわ。あなたは主治医ですが夕方まではわたくしがここにおります。あなたは体調を万全にしなさい」

 

「はい。マリア様」

 

そんな会話を横目に見ながら当家って結構権力あるんだな

などと、現実逃避するわけではないがホッとした様子のローゼを

見ながらどうしたものかと考え込むのだった。



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2話:転生?

宇宙暦752年 帝国暦443年 1月5日 オーディン軍病院

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

ひとまずローゼ先生を逃がすことに成功したがそれは祖母マリアとの一対一のはじまりを意味する。どうしたものかと思案する間もなく、マリアが話しかけてきた。

 

「ザイトリッツ?顔色は昨日よりだいぶよさそうね。まだ、どこか痛いところはある?」

 

「いいえ、おばあ様。まだなにか考えるとまとまらない状況ではございますが、痛むところはございません」

 

マリアは俺の左ほほに手を当てながら続ける。

 

「良かったわ。ルントシュテット家の男子たるもの弱音は吐くべからずとはいえ、貴方は事故にあったのです。痛む部分があれば、むしろ早めに伝えるのですよ?」

 

「はい。おばあ様」

 

うーん。マリアは俺の事を祖父の生まれ変わりと猫かわいがりしてはいるが、祖父レオンハルトであればこうする!みたいなことを日々言っていた気がする。

 

「怪我をした際に変な意地を張って万が一のことがあってはそれこそ無謀というものです。一日も早く回復できるよう変な意地を張るつもりはございません。おじい様であれば、一日も早く万全にすることを優先されたはずですし」

 

するとマリアは

 

「よくぞ申しましたザイトリッツ。それでこそルントシュテット家の男子でしょう。レオンハルト様もきっとお喜びの事でしょう」

 

と、涙ぐみながら満足そうな表情をしている。

正解を言えたようだが、記憶があいまいな部分が多い事も事実だ。なにやら喜んでいるうちにマリアに確認してしまおう。

 

「おばあ様、昨日お伝えしたと思うのですが、事故の後遺症なのか、記憶にあいまいな所がございます。いくつか確認したいのですがよろしいでしょうか?」

 

「もちろんです。確認したいことはどんなことなのです?」

 

マリアが若干心配そうな表情を浮かべながらこちらを見つめてきた。

 

変に心配をかけることに少し罪悪感を感じながら昨夜、自分がザイトリッツと呼ばれることに対して感じた納得感の方を考えたときに浮かんだことを伝える。

 

ルントシュテット家の当主、ニコラウスの3男であること。長男、ローベルトが士官学校におり、次男、コルネリアスが幼年学校にいる事。

 

父、ニコラウスと母、カタリーナは軍務と貴族としての付き合いの為、オーディンの屋敷におり、領地になかなか戻れずにいる事。

 

母が不在の為、乳母のカミラ。乳兄弟のパトリックと伴に過ごしてきたこと

 

そして最後に、祖母マリアが領地経営を代行しているためシャンタウにいる事。母が多忙なため、自分は祖母の下で養育されていることと、祖父が反乱軍の名将との会戦で戦死したことを一つ一つ確認しながら話した。

 

「ザイトリッツ。他になにか覚えていることはあるのかしら?」

 

マリアの問いに首を横に振ると

 

「レオンハルト様も家族や近しい人には配慮を欠かさない方でした。やはり貴方はレオンハルト様の生まれ変わりね」

 

などと、また涙ぐみながらも満足げな表情を浮かべている。まだ5歳とは言え、今までの俺はだいぶ甘やかされていたのではないか?と心配になる。

 

「おばあ様、私もルントシュテット家の男子。いろいろとお教えいただいたことは記憶にございますが間違いがあっては恥です。確認も含め、今一度ご教授いただけないでしょうか?」

 

するとマリアは一段と感激した様子で色々と話してくれた。とはいえ所詮5歳児、だいぶ簡単ではあったが置かれている状況が理解できた。

 

祖母マリアの話によると、現在入院しているのはオーディンという星の軍病院らしい。

 

祖父・父ともに軍人であるため、事故にあった際にその伝手で入院できたそうだ。オーディンは銀河帝国と呼ばれる星間国家の首都星で、年末年始を家族揃って過ごすために領地から出てきた所、事故にあったらしい。

 

銀河帝国を建国したのはルドルフ大帝で、建国して既に450年近く経つ。

 

帝政をひいており、現在の皇帝はオトフリート5世。仕える相手としては褒章は若干少なめな所を除けばまずまずの名君らしい。

 

その中でルントシュテット家は伯爵号を有し、銀河帝国の領域の中では中心部と辺境の中間に位置するシャンタウ星域を領地として治めている。

 

もともと初代は銀河帝国の建国期にルドルフ大帝を軍功の面で支えたらしく、それ以降、ルントシュテット家は代々軍人として帝政を支えてきたようだ。

 

そんなルントシュテット家ではあったが、反乱軍との戦争は既に一世紀近くなり、歴代の当主や直系男子もかなり戦死しており、領地の経営も何とかできているレベルのようだ。

 

その中でも、祖父レオンハルトは若年から才覚を示し、将来は宇宙艦隊司令長官も期待される人材だったが、6年前の第二次ティアマト会戦にて戦死。

 

祖父は父、ニクラウスに幼少から軍人としての教育を施したが反発まではいかないものの、父は部下が死ぬ環境に嫌気がさし軍官僚へキャリアを変えたが、祖父が戦死した第二次ティアマトで、将官だけでも60名近く戦死した影響で本来なら退役し、伯爵として領地経営をするはずが、いまだ現役であること。

 

をマリアは矢継ぎ早に話し続けた。

 

思い起こすと、本当に幼少の砌には、祖母の薫陶を理解できずともうんうんと聞いていたが、最近は乳兄弟のパトリックと屋敷の外で遊びたがることが多かったらしく、祖母としては俺と話す時間が少なくなり、不満を感じていたようだ。

 

祖母の不満解消という観点では意味があるが、そろそろお昼。マリアの独演会をどうしたものかと考えだしたタイミングで

 

「コンコン」

 

ノックがされるや否やドアが開き、母親のカタリーナが病室に入ってきた。

 

「お義母さま、おそくなり申し訳ございません。ザイトリッツの容体は如何です?」

 

「カタリーナ、まだ事故の影響なのか、記憶があいまいな部分があるようなの。確認も含めて、お話していたのよ。久しぶりにザイトリッツとゆっくり話す時間が取れたわ」

 

「そうでしたか、最近はお屋敷を抜け出して遊ぶことが多いとお嘆きでしたものね。こんなことがありましたもの。少しは良いこともありませんと」

 

「その話はまた改めてにいたしましょう。まずはザイトリッツの体調です。しっかり休んで万全に戻さなければ」

 

目の前で俺を含まない会話のキャッチボールが続く。ザイトリッツとしての記憶に引きずられているのかどうもこの二人には苦手意識がある。

 

話し疲れもあるしこれ幸いにそんなやりとりを眺めていると

 

「お義母様、あの話が明日の午後にございますので、ニクラウス様へザイトリッツの病状もお伝えせねばなりません。お義母様には領地経営を担って頂いてもおります。ご同席頂きたいのですが」

 

「そうですか。今はザイトリッツについていたいし、貴方たちだけでも大丈夫な気もするけど、手違いがあってもよくないわね。わかりました」

 

淑女達のキャッチボールが終わりそうだ。休みたいのも事実だが、手元に何もないし、状況も確認したい。どうしたものかと考えていると。

 

「こんな時にごめんなさいね。ザイトリッツ。お義母様のお力添えをお願いしなければならないことがあるの。寂しいかもしれないけど、堪えてくださいね」

 

カタリーナが申し訳なさそうな表情で話しかけてきた。事情があるなら仕方のないことだ。

 

「母上、まだ安静にしなければいけませんが、命に関わることはなさそうです。御心配には及びません。とはいえ手元に費えがないのも不安ですし、何かの際に事付けを頼める方がいてくれると安心なのですが、お願いできますか?」

 

カタリーナは少しビックリした表情をしながら

 

「確かにそうね。気が動転していたのか、気づかずにごめんなさいね。費えの件は、ローゼに言えば済むようにしておきます。人の方は従士のフランツについてもらうことにしましょう」

 

病室の外にカタリーナが声をかけると、16歳位の青年が入ってきた。

 

「ザイトリッツ様、従士のフランツでございます。部屋の外に控えておりますので、何なりとお申し付けください」

 

優しい大型犬に懐かれる印象を感じながら、

 

「フランツ。よろしく頼む。おばあ様、母上、こちらはご心配には及びません。お戻りください」

 

そう俺が言うと、マリアとカタリーナは少し名残惜しい表情をしながら病室から出て行った。まだ体調が万全ではないのもあるのだろうが、少しホッとした。

 

身体からも疲れを感じるが、安静にしている間に状況確認を進めたいのも事実だ。そのあたりの指示をフランツにしておこう。

 

「フランツ。母上から聞いているかもしれないが、事故のせいで記憶があいまいな部分があるのだ。ルントシュテット家の男子として間違いがあっても困る。私が休んでいる間に我らが帝国や領地に関して確認できる書籍なりデータなりを用意してほしいのだが、問題はあるか?無ければ少し疲れたので休みたいと思うが......」

 

「問題ございません。お休みされているうちに用意しておきます。他には何がございますか?」

 

今のところない旨を伝えるとフランツは手配して参りますと病室を出て行った。

 

急に病室に一人きりになると、広くなった気がする。とはいえすべきことはない。安静にしていよう。目を閉じると疲れを感じていたのもありすぐに眠りに入った。




原作の第2次ティアマト会戦は宇宙暦745年12月
ザイトリッツの誕生は宇宙暦746年3月を想定しています。


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3話:母の憂鬱

宇宙暦752年 帝国暦443年 1月5日 ルントシュテット家所有車内

ルントシュテット伯爵夫人 カタリーナ

 

3男ザイトリッツが交通事故にあい、入院した。久しぶりに家族が揃う喜びを感じていたのは束の間の事だった。第二次ティアマト会戦でお義父様、先代のルントシュテット伯爵が戦死して以来、我が家も帝国軍部も非常事態が続いていた。

 

当主の戦死という事だけでも貴族にとっては一大事だ。だが、第二次ティアマト会戦は帝国軍部と武門の家柄であった貴族層に深刻なダメージを与えた。将官だけでも60名近くが戦死するという大敗を喫したのだ。さすがに6年前という事もあり落ち着きを取り戻しつつあったが、まだ夫は予備役への編入が出来ないでいる。

 

本来なら伯爵家当主として領地の経営を行う立場であったが、予備役編入を願い出る事ができる状況ではなかった。ただ、もっと深刻な貴族家もある。当家は夫が戦死することは無かったが、2世代ともに戦死した貴族家さえあるのだ。そういう意味では、先代レオンハルト様は何か予感めいたモノを感じていたのだろうか。

 

軍歴を重ねる中でお世話になったツィーテン元帥が指揮を取るため、自分が参加せねば顔が立たないと言いつつ、夫の従軍は頑なに許さなかった。

 

自分が不在の間、家をしっかり守るのも伯爵家嫡男としての務めである。そうおっしゃっていたが、後からお義母様に聞いた所によると、帝国軍上層部は敵将アッシュビー提督を敵とみる貴族将官が多く、まとまりに欠く部分があったようだ。

 

嫁いだ私から見ても、先代は絵にかいたような軍人だった。公明正大で命令に忠実ではあるが部下にも配慮を欠かさなかった。そしてルントシュテット家が武門の家柄であることをとても大切にされていたように思う。

 

夫、ニクラウスとの関係も悪くなかったが、夫には前線指揮官よりも後方支援の適性が高いと判断していたようだ。先代の影響もあり、夫も当家が武門の家柄であることはかなり意識していた。そのせいか、前線指揮官を志向していたので、一時は衝突することもあったらしい。

 

とはいえ、ルントシュテット家にとっては良い判断だったと思う。先代のご兄弟も戦死されているし、武門の家柄といえば聞こえは良いが、ルントシュテット家の直系は私の子供たち3人しかいない。

 

領地経営の面を考えれば、夫が後方支援を軸に軍歴を重ねた事は幸運なことだし、血脈を立て直す意味でも、レオンハルト様は次代には前線指揮官はさせるべきではないと考えていたように思う。

 

最後に先代とお話しした事を思い出す。いつもは出陣前に領地に戻ることなどなかったが、あの時は違った。そして先代、お義母様、私で夕食をとっている際にあるお願いをされたのだ。先代からお願いされる事など初めてで、強く心に残っている。

 

お願いの内容は、もし3男が生まれたら「ザイトリッツ」と命名してほしいとのことだった。長男ローベルトも次男コルネリアスも先代の命名だった為、不思議に思うと理由が続いた。ローベルトもコルネリアスもお付き合いのある貴族の方から勧められた名前だったらしい。そしてザイトリッツはずっと温めていた名前とのことだった。

 

少し照れた様子で話す先代に、自分で命名するためにも無事にお戻りください。とお義母様がお話しされていた。考えてみれば温か味を感じた最後の時間だったように思う。

 

あれから6年。武門の家柄といえば聞こえはいいが、当家を含め軍部に軸足を置く貴族家は門閥貴族とは一線を引く形で婚姻関係を結んできた事が裏目に出た。軍部の貴族の力が弱まった事をいいことに、門閥貴族が軍部に入り込もうとしたのだ。

 

軍部系貴族は団結したが、いくつかの家は直系が途絶えており世代も若かったため、対抗するのも大変だった。団結できたのは、自分たちの次世代の為でもあった。大敗したとはいえ、今までは軍人としての教育をしっかり受け功績を基に昇進した将官が指揮を執っていたのだ。

 

爵位だけの素人の指揮で自分たちの子弟が使い潰されるのは私たちにとっては悪夢だ。

 

第二次ティアマト会戦で先代が戦死してすぐに妊娠してる事が分かった。妊娠後期に星間移動を行うわけにはいかなかった。ザイトリッツを出産して体調が戻ると、私はオーディンに向かった。長男ローベルトと次男コルネリアスは一緒に連れて行くことが出来たが、ザイトリッツはそのまま領地にて、お義母様に養育をお願いせざるを得なかった。

 

そして5歳になり星間移動にも耐えられる年齢になったためオーディンに呼び寄せた。やっと家族が揃うと思えば交通事故だ。交通事故の件も含め、お義母様にもご報告しておかなければ。

 

「お義母様、ザイトリッツの容体も安定した様子で安心いたしました。お話は伺っておりましたが、しっかり養育していただいた様子。オーディンで多忙であったとはいえ、お義母様任せにしていたことも事実です。本当にありがとうございます」

 

「オーディンの状況は私も理解しています。そのような礼は不要ですわ。それに、私一人で領地経営ではさすがに寂しいもの。ザイトリッツがいてくれたことは私の救いでした」

 

お義母様がしみじみと答える。

たしかに私がお義母様の立場なら一人で領地経営など出来ない。

 

本来、帝国貴族の女性は基本的に経済学・経営学などといった実学は学ばない。領地経営の為の組織がきちんと存在するためなのだが先代は早くにご兄弟が戦死したため、自分に万が一のことがあったらと考え、お義母様にご自分でいろいろと領地経営の事を教えていた。

 

領地経営を任せられるお義母様の存在は不幸中の幸いだった。今の状況に領地経営まで担うとなれば、夫も過労で倒れかねないし門閥貴族の軍部への浸透ももっと進んでいただろう。

 

「領地経営の事も大変ありがたく存じております。正直オーディンの事で精いっぱいの5年間でした。ニクラウス様ともお義母様に感謝しなければと常々お話しております」

 

「領地経営の件はあまり思いつめないで欲しいわ。当家の状況も理解しているし、こういう時の為にレオンハルト様は私に教育されたのですから。ふとした時にあの方がお教え下さった事はこういう事なのねって思い出せるから私にとっても悪くない時間なのです」

 

姑がお義母様のような方でよかった。他家では嫁姑の間で、戦死の責任を問いあって言い争うようなこともあると聞く。とはいえ、これでザイトリッツをオーディンで育てるのはもう少し後のことになりそうだ。

いくら気にするなと言われたからと言っても、領地経営をお願いしている以上、ザイトリッツを引き離してお寂しい思いをさせるわけにはいかない。

 

そうなると幼年学校に入る10歳までは領地で育てることになるだろう。もともと出産直後から先代の生まれ変わりと溺愛していたが、10歳まで養育をお願いするとなると、母としてしてあげられることはほとんど無くなってしまう。今更の事だが、思った以上に早い親離れに寂しさを感じる。

とはいえ、まずは差し迫った問題を相談せねば

 

「お気遣いありがとうございます。ところでお義母様、明日の件なのですが......」

 

明日の話し合いは今回の交通事故の落とし所についてだ。今回の交通事故だが、法的にはこちらに過失はない。

 

また直系男子が意識不明の重体になり、同乗していた乳母は身を挺してザイトリッツを守る形で死亡していた。貴族同士の事故であれ本来なら謝罪の上、賠償がなされるはずだが、事故の相手が悪かったと言える。

事故の相手は門閥貴族で次期皇帝最有力のリヒャルト殿下を推す派閥の伯爵家の嫡男。しかも飲酒していた。もともと評判の良くなかった人物だが、やっと取り付けた婚約を控えてさらなる悪評は表に出したくない。

だが、多額の賠償金を払う位ならリヒャルト殿下の派閥形成に資金を使いたい。皇族の威光を盾に、無理難題を押し通そうとしてきたのだ。あまりの事に、当主ニクラウスは唖然としたが、やっと門閥貴族の軍部への浸透を抑えだしたタイミングで、門閥貴族と次期皇帝を相手に事を構えるのは躊躇われた。

 

このままいけばこの件は内々に処理し、通常の賠償金と、軍への糧秣の納入を優先的にできるという形になるだろう。お義母様は黙って話を聞いていた。溺愛するザイトリッツを有象無象のように扱われ、一緒に養育してきた乳母などどうでもいいかのような内容。いつお怒りになるかとハラハラしながら最後まで話終えると、お義母様は意外な反応を返してきた。

 

「貴方たちの苦労も理解しているわ。納得できるならその内容で進めればよいと思う。ただそんな取り巻きに好きにさせているようではリヒャルト殿下が帝政を担うときは暗い時代になりそうね」

 

私が意図を図りかねているとお義母様は言葉を続けた。

 

「あの人が良く言っていたわ。部下への暴力は絶対にダメだと。また一兵卒だろうが司令官だろうが公明正大に対しなければならないと。特に理不尽なことをされた方は、そのことを一生覚えているし隙があればやり返そうとするもの。

公明正大でなければ贔屓された者は増長してさらに何かを引き起こすわ。当然、そのお馬鹿さんは恨まれるだろうけどそれを放置した人間も当然恨まれる。邪険にされたものにも当然恨まれるでしょうね。一度何かがあった時にそういうモノは一気に噴出するもの。

 

聞いた時は怖いと思ったけど、横暴な士官はよく戦死するらしいの。敵の攻撃で戦死したのか、部下に恨まれてなのか分からないことが多いらしいわ。門閥貴族も今は気づいていないでしょうけど、今までは軍部と門閥貴族はあくまで中立だったけど、今では敵とまで言わなくても険悪な状態にあるわ。いつか報いを受けることになるでしょうね」

 

「お義母様、そのようなことをあまり大きな声でおっしゃらないで下さいませ。ただ、あまり褒められたことではございませんがあの方々のわがまま放題にはいい加減うんざりしておりました。報いを受ける日が来て欲しいと私もつい思ってしまいます」

 

「あらあら。私たちはいけない淑女ということねえ。ただ、ザイトリッツとカミラの事を思うと何も思わないとは嘘でも言えないわねえ」

 

お義母様の予言にも驚いたが、てっきりお伝えしたらお怒りになるのではと思っていたので、正直ホッとした。

 

「カタリーナ。カミラの件は私からザイトリッツに話します。申し訳ないけど退院したら一緒に領地にもどるわ。配慮が必要でしょうけど、パトリックは乳兄弟。今更引き離すのも変でしょうし、カミラに報いる意味でも、もう少し手元においておきたいの。わがままを許してちょうだい」

 

「はい。お義母様。正直なところザイトリッツに関してはお義母様にお任せしたままで心苦しいのですが、養育に割ける時間が乏しいのも事実です。お願いいたしますわ」

 

お義母様も久しぶりのオーディンだ。

少しでもお寛ぎいただかなければ。

 

そういう意味ではお義母様も私に配慮して下さっているのだろう。笑顔にはなったが目は笑っていなかったもの。




主人公の父、ニクラウスの軍人としての適性に関して祖母マリア目線と、母カタリーナ目線で違うのは、ニクラウスが変に気にしなくて済むように、祖父レオンハルトが言葉を選んで伝えていた という裏設定があります。


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4話:現状確認

宇宙暦752年 帝国暦443年 1月5日夕方 オーディン軍病院

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

人の気配を感じた為か、ふと目が覚めた。しっかり休めたのだろう、寝る前に感じていた疲れはない。

 

「ザイトリッツ様、お目覚めになりましたか。お身体はいかかです?」

 

従士のフランツが声をかけてきた。かなり良くなっている旨を伝えるとローゼ先生に私が起きたことを伝えてくると病室を出て行った。

 

窓を見ると西日がさしている。もう夕方だ。思った以上に寝入ってしまった。

しばらくするとノックがされ、ローゼと一緒にフランツが病室に戻ってきた。

 

「ザイトリッツ様、お身体に違和感などございませんか?」

 

ローゼは俺の脈を計ったり、聴診器を胸にあてたりと忙しく診察しながら問いかけてきた。

 

「痛みも違和感も感じないよ。今朝感じていた疲れもかなりすっきりしている。それより身体も点滴に飽きたようだ。なにか食べるものを用意してくれないかい?」

 

「はい。まずは軽い物からになりますが用意いたします。お身体もこれと言って問題はなさそうです。安心いたしました」

 

ローゼはホッとした様子だ。よく見れば今朝はひどかった目の下のクマもだいぶ和らいでいる。それとも化粧が崩れていただけなのだろうか。そんな事を考えていると

 

「いくら5歳とは言え、殿方が淑女の顔をまじまじと見るのはマナー違反でございます」

 

と怒られてしまった。すこし反省したそぶりをしてから話題を変える。

 

「ローゼ、費えの件とフランツの事は母上から聞いているかい?さすがに一晩中フランツに病室にいられては落ち着かない。できればフランツが過ごせる場所も用意してほしい。あと、この辺の食事処もフランツに教えてやってくれ。食事代は費えから出してあげて欲しい」

 

フランツは恐縮した様子で病室の外に控えているなどと言っていたが、頼みにしたいときに体調が万全でなければ困ると押しきり、隣の病室が空室の為そこを使わせてもらう事となった。

 

「フランツ、頼んだものは用意できているかい?」

 

と聞くと、有線でつながったタブレットを取り出した。

 

「書籍でも用意はできますが嵩張りますのでこちらを用意いたしました。帝国の歴史とルントシュテット家の歴史が分かるものを分けて読めるようにしてございます。

ただ、比較的すぐに用意できるものをかき集めただけでございますのでかなり難しいものも入ってございます。ご確認いただき、細かくご要望頂ければ改めて手配いたします。」

 

俺の急な要望の対応にしては満点だろう。タブレットを受け取ると、記憶があいまいなので確認しながら整理したいこと、考えたいこともあるのでしばらく一人にして欲しいと告げ、2人を病室から追い出した。

 

タブレットで状況確認を始めると結構すごいことが判明した。夢中になっていたので、しばらくしてローゼが用意した食事も食べながら作業を進めた。

 

ローゼには行儀云々と注意されたが、夢中だったので聞き流してしまった。若干不機嫌な様子だったし、まずい食事を用意されても困る。明日にでも機嫌を取っておくことにしよう。

 

ただ、俺が置かれた状況を彼女が知れば夢中になるのも無理はないと思うに違いない。まあ、彼女にそれを話すことは無いだろうが。

 

だいぶ落ち着いたが、俺の記憶には伯爵家3男としての記憶と成功したビジネスマンとしての記憶がある。

 

ビジネスマンとしての記憶を辿ると、西暦2000年前後に独自の文化を持つ島国を拠点にしていた。株の売買で稼いだ資金を基に、企業再生を始めた。

 

結婚はしていたが、再生屋は恨まれることも多い。逆恨みで家族に何かあっても困るから、再生屋を始めた頃に離婚した。嫁にはお金はもう十分稼いだのだから離婚する位なら再生屋を辞めろと言われたが、俺はお金が好きなのではなくお金儲けが好きだった。

 

自分の資金で企業を再生する。

成功すれば大儲けだが、失敗したら大金を失う。

 

明確でわかりやすかったし、成果は数字として明確に出る。誰に評価される必要もない。自分にも他人にもいくら儲けたかは明確だ。これ以上に自分の承認要求を満たしてくれるモノはなかった。

 

とはいえ最後がどこかのビルに商談に向かう所で終わっている事を考えると、急な病死か恨まれて殺されたかだろう。

 

反省点を上げるとすれば、自分本位に生き過ぎた事だろう。再建プランがうまくいかなければ容赦なく清算したし、不採算部門はバッサリと切った。

 

企業再生は確かにできたが、俺のせいで不幸になった人間も多いだろう。ある意味、最後はその報いをうけた訳だ。この辺りは、伯爵家3男としての今生では気を付けることにしよう。

 

そんな事より現状確認だ。俺は初めて家族そろって年末年始を過ごすべくオーディンへ来た。5歳になるまでは星間移動が身体に与える影響を考えて領地から出ることは無かったわけだ。

 

そして今日は宇宙歴752年、帝国歴443年、1月5日な訳だが西暦にすると3550年前後だ。

 

かなりの未来に来たわけだが、星間移動が実用化されている以外は、はっきり言って時代が進んでいるとは思えない。

 

記憶がはっきりしないが領地であるシャンタウ星域では農業が人力を主軸としていたし、食文化も無駄に食器類は豪勢だが、素朴なものが多かった。

 

そのあたりも資料を読むうちに理解できた。そもそもの地球文化が限られたエリアの物しか伝わっていないのだ。

 

この時間軸では冷戦構造のあと、核戦争がおこり、一世紀近い時を経て、比較的被害が少なかった豪州を中心に統一国家が出来たらしい。

 

俺の記憶の時間軸では冷戦構造は崩壊していたが、仮に核戦争がおきたなら、あの島国は最前線といっていいエリアだ。おそらく開戦初期に核が降り注いだはずだ。現に、その島国の名残は、特徴的な刀が数本、博物館にあるだけだ。

 

正直、安価ですぐ出てくる食べ物でもこちらの食事の数倍旨かった印象がある。大事なものは失って初めてわかるとか言うが、まさかファーストフードが食べれないことを嘆く日がくるとは。まあ、フェザーン自治領とやらに行けば似たようなものがありそうだが。話を戻そう。

 

核戦争を経て地球統一国家を築いた人類は、その後宇宙へとその生存領域を広げて行ったらしいが、各星系をある意味植民地のように扱い、かなり搾取したらしい。

 

その結果、星間戦争がおこり、地球はめった打ちにされたようだ。まあ、人の事は言えないが、傲慢すぎた報いをうけた訳だ。

 

これでいい感じの星間国家ができたかに見えたが、300年ほどである意味、政治が衆愚政治と化し、かなり退廃的な風潮が蔓延したらしい。

 

ここで登場するのが銀河帝国の初代皇帝、ルドルフ大帝だ。大帝は軍人として若年から宇宙海賊の討伐に活躍した後、少将で軍を退役し政界に入った。

 

圧倒的な民衆の支持のもと、議会を席巻し、本来兼任不可能な首相と国家元首を兼任し、終身執政官になった後に皇帝に即位した。

 

まあ、改革は権力が集中していた方がやりやすいし理解できるが権力をもった側からすれば一度手に入れた権力を手放すのは難しい事だ。

手放した後に報復されないとも限らない。共和制から帝政への移行も当然といえば当然だろう。

 

この時代から我らがルントシュテット家の名前も歴史書の端の方に登場するようになる。代々高級軍人を輩出し、治安維持や海賊討伐に功績をあげているし、初代はルドルフ大帝とともに海賊討伐をしたらしく、大帝が退役した後も軍にのこり、治安維持や海賊討伐をしながら軍を大帝の支持母体にすることにも貢献したようだ。

 

で、話が戻るが銀河帝国が成立したものの、空気が読めない層はいつの時代にも存在する。

 

建国期と大帝が崩御された際の2度にわたって共和主義者の反乱がおきたらしい。建国期の反乱では40億人が処刑され、2度目の反乱では40億人が農奴に落とされた。

 

主義主張に命を懸けるといえば聞こえはいいが、俺からすれば馬鹿でしかない。どうせ命を懸けるなら大勢が決する前に命を懸けるべきだし、大勢が決した後なら、体制内に入り込んで少しでも主義主張に沿った方針へ変えさせるように動くべきだろう。

 

そういう意味では、俺の爺さまを戦死させた叛乱軍の最初の一滴となったハイネセンとかいう奴の方が、まだ共感できる。

 

彼は農奴階級だったが、志を同じくする同志40万人と伴に、ドライアイスで宇宙船を建造し、帝国領から脱出し叛乱軍の最初の一滴となった。

 

100年ほど後に帝国軍と叛乱軍が会敵した際、2倍の戦力差を跳ね返して叛乱軍が勝利している。存在を予想していなかったとはいえ、彼の同志とその子孫たちは必死に国力を高めたに違いない。

 

この敗戦を通じて、隠れ共和主義者や政争に敗れた貴族などが叛乱軍に合流している。

 

爺さまが戦死した第二次ティアマト会戦を除けば、帝国と叛乱軍の勝敗は勝ったり負けたりの繰り返しだ。集団は良くも悪くも純度が高いほうが強い。そういう意味では、叛乱軍も数的には膨張したが質的には低下したとみるべきだろう。

 

そしてビジネスマンとしての記憶を持つ俺にとって、叛乱軍以上に注目なのがフェザーンだ。俺がフェザーンの事を考え始めたタイミングで病室のドアが開いた。

 

「ザイトリッツ様、まだ起きていらっしゃいましたか。今はまだ安静にしていただかないと困ります」

 

ローゼが見回りに来たようだ。笑顔ではあるが、雰囲気は怒りを感じる。これは機嫌を取らないとまずい状況だろう。

 

「ローゼ、心配をかけてすまない。覚醒してから初めて見たのが君だったが、私が生まれる際に取り上げてくれたのも君だろう。身体がその安心感を覚えているのか、どうも甘えてしまっているようだ」

 

俺が落ち込む素振りをすると

 

「恐れ多い事ですが、ザイトリッツ様は我が子同然に思っております。体調が万全になる前に根を詰めてはお身体にも障りましょう。ご記憶の確認も大切なことですがほどほどになさってください」

 

ローゼは笑顔のままだが、怒りの雰囲気は消えていた。そう言い残すと、病室から出て行った。機嫌は取れたようだ。



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5話:決意

宇宙暦752年 帝国暦443年 1月6日未明 オーディン軍病院

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

何とかローゼの機嫌を取って追い払うことができた。心配してくれるのはありがたいが、まだ眠くないし考えたいことはたくさんある。

 

話を戻そう。ビジネスマンとしての記憶を持つ俺にとって、叛乱軍以上に注目なのがフェザーンだ。

 

帝国と叛乱軍の境界には2つの回廊がある。で、この回廊の一つがフェザーン回廊であり、その回廊に存在する居住可能な惑星1つを領域としているのがフェザーン自治領だ。

 

70年程前に地球出身の商人が、帝国の要人に賄賂をばら撒いて設立させた国家だ。自治領を冠してはいるが事実上は国家といえるだろう。帝国も叛乱軍もフェザーンに高等弁務官府なんてものを置いているが、要は大使館だろう。

 

もっともよほどのことがない限り、帝国と叛乱軍の高等弁務官が会うこともないだろうし、逆に交渉を両国が持とうとする場合、ここが真っ先の候補だ。

 

つまり両国の高等弁務官府の動きをしっかり把握していればフェザーンに内密に両国が交渉することは無いわけだ。

 

両国にとってもフェザーン回廊を非武装中立地帯にすることでもう一つの回廊、イゼルローンに軍事的な意識は向けられるのでメリットがないわけではないが、両国の中間貿易を独占できるフェザーンの利益は、そんな軍事的利益の数倍に上るだろう。

 

ある分析によれば帝国:同盟:フェザーンの国力比は48:40:12とのことだ。

人口比なら25:13:2になることを考えれば、自明の理だ。というより、帝国が低すぎる気がするが、ここは俺の金儲けの種が無数にあると思えば別に気にならない。

 

むしろフェザーン設立に尽力したラープとかいう商人の商才はすさまじいの一言に尽きる。自治領設立のためにいくら賄賂をばら撒いたのかは知らないが、元手はすぐに回収できただろう。

 

とはいえ、ラープの後継者たちは2流のようだ。フェザーンが肥え太れるのは帝国と叛乱軍が戦争をしているからでもあるが、はっきり言えば戦争は勝とうが負けようが人口衰退を引き起こす。俺ならうまく最低限の戦争ごっこをさせながら、人口と国力の増大を画策する。

 

そうすれば当然中間貿易の量も増えるし、独占している旨味も増える訳だ。そう考えてみるとフェザーンはリスクに対して最大限配慮しているのかもしれない。

 

少し考えれば子供でも分かる話だ。登場人物は3人いて、2人の剣闘士が血みどろの闘いをしている最中に両方に水やら食事やらをたまに用意しながら、その闘いを高みの見物をしている豚がいるとする。しかもそいつは、水やら食べ物やら酒やら金やらをもっている訳だ。

 

俺が剣闘士なら闘いを止めて、高見の見物をしている豚を始末する。そして、もう一人の剣闘士と宴会をするだろう。

で、残った食べ物や金を山分けにする。また闘う可能性はあるが、宴会で仲良くなれるかもしれないし、少なくとも食い物なり金なり欲しいものが手に入るから直近で闘う可能性は少ない。

 

そう考えると両国の対立をあおり続けるのも悪手ではないのだろう。相争うより、対立を煽っている豚を始末したほうがおいしいことを気づかせてはならないのだから。

 

当然だが、両国の国策決定に関わる層には今でも賄賂をばら撒いているはずだ。はした金で大金を稼げる可能性をごまかせるのだから投資としてこれほどうまい話もないだろう。

無能なくせに自分が有能だと勘違いしている連中ほど目先の金に飛びつくものだ。

 

どうせならフェザーンに生まれていれば好きなだけ自由に金儲け出来ただろうが、さすがにいまさらルントシュテット家を捨てることは出来ないだろう。

 

伯爵家3男としての記憶に引きずられているとは思いたくないがおばあ様には溺愛されているし、乳母のカミラも愛情を注いでくれた。乳兄弟のパトリックにも兄弟のような想いがあるし、領民たちも敬愛してくれていたように思う。

 

父上と母上はオーディンで忙しくしているらしく、会うことはほとんど無かったが、別に寂しいと感じることも無かったし、2人いるらしい兄たちはそもそも記憶がない。

 

前世は自分本位に生き過ぎたことが失敗だった。今回は少なくともルントシュテット家とその領民ができるだけ幸せになれるように金儲けしよう。

 

幸いにも3男だし伯爵家を継ぐわけでもない。また自分本位に金儲けするのも悪くないが、どうせ金儲けはできるのだ。なら、少しくらい縛りがあるほうがむしろやりがいを感じられるだろう。気を付けないといけないのは、金の卵を高みの見物をしている豚どもや血と爵位だけが取り柄の無能どもから守る手配もしなければならない事だ。

 

それさえできれば、問題なく金儲けはできるだろう。再生屋時代に関わった事でもすぐに出来そうなことがいくつかある。俺はワクワクしていたし領地に戻るのが楽しみだった。

 

おそらく舞い上がっていたのだろう。自分が守られる存在で、無力で、理不尽を押し付けられる側であることを翌日思い知ることになるのだから。

 

 

宇宙歴752年 帝国歴443年 1月6日夕刻 オーディン軍病院

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

昨夜は遅くまで起きていたが、特に疲れを感じることもなく俺は入院2日目を過ごしていた。ご機嫌取りが功を奏したのか、ローザが用意してくれた食事は昨日の病院食めいたものからすこしまともなものに変わっていた。

 

大筋はつかめたつもりだが、再確認を含めて資料を読み直す。フランツには朝の時点で領内のさらに詳しい資料を集める様に指示を出した。細かい部分は確認しなければならないが腹案は固まりつつある。母上には申し訳ないが、オーディンの屋敷での家族団らんは飛ばして早く領地に戻りたい気持ちが強くなっていた。

 

「コンコン」

 

ノックされるとともに、扉が開き、おばあ様とパトリックが病室に入ってきた。

 

「ローゼから話は聞きましたが、かなり回復したようですね。体調はどうですか?」

 

「おばあ様、パトリック、お見舞いありがとうございます。昨日が嘘のように体調は良くなっております。明日にでも退院したいくらいですが、ローゼ先生からは今少し安静をといわれております。」

 

おばあ様は安心した表情をしつつ、一瞬パトリックに視線を向けてから、話を進めた。

 

「ザイトリッツ、あなたもルントシュテット家の男子です。きちんと受け止めるには早いかもしれませんが、話しておかなければならないことがあります。」

 

それから今回の事故の経緯と落としどころについて話し始めた。

 

・本来なら死んでもおかしくない事故であった事。

・俺が生きているのはカミラが身を挺してくれたおかげでカミラは事故で亡くなった事。

・事故の相手は次期皇帝の最有力候補の取り巻きの嫡男であり、大事にしないように圧力をかけられている事。

・ルントシュテット家を含めた軍部系貴族は未だダメージから回復していない為、門閥貴族とは事を構えるわけにはいかない事。

・事は内密にするが、相場の賠償金を受け取ったうえで、軍部に優先的に糧秣を納入する権利を得た事。

そんな話を視線を合わせない様にしながら話してくれた。

 

「おばあ様、話しづらいことをお話し頂きありがとうございます。カミラは母同然の存在で、傍にいてくれるのが当たり前の存在でした。本来なら、覚醒した日のパトリックの表情で、カミラに何かあった旨、気づくべきでした。おばあ様に気を使わせてしまい申し訳ありません。」

 

俺は敢えておばあ様に目線を合わせて答えた。静かにだが経験したことがない強い怒りを感じていた。人はとてつもなく怒ると逆に冷静になるものらしい。

 

「おばあ様、パトリックと話したいことがあります。2人きりにしていただけますか?」

 

少し躊躇したが、おばあ様は心配そうな表情をしながら病室をでていった。

俺はパトリックに目線を向ける。

 

「パトリック、君の父上はおじい様の副官として戦死しカミラは私を身を挺して守り、亡くなった。君の両親は文字通り身命を賭して仕えてくれたと思う。」

 

こんなことを同い年の子供に言うのは軽率かもしれないが俺は感情を抑えられなかった。

 

「私が軍人として大成できるかはわからないので君の父上の敵を取るとは言えないが、私たちのカミラ母上に関しては、いつになるかはわからないがきっちりけじめをつける。」

 

パトリックは驚いたようにこちらを見ている。

 

「伯爵号をもつ当家にすらここまで傍若無人なのだ。今日、このときも奴らは誰かを踏みにじって泣かしているに違いない。俺たちはまだ子供で、無力で守られる存在だが、いつまでも子供ではない。約束だパトリック。いつかあいつらに報いを受けさせてやろう。」

 

俺は右手を差し出した。

パトリックは戸惑った表情を浮かべるが、主従ではなく、母を奪われた同志としての対等な誓約なので握手を交わすのだというと、一度うなずいてから強く手を握ってきた。

 

金儲け以外の目標ができた瞬間だった。



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6話:顔合わせと晩餐

宇宙暦752年 帝国暦443年 1月9日 オーディン

ルントシュテット伯爵邸

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

乳兄弟と誓約を交わして数日が経過した。主治医のローゼからやっと退院の許可が出て、俺はオーディンにあるルントシュテット伯爵邸にいる。

 

生まれて以来、俺は領地であるシャンタウ星域の館で養育されてきたし、力をつける意味でも早く領地に戻りたい。

とはいえ、本来は両親と兄たちとの顔合わせの為に領地からわざわざ出てきたわけだし、あんなことがあったとは言え、両親は多忙、兄たちもそれぞれ士官学校と幼年学校に在籍していることを考えれば俺抜きでも家族が揃うことはまれだろう。

 

事故の後遺症を理由に領地に戻りたがればおばあ様は了承しそうだが、それはそれで悲しませることにもなりそうだ。

 

金儲けをするにも多少は元手がいる。元手の出元はおばあ様しか当てはないし、そうでなくても溺愛されながら養育されてきたのだ。おばあ様がしっかり俺を養育していると示す意味でもここは時間を割く必要があるだろう。

特に父上や兄たちはいずれ俺が支える人物になる訳だから早いうちから人柄を見ておくに越したことはない。

 

今夜の晩餐は家族揃ってとり、明日には領地に出発する予定だ。フランツに追加で頼んだ資料を読み込んでいると扉がノックされ、おばあ様が部屋に入ってきた。

 

「ザイトリッツ、退院したとはいえ、あまり根を詰めては身体に障りますよ。ローゼから聞きましたがだいぶ資料を読み込んでいるようですね。いったい何を読み込んでいるのです?」

 

「おばあ様、ご心配には及びません。体調は万全です。ローゼは私のお産の際に取り上げてくれたことは後から知りましたが何やら彼女には安心感を覚えてしまい、甘えてばかりでした。私は良い患者ではなかったようですね。」

 

ローゼが俺の事を心配してくれるのは有り難いが、正直おばあ様はローゼの数倍難敵だ。攻め口上を与えるような告げ口は控えて欲しいところだが。

俺が落ち込むそぶりすると、

 

「別に責めている訳ではないのです。ただ、事故の前はザイトリッツは身体を動かす事を好んでいたのに急に資料にくぎ付けになりましたから、心配になったのです。」

 

「そうでしたか。実は記憶の確認のための資料をフランツに頼んだのですが、それを読み込むうちに領地を豊かに出来そうなアイデアを思いついたのです。とはいえ、若輩者の浅知恵で失敗すれば当家の名誉に関わりますし領民の生活にも関わりますので、思いついたことが実現できるのか資料とにらめっこをしている次第なのです。」

 

少し腹黒いが、ここは布石を打っておこう。おばあ様は少し驚いた表情をしながら

 

「あらあら、領地にいてくれるだけでも私の支えなのにさらに力になってくれるつもりなのね。今後に期待という所かしら。とはいえ、まずは今夜の晩餐会です。あなたはこの5年間ずっと領地におりました。本来なら両親や兄弟と一緒に養育されるのですが、いろいろな事情でこういう形になりました。緊張はしていませんか?」

 

おばあ様は心配げな視線を向けてくる。

 

「兄上たちがどんな方々なのかは気になっておりました。ローベルト兄上は士官学校、コルネリアス兄上は幼年学校にご在籍と聞きました。おそらく今後も年に数回会えるかという状況でしょう。しっかりご挨拶できればと思います。」

 

俺は伯爵号にはあまり興味はないし、三本の矢の話ではないが兄弟で争うこと程、無駄なことは無い。さすがに門閥貴族みたいな血と爵位だけが誇りみたいな人柄なら困るが、爺さまの薫陶もあっただろうしこの数年、門閥貴族の軍部への浸透を食い止めるのに四苦八苦していた両親をみているはずなので、それなりにまともに育っているだろう。

 

晩餐の用意が整ったとメイドが呼びに来たので、おばあ様と一緒に遊戯室に向かう。

今回は顔合わせがメインなので、それが済んでから晩餐になる予定だ。

 

遊戯室に入ると既に両親と兄達が揃っていた。俺のせいではないが、初めて家族揃っての年末年始が大事になったわけだし、先手を打っておこう。

 

「父上、母上、お久しぶりです。ローベルト兄上、コルネリアス兄上、初めまして。ザイトリッツでございます。この度はご心配をおかけしました今後ともよろしくお願いいたします。」

 

すると兄たちはびっくりしたようだが長兄ローベルトが近寄ってきて

 

「心配したぞ、ザイトリッツ。私がローベルトだ。ずっと会うのを楽しみにしていたのだ。よく来てくれた。」

 

としゃがんで目線を合わせて肩に触れながら答えた。

 

「5歳にしてはかなりしっかりしてますね。おばあ様、厳しくし過ぎなのでは?次兄のコルネリアスだ。ザイトリッツこちらこそよろしくね。」

 

と次兄は頭をなでてくれた。

 

ローベルトの印象は、体育会の熱血キャプテンと言えばいいだろうか。いま15歳で士官学校1年次のはずだが、年齢以上にがっしりした体つきをしている。言葉遣いもまっすぐで良くも悪くも剛の者って感じだ。おそらく爺さまの若いころはこんな感じだったのではないだろうか。

 

コルネリアスの印象は、生徒会長ってとこかな。12歳で幼年学校2年次。長兄に比べると線は細いが、言葉遣いも柔らかく、柔軟な印象を感じた。

 

「これこれ、兄弟仲がいいのは良いことだが、父をのけ者にするのは感心せんな。」

 

父、ニコラウスが会話に混ざってくる。爺さまは前線指揮官としてより後方支援に適性があると判断したらしいが、確かに軍人ってよりデキるビジネスマンって雰囲気を感じる。

 

ただ、この5年間かなり激務だったのだろう。今年40歳のはずだが年齢以上にくたびれている印象があるし眉間の皺も深めだ。ただ歓迎はしてくれているのだろう。表情は柔らかい。

この後、初めての家族揃っての談笑が始まった。みんな意識したのだろう、交通事故の件は話題に出なかった。

 

父上は爺さまの逸話を話し、兄たちは士官学校や幼年学校での出来事を話してくれた。

はっきりしなかったが、兄たちも忙しいのだろう。こういう風に近況をお互いに話し合うのがとても楽しそうだった。

 

士官学校でも幼年学校でもやはり門閥貴族はわがまま放題な様だ。明言はしなかったが、爵位があるだけで試験に加点されたりすることもあるらしい。

だが、彼らの多くは実際に任官することはほぼ無いし、実際の評価で成績が下位になった場合、教官たちや成績上位者になにをするか分からない為、嫌がらせを防ぐ意味でも暗黙の了解になっているらしい。

もっとも兄たちは首席とはいかないが、実力で成績上位を保っているそうだ。

 

家族揃っての会話は思った以上に楽しい時間だった。その後、晩餐室に皆で移動して、コース料理っぽいものを食べながら、さらに会話を楽しんだ。テーブルマナーもバッチリだったのでまた驚かれた。少しやり過ぎたかもしれない。

 

晩餐が終わると父上と兄たちはシガールームに移動していった。俺はおばあ様と母上と一緒にお茶会だ。シガールームの方に参加できるかと思ったが、次兄が今回初めてシガールームに入るので、順序を守る意味で遠慮する事になった。

次兄コルネリアスが、そんなことは気にせず参加すればいい。頻繁に来れるわけではないのだからと言ってくれたのが嬉しかった。

 

お茶会といえば聞こえはいいが、ただの女子会だ。おばあ様に母上が愚痴ではないが色々と相談していた。

今更の話だが、俺を領地で養育する件もお願いしていた。正直、オーディンには悪い印象しかないし仮にこちらの屋敷に来たところで、父上も母上も俺に割く時間は無いだろう。俺自身も、領地のほうが気が楽だし、今は金儲けというやりたいこともある。

 

母上は俺の養育に関われないことを寂しく思っている様だがこればかりはそうせざるを得ない状況なのだから気にする事は無いのだが。

 

おばあ様は終始ご機嫌だった。顔合わせもうまくいったし、しっかり養育していると示す事もできた。駆け足になるが明日領地に戻る予定だ。



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7話:長兄と次兄

宇宙暦752年 帝国暦443年 1月9日 夜半

オーディン ルントシュテット伯爵邸

ローベルト・フォン・ルントシュテット

 

父上と弟コルネリアスとシガールームで談笑したあと、私は自分の部屋に戻ってきた。

明日には士官学校へ戻らなければならないので手早く荷造りを進める。

 

本来なら末弟ザイトリッツも揃っての年末年始を過ごすはずであったが、その末弟が領地から出てきた際に交通事故にあった。怒りを覚えずに冷静に詳しく語るにはもう少し時間がかかるだろう。

 

6年前に帝国軍は叛乱軍相手に将官だけでも60人以上が戦死する大敗を喫した。私の祖父に当たる先代ルントシュテット伯もその一人だが代々軍人を輩出してきた貴族家には大きな痛手だった。当主と後継者が戦死した家もあったし、後継ぎがいない家もあったのだ。そこは武門の家柄同士、助け合うことでなんとか急場をしのいだが、軍務に携わっていた貴族の力が落ちたのは事実だ。

 

その隙をついて門閥貴族が軍に浸透しようとしてきた。何やら自分たちの能力に自信があるようだが、宇宙艦隊を自分たちのおもちゃだとでも思っているのだろうか。

 

幼年学校でも、士官学校でも門閥貴族の横暴は目に余る。従者を気まぐれで殴ったり、成績優秀者になにかと嫌がらせをするのだ。領民にも平気で手をあげているのだろう。自慢げに鞭打ちをしたと話している者もいたが、気分が悪かった。

 

祖父の事を思い出す。事あるごとに部下への暴力は絶対にダメだ。一兵卒だろうが司令官だろうが公明正大に対しなければならない。と言っていた。当時はよくわからなかったが、今では少しわかる気がする。お爺様は怒鳴ったことも、手をあげたこともなかった。

 

ただ、私がなにか間違えたときにはしゃがんで目線を合わせながらなぜそれが間違いなのかをしっかり話してくれた。そして最後にこれで次からは大丈夫だな?とまっすぐ目をみて問いかけるのだ。

そしてはい!と返事をすると笑顔になり頭をなでてくれた。物語に出てくる実直で部下にも優しい頼りになる将軍というのがイメージにぴったりだ。

 

私はお爺様のようにありたいと思うし、弟たちにもそれを伝えたい。初めて末弟のザイトリッツに接したとき、お爺様を意識してみたがうまく出来ただろうか?

そんなことを考えているとドアがノックされた。弟のコルネリアスが来たようだ。

 

「兄上、お話があるとの事でしたね。荷造りの方は......お済みのようですね」

「無論だ。まあ座ったらどうだ」

 

私と比べるとコルネリアスは柔軟で優しげだ。風貌は兄弟で似ているが、友達にするならコルネリアスを選ぶ人が多いだろう。実直であろうとするせいか、私は周囲からは堅物だと思われている。

 

「私たちも明日からそれぞれ学校へ戻ることになる。またしばらく会えないだろうし、少し話をしておこうと思ってな」

 

「兄上も気苦労が絶えませんね。あまり気を使うと父上のように眉間の皺がまた深くなりますよ。士官学校の方も大変そうですね」

 

少し茶化すような口調だが、表情は渋い。幼年学校も苦労が絶えないのだろう。

 

「幼年学校も大変そうだな」

 

「ええ、ひどいものです。まあ士官学校も似たようなものでしょうが正直邪魔でしかありませんね。どうせ任官しないなら彼らだけの学校でも自分たちで造ればいい物を、踏みつける相手が欲しいのでしょう」

 

そして優しい顔立ちだが、結構毒を吐く。

 

「今は我慢の時だ。何とか軍部への浸透を抑え込めている。父上もご苦労されているのだ。ザイトリッツも耐えてくれている」

 

「兄上の実直さは美点だと思いますが、ザイトリッツはいつか報復するつもりだと思いますよ。僕が怒りを耐えるときにする笑顔と同じ感じがしましたから。おばあ様の養育が行き届いているとはいえかなり優秀です。自分と自分の乳母が誰に何をされたのか理解しているでしょうし」

 

なんと。あの可愛げなザイトリッツまでもが腹黒だとは。

 

「僕ですら幼年学校に入る前には門閥貴族に悪印象を持っていました。両親が日々苦労しているのも、兄上がため息をついているのも見ていたわけですし」

 

「うーむ。弟には弱い部分は見せたく無かったが隠しきれんかったか」

 

私が落ち込むそぶりをするとすこし機嫌がよくなったようだ。

 

「まあ、悪い事ばかりではありません。僕たちの世代でまともな方を探すまでもなくより分けてくれるわけですから。おかげで良い友人を簡単に見つけることができますしね。

父上には言えませんが、僕は2個正規艦隊ぐらいを彼らにくれてやっても良いと思っています。どうせまともな訓練もできないでしょうし、補給整備も手を抜けるだけ抜くでしょう。所属した兵士たちは不幸かもしれませんが、そんな艦隊を前線には出せません。戦死がないという事で我慢してもらうのも良いのではとも考えています。まあそんな権限はありませんが」

 

「コルネリアス。そういう毒舌は屋敷の中だけにしておくようにな。気持ちはわかるし、アイデアとしてもうまくできているが、さすがに貧乏くじを引かされる兵士が300万人近く出るのは容認してもらえまい」

 

「分かっていますよ。半分は愚痴みたいなものです。父上たちの時代もこういうことは多少はあったでしょうが、共感していただけるのは兄上だけでしょう。さすがにこんな話を同期にするわけにもいきませんし。兄上の方こそ、吐き出したいものはないのですか?実直な兄の愚痴を聞くのも出来た弟の役目だと思いますが」

 

「うーむ。士官学校でも似たようなものだが、さすがに貴族階級には強くは出てこないな。実力をわきまえているのだろうが。ただ平民や下級貴族への当たりはかなり激しい。特に成績優秀者は目を付けられることが多いよ。

そんな事をするくらいなら自分を高めることに時間を割けばいい物を。そもそも裏で加点されている事もどう受け止めているのか。正直、私の価値観では理解できないな。

卒業後に報復人事でもされてはたまらんからな。嫌がらせを受けた生徒は念のため父上に名前をお伝えするようにしているよ」

 

弟は嬉しそうにしながら

 

「さすが実直、公明正大を目指す兄上ですね。僕も数年後には士官学校です。すべてとは言えませんが、手の届く範囲で守れる者は守ろうと思います」と返してきた。

 

そのあとも幼年学校高年次で気を付けるべきことや、士官学校での楽しい出来事などを話した。

 

「では兄上。そろそろいい時間なので僕は寝室にもどりますね」

 

だいぶすっきりした様子で、コルネリアスは部屋を出て行った。少しは話をした意味はあっただろう。私たちの世代が一人前になれば門閥貴族たちの浸透も完全に収まるだろうが......。

 

今しばらくは父上たちに踏ん張っていただかねばなるまい。私も就寝しようと思ったが、よくよく考えると早朝には屋敷を立つことになる。ザイトリッツと顔合わせした日でもあるし、手紙でも書いておばあ様から渡していただくか。兄として手本たらねばならない、なるべく丁寧にきれいに手紙を書くことにした。

 

会えてうれしかった事

入院した際は本当に心配だった事

兄たちも一日も早く両親の力になれるよう励んでいる事

両親も日々役目を果たすために腐心している事

最後におばあ様を頼む旨をしたためた。

 

士官学校の日々は憂鬱なことが多かったが、久しぶりに温かい気持ちのまま就寝することができた。




※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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8話:領地到着

宇宙暦752年 帝国暦443年 2月上旬

シャンタウ星域 惑星ルントシュテット

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

顔合わせの翌日に、俺とおばあ様はオーディンを後にした。もちろんパトリックも一緒だ。

それと何かの縁なのか、フランツもおれの従者としてついてきてくれることになった。

 

大まかな指示でも意図をくみ取って手配してくれるフランツの存在は、これから金儲けを考えている俺に取っては地味にありがたい人事だ。

 

民間定期便を使うと領地まで40日位かかるらしいが、さすが伯爵家。御用船を持っていたので、ほぼ直行に近い日程で戻って来ることができた。

 

途中寄港したフレイア星域にて、長兄からもらった手紙のお礼を書いた。体育会のイメージだったが細かい気配りも出来るらしい。将来支える人物としては高評価だろう。とはいえ長兄にだけ手紙を書くと他がすねそうだったので両親と次兄にも頑張って丁寧に手紙を書いた。

 

長兄の手紙は、これも印象と違って非常に丁寧に書かれていた。おばあ様が言うにはお手本でありたいと思っているのでは?とのことだ。そんな事を聞いてはこちらもいつも以上に丁寧な手紙を書かざるをえない。まあ、嫌な気はしなかったが。

 

ルントシュテット家の領地があるシャンタウ星域には3つの惑星と2つの衛星が存在している。このうち惑星の一つは恒星に近すぎて居住はできない。

 

残った2つのうち、水が豊富で居住に適した惑星がルントシュテット。これがそのまま領地であり、もう一つの惑星は残念ながら水が少ないため、帝国軍の補給基地と小さいながらも駐屯地が置かれている。

 

惑星ルントシュテットの人口は約3000万人。ほとんどが第一次産業従事者だ。

鉱山も存在するが、細々と経営されている程度だし、製造業もあまり発展していない。

 

というのも、重化学工業は首都星があるヴァルハラ星域に集中しているし、利権もがっちり固められている。鉄鉱石を含め、ほとんどの資源はどの惑星にも存在するわけで生産拠点から遠隔地の資源は使いようがないわけだ。

 

地産地消といえば聞こえはいいが、星間物流コストがとんでもない事になるため、ある意味自分たちの知り合いの間で経済が完結しているような状態だ。いきなり高額な投資を嫡男でもない5歳児ができる訳もないので、俺は農業改革をして生産効率を上げることを考えていた。

 

そういう意味では不幸中の幸いか、降ってわいた軍への糧秣優先納入権は地味に旨い。帝国軍の補給基地まで運べば、あとは帝国軍の補給ラインに乗るので、消費地まで輸送するより圧倒的に安上がりだ。

正式にあの無能どもが謝罪していれば手に入らなかった利権が奴らを潰す剣の材料になるわけだからまさに因果応報という所だろう。そして真面目にコツコツ頑張っていると神様は見ていないかもしれないがおばあ様は見てくれていた。

 

もともと顔見せがうまくいき機嫌がよかった上に、俺が手紙を丁寧に返信したことも影響したのか、まさに上機嫌だったわけだが、フレイア星系を出てシャンタウ星域へ高速航行に入ったあたりでそれはおきた。御用船のラウンジで、領地の資料やら農業に関しての資料を突き合わせていると

 

「ザイトリッツ、丁寧に手紙を返信してくれて感謝するわ。顔見せもうまくいきましたし、ご苦労でした。ところで、何を熱心に読んでいるのかしら?」

 

集中していたのでいつものカツカツ音が聞こえなかったらしい。すっと、隣に座り資料を覗き込んできた。

 

「戻ってからしてみたいことがあるとお話ししたでしょう?その為の資料です。領地の資料と最新の農業論文を付き合わせて初期投資をなるべく抑えて利益が出るように知恵を絞っていたのです」

 

「そうなのね。少し考えていることを話してごらんなさい」

 

「そうですね。色々なデータを突き合わせると我が領の収穫量は帝国領内では平均的ですが、叛乱軍のデータと比べると半分位という事になります。幸い、糧秣の優先納入権を得ましたから、まずは穀物の生産量をてこ上げします。とはいえ、増産分を全て買い取っていただけるか不明ですし、いつまで納入できるかもわかりません。

なので、余剰穀物をつかってビールなりウイスキーなりを作ります。ウイスキーは収益化までかなり時間がかかりますが、領民に振る舞うなり将来的には兄上たちの部下に贈答したりと、使い道には困らないはずです。あと、麦作に適していない地域で作られている稲という穀物を使って」

 

「そこまででいいわ。ザイトリッツ。色々と考えていることは分かりました。ただ、何をするにも費えが必要でしょう?」

 

少し意地悪な表情をしながら確認してきた。

 

「はい。年度末がこれからですので、予算の中で余った予備費からご用意いただけないかと考えておりました。その際はもう少し自分で現地を確認して、しっかり計画を作ってからおばあ様に相談するつもりでした」

 

「そこまで考えているなら何も言うことは無いわ。私の持参金から10億帝国マルク用意してあげるからやってごらんなさい」

 

はじめは聞き間違いかと思ったが10億マルクで間違いないらしい。前世感覚で1000億円近いけどポケットマネーでそんなに出せるの?詳しく聞くと、本来なら嫁入りした時点で持参金は嫁ぎ先の家の財産になるが、爺さまは軍人だったし戦死することや留守中に自由にできるお金がないと困るのではないかと持参金の名義はおばあ様のままにしていたらしい。

 

持参金と言っても現金ではなく、貴族限定の高利回り債券や帝国国債を持参するのがマナーとのことだ。ひとつ貴族のたしなみとやらを勉強できた。おばあ様は実質ルントシュテット伯爵領の共同経営者だ。特に自分の財布からお金を出すこともなく30年以上が経過した。結果、持参金は粛々と増え続け今に至るわけだ。

 

前世でも年金生活のおばあちゃまが数千万現金でタンス預金してる話を聞いたが、星一つ領地にしてる伯爵家ってスケールが違う。とはいえお小遣い感覚でもらえる金額でもないので、今期の収益を基準に、預かった10億マルクをつかって増やした収益の10%を報酬としてもらい、期日はないがちゃんと10億をおばあ様に返す形にしてもらった。

 

先立つものが手に入ったので、結構思い切った勝負ができそうだ。早速だが、ビール・ウイスキー・日本酒の醸造・蒸留所の手配だったり農政担当者との面談設定をフランツに指示した。

 

そして領地に到着して農政担当官に農法の改善ポイントを伝えたり、醸造所の候補地を見て回ったり、稲の増産のため現地を見て回ったりと5歳児の身体には少しハードな日々が始まった。おばあ様も無理はするなと言いつつ、泊りがけの視察にはついてきて来てくれたし、自分で言うのもなんだが溺愛する孫との小旅行を楽しんでいたようだ。

実質領地経営をしていたとはいえ、伯爵夫人が領内を実際に視察することなどまず無い。自分の領地を見て回るという意味での新鮮だったようだ。長年の良心的な領地経営のおかげか、領民たちは視察を歓迎してくれた。もっとも、田舎に有名人が来る感覚の方が近かったかもしれないが。

 

当初は結構おおごとになりそうな勢いだった。別に遠隔地にお金を落とす意味ではそのまま進めても良かったが、変に現地の負担になるのも問題なのでお忍びに近い形で手配してもらった。

 

正直、独裁制の権力の強さを体感する日々だった。右向け右ではないが、指示をだすとそのまま事が進んでいくのだ。農政担当もおおせの通りにいたしますって感じだし、もっと前例主義かと思ったけどビックリした。

 

こういうことはしっかり理解してもらって、徹底できるかが成否を握る。残業代の予算はこちらで持つことを伝え、仮に新しい試みが上手くいかなくても生産減少分は保証することにした。昔ながらの輪栽式農業が行われていたので、最新論文とすり合わせてかなりの改善策を実施できたと思う。さらに生産量を増やすには機械化を進める必要があるがそこまでの資金はとてもではないが用意できない。

 

稲作に関しては簡単に土地改良を行った。領民に還元する意味で一時雇で土木作業を進めた形だ。稲についてはすべて醸造に回すつもりでいる。

 

これで穀物の増産に成功すれば、牧畜にも手が出せるかもしれない。10億マルクの残高は1億マルクまで減ってしまったが、余程の天候不順でもなければ問題にはならないだろう。醸造・蒸留所に関しては雇用の創出も意識して機械化はそこまで進めなかった。

 

昨年の小麦の生産高は約400万トン。なるべく多く生産したいが、いくら隣の惑星とはいえ量が膨大になれば輸送費もかさむし、一括納品されても向こうも困るだろう。

 

そのあたりも考えておかなければいけないな。




小麦の生産高に関しては現在の日本の
米と小麦の消費量から人口比でおおよそ出しました。
帝国マルクの円建て換算については100円とさせていただきました。

口座残高1億帝国マルク


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9話:大きな出会い

宇宙暦752年 帝国暦443年 8月下旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

俺はオーディンのルントシュテット邸にいた。麦と米の収穫はかなりの成果が出ていた。小麦だけで3割増しの約520万トンが収穫できたし稲の方も20万トン近い収穫をあげることができた。

 

余剰分120万トンに関しては80万トンを軍に納品した。帝国領全体では少し不作という状況だったようで、例年なら納品価格は300帝国マルク/トンだが350帝国マルクでお買い上げいただくことができた。一括納品は先方も困るようだったので、保管料を無料にする代わりに、補給基地とルントシュテット領を結ぶ軍の定期船で定量ずつ引き取ってもらうことにした。

 

これだけで2億8000万帝国マルクの増収だった。おれの手元には2800万帝国マルクが入ることになるがそれだけではなかった。おそらくおばあ様は成功しても失敗しても良いように、布石を打っていたのだと思う。

 

取り決めでは昨年基準での増収分の10%が俺に入る事になっているが、てっきり直接的に因果関係が成立する増収分が取り分だと思っていた。だがおばあ様は一律で増収分の10%をもらえるように手配してくれていた。

結果として、9億帝国マルクを領地に投資した形になるがそいつらも回りまわって20%位が税金となり増収要因になっていたし、その投資が呼び水となって好景気になったため投資した5%の4500万帝国マルクが俺の懐に入ることになった。

 

正直、結果が出るまで不安だったし少しずつとはいえお金が入るのは精神衛生の面からも助かった。前世でいうポイントキャッシュバックではないが、今後なにか新しい事業を考えたとき、第一候補地に領地が選ばれやすくするとともに、仮に失敗しても多少はお金が戻る様に手配してくれたのだと思う。これは勝手な思い込みで、確認しようにもおばあ様ははぐらかすから真相は闇の中だが。

 

金儲けの第一陣は成功と言っていい状態な訳だが、なぜオーディンにいるかというと酒の市場調査の為だ。別に資料はいくらでも集められるのだが、第一陣はきちんと自分の目で確かめたからこそ成功できたとも思っている。

 

そんな中で、近況報告を兼ねて家族と手紙のやり取りをしていたのだが、長兄のローベルトが数日帰省することが分かった。さすがにオーディンの飲み屋街を観光したいとは言えなかった。オーディンを案内してほしいが仰々しいのは困るので、士官学校の制服ではない格好で案内してほしい旨を依頼していた。

 

可愛い末弟のお願いを長兄は喜んで聞いてくれた。

そして今に至るわけだ。

 

今更だが、酒造の件について抜け漏れがないか考え込んでいるとメイドが呼びに来た。頼りになる長兄が帰省したらしい。早速、遊戯室に向かうと、長兄ともう一人、同じ年頃の男性が談笑していた。

 

「失礼いたします。末弟のザイトリッツと申します。いつも兄がお世話になっております。私の事もお見知りおき頂ければ幸いです」

 

長兄が連れてくるという事はまともな軍人の卵だろう。名前を覚えておいてもらうに越したことは無い。

 

「これはこれは、ご丁寧に痛み入る。ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツと申します」

 

「ザイトリッツ。メルカッツ先輩は寮で同室でな。今回の休暇は先輩が帰省するには少し短すぎたので思い切ってお声がけしたのだ。失礼のないようにな」

 

メルカッツ先輩とやらは歳のわりに結構落ち着いた印象を感じる。長兄ほど堅物という印象ではないが、実直であろうとしているローベルトとは相性はよさそうだ。とはいえ、お連れがいるとは誤算だ。きちんと相談の態で話を進めなければ。

 

「兄上、手紙ではお伝えしていなかったのですが、実はオーディンの飲み屋街をお忍びで視察したいのです。というのも、領地ではかなり豊作な状態で軍に糧秣を納めましたがそれでも余剰が見込まれるので、酒造を新たに始めることを検討しています。

そこで、一番の消費地であるオーディンの飲み屋街を実際に見てみたかったのですが、さすがにメルカッツ殿をお誘いするのはご無礼でしょうか?兄上が任官されてから統率する兵士たちは言ってみればオーディンの飲み屋街にいる方々と似たような方々ですから一度見ておくのもよろしいかと思っていたのですが......」

 

兄が感心しないかのような表情をしだしたが、思わぬ助け舟が入った。

 

「ローベルト、弟君のいう事も一理あるかもしれんぞ。確かに我々は自己鍛錬を怠ってはおらんが実際、兵に接したことは無い。活かせるかどうかはともかく、見てみるのも一興では。我らは今更オーディンの名所を見たところで新しい発見はあるまい」

 

おお!メルカッツ先輩いい人だわ。先輩からそう言われては、兄上も反対はしないだろう。

 

「先輩がそうおっしゃるならよろしいのですが、我らは未成年。飲酒は厳禁です。ザイトリッツ、ひと舐めといえども許さんぞ。よいな!」

 

そういうことで、ザイトリッツとゆかいな仲間たちはお忍びでオーディンの飲み屋街へ繰り出した。従士のフランツがついてきたそうだったか今回はお忍びなので我慢してもらった。

 

テクテクと3人で飲み屋街へ向かう。領地の視察で歩き回っていたせいか、なんとか二人についていくことができた。もっともまだ幼年の俺にかなり合わせてくれてはいたが。そうして飲み屋街に少し入ったあたりで、

 

「お若いの、この先はまだおぬしらには早いのではないかな?」

 

と20過ぎくらいの少しくたびれた印象の男性に声をかけられた。傍に30手前位の男性が控えている。目線を向けると兄上もメルカッツ先輩も少し焦っている。別に娼館に行こうとしていたわけでもないし、やましい事は無いのになあ。まあ、ここは俺の出番だろう。

 

「お心遣いありがとうございます。別にお酒を飲みに参る訳ではないのです。新たに酒造を始めることを考えておりまして、一度、飲み屋街を見てみたいと後ろの2人に強請ったのです。場慣れない3人組ですのでご心配になられたのでしょう。ありがとうございます」

 

「ほほう、酒造とな。酒に関してなら一家言程度なら話せるし、この辺りにも詳しいが良ければ付き合わんか?」

 

うーん。正直お酒の事は兄上もメルカッツ先輩もまだまだこれからだろうし、これも何かの縁だ。話を聞いてみるのも一興だろうが士官候補生である事は内密にした方がいいだろう。ここはあの手で行くか。

 

「お誘い、ありがとうございます。とはいえ何かの本でこういった場では本名を名乗りあうのは無粋で、お互い仲間内での呼び名で呼び合うのが粋と読んだ覚えがあるのですが、間違いないでしょうか?」

 

「うむ。場馴れた者たちはそういったことをしておるな」

 

「分かりました。さすがに呼び名をどうするなどと相談するのも無粋でしょう。私が即興で考えたいと思いますがよろしいでしょうか?」

 

そういうと声をかけてきた男性とそのお伴は目を合わせたが

 

「面白い。良き呼び名を期待するぞ」

 

と返してきた。

因みに兄たちは急展開についてこれていないようだ。

 

「分かりました。では後ろの茶色い方は堅物、銀色の方は紳士。あなたは......。そうですね、この集まりの兄貴分ですから兄貴。後ろの方は叔父貴、私の事は......そうですねザイ坊とお呼びください」

 

「面白い。そういう事にしよう。どうせ酒は飲めまい。旨い料理を出すところに案内しよう。ついてまいれ」

 

兄貴は上機嫌になって先頭を歩きだした。後ろの二人はついていくか戸惑っていたが、俺がテクテクと歩き出すと流れに押されたのかついてきた。

 

兄貴はメイン通りから一本入った隠れ家的なお店に入っていった。結構いい雰囲気。前世でいう隠れ家Barみたいな感じだ。奥まったテーブル席に座ると兄貴が早速ぶちまけた。

 

「我らはあまり持ち合わせはないが大丈夫かね?」

 

堅物と紳士が何故かこちらを見てくるが

 

「ご心配には及びません。黄金でも食べない限り何とかなるでしょう」

 

と答えた。まあ、前世の癖で1万帝国マルクは持ち歩いている。上級貴族が秘蔵しているワインでも開けない限り何とかなるだろう。

 

「ザイ坊は見かけによらず甲斐性もあるようじゃ。堅物と紳士も見習わねばならんな。そうであろう叔父貴?」

 

などと、この場を粋に楽しみ始めた。注文は初めての店だし兄貴にお任せした。初めの一杯と数品料理が出てきてつまみ始めたあたりで兄貴と叔父貴に話しかけた。この店の料理は確かに旨い。堅物と紳士は料理に夢中になっている。

 

「兄貴、無粋な話になってしまうけど、酒造を始めるって事は話をしただろ?とはいえ、すでに評価が決まってるワインに手を出しても勝負は厳しいと考えているんだ。

そこで、今高価格なお酒についてワインに限らずなんで好まれてるのか、なんで高いのか?とかを教えて欲しいんだよ。せっかく作ったお酒が安く買いたたかれても面白くないしさ。お酒をこれから飲み始める仲間に教える感じでいろいろ話を聞ければ助かるんだけど......」おれが切り出すと

 

「ザイ坊は甲斐性だけでなく商売の才能もあるようじゃ。よし!この兄貴が色々と指南してくれようぞ」

 

と、色々とお酒の知識を話してくれた。ワインの知識だけでも兄貴はかなり凄かった。前世でいうソムリエとしても十分通用するんじゃないだろうか。あと、意外に話しの聞かせ方がうまい。料理に夢中だった堅物と紳士も、いつか飲んでみたい!などと兄貴の話に聞き入っているし、たまにあいまいな所があると叔父貴が自然な感じで補足してくれていた。

ってか上級貴族でも開けるのを戸惑うワインの話もチラホラ出てくるし、本に書いてある表現じゃないからほんとに飲んでるんだろうけど、この人何者なんだろ。

 

と兄貴の話に夢中になっていると、何人か酒場の主人っぽい人たちが入ってきて兄貴に声をかけてきた。

 

「少々ご相談があるのですが?」

 

代表者っぽい人が声をかけてきたが兄貴はバツが悪そうだ。俺が視線を兄貴に向けると

 

「いや、実は少しツケが溜まっておってな。催促されておるんじゃ」

 

いい感じに場が盛り上がっていたし、ここで話が途切れるのも嫌だったので

 

「親分、ここの払いは私が持つし、兄貴のツケに関してはお愛想するまでに取りまとめてもらえないか?明日までに用立てて叔父貴に渡しておくよ。遅くても明後日までに、きっちりお支払いできるようにするからさ」

 

俺がそういうと親分たちは安心した様だ。この店のマスターもサービスです!とか言って一品持ってきた。兄貴と叔父貴は少し困った様子で大丈夫か?とかいうからこれからも色々と相談に乗ってほしいとこちらからお願いした。

 

「実は兄貴。製法が失伝したお酒を造ってみようと思ってるんだ。早ければ年末にはできる予定なんだけど、兄貴にも飲んでもらって感想を聞きたいし、いい物だと思ったらどう売るかも相談したいんだけどお願いできるかな?」

 

兄貴は喜んで請け負ってくれた。それにしても士官学校ってまともな食事が出てないんだろうか。堅物と紳士はずっと食べてばかりだ。君たちのメシ代も俺の払いだということを忘れているのだろうか。まあ、付き合ってもらったし気にしないでおこう。

 

お愛想を頼むと、それなりの金額を求められたがおそらく少し安くしてくれていると思った。上客に見えただろうし次回もよろしくってトコだろうが士官候補生には少しお高い金額かもしれない。そしてメインの兄貴のツケだ。正直あっても10万帝国マルクだろうと思っていたが、親分が持ってきたのは56万帝国マルクの請求書だった。

 

兄貴、酒の知識もすごいけどツケの金額もすごいな。まあ、今後も相談できると思えば高い買い物ではない。ただこういう話は当人に聞こえないようにするのがマナーだ。俺は叔父貴と親分に声をかけて店の端に移動した。

 

「親分、本当にこの金額で大丈夫?結構待っただろうし、この金額だととりまとめも一苦労だったでしょう?」

 

「いえ、楽しくお酒を飲まれる方ですし私どももついつい勧めてしまう状況でして、はい......」親分も少し申し訳なさそうだ。

 

「では叔父貴、明日までに60万用立てますので、そのまま親分にお渡しいただけますか?親分にもお手数をおかけしたでしょうし」

 

「そうじゃな。親分、心配をかけてすまぬ。明日にはツケを清算できよう。色々とかたじけない」

 

「親分、私は年末にはまたこちらに来ると思います。あまり高額なのは困りますがそういうことでお願いできますか?」

 

親分は意図を察したのか頷いて場を離れて行った。あとは叔父貴の振込先の確認だ。これも念を押しておこう。

 

「叔父貴との事はこれからも叔父貴・ザイ坊の仲でいたいのですがお願いできますでしょうか?」

 

叔父貴は頷くと振込先を教えてくれた。宴会はお開きとなり、ザイトリッツとゆかいな仲間たちはルントシュテット邸に戻った。俺はフランツに叔父貴の振込先へ100万帝国マルク振り込むように指示をした。おそらく叔父貴もできるかぎり身銭を切っていただろうし手元にお金がある分には困ることはないだろう。

 

余談だが、その日の晩餐で我らが長兄ローベルトはあまり食が進んでいなかった。あれだけ食べればそうなるだろう。かくいう俺はもちろん食べる量をセーブしていたからしっかり晩餐を楽しむことができた。裏切り者を見るような視線を感じたが気のせいだろう。



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10話:兄貴の感想

宇宙暦752年 帝国暦443年 12月下旬

首都星オーディン 宇宙港

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

この人生で3回目のオーディンに降り立った。年末年始を家族で揃って過ごすために領地から出てきたのだ。とはいえ、今回のメインは兄貴にやっと完成した大吟醸酒を飲んでもらい、感想と売り方のアドバイスをもらうことだ。

 

叔父貴を通じて兄貴とは定期的に連絡を取っていた。一番ハイリターンが見込めるのは皇室のお墨付きをもらうことだ。大吟醸酒の出来はまだわからなかったが、陛下に献上するなら見栄えもこだわりたかった。だが残念ながら領内では工業品レベルの容器は作れても工芸品レベルのものは難しかった。

 

その旨も相談すると、数パターン、工芸品レベルの酒瓶が叔父貴から送られてきた。

正直、適当なワインを入れてもとても高いものだと勘違いするレベルの出来だった。

すぐに1瓶あたりの製造原価の確認と兄貴がいいと思うデザインで100本、用意してくれるように依頼した。

 

もちろん叔父貴の口座に追加で200万ほど振り込んでおいた。領地を発つ前に瓶の用意はできている旨は連絡が来ていたので兄貴や父上に振る舞う分も含めて500本分の大吟醸酒を低温保存でもってきた。

 

オーディンのルントシュテット邸のワインセラーには大吟醸酒用の大型冷蔵庫も用意した。ここまでするには当主である父上の了承が必要だ。おばあ様にちょくちょく手紙を書いてもらい、面白そうだから事の顛末を見届けるまで好きにやらせてほしいと、お願いという文面の強制をしてもらった。好き放題出来ているが、折を見て機嫌を取る必要があるだろう。

 

皇室献上用の瓶は叔父貴が管理してくれているが、まずは実際に味わってもらう必要があるだろう。俺はまだ酒は飲めないしな。そんなことを考えているうちにルントシュテット邸に到着した。割り当てられた部屋に荷物を置くと6本分の大吟醸酒を用意してフランツに持ってもらった。

 

今回はフランツにもついてきてもらう予定だ。さすがに6歳児一人で飲み屋街をうろうろするわけにもいかない。準備がおわって玄関に向かうと声をかけられた。

 

「ザイトリッツ。前回は兄上と随分お楽しみだったようだね。僕は悲しいよ。君には兄が2人いるのに、片方とばかり楽しんで」

 

振り返ると次兄のコルネリアスが少しすねた様子で立っていた。この人は多少機嫌をとっても見透かしそうだけどまあいいか。

 

「これは兄上、まさに天のお助けです。フランツと向かおうと思っていたのですが、いささか心細く感じておりました。コルネリアス兄上にご同席頂けるなら大船に乗った気持ちです」

 

少し芝居がかりすぎたかな。一瞬ジト目をしたが機嫌は取れたようだ。

 

「そこまで言われては、兄として協力しないわけにはいかないね。さあ出かけよう」

 

そういうと我先に玄関へむかった。こうしてザイトリッツとゆかいな仲間たちのお忍び第二弾が始まったわけだが、先に兄上にはしっかり説明しておかねば。

 

「兄上、お聞き及びかもしれませんが領地の方で新しいお酒を作ることができました。今回はいろいろとご助言いただいた方に実物を味わっていただくのでございますが、これから向かう先では本名を名乗りあうのは無粋とされている場です。お互い仲間内での呼び名で呼び合うのが粋とされる場ですのでそれだけはご了承ください。それ以外は特に難しいルールはございません。

 

あと、かなり料理が美味な場でもあります。ローベルト兄上は食べ過ぎて戻りましてからの晩餐を平らげるのに四苦八苦しておりました。兄上がどの程度お食べになれるのかは存じませんが、晩餐分はご自制ください。堅物という呼び名が出た際は、ローベルト兄上の事なのでお含みおきください」

 

俺が矢継ぎ早に話すと、コルネリアス兄上は堅物ってなどとつぶやきながら笑いをこらえている。そんな話をしているうちにオーディンの飲み屋街が近づいてきた。連絡でもいっていたのだろうか、親分がご案内しますと言って道案内をし始めた。

 

そしてあの隠れ家Barに到着した。店に入ると、兄貴と叔父貴が奥のテーブル席にすでに居た。テーブル席に近づくと

 

「おお、ザイ坊。今日は違うお供のようじゃな。呼び名はどうすればよい?呼び名はお主が決めることになっておろう」

 

と声をかけてきた。まあ、2人とも呼び名は決めてあるから問題ない。

 

「お待たせした様で申し訳ございません。後ろに控えておりますのは、大きい方が右腕、小さい方が腹黒でございます」

 

さすがに腹黒は......。だの右腕とは我が家の誉!だの聞こえるがこの場はそういう場だから気にしないことにしよう。

 

「さようか。腹黒、右腕とやら、私は兄貴、横におるのが叔父貴じゃ。よろしく頼むぞ!」

 

一瞬マスターに視線を向けると注文は既にしてある心配はいらんと兄貴が答えた。ここはお任せしよう。一品目の料理が出てきたタイミングで兄貴と叔父貴のグラスに大吟醸酒を注ぐ。

 

「兄貴、俺はまだ酒が飲めないから何とも言えないけど関わった職人達の話ではかなりいい物ができたように思う。率直な感想を聞かせてもらえると助かるよ」

 

「うむ。透き通っており見た目は水のようだが香りは芳醇。年代物の白ワインにも引けを取らんな。では一口」

 

確かめるように舌で転がしながらグイっと大吟醸を兄貴たちが飲んだ。俺は黙って感想を待つが、兄貴と叔父貴は黙ったままだ。俺は黙ってカラになったグラスに大吟醸を注ぎなおした。兄貴たちはテーブルにあった料理を一口たべると、もう一度確かめるように大吟醸を飲んだ。そんなに長い時間ではなかったが判定を待つ俺にはかなり長い時間に感じた。兄貴が感想を紡ぎだした。

 

「ザイ坊、すごい酒をつくったな。正直ここまでとは思わなんだ。この酒の凄味は特に料理を食べる合間に飲むと分かる。どんなにいいワインであれその香りが残るものだが、この酒は芳醇な香りがあるのに料理の後味を全て洗い流すかのようにさっぱりとさせてしまう。

合わせ方にもよるが、特にコース料理でそれぞれの味わいを楽しみつくす意味ではこれ以上の酒はないであろうし単体でも十分に芳醇で薫り高く、飲み口はすっきりと心地よいほどだ」

 

兄貴が確認するように叔父貴に目線を向けるが叔父貴も同意するかのように一度うなずいた。俺が知ってる中でこの2人以上に酒に詳しい知り合いはいない。横目で見るとマスターも飲みたそうな表情をしているが、今は兄貴と叔父貴の話が優先だ。俺はもう一度大吟醸を注ぎなおした。

 

「で、ザイ坊よ。この酒の売り方も相談したいとの事だったがそちの思うところを聞かせてもらえるか?」

 

前回と違い、真剣な面持ちだ。腹黒と右腕も、真剣に話を聞いている。

 

「今考えているのは陛下に献上してお墨付きをもらう事だけど、もしお墨付きをもらえるなら兄貴みたいにこの酒の良さを分かる人で、かつ門閥貴族の介入を跳ね返せる人に取り仕切ってほしいと思ってるよ。

詳しく言うのは無粋だけど、長男と3男が争っている家があるだろ?その取り巻きが調子に乗っててさ、色々と無理難題を吹っ掛けられてるみたいなんだ。仮にお墨付きを頂けたとしても、製造法を取りあげようとか振り分けをしてやろうとか言って、入り込もうとしてくると思う。両親は疲労困憊の状態だし、これ以上負担は増やしたくない。だから兄貴の伝手で、そういうのを跳ね返して、高値で売りさばける人を後ろ盾にできれば嬉しいんだけど......」

 

「ザイ坊よ、因みにだがこの酒は何本分用意してきたのだ?」

 

「一応500本分用意してきたよ。兄貴たちにも気に入ってもらえたら渡しておきたいし、親分やマスターたちにも飲んでもらいたかったし」

 

兄貴は真剣な表情で考え込みながら

 

「ザイ坊の気持ちは分かった。その気持ちに応えられるように動いてみよう。それでよいか?良いなら叔父貴のところに100本分明日には届くように手配りをしてほしい」

 

「分かった。右腕に手配させるよ。叔父貴、無粋な話だけど手元は寂しくない?追加が必要なら手配するけど」

 

「そちらは大丈夫じゃ。ザイ坊にはいつも気にかけてもらって助かっておる」

 

兄貴の評価はこれ以上ない物だろう。正直ホッとした。右腕にちょっと離席してもらって叔父貴の所に大吟醸を運び込む手配をしてもらう。こういう時は余分に手配したほうがいいから150本を用意した。

 

その後はまた兄貴のお酒談義を楽しんだ。いつの間にか腹黒も相槌を打ちながら兄貴と叔父貴のグラスに大吟醸を注いでいる。兄貴が話し上手なのもあるが、腹黒が気配り上手なのもあるだろう。堅物はメシをパクついていただけだしね。それにしても兄貴は酒だけじゃなくて美食でもかなりの知識を持ってるみたいだ。出てくる料理は確かに旨いけど、料理人の腕の見せ所やその素材の出どころとか面白く話してくれる。

 

勝手な俺の予想だけど、親分たちも兄貴から飲食店の経営コンサルみたいな事をしてもらっていたのだと思う。そうでないと、あんな高額になるまでツケを待つ理由がないだろうし。とは言えいい時間だ。そろそろ戻らないとまずいだろう。

 

「兄貴、今日もありがとう。すごく勉強になったよ。持ってきた大吟醸は置いていくから、親分やマスターにも試してもらって」

 

「うむ。ザイ坊はしっかり配慮できる男じゃな。とはいえ、腹黒もなかなかじゃ。こちらも楽しかったぞ」

 

「はい。私も腹黒が同席してくれて助かりました。堅物や紳士は食べてばかりでしたからね」

 

兄貴は笑顔になるとあの二人にもよろしくと言ってきた。マスターにこの後の宴会分も踏まえてお金を支払ってザイトリッツとゆかいな仲間たちは家路につく。

 

「ところでザイ坊。右腕はいい呼び名だけど、僕の呼び名が腹黒とは、少しひどくないかい?」

 

少し揶揄するようにコルネリアス兄上が話しかけてきた。

 

「兄上、その呼び方はあの場だけに限定するのがマナーですよ。私も本で読んだ程度で詳しくはわかりませんが、飲み屋街で始まる交友もあるそうです。お互い本名を名乗りあうと爵位や肩書を気にしてしまうので仲間内の呼び名を使うのです」

 

「確かにその方が心置きなく楽しめるだろうね」

 

「左様です。この交友が続けば堅物がとうとう結婚するそうだ。とはいえあいつは固すぎる。子供がグレなければいいが。とか、散々逃げ回っておったが腹黒の婚約が決まった。あやつもとうとう年貢の納め時だな。でしたり、右腕はザイ坊にいつも無理難題を押し付けられておる。一度ねぎらってやらねばなるまい。というような感じで、仲間内で会話を楽しむわけです」

 

そんなことをワイワイ話している内に、ルントシュテット邸についた。



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11話:兄貴の正体

宇宙暦753年 帝国暦444年 1月上旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

年末年始は今回も家族で過ごすことができた。オーディンに向かう段階から、おばあ様は上機嫌だった。というのも大吟醸の試飲を最初にしたのがおばあ様だったからだ。

 

領地経営者目線では新しい特産品が出来た事になるし、しかも溺愛してやまない可愛いザイトリッツが作ったのだ。もちろん完成品の第一号はおばあ様に献上したわけだが俺の胴元は味覚の部分でも結構繊細だった。

 

なんというか、兄貴はどうすれば一番引き立つかまで分かる感じだけど、胴元は良し悪しと流行りそうかは確実にわかる感じだろうか。両親にも大吟醸を飲んでもらったがかなり高評価だった。父上は挨拶回りの手土産にしたいとまで言ってくれたがこちらの手元にあるのは工業製レベルの瓶だったので少し待ってもらう事にした。

 

兄貴からの返球待ちという所だが、まだ大吟醸を届けて1か月もたっていない。少し気が早いだろう。そろそろ荷造りでも始めるかと思っていたところで父上から呼び出しを受けた。遊戯室に向かうと、父上とおばあ様が既に席についていた。

 

「ザイトリッツ参りました。父上、お呼びとの事でしたが」

 

「うむ。ザイトリッツ、そこに座りなさい。お前にも関係があるのだろうが、先ほどグリンメルスハウゼン子爵家から書状が届いてな。領内で作った大吟醸を皇室に献上するにあたり事前に内々で相談したい為、ザイトリッツを同席の上、一度屋敷に参られたいとの旨、ご連絡を頂いたのだ。母上にもお尋ねしたが、子爵に大吟醸の事を話した覚えはないとのことなのでな、事情を確認するのに呼んだのだが」

 

これ話し方を気を付けないと怒られる事になりそうだな。

 

「左様でしたか父上。ご心配をおかけしました。実は少しご縁がございまして子爵ともうひと方、お話しする機会がございました。ちょうど大吟醸の件で悩んでいた時期でしたが、御二人はお酒の見識が深く、貴重なご意見を頂きました。とはいえ先方はどうやらお忍びのご様子でしたので、子爵とのみ連絡先を交換しておりました。ご相談に乗って頂いた御恩もございますので大吟醸の完成品も年末にお届けいたしました」

 

よし、嘘は言っていない。それにしても予想より返球が早かったなあ。大きな動きでもあったんだろうか。

 

「そうか。先方はかなりお急ぎのようだ。今日にでもとお話を頂いている。まもなく領地に戻る時期であろうし私も予定がある身だ。多少失礼に当たるが今日伺う旨ご使者の方にお伝えするので失礼のない様に用意をしておきなさい」

 

おばあ様に手伝ってもらいながら用意を済ませた。さすがに子爵家を訪問するのに失礼がない恰好なんて分からないしね。でも胴元がいつもよりなんか慌ててるような。

 

そんなこんなで少し間をあけてから子爵邸に向かった。伯爵邸から子爵邸まではそんなに距離はない。すぐに執事らしき人に先導され応接室に入ると兄貴と叔父貴が待っていた。

 

「これはフリードリヒ殿下、お久しゅうございます。ルントシュテット伯ニクラウスでございます」

「ニクラウスが3男、ザイトリッツでございます」

 

兄貴は楽にせよというと面白そうに視線を向けてきた。さすがにあの出会い方で実は殿下でしたは無いだろう。

 

「グリンメルスハウゼン子爵には、ザイトリッツが貴重なご意見を頂いたようでありがとうございます」

 

などと父が正式な場での挨拶を交わすのを横目に、この先の事を考えていた。おそらく良い形にまとめられる。すると叔父貴メインで話が始まった。こういう場では、御付の人がお言葉を伝える感じになるらしい。叔父貴、うまく話してくれないと後で怒られるから頼むぜ。

 

話の内容としては

 

・殿下とお忍びでオーディンを散策している際に縁があった事

・助言はしたが、受け取った品はとても出来が良く驚いた事

・世に出すにあたって、まずは皇室に献上したい事

・両親の負担を憂慮しており、差配の面で後ろ盾が欲しい事

・既に陛下に献上済みでありお墨付きの一段上の御用達はもらえる事

・近いうちに非公式ではあるが拝謁がかなう事

・拝謁の際に褒美が与えられるので、希望する物があれば申告してほしい事

 

って感じだった。正直満額回答だよ。兄貴と叔父貴やるなあ。こんだけ仕事も早いし、兄貴と同席した連中はなんだかんだ懐いてる。親分たちの態度を見ても人徳みたいなものはあると思うけど、なんで後継者争いから脱落したんだろう?

 

視線を父上に向けると、まだ思考が追い付いていないようだ。折角満額回答を用意してもらったのに、まごつくのは申し訳ない。

 

「殿下、子爵様、この度のご配慮ありがとうございます。父上、私も考えていた事がございます。それをお話し致しますのでその上で、最終的なご判断をされてはいかがでしょうか?」

 

・皇室の御用達を得た以上、大吟醸が利権となること

・後ろ盾がないと門閥貴族の介入があると予測される事

・リヒャルト皇太子とクレメンツ殿下の派閥で対立が深まっていること

・片方に付けば万が一の際、報復が予想される事

・派閥に入っても新参者であるため、介入は防げないこと

 

ここまでを話したうえで

 

「以上を踏まえますと、大吟醸に関してはフリードリヒ殿下に後ろ盾をお願いし、差配も恐縮ではございますがお願いするのがよろしいのではないでしょうか。貴重なご意見を頂戴したのも確かですし、皇室の御用達を頂けたのもお力添え頂けたからです。他の方に後ろ盾をお願いすると不義理になるかと」

 

そこまで話すと父上も判断を下したようだ。

 

「フリードリヒ殿下、判断が遅れ申し訳ございません。ルントシュテット家としては是非とも後ろ盾と差配をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 

「うむ。喜んで務めさせてもらおう。命名については大吟醸のままで良いのかな?」

 

これだけは胴元への恩返しもあるから譲れない。

 

「殿下。大吟醸は祖母マリアの尽力がなければ作成は困難でした。よろしければレオと命名することをお許しください。祖父レオンハルトにちなむ名となりますし、古代語で獅子を表す言葉でもございます。いかがでございましょう?」

 

「うむ、レオか、良き呼び名であるな。そうするとしよう」

 

よし、これでおばあ様の機嫌は何とかなるだろう。

 

「あとは褒美の事だが、何か希望はあるかな?」

 

父上に目線を向けるが俺の方を見たままだ。つまり俺が決めていいってことなんだろうけど、これも考えていたことがある。さて、どう切り出そうか。

 

「殿下、今回ルントシュテット家はお力添えを頂いて新しい利権を確保いたしました。そうなりますと、さらに金銭・債券・利権と言った物を頂くのは妬みを招くでしょうから危険でしょう。爵位も当然危険です。爵位と強欲さしか取り柄が無い方が多数いらっしゃるようですし。

そこで確認して見たのですが、祖父に率いられた方々も含め奮戦むなしく叛乱軍に囚われている帝国臣民が約150万人。帝国軍が捕虜とし更生を試みるも反省の色がない叛徒どもも約150万人いるそうです。これを交換することを褒美としては頂けないでしょうか。

祖父レオンハルトを支えてくれた者たちが、苦しい生活を強いられているのはルントシュテット家の名誉にも関わると存じます。また陛下は無駄をお嫌いとのことでした。更生の余地のない者どもの食費が浮き、限界まで奮戦した臣民が帰還すればまた帝国に尽くしてくれましょう。いかがでしょうか?」

 

「うむ。その提案は良いものであるが、いささか褒美の色が薄いと思われるやもしれぬ。その時は如何する?」

 

「今後ともレオを陛下にご愛飲いただければと。陛下にご愛飲いただき、殿下にお力添え頂ければいつの日か帝国軍人が戦勝を祝う際にはレオでなければという日が参りましょう。これ以上の褒美はございませぬ」

 

褒美に関しては一応考えてはいた。金は稼げばいいし、そうなると利権も敢えてもらう必要はない。爵位はもっと危険だし、俺には必要ない。男爵でももらって、コルネリアス兄上にいずれ継いで頂くのも考えたが、まだ高々12歳。反感を食らうだけだし何だかんだであの人も優秀だと思う。お膳立てしなくても爵位くらい勝ち取るだろう。

 

そうなると欲しいのは兵士からの信望だ。ルントシュテットは兵士を見捨てない。大事に思ってくれるというイメージがあれば軍歴を積むうえでかなり協力を得られるだろう。私欲を捨てて捕虜交換を願い出たとあれば、門閥貴族も多少なりとも軍部への浸透も控えるはずだ。この状況で褒美としてもらっても危険がなく有益なものをしっかりもらっておこう。

兄貴は一瞬目線を叔父貴に向けたが、

 

「うむ。そこまで言うのであれば陛下にそうお伝えしよう」

 

と言ってくれた。結構いろいろ話が続いたのでそろそろ引き上げないと晩餐をとることになる時間帯だ。どうしたものかと思い出すと

 

「殿下そろそろ切り上げませんと次のご予定が迫っております」

 

叔父貴が区切ってくれた。ではまたな!などと言いながら兄貴は部屋を出て行った。

 

「謁見に関しては日時が決まり次第、お知らせいたしましょう。大筋は固まりましたので、委細はまた改めて」

 

という事で、叔父貴の屋敷をあとにする。父上にも先に謝っておこう。

 

「父上、この度は出過ぎました。申し訳ございません。ただ私はカミラが誰に殺されたのか忘れてはおりませぬ。お含みおき下されば幸いでございます」

 

父上は少し困った顔をしながら

 

「私ももちろん覚えて居るし、大切な子息が重体にされたことも覚えているよ」

 

と言ってくれた。少し嬉しかった。




独自設定ですが

お墨付き:皇室として良いものだと認定したもの
御用達 :お墨付きの中で皇室で実際に常用される物

とご理解ください。父上と胴元はグリンメルスハウゼン子爵が誰の侍従武官かはもちろん知っていました。


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12話:兄貴と叔父貴

宇宙暦753年 帝国暦444年 1月上旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム

 

ルントシュテット伯とザイ坊を乗せた車が門から出ていくのが見える。もう少し話したかった気がするがこれ以上引き留めては晩餐の用意を無駄にする事になろう。

ルントシュテット伯はともかく先代ルントシュテット伯爵夫人とザイ坊は普段は領地におる。折角の家族の団欒の時間を奪うわけにもいかぬ。

 

あやつとの出会いはなかなか興味深いものだった。世話をかけておる飲み屋街をうろうろしておったら、明らかに場違いな青年2人と子供という3人組を見つけたのだ。

私に言われるのは不本意であろうが、そんな歳で飲み屋街に出入りするのはさすがに感心できぬ。思わず声をかけたが、よくよく聞くと酒造を始めるので飲み屋街を見たかったなどと言いおるし、しまいにはお忍びを貫くために仲間内の呼び名などとたわけた事を話し出した。

 

『兄貴』か。私には実の弟がおるが、幼き頃より離れて育てられたし、3人兄弟のうち、私だけが平凡だった。そのせいか、実弟クレメンツから信愛を込めて呼ばれたことなどなかったし、次期皇帝は兄か弟と目され、いないも同然の扱いをされておった。

 

おそらく初めて信愛を込めて私を呼んでくれたのはザイ坊なのだろう。妙に楽しかったし嬉しかった。これでも自他ともに認める放蕩者だ。酒の話ならいくらでもできる。あの時ほど、皇室の秘蔵のワインを隠れて飲んでおいて良かったと思ったことは無い。

それだけにツケの催促が来たときは気まずかった。折角得た信愛を失ってしまうのかと恐ろしかったのだと思う。

 

ザイ坊は何でもないかのようにツケを支払うと言い、話の続きをせがんでくれた。

翌日グリンメルスハウゼンの所に費えが届けられたがかなり多めに用意されておったらしい。あれから飲み屋街に行くことはあったが現金で支払っておる。

ツケを待ってもらう代わりにではないが、私なりに酒や料理の感想と、もう一味たすならというような話をしたこともあった。だがザイ坊があれだけの高値を払ったのに、気安く助言しては筋が通らぬような気がして控えるようになった。

 

皇室と門閥貴族の間で交わされる裏に表に多くの含みがあるやりとりは見てきたがこんな貸しの作り方は見たことが無い。大抵は散々さげすんで無視するか、事あるごとに貸しがあることを大声で主張してくるかのどちらかだ。

 

書状が来たときは、正直態度が豹変しておるのではと不安にもなったが、ザイ坊はそんなそぶりは一切なかった。

 

その書状は納得のいく容器が出来ないから相談に乗ってくれないかと私に意見を求めるモノであった。幸いザイ坊が多めにくれた費えが残っておったので、皇室の伝手で職人に打診し、数個試作品を送るとすぐに高額な費えとともに100個用意してほしいと打診してきた。自分が価値ある人間だと認めてもらえたような気がした。

 

いったい誰がろくに知らない放蕩者にポンと300万帝国マルクも渡すだろうか。放蕩者ではない、ちゃんと私には価値があるのだとザイ坊は認めてくれたのだ。

あやつが新しく作った大吟醸とやらも素晴らしかった。自分がこれに携わったのだと思うと誇らしかった。世に出すにあたり先に皇室のお墨付きを得ておきたいというのももっともだし、私なら簡単にできる話だ。

 

父上が酒を楽しむ頃合いを見計らって試飲を頼めば良いだけだ。数十年寝かしたワインと同等の名酒が大量に献上されるとなればケチな父上の事だ。お墨付きどころか少し煽れば御用達の認可を出した。

 

小遣いでもせびりに来たと父上は思っておったはずだ。はじめは胡散臭げじゃったが、大吟醸を一口飲むと、手のひらを返したように上機嫌になった。私の味覚は、唯一絶対などとあやつらがあがめ立てる父上にも通用したのだ。放蕩者の面目躍如と言った所か。

 

今日の話し合い次第でどうなるかわからなかったが、大吟醸。いやレオに今後も関われる事となった。ザイ坊の期待に応えなければならん。しっかり励まねばな。そんなことを考えておると、見送りが終わったのであろう。グリンメルスハウゼンが戻ってきた。

 

「殿下、ルントシュテット伯とザイ坊の見送りを終えましてございます。しかしザイ坊はいろいろとよく見えておりますな。改めて驚きました」

 

「うむ。調査の報告の方はまとまっておるのかな?まあ、後ろ盾になることをお主は止めなんだから問題はないのであろうが」

 

「はい。資金の出どころも問題ございませんでした。どうやら祖母のマリア殿から資金を用立ててもらい領地改善を行い、増えた収益の10%をザイ坊がもらう取り決めになっているようです。殿下への資金はザイ坊が稼いだものから出たようですな」

 

「あの若さで収益まで上げておるのか……さすがじゃな。レオの一件でもさらに収益をあげるじゃろ。大したものじゃ」

 

グリンメルスハウゼンに視線を戻すと、何やらまた報告することがあるようだ。

 

「本日も感じましたが、門閥貴族に対しての言動が気になりましたので念のため確認いたしました。後ろ盾になられる以上、踏まえておかれた方がよろしいかと存じますので、こちらにお持ちしました」

 

というと、一枚の資料を取り出した。中身に目を通したが、確かに踏まえておいた方が良い事が書かれていた。

 

「先の大戦以来、門閥貴族が軍に入り込んで利権を得ようと画策しておることも、それを防ぐ為に、ルントシュテット伯を含めた軍に近い貴族たちが四苦八苦しておるのは聞いておった。ザイ坊が門閥貴族に含むところがあるのもそのあたりが原因かと思ったが、ほぼ母親に等しい乳母を事故とは言え門閥貴族に殺められておったか」

 

「はい。しかも事を公にしない様に圧力までかけております。本人も一時重体だったことも思えば、許すことはありますまい。その門閥貴族は兄君、リヒャルト皇太子の派閥でございますのでこちらに何か含むところはないでしょうが、弟君クレメンツ殿下の派閥も似た様なことをしております。ザイ坊が彼らを一体どんな目で見ているかと思うと......。

今回の件も伯爵家の力や、陛下からお褒め頂くことを考えれば多少の介入ははねのける事が出来たはずです。この度の事は、もともとザイ坊は殿下に後ろ盾をお願いすると決めており、ルントシュテット伯をそのように決断させたというのが実情かと存じまする」

 

「そうか、兄でも弟でもなく私をザイ坊が選んでくれたか。レオの件は命名の経緯を考えると、かなり思い入れのある事業のはず。それを放蕩者の私に任せるか。取り巻きを集めてやりたい放題している連中なんて眼中にない。兄貴、頼むぜと行動で示している訳だ。人たらしじゃなあ」

 

私はそう言いながら笑った。

グリンメルスハウゼンは少し困った表情をしておる。

 

「ザイ坊と出会わなければツケも払えず、勘当されておっただろう。蔑まれ続けた人生だったが、そんな私に信愛をくれ信頼をくれたのじゃ。グリンメルスハウゼンよ。ザイ坊はまだ6歳じゃ。いずれ無茶もしよう。いざというとき助けてやれるように取引材料を集めておいてくれぬか」

 

「かしこまり申した。このグリンメルスハウゼンもザイ坊に叔父貴などと呼ばれ、楽しき時間を過ごさせて頂きました。殿下がそこまでおっしゃるならいざという時にお役に立てるよう手配りしておきましょう」

 

済まぬな。グリンメルスハウゼン。私の侍従武官などにならなければ、今少し日の当たる人生を歩めたであろうに。いつか報いることができれば良いが......。



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13話:謁見と内々の話

宇宙暦753年 帝国暦444年 1月下旬

首都星オーディン ルントシュテット所有車内

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

俺たちは今、地上車で新無憂宮に向かっている。非公式とはいえ陛下に拝謁するので、父上も同乗している。個人的にはおばあ様にも来ていただきたかったが謁見自体が一つのステータスなので、基本は当主のみであり今回は俺が主役なので、当主の父上が付き添うというわけだ。

 

話は少し戻るが、グリンメルスハウゼン邸での話し合いを終えた後、ルントシュテット邸はいくつかの驚きに包まれた。両親やおばあ様からすると、まだ6歳の子供が手掛けたお酒が自分たちも気に入ったとはいえ、既に御用達としての取り扱いが確定しており、さらに後継者争いからは一歩引いているとはいえフリードリヒ殿下にご差配頂けることに驚きの声を上げていた。

 

レオの命名の経緯を話した際は、おばあ様は涙ぐんで喜んでくれた。あまりにべた褒めしてくるので少し照れ臭かったが、今となっては俺の一番の理解者だし、胴元でもあるわけだ。俺も嬉しかったし、期待に応えられてホッとした部分もあった。

 

まだ、仲間内での呼び名で、殿下と呼び合っている件は両親とおばあ様にはバレていない。

とは言え兄上たちには兄貴と叔父貴の正体は伝える事にした。反応は面白いくらい別れた。

堅物こと長兄ローベルトは恐れ多い事をなどと呟いていたが腹黒こと次兄コルネリアスは皇族とあだ名で呼び合う関係をむしろ楽しみにしている様子だった。

ここは、正式な場で会う際は長兄に。非公式な場で会う場合は次兄に同席をお願いする事にして適材適所を意図しようと思っている。

 

というのも、レオに関して後ろ盾を頼む以上、兄貴や叔父貴との面会は定期的に必要になる。ただ、ここでルントシュテット伯である父が前面に立つと、派閥を持っていなかった兄貴が、当家を軸に軍部に近い貴族たちを糾合して新しく派閥を作ろうとしていると取られかねない。

なので、縁ができたルントシュテット家の子弟と遊んでいると誤認させる意味も含めて、父上には一歩引いてもらう形で事業を展開していくつもりでいる。まあ要相談って所だろう。

 

そんなことを振り返っているうちに新無憂宮の後宮に近い裏口に到着した。今回の謁見はあくまで非公式なものなので謁見の間ではなく、後宮から近い応接室で行われることになっている。父上に続いて、先導する狐顔の男性についていくと、かなり豪奢な一室に案内された。

 

部屋に通される際に、なにやら胡散臭げな視線を狐顔から向けられた。門閥貴族の血縁だろうが、なんでこんな子供が非公式とは言え拝謁を?とでも考えているのだろう。非公式とは言え謁見を許したという事は陛下が称賛したい労いたいと考えているわけで、内心はどうであれ、それを客に気づかれる時点で、俺ならクビにするか配置換えだな。

 

しばらくすると、前触れがあり陛下が入室された。

父上を真似てひざまずいて控えていると、

 

「非公式の謁見じゃ。楽にしてよい。ルントシュテット伯、久しいな。レオンハルトの事は余も残念に思っておった。こうして話す機会が持てた事、嬉しく思っているぞ」

 

「はっ!もったいなきお言葉。また非公式とは言え三男ザイトリッツに謁見を賜りましたこと、真に有り難く、恐悦至極に存じます」

 

映画で見たようなやりとりが目の前で始まった。

しばらくおとなしくしていると、

 

「そちらに控えておるのが、良き物を作ったザイトリッツじゃな。苦しゅうない。発言を許そう」

 

「はっ!若輩者ゆえ至らぬ点があるやもしれませぬがご無礼をお許しください。ルントシュテット伯が三男ザイトリッツでございます」

 

「うむ。さすがルントシュテット家じゃ。しっかり養育しておるようじゃな。あのレオとやらの命名の経緯も聞いておる。家族思いの良き心根でもあろう。今から将来が楽しみじゃな」

 

「は!陛下にそのようなお言葉を頂ければザイトリッツの励みになりましょう。真にありがとうございます」

 

「はい、父上。若輩者ではございますが、このザイトリッツ、陛下のお言葉に恥じぬよう、努めてまいります」

 

父上は少し恐縮気味だったが、嬉しそうだ。陛下と爺様との関係はよくわからないが、知らない仲では無かったのだろう。すこしお疲れ気味の顔色だが笑顔だ。陛下が言葉を続ける。

 

「それとな、褒美の件でも話は聞いておる。レオに関しては承知しておるだろうが御用達とした。余も気に入っておるし、愛飲するつもりじゃ。

捕虜交換の件は、確かにルントシュテット家の名誉に関わる部分もあるが、帝国軍にも関わること。褒美とするには益が少なすぎるようにも思うのだ。もし他に何かあれば考慮するが如何じゃ?」

 

父上に目線を向けると、迷うような表情をしていた。どうやら想定外のようだ。こういう時は公益につながることをお願いすればいい。ルントシュテット家は既に利権を手に入れている。何事も食べすぎは良くない。太るし胃もたれが起こる。

 

「陛下、若輩者ゆえ事情は良く存じませぬが先の大戦から既に6年近くの時が流れ、戦死した者や心ならずも捕虜となった者の家族が農奴に落ちているとかいないとか。

折角の陛下の恩情で帰還が叶っても家族がそのような状態では悲しみましょうし、本人たちも叛徒に囚われていたのです。少しは身体を休める期間も必要でございましょう。

そのあたりもご配慮いただければ、当家としてもさらに面目が立ちますし、帰還した者たちもより陛下のご恩情に感謝し、励むと存じますが如何でしょうか?」

 

陛下は少し考え込んだが

 

「よかろう。そちが褒美として望むのであればそうすることとしよう。そちは無欲じゃな」

 

というと、引き続き励むようにとの言葉を残して部屋から出て行った。こうして初めての謁見が終わったが、まあこんなものかというのが感想だ。

 

現帝オトフリート5世は、よく言えば締まり屋。悪く言えばドケチなのだ。門閥貴族どもが軍の利権を狙った背景の一つとして、陛下が予算を絞り過ぎた為に今までの利権の旨味が減ったことがあげられる。別に門閥貴族に理解を示すつもりはないが、使い切れない程お金をため込むなど不経済でしかない。陛下には悪いが、俺はそこまで好印象を持っていなかった。そして再び狐顔に先導されながら、裏口にもどり地上車に乗り込む。

 

父上はルントシュテット邸に戻るだけだが、明日には領地にもどる俺にはもう一つの用事がある。幸い、フランツが従者として同乗していたのでお供も揃っている。帰路の半分まで来たあたりで俺は切り出した。

 

「父上、明日には領地へ発ちますが、確認せねばならないことがございます。幸いフランツもおりますので、父上をお送り次第、出かけてまいりたいと存じます」

 

というと、

 

「わかった。お前の事だから私に報告すべきことはきちんと報告してくれると信じているぞ。謁見での態度は立派なものだった。おばあ様もカタリーナも話を聞きたかろう。晩餐には遅れぬようにな」

 

というと、屋敷に着くなり地上車を降りて行った。俺が向かうのは飲み屋街のマスターの店だ。今日は午後から休業にしてもらい貸し切りにしている。ただし宴会をするわけではない。マスターの店につくと二階の個室に向かう。申し訳ないがフランツにはドアの外に控えてもらう。

 

「おお、ザイ坊、先に始めておるぞ」

 

部屋に入ると兄貴と叔父貴が料理をつまみながら酒を飲んでいた。まだ始めたばかりって感じだ。

 

「兄貴、さすがにあの知り合い方で実は殿下でしたは演出が効きすぎだよ。まあ叔父貴が誰の侍従武官か位は調べておくべきだったけどさあ」

 

というと兄貴は嬉しそうに

 

「そうか、ザイ坊を出し抜くことができたとは。私も捨てたものではないな」

 

と言いながら、叔父貴と上機嫌で笑い出した。領地に戻る前に話がしたい旨を伝えたとき、ここを指定してきたのでお忍びの関係で時間を取りたいのだろうと思ったが、その認識でよかったようだ。

 

「兄貴と叔父貴のおかげで謁見もうまくいったよ。ほんとにありがとう。で、今後の事で話がしたかったんだ。まあ飲みながら相談にのって欲しいんだけど......」

 

「うむ。ザイ坊が酒が飲める歳なら一緒に楽しめるのだが、お主がいくら早熟とは言えいささか早すぎるからのう」

 

おれは兄貴と叔父貴にお酌しながら話を進めた。

 

「今後の事についてだけど、大きくは2点あるんだ。まずはレオに関してだけど、兄貴に差配もお願いする前提になるけど、誰にどんな瓶に詰めて、いくらで売るのかまで兄貴に差配してほしいんだ。その代わり利益配分は売上を折半でお願いしたいと思ってる。

俺は領地に戻るし、父上と頻繁に会うのは兄貴が派閥を作ろうとしているように見えるから危険だし、堅物と腹黒は商売についての知識は無いから、なら全部兄貴にお願いしたほうが手間が少ないと思うんだけどどうだろう?」

 

「うーむ。後ろ盾と差配を引き受けたとはいえそこまで私に任せてしまって良いのか?」

 

なんか兄貴はビックリしているが、これはお互いにとっていい話なのだ。

 

「兄貴のおかげでレオは御用達って裏書付きで世に出る事が出来たし、狙いたいのは高価格帯での販売だからさ、レオを飲んだことがないのは半人前だとか、レオを置いてない店は潜りだみたいな認識にしたいんだよ。

俺の知っている人の中で、それが出来そうなのは兄貴だけだし、どうせ門閥貴族も欲しがるでしょ?今まで兄貴に調子に乗っていた分を含めて、しっかり踏んだ食って欲しいんだよね。領地に戻ったら量産体制を整えるけど、レオは長期熟成もできるから、無理に量をさばく必要はないしさ」

 

「そこまで当てにされては断ることはできぬな」

 

兄貴は叔父貴に笑顔で視線を向けながら引き受けてくれた。これで本来予定していた用事は完了だ。

 

「ザイ坊よ。話は2つと言っておったな。レオの件は予想しておったがもう一つは何かな?」

 

「うん。今日の謁見で、陛下から褒美として弱いからもう少し望みはないかっていわれてさ。噂に聞いた位なんだけど、捕虜になったり戦死した兵士の家族が農奴になってるらしくて、そこへのご配慮と、捕虜たちも叛徒に囚われてた訳だから身体を休める期間も必要だろうからご恩情を願い出たんだよ」

 

「うむ。お主は本当に無欲じゃな」

 

兄貴は嬉しそうにうなずきながらグラスを傾けている。

俺はお酌をしながら続けた。

 

「兄貴、言葉を選ばずに言うと、兄貴の周りが強欲すぎるんだよ。で、心配なのがこの強欲な方々なんだよね。勅命に表立っては逆らわないと思うけど、書類をごまかして農奴を解放しなかったり、一時金をかすめ取ったり。そういうことをすると予想してるんだ。

だからその辺の進捗を監視してもらえないかな?兄貴と叔父貴ならその辺の伝手もあるだろうし」

 

兄貴と叔父貴は少し目を合わせて何か確認しているようだったが、しばらくすると

 

「ザイ坊よ、勅命がきちんと果たされれば良いが、ごまかしたり逆らったりした者が出た場合はどうするつもりじゃ?」

 

「その辺りは、陛下のご判断じゃないのかなあ。一番やりそうなのは、派閥を作って好き勝手してる連中だろうしね」

 

そこまで言うと、今まで黙っていた叔父貴が話し始めた。

 

「ザイ坊よ、殿下が後ろ盾になられるにあたって、事前に調査をさせてもらった。お主の乳母の事も殿下はご承知じゃ。お主は門閥貴族を潰すつもりなのか?」

 

叔父貴の目線は今までになく強かった。この2人に嘘をつくつもりはない。

 

「兄貴、叔父貴。乳母のカミラは実の母親同然だった。普通に詫びるならともかく、変な圧力までかけてきて、いつか俺に実力が付いたら潰してやろうと思ってたよ」

 

俺はそこで一旦言葉を区切る。

 

「でもね。領地経営に関わって、考えは変わったんだ。軍に近い伯爵家ですら泣かされてる。あいつらに泣かされてる人間は多いよ。たぶん俺が潰すまでもなく、あいつらは自滅する。

だけどあいつらが潰れても領民が残るだろ。あいつらが潰れるのは自業自得だけど、領民には関係ない。だから領地経営を頑張るんだ。混乱して生活の見通しが立たなくなった臣民をうちで受け入れられるようにね。去年だけでも1000万人はさらに養える成果が出せたしレオも兄貴の力添えがあればかなりの収益が出せるはずだ。今、考えてるのはそういう事だよ」

 

俺がそこまで話すと叔父貴は安心した様子だった。

 

「グリンメルスハウゼンはの、ザイ坊が復讐を考えておるのではと心配しておったようだ。そういう事なら安心であろう。それにしても明日から領地へ戻るか。寂しくなるな」

 

兄貴が落ち込むそぶりを仰々しくするのが少し可笑しかった。俺と叔父貴は思わず笑ってしまった。




純米大吟醸酒の酒化率は 300 リットル/t生産可能なので材料のみで考えると最大で6000万リットル生産可能となります。日本の清酒の消費量が6億リットル/年なので薄利多売はしなくても済むかなあと思っています。


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14話:領地経営と次の事業

宇宙暦753年 帝国暦444年 3月下旬

シャンタウ星域 惑星ルントシュテット

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

領地に戻ってきて2か月が経過した。大吟醸酒レオは、既に大成功と言っていい成果を出していた。オーディンでの打ち合わせ通り、兄貴はかなりうまくレオを売りさばいている。

 

もともと貴族や富裕層が集まる高級飲食店に伝手があったのだろう。店主や料理長を内々に呼び出して試飲させながら価格交渉をしたらしい。置物としての見栄えを意識してか皇室御用達の印章を彫りこんだ60リットル詰めの樽を作って売り出した様だ。

狙い通り、高級店ではレオがなければ顔が立たない雰囲気が生まれており、ひと樽1万帝国マルクの強気の価格設定だがかなりの勢いで売れているし、リピート率も100%を維持している。

 

瓶詰めの方はもっと好調だった。兄貴がというより、叔父貴が辣腕を奮っているらしい。まあ、自分の主に調子に乗った態度をされたら、主人以上に部下は根に持つものだ。

門閥貴族のうち、派閥を作って調子に乗っていた連中には暴利に近い高額で、それ以外の門閥貴族には高値でしぶしぶという態で売りさばいているらしい。あえて何も言わなかったが、軍に近い貴族にはかなり配慮した金額で融通している様だが、瓶のレベルを変えることでうまく対処しているようだった。

 

出荷した3000万リットルが完売状態で樽売りが30万樽売れて30億、瓶詰めの方は超高額で300万本、高額で500万本、お友達価格で400万本売れて計590億の売り上げとなっている。ここから折半で310億がルントシュテット家に入り、俺個人には10%が入るので31億が手元に入った。

 

この時点で、おばあ様から預かった10億はお返しした。おばあ様はなんだか寂しそうだったが、俺としては胴元ではなく心からおばあ様と呼びたかったので最優先でお返ししたのだ。さて、俺としては次の事業に目星はつけていたが、もともと原資がかなりかかる事業なので、下調べに時間をかけていた。ここで困ったのがルントシュテット家の領地開発の責任者、我らがマリアおばあ様である。

 

昨年比で320億近い増収が見込める訳だが、こんな増収は過去に無い為、滞っていたインフラの修繕などを予定するもその他の使い道がわからない状態になった。そこで領地経営の責任者であるおばあ様は全ての元凶である溺愛する孫、可愛いザイトリッツに領地の経営方針を相談するという決断をした。

 

そこで今からおばあ様と従士のフランツ、乳兄弟のパトリックの4人で、会議をする訳だ。正式な役人を入れないのは、あくまで俺が3男であり、領地経営に本来口を出す立場に無い為で、従士と乳母兄弟が同席するのは勉強の為だ。

 

専属従士のフランツは今年18歳、俺が事業をしていく上での右腕候補だし乳母兄弟のパトリックはまだ7歳だが、一番信頼できる同志でもある。今からわからないなりに経験を積ませたい。そんな訳でこれから本邸のサロンにて優雅にお茶を飲みながら経営方針会議が始まることになる。

 

「では、ザイトリッツ。始めなさい」

 

なんか一度言ってみたかったセリフを言えて満足みたいな表情を浮かべつつ、ティーカップを持ちながらおばあ様が会議の開始を宣言した。まあ、後の二人は今回はおまけだ。早速始めるとしよう。

 

「では、始めさせていただきます。私なりに領地経営の方針は考えましたが、今回は初回ですので考え方も含めて、お話ししたいと思います。大前提として、増税を選択肢から外した場合、領地を繁栄させるというのが増収と定義すると、すべきことは2つだけです」

 

・領内の人口を増やすこと

・領民の収入を増やすこと

 

俺は事前の用意していたタブレットをおばあ様に見せながら説明を続ける。

 

「まず人口増についてですが、領内の人口データを踏まえますと未婚成人男性の数が未婚成人女性に対して不足しております。これは軍への徴兵が原因と考えられますので、抜本的な解決策はいまございませんが、昨年以来、我が領の雇用状態は売り手市場で、人口も流入傾向ですので様子を見るしかないでしょう。

その上で既存の単身者に早く結婚してもらう、早く子供を儲けてもらうという観点では、以下の3点がございます」

 

・恋人を見つけてもらう

・結婚したいと思ってもらう

・子供を早く生みたいと思ってもらう

 

ってか俺もまだ7歳なんだけど、生々しい話をしてるなあ。タブレットをスライドさせながら話を進める。

 

「統計が無い為、戸籍をざっくりと確認した結果ですが領内の婚姻についてはほとんど同じ町村の中で成立しています。ですので16歳~30歳位までの単身者限定で、町村をまたぐ形で交流の場を作ることが望ましいと思います。具体的には簡単な軍事訓練を月1回程度週末に行い、打ち上げの際に飲むビールなどをこちらで負担する事を提案します」

 

おばあ様は面白そうに説明を聞いてくれているしフランツも興味深げだ。パトリックにはまだ少し早い話かもしれない。

 

「続きまして、結婚したいと思ってもらう件ですが、これについては強制はできませんので、助成をすることを提案します。具体的には結婚祝いを伯爵家から渡すであったり新居を用意するにあたって助成するなりを提案します」

 

目線を横に向けるとフランツはうんうんと頷いていた。恋愛とか結婚とか考えだす年ごろだろうし当然か。

 

「子供を早く生みたいと思ってもらうという部分では出産のリスク低減と子育てのコスト削減の観点からアプローチしてみました。リスク低減という観点では短期では助産師資格者を各町村に数名いる状態を目指し、長期では領内で一時間以内に医療機関がある状態を作ることを提案します。

コスト削減の観点では出産祝い金を伯爵家から贈る事と幼児を近隣で昼間だけでも預かる仕組みづくりが必要かと。短期では幼児何人当たりで人員何名分といった仕組みで人件費負担を行い、長期的には幼児専門の養育施設を事業として設立することを提案します」

 

ここで、一旦、説明を区切り、おばあ様に視線を向けた。おばあ様はいろいろ考えている様子だったが、

 

「ザイトリッツ?ここまでの提案の内、短期での提案を全て実施するとして、予算はどれくらいかかるかしら?」

 

と問いかけてきたので

 

「婚姻数や出産数にもよりますが100億組んでおけば余程の大幅増でも起きない限り、大丈夫でしょう」

 

と回答した。

 

「また長期目線では初等教育学校と中等教育学校を設立して対象となる領民は原則無料で入校可とします。ここまで実現できれば、出産から18歳までの養育をかなりフォローできますので、子育てのコストへの不安はほぼなくせると存じます。これ以降は医師や実務担当者、技術者を目指して上級教育機関を志向する者に奨学金を支給してフォローすれば問題ないでしょう」

 

おばあ様は資料を見ていたが

 

「奨学金の原資は今から準備を始めることにしましょう。教育機関の立ち上げができる人間と、教師候補も確保する必要がありそうね。この部分は、今年度は30億位予算を用意しておけば問題はないでしょう?」

 

と俺に目線を向けてきたので同意の意味でうなずいた。

 

「続けます。領民の収入増という観点では、短期では麦・米の増産となります。この部分はインフラ整備、特に灌漑設備への予算配分をお願いしたいと考えています。

中長期的な施策については私が目星をつけている事業の展望にもよりますが、農学・鉱学・工学・航宙学の修了者かつ経営・経済の素養を身に着けた人材の育成です。

 

この話は最初におばあ様にお伝えしますが、私は次の事業として、辺境宙域と帝国後背地をシャンタウ星域を中心として結ぶ形で交易船を運航することを考えております。この事業は短期では収益化が難しいと想定しておりますが帝国領全体で考えた際、帝都とフェザーンの直線上から外れたシャンタウ星系と、辺境星域では交易船自体が少なく、そもそも領地の経営資源が乏しい中で、停滞しやすい材料が揃っている状態です。

 

そこで、まずは定期交易船を運用しながら、各領内で適した商材の増産を進めます。当家の領地で実績を上げた手法を提供することも出来ましょう。

その際に、穀物の増産の次のステージ。増産に成功した穀物の輸送、加工。各種鉱物の産出、製造業の立ち上げを担える人材を育成しておくことで、当領と辺境領域における次世代産業の担い手を育成するのです。新しく立ち上がる事業の中心的な役割を当領民が担うことになりますので、必然的に給与は高いものとなりましょう。

 

先を見据えて教育に投資できる余裕があるのは我が領だけでございます。具体的には通信設備を整え、成人が通常の業務を終えて以降に学ぶ場をつくります。設備さえ作ってしまえば、通信教育ですから、講師役は学科ごとに優秀な方を一人用意できれば質は担保できます。副次的な効果となりますが、共通の志向を持つ領民の交流の場ともなりえます」

 

ここまで話して、また俺はいったん区切った。

 

「よくわかったわザイトリッツ。それで、この事業を進めるには予算はどのくらい必要かしら?」

 

「おおよそですがこちらも100億を組んでおけばかなり余裕があるかと思います。残りは予備費として置いておくのがよろしいかと。新しい試みを大きな軸で2つ実施しますので、予想以上に成果が出た場合や、不測の事態が起きた場合に備える意味もございますが、増収分の使い道を全て決めておく必要もないでしょうし」

 

「だいぶ色々と考えてくれた様ね。提案については全て採用させてもらうわ。ただ、新しい試みをする以上、狙い通りの成果が出ているか問題が出ていないかチェックしておきたいと思います。

そこで、貴方を新政策の特別査察官に任命します。領地の役人たちにも進捗を確認させますが、貴方の方でも進捗状況を確認して、問題が起きそうなら早めに報告を上げて欲しいのです。依頼料として、予算から10億帝国マルク割いておきましょう。役目には報酬が必要ですしね」

 

うーん。原資はいくらあっても困らないけど、もらい過ぎのような気もするけどどうなんだろう。おばあ様目線で言えば投資分の10億は一年で回収できて、領地経営で見れば一時収入ではなくほぼ継続的に320億近く収益が増えたわけだから、まあご褒美ってことで10億位はおすそ分けってとこかな。

 

あとは、至急で対応が必要な場合は、ここから予算を出して後々予備費から補填するって緊急対応も期待されているって感じかな。そう認識しておこう。

 

「ありがとうございます。ご期待に沿えるように励みます」

 

まあ、次の事業は軍や辺境領主たちとの交渉が先に必要になるので、一気に話が進むこともないだろう。ルントシュテット領は大きな変化が起こっているので予想外の事も起こるだろし、焦らず交渉を進めながら、まずは領地の進捗に気配りしておくか。




超高額:一本1万帝国マルク(100万円)×300万=300億帝国マルク
 高額:一本5000マルク  (50万円)×500万=250億帝国マルク
お友達:一本1000マルク  (10万円)×400万=40億帝国マルク
計590億+樽30億で計算してます。
口座残高:32億7200万帝国マルク。

※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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15話:交渉と領地の進捗

宇宙暦753年 帝国暦444年 8月下旬

シャンタウ星域 惑星ルントシュテット

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

「ザイトリッツ様、もう少しでございます」

 

専属従士のフランツが駆け足をしつつ、俺を励ましてくる。横を見ると乳兄弟のパトリックもかなりキツそうだが頑張ってついてきていた。

何をしているかというと、幼年者向けの軍事教練の最中だ。3月に7歳になったわけだが。ルントシュテット家の中で10歳からオーディンの幼年学校に入学するのは、確定の進路らしい。

 

俺は前世では護身術を兼ねて、合気道やら空手やら柔道やらの有段者だったが、いかんせん身体は貴族の7歳児だ。技術云々の前に身体ができていなかった。そこでおばあ様に相談した訳だが、予想外の事が判明した。専属従士のフランツは幼年学校卒でそのあと陸戦隊の育成学校を卒業していて、装甲擲弾兵の有資格者らしい。

 

優しい雰囲気のフランツが、陸戦隊の中でも精鋭の装甲擲弾兵の有資格者。前世で言ったら、よく会う近所の優しいお兄ちゃんが陸自のレンジャー資格もってたみたいな感じだろう。無理難題はなるべく言わない様にしようと心から思ったよ。

 

で、話は戻るがおばあ様ももう少ししたら教練をさせるつもりだったらしい。相談がきっかけとなり、GOサインが出たわけだ。それ以来、午前中は右腕改めフランツ教官の指導の下、教練に励み昼食を取ってから昼寝をして、午後から事業を動かす生活となった。

フランツ教官は某鬼軍曹のように怒鳴り散らしたりはしないが、常にニコニコしながら、7歳児にはかなりキツイレベルの教練を課してくる。

 

風のうわさでフランツが屋敷のメイドの一人といい感じらしいと聞いたが、教練内容が増やされる事を防ぐために、イジッたりはしていない。

 

領地経営に関しては思った以上に反響があった。視察で感じた部分だったが、領地では娯楽が少ないのだ。なので軍事教練は大変だけど、新しい出会いもあるし酒もでるしで月一と言わずもっと頻繁にしてほしいという声が上がった。正直、予算ありきの話なので、おばあ様は頻繁にするかは一年様子をみたいとの思惑があったが、俺の方で予算を持ち、毎週末開催とした。というのも、ルントシュテット家の特殊な状況が遠因としてある。

 

本来なら伯爵である父上が領地を治める訳だが、それができない中で長兄と次兄もオーディンで在学中だ。そんな中で、長年領地経営を代行してきたおばあ様の下で、色々と自分たちに利益のある話を提案してくれる我らがザイトリッツの名前が悪い意味で売れ過ぎたのだ。

 

なので、軍事教練のあとに差し入れる酒類を、兄上たちの名前で差し入れることにした。

俺の危惧していることをおばあ様にも相談したので、年度末に予備費が余ればそこから酒代を補填することになっている。結婚数も増えているし、前向きに家族計画を話し合う新婚家庭も増えているらしいから、ひとまずはうまくいっているという所だろう。

 

事業といえば、大吟醸酒レオも好調だったが、付加価値を付け続けないと飽きられるのが怖い。なので、2回に分けて3000万リットルずつ醸造しているが、毎回200万リットルを長期熟成に回すことにした。内々だが、兄貴と相談はしていていずれフリードリヒコレクションとでも銘打ち、販売するつもりだ。

 

で、話は戻るが結構ヘロヘロになるまで走らされた後にウエイトは使わないが、腕立てだの腹筋だのをみっちりやらされる。苦難を共にしている為か、パトリックとの絆が深まった気がする。そんなこんなで、教練を終え、汗を流して昼食を取り昼寝をする。午後からは楽しい金儲けの時間だが、資料を見ているとおばあ様が部屋に入ってきた。

 

「ザイトリッツ、軍との交渉の件で、ニクラウスから手紙が来ているわ。状況によってはルントシュテット伯領から予算を出す必要があるでしょうから、相談したいのだけど良いかしら?」

 

「ええもちろんです。むしろお時間を割いていただきありがとうございます」

 

かなり前から打診はしていたが、やっと回答が出たようだ。手紙を受け取ると、内容を確認した。さすがに満額回答を毎回はもらえないようだ。

 

「おばあ様は、内容は既にご確認されているという事でよろしいでしょうか?」

 

「ええ。内容は理解しています。予算に関してはフリードリヒ殿下のおかげもあり、豊富な状況ですから問題ありませんが、昇進して半年も経たないうちに立場を利用したように見えることを進める事は判断に迷うわ。ザイトリッツの意見も聞きたい所ね」

 

兄貴と叔父貴は相変わらずの大活躍だ。2期醸造分のうち出荷した2800万リットルも高値で売りさばいており600億近い売上を上げてくれた。ルントシュテット伯領に300億、俺の口座に30億が入金されていた。あの二人はフェザーン人もビックリの商才の持ち主だった訳だ。

 

そして父上だが、4月に昇進し大将になっている。後方支援部門のトップと言っていい役職についたが、これは引き続き軍部系貴族の一角として門閥貴族の介入を防ぐ役割を期待されての事なので、予備役編入はまだ当分先になるという事だ。ルントシュテット家としては名誉なことだが、現状のいびつな形が続くという事でもあるので、素直に喜べない昇進でもあった。

 

で、手紙の内容である。軍に交渉していたのはシャンタウ星域の帝国軍補給基地に、輸送船の造船ドックとメンテナンス設備を新設することだ。新たに始めたいシャンタウ星域を軸とした交易業であるが、輸送船は空荷で動かすと大赤字だ。なので、事業を立ち上げる前に、ある程度どこで何を積めるのかを見込む必要があった。

 

そこで重要になるのが、造船ドックだ。これがあれば、穀物だけでなく各種鉱石も交易商材の候補になる。なので、事前に軍に対して、交渉を持ち掛けていた訳だ。

 

「建設費まで半分負担は、喜ばしい話ではありませんね。運営費半分負担は雇用にもつながりますし悪くない話ですが......」

 

「そうですね。悪くない条件ですが、この手の話で建設費負担まで求められるというのは前例がありません」

 

まあ軍としても設備は新設したいが、予算は限られているだろうし身内で羽振りがいいのがいるから、少し援助してくれって所だろう。ただ、こちらだけが満額回答をする理由もない。

 

「おばあ様、軍としても父上を財力の面でも当てにしているという所でしょう。この際、このお話を逆手にとっては如何でしょうか?」

 

おばあ様は、考え込んでいる様子だ。

 

「この際ですが、建設費の負担を了承する代わりに輸送船だけでなく戦艦と巡航艦の造船ドックも作ってもらいましょう。どうせ警備で巡航艦はつけなければなりませんし、戦艦と巡航艦のドックも出来れば、必要とされる資材も桁が変わります。造船を含めた重工業は、利権がガチガチに固まっていますが、それを得られるのであれば安い買い物でしょう」

 

「利権を独占している方々からの報復が心配です。その辺りはどう想定していますか?」

 

「利権を独占したいなら、建設費を半分負担すればいいだけです。後はそれぞれのご判断でしょう」

 

ここまで話すと、おばあ様は何か納得する様子だった。言ってみれば軍としても既存の利権を引き剥がしたいのだと思う。建設費を半分出すなら利権を維持できるが強欲な連中にとっては当たり前だったことに金を払えと言われるわけだ。

 

まあ、無理だろうな。

 

軍は口実と、辺境地の入口にそれなりの生産拠点をもてるしルントシュテット家としては、雇用と交易の面で旨味があるからそれなりの初期投資は容認できるが、コストをかけずに利権を得ていた連中は、利権を維持するための追加負担などとても判断出来ないだろう。

 

「おばあ様、軍には建設費の負担を条件に、戦艦・巡航艦の造船ドックを造らせましょう。重工業を我が領で立ち上げられるのです。それに比べれば安い買い物ですから、これで話を進めましょう」

 

出費はでかいがこれが動き出したら、辺境領主たちにはかなり強気に交渉できる。辺境領主たちはビジネスパートナーの予備軍な訳なのでそれなりに優遇すればいい。

 

しかしなあ、多少政務に通じてて、名代として他家と交渉ができる人材が欲しいな。対外的には俺は3男でまだ子供だし、おばあ様に辺境領主たちと交渉してもらうのも限界があるし。




口座残高:62億7200万帝国マルク
領地の増収分が酒代にそのまま回ってると想定してます。


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16話:捕虜交換の余波

宇宙暦753年 帝国暦444年 12月上旬

オーディン ルントシュテット邸

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

年末年始をオーディンで家族揃って過ごすのがルントシュテット家の定例になりつつあるが、今年は早めにオーディンに向かった。というのも、褒美として願った捕虜交換が思わぬ方向に転がりだしたからだ。

 

捕虜交換自体はうまくいった。ルントシュテット家も生産量が増加した麦を材料に多めに醸造したビールを差し入れしたりして、捕虜の慰撫に務めていたが、案の定、派閥を組んで調子に乗っている連中が勝手なことをしようとした。

 

それ自体は兄貴たちを通じて陛下が釘をさしてくれたので防ぐことが出来たが、面白くなかったらしい。そこに造船利権を独占していた連中が加わり、帰還兵たちへの批判を始めたのだ。奴らの主張は叛乱軍に下るとは臣民としての資格がないとかいう物だが、背景に予想以上に帰還兵や戦死者の家族が農奴になっていた事があり、あわよくば降伏した事を罪として、農奴に落とそうという思惑らしい。そうなれば、農奴を解放する必要もなくなり、さらに農奴を増やせるという狙いのようだ。

 

この思惑に対しては、軍に近い貴族は団結して事態の収拾に務めた。こんなことがまかり通れば兵士たちに死ぬまで闘う事を強いることになるし、そんな命令が出せる訳もない。

また、ここで帰還兵を守らなければ、命を賭けて戦っても国は自分たちを見捨てると判断されるだろう。そうなれば軍は崩壊しかねない。

 

軍トップの軍務尚書直々に走り回った結果、なんとか帰還兵たちには御咎めなしとなったが、奴らの強欲さは際限という物がない。何やら暗躍しているらしく、それに怯えた帰還兵の責任者とこれから面談することになっている。今回の捕虜交換の発端は我らがザイ坊なので、最後まで面倒を見てくれという所だろうか。

 

父上と一緒に遊戯室で待っていると、メイドが到着を知らせてきた。

しばらくすると35歳位の男性が入ってきた。

 

「お初にお目にかかります。ルントシュテット伯。ケーフェンヒラー男爵と申します。帰還兵の代表を務めております。捕虜交換にご尽力頂いた件、誠にありがとうございました。ご子息のザイトリッツ様ですね。重ねてになりますが帰還兵を代表して御礼申し上げます」

 

「男爵。頭をあげてくれ。それでは話も出来ぬ。発案は愚息のザイトリッツだが、其方は父上に従ってくれた者たちの一人だ。父は戦死したが、不自由な生活を強いているのは心苦しかったのも事実だ。本来ならもっと早く捕虜交換を実現させるべきだった。待たせてしまい申し訳ない」

 

そんな貴族同士のやり取りが続く。

ケーフェンヒラー男爵は、爺さまとも親交があったようだ。あの会戦の前の爺さまの様子なんかも話題になっていた。男爵は結構まともな感じだ。誠実そうな雰囲気だがどこか陰がある。捕虜としての生活が8年近く続いたのだ。心労がまだ残っているのだろう。

 

さてと、そろそろ本題が始まる頃合いだろうけど一応、軍部は全力で帰還兵を守る姿勢だから余程の事でもない限り大丈夫だと思うが。

 

「実は、帰還兵の一部が共和思想犯の嫌疑で社会秩序維持局からかなり強引な捜査を受けておりまして。捜査対象者は帰還兵の中でも家族が農奴に落ちている者で家族も社会秩序維持局に押さえられているようです。実質、人質にされているようなものなので取り調べもやりたい放題ですからどうしたものかと」

 

これはうまい手だ。というかあいつらって本当に強欲だよな。勅命なのにここまで蔑ろにできるものなのだろうか。

 

「うーむ。思想犯として有罪にされればさすがに軍も守り切ることが難しくなるがどうしたものか。なにか取引材料があればとは思うが......」

 

「先代のルントシュテット伯から少し聞いていたのですがミヒャールゼン提督暗殺事件の件は非公式にはどこまで調査されておりますでしょうか。社会秩序維持局との交渉材料に使えればとも考えていたのですが」

 

「あの件は私も詳しくは知らないのだが、社会秩序維持局の失態以上に、軍の落ち度が大きくなるから取引材料にするには厳しいかもしれんな」

 

ふむふむ。ネタはあるけど弱いってことかな。ただ、家族も容疑者扱いで捕らえたのは、強引に取り調べる為だろうが、悪手でもあるんだよね。

 

「父上、この件は殿下にもご相談した方がよろしいのではないでしょうか。内々にこの後、レオの件でご報告に上がる予定でした。お忍びでとのお約束なので父上にご同席頂くのは難しい状況なのですが」

 

「お前はまたそのようなことを。殿下は気さくな方だが、そこに甘える様な事があってはならんぞ!」

 

父上から久しぶりに釘を刺された。

俺が急に発言したので、男爵は少し驚いたようだ。

 

「男爵、当家で新しく作った酒の差配を殿下にお願いしているのです。そのご縁で、御傍でお話を伺う機会があるのです」

 

男爵は少し考え込んでいたが、

 

「そうなのですか。ザイトリッツ様、その場に私は同席してはいけませんでしょうか。帰還兵代表として、顛末は確かめておきたいので」

 

おおう。そこまで責任感じているのかあ。

まあ、約束事を守ってくれれば問題ないけど。

 

「お忍びである事をご留意頂ければ大丈夫だとは思いますが」

 

「男爵、お忍びだなどと言って、ザイトリッツは私に隠れて色々とやっているようなのだ。殿下に甘えすぎることがない様、お目付け役をお願いできればありがたい」

 

うすうす何か勘づいてるのかなあ。

まあいいか。

 

「では、もう少ししたら出ますのでこちらでお待ちください」

 

どうしたものか。今日は事前にコルネリアス兄上に同席をお願いしていたが......。堅物だと厳しいが腹黒なら何とか合わせるだろうけど。そうこうしているうちに車の用意が整ったようだ。どこからともなくコルネリアス兄上がニコニコしながらあらわれた。

 

「ケーフェンヒラー男爵、ルントシュテット伯が次男、コルネリアスでございます。同乗させて頂きますがよろしくお願いいたします」

 

挨拶まで始めたよ。ほんとは俺が紹介するのがマナーなんだけど、紹介されないと置いて行かれる可能性があるから先手を打った感じだな。と言う訳でいつもの飲み屋街へ地上車で向かう。あのルールを事前に説明しとかないとな。

 

「ケーフェンヒラー男爵、お忍びで殿下と会う際にはあるルールがございます。失礼ですが、普段なにかあだ名とかで呼ばれたりすることはございますか?」

 

「あだ名ですか?うーむ。階級は大佐でしたが如何とも」

 

「左様ですか。殿下の呼び名はご自分で紹介されるでしょうが、お忍びの場では私の事はザイ坊、コルネリアス兄上の事は腹黒、運転している従士はフランツと言いますが右腕と呼んでください」

 

「はあ、ザイ坊、腹黒、右腕ですか......」

 

「あと、呼び名は私が決めることになっていますので男爵の呼び名も私が決めることになりますが宜しいですか?」

 

男爵は困り顔だが、了承してくれた。

ここは勢いに任せて流れでいってしまおう。

 

「では男爵の呼び名ですが、お人よしとします」

 

お人よしが決まったころに飲み屋街についた。いつものマスターの店に入る。今日は2階を貸しきりにしてあるはずだ。フランツには階段で待機してもらう。個室に入るといつも通り兄貴と叔父貴が酒を飲んでいた。始めたばかりのようだ。

 

「おお、ザイ坊。今日は腹黒も一緒か。新顔もおるようじゃな、私は兄貴、こっちは叔父貴だ。ザイ坊、新顔は何と申す?」

 

「兄貴、新顔はお人よしだよ。自分の利益にもならないのに責任を抱え込むまともな方です」

 

「ほほう、お人よしか。この会に参加する資格はあるようじゃな」

 

などと、言いながらお酒を飲み始めた。俺はスッとイスに座って兄貴と叔父貴にお酌をする。

 

「あっ。兄貴、お人よしはレオを飲んだことないはずだから、良ければ飲ませてあげてよ」と振ると

 

「それは人生を損しておるな。美酒と美食を楽しむが良い」

 

などと言いながら、レオをお人よしのグラスに注ぐ。男爵もどうしたものか困っていたが

 

「は。このお人よし、兄貴の美酒を心して味わいまする」

 

などと言いながらこの場を楽しみだした。腹黒も自然に料理を食べながら、お酌を始めた。しばらくは近況をお互いに話しあう。

 

俺は自領で新しく始めた取り組みなどを、兄貴はレオをうまく売りさばいている件について話してくれた。長期熟成酒の件もフリードリヒコレクションと命名する確約を得た。そろそろ本題に入る頃合いかと思い出したら

 

「ザイ坊よ。陛下のご恩情をかなり強引な手段で無にしようとしている輩の件も相談が必要なのではないかな?」

 

と、兄貴が切り出した。叔父貴もうなずいている。

 

「そうなんだよね。お人よしもそれを心配して相談に来たんだよ。まあ、こういうのは叔父貴が得意かと思うんだけど、強引な連中は順番を勘違いしてるみたいだからその辺を煽ればなんとかなると思うんだけど」

 

俺がそういうと叔父貴は少し嬉しそうな表情をし、お人よしはビックリしている様だ。兄貴はすこし悪そうな笑いをしながら

 

「では、その勘違いとやらを話してくれるかな?ザイ坊よ」

 

といいつつ、グラスを傾けた。

俺はお酌をしてから話を続ける。

 

「今回は帰還兵だけでなく、農奴となっていた彼らの家族も容疑者となっておりますが、農奴の容疑者の数はすごい数になります。という事は、今回逮捕された農奴がいた地域に共和主義者がまだいる可能性があります。

また、恐れ多くも陛下から領地を任されながら多数の思想犯が生まれるような領地経営をするようでは、領地経営を任せ続ける事はできますまい。まさかとは思いますが、領主自身が共和主義に染まっている可能性もございます。そうではございませんか?」

 

俺がそこまで話すと兄貴と叔父貴はニコニコしだしたし、お人よしはハンカチで汗を拭った。

 

「このお話を陛下にするか、お調子者のボスに話すかは兄貴と叔父貴のご判断かと」

 

「うむ。ザイ坊はしつけの才能もあるようじゃな。確認だがルントシュテット領では1000万人は新たに領民を養う余地はあると考えて良いのかな?」

 

「問題ないよ兄貴。ただ、住まいを決めて職を決める位の期間の生活費位は持ってきてもらえると嬉しいかなあ」

 

というと兄貴は笑い声をあげた。これで社会秩序維持局への対応は大丈夫だろう。お人よしの方に視線を向けるとホッとした様子だった。

 

そろそろお暇する時間だ。落としどころが決まったら一報入れようという兄貴にお礼を言って、俺たちは店を出た。地上車でケーフェンヒラー男爵を滞在先だというホテルに送る。降車する際に

 

「男爵、お忍びの件はご内密にお願いします。一先ず、ご安心頂けそうで私もホッとしました」

 

「いえ、この度のご配慮ありがとうございました。ルントシュテット伯にもよろしくお伝えください」

 

男爵は一度頭を下げるとロビーに入っていった。

 

「しつけは僕も得意だと思っていたけど、ザイトリッツは駄々っ子のしつけが上手だねえ」

 

と、腹黒からは言われた。

早く帰って晩餐を楽しみたい。



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17話:お人よしの独白

宇宙暦753年 帝国暦444年 12月上旬

オーディン 帝国ホテル 508号室

クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー

 

フリードリヒ殿下との想定外の会食を終えルントシュテット伯のご次男、ご三男に滞在先のホテルまで送ってもらったあと、私はルームサービスで酒とつまみを頼み、部屋で一人、盃を傾けていた。

 

今年は私の人生の中でも事が多い一年だった。人生で一番忘れがたい出来事と言えば、第二次ティアマト会戦で乗船していたコーゼル大将の艦隊旗艦が被弾し、叛乱軍が降伏勧告をしつつ近づいてきた時だろうか。ちょうど8年前の私は、死ぬつもりで志願した軍で、予想外の昇進をし、情報参謀のひとりとしてあの会戦に参加していた。

 

ツィーデン元帥との友誼を理由に参加された先代ルントシュテット伯のお孫様に救って頂く事になるとは、あの時は夢にも思っていなかった。縁とはどこでつながるか分からないものだ。

 

先代ルントシュテット伯のレオンハルト様は、気さくで配慮を欠かさない人物だった。私は地方行政を専門にしていた官僚であったが、妻の浮気を機に今までの人生に絶望し、死ぬつもりで軍に志願した。あの会戦の少し前、レオンハルト大将は高級士官向けのラウンジに私を誘ってくれた。

 

官僚だった私をかなり気遣って下さったし、官僚の視点で不都合を感じる部分はないかなど、士官学校を出ていない私を軽視する将官が多かった中で、周囲と違った視点で見れるのは強味だなどと励ましてくださった。

 

思わず酒が進み、妻に浮気相手ができ、別居したものの意地で離婚は突っぱねたが、浮気相手の子を出産するにいたり、死ぬつもりで軍に志願したことを洩らした。すると先代は自分の事のように憤り、死ねばそやつらが喜ぶだけだ。お主は生きて帰らねばならん!と言ってくださった。

 

ここだけの話だぞ!と言いながら、3人目の孫がもうすぐ生まれる事と、その孫にずっと温めていたザイトリッツという名前を名付けるつもりであることも話してくれた。孫ができるとなると、上官の方々から名前を進められる為、既に生まれている2人の孫の命名はご自分の温めていた名前を付けることができなかったのだ。今回はそれを防ぐために3人目の孫が間もなく生まれることは内密にしているらしい。

 

迷惑でなければ3人目の孫を抱いてやって欲しい。だからお主は死んではならん!と肩をたたきながらおっしゃって下さった。そのレオンハルト様も戦死された。降伏勧告を受諾して、輸送船で捕虜収容所に向かう事が決まった辺りから、なぜ自分が生きのこってしまったのかと思い悩むようになった。

 

レオンハルト様には帰りを待つ家族がいて、私には死を望む妻とその愛人しかいないのにと。帰国しても合わせる顔がないし、私が生きている限り妻は離婚できず、浮気相手と結婚することもできない。暗い復讐心に囚われ、捕虜としてこのまま朽ちていくつもりでいたが、大規模な捕虜交換の話の出元が抱いてやって欲しいと言われたザイトリッツ様だと知った時、帝国に戻ることを決めた。

 

もう妻の事は気にならなくなっていた。

 

カランッ......

 

それなりの時間、思いにふけっていたのだろう。水割りグラスの氷が、バランスを取るかのように音を立てた。程よく冷えた水割りを口に含む。

 

捕虜収容所への移送の途中で将官は別の所へ移送されたため、必然的に大佐であった私が、捕虜の取りまとめ役をやるようになった。捕虜交換といえば聞こえはいいが、敗戦して降伏した者にとって帝国の風あたりは強いはずだ。

 

将来のある若いもの達の盾になれればという気持ちもあったのかもしれない。将官以上の方々は別の収容所に送られたし、背負う物も大きい。自己を守ることはできても兵士たちを守れるかというと疑問だった。

 

帰国を喜ぶ連中を見ていたら、少しでも守れれば私が生きた意味もあるのではとも思ったが、捕虜交換を終え帰国すると予想以上に風当たりは強かった。

 

当初は叛徒に降るなど臣民としての資格がないという批判に晒されたが、これに対しては軍が受けて立ってくれた。私も貴族の末席に連なる者だが、前線に出ずに宮廷で政治ごっこをしている門閥貴族が実際に前線に出た者たちにこんな主張をするとは思わなかった。

 

安心したのもつかの間、帰還兵の一部が社会秩序維持局にかなり強引な取り調べを受け始めたとき、私には対抗手段がなかった。家族を人質同然にされては、いくら耐えろと指示したところでどうにもならない。

 

本来なら勅命で農奴から解放されるはずにも関わらず、解放したくない為に社会秩序維持局と組んで強引に思想犯にしようとするなど私の理解の範囲を超えていた。とは言え、苦労を共にした連中だ。助けられるなら助けたい。

 

すがる思いで当代のルントシュテット伯と面会をした際、抱いてやって欲しいと言われたザイトリッツ様と知己を得たのだ。

 

ザイトリッツ様は、父君ルントシュテット伯の前では遠慮気味であったが、その後、お忍びの場でフリードリヒ殿下と雑談をされたと思うと、社会秩序維持局への対抗策をさらりと殿下にお伝えされた。

 

良くできた対抗策だった。

帰還兵を守るという私の望みはなんとかかないそうだ。

 

叛乱軍に一度とは言え降った以上、軍でも政府でもこの経歴はずっとついて回るだろう。気持ちよく働くことなどできまい。であるのであれば、レオンハルト様への御恩も含めてザイトリッツ様の為に残りの人生を使うのもいいかもしれない。

 

抱いてやってくれと言われたザイトリッツ様ももう7歳。時の流れを感じたが、7歳にしては仮に伯爵家の英才教育をうけた事を差し引いても優秀さは際立っている。フリードリヒ殿下と人脈を結んでいるのも目の付け所が良いと言えるだろう。

 

陛下からすると皇太子リヒャルト様とクレメンツ殿下が派閥を作って勢力争いをしているのは明らかなことだ。逆に言えば、御二人から何か話があったところで、派閥争いの匂いが必ずついてしまう。フリードリヒ殿下にはそれがない。

 

その分だけフリードリヒ殿下がお伝えすることは素直に陛下に伝わりやすいという事だ。フリードリヒ殿下からしても、次代の帝位争いからは身を引かれているとはいえ、皇室の血を引くことは間違いない事だ。無礼な対応をされて愉快でおられるはずがない。

 

門閥貴族の軍への浸透を防ぐという意味でも、ルントシュテット家は良い選択をしたといえるだろう。これが他の御二人なら派閥に入る以上、一定の妥協は必要となるため多少なりとも浸透を許容しなければならなかったはずだ。どちらにしてもまずは帰還兵の事だ。皆の生活が落ち着くまでは事の顛末を見届けたい。

 

「あとはあの一件か......」

 

思わず口に出してしまった。おそらく近々に表に出ることは無いだろうが、ジークマイスター提督の亡命事件と、ミヒャールゼン提督の暗殺事件。私の考察が正しければ、第二次ティアマト会戦の敗戦の理由にも関係するはずだ。力が及ぶ範囲で真実を知っておきたい。

 

そう思えば帝国に帰還できたことは良かったのかもしれない。ザイトリッツ様の事とこれらの事件のあらましをお持ちすればレオンハルト様に良き土産話になるだろう。今朝、この部屋を出るときは不安な気持ちでいっぱいだったがなんとか前向きに帝国での新しい人生を歩めそうだ。

 

新しい人生に向けて、もう一つすべき事を忘れていた。アタッシュケースから一枚の書類を取り出してサインし、封筒にいれて封をした。明日投函すれば過去の自分を縛るものはすべてなくなるだろう。




40年捕虜生活をしたケーフェンヒラー爺さんなら原作に出てくるのですが第二次ティアマト会戦から7年で帝国に帰るだろうかという所がどうしても想像できず、爺さまに活躍頂くこととなりました。投函される封筒の中身は離婚届です。


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18話:父の憂鬱

宇宙暦754年 帝国暦445年 1月中旬

オーディン ルントシュテット邸 

ニクラウス・フォン・ルントシュテット

 

「ニクラウス。今回の顛末はルントシュテット家が利益を得る形となりましたが、軍務の方は何か不都合はありませんか?」

 

我が母、マリアが心配げな表情で話しかけて来た。私がオーディンで軍務や貴族対策ができるのもこの母が領地経営をしっかり代行してくれているからだ。そして大将となった私にとって、数少ない頭の上がらない人のひとりである。

 

「母上、当家もかなりの予算を負担いたします。まあやっかみはあるでしょうが、近々で報復されるようなことはないでしょう。それより、よくあれほどの資金を用意できましたな。いささか驚きました」

 

「ザイトリッツと相談して、色々と新しい事を試していますし、フリードリヒ殿下にお願いしているレオの件もありますから無理なく用意することが出来たのです」

 

母上は嬉しそうに応じた。事の顛末はルントシュテット領に造船ドックを作るという交渉と帰還兵の取り扱いの2点が重なって決着したことから始まる。

 

造船ドックに関しては、輸送船用の造船ドックとメンテナンス設備をという打診だったが、通常運営費の半額負担である所、建設費も含め半額負担という話で回答がされた。

ちょうど大将に昇進した時期と重なり、身内の話に口を挿むのは気が引けたのと、造船業に関しては利権がかなり固められている為、担当者も受けた話を無下にはできないが、特別な条件を課さないと新設の話を出しにくかったという背景は分かっていた。

 

領地経営は母上に一任しているため、受けるかどうかの判断についてもなにも言わなかったが、担当者は交渉内容が私に伝わっていると認識していたようだ。

 

詳しい内容を知ったのは最終決定が下されてからであった。輸送船だけでなく戦艦・巡航艦の造船ドックも新設するという内容だった。単年計算でもかなりの予算が必要になるが確認したところ予算は問題ないという回答にも驚いた。

 

ルントシュテット家の領地があるシャンタウ星域は首都星オーディンから見て辺境星域の入り口にあたるし、後背地への航路でもあった。もともと補給基地は存在するし地価の高い首都星に近い星域に新設するより安上がりだ。基地の格も上がるのでポジションづくりの一環としても工廠部としてはいい話だったようだ。

造船ドックが完成した暁には補給基地の司令は中将クラスが。駐留艦隊も増員され少将クラスが赴任することになるだろう。一部の貴族から物言いが入ったが、建設費の半分を負担していただけるのかと確認したところ、大人しくなったようだ。

 

「帰還兵とその家族の件も、受け入れ人数が最終的に800万人を超える勢いだとか。母上、本当に大丈夫なのですね?」

 

「ええ。ザイトリッツとも相談しましたし、ケーフェンヒラー男爵もご協力して下さっていますから。陛下のご恩情により、難民ではなく生活費も多少は持参いただけるようですし何とかなるでしょう」

 

帰還兵の取り扱いについては、帰還者だけでなく戦死者の家族も農奴から解放され、多少の生活費を支給されたうえルントシュテット領に移住することとなった。

本来なら当家の領地に移住するような話ではなかったが、勅命であるにも関わらず、帰還兵の家族を農奴から解放するのを惜しんだ貴族が、社会秩序維持局と組んで思想犯として強引に逮捕し、帰還兵もろとも農奴にしようと企んだことから話が大きくなった。

 

結果としては、そもそも自領の農奴が大量に思想犯になるような領地経営をするような者に経営を任せる事は出来ないと陛下は判断され、特に多く容疑者を出していた貴族数家がおとり潰しとなった。

その上で、容疑者とされた帰還兵や家族たちは、親族が奮戦したにもかかわらず農奴になるようなことがあれば、多少は不満に思うこともある。その不満が元で思想犯と誤認されたとされ、無罪の判断となった。

 

ここまでは良かったが、一度強引に思想犯にされかけた者たちはハイそうですか、と今までの生活には戻れない。庇護を必要としその先が当家だったと言う訳だ。捕虜交換を願い出たのも当家であったので庇護が期待できると判断したらしい。

 

結局、帰還兵と戦死者の家族が我も我もと希望し、800万人をあたらしく受け入れる事になった。皇室領ではとの話もしたが、直轄領では社会秩序維持局の色が強く不安が残ると言われれば断れなかった。

 

皇室としては、多少の生活費を支給した所で、取り潰した家の資産があるから収支は黒字だろう。勅命を捻じ曲げようとしたのだ。おとり潰しもやむをえまい。ただ。ザイトリッツがニコニコしながら強欲は過ぎれば身を滅ぼすと本で読みましたがその通りですね。などと言った時には正直、胃が痛くなった。

 

そういう部分は母上には見せていないのだろう。次男のコルネリアスも態度を使い分けている節がある。全く困ったものだ。

 

「ザイトリッツと話していたのですが、当領は単身者の男性が不足しているという話だったから、そこも補えるし、ひと踏ん張りという所ね」

 

母上は領地経営に不安はないらしい。不安をまったく感じない笑顔で話が続く。事態を正確に理解されているのだろうか。

 

「母上、統治にかかるコストも造船ドックのコストもかなりの額になるはずです。ご不安はないのですか?」

 

「まあ、ニクラウス。あなたちゃんと領地経営の資料を読んでいないわね。領地の収益は年間600億帝国マルク以上増えているの。予算も取れるし安心して大丈夫です」

 

領地経営の当事者である母上が大丈夫だというなら、お任せしている私があれこれ言える立場ではない。この数年で領地の収益がハネ上がっていることは資料を読んで理解はしている。

 

「あとは、ザイトリッツが言っていた資材の件は大丈夫なのかしら。貴方にも直接お願いしていたみたいだけど、私にも念押ししていきましたから」

 

「ええ。その辺は大丈夫です。資材課の若手士官も連れて行きましたので大丈夫だと思います。ただ、またとんでもないことをするのではと思うと心配でもございます」

 

「あら、ザイトリッツは当家に利益がある事しかしていませんわ。今回の話も軍にとってもメリットがあるからなんとかなるわよ」

 

「あやつは確かに優秀ですが、前例がないことを言い出しますので、私としてはヒヤヒヤすることが多いのです。不満があるわけではありませんが」

 

我が子息、ザイトリッツは今回の造船ドックと、移民受け入れに当たって既存の産地で資材調達することを渋ったのだ。理由としては陛下のご恩情を無駄遣いできないし、造船ドックについても建設費まで半額負担する以上、購入先の選定に意見ができるはずだと主張した。

 

確かにオーディン近辺で調達してしまうと、そもそも資材の高騰を招くので資材課としても新規納入元を求めたという背景はあった。ただ、ザイトリッツの本心は、おそらく資材利権を持つ門閥貴族には1帝国マルクとは言え、渡す気はないという事なのだろう。

 

「ケーフェンヒラー男爵のことも振り回しているのではないかと心配で心配で」

 

「あの子はレオンハルト様同様、配慮ができる子ですから大丈夫でしょう。ただ、あの子がいないと寂しいから早く帰って来てもらわないと」

 

母上はザイトリッツが生まれて以来、絵に描いたように猫かわいがりしている。私はザイトリッツの無茶苦茶な行動の要因が母上の溺愛にもあるのではと思っている。ただ、これも強く言えない。産後直後からザイトリッツの養育は母上にお願いするしかない状態だった。いまさら育て方について責めるような事はできるはずもない。

 

なにやら漏れ聞くところによると、お忍びをいいことにフリードリヒ殿下を兄貴呼ばわりしているらしい。それを洩らした長男ローベルトは、自分の呼び名は堅物だが、公明正大と呼ばれたかったなどと申していたし、全く頭が痛い。数年で任官だというのに年下の末弟に振り回されてどうするというのか。もしや私にも変な呼び名を付けていたりするのだろうか。困った事だ。

 

その当人は年越しも早々に、ケーフェンヒラー男爵と従士のフランツ、乳兄弟のパトリックをお供にして、辺境星域に交渉に向かった。同行した資材部の士官も本来ならまだ休暇中だったのだ。当家のワインセラーにあるレオを一本融通したら喜んで任務に就くと言っていたが。これだけ周りを振り回しておいて、本人は楽しそうに旅立った。

 

母上にはもっとザイトリッツの手綱を押さえてもらわねば、またとんでもないことをしかねない。今のうちにしっかりお願いせねば。とはいえ、本人が戻るまでは考え込んでも仕方あるまい。晩餐ではレオを楽しんで少しでも現実を忘れるとしよう。全く、困ったものだ。



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19話:法人設立

宇宙暦754年 帝国暦445年 4月上旬

オーディン ルントシュテット邸 

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

年明け早々にオーディンを出て、辺境の在地領主たちと交渉を重ねて一度領地に戻ったあと、俺はオーディンに移動して法人設立の準備をしていた。

 

辺境領主たちとの交渉は、大成功と言っていい成果が出せた。もともと帝国政府からも優先順位が下げられていたし、領主たちもカツカツなため、投資されれば可能性が花開くエリアではあった。

 

ルントシュテット家の領地があるシャンタウ星域では、領地は800万人という大規模な領民を受け入れる為、あらゆる資材が必要だったし、穀物も増産できているとはいえ、さらに買い付けたい状況だった。造船ドックも大規模に新設されることも含めると、資材は恒久的に必要とされる状況が整った。

 

ここで、自領の鉱山を大々的に開発する選択肢もあったが俺はこの資材特需を辺境領の活性化の機会として活用するつもりだった。辺境領からすれば、今まで買い手がつかなかった木材や鉱石、穀物が金に変わるチャンスだ。うますぎる話に裏を疑う領主もいたが、すんなりまとまったのはケーフェンヒラー男爵の役割が大きかった。

 

なぜなら、俺の弱点が出てしまったからだ。まともな商売人なら、買う気がないのに買い付けの話などしないし、明確に造船ドックという資材を恒久的に必要とする材料があるにもかかわらずそんなうまい話があるのかと、疑う領主がけっこういたのだ。

 

ここで活躍したのが男爵だった。もともと難題を抱え込むような誠実な部分があったが、軍に志願する前は地方行政のプロだった経歴が活きた。彼は辺境星域がかなり中央政府に邪険に扱われている事を肌感覚で知っていたし、自分自身、予算があればと思うことが多々あった。

 

その経験をいかして、領主たちに共感を促しながら交渉してくれたのだ。結果、オーディン周辺で調達するより輸送費を含めてもかなり安い価格で資材を集める事が出来たし、鉱石の採掘も始まっている。資材を運搬するための輸送船の手配を終えてから、オーディンに戻ってきた訳だ。

 

男爵の経歴を確認したけど、対在地領主でも対軍でも交渉役としては申し分ない経歴なのでスカウトしたら二つ返事でOKしてくれた。元内務省の官僚で、地方行政が専門。軍でも30歳手前で大佐。最前線での従軍経験ありで爵位もち。他からも引く手数多だろうに即答だったので事情を確認したら、爺さまへの土産話におれの生きざまを近くで観たいからだとか言い出した。

 

俺は忠義みたいなあやふやなもので縛るつもりはないので、自分なりに区切りがついたタイミングで自分の幸せの為に生きると約束できないならこの話は無しにすると返答した。男爵は困った顔をしていたが、担当する仕事の成果は、辺境星域2億人を豊かにして幸せにする事なのだから、その当人が少なくとも幸せになる気がなければ任せられないだろうというと、区切りがついたら自分の幸せも考えると約束してくれた。

 

おそらくだが、浮気されて軍に志願した時と、捕虜になった時の2回、自分の人生を諦めたのだと思う。だからこそ区切りがついたらという形で猶予は設けたが、いつか男爵が新しい幸せを見つけてくれればいいなと思っている。

同行してくれた資材部の士官は、難癖を付けられても困るので適度に接待しながらお付き合い頂いた。別れ際に、父上には良くしてくれたと申し伝えますと言うと、満足げだった。実力を示してえらくなればまたご縁があるかもしれない。

 

話は戻るが、法人の設立だ。なぜ、法人の設立をするかというと、現状の組織だと領外に投資することが、厳しいからだ。仮にルントシュテット領が発展しきっていて福祉の面でも充実していれば可能性はあるかもしれないが、多くの領民を新たに受け入れ、他領に比べれば恵まれた統治が行われているが、予算が自領以外に投資されるとしたら不満を感じるはずだ。前世で言えば、自分たちの生活も決して楽ではないのに、他国に税金が投入されるようなものだろう。

 

だが、辺境星域と首都オーディンをつなぐ立地のシャンタウ星域は、辺境星域が発展するほど恩恵が受けられる。なので、惑星ルントシュテットが成長限界を迎える前に、辺境星域の発展を促す形で経済活動を活発にし、新たに生まれる利権から定期的な収益を得られるように動きたかった。

 

そういう訳で名目上ルントシュテット領から切り離して、投資を行う組織として法人が必要になる。法人設立の準備の最後の仕上げがこれから行われるのだが、さすがの伯爵家だ。法務局の担当者がわざわざ屋敷にきて、手続してくれるらしい。

 

俺は辺境エリアの資料を見ながら、オーディンの屋敷で担当者の到着を待っていた。すると聞きなれたカツカツ音がしてノックがされるとおばあ様が部屋に入ってきた。

 

「ザイトリッツ、宜しいかしら?あなたが当家に不利益になるような事はしないと皆が信じていますが、設立の前にもう一度、思う所を説明してほしいのです。特にニクラウスはまた貴方が好き勝手するのではと不安なようですし」

 

「左様ですか、おばあさま。造船ドックの件やら、帰還兵らの受け入れやらで前代未聞のことが多くございました。父上のご不安もごもっともな事でしょう。お時間を頂けるなら、ご安心頂くためにもご説明いたしましょう」

 

「それでこそレオンハルト様の生まれ代わりです。あの方も家族の不安にはしっかり配慮されておりました」

 

おばあ様は悦に入りだした。ケーフェンヒラー男爵からも話を聞いたが、爺さまは伯爵家当主としては、門閥貴族を基準とすると傑物と言っていい人物だ。戦死していなければ宇宙艦隊司令長官の芽もあったと思う。正直、金儲けの能力は譲る気はないが、将中の将という観点では及ばない。おばあ様の期待が少し重かった。

 

おばあ様をともなって遊戯室に移動すると、父上と母上がお茶を飲んでいた。

 

「父上、母上、お待たせしました。おばあ様から法人設立にご不安をお感じとの旨、伺いました。ご説明のお時間を頂ければと存じますが」

 

「うむ。ザイトリッツよ。今年は領民の増加や造船ドック群の起工とただでさえ事が多い状況だ。さらに手を広げるのはいささか危険ではとも思ってな」

 

「ご不安はごもっともです。改めて整理いたしますが法人を設立するからといっていきなり大規模に動かす予定はございません。帰還兵の比較的消耗が少ない層を雇用し、辺境星域を周回してシャンタウ星域に戻る輸送船団を運用するくらいでしょう」

 

そこまで言うと、父上は少し安心したようだ。おばあさまと母上はお茶を楽しんでいる。

 

「であれば法人設立を急ぐ必要はないとお感じになられるかもしれませんが新しく設立するルントシュテットコンサルティング(以後RC社と記載)は辺境星域の方々にも同じような法人を設立頂き、法人間を通じて投資を行いたいと考えているのです。

 

従来の貴族間のやり方ですと、当家が辺境星域に影響力をつけようとしている様に取られかねませんし、仮に資金を融通したとしても、上手くご活用いただけるかが不明です。政府が消極的だったとはいえ、投資を引き出す事業案が作れていなかったのも事実な訳ですから。

 

そこで名目上は企業活動としつつ、投資とその運用のご提案まで行いたいと考えているのです。仮に失敗するようなことがあっても、RC社の損害になりますから当家がなにか矢面に立つような事態になることは防げるでしょう。もちろん細かい交渉が必要になりますので、今年度に大きく動くようなことは無いと思いますが」

 

俺がここまで話すと、父上は納得したようだ。

ため息をつくと、わかった。と言ってくれた。

 

「ニクラウス、ザイトリッツが当家に不利益になることをすることは無いわ。領地経営の方でもいろいろ力になってくれてるし、多少の事はやらせてあげましょう。ただし、ザイトリッツ、私に寂しい思いをさせてはいけませんよ」

 

おばあ様が援護なのか釘を刺しているのか判断に悩むことを言い出した。もちろん配慮は欠かしませんとも。

 

RC社の最初の契約はルントシュテット領とのコンサルティング契約だ。今期の契約料は20億帝国マルク。ただし、レオの事業を除いて、領地の増収分の10%をもらう約束は先月で終了した。契約料以上に収益を出せるように努めるつもりだ。

 

出資比率は対等で、ルントシュテット家と俺の口座からそれぞれ120億。あとは契約料の20億の計260億帝国マルクでスタートする。

 

やりたい放題するつもりはないが、やりたい事は十分にできるだろう。ドアがノックされ、法務局の担当者が到着したらしい。今回は実務に関わることは無いが、経験として見ておこう。

 

本当はこの事業も兄貴の後ろ盾を頼もうかと思ったが、辺境星域の貴族を派閥化しようとしていると思われても困るから、今回は頼まなかった。ただし、叔父貴には顧問として名を連ねてもらうし、ケーフェンヒラー男爵も代理で交渉してもらう機会があるだろうからそれなりの立場を用意しないとな。




ルントシュテットコンサルティング(RC社)

代表取締役会長:ニクラウス(父)
代表取締役社長:ザイトリッツ(主)
監査役:ローベルト(長兄)コルネリアス(次兄)
顧問:グリンメルスハウゼン子爵・ケーフェンヒラー男爵

完全な親族経営です。


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20話:入学

宇宙暦756年 帝国暦447年 4月初頭

オーディン レストランザルツブルク特別室 

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

「ザイトリッツ。入学生代表挨拶は立派でしたよ。レオンハルト様にもぜひ見て頂きたかったわ」

 

おばあ様が、感無量と言った表情で涙ぐんでいる。目線を横に向けると、我らも励まねば!その通りですね。などと声が聞こえる。最初のは堅物。次のは腹黒の発言だ。堅物は心からの発言のようだが、腹黒は若干にやにやしている。からかい半分お祝い半分といった所だろう。

 

「おばあ様、兄上方、私よりもパトリックを褒めてください。私の場合身近に元情報参謀がおりましたし、装甲擲弾兵有資格者に鍛えられたのです。首席は取って当たり前ですが、パトリックは私に並ぼうとかなり励んでおりました。これぞ忠義の現れです。首席は毎年誰かがなりますが、真に忠義を尽くしてくれる乳兄弟を得る人生を歩むものが何人おりましょうか」

 

幼年学校の入学式を終え、俺の首席合格を祝う意味で、家族揃って少しお高いレストランの特別室にきている。お祝いなので、今日に限って乳兄弟のパトリックと専属従士のフランツも下座についている。パトリックは予想外の称賛が振られ、すこし照れていた。

 

「うむ。パトリック。これからもザイトリッツを支える意味でも励んでくれ。では皆の手元にグラスが揃ったようだ。乾杯しよう」

 

そう父上が乾杯の音頭を取ると会食が始まった。俺からすれば、幼年学校なんて前世の小学校に毛が生えたようなものだし、実技は元大佐と装甲擲弾兵からみっちり仕込まれた。これで首席が取れない訳がない。まあ、皇族とか公爵家の嫡男とかがいたら別かもしれないが、同学年に門閥貴族も含めて嫡男はいなかった。つまり実力があれば首席という事だ。

 

ただ、俺の首席よりパトリックの上位合格の方がすごいと思う。俺は軍部系貴族の直系男子だから、幼年学校行きは確定の進路だったが、乳兄弟としては、幼年学校以外の進路を選んでも良かった。パトリックは自分の意思で幼年学校を目指すと決め、どんなに不調でも俺が上位合格をするだろうという話を聞いてから、自分も上位合格をしようとかなり頑張っていた。普通の10歳にできる事ではない。俺はパトリックが誇らしかった。

 

「領地経営もRC社も順調だけど、ザイトリッツが幼年学校に行ってしまうと領地が寂しくなるわね。ニクラウス?予備役編入はまだ無理なのかしら?」

 

おばあ様が本音を漏らした。

RC社が設立されて2年が経ったが、好調の一文字と言っていいだろう。ルントシュテット家はコンサルティング契約料を年間20億、RC社に払っているが今期の利益配分は40億を超えるはずだ。想定以上の高収益の要因は、辺境星域領主たちのあせりと、優秀な人材が確保できたことが大きかった。

 

RC社は設立してすぐに帰還兵を雇用して輸送船団の運航を開始したが辺境星域の各星系ごとに、出資比率1:1で投資を目的とした合弁会社の設立を提案した。ただし、出資金が出せない場合は将来の収益を担保とすることを容認する形で契約のひな型を作った。意図としては、星系ごとに共同出資した企業を主体に、インフラ・農園・鉱山に投資する事だが、想像以上に交渉が早くまとまった。

 

理由としては原資がない辺境貴族たちを意識して、将来の利益配分から後払いを認めた点にあった。当初は話がうますぎると疑う者もいたようだが、RC社の資金が無限でない以上早く契約しなければ話がなくなるという噂が流れ、競うように話がまとまった。

 

とは言え開発計画を立てるにあたって、俺自身が視察に回れる案件数を超えていた。帰還兵の中で後方支援に関わっていた者たちや、ケーフェンヒラー男爵の伝手で、地方行政を専門としながら予算が無いので無力感を感じている者たちに声をかけて引き抜いた事で、辺境星域全体の投資計画を立てる事が出来た。結果、想定以上に早く収益化ができた。個人的には優秀な人材が確保できて喜ばしかったが、RC社は決して破格の条件を出しているわけでは無い。不遇を囲う人材がここまでいるのかと帝国の今後がかなり心配になった。

 

「母上、それほどお待たせすることは無いでしょう。RC社の貢献もあり軍の方でも後方支援という観点ではかなり余裕が出来ましたし、私ももう45です。そろそろ領地経営を担って領民に顔を覚えてもらわねばなりませんし、母上がオーディンに来て下さるなら貴族対策の面でも安心ですから」

 

父上が大将に昇進して3年。上級大将になるには後方支援だけでなく前線での戦功が必要だろう。とはいえ、父上の本来の役目はルントシュテット家の当主として領地経営を行う事だ。戦死のリスクを冒してまで昇進を狙う必要もないだろう。

 

「そうなってほしいわ。私も気づいたら64歳。引継ぎしておかないと不安でもありましたからね」

 

おばあ様はにこやかな表情で言葉を紡いだ。俺自身、おばあ様孝行ができる内に孝行しておこうと思っている。シリアスな話が続くが、この2年でおめでたい事もあった。

 

ケーフェンヒラー男爵の再婚が決まったのだ。お相手はなんと俺の主治医でもあったローザだ。領地の医療施設を充実させる観点から、おばあ様は信頼できる医師資格所持者ローザを、アドバイザー的な立場で呼び寄せていた。

 

ローザ自身も、人口の多いオーディンの方が結婚相手が見つかりやすいと考えオーディンの軍病院に勤務していたが、良さそうな相手は既婚者だったり戦死したりした為、色々感じることがあったようだ。当初はルントシュテット領の医療機関立ち上げに携わっていたが、辺境星域全体の動きを担当する男爵に、色々とアドバイスを求められたのがきっかけで縁ができ、結婚する運びとなった。男爵は今年39歳、ローゼは35歳だ。少し高齢出産になるだろうが、幸せな家庭を築いてほしいと思う。

 

男爵はRC社の投資計画策定の中心的役割を担ってくれている。視察に交渉にと大忙しだ。領地は無いが男爵として見られる為、手元に資金があった方がいい。年俸100万帝国マルクで契約していてRC社では高給取りのひとりだ。

 

「ザイトリッツ。RC社の監査役の件、ありがたく思っている。手元に費えが無ければあの功績は立てられなかったかもしれん」

 

「兄上、軍人は時に身銭を切って国家につくすと何かの本で読みました。とはいえ、偶々費えがあったとはいえ、功績をあげられたのは兄上です。謙遜なさいますな」

 

長兄のローベルトは、士官学校を卒業して地方星域の哨戒部隊に任官されたが、RC社の監査役という名目で支給された資金を、情報収集に使い功績をあげていた。戦時中なので任官後一年経てば中尉に昇進するが、長兄は任官半年で中尉になり、定例昇進で大尉になっていた。

 

「コルネリアス兄上のご活躍も、私の耳に入っておりますよ」

「あまりおだてないでね。今日の主役はザイトリッツだよ」

 

次兄のコルネリアスも上手いお金の使い方をしていた。俺たち目線でまともな人間に限ってだが、金銭問題などを解決し、貸しを作っている。将来的には力になってくれるだろう。悲しいが、まともな家やまともな人間ほど報われない状況なのだ。門閥貴族だけが原因とは言わないが奴らが消えれば今よりまともになるだろう。

 

「私としては、兄上方が費えを有効に使って下さり、感謝しております。不安はございませんでしたが、中にはお酒やらに仕送りを使い倒してしまう方もおられるようなので」

 

長兄も次兄も、活きるお金の使い方をしてくれている。自画自賛ではないが、監査役という名目で給与を支払った甲斐はあった。

 

「これからザイトリッツも実感すると思うけど、将来的に背中を任せる相手だからねえ。お互いに最低限の関係性は創っておきたいのさ」

 

次兄のコルネリアスは、様になるセリフを様になるように言える辺り、サマになる男なのだろう。これは長兄にない強みだ。ただはっきりしているのは、俺は軍人を志向していないという事だ。色々と学べば変わるかと思ったが、国防費は消費されるだけで何も生まない。

 

俺からすると、100万の敵兵を殺すより100万の臣民の生活を成り立たせる方が大業だと思う。とはいえルントシュテット家は軍に近い貴族だ。そんなことを言い募っては、父上や兄上たちの立場を害すだろう。何よりおばあ様の期待に背くことにもなってしまう。

 

まずは無難に幼年学校の優等生を演じようと思う。正直、成績云々の前に、士官学校に進む意欲は今は無い。ただそんなことを言い出せば問題になる立場だ。もう少し黙っていようと思う。



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21話:幼年学校の日々

そろそろ原作登場人物との接点を作っていきます。


宇宙暦759年 帝国暦450年 4月初頭

首都星オーディン 幼年学校特別寮

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

「ザイトリッツ様、首席だけは維持頂かねば、このパトリック身命をとして大奥様にお詫びしなければなりませぬ。ご採点は如何でしょうか?」

 

「まあまあ、パトリック。従士としての役目に忠実なのも結構だが、あまり主人にプレッシャーをかけるものではないよ」

 

幼年学校に入校して3年目、期初のテスト期間が終わり学内ではホッとした雰囲気が流れ始めていたが、我らが忠臣、パトリック君はそういう空気を読まずに俺に忠言してくる。そして、その度にいなしてくれるのがこの先輩だ。

 

「フランツ先輩ありがとうございます。パトリックも私を気遣っての事だとは分かっているのですが、毎回なので正直助かります」

 

従士のフランツと同じ名前という事で、初対面から親近感を感じていたが2年先輩のフランツ先輩とは不思議と気が合う間柄だった。マリーンドルフ伯爵家の嫡男なのだが、あの場での呼び名にするなら良識って位、まともな良識人だ。

 

将来的に人を率いる立場になるという事で幼年学校に入学したが、卒業後の進路は士官学校ではなく、地方自治に関連する学部がある大学を予定している。俺も士官学校志望ではなく、経済系の大学に進学したいが、家の都合でそういう訳にもいかないのだと漏らして以降、なにかと気にかけてくれるようになった。先輩の成績は実技は平均レベルだが、学業の方は結構優秀だ。何も問題が無ければ名門大学に合格できるだろう。

 

「パトリック、お前の主人はどうせ首席だ。俺もザイトリッツの日に今回は参加できそうだ。久しぶりに旨いものが食える」

 

のんきなことを言っているのは、テオドール。ファーレンハイト家の嫡男だ。ファーレンハイト家は下級貴族だが軍人を輩出してきた家柄だ。ただ、こいつはどちらかというと、俺に恩を感じて役に立てればという節がある。去年の事になるがこいつの親父が架空の投資話に騙されて、資産を失うどころか多額の債務を抱える破目になったのだ。元をたどれば黒幕はクレメンツ殿下の派閥の取り巻きだった。そこで兄貴の伝手と、テオドールの親父も軍人なので、父上の伝手も使って対処した。債務はその黒幕に押し付けたし、全額は無理だったが資産も取り戻せた。それ以来何だかんだと一緒にいることが増えた。気にするなとは言ったが、意外に律儀な奴なのだ。

 

「自己採点はまずまずだ。パトリック、心配をかけてすまないね。それよりテオドール、ザイトリッツの日などと触れ回っているのは君かい?後輩からもザイトリッツの日はいつですか?などと確認が来るようになったよ。俺はみんなの親鳥になったつもりはないのになあ」

 

テオドールの言うザイトリッツの日とは、簡単に言うと財布は俺持ちでそこそこ旨いものを食べに行く日の事だ。きっかけは幼年学校があまりに禁欲的で、軍人の育成機関とは言え、飯もまずいし指導もキツイ。たまの休日に兄貴の紹介の店に食事に行こうとしたが、前世の小学校や中学校と比較して学友たちが不憫に思えた俺は、数人に声をかけて飯を食べに行くことにした。

 

とは言え、希望者全員を同席させるのは大変なので、総合成績の上位者や各学科の上位者に声をかけることにした。まあ頑張ったご褒美代わりに良いだろうと思っていたが、どこからか話が大きくなり、後輩もその対象になるようになった。今では休日ごとに同期やら後輩やらに飯をおごるのが日課になりつつある。

 

「ザイトリッツ、持たざる者に施すのは持てる者の役目だ。今までは実家で祝い事がある時に食べたものが一番美味だったが、それを吹き飛ばすような物を覚えさせたのだ。多少は責任を取らんと、反乱が起きるぞ!任官したとしても佐官クラスまで昇進せねば自力で行ける店でもないし」

 

まあ、おごるのは構わないのだが、ルントシュテット家では父上が予備役になり領地経営をおばあ様と交代した。その結果、オーディンにはおばあ様がいる訳だが休日の決まり事として晩餐を一緒に取ることになっている。つまり同行者たちは人の財布を気にせずにはち切れんばかりに料理を平らげるが、俺は自重しながら食べている。いまいち納得しきれないのも事実だ。

 

「まあ、後輩たちとの交流の場を持てていると思えば良いとは思うけど」

 

「テオドール殿、ザイトリッツ様はRC社の事もあり、既にご多忙なのです。あまり予定を増やすようなことはお控えください」

 

そう、この状況を踏まえてパトリックは忠言してくれている。RC社は順風満帆。増収増益の状態だが、俺の方も大筋はしっかり把握しておきたいため、勉強に割く時間が減っていた。領地の方も初等教育学校や新設した病院の運営が始まっている。さらに休日に会食となれば予習復習の時間が取れないことになる。

 

それとパトリックは俺が軍人を志向していないことも、うすうす気づいている様だ。俺に爺さまを重ねているおばあ様に知られるのはまずい事だし、パトリックにとっておばあ様は俺以上に絶対的な存在だ。なので、見て見ぬふりをする代わりに学年首席という実績を上げてもらうという形で妥協してくれているのだろう。

 

「パトリック。私もおばあ様のご期待は理解している。裏切るような事はしないさ」

 

「ご理解いただきありがとうございます。お屋敷の方もコルネリアス様が任官されザイトリッツ様が顔を出さなければ、いくら貴族同士のお付き合いがあるとはいえ大奥様がお寂しいでしょうし」

 

ふむ。俺の考えすぎかもな。おばあ様から屋敷に定期的に帰らせるようにとでも特命でも受けているのかもしれん。腹黒こと次兄のコルネリアスは統帥本部から軍歴をスタートした。縁はどこでつながるか分からないもので、直属の上司は紳士ことメルカッツ少佐らしい。腹黒は要領が良い方だが、メルカッツ先輩は堅物ほどではないにしてもきっちりされた方だ。配属先としては良いと言えるだろう。

 

長兄のローベルトは順調にキャリアを重ねており、今月から少佐に昇進した。軍部貴族の嫡男とは言え、23歳で少佐はかなりのスピード昇進だ。若手の注目株って所だろう。そろそろ婚約の話も出そうだ。こういう物はある程度固まるまで当人に知らせることは無いが、父上と母上の所に打診は結構な数来ているはずだ。まあ、門閥貴族でなければどこと縁を結ぼうが俺は気にしないが。

 

婚約と言えば我らが兄貴ことフリードリヒ殿下が結婚した。お相手は派閥形成からは一歩引いている公爵家の令嬢らしい。俺の立場で公式に会うのは難しいが、ワインの知識はそれなりにあるらしい。レオも嗜みながら、一緒に美食談義を楽しんでいると手紙に書いてあった。後継者争いから下りた事を考えても、兄貴は皇族に生まれるより領地持ちの伯爵家とかに生まれれば幸せだったのだろうとたまに思う。

 

旨い酒や旨い食材を自分で創って、親しい仲間や領民と分かち合う。そんなことを本当はやりたかったのだろう。結婚祝いにレオの長期熟成版444年物を贈った。兄貴もかなり気に入ったらしく、フリードリヒコレクションを立ち上げて販売する準備も始めたらしい。少しでもやりたかった事の一部をお任せできていればいいが。

 

「ではフランツ先輩。我々はこれで。日課がございますので」

 

フランツ先輩はではまた!というと離れて行った。俺たちの日課、それはフランツ教官に課されている軍事教練だ。幼年学校のカリキュラムにも肉体鍛錬があるが、あくまで必要最低限。追加で作成されたメニューをこなさないと身体が鈍るし、それがバレたときに一体どんなメニューを課されるか分からない。

 

そんなリスクを冒すほど俺たちは勇猛ではない。当初はパトリックと2人でしていたがテオドールもいつの間にか参加するようになったし、その他の連中も混ざることがある。これもある意味同期や後輩との交流の場になっているので感謝すべきなのだろうが。

 

俺たちは毎日走っているランニングコースを走り始めた。




※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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22話:けじめと大きな依頼

宇宙暦761年 帝国暦452年 2月初頭

首都星オーディン ルントシュテット邸

パトリック・ベッカー

 

「パトリック、大奥様とザイトリッツ様がお呼びだ。サロンに向かうように」

 

私とザイトリッツ様の教練指導役でもある従士のフランツさんが声をかけてきた。この人と初めて会って以来、身長差はかなり縮まったものの教練で染みついた恐怖がよぎるのか、一瞬身構えてしまう。フランツさんは既に26歳、本邸のメイドのひとりと結婚して子供もいる。さすがにまだ教練は課していないだろうが、無条件に同情してしまう自分がいる。

 

「畏まりました。すぐに向かいます」

 

キビキビと返答し、サロンへ向かった。私と我が主ザイトリッツ様は大奥様に養育されてきた。私にもザイトリッツ様にも絶対的な存在だ。お待たせする訳にはいかない。

 

「パトリック、お呼びとのことで参りました」

 

サロンに入ると大奥様とザイトリッツ様がお茶を飲まれていた。私がチェアセットの近くで控えると、

 

「パトリック、大事な話があるんだ。おばあ様にも聞いて頂きたかったから同席をお願いした。座ってくれるかい?」

 

本来は従士が主と同席することはマナー違反なのだが、ザイトリッツ様はたまにマナーを気にせず振る舞うことがある。大奥様の手前戸惑っていると

 

「貴方は私の孫同然。公の場ではわきまえてもらわないといけませんがプライベートな場なのです。遠慮はいらないわ」

 

大奥様もご了承されるのであれば大丈夫だろう。下座の席に腰を下ろす。

 

「まずはこの手紙を確認してくれ。まだ内密の話だから公言は控えて欲しい」

 

ザイトリッツ様から手紙を渡される。内容を確認して驚いた。手紙はグリンメルスハウゼン子爵からのもので、皇太子リヒャルト殿下が陛下の弑逆を計ったとして自死を命じられたこと、当然皇太子を担ぎ上げていた門閥貴族には罰が下されるであろうこと。

その上で、フリードリヒ殿下や私が仕えるルントシュテット家の口添えがあれば減免の可能性もありうるし、逆に厳罰を願えばそうなる余地があるという物だった。確認の為、再度読み直した後、私はザイトリッツ様に視線を戻し、手紙をお返しした。

 

「カミラの事を俺はまだ忘れていない。父上や母上の伝手から口添えを頼む話も来ている様だが、この件はカミラの家族だったこの場にいる3人で決めるべきだ。パトリックの考えを聞く前に私の意見を話そう。私は許すべきではなく厳罰に処するべきだと考えている。

あの日話した通り、奴らは方々で弱いものを踏みつけて泣かせてきた。ここで口添えをして罪を減免したところで、あいつらが性根を入れ替えてまともになるだろうか?むしろ自分たちが頭を下げれば何をしても許されると増長するのがオチだと考えている。さて、お前の意見を聞こうか」

 

「母カミラの事を仮になかったこととしても、あの方々は誰かを許したことがあるのでしょうか?許したこともないのに自分たちだけが許しを請うのはいささか強欲かと存じます」

 

私がそう回答すると、

 

「ではおばあ様、口添えの話は全て断ってください。グリンメルスハウゼン子爵には私の方から先ほどの主旨を認めて返答させて頂きます。パトリック、カミラの件はこれでけじめがつくが、弱者を踏みつけている連中はまだまだいる。一人でも多くの領民と臣民が笑って過ごせるようにこれからも励んでくれ」

 

「はい。心得てございます」

 

私が返答をすると、メイドがザイトリッツ様にお客様が到着された旨を伝えてきた。

 

「おばあ様、お客様をお待たせするわけには参りません。ここで失礼いたします」

 

ザイトリッツ様がサロンから出ていくが、大奥様に少し残るように言われた。少し間を置いてからお話を始められた。

 

「パトリック。あの子は幼少のころから優秀で私の期待にも精一杯応えてくれました。ただいささか溺愛しすぎたかもしれません。気性が激しいというか、決めた事は曲げない頑固なところがあるというか。たまに危なっかしい所も感じるの。あの子がやりすぎそうな時には貴方に諫めてもらいたいの。お願いできるかしら」

 

「もちろんです。とはいえザイトリッツ様は私のはるか先を見ておられますのでお力になれるのか正直不安になる程ですが」

 

「良いのです。先を見る人間ほど足元がおろそかになるもの。貴方が足元を見てくれれば私も安心ですから」

 

大奥様の言葉に救われる気持ちがした。正直、自分がお仕えしていてお役に立てているのか悩むことが多かった。RC社の経営、同期や後輩との食事会、お忙しいのにも関わらず、幼年学校では5年間首席を譲ることは無かったし、来期から入学する士官学校も首席合格だ。私も必死に務めたが、なんとか上位合格となる100番以内に滑り込むのがやっとだった。だが、ザイトリッツ様の足元をお守りする事なら出来る。この時から悩まずにお仕えできそうだ。

 

 

宇宙歴761年 帝国歴452年 2月初頭

首都星オーディン ルントシュテット邸

ニクラウス・フォン・ルントシュテット

 

「父上、お待たせいたしました。お初にお目にかかります。ルントシュテット伯三男ザイトリッツでございます」

 

「うむ、ザイトリッツよ。こちらはリューデリッツ伯だ。私が予備役入りした後、後方支援のトップを引き継いだ方だ。失礼が無いようにな」

 

「セバスティアン・フォン・リューデリッツ伯爵じゃ。よろしく頼む」

 

いつも感心するが我が子ザイトリッツは挨拶がうまい。こんなしっかりした挨拶ができるのになぜフリードリヒ殿下を兄貴呼ばわりするような無茶をするのか。とはいえ話を進めねばなるまい。

 

「リューデリッツ伯はな、ある案件に関してRC社の力添えが可能か相談にみえられたのだ。私は会長に名目上名前を置いているが、実務はお主が把握しておる。そこで同席を頼んだ次第だ」

 

「左様でございましたか、リューデリッツ伯、わが父をお頼り頂けたこと、非常にうれしく思います。どのようなご用件でしょうか?」

 

リューデリッツ伯は一瞬私に視線を向けたが頷くと話し始めた。

 

「実は陛下のご発案でイゼルローン回廊に要塞を新設することとなっておる。地表に建設するのではなく、直径60キロの人工天体を構築し要塞機能を詰め込むような形を予定しておる。昨年から各署に見積もりを出してもらいながら最終計画案を作成し、陛下にご内諾を頂いたのだが、今年に入って急に以前の見積もりから大幅な値上げを要求されてな。

クレメンツ殿下の取り巻きが何やら煽っているようなのだが、このままでは建設費が予算を大幅に上回る事は必定でな。すがる思いでルントシュテット伯にご相談した次第なのだ」

 

「直径60キロの人工天体を建設し要塞とする。剛毅な計画でございますね」

 

あのザイトリッツも目を見開いて驚いておる。

こういう可愛げをもっと出してくれてもいいのだが

 

「とはいえ、計画の概要だけでも確認しませんことにはお役に立てるか判断いたしかねるところですが......」

 

「うむ。資料はこちらに用意しておる。お改め頂きたい」

 

カバンから数枚に取りまとめられたものと分厚い冊子が取り出されテーブルに置かれた。

 

「機密の問題もございましょう。マナーに反しますがここで検めさせていただきましょう。父上、リューデリッツ伯のお相手をしばらくお願いいたします」

 

そういうとザイトリッツはどこから取り出したのか電卓をカタカタと打ちながら資料と冊子を確認しだした。5分ほどだろうか、私が予備役に入って以降の後方支援部隊の動きなどを話していると、カタカタ音が止まった。自然と視線がザイトリッツに向く。

 

「建設計画書、しかと検めました。計画書とはかくあるべしと教えて頂いた思いです。このザイトリッツ、勉強させて頂きました」

 

堅物のリューデリッツ伯がまんざらでもない顔をしておる。一体いつのまにこんな人たらしになったのやら。居住まいを正すとザイトリッツは話を続けた。

 

「現場責任者に確認が必要な部分がありますが、おそらくRC社でお役に立てると存じます。ただ、現段階で2点ほどお願いしなければならないことがございます。詳細をお話ししてもよろしいでしょうか?」

 

この流れで否というものはいないだろう。私は続きを促した。

 

「ありがとうございます。一点目は値上げを要求されている見積もりを正式に発行させ確保して頂くことです。資材の相場感から余程の不測の事態が無い限りRC社を使えば建設予算内で納まるはずです。ですので見積もりが揃った後、陛下から予算内で納まる所に任せよとお言葉を頂きましょう。多少は恨まれるでしょうが、少なくとも要塞が完成するまでは妨害も控えるでしょう。勅命に背くことになりますから。

二点目は、要塞建設の物資集積拠点となるであろうアムリッツァ星域に艦隊駐屯基地を新設頂くことです。予想される資材に関しては設備投資を行えば調達は可能ですが、要塞建設期間の5年では投資分の回収が難しいでしょう。物資集積拠点跡地の有効利用という事で要塞完成までに根回しして頂けるのであれば、現段階では口約束で結構です。如何でしょうか?」

 

「うむ。要塞建設が想定予算を大幅に上回ることがあれば私も責任を問われることになる。予算内で完成した暁には、基地の新設の根回しもしよう。仮にうまくいかなくても増産分の資材の消費先は融通できると思うぞ」

 

「心強いお言葉ありがとうございます。では、早速実務担当者に確認して参ります。リューデリッツ伯、無作法をお許しください」

 

そう言うとザイトリッツは足早にドアに向かいだした。ちょっと待て、人工天体の建設資材など本当に集めきれるのか?安請け合いして大丈夫なのか?私が呼び止めるか迷っているとドアの手前でザイトリッツが振り返った。

 

「父上、計画の内容はご承知でしょうが、RC社でお力添えするとなると私も実務を担当する必要がございます。士官学校へのご説明をよろしくお願いいたします。」

 

そういい終えるや否や部屋を出て行った。

 

「出来たご子息じゃなあ。今回の要塞建設は勅命じゃ。士官学校も配慮してくれるじゃろうし、私も口添えしよう。心配には及ぶまい」

 

リューデリッツ伯が私を気遣う言葉をかけてきたが、心配のし所がズレている。私は無難に士官学校を卒業してくれればよかったのだ



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23話:動き出すRC社

宇宙暦761年 帝国暦452年 2月初頭

首都星オーディン 飲み屋街VIPルーム

クリストフ・フォン・ケーフェンヒラー

 

ザイトリッツ様にお仕えしようと決めたあの日から7年以上の時が流れた。帰還兵を守れれば十分と考えていたあの時の私にまさかこんな未来があると思わなかった。初めて人生に絶望する前に志していた地方行政の経験が活き、こんなにやりがいのある職につき、しかも再婚しているなど、想像出来ただろうか。

そして初めの結婚では得る事が出来なかった子供も2人授かっている。ザイトリッツ様はお仕えするにあたって自分の幸せも考えることを条件に出された。あれが無ければ今の人生は無かったかもしれない。できる限り御恩をお返しせねばなるまい。

 

ふと、自分の人生の変遷に思いを寄せていると、隣に座っている男性が声をかけてきた。

 

「ザイトリッツ様から至急の呼び出しを受けましたが、何か辺境星域で良からぬことが起こったのでしょうか?」

 

心配げにこちらを見ているのはロイエンタール卿だ。下級貴族出身だがかなりの商才がある男だ。特に収益化の見込みを立てる事に長けた男で、RC社の中でも頭角を表しつつある。

 

「私と卿が揃って呼ばれたという事は、辺境星域で大きな投資案件が持ち上がったのではないかな?辺境でなにか起こったなら、私だけで良かろうし、投資案件なら卿だけで済む話だろう。まあ、あの方はたまに無茶なことを言い出すから心配するのもわかるが」

 

ロイエンタール卿もRC社に入社する前に自分で投資案件を数件成功させていたが案件進行のスピードの速さに、入社直後は驚いていた記憶がある。私と同年代だが、ある程度ビジネスで成功したら身を固めるつもりらしい。良い縁があればいいが。そんなやりとりをしているとドアがノックされ、私たちの雇い主がVIPルームに入ってきた。

 

「急な呼び出しをしてしまいお手数をかけました。大きな案件のご相談を受けましたが急いて回答しなければならない状況でした。取り急ぎお二人に相談したかったのです」

 

「投資案件には様々な事情もついて回ります。この程度の事、お気遣い頂くには及びません。男爵とも話していたのですが、もしや辺境星域で何かあったのかと不安に思っておりましたが安心いたしました」

 

私も同意するようにうなずきはしたが、ロイエンタール卿はザイトリッツ様の無茶をまだ経験していない。私たちが揃って呼ばれるのは初めてだ。しかも至急、よほどの案件だと思うが......。

 

「要旨はこちらにまとめました。内密の話なのでこちらをご確認いただきながら私の方でざっくりした説明をします。受けるかどうか早急に判断したいのでご協力をお願いします」

 

そう言って、メモ用紙を一枚、私たちに差し出してきた。

 

「では説明します。ある筋からのご依頼で、5か年計画でとある施設を作ることをお考えです。事業規模は約45兆帝国マルク。年間あたり標準戦艦約84000隻分の資材をRC社で取りまとめできるかというご依頼です。私の概算ですが、設備投資を行えばなんとか調達できるでしょうが、設備投資を5年で回収するのはギリギリでしょう。なのでこの案件をきっちりやり遂げた暁には増産分の納品先を数年は手配していただける旨もお約束頂けている状況です」

 

メモ用紙には超硬度鋼やスーパーセラミックと言った文言も書かれている。重要な文言であるはずだが、話が大きすぎて頭がついてこない。おもわず手元にあった水の入ったグラスを呷った。横をみるとロイエンタール卿も45兆・・・。84000隻・・・。などと呟きながらなんとか落ち着こうとしている。おそらくこの案件はザイトリッツ様の本気の無茶なのだろう。

 

「ザイトリッツ様。話が大きすぎて冷静に考える必要がございます。少し落ち着く時間を頂いてもよろしいでしょうか?」私がそういうと

 

「それもそうですね。私も少し浮付いていたかもしれません。さすがにアルコールはふさわしくないでしょうから、何か飲み物とつまむものを頼んできましょう」

 

そう言って席を立つと、ドアを開けて階下に向かっていった。開いたドアから従士のフランツ殿が控えているのが見える。一瞬目が合ったが、フランツ殿はこちらを気遣うように会釈し、主の後に続いて行った。落ち着く意味でもここは私から声をかけたほうがいいだろう。

 

「ロイエンタール卿、私も色々と無茶な話を振られたが、これは特大級だ。少し冷静になって考えねばなるまい。ただ、ザイトリッツ様はおそらく受ける方向でお考えのはずだ。極秘の案件なのだろうが要旨は明確だ。ご自分の予測に大きな抜け漏れがないかを確認する意味で我らをお呼びになったのだろう」

 

「すこし落ち着きました。事業規模45兆帝国マルクなどという案件が現実にあるとは思いませず、情けない所をお見せしました。お忘れください」

 

少しは落ち着けたようだ。

 

「お戻りになるまでは、お互い考えることに集中しよう。またなにか無茶を言われるであろうし」

 

そう私が言うと、ロイエンタール卿は絶望するかのような表情を浮かべた。私はその表情を見なかったことにして、自分なりの見解を考える。結論としては余程の抜け漏れか大規模な事故でも起きない限り、利益は出せるだろうし、利益が出なくても投資分を考えればRC社としては利益確保できるだろう。と見込んだタイミングで、主が部屋に戻ってきた。

 

「適当にお任せで摘まめるものを頼んできました。お二人は特に嫌いなものはありませんでしたよね?話が終わってからになりますが、マスターが是非にと勧めるウイスキーがあるようです。私は晩餐がありますので、後程お二人で楽しんでください」

 

この店の料理は確かに旨いし、酒もこだわったものを出しているが、こんな話を聞かされてはオチオチ楽しみにも出来ないだろう。

 

「それでどうです?私の見込みでは余程の大事故でもないかぎり、多少の利益はだせると思いますし、RC社全体で考えればかなり利益が出る案件だと思っているのですが」

 

「少し細かい部分のご意見を伺いたいのですが宜しいでしょうか?」

 

意を決したようにロイエンタール卿が声を上げた。特に超硬度鋼やスーパーセラミックは民間での用途が無い為、軍用で引き取り手がないと生産設備を立ち上げるのはかなりのリスクだ。だがその辺りも我らが主は認識済みだったようだ。

 

「危惧される部分はごもっともですね。お二人にお声がけしてよかった。とはいえ超硬度鋼やスーパーセラミックの件はそこまで心配していません。5年から6年後までに根回しする予定の話なのですが、物資の集積拠点をそのまま艦隊の駐留・メンテナンス拠点にする形で有効利用する方向にもって行くつもりです。その時にならないと分かりませんが、駐留基地化する際に、艦船開発部門も誘致しようと考えています。

超硬度鋼やスーパーセラミックは現段階では高額な素材ですが、これだけの規模で量産すれば戦闘艦に常用できる程度まで価格も下がるでしょうし、辺境の方が防諜もしやすいでしょうから。叛乱軍の捕獲艦なども合わせて分析できれば、かなりの戦力強化も見込めるでしょう。軍からも無尽蔵にとは言いませんが、予算を割いて頂けるでしょうし」

 

まあ、予想通りだな。大きな抜け漏れが無いか、確認するために我らを呼ばれたのだ。そして抜け漏れはなく、むしろ我らに見えていないものまで見えている。

 

「お二人と意見交換ができて安心できました。このお話は受ける方向で進めます。明日からでよいですが、体制を整えるために動いてください。元手はいくらあってもいいでしょうから、私の個人資産の方も、RC社の口座の方に入れておきます。必要だと思うことは全て手配りしてください」

 

ああ、明日から激務が確定した。ご信頼頂いているし高給で雇われている。そしてなにより歴史に残る事業になるだろう。

 

「では、私はこれで。今日の払いは私が持ちますから、御二人はしっかり鋭気を養ってください。では!」

 

そういうと、我らの主は部屋を出て行った。ロイエンタール卿はまだこちらの世界に戻ってきていない。すべきことを頭の中で列挙しているのだろう。しばらくすると、この店のマスターが嬉しそうに料理と酒を運んできた。まさに嵐が去った後のような心境だ。

 

マスターが部屋を出ていくと、残った二人で静かにグラスを交わした。こんな大きな案件が控えているとなれば、どんな美酒であれ酔えるはずがない。ロイエンタール卿も同じ気持ちだったのだろう。美酒なはずの酒を口にしながらお互いに苦笑した。




イゼルローン要塞の建設資材を計算したのですが、体積換算だととんでもない数字が出ました。なので自己解釈して計算しなおし、作中の数字にしました。
流体金属で覆うアニメ版の方にするか迷いましたが原作の方で進めたいと思います。


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24話:特別候補生

宇宙暦761年 帝国暦452年 11月上旬

アムリッツァ星域 物資集積拠点

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

大型輸送船が、ひっきりなしに発着しては出発していく。本来なら士官学校の寮にいる頃合いだが、俺はアムリッツァ星域に新設された物資集積拠点の事務官室から、忙しなく発着する輸送艦群を眺めていた。年末はオーディンで過ごす予定なのでもう少ししたら荷造りを始める必要があるだろう。

 

話は戻るが、イゼルローン要塞建設に向けてRC社は今年、フル稼働状態だった。共同出資している各星系の開発会社を通じて各種鉱山に投資し、増産した鉱石をこちらに集めて精錬し、計画に基づいて要塞建設予定宙域に輸送している。年明けには各星系で精錬までできるようになるので、資源の増産計画は順調に進んでいる。

 

イゼルローン要塞は中心部に配置される核融合炉が完成し、現在は天頂方向からみて東西南北に30kmのメインシャフトを作る段階に入っている。今期中にメインシャフト先端部分を円状に繋ぐ段階まで建造される予定だ。

 

建設関係者や軍関係者の生活拠点も必要なため、もともと大き目の補給基地だったアムリッツァ星系第51補給基地は、物資集積機能に加えて、精錬設備も増設。慰安の為の歓楽施設や、関係者の家族が来た際の滞在施設も作られている。

 

まだ根回しの段階だが、イゼルローン要塞完成後にこの第51補給基地は宇宙艦隊2個程度の駐留基地として再構築されることになる。それを前提に新設された施設はある程度流用が可能なように設計・配置している。今のところ計画は順調だ。心配は無いだろう。

 

しばらく窓の外を見ていると、誰かが事務官室に入ってきた。振り返ると、この半年で馴染みになった若手軍人が近づいてくる。階級章は少佐だ。

 

「ザイトリッツ特別候補生、少しお時間を頂けるかな?」

 

「メルカッツ少佐、私に遠慮など無用です。どうされたのですか?」

 

そう、ローベルト兄上と親しい紳士ことメルカッツ先輩だ。この人がイゼルローン要塞建設計画の事務担当の佐官のひとりとして配属されたのは私との折衝の為だ。当初、私は要塞建設計画の実務を担当することで、実質士官学校を中退して准尉任官し要塞の完成とともに退役することを画策したのだが、勅命での要塞建設・俺の首席合格・ルントシュテット家が軍に近い事・現役の後方支援部門のトップであるリューデリッツ大将の口添えがあり、レポートの提出で単位を免除され、少尉待遇の特別候補生としてここにいる。

とは言え卒業見込み者の要塞建設現場の視察の手配を求められたり定期的に試験は受けなければならないので、決して良い待遇ではないと俺は感じている。

 

実質資材調達を担うRC社のトップでありながら、軍の階級は少尉待遇という理解しにくい立場になったわけだが、これに困ったのが折衝をする実務担当者だ。当初は別の佐官が担当していたがまあやりにくい。他に候補となるのがケーフェンヒラー男爵だが元大佐で爵位もちというと実務レベルでの折衝というより、最後の契約段階で顔を出すレベルだ。

 

そういう訳で、長兄とも親しく、俺とも知己があったメルカッツ先輩が実務レベルでの折衝役として選ばれたと言う訳だ。ただし、先輩は若干事務仕事を苦手としている雰囲気があるのでこれを機会に事務能力も鍛えようという意図も透けて見える。

 

「うむ。まあ非公式の場ではメルカッツ先輩で構わないぞ。それで士官学校の卒業前に予定されている視察の件で、ひな型がまとまったので事前に確認してもらおうと思ってな」

 

「それはありがとうございます。役目なので手配はしておりますが、期末の段階ではイゼルローン要塞の円周が分かるくらいですし、どこまで見識が深まるか疑問ですが」

 

「まあ、そう言うな。いずれ要塞に配属される者もおるだろうし、人工天体クラスの宇宙要塞建造など何度もある話ではあるまい。見聞させておきたいという気持ちもわからなくはない」

 

「メルカッツ先輩はお優しいですね。ただ、厄介ごとを押し付けられたんですから少しくらいは自己主張されないと、貧乏くじを引かされますよ」

 

そういって先輩に視線を向けると、少し困った顔をしていた。

 

「資料は確認しておきます。それより年末年始は帰省されるのですか?もし帰省されるのならご一緒に如何でしょう?シャンタウ星域経由になりますが、ほぼ直行になりますので軍の定期便を使うよりも早く戻れます。厄介な交渉を押し付けられたのですからこれ位の役得はあっていいと思いますし、交渉相手とある程度の関係性を作ることもお役目に入ると思いますが」

 

「それもそうだな。では同乗させてもらうとしよう」

 

そういうとメルカッツ先輩はお手本のような敬礼をして事務官室から出て行った。今回の帰省ではルントシュテット領も少し視察予定だ。メルカッツ先輩は任務に真面目なのはいいが息抜きをしている気配がない。少しは気晴らしになればいいが。

 

領地でも初等教育学校が本格的に運営を開始したし、人口密集地から中等教育学校の設立も始まっている。資料では確認しているが一度見ておきたい。なによりルントシュテット家はRC社の最初の顧客だ。しっかりケアしておかないと。

 

先輩が置いて行った資料を確認しながら、まあ、士官学校の先輩方と縁を結べるのでそれも悪くないかなどと思っていると、数人の人の気配が近づいてくる。連中が戻ったのかなあと予想したが、予想は的中の様だ。

 

「ザイトリッツ様、ただいま戻りました。資料で概要を確認はしましたが、実際に見ると何やら凄まじさを感じました。何かを学び取るというのは難しいかもしれませんが、心に問いかけるような部分はございました。良き機会をありがとうございました」

 

ケーフェンヒラー男爵をはじめ、ロイエンタール卿・従士のフランツ・乳兄弟のパトリックが入室してきた。生で建設現場をみて感じるところがあったのか、少し興奮気味だ。

 

「なるほど、このメンバーでも感じるところがあるのであれば士官学校が要望している視察もあながち無意味ではないかもしれないね。さっきまでメルカッツ先輩が士官学校卒業前の視察の件で来られていたから」

 

私自身は、折衝もあるのでアムリッツァ星域の拠点を動くことが出来なかったが、年末年始の休暇を前に、先ほどのメンバーには要塞の建設現場の視察の機会を設けた。正直、事業規模が巨大すぎて、現場を見ないと実感が持てないと思ったからだ。前世の記憶を基にすれば、巨大な建造物は男性の子供心をくすぐるモノだ。自分の目で見る機会はマイナスには働かないだろうと思ったが、見込み通りの効果があったようだ。

 

特にパトリックについては、俺の実務補佐という名目で傍にいるが、待遇については特段配慮されていない。試験対策については一緒に練れるので心配はしていないが、せっかく士官学校に上位合格したのに、そこで得られる経験を捨てて傍についてくれている。少しでもそれを補って欲しいので、要塞建設の現場視察のメンバーに加えていた。

 

「実務面で何か学び取るのは難しいかもしれませんが、任官する前にあれを見ておくのは無意味ではないかと存じます」

 

おおう、お金の計算は大好きだけど、ロマンとか感傷とかにはあまり価値を見出さないロイエンタール卿ですらなんか目をウルウルさせている。まあ、自分たちが走り回ってかき集めた資材の集大成だからな。思う所はあるだろう。

 

「わかったわかった。そこまで言うなら、わたしも期末に視察できるのを楽しみにしておこう。先ほど決まった事だが、帰省に当たってはメルカッツ先輩も同乗される。あまり息抜きがお上手ではないようだ。先輩の好みを踏まえて、少しでもお楽しみいただけるように手配を頼む。言うまでもないが先輩は女遊びはあまりお好みではないのでそのつもりで頼む。

あとはルントシュテット領の件だな。今動き出している新しい案件は、私が提案したものがほとんどだ。提案者の責任としても。短期間の滞在だが出来るだけ自分の目で可能な限り確かめておきたい。あまり間がないがこちらも手配を頼むぞ」

 

皆がうなずくのを確認してからケーフェンヒラー男爵のみ残るように指示をした。

他の3名が部屋から出ていく。

 

「それでザイトリッツ様、なにかお急ぎの話でしょうか?」

 

「いや男爵。あくまで相談の段階なのだが、そこまでイゼルローンが一見の価値ありなのであれば皇族のどなたかにご視察いただくのも検討の余地があるかと思ってね。幸い我らがフリードリヒ殿下は今年男子がお生まれになられた関係で、妃殿下とお時間があまりとれない状態らしい、ルントシュテット領のウイスキー事業もそろそろブレンドを始める頃合いだ。ブレンドにご意見を頂きイゼルローンを視察してオーディンに戻る。3か月はかかるまいが良き気分転換になろう。さすがに陛下とその後継者の方に何かあっては困る故お誘いはしかねるが。どう思う?」

 

「打診はされてもよろしいのではないでしょうか?レオの件もございますれば、ザイトリッツ様が多少なりともお気遣いされるのも不自然ではないかと」

 

「ありがとう、どのようなお返事がくるか分らないが、打診はしてみようと思う。帰省まで間がない。男爵に限って抜かりはないと思うが荷造りの手配もよろしくね」

 

男爵は了承の旨を返礼すると、自室に戻っていった。あとは叔父貴ことグリンメルスハウゼン子爵宛に手紙で打診しておけば問題ないだろう。おれは便せんを引き出しから取り出して、筆をとった。




少し表現が分かりにくいのですが

ザイトリッツ=特別候補生:少尉待遇の士官学校1年生
パトリック =士官学校1年生 名目は実務補佐

2人とも士官学校の単位を免除される代わりにレポートの提出を求められたり
定期試験は受けないといけない扱いとご認識ください。


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25話:堅物の婚約

宇宙暦761年 帝国暦452年 12月下旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ローベルト・フォン・ルントシュテット

 

今年も事が多い一年だった。特に周囲から聞かれるのが私の末弟が取り仕切っているRC社の事だ。皇帝陛下の勅命で建設される人工天体の要塞、イゼルローン要塞の建設資材を一手に取り仕切った事でかなり名前が売れている。我が家の領地、ルントシュテットをはじめ、RC社が事業展開をしている辺境星域は特需状態のようだ。

当領を含め8年前は人口2億3000万人だったが、人口流入や福祉施策の効果で3億人近くまで人口も増えているし、収益も当然増えている。おそらく父上に断られての事だろうが、一部の貴族から自領でもRC社に事業展開を頼めないか?と、内々に相談される事も増えた。

 

父上にも確認したが、現在はイゼルローン要塞の件で精いっぱいでとても新しい案件を抱えられる状態ではない為、御断りされているとの事だ。また、事業の特性上、展開している星域から飛び地になるような所では収益化が難しいとの予測もある。イゼルローンの件を除いても、手を広げるのは難しい状況にあるらしい。

 

喜ばしい話ではあるのだが、RC社と合弁会社を設立した辺境領主の皆様は今はとにかく領民に報いる意味でも収益を自領への投資に回す判断をされた。ザイトリッツの予測では、自分たちで輸送船を運航させる領主もでてくると見込んでいたが、かなりの初期投資と収益化が難しい輸送船事業を始めるより開発余地がいくらでもある自領の開発と、ルントシュテット領を真似て福祉施策を充実させる事を優先させた。

 

結果、大げさな表現ではなく、月ごとに必要とされる輸送船団が増えているような状況だ。これもRC社が合弁企業の設立を取引開始の条件にしたことが大きかった。各領主の立場から考えると、RC社は共同受益者になるため、任せられる事は任せてしまおうという判断に至ったようだ。

 

我が領を含め、辺境星域は大きな発展の波に乗れている状況だが、これを演出したのが、我が末弟、ザイトリッツだ。士官学校に籍を置きながら資材調達を取り仕切っている。私も来年の定期昇進で中佐が内定している。25歳で中佐なら伯爵家嫡男としても悪くはないが、手本となれているか不安になる自分がいる。

そういう面では長弟のコルネリアスは可愛いものだ。4月の定期昇進で大尉になったものの、戦術家として名高いシュタイエルマルク提督の司令部に配属されたため、かなりの激務をなんとかこなしている様だ。たまに会うと愚痴をこぼしてくれる。長弟はもともと要領が良い方だったが、任せられる者にどんどん任せる風潮があるらしく、かなりの仕事を振られているらしい。

 

そんな事を自室で休みながら考えていると、メイドが私を呼びに来た。どうやらおばあ様、父上・母上がお揃いでお待ちらしい。すぐに遊戯室へ向かうとお茶を飲みながらご歓談されている様だ。

 

「お待たせしました。ローベルト、参りました」

 

「うむ。ローベルトよ、大事な話があるのでこちらに座りなさい」

 

私が席に着くと父上は話を始められた。おばあ様と母上も少し緊張されている様だ。

 

「話というのはな、お前の結婚の件だ。方々からお話は頂いていたが、この数年は事が多かった。私たちもどのお話を受けるべきか悩んでしまってな。本来ならもう少し前に婚約して、そろそろ結婚というのが一般的だったがこういう形になってしまったのだ」

 

父上は申し訳なさそうだが、第二次ティアマト会戦以来、当家はある意味非常事態というか本来の形を取り戻せていなかった。父上が予備役に編入され、領地経営に関われるようになった5年前にやっと本来の形に収まったという所だ。それを考えれば致し方ないだろう。

 

「父上、私は当家の非常事態を一番身近で感じながら育ちました。事情はよくわきまえております」

 

「そうか、お前も長兄として皆の範たらんとしてくれていたな。苦労を掛けた。それでな、お話しを受けてもいいのではないかと思っているお相手はミュッケンベルガー家のビルギット嬢だ。リヒャルト殿下の一件も考えれば、門閥貴族と一線を引く方針は変更できぬ。軍部系貴族が団結する意味でも悪くない話だと考えている」

 

「私たちもお茶会でお話をする機会がございましたが、よくできたご令嬢でしたわ。安心してお受けできると存じます」

 

父上の言葉を継ぐように母上が話を続けた。ミュッケンベルガー家の先代は祖父レオンハルト同様、第二次ティアマト会戦で戦死されていたはずだし、当主のグレゴール殿も士官学校を首席で卒業され、悪い評判は聞かない。リヒャルト皇太子が陛下の弑逆を計った容疑で死を賜った際、皇太子を担いでいた派閥の門閥貴族がかなりおとり潰しになった。婚姻関係を結ぶのもかなり慎重な判断が必要な状況だ。色々とご縁がある家だしお受けしても問題ないだろう。

 

「父上、良いお話をありがとうございます。ぜひお受けしたいと存じます」

 

私がそうお答えすると、おばあ様も含め、ホッとされた様子だった。

 

「今更の事でもあるが、コルネリアスもザイトリッツも門閥貴族には思う所があろうし、RC社がこのまま大きくなれば向こうも利権を狙ってくるだろう。嫡男として色々と苦労すると思うがよろしく頼む」

 

父上が私の肩に手を置いて頭を少し下げられた。眉間の皺は相変わらずだし、白髪も増えられたように思う。領地経営は資料では順調だがなにかと苦労されているのだろう。

 

「それとな、明言はされていないが領地経営のサポートも期待されておると思う。ザイトリッツはあれで身内に甘いから何も言わなくとも配慮はしてくれよう。ミュッケンベルガー家の領地は帝国後背地に属する。イゼルローンの件がなければRC社が展開を考えていた地域だ。とはいえ、イゼルローン要塞の件は勅命でもあり失敗は許されぬ。妻の実家の力になりたいという感情は持って当たり前の物だが、今は変な安請け合いはできぬ。その辺りも含んでおいてくれ」

 

話が済んだ頃合いで玄関の方で人の気配が増えている。コルネリアスかザイトリッツが戻ってきたのだろう。父上からもお話しされるだろうが、自分の結婚の事は自分の口から伝えたい。私は暇乞いをして玄関に向かった。

 

「おお、兄上お帰りでしたか。ザイトリッツも同じタイミングで到着したようですよ」

 

長弟のコルネリアスと末弟のザイトリッツが何やら玄関で話していた。この二人は悪い意味で気が合う。まさか玄関で毒舌を交わしたりはしていないと思うが。

 

「兄上、ザイトリッツただいま戻りました。お変わりなく安心いたしました。少しお話していたのですが、あのシュタイエルマルク提督の司令部で励まれているとか、末弟として鼻が高いとお話ししていたのです」

 

「それだけではないだろう?私としては士官学校に在籍しながら要塞建設の資材調達を一手に差配する弟をもてて光栄に思っているさ」

 

普通に聞けばお互いに賞賛しあう仲の良い兄弟に見えるが、二人ともニヤニヤしている。本音はお互いに仕事を大量に抱えてご苦労さんって所だろう。すこし頭が痛くなるが、この二人は揶揄しあうことを楽しんでいるようなので特に注意はしない。

 

「玄関で立ち話をする必要はあるまい。遊戯室にみなお揃いだ。早く参ろう」

 

そう言って話をいったん区切って遊戯室へ二人を誘う。戻れば父上からお話が出るだろう、先にここで伝えておきたい。

 

「父上からお話が出るだろうが、私の結婚が決まった。お相手はミュッケンベルガー家のビルギット嬢だ。お前たちには自分の口で伝えておきたかったのでな」

 

「それは良きお話しですね。兄上おめでとうございます」

「式にはぜひ参加したいですね。ご配慮頂けると思いますが早めに日程を決めて頂かなくては」

 

二人ともこの結婚を祝福してくれている様だ。

 

まもなく遊戯室というあたりで、コルネリアスが何かザイトリッツに耳打ちするとザイトリッツは思わず笑っていた。何だかんだと仲は良いのだ。私はその光景をほほえましく見ていた。




コルネリアスの耳打ち
「堅物がとうとう結婚するそうだ。とはいえあいつは固すぎる。子供がグレなければいいが。」


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26話:ザイ坊と兄貴の日

宇宙暦762年 帝国暦453年 1月下旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

恒例の一家そろっての年末年始をすごしたあと、俺は何故か会食の日々だった。別に長兄の婚約が決まったから次兄と末弟もお相手探しをして来い!という訳ではない。

 

何だろう、俺はまだ利権を失ったことは無いが、利権を失いたくないという気持ちがどんな物かをまじまじと感じる日々だった。

 

何が起きたかというと、この一年のザイトリッツの日の権利者どもから会食を連日セッティングされたのだ。そもそも俺の士官学校首席合格をネタに、大規模な会食を開くことをテオドール氏が中心になって画策してしていたらしいが、肝心のみんなのお財布ことザイトリッツは、大した説明もないままイゼルローン要塞の建設資材調達の為、アムリッツァ星域の第51補給基地へ旅立ってしまった。その悲劇から9か月、彼らはひたすら機会を待っていた訳だ。

 

幼年学校の後輩だけでなく、士官学校に進んだ同期たちも期ごとのテストの総合成績の上位者や各学科の上位者の名簿をつくり、ルントシュテット家は毎年年末年始をオーディンで家族揃って過ごすことを確認すると、一部の者は帰省を取りやめてまで、利権の行使の場を待った訳だ。

 

正直、他にすることがあるだろうとは思うが、実技の成績上位者テオドール・フォン・ファーレンハイト氏によると、これは必要なこと!だそうだ。とは言え、そこまでされて渋るほど、俺も付き合いが悪い人間ではない。連日のランチはマスターの店で会食をする事になった。マスターは連日の予約に気を利かせてくれたのか、毎日違うメニューを用意してくれた。さすがはマスターだ。これからもひいきにさせてもらおう。

 

この会食は俺にとっても別に不利益なものでは無かった。入校以来、一度も登校していない士官学校の様子が聞けたからだ。幻の首席合格とか言われていると語ってくれたのは、実技だけでなく健啖の分野でも優秀なテオドール氏だ。勅命の要塞建設に既に関わり、候補生として少尉待遇で軍務についていると言えば聞こえは良いが、実際に士官学校で研鑽を積んでいる連中からすると、素直に評価はできないというのが実情のようだ。

 

何とも思わないと言えばウソになるが、士官学校を中退して准尉任官で資材調達に関わり、要塞完成とともに退役してビジネスに軸足を置くことを狙っていたとはまだ洩らせない様だ。ただ、年間標準戦艦84000隻分の資材を集める仕事を代わりたいという奴はいないだろう。実績があればある程度の特別扱いが通る独裁制の下でも、首席合格だけでは本来こんな対応はありえない。同期はともかく、先輩方は面白くは思っていないだろう。

 

ここで気づいたことだが、士官学校の卒業見込み者の要塞建設現場視察の手配を俺にやらせるのは、この上級生の不満を少しでも和らげようという物なのかもしれない。ただ、縁もない連中に高いメシを食わせるつもりはないので、気配りはするが接待とは受け取られない程度にしようと思う。媚びているなどと誤解されても迷惑だしな。

 

会食とは違うが、久しぶりにお茶を飲みながら、フランツ先輩とも話をする機会を持てた。先輩はマリーンドルフ伯爵家に恥じない名門校の地方行政に関わる学科に入学し3年勉学に努めていた。4年次に卒業論文として、イゼルローン要塞の資材調達に端を発した辺境星域の特需について書こうと思っているらしい。機密に関わる部分は話せなかったが、発表前に確認させてもらうことを条件にかなり突っ込んだ話をした。

 

マリーンドルフ伯爵家の嫡男でなければ、ケーフェンヒラー男爵の良い弟子になりそうだが先輩の事情で、スカウトするのはあきらめた。当代のマリーンドルフ伯は高齢とのことで、卒業後は領地経営を担うことになるそうだ。

 

またそういう時期なのか、ヴェストパーレ男爵が運営している音楽学校で古典音楽を専攻している令嬢を紹介され、おそらく婚約することになるとのことだ。紹介の場はヴェストパーレ男爵夫人のサロンだったらしいが、美術やら古典音楽やらが主な話題で、正直困ったようだ。サロンの参加者を募集しているらしく誘われたが、さすがに興味がない分野に時間を割くほど余裕はない。お断りしたが、よくよく聞いてみるとどうやら女性が多く、男性の同行者を欲しがっていた様だ。フランツ先輩、犠牲者は一人で十分です。

 

多忙な会食の日々を送っていた俺だったが、今日の会食は久しぶりの兄貴との会食だ。右腕ことフランツ教官とパトリックをお供に、マスターの店に向かう。マスターの店も商売繁盛していて2階の個室も予約がかなり入る様になっていた。なので去年の今頃少し出資させてもらい、外側から見ると別の入り口から入るVIPルームを作ってもらった。そこを使っているのはRC社の関係者か兄貴の関係者だけだ。

 

部屋に入ると、兄貴たちが酒を傾けていた。

 

「おお!ザイ坊。久しぶりじゃな。だいぶ背が伸びたな。すこし驚いたぞ」

 

「兄貴、叔父貴、ご無沙汰だったね。季節ごとにやり取りは叔父貴としていたけど、ちゃんと会えるのを楽しみにしていたよ。捕虜交換が荒れた件以来だから8年近いかな。新顔を紹介するよ。お小言だ。俺の乳兄弟だからよろしくね」

 

おれはパトリックを紹介した。15歳ながら俺の身長はすでに170cmを越えている。まだ伸びているから、前世と比べても身長はかなり高くなりそうだ。もちろん軍事教練もさぼっていないから、事務屋のわりにボクサーみたいな体型を維持できている。

 

「うむ。お小言とやら、私は兄貴、横のは叔父貴じゃ。よろしく頼むぞ。しかし8年ぶりとはいえ、このところ事が多かった。ザイ坊の身長を見るまでそんなに久しぶりとは思わなんだぞ」

 

かなり久しぶりだが、スッとイスに座って兄貴と叔父貴にお酌をする。士官学校を卒業するまでは半人前なので、俺はまだ飲酒はしない。

 

「お酌の腕は鈍っておらんな。ザイ坊のお酌で飲む酒はまた格別じゃからな」

 

兄貴も叔父貴も嬉しそうに杯を傾ける。料理は既に頼んでいるようだ。

 

「そう言われたら頻繁にお酌の機会が欲しくなるけど、なかなかね。兄貴と叔父貴のお陰もあってRC社は絶好調だけど、その分あまり頻繁に会うと、辺境を派閥化しようとしてると見られかねない。身分って時に鎖になるんだなあってしみじみ思うよ」

 

おれがそう言うと、兄貴は寂しそうに笑った。

 

「私から比べれば伯爵家の3男坊はかなり自由じゃが、ザイ坊はとんでもないことをしておるからな。そう感じるのも無理は無かろうて」

 

「まあ、やりたいことは明確にあるけど、家柄のせいでままならないからね。兄貴とおれはある意味同志だと思うよ」

 

少し場がしみじみしたものになってしまった。ここは空気を変えよう。

 

「ところで兄貴、叔父貴には手紙を書いたけど、皇子妃様は子育てで忙しいんでしょ?気晴らしにうちの蒸留所でブレンドしたり、イゼルローン要塞の視察なんかをしてみたら少しは気晴らしになるかと思ってたんだけどどう?」

 

「うむ。良き話だと思ったのだが、手紙が来た頃合いで、また子供が出来てな。いくら放蕩者とは言え身重の妃をおいて遊びまわるわけにもいくまい? 来期なら何とかなるとは思うのだが」

 

兄貴は申し訳なさそうに答えた。叔父貴も苦笑している。

 

「兄貴、そんな顔をされたら声をかけにくくなるよ。右腕やお小言は実際に要塞の建設現場を視察したんだけど、結構すごいみたいなんだ。期末に士官学校の卒業見込みの連中を案内するからそこで案内の練習をしておくよ。折角来てもらうんだから上手に案内したいしね」

 

そういうと兄貴は嬉しそうな表情をしてくれた。俺はまたお酌をしつつ

 

「それでね兄貴。いつものザイ坊の悪だくみなんだけど、現場を視察した連中はみんななんか感じるものがあったらしいんだよね。これって陛下の偉業のひとつになると思うんだ。最終判断は視察してからでいいと思うけど」

 

いったんそこで話を区切る。おれも小腹が減ってるからな、少し料理をつまむ。

 

「でね。何が言いたいかというと、とはいえ陛下がイゼルローン要塞まで出張るのは無理があるだろうからさ。完成を祝って、縮小版になるけどオブジェを作ってもいいと思うんだ。当然、強欲な方々は名誉欲も旺盛だろ?たとえば完成を祝して献金なりなんなりした連中の名前をさ、金額が多い順で100人とか、オブジェの付属物に名前を刻めるとかいう話になったら面白い事が起きるかなあと思ってさ」

 

そこまで言うと、兄貴と叔父貴はすこし悪い笑みを浮かべた。

 

「差配をするのは、当然、視察された皇族になるだろうし、視察し感銘を覚えたって理由でこの話を出してもいいと思うし、面白い話になりそうだと思うんだけど」

 

「ザイ坊は本当に門閥貴族の事を良くわかっておるな。確かに面白い話だ。オブジェの付属物に名前を刻む事で利益を上げようとは・・。面白い」

 

兄貴は乗り気のようだし、叔父貴も楽しそうだ。

 

「来期なら、超硬度鋼とスーパーセラミックの生産設備も立ち上がるから、火入れ式も合わせてできるし、要塞完成後は要塞主砲の試射式をしても面白いかもね」

 

「それは楽しそうじゃ。ザイ坊は面白い話ばかりもってくるのう。」

 

兄貴も叔父貴も上機嫌だ。おれが陛下の偉業と言ったのは本心だ。事業規模で言ったら人類史に残ってもいいと思う。ならとことんお祭りにした方が楽しいし、恩返しではないが兄貴も巻き込みたい。どうせ自称次期皇帝は前線には来れないのだから、必然的におれプロデュースのイベントに来れる皇族は兄貴だけなのだ。

 

それから皇族による夫婦円満の秘訣だの、子育ての秘訣だのを面白おかしく話してもらった。久しぶりに心から楽しめる時間だった。兄貴にもそう思ってもらえていれば嬉しいが。

 

オーディンにいる間は、おばあ様と晩餐を共にすると決めている。

いい時間になったところで俺たちはVIPルームを辞した。




ここで登場したヴェストパーレ男爵夫人は曜日替わり愛人のお母様です。


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27話:堅物・腹黒・健啖の日常

宇宙暦762年 帝国暦453年 4月上旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ローベルト・フォン・ルントシュテット

 

「昇進され軍務省に転籍されたと伺いました。おめでとうございます」

 

「ありがとう。私は地方艦隊を軸に軍歴を重ねてきたから、初心に帰るつもりで励むつもりだ。グレゴール殿も艦隊司令部で励まれておると聞いている。妹を安心して預けられると思っていただく為にも励まねばな」

 

「まあ、ローベルト様はいつもお気遣いを忘れない方ですね。兄にも見習っていただきたいです。剛毅と言えば軍人には誉め言葉かもしれませんが、周囲への気配りも大事なことですもの」

 

そう言いながらお茶を飲んでいるのは婚約者になったミュッケンベルガー家のビルギット嬢だ。ミュッケンベルガー家の先代は祖父と轡を並べた間柄だし、同じ軍部系貴族なので問題はないと思っていたが、正直、私は武骨者だ。深窓の令嬢のような方だと困る所だった。

ビルギット嬢は文学や美術より乗馬や狩猟を好むらしい。サロンでは優雅に振る舞っているが、乗馬の早駆けなどの時は凛とした雰囲気になる。公明正大であろうとしている私にとって良き相手だと思っている。

 

「グレゴール殿も色々と思う所がおありなのだろう。私も弟たちに祖父のありようを少しでも伝えようと、片意地を張っていた時期があったからな。当家は父上が健在だったが、幼少から当主になられたのだ。色々とご苦労もされていよう」

 

「はい。その辺りは感じておりました。ただ、やけに他家の令嬢を例に挙げてお小言をいう物ですから、その反発もあって乗馬や狩猟を始めたのです。はしたないかもしれませんが」

 

「そうは思っていない。私も武骨者だし、ルントシュテット家は武門の家柄だ。ビルギット嬢の心がけは頼もしくも好ましくも思っているので安心してほしい」

 

私がそういうと、ビルギット嬢は少し顔を赤くしながらお上手ですね、などと呟いている。結婚式はこれからだが、私が軍務省に転籍し落ち着いたらルントシュテット邸にビルギット嬢も住まいを移す予定だ。おばあ様ともうまくやってくれそうなので、本当に良縁だと思っている。次兄のコルネリアスからは所縁の花嫁衣装は妊婦には着れませんからご留意を!などと軽口を言われた。間違いのないようにせねばならん。

 

「式は12月と聞きました。私は大げさな式にはしたくなかったのですが......」

 

「うむ。私も花嫁の意向は尊重したいが、軍部系貴族の協力体制を確認する部分もあるし、当家にはRC社の兼ね合いで辺境のご領主との付き合いもあるゆえな。当初は秋にという話もあったのだが、ご列席の皆様のご都合が合うのが年末という状態なのだ。思う所もあるだろうが、堪えて欲しい」

 

「いえ。不満があるわけではないのです。ただ遠方から出席いただくのが些か心苦しかっただけなのです」

 

義理の兄となるグレゴール殿も将来の宇宙艦隊司令長官候補だし、私も軍部系貴族の一翼であるルントシュテット家の嫡男だ。軍部からの出席者は当然多くなったし、当家はRC社の大株主でもある。取引がある辺境領主の皆様も出席を希望されたし、建設中のイゼルローン要塞に関わる部署からも出席者が多い。私自身も近しいものだけでの式も悪くないのではと思っていたが、そうも言えない状況になってしまった。

 

「ビルギット嬢、せめて家の中の事はなるべく私たちの意見が通る様にしよう。しばらくは落ち着かないだろうが、あせらずゆっくり夫婦になればいいと私は思っている」

 

はいっと笑顔でうなずいてくれた。焦らず良き夫になれるように励む事にしよう。

 

宇宙暦762年 帝国暦453年 4月上旬

アムリッツァ星域 第51補給基地

コルネリアス・フォン・ルントシュテット

 

「それではな。哨戒任務とはいえ最前線だ。シュタイエルマルク提督の艦隊なら心配はいらんかもしれんが」

 

「はい、メルカッツ先輩もお身体にはお気を付けください。ザイトリッツも先輩は息抜きをあまりされないと心配しておりました。それにしても先輩が『紳士』とは前線に赴く前に良き話を聞けました」

 

私が所属するシュタイエルマルク艦隊はアムリッツァ星域の第51補給基地で最後の大規模な補給を行い、これからイゼルローン回廊を越えて、最前線の哨戒任務に入る。叛乱軍との会敵が無ければ半年ほど哨戒する計画だ。

 

「お主が『腹黒』とはな。確かに要領のいい新任少尉だったが。そしてあの時のザイ坊が私の折衝相手だ。時が流れるのは早いものだ」

 

先輩とは私が士官学校を卒業して配属された統帥本部で、指導係をしてもらった仲だ。そして兄とは士官学校の寮で同室だった。なにかとルントシュテット兄弟と縁がある方だ。

 

「ザイトリッツは何かと無茶を言うやつです。お手数をおかけしますがよろしくお願いします。それと先ほどの件は、非公式の回答という事で、提督にはお伝えするようにします」

 

先輩はうなずくといつものお手本のような敬礼をして去っていった。弟、ザイトリッツとも時間を持ちたかったが、士官学校の卒業見込み者の要塞視察に付き添って今は要塞建設宙域にいるようだ。視察専用船を試作したらしく、その兼ね合いもあって入れ違いになってしまった。

 

「それにしても超硬度鋼で部隊章を作ろうとするとはあいつらしい」

 

私は思い出し笑いを堪えきれなかった。要塞完成の暁には当然防衛部隊が新設される訳だが、どうせなら部隊章もイゼルローン要塞らしいものにすれば、士気が高まるのではないかという話らしい。それを上に伝える役回りのメルカッツ先輩も話の上げ方にさぞお悩みだったことだろう。

最後の確認は、要塞建設の折衝担当と昼食を予定しているとシュタイエルマルク提督に報告したところ、第51補給基地の各種設備が通常の配置パターンと異なる事を気にされた提督から、何か意図があっての事なのか確認してほしいと打診を受けた結果だ。すでに計画はされつつあるらしいが、イゼルローン要塞完成後に、この第51補給基地を大規模に改修し、艦隊の駐留基地にする話があるらしい。あくまで非公式の回答という事で、お伝えする了承を得たわけだ。

 

用事も済んだし、艦隊司令部に戻ろう。哨戒を終えてオーディンに戻れば、兄上の結婚式だ。弟とも相談して、祝いの品を考えなきゃな。

 

 

宇宙暦762年 帝国暦453年 4月上旬

首都星オーディン 帝国軍士官学校

テオドール・フォン・ファーレンハイト

 

「ファーレンハイト候補生、今年も実技は絶好調だな。引き続き励むように。学科がもう少し良ければ言うことは無いのだが」

 

期初の定期試験が終わり、担当教官から結果が返される。これでまたザイトリッツの日に参加する資格が得られた。幼年学校の5年間を首席で通した我が学友は士官学校に首席合格するや否や、勅命で建設されるイゼルローン要塞の資材調達を取り仕切るためにアムリッツァ星域の第51補給基地に旅立ってしまった。乳兄弟のパトリックも一緒にだ。何だかんだで一番幼年学校で一緒に過ごした二人だ。その二人がいないことに寂しさは感じるが、今は俺なりにあいつの役に立てればと思っている。

 

「ザイトリッツ特別候補生については、今期も首席だ。諸君も思う所はあるだろうが、希望者には彼のテスト結果とレポートの閲覧を許可するので、申告するように」

 

そうこれだ。幼年学校からザイトリッツを知っている人間は当然だと受け入れるだろうが、面白く思わない候補生も複数いる。当初は心無い噂を話した候補生に、ザイトリッツを良く知る候補生が掴みかかる事案もあった。俺も喧嘩沙汰を起こしかけた一人だ。ただ、今はあいつをしっかり知ってもらう為のつなぎ役ができればいいと思っている。

 

年始には幼年学校も含めて、総合成績優秀者や各学科の上位者を通称ザイトリッツの日と呼ばれている会食にセッティングする事に奔走した。旨いメシを食べたいという動機もあるが、各学年の中心人物に理解者を増やしたいという思いもある。あいつには親父の不始末を処理してもらった恩がある。何とかできなければ、俺の代どころか子供の代まで極貧生活を余儀なくされる所だった。気にするなと笑って言われたが、こんな恩を受けて忘れられる人間はそうはいないだろう。

 

それに気さくで配慮を欠かさない奴だが、ルントシュテット伯爵家の3男だ。人づてで話を聞いても下級貴族や平民出身者には近寄りがたいものだ。まして幼年学校時代など5年間首席で通したのだ。後輩たちからすれば、身近に物語の主人公がいるような物だろう。話を聞きたいし模範にしたいと思っていても、なかなか行動に移すのは難しい。未だに幼年学校の後輩たちが、ザイトリッツの日の参加者名簿を俺に持ってくるのはそういう意味でも場を作ってほしいという意思の表れだと思う。

 

そして少し打算もあるだろう。将来の軍の中枢を担う人材に伝手を持っておきたいという気持ちは、正直、俺にもある。ただ、これはあいつもわかっているはずだ。叛乱軍との戦争をしている昨今、軍人は必ずしも平均寿命が長い商売ではない。それに上官によっては功績を横取りされるし、門閥貴族の関係者の下に配属でもされたら素人の指揮で戦う羽目になる。当然戦死の可能性が高まるわけだ。

 

誰しも無駄死にはしたくないし、命を賭けてあげた功績を横取りもされたくない。そういう意味で、上位貴族の子弟で、優秀で、気前の良いザイトリッツの下で功績に見合った栄達をみな望んでいるのだ。

 

「テオドール、今回は私も例の権利を得られそうだよ」

 

幼年学校からの同期が嬉しそうに声をかけてくる。

そうさ、みんな何とかあいつの傍に行きたいのだ。



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28話:遊覧

宇宙暦763年 帝国暦454年 3月下旬

アムリッツァ星域 超硬度鋼生産設備

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

今年は新年早々から結構忙しかった。超硬度鋼生産設備の火入れ式に合わせて、兄貴の遊覧に付き添い、ルントシュテット領を経由し、アムリッツァ星域の第51補給基地まで戻ってきた。

 

これから火入れ式を行い、明日には建設中のイゼルローン要塞の視察に向かう。今回は異例ではあったが、おばあ様も同行する形で予定を組んでいた。というのも、昨年末に、ルントシュテット家嫡男のローベルトとミュッケンベルガー家のビルギット嬢との結婚式が行われたからだ。

 

これによりオーディンのルントシュテット邸には新婚カップルが誕生した訳だが、折角なら新婚カップルに羽を伸ばしてもらおうと、おばあ様は屋敷を離れたかった訳だ。そんな所にフリードリヒ殿下のルントシュテット領ならびにイゼルローン要塞への遊覧の話が舞い込んだ。

渡りに船と伯爵名代として参加する事になったのだ。もちろん侍従武官として、叔父貴も参加しているが、さすがにお忍びと言う訳にはいかないので、近衛兵やら宮廷付きのメイドやらもついてきた。

 

おれはきちんと公式・非公式の使い分けはつけられるので特に問題はない。兄貴と叔父貴もその辺りは本職だ。公式の場では無難に過ごした。兄貴の中では、蒸留所でのウイスキーのブレンドがかなり高評価だったようだ。皇室の荘園とかでやってみてもいいのではと提案してみたが、皇族が直に関わって何か問題があった場合、関係者が詰め腹を切らされることになるので、そういうことは控えているとのことだった。

 

おばあ様もしばらくオーディンだったので久しぶりの領地で羽を伸ばせたようだ。予想外にイゼルローン要塞を気にするので真意を探ると、溺愛する孫が関わっている要塞を見たいという気持ちと、この案件が無ければ俺は普通に士官学校にいたわけで、俺と過ごす時間を奪った憎き案件という気持ちのせめぎあいがあるらしい。要するにすごい要塞じゃないと納得しないぞという事なのだろうが、おそらく大丈夫だろう。

 

イゼルローン要塞建設現場の視察要請は、実は方々からきていた。とはいえ御用船の小さい窓から見てもつまらないし、モニター越しにみるならわざわざ足を運ぶ意味が無いだろう。という事で、視察専用の航宙船を建造した。モデルは前世の水中遊覧船だ。通常のシャトルをベースに、床面以外全面断熱層を3重にした強化ガラス製のものを作ったのだ。肉眼で見てもらうにも、さすがに軍の高官や爵位持ち、任官を控えた士官学校卒業見込み者を宇宙服を着させてうろつかせるわけにもいかなかったので丁度よかった。資材搬入船と比べてもかなりコンパクトなサイズなので、気密区画などを気にせず、建設中の要塞内部を見ることができる。変な責任を押し付けられても困るので、こちらにとってもメリットがあった。

 

やんごとなき方々は満足するし無事故。無難に捌いたつもりだったがそれもあって俺は来月から特別候補生中尉待遇という身分になる。士官学校在籍の中尉って何なんだろう。もう気にしないことにした。俺の特別扱いは嬉しい事ではなかったが、恩恵と言う訳ではないがメルカッツ先輩も来月から中佐に昇進する。こっちは素直に嬉しかった。先輩は得意ではない事務仕事も頑張ってくれていたし、やんごとなき連中の対応も慣れない中でこなしてくれた。昇進する理由は十分にあると思う。

 

そんなことを貴賓席で考えていると、ファンファーレがなり、近衛兵の前触れが聞こえてきた。兄貴が入場してきたようだ。皇族の挨拶が始まる。

 

「皆の者、大儀である。今回のイゼルローン要塞の建設は皇帝陛下の勅命である。とはいえ前例がない大事業であり、様々な困難もあったと漏れ聞いておる。皇帝陛下も皆の尽力をお喜びであられた。本日からこの施設で生産が始まる超硬度鋼はイゼルローン要塞の外壁で主要な役割を果たすと聞いている。私としても、このような大事業の一端ではあるが火入れ式という節目で大役を担えること、名誉に思っておる。計画では要塞建設は折り返しの段階にあると聞く。完成まで、皆の奮闘を期待しておる」

 

おお、さすが皇族だよ。観衆の前で話すのって特殊なスキルだと思うんだけど、兄貴けっこう様になっている。俺は自然に拍手していたし、周囲も拍手していた。拍手が納まったタイミングで、起動スイッチを兄貴が押し、火入れ式は終了だ。このあと場を変えて簡単なパーティが予定されている。初回ロットの超硬度鋼とスーパーセラミックはオーディンに運ばれて新無憂宮殿に設置されるイゼルローン要塞のミニチュアオブジェの材料となる予定だ。

 

明日から建設中のイゼルローン要塞に御用船で向かい、現場の視察だ。おばあ様が納得してくれるといいけど。

 

宇宙暦763年 帝国暦454年 4月上旬

イゼルローン要塞建設宙域 御用船

マリア・フォン・ルントシュテット

 

孫が作らせたという要塞視察用のシャトルに乗り込み、視察を終えて戻ってきた私は、休憩も兼ねてラウンジでお茶を楽しんでいた。正直、勅命とは言え本来なら士官学校に通うはずの愛孫をはるか遠いアムリッツァ星域に追いやった原因のイゼルローン要塞。ザイトリッツが関わっているという嬉しさと孫との時間を奪われた憎さとが混じりあい、複雑な心境だったが、肉眼で実際に見てみると、軍事は疎い私でさえ、これが大事業であり関わった者たちは歴史に名が残るであろうことは理解できた。女の私ですら、なにか心に来るものがあった。殿方なら猶更感じるところがあるに違いない。同席されたフリードリヒ殿下もグリンメルスハウゼン子爵も釘付けになっていたし、なにやら興奮したご様子だった。レオンハルト様がご覧になられたらさぞかしお喜びになられただろう。気持ちを落ち着かせるようにお茶を飲むと、愛孫のザイトリッツがこちらにやってくるのが見えた。

 

「おばあ様、視察のご感想は如何ですか?全ての建設資材はRC社が調達した物。もちろんルントシュテット領で産出されたものも使われております」

 

楽しそうに、誇らしそうに声をかけてきた。そんな態度をされたら褒める事しかできなくなる。本当はもう少し帰省の回数を増やすように言いたいところでしたのに。

 

「確かに素晴らしかったわ。軍事に疎い私でも、何やら感じるものがありましたから」

 

「ケーフェンヒラー男爵たちも同じようなことを申しておりました。私はすこし見慣れてしまった部分がございますが、おばあ様にこのタイミングで視察頂けて良かったと思います」

 

タイミングという部分がよく理解できなかったので確認すると、要塞はこれから完成に向けて内装が本格的に施工されるので、要塞の外郭も見えて重要施設が気密前のこのタイミングが一番迫力があるし、視察もしやすいとのことだった。確かに完成してしまえば、人工天体とはいえ中身は地上施設と特段違いは無いだろう。見どころがあるタイミングだったという事だ。

 

「後学のために、一応映像は残しているんですよ。あと1機無人の偵察衛星を近距離に配置して定点映像も撮影しているんです。起工から完工まで早回しにしたら面白いかと思いまして」

 

孫は相変わらず突拍子のない事を考えている様だ。ただ、そう見えても効果があったり、意味があることがほとんどだ。なにか考えがあっての事なのだろう。

 

ザイトリッツが士官学校に在籍したままアムリッツァ星域で要塞建設の資材調達にあたるという話を聞いた時、息子のニクラウスには事情を問い詰めたが、必要なのですとしか言わなかった。その際は納得できなかったが、ザイトリッツには先見の明のようなものと、天性の事業遂行力がある。RC社としてこれだけの事業の一翼を担うにはこの子が現場にいる必要があったのだろう。ただ、せめて士官学校卒業までは手元に置いておきたかったのも事実だ。

 

「ザイトリッツ、確かに素晴らしい事業なのは理解しましたが、祖母に寂しい思いをさせないのも大事なお役目であることは忘れてはなりませんよ」

 

思わず本音が出てしまったが

 

「心得ております。私もおばあ様と晩餐をご一緒したいですから。そろそろ準備が整うはずです。晩餐室に参りましょう」

 

とエスコートしてくれた。子供のころから女性の扱いもなぜか上手かったけれど、こんな形で成長を実感するのも悪くない。私たちは晩餐室へ足を向けた。




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29話:次の事業

宇宙暦763年 帝国暦454年 11月下旬

アムリッツァ星域 第51補給基地

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

兄貴の要塞建設現場視察から、早いものでもう7カ月。帰省を考えればそろそろ荷造りを開始する時期になった。正直、今でも軍人として前線に立つことに志向は向かないが、イゼルローン要塞の案件が無ければ、RC社の躍進はなかっただろう。そう考えると、戦争を終わらせるという観点と、なるべく犠牲を減らすという意味で、軍に在籍するかはともかく、軍のビジネスパートナーになるのは意味があるのではないかと思い始めた。

 

前世の記憶から、軍需産業というと、死の商人というイメージでどうも前向きに検討することができなかった。ただ、戦争によって生まれた必要を埋めるために開発された技術が、その後民間に流れ社会を便利にしてきたのも事実だ。

 

つまり終戦後に、民間でもそれなりのニーズがある、もしくはさらにニーズが増えるであろう事業なら、参入しておく価値はあるという事だ。

 

まず、RC社は投資会社であるが、実業は商社と星間輸送会社を併せた感じだ。これに新たな事業を足すとしたら、自分たちで運用する輸送艦を作る造船業か、契約している星域の生産量を増やす意味で農業・鉱業向けの機械の製造開発だ。

 

だが、戦後を考えると機械の製造開発は旨味が少ない。なぜならおそらく叛乱軍で使用されているモノの方が出来がいいからだ。戦後を帝国の勝利を前提に考えれば戦勝後に叛乱軍のメーカーを買収するなり、技術移転させるなりしたほうが効率がいい。

では造船業はどうか?一番のメイン商材は当然戦闘艦だ。この分野は利権もガチガチだし、不具合が生死に直結するため、新技術もかなり検証した上でないと導入は嫌がられる世界だ。収益化するまでは時間がかかるが参入できればしばらくは仕事が続くという事だ。そういう意味では、今のRC社とルントシュテット領を含めた辺境星域にとっても悪くない先行投資先だ。

 

なぜなら、領民の教育がやっと進みだした状況なので、仮にすぐに機械化を進めたところで、実際に現地で使いこなせる人材がいるのかというと残念ながらまだ時期尚早な状況だ。自分たちで輸送艦を作りながら、戦闘艦の正式採用を目指す。長期計画になるが悪くないように思えた。

 

メイン商材である標準戦艦を例にとると、必要とされる乗員数・生産コストの両面で叛乱軍に効率性の優があるようだ。

 

この原因は、帝国軍と叛乱軍の兵器開発思想の違いも一因だと思う。帝国軍の兵器思想は、大元をたどれば地球統一政府の宇宙軍まで遡る。基本的に外敵の存在が長年想定されず、国内の混乱や地方行政組織の反乱に対して軸足が置かれてきた。結果として、大気圏突入機能を備えた設計となっている。

この影響で帝国軍はフレーム一体構造を取る必要があるが、叛乱軍にはその制約は無いのでモジュール工法を採用している様だ。少数の艦隊でもある程度の制宙・制空能力を持たせるために戦闘艇を搭載するのは両者共通。モジュール工法が取れる分、叛乱軍の方が整備面を含めると運用コストも安上がりだろう。

 

人的資源の観点では250億:130億なので帝国有利だが、多くの領民がまともな教育を受ける機会がない事を考えれば、実質差がないか少し負けるかもしれない。まともな乗組員を育成するには生まれから考えれば平均25年はかかるはずだ。潜在的な乗組員の人的資源に関しては負けていると考えておいても良いだろう。

 

主力兵器は実現可能性を無視すれば相手を破壊できる攻撃力と相手に破壊されない防御力を備え、さらに相手より高速で移動できれば現場レベルでは満点だろう。運用の面で考えれば、より安く、より整備費用が安価で、必要とされる乗組員も少ない方がいい。そして長期目線では育成に25年はかかる乗組員がより生還できれば言うことは無いだろう。

 

ただ、新規参入で陥りがちだが、価格勝負で参入するのは悪手だ。設備投資もかなり必要なはずなので、収益化が遅れ、必要な投資が出来ずじり貧になる。なので価格は同等か少し高価でも他のポイントで既存の艦種に勝るものを提案し採用されればRC社としても軍としてもメリットがあるだろう。

 

攻撃力・防御力・高速性・運用コスト・乗員の生存性。ここで重要なのは乗員の生存性だ。どんなに高性能であっても、既存艦種の数倍も工期が必要では採用はされない。つまり工期は数か月という所だろうが、乗組員は育成に25年かかる。そう考えたときに思考のとっかかりが見えた気がした。

 

ビジネスの基本は選択と集中だ。つまり生存性を担保する重装甲エリア、ここに動力源も配置して、攻撃力を担保する部分の装甲はトータルで高速性を損なわないレベルにすればいい。そこまで考えたら、案外良い案のように思った。攻撃力を担保する部分は開戦前に連結してしまい、被害を受けて武装が使えなくなればパージして後方に下がる。そこに予備を用意しておけば作戦中の継戦能力も高まるのではないだろうか。当然、武装部分は大気圏突入能力もいらないから生産コストも安くなるはずだ。ただ実戦での運用方法も従来の物とは異なるだろうし、戦術面での運用考察も事前に進めておきたいところだがどうしたものか......。

 

現在、戦術家として実績がある人で伝手があるのは一人だけだ。まあ長期目線の話になるし、概要を送って意見をもらえないか打診はしてみるか。

 

『最前線と軍全体の両面から継戦力を高める戦闘艦構想』と表題を付けて俺は手紙を書き始めた。あの人も何だかんだ要領は良い。何とかなれば儲けものだしダメなら別の方法を考えればいいのだ。

 

宇宙暦763年 帝国暦454年 12月上旬

宇宙艦隊司令本部 シュタイエルマルク提督オフィス前

コルネリアス・フォン・ルントシュテット

 

長兄には一歩遅れたが、次の定期昇進で少佐の内示をもらい、年末年始の帰省に向けて面目は立ったなどと浮かれていた俺は、過去に戻ってそんな自分を呪ってやりたかった。アムリッツァ星域にいる末弟から呪いの手紙が届いたのだ。

 

私が所属しているシュタイエルマルク艦隊の司令部は、提督の人柄もあって他の艦隊司令部とは雰囲気が違う。貴族出身の提督にありがちな平民差別は厳禁だし、新人だろうが任せられると認められれば階級が低くても大きな役割を任されたりもする。かくいう私も中尉でこの司令部の下っ端として配属されて以来、様々な仕事を任されてきた。まあ要領もいい方だし、門閥貴族にあまり良い感情を持っていない私にとっては水が合う司令部だったと言えるだろう。

 

この司令部に配属されてもうすぐ4年、独特な雰囲気に馴染めず異動する士官が多い中で、いつの間にやら古株になりつつあった。シュタイエルマルク上級大将は今年55歳、そろそろ宇宙艦隊司令部から、統帥本部なり軍務省なりに異動の話も出ているらしいが、あそこの将官の仕事は、部署間の調整役だ。提督は、良くも悪くもはっきりした文言を好む方だ。調整役の適性はあまりないと思うが。

 

ここで、末弟からの呪いの手紙の話に戻ろう。手紙の内容は自分が考えた次世代戦闘艦の運用思想について、シュタイエルマルク提督の戦術理論の観点から考察を依頼する物だった。昔から突拍子のない事をする奴だったが、特大の厄介ごとを持ち込んできた。確かに構想自体は面白いと私も思ったが、提督は公私を線引きされる方だ。私的なルートでの話に正直、良い顔はされないだろうが、兄としての手前、何もしないわけにはいかない。そういう訳で、これから提督のオフィスに入室するわけだ。

 

「ルントシュテット大尉であります。提督失礼いたします」

 

「うむ。ルントシュテット大尉、ご苦労。急に時間を取ってほしいとのことだったが、何かあったのかな?艦隊の補給の方は、順調との報告を受けたばかりだが......」

 

提督が確認の意をこめた視線を送ってくる。

 

「は!艦隊の方は問題がございません。私的なお話で恐縮なのですが、次世代艦の運用構想に関して、提督の識見を参考にしたいとの相談を受けました。よろしければ資料をご確認頂きたいのですが、お許しいただけますか?」

 

「うん?まあ便宜を計れというようなものでなければ私的な話も聞くだけは聞くが?それに大尉が持ってきたのだ。少なくとも私に見せる価値はあると判断したのだろうから、確認させてもらおう」

 

「ありがとうございます。資料はこちらに。個人的にはこれが実現できればかなり前線でも優位になるとは思うのですが......」

 

そう言いながら、弟から来た資料をお渡しする。私の私見も別紙にまとめた。単なる伝書鳩では情けないし、提督にも必ず私見を求められるからだ。ざっくり資料を見た辺りで、視線がこちらを向いた。

 

「うむ。面白い考え方だ。理にはかなっていると思うし、現在の艦種では実行不可能な戦術も実行できるだろう。大尉の私見も的を得ているが......」

 

そこで提督は言葉を一度区切り、あごを撫でた。

 

「この出元がどこかは知らんが、怖い事を思いついたものだ。要は叛乱軍の人的資源に狙いを定めて軍そのものを崩壊させようとはな」

 

「はい。出元は愚弟なのですが、なにぶん突拍子のない事を思いつくのですが後々になると効果的なことが多く、私も判断に困りました。思い切って提督にもご判断いただいた方がよろしいかと思いまして」

 

「少しすれば年末年始だ。そこで考察の時間を取りたいと思う。確認だが、急ぎの回答を求めているわけではないのだね?」

 

「もちろんです。見解を伺えるだけでも光栄でありますので。お手数をおかけしますがよろしくお願いいたします」

 

敬礼をして私はオフィスを後にした。提督もたまの休暇に有意義な考察が出来そうだとまずまずの反応だった。やれることはしたと言って良いだろう。



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30話:兄貴の独白

宇宙暦764年 帝国暦455年 8月下旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

フリードリヒ・フォン・ゴールデンバウム

 

イゼルローン要塞視察から戻り一年余り、赤子の長男ルードヴィヒと長女アマーリエを押し付けて遊びに行ったなどと皇子妃の小言を聞きながらなんとか機嫌をとる日々だった。まあ、イゼルローン要塞の視察もその前にザイ坊が手配してくれたウイスキーのブレンドも良き思い出だ。私が火入れ役を担当した施設では超硬度鋼が量産され、一部は既にイゼルローン要塞の外壁になっておるとの事。初回ロット分もオーディンに運び込まれ、要塞完成を記念したミニチュアオブジェの製作も着々と進んでいた。

 

その確認作業の為、グリンメルスハウゼン邸で職人たちと打ち合わせをしていたところ、近衛の中隊が突如屋敷の護衛をはじめ、今に至る。状況がわからぬゆえ、グリンメルスハウゼンに確認を頼んだが、近衛が言うにはなにか変事が起きたらしく、彼らもまずは私の安全を確保するように指示されているとのことだ。一体何が起きたのやら。皇子妃もおそらく似たような状況であろう。不安な時に傍にいなかったなどとまた小言を言われては敵わぬ。

 

することもないゆえ、レオを飲みながらイゼルローン要塞の資料を眺める。確かに視察専用船でガラス越しに見た建設現場は壮観であった。軍事に疎い私ですら、何か高揚感があったからな。ザイ坊は各工程を色々な角度から映像で残しており、完成の暁には見栄え良く編集して併せて献上したいなどと言っておった。あやつは本当に多彩な男じゃ。そして面白そうなことを色々と思いつく。そんなことを考えておると、地上車が近づく音が聞こえる。しばらくして人の気配が近づいてきた。どうやらグリンメルスハウゼンが戻ったようだ。ノックに応答すると、数名が入室してきた。

 

「おお、皇子妃も一緒だったか、グリンメルスハウゼン、良く手配してくれた」

 

「殿下、ご無事でようございました。私たちも近衛に護衛されておりましたが不安でございました」

 

「折よく所在がつかめましたので、ご一緒頂きました。近衛も護衛対象が固まっていた方が動きやすいとも存じましたので。皇子妃様方は部屋を用意してございますので、そちらでお休みください」

 

そういうと、メイドたちに先導されて皇子妃たちは部屋を出て行った。

 

「してグリンメルスハウゼン、何が起きたのじゃ?私に近衛の護衛が中隊規模で着く事など今までなかったが」

 

「はい。まだ未確認の情報も含まれておりますが、先年、死を賜りましたリヒャルト様が陛下の弑逆を計ったという件ですが、どうやらそれはクレメンツ様の陰謀によるものだったようです。昨日未明にそれが露見し、クレメンツ様は一部の貴族とオーディンを脱出しフェザーンに向かうも御用船が事故をおこし生存は絶望的という状況でございます。

現在、クレメンツ様の派閥に属していた者たちの拘禁が進められており、恐れ多いことながら、行く末に絶望したものが恐れ多いことをする可能性もございますので、落ち着くまでは近衛警護の下、この屋敷にて待機してほしいとのことでした」

 

「左様であったか。グリンメルスハウゼン、苦労を掛けたな。それにしても兄弟で帝位を争うことを望まず、放蕩者として過ごしていた私に帝位が回ってくるとは、皮肉な話じゃな。帝国の状況を見たとき私の手には負えぬと思ったからこそ下りたのだがな。」

 

ザイ坊の祖父、レオンハルト殿も戦死した第二次ティアマト会戦。それ以前から敵将アッシュビーとの会戦で多くの軍部貴族が戦死していた。あの会戦で軍部にも門閥貴族が浸透し、帝国は彼らにむしゃぶりつくされると思ったが、兄と弟が派閥争いをした影響で、軍部貴族は力を取りもどし団結する時間が得られたが。

 

「兄弟が争ったおかげで500家近い門閥貴族が消えることになる。私が仮に皇帝になったところで彼らに強くは出れぬ。派閥争いに参加しなかった門閥貴族を黙らせる材料も私にはない。そして、これはと思う人材を抜擢したところで、今回の騒動の仕掛け人と思われかねぬ。ザイ坊なら、帝国を蘇らせるまではできずとも、立て直すところまではやってくれそうだが」

 

グリンメルスハウゼンは悲しそうな表情でうなずいた。

 

「かの者の力量ならば、むしろ蘇らせる所までできるかもしれませぬが、殿下に何かあればルントシュテット家は門閥貴族から総攻撃を受けることになりましょうな。そうなれば軍部と政府・宮廷で内戦となるやもしれませぬ。仮にアマーリエ様がザイ坊と似合いの年頃であればまだ可能性はございましたが......」

 

「もともとどうにもならぬと思って下りたのだ。今更虫のいい話もあるまい。以前あの者に言われたのだ、家に縛られてお互いしたいことができない、私とザイ坊は同志だとな。あやつめ、何とか公務にかこつけて私のしたかったことを少しでもさせようとしてくれたのだろう。レオの件しかり、ウイスキーのブレンドの件しかり、火入れ式しかり。振り返ってみれば勘当寸前の放蕩者であったことを考えれば良き思い出を持てたものよ。それに表立って報いてやれぬのが今更ながら心残りだが」

 

「ザイ坊も本心は軍ではなく自由に商売をしたがっておりましたからな。フェザーンにでも生まれておればどんな豪商になっていた事やら。とはいえ、乳母殿のことは不幸でしたが、祖母マリア様に溺愛されておりました。なんだかんだ言いつつもルントシュテット家の力になれること悪くおもってはおりますまい」

 

グリンメルスハウゼンも表情がすこし明るくなった。あやつの事を可愛く思っているのは、マリア殿だけではない、グリンメルスハウゼンも私も自分の子供であったり弟であるかのように思っている。力量もある、それだけに残念だ。

 

「派閥争いから一線をひいて事の成り行きを見ておったのは、政府関係ではリヒテンラーデ・カストロプ、所領が大きな所ではブラウンシュバイク・リッテンハイムあたりか。軍はミュッケンベルガー家とルントシュテット家を軸にまとまりつつある。うまくバランスを取りながら、せめて崩壊はせぬようにしたい。そうするには、私が表に出ずに、彼ら同士で交渉させて落としどころまで決めさせるしかあるまいな」

 

「はい。変に介入するよりその方がよろしいかと。殿下のお気持ちがわかりながらお力になれず申し訳ございませぬ」

 

「お主が謝る事ではあるまい。既にゴールデンバウム家は呪われておるのだろう。そう考えれば因果応報よな。唯一絶対の銀河帝国の皇帝が自分の思うように統治も抜擢もできず、ましてや己のしたいことすら自由に出来ぬ。まさに身分とは鎖よ。そういえば、連中は自滅するなどとも言っておったな。どこまで先が見えておるのやら。念のため、しばらくは爪を隠すようにと伝えてくれるか?お忍びで会うのも数年はできまい。心残りは、イゼルローン要塞の主砲試射式だな。皇族で参加できるのは私のみという事で、少しでも気晴らしになればと配慮してくれたのだろうが、今となっては前線に赴くことはできまい。その旨も一緒に伝えておくようにな」

 

グリンメルスハウゼンは了承の返答をすると部屋から出て行った。私はレオが入ったグラスを持って窓際に移動する。既に深夜だ。庭園は真っ暗で何も見えぬが、むしろ今の心境には何も見えぬ方がふさわしい。

 

「自分で望んだ生き方か......」

 

あのまま兄か弟が帝位についていれば、私は大公家を立てて、どこかに領地をもらえただろう。そうしたら、統治はRC社に丸投げできて安心だっただろうし、ワイナリーや蒸留所を作り、うまい酒を造ってザイ坊や叔父貴やら親しいものどもを集めて一緒に飲めただろう。ザイ坊の話では肉質がいい牛や豚を掛け合わせ続ける事でとんでもなく旨い肉質の品種をつくれるとか。きっと一緒にそんな事にも時間を割けたに違いない。領民どもも、お忍びと言えば見て見ぬふりをしてくれたはずだ。なんだかんだと皇族の身分ではできぬことも経験できたであろう。

 

「一度あきらめたが、そんな私にも温かい関係が出来た。皇帝として少しでも帝国の混乱を遅らせる事で、彼らの面倒を減らす。お礼としては分かりにくいが、兄や弟と比べれば私は凡庸なのだ。十分だと、ザイ坊なら言ってくれよう」

 

感極まったのか、涙が数滴こぼれる。もはや生きたいようには生きられぬが、共に生きたかった者どもの苦労を少しでも減らせれば私の人生に少しでも意味はあるだろう。

 

レオが入ったグラスをグッと煽った。



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31話:任官

宇宙暦766年 帝国暦457年 4月下旬

フェザーン自治領 宇宙港

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

「フェザーンへようこそ!」ダン!入国のスタンプが押される。

俺の士官学校生活はイゼルローン要塞建設の為の資材調達に費やされた訳だが人類史に残る事業に関われるという意味では充実した日々だった。視察の申請も多かったが万全の対応をした。結果3年次で中尉待遇になり。皇太子となった兄貴の視察を取り仕切った事で後付けで大尉待遇になり、イゼルローン要塞の建設工程をうまく編集して前世で言うドキュメンタリー映画もどきを献上したら少佐待遇になった。そして任官だ。

正直、任官するかは迷った。20歳の少佐なんて門閥貴族のお坊ちゃんでもない限り、違和感を感じるだろう。とはいえ兄貴がやりたくもなかった帝位に付いた事を考えれば、年少とは言え俺だけが生きたい人生を歩むのも違う気がした。なので任官拒否は考えなかったが、任官先は自分で選びたかったので、ごねる演技をしてフェザーンの高等弁務官府駐在武官という任官を勝ち取った。何もしなければイゼルローン要塞関連かアムリッツァ星域の第51補給基地改修にともなう任官が行われていたと思う。

 

宇宙で一番富が集まるフェザーンでどんな経済・経営学が教えられているか知りたかったし、叛乱軍の実情も分析したかった。既に戦争状態が100年以上続いている。俺の知る中で100年以上の戦争状態なんてものは無かったが、民主主義国家が戦争をするとなるとファシスト化するか、反戦運動が活発になるかしか事例を知らない。悪逆なる帝国に侵略されれば農奴にされる訳だから、ファシスト化している可能性が高いと思うが、その辺りを近い距離感で分析もしたかった。

最後に任務とは異なるがフェザーンや叛乱軍の独立商人との伝手を作りたい。RC社としては叛乱軍が出元の良質な農業・鉱業用機械を輸入したかったし、あちらでは効率重視の施策が行われた結果、帝国で作られている工芸品レベルの製品が高値になることも漏れ聞いている。その辺りをうまく取りまとめて、良い商売ができる相手を見つけたいと考えていた。

 

入国窓口での手続きを終えて、全員が揃うのを待つ。わがままを通したフェザーン行きだったが、少尉任官したパトリックはついてきてくれたし、第4子が生まれたばかりのフランツ教官もついてきてくれた。第4子となると育児が大変だろうからルントシュテット領に残すことも考えたが、各種育英事業が形となりつつある為、むしろ『亭主元気で留守がいい』の格言どおり、4児の母となった俺の中では御淑やかな印象の、もと本邸のメイドに教官曰く最近一番の笑顔で送り出されたようだ。フランツ教官の家庭だけ見れば出生率4.0という数字が出ているが、ルントシュテット領では最新の数字で出生率は3.75、辺境星域では均すと出生率3.27という数字が出ている。

イゼルローン要塞は完成したが、アムリッツァ星域の第51補給基地を艦隊駐留基地に改築する事業が代わりに動き出した為、RC社の事業展開領域は好景気を維持できている。それもあっての数字だろうが、領民が明るい未来を描いていなければ、出生率がこの数字になることは無いので、個人的に喜んでいる。

 

出生率と言えば、ザイトリッツの日、幹事長のテオドール・フォン・ファーレンハイト氏は当初、フェザーンへの同行を申し出ていたが、同じく下級貴族出身の幼馴染と士官学校を卒業したのを機に結婚し、奥方の妊娠も発覚したため軍務省で分室を預かることになった長兄のローベルト大佐の下に配属されるように手配した。恩を返すのが遅れるなどと言っていたが、前世の経験も含めればどんなに仕事に精勤したところで、新婚時代と出産直後の育児をないがしろにすると一生嫁の尻に敷かれるので、恩返しはいつでもできると押しきっての手配だった。

 

嫁と言えば、ロイエンタール卿もイゼルローン要塞の完成を機に結婚している。お相手はマールバッハ伯爵家の3女、レオノラ嬢とのことだがケーフェンヒラー男爵曰く、資金援助を期待しての婚姻の可能性が高く、ロイエンタール卿が出来る人材だけに心配とのことだ。さすがにプライベートまで口を出す訳にもいかないので静観している。

長兄のローベルトにも待望の嫡男が生まれた。毎年プレゼントを考えるのは大変なので親族や友人たちの子弟の誕生日には、格式は事前に相談したうえで毎年シルバーカトラリーを贈る事で統一するつもりだ。これは前世の記憶で、子息の誕生日ごとに少しづつ貯めたお金でシルバーカトラリーを1つずつ買い足していき、成人するころには恥ずかしくないシルバーカトラリーが一式揃うというのと、万が一食べるのに困ったときに売れるという観点で、毎年贈り物をするのに意義があると考えた結果でもある。

長兄の嫡男、ディートハルトにも、テオドール氏の嫡男であるアーダルベルトにもシルバーカトラリーをしまう箱とともに銀の匙が届くことになっている。交友関係はなんだかんだ広いので、子息の誕生日プレゼントはこれで統一しようと思う。形式さえ決まれば手配は丸投げできるからね。

 

そんなことを振り返っているうちに入国手続きが完了したようだ。まずは帝国の高等弁務官と駐在武官長に挨拶に向かう。宇宙港から中心街に地上車で向かう。小一時間ほどだろうか、窓の外は宇宙最大の交易地の名にふさわしい高層ビル群が見えるし、市民もかなり裕福そうだ。帝国と叛乱軍の戦争を糧に得られた繁栄だと思うと複雑な心境になる。高等弁務官府に到着した。職員の先導で執務室に向かう。

 

「申告します。高等弁務官府駐在武官を拝命いたしましたルントシュテット少佐であります。短期の任期となりますがご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

「同じくベッカー少尉であります。よろしくお願いします」

 

「高等弁務官を拝命しておるレムシャイド伯爵だ。話は聞いている。フェザーン自治領では特に問題は起こっていない。自治領とは言え帝国人はここではよそ者だ。それを踏まえた行動を切に願う。詳しくは駐在武官長のクラ-ゼン准将に確認するように。以上だ」

 

挨拶は型通りに済ませて、部屋を後にする。レムシャイド伯爵家は代々政府高官を輩出してきた家柄だ。当代のレムシャイド伯は50歳を少し超えたぐらいだろうか。もう少ししたら領地経営の為に勇退して、帝都で役人をしている息子が後任になるのだろう。そのまま駐在武官長室に移動する。ここでも同じようなやりとりをして、早々と高等弁務官府を後にする。次に来るのは任期が終わるときの挨拶になるだろう。誰だって自分の庭を新参者が大きな顔でうろついていたら気分を害するものだ。俺の任務は公式には『次世代戦闘艦のより効率的な生産の為の情報収集』という事になっている。高等弁務官府にデスクが無くても済む任務なのだから自由にやらせてもらおう。

 

地上車に乗り込み、次の目的地に向かう。明日以降でも良かったが、こっちの挨拶はなるべく早く済ませたほうがいいと判断して地上車で数分の所にあるフェザーン自治領主公邸へ向かう。一応帝国に臣従している形とは言え、門閥貴族以上に資本を持つ存在だからね。機嫌を損ねてRC社にへんなちょっかいを出されても困るから面会を打診済みという訳だ。

 

自治領主公邸につくと既に出向かえが来ていた。おそらく帝国高等弁務官府を見張ってでもいるのだろう。

 

「お待ちしておりました。先導を担当いたします、補佐官のワレンコフと申します。ご高名はかねがね伺っておりました。一度お会いしたいと思っておりましたので、若輩者ですがこのお役目に志願いたしました。ご無礼があればご容赦ください」

 

「丁寧な挨拶痛み入ります。ビジネスの本場の方にそのように言っていただくのはいささか気恥ずかしい所です。ルントシュテット伯が3男、ザイトリッツと申します。ワレンコフ殿もお若いながら補佐官に任じられているという事はかなりお出来になるのでしょう。色々とご教授いただければ幸いです」

 

俺がそういうと、ワレンコフは少し驚いた表情をしたが、すぐに表情を改めて先導を始めた。自治領の統治の仕組みは暗記はしていないが、補佐官職は言ってみれば未来の自治領主候補の養成の場に近いはずだ。よしみを通じておいて損は無いだろう。

 

先導してくれたワレンコフ補佐官が一際豪奢なドアを開くと、自治領主とおぼしき年配の男性が目に入った。こういう時は年少者から挨拶したほうが良いだろう。

 

「お初にお目にかかります、自治領主閣下。高等弁務官府駐在武官として赴任いたしましたルントシュテット伯が3男、ザイトリッツと申します」

 

「これはご丁寧に痛み入ります。自治領主のラープと申します。ご承知かもしれませぬが祖父があのレオポルドでございまして、その縁で非才ながらお役目についております」

 

挨拶を交わすと席を進められた。

 

「幼少の頃からのご活躍はこちらにも流れておりました。ご無礼になるかもしれませんがフェザーンに生まれていれば『今年のシンドバット賞』をなんど受賞できたかなどと話しになっておりました」

 

そう言いながら自然に酒を注がれた。顔には出さなかったが驚いた事に注がれたのはレオだ。少なくとも注目すべき存在と認定はされている様だ。

 

「お恥ずかしい限りです。先ほどワレンコフ補佐官からも嬉しい言葉を頂きましたが、フェザーンはビジネスの本場、辺境星域での些細な成功をそのように評価いただくなど、恥じ入る次第です。それにしても自治領主閣下にご愛飲いただけているとは、改めましてお礼申し上げます」

 

まあ、良い策だよな。面会相手が関わっている酒をさりげなく愛飲している態を演出するって。少なくとも悪感情は懐かない、本当に愛飲してるかはまた別の話だろうけど。そのあとは無難な話題を話して挨拶を終えた。

RC社名義で購入した中心街から少し離れた高級住宅街にある屋敷に向かう。今後フェザーンに拠点を持っておきたかったし、個人資産の面でも他人の家でお世話になる理由が無いからね。ここを拠点にフェザーンでは活動するつもりだ。



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32話:フェザーンでの出会い

宇宙暦766年 帝国暦457年 8月下旬

フェザーン自治領 酒場ドラクールVIPルーム

ヤン・タイロン

 

「コーネフさん、あなたとは会社勤めを辞めて独立して以来、良いお付き合いをしてきたつもりだ。だからこそ話は聞くといったが、本当に大丈夫なんだろうね?」

 

「ヤンさん、大丈夫だ。安心してほしい。もともとコーネフ家はルントシュテット家とはわずかながら取引があってね。今回はそのルントシュテット家の御三男、ザイトリッツ様からのお話だ。RC社の件はフェザーンでも話題になっていたし、小耳に挟んだこともあるでしょう?その立役者からのお話だ。返事は話を聞いてからしてもいいだろうし、もう少し落ち着きましょうや」

 

コーネフ家は代々フェザーンの独立商人の家柄だ。政府に近い所は変なしがらみが出来かねないし、独立系は山師に近い商人もいる中で、コーネフ家はかなりまともな商売をしていた。小さな商船1隻で起業した時代から、なにかと話を持ってきてくれた間柄だ。

そのコーネフさんから、内々に直接話をしたいので、フェザーンに寄港するタイミングを教えてくれと言われたのが2ヵ月前。妊娠初期の妻を一人にするのは不安だったが、コーネフ家との間柄もあったので、久しぶりにハイネセンのオフィスを部下に任せて、交易品を集めながらフェザーンにやってきたと言う訳だ。

 

「コーネフさんからのお話だから悪い話ではないと思ってますが、ルントシュテット伯爵家は代々軍人の家系でしょう?スパイの真似事でも依頼されるのではと正直不安で......」

 

「その心配はもっともだが、会えば安心できると思うよ。フェザーンに生まれていれば『今年のシンドバット賞』を数回は取っていただろうなどと言われていた方だが、フェザーン商科大学で経営と経済の講義を聴講されているぐらいだからね。もうすぐいらっしゃるはずだ。まあ、落ち着いて待とう」

 

そうこうしているうちにスーツ姿の3人組が部屋に入ってきた。SPのような戦闘術を修めた人種特有の雰囲気があるし、左肩がすこし高くなっているのは左わきにブラスターを吊っているからだろう。商売の相手としては正直苦手な部類に入る。

 

「コーネフさん。お待たせしたようで申し訳ありませんね。少し渋滞に捕まってしまって。そちらがお話にあった金銭育ての名人さんかな?」

 

主役であろう男性が笑みを浮かべながら近づいてきた。独特のオーラが消え、商売相手に好ましい雰囲気に変わっている。

 

「はい。ハイネセンからこのために足を運んでくれました。それにしてもスーツを着こなしておられてビックリしました。良くお似合いです」

 

「ありがとうございます。ご紹介いただいたテーラーの腕が良いのでしょう。軍服は目立ちますし、さすがにカジュアルな格好でうろつくわけにもいかない事情がありますから助かりました。改めてになりますが、ルントシュテット伯が3男、ザイトリッツと申します。この場ではRC社代表と名乗った方が良いかな?」

 

そう言いながら、右手を差し出してきた。

思わず握手をして

 

「ヤン・タイロンと申します。ご尊顔を拝し光栄でございます」

 

と口走っていた。

 

「ヤンさん。私たちの関係は主従ではありません。堅苦しいのは無しにしましょう。それでは席に付きましょうか。今日はコーネフさんがホストだからオーダーもお任せしますね」

 

コーネフさんはお任せくださいというと、オーダーしに一旦部屋から出て行ってしまった。さすがに一人にされるのは困る。どうしたものかと思ったが

 

「ヤンさん。コーネフさんから伺いましたが、古美術品に凝っておられるとか。足代に足りるかはわかりませんが、こちらを贈らせてください」

 

「これは......」

 

「お好みに合うか不安だったのですが、鑑定書付きで用意できるものがこれしかなくて。ご笑納いただければありがたいのですが......」

 

出てきたのは万歴赤絵の大皿だ。本物ならかなり高価なものになるが。

受け取るか戸惑っているうちにコーネフさんが部屋に戻ってきた。

 

「手配して参りました。おお、これはまた大層な品物ですな。ザイトリッツ様、さすがに初対面では素直に受け取るのは躊躇しますぞ。ヤンさんもお困りだったのでは......」

 

「フェザーンやあちらでは慣習が違うことを忘れていました。ヤンさん、困らせてしまっていたならこちらの本意ではありません。帝国ではこういった贈り物をするという事は将来ルントシュテット家の方から頂いたと紹介される事を踏まえて用意するので、あまり安価なものは爵位を持つ家では贈答品にできないのです。ここは両者の価値観を確認するために必要だったという事でお納めいただければ幸いです」

 

「分かりました。ありがたく頂戴します。ただ。私もあちら側で育った人間です。良いお話なら喜んで協力させて頂きますが、なにか工作する様なことはお力になれないと存じます。その点はご配慮いただければ幸いです」

 

すると、ザイトリッツ様は嬉しそうに笑いながら

 

「確かに代々軍人を商売にしている家の人間ですからそういう心配もされるでしょうね。安心してください。そんな話ではありません。仕切り直しになりますが、同席しているのは従士のフランツ、乳兄弟のパトリック。ふたりともご挨拶を......」

 

御二人からもご挨拶を受けて、今回の話の主旨を伺ったが正直良い話だった。ザイトリッツ様が代表を勤めるRC社が展開している辺境星域で、教育制度の充実を進めた結果、農業・鉱業の分野で機械化を進める土壌が整ったが、それを製造している帝国の企業は友好とは言えない関係の貴族の利権であるし、資料を見ても同盟の製品の方が物がいい。そこでコーネフさんをフェザーンでの仲介人として、農業・鉱業用の機械やメンテナンス部品を調達したい。ただし設備投資の回収期間はそれなりにかかるので、同盟側でそれなりの期間手配を担当する信頼できる代理人をお探しで、白羽の矢が私に立ったと言う訳だ。それなら危ないどころか、とてもいい話だ。

 

「会計の兼ね合いもあるでしょうから、フェザーン国籍の企業を3者の企業が合資で設立することにしましょう。フェザーンの企業ですからコーネフさんが50%、残りをヤンさんと私で持ちます。設立の諸経費はRC社で持ちますし、各種機械の購入代金として、帝国マルクでとりあえず10億用意します。これは担保金のように扱いますので、機械が納品されるごとに代金はその都度お支払いします。貴族の都合で仕入れた機械が焦げ付く不安もあるでしょうし、私としてはこのような形で進めたいのですが......」

 

話の終盤にとんでもないことをザイトリッツ様が言い出した。良い話どころか破格の条件だ。本当に裏はないのだろうか......。心配になったが顔に出ていたようだ。ザイトリッツ様が苦笑しながら話を続けた。

 

「若輩者の戯れと思って頂いてもよろしいのですが、私は信用はお金で買えませんが安心はお金で買えると思っています。幼少の頃からビジネスの紛いごとをしておりますが、時に安心が、仕事の進捗や成果に大きく影響する事を実際に見てまいりましたので、このようにさせて頂きました。もしご安心頂けないようであれば、条件をお伝えいただければと思いますが......」

 

そういう意味ではこれ以上の安心はない。『安心はお金で買える』か。私の辞書にも付け加えたいほどだ。コーネフさんに視線を向けるが、異論はなさそうだ。

 

「お気遣いありがとうございます。ご期待に沿えるように務めたいと思います」

 

「ご安心頂けたようで、安心しました。私も良い話がまとまってホッとしています。これもコーネフさんの場の選択が良かったのかもしれませんね。私が聴講させてもらっているフェザーン商科大学もご縁があるようですし、フェザーンにいる間は、ここを贔屓にしようと思います。縁起がいいお店ですしね」

 

そこまで言われて、4度「今年のシンドバッド賞」を受賞したバランタイン・カウフ氏の最初の成功のきっかけとなった噂話を聞いたのがこの酒場ドラクールだという逸話があることと、フェザーン商科大学がそのカウフ氏の生涯の友、オヒギンズ氏の資産を基に設立されたことを思い出した。

 

「我々の良きご縁のはじまりの場になれば良いと思いまして」

 

コーネフさんは配慮に気づいてもらえたことを嬉しそうにしながら応えた。そうだ、いい関係の始まりになるように務めねば。




会話の中で、自由惑星同盟と記載しなかったのは、ザイトリッツからすると叛乱軍と言わないといけないのですが、そういうと商売がスムーズにいかない点も考慮して、こういう記載にしました。少し読みにくいかもしれませんが雰囲気は伝わるかなあと思っています。


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33話:腹黒とザイ坊の婚約

宇宙暦766年 帝国暦457年 8月下旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ニクラウス・フォン・ルントシュテット

 

本来ならのんびり領地経営に勤しむ予定だったが、母上を踏まえて話しあわねばならない問題が先送りできないほど大事になりつつあったため、ルントシュテット家の年配組で急きょオーディンの屋敷に集まった。

 

次期当主として長男ローベルトも同席させるか迷ったが、自分の嫡男の誕生が引き金になった部分もあり、変にまじめな所があるローベルトが無駄に気にする事を考えて、母上と私たち夫婦でまず話しあうことにした。特に3男のザイトリッツについては母上に養育してもらったようなものだ。結婚の話を黙って進める訳にもいかなかった。

 

次男のコルネリアスは今年27歳。本来なら既に婚約どころか結婚している年齢だが、第二次ティアマト会戦の影響で適齢期の軍人系貴族の子女が少なかったことと、本人が門閥貴族や資金援助を目的とした話は断ってほしいと強く主張したため、良い話がなかなかまとまらなかった。

現在は中佐として尊敬するシュタイエルマルク上級大将の指揮の元、イゼルローン回廊を抜けて最前線の哨戒任務に出ている。功績をあげられればやっと長兄ローベルトの歩みに追いつけるなどと嬉し気に出陣していった。まさに親の心、子知らずだ。

 

三男のザイトリッツは今年20歳。こちらもすでに婚約者がいていい年齢だが、良い話がまとまらなかった。というのも、幼年から領地経営に関わり、RC社を設立して企業経営に関わり、士官学校に在籍しながらイゼルローン要塞の資材調達を取り仕切った。幼年学校から士官学校卒業まで10年首席。士官学校に行ったのは入学試験の時ぐらいだろうか。在籍中に要塞建設の功績を評価されて少佐任官。正直できすぎだし、それだけでも軍部系貴族の数少ない子女たちから恐れ多いと遠慮されていたのに、親しくしていたフリードリヒ殿下が、ご兄弟の自滅により帝位に就かれた。優良物件で由来もいいが正直遠慮したい物件になってしまった。

門閥貴族からすれば欲しい物件だろうが、3男は乳母を門閥貴族に殺められているし、事あるごとに門閥貴族とは一線を画す行動をしてきた。そんな話を持っていったらそれこそフェザーンに亡命でもしかねない。フェザーン?まさか婚約話から逃れるためにやけにごねてフェザーンに赴任したのだろうか?フェザーンに出発するときはとても楽しそうにしていた。こちらも親の心、子知らずだ。

 

そんな状況の次男・三男の婚約者探しだが、長男に男子が誕生したことで、嫁入りだけではなく婿入りという可能性が出たように思われたらしい。ザイトリッツが提案した施策により、領地は右肩上がりで発展しているし、イゼルローン要塞の資材調達を取り仕切った事で莫大な利益を上げたRC社も、アムリッツァ星域の第51補給基地を2個艦隊規模の駐留基地に改築する案件を単独受注して相変わらず好調。ザイトリッツの個人資産から最新型の造船所を、アムリッツァ星域とシャンタウ星域に新設する案件もかさなり、利益を上げ続けている。

 

つまり、男子がいない貴族家にとっても、優秀な当主候補がえられ、それなりに資金援助も期待できるという見逃せない物件になったのだ。結果として山のような婚約話が来ているし、ザイトリッツに至っては政府系の門閥貴族からも話が来ている。だが、ルントシュテット家は武門の家柄だし、家名に恥じぬように教育してきた。そんな彼らが婿入りを承諾するのか......。良い話でも婿入りは渋ると思う。

 

そんなこんなで切羽詰まった私は、母上の意見も踏まえて話を決める事にしたわけだ。特に3男のザイトリッツにとってずっと養育してくれた母上は絶対だろう。母上も承諾したとなれば無茶な事もしないはずだ。そしていまから家族会議が始まる。

 

「母上、いささか困ったことになりましたゆえ、私たちだけでは判断に迷うことも多く、本人たちに話す前に事前にご相談させて頂きたいのです。母上も了承しているとなれば、あの二人も従うでしょうし」

 

「ニクラウス、ザイトリッツはともかく、コルネリアスは私の意向はあまり関係ないように思うけど。それにしても大量ねえ。喜ぶべきなのだろうけど、見合い写真が山積みというのは、貴族にとっては厄介でしかないものねえ。それでニクラウスはどういう考えなのかしら?」

 

「はい。この際、領地開発の支援は、むしろしない方が不自然でしょうから考慮するとして、門閥貴族からの話はお断りしようかと思っています。その上で軍部系貴族と辺境領主貴族のお話から選ぼうかと。当初は当家が持っている男爵株をコルネリアスかザイトリッツに継いでもらい、ルントシュテット家の血を太くすることも考えましたが、それはローベルトの世代に判断してもらおうかと」

 

母上は少し考えていたが、了承の意味だろううなずいた。そしてこの辺のは除外ね。などと言いながら、山積みのお見合い写真の半分近くをより分けて処分箱に突っ込んだ。もう細かい事は気にせずに進める。

 

「コルネリアスについては、本人も喜びそうな話が1件だけ来ています。シュタイエルマルク提督にはRC社の造船の方でも何かとご意見を頂いている様子。本人もシュタイエルマルク提督の事は敬愛している様子ですし、領地もフレイヤ星域です。帝都との航路上なので、開発支援もたやすいでしょう。シュタイエルマルク提督は結婚されなかったので遠縁のレオノーラ嬢を養女にして婿入りする形になりますが」

 

「第一候補ね。先に私とカタリーナで一度お茶会をしましょう。シュタイエルマルク提督の遠縁なら問題はないでしょうが、その方のご実家にも支援するつもりでいたほうがいいでしょうね」

 

続いて3男ザイトリッツの件だ。こっちは母上が溺愛しているだけに婿入りの話はしにくいが、一番良い話に思えるものから判断したい。

 

「ザイトリッツに関しては辺境領主で年ごろが合いそうな子女がいる家からはほとんど話が来ていますが、良き話だと思うのはリューデリッツ伯のご孫女ゾフィー嬢とのお話です。唯一残った直系ですし、イゼルローン要塞の資材調達を取り仕切った件でリューデリッツ伯もザイトリッツをかなり見込んでいるところがあります。自分の後任にした手前もございますが、リューデリッツ伯は理論立てが成立する分野では優秀な男ですし、良い話だと思うのですが......」

 

母上は少し不機嫌な様子で考え込んだ。

 

「RC社の利権の半分はザイトリッツの物です。その辺りはどう考えているのかしら?能力含め、外にだすには惜しすぎるように思えるけど。」

 

「はい。内々に男子が複数生まれた場合、当家の男爵株を渡す代わりにRC社の利権はそちらに相続させるなどの事前の相談は必要かと存じますが、リューデリッツ伯爵家はキフォイザー星域全体を領地として持っております。当家の領地とも接しておりますしザイトリッツも腕の振るいどころがあると思ってくれるのではと。また、内々ではございますが、同じく領地が接しているブラウンシュヴァイク公爵家から一門を婿として受け入れるように圧力をかけられているとか。キフォイザー星域は辺境星域では重要な航路でもあります。RC社の事業を考えても、横槍を防ぐ意味で、婿入りさせる価値はあるかと思います」

 

「分かりました。そこまで言うなら婿入りには反対しませんが、リューデリッツ伯は領地経営を担うために領地に引っ込むはずですね?その際はオーディンのリューデリッツ邸に私は移ります。こちらはビルギットがしっかり差配できるでしょうし、問題ないでしょう」

 

「母上それは......」

 

「この条件を含めないのならザイトリッツの説得は致しません。レオンハルト様の生まれ変わりと厳しく養育したのは私ですし、それに応えて、領地の経営案を出したりRC社を設立したのです。私がついて行かなくてはルントシュテット家にこれだけ尽くしたにもかかわらずいらないと思われたと誤解するやもしれませぬ。そんなことになるなら、この話は無しにした方が良いでしょう」

 

「母上、我が子を脅迫するなど、帝国貴族の淑女にふさわしい行いとは思えませぬ」

 

「あらそう?残念だわ。ならザイトリッツに『私は止めましたが貴方の父が勝手に話を進めました。この上はルントシュテット家の事は忘れて好きに生きなさい!』と言うだけです」

 

そんな事を母上が言えば、ザイトリッツの事だ、どんな無茶をするか分からない。本来なら軍人ではなくビジネスで身を立てたかった節もある。フェザーンに亡命してルントシュテット家を別に立てるなどと言いかねない。

 

「分かりました。母上の要望は先方にお伝えしますし、婿入りにあたっての必須条件として交渉いたします。ですからそのようなことはおやめください」

 

私がそういうと母上は嬉しそうにうなづいた。まさか母上がこんな無茶を言うとは。ザイトリッツに感化されておるのやもしれぬ。急に湧き出た難事に私は頭が痛くなる思いだった。




貴族株については当主のみが知っている設定にしています。背景としては次男・三男が所持している貴族株をもらえる物と考えて研鑽を怠らない様にという配慮です。門閥貴族ではこのような厳格な対応はしていないと思います。


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34話:春の終わり

宇宙暦767年 帝国暦458年 2月下旬

フェザーン自治領 RC社所有の邸宅

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

好きなように過ごせたフェザーンの日々も、終わりが近くなっていた。俺は邸宅を拠点にしながら、商科大学の聴講生をしたり、図書館や独立商人から集めた情報を分析したり、フェザーン国籍の投資会社を設立したりと、やりたかった事を歯止めなく行う日々を過ごした。

正直、帝国にもどって軍人としてのキャリアを重ねるのを辞めようかと本気で考えたが、今更な話だ。ある意味、青春というか、軍部系貴族の一員として生きる前に楽しい思い出が作れたと思うことにした。

 

青春と言えば、21歳は前世で言うと新卒世代だ。お金が使えるようになり、大人の遊びを経験する時期でもある。俺は酸いも甘いも知っていたが、乳兄弟のパトリックは初めての経験だった。まあ、この時期に若気の至りで失態を晒して、悪い大人に酒の肴にされるのはよくあることだが、まさかフランツ教官まで凡ミスをするとは思わなかった。嫁に知られる訳にはいかないので、3人だけの秘密とした。パトリックも若気の至りの件があったので、秘密は守られるだろう。

俺の持論だが、若いうちにそれなりに遊んでおいた方が、そういう耐性ができると思っている。身を持ち崩す要因のほとんどは酒・金・女性の3つだ。ビジネスの面でも当てにしている2人に、良い経験をさせられたと思っている。

俺はもちろんクラブの蝶たちとビジネスライクな逢瀬を楽しませてもらった。それなりの金額を使っていたから、俺の帰国はフェザーンの歓楽街の皆様にとってはかなり痛いらしい。ビジネスライクを踏み越えた残留工作が繰り広げられたが、そこはきっぱりとお断りさせてもらった。

 

人によると思うが、俺の場合は巨額の資金を動かして巨額の利益を出すことが一番満たされる。承認要求が満たされるというか、快感なわけだ。それが権力を得る事だったり、階級を得る事だったり、名声を勝ちとることだったりする訳だ。一番欲しいものが明確だから、ぶれずに済む一方で、ほかの物では幸福感を得にくくなるからまあ、一長一短なんだろうな。

 

さて、話を戻すと形式上の挨拶回りはもう済ませたので、今後も深い関係を続ける相手との挨拶にこれから向かう。地上車で邸宅を出て、最初の目的地は中心街に近いホテル・シャングリラだ。別に愛人に会う訳ではない。ロビーを通り抜けてエレベータに乗り込み、7階のボタンを押す。ドアが開くと11号室にノックを4回して入る。まあ、符合の様なものだ。

 

「わざわざお時間を頂きありがとうございます。それにしても、もう帝国へお戻りになられるとは、残念です」

 

部屋に先着していたのは、ワレンコフ補佐官だ。彼にはフェザーン国籍で設立した投資会社の顧問をお願いしている。

 

「お待たせしたようで、他の挨拶回りはともかく、補佐官とはまとまった時間を内々で取りたかったものですから。お手数をおかけしました」

 

簡単に言えば、あちら側で投資先を探したかったという事だ。ルントシュテット領も辺境星域も投資先がないわけではないが、人口増と教育が追い付かなければ子供に大人の服を用意する様なものだ。バブルが起きていつかしわ寄せがくることになる。

帝国に戻ってからミュッケンベルガー家との兼ね合いでRC社は帝国後背地への事業展開をする事になると思うが、辺境と違ってあの一帯はそこまでカツカツなわけでもない。当然大きな動きにはならないだろうし、門閥貴族の利権は投資対象から外している。そうなると、適切な投資先がない資金が口座から動かないことになるので、あちら側への投資を考えたわけだ。もっとも使うことにならなければ良い策だと思うが、種銭は多い方が効果が高まるので、兄貴や叔父貴からも資金を融通してもらった。レオの事業でかなり貯まっていたらしく、それなりの額が用意できた。

 

「いらっしゃる前から、フェザーンに生まれていれば『今年のシンドバット賞』を受賞されただろうと話題になっておりましたが、本当に帝国にお戻りになられるのですか?こちらでビジネスをされた方がルントシュテット家の利益にもかなうと思いますが......」

 

「ほかの誰でもなくワレンコフ補佐官にそう言ってもらえるのは光栄ですね。さては歓楽街からの圧力でもありましたかな?ただ、生きたいように生きられる生まれでもないので。ここだけの話、生まれが選べるならフェザーンを私は選んだでしょうしね」

 

「それはフェザーン人として嬉しいお言葉です。投資会社の方はお任せください。金の色を塗り替えるのは私どもの本職でもございますので」

 

「しっかり手数料を取ってくださいね。補佐官から無償の善意など受けては後が怖いので。私にとってはフェザーンで見つけた最良の投資先はあなただと思っていますから。それと、あちら側の商習慣は知りませんが、私はご配慮をお願いするなら、きちんとこちらも配慮するのがマナーだと思っています。ただ、誰に配慮していただいたのかはお知らせ頂きたいところですが......」

 

「承知しております。顧客の名簿はそれ自体が財産ですからね」

 

そんな話をしながらお茶を飲む。ワレンコフ補佐官とは昼に会うことが多かったのもあるが、お酒よりお茶を飲む関係だ。青田買いではないが将来の自治領主候補でもあるので、最良の投資先と言ったのも本心だ。向こうも補佐官に抜擢されたとはいえ、表できれいに使える資金はそれなりにあった方がいい。良い関係をそれなりの期間は続けられるだろう。

 

頃合いになると、ワレンコフ補佐官がでは先に出ますといって部屋を辞去した。この部屋はワレンコフ補佐官が一年中借りている部屋だ。補佐官ともなると表立って話せない案件の対応も求められる。そういう時にここを使っているらしい。まあ、フェザーンでは暗黙の了解らしいが。

 

もう一杯、お茶をゆっくり飲んでから私も部屋を後にする。次の目的地は酒場ドラクールだ。徒歩圏なので、フェザーンの中心街を見納めるつもりで、ゆっくり歩いた。この一年で、何度も押し開いたドアを開く。主人に目線を向けると軽くうなづかれたので、こっちも相手が先着しているようだ。通り馴れた通路を抜けてVIPルームに入る。

 

「ザイトリッツ様、お早いお着きで。早めに来て正解でしたな」

 

「コーネフさんにはこの一年、先を越されっぱなしですね。今日こそは!とも思っていたのですが......」

 

あちらからの機械調達の仲介人、コーネフさんが既にイスに座っていた。俺を待たせることをかなり気にしているのか、いつも先着していた。独立商人としての実績もある人だし、夜の飲み仲間としても気持ちがいい人だ。フェザーンの歓楽街を楽しめたのもこの人の紹介があってこそだったりもする。

 

「ヤンさんも予定を合わせてフェザーンにと話していたのですが、さすがに臨月の奥様を一人にはできないとのことで、お詫びをしておいて欲しいとのことでした」

 

「いえいえ、予定日は4月でしたね。おめでたい話です。その件で先にお預かり頂きたいモノがあるのですが......」

 

パトリックから、包みを受け取るとコーネフさんに手渡す。

 

「私は親交のある方の子弟の誕生日にはシルバーカトラリーを贈ることにしています。本来なら毎年ひとつずつお贈りして、成人になる頃に一式揃うようにするのですが、あちら側の方に私のような立場の人間から定期的に高価に見える物が送られてもお困りになるでしょう。最高級品では、ヤンさんもお気にされるかと思いまして、20回分の誕生日プレゼントとしてほどほどの物を一式用意してきたのです。お預かり頂いてもよろしいでしょうか?」

 

「これはこれは。ヤンさんもご配慮いただいてばかりでお困りになるかもしれませんが、せっかくの品です。お預かりいたしましょう」

 

「コーネフさんの所は、毎年お贈りできるでしょうから、今から楽しみにしていますね」

 

シルバーカトラリー一式を納めた箱の裏蓋にはちょっとしたサプライズを忍ばせている。この箱が幸せをきっかけに開かれるなら少なくとも20年後だろう。そうでない可能性もゼロではないが、ヤンさんには良い仕事をしてもらっているし、自分なりに気持ちを形にしておきたかった。帝国に戻れば軍人として戦争を主導する側になる俺が、あちら側の人間に気遣いをする事は矛盾するようにも思えたが、これも青春の思い出の一部になるのだろうか。

 

「それは一本取られましたな。ただ、ザイトリッツ様も帰国されればご婚約されるでしょう。失礼ながら先輩として『ようこそ人生の墓場へ』とでもお伝えしておきましょうか。しかしながら、帝国製のシルバーカトラリーに見合うものとなると難しいですね」

 

「お気にされる事はありませんよ。これはどちらかと言うと帝国風・貴族風な誕生日の祝い方です。コーネフさんはフェザーン風・独立商人風なものをお返し頂ければよろしいのでは?」

 

そんな話をしながら、しばらく来れないであろうドラクールを楽しんだ。コーネフさんが手配してくれたのだろう。歓楽街の飲み仲間や蝶たちも顔を出してくれた。静かに飲むのもいいが、こういう送別もいいものだ。




ワレンコフ:二次作品で最後の大物の私を出したのは良いですが、どこまでお考えだったのやら......。
ノーマン :そう言うなよ。まさか作中で20年近くでかいイベントが無いなんて想定外ですよ。
ワレンコフ:精々励むことですねえ。読者は楽しみにしてくれているのですから。
ノーマン :ぐむむ!


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35話:工廠部開発課

宇宙暦767年 帝国暦458年 4月下旬

首都星オーディン 工廠本部開発課

ザイトリッツ・フォン・ルントシュテット

 

「申告します。工廠本部開発課主任を拝命いたしましたルントシュテット中佐であります。短期の任期となりますがご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」

「工廠本部開発課主任付きを拝命いたしましたベッカー中尉であります。よろしくお願いします」

 

帝国に戻り、軍歴を正式にスタートさせた訳だが、フェザーンで遊んでいたにも関わらず俺とパトリックは1階級昇進していた。士官学校を卒業して1年たつと万歳昇進で中尉になる訳だが、なぜか俺まで少佐から中佐に昇進していた。

人事的な配慮としては、卒業者全員を昇進させる以上、パトリックの昇進は必須なのだが、もともと特別扱いとは言え、功績を評価されて少佐任官した。理由があっての少佐任官である以上、俺だけが士官学校卒業後1年目で昇進させないと不利益を被ることになるという判断だったようだ。まあもらえる物はもらっておこう。

 

工廠本部開発課は簡単に言えば新兵器開発の試作を担当する部署だ。おれはこの部署で、超硬度鋼やスーパーセラミックを用いて既存のものより高出力の動力機関の試作と、次世代戦闘艦構想に基づいた試作艦の開発を担当する。もっとも、シュタイエルマルク上級大将の肝いり事業であるため、実際はすでに設計終盤まで完了しており、どちらかと言えば試作品を、アムリッツァ星域の第51補給基地改め、第11駐留基地とシャンタウ星域の造船所にてスムーズに量産化させる段取りを整える事が主任務だ。

なので、ここに勤務するのは1年のみ、来年にはアムリッツァ星域とシャンタウ星域を行き来することになるだろう。あとは後方支援部門の上位者や将来のキーパーソンたちとの顔つなぎの時間を用意されたという面もあるだろうし、婚約話をきちんと進める期間としての面もあるだろう。

 

「婚約かあ。そういえばパトリックは誰か意中の人でもいるのかい?」

 

「私の場合は、ルントシュテット家かザイトリッツ様がご婚約されるリューデリッツ家の従士のお家からお相手を探すことになるかと思います。フェザーンでの出来事がありますのでしばらくは職務に精励したいと存じますが......」

 

思わず笑ってしまった。パトリックの若気の至り事件は、3人だけの秘密だが、彼にとってはだいぶ趣深い出来事だったようだ。まあ、初心者が恋愛ゲームのマスターと初陣で対戦したようなものだ。色々感じる所があったのだろう。

 

「パトリック、みんな大々的に話さないだけで、あんなことはよくある話だよ。あまり気にしないようにね」一応フォローしておく。主任は一応個人オフィスがもらえるので、こういう話もできる訳だ。

 

話が戻るが、この次世代艦構想はシュタイエルマルク上級大将の肝いり事業になっている。というのも、軍務省次官の話を蹴って、この計画の遂行責任者の立場を提督が欲したからだ。次世代艦構想の検討を依頼して3年近い時が過ぎたが、戦術面での活用方法などを検討してくれた。かなり具体的な運用案が形になっているが、理論を構築したら実戦で試してみたくなるのが人の常だ。イゼルローン要塞が完成し余裕ができたリソースをアムリッツァ星域の駐留基地とシャンタウ星域の造船ドック群の新設に費やしてきた。来年には作る場所と作るものが確定し本格稼働する。

 

もっとも、シュタイエルマルク提督の理論から、艦隊全てを次世代艦には更新しない方針も決まっている。提督の考察では、武装モジュールの交換を想定した場合、一時的に前線の味方戦力が減ることになるため、ある意味戦線を維持する防御力と長距離攻撃力に優れた部隊が必要だという結論が出ていた。なので既存艦を再設計し、防御力と長距離攻撃力を高めた戦艦の建造も開始している。既存の14000隻前後の艦隊編成の定数は維持しつつ、艦隊司令部直轄の4000隻程度の防御特化艦隊に次世代艦2500隻の分艦隊を4編成で1艦隊とするが、次世代艦は制宙能力が無い為、分艦隊司令艦を宇宙空母とする案なども出ている。あとは実戦を通じて理論を実証していくことになりそうだ。もっとも超硬度鋼とスーパーセラミックを活用することで、既存の動力機関の出力向上も出来ているので、それだけでも戦力の向上にはなっている。

 

またこの戦法が叛乱軍に対応された場合、戦線後方に待機中の武装モジュールを駆逐艦などの高速艦で狙うことも考えられるので、メンテナンス部隊に宇宙空母を配属し制宙権を確保する安全策やメンテナンス艦そのものに戦闘艇を搭載する案なども出ていた。

まあ、イゼルローン要塞の建設の為に増産した資源の使い道として、軍人たちのおもちゃを量産するのが取り急ぎのミッションだという事だ。既に量産化体制は整いつつあるが、次世代艦の母艦部分はアムリッツァ星域を軸に量産し、シャンタウ星域では武装モジュールを軸に量産する予定だ。生存性担保の為、超硬度鋼とスーパーセラミックを多用する母艦部分を生産設備に近いアムリッツァ星域で造るほうが理にかなっている。

 

また前線で消耗した武装モジュールを、訓練も兼ねてアムリッツァ星域からシャンタウ星域に輸送し、シャンタウ星域で新造・整備した武装モジュールを付けてアムリッツァ星域に戻すことを想定している。訓練航海にも丁度いいだろう。そんなことを考えていると、ノック音が響き、何の冗談か、後方部門のトップ、リューデリッツ上級大将が入室してきた。後方支援中心の功績で上級大将は本来難しいがイゼルローン要塞の完工の功績により昇進されている。

 

「閣下、お呼び頂ければオフィスに参ります。いくら婚約するとはいえ、階級を無視するような行動をとられては為になりません。お気遣い頂ければ助かりますが......」

 

「分かっておる。今回だけだ。はっきり言えばお主は門閥貴族も含めて欲しがった婿だ。イゼルローン要塞の建設に共に尽くした事と、そちの父であるルントシュテット伯の後任が私だったという二重の縁でリューデリッツ家に迎える事が出来るが、最大限配慮していると周囲に思わせねば、付け入る隙があると誤解されかねぬ。必要なことなのだ」

 

「承知しました。パトリック......」

 

お茶を頼もうとしたらいつの間にやら用意していたようだ。飲みながら一呼吸置く。

 

「それで、どうされました?義祖父になる方ですから、御用が無くてもかまいませんが」

 

「うむ。お主と婚約する孫娘のゾフィーの件でな。何とも言い難いのだが、いささか他家の令嬢とは変わっておるものだから顔合わせの前に少し話をしておいたほうが良いかと思ってな。マリア殿の件もあるしの」

 

「その件なら、ご心配には及びませんよ?RC社とご契約いただいている時点で領地の状況は把握しておりますし、当然ご親族の皆様のお好みもある程度把握しております。ゾフィー嬢がガーデニングにかなり思い入れをお持ちなことも、私同様、経済・経営にも興味をお持ちだという事は存じておりますし、おばあ様の事は、リューデリッツ伯もまだ予備役入りはされないでしょうし、数年間は保留かと判断しておりましたので」

 

「うむ。そこまで把握しておるなら、問題はないのだ。取り越し苦労だったようだな。忘れてもらえればありがたい」

 

俺の婚約者になるゾフィー嬢は、今年19歳。早くに両親を亡くし、祖母に育てられた。この方が在地領主の家の出身で、屋敷をガーデニングで彩るのが好きな方だった。当然、彼女も幼少からガーデニングに触れる事となり、今に至るわけだ。軽く流したが、本来なら音楽学校や美術学校に進学するところ、農学で権威のある大学に進学している。現在3年次なので卒業を待って結婚の運びとなるだろう。

俺自身は、志望するなら種苗会社を立ち上げて彼女に品種改良に勤しんでもらってもいいと思っていたが、保守的な貴族の価値観で見ると変わり種であることは間違いない。そういう意味で、リューデリッツ伯もお気にされたのだろう。

在学中の農学科は敷地面積がかなり必要なので、オーディンも属しているヴァルハラ星域の惑星アースガルズに設立された。休日に戻れないこともないが、世話を欠かすことで研究の進捗が遅れる事もあるらしく、俺が落ち着いたタイミングで、アースガルズで顔合わせをする事になっている。

 

おばあ様の件はあまり気にしていない。結婚後にオーディンのリューデリッツ邸に移る約定を結んだらしいが、長男のローベルトが結婚して5年弱。2人目がお腹にいる事を考えればビルギット義姉上にルントシュテット邸を取り仕切るのは数年は無理だろう。

 

「リューデリッツ伯が早く領地に引っ込んで領地経営に専念したいというような意向があるのでしたら別ですが、後方勤務で上級大将に昇進されたのは初めてのはずですし、しばらくはそんなことを言える雰囲気でもございますまい」

 

「まったく、ルントシュテット伯の気持ちがよくわかる。お主は周りが見えすぎるな。まあ実際、シュタイエルマルク提督の肝入り事業とは言え、横槍がない訳でもない。次世代艦への更新と運用理論の実証が終わるまでは、本部から後押しできればと思っておる」

 

後方部門と前線の上級大将がそれぞれ後押ししてくれれば俺もかなり楽が出来そうだ。

 

「そういうことでな、親睦を深めるために陛下と通ったというお店に案内してほしいのだ。そこならレオも確実に用意されていよう」

 

前言撤回、『ザイトリッツの日』が、上官にまで拡大したみたいだ。もっともこっちはお財布を気にしなくていい側だが。




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36話:ゾフィーとの出会い

宇宙暦767年 帝国暦458年 11月下旬

惑星アースガルズ 農学科試験場

ゾフィー・フォン・リューデリッツ

 

「おばあ様、何か変なところはないかしら。御爺さまからもくれぐれもと申しつけられましたけれど、わたくし進路も自分で選びましたが他家のご令嬢は宮廷作法や美術などを重視されると伺いますし」

 

「ゾフィー。今更じたばたする物ではないわ。領地の経営でRC社と契約している以上、ザイトリッツ様もある程度はあなたの事をご承知のはず。その上でお話を受けられたのですから、安心しなさい」

 

おばあ様は落ち着いた様子でお茶の用意を確認している。御爺さまから最高の入り婿が決まったと話されたのは昨年の夏ごろだったかしら。両親を早くになくした影響で祖母に養育されてきたが、今更ながら普通の伯爵家令嬢とはかなり違う道を選ばせてくれたと思う。

恋愛にあこがれが無かったと言えばウソになるが、伯爵家とはいえ入り婿になる以上、普通の方がお相手になるのだろうと思っていたが、お相手があのザイトリッツ様だとは......。

 

私たちの世代の軍部系貴族と辺境領主の息女にとってはかなり前から有名な方だった。幼少から領地経営の案を出し、RC社を設立して大きな利益を上げ、幼年学校から士官学校まで首席。おまけに在学中からイゼルローン要塞の資材調達に貢献された。

私も彼の話を聞いて、自分も領地経営に貢献したいと思い立った口だ。そんな物語の登場人物の様な方が、わたくしのお相手とは、釣り合うのだろうか。話を聞いて以来、正直不安だった。

 

落ち着かないままお約束のお時間が迫ってくる。試験場を案内してほしいとのことだったので大して着飾ってもいないし、本当にいいのだろうか。

 

『到着されました』と前ぶれがきた。どうしよう緊張してきた。少しして御爺さまと茶髪の青年が入室してくる。かなり身長が高いし、鍛えこんだ体つきをしている。

 

「やっと紹介できたか。孫娘のゾフィーじゃ。よろしく頼むぞ」

 

「お初にお目にかかります。ルントシュテット伯が3男、ザイトリッツと申します。お会いできてうれしく思います」

 

優雅に挨拶してくれた。表情も優し気だし、そこまで心配しなくていいのかもしれない。

 

「私こそお会いできて光栄です。リューデリッツ伯が孫女、ゾフィーと申します。よろしくお願いいたします」

 

挨拶を終えて、お茶を飲みながら歓談に入る。まず話題になったのはお爺様とザイトリッツ様が関わったイゼルローン要塞の話題だったが、

 

「今だから言える話なのですが、私は軍人として身を立てるよりビジネスで身を立てたいと思っておりまして、丁度リューデリッツ伯と初めてお会いしたときは、士官学校に合格はしておりましたが、どうにか話を壊せないかと思って居りました。

イゼルローン要塞の資材調達は無理をすれば出来そうだったので、本当は幼年学校卒で任官し、要塞完成とともに退役を狙っていたのです。お恥ずかしい話なので同期を含め身近なものにも話してはいなかったのですが」

 

代々軍人を勤めてきた武門の家柄に生まれた方でもそういうお悩みをもつのかと驚かされた。幼年学校から10年間首席を通した件では......。

 

「私の首席は、当然というか。幼少より装甲擲弾兵の有資格者にしごかれました。RC社の幹部であるケーフェンヒラー男爵にも色々と教えて頂いたのです。あの方は元情報参謀で大佐でしたからね。自分の首席よりも乳兄弟のパトリックが上位合格を取るために励んでくれたことがとても嬉しかったことを覚えています」

 

と、ご自分の事より、乳兄弟の努力を喜ばれ......。

 

「レオの件ですか?お恥ずかしい話ですが、陛下にお力添え頂けたことが何より大きかったのです。後は幼いながら拙いなりに調べた事を信じて予算を出してくれた祖母の功績が大きいですね。せめてもの恩返しに、祖父の名にちなんだ銘をお願いしましたが私だけで出来た功績ではないので、気恥ずかしい気持ちになります」

 

今では祝い事には欠かせないレオの事もそのようにおっしゃるし......。

 

「捕虜交換の件ですか?あれは祖父の名誉の為にも必要なことでしたし、実際ご判断いただいたのは先帝陛下ですから。農奴の件も勅命を軽く考えた方々がいなければあそこまで大きな話にはならなかったでしょうし、私はきっかけになっただけですよ」

 

などとまるで、自分は何もしていないかのような口ぶりだ。わたしはどうしても知ってほしい事だったので思わず少し大きめの声で言ってしまった。

 

「ザイトリッツ様。知っておいて欲しいのです。私はザイトリッツ様のご活躍を聞いて、領地経営の力になりたいと志を立ててこの道を選びました。少なくともザイトリッツ様は誰かの志に影響力を持つ方です。それはお忘れにならないでください」

 

「ありがとうございます。リューデリッツ伯との出会いも良きご縁の始まりでした。ゾフィー嬢ともそうでありたいと思っております。そういえば、RC社とご契約いただいた時、生産効率が他領に比べて高いと社内で話題になりました。もしやゾフィー嬢の功績でしょうか?」

 

などとお上手に返された。わずかな成果とは言え自分が励んだ事を褒められればうれしいし、御爺さまとおばあ様も嬉しそうだ。しばらく歓談すると試験場の案内を請われた。ここからは2人での行動になる。少し頬が熱い。

 

農業試験場は部外者が見学してもそこまで見所があるのか不安だったが、ザイトリッツ様は農学の素養もあるようだ。そこで、彼の最初の領地経営への提案が当時の最新論文を元にした穀物の増産だったことを思い出した。思わず失念していた。

 

「用地がかなり必要だったため、オーディンには作らなかったと聞き及んでいますが、実際に見てみるとすごい広さですね。そしてさすがというか、水耕プラントなども最新に近いものを導入されています。こちらで改良されたものがイゼルローン要塞に導入されたりしたのでしょうか?」

 

「そう聞き及んでいます。本当は水耕プラントももう少し旧式の物だったそうですが、イゼルローン要塞を建設するにあたって、自給の観点から求められる性能が高まり、その研究の為に予算が下りたと聞き及んでおります。付け加えるなら、この惑星アースガルズは気候の変動がオーディンよりも幅が広いのです。帝国全体を考えますと、様々な気候で作物を試験できた方が良いというのもこちらに試験場が作られた理由になります」

 

話が続くか心配していたが、それは杞憂に終わってよかった。そうこうしながら貴賓室に戻ってきたときに、ザイトリッツ様が少し真面目な顔になり話しかけてきた。

 

「ゾフィー嬢、卒業まであと2年という事だが、私も種苗事業や品種改良の重要性・可能性は理解しているつもりだ。今日改めて再確認したがRC社としてこの事業に進出することも考えている。屋敷を差配する役割はおろそかにはしてほしくないが、陣頭指揮はともかくとして事業化したときに関わりたいか?関わるならどんな立場で関わるか、この2年間で考えて頂きたいのです。お願いできますか?」

 

「どんな答えが出るかはわかりませんが、真剣に考えてみたいと思います」

 

正直、今まで学んできた知識や経験を活かせる生き方が出来ればと思ったことがないと言えばウソになる。リューデリッツ領を含めて、辺境星域は毎年開発が進んでいる。必要とされる食料も増加傾向だ。開拓された地域では従来の品種では適正な栽培が難しい事もあるだろう。確かにRC社がこの分野に進出すれば、さらに生産効率を高める事が出来るだろうし、やりがいはあり過ぎる。ただ、当然、責任も大きい。今の自分でそんな大きな話に役に立てるのか?即答できない自分が情けなかった。

 

「今すぐに答えを出す必要はありませんよ。私も、領地を視察して農法の改善法を指導して回った際、素人なのにもかかわらず領民は何も言わずに従ってくれました。自信はありましたが、これで異常気象でも起きたらどうするかと、恐怖を感じたことを覚えています。貴方は私以上に専門家だ。影響の大きさをもっと理解しているでしょうし、だからこそ2年割いて考えて頂ければ良いのです」

 

励ますように肩に当てられた手が温かかった。




この話は難産でした。当初は腹黒とシュタイエルマルク提督の遠縁の息女レオノーラとの話も書くつもりでしたが、話のネタが重なるので無しにさせてください。
ルントシュテット3兄弟のカップリングは
堅物×じゃじゃ馬
腹黒×苦労人
ザイ坊×農業女子
となります。


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37話:3年後

宇宙暦770年 帝国暦461年 11月下旬

イゼルローン回廊 帝国側出口付近宙域

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「ザイトリッツ様、戦功分析書でございます。ご確認ください」

「ありがとうパトリック。そこに置いておいてくれ」

 

リューデリッツ伯爵家に婿入りして1年、妻のゾフィーは種苗と品種改良の事業に対して執行役に近い役割を果たしたいと言ってくれたが、新婚生活で少し楽しみ過ぎたのか、新しい命が宿った。出鼻を挫くような結果になってしまったが、彼女は妻としての役割もおろそかにしたくない意向も強かったらしく、妊娠中でも問題なくできる業務を自分の役割にする方針だそうだ。

フランツ教官とその妻も、俺がリューデリッツ家に婿入りするにあたり、ついてきてくれた。フランツ教官は従士として従軍を希望したが、身重の新妻を守ってほしいと頼んで、今回はオーディンのリューデリッツ邸に居残りしてもらった。

 

そして、現在の状況はというと、シュタイエルマルク元帥の艦隊の分艦隊司令として前線で会戦をこなし、帝国方面に戻る最中だ。シュタイエルマルク提督は、次世代艦構想の理論構築とその実証で貢献高しとされ、元帥への昇進となった。既に5個艦隊が提督の理論を元にして更新済みだが昨年の帝国軍の戦死者は3万人に満たない。一方で、同盟軍の戦死者は250万人を超えるだろう。損失という部分では4万隻前後と同等だが、こちらの損害はほとんど武装モジュールのみだ。

 

人的資源に狙いを定めた構想と、しっかり理論に裏打ちされた運用の結果とすれば、当たり前なのかもしれないが、戦死者の数を嬉しく思えない自分がいるのも確かだ。量産体制を確立したことで大佐に昇進し、理論実証の過程で戦死者が激減したことにより准将に昇進した俺は、実戦での運用を体験するという名目で分艦隊司令として最前線に出撃し、同数程度の一個艦隊と交戦し、ここ最近常になりつつある戦死者だけはあちらが何十倍という勝利を得て、帝都に帰還する途中と言う訳だ。

現在帝国は優勢に戦争を進めつつある。イゼルローン回廊、同盟側出口から近いティアマト・ヴァンフリート・アルレスハイムの星域で交代制で3個艦隊が常に遊弋する状況が作れている。泥沼の消耗戦に引きずり込めていると言えるだろう。フェザーンのワレンコフ補佐官からは、戦死者遺族年金の急激な増加と、補充艦船の建造であちらの財政は悪化傾向とのことだ。とてもではないが次世代艦の開発費まではひねり出せる状況ではないだろう。兵器開発の余地を与えない範囲で、フェザーンマルク立てなら債券の購入も検討するように打診はしている。

 

俺も戻れば少将に昇進だろうし、副官扱いのパトリックも少佐になるだろう。そして参謀の我らが同期、テオドール氏も少佐になるはずだ。色々と気を使ってくれていたのは知っていたから、きちんと昇進で報いる事が出来てホッとしている。ただ、未だに死者を量産することには意義を見出せていない。

戦争に勝利したとして、今の門閥貴族が主導する帝国では、農奴に落とすという事になるだろう。130億人の農奴をそもそも食わせていけるのか?どうせとてつもない規模の反乱が起きてどうしようもなくなる未来しか見えない。境界線の辺りで、消耗戦に持ち込むくらいしか選択肢がないのだ。

すこし思考が暗い方向に引っ張られている。こういう時は自分なりに在りたい生き方が出来た事を思い出そう。俺は大佐に昇進した頃から、叔父貴経由で兄貴から密命を受けるようになった。

 

背景としては、軍部・政府・大領を有する貴族のバランスを保つために兄貴は表立ってはしたいようにさせている一方で、内密にどうしようもない案件を裏で少しでも救いがあるように動いている。その実行者のひとりが俺だという話だ。今思えば三文芝居だが、こういう心境の時は心を健全にする意味でいいだろう。

 

出征前の事になるが、ある下級貴族が連帯保証人となったが当人が飛び、当初の想定を大幅に超えた債務の支払いを求められていた。本来なら、こんな話をいちいち救ってはいられないのが実情だがこの話は裏話がある。

財務尚書カストロプ公爵が裏で脚本を書いていたのだ。何でも、その家に代々伝わる絵画を強引に買い取ろうとしたが、早世されたご子息夫婦の思い出の品でもあった為、突っぱねられた。さすがは欲の塊の門閥貴族、ならば破産させて手に入れようという人徳溢れる話を思いついたらしい。それをさも自慢げに宮中で話しているのを叔父貴が聞き及び、兄貴に話を通して密命が出たわけだ。

 

「お忙しい所、失礼いたします。ザイトリッツ・フォン・リューデリッツと申します。ある方から、内々にご恩をお返ししたいという意向があり、参上したのですが宜しいでしょうか?」

 

「ご丁寧に痛み入るが、我が家は破産寸前の状況。悠長に話ができる状況ではない為、ご無礼をお許しいただきたいが、率直な話をお願いしたい」

 

現当主は既に年配と言っていい方だ。さすがに疲れた表情をしているし、このままでは夜逃げするしかない以上、悠長に話を聞く気分でもないのだろう。

 

「はい。実はある方が過去にご子息に表沙汰にできないことでお力添えを頂いたらしく、貴家の現状をお知りになり、少しでも御恩を返したいという事でした。ただ、名乗り出るのにはばかりがあり、私が代理人として参りました次第です。こちらをお納めください」

 

そう言って、大き目のトランクケース2個を、お渡しした。中にはキャッシュで600万帝国マルク入っている。連帯保証の金額は500万だからなんとかなるだろう。

 

「しかしながらそのような謂れのない資金を施して頂くわけには......」

 

「ご当主、これはご子息の過去のお働きによるものです。ご本人がすでに居られないとはいえ、御恩のある御家の危機を見過ごしたりすれば、ご依頼主も寝ざめが悪くなりましょう。むしろお受け取り頂ければ、ご依頼主も少しでも借りを返せたと胸のつかえが取れるでしょうし、貴家も次代の当主が育つまでの時間が作れることになります。今の帝国ではなかなか聞かない美談です。私としても是非お受け取り頂きたいのです」

 

そう言いながら、頭を下げると折れて資金を受け取ってくれた。少し開いたドアから6歳位の少年が面白いものを見るような目をしていたのが見えたのが記憶に残っている。

 

事に関わった以上、最後まで処理するのが俺の流儀なので、保証人契約書をもって脂ぎった評判の悪い商人が来て困った様子で帰っていったことも、その後、カストロプ家に向かったことも映像として残しているし、飛んだ本来の借主の口座に、そもそも入金が無かったことも証拠として確保した。こいつらを叔父貴に届けて俺の特命は終了だ。

黒幕までは届かないだろうが、実行犯はそのうち指名手配・重罰になるだろう。下級とは言え貴族に対して破産目的の詐欺をしたわけだ。財産も没収されるから結果的にはエビで鯛を釣ったことになる。その辺は宮廷警察が行うことになるだろうが。

 

話を戻そう。シュタイエルマルク提督の元帥府には、軍部系貴族の次代が多数招集された。長兄のローベルトと、その義兄ミュッケンベルガー卿も中将として正規艦隊司令を任されているし、次兄のコルネリアスは少将として、参謀長を任されている。シュタイエルマルク家に婿入りしたこともあって、一番弟子と言ったところだろうか。

私たち兄弟になにかと縁があるメルカッツ少将は長兄の艦隊で分艦隊司令だ。彼は次世代艦の運用の適性が高かったようで、現在の帝国軍で一番練達した分艦隊司令かもしれない。順調にいけば正規艦隊司令になれるだろう。

 

年末にはオーディンに戻る。歴代で幹事は引き継がれている様だが、『ザイトリッツの日』幹事長のテオドール氏にスケジュールは押さえられている。優秀な後進と縁を持てると思うと続ける価値はあるし、多少なりとも人柄を知ることで、相性を踏まえた紹介ができている。

ミュッケンベルガー中将は武門の家という意識が強いのか、軍部に近い貴族や下級貴族でも代々軍人の家系を好むようだ。テオドールとも合いそうだったが、彼も嫡子がまだ幼いのと、前線指揮官たちの意見集約に意外な適性を見せた為、手元に置いておくことにした。

兄たちは身分は気にしないが、意外なことに長兄ローベルトはあまり礼儀を気にしない人物を好み、次兄のコルネリアスは逆に公私をきちんと分けられる人材を好んでいる。そしてメルカッツ先輩は問題児とまでは言わないが一芸に秀でた人材を好んでいた。佐官時代に俺や腹黒と関わった影響かもしれないが、そこは確認していない。

 

あとは、紹介されたブリーダーからシェパードの子犬を購入するつもりだ。これは前世の影響だが、誕生と同時期に子犬を飼うと、先に成長して子供の成長と共に守り手になり、良き遊び相手になり、良き理解者になり、成人するころには死をもって命の尊さを教えてくれる。前世の子育てでも家には不在がちだったが、非行に走る子供はいなかったという実績があるので、ゾフィーがなんと言おうと犬は飼わせてもらうつもりだ。

 

さて、到着までに戦功分析書を確認しておこう。



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38話:救済

宇宙暦771年 帝国暦462年 1月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ワルター・フォン・シェーンコップ

 

「ワルター、少し息を整えておきなさい」

 

やっとフランツさんが休憩を指示してくれた。俺はかなり限界が近かったのでうずくまって息を整える。俺と一緒に走っていた3人の男性はまだ汗もかいておらず、ペースを上げて屋敷の周囲のランニングを続けている。すぐにその後ろ姿が見えなくなる。

 

「ペロ。くーんくーん......」

 

まだ子犬のジャーマンシェパードが心配そうに頬を舐めてきた。こいつの名前はロンメル。まもなく生まれるご子息の情操教育の為に飼われ始めた。俺同様、この屋敷では新参者だが、今の俺は子犬にすら心配される有様のようだ。

 

事の始まりは去年に遡る。お人よしの俺の爺様が、久しぶりに会った旧友とやらに頼み込まれ酒の勢いもあって、連帯保証人になった。そこまではよくある話だ。あの時は助かったなどと、酒の席の話題になる未来もあっただろう。だが、それは我が家の危機の始まりだった。3か月もしないうちに、借金した当人の行方が分からなくなり、貸主だという、肥え太った悪人面の商人が乗り込んできて、口汚く返済を迫ってきたのだ。

 

「まあ、落ちぶれたとはいえ代々の家宝でも売ればなんとかなるだろう」

 

その言葉がおばあ様を憔悴させた。家宝のひとつは、交通事故で亡くなった俺の父母の思い出の品らしく、暇を見つけては眺めていたものだ。それを奪われると聞いて、祖母はかなりショックを受けたのだ。何とかせねばと爺様は金策に駆けずり回ったが、500万帝国マルクなんて下級貴族の伝手でどうにかできる額でないことは、子供の俺でもわかる。力になってくれる家は無かった。

その時、貴族とは何なのかと疑問に思った。先祖代々下級貴族として家名を守ってきた誇りを胸にと、礼儀作法も厳しく仕込まれたが、爺様の少しの善意が原因で危機に落ち、いざというときに誰も手を差し伸べてくれない。借金を理由に存在が生き恥のような見苦しい商人に、口汚い言葉を並べたてられる。貴族の名誉とは何なのか。そんなことを考えていた夜半に、あの方たちがやってきたのだ。

爺様が対応したが、また厄介ごとかと、応接間のドアを少し開けて様子を覗いていた。芝居としては落第点だが、俺の心には響くものがあった。かなり大きなトランクを2つ開けた後で

 

「ご当主、これはご子息の過去のお働きによるものです。ご本人が居られないとはいえ、御恩のある御家の危機を見過ごしたりすれば、ご依頼主も寝ざめが悪くなりましょう。むしろお受け取り頂ければ、ご依頼主も少しでも借りを返せたと胸のつかえが取れるでしょうし、貴家も次代の当主が育つまでの時間が作れることになります。今の帝国ではなかなか聞かない美談です。私としても是非お受け取り頂きたいのです」

 

子供でもこれが資金を爺様に受け取ってもらう口実なのだと分かった。でも俺が気に入ったのは『今の帝国ではなかなか聞かない美談です。私としても是非お受け取り頂きたいのです』の部分だ。こういう時には相手の立場を踏まえて頭を下げてでも助ける。恩にも着せない。これが貴族としての有り様だと見せつけられた気がした。

どこからともなく現れた本物の貴族によって我が家の危機は回避されたのだ。翌日に返済の催促に来たガマガエルに一括で返済したときは、胸のすく思いだった。爺様もおばあ様もホッとしたのか泣いていたほどだ。

 

その後、あの方は出征されたと聞いたし、それだけならいつか恩を返そうで止まっていたと思う。数週間後、あのガマガエルと祖父の旧友が逮捕され、財産没収の上、本人たちは死罪。縁者も農奴に落とされたことが布告された。手を差し伸べるだけでなくけじめもしっかりとる。貴族という物や家名の名誉についてはまだ答えは出ていなかったが、貴族として生きるなら、こんな貴族として生きたいと思った。爺様も布告を知ってから気づいたらしく、

 

「ワルター、シェーンコップ家はリューデリッツ家に大きな御恩ができた。儂ではお役に立てぬ。いつかお前がお返しできるように励んでくれ」

 

などと涙ぐんでいた。言われるまでもなく恩は返すつもりだったが、どうせだったら、あの方のような貴族として生きたい。爺様に黙って、リューデリッツ邸の前に向かっていた。丁度ロンメルを引き取って戻ってきたあの方と出くわせたのは幸運だったのだろう。幼いなりに思うところを伝えると、

 

「ワルター。恩義に着る必要はないよ。でも君の志は気に入った。まずは一緒に鍛錬するところから始めよう。丁度、今の君くらいの年頃から鍛錬を始めたんだ。志の礎になるモノは得られると思うよ」

 

それから、休暇で屋敷にいる間は毎日するという鍛錬に参加しだした。正直3人とも化け物だ。とんでもない鍛錬をしても平然としている。そして3人とも勉学の面でも優秀だ。面白く教えてもらえるため、あまり好みではなかった勉学も好きになりつつある。

 

「ワルター。息は整ったかい?まあ、無理しては身体のどこかに負担がかかってかえって鍛錬が遅れるからほどほどにね」

 

あの方がさらに数周し、すこし浮かんだ汗を拭いながら、声をかけてきた。目の前でこれくらいできて当たり前だと数倍の鍛錬をされて、無理せずにいられるものなのだろうか。

 

「そうだ!ワルター。今日の夜に予定がないなら、夕食に付き合ってくれないか?同じ年頃の者を招いているんだ。さすがに2人きりでは向こうも緊張するだろうから」

 

そしてたまにこういう褒美をくれる。シェーンコップ家では爺様とおばあ様の好みに合わせて味は薄目だし淡白なものが食卓にのぼるが、こちらでは違う。そしてかなり美味だ。

 

「それと、シェーンコップ卿に口座を確認しておいてもらってね。時間を当家の為に割いているのは事実だから、従士扱いで給金を渡すから」

 

この方はどれだけ俺に恩を着せるつもりなのか。いいとも。大恩を返せるような人物にいつかなってみせる。

 

宇宙暦771年 帝国暦462年 1月下旬

首都星オーディン リューデリッツ家所有車

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

私は、想定外の事態に少し戸惑っていた。話の始まりは幼年学校の入学試験を受け、上位での合格が決まって数日、幼年学校の先輩が当家を訪れ、『ザイトリッツの日』なる会食への参加を打診してきた事からだ。私の両目は先天的な義眼で、生まれながらに蔑まれてきた。ザイトリッツ殿は伯爵家の跡取りで准将だ。主催する会食の場にそんな人間が参加しては気分を害されるだろうし、私も好んで自分が蔑まれる場に参加したいとは思わないので辞退する旨、返答した。印象に残っているのは辞退という返事に先輩が驚いていたのと今にして思えば、義眼と認識しても先輩から蔑む感じがしなかったからだろう。

 

事が動いたのはさらに数日後のことだった。よくよく確認すると『ザイトリッツの日』を辞退したのは私が初めてで、主催者であるザイトリッツ准将は、会食のメインが好みではなかったからだろうと判断され、どこから聞いたのか、私が好む鶏肉メインのメニューを用意するので、改めて機会を頂戴したいと使者をよこした。

 

正直、気が重かったが、ここまでされてお断りはできない。お受けすると回答し、いま、その場に向かう車中だ。迎えの地上車も手配されていたし、迎えの担当者も、私が義眼であると知っているだろうに蔑む様子はなく、主賓のような扱いを受けている。馴れない扱いに正直戸惑う自分がいた。

 

オーベルシュタイン邸とリューデリッツ邸はそこまでの距離はない。すぐに到着し、ドアが開く。従者の服装をした妙に雰囲気のある男性に先導され、晩餐室に向かう。途中でシェパードの子犬が見えた。番犬というにはまだ幼すぎるだろう。ドアが開かれ、晩餐室に入る。おそらくザイトリッツ准将だろう。茶髪の男性が起立して出迎えてくれた。傍らに似た色の髪をした少年がいたが、顔立ちが違うためご子息ではない様だ。どうしたものかと思っていると

 

「ようこそ、ザイトリッツ・フォン・リューデリッツと申します。オーベルシュタイン卿、よく来てくれた。招くのにも関わらず卿の好みに合わせる事を忘れた。これは私の不手際だ。お誘いを受けてくれた事、感謝している。とはいえ、私と二人きりで会食というのも配慮に欠けると思ってね。同年代でこの屋敷に出入りしている者の同席を許してほしい。ワルター、オーベルシュタイン卿だ。ご挨拶を」

 

「ワルター・フォン・シェーンコップと申します。同席させて頂きますがよろしくお願いいたします」

 

おそらく私より年下だろうが、見事な挨拶をされた。私もきちんと返さねばなるまい。

 

「パウル・フォン・オーベルシュタインと申します。貴重な機会を頂き光栄に存じます」

 

「オーベルシュタイン卿、卿の成績を見れば礼儀作法などすんなりこなせるのは当たり前の事だ。少し無作法な形になってしまったが、私は会食の誘いを今まで断られたことは無かった。誘いを辞退されたのは初めての事でね。なぜなのか確認したくて少し強引にこの場を設けさせてもらった。率直な所を聴かせて欲しいのだ」

 

とザイトリッツ様が言葉を続けられた。あとから思えば、蔑む様子が無かったから思う所を話せたのだと思う。

 

「私は先天的な視覚障害者で義眼なのです。成績でご評価頂いたとはいえ、劣悪遺伝子排除法がある以上、褒められるものでもございません。ですからご気分を害さぬ意味でご辞退したのですが......」

 

そういうと、ザイトリッツ様は笑い出し、同席しているシェーンコップ卿は不思議なものを見るような表情をしていた。ザイトリッツ様は笑うのを止めると、すこし真剣な顔持ちで話し出した。

 

「オーベルシュタイン卿、まだ世の中の広さを知らぬのではないかな。私はまともな眼とやらを持ちながらまともな頭脳を持たない人間を多々見てきた。幼いころに重体になった事はあるが幸いにも五体満足だ。ただ、まともな眼とまともな頭脳、どちらかを選ぶとしたらわたしはまともな頭脳を選ぶね。そういう意味では卿はまともどころか、優秀な頭脳を得た。まともな眼ではなかったとしても義眼で補える」

 

普通に話しているのに、私の気持ちは最大限に揺さぶられる思いだった。義眼であろうがなかろうが優秀なものは優秀なのだと言われたようなものだ。

 

「私も最近、鏡を見た事があるのが疑いたくなるほど見苦しい方を見かけましたよ。まともな頭脳にまともな感性を期待する所ですが、難しい世の中です」

 

シェーンコップ卿が何か話していたが、あまり覚えていない。もし私が義眼でなければ、ぼろぼろと涙を流していたと思う。涙を流した経験はないが。ただ、いい話だけでは終わらなかった。

 

「だが、オーベルシュタイン卿、少し細過ぎるのではないかな。私も7歳からかなりしごかれてつらい思いもしたが、それなりの身体になったから幼年学校で挑んでくる連中はいなかった。義眼は努力ではどうにもならんが、身体は努力でそれなりにはできると思うよ。ワルターもヒイヒイ言いながら鍛錬しているんだ。気が向いたら家の鍛錬に参加してごらん。少しは変わると思うよ」

 

私はどちらかというと室内で本を読んだりする方が好みだし。運動は苦手だ。ただ、年下のシェーンコップ卿が励んでいると聞かされては断れなかったし、もし少しでも何か変わるなら、やってみる価値はあるだろう。

 

そしてなにより、この家にはシェパードの子犬がいる。私はずっと犬を飼ってみたかった。でも義眼の代金もあるし両親が残した財産にも限りがある。執事のラーベナルトには言い出せなかった。予想以上に楽しい時間になるかもしれない。




影の主役:シェパードの子犬 ロンメル


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39話:会議

宇宙暦771年 帝国暦462年 12月上旬

首都星オーディン 帝国ホテル 大会議室控室

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「閣下、お疲れ様でした。お茶を用意してございます」

 

「オーベルシュタイン卿、ありがとう。丁度一息入れたかったところだ。ただいくら休暇期間とはいえ、従卒の真似事などしなくてもいいと思うが」

 

「いえ、閣下も幼少のみぎりから、陛下と近しくされており、かなり気配りされたと伺いました。私もそれにあやかりたいのです。お許し頂ければ幸いです」

 

昨年年初に晩餐を共にして以来、オーベルシュタイン卿は当家の鍛錬に参加するようになった。初対面の際は歳のわりにかなり痩せた身体だったが、この一年の成果か、年相応の体つきになりつつある。彼は学力の面ではかなり優秀で、幼年学校のカリキュラムに沿うと、補足程度で十分な状況だった。他に俺が教えてやれる事と言えば、投資だったり事業計画の立案だ。少し教えると、スポンジが水を吸収するように知識を自分のモノにした。

試しにいくつかそれなりの規模の事業計画の資料を渡してみたところ、かなり具体的な改善案を資料にまとめて出してきた。納得できる内容だったので採用させてもらったし、RC社の投資部門の契約アドバイザー扱いとした。まだ高給取りではないが佐官クラスの給与を支払っている。基本的にタダ働きは俺の趣味ではないからね。

結果、休日や休暇中は俺のカバン持ちみたいなことをしてくれているし、規模の大きい投資案件に関しては、一通り資料を確認させている。少し話を聞いたが、今まで色々と自分なりに考えた事はあっても、それが形になり、現実に動き出すことは無かった。その辺りに面白さを感じるらしい。鍛錬も彼の体力レベルにしては頑張っているし、幼年学校の成績も上位をキープしているので、好きにさせている。

 

「それにしても辺境自警軍ですか。効率の面では最善とは言えませんが、必要性は理解できます。最善が必ずしも最良ではないとは。ひとつ勉強になりました」

 

「そうだねえ。効率でいうと良くはないけど。折角育った領民たちをどうせなら高給取りにしたいからねえ」

 

先ほどまでRC社と契約している辺境領主たちとあつまって会合をしていたのだが、その主旨が辺境自警軍の立ち上げの最終的なすり合わせだ。人口増への取り組みをルントシュテット領で開始してから既に20年弱、辺境星域とルントシュテット領では人口爆発とまではいかないものの、当時の2億3000万人から倍近い5億人になっている。そしてその第一世代はうまく各地の新事業に吸収できたが、今以上のペースで開発を進めるとバブル傾向が予想されたため、事業拡大のスピードを上げる事は出来なかった。

このままでいくと、領外で職を探すことになるが、軍や政府に雇われても、低給だし、門閥貴族の利権になっている企業に就職されるのも面白くない。そこで辺境自警軍の立ち上げを考えたわけだ。背景としてはいくつかある。

 

まずは、実際に治安の問題だ。今までははっきり言うと数字だけで見れば辺境は貧困地域だった。ただRC社の投資をきっかけに開発が始まり、イゼルローン要塞の資材調達のおかげで現在では中間層の中でも少し上くらいの層になった。結果として、良からぬ連中から見ても旨味が無くもない地域になったわけだ。軍や政府に働きかける手段もあったが、そうなるとこちらも譲歩することになるので避けた。

 

次は、次世代艦への更新だ。今年度で7個艦隊が更新済みとなるが、旧式戦闘艦が余る事態となっている。分解して再利用してもいいのだが、分解費も決して安くないし再利用するとその分資源消費が減ることになるので、なら旧式艦の引き取り先を作ってしまおうと考えた。

 

最後は、軍隊は自己完結型の組織なので、教育を受けた若者たちが実践の場にできることだ。本来は新卒者を採用して育成するのがベストなのだが、実際、各現場ではまだ教育の仕組みまでは用意できていない。そういう意味で、社会にでる最後の準備をする場になればいいと思っている。

 

軍部からしても、古いおもちゃの処分ができ、辺境星域の哨戒負担が減るので、渡りに船の話だった。初年度は旧式艦30000隻 分艦隊2500隻を12編成でスタートさせる。各星域の帝国軍駐屯地も払い下げてもらい、駐留基地に改修する予定だ。併せて警察組織もどきも創設される。これは各領主の統治組織の一部にすでに捜査機関があるので、これを統合して、人事交流していく形となる。今後、領地を跨ぐ犯罪なども起こりうるだろうから、必要なことだろう。

 

この事業に対して、俺は主幹事として関わることになっている。立ち上げと組織作りに数年はかかるだろう。それが終われば中将に昇進。そろそろ予備役入りを考えてもいいかもしれない。

 

「閣下、ケーフェンヒラー男爵がお越しです。御人払いをお願いしたいとのことです」

 

「ありがとうワルター。オーベルシュタイン卿となにか好きなものを食べてきなさい。少しかかりそうだからね」

 

シェーンコップ家の一粒種のワルターも従士として給金をもらっているからと従士の真似事をしている。オーベルシュタイン卿に倣って閣下と呼ぶことにしたようだ。ご飯の褒美をお気に召したらしい。少し嬉しそうだ。そういうあたりが年相応でほほえましい。ドアが開いて男爵が入ってくる。男爵も今年54歳、まだ背筋は伸びているが、白髪が少し増えてきている。男爵が内密の話というと何かあったのだろうか。余談だが、ケーフェンヒラー男爵家の子息2人は父の背中より母の背中に感じるものがあったらしく、医の道を進みだしている。

 

「ザイトリッツ様、お疲れ様でした。必要なこととは言え、多少は出費が増えます。皆様のご了承を頂け、ようございました」

 

「男爵が誠実に説明してくれたこともあるだろうけど、実際問題、手塩に育てた領民を政府や軍に取られたくないという感情があるからねえ。辺境星域とキフォイザー・シャンタウ・フレイヤの各星域では徴兵もなくなるというのも大きかっただろうし」

 

次兄が継ぐことになるシュタイエルマルク伯爵家はフレイヤ星域の惑星ニプルヘイムに領地をもっていたが元帥号を得たときに惑星全てを領地とされた。フレイヤ星域にあるレンテンベルク要塞とリューデリッツ領のあるキフォイザー星域のガルミッシュ要塞にも辺境自警軍が駐留することになる。

 

「確かに私も地方行政官をしておりました折、軍に徴兵されてそれ以降、会えないという話が良くありました。そういう意味でも良きお話だったやもしれませんな」

 

「それで、内密の話とはどの話でしょう?今、男爵から内々の話となると心当たりがないのですが......」

 

男爵は少し悩むそぶりをしてから口を開いた。

 

「実はロイエンタール卿の事なのです。最近かなり精神的に不安定な状況が続いておりまして、よくよく聞くと、先年結婚したレオノラ嬢との間に生まれた男子なのですが、不貞相手との子だったとのことです。色々と堪えつつも生活を維持しておりましたが、最近、夫人が自殺したらしく、もう精神の限界という状態なのです」

 

「うーむ。私はプライベートには口を出さない主義だけど、それはさすがに良くないね。ロイエンタール卿は優秀な人材だし、静養して鋭気を養ってから復帰してもらえば良い。彼なら生活費に困ることもないだろう?」

 

「はい、そうなのですが、問題は残るご子息なのです。言葉を選ばずに言えば、レオノラ嬢のご実家、マールバッハ伯爵家なのですが、娘を売らなければならないほど財務状況が悪く、そこで養育するのもいかがなものかと......。ロイエンタール卿からの資金援助も打ち切られた状況ですし、あまり良い結果になるとは思えないものですから」

 

そこで男爵は一端区切り、言葉を続けた。

 

「当初は当家で預かることも考えたのですが、マールバッハ家からなにか働きかけられると跳ね返すことができません。そこで、リューデリッツ邸でお預かり頂けないかと。ご子息も生まれ、幼い方々の出入りも多いようですし、大奥様も年明けから御移りになられるとか。にぎやかな方が、心の癒えも早いのではないかと存じまして」

 

「うちは既に3人いるし、男爵の予測は当たるからね。ロイエンタール卿にもかなり成果を出してもらった借りがある。私としては異存はないが、話は通っているのかな?」

 

「はい。ロイエンタール卿としてはリューデリッツ邸でお預かり頂けるのであれば安心できるとのことでした」

 

「分かった、では帰宅次第、おばあ様とゾフィーには私から話を通しておく。こちらはいつでも構わないので手配をお願いするよ」

 

了承の旨をして、男爵は控室を出て行った。なんだかんだとゾフィーもオーベルシュタイン卿とワルターを可愛がっているし、そこまで問題は起こらないだろう。




アンネローゼの誕生年です。


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40話:小さな騎士たち

宇宙暦772年 帝国暦463年 1月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

マリア・フォン・ルントシュテット

 

「大奥様、お茶をお持ちしました」

 

「ありがとうワルター。貴方もお座りなさい。一人前の紳士になるには淑女を魅了するスイーツの事も嗜んでおかねばなりませんよ」

 

私がそういうと、従士というには若すぎる男の子は少し困った顔をしてから席に座る。彼が座った席の隣にはもっと幼い男の子が座っている。私も今年で80歳。いつレオンハルト様の所に行くことになるか分からない。そう思ったらはしたない事だとは思ったが、リューデリッツ伯との婿入りの約定通り、ルントシュテット邸からリューデリッツ邸に移った。

ザイトリッツの長男も生まれたばかり、最後に子育ての役に立てればと思っていたが、予想外の出来事が待っていた。ザイトリッツは幼いころから私を良い意味で驚かせてくれたが、今になってもそれは変わらないらしい。リューデリッツ邸に移った私を、幼い騎士たちが出迎えてくれた。

 

今、お茶を持ってきてくれたのはワルター。シェーンコップ家の後継ぎだ。そして横に座っているのはオスカー。ロイエンタール家の後継ぎだし、もしかしたらマールバッハ伯爵家を継ぐ可能性もある。ワルターは8歳、オスカーは5歳。本来なら親元で養育されるべきところ、オスカーはリューデリッツ邸で養育されているしワルターも、毎日のように通っている。

そしてこの場にはいないが、オーベルシュタイン卿。今はザイトリッツの嫁のゾフィーについてくれている。私の右隣りではゆりかごで安眠するザイトリッツの嫡男、アルブレヒトがすやすやと寝息を立てている。そのそばでシェパードのロンメルが、同じように安眠している。この子も入れれば5人、リューデリッツ邸で養育されていることになる。

 

「オスカー?あなたもちゃんと感想を聞かせてね?こういうことは好みもあるからきちんとお互いの好みを理解しあうことは貴族のお付き合いに必要なことなのですから......」

 

オスカーは少し困った表情をしながら、うなずいてくれた。ザイトリッツからは詳しく聞いていないが、5歳で背負うには厳しい状況に置かれていたそうだ。ただ特別扱いはむしろせず、オスカーもワルターもオーベルシュタイン卿も年少とは言え一人前の男子として扱って欲しいと言われている。

とはいえ、世の厳しさは私が言わなくともこの子たちは体感している。いつか思い出にふけった時に温かい思い出になるように接している。あとは、礼儀作法だ。分かっていてしないのと、そもそもできないのは意味が違ってくる。ザイトリッツからはこの子たちは優秀なので、なんでそうするのかも説明してほしいと言われている。そういわれてみると、説明が難しい事もある。今までの経験なども思い出しながら進める礼儀作法の時間は、私にとって望外の喜びの時間だ。

 

ちょこんと正面に座るオスカーは、貴公子然とした容貌もあるが、幼いながらに少し教えるとサマになる雅さがある。隣に座るワルターは、おそらくシェーンコップ家でもかなり厳しく教えられたのだろうが、当初は型通りに済ますことが多かった。なぜそうするのかを教えると、自分なりにアレンジするようになった。自己主張が強いがどこか可愛げがある。そしてオーベルシュタイン卿、あの子は教えた事を完璧にこなすけど応用が苦手なよう。でも、私はオーベルシュタイン卿がいちばんやさしい心を持っていると思っている。アレンジの理由をワルターによく確認してるし、シェパードのロンメルも役目を意識して赤子のアルブレヒトの傍にいるが、一番懐いているのはオーベルシュタイン卿だ。

 

「ワルター、スイーツは予備があるから、ちゃんとおばあ様へのお土産に持っていきなさいね。私ばかりあなたとスイーツを楽しんでは申し訳ないですから。それで今回のアレンジはどんな考えからだったのか教えて頂戴」

 

ワルターはいたずらが露見したような表情をして考えを話し出す。既に大元は理解しているから、どんな立場であればそれが通るか伝えるのが私の役目だ。オスカーも興味深げな視線でこちらを見ている。少しでも早く傷が癒えて自分を出せるようになれば良いのだけど......。

 

 

宇宙暦772年 帝国暦463年 1月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ゾフィー・フォン・リューデリッツ

 

「オーベルシュタイン卿、貴方は投資案件の方でも活躍していると聞いています。いくら私が身重とは言え、幼年学校の方も励まねばなりません。あまり無理はしないでくださいね」

 

「奥様、幼年学校の方はザイトリッツ様からも上位から落ちるような事が無いようにと指示を頂いております。ご安心ください。色々とご教授頂いた事が奥様のお役に立つのであれば、私の研鑽にもなりますのでご迷惑でなければお手伝いしたいのです」

 

オーベルシュタイン卿は今年11歳。まだ子供だというのに夫のザイトリッツ様の仕事を手伝っている。そして、私が関わっているRC社の種苗・品種改良の事業でも何かと手伝いをしてくれる。夫も認めているが、かなり優秀だ。正直手伝ってくれるのは助かるし、表情に乏しいオーベルシュタイン卿が、自分なりの着眼点から代案を出し、それが採用されたときにのみ、少し嬉し気にする事を私は知っている。

楽しんでいることを取りあげる訳にもいかず、優秀であることも手伝って、本来の年齢ならもう少し子供らしい事をすべきではないのだろうか?と思いつつも手伝いを許している。

ザイトリッツ様も10歳でRC社をすでに設立されていた事も考えれば前例がないわけではないが、傑物の周囲には傑物が集まるのだろうか?そういう意味では、ロイエンタール家からお預かりしたオスカー君も昨年から屋敷に通ってくるようになったワルター君も幼いながらに片鱗を感じる。

 

「オーベルシュタイン卿は優秀だから、手伝ってもらうのは助かるし、あてにもしているのよ?ただ、私が11歳だったころはガーデニングに興味を持って庭いじりをしていたから、これでよいのかと不安になってしまって......」

 

「奥様が他家の淑女の皆様と少し違う道をお選びになり、結果として、RC社の重要な事業のカナメとなられました。幼年学校はしっかり励んでおりますし、私の将来が拓くきっかけになるかもしれません。お気遣いはご無用に願います」

 

「わかりました。この件はもう私からは言わないわ。その代わりちゃんと休憩には付き合いなさい。さすがにあなたが仕事をしているのに、私だけお茶を飲むわけにはいかないもの」

 

そう言ってからメイドにお茶の用意を頼む。

 

「今日はスイーツを用意してあるの。お義祖母様もワルターたちと食べるはずだから、休憩を兼ねて楽しみましょう」

 

それにしても私たちの嫡子、アルブレヒトはかなり優秀な先輩に囲まれて育つことになるけど大丈夫かしら。ただ、長男が生まれ、そのあとに急に3人も子供が増えたような状況だが、永年一緒に過ごしていたかのような気安さがある。そこで気が付いたのは、夫も私も、3人の幼い子たちも両親をしらずに育っていることだ。夫は特別扱いはしなくて良いと言うが本当に良いのだろうか。良き母という物を知らない私は、祖母が私にしてくれたようにしか接する事が出来ない。基本的に甘くなってしまうのに。一度、夫とも相談しなければならないだろう。お茶の用意を待ちながら私はそんなことを考えていた。



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41話:悪だくみ

宇宙暦772年 帝国暦463年 8月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸 応接室

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「では、この条件でも話は受けられぬと申すのか......」

 

「そもそもの始まりからおかしな話でございました。この条件でも利益は出るでしょうが、設備投資の回収を考えれば、むしろ損な話。名代にあのような人物を送ってこられた時点で、長期のビジネスなど一緒にできるはずもないでしょう。それにリューデリッツ家はあなた方の家臣になった記憶などないのですが」

 

「それは承知しておる。シャイド男爵は少し勘違いをしておったのだ。こちらでも叱責したところなのだ」

 

「それはそちらのご一門の中でのこと。我が家には関係ない事ですね。お話は以上でしょうか?」

 

俺の目の前で苦り切った顔をしているのは、ブラウンシュヴァイク公爵家の嫡男オットーとリッテンハイム候爵家の嫡男ウィルヘルムだ。ここに来てもまだ尊大な態度を崩さない。ここまで徹底されるとむしろ呆れを通り越してスゴイとさえ感じる。

 

事の始まりは、兄貴の息女2人とこいつらが婚約した事だ。何を勘違いしたのか、自家の力が高まったと思い込み軍部の人事に介入しようとした。もちろん全て排除した訳だが、そこで軍部貴族の団結に怯えたのか、門閥貴族の中の比較的大領を持つ連中で、婚約を祝う意味で、イゼルローン級の要塞を造りたいと言い出した。

兄貴は自分達でやるなら好きにすればよいと回答したらしいが、そんなものを新設するなら資材だけでも大量に必要だ。そして事前に生産量を増やしていたならともかく、そんな準備もしていないので、帝都近辺では資材価格が軒並み上昇した。因みにだが、RC社でも関連企業以外とは資源の取引を止めている。値上がりすると分かっているモノを、安値で売るバカはいない。

 

事業計画でいうなら大赤字が確定したようなものだが、一度ぶち上げた以上、それを取り下げたら面子が丸つぶれになる訳だ。そこで何を思ったのか、イゼルローン要塞の資材調達を取り仕切ったRC社に目を付けたらしい。最初に名代として来たシャイド男爵は皇族の婚約を祝う物なのだから協力して当然とばかりに、ふざけた条件での契約を強要しようとした。俺は『検討しておきます』とだけ返事して、2ヵ月返事を保留した。そして『検討しましたが残念ながら受けられません』と先週回答した訳だ。

 

シャイド男爵はどうせ調子のいい事しか言っていなかったのだろう。この話が潰れれば一番面子が潰れる2人が、押しかけてきたと言う訳だ。条件は計画が作られた時期なら、まだまともなものだったが、この2ヵ月で資材はさらに値上がりしている。残念ながら、もうまともな計画ではなくなっていた。

 

「お伝えした通り、資材調達を当社で取り仕切る話はお断りします。相場の価格での購入をご希望でしたらご用意は致しますが、こちらも使用目的が決まっている物がありますので、無制限にご用意できるとはお約束できません。

私の推測ですが、どうせ御両人の名代となったのを良いことに、シャイド男爵が自らの懐を温めようとでもされたのでしょう?少なくとも5カ年計画の案件にそのような方々が口を出してくると不測の事が発生します。そんなビジネスを当社でお受けするリスクは冒せませんし、そもそも、当家とのお付き合いもなかったと思いますが?では失礼します」

 

俺が立ち上がって部屋を出ようとすると、

 

「待て、このままでは我らの面子が立たぬ」

 

と口ひげを生やしたウィルヘルムが袖をつかんだ。

 

「待て?もう一度言いますが、私はあなた方の家臣ではありません。それとも皇室から降嫁がなされれば寄り子でもない貴族にも命令できるのでしょうか?私は宮廷の慣習も理解しておりますが、そのような話は聞いたことがありませんが?」

 

所詮、門閥貴族のもやしだ。鍛錬を続けている俺を止める事などできない。そのまま部屋を出ようとしたが

 

「ザイトリッツ卿、話をうけてもらうことは諦める。だが、我らも望みなくば帰るに帰れぬ。卿の知恵をかしてくれぬか?」

 

オットーがすがるような表情で話しかけてきた。そういう事であれば助け舟を出すのもやぶさかではない。まあ乗船料は高くつくだろうが。

 

「別途代理人を立てられては如何でしょうか?品物を調達する事に長け、事業計画を遂行するのが得意な方々が豊富にいらっしゃる所が宇宙にはございましたな。貴家にも出入りしておるでしょうし、ご一門の方々ともお付き合いがおありでしょう。彼らなら、今までのお付き合いとこれからの事も含めて協力していただけるのではないでしょうか?」

 

そこまで言うと、彼らも気づいたようだ。

 

「フェザーンか。だが高くつくことになりそうだが......」

 

「そこはみなさまの財力を改めて示すと、お考えになられればよろしいかと。面子はお金では買えません。今後の事も考えれば、彼らも暴利を貪ることはございますまい。ただ、事業計画の遂行については正直それなりの金額を求められると存じます。勅命であったイゼルローンでさえ、困難でございましたから。まあ、それは今回の発端であるシャイド男爵にご負担いただけばよろしいのではないでしょうか?」

 

「確かにそうだ。シャイド男爵には責任を取らせよう。面子は金では買えぬか。そのとおりだ。ウィルヘルム殿、急ぎ戻り手配を進めよう」

 

オットーがそう言うと、光明が見えたのか急ぎ足でそれぞれの屋敷へ戻っていった。俺は見送りをそこそこに、部屋に戻って長距離通信機を起動する。

 

「ザイトリッツ様、お待ちしておりました。首尾は如何でしょう?」

 

「想定通りだよ、ワレンコフ補佐官。あちら側から資源を買い付けておくと儲けが出そうな状況です。RC社の手持ちもそちらを通じて流したいので、お力添えをお願いします」

 

通話の相手はフェザーンのワレンコフ補佐官だ。彼は次期自治領主候補No1として頭角を現している。資材調達を帝国内で完結させようとするから無理が出る訳で、帝国の外から持ってくるという手段も取れなくもないのだ。

 

「しかしよろしいのですか?フェザーンを通してしまえば資材は資材ですが、あちら側の景気を多少良くしてしまう恐れもございますが......」

 

「補佐官は私を試すのがお上手ですね。5年にも渡ってそれなりの量の資材が輸出されれは、当然あちらでも資材価格は上がるでしょうね。兵器の生産にもかなり影響するでしょう。増産の為の設備投資を行っても、回収には難しい期間です。投資すれば5年後には不良債権化しますし、それを避けるには兵器を増産する必要がありますが、予算も、乗員も足りないでしょうね」

 

そこまで言うと、補佐官は一緒に悪だくみをする楽しさに我慢できなくなったのか、少し悪い笑い声をあげた。

 

「貴方がフェザーン人なら、この案件で5年は『今年のシンドバット賞』を受賞できますよ。お生まれになる場所を間違われましたな。因みに今回の件ですが、担当の候補者が2名おります。ザイトリッツ様のご意見を先に伺いたかったのですが......」

 

「そうですね。今回の一件は、言葉を選ばずに言うと言う事を聞かない我儘な子供をうまくあやしながら進める案件です。ボルテックさんでは少し萎縮されるかもしれませんから、私ならルビンスキーさんにお願いしますね。個人的な要望を聞いて頂けるなら、私とのやりとりの代理人が必要になった際はボルテックさんにお願いしたいので、彼が長期間フェザーンを離れるのは個人的に困ります」

 

「分かりました。私の方ではルビンスキーでは少しアクが強いかとも思ったのですが、確かにボルテックではあの方々に振り回されてしまうかもしれませんね。ご意見ありがとうございます」

 

「いえいえ。補佐官もご承知の事ですが、あの方々の気性は幼いころから存じておりますから、お役に立てたなら幸いですね。あと、顧客名簿もかなりそろってきたようですが、お立場がある方だけでなく、色々とご意見をお持ちの方の名簿も欲しいですね。やり方は変える必要があると思いますが、小額でも早めに投資すればリターンはそれなりに見込めるでしょうし」

 

「承知しました。ただ、立場がない以上、近々に配慮を頂くことは難しいと思います。その点だけご承知いただければ手配いたします」

 

俺が了承の旨、返事をするとワレンコフ補佐官は通信を切った。少し庭の方に視線を向けるとノックがされ、オーベルシュタイン卿がお茶の用意を持ってきてくれた。

 

「オーベルシュタイン卿、良いタイミングだ。ちょうど一息入れたかった所だ。ありがとう」

 

「閣下、お話を伺った際はまさかと思いましたが、予想通りに話が進み、いささか驚いております」

 

世の中の裏を知るにはまだ少し早いかと思ったがオーベルシュタイン卿には今回の一件の対応を既に話してある。というのもRC社の資料を確認する中で、通常ではしない動きをしていると、報告してきたからだ。気づいたご褒美がわりに悪だくみの仲間にしたわけだ。

 

「まあ、こんな事はお遊びの延長だよ。進退窮まったタイミングで助け舟に見えるものを出されれば、人は乗るものさ。ただ、この一件はあくまでけじめをつける事を優先した形だ。確かに利益は出るだろうが、王道の儲け方ではないからそこは間違えないようにね」

 

オーベルシュタイン卿はうなずくと部屋から出て行った。この案件の一番の成果は、表情に乏しいオーベルシュタイン卿の少し驚いた顔を見れたことかもしれない。




ガイエスブルク要塞については独自設定です。原作で要塞砲を撃ちあう際、イゼルローン要塞は建造から50年経っていますので、それ以前の建造とすると、さすがにエンジンを増設しただけでは、改修では補いきれない劣化が進んでいるのではと独自解釈しました。軍の管轄なら、すんなり賊軍の本拠地になるのもおかしいですし。ご容赦頂ければ幸いです。


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42話:爵位継承

宇宙暦773年 帝国暦464年 3月下旬

新無憂宮 控えの間

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「謁見の順番が参りましたらお迎えに上がりますのでこちらでお待ちください」

 

先導してきた近衛兵が敬礼をして部屋を出ていく。近衛兵の制服は何度見ても儀礼の面では良いものだと感じる。自分で着たいかは別の議論になるだろうが......。ちなみにおれは道化志望ではないので、自分で着たいとは思わない。

 

「ザイトリッツよ。リューデリッツ家もルントシュテット家には及ばぬかもしれぬが武門の家柄じゃ。改めてになるがゾフィーともどもよろしく頼む」

 

現当主のセバスティアン義祖父上が声をかけてくる。

 

「何をおっしゃられまする。イゼルローン要塞の建設責任者は義祖父上です。人類史に残る大業を果たされたのです。リューデリッツ家の名前は歴史書にも載りましょう。後継ぎは具体的に何をしたのか?などと言われぬように励まねばと思っております」

 

初めて正式な兄貴との謁見の為に新無憂宮に来ている訳だが、当代と次代のリューデリッツ伯が揃っているのは、当主の交代をするからだ。リューデリッツ家だけで考えるなら、当代のリューデリッツ伯はまだまだ現役だし、領地の経営は実質RC社主導で動いているので、予備役入りする理由もないのだが、次兄が婿入りしたシュタイエルマルク伯爵家の状況に引きずられてこのタイミングでの当主交代となった。

 

当代のシュタイエルマルク伯も既に65歳、宇宙艦隊司令長官として叛乱軍との戦争を有利に進めているし、第二次ティアマト会戦で戦死した将校たちの子供世代の育成にも多大な貢献をした。ミュッケンベルガー家のグレゴール殿は、大将としてイゼルローン要塞に着任し、回廊周辺星域での叛乱軍との戦闘の総指揮をする立場にある。長兄は大将として艦隊司令官の任についているし、次兄は宇宙艦隊司令部の総参謀長として中将の地位にある。我らがザイ坊は少将だが、来年の定期昇進で中将になるし、メルカッツ先輩も中将として艦隊司令官だ。名前を上げだすときりがないが、俺たちはシュタイエルマルク元帥の弟子と言っていい存在だ。

 

つまり、高齢の域に入ったシュタイエルマルク元帥ではあるが、いきなり『引退します』で話が進む立場ではなくなってしまった。次世代艦への更新を主導したのも、その戦術・運用方法の理論構築と実証をしたのも、率いる将官を育成したのもシュタイエルマルク元帥だからだ。なので、まずは自家で判断できることから、引継ぎをしようと判断した。つまり婿入りした次兄のコルネリアスにシュタイエルマルク伯爵号を継がせる判断をしたのだ。

長兄のルントシュテット家、我らがリューデリッツ家も武門の家柄であることは間違いないが、シュタイエルマルク元帥の功績からすると2歩ぐらいは譲る形になる。より大きな功績を立てた方が爵位を譲るのに、自分たちはこのままでいいのか?いずれ譲るものだし、揃って手続きをすればそれはそれで面倒が減るのではないか?という思惑もあり、伯爵家3家が揃って当主交代することになった。

新当主は兄弟なので、お披露目のパーティーも合同で行うことにしている。兄上たちはともかく、俺は30前で将官で伯爵か。改めて考えると、嫌ではないが、自分が望んだレールには乗れず仕舞いのキャリアを歩んでいる。そんなことを考えながら、皇室御用達のソファーの感触を楽しんでいると、先ほどの近衛兵がノックをして部屋に入ってきた。謁見の順番が回ってきたらしい。先導についていくと謁見の間に通された。既に叔父貴と、もう一人、狐顔の中年が入室していた。上座に少し距離を置いて膝をついて控える。別の入り口から、先ぶれが入室し、そのあとで兄貴が入室してきた。

 

「リューデリッツ伯、ザイトリッツ。久しぶりじゃな。黒真珠の間ではないのだ。楽にして良い」

 

兄貴は嬉しそうな表情を浮かべながら謁見を始めた。季節のやり取りや手紙のやりとりはしていたが、イゼルローン要塞の視察以来だから公式には10年ぶりになる。

 

「嬉しいお言葉ありがとうございます。このたびリューデリッツ家の当主をザイトリッツに譲る決断をいたしまして。お忙しいとは存じましたがご報告を兼ねて謁見をお願いした次第です」

 

「リューデリッツ伯を継ぐザイトリッツでございます。帝国の隆盛の為、さらに励む所存でございます。よろしくお願いいたします」

 

兄貴と叔父貴だけならもう少し砕けた表現を使えるのだが、狐顔がいるので儀礼を守っておく。誰だよと思っていると、空気を読んでくれてたのか、自己紹介された。

 

「クラウス・フォン・リヒテンラーデと申します。この場に立ち会える事、光栄に存じます」

 

誰かと思えば、カストロプ家と並んで、政府系の門閥貴族の2大巨頭のリヒテンラーデ家の次期当主か。あと数年で世代交代されると噂されている派閥の領袖と言う訳だ。自分が高貴な人間だと思う奴ほど、会えて光栄に違いないとか、場にいて当然だと思う物だ。中年の狐顔に会って誰が喜ぶのか問い詰めたいところだが、やめておく。

 

「陛下、グリンメルスハウゼン子爵は私ともご縁がある中ですのでご列席いただけたこと嬉しく思いますが、リヒテンラーデ殿はいかなる理由でご参加されたのでしょうか?当家とはそこまでお付き合いはございませんし、正式に爵位を継いだわけでもないと認識しておりますが?」

 

「ザイトリッツは相変わらずじゃのう。言葉を飾らぬ。リヒテンラーデは数年のうちに爵位を継ぐ予定じゃ。その上で、軍部のカナメでもあるそちに将来的に政府を担う者として確認したいことがあるというのでな。同席を許したのだ」

 

狐顔が出番到来とばかりに話し始めた。

 

「ご意見を頂戴したいのは、アルテナ星域に門閥貴族が建設している要塞に関してです。事業費も巨額に上ります。起工理由も皇族とのご婚約ですので、通常より結納金を増やすべきか判断に迷っているので、参考までにご意見を頂戴できればと思いまして」

 

「陛下、この方が将来の政府首班ですか?叛乱軍にとっては慶事でしょうな。火中の栗を拾う気がないなら、自領でお茶でも飲んでいれば良いと存じます」

 

一旦言葉を区切って、狐顔に視線を向けて話を続ける。

 

「アルテナ星域は首都星オーディンとフェザーンの航路となります。近々で帝国の国防に役に立つ場所ではありません。軍人でなくとも帝国で重きをなす方ならお分かりでございましょう。陛下もあの件は自分たちでやるなら好きにせよとのご判断だったはず。つまり要塞建設の件は本来なら考慮に値しないものです。それを考慮しようとはどのようなご判断なのか?あの方々に恩を売るための予算の出どころはどこでしょう?陛下が即位されてから増額された戦死傷者年金からでしょうか?軍部の予算から?もしくは増税ですかな?帝国臣民と軍部にとっては明るい未来となりそうですね」

 

そこまでいうと兄貴が笑い出した。

 

「リヒテンラーデよ。軍部系貴族の政府への採点はかなり厳しいという事じゃ。政府首班の役目もかなり励まねばならぬという事じゃな」

 

「失礼いたしました。陛下がこのような場を設けられたという事は、自己紹介をしておけとのご配慮と判断いたしました。長いお付き合いになるでしょうから、誤解のないように自己紹介させて頂きました」

 

「ただな、ザイトリッツよ。アルテナ星域に要塞を造るという事は、帝国のメイン航路を押さえられたようなものだ。政府の立場からすると、少しでも配慮すべきかと迷う案件でもある。あまりリヒテンラーデをいじめぬようにな」

 

そういうと狐顔に目配せをする。狐顔は一礼して退室していった。

 

「それにしてもザイ坊よ。そちは相変わらずじゃな。面白い見世物を見せてくれるものよ。息災なようで良かった。いよいよリューデリッツ伯か。さすがに以前の3男坊だからと好き勝手していたようにはいかぬぞ。心配はいらぬと思うが、念のためな」

 

「承知しているよ、兄貴。ただでさえ義祖父上は歴史の教科書に載るだろうから、後継としては頭が痛いって控えの間でも話していたんだよ」

 

雰囲気が一気に変わったことに当代のリューデリッツ伯がついてこれていないことに気づいたのか

 

「余とザイトリッツはまだ殿下だったころからお忍びで一緒に宴を重ねた仲じゃ。余人がおらぬ非公式な場ではこういうやりとりを楽しんでおるのだ」

 

とニコニコしている。

 

「左様でございましたか、いささか急なお話で驚いておりました」

 

俺は横目で見ていたが義祖父上は狐顔との自己紹介が始まったあたりからかなり焦っている様子だった。そりゃ次期政府首班と心温まるやりとりが急に始まれば、遮るわけにもいかないし判断に困るだろう。真っ当な反応だ。

 

「陛下には幼少から親しくして頂きましたが、軍部系貴族や辺境領主とのパイプと誤解される事が無いように、内密にしておりました。ご心配をおかけしました」

 

俺がそう言うと、うむ。とは返事をするが、まだどう振る舞えばいいのか判断に困っている様だ。そんな状況を見かねたのか、いたずら心をくすぐられたのか......。

 

「してザイ坊よ。仲間内の呼び名はそちが付けるのが決まり事であったはず。リューデリッツ伯の呼び名は何とする?」

 

などと言ってきた。さすがに義祖父上のあだ名を本人の前でいうのはなあ。まあ勅命だし仕方ない。

 

「兄貴、無遠慮に付けるなら『理屈だおれ』だけど、俺を見込んで婿にしてくれたからね。『名文家』あたりで手を打ちたい所だけど......」

 

すると兄貴も叔父貴も上機嫌で笑い出した。義祖父上もようやく気がほぐれたようだ。名文家か、悪くはないか......。などと呟いている。そんな歓談を短い時間だったが楽しんだ。今回の謁見は、当主交代の事前挨拶の様なものだ。来月から正式に伯爵家の当主になる。




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43話:教授

宇宙暦773年 帝国暦464年 10月下旬

フレイア星域 レンテンベルク要塞

辺境自警軍駐屯地 応接室

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「リューデリッツ伯、自警軍も形式は整ったが、ここから実を伴わせねばならん。海賊討伐や、逃亡犯罪者の捕縛など成果は出ているが、組織としてはまだまだ自警団に毛が生えたようなものだ。幸いにもルントシュテットの名で、平民出身の佐官・尉官の退役者の再就職先候補として人気があるので時間を掛ければある程度までは行けるだろうが、訓練の手法・哨戒の仕方・役割分担など考察しなければならないことは多い」

 

「はい。シュタイエルマルク元帥。現在では分艦隊単位での活動には慣れつつありますが、艦隊単位の行動は手に余るでしょうし、ご提案頂いた数個分艦隊だけでも次世代艦にするという話も、もっともなお話だと思います。現在は将来的に軍を志向する志願者にシャンタウ星域とアムリッツァ星域の次世代艦の回航任務を一部代行させている状況ですが、門閥貴族のおもちゃ作りが終わり次第、そちらも進めようと考えております」

 

「おもちゃ作りか。伯の表現は身もふたもないが言いえて妙だな。私ですら笑いをさそわれてしまう......」

 

現在、宇宙艦隊司令長官の任にあるシュタイエルマルク元帥も来年には66歳、来期にはイゼルローン要塞からミュッケンベルガー大将が異動し、上級大将として宇宙艦隊副司令長官に任命される予定だ。このままいけば70歳になる前には引継ぎが行われることになるだろう。前線では、理論構築の段階から予想されていたが、身軽な巡航艦クラスを主力にした分艦隊が、戦線後方のメンテナンス部隊を前線を大きく迂回して狙う状況が起こっていた。だが、前線に出るメンテナンス艦はすでに宇宙空母機能を兼ね備えたものに更新されている。損害は軽微なものに抑えられている状況だ。あるパイロットが巡航艦2隻を沈めたという話もあり、勲章の授与が予定されている。

 

「元帥にお笑いいただければ幸いですが、こうでも言わないと気が済まない状況です。資材の高止まりは少なくともあと4年は続きます。漏れ聞くところによると、現場を知らぬ素人があれこれと口を出し、進捗は遅れ気味とか。現在はまだ笑えますが、長期間の資材価格の高止まりは次世代艦の更新や、新型戦艦の建造にも少なからず影響がございましょう。本来なら、今期に2個分艦隊分くらいは辺境自警軍の装備も更新できなくはなかったわけですから」

 

「それはそうだな。国防を考えれば戦略的には何の役にも立たぬ位置だ。恐れ多い事だが、あれは門閥貴族が政府を威圧するための物だろう?最悪の場合、あそこに籠られればフェザーンとの航路を塞がれるから経済的な混乱は必至だ。政府も頭を抱えておろうな」

 

「シャンタウ星域経由の航路もございますが、移動距離は2倍以上になりますし、無視できる話ではございません。ただ、内々に意見交換する場がございましたので甘やかすなと釘はさしましたが」

 

おれがそう言うと、シュタイエルマルク元帥は嬉しそうな表情をした。この人は軍部の中でも周囲と一線を引く形でキャリアを積んできた。第二次ティアマト会戦で軍部貴族の力が弱まって以降、最前線を支えてきたが、色々と耐えなければならないことも多かったのだろう。俺たちの世代で力を取り戻し、言うべきことを主張できる様になった事を喜んでいる節がある。

 

「それにしても、伯からは宿題をよくもらうな。面白い宿題だから楽しめるし、丁度10年前の宿題が流れに流れて今の戦況を作っている。こちらの宿題の影響も楽しみにしている」

 

次世代艦構想に当たっては、元帥に理論構築を依頼したことから予想以上の成果が出たのは事実だ。辺境自警軍の設立と運用にも、もちろん関わってもらうつもりだった。元帥は辺境自警軍の名誉顧問になってもらい、軍との役割分担と治安維持の観点から予測される問題とその解決策を出してもらっている。下級貴族や平民出身の憲兵隊や捜査機関OBが前向きに転籍をしてくれるのも元帥の影響があっての事だと思っている。

もっとも、元帥は前世で言うと少し学術研究者に近い所がある。理論構築をして実証し、正しい事を確認することに喜びを感じるタイプだ。結婚しなかったこともあるが、退役してものめり込める趣味などないだろうから、いろいろな案件を持ち込んで思考してもらうのも、俺なりの恩返しだと思っている。

すこし雑談をしてから、部屋をあとにする。このあとはシャンタウ星域の惑星ルントシュテットに向かい、RC社の幹部会議だ。資材価格の高止まりを想定した対策を話し合う。門閥貴族の要塞については、そもそも事業計画がすでに破たんしているので、フェザーンから派遣されたルビンスキー氏がなんとかなだめすかして、当初のイゼルローン級からサイズダウンして直径40kmクラスの人工天体にすることで話はついている。さすがに5年以上の工期はかからないと見込んでいるが、辺境の各星系で、バブルのリスクを抑えながらギリギリまで投資する話が議題になるはずだ。冒さなくていいリスクではあるが、予想以上に様々な所に影響が出ているし、あまりに高止まりが過ぎると、叛乱軍の不良債権が減ることにもなるので、この判断となった。こんな状況を作り出した当人どもは、帝国に貢献したつもりになっているらしい。つくづくおめでたい連中だ。

 

宇宙暦773年 帝国暦464年 10月下旬

フレイア星域 レンテンベルク要塞

辺境自警軍駐屯地 応接室

ハウザー・フォン・シュタイエルマルク

 

「では。またお話しできるのを楽しみにしております」

 

リューデリッツ伯はそういうと、教本の手本になるような敬礼をして、私が答礼をすると部屋から出ていった。そういえば当家に入り婿したコルネリアスも敬礼は嫌に様になっている。そして、信頼する人間とは、ある意味率直な表現で話をする。長兄のルントシュテット伯はどちらかというと実直で裏表のない印象だが、どなたの影響なのか......。

 

思えば義息との付き合いもかれこれ10年を越えた。定期昇進で大尉になり、統帥本部から私の艦隊の司令部に異動してきた。任官したての尉官に統帥本部で功績を立てるのは基本的には不可能だ。『前線で勉強してこい』という意図があったのだろうが、異動当初から任せた職務はきっちりこなしていたので、適応力を試す意図と、折り目正しいがウィットに富んだ表現をしていたので、鼻っ柱を折るつもりでかなりの業務を振り分けたが、苦労しつつもやり遂げた。

 

それから順調に昇進したのは、私の司令部では縁故や馴れあいを許さなかったため、他部署への異動希望を出す士官が多い中で、広い人脈を持っていた義息が司令部の取りまとめや外部折衝を取り仕切ったため、いつの間にやらなくてはならない存在になっていたことも大きい。10年以上、私の司令部に在籍したのは義息だけだ。

 

いつの間にやら愛弟子のような関係になり、気が付いたら私も宇宙艦隊司令長官になり、義息もそのまま司令部の参謀長になっているし、途絶えても仕方ないと思っていたシュタイエルマルク伯爵家を継いでもらってもいる。どこに縁があるか分からないものだ。遠縁のレオノーラを養女にして婿に迎えてから5年。直接の血のつながりはないとはいえ、孫を抱くことになるとは思っていなかった。

 

慣れ親しんだ戦術教本を開くと、少し劣化した提案書が目に入る。これから全てが始まった。まだ大尉だった義息が遠慮がちに持ってきたものだ。この提案書を基にして次世代艦の戦術・運用理論を構築し実証し始めて既に5年。帝国軍の戦死者をゼロにする事はできなかったが、大幅に減らすことはできた。叛乱軍の戦死者は1000万人をこえるだろうが、帝国軍の戦死者は20万人を超えてはいない。来期にはミュッケンベルガー大将が昇進して宇宙艦隊副司令長官に任ぜられる。このままいけば、後進達によい形でバトンを渡せるだろう。

 

第二次ティアマト会戦の主力を率いた730年マフィアの面々ももう現役には誰もいない。新進気鋭の分艦隊司令としてシトレやロボスといった名前が聞こえているが、対応済みの戦術を試行錯誤している段階だ。あと10年はこのままでも帝国優位は動かないし、たとえ退役しても、戦術考察は続けていく。そんなことを考えているとノックがされ、コルネリアスが入室してきた。

 

「提督、弟との会談は如何でしたか?頻繁に無茶をいう奴なのでなにかご無理を言い出したのではないかと気になりまして」

 

『あくまで前線の人』という意識を持つために、自分の司令部では提督と呼ばせている元帥は私だけだろう。

 

「いや。無理というより、経済的な観点から辺境自警軍へ次世代艦を導入する時期の相談をしただけだ。お主に似て表現が率直でゆかいな時間を過ごさせてもらったよ」

 

そう言うとホッとしたようだ。これからアムリッツァ星域の駐屯基地に向かい、資材の高止まりで現地に不備がないか視察に向かう予定だ。後方でじっとしていてもなにも伝わってこない。現場には負担をかけるが自分の目で確かめるのが一番効率がいいのも確かなのだから。



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44話:保育園

宇宙暦773年 帝国暦464年 12月下旬

アルテナ星域 惑星ヘッセカッセル 物資集積拠点

アドリアン・ルビンスキー

 

「それで、状況はどうなのかね?要塞規模を縮小させたのは確かに君の功績だが、5カ年で完工まで進めそうなのかね?現場の監督陣からは悲鳴のような報告が上がってきているのは承知しているが」

 

「ワレンコフ補佐官、ここは大人のビジネスの場でも血生臭い戦場でもありませんが、宇宙一常識が通用しない場所ですよ。私が在学時代から自治領主府にスカウトされたのは保育士として期待されたからでしょうか?あやすのも限界があります」

 

「それは理解しているが、そこをうまくいなすのが君の役割だろう?ボルテック君では無理だと判断したから君を抜擢したのだ。何とか責務を果たしてほしい所だが......」

 

抜擢などと白々しい事を。今の現状を理解して俺の代わりをやりたがるフェザーン人などいないに違いない。事の始まりは、帝国の門閥貴族の領袖、ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家が皇室から降嫁を許されたことに始まる。何を勘違いしたのか、一門や寄り子も揃って、権勢が高まったと考えたらしい。そして軍部に横槍を入れてけんもほろろに袖にされた。

 

そうなってから、軍部系貴族のルントシュテット家の領地を軸にフレイヤ星域のレンテンベルク要塞、キフォイザー星域のガルミッシュ要塞を押さえ、辺境星域の在地領主とも関係が太い事に気づいたらしい。喧嘩を売るなら事前に下調べ位するのが普通だが、皇室からの降嫁が彼らの目を曇らせたのか、そもそも見ているモノが違うのか?無理を押し通そうとして跳ねつけられてから現状に気づき、怯えたわけだ。

 

俺の見るところでは、第二次ティアマト会戦後に、門閥貴族が軍に入り込もうとしたせいで、逆に軍部系貴族は団結した。自分たちが命を賭けて国防を担っていたのに、大敗を喫したとたん、手のひら返しで利権を奪おうとされれば、2度と信用はしないだろう。おまけに実質敵対行動をしたにも関わらず、現帝の兄と弟の派閥争いが起きた事で、そちらに意識が向くことになった。軍部系貴族は地力を回復し、牙を研ぐ時間を得たわけだ。戦争が始まって既に100年を越えているが、過去に例がないほど、軍部系貴族はまとまっている。戦況も優勢だし、自分たちが必死に役目を果たしている横で、政治ごっこに興じる連中を冷めた目で見ていたのだろう。軍のスタンスは過去に例がないほど門閥貴族に厳しいものになっている。昇進も爵位は考慮されず、実力重視の人事が行われている。門閥貴族の関係者は軍から排除されたと言っていいだろう。

 

「補佐官、報告書はお読みいただいているのでしょうか?ハチャメチャな要求を現場で言いだして、それが蹴られれば、腹いせにとんでもないことをしでかす。メインシャフトの加重区画に、勝手に自分の名を刻んだりするのです。もはやいつ大事故が起きてもおかしくありません。動物相手の方が、まだ予測がつくでしょう。いずれ一番面子が潰れる方々の尻に火が付くでしょうが、ここは野生児の集まった保育園といった有様です。私の能力や、個人の努力の範疇をすでに越えているかと」

 

ワレンコフ補佐官に借りを作るのは不本意だが、大事故でも起こればこの案件に10年近く俺の時間を取られることになる。まだ戦略的に意味があるなら我慢も出来るが、軍事の素人でも、アルテナ星域に要塞を造っても国防に寄与しない事がわかる。イゼルローン要塞は人類史に残る偉業だが、このガイエスブルク要塞は人類史に残る無駄な事業として名を遺すに違いない。

 

「それは分かっている。資源価格の高止まりで、我々フェザーンにも悪影響が出始めている。不毛な事業はなるべく早く済ませたい。それでな、ルビンスキー君。ある筋から出た話なのだが、そもそも使うか分からないものをまともに造る必要があるのか?外側だけそれなりに見れれば、中身がゴミだろうとどうせ気づかないのではという話が一部から出ている。君はどう思うかね?」

 

手抜き工事を補佐官が勧めてくる?本国ではそこまで大事に捉えられているのか。正直、頭が痛い。形だけ整えれば、あのボンボンどもは満足するだろうが、手抜き工事をしたことが発覚した場合、俺は責任者として詰め腹を切ることになりはしないのか?

 

「君の心配する所はよくわかる。だが、ガイエスブルク要塞が実際に使われる場合、帝国政府に対しての叛乱か、恫喝かだろう。せっかく建設の旗振り役を得られたのだ、意図的に弱点なり攻略手法を整えておけば、いざという時、高く売れるしガイエスブルク要塞に籠った連中が優勢なら黙っておけばいいだけだと私は思うが?君はどう思うかね?」

 

「確かに補佐官のおっしゃる通りですが、ガイエスブルク要塞の建設には私の名前も残ります。それを思うと......」

 

俺の言葉を最後まで聞かずにワレンコフ補佐官は笑い出した。

 

「ルビンスキー君、君の名前は1兆帝国マルク位の価値があるのかな?君は確かに優秀だが、歴史家から見れば、まだ使い走りの年代だ。君の仕事としての評価はされないよ。精々自治領主閣下の遠望を果たす歯車のひとつという所だろうね」

 

「承知しております。気概の問題をお話しておりました。ただ、おっしゃる通り、まともに対応する意味がない案件であることは事実です。ご指摘ありがとうございます」

 

確かに、煩わしい事が多すぎて、せめて名誉くらいは確保したいと思っていた自分がいた。利益を出せねば、そもそもフェザーンに戻っても顔が立たない。俺の時間を最低でも5年は使うのだ。フェザーンの感覚では5年も使って利益を出せなければ無能の烙印を押される。ここはフェザーン流を貫かせてもらおう。長距離通信を終えると、私以外の当事者の2人の所へ足を運ぶ。俺が、保育士だとしたら、理事長と園長という所だろうか。もっとも俺は金という報酬を得られるが、この二人は要塞が完成しなければ名誉という報酬が得られないばかりか、万が一にも完成しなければ面子が潰れる訳だ。この宇宙に少なくとも2人は、俺より悲惨な境遇の人間がいると思うと多少は溜飲が下がる。無駄に造りの良いドアをノックして、了承を得てから入室する。

 

「おお、ルビンスキー、自治領主府への報告は終わったか?」

 

オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク改め、理事長がこちらに声をかけてくる。室内にはもう一名、園長ことウィルヘルム・フォン・リッテンハイムもいたが、まだ昼間だというのに酒を飲んでいたようだ。多少でも現状をまともに認識できれば酒を飲みたくなるのは分かるが、同じ船に乗っている人間としては、いま少し自制心を持ってほしいと思うのは過ぎた望みなのだろうか。今、そんな不毛な思いに囚われても仕方がない、俺は状況を報告する。

 

「自治領主府でも資材価格の高止まりが各方面に与える影響を懸念する声が強まっているとのことでした。特に、私どもの常識にない事態での工期の遅れにも懸念があるとのことです。一部からはいつ大事故が起こるか分からない為、保険料の値上げも迫られています。私ひとりではどうしようもない状況です」

 

二人は渋い顔をしながらワイングラスを煽る。もう酒の件は見なかったことにして話を進めよう。

 

「ここで2つほどご提案がございます。現場に部外者が行けば混乱が起こります。そこで、既に設計図はあるわけですから、皆様の居住区画については、モジュール工法に差し替えますので、それぞれのご領地で作成頂いては如何でしょう?やることがあれば、こちらに足を運ぶ方も減るのではと考えております。

 

二つ目ですが、主砲区画は拡張の余地を残しつつ、将来的により高性能なものが出るまで、換装しないことをご提案します。一部から、完工式に試射式をやるためだけに巨額の予算をかけることに疑義が出ております。アルテナ星域は帝国内の主要航路ですから、主砲を完成させたとして、試射した際に何かあれば、政府や宮廷がどう受け取るか分かりません。留保しても良いのではという声もございました」

 

「うーむ。しかしこの要塞は次期当主である我らから一門や寄り子へのお披露目の品でもある。手伝わせるのはいささか外聞が悪いのではないか?」

 

「主砲の件もな、完工式に試射のボタンを押したがっておる者も多い。作らぬと言う訳にはいかぬように思うが......」

 

理事長と園長が、グラスにワインを注ぎながら渋い顔で答えてきた。それは想定済みの回答だ。

 

「ご懸念はごもっともでございます。ただ、実際にお使いになる方々にお好みの物を用意していただくのも次期当主としての配慮なのではないでしょうか?皆々様、趣向を凝らされるでしょうし、完成の場でその趣向を賞賛されれば、皆様もお喜びになるのではと。主砲の件は、勅命で建設されたイゼルローン要塞に並ぶ出力の主砲を備え付けるのは恐れ多いので、手ごろなものが開発され次第、換装するとでもすれば、そこまでお気にされないのではないでしょうか?」

 

まだ二人は決断できない様だ。ではしっかりリスクも提示しよう。

 

「今のご提案を含めても、5カ年計画で済むかギリギリの状況です。万が一、大事故など起これば何もかもが吹き飛びかねません。イゼルローン要塞は計画通り、無事故で完工を迎えました。確かに帝国と先帝陛下の威信をかけた結果でもございますが、このガイエスブルク要塞も門閥貴族の皆様の威信をかけたもの。直径は40kmと、イゼルローン要塞には一歩譲りますが、威信の面では十分でしょう。あとは工期と無事故が達成できれば、少なくともお二人の面子は十分保たれますが、如何なさいますか?」

 

そこまで言うと、渋い顔をしつつも、この方針に納得した。門閥貴族は幼少から周囲の取り巻きに甘やかされているからか、挫折という物をしらない。こういう事業は、想定した推移にならなかったときに素早く対応策を実施出来るかも重要なポイントだ。改めて先行きを思うと頭が痛くなった。



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45話:泥沼

宇宙暦773年 帝国暦464年 12月下旬

首都星ハイネセン ホテル・ユーフォニア

ジョアン・レベロ

 

「ジョアン、待たせたか?初当選おめでとう」

 

初等学校で隣の席になった縁からなんやかんやと腐れ縁になりつつあるが心からの祝辞を述べてくれる数少ない友人が、相変わらずの分厚い手で私の肩を叩く。少し痛かったが嬉しさが勝る。

 

「ありがとうシトレ。本当に嬉しいよ。政治の世界に足を踏み入れたはいいが、裏表を常に考えねばならない。心から祝ってくれるのは限られた人だけだ。君はその限られた人に入るだろうがね」

 

「もう泣き言か?まあ33歳で代議員なら大したものだと思うが、軍で言えば任官したての少尉みたいなものだろう?理想と現実のギャップに悩む時期だな。レベロはいつも物事を悲観的にみるからな。また悪い癖が出ているのではないか?」

 

そう言いながら、背中をバシンと叩かれる。軍人には普通なのかもしれないが、かなり痛む。少し恨めしく思いながら視線を向けるとシトレはオーダーしたウイスキーをグラスで転がしながら香りを楽しんでいる。偉丈夫といえる精悍な体つき同様、酒量もかなりの物だが、最近は控えめに楽しむことにしているらしい。

 

「希望通り財務委員会には所属できたが、まだまだ使い走りだ。前線での君たちの戦いを何とか支援できればと思っていたが、正直、遺族年金と戦傷者一時金が膨れ上がってどうにもならん。折角色々と話を聞いていたのにと思うとな......」

 

「レベロ。責任を抱え込む必要はない。ここ数年の戦死者の大幅増はまずは軍の責任だし、対策を立てようにもその予算がひねり出せなかった今までの政府の責任でもある。君が当選できたのも、ある意味、少しでも対策を実施してほしいという民意があっての事だ。過去を気にするより、未来を少しでも良くできるように私たちはできる事をやるしかないだろう?」

 

そう言いながらやさし気な視線を向けてくれる。子供の頃からこの関係は変わらない。私が弱音を吐き、シトレがそれを励ます。手元のハイボールの入ったグラスを傾ける。少しは落ち着けたようだ。

 

「それで、前線はどうだった?あらましは聞いているが、君からも直接聞いておきたいと思っていた」

 

シトレは少し顔をしかめながら話を始めた。

 

「うーむ。どこから話そうか?4年前から帝国は艦隊運用の構想を大幅に変えた。宇宙艦隊の機能を艦隊全体でみると空母のようにしたんだ。主戦力は武装モジュールを付けた次世代艦になり、前線で撃ちまくれるだけ撃ちまくったら、後方のメンテナンス船で補給を受ける、もしくはモジュール自体を交換してしまう。瞬間的な火力と戦闘の継戦力を高めた代わりに、一時的に戦線の戦力が下がる戦術を採用した訳だが......」

 

そこで一旦言葉を区切り、少し氷が溶けだしたロックグラスを傾ける。

 

「当初は武装モジュールと母船が分離機能を備えていると軍上層部は認識していなかった。わが軍と同等の損害を与えていると認識していたんだ。ところが昨年驚愕の事実が判明した。武装モジュール自体はそこまで装甲が厚くないが、母艦部分はかなりの重装甲で、戦死者は想像以上に少ない。我々は、言ってみればミサイルを破壊するために戦死者を出している状況だった訳だ。武装モジュールは破壊されても後方に予備があるわけだから、大きな損害を受ければパージして付け替えればまた戦力化できる。思い切った戦術だが、我々は見事にそれに乗せられた形になった」

 

「つまり、わが軍は1000万人を超える戦死者を出しながら、帝国の戦死者は50万人もいかないという予測はやはり正しいという事になるのか......」

 

私は思わずため息をついてしまった。

 

「それはかなり希望的な数字だ。厳しく見積もると20万人以下という話もでているよ。頭が痛い事だがね。今回の戦いでは、メンテナンス部隊を先に攻撃できれば活路が見出せるのではないか?という事で、巡航艦を主力にした分艦隊に戦線を迂回させて後方を狙ったわけだが、残念ながらメンテナンス部隊には手厚く制宙戦力が配備されていた。全滅覚悟で突撃すればなんとか出来たかもしれんが、命をかけるには勝算が無さ過ぎた。配置状況を把握できた時点で私は撤退を判断したし、ロボスの方は一か八かで攻撃したが手痛いしっぺ返しを受けたようだな......」

 

あのシトレが少し暗い雰囲気になっている。先が見えないのは軍でも同じようだ。

 

「財務委員会に入ったおかげで詳しい財務資料も見る機会があるが、正直フェザーン資本が無ければ同盟政府はすでに財務破綻している状況だ。なんとか次世代艦の開発・更新費用をひねり出せればと思ったのだが、何とかするには遺族年金を減らすか増税しかない。そんな事をすれば議席を失うだろう。誰もやりたがらないし、議題にも出せない。おまけにこの数年はフェザーンマルク建ての借款が増えている。財務状況は転がり落ちるように悪くなっているよ」

 

「その話は軍上層部でも認識しているが、見て見ぬふりといったところだな。実際口を出せる話でもない。泥沼の消耗戦に引きずり込むのが帝国の意図なのだろう。おそらくだが、人的資源に狙いを定めて社会を疲弊させようとしているのだと思う。これは私の私見だがね。シュタイエルマルク元帥の意向なのか。彼の弟子世代の発案なのかはわからないが、戦場で負けても戦争で勝てるようにしたわけだな。これは戦術家の発想ではない。どちらかというと経済的な発想だ。思いついてしまえば簡単な話だが、軍部にそれを納得させて、実行させた所に凄味を感じるよ」

 

そこで、またロックグラスを傾けて、バーテンダーに視線を送り、お代わりを促した。私もハイボールを煽り、お代わりをオーダーする。

 

「無茶を言っているのは承知しているが、大きな金額は動かせない。対抗策はあるのだろうか?厳しい話だけで終わると、帰宅してから寝つきが悪くなりそうな所だが......」

 

「資金が使えるなら、相手の策を一歩進めて無人艦の開発だが、これにはレベロが思う大金が霞むくらいの金額がかかるだろう。現実的には、戦線を大きく下げるか、もしくはイゼルローン回廊まで戦線を押し出すかだな。メンテナンスをする以上、帝国の艦隊は展開するのにある程度の領域が必要だ。回廊出口付近なら展開に困るはずだ。戦線を引き下げれば、帝国の補給線に負荷をかけられる。悪くはない策だが、今の軍上層部や市民たちからすると、負け犬の戦略などと言われるだろうな」

 

「仮に回廊出口付近まで戦線を押し出しても、前線を維持するためにこちらの補給コストは大幅に上がるだろうし、詳細は不明だが、帝国はイゼルローン回廊に人工天体の要塞を建設したはずだ。補給の面では向こうの優位性が動かない。戦線を下げる選択は、政府としても軍から提案されても受け入れられるとは思えないな......」

 

「戦線を押し出すには当然戦闘が発生する。前線には3~4個艦隊が常時遊弋しているから、優位に戦うには戦力化できている宇宙艦隊を全てつぎ込む必要がある。12個艦隊の内、充足しているのは半分に満たない状況だ。6個艦隊で押し出して補給線を太くするまで、帝国の反撃を抑える意味で張り付けなければならない。短くて2年はかかるだろうな。そのあとも4個艦隊は張り付けなければ戦線を抜かれるだろう。レベロには残念な話だろうが現状維持と比較して、予算も戦死者も大幅に削減できるとは断言できない」

 

シトレと酒を飲むときはなんだかんだと最後は明るくなれたものだが、前例は覆されるモノらしい。しかも嫌な方向へだ。横目でみると、シトレはロックグラスに視線を向けながらなにやら考え込んでいる。民意を無視出来るなら戦線の後退が唯一の選択肢だが、それをすれば落選する。政府がそんな決断ができるとも思えないし、軍がそれを言い出せば自分たちの負けを認めるような物だ。

 

「私は軍事は素人だが、現状維持しながらなるべく戦死者を出さないことに専念してもらうくらいしか対策が思いつかん。すまないなシトレ......」

 

「レベロ、何度も言わせるな。責任を抱え込むのが君の悪い癖だ。軍事の件は軍人が考える。そこまで責任を感じることは無い」

 

シトレの分厚い手が肩に置かれる。自分もつらい立場だろうに、私はいつも励まされてばかりだ。楽しむには少し苦い酒になってしまった。それはシトレも同感だったようだ。いつもより早めに切り上げて、家路についた。




レベロを通じて現状を話しているので、とてつもなく帝国が優位に見えるかもしれませんが、原作と比較して同盟の戦死者数はそこまで変わらないと思います。ただ、帝国軍の戦死者が著しく減少している感じになります。


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46話:要塞司令官

宇宙暦774年 帝国暦465年 4月下旬

首都星オーディン 宇宙艦隊司令本部

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「ミュッケンベルガー上級大将、宇宙艦隊副司令長官への着任、おめでとうございます」

 

「ありがとう、リューデリッツ中将。現在の戦況がシュタイエルマルク元帥と中将の合作であることは、私も理解している。引き続き軍部の重責をお互いに担うことになるが、よろしく頼む」

 

「身に余るお言葉です。私は思いついたことを取りまとめただけで、形にしてくださったのはシュタイエルマルク元帥です。そのように言われてしまうと恐縮する次第です。また、事前に人事の希望をご確認いただきありがとうございました」

 

定例昇進の際に、予定されていたミュッケンベルガー伯の上級大将への昇進と宇宙艦隊副司令長官への任官が行われた。俺も辺境自警軍の体制づくりが完了したとして、中将に昇進した。ここで内々に次の役職の希望を事前に確認された。と言っても、どこがいいか?という打診だった訳だが。打診の内容は正規艦隊の司令官・イゼルローン要塞の司令官・アムリッツァ星域の第11駐留基地の司令官の3候補の中から選んで欲しいという内容だった。

分艦隊司令として前線に出た事はあるが、後方支援部門を軸に軍歴を重ねてきた俺に、前線と後方支援の両面から選択肢を提示してきた訳だ。艦隊司令官は、おそらく大将に昇進したら予備役入りしない限りやらざるをえない状況なので、今回は自分が資材調達したイゼルローン要塞の司令官を希望した。求められているのは、前線の補給効率の向上といったところだろう。その辺は得意分野だし、アムリッツァ星域の第11駐留基地は5年近く滞在したから細かいところまで把握できている。いまさら赴任しても大きな改善はできないと判断しての決断だ。

 

要塞駐留艦隊は言ってみればミュッケンベルガー艦隊だったので、こちらも宇宙艦隊司令本部に転属することになる。要塞駐留艦隊の司令官の候補者も打診されたが、メルカッツ大将を希望した。気のしれた仲だし、長兄のローベルトを選ぶと、ルントシュテットの色が強くなりすぎると判断したためだ。先輩の方が階級が上になるので駐留艦隊と要塞防衛部隊の力関係に懸念もあったが、叛乱軍が要塞付近まで押し出してきた実績がない以上、主役は駐留艦隊だ。また、万が一要塞付近が戦場になるようなことがあれば、腹を割って話せて当てにできる艦隊司令官が欲しかったので、わがままを通した。先輩も事務仕事を俺に押し付けられるから悪くない人事だと思うだろう。

ミュッケンベルガー上級大将の宇宙艦隊司令長官への就任は既定路線なので、艦隊司令の時代からコンビを組んでいたグライフス中将が、総参謀長となり、次兄のコルネリアスは軍務省へ高等参事官として転出した。これは政府系と宮廷系の貴族が、戦況が優位なことを勘違いしたのか、攻勢を強める事を主張しだしたことが原因だ。

ガイエスブルク要塞の建設はあと3年は続く。資材価格が高止まりした中で攻勢を強めても余裕をもたせた戦力補充などできない。歯止め役としての転出だった。軍部には建国初期と、ルドルフ大帝崩御直後の40億人の反乱の資料が残っている。130億人の反乱などどうにもならないし、命を賭けて戦争に勝った先がそういう未来だと認識のすり合わせも軍上層部では完了している。

俺のイゼルローン要塞赴任は、ある意味この状況の保険ともいえる。叛乱軍との戦争で、消しきれない大敗を喫したダゴン星域をはじめ。もう一歩踏み込むにはさすがに最前線の補給拠点がイゼルローン要塞だけでは心もとない。仮に戦線を押し出すなら、どんな補給体制が望ましいかを立案することも、俺の役目になるだろう。

 

「中将に今更言うまでもないと思うが、前線の状況も知らずに好き勝手モノ申す者どもがおる。次兄のコルネリアス殿が軍務省に転出したのも、前進論を抑える為の人事だ。ただ、万が一前進するとしたらどんな体制が良いのかも検討してもらいたい。よろしく頼む」

 

「はい。その辺りは心得ております。もう一歩踏み込むとしてダゴン・アスターテ・パランティアのラインが戦線となりますが、そこまで踏み込むならイゼルローン回廊のあちら側に補給基地が必要になります。計画は作成しますが、帝国全体で考えれば入植できる訳でもなく、叛乱軍の補給線への負担を減らすだけですから、その辺りも含めて計画案を作成いたします」

 

おれは敬礼をし、副司令長官の答礼を待って、執務室を退出した。宇宙艦隊司令部を出て、地上車に乗り込みリューデリッツ邸へ向かう。イゼルローン要塞は最前線の入口だ。赴任中は戻ってこれないだろうから、色々と手配りしておきたい。

 

 

宇宙暦774年 帝国暦465年 4月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸 

ワルター・フォン・シェーンコップ

 

「まもなく旦那様がお戻りになられるとのことです」

 

先ぶれが到着し、リューデリッツ邸は少し騒がしくなる。閣下からは話を聞いていたが、イゼルローン要塞の司令官に着任するとのことだった。今夜の晩餐が終わればしばらくはオーディンに戻れない。ご家族での晩餐に水を差してはいけないと思い、席をはずそうと思ったが、余計な気遣いはしなくて良い。とのことで、俺も今夜の晩餐に招待されている。赴任期間は短くても2年。大奥様はもう80歳を越えているし、一緒に過ごせる最後の機会になるかもしれないとお話になられていた。ご嫡男もご息女もまだ幼く、奥様も懐妊されている。こんな時期に前線への勤務を命じるなど、軍部の連中は無粋な連中だと怒りを覚えたが、よくよく考えれば、俺自身、閣下としばらく会えなくなるのが寂しいのだと自覚した。幼年学校に入ったばかりだし、さすがに従卒としてついていくのは無理がある。

 

「シェーンコップ卿、まずはお役目をしっかり果たそう。我らにできる事でまずはお役に立つしかあるまい」

 

「オーベルシュタイン卿は良いですよ。進路相談もしっかりして頂いてましたし、RC社の方でも活躍されていると聞いてますし」

 

声をかけてきたオーベルシュタイン卿は、RC社の事業の分析をしたり、奥様の事業にもあれこれと提案をしている。士官学校に進むか、経営系の大学に進むか悩まれていたが、閣下と相談して士官学校へ進路を決めたらしい。RC社の事業は軍関連の物が多いから、大佐くらいになっておくと外部との折衝に役立つとのことだ。

俺は幼年学校を出たら、陸戦隊の育成校を志望していたが、そんな話を聞いてから、まだ誰にも言っていないが士官学校を志望することに決めた。どうせなら役立てる場を広く持ちたいと思ったからだ。

 

「たまたま私の志向に合っていたというだけだ。それより、幼年学校の対象者限定とはいえ、ザイトリッツ様の日の演出を任されたそうではないか。卿はマナーのアレンジも得意だ。私はどうもそっちの方は型通りにしかできない。言わば閣下の名代だ。うらやましくないと言えば嘘になる」

 

そう、俺は閣下が留守の間、幼年学校在籍者の会食だけだが、もてなしの内容を考える事を任された。主賓は閣下のご兄弟方にお願いすることになるが、認められたようで嬉しかった。大奥様にも色々と教えて頂いたのだ。文句の付け所のないものにするつもりでいる。

そんな事を考えていたら、少し大きめの地上車が屋敷の門から入ってくるのが見えた。ロータリーに入り、玄関前で停車する。閣下が降りてこられた。すかさずカバンを預かる。俺が従士見習いを始めて最初に任された役目だ。疎かにするつもりはない。

一息つく間を置いて、晩餐が始まる。今日の前菜は少し俺の趣向を入れ込んだものだ。次に晩餐を共にできるのは2年先になる。ザイトリッツの日の演出を任された以上、ご安心頂く意味も込めてと、料理長に頼み込んだ。乾杯が交わされ、前菜が食卓に配膳される。何食わぬ顔をしていたが

 

「ワルター。今日の前菜は新しいアレンジだね。これなら演出の方も安心だ」

 

閣下が嬉しげに感想を話す。大奥様も奥様も、俺のアレンジだと気づいたらしい。柄ではないが少し照れてしまう。一日も早く、またこんな晩餐を皆で楽しめる日が来て欲しいと思う。



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47話:適性

宇宙暦777年 帝国暦468年 4月下旬

首都星オーディン 黒真珠の間

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「帝国軍イゼルローン要塞司令官ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ殿~!」

 

近衛の前口上が思った以上に大きな声で述べられ、俺は赤絨毯を進む。2度にわたって繰り広げられたイゼルローン要塞防衛戦の論功として、双頭鷲十字星賞という勲章の受勲の為に、軍官と文官が勢ぞろいする中をテクテクと歩いていく。視線の先には玉座に座った兄貴ことフリードリヒ4世が笑顔で待っている。兄貴は軍と政府と大貴族のバランスを取るために、普段はそこまで政務に口を出さないが、前線で頑張る我らがザイ坊の活躍に、勲章で報いたいと考えたらしく、今回ばかりは勅命を出したらしい。

俺だけでなくメルカッツ先輩にも同じ勲章が授与されるし、パトリックやテオドールにも格は下がるが勲章が授与される。付いてきてくれた事に報いる事が出来て嬉しいと同時に、軍人としての適性がない事が自分の中でははっきりしたので、昇進はするだろうが、退役すべきなのではないか?と悩む日々が続いていた。

 

戦果としては、第一次イゼルローン要塞攻防戦にて2個艦隊を撃破し、第二次イゼルローン要塞攻防戦において3個艦隊を撃滅した。叛乱軍の戦死者は500万人を越えるだろう。正直、自分の功績という以上に、あちらの為政者や軍上層部の無謀さに怒りを覚える日々だった。それだけ社会の疲弊が進んでいるのかもしれないが、乾坤一擲の策にしても、人命軽視が過ぎるように思えた。

 

かなりの奥行がある黒真珠の間を歩きながら、2度に渡る攻防戦の事を思い出す。一昨年からイゼルローン要塞の司令官に着任した訳だが、帝国は現在戦争を優位に進めているし、最前線での会敵が減少傾向だった。メンテナンスも兼ねて、アムリッツァ星域の第11駐留基地とシャンタウ星域の造船工廠に前線で遊弋していた6個艦隊を戻した訳だが、そのタイミングで威力偵察の為だと思われるが、叛乱軍の2個艦隊がイゼルローン要塞付近まで進撃してきた。

これが第一次イゼルローン要塞攻防戦になる訳だが、回廊に侵入してきた時点で、第11駐留基地へ急報を送り、要塞を中心に駐留艦隊を左翼と右翼に二分し、回廊外縁部を使いながら後方遮断するそぶりをしつつ、要塞は対空砲と制宙戦力で対応した。そして、要塞の陰になる航路から2個艦隊が増援にかけつけ、駐留艦隊が一気に後方へ進路を取ったことに対応して叛乱軍が回頭をし始めたタイミングで、要塞の陰から一気に包囲殲滅戦を仕掛けた。叛乱軍側の回廊は意図的に塞がなかったので、多少は脱出を許したが、2個艦隊30000隻のうち、25000隻は沈める事が出来た。要塞主砲は、威力偵察であることを認識していたので、あえて使用しなかった。

 

これでしばらくは落ち着くと判断し、帝国軍が最前線に遊弋していない状況での叛乱軍の動きを確認する意味で、第11駐留基地に3個艦隊を駐留させながら哨戒活動に勤しんだ。叛乱軍は増援が来るまでの短期決戦なら、要塞を陥落させる余地があると判断したらしく、昨年に4個艦隊で来襲した。ここでも前回同様、すぐに3個艦隊の増援を頼むとともに、回廊外縁部を使いながら後方に出る素振りをしつつ、増援が来るとともに包囲宿滅戦を実施した。ただし、要塞主砲を今回は使用した。4個艦隊60000隻のうち、40000隻は沈める事が出来たが、正直、要塞主砲を斉射する際は、戦闘というより一方的な虐殺に近い戦況だった。周囲は喜んでいたが、俺は気分が悪かった。ボタンを押すだけで数十万人の命が消える。なぜ喜べるのか、直後は怒りすら覚えたほどだ。

 

こうして俺のイゼルローン要塞司令官の任期は終了した。叛乱軍の500万人をこえる血によって回廊を彩ることになったわけだ。叛乱軍から見ればイゼルローン要塞を落とせれば国防体制を抜本的に改善できるのは確かだ。だが、無謀な進撃で将兵の命を浪費する姿に、門閥貴族と似た匂いを感じた。そうこうしているうちに、終着点まで歩いたらしい。跪いて、兄貴の言葉を待つ。

 

「リューデリッツ伯ザイトリッツ。貴公は近年生じたイゼルローン要塞攻防戦において、抜群の功績を上げた。よってこれを賞するとともに、その功績をたたえ、双頭鷲十字星賞を授ける。帝国歴468年4月銀河帝国皇帝フリードリヒ4世」

 

「ありがたき幸せ。帝国の興隆の為、より一層はげむことを誓います」

 

兄貴直々に右胸に勲章をつけてもらう。大変な名誉だし、光栄だとは思うが、心から喜べないのは主砲発射を命じたときの葛藤だけでなく、おばあ様が亡くなったこともあるのかもしれない。イゼルローン要塞の司令官を拝命した段階で覚悟はしていたが、最後の時に傍にいられなかったのは、殺戮者となった俺に相応の罰なのではないかなどと、暗い思考の輪に囚われていた。

勲章を付け終わると、再度最敬礼をし、身をかがめて5歩下がり、振り返って退室する。帝国の国歌であるワルキューレよ永遠なれが鳴り響くが、俺の心にはあまり響くものがなかった。俺には軍人としての適性は無かったのだろう。内心を探られぬようにあえて勲章を誇るように胸を張って歩く。前世も含めれば80年以上生きてきて、こんな虚勢を張ることになるとは思わなかった。

唯一の光明は、政府と宮廷で主張されていた前進論が形をひそめた事だ。俺の方では過大に見積もったダゴン・アスターテ・パランティアの駐留基地新設計画書と、アムリッツァ星域の第11駐留基地を6個艦隊クラスの駐留基地に増築する提案書を提出した。

高額な最前線駐留基地新設費用と、兄貴が

「そこまで言うなら、侵攻して得た領地は任せるゆえ。今の領地から異動してくれると思って良いな?」

と、言ってくれたおかげもあり、前進論は形をひそめる結果になった。来期には第11駐留基地の増築案が採用される見込みだ。

ガイエスブルク要塞の方は、居住区画を各門閥貴族に割り振ったのは良いが、もはや笑い話の種になりたいのだろうか?設計図は認識していたものの、各々が少しぐらいなら大丈夫を繰り重ねたらしく、結果、誰も設計図と合う物を造らなかったらしい。笑い話としてなら、歴史に残る高額な費用を使った話になるだろう。俺が苦悶している中、宇宙レベルの茶番をしていたのかと思うと、腹立たしい。

一旦洗面台を使って落ち着こう。これから受勲を祝う宴が開催される。主役のひとりがしかめっ面では盛り下がる。俺はそれなりに空気を読む人種なのだ。洗面室から控えの間に戻る途中で、近衛から声を掛けられる。付いていくと叔父貴がおり、兄貴が内々で話したいらしく、バラ園へ一緒に来て欲しいとのことだった。バラ園か。兄貴がやりたいことは何もできない為、無為を埋めるために始めた趣味らしいが、どんな心境でバラの世話をしているのだろう。仲睦まじかった皇后殿下も体調を崩され、昨年身罷られたとも聞いているが。

 

 

宇宙歴777年 帝国歴468年 4月下旬

首都星オーディン バラ園付近 

リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン

 

「これが兄貴のバラ園か。ゾフィーから少し聞いた話だけど、花は丹精込めて世話をした分だけきれいに咲くらしいね。この美しさを素直に喜べないのがつらい所だけど」

 

勲章の授与式を終えたザイ坊と、陛下のバラ園へお忍びの態で移動してきた。咲き誇るバラを見て、ザイ坊が悲し気に感想を漏らす。こやつも陛下が本来なされたいことをウスウスは感じている所がある。あのまま行けば、帝国は門閥貴族達に貪りつくされると判断して、動いた結果がこれだ。したくもないバラの世話を陛下がされた結果の美しさ。儂も心からこの美しさを楽しめたことは一度も無い。今少しやりようがあったのではないかと思わぬ日はないが、あの一件は秘したまま、あの世にもっていくつもりだ。

 

「そうじゃな。陛下が本当に美しさを評されたい者達はこの美しさを素直に喜べぬ。陛下のお心を知らぬ者どもはどこかで読んだような口上をしたり顔で述べてくるな」

 

「叔父貴も言うようになったね。まあ、俺との場でぐらいはそうでないと、腹に色々溜まり過ぎるからね。こっちも似たようなものだし」

 

少し乾いた笑い声をあげてから、こちらを気遣うような視線を向けてくる。こやつは儂が秘していることもウスウス気づいておるのかもしれぬ。初めて会った時からすでに25年。いつの間にやら身長も抜かされ、儂が見上げる側になっている。あの時の飲み屋街での思わぬ出会いが、深い縁になるとは、この歳になって思うが、人との縁とは面白いものじゃ。

 

バラ園の入り口から、レンガ敷きの通路を少し進むと、小さめの広場が見えてくる。いちばん奥まった所に屋外用のダイニングセットが用意され、陛下がお茶を飲みながら寛いでおられるのが目に入る。嬉し気にティーカップを少し持ち上げながらこちらに視線を向けられた。とはいえ、誤解を避けるために走り寄ることはできない。小走りにもならない様な速さで歩み寄り、跪く。後ろでザイ坊がそれに倣う気配を感じる。

 

「陛下、リューデリッツ伯をお連れいたしました」

 

「リューデリッツ伯ザイトリッツでございます。先ほどは直々の勲章授与、ありがとうございました」

 

「うむ。久しぶりの楽しい政務であった。超硬度鋼生産施設の火入れ式を思い出しながらお茶を楽しんでいたところじゃ。マリア殿の事は残念であったな」

 

「ありがとうございます。陛下のお言葉を聞けば、祖母も喜んだことでしょう。イゼルローン要塞司令官のお話を受けた際にこういう事もあろうかと覚悟はしておりました。お心遣いありがとうございます」

 

内々とは言え、近衛やお付きの者たちがおる。お忍びの様な話し方をすればあとあと不敬罪でザイ坊が責められかねぬ。言葉遣いでさえ自由にならぬとは、銀河帝国の皇帝の地位のなんと不自由なことか、御いたわしさを改めて感じてしまう。

 

「うむ。受勲の場ではいささか表情が芳しくない様子であったが、マリア殿の事以外にもなにか懸念があるのか?前進論は形をひそめたと聞いておるが。」

 

「は。臣は戦場で100万の敵を倒すことよりも100万の臣民を養う事に志向があると再度認識した次第で。今更ではございますが色々と考えております。今回の戦果も叛乱軍が犠牲を厭わぬ無謀な作戦を実行した部分が大きいのです。自軍の兵士の命を浪費するような場に出くわし、面喰っているのかもしれませぬが......」

 

陛下もザイ坊も生まれに縛られた人生を歩んでおる。ザイ坊の志向は軍人ではなく事業家であろうに。周囲から賞賛を受けても、本人の心は乾いていく一方なのであろう。それにマリア殿が身罷られた。もう本心から祝って欲しい方もおらぬ。そこでふと、このバラ園に思考が移った。陛下にとってのバラ園が、ザイ坊にとっての軍務なのかもしれぬ。

 

「そちが望むなら、退役を許可する勅命を出しても構わぬが、如何する?」

 

「陛下、それはさすがにお願いできませぬ。守りたい家族も、報いてやりたい部下も。戦場を共にした戦友も出来ました。それに生まれついての責任を果たされている方を存じ上げております。私だけ、楽隠居して生きたいように生きるにはいささかタイミングが遅いかと存じまする」

 

陛下は気遣うような表情をしながら退役の可否を問われたが、ザイ坊は少し間をあけてから、今の生き方を続けると答えた。この2人を見ていると儂まで悲しくなってくる。

 

「生きたい様に生きられぬか。何やら心当たりがあるのう。儂は近いうちに14歳の寵姫を持つことになるようだ。お互い苦労が絶えぬな」

 

陛下は苦笑されているが、ある子爵家がもう二進も三進もいかなくなり、宮廷貴族に賄賂を渡してねじ込んできた話だ。娘を売ったに近いやり口だが、断れば子爵家は完全に没落することになる。その娘も陛下に袖にされたとなれば、嫁ぎ先は無くなると言ってよい。陛下は話を受ける代わりに、しばらくの間は同じような話を持ってこぬように指示を出された。祝宴まではまだ時間がある。今少し思う所を吐露する時間はあるだろう。




金髪さんと赤毛さんが昨年生まれてます。


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48話:帝都での日々

宇宙暦777年 帝国暦468年 8月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ゾフィー・フォン・リューデリッツ

 

「では始めよう。皆の健康を願って。」

 

夫が晩餐の開始を告げながらグラスを少し掲げる。テーブルを囲む面々が、前菜に舌鼓を打つ。当家の料理は、他家と比べても美食の要素が強い。士官学校へ優秀な成績で入学したパウル君も、幼年学校をあと数年で卒業するワルター君も、やはり幼年学校へ優秀な成績で入学したオスカー君も、年相応に笑顔を見せている。親代わりという意識と、彼らを特に可愛がっていた義祖母様がお亡くなりになられてた事がきっかけで、名前で呼ぶようになった。

夫を中心に私が左隣、右隣りはまだ晩餐に参加するには少し幼い、当家の嫡男アルブレヒトがちょこんと座り、子供用の食器で幼いなりにマナーを守りながら食事をしている。それを優しげな眼差しで見る夫。私の左隣には長女のフリーダが、こちらも幼児ながらマナーを守って楽し気に食事をしている。まだ3歳の次男は、子供部屋で夢の中だ。夫が前線から戻って数ヵ月。やっと落ち着いたという所だろう。

 

夫がイゼルローン要塞司令官の任にあった3年の間に、我が家は色々と事が多かった。いちばん大きかったのは、義祖母がお亡くなりになられたことだろう。私はRC社の事業に携わってもいたので、子供の多い当家で、母親代わりに子供たちに愛情を注いでくれたのが義祖母だ。屋敷は悲しみに包まれたが、夫は最前線のイゼルローン要塞から身内の不幸を理由に一時帰宅するわけにもいかず、先代ルントシュテット伯や、ご兄弟の奥方たちにもご協力いただきながら、葬儀を手配した。

とはいえ慶事もあった。士官学校と幼年学校への入学が続いたが、みな上位合格者として入学したのだ。義祖母様の御霊前に良い報告をしたいという思いと、前線で大功を上げた夫に、少しでも胸を張って再会したいという思いもあったのだと思う。

 

「アルブレヒトもフリーダも幼いなりにさまになっているね。ゾフィー感謝しているよ。それともみなで色々教えている成果でもあるかな?」

 

夫が笑顔を浮かべながら、言葉を発する。前線から戻った直後はなにか思い悩むことがあるのか、笑顔になってもどこか無理をしている雰囲気があった。そういう事は子供の方が感じやすい。帰国直後は皆少し戸惑っていたように思う。

 

「私の功績にしたいところですが、皆色々と世話をしてくれています。お聞き及びでしょうが士官学校と幼年学校でも励んでくれているので、私も安心しております。」

 

「留守の間に色々と気を使ってもらい感謝している。RC社の件といい、会食の件といい、本来なら私が力になるべきところなのだが、改めて感謝しているよ。」

 

夫がひとり一人に視線を向けながら感謝を伝える。皆嬉しそうだ。無理している雰囲気もやっと薄まってきた。私も体験してこなかったことだが、これが一般的な一家団欒というものなのだろう。前菜の皿が下げられサラダが運ばれてくる。配膳を終えたタイミングで

 

「うーん。このアレンジはワルターの物とは少し違うね?オスカーが考えたのかな?」

 

と夫が二人を見ながら話しかけた。

 

「はい。シェーンコップ卿にお願いして私の案を採用していただきました。どこか不備がございましたでしょうか?」

 

「いや、アレンジの仕方が少し違うから確認しただけだよ。ワルターのアレンジはどちらかというと分かるものにはわかる遊び心のようなものを感じるが、このサラダからは雅さのようなものを感じたからね。二人ともいずれはもてなす側になるのだから今から色々と試してみればいい。また楽しみが増えたよ。」

 

オスカーが少し不安げに答えたが、夫は満足げな様子だ。確かに雅と表現するとしっくりくるものがある。

 

「いつものは楽しい感じだけど、今日のはすごくきれい。」

 

そう目を輝かせながら、長女のフリーダが楽しそうに食べ始める。その隣で、心配そうに見守るのはパウル君。なんやかんやと世話を焼いてくれる。こんな日が続けばいいと思うが、上級大将という重責を夫は担っている。最前線に赴任し、大功を上げた事で、休暇に近い状況が許されているが、いつまでもという訳にはいかないだろう。今はこの幸せな時間を少しでも楽しむことにしよう。

 

 

宇宙歴777年 帝国歴468年 11月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「先方もまだ落ち着いてはおられまい。お祝いを述べたら長居はせずに戻ることになるだろう。そのつもりでいてくれ。」

 

屋敷の者にそう伝えて、俺は地上車に乗り込む。今から向かうのはマリーンドルフ邸だ。ご結婚されてからしばらく間が開いたが、フランツ先輩ことマリーンドルフ伯に待望の子供が誕生した。生まれたのは秋になるかどうかという時期だったが、出産直後に押しかけても迷惑なだけだし、親族なども押しかけているだろうという事で、少し間をあける事にした。

もちろん誕生の知らせを受けると同時に祝辞は届けたが、ようやく落ち着いたとの知らせを受けて、お祝いのご挨拶に伺う。今日は内輪の話なので、軍服ではなく、少しクラシカルなスーツを着ている。上級大将の軍服など着て歩けば、目立ってしまいプライベートもへったくれもない。私事でも軍服を着る軍人は多いが、俺は少数派に属するという事だ。

 

上級大将といえば、現在の私の役職は「帝国軍最高幕僚会議常任委員」と「工廠部部長」という事になっている。これは軍部の意向と私のわがままの間を取った結果だった。軍としては艦隊司令として、時には数個艦隊を率いる事を想定したポジションを用意したがったが、3年、強固な要塞とは言え最前線に赴任したばかりだし、子供たちも小さい。名誉なことだが、丁重にお断りした。

そうなると上級大将という階級に見合う役職を急に用意することはできないし、特に失態もないのに、軍務省や統帥本部の次長を譲らせるわけにもいかない。そんな中で、アムリッツァ星域の第11基地を大幅増築する案件と、ガイエスブルク要塞建設に伴う資材価格の高騰が要因で、戦闘艦の建造が予定の進捗を満たせていないこともあり、その調整と、要塞完成後に進捗の遅れを取り戻す計画策定をつなぎの任務として受けたわけだ。

来期からは、第11駐留基地の大幅増築と前線の駐留艦隊が増える事に対応する補給体制の確立が任務になるだろう。マリーンドルフ邸まではそんなに距離はない。門番に運転手が名を名乗り、邸内に進んでいく。もうすぐ邸宅というあたりで、地上車の窓からキョロキョロしている8歳位の淑女が見えた。困りごとの様なので、地上車を止め、車を降りる。

 

「フロイライン、こんな所で如何なされました?何かお困りごとですか?」

 

「母の付き添いで参りましたが、退屈なので庭園を見て回っておりましたの。丁度、満足したところです。お屋敷に戻ろうと思いますのでエスコートして頂ければ幸いですわ。」

 

黒髪に黒い瞳の、ややおてんば風な少女が、すこし恥ずかし気に返答した。まあ迷ったか、うろうろしているうちに足が疲れたのだろう。幼いながらにパンプスを履いているし、とても歩き回る装いではない。まあ、幼いとはいえ一人前のレディー扱いしておけば問題ないだろう。

 

「それは光栄なことでございます。不肖ながらこのザイトリッツ、姫君のエスコートをさせて頂きましょう。」

 

やや芝居がかった感じになってしまったが、姫君のお気に召したらしい。良きにはからえなどと言いながら手を差し出してくる。俺はやさしく手を添えると、姫君を同乗させて邸宅へ向かった。

 

邸宅に到着すると、先に車を降りて姫君をエスコートする。すると、何やら慌てた感じで、俺より少し年上であろう淑女が駆け寄ってきた。

 

「マグダレーナ!どこに行っていたのです?部屋で大人しくしていてとお願いしたはずです。使用人たちにあなたを探してもらう所だったのですよ?」

 

結構な権幕だが、姫君はどこ吹く風だ。

 

「お母様、庭園をみておりましたら、足がくたびれて難儀していたのです。どうしたものかと思っていたら、こちらのナイトが声をかけてくれたのでエスコートをお願いしたのですわ。」

 

「はい。このザイトリッツ、姫君をエスコート出来、光栄にございました。ただご母堂がご心配されたのも事実。詫びるべき時に詫びるのも、淑女のマナーかと存じますが・・。」

 

というと、少しすました顔をしながら詫び口上を述べた。母親はどうやら俺が誰か分かったらしく対応に困っていた様子だったが

 

「さすが姫君でございます。このザイトリッツ、感服いたしました。とは言え不肖の身ではございますが、これでも予定がある身でございます。こちらで失礼させて頂きます。楽しい時間をありがとうございました。」

 

そう言ってから、邸内へ進む。こう言っておけば、こちらが特に気にはしていないと伝わるだろう。執事だろうか、先導を受けながら応接室に進む。ドアが開き、フランツ先輩が立ち上がって出迎えてくれる。

 

「マリーンドルフ伯、待望のお子様のご誕生、おめでとうございます。」

 

「ありがとうリューデリッツ伯。それにしてもお互い伯爵家の当主になるとはあの頃は想像できなかったなあ。」

 

そんな言葉を皮切りに、先輩と旧交を温めた。マリーンドルフ伯爵家はカストロプ公爵家と血縁関係にあるので、成果が出ると分かっていつつも中々あたらしい政策を行うのは難しいそうだ。奥方もまた産後の日立ちが悪く床払いが出来ずにいるらしいし、キュンメル男爵家に入り婿した弟君も体調を崩されているらしく、心配事が絶えない様だ。確認はしなかったが、仲人に近い存在であるヴェストパーレ男爵夫人が、奥方を心配して連日こちらに押しかけているそうだ。まあ十中八九、あの母娘だろう。

そんな話をしながら、タイミングを見てシルバーカトラリーを納める箱と最初の銀の匙を先輩に渡す。カストロプ公爵に関係する門閥貴族とは言え、先輩は良識人だ。今の関係は維持したいからね。先輩も快く受け取ってくれた。しばらく歓談してから改めて祝辞を述べて部屋を辞する。玄関に向かう途中で、何やら意を決した様子で、先ほどの姫君が駆け寄ってきた。

 

「お知り合いのご息女という事でヒルダに贈り物をするなら、わたくしはあなたの姫君なのですから贈り物を受け取る資格はあると思いますわ。」

 

「左様でございますか。このザイトリッツ、姫君に贈り物を受け取って頂けるとあればこれに勝る喜びはございませぬ。お誕生日にはお届けいたしますのでお納めいただければ幸いに存じます。」

 

俺がそう言うと、姫君は嬉しそうに待っていますと言って、おそらく母親の元へだろう。走り去っていった。フランツ先輩のご息女、ヒルデガルド嬢と同格の物をお送りしておこう。予想外の出来事もあったが、心温まるひと時におれはかすかな安息を感じていた。



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49話:フェザーンの日々

宇宙暦778年 帝国暦469年 4月下旬

フェザーン自治領 首席補佐官室

アドリアン・ルビンスキー

 

「一先ず、これで資材価格の高止まりも落ち着くだろう。ルビンスキー君、ご苦労だった。報告書は自治領主閣下にも確認いただいている。もうすぐ補佐官の椅子が一つ空くはずだ。おそらく君が抜擢されるだろう。改めておめでとう。よくやってくれた」

 

ワレンコフ首席補佐官がねぎらいの言葉をかけてくれる。貴族のボンボンどものおもちゃ作りには結局6年近くの時間を取られたが、補佐官の椅子が手に入るなら、保育士の真似事をした甲斐があるというものだ。

 

「恐れ入ります。首席補佐官にも色々とご配慮を頂きました。改めてになりますがありがとうございました」

 

当初は、俺を保育園へ放り込んだこの男に少なからず憤懣を抱いたが、彼はなんだかんだとサポートをしてくれた。別に俺への親切心ではなく、資材価格の高止まりが方々に与える影響を考えれば、一日でも早くおもちゃ作りを終わらせる必要があったのが、サポートの理由だろうが、学級崩壊した問題児ばかりの保育園の担当者としては、本当に助かった。

特に居住区画をモジュール工法に切り替えて、ブラウンシュバイク公爵家とリッテンハイム侯爵家の一門に割り振った結果、あくまで内装のみを委任し、モジュールの設計図まで指示したにも拘らず、何を血迷ったのか、自分が使うからと設計図を無視したモジュールを造られた時には、完全に工期をオーバーする事が確定したことも相まって正直、俺のキャリアも終わったと、放心状態になりそうだった。これを納めてくれたのも首席補佐官だ。

工期の延長が確定した時期から、軍部系貴族と軍人たちから、むしろ6年で要塞が完工するなら十分に誇るに値する偉業であるという見解が、かなり大々的に発信された。彼らからすれば、それ以上の偉業であるイゼルローン要塞を工期を守って完成させた訳だから、自分たちの偉業を更に高める意図もあったのかもしれない。

ただ、そのおかげで、同じ船に乗っていた、理事長と園長の面子も守られたし、俺も面目が立った。おそらくリューデリッツ伯辺りに依頼したのだろうが、何を対価に求められたのやら。怖くて今は聞けないが、いずれきちんと仕事の成果で返せば良いと割り切ることにした。

 

「リューデリッツ伯からも、まずは無事故で完成までこぎつけた事にお礼の言葉があった。秘蔵のフリードリヒコレクション数本と、保育園の超過勤務手当を預かっている。いつもの口座に振り込んでおくので確認しておいてくれ」

 

「は!ありがとうございます」

 

リューデリッツ伯はもしかしたら大事故が起こる事も想定していたのかもしれんな。帝国側の資材価格高止まりの影響の尻ぬぐいは、彼が担当するとのことだ。大事故がおきれば工期は10年近いものになっただろう。むしろ6年でボンボンどもの火遊びが終わって助かったという所だろうか......。

 

「これで門閥貴族の中でもブラウンシュバイク家とリッテンハイム家を中心とした一門には、太いパイプが出来たはずだ。折衝の場では話を振られることも増えると思うが、期待して良いかな?」

 

「は。共同で事業を進めるパートナーになるのはご容赦頂きたいですが、あやし役ならばご安心頂ければと。コツをつかめばお客様としてこれほど楽な相手はございません」

 

俺がそう言うと、ワレンコフ首席補佐官が笑いながら、うなずいた後に退出を命じられる。しばらくは厄介事に巻き込まれることもないだろう。久しぶりに歓楽街の高級クラブにでも顔をだしてみるか。うまい酒が飲めそうだ。

 

 

宇宙暦778年 帝国暦469年 8月下旬

フェザーン自治領 酒場ドラクール

ヤン・タイロン

 

懐かしさに似た思いを感じながら、だいぶご無沙汰していたドラクールの少し重めのドアを開く。進んでいくとマスターがグラスを磨いているのが見えた。白髪が増えていたがまだ現役でいてくれたようだ。私の事も覚えていてくれたらしい、少し会釈してから、VIPルームへ向かう。

亡くなった妻の親族に、息子のウェンリーの親権を奪われそうになり、一緒に星間交易船で宇宙を駆け回る生活を始めて5年。ザイトリッツ様との取引があったからまだマシだったが、急激に資源価格と資材価格が上昇し高止まり傾向が続いたことで、かなり商売がやりにくい状況だった。同盟領内の経済活動は停滞気味だったように思う。商売を変える同業もいたほどだ。同じく懐かしさを感じる通路を抜けて、部屋に入る。やはりと言うか、コーネフさんは先着されていた。懐かしい顔との再会に、自然に私も笑みがこぼれる。

 

「コーネフさん。お待たせしました。久しぶりですがフェザーンは変わらず活気があってよろしいですね。明るい話が多いので、元気がもらえる気がします」

 

「いえいえ。ただ、ここ数年、資材価格が高止まりしたままでしたからね。独立商人も変化に対応する才覚が試されましたよ。お互い、帝国への機械輸出の収益が無ければ、かなり大変な舵取りをすることになったでしょうな」

 

コーネフさんの言う通りだが、ビジネスとは言え少し胸が痛む部分もある。この話を依頼されたザイトリッツ様は今ではリューデリッツ伯となられ、同盟側でも帝国軍有数の指揮官の一人として認識されている。大敗を喫したイゼルローン要塞攻防戦でも大きな役割をされたらしい。

商談の相手としては文句の付け所がない方だが、曲がりなりにも自由惑星同盟に属する私が、そんな方とビジネスをして収益を上げる事に、良心の呵責に似たものがある。

フェザーンを中継地とした帝国との交易は、同盟の経済にとっても無くてはならないものになっている。同盟の経済にも一役買っているのだと、自分に言い聞かせて納得した気になっているというのが実情だ。

 

「ウェンリーの件もご配慮いただきありがとうございます。さすがに交易船内での生活では同年代の友人を作ることもできませんし、気にはなっていた部分なので感謝しております」

 

「良いのです。ボリスはまだ8歳なのですが、変にへそ曲がりな所がありまして。近所では悪たれなどと言われておりますから、きちんと責任を伴った役目をやらせたいと思っていたのです。いくら何でも友人のご子息をフェザーンに滞在されているにも拘らず交易船の船内で過ごさせるわけにもいきませんし」

 

今回のフェザーン滞在では色々な商談が予定されていたので、とてもではないがウェンリーの面倒を見てやることはできなかったが、コーネフさんの好意で、短期のホームステイをするような話になり、ご子息のボリス君が、ウェンリーに付いてフェザーンを色々案内してくれることになっていた。

 

「あの方からのお知らせで、この数年の帝国での資材消費量の増加分はいったん落ち着くので、資材価格も元の水準に戻るだろうとのことですよ。交易業界としては仕事がやりやすくなりますが、資材価格の下落を織り込まずに設備投資していた所には厄介なタイミングでしょうね」

 

「そうですか。うちにも話は来ましたが、政府の補助金がついていたりと何かしらしがらみが出来そうなので手を出さなかったのです。このタイミングではかなりの案件が不良債権になるでしょうね。明日は我が身と思って、教訓にでもしましょうか」

 

一旦、話を区切りお互いにグラスを傾ける。普段はあまり嗜まないが、ドラクールではウイスキーをロックでちびちびと楽しむのが私の流儀だ。コーネフさんも同じものを飲んでいる。生ハムを口に入れて一息ついた頃合いでコーネフさんが話を続ける。

 

「帝国でも資材価格の高止まりは方々に影響があったようです。あの方が尻ぬぐいを命じられたそうですから、帝国の方は思った以上に早く落ち着きそうですね」

 

「同盟の方はそうはいかないでしょうね。価格上昇が始まった直後に設備投資した案件でも4年位しか恩恵を受けられませんでした。多くの案件は2年恩恵があったかどうかでしょう。増産分を吸収できる受け皿があればまだ良いですが、戦闘艦を建造しても乗組員がいないですし、ほとんどの案件は造船施設から離れた星域で、同盟内では採算を取るのが難しいと判断されていたはずです」

 

これで同盟政府の財政はまた悪化するし、フェザーンへの借款もディナール建てでは受け入れてもらえなくなっていると聞く。この状況で紙幣の発行は悪手だし、増税はさすがに地方星域から限界だと悲鳴が上がるだろう。軍への徴兵を進めれば、そもそもの社会基盤が壊れかねない。つまり特効薬はないという事だ。ゆっくり体制を立て直す時間的な猶予をそもそもあの方が許すのだろうか。それに同盟の国民は、待ちの政策を容認するのだろうか?

 

「ヤンさん。我々はビジネスに関わる人間だ。もちろん信義を通すのは当たり前の話だが、自分の自由にならないことで思い悩んでも仕方ないでしょう?いつかお話頂いた忠告の話に通じるところがあると思いますが......」

 

「確かに、忠告できる立場でもありませんし、一度目の忠告のつもりが4度目の忠告になるかもしれませんね。それにしてもあの方はここまで読んでおられたのでしょうか?」

 

コーネフさんは少し困った表情をしながら、一度グラスを傾けた、少し考え込んでから

 

「そうであっても驚かないという所でしょうか?まだ32歳になられたばかりのはずですが、フェザーンに生まれていれば『今年のシンドバット賞』を10回は受賞していますよ。失礼があってはいけないという事で自粛していますが、フェザーン商人が息子につけたい名前の第一位はザイトリッツですからね。私自身も、あの方にお願いしてザイトリッツと名付けたかった位です。お許しは頂けそうですが、あとあと面倒ごとの種になっても......。と思いまして止めましたが」

 

ヤン・ザイトリッツか。響きは良くない。私もフェザーンに生まれていればザイトリッツと名付けたがったのだろうか?

 

「まあ、余談はこれ位にして、なにか良い話はありましたか?資材価格の下落予測はまだそこまで広まっていない話ですので、ヤンさんとも情報交換しておきたかったのです」

 

コーネフさんも話題を変えたかったのか、二人でいつもする話題がやっと出てきた。金銭育ての名人としてはこういう話をしているのが一番性に合う。普段以上に酒が進む場だったが、コーネフさんも色々ご苦労されているのだろう。お互いに少し飲み過ぎてしまった。

 

宇宙歴778年 帝国歴469年 12月下旬

フェザーン自治領 某所

フェザーン自治領主ラープ

 

「総大主教猊下、お応えください。ラープでございます」

 

「うむ。ラープか、自由惑星同盟への浸透が進んでいる件は聞いておる。励んでおるようだな」

 

「ははぁ。ありがたきお言葉でございます。とは言え、帝国が思った以上に力を伸ばしております、その件でお考えをお聞かせいただければと存じました次第でございます」

 

「その件か。帝国は辺境星域の開発も順調。同盟との戦争も優勢に進めておる。消耗させる意味で前進論を唱えさせたが、うまくかわされたようじゃな」

 

「はい。我らの力が及ばず、面目次第もございませぬ。要人の暗殺も考えましたが、効果が見込める人材の暗殺を行えば、かなりのリアクションが予想されます。いささかリスクが大きく、最悪内戦にもなりかねませぬ」

 

「そうじゃな。確かにまだ乾坤一擲の勝負をかける段階ではないであろうな」

 

「幸いにも、皇太子の近辺に策をめぐらせる余地がございます。少しでもまとまりを欠くように動ければと愚考いたしておりますが、猊下のお考えは如何でしょうか」

 

「うむ。まずは内側をかき回して様子を見るのも一興であろうな。ラープ、地球の正統なる地位の回復の為にも励めよ」

 

私が返答をすると、通信が終わった。音声ではなく思考で会話する特殊な通信装置の電源を落とす。既に自由惑星同盟の屋台骨にはヒビが入っている。帝国の力も弱めたいところだがさてどうなるか。




※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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50話:予想外の未来

宇宙暦779年 帝国暦470年 4月下旬

アムリッツァ星域 惑星クラインゲルト クラインゲルト子爵邸

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「わざわざのご足労ありがとうございます。リューデリッツ伯」

 

「とんでもない事です。また隣の惑星が騒がしくなりますので、先にご挨拶しておかねばとお時間を頂戴した次第です。事前にご相談した通り、新たに4個艦隊分の駐留基地をお隣の惑星モールゲンに建設する事となりました。完成の暁には6個艦隊の駐留基地になりますので、増築というより、改築に近い工事になります。工期は2年ほどを予定しております。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いいたします」

 

「迷惑などと、むしろ事前にご相談いただけた事、感謝しております。本来ならクラインゲルトにも2個艦隊程度は受け入れる余地はございますが、人口の流入と増加が重なりまして、ここに駐留基地を更にとなると、行政面でいささか手に余る状態でした。お礼を申し上げなければならないのはこちらの方です」

 

壮年のクラインゲルト子爵が、恐縮した様子で頭を下げてくる。言葉を濁してはいるが、このクラインゲルト子爵家もRC社のお得意さまだ。当然、領地開発と福祉政策の拡充により、他の辺境星域と同様の状況だったが、その中でもイゼルローン要塞建設から第11駐留基地の新設、そしてまた艦隊駐留基地の改築が始まるので、7年続いた特需状態がやっと落ち着いたころ合いで、また特需が起こるという、良くも悪くも多大な影響があったのがアムリッツァ星域だ。

第11駐留基地の改築案を出す前にクラインゲルト子爵には、惑星クラインゲルトに基地を新設する余地があるかを確認したが、子爵の言葉通り、行政組織の育成が全く追いついていない状況の中で、必ずしも品行方正な者ばかりではない軍人を、駐留基地要員も含めれば350万人近く受け入れれば、治安組織が悲鳴を上げるどころか崩壊しかねないという事で、モールゲンに集中させる判断をした経緯がある。

 

「それにしても驚きました。よくよく考えれば25年ぶりにご領地を拝見することになりましたが、ここまで成長しているとは......。資料では毎月確認しているのですが、百聞は一見に如かずと申しますが、宇宙港からお屋敷までの窓から見える光景に驚きました」

 

「他ならぬリューデリッツ伯にそういって頂けるとは、我が家の誇りですな」

 

子爵もまんざらではない表情で誇らしそうだ。俺とクラインゲルト子爵家は25年前のルントシュテット領に帰還兵の受け入れと、造船所の新設が重なった時代からの付き合いだ。RC社の最初期からのクライアントでもある。

 

「ご子息も士官学校で励まれている事、聞き及んでおります。辺境自警軍を志望して頂けているとか。ありがたい事だと思っております」

 

「愚息も自分なりに志を持ったようでして、ご配慮いただければ幸いに存じます。RC社とのご縁で、顧問のグリンメルスハウゼン子爵の遠縁になるフィーア殿との婚約も予定しております。25年前はこんな未来が我が領に来るとは思いませなんだ。ありがとうございます」

 

「それはおめでとうございます。式への参加はなんとも申せませんが、ご嫡孫が誕生した際は私からもお祝いを送らせて頂ければ幸いに存じます」

 

「リューデリッツ伯から銀の匙を頂ければ、孫の将来も安泰でしょう。うれしいお言葉ありがとうございます」

 

25年前はまだ先代クラインゲルト子爵の時代だった。政府に領地の開発案を提出しても無しのつぶてで、世を拗ねていた先代を説得してくれたのが、当時嫡男だったクラインゲルト子爵だ。大事にしたい縁でもある。お茶を飲みながら昔話に花を咲かせる。

 

「それでは子爵、温かいおもてなしを頂きありがとうございました。3年後にはお隣に1000万人近い軍人が配属されることになります。RC社の方からも予測と対策案は出しますのでご検討をお願いいたします」

 

「承知いたしました。RC社の方々にも大変良くして頂き感謝しております。愚息の士官学校卒業を機会に、当家でも御用船の購入を検討しております。その辺りも良しなに願います」

 

子爵の見送りを受けて、地上車に乗り込みクラインゲルト子爵邸を後にする。25年前は砂利道だったが今では完全に舗装されているし、宇宙港も湖を流用した簡易なものだったが今ではしっかりとした物が建設されている。ほとんどはクラインゲルト子爵の功績だが、辺境星域を豊かにすることに少しでも役に立てたなら嬉しい事だし、実際に目にすると胸にしみる物がある。これから宇宙港に向かい、モールゲンに戻る予定だ。昨年の段階で計画に基づいた整地作業が完了している。前倒しで作業は進んでいるので、問題は無いだろう。

 

 

宇宙暦779年 帝国暦470年 4月下旬

アムリッツァ星域 惑星モールゲン 第11駐留基地

テオドール・フォン・ファーレンハイト

 

「しかしながら、ここまで巨大な駐屯基地になるとはな。イゼルローンとは違った壮観さがある。そんな基地建設に自分が関わることになるとは、夢にも思わなかったよ」

 

建設現場が一望できるメイン管制塔からみえる光景に、思わず本音が漏れる。既に2個艦隊の駐留基地ではあったが、新たに4個艦隊分の駐留基地を作っても効率が悪くなるため、中心となるメイン管制塔を軸に、メンテナンス設備と造船工廠を円状に建設し、補給船の発着場も同心円上に8ヶ所作られ、そこに副管制塔も併設される。

その先に艦隊の駐留施設が建設されるが、基地内の移動の為に、環状線も2本、メイン管制塔を中心に南北・東西にも広軌の路線が引かれ、貨物専用のラインも併設される。南と東の終着点には歓楽街が、北と西の終着点には関係者の滞在施設と、超硬度鋼とスーパーセラミックの量産施設が移築新設される。もう基地の建設というより、巨大都市の建設に近い計画だ。

 

「ファーレンハイト准将は、イゼルローン要塞はほぼ完成してから視察されたのでしたね。私は建設途中の段階も観ておりましたので、イゼルローン要塞の印象が強いです。ただ、完成すれば見渡せる範囲全てが基地になりますから、壮観でありましょうな」

 

落ち着いて感想を述るのはベッカー准将だ。幼年学校以来の腐れ縁となりつつあるが、彼はザイトリッツの従士として、俺よりも長い間、傍で支えてきた人間だ。イゼルローン要塞の建設過程は映像で見る事が出来るが、確かにあれを生で見る事が出来ていたら、心に残るモノになるだろう。

俺も任官2年目から、ザイトリッツの副官と参謀を兼ねたような職務を果たしてきた。下級貴族出身の俺が33歳で准将などできすぎだろう。嫡男のアーダルベルトも幼年学校の3年目、数回ザイトリッツの日に参加しているし、ザイトリッツの甥にあたるルントシュテット家のご嫡男、ディートハルト殿とも研鑽しあう仲らしい。

親父が投資詐欺に引っ掛かった時には俺の人生は借金の返済で終わると絶望しかけたが、こんな未来が待っているとは思わなかった。アーダルベルトの後にも長女と次男・三男が生まれたし、ファーレンハイト家は一先ず安心といった所だろう。

 

「それにしても、通信設備を通常の物より強化する計画だし、中央管制塔の下はだいぶ余裕のある設計になっているが、我らが上級大将はまた面白い事でもお考えなのかな?」

 

「まだ決定ではないのですが、6個艦隊の駐留基地となると交代も含めれば12個艦隊のメンテナンス・補給が行えることになります。イゼルローン回廊の向こう側での戦況を把握しながら戦力配分を指示する機能も持たせようという話が出ているようです。話が流れれば大会議室が数個作られることになると思いますが......。まだ稟議の段階ですし、そうなると回廊出口付近に通信衛星を配備する必要も出てきます。稟議が降りたら正式な話として降りてくると思いますが......」

 

「確かにイゼルローン要塞の一歩後ろからの方が全体を把握しやすいか。目の付け所が違うなあ」

 

後方支援部門を軸にキャリアを重ねて来たが、どちらかというと俺は前線指揮官や、艦隊幕僚との折衝を担当し、ベッカー准将は、軍務省や統帥本部との折衝を任されてきた。こういう情報は彼の方が詳しいのが、俺たちの役割分担だ。代わりに俺は前線や宇宙艦隊司令本部の情報に詳しい。

 

「前進論を抑える意味でも、イゼルローン回廊のあちら側への駐留基地新設案はかなり必要予算を盛りましたから、それに比べたらこの駐屯基地改築予算など安く見えたと思いますよ。実際問題、あちら側に駐留基地を作っても維持と補給の予算も考えれば負担が増えるだけでしたし」

 

政府系貴族と宮廷貴族が一時期騒いだ前進論だが、軍部の特に前線指揮官たちにとっては『後方で政治ごっこをやってる連中が勝手なことを抜かすな!』というのが本音だった。

 

「あれは前線指揮官にとっては喜ばしい話じゃ無かったからなあ。騒ぎが納まったあとは、方々から感謝されたものだ」

 

「シュタイエルマルク元帥とザイトリッツ様の合作で戦況は優位。このままいけば戦争には勝てるのだから、今、変なリスクを負う理由もないだろう......でしたか?その通りではありましたね」

 

俺たちも参加した第一次・第二次イゼルローン要塞攻防戦で、叛乱軍の屋台骨にヒビは入ったはずだ。長期戦に持ちこめば確実に勝てるのに、短期決戦に持ち込む必要など、軍部では誰も感じていなかった。

 

「シュタイエルマルク伯が軍務省に転出されたのも前進論を抑える為だろう?本来なら元帥の一番弟子として艦隊司令になっていただろうに。残念なことだ」

 

「艦隊司令の人事案を活かすために次官にはならなかったようですし、正式に宇宙艦隊司令長官の引継ぎが終われば、ご本人は正式艦隊の司令を希望するおつもりのようですよ」

 

「それは良かった。正直、我々の世代で士官学校で習ったことは今の艦隊運用では通じない部分が多いからな。理論実証をしっかり進めてもらわねば」

 

しばらくそんな話をしながら休憩した後、俺達はそれぞれが担当している建設エリアへ向かった。これでも准将だからな。それなりの責任を負っているのだ。



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51話:次世代の面々

宇宙暦779年 帝国暦470年 8月下旬

首都星オーディン 幼年学校

アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

 

「アーダルベルト、こっちだ!」

 

声のした方に視線を向けると、同期のディートハルトが手を振っており、隣に座るコルネリアスは少し困った表情をしている。ディートハルトはルントシュテット伯爵家の嫡男だが気さくな奴だ。ただ、一般的な目線から見れば、やや気さくすぎるきらいがある。身分を気にせず、縁を持った人間には親しく接するが、礼儀にうるさい連中からは、伯爵家嫡男にあるまじき行為などと言われている。コルネリアスもそれを知っているので、止める訳にもいかないからだろうが、困った顔をしているのだろう。

昼食のプレートを持ちながら、彼らが座るテーブルに進む。ディートハルトの向かいに座ると、大き目だが少し硬めのパンを、スープに浸して食べる。量はともかく味はお世辞でも良いとは言えないだろう。俺の表情を見て取ったのか

 

「叔父上の会食を経験すると、改めてひどい味だと実感させられるな。次回はアウグストも参加できるそうだ。シェーンコップ先輩にいつも以上に良いものを出してくれと頼んでおこうか?」

 

「やめておけ、あの人は少し天の邪鬼な所がある。快諾したふりをして変な珍味を並べたりしかねないだろう。何も言わなければ、リューデリッツ伯の顔が立つようにきっちり手配をされるだろうし」

 

俺がそう言うと、それもそうかとつぶやきながら、昼食を再開した。ひどい味だと言いながらも、ディートハルトは結構な勢いでガツガツ食べている。下手をすると隣に座る平民出身のコルネリアスの方がマナーが良いだろう。だが、公式の場や晩餐では、人が変わったように優雅に振る舞うこともできる。なので、従士も含めてマナーの件は誰も指摘が出来ずにいる。本来なら敬語を使うべきところだが、将来、命を預けあうかもしれないのだから、親しくなった以上は名前で呼び合おうと言い出したのも、ディートハルトだ。

 

「そのシェーンコップ先輩からの話だが、士官学校にとんでもない教官がいるらしいぞ。戦術教官らしいが『理屈倒れ』などと候補生の間では言われているそうだ。あの人も素知らぬ顔をしておけばいいものを、早速慇懃無礼に褒めちぎったらしく、もう目を付けられているそうだ」

 

「まったく、あの人らしいが、まだ候補生になって半年も経たずに教官に目を付けられるとは変わらないな」

 

コルネリアスが笑い声をあげる。

 

「権威を押し付けるのはあの人が一番嫌う所だからな。どうせその『理屈倒れ』が候補生の鼻っ柱を折ろうとでもしたのだろう。ただ、あの人の配属先の上官は大変だろうな」

 

「その辺は大丈夫だろう。おそらく叔父上の管轄に配属されるはずだ。さすがの先輩でも叔父上の顔をつぶすことはしないさ。もっとも相性の良さそうな上官を選ぶことにはなるのだろうが」

 

任官か。まだ先の話だが、俺の父は同期だったリューデリッツ伯の下で任官してからほとんどの軍歴を重ねている。祖父が架空の投資話に騙された一件を処理してもらった縁らしい。それが無ければ今頃ファーレンハイト家は極貧生活だったそうだ。

恩があるのは分かっているが、リューデリッツ伯の指揮下は人気の部署だ。個人的には次世代艦を使った戦術に練達していると言われているメルカッツ提督や、宇宙艦隊司令長官の引継ぎが終わり次第、正式艦隊の司令官になると言われているシュタイエルマルク提督の下で、前線を担う艦隊司令を目指したいとも思っている。

 

「ルントシュテット艦隊だとさすがにやりずらいからなあ。本当はメルカッツ提督の所に行きたいが、提督も父と親交が深いしどうなるかな?まあ、任官までまだ時間はあるし、まずは研鑽を積む所からだな」

 

ディートハルトが最後の一口を飲み込みながらこの話を締めくくった。午後からは座学だ。普通なら満腹近くまで食べれば眠くもなるが、こいつは居眠りなどしたことは無い。よくよく観察すれば育ちが良い事がわかる。メルカッツ提督の下で、ディートハルトとともに研鑽するのも悪くないかもしれない。少しでも成績を上げれば希望を確認してもらえる可能性もある。食器をトレーに整理して返却口へ戻し、3人そろって食堂の出口へ向かう。座学が行われる教室が近づいて来た所で

 

「だから話の分からぬ奴だ。たかが2人分の席を用意することぐらい卿なら出来よう。簡単な話ではないか!」

 

「左様、成績が良いだけで平民が参加できるのに、なぜ皇室の藩屏たるブラウンシュバイク公爵家の一門である我らが参加できぬのか?筋が通らぬではないか」

 

なにやら癇癪を起こしたような声が聞こえた。おもわず3人で顔を見合わせるが、なにやら揉め事のようだ。見て見ぬふりはできない。声の方へ近づいていくとおそらく声の主であろう2人の背中越しに、貴公子然とした黒髪の少年が目に入った。誰かと思えばロイエンタール卿か。

 

「では、確認いたしますが、リューデリッツ伯主催の会食は、幼年学校の成績を基に参加者を決定しています。おそらく総合では無理でしょうから、各学科で5番以内に入られているのでしょうか?確か、幼年学校には『我儘学』は無かったと存じますので、無理な話でしょうが。」

 

立ち聞きしていた俺たちも、言い様がサマになっているので、揶揄していると気づくのに一瞬間があったほどだ。そしていつもの冷笑を浮かべている。俺の知り合いはなぜこうも一癖ある奴らばかりなのだろう。俺が歩み寄ろうとすると、肩をつかまれた。振り返るとディートハルトが首を横に振りながら大丈夫だ!っといたずらをするような表情を浮かべながら止めてきた。俺はロイエンタール卿を心配したのではなく、相手のお坊ちゃまを心配したのだが......。まあこいつがそういうなら、何かあれば任せろという事だから、観客役に徹するか。

 

「無礼な!我らの事を知りながらその物言い、許せぬ!」

 

そうお坊ちゃま方は怒声を上げると黒髪の貴公子ことロイエンタール卿に殴りかかったが、するりとかわすと腕を取って一瞬で関節を決めた。貴公子然としているが、格闘術では年下にも拘らず俺も2歩は譲る腕前だ。なにしろあの喧嘩上手なシェーンコップ先輩に幼少から色々と仕込まれているのだ。普通の従者ではとてもかなわない腕前を持っている。

 

「それで、どうされます?逆らうことができない従者や領民相手ならいざしらず、そのように緩んだ身体で私をどうこう出来るとでも?私も舐められたものだ」

 

腕を決められた方は痛みで動けずにいる。

 

「我らにこのようなことをして只で済むと思うのか。我らはブラウンシュバイク公爵家の一門だぞ!」

 

「そうですか。ではこの話はブラウンシュバイク公爵もご承知なのですね。では私の判断ではなく、リューデリッツ伯にお伝えしますので、伯からお返事することになるでしょう。では!」

 

もう一人が身分を振りかざしたが、ロイエンタール卿はどこ吹く風だ。そして言質をとった。このままではリューデリッツ伯にもお手数をおかけすることになるが良いのだろうか?コルネリアスも心配げにディートハルトに視線を向けたが、奴は特に気にした様子はない。

 

「覚えておれ!」

 

と捨て台詞を吐くと、門閥貴族のご一門は誰が見ても無様な態でこの場を去っていった。どう決着を付けるのか心配になったが、

 

「ロイエンタール卿、今年の新入生はしつけがなっていない様だね」

 

「はい。リューデリッツ伯からもガイエスブルク要塞の件で軍が配慮したことを勘違いする輩もでるだろうから、言質を取ることと、重傷を負わせない事以外は、私の判断で対応するようにと命ぜられております。しっかり報告もせねばなりませんが」

 

そんな話が出ていたとは。だからディートハルトはのんきに観客役をしていた訳か。コルネリアスも肩をすくめて苦笑している。だが、伯に報告の辺りで一瞬、表情が曇ったのが気になるが。

 

「私からも叔父上に報告しておこう。ロイエンタール卿がしっかりと節度ある対応をしたとね」

 

ディートハルトがそう言うと、助かります。では次の講義がありますので。と礼を言うと去っていった。

 

「どういう理由があったとはいえ、素人相手に格闘術を使うと、叔父上はお怒りにはならないが、2時間ほど組手の相手をさせるんだ。だから表情が曇ったという訳さ」

 

父からも聞いたが、同期の中でもリューデリッツ伯とベッカー准将は幼少から格闘術を嗜み、他を寄せ付けなかったと聞く。シェーンコップ先輩も弟子のひとりらしいし、そんな方との鍛錬ともなれば、さすがにロイエンタール卿でも表情も曇るだろう。

 

「まあ、今回の件は私からも取り成すし、言質も取った。叔父上の矛先は確保してあるから大丈夫だろう」

 

そんな話をしているうちに講義の時間が迫っている。急いて教室へ向かった。

 

 

宇宙暦779年 帝国暦470年 10月下旬

首都星オーディン 帝国軍士官学校

エルネスト・メックリンガー

 

「もうすぐ仕上がる」

 

最後の仕上げに瞳を描いて、私はデッサンを終えた。モデルを頼んだ甲斐があった。

 

「手付を先にもらったからな。とはいえ、デッサンモデルも思ったより大変だ。女性相手ならそうでもないんだが......」

 

少し疲れた表情をしながら寮で同室のシェーンコップ卿が背伸びをする。スケッチブックをのぞき込んで、

 

「さすがメックリンガーだ。まあ題材がいいからな」

 

と、ニヒルな笑顔を浮かべている。年末年始で一枚油彩画を書くつもりだったが、丁度いい題材が無く困っていた。どこか品のあるシェーンコップ卿に協力を頼んだのがきっかけで、何だかんだと寮以外でも一緒にいることが多くなった。士官学校といえば芸術に関心がある人間はいないに等しいが、意外なことに、彼は芸術への理解も深い。ただし好んでいるのかはまた別の話だが。

 

協力の打診をした際に、代わりに妙齢で平民出身の女性芸術家を紹介することを依頼されたのだ。数名候補がいたので、まだパトロンがついていない方を紹介したが、既に男女の仲になっている様だ。本人からは聞いていないが、紹介した女性芸術家のスケッチブックを見せられた際に誰かによく似た裸体のデッサンがあったし、やけにデッサンモデルに慣れている。

 

そうなることを見越してパトロンがいない方を紹介したのだが、シェーンコップ卿も帝国騎士の爵位を継ぐ身であるはずだが大丈夫なのだろうか?私の心配を察したらしい。

 

「爵位持ちの令嬢を傷物にしたら、問答無用で結婚させるとリューデリッツ伯に言われているからな。その辺は安心してくれ」

 

と言いながら私の肩を叩く。既に釘を刺されているなら構わないが......。

 

「それより、メックリンガー。得意なのは人物画だけなのか?風景画なんかも描いているなら一度見てみたいものだ」

 

「それは嬉しいが、あいにく私の作品は実家だし、今年は帰省するつもりはないからなあ」

 

「なあに。そのうちでいいさ、ちなみにリューデリッツ伯の伝手で手に入ったオペラのチケットがあるが、一緒にどうだ?かなり良い席だが」

 

また始まった。オペラのチケットは私ではなかなか手に入れる事が出来ない。私はお返しに美術館で特別展が開かれる際にはチケットを用立てる。ただし、行くときは一緒だが、帰りは別々だし、大抵外泊してくる。

オペラのチケットが口止め料込みであることも、シェーンコップ卿が淑女との出会いの為に芸術を嗜んでいるのも分かっているが、観たいものは観たい。もちろん私は同席を快諾した。




今話のコルネリアスはルッツ、アウグストはワーレンです。


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52話:裁判ごっこ

宇宙暦779年 帝国暦470年 12月上旬

首都星オーディン 軍務省 貴賓室

軍務尚書 エーレンベルク元帥

 

「それで我らを揃って呼びだすとはよほどの案件であろう。爵位継承を祝って元帥号でも貰えるのかな?」

 

「それは良い。ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は門閥貴族の中でも帝国の藩屏たる家柄だ。まさに元帥号にふさわしき家柄であろう」

 

爵位を継承して浮かれるのは勝手だが、こやつらは軍部も、軍部系貴族も、そうした特別扱いをされて当然という門閥貴族の中でも政治ごっこをしている連中を白い目で見ているというのにどこからそんな話が沸いてくるのか?儂も侯爵家の次男坊ではあるが、前線にも立ったし、艦隊司令のひとりとして、叛乱軍との会戦で指揮を執った事もある。ただ爵位を継承しただけで元帥になれるなど、コルネリアス帝の時代ならいざ知らず、この時代に起こり得る訳が無かろうに。ため息をつきながら同席している高等参事官のシュタイエルマルク伯爵に目線を送る。伯爵はうなずくと話を始めた。

 

「そのような未来があるかはともかくとして、残念ながら今回のお話はお二人に元帥号を授与するというような話ではございません。軍務省としては、お二方の爵位継承が済むまではと、むしろ抑えていた話なのです。改めての確認なのですが、これからの話に関して心当たりはございませんか?」

 

「心当たりはないな。そんな事よりその物言い、いささか無礼ではないか?」

 

伯爵がばっさりとお調子者どもを切り捨てると、不機嫌な様子でブラウンシュヴァイク公爵が応えた。だが気にするぞぶりもなく

 

「たとえ公爵家のご当主とは言え、士官学校を首席でご卒業されたとしても一度も前線に立たずに元帥号を授与された前例はございません。こちらとしては爵位継承を控えていることを配慮して、この時期にしたにも関わらず、逆に元帥号を授与しろなどと言われれば面喰ってしまうのも仕方ないでしょう」

 

さらりと言葉を続けた。こやつは門閥貴族を慇懃無礼にあしらうのが本当に巧い。あと10年早く生まれていれば、何が何でも軍務次官にして仕事を押し付けただろう。当初は少し若すぎるという声もあったが軍務次官にという話もあった。だが、本人が艦隊司令官を志望しているので、軍務次官にはせず、高等参事官として軍務省に転籍することになった。転籍の原因である前進論の台頭への対応を主導したのもこやつだ。艦隊司令官など危険だし、先代のシュタイエルマルク伯の艦隊司令部で長年軍歴を重ねている。もう前線は十分ではないのか?儂がそんな事を考えていると、話はいよいよ本題に入ったようだ。

 

「では、本題に入らせて頂きます。大前提で、軍部の考えとしては、お二方への皇族の降嫁への祝いを兼ねて、ガイエスブルク要塞の件を偉業とする事で一致しておりました。ところが、士官学校や幼年学校で、ご一門や寄り子のご子息方が、軍部も我らの力を認めた。これからは我々が軍を主導するなどと触れ回っておるとか。任官したら少佐どころか少将になると言っておられる方もいるそうです。当人たちはお二人のご意向を確認している旨も触れ回っているとのこと。どのようなお考えでそのようなことを触れ回らせておいでなのか?確認したくご足労を願ったわけです」

 

二人の顔色が変わる。おそらく自分達の爵位継承に浮かれて、しっかりと手綱をとることを疎かにしたか、浮かれた勢いでそのようなことを口走ったのだろう。これが帝国の二大藩屏とは、物語の題材としては面白いかもしれんが、実際に自分の身に振りかかれば、嬉しくてため息しか出ない。

 

「それは何かの間違いではないのかな?儂はそのような指示を出した覚えはない!」

 

ブラウンシュヴァイク公爵が慌てて応え、自分もそうだとリッテンハイム侯爵が横でうなずく。実際に指示していなかったとしても、一門や寄り子がこういう意向だと触れ回っている以上、指示していないでは済まされないのだが。

 

「では、御二人のご意向だと触れ回って周囲をたぶらかそうとしたという事になりますがそれでよろしいのですね?」

 

シュタイエルマルク伯の目の色が変わった。こやつは門閥貴族を追い詰めるタイミングになると目の色が変わる。こうなってからの展開は何度も観てきた。自分が観客でよかったと毎回思ったものだ。他人事の儂はのんびり見てられるが、主演の当人たちはそうも言ってはいられないだろう。この話の終わり方によっては、皇族が降嫁した相手の名前を騙ったのだ。大々的に報じされれば、数年はこの二人の内々の意向という話には全て確認が必要になる。そんなことになれば面目は丸つぶれだ。さてどうなることやら。

 

「うーむ。ただ、我らの一門や寄り子達もガイエスブルク要塞の件では協力をした。それを誇るあまり、言葉が大きくなったのやもしれぬ。そこは我らがしっかりと注意しておくこととしよう」

 

リッテンハイム侯爵がなんとか無難な落としどころを提示したが、本当にこれで軍部が納得するとおもっているのだろうか?まあ、落としどころはすでにシュタイエルマルク伯と相談済みだ。変わることは無いだろう。公平な扱いをせよ。と陛下の内諾も得ている。

 

「今回の一件、少し軽くお考えのようですな。軍部としては、御二方に慶事ゆえ少しでも華をもたせようと配慮をした結果、良識に満ち溢れた返礼をされたと認識しております」

 

そこで一旦言葉を区切る。今更ながら話がそんなに簡単なものではない事と、旗色が悪いことに気が付いたようだ。裁判の開廷と言った所か、それとも裁判ごっこの始まりと言った所だろうか。

 

「そもそも今回の件はリューデリッツ伯から軍部として配慮をしようと提案があり行われたものです。リューデリッツ伯は確かに少佐で任官いたしましたが、勅命であるイゼルローン要塞の建設に貢献した上での任官でした。ちなみに成績は首席です。一方で、失礼ながらご一門や寄り子のご子息方は下から数えたほうが早い状況です。配慮をして公表はしておりませんが、これは日頃の状況を見ていれば周囲もだいたい分かることです。

つまり軍部としては士官学校を首席卒業して誰にでもわかる功績を上げたリューデリッツ伯だからこそ少佐任官できたのに、それを成績下位の者がお二人の意向だと言って、自分たちはそれ以上に評価されるべきだと触れ回っている状況なのですよ。

もう一度言います。軍部は配慮した結果、良識に満ち溢れた返礼を頂いたと判断しております。このままいくと、今後、御二方のご一門、寄り子の皆様には軍部としては一切、配慮が出来なくなりますが宜しいのですね?当然ながら、幼年学校・士官学校での配慮もなくなるとお考え下さい」

 

流れは検事役にある。一気に押しきった感じだ。とりつく島もないというのはこういう時に使うのだろう。さてどうすることやら。

 

「それは困る。どうすればよいのだ。リューデリッツ伯が詫びろと言うならそのように手配するが......」

 

とうとう尻に火が付いたようだ。焦りだすと声が大きくなるのはブラウンシュヴァイク公爵の癖だ。そして、リッテンハイム侯爵は左膝が少し動きだす。ちらりと見ると予想通りだ。左膝だけでなく両膝が動き出していた。

 

「この場では軍部としての対応を話し合っております。リューデリッツ伯への対応はお二人でご相談ください。今回の件はお二人の意図ではなかったことは承りましたが、であるのであればその旨をしっかり周知させる必要があります」

 

「つまり公にするという事か?そんなことをされれば我らの面目が立たぬ。何とかならぬのか?」

 

両膝が限界に達したらしい。リッテンハイム侯爵が立ち上がって声を上げた。そんなに面子が大事なら日頃からしつけをきちんとしておけば良かったのだ。もしくは従士のひとりに定期的にお行儀を確認するでも良かった。それなら自家内での叱責で事は済んだだろうに。助けを求めての事だろう、被告役の2人が儂に視線を向ける。演劇は苦手だが、これ位のセリフなら覚えられる。

 

「伯、さすがにそれはお二人にとっては重すぎる話だろう。事を公にしない形で、意図とは違ったことを周知できる案があれば、御二人もご快諾頂けると思うが......」

 

被告たちの視線が検事役へ移った。彼らからすれば儂は弁護人に見えたかもしれんが、実際は傍聴人だ。初めから判決は決まっていた。今から判決が読み上げられる。被告達がすでに第一案を蹴った。第二案までも蹴れば、軍部はもう配慮しないという回答が来る。つまり受け入れるしかない訳だ。

 

「尚書閣下がそこまで言われるのであれば致し方ございません。腹案ですが、触れ回っていたご本人たちに責任を取ってもらいましょう。外聞が悪いので退学ではなく自主退学という事で対応いただければと思います。対象者はこちらにリストにしてございます」

 

検察官がファイルを2つ取り出し、一つずつ被告達に渡した。それぞれの一門と寄り子の子息の名前が記載されたものだ。この世代の子息は全員対象となっている。

 

「これは......。いささか対象者が多いのではないか?」

 

焦ると大声になる被告がとうとう小声になった。もう一方は両膝だけでなく右手も震えだしている。ただ、軍部の最高責任者として『はいそうですか』と許せる案件でもないのも確かだ。仮に彼らが任官した所で、配属先の兵士たちは指示に従わないだろう。なら在籍する事自体、無駄だ。ならこれはお互いにとって良い判断だろう。用意されたもう一つのセリフを言うタイミングが来たらしい。

 

「判断はここでお願いしたい。儂も軍部を抑えてきたが、信賞必罰は軍の拠りどころだ。この案が飲めないという事になると、軍部としてもう配慮はしなくて良いと通達せざるをえなくなる」

 

そう言ってため息をつきながら、首を横に振る。思ったわりに不本意ながら残念だという芝居が出来たのではないだろうか?もしかしたら俳優としての生き方もあったかなどと、世迷言を考えているうちに被告たちは判決を受け入れる判断をしたようだ。

 

「では、まもなく年末年始の休暇になりますので、そこで自主退学されるという事で手配いたします。ご足労ありがとうございました。大きなご判断をされ、いささかお疲れでございましょう。我らはこれにて失礼いたしますゆえ、しばらくお休みください。尚書閣下、次の公務が控えております。参りましょう」

 

そう言うと検事役は席を立ち、儂に道をあける形で、応接セットのわきに移動した。応接室から出ると検事役もついてくる。もう判決は下された。法廷に残る意味もないだろう。それぞれの執務室へ戻る。まだ先の話だろうが、一応、儂の意向をちゃんと伝えておこう。伝聞では間違って伝わるやもしれぬからな。

 

「伯、この度の対応、見事だった。前進論の火消しといい、今回の件といい、伯爵には軍務省で良き思い出が無いやもしれんが、艦隊司令官の次の職務として軍務省次官も考えてもらえればありがたい。これは儂の本心だ」

 

伯爵は一瞬驚いたようだが、嬉しそうにありがとうございますとお礼を言って言葉を続けた。

 

「閣下、私は軍務省でのお役目を嫌な思い出だとは思っておりません。昔からしつけは得意でしたし、自身も学生時代には、彼らの横暴を見て義憤を感じておりました。追い出せるものなら追い出したいと考えた事もございましたので、長年の夢が一つかなった想いです。ありがとうございます」

 

いつものお手本のような敬礼を伯爵がしてくる。儂も自然と返礼をしていた。もうすぐ儂の執務室だ。高等参事官の執務室はもう少し先にある。別れの挨拶をすると

 

「そういえば閣下、私も幼きころからしつけは得意でしたが、愚弟はさらに得意でしたよ。特に駄々っ子のしつけではあやつの右に出るものはいないでしょう。では失礼いたします」

 

思わず笑ってしまった。リューデリッツ伯が幼いころから門閥貴族とやりあってきたのは有名な話だ。




この話はよく感想をくれる顔さんとのやりとりがヒントになりました。感謝です。


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53話:暗雲

宇宙暦780年 帝国暦471年 6月上旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「それで、任官の件だが、フェザーン駐在武官として一年間赴任するのと、第11駐留基地の改築が完了して補給体制を確立するまでの2年間、私の副官として勤めた後にフェザーンへ赴任するのと、どちらがいいかな?まあ、すぐに決めなくても今年いっぱい位は悩んでもいいと思うが......」

 

任地のアムリッツァ星域第11駐留基地から急遽、閣下がオーディンに戻られたのが昨日の事だ。内々の話があるとのことで、長年お付き合いのあるグリンメルスハウゼン子爵に呼び出されたらしい。今日は丁度スケジュールの空きがあったので、任官の件で事前に意向を確認したいと、執務の合間にお茶を飲みながら相談する事となった。

 

正直、どちらもとても良い話だが、改築計画書を見ただけだが、第11駐留基地は新しい構想を軸にした改築を行ったはずだ。今後の駐留基地のベースとなる可能性もあるので、その運営に関われるのは、軍歴の出発点には最適だろう。任務を実際に経験したうえで、再度フェザーンで学びなおせるというのも、研鑽の面でプラスになりそうだ。

 

「閣下、お手数を2回かけることになりますが、任官は第11駐留基地でお願いしたく存じます。一度、任務を経験したうえで学びなおす形になります。その方が将来、お役に立てると存じます」

 

「分かった。私もその方が色々と為にはなると思う。もっともRC社の案件をすでに経験しているから、そこまで大きな差があるかは何とも言えないが、第11駐留基地は色々と新しい試みを導入しているからね。オーベルシュタイン卿がいてくれれば心強い」

 

私の判断に、閣下も賛成して下さった。ただ、事あるごとに賞賛して下さるが、私自身は賞賛に値することができているとは思っていない。RC社の事業にしても、今回の第11駐留基地にしても、実際に計画が形になった後に改善点を見つける事など、少し優秀な知能と経験があれば誰にでもできる事だ。

一番難しいのは、計画を実行する根回しであったり折衝にある。どんなに素晴らしい案でも実現できなければ価値はない。閣下はそれができる権限も、財力、人脈もお持ちだ。私自身が、まだ閣下の庇護下だからこそ機会を頂けていることは理解している。昇進していくにつれて、財力はともかく人脈を養う事も必要なことだろう。

 

「オーベルシュタイン卿、人脈は作るモノではなく、出来るモノだ。私もいるし、軍部は卿が将官になるくらいまでは風通しが良いはずだ。しっかり後進達の力になってあげる事だ。そういう縁が、いずれ人脈になって卿を助けてくれるだろう」

 

私の考えなどお見通しだったのだろうか、そういう話であれば、シェーンコップ卿やロイエンタール卿の座学も担当したし、ご嫡男のアルブレヒト様の幼年学校入学試験の対策も任された。すでに必要なことを体験させて頂いていたとは。なら、後は自ら動いてみるだけだ。人付き合いは苦手だったが、このお屋敷でお世話になってから、多少はマシになったと思う。そんなことを考えていると執務室のドアがコンコンっとノックされ、ご長女のフリーダ様が入ってこられた。

 

「パウル兄さま、宿題が終わったわ。皆、庭で鍛錬しているしご本を読んで欲しいの」

 

「承知しました。では遊戯室へ参りましょう」

 

フリーダ様の手を取り、遊戯室へいざなう。幼いころから男子が多かったせいか事あるごとにあぶれてしまいがちなフリーダ様のお相手をするのも私の役目だ。横目でみると閣下も苦笑しながらうなずかれていた。

 

 

宇宙暦780年 帝国暦471年 6月上旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「閣下、お呼びとのことでしたので参りました」

 

執務室で来期の工事計画書を再確認していると、ワルターがノックをして部屋に入ってきた。鍛錬の方は一段落したらしい。執務机の向かいの椅子を勧める。

 

「鍛錬の方はどうだい?オスカーは筋も良かったし、仕込んでいて楽しそうだったが、アルブレヒトは悪くはない程度だ。手がかかるだろう?」

 

「閣下はいつも率直な表現をされますな。確かにロイエンタール卿と比べると見劣りはするかもしれませんが、ひたむきに基礎を続けられる根気強さがあります。名人には成れずとも、伯爵家のご嫡男としては十分な実力を身に付けられると思います。それに才能があり過ぎると教え甲斐がないですから。楽しくやらせて頂いております」

 

「そうか。アルブレヒトには良くも悪くも私の名前がついて回る。普通なら賞賛されるべきところでも、これ位できて当たり前と思われるだろう。家が代々軍人だからと自分も軍人にならなければならないと思い込まない様に接してくれ。周囲が軍人ばかりだから難しいかもしれんが......」

 

ワルターは意外な話だったようで少し驚いている様子だ。

 

「意外かな?だが、私が志向していたのは軍人ではなく事業家だった。おばあ様の期待もあったし、代々軍人の家系だから他の道は選べなかったが、幼少のころから100万の敵を倒すことより100万の臣民を養う事の方が大業だと思っていたからな」

 

「閣下は500万以上の敵を屠りましたが、数億人を養っておられます。確かに言われてみれば、どちらに志向があるのかは明白でしたな。失礼いたしました」

 

どうやら腑に落ちたらしいが、今日の本題はこの話題ではない。

 

「それで本題だが......。ワルター?芸術家の卵と仲が良いらしいが、パトロンとしても支えているのかな?」

 

意外なところからの返球だったらしい。ワルターは返事に困っている。

 

「別にパトロンといっても、お金を出すだけがパトロンではないのだ。自分の知り合いでそれなりの方に作品を紹介するだけでも、かなり助かるはずだ。違うかな?」

 

俺が言いたいことが伝わったようだ。

 

「閣下の意図は承知しました。併せてなのですが寮で同室の候補生もかなりの才能の持ち主です。お屋敷に飾ってもよろしいでしょうか?」

 

「ワルターの感性に響くものがあるなら任せよう。いつもの口座に予算を振り込んでおくよ。その代わり、オーベルシュタイン卿とロイエンタール卿を一度オペラに連れて行くようにね。何ならアルブレヒトも一緒で構わない。好む必要はないが、知らないでは済まないからね。頼むよ」

 

ワルターは少し困った顔をしたが『手配しておきます』と言って、執務室を下がった。まあ、博愛主義もほどほどにしろと言うメッセージも伝わったようだ。あとは晩餐まで執務に当てられる。俺は工事計画書を手に取り、執務に戻った。

 

 

宇宙暦780年 帝国暦471年 6月上旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン

 

困ったことになった。この件は内密にせざるを得んが、かといって何も対応をせぬわけにもいかぬ。儂だけで対応策を考えるのも限界があるし、今回ばかりは陛下に相談するわけにもいかぬ。うすうす気づいておられるやもしれぬが、知らぬふりをしているやもしれぬ以上、相談するわけにはいかぬのだ。

こんなことをザイ坊に背負わせるのは不本意だが、事がこじれれば軍部にも影響が出るじゃろう。それに儂では思いつかぬ対応策を出すやもしれぬ。そんなことを考えているとドアがノックされ、ケスラー候補生が入室してきた。

 

「子爵様、前触れが到着されました。まもなくリューデリッツ伯が到着されるとのことです。過去に会食にてお会いしたことがございます。お出迎えの際にご挨拶させて頂いてもよろしいでしょうか?」

 

儂が了承の旨うなずくと嬉し気に応接室を出て行った。領地でなかなか見所がある若人だった為、士官学校の学費を当家で持つ形で援助した。任官先は憲兵隊を予定しておる。いずれは儂の密命を手伝ってもらえればとも思うが、日陰の身にしてしまう事を思うと、心苦しくもある。しばらくすると地上車の音が聞こえ、人の気配が近づいて来た。ケスラー候補生がドアを開け、道を開ける。続いてザイ坊が応接室に入ってくる。席に付くのを待ってから

 

「ケスラー候補生、ドアの外で待機してくれぬか。余人を交えず話がしたい。誰も近づくものがおらぬようにしておいてくれ」

 

了承の返事をするとドアが閉まる。既にお茶の用意もしてある。少し冷めてしまったが、話の内容を聞けばザイ坊も納得するであろう。

 

「叔父貴が酒を飲んでいないなんて余程の事だね。叔父貴なら顔を見たくなったって話でも構わないけど、そうもいかなそうだ」

 

こやつは話が早くて楽だが、内容が内容だけに、躊躇する気持ちもある。儂の心境を察したのか、ザイ坊はティーカップにお茶を注ぎ、それぞれの手元に置くと、黙ってお茶の香りを楽しみながら、間をおいた。そんなに長い時間ではなかったが、応接室に静寂が訪れる。思い切って口を開こうとした際に

 

「叔父貴がそこまで話しにくい事は一つしかないからなあ。皇室の血を引く男子が死産となれば、この宇宙でメリットがあるのはただ一人。なのに変な噂が流れている。どうしたものかって所かな......」

 

悲し気な表情をしながらザイ坊が先に言葉を発した。

 

「その通りじゃ。陛下もうすうすは気づいておられると思うのじゃが、知らぬふりをしておるやもしれぬ。相談するわけにもいかぬし、儂には良い対応策は思いつかなんだ。こんなことに巻き込むのは不本意じゃったが、他に相談できるのはお主だけじゃ。何か良い案があればと思って、時間を取ってもらった次第じゃ」

 

3年前に子爵家から売られるように陛下の寵姫となった少女は、今ではベーネミュンデ候爵夫人として陛下のおそばにいるが、臨月を迎えたものの、死産という結果になった。それまでの診断では全く異常はなかった事から、正常に生まれたのにも関わらず、弑されたのではないかという噂が流れ始めたのがひと月前。その噂には尾ひれがついて、自分たちの娘を帝位に就けるためにブラウンシュヴァイク公爵かリッテンハイム侯爵が首謀者なのではという話になっている。

だが、少しでも宮廷に詳しいものなら、両人がそんなことをしても無意味なことが解る。なぜなら皇太子殿下がすでに居るからだ。本来なら縁戚として一番当てにできる藩屏に自分の罪をなすり付けたわけだ。仮に皇太子殿下が帝位に就いた所で、忠誠を期待することはできないだろう。思わずため息がでた。

 

「叔父貴、事実かは別にして、真犯人候補は候補としても公にはできないだろうけど、今回の件がなあなあで済まされると、今後も同じようなことが起きかねない。今いえるのは、再発を防ぐことしかないと思うし、出来れば誰が犯人か分かっているとメッセージを発したい所だね」

 

いつもは楽し気なザイ坊が憂鬱な表情をしている。こんな話に巻き込んでしまい、改めて罪悪感が胸に広がった。

 

「そうしたいのはやまやまだが、良い案が浮かばぬのだ。済まぬな、こんな相談を持ち掛けてしまって」

 

「気にしないでよ。ザイ坊と叔父貴の仲じゃないか。それに叔父貴も基本的に優しいからね。こういう話は判断に迷って当然だと思うよ」

 

そう言うと再びティーカップを手に取り、少しお茶を口に含んだ。儂も気づかなかったが、喉がかなり乾いていた。ティーカップを手に取り、お茶を飲む。

 

「まずは犯人は誰か分かっているというメッセージだけど、これは罪を擦り付けようとした両人が犯人ではないと判断していると伝われば良いと思う。つまり、今回の対応策を公式には両家から提案してもらえばよいだろうね」

 

ザイ坊が対策案を話し始めたが、そこで少し間が開いた。

 

「対応策の内容としては、この一件に関わった医師・看護婦・メイドの全員に辞してもらう。職をという意味ではなくね。こういうことが今後起こるとしても報酬が必要だ。だけどどんな報酬もあの世には持っていけない。もし、対象者を推薦した貴族がいたらそっちにも何かしら罰を与えれば、なお良いだろうね」

 

そこまで言うと、椅子から立ち上がって窓際に移動して窓の外に視線を向けた。

 

「両家には貸しがあるから、こちらで動くこともできるけど手配を進めて良いかな?」

 

「それは大丈夫じゃ。こちらで手配できる」

 

お互い視線を合わせぬまま話を続ける。厳しい対応だが、ザイ坊の言う通りだ。ここまでせねば再発の可能性はぬぐえぬ。

 

「それにしても継承がほぼ確定しているのに、赤子を危険視するとは、兄貴の即位の経緯を踏まえても良からぬことを吹き込んだ奴がいるね。できれば真犯人には弑された事が解るように手配できれば今できる対応策としては及第点だと思うけど」

 

「お気に入りのメイドの兄が、色々と吹き込んでいるという話じゃ。分かった。そちらも併せて手配しておこう」

 

しばらくお互い黙ったままで時が流れた。必要なこととは言え、無実の者も死罪とすることになる。憂鬱だったが、ザイ坊を共犯者にしてしまったことも心を重くしていた。

 

「叔父貴、さすがにこれは一人で抱え込むには重すぎる話だよ。それに余程の信頼が無いと話せる内容でもない。俺を選んでくれた事、光栄に思うよ」

 

窓の外に向けていた視線を、儂に戻してザイ坊が心情を話してくれた。対応策は決まったし、儂の腹も決まった。あとは手配するだけだ。ザイ坊はもう一杯お茶を飲むと、応接室を辞していった。帰り際にケスラー候補生に励ましの言葉をかけて地上車に乗り込む。儂はザイ坊が乗った地上車が見えなくなるまで見送りを続けた。



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54話:団欒と陰謀

宇宙暦780年 帝国暦471年 12月下旬

首都星オーディン ルントシュテット邸

ニクラウス・フォン・ルントシュテット

 

「では、父上、兄上、良いお年を」

 

ザイトリッツが一家の最後に地上車に乗り込み、リューデリッツ邸へ帰っていく。次男も三男もそれぞれ伯爵家に婿入りしたため、本来なら兄弟が揃うことなどほとんどない。ましてや伯爵家の当主ともなれば年末年始はかなり多忙になる。ただ、久しぶりにオーディンへ出てきた私たち夫婦の為にと、それぞれの子供たちをつれて、一堂に会する場を作ってくれた。10人の孫達に囲まれながらの晩餐は、心に来るものがあった。妻のカタリーナも隠してはいたが涙ぐんでいたように思う。

 

「父上、そろそろ屋内に参りましょう。お元気なのは存じておりますが、この寒さです。さすがにお身体に障りましょう」

 

爵位を継いだ長男のローベルトが心配げに声をかけてくる。まだまだ現役のつもりでいるが、心配される側になったかと思うと、嬉しくもあり寂しくもある。片意地を張る必要もないだろう、素直に屋内に戻り、もう少し一人で飲みたいことを伝えてから遊戯室へ向かう。

メイドに新しいアイスペールと水を頼んでから、定位置となっているリビングチェアのひとつに腰かける。先ほどまでの賑やかさが嘘のように静かな雰囲気だが、暖炉の温かさと、特有の優しい光量が、それを和らげてくれた。

いつもの癖で自然と右手のリビングチェアに視線が向く。3年前に他界した母、マリアの定位置だったイスだ。貴族社会での身の振り方に困った時は良き相談相手でもあったし、養育を頼んだザイトリッツ関連の話になると、何かと無茶を言われたものだ。言ってもせんのない事だが、今日の晩餐にいれば一番喜んだのも母上だろう。

 

「コンコン......」

 

ノックとともにメイドが新しいアイスペールと水、グラスを持って入室してくる。身近なサイドテーブルに置いてもらうと、あとは好きにやるので休むように言い添えた。冷えたレオを新しいグラスに注ぎ、グッと呷る。当家に用意されているのは、陛下のお名前を冠した『フリードリヒ・コレクション』だが、年々、味が良くなっているようにも思う。

 

「レオか......」

 

そう言えば、父、レオンハルトの戦死を知ったのも、ザイトリッツが交通事故にあったのも、知らせを受けたのはこの遊戯室だった様に思う。3人の息子たちの婚約相手を決めたのもこの部屋だったし、あのイゼルローン要塞の建設に協力することが決まったのもこの部屋だ。詩人を気取るなら、この部屋は『ルントシュテット家の歴史の舞台』とでも表現するのだろうか。他家でもこんな場所があるのだとしたら、それはそれで逸話を聞いてみたい気がした。

 

第二次ティアマト会戦の訃報を聞いた時は、軍部貴族のほとんどが先行きが見えない状態だった。あれから既に35年近いが軍部貴族は団結を取り戻し、息子たちも重職を勤めている。領地の経営も順調となれば出来すぎだろうし、健在であれば、父上も母上も褒めてくれたに違いない。ただ、贅沢を言えば私も前線指揮官としての才能が欲しかったと今でも思う事がある。

 

ルントシュテット伯爵家は代々軍人の家系だった。父のレオンハルトは前線指揮官として功績をあげ、息子の私から見ても、人格者だった。そんな環境で育てば、自然と前線指揮官を志向するだろう。だが、残念ながら私にあったのは後方支援部門の才能だった。悔しい思いもしたし、父と口論になった事もある。だが、それも今思えば良かったのだと思う。

もし、私に人並みの前線指揮官としての才能があれば、父と一緒に出征して、第二次ティアマト会戦で戦死していただろう。そうなれば、門閥貴族の軍部への浸透は防げなかっただろうし、幼い息子たちを抱え、妻のカタリーナも途方に暮れたはずだ。

 

母上が領地を切り盛りしてくれたおかげで、帝都での貴族との折衝に集中できたし、それが落ち着いて予備役入りしてからは、後方支援部門で軍歴を重ねた事と、貴族との折衝をみっちり経験していたことで、領地の経営と辺境領主や軍部貴族との関係強化を進める中で困ることは無かった。そう言う意味では私に後方支援の才能があった事は、当家にとっては良かったことなのだろう。

次代に繋ぐという意味では、次男と三男も伯爵家に婿入りしたし、長男の嫁も、軍部貴族の雄であるミュッケンベルガー伯爵家の直系のご息女だ。これ以上を望むのは強欲というものだ。あと何年、生きられるかはわからないが隠居なりにできる事をして逝ければ本望だ。改めてグラスにレオを注いて呷る。

 

「うむ、旨い......」

 

こんな夜を私が迎える事があるとは思っていなかった。そう考えると、悔しい思いをしたことも自然にほぐれて良い思い出に変わるような気がした。

 

 

宇宙暦780年 帝国暦471年 12月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「ゾフィー、子供達を寝かしつけるのを頼んでもいいかな?今日中に確認しておきたい資料があるのでね。すまない」

 

帰りの車中で寝入ってしまったフリーダをメイドに預け、同じく寝入ってしまったフレデリックを抱きかかえるゾフィーに一声かけて、執務室へ向かう。嫡男のアルブレヒトもかなり眠そうな表情で、御付の者に支えられるようにして寝室へ向かった。確認するのは内密の資料だ。こちらはもういいので、休むようにと言い添えて、執務室に入る。

 

執務室に入ると、デスクの最上段の引き出しを開けて、天板裏側に付いた指紋認証システムに小指を押し当てると、右手の本棚の2段目が回転して小さめの金庫扉が姿を現す。金庫扉の上部にある虹彩認識システムに両目を当てると、金庫が開いた。金庫の中には、叔父貴から届けられた資料が入っている。ファイルを取りだして、資料の中身を確認していく。本来ならルントシュテット邸での晩餐の前に確認しておくべき話だが、叔父貴からも確認は急がなくて良いとの話だったし、初めての一族揃っての団欒を前に、暗い話は頭に入れたくなかったのもある。

 

前回オーディンに戻った際に叔父貴と話しあった対応策だが、台本通りブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家から医師たちの責任追及の声があがり、関係者は死を賜っている。すでに真犯人候補にはこちらの意図は伝わっている様だ。しっかりと伝える為に医師たちと同じ末路を予定していた、真犯人候補のお気に入りのメイドの兄は、まだこの世を辞してはいない。処理するために身辺調査を再度行った際、組織ぐるみの犯行である可能性が浮上した為だ。

 

その追跡調査の結果が手元の資料だ。ろくでもないことが書かれているのは分かっているが、確認しないわけにもいかない。パラパラと資料の中身を確認していく、数枚の資料を確認しただけだが、ため息を3回ほどついてしまった。藪蛇じゃないが、小悪党という認識で調査したら後ろに得体の知れないものがいるのが分かったという状況だろうか。

 

「地球教かあ.....。どんな神を信じるかは人それぞれだけど、そもそも地球って、銀河連邦が成立する以前から収奪の象徴のはずだけど、地球出身者でもない限り入信する理由なんてあるのか?」

 

素朴な疑問が浮かび、思わずつぶやいてしまった。そう言えば、フェザーンでも教徒の聖地巡礼とかいう名目で、費用を抑えるために貨物船で地球に行く話も小耳にはさんだ。拝金主義のフェザーンで、なぜ収奪の象徴の地球が信仰の対象になっているのか?というか貨物船が何隻も動くレベルの教徒がフェザーンだけで存在するなら、もっと地球教の話題が出てもいいはずだ。だが、一年間のフェザーン滞在で話に出たのは空荷を防ぐための手堅い仕事として話題になったくらいだ。帝国内の教徒ならフェザーン経由で地球に行くのは、はるかに遠回りだ。という事は、叛乱軍の領域からも教徒が混ざっているのではないだろうか?なんだかきな臭い気がする。

そもそも反地球の銀河連邦が土台の帝国でも、なぜ入信するのか疑問だ。俺が思うくらいだから、叔父貴もなにか胡散臭いものを感じているだろうが、留意してもらうために私見をまとめて叔父貴に提出しておく事にする。事がことなので、通常、時節の挨拶につかう便箋に思考した内容を書き込み、同じくいつも時節の挨拶に使う少し畏まった封筒に入れてから、これもいつも通り蝋封して伯爵家の紋章を押し付けた。

こうしておけば、長年やり取りしている時節の挨拶の手紙としか、誰が見ても認識しないだろう。この話は公にして大々的に捜査できる事件ではないし、年明けにはアムリッツァ星域の第11駐留基地へ戻ることになる。負担をかけるが叔父貴に頑張ってもらうしかないだろう。



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55話:第11駐留基地

宇宙暦781年 帝国暦472年 8月下旬

アムリッツァ星域 第11駐留基地 司令官室 

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「閣下、建設状況の進捗報告書がまとまりましたのでお持ちしました。ご確認ください。別紙でまとめてございますが、6個艦隊分すべての施設が完成した暁には、交代制としても12個艦隊が出入りすることになります。歓楽街だけでも数百万人規模になりますので治安維持の観点から、憲兵隊と警察組織に関しては計画より増員することを現段階から進めておいた方がよろしいかと......」

 

「やはり人が多くなれば、良からぬことを考える連中も増えるか。うーん。私も増員の必要性は感じていたが、予定の倍かあ。予算的には問題ないけど、ここまで身構えておく必要はあるのかな?」

 

「はい。閣下はいささかお優しすぎるきらいがあります。出身地も違えば、軍歴も違いますし、計12個艦隊が出入りするのです。当然競い合う感情も生まれるでしょうから、この位は必要でしょう。予想より治安が安定するようであれば、実務経験を積んだ人間を転任されれば良いだけです。了承頂けるなら、すぐに手配いたしますが......」

 

「分かった。オーベルシュタイン卿の献策は無駄だったことは無いからね。決裁書もあるのだろう?ここで押印するから確認させてもらえるかな?」

 

オーベルシュタイン卿が小脇に抱えたファイルから、決裁書を取り出す。俺の指揮下の部門では、RC社に似せて決裁書には変な修飾語は書かず、簡潔であることを旨として作成させている。決裁書の確認はすぐに済む話だ。文末まで確認して、決済印を押印してオーベルシュタイン卿に戻す。RC社の案件同様、自分の提案が通った時だけ見せる付き合いの長いものには分かる少し嬉し気な表情をして、敬礼をして司令官室から退出していった。

 

オーベルシュタイン卿の任官に付いては、本人と話し合った通り、2年間は私の下で副官見習いの様なことをさせるつもりだったが、たった4カ月で、副官見習いから首席秘書官の様な役回りを確保するに至っていた。当初は反発も予想していたが、事前に約束させた『会議の場では45分を過ぎるまでは皆の話を聞くこと』を律儀に守ってくれている。部下たちからすると自分たちの意見も聞いたうえで、最適な案に取りまとめている様に見えているらしく、決裁書を作成し、俺の決済まで取ってくるので、仕事が早く進むとむしろ好評なようだ。

 

正直な所、人付き合いは苦手な部類だと思っていたので、思っていたより早く馴染んでくれたので一安心といった所だ。本人にはまだ伝えていないが、本来なら首席秘書官は最低でも大尉クラスの役目なので、既に基地改築の効率化に貢献大として、昇進申請書を提出している。年内に中尉、4月には大尉になるだろう。

 

第11駐留基地には元々2個艦隊規模の駐留施設があったが、こちらは改築完了後に辺境自警軍に払い下げる予定だ。新設区画では東西に新設区画を横断する路線に隣接する2個艦隊分の駐留施設が完成しているので、計4個艦隊が駐留を開始している。2個艦隊ずつを、長兄のルントシュテット上級大将と、メルカッツ上級大将がイゼルローン回廊叛乱軍側出口の戦況に応じて率いる体制を取っている。駐留艦隊の入れ替えや、補給の面で、より効率良く出来ないかを併せて試行錯誤している段階だ。静止衛星軌道上に、武装モジュールのメンテナンス設備も増設している。

計画段階の事前予測では、これ以上の効率化を図るには軌道エレベーターの建設が必要になるという分析が出ていたが、費用対効果の面で考えると、魅力的な数字ではなかったことと、仮に破壊工作が仕掛けられた場合の被害予測が結構深刻なものだったこともあり、却下した背景がある。しばらく執務に集中していると、ドアがノックされ従卒が来客を告げる。結構集中していたようだ。思わず左手の柱時計に視線が向いた。お茶の用意と応接室に通すように伝えて、執務机に広げた資料を、センター引き出しにしまい、念のため鍵をかけてから、応接室へ向かう。ノックをしてから応接室に入ると、面談相手は慣れない敬礼をしながら迎えてくれた。

 

「ケーフェンヒラー軍医大佐、忙しい所をありがとう。楽にしてくれたまえ」

 

答礼しながら着席を促し、自分も応接セットの上座に座る。

 

「辺境星域全体の医療施設の立ち上げ・管理運営で忙しいのは承知しているが、この基地の医療施設に手抜かりは許されないからね。株主特権で我儘をきいてくれた事、感謝しているよ」

 

「とんでもない事です。父とは違う形ではございますが、ザイトリッツ様のお役に立てれば本望でございます。帝都医大の学費も、フェザーン医療大学への留学費も援助して頂いた御恩を少しでも返せればと存じております」

 

恐縮した様子で俺の向かいに座っているのは、ケーフェンヒラー男爵の嫡男のシュテファン卿だ。顔立ちはどちらかというと母親似だろうか?優し気な顔立ちなので、患者からすれば診察が始まった段階で安心感を感じるだろう。医学は素人だが、それだけでも医師としての才能があるように思う。彼は帝都医大を卒業後にフェザーンにも留学し、最新式の医療機器をつかった治療法まで学んでくれた。その知識を生かして、経済発展に応じた医療施設の構築をRC社で担当してくれている。

本来なら医療の現場に立ちたいところだろうが、専門的な医学と経済・経営に関わる素養がある人間となると限られてしまうため、役目を引きうけてくれた。『数億人を救える態勢を整えて欲しい』と役目を頼んだ際の俺の言葉で自分を納得させている様だが、生まれにより本来したかった生き方とは違う道を選ばせてしまった部分はあるので、申し訳ない気持ちもある。第11駐留基地の改築に当たって、医療施設全般の立ち上げと運用が軌道に乗るまで、大佐待遇で出向してもらっている。

 

「進捗のご報告でございますが、一部内密となるものもございますので、伯のお時間を頂戴いたしました。お忙しい所、恐縮ではございますが、よろしくお願いいたします」

 

そう前置きをして、医療関連の報告が始まる。軍医大佐に注文したのは大きくは2点だ。ひとつ目は、最新式のリハビリ施設の立ちあげ。これは母船部分が重装甲になった背景もあり、戦闘艦の乗組員の生存率は上がったが、義手・義足になる戦傷者は一定数発生するし、回復までに長期療養を必要とする戦傷者も当然でてくる。現在はイゼルローン要塞の医療施設で対応しているが、リハビリや長期療養を必要とする戦傷者を第11駐留基地で対応し、復命できるものは、完治後に復帰、前線勤務が厳しい場合でも、帝国内で一番巨大な駐屯基地なので、後方支援に関わる部署や、外部委託している企業への就職斡旋を実施するつもりでいた。こっちは表向きの話になる。

 

「ご指示いただきました戦傷者のリハビリセンターですが、施設自体は既に完成し、職員たちの状況を見ながら、イゼルローン要塞から随時、対象者を受け入れていく予定です。既に受け入れは開始しており、名目上の報告書も、担当部署を通じて後日上がることになっております」

 

「ありがとう。色々と配慮してくれていることは分かっている。助かっているよ。陛下からも帝室を守ることに尽くしてくれた者たちへは、出来る限りの配慮をとのお言葉を頂いている。引き続き励んでくれ」

 

「もったいないお言葉でございます。続いて、もう一つの方ですが......」

 

軍医大佐はここで言葉を区切り小声になって報告を始めた。こっちはまだ関連部署には進捗報告書が上がっていない内容だ。

 

「定期的な健康診断の際に採血をした血液から、薬物反応の有無を並行して検査する件ですが、結論から申し上げますと、本人確認の徹底がどこまでできるかが、難問でございます。検査自体は特に難しいものではないのですが、替え玉をどう防ぐかという所で、費用対効果の良い案が無い状況です。憲兵隊や捜査機関の方に相談できれば、何か良い案が出るかもしれませんが、内密にとのお話でしたので、外部組織の人間には、まだこの話は出していない状況です」

 

そこだよな。後ろ暗い事がある連中が素直に採血に応じるか?という問題は当初から指摘されていたが、1000万人を越える人間の本人確認をどう効率よく進めるか?は妙案が出ていなかった。軍隊と薬物は切っても切れない関係だし、軽度な状態なら社会復帰もしやすい、麻薬撲滅の観点から見ても、密売組織のあぶりだしは対処療法だが、定期的な健康診断で薬物汚染を発見できれば、捜査の手間も省けるので、何とか実現したい話だった。

 

「入隊した段階から入れ替わりなどが行われていた場合は防ぎようがございませんが、その辺りはおいおい憲兵隊や捜査機関との情報交換を行う中で、防止策や違反者の発見の仕組みが出来ると存じます。医療の観点からの本人確認としては入隊の段階からDNAサンプルを登録しておき、血液検査と併せてDNA鑑定を行う事ぐらいしか案がない状況でございます。」

 

申し訳なさそうな表情をしながら、一枚の資料を出してきた。出入りする艦隊の乗組員と、駐留基地要員、そして歓楽街の民間人全員の健康診断にDNA検査を実施した場合の見積書だ。確かに男爵家の嫡男でも判断に困る金額が記載されている。ただ、俺からすると初期投資としては二の足を踏む金額ではなかった。

 

「軍医大佐、仮にの話でDNA鑑定キットを生産するには設備投資はどれくらいになるのだろうか?将来的には、辺境自警軍にも導入したいし、RC社が契約している在地領主の皆様の領地でも実施しても良い話だ。どこから予算を引っ張ってくるかは別として、5年以内に年間10億セットは使うものになるだろう。10億作れば量産効果もかなりの物になりそうだが......」

 

そういう視点は無かったようで、軍医大佐は目を白黒している。

 

「すまない。こういう話の専門家連中に話を振っておくことにしよう。決裁書は用意してあるかな?いざという時は私の口座から資金を用立てるから、この件は内密に進めて欲しい。」

 

「はい。念のために作成しておきましたが......」

 

戸惑いながらも決裁書を差し出されたので、確認した後、携帯している決済印を押印して差し戻した。軍医大佐は、まだ狐につままれているような表情のまま、慣れない敬礼をして応接室を退出した。薬物は下手をしたら伝染病なんかより軍にとっては脅威だ。多少高くつくが、それで安心して指揮できるなら、決して高い買い物ではないだろう。自分の手帳のタスク管理のページに『DNA鑑定キットの生産事業立ち上げ可否』と書くと、冷めてしまったお茶を飲み干して、執務室へと戻った。



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56話:前線総司令部

宇宙暦781年 帝国暦472年 12月下旬

アムリッツァ星域 第11駐留基地 第一貴賓室 

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「まさか、我らが揃って同じ任地になるとはな。人の縁というものは分からない物だ」

 

「左様ですね。メルカッツ先輩もいらっしゃいますし、義父上などは世代交代がしっかりできたとご安心の様子でした。父上にもやっとご安心頂けたのではないでしょうか?」

 

元帥に昇進した長兄のローベルトと、上級大将に昇進した次兄のコルネリアスが楽し気にお茶を飲んでいる。元帥杖が授与された場には俺もいたが、長兄は軍務省から転出して以来、15年近く宇宙艦隊で軍歴を重ねてきた。戦功も重ねているし、歴戦の将軍といった雰囲気をまとい始めている。ミュッケンベルガー元帥との兼ね合いもあり、昇進するタイミングを数年前から調整していた形だが、シュタイエルマルク元帥が予備役入りされ、ミュッケンベルガー元帥が宇宙艦隊司令長官に着任したタイミングで昇進する事となった。

 

「艦隊司令官の面々が、ご縁のある方々になって私はホッとしていますよ。忌憚のないご意見と要望を気兼ねなく頂戴したいですから」

 

「そんなことを言って良いのかい?まあ、何だかんだと後方支援の事も理解している人材で固められているから、意見や要望もある程度は建設的なものになるだろうけど......」

 

空になったティーカップに紅茶を注ぎ足しながら、俺も会話に参加する。次兄のコルネリアスが少し意地の悪い表情で返してきた。次兄は昨年度に軍務省から宇宙艦隊司令本部に戻り、上級大将に昇進の上で、艦隊司令官に任官した。一年かけて幕僚陣と訓練を行い、今年度から第11駐留基地に駐留を開始した。

 

「一応、入れ物は完成しましたが、まずは6個艦隊の駐留で運用の改善点を洗い出していき、最終的には12個艦隊の運用を視野に入れているのです。細かい見落としが後々おおごとになるのは良くある話ですから、そういう意味でもこの人事は有り難く思っています」

 

「うむ。その件だが、12個艦隊はあくまで想定で考えておけば良いと思う。12個艦隊となると宇宙艦隊の6割を超える戦力だ。実際には9個艦隊くらいまでの運用になると私は判断している。一時的にとは言え、宇宙艦隊司令本部よりも前線総司令部に属する戦力が多くなるのは役職の序列の観点からもよろしくは無いし、グレゴール殿と話しあって宇宙艦隊副司令長官を置かなかった配慮が無駄になってしまうからな」

 

「心得ております。ただ、12個艦隊の駐留を想定してした上で、9個艦隊の後方支援を行うのとそうでないのとでは、基地要員たちの心構えがかなり変わってまいりますので、想定は12個艦隊で準備させたいと思います」

 

これも既定路線だったが、ミュッケンベルガー元帥が宇宙艦隊司令長官に就任したばかりであるため、ここで副司令長官をおくと、数年かけて引継ぎをしたにもかかわらず、軍部としてミュッケンベルガー元帥に不安があるように映りかねないという判断から、長兄は副司令長官の内示を辞退した。それを受けて、もともと計画書を上げていた、第11駐留基地の通信設備の強化やイゼルローン回廊内と出口付近の星域に、偵察衛星や通信衛星を配置して、前線の戦局をある程度統括する構想に決済が下り、その責任者に長兄を当てることになった。

関連設備が立ち上がれば第11駐留基地は前線総司令部と呼称されることになる。通信設備や情報共有の為の各種設備は12個艦隊の統括を想定したものを導入する予定だ。

演習は出来れば12個艦隊で行いたいので、その際は、宇宙艦隊司令長官にも出馬してもらって、一種の観艦式に近いものになるかもしれない。それはそれで兵士たちの士気も上がるだろうし、毎年は厳しそうだが、隔年くらいでやれれば面白いと考えている。

 

「それにしても、かなり色々な試みを導入したのだな。視察して回るのが楽しいほどだ。さすがに隅から隅まで視察できる身分ではなくなってしまったし、警護の者にあまり負担をかけてもな。ただ、貴賓室が6室もあるのはやり過ぎなような気もするが......」

 

「艦隊司令官も階級が色々とございましょう?上の者と同格の部屋を執務室にするというのは皆さま落ち着かないでしょうから。貴賓室は臨時の執務室としても使えるように作りました。色々、細かいところまで気を配っているのです」

 

この意見は、メルカッツ上級大将やファーレンハイト准将から出た話でもある。人が集まれば、どうしたところで派閥は出来る。階級を踏まえた違いを、ある程度演出しておいた方が、人間関係からくる衝突も減るのではないか?と提案を受け、承認した次第だ。

 

「うーむ。身分の問題は命令して正すわけにもいかぬ問題だからなあ。幕僚の任用権はある程度、司令官に一任されている部分もあるし、根本的な解決はなかなか難しいか......」

 

「はい。ルントシュテット家ではそのような教育はされませんでしたから、我らはそのような見方はしませんが、一部の方にはまだそういった感覚があるようですし、下級貴族や平民層からすると、避けられる災いは避けたいといった所でしょう」

 

長兄は少し渋い顔をしているが、これは無くしようがない話だと俺は思っている。仮に爵位が無かったとしても、卒業席次や出身地、配属された艦隊などで、何だかんだと軋轢みたいなものは必ず発生するだろう。そう言う意味では、オーベルシュタイン卿の提案を受け入れて、憲兵隊と警察組織をかなり余裕がある人員編成にしたことは、間違いではなかったと思う。

憲兵隊と言えば、叔父貴からケスラー中尉を一時的に預かることになった。まあ、他所で経験を積むのはキャリアを考えても必要なことだし、組織体制をゼロから作るのは、今の帝国ではなかなかできない経験だ。憲兵隊関連の報告担当に任命して、意見具申できる立場を用意した。どうせなら色々学び取ってもらいたい。ケーフェンヒラー軍医大佐と、例の件でも意見交換をしてくれているようだし、戻す際は昇進させることになるだろう。雰囲気を変えようとしたのか、次兄が別の話題を持ちだした。

 

「兄上、さすがに元帥閣下より先に視察するわけにもいきませんし、ご一緒では警護の人数が多くなりすぎて現場に迷惑が掛かります。私も視察したい気持ちはありますし、幕僚たちからもせっつかれている状況です。ご多忙なのは分かりますがどうぞ良しなに」

 

「分かっているが、いかんせんこの基地が巨大すぎてなあ。視察のスケジュールを回すようにするから、参照して対処してくれ」

 

長兄は苦笑いしているが、前線総司令部の立ち上げ責任者としては視察しておかないわけにもいかないだろうし、これは致し方ないだろう。

 

「今回は兄弟みずいらずで、という話だったが次回はメルカッツ先輩も同席して頂こう。立ち上げ段階くらいは、司令官たちの親交を部下たちに認識させた方がよいだろう」

 

そんな話をしながらちょうどティーカップが空になったタイミングで、ドアがノックされ、俺の首席秘書官役のオーベルシュタイン大尉が入室してきた。どうやらお茶の時間は終わりのようだ。

 

「ご歓談中に失礼いたします。閣下、そろそろお時間です。副官の方々がお迎えに参っております」

 

そろそろ実務に戻る時間のようだ。副官といえばその任用もそれぞれの色があって面白い。長兄の艦隊司令部はどちらかというと体育会の色合いが強く、副官もそうだろうと思っていたが、さすがに元帥になり外部との接触が多い副官人事に配慮したらしい。数回会食をしたことがあるが、シュタインメッツ大尉という、場に応じた対応ができる人物を選んでいる。

一方で、次兄の副官は、レンネンカンプ大尉というかなりキッチリした人物だ。こちらも会食したことがある。最近は、『佐官になる前にもう少し威厳をもちたい』とひげを生やすか悩んでいたはずだ。

今回は不参加のメルカッツ先輩の副官は、エースパイロットから異色の異動となったケンプ大尉だ。彼は偉丈夫でもあるが、メルカッツ先輩によると、制宙戦力の運用は、次世代艦の運用に通じるものがあるらしく、将来は幕僚のひとりにするつもりのようだ。もちろん彼とも会食した経験がある。

そう言う意味ではいろんな階級で交流を促進しても面白いかもしれない。競い合う仲でもあるが、背中を任せあう仲でのあるのだから。そんなことを考えながら自分の執務室に向かった。

 

 

宇宙暦782年 帝国暦473年 1月下旬

首都星オーディン 下級貴族住宅街 ミューゼル邸

アンネローゼ・フォン・ミューゼル

 

「爵位が何だというのだ!クラリベルだけでなく俺から事業まで奪うとは。なにが門閥貴族だ。人の皮を被った強欲の塊どもめ......」

 

いつものように、父が門閥貴族への恨みをつぶやきながら、お酒を煽っている。止めなければと思うが、正直、どう話せばいいのかわからない。私も母の死のショックからまだ立ち直った訳ではないのに。

 

「姉さん......。どうしたの?」

 

「何でもないわ。ラインハルト、寝室に戻りましょう」

 

弟の手を引いて、寝室に戻る。どうやら父の声が大きかったらしく、目を覚ましてしまったみたい。弟のラインハルトはまだ5歳。母が死んだという事を認識するにはまだ幼かった。それだけが救いでもある。父と母の結婚は貴族社会ではめずらしい恋愛結婚だった。父が見初めて、色々な横槍があったらしいがなんとか結婚することができた。そのせいか、母の事故死に父は大きなショックを受けて、ふさぎ込む状況だった。

その上で、詳しくは聞かされていないが、事故を起こした門閥貴族が、賠償金を請求されたことを逆恨みして父の事業を立ち行かなくした。そこで父の気持ちは折れてしまったのだと思う。夕方からお酒を飲みだしてダイニングでそのまま寝入ってしまうようになり、最近ではお昼から飲み始めて恨み言をつぶやくようになった。母が健在な頃は、私の中では良き父だった。お酒におぼれる姿を見たくはないし、ラインハルトにも見せたくない。

 

「姉さん、なんだか悲しそうだけど、どうしたの?」

 

寝入るまでは頭を撫でるのが私たちの習慣だが、思っていたことが顔に出ていたみたい。弟には心配をかけたくない......。

 

「何でもないわ。ラインハルト、それより明日は晴れて良い一日になりそうよ。早く休んで明日に備えなきゃね......」

 

「うん。おやすみなさい......」

 

寝入った様子の弟の頭をしばらく撫でる。今、この子を守れるのは私だけだ。父もいつかは立ち直ってくれるはず。今は私がしっかりしなければ......。弟が寝入ったのを確認してから、自分の部屋に戻った。明日は今日より良い一日でありますように。




※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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57話:憂鬱

宇宙暦782年 帝国暦473年 3月下旬

首都星オーディン 幼年学校

アルブレヒト・フォン・リューデリッツ

 

「アルブレヒト、私は士官学校へ進むが卿の人生だ。伯からも自分の人生は自分が生きたい様に生きろと言われているのだろう?ゆっくり考えれば良い。ではな......」

 

そういうと、幼いころから教練や座学を教えてくれたロイエンタール卿が私の肩に一回、手を置いてから幼年学校の門をくぐっていった。去年は従兄弟にあたるディートハルト先輩を送り出した。幼年学校に入学してまもなく1年が経つが正直、自分の軍人としての才能にひけ目を感じる日々だった。

私の父のリューデリッツ伯は、幼年学校から士官学校までの10年間首席だったし、幼いころから周囲にいたオーベルシュタイン卿もシェーンコップ卿もロイエンタール卿も軍人として優秀だった。私には彼らほどの才能は残念ながら無いように思う。座学だけなら胸を張れるが、軍事教練や、会戦シミュレーションでは平均的な成績だ。父や伯父上たちが活躍されている宇宙艦隊司令本部には、今の席次では任官は出来ないだろう。

 

「リューデリッツ卿、あまり思いつめるな。あと3年かけて決めれば良いことだ。父の家業は造園技師だが、私は士官学校を進路にした。リューデリッツ伯爵家ともなれば色々とあるのだろうが......」

 

隣で心配気な視線を向けてくるのは、ミッターマイヤー先輩だ。彼も軍人として豊かな才能の持ち主だと思う。我が家で定期的に開催される会食のアレンジを任されているロイエンタール卿は、庭園の管理にも携わっていた。その発注先がミッターマイヤー先輩の父上だった。そんなに多くは無いミッターマイヤーという姓を耳にした際、ロイエンタール卿から声をかけて以来、何だかんだと一緒にいる事が増えた仲だ。『どうせ兵役に就くなら士官として努めたい』と、士官学校への進学を既に決めておられる。ミッターマイヤー先輩も当初は身分を気にしていたが、今では気兼ねなく接してくれている。後輩の面倒見も良いし、友人としても気持ちの良い先輩だ。

 

「分かってはいるのです。自分なりに努めてはいるのですが、幼いころから才能という物を目の当たりにする事が多かったので。比較対象があの『リューデリッツ伯』というのもなかなか大変です」

 

なんとか虚勢を張ろうとしたが、乾いた笑いが出るばかりだ。先年、幼年学校を卒業した従兄弟のディートハルト殿も、励ましの言葉はかけてくれたが士官学校へ進学する話は、私の前ではなされなかった。よくご一緒におられた先輩方も同様だ。彼らもミッターマイヤー先輩同様、先輩としても友人としても気持ちの良い方々だった。そんな彼らと肩を並べたいと思うのはいけない事なのだろうか......。

 

「リューデリッツ卿、そう思い悩むな。卿のすぐに思い悩む癖だけは、正直、良き物とは思えんぞ。座学が優秀なだけでも十分ではないか。卿がどれだけ務めているか、親しい者ならわかっていることだ。私ももっと務めねばと卿から影響を受けている。周囲に良き刺激を与える。俺は貴族の事は分からぬが、本来重責を担う者に求められるのはそういう部分ではないのだろうか?卿は誇るに値する人物だ。だからこそ、諸先輩も卿の事を気にかけてくれるのだ。そうでなければ、もっと上辺だけの付き合いになるだろう。まずは食堂へ行こう。空腹だから考えが悪い方向へ進むのだ。さあ!」

 

ミッターマイヤー先輩は私の背中をたたくと、食堂の方へ歩みを進めだした。心遣いが身に染みる。確かに空腹では良い考えが浮かばないのも確かだ。私も先輩の後ろをついて行った。

 

 

宇宙暦782年 帝国暦473年 8月下旬

首都星オーディン マリーンドルフ邸

フランツ・フォン・マリーンドルフ

 

「マリーンドルフ伯爵、本日はお忙しい中お時間を頂きありがとうございます」

 

応接セットの私の向かいに座った、リューデリッツ卿が、幼いながらも作法を心得た挨拶をしてくれる。私も、作法にかなった挨拶を返した。彼の父親であるリューデリッツ伯から久しぶりに時節のやり取りではない手紙が届いたのは秋口に入った頃だった。彼の嫡男が進路で悩んでいる様だが、自分では何を言っても皮肉に聞こえてしまう様に思うため、私なりに幼年学校から士官学校以外の進路を取ったものの一例として話を聞かせてやって欲しいと打診されたのだ。

幼年学校ではあらゆる面で優秀だったリューデリッツ伯も子育てに悩むのかと思うと、同じ父親として、親近感が増した。リューデリッツ邸に出入りする子弟は、皆軍人としての才能がかなりあることも、甥にあたるルントシュテット伯爵家のご嫡男も軍人として優秀であることも手紙には書かれていたし、目の前の幼いお客様については、ひたむきに努力できる才能は持っているが、残念ながら前線指揮官として超一流になるのは難しいだろうという事も認められていた。

リューデリッツ伯自身も、本来の志は事業家にあった。その辺りも含めれば、代々軍人の家系だからと言って、嫡男が軍人にならなければならない理由は無いと考えているのだろうが、前線でも後方でも当代屈指の功績をあげている人間からそんなことを言われても確かに皮肉に聞こえるだろう。

 

「それで、何から話そうか?御父上からは進路を決めるにあたり悩んでいるから、伯爵家当主として、士官学校ではなく地方自治系の大学に進路を取った経験を聞かせて欲しいとの旨は聞いているのだが」

 

「はい。リューデリッツ伯爵家は代々軍人の家系ですし、父上はもちろん、大御爺様もイゼルローン要塞建設という歴史に残る大業を主幹されました。私もそれに続きたいとは思っているのですが、諸先輩も優秀な方が多く、軍人としての私が、果たしてお役に立てるのか?とも思いますが、お付き合いする中で気持ちの良い方々ですし、軍に入って少しでも彼らに並べればとも思うのですが......」

 

そこまで話を聞いて次代のリューデリッツ伯には軍人というより、官僚や経営者としての資質の方が高いと思った。世の中には往々にして、才能と志向が一致しない事の方が多い。彼の父親もそうだった。今となっては温かい思い出だし、広言するつもりはなかったが、まずはその辺りから話を始めよう。

 

「確かに思い返すと、私も士官学校へ進路を取る学友が多い中で、地方自治系の大学へ進学することに、変な罪悪感を感じた記憶があるよ。ましてや、入学以来、学年首席で通していた後輩が、家の都合で士官学校へ行くが、本来は経済系の大学に進学したかったと、本音を漏らされた時は驚いた。そんなことを言いながら、士官学校へも首席合格したから大したものだとも思ったがね」

 

「それは父上の事でしょうか?そんなお考えだったとは聞いたことはありませんでした」

 

次代のリューデリッツ伯はかなり驚いている様だ。まあこういう話は、親子で話すには少し気恥ずかしい部分もあるだろう。私も、娘のヒルデガルドと将来こういう話が出来るかといえば厳しいと思う。

 

「まあ、当時から広言できる話でもなかったからね。御父上は、幼いころから領地の発展に貢献されていたし、私自身も、父が高齢で早く領地経営を担わなければならなかったからね。家の事情で人生が決められたようなものだから、お互いに本心を洩らす間柄だったのだよ」

 

ここで手元のティーカップを手に取り、のどを潤す。大人ぶりたいのだろうか?面談相手の少年もお茶を飲むが、砂糖を入れなかった。よく当家に来るヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢は、さらりと砂糖を2匙入れるが。続きをせかすように視線を向けられる。

 

「ここだけの話だが、二人だけになった時には『100万の敵を撃滅するより100万の臣民を養う方が大業だ』と言っていたものだ。実際問題、戦争状態が続いているから敵を屠る事に目が行きがちだが、本来は臣民により良き明日を。次の世代ではもっと豊かになっているという希望を持たせるのが統治者の役目だし、これは比較することではないが、決して容易にできる事ではない。リューデリッツ卿はそちらの適性が高そうだ。今すぐ結論を出す必要はないが、必ずしも軍人を志向する必要は無いと私は思うがね......」

 

「確かにそうですね。少し、目の前の霧が晴れたような気がします」

 

少しは少年のお悩み解決に役立てたようだ。では、近々の私の悩み解決にも貢献してもらおう。

 

「あまり焦らずに考えてみれば良いのではないかな?ところでまだ迎えの時間まで間がある。良ければヒルダにも挨拶してやってくれぬか?ヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢も遊びに来ていてな。年代も同じころ合いであろうし......」

 

私の言葉に、次代のリューデリッツ伯は喜んでと返してきた。やはり善良で良識人なのだ。当代のリューデリッツ伯なら犠牲者は少ない方が良いと言って逃げただろう。別に当代のリューデリッツ伯がヴェストパーレ男爵夫人のサロンへの同席を断ったお返しでは無い。お悩み相談を受けたお返しとして、年ごろの令嬢という厄介な魔物の相手を押し付けるだけだ。

貴族同士の取引としては妥当だし、早めの社会勉強にも丁度よいだろう。そして淑女たちの扱いも、次期伯爵家当主としては覚え始める時期だ。私は純粋な少年をいけにえにする事に、心の中で言い訳を重ねながら、淑女たちが待つサロンへの案内に取り掛かった。

 

 

宇宙暦782年 帝国暦473年 8月下旬

首都星ハイネセン 統合作戦本部

シドニー・シトレ中将

 

「では辞令を交付します。シトレ中将、本日付けで士官学校校長とします。引き続き貴官の奮闘を期待します」

 

国防委員会で最近名が売れ始めた女性代議士から辞令を受け取る。彼女はガチガチの主戦論者だったはずだ。父も、夫も、そして息子も帝国との戦争で戦死していたはずだ。私が言うべきことではないが、彼女は分かっているのだろうか?自分が論陣を張り、旗を振れば振るほど、同じ境遇の未亡人が増えるという事を。

 

「はっ!未来の名将の卵たちを出来る限りサポートしたいと思います」

 

辞令を受け取り、代議士が使う応接室を退出する。ドアを閉めるとともに自然にため息が出た。個人的には士官学校の校長は嬉しい人事だ。ただ今の戦況を考えると必ずしも喜ばしい人事ではない。8月に辞令が下りるという不規則な状況がそれを物語っていた。

本来なら正式艦隊の司令官になるはずだったが、同盟軍が戦力化していた12個艦隊は、正直、損耗しきっている状況だった。いくつかの艦隊を統合し、6個艦隊の定数を確保したうえで、残りは順次、戦力化していく計画となった。そんな中で、前任の士官学校校長が心労で倒れた為、急遽、私にお鉢が回ってきたと言う訳だ。

帝国との戦争では、戦闘艦の消耗は同程度だが、戦死者数に関しては数十倍という危機的な状況は改善できていない。もともと軍人というのは戦死者の予備軍であることは否めないが、戦死させるために育成してる訳ではない。士官学校の校長や教官は、やりがいはあるが、教え子たちが大量に戦死するという観点で、心労がたまる役職になっている。

統合作戦司令本部の廊下を歩いていると、同期のロボスが声をかけてきた。彼は前線指揮官としては実績を上げているが、若干戦況を楽観視する所がある。それが原因で、敵の後方のメンテナンス部隊を強襲した際、手痛いしっぺ返しをうけた時から、昇進に少し差がついた。

 

「シトレ。私は引き続いて分艦隊司令ということになりそうだ。貴官はどんな辞令を受けたのだ?また轡を並べられればうれしいが......」

 

うすうすは気づいているのだろう。少し不安げな表情を浮かべながら問いかけてくる。同盟軍は基本的に年功序列だ。実績を上げても、率いる艦隊が少なくなれば、当然、若手に艦隊司令官職は回ってこないだろう。

 

「残念ながらロボスの希望には応えられそうにないな。士官学校の校長を拝命した。未来の名将を育成することに励むことになるだろう」

 

「士官学校を軽視するわけではないが、戦況を考えればそんな悠長に構えていられる状況でもないだろうに。政治家たちは戦況をちゃんと理解しているのか?」

 

自分の見込みが外れると感情的になるのも昔からの癖だ。これさえなければ前線指揮官としては申し分ないのだが......。

 

「ロボス、少し落ち着け。逆に考えれば時間はかかるかもしれないが宇宙艦隊の戦力を本気で立て直そうとしているのだ。それができるかは前線で戦力の摩耗をどれだけ防げるかにかかっている。前線の事、頼んだぞ!」

そう言って肩を叩いて別れた。

 

今更だが、国防の面だけを考えれば、同盟がイゼルローン回廊出口付近に要塞を造る事も考えるべきだったが、それが出来たのは第二次ティアマト会戦の直後だろう。泣き言を言っても仕方がない。できる事をやるしかないのだ。



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58話:それぞれの決断

宇宙暦783年 帝国暦474年 3月下旬

首都星ハイネセン 倉庫街

ヤン・ウェンリー

 

「残念ながら、こちらの倉庫内のものは全て贋作ですね。古美術品としての価値はありません。オブジェとしての価値はあるかもしれませんが、換金手段は残念ながらございませんね。始めに確認させて頂いた万歴赤絵の大皿ですが、鑑定書通り本物です。急ぎで売りに出しても10万ディナール。しかるべきオークションに出せばうまくいけば20万ディナールを越えるかもしれぬ一品です。

こちらのシルバーカトラリー一式も、皇室御用達の職人によるもので、アンティークとしての価値もかなりございます。一式であればこちらも10万ディナール、しかるべきところに出せば20万ディナールと言った所でしょう。久しぶりに目の保養が出来ました。」

 

私のため息はどうやら父の遺した古美術品の鑑定を頼んだ鑑定人には聞こえていないようだ。同盟憲章の保障する自由には、相手の心証を読まない自由はあるのかもしれないが、贋作を本物だと偽る自由はさすがに無いだろう。父の古美術品への鑑定眼は別にしても、本物で価値があったのは、帝国の伯爵から贈られたものだけだったというのは、皮肉が効きすぎているように思う。

 

「それでは鑑定料はこちらの口座にお願いします。鑑定の際は是非お声がけください。では!」

 

私が思考している間に鑑定士はひとしきり気が済んだのか、1000ディナールの請求書とともに振込先を記載した名刺を私に押し付けると、上機嫌で帰っていった。

 

「私も人付き合いが苦手な方だが、少しでも想像力があれば、どうしたものかと思い悩む場面だとわかりそうなものだけどなあ......」

 

困った時の癖で、頭をいつの間にかかいていた。父親が遺した古美術品を全て贋作だと鑑定した鑑定士に、また依頼をする人間がいるのだろうか?少し考えればこれからの生活費をどうしようと悩んでいるとわかりそうなものだけどなあ。

 

事の起こりは、私がハイネセン記念大学の史学科への受験の為、今まで生活してきた商船から下りて、ハイネセンの自宅で一人暮らしを始めた事から始まる。それまでは父や乗組員の皆と一緒に商船で各地を回る生活をしてきた。丁度、そのタイミングで、中古ながら2周りは大きい商船を購入し、父は上機嫌で処女航海にでたが、核融合炉の事故が発生し、父は帰らぬ人となった。

葬儀にも駆けつけてくれたフェザーン人のコーネフさんと共同経営していた会社の株と自宅は、商船購入時に抵当に入っており、保険金は、積み荷と乗組員への補償で消えてしまった。コーネフさんからは生活費の援助の申し出もあったが、父の遺した古美術品があった。それを処分すれば学費と当面の生活費は何とかなると判断して固辞したのだが......。

 

「さすがにこいつらを売るわけにいかないしなあ」

 

万歴赤絵の大皿は父が一番気に入っていたものだし、私も許しを得てよく磨いたものだ。シルバーカトラリーは本来ならこういう場合は売るのだろうが、帝国の伯爵のお金で史学科に入学するというのは何か違う気がする。それに私にとっても初めてもらった心づくしの贈り物だ。贈り主と会う事は無いと思うが、だからこそ売りたくないとも思う。宇宙の向こう側の贈り主はこんな未来を予測していたのだろうか?それとも、意外に貴族の没落はよくあることなのだろうか?

 

「とはいえ、私が路頭に迷う事は不本意だろうから、現金は使わせてもらうとして、さすがに大学の学費と生活費には足りないだろうな。まずは福祉局で相談してみるか」

 

自分に言い聞かすようにつぶやくと、万歴赤絵の大皿とシルバーカトラリーをケースに入れてからキャリーバックに入れて、倉庫に鍵をすると福祉局へ足を向けた。正直、足取りが重い。ふと、左の内ポケットにしまい込んだ手紙に感覚が向いた。目についたベンチに座り、改めてシルバーカトラリーの贈り主からの手紙を広げる。何度見ても達筆な同盟語が目に入ってきた。これもあと数十年かしたら歴史的資料のひとつになるのかもしれない。

 

手紙の内容は、本来なら毎年ひとつずつ贈るシルバーカトラリーを一式で送った理由と、このシルバーカトラリーの箱が開かれるときは、順調に行けば私が結婚するときだろうから、御祝い金として1万フェザーンマルクを同封する旨が書かれている。もし万が一の時に開いた際は、路頭に迷う様ならフェザーンに来てくれれば何とかするので、迷わずにフェザーンへの運賃とするようにとも書かれていた。

 

この手紙の日付は宇宙歴767年の2月、私が生まれる少し前の日付だ。贈り主は第二次ティアマト会戦の翌年の生まれだから、今年37歳、手紙をしたためた当時はまだ21歳だった。彼の名前は自由惑星同盟にも聞こえている位だが、世に名を響かせる人物は若いうちからこういう配慮を欠かさないものなのだろうか?

手紙に同封されたフェザーンマルクもすべて新札だった。こういう習慣が帝国貴族の中にあるというのも初めて知った事だ。もし宇宙の向こう側に生まれていたら、素直に頼ることができたのだろうか。少なくともお茶を飲みながら父との逸話を聞いてみたい思いはあった。

 

「そうか、この手紙も、ある意味歴史の1ページなのかもしれないな」

 

不思議と何度も読み返すこの手紙に妙な愛着を感じていたが、今まで読んだどの歴史書よりも、自分だけの歴史考察をする材料になっているのだと気づいた。さすがに公表できるものではないが、この手紙も大事にとっておこう。重くなっていた足取りも、この手紙を読んだおかげで軽くなった気がした。少なくとも近いうちに路頭に迷うことは無い。大通りまで出ると自動運転タクシーを捕まえて、福祉局へ向かった。

 

福祉局の受付はかなり混雑していた。残念ながら戦況は帝国優位に進んでいる。遺族年金や戦傷者の社会復帰政策への申請が相次いでいるのだろう。奨学金に関連する受付番号発行システムで進学相談のボタンを押し、出てきた券を持って近くのベンチに座る。こういう場であまり周囲をじろじろ見るのも揉め事の原因になりかねない。

しばらくすると私の番号が呼ばれ、すこし割腹の良い中年の女性がいる受付へ向かった。こういうのは慣れないが、事情をかいつまんで話すと、彼女が申し訳なさそうな表情をしながら今の奨学金の実情を話し出した。

 

「無料で学べる史学科ねえ。長引く戦争の影響で人文系の学部への奨学金は新規の申請はほぼ下りない状況なのよ。ハイネセン記念大学も、国立自治大学も、史学科となると学費は自費でという事になるわねえ......。調べてみるから少し座って待っていてもらえるかしら」

 

そう言うと、彼女は情報端末を見ながらキーボードをカタカタと打ち始めた。そう言えば、『恰幅が良い』というのは女性に使って良い表現なのだろうか......。などと考えていると、キーボードを打つ音が止まり、彼女はつぶやいたつもりだろうが私にも聞こえる声量で、

 

「ここも史学科と言えば史学科ねえ......」

 

とつぶやいた。思わず目が合うと、モニターをこちら側にむけて来る。

 

「同盟軍士官学校戦史研究科ですか」

 

「ここなら学費も無料だし、生活費も支給してもらえるわね。ハイネセン記念大学の史学科に合格できる学力があるなら十分合格できると思うけど......」

 

反応を確認するような視線に気づかぬふりをしながら、モニターに映し出された資料を確認する。士官学校を卒業して10年勤めあげたら退役軍人年金ももらえる。良い話だとは思うが、『父の知己で、私を気遣ってくれた恩人の敵国の伯爵と年金の為に戦う』かあ。言葉遊びならまだあり得るが、自分の身に実際に振りかかると、なんとも言えないものがある。ただ、この選択肢を選ばないとするとフェザーンへ行くしかないだろう。

 

「ありがとうございます。願書を頂ければ幸いです」

 

今更だが、父の人生論を思い出した。『金銭があれば嫌な奴に頭を下げずに済むし生活の為に節を曲げる事もない』かあ。こんなに早く実感することになるとは思っていなかった。その場で願書を記入し、お礼を述べて福祉局を後にする。今日から受験日までは比較的安めのホテル・カプリコーンでホテル住まいをすることになるだろう。

 

 

宇宙暦783年 帝国暦474年 4月下旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「父上、母上。今回は忙しい中、お時間を頂きありがとうございます」

 

応接セットの対面に座る嫡男のアルブレヒトが神妙な面持ちで話し始めた。進路の件で色々と思い悩んでいたことは知っていたが、嫌々とは言え俺は軍人として前線でも戦果を残している。当初は、『リューデリッツ伯爵家が代々武門の家柄とは言え、軍人になる将来が確定しているわけではない』と伝えるつもりだったが、爺様と父上の事を思い出して、俺から伝える事は控えた。マリーンドルフ伯とも話す場を設けたし、妻のゾフィーとも事前に話し合い、仮にアルブレヒトが軍人以外の道を選ぶと判断したら、それを尊重しようと決めていた。

 

「忙しいのは確かだが、アルブレヒトに割く時間ならいくらでも調整するさ」

 

「ええ。むしろいつも忙しくしていて、貴方もいろいろと耐えてくれていると思っています。親子なのですから、変な遠慮をする必要はありませんよ」

 

ゾフィーもおそらく進路の話だと察しているのだろう。ゾフィーはある意味、育った環境に進路を縛られることは無かった。そう言う意味で、生まれに苦しんでいる嫡男に罪悪感を感じている面があるようだ。ただ、貴族の家では生まれに縛られる方が普通だ。気にしても仕方がない事だと思うのだが......。

 

「今回、お時間を頂戴したのは、私の進路の件です。リューデリッツ伯爵家は武門の家柄。大爺様もイゼルローン要塞の建設に関わられましたし、父上は前線でも後方でも功績を上げられました。私もそれに続きたいと志を持っておりましたが......」

 

そこまで言うとアルブレヒトは涙を浮かべてうつ向いてしまった。思わずゾフィーが立ち上がって抱きしめようとするが、手で制した。

 

「嫡男が自分の決断を表明しようとしているのだ。最後まで言い切るのを邪魔してはならん。アルブレヒト、落ち着くまでいくらでも待とう。最後まで言い切りなさい」

 

俺がそう言うと、アルブレヒトはしばらくポロポロと涙を流していたが、ハンカチを取り出して涙を拭うと意を決したように話し出した。

 

「私も大爺様と父上に続きたいと志を持っておりましたが、残念ながら軍人としての才が乏しいようなのです。進路は士官学校ではなく、帝国大学の経営学科にしたいと存じます。お許しいただけるでしょうか?」

 

「よくぞ言い切った!私はお前を誇りに思うぞ!」

 

俺はアルブレヒトの頭を撫でながら回答し、ゾフィーは涙を浮かべながらアルブレヒトを抱きしめていた。武門の家柄の嫡男という事で色々と幼いなりに感じていたのだろう。なるべくそういう空気は出さないようにはしていたが......。変に俺から伝えない判断は正しかったようだ。

 

「アルブレヒト。実はな、私も士官学校へは行きたくなかったのだ。本当は帝大の経済か経営学部に進学したかった。100年以上、戦争状態が続いているから皆の眼は軍人に向きがちだが、本来は臣民により良き明日を。次の世代ではもっと豊かになっているという希望を持たせるのが統治者の、領地持ちの貴族の役目だ。お前の判断を私は誇りに思うぞ」

 

俺がそう言うと、安心したのだろう。また涙をポロポロと流し始めた。ゾフィーもアルブレヒトを抱きしめながら泣いている。折々に進路は自由に決めろと言ってきたが、それでもプレッシャーみたいなものを感じていたのだろうか。幼いころから周りにいた連中は全員軍人志望で、軍人としての才能も豊かな連中だった。そう言う意味では子供には少し残酷だったかもしれないが、だからこそ出来た判断だろう。この決断をいつか誇りに思える日がアルブレヒトに来るようにと願った。




ディナール・フェザーンマルク共に約100円換算にで想定します。
一例
兵長待遇軍属の報酬:月給1440ディナール=14万4000円
セーター:90フェザーンマルク=9000円
原作では厳密に言うと1ディナール=6.66フェザーンマルクなのですが、そうなると約1400円のセーターにユリアンが高いと言っていることになるので、ご了承ください。
ただし為替変動は当然あります。


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59話:再訪

宇宙暦783年 帝国暦474年 8月下旬

フェザーン自治領 RC社所有の邸宅

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「オーベルシュタイン卿、フェザーンの生活には慣れたかな?まあ、一年限定の遊学期間だと思えばよい。適度に楽しむようにな......」

 

「はっ。ありがとうございます。コーネフ氏から事前の報告書を預かっております。ご確認いただければ幸いです」

 

私が資料を差し出すと、閣下はすぐに確認をされ始めた。フェザーン駐在武官として赴任して4カ月。赴任の挨拶に高等弁務官府に一度は出頭したが、そのあとはこのRC社所有の屋敷を拠点に活動している。私の任務は『叛乱軍の経済的観点からの分析』となっている。帝国政府と付き合いのあるフェザーン商人や、フェザーン商科大学での聴講を通じて、月一でレポートを提出するのが今の任務だ。

もっともそれは建前で、RC社と取引のあるフェザーン国籍の企業などからも情報は上がってくるし、閣下と親交があるコーネフ氏を通じて独立商人との顔つなぎも怠っていない。私が軍歴を重ねているのも、いつかRC社に戻った際に担える役割を増やすためでもある。

 

「ところで、息抜きも適度にするようにね。まあ、オーベルシュタイン卿はあまり夜遊びをするタイプではないだろうが、独立商人たちの流儀も知っておくに越したことは無いのだから」

 

資料を手に持ちながら、一瞬こちらに視線を向けて閣下が困る話題を始めた。美食はまだ理解できるが、どうも女性とお酒を飲むのが楽しいとは思えず、コーネフ氏からもお誘いを受けていたが、そう言う場はお断りしている状況だ。

 

「ご配慮ありがとうございます。お言葉ですが、どうもあのような場には馴染めずにおります。一度、後学の為に足は運びましたので、それでご容赦頂ければ幸いです」

 

「そうか......。まあ合う合わないは確かにあるからね。無理をする必要もないかな。分かった。私の方からもコーネフさんに話しておくことにするよ」

 

閣下は特段気にするでもなく回答されたが、正直、ホッとしていた。美食の方も、もちろん理解はできるが、私は鶏肉料理なら基本的に満足なので、自分の財布が痛むことは無いとはいえ、気兼ねしていた状況だった。

 

「閣下、私が気にする事でもないでしょうが、前線総司令部の基地司令がこの時期にフェザーンにいてよろしいのでしょうか?差し出口だとは重々承知しているのですが......」

 

「まだ正式な情報伝達のラインに乗っていない話だけど、6月の頭に前線で数個艦隊レベルの遭遇戦が発生したんだ。勝利の報告を受けてから補給の手配を終えて、あとは副司令達に任せてきたよ。彼らも中将になるには、3個艦隊分の補給メンテナンス位は仕切れないと、昇進はさせられないからねえ。それに非常時ならともかく、通常時にトップがいなければ動けない組織なんてそれこそ使い物にならないじゃないか」

 

閣下は少しいたずらをするような表情をしている。確かにベッカー少将もファーレンハイト少将も、ずっと閣下のサポート役をして昇進してきた。そろそろ自分の責任で仕事をする段階なのだろうが、戦死者は少ないとはいえ、閣下の役割を折半したとしても書類の山のひとつは処理することになるだろう。おそらくお二人ともかなりご多忙なはずだ。

 

「そういえば、フリーダが、いつの間にやら料理に目覚めた様だよ。来年、オーディンに戻るまでには鳥の丸焼きを旨く焼けるように練習しているから楽しみにしていてくれとのことだ。ご縁があって通い始めたヴェストパーレ男爵夫人の音楽学校で出るランチが、どうも舌に合わなかったのがきっかけらしい。おまけにフリーダが放り出した音楽の教科書を見たフレデリックが、逆に音楽に目覚めたらしい。グランドピアノを強請られたからね。オーディンに戻れば、鶏料理を食べながら音楽鑑賞することになりそうだよ」

 

「それは今から楽しみです。しかしながらフリーダ様はともかく、フレデリック様が音楽の道を選ばれるようなことがあっては何かと問題では?」

 

「うーん。それも考えたんだが、一応教練はやらせるつもりだが、幼年学校ではなく、音楽学校に行く事を志望するなら、認めても良いと思っているよ。アルブレヒトも幼年学校に進んだことでかなり思い悩む事になったし、オーベルシュタイン卿たちのような軍人としての才能はフレデリックにもあまり感じないからね。生まれた家から自由になるのは貴族社会では不可能だが、せめて生き方ぐらいは自由にさせようかと思っている。嫌味位は言われそうだが、家業だからと適性の乏しい職業を選ぶのは、正直、人生の無駄だと思うからね」

 

「将来RC社で担える役割を増やすために軍を選んだ私が、とやかく言う話ではございませんでした。ご容赦ください」

 

「気にしなくて大丈夫だよ。私たちは嫌々ながら軍人をしている割には、功績を立てている、それはそれで大したものだろうね」

 

またいたずらをするような表情をされると視線を手元の書類に戻した。私は一礼をして、執務室から退出する。この屋敷はRC社所有なので、作法も軍の流儀ではなく、貴族の流儀になる。自分の執務室に向かいながら、閣下ご自身の皮肉な経歴が頭をよぎった。閣下の実績を考えれば、元帥として軍を指揮することも出来るだろうが、しがらみがなければ、国務尚書・財務尚書あたりを担うべき方だ。

ただ、今の帝国では軍部系貴族に生まれた閣下が、政府閣僚になるとしたら軍務尚書しか候補にはならない。ご自分が生まれに縛られた職業に就かざるを得なかったからこそ、ご子息方にはせめて職業位は自由に選ばせたいとお考えなのだろうか。

 

 

宇宙暦783年 帝国暦474年 8月下旬

フェザーン自治領 酒場ドラクール

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

大分ご無沙汰になった懐かしいドアを押し開けてると、白髪の方が割合が多くなったマスターと目が合う。嬉しそうに目礼をしてくれたので、こちらも目礼を返す。コーネフさんからは既に代替わりしたと聞いていたが、事前に予約を入れていたので、出てきてくれたのだろう。カウンターに歩みを進めて

 

「ご無沙汰しました。1杯目はマスターにお任せしますのでよろしくお願いしますね」

 

と言い添えると、嬉しそうにうなずいてくれた。もっとも、後継ぎは俺がフェザーン駐在武官だった頃からここでシェイカーを振っていたバーテンダーだ。こちらとも顔見知りだし、実際、マスターの隣で、プロ特有の見栄えするグラス磨きをしている。こちらにも目礼してから、なつかしさとともにVIPルームへの通路を進む。今日のお供は、フランツ教官に鍛えられたリューデリッツ伯爵家所属の従士達だ。内々の話も出るだろうし、ドアの外に待機してもらう。相変わらずだが、約束の相手は先着していた。

 

「コーネフさん、相変わらずですね。ご無沙汰していました。お待たせして嬉しく思うのもおかしな話ですが......」

 

「こちらこそ、閣下がお変わりなく嬉しく思います。本来ならヤンさんも同席したかったでしょうが、残念です」

 

「急な話で、私も驚きました。ヤンさんのおかげで辺境星域もかなり発展しましたし、お会いしてきちんとお礼を伝えたいとも思っていたのですが......」

 

私たちと共同経営であちら側から農業・鉱業向けの機械とメンテナンス部品を調達してくれていたヤンさんが、商船の核融合炉の事故で急死したのが3月、折悪く前線で叛乱軍の動きが活発化していた背景もあり、対応をコーネフさんに一任せざるを得なかった。

 

場が少し沈んだタイミングでノックとともに、初めの一杯が届いた。マスター直々に持ってきてくれたが、マスターもヤンさんのことを覚えてくれていたらしい。オンザロックでツーフィンガー分のウイスキーが注がれたロックグラスがそれぞれの手元に置かれる。そしてもう一つのグラスが、空いた席にコースターとともに置かれた。

 

「あの方も気持ちの良い飲み方をされる方でしたので......」

 

一礼すると、マスターは部屋から出ていった。黙ったまま、お互いにグラスを少し掲げ、香りを楽しんでから少し口に含む。ちびちび楽しむのがあの人の流儀だった。コーネフさんも同じようにちびちびとウイスキーを楽しんでいる。しばらくの間、無言の時間が続いた。

 

「報告書にもまとめましたが、お預かりした資金で、ヤンさんの持ち株は買い戻すことが出来ました。ご指示頂いたフェザーン国籍の証券会社名義にしてあります。今後は、あちらでは代理人を立てず、独立商人を通じて、機械とメンテナンス部品を調達する形にしました。閣下のお名前もあちら側で売れておりますので、変に代理人をたてると逆に面倒ごとが起こりそうですから」

 

「承知しています。その辺りはコーネフさんがやりやすいように進めてください。ビジネスに国境はありませんが、ほかの業界の方々からすると、疑念の種になるかもしれませんし。それにしてもウェンリー君でしたか?まさか士官学校に入学するとは驚きました。そういう時に困らない様にシルバーカトラリーをお贈りしたのですが......」

 

「その件ですが、閣下がお贈りされた万歴赤絵の大皿とシルバーカトラリーだけは、売りたくないと話しておりました。当初はヤンさんが収集されていた古美術品を処分して、学費に当てると聞いていたのですが......」

 

そこでコーネフさんは一旦言葉を区切った。

 

「鑑定したところ、閣下から贈られたもの以外は贋作だったらしく、事情を聴いた時には、無料で歴史が学べるという事で士官学校の戦史研究科に入学した後でした。こちらの手配りが足らず申し訳ございません」

 

「コーネフさんから謝罪を受けるいわれはないですよ。ただ、自由の国でも何かしらしがらみがあるのかもしれませんね。私も生まれに縛られていますし、この所、子供たちの進路に悩んでもおりました。彼の活躍を祈念できる立場ではありませんが、健康を祈念することにしますよ」

 

コーネフさんはかなり恐縮した様子だが、ヤンさんもあちらでは富裕層に属する方だった。まさかこんなことになるとは、想定はできないだろう。

 

「とはいえ、ヤンさんがこのビジネスの立ち上げ期に貢献してくれたのは事実ですから、私の持ち分の3%をそのウェンリー君に贈与しますので、コーネフさんへの委任状をもらうようにして頂けますか?このビジネスはあくまでコーネフさんが主体ですし、発言権が半々になると関係性も変わるでしょう?うまくいっているモノをいじくるのはあまり気が進まないので。毎年、委任状をもらいがてら近況を見てくれればこちらも気が楽になりますし......」

 

「お気遣いありがとうございます。息子のボリスとも仲が良かったようなので、休暇の際に訪ねさせる様にいたします。閣下の代理人でもございますので、帰国される際に見送りに同席させますので、ご挨拶させて頂ければ幸いです」

 

コーネフさんは少しホッとした様子だ。ご子息のボリス君は今年14歳。近所で悪たれと呼ばれていた少年がいつの間にやら成長している。彼は父親の家業を継いで独立商人になるのだろうか?少ししんみりした雰囲気のまま、久しぶりのドラクールでの時間は過ぎて行った。



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60話:闇への糸口

宇宙暦783年 帝国暦474年 8月下旬

フェザーン自治領 リューデリッツ伯爵家御用船

フェザーン自治領主首席補佐官 ワレンコフ

 

「しかしながら、新造したばかりとは言え御用船を見たいとは......。首席補佐官にそんなご趣味があったとは知りませんでしたよ」

 

笑顔で話しかけてくるのはリューデリッツ伯だ。彼との付き合いも15年近くなる。生まれのせいで帝国貴族なんてものをしぶしぶしているが、おそらくこの宇宙で当代屈指のビジネスへの嗅覚と最速で収益化する能力をもった男だ。彼と組んだから、現役の補佐官の中で最年少だった私が、4代目フェザーン自治領主の最有力候補となり、来期から実際にフェザーン自治領主になることが内定した。ここで話が終われば、帝国とフェザーンで成功を収めた人物達の成功談で終わりだろうが、まさかフェザーンにあんな闇の部分があったとは......。

 

フェザーンはあくまで交易の中継地だ。帝国と同盟には、財政が破綻しない程度に、かつ出来れば人口増が成り立つレベルで戦争してもらうのが、フェザーンには一番メリットがある。ところが、歴代の自治領主たちは、両国の戦争を煽るばかりで、言ってみればフェザーンの市場を減らす行為を続けてきた。

自治領主になるための引継ぎを受けるまでは、両国が冷静になって、戦争相手国の横を見れば、戦争を煽って肥え太ったおいしい獲物がいる事に気づかない様にしているのだと思っていたが、こんな黒幕がいたとは。思念で会話する通信システムなんてものを使われては、偽報で誤魔化すこともできない。長年望んでいた自治領主の座が、実は狂信者どもの小間使いだったなど、『事実は小説よりも奇なり』の範疇を越えているだろう。

どうしたものかと思っていたら、宇宙で唯一の私の共犯者が、フェザーンに来ることになった。面会するなら本来はホテル・シャングリラか、RC社所有の屋敷になるが、連絡を取った際に、少し大きめの声で、リューデリッツ伯が御用船を自慢した際の返答を一方的にし、伯も異変に気付いたのか。左目でウインクしてから話を合わせ、この御用船で面会する運びとなった。

 

「さすがはリューデリッツ伯の御用船ですな。贅沢なスペースの使い方をされている」

 

共犯者の話に合わせる。彼もいつも通りの対応をしてくれるし、口元は笑っているが、目は笑っていない。内々に話はしたいが、どこに連中の手先がいるか分からない。貴賓室や応接室も出来れば避けたいところだが......。案内する態をしながら、それなりに見通しがあるラウンジに到着する。ここなら盗み聞きの可能性は無いが、どうしたものか......。

 

「すまないが首席補佐官とはラウンジで話すので、聞こえない様に距離を置いてもらえるかな?実はフェザーン駐在武官として赴任した際にひとり子供が出来てしまってね。首席補佐官に面倒を見てもらっているのだ。リューデリッツ伯爵家の家付きである以上、詳しい話を知っていたとなると、君たちの為にならないからね。出口付近に控えていてくれるかな?」

 

護衛担当達にそう言うと、我が共犯者はこちらを振り返った。護衛担当達に見えないように左目でウインクしてくる。つまり、面倒を見ている隠し子の話をする態で話をしろという事だろう。彼がフェザーンに駐在した一年で、歓楽街でかなりの浮名を流したのはフェザーンでも有名な話だ。中年男性からウインクされて喜ぶ未来が自分にあるとは思わなかったが、ラウンジの一角に座り話を始める。念のためテーブルの裏は確認した。共犯者も一緒に確認してくれた。危ない話だと理解してくれているのが分かり、改めて安心できた。

 

「閣下、お時間を頂き恐縮です。お預かりしているご子息に関して、いささか困った事態となりました。片親でお寂しかったのか、とある宗教にどっぷりという状況でして、お渡ししている生活費も、その教団にほとんど寄進してしまう状況です。どうしたものかと判断に困る状況でして、ご相談に上がった次第です」

 

「そうでしたか、それはご迷惑をお掛けして申し訳ない。何を信じるかは人それぞれですが、大人になればゆりかごには戻れませんし、必要なくなったゆりかごが育ててやったのだから、不要になってからも大事にしろと言われても、困る話でしょうね」

 

さすが私の共犯者だ。地球教の事も何かしらつかんでいる様だ。そう言えば、陛下とも親しかったはず、奴らは帝国でも大それたことをしでかしているのだろうか?

 

「そういえば私が懇意にしている御家でも、ご嫡男が宗教に入れ込んで、周囲がお困りと言う話を耳にしました。本来なら宗教とはより良く生きるための物であるはず、皮肉な話に、いささか面喰っております」

 

そう言うと、手元にあったティーポットからお茶を2つのカップに入れ、お互いの中間くらいに置いた。私は右側のティーカップを手に取り、お茶を飲んだ。彼まで取り込まれていたら、逃れるすべはない。そして奴らは帝国の皇室まで入り込んでいる様だ。左側のティーカップを手に取り、彼もお茶を飲んだ。

 

「現段階で、ご子息を引き剥がそうとすれば取り巻きを含め、反応が気になる所です。しっかりとした対応をする準備をした上で、禍根が無いように調整できればと存じますが......」

 

「分かりました。では警備会社から屋敷の方に人員を配置します。名目は先年の後継ぎ争いの際に逃亡したものが、叛乱軍の領域に行かずにフェザーンに潜伏している可能性があるためとしましょう」

 

彼の言葉に了承するようにうなずくと、胸元のペンをわざとテーブルの下に落とし、拾うふりをしてテーブルの下をのぞき込むと、手元に握っていたマイクロチップを彼の膝先に放る。何事もなかったかのように、彼も素早く視線は私に向けたままポケットにしまった。

 

「来期から自治領主となりますのでそうなればもう少しお役に立てるとも思うのですが......」

 

「いえいえ、これだけで十分です。あとは我が家の問題でもありますから、こちらで対処したいと存じます」

 

つまり危険を冒してまで動くなという事か。正直フェザーン自治領主府の人間は怖くて使えない。助かるといえば助かる話だが......。

 

「では、ご面倒をおかけした話は、ここまでにして折角ご足労頂いたのですから、御恥かしいですが我が家の御用船でも観て頂きましょうか」

 

そう言うと、案内をするように先導を始めた。何とかなりそうでホッとした自分がいる。あとは御用船を見学しただけだと自分に思い込まさなければ、思考で意思疎通するあの通信機器をごまかすことは難しいだろう。出来なければ死ぬことになるし、彼にも当然、奴らの魔の手が忍び寄ることになる。失敗は許されないと心せねば。

 

 

宇宙歴783年 帝国歴474年 10月上旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

ウルリッヒ・ケスラー

 

「おおう、戻ったかケスラー大尉、儂では帝都の憲兵隊本部ならともかく、軍のお役目まではあまり口出し出来ぬゆえ、リューデリッツ伯の下に行かせたが、良き経験が出来ているようじゃな」

 

まだ幼年時代に、グリンメルスハウゼン領の初等教育学校で優秀な成績を上げた私は、領主のグリンメルスハウゼン子爵に見いだされ、学費を子爵家が負担する形で、士官学校へ入学し現在に至る。卒業後は憲兵隊勤務の傍ら、閣下が裏でされている陛下の密命を果たすお手伝いをしてきたが、2年前からリューデリッツ伯の指揮下で、前線総司令部の治安維持組織の立ち上げに関わることになった。士官学校時代に、会食に招待して頂いた関係だし、士官学校の関係者にとっては生きた伝説の様な方だ。『少しでも学び取って参れ!』という子爵のご配慮だと思い、リューデリッツ伯に直接意見具申できる立場を好機ととらえて、職務に精励してきた。

昇進に浮かれることなく、ケーフェンヒラー軍医大佐の相談にものっていたが、前線が落ち着いたのを見計らってフェザーンに行かれたリューデリッツ伯が前線総司令部に戻られるや否や、『子爵が風邪をこじらせて肺炎の予兆もあるようだから、名代として見舞って欲しい』と親書を渡され、オーディンの子爵邸へ、取るものも取り敢えず駆けつけた訳だが、いたって元気そうだ。もっともこう言う事は陛下の密命に関わる際にはよくあることなので、戸惑ってはいない。

 

「はっ!ご配慮、感謝しております。リューデリッツ伯から親書を預かって参りました。お急ぎでお知らせしたかったご様子で、『子爵が風邪をこじらせたので名代として見舞う』という口実で、派遣されました。こちらが親書になります」

 

前口上を述べてから、親書を手渡す。子爵はすぐに開封して読み始めたが、途中で手元の情報端末を起動し、同封されていたのであろうマイクロチップを差し込んでから、続きを読み始めた。かなりの大事のようだが、私が同室したままで良いのだろうか?親書の確認を終えたのだろう。子爵がこちらに視線を向けられた。

 

「ケスラー大尉、親書の内容に関して、リューデリッツ伯から何か聞いているかね?」

 

「はっ!この件で担当になるなら、子爵閣下からお話されるだろうとのみ承っております」

 

日頃、温和な雰囲気の子爵閣下が、何やらピリピリしたご様子だ。親書の中身はかなりの大事のようだ。

 

「この件に関与すれば、命の危険があるやもしれぬが......。ケスラー大尉以上の適任者はおらぬのも事実であろう。心して読んで欲しい」

 

子爵から受け取った親書の内容は、フェザーンを設立した地球出身の商人、レオポルド・ラープが、地球教教団の指示の下、フェザーンを設立した可能性が高く、自治領領主府も、地球教団の意向の下にある可能性が高い事。先年の異母弟殺害に関しても、戦況が優勢な帝国の内部に不協和音を生じさせるための工作であった可能性が高い事。最終的な目的は不明だが、少なくとも帝国と叛乱軍を争わせて漁夫の利を得る事で何かしらの利益を得ようとしている事が記載されていた。

 

「閣下......。これは......。確かに幼心にフェザーン設立の資金はどこから出たのかなどと考えた事はございましたが、まさか旧世紀の遺産が使われていたとは......」

 

「若しくは叛乱軍の領域でつくった物やもしれぬな。フェザーン回廊が非武装地域となれば、帝国にもメリットはあるが、フェザーンが設立されたのはコルネリアス陛下の大親征の後、しばらくしてからのはずじゃ。国防をイゼルローン回廊に集中できたことで、叛乱軍は軍備を立て直す時間が稼げた。やけにタイミング良く宮廷クーデターが起きたが、それにも関わっておるやもしれぬの。ベーネミュンデ候爵夫人のご懐妊に関しても、胎児が女児という噂を流したから無事に生まれたが、もし男子であれば前回同様、死産であったやもしれぬな......」

 

予想外の仮説に、私は思わず唾を飲み込み、にじんでいた変な汗をハンカチで拭った。

 

「どちらにしても闇雲に手を出す訳にはいかぬ。一撃で一網打尽にせねば、後々に禍根を残すことになろう。表立っても動けぬ。陛下へもお伝えするゆえ、ケスラー大尉はグリンメルスハウゼン子爵家のこの件の担当者として動いてくれ。リューデリッツ伯はフェザーンでの対応でこちらには手が回らぬだろうから、メッセンジャー役として卿の役割は重要なものとなろう。苦労を掛けるが頼むぞ!」

 

普段の温和な雰囲気から、これぞ帝国貴族の当主と言わんばかりの凄味のある雰囲気にのまれかけたが、御恩のあるお二人の為に動けるなら迷うことは無い。

 

「はっ!手抜かりなきように励みます」

 

私は当たり前の事のように快諾する旨を返答していた。




狂信者の登場の前倒しは、つんさんから頂いた感想が元で思いつきました。あまりネタバレはしたくないので詳細は読んでのお楽しみとしたいのですが、私の中でラスボスにするには、彼らにあまり思い入れが無かったのと、基本的に、ランチの待ち時間に読んでもらう事を想定して書いているのですが、あまりテロだの暗殺だのをその時間に読むものとして展開に出したくないという面もありました。
ご意見はあると思いますが、ご了承いただければ幸いです。


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61話:進捗

宇宙暦784年 帝国暦475年 4月上旬

アムリッツァ星域 前線総司令部

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「前線総司令部基地司令官付きを命じられました。ワルター・フォン・シェーンコップであります」

「同じく前線基地総司令部司令官付きを命じられました。エルネスト・メックリンガーであります」

 

「うむ。よく来てくれた。貴官らの士官学校での成績は把握している。早速だが、新米少尉にはいささか重たい任務を割り当てる。もちろん相談はいつでも歓迎だし、意見具申も歓迎だ。詳細はこちらに用意している。後ほど確認しておくように」

 

前置きを言ってから、彼らに厚めのファイルを手渡す。ワルターには、ケスラー大尉の任務である憲兵隊と捜査組織の運用進捗監査、メックリンガー少尉には、ケーフェンヒラー軍医大佐が主導している定期健康診断とそれに付随した薬物検査の計画・運営を割り当てた。

 

「どちらも機密扱いの任務だ。引継ぎをしっかり行うようにな。それとメックリンガー少尉、シェーンコップ卿に紹介されて気に入ったのでな、執務室に飾らせてもらっている。少し気になるやもしれぬが大目に見てくれればありがたい。それと両名とも予定がなければ夕食に同席してくれ。歓迎の宴という訳にもいかぬがな」

 

「とんでもない事です。むしろ高官の皆さまの目に触れる場に飾って頂き、感謝しております」

 

そう言うと、二人は計ったようにタイミングを合わせて敬礼した。俺が答礼を返すと、部屋から退出する。それぞれの引継ぎの場は、この後、スケジュールに入っているはずだ。やりがいはあるだろうが、いささか通常の任務とは毛色が違う。なんとかやり遂げて欲しいものだが......。

 

地球教対策だが、ルントシュテット伯爵家・シュタイエルマルク伯爵家・リューデリッツ伯爵家から各々30名ほど、辺境自警軍の捜査機関から70名ほどをフェザーンに入国させた。捜査を始めてみると、思った以上に教団の地下茎脈は方々に張り巡らされている様だ。もっとも接点を持つ連中全員が教団の裏の顔を知っているのかは不明だ。取り調べてみないとはっきりしないだろうが、皇族殺害の関係者として扱うので、かなり強硬な対応をとらせてもらうつもりだ。少しでも関与が見受けられた容疑者には、厳しい刑が下されるだろう。

 

ケスラー大尉は引継ぎが終わり次第、オーディンに戻り、俺と叔父貴とのメッセンジャー役を担う予定だ。戻す際には少佐にするつもりだ。オーベルシュタイン卿はフェザーン高等弁務官府、駐在武官から、軍務省情報部特命担当官に転任させた。フェザーンで得た情報を叔父貴に繋ぐとともに、オーディンでの、地球教対策に関して俺の名代として動いてもらうつもりだ。

現段階では、帝国国内と、フェザーンで関係者の名簿作りを進めているが、対策のとっかかりは、健康診断にかこつけた薬物反応の検査から始める。おそらく軍部・政府・宮廷の職員から薬物中毒者が出るはずだ。それを口実に、オーディンとフェザーンを始め、各地の教団関係者を逮捕する形になるだろう。

と言うのも、泳がせていたお気に入りのメイドの兄が、最近始末されたが、検死の結果、サイオキシン麻薬が検出された。薬物中毒者にする事で、実行犯に仕立て上げられた可能性が高く、逆に言えば、教団の凶器候補者からは同様にサイオキシン麻薬の反応が出ると、予測したためだ。サイオキシン麻薬中毒者の共通項が地球教団となれば、かなり大々的で強硬な捜査をする名分ともなるだろう。

いささか悠長な気もしないでもないが、大事なことは教団の勢力を根絶やしにする事だ。今期からフェザーン自治領主となったワレンコフ氏から預かったマイクロチップの中身だけでは、地下茎がそのまま残ることになる。皇族ですら暗殺してのける連中だ。むしろ地下茎を潰すことに重点を置かなければ、後顧の憂いが残るだけになるだろう。

そんな事を考えているとノックがされ、従卒がベッカー少将とファーレンハイト少将の到着を告げた。お茶の用意を頼み、応接室へ向かう。俺に万が一のことがあった場合、この巨大な基地を差配できるのは今の所、この2人だけだ。裏の事情を伝えておく必要はあるだろう。

 

応接室に入ると、先に通されていた2人が起立して敬礼をしながら迎えてくれた。答礼をして席をすすめ、まずはお茶を飲む。落ち着いて話を聞けという意思表示でもある。長い付き合いだ。俺の意図をくみ取って2人もお茶を飲むが、やはり不安なのだろう、香りを楽しむことはせず、話を始めた。

 

「ザイトリッツ様、簡単に事情は把握しておりますが、警備を強化する必要はないのでしょうか?捜査の方も言葉が過ぎますがいささか悠長な気がします」

 

「ザイトリッツ、卿に何かあれば我らも会わす顔がない。対策はすべきだと言うベッカー少将の意見に俺も賛成だ!」

 

心配してくれるのは有り難いが、暗殺やテロから命を守るには、テロ組織を壊滅させるしかないのは2人も分かっているはずだろうに。

 

「今、何か変化を起こせば、相手に勘づかれる恐れがある。そんなことは分かっているはずだ。一撃で根絶やしにしなければ、いつかテロを起こしかねない連中だという事もね。これは押さえておいて欲しい裏の事情をまとめたものだ。含んでおいて欲しい。それと、この一件が結末を見るまでは、この3人が一堂に会するのは控えようと思う。この場の誰かがいれば前線総司令部の基地機能は維持できる。フェザーンでの大規模な捜査をするとなると、叛乱軍の目を、最前線に引き付ける必要がある。そう言う意味でも、この基地の機能を混乱させるわけにはいかない。思う所はあるだろうが、受け入れて欲しい」

 

まだ、納得はしかねるようだ。

 

「これは別の部署から流れてきた話だが、コルネリアス帝の時代の、大親征の最中に起きたクーデターも、やつらの仕込みなのでは......。という話もある。叛乱軍との戦況も、フェザーンでの最終的な捜査も、この基地がカギのひとつなのは確かだ。こちらが気づいていると知られれば、真っ先に狙われる候補のひとつだ。勘づかれるリスクは少しでも減らしたい。思う所はあるだろうが、飲み込んで欲しい」

 

俺がわざと頭と下げると、2人は納得したかはともかく、この方向で進める事に納得した。ずるい手段だとは思うが、効果が分かっている以上、困ればこれからも使うだろう。

 

 

宇宙暦784年 帝国暦475年 8月上旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「卿がこの件でのリューデリッツ伯の名代じゃな。グリンメルスハウゼンじゃ。よろしく頼む」

「はっ!パウル・フォン・オーベルシュタインと申します。よろしくお願いいたします」

 

フェザーンでの任務を終え、オーディンに戻った私は、少佐に昇進の上、軍務省情報部に特命担当官として赴任した。分室のひとつと、身辺調査・薬物検査を終えた数名の人員を預かることとなった。特命の内容は『皇族暗殺に関与の疑いのある地球教への対策』だ。もっとも、リューデリッツ伯爵家だけでなく、今、顔合わせに来ているグリンメルスハウゼン子爵家やリューデリッツ伯のご実家、辺境自警軍からも、身辺調査と薬物検査にパスした人員がこの件で動いている。

 

「子爵閣下、リューデリッツ伯からの親書でございます。お納めください」

 

私が親書を差し出すと、子爵はお茶を勧めてから内容を確認し始めた。この方はもともと皇帝陛下の侍従武官で、好々爺な雰囲気があるが、鋭い洞察力をお持ちで数々の貴族達の油断を誘いながら、内情や醜聞などを探り出される方だと、事前に注意されていた。ただリューデリッツ伯から聞いていたような好々爺とした印象は事前に伺ったほどではない。

そこで思い至ったが、子爵閣下もリューデリッツ伯も皇帝陛下がまだ殿下だった頃からの昔馴染みだ。そんな方のお子様を弑されれば、憤るのも無理はない。そう言えば基本的にお優しいリューデリッツ伯もこの件では冷たい笑みを浮かべられる事がある。地球教は怒らせてはいけない方々の勘気に触れてしまったという所だろう。

 

「うむ。そちらの動きは理解できた。オーベルシュタイン卿はケスラー少佐とも顔なじみじゃな?こちらの名代は彼が担当じゃ。抜かりなく頼むぞ。こちらの状況を取りまとめたものだ。親書の形にしておいたが、別紙にも同様の内容をまとめておる。卿の確認用に用意した。リューデリッツ伯の名代ともなれば色々と大変じゃろうが、万事、抜かりなく頼む」

 

そう言いながらサイドテーブルからファイルを取り出し、私の手元に差し出す。念のため中身を確認すると、貴族当主同士で時節の挨拶を交わす形式の封書と、一般的な封書が同封されていた。

 

「ご配慮ありがとうございます。ケスラー少佐とも連携を密にしながら、子爵閣下のご期待に沿えるように務めます。本日はありがとうございました」

 

席を立って一礼し、ドアの前で振り返って敬礼する。答礼を待ってから応接室から退出する。玄関で地上車に乗り込むと、リューデリッツ伯爵邸へ向かう。地球教の件が落ち着くまでは、名代として邸宅に滞在するように指示を受けている。緊急時の連絡が一か所で済むようにと言う判断だろう。

ただ、本来、閣下の安らぎの時間になるであろうご長女フリーダ様のお料理やご次男のフレデリック様の演奏を先に私が楽しんでしまって良いのだろうか......。任務の内容が内容だけに、息抜きをしろという配慮なのだろうが、息抜きが必要なのはリューデリッツ伯も同様のはずであろうに。

 

地上車が門をくぐり、玄関前のロータリーに停車する。玄関に向かうと、従者のひとりが出迎えてくれた。謝意を込めて目礼を返す。あくまで私はオーベルシュタイン家の人間だ。傅かれて当然という態度を取るわけにはいかない。

 

「パウル兄さま、お帰りなさい。今日は私が調理した鳥のローストよ。少しソースに凝ってみたの。あとで感想を聞かせてね」

 

「それは今から楽しみですね。自室に荷物を置いたら、早めにダイニングへ参る事に致しましょう」

 

厨房の方から、フリーダ様が嬉し気に参られ、晩餐の献立を教えてくれた。幼いころから男性が多かったお屋敷でなにかと面倒を見たものだが、お返しとばかりに料理を振る舞ってくれる。そして一番の得意料理は鳥料理だ。いずれ相応しい方の下へ嫁がれる際の練習台なのだろうが、こういう練習台なら歓迎だ。おそらく晩餐の後はフレデリック様のピアノを聞かせて頂くことになるだろう。



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62話:摘発の始まり

宇宙暦784年 帝国暦475年 12月上旬

アムリッツァ星域 前線総司令部

エルネスト・メックリンガー

 

「いよいよだな......」

 

「ああ。いよいよだ」

 

いつもは大胆不敵なシェーンコップ卿もさすがに今日ばかりは落ち着かない様だ。もっとも結果が判明しだすのに数日、それをきっかけに政府・宮廷職員たちも、健康診断という名目の薬物検査を受けることになるだろう。早ければ年明けには、事態のあらましは判明するはずだ。

 

「いざとなると、抜け漏れがないかと改めて心配になるな......。今更の話だが、もっと良い案があったのではないかと不安になる。手筈はしっかり整えたはずなのにどうも落ち着かない。初任務という事もあるのだろうがな。メックリンガー、貴官はどうだ?」

 

「そうだな、初めての心境なのは確かだ。やれる事はやったつもりだが、確かに落ち着かぬな。『人事を尽くして天命を待つ』とでも言えば聞こえは良いが、抜け漏れがないか?もっと何かできたのではないか?と不安を覚える。こんな経験は初めてだな。士官学校の入学試験の最終日でも終了したその日から、絵画のデッサンをしたものだが、とてもそんな気分にはなれぬな」

 

士官学校を卒業して前線総司令部に任官した私たちだが、ある意味、リューデリッツ伯の縁者であるシェーンコップ卿との交友がきっかけで気に入って頂いた絵画の縁で、引っ張られたのだろうと赴任までは思っていた。だが、伯は私たちの適性の様なものを把握された上で、抜擢と言って良い任務を与えて下さった。シェーンコップ卿は憲兵隊と捜査組織の運用進捗監査、私は定期健康診断とそれに付随した薬物検査の計画・運営を命じられたが、本命は皇族弑逆に関わった組織の関係者の焙り出しにある。

その組織は、薬物を使ってテロや暗殺の実行犯に仕立て上げている可能性があり、今回の健康診断が組織壊滅への第一歩になるはずだ。誰が取り込まれているか分からないので、報告はリューデリッツ伯のみにしてきたし、いくら『いつでも相談を受ける』と言われたところで、気軽に出来る訳もなく、必然的に私たちはお互いに相談しあう仲になった。

あのシェーンコップ卿が、女性との同衾を止めるほど重責を感じてたのだ。幸いにも、帝都からのメッセンジャー役のケスラー少佐や、伯の名代として動いておられるオーベルシュタイン卿からも我々が把握しておくべきことや留意すべきことは適宜連絡を受けていたから、任務にあたって、不便も不満も無かった。言ってみれば権限も情報も与えられ、相談の場も用意されていたのだ。そこまで考えて、現在感じている変な感情の正体に思い至った。

 

「シェーンコップ卿、どうやら我らは功を焦っているというか、この環境で結果を出せなかったら我らは無能者だ。それを恐れているのやもしれぬな。もしかしたら私だけかもしれぬが......」

 

「このワルター・フォン・シェーンコップが功を焦るか......。確かにそうかもしれんな。ここまで環境を整えて、抜擢して頂いたのだ。他の誰に無能と思われても構わないが、伯にそう思われることになるのは不本意だし、楽しい想像では無いな......。確かに貴官の指摘は的を射ているやもしれん」

 

大胆不敵を自認する意地からだろうが、シェーンコップ卿は落ち着いた雰囲気を取り戻した態をしていた。ただ、彼が本当に困ったり、焦ったりしたときは普段は右手をあごに当てる所、左手を当てる。この癖を知っているのは私だけだろう。左手をあごに当てている彼を見て、私は少し落ち着きを取り戻せた。

 

「シェーンコップ少尉・メックリンガー少尉、基地司令がお呼びです。執務室へお越しください」

 

そんな話をしているうちに、ノックとともに基地司令付きの従卒が執務室に入室を求め、伯からの呼び出しを告げた。何か動きがあったのだろうか?シェーンコップ卿と一瞬、顔を見合わせると、基地司令官執務室へと急いだ。

 

ノックをして官名を名乗り、許可を待ってから入室する。揃って敬礼をすると、教本に載っているような答礼をされ、席を勧められた。

 

「内密の話があるので、私が声をかけるまで誰も近づけない様にしてくれ。よろしく」

 

リューデリッツ伯が従卒に声をかけてから、椅子に座られた。横目で見ると、シェーンコップ卿が見事な手さばきでお茶を用意していた。まず伯爵の手元へ、次に私、最後にシェーンコップ卿の手元にティーカップが置かれ、紅茶の良い香りが辺りに漂う。

 

「相変わらずのお手並みだね。シェーンコップ卿の入れる紅茶は美味だ。冷めないうちに楽しむとしようか?」

 

伯はそう言うと、ティーカップを口元に運び、香りを楽しんでから紅茶を口に含んだ。私たちも倣うようにお茶を飲む。確かにおいしいお茶だが、これは茶葉の良さだけでなく、特性を理解して入れたからこそのおいしさだ。

 

「うん。しっかり茶葉の銘柄に合わせた入れ方をしているね。さて、男性を焦らす趣味は無いから早速本題に入ろう。初日分の検査結果から、既に数十名の薬物反応と100件を越える検査逃れが把握されている。両名がしっかり手筈を整えてくれたおかげでもある。良くやってくれた」

 

伯が笑みを浮かべながら、最新情報を教えてくれた。正直、ホッとしたのは確かだ。横目で見るとシェーンコップ卿もホッとした様子を隠していなかった。

 

「進捗の監査は継続してこちらでも進めて欲しい。言うまでもないが、緊急だと判断したらすぐに報告を上げてくれて構わない。ただ、今夜は英気を養う余裕はあるだろう。両名とも少し羽を伸ばすと良い」

 

そう言うとサイドテーブルから小袋を取り出して、私たちの手元に置く。シェーンコップ卿は慣れているのか、お礼を言うと小袋を懐にしまった。

 

「閣下も相変わらずですな。ありがたく頂戴します」

 

お礼を言いながら目線がこちらに向いたので、私もお礼を言って懐に納める。

 

「まあ年代物のワインと料理数品って所だろうが、今回の件を昇進で報いるには少し時間がかかるだろうからね。その猶予代とでも思ってくれ」

 

用件は終わったようだ。揃って敬礼をし、答礼を待ってから執務室を退出する。今夜はうまい酒が飲めそうだ。ご無沙汰していた歓楽街の馴染みのバーへ二人で繰り出すことになるだろう。

 

 

宇宙暦785年 帝国暦476年 4月上旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

ウルリッヒ・ケスラー

 

「ケスラー少佐、ご苦労じゃった。ブラウンシュヴァイク公爵家もリッテンハイム侯爵家も内密にだが今回の件を了承した。これで貴族階級にも健康診断を受けさせることができるじゃろう。そもそもは陛下のご温情を名目とした話じゃ。断ることは出来ぬ話だが、何かと反発するかと思ったが......。自分の一門や寄り子の醜聞が明らかになるよりも、先年の皇族殺害疑惑の潔白を優先したようじゃ。あの2家が承諾した話を断るなら、その時点で黒と判断すればよい。ここからはとにかく網を早く絞ることを優先しよう」

 

昨年末の軍の健康診断にかこつけた薬物検査だが、初日からかなりの薬物反応と、検査逃れが発生した。内々に拘束しながら、政府・宮廷の職員にも健康診断を継続して行ったが、軍ほどではないにしても、同様の事態が発覚した。社会秩序維持局の部長クラスや、近衛兵の一部からも薬物反応が出た時点で、陛下に内々に報告し、本来は対象に含んでいなかった爵位持ちの貴族も対象に含める事とした。

そのために、門閥貴族の領袖である2家に内諾を取りに行ったわけだが、グリンメルスハウゼン子爵はうまく話をまとめて下さったようだ。検査逃れや成り済ましを防ぐために、DNA鑑定も併せて実施し、将来的には臣民全員のDNAをデータベース化する案も出ている。書き換えが困難になるように、今回の話の出元である前線総司令部、軍務省、国務省で別々にサーバーを管理し、3ヶ所のデータと照合するような形で、運用する予定だ。

この案は、私とケーフェンヒラー軍医大佐の相談から生まれた案なので、採用されるに至り、二人で喜び合ったのは良き思い出だ。本来なら内務省でもサーバーを一つ管理するべきだろうが、早い段階で社会秩序維持局の部長クラスから薬物反応が出た事と、貴族と結託して冤罪の可能性がある事件を強引な手段で処理していた背景があり、サーバーを書き換える可能性が高いと判断され、今回の件からは外された経緯がある。

 

「承知いたしました。既にリスト化された容疑者の収監も開始いたしましたが、想定より数が多い状況です。別途、収監施設を用意する必要がありそうですが、如何なさいますか?」

 

「うむ、その件だが、軍部の容疑者に関しては、フレイア星域のレンテンベルク要塞で一括管理する。こちらには憲兵隊から増援を送る。貴族の容疑者はガイエスブルク要塞にまとめる。こちらには宮廷警察から要員を派遣する。フェザーンでの拘禁者はキフォイザー星域のガルミッシュ要塞に収監する。一か所にまとめては何かしらの工作を受けるやもしれぬ。この形で進めようと思うが、少佐の意見を聞いておきたい。」

 

「はっ。良き案かと存じます。ガイエスブルク要塞への増員ですが、目立たぬように情報収集に長けたものを紛れ込ませることを提案いたします。既に内部で醜聞を把握しているとしたら、闇に葬る可能性がございますので」

 

子爵閣下は少し考え込まれてから、私の提案を了承した。

 

「統帥本部からは既に最前線に叛乱軍の目を引き付ける為に6個艦隊での哨戒作戦が立案され、6月から実施予定です。その援軍と言う名目で、3個艦隊を帝都から派兵しますが、こちらの艦隊がフェザーンに進駐します。陸戦隊も10個師団派遣しますので容疑者たちを拘束する猶予は十分に作れるでしょう」

 

「うむ。軍務の方は儂はからっきしじゃ。少佐の判断に任せる」

 

何度も見積もった作戦案だ。ここは自分を信じるしかないだろう。

 

「後は、情報を発表する人選ですが、どなたになさいますか?」

 

「その件だが、一門や寄り子から予想以上に容疑者が出ない限り、ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家に任せようと思う。地球教は根絶やしにするつもりで動くが、指の間から砂粒が零れ落ちる事もあろう。皇太子殿下はあのような有様では、そもそも全宇宙への声明文の発表など無理な話じゃ。軍部はもともと警戒されておるだろうし、矢面に立つ存在は多いに越したことは無かろう。直系の血筋は、女系とは言えベーネミュンデ候爵夫人の下におられる。DNA検査をすれば明確になるじゃろうが、例のメイドのお腹の子の種は、皇太子殿下ではない可能性が高いしの。普段から皇室の藩屏を自称しておるのだ。役に立ってもらおう」

 

陛下とベーネミュンデ候爵夫人の間に生まれたディートリンデさまは、まだ2歳ながら順調に成長為されている。確かに血脈は守られるが......。

 

「少佐が気にする事も分かっておる。ただ、すでに陛下のご内諾も得ている話じゃ。心が晴れぬやもしれぬがよろしく頼む」

 

子爵閣下にそういわれては、了承するしかない。しかしながら陛下のご指示とはどのようなお考えで出されたのであろうか......。




エルウィン・ヨーゼフ2世は原作では宇宙暦791年 帝国暦482年生まれなのですが、前倒ししました。原作に沿うと、少なくとも皇太子のルードヴィヒが宇宙暦790年 帝国暦481年まで生きていたことになります。しかしながら成人した皇太子の出番が一切ないので、病に倒れていたとかなにか起きないとつじつまが合わないのと、ルードヴィヒ皇太子の没年が、外伝1巻「星を砕く者」にて帝国暦477年と記載されてもいるので、調整させて頂きました。ご了承ください。


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63話:それぞれの対応

宇宙暦785年 帝国暦476年 8月上旬

バラード星系 惑星テルヌーゼン

自由惑星同盟軍 士官学校

ジャン・ロベール・ラップ

 

「ヤン~!こっちよ~」

 

一緒にベンチに腰かけていたジェシカが、図書館から出てくるのが見える。ヤンも軽く手を振り返す。もともと苦手な科目は手を抜きがちな奴だったが、シトレ校長の粋な計らいを名目に、さぼりにも拍車がかかっているが、大丈夫なのだろうか?まあ学年首席のワイドボーンをうまくいなして戦術シミュレーターで破った実績があるから、その辺も踏まえて行動しているのだろうが......。

 

「やあ。ジェシカ、ラップ。こんなところでどうしたんだい?」

 

「どうしたんだい?じゃないわよ。ヤン?今日のランチは3人で取る約束じゃない」

 

ヤンは頭を掻きながら少し困った顔をしている。ジェシカは隣接する音楽学校の生徒だ。交流を目的としたダンスパーティーで知り合った。その場にヤンもいたが、奴は戦術にはめっぽう強くてもダンスは苦手だ。その場ではフォローのつもりだったが、ダンスのパートナーを務めたのが私だったこともあり、ヤンはジェシカに一歩引いた対応をしている。確かに私はジェシカに好意を持ってはいるが、ヤンの親友でもある。あまり気にすることは無いのだが......。

 

「今日もシトレー校長の罰を名目に資料整理をしていたのね。貴方のことだから放校になるような事にはならないと思うけど、少しは気を付けないと教官たちにまで目を付けられるわよ?」

 

ジェシカがからかう様子で声をかけると、ヤンはまた困った様子で頭をかきだした。もともと戦史研究科に在籍していたヤンが、戦史研究科の廃止に伴い、戦略研究科へ転科することになった際、本人以上に戦史研究科の廃止に憤り、抗議活動を始めたのがジェシカだ。当人のヤンは士官学校に入学した時点で軍属扱いになるため、受容するしかないと分かっていたようだが、ジェシカの熱意にほだされて、しぶしぶ活動を共にしたし、私も親友を自認する以上、当然参加した。

それがきっかけで私たちの絆は深まったが、ヤンはその責任を取って、戦史研究科が所有していた書籍の収蔵先の目録を作るという、一見処罰にみえるシトレ校長の粋な計らいを受けたと言う訳だ。

 

「今日の昼食は何にしようか?いつも通りならAランチがお薦めという所だろうが......」

 

話を逸らそうとしたのだろうが、さすがにあからさまだろう。だが、これもいつもの事だ。さすがにジェシカも気づいただろうが、見逃すことにしたらしい、3人で学食へ向かった。

 

学食へ入ると、一角にあるモニター画面に人だかりができていた。何事かとも思うが、まずは食券を買い、カウンターへ向かう。各々がランチを調達すると、空いているテーブルに腰かける。ヤンはまず紅茶を口に含んだ。紅茶好きなのは知っているが、学食の紅茶では香りもへったくれも無いだろうに......。

 

私たちがゆっくりとランチを取り始めると、モニターの一角から駆け寄る人物がいた。ヤンが当直だった際に門限破りを見逃して以来、何かと恩に着て一緒にいる事が増えたアッテンボロー候補生だ。

 

「先輩方も、ジェシカ嬢も大物ですね。大変ですよ!帝国軍がフェザーンに進駐したようです。詳細は不明ですが、大手のネットワークニュースはこの話題を繰り返し報道していますよ!」

 

「帝国がフェザーンに進駐かあ。どうやら6月からの大規模な攻勢は、同盟軍の目を最前線に向けさせる事にあったようだね......」

 

ヤンは、特段驚くでもなく、ランチを取っていた。さすがに私も驚きを隠せない。アッテンボロー候補生はあきれた様子で首を横に振っている。

 

「フェザーンの非武装中立は人類の起源から定められたルールと言う訳ではないからね。フェザーン自治領が設立されて100年と少し、帝国との戦争が始まってもう少しで150年。非武装中立にしておいた方が便利だからそうだっただけで、そうでなくなれば当然、帝国がフェザーンに進駐することも、逆に同盟がフェザーンに進駐することも十分にあり得るさ」

 

「ヤン教授の歴史講義はその辺にして、実際、同盟軍が打てる手は何があるかな?戦力化した宇宙艦隊はイゼルローン方面に出払っている。戦力化中の艦隊を今から派遣したとして、直ぐに派兵を決めても40日はかかる事になるが......」

 

私が話題を変えると、アッテンボロー候補生が思い出したように意見を述べる。

 

「先輩、そもそもフェザーン方面に補給線なんて存在するんですか?ランテマリオ星域から先は、星間パトロール位しか行き来していなかったはずですし、民間用の補給港があるくらいですよ?あとは不良債権化して廃棄された資源採掘施設があるくらいです。フェザーン方面に派兵なんて実行できるんですか?」

 

「無理だろうね......。イゼルローン方面への補給線ですら満足に構築できていない。本来ならエル・ファシル辺りに3個艦隊クラスの駐留基地でも作れれば、かなり状況は良くなるが、まずは宇宙艦隊の戦力化を優先する判断をしている。それに今年度はすでに6個艦隊を動員した事で、予算に余裕もないだろう。フェザーンから救援要請でも受けて、実費は払ってもらえるとかならまだ可能性はあるが......」

 

そこでヤンは一旦言葉を区切り、紅茶を口に含む。横目で見るとアッテンボロー候補生もジェシカも先を急かすような視線を送るが、どうやら効果は無いようだ。

 

「名目上とは言え、フェザーン自治領は自治権を帝国から与えられている存在だ。進駐前ならともかく、既に進駐が行われた以上、同盟に帝国軍の排除を頼む判断をするより、目的の達成に協力して一日も早く撤兵してもらう事を考えるだろうね」

 

なにやら敗訴の判決を聞いているような気分だ。場が静まり返って、ヤンは今更、雰囲気が悪くなったことに気づいたらしい。

 

「今夜の夕食を食べる前に、明日の朝食の心配をしても仕方がない。まずは自分たちがやれることをやるしかないさ」

 

頭を掻きながら場の雰囲気を変えようと気の利いた事を言ったつもりのようだが、残念ながらその試みは失敗したようだ。だが、それが妙におかしく、ヤン以外の3人で、顔を見合わせて思わず笑ってしまった。

 

 

宇宙暦785年 帝国暦476年 8月下旬

首都星ハイネセン レベロ代議員事務所

ジョアン・レベロ

 

「我らが帝国は以上の調査の結果から、先年の恐れ多くも皇族暗殺に関して、地球教団が組織的に関与した事。その為の資金援助を含めた買収工作を、一部のフェザーン商人と、自治政府内部の職員が実行した事に確信を得ている。フェザーン自治領主であったワレンコフ氏は我らが帝国の参考人招致に快く応じてくれた。統治機構については、自治領主代行には補佐官の一人であったルビンスキー氏を充てた。治安の回復が確認され次第、帝国軍はフェザーン自治領からの撤兵を開始するであろう」

 

この数日間、何度も流れた帝国側の公式見解を述べるブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵のVTRが流れている。帝国のフェザーンへの進駐は、政府にとっても、軍部にとっても寝耳に水の事態だった。戦力化を終えた宇宙艦隊はイゼルローン方面で帝国軍と会敵中。残存戦力と地方星系のパトロール艦隊を糾合して、フェザーン方面へ派兵する案も出たが、そもそも補給線も無ければ、予算もなかった。『対応策を検討する』という名目で、各部署で会議は開かれているが、それらはパフォーマンスに過ぎない。同盟に出来ることは無かった。

 

「悪逆なる帝国の主張がそもそも信じるに値するのか?また撤兵に関してもどこまで約束が果たされるのか疑問が残ります。同盟政府には速やかに軍事オプションを含んだ対応策の実施を期待します。では、次のニュースです」

 

主戦派の立場を取る女性アナウンサーが、私見を混ぜながらニュースを締めくくった。たしかウインザーとか言ったか?政界入りも取りざたされているが、これが代議員候補とは頭が痛い。マスメディアは好きなことを言うだけだが、政府には予算という制約がある。当選すればさぞかし現実味のある素晴らしい提案をしてくれることだろう。思わずため息が出た。

 

「レベロ、またため息が漏れているよ。こういう時こそ政治家は明るい顔を嘘でもしなければ市民が不安になるだろう。まあ、君は大抵しかめっ面だからあまり関係ないかもしれないが......」

 

「ホアン、茶化すのはやめてくれ。帝国からの資料が事実なら同盟は帝国憎しに引きずられて誤った判断をしようとしている。おまけにこのまま行けば、最高評議会議長の椅子は、『事なかれのサンフォード』議員が務めることになる。前例のない事態に、前例の踏襲しか出来ない人間を最高評議会議長にするなど、ジョークでも笑えない。

ましてや主戦派の声が大きすぎて、地球教が実際に危険な存在なのかを捜査するどころか、悪逆なる帝国から弾圧された悲劇の宗教と言う論説まである。同盟内部にも、地球教の勢力が浸透しているのではないだろうか?この件が真実なら、帝国は膿を排除できるのに対して、同盟には膿が残る、もしくは増えることになるだろう......」

 

「本来なら、この数年のディナール安がすこしでも戻るはずが、変化はなく。逆に、フェザーンマルクに対しての帝国マルクが上昇している。フェザーン人たちは少なくとも帝国の主張を信じている......。だったかな?何度も言われなくても私だって理解している。だが、今の議会の雰囲気では反社会活動防止法を自由惑星同盟の歴史上はじめて、地球教を対象に適用するのは無理だ。私たちは法を守らせる側の立場だ。地道に事を進める事しか今はできない。そうだろう?」

 

ホアンの言う事は正論だ。たが、地球教はフェザーンにも浸透していた。と言うことは活動資金もかなりの額を用意できるはずだ。メディア、主戦派、そして代議員。世論操作などいくらでもできるだろう。私は民主主義を信奉している。だが、この件に関しては強行な対応ができる専制政治の強みを見せつけられた形だ。

 

「まずは、フェザーンで拘禁された同盟国籍の地球教関係者と、聖地巡礼と称して貨物船で地球へ行き来していた、帝国臣民でも、フェザーン人でもない拘禁された人々の処遇だな。人的資源委員会に所属する身としては人口はひとりでも多いに越したことは無いが、破壊活動の工作員や、薬物中毒者が増える事は看過できない。とはいえ、自国民の引き取り拒否などできないし、悪逆なる帝国に中毒患者の治療をお願いする訳にもいかない。数万人という話だが、ただで返してももらえないだろう。どうしたものやら......」

 

さすがのホアンも、頭を抱える問題があるようだ。残念ながら劣勢な戦況の中で、数万人もの捕虜を同盟軍は抱えていない。捕虜交換形式は使えないし、破壊活動の工作員や、薬物中毒者の為に高額な血税を使う事など、世論は容認しないだろう。頭の痛い話が増えるばかりだ......。

 

 

宇宙暦785年 帝国暦476年 9月下旬

キフォイザー星域 惑星スルーズヘイム

フェザーン自治領主 ワレンコフ

 

「ワレンコフ閣下、この館はリューデリッツ伯爵家の別邸になります。警備の方もリューデリッツ伯爵家の者が固めておりますのでご安心ください。生活必需品は一通り取り揃えましたが、不都合があれば遠慮なくお申し付けください。では、失礼いたします」

 

「あなた......。黙って指示に従いましたが、本当に大丈夫なのですか?」

 

妻が不安げに尋ねてくるが、ここまでくれば一安心といった所だろう。帝国軍のフェザーン進駐の前夜にRC社所有の屋敷に招待されたことにして妻を同席させて、そのまま保護下に入った。屋敷からは出ることなく、地球教関係者の拘束のアドバイザー的な立ち位置を果たした。

それが一段落したのを受けて、スパイ映画ではないが大き目のトランクの中に潜み、リューデリッツ伯爵家の御用船に乗り込んで半月、リューデリッツ伯爵家の本邸が置かれている惑星ギャラホルンではなく別邸のあるスルーズヘイムに匿われた。フェザーンで拘禁された容疑者の取り調べは、同じ星系にあるガルミッシュ要塞で行われるので、今後はそちらのアドバイザー的な立場になるはずだ。

 

「うむ。ここまで来れば安心だ。お前には心配をかけたが必要なことだったのだ。もうしばらく辛抱してほしい」

 

「貴方が安全なら、それで良いのです。フェザーンでの生活は都会的と言えば聞こえが良いですが、変にあくせくしておりました。ここはのどかですし、久しぶりに私の料理でもお食べになってください」

 

そう言うと、妻は厨房を確認してくると告げて、リビングを後にした。改めてソファーに深く腰掛け、用意されたお茶を飲む。掃除が行き届いた別邸に、帝国でも最高級のソファー。良質な茶葉......。私の共犯者が最大限配慮してくれているのを感じる。

この件が落ち着いたら、何をして生きていくかも考えなければならない。ずっと自治領主になる事を目指してきたが、さすがに戻ることは出来ないだろう。どうせならRC社で面倒を見てもらうのも良いかもしれない。紅茶の香りを楽しみながら、私は久しぶりに安らぎを感じていた。




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64話:狭まる網

宇宙暦785年 帝国暦476年 12月上旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

リヒャルト・フォン・グリンメルスハウゼン

 

「フェザーンで拘束した連中の取り調べは順調だけど、政府と宮廷からの容疑者が思ったより多いし、上級管理職だった者も複数いたとなると、地下茎を根こそぎにできたとは思わない方がよさそうだね......」

 

「うむ。そう言う意味では公式見解を帝国の藩屏たちに任せたのは正解じゃったな。周囲の目もあちらに向いているし、心配していたもみ消しもしにくい状況が作れた。一部はただの中毒者である可能性もあるが、サイオキシン麻薬の中毒者ほど社会復帰させるのに難しい者はおるまい。頭の痛い話じゃが、少なくとも膿は除去されつつある。まずはしっかり捜査状況を監査するといった所じゃろうな」

 

「軍の方ではフェザーン回廊の帝国側出口のアイゼンヘルツ星域に3個艦隊クラスの駐留基地を作る判断をして既に動き出している。フェザーンからの撤兵が終わり次第、地球への派兵も決定済み。地上部隊の指揮は、勇猛で鳴るオフレッサー中将が担当。まあフェザーンでは配慮が必要でしたが、地球では遠慮はいらないですしね。地球の衛星である月に仮設基地を作り、臨検部隊をすでに配置して実質的な封鎖も実施済。まあ、しばらくは進捗を確認する事になりそうだけどね」

 

年末が近づき、情報共有を兼ねて、ザイ坊が儂の屋敷に足を運んでくれたが、想定以上に麻薬がはびこっていた事を除けば、焙り出しは順調に進んでいる。ザイ坊は右手で数を数えながら、既に動き出した対応策を確認するかのように話してくれた。正直に言えば帝都は混乱の極みにある。このような状況で軍が前線や地球への派兵を決定できたのは、事前に薬物検査をした人員で、対策チームを固めていた事も大きかった。

 

「色々と陰で動いてくれた皆にも、やっと昇進で報いる事が出来るよ。ケスラー少佐も昇進の対象者だから、来年には中佐だ。25歳で中佐なら大したものだ。叔父貴の『懐刀』に箔がつけられてホッとしたって所だね」

 

「かたじけない。陛下の密命でも何かと骨折りをしてくれた男じゃ。本来なら昇進で報いてやりたかったが、さすがに儂が軍部に口を出す訳にもいかぬでな」

 

ザイ坊がお茶の香りを楽しみながら茶化すように話題を変えた。ケスラーは優秀な男じゃ。ザイ坊の下に送れば、昇進に値する功績を立てると踏んでいたが、抜擢に近い任務を割り当ててもらったようじゃし、本人も喜んでおった。中佐であれば、憲兵隊本部でも分室のひとつも割り当てられよう。

 

「叛乱軍への対応に関しては、甘くすれば口撃の糸口を与えることになる。お主が表には立っていないとはいえ、対応は慎重にせねばなるまい?」

 

「その辺りは地球での調査待ちといった所だけど、いくら民間人を含むとは言え、密入国した危険組織の所属者だからね。幸いなことに、叛乱軍のフェザーン高等弁務官府の関係者だと身元を証明できる者には手を出さなかった。つまりこちらは高等弁務官府の職員を連行する口実を与えなかった。叛乱軍がフェザーン方面で実力行使する為には、補給線を整えたうえで、少なくとも3個艦隊を動員しなければならない。そんな余裕は戦力面でも資金面でもないという分析が出ているし、まずは帝国内の大掃除を優先して大丈夫だと思うよ?」

 

確かに、叛乱軍の反応は想定したより鈍かった。本来なら密入国者であったとしても、自国民の返還要請ぐらいはしてくるかと思ったが......。

 

「どうもあちら側でもかなり地下茎を伸ばしていたという所だね。マスコミは地球教を、『帝国に弾圧された悲劇の宗教』という形で大々的に報道している様だし、叛乱軍の主戦派から見ても、帝国との戦争に勝利して『地球をわが手に』という主張は、帝国と戦うという点で、受け入れやすいモノだったようだし......。

ただ、さすがにサイオキシン麻薬が絡む以上、表立って擁護は出来ないから、フェザーン進駐を防げなかった責任を取って辞任した最高評議会議長の後任は主戦派からではなく、中道派から年功序列で選ばれたみたいだね。しばらくは国内世論の取りまとめで忙しくなるってところかな?」

 

「ところで、拘束している地球教どもに関してはなにか妙案はないかの?サイオキシン麻薬中毒者の管理などいつまでもしては居れまい?」

 

「そっちも地球での調査次第の部分があるけど、地球の資源施設は徹底的に破壊したうえで、地球に解き放つ事も選択肢の一つだと考えているよ。地球そのものを教徒の隔離施設にしてしまう訳だね。多く見積もっても100万人位が、今も生活しているという話だ。さすがに皆殺しにはできないし、かといって帝国臣民260億人を危険にさらすわけにもいかない。

巡航艦を中心に数百隻と防衛衛星の索敵・攻撃エリアを惑星側に設定すれば、地球から外に出る事は防げるし、彼らも信仰心を満たしながら荒廃した惑星で細々と生きられる。まあ財産の持ち込みは許さないし、同じ宗教を信じる者同士、せいぜい苦労してもらえば良いと思うよ?」

 

うむ。厳しい判断だが、さすがに信者だというだけで極刑にする訳にもいかぬ。とはいえ狂信者と言うものは、極端な例をだせば信仰の為なら笑顔で赤子ですら殺しかねぬもの。妥当な処置という所か......。

 

「フェザーンとの出入国に関してもかなり厳密な手続きにするように提案もしているしね。提案が通れば、薬物検査とDNA鑑定をして、照合する形になるはずだ。そう言う意味でも、アイゼンヘルツ星域に3個艦隊クラスの駐留基地を新設する事は必要なことになるね」

 

とりあえず対外的なことは何とかなりそうじゃな。あとは政府と宮廷か。そちらの混乱はまだ先が見えておらぬ。ここはリヒテンラーデ候に期待したいところだが......。

 

 

宇宙暦786年 帝国暦477年 1月下旬

首都星オーディン 国務省 尚書執務室

クラウス・フォン・リヒテンラーデ

 

「リヒテンラーデ候、国務尚書になられて一年もたたぬうちに、このような事となり申し訳ございませぬ。財務次官として面目次第もございませぬ.....」

 

儂が内務尚書だったおりから行政官として優秀なこともあり、何かと目をかけてきたゲルラッハ子爵が汗を拭いながら頭を下げている。もともと財務尚書の後任にしたカストロプ公爵のお目付け役として財務次官に抜擢したが、自分より立場が上の者を抑える適性は無かったようじゃ。

だが当初はカストロプ公爵を内務尚書にという話もあった。それを思えば、まだ財務尚書にしておいて正解と言った所か。内務省で汚職など公然とされれば、警察機構と社会秩序維持局でも汚職が公然とまかり通る事態になったじゃろう。そう言う意味では怪我の功名か?だが、そんな事では前向きになれぬほど、政府と宮中は混乱しておる。

 

事の始まりは、ベーネミュンデ候爵夫人が懐妊した御子が死産した5年前まで遡る。宮中に生きる者ならみな真犯人は誰か?理解していたはずじゃが、まさか皇太子殿下を皇族弑逆の罪で裁くわけにもいかぬ。公然の秘密のまま、なあなあで事が治まるかに思えたが、いけにえのように、関係した医師や看護婦、メイドたちが極刑に処せられた。

そこで終わったと判断した事には、今でも悔いが残る。あの時に、再発防止の為に厳罰を政府からも主張していれば、まだ事前に情報を流してもらえただろう。軍部とブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家は事前に情報を共有していた可能性が高い。本来なら政府が行うべき『帝国としての公式見解』の発表を彼らが担当した事でも明らかだろう......。

 

「済んだことは仕方がない。そもそも儂も内務、宮内、財務の各尚書を勤めたのじゃ。古巣に後ろから撃たれた思いだが、儂も組織に蔓延る麻薬汚染も、地球教とやらの企みも見過ごしてしまった。今更ながら皇族弑逆が発生した際に、政府としても厳罰を願い出るべきであった。あそこで甘い対応をしたことで、軍部は宮中の不始末に政府が甘い対応をし、両家にぬれぎぬが着せられるのを黙認したと判断したのじゃろう。ならぬれぎぬを晴らそうと必死な両家の方が、まだ役に立つと判断した......。といった所じゃろうな。実際この体たらくじゃ」

 

「確かに政府にも失点はございましたが、せめて陛下のご温情という名目で健康診断を行う前に情報が頂ければ、ここまでの混乱はございませんでした。それ位の配慮は期待しても良いのではとも存じますが......」

 

「事前通告がなかったからこその成果であろう?実際事前に聞けば、誰にもそれを話さぬという訳にもいかぬであろうて。自分たちはやりくりを何とかして戦果を出しているのに、その横で私腹を肥やす財務尚書に、宮中で皇族弑逆を防げぬ宮内省。治安維持組織を抱えながら、局長クラスが麻薬中毒の内務省......。儂が軍部なら、まず当てにはせぬな」

 

おもわず乾いた笑いが出た。言葉にすれば尚更、事前通達などすればもみ消しにかかると判断されても致し方なかろう。

 

「すでに宮内尚書からは辞表を預かっております。いま投げ出すわけにはいかぬと、内務尚書は精勤しておりますが、こちらも区切りがついた段階で辞職せざるを得ぬかと......」

 

「そうなると、後任選びが必要ないのは財務尚書だけか......。大掃除はまとめて済ませたいが、本人から薬物反応が出なかった以上、あやつなら居座るじゃろうな」

 

儂がそう言うと、子爵はさらに申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。

 

「卿が頭を下げても仕方があるまい。そこでじゃが、事態が落ち着くまで、国務次官も兼任してもらいたい。痛いのはハルテンベルク伯とフォルゲン伯じゃな。地球教とは無関係であろうが、サイオキシン麻薬の密売の事実を隠蔽したとなれば、公職を任せる事は出来ぬ。期待しておっただけに残念じゃな」

 

「はい。減刑の嘆願が私の方にも来ておりますが、当初の段階で、関係者が極刑になった以上、ここで甘い対応を取れば、軍部とご両家から批判が出ましょう。致し方ないかと......」

 

「今更ながらの話だが、リューデリッツ伯が爵位を継承した際に今少し歩み寄る態度を取っておくべきだったやもしれぬな。『軍部の政府への採点は厳しい』か。今頃になってこのような形で返ってくるとはな......」

 

子爵が『何のことか?』とでも言いたげな表情をしていたので、爵位継承の際にあった事の顛末を話した。子爵も渋い顔をしている。まだ共に悩める存在が残っているだけでも良しとすべきか。

 

「リヒテンラーデ候、軍部でも薬物反応が出たものは更迭されておりますが、比較的安定しております。先ほどお話に出たリューデリッツ伯や、軍務省で高等参事官の経験があるシュタイエルマルク伯なら、どの次官職でも十分にお役目を果たせるのではないでしょうか?」

 

「それはならぬ。利権の件を除いても今はダメじゃ。帝国の国防体制は万全じゃ。彼らがしっかりと役目を果たしておる以上、せめて混乱ぐらいはなんとか治めてみせねば......。それこそ頼りなしと判断されるじゃろう。今はなんとかして混乱を鎮めることじゃ」

 

子爵の言い分も分かるが、少なくとも人材が足りないなりに良くやっているとは思わせねば、頭を下げても価値を感じてはもらえぬだろう。なんとか、ここは踏ん張らねばならぬ。

 

「まあ、司法尚書に内定していたルーゲ伯が前倒しで就任してくれるのが、今の所の唯一前向きな材料じゃな......」

 

自分に言い聞かせるようにつぶやいたが、思わずため息がこぼれた。



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65話:除霊と封印

宇宙暦786年 帝国暦477年 4月下旬

地球教総本部付近 第13装甲擲弾兵司令部

オフレッサー中将

 

「すでに軌道上からの艦砲射撃で出入り口は表口を除いて封鎖しておりますが、教団本部内は迷路のような構造になっており、自爆に近い伏撃を受けております。一部では、信者ごと爆破したり、水没させたりと、想定外の攻撃を受けており、前線がなかなか進まない状態であります」

 

「叛徒どもとの市街戦とはまた違うか......。初戦は前線に出たが、前線が苦戦しているのであれば、また俺が出張ることも考えねばならんな」

 

「閣下、地球教徒どもの戦い方は軍人の物ではありません。狂信者というか、テロリストに近いものです。閣下が来たとなれば、それこそ自爆の為所と逆に士気が上がりかねません。ご自重ください」

 

副官が必死の形相で押しとどめてくる。確かに最後は教団施設全体を爆破しかねぬ。俺が前線に出ては逆に指揮系統が乱れかねぬか......。

 

「分かった。確かに俺が前に出れば不測の事態が起きかねぬな。自重することとしよう」

 

ホッとした表情をした副官の肩越しに、情報部から派遣された中佐がこちらに来るのが見えた。

 

「オフレッサー閣下、お力添えありがとうございます。おかげ様で地球教本部のハッキングと情報の吸出しは終わりました。余程の幹部でもなければ、把握した以上の情報は持っていないでしょう。前線の方々にも、捕虜を取る必要は無いとお知らせ頂ければ幸いです」

 

敬礼をするとすぐに報告が来る。副官に視線を送ってすぐに周知するように促すと、副官はそのまま通信機器のほうへ早足で向かった。これで遠慮はいらぬ。無駄な犠牲は少ないに越したことは無い。

 

「意見具申をお許しください。教徒どもを同じ兵士として対応するのは危険かと存じます。必要なものは手に入りました。あとは装甲擲弾兵によるクロスボウを使用した遠距離攻撃でじっくり制圧されてはいかがでしょうか?死ねば自爆スイッチを押すこともございませんし、遠距離なら避難する猶予もございましょう。毒ガスやサイオキシン麻薬を空調に流す可能性もございます。装甲服を、施設内部で脱ぐのは危険です。それも考えれば2時間が活動限界ですし、いらぬ犠牲も減ると存じます」

 

情報部から派遣されたオーベルシュタイン中佐が、独特の感情の起伏が少ない声で意見具申してきた。一見参謀風な風貌は本来なら俺があまり好むところではないが、こやつがそれなりに格闘術を修めているのを独特の空気で感じてからは参謀にありがちな『口だけのもやしっ子』ではないと判断して、意見具申も許していた。

 

「確かに、近づいたら危ない毒虫相手に、わざわざ接近戦をする必要もないか。ただ、あやつらは最終的に教団施設を爆破しかねん。あまり悠長なことも言ってはおれぬ部分もあるが......」

 

「それに関しては、遠隔ではございますが、教団施設のシステムにロックをかけました。システムを介した起爆はこれで防げると存じます。持ち運び可能な妨害電波発生装置もまもなく届きますので、有線でスイッチを押されない限りは、何とかできるのではと存じます」

 

「通信機器にしてはやけに大荷物だと思ったがそんな物まで持ち込んでいたのか。これもリューデリッツ伯の手配か?」

 

「はい。お酒の合間に積んでいけとのことでした。出番が無いに越したことは無いともおっしゃっておられましたが......」

 

リューデリッツ伯か......。軍部貴族の名門の生まれながら、兵卒にも配慮を欠かさぬ方だが、慰安用の酒だけでなく、自爆装置への対処もお考えとは......。さすがに帰還の折にはお礼に伺わねばなるまい。俺が入隊した当初は、戦勝の祝いの酒を指揮官たちが自腹で賄う事も多かったが、彼が旗振り役となって何かと差し入れをしてくれるようになった。指揮官としては、ただでさえ昇進させにくい装甲擲弾兵を指揮する以上、酒ぐらいは手配してやりたいと思う事は贅沢なことではないはずだ。それが当たり前にできる喜びを、地上部隊の指揮官たちは皆、感じているはずだ。

 

「俺からも帰還の折にはお礼に伺うつもりだが、卿からもオフレッサーが感謝していたと添えてもらえれば助かる」

 

「承知いたしました。では、システムのロックの監視もございますので、失礼します」

 

中佐はそう言い添えてから敬礼をして、俺が答礼すると、情報部が使用している一角へ戻っていった。彼もリューデリッツ伯の秘蔵っ子の一人だ。25歳で中佐となれば嫉妬をされる存在だろうがそういう声は聞こえてこない。機会には恵まれているだろうが、しっかり実績を上げているからこそだろう。リューデリッツ伯の格闘術の練達ぶりは装甲擲弾兵にも聞こえている。一度、稽古などつけてもらう事は出来るのであろうか......。

 

 

宇宙暦786年 帝国暦477年 4月下旬

地球教総本部 総大主教謁見の間

ド・ヴィリエ主教

 

ドードーン、ズシン......

 

帝国軍の攻勢が始まってすでに48時間、段々と爆発音が近づいている。サイオキシン麻薬漬けにした信者たちの自爆攻撃でなんとか対抗しているものの、大した訓練を受けたわけでもない。むしろ重火器も持たせずに装甲擲弾兵に立ち向かわせる事に違和感を感じないのが不思議な位だ。

まあ、狂信者のことなどまともな頭で考えても理解できる存在ではない。地球教の唱える絵空事を信じて、そのために殉教する事に喜びを感じるなら、そうさせてやるのがお互いの幸せだろう。そんなことより、今は自分の身の安全を計ることが何よりだ。地球生まれの私には、身を立てる場は地球教団しかなかった。だからこそ入信はしたが、教団の唱える絵空事を信じている連中が滑稽で仕方がなかった。

自分たちは着れなくなった服をどうするか?よほど高価で思い出深い物ならまだしも、薄汚れてぼろぼろになった不要な服など、焼却炉行きだろう。せいぜい雑巾にでも再利用されれば御の字だろうに。

 

「総大主教猊下、もはやこれまで。ここにいたっては最後に異教徒どもを道連れに殉教するしかございますまい」

 

「うむ。ここに至ってはそれしかあるまいな......」

 

威勢の良いことを言っているが、本心ならなぜ手がブルブル震えているのか?散々後ろ暗い事をしてきたのだろう。帝国軍に捕まった後の事を考えればさぞかし不安で仕方がないに違いない。

だが、メインシステムをロックされた時点で、教団本部全体を吹き飛ばす自爆装置は起動できない。この謁見の間を吹き飛ばすのがやっとの量の爆薬が運び込まれ、ガン首をそろえて殉教するつもりらしい。最後まで狂信者としての生き様を貫いてほしいものだ。

 

「それにしてもワレンコフがこうもきれいに裏切るとは......。無念でございます。あの背教者め。いずれ報いを受ける事になりましょう」

 

大主教の一人が、濁りきった嫌な眼を血走らせながら恨み言を述べた。どうせ迫りくる恐怖に耐えきれずに麻薬でも打っているのだろう。地球教の教えに『恐怖に慄いた際は麻薬に頼れ』などと言うものは無かったはずだが......。まあ良い、死にたがりどもと未来を共にするつもりはない。さっさとお暇しよう。

 

「総大主教猊下、不肖このド・ヴィリエ、戦況の確認がてら猊下の門出の露払いをしてまいります。一足先に、あちらでお待ちしておりますれば、帝国軍への最後の一刺しを何卒よろしくお願いいたします」

 

そう言い添えると、私同様、身を立てる為に地球教に入信した数名と、自室へ急ぐ。ここで作業員の服装に着替えてから、取水の為の地下水脈へつながるメンテナンス通路を進み、教団本部が存在する山脈の麓へ続く地下水脈へと進む。出口の小さな洞穴まで1週間はかかるだろうが、逆に騒動がいったん落ち着く間を置くと思えば丁度良い期間だろう。せいぜい自爆でもして、私たちが逃げ延びる猶予を作ってもらいたいものだ......。

 

 

宇宙暦786年 帝国暦477年 5月下旬

太陽系第三惑星 衛星 月面

アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

 

「それにしても我らが揃ってリューデリッツ伯の下へ配属になるとは、いささか驚いたな」

 

「まずは叔父上の下で、物の流れをしっかり学べという所だろう。新世代艦の艦隊運用ではそれを意識する事が必須だというし、叔父上はその分野では帝国屈指の実績をお持ちだ。任官したての少尉にある程度任せられる案件が丁度あったというのもあるのだろうが......」

 

「哨戒活動の原案も提案するのだ。決して気楽にできる任務ではないだろう」

 

幼年学校からの同期である、ディートハルト、コルネリアス、アウグストがそれぞれの思う所を述べる。我々4名の任官先は前線総司令部、基地司令官付きとなったが、基地司令であるリューデリッツ伯は基地司令でありながら軍全体を支援するような立場になっている。

地球への派兵に伴い、その衛星である月に構築された仮設基地を小規模とは言え恒久的なものに改修する事と、地球から今や帝国では反社会的勢力とみなされている地球教徒が脱出する事を防ぐために、パトロール部隊の哨戒計画と防衛衛星の設置を任務として言い渡されることになった。

 

地球教徒が国事犯と目されている以上、決して疎かにして良い任務ではないし、シェーンコップ卿をみれば、前線総司令部、基地司令付きは出世コースでもある。当初は、父と同じ任地になるのはいささか気恥ずかしい思いもあったが、その父がアイゼンヘルツ星域に新設される3個艦隊規模の建設責任者として転出して以降は、煩わしい事もなく、前向きに任務に取り組めている。

 

「父も転出したし、リューデリッツ伯の手元には色々と対処しなければならない案件が山積するはずだ。それらをこなしながら、まずは後方支援と物の流れの基礎を押さえる。士官学校を卒業して任官する先としては願ったりだろう。あのシュタイエルマルク伯ですら、統帥本部に任官された1年間は雑用に追われたそうだしな。サイズは比べるまでもないが、気概はイゼルローン要塞に関わる気持ちで取り組もうではないか」

 

「それに、防衛衛星を活用する案は、アイデアは叔父上、企画案はシェーンコップ先輩が作成したものだ。手抜かりでもあれば後が怖いからな」

 

場を明るくするようにディートハルトが話を変えた。シェーンコップ先輩は士官学校卒業後、1年目に行われる万歳昇進で中尉に昇進した後、数日で麻薬中毒者の焙り出しへの貢献が認められ大尉に昇進されている。先輩からは、艦隊司令を志望するような話は聞いたことが無いが、昇進の先にどんな有り様をお考えなのだろうか?リューデリッツ伯主催の会食で知己を得たオーベルシュタイン中佐は、それなりに昇進したら退役してRC社に活躍の場を求めたいとのことだったが......。

 

きり良く、皆のコーヒーカップが空になったところで、休憩スペースからそれぞれのデスクに戻る。皆の足取りが軽いのも、この任務の重要性と、ある程度裁量を任されたことから期待されていると実感できているからだろう。まずは自分を高めて、いずれはメルカッツ提督の司令部に所属する事が今の俺の目標だ。



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66話:迷走

宇宙暦786年 帝国暦477年 6月下旬

首都星ハイネセン レベロ議員事務所

ジョアン・レベロ

 

「想定通りと言うべきか、外れて欲しい占いが的中してしまったというべきか......」

 

「左派・右派・中道、見事に票が割れてしまった。市民たちの意見も見事に割れたな。まあ、地球教を通じてフェザーンから右派へ政治資金が流れていたというスキャンダルを皮切りに、大手メディアの内部にも信者が多数所属しているという噂もまことしやかに流れた。市民も投票に困っただろうな」

 

人的資源委員会のホアンが、コーヒーを飲みながら渋い顔をしている。今の同盟の政局の為か?普段あまり好まないブラックコーヒーを飲んだ為か?は判断に困る所だ。フェザーンへの帝国軍の進駐を防げなかったことを理由に、最高評議会が総辞職しそれに伴う総選挙が行われたが、どの政党も圧倒的な支持を集めることは出来なかった。

右派について言えば、いつまでこの戦争を続けるのか?もう疲れたという本音を隠している層からは敬遠され、逆に左派は理想を語るのは結構だが、実際問題、押され気味の戦況をどうするのか?と思われた。中道派は、どっちつかずで何がしたいのか分からないという政局だった。

結局、連立政権が組まれたが、右派・左派から評議会議長を選べば政策的に矛盾するため、妥協の産物として中道派から『事なかれのサンフォード』議員が議長に選出された。外れて欲しい占いが的中してしまったわけだ。

 

「帝国は公式声明通り、フェザーンからは撤兵したが、そのせいもあって、市民や議員たちの中にも当初は危機感を持ったものの、楽観視する者が増えている。政策的には全て現状維持、地球教についても、念のため監視対象にはするが、今まで献金を受けた連中がお礼とばかりに情報を流すだろう。現状維持が市民の判断だ。我々にそれを覆すことは出来ない」

 

「ホアン......。君の言う事は確かに正論だが、戦況はすでに20年近く劣勢だ。帝国軍の戦死者が圧倒的に少ない事が判明して10年以上、抜本的な対策はなに一つ取れずにいる。同盟の社会構造の弱体化は君が一番理解しているだろう?」

 

「もちろんだ。人的資源委員会の試算では、軍に所属する技術者や専門職に該当する人財を最低でも200万人は社会に戻さないと、同盟社会全体が衰退することになる。もっともそれを実現するには3個艦隊前後を解隊することになる。提案は出来ても実現は無理だろうがね」

 

ホアンが悲しそうに見解を述べる。私の財務委員会も同様だ。戦況を改善するには新兵器開発の予算が必要だが、それをひねり出すには増税するか、戦傷者一時金や戦没者年金を削るしかない。前者は左派が反対し、後者は右派が反対する。結局現状維持しか選べないのだ。

 

「財務委員会が唯一取れる手段は、フェザーンへの借款をさらに増やすか、財源の裏付けのない紙幣の増刷しかない。そこに踏み込めばもう末期だ。戦争に勝てたとしても財務破綻は免れない。明るい未来にため息しか出ないがね」

 

「地球教徒の関係者として拘束された人々は、そのまま地球に送り込まれるらしい。本来なら返還交渉をすべきだが、密入国の上に同盟では地球教を現状、取り締まっていない。対応が違い過ぎる以上、交渉は進展しなかったようだ。まあ、献金にかこつけて、無能過ぎた某社の二代目を高等弁務官として送り込んだ以上、もともと期待もしていなかったが、自国民を見捨てたようなものだ。既に多数決を理由に少数を犠牲にする前例を作ってしまった。民主主義の有り様として決して正しいものではないがね......」

 

シトレと話している時と違い、ホアンと話していると大抵暗い雰囲気になり、お互いため息をつきながら別れる事が多い。今回もおそらくそうなるだろう。こんな日々が続くと、たまに暗い想像にかられる。考えてはいけない事だが、銀河連邦の末期も、戦争は無かったとはいえ、こんな状況だったのではないだろうか?

同盟政府の代議員として考えてはいけない事だが、強いリーダーシップを持った指導者がいれば、現状を少しでも改善できるのでは......。と考えてしまう自分がいる。私ですら、こう考えてしまうのだ。多くの市民が一度は考えた事があるはずだ。そうなると、軍人もそう考えた事があるという事だ。

シトレは悲観的な私に気を使って、あまり激しい表現は使わない。さすがに考えすぎだと思いたいが、予算があれば戦況を改善できると分かっているのに、それをせずに死地に追いやる政府を、軍部はどうみているのだろうか......。まさか自由惑星同盟で軍事クーデターの可能性があるとは。帝政による独裁制国家と軍人による独裁政権国家とのぶつかり合いか。さすがにこれはホアンにも話せない。

 

「まあ、悲観的な話をするのはお互いここだけにした方がよいだろうな。古来から預言者は民衆から疎まれ、場合によっては殺される存在だ。出来る事をしっかりやろう」

 

ホアンも同じような事を考えた事があるのだろうか?思わず思考を読まれたのかと驚いたが、私を驚かせた犯人は気にするそぶりもなく、残ったブラックコーヒーを口に含んで、また渋い顔をしていた。

 

 

宇宙暦786年 帝国暦477年 6月下旬

首都星ハイネセン バラード放送報道スタジオ 控室

ヨブ・トリューニヒト

 

「トリューニヒト議員、お互い一年生同士、色々と協力できれば嬉しいですわ。では!」

 

そう言い残すと、右派政党から立候補し当選した元アナウンサーのウインザー議員が控室を後にした。アナウンサー時代から、視聴者受けしか考えないコメントが鼻につく女だったが、若手・演説の受けがいいという事で選挙戦の段階から何かと比較された仲だ。今日出演した報道番組も彼女の伝手から出演オファーを受けたが、私は自分のネームバリューを自覚している。あの勘違い女は貸しを作ったつもりだろうが、むしろ貸しを作ったのはこちら側だろう。

まあ、彼女はそこまで配慮ができるタイプでもない。古巣相手に、さぞ高飛車に自分が動いたからトリューニヒトをキャスティングできたのだと恩着せがましくまくしたてるに違いない。それを思うと中身が無い女だと、笑いがこみあげてくる。

そもそも、どこまで代議員への志向があったのやら。若いころはその容姿でアナウンサーとしてちやほやされたが、年齢を重ねて年相応の見識が発揮できない事がバレる前に、また若さを売りにできる代議員に転職したというのが関の山だろう。

 

「本日はこの後、会食がはいっております。車の手配を確認しますので、しばらくお休みください」

 

秘書がそういうと控室を出て行った。ある企業の経営者の次男だ。少しでも政府とのパイプを作りたいらしく、大学卒業後にそのまま私の下に後援者の依頼で来た人材だ。目端は利くので重宝はしている。

 

話を戻そう。私は立候補するにあたり、中道派の政党を選んだ。伝手が一番あったのも確かだが、右派も左派も、所属した時点で、政策的な自由はかなり制限される。中道なら、その時の状況に応じて、より多くの市民が望むであろう政策を提案できる。あとは市民の感情の表と裏を理解しているかだ。表立っては、戦争の勝利に向けて協力したいと答えるだろうが、自分の命と全財産を喜んで差し出す市民などいない。裏と言う面では、表立っては協力すると答えながら、とはいえ、もう自分は十分に犠牲を払ったと思いたいのだ。

だからこそ一見威勢の良い事を述べても、『実現可能性』というトッピングが必要だし、少なくとも自分はもう犠牲を払わなくて良いのだと勘違いさせるニュアンスが必要になる。その辺りが、あのちやほやされることでしか自分を満たせない空っぽ女と私の違いだ。

 

右派政党の党首が女性という事もあったのだろうが、この党首もいただけない。父親と夫と子供が戦死したことを事あるごとに叫ぶが、親類縁者が戦死したなど、今の同盟ではありふれた事だ。私から言わせれば、彼女は3人分の戦没者年金を受け取り、さらに代議員としての職と給与をもらっている。最初は同情されたとしても、そのうち家族を失った腹いせに、同じ境遇の人間を増やそうとしているだけだと思われるだろう。

同情され続けるには、金銭面で恵まれ過ぎている。そしてあの空っぽ女だ。威勢の良い事を言っても実現できなければ支持され続けない。より過激なことを言うしかなくなり、自滅するか、国家に多大な損害を招くかして、その名は忌み嫌われる物となるだろう。そうなれば私が多少の功績を上げておけば、私を選んだ市民は自分の選択が正しかったと満足できるだろう。

 

そもそも論で、空っぽ女を含め、右派政党の代議員の身内で、志願して兵役を務めた人間はいても戦死者は驚くほど少ないはずだ。それを思えば、あの党首も看板として利用されているだけなのだろう。今は絵空事に聞こえる主戦論を唱えて、戦争の旗振り役をさせておけば良い。彼女たちが自滅した後に、『実現可能性』をトッピングしておいたことが功を奏すことになるだろう。

あとは左派の理想論者たちへの対応だが、こちらは現実に『戦争』という現実が存在する以上、一定以上の支持は集められない。せいぜい実現不可能な理想論を吐かせておけばいい。彼らが理想を説くほど、同盟市民は現実にうんざりするだろうから。

 

「お待たせしました。車が参りましたのでご用意を」

 

思考が落ち着いた所で、秘書が戻ってきた。さて、次のスケジュールをこなすとしよう。



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67話:後見人

読者の皆さんも待っていたでしょうが、私も待っていました。


宇宙暦786年 帝国暦477年 5月下旬

首都星オーディン 帝国軍幼年学校

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

「ラインハルト・フォン・ミューゼル殿ですね?お迎えに上がりました。お車へどうぞ」

 

リューデリッツ伯爵家の従士だろうか?後部座席のドアを開き、手で乗車するように誘う。ミューゼル家は下級貴族とは名ばかりで、父が事業に失敗して以来、貧しい家だった。不思議と困窮した記憶が無いのは、姉上が色々とご苦労されたからだろう。だが、その姉上も皇帝の寵姫として召し出された。自分の父が姉を売ったのだと理解したのは、宮内省のやけに格式ばった地上車に姉が乗せられて連れ去られるのを何もできずに見送り、玄関から居間に戻った時の事だ。いつもと同じように酒を浴びるように飲んでいた父の手元に、見慣れぬ小袋と数枚の金貨が見えた。

 

近寄って袋を逆さにすると、小袋から金貨が零れ落ちた。思わず父を責めたが、

 

「どうせ断れぬのだ。金でも貰ったほうがましだ......」

 

と、自分に言い訳するようにつぶやくと、グラスに酒を注ぎ、呷った。こいつは父親ではない。娘を金で売る卑劣漢だ。そう思ったら、もう姉上のいないミューゼル家にいたくはなかったし、皇帝の寵姫の弟に宮内省の役人が多少は媚を売りたかったらしく、望みが無いかと聞かれて思わず『幼年学校への入校』を依頼していた。軍人として昇進すれば、いつか姉上を奪った皇帝からその罪を償わせる機会が得られるかもしれないし、姉上をお救いすることもできるかもしれないと思ったからだ。

 

もっと手間のかかる望みが出ると身構えていたのだろうが、宮内省の役人の権限からすると容易い事だったらしい。すぐに幼年学校への入学が許可され、まもなく2か月が経とうとしていた。そんな中で、リューデリッツ伯爵から面会を請う書状が届き、姉上からも、伯爵と面談するようにと言う言付けが届いた。そして今に至る。俺が地上車に乗り込むと、丁寧にドアが閉められ、地上車が動き出した。

 

リューデリッツ伯爵と言えば、貴族社会にギリギリ引っ掛かるミューゼル家ですら名前を知っている存在だ。領地を治めて良く、事業を興して良く、軍人としても大功を上げた。だが、同時に、姉を奪った皇帝とも親しかったはずだ。この面会を素直に喜べない自分がいる事を感じながら、窓の外に視線を向ける。幼年学校からリューデリッツ邸まではそこまで離れてはいない。歴史を感じさせる門を越え、幼い俺の感性にも響くものがある庭園を横目に見ながら、エントランス近くに地上車が停車するのを待つ。停車し、ドアが開くと地上車を降りるがそこで声をかけられた。

 

「ミューゼル卿、私のお願いに快く応えて頂き感謝している。ザイトリッツ・フォン・リューデリッツと申します。どうぞよろしく」

 

幼年学校の陸戦教官と同じような、白兵戦技を修めた人間特有の雰囲気を纏った40歳くらいの男性から、正式な貴族式の礼を受ける。なんとか見様見真似で、返礼を返すと、リューデリッツ伯自ら先導の下、応接間へ案内された。帝国軍でも屈指の将官が、俺のような子供に礼を尽くす理由に思い至らなかった俺は、ただただ場に流されるばかりだった。応接間に入ると、子供ながらに高価だと分かる椅子を勧められ、席に付く。悪い夢でも見ているのだろうか?表情にも出ていたのだろう、リューデリッツ伯が少し困った様子で話を始めた。

 

「ミューゼル卿、諸々の事情を話す前に、確認したいことがある。と言うのもな、私が5歳のとき、母親代わりの乳母を門閥貴族に殺された。その時に幼いなりに志を立てたのでな。卿が既に志を持つ者なら、子供としてではなく、『一人前の貴族家嫡男』として話をするつもりだ。子供としての接し方を望むかね?」

 

俺もすでに志を立てた身だ。すぐに首を横に振ったが、母親を早くに亡くした身としては変な親近感を覚えた。

 

「うむ。では一人前として扱おう。まずは......この馬鹿者め!どこまでグリューネワルト伯爵夫人のお気持ちを考えたのだ!ミューゼル家の経済状況はあらかじめ調べさせてもらった。母上がお亡くなりになられたことと、事業のとん挫が父君の心をへし折ってしまった。そのあとは伯爵夫人が何とか切り盛りされ、家庭崩壊の一歩寸前で留めていた。陛下の寵姫となる事も、もう経済的に何ともならぬ為、ご自分の将来を陛下にゆだねる代わりに、お主の将来を幸あるものにとお考えだったのだ。それを相談もなく勝手に幼年学校に入学するとは......。伯爵夫人がどれだけご心配されたことか......。今更、退学などすればそれこそ伯爵夫人を貶める口実に使われかねぬゆえ、これ以上は申さぬが、次に伯爵夫人と面会する折は、きちんと謝罪することから始められるように」

 

急に怒られたが、不思議と素直に受け入れられる部分があった。感情で怒るのではなく、なぜ怒るのかを懇切丁寧に説明されている感じを受けたからだ。確かに姉上からすれば、俺が勝手に幼年学校に入学した事は、勝手に軍に志願した事と同じ意味を持つ。少し考えればわかりそうなものなのに自分の感情を優先するあまり、こんな簡単な事に気づかなかった。了承の意味を込めて首を縦に振ると、伯爵は、少し間を開けてから

 

「ご心配のあまり、伯爵夫人は陛下に相談されました。その結果、軍でそれなりの立場にある私に、ミューゼル卿の後見人になるようにとの打診がされました。伯爵夫人もご承知の事です。これは断れる話ではありません。今日から、私がミューゼル卿の後見人となります。よろしいですね?」

 

勅命で姉上も了承しているとなれば、断れるわけがない。俺が了承すると、『こういう場合は、御鞭撻をよろしくお願いいたします』と言うのが礼儀だと、早速指導された。その後は色々と、姉上がいたころどんな事を家族でしていたか?や、俺と姉上の誕生日と親しい者の誕生日、母上の命日などを確認された。何のためなのか?と疑問に思っていたが、面会の中盤でそれが明らかになった。

 

「既に隣の屋敷を買い受けたので、グリューネワルト伯爵夫人の別邸として、ミューゼル卿が管理するように。当面の費用は当家で負担いたしますので......」

 

俺が、屋敷など管理できないし必要もないと言うと、伯爵は驚いた顔をして

 

「ミューゼル卿は伯爵夫人との面会はお望みではないのか?親族との面会では名目上、宿下がりと言う形になるので、屋敷が必要になるが、久々の休暇に折れてしまった父上も同席では、伯爵夫人もお辛いであろう。さすがに今のミューゼル邸では、形式の面でも伯爵夫人への攻撃材料になりかねぬと判断したのだが......」

 

そんな儀礼が宮中にあるとは知らなかった。俺はすぐ前言を撤回し、屋敷の手配を頼んだ。心配をかける以上、せめて面会できる機会は逃したくない。諸々の事を話し合った後に、リューデリッツ伯が言うか迷うそぶりをしてから

 

「ところでミューゼル卿には背中を任せられる友はおられるのかな?もしいるなら、自分の言葉で協力を頼んでみる事だ。軍人として大成するには才能だけでは無理だ。自分の背中を任せられる存在を得られるかで、栄達できるかがかなり変わる。背中を任せられるからこそ上を目指せるし、報いたいと思うから研鑽し続けられるのだ。もし、そんな存在がいるなら、思う所を伝えて、共に道を歩むことを依頼してみる事だ。これはアドバイスだが......」

 

そのあとも、やけにおいしいお菓子を振る舞われながら、色々な話をした。後で振り返ると、伯爵は俺を一人前として扱ってくれていたのだと思う。お茶とお菓子が尽きてきた頃合いで、伯はお付きの者に人払いを命じて、真剣な面持ちで、締めくくりの話題を始めた。

 

「ミューゼル卿、今からする話は私の独り言だと思って聞いてくれ。ある下級貴族の話だ。ご当主夫人が事故で急逝され、折を同じくして、ご当主がされていた事業が門閥貴族の横槍で潰された。ご当主は2重のショックで心が折れてしまい、昼間から酒を飲むようになった。残されたのは思春期に入ったばかりのご令嬢と幼い嫡男のみ。このままでは経済的に立ち行かなくなると年長だったご令嬢は弟の学資の為にと働き口を探したが、門閥貴族に目を付けられた家の令嬢など貴族社会では雇ってもらえず、専門的な知識がある訳でもないので、表社会での就職も出来なかった。

結局、年齢を偽り、夜の歓楽街で働きだすのだが、世間知らずの貴族の娘などカモでしか無かった。詐欺に引っかかって、多額の借金を背負わされ、身を売らされるようになるまで1年、その辛さから逃げるように薬物を使うようになるのにさらに1年、弟君は姉の異変に気付きながらも、どうすべきか分からず、薬物中毒者の治療を受ける経済的な余裕もなかった。

美しかったご令嬢が、ボロボロの廃人のようになって衰弱死するまでさらに1年。そんな話が表沙汰になっては、もう貴族として再起する事は不可能だ。自殺するように酒を呷って、父親も姉の後を追うように死ぬ。住んでいた家は借金の弁済に充てられ、13歳の嫡男は寒空の下にたたき出される。行き先は当然裏社会だ。下っ端としてチンピラに端金であごで使われる日々。そんな中、突然巻き起こった組織同士の抗争の中で、見せしめのために両手両足の腱を切られて溺死体で河に浮かぶ......」

 

ここで一旦、伯は言葉を区切ると大き目のため息をついた。

 

「サイオキシン麻薬がらみで、そっち方面の資料も確認したことがあってね。残念なことだが、今、聞いてもらった話は実際にあった話だ。もちろんその組織も含めて、裏社会に属していた人間は、もうこの世にはいない。後釜がいるのも確かだが、重犯罪を冒すのは危険と考えて、将来は分からないが、ここ3年はそういう事件は起きていない。ここまでひどくはなくとも、グリューネワルト伯爵夫人が後宮に上がらなければ、同じような未来がミューゼル家には待っていただろう。

父君は自分で立ち直るしかないが、グリューネワルト伯爵夫人とミューゼル卿は陛下に救済された部分があることを、忘れぬようにな。それとこの話はまだ早いと思ったが、『もう我が子が胎児で殺されぬか心配する経験はしたくない』ともおっしゃられていた。グリューネワルト伯爵夫人が懐妊する事はないだろう。そもそも陛下が見初める事など出来はしないし、こういう話が出た時点で陛下が断れば、全ての責任がミューゼル家にむかう。理不尽な話だが、これが今の帝国の実情だ」

 

たしかに伯の言う通りだ。俺は皇帝に姉上を強奪されたと思っていたが、直接、姉上を見初める事ができる訳が無い。あの宮内省の役人は皇帝陛下の代理人を臭わせていたのに......。それにミューゼル家がもう経済的にどうにもならなかったのも事実だろう。あのままなら、姉上が門閥貴族なり、富豪の側室になるくらいしか、手段がなかったのも確かだろう。ただ、守りたい人を守りたいときに、守れる力が無い事が、そこまで罪なのだろうか......。

 

「私もな、5歳の時に母親代わりの乳母を門閥貴族に殺された。当時、陛下の兄君の派閥に属していた貴族家で、一方で、当時ルントシュテット伯爵家は第二次ティアマト会戦の影響で力を落としていた。私も巻きこまれて重体に陥ったが、皇太子の派閥に属するからと調子に乗って、かなり無理難題をいわれたよ。その時、志を立てた。まずは乳母のけじめをきっちり取ること。そして爵位を振りかざして弱者を踏みにじり泣かせている連中を一掃してやろうとね」

 

伯から少し凄味というか、怖いものを感じた俺は、つばを飲み込みながら

 

「それで、その家はどうなったのです?」

 

「お取り潰しの上、直系男子は極刑になり、縁者にもかなりの重罰が下されたね。もっとも『爵位を振りかざして弱者を踏みにじり泣かせている連中を一掃する事』は連中が害虫のように湧いてくるから鋭意、努力しているという状況だが......。どうせなら、自分と同じ思いをする人間を無くすことを復讐の志として見るのも良いやもしれぬな。同じような経験をした人間は、今の帝国ではごまんといるであろうから」

 

この日から、彼が俺の後見人という事になった。



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68話:誕生日

宇宙暦786年 帝国暦477年 6月下旬

首都星オーディン グリューネワルト伯爵家・別邸

アンネローゼ・フォン・グリューネワルト

 

「姉上、お誕生日おめでとうございます」

「アンネローゼ様、お誕生日おめでとうございます」

 

ラインハルトとジークが笑顔で祝いの言葉とともに、ラインハルトからは丁寧に包装された箱を、ジークからはピンクのバラにダリアをあしらった花束を受け取る。

 

「二人ともありがとう。でも私にあまり気を使わなくて良いのよ?あなた達とこうして一緒に過ごせれば、私はそれで十分なのだから......」

 

「はい。私たちも当初はそう考えていたのですが、親族の誕生日に贈り物を用意しないなど、後見人の私が恥をかくと叱られまして。リューデリッツ伯爵家の御用商人の方と相談しながら選んだのです」

 

「私も、花言葉など存じませんでしたので、ご相談に乗って頂きました。お恥ずかしい話なのですが......」

 

「ごめんなさい、贈り物をもらった経験があまりなかったから。こういう時は素直に喜ぶべきね。二人ともありがとう」

 

私がそう言うと、二人ともホッとした様子だった。顔を見合わせて喜んでいる。もちろん私も、割り当てられた後宮の館で、ケーキを焼いてきた。私が後宮に召し出される前は、2人によく作っていたものだ。喜んでもらえれば良いけど......。ラインハルトの贈り物は、ムーンストーンのブローチだ。蝶の彫刻が施され、縁取りはプラチナでできている。宝石には詳しくない私でも、高価なものだと思うが、大丈夫なのだろうか......。

 

「やったなキルヒアイス。姉上お手製のケーキだ。食器を用意してくるから、キルヒアイスはお茶の用意を頼む。姉上に学んでいることをちゃんと感じて頂くのだ」

 

「あら、ジークはお茶の作法まで修めたの?それは楽しみだわ」

 

「アンネローゼ様のお口に合えば良いのですが......」

 

楽し気に厨房へ向かう2人の背中を微笑ましく思いながら、名義は弟の物となっているらしいグリューネワルト伯爵家・別邸のサロンを改めて見回す。『改築も含めて自由にして良いと言われている』と弟は言っていたが、私の目から見ても格調高い作りになっている。いくら後見人になったからと言って、10歳の子供にポンと与える物でもないと思うのだけど......。

出迎えの際にだけ二人と一緒に顔を出して下さった『あの方』にとっては、特別な事でもないのだろうか?サロンの窓から庭園を眺めつつ、弟の後見人になって下さった『あの方』リューデリッツ伯と初めてお会いした時の事を思い出していた。

 

私が後宮に召し出されて少し経った頃、弟が相談もなく幼年学校への入学を希望したことを聞いた私は、弟の将来の為に自分の人生をあきらめたのに、戦死するようなことになるのではと、とても不安になった。そんな私を見かねた陛下が、

 

「では、最高の後見人を用意しよう。あの者にはまた頼みを聞いてもらうことになるが、頼まずとも配慮はするはずじゃ。ならば初めから頼んでおいても違いはあるまい」

 

と優し気な表情で言われてから数日、バラ園でのお茶の時間に同席するようにと命じられ、陛下の隣でほのかなバラの香りに包まれながらお茶を嗜んでいると、入り口の方から長身の男性が近づいてくるのが目に入った。

 

「最高の後見人が来たようじゃ。とは言え、人となりを知らねば不安もあろう?お茶の席に同席させるゆえ、気になる事があれば、そちから尋ねてみると良い」

 

このバラ園に呼ばれるという事はかなりのお立場の方のはずだけど、私が話しかけても失礼にならないのかしら......。そんな事を気にする私の横で、陛下は近衛兵に人払いを命じられた。

 

「お呼びとのことで、ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ、参上いたしました。ご尊顔を拝し恐悦至極に存じます」

 

「ザイ坊、人払いを命じてある。この場はお忍びの形で構わぬ。第二の寵姫のアンネローゼじゃ」

 

「アンネローゼ・フォン・グリューネワルトと申します。同席させて頂きます。よろしくお願いします」

 

「ザイトリッツ・フォン・リューデリッツと申します。お目にかかれて光栄に存じます。こちらこそよろしくお願いいたします」

 

挨拶が終わり、伯が席に付くと

 

「兄貴、皇族にちょっかいを出した連中からはきっちりこちらでけじめを取る事が出来そうだよ。叔父貴も色々と気にしていたからね。それで、今日はどんな話かな?話題の美姫を自慢したいという話でも、私はかまわないけど」

 

「ザイ坊よ。お主は話が早いから助かるが、お茶を一緒に楽しみたいというのも本日の用件のひとつじゃ。少し我儘につきあってくれぬか」

 

かなり砕けた言葉でやり取りが交わされるし、陛下がここまで楽し気にされているのも初めてのことで、戸惑う私を気遣って下さったのだろう。

 

「グリューネワルト伯爵夫人、陛下とは、まだ私がルントシュテット伯爵家の3男坊で色々と好き勝手していた頃からのご縁なのです。当時は陛下の兄君と弟君が派閥を作って跡目争いをされていた時代で、ルントシュテット伯爵家を軸に軍部を陛下の派閥にしようとしていると邪推されても困るので、お忍びで親しくして頂いたという次第で......」

 

優し気に伯は説明してくれた。リューデリッツ伯は今までで初めて見るタイプの男性だった。軍人の中でも格闘術に優れた方が出す独特な雰囲気もあるし、私たちの父が、事業を成功させていた時に感じた、自然な自信も感じる。でも宮中でお見掛けする高位貴族が出す変な選民意識みたいなものは感じない。強いて言うなら、物語に出てくる悲劇のヒロインに手を差し伸べてくれる情に厚い貴族と言った所だろうか?父と同世代のはずだがかなりお若く見える。

お茶の時間は、予想外に楽しい物となった。御二人とも博学だが、教師にありがちな知識をひけらかす感じはなく、予備知識が無い私にもわかるように配慮しながら面白おかしく話してくれた。伯と視線が合うとドキっとするし、最近は振る舞う相手がいないのだと言って、2杯目のお茶は、伯が自ら入れてくれた。お世辞ではなく、確かに美味しいお茶だった。次にお会いするときには、せめて美味しい理由位は分かるようになっておきたいと心から思ったくらいだ。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。お茶会の終わりに陛下が本題を切り出される。

 

「うむ。やはりそちとの時間は楽しいものじゃな。ところでな、実はアンネローゼの弟が相談もせずに幼年学校への入学を決めてしまってな。万が一の事があってはと不安に思っておるのだ。そこでそちにその者の後見人を頼みたいのだが、引き受けてくれぬか?」

 

「他ならぬ兄貴の頼みだし、10歳で家庭を切り盛りしだした頑張り屋さんの頼みだ。もちろん引き受けさせてもらうけど2つばかり条件を出したいね。ひとつ目は、軍人を志している以上、教育方針は私に一任してもらいたい。後見人になる以上は、いずれ帝国を背負って立つ人財に育て上げるつもりだ。2つ目はそれに関連して、今は『陛下の寵姫の弟』とみられるだろうけど、将来的にはグリューネワルト伯爵夫人が『帝国軍の重鎮の姉』となるだろう。失礼ながらご実家の経済状況では、教育を受ける機会に乏しかったはずだ。今からで構わないのでそちらの方も努めてもらいたい。もちろん教師役も私が手配するし、伯爵夫人を不快にさせるような人材を選ばないことも予め約束するが、いかがかな?」

 

「はい。弟の後見人になって頂くだけでも幸いなことです。私で及ぶことなのかはわかりませんが、弟同様、精一杯励むことはお約束します」

 

「では、後見人の話、謹んでお受けいたします。それと、後見人の件は私から頼んだことにしましょう。『寵姫が陛下に強請って、軍部貴族を弟の後見人にした』と言うのも、後ろ暗い事がある方々には、邪推の材料になるでしょうから......」

 

伯は後見人になるにあたっても、最大限配慮をしてくれた。それから数日して、後宮の私の館に礼儀作法の講師としてシュタイエルマルク伯爵夫人、芸術の講師としてヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢が来て下さるようになり、学んだことの実践相手として、ルントシュテット伯爵夫人や、リューデリッツ伯爵夫人、マリーンドルフ伯爵家のヒルデガルド嬢が頻繁に訪れてくれるようになった。皆、『あの方』に選ばれた方々なのだろう。良いひとばかりで安心している。

 

厨房から戻ってくる二人の気配が、私の時間を今に戻してくれた。弟は食器のセットと、シルバーカトラリーを入れる大き目なケースを、ジークはお茶のセットを持って、サロンに戻ってきた。

 

「姉上、こちらの箱は、リューデリッツ伯からの預かりものです。伯はご友人のお子様方へのプレゼントはシルバーカトラリーに統一されているのですが、女性に贈り物をすると何かと誤解されるとのことで、お預かりしていました。お帰りの際にお持ちになられても良いですし、こちらでお預かりしておいても大丈夫です。20歳になった時に一式が揃うように贈られるとのことでした」

 

「ラインハルト様も私も、10歳までの分を頂きました。私には過ぎたものとご辞退したのですが、『私の被後見人の友人は十分贈り物をするに値する存在だ』とおっしゃられて、有り難く頂戴しました」

 

「まあ、私からも改めてお礼を述べなければいけないわね。ヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢から伺った話だけど、20歳になって独立する際に、晩餐で使用できるシルバーカトラリーがあれば、もてなしの際に困ることは無いし、万が一の時は売れるという事でそうされたらしいわ。今では『リューデリッツ伯の銀の匙』と呼ばれて、贈られたがる貴族家も多いとか。大事にしなければいけませんよ?」

 

親しくなったマグダレーナ嬢とヒルデガルド嬢も贈られていたはずだ。私も贈られたいと思っていたが、お願いできる立場でもなかった......。『あの方』に選ばれたお二人と、同等になれた気がして変な嬉しさを感じた。弟が用意した食器に、少し大きめに切ったケーキを2つ、普通のサイズをひとつとりわけ、大き目な方を、弟たちの手元に置く。隣ではジークがお茶を入れてくれていたが、手つきが『あの方』そっくりで驚いた。

そう、ジークにならなぜお茶が美味しくなるのか聞いても大丈夫なはずね。お茶とケーキを楽しみながら、家族の温かさを感じるひと時を過ごした。今回は私の誕生日を理由にした宿下がりだが、最低でも母の月命日には宿下がりを許されている。その手配も『あの方』がして下さった。わたしもお約束通り、弟が軍の重鎮になった際に、恥ずかしくない様に教養を身につけねば......。



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69話:側近

宇宙暦786年 帝国暦477年 8月下旬

首都星オーディン グリューネワルト伯爵家・別邸

ジークフリード・キルヒアイス

 

「ジーク、これからもラインハルトの事をよろしくお願いしますね」

 

アンネローゼ様はそう言い残すと、宮内省の車に乗り込み、後宮へお戻りになられた。あの御歳で後宮に召し出されるのは、隣家の事とは言え、周囲が言うように幸いなことではないと思っていた。同い年だったラインハルト様が急に姿を見せなくなり、突然『幼年学校への入学を決めたから、一緒に来て欲しい』と言われた時は戸惑ったが、『軍で栄達して一日も早く、姉上を守れる立場になりたいのだ。力を貸してほしい』と言われた時、軍人の道を選ぶ覚悟を決めた。

私がせめて後8歳早く生まれていれば、御二人を連れてフェザーンにでも向かえたかもしれない。ラインハルト様がアンネローゼ様を守れる立場を一日でも早く得る為に励まれるなら、お役に立とうと思ったのだ。

 

それから父と母に事情を話し、幼年学校へ入学する事を話したが、父も母も困った様子ではあったが、特に反対はしなかった。と言うのも、司法省の下級官吏として働く父の下へ、ラインハルト様の後見人となられたリューデリッツ伯から内々に話が通っていたからだった。

リューデリッツ伯といえば臣民に知らぬ者はいない英雄だ。ラインハルト様に連れられて、ご挨拶に上がった際は、正直緊張した。『私の背中を任せる事となるジークフリード・キルヒアイスです』と紹介されたのも驚いたが、人払いを命じられ、ラインハルト様にサロンにいるように命じられると、椅子を勧められ、お茶とお菓子を伯自ら振る舞ってくださった。

 

「キルヒアイス君、ミューゼル卿は私の被後見人だ。ミューゼル卿が背中を任せると言うなら、君も私の被後見人みたいなものだ。困った事があれば遠慮なく相談するようにね。ミューゼル卿には皇室に連なる者としてふさわしい教養と、いずれ帝国軍の重鎮となるにふさわしい教育を用意する予定だ。君も同席するように。

そして何か一つでも良いから、ミューゼル卿に勝るものを身につけなさい。背中を任される側近は、本人と同じような人物ではむしろ危険だ。当人が気づかぬこと、見逃すことに気づかねばならぬ。ミューゼル卿もかなり優秀な男だが、少なくとも一つは、彼に勝るものを身に着ける為に励むと約束できるかな?」

 

なぜか、この方にいつか認められたいと自然に思っていた。漠然とラインハルト様に協力しようと考えていたが、どうすれば力になれるのか?教えて頂いたのだ。

 

「はい。精一杯励むことをお約束いたします」

 

それからは私の生活は一変した。ラインハルト様と共に、リューデリッツ伯流の英才教育を受けることになった。軍事教練はリューデリッツ伯もしごかれたというフランツ教官が担当し、経済に関しては、帝大に在籍されているご嫡男のアルブレヒト様から、芸術に関してはアンネローゼ様の講師役でもあるヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢が、事業計画については、情報部のオーベルシュタイン卿が、戦術に関しては士官学校に在籍されているロイエンタール卿とそのご学友だというミッターマイヤーさんから、指導を受ける事になった。礼儀作法に関しても、たまに顔を出されるシェーンコップ卿からアレンジの方法を習ったり、リューデリッツ伯も修めているという秘伝のお茶の入れ方なども教わった。

特にフランツ教官の指導は厳しく、ラインハルト様とは内密で『鬼じじい』などと呼んでいるが、男性陣はみな彼にしごかれたらしく、実際に音楽学校へ進まれた次男のフレデリック様ですら、私たちの倍くらいの教練をこなしておられるので、負けてはいられぬと奮起する材料にもなっている。

教練にはさすがに参加されないが、マグダレーナ嬢とそのお知り合いだと言う、マリーンドルフ家のヒルデガルド嬢も、座学には参加されている。マグダレーナ嬢からは『リューデリッツ伯の銀の匙を贈られる者同士、一緒に励みましょう!』と嬉し気に言われたのが印象深かった。講師役の皆さまは幼い私でも凄い人物だと理解できるが、このまま行けば士官学校で学ぶことが無くなってしまう様にも思う。ラインハルト様はどうお考えなのだろう?

 

「キルヒアイス、フリーダ嬢がお前の分も晩餐を用意してくれるそうだ。明日はあの『機械男』の講義の日だからな。晩餐の時間まで予習の時間に充てよう。変なミスでもしたら、また宿題を増やされるからな......」

 

「ラインハルト様、そのようなことをおっしゃっているのが発覚すれば、フリーダ様のお料理をしばらく頂けなくなりますよ?」

 

「二人の時だけだ。フリーダ嬢は芸術も音楽もこなされるが、料理の腕前は姉上にも劣らない。あの方の唯一の難点は『機械男』に懐いている事ぐらいだな......」

 

そんな事を話しながら、今では勉学の為の部屋となっている別邸のリビングへ二人で向かう。決して楽な日々ではないが、充実した日々でもある。おそらく講師役の方々もいずれ名をはせることになるに違いない。そんな方々に教えて頂ける環境をありがたく思いながら、少しでも早くラインハルト様のお力になれるよう、励むだけだ。

 

 

宇宙歴786年 帝国歴477年 12月上旬

キフォイザー星域 惑星スルーズヘイム

フェザーン自治領主 ワレンコフ

 

「自治領主閣下、お力添えのおかげで無事に除霊の第一弾は完了しつつある。もっとも目の向き先を増やしたから多少はテロの可能性を減らせたと思うし、もし、フェザーンに戻るというなら、警護の人材を貸し出すことも出来なくはないが......」

 

私の共犯者が心配げに尋ねて来る。彼も、フェザーンに戻ることは暗殺かテロのターゲットになる事と同義だと認識しているのだろう。それにずっと目指してきた自治領主の座が、歴史の亡霊どもの手先だと認識した時から、私の中にあった『フェザーン自治領主という地位の輝き』は失われてしまった。手元のティーカップを口元に運び、良質な紅茶の香りを楽しんでから口に含む。

視線を窓に向けると、冬であることを忘れるような、温かな日の光に照らされた庭園が目に入る。私たち夫婦の安全の為の隠遁生活だったが、その期間も一年を越えて妻のお腹にも命が宿った。このまま一生隠遁生活というのもどうかと思うが、この安らぎとゆっくりとした時間の流れに満たされた生活が、自分の身の振り方にもっと選択肢があるのでは?と考えるきっかけにもなった。

 

「そうですね。正直、自治領主としてフェザーンに戻りたいかという話でしたら、その意思はありませんね。もっとも帝国にとって必要だというなら、話は別ですが......。妻も臨月ですし、もうしばらくはこのまま今の生活を楽しみたいですね。ご配慮いただいたのでしょうが、ここの生活は時間がゆっくり流れている。色々考えるのにちょうど良いと感じていますし......」

 

「そうですか......。まあ、貴方は『フェザーン人としての生き方の一つの頂き』には既に登頂されたのですから。次は『ワレンコフとしての生き方の頂き』を探してみるのも良いかもしれませんね。候補になり得るなら、RC社の幹部の席はすぐに用意します。それと、フェザーン国籍の投資会社の方は顧問ではいてほしいと思います。貴方の能力は、まだこの宇宙には必要とされるものですし、預金残高がいくら豊富でも、減る一方と言うのは精神的に良くはないでしょうからね......」

 

思えば共犯者であるリューデリッツ伯と、膨大な資金を動かしながら利益を上げ、そこから報酬を得て、次期自治領主への階段を駆け上がった日々が一番楽しかったように思う。だが、全身全霊をかけて駆け上がりたいと思う頂きを、私はもう一度見つける事が出来るのだろうか?

 

「伯が私の立場なら、どんな頂きを目指しますか?参考までに聞いておきたいのですが......」

 

「そうですね。私なら『宇宙統一政体となった帝国の経済面での第一人者』でしょうか?もっとも宇宙統一政体になるには、帝国内部で解決しなければならない問題もあります。私たちの生物としての寿命を考えれば、『宇宙統一政体となった帝国の経済面での第一人者』となりうる人材の育成と、しかるべき立場を用意することになるかもしれませんが......」

 

伯もティーカップを口元に運び、紅茶の香りを楽しみながら私の問いかけに応えてくれた。『宇宙統一政体となった帝国の経済面での第一人者』か、彼が言わなければただの夢想に思えるが、確かに目指し甲斐のある頂きのひとつだろう。

 

「帝国と叛乱軍が、停戦、ないし和平する可能性は無いのでしょうか?過去にも疑似的な停戦状態となった時期がありましたが......」

 

「私の口からは何とも......。可能性が無いとは言いませんが、帝国内でそれを言って無事でいられるのは皇帝陛下ぐらいでしょうね。ただ、政府と軍部は全力で反対する事になると思います。叛乱軍の政体は民主主義でしたね?既に戦争状態に突入して150年近く経ちますから『親しき人たちを失った恨みを捨てて、和平を!』という主張より『犠牲を無駄にするな!悪逆なる帝国を打ち倒すまで闘い抜こう!』の方が、多数の支持を集めるのではないでしょうか?

あと1000万人も戦死すれば状況は変わるかもしれませんが、そうなると戦況は圧倒的に帝国優位となります。『和平』ではなく『敗戦講和』でないと、今度は帝国が受け入れませんし、そこまで行くなら、将来の禍根を断つ意味で完全征服したほうが良いかもしれませんが......」

 

「確かにそうですね。フェザーンにいると、どうにも両国の犠牲を数字でしか把握しておりませんでした。その向こうにある感情にまでは思い至りませんでした」

 

「それで良いのです。貴方は投資家だ。汗水たらして稼いだ1万帝国マルクも、賭け事で得たあぶく銭の1万帝国マルクも、同じものとして見なければ務まらない稼業ですからね。そういうのは政治家に任せてしまえば良いのです。そういう意味では、適性が『投資家』向きなのですから、私としては尚更RC社に来ていただきたいくらいですよ」

 

元気づけようという意図もあるのだろうが、伯はすこし茶化す雰囲気だった。確かに余計なことは考えずに、成果が数字で明確になる道の方が性に合っているだろう。

 

「どちらにしても、お子様が5歳になるまでは星間移動は控えたほうが良いのは変えられぬ事実です。定期的に比較的大きめの投資案件に関しては、事前にご相談させて頂きたいですね。担当は、現在、RC社を実質的に仕切っているケーフェンヒラー男爵が後継者と見込んでいるシルヴァーベルヒに担当させます。まだ大学を出たばかりですが、少なくとも帝国全体を見て物事を考えられる人材なので、貴方にも鍛えてもらえれば幸いです」

 

確かに答えを急いで出す必要はないのかもしれない。初めての経験になる子育てをしながら、色々と考えてみれば良い。少なくともRC社の幹部になれる人材だとお墨付きは得たのだから。



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70話:葛藤

宇宙暦787年 帝国暦478年 3月中旬

首都星オーディン グリューネワルト伯爵家・別邸

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

「ラインハルト、お誕生日おめでとう」

 

「ラインハルト様、おめでとうございます」

 

姉上とキルヒアイスが、お祝いの言葉をくれる。一月にはキルヒアイスの誕生日も、姉上とともに祝う事が出来た。誕生日などの祝い事は、姉上が同席しない回はリューデリッツ邸で行い、姉上が同席する回は別邸で行われる事になっている。

建前としては『陛下の同席もなく、親しき仲でもない者が伯爵夫人と同席するなど畏れ多い』とリューデリッツ伯は言っていたが、実際は励んでいる俺たちへのご褒美代わりに、『3人で水入らずな時間を過ごせ』という配慮があった事を、キルヒアイスに言われて最近気づいた。今、思えば座学の学友のようになっているマグダレーナ嬢やヒルデガルド嬢は姉上の屋敷も定期的に訪れてくれている。これも俺たちの話を、頻繁に聞けるようにと言う配慮なのだと思う。

どうも、姉上以外から、配慮や気遣いを受ける事に慣れていないので、『こんな事にも気づかぬのか?まだまだ子供だなあ......』と指摘されている様に感じてしまう。伯が私を一人前として扱ってくれるからだろうが、色々な事を学んでいるはずなのに至らない点を感じると悔しく思うのは、俺がまだ幼いからなのだろうか?

 

「姉上、キルヒアイス、ありがとう。姉上、キルヒアイスと私で幼年学校の首席と次席を確保したんです。リューデリッツ伯も幼年学校は首席で通されたと聞きましたし、被後見人として恥じる事のないように励むつもりです」

 

横目でキルヒアイスを見ると、同じ気持ちだと言うかのように、視線を合わせてうなずいてくれた。

 

「ラインハルト、焦る必要はないのよ?年相応に学んだ事が出来るようになれば、それで十分です。伯から直接は聞いていないのでしょうが、マグダレーナ嬢からは『後見人ですから当たり前かもしれませんが、伯はラインハルトばかりでなく、私の事も、もう少し褒めても良いと思いますわ』とお茶の時間にお話されていたの。しっかり認めて頂けているのです。いずれは軍の重鎮に相応しい人物にすると言っても、今日、明日の事ではないわ。焦っていては本来、見えるものも見えなくなります。あまり焦らないようにね」

 

姉上が、少し心配そうにこちらを見つめてくる。確かに焦っていたのかもしれない。俺はまだ姉上から心配される存在なのだ。そして言われてみれば伯の気遣いも、今の実力の差を感じて焦っているから、本来なら見逃すはずがない事を見逃してしまうのかも知れない。そして意外だったのは、伯に褒められて嬉しく思う自分がいる事だ。俺は伯に勝ちたいと思っていたつもりだが、認められたいと思っているのだろうか?

そういえば、幼年学校で首席が確定したとき俺は『これで伯に胸を張って会える』と確かに思った。そして首席を報告した際、伯が俺の肩に手を置いて『良くやった!グリューネワルト伯爵夫人もお喜びになろう』と嬉し気に言ったとき、確かに嬉しさを感じた。俺は伯に勝ちたいのか?認められたいのか......。少し考え込んでしまったらしい

 

「ラインハルト、せっかくの日にお説教染みた話などしてごめんなさいね。ただ、自分とリューデリッツ伯を比べるのは止めたほうが良いと思うの。実績がという話ではなくて......。何と言ったら良いのかしら、ラインハルトは少なくとも自分で幼年学校へ進むと決めたでしょう?でも伯の逸話を聞けば聞くほど、進みたかった道が選べず、選ぶしかなかった道で大功を上げられたわ。ただ、それを周囲は喜んでいても、本人が喜んでいる感じがしないの......。

これは、畏れ多い事だけど、陛下からも似た雰囲気を感じるの。だからこそ、伯と陛下は仲が良いのかもしれないわ。祝いの場で話すべきではないと思うけど、2人も不本意だけど周囲はそれを祝福している経験をしたはず。周囲が祝福するほど、心が渇いていく......。そんな人生を2人には歩いてほしくないもの......」

 

「姉上、ご心配をおかけしました。そう言う事を考えていた訳ではないのです。ただ、おっしゃる通り少し焦っていたかもしれません。焦らずじっくり励むことを心がけます」

 

口から出た言葉とは裏腹に、俺はある命題を突きつけられていた。リューデリッツ伯は姉上を守れる財力も、影響力も、立場も兼ね備えている。それを得る為には、俺自身も渇きに満ちた道を歩まねばならないのだろうか?もし決断を迫られた時、その道を選べるのだろうか?伯はなぜ、そんな道を選ばれたのか......。いつか聞いてみたい気がした。

 

「アンネローゼ様のお料理はとても美味しいです。食べ過ぎてしまわぬか、心配になってしまいます」

 

「あらジーク、お世辞も座学に含まれているのかしら?」

 

姉上とキルヒアイスの会話が、俺を現実に引き戻してくれた。最近、姉上の屋敷を訪れる淑女の一人となったフリーダ嬢の影響か、姉上もケーキだけでなく料理にも意識を向けだした様だ。今は、姉上の手料理を楽しむことに集中しよう。

 

「姉上の料理は絶品だからな。お代わりをお願いします」

 

「あらあら、作り甲斐があると上達が早いとフリーダ嬢がお話しになられていたけど、その通りね。来月にはまた新しいレシピを用意しておくことにしましょう」

 

嬉し気に姉上がほほ笑む。それにしても、唯一絶対の銀河帝国皇帝に即位した人間が、本来望んだ人生ではなかったということなどあり得るのだろうか?片手間の思考では、納得できる答えは出ないだろうが、俺の頭の片隅にいつまでも残る疑問だった。

 

 

宇宙暦787年 帝国暦478年 6月中旬

フェザーン自治領 自治領主公邸

アドリアン・ルビンスキー

 

「代理とは言え、フェザーン自治領主の椅子の座り心地は如何かしら?最も、その椅子の価値はこの所、大暴落しているようだけど......」

 

「ドミニク、そんな言い方をしなくても、自治領主の座を私が勝ち取ったのではなく、投げ与えられたことも理解しているし、その椅子の価値が大暴落しているという事も理解している。だがな、大暴落しているからこそ、後は上がるだけとも考えられるし、旧世紀の亡霊から良くも悪くも解放された。つまりここからは俺の才覚次第という事だ。幸いにも帝国が優勢に戦争を進めたおかげで同盟にはかなりフェザーン資本が浸透できている。またやりようは十分にあるだろう?」

 

「止めたほうが良いのではないかしら?リューデリッツ伯とワレンコフ前自治領主のタッグと、経済面で争うなんて自殺行為。大人しく尻尾を振った方が良いのではなくて?少なくともリューデリッツ伯はあなたを評価している。積極的に忠誠心を、無いなりに示した方が得策なのではないのかしら?」

 

何かと目端の利く愛人の一人のドミニクを、秘書官にして数ヵ月、今の俺に、忌憚なく意見してくれる人材は自治領主府にはいないからこその任用だったが、フェザーンの建立に地球教の思惑があったと暴露されて以来、ドミニクは何かと挑発的な態度を取るようになった。夜の営みに不満があって挑発しているのかとも思ったがそうでもないらしい。

 

「あなたもリューデリッツ伯を知ってしまった以上、心の奥では分かっているはずよ?協力するにしろ、反抗するにしろ、彼に認めて欲しいだけだと。彼は歓楽街の生きる伝説だけど、それは金払いが良かったからじゃないわ。豪商達を相手に、惚れさせて骨抜きにしてきた女傑達を、軒並み生娘のように惚れさせてしまったから今でも語り継がれているの。

野心に満ち溢れた貴方でもそこまでは無理。私自身、年を偽って踊り子をしていたけど、あの方に『まだ、こんなところに出入りしてはいけないよ』と言われて。それなりのチップをスマートに渡された時に、精一杯尽くすから養ってもらえないかと小娘なりに思ったわ。ワレンコフの相手は出来ても、リューデリッツ伯の相手は貴方には無理よ」

 

「お前は分かっていてワザとそんなことを言っているのか?ドミニク。伯の周囲にはすでに人材がそろっている。おそらくワレンコフ氏も伯に仕えることになるだろう。忠実なしもべならボルテックで十分だ。伯からそれなりの立場をもらうためには、大功を上げるなり、敵として実力を示すなりしなければならん。どうせ働くならより大きな権限を任せてもらいたいからな」

 

「あら、気づいていないのかしら?あなたの魅力は溢れ出る野心だけど、それが出過ぎているのよ。伯の下で権限を任されるには『信頼』と『信用』の両方が必要。あなたの能力は『信頼』されるかもしれないけど、『信用』されるには野心を見せすぎたわね。

まあ、あなたのしたいようにしたら良いとは思うけど、あの方の背中を刺すような事をするときは予め教えてもらえると助かるわ。一緒に無関係である証拠もつけてね。そんなことをすれば一生逃亡生活のうえ、方々から命を狙われるだろうから」

 

そう言い残して、ドミニクは執務室から出て行った。折角手に入れた『フェザーン自治領主代理』という立場が、すでに輝きを失っている事に気づいている人間は、まだ多くは無い。だが既に帝国のフェザーン進駐という事例が出来た以上、帝国はいつでもフェザーンを併合出来るし、同盟も実行するかは別にして、選択肢の一つにするはずだ。

争いあっていた両国が、無防備に肥え太った獲物の存在に気づいた以上、自治領としてのフェザーンの余命は長くはない。戦況が帝国優位である以上、なんとか帝国でそれなりの地位を得たいが、どうしたものか......。




※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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71話:異動

宇宙暦787年 帝国暦478年 12月中旬

首都星オーディン 黒真珠の間

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

 

「帝国軍前線総司令部基地司令官ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ殿~!」

 

勲章を得た時同様、近衛の前口上を聞きながら、赤絨毯をテクテクと進む。アムリッツァ星域に実質新設に近い形になった第11駐留基地あらため前線総司令部だが、その建設と、イゼルローン回廊、叛乱軍側の諸星系を含めた偵察・通信網の構築を併せて、功績とされ、元帥へ昇進となった。これから元帥杖の授与が行われる。次兄のコルネリアスも一緒に元帥へ昇進する事となった。俺の出番の前に、既に元帥杖を授与されている。

 

次兄は、艦隊司令として戦功を上げているので当然としても、俺の元帥への昇進は、『地球教団への対処』も込みの判断だ。本来なら俺よりメルカッツ上級大将を元帥にすべきだと上申したが、自己主張が強くないメルカッツ先輩が割を食った形になってしまった。現在の艦隊運用の実戦部隊の将官では、戦術面で屈指の実力の持ち主であることは分かっているので、宿将に相応しい階級を、折を見て用意できるようにするつもりだ。

 

横目で赤絨毯の両サイドに居並ぶ文官・武官たちを眺める。武官サイドの前列寄りに、嬉し気にこちらを見るメルカッツ先輩の姿が見える。他者の成功を心から喜べる当たり、本当に人格者だし、そういう人材が重鎮として上にいてくれれば安心出来るのだが......。ただ、下級貴族出身の先輩を元帥にすると、軍部からたたき出したボンボンどもが騒ぎ出しそうだという状況から、踏み切れないでいた。

 

その横には元帥としては最新任の次兄が、親しい人だけがわかる『人の悪い笑み』を浮かべている。俺が元帥への昇進を喜ばしく思っていない事をおそらく見透かしているのだろう。元帥になったからには簡単には退役できない。せいぜい頑張れという所だろうか?とはいえ悲しい事に、RC社は前フェザーン自治領主のワレンコフ氏が入社してくれれば、俺がいなくても十分な状況だ。実際問題、リューデリッツ伯として果たせる役割は、今は軍部にしかないというのも実情だろう。不本意なことだが。そうこうしているうちに、笑顔の兄貴が座る玉座から10歩位の所で、片膝をついて控える。

 

「リューデリッツ伯、ザイトリッツ。貴公の前線総司令部の建設、並びに偵察・通信体制を確立した功により、汝を帝国軍、元帥に任じるものとする。帝国歴478年12月銀河帝国皇帝、フリードリヒ4世」

 

「は!元帥の称号に相応しい貢献を以って、この御恩に応える所存です」

 

兄貴から元帥杖を受け取ると、最敬礼をしてから数歩下がり、元帥たちが立ち並ぶ場の一番下座に移動する。元帥ともなれば元帥府を開く権利が与えられるが、宇宙艦隊司令部に所属する4名の元帥で話しあって、元帥府は開かない判断をした。折角、軍部貴族が団結している所に、派閥形成の要因になるようなことはしたくなかったという部分と、ルントシュテット伯爵家のディートハルトを始め、未来の帝国軍の重鎮候補たちへの育成プランに、新しい取り組みを組み入れる為だ。

具体的には任官後、1~2年は後方支援部門や憲兵隊などで、ある程度決済権を持たせて仕事をさせ、その後に各艦隊司令部を経験させてから、相性や適性に基づいて、参謀や戦闘艦の指揮に充てる。その後に分艦隊司令などを経て、艦隊司令官にするようなプランだ。もともと功を競い合って、協力する姿勢が薄かった帝国軍だが、第二次ティアマト会戦をきっかけにそういう風潮は薄れた。ただ、戦況が優勢なこともあり、次代でそれが元に戻るようなことが無いようにという配慮だ。先代のシュタイエルマルク伯爵の遺言の様な提案書が元になっている。軍内部に反対する者はいなかった。

 

国歌である『ワルキューレよ永遠なれ』が鳴り響き、兄貴が退場する。この後は祝賀パーティーが予定されているが、まだ間がある。控室でお茶でも飲むことにしよう。黒真珠の間を退出すると、通路の壁際には若手士官たちが控えていた。俺を見つけて、新任の副官が歩み寄ってくる。

 

「閣下、お疲れ様でした。祝賀会まで少し間がありますが如何なさいますか?」

 

「待たせたね、ロイエンタール卿。控室でお茶でも飲んで、少しゆっくりしよう。どうも堅苦しいのは肩がこるからね」

 

言葉を交わしながら、控室へ歩みを進める。ロイエンタール卿は副官と言っても見習いに近い。同じく副官役のビッテンフェルト少尉と交代で俺に付き添っている。ビッテンフェルト少尉はロイエンタール卿の同期で、戦術シミュレーションでは攻勢がハマれば無敗と言う、極端な人材だ。長所を殺すようなことはしないが、他の事もある程度は出来ないと、万が一の事もある。ロイエンタール卿がバランス型の人材なので、日々、色合いが変わるので楽しませてもらっている。

とはいえ、実務担当はシェーンコップ少佐とメックリンガー少佐だ。地球教対策への貢献を理由に昇進させ、決裁権を持たせて業務を割り振っている。新任の2人が副官業務に馴れてきたら、転出させて艦隊参謀としての経験を積んでもらうつもりだ。オーベルシュタイン大佐の情報部の分室も経験させたいし、ケスラー大佐が担当する憲兵隊の分室に行かせても良い経験になるだろう。後任はルントシュテット伯爵家の嫡男ディートハルトとその仲間たちだ。テオドールも3個艦隊規模の駐留基地の立ち上げが完了すれば中将だし、彼の下でも良い経験が出来るだろう。兄貴から預かったミューゼル卿と赤毛の側近候補もいずれはこのレールに乗せるつもりだ。なんとかこの取り組みが成功してくれればよいが......。

 

 

宇宙暦788年 帝国暦479年 1月中旬

首都星ハイネセン 宇宙港

ヤン・ウェンリー

 

「ヤン?まさかあなたまで異動なんて、すっかり寂しくなってしまうわ」

 

「まあ、これも雇われ人の宿命だからね。統合作戦本部記録統計室は私にとっては楽園だったから残念だけど、好き勝手に資料を読み漁っていたからなあ。前線で苦労して来いってことなのだろうね」

 

見送りに来てくれたジェシカが、寂しそうな表情でため息をついた。こういう時に気の利いた言葉を言えれば良いのだが、そういうのは苦手だ。困った時の癖で頭を掻きながら、趣にかけた言葉を口にしてしまう。

 

「統合作戦本部記録統計室が楽園だなんていう同盟軍士官は、あなたぐらいでしょうけど......。身体には気を付けてね。帝国軍は攻勢を強めていると聞くし、エルファシル星系が戦場になったことは無いってジャンから聞いたけど、前線に近い事は変わりがないもの」

 

おそらくジェシカの婚約者になるであろう同期のジャン・ロベール・ラップは彼の将才に相応しく正規艦隊の司令部参謀に転任した。彼ならいずれは将官になれるだろうし、ジェシカの事を幸せにしてくれるだろう。その当人は、所属する艦隊が哨戒任務の為、前線付近を遊弋中のはずだ。話をする機会があればよいが......。

 

「ジェシカ、わざわざ見送りに来てくれてありがとう。そろそろ時間だ。また話せるのを楽しみにしているよ」

 

お礼を述べてからトランクを持ち、搭乗口へ向かう。搭乗口に入る前に一度振り返って、ジェシカに軽く敬礼してからシャトルの指定座席に向かった。エルファシルの駐屯基地への到着は4月だ。なんだかんだと乗り継ぎがあるため、思った以上に時間がかかるのと、定期便も豊富なわけではないのでこの時期に出発することになった。

シャトルの出発を待ちながら、戦史研究科廃止への反対運動がきっかけで縁を得たキャゼルヌ先輩と士官学校の後輩アッテンボローがひらいてくれた送別会の事を思い出していた。

 

「それでは、ヤンが変な所でつまずかないことを願って!」

 

妙な乾杯の音頭から始まった送別会だが、この2人とはなんとなく馬が合うので居心地が良いのも確かだ。第一志望の経済学部の受験日を間違え、士官学校へ入学。組織工学に関する論文を書き、それが大企業の経営陣に認められてスカウトされたキャゼルヌ先輩。本来ジャーナリストを志望していたが、そちらの大学受験には失敗し、士官学校に入学したアッテンボロー。そして歴史学者志望で、無料で歴史が学べるからと士官学校を選んだ私。

もともと軍人志望ではなかったという共通点と、軍人といえば、どちらかと言うと精神論を重視しがちな中で、そういう事は上官の部下への怠慢だと考えている事も、居心地の良さにつながっているのかもしれない。

 

「しかし、ヤン先輩。統合作戦本部記録統計室から、エルファシル駐屯基地へ転出と言うのも急な話ですね?何か失敗でもやらかしたんですか?」

 

「アッテンボロー、逆だな。何もしなさ過ぎたから転出させられたんだ。毎日毎日、優雅に紅茶を飲みながら資料と自費で購入した書籍をのほほんと読んでいれば、記録統計室が地下10階にあるとはいえ目につく。さぼるならさぼる形に体裁を整えればよいものを、肝心なところが抜けているからな。『前線で苦労して気合を入れなおせ』って所だろうな」

 

「先輩にとっては楽園を追い出される感じですね。私もサボるときは体裁を整えるようにしたいと思います」

 

「お前さんは逃げ道を作るのは得意だからな。こういう失敗はしないタイプだろう」

 

「二人とも好き勝手言ってくれますね。確かに楽園を追い出された気持ちですが、前線の空気も肌で感じておくのも、歴史研究に活かせると思いますし、いつかは経験しなければならない事でしたから」

 

「ヤン。お前さんはあまり要領が良い方じゃない。エルファシル星系のリンチ司令は前線でも後方でもそれなりの実績を上げている。変に目を付けられるような事が無いようにな」

 

そんな話をしながら、送別会が進んでいく。横目で見るとアッテンボローはいつもより早いペースで料理を平らげていた。今日のお店は、先輩が奮発してくれたからかなり美味だ。食い溜めしておこうという魂胆なのだろうが、財布は先輩持ちだ。好き勝手言われた腹いせではないが、気づかないふりをしておこう。

 

「エルファシル星系と言えば、以前ヤン先輩が駐留基地を作ってみたらとおっしゃられていましたよね?キャゼルヌ先輩、後方支援部門としては、その辺はいかがです?」

 

「残念だが予算が無い。無い袖は振れんな......。予算があればヤンの言う通り、エルファシル星系に大規模な駐留基地を作るべきだが、現状では駐留させる艦隊が足らない。しばらくは無理だろうな」

 

「そうですか、何かと我が軍は後手後手に回ってますね。戦力を消耗している側が、効率でも負けていれば、消耗戦から抜け出せるはずもないですよ。ヤン先輩、くれぐれも気を付けて下さいよ」

 

そんな会話を聞きながら、最新情報でいよいよ彼が元帥に昇進した事に思いをはせていた。彼が元帥になった以上、前線で帝国軍が万全の状態で戦えるように、さらに手配りするだろう。本来なら事業家になりたかったという話をボリスから聞いた時は、そんな運命のいたずらもあるのかと思ったが、進みたかった道へ進めずに軍人になるというのは、過去の歴史から見ても星の数ほどある話だ。そして、歴史に残る偉業を成し遂げる事も......。

 

「そういえば、以前ヤン先輩の話に出てきたリューデリッツ伯爵ですが、元帥に昇進したのがきっかけで、ジャーナリストの親父が調べてみたそうです。詳しくは記事にしてからと言われましたが、『こっち側に生まれていたら素直にファンになれたのに』とぼやいてましたよ。私は詳しくないんですが、そんなにすごい人物なんですか?あの親父にとっては最大の誉め言葉でしたから」

 

「事業家としても投資家としても、この宇宙で当代屈指だろうな。その手腕には敵国人でありながら賞賛せざるを得んところがある。元経営者志望の立場からすると、現在の帝国も同盟も銀河連邦の時代と比較すれば衰退し切った状況だ。彼がしたことは事前に需要を確定させてから、展開しているRC社の事業エリアにその供給力を投資する事で用意させた。

一種の計画経済だが、経済は生き物だ。衰弱し切っていては自力ではうまく動けないからこそ、うまく動けるようになるまではどう動けばよいかの脚本を用意したわけだな。教育と医療もほぼ無料で受けられるらしいし、同盟軍の下級兵士よりも待遇はマシかもしれん。笑えない冗談だが......」

 

「歴史的に見ても。10億人ちかい人間にそんな環境を用意できた人物はいない。それだけでも偉業なのに、戦争にも長けているとなるとね。本来、内政に強い人物は軍事には疎かったりするものなんですが......」

 

「まあ、彼が政府系の貴族に生まれなかったことを、むしろ喜ぶべきかもしれん。帝国全土で彼が動いていれば国力差は突き放されていたかもしれんからな」

 

「フェザーンに生まれてくれていれば、事業家として大成して、同盟も恩恵が受けられたでしょうし、なかなかうまくいかないものですね」

 

先輩は意図的に言葉にしなかったが、自由惑星同盟にとって危険な人物である以上に、民主制にとって危険な存在だろう。民衆があれこれ考えなくても、努力すれば一定以上の収入が得られ、教育も医療も無料。そんなことが宇宙規模で実現できるなら、議論するばかりで、現状が何も変わらない今の同盟政府など市民たちから見れば、愚か者の集まりとしか映らないだろう。

父のビジネスパートナーであったとは言え、敵国人の子供にも配慮を欠かさない人物を、『民主制にとって危険』という理由で憎むことが、私にできるのだろうか?



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72話:皇女

宇宙暦788年 帝国暦479年 4月中旬

首都星オーディン ベーネミュンデ邸

シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ

 

「ディートリンデも無事に5歳を迎えられた。シュザンナ、色々と苦労を掛けるが、引き続き手抜かりの無いようにな。念には念を入れたいが、シュザンナには後見人候補は誰ぞおるかな?」

 

寵姫となって以来、3日は空けずにベーネミュンデ邸で過ごされる陛下だが、私と政治向きの話をするのは、初めてだった。初めての陛下との御子は死産と言う結果だったが、再び宿った命は、無事に生まれてくれた。慈しみながら、陛下とともに育ててきたが、あっという間の5年間だった。新しく寵姫となったグリューネワルト伯爵夫人の下で過ごされる日もあれど、私にはディートリンデがいてくれた。それほど寂しさは感じなかったし、陛下がいらっしゃれば親子3人の温かい時間を過ごすこともできる。

それに私も寵姫になった14歳の時から、嫌でも宮廷の裏側を感じる事も多かった。実質、実家が私を『売った』事も理解しているし、グリューネワルト伯爵夫人の件では、出世に目がくらんだ宮内省の役人がかなり強引なやり方で寵姫にしたことも漏れ聞いている。家の為に自分を犠牲にした共通点から、同情や共感はあれど、嫉妬はあまりなかった。

 

「わたくしの実家は、子爵家と言っても財政的に厳しい状況です。さすがに皇族の後見人が務まるとは思えませんわ。それに後見人を指名するとなると、婚姻先も影響することになりましょう?まだ婚約にはさすがに気が早いのでは......」

 

「うむ。実際に婚約するのは当分先の事になるじゃろうが、実質の嫁ぎ先は軍部系貴族しかないと儂は判断しておる。本来なら後見人は異母兄なのだから皇太子とすべきところだが、宮廷医師団の見立てでは、精神の耗弱が著しく、余命はそこまで長くないとのことじゃ。直系で帝位を繋げるとすると、マクシミリアンが皇太孫という事になるが、儂もいい年じゃ。成人するまで踏ん張れるかは何とも言えぬ......」

 

そこで陛下はすまなそうな表情をして言葉を区切られた。確かに陛下ももう老齢に入られている。せめてディートリンデの結婚式は見届けて頂きたいけど、こういう話は万が一の時の為にするものだ。少なくとも陛下は後見人を付けておかないと不安をお感じだという事だ。確かに、今の帝国は軍部・政府・大領を持つ貴族の3者が、それぞれの領分を侵さないというバランスの下になんとかまとまっているが、仮に幼児が即位した場合、どうなるかはわからない。思っていた以上に、私たち母娘の安全は将来的には危ういのだ。

 

「ルードヴィヒが即位した折には、義理の兄弟として当てにできるようにと、ブラウンシュヴァイク、リッテンハイムへの降嫁を許したが、一門と寄り子に振り回されてとても当てには出来ぬ。ましてや皇帝が幼子ともなれば、暴走に拍車がかかるであろう。政府系貴族もリヒテンラーデが何とかまとめておるが、分かりやすい大功を立てている軍部と違い、良い所が無い。財務尚書のカストロプも好き勝手しておるし、当然不満がたまっておるはずじゃ。中には共謀して良からぬ勅命を出す輩もおろう。それが引き金となり、内戦と言うこともありえる」

 

ルードヴィヒ皇太子の話を出したとき、陛下は悲し気な表情をされた。一人目の御子が死産と言う結果になった時、至尊の座に目がくらんだブラウンシュヴァイク公爵、若しくはリッテンハイム侯爵の策謀が宮中で噂となったが、そんな事をしても皇太子がご存命である以上、意味がない。陛下は口にされぬが、そう言う事なのだろう。

2度とこのようなことが無いようにと厳しい処罰が下されたし、それが発端となって、地球教の存在も明らかになった。皇太子殿下が心労を理由に寝込むようになったのはその頃からだ。『皇太子』と言う地位が皆を黙らせているが、真犯人は誰もが知っている。

 

「後見人にしなくとも、あの者なら配慮はしてくれようが、隙をついて良からぬ人物が後見人にでもなれば、皇女だけに政治利用もしやすい。それなら初めから頼んでおいた方が、煩わしい事も少なかろう?」

 

「既にグリューネワルト伯爵夫人の弟君の後見人でもあらせられたはず。重用が過ぎると良からぬ感情を皆様がいだくのではないでしょうか?」

 

陛下は愛飲されている『レオ』をグラスに注ぎ、飲み干して話を続けた。

 

「もし、自由に任免できるなら、あの者を帝国宰相にしておるし、シュザンナを皇后にもしていた。それをせぬのは、足を引っ張るだけでなく、害そうとする輩が出てくると判断したためじゃ。地球教の事もあったゆえ、あの者の警護は万全であろう。ならば皇女の後見人にした所で、そこまで違いは無いはずじゃ。

それにな、お忍びで飲み屋街に出入りしていた頃に聞いた話じゃが、『友を持つなら、幼い我が子を託すに足る友を持てれば、それ以上に男冥利に尽きる物は無い』そうじゃ。生きたい様に生きられぬ人生じゃったが、だからこそ得られた貴重なものもある。シュザンナに異議がなければあの者に後見人を頼むこととしたい。いかがじゃ?」

 

リューデリッツ伯爵は、軍人としても領主としても事業家としても当代屈指の方だ。そんな方にディートリンデの後見人になってもらえるなら、確かに安心できる。皇太子になる前から陛下とは親しかったと聞いているし、信用の面でも申し分ないだろう。

 

「リューデリッツ伯に後見人になって頂けるなら、これ以上安心出来る事はございません。ただ、ご依頼する際は私も同席しとう存じます。皇女とはいえ我が子の事。私からもお願いしたく存じます」

 

「うむ。ではバラ園でのお茶の席に同席するがよい。もっともあの者は察しが良いからな。バラ園でシュザンナが同席ともなれば、その時点ですべてを察してしまいそうでもあるな」

 

陛下が楽し気な雰囲気に変わられた。リューデリッツ伯もお忙しいお立場のはず。頻繁に時間を取りたくても、こういう話がなければ難しいのだろう。当日はディートリンデも同席させたい。拙いなりに礼儀作法を確認しておかなくては。

 

 

宇宙暦788年 帝国暦479年 8月中旬

首都星オーディン グリューネワルト邸

ジークフリード・キルヒアイス

 

「キルヒアイス、お前はよく淑女たちの相手を笑顔でできるなあ。おれはどうもああいう場は苦手だ。『機械男』の講義の方が100倍楽しめる。とはいえ、裏の事情を伯から聞かされてお願いまでされては断るわけにもいかない。頭の痛い事だ」

 

「ラインハルト様も十分楽し気にされておられましたよ。私たちに期待されているのは、教師役ではなく、親しい年上の友人役です。あまり気にされる必要もないと思いますが......」

 

リューデリッツ伯が元帥に昇進され、祝賀ムードに包まれた生活が落ち着いた頃合いで、皇帝陛下とベーネミュンデ候爵夫人との間に生まれたディートリンデ皇女殿下の後見人に伯が指名されてから数ヵ月。同じ後見人を持つ者同士という事で、『ご機嫌伺い』という役目が新たに加わった。なんだかんだと愚痴をこぼされるが、ラインハルト様が心底嫌がってはいないことを、私は知っている。

 

ディートリンデ皇女殿下の後見人にリューデリッツ伯が指名される事が公表される数日前、話があると2人揃って、応接室に呼び出された。当初は私が聞いて良い話か判断しかねた為、辞退しようとしたが『側近が主の置かれた状況を把握せずにいてどうする?』と伯に指摘され、任務の合間に顔を出されるシェーンコップ卿から『軍人として栄達する約束手形』になりつつあると聞かされた、伯爵自ら入れてくださったお茶を飲みながら、後見人になる事を承諾した経緯を話して頂いた。

12歳の幼年学校生が冷静に聞くことが出来ない話も出たが、それでも伯はかなり言葉を選んで話されていたと、振り返って気づいた。第一子が地球教の陰謀で害されたこと。ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家に降嫁した御二人と違い、後ろ盾が無い為いないも同然の扱いを受けている事。余命が短いと診断されている皇太子が身罷られ、陛下に万が一の事があれば、良からぬことを考える輩に良いように利用されかねぬこと。そして明言はされなかったが、一歩間違えればアンネローゼ様が同じ状況になったであろうことを伝えられた。

 

ベーネミュンデ候爵夫人が実家に実質『売られた』のだと聞いた時は、ラインハルト様だけでなく私も義憤に駆られた。それから幼年学校とリューデリッツ伯流の英才教育の合間に、『ご機嫌伺い』をする事となった。ただ、実家の困窮を理由に寵姫になったという共通点から、慣れない後宮に戸惑うアンネローゼ様をなにかとベーネミュンデ候爵夫人が気遣って下さったと漏れ聞いたし、少しでも御恩をお返しできればと思っている。ラインハルト様も、何だかんだと言いつつ『ご機嫌伺い』を続けているのも、そういう思いがあるからだろう。

 

「あらあら。ケーキの用意をしている間に随分盛り上がっているのね。ジーク、またお茶の腕前を披露してもらっても良いかしら?」

 

そうこうしている内にアンネローゼ様がサロンにお戻りになられた。自分が入れたお茶で喜んでいただけるのは光栄な事だ。そして、これもおそらく『ご機嫌伺い』の報酬なのだろう。『ご機嫌伺い』には必ずアンネローゼ様が同席されるし、決まってそのあとに、3人でお茶や晩餐を共にする。役目を果たす以上、報酬がついてくる。普通の事のように思えるが、官吏をしている父の話を聞く限り、そんな配慮を欠かさない上役を持てた事は奇跡に近いらしい。

 

「私のお茶でよろしければいつでもお入れしたいくらいです」

 

そういって、リューデリッツ伯流のお茶の準備をする。そう言えば、候爵夫人ともなれば身分を気にされるだろうと思ったが、ベーネミュンデ候爵夫人にも私のお茶を楽しんで頂けた。ディートリンデ皇女殿下も、すこし大人しめだが、優し気な方だ。もしかしたら、こちらが身分を気にしすぎているだけで、思った以上にお慰めできているのだろうか?そうなら嬉しい限りだと思いながら、最初にアンネローゼ様ご愛用のカップに、紅茶を注ぐ。紅茶の良い香りが鼻孔をくすぐった。楽しんで頂けるお茶が入れられたようだ。



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73話:奇跡

宇宙暦788年 帝国暦479年 12月中旬

首都星ハイネセン 統合作戦本部応接室

ヤン・ウェンリー

 

「ヤン少佐、この後はハイネセンネットワークのインタビューまで少しこちらでお休みください。お時間になりましたらお呼びしますので」

 

広報課の年配の中尉が、伝達事項を伝えると部屋から出て行った。参ったなあ、ひとつ狂えばすべてが狂う。まさか自分が『広報の為の英雄』に祭り上げられる事になるとは。本来、事業家になりたかった彼も、戦功を上げる度にこんな気持ちになっていたのだろうか?要望を出したが、同盟軍の備品に紅茶は用意されていないらしい。仕方なく自費で用意したシロン産の紅茶を入れて、香りを楽しむ。朝からスケジュールがびっしりで、やっと一息付けた感じだ。

エルファシル星系から共に脱出した避難民のみんなとは、ジャムシード星系で別れる事になったが、元気にしているだろうか?なんとか避難計画を進めていた時に差し入れをしてくれた少女の事を思い出した。名前も聞けずじまいだったが、彼女もジャムシード星系に作られる避難民キャンプに向かったのだろうか?そんな事を考えていたら内線の呼び出し音が鳴る。まだ時間には早いはずだ。誰からかと思い、通話ボタンを押すと、電話の主はキャゼルヌ先輩だった。

 

「ヤン、元気そうで何よりだ。同盟軍の英雄名簿に自分の名前が加わった感想はどうだ?」

 

「とても前向きに喜べる状況ではありませんね。軍が一瞬とは言え民間人を見捨てたと思われかねない状況でした。それを誤魔化すための芝居の主人公役ですからね。あまり気乗りする話でもありません。それで、哀れにも不本意な役割を押し付けられた後輩に、何か良い話でも持ってきて下さったのですか?」

 

「うむ。直近では些細な話だが、紅茶の費用は軍で手当てできることになった。きちんと領収書を取っておくようにな。それとエルファシル星系には戦災復興支援法の適用が決まりそうだ。避難民たちにとって慰めになるかは分からんが、ないよりはマシだろう?」

 

駐屯艦隊が降伏した後、住民が既に脱出した事を確認した帝国軍は、惑星エルファシルのインフラを徹底的に破壊して撤収したと聞く。『命あっての物種』ともいうが、人は霞を食べて生きられるわけではない。市民300万人の脱出作戦は成功したとはいえ、彼らが以前の生活を取り戻すにはかなりの時間が必要になるだろう。

 

「これも彼の声明の影響なのでしょうか?確かに帝国からあのような声明が漏れ聞こえて来れば、さすがに政府も無い袖を振らざるを得ないという所なのでしょうが」

 

「右派からは軍事費を削らせるのが狙いだという反対意見があったのも事実だが、実際問題エルファシルを一時的にせよ占拠されたのは政府の失点だからな。復興一時金と当面の生活費の支援だけでもかなりの額だ。復興が終わるまでと考えれば、一個艦隊分位の予算が消えるだろうが、今回は彼の策に乗るべきだと個人的には思っているよ。ただでさえ市民たちは長引く戦争と重税にあえいでいる。ここでいざという時に切り捨てられると思われれば、それこそ同盟が崩壊しかねないからな。

まあ暗い話は今は止めておこう。シトレ提督からも『良い教え子を持てた』とのお言葉を預かっている。ヤン、お前さんは誇って良い事をしたんだ。もうしばらくは不本意だろうが道化を演じてくれ。その後は、お前さん好みの任務が割り当てられるように手配しておくから」

 

そう言い残すと、先輩は通話を終えた。『誇ってよい事』かあ。自分自身ではそうは思っていない事をうすうす先輩も感じているのだろうか?軍の広報課が取り仕切るインタビューでは、実際の脱出作戦の詳細は機密とされ、好きなものや座右の銘など当たり障りのない事しか聞かれない。皮肉な見方をすれば、守るべき市民を見捨てた防衛司令官とその防衛司令官をおとりにして脱出作戦を敢行した部下の話だ。そんな話の詳細など広められても、『軍が守るべき市民を見捨てた』という事実が広まるだけだ。300万人を脱出させたことを『奇跡』と持ち上げて、市民の目を逸らす道化にする事が目的なのだから当然なのだが......。繰り返される中身の無いインタビューには正直うんざりしていた。

 

「それにしてもやり手というか、打つ手にそつが無いというか、さすがというか......」

 

事の始まりは、4月に赴任したエルファシル星系に、駐屯していた守備艦隊と同数の分艦隊が、おそらく強行偵察だったのだろうが、迫ってきた事から始まった。初戦はなんとか引き分けに持ち込むことが出来たが、帝国の後退は擬態で、油断した守備艦隊は後背を突かれ敗退。帝国軍は周辺に遊弋していた艦隊を呼び寄せて、一気に惑星エルファシルを占領する動きを見せた。

戦力は圧倒的に少なく、前線でも後方でも実績を残してきたリンチ司令でも取りうる選択肢は2つしかなかった。『全滅覚悟で増援が来るまで戦う』か『包囲を破って増援を呼びに行く』かのどちらかだ。だが、どちらを選んでも惑星エルファシルの市民300万人は危険にさらされる。当然の権利として市民たちは脱出作戦の実施を求め、異動してきたばかりで暇そうな私が、その担当になった。

計画立案と、実施準備までは手配したが、民間の輸送船がのこのこと帝国軍の包囲の前に出て行っても、脱出できる訳が無い。防衛司令部の雰囲気が、『全滅覚悟で戦う』物ではなかったので、リンチ司令は包囲網の突破を考えていると判断し、帝国軍の目が突破を図る守備艦隊に向いた時を見計らって、反対方向に脱出した訳だ。軍用船ではなく民間船だったことも危機的な状況に思わぬ幸運をもたらしてくれた。

レーダー透過装置が無かったことから、あまりにもはっきりとレーダーに映った為、『戦闘領域では透過装置を使うもの』という先入観から、隕石群だと誤認されたのだ。何とか隣のエルゴン星系の防衛部隊と合流し、300万人の避難民を受け入れる余地のあるジャムシード星系に向かった。ジャムシード星系で避難民と別れ、報告の為にハイネセンへ戻った私は、『エルファシルの奇跡』の英雄として道化役をする日々に放り込まれることになる。そんな日々が数日経ったころ、帝国軍の公式発表がフェザーンからもたらされ、右派と左派が白熱した議論をすることになる爆弾が投下される事になる。つけたままにしていたニュースチャンネルがその話題を始めたようだ。

 

「では次のニュースです。先日リリースされた帝国軍の公式発表に対して、サンフォード最高評議会議長が声明を出しました。議長声明によると、同盟政府はエルファシルの市民の安全を軽視した事は無く、今回の一件は予測不可能な事態が重なってしまった結果とのことです。エルファシルの避難民に対しては戦災復興支援法が適用される模様です。早速、今日のゲストに見解を伺いましょう。まずは右派からウインザー代議員、お願いします」

 

「私は今回の戦災復興支援法の適用には反対しておりました。エルファシルのインフラが壊滅的な打撃を受けたとはいえ、同盟市民は犠牲を払いながらこの戦争を戦って参りました。とはいえ戦況は劣勢です。今は一隻でも多くの戦闘艦を宇宙艦隊に用意するときです。戦争に負けるような事があれば、同盟市民全員が農奴にされかねません。この予算があれば、一個艦隊相当の戦力を用意できたはずです。復興は市民の努力によって成し遂げられるべきだったと思いますわ」

 

「ウインザー議員、ありがとうございます。では左派からレベロ議員、お願いします」

 

「戦力化を進める予算が不足していることは、私も重々承知している。ただ、人間は霞を食べて生きられるものではない。ヤン少佐の鬼謀で軍は市民の命を守ることは出来たが、生活を守ることは出来なかった。そういう意味では、今回の戦災復興支援法の適用は妥当だと考えている。多数派が少数派を切り捨てるような事はあってはならない。政府も全面的にサポートするので、エルファシルの避難民の皆さまは一刻も早く復興を成し遂げて頂きたい」

 

「レベロ議員、ありがとうございました。ではここで、議論のきっかけとなった帝国軍の公式発表を確認したいと思います。こちらをご覧ください」

 

ここで画面が切り替わり、42歳には見えない若々しさと、繰り返し鍛錬することで得られる均整の取れた体格をした人物が登場した。これは帝国国内向けのモノだから帝国語が使われているが、フェザーン経由で同盟に流すことを想定していたのだろう。同盟語の字幕がついている。

 

「帝国の臣民諸君、兵士諸君、普段はあまり表には出ないが、私はザイトリッツ・フォン・リューデリッツだ。今回、最前線でエルファシル星系を一時的にとは言え占拠する事が出来た。隙あらば更なる戦果を上げようと言う軍の戦意の高さを頼もしく思っている。引き続き、この勢いを維持してくれれば、戦況の優勢が揺らぐことが無いと確信している。よろしくお願いしたい」

 

何度も観た映像だ。一旦ここで言葉を区切り、自信ありげな表情から一気に悲し気な表情をしてから言葉を続ける。

 

「一部からはエルファシル占拠にあたって、住民の脱出を許した事へ非難する声があると聞く。『エルファシルの英雄』ヤン・ウェンリー氏にしてやられたのは事実だろう。だが冷静に考えて見て欲しい。私がお付き合いのある領主たちは、領民を置いて逃げるような方はひとりもいないし、領民の生活と安全を守るために最大限励まれている。同様の価値観をあちらの為政者たちが持っているとすれば、最前線に近い300万人が暮らす惑星だ。大規模な駐留基地の存在を見込んでいたし、強行偵察のつもりが予想外に防衛戦力が少なく、あれよあれよという間に占拠に至っていた。と言うのが実情だ。つまり、帝国が臣民の生活を守っている感覚で想定したら、あまりにもずさんな防衛体制だったという事だ」

 

ここで、また言葉を区切り今度は怒りの表情になって話が続く。

 

「一部の共和主義者の中で唱えられていることが事実ではないことがはっきりした。宇宙のあちら側では帝国ほど、民衆の生活や安全は守られていないのだ。正直に言おう。今回の失態は私の不徳とするところだ。だが、私も領主として統治する側の人間だ。ここまで領民の安全と生活が軽視されているとは思えなかった。軍は占拠の合間に惑星エルファシルのインフラを徹底的に破壊した上で撤収した。想像してみて欲しい。育ってきた故郷が一切合切破壊される事を。それをもって溜飲を下げてくれればありがたい。

もっとも、今回の事は戦訓とするが、軍首脳部は決して戦力を過小評価しない事で一致している。戦況は優勢に進んでいるが一人でも戦死者を減らす方向はこれからも変わらないので安心してほしい。帝国軍はこれからも臣民の生活と安全を守るために戦っていく。生活が脅かされるような事態は断じて許さないので安心してほしい」

 

ここで公式発表は終わる。これを見た市民たちは、むしろ彼を代議員に選びたいと思うのではないだろうか。特に被害を受けたエルファシルの避難民達の中には、故郷を破壊した帝国軍ではなく、300万人を守るにはあまりにも少ない防衛戦力しか割り当てなかった同盟政府に批判を向ける者も多いとか。帝国臣民に同盟政府はあてにならないと思わせ、同盟市民にも政府への不満を煽る内容だ。

統治者として、同様の立場にいるはずの者たちの配慮の無さへの怒りもあるのだろうが、これで彼には政治家としての才能もあることが明確になった。こちら側に生まれてくれていれば、年長の友人としても、上官としても、票を入れる候補としても申し分ないのに、世の中は本当にうまくいかないものだ。

 

「ヤン少佐、お時間です。インタビューの場へご案内しますのでこちらへどうぞ」

 

考え事をしているうちに時間が来たようだ。急かされる前に少し冷めた紅茶を飲み干して先導についていく。こんな役回りも正直嫌だ。本当に世の中はうまくゆかないものだ。



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74話:K文書

宇宙暦789年 帝国暦480年 4月中旬

首都星ハイネセン ローザス邸

ヤン・ウェンリー

 

「実質指名したに近い形になってしまった。『エルファシルの英雄』に引退した老人の頼みに付き合わせる事になってしまったが、これも何かの縁だ。よろしく頼む」

 

「いえ、私は歴史家志望でしたのでローザス提督のお話を聞けるだけで光栄に思っています。こちらこそよろしくお願いします」

 

ローザス提督が入れてくれた紅茶を飲みながら、提督の書斎に視線を向ける。味のある居心地の良さそうな書斎だ。窓から差し込む春の日差しが、温かな印象を強めていた、こういう書斎が似合うにはある程度の年齢も必要だ。私に似合うには、まだかなりの時間が必要だろう。

 

「それで、どこから始めようか?ケーフェンヒラー男爵から私宛に送られた資料の写しは一通り目を通してくれたと思うのだが......」

 

「まずはそのケーフェンヒラー男爵とのご関係からお願いします。個人的な興味もあるので、提督にはお手数かもしれませんが......」

 

「うむ。なにか仕事がある訳でもないから構わない。そうだな、あれが第二次ティアマト会戦が同盟軍の勝利で終わって数日経った頃だった。予想外のブルースの戦死に、快勝したにも関わらず同盟軍は喜べずにいた。かく言う私も、士官学校以来そばにいた太陽が消えてしまったことを、まだ受け入れられずにいた。そんな時に、捕虜の取り調べの資料の中で、ブルースが戦死した事で一矢報いたと考えている捕虜が多い中、そんな素振りを見せない捕虜がいると記載されているのを見つけた。それがケーフェンヒラー男爵だったのだ」

 

そこで提督は言葉を区切り、紅茶で喉を潤した。私もつられる様に紅茶を口に含む。さすがローザス提督だ。この紅茶もシロン産のものだ。ただ、私の好みだともう少し薄めなのだが、今、紅茶の好みを話題にするのはさすがに無粋だろう。

 

「仕事に没頭してブルースを失った喪失感を埋めようとしていた私だが、戦死を喜んでいない捕虜がいるとなると、ブルースを無視された様な気になってね。直接話を聞きに行ったのが男爵との縁の始まりだ。他言は控えて欲しいが、彼はもともと死ぬつもりで軍に志願したらしい。それまでは帝国の内務省の官使をしていたらしいが、なぜ志願したのかは語らなかった。

ただ、あの会戦で戦死した当時のルントシュテット伯にかなり恩義を感じていたらしく自分が生き残ってしまったことに罪の意識と言うか、絶望していたのだ。ブルースを失った私にとって共感できる部分が多かった。彼が捕虜収容所に送られるまで、いつの間にか、時間が出来たときは差し入れをもって会いに行く仲になっていたな」

 

ここで彼の祖父の話が出るとは......。宇宙は意外に狭いものなのだろうか?ローザス提督も同じようなことを感じたらしい。

 

「男爵が捕虜交換で帝国に戻ることになった折も、丁寧な礼状を送ってくれたよ。本来なら帝国に戻るつもりはなかったが、恩義のあるルントシュテット伯のお孫さんが捕虜交換の提案主だから、顔向けできる立場ではないが帝国に戻るとね。帝国では捕虜への風当たりは必ずしも良くないだろうから、まずはその対応に尽力したいとも書かれていた。

礼状をもらってから36年の月日が経っている。私も年を取るはずだ。そしてそのお孫さんのザイトリッツ少年が、あのリューデリッツ伯な訳だから、人との縁は何でつながるのかわからないものだ。意外に宇宙は狭いのかもしれないな」

 

そう言いながら、サイドテーブルから格式高い封書を取り出し、私に手渡した。

 

「この件で少佐を担当に願ったのはケーフェンヒラー男爵からの資料にこれが同封されていたからだ。リューデリッツ伯から君宛の手紙だ。間違いは無いと思うが、念のためここで開封して、内容を確認させてもらいたい。少佐が諜報員だとは思わないが、この手紙の存在は内密にした。その対価だと考えて欲しい」

 

了承の意を込めてうなずくと、提督にペーパーナイフを借りて、なるべく蝋封に入れられた伯爵家の紋章を傷つけないように開封する。これも歴史的な資料になるかもしれないと思うと、自然と扱いも丁寧になった。内容は短いものだった。一読して、手紙を提督にお渡しする。提督もすぐに読み終わったのだろう。すぐに手紙を戻してくれた。

 

「そういえば彼の師匠にあたる先代のシュタイエルマルク提督も、こういう事をする方だった。『卿の功績に敬意を表す。活躍は祈れぬが、健康を祈る』か、シュタイエルマルク提督はしっかり『人』も遺されたのだな。ブルースを失った『730年マフィア』はコアを失ってバラバラになってしまった。第二次ティアマト会戦で大敗したからこそ再建に必死になった帝国と、ブルースを失ったものの、国防に不安が無くなった同盟。あれから45年近く経って、戦況は再建に必死になった帝国が優勢と言うのも、皮肉を感じるな......」

 

なんとも回答に困る話だった。確かに第二次ティアマト会戦の敗戦が、結果として帝国を強化する事につながっていくし、イゼルローン要塞建設もその流れのひとつだ。歴史をひも解くと、得てして会戦に負けた側が団結して国力を高め、結果として戦争に勝利する事例にはいとまがない。730年マフィアの面々が作った猶予を同盟政府が空費してしまったのだとしたら、ローザス提督にとっても不本意なことだろう。

 

「少佐にこんなことを言っても仕方がないか......。それで男爵からの資料については、私は何を話せばよいだろうか?彼も私と同年代だし、あの敗戦の要因を調べたうえで、旅立ちたいというのは本心だろうが、ダメ元で送ってきただろうし、本気でリアクションを期待しているとも思えないが......」

 

「私も事実解明を命じられた訳ではないのです。昇進が急でしたので適当な役目が見つかるまで、歴史家の真似事をして来いと言うような状態でして。軍ではこれを『K文書』と呼称していますが、仮に文書の内容が真実だったとしても、アッシュビー提督は同盟軍の英雄中の英雄です。その功績の一翼を、『亡命者が主導するスパイ網が担っていた』となると、亡命者への世間的な風当たりも考慮すると、公にはされないと思います。ローザス提督は文書の中身についてはどうお考えでしょうか?」

 

「そうだな。非公式での見解という事になるが、十分に事実である可能性は高いとは思う。思い返せば、ブルースの判断は戦理に適うものばかりではなかった。にも関わらず勝利した。帝国内部のスパイ網からの情報を判断材料にして戦術を組み立てていたとなると、腑に落ちる部分もあるし、やはりブルースは天才だったと思う部分もあるな」

 

私の理解が追い付いていないと判断されたのだろう。提督は苦笑しながら解説してくれた。

 

「仮にスパイ網から情報が得られたとしよう。作戦案は数ヵ月前から用意されるから探ることは可能だ。だが、刻一刻と変わる戦況の中で、限られた情報の中から敵の意図を完璧に推察し、時には戦理に背いてまで対応策を実行し、勝利する。そんなことは常人には不可能だ。得られる情報も断片的なものだったはずだ。これが事実と仮定するなら事前に得た断片的な情報と、戦況を通じて得られた情報から帝国軍の意図を読み切った訳だ。言ってみれば情報を扱う天才だな。戦理に背く判断にもこれなら納得がいく。だが、可能なら私にだけでもこのことを話してほしかった気がするな。そうすれば、もう少しブルースとその僚友たちとの衝突も抑えられた気がする」

 

提督はすこし悲し気な表情をされた。第二次ティアマト会戦の前までは、何だかんだと衝突しながらも、それが刺激になって戦功を上げ続けたのが730年マフィアの面々だった。だが第二次ティアマト会戦の時期には組織としての寿命が尽きかけていたのも事実だろう。アッシュビー提督の独断的な指揮に、他のメンバーが抱えていた不満が実際に爆発していた。会戦には勝利したものの、コアだったアッシュビー提督を失った730年マフィアは、それまでの様な団結をすることはなく、各々が重職を歴任したものの、輝かしさを取り戻すには至らなかった。

 

「少佐の任務の終着点がいずこになるかはわからないが、男爵には返信を認めねばさすがに非礼だろう。こちらの対応が確定したら教えてもらえると助かる。退役した老人があまり我儘を言うものではないとは思うがね」

 

ローザス提督はその言葉で、会談を締めくくった。ローザス邸を辞去すると、統合作戦本部にもどり、与えられた一室へ向かう。部屋に入ると、補佐役についてくれたパトリチェフ大尉が声をかけてきた。

 

「ヤン少佐、お帰りなさい。ローザス提督とのお話は如何でしたか?一応、要望された資料は整理してデスクにまとめておきました。なにか必要なものがあればご指示頂ければ幸いです」

 

「ありがとう大尉、ローザス提督との時間は楽しいものだったよ。今日はこのまま資料を確認するから、こっちはもう大丈夫だ。そちらの業務が済んだら上がってくれ」

 

私がそう言うと、大尉は敬礼をして部屋から出て行った。100kgはありそうな巨漢だが、見かけによらず掻い摘んで要点を説明するのがうまい。面会や資料の手配など、なにかと他部署への打診が多いこの任務で、そう言う事が苦手な私にとっては有り難いサポート役だ。もう何度も読んだ書籍だが、まずは『ローザス提督の回顧録』から読み直すことにする。デスクの横に置かれたポットにはお湯が用意されている。私が紅茶派だと知ってからパトリチェフ大尉が用意してくれたものだ。こういう細かい配慮も私は苦手だから正直助かっている。

 

紅茶の香りを感じながら、ページをめくりのんびりと回顧録を読み進める。『一生この任務なら天国なのだが......』などという考えが頭をよぎったが、さすがにそれは無理な話だろう。この任務を割り当ててくれたキャゼルヌ先輩に少しでも次の任務を遅らせてくれるように願いながら、楽しい時間を私は過ごしていた。



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75話:訃報と朗報

宇宙暦789年 帝国暦480年 10月中旬

首都星ハイネセン ローザス邸

ヤン・ウェンリー

 

「この度は、お悔やみ申しあげます。ミリアム嬢、私はお偉いさんが苦手なのですが、ローザス提督はもっと早く知己を得ておきたかった方でした。私が言うのも変ですが、残念に思います」

 

「ありがとうヤン少佐。祖父は貴方の事を気に入っていたから、その言葉を聞けば祖父も喜ぶわ」

 

『K文書』がきっかけで妙な縁を結ぶことになったローザス提督が亡くなったという訃報に接して数日、私はローザス提督の告別式に参加していた。前回お目にかかった時は、あくまで非公式の回答ではあったが、アッシュビー提督が巨大な戦果を挙げた一因として亡命者のスパイ網の貢献があった事を返礼に記載する事が了承され、『彼に思い残す事が無いような返礼が用意できる』と嬉し気にされていた。それから数ヵ月で、提督の訃報に接する事になるとは思ってもみなかった。

 

「祖父はもう何年も前から、現実より思い出に浸るほうが、喜びを感じると洩らしていたわ。遺書も遺していたの。『今は一日も早く、730年マフィアの連中にあの件を伝えて、ブルースにあれやこれや言う事が望みだ』ってね。『K文書』だったかしら?その送り主の息子さんから丁寧な礼状が届いた翌日に古くなった睡眠薬を大量に服用したみたい」

 

そこでミリアム嬢は言葉を区切った。

 

「話の発端のケーフェンヒラー男爵は、祖父の返信が届いた日に、『これで思い残すことなく旅立てる』と感想を述べて、その夜に、寝ている間に心筋梗塞で亡くなったらしいわ。ブルース・アッシュビーは死後まで関わった人間を不幸にした疫病神よ」

 

彼女の立場からするとそう見えるのだろうか?だが、真実はただ一つではないのかもしれない。遺された孫娘の立場での真実、知己を得たばかりの佐官の真実、そして半世紀近く経ってから一縷の望みにかけた者の真実。それぞれの真実が違っていてもおかしなことではないのかもしれない。

私見を述べるなら、ローザス提督は、宇宙の向こう側の旧友が思い残すことなく逝けた事に若干のうらやましさを感じたのではないだろうか?アッシュビー提督を中心とした730年マフィアが活躍した時代は、最終的に自由惑星同盟を、亡国の危機から何度も救った。

だが、半世紀近い時が流れ、自分も人生の終焉を考える年代になった時、先に逝った仲間たちに必ずしも胸を張って話せない現状があったとしたら......。もうこれ以上、見たくもないものを見せつけられるのは遠慮したいと考えたのではないだろうか?とは言え、ミリアム嬢にこの場でそんな事を言うのは、無粋が過ぎるだろう。

 

「そういう部分が無かったとは言いませんが、ローザス提督はご自身の人生の主役でした。それは730年マフィアのお歴々もそうでしょう。私自身、志は歴史家にあったのですが、軍人にならなければ、ローザス提督と知己になることもなかったでしょう。不本意な部分が無いとは言いませんが、主人公として精一杯歩んだ人生を、『不幸』と決めつけられてしまうのは、いささか悲しい気もします」

 

私なりに気の利いたことを言おうとしたが、どうも及第点はもらえなかったようだ。ただ、『そういう考え方もあるかもね』というと、ミリアム嬢は喪主の席へ戻っていった。弔問客の列に視線を向けると、俳優の様な男性が目についた。見覚えがあるが、あれは誰だっただろうか?記憶を辿っていると、後ろから肩を叩かれた。振り返ると

 

「ヤン、お前さんも参列に来ていたのか。歴史家志望だったお前さんに丁度よい任務だと思ったが、こんな終わり方になってしまってすまないな」

 

「キャゼルヌ先輩、いらしていたんですね。『ローザス提督の回顧録』は愛読書のひとつでしたし、この任務がなければ知己を得る事も無かったでしょう。もう少し色々とお話を伺いたかったですが、提督にとっては、先に旅立った730年マフィアの面々と、再会したい気持ちが強かったのかもしれません」

 

「そうか、ローザス提督に配慮してケーフェンヒラー男爵への返書をある程度踏み込んだものにしても良いという判断が、裏目に出たかもしれんな。それで?何を考えこんでいたんだ?」

 

ちょうど喪主のミリアム嬢と話している俳優の様な男性が誰か考えていたと先輩に伝えると

 

「あれは中道派のトリューニヒト議員だな。売り出し中という意味ではお前さんと同じだが、その時々で支持されそうな政策を打ち出すので、他の派閥からは『カメレオン』だの『百面相』だのと言われているらしい。演説はうまいし、良く言えば機を見るに敏といった所だろうが、些か節操がないといった所だろうな」

 

「私の場合は、売り込んだつもりはないのですが......」

 

「先輩方、こちらにおられたんですね」

 

先輩と話をしていると士官学校の制服を着たアッテンボローが声をかけてきた。ローザス提督の葬儀は軍部葬だから士官学校生も動員されたようだ。講義をサボる大義名分が出来た事が嬉しいのか、ニコニコしている。

 

「アッテンボロー、お前さんも来ていたのか?最近の士官学校はどんな様子なんだ?」

 

「変わりありませんよ。良い奴と悪い奴が半々ってとこですね。それより俺にとって良くない知らせを耳にしましてね。あのドーソン教官がとうとう異動になるんですよ」

 

「候補生たちには朗報だろうに、なんで良くない知らせなんだ?」

 

「何を言っているんです。私も来年には任官です。任官先にドーソン教官がいたら私の軍歴は灰色のスタートですよ。頭の痛い話です......」

 

そんなキャゼルヌ先輩とアッテンボローのやり取りを観ていると、葬儀の場なのに思わず笑ってしまいそうになる。ドーソン教官とアッテンボローは何かとやりあった仲だし、教官は『根に持つタイプ』だ。アッテンボローにとってはさぞかし頭の痛い話だろう。

 

「積もる話もありそうだ。どうせお前さん方はこの後の予定もないだろう。さすかに『マーチ・ラビット』は無理だが、飲みながら続きを話すとしよう」

 

3人でローザス邸を後にし、近場のレストランへ足を運ぶ。キャゼルヌ先輩に餌付けされているような気もするが、断る理由もないし、私自身、積もる話を二人に聞いてもらいたかった。ローザス提督の事も含めて報告書を作成したら、この『歴史家の真似事』みたいな任務も終わってしまうだろう。次の任務の事を考えながら、二人の背中についていくことにした。

 

 

宇宙暦789年 帝国暦480年 12月上旬

キフォイザー星域 惑星スルーズヘイム

元フェザーン自治領主 ワレンコフ

 

「閣下にこの話を受けて頂けて安心しました。先代のケーフェンヒラー男爵の訃報は急な話でしたし、全体を見れる人材が育っていない中での話でしたから。重ねてになりますがありがとうございます」

 

「リューデリッツ伯、もう私は貴方の部下ですし自治領主でもありません。呼び捨てにして頂いても構いませんが......」

 

「では『ワレンコフさん』と一先ずお呼びする事にしましょう。同世代で当てにしている方を呼び捨てにするのはいささか気が進みませんから」

 

そう言いながら、伯は手元のティーカップを手に取り、お茶を楽しむ。私も同じようにお茶を飲んだ。新しい主になるリューデリッツ伯とは、なにかと酒ではなくお茶を一緒に飲む関係だった。知り合って20年以上、かなりの回数お茶の席を共にしたが、回数を数えてみたい気もした。

彼が経営するRC社において、実質的な右腕だったケーフェンヒラー男爵の訃報から数日後に、右腕としてRC社への入社を求められた。命の恩人でもあるし、彼のビジネスの力量は私も十分理解している。断る理由も無かったし少しでも恩返しが出来ればという気持ちもあった。

 

「シルヴァーベルヒ氏は、見込まれた通り優秀です。5年もすれば十分『右腕』候補になるでしょう。オーベルシュタイン卿からも何かと助けて頂いています。近々で深刻な問題はありません」

 

「ワレンコフさんにそういって頂けると安心ですね。後は、フェザーン自治領主代行にしたルビンスキーさんの件ですね。ボルテックさんは誠実な部分がありますから安心して任せる事も出来るのですが、ルビンスキーさんはいささか野心が出過ぎていて、RC社の社風には合わない様にも思いますし」

 

私の後任としてフェザーン自治領主代行になったルビンスキーは、確かに実務能力は高いものの、周囲を蹴り落してでもより上の地位を欲しがる所がある。RC社は働きに応じて地位も報酬も与えられるが、本質的には領地開発のサポートをする事で利益を上げる事が存在意義だ。短期的に儲ければ良いわけでもないし、領主の皆さまとの信頼関係も必要だ。誰にとって残念なのかは分からないがルビンスキーに合う職場とは言えないだろう。

 

「となるとRC社の外で使うことになります。フェザーン自治領の不可侵性は既に失われた以上、彼も今の地位が安泰ではない事も認識しているはずです。何か褒美を用意しなければ、自分の実績を伯に認めさせるために強引な手段も取りかねませんが......」

 

「そうですね、適性と性格に合いそうな役割は一つ候補がありますが、そのためにはまず帝国内で門閥貴族を一掃とまではいかないまでも弱めなければいけません。民主制とやらに親しんだ方々が急に帝政に馴染める訳がありませんからね。統治の原則は、バラバラにして争わせることです。その旗振り役をとは思っています。出来もしないことをぶち上げる政治家や、実情も理解せずに威勢の良い方になびく民衆を憎しみ合わせる火種の番人といった所でしょうか?」

 

既に戦争後の事まで考えていたとはさすがだ。それにルビンスキーには確かに自分の策で右往左往する様子を眺めて自尊心を満たすようなところがある。適職ではあるだろうが......。

 

「肩書は何とでも出来ますが、政府内ではなく外局扱いで用意したいですね。あくまで影響力は限定的なものにする。配慮できるのはそこまでですが、彼は私にそこまで配慮させるだけの功績をあげてくれるでしょうか?」

 

「『信用』はともかく、仮に地球教の事がなくとも私の後任としてフェザーン自治領主になるはずだった男です。必死になれば多少の事は何とかすると存じますが......」

 

「分かりました。ひとつ彼に頼むことにする事にしましょう。私と親しくしてはやりにくい頼みごとになりますから、ワレンコフさんを通じてやり取りする事にします。さすがにボルテックさんを通しては、彼の自尊心を傷つけてしまうでしょうし」

 

伯がそれなりの役職を代償にする依頼で、しかも伯と親しいとやりにくい依頼か。そういえば、ルビンスキーにはガイエスブルク要塞の件で、そっちへの伝手があったな。私が人選を相談した時から、こんな事態を想定していたのだろうか?だとしたら主として心強い限りだ。私はしっかり『信用』して任せて頂いた役目を果たすだけだ。



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76話:我儘

宇宙暦790年 帝国暦481年 4月上旬

アムリッツァ星域 前線司令部 歓楽街

ウォルフガング・ミッターマイヤー

 

「ミッターマイヤーと酒を飲むのもしばらくはお預けだな。来年は卿も艦隊司令部に転出することになるだろう。俺はシュタイエルマルク元帥の艦隊だが、卿の雰囲気に合いそうなのは、ルントシュテット元帥の艦隊だろうな。まあ、その辺りも、リューデリッツ伯が色々とお考えなのであろうが......」

 

「ロイエンタールと同期のビュッテンフェルト大尉は、メルカッツ提督の艦隊だったな。確かに、適性を踏まえての異動だろうが、上官がここまで俺たちのキャリアを考えてくれるのは有り難い事だが、結果を残さねばとプレッシャーも感じるな」

 

「卿でもプレッシャーを感じるか。それは良い事を聞いた。俺自身も『リューデリッツ伯が手塩にかけた人材』のひとりに数えられているからな。気楽に異動するわけでもない。安心したぞ」

 

士官学校を卒業して『前線総司令部基地司令付き』に任官して一年。士官学校以来、何かと仲が良くなったロイエンタール中尉が先任でいてくれたおかげもあり何とか務める事が出来たが、決裁権をもって取り組む任務も多く、緊張する日々が続いた。リューデリッツ伯のご嫡男、アルブレヒト殿とも親しかった縁もあり、お屋敷にも出入りさせて頂いた。その関係で、プライベートの場では『俺・お前』の関係にしようとロイエンタールが言い出し、お互い忌憚のない付き合いをするようになった。今回はロイエンタールが大尉に昇進の上、正規艦隊司令部の参謀に転出するので、その壮行会を兼ねた席だ。

 

「それにしても、メルカッツ提督はご苦労されるだろうな。ファーレンハイト卿はもともと志望していたらしいが、あの『猪突』まで預かることになるとは。どちらも攻勢型だが、攻勢に傾き過ぎるきらいがある。伯の事だ。その辺りも含めて資料を用意しているだろうし、わざわざ自ら挨拶に出向いたほどだからな。日頃からメルカッツ提督を『宿将』とおっしゃられているが、行動でもそれを示された。あの『猪突』はただただ喜んでいたが、どこまで伯の配慮に気が付いているのやら」

 

「まあ、最低限は身につけられただろうが、ビッテンフェルト大尉に細かい配慮を期待するのも間違っているように思うし、彼が細かい事を気にしだしたら、それはそれでらしさを失ってしまう様にも思うがな」

 

グラスを傾けながら、ロイエンタールの愚痴染みた話に付き合う。彼の中ではリューデリッツ伯はある意味『理想』に近い所がある。そんな存在が、自分以外の同世代に配慮し、しかも配慮された本人が、その意味に気づいていないとなると、良い感情を持つのは難しいだろう。貴族特有なのか?確固とした実績を上げた人間の余裕なのか?その場では分からず、後から細かい配慮がされていたのだと気づくことが、伯の下にいると多い。俺自身も、いずれそうなりたいと思っているが、気恥ずかしいので内密にしている。

 

「俺の場合はメックリンガー中佐が先任でおられるから、まあ心配はしていない。ルントシュテット艦隊にはシェーンコップ大佐がいるが、あの人は艦隊参謀より、陸戦部隊の指揮官に転向しそうだしな。伯の周囲に艦隊司令候補はたくさんいるから、人材が少ない所を補うつもりのようだ。まあ、一度手合わせした装甲擲弾兵副総監のオフレッサー大将に見込まれた部分もあるらしいが......」

 

「あの方も、我らの前では兄貴分だが、伯にはあの方なりのやり方で忠誠を尽くしておられるからな。口で忠誠を誓う事は誰にでもできるが、実際に忠誠を自己流の行動で示すのは難しい。同じことが出来るとは思えぬが、そういう生き様を好ましく思える自分ではありたいと思う」

 

俺が答えると、ロイエンタールは少し笑みを浮かべ。一度グラスを傾けてから

 

「シェーンコップ卿は大奥様に礼儀作法を習っていた頃から何も変わっていないのだ。誰にでもわかる流儀は好まず、自分の感性が通じる人間にのみ伝われば良いという流儀だからな。天の邪鬼と言うか、へそ曲がりと言うか......。伯はどちらかと言うと相手に合わせて感性を変える方だが、大奥様が、彼の試行錯誤をかなり喜ばれてな。

思い返せば、大奥様もかなり感性が鋭い方だった。今思えば、至らないなりに俺のアレンジした会食を経験して頂きたかったな。シェーンコップ卿は『公式の場で伯の名を貶めるわけにはゆかない』とお願いして、何度か会食を経験して頂いていたはずだ」

 

「卿らにも可愛げがある幼少期があったと思うと、それはそれでおかしみを感じるな。あのオーベルシュタイン卿の幼少期を知っているだけでも、俺は羨ましさを覚えるが......」

 

ロイエンタールは一瞬こまったような表情をした。

 

「ミッターマイヤーなら他言はしないだろうが、伯と奥様を含めて、当時、あの屋敷に揃っていたのは良くも悪くも普通に両親に養育されずに育った面々だった。大奥様が皆の母親役だったのだと思う。オーベルシュタイン卿は幼少から優秀だった。だがな、俺とシェーンコップ卿は彼が夜な夜な勉学に励んでいたのを知っている。先天的に義眼を必要とする生まれを蔑まれて来た中で、やっと得られた温もりと居場所を失いたくなかったのだ。似たような思いは俺にもあったから良くわかる。

シェーンコップ卿は少し違うが、酒の席で連帯保証人になり、先祖代々の家を窮地に追い込むような祖父より、その危機を何でもないかのように解決してくれる本物の貴族から少しでも学び取りたいと思うのは当然だろう。ミッターマイヤーが知る必要もないが、貴族社会には思わぬ落とし穴があるのだ。ロイエンタール家も落とし穴に引っかかった口だしな......」

 

そこまで言うと、『壮行会の場に相応しい明るい話題ではなかったな』といってこの話題を打ち切った。帝大の経営学部を卒業し、RC社に入社したリューデリッツ伯のご嫡男、アルブレヒト殿も、自分の軍人としての才能に悩んでおられたし、平民が思うほど、貴族社会は幸福に彩られた世界ではない様だ。ここは俺から話を変えよう。

 

「そういえば、あの件は伯も本気のようだな。ディートハルト殿と仲の良い先輩方も含めて、将来の正規艦隊司令候補には軒並み声をかけたらしいし、見届け人にグリューネワルト伯爵夫人の同席も手配したと聞く。オフレッサー大将にも手合わせを打診したらしいし、伯のお考えはどのあたりにあるのだろうか?諦めさせようとお考えなのか?」

 

「逆だろうな。士官学校には行かずに任官するからこそ、伯が用意できる一番厳しい環境を用意したのだろう。確かに、このまま士官学校に入学させても、首席は楽にとるだろう。だが今の心持では、彼が同期たちの信望を集められるか?は正直厳しいだろう。むしろ妬まれるだけのような気もする。ならば任官させて、より厳しく鍛えるというご判断なのだろうが......。伯はなにかとミューゼル卿には甘いからな。唯一の救いは、側近候補のキルヒアイスが優秀なわりに謙虚な良識人だという事だろうが......」

 

伯が後見人となったミューゼル卿は幼年学校で首席を通しているし、その側近候補のキルヒアイスも次席を確保している。俺も参加していたリューデリッツ伯流の英才教育のたまものではあったが、幼年学校の卒業を来年に控え、『士官学校に進まず任官したい』と言い出したことが、事の発端だ。戦術の講師役を引き受けていたから2人が優秀な事は分かっているが、15歳の皇族に連なる者が任官しても、周囲は戸惑うと思うのだが......。

 

「ミューゼル卿は確かに優秀だが、『我慢すること』だけは苦手だ。だが、優秀だったからこそ、我慢させる状況が無かったとも言える。正規艦隊司令官になるまでは、任地は全て伯の指示に従う事を約束させたらしいし、戦術シミュレーターと白兵戦の手合わせで負けるような事があれば士官学校へ行かせるというニュアンスを含ませて約束されたようだ。実際問題、今の状態で士官学校に入学させても、猫を檻に閉じ込めるような物だ。為にはならん。任官する前に思いっきり鼻っ柱を折っておくつもりなのだろう」

 

「ならば、戦術シミュレーターは負けるわけにはいかんな。お考え次第では、多少手心を加えたほうが良いのかとも思っていたが......」

 

「指名されたという事は鼻っ柱を折れという事だ。後始末は伯がしてくれる。『猪突』程ではないが攻勢が大好きだ。それを踏まえれば指名を受ける程の人材なら負ける事は無いだろうな。伯が指揮下の人材が異動する際にわざわざ頼んで回りだしたのも、今からそうしておくことでミューゼル卿の事を頼む際に少しでも『特別扱い』している事を薄める為だろう。あの坊やたちは、伯の配慮をどこまで理解できるのやら......」

 

ロイエンタールは自分がミューゼル卿の出汁にされたことが不本意なのかもしれないが、伯の行動がきっかけで、異動の際は上官が足を運んで挨拶する風潮も生まれている。一概に悪とは言えないだろうが、見込まれた以上、大人げないがミューゼル卿には勝たせてもらうとしよう。

 

「卿が言う事が正しいなら、ミューゼル卿の鼻っ柱を折れる人材だと見込まれたという事だ。まずはそこから始めよう。ましてや講師役をしていた我らが、戦術シミュレーターで負けるわけにはいかんからな」

 

この話は、声をかけられた全員に伝えよう。全勝する必要もないかもしれないが、伯に見込まれた以上、何かのタイミングでミューゼル卿を預かることもありうる。その時に戦術シミュレーターで負けたとあってはお互いやりにくいだろう。多少姑息な気もしたが、敵の分析は普通に行われる事だ。大人の狡さを学ぶ意味でも丁度良いだろう。俺は狡さとはかけ離れた印象しかないミューゼル卿を思い出しながら、皆に伝えるミューゼル卿の攻略法を考えていた。

 

 

宇宙暦790年 帝国暦481年 4月上旬

惑星エルファシル 駐屯部隊仮設基地

ヤン・ウェンリー

 

「この度、エルファシル駐屯基地、参事官を拝命しました。ヤン・ウェンリー少佐です。よろしくお願いします」

 

「うむ、基地司令官のビュコックじゃ。とはいえ、儂は異動したばかりじゃ。ヤン少佐の方がエルファシルには詳しいかもしれんな。インフラを立て直したら避難民たちの帰還が始まる。今の焼け野原よりはマシになるじゃろうが、なかなか厳しい現実に直面することになるじゃろう。軍への信頼回復も急務となる。脱出作戦を成功させたお主がいれば、避難民達も多少は安心出来よう?今回は貧乏くじを引かせてしまう様な形になったが、なんとか役目を果たしてほしい」

 

基地司令官のビュコック少将は二等兵からのたたき上げだ。マーロヴィア星域の警備司令官をされていたはずだが、エルファシル星系の防衛体制の立て直しを命じられ、少将に昇進された。昇進は嬉しいものかもしれないが、インフラをズタズタにされた星系の防衛体制の立て直し、しかも住民は必ずしも軍を信頼していないとなると、喜ばしい任務ではないだろう。貧乏くじを引かされたのはむしろビュコック司令官だと思うのだが、こちらを気遣ってくれている様だ。意外なことに、椅子を勧められた。

 

「お気遣いありがとうございます。ただ、正直ホッとしている部分もあります。ハイネセンにいても、広報課の道化役にされるだけでしょうし、拝命した任務も一段落した所でした。避難民の方々の事も気がかりでしたし、個人的には参事官として赴任できたことを嬉しく思っています」

 

「コンコン......」

 

ノックとともに従卒が入室し、お茶をそれぞれの手元に置くと、退室していった。驚いたことにコーヒーではなく紅茶だ。

 

「以前シロンにも赴任したことがあってな。それ以来、紅茶派なのだ。少佐はコーヒーの方が良かったかな?」

 

「いえ、私も実は紅茶派でして、もちろんシロン産のものを愛飲させて頂いています」

 

お互いカップを口元に運び、香りを楽しみながら紅茶を口に含む。うん、好みの入れ具合だ。シロンに赴任していたと言う事は、本場の入れ方なども修めておられるのだろうか?

 

「それは嬉しい事じゃ。入隊してからコーヒー尽くしじゃったが、本場の味を知ってから紅茶派に転向した口でな。同好の士を求めておるんじゃが、なかなか啓蒙活動が捗らんのじゃ。たまにはお茶に付き合ってもらえれば助かる」

 

「美味しいお茶のご相伴に預かれるなら歓迎です。それに司令には実はお話を伺いたかったのです。さすがにマーロヴィア星域までの旅費が経費として認められなかったので断念したのですが......」

 

「うむ、少佐の経歴には目を通した。だいぶ昔の事を調査したそうじゃな。ローザス提督の軍部葬には儂も参列したかったが、さすがに往復の期間を考えるとな。辞令を統合作戦本部で受け取る際に、墓参りはさせてもらったんじゃ」

 

「そうでしたか、私は任務がきっかけで提督との知己を得たのですが、もっと早くお会いしたかった方でした。『ローザス提督の回顧録』も愛読書のひとつでしたし、色々とお話を伺いました」

 

「ローザス提督の訃報には儂も驚いた。730年マフィアは確かに一つの時代の象徴じゃったが、揃って晩年は不遇じゃったな。アッシュビー提督が戦死された第二次ティアマト会戦の時は、儂は軍曹でな、戦艦の砲術下士官として参戦しておったが激戦に次ぐ激戦であっという間に弾を撃ち尽くしてしまってな。次があれば、もう少し配分を考えようと思った記憶があるな」

 

紅茶派という共通点から、予定外の談笑の時間は予想外に楽しい時間となった。帰還する避難民たちの心境を思えば、必ずしも楽な任務ではないが少なくとも上役とはうまくやれそうだ。ビュコック司令官は貧乏くじとおっしゃったが、アッテンボローが危惧していたドーソン教官と同じ職場になる事に比較したら、恵まれた職場になるだろう。



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77話:心配事

宇宙暦790年 帝国暦481年 8月上旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ジークフリード・キルヒアイス

 

「よし、今日はここまでにしよう。しっかりストレッチをしておくようにな」

 

そう言い残して、シェーンコップ卿はスタスタと場を後にする。私たちはヘロヘロなのだが、まるで何もなかったかのようだ。さすがに汗は滲ませてはおられたが、歴然とした差を見せつけられる思いだ。だが、私はラインハルト様に内密でリューデリッツ伯から意図は聞いている。実際に戦地に赴くことがあれば、シェーンコップ卿クラスの使い手が敵にいないとも限らない。『幼年学校の首席程度で、実戦で通用するとは限らないとしっかり身体に覚えこんでもらう』と伯はラインハルト様におっしゃっていたが、意図を知っている私でもかなり辛い状況だ。ラインハルト様は意地を張り続けられるだろうか?

 

事の始まりは、ラインハルト様が士官学校へは進まず、幼年学校を卒業するとともに任官したいと言い出したことから始まる。確かに幼年学校では首席だし、伯の英才教育の場でも励んできた。士官学校に進む必要があるのか?と言われれば、ラインハルト様に賛成してしまう部分もあったが、アンネローゼ様からラインハルト様をお預かりした形になる伯からすると、大人しく士官学校へ進んで欲しかったのだろう。ただ、士官学校で学べることがあるのか?という部分に関して、ラインハルト様の主張を受け入れて下さった。

伯自身が、士官学校に通う事が無いまま首席で通したという逸話をお持ちだ。強くは否定できなかったのもあるのだろう。ただし、白兵戦技と戦術シミュレーターで現役の軍人たちと手合わせする事、その場に見届け人としてアンネローゼ様を同席させることを代償として求めた。その約束が結ばれた日の夜、ラインハルト様にも内密で伯に呼び出された。

 

ノックをして執務室に入ると、椅子を勧められる。リューデリッツ伯は当初から私をラインハルト様の側近候補として、一人前として扱って下さるが、それは期待に応えられているからだろう。ラインハルト様の士官学校に進まないという判断は、伯の意向にそぐわないだろうし、叱責されるのでは......。と正直、怖かった。

 

「士官学校に進まない判断に私が怒っていると危惧しているならそんなことは無いから安心しなさい。私自身、自分の人生の歩みを早める為に、士官学校を退学しようと画策したからね。この判断を歓迎する訳ではないが、自分が通った道だからな。ミューゼル卿は優秀だし、予想以上に励んでもいる。こういう話になるのではと予想はしていた」

 

そこで一旦言葉を区切られた。『怒っていない』という言葉に安心しながらも、『歓迎する訳ではない』という言葉が耳に残った。つまり英才教育同様、何か対策をされるし、それを耐えきれるように、私にサポートするようにという事だろう。

 

「ミューゼル卿の育成プランは既に用意してある。幼年学校を卒業して任官したとしてもその方針は変わらない。ただ、グリューネワルト伯爵夫人の手前もある。夫人からすればミューゼル卿の身に危険が無いようにと、私に後見人を依頼したはずだ。それが士官学校に進まないとなると、ご心配されるだろうし、私にも話が違うとご不信を持たれるやもしれぬ」

 

「グリューネワルト伯爵夫人のお気持ちを、今少しミューゼル卿にお考え頂くべきでした。申し訳ありません」

 

「別に責めているわけではない。キルヒアイス君が、グリューネワルト伯爵夫人とミューゼル卿の間で板挟みになっているのも理解している。だがな、このままだと小さなことでつまずいて命を落としかねぬとも思っている」

 

伯が聞き逃せない事を話し出した。確かに任官すれば戦地に向かうことになる。士官学校では戦死する事はない。事あるごとに自重をお願いしてきたが、もっと強くお諫めすべきだったのだろうか?

 

「私もご自重をお願いしてきたのですが、もっと強くお諫めすべきだったでしょうか?」

 

「いや、グリューネワルト伯爵夫人でも無理だったのだ。キルヒアイス君では難しいだろうな。現役の軍人たちとの手合わせだが、仮に全敗するようなことがあっても、ミューゼル卿が望む限りは任官させる。色々な知識を身に付ける機会を用意したが、肝心なことを教えていなかった。それを学ぶ最後の機会になるだろう。それを踏まえてミューゼル卿を支えて欲しい。任官までの期間はかなり辛い状況になるだろう」

 

「お支えするのは、側近として当然のことです。足りないものと言うと、軍人になる覚悟の様なものでしょうか?確かに『戦死』する場であることを軽く考えていたようにも存じますが......」

 

「キルヒアイス君、そういう覚悟はなってみないと出来るものではないと思うよ?事業計画や経営の事も座学で習っただろうが、実際にRC社の投資案件に携わって初めてどういうものか理解できたはずだ。それに陸戦でもない限り、人を殺す感覚を感じる事も無い。私も現役の軍人だが、『軍人になる覚悟』なんてものをきちんと説明はできないな。

話を戻そう、ミューゼル卿に足りないのは『我慢』する事だ。本来なら私が後見人になった時点で気づくかと思っていたが、そこだけは直らなかったな。周囲の気持ちや意向より自分の気持ちや意向を優先してしまう。軍はあくまで組織だ。周囲の協力を受けられなければ功績は上げられないし簡単に戦死するだろう」

 

確かにそうだ。成績は首席かもしれないが、ラインハルト様の危機に命を賭けて救援に来てくれる者はいるだろうか?やはりもっと強く私がお諫めしていれば......。

 

「今までは良くも悪くも励めば越えられるハードルを用意してきたが、明日からは良くも悪くも少し理不尽な状況になるだろう。孤立して出会った相手が陸戦の名手であることもあり得るし、圧倒的な大軍に包囲されることもある。そういう理不尽さを通じて、『我慢すること』を学んでもらうつもりだ。それを踏まえてミューゼル卿を支えるように。当然だがこの話は内密にな。意図を知ってしまっては無駄になるからな」

 

「分かりました。私に及ぶ限り、お支えしたいと存じます」

 

「うむ。頼むぞ!グリューネワルト伯爵夫人もご心配にはなるだろうが私の方からご説明しておくようにする。そちらはあまり心配せぬようにな」

 

伯が動いてくださるならアンネローゼ様にもご安心頂けるだろうが、次にお会いするときは私からもお詫びをした方が良いだろう。

 

「キルヒアイス、シェーンコップ卿はさすがだな。あのオフレッサー大将と引き分けたと聞くし、白兵戦技では帝国で屈指の人物だ。幼年学校のお遊戯とはふた味は違うな」

 

ラインハルト様の負け惜しみが、私の時間を戻してくれた。怪我だけはしないように配慮されていることも分かるし、実力差があることも分かっている。私は立ち上がってまだ大の字状態のラインハルト様に歩み寄り、手を差し出す。

 

「厳しいようなら、私から伯にお伝えしますが、どうされますか?」

 

「厳しいが辛くはない。大丈夫だ」

 

起き上がりながらラインハルト様は少し不本意なご様子だ。今までなら励ましていた所だが、少し控える事にした。

 

「来週には、姉上が別邸にいらっしゃる。ご心配をかけぬ為にもしっかり励まねばな」

 

ラインハルト様が一日でも早くアンネローゼ様を守れる立場を得ようと励むほど、アンネローゼ様がご心配される。かといってラインハルト様に励むなともいえない。なんとかリューデリッツ伯がアンネローゼ様のご心労を慰めて下されば良いのだが......。

 

 

宇宙暦790年 帝国暦481年 8月上旬

首都星オーディン グリューネワルト伯爵家・別邸

アンネローゼ・フォン・グリューネワルト

 

「姉上、来年の手合わせに同席頂けるとの事でしたね。日々励んでおりますのでご安心下さい」

 

ラインハルトが誇らし気にしているが、横のジークは少し困った様子だ。『あの方』からも任官後の厳しさを少しでも体感させるために、乗り越えられる課題ではなく、それぞれの分野で屈指の方々をぶつけると聞いているが、大丈夫なのだろうか......。

とはいえ、懸命に励んでいるから、労わってやって欲しいとも、おそらく手合わせは厳しい結果になるだろうから、その際は最後まで黙って見届けて慰めてやって欲しいとも言われている。

教育についてはお任せした以上、『あの方』を信じて言われたとおりにすべきだろう。弟が生き急ぐのも、私を守れる立場に早くなりたいという思いがあるのだろうとも言われた。生き急いでほしくはないが、それが私の為だと言われれば、生き急ぐなとも言えない。

 

「リューデリッツ伯からも励んでいると聞いています。でもあまり無理はしないでね。士官学校へ進んで欲しかったけど、伯が任官を許可されたなら私からは何も言わないわ」

 

『あの方』からも、今のままで士官学校へ進んでも、学ぶものが無いばかりか、同期たちから妬まれるだけで為にならないとも、私が士官学校へ進んで欲しい事も理解したうえで、任官させた方が良いと判断したとすまなそうに伝えられた。後見人になって頂けたことで、私は安心出来たし、礼儀作法を含めて伯爵夫人として身に付けて置くべきことは修める事が出来た。ラインハルトはそういう配慮された環境にいる事をちゃんと感謝しているのかしら。考えれば考えるほど、『あの方』にご迷惑ばかりかけているのでは......。と不安になった。

 

「アンネローゼ様、お茶の用意ができました。お待たせしました」

 

ジークの声で、考え込んでいたことに気づく。紅茶の良い香りが鼻孔をくすぐった。

 

「ごめんなさいジーク、少し考え事をしていたわ。相変わらずの腕前ね。私も今日のケーキは新しいレシピに挑戦したの。気に入ってもらえれば良いのだけれど......」

 

2人が私の為に励んでいるなら、水を差すようなことは出来ない。せめて笑顔を見せなければ......。そしてジークの事も。すでに内密に支えるように指示をしているので、私からは出来るだけ何も言わない様にとも言われている。ケーキを切り分けながら、喉まで出かかった『ジーク、ラインハルトをお願いね』という言葉を飲み込んだ。私のせいで『あの方』の配慮を台無しにはしたくない。でも、私を守る立場を得る為にラインハルトたちが危険な目に遭うくらいなら、そんな立場を目指してほしくはない。

心労が少なくなればと、数年先まで2人の予定されているキャリアも見せてもらった。当面、余程の大敗が無ければ戦死することは無いと、申し訳なさそうに言われたが、戦死する可能性がゼロではない事は私も理解している。普通の人生を歩んでくれればそれで十分だったのに......。

そんなことを考えながらもなんとか笑顔を通したが、屋敷へ戻る車の中で涙がこぼれてしまった。今は『あの方』の配慮を信じるしかない。よく館を訪れてくれるご夫人方も、ご当主やお子様方が軍人をなされている。皆さまはこんな思いを、日頃から抱えておられるのだろうか......。




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78話:工作

宇宙暦790年 帝国暦481年 9月上旬

フェザーン自治領 自治領主公邸

アドリアン・ルビンスキー

 

「門閥貴族達に決起させる工作ですか。しかしながら軍部がここまで盤石な状態ではかなり難しい工作になるかもしれませんが......」

 

「なればこそ、リューデリッツ伯のお役に立てると証明した事になるのではないか。さすがに近々でという事ではない。少しずつ煽ってゆけば良いのだ。あの『貴族のおもちゃ作り』と同じ位の期間は見込んでいる。地球教とは別のラインで表沙汰にできない資金を流したりもしていたはずだ。その辺をうまく使えばできない事はあるまい?」

 

「確かに無理ではないと思いますが、少なくとも困難ではあります。資金は何とかなりますが、最後にひと押しする材料がありません。何か掴んでおられるのであれば、ご教授頂きたいのですが......」

 

俺の前任のワレンコフ氏から、自治領主府でも数人しか知らない秘匿回線を通じて連絡が入ったのが数日前。俺の将来に関する話がしたいと打診され、日時を調整してから、もしもの時の為に用意したセーフハウスから連絡を入れた。それなりの難題は覚悟していたが、帝国の軍部は本気で宇宙を統一する腹積もりのようだ。ガイエスブルク要塞の一件で、門閥貴族には確かに太いパイプを作ることは出来たが、威勢の良い言葉を垂れ流してはいるものの帝室に歯向かうとなれば彼ら自身の寄って立つ所を否定することになる。そんな材料があるのだろうか?

 

「そちらでも把握しているかもしれんが、皇太子殿下の余命は幾ばくも無い。皇孫子に立太孫されるかは不明だが、その実母はお付きのメイドで、下級貴族出身だ。本人の年齢も幼い。そう言えばブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家のご令嬢も皇帝陛下のお孫様であらせられるし、年齢も年上だったはずだ。その辺りから始めて見てはどうかな?」

 

「しかしながら、仮に皇孫子に立太孫されれば、いささか苦しい状況になるとも存じますが、その辺りは如何でしょう?」

 

立太孫さえされなければ何とかなりそうにも思うが、そちらの情報は無いのだろうか。縋るような目線を思わず向けてしまう。ワレンコフ氏は、自治領主だったころより血色もよくなり彼特有の人を惹きつける笑みを浮かべていた。

 

「ルビンスキー君、皇帝陛下は立太孫されるおつもりも、後継者を指名するお考えもないようだ。ただし、降嫁したとはいえ、皇族にあらせられるご夫人お二人と、陛下の孫にあたるご令嬢の安全は確保したいところだな。貴族にとっては血を残すことは大事なことだ。それとベーネミュンデ侯爵夫人とご皇女、ディートリンデ様を使うような策は止めたほうが良いだろうな。後見人が誰かは、確認するまでも無いと思うが......」

 

「その辺りは心得ております。ただ、注文が多いのも確かでしょう。やり遂げた暁の方も期待したいところですが......」

 

「楽しみにしておくことだ。少なくとも不可侵ではなくなった自治領の主などより、やりがいも影響力もある役割をとお考えになられている。君の志向にも合った仕事だ。それと、言うまでもないがこの件は、君が『信用』できるか試す、最初で最後の機会だと認識してほしい。実力は認めておられるが、今のままでは『信用』するのは難しいとのご判断だ。私は君の上昇志向はフェザーン自治領主候補に相応しいと思っていたが、自陣に招き入れるには不安と思われるのも致し方あるまい?」

 

その通りだろう。自治領主になるには周囲にそれを認めさせなければならなかった。言わば俺の下につく事を納得させなければならなかった。だが、誰かの下につくとなれば、当然それはマイナス評価になるだろう。外様になる訳だし、後継者も既に決まっている。だが、このまま軍門に降るのは、いささか素直すぎるのではないだろうか?

 

「それと、この役目は君が『信用』出来るかを試すものだ。役目を果たしても『信用』できないと判断されるようなことも控えておいた方が良いだろう。もっとも彼らを担いで勝負が出来ると思うなら、そうするのも良いだろう。ただしこれは『最初で最後の機会』だ。それだけは肝に銘じておいてくれ」

 

「それは伯のお言葉でしょうか?」

 

「そうだ。任せるなら実力に応じた役割を任せたいが、『信用』出来なければ大きな役割は任せられない。小さな役割なら、わざわざルビンスキーさんにお願いする必要がないだろうとのことだ。後任として問題に対処してもらったし、私は君の実力を分かっているつもりだ。どちらを選ぶかは君の判断だが、同じ陣営で一緒に働けることを願っている」

 

試験のような甘っちょろい物ではない。これは踏み絵だと思ったほうがよさそうだ。おそらく変に保険をかけるだけでも失格になるだろう。さすがにあの『野生児』どもと『保育園の責任者』たちに、自分の将来を賭けるなど土台無理な話だ。

 

「それと、ボルテック君には頼みたいことがあるから、例の証券会社へ出向させてほしい。補佐官の椅子が一つ空くから、君が可愛がっていたケッセルリンク氏だったか?彼を抜擢すればよいだろう。こちらからは以上だが、なにかそちらからはあるかね?」

 

「いえ、とくにはありません。ご期待に沿えるように励むとルビンスキーが申していたとお伝えいただければ幸いです」

 

おれが了承した旨を確認して、通信は終わった。一瞬身体が固まってしまったが、まさかルパートの事まですでに調べ上げているのだろうか......。明言されなかったからこそ、単なる好意なのか、警告なのか掴みかねるところだ。

 

 

宇宙暦790年 帝国暦481年 12月上旬

首都星オーディン 帝国ホテル 最上階特別室

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト

 

「しかし、若手の有望株がかき集められた感じだな。リューデリッツ伯との会食は初めてではないが、通常は邸宅の方で行われるはずだ。帝国ホテルの特別室とは、何かお考えがあっての事なのだろうか?」

 

「お礼の先払いのつもりなのだろう。それに対戦前に、その相手が暮らしている邸宅に集まるわけにもゆくまい。ちなみに今日のコースはシェーンコップ卿がアレンジしたものだ。美味ではあるだろうが、あからさまではない遊び心みたいなものがあるはずだから、その辺に留意するようにな。まあ、ミッターマイヤーは楽しく味わえば良いと思うが」

 

同期のロイエンタールとひとつ後輩のミッターマイヤーの雑談を聞きながら、主催者である伯の到着を待っていた。開始予定にまだ間があるが、万が一にも遅れるわけにはいかない。予定の1時間前にはロビーについていたが、おそらく伯のご配慮だろう。『ビッテンフェルト様ですね?こちらへ』と、帝国ホテルの支配人に声をかけられ、この最上階の特別室へ通された。同じ心境だったのだろう。45分前には、主催者を除いて参加者が揃っていた。

 

「ビッテンフェルト大尉、あまり硬くならぬことだ。最近ではメルカッツ提督にもお褒め頂くことが増えている。伯は礼儀作法にもうるさくは無い方だ。気楽に楽しめば良いのだから......」

 

隣に座るファーレンハイト卿が気遣う様子で声をかけてくる。緊張はしていないつもりだが、硬くなっているように見えるのだろうか?それはそれで困る。上官として何かとご配慮をして頂いたリューデリッツ伯に、ビッテンフェルトはちゃんと成長していると、安心して頂く予定であったのに......。

 

「ファーレンハイト卿、心配をかけてすまない。伯には色々と気遣って頂いたのでな。ちゃんと励んでいるとご安心頂きたいと思っていたのだが、それが空回りしておるのやもしれぬ」

 

備えられていたデキャンタを手に取り、冷水をグラスに注いて飲み干す。少しは落ち着けただろうか?だが同じような心境の参加者が俺以外にもいたようだ。ルッツ大尉とワーレン大尉がデキャンタの置かれていた一角に歩み寄り、冷水を注いで飲み干した。俺の視線に気づいたのだろう。少し苦笑しながら

 

「伯と会食する場には、ルントシュテット伯爵家のディートハルト殿がいつも同席されていたからな。少し緊張しているかもしれん」

 

ルッツ大尉が恥ずかしそうにしながら心境を話すと、同意するようにワーレン大尉がうなずいた。緊張しているのは俺だけではなかったらしい。それが解ると少し落ちついた。士官学校の関係者なら生きた伝説で軍の重鎮、陛下とも親しい。間違って不興を買えば軍人としての栄達は断たれる。そんな方に見込まれて抜擢されれば、確かにチャンスだろうが、しくじればどうなることか......。と思わない人間などいないはずだ。むしろしれっと佇んでいるロイエンタール卿の方が異常なのだ。そう思うと落ち着けるような気がした。

 

そうこうしているうちに、前触れが伯の到着の知らせをもたらし、主催者が入室してくる。皆が敬礼をするが、伯の敬礼が異様にサマになるのを失念していた。無様な敬礼と映ってはいないだろうか?そんな事を心配していたが、

 

「堅苦しいのは抜きにしよう。むしろ私も出世したものだ。未来の艦隊司令官候補が集まってくれたのだからな。まずはコースを楽しんでくれ。私は途中でお暇するが、支払いは私が持つという話を支配人ともしている。お願い事を聞いてくれた感謝の気持ちだ。まあ、私の財布が空にならない程度に配慮してくれれば助かる。では、乾杯」

 

伯がグラスを掲げるのに合わせて、皆が乾杯と言いながらグラスを交わしあう。帝国ホテルのすべての年代物のワインを開けても。伯の財布が空になることは無い。支払いは持つから好きにやれという時に伯が良く言われる言葉だ。参加者はそれを知っていたのだろう、皆、嬉し気な雰囲気だ。

 

「前菜が来る前に、本題をすましておこう。来年の手合わせについてだが、初戦はファーレンハイト卿とビッテンフェルト大尉、次戦はロイエンタール卿とミッターマイヤー中尉、最終戦はルッツ大尉とワーレン大尉にお願いしたいと思っている。初戦は口を出さないが、次戦には私なりに意図をこぼすつもりだし、最終戦では私が参謀役をするつもりだ。

そもそもこのメンバーに勝てるなら、佐官待遇をせねばならんし、学んで欲しいのは我慢する事だ。初戦では攻勢で押しきってもらい、次戦で戦術の深淵を感じさせ、最終戦で敢闘させる感じだな。塩梅はこちらで調整するから、諸君は戦術シミュレーターでキッチリ実力を示してくれれば問題ないだろう」

 

自然とファーレンハイト卿と視線が重なる。周囲に目線を向けると他の面々もタッグを組む相手と目線を交わしていた。お互い知らぬ仲ではないし、年末年始にすり合わせを行う時間もある。準備期間は十分だろう。

 

「伯、シュミレーターは最新のものを当日はご用意されるとのことでしたが、出来れば数回は事前に試しておきたいのですが、ご配慮をお願いしてよろしいでしょうか?」

 

「もちろんだ、一週間、こちらの大会議室と控室として数部屋借り受ける手筈になっている。そちらの手配はメックリンガー中佐が受け持っているので、詳細は別途確認しておいてほしい」

 

その辺りは、お変わりないようだ。伯の下で副官の真似事をしていた際は、結果を求められることが多かったが、それなりの結果が出せるように環境が整えられていた。当初は目の前の事に精一杯で、気づかなかったが、メルカッツ提督の下に異動してみて気づいた事だ。俺も士官として指示を出す側だ。拙いなりに部下が結果を出しやすいように配慮を心がけている。

伯はコース料理のサラダまでは同席されたが。『後は若者たちで楽しんでくれ』と言い残して、会場を後にされた。年齢も近い連中が揃っていたし、とても楽しい会食になった。帰宅用のハイヤーが手配されていたのにも驚いたが、後から聞くと、酒を過ごした者が出たときの為に、数部屋押さえてあったらしい。ファーレンハイト卿の助言が無ければ、そちらに厄介になったやもしれぬ。今少し自制心を養わねばなるまい。



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79話:手合わせ

宇宙暦791年 帝国暦482年 1月上旬

首都星オーディン 帝国ホテル 地下多目的ホール

ジークフリード・キルヒアイス

 

「それまで。もう十分でしょう。お二人とも任官されるには問題ない実力をお持ちだと、小官は判断いたします」

 

審判役のメックリンガー中佐が手合わせの終了を告げられた。戦術シミュレーターは散々な結果だった。せめて白兵戦技位はアンネローゼ様にご安心頂ける結果を残したかったが、こちらも無残な結果となってしまった。この様な結果では任官する事をご不安に思われるはずだ。側近として、もっと何かできる事があったのではないだろうか?今更ながら、伯が『理不尽な状況を用意する』と言われた意味を噛みしめていた。

ラインハルト様は、さすがに最後の意地だろう、肩で息をしているが、何とか立ち上がっている。私も無様な姿をさらすわけには行かない。すでに足に力が入らなかったが何とか倒れこまぬように耐える。2対1でも一方的に蹂躙されたあのオフレッサー大将に一礼をして、壁際に用意されたベンチに下がる。

装甲服を脱がすのも本来なら私の役目だが、既に私も満身創痍の状態だ。メイドたちがラインハルト様の装甲服を脱がせにかかってくれた。私には、審判役のメックリンガー中佐が歩み寄り、装甲服を脱ぐのを手伝ってくれる。見届け人の席に視線を向けようとしたが

 

「オフレッサー大将、ミューゼル卿とキルヒアイス君はすごいだろう?君を一瞬でもひやりとさせる15歳など、この宇宙に5人はいないだろう。そのうちの2名の養育に関わるのだ。私も気を引き締めねばな......」

 

「伯にはかないませんな。おっしゃる通り、久々に手こずる相手でした。2対1とはいえ遅れを取る訳には参りませんからな、焦りを隠すのに苦労いたしました」

 

色々とラインハルト様と連携をして仕掛けたものの、動かぬ山のようにすべて捌いてしまわれたが、実際は惜しい所だったのだろうか?それとも、リューデリッツ伯の手前、多少はこちらに華を持たせようという意図なのだろうか?おそらくラインハルト様も同様のお気持ちだったのだろう、困惑される表情をされていた。それが伝わったのだろう。

 

「このオフレッサー、白兵戦技の事では嘘はつかぬ。だが、これ以上の研鑽が必要なのかと言うと、判断に困るな。貴殿らは艦隊司令官を志向しておるのだろう?艦隊司令官が自らトマホークを手に取り戦うなど、艦隊戦では負けが確定した状況であろう?それに強者が纏う雰囲気が出過ぎれば、この場の者はともかく、口だけのもやし参謀などは指導に困るであろうからな」

 

そう言うとオフレッサー大将は豪快に笑った。彼は陸戦の最前線で上げた武勲だけで大将という階級に上り詰めた方だ。安全な所から一方的な指示を出され、ご不快になられた経験がおありなのだろうか?

 

「オフレッサー大将、ありがとう。2人にも任官前に良い経験をさせる事が出来た。控室にお湯の準備がしてある。さっぱりしてから寛いでくれ。時間を取ってもらったお礼ではないが土産を用意してある。忘れずに持って帰ってくれ」

 

「伯には敵いませんな。新型の装甲服の開発予算を手配して頂いた事、このオフレッサー、装甲擲弾兵を代表してお礼申し上げます。では失礼いたします」

 

必ずしも礼儀作法に忠実なわけではないが、気持ちの良い礼をすると、会場から去っていった。なにやら台風が過ぎ去った後のような感覚があったが、ラインハルト様に視線を向けると、調子が戻られたようだ。顔色も良くなられている。

先ほどの伯とオフレッサー大将の会話は、アンネローゼ様にも聞こえるように話されていた。結果は散々なものだったが、面目は立てて頂いた形だ。これも伯が配慮された結果なのだろう。いつか伯が心配されなくても、私がいればご安心頂けるような日が来ればよいのだが......。

 

「ミューゼル卿、明日は御母上の月命日であろう?皇帝陛下から、グリューネワルト伯爵夫人と別邸でゆっくり偲ぶようにとのお言葉を頂いている。振り返りは別日にするので、この後はゆっくりするようにな。私個人の感想としては、それぞれの分野で帝国屈指の人物を相手に、ここまでよく敢闘したと思う。良くやってくれた」

 

そう言い残して、伯は今回の手合わせに参加された方々の方へ挨拶に向かわれた。戦術シミュレーターの振り返りは別日に設定されている。今日くらいは身体を休めても良いだろう。ラインハルト様とともに、アンネローゼ様のいらっしゃる見届け人の席へ歩みを進める。

 

「ラインハルト、ジーク。よく頑張ったわね。私が見届けるには刺激が強すぎた部分もありましたが、2人の鍛錬の成果を示す場だと聞かされていたから最後まで見届けました。2人とも本当によく頑張ったわね。別邸には料理の手配がしてあるから、今日は私の料理を楽しんでもらえれば嬉しいわ」

 

「ありがとうございます。姉上。今少し健闘できるかと思っておりましたが、至りませんでした。ただ、手合わせの相手は帝国でも屈指の方々です。前線に出ても後れを取るつもりはありませんし、これからもキルヒアイスと共に鍛錬を積みますのでご安心ください」

 

「ラインハルト様のおっしゃる通りです。私ももっとお支え出来るように励みますので、ご安心ください」

 

私たちが各々の決意を述べると、アンネローゼ様はすこし迷う素振りをされながら

 

「余計なことかもしれないけど、2人が戦場に行く限り、私が安心することは無いと思うの。それは良くして頂いているルントシュテット伯爵夫人やシュタイエルマルク伯爵夫人、そしてリューデリッツ伯爵夫人も同じだそうよ。

もちろん皆さまはそういう感じをお出しにならないけど、黙って耐えてらっしゃるの。任官してからお世話になる上官の皆さんにも、指揮することになる部下の方々にもそういう思いで帰りを待つ方がおられることを忘れないでほしいの。それでは別邸に参りましょう」

 

確かに最近は自分の事に精一杯で、心配しているであろう方々への意識がおろそかになっていたと思う。任官の前に、一度両親に顔を見せに行こうと思った。

 

 

宇宙暦791年 帝国暦482年 1月上旬

首都星オーディン 帝国ホテル 第一会議室

コルネリアス・ルッツ

 

「リューデリッツ伯が見込まれて後見人になられただけの事はあったな」

 

「うむ。初戦も伯が参謀役ならあそこまで押しまくることは出来なかったやもしれんな」

 

開始早々に全面攻勢を仕掛けて圧倒したファーレンハイト卿とビッテンフェルト大尉が雑談しているのが聞こえる。この2人の攻勢をさばいて隙を見て反撃して押し返すというのは、余程防衛戦に練達した人材でなければ難しいだろう。そう言う意味では幼年学校の生徒が、かろうじてとは言え3波に渡る攻勢を、押し返したのだ。宝石の原石であることは十分に示したという所だろう。

 

「講師役としては悔しい光景だったな。もう少し形勢不利な状況でも落ちついて耐える事が出来れば、5波くらいまでは耐えられたやもしれんが、同じ土俵に乗ってしまった時点で、厳しい戦いだったな」

 

「うむ。そう言う意味では我らが相手取った第二戦は大したものだった。あの手この手で引っ掻き回すつもりだったが、見事に対応して見せたしな。ただ少しずつ戦力の消耗差が出る形になったから最後は押しきれたが......。講師役としては教え子の成長を喜ぶと同時に我らもおちおちしてはおれんといった所だろうな」

 

次戦の二人は、攻勢と守勢を織り交ぜながら、多彩な戦術を仕掛けた。もっと翻弄されるかと思ったが、『私は後見人だから』とミューゼル卿たちの傍に席を移すと、狙ってくるであろうことをつぶやきだした。それから見違えるように動きが良くなったように思う。何を仕掛けてくるか分かれば、十分対処が出来る。あとは意図を探る部分だが、こればかりは実戦経験を積むしかない。戦術シミュレーターを積み重ねても限界があるだろう。

 

「そういう意味では伯が参謀役になられた最終戦は、小官たちにとってはいささか不本意な展開だったな。正直な所、後方メインで軍歴を重ねられていたし、ここまで意図を見透かされるとは思わなかった。評価が下がってしまったのではないかと不安に思った位だ」

 

「伯の本質は事業家だからな。戦術とは突き詰めれば局地的な数的優位をどう作るかだ。その辺はむしろお得意なはずだ。私には教えて頂けなかったが、事業競合の潰し方やら、株の仕手戦のやり方やら、随分殺伐とした内容をオーベルシュタイン卿には仕込んだらしいからな。そう言う意味では周囲の目があって良かったかもしれんぞ?我々では思いもつかぬ禁じ手染みた事もやりかねんからな。あの方は......」

 

確かに良くわからぬ凄味のような物がリューデリッツ伯にはある。思わずワーレン大尉と顔を見合わせてしまった。禁じ手か、どんなものがあるだろうか......。

 

「今回は戦術シミュレーターでの手合わせだったからな。実戦では死に兵など使えんが、そう言う事もされそうではあるな。そんな事をしても実戦では使えん。ミューゼル卿の為にならんからされないであろうが」

 

「見届け人の立場からすると、卿らの戦術眼は観戦していて楽しかったし、それになんとか挑もうとする若人の頑張りは観ていて励みになる部分が多かった。この場を借りてお礼申し上げる」

 

見届け役をされていたメックリンガー中佐が、一旦雑談を区切るように感想を述べられた。

 

「この後の事だが、3戦分の分析を行い、自分の担当しなかった対戦の振り返りを、ミューゼル卿たちと行ってもらうことになっている。対戦分析は伯にも提出する事になっている。笑いながらではあったが、『一手、ご教授いただこう』などとおっしゃっていた。成果を上げても、それをきちんと報告書にして、上官に承認してもらって初めて功績となる。伯はあまり細かい事は言われないだろうが、最後まで手抜かりなく進めよう」

 

分析用のメモ帳や戦場図がまとまったファイルが配布されるが、一緒にリューデリッツ伯爵家の紋章入りの封筒が入っている。中身を見ると、それなりの額の紙幣が入っているのが見えた。

 

「伯は無料で何かを頼むのは嫌いなお方だからな。お返ししようとしても『君の時間には価値が無いのかい?』と言われて受け取らされるのがオチだ。有意義につかえば良い」

 

講師役をしているから慣れているのだろうか?ロイエンタール卿が手慣れた感じで内ポケットにしまい込んでいる。確かにお返しに上がった所でそんな事を言われれば、受け取らざるを得ないだろう。ならば、頂いた礼金分の成果をしっかりお返しするだけだ。用意されていた帝国ホテルのコーヒーが皆に回った所で、本格的に分析が始まった。若手の中でも優秀な連中との分析だ。楽しい時間になるに違いない。



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80話:任地

宇宙暦791年 帝国暦482年 4月上旬

アムリッツァ星系 前線総司令部

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

「前線総司令部基地司令官付きを拝命しました。ミューゼル准尉であります。ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

 

「同じく、キルヒアイス准尉であります。よろしくお願いします」

 

やっと任官出来たという思いと共に、年初の手合わせで俺がまだまだ軍人として未熟なことも思い知らされた。それに姉上から、リューデリッツ伯がお詫び代わりに最新式の戦術シミュレーターを数セット、士官学校に寄贈した事も聞かされた。不要になる旧式の戦術シミュレーターは、辺境自警軍の訓練に使うため払い下げられたらしいが、結局、俺はまだ焦っているのだろうか?

皇族に連なり、士官学校の関係者にとっては生きる伝説のような存在が、手塩にかけた人材......。そんな人材が士官学校に進まずに任官するとなれば士官学校側が無視されたように感じる。指摘されれば分かるが、自分の進路が政治的な要素を含むなど、想定外だった。

当初は皇室に連なる以上、最低限の特別扱いとして、『少尉』での任官という話もあったが、リューデリッツ伯から『環境面での特別扱いが確定しているが、階級まで特別扱いされているとなると結果として損をするかもしれんがどうする?』と指摘を受け、准尉で任官する事にした。確かに功績を上げられなくとも一年後には少尉だ。その程度の事の為に、自分の功績が色眼鏡で見られる可能性が生まれるなら、通常の階級からスタートして駆け上がる方がやりがいがある。准尉で任官する旨、即答していた。

 

「やっとこの日が来たな。私も楽しみに待っていた。まずは副官見習いのような任務になるが、手合わせに参加した人材はオフレッサー大将を除けば全員が通った道だ。場合によっては自分の名前で決済をする事もあるだろうし、経歴に『前線総司令部基地司令付き』とあると出来て当たり前という事もある。大変だろうが、両名の精勤を期待する」

 

上官になるリューデリッツ伯が任官にあたっての返礼をされる。伯の脇には、伯が養育に関わった人物の間で兄貴分であるシェーンコップ卿がおられる。年初の手合わせにも参加されたし、なにかと礼儀作法のアレンジを教えてくれる人物だが、同席されるという事は、関連した任務にあたるのだろうか?

 

「その表情だと、察していないようだな。俺は准将として装甲擲弾兵一個連隊の指揮官とこの基地の司令部の防衛責任者を兼ねる事になった。地球教の件も完全に対処できた訳ではない。この基地は、軍人が大多数を占めるが、帝国社会の縮図でもある。護衛と貴族社会では学べない常識の教師役という所だ。場合によっては生活指導役にもなるかもしれんが、よろしく頼む。

不本意かもしれんが、『皇族に連なる部下』と言うのは上官にとっては特別な配慮が必要な存在だ。そう言う事も含めて自分の立場を認識しておいた方が良い。伯の前でこういうことを言うのはずるい気もするが、伯を追い落とそうとする輩からすれば、ミューゼル卿を暗殺でもすればそれが口実になると判断しかねん訳だからな。煩わしいかもしれんが、軍歴を重ねる以上、ついて回る話だ。なら最初からしっかり学んでおいた方が良いだろう」

 

自分がリューデリッツ伯を含め、今後上官になる方を追い落とす材料になるやもしれぬなどとは思ってもみなかった。同じ陣営に属しながら、背中を刺すような連中がいるのか。そんな敵の存在を考えた事は無かった。

 

「まあ、今から身構える必要はないし、しっかり特別な事情を含めても、実力で協力を求められる人物になればよい。自分が『特別な配慮』をされる存在なのだと弁えておけば良いだけだ。それを当たり前だと思ってしまうと、お互いにやりずらくなるだろうから。そこだけは注意するようにな」

 

伯がそう言うと、シェーンコップ卿に促されて一緒に執務室から退室する。

 

「この後は、俺の連隊の司令部に顔見せしたあとは、割り当てられた宿舎で荷ほどきだな。晩餐は、伯から同席するようにと指示が出ている。今夜は同席されないが、前線総司令部や叛乱軍の領域に向かう高級士官が同席される事もあるだろう。それも将来、異動した時の為の布石になるはずだ。マナーと関わる人間の経歴を事前に確認しておいて、さりげなく会話に盛り込んでみる所から初めよう。まあ慣れればそんなに難しい事じゃない」

 

確かに俺は人間関係や上役に配慮するのが苦手だ。キルヒアイスの方がそう言う事は得意だが、わざわざ実践させるという事は、出来るようになるまで次の任務は無いと考えたほうが良いだろう。必要性は理解している。気は乗らないが、俺とキルヒアイスで敵軍全てを殴り倒せるわけではない。上官や部下から進んで協力してもらえる人間関係を作ることの重要性は理解しているが、何やら友人作りの方法を教わるようで気まずい思いがある。

気まずいと言えば、しばらく『ご機嫌伺い』が出来なくなる旨を、皇女殿下にお伝えした際も、ひどいものだった。あの大人しかったディートリンデ皇女殿下が急にポロポロと泣き始めたのだ。なんとか同席されていたベーネミュンデ侯爵夫人に取り成して頂いたが、オーディンに帰還した際には必ず『ご機嫌伺い』に上がることを約束させられた。まだ8歳の子供相手に邪険にも出来ぬし、淑女に泣かれながら頼みごとをされれば断るわけにもいかぬ。俺は軍人になったのだ。子守りになったつもりはないのだが......。

 

「ラインハルト様、それにしても巨大な基地でございますね。見て回るだけでもひと月はかかるのではないでしょうか?」

 

「キルヒアイス准尉、見立てが良いな。総司令のルントシュテット元帥が着任された際は、視察するのに3カ月かかったそうだ。もっとも護衛の手配やテロ対策の為に気楽に出歩くわけにもゆかなかったというのもあるがな」

 

シェーンコップ卿が思い出し笑いをしながら話に加わってくる。彼とは知らない仲ではないし、白兵戦技の分野では帝国屈指の人物だ。教師役に付いて頂くのは有り難いが、彼からは『子守り』と思われていないだろうか?伯がおっしゃられた様にいつか実力で協力を求められたい人物ではあるが......。

 

「シェーンコップ卿、こちらに赴任する際はリューデリッツ伯爵家の御用船で参りました。着陸までの一時間ほど、艦長の好意でメインモニターに着陸用のカメラ映像を流してくれたのです。近づくにつれて巨大さが実感出来て、何やらワクワクしました。それにしても視察だけで3か月とはすごい話ですね」

 

「この基地に赴任する者は、まずその巨大さに目を奪われるが、しばらくすると生活水準の良さに驚き、昇進するにつれて異常な効率の良さに驚愕する。時間があるうちに、他の基地の平均的な数字を見ておくと、その辺りが実感できるかもしれんな」

 

中核設備と駐留施設を円形に配置した事で、従来以上の効率は実現できるのだろうが、他にも様々な工夫がされているのだろう。あのリューデリッツ伯が建設を担当した基地だし、新世代艦の運用が本格化してから初めて新設された基地でもある。構想自体から違うのだろうが、確かに見て回るのが楽しみでもある。

 

「まあ、当分は二人で出歩くのは無しにしてほしい所だな。この基地は規模だけなら帝都に匹敵する。案内役がいなければ迷うのが関の山だからな。偉そうに言っている俺も、迷った経験がある。経験者の言う事は聞いておくことだ」

 

「シェーンコップ卿がそこまでおっしゃるのだ。キルヒアイス、荷解きが終わったら出歩いてみるのも良いかと思ったが、まずは基地施設の予備知識を確認する所から始めよう」

 

「はい。ラインハルト様」

 

キルヒアイスも同様に、初めての任地に気持ちが高ぶっている様だ。何かと気苦労も多そうだが、始まったばかりの軍人としての生活に俺は楽しさを感じていた。

 

 

宇宙暦791年 帝国暦482年 4月上旬

惑星エルファシル 駐屯部隊仮設基地

ヤン・ウェンリー

 

「やはり少佐には貧乏くじを引かせてしまったな。一番大変な時期に損な役回りをさせてしまった。広報課の道化役よりはやりがいは感じられたじゃろうが、一番大変な時期が過ぎたとたんに転任とはな」

 

「ビュコック司令、司令にそれを言われてしまうと、私からは何も言えなくなってしまいます。一番困難な時期に責任者を果たされたのは司令なのですから」

 

「まあ、実際動き出してしまえば、儂のようなたたき上げよりも、次期後方勤務本部長の呼び声高いセレブレッセ少将に任せた方が得策じゃろうからな。老人相手では、何かと追及も緩くなる。厄介ごとを押し付けられるのはよくあることじゃからな」

 

ある意味、国防委員会の目論見通りといった所なのかもしれないが、必ずしも誠意ある対応とは言えないし、その片棒を担がされたのかと思うと、良い気分にはなれなかった。司令はたたき上げとは言え、こんな経験をされる事が多かったのだろうか?エルファシルに赴任して1年、軍に信頼を裏切られた避難民たちが帰還して半年。やっと民心が落ち着いたかと言うタイミングで、基地司令官の交代に伴い、私も統合作戦本部への異動を言い渡された。

地ならしが終わり、いよいよ再建と言うタイミングでの異動だ。大変な時期を乗り越えて、これから成果が目に見えてくるというのに、それを見届ける事が出来ない。この一年は不本意なことが皆無だったわけではないが、だからこそ成果をきちんと目にしたかったと思うのは我儘なのだろうか?

 

「この一年は、司令には及びませんがそれなりに大変でした。やっと再建に取り掛かるタイミングでの異動は残念ですが、軍人である以上、仕方のない事なのでしょうか?」

 

「まあ、とりあえずはお茶を待つとしよう。部下の不満を受け止めるのも上官の役目じゃからな。まあ今回のような恣意的なことはさすがに頻繁にはないが、士官学校での席次、国防委員会への伝手の有無で貧乏くじを引くものもおれば、逆に美味しい所を担当する者もいるじゃろうな」

 

あまりしていて楽しくはない話題をしながら、お茶を待つ。従卒がノックと共に入室し、カップをそれぞれの手元に置いて退出していった。司令官室に紅茶の良い香りが漂う。統合作戦本部に戻れば、漂うのはコーヒーの香りになるだろう。この一年に、かなりの回数にのぼった司令とのお茶の時間が無くなる事も、この異動に喜べない要因のひとつなのかもしれない。

 

「お詫びではないが、避難民の代表でエルファシル復興委員長のロムスキー氏から、少佐への感謝状を書いてもらったし、儂からも復興活動に尽力してくれた旨を一筆書いておいた。少佐は士官学校を出ておるし、ちょうど校長をされていたシトレ大将も統合作戦本部に転出されたと聞く。昇進につながるかは確約できんが、この辺りで思う所を納めてくれればくれればありがたい」

 

「お気遣いありがとうございます。ただ、私も国防委員会に伝手はありませんし、士官学校の席次も中の上でしたから、あまり期待せずにいようと思います。何しろ卒業試験のひとつだった寒冷地訓練で、あやうく遭難しかけたぐらいでして......」

 

「ほほう、それは教官役はさぞかし肝を冷やしたじゃろうな。ただ、今頃は『エルファシルの英雄を救ったのだ』と、自慢しておるのではないかな?」

 

場の雰囲気が少し明るいものになった。ローザス提督に続き、紅茶派で話の分かる年長者と知己を得る事が出来た。ビュコック司令はまだまだお元気そうだし、またどこかでご一緒する機会もあるだろう。残念に思う気持ちが消えたわけではないが、前向きな気持ちで統合作戦本部に戻れるような気がした。

 

「それにしても唯一の心残りは、少佐とのお茶の時間が無くなることじゃな。儂も次の任地が決まるまでは、統合作戦本部に所属するが、戦力が不足している戦況では、分艦隊司令になる事は無いじゃろうし、しばらくは女房孝行することになりそうじゃ。あそこはコーヒーの香りが充満しておるからな。あまり好きな場所ではないのじゃが......」

 

「私も同じことを考えておりました。ただ、私が言う事ではないかもしれませんが、シトレ校長から、司令の事を聞いた覚えがあります。士官学校を卒業して少尉任官した際の指導役の下士官であられたとか。なにかと厳しく指導されたとぼやいておられた記憶があります」

 

「うむ。懐かしい話じゃが、あの頃は儂も血気盛んでな。預かったからには戦死させるわけには行かんとかなり厳しくしてしまったんじゃ。他にもボロディン提督やウランフ提督も儂が最初の指導役だったんじゃ。彼らの活躍を耳にするのは今でも嬉しい限りじゃな」

 

言ってみればビュコック司令は名将育成の請負人だった訳だが、この後には統合作戦本部では有名なもう一つの話が続く。司令の厳しい指導についていけなかった当時のパストーレ提督とムーア提督が、国防委員会への伝手を使って、司令を指導役から外したのだ。それ以来、国防委員会に近い軍人たちへの指導は、甘いものになったとも聞く。民主主義政体である以上、文民統制が原則だが、軍の人事にまで政治家が口を挿むのは正しい有り様ではないとも思う。司令にもお考えを聞いてみたい気もしたが、さすがに失礼かもしれない。ご縁があればまた話を聞く機会もあるだろうし、今日の所は止めておこう。



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81話:恋愛模様

宇宙歴791年 帝国歴482年 8月上旬

首都星オーディン コンサートホール控室

フレデリック・フォン・リューデリッツ

 

「フレデリック、芸大の音楽学部でも評判になっていると聞き及んでいますが、あなたの流れるようなピアノの旋律は何度聞いても素晴らしいわね。この場に立ち会えた方々は感謝することでしょう。我儘を聞いてくれた事、感謝します」

 

「私の旋律は、マグダレーナ嬢に鍛えて頂いたような物ですから、こういう形でお役に立てるならむしろ光栄な話です。ピアノに出会えたのも、貴方がきっかけのような物ですし」

 

「まあ、フレデリック、二人きりの時は呼び捨てにする約束でしたのに。芸大で他に良い方でもできたのかしら?」

 

からかう様子で、美しい黒い瞳で見つめられると、未だにドキドキしてしまう。芸大は様々な分野の才能の塊が集う場だ。当然、お互いの才能を認め合って恋愛染みた事をする事も多いが、実家が余程の資産家でなければパトロンが必要になる。そう言う意味ではお互い遊びの関係で終わる事が多いが、私の実家は帝国屈指の資産を持つリューデリッツ伯爵家だ。無尽蔵に浪費できる訳ではないが、父からも自分の感性に響くものがあるなら、それなりに支援する許可を頂いている。

結果、若い才能あふれる女性たちと、恋人半分、パトロン半分のような関係になっている。幼いころからお世話になっているオーベルシュタイン卿に露見したらため息をつかれそうだ。ただ、同じく兄のような存在のシェーンコップ卿とロイエンタール卿からは、『良くやった』と言われそうだが......。

 

「マグダレーナに隠し事は出来ませんね。ただ、皆、自分の才能を磨くのに必死なのです。少しでも刺激になりそうなことなら麻薬以外は進んで試すでしょうし、ベッドを共にする喜びも、心地よい温もりも、自分の才能と向き合う活力にはなりますからね」

 

「まあ、フレデリックも言うようになりましたわ。でも本気になってはダメよ。貴方の才能を最初に見つけて、磨き上げたのは私なのですから」

 

うっとりした表情をしながら、指先で頬を触れられる。16歳で初めてコンクールで大賞を受賞した晩、『ご褒美をあげるわ』と告げられマグダレーナ嬢とベットを共にした。お互い初めてだったが、あの夜は彼女がリードしてくれた。後で気づいたが、女性の初体験はかなり痛みを伴うものだ。まして初体験の私では、至らぬことも多かっただろうに、素敵な思い出にしてくれた。それ以来、母と姉に続いて、私にとって特別な女性になっている。だが、彼女は男爵家の一人っ子だし、私はまだ学生の身だ。結婚の事は考えなくて良いと言われているが、本当に良いのだろうか?

 

「承知しています。今は自分の才能を磨くことが第一ですから。それに経営者として歩み始めて、既に結果を出しつつある兄上にも、面目が立つような評価を得なければ。リューデリッツ伯の次男は『遊び人』だなどと言われかねませんし......」

 

「大丈夫よ。少なくとも音楽の世界では、『天才フレデリックの父親はザイトリッツだった』と言われることになるわ。『そしてフレデリックの才能に最初に気づいたのはマグダレーナだった』と続けば嬉しいのだけど、それは望みすぎかもしれないわね」

 

少し寂し気な表情をしたマグダレーナを抱き寄せて慰める。きちんと一人前になってから名のある賞を取るたびに『この賞を、私の才能に最初に気づいてくれたマグダレーナ嬢に捧げます』といえば、そんな事は実現できる話だ。今夜はお互い予定を空けているし、まずは2人だけの演奏会をして少しでも安心してもらおう。数週間ぶりに感じられる彼女の温もりに安らぎを感じながら、私はそんな事を考えていた。

 

「ありがとうフレデリック、貴方との関係を隠すためにパトロン活動もしているけど、ベットを共にするのは貴方だけなのですから、私の事もちゃんと気にかけてね」

 

やはり寂しい思いがあったのだろう。私も参加したミューゼル卿への英才教育に彼女も参加していたが、芸術への見識だけでなく経営や事業立案の分野でも彼女は才能を示した。結果としてRC社の社外コンサルタントのような役回りをこなしているし、男爵家の領地経営も彼女が主体となっている。私も肌感覚で知っているが、どんなに準備をしても思惑通りに進まない事の方が多い。心労がたまっているのかもしれない。

 

「そう言えば、兄君のアルブレヒト様の婚約相手はルーゲ伯爵家のご令嬢になるそうね?地球教の件や、今後のテロ対策も考えれば司法省との連携は重要だろうけど、政府系で考えれば、カストロプはともかく、リヒテンラーデは候補になりそうなものだけど、なにか聞いているかしら?」

 

「おそらくマグダレーナの所にも報告書が回ると思うけど、臣民達の認識では、汚職し放題のカストロプ公とそれを野放しにしているリヒテンラーデ候という見え方になっているらしい。ルーゲ伯は何とかしようとしているが、動けずにいるという感じだね。軍人の大半は平民だ。今、リヒテンラーデ候爵家と誼を通じると、それを容認したと受け取られかねないという判断らしい。それに軍部と政府が近づきすぎれば、ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵を中心とした門閥貴族がどう動くか分からないしね。一応、パトロンの真似事もしているから、オーベルシュタイン卿がなにかと政局を教えてくれるんだ。変な縁になってもお互い為にならないからね」

 

「そう言う事だったのね。RC社経由で、しばらくは政府系の貴族とは大きな案件は進めない様にとの通達があったから、私の方でも認識はしていたのだけど......。地球教が取り締まられた際に政府系は次代の層の本命が巻き込まれたし、カストロプ公からは関与の証拠は出なかったからクビにする訳にもいかなかったのでしょう。ただ、軍部からすれば大半が平民出身である以上、誼を通じるわけには行かないわね。確認できてよかったわ」

 

表向きの話はこれぐらいで良いだろう。控室を出て、地上車に乗り込み、二人で過ごすときに使う帝国ホテルのスイートルームへ向かう。あそこは部屋に調律済みのグランドピアノが用意してあるし、私たちが夜を過ごすには最適な場所だ。最初の曲はなににするか?リクエストしてもらったほうが慰めになるだろうか?私の思考は、マグダレーナをより癒すにはどうすべきか?という方向へ加速していった。

 

 

宇宙歴791年 帝国歴482年 8月上旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

ゾフィー・フォン・リューデリッツ

 

「お母様、お時間を割いて頂いてありがとうございます」

 

「良いのよ?フリーダ。この屋敷はずっと男性が多数派でしたから、母娘で過ごす時間がなかなか取れませんでした。そう言う意味では今更だけどもっとこういう機会を持つべきでしたね」

 

いつもは晩餐の後は遊戯室で過ごすのが習慣になってるが、娘のフリーダから二人で話がしたいといわれ、私の執務室で話を聞くことにした。思い返せばリューデリッツ伯爵家を繋ぐための政略結婚だったが、夫のザイトリッツは私を愛してくれたし、好きなこともさせてくれた。結果としてRC社の種苗分野の責任者を担うことになったが、母親としての時間はそこまで割いてこなかった。優しい気質と面倒見の良さ、そして料理の腕前を考えれば、娘のフリーダの方が、妻としての能力が高いかもしれない。

 

「お時間を頂いたのは、私の婚約の事です。お父様が頂いたお話をお断りされていることは知っているのですが、既に心に決めた方がいるので、その方との婚約を認めて頂きたいのです。そしてお父様を説得するのを手伝って欲しいと思っています」

 

嫡男のアルブレヒトの時は、『家業に適性がないので他の道に進みたい』などという経験が私にはなかったので、狼狽えてしまったが、日頃の様子をなんとなく観ていれば、今回の件は察しがついていた。それにしても娘の恋心まで夫は予想していたのだろうか?さすがにそれは無いだろうが、結果としてはRC社の番頭役として養育されたことが、今回の話をスムーズに進めることになるだろう。

 

「それで、お相手の方にはもうフリーダの気持ちはお伝えしているのかしら?婚約する事を了承頂いているの?」

 

「そちらはこれからですが、心配はしていません。まずはお母様に相談して、お父様を説得する所からと思っておりましたの」

 

「そうでしたか。あまり娘をいじめるのも良くないでしょう。お父様からはだいぶ前に、フリーダが自分から婚約の事を言い出した際には、『RC社の番頭役との縁が深まればアルブレヒトにも心強いだろう』とも『劣悪遺伝子排除法は有名無実化しているから気にしなくて良い』と伝えるように言われているわ。何やら事情があって廃法にする事も検討されているらしいしね」

 

どうやら、自分の思いが周囲に伝わっているとは思っていなかったらしい。フリーダの驚いた顔を見るのは久しぶりだ。思わず笑ってしまった。

 

「お母様もお父様もひどいですわ。私が決心を固めるのにどれだけ悩んだのがお分かりになるでしょうに......」

 

「本来なら、貴族の結婚は政略結婚が原則だもの。いくら政略的に意味がある結婚だと分かっていても、恋愛結婚を許可するような事は、私たちにはできない話だわ。でも大丈夫なのかしら?オーベルシュタイン卿は確かに優秀だし、お優しいけど、生まれついて目が悪かったことにコンプレックスをお感じのはずよ?婚約する事は彼にとっては大きな決断になると思うけど......」

 

「それは心配していません。パウル兄さまの優しさを理解できる未婚の淑女は私だけですし、子供の事はきちんと相談します。私の料理を一番喜んでくださるし、おばあちゃんになるまで心を込めて料理を作るから、おじいちゃんになるまで美味しそうに食べて欲しいとお願いするわ。今までも私のお願いを断ったことは無いし、お父様から口添えして頂ければ大丈夫だと思います」

 

父親なら娘ののろけなど好んで聞くものではないだろうが、母娘ならむしろ微笑ましい。オーベルシュタイン卿は表情に乏しい所があるけど、思いやりのある方だ。娘を預ける事に不安は無い。

 

「ひとまず、フリーダの気持ちは分かりました。まずはお父様にお知らせしますから、自分だけの判断で気持ちを伝えるのはしばらく待ってね。何とか良き形にしますが、貴族社会で恋愛結婚など許されないの。ちゃんと政略結婚に見える形式を整える事が必要になるのだから」

 

娘の気持ちを考えればすぐにでも意中の相手に思いを伝えたいだろうが、どちらかと言えば『仕える家の令嬢』に対しての対応だったようにも思うし、変に話がこじれても困る。早速、夫に知らせを認めて話を進めてくれるようにお願いしなければ......。事業に関わる時とはまたちがった高揚感を感じながら、私は夫への知らせの文案を考え始めていた。



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82話:帰国

宇宙歴791年 帝国歴482年 8月上旬

首都星ハイネセン 統合作戦本部

アレクサンドル・ビュコック

 

「ご無沙汰しておりました。ビュコック教官。シロン仕込みとまでは行きませんが、周囲に紅茶派が増えました。私のオフィスでは紅茶を出すことにしましたので、ご賞味いただければ幸いです」

 

「気を使わせてすまんな。それにお主ももう大将閣下じゃ。たたき上げの老人にまで気を使っていては身が持たんじゃろうに」

 

エルファシル星系の基地司令の引継ぎを終え、統合作戦本部に報告を終えて数日。士官学校の校長から正規艦隊司令に転出したシトレ大将の第8艦隊司令部に出頭を命じられた。シトレ大将が任官したての新任少尉の時代に指導役を担当して以来、たたき上げの儂を何かと気遣ってくれる関係じゃった。それにしても紅茶派が多数派になるとは、珍しい事があるもんじゃ。

 

「今は私たちだけですから、『教官』で通させてもらいましょう。教官の下にいたヤン中佐も参謀として所属されていまして、同じく参謀のラップ大尉と何やら画策したようです。声をかける機会があれば一言添えて頂ければ幸いです」

 

「ほう、ヤン中佐は近頃の若い者にはめずらしく老人のよもやま話にも、嫌な顔ひとつせず付き合ってくれたが、ラップ大尉とやらも見所がありそうじゃな」

 

「はい。ラップ大尉はヤン中佐とは同期なのですが、病気療養に入っておりましてな。やっと完治したので、現役に復帰したところです。ヤン中佐は目を離すと気を抜く所がありますから、補佐役にして尻を叩かせているという所です」

 

そんな話をしていると、ノックと共に従卒......ではないだろう、栗毛の士官が入室してきた。見事な手さばきでカップにお茶を注ぐとそれぞれの手元にカップを置き、一礼して退室していった。

 

「いやあ、見事なものじゃ、それに香りも素晴らしい。早速賞味させて頂こう」

 

「艦隊司令部が正式に立ち上がるまでの臨時出向で来てくれているミンツ中尉です。元々は後方勤務本部のキャゼルヌ大佐の所にいたのですが、ヤン中佐が頼み込んで手配してくれたのです」

 

シトレ大将は儂が驚くさまが余程嬉しかったらしい。ニコニコしながら紅茶の香りを楽しむようにカップを口元にゆっくりと運んだ。これだけの紅茶が飲めるなら、紅茶派が増えるのもうなずける。濃さもほのかに苦みが感じされる程度に抑えてある。儂の好みにおそらく合わせてくれたのじゃろう。

 

「それで教官、本題なのですが、第8艦隊の艦隊副司令官をお願いしたいと考えています。警備艦隊からウランフ少将、フェザーン方面を哨戒していたボロディン少将にも、分艦隊司令官をお願いしています。今の戦況では簡単に戦力を消耗させるわけにもいきません。艦隊のご意見番として手腕を取って頂きたいのです」

 

「うむ。ウランフとボロディンなら、気心のしれた仲じゃ。うまくやれるじゃろう。しかし儂は兵卒からの叩き上げじゃ。さすがに分艦隊司令官は無いと思っておったが、まさか艦隊副司令官とはな。そこまで人材面で厳しい状況じゃとは思っておらなんだが」

 

儂がそう言うと、シトレ大将は少し渋い顔をしながらティーカップをソーサーに戻した。

 

「あまり大きな声では話せない内容なのですが、戦況が劣勢なのを理由になにかと軍部の人事や昇進に国防委員会が口を出しているのです。このままでは実績や能力ではなく、国防委員会への伝手で、昇進や要職への任命が行われかねない状況です。教官をはじめウランフ、ボロディンの両名にも、次回の戦いでは昇進に値する功績を上げて頂きたいのです」

 

「うむ。なにかと噂になっておったが、実際は惜敗にも関わらず昇進したロボス大将に、その取り巻きのパエッタ、ムーア、パストーレか。命を賭けて功績を立てるより政治家に近づいた方が簡単じゃし、功績も認められやすくなるとなれば甘い誘惑なのはわかるが、儂が地方回りをしとる間にそんなことになっていたとはな」

 

「はい。なんとか戦力化できている8個艦隊ですが、先任の正規艦隊司令官の中にはそろそろ退役を迎える方もいます。パエッタはともかく、ムーアとパストーレには正規艦隊司令官はまだ無理でしょう。宿題ばかりが先行しますが、私も全力でサポートしますのでなんとかお願いいたします」

 

心持と味覚は連動するようじゃ。素晴らしいお茶が少々苦いものになってしまった。だが、さすがに指導が厳しいからと、裏で手を回すような輩が正規艦隊司令官になるようなことがあれば、この風潮はますます強まるじゃろう。それにしても劣勢じゃと言うのに、国防委員会もロボスも何を考えておるのじゃろうか。盗賊が迫っておるのに番犬の牙を抜くようなものじゃろうに。派閥形成のような事はあまり得意ではないのじゃが、そうも言ってはおれぬようじゃ。

 

「承知した。この老人で役に立てるなら、艦隊副司令の件、受けさせてもらおう。少なくともヤン中佐を始め、若木たちは育っておるのじゃ。良い形で次代につなげられるように老骨に鞭打つとしよう」

 

シトレ大将はホッとした様子で感謝を伝えてきた。教え子に頼み込まれて無下にする訳にもいかんじゃろうて。しばらくは女房孝行に勤しむつもりじゃったがそうも言ってはおられんようじゃ。早速じゃが、久しぶりにグリーンヒル中将やクブルスリー中将の所にも顔を出してみる事にしよう。まずは統合作戦本部の事情を、儂なりに確認せねばなるまいて。

 

 

宇宙歴791年 帝国歴482年 12月上旬

首都星オーディン グリューネワルト伯爵家・別邸

ジークフリード・キルヒアイス

 

「ラインハルト、ジーク。よく無事に帰ってくれましたね。お帰りなさい」

 

「姉上、ただいま戻りました。しかし宜しかったのですか?本日は特段なにかあった日ではなかったように存じますが......」

 

「あら、あなた達が無事に前線から戻ったのよ?陛下からも労うようにお言葉を頂いたわ。さあ、まずは着替えていらっしゃい。お茶の用意はしてあるからサロンで待っているわ」

 

アンネローゼ様はそう言い残されてサロンの方へ足を向けられた。警護の兼ね合いでこの別邸はリューデリッツ邸と門は共用だ。宇宙港から地上車で戻ってきたが、厳しい研鑽の日々を過ごしたこの場所が近づくにつれて、妙な安心感を感じた。隣におられたラインハルト様も同じようなお気持ちだったようだ。少しずつ機嫌が良くなられた。

 

「キルヒアイス、妙なものだな。姉上がおられるからかもしれないが、『帰ってきた』という気持ちが、この屋敷に近づくにつれて強くなった。思い返せばそれなりに大変な日々だったが、あの日々が今の俺たちの支えでもあるのかもしれないな」

 

身の周りの物を詰めたカバンを片手に。ほぼ一年ぶりにそれぞれの自室へ向かう。見慣れたはずの廊下も、窓から見える庭園もラインハルト様のおっしゃるとおり『帰ってきた』という気持ちを強めてくれる。不思議と笑みがこぼれた。ドアを開けると、屋敷付きのメイドの方が、しっかり手入れしてくれたのだろう。物は少ないが、清潔感のある私の部屋が変わらぬままそこにあった。思わずベットに身を預けたくなるが、アンネローゼ様をお待たせするわけにもいかない。普段着に着替えて、軍服をクローゼットにかけてから階下に向かう。私がドアを閉めたタイミングで、隣の部屋からもドアが閉まる音がした。

 

「キルヒアイス、あまり姉上をお待たせするわけにもゆかぬからな。さあ、サロンに急ごう」

 

いつもよりすこし早足のラインハルト様についていく。リューデリッツ伯からもしっかり英気を養うように指示を受けたが、その本人は最前線で動きがあるとのことで、まだお戻りになられていない。アンネローゼ様の事も含め伯のご配慮なのだろうが、後見人が戦地にいる中で、被後見人が休暇に入ってしまっても良いのだろうか?サロンに向かうとアンネローゼ様が、すでにケーキを切り分けてお皿に取り分けておられた。私も急いでお茶をいれる準備をする。ラインハルト様は褒めて下さるが、ときどきリューデリッツ伯やシェーンコップ卿から振る舞って頂く際には、まだまだ研鑽の余地があるのだと、感じる事が出来るようになった。いつかあのお二人をお茶で唸らせるのが個人的な目標だったりもする。

 

「相変わらず、ジークの入れたお茶は香りが違うわね。私も工夫してはいるのだけど、お客様方に毎回わたしが振る舞う訳にもゆかないし、焦ると逆に良くないらしいし、悩ましい所なのです」

 

「アンネローゼ様がお上手にお茶を入れられるようになってしまっては、私の役目が減ってしまいます。それはそれで寂しい気もしますね」

 

「まあ、ジーク。嬉しい事を言ってくれるのね。まずはお茶とケーキを楽しみましょう。やっと帰ってきたんだもの。話を聞かせてくださいね」

 

席について、早速ケーキを口に運ぶ。だんだん強まっていた『帰ってきた』と言う思いが、最高潮に達した気がした。自然にラインハルト様と目線が合い、うなずきあった。私たちは帰ってきたのだ。

 

「姉上のケーキを口に含んだとき、帰ってきたのだと実感しました。別に前線総司令部が辛いわけではないのですが、研鑽の日々を過ごしたこの屋敷が近づいてくるにつれて安堵する気持ちが強くなりました。もうこの屋敷が私の故郷なのかもしれませんね。姉上、ただいま戻りました」

 

ラインハルト様も久しぶりに穏やかな表情をされている。私も不思議と安堵していた。前線総司令部基地司令官付きは、決して楽な役職ではなかった。後方支援がメインだが、准尉とは言えある程度決済権をもって任務にあたる事が普通だった。伯の名代として高級将校へのメッセンジャー役もこなしたし、現場で不具合がないか?積極的に情報収集する事も求められた。もっと効率を上げるにはどうすればよいかを考えさせられ続けたし、他部署の士官たちからは常に『リューデリッツ伯が見込んだ人材』として見られる為、気が抜けなかった。人間関係の構築も、シェーンコップ卿が色々と教えてくれたが、知っているのと、出来るのとはかなりの違いがある。私はともかくラインハルト様は苦戦されておられたようだ。そして、伯の配慮の凄味も感じる日々だった。任される任務で分からないという事が一切なかった。英才教育で教え込まれたことが活きる任務ばかりだったし、求められる成果も明確で、与えられる情報も明確だった。ラインハルト様は少し物足りなそうな雰囲気をされることもあったが、『理不尽な状況』から『乗り越えられる状況』に戻った事も影響しているのだろう。

 

「前線総司令部基地司令付きを拝命したのですが、あの基地の大きさは帝都にも匹敵するほどです。それに6個艦隊が出入りしますから、基地司令の職務は、大都市の責任者のような物です。そのサポートをする役職ですから、艦隊が出入りすれば補給の手配を、何か問題が起きれば決裁権をもって対処する事もあります。時には憲兵隊や、現地の捜査機関と連携を取る事もありますし、基地自体の建設構想も特殊なので、より効率を上げられないか、改善策を考える事も求められます」

 

「おそらくあの基地で一番広範囲の部署と関わる役職と言えましょう。伯の名代として艦隊司令官の方々とも関わりますし、多くの方々にお力添えを頂いています。任官した当初は基地の広さに迷ってしまわないか心配になるほどでございました。」

 

「それに、私たちで提案した改善策が採用されたのです。効果も既に出ておりますので、些細な功績ですが、昇進に値すると評価され、年明けには二人とも少尉になります。伯からも、姉上に胸を張ってお伝えせよとの事でした」

 

アンネローゼ様もご安心されたご様子だ。伯からはまず後方から軍の動きを学び取るようにとのご配慮なのだろうが、ラインハルト様は本当は最前線に出たがっている。任官する前なら、ご本心をそのまま話されていたかもしれない。そんなことになればアンネローゼ様もご心配されるだろうし、伯とラインハルト様の間で、お困りにもなるだろう。シェーンコップ卿の人間関係構築に関しての指導が少しは活きているのだろうか?笑顔を保ちながら胸をなでおろす思いだった。



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83話:義眼陥落

宇宙歴792年 帝国歴483年 3月上旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「時間を作ってもらってすまないね。まあかけてくれ」

 

イゼルローン回廊の向こう側で、叛乱軍の動きが活発化したため、本来なら年末年始にお戻りになられる予定だったリューデリッツ伯が久々にお屋敷に戻られた。その翌日、事前に内密に相談がしたいと打診を受けていたので、予め決めていた時間に伯の執務室にむかった。ご嫡男アルブレヒト様の婚約者の素行調査は確認できているし、ご次男フレデリック様とマグダレーナ嬢の件は、さすがに私が口出しする案件ではない。フリーダ様とのご縁談はお断りされているとの事だし、何か急ぎの案件でもあるのだろうか?伯みずからお茶を入れて下さり、良い香りが執務室に漂う。

 

「それで伯、相談事とはどのようなことでしょうか?今の所、伯から急ぎでご相談いただくようなことは心当たりがないのですが......」

 

「うむ。大きくは2点ある。一点目は、私の被後見人たちの事だ。もう一年、私の手元で実務をさせれば、軍と言う組織の中での働き方は十分身につくだろう。その後の事だが、情報部で情報収集とその分析。憲兵隊で証拠固めと検挙までを経験させたいと考えている。早くて18歳、遅くとも20歳でメルカッツ提督の艦隊司令部に参謀として配属したいと考えているが、2年で昇進させるだけの功績を立てさせることは可能なのだろうか?」

 

「そうですね。あの両名なら何とかなると存じます。ケスラー大佐も来期から准将に昇進しますし、ひととおり検挙まで経験させる手配なら問題なく対応されると存じます。私の分室は、情報部の中でも前線総司令部基地司令部専任のようなところがありますから、短期で異動させても特に問題は無いかと」

 

「そうか。ならこのキャリアプランを想定しておこう。卿に確認できて助かった」

 

伯のお力添えもあり、私もいつの間にやら少将だ。特に艦隊司令に興味は無いし、預かる分室の人員が増える一方なこと以外は、すべきことに変化もない。そろそろ退役してRC社へ入社したいところだが、准将になったシェーンコップ卿も、伯が前線総司令部基地司令の間は、現役でお支えするつもりのようだ。それを知って私だけがRC社に入社するわけにもいかない。情報部の任務は私の適性にもあっているし、ここで伯のお役に立つのが、今できる恩返しだろう。

 

「それと、もう一つの相談なのだが、フリーダの事なのだ。伯爵家ともなれば婚姻は政略を含むものにならざるを得ない。ところがな、既に心に決めたものがいるらしいのだ。貴族社会で恋愛結婚などなかなか認められるものではないが、話を聞くとな政略的な面でも十分に意味があるようなのだ。それに私も、嫁に出すなら彼にしたいと考えていた人物だ。卿はどう思う?」

 

「私自身は結婚を考えた事がございませんので回答に困りますが、フリーダ様がお幸せになられるなら、それが一番なのではないでしょうか?もちろん私の方で動く必要があるのならお力添えさせて頂きます」

 

フリーダ様が心を寄せるとなると、身近な男性だろう。年を考えればミューゼル卿はさすがに若い。キルヒアイス少尉も同様だろう。となると、シェーンコップ卿かロイエンタール卿というあたりか。歓楽街の魔王と魔眼などとささやかれていると聞くが、そろそろ身を固めても良い年齢だ。説得は容易ではないが、幼いころからよく知っている仲だ。何とかできるだろう。

 

「うむ。まあ、相手のあることだからな。フリーダの婚約担当を卿に頼みたい。一人娘が胸に秘めた想いだし、なんとかかなえてやりたいのだ。もし費えがかかるようならこちらで手配するので、フリーダの要望がすべて叶うように手配してもらいたい」

 

「承知しました。それで、お相手はどなたなのでしょうか?候補はいるものの、お恥ずかしながら確信が得られないものですから」

 

「うむ。それなのだが、フリーダにとっては卿は家族も同然であろう?自分の口から伝えたいとのことでな。サロンに控えているから顔を出してやってくれ」

 

こういうお話なら執務室ではなく、遊戯室でご同席されても良いはずだが余程言いにくいお相手なのだろうか?ご指示通り執務室を退室してサロンへ向かう。退室する前に『良いな?婚約担当でフリーダの要望が叶うように手配を頼むぞ』と伯に念押しされた。どんな大事でも念押しなどされたことは無い。少し違和感を覚えたが、フリーダ様をお待たせするわけにもいかない。サロンに歩みを進めるとフリーダ様がお茶を嗜まれていたが、人払いがされていた。

 

「パウル兄さま。お待ちしておりましたわ。お茶の用意が整っておりますわ。こちらへ」

 

フリーダ様にうながされ席に着く。このお屋敷に出入りしていれば自然に紅茶に詳しくなる。そして少しずつだが、皆さまのお好みが違う事もある程度すると分かる。この香りはフリーダ様の好みに合わせたものだし、私の好みでもある入れ方をしたものだ。

 

「美味しいお茶をありがとうございます。このお屋敷では皆さま茶道楽ですが、私の好みに一番合うのはフリーダ様のお茶です。特に香りがよいですね」

 

「ありがとうございます。パウル兄さまにそう言って頂けると嬉しいです。それで、お父様とはどのようなお話をされたのですか?」

 

いつもは温和なフリーダ様から何やら鬼気迫るものと言うか決意のような物を感じる。特に隠す話でもない。

 

「はい。お相手は伺っておりませんが、私がフリーダ様の『婚約担当』になる事と、『フリーダ様のご要望は叶える様に』と承りました。思いを寄せられておられるとのことでしたが、どなたなのでしょうか?私が説得役になるとすれば、シェーンコップ卿かロイエンタール卿だと思うのですが、色恋沙汰にはあまり長じていないので、確信を持てる候補がおりません。伯からはフリーダ様から直接聞くようにとのことでしたが......」

 

「やはりお分かりにならないのね。思っていた通りですわ。お父様が一人娘を嫁に出してまで繋がりを持ちたいと思うのは、将来アルブレヒト兄様が伯爵家を継いだ際に、その右腕が務まる方......。つまりRC社の番頭役が務まる方ですわ。そして音楽では超一流になるかもしれませんが、そのほかの部分はボロボロのフレデリックの手綱をそれなりに握れる方です」

 

そこで一度、お茶を口に含まれる。私もお茶を口に含んだ。

 

「私が思いを寄せた方は、男性が多いこの屋敷で、いつも私を気づかってくれました。他の方々が『自分のしたい事』を優先されている中で、『自分がすべき事』を常に意識されていました。近くで観ていなければわからない優しさをお持ちの方です。そして、私のつたない料理を、美味しそうにいつも食べてくれました。

パウル兄さま、私が思いを寄せているのは、貴方です。私はしわくちゃになるまで心を込めて料理を作るわ。パウル兄さまはしわくちゃのお爺さんになるまで美味しそうに食べて頂きたいの。私の『婚約担当』として、要望をかなえて頂きたいのです」

 

「しかしながら私は先天的に義眼を必要とする生まれでした。劣悪遺伝子排除法は有名無実化されているとはいえ、伯爵家の唯一のご令嬢の嫁入り先としてふさわしいとは思えません。それに貴族にとって血を繋ぐことは至上命題です。自分の子供が、私と同じように義眼を必要とするような生まれになると思うと、正直、怖いのです。本心を申しますが、オーベルシュタイン家は私で途絶えさせるつもりでした」

 

「それなら大丈夫です。劣悪遺伝子排除法は既に廃法になる方向で動いておりますし、お父様も婚約の祝儀代わりに陛下にお願いすると申しておりました。子供の事も、パウル兄さまがどうしてもとおっしゃるなら養子縁組をすれば良いだけです。それに、劣悪遺伝子排除法が廃法になれば遺伝子治療の分野も発展するでしょう?実際、宇宙放射線に曝される船員が多いフェザーンでは、そういった治療も行われています。パウル兄さま、私の要望をかなえて下さい。この要望をかなえられるのは、宇宙に貴方だけなのですから......」

 

リューデリッツ伯には、生まれついての呪いを解いて頂いた。さらにそのご令嬢に当たり前の家庭を持つ幸せを頂くなど、本当に良いのだろうか?

 

「私は共に人生を歩む相手として、パウル兄さまを選びました。事情は分かっているのです。年下の淑女に、これ以上恥をかかせないで。こういう時は黙って抱きしめて下さい」

 

気づいた時は。フリーダ様を抱きしめていた。義眼でなければ涙を流していたに違いない。生まれついての呪いに感謝する事は出来なかったが、この呪いが無ければリューデリッツ伯にもフリーダ様にもここまで良くして頂けなかっただろう。いつか、この御恩をお返しできるように励む事にしよう。もっとも伯は、『そんなに思いつめる必要はない』とでもおっしゃりそうではあるが......。

 

 

宇宙歴792年 帝国歴483年 6月上旬

アムリッツァ星域 前線総司令部 歓楽街

オスカー・フォン・ロイエンタール

 

「すまんな、ロイエンタール卿。卿も忙しいだろうに......」

 

「いえ。たまにはシェーンコップ卿とこういう場に来るもの悪くはないかと。伯からは色々な司令部を経験したうえで、参謀か戦闘艦の司令か志望を決めるようにとのことでした。まだしばらくは異動が続きそうですから」

 

イゼルローン回廊の向こう側でシュタイエルマルク艦隊の参謀として哨戒任務に参加し、前線総司令部に帰還して補給の手配が終わった頃合いでシェーンコップ卿から久しぶりに一献傾けようと声をかけられた。彼はこの基地司令部の防衛責任者だ。俺が基地司令付きだった頃は何かと一緒になる機会があったが、異動して以来、ご無沙汰になっていた。俺にとって兄のような存在だし、同席して気持ちの良い男だ。異存は無かった。

 

「一先ず、卿の無事な帰還に」

 

少し高めのワインをグラスに注ぎ、乾杯をする。このバーは俺が帰還した際に必ず顔をだす場所だ。良いプロシュートを出すし、ワインもそれなりに揃っている。前線から戻ったと節目を作る場でもあった。

 

「それで、艦隊司令部に異動してみて、どんな様子だ?俺はどうも地に足がついている方が性に合う気がしてな。卿とミッターマイヤーに正式艦隊司令を目指すことを押し付けてしまったような気がしていたのだが......」

 

「私自身は楽しくやらせて頂いています、もっとも来期にはルントシュテット艦隊の司令部に異動になります。『色々な司令部を経験して自分なりの司令部を作る時の材料にするように』というご配慮でしょうし、ありがたく思っています。ミッターマイヤーは入れ替わりでシュタイエルマルク艦隊に異動になるでしょう。すこし下の者に甘い所があるので、その辺は先に一言伝えておくつもりです」

 

『そうか、なら安心だ』とほほ笑むと、シェーンコップ卿はグラスを傾けた。おれも一杯目を飲み干し、グラスにワインを注ぐ。酒の席での立ち居振る舞いは『大奥様』から仕込まれた仲だ。同席すればお互いの機微はなんとなくわかる。テーブルに並んだチーズを一口摘まんだ所で頼んでいたプロシュートが2皿、それぞれの手元に置かれる。

 

「今回声をかけたのは、伯から内々に卿の説得を頼まれたからだ。伯としては俺と卿にも男爵株を用意したいらしい。シェーンコップ家はともかくロイエンタール家はそれなりの資産があるからな。幼少の頃から父親代わりをされたのだ。我ら3人に差をつけるような事はされたくないそうだ」

 

「既に多大な配慮を頂いているはずですが、あの方には限度と言うものが無いのでしょうか?お返しする前に御恩が貯まる一方ですが......。ただ私だけが受けないとなると、逆にお気にされるでしょう。光栄な事ですし私の場合はマールバッハ伯爵家との兼ね合いもありますから......」

 

母方の血縁であるマールバッハ伯爵家は完全に没落しつつある。ロイエンタール家の資産と、俺のリューデリッツ伯との縁を活用しようと画策していたが、そちらも伯が対応して下さった。不義の子を養育しただけでも義理は十分に果たしたと思うが、追い込まれた連中からすると『起死回生の一手』に見えるらしい。伯のお手を煩わす度に、マールバッハ伯爵家への印象は悪化の一途だった。

 

「それにしても我らが姫も、やっと思いを口にできたようだな。オーベルシュタイン卿にとっては望外だったやもしれんが、人生最大の戦果かもしれんな」

 

「むしろフリーダ嬢に見る目があったと言うべきではないでしょうか?そういう意味では見た目やら宝石やらに夢中の空っぽ令嬢とはふた味は違うと示されたわけです。リューデリッツ伯の一人娘としては上出来でしょう」

 

リューデリッツ伯の一人娘の結婚相手という立場は、帝国で門閥貴族を含めて行列が出来るほど望むものがいるだろう。縁談の話もかなり舞い込んでいたらしいが、伯は全てお断りになられていた。俺の中ではオーベルシュタイン卿かシェーンコップ卿が候補だと思っていたが、有名無実化されているとはいえ、劣悪遺伝子排除法の事がある。先天的に義眼を必要とする生まれがマイナスに働くのでは......。とも思ったが、伯はそのようなことは気にされなかったようだ。

 

「おれは卿とオーベルシュタイン卿が候補者だと思っていたが、目の事があったからな。卿が最有力だと思っていたが......。あの時のお言葉は本心から言われたものだったのだろうな」

 

そう言うと、シェーンコップ卿が初めてオーベルシュタイン卿と晩餐を共にした際の話を聞かせてくれた。幼いなりに俺も自分の生まれを呪っていた時期もある。伯は自分の言質を通された形になる。オーベルシュタイン卿もさぞかし嬉しかったに違いない。

 

「私は卿とオーベルシュタイン卿が候補だと思っておりました。そういう意味ではお互い自分が候補ではないと思っていたあたり、自己評価はあながち間違っていないようです」

 

「それもそうだろう。男性が多かったあの屋敷で、何かとあぶれる事が多かった『お姫様』をいつも気にかけていた。俺たちが『したい事』をしている中で、『すべき事』をしていたのがあの男だからな。表情が乏しいから分かりにくいが優しい男だ。一人娘を安心して任せられるだろう......」

 

お互い見るべき所は押さえていたという所だろうか?それにまだ結婚するという気持ちが無いのも確かだろう。さすがに平民と結婚できる立場ではないし、俺は貴族のご令嬢はどうも信頼できない。シェーンコップ卿も歓楽街の『魔王』などと呼ばれ浮名を流してはいるが、特定のお相手は作られていない。伯から縁談を持ち掛けられないのが救いだが、爵位をもらうとなるとさすがに未婚で通すわけにもいかない。だがまだ猶予はあるだろう。おいおい考えればよい事だ。



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84話:派閥

宇宙歴792年 帝国歴483年 8月上旬

首都星ハイネセン 統合作戦本部 

シドニー・シトレ

 

「一先ず、出された宿題は何とか済ませたと言った所かな?じゃが、こうなっては国防委員会に近い連中との派閥抗争は先鋭化しかねんじゃろうな」

 

「ビュコック教官、今更の話でしょう。それに指導が厳しいから、裏で手を回すような人間が100万人を越える人間の命の責任者になるなど、笑い話でしかないでしょう?後は我々が口実を与えない様に動く必要があるかもしれませんが......」

 

年初から連戦した最前線での遭遇戦だが、この数年では稀なほど被害を押さえて帝国軍と痛み分けに持ち込むことが出来た。他の艦隊ではそれなりの被害が出ていたが、少なくとも戦術的に対抗する光明がやっと見えた気がした。とは言え、分艦隊司令をこの面子で揃えられたから出来た事だ。同盟軍全体で実施できるようになるとは、考えない方が良いだろう。

 

「退役を含め空いた4つの正規艦隊司令の椅子は、パエッタ以外は私たちで確保できました。クブルスリー中将とグリーンヒル中将は中立ですが心情的にはこちらよりです。戦力化できている10個艦隊のうち6名は国防委員会の差し出口に否定的な人材で固められました。最悪の事態は避けられたと言っても良いでしょう」

 

「それにしても残念じゃ。後方勤務本部から借り受けておきながら見捨てるような行動をとるとはな。あの紅茶をもう飲めないと思うと、儂の司令部に引っ張っておけばよかったわい。ロボスも自分の派閥だからと言って、甘やかしてばかりでは為にならん。その上でしれっと昇進させようとするとは。もう少し『恥』というものをわきまえた男だと思っておったが......」

 

少ない被害で帝国軍を押し返した我々の艦隊の実績に焦ったのか?主任務は哨戒であるにもかかわらず、ロボスは、それをおざなりにして艦隊をイゼルローン方面に進めた。結果、有力な敵と会敵したものの、想定外のタイミングで補給を必要とした。急な補給要請を受けた補給部隊は哨戒が徹底されなかった宙域を進むことになり、不幸にも帝国の哨戒艦隊と遭遇し殲滅された。計画外の補給の責任者として同行していたミンツ中尉、いや、もう二階級特進して少佐か......。も帰らぬ人となった。

ミンツ中尉の紅茶を入れる腕は素晴らしいものだったし、教官も彼の紅茶を気に入っていた。哨戒が徹底されていれば戦死する事は無かっただろう。前線での奮戦を考慮し不問とされたが、エルファシル星系から、補給の陣頭指揮をとっていたセレブレッセ少将は、『補給部隊が本来負うはずがないリスクを押し付けるなら、計画外の補給は二度と行わない』と激怒したらしい。ロボスの戦局を楽観視する部分が悪く出た形だ。

分艦隊司令までは、自分の艦隊の事を考えるだけで良いが、正規艦隊司令ともなると軍部全体の事も意識しなければ他部署から白い目で見られる。そういう物をなんとなく肌で感じたから国防委員会に近づいたのだろうか?そのせいで、取り巻きに強く出れないとしたら、悪い循環に入っているようにも思うが、今更、私から忠告をしても修正するのは困難だろう。

 

「儂らが正規艦隊司令になれたのも朗報じゃが、いよいよお主が宇宙艦隊司令長官じゃ。この戦局では明るい材料が多いとは言えぬが、儂らも支えるつもりでおる。なんとか励んでもらいたいところじゃ」

 

「教官たちに支えて頂けるなら、心強い限りです。ただ、この立場になった以上、全ての正規艦隊に一定の配慮をせざるを得ないでしょう。どこまでお返しできるか分からない所が申し訳ないくらいです」

 

宇宙艦隊司令長官は、実戦部隊のトップだ。その立場にある人間が贔屓を始めたら、それこそ軍全体がおかしなことになりかねない。国防委員会の横槍をはねのける意味でも、誰から見てもそれなりに筋の通った形にする事を強く意識しなければならないだろう。

 

「その件なら、気にする必要はない。儂らは信賞必罰がちゃんと機能してくれればそれで満足じゃ。それと期待したい配慮としては、数個艦隊を派兵する際は、我らで組ませてほしいという所じゃろうな。今回の会戦で、確かに戦術面で光明が見えたが、『功に焦る者』や『自分の功績の為ならリスクを押し付ける輩』と一緒では、帝国の補給のタイミングまでは守勢を取り、一時的に戦線の戦力が減るタイミングで痛撃を与える戦術は実行出来んからな。

10個艦隊と言っても、帝国がフェザーンに進駐した事を思えば、3個艦隊は手元に置かねばならんだろうし、ハイネセンを空にするのは国防委員会が許さんじゃろう?となれば、儂らの3個艦隊とロボス、パエッタと誰かを組ませて交代で哨戒するような形にして欲しいとは思っておる」

 

「そう言う話なら何とかできるでしょう。宇宙艦隊司令部の中に派閥があることは本来好ましくはありませんが、派閥争いを前線に持ち込まれれば、その負荷は最終的に兵士たちが負うことになります。今の同盟軍にそんな事を許容する余裕はありませんからな」

 

任官した時から、責任ある立場になりこの戦争をなんとか優勢に出来ればとは思っていたが、昇進するほど、部下や他部署、それに国防委員会への配慮を考えなければならなくなった。宇宙艦隊司令長官という役職に任じられたことを嬉しくは思うが、憂鬱な事が無いわけではない。

『貴殿らの練達した艦隊運用に敬意を表す』か。会敵したシュタイエルマルク艦隊からの電報だが、少なくとも帝国には敵の勇戦を称える余裕がある。帝国軍人には、こんな悩みは無いのだろうか?宇宙の向こう側のもう一人の宇宙艦隊司令長官の心境に、私は思考を向けていた。どうせなら同じような気苦労があってほしいものだが......。

 

 

宇宙歴792年 帝国歴483年 8月上旬

首都星ハイネセン 歓楽街

ダスティ・アッテンボロー

 

「アッテンボロー、お前さんも無事で何よりだったな。ミンツ少佐の事があってから妙な胸騒ぎがしていてな。ヤンもラップも無事で何よりだ。昇進も大事だが、命あっての事だからな。では皆が無事に帰還した事に!そしてミンツ少佐に......」

 

キャゼルヌ准将の音頭に合わせてクラスを少し掲げ献杯をする。俺は面識を得てはいないが、所属している第8艦隊の司令部立ち上げ期に後方勤務本部から出向されていた方らしい。特に紅茶を入れるのが神技で、紅茶派が増えるきっかけになったと聞く。ロボス提督の悪癖である『楽観視』がもたらした、本来必要なかった犠牲になられた。

戦功を焦って足元を疎かにする提督と、それに警告しない参謀陣。惜敗を勇戦に塗り替える国防委員会に、主戦派に迎合する大手報道機関。最低でもけん責処分にはすべきだろうに、口頭注意で済まされたらしい。戦闘宙域で哨戒に手を抜くなど、そもそも士官学校の候補生でも論外の行為なはずだ。そんな事がまかり通ってしまう今の軍部に、憤りを覚えるのは俺だけではないだろう。

 

「彼の入れるお茶は本当に美味しかった。もう飲むことが出来ないとなると、尚更惜しく思います。それにあれほどの技量を持ちながら、人に振る舞うのを喜びとする方でしたし、残念ですね」

 

「キャゼルヌ准将、今回の一件は戦闘部隊がすべきことを怠り、結果、後方部門が被害を受けた形になります。再発防止は当然としてどんな受け取られ方をされているのでしょうか?これがきっかけで溝が出来るようなことになれば、それも問題だと思うのですが......」

 

ヤン先輩がミンツ少佐を惜しみ、ラップ先輩が後方部門との軋轢を憂慮される。だが一方的にリスクを押し付けられて黙って受け入れるだろうか?そうでなくても、戦力が充足していないことを理由に、補給部隊は護衛がつかない状況にある。にも関わらず哨戒を怠って予定にない補給を申請するなど彼らからすれば自分たちの身の危険を考慮しない行為に見えると思うのだが......。

 

「うむ。その件だがな、お前さんたちの艦隊司令部ではそう言う事は無いだろうが、計画に無い補給を行う場合は護衛戦力を回さなければ受けないことになりそうだ。計画通りの補給でも哨戒がされているか、確認される事になるだろうな。今回の一件に関しては『必要ない犠牲だった』という事よりも『すべきことをしなかったにも関わらず口頭注意で済んだ』ことに憤っている人間が多いな。

配慮をせずに死なせても構わないと言われたに等しい。ならばこちらも自分達で安全を確保するという感じだな。正しい有り様ではないだろうが、俺も部下に責任がある。こんな形で戦死させられるならそれなりに配慮する責任があるからな。お前さん方にはすまんとは思っているんだが......」

 

「准将の立場では仕方ないでしょう?俺だって自分の部下を戦死させたくはありません。ましてや本来すべきことを怠って戦死させられるなんて御免ですよ。それよりロボス提督はなにをお考えなんでしょう?シトレ提督との出世争いを巻き返すために国防委員会に近づいた結果、宇宙艦隊に明確に派閥が出来ましたし、信賞必罰は崩れ気味。その上、実戦部隊と支援部隊の軋轢まで作り出すとは。

次は何をしでかして同盟軍を弱体化させるのか、今から楽しみでおちおち昼寝も出来ません。幸いなことに、私はウランフ提督の艦隊に所属していますから良いですが、あちらさんに配属されるような事でもあれば目も当てられませんよ」

 

「アッテンボロー、この場では良いが司令部に戻ったら口は慎むようにな。もともと俺たちはシトレ大将に近いと思われている。そうでなくてもロボス提督からすれば、自分の取り巻きを押し込むはずだった艦隊司令官職を横から取られたとでも思っていそうだからな。お前さんの事だからその辺は弁えていると思うが、念のためな」

 

准将が苦笑しながらも念を押す。それ位の事は分かっているが、たまに場を忘れて本音が漏れてしまう事もある。それでウランフ提督に変にご迷惑をかけるのも不本意だ。心するとしよう。

 

「アッテンボロー、ヤンはビュコック提督の所へ転出するし、私はボロディン提督の所へ転出する。ウランフ提督の所にはパトリチェフ少佐もいたはずだ。司令官同士は、もともとビュコック提督が指導役だったという事もあり、忌憚なく意見を出し合う関係だ。司令部間でもそうなれれば良いと思っている。その辺の役割も期待しているから、しばらくは毒舌を押さえて、ウランフ提督に変に目を付けられないようにな」

 

「ラップ先輩までひどいですね。私はヤン先輩と違ってそれなりに空気は読めますし、退路もちゃんと確保していますよ。先輩こそ、婚約者持ちなんですから自重をお願いします」

 

予想外の反撃だったのか、ラップ先輩を苦笑させることが出来た。軍人でありながら精神論を重視しない話の分かる先輩方に何かと守って頂いているのは俺も理解している。司令部に戻ったらパトリチェフ少佐にも話を通しておこう。ただ、あの人は体格通り、酒量も半端じゃないから、付き合う方も大変なんだが......。だが、やろうと思ったことはしておくべきだ。怠慢で後悔するようなことがあってはならないだろう。

 

「婚約者と言えば、キャゼルヌ先輩の結婚式には何とかこの面子は揃って参加できそうでホッとしています。新郎はともかく、新婦には美味しい料理を振る舞ってもらいましたからね。御恩はしっかりお返ししないと......」

 

「あのなあ、お前さん方。その材料を調達しているのは俺だぞ?なら俺にも相応の敬意を表すべきではないのかな?」

 

「経営者志望だった先輩が見落とされるとは意外です。民間でも軍でもより上位の権力者にご機嫌伺いをするものです。そうなると、新郎と新婦、どちらの機嫌を伺うかは自明の理でしょうに......」

 

いつものじゃれ合いが始まった。戦況が劣勢なこともあり明るいニュースはそうそうない。せめて親しい人の結婚式は明るく祝いたいものだが......。




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85話:蠢動

宇宙歴792年 帝国歴483年 10月上旬

ブラウンシュバイク星系 惑星ヴェスターラント

フレーゲル男爵

 

「フレーゲル男爵、この度はわざわざのご足労感謝する。叔父上からヴェスターラントの代官職を頂いたのは光栄な事だが、ここは御覧の通り、点在するオアシスを中心に農園があるだけだ。面白い事も無いゆえ、卿が来訪すると聞いて心待ちにしていたのだ」

 

「シャイド男爵、何を言うのだ。我らの世代で統治する立場にあるのは卿だけだ。私も叔父上の代理として他家への使者になったりもするが、まだまだ使い走りの域を出ておらぬ。変な謙遜をする必要もあるまい」

 

シャイド男爵家は我がフレーゲル男爵家同様、帝国の藩屏たるブラウンシュヴァイク公爵家の血族だ。叔父上は帝室から降嫁を許され、本来なら帝政を主導する立場になられても良いはずだが、軍部系貴族と政府系貴族は独自の動きを取り、叔父上に従おうとはされていない。特に軍部系貴族は、『実力重視』を名目として、我ら門閥貴族の関係者を軍から排除しただけでなく、士官学校や幼年学校からも排除した。

結果として我らの世代は門閥貴族の子弟が集まる教育機関に集う事となり、団結は強まったが、我らが就くべき役職を爵位も持たぬ平民どもに奪われた様な形だ。帝国の運営は、ルドルフ大帝に功績を認められた我ら門閥貴族が担うべきものであるはず。今の帝国の有り様は本来あるべき姿ではない。

 

「それで、相談したい事があるとのことだったが、どんな内容かな?代官職にある以上、長期にわたってヴェスターラントを離れるわけにはゆかぬが、それ以外の事なら卿と私の仲だ。相談には乗るが......」

 

「うむ。卿に相談したかったのは、今の帝国の有り様をどう考えるか?という事だ。政府系の貴族は汚職と麻薬にまみれ、自浄作用などない。軍部は無能な叛徒どもを叩けているからと増長し、我ら門閥貴族が指揮すべき兵たちを抱え込んでいる。帝国を主導すべきなのは、ルドルフ大帝に信任された我ら門閥貴族であるべきだとは思わぬか?」

 

シャイド男爵は少し考え込む様子であったが

 

「確かに卿の言う通りだな。今の帝国の有り様はルドルフ大帝の意図された物とは違うであろうな。だがどうする?陛下の信頼は皇女殿下と寵姫の弟の後見人にしたあたり、リューデリッツ伯を中心とした軍部系貴族にあろう。その辺はどうするのだ?」

 

「そもそもリューデリッツ伯など、3男坊として好き勝手していた折に偶々できた酒が、放蕩者として有名だった当時の陛下の気まぐれで皇室御用達となり、それがきっかけで引き立てられただけであろう?何より皇太子殿下が身罷られたにも関わらず、後継者を指名されてはいない。立太孫の儀式も行われる様子が無い。ならば、年長であるエリザベートが至尊の冠を戴くことになってもおかしなことではあるまい」

 

「卿の言い分ももっともな話だが、さすがに政府と軍を相手にするには、ブラウンシュヴァイク公爵家の一門と寄り子だけでは難しいな。その辺は何か考えているのか?」

 

「もちろんだ。まずはブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家、双方に繋がりがあるコルプト子爵に繋ぎを取ってもらう。それを軸に門閥貴族4000家をまとめるのだ。卿だけに話すが、フェザーンも軍部に持っていた利権から締め出されつつあり、今の有り様を必ずしも歓迎していない様子なのだ。フェザーンの協力があれば、資金面でも問題は無い。十分対抗できるだろう?」

 

「そこまで考えているなら問題なかろう。私も卿に協力しよう。この件が成功すれば叔父上も次代の人材が育っていると安心されるはずだ。我らの実力を示すときがきたやもしれぬな......」

 

シャイド男爵もその気になってくれた。後は時間をかけて門閥貴族を集結させればよい。立太孫の儀式が行われるような事があれば困ることになるが、要は妨害工作を我らがすれば良いだけだ。フェザーンの協力があれば、宮内省を動かす事も容易だろう。ついに帝国を我らが門閥貴族の手に取り戻すことが出来る。それがなった暁には、私の功績は揺るぎないものになる。

そうすればブラウンシュヴァイク公爵家を継ぐことも夢ではなくなるだろう。そもそも我らがブラウンシュヴァイク公爵家を差し置いて皇女の後見人になるなど、リューデリッツ伯を始めとする軍部貴族は増長し切っている。一度弁えることを教えなければなるまい。

 

 

宇宙歴792年 帝国歴483年 11月上旬

首都星オーディン 国務省 尚書執務室

財務次官 ゲルラッハ財務次官

 

「やっと政府内も落ち着いたと思えば、今度は皇太子殿下が崩御されるとはな。恐れ多い事ではあるが、結局混乱をもたらすだけもたらして、最後に紛争の種を残して逝かれるとは......。故人を悪く言うのは不本意ではあるが、この宇宙であの方に恩恵を受けた者はおそらく一人もおるまいな。財務省の方は如何じゃ?国務省にまでカストロプ公爵の強欲ぶりが鳴り響いておるが......」

 

「財務次官として、お詫び申し上げます。率直な所、爵位の差もありますし、私が歯止め役になるにも限界があります。現在はあくまで政府発注案件からのリベートの強要に納まっておりますが、年々隠す素振りが無くなりつつあるのも事実。国務省どころか宮中全体で公然の秘密でありましょう。ご期待に沿えず、申し訳ございません」

 

「すでにルーゲ伯から罷免と財産の差し押さえには十分な証拠があるとせっつかれておる。ただ、まだ話は下りてきておらんが、皇太孫であらせられるマクシミリアン殿下の事もある。立太孫が行われる時期に、政府内の不祥事を明らかにするわけにもゆくまい。時期と状況を今少しわきまえる男なら良かったのじゃが、むしろ野放しにしたせいで見境が無くなっておるようじゃ」

 

リヒテンラーデ候がため息をつかれる。地球教摘発の為の健康診断と言う名目での薬物検査が大混乱の引き金となってまもなく6年。軍部系貴族とブラウンシュヴァイク公爵家・リッテンハイム侯爵家が全面的に協力する以上、例外は認められなかった。そして皇族弑逆という大逆罪に関わる調査の為、通常なら内々に処理されるような案件も手心が加えられることは無かった。

結果として多くの政府・宮廷系貴族の醜聞が明らかになり、混乱は治まったものの次代の尚書候補たちが何かしらの形で巻き込まれた。将来の内務尚書候補だったハルテンベルク伯など、『婚約者を内密に弑されたこと』を逆恨みした妹君に階段から突き落とされ、お亡くなりになられた。本来なら次代の育成を進めるべき所だがそちらは一切手が付けられていない。

 

「次代の育成にやっと時間をさけるという時期に、皇太子殿下がご崩御されたとなると、またしばらくは混乱が続きましょう。軍部でもあのご両家でも構いませぬ。人材をもらい受けねば将来的には困ったことになりそうですが......」

 

「承知しておるが、今は動けぬ。少なくとも立太孫が行われぬうちは動けぬのだ。陛下もすでに老齢に入られておる。男系を優先するなら候補者は一人に絞られる。だが母親が下級貴族で年齢も幼い。あの両家からすれば、男系であるだけで下級貴族から生まれた者を至尊の座に据えるとなれば、何かと物言いもあろう。既に立太孫式を行わせぬように蠢動している輩もおるようじゃし、年齢はあちらが上じゃ」

 

至尊の座はルドルフ大帝以来、男性が継承してきた。女帝の先例は無いが、言われてみればあの両家が素直にその座を諦めるとは思えぬ。そう言う意味では軍部も皇女ではあるが担ぐ対象を持っていることになる。彼らはどう動くのだろうか?

 

「候、軍部はどう動きましょうか?少なくとも彼らも両家の候補より年少になりますが、候補者を抱えていると存じます。それに地球教の事ではあの両家と協力体制を取りましたが......」

 

「そこは大丈夫であろう。あの両家に軍部が協力したとして、軍部に何かメリットが生まれると思う?むしろ幼帝を担いで軍部に浸透しようとするのがオチじゃ。第二次ティアマト会戦の後の事を、彼らは忘れてはおるまい。政府がなにかしかけぬ限りは、動くことは無いはずじゃ。むしろあの強欲の矛先が軍部に向くことが無いようにだけ気を付けてくれれば何とかなろう......」

 

リヒテンラーデ候は苦々し気なご様子だ。私も候に及ばぬなりになんとか混乱を治めるために苦労してきた。そんな苦労は知らんとばかりに、汚職を重ねるカストロプ公にはうんざりしている。

 

「候、そうなりますと人材をどちらからも借りる事が出来なくなります。せめてフォルゲン伯なりマリーンドルフ伯なりを登用することは出来ないのでしょうか?ルーゲ伯の憤懣も募るばかりですし、リューデリッツ伯のご嫡男とルーゲ伯のご令嬢がご結婚されました。ルーゲ伯の意向に歩み寄るそぶりだけでもする必要があると存じますが......」

 

「分かっておるが、それも今は動けぬのだ。あの一件で処罰されたものはまだ誰も公の場に復帰しておらぬ。人材がいないからと言って前科者を政府が率先して抜擢など出来ぬ。それにマリーンドルフ伯はカストロプ公の縁者であろう?抜擢などすれば政府は汚職を容認したと判断されかねぬし、そもそもいつ処罰されるのか?と皆が眺めておる状況だ。打診をしてもマリーンドルフ伯が受けるはずがない。

それにマリーンドルフ伯は個人的にリューデリッツ伯と親しく、ご令嬢もなにかとお屋敷に招かれる仲だと聞く。変な受け取られ方をされれば、それこそ火種になりかねぬのだ。致し方あるまいが、尚書はともかく局長クラスは実績があるなら下級貴族や平民を抜擢してなんとかしのぐしかあるまいな......」

 

結局、リヒテンラーデ候が国務尚書になられてから、すべきことは明確であるのに、したくても出来ぬ状況が続いている。私にもう少し影響力があればもっとお支えできるのだが......。それに比べれば軍部貴族は人材が豊富だし、軍全体でも下級貴族や平民を抜擢して後進の育成も以前以上に積極的に進めている。彼らからすればまごついてすべきことをしていない政府がどう映っているのだろうか?切り捨てられはしないだろうが、少なくとも当てにできるとは思われていまい。公爵の強欲の矛先だけは軍部に向けさせない。まずはそれを肝に命じよう。

 

 

宇宙歴792年 帝国歴483年 12月上旬

地球 旧ムンバイ市街地 地下鉄跡

ド・ヴィリエ大主教

 

「新たに20万人が、旧デリー付近に追放されて参りました。いずれも着の身着のまま。いずれも地球教の信者たちでございます。受け入れるべきではございますが、すでにこのムンバイでは食糧が不足しつつあります。このままでは共倒れになりかねませぬ」

 

「ならばうまくチッタゴン方面に誘導せよ。東南アジア方面なら食料に余裕があるはずだ。どちらにしてもあちらの方が気候がまだ温暖だ。春が来るまでに凍死するようなこともあるまい。すぐに指示を出すようにな」

 

直ぐに教団の者が広間を出ていく。なんとか狂信者の巣窟から脱出できたものの、地球を脱出してフェザーンに潜伏する計画はとん挫した。この惑星に出入りできるのは帝国軍だけだ。そして流刑に近い形で地球に送り込まれる信徒たちは、成層圏でコンテナのような物に移され、輸送機はそのコンテナを地上に置くと、そのまま飛び去って行く。帝国軍に紛れて脱出する事はほぼ不可能。その上、成層圏が静止軌道上に新設された防衛衛星の防空識別圏に入っているらしく、問答無用で撃ち落とされる状況になっていた。

 

地球は完全に封鎖されている。この惑星に落とされた者は二度と外に出ることは出来ない。この星は狂信者たちの聖地から無期懲役囚の刑務所に格上げされていた。自分がその囚人でなければ、宇宙が安全になったと喜んでいただろう。だが、帝国内で摘発された教徒たちが続々と着の身着のままで放り込まれてきた以上、誰かが指示を出して少なくとも飢え死にするような状況を避けなければならなかった。

 

逃亡に成功した信徒の中で一番地位が高かった私が、大司教としてこの刑務所の所長役をすることになった。今更ながら他に道は無い。成りあがるために選んだ地球教だったが、結果として刑務所の所長として生きていくことになりそうだ。この荒廃し汚染もされている惑星に、あと何人の信徒が放り込まれるのか......。この惑星に未来は無い。絶望した人間に宗教は確かに必要だが、救いすらない環境で信徒たちは生きていけるのだろうか......。



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86話:特権

宇宙歴793年 帝国歴484年 6月上旬

首都星オーディン 軍務省情報部

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

「ラインハルト様、分析すればするほど、叛乱軍の研鑽も見えて参りますが、必ずしも全ての叛徒が幸福に暮らせているのか?という面では疑問が湧いて参ります。自分たちが選んだ為政者に農奴のような生活をさせられて納得できるものなのでしょうか?」

 

「キルヒアイス、その質問には俺も答えられないな。リューデリッツ伯やオーベルシュタイン卿なら答えられるのかもしれんが、自分なりの答え探しも任務に含まれるからな。まずは自分なりの見解を考える所から始めよう」

 

前線総司令部基地司令付に任官して2年、組織の中での実務は一通り身に付け、多少の事なら決済権をもらえればスムーズに処理できるようになった頃合いで、情報部のオーベルシュタイン卿の分室への異動を命じられた。艦隊司令部への転出を望んでいたが、士官学校へ進まない事を了承してもらう代わりに、配属に関しては私の後見人に一任する旨を約束した。その約束をたがえる訳にもゆかないし、配属する意図もよくよく聞くと納得できるものだった。

『前線総司令部基地司令付という役職にあれば、確認したいと思ったことは帝国の事であればほぼ情報を入手できるだろう。だが、戦場ではそうもいかぬし、そもそも戦争中の叛乱軍の事をしっかり理解しておくことはマイナスにはならない。偉そうな事を言っているが、私も自分の感覚を叛乱軍に当てはめた結果、ミスをした。犠牲が出なかったから良かったが、戦地でのミスは命取りになる。戦地に向かうのはもう少し後にさせて欲しい』

姉上の事も含め、俺の知らない所でも配慮をしてくれている後見人からそう言われては、うなずくしかなかった。ただ任務に取り掛かると、確かに俺たちは世間知らずだったのだと思わされる日々だった。

少佐として転出したオーベルシュタイン卿の分室の個室のひとつを与えられ、『叛乱軍を経済的格差から分断可能か?』という考察と『分断できるならその手段も併せて考察する』という任務に勤しんできた。手段の考察には至っていないものの、少なくとも分断する事については十分可能性があると思う。

そして今までは一緒に昇進してきたキルヒアイスは大尉に留まった。伯の手元を離れてキルヒアイスを俺の補佐役にしておくには必要な措置だったが、また伯が気づかぬうちに配慮してくれていたのだと素直に感謝できた。キルヒアイスを昇進させる為にも、俺が昇進に値する功績を立てなければと励みにもなっている。

 

「このデータを分析する限りでは、首都星ハイネセンの経済的優位性を背景に、他の星系は実質、植民地のような扱いを受けているとしか思えません。嗜好品である紅茶のブランド化に成功したシロン星はともかく、その他の農業惑星はRC社が積極的に開発を進めている辺境星域以下の経済規模ですし、場所によっては農奴並みの生活を強いられている様に存じます。民主主義では自分たちで為政者を選べるのに、なぜ苛政を強いる為政者を選ぶのでしょう?」

 

「キルヒアイス、おそらくだが、叛徒軍は全てが首都星ハイネセンを中心にして社会が作られているのかもしれないな。人口も圧倒的に少ない状況で帝国と、いつかは対決する日が来ると建国期の先人たちは考えたはずだ。社会基盤の安定性を考えれば、重要な部分はある程度は分散させるべきだが、その分、効率は悪くなる。いずれ来る帝国との対決に向けて効率を優先しハイネセンを中心に社会を作った。

結果、何かにつけてハイネセンの意向を気にせざるを得なくなり、ハイネセンの叛徒の意向が優先されるようになる。そうなれば拡大期は良いが、停滞期に入れば真っ先に割を食うのは末端だ。経済レベルもバーラト星系から離れるほど低くなる。本来なら後背地になるため、もっと発展していても良い星系もハイネセンの経済力を越えないレベルに抑えられている。これなら説明がつくが......」

 

「帝国でも聞いたような話ですね。私の目にはハイネセンの叛徒たちが門閥貴族のように見えて参ります。皆の困窮をよそに、自分たちは比較的豊かな生活をされてるようですから。建国の地とは言えその後継者たちまでが優遇されるというのも、特権の様にかんじてしまいます」

 

確かにキルヒアイスの言う通りだ。『爵位』という明確な物は存在していないが、建国に関わった功労者たちの子孫が、子孫であるというだけで実質『特権』のような優遇をされるなら、帝国の貴族階級と何も変わらない様にも思ってしまうが......。俺たちが数ヵ月で取りまとめた資料を読んで感じる違和感を、叛徒たちは感じないのだろうか?

 

「とにかく少なくとも経済的格差から分断することは十分可能性がありそうだが、それもあくまで手元に集めたデータで出した仮説にすぎない。もっと多くの情報を集める必要があるだろうし、政治や法律、経済の有識者に見解を聞いてみるのも良いかもしれないな」

 

「分かりました。オーベルシュタイン卿に確認が必要でしょうが、開明派を自称されているブラッケ氏やリヒター氏。RC社のアルブレヒト様とシルヴァーベルヒ氏。司法で言うとルーゲ伯、地方自治で言うとマリーンドルフ伯に打診の上、お時間を頂けるなら見解を伺ってみましょう」

 

キルヒアイスが早速手配を始める。アポイントの調整も含めれば、候補に挙がった方々に話を聞くだけでもかなりの時間がかかるだろう。他にできる事と言えば禁書になっている『共和主義者』の書籍の研究だろうが、さすがにそこには手を出せない。社会秩序維持局に借りを作るのは政府系貴族に借りを作ることになるから控えるべきだ。

そう言う意味では世事に詳しいシェーンコップ卿や、ロイエンタール卿。それにフェザーン視点でワレンコフ氏に話を聞いてみても良いかもしれない。こういう時に意見を求める事も、幼年学校時代の俺には苦手なことだった。素直に意見を求められるようになった辺り、少しは成長出来ているのだろうか?そこでまた伯に言われたことを思い出していた。4月に酒びたりの生活のツケが回り、俺の父親が病死した。当初は葬式に参列する気は無かったが

 

『ミューゼル卿、今、許してやれとは言わぬ。だがな、母上の死も事業の失敗も、グリューネワルト伯爵夫人が後宮に入ることになったのも御父上の責任ではない。自分の子供を守りたい。より裕福な暮らしをさせてやりたいと思わぬ親はおらぬ。それに毎月28日はグリューネワルト伯爵夫人と偲ぶことになる。お墓参りを一生せぬと言う訳にもいかぬし、父上だけ離して埋葬するわけにもゆくまい?

行動せずに後悔する事はあっても、行動して後悔することは無い。それに当主として喪主を務めるのも嫡男の役目だ。卿がせぬならグリューネワルト伯爵夫人が差配する事になろう?そんな事になれば、宮廷内での攻撃材料にされかねん。葬式は故人の為にするものではない。遺された者たちの為にするものだ。喪主の件、きちんと果たしてくれるな?』

 

そう言われれば、断る事も出来なかったし、俺自身、仮に喪主をしていなかったら後悔していただろう。今思えば俺には『姉上を守れる』、『ミューゼル家の生活を守れる』立場も力も無かった。父を憎んだが、『守れなかった』事が罪なら俺も同罪だ。俺は自分の罪から逃げる為に父を憎んだのだろうか?はっきりしているのは『同じようなことが少しでも起きない世の中を作りたい』と思い始めている事だ。そう言う意味では、叛乱軍でも似たような不条理があることを知れたのは収穫だった。あちらにも俺と同じように今の有り様を不満に思う叛徒がいるという事なのだから。

 

 

宇宙歴793年 帝国歴484年 8月上旬

首都星ハイネセン シルバーブリッジ

ユリアン・ミンツ

 

「ヤン大佐、起きてください。そろそろ起床のお時間ですよ」

 

「ユリアン、あと5分、いや4分50秒......」

 

「分かりました。紅茶と朝食の仕上げをしておきますからあと4分ですよ」

 

僕はこの家にお世話になり始めて数日後から、恒例になりつつあるやり取りをしながら、ヤン大佐に起床を促すと、キッチンに戻り、熱しておいたフライパンにベーコンを乗せて大佐のお好みのしっとり目に焼く。そして卵を静かに割り、一緒にすこし水を入れて蓋をする。このタイミングでトースターのスイッチを入れてから、沸かしておいたお湯をティーセットに注ぎ入れる。そうこうしているうちに目玉焼きが半熟より少し硬めに焼きあがる。火を止めてお皿に盛り付けたところで、トースターから『チン』という音がしてトーストが焼きあがった。

トーストを取り出してお皿に乗せてからキッチンの一角に並べ終えた頃合いで、二階から物音がして、人の気配がキッチンへ近づいてくる。大佐は今日も何とか起きてくれたようだ。このタイミングでティーセットにいれていたお湯を捨てて、大佐のお気に入りのシロン産の紅茶の茶葉を3匙入れてから熱湯を注ぐ。これで朝食の仕上げは完了だ。洗面室の方からしていた水の音が止まり、大佐がキッチンへいらっしゃる。

 

「ユリアン、今朝もすまないな。私はどうも眠りが深いタイプだから助かるよ。それにしても今日も既に良い香りがしているね。憂鬱な一日も、この香りから始まるとなると良い一日になりそうで嬉しくなるよ」

 

「大佐、褒めて頂くのは嬉しいのですが、あまりゆっくりと朝食を取るにはもうお時間がありませんよ?」

 

僕がカップに紅茶を注ぎ入れるのを横目に、『頂きます』と食事の前にされる挨拶をされ、朝食を食べ始めた大佐に応えると、大佐は目線を時計の方に向けて、困ったように左手で頭を掻いた。同時に右手で僕が差し出したティーカップを受け取り、口元に運ぶのも毎朝の事だ。大佐は時には朝方まで、書斎で色々と考え事をされている事も僕は知っている。だからあまり細かい事は言わずに黙っているけど、大佐の睡眠時間は足りていないようにも思う。まだそんな御歳じゃないけど、健康面は大丈夫なのだろうか?

 

「もっとゆっくり味わいたいのはやまやまだが、宮仕えの悲しさだね。ユリアン、今日の朝食も美味しかったよ。ではお役目に取り掛かるとしようか」

 

2杯目の紅茶を飲み干すと、少し名残惜し気にティーカップに残った香りを心を向けてからカップを置き、リビングのドアの手前の棚にいつも放り込まれるベレー帽を取り出して被ると、『では行ってくる』と言い残して出勤されていった。毎朝の慌ただしい時間が一段落して、この家に静けさが戻ってくる。僕も食べかけの朝食を食べ終えたら、食器とティーセットを洗って初級学校へ向かう。

 

寝る前に今日の時間割に合わせた教科書を詰め込んだカバンを手に取り、備え付けのセキュリティーシステムのスイッチを入れてから、指紋認証でドアにロックをかけて、足早に通い馴れ始めた通学路を進む。数ヵ月前まではこんな生活になるとは思ってもみなかった。僕は養父となったヤン大佐とその先輩で仲良しのキャゼルヌ准将と出会うきっかけになった、祖母が亡くなった時の事を思い出していた。

僕がそもそも祖母と暮らすことになったのは、昨年初めの父の戦死がきっかけだった。母を幼いころに亡くしたミンツ家は父子家庭だった。父さんは控えめな人で、自分のお茶を人に振る舞うのが好きな人だった。僕にもミンツ流のお茶の入れ方を教えてくれたし、帝国との戦争に貢献する父を、僕は誇りに思っていた。

そんな父が戦死して、僕もとうとう孤児になると思った。帝国との戦争が150年以上続いていれば、軍人の子弟が孤児になるなど普通の事になる。友達にもそういう環境の子がいたので自分の番が来たと思っただけだったが、そこで父方の祖母が存命であることを初めて知った。

祖母は事情を詳しくは語ってくれなかったが、子供なりに察した所では、僕の母が帝国からの亡命者の娘であったことと、ミンツ家が長征一万光年に参加していた由緒正しい家柄であった為、祖母はこの結婚に反対していたようだ。父は家柄よりも母を選び、事実上の絶縁状態だったらしい。僕の事も孫というより『父を奪った女の子供』と認識していた。祖母が亡くなった時、悲しさより、ホッとする気持ちが強かったが、僕が薄情なわけではないと思う。

 

「お!ミンツ君 おはよう!」

 

「先生、おはようございます」

 

通学路の途中で、算数担当の先生に挨拶をかけられる。祖母は僕に挨拶をする事も、挨拶を返すことも無かった。祖母が死んだことで福祉局にお世話になる事になったが、一時預かりの施設に移って数日、軍服に身を包んだヤン大佐とキャゼルヌ准将が僕を訪ねてこられた。

 

「やあミンツ君。私はキャゼルヌ准将、こっちはヤン大佐だ。私たちは君の御父上といささか御縁があってね。父上からは聞いていないかもしれないが、お茶を振る舞って頂いた仲なんだ。少し話をさせてもらえるかな?」

 

そして、詳しくは分からなかったが、トラバース法という法律があり、孤児を高級軍人の下で養育する決まりがあるとのことだった。

 

「御父上には美味しい紅茶を振る舞ってもらった縁がある。もし嫌でなければ私の家で養育させてもらいたいんだ。もっとも私は家事は苦手だからそっちは期待しないで欲しいんだが......」

 

頭を掻きながらヤン大佐は僕に養子になる話をしてくれた。父と二人暮らしの時から家事は得意だったし、なにより控えめな父が振る舞った紅茶の縁と言うのもなんとなく嬉しかった。もちろんその場で『こちらこそよろしくお願いします』と応えていた。大佐の家事能力は控えめに言っても絶無だったけど、それも良かったのだと思う。僕が家事をこなすことで、大佐のお役に立っている。ここでお世話になっても大丈夫だと実感できるからだ。毎朝大佐を起こすのも、ひそかな楽しみだったりもする。

 

「おお!ミンツ君、おはよう。週末の練習試合はしっかり頼むぞ!」

 

「はい!監督。今日もご指導をよろしくお願いします!」

 

気づいたら校門に差し掛かっていた。フライングボール部の監督を兼ねている校長先生が挨拶してくれる。監督によると、僕はかなり筋が良いらしい。フライングボールも、大佐にお世話になってから始めたスポーツだ。祖母は僕の事をなにかと縛ろうとして、課外活動をする事を了承してくれなかった。まずは授業に集中しよう。成績不振でヤン大佐が学校に呼びだされるようなことになってはいけないのだから。



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87話:婿探し

宇宙歴793年 帝国歴484年 10月上旬

首都星オーディン マリーンドルフ邸

フランツ・フォン・マリーンドルフ

 

「お時間を頂きありがとうございます。マリーンドルフ伯。ヒルデガルド嬢には姉ともども良くして頂き感謝に堪えません」

 

「同席させて頂きます。ミューゼル卿の補佐をしております。キルヒアイス大尉であります。よろしくお願いします」

 

「ご丁寧にありがとう。マリーンドルフ伯フランツです。まあ、堅苦しいのはこれ位にして、席の方へどうぞ」

 

私が席を進めると、ミューゼル卿はともかくキルヒアイス大尉はすこし戸惑う印象があった。確かに普段リューデリッツ邸で過ごしているとはいえ、ほぼ初対面の伯爵相手に身分を気にしないわけにもいかんか。ここはもう一言添えたほうが良いだろう。

 

「リューデリッツ伯とは幼年学校で先輩後輩の仲だったし、グリューネワルト伯爵夫人にはヒルダが良くして頂いている。君たちは娘の学友でもあるのだから、公の場ならともかく、こういうプライベートな場ではそこまで遠慮しない方が良い。それでは私もどう話したものか悩んでしまうよ」

 

大尉も察してくれたようだ。『お言葉に甘えさせていただきます』と添えて、席に付いてくれた。おそらくミューゼル卿の側近候補なのだろうが良く教育されている。それなりの爵位持ちの出身なら、ヒルダの婿に欲しいくらいだが、そんな事をしたら彼が良い顔をしないだろう。視線をミューゼル卿に戻すと何やら意外そうな顔をしていた。

 

「お気遣いありがとうございます。些細なことなのですが、リューデリッツ伯にも幼年学校に通われた時代があったと思うと意外と言うか......。私が伯とお会いしたのは10歳の時でしたが、既に帝国軍の重鎮で、RC社を始め実績を上げられた後でしたので......」

 

「リューデリッツ伯にも私にも幼少期はもちろんあるとも。ただ、お互いに家の事情で将来が決まっていたからね。私の場合は父が病床にあったから進路を地方自治の大学にせざるを得なかったし、伯は、ルントシュテット伯爵家の出身で、軍人として身を立てる事を期待されていたからね。他の進路を志望したくても出来なかった。幼年学校で首席の後輩から、『実は経済系の大学に進みたいのだ』と漏らされた時はそんな話があるのかと驚いたものだ」

 

そう言えば、この話は伯の嫡男でもあるアルブレヒト殿にもした話だ。どうやら伯はよほど『軍人』という印象を周囲に持たれているらしい。そしてあの時と同じように、まだ若い二人に驚きを提供できたようだ。

 

「私たちがお屋敷にお世話になる前は、そんな事を洩らされていたとシェーンコップ男爵から聞いた覚えがあるのですが、よく冗談を交えてお話されるのでてっきり冗談だと思っておりました」

 

「アルブレヒト殿も同じような表情をされていたな。進路に悩まれた時に話をする機会があってな。軍人としてより統治者と言うか、経営者としての才覚があるように思えたので、そちらの道を勧めた。今では帝国貴族の若手では突出した実績を上げておられるし、あの時の選択はまちがっていなかったのだろうな......」

 

アルブレヒト殿も嫡男でなければヒルダの相手に欲しい相手だった。そう言う意味では、リューデリッツ伯爵家を始め、軍部系貴族には次代の才能が着々と育ちつつある。戦況が優勢なのも当然の事なのだろう。少し話が逸れてしまったし、彼らも期限があるだろう。

 

「少し話が横道に入ってしまったね。それでは本題に入ろう。一応資料は見させてもらった。私が官僚になって、地方自治を担当していたら、同じような苦労をしたのだろうとおもわず苦笑してしまったが......」

 

「伯、あのデータは叛乱軍の物で帝国の物ではございませんが......」

 

「承知しているよ。あのデータとそっくりなデータにわたしは覚えがある。一応、卒業論文を書くときに帝国の地方自治に関連するデータは集めたからね。30年前のデータだから、今となっては帝国資料館の地下5階あたりに収蔵されているかもしれないが......」

 

話に夢中になってお茶を勧めるのを失念していた。二人にお茶を勧めてから私もお茶を飲む。あの論文が高い評価を得たのも、内密な情報を考察が進むならと提供してくれた彼のおかげでもある。少し突っ込んだ話になるが、私なりの考察を30年ぶりに述べるのも悪くないだろう。

 

「当時、帝国は、増大する戦費をねん出する為に、発展を促すための開発予算を割くことが出来ない状況だった。戦没者年金や戦傷者への支援も年々予算が減らされていたはずだ。戦死者が増えれば納税者が減ってしまう。政治の役割は『富の再分配』にある。富める者により多く納税してもらい、その税金で開発を進め、さらに富める者を増やすことが理想だ。

だが当時は開発予算が無いから富める者を増やせず、軍人という中間層がどんどん減っていた。この状況が続けば最終的には財政破綻するしかなくなるだろうと結論を出した。もっとも論文の中ではもう少し言葉を選んだがね。データを見る限り、叛乱軍は当時の帝国と似た状況にあるようだね」

 

「伯、我々もその点について疑問に思うのです。叛乱軍は投票なるもので為政者を選ぶと聞きました。なぜ貧困層を放置するような為政者を彼らは選ぶのでしょうか?このデータは数ヵ月で私たちの手元に集まったものを取りまとめた物です。叛徒たちが宇宙のこちら側の人間が知りうることを、その当事者が知らないなどという事があり得るのでしょうか?」

 

「あちらの状況を詳しくは知らないから何とも言えないが、想像することは出来るね。例えば、自分の手元にパンが一つしかなく、目の前には飢え死にしそうな親しい者と赤の他人がいる。どちらか選ばなければならないとしたら、どちらを選ぶだろうか?」

 

ミューゼル卿とキルヒアイス大尉は悩む様子だったが、意を決したように

 

「為政者や指揮官という立場であれば、本来、自分との関係性で判断してはならないと思いますが、そう言う状況になれば自分と親しいものにパンを与えると思います」

 

「私も、そうしてしまうと存じます」

 

「同じようなことが起きているのだと思うよ?ましてや自分を為政者に選んでくれた人たちを無視して、自分を選ばなかった人々にパンを与えるような事をすれば、次は選ばれない可能性もある。そう考えれば、停滞期や衰退期には人口の多い首都星に富は集まるだろうし、開発が必要な星域は無視されるだろうね。あくまで想像だが......」

 

なんとなくだが、二人も納得できたようだ。少しでも彼らの任務の役に立てばよいが......。

 

「それにしても、このようなことを汚職を大々的にしている人間の一門が言うべきではないのかもしれないがね。これは愚痴だが......」

 

「伯にこのようなことをお話して良いのかは存じませんが、ヒルデガルド様は座学の場でかなり励まれておられました。『領地経営のお手伝いをするのだ』とおっしゃっておられましたが、ある時期から『領民の為になる施策が出来ない』とお嘆きのご様子でした。無学な私でも、伯の見識が素晴らしいと伝わって参りました。何かご事情があるのでしょうか?」

 

キルヒアイス大尉が、言うか迷ったそぶりをしてから率直に尋ねてきた。誠実で、優しい男だ。本当に彼の周囲には人材が揃っている。

 

「RC社の施策を真似れば、領地が発展する事は分かっていた。だが、マリーンドルフ伯爵家の後継者はヒルダだけだ。もし領地が発展するような事があれば、誰にとは言えぬが財産目当ての工作を受けることになるだろう。実際、私の甥のキュンメル男爵は財産を横領されかけたのだ。

そんな人間が一門の当主である以上、常に工作を受ける危険がある。ろくでもない男をヒルダに押し付けて、財産を奪われるような危険があるなら、現状維持を選ぶしかなかったというのが実情だな。このことは内密にしてほしい。自分が女だからなどと変な負い目を負わせたくないのでな」

 

「出過ぎた真似をいたしました。お許しいただければ幸いに存じます」

 

「気にしてはいない。私を思っての事だと理解している。話を戻すと、あとは若い人間にも話を聞いてみてはどうだろう?この歳になると、思考が固まってしまうからね。たしか、フレデリック殿の演奏会が催されるはずだ。ヒルダも招待されているし、マグダレーナ嬢も参加されるだろう。アルブレヒト殿もご参加されるやもしれぬし、近い世代で色々と話しあってみるのも、良ききっかけになるやもしれぬな」

 

「ラインハルト様、確かに皆さまにご意見を頂戴するのも良い案かもしれません。一度、アルブレヒト様にご相談されては如何でしょう?」

 

「伯のご意見もごもっともだ。伯、色々とお話し頂きありがとうございます。日程を確認して皆様のご意見を伺おうと思います」

 

話が終わると、二人は丁寧に礼を述べて帰っていった。ミューゼル卿か、彼も優れた人物だが、陛下の寵姫の弟となると婿入りしてもらうのは難しいだろう。皇太子殿下が身罷られ、何かと動きがあるとも聞いている。本来ならそろそろ婚約する年頃だが、今は静観したほうがよいだろう。



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88話:演奏会

宇宙歴793年 帝国歴484年 12月上旬

首都星オーディン 帝国劇場コンサートホール

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

コンサート会場が少しの間、静寂に包まれたあと、観客たちが一斉にスタンディングオベーションを始めた。かく言う俺も、自然とその輪に加わっていたし、隣を見るとキルヒアイスも同様だった。兄のような存在が演奏したとはいえ、ここまですごいものだとは思っていなかった。演奏を終えたフレデリック殿が、優雅に一礼をすると拍手は一段と大きくなった。同じ貴賓席の一角に座っていた、マグダレーナ嬢もヒルデガルド嬢も俺たちと同じようにスタンディングオベーションをしている。

 

「歴史ある帝国劇場で、単独で演奏会を開くことが出来た事を光栄に思います。この場を借りて、私の才能に最初に気づき、磨き上げてくれたヴェストパーレ男爵家のマグダレーナ嬢に感謝を述べたいと思います。ありがとう。そしてこれからもよろしくお願いします」

 

拍手がおさまったタイミングで、フレデリック殿がマグダレーナ嬢へのお礼を述べられた。音楽の道を進まれ始めたときから、何かとアドバイスをされていたのがマグダレーナ嬢だ。彼女に目を向けると、涙ぐみながらハンカチでそれを押さえている。男女の機微に疎い俺でも、これはすごく嬉しいだろうと思うし、なんだか温かい気持ちになった。最後に演奏されたのは、フレデリック殿の新曲らしい。芸術の知識はあってもそこまで好んでこなかった俺が、なぜそんな事を知っているかと言うと、ご機嫌伺いに上がったディートリンデ皇女から事情を聞いていたからだ。

もともと経営や事業計画などの分野でもかなりの能力を示されたマグダレーナ嬢だったが、『芸術』の分野では、座学に参加していた面々の中では突出した鑑定眼を持っていた。そんな彼女が入れ込むフレデリック殿の演奏を、ベーネミュンデ候爵夫人も姉上も聴いてみたいと以前から思っていたようだが、後宮に男性を入れる訳には行かない。そこでディートリンデ皇女の10歳の誕生日に、『曲を贈る』という名目で内々に新無憂宮の中にあるコンサートホールで、陛下に近しい女性陣3名とマグダレーナ嬢、ヒルデガルド嬢の5名だけが観客となる、ミニコンサートが催されたらしい。

その時の様子を語る女性陣がやけにうっとりした様子だったし、いつもは大人しいディートリンデ皇女まで『素晴らしかったです』と目を輝かせていた。内心すこし怖かったし、魔法にでもかかったのかと思ったが、確かにこれは魔法だろう。観客席に視線を向けると、感激の為か涙を流す方もかなり見受けられる。本来の目的はこの後の意見交換の場にあるはずだが、なにやら変な充足感に包まれて、椅子に体重を預ける。キルヒアイスに視線を向けると涙をぬぐっていた。奏者のフレデリック殿や、その兄であるアルブレヒト殿は、関係者への挨拶などがあるため、しばらく貴賓席でゆっくりしていて欲しいとのことだったが、むしろ余韻に浸れる時間があるのが幸いな状況だった。おそらく一緒にご挨拶に回られるのだろう。

 

「少し席を外すわね。しばらくゆっくりしていて」

 

と言い残して、マグダレーナ嬢が席を外された。あの時と同様、ヒルデガルド嬢もうっとりした様子だ。彼女は俺同様、あまり芸術には関心が無かったはずだが、こんな魔法が世の中に存在するなら、もう少し早く芸術に親しんでいても良かったと思う。

 

「ミューゼル卿は私と同じでこちらの方面には関心をお持ちでなかったので心配しましたが、どうやらお気に召されたようで安心いたしました」

 

「ヒルデガルド嬢、おっしゃる通り今までは関心が無かったが、詳しくはわからないがまるで魔法にかかったようだ。変な充足感に包まれてしばらくはこの余韻に浸っていたい気分だ。こんな経験は初めてだ」

 

キルヒアイスに視線を向けると同意するようにうなずいた。

 

「人生で初めての演奏会がフレデリック様の演奏だったことは、他の方々にとっては幸運なことに思うかも知れませんが、私たちにとっては不運かもしれません」

 

何を言うのかといぶかしく思ったが、フレデリック殿の演奏を聴いてから、同じような充足感を得られるのではないかと、それなりに高名な奏者の演奏会に参加してみたものの、残念ながらそこまでの演奏ではなかったらしい。

 

「むしろ、それは帝国にとっては幸いなことかもしれませんよ?このような魔法を全ての奏者が使えるようなことになれば、臣民は演奏を聴くことに夢中になって、何も手につかなくなりましょう」

 

「確かにそうですわね。毎日聴けたらと思う日もありましたが、確かにすべきことがおろそかになりそうです」

 

しばらく余韻に浸っていたが、まだ時間があるだろう。どうしたものかと思っていると、キルヒアイスが備え付けられたティーセットでお茶を入れてくれた。

 

「ありがとうございます。やっとグリューネワルト伯爵夫人がお話しになられる大尉のお茶が飲めました。夫人から聞いていた通り、手つきがリューデリッツ伯にそっくりで驚きました」

 

キルヒアイスは恐縮する様子で『光栄に存じます』と返していた。今でもたまに振る舞って下さるが、同じように入れても何かが違う。マリーンドルフ伯との関係を思えば、ヒルデガルド嬢も過去に飲んだ事があるはずだ。手つきはそっくりでも、味は何かが違う。その違いも分かったからこそ手つきを褒めたのだろう。だが不思議と悪い気はしなかった。

 

しばらく無言で、紅茶の香りと演奏の余韻を楽しむ。観客席に目を向けると、やっと余韻から立ち直り、少しづつ観客たちが劇場の出口へ向かい始めていたが、まだまだ時間はかかりそうだ。

 

「そう言えばミューゼル卿、絵画の方はもうご覧になられましたか?開演までの待ち時間になにか別の機会を用意できればとマグダレーナ嬢がお考えになられて、パトロンをされている方々の作品を展示しているのです。絵画の方もあまり詳しくないのですが、リューデリッツ邸によく飾られているメックリンガー中佐の作品は、風景画以外観た事が無かったので驚きました。あのような作風の物もお描きになられるのですね。少し意外でしたので印象が強く残っております」

 

「リューデリッツ伯がどちらかと言うと自然の風景画をお好みなので、ヒルデガルド嬢には新鮮だったかもしれませんね。中佐は様々な物をモチーフにされていますよ。今回の作品は淑女の皆さまにはすこし過激かもしれませんが、艦隊戦がインスピレーションのきっかけになったそうです。色彩が今までの作品とは異なるので、私も意外に思った印象があります」

 

「それで納得できましたわ。色彩が夜景のようでしたのに、なぜが美しさだけでなく猛々しさみたいなものを感じました。絵画に疎い私にも、何か感じるものがありました」

 

「それを聞けば中佐も喜びましょう。私からも伯にお伝えするようにいたします。もっとも中佐の絵はこれからはかなり貴重なものになりそうですよ?昇進されてもともと多忙でしたし、自分の絵が評価される事は嬉しいそうですが、あまりにも高額で取引されると、それも忸怩たる思いを感じるそうで、現在は親しい方の昇進の際や、ご結婚など慶事に贈答する形にされていますから」

 

「そうなのですね。何か心に響くものがありましたから、ご縁もありますし一作購入をとも思いましたが、私の予算では難しいかもしれませんね」

 

「私も絵の価格には詳しくないので、お答えいたしかねる部分がありますが、軍部系貴族の間で人気になっているのは間違いない話です。人気と言えば、軍部系貴族では肖像画を遺す風潮があるのですが、実質パトロンであるリューデリッツ伯が肖像画をまだ打診されていないのです。いくら何でも、伯を差し置いて依頼する訳にもいかないので、機知に富んだシェーンコップ男爵になんとか伯の肖像画を中佐に描かせるようにと方々から打診があるそうです。一部では、どんな口実で伯に肖像画を打診させるか、賭けになっているそうですよ?」

 

「シェーンコップ男爵は確かに機知に富んだ方でいらっしゃいますものね。どんな口実を使われたのか?結果が出ましたら是非教えて頂きたいです」

 

ヒルデガルド嬢とそんな話をしていると、貴賓席の入り口がノックされ、アルブレヒト殿が入ってこられた。

 

「お待たせして済まない。あこぎな商売をしている評判がよくない画商がメックリンガー中佐の絵を買い受けたいと強引に迫って来てね。あの作品はRC社で買い取ったものだからとお断りしたのだが、しつこくて難儀した。付き合いのある貴族家の名前を出して脅迫気味の交渉をしてきたから、そのまま宮廷警察に突き出して来たよ。フレデリックの方はまだかかりそうだ。先に貴賓室の方へ移動しよう。ミューゼル卿の任務に関わる話だから、お茶と軽食は用意してあるがアルコールは無しにしておいた。その方がよかろう?」

 

「はい。アルブレヒト様。ありがとうございます」

 

コンサートホールの熱気も落ち着いてきていた。音楽でここまで心が揺さぶられることになるとは夢にも思っていなかった。まだ余韻が残っているが、貴賓室までの道中で心を静めておこう。それにどんな意見が聞けるかも昨日から楽しみにしていた。気を引き締めなおさなくては。



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89話:銀匙会

宇宙歴793年 帝国歴484年 12月上旬

首都星オーディン 帝国劇場貴賓室

ラインハルト・フォン・ミューゼル

 

「今日はお時間を頂きましてありがとうございます。私も感動の余韻からまだ醒めやらぬ状況ですが、無粋な話に皆様を戻してしまうことになり申し訳ありません」

 

「日常でもよくあることだ。詫びる必要はないぞ?ミューゼル卿。キルヒアイス大尉もだが、責任ある地位に上がれば、自分の都合でははく、組織の都合に合わせることになる。それに可愛い教え子の役目に関わる事だ。快く協力するに決まっておろう?」

 

「アルブレヒト様、ミューゼル卿も伯の下を離れてのお役目も増えましょう?こういう配慮も必要になるのですから、黙って受け止めてあげてもよろしいのではなくて?」

 

「これはマグダレーナ嬢に一本取られました。どうも気を使われる側になると、必要な範囲を越えているように思う事も多くてな。なにかと時間の無駄を感じる事も多いのだ。ビジネスの場なのだから口上を述べているうちに状況が変わる事もあり得る。戦場で呑気に口上を述べてから戦況報告をする兵などおるまい?メックリンガー中佐の絵も、『我々も別な意味での戦争をしているのだ』と戒める意味で飾るのだ。おっと。話が逸れてしまったな......」

 

「いえ、我々もこれから自分の責任で任務を果たすことになります。これからすることになる経験を一足先に教えて頂けたのですから、ありがたく思います」

 

「座学の時間を共有した学友みたいなものなのですから、あまり気ぜわしいのは無しにいたしましょう?こういう場も定期的に持てれば嬉しいですわ。手帳にも『銀匙会』と名付けてスケジュールにも書いて楽しみにしておりましたのよ?」

 

意識した訳ではないが、確かにこの場に揃った面々は、『リューデリッツ伯の銀の匙』を贈られている共通点があった。マグダレーナ嬢は伯からシルバーカトラリーを贈られる事を誇らしくお感じのご様子だった。少し安直な気もするが、特徴を捉えたネーミングではあるだろう。

 

「あの日々がなければ、芸術の方はともかく、領地の経営や事業運営にはここまで関わることはなかったと思うわ。パトロン活動も資金を融通するだけでなくて、早くその道で食べていけるように色々と考えて動いているのです」

 

予想していたが、皆さまの近況報告のような物からスタートした。俺には経験がないが、幼年学校の卒業生が集まるような事があれば、こういう雰囲気なのだろうか?ただ、俺の中で『励んだ』という思いが強いのは、この場の方々との『リューデリッツ伯の英才教育』の日々だ。だから変に温かい気持ちになるのだろうか?

 

「盛り上がるのは良い事だけど、今日の本題はミューゼル卿の任務に関わることでしょう?『銀匙会』のような場は年に一度は持ちたいという気持ちは私にもある。これからも年に一度は単独開催は出来るだろうから、招待する事も考えよう。そうなるとあの3名も呼ばなければ不公平だが、それはそれで楽しそうでもあるしね」

 

フレデリック殿が、話題を戻してくださった。確かにこの魔法になら年に一度くらいかけられても良い気がする。キルヒアイスがさりげなくお茶を注いで回ってくれた。嬉し気に見えるのは、同じような思いがあるからだろうか?

 

「フレデリック殿、ありがとうございます。今回、皆様にご意見を伺いたいのは、『叛乱軍の中での経済的格差』に関してです。私たちの分析では、あちらの辺境では農奴に近い水準の経済力の地域もあります。なぜ『自分たちで為政者を選ぶ』にも関わらず、このようなことになるのか?と疑問に思いまして、皆さまをご意見を伺いたいのです」

 

「事前に資料を頂いていたから確認してきたわ。叛乱軍の現状のデータとマリーンドルフ伯の論文に添えられた30年前の帝国のデータの兆候と似ているというのは、考察を促進してくださるわね。それにしても驚いたわ。言葉をかなり選んでいるとはいえ、30年前と言えばまだ帝位を争って派閥争いが激しかったはず。温和で良識のある方だと思っていたけど、硬骨漢のような所もおありだったのね。ヒルダ?何かしらのお考えがあっての事だと思うから、今しばらくは伯のご指示に従いましょう?」

 

ヒルデガルド嬢は少し不本意そうだったが、『マグダレーナ嬢がそうおっしゃるなら』と承知された。あの裏事情を知れば、ヒルデガルド嬢は優秀な方だ。理解されると思うのだが他家の内情にそこまで首を突っ込むことは出来ない。早めにリューデリッツ伯に報告だけでもしておくべきだろう。

 

「RC社に残っていたデータも確認してきた。さすがに公にはできないから、口頭でご容赦頂きたいが、帝国だけを見れば『イゼルローン要塞の建設』と即位を理由にした『戦没者年金と戦傷者対策予算』の増額、帝国政府直轄領への投資の増額が、渡りに船が連続したような形になっていた。先帝陛下は締り屋だったが、陛下は宮廷費や交際費は増額されず、疲弊した軍人を中心とした中間層を保護した訳だ。

当時はイゼルローン特需によって辺境星域全体で、仕事はいくらでもあった。貧困層の一部は移住し、職を変えた事で中間層になる糸口をつかんだ。結果として帝国全体で拡大期に入るきっかけになった訳だ。これがなければ帝国も叛乱軍と似たような状況だったやもしれん。帝国が割れるのを防ぐためにあまり表にはお出になられぬが、身を引きながらこのような結果を出されるとは、どのような深謀をお持ちなのか驚いた次第だ」

 

「軍の奮戦も大きいだろうね。戦死・戦傷者が減った事で年金と対策費を増額しても負担が増えなかった。戦術構想をがらりと変えて、人命を重視し、兵器の消耗は体制を整えて補った。兵器調達費用は増加したが、量産によるコスト低下と、帝国全体で見ればさらなる開発投資の理由になった。軍事費は増えても、それによって経済が活性化するなら税収は増える。死に金にはなりませんね」

 

アルブレヒト殿とフレデリック殿が帝国の30年の流れを整理して下さる。確かに下級貴族だったミューゼル家が事業を興せたのも、帝国が拡大期に入っていたことが大きいだろう。

 

「では、これらの要素が帝国に無かった場合を想定すれば、ある程度、叛乱軍の状況は推察できそうですね。今までのお話を聞いただけでも、そのような状況はけっして明るいものではなさそうですが......。あちらでは開明的な政策がもっと実施されているのかと思いましたが意外でした」

 

ヒルデガルド嬢がすこし寂しそうな表情しながら発言した。思うような政策がとれないマリーンドルフ伯爵家に重ねられたのだろうか?おいたわしい事だが、伯爵家ともなれば血のしがらみからは自由にはなれない。だが、それで受け入れる気にもなれなかった。もしもの話だが、リューデリッツ伯があの強欲のような人物なら、俺がしたであろう苦労だ。とても他人事には思えなかった。

 

「現状分析の糸口は十分そうね。あとはなぜ『自分たちで為政者を選ぶのにこんなことになるのか?』という点を話し合うべきだと思うけど、帝政に慣れ親しんだ私にはどうも想像しにくい部分ですわね」

 

「身近なものに置き換えて考えると話が早いだろう。私の場合は、『経営者』と『オーナー』の関係だな。経営者候補たちは選ばれるためにアピールするのだろうが現状を無視した大言や理想論を唱える者がいるのだろう。それに本来は『オーナー』は叛徒全体であるはずだが、おそらく実際に選ばれた『経営者』にとってのオーナーは『自分を選んだ叛徒』に限定されるはずだ。あちらの辺境星域の叛徒はおそらく『経営者』にとって『オーナー』ではないのだと思う」

 

「そう言う観点なら、『奏者』と『観客』にも当てはまるね。『奏者』は『観客』には何とか感動を届けたいとは思うが、『観客』以外には何もできないからね。ただ、この関係が無条件に為政者に適用される事についてはかなり無理があるとは思うけど......」

 

「軍人であれば、自分の部隊のみの戦功ばかりにこだわり、他の部隊の被害は無視するような感じでしょうか?本来そのようなことをすれば自部隊も全滅しかねませんからそのようなことをする事はありえないとも存じますが......」

 

経営者、演奏家、軍人の立場から意見が出される。なにも問題が無い仕組みなどあり得ないだろうが、『為政者を選ぶ』事で、『選んだ者』と『選ばなかった者』がうまれ、それによって不平等が生まれるなら、『選ぶ権利を平等に与えても不平等が生まれる』という皮肉なことになるが、この理解で本当に正しいのだろうか?

 

「淑女の意見としては『褒めてくれる方』と『けなしてくる方』を同様に扱うのは無理があると思いますわ。人に感情があり、好みがある以上。そういう物は無くならないのではないかしら?それを無くすべきかは別の議論として、少なくとも養育環境と受ける教育は統一しなければならないし、持って生まれた才能みたいなものは全て無視する形になるわね。そこまでして無くす程の害があるのかしら?それなら実績を基にして候補者をしかるべき役職に就けて置いて、状況に応じて任命したほうが余程現実的ね」

 

まとめるようにマグダレーナ嬢が淑女視点での意見を述べられた。叛乱軍には彼らなりの見解もあるのだろうが帝国の価値観ではあまり価値が無いのかもしれない。リューデリッツ伯やオーベルシュタイン男爵ならまた違った見解をお持ちだろうが、尚更自分なりの見解をまとめなければ尋ねる訳にもいかないだろう。だが、帝国人として考察を勧める材料は揃ったように思う。気づけば楽しい時間は早く過ぎるものだ。話し始めてすでに数時間が過ぎていたが、こういう時間も悪くないと思える自分がいた。



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90話:処罰

宇宙歴794年 帝国歴485年 4月上旬

首都星オーディン リューデリッツ邸

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「今回の件は、事前に手が打てて良かった。おそらく親族になる家のご当主だ。オーベルシュタイン卿、良くやってくれた。領地の接収については、シェーンコップ男爵に担当してもらう。過去に因縁のある相手だからな。けじめをつける意味でも良いだろう」

 

「承知しました。ミューゼル卿についてはいかがいたしましょう?情報部での担当者にしても良いですし、憲兵隊から捜査協力名目で分隊を率いさせてもよろしいと存じますが......」

 

「一度実践させてから憲兵隊の勤務を本格的にする方がスムーズだろう。憲兵隊を率いさせる方向で手配してくれ。それと当然ながら標的は汚職の権化だ。各部署の情報提供者を焙り出す機会にもなる。そちらの方も手抜かりは無いと思うがよろしく頼む」

 

「承知しました。すでにケスラー准将とも事前打ち合わせは済ませております。事が進めば、問題なく焙り出せると存じます。オフレッサー大将から『地上戦があるならご恩返しがしたい』との旨、承っておりますが、如何致しましょう?」

 

「彼も見掛けに反して律儀な男だ。とはいっても彼は装甲擲弾兵副総監だ。副官宛に『治安維持も含めれば半年はかかる』旨を打診したうえで、回答をもらってくれ。助勢は有り難いが、組織的に不都合が生じては、本末転倒だからね」

 

「承知しました。私見ですが、オフレッサー大将はどちらかというと現場の方ですし、今回は助勢いただいた方が、後腐れが無いかもしれません。その辺りも先方と相談したいと思います」

 

「うむ。その辺りは実務担当者が良いように進めてくれればよい。何かと横槍を入れられたが、この処置が済めば劣悪遺伝子排除法の廃法も実現するだろう。結婚の祝儀には遅れたが、これでやっと舅として面目が立つな。引き続きよろしく頼む」

 

一礼をしてから、伯の執務室から退室する。地球教の捜査に関連した麻薬事件では逃げ切れたものの、今の帝国の状況は政府・軍部・大領を持つ門閥貴族がお互いに領分を侵さないという暗黙の了解を基に一見安定しているような状況を維持してきた。それを崩すようなことを仕掛けたからには、最悪、軍部と政府の対立に発展しかねない。

圧力をかける意味を兼ねて、軍部系貴族の邸宅には装甲擲弾兵と憲兵隊から護衛部隊を派遣している。同じ帝国貴族としてはなさけない話だが、わがままな子供のしつけと同じだ。あちらが一線を越えた以上、こちらとしてはしかるべき処置がされないなら実力行使も辞さないと、察しが悪い方々にもわかるように示したわけだ。ここまでしなければならないとは、政府系貴族の人材も枯渇しているのかもしれない。

 

事の始まりは昨年末のフレデリック様の単独演奏会から始まる。開演までの時間をより有意義なものにしたいという意図と、終演後の観客たちの退館のタイミングをなだらかにする意図から、若手の芸術家の作品の展示会が併せて催された。その場で、既に売約済みの作品を、強引な手法で作品を買いたたくと評判のバイヤーが強引に買い取ろうとした。お相手はリューデリッツ伯爵家のご嫡男、アルブレヒト様だ。

それだけでもなかなか空気を読める御仁だと思うが、こちらが配慮して当人を宮廷警察に引き渡す所で留めた。かなり配慮した対応だと思うが、かの御仁の感性は我々とは異なるらしい。何を思ったのか、『面子を潰された』と判断したらしく、主催者であるヴェストパーレ男爵家のご当主夫妻への暗殺を報復措置として企てた。

宮廷警察に引き渡したバイヤーがやけに早く釈放された時点から監視を付けていたし、暗殺の実行役はすでに確保して、『丁寧な尋問』の下、過去にも商人や富裕層を相手に、同じようなことをしていたことが判明している。この状況で、政府が甘い対応をするなら軍部との衝突を覚悟しなければならない。

国務尚書のリヒテンラーデ候の判断は分からないが、陛下は『帝国の安定』の為に現在の状況を容認されている。それを壊すような『強欲な豚』など、いい加減ゴミ箱に投げ入れる時期だとご判断されるだろう。さすがに役職までは軍部系貴族が担当しないと思うが、一先ず正確な状況を関係者に通知して、手配を進めておこう。

 

執務室から遊戯室へ戻ると、シェーンコップ男爵が寛いでいた。この後に伯から色々とご指示を受けるのだろう。

 

「オーベルシュタイン卿、今回の件は恩に感じている。まさか伯との縁のきっかけがこんな因縁を持ってくるとはな。ケジメを付ける場が巡ってくるとは思わなかった」

 

「それを言うなら私も同様だ。まさか劣悪遺伝子排除法が廃法になる事が現実味を帯びる日が来るとは思ってもみなかった。新米男爵同士だが、公爵と言えども因果応報からは逃れられぬのだと授爵してすぐに実感するとはな」

 

「俺からすると、よくもまあこんな長期間のさばったものだとむしろ感心しているがな。俺との因縁はまだ5歳だった時の話だ。政府系の人材は枯渇しているようにも見える。伯の役割がさらに大きくなるかもしれんな。もっとも、ご本人はそんな事を望んでおられないのであろうが......」

 

シェーンコップ男爵が少し寂し気に肩をすくめる。伯の本懐が『事業家』にあることは私たちには分かっている。伯には軍人としての才覚もおありだったが、政府系貴族にでもお生まれになられていたら帝国は更に発展していただろうし、フェザーンにお生まれなら、宇宙に名をはせる大商人になられていただろう。そういう意味ではご次男のフレデリック様が音楽の道を選ばれ、大成されつつあるのは喜ばしい事なのかもしれない。

ご嫡男アルブレヒト様も本懐は軍人にあったが、才覚は『事業家』にあった。傍でみていて御いたわしい思いがあったし、そういう意味で私自身もフレデリック様が音楽の道で大成されつつあるのを喜ばしく思っていた。

 

「私としても、我々の領分で好き勝手させる訳にはいかんしな。フレデリック様の大切な方のご両親があれに手を出される事など黙って見過ごすわけにはゆかぬ。あの方が大成するほど、心の慰めになる者がたくさんいるのだから」

 

「たしかにな。それに事の発端になった絵の作者であるメックリンガー中佐との縁を繋いだのも俺だしな。良縁にする為にも、けじめを付けるつもりだ。手数をかけるがよろしくな」

 

そう言い残して、シェーンコップ男爵が入れ替わる様に伯の執務室へ歩みを進めて行った。天の邪鬼な所があるが、伯への忠誠心という面では、私も見習うべき所を感じる漢だ。冷静な態度を取っていても、内心はハラワタが煮えくり返っているだろう。私にとっても他人事ではない。しっかりサポートさせてもらおう。

 

遊戯室から玄関に向かい、同じ敷地内に新設されたオーベルシュタイン男爵邸に向かう。今日は昼餉はフリーダ嬢と共にする予定だ。我が家の執事だったラーベナルトも妻ともども新居に移り、日々楽し気にしている。この温かい日々を守るためにも、励まねばなるまい。

 

 

宇宙歴794年 帝国歴485年 4月上旬

首都星オーディン 新無憂宮

ゲルラッハ子爵

 

「陛下、お呼びと聞き参上いたしました。リヒテンラーデでございます」

 

「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます。ゲルラッハでございます」

 

跪いて、名乗りを上げる。既に呼び出された理由は承知している。リヒテンラーデ候から軍部系貴族にだけは『あの強欲』の矛先が向かぬようにとご指示頂いていたのに、この始末。本来ならおめおめとこの場に同席するわけにはゆかなかったが、政府系貴族には人材がいない。後始末を担当する事で処罰とする旨、すでに伝えられてはいたが、忸怩たる思いは消えていなかった。

 

「現在の帝国は政府・軍部・大領を持つ貴族がお互いの領分を侵さぬことでバランスを保っておった。儂も臣下たちがそれで安定するなら口出しはせぬつもりであったが......」

 

「ははぁ......。此度の事、面目次第もございませぬ。あの者も公爵という地位にございます。いつかは貴族としての責務に気づくかと存じておりましたが、その配慮も徒労に終わったようです。ここに至りましては、致し方なきかと......」

 

そこまで言い終えると、候は深々と頭を下げられた。私も一緒に頭を下げる。なんとか私が抑えられればこんな事にはならなかった。ふがいない気持ちが胸に広がる。

 

「処分としては、財務尚書からの罷免、相当な金額の罰金をと考えております。これをもって一罰百戒とさせていただければ幸いに存じます」

 

「うむ。それで軍部系貴族が納得するのじゃろうか?儂の手元にも資料は届いておるが、下級貴族や商人相手に殺人・恐喝・詐欺のオンパレード。その上、今回の件じゃ。そのような対応で軍部が納得するとは思えぬが?穏便にと配慮したにも関わらず、宮廷警察は見逃す判断をしたのも良くなかったな。このままでいけば『政府全体』が今回の件の共犯者だと判断しかねぬぞ?」

 

「しかしながら曲がりなりにも『公爵家』です。これ以上となると『お取り潰し』となりますが、そうなれば門閥貴族がどう判断するかわかりませぬ。バランスを取る意味でも良かろうと判断したのですが......」

 

「その判断では軍部が納得せぬ以上、バランスは崩れる。まずは直近の問題を優先すべきではないかな?それを誰がどう判断するか?は、問題を片づけてから取り組めば良かろう?軍部の政府への不信感はかなりの物じゃ。自ずと答えは出ておろう?」

 

『公爵家』がお取り潰しになるなど、大逆罪以外では前例のない話だ。門閥貴族の反応を考えれば候はそこまで踏み込めなかったのであろうが、自分たちが役目を果たす中で、横目に映る政府は、汚職と麻薬にまみれ、自浄作用もないとなれば厳しい目を向けられるのも致し方ないだろう。しかしながら『公爵家』を取り潰すまでの判断がされるとは私も思っていなかった。

 

「では、『お取り潰し』という事で、私の方で判断を下します。確かに宮廷警察までも関与した以上、今回の件は軍部に配慮せねばなりますまい。大変心苦しい所でございますが、領地の接収・捜査に関しては軍部に一任する形といたします」

 

「それがよかろう。儂がもう少し早く決断していても良かったが、政府にだけ口を挿むわけにもゆかぬでな。苦しい判断をさせてしまったな」

 

そう言い残すと、陛下は内密の謁見によく使う一室から退室されていった。少なくとも『公爵家』の処分は決まったが、処分が『お取り潰し』となった以上、関与した人間も軽い処罰では済まないだろう。

 

「主犯に厳罰が下る以上、関係者にも相応の罰が必要になろう。本丸の捜査は軍がするとしても、拘束と余罪の有無、そして接収される財産から被害者への補償も行わねばなるまい。もう間違いはできぬ。苦労を掛けるが儂とお主で担当するしかあるまい」

 

候が寂し気につぶやかれた。なんとかバランスを取ろうとした結果、同じ政府系貴族がそれを壊そうとした。候からすれば地球教の件に続き、背中から撃たれたような物だろう。微力ではあるが、せめて私ぐらいは候をお支えせねば......。候の足を引っ張る政府系貴族に私は憎しみさえ感じていた。



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91話:苛政

宇宙歴794年 帝国歴485年 8月上旬

カストロプ星系 惑星ケーニッヒグラーツ 

ワルター・フォン・シェーンコップ

 

「シェーンコップ少将、中心人物からの聞き取り調査は完了しました。詳しいデータ分析は本部で行ったほうが早く対応できますので、我々も一足先にオーディンへ戻ろうと思います。何か踏まえておく事はございますでしょうか?」

 

「うむ。2点だな。ひとつ目は調査の進捗とデータはリヒテンラーデ候に伯のお名前を添えて、ミューゼル卿から報告するように。政府系はかなり譲歩した形だし、せめて膿を出す機会として活かす支援はしておいた方が良い。二つ目は、この惑星の現状は、ある意味、責任ある立場に責任を果たさない人間が就いた時どうなるか?という最悪の一例だろう。卿にそのような心配は無いと思うが、いずれは任命する側にもなろう。見るに堪えぬかもしれんが、よく目に焼き付けておくことだ」

 

「ご鞭撻ありがとうございます。調査の過程で領地の各所に足を運びましたが、とても同じ帝国内だとは思えませんでした。嫌悪しか感じぬ日々でしたが、こんなことが無い帝国をつくる一助になれればと思います」

 

ミューゼル卿は俺が答礼すると、執務室から退室していった。坊やたちはまだ18歳だ。社会勉強を兼ねてとはいえ領民への責任を果たそうともしない人間が統治を行うとどういうことになるか......。その極端な例がこの旧カストロプ公爵領だ。領民はほぼ農奴のような扱いを受け、教育も医療も最低限。『公爵』という地位に配慮されて徴兵対象から外されていたが、むしろ教育する手間から敬遠されたのではないだろうか?領民たちにすれば最後の苛政からの脱出手段を奪われた形になったやもしれんが......。

 

「シェーンコップ少将、超高速通信がオーディンから入っております。通信室へどうぞ。リューデリッツ伯爵から、現状の確認のご様子でした」

 

通信兵に答礼すると、通信室へ急いだ。おそらく治安回復と復興に向けた連絡だろう。だが、この現状を、伯が直接ご覧になる事態にならなくてホッとしている自分がいる。自領だけでなく辺境星域全体をどう富ませるか?に心血を注いてきた伯がこのありさまを見れば、激怒されるに違いない。さすがにそんな場に居合わせるのは遠慮願いたいところだ。通信室に入り、通話開始のボタンを押す。画面には普段と変わりない伯の姿が映しだされる。

 

「シェーンコップ男爵、そちらの状況はおおむね数字でだが認識していたが、卿がその表情だと、思った以上にひどいようだな。ケジメを付ける為とは言え、いささか損な役回りだったやもしれぬ。悪く思わないでくれれば助かる」

 

「はっ!私自身は世慣れているつもりでしたので多少の刺激では動じるつもりはありませんでしたが、いささか眉をひそめざるを得ない状況ですな。特に青少年には刺激が強かったやも知れません。感受性が強い部分もありますが、もともと軍部系貴族は帝国の中でも比較的まともですから。帝都に近い星系でこんな有様を放置していたとなると、政府系貴族への不信感はつよまるばかりでしょうな」

 

「うむ。政府系貴族の対応は別にして、直近の問題は惑星ケーニッヒグラーツの復興と開発だ。既に1000万人分の支援物資は手配済みだ。数日以内にそちらに到着するだろう。必要な物があれば遠慮せずにメックリンガー中佐に一報を入れてくれれば手配されるようにしてある。治安維持部隊も何かと感じる所があるだろう?酒も多めに手配して置いたから領民たちを含めて、振る舞ってやってくれ」

 

「ありがとうございます。復興と開発とのことでしたが、復興プランは確認しましたが、開発までこちらで担当するのでしょうか?てっきり接収が終われば後は政府が担当するかと存じましたが......」

 

「その件だがな、ベーネミュンデ侯爵夫人と相談して、惑星ケーニッヒグラーツはディートリンデ皇女殿下の化粧料とする事にした。どのみち政府に追加予算を組める余裕はないし、惑星ひとつを再開発できる人材を割くこともできないだろうからね。先ほど陛下の内諾を頂いた所だ。兵士たちも復興支援任務で身体を動かせば、多少は気がまぎれるだろう?既にアルブレヒトとシルヴァーベリヒに開発プランを練らせているし、隣接するマリーンドルフ伯と合資会社を設立する契約を取り交わした。5年もすれば皇族の領地として恥ずかしくないものとなろう。政府の尻ぬぐいをするようで癪だが、領民には関係ない事だ。後見人としても、皇女殿下のご領地が荒れ果てたままにしておく訳にもゆかないだろうからね」

 

伯の財布は本当に底がしれない。本来ならお取り潰しとなったカストロプ公爵家の財産を使って復興予算とすべきところだが、その財産のほとんどは汚職によって得たものだ。政府は国庫に納めるのが順当だと考えただろうし、そうなると思いきった復興予算はつかない。だが、このままでは軍部系貴族と辺境領主のみが、帝国への貴族としての責任を果たしているように兵たちには映るが、その辺りは配慮しなくて良いのだろうか?

 

「伯、このままでは兵たちの政府と門閥貴族への不信感は強まる一方ですし、兵はともかく青少年には多少はケアが必要かと存じますが......」

 

「代々の稼業だからといって、適性も自覚も無い人間が責任ある役職に就くことは帝国にとってプラスにはならないと、もっと多くの臣民が気づくことになればそれで良い。宇宙の統一の為には、少なくとも適性と自覚がある人材がしかるべき役職に就くようにならなければ無理だ。あまり大声で触れ回る必要もない。そんな事は皆が日々うすうす感じている事だからね。それとミューゼル卿にも復興・開発に関して自分なりに見解を用意しておくように伝えてもらえるかな?見るべき所があればもちろん採用する旨も伝えて欲しい。イライラしながら戻ってくるのが目に見えるからね」

 

「承知しました。たしかに顔をしかめながら領内を調査しておりました。彼らも前向きな話に意識が向けば少しは気が晴れましょうな。物資の手配の件もありがとうございます。民心が落ち着くまでは十分な物量かと存じます。兵たちもしっかりと復興計画が動き出しているとなれば少しは気も晴れましょう。兵たちに変わりましてお礼申し上げます。では」

 

俺が敬礼すると、伯も答礼をされ、通信が終わった。正直に言えば、ホッとした気持ちがある。この惑星だけが、歴史の中でいう中世のような有り様だった。星間国家の『公爵家』の領地がそんなことになっているなど想像できなかった。領地の統治は領主の専権事項とは言え、命を懸けて守っている祖国にこんな一面があるなどやりきれない。おそらく伯の財布から予算が出ているのだろうが、手厚い復興予算がついている事だけが領民たちの慰めになるだろう。

 

通信室から司令室に戻ると、装甲擲弾兵を引き連れて押しかけるように参戦したオフレッサー大将が、少し沈んだ感じで佇んでいた。閣下を良く知らないものは、勇猛な戦士としての一面しか知らないが、身内には手厚い漢だし、戦場以外ではなにかと感じやすい部分もある。おそらく俺の懸念は的を得ているのだろう。

 

「おお!シェーンコップ男爵、リューデリッツ伯と通信していたとのことだが、復興計画は大丈夫なのか?さすがの俺でも、この状況を見るとな。装甲擲弾兵は命を懸けて帝国を守ってきたが、帝都のすぐそばでこんなことになっておるとはな。俺は少し悲しくなったし、部下どもも復興の役に立ちたいとのことだ。もうしばらく世話をかけるが、何かしら役に立ってから戻らねば寝ざめが悪いからな」

 

「閣下らしいお言葉ですな。一両日中に支援物資は届きますし、復興計画は用意してあります。土木機械が来るまでは間がありますし、小官も久しぶりに土木作業に参加しようと思いますが、ご一緒に如何です?」

 

「それはよい。筋力自慢が揃っておる事だし、部下も喜ぶであろう。それにしてもあっけないものだな。20年近く尚書職を務め、汚職を極めた人物とは言え仮にも『公爵家』が、いざとなれば領民の叛乱で自滅するとはな。陛下のご下命に背いた以上、『大逆犯』だが、当主と嫡男を筆頭に、領内にいた一族は領民に背かれて殺されてしまうとは......。実戦はほぼなかったに等しいし、領内の有り様を見るとなにやら虚しくなってしまった。男爵と任務を共にできた事がせめてもの救いだな......」

 

「閣下、私も似たような思いがありますが、伯からの連絡では、この惑星はディートリンデ皇女の化粧料となるそうです。皇女殿下の後見人として、その化粧料を『荒れ果てたままにはしておけぬ』とも仰っておられましたので、数年もすれば見違えるようになりましょう」

 

「そうか、伯が担当されるなら間違いあるまい。オーディンからもそこまで離れておらんし、装甲擲弾兵の訓練施設でも作ってもらい、訓練を兼ねた土木作業をしてもよいかもしれんな。もっとも伯が計画を用意されたなら余計なことやもしれんが......」

 

「上申はしておきましょう。確かに自然はかなり残っておりますし、鍛錬にはちょうど良い場所です。さすがの伯でも装甲擲弾兵が復興支援に協力したいと言い出すなど想像されないでしょう。きっとお喜びになられると存じます」

 

「そうか。男爵にそう言ってもらえれば千人力だな。では部下たちに指示を出してこよう。塹壕堀りの訓練などをするより余程励み甲斐があるというものだ」

 

少し気が晴れたのかいつもの雰囲気に戻ったオフレッサー大将がのしのしと司令部を後にする。俺の部下たちにも配慮をしておかねばなるまい。悩ましい事だが、物資と予算はある。憂鬱な始まりとなったが、振り返った時に誇れる任務にしてやらねばなるまい。伯から事前に渡されていた復興計画書を改めて確認する。この計画書の綿密さだけが、おれの心を少し軽くしてくれた。



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92話:経過

宇宙歴794年 帝国歴485年 12月上旬

首都星オーディン 憲兵隊 特務分室

ジークフリード・キルヒアイス

 

「まったく、政府はなにをしていたのだ。このような重犯罪が野放しにされていたとはな。シェーンコップ少将は『責任ある立場に責任を果たさない人間が就いた時どうなるか?という最悪の一例』とおっしゃっていたが、特に捜査機関の人間が長いものに巻かれるだけなら、それこそ帝国の有り様にひびが入るであろうに......」

 

「ラインハルト様、少なくとも惑星ケーニッヒグラーツではそのようなことはもう起こりません。政府内でも処分が進んでおりますし、この調査は決して無駄ではございませんでした。まずは、それで宜しいのではないでしょうか?帝国は少しづつですが良い方向へ進んでおります」

 

「キルヒアイスは美点や長所を見出すのが得意だからな。俺はどうしても欠点に目が行ってしまう。軍部系貴族や辺境領主の方々は領民への責任を果たしておられるのに、なぜ一方ではこんなことになるのだろうか。門閥貴族は本来、帝国の藩屏として統治を担う立場であったはずなのにな。まあ、責任を果たしている軍部系貴族に属しているのが唯一の救いだが」

 

ヴェストパーレ男爵ご夫妻の暗殺未遂事件に端を発した『カストロプ公爵家のお取り潰し』は様々な波紋を呼んだ。第一には『大逆罪』以外で『公爵家』がお取り潰しになる先例が出来た事だ。これによって門閥貴族には少なからず波紋が広がっていると聞く。リューデリッツ伯が対策を取っておられるようだが、アンネローゼ様を始め、軍部系貴族と親しい方々には護衛が就いたままになっている。だが、いくら『公爵家』とは言えあのような苛政が当然のように行われることを見過ごすわけには行かないだろう。

 

憲兵隊の特務分隊として現地に調査に赴いたが、あれが統治と呼べるものなのかは私から見ても疑問だった。そして押収した資料を精査する中で、カストロプ公爵が財務尚書として行った汚職だけでなく、美術品の強引な買い取りや利権の横領を黙認した政府関係者も次々に明らかになった。指示があったので進捗があるたびに報告していたが、政府系の実務担当であるゲルラッハ子爵は、最近ではラインハルト様の顔を見るとため息をつくようになっている。本来なら任務外ではあるが、暗殺未遂事件に政府が絡んでいるかのような状況だったため、内務省が管轄すべき所を憲兵隊の取り扱いになったために配慮しての事だ。

 

また容疑者が身内から出たとなれば、ため息をつきたくなる子爵のお気持ちも分からないではないが、ラインハルト様からすると、『自分たちの醜態の尻拭いをさせておいて、その態度はなんだ?』とお思いなのだろう。正論なのだが、軍人はともかく政府や門閥貴族となると、まだ相手のお立場で考える事が苦手なご様子だ。ただでさえ少ない人材がますます減るとなれば、ため息のひとつもつきたくなるだろう。そして、ラインハルト様が正論をお話になるからこそ、私は一歩引いて周囲を考えられることも理解していた。

 

「惑星ケーニッヒグラーツはディートリンデ皇女のお化粧料となりましたし、すでに復興計画が稼働しております。数年もすれば見違えるようになりましょう。ラインハルト様の提案された開発案も採用されるとのことですし、いつか訪れてみるのも宜しいのではないでしょうか?」

 

「そうだな。だがキルヒアイス、俺が出した案は伯の根回しがあって初めて出来た事だ。提案自体は良いものだと思ったが、実現するために必要になる事まで思い至らなかった。採用されたのは嬉しかったが、まだまだ俺にも甘い所があるようだ」

 

ラインハルト様は『皇女殿下のお化粧料』になるという事を踏まえて、現在は惑星ルントシュテットのみで醸造されている『レオ』を含めた酒造を、新規事業として立ち上げる事を提案された。領地の開発に意識が向けられなかったからこそ、自然が残っているのできれいな水がある。教育を進めるにはかなりの時間が必要な以上、それなりの期間は農業が主産業であり続ける中で、帝都に近い事も考えれば酒造は有力な事業だった。

ただ、皇室の専売事業であるし生産はルントシュテット伯爵家が独占されていた。リューデリッツ伯の根回しがなければ実現できなかっただろうし、ビールはともかくウイスキーは伯が開発予算を出すから始められる事業だ。皇女殿下の領地産ともなれば廉価品はつくれない。おそらく15年から20年は収益化が難しいだろう。そしてラインハルト様は嫌がるだろうが、伯はラインハルト様に実績を付けさせるためにこの事業を推し進めた所があるはずだ。こういう配慮はされた本人が気づかない様にされるのが伯の流儀だが、アンネローゼ様にはご報告した方が良いだろう。

 

「ラインハルト様の提案の成果として、新しい事業が立ち上がり、それでうるおう臣民が確実にいるのです。まずはそれをお喜びになられても宜しいかと......」

 

「そうだな、キルヒアイス。惑星ケーニッヒグラーツから将来、帝国を支えてくれる人材が生まれてくるかもしれないと思うと、確かに意味のあることかもしれないな。装甲擲弾兵の訓練施設も作るそうだし、いつか視察を含めて訪れてみるのも確かに良いだろう。それでは押収資料の精査にもどるとするか。重犯罪はあらかた完了したからあとは軽犯罪だな。もっとも賄賂の金額はかなりのものだし、回数もかなりのものだ。懲戒処分ではこちらも済まないだろうがな......」

 

そう言いながら、少し顔をしかめられる。また子爵にため息をつかれる事を想像したのだろうか?だが、軍法会議なら銃殺刑に相当するような容疑者も含まれている。手を抜くわけには行かないだろう。

 

「お茶を入れなおしましょう。裏取りは政府機関が担当してくれますし、彼らもここに至っては身内とは言え、かばいだてするようなことは無いでしょう。もう少しでこの任務も終わることになります」

 

私がそう言うとラインハルト様は『そうだな。もうひと踏ん張りするか』とお答えになり、資料に意識を向けられた。少しは気を紛わせられていればよいのだが......。

 

 

宇宙歴795年 帝国歴486年 1月上旬

フェザーン自治領 自治領主公邸

ルパート・ケッセルリンク

 

「補佐官、それでブラウンシュヴァイク公爵家の一門のはねっかえり達の反応はどうだった?」

 

「功名心だけでなく、恐怖心も加わりました。ブラウンシュヴァイク公爵家だけでなくリッテンハイム侯爵家の一門も同様です。それに『フェザーンの権益が奪われている』という話にも真実味が増しました。水面下の動きは加速するかと。『公爵家のお取り潰し』に『軍部系貴族の邸宅への護衛の配置』、かなりの援護射撃を頂きました。それに政府系も軍部に功績を取られ、面目も潰されております。思った以上に燃え広がるやもしれません」

 

「それで良い。大掃除は一度で良いだろうからな。それに決起させるには群れを大きくしなければ最後の一歩が踏み出せないだろう。戦場では正面を見据えねばならんのに、横ばかり気にする方々だ。精々お仲間を増やしてやればよい。多ければ多いほど、帝国が『血統主義』から『実力主義』に塗り替わる為の肥やしになるだろう」

 

「今の所は証拠は残しておりませんが、最後の一歩を踏み出させる為にも軍需物資を始め、色々と用立てる必要もございます。叛乱を支援した事は明確になると存じますが、その辺りは考慮しなくても宜しいのでしょうか?」

 

「かまわん。そもそも『煽れ』とのご依頼なのだ。どうせなら特大の火事を起こせばよい。もうこのような火遊びは二度と出来ないだろうからな。精々楽しむことだ」

 

大丈夫なのだろうか?いくらリューデリッツ伯の依頼だったとはいえ、帝室に弓引くような事を煽るようなことをすれば、火遊びが鎮火したあとに『生まれ』位しか誇る者が無い連中と一緒に、ゴミ箱に放り込まれる可能性もあると思うが......。

 

「補佐官、君が心配している事は分かっているつもりだ。だが、私は既にべットを終えている。この歳になってまで『保育園の保育士役』をするのは気が進まんし、彼らの御しがたさは重々承知している。彼らに自分の将来を託すなど破滅と同義だ。もっとも君の将来をべットするかは自分で判断すればよい。交渉相手としては楽な連中だが、同じ陣営に所属すれば、予想の斜め上の事をしでかして、勝算のある勝負ですら潰しかねない連中だがな」

 

この男がすべてを失って絶望する所を見たい気もするが、そのために俺の人生まで賭ける気はない。それに帝国軍は人材面でも団結の面でも過去に例がないほど充実している。門閥貴族を中心に4000家が集結できたとしても、とてもではないが彼らに勝つことは難しいだろう。

 

「私も腐ってもフェザーン政府の補佐官です。閣下には及ばないでしょうが人を見る目は養って参りました。門閥貴族側に属するのは、良く言って自殺行為でしょう。より大きな火事を起こすという点でも賛成いたします。そこでご提案なのですが、同盟資本にはかなり浸透できていますし、伝手もございます。どうせなら門閥貴族と同盟を結び付けてはいかがでしょうか?鎮火のついでに銀河の統一までの流れが出来ることになります。どうせなら特大の花火もつけてみてはと思ったのですが......」

 

「補佐官、そちらの方も水面下で動いているから安心したまえ。狂信者のせいでフェザーン自治領主の地位はその輝きを失った。せいぜいそのツケを支払ってもらう意味で利用させてもらうつもりだ。危険な工作員も、証拠がなければ『有権者』であり『支持者』らしいからな。一部の権利を守るために市民全ての権利を危険にさらす訳だ。市民の同盟政府への不信を煽る材料にもなる。丁度良いだろう」

 

「差し出口をお許しください。私ごときが思いつくことは閣下のお考えの範疇でありましょう。失礼いたしました」

 

「構わない。俺が把握している情報と君が把握している情報には差がある。むしろそこに考え至ったのは補佐官としての面目躍如といった所だろう。引き続き励んでくれ」

 

そこで報告は終わり、執務室を後にする。今日の業務はここまでだ。自治領主公邸を後にして、歓楽街の一角に向かう。会員制クラブが立ち並ぶエリアで地上車をおりて、看板が無いある店のドアの前で指紋認証システムに手をかざし、ロックが解除されたことを確認してから入店する。

 

「あら、早かったのねルパート。もっとも貴方はこっちの遊びは好みじゃないものね。早速情報交換と行きましょう。将来、帝国軍の最重要参考人リストに載るような将来はご免こうむりたいもの」

 

「安心しろドミニク。自治領主閣下は新しい主にしばらくは従順でいるそうだ。落ちぶれた姿を見れるかと思ったがなかなかうまくはゆかないな。同盟の件もすでに手を回している様子だった。とは言えここまで大きな火事になると鎮火も容易ではないだろうがな」

 

ドミニクは愛飲している『レオ』を口に含み、香りを楽しんでから

 

「あら、ボルテック氏が何をしているか?詳細を確認していないのかしら?彼が担当しているのは同盟領内でのリューデリッツ伯の資金運用よ。すでに30年近く前から資金を投下しているの。私も詳細は知らないけど、とんでもない金額になっているのは間違いないでしょうね」

 

「そんな馬鹿な。帝国貴族が同盟に投資するなど、利敵行為じゃないのか?そもそも30年前からこんな政局を見据えて動いていたとでもいうのか?」

 

「さあ、私にはリューデリッツ伯のお考えなんて分からないわ。私がまだ青臭い小娘だった時の話だもの。ただ、当時の担当者はワレンコフ氏で、彼はその報酬をつかって最年少の補佐官から自治領主候補に成りあがったわ。当時から生半可な金額じゃないのは自明の理ね」

 

「なら尚更、同盟と門閥貴族を結託させる必要があるな。俺の力をご覧頂く意味で大きな花火を打ち上げようと思ったが、下手をしたら片手間で鎮火出来るやもしれんな」

 

「ルパート、父親と同じ過ちを犯してはいけないわ。あの方に重用してもらうには『信頼』と『信用』が必要よ。無駄に野心をひけらかせば本人が尻尾を振っていても、何か企んでいるのかと不信に思われるわ。そこだけは間違わないでね」

 

ドミニクの忠告にうなずいたが、伯からすれば俺など使いっぱしりの小僧でしかないだろう。命じられたことをこなしているだけで目に留まるものなのだろうか。何かしら出来る事が無いか考える俺の対面で、ドミニクは楽し気に『レオ』を飲み進めていた。



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93話:婚約

宇宙歴795年 帝国歴486年 1月上旬

首都星オーディン グリューネワルト伯爵家・別邸

アンネローゼ・フォン・グリューネワルト

 

「姉上、4月からはいよいよ宇宙艦隊に転属します。お墓参りの方はご負担をおかけしますがよろしくお願いします」

 

「ええ、こちらは心配いらないわ。前線ともなれば色々大変でしょう?くれぐれも気を付けてね。メルカッツ提督も4月には元帥になられるとのことだし、ご迷惑をおかけしないようにね」

 

「姉上、私も将官の仲間入りをいたしました。感情のままに発言するようなことはしませんし、先任に手合わせでお世話になったファーレンハイト卿とビッテンフェルト大佐もおられます。成長したところをご覧いただけるように励むつもりです」

 

弟が幼年学校を卒業してもうすぐ4年。『あの方』に見せて頂いた配属予定通り、戦死が少ない部署で経験を積みながら、昇進を重ねている。准尉から4年で准将なんて、大丈夫なのかしら。厳しく教育して頂いたとはいえ、本来なら士官学校を卒業して少尉で任官する事と比較したら、後見人が『あの方』とは言え特別扱いなのではないだろうか。

前線に赴くだけでも心配なのに、将官ともなれば多くの方の命を預かることになる。肉親の私でも心配に思うのだから陛下や『あの方』からこういう話が出るのも分かる気がする。まず私から打診してほしいとの依頼を受けているが、まだ子供のような所がある弟に、どう話したものか悩んでもいた。

 

「ラインハルト、ジーク。一先ずお茶にしましょう?今日のケーキはジークの誕生日につくる候補のレシピのひとつなの。しっかり感想を聞かせて頂戴ね」

 

「アンネローゼ様、ありがとうございます。早速お茶の準備をいたしましょう」

 

ジークがお茶の用意に厨房へ向かう。ジークがいる場では話しにくい内容でもあるし、先に話しておいた方が良いだろう。ただ、私がこんな話をする日が来るとは思わなかった。

 

「ラインハルト。大事な話があるの。貴方は確かに厳しい環境で励んできたわ。それはリューデリッツ伯も含めて周囲も認めて下さるでしょう。ただ、貴方の立場は良くも悪くも特別なの。上官になった方はいつも以上に責任をお感じになるでしょうし、部下の方々は功績を立てなければと焦ると思うの。陛下と伯から、しっかりと自重すべき時に自重できるように、婚約をするようにとお話を頂いたわ」

 

「婚約ですか?急な話で驚きましたが、お相手はどなたなのでしょう?」

 

「畏れ多い事ですが、ディートリンデ皇女殿下と婚約することになります。今はリューデリッツ伯が後見人を務めておられますが、皇女殿下はまだ13歳。生涯を通じて後見することは難しいでしょう?守るべき存在がいれば、貴方も自重するだろうとお考えの様子だったわ。後見人が伯であることに加えて、皇女殿下の婚約者ともなれば、20歳を前に将官になる事も周囲が受け入れやすくなるだろうともお考えのようね」

 

「ディートリンデ皇女殿下ですか......。知らない仲ではありませんが、何と言うか。自分が誰かと結婚するという事に実感をもって考えられない所があります。光栄なお話ですし、お断りできる話ではない事も理解しているのですが......」

 

「その辺りは急ぐ必要はないわ。伯を始め、夫になる心構えについては色々と教えて頂けるはずよ?まずは貴方の帰りを待つ人が一人増える事をきちんと考えれば大丈夫よ。そして、そういう方々が上司の方にも、部下の方々にもおられる事を忘れないでほしいの」

 

弟は幼少の頃から『あの方』の下で励んできたし、駆け上がる様に昇進してきた。その分、世間一般の事に疎い所がある。私からは聞きにくい事だが、恋愛をしたことはあるのだろうか?ディートリンデ皇女殿下は、大人しい方だが感性は豊かだし、お優しい方だ。頑固で決めたら突き進んでしまう様な所がある弟と合うのだろうか?心配になっていた。

 

「承知しました。私もまだまだ至らぬ点はあるでしょうし、特に男女の機微については疎い所があるので、シェーンコップ男爵やロイエンタール卿にも話を聞いてみようと思います」

 

「そうね。まずは家庭をお持ちの方が良いと思うわ。私からも伯にお願いしておきましょう」

 

さすがに婚約者ができるのに、その御二人では問題があるのは私でもなんとなくわかる。ジークにも頼みにくい話だけど、頼んだ方が良いのかしら......。それも含めて伯にご相談したほうが良いだろう。私も同年代の男性との接点がほぼない。男女の機微に疎いのは弟に限った話ではないのだから。

 

「お待たせしました。すぐにお茶を用意をいたします」

 

微妙な空気になりそうなところにジークが戻ってきてくれた。少なくとも婚約することは承諾してくれたし、あとはご指導をお願いするしかないように思う。

 

「ジーク。貴方のお茶をいつも楽しみにしているの。今日もよろしくお願いしますね」

 

「はい。アンネローゼ様、今少しお待ちください」

 

ジークがいつもの手さばきでお茶の準備を進め、サロンには紅茶の香りが広がった。いつまでも嬉し気にケーキを食べてくれていたら。私はそれだけで十分満足だったのだけど、大人になるというのはこういう事なのかしら。ため息が出そうになって、思わずそれを飲み込んだ。

陛下にご相談したら話が大きくなるだろうし、『あの方』と内密に会う訳にはいかない。バラ園でのお茶会をお願いしようかしら。いつも通り、大き目に切ったケーキを二人の手元に置き、それを嬉し気に食べるのを見ながら温かい時間を過ごすことが出来た。励んでいるのだから水を差す訳には行かないが、二人が前線に赴けば、またこういう時間が減ってしまうだろう。それを残念に思うのが私の本心だった。

 

 

宇宙歴795年 帝国歴486年 3月上旬

ブラウンシュヴァイク星系 惑星ヴェスターラント

アルフレット・フォン・ランズベルク

 

「ランズベルク伯、此度は我らのお誘いに応えて下さり感謝しております」

 

「御二人とも水臭いですぞ。我らは学友であり帝室への忠誠が篤き同士のはず。それに屋敷に籠っていても良い詩は浮かばぬし、この惑星は我が領とはまた違う趣がある。お誘い感謝しておりますぞ」

 

我らの世代から、門閥貴族は幼年学校や士官学校ではなく、門閥貴族の子弟限定の教育機関で学ぶことになった。このお二人は当時から帝室への忠誠心に篤く、帝国の藩屏たるブラウンシュヴァイク公爵の一門として、いずれは責任ある役職に就くのだと、励まれていた方々だ。詩や小説を書くことに熱中していた私には過ぎたる学友だが、何かと季節の催し物で顔を合わせる機会もあり、交流が続いている。

 

「それで、本日のご用向きは何でしたかな?久しぶりにお二人に会えただけでも私は嬉しく思うが......」

 

「うむ。ランズベルク伯は現在の帝国の有り様をどう思われるのか、一度話を聞きたいと思ったのだ。我らは学び舎で行動を共にする頃から『帝室への忠誠』を共に高め合う仲であった。我らは現在の帝国がルドルフ大帝がお考えになられた有り様とは大きく異なる様に思えてならぬのだ」

 

「確かに、本来なら我ら門閥貴族が果たすべき役割を軍部貴族が担っているようなところはありますな。それに政府系貴族の体たらくもいささか悲しいものがあります。ましてや強欲が過ぎたとはいえ『公爵家』がお取り潰しになりましたし、『寵姫の弟』と皇女殿下を婚約させるなど、重視されるべきものが軽視される風潮があるようには思いますが......」

 

我ら門閥貴族の子弟が、幼年学校や士官学校から締め出されたのも、軍部貴族の暗躍があったとささやかれているし、ブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯が了承された以上、深いお考えがあったのだろうが、戦況を優位に進めているとはいえ、本来なら門閥貴族が得られた功績を独占してると見えなくもない。大逆罪以外で『公爵家』がお取り潰しになるなど前代未聞だし、『寵姫の弟』に皇女殿下を降嫁させるのも本来ならあり得ぬ話だ。

政府系の門閥貴族であるリヒテンラーデ侯爵家は実績の面ではカストロプ公の汚職に目が行き、パッとしないが、今回は候補者にも上がらなかったと聞く。今まで我らが大切にしてきた価値観を否定するようなことが次々と行われている。心ある帝国貴族なら、眉をひそめているに違いない。

 

「さすがはランズベルク伯だ。伯の言う通り、今の帝国の有り様は志ある帝国貴族なら容認しかねる状況にある。そもそもの始まりは軍部貴族が結託して動き出したことにある。同じことを、『本物の貴族』である門閥貴族が出来れば、帝国を本来あるべき姿に戻すこともできると思うのだが、伯はどうお考えかな?」

 

「確かに我ら『本物の貴族』が結集すれば出来ぬことは無いと思う。だが、ランズベルク伯爵家は過去に新無憂宮の秘密地下通路の建設をお任せいただいた家柄です。帝室に弓引くような事は致しかねますぞ?」

 

御二人の言う事も分かるが、『ランズベルク伯爵家が裏切ることは無い』とご信頼頂けたからこそお任せいただけた名誉を潰すような判断はできない話だ。

 

「我らもそんな事は考えていない。だが、実際問題として帝室の唯一の男系は下級貴族出身の皇太子殿下のメイドが母親だ。至尊の冠を戴くにはとてもふさわしいとは思えぬ。年齢も幼く、軍部の独走や政府の体たらくを押さえる事は期待できぬ。一方、年齢も彼より年長で、しっかりとした実力者が父親の血縁が二人、存在している。候補者を一本化するのは現段階では難しいが、どちらかが至尊の冠を戴くことになれば本来のあるべき姿である『貴族の時代』に戻せるはずだ。十分、結集する理由にはなると思うのだが......」

 

「そういう話であれば、確かに門閥貴族が結集する事もかないましょう。実現できれば、帝国の歴史に『あるべき姿』を取り戻した有志として、名を遺す事にもなりましょうな」

 

どちらのご令嬢が至尊の地位に就くのかは分からぬが、志ある帝国貴族なら今の有り様に眉をひそめておろうし、『貴族の時代』を取り戻すというのなら、協力を拒むものはいないだろう。

 

「伯にそう言ってもらえてうれしく思う。既にコルプト子爵を通じて、リッテンハイム侯爵家の一門の方々とも連絡を取り合っているのだ。伯にもこの義挙に参加してもらい、有志を募ることをお願いしたいのだ。伯が参加してくれれば、心強いのだが......」

 

「何を水臭い。我らは共に帝室への忠誠を高めあった仲ではありませんか。このランズベルク伯アルフレット、義挙に参加できることを嬉しく思いますし、御二人の帝室への忠誠に改めて感嘆の極みを感じております」

 

この日から、私も『帝国のあるべき姿』を取り戻す有志のひとりとなった。門閥貴族が結集できれば、この帝国で成らぬことなどない。寄り子を含め、今から声をかけるのが楽しみだ。皆進んでこの義挙に参加してくれるに違いない。



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94話:墓穴

宇宙歴795年 帝国歴486年 4月上旬

首都星ハイネセン キャゼルヌ家

ダスティー・アッテンボロー

 

「前回はシチューでしたから、今回はロールキャベツにしてみましたのよ。お口に合いましたかしら?」

 

「はい。とても美味しかったです。シチューに引き続き、ロールキャベツも好物になりました」

 

「夫人の料理を頂くと、好物が増えてしまいますね。ユリアンもまた料理の指導をお願いしたいとのことでした。よろしくお願いします」

 

ヤン先輩と俺は、キャゼルヌ先輩の奥様、オルタンスさんにお世辞抜きの感想を伝える。前回のシチューも絶品だったが、今回のロールキャベツも『絶品』以外の評価が浮かばない。元ジャーナリスト志望としては、今少し語感に富んだ表現を使いたいところだが、『旨いものは旨い』と言うのが突き詰めた感想と言うものだろう。オルタンスさんも、ヤン先輩の養子になったユリアンも料理の腕前は大したものだ。それに家事も万全。

 

それに比べて、俺の姉たちのずぼら加減はとんでもないものだ。結婚の話も聞かないし、実家に帰れば俺も掃除を手伝うくらいだ。もっとも『結婚するために料理の腕前を上げて胃袋を掴もう!』などと言った所で、3人の姉たちから集中砲火を食らうだけだ。3人がかりで来られては退路の確保もおぼつかない。そういう意味で実家では、親父は自分の書斎にこもっているのは戦略的撤退なのかもしれない。今度、帰省した時には突っついてみるとしよう。

 

「ユリアン君は一度教えたら吸収してしまうから、生徒としては満点ですけど、教師として教え甲斐が乏しいのが悩ましい所ですわね。いつでもお待ちしておりますわ。気軽に来てくださいとお伝え頂けるかしら」

 

「ありがとうごさいます。本来なら今日も同席したがっていたのですが、フライングボール部の強化合宿と重なってしまいまして。残念がっていましたし、チケットの方はきちんと頼んであるとのことでした」

 

「助かるわ。ご近所の婦人方の間でフライングボールが人気でね。なんとかお願いしたいと強引に頼まれてしまって。なんでも通はプロリーグじゃなくてジュニアのアマチュアクラスの時から応援するものらしいわ。コアなファンからはユリアン君も将来のエース候補と注目されているんですって。素人目線でも、確かにすごい活躍だったわ」

 

シルバーブリッジ街は高級軍人の官舎が立ち並ぶ地域だが、宇宙空間での感覚を養う意味でもフライングボールは軍人の子弟に人気のスポーツだが、ユリアンがそこまで活躍しているとは知らなかった。

 

「応援に行って頂いたようで、ありがとうございます。わたしはどうも騒がしいのが苦手でして......。一度は観戦に行こうとは思っているのですが......」

 

「ヤンさんが観戦に行くと、それはそれで騒ぎになりそうですものね。さすがに決勝戦まで進めれば記念に一度足を運んでみても良いかもしれないけど、任務との兼ね合いもあるでしょうから無理される必要はないかもしれませんわね」

 

ヤン先輩は『エルファシルの奇跡』以来、軍部の若手の中ではかなり市民に顔を知られている。当初はサインを頼まれても慣れない笑顔で応えていたが、何かと心外な思いをしていたらしい。最近は人が集まるような場には意識して行かないようにされていたはずだ。

 

「ヤンにも事情があるからな。その辺にしておいてやってくれ。シャルロット達は寝付いてくれた。あとは男どもで好きにやるからゆっくりしてくれ」

 

『それではごゆっくりどうぞ』と言い残して、オルタンスさんはダイニングを後にした。場所をリビングに変えて、料理から酒を楽しむ時間に変わる。キャゼルヌ先輩が先導し、ヤン先輩がウイスキーの瓶を、俺がグラスとアイスペールをもって後に続く。ヤン先輩がキャゼルヌ先輩の家にお世話になる時は『シロン産の紅茶』か、『20年物のウイスキー』を差し入れる。自分が飲むのもあるだろうが、今夜は美食に美酒が続くわけだ。これで話題が『明るい』物なら良いのだが......。色々と漏れ聞いている所ではそうもいかないだろう。

 

「同盟軍の准将と中佐を手なずけるとは......。あいつの料理も大したものだ。それにしても昇進スピードだけ見たら期待のホープなんだろうが、きな臭い噂が流れているな。お前さん方は貧乏くじを押し付けられかねんからな。早速情報交換といこう」

 

ウイスキーのロックが入ったグラスがいきわたると、軽くグラスを交わしてから本題が始まった。

 

「これはビュコック提督から漏れ聞いた話ですが、統合作戦本部ではイゼルローン要塞の攻略案が検討されているようですね。シナリオとしては帝国の内戦を考えているようです」

 

「私は親父が情報元ですが、帝国が進駐した以上、同盟もフェザーンに進駐してそちらからの帝国侵攻を主戦派の議員がふれ回っているらしいですね」

 

キャゼルヌ先輩はグラスの中で氷を回しながら考え込んでいる様子だった。

 

「補給の面から考えると、フェザーン進駐には補給線を厚くしないと困難だな。エルファシルの復興が一段落して駐留基地も完成した以上、一度戦線を押し戻した上で、補給基地を最低2つは新設しないと実行できないだろう」

 

「イゼルローン要塞に関しては『内戦』を想定すれば可能性はゼロではありません。ただ、前回イゼルローン要塞攻略戦から既に20年近く経過しています。要塞の防衛戦力も改訂されている可能性が高いですし、実際、作戦の立てようも無いでしょう。

シトレ校長は帝国艦隊を並行追撃する事で、要塞砲を無力化することをお考えのようです。仮に帝国が『内戦状態』になれば増援部隊の到着は従来より遅くなるでしょうし、要塞主砲さえ無力化できれば勝機はあると思いますが......」

 

ヤン先輩が言葉を濁すのは、過去2回のイゼルローン要塞攻略戦は言ってみれば『増援が来たタイミングを見越した攻勢防御戦術』が取られている。だからこそ駐留艦隊は艦隊戦を挑んできたが、防御に徹した場合は要塞周辺の制宙権を維持すれば良いだけだ。要塞主砲の射線も正確には分析できていない状況では、こちらから艦隊戦は仕掛けられない。防御に徹されたら『並行追撃による要塞主砲の無力化』は実行不可能だ。

 

「敵さんも増援が遅れるのは分かっている以上、前例とは違う対応を取るだろう。要塞を無視して進撃する事は出来ない訳だから、艦隊戦も挑んでは来ないだろうな。難しい所だな」

 

「はい。仮に内戦に突入した場合、イゼルローン要塞にはかなりの期間独力で防衛できるような手配をリューデリッツ伯がするはずです。分の悪い賭けになると思います」

 

そこで香りを楽しむようにグラスを傾けてから、ヤン先輩は言葉を続ける。

 

「もう一つの懸念は内戦の結果、どちらの陣営が勝利するか?という点にあります。門閥貴族を中心とした保守派が勝利した場合は、帝国の民衆も将来に不安を持つはずですから、安定するまでかなりの時間がかかるでしょう。一方で、軍部を中心とした改革派が勝利した場合は、帝国の民衆にとって同盟は門閥貴族の共犯者というレッテルを貼られることになります。仮に戦争に勝利できたとしても、統治がおぼつかない状況になるでしょうね」

 

「そういう意味では嫌な噂を耳にしたな。フェザーンを通じて門閥貴族側から政府にアプローチが来ているらしい。フェザーンとしても過去に進駐された経験もあるし、今の体制では一番消費が見込める軍関連の利権から締め出されつつあるようだ。『敵の敵は味方』というが、その味方候補が『帝国の民衆の敵』となると大局を見誤ったという所だな」

 

「同盟の事だけを考えれば『内戦状態』を長引かせて、その間に戦力の拡充を図るのは分かりますが、門閥貴族と手を結ぶというのは納得できない部分がありますね。下手をすると同盟でも激論が交わされることになりそうですが......」

 

軍部でいえば、もともとは『帝国の圧政から民衆を解放する』というのは大きな大義名分だし、戦没者の遺族たちの心境も、門閥貴族と言うのは『圧政』の象徴の一つだ。どのタイミングで公表するのか?仮に公表しない場合は、改革派が勝利した場合、特大の爆弾を抱え込むことになる。帝国の民衆の怒りを背景に帝国軍が攻め込んで来る前に、政府がレームダックと化してしまうのではないだろうか。さすがに噂の段階だし、軍人だからこそ入手できた情報をむやみに外に流すわけにもいかない。

 

「フェザーン進駐の話も少しでも改革派の戦力を引きつけようという謀略の一環なのかもしれないね。だが、漏れ聞くところではフェザーン回廊の向こう側のアイゼンヘルツ星域には大規模な駐留基地があると聞きます。同盟がフェザーンに進駐したとしても、そこから侵攻する事は難しいでしょうし、保守派を帝国の中心と外縁から挟撃できる体制でもあります。今更ですが、これも彼の仕込みですからね。かなり以前から『内戦』も想定して動いていたのでしょう。彼がこちらに生まれてくれていたらとつくづく思いますね」

 

ヤン先輩がため息をこぼしながら本音を漏らした。親父の調べによると『伯爵家の当主』でありながら気さくな人柄なうえに、身分を問わずに抜擢もするし、その後のフォローも欠かさない。親父に言わせると『理想の雇い主』らしいし、聞く限りでは『当たりの上官』ではあるだろう。そしてかなり以前に打った手が後々にもう一度活きてくるあたり、優れた『戦略家』でもある。シトレ校長ならともかく、あの『事なかれのサンフォード』や『ファッション右派キャスター』では太刀打ちできる相手ではないだろうな。俺もため息をつきたくなった。

とはいえ、独裁制に対抗するために同盟が軍事独裁政権化するとしたら、それこそ、本末転倒だ。同じようなことを先輩方も考えたのだろう。視線が合うと2人とも苦笑いをしていた。今期から正規艦隊司令部の参謀役に転出するが、戦略的なことも考えたほうが良いのだろうか?さすがに分を越えたことをあれこれ考えて、本分がおろそかになっては、それこそ本末転倒なのだが......。



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95話:皇女の闘い

宇宙歴795年 帝国歴486年 8月上旬

首都星オーディン 新無憂宮 バラ園

ディートリンデ・フォン・ゴールデンバウム

 

「ディートリンデよ。そちの婚約者は無事に戦功を上げた様じゃ。メルカッツは宇宙艦隊の宿将でもあるし、何かと若手の育成に長けた男じゃ。宇宙艦隊に異動してどうなるかと思ったが、良い形になったようじゃな。帰還した折には、労ってやるようにな」

 

「陛下、お気遣いありがとうございます。ディートリンデも自分なりに労いたいと料理を励んでいるのです。一度ご賞味いただければ光栄に存じます」

 

「うむ。婚約者の為に励む娘の料理の味見役とはな。この歳になって普通の温かな家庭にありそうな経験ができるとは嬉しい限りじゃ。儂も美食の面ではそれなりに経験を積んでおる。何か気づく事もあるであろうから、味見させてもらうとしよう。楽しみにしておるぞ」

 

「陛下、お母様。料理の件はまだ内密にしておきたいので、あまり大きな声でお話にならないでください。ラインハルト様がお召し上がりになられながら育ってきた、グリューネワルト伯爵夫人とオーベルシュタイン男爵夫人は、共にお料理がとてもお上手なのです。幼少からご教授いただいた講師役のお料理が基準になるのですから、少しでも励まねばと焦っておりますのに......」

 

「本当の美食だけを求めるならプロの料理人に勝てるわけがなかろう。しっかりとミューゼル卿の事を考えて、自分なりにもてなす事を考えた方が良いじゃろうな。それにまだ婚約者の段階で完成してしまっては、それこそ今後の楽しみが薄れてしまう事にもなろう。あまり焦らぬことじゃ」

 

陛下とお母様が嬉し気に笑いながらティーカップを口に運ぶ。ほのかにバラの香りに包まれながらの団欒のひとときは、今では恒例になりつつあるが、リューデリッツ伯が私の後見人になるまでは、行われる事は無かった。皇帝の寵姫となったお母様は、今ではベーネミュンデ侯爵夫人の称号を頂いてはいるが、もともとは没落しかけた子爵家の出身だ。その子爵家とのやりとりは、金銭の無心くらいしか無かったし、それまでのベーネミュンデ侯爵家は、陛下が静かに年配の父親になれる隔離された世界だった。

当時の静かな生活も嫌いではなかったが、そうなれば世間の事に疎い、文学と音楽だけがすべての皇女になっていただろう。今ならわかるが、新無憂宮の外の政局は、そんな事は許されない状況にあった。もし、伯が後見人にならなければ、幼い頃から兄のように接してくれたラインハルト様と婚約する事も無く、稀に参加する宮中行事で、舐めるような嫌な視線を向けてくる方々の誰かに嫁ぐことになっただろう。

 

「それにしてもこれで少将か。20歳を前に大したものじゃ。あの者に後見人を頼んだのもこの場であった。今となっては懐かしいが、あの時の決断は間違ってはおらなんだな。『将来、軍の重鎮となるべく教育する』と申しておったが、昔から期待に応えてくれる男じゃった。そちの下にも家柄だけではなく、実績をしっかりあげている者どもが出入りするようになった。昔から周囲を巻き込んで楽し気なことをするのが得意であった。今でも変わらず楽し気なことをしておるし、優秀な後進も育ちつつあると聞いておる。軍部系貴族と辺境領主達の未来は明るいものとなろうな」

 

「陛下、リューデリッツ伯は不思議な方でございますね。色々と配慮は欠かさず、かといって配慮した事を公言するわけでも、恩に着せる訳でもございませぬ。お返しする機会があればと思っているうちに、他の面でも実は......。という事が多々ございました。伯爵家と子爵家で財務状況は異なるとはいえ、当初は戸惑ったことが懐かしく存じます」

 

私がお付き合いのある貴族と言えば、後見人であるリューデリッツ伯とそのご兄弟のルントシュテット伯とシュタイエルマルク伯位だ。そのお二人も頼られることをむしろ喜びとしている所があるし、頻繁に足を運んでくださる伯爵夫人方も、気持ちの良い方々だ。貴族とはそういう物だと思っていたが、むしろ少数派らしい。

 

「今更の事であろうな。幼少期には先代のルントシュテット伯が門閥貴族の横槍からなんとか軍部を守ろうと四苦八苦しておるのを見ながら育ったのだ。第二次ティアマト会戦の大敗で、多くの軍部系貴族が没落しかけたが、自家も『次期宇宙艦隊司令長官』と目された当主が戦死したにも関わらず、他家の支援に奔走しておったからな。長兄と次兄も、幼いころから知っておるが、しっかりした人物であった。そういえば、青年の頃からメルカッツは堅物であったな」

 

「私も、もともとは皇太子時代からのお付き合いと聞いておりましたが、お忍びで歓楽街で食事を共にしていたと聞いた時はびっくり致しました。メルカッツ殿も含めれば、当時のお忍び仲間が4人も元帥になっているというのも、今更ながらすごいお話でございますね」

 

「そうであろう?お忍びの場であった店は、今では縁起が良い店という事で、かなり繁盛しておるそうじゃ。特に戦勝の際は賑わうらしいが、部下に酒をふるまうのに無理する事が無いように、店のオーナーがなにかと費えを賄ってくれる事もその要因だそうじゃ。言うまでもないであろうが、そのオーナーはリューデリッツ伯なのじゃがな」

 

陛下が嬉しそうに話をされる。私たち3人だけの時にしかされない表情だ。そして少し雰囲気が違うが、リューデリッツ伯と話をするときも同じように嬉し気にされる。そして聞き及ぶ限りでは、公務の際にはそのような表情は出さないとのことだ。本当は『皇帝』になりたくなかったという話を聞いた事があるが、事実なのだろうか?母上から表向きの話は禁止されているので控えているが、本心を聞いてみたい気持ちもあった。

 

「ちなみに婚約祝いの事じゃがな、そちの後見人は養子に等しい者たちに少将への昇進祝いに『男爵株』を添えたそうじゃな。さすがに皇女の婚約祝いに何もせぬわけにもいかぬ。『伯爵』が『男爵株』を贈るなら、『皇帝』は『公爵株』を贈るべきなのであろうが、空いている公爵株は、カストロプじゃからな。さすがに慶事にはふさわしくなかろう......。

宮内省に候補を上げさせたのじゃが、断絶した武門の家柄で『ローエングラム伯爵家』があってな。軍部の重鎮となる家柄として丁度良いと思うのじゃ。異議がなければ帰還した際に継承の議を行う事にするが、それで良いかな?」

 

「陛下、ディートリンデへのご配慮、ありがとうございます。武門の家柄ともなればミューゼル卿も喜ぶでしょうし、伯爵ともなればさらに自重も意識いたしましょう。グリューネワルト伯爵夫人もなにかとご心配のご様子でした。これで少しはご安心されると存じます」

 

「陛下。ご配慮ありがとうございます」

 

陛下は確認すべきことが終わったという感じで、再び和やかにお茶を飲み始めた。ただ、一瞬雰囲気が変わったし、お母様もお礼を述べつつも、一瞬わたしに視線を向けた。本来ならラインハルト様が『ベーネミュンデ侯爵』となり、2人で盛り立てるのが本筋だ。わざわざ別の家を継承させるという事は、万が一の場合、ベーネミュンデ侯爵家だけでも生き残れるようにという事なのだろう。

 

ここで色々なものがつながった。芸術の講師役でもあり、天才ピアニストのフレデリック様と婚約されたのを機に男爵家を継がれたマグダレーナ姉さまや、経営や政務の事を教えてくれ、今ではマリーンドルフ家の新規施策の旗振り役でもあるヒルデガルト姉さま達とたびたび話していた事だ。皇太子であった異母兄の遺児、エルウィン・ヨーゼフ殿は、いないもののように新無憂宮の一角で養育されているし、立太孫もされる気配がない。

門閥貴族の領袖として、降嫁を許したブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯を冷遇はしていないが厚遇する訳でもない。そしてリューデリッツ伯が私の後見人についた途端に、屋敷の中だけに留めていた私たちとの団欒を後宮の公の場である『バラ園』でも行い始めた事。陛下は『内戦』を起こさせるつもりなのだ。でもなぜ......。

 

「この宇宙から戦争を無くすためには必要なことなのだ、儂はそんな世界を生きて見る事は叶わぬだろうが、叛徒たちの社会が崩壊する前に宇宙を統一せねばならぬ。おそらく間違いは起らぬと思うが、もしアマーリエとクリスティーナが困る事になりそうであれば、口添えしてやってくれ」

 

ここで今更ながら、現在はなしている話題が『表向きの話』であることに気づいた。婚約するからには一人前の『皇女』として扱うという事なのだろうが、なぜお母さまが『表向きの話』を禁じていたのかやっとわかった。団欒の場であるはずなのにあまりにも冷酷な話がさりげなくなされている。皇族の子女としては確かに必要なことだが、お母様はこういう冷たさから私を守ろうとしてくれていたのだろう。

 

だが、万が一わたしだけがベーネミュンデ侯爵夫人として生き残る展開になった場合、どこの馬の骨かもわからない嫌な視線を向けてくるような方に嫁がされることになるだろう。そんな未来にならない為にも、ラインハルト様と連携を取りながら、マグダレーナ姉さまやヒルデガルト姉さま達とも連絡を密にする必要がある。

それにしても陛下がそんなことを考えていたとは想像もしなかった。望んで帝位に就かなかったにもかかわらず『宇宙から戦争を無くす』事をお考えになられるとは、それこそ統治者の鑑なのではないだろうか。そしてリューデリッツ伯はなにをお考えなのだろうか?すべてをお話し頂けるとは思わないが、私の未来がかかっている。少しでもご意向を聞いておかなくては。



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96話:銃後の闘い

宇宙歴795年 帝国歴486年 10月上旬

惑星テルヌーゼン ラップ家

ジェシカ・ラップ

 

「ジェシカ、心配をかけてすまないな。あとは何とか自宅療養で済みそうだ。身の回りの事はもう自分でできるから、俺の事は気にしすぎないでくれ。それにしても大変なことになったな。まさかテルヌーゼンで左派が勝利するとは......。ジェシカが勝利の女神だったという事かな?」

 

「そんな冗談が言えるならもう安心ね。新婚早々、戦傷を負うんだもの。実は気にしていたのよ?それにテルヌーゼンは士官学校があるからこそ、『戦死』を市民たちが一番身近に感じる選挙区だったのよ。ゾーンダイク議員はお子様を3人とも戦争で亡くされているし、右派の言うがままに戦争を賛美する人たちばかりではないってことね。あまり広言はされていないけど、現役の軍人の奥様方や、士官学校生の親御さんにも支持者がいるのよ?私みたいにね」

 

ジャンからされたプロポーズを受けて、頻繁に出撃する艦隊の補給期間に合わせるように結婚式を挙げたが、その直後に、指揮系統の兼ね合いで移乗していた分艦隊の旗艦が被弾し、ジャンは重傷を負った。幸い命はとりとめたけど、結婚直後だったし私なりに軍人の妻として考える所があった。入院中のジャンにも相談したうえで、入院生活のフォローをしながら政治活動に参加する事に決めた。

もともとテルヌーゼンは右派の本丸のような選挙区だった。父親と夫、そしてご子息を戦争で亡くされた『鉄血夫人』が強硬な攻勢論を唱えて議席を確保していたが、彼女が自分たちの選挙区の代表であることで、自分もいずれ『大切な人を戦死で失うのでは......』と多くの有権者が感じた事と、ご子息を3人も亡くされたゾーンダイク氏が左派から立候補した事で、『軍の関係者でも左派を支持しても良い』という前例が出来た事も大きかった。

それに何かと黒い噂が流れている地球教が右派に献金している事や、鉄血夫人以外の右派政党の議員の関係者が、戦死の可能性が少ない部署に意図的に配属されているというスキャンダルも大きかった。鉄血夫人は落選し、党首はウインザー議員に代わるそうだが、私から見ても出来そうにない事を威勢よくまくしたてる彼女では、少なくとも銃後の女性票は集まらないだろう。

 

「まあ、悪い意味で右派は軍部に介入しすぎていた所もある。戦況が劣勢なことを考えれば口を出したがるのも分かるが、それで戦況がさらに悪化したとなれば市民たちの我慢も限界といった所だろうか?幸い俺の上官にあたるボロディン提督は政治家とは距離を置く方だし、リハビリがてら、俺も自警団に所属するつもりだ。憂国騎士団の事もあるからな。さすがに療養中とはいえ現役の軍人の妻に乱暴なことはしないとは思うが、気を付けてくれ」

 

「ええ、それはわかっているわ。ただ、憂国騎士団の所属者リストが流出して、それが右派の支持者と地球教徒のあつまりだと暴露されてから、少なくともテルヌーゼンでは活動できていないようね。自警団も結成されたし、ゾーンダイク氏が代議員になった以上、警察も厳しく取り締まるでしょう。これで少しは良い方向に進めは良いのだけど......」

 

現役の軍人でもある夫のジャンからすれば、妻が左派の政治活動に参加するのは本来外聞が良い話ではない。ただ、憂国騎士団が反戦市民団体のデモに襲撃をかけた事で、現役軍人の中でも特に前線勤務を経験した層から批判が噴出した。彼らからすれば自分たちが命懸けで前線を維持しているのに、後方でぬくぬくとしながら憂国を自称して、銃後の女・子供相手に好き勝手していると映ったようだ。言論の自由は民主制を取る上で大事な要素だが、自分たちの対抗意見を暴力で封殺するなら、もう言論統制と同じだ。ジャンを始め、多くの現役軍人が妻子が左派を支援する事を黙認しているのも、こういう背景があるからだろう。

 

「今回ばかりは立件される事になると思うぞ?いつもは腰が重い中道派が動いているし、国防委員長になったトリューニヒト議員も憲兵隊に直々に要請したようだからね。彼は風見鶏のように世論を読むのが得意だし、要請を出した以上、中途半端な結果にはできないだろう。国防委員長になって最初の課題だし、彼の面子がかかっているからね」

 

トリューニヒト議員か......。俳優のような容姿と演説の巧みさで中道右派のプリンスとか言われているけど、私はどうも好きになれない。その時々で有権者うけしそうなことを並べ立てているだけで、ゾーンダイク氏みたいな政治理念が感じられないからだろうか?

 

「そうね。そうなってほしい所だわ。せめて戦死者が少しでも少なくなってくれれば良いのだけれど......」

 

私の不安を感じたのだろう。安心させるかのようにジャンが私を抱きしめる。この温もりを失いたくはない。同じ思いで戦地からの帰還を待つ市民も多数いるはずだ。その人たちの為にも私にできる事をしよう。まずは近々の課題を片づける為に、私はキッチンへ向かった。新婚夫婦で美味しい夕食を食べるのも大事なことだもの。

 

 

宇宙歴795年 帝国歴486年 12月上旬

首都星ハイネセン 最高評議会

ヨブ・トリューニヒト

 

「右派としては今回の件には全面的に賛成ですわ。『戦況が劣勢』という事実を踏まえれば『賛成』以外考えられません。戦争に勝利できれば、多少の事は市民も納得するでしょう。そもそも議論の必要性があるとも思えませんが......」

 

「ウインザー議員、ここは国家の意思を決定する場だ。議論を尽くすのは委員長職にある者の務めでもある。ここでは右派お得意の暴力での意見封殺も出来んがね」

 

「憂国騎士団の一件は私とは関係が無い事です。変な憶測で名誉を汚すようなことはおやめ頂きたいですわ。心外です」

 

「そうかね?まあ、私は『右派』と敢えて表現したし、右派の関与は事実だろう?それにあなたは『右派の党首』のはずだ。個人で関与していなかったとしても右派全体の行動に責任がある立場だ。新人時代から感じていた事だが、自分の立場と発言にもう少し責任を感じられては如何かな?出来もしない事をぶち上げて、対抗論は暴力で封殺する。この有り様はどこかで聞いた覚えがあるな......。ああ、思い出したよ。独裁制そのものだな」

 

「まあまあ、レベロ議員その辺で。ウインザー議員、ここは議論の場だ。主張をする機会を奪うような発言は控えて頂きたい」

 

『空っぽ女』がそろそろ金切り声をあげ出す頃合いで、サンフォード議長がたしなめに入った。普段は『石橋をたたいて渡らない』議長も、水に落ちた犬よろしく落ち目の右派に少しは嫌味でも言いたかったのだろうか?単に金切り声を聞くのが嫌だという気もするが......。そしてレベロ議員は普段より言葉にとげがある。横に座るホアン議員も渋い顔をしている所を見ると、憂国騎士団の一件をかなり腹に据えかねているといった所だろう。

 

「左派としては『戦況が劣勢』であることを踏まえても、今回の一件には賛成しかねる状況だ。戦争に勝つためとはいえ、門閥貴族と手を結んだ場合、彼らが勝てればよい。だが負けた場合、帝国の民衆たちは同盟を『自分たちの敵』と認識するだろう。そうなれば、『皇帝と叛徒の戦争』から『自分たちを害する者との戦争』に塗り替わってしまう事になる。また門閥貴族側が勝利したとして、どんな条件になるのかは分からんが、それこそ契約が履行される保証はない。『賛成』するにはリスクが大きすぎる案件だと思うがね」

 

レベロ議員の発言の途中で、『空っぽ女』が金切り声をあげたが、議長が控えるように身振りで示すと悔しそうな表情で黙った。自分の事を特別だとでも思っているのだろうか?人の話を聞かない人間がなぜ自分の話は聞いてもらえると思うのか?一瞬、彼女の思考を把握したい気もしたが、私もそこまで暇ではない。もう政治生命が終わりつつある人物の事など、気にする必要もないだろう。

 

「中道右派を代表させてもらうと『門閥貴族と密約を結ぶ』事には反対だ。軍部からは兵たちの士気への影響を懸念する意見が強い。戦況が劣勢であることを踏まえても、最高評議会が全会一致で賛成すると、暗に軍部への不信任と取られかねない。私はすでに『反対』を投じる事を決めている」

 

「まあ、そもそも戦況の劣勢は軍部の責任が大きいのに、国防委員長が『反対』されるのですか?少しは責任と言う物を感じて頂きたいところですわ」

 

「そうかね?劣勢なのは軍部だけの責任ではないと私は思っているが?戦死者数が圧倒的に向こうが少ない事が分かって一体何年たつだろう?潤沢とは言えない予算をやりくりして、なんとか帝国軍を押しとどめてくれている軍部に対して、感謝の気持ちはあれ、責める気には『わたしは』なれないがね」

 

『空っぽ女』の矛先が私に向いたが、もう終わった人間の負け惜しみなど気にする必要もない。それにしても『右派の党首』が軍部を批判するとは......。レベロ議員の言った通り、選挙戦で自分がどんな演説をしたのか?どんな公約を掲げたのか?メインの支持層は誰なのか......。そんな事も頭から消し飛んでしまったらしい。国防委員長という職責上、憲兵隊から憂国騎士団についての捜査進捗は報告を受けている。司法の場でも金切り声を上げるのだろうか?正直、今から楽しみだ。

政治家としてのキャリアを国防族として重ねてきた私にも、憂国騎士団からのアプローチはあったが、どうも過激な人員がいる様子であったし、いつか暴発すると判断して、深い付き合いはしなかった。後がない人物には少しでも支持者が欲しかったのだろうが、多くの市民から『どう見えるか?』を考えたらあれは劇薬の類だろう。使った本人にも大きな害をもたらす訳だ。

 

「それでは最後に中道と中道左派の意見としては戦況を鑑みれば『致し方ない』といった所です。議席数を考えると、『賛成がやや多数』といったところでしょうな」

 

「現実がきちんと見えておられる方は『賛成』すると確信しておりましたわ」

 

最後に意見を述べたサンフォード議長に追従するように『金切り』が言葉を発した。レベロ議員と私に嫌味な視線を送ってきた所を見ると、本当に後が無いようだ。だが、これでどちらに転んでも『金切り』の政治生命は終わった。ついでに議長も退陣する事になるだろう。仮に門閥貴族が内戦に勝利したとして、イゼルローン要塞でも割譲してもらえるならともかく、市民たちが納得するような条件は出ないだろう。

そしておそらくだが、内戦は軍部貴族が勝利するだろうし、そうなれば国内の生産効率を高め、『臣民の敵』となった同盟に、本格的に侵攻してくるだろう。中道右派と右派の支持層を取り込めれば、議長の座は手に入る。私の後任は、良くしてもらっているしネグロポンティ君に頼むとしよう。投票システムで『反対』を投じながら、私は自分の後任について思いを巡らせていた。



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97話:上昇と下降

宇宙歴795年 帝国歴486年 12月上旬

首都星オーディン バラ園

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「無事なお帰り、何よりでございますわ。ラインハルト様」

 

「ディートリンデ殿下もお元気そうで何よりでございます。無事に帰って参りました。これも陛下の御威光のたまものでしょう」

 

「まあ、この場ではそのような堅苦しいやり取りは不要です。婚約者なのですから」

 

皇女殿下は楽し気にお茶を飲まれているが、もともと年長の学友のような立場で接していた期間が長かった為、婚約者としての接し方がいまいちつかめていなかった。そして伯爵としての立ち居振る舞いもまだぎこちないものがある。行儀作法に詳しいシュタイエルマルク伯爵夫人と、芸術に詳しいヴェストパーレ男爵夫人から追加で講義を受ける予定も、既に組まれていた。

 

「将官にはいずれなるつもりでしたからなんとなく有り様は想像していたのですが、伯爵と言われると私の中ではリューデリッツ伯の印象が強いのですが、伯のようにふるまおうとするとどうも無理があるように感じてしまうのです。情けない話ですが......」

 

「ラインハルト様とリューデリッツ伯は違う人間なのですから、いずれローエングラム伯らしい振る舞いが出来るようになりますわ。そして婚約者らしい振る舞いもです。もっともなれる頃には婚姻しているかもしれませんが......」

 

そして驚いたのが、おとなしめな印象だった皇女殿下が、かなり積極的になっていた事だ。こちらが困惑しているように感じたのだろう。殿下は全てを話してくれた、要約すると、陛下の跡を巡って確実に内戦がおこる事。皇女殿下は軍部貴族に属していると見なされているので、負けるような事があれば論功行賞の材料にされるであろうから、そんな未来を避ける為にできる事はしっかりやっておくことを決意されたらしい。

内戦の件は伯から事前に聞いていたものの、まさか皇女殿下を昇進のような功績に対しての『褒賞』扱いするとは想像していなかった。生まれをひけらかすことなく、いつも一歩引いて微笑みをたたえている殿下を俺自身好ましく思っていたし、さすがにそんな未来は容認できない。伯とオーベルシュタイン男爵が動いている以上、手抜かりはないと思うが、屋敷に戻り次第、もう一度、話を聞いておく必要があるだろう。

 

「話が変わるのですが、本日は皇女殿下にご依頼したいことがございます。もともと陛下にローエングラム伯爵家の再興をお許しいただいた事に関係するのですが、伯爵号に見合う贈り物をしたいとリューデリッツ伯からお話を頂きました。丁度新型の出力機関が完成した所だそうで、艦隊旗艦向けの戦艦を一隻頂くことになりました。

それで、折角なのだから艦名を皇女殿下に付けて頂くようにと......。『女神の加護も得られようし、命名が殿下ともなれば傷をつける訳にもゆくまい?』とニコニコしながら言われまして......。私の座乗艦の命名をお願いできればと存じます」

 

「それは光栄なお話ですわね。伯なりの婚約祝いも少し含まれているように思います。婚約者の座乗艦を命名するなんて素敵な話ですわ。喜んでお受けいたします」

 

そこからどんな艦なのかという話になったが、実物はまだ建造中だし、内装は私の好みに合わせて特注される手筈だ。完成予想図や設計コンセプトを話しながらお茶を楽しむ。俺はともかく、皇女殿下は楽しんでおられるのだろうか......。心配気だったのが伝わったのだろうか?

 

「私の代わりに、ラインハルト様を戦場で守ってくれる貴婦人の事ですもの。しっかり把握しておきたいですわ。どうせなら完工式には私も参加したいと存じます」

 

確かに命名して頂く以上、完工式にも参加していただく必要があるだろう。これも少しでも一緒の時間が取れるようにという、伯のご配慮なのだろうか?内戦が起こる以上、今のうちに叛乱軍を少しでも叩いておく必要がある。年明けにはまた出征することになるだろう。

そこで気づいたが、おそらく皇女殿下も内戦終了までは、2人でゆっくりとした時間を取る事が難しいと理解したうえで、少しでも良い時間にしようと明るく振る舞ってくれているのだろう。年下の淑女の配慮に今更気づくとは、俺もまだまだだ。

 

「皇女殿下にはご配慮頂きありがとうございます。ケーキもとてもおいしゅうございました。味が姉の物に似ていて驚いたほどです」

 

「ラインハルト様が慣れ親しんだ味に少しでも近づけたかったので、とても嬉しいお言葉ですわ。少しでも寛いで頂きたかったものですから......」

 

恥ずかし気に殿下が一旦はなしを区切り、お茶を飲まれる。ほのかにバラの香りが鼻孔をくすぐる。この場で、私たちの後見人が決まった。その場にいた2人の淑女には『歴史的な一幕』に立ちあったような印象があるらしく、お茶の席ではよく話に出たものだ。

 

「ブリュンヒルト、命名はブリュンヒルトがよろしいと思いますわ。旧世紀の神話の『楯の乙女』から頂いたものですが、如何でしょう?」

 

「ブリュンヒルトですか、良き響きです。そのお名前を頂戴したいと存じます」

 

姉上のように俺を気遣って、帰りを待ってくれる殿下の為にも、より一層は励もうと思う。もちろんなるべく心配をかけないようにするつもりだ。それにしても『ブリュンヒルト』か。良い響きだ。伯にも命名頂いたことを早く伝えておかなくてはなるまい。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 1月上旬

首都星ハイネセン 統合作戦本部

ラザール・ロボス

 

「ロボス大将、右派がこれまで貴方の派閥に所属する人材をなにかと優遇してきたのも、『戦勝』を期待しての事ですわ。このまま行くと『尻拭い』をしているうちに私たちの方が政治生命を絶たれかねない有様です。いい加減、そろそろ期待してよろしいのでしょうね?」

 

「ウインザー議員、その辺りはご安心ください。今回の出兵は新任されたムーア・パストーレの艦隊を含め4個艦隊で押し出しますし、作戦主任参謀は『士官学校首席』のフォーク准将があたります。万全の態勢で臨みますのでご安心ください」

 

「ウインザー議員、ご無沙汰しております。父からも議員に『近いうちに会食を』と言伝を預かっております。小官が作戦を主幹する以上、同盟軍の勝利は間違いありません。大船に乗った気持ちで朗報をお待ちいただければと存じます」

 

「『士官学校首席』の貴方が作戦を主幹するなら、安心出来そうですね。御父上にはご支援を頂き感謝しています。引き続き良きお付き合いをお願いしますね。数年以内に帝国で内戦が起きる事は確実なのです。今は少しでも前線を押し戻しつつ、『専制政治の下で圧政に苦しむ』民衆を解放する遠征の際には、私たちの派閥がそれなりのポジションを押さえておかなくてはなりません。くれぐれも頼みましたよ」

 

言いたい放題一方的にまくし立てて満足したのか?議員は残っていたお茶を飲み干すと足早に私のオフィスから出て行った。まるで嵐が去った後のような気分だ。おもわずため息がこぼれた。それなりの容姿と強気な強硬論を述べる彼女は、主戦論が強い同盟では、女性初の『最高評議会議長』も狙える人材と一般的には考えられている。

だが、演説やマスコミ対応の場と異なり、素人の癖に何かと口を挟んでくるし、毎度のように恩着せがましくまくし立てられては組む相手を間違ったようにも思う。党首の落選の余波が収まらぬ中とは言え、いつも以上に切羽詰まった印象を受けた。余裕が無いなりに余裕がある振りくらい出来なくては、人の上には立てないと思うが......。

 

「閣下、お疲れ様でした。ウインザー議員とは父に付き添って面会した事がございました。何かと自分をよく見せたがる部分がありますので、逆に形式を整えてしまえば、多少はぶつくさ言うでしょうが、そこで満足される方です。事前の手配が的中したようです」

 

「うむ。フォーク准将、この調子で作戦の方もよろしく頼むぞ」

 

「そちらもご安心ください。門閥貴族達の動きは軍部系貴族にも伝わっているはずです。4個艦隊に対抗できるほどの戦力を前線に集中する事は難しいでしょう。では作戦部に戻ります」

 

そう言い残すと、私の答礼を待ってから准将も退室していく。やっとこのオフィスに平穏が戻ってきたように感じる。椅子に深く腰掛けた後に、内線で従卒にコーヒーを頼む。出兵計画自体は既に承認され、動き出している。私が近々ですべきことは無いのだから少しくらい休憩しても良いだろう。

轡を並べて戦歴を重ねてきたシトレに昇進で負けた事がきっかけで、政治家に近づく決断をして以来、何かと不本意なことが増えたように思う。軍人としての道を選んだ時から、いずれは統合作戦本部長に......。という思いがあったし、シトレと競い合う事で同期の中では真っ先に准将まで進んだが、私の前にはいつもシトレがいた。彼が士官学校の校長になった時に気づいた事だが、あれは将来の軍の第一人者にする為の人事だったのだと思っている。若手の優秀層に影響力を持てるし、10年もすれば将官になる者も出てくるだろう。その頃にシトレが統合作戦本部長なり宇宙艦隊司令長官につけば、組織としても安定するだろう。

 

だが、シトレが慎重、私は積極なだけで、負けたつもりはない。それに私には亡命者の血が流れている。素直に負けを認めたくは無かったからこそ政治家に近づいた。そこまでして昇進にこだわり、派閥を作ったまでは良いが、集まってくるのは『政治家の押し』がなければ昇進どころか、下手をしたら懲戒処分を受けるような人材ばかりだった。当てにできるのはパエッタぐらいだろう。

何かにつけて『士官学校首席』をアピールするフォーク准将も、親が右派支持者の中の有力者でなければ、精々まだ中佐だろう。シトレ派のヤン少将をライバル視して私の派閥に来たようだが、何かと周囲に自分の意見を強要するので、私自身も政治家の押しがなければ彼を抜擢はしなかった。

若手の作戦家となると、王道でワイドボーン少将、搦め手でヤン少将、バランス型でラップ中佐といった所だろうが、ワイドボーン少将には『群れなくては昇進できないと思われているとは心外です』と言われ、同じく独尊的なホーランド中将の艦隊の分艦隊司令に納まっている。ヤン少将とラップ中佐はシトレの子飼いだ。とても引き抜きは出来なかった。

グリーンヒル中将が宇宙艦隊の総参謀長に転出した後に、その艦隊を引き継いだのがホーランド中将だ。ムーアとパストーレは新設された艦隊の司令官となったが、星系警備艦隊の寄せ集めのような物だ。なんとか訓練の期間は用意できたが、どこまで仕上がっているのか、不安が残るだろう。

 

「コンコン」

 

ノックと共に、従卒がコーヒーを運んできた。礼を述べてコーヒーの香りを楽しむ。とは言っても、経済状態が決して良くはない家で育った私は、士官学校で出されるコーヒーで十分楽しめる。上層部だけが良いものを楽しむのも何か違う気がするし、初心を思い出させてくれるものを、日常に用意したかった気持ちもあった。シトレ派の艦隊司令部ではシロン産の紅茶が流行っているらしいが、我々は戦争をしているのだ。今は一歩譲っているかもしれないが、いずれ巻き返して見せる。



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98話:第三次ティアマト会戦(開戦)

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

ティアマト星系 艦隊旗艦アイアース司令室

ラザール・ロボス

 

「閣下、まもなくティアマト星系です。帝国軍は予想通り前線の戦力を減らしているのでしょう。高速艦の哨戒部隊は接敵する間もなく撤退しております。このまま進めば、イゼルローン要塞まで戦線を押し戻してしまうかもしれません」

 

作戦主任参謀のフォーク准将が興奮した様子で報告してくるが、やはり彼はまだ中佐レベルの人材なのだと内心唖然としていた。帝国軍からすれば守るだけならイゼルローン要塞を無視して進撃する事は出来ない以上、要塞近辺に兵力を集めておけばよい。おそらくアスターテ星域にある大規模な駐留基地に2個艦隊も駐留させておけば守るには十分だ。狭い回廊部分では3個艦隊以上の兵力が展開できる余地は無い。補給線も短くて済むし、得意の消耗戦に持ち込めば負けることは無いのだ。

 

だからこそ、なぜイゼルローン回廊から前進してくるのか?を考えれば答えは出ている。内戦が起こることを覚悟し、それまでに少しでも同盟軍の消耗を誘いたいからこそ、進撃してきているのだ。哨戒部隊が我々の現在地を把握すると撤収しているのも、それなりの戦力を集結させつつあるからだろう。だが、年末にビュコック提督たちも遊弋作戦を実施している。それに対抗した艦隊が3個艦隊だったはずだ。多くても3個艦隊、4個艦隊を用意するには補給期間が足りないはずだ。

 

「哨戒部隊より伝令、『我、帝国軍の大部隊を感知セリ、数およそ6万』」

 

「よし、全艦隊に伝令、このティアマト星域で大規模な会戦となる。艦列を整えさせよ。帝国軍は我々の進路を予測していた以上、迂回して後方に出ようとする遊撃部隊がいるやもしれん。哨戒部隊には両翼後方を特に注意するように伝達せよ」

 

私が指示を出すと、司令部は一気に戦闘態勢に入った。だが帝国軍の編成からすると3個艦隊なら4万隻と少し、4個艦隊でも6万隻は越えないはずだ。メンテナンス艦が思ったより前に出ているのだろうか......。何かがおかしい。気を引き締めねばなるまい。

 

「バカな......。このタイミングで6万隻を越える戦力を用意できるはずがない。何かの間違いではないのか?」

 

オペレーターに准将が非難するかのように詰め寄っているが、事実は変わらんだろう。彼の予測では出てきても精々2個艦隊だったはずだ。『首席殿』は自分の予測が外れた事を認めたくない様だが、他にする事があるだろうに......。

 

「准将、オペレーターはこれから多忙になる。余計な仕事を増やすのはやめたまえ」

 

「しかしながら閣下、こんなことはありえません。何かの間違いに違いないのです」

 

「どちらにしても帝国軍が存在し、会戦になるのは確かだ。事実確認はその後で良かろう?既に臨戦態勢である以上、オペレーターに余計な負担をかけるのは止めるのだ」

 

しぶしぶと言った態で引き下がったが、どうという事は無い。自分の間違いを認められないお坊ちゃまだっただけの事だ。相手のあることなのだから毎回予測が当たる必要はない。大事なのは『事実に早く対応する』事だ。その辺が身体に染みついていないとは、まだ目線が佐官レベルなのだろう。

 

「全艦隊で魚鱗を組む。わが艦隊を中心に前方にパストーレ。左翼にパエッタ、右翼にムーアの並びになるように伝令せよ」

 

「閣下、前衛はパエッタ艦隊ではないのですか?想定された対応策とは違いますが......」

 

「いちいち指揮官の指示に口を挿むのはやめたまえ。パストーレとムーアの艦隊は新設の上に地方艦隊を集めたものだ。敵の方が数が多い以上、両翼に不安があるよりも前衛と右翼をはじめからわが艦隊が支援すると決めてしまったほうがやりやすい。少し黙り給え」

 

この会戦が終わったらまずする事が決まった。このおぼっちゃまを更迭することだ。もっとも会戦のあとに生き残っていればの話だが......。

 

「前衛パストーレ艦隊より伝令。帝国軍は鶴翼の陣形に移行しつつあるとのことです」

 

魚鱗と鶴翼か。相性は最悪、おまけに敵の方が数が多い。勝機をつかむには中央突破しかないが、その先に控えているであろうメンテナンス部隊も豊富な制宙戦力を持っている。ここはパエッタ艦隊が相対する敵右翼と中央の境界部の突破を試みるしかないだろう。戦力に大差がない以上、撤退する訳にもいかない。そんなことをすれば派閥全体が批判の的にされるだろう。

 

「パストーレ艦隊、まもなく戦闘に入ります。両翼は2分後に同じく戦闘に入る予想です」

 

開戦前の独特の緊張感が司令部を包み込んでいる。何度経験しても慣れないものだが、慣れてしまってもいけないものだろう。大丈夫、私はいつも通りだし、この位の不利は今までもあった事だ。何とかできるはずだ。自分に言い聞かせている内に、開戦の合図のように長距離ビーム砲が交わされるのが、モニターに映し出された。静かになったと思ったら、お坊ちゃまは顔を『青く』して、モニターを見つめている。予測が外れて不安なのはわかるが、作戦主任参謀である以上。せめて周囲に余裕がある振り位はしてほしい所だが......。出掛かったため息を堪える。艦隊司令が開戦直後にため息をつくなど、士気に関わりかねない事だ。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

ティアマト星系 分艦隊旗艦ブリュンヒルト司令室

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「ローエングラム伯、おそらく敵は右翼の我々と中央のシュタイエルマルク艦隊の間を抜くことを意図するはずだ。水の流れと同様、敵の勢いをわざわざ真正面から受け止める必要もない。我々が相対する叛乱軍の左翼が突出してきたらそれを逆手にとって、突進を受け流しながら回り込むように展開し横陣を構築する。左翼のルントシュテット艦隊が叛乱軍の右翼後方に回り込むので、退路があるように見せかけつつ包囲を狙う。良しなに頼む」

 

「承知しました。では我々は適度に逃がしながら袋の出口をなるべく細くするように動きます。他に留意すべきことはございますか?」

 

「半包囲が完成するまでは少し負担がかかるはずじゃ。ミュラー准将との連携を密にして攻防のメリハリをつける事と、アイゼナッハ大佐とメンテナンスのタイミングを合わせておくようにな。まあ、今更言うまでも無かろうが......」

 

「いえ、ご鞭撻ありがとうございます。両名とも再度すり合わせをしておきたいと思います」

 

俺の敬礼に答礼するとメルカッツ提督が通信を終えられた。まずはミュラー准将に通信を入れる。すぐに通信チャンネルがつながり、准将が敬礼しているのが映った。

 

「准将、我々は袋の出口を確保する役回りになりそうだ。戦線を維持するとともに、周辺で再度戦列を整えさせないことも必要になるだろう。半包囲が完成するまでは我々の負担は大きいはずだ。負担をかけるがよろしくお願いする」

 

「は!小官は粘り強さだけは自信がございます。お任せください。袋の出口を狭くするという意味で、意図的に長距離ビーム砲撃に濃淡を付けようと思いますが宜しいでしょうが?」

 

「うむ。提案を採用しよう。濃淡のパターンは戦術システムにアップロードしておいてくれ、攻勢をかける際にタイミングを合わせるつもりでいるからな」

 

「承知しました。もし濃淡のパターンに不備があればご指摘をお願いします」

 

答礼をしてから通信を終える。旗下に配属されてからシミュレーターで手合わせもしたが、ミュラーは戦線の維持と戦力を保持しながら消耗を誘う事に長けた人材だ。唯一の活路の番人としてはこれ以上の人材はいないだろう。続いてアイゼナッハ大佐に通信を入れる。こちらもチャンネルがつながると同時に敬礼した姿が映った。

 

「アイゼナッハ大佐、我々の役割は袋の出口の確保だ。半包囲が完成するまでは忙しくなるだろう。少しでも余裕があればメンテナンスをこまめに行う。よろしく頼むぞ」

 

「......」

 

大佐は2回うなずくと敬礼した。答礼して通信を終える。うなずき2回は『安心して任されたし』だったか。無口な男だが、心憎い配慮を欠かさない人物だ。シミュレーターで手合わせも行ったが、どんな役回りもそつなくこなす能力がある。それに僚友たちの動きに合わせて気遣いのある動きをするのに長けている。実際の訓練では俺の分艦隊のメンテナンス効率が劇的に向上した。どちらかと言うと攻勢に寄っている俺の補佐役として、ありがたい存在だ。

 

「ラインハルト様、戦術システムのリンクが完了しました。長距離ビームの濃淡を事前に把握可能です。淡い部分に攻勢をかけながら、戦力を効率よく維持できるようにアイゼナッハ大佐とメンテナンスパターンを構築します」

 

「参謀長、よろしく頼む」

 

キルヒアイスは准将として、俺の副官から参謀長に役割を変えた。いつまでも付き人扱いでは周囲に認められることは無い為、必要な処置だったが、本人も新しい任務を楽しんでいる様で何よりだ。そして参謀長ともなれば艦隊司令の女房役だ。そういう意味でもキルヒアイスに任せて正解だろう。

 

「閣下、しばらくは休憩を取る事も難しいでしょう。今のうちに戦闘食をお済ませください」

 

新任した副官のリュッケ少尉が俺の手元に戦闘食を置くと、幕僚たちにも配り始めた。何かと気の利く男だし、大言はしないものの周囲の事をしっかり見ている人材だ。戦闘に意識が向いていたが、部下たちを空腹で戦わせるわけにもいかない。

 

「少尉、会戦が本格化するまで、今少し時間があるだろう。戦闘食を今のうちに取っておくように伝達を頼む。良い気づきだった」

 

少尉は嬉し気に敬礼すると、分艦隊に伝達すべく、自分の端末へ向かっていった。我ながら良い人材で固められたと思う。もともと軍部系貴族が団結している事が大きいが、軍では身分に関わらず実績に基づいた昇進と、能力によっては抜擢する風土が醸成されている。だからこそ出来た事だが、同盟が取りつつある『メンテナンスのタイミングまでは守勢をとり、前線の戦力が減ったタイミングで攻勢をかける』という戦術への対抗策が、今回から導入されている。

『メンテナンスに伴う戦力減をなるべく減らす』言うのは簡単だが、行うのは前線指揮官たちの連携が肝になる。今までは正規艦隊の編成はメンテナンス艦を除いて14000隻だったが、司令部直卒部隊以外に、4つある分艦隊それぞれに1500隻の重装甲戦艦が配備され、分艦隊レベルで戦力の入れ替えを行う試みが導入されている。ミュラーは重装甲艦隊の指揮官で、アイゼナッハは俺の分艦隊専属のメンテナンス艦隊の指揮官と言う訳だ。

 

もともとあらゆる階級で艦隊の枠を越えて交流が盛んな帝国軍でなければ出来ない事だろう。俺の場合はミュラーもアイゼナッハも士官学校生の時代にリューデリッツ伯の会食の場で知己を得ている。それにメルカッツ艦隊に所属するファーレンハイト少将とビッテンフェルト少将とも顔なじみだ。これは俺だけの話ではなく、ほとんどの将官同士が顔なじみのはずだ。おそらくきっかけは皆が『ザイトリッツの日』と呼ぶ、あの会食だろう。お互いを仲良くさせ、有り余る食事と兵器を用意する。まるで『軍部の母親』ではないか......。

 

「ラインハルト様、いかがなさいました?」

 

「キルヒアイス参謀長、気にするな。すこし考え事をしていただけだ」

 

キルヒアイスは俺や姉上に尽くしてくれているが、リューデリッツ伯の事も敬愛している。さすがに伯の事を『母親』と表現したら怒るに違いない。こういう話に乗ってくれるのはシェーンコップ中将か、ロイエンタール少将くらいだろう。彼らに胸を張って再会する為にも、戦果をあげねばなるまい。それに殿下に命名頂いた手前もある。お前の初陣に相応しい戦果をあげなければな、ブリュンヒルト。指揮官席の椅子のひじ掛けを撫でながら俺は戦闘が本格化する前のひと時を楽しんでいた。




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99話:第三次ティアマト会戦(虎口)

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

ティアマト星系 艦隊旗艦アイアース司令室

ラザール・ロボス

 

「閣下、わが艦隊はともかく、パストーレ艦隊とムーア艦隊は警備艦隊の感覚を修正するに至っていなかったようです。同等以上の戦力を相手にするのはいささか分が悪いでしょう。閣下が2艦隊を支援する余力があるうちに、事前の計画通り、敵中央と右翼の間を突破したいと存じますが如何でしょう?」

 

「うむ。時間が経てば負担がさらに増えるだけだ。もう少し訓練の期間があれば多少は違ったやもしれんが......。いや、こういう話は良くないな。パエッタ中将、突破の先陣を頼む。」

 

「了解しました。では前進を開始します」

 

敬礼するパエッタに答礼を返して通信を終える。長距離ビーム砲が交わされ、戦闘が開始して2時間、いつも通り帝国軍は補給を気にする必要が無いかのように猛撃を加えてきた。ビュコック提督たちの戦訓を活かして、当初は帝国軍の猛撃を耐えつつ、一回目のメンテナンスのタイミングでパエッタ艦隊を先頭に、突破を図るつもりであったが、帝国軍も対抗策を実施したらしい。今までとは異なり、長距離ビーム砲主体に切り替わるタイミングはあるものの、息切れする気配が見えなかった。当初の計画とは異なるが、特に新設の2個艦隊にとって、猛撃に耐え続けるのは困難だと判断して、敵陣突破を開始せざるを得なかった。

 

「パエッタ艦隊、前進を開始しました。これは......。パストーレ艦隊とムーア艦隊の一部も突撃を始めています」

 

「そうか。さすがに耐えるのにも限界だったのやもしれんな。やむを得ぬ。パストーレ艦隊とムーア艦隊には正面ではなくパエッタ艦隊に続くように指令せよ。わが艦隊が前に出て、しんがりに就く。ムーア艦隊が相対していた敵左翼を放置すれば半包囲される危険がある。中央は他の艦隊に任せてとにかく帝国軍左翼への牽制を強めるのだ」

 

ここでも混成部隊の弱みが出たようだ。一方的に猛撃を受け続ければ、耐えきれなくなり一か八かの突撃をしたくなるのも分かるが......。もう少し抑えられると思っていたが、見積もりを誤ったようだ。

 

「帝国軍、右翼、パエッタ艦隊の前進に合わせて、わが軍の後方へ回り込みつつあります。左翼もパストーレ艦隊に続いて動き出したムーア艦隊の後方へ戦力を展開させつつあります」

 

「閣下、このままでは半包囲されます。わが艦隊が後退し、パエッタ艦隊の後ろに回り込む敵右翼の意図を挫かなければなりません。ご指示を!」

 

オペレーターの悲鳴染みた報告と共に、大人しくしていたフォーク准将がヒステリックに上申をしてきた。確かに私がただの艦隊司令なら、まだその指示は出せただろう。だが、私は全軍の司令官だ。その動きをすれば全軍が半包囲されるのは防げるが、パストーレ艦隊とムーア艦隊は挟み撃ちに合い、全滅するだろう。

 

「その指令は出せん。パストーレ艦隊とムーア艦隊は、わが艦隊がしんがりに就くことを前提に進撃している。帝国軍の右翼に我々が向かえば、2個艦隊は間違いなく全滅する。ここは我々が左翼を押さえているうちにパエッタ艦隊が突破を完了することを狙うのだ」

 

追い込まれると人は本性をさらけ出すというが、自分の安全を確保しながら『美味しい所』をかすめ取ろうとは品格が無いにも程がある。それに2個艦隊が撃破された後に、わが艦隊とパエッタ艦隊だけで勝機が生まれるはずがないことすら理解できないのだろうか?ダゴン星域を抜けるまで数日間は追撃戦を受けることになる。そうなれば4個艦隊がそろって撃破されることになる。今更ながら、こんな参謀の予測に基づいた作戦を許可した自分が恨めしい。だが、そんな事を考えている暇はない。部下への責任を果たさねばならないのだから。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

ティアマト星域 艦隊旗艦ネルトリンゲン

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ

 

「閣下、読み通りといった所ですが、敵将のロボス提督は分艦隊司令までは積極攻勢が悪く出る事はあれ、戦況に応じて戦術を変えられる人物だったはず。指揮する兵力が多くなると、それまでの功績の源泉が活かされなくなるような事もあり得るのでしょうか?」

 

「うむ。そういう傾向が出る場合もあるが、今回のロボス提督には当てはまらんだろうし、ケンプ少将はもう少し強硬策を好むところを押さえられれば問題なかろう。卿は読み通りと言ってくれたが、実際にはそれしか選択肢が無かった......。と言うのがより正確かもしれんな」

 

制宙部隊のエースから私の艦隊司令部に転属して以来、ケンプ少将は参謀から分艦隊司令までしっかりこなしてくれた。昇進して中将ともなれば正規艦隊司令の候補となる人材だったが、判断に困る場合、強硬策を取りがちな傾向があった。今の所、帝国軍は戦術とそれに合致する兵器開発によって、叛乱軍に対して戦況を優勢に保ってはいる。ただ、毎回強硬策では、今回のロボス提督のようにどこかで読まれて手痛いお返しをもらう事にもなりかねない。正規艦隊司令候補であることも踏まえて、参謀長役を今回は任せていた。

 

「選択肢......。ですか。ティアマト星域から退くとなると、ダゴン星域に向かう事になります。なるほど、一個艦隊程度ならまだしも、4個艦隊の退路としては狭すぎますな」

 

「その通りだ。つまり自軍より多い敵と会戦するしかなかったわけだな。しんがりに置く艦隊を見捨てれば3個艦隊は逃げられたやもしれん。しかしそれは言わば死兵だからな。当然、戦う選択肢を選ぶだろうな」

 

「ロボス艦隊がこちらに来れば、少なくとも突破の先陣とロボス艦隊は生き残る可能性がありましたが、こちらにかなりの損害が出なければ、そのまま追撃戦に移行するだけです。少しでも多くの戦力が生き残れる策を選んだのでしょうが、失敗すれば全軍が危機に瀕する策でもありましたな」

 

狙いは良かったのだ。ただ、突撃の先陣が動き出した際、残りの艦隊も一部が相対する艦隊へ突撃を実施した。これが想定外だったのだと思う。本来なら我々のメンテナンスのタイミングを待って突撃を開始したかったはずだ。ただ、敵将にとって不幸なことに、今回からメンテナンスをより細かい単位で行い、前線の火力が減る時間をかなり減らしている。息切れがあるから一方的な猛撃にも耐えられる。耐えても耐えても息切れが無いとなれば、一か八かの突撃に出るのも理解できるが、司令役としては大きな誤算だっただろう。直ぐに切り替えて牽制を強めたが、半包囲に向けた展開を開始するには十分な時間があった。

 

「それにしても袋の出口を固めるローエングラム伯とロイエンタール男爵の動きはさすがですな。唯一の退路ですから敵も必死にそこを目指しておりますが、うまく勢いを殺しながら足止めしております。特に伯は分艦隊司令としては初陣でしたから心配していたのですが、これは大きなお世話でした」

 

「あの者は幼い頃から厳しい環境に置かれていたし、男爵は伯の戦術講師だったからな。うまく連携しておるようで何よりだ」

 

「実力があることは承知しているのですが、お若い事もあるので何かと気にしてしまうところがございますな。小官もリューデリッツ伯には何かと良くして頂きました。いずれ軍の重鎮になるべく養育されたと聞いております。これは周囲の方々皆様がそうかもしれませんが......」

 

「『伯』が磨いた原石を、皆で仕上げればよいではないか。私が20歳の時は、任官したての少尉でな、それまで接点が少なかった平民の兵士たちに色々教えてもらったものだ。なにかと帝国の現実を見せつけられて、感じるところの多い日々であったな」

 

「小官の場合は、空戦隊に任官して、諸先輩から生き残る術を叩きこまれだした頃ですな。当時は理解できませんでしたが、『甘く』すれば本人だけでなく、僚機を落とされた者も危険になります。頭では分かっていましたが、あの『厳しさ』が『生き残らせる為の優しさ』だったのだと理解できたのは、実戦を何度か経験してからでした」

 

すでに半包囲体制に入っており、あとは袋の中身を削っていくだけだ。ローエングラム伯はともかく、ファーレンハイトとビッテンフェルトは攻勢を好み過ぎる所がある。包囲を狭めながらしっかり殲滅するのは良い経験になるだろう。ケンプ少将もそうだが、あの2名も正規艦隊司令の候補者だ。一度は参謀長役をやらせた方が良いやもしれぬな。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

ティアマト星域 分艦隊旗艦アースグリム

アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト 

 

「既に半包囲は完成したとはいえ、こういう殲滅戦は忍耐が必要だ。俺は落ち着いて司令席に座っているのは苦手だから、どうも落ち着かぬ」

 

「ビッテンフェルト少将、こういう展開は今後も余りあるまい。むしろ正規艦隊司令になれば、自分の判断ミスからこういう立場になる事もあり得るとしっかり焼き付けておくことだ。さすがにこれから猪突して包囲網を壊すようなことをしたら、俺もかばいきれんぞ」

 

「それ位は理解している。リューデリッツ伯からもメルカッツ提督からも『すべき時』を誤らなければ、攻勢に関しては宇宙屈指とお褒め頂けたのだ。その攻勢に出るタイミングが無いからこそ、同じように感じているであろうファーレンハイト卿に愚痴っているのではないか」

 

ビッテンフェルトがいうとおり、俺たちは攻勢に長けてはいるが、こういう網を狭めていくような展開では、持ち味を出すことは難しい。そして、同じ分艦隊司令同士でありながら、よくコンビを組む仲だし、お目付け役を期待されている事も理解していた。

 

「それにしてもミッターマイヤーの進撃は神速と言って良いな。俺も後先考えなくて良いなら何とかなるかもしれんが、牽制をいなしつつ、続いてくる味方とバランスを取りながらあれが出来るとは思えぬ」

 

「用兵の速さで言えば宇宙屈指やもしれんな。もっとも後ろに続いているのはディートハルト殿の分艦隊だ。付いていくほうもさすがといった所だ。それを言うなら、唯一の退路のあちら側、ロイエンタール分艦隊のサポートに徹しているが、ルッツ艦隊の動きも配慮が行き届いている。あれだけ連携できれば、さぞかし気持ちが良いだろうな」

 

「攻勢に出られる場面があればなあ。リューデリッツ伯とメルカッツ提督に『ビッテンフェルトここにあり!』とお示しできるのだが......」

 

ビッテンフェルトは所在なさげにしているが、用兵の幅を広げる意味でも良い経験にすべきなのだが......。『つまらない』と全身で表現しているかのような姿をモニター越しに見て、思わず笑ってしまう。彼の分艦隊に所属する兵士たちは『ライオン』に例えるらしい。確かに気分屋なところがあり、誰にでも懐くわけでもない辺り猫科なのかもしれない。

 

だが、裏表がなく、猪突猛進な所を考えれば、『猪』が妥当だと思う。とはいえオレンジのうるさい猪など、どんな絵本にも登場しない。さすがに一般的に使うには無理があるかもしれん。これは俺だけの胸に収めておくとしよう。この戦いに勝ち切ればいよいよ正規艦隊司令が見えてくる。攻勢だけでない所を見せる意味もあるのだから、オレンジの猪にもしっかり言い聞かせておかねばなるまい。まったく、世話のかかる奴だ。



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100話:第三次ティアマト会戦(決着)

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

ティアマト星系 艦隊旗艦パトロクロス司令室

艦隊司令パエッタ中将

 

「パエッタ、困難な状況なのは理解しているが、とにかく虎口を脱出する事だ。私がしんがりを務めるから少しでも残存兵力を率いて撤退してくれ。もう少し勝機があると思っていたが、見込みが甘かったようだ。時間がたつほど包囲からの離脱は困難になるだろう。タイミングを間違えば、ダゴン星域まで追撃を受ける事になる。まずは旗下の部下たちへの責任を果たせばよい」

 

「しかしながら閣下、それではしんがりを務める閣下の艦隊を見捨てることになります。いくら何でも聞ける命令ではございません」

 

「パエッタ、目先の事に囚われてはならん。このままでは4個艦隊全てが殲滅されてしまう。脱出できた者たちには再戦の機会があるのだ。冷静な判断をするのだ」

 

何とか私の乗艦は虎口を脱しつつあるが、包囲網の唯一の出口は敵ながら狡猾な罠が仕掛けられていた。数パターンの攻撃の濃淡が作られ、攻撃を避けようとすれば、僚艦との距離が近すぎて速度が保てず、速度を維持しようとすれば、攻撃をまともに受ける。そして全体を見ると、包囲網はフラスコ型になっている。

包囲から脱出しようと虎口にわが軍は殺到しているが、逃げられそうに見せながら、進撃速度を落とさせる巧妙な回廊に、想像以上に時間を取られてしまった。先陣の我々ですらやっとの事で突破できたのだ。続いてくるパストーレ艦隊とムーア艦隊がどこまで戦力を維持して脱出できるか予断を許さない状況だった。

 

「分かりました。一隻でも多く連れ帰るように努力いたしますが、小官は諦めたわけではありません。閣下も同じように考えて頂ければ幸いです」

 

「うむ。儂も意地を見せるつもりだ。安心してほしい」

 

「パエッタ提督、お話中に申し訳ございません。ムーア艦隊の旗艦ペルガモンの反応が消失しました。また、パストーレ艦隊の旗艦、レオニダスが被弾、指揮権を委譲した模様です」

 

申し訳なさそうにオペレーターが報告を挿む。これで包囲の中にある3個艦隊の内、2個艦隊が統一した動きを取ることが困難になった。

 

「そんな顔をするな。パエッタ。提督がそのような表情をしては旗下の兵たちが不安に思うだろう?撤退支援は1時間まで、それまでに脱出できた兵力を率いて速やかに撤収するように。これは命令だ。よいな?」

 

包囲下に残ることになるロボス提督からこう命令されてはうなずかざるを得ない。だが苦渋の決断だ。わが艦隊ですら既に半分近い戦力を失った。あと一時間では、虎口を脱出できるのはせいぜい1万隻だろう。45000隻近くを失うことになってしまう。第二次ティアマト会戦をそのままやり返されるような形になるだろう。ロボス提督がおっしゃられた通り、我々の見込みが甘かったのだろうか?ここまで一方的な展開になるとは......。

 

「承知しました。一時間をめどに撤退に移ります。閣下、このようなことになり申し訳ございません」

 

「最終的な決断をしたのは私だ。あまり気に病むな。それとシトレに謝っておいてくれ。後を頼むと伝えてくれればありがたい。ではな」

 

うつ向く私を見ていられなかったのだろう。ロボス提督は私の敬礼を待たずに通信を終えられた。それから一時間、なんとか次鋒の位置にいたパストーレ艦隊の一部と合流し、撤退を開始した。

 

「閣下、最後尾の艦から入電。ロボス艦隊の旗艦アイアースの反応が消失したとのことです」

 

既に分かっていた事だが、これで大敗が確定した。『アイアース』が轟沈ないし降伏した以上、包囲下にあった艦隊は絶望的な状況だろう。これからの事に思考が向かいそうになって考えるのを止めた。身を挺して脱出させてくれたロボス閣下の為にも、まずは残存兵力をエルファシルまで連れ帰ることに集中すべきだ。おそらく軍法会議で敗戦の責任を問われることになるだろうが、今、そんな事を考えても仕方がない。

 

「皆、ショックを受けているだろうが、艦隊司令部が暗い顔をしていては、艦隊全体が沈んでしまう。笑えとは言わないが、せめて毅然とした態度をとろうではないか」

 

どんよりとした雰囲気に包まれた艦隊司令部全体に聞こえるように、私は声を上げた。ロボス閣下の遺訓だ。せめてそれ位は果たして見せねば顔向けができない。そしてシトレ元帥への伝言もお伝えするまでは死ぬ訳にはいかないだろう。少し雰囲気が変わり始めた司令部を見回しながら、そんな事を考えていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月上旬

イゼルローン回廊 同盟側出口付近 分艦隊旗艦ブリュンヒルト

ジークフリード・キルヒアイス

 

「ラインハルト様、戦功分析書がまとまりましたのでご確認をお願いします。艦隊所属の兵たちも『ティアマトの雪辱を果たすことができた』と喜んでいる様子です」

 

「そうだな。これが『第三次ティアマト会戦』になるのだから、確かに雪辱を果たしたことになるな。リューデリッツ伯にもお喜び頂ければ良いが......。そういえば兵たちの慰労に使うように伯から資金を頂いていたな。分艦隊司令として初陣でもあったし、礼を兼ねて兵たちの慰労をしたいところだが、祝勝会でもやるべきだろうか?」

 

「慰労する事に関しては賛成でございますが、祝勝会というより、酒代をこちらで負担する形がよろしいのではないでしょうか?兵たちも身近な僚友とまずは勝利を祝いたいでしょうし」

 

「そうだな。確かに上官との会食は何かと気を使うものだし、正式な祝勝会は開催されるだろうし、その方がよさそうだ。前線総司令部に帰還するまでにその旨の広報と手配を頼む」

 

了承の旨を伝え、執務室を後にしようとするが、少し話があると言われ、席を勧められる。急ぎで相談しなければならない事は無かったはずだが、如何されたのだろうか?

 

「キルヒアイス、この会戦は確かに帝国が快勝したが、改めて正規艦隊司令の重みのような物を俺は感じている。お前はその辺りどう思った」

 

「私の立場からすると、いささか叛乱軍は投機的な作戦を実施したのではないかと存じます。4個艦隊の内、2個艦隊は明らかに練度が不足しておりましたし、統一した動きも出来ておりませんでした。おそらく年末の遭遇戦から、補給と整備を含めここまでの戦力が出てくるとは想定していなかったのでしょうが、出すべきでない戦力を出していたように思います」

 

第三次ティアマト会戦は帝国軍全体で40000隻を超える撃破判定を取っている。降伏勧告を行わなかった代わりに、残敵掃討をせずに引き上げる判断がされた。それ自体に異論は無かったが、戦況の推移を参謀長として分析する中で、叛乱軍の少なくとも2個艦隊は、戦力化段階の艦隊であった可能性を認識した。おそらくこちらの戦力を過少に見積もっていたのだろうが、兵士ひとり一人が補充困難な資源と考えている帝国軍では、ありえない判断だった。

 

「確かにな。どのような事情があったのかは分からないが、艦隊司令ともなれば自分の艦隊の練度には細心の注意を払うはずだ。出撃せざるを得ない事情があったにせよ、戦死した兵士たちにとっては良い面の皮だろうな」

 

「はい。正規艦隊司令となれば、新しい編成では200万人近く、メンテナンス部隊を入れれば230万人の兵士の命に責任を持つことになります。今回の戦いの戦略的な意味はもう少し分析が必要ですが、戦術的には敵の戦力を過少評価して、出すべきでない戦力を出撃させ、無駄に失っただけでございましょう」

 

怒りに似た感情に戸惑っていた。どこかで似たような話を聞いたと思い返してみると、リューデリッツ伯がイゼルローン要塞の司令官をされていた時代に、無謀な作戦で要塞主砲で殲滅した折の話に似ているのだと気づいた。周囲の方々は『大勝利』を誇るかのようにお話しになられるが、『伯』はどちらかと言うと、無謀な作戦を実施した叛乱軍の上層部にお怒りのご様子だった。今、私が感じているもやもやした感情と似たような物を『伯』もお感じだったのだろうか?

 

「キルヒアイス、大丈夫だ。俺はあのような『負けるべくして負ける』ような艦隊司令にはならない。それに戦死者を一人でも減らす動きの大元は俺たちの『後見人』だ。無駄に戦死者を出すような事はできない。もしそんなことをしそうになったら遠慮なく指摘してほしい。お互い敵の有り様にいささかショックを受けたようだな。お前も感じる所があって安心した」

 

「いえ、私の方こそ安心いたしました。『ティアマトの雪辱』には確かに喜びを感じておりますし、きっと『伯』もアンネローゼ様もお喜びになられると存じます。ラインハルト様、戦勝おめでとうございます」

 

それからお茶を飲みながら雑談し、司令官室を後にする。ラインハルト様が戦勝を喜ぶだけでなく、敵の有り様に感じる所があり安心する自分がいた。ラインハルト様なら、正規艦隊司令になられても、あのような有り様になることは無いだろう。自室に戻り、ローエングラム伯爵家の口座を確認する。頂いた領地はRC社に経営を委託しているが、既に収益が向上している。それに『必要な時に使うように』と伯からかなりの資金を頂いた。分艦隊の皆が祝杯をあげる分には1000回は賄える金額を見て、今更ながら自分の金銭感覚がおかしくなっていないか、心配になった。

『人に言われずとも心配できるうちはまだ大丈夫』とは、RC社のシルヴァーベルヒ殿の言葉だ。投資案件では時に『とんでもない』金額が動くと聞くが、あのシルヴァーベルヒ殿ですらご自分の金銭感覚に悩まれたりするのだろうか?その辺りも一度聞いてみたい気がした。



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101話:新体制

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月下旬

首都星オーディン 軍務省 尚書執務室

グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー

 

「ミュッケンベルガー元帥、宇宙艦隊司令長官としても誇らしかろう。『ティアマトの雪辱』は軍部全体にとっても吉報であった。御父上もさぞかしお喜びであろうし、軍部貴族の御隠居たちも年甲斐もなく大騒ぎしたようだ」

 

「戦闘詳報もすでに分析に入っているが、今回から導入された新編成も概ね問題なく機能したようで安心した。もっとも儂らが前線にいた頃とは運用方法が異なり過ぎて、実際に指揮するとなれば覚束ぬやもしれぬが......」

 

「運用方法はだいぶ様変わりいたしましたが、今回の大勝は宇宙艦隊司令本部のみならず、何かと作戦面でご支援下された統帥本部と、そもそも優勢に戦況を進められる体制を用意して下された軍務省の集大成と認識しております。御二方にもお喜び頂けたなら、宇宙艦隊の面々も嬉しく思う所でありましょう」

 

私がそう答えると、軍務尚書のエーレンベルク元帥と統帥本部総長のシュタインホフ元帥が揃ったように嬉し気な表情をし、紅茶を口に含んだ。隠そうとしているのだろうが、口元が緩んでいるのが丸分かりだ。ただ、この二人も同じように喜んでくれていると思うと、改めて嬉しさがこみあげてくる。

 

先代のシュタイエルマルク伯から宇宙艦隊司令長官を引き継いで15年近い。常に戦況は優勢であったが、引き継いだ当初は、『自分の代で戦況が不利になるような事があれば面目が立たぬ』と思い詰めていた。何かと配慮してくれたルントシュテット伯を始め、義父以上に戦術家としての名を高めているシュタイエルマルク伯、そして今の体制構築を実務面から取り仕切ったリューデリッツ伯。支えてくれた人材を考えればこれ位の成果は出せて当然かもしれぬ。ただ、宇宙艦隊司令長官に着任して15年目に『ティアマトの雪辱』を果たせた事は、自分の中でも節目になった。気づけば私も58歳、そろそろ次の体制を考える年代に差し掛かっていた。

 

「それで、今日の議題は正規艦隊司令の人事案についてであったな?目は通させてもらったが、かなり若返ることになりそうだな。実績は十分といった所だが、其方を含めた5元帥の指揮下であっての事であろう?正規艦隊司令ともなれば独立して作戦行動に入る事もあり得るが、その辺りは大丈夫なのであろうか?」

 

「士官学校時代からの経歴は全て軍務省でも再確認した。少なくとも実績は申し分ない。後はやらせてみるだけと言った所かな?」

 

「左様ですな。確かに『代替わり』と言っても良いほどの人事案ですが、宇宙艦隊の状況を考えれば久しぶりに18個正規艦隊を戦力化できます。補給の面も無理せず済みますし、どうせなら優勢な戦況を現場で支えてきた者たちに機会を与えたいと考えておるのですが......」

 

二人が正規艦隊司令人事案を再度手に取り、やや渋い表情をしながら考え込んでいる。人事案に記載された候補者たちは確かに若い。ローエングラム伯を始め、ルントシュテット伯爵家のディートハルト殿やロイエンタール男爵など、20代~30代の将官ばかりだ。統帥本部総長が心配するのも致し方ないやもしれぬが、きちんと対策は考えてある。

 

「中将への昇進をきっかけに正規艦隊司令に任じることになりますが、小官を含め、宇宙艦隊に所属する5名の元帥の下に割り振って作戦にあたらせます。実際に独立して作戦行動をとるのは大将に昇進してからという事に致します。賛同いただければ有難いのですが......」

 

「そうなると体制も少し変える事になりそうだが、その辺りはどう考えておられる?」

 

「はい。体制案はこちらに取りまとめました。御二人のご了承を頂ければ、陛下にご裁可をお願いするつもりです」

 

二人に体制案を取りまとめた資料を確認してもらう。この人事案が公になれば、軍部も内戦に向けて体制を動かし始めたと理解するだろう。

 

「うむ。ルントシュテット伯とシュタイエルマルク伯を宇宙艦隊副司令長官とし、前線総司令部にメルカッツ提督をおき、リューデリッツ伯はアイゼンヘルツ星系の総司令に転出か。前線総司令部基地司令には父親の方のファーレンハイト大将を置き、アイゼンヘルツの駐留基地司令にはベッカー大将を充てる。理に適ってはいるが、かなり大きな動きになるな......」

 

「それと宇宙艦隊からの要望として、現在空席の憲兵副総監にケスラー中将を充てて頂きたいと考えております。グリンメルスハウゼン子爵の右腕として、門閥貴族の無理難題を上手く捌いて来た人材ですし、内戦の前に色々と把握しなければならない事もございますので」

 

「それは問題ない。変な横槍を許さぬために憲兵隊は総監をあえて儂が兼任してきたのだ。ケスラー中将なら資質の面でも問題は無いだろう」

 

「憲兵隊をケスラー中将が押さえ、装甲擲弾兵をオフレッサー上級大将が押さえればオーディンの地上の守りは万全です。宇宙艦隊の副司令部は惑星ルントシュテットとカストロプ星系改め、ベーネミュンデ星系のケーニヒスグラーツに置きます。フレイヤ星系とキフォイザー星系には辺境自警軍が大規模に駐屯しております。体制としては門閥貴族が一斉蜂起したとしても、十分に対応可能となりましょう」

 

私がここまで述べると、御二人も納得したようだ。了承を得る事が出来た。これで本題が終わったと思っていたが、相談事があったのは私だけではなかったらしい。

 

「実は我らも卿に相談したい事があるのだ。内戦が始まれば軍部貴族の一翼である以上、我らも同じ陣営で戦うことになるが、その後の事だな。『ティアマトの雪辱』も果たされたことだし、軍務尚書と統帥本部総長も代替わりしても良いのではないかと考えている。我らもそれなりの年代ゆえな」

 

「確認なのだが、ミュッケンベルガー元帥は宇宙艦隊司令長官の次の役職に希望はあるのあろうか?15年も宇宙艦隊司令長官職にあったのだ。軍務尚書も統帥本部総長も十分務まるとは思うが......」

 

「光栄なお話ですが、内戦を生きて終える事が出来た際には、小官は退役しようかと考えておりました。後任はルントシュテット伯かシュタイエルマルク伯をと思っておりましたが......」

 

「それなのだが、出来ればシュタイエルマルク伯を統帥本部総長の後任に充てたいと考えておる。そうなると先任で兄でもあるルントシュテット伯には軍務尚書をお願いする事になるのだが、そうなると宇宙艦隊司令長官の後任候補がやはりいなくなる事になるか......」

 

まさか御二人も退役を考えておられたとは意外だ。ただ、私同様、叛乱軍に雪辱を果たし、帝国全体が軍同様『実力主義』に塗り替わる中で、家柄も加味されて役職に就いたお二人は、確かに席を譲られた方が良いのやもしれぬ。

 

「そうなると、リューデリッツ伯かメルカッツ提督が候補者になりますが、リューデリッツ伯は戦術も出来ますがどちらかと言うと軍政畑ですし、メルカッツ提督はどちらかと言うとトップというより全軍の宿将のような形の方が活きる様に思います。ご意向は承りましたので、別途、候補者を選定する事に致しましょう」

 

「済まぬな。皇女殿下と婚約した事と、リューデリッツ伯が後見人であることも手伝って兵士たちに人気があると考えればローエングラム伯も候補になるかと思ったが、さすがにまだ若すぎるか......」

 

「そうですな。今回の昇進で中将ですから、内戦で功績をあげたとしても大将です。せめて10年、いや5年早く生まれていれば十分候補者たり得たかもしれませんが......」

 

確かにローエングラム伯はリューデリッツ伯の秘蔵っ子だし、実績もあげている。将来的に軍の重鎮になる事は間違いないし、3長官職の中では、宇宙艦隊司令長官に適性があるだろう。うーむ。5年とは言わぬ、3年早ければ上級大将にはなっていただろう。そうであれば十分後任候補だったのだが......。一度、元帥たちの意向も確認せねばならんだろうし、最終案はその上でなければ決められぬな。

 

「元帥たちの帰還を待って、御二人の意向も踏まえて相談したいと思います。さすがに小官の一存で決める訳にも参りませんので......」

 

「それももっともな話だ。だが、贅沢な悩みでもあるな。少なくとも引継ぎ候補がいるのだ。そういう意味でも優位な戦況に感謝せねばならぬ」

 

こうして内密の3長官会議は終了した。後任候補を決めた上でなければ陛下の御裁可を仰ぐわけにもゆかぬ。補給については既に手配が済んでいる。戦勝祝賀会の手配は何かと風情と配慮に長けたシェーンコップ男爵に依頼すれば間違いないだろう。さすがに祝賀会の手配を功績には出来ぬが、昇進して正規艦隊司令になるのは彼の『弟分』達だ。喜んで引き受けてくれることだろう。



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102話:新司令

宇宙歴796年 帝国歴487年 4月下旬

首都星ハイネセン 国防委員会 委員長執務室

シドニー・シトレ元帥

 

「長官、わざわざ足を運んでもらってすまないね。私自身は統合作戦本部も嫌いではないのだが、色々あった直後だからね。こちらで話した方が良いと判断したのだ。かけてくれたまえ」

 

「は、お気遣いありがとうございます」

 

私が椅子に腰かけると、タイミングを計ったようにノックがされ、秘書らしき人物がお茶を運んできた。それぞれの手元に紅茶が置かれ、一礼すると退室していく。本来ならもう少し時間がかかるものだし、トリューニヒト国防委員長はコーヒー派だったはずだが......。

 

「シトレ元帥は『紅茶派』だと聞いていたからね。私もたまには紅茶を飲みたくもなる。それにいつ人が来るかと気にしながら話したくない内容でもあるからね。早めにお茶を用意するように指示していただけの話だよ」

 

いぶかし気な表情をしていただろうか?委員長が事情を説明してくれた。支持者受けする笑みを浮かべているが、本当なら怒鳴り散らしたい所だろう。私自身、会合の場をこちらに指定された際は、多少の事は覚悟したが、想定外の配慮に肩透かしをされた様に感じていた。

 

「委員長、今回の件は申し訳ございませんでした。勝敗は武人の常とは言え、一方的な敗戦になってしまいました。ご迷惑をおかけし申し訳ありません」

 

「私自身は迷惑などとは思っていない。こういう時に火の粉を被るのも政治家の役目だろうしね。ただ、長官にはもう少し手綱をしっかり握ってもらいたかった気持ちが無いと言えば嘘になるね。国防族はもともと右派が多いし、私も大きく見れば右派でもある。一部の政治家と結託して出された出兵案を問答無用で差し止める訳には行かなかった」

 

そこで一旦言葉を止め、委員長は憂慮するような表情で紅茶を飲み、話を再開した。

 

「今回の敗戦の要因は軍でも分析されるのだろうが、私の見解では『一部の政治家』が軍の一部と結託して帝国の内戦に乗じて行われるはずだった『解放遠征』のイニシアティブを握ろうと功を焦り、戦力化が不十分な戦力を前線に出したことだと考えている」

 

「はい。確かにそういう部分があったのも事実でしょう。私も宇宙艦隊司令長官として強引にでも出兵案を差し止めるべきでした。右派の意向であることも理解はしていたのですが、強硬手段で差し止めれば宇宙艦隊に決定的な亀裂が生まれるのではと考え、判断に迷ってしまいました」

 

「まあ、結果が出てしまったことを後からとやかく言うつもりはない。ロボス提督は行方不明らしいが実質戦死だろうし、なんとか残存兵力をまとめて撤収してきたパエッタ提督は軍法会議を控える身だ。情報交通委員長が何かとロボス提督の下に足を運んで、軍に介入した事も明らかだし、責任をとるべき人間にはしかるべき措置がなされるだろう。先に言うが、国防委員会としては方針は現状維持だ。軍部に介入するつもりもないし、1ディナールでも多く国防費を勝ち取れるように動くつもりでいる。中道右派が右派の支持層も取り込みつつあるので、今まで以上に政治家の横槍は防げるはずだ。そこは期待してほしい」

 

つまり政治家の横槍は引きうける代わりに軍の公式見解としても『政治家の介入が敗戦要因のひとつ』と発表しろと言う事だろう。今回の大敗が中道右派の支持層拡大に利用されている様で、あまり良い気はしなかった。ただ、これが前例となれば『政治家が自分たちの思惑で軍に介入すると大やけどをする』と認識するだろう。

 

「承知しました。軍の公式見解としても『敗戦要因のひとつ』として政治家の介入を含める様にいたします」

 

私がそう言うと、委員長は満足げにうなずきながら紅茶を口に含んだ。

 

「あとは残存兵力をどうするかだね。帰還できたのは12000隻ほどになるそうだが、損傷が激しい艦を除くと1万隻くらいは戦力化できるそうだ。軍法会議はまだ先だが、これだけの大敗の直後にパエッタ提督を正規艦隊司令に戻すことは出来ない。元帥の意向を確認しておきたいのだが......」

 

「はい。候補者を選定中ですが新任の司令官を充てようと考えております。大敗を経験した部隊ですから立て直しも含めて大変な任務になりますが......」

 

「もう腹案はあるのだろう?少将からの抜擢となると、『10年に一人の逸材』のワイドボーン少将か、『エルファシルの奇跡』のヤン少将かな?まあ、『学年首席』が必ずしも戦争に勝てるわけではない事が、最近実例になってしまった所だが......」

 

「ワイドボーン少将は希望を出して自らホーランド艦隊に転籍いたしました。さすがに一度も出撃せぬまま異動させるのもおかしな話でしょう。それに率いさせるのは敗戦に痛めつけられた兵士です。彼では少し強すぎるでしょう。やや自らを頼み過ぎるのも懸念点です。すでに裁量権を欲しがるホーランド艦隊がある以上、他の艦隊と連携したがらない艦隊司令を増やすのは宇宙艦隊司令長官としてもやりにくいと判断しております」

 

「であれば本命はヤン少将か......。彼は艦隊司令部に所属しているとはいえ、参謀畑が長かったはずだ。分艦隊司令は補佐役も兼ねる形になるのかな?」

 

「はい。副司令にフィッシャー少将を。分艦隊司令にはカールセン少将を充てるつもりです。本人にも希望があるでしょうから、最終的な人事案が確定次第、ご報告させて頂きます」

 

「まあ、人事は現場のやりやすいようにした方が良いだろう。艦隊の再編という功績への前払いで中将に昇進させてあげたら良い。戦力補充の優先順位を上げれば、4000隻位はすぐに補充できるだろう?市民への手前、戦力化できているように見える艦隊数はあまり減らしたくない。政治的な事情はなるべく排除したいが、最近矢面に立っているからね。これぐらいはお願いしたいのだが......」

 

「承知しました。ただ、訓練期間はこちらに一任させて頂きたいと思います。よろしいでしょうか?」

 

「その辺りは現場が判断する事だろう。口を挿むつもりはない」

 

大敗を理由に、今までは静観していた国防員会がなにかと介入してくるかと身構えていたが、軍部への干渉が大やけどにつながる事をトリューニヒト委員長も認識している様だ。少し冷めてしまった紅茶を飲み干して執務室を後にする。ワイドボーンはトップに据えなくても何かと仕事をしたがる性分だが、ヤンは責任ある役職にしないと『サボる』癖がある。副官人事も含めて、サボりにくい環境も用意しなければなるまい。このサボり癖の発端は、士官学校時代に、良かれと思って『罰』として指示した『蔵書目録の作成』を逆に名目にして、苦手な科目をサボりだした事だとも聞いている。

校長としての失点を宇宙艦隊司令長官として修正することになるとは思わなかった。この人事を聞けば、困った時の癖で頭を掻くだろうが、ビュコック提督たちと上手く連動できる少将と言えばヤンしかいない。彼は常に期待に応えてくれた、今回もそうなると信じよう。

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 5月上旬

首都星ハイネセン シルバーブリッチ街 官舎

ヤン・ウェンリー

 

「中将、もうすぐグリーンヒル中尉がお迎えに来られる時間ですよ。さすがにパジャマで副官を出迎えるのは問題があると思いますが......」

 

「ユリアン、すまないな。すぐに支度を済ませるよ。どうも最近考え事が多くてね。なかなか寝付けないんだ」

 

ユリアンは納得した様子で階下に降りていく。さすがに14歳の思春期の子供に、同じく22歳の妙齢の女性の出迎え方について心配させるのは教育上よくないだろう。想定外の正規艦隊司令への着任と中将への昇進の内示を受けてから、あわただしく艦隊司令部と分艦隊司令の人事案を決め、今日はいよいよ結成式だ。司令部人事にあたっては、シトレ校長とキャゼルヌ先輩にも色々と相談に乗ってもらった。望みうる人事としてはまずまずだろうが、まずは訓練を通じて組織を馴染ませることから始めないといけないだろう。

そして、単独だったりビュコック提督たちと連携したりといった際の想定を考え込む夜が増えたのも事実だ。必ず『全員』を生きて連れ帰ることは難しいだろうが、司令官の責任として、やるべきことはしておきたかった。そのせいで、養育の方がおろそかになってしまうのも良くない。もともと出来た父親役ではないにしろ、及第点と言うものがあるのだから。

 

なんとかベッドから身体を起こして、洗面室へ急ぐ。結成式に新任の司令官が遅れるわけには行かないのは分かるが、迎えに来る約束の時間まであと10分もない。顔を洗って、ユリアンの朝食を急いで食べて......。戻って軍服に着替える間に時間が来るだろうがユリアンに中尉にも紅茶を振る舞ってもらう形で、時間を繋いでもらうしかないだろう。

顔を洗い終えてキッチンの一角へ向かうと、丁度ユリアンが朝食の最後の仕上げとなる紅茶を注ぐ作業に入っていた。朝食の定位置に近づくと、ほのかな紅茶の香りが私を出迎えてくれる。何かと思案に沈み込みながら眠りに入る事が多い私には、現実に立ち戻る前のオアシスのような時間が始まる。もっとも不本意ながらゆっくり楽しむ事はなかなかできないが......。

 

私の好みに合わせて入れられた紅茶で喉を潤しながら、しっとり目のベーコンが添えられたトーストを口に運ぶ。やっと頭が回るようになってきた。朝だけでも1分が600秒にならないものだろうか?そうなれば人類全体が、朝の忙しさから解放されるとも思うのだが......。

 

「提督、昨日、担当の先生から再度確認されたんですが、僕は本当に任官しなくても良いのでしょうか?トラバース法だと、任官しない場合は養育費の返還義務が発生すると聞きましたが......」

 

「ちゃんと説明しておけばよかったね。ユリアンの養育費として支給された資金は、全部ユリアン名義の口座に預けてあるんだ。もともと父が残してくれた株があるから財政的には問題ない。一応投資信託を兼ねたものになっているから、仮に養育費を返還しても、進学の学費としては十分な金額になっている。自分の好きなように進路を決めたら良いさ。それにフライングボールで特待生の話が来ていたはずだ。これを中心に考えてみれば良いんじゃないかな?」

 

「特待生のお誘いは嬉しいんですが、父も軍人でしたし、僕もヤン提督のような軍人に成れたらと思っているんですが......」

 

「そんなに良い職業にみえるのかなあ......。戦死の危険はあるし、給料は安いし、勝てばともかく、負ければ人格攻撃までされる職業なんだが......。それに社会の生産性に貢献もしていないしね。私からすればフライングボールのプロ選手の方が、よほど市民を楽しませるという意味で、社会に貢献できる良い職業だと思うんだがなあ......」

 

「分かりました。もう一度考えてみます。でも面白いですね。キャゼルヌ少将もアッテンボロー准将も同じようなことを仰っておられました」

 

「それはそうだよ。ユリアン。私は歴史家志望、キャゼルヌ先輩は経営者志望、アッテンボローはジャーナリスト志望だったんだからね。どうしてもと言うなら、軍人の道を選ぶことを止めるつもりは無いが、そうなると士官学校対策をしないといけないな。士官学校にもフライングボールのチームはあったはずだが、さすがに特待生制度は無いだろうし......」

 

「はい。先生からも成績的には合格圏内だけど提督の名前がついて回るからかなり頑張らないといけないと言われました」

 

「私の名前なんて気にする必要はないさ。ただねユリアン。軍の士官以上の役割は突き詰めれば『より少ない損害』で目標を達成する事だ。言い方を変えると『どう効率よく味方を殺すか?』という道でもある。私はそんな事がうまくできるより、『素晴らしい紅茶を入れられる』事や『美味しい朝食を作れる』事の方が、余程、生産的で素晴らしい事だとは思うがなあ......。まあ、自分の人生だ。よく考えて答えを出せば良い。私なんて14歳の頃は、父親の骨董品を磨いて少しでも駄賃を貰う事しか考えていなかったがなあ......」

 

そこで自然とダイニングに飾ってある万歴赤絵の大皿に目が行く。よくよく考えればお駄賃目的に本物の古美術品を磨いていた訳だが、こう言う事を本末転倒とでもいうのだろうか?変な方向に思考が進みかけたが、万歴赤絵の真上の時計が無慈悲にも私を現実に呼び戻した。まもなく中尉との約束の時間だ。

 

「ユリアン、急いで軍服に着替えてくるよ。中尉が来たらすまないが紅茶を振る舞ってくれるかい?そんなに時間はかからないはずだから」

 

ユリアンが了承してくれるのを確認して、2階の自室へ戻る。階段を登り切った所でインターフォンが来客を知らせてきた。統合作戦本部の情報処理科に所属していたグリーンヒル中尉は、なにかと正確な情報をデータベースのように記憶しているが、どうやら時間にも正確なようだ。いつもなら車中でスカーフを巻くのだが、今日ばかりはそういうわけにもゆかないだろう。急ぎ足で私はクローゼットに向かった。



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103話:結成式

宇宙歴796年 帝国歴487年 5月上旬

首都星ハイネセン 軍公用車 車中

フレデリカ・グリーンヒル

 

「それにしても結成式の挨拶かあ。おいおい考えれば良いと思っていたらとうとう当日になってしまった。私はどうもこういうのは苦手でね」

 

ヤン中将があの時のように困った様子で頭を掻いている。あの時も閣下はやるべきことをやるべき時期にしっかりなされた。自分を実際より大きく見せる為に大言壮語するより余程指揮官として大切なことだと思うけど......。

 

「艦隊の司令官は閣下なのですから、前例やほかの提督方をお気にされず、自分流で済まされれば宜しいと存じますわ。国防委員長や宇宙艦隊司令長官も参席されますし、こういう催しに必要なスピーチは、御二人にお任せしてしまっても宜しいと存じます」

 

「そうだね。最初から無理をしても後々まで続かないだろうから、そうする事にしよう。今朝の紅茶も最高の一杯だったし、そういう日常の幸せも、生きて帰る理由には十分なるだろうしね......」

 

私の言葉がきっかけになったらしい。閣下はおそらく結成式の挨拶を考え始めたのだろう。すこしうつ向きながら考え事を始められた。少しはお役に立てた様で嬉しく感じてしまう。副官に推薦して頂いたキャゼルヌ少将からも『思春期を宇宙船の艦内で過ごした影響か、一般常識や人付き合いが苦手なのでフォローして欲しい』と訓示を頂いている。私もあまり社交的な方では無いけど、しっかりお支えしなくては......。

 

考え事に集中している閣下を横目に、私はヤン中将の副官を拝命し、ご挨拶に伺った際の事を思い返していた。宇宙艦隊司令部のヤン中将の執務室にノックをして入室する。『エルファシルの奇跡』以来、階級を駆け上がって中将になられた閣下が、当時のヤン中尉にサンドイッチを差し入れた少女の事など覚えていないだろうと思っていたが、『もしかしたら』と淡い期待もしていた。

 

「申告します。閣下の副官を拝命しました。グリーンヒル中尉です。よろしくお願いいたします」

 

私を見る閣下の様子から想定外だったように感じ、当初は『グリーンヒル大将の娘』を副官にするのはさすがにやりづらかったかと不安になったが......。

 

「すまない。『士官学校次席卒業』としか聞いていなかったものだから。大きな敗戦を経験して兵士たちの気持ちを立て直す所から始めることになる。色々たいへんだと思うがよろしく」

 

あの時も困った時の癖で頭を掻いておられた。女性だと聞いていなかったから反応に困ったと後から聞かされてホッとした事は、私だけの秘密だ。その後すこし考え込むそぶりをされてから

 

「私はどうも人付き合いが苦手なんだが、もしかしたらどこかで会った事はあるかな?間違っていたら申し訳ないんだが......」

 

と言って下さった時には嬉しさを堪えるのが大変だった。『エルファシルでサンドイッチを差し入れた』事を伝えると、思い出して下さり、その後どうしていたのかを聞いて下さった。閣下はその後、戦災復興支援法が適用されたエルファシル星系で、復興初期の活動にあたられたはずだ。一方、グリーンヒル家では、あの避難生活がきっかけであまり身体が丈夫ではなかった母が病に倒れ、父の勤務するハイネセンへそのまま移住することになる。

 

そして進路を決める際に何かと留守にしがちな父と私だけになった時、思い切って士官学校を受験する事にした。父は自分の影響だと今でも思っているはずだが、差し入れたサンドイッチをのどに詰まらせて、慌ててコーヒーを差し出し、それを飲んで命拾いしたにも拘わらず、『どうせならコーヒーより紅茶が良かった』と言ってしまう、どこか放っておけない中尉さんを追いかけての事なのも、私だけの秘密にしている。

 

「閣下、まもなく統合作戦本部に到着いたします。ご準備をお願いいたします」

 

ふと窓の外を見ると、特徴的な統合作戦本部のビルが視界に入っていた。慌てて思考を止めて閣下に一言添える。

 

「うん。ありがとう。何とか挨拶もまとまったよ。後は壇上で居眠りしない様にしないとね。最近よく寝れていないんだ。今までは観客席だったから静養の時間に当てられたんだが、壇上に席がある立場でそれは出来ないしね。せめてコーヒーではなく紅茶が飲めればなあ」

 

「今回は国防委員会主催ですので難しいと存じますが、次回から紅茶もご用意するようにいたしますわ」

 

ヤン中将と親しいシトレ元帥を中心とした提督方は『紅茶派』が多い。そしてそのきっかけになったのが、閣下に養育されているユリアン君のお父様らしい。お父様から教わったらしく、閣下の身支度を待つ間に私にも振る舞ってくれたが、確かに今まで飲んだ紅茶とは別の物だった。副官ともなれば好みに合わせた紅茶の入れ方も学んだほうが良いだろう。一度ユリアン君に相談してみても良いかもしれない。

後はサンドイッチを始めとした挟むもの以外のレシピもマスターしたほうが良いのだろうけど、やっと傍でお役に立てるようになったのだ、あまり焦るのも良くないだろう。一つひとつ解決していこう。考えがまとまった所で、ちょうど大講堂のエントランス前に到着した。まだ開始時間に間がある。控室で寛いで頂く猶予は十分にあるだろう。

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 5月上旬

首都星ハイネセン 統合作戦本部 大講堂

ヘルマン・フォン・リューネブルク

 

「激戦を潜り抜けた諸君が、再び戦力として力を取り戻すことが出来ると私は確信している......」

 

ヤン艦隊の結成式が始まって小一時間。国防委員長の挨拶が始まっていたが、俺はどうもトリューニヒト委員長の演説が肌に合わない。帝国貴族でも恥じ入るほど美辞麗句に彩られている。本来、こういうスピーチは他者を圧倒する実績と実力がある人間にしか似合わないものだ。それにそういう人物は言葉を飾らなくても自然と様になるから、美辞麗句を使う必要が無い。

素人が軍部に口出しすると大やけどをすると分かっているらしく、介入が少ない事は評価できるが、それだけの男だ。自滅した右派の取り込みに成功し、おそらく次期、最高評議会議長の最有力候補がこの程度の人材とはな。戦況が不利になって数十年、市民たちも『現実』を直視したくないのかもしれんが、この程度の男が国家元首になってしまう国体というのもどこか間が抜けているようにも感じる。

 

「リューネブルク准将、お役目とは言え、歯の浮くようなセリフをああも並べ立てる演説を聞かねばならないとはやり切れませんね。これなら訓練でもした方が有意義でしたよ」

 

忌憚のない表現で話しかけてきたのは、副連隊長役のリンツ大佐だ。俺が率いている薔薇の騎士連隊は亡命者の子弟で編成された部隊だ。彼も亡命2世だし、帝国の貴族様ならともかく、『現実』を市民に直視させねばならない『民主制の政治家』が美辞麗句を並べ立てる事に違和感を感じているのかもしれない。

 

「リンツ、そう言う事はあまり大声では言うなよ?そうでなくても艦隊戦力に予算を取られて陸戦隊は縮小される一方だ。今回、ヤン提督の引きが無ければ、俺たちもお払い箱になっていたやもしれんからな」

 

「承知しております。ここだけの話ですよ。ただ最前線の血みどろを一度でも見ていたらあんな美辞麗句で飾り立ててもきれいな物にはならないと分かるでしょうに。まあ、従軍経験はあると言っても後方勤務でしょう。素人だから現場に口を出さないのは評価できますが......」

 

思わず苦笑してしまった。最前線を知っている人間には確かにどこか違和感を感じるようだ。そんな人材が右派のとりまとめ役なのだから、同盟の右派の甘さも見当がつくというものだ。

 

「続きまして、新しく司令官に就くヤン中将、お願いいたします」

 

司会役の言葉で、意識が壇上に戻る。ヤン中将からのオファーは『同盟屈指の陸戦力と、帝国の知識を少しでも作戦に組み入れる為』という名目だった。出番があるとすれば、帝国への旅路の門番のように鎮座する要塞の女王の攻略戦だろう。さて、まずは『挨拶』でお手並み拝見と行くか。

 

「司令官に着任するヤン・ウェンリーです。私はどうもこういうのは苦手なんだが......。私の今の生き甲斐は、毎朝のむ紅茶だったりする。みなにもそういう『日常の幸せ』が一つくらいあるだろう。死んだらそれも楽しめなくなる。なので死なないように戦い抜こう」

 

こういう場での挨拶と言うより、30秒スピーチといった所だが、不思議と感じるものがあった。リンツに目線を向けると毒気を抜かれたような顔をしている。さんざん美辞麗句を聞かされた後だからか、新任の司令官が部下の心をつかむとっかかりとしては十分だろう。国防委員長を出汁にしたとしたら、それはそれでゆかいな話だ。その後、司令部の面々が紹介されていくが、鬼才のヤン提督の周囲を固めるには意外に良い人事だ。

 

『艦隊運用の生き字引』のフィッシャー少将を副司令に、『たたき上げ』のカールセン少将、『攻勢』のグエン准将、そしてウランフ艦隊で頭角を現したアッテンボロー准将が分艦隊司令を担当し、『常識』のムライ少将と『配慮』のパトリチェフ准将、そして『作戦家』として定評があるラップ大佐が参謀周りを固める。鬼才にありがちな周囲を置いて行ってしまうあたりを上手くフォローできる体制と言えるだろう。

 

「隊長、この人事は意外と当たりかもしれませんね。まだ予感ですが、俺の予感はよく当たりますから」

 

「よく言うぜ。お前の予感が当たるのは失恋の時だけだろうが。もっとも成功したためしがないから参考にもならないだろうに」

 

隊員達が野次りつつも笑い出す。予感の件が心配だが、確かにこの艦隊は当たりだと俺も感じている。後は陸戦の出番が来るかだが、そればかりは帝国ありきだ。部隊が維持できる以上、しっかり牙を研いでおくことだ。戦争が続く以上、陸戦の出番は必ずあるのだから。



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104話:元帥会議

宇宙歴796年 帝国歴487年 5月上旬

首都星オーディン 宇宙艦隊司令本部 貴賓室

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ

 

「こうして宇宙艦隊の元帥が一堂に会するのも久しぶりの事ですな。昇進するほど、自由がなくなる物と覚悟はしておりましたが、お互い気軽にお茶を飲むにも何かと配慮が必要になりました。いささか寂しく思う所がありますな」

 

「兄上、我々はまだましな方でしょう。もともと昔馴染みのような所がありますし、血縁でもありますから。尚書方ともなると、内密に会合などすれば勘ぐられますから、おちおち会食も出来ない政局のようですよ?」

 

「政局が理解できていないのは、門閥貴族のお坊ちゃま方だけでしょう。あれだけあからさまに動いて勘づかれないとでも思っているのですから......。私の場合は皆さんが行き来してくれるので、久しぶりな気はしませんが、一堂に会するとなると、年甲斐もなく嬉しくなってしまいますね」

 

「そうだな。確かにいつの間にやら『そういう物だ』と慣れてしまったが、今となっては正規艦隊司令に着任して、自分なりの試行錯誤をやっと実戦で試せる立場になった頃が一番楽しかったやもしれんな。宇宙艦隊司令長官となってからは、何かと配慮する事が増えたようにも思うし、貴官らが色々と配慮してくれねば、とても務まらなかったやもしれぬ。改めて礼を述べさせてくれ」

 

帝国元帥となった我々が一堂に会するには何かと理由が必要だ。艦隊を組めば話は別だが、会食する機会があるのは前線総司令部で補給するタイミング位だろうか?帝都に戻れば普段留守がちな分、何かと時間がとられる。宇宙艦隊に所属する5名の元帥が一堂に揃う事は本人たちの関係性の良さとは裏腹に、めずらしい事だった。

 

「光栄な事に存じます。ありがとうございます」

 

本来ならもう少し気の利いた言葉を言えれば良いのだが、未だにそう言う事は苦手でもある。もっともそんな私でもしっかりと実績を評価され、数個艦隊の指揮をとる立場になり、いつの間にやら元帥号を与えられた。任官直後の帝国軍の風土では、よくて正規艦隊司令になれたかどうかだろう。そういう意味で、下級貴族出身の私にとっては出来すぎた栄達をしたものだと、たまに夢ではないかと思う時がある。

 

「メルカッツ先輩は相変わらずですね。とはいえそれが先輩らしさですから、今更ながらホッとしますよ」

 

私を陰で押し続けてくれたリューデリッツ伯が嬉し気にこちらに視線を向ける。それを言うならお主も同様であろう。普通に見ればとんでもない事をさらりと成し遂げ、功を誇るでもない。私だけでなく若手も含めて人材を発掘し、育て上げたが恩に着せるわけでもない。今の戦況の本当の立役者が先代のシュタイエルマルク伯とリューデリッツ伯であることは、我々は十分理解している。それなのに当の本人が支援役を笑顔で務めてくれた事でどれだけ円滑に体制が維持できたか......。理解している者は感謝し、そうありたいと手本にする者も多かったはずじゃ。

 

「それで、今回集まってもらった理由なのだが、内戦にあたっての体制については軍務尚書と統帥本部総長からご内諾を頂くことは出来た。ただ、その場でお二人も内戦後に退役する意向を伝えられてな。尚書職の後任にルントシュテット伯、総長の後任にシュタイエルマルク伯を......という意向があるとのことなのだ」

 

うむ。軍務尚書ともなると政治色が強いように感じるが、公明正大たらんとするルントシュテット伯なら変に勘ぐられる事は無いだろう。統帥本部総長はいわば軍部の作戦の元締めでもある。『戦術家』としての名声を高めつつあるシュタイエルマルク伯なら確かに適任だが、そうなると宇宙艦隊司令長官はどうするのであろうか。本命はリューデリッツ伯といった所であろうが......。

 

「となると我らが副司令に就く話は撤回という事でしょうか?ある程度独立した行動が必要になる以上、必要な措置だと考えておりましたが......」

 

「うむ。宇宙艦隊だけを考えれば、ルントシュテット伯かシュタイエルマルク伯に後任をと考えていたが、こうなるとどのような形が良いのかをもう一度相談したいとも考えていたのだ。内戦後の体制を踏まえて、どんな形が良いか?卿らの意見を確認しておきたいのだ」

 

こういう事はリューデリッツ伯の得意分野であることはこの場の全員が承知している。自然とリューデリッツ伯に視線が集まった。

 

「軍務尚書にルントシュテット伯、統帥本部総長にシュタイエルマルク伯が着任するとなると、さすがに私が宇宙艦隊司令長官になる訳には行きませんね。今は別の家を継いでいるとはいえ、兄弟で3長官職を独占するというのは、外聞からしても良くないでしょう?」

 

そこで一旦言葉を区切り、用意されていたお茶を飲む。宇宙艦隊だけを考えれば、心無い事をいう者はいないとは思うが、兄弟で要職を独占するというのは、確かにそれだけで妬みの種にはなるだろう。

 

「また、いきなりトップと言うのは引継ぎ上無理がありますから、次官職に就くことになると思います。そういう意味では宇宙艦隊司令長官の後任も。副司令を経験したほうがスムーズに引継ぎが出来る以上、副司令のひとりは、宇宙艦隊司令長官の後任者に任せた方が良いでしょうね」

 

そこでリューデリッツ伯は私に視線を向けてから話を続けた。

 

「宇宙艦隊司令長官の後任はメルカッツ元帥にお願いしては如何でしょうか?内戦の勝利を前提に話を進めますと、その次の区切りは叛乱軍との戦争の決着でしょう。長くても5年、その位の期間なら我らも現役でしょうし、なにかとお支え出来るでしょう。メルカッツ元帥は用兵の練達さも宇宙屈指ですが、それ以上に人格者でもあります。戦争を決着させた宇宙艦隊司令長官ともなれば、退役後も軍の宿将として『ご意見番』のような立場にできるでしょうし、長い目で見ても軍の為になる人事だと思いますが......」

 

「なら、副司令官はメルカッツ元帥にお譲りしよう。軍務尚書に就く以上は『箔付け』の意味でも副司令長官についておいた方が良いだろうし、逆に統帥本部総長が副司令長官経験者というキャリアは前例がなかったはずだ。変な前例になっては後々人事がやりにくくなりそうだしね」

 

シュタイエルマルク伯が納得するように発言された。あまりに展開が早くてついていけなかったが私が宇宙艦隊司令長官になるという事なのだろうか......。

 

「お待ちください。小官は元帥号を得ただけでも過ぎた栄達だと思っておりました。下級貴族出身であることも考えれば、さすがに宇宙艦隊司令長官になるのはいささか無理があるのではないでしょうか?」

 

「うむ。前例を作るという意味でも良い人事やもしれぬな。既に正規艦隊司令はコーゼル大将の前例がある故、平民出身者を抜擢する事が出来た。将来どうなるかは分からぬが、『実力主義』を取る以上、長官職の候補者に平民出身者がリストアップされる事もあろう?メルカッツ元帥自身が言われた様に、前例がなければ何かとその時の上層部は悩むであろうが、卿が長官職に就けば、地ならしにもなるという事だ。将兵たちの励みにもなるやもしれぬな」

 

ミュッケンベルガー元帥も、賛成するように発言される。本当に大丈夫なのであろうか......。視線をルントシュテット伯とシュタイエルマルク伯に向けるが、安心させるようにうなずくだけだった。

 

「戦後の事を考えても良き人事案だと思いますよ?終戦直後はともかく、中期的には12個艦隊、最終的には8個艦隊位まで軍縮が求められるはずです。そういう意味でも兵士たちに人気があるメルカッツ元帥が後ろに控えていれば、その時の上層部も安心できるでしょう。もっとも、退役した者たちの『職』は十分に用意するつもりですが......」

 

「そこまで言って頂けるなら、このお話、謹んでお受けいたします。小官は軍部の象徴と言う意味でローエングラム伯も候補に入るかと思っていたのですが......」

 

「彼には軍の重鎮になるべく教育を用意しましたが、経営の分野でもかなり厳しく仕込みました。終戦後は軍部と言うより帝国全体を視野に動く王配としての役目が求められるでしょう。それこそ『箔付け』の為に副司令長官にして頂ければ、本人の為にもなると思いますが、ずっと軍にはいられないのも確定的ですからね。しっかり支えますから、ご安心ください」

 

こうして、私が『次期宇宙艦隊司令長官』となる事が決定した。まだ不安な部分もあるが、引きうけると言った以上は精一杯努める所存だ。とはいえ早速宿題が出来てしまった。昨日までは、ローエングラム伯は『いずれは』宇宙艦隊司令長官になる予定の人材だった。これは周囲もそう思っていたはずだ。私の後任を彼以外から探すとなると、もう一度、正規艦隊司令のリストとにらめっこする必要があるだろう。ケンプ、ファーレンハイト、ビッテンフェルト......。戦時ならともかく平時に軍縮を進める中での長官職は厳しいだろう。予算を増やせと怒鳴り込むくらいはやりかねん。片手間では済まない宿題に、早速頭の痛くなる思いがしたが、これだけのお歴々が支えてくれるのだ。後任人事も相談すれば解決の糸口がきっと見つかるだろう。



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105話:懺悔

宇宙歴796年 帝国歴487年 5月中旬

首都星オーディン グリンメルスハウゼン邸

ウルリッヒ・ケスラー

 

「先ぶれが到着いたしました。まもなく到着されるとの事でございます」

 

「うむ。幼少の頃からの馴染みとは言え、帝国元帥と憲兵隊副総監を自宅に呼べる子爵は、帝国広しと言えども儂ぐらいじゃろうな。お主もずいぶん長い間尽くしてくれたな。今更ながら色々と助かった。儂の事を気にしていられるほど暇ではなかろうに......」

 

「何を仰いますか。子爵に見出して頂けなければ私の栄達はございませんでした。宇宙艦隊の艦隊司令に憧れていなかったと言えば嘘になりますが、帝国の秩序を守るのも前線で叛乱軍と戦う事と同様に重要なことと思い定めてもおります。そのような事はお気になさいますな」

 

子爵閣下は既にご高齢になられ公式行事に姿を出さなくなって久しい。季節の節目にはご挨拶を欠かさなかったが、冬を乗り越えられホッとしたのもつかの間の事だった。春の訪れとともに、急激に体調を崩された。前線総司令部基地総司令として本来なら年末位にしか帝都におられないリューデリッツ伯が急遽、オーディンに戻られた。それに合わせてお見舞いに来られる事が急遽決まり、同席するように依頼を受けたのが数日前だ。

恐らく『あの文書』の事が話題になるのだろう。内戦前夜と言って良い状況だが、帝都の守りは万全だ。軍部の勝利の先にあるであろう、新しい帝国の風土に、『あの文書』がどう影響するのか?平民出身の私にとっては、『実力主義』に塗り替わりつつある軍部同様、帝国全体がそうなるものと考えてはいた。その中で『あの文書』がどう活かされるのか?は、調査を担当した一人としても注視せざるを得ない。この数日は良く寝れてはいなかった。

 

「到着されました。まもなくお越しになります」

 

静か目なノックと共に執事が入室し一言報告してから退室していく。出迎えに私も同席した方が良いだろうか?

 

「ケスラー中将。今日のお主は登場人物のひとりじゃ。それ位の事は伯も察しておる。むしろ出迎えなどしたら気を悪くするぞ?『もう一角の人物であろうに』とな。しっかりと見届け人としての役回りをすれば良いのじゃ」

 

「申し訳ございません。どうもお二人とご一緒すると、候補生時代からの癖が出てしまいます。憲兵隊の本局にいるようにはなかなかいきませんな」

 

「それよ。若年の頃から儂と『伯』にこき使われてきたのじゃ。そろそろどっしり構えても誰も文句は言うまい。失敗じゃったのはお主の婚約相手を用意しそびれた事じゃな。捜査機関を中心に経歴を重ねれば、弱みを作る訳には行かぬからな。それだけは失念してしまったわい」

 

「今は職務に精励しておりますし、ご紹介いただいたとしても家庭に割く時間は取れなかったでしょう。そういう意味では、むしろ小官にとっては『幸い』だったやもしれません」

 

『確かに激務であったであろうからのう』と頷きながら子爵閣下が笑い声をあげた。その声がかなり細くなっている事に気づき、改めてもう限られた時間しかないのだと実感した。よくよく考えれば私自身も白髪が目立っている。御二人の前では新任の少尉のようになってしまうが、改めて時間の流れを感じた様な気がした。

 

「やあ『叔父貴』、思ったより元気そうで何よりだね。『ティアマトの雪辱』以来、軍部貴族の御隠居達が安心したのか身罷られる事が多かったから心配していたんだよ。ケスラー中将もありがとう。激務の最中に時間を割いてもらって悪かったね」

 

士官学校の候補生時代に初めてお目にかかって以来、変わらずにこやかにリューデリッツ伯が声をかけて下さる。公式の場では『伯爵家のご当主で元帥』であるため、線引きはしなければならないが、非公式の場では親しく接して下さる。『平民出身』の私にとって、非公式の場であれ『軍部の重鎮と親しい関係』であることは、職務を進めるうえで常に追い風だった。

 

「一番激務なのはお主であろうに。ザイ坊、よく来てくれた。帝国広しと言えども、『帝国元帥と憲兵隊副総監を呼びだせる子爵』は儂だけであろうとケスラー中将に自慢しておったのじゃ」

 

「それは言いえて妙だね。ただ、私たちを呼び出せるのは叔父貴を除くと『兄貴』位しかいないだろう。そうなると帝国屈指の影響力を持つ『子爵閣下』な訳だ。私も敬語を使ったほうが良いかな?」

 

伯がそう言うと子爵も嬉しそうに笑われる。外では絶対にされないやり取りだが、御二人のお付き合いは40年を軽く越える。私が知己を得た頃、御二人は『陛下の信頼が厚い侍従武官長と軍部貴族の雄』だった。栄達する前からの知己だからこそ成立する何かがあるのだろう。そんな事を考えていると、ノックと共に執事がメイドと共に入室し、3つのグラスとアイスペールを置いて辞去していく。何かと思ったが......。

 

「嗜む程度に飲める体調なら、一献酌み交わしたいとお願いしていてね。3本ほど、『兄貴』がブレンドしたウイスキーを持参したんだ。2本は預けてあるから好きに使って欲しい」

 

そう言うと伯は自らアイスペールから氷を取り、ロックグラスに静かに入れ始めた。本来ならは私がすべきことだが、伯の手さばきが洗練されていた事と、有無を言わせぬような雰囲気を感じ、代わるタイミングを逸してしまった。

 

「初期の長期熟成樽を『レオ』と同じ工房に依頼した瓶に詰めたものだ。『兄貴』からは『マリア』と命名してもらったよ。『夫婦そろって酒の銘柄になるのも良かろう』とのことだった。この3本以外は、全て皇室に献上してしまったから、簡単に試せる物でもない。酒飲みの『叔父貴』の見舞いの品としては合格をもらえるかな?」

 

子爵閣下が横たわるベッドサイドにコースターが置かれ、ロックグラスが置かれる。続いて私の手元にもコースターとグラスが置かれた。そんな貴重なものを良いのだろうか?戸惑っている事に気が付かれたのか『卿も裏で帝国の秩序を守ってきた人材だ。遠慮はいらぬ』と伯が言い添えて下さった。

普段はロックで嗜むことは少ないが、グラスを近づけただけで長期熟成酒特有の柔らかいアルコールの香りがした。口に含むとその香りが鼻に抜ける。そしてうまい酒特有の飲みやすさも何となくだが感じた。将官ともなればこういう酒を愛飲したいところだが、『レオ』同様、気軽に手に入る物でもないだろう。残念に思う自分がいた。

 

「うむ。ウイスキーはかなり飲んだものだが、『あの折』仕込んだものだと思うと更に感じるものがあるのう。建設途中のイゼルローンの視察の折じゃったか?あれも良き思い出じゃな。陛下との間でも何度も話題になった物じゃ」

 

子爵閣下も嬉しそうに飲み進められている。時折視線が遠くを見つめる様に動くのは、思い出に浸っておられるからだろうか?裏の仕事が多く、捜査機関で経歴を重ねてきた私には、平民出身という事で胸襟を開いて付き合える友人はいなかった。強いて言うなら同じ目的に邁進したという意味でオーベルシュタイン男爵がおられるが、男爵と私が酒を酌み交わす関係になる事は無いだろう。とはいえ、『子爵閣下』に見いだされ、『帝国元帥』の後援の下、想像以上の栄達を重ねている。これ以上、何かを求めるのは欲が深いというものだろう。

 

「良き見舞いの品を頂いた。お返しをせねばなるまい。儂が侍従武官になって以来、何かと門閥貴族の横暴を少しでも秩序あるものにしようとしてきた。ザイ坊にも協力してもらった事もあったのう。在地・政府を問わず、そういった門閥貴族の醜聞を調査した内容を取りまとめた物を用意してある。どう使うかはお主に一任するゆえ、受け継いでもらいたいのじゃ」

 

「叔父貴はやはり本物の『貴族』だったね。私はビジネスに寄り過ぎているし、『兄貴』は優しすぎる。叔父貴が侍従武官だったことは帝国にとって慶事だったのかもしれないね」

 

「本当に慶事だったのであろうか?お主はうすうす気づいておるやもしれぬが、陛下の御兄弟の取り巻きを煽ったのは儂だ。結果、確かに帝位に就くこととなったが、本心では望んではおられなかった。陛下の本心はご兄弟にお譲りになるつもりだったはずじゃ。だが儂は我慢できなかった。あえて後継者争いから身を引き、候補とならぬよう放蕩を擬態しておったのだ。それに気づかず取り巻きどもが当時の『殿下』を愚弄した時、儂の心に暗い炎が灯ったのじゃ。それからは早かったな。『放蕩者』の侍従武官など誰も警戒していなかったからのう。

じゃが、その先にあったのは主君になりたくもなかった『座』を押し付け、あげくバランスを取るために主体的には動けぬ政局を作ってしまった。本来なら大公家でも立てて領地で比較的自由な人生を歩めたはずじゃ。あの時、儂にもう少し自制心があれば、陛下の人生を不本意なものにせずに済んだのではないかとも思っておる」

 

陛下の即位の経緯を考えると、何かしら裏で動きがあったのでは?とは思っていた。そして好々爺然としながらも、押さえるべき所は押さえ、醜聞を始め『いつか取引材料になる』と門閥貴族の内情を探っておられるのは承知していたが、そんな事があったとは......。私は表情を隠すのに精一杯だったが、伯はいつものように少し微笑みながら話を最後まで聞かれていた。

 

「叔父貴、改めて言う必要もないだろうけど、今の帝国の繁栄の一因が叔父貴なんだ。あの時期の軍部は『第二次ティアマト会戦』の傷がやっと癒えた段階だ。そこで内戦ともなれば国力が疲弊し、最悪イゼルローン要塞も完成直後に叛乱軍に奪われていたかもしれない。そうなれば国力が疲弊したまま国防体制を再構築する羽目になったはずだ。国力は現在の半分もあれば良い方だっただろう。

それに『取り巻き連中』の専横も目に余るものがあったはずだ。『帝国貴族』として『臣下』としてすべきことをしたんだよ。どちらにしても当時の帝国では『生まれ』から逃れる事は出来なかった。兄貴もそれは理解しているはずだよ」

 

子爵閣下の言葉が途切れてしばらく間を置いてから、伯が思う所を述べられた。確かに当時、内戦が起こっていたらこの宇宙の勢力バランスは大きく叛乱軍に傾いていただろう。門閥貴族の専横を排除できなければ軍部貴族の団結も難しい。内戦を覚悟できるような余裕も無かったはずだ。『陛下が帝位に就きたかったか?』はともかくとして、今の政局の遠因が子爵閣下にあることは事実だろう。伯の言葉を聞いている間、子爵閣下は涙を流されていた。

 

「叔父貴、ここは年長者として『粋な』酒の飲み方を若輩者に見せる所だよ。涙は隠れて流さなきゃ」

 

「そうじゃのう。このグリンメルスハウゼン、一生の不覚じゃ。忘れてくれればありがたい」

 

伯の揶揄するような言葉に、子爵閣下はハンカチで顔を拭いながら苦笑された。その後は嗜む程度ではあったが、ウイスキーを楽しみながら思い出話をされていた。なにかと話がお上手なので私も楽しい時間を過ごすことが出来た。

 

「少し長居しすぎてしまったかな?なかなか叔父貴とは会えないからね。久しぶりに楽しい時間を過ごせたよ。次に会えるのは内戦が落ち着いてからかな?それまで壮健でいてくれればうれしいよ」

 

「うむ。なんとか頑張ってみるが、なるべく早くしてほしい所じゃな。武運を祈っておる、ケスラー中将、見送りを儂の代わりに頼むぞ」

 

子爵閣下の指示を受けて、伯と共に寝室を後にする。

 

「ケスラー中将、話に出た文書については卿に一任する。早期に使う必要が出たときは、『ディートリンデ皇女殿下』のお立場を少しでも良くするために使って欲しい。長期目線で使う必要性が出てくるとしたら、刈り残した連中を裁く口実としてだろう?その時が来たら上手く使って欲しい。卿は見出した人物に似て、私益と公益をしっかり切り分けられる人物だ。やや扱いに困るかもしれんが、判断に困る時は遠慮なく相談してくれればよい。では、卿も壮健でな」

 

玄関に向かう途中で当たり前の事のように『文書』について一任された。使い方によっては劇薬となるものをさらりとお任せ頂いた事に、『信頼』と共に、『重み』も感じた。だが私ももう士官学校の候補生ではない。『伯』から任せられると見込まれたのだ。その期待に応えて見せる。『伯』は数日後に前線へ出発された。そして1か月後に、子爵閣下はあちらへ旅立たれた。遺言でこの日、差し入れられたウイスキーの一本が私に形見分けされるのはまた別の話となる。




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106話:黄昏

宇宙歴796年 帝国歴487年 6月下旬

首都星オーディン 新無憂宮

シュザンナ・フォン・ベーネミュンデ

 

「ベーネミュンデ侯爵夫人、皇帝陛下がお呼びです。中へどうぞ」

 

侍医のひとりが陛下の寝室の隣に作られた控の間で待機していた私を呼びに来られた。年始から何かと体調がすぐれないご様子だったが、先日、長年陛下にお仕えになられたグリンメルスハウゼン子爵の訃報を聞いて以来、完全に臥せってしまわれた。グリューネワルト伯爵夫人とも話しあい、何とかお元気になられる様にと看病をしてきたが、ご高齢な事もあるが、陛下ご自身がご自分の人生に満足されてしまったようにも感じていた。

寵姫としてお仕えしてもうすぐ20年、馴れない宮中で思う所が無かったわけではないが、ディートリンデも婚約したばかり、出来れば花嫁姿をご覧いただきたい気持ちもあった。だが、婚約の経緯を考えれば、もはや公然となりつつある内戦が決着してからの話になるだろう。つまりディートリンデの花嫁姿を陛下がご覧になるのは難しいという事だ。

 

「陛下、シュザンナでございます。お呼びとのことで参りました」

 

「おお、今日はだいぶ気分が良い。控えてくれていたのであろう?いつも済まぬな」

 

何とか笑みを浮かべようとされるが、いつもの楽し気な笑みではなく、どこか無理をしているご様子だった。ただ、これも陛下の優しさなのだと思えば無下にする訳にもゆかない。私も無理にでも笑みを浮かべなければ......。

 

「儂とシュザンナの仲なのだ。無理に取り繕うこともあるまい。其方らは何とか励ましてくれたが、どうにも良くないようじゃ。心細いやもしれぬが、どう転んでもディートリンデの立場は守られる様にザイ坊が手配してくれた。もしもの事があっても心配する必要はないのじゃ。そのように辛そうな表情をしてくれるな......」

 

「陛下、そのようなお話をされては治るものも治りませぬ。顔色が大分よろしいので、少し驚いておりました」

 

「うむ。シュザンナは最後まで宮中に馴染めんかったのう。宮中に馴染むには嘘がうまくなければならぬが、其方は嘘をつくときは視線を逸らすからな。そんなに気にする必要はないのじゃ。自分の身体の事じゃ。儂が一番理解しておる」

 

ベッドサイドの椅子に座り、少しでも励まそうと陛下の手を握るが、いつも温かな陛下の手に、私の知っている温かさは無く、そして日に日に痩せているのがわかるほど細くなっていた。確かに既にご高齢ゆえ、いつかこんな日が来るとは思っていたが、いざ迎えてみるとこんなにも狼狽えてしまうとは......。陛下の言われる通り、私は宮中に馴染めなかったのかもしれない。

 

「良き意味で『馴染めなかった』と申したのじゃ。シュザンナは後宮に来た日から善良であった。皇帝としては何かと悩むことが多かったが、其方とアンネローゼには何かと救われた様に思う。『至尊』の地位にあるという事で、公の場では阿りつつも、陰では不正をする者たちがどれほどいた事か......。儂には確認する意思も手段も無いと思っておったのやもしれぬが、それこそ笑止な事よな。報告を求めれば、それこそ歓楽街の喧嘩のひとつまで、儂に詳細が届くというのに......」

 

陛下が悲し気な表情をされる。即位されて30年以上になるが、陛下の治世は長い帝国の歴史でも比較的に安定はしていた。ただ、陛下の本意ではない事ばかりの30年だったのだとも思う。門閥貴族を巻き込んだ形で跡目争いをご兄弟がされ、結果、多くの貴族が『大逆罪』に連座し、お取り潰しとなった。その直後に即位された陛下は、まず門閥貴族との関係修復から治世を始めなければならなかった。革新的な政策はとれなかったし、利権を尊重して介入もされなかった。

次代の両翼とすべく、ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家に降嫁を許されたが、故ルードヴィヒ皇太子がそれを台無しにしてしまった。唯一の光明は、軍部系貴族が団結し、戦況を優勢に進めた事だ。ただ、それを実現したのは下級貴族と平民を実力主義で抜擢するという『革新的な手段』に拠る所が大きかった。門閥貴族からすると従来の帝国の有り様からは考えられない政策だ。陛下は軍部貴族を厚遇もしなかったが、介入もしない事で門閥貴族に一定の配慮をしながらも軍部系貴族の政策を容認する姿勢を示された。政府系を含めてお互いの領分は冒さないという建前の下、なし崩し的に政策は容認された。

そして今、陛下が介入しない事で守った革新的な政策で力を強めた軍部系貴族が、爵位に胡坐をかいていた門閥貴族に牙を剥こうとしている。だが、これも因果応報だろう。生まれる前の話だが、『第二次ティアマト会戦』の敗戦の折は、門閥貴族が軍部貴族の利権を奪おうと、何かと暗躍したと聞く。した方は忘れても、された方は忘れない。そしてこれでも貴族階級に属している私には、考えさせられる部分が大いにある話だが、帝国の統治を考えるうえで、門閥貴族が足枷になりつつあるのも確かだろう。

 

「シュザンナよ。間違わぬようにな。本来なら儂がすべき改革を軍部貴族が為そうとしておるのじゃ。ディートリンデはおそらく帝国で初めての女帝になるやもしれぬが、あくまで『神輿』じゃ。変に介入しようとすれば、さすがに『ザイ坊』でもかばいきれぬであろう。ただ、善良なお主から見てあきらかにおかしいと思う施策があれば、まずはあの者に確認する事じゃ。必ず納得のいく意図があろうからな」

 

「はい。皇室が門閥貴族に代わって、変化を押しとどめるような存在になれば、それこそ土台を揺るがすことになります。内戦までするのですから、それを忘れぬようにディートリンデにも言い聞かせます」

 

「それで良い。『臣民全てが、努力すれば明日はもっと良き日になる』と思える帝国が出来る事じゃろう。本来なら儂の役目であったが、そこまで踏み込めなんだ。思えばグリンメルスハウゼンにも悪い事をした。儂の侍従武官になどならなければ、もっと表立った役目に付けたやもしれぬ。能力を隠さなければならぬ状況でなければ、内務省の次官位にはなっていたやもしれぬでな」

 

私の知っているグリンメルスハウゼン子爵は、好々爺然として、お茶を飲むのが好きな方だ。とても内務次官が務まるようには思えなかったが......。

 

「シュザンナよ、お主はそれで良いのだ。あやつこそ良い意味で本物の忠臣よ。儂には隠して居ったが、兄と弟の取り巻きを煽ったのはあやつなのじゃ。それも儂を皇帝にする為ではない。『自ら下りた』儂を、皇族ならともかく、取り巻きが悪しざまに蔑んだのが許せなかったのじゃ。思った以上に大事になり、気づいたら儂が皇太子になっておった。

 

あやつは儂が『皇帝になりたくない』のも知っておったからな。しばらくはやり切れない様子であったし、頑なに栄達を拒んだ。幼少からの侍従武官だったのじゃ。本来なら昇爵して伯爵となっても良かった。表立った役目も望めば用意できたが、頑なに辞退しおった。儂に不本意な役目を押し付けた以上は、自分も表の役割はせぬとでも決めたのであろうが、なんとも不器用な事よな......」

 

「そのような事がございましたのですね。何と申して良いのか......。私には好々爺然とした印象しかございませんでしたので、驚きました。ただ、『ご自分だけが日のあたる場所に居る』様な事は、確かにグリンメルスハウゼン子爵はなされないように存じます」

 

「うむ。仕える主を悪しざまに言われた『叔父貴』、兄弟を争わされた『兄貴』、その志は乳母を殺されたザイ坊が継いでくれよう。お主は良くなった帝国を見届け、満喫してくれればそれで良い。ディートリンデの事をくれぐれも頼むぞ」

 

「陛下......」

 

少しでも励ませればと思い、少し温かみが戻った陛下の手をさする。私を慈しみ、守って下さったのは陛下だ。そしてディートリンデという宝物まで授けて下された。そして皇帝としても自分の力が及ぶ限り臣民に配慮されてきた。成りたくもない地位に就き、ここまで尽くされれば十分ではないだろうか。だが、わがままと分かっていても陛下を失いたくはなかった。『何とか回復に向かって欲しい』そんな思いを込めて手をさする。

労うように陛下が私の手を握り返して下さる。寵姫になった当時から変わらない。いつもお優しく、私を気遣って下さる。今まで当たり前だったこの温もりを失うと思うと怖かった。闇夜の到来を恐れる気持ちを紛らわせるように、私は陛下の手を握り返した。



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107話:脚本

宇宙歴796年 帝国歴487年 6月下旬

惑星フェザーン 自治領主公邸

アドリアン・ルビンスキー

 

「ご指示の通り、同盟の高等弁務官に『極秘情報』として例の件が自然に漏れる手配は完了いたしました。愛人の事しか頭にない彼にとっては寝耳に水でしょうが、フェザーンに赴任して初めて役職に相応しい情報を本国に伝える事になるでしょう」

 

「良くやってくれた。だがケッセルリンク補佐官、君が優秀なのだと勘違いしないようにな。高等弁務官とは名ばかりで、愛人と背徳の日々を過ごしているだけの俗物だ。弁務など赴任して以来、したことは無いのだ。もっとも、余りにも愚かなので、父親が興した会社を継ぐはずが、経営陣が手を回して政治献金と引き換えに厄介払い先を政治家に用意させたそうだがな......」

 

「経営陣は厄介払いが出来、政治家たちは献金を得、フェザーンは愛人を宛がうだけで満足する安上がりな駒が手に入りました。ここで終われば登場人物が皆、利益を得る良き童話になりそうですが、そうはならないでしょう。ツケはいつか取り立てが来るものです」

 

「良くわかっているな、補佐官。首席武官のヴィオラ大佐の方は、出来の悪い弁務官を横目に情報収集は怠っていなかったようだが、どちらにしても直接『政治家』に情報が伝われば、何かしらの対処はせざるを得ん。そういう意味では丁度良い『駒』に丁度良いタイミングで事を運ぶことが出来た訳だ」

 

「しかしながら、既に帝国は一度フェザーンに進駐しております。本来なら可能性のひとつとして誰かが考えそうな事ですが、『フェザーンが有していた航路情報』を既に帝国が入手していると言う情報がそこまでの火種になるのでしょうか?」

 

「補佐官、君に実感が無いのも無理はない。厳しい経済状態の家庭に育つか、下降期の組織のトップを務める経験があれば、同盟の政治家たちが頭を抱えるのが目に浮かぶだろうな。イゼルローン方面だけ見ても、戦況は同盟がかなり劣勢だ。日々の食事に困るような状況で、未来に向けた投資などできない。誰もが頭の隅で可能性は考えただろうが、より切実な問題が山積していればそちらに目が行くものだ」

 

「そして忘れた頃に取り立てが行われる訳ですか。身から出た錆とは言え、こうも敵方に良いように使われているサマを見せつけられると、同情心を刺激されてしまいます」

 

「我々がしているのはあくまで『ビジネス』だ。登場人物全員にメリットがある商売の方が長続きするのも確かだが、そういうたぐいの商売でもないからな。今のうちにしっかり『取り立て』を行い、利益を確保せねばならん。まあ、安い投資で最大の効果を得るのも腕の見せ所だろう」

 

俺がそう言って、一旦言葉を区切ると、補佐官は納得したようだが、いささか物足りなそうでもあった。ルパートが補佐官になったのは既に大筋で形勢が確定してからだ。事前に打たれた布石の回収が多かった分、ハードな交渉事を経験する機会が無かった。既に交渉相手の選択肢を潰している以上、我々の思惑通りに動くに決まっている。この歳で補佐官になったのだ。多少は自分の能力に自負を持っても良いだろうが、変に勘違いしないか、気にかかった。

 

「帝国の方ですが、既に糧秣に関しては適正価格で契約いたしました。分散してガイエスブルク要塞に納入を開始しております。手数料を割高に設定しましたが、お坊ちゃま方は相場もご存じではないご様子でした。こちらも予定通り手筈が整いつつあります」

 

「『決起』の為の糧秣だ。さすがに帝国内で調達すれば足がつく。普通なら少しづつ糧秣を増産するなりすればよいものを......。つくづく計画性の無い方々だな。まあ、そのおかげでこちらは利益が出るのだ。ありがたく頂戴しておけばよい」

 

「主砲の換装についても議題に出るかと身がまえておりましたが話題にもなりませんでした。もしやご当主方は知らぬという可能性もあるのでしょうか?」

 

「タイミングが無かったのだろうな。同盟の政治家たち同様、分かっていてもすべき時を掴めなかったのだろう。実際に要塞主砲を換装するなど内密に出来るものではない。それを行えばほぼ叛乱を企てているとされ、その時点で取り潰される。良いタイミングで公爵家が見せしめにされたからな。規模だけはイゼルローン要塞に次ぐものだが、実際は張りぼてだ。対空砲など遠距離ビームで粉砕されるだろうが......。まあ、建設に携わった者のひとりとしては、いささか残念に思う部分もあるが」

 

「あまりにも軍部貴族の思惑通りに進み過ぎているようにも感じます。皇帝陛下の状態も良くないと聞きますし、内戦に向けた動きは加速しつつありますが、最後に踏み切る決心が出来るか?不安が残ります」

 

「それなら問題ない。どこからともなく叛徒と独自に交渉した事実が帝国に広まる事になっている。公爵家ですら潰されたのだ。日頃の言動を見れば、責任者どもを処刑台に送るような事は出来ん。そうなれば一門や寄り子を切り捨てることになる。それに自分たちが蔑ろにされている事にもそろそろ我慢の限界だろう。

アイゼンヘルツ星系からは、既にGOサインが出ている。ベストなタイミングとしては、再度のフェザーン進駐を考慮した対応を同盟が検討しているうちに引き金を引かせることだな。それに我々だけでなく、ワレンコフ氏やボルテックも色々動いている様だ。脚本が良すぎると、演じるほうも楽でよいが、いささか物足りない気もするな」

 

補佐官の手前、弱味は見せたくなかった。既に軍部貴族が主導する帝国が宇宙を統一するのはほぼ既定路線だ。その中で一番おれに高値をつける陣営にいるはずだが、筋書きは既に用意され、演技指導も完璧だ。これでは俺でなくても務まる仕事ではないのか......。

 

「畏まりました。ではご指示通りに事を進めます。追って進捗はご報告に上がりましょう。では」

 

そう言い残して、ルパートは執務室を退室した。圧倒的強者の陣営に属するのも考え物だな。何かと整い過ぎている。本来なら多少は四苦八苦する経験をしなければ、本当の強者にはなりえないものを。むしろ『伯』との交渉の地ならしを任せるべきだったか?だが、そうなれば俺の取り分を奪われる可能性もあった。俺が20代前半だった頃には、上役をどう蹴落とすかあたまの隅で刃を研いでいたのだ。血のつながりをそこまで過信するほど、俺はお人よしでもなかった。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 6月下旬

惑星フェザーン 地上車内

ルパート・ケッセルリンク

 

「いつもの所へ頼む」

 

運転手に言葉少なめに行き先を伝えると、俺はDNA上の父親との会話を振り返っていた。既に宇宙でも一握りの存在からは権威がなく、おそらく数年以内に宇宙から消えるであろう『自治領主』。その地位を投げ渡され、必死に体裁を取り繕いながら、転職先の確保に勤しむ元黒狐の有り様を傍で眺めているのは滑稽だった。さも自分が主人公のような体裁を取っているが、脚本はリューデリッツ伯が書いたものだろう。お膳立ても既にされており、マリオネットに徹する事が出来るなら誰にでも務まる配役だ。

脚本が良すぎると逆にキャスティングに困る事もあるらしいが、優秀だと自負するあの男への配役が『マリオネット』とは皮肉が効いている。ドミニクも言っていたが、要は踏み絵をさせられている状況なのだろう。信用してもらうために、馴れない尻尾振りを必死にしているのかと思うと、溜飲が下がった。ただ、俺と母を捨てて進んだ道の終着点がそれか?という思いもあった。そうこうしているうちに、見慣れた歓楽街の一角で車が止まる。

 

「今日はここまででよい。いつもすまんな」

 

そう言い残して車を降りると、通い馴れた道を通り、指紋認証システムに手をかざして看板の無いドアを開ける。通路を進むと広々としたエントランスがあり、ここが高級クラブであることがやっと明らかになる。

 

「あら、ルパート。今日は遅かったのね。もっとも定休日だから気にする必要もないのだけど」

 

広めに設計されたラウンジの一角から、ドミニクが気だるい感じで声をかけてくる。人によってはこの気だるさが良いらしいが、俺の趣味ではなかった。もっとも父親の愛人だ。そんな対象とはそもそも思えなかった。

 

「マリオネットを必死で演じている所を見ていると滑稽でな。少し長居してしまった」

 

そう言いつつ、自分でアイスペールから氷をロックグラスに入れ、2フィンガー分のウイスキーを注ぎ入れる。ここに通うようになってしばらくは素面を通したが、毎回、横で気だるげに酒を飲まれているうちに自然と付き合うようになった。そういう意味で、ドミニクは酒を飲ませる事については天性のものをもっているらしい。

 

「仕事は楽しくやるに越したことは無いけど、余り楽しみ過ぎるのも考えものよ? 笑われていると勘づかれると厄介だし、喜劇を見るなら最後まで自分が笑えないといけないわ」

 

「確かにな。精々筋書きが上手すぎて、張り合いを感じられない若者を演じておくさ。今更『黒狐』と心中するつもりもないしな。自分で無くてもできる役割だと勘づきながらも、周囲にはそれを悟らせないように必死に演技していたよ。少なくとも引き金が引かれるまでは、本筋から逸脱するような事はなさそうだ」

 

「それは良かったわ。要注意人物の愛人だったなんて経歴に書かれる事になれば、おちおち大人の社交場の経営なんてしていられなくなる所だもの。勝敗を受け入れてしまえばもっと楽になるだろうに。ルビンスキーも案外不器用な所があったようね」

 

そう言いながらドミニクは、お気に入りの『レオ』を楽しんでいる。楽しんでいるのは『レオ』か?『苦渋する黒狐』か?判断に悩むところだった。

 

「そうそうルパート。預かっている物があるわ。受け取るかは貴方の判断だけどね」

 

そう言いながら、手元の端末をこちらに差し出してくる、何かと思ったが、内容は帝国銀行の俺名義の口座の情報だった。

 

「どういうことだ?俺はこんな口座を作った覚えはないんだが」

 

「察しが悪い男性は嫌われるわよ?女性にも『伯』にもね。貴方が言った通り、内戦が起きてから勝手なことをするのでは?とご不安らしいわ。そこで影のお目付け役をお探しだったらしいの。『元愛人』としても身の安全の確保と、一生困らない資金がもらえるなら喜んでお受けするわ。断る理由も無いしね」

 

確かに『伯』との伝手は喉から手が出るほど欲しかったが、それを得ようとすれば『黒狐』が邪魔だった。だが、どうやって......。

 

「宇宙を統一した後、それを発展させていくにはフェザーン人の感性も必要と判断されたそうよ?ワレンコフ氏もだいぶ貴方を評価している様だわ。良かったわね。野心を見せていたらこの話は無かった。輸送船が何隻買えるかしら?若手の独立商人がこの話を聞いたら、さぞかし嫉妬するでしょうね」

 

「なぜ俺に恩を売るマネをする?てっきり黒狐側のお目付け役だと思っていたが......」

 

「そういう選択肢もあったわね。ただ、当の本人が転職活動に必死だもの。部下が良い条件で転職するのも道理ではないかしら?それに投資は早いほどリターンが大きい物よ?自分の身の安全とビジネスの成功を考えれば当然の事ではないかしら?」

 

当たり前の事のように話すドミニクを見て、『したたかさ』と言う物の本当の意味を知ったように思った。

 

「これが裏切りに映って信用されないのではないか?と迷うのは杞憂よ。ただし、最初は何を指示されても心してやり通す事ね。そうすれば試用期間はすぐに卒業できるし、貴方に相応しい役割も用意されるわ。何度も言うけど父親と同じ轍は踏まないようにね。折角の投資が無駄になるのは私も嫌だもの」

 

ドミニクはそう言うと、いつもより嬉し気に『レオ』が入ったグラスを煽った。俺も気を落ち着かせるようにウイスキーを口に含んだが、おそらく見透かされていたのだろう。一瞬、こちらに視線を向けたドミニクの口元には、確かに笑みが浮かんでいた。



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108話:思惑

宇宙歴796年 帝国歴487年 7月上旬

首都星ハイネセン 宇宙艦隊司令本部 会議室

アレクサンドル・ビュコック

 

「国防委員会からの要望は大きくは2つだ。恐らく今年度中に帝国は内戦に突入する見込みだ。その際に何としてもイゼルローン要塞を落とす事。そしてもう一つは『航路情報』が把握されたフェザーン方面の防衛体制の確立。本来なら統合作戦本部が主管する所だが、2度とない機会でもある。諸君の意見も聞いて置きたい。忌憚なく発言して欲しい」

 

今回召集されたのは正規艦隊司令達じゃ。実質首都星から離れない第一艦隊を率いるクブルスリー提督も参加しておる所を見ると、政府もやっと重い腰を上げた様じゃな。だが、その矢先に『フェザーンの航路情報を帝国が接収していた』という情報が政府筋から入った。

本来なら帝国が進駐した時点で想定しておくべき事態じゃが、艦隊戦力の立て直しと、イゼルローン方面の前線拠点としてエルファシルに駐留基地を作ったばかりじゃ。せめて後2年あればフェザーン方面の防衛体制も確立出来たじゃろうが、攻めと守りのどちらにも配慮するのは塩梅がなかなか難しい。

 

「本来なら小官たちも現場の人間として提言しなければならない所でしたが、宣言通り帝国が撤兵した事で、選択肢から除外してしまったようです。我ながら申し訳ない」

 

「ウランフ提督、それは皆も同じだろう。何よりイゼルローン方面の体制構築が急務だった。あの時に現場からフェザーン方面の危機を上申しても、予算を割くのは厳しかったはずだ」

 

何かと内省しがちなウランフの発言をボロディンがフォローする。近くでそういう姿を見ていたからか?ボロディンはどちらというと人事を尽くしても『なるようにしかならない』と考えている節がある。足して2で割ればバランスが良いのじゃが、なかなか気質と言うものはままならないものじゃ。

 

「政府も困ったものですな。あれもこれもと言うだけなら簡単ですが、実際に動くのは我々です。内戦前夜にこのような情報が流れたのも我々が対応に苦慮するのを狙っての事でしょう。素人が好き勝手騒ぐのは勝手ですが、イゼルローン要塞を確保する事が先決では?」

 

続いて強い口調で主張したのはホーランド中将じゃった。確かにイゼルローン要塞を攻略できれば国防体制はがらりと変わるが、もし航路情報の件が事実なら仮にイゼルローン要塞を落とせたとしてもフェザーン方面から帝国軍がなだれ込んでくるじゃろう。『唯一の進路』だからこそのイゼルローンじゃったが、フェザーン方面からも進路が取れるとなれば、今までの定跡は覆るに違いない。

 

「ホーランド提督、仮にイゼルローン要塞を落とせたとしても、帝国軍は3個艦隊程度で要塞をけん制しつつ、残りの艦隊がフェザーン方面から侵攻してくるだろう。我々が使える戦力は7個艦隊。一年後には艦だけならもうひとつ艦隊を用意できるかもしれんが、帝国の正規艦隊は18個艦隊だ。フェザーン方面の防衛体制もすぐに整うものではない以上、議論は必要だろう」

 

良識人のグリーンヒル総参謀長がたしなめる様に発言した。その通りなのだが、フェザーン方面の有人惑星は少ない。だいぶ前の話じゃが、惑星開発法の対象になったガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーが計画通りに開発されておればのう。立法趣旨とは裏腹に開発に失敗した場合、助成金の返還は無用という特約によって、計画的な失敗をし、助成金を懐に入れる事件が相次いだ。開発を促進したい意図があったのじゃろうが、さすがにあれは甘過ぎであったな。立法に関わった議員がリベートを受け取っていた事が明らかになり、何名か辞職したはずじゃ。

 

「フェザーン方面からの侵攻から有人惑星を守るとなると、最大限帝国軍を引き込むとしてもランテマリオ星域が限界でしょう。前線基地となり得る最寄りの惑星はガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーですな。あそこは入植には結局失敗しましたが、その分、軍が自由に使えると思えば宜しいでしょう。予算がつくなら駐留基地を一年の工期で構築、ランテマリオ星域付近での数的劣勢を加味した防衛作戦案の策定も併せて行えれば上々といった所でしょうか?」

 

少し遠慮気味にクブルスリー提督が発言する。第一艦隊は別名『近衛艦隊』などと呼ばれておる。聞こえは良いが、前線に出ないという意味で他の艦隊からは揶揄される事が多かった。特に戦況が劣勢と言う事実が加味されれば、何かとやっかまれる存在じゃ。だが、ここに参加したという事は、第一艦隊も前線に出るという事じゃろう。もっとも首都星でぬくぬくしていた艦隊がどこまで戦力として通用するのか?という問題も併せて生じる訳じゃが。

 

「ヤン提督、貴官の意見も聞いておきたいところだが......」

 

シトレ長官がヤンに発言を促す。能力は儂も買っておるのじゃが、こういった場での自主性に欠ける所は相変わらずなようじゃ。ホーランドと足して2で割れば丁度よさそうじゃが、そこは言っても仕方あるまいて。

 

「はい。色々なことを度外視して考えた場合、イゼルローン要塞に質量攻撃を加え、航路として数年は使えなくすれば、フェザーン方面の防衛に戦力を集中できるのですが......。そうなれば報復として同盟の有人惑星にも同じことをされる危険があります。政府の要望を満たしうる選択肢としては、今までの議論に出た通りでしょう。イゼルローン要塞攻略戦を実施しつつ、ランテマリオ星域近辺での防衛作戦の構築を併行する形しかないでしょうね」

 

確かに要塞があるから攻防戦が必要になる。質量攻撃によって要塞を崩壊させ、その残骸によって恒久的ではないにしろ、航路として使用不能にする。要塞攻略という勝てても被害が大きい戦いをせずに済むし、少なくとも一年はイゼルローン方面を考慮しなくて済むわけじゃが......。予想では軍民含めて300万人がおるともきくし、質量攻撃を行えば、当然、帝国軍の報復を想定せざるを得んだろう。

既定概念にとらわれない目の付け所はさすがじゃが、戦争ではなく虐殺とも取られかねん。帝国軍の報復を抜きにしても政府が許可しないじゃろうな。とはいえ『勝つこと』をシビアに考え抜けばそういう発想が出てくるのやもしれん。優し気な顔をしながらそんなことを考えておったとは。戦術家としての矜持を見た思いがしたが、優し気なヤンがそんなことを考えるほど戦況が悪いのかと思うと、何やら申し訳ない気持ちになった。

 

「儂から言う事は特には無い。意見はある程度出揃ったのではないかな?あとは誰がどちらを担当するか決めればよいじゃろう」

 

本来ならシトレ長官、儂、ウランフ、ボロディンでイゼルローン要塞攻略戦を担いたいところじゃが、さすがにそれは難しい話じゃろう。イゼルローン方面にはシトレ・クブルスリー・儂、そしてホーランドが担当する事となった。前線に出た事の無い第一艦隊の手並みを確認する意味でクブルスリー提督は外せんじゃろうし、『戦いたがり』のホーランドを外せば何かと騒ぐじゃろう。儂はお目付け役といった所か。とはいえシトレ長官の応援団長を自認する以上、多少は意地を見せたい所じゃが......。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 7月上旬

首都星ハイネセン 宇宙艦隊司令本部

ヤン・ウェンリー

 

「ヤン中将、お主はやる気になれば出来る将官なんじゃ。帝国軍をあっと驚かす作戦案を期待しておるぞ。それとユリアン坊が士官学校対策に困るようなら、実技の方なら良い教官を用意できるでな。遠慮なく声をかけてくれて構わんぞ」

 

「ありがとうございます。ビュコック提督。ただ、実技の方は薔薇の騎士連隊の面々が、学科の方は士官学校次席卒業が監修してくれておりまして、卒業席次が中の上の私が口を挿めない状態でして......」

 

「うむ。それは残念じゃ。久しぶりに『ミンツ流の妙技』を楽しみたかったんじゃが、なかなかその機会が無いでな」

 

「遠慮なさらず、官舎の方にもお越しください。ユリアンも奥様のレシピにはかなり感謝しておりました。顔を出して頂ければ喜ぶでしょう。それにもうすぐフライングボールの最終戦があるはずです。提督は難しいかもしれませんが、奥様は観戦できるかもしれませんし......」

 

「それは良い。あれもきっと喜ぶじゃろう。最近、妻孝行が出来ておらんでな。またしばらくは会えんじゃろうが、お主も息災でな」

 

正規艦隊司令が集まった会議が終わってから、『紅茶派』のビュコック提督と近況を交換し合う。ビュコックご夫妻にとってユリアンは孫のような存在だ。家庭人としては欠点の多い私にとって、叔父・叔母役を自認するキャゼルヌ夫妻と同様に、ありがたい存在だった。会議室を後にして、まずは副官たちの控室にグリーンヒル中尉を迎えに行く。その途中で、意外な人物が声をかけてきた。

 

「ヤン中将、少し話せるかな?別に機密を話すわけではないし、立ち話程度の話なのだが」

 

「ワイドボーン少将、久しぶりだね。この先にラウンジがあったはずだ。予定は詰まっていないし、そこでお茶でもどうだい?」

 

珍しい事もある。ワイドボーンは『同期の首席』だったが、私の分析では少し独断の傾向が強い。本来ならラップ大佐が同期の中では将器に富んでいると思っていたが、戦傷が元で、長期療養を余儀なくされた。結果として席次が『中の上』の私が、同期で初めて正規艦隊司令に抜擢されたが、ワイドボーンも候補者のひとりだったはずだ。恨み言でも言われるのだろうか?私の中では士官学校時代に小細工でシミュレーターで勝利した際の憤懣する印象が強いので、何となくだがワイドボーンには苦手意識を感じていた。私は紅茶を、彼はコーヒーを買い、ラウンジの一角へ腰を下ろす。

 

「相変わらず『紅茶派』か。俺は未だに『ブラック派』だが、アイスなら香りはあまりたたんし、見逃してくれ。そんな顔をするな。俺も現場でそれなりに揉まれたんだ。あの時の負けはきちんと飲み込んでいるし、別に恨み言を言うつもりもないぞ?」

 

「すまないねワイドボーン。ただ、私はどうも人付き合いが苦手だし、あの時の剣幕が印象に強くてね。それで急にどうしたんだい?」

 

「うむ。イゼルローン要塞攻略戦には、ホーランド提督が参加されるのはほぼ確定だった。だから色々考える時間もあったしな。ヤンには話しておこうと思った事があるのだ」

 

そこで言葉を区切り、お互い喉を潤す。ユリアンの入れてくれる紅茶とは別物だが、人間とは便利な生き物だ。一流を知っておけば、何となくだが普及品でもそれなりに楽しめるものだ。

 

「俺なりに考えた事がある。別に誇大妄想をしているわけではないが、ヤンか、俺か......。もしくはラップがロボス提督の参謀役に付いていれば、少なくともあそこまで一方的な敗戦にはならなかったのではないかと......」

 

「ワイドボーン、私たちはあくまで命令に従うのが筋だ。そして権限にも制約がある。あまり抱え込まない方が精神衛生には良いんじゃないかな?」

 

「だがな、戦況が劣勢なまま、やっと回復した戦力を失うことになった。何か出来たのではないか?と思うとな。それにホーランド提督は必ず武勲を立てると息巻いておられるのだ。このまま行けばシトレ元帥が統合作戦本部長になるだろう。そして宇宙艦隊司令長官の後任の本命だったロボス提督がいなくなった。ホーランド提督は今、功績をあげれば自分が候補者になる芽があると思っている節がある。似たような話が最近あっただろう?」

 

確かにワイドボーンの言う通りだ。ロボス提督は大敗を喫したが、突き詰めるとシトレ元帥との出世競争に負けた事がきっかけで武勲を焦ったのが、そもそもの転落の始まりだった。確かに会議の場でも自己主張が強い印象があったが、正規艦隊司令という重責を担う人材が、個人の武勲を重視するのだろうか......。それがきっかけで大敗を喫したばかりだというのに。

 

「少し、話が逸れたな。参謀役ではないから確約は出来んが、分艦隊司令として歯止め役にはなるつもりだ。それで本題なのだがな。どちらかと言うと人付き合いが苦手だと自分でも言っていたが、『主張すべき事は主張』してほしいのだ。俺たちの世代で最高位にあるのはお前だ。それだけ伝えておきたかったのだ」

 

「わかったよ。ワイドボーン。なるべくそうするように心がける。全く、本来なら君かラップの役割だと思うのだが、方々からいろんな宿題を出されるばかりだ。いつか宿題を出す側になりたいものだね」

 

「気持ちはわかるが、うかうかしていると宿題を出す相手もいなくなりそうだしな。すまんな、急にこんな話をして」

 

それから少し雑談をして別れた。今なら彼にも将器が備わりつつあるのかもしれない。ただ、上役が無理をすればそのしわ寄せは部下に向かう。ワイドボーンとラップが偉くなってくれれば、私も少しは楽が出来るのだが......。久しぶりの再会だったが、当てにできそうな同期が一人増えた事を、私は素直に喜んでいた。

補給が済めば、艦隊の最終訓練を兼ねてランテマリオ星域へ向かう。戻ってこれるのは半年後だ。ユリアンの入試は終わった頃だろう。今更ながら大事な時に傍にいてやれない。保護者失格のポイントがまた増えたように感じ、私は頭を掻きながら、グリーンヒル中尉がいるであろう控室に足を向けた。



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109話:自立

宇宙歴796年 帝国歴487年 7月中旬

首都星ハイネセン 宇宙港 出発ロビー

ユリアン・ミンツ

 

「ユリアン、大事な時期に家を空ける事になってしまってすまないね。戻る頃には入試も終わってしまっているだろう。入試と言えば人生の節目だ。傍にいてやりたかったんだが......」

 

「提督、ユリアン君の実力なら実技は問題ありません。連隊詰め所の警備隊には伝えてあるから、週に一度は鍛錬するようにな」

 

「ありがとうございます。リューネブルク准将。提督、今回も御留守の間はキャゼルヌ少将の所にお世話になりますし、ご心配には及びません。お戻りの際は良い報告が出来るように頑張ります」

 

僕がそう言うと、ヤン提督は頭を掻きながら

 

「家に来た時から物分かりが良すぎたからね。本来ならもう少し心配させて欲しい所だが、私の方が家事の分野では至らないからなあ。くれぐれも身体には気を付けて。では行ってくるよ」

 

提督はそう言うと、右手を少し上げてから出発ロビーの搭乗口へ進んでいく。声をかけてくれたリューネブルク准将や、アッテンボロー准将もそれに続いて行かれる。士官学校の学科の教師役をしてくれているグリーンヒル中尉も手を振ってくれた。僕も手を振り返す。ヤン提督の養子になって以来、何度も経験した光景だ。だから、この後にやってくる『パーティーに自分だけ置いて行かれた』様な寂しさにも馴れつつあった。

当初、志望していたヤン提督の従卒として軍属になっていれば一緒に行けたのだが、提督は『軍人になるなら士官学校へ進学する事』と許可して下さらなかった。父も軍人だったし、トラバース法の事も考えれば軍人になる以外の進路は無いと考えていた。提督は軍人以外の道も勧めてくれた。

それでも僕が軍人への進路を希望したのは、軍人になりたかった訳ではなく、『提督たちと一緒に居たかった』からだろうか?士官学校の合格ラインは既に満たしているけど、どこか身が入らないのは、提督たちのお役にはまだ立てない事が確定してしまったからなのだろうか?

 

そんな事を考えているうちに、提督たちを乗せたシャトルからタラップが離れ、滑走路へ進み始めた。既に艦隊人員のほとんどは、ハイネセンの軌道上に待機中だ。約半年の予定で訓練を兼ねてランテマリオ星域の調査を行う。詳しくは教えてもらえなかったが、重要な任務らしい。

同級生の間でも帝国との戦争がよく話題に上る。今まではティアマト星域を始め、イゼルローン方面で交戦が重ねられてきたが、ランテマリオ星域はフェザーン方面の星域だ。わざわざ訓練を名目にして派遣するという事は、いよいよフェザーン方面も戦場になるのだろうか?

 

「ユリアン君も来ていたのね。出征の見送りは欠かしたことが無いけれど、この感じは何度経験しても馴れないわね。そうでなくても一度ジャンは負傷しているし......」

 

「エドワーズさん、そうですね、何となくですが『パーティーに一人置いて行かれた』ような気がします。僕の大人の知り合いは、ほとんどの方が提督の艦隊に所属されていますし、家事も自分の為だけですとやりがいもあまりないですしね......」

 

「そうね。私も子供たちが生まれていなければ、買ったもので済ませてしていたでしょうね。朝食も自分だけの為にわざわざ用意するもの手間だし、新婚当時も留守の間はずいぶん楽をしてしまったわ」

 

エドワーズさんは、そう言いながら苦笑している。確かに僕も会話を交わしながら苦笑していた。何となくだが、軍人の妻同士でする会話っぽかったのだ。こういう会話がシルバーブリッジだけでなく、同盟中の軍人の縁故を持つ人たちが交わしていると思うと、戦争が早く終われば良いのにとも思う。エドワーズさんは母として育児に奮闘しながらも、左派としての政治活動を続けている。

軍人の関係者には明言はしないが左派支持者が増えている。ヤン提督も投票先を教えてくれないけど、左派に投票している節がある。実際に戦争をしている軍人が慎重論を唱える左派を支持するのもおかしなように思うけど、提督やキャゼルヌ少将、そしてアッテンボロー准将が『戦争万歳!』と言うのも確かに似合わない。

 

「ユリアン君の紅茶の腕前なら、ヤン以外の方もお喜びになるでしょうね。副官のグリーンヒル中尉には士官学校対策のお礼に紅茶の入れ方を伝授しているとジャンから聞いたわ。私も教えて貰いたい所だけど、左派支持を明言している私が、あまりヤンと親しくすると何か迷惑がかかるかもしれない。そうでなくても個人的な友誼を政治利用と邪推されるのも不本意だからどうしても足が遠のいてしまって。ご無沙汰してしまったわね」

 

「そんな事は......。確かにありそうですね。提督はもともと出不精でしたが、正規艦隊司令になられてからは『三月兎亭』位しかお出かけになりません。過去に不本意な思いをされたとしか教えて頂けませんでしたが......」

 

「『エルファシルの奇跡』の時に、大々的にメディアに取り上げられた事もあって、市民の認知度がシトレ元帥に匹敵する現役将官はヤンぐらいだもの。昔は無理やり笑顔で対応していたけど、何かと気苦労が溜まるとぼやいていたのが懐かしいわね」

 

そんな話をしているうちに、テルヌーゼン行きのシャトルの搭乗時刻が来たらしい。『それじゃあ、ユリアン君。あなたも元気でね』そう言い残して、エドワーズさんは搭乗口に消えていった。別に声を大にして言う必要もない事だけど、折角だからシャトルの出発を見送る事にした。周囲に目を向けると、別れを惜しんでの事だろうか?民間人のようだが、見送りに来ている人たちが目につく。

今回は戦闘は想定されていないとはいえ、僕にも不安な気持ちがある。彼らも同じように無事を祈りながら再会できる事を願っているのだろうか。宇宙港のラウンジの光景から、『人と人のつながり』を感じる事になるとは思わなかった。確かにワープ航法が実用化されたとはいえ、ほとんどの市民は生まれた星系から出る事はないだろう。そういう意味で、知己がはるか彼方へ出発する事に本能的に寂しさを感じるのかもしれない。

 

エドワーズさんの乗ったシャトルの出発を見届けて、僕は宇宙港を後にした。行き先は薔薇の騎士連隊の駐屯地だ。入試前の追い込みの名の下に、この数週間はグリーンヒル中尉からかなりの量の課題を出されて、座学メインの日々だった。少し身体を動かしておきたい気分だ。本当ならフライングボール部に顔を出しても良いのだけれど、士官学校以外の進路も候補に入った時、有名大学から推薦入学のオファーを取り付けてくれたのが監督兼校長だ。その推薦枠は他のチームメイトが活用したらしいが、まだ何となく顔を出しにくい。

足早にラウンジを後にし、自動運転車の乗り合い所へ向かう。今日からキャゼルヌ邸にお世話になる。勉強になるし、オルタンスさんの料理を手伝うのも、良い気分転換になるだろう。提督にお願いした以上、それなりの順位で士官学校に合格しないと。もう半年を切った入試に向けて、気持ちを切り替える様に僕は背伸びをした。乗り合い所は思ったより空いている。これなら実技の訓練を少し長めにしても夕食の手伝いに十分間に合うだろう。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 7月中旬

アイゼンヘルツ星系 駐屯基地

ジークフリード・キルヒアイス

 

「特命担当として着任いたしました。キルヒアイス少将であります。ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

 

「すまんな、キルヒアイス少将。ローエングラム伯の艦隊も色々と大変な時期だろうが、こういう戦争もあるのだと、『将来の王配の側近』は見て置く必要があると判断した。もっとも仕込みはすでに済んでいる。最後の仕上げを見届けたら、すぐに前線総司令部へ戻ってくれればよい」

 

「何か困った事があれば私に相談してほしい。一応、この基地の総司令を拝命している。知らぬ仲ではないのだ、遠慮はせぬようにな。そうでなくても少将は遠慮がちな所がある故な」

 

「は、ありがとうございます。その際は遠慮なく相談させて頂きます」

 

敬礼をし、答礼を待って執務室から退室する。方面軍司令はリューデリッツ伯で基地総司令はベッカー大将だ。幼い頃からなにかと養育して頂いた手前、気安さはあるが父兄参観のような気恥ずかしさもある。本来なら艦隊の参謀長としての任務にあるべき所だが、ローエングラム艦隊の人事案が固まり、訓練先をアイゼンヘルツ星系に指定された。そしてアイゼンヘルツ星系の駐屯基地に着くや否や、私に特命として内戦中に叛乱軍を混乱させる策について、その仕上げを確認する命令が下った。

長くても数週間との事だったが、軍歴を重ねてきて初めてラインハルト様と離れることになる。間違いはないと思うが、頭の隅で気にかけている自分がいた。もっとも、既に轡を並べたミュラー少将とアイゼナッハ准将がついている、間違いは起こらないだろうし、万が一の場合はメルカッツ元帥やロイエンタール男爵もおられる。ディートハルト中将も何かとラインハルト様を気にかけて下さっているし、考えすぎない方が良いだろう。

 

メルカッツ元帥が『宇宙艦隊副司令長官兼、前線総司令部司令長官』に任じられた際、その旗下に配属されたのはラインハルト様、ロイエンタール男爵、そしてルントシュテット家の次期ご当主、ディートハルト様の3名だった。門閥貴族の一部からは『爵位持ち』が下級貴族出身のメルカッツ元帥の旗下に就く事を揶揄する声もあったと聞くが、分かる人間は気づいている。来たる内戦において、変なしがらみが付かないように意図的に対叛乱軍の戦線である前線総司令部に任じられたのだ。実際、今回の人事で抜擢された多くの平民出身の正規艦隊司令は、内戦を意識した駐留基地に配属されている。

 

考え事をしながらであったが、迷う事もなく割り当てられた執務室へたどり着くことが出来た。そこで思い至ったが、この駐留基地の作りは規模の違いはあれど前線総司令部によく似ていた。初めての場所という感覚が薄いので、逆に違和感を感じるほどだ。カストロプ星系改め、ベーネミュンデ星系にまもなく完工する駐留基地も、似たような作りなのだろうか?苛政によって荒廃し切ったあの惑星も、かなり様変わりしていると聞く、いつか足を運んでみたい気持ちもある。もっとも落ち着くまでは難しいだろう。

 

執務室に入り、あつらえられた席に座ると、備え付けられた端末が2件の伝言の存在を告知していた。赴任した事すら一部の将官しか知らないはずだが......。何事かと思いながら再生ボタンを押す。

 

「キルヒアイス少将、待っていたぞ。ビッテンフェルトだ。着任早々で悪いが、相談したいことがある。落ち着いたら早めに俺の司令部に顔を出してくれ。ではな......」

 

1件目のメッセージが終わる。私に相談とは何だろう?

 

「キルヒアイス少将、急な着任ご苦労だな。ファーレンハイトだ。おそらくビッテンフェルトからメッセージが届いていると思うが、奴の司令部に顔を出す際は十分心してくれ。リューデリッツ伯と親しい卿を巻き込んで、出撃の談判をしようとしているのだ。そんなことをしても無駄なのだが無聊に耐えきれないらしい。どうせなら艦隊シミュレーションか白兵戦技の訓練でも付き合ってやってくれれば助かる。ではな。会えるのを楽しみにしている」

 

2件目のメッセージが終わった。なるほどそう言う事か。直近で浮かんだ疑問は解決したが、別の疑問が浮かんだ。ファーレンハイト卿もビッテンフェルト中将も攻勢型の指揮官だ。そして叛乱軍対策でアイゼンヘルツ星系を動けないリューデリッツ伯の艦隊の参謀長はバランス型のメックリンガー中将だったはず。これも何か意図があるのだろうか?

ローエングラム艦隊に帰還した際には色々と報告を求められるはずだ。些細な事も見逃すわけにもいかない。それにしても相変わらずファーレンハイト卿はお目付け役も兼ねておられるようだ。あの手合わせ以来、なにかと親しく声をかけて下さるお二人の関係が変わっていないことに、私は思わず苦笑してしまった。さすがにこれは報告しなくても良いだろう。



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110話:苦慮

宇宙歴796年 帝国歴487年 7月下旬

首都星オーディン ブラウンシュヴァイク邸

オットー・フォン・ブラウンシュバイク

 

執務室の窓から、先ほど会談を終えたリッテンハイム候が乗る、一際豪奢な地上車が門を出ていくのが目に入る。舅にあたる皇帝陛下のご容体はいよいよいかぬようだ。本来なら秘匿されるべき帝国の最高権力者の病状が、まことしやかに漏れ聞こえてくる。少しでも先が見える人間なら、我らの決起を煽る為だと分かりそうなものだが、『決起』の時期を間違わずに済む。これぞ天祐ぞ!ルドルフ大帝も我らを応援して下さっている。などと公言する輩もおる。

陛下は確かに我ら門閥貴族を厚遇はしなかったが、冷遇もしなかった。降嫁をお許し頂いた際には、故ルードヴィヒ皇太子をお支えし、帝国の重責をいずれ担うつもりでおった。あの頃の儂にこんな未来が待っていたとは。『舅』の死をきっかけとして『決起』する事になるとは想像もしていなかった。

 

「コンコン」

 

ノックと共に、腹心のひとりであるアンスバッハが執務室へ入室してくる。いささか疲れた表情をしているのも無理はない。アンスバッハを始め、今は領地で内戦に向けた最終調整をしているシュトライトも、どこからともなく漏れ始めた『叛徒と門閥貴族の連合』の噂の火消しにあたっているフェルナーも、今回の決起には反対しておった。今日のリッテンハイム候との話し合いで、門閥貴族4000家を結集して『決起』する事への最終的な是非が決まった。儂自身、門閥貴族の領袖であるブラウンシュバイク公爵家の当主でなければ、身を引いて領地に隠棲したいところだ。

 

「公、浮かぬご様子ですな。もっともリッテンハイム候も同じような表情をされておられました。念のためですが、本当に宜しいのですか?勝てる見込みはほぼございませんが......」

 

「アンスバッハ、もう決めた事だ。我らが立たねば、暗殺でもしてエリザベートなりサビーネなりを名前だけの旗頭にするだけであろう。そうなれば、残せる血も遺せなくなる。降嫁したとはいえ『皇族』に連なるのは事実。表舞台に立たなければ、皇女である妻達ともども、生きていく面倒位は見てもらえよう」

 

儂はそう言いつつ、執務室の一角に備え付けられたソファーに腰を下ろし、サイドテーブルから『レオ』を取り出し、グラスに注ぐ。サイドテーブルを冷蔵機能を備えたものに変えたのはいつの事だったか?碌な酒を作れぬ者ほど、『レオ』などより当家のワインを!などと売り込んできたが、何のことは無い。手間もかけずに『レオ』の商法の二番煎じをしようとしただけだ。

いつから見掛けばかりに意識を向け、本質を蔑ろにする風潮が生まれたのであろうか?影響力を持つ者が愛飲したとしても、美味でなければ支持されない。そういう地味な研鑽をしなくなったからこそ、門閥貴族は帝国のお荷物となりつつある。そして、まもなく『処分場』へ送られるだろう。

 

「暗殺されかけたとなれば、それを逆手にとって領袖から退くことも......。いえ、失礼しました。今更それをした所で、あちらの陣営に組するのは困難ですな。思慮が足りませんでした。お忘れください」

 

「良いのだ。むしろお主たちには済まぬ事をした。儂と縁がなければ『実力主義』となりつつある軍部で栄達できたであろう。裏の事情まで含めれば、思い切った策を取るわけにもゆかぬ。ただでさえ味方は当てにならぬのに、手足を縛られてはな......」

 

『レオ』で口を潤す。年代物のワインに負けない芳醇な香りが広がり、数舜してそれが夢だったかのようにすっきりと消えてゆく。『いつか軍部貴族を飲み干すのだ』という名目で愛飲して来たが、初めて飲んで以来、虜になった。そして年々味が良くなっていくのを驚いてもいた。評価されてもそれに驕らず、研鑽し続ける。本来なら血統を誇る前に、由緒ある血統に恥じぬ研鑽をすべきだったのだ。

 

「我ながら養育には失敗したな。血統に相応しい研鑽をさせるべきであった。儂には息子がおらんからな。その分、甥たちには目をかけたつもりだが、いささか甘かったようだ。物心ついた頃から戦況が優勢なのも良くなかったな。叛乱軍など簡単に蹴散らせる。それを軍部貴族が独占していると考えてしまったようだ。士官学校から排除されたのも良くなかった。本来なら反省の機会だったが、研鑽しない者たちで固まれば、当然、研鑽の風潮など生まれるはずもない......」

 

「御二人の事は気にかけてはおりましたが、主家の養育に口を挿むわけにもゆかず上申するきっかけをつかめませんでした。至らず申し訳ございません」

 

「致し方あるまい。儂も皇室の養育方針に口を出す事など出来ぬ。そういう意味でも最後に一矢報いる最後の機会なのやもしれんな。精強になるばかりの軍部貴族は領地経営も順調だ。大領を有するとは言え、厳密には統治権を皇室から貸与されておるにすぎぬ。耐えて時を待っても、少しづつ力を削がれるだけであろう。それに『血判状』などと、どこぞの物語でもあるまいに。あんなものがなければ、まだ切り捨てる事も出来た。次代の子弟のほとんどが署名などしていては、切り捨てる訳にもゆくまいて」

 

心配気にこちらを見るアンスバッハを横目に、空になったグラスに『レオ』を継ぎ足す。今回の『決起』には不本意な事が多すぎる。せめて酒位は好きに飲みたいところだが。

 

「御二人もご自身では励んでいる御つもりなのでしょうが、本来『決起』は秘中の秘としなければなりませぬ。ああも大人数の知る所となれば、機密を守るのも難しいでしょうが......」

 

「あやつらに秘密を守れる訳がなかろう。既に軍部は気づいておるはずだ。黙ってみておるのは少しでも多くの門閥貴族を決起させる為であろう?既に公爵家でも潰すという前例があるのだ。『衰弱死』するか、『一か八かに賭けるか』選ばせるといった所だろう」

 

「確かに、怖いほど静かですな。要塞主砲の件は最後までタイミングを進言できませんでした。糧秣の件も、私が付いていながら申し訳ございませぬ」

 

「その件ならもう良いのだ。同席していたシューマッハが進言したそうじゃが、聞く耳を持たなかったと聞いておる。それにあまりにも誇らし気なのでな、毒気に当てられたのか怒る気がうせてしまった。結局、儂は最後まで厳しくは出来なんだ。

そういう意味では軍部貴族はさすがよな。場合によっては自分だけでなく周囲も巻き込んで戦死する環境を想定しているのだから当然だろうが。結果として甘い養育をしたツケで、周囲を死に追いやる人材にしてしまった。今更ながら悔いが残るな」

 

「お二人ももう良い大人です。公がすべてに責任をお感じになられる必要はないでしょう。周囲の方々も、ご自身で決断されたはずです」

 

「そうよな。精々、門閥貴族の意地を見せる戦いにしたい所だな。それと事が済んだ後の事だ。勝てればよいが、万が一の際は儂は責任を取らねばなるまい。それは構わぬが、『妻と娘』を遺すのはさすがに心配だ。その後の事も見届ける意味で、アンスバッハには後の事を頼みたいのだが......」

 

「公、それはご相談に預かっている3名で相談いたしました。その役目はフェルナーにやらせようと存じます。もともと要領がよい男ですし胆力もあります。本人はいささか策士気取りな部分がありますが、戦後の事を任せれば暴走する事も無いでしょう。それに、門閥貴族の領袖たるブラウンシュバイク公爵家のご当主を一人で逝かせたとあっては、それこそ『能臣どころか忠臣もいなかった』と言われかねません。私は、最後までお供させて頂きます」

 

「そうか、重ね重ね色々とすまんな。アンスバッハ......」

 

おそらくリッテンハイム候も同じようなことを考えておるはずだ。門閥貴族としての『名誉』と『娘』。両方守るためにはこうするしかない。今更ながらエリザベートにどう説明したものか。事が始まれば落ち着いて考える暇は無いだろう。不本意な宿題ばかりが目に付く。儂は空になったグラスに、アンスバッハに配慮して普段より少なめに『レオ』を継ぎ足した。今日決めるべきことは全て決めた。後は一眠りして、気を落ち着けてから考えたほうが良いだろう。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 7月下旬

首都星オーディン リヒテンラーデ邸

クラウス・フォン・リヒテンラーデ

 

「候、政府系でも一部の者が『血判状』に署名しているとの話もございます。蟄居中だったフォルゲン伯が旗振り役をされておられるとか。このままでは政府系は2分される事となりましょう。軍部系に分があると私は考えております。最終的な決定をする前に候の真意を伺いたく存じますが......」

 

「お主も分析は確かに正しかろうな。実績も勢いも、軍部系が勝っておろう。だからこそ思案しなければならんのじゃ。帝国内で皇帝陛下が即位して以来、バランスを保つためにそれぞれの領分を侵さない不文律があった。ただ、実績を上げたと胸を張って言えるのは軍部系だけじゃろう?次の皇帝陛下が4人の候補の内、誰になるのかは未定じゃ。

 

だが、軍部系が主導する帝国に、政府系の居場所はあるのじゃろうか?精々、ルーゲ伯爵家とマリーンドルフ伯爵家が登用される位じゃろう。自分たちが戦線を支えておる間に、汚職に麻薬、挙句の果てに欲に任せて喧嘩を売る始末じゃ。彼らがどんな目で我らを見ていると思う?まあ、其方は任用される可能性はあるであろうが......」

 

「おっしゃることは理解できます。私も財務尚書をお任せいただきましたが、軍務尚書を筆頭に、軍部系には頭が上がりませぬ。なればこそ、少しでも役に立つと思わせるべきと考えておりました。そうでなくとも政府系が一枚岩ではないと明らかになってしまいました。全力を挙げて協力する事が、政府系の居場所を確保する事にもつながりましょう」

 

いつもは儂の指示に従うだけのゲルラッハが必死に食い下がる。確かにその選択肢もあった。だが、カストロプの負債が今になって怨念のように政府系の足を引っ張っている。元々、地球教がらみの麻薬事件で次代が処罰されたことも大きいが、残った若手からすれば、本来カストロプを制御すべきだった儂は、政府系の信用を失墜させた元凶のように思われている。一枚岩にまとめる求心力は無かった。

その一方で軍部系をどのように見ていたか?もともと軍部系が主導した健康診断と言う名目の薬物検査が発端で、次代の当主が失脚する事となった。その上、自分たちが冷や飯を食べている間、彼らは戦況も優勢に進め、勢いを増した。感情的にも実績面でも軍部系に一泡吹かせたい気持ちもあろう。自分たちが代々守ってきた居場所を奪われかねないと判断しているのだ。

 

「それが出来るなら、そうしておる。結局カストロプを政府系が主導して処分できなかったことが尾を引いたな。汚職の件といい、つくづくあの男に祟られる。故人となってまで災いを振りまくとは、過去の自分の判断の甘さが悔やんでも悔やみきれぬ」

 

「候にお引き立て頂かなければ、私はせいぜい局長止まりだったでしょう。御恩を考えれば今回のご判断にも最後までお供すべきでしょうが、私にも子爵家当主としての責任がございます。私個人の感情でゲルラッハ子爵家を危険には晒せませぬ。今回ばかりはゲルラッハ子爵家の生き残れる道を選ばせて頂きとうございます。どうかお許しください」

 

ゲルラッハは跪いて許しを請うように軍部系に味方する事への許可を求めてきた。いつもはどこか自信なさげな雰囲気があるが、今は決意を固めた印象がある。この胆力をもっと早く発揮できていれば、また違った選択肢もあったやもしれぬ。

 

「儂に許しを請う必要などない。自家を次の時代につなげる事こそ貴族にとって一番大事なことじゃ。今回ばかりは分の悪い話だと理解しておる。良いようにいたせ」

 

「はっ。今までのご温情、このゲルラッハ決して忘れませぬ」

 

「良いのだ。どちらにしても公式には儂は中立を保つ。多少の調査は受けるやもしれぬが、皇室唯一の男子は、元をたどればリヒテンラーデ侯爵家の遠縁にあたる。しばらく要職に付けぬことにはなるやもしれぬが、厳しい処罰を受ける事もあるまい。『箔』を付ける意味でメイド役を申しつけたのに、皇太子殿下と懇ろになるなどと戯けた事をされた。あの折はどうしてくれようかとも思ったが、どこで何が活きるか分からぬものよ。こちらの心配は無用じゃ。ゲルラッハ、今まで尽くしてくれた事、礼を言うぞ」

 

ゲルラッハはもう一度あたまを下げてから応接室から辞去していった。政府系の筆頭である儂は、どちらに付いても一定の譲歩をせざるを得ん。そういう意味では門閥貴族に付けば浮かび上がるチャンスではあるフォルゲン伯らは、身の処し方に悩むことは無かっただろう。ふと窓の外に目を向けると、門の所で車を止めたゲルラッハが、もう一度あたまを下げていた。本来なら儂に許可など求めず自家を活かすことを考えれば良いものを、まだまだ甘い。

だが実務に関しては実力がある男だ。こういう恩義に厚い所が伝われば、軍部系の時代が来ても、それなりに重用されるやもしれぬな。そういえば、儂もなにかとあやつを重用した。特段目立つ訳ではなかったが、実務面は安心して任せる事が出来た。他にも実務だけを基準にすれば候補者はいただろう。

今更気づいたが、儂はゲルラッハを『信用』していたのだ。来たるべき『内戦』を前に、信用できる部下とたもとを分かつ事になった。この判断を後悔するような日が来ないことを祈ったが、何度考えても軍部系が勝利する予測しか思い浮かばなかった。



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111話:影

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月上旬

ガンダルヴァ星域 惑星ウルヴァシー静止軌道

ヤン・ウェンリー

 

「政府のお偉いさんも不安に思うのは分かりますが、ここに来てヒステリックに対応されてもなあ。トリューニヒト委員長は『政治の横槍は防ぐ』と明言したはずですが、後任のネグロポンティ委員長はどうも腰が定まりませんね」

 

「そう言うな、アッテンボロー准将。総選挙が終わり、中道右派が過半数を取ったのは良いが、左派も躍進した。そんな政局で最高評議会議長の後任になるなど、少し考えれば貧乏くじだと分かりそうなものだ。それが分からない『低能』か、上役の指示を流すだけの『マリオネット』なのだろう。そうでなくとも素人が裏も取らずに情報を流し、それを聞いた素人が怯えているのだ。ここは本職として、温かく聞き流してやれば良いではないか」

 

「リューネブルク准将も大分『辛口な論評』をされますね。小官なら『伝書鳩』位にしておきますが......」

 

「それもあんまりだろう。俺は一応人間扱いしておるぞ。噂通りの毒舌だな。何かと会議が楽しくなりそうだ」

 

「ゴホン。個人の見解の交換はこの辺にしましょう......。提督、国防委員会の指示がある以上、ウランフ艦隊が到着するまで我々はこの宙域に待機する必要があります。惑星ウルヴァシーに仮設基地を作る作業自体は、数週間で済みますし、恒久的な基地にする為の工兵部隊もこちらに向かっておりますから、一先ずここで訓練という事になりそうですが......」

 

既に恒例になりつつあるリューネブルク准将とアッテンボローの軽口から、ムライ少将がそれを制するまでの流れが終了した。言論の自由は確かにあるが、艦隊司令部の将官が国防委員長を悪しざまに言うのはさすがに制したほうが良いだろうか?そういう意味では、言論の自由は思考の自由より制限される物なのかもしれない。

だが、思った事を全て発言出来ないとなると、言論の自由と言論統制の間の線引きは、どこで判断すべきだろうか?そんな事を考えながら、副官のグリーンヒル中尉に視線を向ける。

 

「ウランフ艦隊の到着予定は約2週間後です。計画通りなら恒久基地化の実地調査は済むでしょうが、一部の部隊は居残る必要が出そうですわ」

 

「言っても詮無い事ですが、どうせなら一緒に命じて頂ければ、効率が良かったですな。もっともお偉いさんにはお偉いさんの事情があるのでしょう。ガンダルヴァ星域で訓練をするとなると、基地の防衛を想定した迎撃戦と言った所でしょうが......」

 

「パトリチェフ准将の意見も一理ありますが、本来はランテマリオ星域近郊での迎撃戦の作戦立案が命令だったはずです。2週間のロスをどうするか?も考え物ですが......」

 

中尉の状況報告を受けて、パトリチェフ准将がやれやれと言った印象で建設的な発言をし、ムライ少将が一般論を述べる。別に意図した訳ではないが、うちの司令部はどちらかと言うと、左派の論客のような主張をする人材が多い。かく言う私もジェシカの影響で隠れ左派だ。

さすがに現役の正規艦隊司令が左派支持を公言するのもどうかと思うが、そういう風潮が強いる発言する自由の制限は、言論統制につながるものなのだろうか?とは言え、いつまでも司会進行役のムライ少将に会議の進行を押し付ける訳にもいかないだろう。

 

「フィッシャー少将、航路データを基にして、マル・アデッタ星域での持久戦のシミュレーターは可能かな?最低でも3個艦隊を相手にするものが出来れば満点なんだが......」

 

「事前にご指示頂きましたので、概略は把握しております。隕石群と宇宙潮流を仮定する事は一両日も戴ければ準備できるでしょう。より詳細なものとなると、現地に赴くしかありませんが......」

 

「それで十分です。では、余裕をもって3日後からマル・アデッタ星域での持久戦を想定した訓練に入ろうと思う。それまではアッテンボロー、お前さんが主体となって、敵を引きつけつつ退却する訓練をしてくれ。どちらにしても撤退戦や持久戦に必要な動きだからね」

 

「了解しました。早速準備します。それにしても『お偉方』の心配は杞憂なんでしょうか?航路情報の件といい、フェザーン方面の情報ばかりがやけに漏れ聞こえています。本来なら異常な事態ですが......」

 

「お偉方の気持ちも少しは分かりますな。確かにリューデリッツ伯がアイゼンヘルツ星系に着任し、旗下には攻勢が得意な新任の艦隊司令。人事まで漏れ聞こえるには、いささか早すぎる様にも感じますが......」

 

「あからさまに耳目をフェザーン方面に引きつけておりますな。イゼルローン方面に集中させないための策とも取れますし、そう見せて、油断した頃合いで再度電撃的に進駐するとも考えられます。無視するのは難しいでしょう」

 

ムライ少将がまとめてくれたが、その通りだろう。おそらく今回はあくまで耳目を引きつける策だと私も考えている。だがここに来てフェザーン進駐という寝耳に水の事態が、実際に起きた事を皆が思い出した。前回見逃したからこそ、同じ轍は踏みたくないと多くの人間が考える。そこまで読めればブラフだと判断できるだろうが、過去の失敗まで考慮すると無視はできないだろう。ましてや、政権交代が行われたばかりだ。新政権の最初の失点の責任者には誰もなりたがらないだろう。

 

「フェザーンの高等弁務官から直接政府に情報が流れているのも気にかかりますわ。本来なら、首席武官のヴィオラ大佐が統合作戦本部に報告し、情報部が精査したうえで国防委員会に上がるのが正式な手続きのはずです」

 

「大佐も上役に恵まれませんでしたな。情報部出身で、それなりに功績を上げられていたはずだ。諜報活動は噂話を集めるのとは異なりますし、情報の精査・裏取りは専門的な技能です。その専門家を飛ばして情報が聞こえてくるあたり、作為的な物を感じますな」

 

「そもそも今のフェザーン高等弁務官って、無能過ぎて本来、親父さんが興した会社を継ぐはずが、経営陣に厄介払いされて赴任したはずです。そんな人物がこんなに情報を入手出来ている時点で、おかしな話ですよ」

 

中尉の頭にはフェザーン高等弁務官の組織図も入っている様だ。そして同じ専門家として同情を禁じ得ないのか、リューネブルク准将がため息をつき、アッテンボローがこの状況の不自然さを改めて口にした。私の見解とも一致する。とはいえ命令には従わなければならない。となればやる事は明確だ。

 

「私の見解も似たようなものだが、命令には従わなくてはならない。どちらにしてもウランフ艦隊の到着までは訓練に集中しよう。政府の判断の通り、実際に3個艦隊が攻め寄せて来れば、我々だけでは時間稼ぎもままならない。合流後にランテマリオ星域へ向かうのでそのつもりで」

 

少し冷めてしまったが、中尉の入れてくれた紅茶を飲み干して会議を締める。ユリアンから『ミンツ流』を教わってくれたらしく、この航海では美味しい紅茶が飲めている。もっとも香りの立ち方が少し異なるのだが、それを言うのも配慮に欠けるだろう。会議に参加した面々がそれぞれの役目に戻っていく。

 

「閣下、如何なさいました?」

 

「いや、中尉、何でもないんだ。美味しい紅茶をありがとう」

 

そう言って誤魔化したが、おそらくアッテンボローあたりは気づいているだろう。既にイゼルローン要塞攻略戦に向けて4個艦隊は詰めに入っている。何とか成功して欲しいと思うが、帝国軍が待ちに徹したら攻略は難しいだろう。そして同盟軍は本来後詰に使えた2個艦隊をひとつ動かしてしまった。最後の最後でハイネセンを空にするのは難しい判断だ。

つまりイゼルローン方面の後詰は出来なくなった。使うかどうかは別にして、予備戦力の有無は、シトレ校長を始め、艦隊司令達の心境に影響するだろう。忘れがちな事実だが、帝国が待ちかまえていれば、後背のアムリッツァ星域に武装モジュールだけを大量に用意しているはずだ。同盟の最寄の基地はエルファシル。距離でも効率でも、再戦力化の面では勝負にならないだろう。

 

もう一つ気になるのは、誰がイゼルローン方面に割り当てられたか?だ。第三次ティアマト会戦のデータは私も何度も見直した。特に注意が必要なのは、包囲網の脱出路で巧みに出血を強いた分艦隊司令の2名と、左翼から一気に展開して包囲網を完成させた分艦隊司令と、その進撃に絶妙に連動した次鋒の分艦隊司令だろう。その4名は少なくともフェザーン方面にはいない事が確定している。今更だが、私もイゼルローン要塞攻略戦に参加すべきだっただろうか?ただ、戦力に数えるにはさすがに訓練期間が短すぎた。上申したとしても他の艦隊が優先されただろうし、部下からすれば自分たちの指揮官が『功を焦る』ように見えただろう。

 

「閣下、お疲れなら本日は私室でお休みになられますか?ユリアンからも最近あまり眠れていないと聞いてますし」

 

「いや、少し考え事をしていただけなんだ。心配をかけてすまないね。中尉。私たちも司令室に戻るとしようか......」

 

ベレー帽を被りなおして、私も席を立つ。本来ならブランデーを入れたいところだが、ユリアンは『応用編』は伝授していない様だ。それに艦隊として功績も立てていないのに、会議の場でアルコールを入れるのはさすがに不謹慎だろう。私の耳に、中尉があとに続く足音が聞こえた。



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112話:狼煙

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月中旬

首都星オーディン オーベルシュタイン邸

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

「貴方?今日のソースの出来はどうかしら?ハーブの組み合わせを少し変えてみたのだけれど......」

 

「フリーデ。今日の出来も非常に良いと思う......。済まないな。いつも似たような感想で。私はどうもこういう事をうまく表現するのが苦手でな」

 

「良いのです。別に評論家のような美辞麗句を求めているわけでは無いのですから。それに食べているお顔を見れば、満足いただけているかは分かります。念のため説明してるだけなのですから......」

 

そう言うと妻は嬉しそうに笑う。結婚して4年。どちらかと言うと私は表情に乏しいと思うし、感情を伝えるのも苦手な部類だが、なぜわかるのか?何かと察してくれるし、余人には出来ない事だから尚更うれしいらしい。情報部の同僚を招いたことは無いが、オーベルシュタイン家は意外にも賑やかな家庭を築いている。望外の喜びにも恵まれた。結婚した以上、自然とそういうことになったが、私は自分の目の事が心配だった。だが宿った命は無事に生まれたし、診察の結果、先天的な障害も無いとのことだった。

 

自分ではままならない事ではあったが、人生で一番ほっとした経験だったと思う。情報部の任務に昼夜は無いが、帰宅した際に寝顔を見るのは、癒されるひと時でもある。『伯』に倣って、子犬も飼い始めた。名前も『伯』に一応お伺いを立てて『ロンメル』とした。初代ロンメルも何かと役目を意識して、周囲の幼い者たちを守ろうとしていた。同じように私たちの宝物を守ってくれればと思っている。

 

「家の事も育児も任せきりになってしまい、すまないと思っている。もう少し余裕が出来ればよいのだが......」

 

「そのような事に気を使う必要はありませんわ。家を守り、子を育てるのは男爵夫人としての私の役目です。貴方は貴方のお役目をしっかり務めて下さい。そうでなくても緊張が高まっているのですから......」

 

オーベルシュタイン家はリューデリッツ伯爵家の寄り子のような物だ。そうでなくてもフリーデは軍部系貴族の旗頭になるであろうディートリンデ皇女殿下の料理の講師役でもあった。情報部の分室を預かる以上、知りえた事は洩らせないが、何かと情報が入るのだろう。事情を知っているからこそ不安なそぶりを見せないし、私に何かを確認する事も無い。聞かれても話せない事が多い関係上、助かる部分もあったが、昔はもっと私に頼ってくれたようにも思う。それを思うと、男爵夫人として母親として成長したのだと思いつつも、どこか寂しく思う自分がいた。

 

久しぶりにゆっくりとした晩餐の時間を過ごしていたが、電子音がその時間の終わりを告げた。情報部の人間しか持つことを許されない秘匿回線を使用した端末が着信を告げる。思わずフリーデに視線を戻すが、既に察していたようだ。

 

「着替えは数日分、いつものカバンに用意してありますわ。出かける前に寝顔だけでも見てやってくださいませ。私は少し席を外しましょう」

 

そう言いつつ、食卓を離れるフリーデを横目に、通話ボタンを押す。当直の士官が、緊張した面持ちで敬礼していた。

 

「オーベルシュタイン中将、このようなお時間に失礼いたします。『日の入り』の時間となりましたので、こちらへお戻り頂けますようお願いいたします」

 

「当直ご苦労。30分以内に戻れるだろう。詳細はそちらで」

 

答礼を返し、通話を終える。『日の入り』は陛下が身罷られた際の隠語だ。陛下の治世は30年を越える。帝国内のバランスを保つために主導で何かをなされる方ではなかったが、少なくとも帝国の秩序を守るべく『陰』で様々な手を打たれた方だ。そして何より劣悪遺伝子排除法を廃法にして下さった。人によっては『バランスを気にして長期の治世で何も主導しなかった』などと浅い批評をする人物もいるやもしれぬ。だが、先天的に目が不自由だった私にとって、劣悪遺伝子排除法を廃法にして下された陛下は救世主だ。

 

「貴方、しばらくは不眠不休でしょう。当直の方々を労って下さいませ」

 

通話が終わったのを見計らったのだろう。フリーデが大きめのバスケットを持って戻ってくる。彼女はレシピ本を出版するほどの料理の腕前を備えている。部下たちに差し入れは好評だが、よくよく考えると火急の折はいつも差し入れが用意されている。下手をしたら情報部の佐官クラスなどより余程事情通なのかもしれない。だがこういう事は聞かぬが華だ。礼を言って口づけをし、嫡男の寝顔を少し見た頃に、窓から車のランプが見える。どうやら情報部の迎えが来たようだ。

 

「ではフリーデ、行ってくる。今更の事だが落ち着くまでは身辺には気を付けてくれ。義父上に近い方々には、シェーンコップ男爵率いる近衛第2師団が警備に付いている。間違いはないと思うが念の為な」

 

「承知しております。家の事はお任せくださいませ。変な言質も与えぬようにいたします。貴方こそ、『ザイトリッツの懐刀』などと呼ばれているのです。十分にお気を付けください」

 

気丈に振る舞うフリーデを安心させるために軽く抱きしめてからもう一度口づけをする。一呼吸おいてから、バスケットと着替えの入ったカバンを持ち、地上車に乗り込む。軍務省の庁舎まで15分もかからないだろう。それにしても御いたわしい。門閥貴族の問題がなければ、ディートリンデ皇女殿下の花嫁姿を見た上で旅立つことが出来たであろうに。

慰めになるかはわからぬが、ベーネミュンデ侯爵夫人が仮縫いまで済ませた花嫁衣裳の試着の場に陛下も同席されるよう手配したと聞く。

私の救世主が少しでも安らかな眠りを迎えられるように、私は窓の外の街灯の光が流れるのを見ながら祈った。私なりに御恩を返せたとは思っていない。この御恩は、いずれ即位されるであろう『ディートリンデ陛下』に、しっかりお返しせねばなるまい。

 

思えば、自分が思い描いていた人生からは遠く離れてしまったが、望外の喜びにあふれた人生を歩んでいる。当初はRC社で投資案件に少しでも関われればと考えていたが、その分野はシルヴァーベルヒが頭角を現しているし、補佐役のグルックも一角の人物だ。私は『伯』とRC社のもうひとつの眼としてお支えした方が良いだろう。その第一歩に相応しいのは、陰でふざけた動きをしているリヒテンラーデら『政府系貴族』のけじめをきっちりつける事だろう。既に憲兵副総監のケスラー中将とも打ち合わせは済んでいる。

 

今までは見て見ぬふりをしていただけであって、見えていない訳ではない。軍部系貴族が主導する新しい帝国で、従来の処世術が通用しないことをしっかり味わってもらおう。陛下が即位に至った経緯について、故グリンメルスハウゼン子爵は涙を流されたと聞く。あの方にもかなり良くして頂いた。そのケジメを取るのは、御恩を受けた私とケスラー中将の役目でもあるだろう。そうこうしているうちに見慣れた軍務省の庁舎が見えてくる。私の内戦は既に始まっていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月中旬

フェザーン星系 ドミニクのクラブ

ドミニク・サン・ピエール

 

「さすがに内装にも手をかけておりますな。酒だけなら費用を度外視すれば良いものを飲ませる店はありますが、雰囲気も含めるとこちらの右に出る場所を私は知りませんな」

 

「あら、ボルテック様はご無沙汰されているうちにお世辞もお上手になられたようですわね。ただ、どうせならキャストがいる場も観て頂きたかったですわ。一番力を入れているのはそちらですから」

 

「それは残念です。私は避けられるリスクは避けるタイプですから。ルビンスキー氏とその補佐官が出入りする場では、心から楽しむ事も難しいでしょうしね。お互い大事な時期です。線引きはした方がよろしいでしょう」

 

「そうですわね。こちらは酔うのも仕事の内ですが、ボルテック様はそうも行かないでしょう」

 

そう言いつつ、薄目に作った水割を自然に手元に差し出す。別に酔わせるつもりはないが、『大事』を話し合う時は喉が渇くものだ。あくまで喉の渇きを潤す範囲ですっきりと飲めるように仕上げてある。私はいつも通り、『あの方』の代名詞でもある『レオ』を楽しむ。

 

いつも思う事だが不思議なものだ。『レオ』を飲んでいると『あの方』の傍にいるような気がして、いくら飲んでも本当に酔うことは無い。確かにあれが初恋だったかもしれないが、今更、生娘のような純情な部分が私に残っているのかと思うと、それはそれで嬉しかった。

 

「丁度良い塩梅ですな。お気遣いありがとうございます。先にお詫びではないのですが、私はそちらに全容を伝えるのは反対いたしました。しかしながらドミニク殿がこれを知っていれば、うまくフェザーン商人たちに恩を売りながら、効果を更に高められるだろう......と。

今後も共に仕事をする仲なのだから、余計なしこりを残さぬ意味で、謝罪と全容を私から伝える様に、『あの方』からご指示頂きました。個人的に含むところがあるわけでは無いが、内容を見てもらえれば私がこの内容を知っている人間を増やしたくなかった事を分かってもらえると思う。申し訳なかった。許して頂きたい」

 

「それはお互い様ですわ。私も全容を全てそちらに伝える様に指示を受ければ、やはり二の足を踏みますから。それにしても『あの方』は女性の扱いが相変わらずお上手だわ。『もっと輝ける』と言われれば、励むしかありませんから」

 

自分ではまだ小娘だったなどと言っているが、その小娘の折に一度会っただけで帝国の重鎮に覚えて頂けていた事は、私の誇りでもある。『あの方』がもっと輝けるというなら、信じて羽ばたくだけだ。

 

「こちらが詳細になります。電子化したものはこちらのチップに入れてあります。ご指示では『同盟軍のイゼルローン要塞攻撃部隊がエルファシルを進発して以降の木曜日から開始せよ』とのことでした」

 

「『あの方』は本当に市場経済にも精通されているのね。それに民主制にも。木曜日というあたりが絶妙だし、エルファシルを進発してからと言うのも徹底しているわ」

 

端末の資料を読み進めて行くと、とんでもない数字が羅列されている。『帝国でも屈指の富豪』なんて表現では足りないだろう。フェザーンの首都圏全てを買っても、おつりが出るに違いない。

 

「意図的に金融危機を起こす為に、株を全面的に売り浴びせる。それで得たディナールを一気にフェザーンマルクへ換金。頃合いを見計らって暴落したディナールに再度換金して、暴落した株を買う。しかも戦後を見据えて終戦となれば斜陽産業になる所から先端技術をもった企業へ投資先を差し替える。『あの方』の指示でなければ世迷言にしか思わないわね」

 

「産業機械の分野では同盟の方が進んでいる。資本を使ってそれらを一気に吸収してしまわれるおつもりだろう。戦後を考えれば、軍需関連業界から資金を引き揚げられるのもかなりの旨味がある。少なくとも同盟の軍需産業は数年以内に廃業でしょうからな」

 

「数年後に廃業する企業に同盟の公的資金をつぎ込ませるおまけつき。はあ。ある所にはあると言うけれど、ゼロの数を数えるだけでも大変ね。私もフェザーン人の中では富豪の仲間入りをしているけれど頭が追い付かないわ」

 

「そう聞いて安心しましたよ。私もこの案件に関わる時にゼロの数を数えて首を傾げた記憶がある」

 

ボルテック氏はそう言いながら水割りを2口飲んだ。あまり感情を表に出さず、実直にビジネスを進めるタイプの彼には珍しいが、あちらの全てを把握しているのは彼だけなのだろう。そういう意味では、やっと忌憚なく話せる相手が出来たという所だろうか?

 

「本来なら色々共有しながら事を進めるべきなのだろうが、額が額だ。細かい調整は難しいのだが、不都合はあるだろうか?」

 

「問題ないわ。要は恩を売れば良いのだもの。役に立ちそうな層には儲けさせて、それなりの層には損を多少なりとも取り返させるわ。それで十分貸しにできるもの」

 

「そうか......。正直安心した。細かい要望などされたらどうしようかと思っていた。そちらを甘く見ていたようだ。重ね重ね申し訳ない」

 

ボルテック氏が深々と頭を下げる。この男の強みは、確かな実力もそうだが、自分が仕える側だと理解している事だろう。並みの人間なら勘違いするし、ルビンスキーなら自分の力を誇示する様に見せるはずだ。独立しても成功しないけど、大手の経営者で成功するタイプ。『あの方』は本当に人間を見ている。

 

なら私はどう見えているのかしら......。『あの方』は夜の蝶の扱いにも長けていた。男を上手く使ってのし上がる『悪女』のように見えていないかしら......。そんな事が不意に気になった。もう少しお傍に居られれば、宇宙のどちらでも恥ずかしくないもてなしが出来るホステス役に使えるとご理解いただけるだろうけど......。本題がスムーズに運んだ為か、当初より少しホッとした様子のボルテック氏を横目に、私はそんなことを考えていた。




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113話:暗黒の木曜日

宇宙歴796年 帝国歴487年 8月第4週 金曜日

首都星ハイネセン 財務委員会 委員長執務室

ホアン・ルイ

 

「そんな事は分かっている。だが現実問題としてこのままでは大規模な金融危機が発生するだろう。とにかく一時的な株価の下落の範疇で抑える必要があるのだ。金融業界の全面的な協力が欲しい......」

 

レベロが青ざめた表情で電話にかじりついている。話の内容から察するに7大銀行の頭取たちに昨日の市場明けから全面安が始まった株価の買い支えを依頼しているのだろうが、既に政府が慢性的な赤字の状況に陥っていることを、一番数字で理解している連中だ。いくら財務委員長直々の依頼とは言え、簡単には首を縦には振らないだろう。

 

「株主への責任なんてものはこちらも理解している。だがここで歯止めをかけなければ、週明けには規模の小さい金融機関から取り付け騒ぎが起こるだろう。最終的にそれが君たちの所まで押し寄せるのにそう時間はかからないぞ?とにかく協力してもらいたいのだ」

 

レベロの言には一理あるが、経営陣も株主への責任がある。政府から損害補償の確約でも出来ればよかったが、評議会は休会期に入ったばかり。一部の委員長は自分の選挙区に戻っていた。もっとも会期中であってもさすがに金融業界への無制限の損害補償までは意思決定できなかっただろう。

 

「もちろん君だけに貧乏くじを引かせるつもりはない。金融業界全体に依頼の連絡をしているんだ。市場が閉まるまであと4時間。そこをしのげるかにかかっている。そんな事は君も重々承知しているだろう?」

 

そう、おそらくレベロも承知しているだろうが、一部の証券会社は既に空売りを始めている。頭取たちもその情報は承知しているはずだ。株は最悪の場合、『ただの紙切れ』になるリスクがある。いくら財務委員長の依頼を受けたとはいえ、自社を潰す訳には行かない。

それに我々左派は基本理念を大切にしているが、その分、経済界とは一線を引いた付き合いをして来た。優遇もしなければ冷遇もしていない訳だが、だからこそ経済界から見ても危ない橋など渡れるか!と蹴る事も出来るだろう。これが国防委員会なら、実際に予算のやり取りがある以上、軍需業界にある程度指示が出来ただろうが......。

 

「そうか、それは君個人の判断なのか?それとも社としての公式見解なのか?国家の大事よりも自社を優先するというならそれも良いだろう。だが、私は忘れないぞ!」

 

そう言い放ってレベロは電話を切った。決して無能な男ではないが、左派の議員にありがちな弱点が悪い方向に出ている。国家や大義の為なら、市民は自発的に協力してくれると思いがちなのだ。だが、誰しも自分の身がかわいい。自分の子供の分を減らして隣の子供に分け与えられる奇特な市民など、実際にはめったにいないのだ。

 

『すべき』事を分かっているのと、実際に『それが出来る』のとは全く違う。かく言う私も、初等学校からの友人の連帯保証人になるまでは、世の中はもう少しキレイだと思っていた。戦争が続く中で、徴兵の公平性など、人間社会の不条理は人的資源委員会の方が直視する事が多いだろうと判断してそちらに回ったが、資質の面で、この危機に対応するにはレベロでは難しかったのかもしれない。

 

「電話番なり、お前さんの愚痴を聞くくらいなら役に立てるかと思って来てみたが、そんな悠長な状況でもない様だ。邪魔しても悪いし、役に立てないようなら帰らせてもらうが......」

 

「ちょうど最後の連絡が終わった所だ。皆、明確な回答を避けたがね、彼らの言い分も分かるが、金融危機が起これば同盟経済は深刻なダメージを受けるだろう。既に株による資金調達は事実上不可能になった。株価が下がった以上、それを担保に資金調達していた企業は、追加担保を求められるだろう。そして内部留保が少ない企業から順に倒産する。そうなれば健全な経営をしている企業も業績が落ちるだろう。それが呼び水となり株売りは加速していく。今日、株価を少しでも良い。戻すことが出来ればまだ市場は落ち着けるのだが......」

 

「レベロ、彼らには彼らの責任がある。国家や大義の話をしても、今日の夕食を子供たちに食べさせなくてはならないんだ。それより紙幣の増刷の方はどうなんだい?必要なのは現物じゃない。株を買い支える資金になれば良いのだから電子だけの増刷で済むはずだ」

 

「分かっている。だが紙幣の増刷は最高評議会の専権事項だ。常日頃、乱発される特例による不公平を糾弾してきた。非常事態だからと言って、私がそこまで踏み込むわけには行かない」

 

そこで私は内心失望してしまった。さっきまで電話していたのは、相手に特例のリスクを負わせるためだったはずだ。それなのに自分だけはキレイなままでいたいとは。それこそ相手からすれば『自分たちにだけリスクを負わせる』様に見えるだろうに。そういう意味ではレベロも平時の人材だったのだろう。

戦時とは言え、戦線ははるか宇宙のかなただ。実際に政府も含めて火急の事態になったのは、『ダゴン星域会戦』と『コルネリアス帝の大親征』の時ぐらいだった。そして彼を任命したトリューニヒト議長もこの危機の矢面に立つ気はないようだ。議長特命ならレベロももっと踏み込んだ事が出来ただろうに。

 

「実際問題、財務委員長の権限では最終判断は出来なかった。これを見てくれ......」

 

一枚の資料が差し出される、いぶかし気に思いながら紙面に目を向ける。少しでも自分の置かれた状況を誰かと共有したかったのだろう。紙面を読んでいるうちにレベロが話を始める。

 

「今月に入ってから少しづつフェザーンマルク高が進んでいた。その勢いが今朝から加速している。株を売った資金がそのままフェザーンマルクになっているのだ。今月の頭では我が国の対フェザーンの借款は国家予算5年分だった。それが今週には6年分になり、今朝の段階で8年分になっている。

何しろ借款は『フェザーンマルク建て』だからな。紙幣の増刷に踏み切れば最悪の場合20年分になるだろう。そうなれば利払いだけで国家予算の60%が必要になる。もう財務破綻したも同然になるだろう。まだ救われる道があるなら私はいくらでも責任を被るが、進んでもその先は地獄だ。とても決断できなかった」

 

借款が『フェザーンマルク建て』だったことが、こういう形で裏目に出るとは予想していなかった。そしてレベロは救いの道があるなら泥をかぶる気だった。自分だけはキレイでいたいなどと邪推してしまった自分を恥じなければならないだろう。

 

「唯一残された手段は株取引の停止命令を出す事か......。だが本当の禁じ手だな」

 

「そうだ。それをすれば数年は株価は低迷するだろう。売買できない資産など誰も持とうとは思わないだろうからな。本来なら『臭わす』だけでもやろうかと思ったが、そうなれば7大銀行が率先して売りに走りかねなかった。とてもじゃないが決断できなかったよ」

 

結局、法的に許されるギリギリの手段ですら、この危機に有効ではなかったという事だ。同盟の代議士として誰もが目指す委員長職にこんな地雷が潜んでいたとは......。今更ながらレベロの不運に私は同情を禁じ得なかった。お互いが黙り込み、静かになった執務室に電子音が鳴り響く。昨日からレベロは良くない報告しか受けていないはずだ。小さなことでも良い。良い知らせなら良いが......。

 

「レベロだ......。トリューニヒト議長、いったいどこで何をしているんだ。委員長が揃わないのは重々承知しているが、臨時に最高評議会を......。なんだって?」

 

電話の主はトリューニヒト議長のようだ。確かに彼が臨時閣議を開催していても、状況はそこまで変わらなかったかもしれない。だが非常事態に一緒に取り組む姿勢位は任命責任がある以上、見せてほしかった。レベロがいぶかし気な様子で執務室に取り付けられた大き目のモニターの電源を入れる。丁度お昼のニュースの時間だ。始まったばかりだろう。キャスターが冒頭の一礼を終えた姿が映る。

 

「同盟市民の皆さま、こんにちは。お昼のニュースです。最初のニュースですが、先ほど政府から声明が出されましたのでそちらからお伝えします。昨日から発生している株価の下落についてですが、残念ながら政府は有効な施策を取れていません。

それに関連して、前最高評議会議長のサンフォード氏と前情報交通委員長のウインザー氏が意図的にリスクを無視して政策を推進した疑惑があるとのことです。とはいえ、国家の危機に際して政権担当であることは事実であるため、責任を取る意味で週明けに議会にて、信任投票を実施するとのことです。では政治部の解説員に解説をお願いしましょう」

 

「今回の声明に対して、責任を問う声も上がるでしょうが、とは言え新政権が発足してまだ3か月もたっていません。今回の危機の責任をトリューニヒト政権に問うのはさすがに酷でしょう。それにこの段階で公表に至ったという事は、検察側はかなり有力な証拠を既に掴んでいると見るべきでしょう」

 

「信任投票に関してはいかがですが?本来なら総選挙をやり直す選択肢もあると思いますが......」

 

「おっしゃる通り、本来なら総選挙をすべきでしょう。ただ、今の戦局を考えるとそれが国益に適うのか?と聞かれると疑問が残ります。既に帝国は内戦に突入しつつありますし、シトレ元帥率いるイゼルローン要塞攻略部隊がエルファシルを出て、最前線へ向かったばかりです。ここで総選挙を行えば政治的空白を作ることになります。議長としても苦渋の決断だったのではないでしょうか?」

 

「確かにおっしゃる通りですね。総選挙を行えば、遊説期間を含めると2カ月は政治的空白ができることになります。戦局を考えると正しい判断なのかもしれませんね。では次のニュースです」

 

なんだこれは......。あの2人に責任を被せても金融危機が起こることに変わりはない。こんな事に時間を割いていたのか?唖然とする私たちを無視するように再度、電子音が鳴り響く。

 

「レベロだ。トリューニヒト議長、あれはどういう事なのだ?確かに我々の政治生命は伸びるかもしれないが、『金融危機』のリスクがなくなるわけでは無い。どういうつもりだ」

 

結構な剣幕でレベロがまくし立てる。昨日から責任を感じていた彼にとって、その責任が他者に押し付けられるのは不本意でもあるのだろう。だが、戦局を考えれば政治的空白を作るわけには行かないのもまた事実だ。

 

「打てる手は既に打っている......。そうだ。おとぎ話の魔法の薬があればよいが、そんな特効薬は残念ながら......。しかしそれでは......」

 

基本理念を尊重するなら総選挙を行うべきだ。だが、『金融危機』と『大規模な作戦の直前』という現実を見たとき、総選挙という基本理念を優先すべきか?軍部の分析によれば帝国内の勢いは軍部系がかなり優勢だ。2か月の政治的空白、その後の手続きを考えれば、再度の出征は半年後になるだろう。果たしてそこまで内戦は続いているのか?

そもそも『金融危機』の余波がどこまで広がるかも分からない。再出征の予算を用意できるのかも不透明だ。もしかしたら内戦に付け込める最初で最後の機会かもしれない。それを無視するのはさすがに無理がある。

 

「そうだ。出来る事は全てやっている......。もちろんだ。自分から投げ出すつもりはない。日頃の自分の言動には責任があるのは重々承知している......。だが『金融危機』はおそらく起こってしまうぞ?......。そうか、分かった。ではな」

 

そう言ってレベロは通話を終えた。目の前の現実に基本理念が負けたという事だろう。

 

「これではシトレに会わす顔が無い。軍部はずっと予算をやりくりして何とか国防体制を維持してきた。それなのにフェザーン方面の防衛計画を更に求め、いざ決戦という時に『金融危機』を招いてしまうとはな......」

 

公の場では決して見せない意気消沈した様子のレベロに、私が出来る事はただ見ないふりをする事だけだった。これでイゼルローン要塞が攻略できなければ、戦局は劣勢どころか深刻な事態に突入するだろう。人的資源委員会が提言するタイミングを計っている『軍部から技術者を民間に還元する提言』も当分する事は出来そうにない。人的資源は社会を成長させるどころか、維持するのも難しい水域だ。そして財政も破綻の数歩手前。これではイゼルローン要塞が取れたとしても、かなり難しいかじ取りが必要になるだろう。

 

私は思わず出そうになったため息を堪えた。そういうつもりがなくても、この場でため息をつけばレベロの負担になる。手元のブラックコーヒーを慌てて飲んで誤魔化したが、いつも以上に苦い気がした。現実は苦いと確認するためのブラックだが、こんな日はせめてコーヒー位は『甘く』しても良かったのではと思う。視線を戻すとレベロも渋い表情で紅茶を飲んでいた。こんな日はなにを飲んでも苦いのかもしれない。



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114話:篩(ふるい)

宇宙歴796年 帝国歴487年 9月上旬

アルテナ星域 ガイエスブルク要塞 貴賓エリア

オットー・フォン・ブラウンシュバイク

 

「それにしてもここまで脆いとはな、我ながら領袖として先代たちに申し訳なくなる。これで勝てると思い込んでおるのだから、彼らの常識は、我らの物とは異なるようだな」

 

「リッテンハイム候、今更言っても仕方あるまい。大言壮語した事の1割でも実現できれば、十分英雄になるようなことを並べ立てていたのだ。そもそも真に受けてはおらなかっただろうに?」

 

「ブラウンシュバイク公は相変わらず気の利いた表現をされる。ただな、分が悪くとも後世で多少は語り草になるようなものにしたかった。それが始まる前からこれではな......」

 

侯が寂しげに言葉を区切る。陛下が崩御されたのを機に、事前の盟約に従ってガイエスブルク要塞に集結するはずだった。だが、戦争などしたことが無い門閥貴族にとって、それがどういう物なのか?分かっていなかった。極秘に動けばよいものを、近しいものに触れ回る者、そもそも連絡が回るはずであったのに漏れていた者。帝国貴族4000家と銘打ったが、実際に盟約に署名したのは3500家位であった。そのうち500家は、何かしらの名目で拘束され、オーディンを脱出する事すらできなかった。

そして『血判状』の存在が明らかとなり、本来は中立を装いながら情報を流すはずであった政府系の貴族にも捜査が始まったと聞く。この要塞に到着早々に、この策の主導者であったフォルゲン伯は憤慨したそうだが、そもそも戦後の逸話にしたいなら、後々にそういう物があったとまことしやかに語れば良いだけだ。全ての家が署名した『血判状』は、ガイエスブルク要塞にあるが、自家でも所蔵したいなどと複製品を用意した『たわけ』がいたらしい。

 

内戦に勝つ!という事を考えれば、そんな物がある事が露見すれば全てが台無しになる。本来なら『血判状』ですら危険な所、複製までしているとは......。内戦の勝利も、自分たちが望めば手に入るとでも思っているのだろうか?それとも爵位を振りかざせば平民たちがひれ伏すとでも考えていたのか?自分たちの爵位を権威づけているのは帝室だ。それに弓引く以上、爵位が持つ権威を否定したに等しいはずだが、そんな事も分からないのであろう。つくづく都合の良い事だけが記憶に残る頭だ。まあ、済んだことを考えても仕方がない。

 

「侯、済んだことは致し方あるまい。当てにならぬ味方を事前にふるいにかける事が出来たと思えば良いのだ。政府系の策も、軍部が素知らぬ顔をして偽情報を掴ませて来る可能性もあった。情報は得られなくなったが、偽報に踊らされる事も無くなった。そう考えればまだ気の持ちようがあるというものだ」

 

「それはそうだが......。ただ、門閥貴族は見栄の張り方も忘れてしまったのであろうか......。盟主である公を前にして言うべきことではないが、副盟主としてはため息が出る事ばかりでな。そういえばこの要塞を建設しているときも、何かとため息の出る事が多かった。禿げ鷹の城などではなく、ゾイフザー、『ため息要塞』とでも名付けるべきだったかな......」

 

「流石にそれは皮肉が効きすぎておろう。まあ、あやつらにはお似合いの名前かもしれんがな」

 

この要塞に来て、初めて笑えた気がする。リッテンハイム候は何かと儂に張り合っては来るが、どちらかと言うとアバウトな所が多い儂と比べて、些細な所にも目を配る男だ。副盟主である以上、門閥貴族達の体たらくには、儂に対しても責任を感じておるだろう。冗談を本心から言った訳ではあるまい。自分以上に責任がある盟主に、良き報告が無い以上、せめて冗談でも......。という配慮だろう。現状認識に齟齬は無いのは我らのみのようだ。侯の気遣いが嬉しかった。

 

「私も何か良き知らせを持ってこれればとも思っておるのだがな。事前の話では主力の現役モデルは無理でも、旧式艦で15万隻は集まるという話であったのに、蓋を開ければ10万隻に満たぬ。おまけに輸送艦に武装を急造で取り付けた物や、旧式どころか、『第二次ティアマト会戦』世代の骨董品も含まれておる。見栄と言うのは後々に実は......。と笑い話にできなければ、ただの嘘であろうに。もちろん鵜呑みにはしていなかったが、まさかここまでひどいとはな......」

 

「仕方あるまい。前線ははるか彼方。領地への防衛意識などそもそもあるまい。それに軍からの払い下げは、実際に国防を側面から支えてきた辺境自警軍に優先権があった。自領の警備だけなら、その骨董品で十分なのだ。高値で必要性の低い物を買うくらいなら、遊興費に組み入れてしまうだろう」

 

「確かに。自領を豊かにするより、領袖の機嫌を取っておこぼれをもらう方が知恵を使う必要もないだろうが......。ただ、そうなると公と私の艦隊、併せても35000隻しかまともな戦力が無いことになる。帝国軍がこの要塞にやってくるまで連戦連敗という事になるが、それで良いのか?」

 

「最後に学べる機会を与えるとでも思えば良いのではないかな?我々は彼らに付き合って旗頭となったが、決起に参加したのはそれぞれの思惑があっての事。精々、消耗させるための捨て石になってもらえば良かろう?我らと、戦場がかけてくれる『ふるい』に残った者たちで最後の決戦に挑めばよい。そうすれば少なくとも後世で笑われるような事にはなるまい」

 

「そこまで割り切っているという事は、フレーゲル男爵らの出撃を許したのも覚悟の上なのか。公には悪いが敗戦の可能性が大きいにもかかわらず、なぜ出撃を許可したのかいぶかしんでいたのだが......」

 

「最終決戦までここでぬくぬくとしておっては、それこそ血迷った事をしかねぬ。血統ではなく実力を学ぶ機会は必要だろう。生きて帰ってくれば、少しは成長しようし、内戦に勝利せねば、どちらにしろ死ぬのだ。ならば許可してやるのが儂にできる唯一の事だった」

 

「そこまで覚悟していたとは......。私も覚悟はしたつもりでいたが、足りなかったようだ。それにしても叛徒どももフェザーンも当てにならぬな。もう少し戦力を引きつけてくれるかと思ったが、あの有り様では出征もおぼつくまい。一応、イゼルローン要塞に艦隊を振り向けたそうだが......」

 

「これもリューデリッツ伯の仕込みなのやもしれんな。タイミングが良すぎるし、彼の赴任先はフェザーンの目の前だ。彼が主導して立ち上げた辺境自警軍が無ければ少なくとも戦力はもっと用意できたであろうしな。そういえば、要塞主砲を換装しないことを勧めたのも、『伯』に紹介されたルビンスキーであったな。あながち真相はその辺りやもしれんな」

 

「そう言えば、伯爵の地位にありながら爵位を考慮するそぶりは一切なかった。あの時から、門閥貴族を一掃することを考えていたのだろうか?だとしたら、逃げ道はあるまいな」

 

観念するように、リッテンハイム候がため息をつく。そういう意味では我らもまだまだ甘いのかもしれぬ。それとも内戦自体が陛下のお考えだったのだろうか?我らに降嫁を許しながらも優遇まではしなかった。皇帝の候補者4名の内、男子は後援者がおらん。門閥貴族から最も遠かったディートリンデ皇女の後援者に『伯』を任命された。あれで勢いを強めていた軍部系貴族が旗頭を得ることになった。今思えば、内戦が起こるように手を打たれた様に思うが......。

だが既に幕は切って落とされた。今更、考えても仕方なかろう。名に恥じぬ戦いをすればそれで良いのだ。少なくとも我らの覚悟は決まっただろう。今はそれで十分ではないか。もともと厳しい戦いになる事は分かっていたのだから。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 9月上旬

ブラウンシュバイク星域 外縁部

フレーゲル艦隊参謀 シューマッハ

 

「まもなく敵艦隊との戦闘距離に入ります。数、およそ6万」

 

「狼狽えるな。敵も開戦を急いておるのだ、辺境自警軍が合流していたなら10万隻をこえるはずだ。これぞ好機ぞ。我ら門閥貴族の意地を見せてやるのだ」

 

司令官のフレーゲル男爵の言動に、思わずため息が出そうになるのを何とか堪えた。戦闘に必要なのは戦力であって頭数ではない。新世代艦を主力にしている正規艦隊と、旧式艦が主力の辺境自警軍では統一した動きは難しい。そういう意味で『攻』を正規艦隊が、『守』を辺境自警軍が担当する形に切り分けたのだろう。補給の面でも効率が段違いなはずだ。本来なら要塞至近まで敵を引きつけて決戦に及ぶべき所だが、盟主と副盟主の領地を放棄する事に、若手貴族たちが異議を申し立てた。

『戦わずに放棄するなど名誉に関わる』と言うのが主な主張だが、要は要塞を守る重鎮達がいない場で、功績を立てたいという意図が見え隠れしていた。確かに実績を上げれば、ご両家の二人の令嬢との婚約が見えてくるだろう。だが、各家の戦力はバラバラだし、統一した動きをする訓練も行っていない。

せめて指揮権は統一すべきだと上申したが、そうなれば指揮官役に功績が集中してしまう。そのような思惑もあり。遠距離から見れば7万隻前後の大艦隊に見えるかもしれんが、実際は小魚が群れをつくっているような状態だった。少し負荷がかかるだけで、群れはバラバラになるだろう。

 

「よし、砲撃開始だ。弱兵を相手に功績を立てて、良い気になっている軍部の犬どもに本物の砲撃をお見舞いしてやるのだ」

 

砲撃担当が私に視線を向ける。まだ長距離ビーム砲でも有効射程には遠いのだが、指示は指示だ。私がうなずくとしぶしぶと言った様子で砲塔に砲撃開始の指示を出した。他の艦隊でも似たような指示が出たのだろう。敵艦隊の光群に向けてパラパラと長距離ビームの光線が進んでいく。

 

「みたか!我ら門閥貴族を軽視した報いを受けるのだ」

 

フレーゲル男爵は興奮した様子だが、正規艦隊が装備している防御磁場はかなり出力が高いはずだ。この距離では、損害はほぼ皆無だろうに。そんな事も知らないのかと言いたげな視線を、砲撃担当が男爵に向けている。普段ならそんな視線に気づけば『折檻』が始まる所だが、幸いにも、男爵の視線は大モニターに釘付けだ。それに気づく様子は無かった。動きがあったのは5分ほど後の事だった。

 

「敵艦隊、砲撃を開始した模様です。これは......」

 

戦術コンピューターの着弾予測がモニターに映る。幸いにもわが艦隊は狙いから逸れたようだが、敵はある程度狙点固定をしている様だ。そして『群れ』を維持するのに必要なポイントを的確についている。

 

「閣下、このままでは先陣が孤立します。全軍で横陣を作るようにせねば、艦隊が分断され、撃滅される恐れがあります」

 

「だまれ!これは敵の悪あがきよ。小細工をしてくるのは我らの攻撃が効いている証拠だ。とにかく撃って撃って、撃ちまくるのだ」

 

狙点固定をしている敵に比べて、ただ闇雲に放たれるこちらのビーム砲の光線のいかに弱々しい事か。子供が見ても、その差は歴然としているが、男爵には何か違うものが見えているのだろうか......。

 

「第2射、来ます、これは......」

 

着弾予測がモニターに映る。わが艦隊の横に布陣するシャイド男爵の艦隊に狙点固定されている。横陣を取ろうと思えば軸になる位置ではあるが、徹底して要所を攻める敵艦隊の練度の高さに、思わず唖然とした。

 

「シャイド艦隊の旗艦、反応が消えました。残存兵力は半数もありません。後退を始めています」

 

「閣下、このままでは我が艦隊が敵中に孤立します。一時後退をご指示ください」

 

「ならぬ。シャイド男爵の仇を討たずに何とするのだ。良いから全力で反撃せよ。今が押すべき時なのだ。なぜそれがわからん!」

 

「第3射を確認。狙点は......。我々です」

 

「閣下、伏せて下さい!」

 

艦橋の大モニターが光源に包まれる。おそらく直撃を受けたのだろう。爆発音とともに大きな揺れに襲われる。エマージェンシー音が鳴りひびく中、光源が強すぎたために一時失っていた視力が戻ってくる。私は瞬時に伏せていたが、男爵は変わらず提督席の前に立っておられた。

 

「それ見た事か。軍部の犬の攻撃など私には効かぬのだ!なにを恐れ......」

 

「閣下。伏せてくだ......」

 

そこで至近で爆発が起こる。私が頭を上げると、そこに男爵の姿は無かった。周囲を見回すと吹き飛ばされたのだろう。提督席の後方の壁際に、男爵は倒れていた。思わず駆け寄ったが、壁にたたきつけられたのだろう。即死だった。

 

「オペレーター。わが艦隊の残存兵力はどのくらい残っている?」

 

「詳細は不明ですが、おそらく2割以下です。この艦も、すでに戦闘能力は残っていません。動力炉が停止しました」

 

「では、残存部隊に動力炉を停止して降伏するように指示を。最後まで付き合ったのだ。この辺で良かろう......」

 

艦橋の生き残った人員に視線を向けると、皆ホッとした様子だった。全力でお支えしてきたが、艦隊司令部の生き残りとして、せめて残存兵力を生きて返す責任を果たさねばならない。まだ活きていた戦術モニターには、先陣は既に壊滅し、中軍に襲い掛かる敵軍と、恐ろしい速さで後方に回りこむ敵艦隊が映っていた。頭の片隅で予想はしていたが、ここまで一方的な展開になるとは思わなかった。

敗戦にも関わらず、どこかホッとしているのは、もう採用される事の無い上申をしなくて済むからだろうか......。私は男爵の瞼を閉じてから、上着を脱いで、遺体に被せた。本来なら敬礼すべきなのだろうが、そんな気持ちにはなれなかった。



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115話:第三次イゼルローン要塞攻防戦(突入)

宇宙歴796年 帝国歴487年 9月下旬

イゼルローン回廊 要塞宙域 リオ・グランデ艦橋

アレクサンドル・ビュコック

 

「ビュコック提督、貴官はどう判断するかね?」

 

「帝国の司令官は老獪じゃな。要塞を堅守するだけでなく、攻め寄せた戦力を少しでも摩耗させるつもりじゃろう。把握できておる戦力は2万隻じゃが、この距離で損害が出るという事は、長距離戦装備を有しておる。イゼルローン要塞の向こう側は要塞自体と敵艦隊の妨害電波で索敵はほぼ不可能じゃ。まだ戦力はあると判断すべきじゃろうが、索敵が困難な以上、撤退を決断するのは材料が足りぬかもしれん。もっとも、お主が決断するなら儂は賛成するが......」

 

「いえ、私の判断も似たような物ですが、流石に確信も無しに帝国軍の予備戦力の存在を理由に撤退は出来ませんな......。クブルスリーはともかく、跳ねっ返りの方が納得はしないでしょう」

 

シトレ長官が困った様子で見解を述べた。確かに未確認の情報を下に撤退の判断を下すのは難しい所じゃろう。それに回廊に進撃する前の会議での事もある。『3個艦隊』が確認されたならともかく、重装甲の長距離戦向けの艦ばかりとは言え確認できているのは1個艦隊分の戦力じゃ。内戦に付け込める最初で最後の機会という事も踏まえれば、現段階で撤退の判断をするのは難しいじゃろう。

 

回廊内部に進撃した我々の目に、漆黒の闇の中に突如現れたイゼルローン要塞と駐留艦隊。過去の攻防戦では、増援が来るタイミングで回廊外縁部を利用した迂回戦術や、巧みに要塞主砲の射界に誘い入れる戦術で、同盟軍の将兵を屠ってきた。その前例も踏まえて、総司令であるシトレ艦隊を予備兵力にしつつ、右翼からクブルスリー・ホーランド・儂の順で横陣をつくり、迂回戦術を押さえる。そして要塞主砲の射界に呼び込もうとする敵艦隊があれば、タイミングを合わせて並行追撃する予定じゃった。だが、帝国軍は過去の戦術とは異なる戦術で、我らを待ち受けていた。

 

帝国軍の布陣は、イゼルローン要塞を中心にして、上下左右に約5000隻程度の艦隊を展開するものだった。当然、要塞主砲の射界である要塞正面はガラリと空いている状況だ。我々が要塞に接近するためには、回廊外縁部を通過して要塞に近づくか?主砲の斉射を受ける事を覚悟しての正面突破しかない。だが、狭い回廊に要塞主砲の射界が加わると進路は恐ろしく限定される。

その進路を進もうとすれば、長距離ビームをかなりの時間受けることになる。そして要塞のあちら側の宙域にはおそらく予備戦力がいるはずじゃ。血路を開いてもその先は泥沼。とは言え要塞主砲に向けて部下を突撃させる判断にはさすがに賛成は出来ん。帝国得意の消耗戦に引きずり込まれつつあるが、簡単に退く訳にも行かん。難しい所じゃて......。

 

「まずは装甲の厚い大型艦を前に出して帝国の意図を探ってみたいと思います。クブルスリーは久しぶりの前線ですし、跳ねっ返りは目を光らせませんと突撃を始めそうですからな。左翼の方はお任せする事になってしまうでしょう。ご苦労を掛けますがよろしくお願いします」

 

長官はそう言うと、儂の敬礼に答礼し、通信を切った。戦闘中にこういう考えは良くない事じゃが、ウランフとボロディンがおればと思わずにはいられなかった。『前線は久しぶり』と長官は濁したが、クブルスリー艦隊の動きは鈍い。それを横目にもどかしい思いをしている速戦思考の若手提督がおる。帝国軍の動きを気にする前に、味方の動きを気にせねばならんじゃろう。

政局の影響がなければ、この段階で撤退の判断もできた。色々な事に引きずられて、最適解を選ぶことが出来ない。そうでなくとも戦況が劣勢な中で苦労しながらもそれを表に出さぬのだ。せめて応援団長として力になってやりたいが、シトレが心から笑える日は、まだまだ遠いのかもしれん。手元の少し冷めた紅茶を飲み干して、儂は戦術モニターに意識を戻した。

損害が皆無なはずはないが、帝国軍の艦数が一向に減る気配はない。要塞内部とあちら側の宙域、それにアムリッツァ星域には大規模な駐留基地があると聞く。実際は撤退の基準とした『3個艦隊』以上の戦力があるのやもしれんが、それをうまく隠すあたり、やはり敵の司令官は老獪じゃ。

戦術家として名高いシュタイエルマルク伯ならもっと切れ味が鋭いじゃろうし、ルントシュテット伯ならもう少し剛直な手段を取るじゃろう。リューデリッツ伯はフェザーン方面におるから、司令官はメルカッツ元帥じゃろうな。過去の成功体験に囚われずに新しい手を打つ辺り、下級貴族から初めて元帥になったのも伊達ではないといった所か。この戦いも厳しいものになりそうな予感を感じながら、同盟軍の大型艦が城壁を作るように前線へ移動する姿を、戦術モニターを眺めながら儂は確認していた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 9月下旬

イゼルローン要塞 後背宙域 艦隊旗艦ブリュンヒルト

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「ここまでは作戦通りといった所だが、敵に見せる戦力が限定されているにも拘らず、流石はロイエンタール男爵だ。流れるように戦力を入れ替えるあたりは叔父上の養育の影響もあるのかな?士官学校のカリキュラムだけでは、ここまでスムーズには出来んはずだ」

 

「リューデリッツ伯の養育の成果ではありますが、どちらかと言うと事業計画の応用編といった所でしょう。長距離戦とは言え、このまま一方的に撃たれるのは敵も嫌がるでしょうが......」

 

「うむ。メルカッツ元帥の読み通りだな。この次の展開まで、どのくらいかかるか?といった所か」

 

わが艦隊とディートハルト殿の艦隊は、叛乱軍から見てイゼルローン要塞の陰になる位置に待機している。ロイエンタール男爵旗下の艦隊が妨害電波も出している以上、索敵に引っかかる可能性はほぼない。我々の艦隊の役目は、逆撃を加える際に突撃する事だ。それまでは静かに潜む必要がある。ディートハルト殿と通信チャンネルを繋いだまま戦術モニターで戦況を見つめる。

叛乱軍は前線に大型艦を並べて城壁代わりにするようだ。確かに損害は抑えられるかもしれぬが、大型艦では急激な展開は難しい。こちらは好きなだけ撃ちまくれるのだ。いつまで出血に耐えられるか?ロイエンタール男爵が担当する以上、帝国軍の火力が衰える可能性は万に一つもない。叛乱軍が賭けに出たときが、我らの出番だが、......。

 

「それにしてもだ。この次の展開も元帥の読み通りになるのだろうか?確かに叛徒たちの立場になれば血路を開くよりは可能性があるように見えるだろうが、予測が外れれば要塞主砲の直撃を受ける事になる。そんな博打のような作戦を、慎重なシトレ元帥が許すだろうか?どちらかというとリスク回避に長けた印象があるのだが。それに正面の叛乱軍の動きが鈍いのも気になるな。敵の左翼にリオグランデが確認されている。ビュコック爺さんがいるという事は、セットでウランフ・ボロディン艦隊もいるはずだが......」

 

「おっしゃる通り、今までは敵ながら見事な連携をしていたはずですが、どうにもチグハグですね。何か事情があって、別の艦隊と組んでいるのかもしれませんが......」

 

「あちらにはあちらの事情があるのかもしれんが、阿吽の呼吸で艦隊を連動させられる相手などなかなかおらぬだろうに。そういう意味では、一見有効に見える博打に走るやもしれんな。仮にイゼルローン要塞を落とせたとしても、多大な損害を出しては意味が無い。そういう意味ではあまり時間はかからんかもしれん。念のため艦列を再度確認しておこう。先陣は任せたぞ!また後でな。では!」

 

お互い敬礼して通信を終える。ある意味、戦況を優勢に進めた事で軍部の権限が強い帝国軍に慣れ親しんだディートハルト殿には理解しにくい部分があるかもしれぬが、『民主主義』を採用している叛乱軍では、時として専門家の意見だけではなく、民衆の意見にも配慮をしなければならない。

それが時として投機的な作戦の実行につながり、無謀な作戦によって損害をだす例には事欠かない。ティアマトでも、帝国軍が勝利したというより、叛乱軍が負けるべくして負けたと俺は分析している。自分たちが選んだ政府によって死地に送り込まれる兵士。何とも皮肉な事だ。

 

「ラインハルト様、ご指示頂いた分析結果をお持ちしました。元帥の分析は間違いないようです」

 

参謀長役のキルヒアイスの一声をきっかけに、戦術モニターに向けていた視線をキルヒアイスに向ける。概略が一枚の図式にまとめられた分析結果を見る。同じものを叛乱軍が持っていれば、確かに唯一の活路に見えるだろう。

 

「皮肉な事だな。今の叛乱軍の戦力は潤沢とはとても言えないはずだ。どんなに策を練ってもそれなりの損害が出る要塞攻略などすべきではなかった。悲惨な政局に、不必要な要塞攻略。無理を重ねれば最後は無謀な作戦にならざるを得ぬのやもしれぬな」

 

「はい。確かに過去の帝国軍の展開と要塞主砲の射界を重ねますと、細長い通路のような領域が生まれます。ですが、あくまで要塞主砲の正確な情報をもつ帝国だからこそ出せる分析です。誤差が大きければ要塞主砲の直撃を受ける進路......。私にはとても出来そうにない決断でした」

 

「キルヒアイス、今は戦争中だ。叛乱軍の兵士たちの事は戦争が終わってから考えてやれば良い。少なくとも今のうちは、無謀な作戦で兵士たちを無駄に死地に送り込む責任は、あちらの政府にあるのだからな?」

 

『はい。ラインハルト様』そう言って、キルヒアイスは下がっていった。経済の事も『伯』の英才教育で私たちは修めている。報告書だけ見ても、叛乱軍を蝕みつつある『金融危機』は、あちらの社会に不幸をまき散らすだろう。そのきっかけを傍で見ていたキルヒアイスは、どこか当てられたようだ。優しい所はキルヒアイスの美点だが、今回はそれが悪く出ている。しかし、俺が慰めては更に気にするだけだ。

勝利してオーディンに戻れば姉上も一緒に暮らすことになるだろう。キルヒアイスの好みの物を作って頂き、元気づけて頂く必要があるかもしれない。戦術モニターに視線を戻しながら、俺はそんな事を考えていた。




次回更新は本日のお昼12:00の予定です。

※執筆の力になるので、評価・お気に入り登録の方もよろしくお願いします。感想も、感想返しをする際に、色々と思考が進むので、お手数でなければ併せてお力添えください。


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116話:第三次イゼルローン要塞攻防戦(死地)

宇宙歴796年 帝国歴487年 9月下旬

イゼルローン回廊 艦隊旗艦エピメテウス

マルコム・ワイドボーン

 

「シトレ長官、この活路を見出したのは我が司令部です。確かに誤差の範囲によっては要塞の主砲の直撃を受けるでしょう。そういう意味でも、この策の実行は『わが艦隊』にお命じ頂きたいのです」

 

必死の形相でホーランド提督がモニターに映るシトレ長官に訴えるが、表情を抑えてはいるが長官は渋い顔だ。一瞬モニター越しに視線が合うが、首を横に振った。残念ながら俺にホーランド提督を止める言葉は用意できなかった。恐らく功を焦っていると見ているのだろう。モニターに映るビュコック提督もクブルスリー提督もあからさまに渋い表情だが、ホーランド提督は退く気はなさそうだ。それは艦隊司令部全員の気持ちでもあるだろう。あんな話を聞かされては反対など出来ない。ただ、もっと違う場面でこの『統率力』が発揮されていればとも思うが、それは言っても詮無い事だ。モニター越しではあるが、ホーランド提督の覚悟が伝わりつつあるのだろう。雰囲気が変わりつつあるのを横目に、先ほどまで行われていた司令部会議を私は思いだしていた。

 

「初めに伝えておく。これはかなり危険な策だが、この状況を覆すには、もはやほかの手段はないと考えている。本来ならこんな危険な策を取るべきではない。ただ、少し私の話を聞いてほしい」

 

携帯用端末に転送された作戦主旨を横目に、召集された艦隊上層部はホーランド提督に視線を向けていた。

 

「俺は今でこそ将官となったが、もともとは下町の出身だ。子供の頃はパンにも事欠く生活だった。朝食じゃないぞ?『夕食』のパンも無い日がある生活だった。なんとか努力して士官学校の奨学金を勝ち取ったが、下町の皆に育ててもらったようなものだ。ほぼ儲けの無いパン屋のおばちゃんはいつもパンを無料にしてくれた。食堂のおじさんは、何か口実を設けては飯を食べさせてくれた」

 

そこで提督は言葉を切られた。目には涙が浮かんでいる。

 

「だが、今回の金融危機で、おばさんのパン屋も、あの食堂もどうにもならないだろう。士官学校を出てからも、帰省した際には『守ってくれてありがとう』と笑顔で応援してくれた。そんな人々が絶望的な状況に置かれている。せめて戦況位は良い報告をして、わずかでも希望を届けたいと思うのはいけない事だろうか?我々が使っている装備にも、彼らが爪の先に火をともして納めてくれた『血税』が使われているだろう。今こそ恩を返す時だ。もっと分析の精度が高ければ事前に上申していたが、誤差によっては主砲の餌食になるだけだろう。諸君の見解を聞いておきたい」

 

作戦主旨に目を向けると、今までのイゼルローン要塞攻防戦での要塞主砲の発射角と艦隊の運動範囲をまとめ、それを現在の帝国軍の展開に重ねた図が目に入る。確かに細長い通路のような空白地帯が浮かび上がるが、危険範囲だからこそ帝国軍が展開しなかったとも考えられる。この分析が正確なら『活路』と言えなくも無いが、数十年も前のデータも含まれている。要塞主砲の出力が10%でも向上していれば、射程圏内に入ることになるが......。

 

「提督、やりましょう!小官は地方星系出身です。兵卒で志願した同期たちはほとんど戦死しました。年々高齢化が進む中で、少しでも戦死しないようにと、軍人になる若者たちになけなしの資産を食いつぶして士官学校に進学する学費を捻出してきました。でももうそれも困難なことになるでしょう。小官も良い知らせを故郷に伝え、絶望の中に少しでも希望を届けたいと存じます。このまま何もできずに消耗だけして帰るなど、とても出来ません!」

 

若手佐官が発した『本心の吐露』をきっかけに、私には無謀としか思えない作戦案に賛同の声があがっていく。確かに軍には貧困層の受け皿としての側面があるが、これが彼らの本心なのだろう。ハイネセンの富裕層に属する家庭に生まれ、国を守る志をもって士官学校に進んだが、恵まれた環境で育った私には、その気持ちが理解できていなかった。彼らが欲しているのは、絶望に押しつぶされそうになる同胞たちに希望を届ける事だ。論理的に諫めても効かないだろうし、感情論で覆すには、『恵まれた階層』という負い目がある。無謀と思いつつも、もう何も言う事は出来なかった。

 

「作戦案を考えたのは俺だ。危険な作戦である以上、先陣も担うつもりだ。万が一の場合もある。その場合はワイドボーン少将、貴官が司令官代理として状況の収集にあたってくれ。分艦隊司令の中で一番冷静に判断できるのは貴官だ。リスクを考えれば反対なのも分かっている。だが、この場を『階級闘争』の代理の場にするつもりもない。これからシトレ長官に上申するが、黙って見逃してくれればありがたい」

 

提督はそう言ったが、反対を意思表示すればホーランド提督はともかく他の者たちが実力行使に出かねない。私は了承するしかなかった。民主制を取る以上、『1票』は平等だが、当然富の格差は存在する。富める者にとって大した事の無い負担でも、貧困層にとっては『なけなし』の物なのだろう。そして特に最前線には貧困層の出身者が多いのも事実だ。私には何も言えなかった。

 

「分かった。ホーランド提督がそこまで言うなら、その作戦案の実施を許可する。但し、進撃路は左翼側からとする。作戦の開始は一時間後。それまでに両翼の艦隊は攻勢を強めて、少しでも帝国軍の消耗を強いる事とする」

 

作戦案の実行を許可するシトレ長官の声が、私の意識を呼び戻した。ビュコック提督ならともかく、シトレ長官も貧困層のご出身ではない。限界を超えつつある負担と絶望に潰れかねない自分の出身階層に希望を届けたいという悲壮な思いを押しとどめる事は出来ないだろう。最悪の場合は一兵でも多く連れ帰る。私にできる唯一の事に意識を向けるしか、出来る事はなかった。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 9月下旬

イゼルローン要塞 総司令室

オスカー・フォン・ロイエンタール

 

「どうやら、そろそろのようだ」

 

要塞近郊で火ぶたが切られて12時間、総司令官席に座り、穏やかな表情のまま戦況を見守っておられたメルカッツ元帥がつぶやくと同時に、距離を保っていた叛乱軍の両翼が動き始めた。座視していても消耗するだけ。いつ判断するかと待ち構えていたが、待ち時間が長引くにつれ、叛乱軍が要塞攻略を諦める可能性も高まる。総司令は作戦案の実行にあたっては、役割分担を決めた後は黙って戦況を見守っておられた。こういう時は分かっていても口を挟みたくなるものだが、落ち着いたものだ。これも、今まで果たされた役割が大きいのだろうか?リューデリッツ伯が見出した士官たちに『実戦の場』を経験させ、正規艦隊司令に育て上げたのはメルカッツ元帥の貢献が大きい。帝国軍の宇宙艦隊は、戦力化が開始されたものを含めれば18個艦隊に及ぶ。とてもではないが全軍に目を配る事など不可能だ。大方針を決定し、役割分担を決めた後は任せた人物を信頼して口を挟まない。メルカッツ元帥はすでに宇宙艦隊司令長官としての役割を理解されている様だ。であれば、俺は任された役割を果たすだけだ。

 

「補給中の部隊も、作業が完了した部隊から、帝国側の宙域に出撃するように指示を。叛乱軍は賭けに出るようだ。その賭け金をきっちり回収させてもらおう」

 

視線をメルカッツ元帥にむけると満足げにうなずかれる。プライベートで待たされたことは無いが、戦場とは言え、このオスカー・フォン・ロイエンタールを待たせたのだ。精々、その駄賃を払ってもらうことにしよう......。

 

「先陣役のローエングラム伯に電信。死地に来るのは敵中央艦隊。第一斉射はそちらに行う。撃滅されたし。次鋒のディートハルト殿に電信、第二斉射は動きの鈍い敵右翼に行う。第三斉射は後陣への牽制にするゆえ、遠慮の必要なし!とな」

 

通信担当幕僚が早速オペレータに指示を出す。数分後には帝国方面に控えていた両艦隊が動き出すのが戦術モニターに映る。あの二人も決して待つのが得意な方ではない。おそらく通信を繋いで、今か今かと待ちわびていたはずだ。俺だけでなく、あの二人も待たせたとなると、叛乱軍にはかなりの御代を頂戴する必要があるだろう。

 

両翼が攻勢を強めて1時間、そろそろだろうと思っているとメルカッツ元帥の予測通り、要塞主砲の射線ギリギリを、叛乱軍中央が細い矢のような陣形で進み始めた。ある程度引き込んでから、艦列を維持するのに必要なポイントに旗下の長距離戦仕様の艦が一斉射を行う。ただでさえ細かった艦列がズタボロになった瞬間にローエングラム伯の艦隊がダメ押し突撃を敢行した。続いて第二斉射を動きの鈍い敵右翼に行う。崩壊しつつある突撃部隊に意識を向けていたのか?こちらも長距離砲でボロボロになった艦列にディートハルト殿の艦隊が突撃する。第三斉射は牽制だが、もう勝敗は決した。既に突撃態勢にあった敵中央は壊滅しているし、ディートハルト殿の艦隊は敵右翼を突破し、背後に回ろうとしている。まともな残存戦力は2個艦隊。あとは回廊の出口まで、追撃戦を行って追加の料金を頂くだけだ。

 

「あとは貴官らの良いように」

 

穏やかな表情のままメルカッツ元帥がおっしゃったが、彼はローエングラム伯とディートハルト殿の御気性も理解されている。深追いしすぎないように手綱を取れと言う事だろう。

 

「畏まりました。追撃は回廊出口までにしたいと存じますが宜しいでしょうか?」

 

満足気にうなずくメルカッツ元帥に敬礼をして、俺は乗艦のトリスタンへ足を向ける。ここで少しでも叛乱軍の戦力を削れれば、その分、終戦が近くなる。内戦を担当するミッターマイヤーたちは、『門閥貴族』との初戦に快勝したと聞く。リューデリッツ伯のお膳立ても頂いた以上、こちらもそれなりの戦果を上げなければ胸を張って帰れぬし、宇宙艦隊司令長官になられるであろうメルカッツ元帥に傷を付ける事にもなる。既に勝利は確定したが、まだ喜ぶ段階ではないだろう。

 

「閣下、出撃の準備は出来ております。ご命令を!」

 

トリスタンの艦橋につくと、俺の艦隊の参謀長であるベルゲングリューンが指示を急かして来た。そう言えば我が参謀長も待つのが苦手であった。出撃を指示すると、髭で隠れがちなベルゲングリューンがあからさまに嬉しそうな表情をする。それが不思議なほど滑稽だった。叛乱軍側の出口まで、戦闘速度で航行しても数日はかかる。焦る必要はあるまいに。桟橋を離れ、出撃する様子をモニターで確認しながら思い浮かんだのは、ヒルデガルド嬢の事だった。帝国貴族の令嬢らしからず、経済や戦術に関心を持ち、共に外出した際はその手の話題を良く振ってくる。今回の会戦の事も色々聞いてくるだろう。情けない話をせずに済むとホッとする気持ちがあった。

戦術モニターに意識を戻すと、ローエングラム伯の艦隊に撃滅された敵中央を何とか援護する左翼部隊と、後背に回ろうとするディートハルト殿の艦隊を牽制しながら、右翼部隊の後退を支援する叛乱軍の後陣が目に入る。見捨てないのは『美点』だが、これは戦争だ。少しでも追加料金をもらう事に、俺は意識を切り替えた。後詰でもあればともかく、ここからの展開は叛乱軍にとっては不本意だろうが一方的な物になるだろう。




投稿開始以来、多大なご支援を頂き、ありがとうございました。年末に移動と言う大きな判断をしましたが、引き続き、稀代の投資家をよろしくお願いします。


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117話:孤軍

宇宙歴796年 帝国歴487年 10月上旬

アルテナ星域外縁部 艦隊旗艦 王虎

フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト

 

「惑星ヘッセ・カッセルの方は、ベーネミュンデ星系から進撃したシュタイエルマルク伯旗下の部隊が制圧を終えたそうだ。これで後は本丸だけだが、ここまで静かだと逆に不気味だな」

 

「領民たちを総動員して焦土戦をしていればもっと抵抗できたはずだ。我らの進路では、そういう指示が出ていたところもあったようだが、ブラウンシュバイク星系とリッテンハイム星系に関しては、抵抗しない旨、指示が出ていたと聞く。そういう意味ではリューデリッツ伯がおっしゃられた通り、あのお二方は門閥貴族の終焉を覚悟していたという事なのだろうか?」

 

艦橋の大型モニターには最大望遠でギリギリ影が映る程度だがガイエスブルク要塞が見える。俺は視線をそちらに向けながら、ここまで一緒に作戦行動をして来たファーレンハイト提督とメックリンガー提督の会話を聞いていた。叛乱軍で金融危機が発生したのをきっかけに、方面軍司令であるリューデリッツ伯から、アルテナ星域への進撃と、進路上の門閥貴族領の平定を命じられた。アイゼンヘルツ星域を空にする事に我々は反対したが、既存の防衛戦力だけで十分と判断された様だ。

 

そしてその予測は的中した。アイゼンヘルツ星系を進発してすぐに、イゼルローン方面で、わが軍が快勝した知らせがもたらされたのだ。帝国軍の宿将のような存在であるメルカッツ元帥が総司令に就き、旗下の艦隊司令も、ローエングラム伯に、ディートハルト殿、おまけにロイエンタールだ。俺から見ても負けるはずがない陣容だが、『伯』は勝利を確信しておられた。攻勢以外の部分では確かに譲る部分があるが、俺も同様のご信頼を頂けるように励まねば......。とも思った。

 

「おや?真っ先に要塞に突撃したがりそうだが、それを言わぬという事は、我らの旅路も少しは効果があったようだな」

 

「ファーレンハイト提督も人が悪いな。まあ、ここまで静かだと気にはなる。それにここからは元帥たちの旗下に入るのだ。勝手な事も出来んしな」

 

嬉しそうな表情のファーレンハイト提督に思わずこちらも苦笑してしまう。この内戦が終われば、俺たちは昇進して大将だ。時には旗下に中将を加え、複数の艦隊の統率にあたる可能性もある。アイゼンヘルツ星系を進発してから『伯』の指示で統率役を我ら3人で交代して努めてきた。

何かと強攻策を選びがちな俺だったが、他の艦隊も指示に従うとなれば、突撃を命じるだけでは済まない。大きな会戦は無かったが、意図や目的を同格者に説明して賛同を得る経験は、今までしてこなかった。言われた通り、少し前の俺なら威力偵察でもしただろう。だが、アルテナ星域に近づくにつれて、妙な静けさに、ここは様子を見るべきだと判断している自分がいた。

 

「どちらにしてもアルテナ星域に到着してからは元帥たちの旗下に入る命令だ。命令を待つべきだろう。まあ、大将として数個艦隊を統率する場合は、もう少し素直な司令官を旗下に迎えたいものだな」

 

「言ってくれるものだ。もっとも、私はもう少し思慮深い司令官を旗下に迎えたいな。いつ突撃を始めるかとヒヤヒヤするのはもう十分だ」

 

「まあ、良き経験がお互いに出来たと思う事にすればよかろう。同格という部分を抜いても貴官らは、統率しやすくはなかったが、若くして正規艦隊司令まで登ったのだ。従順であるはずがあるまいしな。どう割り振られるかは分からぬが、良き経験が出来たと考えている。改めて礼を言わせてもらう」

 

お互いに苦笑しながら、短い期間だったが総司令代理を務めた日々を振りかえる。同じ攻勢に定評があるが、ファーレンハイト提督はどちらかというと理論派だ。感覚派の俺からすると、説明に苦慮する事も多かったし、メックリンガー提督に至っては完全に理論派だった。ただ、同格だからこそ、お互い納得いくまで話し合えた部分もあるだろう。そういう意味では、この経験がなければ階級を理由に自分の判断をごり押ししていたかもしれん。俺にとっては確かに良き経験だった。両提督にとっても良き経験になっていればよいが......。

 

「閣下、ルントシュテット元帥から入電、我々は指定宙域に移動しつつ、哨戒を密にされたいとのことです」

 

副司令のハルバーシュタットが声をかけてくる。事前の分析ではガイエスブルク要塞に残っている戦力は、逃げ込んだ分を含めても5万隻を割り込んでいるはずだ。こちらの艦隊が揃えば10万隻を超える以上、静かすぎる事に違和感を覚えておられるのだろう。伏兵や増援が存在している可能性を憂慮されておられるようだ。

 

「お互い新しいお役目が頂けたようだな。では、また轡を並べられるのを楽しみにしている」

 

「貴官らの武運を祈る」

 

両提督と敬礼を交わし合い、通信を終える。哨戒とは言え、本当に伏兵なり。増援なりがいれば、門閥貴族との最後の会戦で足をすくわれかねない。戦術モニターには割り振られた宙域に移動を開始した2艦隊が映る。決して楽ではなかったが、楽しい日々だった。俺は武運を祈りながら、離れていく2つの光群にもう一度敬礼した。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 10月上旬

ガイエスブルク要塞 貴賓エリア

貴族連合軍 参謀 アンスバッハ

 

「おお、アンスバッハ、良い所に来たな。お主もこの光景を見ておくと良い」

 

「叛乱軍相手でも、これだけの戦力が集結した前例はないからな。あのコルネリアス帝の親征の際にも、元帥号を持つ者は58名も居たそうだが、ここまでの戦力を遠征に振り向ける事は出来なかったはずだ」

 

お酒を嗜まれている事もあるのだろうが、ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯もやけに機嫌がよろしいようだ。事情を知らぬものが見れば正気を失ったのか?とでも思いそうだが、すでにお覚悟は決められておられる。さて、何に面白みをお感じになられたのか?応接セットに近づくと、備え付けられた大モニターが目に入る。どうやら広域レーダーの画面を映しておられるようだが、反応に隙間が無いほど、大艦隊が遊弋している。数えるのも難しいほどだがおそらく10万隻近いはずだ。こちらの戦力は4万隻と少し。私なら青くなる戦況だが......。

 

「帝国の歴史を考えても、10万隻もの鎮圧部隊を向けられた者はおらん。既に我らが終わりを感じている門閥貴族に、これだけの戦力を向ける価値があったのかと思うとな。何やらおかしみを感じてしまうのだ」

 

「それに、あの艦隊運動の見事さよな。叛乱軍相手に戦況を優勢に保つのも当然の事よ。そう遠くない時期に帝国は宇宙を統一するだろう。覚悟を決めた事もあるが、やけに色々な事が見えるようになった。公とそんな事を話していたのだ」

 

示し合わせた様に、御二人がグラスを傾けられる。グラスの中身が透明だという事はレオだろう。そういう意味では、今回の知らせは朗報になるのかもしれない。対になるマリアは全て皇室に献上され、市場には出回らなかった幻の品だ。悪い知らせばかりを届けてきた私にとっても、最後に出来た悪くはない報告になるかもしれない。

 

「先の会戦で負傷し、捕虜となったシューマッハがメッセンジャー役として帰参いたしました。親書と皇室仕様のマリアを数本、預かって来たそうでございます。機械的な検査は済ませましたが、念のため毒見を手配いたしますか?」

 

「そうか。シューマッハにも苦労を掛けたな。曲がりなりにも、あの二人が先陣として華々しく散れたのも、シューマッハの貢献があっての事であろう。しっかり労ってほしい。この戦況でわざわざ暗殺を仕掛ける理由もあるまい。毒見役は無用ぞ」

 

「畏まりました。親書はこちらに。マリアはすでに執事に預けてございます。良き頃合いにて、用意して参るでしょう」

 

私が差し出した親書を受け取ると、公はペーパーナイフでリューデリッツ伯爵家の紋章が押された封蝋を切り、中身に目を通す。口元に笑みが浮かぶが、既に戦況は決したに等しい。お覚悟も決められた以上、降伏勧告を受け取られてもそのような表情はなされまいに。読み終わった親書をリッテンハイム侯に渡しながら、マリアの用意をメイドに指示される。さて、一体なにが書いてあったのやら。

読み終えたであろう侯が、いたずらを仕掛けるような表情をしながら、親書を私に差し出す。私が読んでも良いものかと思ったが、公が何もおっしゃらぬという事は読めという事だろう。親書を受け取り、内容を確認する。貴族連合にとっては厳しい内容だが、確かに今の御二人に取っては、嬉しい内容なのかもしれない。

 

「決起して以降、当てにならぬ味方にため息の止まらぬ日々だったが、まさか我らの心中を察する者が敵陣におるとはな」

 

「この戦況も当然よな。旗頭の意中を察さぬ取り巻きと、敵の旗頭の意中まで察する敵将。確かに盟主の甥たちも華々しく戦死し、我らもその覚悟は出来ておる。だが、残りの者たちはどこまで覚悟できているのであろうか?」

 

「それがあるからこその親書であろう?確かに皇族でもない限り叛乱した以上、お取り潰しは免れぬ。爵位を笠に着て500年、好き勝手して来たのだ。財産を召し上げられて生活にも事欠くなかで、善意も期待できまい。生き地獄に追いやるくらいなら、我らと共に時代の節目の象徴として華々しく散れという事であろう」

 

親書の内容は、皇族である二人のご夫人とそのご令嬢は、安心してお任せ頂きたいという事と、今まで散々爵位を笠に着て泣かせてきた以上、半端な処罰には出来ぬし、残ったとしても生き地獄となる為、華々しく散る様にという忠告が書かれていた。

 

「そういう意味では、まだ夢を見ておる者もおるであろう。門閥貴族の誇りと血で描かれるこの決起を、良からぬ事を考えて傷物にする輩も出てくるかもしれん。覚悟は決めたが、油断は出来ぬ状況だな」

 

「アンスバッハよ。済まぬが4人の様子を確認しておいてくれ。起死回生を狙うとすれば、あの4名を拉致して降伏するか、いざという時に我らの後背を撃つかだろう。艦隊規模からすれば、戦場での謀事には何とでも対処できる。フェルナーにも、もう一度、言い聞かせておくようにな」

 

了承の旨をお伝えし、部屋を辞する。貴賓エリアの最奥に位置する御両家のプライベートエリアに足を向ける。途中でマリアの用意を届けるのであろうメイドとすれ違い、その後、フェルナーに追い返されたのであろう貴族の面々が、文句を言いながら割り当てられたエリアに戻る所にも遭遇した。

 

プライベートエリアの入口に近づくと、渋い表情のフェルナーが目に入った。普段はそこまで表情を表に出さないはずだが、よほどしつこくされたのであろうか?

 

「フェルナー、大分食い下がられたようだな。顔に出ているぞ?」

 

「ご指摘には感謝しますが、もう遠慮する必要もないでしょう。御両家の戦力と比すれば、有象無象に等しいにも関わらず、主張だけはいっぱし気取り。自分たちの浅はかな考えなど、私のような若造には読めやしないとでも考えての事でしょうが、いい加減、彼らの相手は疲れました。自己評価程、価値が無いのだと教育する存在も必要でしょう?」

 

「そういう必要性が無いとは言わんが、良からぬことを企む連中からすれば、仕掛けるならこちらだ。改めて警戒を頼むとの仰せであった」

 

「承知しております。先ほどの連中もかなり食い下がってきました。御令嬢方から何か言質でも取ろうという魂胆でしょう。勝利した際の婚約辺りでしょうか?それを声高に吹聴すれば、将来の婚約者を危険には晒せません。危険な役どころも避けられるとでも考えているのでしょう」

 

公の甥にあたるフレーゲル男爵とシャイド男爵は初戦で名誉の戦死を遂げられた。だからこそだろうが、覚悟の決まっていない連中からすると、甥ですら使い潰した。と、見えているのやもしれん。珍しく正解だが、事に及んで勝利した暁のメリットばかりに意識を向け、負けたときの事を考えなかったのであろうか?そう言う人種は得てして敗戦濃厚になり始めると、なりふり構わなくなるものだ。

 

「フェルナー、全ての責任は私が負う。護衛部隊の武装を2段階引き上げるようにな。それと引き下がらぬ場合はブラスターでも突きつけてやれ。なりふり構わない連中が出てくるやもしれん」

 

「承知しました。来たる会戦の際は、軍港内に戦艦を一隻用意し、そちらに退避して頂く予定です。どちらにしても貴賓エリアの最奥など、袋小路ですし、艦隊が出撃すれば目が届かなくなりますからな」

 

フェルナーの適性はどちらかと言うと策士だ。その分、連中が何を考えているのかがきちんと見えている。責任はこちらで持つと言えば、必要な対策は躊躇せずに行うだろう。後は最後まで公のお供をするだけだ。この優秀だが、生意気な所がある部下の顔を見れるのもあとわずかなのだと思うと、それはそれで寂しい気もした。要領が良いこの男なら、ちゃんと割り切れれば新しい帝国でもしっかりとした立場を築くこともできるだろう。




明けましておめでとうございます。物語はもう佳境ですが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。引き続きよろしくお願いいたします。


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118話:粛清

宇宙歴796年 帝国歴487年 10月中旬

首都星オーディン リヒテンラーデ邸

クラウス・フォン・リヒテンラーデ

 

「旦那様、おはようございます。朝食の用意が出来ております。良き頃合いでお越しくださいませ」

 

恭しく執事は朝食の用意が出来た事を伝えると、儂の書斎を辞していった。この歳になれば朝は早い。そして憂慮する事があれば、尚更うかうかと安眠出来る訳もない。今日も、朝と言うよりまだ深夜と言えるような時間帯に目が覚め、書斎で資料を見ながら考え事をしていた。貴族連合軍があっけなく初戦で大敗し、ガイエスブルク要塞とやらに追いやられて数日、現在帝都にいるのは、中立を守った政府系貴族と、留守居役を務める軍部系貴族位だが、政府系にとっては聞き逃せぬ噂が流れ始めていた。

 

事の発端は、貴族連合軍が作成していた『血判状』になる。貴族連合軍は決起の段階から足並みが乱れていた。また最後の最後で二の足を踏んだものもいたのだろう。結果として帝都からの脱出に失敗し、逮捕拘禁された者たちから『血判状』の存在が明るみに出た。身に覚えがなければどうという事は無いが、フォルゲン伯を始めとした少なくない政府系貴族も貴族連合軍に参加している。そのせいもあって、軍部系貴族が帝都に残った政府系貴族を見る目は厳しい。良く言っても監視されておると言って良い状況だ。

 

追い込まれた政府系貴族の一部は、ルーゲ伯やマリーンドルフ伯を筆頭に、軍部系貴族に全面協力した元政府系貴族にすり寄ろうとしたが、一切の取り成しを拒絶されたようだ。ここに至って、崩御された陛下が介入しない事で保たれていたバランスが崩れた事に、ようやく気付いたようだ。

我々政府系貴族は、軍事力をほとんど所持していない。そして軍部系貴族が戦況を優位に進める中、カストロプの暗躍もあり、パッとしない状況が、長期間続いた。軍部系貴族が、貴族連合に組した門閥貴族たちと同様に、政府系貴族にも価値を感じていないのではないか?そして潰そうと思えば、『血判状』という口実があり、軍という実行戦力も備えている事に今更気づいたらしい。

 

急に我が屋敷を訪ねてくる者が増えたが、儂は取り成しの言質を与えていない。このまま軍部系貴族が大勝すれば、政府系貴族も貴族連合軍に参加しなかった家ですら口実があれば潰しにかかるだろう。代々尚書職を歴任してきたリヒテンラーデ侯爵家ですら危うい。国務尚書職の辞職と領地に隠棲する事をいつ発表するか?そのタイミングを計っている状況であった。

即位する事がなくとも、唯一の男子の皇族はリヒテンラーデに連なる者だ。リヒテンラーデまで潰しにかかることは無いであろう。ただ初めての女帝として即位するであろうディートリンデ帝の治世の初期に、大きな躓きでもない限り、再び日の目を見る事は叶わぬだろう。だが、取り潰される心配をせねばならぬ家が多い中で、少なくとも生き残れるのだから、マシな方だろう。

 

考え事をしながら眺めていたルドルフ大帝の伝記を閉じ、ナイトガウンを羽織り直して書斎を後にする。銀河帝国の建国期は、社会が衰退し切っていた状況だった。広大な銀河に目を光らせるには限界がある以上、統治権を委譲する事で門閥貴族に帝国の統治を委任した訳だが、辺境星域の急速な発展を見れば、リューデリッツ伯には帝国を再開発するビジョンがあるのだろう。ならば細切れにせず、今回潰されることになる貴族たちの領地は、帝国政府の直轄地となるはずだ。

わざわざ血を流したにも関わらず、また将来の門閥貴族となり得る種を撒く愚は冒すまい。書棚に伝記を戻し、階下に向かう。儂のお付きの者たちは、みな同年代じゃ。早起きには慣れておろうが、流石に早すぎるかもしれん。途中の窓から、やっと差し込み始めた朝日が目に入り、儂はそんな事を考えていた。

 

食堂の定位置に腰を下ろし、早速運ばれてきたゆで卵を食す。今の流行りは柔らかめのようだが、儂は固めが好みだ。いつも通り固めに仕上げられたゆで卵を食し、紅茶でのどを潤す。計ったようなタイミングで焼き立てのパンと、カリカリに焼かれたベーコンが運ばれてくる。朝はやはりこれじゃろう。歳も歳じゃし、血圧も高めじゃ。本来なら塩分を控える為にベーコンは食すべきではないのだが、こればかりは止められぬ。罪悪感をごまかす為ではないが、このタイミングでゆで卵と同じタイミングで用意されていたサラダにも意識を向ける。

幼少の頃から野菜は苦手であった。儂にも天の邪鬼な所があるのだろうか?野菜を強制されるほど、意地でも食べるものか!と思っていた時がある。本来なら控えるべき好物のベーコンを食した後に、少量ではあるがサラダを食すように心がけている。皆、同じように、自分なりに口実を付けて、折り合いをつけておるのであろうか?

 

小盛というには小量なサラダを平らげ、残しておいたベーコンを食べ終わった頃合いから、屋敷の雰囲気がいつもの物とは異なるものに変化した。まだ早朝にも関わらず、敷地内を複数の地上車が走る音が聞こえてくる。執事が訝しむような表情をしながら玄関の方へ向かった。口実を与えたつもりはないが、我が家まで潰す判断を軍部系貴族はしたのであろうか?

食後の紅茶を飲み終え、2杯目を注いだ所で、玄関の方から話し声が聞こえ、複数の足音が近づいてくる。早朝にもかかわらず一方的な対応。良き話ではないだろう。紅茶を楽しみながら待っていると、食堂のドアが開き、見慣れた顔が深刻な表情で一礼してから入室してきた。

 

「リヒテンラーデ侯、早朝に申し訳ございません。今回の件、このゲルラッハ何かの間違いと存じております。当初は深夜に憲兵隊による捜査が行われるはずでしたが、何とか取りやめて頂きました。侯が帝室に仇為すようなことをされるとは思えませぬ。なにかお考えあっての事なら、包み隠さずお話下さい」

 

あの時以上に悲壮な表情をゲルラッハはしておるが、何のことかわからなかった。長い付き合いじゃ。儂の表情を見て察したのであろう。ゲルラッハが資料を差し出しながら話を進めた。

 

「DNA鑑定の結果、皇族で唯一の男子であられたエルウィン・ヨーゼフ殿は、確かにリヒテンラーデ侯爵家に連なる方でございました。ただ、ゴールデンバウム王朝の血脈には100%合致されませぬ。私は誤解だと判断しておりますが、軍部系貴族はゴールデンバウム王朝の名を借りたリヒテンラーデ王朝とすべく為された策謀と判断しております。侯、何卒ご弁明をお聞かせください。何かの間違いでございましょう?」

 

差し出された資料を見ながらどちらにしてもリヒテンラーデ侯爵家が終焉に向かいつつあることを確信した。あの娘、皇太子殿下を誑かしたばかりでなく、種まで別の物にするとは......。そして軍部系貴族はだいぶ前からこの事実を掴んでいたのだ。おそらく健康診断を名目に薬物検査をしたタイミングだろう。成り済ましを防ぐためにDNA鑑定も並行して活用されたと聞くが、そこでこの事実に気づいたのだろう。潰せる状況が整うまで、待っていたに違いない。それに気づかず先ほどまで、わが家だけは安全と思っていた我が身が憎らしい。

 

新帝陛下が即位する前に、大掃除をしてしまおうという事なのだろう。大掃除は何回もしたくないであろうし、リヒテンラーデを潰せれば、残った政府系貴族を潰す事など造作もないだろう。それにしてもゲルラッハめ。一体何を条件にこの役目を替わったのだ。本来なら憲兵隊副総監のケスラー辺りが来るべき所だ。まさかとは思うがゲルラッハ子爵家を賭けたのであろうか?どんな条件を出そうとも、潰せる確証がなければ余人に任せるような事はしまい。儂の命運は決まった以上、せめてこの男だけでも救ってやらねばなるまい。

 

「ゲルラッハよ。心して聞くのじゃ。儂はこの事実を知らなんだ。じゃが、どんな条件を出したにせよ、儂に恩義を感じているお主が使者になる事を許した以上、何があっても潰せる確証があるという事じゃ。お主はすぐに上役の下へ戻り、『リヒテンラーデがすべて認めた』と伝えよ。その後は身を慎む事じゃ。恩義を感じるのもほどほどにせよ。長話でもすれば儂と結託したと思われて、お主まで粛清リストに載ることになりかねぬ。身命を賭して恩義に報いてくれたお主にできる最後の事じゃ。よいな」

 

狼狽えるゲルラッハを横目に窓の外へ視線を向ける。既に憲兵隊らしき人影が屋敷を取り囲んでいた。政府系貴族を潰すきっかけにされる以上、生半可な処罰では済むまい。我ながら大事な所で油断してしまった。せめてもの救いは、無理をしたであろうゲルラッハの功績になる為、ゲルラッハ子爵家だけは救えることじゃろうか......。

うつ向いたまま涙を流し始めたゲルラッハを無理やり引き起こし、玄関まで送る。勝敗は読めていた以上、ゲルラッハが申した通り、全力で軍部系貴族に協力すべきであった。我が家を潰す以上、政府系貴族も軒並み潰すつもりであろう。悔しい事に軍部系貴族には人物が多い。潰しても国政が滞ることは無いと判断したのじゃろう。悔しいが、それは事実じゃ。ゲルラッハが乗る地上車が遠ざかるのを見ながら、儂は近いうちに自裁する事を覚悟した。



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119話:流刑先

宇宙歴796年 帝国歴487年 10月中旬

首都星オーディン 司法省尚書執務室

ルーゲ伯

 

「ルーゲ伯、ご多忙な中お時間を頂きありがとうございます。そちらは大分騒がしくなっているとか?旧来の価値観が未だに通用すると考えている方々を相手に、憲兵隊も色々と大変なようですしね」

 

「左様ですな。ただ、本来あるべき姿に戻ったとも言えます。爵位の有無で有罪無罪が変わるなど、法治主義の観点からすれば、おかしな話ですからな。もっとも軍部には元帥にのみ例外が認められていますが?」

 

「確かに元帥号所持者には大逆罪以外の免責特権がありましたね。ただ、あの事項が付いたのはエーリッヒ2世の即位に関連しての話だったはずです。最高権力者の暴走を食い止める最後の手段なのでしょうが、流血帝の一件以来、有効に働いた事はありませんね。法の番人がお気になされるなら、戴冠式の前にあの事項を削除しても良いかもしれません。私の方からも話をしておく事にします」

 

門閥貴族がほぼ根こそぎ粛清されつつある中、確かに旧来の特権は過去のものとなりつつある。だが、それを主導したのは軍部系貴族だ。彼らと実際に戦った軍人たちが新しい特権階級になっては元も子もない。それを牽制したつもりだったが、どうやら気にし過ぎたようだ。

 

「ルーゲ伯が気にされるのも無理はありません。ですが、折角大掃除が出来たのです。また将来の禍根の種を撒く必要もないでしょう。接収した財産や領地は帝国政府に集約します。予算とビジョンがあれば、いくらでも開発の余地があるのですから、わざわざ分割する必要もないでしょう」

 

そこで相手も言葉を区切る。リューデリッツ伯爵家のご嫡男、アルブレヒト殿には娘が嫁いだ。血縁関係にはあるが、私は、この男に苦手意識がある。軍部貴族の重鎮にして、即位されるディートリンデ陛下の後見人。自領の統治に留まらず、法人を設立して辺境星域を瞬く間に開発してのけた。先帝陛下の覚えもめでたかったし、何かのきっかけがあれば、この男が帝国宰相の大任を任されていた可能性もある。何より軍人としてだけでなく、政治家としての業績も著しい。政府系貴族に属していた私にとって、まぶしさを覚える唯一の人物だった。

 

「リューデリッツ伯、そちらも色々と忙しい時期のはずだ。前置きはそろそろ十分だろう?本題を始めてもらえるかな。貴族同士の流儀も時には必要だが、私たちには不要なはずだ」

 

「ありがとうございます。私も率直な方が好みです。ルーゲ伯に伺いたいのは、2人の人物の法的見地からの罪の有無です。先に判断しやすい方から進めましょう。社会秩序維持局のラング局長は法的に罪はありますか?局員の中には汚職をしていた人材もいるようですが、こちらで把握している情報では、本人はシロのようですが?」

 

「そうですな。要職に就いたにもかかわらずラング氏は汚職を始め、職権乱用の疑いもありません。社会秩序維持局自体が法を逸脱した行為をしていた可能性はありますが、それを問えば全職員に罪があることになります。そうなると職務に精励したこと自体を罪とすることになりますからいささか厳しい判断となりますな」

 

「ちなみに司法省では、彼の無罪が確定した場合、何か役目につける予定はありますか?果たしていた役目はともかく能力はある人材ですが......」

 

「能力は認めますが、抜擢は難しいでしょう。司法省としてはこれを機に治安維持組織の意識改革を更に進めたいと考えています。その中に社会秩序維持局の人員を組み入れたとなると、どうしてもイメージが先行してしまうでしょう。局長クラスのポジションを任せるのは不安がありますし、それ以下の職責では本人が納得しないでしょう」

 

ラング氏は確かに優秀な男だが、傍に置くには不気味な所がある。汚職が蔓延していた社会秩序維持局の局長でありながら、本人はシロと言うのも問題だ。それだけ周到に事を進めていた可能性が高い。招き入れればいつの間にやら影響力を持ち、折角の改革が台無しにされかねない。それは他の省庁でも同様だろう。現在の政局を主導した軍部に隙を見せない意味でも、ラング氏は扱いに困る人物だ。

 

「分かりました。では彼に関しては無罪が確定次第、こちらで引き取る事にします。能力がある人間が不遇をかこうと碌でもないことを考えるでしょうしね」

 

そこで一旦会話が途切れる。ラング氏の事もおそらく前置きのはずだ。新体制の統治を考えたとき、この男が気にする人物はただ一人。かなり扱いには困るだろうし、問われれた所で私も判断に迷う所がある。

 

「その雰囲気ですと、もう一人についても既に察しがついているようですね。エルウィン・ヨーゼフ氏に関して、見解を伺いたい。大掃除は出来れば一度で済ませたい所ですが、これほど扱いに困る人物もいません」

 

「DNA鑑定の結果は明白です。それを基にするなら皇統を捻じ曲げようとしたリヒテンラーデ侯の罪に連座することになりますが、そうなると流刑となりますな。貴族社会で一人前とされていた15歳を越えていればともかく、未だ11歳。策謀の証拠ではあるとは言え、本人に罪を問うのはいささか無理があるでしょう」

 

「分かりました。今回の一件で処罰される貴族は約3500家、流刑になる対象者もかなりの数になると思いますが、流刑地は限られているはずですね?どこに送る事になりますか?」

 

「一番厳重な流刑先となると地球ですな。将来の禍根を残さない意味でもベストな選択肢でしょう。地球の実情を鑑みればいささか酷な話ですが、その分、食料などを添える判断になるでしょうか......」

 

「流刑先は法的に定められているのでしょうか?その判断も適正な物かもしれませんが、遠い未来に狂信者となった自称皇族が現れるような事になっても困ります。それに帝国内においておけば、仮に何かがあった時に新帝陛下に疑いが向くでしょう?その辺りも憂慮した判断をお願いしたい所ですが......」

 

この男のいう所も理解はできる。確かに流刑先は法的に定められてはいないが、地球行きは事実上の終身刑だ。本人に罪を問う事が出来ない以上、最善の策だとは思うが......。

 

「法的に流刑地が定められているわけではありませんが、他にどこか候補地がありますかな?」

 

「そうですね、流刑地に送り込まれたハイネセンなる人物の同胞方が、なんとかそれなりの状態にした地域があるようです。亡命帝の前例はありますが、本人が幼いとはいえ一度帝国を捨てたとなれば、その系譜が求心力を持つことは無いと思うのですが......」

 

叛乱軍の勢力圏に送るというのか?法的には問題は無いが、政治利用される可能性もある。その辺りはどう考えているのだろうか?

 

「過去の事例を見れば、政敵に追いやられた貴族の亡命を叛乱軍は受け入れています。エルウィン・ヨーゼフ氏が問題なく亡命できれば、それこそゴールデンバウム王朝の流れを組むものではないと公に認められるでしょう。逆に彼らが政治利用するようなら、既にそういう風潮が生まれていますが、臣民たちは叛乱軍を自分たちの明確な敵と再認識するでしょう」

 

「受け入れるかどうかを議論させるだけでも叛徒たちの内部に亀裂を作れるやもしれぬという所かな?フェザーン高等弁務官のレムシャイド伯を始め、国内にいなかった一部の貴族を泳がせているのもその為なのかね?」

 

「ええ、既にフェザーンの自治はかなり限定的な物になっています。彼らも行き場が他にない事くらいは気づくでしょう。金融危機で多くの叛徒たちの生活が破綻している状況で、唯一の男子の皇族だった幼児と、落ちぶれた門閥貴族をどう扱うか?政治利用してくれればそれに越したことはありませんが、国内に置いておけば禍根になる可能性が捨てきれない以上、良い手だと思うのですが......」

 

「法的には問題は無いが、話は通しておいた方が良いとは思いますな。もっとも私に判断を確認した時点でそんな事は済ませておられるのやもしれませんが......」

 

「ルーゲ伯には色々と見透かされてしまいますね。ですがだからこそ相談先にしてよかった。もし扱いに迷うような貴族がいれば一緒に送り出しますのでリスト化して頂ければ幸いですね。手筈はこちらで整えます。詳細は追ってお知らせしますので。お忙しい時期に長々とお付き合い頂きありがとうございました。では、また近いうちに......」

 

そう言うと彼は一礼してから通信を終えた。どこか肩の荷が下りたように感じる。確かにカストロプの件を始め、旧体制の時から様々な理不尽を是正しようと動いては来た。だが、それが簡単に実現されるようになった時、自分の判断が本当に正しいのか?問い直す事を心に決めた。エルウィン・ヨーゼフ氏に関してはどこまで行ってもルードヴィヒ皇太子の子として育てられた事実が付きまとう。DNA鑑定の結果がどうであれ、彼に何かあった場合、新帝陛下にとっては異母兄の子に対しての有り様と見られてしまう。政治利用さえされなければ地球行きより、かなりマシなはずだ。

政治利用された場合は、新帝陛下のお慈悲を踏みにじったという事になる。変に国内に置いておくより確かに良い案だが、それを思いつく辺りがさすがだ。気持ちを切り替える意味で大きく息を吐くと、私は今回の件で下される貴族達への処罰の確認作業に戻った。処罰される側にとっては関係ない事だろうが、新しい体制下での判例になる。この時期に手を抜けば、後々に不公平が生まれかねない。百科事典数冊分にはなりそうな資料の山を横目に、コルプト子爵家へ下される処罰の内容の確認を始めた。




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120話:フィクサー

宇宙歴796年 帝国歴487年 10月下旬

フェザーン星系 歓楽街 支配人室

ドミニク・サン・ピエール

 

「それにしても、あの時の可愛い少女がいつの間にかフェザーンのフィクサーになっているとはね。駐在武官時代に出会った方にはワレンコフ氏を始め、長い付き合いになった方が多いが、ドミニクとの付き合いも長くなりそうだ」

 

「閣下、女性は気にかけて頂いていると伝わっているうちは裏切りませんわ。そういう意味では男性より扱い易くもあり、また同時に扱いにくいのかもしれませんわね」

 

秘匿回線を使っての久しぶりの会話に、思わずつれない態度を取ってしまう。別に本心から愛人になりたいわけでは無い。だが、フェザーンの裏側で代理人を務める以上、本気の恋愛は出来ない。情夫を作ろうと思えば何人でも作れるが、男性と違って女性は最高の物が一つあれば満足できる。そういう意味でたまにじゃれついて通話の相手を困らせるのが、私の楽しみのひとつでもある。そして相手も、疑似愛人ごっこのような会話を楽しんでくれている。

 

「まったく、あの頃と何も変わらないな。実際は情に厚く、涙もろい所があるのに普段は凛としている。そんな君にだから頼みたい事がある。内容が男性の世話だからすこし嫉妬するがね......」

 

「まあ、浮気を勧めるのですか?女の恨みは後が恐ろしいものですわ。どうしようかしら......」

 

そこで限界がきた。お互いに笑ってしまう。女として枯れたわけでは無い。ただ、歓楽街を彩る夜の蝶だった頃とは比較にならない影響力を得た今、その影響力を活かして、想いを寄せた相手に尽くす喜びを得られる女は、この宇宙で私だけだろう。女性は限定という言葉に弱い。そういう意味では、そう多くはない宇宙を動かす側の椅子のひとつを得られた事は、幸福でもあり不幸でもあった。これ以上の喜びはないだろうし、もう閣下から離れられない。離れてしまえば、自分の人生が色褪せたものになるのが明白だもの。

 

「頼みたいのはケッセルリンク氏に依頼した荷物の件だ。あちらの経済状態は決して良くはない。法治主義を取る以上は幼児を断頭台に上げるような事はしないと思うが、少人数でいいので信頼できる人物を傍において欲しい」

 

「政治的な判断を下せる必要はございますか?そうなると大分絞られますが......」

 

「その必要はない。要人警護ができて、温かく見守ってやれる人物だな。すこし甘やかされて育った所があるから、指摘すべきことは相手が誰であれ、指摘出来れば尚良いが......」

 

「要は後見人と護衛役を兼ねる人物ですわね。何人か心当たりがありますわ。人選は私に一任して頂けると思って宜しいでしょうか?」

 

「構わない。それと生きているうちは生活費に困るような事が無いように手配して欲しい。あちらで政治利用させるような事があっても、その辺は流れに任せて良いとも伝えてくれ。どちらにしても彼が貴族社会で一人前とみなされる15歳になる前に、戦争は区切りがつく予定だ。その辺りも伝えてもらって構わない」

 

「承知しました。手配しておきますわ。それにしても閣下もあの頃とお変わりありませんわね。子供に甘い所はあの頃のままですもの」

 

「人類社会は私が死んだ後も続いて行くだろう。どうせ受け継がせるなら、少しでも良い形で引き継ぐ責任がある。そういう意味では、彼をあちら側に追いやるのは必要な措置だ。ただ放り出す以上は身の安全と生活費位は面倒を見てやるべきだろう?本人には何の責任も無いのだからな。本来なら行き先は地球だった。その場合は生活に困窮する可能性はあるが、命の心配はなかっただろう。それを考えての事だよ」

 

すこし悲し気な表情をされる。だが私が慰めてもあまり意味はないだろう。配慮が無駄になる事が無い様に、しっかりとした人選を行い、状況を把握しておくのが私にできる事だ。少し話題を変えたほうが良いだろう。

 

「それにしても、叛乱軍に仕掛けた経済戦争の結果には驚きましたわ。利益が膨大過ぎてボルテック氏が目を見開いておりましたもの。投資先の切り替えもスムーズに進んだ様ですし、おめでとうございます」

 

「ありがとう。ただ、あれはどちらかと言うとワレンコフ氏の功績とも言える。彼は当初、自治領主となる志を立てていたが、政治家として大成したかはともかく、投資家としては宇宙屈指の人物だった。そうでなければたったの30年で、運用資金を10倍にする事など出来ないからね」

 

前フェザーン自治領主のワレンコフ氏が自治領主の地位にあったのは、ほんのわずかな期間だ。政治家としての適性を判断するのは難しいだろうが、投資家としての業績は史上類を見ないものだ。もっとも公開するとしてもかなりの期間を経ての事になるだろう。第三国を通じてとはいえ、帝国屈指の企業の代表が、敵国に投資していたというのはあまり広言できる話ではない。

 

そのワレンコフ氏は、内戦が始まる直前に眠るように亡くなったと聞く。本懐が遂げられたのかは分からないが、宇宙を舞台に膨大な資金を動かし、利益を上げた。部下たちも帝国中から選び抜かれた者ばかり。後任として社長に就いたシルヴァーベルヒ氏は、話を聞くだけでも異彩を放っているし、比較されることの多いグルック氏も手堅い仕事で評価が高い。後進の育成にも成功した以上、思い残す事は無かったように思う。

そして閣下の言にあった通り、功績が盗まれることなく語り継がれていく。帝国の優秀な男たちが吸い寄せられるように集まるのも分かるような気がした。最高の環境で能力を発揮し、功績を上げればそれが自分の物として語り継がれる。童話に出てくるナイトのようになれるのだ。どんな凡夫でさえ、幼い頃に一度は夢見た事があるだろう。そんな環境が、実際に用意されるのだもの。

 

「そう言えば、教育を兼ねて投資案件に関わらせた時に、当時のローエングラム伯とキルヒアイス少将も目を見開いていたのを思い出したよ。資産は一定の金額を越えるとどうでもよくなるからな。あの時は可愛かったものだ。私の場合は、初めは戦艦で数え始め、少しすると艦隊で数えだしたな。宇宙艦隊の数を越えた辺りで数えるのを止めてしまったが......」

 

「次期帝国の王配殿にもそんな時代がありましたのね。でも安心しましたわ。私の場合はフェザーンの首都圏で数えておりました。まだ金銭感覚がおかしくはなっていない様だわ」

 

そう言えば、ボルテック氏はゼロの数を必死に数えていたように思う。そういう意味ではまともな金銭感覚を維持しているのだろうけど、こんな大型案件が動くことはもうないだろう。そういう意味でもボルテック氏の有り様は良い意味で慣れていないのかもしれないわね。ご無沙汰だったから少し長めにじゃれついてしまったけど、代理人としてのお仕事もしないと。

 

「私の方からも報告と確認したいことがございます。まずは独立商人たちの事です。もともとお取引のあるコーネフ商会とは別ルートで、かなりの数の独立商人に貸しを作る事が出来ました。気質を考えてもこちらの言いなりにはならないでしょうが、借りは返す面々です。今後、何かの時には役に立つでしょう。

後はルビンスキー氏とケッセルリンク氏の動きですわね。フェザーンが所有する対叛乱軍の借款が年間予算の10年分に相当する以上、圧力をかければある程度の事は通るでしょう。彼を政治利用するように仕向ける動きがあった場合、ご報告だけで宜しいのかしら?」

 

「独立商人たちの事はそれで問題ないだろう。流した情報が正しく、利益につながったという実績があれば、こちらが流す情報を無視はできなくなるだろうからね。今後も適度に情報を流して儲けさせてあげれば良いだろう」

 

閣下はここで言葉を区切る。

 

「ルビンスキー氏とケッセルリンク氏に関しては、すでに釘を刺していたはずだ。もし相談されたら私に諮る様に伝えて欲しい。独自に動くようなら、それを把握しておいてくれればよい。制止するまでの対応は敢えてしないで欲しい。父親の方は踏み絵の最中だし、息子の方も試用期間だ。信用できるかを試す意味でちょうど良いだろう」

 

「分かりました。こちらからは以上です」

 

「引き続きよろしく頼む。新体制が固まれば、何人か要人と顔つなぎをするつもりだ。何かと気苦労が増えるかもしれんが、影響力を維持するには必要なことだ。堪えてくれればありがたい」

 

そう言うと、閣下は通信を終えられた。初めて会った時から続けている閣下呼びも余人がいないからこそできる事だ。さすがに第三者がいる場ではリューデリッツ伯とお呼びすべきだろう。要人との顔つなぎは本来なら喜ぶべき話だが、そんな事より閣下呼び出来ない場に出向かねばならない事に、私はすこし煩わしさを感じていた。何も映さなくなったモニターに視線を戻す。今日は寂しさを紛らわすためにレオを飲む必要はなさそうだ。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 10月下旬

フェザーン星系 RC社 支社長室

ニコラス・ボルテック

 

「ボルテックさん、資料は確認しました。予定通り利益を確保しながら投資先の切り替えも順調ですね。特にテラフォーミング技術と産業機械系を押さえられたのは大きい。帝国の発展に必ず役立つでしょう」

 

「ありがとうございます。投資案件の実績としては過去に類を見ない天文学的な利益を得る事が出来ました。新しい投資先の確保に困るほどでございます」

 

今回の案件の収益は膨大なと言う表現では足りないほどの利益を上げる事が出来た。私は何度もゼロの数を確認していたが、新しくRC社の社長になられたシルヴァーベルヒ殿はそこまでお喜びではない様だ。

 

「この案件は確かに果実をもぎ取る役目は私たちが担当しましたが、ワレンコフ氏の業績に寄る所が大きいでしょう。とはいえ、歴史に残る案件の脇役のひとりとして記憶はされることになります。むしろ今後何を為すのかを問われる事になるでしょう。影響力は得られましたが、それを維持できるか?我々自身が問われる事になります」

 

確かに言われてみればその通りだ。とんでもない利益の額に舞い上がっていた自分が恥ずかしかった。それにしてもさすがはシルヴァーベルヒ殿だ。若くして、当時のRC社のトップだった故ケーフェンヒラー男爵に見いだされ、ワレンコフ氏からも将来の社長として育てられた。見ている視点が私の及ぶ所ではない様だ。

 

「そんな顔をする必要はありませんよ。確かに私たちは実績と資金をワレンコフ氏に与えられました。投資案件でこの額の利益をまた上げる事は難しいでしょうが、別の分野で必ず匹敵する実績を上げられるのです。落ち込む必要はありませんよ」

 

嬉し気に語るシルヴァーベルヒ殿を見ながら、いささか話しに付いていけていない自分がいた。若い頃から異彩を放っていたが、異才を持つ者にありがちな論理の飛躍を良くされる方だ。

 

「いつもの癖で話が飛びましたね。帝国の内戦は軍部が勝利します。順調にいけば数年以内に叛乱軍との戦争にも終止符が打たれるでしょう。門閥貴族の時代が終わり、軍人の時代が始まろうとしている。その先には私たちのような経済と財務に長けた人間の時代が来ます」

 

確かにその通りだ。戦争が終われば、軍人たちの役割は治安維持と宇宙海賊の討伐位になるだろう。そして私たちのような人種がいよいよ活躍できる時代になるはずだ。

 

「現在の宇宙の人口は420億人に足りない程度です。元々は帝国領だけでも3000億人が暮らしていたのですから、全宇宙に置き換えると6000億人は生活可能でしょう。テラフォーミング技術が進めばもっと可能性は広がります。人類社会が再度成長期を迎える段階で、私たちは宇宙でも屈指の権限と実績、そして無尽蔵の資金を得た。後はどこまでその拡大に貢献できるかでしょう。私たちがワレンコフ氏の弟子だったと言われるか、ワレンコフ氏が私たちの師だったと言われるかは、これからの私たち如何です。どうです?やりがいは十分にあるでしょう?」

 

確かにその通りだ。言わば拡大が約束されたブルーオーシャンに参入したようなものだろう。長期目線で需要が高まる業界は軒並み押さえている。焦る事など何もない。着実に人類社会が拡大できるように手助けをしていけば、少なくとも人類史の教科書の片隅に、私の名が残るかもしれない。

 

「ただ、少なくとも100年後の社会の有り様をデザインする必要はあるでしょうね。社会を出来るだけ自動化する方向で私も考えていましたが、グルックと話をする中で考えが少し変わりました」

 

また話が飛んだ。ただ、シルヴァーベルヒ殿の良い所は、こちらが話に付いていけていないとすぐに察して頂ける点にある。部下に対して誠実な所は好感を感じていた。

 

「失礼しました。私はどちらかと言うと加点主義的に物事を捉えがちなのです。自動化できるものは、してしまった方が効率は良いと考えていました。グルックが問題提起してくれたのは機械による自動化が、専門知識を必要としない分野を中心に進む事への警鐘でした。自動化には利点も多いですが、容易に自動化できる分野は貧困層の雇用先でもあります。臣民たちを専門家に教育できる体制を作らなければ、特に貧困層の雇用を奪う結果になると。確かに一理あると思いました」

 

苦笑しつつも他者の意見を参考に自分の意見を修正したと話せる所に、余裕のような物を感じた。私なら他者の意見を参考にしたと、自然に話す余裕はまだない。

 

「戦後の対外関係がどういう物になるにせよ、あらゆる組織にとって競争相手が必要な以上、叛乱軍を形はどうであれ残す判断をするはずです。ならば我々は叛乱軍の民衆を吸い上げる方向で動こうと考えています」

 

そこで一旦言葉を区切り、手元のカップを口元に運ばれる。美味しそうに紅茶を飲むシルヴァーベルヒ殿を見て、私も手元のグラスに手を伸ばした。今まではミネラルウォーターを選んできたが、紅茶に変えるのも悪くは無いかもしれない。

 

「様々な案件に携わってきましたが、ひとつだけ共通しているのは、皆、今日より良い明日を迎えたいと言う事です。社会に活力をもたらすのは若年層です。彼らに実例を持って問いかけたいと考えています。参政権はあるが、停滞した社会と、参政権は無くても活力のある社会。既に帝国では学力に応じた学費の無償化と医療に関しては全面的な無償化が実現されつつあります。

移民する層の多くは貧困層ですから、雇用の受け皿を残しつつ、子供たちは無論、努力次第で本人もより専門的な職業に就ける体制を作ろうと考えています。これで10億人の移民希望者を獲得できれば、それだけで数個艦隊を維持する経済力を奪ったことになります。見方によっては帝国元帥並みの功績です。こういう考え方も面白いでしょう?」

 

思わず頷いてしまった。艦隊を指揮して戦う自分は想像できないが、同様の成果を上げられるならそれはそれで面白い。

 

「後は一度、数字だけでなく実情も見てみる事ですね。ワレンコフ氏は地球教から逃れる為にリューデリッツ領に隠棲していた時に気づいたそうですが、数字と実情の両面を見なければ、将来の社会の有り様を想像する事は困難だそうです。かく言う私も、信じらないような見逃しをして10万人の生活を路頭に迷わしかねない事態を引き起こすまでは実感はありませんでしたが......」

 

懐かしそうな表情で、かなりの失敗談を語るシルヴァーベルヒ殿を見て、やはり大物なのだと思った。私にはとても出来そうにない。

 

「幸いな事に、ケーフェンヒラー男爵がリューデリッツ伯に頭を下げてくれたおかけで何とかなりましたが......。RC社の本部には全ての案件の事前・事後が残っています。一昔前には砂利道だった所に幹線道路が引かれ、地上車がひっきりなしに往来するようになった案件もあります。急いで投資先を探す必要もありませんから、一度そういう案件を見て回るのも良いかもしれませんね」

 

言われてみればその通りだった。焦る必要はないのだ。それに宇宙全域で投資していた事もあって、実際に現地に赴いた事は皆無に等しい。一度見て回る事で何か掴めるかもしれない。

 

「表情を見る限り何か掴めたようですね。こちら側の事ならかなり融通を利かせられるでしょう。あちら側の事は、むしろボルテックさんの方がお詳しいでしょうからお任せします。次回はボルテックさんからも色々とご意見を頂けると思いますから楽しみにしています。では」

 

あわてて一礼したが、視線を向けるとモニターには通信が終了したメッセージが表示されていた。最後にかなりプレッシャーをかけられたが、それも期待の表れだろう。視察先を選ぶべく、私は過去の投資案件のデータベースにアクセスを始めた。先ほどまでは投資先が見つからない事を気にかけていたが、もうそんな事は頭から消えていた。そしておそらく苦労が絶えないであろうグルック氏に、一瞬だが労いの気持ちを込めて、ご苦労様です。と心の中でつぶやいた。



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121話:凱歌

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

惑星オーディン 宇宙港

ウォルフガング・ミッターマイヤー

 

「閣下。お疲れ様でした。戦場から帰還するのはこれが初めてではございませんが、何やらいつもと異なる趣がありますな」

 

宇宙港に艦隊旗艦ベイオウルフが着陸して数分、整備兵たちが係留ロックを終えた頃合いで、参謀長のビューロー少将がホッとした様子で声をかけてくる。同乗していたバイエルラインも同意するようにうなずいていた。

 

「そうだな、俺にも似たような気持ちはある。確かに叛乱軍との戦いから戻った時とは気分が違うな。心のどこかで、あの戦いが時代の節目だと感じているのかもしれんな。それに俺も門閥貴族に思う所はあったが、なんというか......。勝利の可能性が無い中でも勇戦された。有終の美とも言うが、時代の節目に相応しい誇りのような物を最後に見せられて、何か感じる物があったのやもしれんな」

 

「良い表現が浮かびませんが、門閥貴族の最後に相応しい有り様でした。確かに彼らの人を人とも思わぬ行状に思う所もございましたが、彼らが確かに帝国を背負ってきたのでしょうね。私も見習いたいと存じます」

 

「バイエルライン、その言い方では最後の事を考えている様ではないか。卿はまだ若いのだ。最後の事など考える前に、ひとりでも多くの部下を連れ帰る事を考えたほうが良いぞ。それにもう将官なのだ。いい加減、身を固める事も考えなければな」

 

「はぁ、小官も閣下のようにきれいなお嫁さんを迎えたいと思うのですが、なにぶん出会いが無いものですから......。出征も多いですし、とりあえずは軍が恋人と言った所でしょうか」

 

誤魔化すように冗談を言ったつもりだろうが、あまり面白くはない。そう言えばミュラーも任官直後に手痛い失恋をして以来、恋愛に関しては優先順位を下げていると聞く。俺が結婚したエヴァンゼリンは、もともと遠縁で実家に帰れば会う事が出来た。そういう意味では恋愛の指南は出来かねるし、恋愛指南が出来そうなシェーンコップ男爵やロイエンタールに相談させて、変に夜遊びを覚えられてもそれは困る。

ビューローに視線を向けるが、困ったような表情をするだけだ。確か彼も士官学校に合格した時に、幼馴染と婚約したのだった。若手士官が軍務に励むのは良い事かもしれんが、帝国が活力を維持するにはより多くの子供が必要だ。そういえばリューデリッツ伯は領民たちの婚姻促進策も打ち出しておられたはずだ。一度相談するのも良いかもしれん。

 

「俺も参謀長も、幼馴染と結婚したからな。一度若手士官たちの結婚に関してはリューデリッツ伯に相談しておこう。個人的な事で相談に乗って頂いた事もあるからな。何か良い案を出して下さるやもしれん。ただ、冗談に関してはイマイチだな。そちらは戦術のように俺が教えられるものでもない。2週間は休暇が出るのだから少し勉強しておくようにな」

 

「小官の個人的な事でリューデリッツ伯のお手数をお掛けするのはさすがに畏れ多いのですが......」

 

「卿だけの問題ではないのだ。宇宙艦隊だけでも将兵の数は4000万人を越える。その多くが男性だ。彼らの結婚が遅れれば、出生率にも影響するのだ。出征の前に、一度産婦人科に付き添ったときに色々聞いてな。卿ひとりの問題ではないから安心しろ」

 

そう言うと、バイエルラインは納得したようだ。どこか嬉し気な所を見ると、結婚したいのは確かなようだが、現金な奴だ。リューデリッツ伯が動くとなればかなり効果のある施策が実施されるに違いない。それに叛乱軍との戦争が終われば、正規艦隊を18個艦隊も戦力化しておく必要もないだろう。しっかりと家庭を持ち、次代を育むのも、臣民にとって大切な任務だ。

 

「係留作業が完了いたしました。提督、この度も無事に帰れましたな。お疲れ様でした」

 

参謀長が敬礼しながら声をかけてくる。答礼を返して艦橋を後にする。司令官が退艦しなければ部下たちも休暇に入れない。今回は内戦という事で祝賀会は行われないが、ディートリンデ皇女殿下から慰労金名目で一時金が支給される。僚友とこのまま歓楽街へ繰り出す者もいれば、意中の女性に会いに行く者もいるだろう。そして俺のように愛する家族が待つ家庭に戻る者もいるだろう。

 

タラップを降り、宇宙港のターミナルへ進む。少し進むと、俺の艦隊の乗組員たちの出迎えだろう。あまり仰々しいのは苦手だが、部下の家族たちは俺の顔を知っている。奥方らしき女性が深々と一礼をしたり、小さな子供たちが見様見真似で敬礼してくれる。それに答礼しながら進んでいくと、見覚えのあるややくすんだ金髪が目に入る。今回も出迎えに来てくれたようだ。少し歩みを早め、手を振ると、エヴァも俺に気づいたのだろう。手を振り返してくれた。

 

「今帰ったよ。エヴァ。流石に身重なんだから家で待っていてくれても良かったんだが......」

 

「出迎えは夫婦になる前からの習慣ですもの。それにお腹の子も父親を出迎えたかったでしょうから」

 

嬉し気な表情のエヴァをやさしく抱き寄せて口づけをする。結婚当初はなかなか子供が授からずに悩んだこともあったが、リューデリッツ伯に紹介して頂いたケーフェンヒラー総合病院の産婦人科で指導を受けた結果、やっと授かる事が出来た。軍人の妻とは言え、何かと家を空ける事が多い俺にとっては、エヴァを広めの将官用官舎に一人にしてしまうのも気になっていたし、何よりエヴァが新しい家族が出来る事を望んでいた。

 

「ご無事で何よりでした。貴方の出征中は何かとリューデリッツ伯爵夫人やオーベルシュタイン男爵夫人に気遣って頂きました。官舎の方もシェーンコップ男爵が護衛を回してくださいましたわ。折を見て、貴方からもお礼をお伝えしてくださいませ。お義母様も官舎に泊まり込んでくださいましたのよ?お義父様にもかなりご不便をおかけしてしまいましたわ」

 

身重のエヴァに合わせてゆっくりと空港出口に向かう。結婚祝いとして、リューデリッツ伯は帝国ホテルの披露宴会場を手配して下さり、花嫁衣装も伯爵夫人にご手配頂いた。今では料理で名を知られた男爵夫人が、披露宴のコースを監修してくださった。仲人役をという話もあったが、門閥貴族の勢いが強かった時期でもあったし丁重にお断りするしかなかったが、現在の軍上層部には気さくな方々が多い。若手士官の婚姻施策が動き出すような事があれば、結婚式への参加も、軍上層部の大事な役割になるかもしれなかった。

 

「まあ、親父の事は気にしなくていいだろう。初孫の誕生を何より楽しみにしているのは親父だし、母さんが留守の時は近所の酒場に造園仲間たちと繰り出しているはずだ。ご相談したいこともあるし、リューデリッツ伯爵邸に一度お伺いを立てる事にするよ」

 

それにしてもエヴァのお腹のふくらみに自然と視線が向く。出征前は妊娠していると言われても、そこまで大きな変化はなかった。すくすくと俺たちの子供が育っていると思うと、自然と笑顔になってしまう。空港出口付近で待っていた公用車に乗り込み、実家へ向かうように指示を出す。将官になった時から専用の公用車を下賜されたが、未だに馴れない所がある。幸いにも運転手は平民出身の退役兵で、付き合いやすい人物なのが救いだった。

見慣れた実家への道筋が窓の外を流れていく。ビューロー達とも話したが、同じ風景なはずなのに何かが違って見える。やはり時代が変わったと認識しているからなのだろうか?俺は窓の外に視線を向けながら、敵ながらあっぱれな最後を遂げられたブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の事を思い出していた。

 

「すでに包囲の陣形は万全なものとなりつつあります。要塞主砲も機能しない以上、討って出るか、降伏しか道は無いと存じますが、貴族達はなにを考えているのでしょうか?」

 

「俺にも分からんが、何かは考えているのだろうな。哨戒エリアが近かったビッテンフェルト提督によると、リューデリッツ伯は、すでに彼らは終焉を覚悟しているのではないかと話されていたそうだ。時代は確かに変わりつつあるが、今更見苦しく命乞いをするような終わりにはならんような気がするな」

 

戦術モニターを横目に、参謀長が声をかけてくる。確かに要塞主砲は使えずとも、対空砲の嵐を浴びれば軽微な損害では済まない。包囲したと言えば圧倒的優勢なように思えるが、逆に言えば要塞周囲に分散したとも言える。貴族連合軍の残存兵力は多くても5万。戦力の面で優勢でも、相手が一方向に全軍で当たれば、短時間とは言え数的優位を作ることは出来る。油断は出来ないが......。

 

「前衛のバイエルライン艦隊より入電、要塞の港口から反応多数、敵が出撃してきた模様です」

 

「良し、バイエルラインにはいったん下がる様に打電。要塞至近では後背をつくことは出来ん。敵を引きつけながら要塞から切り離す。両翼に位置しているルッツ艦隊とビッテンフェルト艦隊にもその旨を打電せよ」

 

俺がその旨を指示すると、艦橋が一気に活気づく。戦術モニターではバイエルラインの分艦隊が後退するのと同時に、要塞至近の宙域にかなりの反応が表示されつつあった。既に1万隻を越えている。予想通り、敵は包囲の危機とは見ず、戦力分散をした我々を各個撃破するつもりのようだ。圧倒的に不利な戦況にも関わらず、戦意は旺盛な様だ。普通の敵とは思わない方が良いだろう。

 

「ルントシュテット元帥より入電。当初の計画通り敵艦隊を引きつけつつ要塞から切り離すようにとの事です。両翼の艦隊にも提督から細かい部分は指示を出すようにとの事です」

 

オペレーターが元帥からの司令を伝えると当時に、両翼の艦隊から通信が入る。

 

「ミッターマイヤー提督、事前の打ち合わせ通り要塞から敵を引き離すなら、早期に増援は無い方が良いだろう。レーダー上で卿の艦隊の陰になる位置で要塞から距離が取れるまでは距離を保とうと思う。危なそうならすぐに増援に入るから安心してくれ」

 

「俺の方は要塞から距離が取れた時点で横合いから突撃をかけるつもりだ。頃合いは見計らうつもりだが、卿からみてタイミングが遅れるようなら催促してくれれば助かる」

 

ルッツ提督が援護に回り、ビッテンフェルト提督が最初の突撃を担う。俺たちの組み合わせなら役割分担としては適したものだろう。

 

「では、手筈通りに。よろしくお願いする」

 

敬礼を交わし合い、戦術モニターに視線を戻す。反応が3万隻を越えた。全力出撃を仕掛けてくるようだ。バイエルラインの分艦隊が俺の艦隊の艦列まで下がった所で、オペレーターが訝し気な表情をしているのが目に入る。視線を向けると困ったような表情で

 

「おそらくブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の乗艦と思われる艦から、広域電波が発せられています。演説を流しているようですがモニターに映しますか?」

 

了承の意味でうなずくと、モニターにブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の映像が流れる。

 

「我らを包囲せんとする帝国軍諸君、お主たちの艦隊運用の様は見させてもらった。敵ながら見事な艦隊運用、あっぱれである!」

 

「叛徒ども相手に優勢に戦況を保っておるのも納得できた。しかしながら建国より500年、帝国の支柱としてお支えしてきたのは我ら門閥貴族である」

 

「我らの誇りをかけた突撃を受けてみよ。流刑人の子孫どもとは一味も二味も違う事を思い知らせてくれよう。我々を打ち負かす事が出来れば、この宇宙にお主たち以上の強者はおらぬという事だ」

 

「我らを討ち滅ぼし、宇宙を統一する自信を得るが良い。もっともそう簡単にはやられぬぞ。覚悟するが良い。皇帝陛下万歳、帝国万歳、銀河帝国に栄光あれ!」

 

そこで二人が持っていたグラスを傾けて中身を飲み干す。周囲から聞こえる「万歳!」の声は貴族連合軍の将兵の物だろうか......。

 

「敵艦隊、一丸となってこちらを目指してきます」

 

「予定通りに引きつけながら徐々に後退するぞ。敵は覚悟を決めている。くれぐれも油断するな」

 

貴族連合軍の動きは初戦の物とは異なり、かなり練度の高いものだった。特にブラウンシュヴァイク公とリッテンハイム侯の艦隊は動きがいい。思わぬ攻撃に序盤は苦戦を強いられたが、徐々に要塞から引き離す。一時間ほどした所で、右翼からルッツ艦隊が牽制射撃を始め、左翼からビッテンフェルト艦隊が突撃を開始した。叛乱軍相手の戦いならこれで決着がつく所だが、敵の戦意は衰えを知らなかった。

艦列がズタぼろになっても、反撃を止める艦はない。包囲殲滅戦に切り替えても、広域電波で流れる演説同様、敵は反撃を止めなかった。残存艦が百隻単位になった時、一際大きな爆発が起こり、演説が止まった。残りの艦も全滅するまで戦い抜いた。勝利の喜びを感じるよりもホッとする気持ちが強かった様に思う。そして見事な最後だった。

 

戦闘終了後の救援活動を命じたタイミングで、メックリンガー艦隊が、ご夫人方と2人のご令嬢を保護された旨が入電したが、純粋にご無事で良かったと思えた。俺ももうすぐ親になるという状況もあったが、貴族連合軍の盟主としてふさわしい名誉ある最期を遂げられたのだ。

 

彼女たちの夫と父親が、門閥貴族の最後を誇りあるものにした。時代は変わるだろうが、少なくとも盟主役を果たされたお二人を貶す者はいないだろう。それをちゃんと知っておいてほしいと素直に思う自分がいた。

 

「ウォルフ、まもなく到着するわ。お義父様ったら待ちかねたご様子ね。手を振って下さっているわ」

 

エヴァの声で、俺の意識は現実に戻った。確かに車窓から見え始めた門の近くで、親父が手を振っている。あの方々から渡されたバトンをしっかり次代につなげる事を秘かに決めていた。ただ、良い働きには休息も必要だ。近づいてくる見慣れた実家に視線を向けながら、俺はそんな事を考えていた。



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122話:鎮魂

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星ハイネセン 戦没者慰霊墓地

ヤン・ウェンリー

 

「ヤン、そんなに俺はやさぐれて見えるか?髭はちゃんと剃ったのだがな」

 

「ワイドボーン、余り気にしないでくれ。私も今回の政府の対応には思う所がある。それにうちの艦隊司令部は現政権に厳しい見方をする人材が多いんだ。意思表明を多少なりともする意味で同席したいと考えたのさ」

 

そうか......。とつぶやくとワイドボーンは車窓に視線を向ける。見渡す限り広がる膨大な数の墓石たち。戦争が始まって150年を越えた事を考えれば当然の事なのかもしれないが、私たちが見渡せるのはごく一部でしかない。そしておびただしい数の墓石たちに共通しているのは、墓石に刻まれた氏名の持ち主の遺体が無い事だろう。

第三次イゼルローン要塞攻防戦に参加した4個艦隊は、待ち受けていた帝国軍に散々に打ち負かされた。特にひどかったのはワイドボーンが分艦隊司令を務めていたホーランド艦隊とクブルスリー艦隊だ。戦前に56000隻を数えた戦力は、30000隻近くまで打ち減らされた。

打ちのめされた将兵たちを更に傷つけたのは政府の対応だ。本来なら統合作戦本部ビルの大講堂で慰霊祭が行われるべき所だが、予算を理由にこの戦没者慰霊地で簡単な式典を行っただけだった。金融危機への対応と戦没者への一時金を捻出する為の苦肉の策かもしれないが、形式上は政府の命令で死地に赴いた兵士たちへの対応としてはあんまりだろう。

 

「意識してここに足を運んだことは無かったが、予想通りだな。式典めいた事で彩らなければ僚友たちの戦死を素直に受け止める事など出来ない。一時金が出る事がせめてもの慰めだが、式典は開催して一時金が無しという方が良かったかもしれんな。もっともうちの艦隊は生き残った連中でカンパして、式典をやるつもりのようだが......」

 

「それは良い事だと思うよ。葬式は死者を弔うものだが、本質的には遺された者たちの為にやるものだからね」

 

地上車が止まり、石畳を歩きながらこのエリアの戦没者慰霊モニュメントへ足を向ける。参戦した人員の戦死者リストは比較的早期に遺族へ通知される。最前線から戻って来たワイドボーン達からすれば、やっと考える時間が出来たという所だろうが、遺族たちがその知らせを聞いてから2か月は経っている。モニュメントの周囲には献花された花束が山のようになっていたが、一部は既に萎れつくしていた。この光景からも、政府が戦死者をどうとらえているのか?伝わってくるようで寂しかった。管理人を数名配置するだけでこういう事にはならないだろうに。遺族だけが悼む気持ちを持ちつつも、政府は戦死者の事など気にしていないのだ。

 

「ヤン、俺は一人でも多く生きて連れて帰る責任があった側だ。遺族の方々と同じように悼む訳には行かん」

 

ワイドボーンは、モニュメントが設置された広場の入口で立ち止まると、石畳の端に花束を置き、モニュメントに向かって敬礼した。私もそれに倣う。彼がどういう経緯で、こういう判断をしたのかは分からないが、それで納得できるなら良いのだと思う。まだ第三次イゼルローン要塞攻防戦の戦死者に関しては、個別の墓は手配されていない。悼む場としてはこの場になるのだろうが、多くの戦死者を出してしまったと責任を感じているワイドボーンからすると、遺族と同じ場に立つのは躊躇する部分があるのだろう。

かく言う私も、自分の責任で戦死者を出した場合、それを素直に受け止める事が出来るのだろうが?私の艦隊は訓練と作戦計画の策定という任務が割り振られていたから、結成以来、まだ戦場には派遣されていない。だが、それもここまでだろう。次の戦いには、参戦が求められるはずだ。敬礼を終えてしばらく経ってから、ワイドボーンなりに区切りがついたのだろう。出口の方に振り返り、停めておいた地上車の方へ進みだした。私も後に続く。

帰路の途中で脇に寄って道を譲る軍人たちとすれ違う。敬礼に答礼するがおそらく第三次イゼルローン要塞攻防戦に参戦した者たちだろう。国家として良くない方向だが、政府が戦死者へ冷たい対応を取った事で、軍人たちは結束を固めつつある。隠れ左派が多い事もあり、右派が多い政府からすると華々しい戦果を上げられなかった軍部に、一度厳しい対応をしたかったのかもしれない。金融危機で生活に窮する市民が多い状況なのも分かるが、それとこれは話が別なように思う。命を賭けた代償がこれではやりきれない者も多いだろう。

 

「ヤン、出征前に主張すべきことは主張しろとお前に言った俺がホーランド提督を止める事が出来なかった。俺は経済的には恵まれた階層の出身だ。故ホーランド提督を始め、軍には貧困層出身者が多い。彼らがどんな環境で育ち、どんなことを感じているのか?までは理解していなかった。こういうのを木を見て森を見ず......とでも言うのだろうか。我ながら情けない話だ」

 

地上車に乗り込んでしばらくしてから、ポツリとワイドボーンが呟いた。士官学校の優秀層にありがちな事だが、実際に戦う兵士たちの事を数字でしか理解していない所がある。彼にとって喜ぶべきことではないのかもしれないが、このタイミングで将器が備わったのかもしれない。だが、それは私から言うべきことではないだろう。負傷したクブルスリー提督に代わって、ホーランド艦隊の生き残りを併せた艦隊を率いることになるのは彼だ。優秀な人材が心の面でも鍛えられたとは言え、その代償はあまりにも大きかったように思う。

窓の外を流れていく墓石の群れに視線を向けながら、父さんが言っていた言葉を思い出していた。墓に来るのは死んでからで良い。折角安眠している邪魔をするんじゃない。確かに頻繁に来ても浮かぶのは後悔ばかりだ。半年に一回くらいが丁度よいだろう。そろそろ前回から半年だ。次の出征の前に、一度墓参りしておく必要があるだろう。

ワイドボーンは下町の飲食街付近で、地上車を降りて行った。彼の艦隊司令部に所属する人材と個別で色々と話をするつもりらしい。私も艦隊司令部に所属する人員の略歴位は頭に入れているが、突っ込んだ話をしたことは無い。無意識に、自分の責任で戦死させた時の事を考えて、深入りしないようにしているのだろうか......。そんな事を考えながらキャゼルヌ先輩たちと約束している三月兎亭へ向かう。金融危機の影響を正確に理解するには先輩と話すのが一番早い。官舎に戻ってもユリアンは士官学校の前期試験の為に既にテルヌーゼンに出発している。一人で色々考え込むよりは良いはずだ。

立ち並ぶ墓石の群れの印象がまだ残っているのだろうか?見慣れているはずのハイネセンの街並みがどこか暗いように感じる。帝国の内戦は既に終結しつつある。新しい体制が整えば、再び攻め寄せてくるはずだ。それまでにどこまで体制を整えられるのか?6個艦隊まですり減ってしまった同盟軍としては、戦線を後退させないととても対応できないだろう。国内問題に揺れる政府にとってその判断が出来るのか?考え事をしているうちに三月兎亭に着き、地上車を降りる。いつもは混雑している時間だが、外から見ても空席が見えるのは金融危機の影響だろうか?馴染みのウエイターにドアを開けてもらいながら、私はいつもの一角に足を進めた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星ハイネセン 三月兎亭

アレックス・キャゼルヌ

 

「お連れ様はお席の方におられます」

 

ウエイターがドアを開けながら小声で告げてくる。一言お礼を添えてからヤンやアッテンボローと食事をするときは定番になりつつある三月兎亭に入る。約束の時間に少し遅れてしまった。ここは先に詫びておくべきだろう。いつもの一角へ進むと、見慣れた二人が談笑していた。金融危機の余波はまだ収まってはいないが、街で見かける市民たちは、落ち着きを取り戻しつつある。いつもは満席で予約が必要なこの店も、空席が目立つのは、財布の紐が緩むまでには至っていないといった所か......。

 

「キャゼルヌ先輩が時間に遅れるなんて、珍しい事もあるんですね」

 

「すまんな。オルタンスが最近、左派の政治集会に参加するようになってな。家をちび達だけにする訳にもいかんからな。時間が押してしまった。待たせてしまってすまないな」

 

「別に気にしないでください。我々はひとり身ですから、他に行く当てもありませんでしたし。それにしてもオルタンスさんまで左派の政治活動に参加したとなると、そんなにハイネセンは良く無かったんでしょうか?」

 

深刻な表情をしながらアッテンボローが訪ねて来る。ヤンも心配げな様子だ。

 

「まあ、さすがにラップの所のように立候補の話が来ている訳ではないがな。金融危機の際は物価が高騰したし、お前さん方に言うのも何だが、イゼルローン要塞攻防戦に関して、公式な戦没者慰霊祭も開催されなかった。母親としても、軍人の妻としても感じるものがあったようだ」

 

実際の所は、オルタンスはかなり憤慨していた。あいつが怒ると普段は饒舌なのに一切話さなくなるからすぐに分かる。戦没者慰霊際に関しては、俺にも矛先が向いた。後方勤務本部次長とは言え、予算を勝手に執行できる訳ではない。だが、無い所からひねり出すのも腕の見せ所だ!と言うのも一理ある。ちび達が寝付いた後だったから良かったが、2時間も冷静に問い詰められた事は、オルタンスの印象を守る為にも墓までもって行くつもりだ。

 

席に付くとウエイターがメニューを差し出してくる。前回来た時よりコースが減っている所を見ると、物資の流通の混乱はまだ収まっていない様だ。

 

「俺たちは肉料理に決めています。キャゼルヌ先輩はどうされます?」

 

アッテンボローの奴、既に腹ペコのようだな。私だけメインを別にするとそれはそれで面倒だろう。3人分の肉料理メインのコースとハウスワインの赤をボトルでオーダーする。まだ一軒目だ。軽めにスタートしたほうが良いだろう。

 

「まずはご苦労様......。といった所かな。予定が早まった意図は抜きにしても、無事に帰って来てくれて何よりだ」

 

「先輩こそ、お疲れでしょうに。後方勤務本部も金融危機の際は蜂の巣をつついたような騒ぎだったはずです。アッテンボローから、ご家族に聞いた話を聞かせてもらっていたのですが、かなりの騒ぎになったようですね」

 

「そうだな。売り惜しみに買い占め。市場経済の有り様としては違法ではないが、足元を見るような商売をする連中が出てな。婦人会の会員に人気の店は、今では個人経営の店だ。大資本が利益重視で色々したのに比べて。赤字覚悟で商売をしてな。いろんな所で、あこぎな事をしたツケを支払う事になっているよ。小売業で業界2位だった企業が倒産したのも、売り惜しみが原因だからな。大手マスコミは報道しなかったが、左派の活動でその事実が周知された。市民たちはマスメディアにも不信の目を向けているそうだ」

 

「その話は親父からも聞きましたよ。親父の勤める新聞社でも、取りあげるか記者たちの間で論争が起きたらしいですが、掲載する判断をしたので部数がうなぎのぼりだそうです。倒産が確定してから大手メディアも大々的に報じたんですが、余計に広告狙いで意図的に報道しなかったと、批判を受けているようですしね」

 

アッテンボローが憤慨した様子でメディアの実情を話し終えたタイミングで、赤ワインのボトルと前菜が配膳される。労う意味で3つのグラスにワインを注ぎ、2人の手元に置く。

 

「では、重ねてになるが無事な帰還に」

 

グラスを合わせ、ワインを口に含む。やっと人心地ついたと言った所か?このタイミングで経営者志向だった俺と会食の場を持つという事は、金融危機の影響に関して、正確に理解しておきたいという所だろう。ただ、言葉を選ばずに言うと折角のワインが苦くなる。

 

「キャゼルヌ先輩、率直な所、金融危機の影響はどんなものになりますか?我々は確かにフェザーン方面の防衛計画を作成しました。ただ、イゼルローン要塞攻防戦で受けた被害を考えれば戦力化していた7個艦隊が6個艦隊になりました。受けた損害を充足させるのに金融危機の前の状況でも半年はかかるでしょう。状況によっては、作成した作戦案が使えない事もあり得ると考えていたのですが......」

 

「ヤン、お前さんの見込みは正しい。財政の面で、大きく3つの足枷が付いてしまった。どうやりくりしても、受けた損害を充足させるのに1年はかかるだろう......」

 

そこで言葉を区切り、グラスを傾ける。予想通り、少し苦みを感じた。だが、次は最前線に向かうことになるであろう2人の後輩に、甘い予測を話しても意味がない。苦く感じるワインを飲み干しながら、話を続ける。

 

「一番の重荷は、フェザーンマルク建ての借款だな。積もりに積もって、国家予算の10年分、利率は3%としても、歳入の3割がこれで消えてしまう。次は遺族年金だ。総額で国家予算の20%を越えた。最後のひとつは軍需産業の株を政府が買い支えた事だ。長期目線ではこれが一番まずいだろうな......」

 

2人は頭の中を整理するように考え込んでいるが、株価の動きをチェックしていなければ3番目には気付かないだろう。

 

「株価の動きを毎日チェックしていたが、最初に暴落し、最後に落ち着いたのが軍需産業の株なんだ。同盟の株の買い手はフェザーン資本の比率が年々高まっていた。そのフェザーンが軍需産業の株を売り払い、安値でも買わなかったので政府が買い支えたという事だ」

 

「つまりフェザーン資本は同盟の軍需産業に先が無いと判断したと言う事ですね?」

 

「それだけじゃない。真っ先に株価が安定したのはテラフォーミング技術や機械系のメーカーだ。帝国では廃れた分野のはずだ。金融危機の煽りを受けてフェザーン資本の証券会社も数社潰れた事を考えると、この動きを主導しているのはフェザーンではない可能性もある」

 

念のため、調べられる範囲で確認したが、ひとつの意思を感じる金融危機前後の株の売買には、同盟籍の証券会社も数社連動して動いている。金融危機を起こしたのも、イゼルローン要塞攻防戦が終わった直後から株価が安定し始めたのも。一連の流れのひとつだろう。政府が自由に使える予算が減ったという事は、その分、彼らが動きやすくもなったという事だ。経済的には侵略されたに等しい状況だろう。

 

「どうせズタボロにされるなら、伝家の宝刀を抜いても良かったようにも思いますが、さすがにそこまでの判断は出来ませんか......」

 

「アッテンボロー、それはさすがに酷な話だよ。株取引の停止命令は反社会活動防止法と同じで、抜くためにあるんじゃなく、抜くぞと思わせる為の物だ。それをしていたら株の全面安が止まらなかっただろう。最後の最後まで我慢したといった所だろうね」

 

ヤンの家はもともと貿易業を営んでいた。その頃の縁でフェザーンの商人にも知己を持っている。多少は予備知識があるようだ。

 

「換金できない資産など、誰も持ちたがらないからな。そういう意味ではよく我慢したとは思うぞ?」

 

メインの肉料理が来た時点で、ワインのボトルを追加する。いつもは一軒目は控えめにする所だが、明るい話が少ない以上、早めのお開きにした方が良いだろう。

 

「そういう意味では、レベロ委員長はやれる事をやってくれた感じなんですね。それに比べてネグロのおっさんと来たらなあ。やることなす事チグハグで、どうも当てになりません」

 

「彼も完全に矢面に立っているからね。軍にばかり良い顔をする訳にもいかないんだろう。イゼルローン要塞攻防戦は確かに敗退したに等しいからね。シトレ校長は、人格者だし統合作戦本部長に相応しいとは思う。ただ、統率力にも優れた方だし、今回の判断も分からないではないんだが......」

 

当初は、今回の出征でシトレ元帥は統合作戦本部長になるはずだった。だが、支持が広がりつつある左派に配慮して、論功行賞はかなり厳しい物になっている。一時的な措置として、クブルスリー大将が統合作戦本部長代理になられたが、これもチグハグな人事だった。いっそのこと、シトレ元帥を統合作戦本部長にして、ヤンを始め、ほとんどの正規艦隊司令と親交があるビュコック提督を実戦部隊の長にしても良かったとは思うが、それはそれで議論を呼びそうだ。

 

「慰霊祭の件でも、俺は納得はしていません。自信家だったワイドボーン先輩があんなに憔悴していましたし......。いずれは正規艦隊司令になる人でしたが、こんな経緯で着任しても喜べないでしょう」

 

「ワイドボーンなりに、色々と心の決めた事があるようだし、その事はあまり口外しないようにな。アッテンボロー......」

 

人付き合いがあまりよくないヤンが、慰霊墓地に付き合ったと聞くし、余程の状態だったのだろう。ただ、現実問題として正規艦隊司令を任せられる人材が不足しているのも確かだ。ワイドボーンにはいささか酷かもしれんが、乗り越えるべき試練として飲み込んでもらうしかないだろう。コースの締めになる紅茶を飲みながら、腐れ縁が続いている後輩たちの会話に、耳を傾ける。今日の所はこれでお開きだな。高級軍人がこの政局で飲み歩いているのも、あまり外聞がよろしくないだろう。



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123話:御前会議:方針

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星オーディン 新無憂宮

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「ローエングラム伯、ディートリンデは皆さまに師事したとはいえ、14歳になったばかり......。この変化が帝国に何をもたらすのかまで理解はできておるまい。幼き頃より直々に薫陶を受けたそなたなら、忌憚なくリューデリッツ伯に確認する事も出来よう?」

 

「はっ。ベーネミュンデ侯爵夫人、その辺りはご心配には及びません。先日のお話は帝国の在り方を変える物でございました。お気になられる部分もあると存じますが、要はベーネミュンデ星系で行ったことを帝国全土で実施するための体制を用意するという事です。お化粧領の収支をご確認されていると存じますが、たった数年で見違えるようになりました。臣民たちが泣くような事には決してなりませんのでご安心ください」

 

イゼルローン要塞から帰還して姉上と婚約者であるディートリンデ皇女殿下とお茶を共にしたのもつかの間の事だった。新帝として帝国初の女帝となるであろう皇女殿下と、私の後見人でもある伯から帝国の未来に関して、相談したい旨が打診され、姉上とベーネミュンデ侯爵夫人も同席されて話を聞いたのが数日前の事だ。貴族社会に馴染んでいない俺でも、驚きを禁じ得なかった以上、深窓の令嬢として育ってこられたベーネミュンデ侯爵夫人には、いささか刺激の強い話だったのかもしれない。

政治的な影響力を持つおつもりも無いのだろう。本来なら新帝の母親としてこれから開催される御前会議に参加できるのだが、辞退された。だが、これも良い判断だと思う。政治的に大きな失政が起きた場合、リューデリッツ伯爵家やローエングラム伯爵家が泥を被れば、新帝の名誉は守られるし、ベーネミュンデ侯爵家も生き残る事が出来る。王配になる事が決まって以降、こういった貴族社会特有の身の処し方を察する事が出来るようになっている。

 

「ローエングラム伯、そろそろ皇女殿下にお声がけをお願いいたします。皆さま、お揃いになられました」

 

キルヒアイスが小声で告げてくる。発言資格は無いが、ローエングラム伯爵家の次に皇室に近い家となるグリューネワルト伯爵家の家宰として、末席ではあるが御前会議への参加資格を得た。まだ喪に服すべき時期だが、姉上もお若いし陛下との間に子供をもうけることは無かった。姉上を誰かに守ってもらうとしたら候補はキルヒアイスしかいない。本人たちの気持ちも確認しなければならないが、グリューネワルト伯爵家を次代に繋いでいく意味でも必要なことだろう。姉上はおそらくリューデリッツ伯を想われている節があるが、あらゆることに貴族的な伯が唯一線引きされたのが側室や愛妾を持たなかったことだ。軍人として、統治者として、事業家としてあれだけ業績を上げられたのだから、女性に目を向ける時間などないのかもしれない。

そこまで考えて、人の事なら良く分かるものだと苦笑してしまった。俺自身も年下の婚約者に未だに配慮してもらうことが多い。そちらもいつか上手く出来るようになるのだろうか?女性の機微を察する事に関してはまだ自信が持てずにいた。皇女殿下がおられる隣室へ向かい、ノックをして入室する。

 

「殿下、そろそろお時間となります。ご用意をお願いします」

 

「承知しました。では参りましょう。未来の皇配殿」

 

差し出された手を取り、エスコートしながら御前会議の場へ向かう。侯爵夫人とは異なりご不安な様子は無いがこれから話し合われる事の意味を理解しているのだろうか......

 

「これから話し合われる事の意味位は私も理解しています。マグダレーナ姉さまやヒルダ姉さまとも色々と話し合っておりましたもの。もっと過激な進め方も覚悟しておりました。私たちの後見人殿は、敵には容赦のない方ですが、味方にはお優しい方です。先帝陛下がなぜあの人を後見人に選んだのか、やっと確信が持てました。本来はご自分が為さりたかった改革を任せたのだと思います。そして改革が終わった新しい帝国を発展させていくのが私たちの果たすべき役割なのでしょう......」

 

妹のようにも感じていた皇女殿下が、急に大人になったような気がした。この数年は出征から戻るたびに大きく変化する彼女に驚いてもいたが、帝位に就き、皇帝として帝国の発展に尽力する覚悟も、一足先に決めてしまわれたようだ。

 

「そこまでお考えなら、私から言う事はなにもございません。殿下のお覚悟を知ったからには、私も皇配として全力でお支え致します」

 

「それを聞けて安心しました。私たちなら新しい帝国を必ず良き国にできるでしょう。当てにしていますよ?皇配どの」

 

こちらに視線を向けながら嬉し気に語る殿下を見て、胸に温かい物が広がった。殿下の言う通りだ。幼少期が必ずしも明るいものではなかった私たちだからこそ、臣民たちが泣くことのない国を目指す事が出来る。御前会議の場となる広間へ通じる扉を近衛兵たちが開くのを横目に見ながら、俺はそんな事を考えていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星オーディン 新無憂宮

グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー

 

「ミュッケンベルガー元帥、先日はありがとうございました」

 

そう挨拶をして、自分に割り当てられた席へ向かう男の背中を見ながら、儂はやはり幸運な宇宙艦隊司令長官だったのだと思った。何かがズレれば、帝国宰相になれたであろう男を部下に持ち、彼が万全な体制を整えてくれた中で、腕を振るうことが出来た。若手の発掘にも積極的であったし、見出した者たちを儂を始め、ルントシュテット伯やシュタイエルマルク伯に顔つなぎもしてくれた。そして何より、儂の後任として宇宙艦隊司令長官になるであろうメルカッツ元帥を、ずっと宿将として遇してきたのも彼だ。戦術家としては確かなものを持ちながら、押しが弱いメルカッツに、若手の将校たちが尊敬の念を向けるようになったのも、彼の行動に寄る所が大きい。

 

そして今回の一件、将来的には膨大な利益を生むであろう利権を、帝国の安定のために手放してしまうとは......。地位も名誉も、資産にも欲がないとなると何を喜びにしているのだろうか......。そして彼の提案を了承した2人の兄たちも、やはり普通ではないだろう。そんな人物たちに支えて貰えた事を感謝する意味で、今回の提案には全面的に賛成するつもりでいた。

年明けには戴冠されるであろうディートリンデ皇女殿下がお座りになられる上座の壁面に掲げられた双頭の鷲をあしらった国旗に視線を向けながら、御前会議に先だって行われた話し合いの事を儂は思い出していた。

 

「グレゴール殿、本日はご足労を頂き、ありがとうございます」

「兄上、遅れましたがご無事のご帰還、おめでとうございます」

 

ルントシュテット伯爵夫妻の出迎えを受け、先導を受けながら遊戯室へ通される。すでにシュタイエルマルク伯とリューデリッツ伯が着席し、談笑していた。上座にあたる席が3つ空いているが、この遊戯室の上座のひとつは、マリア殿の席として、空席で通されている事は儂も知っていた。軍の序列では儂が上であるとはいえ、今回は貴族としての立場だ。ホスト役より上座に座るわけにもいかないので、空いている3席のうち、一番下座に腰を下ろした。

 

「殿方同士のお話が終わりましたらお声がけください。では」

 

そう言って、妹のビルギットが退室していく。嫁ぐ前は何かとお転婆な所があり心配したものだが、いつの間にやら軍部貴族の雄であるルントシュテット伯の夫人に相応しい振る舞いが出来るようになっていた。嫡男のディートハルトも正規艦隊司令として功績も上げている。伯爵夫人としての務めをしっかり果たしてくれたと言えるだろう。いつの間にやらリューデリッツ伯がお茶の用意をしていた。気さくな所があり、部下にも良く振る舞うと聞いて、初めは眉をひそめたが、一度飲んでみて理由が分かった。自分で入れたほうが旨いならわざわざ部下にやらせはしないだろう。

彼にお茶を用意できるのはシェーンコップ男爵とキルヒアイス少将くらいだと小耳にはさんだが、確かに男爵のお茶も素晴らしいものだった。退役した後は儂もお茶に凝ってみるのも良いかもしれない。そんな事を考えていた。見事な手さばきで用意を終えると、それぞれの手元にカップが置かれる。良い香りが広がり、自然とカップに手が伸びた。全員が紅茶で喉を潤した所で、本題が始まった。

 

「今回、お集まり願ったのは、このままでいくと我々の家が、帝国の禍根となる可能性があるからです。まずはこちらをご確認ください」

 

渡された資料は、RC社の資産状況を社外秘になる部分も含めて、分かりやすくまとめたものだった。ミュッケンベルガー伯爵家は結納金のお返しにとRC社の株をかなり譲渡されていた。シュタイエルマルク伯爵家も婿入りの際にそれなりの株を持参させたのだろう。軍務を果たす中で、緊急の判断を下す場合などに、自家の財布を考慮出来た事は非常に助かった。どんな魔法を使っているのかと思ったが、まさか叛乱軍の領域まで手を広げておったとは......。

 

「幼い頃からビジネスにはシビアな所があったし、フェザーン方面に赴任した途端にタイミング良く金融危機が起きたから何かしていると思ったが......。全くよく考えついたね。優秀過ぎる弟を持つと兄としては大変だよ」

 

「まあ、そのおかげで軍務を果たす事も出来たし、資金に困る事も無かった。そこは素直に感謝して、別の形で返せばよかろう。RC社の資産がとんでもない事になっているのは分かった。それがなぜ帝国の禍根となり得るのだ?」

 

この資料が正しいなら、RC社は宇宙屈指の巨額の資産をもつ財閥で、帝国内では多くの領地の開発を主幹している。叛乱軍の領域でも、軍需以外の基幹産業の悉くに入り込んでいるとなると、もう一つの政府がいるような物だろう。

 

「ミュッケンベルガー伯はなんとなくお気づきのようですね。資産規模で昨年の帝国政府予算案の10倍。フェザーン国籍の子会社を通じてですが、叛乱軍の借款のほとんどを所有もしています。帝国と叛乱軍の社会に大きな影響力を持つ企業となります。それが他者からどう見えるか......。まして数年以内に叛乱軍との戦争には区切りがつきます。そうなれば人類は再度、拡大期に入るでしょう。門閥貴族達の領地に関しては帝国政府にまとめました。帝国領内だけでも3000億人が生活で来た実績を踏まえると、RC社の資産はますます増え続ける事になります。当然、その大株主である我々の子孫の意向を、時の政権も無視できなくなるでしょう。新たなる門閥貴族の誕生です。

それに自前で数個艦隊を用意できるような貴族家の存在はそれだけでも脅威でしょう?資産は有るに越したことはありませんが、有り過ぎれば災いの種にもなりかねません。とはいえ、無償で差し出すとなると、今回の一件を主導した軍部も不安を感じるでしょう。非償還特約を付けた利回り5%くらいの国債を発行してもらい、それを代金として我らの株を皇室名義にしたいと考えています」

 

この男の事だ。帝国と皇室の財務状況も把握しておるのだろう。新帝陛下の御即位の際のお祝いという名目にすれば、辺境領主たちも倣う可能性が高い。

 

「軍部貴族の雄である我らがそれを行えば、お付き合いのある辺境領主の方々も倣いやすいか......」

 

「どうせなら、その国債になにかしら固有名詞を付けたいですね。所有する事が帝室への忠義の証になるというような雰囲気を作れれば、抵抗も少ないでしょうね」

 

反対意見が出るかと思ったが、提案主の兄たちにその雰囲気はない。確かにこのままでは我らの子孫が帝国の禍根となろう。RC社の株が国債に代わったとしても、伯爵家には過ぎた資産だ。後継者たちが慢心せぬ意味でも、良き判断だろう。

 

「賛同いただけて安心しました。RC社の設立から貢献してくれた者たちにも、私から国債を分配したいと思います。本来なら株も報酬の一つにするのですが、それが出来ない分、名誉のおすそ分けという事で......」

 

「ならばルントシュテット伯爵家もそれを負担しよう。国債に切り替えても伯爵家にとっては多すぎる金額だ。多額な国債を保有しているというのも、どうみられるか分からんからな」

 

「シュタイエルマルク伯爵家も同様に。もともとザイトリッツがいなければ無かったような物ですからね」

 

「ではミュッケンベルガー伯爵家の物も同様の扱いをお願いしよう。国債に切り替わっても一個艦隊は、切り詰めれば用意できる資産規模だ。それにしても、宇宙艦隊司令長官としての大任を下ろした直後に、貴族の当主として、自家の資産が多くなりすぎないように心配することになるとはな」

 

儂の言に残りの3人が苦笑する。

 

「グレゴール殿はまだましな方ですぞ?一緒に出掛けた歓楽街で縁を紡いだ御仁が、まさかの先帝陛下でしたからな。あの時は頭を抱えたものです」

 

「そんな事もありましたね。私も先帝陛下にお酌をした事があるのです。今思えば、考えられない事でしたね」

 

嬉し気な様子で思い出を語る2人を見て、リューデリッツ伯は幼少の頃から変わらず、無茶苦茶なことをしていたのだと思わず笑ってしまうとともに、羨ましくもあった。儂には男子の兄弟がいなかった。父上が戦死し、憔悴する母と、お転婆な妹を何とか守らねばと苦心した覚えしかない。だが、10年もすればこの日の事も、笑い話になるのだろう。

 

「ディートリンデ皇女殿下、まもなく御入来されます」

 

近衛兵の前触れと共に、上座の脇に設えられたドアが開く。まだ即位されていないとはいえ、我々が権威を率先して認める必要がある。参加者全員が席を立ち、割り当てられた席の傍で跪いた。

 

「皆の者、役目大義。楽にせよ」

 

まだ少女と言って良い年齢のはずだが、不思議なもので威厳のような物が感じられる。そこで思い至ったが、彼が後見人である以上、その辺りも抜かりなく進めていたのだろう。一呼吸おいてから起立し、一礼してから席に付いた。王配となるローエングラム伯は殿下のお傍に控えていたが、席は用意されていない。これも複雑な配慮の結果なのだろう。殿下が決して権威に驕る気がないのだと示されている様で、気が早いかもしれないが、良き治世になるように感じていた。



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124話:御前会議 :決定

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星オーディン 新無憂宮

ディートリンデ・フォン・ゴールデンバウム

 

「それではこれより御前会議を始める。今回は軍部貴族を代表して私が司会進行役を務めさせて頂きますが、次回の正式な会議は戴冠式の後に開催される予定です。その際は、政府首班を担われる方にこの役目は譲りたいと考えております」

 

私に一番近い席に座っていたミュッケンベルガー伯が起立し、御前会議の開始を宣言する。伯の側にはルントシュテット伯、シュタイエルマルク伯が、対面にはルーゲ伯、マリーンドルフ伯、そして私たちの後見人であるリューデリッツ伯が着席されている。軍部系の勢いに対抗できる存在はいないとは言え、元々は政治系に属していたお二人に席次をお譲りになるとは......。一見、政治系貴族への配慮に見える。だが即位することになる私の後見人である以上、新体制の真の実力者が誰かは皆が理解している。彼が引いて見せる事で、王配となるラインハルト様も、側近としての顔見せとなるマグダレーナ姉さまとヒルダ姉さまも末席に控える事に不満を感じずに済む。

そしてこの先も最初に配慮された事が頭から離れない。一度引いただけで、多大な影響力を手に入れた。この後、軍部系貴族から提案される帝国の統治体制に関しての提案に、反対する者はいないだろう。

皇帝としては取れない進め方だが、私自身にも公の場で統治者としての教育をしてくれているのだとも感じた。真の実力者が引いた以上、名目上は至尊の地位に就く私も、焦る必要はないのだ。早くても私たちが統治者としての実力を身に付けるには10年はかかる。それを焦る必要はないのだと、教えて下さっているようにも感じた。

 

「この会議は今後の帝国の在り方を決める物と認識しております。既に決起した門閥貴族と処罰の対象となった政府系貴族の統治権は帝国政府に集約いたしました。帝国全土の効率的な発展を促すには、全ての領地を、統一感をもって開発した方が宜しいでしょう」

 

そこでミュッケンベルガー伯は一旦言葉を区切られた。

 

「そこで、我らが保有しているRC社の株を、戴冠式を期に皇室に献上いたします。その代わりに非償還特約を付けた皇室名義の債権を下賜頂きたい。ご裁可を頂ければ、辺境領主たちの所有している開発会社も同様に取りまとめます。今後の帝国の発展を考えると、将来、門閥貴族のような存在を再び生む禍根を残すわけには参りませんからな」

 

「なぜ、政府に集約するのではなく、皇室に集約するか?に関しては、一強体制を作らない為でもあります。帝国政府一強となると慢心の原因にもなりましょう」

 

補足するように、次期軍務尚書が発言する。ルントシュテット伯は公明正大を旨とされる方だ。彼が言うと変な信頼感がある。国内最大の実力組織のトップの発言意図を、いちいち裏読みするのは大変なことだ。そういう意味では、私にとっても有難い人事案と言えるだろう。

 

「皇室名義で新しい開発公社を設立し、政府の良きライバルとなってもらうとは良き話でしょう。切磋琢磨しなければ成長はありませんしね」

 

次期統帥本部総長が承諾するように意見を添える。リューデリッツ伯は発言しないが軍部の総意である以上、余程の覚悟がなければ反対はしないだろう。そもそもルーゲ伯ともマリーンドルフ伯とも親しい関係にある以上、既に根回しはされてるのかもしれない。

 

「良き案と言えるでしょう。とはいえ、統治権や利権を一方的に奪われては、不安に思う者もおりましょうからな、続いてきた家を維持できるだけの保証は与えてやるべきでしょう」

 

「戴冠式の際に合わせて公布出来れば良いでしょう。統治体制は大幅に変わるとはいえ、行政組織をゼロから立ち上げる猶予はございません。政府組織の中に組み入れてしまえば彼らも安心出来ましょう」

 

ルーゲ伯とマリーンドルフ伯が要望を出しつつも賛意を示す。その点は問題ない。既に数パターンの下賜パターンを作成している。ブラウンシュヴァイクとリッテンハイムは、伯爵家に降格させて存続を許す予定だ。軍部との兼ね合いも考えれば年間200万帝国マルクもあれば家は存続していけるだろう。そして統治権や利権を納める代わりに、それに応じた皇室名義の債権を下賜すれば軍部系貴族を始め、私の味方についてくれた勢力にも報いる事が出来る。

 

「将来の事を考えれば、良き案でしょう。近々にそう言った例が出るかは分かりません。ただ今後は平民階級からも帝国に多大な貢献をする者も出て参りましょう。領地には限りがございますが、叛徒たちとの戦勝に区切りが付けば帝国は発展期に入ります。帝国の発展に貢献した者たちを賞する意味でも、良き案でしょうね」

 

最後にリューデリッツ伯が発言される。これで帝国の統治体制は決まった。お膳立てをしてくれた彼の顔を立てる意味でも、RC社の平民出身の功労者にも私から皇室名義の債権を下賜する必要があるだろう。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星オーディン RC社 本社

ニコラス・ボルテック

 

「そろそろ御前会議が終わる頃合いですね。オーナーは事前準備を惜しまない方ですが、事が事ですから......。決裁権を持って動くことに慣れてしまったのか、どうも落ち着きませんね。いつもは決断を迫られる側ですから、待つ側はどうも苦手で......」

 

「シルヴァーベルヒ、少し落ち着かんか。お主はRC社の実質トップなのだ。公社化する以上、今までのように好き勝手は出来なくなるだろう。今の内に腰を据える事も覚えねば......。ふむ、とは言え、確かに今までのんびり猶予を与えられたことは無かったな。我々が一時間遅れれば、開発が時には数年遅れる。もっとも判断を誤れば臣民の生活を危うくする。ゆっくり待つ経験など確かにしていなかったな......」

 

数字だけでなく、生活の変化を肌で感じるべく、フェザーンから帝都へ移動してきた。事前に色々と聞いてはいるが、RC社の所有者が皇室に代わるという大きな変化が予定されている。落ち着いて業務を進める事など出来ないだろう。ただ帝国経済のトップ層に属するお二人とも言えども、今回ばかりは落ち着かないご様子だ。それを見ていたら、不思議と自分も落ち着くことが出来た。

 

「お二人とも落ち着きませんな。もっとも今後の帝国の方針が決まる事にもなります。私も業務が手につかなかったでしょう。落ち着かないのは私だけではないと知れて、ホッと致しました」

 

空になっていたカップにお茶を注ぐ。紅茶の良い香りが広がって、悶々とした雰囲気を払ってくれる様に感じる。紅茶を嗜むようになってまだひと月も経っていない。だが、熱湯を入れて茶葉が開くまで、待つひととき、そして、カップにお茶を注いて香りを楽しむ時間。忙しい業務を区切るにはちょうど良いし、気分を変えて落ち着く効果がある事をなんとなく理解していた。

 

「オーナーの方針が通れば、帝国の発展は間違いなく加速する。我々が人類社会の拡大期を担えるかの瀬戸際だ。間違いはないだろうが、志が果たせるか決まるのだ。落ち着かねばと思うほど、心が逆に乱れてしまう。今日はやけに紅茶が有難いな。もっともこんな姿はお主ら位にしか見せられないが......」

 

紅茶を飲みながらぼやくシルヴァーベルヒ殿と、苦笑する様子のグルック殿。話には聞いていたが、良いコンビだ。独特の感性で大きなビジョンを描くのは確かにシルヴァーベルヒ殿だが、それを確実に実行できるものにしているのはグルック殿なのだろう。私から見ても暴走する事が多いシルヴァーベルヒ殿だけでは、安定した業績は上げられなかっただろう。ワレンコフ殿にとっての私のように、ビジョンが描けなくても、それを現実にするのに長けたサポート役が彼なのだろう。初めて会う前から親近感を感じていたが、それはさらに強まっていた。

 

「社長、オーナーから優先回線でご連絡が入っております。お繋ぎして宜しいでしょうか?」

 

「ああ、頼む」

 

応接室に備え付けられたモニターに社長付きの秘書から連絡が入る。朗報だとは思うが、結果を聞くことを恐れる気持ちもあった。何となくだが、結婚を申し込む折に似ているかもしれないと思った。望んでいる答えがもらえると頭のどこかで思っていながらも、返事を聞くまでは安心できない。帝国の将来が決まる歴史的瞬間の一幕に立ち会いながらも、その登場人物たちの心境が、多くの男性が経験するであろう心境としているとは......。だが、それも当然だろう。この決定次第は、多くの臣民たちの生活に直結するのだから。

 

「お揃いのようだね。さすがの君達でも、今日ばかりは落ち着かないか」

 

嬉しそうなご様子のリューデリッツ伯がモニターに映る。機嫌の良い所を見ると、御前会議の結果は良いと見たが......。

 

「男性を焦らす趣味は無いからね。シルヴァーベルヒ、帝国公社の初代総裁に内定した。おめでとう。とは言え、その様子を見ると待つことを覚える必要がありそうだな。グルック、ボルテック、引き続き危なっかしい所もあるが、シルヴァーベルヒを支えてやってくれ」

 

「ありがとうございます。精一杯、帝国の発展に貢献できるように励むつもりです。引き続きよろしくお願いいたします。確認の為ですが、伯はどの役目に就かれるのでしょうか?」

 

帝国の開発公社の総裁がシルヴァーベルヒ殿となると、国務尚書か財務尚書辺りであろうか......。

 

「私は新設される自治省の尚書職を志望した。叛乱軍との戦争には早急に区切りをつけるが、全土を取り込む事は不可能だ。130億人の叛徒がいきなり臣民になるのも無理がある。何もしなくても彼らが集めた税金の30%は吸い上げられる。優勢なことは事実だが、130億の市民というのは、放置するには潜在的な力が大きすぎる。財務的に絞りながら、もう少しバラバラにしたい。

人間は何より今日より良い明日を欲するものだし、苦難に及んで団結できれば強い。だが、民主制の弱みは多様な意見・立場を許す事にある。活発な議論は確かに社会の活性化につながるかもしれないが、新規事業を行う余地がない場合、選択肢の議論は社会の閉塞感を実感するだけだ。その辺りの塩梅を取りながら、潜在的に許容できる脅威レベルに調整する。移民希望者を募るのも、脅威レベルの調整に必要な手段の一つになるだろう。引き続きになるがよろしく頼むぞ。ではな......」

 

慌てて、3人で一礼をするが、頭を上げるとモニターには通信が終了した旨のメッセージが表示されている。御二人に目線を向けると、いつもの雰囲気に戻っていた。方針は決まった。再び走り出す時が来たという事だろう。

 

「待ってくれ。一応節目には節目らしいことをしないとな。少し待ってくれ。アリシア、例の用意を」

 

シルヴァーベルヒ殿が内線で秘書に一報を入れると、すぐにグラスをトレーに乗せた秘書殿が入室してくる。見慣れた瓶からグラスに透明の液体が注がれる。

 

「オーナーから預かっていたレオだ。こういう時に開けなければ機会が無いからな。帝国の将来と我らの果たすべき貢献に!」

 

「乾杯!」

 

グラスを交わして、レオを飲み干す。私よりも重責を担うことになるお二人が、私を同等に扱って下さる事が嬉しかった。今まで同様、天才たちが描いたビジョンの実現に向けて、微力を尽くすのみだ。飲み干したグラスに視線を向けながら私はそんな事を考えていた。



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125話:役割分担

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

首都星ハイネセン 最高評議会 議長執務室

ヨブ・トリューニヒト

 

「それで、今回の件はどうするのだ。刑事犯ではなく政治犯である以上、亡命を拒否は出来んだろう?」

 

「原理原則に照らし合わせればそうだが、政治的な活動まで制限できるのかね?数名とは言え、取り巻きも付いてきているのだろう?さすがに亡命政府の樹立までは許可できんぞ?」

 

左派の中心人物であるレベロ委員長とホアン委員長が矢継ぎ早に話を進める。今回のフェザーンからの亡命は、内戦の経緯も考えれば必然の流れだろう。それに仲介役のフェザーンから圧力もかかっている。拒否は出来ないが、かと言って歓迎も出来ない。軍は国内には取り繕ってはいるが実質連戦連敗、戦死者は増えるばかりだ。帝国の内戦を理由に政権は維持したが、現政権への不満は市民たちにかなり溜まっているはずだ。ガス抜きを多少はしなければならないだろう。

 

「その件で相談したくて呼び出したところだ。君たちはまた原理原則重視なのかもしれないが、政権維持の理由になっていた帝国の内戦も終わった。イゼルローン要塞も取れなかった以上、市民の間に政権への不満は溜まっているだろう」

 

そこで言葉を区切る。レベロ委員長が紅茶派なのは知っているが、今日はコーヒーを用意している。ホアン委員長はコーヒー派だ。別に嫌味ではなく、この席の参加者の多数決に従ったまでだ。

 

「挙国一致内閣と言えば聞こえは良いが、既に国論は二分されている。どちらかに配慮し過ぎればもう一方が支持を失う事になる。亡命に賛成するなら政治利用も併せて主張してもらいたい。我々は亡命自体反対であり、政治利用にも反対する。お互いに一歩ずつ譲り合い、全てではないが、主張は通せた形にしたい」

 

「お互いにリスクも取るといった所か......。左派に対しては原理原則は守る事が出来た。右派にはとは言え大きな顔はさせない......。と言った所かな?」

 

「察しがいいねホアン委員長。その通りだ。妥協できないならそれでもかまわない。ただ、その場合は連立は維持できない。最高評議会が総辞職することになるだろう。内戦を終え、帝国の体制は整いつつある。政治的な空白を作れる状況ではない。右派としてもこれが最大限の譲歩だ」

 

「しかし、政治利用まで主張するのはいささか我々の主張から逸脱しているようにも思うが......」

 

「君たちの大好きな責任と言う奴だろう。新天地が脅かされようとしているのだ。戦況が拮抗していた時節ならともかく、受け入れと協力はセットだろう?」

 

「レベロ、どちらにしても政治的空白を作って良い時期ではないのも確かだ。トリューニヒト議長の提案を受け入れるしかないだろう。だが、君の後任のネグロポンティ委員長は、色々と差し出口を挟んでいるようだね。そこは何とかしてほしいものだ。このままで行けば同盟政府の最後の議長として名を遺す事にもなりかねんだろう?」

 

「さて、どうかな?総選挙をして議長席に代わりに座りたい人材がいるなら、むしろ代わって上げたい位だ。責任が大好きな君たちくらいだろうが、挙国一致体制を崩す事が出来ない以上、現状維持しかないだろう」

 

レベロ議員は渋い顔をしているが、ホアン議員は納得したようだ。それに帝国の新体制を考えれば130億を越える市民たちを一気に受け入れる判断はしないだろう。あちらには建国初期の叛乱の記録も残っているはずだ。戦争には負けるかもしれないが、民主制が生き残る余地はまだあるはずだ。そこまで計算しているのにこの椅子に座り続ける。すべてを知る者がいれば、宇宙でも屈指の愚か者だと笑うだろうか?だが、どちらにしろ同盟を傾けた議長のひとりとして名は残るだろう。あのサンフォードと並べられる位なら、その文字を一段階大きくするのもまた一興だろう。

 

「分かった議長。では左派は受け入れに賛成し、協力を求めるという趣旨で、政治利用を主張しよう。だが、間違っても実際に政治利用する事になるような事態にはしないでくれよ」

 

レベロ議員は渋い表情のままコーヒーを飲み干して、応接室を辞していった。いつまでも学生気分が抜けない男だ。苦笑しつつ後を追うホアン議員にこんな年になってまで子守りをしているのかと同情する気持ちもあった。ただ、これから民主制には冷たい時代になるはずだ。ならば原理原則にこだわる、レベロ議員のような人材も必要なのだろう。空になった2つのカップに視線を向けながら私はそんな事を考えていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 11月下旬

ランテマリオ星域 商船 ロシナンテ号

ボーメル船長

 

「船長、今回の護衛主は飛び切り訳アリだからな。依頼主からも言い聞かされただろう?後々の事を考えれば船長たちもなるべく知らなかったことにした方が良いだろう。あまり深入りせんようにな......」

 

「はい。クラークの旦那。うちの商売には聞かず・言わず・探らずも料金に含まれておりやすから。それにしても旦那が直々に関わるなんで久しぶりですね。なんだか昔を思い出しやす」

 

旦那はもともとフェザーンの破壊工作員の教官だったお方だ。本当にヤバい話なら、うちなんかよりもっと警戒厳重な船を選んだはずだ。それにご自身も乗艦された所を見ると、重要な人物だが話は通っているってトコだろう。帝国の内戦が終結したばかり。どんなマヌケでもやんごとなきお方なんだろうと察しが付く。ただ、既に多額の運賃を前払いしてもらったし、旦那に何かあれば教え子たちに何をされるか分からない。俺たちは黙って役割を果たすだけだ。

 

「船長、あの食事は何かね?帝国流のコースは期待しておらんが、せめてワインの一本でもつけてもらいたい所だ。さすがに詩を書くだけでは退屈しのぎにもならんではないか」

 

「アルフレット殿、いつまでもお客様気分では困りますな。貴方の身勝手な行動が、我々全員を危険にさらします。貴方が不安要素になるなら、私にはそれを排除する責任があります。今すぐ部屋にお戻りなさい......」

 

おそらく貴族のおぼっちゃんなのだろうが、一流ホテル並みの料理を求められても困る。いつもなら頭を下げてなだめる所だが、フェザーンを出発して以来、勘違いした要求には全て旦那が対応してくれる。旦那の雇い主は少なくともこの坊ちゃんではないらしい。

 

「無礼な。そもそも卿の態度には目に余るものがある。恐れ多くもやんごとなき血を引かれる方に対してもあの態度。いささか礼を欠いているのではないかな?」

 

「儂が口で言っているうちにさっさと戻れ。引きうけたのは船旅を通じて甘やかされて育った子供に多少常識を叩きこむ事と、亡命した後のしつけと身辺警護だ。おまけが本命を危険にさらすなら、当然処分する。それに儂への命令権などお前にはない。さっさと口を閉じて指示に従え」

 

旦那が軽く殺気を出すと、ぼっちゃんはすごすごと隠しドアの先にある亡命者専用エリアへ戻って行った。今までも勘違いした馬鹿野郎を運ぶときは嫌な思いをしたものだが、今回は旦那が全部対応してくれる。こんなに楽で愉快な仕事は初めてだ。

 

「旦那、こんな対応までして頂いてありがとうございます。いつもはあんな我儘にもへいこら頭を下げるんですが、今回はそう言う事もなく助かっております」

 

「別にかまわん。俺からすればあんなのは邪魔になればエアロックから放り出しても良いおまけだ。目的地に向かうにはお主たちの協力が必要なのだから、優先順位は自ずと決まるというものだ」

 

旦那はなんでもない事のように話される。雇用主でもないのに旦那にあんな口を叩くとは、余程ネジがぶっ飛んでいるか、世間知らずなんだろう。まあ、あのボンも今までのお客と比べればかなりまともな部類だが......。

 

「長年教官役をして来たが、子供のしつけは初めての経験だ。そういう意味では儂も楽しませてもらっている。さすがに本命に傷をつける訳にもいかんからな。舐めた真似をした際に、漏らすまでくすぐってやったら大分素直になった。調教みたいで楽しいぞ?ずっと犬を飼ってみたかったが役目が忙しかったからな。あちらについたら無職のままでいる訳にもいかん。隠れ蓑代わりに調教師でもしてみるかな......」

 

笑いながら旦那も客室へ戻られるが、視線を向けた航海長も微妙な表情を浮かべている。俺はペットを飼ったことは無いが、どんなバカ犬であれ、旦那の調教を受けさせようとは思わない。さすがに可哀そうだろう。そういう意味では旦那は商才は無いようだ。

 

「船長、変なご縁で乗組員の訓練なんか依頼しないで下さいよ?あの旦那の訓練なんて受けさせたら潰れちまうのがオチだ。俺はそこまで残酷にはなれませんからね......」

 

「分かっているさ。自分が受けたくねえものを部下に強制するほど、俺も鬼じゃねえ。だが、もう一度船員たちには含んでおいたほうが良いかもしれねえな。口を滑らせれば怖い目にあうってことをな。俺だって旦那に詫び入れるような事態には間違ってもしたくねえんだ。航海長、きちんと念を入れておくようにな......」

 

航海長は顔を青くして了承の旨を返答すると、早速念を入れに行くのだろう。艦橋から出て行った。察しの良い野郎だから、もしもの時は俺が全部責任を被せる為に今の指示をしたと認識しているはずだ。同じようにスケープゴートを用意しに行ったんだろうが、肩書がねえとさすかにいけにえとしての価値はねえ。せいぜい必死に念を押す事だ。そうすりゃ、みんなが身の安全を確保できる。

長くても一か月、さすがに船内で血が流れるような事は勘弁願いたい。あのボンが旦那の忍耐を越える事をしないように、俺は航路図に視線を向けながら、祈っていた。御利益があるかはすぐに分かるだろう。



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126話:本音

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月上旬

首都星オーディン ミュッケンベルガー邸

グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー

 

「伯父上、お邪魔しております」

 

甥のディートハルトが応接室で紅茶のカップを掲げながら声をかけてくる。幼き頃から公式の場の所作とのメリハリが上手い男だった。父の戦死をきっかけに爵位を継いだ儂は、かなり気を張って生活してきた。周囲から威厳があると評価されているのは理解しているが、こやつのように部下たちから慕われる存在ではなかったように思う。

そういう意味では、やはりルントシュテット伯爵家の嫡男なのだろう。儂の父とともに戦死したレオンハルト殿を始め、公私は分けつつも、部下に気さくな態度をとるのがルントシュテットの流れだ。そんな彼らが見出し、育てた人材が、正規艦隊司令に名を連ねている。爵位を次ぐ経緯が違っていれば、儂も目の前にいる甥のような生き方が出来たのだろうか?

 

「説得の件ならもう不要ぞ?今朝、謹んでお受けする旨、殿下に言上してきた所だ」

 

「存じております。ですので、車中で昨夜考えていた説得するための話は忘れ、お祝いの言葉を考えて参りました。国務尚書への御着任、おめでとうございます」

 

「何がめでたいものか。宇宙艦隊司令長官と言う大任を肩から下ろし、やっとのんびりできるかと思っておったのだ。殿下直々に依頼されては断れる話ではないが、ただでさえ軍部の勢いが強い中、本当に良いのか?判断に困った事もあるがな......」

 

「それはそれは......。伯父上もご苦労が絶えませんな」

 

カップを回しながら嬉しそうに答えるディートハルト。懐いておったし、儂の退役を寂しく思っておるのも知ってはいた。だが、出征から戻れば部下や士官学校の候補生と会食してばかりしておると聞く。こやつもいずれはルントシュテット伯爵家を継ぐのだ。政治的な事も理解できているのか?確認する必要があるだろう。

 

「ずいぶん嬉しそうだな?ディートハルト......。ならばお主に問おう。この時期に、退役希望の老兵を国務尚書に押し上げる政治的な意図をな。そんなに嬉し気なのだ。儂が期待されている事も理解できておろう?」

 

いつも思うが、顔の作りの精悍な所は、ローベルト殿を思わせるものがあるし、ミュッケンベルガー伯爵家にも通じるものがある。だがこういう態度をとる所はシュタイエルマルク伯やリューデリッツ伯に似ている。そう言えばこやつの経歴はリューデリッツ伯の下からスタートした。そういう意味ではかなり影響を受けているのかもしれん。シェーンコップ男爵やロイエンタール男爵にも似た所がある。

 

「大きくは3点でしょう。直近で言えば軍部はずっと政府を苦い目で見てきました。命令の内容ではなく誰の命令か?が重要な軍人にとって、叔父上が政府首班になられれば、それだけで軍部が政府に向ける視線が変わります」

 

うむ。それなりにこやつも考えておるようだ。

 

「戦後を見据えれば、数年はともかくとして、軍縮を迫られるはずです。その際にも、引退したとは言え、長年宇宙艦隊司令長官の職にあった者が政府に居れば、受け入れられやすいでしょう」

 

「それも、確かにあるな。では最後は?」

 

「即位されるディートリンデ殿下は、まだお若く、しかも帝国初の女帝となります。皇配となるローエングラム伯も世間一般ではまだ若輩者とされる年齢。御二人が統治者として一人前になるまでのつなぎとして、重石になることでしょうか......」

 

うむ。普段飲み歩いてばかりいるディートハルトがちゃんとそこまで考えているとは......。ルントシュテット伯爵家の将来は安心できそうだ。

 

「まあ、ほとんど伯父上を説得するためにアルブレヒトと相談した内容ですがね」

 

そう言うと、嬉しそうにお茶を飲みながら笑った。やはりそんな所であったか......。リューデリッツ伯爵家の嫡男アルブレヒトも幼年学校までは軍人を志していたと聞く。実技はともかく、学科はかなり優秀だった。軍官僚としてなら十分栄達できたと思う。ただ帝大に進路を変えRC社で頭角を現している所をみると、適性はそちらにあったのであろうが......。

 

「あいつとは約束をしました。俺は軍人として、あいつは経営者として......。道は異なるが伯爵家を継ぐ者として恥じぬよう励み、帝国の発展に貢献しようと。RC社を通じて、実質的には辺境星域全域を統治しているような状況をリスクだと判断したのも、実はあいつなのです。内々に相談をしたのはだいぶ前の事ですが、私たちからRC社の株式については皇室に献上しようと提案したんです」

 

「ふむ。そんな経緯があったのだな。ミュッケンベルガー伯爵家としては、結納金代わりとは言え、想像以上の利益配分を得ていたからな。助かったのは事実だが、軍部貴族が自前で数個艦隊の戦力を整えられるような財力を持つのは確かに危険だ。提案に反対するつもりは無かったが......」

 

「どちらかと言うと、リューデリッツの叔父上は物欲がありませんからね。成果や利益を出す行為そのものに喜びを感じておられる所があります。そういう意味でもアルブレヒトは嫡男として周囲をよく見ていたという事でしょう」

 

確かにメルカッツとは違う意味で、地位も名誉も譲ってしまう男だ。何を喜びにしているのかと疑問に思っていたが、そう言うタイプの軍人を知らない訳では無い。何となくだが腑に落ちる部分があった。

 

「新設される公社から切り離す意味で、アルブレヒトが財務省に入省するのも、策の一環です。現段階では、政府と開発公社は協力関係になりますが、100年もすればライバル関係になるでしょう。それも踏まえて、蜜月期間になるであろう数十年を、シルヴァーベルヒと組ませる意味での人事なのでしょうが......」

 

少し悲し気な表情に変わる。アルブレヒトはRC社の経営陣のひとりだった。入社以来、ずっと発展に尽くして来たであろうし、愛着のような物もあるはずだ。そんなRC社からアルブレヒトが切り離される事を悼んでいるのか。それとも自分が重鎮となる時には軍縮を迎えることになる軍部に感じるものがあるのか。

 

「内密にですが、終戦後の計画も数パターン作成されているようです。簡単にしか聞いていませんが、求人予測では転職先をきちんと用意できそうですから、退役兵が路頭に迷う様な事にはならなそうですが......」

 

「気が早いと言いたい所だが、終戦してから考えだしても遅いからな。何かと資格認定や資格取得補助施策を手厚くしたのもその為か?最終的に承認したのは儂だからな。よく覚えておる」

 

「まあ、正規艦隊司令達の間でも、この話は話題になっていますからね。統治権の集約に伴って辺境自警軍も一度帝国軍に編入することになります。治安維持や星間警備に関しては彼らは専門家ですから、正規艦隊は出征できるだろうと......。18個艦隊が出征する最初で最後の作戦。誇りを持って後世に話せるものにしようと、今から皆、張り切っていますよ」

 

確かに18個艦隊が揃えばさぞかし壮観であろうが、軍歴を考えればこれからという時に、軍縮を覚悟しながら、戦争の終結の為に戦う。儂はただただ戦局を優勢にする事のみを考えれば良かった。気づけば将官になり、宇宙艦隊司令長官という大任を任されたが......。その戦争を終わらせてくれる彼らに報いる為にも、政府首班として勤めねばならないだろう。お茶でのどを潤しながら、若い者たちの成長を喜ぶとともに、儂自身も生涯のほとんどをささげた軍が、縮小する運命を避けられない事に、一抹の寂しさを感じていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月上旬

首都星オーディン 司法省 尚書執務室

ハイドリッヒ・ラング

 

「入ってくれたまえ......」

 

ノックをすると中から入室を促す返答がある。私が局長をしていた社会秩序維持局は、内務省の解体に伴い、廃局することになった。入局以来、役目に励んできた自負はあったが、局員の一部が汚職をしていたり、本来違法となる手段での調査を黙認されてきたのが社会秩序維持局だ。新体制に代わる上で取り込むにはイメージが悪いのは確かだが、どんな政治体制であれ少数が多数を支配する以上、私のような人材は必要なはずだ。

 

「ラングでございます。失礼いたします」

 

尚書執務室に入ると、部屋に備え付けられた応接セットにはリューデリッツ伯が、執務机にはルーゲ伯が座っておられる。今日の呼び出しは新設される自治省の名で行われていたが、どういう事なのだろうか......。

 

「ラング君、まあかけてくれたまえ。今日は一日中、ルーゲ伯と打ち合わせでね。司法省と自治省は役目柄、色々と協力する必要がある。司法省内に分室をひとつ作ってもらう予定だし、上級職に就く以上、ルーゲ伯とも顔つなぎをしておきたくてね」

 

「左様でございましたか。これは失礼いたしました。遅れましたが、年明けの戴冠式では、ご次男、フレデリック殿が国歌を演奏されるとか。おめでとうございます」

 

今まで貴族に対してきたように、俺は深々と下げる。

 

「ラング君、君らしくないね。それとも私が買いかぶっていたのかな?私たちにはそういう仰々しい態度は不要だ。それとどうせなら嫡男の財務次官着任を祝うべきだったね。君が芸事には無関心なことも、長年匿名で育英事業に寄付している事も、私は下調べしたよ?座らないのかね?」

 

冷や汗が出てきたが、同室しているご両名は、いずれも新体制のキーマンだ。不快な思いをさせるわけには行かない。早歩きで応接室の下座へ進み、浅く腰掛けたが、まだ冷たい視線を向けられている。

 

「確認の為に伝えておくが、財務尚書に着任するマリーンドルフ伯は私たちも懇意にしている。ルーゲ伯も民間で実績を上げた人材が、財務省に入省する事を喜んでくれている」

 

一瞬ルーゲ伯の方に視線を向けるが、渋い表情で冷たい視線を向けてくる。俺の無罪は確定したはずだが、何か裏があるのだろうか......。

 

「今まで散々違法捜査をして来たのにね。個人の見解としては、同じように違法捜査を受けても文句は言わないと判断したんだが、ルーゲ伯は適法捜査を今後の指針にされている。だから君は無罪になったという訳だ。でも言葉だけでなく仕事でも愛嬌を見せるべきだったね。

適法捜査で証拠をつかませなかった君は、無罪を勝ち取れたが警戒されてしまった。どの省庁も君を受け入れたがらない。とはいえ能力がある人材が野に居ては何をするか分からない。だから自治省で引き取ることになった訳だ」

 

汚職も職権乱用もしていない。だが、違法捜査を日常的に行い、多くの局員が有罪となった中で、最後までシロだったことで逆に警戒されてしまうとは......。予想外の展開に、思わず汗を拭う。

 

「ルーゲ伯の機嫌が悪いのは、半分は私の責任でもある。何しろ君の無罪が確定した後に、ある資料を私が届けたからだ。採用の最終試験として、ある下級貴族が経営していた企業を潰す工作を担当した入局者リストとかね。あれがもう少し早く見つかっていれば、君は門閥貴族を火あぶりにする薪の一本として一緒に火にくべられていただろう。

不思議なことに、君が育英事業に寄付し始めた時期とも重なるね。事が事だ。長年連れ添ったご夫人も、帝大に合格したばかりのご子息も連座していただろう。まあ、君の責任は半分だ。そんなに気にしなくても良いのではないかな?」

 

上座に座っているリューデリッツ伯に目線を上げると、口元は笑っているが目は笑っていない。ルーゲ伯を横目で見ると苦り切った表情をしていた。

 

「君の新しい役職は、自治省の第一局、局長だ。役目は今後増えるであろう自治領の監視・情報収集になる。当然の事だが、法律に定められた範囲内で情報収集にあたる事になる。ルーゲ伯が同席されたのもそのためだ。自分の能力を発揮するためにどんな条項が必要か?期日を設けるので我々に説明して欲しい。無論、ルーゲ伯が適法捜査を旨とされている事はきちんと踏まえるようにね」

 

俺が発言しようとするのを遮る様に、対面に座る人物が言葉を続ける。

 

「当然のことながら、役に立つと思ったから私はルーゲ伯を説得した。君が役に立てないと言うなら残念だが私に必要ない人材という事になる。旧体制下で平民が貴族を陥れた。どういう刑罰が下されるか?確認する必要があるかな?」

 

「ございません。このラング、ルーゲ伯のご意向に沿う形で第一局長としてお役に立って見せましょう。何卒、それを証明する機会を頂きたく存じます」

 

俺は心から頭を下げていた。今まで対してきた門閥貴族達とは訳が違う。役に立たないと判断されれば家族もろとも処分する事を、この二人は躊躇しないだろう。

 

「ルーゲ伯、如何でしょう?私には誠心誠意、尽くしてくれるように思えますが......」

 

「リューデリッツ伯がそこまで言われるなら、断れませんな」

 

その後、何を話したかは覚えていない。気づけば地上車に乗り、自宅に向かっていた。社会的には新設される自治省の高官になるが、なんてことはない。俺はルーゲ伯とリューデリッツ伯の飼い犬になる事を了承させられたのだ。それにしてもネタ元はどこだ?最終試験の参加者リストは削除済みのはずだったのに......。野望がなかったとは言わないが、妻と息子まで危険にさらす訳には行かない。俺は従順な犬になる事を、犬が使うには見栄えがいい公用車の車中で決めた。




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127話:行き先

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月中旬

首都星ハイネセン 郊外の邸宅

ヨッフェン・フォン・レムシャイド

 

「しばらくはこちらの邸宅でお過ごしください。世論が落ち着くまではあまり外出はおすすめしません。生活費も当面は支給出来ますが、未来永劫という訳にもいかないでしょう。では失礼します」

 

国防委員会から付き添ってきた職員が、業務連絡を告げると、一礼して邸宅から辞していく。長年フェザーンで過ごしていた私には、見慣れた同盟風の邸宅だ。自ら冷蔵庫を開け、同盟語が書かれたミネラルウォーターの封を切り、喉を潤す。

 

「レムシャイド伯、この邸宅にはメイドはいないのかな?お茶の用意を頼みたいのだが......」

 

「クククッ......」

 

ランズベルク伯は善良な男じゃが、もう過去の習慣が通用しないことをまだ理解していないようじゃ。それにしてもクラーク殿は人が悪い。笑っておらずにエルウィン・ヨーゼフ殿と同様に教育してくれればよいものを......。フェザーンに来た当初は、良く言って我儘放題であった彼も、クラーク殿が言う所のしつけを受け、かなり大人しくなっていた。

 

「おい、ボン。ここは帝国ではなく自由惑星同盟だ。何を飲むか?どこに行くか?何で身を立てるかは個人の自由だ。お茶が飲みたければ自分で用意する事だな。それよりも今後の事だ。亡命自体は受け入れてもらえたが、政治利用はしない判断を同盟政府は下した。俺の仕事に含まれるのはガキだけだ。身を立てられるなら、お互い一緒に居る必要もないと思うが?」

 

そう言いながら、クラーク殿が冷蔵庫からミネラルウォーターを二本取り出し、一本をエルウィン・ヨーゼフ殿の方へ軽く放り投げた。上手く受け止めると、見よう見まねで蓋を開け、ミネラルウォーターを口にされる。その光景から既視感を私は覚えた。

 

「私の方は、元フェザーン高等弁務官という事もある。今後もしばらくは情報提供の面で協力をしなければならんだろう。幸い、用意していたフェザーンマルクは高値が付いている。資金の面では心配ない」

 

「私も貴金属を持ち込んでいる。それを処分すれば何とかなるはずだ」

 

最後の抵抗なのだろうか?喉が渇いているだろうに冷蔵庫に進むそぶりを見せぬまま、ランズベルク伯が応える。クラーク殿はフライパンを火にかけ、肉やら野菜やらを切り始めた。分量から見て2名分。私たちの分は無いのだろう。

 

「なら、職員に確認を取ったうえで、俺たちはここを離れさせてもらう。逃亡者が雁首揃えて同じ所にいる必要はないし、そうでなくてもあんたらは目立つ。ガキが同盟に馴染むためにも、帝国風の所作のあんたらからは、早く離したいのでな」

 

「何を申すか、エルウィン・ヨーゼフ殿には礼儀作法をしっかり修めて頂くべきであろうに......」

 

「ボン、お前さん、逃げ足は速いようだが、頭の回転は鈍いな。市民の中に溶け込むのにそんなもん邪魔だろうが。あんたらが目立つのもそれだよ。所作がいちいち違うんだ。足の運び方なんか最悪だな。人ごみに紛れ込むのも無理だろう」

 

熱が入ったフライパンに油を引き、肉を入れながらあきれた様子でランズベルク伯を見るクラーク殿。彼は要人警護の心得もある。専門家にいちいち素人が口出ししても、良い事などあるまいに......。

 

「そういう物なのか?だが身についた所作を改めるのはなかなか骨が折れそうではあるが」

 

「だからだよ。あんたらが一緒だと、ガキが帝国風の所作になっちまう。邪魔なんだ」

 

そう言いながら、間食用のスティックの小袋をひとつ、またエルウィン・ヨーゼフ殿に軽く放り投げる。ちゃんと受け止めると、袋を開けて中身を食べ始めた。

 

「まだしばらくかかるからな。それでも食べておけ」

 

そういうと、クラーク殿はフライパンの方に視線を戻した。そこで先ほど覚えた既視感が何か思い至った。知人の屋敷でみた、犬の訓練に似ているのだ。ちゃんと受け止めた際に、良く出来た......。という感情を覚えるのもそのせいだろうか?だが、クラーク殿のしつけを受け始めてから、確かに大人しくなったし、逞しくもなりつつある。以前のように新無憂宮の中で、多くの大人に守ってもらう訳にもいかぬ以上、必要な事なのかもしれぬ。私は嬉し気にスティックを頬張るエルウィン・ヨーゼフ殿を見ながら、ため息をこぼしてしまった。

私のため息が聞こえたであろうに我関せずな辺り、クラーク殿にとっては私もおまけでしかないのだろう。冷蔵庫にはチーズがあった。今夜はそれをつまみながらワインを飲んで早めに休む事にしよう。ランズベルク伯が何かを請うような視線を向けてくるが、彼も自由の国の荒波に揉まれることになる。甘やかすのは良くないだろう、決して面倒だからではない。チーズを取り出すために、私は冷蔵庫の扉を開けた。しばらくは忙しいはずだ。身の振り方はそれが落ち着いてから考えれば良いだろう。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月中旬

首都星オーディン 旧ブラウンシュヴァイク公爵邸

アマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク

 

「伯爵夫人、お手数をおかけしてしまい申し訳ございません」

 

「良いのですフェルナー。貴方は良くやってくれています。私だけでは判断に困る事も多いですから......」

 

内戦が門閥貴族の敗戦に終わり、私たち姉妹の夫は、門閥貴族の名に恥じない最後を遂げた。決起の旗頭となったブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は、本来ならお取り潰しになるべき所、皇族に連なるという点と名に恥じない最後を理由に、伯爵家に降爵されはしたが、存続を許された。ただ、財産を没収される以上、公爵家の格式で維持してきたこの屋敷から移らなければならないだろう。

 

「お引越しの件でご報告なのですが、ディートリンデ殿下のご即位に伴い、下賜金を頂けるとの事です。お屋敷の方も、決起したとはいえ誇り高い最後を遂げられたお二人を育てた環境を、壊す必要はないだろうというお声が、軍部から出ているとか。少なくとも引っ越す必要はなさそうです」

 

「そうですか。それは久しぶりの嬉しい知らせです。整理しようとしていたのですが、この屋敷にはあの人との思い出がたくさん詰まっていますから、どうしても手が動かなくて......」

 

誰を恨むわけでもない。門閥貴族が帝国に不要な時代が来てしまったのだ。夫たちはそれを察していたような所がある。そうでなければ敵からも賞賛されるような最後を迎えられはしないだろう。ただ、本心を言えば、そんな最後を迎えて頂きたくはなかった。隣で一緒に人生を歩んで頂きたかった。涙がこぼれ、急いでハンカチで拭う。後始末に追われているフェルナーは、まだ落ち着いて悼む時間も取れていないはずだ。私ばかりが悲しむわけには行かない。

 

「お屋敷の件に関連して、伯爵夫人にお願いしたいことがございます」

 

私が泣く様子を見ぬふりをする為に視線を外したまま、フェルナーが話を続ける。配慮してもらった以上、それにお返ししなければならない。それぐらいの政治的判断は、私にも出来る。

 

「承知しています。ご配慮を頂いた以上は、お返しをしなければ。私たちが率先して、新帝陛下の権威を認めなくてはいけないわね。それに治世に協力しなくてはいけないでしょう」

 

「ご理解ありがとうございます。それに関連して、小官とシュトライトは一度任官しようと思います。多少なりとも功績を立てれば、ご両家が新帝陛下の治世に協力するつもりだと示す事にもなります」

 

確かに協力する姿勢を示すには良い提案です。ただ、まだ何か言おうとしているとなると......。あの事でしょう。

 

「良き案だと思うわ。クリスティーナには私から言い聞かせましょう。妹には少し強情な所がありますから......」

 

「はっ。お屋敷の件はシュトライトが使者になっておりますが、お役に立てなかった手前、どうもお話しにくい部分があります。ご配慮を頂きありがとうございます」

 

ホッとした様子のフェルナーを見て、私は少し笑ってしまった。夫に連れだって逝ってしまったアンスバッハの生前には、何かと彼を困らせていたはずだ。真摯なフェルナーを見たら、アンスバッハもさぞかし苦笑するだろう。部屋を辞するフェルナーの背中を見ながら、私はそんな事を考えていた。涙が止まっていなかったことに気付くのは、フェルナーが部屋のドアを閉めてしばらくしてからの事だった。

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月中旬

首都星ハイネセン ビュコック邸

ユリアン・ミンツ

 

「おお!ユリアン、久しぶりじゃな。背もまた伸びたようじゃな。このまま行けばヤンよりも大きくなる勢いじゃな」

 

「ありがとうございます。ビュコック提督。ただ、外見ばかりが大きくなっても中身が伴わないと意味がありません。士官学校でなんとか皆さんのお役に立てるようになれれば良いのですが......」

 

ビュコック提督の好みに合わせて用意した紅茶を、嬉しそうに飲みながら、少し迷う様な表情をされる。いつもは同席される夫人も、キッチンに向かったままだ。何かあったのだろうか?

 

「ユリアン、その士官学校の件じゃ。ヤンからは何も言われておらんか?」

 

「はい。試験の結果はご報告しましたが、合格祝いとして三月兎亭に連れて行っては下さいましたが......」

 

「ふむ......」そう言うと、ビュコック提督はまた考え込んでいる様子だ。話が再開されたのは、一杯目の紅茶が空になった時だった。

 

「年寄りのおせっかいじゃと思って聞いてほしいのだが、正直な所、同盟軍の勝ち目は薄いじゃろう。少なくとも近々に同盟軍が無くなる事は無いじゃろうが、同盟軍の軍人にとって、冷たい時代が来ると儂は思っている。軍部は反対しておるが、議会では学徒動員も検討されておるとか......」

 

提督が言葉を区切られたタイミングで紅茶を注ぐ。「すまんのお」と告げてから提督は話を続けた。

 

「儂の家は貧しくてな。兄弟も多かったし一人でも食い扶持が減れば、楽になると思って軍に志願したんじゃ。志望動機はそんな物じゃが、今では民主制を守る軍人であることに誇りを持っておる。部下を何人も死なせた以上、最後まで付き合うつもりじゃ」

 

真剣な様子の提督に、頷くことしかできなかった。

 

「じゃが、お主はまだ若い。士官学校に合格したとはいえ、他の道もまだ選べる時期じゃ。戦後の事も考えて、進路の事を一度、ヤンやキャゼルヌ辺りと相談してみてはどうか?と、儂は思っておる。あの二人も、軍人志望ではなかったと聞いておるしな」

 

「提督は、僕に軍人としての才能が無いとお感じなのでしょうか?」

 

一抹の不安を感じながら、思っていたことを確認してしまった。後から思えば、いつもより声が大きかったように思う。

 

「そうではないんじゃ。ユリアン。ヤンを始め、みな帰る所があるからなんとか踏ん張れておる。敗戦することになっても、市民全員を処刑するような事にはなるまい。戦後を担ってくれる後進がいるからこそ、少しでも引き継ぐバトンを良きものにしようと頑張っておる。多才なお主なら、軍人以外の道でも身を立てられるじゃろう。そこをもう一度、家族で考えて欲しいんじゃ」

 

悲し気な表情で視線を壁の写真に向けたビュコック提督を見て、僕は失念していたことを思い出した。提督は戦争で2人のご子息を亡くされている。本来なら、バトンを渡したかったお相手が、既に居ない。自然と、毎朝挨拶をしている父さんの遺影が頭をよぎった。

 

「まだ分かりませんが、一度よく考えてみようと思います。お気遣いありがとうございます」

 

「なんの。年寄りのいらぬお節介じゃ。悩ませてしまったなら申し訳ないと思っておる」

 

それから少し雑談をして、提督の官舎を後にする。ヤン提督にも考えてみる様に勧められたけど、子供の頃からずっと軍人になるものだと思って生きてきた。それ以外の進路を、ちゃんと考えてはこなかったと思う。考え事をしていたからか、見慣れた官舎のドアの前に気づいたら立っていた。ロックを解除して中に入る。靴箱の状況からしてヤン提督はお帰りのようだ。

 

「ユリアン、お帰り」

 

リビングに通じるドアを開けながら、提督が声をかけて下さる。穏やかなヤン提督の表情を見て、考えていた事が自然に言葉にできた。

 

「提督、軍人になる事を諦めた訳ではありませんが、経済史や金融政策を学べる大学を受けてみようと思います。今回の金融危機で、脅威は必ずしも軍事力だけではないと感じました。そういう分野の知識があれば、旗下の皆さんとは違う視点で提督のお役に立てると思うのですが......」

 

「わかった。ユリアンのしたいようにすればいい」

 

いつものように提督が頭を撫でて下さる。緊張の糸が切れたからか、急にホッとした気持ちになった。早速、自室へ向かい父さんにも黙祷をしながら報告する。提督はもともと歴史学者志望だった。どこの大学が良いか?ご存じのはずだ。お好みに合わせて少し薄めにいれた紅茶を用意して、相談にのって頂こう。黙祷を終えて目を開ける。毎朝目にする父さんの遺影が、気のせいか少し優し気に見えた。



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128話:辺境

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月下旬

アムリッツァ星域 クラインゲルト邸

アーベント・フォン・クラインゲルト

 

「先祖代々、守ってきた領地じゃ、出来る事ならカールを含め、代々継いでいってほしかったが......」

 

サロンの窓から見える領地に視線を向けながら、父上が寂し気につぶやいた。私が幼い頃は良く言えば自然豊か、悪く言えば田舎だったクラインゲルト領は、見違える様に発展した。イゼルローン要塞建設に伴う特需以来、前線総司令部の新設と大規模な駐屯地の最寄の有人惑星という事で、何かと恩恵を受けられた我が家の領地は、辺境星域でも急速に発展した領地の一つだ。

 

「父上、致し方ございますまい。確かにクラインゲルトを始め、辺境星域は発展いたしました。ただ、RC社に何かと統括して頂けたことが大きな成功要因です。それに帝国の将来を考えれば、統治権を細切れにしてしまうのは確かに不安要素になりましょうからな」

 

「うむ。まあ、お主の代までは、希望すれば統治権の執行担当にはなれるのじゃから、あまり愚痴をこぼすのも良くないか......」

 

「はい。実際問題、政府の立場からすれば、戦後はイゼルローン回廊は宇宙の主要航路のひとつとなりましょう。その周辺の統治をいつまでも委任は出来ないでしょう。たとえ実績を上げていたとしてもです」

 

私が分艦隊司令を勤めている辺境自衛軍が、近年もっとも人員を割いているのが回廊内のデブリの回収だ。叛乱軍側の各星系の航路データには、デブリ情報も蓄積されている。大まかに回収するだけでも100年はかかるだろうが、いずれはイゼルローン回廊を商船が埋め尽くす日も来る。その時代には物資の集積地となるであろうクラインゲルトの統治を、間接統治のまま放置しておくことは、さすがに出来ないだろう。

 

「わが家はともかく、軍部系貴族の重鎮方はかなり踏み込んだご判断をされました。それを考えれば、在地領主の方々も惜しむ気持ちは有れど、ご納得もされておりましょう」

 

辺境星域を始め、旧門閥貴族領を除けば、かなりの領域に展開していたRC社。帝国でも屈指の大企業の株を、ディートリンデ殿下の即位に合わせて献上されるとは......。功労者である彼らの行動を見て、領主たちも今はともかく、将来の帝国政府から危険視されるリスクを認識された。もっとも統治権をお返しする代わりに、昇爵の上、帝室から高利回りの債権を下賜していただける。時代が変わりつつあるのだ。領主となるべく励んできた私はともかく、カールには自分で道を選ばせるつもりだった。

 

「カールの進学先も考えねばなるないな......。戦争が終われば軍人の立場は相対的に低下するじゃろう?まあ、本人が望むなら士官学校に進むのも良いじゃろうが......」

 

「久しぶりに会えるのです。その辺りもフィーアを交えて相談いたしましょう。帝大に進んで地方自治を選ぶも良し、フェザーンに留学してビジネスを修めても良いでしょう。フレデリック殿の例もございます。もしや芸大に進みたいという事もあり得ましょう」

 

「うーむ。確かにカールが描いてくれた儂の似顔絵には、光るものを感じた。だが、いくら皇室から下賜頂くとは言え、当家でパトロン活動までできるじゃろうか......。資産はそれなりにあるが......」

 

私の冗談を鵜呑みにしている父を見て、思わず笑ってしまった。

 

「あら、お義父様、あなた。ずいぶん楽しそうですわね。車が参りましたのでご用意をお願いしますわ」

 

私たちに声をかけに来た妻のフィーアの表情も明るい。久しぶりにカールに会えるのを、妻も喜んでいるのだろう。手荷物を確認すると、父上に続いてフィーアをエスコートしながら玄関に向かう。年明けに予定されている戴冠式に出席する事になっているが、伯爵家に昇爵して最初の大きな公式行事だ。夜遅くまで、父上は宮中作法の確認をされていた。それを思い出して、また笑いそうになってしまう。

 

「本当にうれしそうですわね。何かございましたの?」

 

「いや、カールに会うのも久しぶりだからね。きっと背も伸びているだろうし」

 

さすがに父上の威厳に関わるだろうから、なんとか誤魔化して、フィーアと一緒に地上車に乗り込む。見違える様に発展した領地を見ながら宇宙港に向かうのは、私のひそかな楽しみでもある。舗装された片側2車線の幹線道路を走る地上車の車窓越しに領地を眺める。ほんの数十年前と比較して、同じ場所とは思えない光景に、私はいつものように誇らしさを感じていた。

 

 

宇宙歴796年 帝国歴487年 12月下旬

惑星エルファシル ロムスキー邸

ジェシカ・エドワーズ

 

「財務委員会所属の代議員の方が来られるのは、戦災の時以来ですな。エドワーズ議員、ようこそエルファシルへ」

 

戦災を受けたエルファシルの復興を主導した、ロムスキー氏が右手を出してくる。私も右手を出して軽く握手する。温かく、分厚い手だ。何となくだが、急逝されたゾーンダイク氏の雰囲気に似ているような気がした。エルファシルに2個艦隊規模の駐留基地が新設される事が決定したのを機に、政界を引退された。公的機関に所属しては、周囲がやりにくいだろうと。復興記念病院の名誉院長職を固辞され、郊外で開業医をされている。清貧を貫く辺り、見習いたいと素直に思える人物だった。

 

「こちらこそ、お名前は存じ上げております。ジェシカ・エドワーズと申します。よろしくお願いいたしますわ」

 

穏やかな表情を浮かべるロムスキー氏に促されて、応接セットの椅子に腰を下ろす。隅々まで掃除が行き届いた応接室が目に入る。なぜか正反対の惨状だったユリアンが来る前のヤンの官舎を思い出して、思い出し笑いをしそうになった。手元に用意されたカップを口に運ぶ。少し濃いめの紅茶で喉を潤すと、ヤンとロムスキー氏もこんな風にお茶を飲みながら話をしたのだろうか?という考えが頭をよぎった。

 

「間違っていたら申し訳ないのだが、当時のヤン少佐がエルファシルに赴任した際に、見送った女性のお名前だと記憶しているのだが......。あのエドワーズさんで合っているのかな?結局、将官になられた今も、彼は独身のはずだ。エルファシルに来たことで、タイミングを逃したなら悪い事をしたと気に病んでいたのでね」

 

「確かに、そのエドワーズです。ただ、私とヤンは友人関係でした。それに夫はヤンの親友でもあります。思い返すと青春ではありましたが......」

 

「そうでしたか。それは失礼しました。それにしても政界を引退した町医者に、今更なんの御用でしょう?ご連絡を頂いた際は、見解を伺いたいとのことだったが......」

 

「はい、確かに今までテルヌーゼンで、政治活動に携わって参りました。ただ地方星系の事は数字でしか理解していなかったのも事実です。お恥ずかしい話なのですが、これを機に、実際に見て回ろうと考えたのです。金融危機の影響もあります。まずは復興支援事業に基地新設と、近々で政府が予算を割いたエルファシルから始めようかと......。ロムスキー医師なら忌憚なく実情をお聞かせ願えるかとも思い、足を運びました」

 

「そうでしたか......。忌憚なく話をするのは構いませんが、バーラト星系所属の議員である貴方が、辺境星系を視察するのは止めたほうが良いでしょうな。少なくとも歓迎はされないでしょう......」

 

困った表情をしながらロムスキー氏が話を続ける。

 

「エルファシルの現状を一言で言うと、生産人口がどんどん減っている状況です。復興することは出来ましたが、新規事業に投資する余裕は無かった。軍が生活の傍にあった事で、職が見つからない若者は志願する事が多かったのですが、その多くは戦死してしまった。10年もすれば、この星域の平均年齢は50歳を越えてしまうでしょうな......」

 

歳入の多くは対フェザーンの借款の利払いと遺族年金の支払いで消えてしまう。辺境星系の開発事業予算は、戦況が劣勢なことを理由に、真っ先に削減された。その次に手が付けられたのが奨学金事業。人文系の学科全てが対象外となって数十年が経つ。戦争によって様々なリソースが吸い上げられ、本来、投資されるべきものに行き渡らなくなった。財務委員長であるレベロ氏が、いつも眉間にしわが寄っているのも、致し方ない事なのかもしれない。

 

「それでもエルファシルはマシな方だ。駐留基地が出来た事で職も幾ばくかは生まれたし、最前線だから駐留規模が縮小される事も無かった。星系によっては、星系警備隊そのものが解体されたのに、多大な安全保障費だけを負担している所もある。言葉を選ばずに言えば、バーラト星系は税を吸い上げるばかりで何もしてくれない。

そしてそれを主張しても、人口比から優先されるのはバーラト星系の意向です。見た事も無い帝国より、自分たちを困窮に追い込む同盟政府を恨む住民も当然いるでしょう。視察を思いとどまってもらいたいのもその為です」

 

確かに、辺境星域から見れば、負担は重くなる一方なのに、警備隊すらいなくなり、若者たちを吸い上げられてきた。帝国軍など見た事も無い以上、矛先は必然的に同盟政府に向かうだろう。

 

「見識不足でした。忌憚なくお話し頂いてありがとうございます」

 

「良いのだ。避難民として帰還した時は、見慣れた風景が廃墟になっていた。皆がくじけそうになったはずだ。だがエルファシルの英雄がいてくれた事で多くの市民が勇気づけられた。押しが強い人物ではなかったが、いないとなるとすぐに分かる不思議な所があってね。彼が物静かに復興活動に励むのを横目に見て、皆が安心したものだ」

 

懐かし気とも嬉し気ともとれる表情をしながら話すロムスキー氏を見て、私も温かい気持ちになる。ヤンはとことんマイペースで、空気も読めないし、鈍い所もある。でもそんな彼の良さを分かってくれる人が多くいた事を、素直に嬉しく思った。それから復興事業の思い出などをロムスキー氏から伺い、良い頃合いで、お宅を辞する。

 

停めていた地上車に乗り込む前に、もう一度、ロムスキー氏に一礼する。エルファシルでは幹線道路を除いて自動運転システムは導入されていない。馴れない運転に苦戦しながら、渋面とバーコードに悪態をついてやりたい気持ちに駆られた。

 

補欠選に立候補して当選した私は、当初、人的資源委員会を志望していた。富裕層の子息の前線への配属がかなり少ない事や、断固反対を選挙戦でも主張した学徒動員。それに携わるには人的資源委員会に入るのが近道だった。ただ、左翼の雄である二人に、まずは実情を勉強して欲しいと説得されて財務委員会に入る事になった。その財務委員会ですら、大きな闇を抱えている。

幹線道路に入り、自動運転システムをオンにした所で、ため息が漏れた。馴れない運転に緊張していたこともあるが、最近、報道で使われ始めた市民一人当たりの借款というキーワードに思い至ったからだ。

 

ロムスキー氏の話を聞く限り、辺境星域が政府に向ける視線は厳しい。彼らからしたら、散々諸々のリソースを吸い上げて、借款まで押し付ける様に見えないのだろうか?挙国一致だの、政治的空白を作れないだのと言っている間に、辺境星域が政府に見切りをつけるのではないか?そんな考えが頭をよぎったのだ。

考えなさいジェシカ......。小さなことでも出来る事があるはずよ......。滞在先のホテルに向かう車中で、私はそんな事を考えていた。



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129話:戴冠式 前編

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月上旬

首都星オーディン 宇宙港 特設会場

ゲルラッハ子爵

 

大モニターに映っているローエングラム伯の艦隊旗艦、ブリュンヒルトの姿が肉眼でも確認できるようになり始めると、周囲から段々、歓声が上がり始める。ブリュンヒルトが着陸すると、何度もリハーサルしたのだろう。整備兵たちが一糸乱れぬ動きで係留作業を終え、ディートリンデ殿下と一歩控える位置に、ローエングラム伯の姿が見える。殿下が右手を軽く上げて歓声に応えると、一際、歓声が大きくなる。臣民たちは新帝の即位が新しい時代の幕開けである事を理解しているのだろう。

少なくとも新帝の治世が明るい雰囲気で始まる事に、ホッとしている自分がいた。だが、リヒテンラーデ侯をはじめ、政府系に属していた貴族の多くが取り潰された。私ですら、軍部系貴族の勝利は揺るがないように感じていた。なぜ、侯はあんな判断をされたのか......。なぜ、喜びに満ち溢れる臣民に混じって、長年苦労を共にしてきた政治系貴族の姿が見えないのか......。寂しく思う気持ちもあった。

 

「ゲルラッハ子爵、ご挨拶が遅れました。財務次官に任じられました、リューデリッツ伯爵家が嫡男、アルブレヒトと申します。ご挨拶させて頂くのが遅れ、申し訳ございません」

 

「とんでもない事です。何かと財務省は躊躇する事柄も多く、引継ぎを終えたとはいえ、後任のマリーンドルフ伯にも、何かとご迷惑をおかけしたのではないかと、気に病んでいる次第でして」

 

「そんな事は無いでしょう。子爵の仕事ぶりについては、資料で確認いたしました。私も実務に携わっておりましたが、色々な配慮が必要な中で、少しでも良き方向へ進めようと苦心されていたのが伝わってくるようでした。心中、ご察しいたします」

 

少し頭を下げて、敬意を表してくれるアルブレヒト殿。今まで、そんな風に感じた事など無かった。ただ、侯のお役に立てればと至らないなりに励んできただけだ。それが回りまわって、上役のご嫡男から労って頂くことになるとは......。世の中と言うものは、何がどこで繋がるか、分からないものだ。

 

「父が、子爵殿を次官職に引っ張ったのも、何となく理由が分かりました。この先、新しい秩序が確立されるまでは、前例のない判断を迫られることになるでしょう。次官職に求められるのは、手堅く組織運営を進める能力と、誠実に指示を実行する資質でしょう。何かと誤解されがちな父ですが、よろしくお願いいたします」

 

そう一礼して、アルブレヒト殿は別の方へご挨拶に向かわれた。優し気で誠実そうな印象が残る。尚書閣下はともかく、部下にも誠実味がある人材がいれば、もう少し安心できるのだが......。第一局長のラング氏の前職は社会秩序維持局の局長。第二局長にはフェザーン自治領主のルビンスキー氏が内定している。第一局は情報収集を、第二局は情報工作を担当するらしい。

経歴を考えれば、国内に置いておけない人物をまとめて引き受けたような印象がある。片方だけでも劇薬のように思うが、2人合わされば猛毒にもなりかねないであろう。地ならしを命じられてラング氏はすでにアイゼンヘルツ星域に出立している。何か良からぬことを相談していなければよいが......。

 

「ゲルラッハ子爵、探しましたぞ。ご無沙汰しておりましたな」

 

「これはシェーンコップ男爵。男爵もおかわりなく。ご活躍は耳にしておりました」

 

装甲擲弾兵副総監と近衛第二師団の司令官を兼任しているシェーンコップ男爵が声をかけてきた。総監であるオフレッサー上級大将は現場の人という印象が強い。実質、帝国軍の陸戦部隊の長であり、内戦が始まる前から、ディートリンデ殿下を始め軍部系貴族の警護を引き受けていた彼は、宇宙艦隊司令部を除けば、軍部の重鎮のひとりであり、新帝陛下の信任も厚い。

 

「子爵閣下にまでお褒め頂くと、いささかこそばゆいですな。装甲擲弾兵と言えば確かに猛者揃いですが、近年は身辺警護くらいしか出番がありませんでした。そんな事より、遅れましたが、自治省次官職へのご着任、おめでとうございます」

 

「温かい言葉、痛み入ります。私などが、このような大役を果たせるか不安でもありますが、精一杯勤めるつもりでおります」

 

「子爵閣下、小官相手なら宜しいでしょうが、そこまでへりくだるのは、逆に良くありませんな。軍部からすれば、あのリューデリッツ伯に抜擢された人物です。そのようにされては、接し方に悩みましょう。まあ、その辺は慣れも必要なのでしょうが......」

 

苦笑しながら、踏み込んだ助言をくれるシェーンコップ男爵。だが不思議と悪感情は感じなかった。形式に煩い近衛第一師団に比して、新帝陛下と軍部貴族を繋ぐために前例を守りながらも、上手く面会の場を作って来たのもこの男だ。やろうと思えば完璧にこなせるにも関わらず、少し崩して個性を出すのも、彼が始めた事だと聞く。

当初は眉を顰める者も多かったが、されてみると、本題に入る前の話題になる為、重宝する事が分かった。今では少しはアレンジする事がマナーの様になっている。リューデリッツ伯とは違う意味で、何かと話題になる人物だった。

 

「忙しいタイミングでお声かけしたのは、役目もあっての事なのです。内々にですが、併合後のフェザーンに於いて、治安維持体制の確立と仮宮建設の責任者となりました。フェザーンの事となれば自治省のお力添えを願う事も多いでしょう。宜しくお願い致します」

 

慌てて、こちらこそ......。と頭を下げた。そんな私の態度に、男爵はまた苦笑する。

 

「そんなに遠慮する必要は無いでしょう。新しい秩序の下ではフェザーンは帝都並みに重要な場所となりましょう。軍部も様々な所で、子爵を頼るはずです。余程の事でない限り、リューデリッツ伯に直接持ち込むのは気が引けますからな。伯に見込まれた時点で、少なくとも若い世代から一目置かれているのです。手助けをしてやれば二目。そうなれば、別の省に異動しても何の不都合もございますまい。少なくとも子爵だけは、そういう意図があっての人事だと、小官は見込んでおります。では、また近いうちに......」

 

私から見ても優雅な一例をして、男爵も所定の位置へ戻っていく。頃合いを見計らっておられたのだろう。ファンファーレが鳴り響き、殿下の入室を告げる前ぶれの声が聞こえた。周囲も出迎えるべく最敬礼を始める。私も最敬礼をし、視線を床に向けた。この時点でやっと気づいたが、おそらくアルブレヒト殿もシェーンコップ男爵も、伯からのメッセンジャー役だったのだろう。

劇薬のような幹部を抱える以上、表立っては厳しい態度をとる必要がある。私自身、影響力を考えれば、直接伝えられても、何か意図があるのではと逆に気にしてしまうだろう。そうと分かれば誠実に励めば良いだけだ。

 

「皆の者、ご苦労。面を上げよ」

 

ディートリンデ皇女殿下の声が聞こえ、最敬礼を解き、立ち上がる。気のせいかもしれないが、この会場に来た時と比べて、気持ちが楽になったような気がした。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月上旬

首都星オーディン 軌道上

オスカー・フォン・ロイエンタール

 

「ありがたい事だ。司令部直属艦隊に限定されたとは言え、直々に観艦式にご参加いただけた。部下達の表情も明るい。帝国の未来はきっと明るい物となろう。フェリックスにもちゃんと教えてやらねばな」

 

「ミッターマイヤー、確かに卿の言う通り帝国の未来は明るいだろう。だが、フェリックスはまだ生まれて間もない。いささか話が難しすぎるのではないか?」

 

「良いのだ。嬉し気に接すれば、それだけで何やら良い事があったのだと伝わるものだ。そう遠くないうちに、卿もそれがわかると思うぞ?」

 

すこし茶化すように、だが嬉し気にミッターマイヤーが話しかけてくる。戴冠式を前に、宇宙艦隊が司令部直属のみとはいえ勢ぞろいし、観艦式を行った。ローエングラム伯の乗艦であるブリュンヒルトをお召艦とし、ディートリンデ殿下もご参加された。近年例のない天覧となった観艦式に、部下たちも誇らし気だった。そして即位にあたり、軍部の力が大きかったことへのお礼の意味がある事を、上層部は理解している。帝国の安定の為とは言え、多くの利権を皇室に献上してしまう判断を、軍部貴族の雄たちがした時、将兵たちに不満が無かったわけでは無い。ガス抜きをする意味でも、こういう催事は必要だろう。

 

「まあ、次の出征までに、挨拶には行かねばならんだろうな。ミッターマイヤー、恋愛の数はこなしてきたが、親元に挨拶に行った経験は無くてな。卿なりに何かアドバイスはあるかな?」

 

「愚問だな、ロイエンタール。エヴァはもともと家で面倒を見ていた。俺も親御さんに挨拶なんて経験は無いぞ。おっと、そろそろ順番が来たようだ。では、また後でな......」

 

いつものように明るい表情で敬礼すると、ミッターマイヤーは通信を終えた。そもそもこの手の相談を、俺がミッターマイヤーにする時点でおかしな話なのだが......。この件に関しては、恋愛の量をこなす意味で先を行っているシェーンコップ男爵も当てにならない。挨拶には、リューデリッツ伯ご夫妻も同席されるというのも、重たかった。

 

事の始まりは、イゼルローン回廊での作戦を終え、帰還後には習慣になりつつある外出をマリーンドルフ伯爵家のヒルデガルド嬢と共にしたことに始まる。いつも通り戦略・戦術・経済と言った話をしながら、フレデリック殿の単独演奏会に足を運び、帝国ホテルのレストランでディナーを楽しんだ。その終わり際に、「そろそろ父に会って頂きたく存じます」と言われたのだ。幼馴染でもあり、妹のような存在だった彼女から急にそんな事を言われ、何事かと思ったが、その場では平静を装った。

事情を確認するために、演奏会のお礼としてヴェストパーレ男爵邸に訪問した時、自分が既に身を固めるしかない状況にある事を知ることになる。男爵夫人によると、ヒルデガルド嬢の中では、俺とつき合っている事になっている様だった。本来なら女性とするはずがない話をしているのも、彼女の好みに合わせてくれていると考えていたらしい。そして何より、年齢も考えれば、お互いに選べる相手は数えるほどもいないという事だ。

そんな状況で、定期的に時間を共にしていた。論理的に考えれば、婚約者候補として扱っていたのかもしれないが、逢瀬でささやき合うような内容ではなく、それこそ商談でするような話ばかりをして来た。それを勘違いされる事まで、俺の責任なのだろうか......。

 

「まさかとは思いますが、その気も無いのに余暇の相手にヒルダを選んでいたのかしら?あの娘も伯爵家の経営にディートリンデ殿下の相談役、RC社の顧問としての役目もあったわね。不定期に帰ってくる軍人さん相手に、毎回時間を作れるほど暇な娘ではないのに......。これを知ったらさぞかし傷つくでしょうね......」

 

そこでお茶を飲んで言葉を区切る男爵夫人。余人なら見逃すだろうが、口元が嬉し気なのを、俺は見逃さなかった。

 

「それにしても大変な事態ね。軍部貴族が帝国の安定に尽くしているのに、財務尚書の娘で、新帝陛下の顧問になる女性を、正規艦隊司令の一人が弄んだなんて......。どうしようかしら......。今までの御恩を考えれば、殿下にも、お義父様にも報告しない訳には行かないし......」

 

この段階になると、男爵夫人はもう嬉し気なのを隠そうともしていなかった。まて、オスカー。まだ、間に合う......。事情を説明して......。

 

「何か誤解されているようですな。男爵夫人。事が事ですから、挨拶の際の流儀などもご相談したい......。と言うのが本題なのです。伯にいきなりという訳にも参りませんからな」

 

「そうでしたか。それはお二人にとっても喜ばしい話です。新帝陛下の御即位に合わせて、式も挙げてしまいましょう。フレデリックもお二人の式で、祝いも兼ねて曲を奏でたいと言っていましたから......」

 

それからあれよあれよと言う間に、挨拶の日取りが決められ、式の日取りまで決められそうになって、出征を理由に何とか押し留めたのが、俺の人生でも唯一の敗戦の日の結末だ。ただ、いざ結婚相手として見ると、良い相手なのかもしれなかった。大して興味の無い宝石や服飾の話を、聞いている振りもしなくて済む。ディナーの場で社会政策に関して意見を求められると聞くと重苦しいかもしれないが、幼い頃から投資案件に関わった事もある。興味の無い事を話題にするより余程楽しめる。

そして、関心が無いからあまり着飾ることのないヒルデガルド嬢は、俺好みの物を贈れば、嬉し気にそれを身に付けてくれる。帝国屈指の才女を、俺の好みに染め上げる。そんな喜びを得られるのも、相手が彼女だからだ。

当初は慌てたが、婚約者のいる生活を想像以上に楽しんでいる自分がいた。男爵夫人が「伯爵夫人になる前に、やり残したことが一つ減ってよかった」とつぶやいたような覚えもあるが、敗戦の日の事は忘れる事に決めている。

 

「閣下、お時間です。それにしても、天覧観艦式とは栄誉なことですが、私などはパレードにも参列したかったと思ってしまいますな」

 

司令官室に控えていた俺に、参謀長のベルゲングリューンが連絡を入れて来る。戴冠祝いとして、酒や料理が、臣民たちに無料で振る舞われるはずだ。オーディンの地表では、宴会が始まっている所もあるだろう。

 

「確かにな。ただ、今日に限っては臣民たちも盛り上がっているはずだ。手抜かりは無いと思うが、慶事に酔って騒ぎを起こすような事が無いように、再度確認をしておいてくれ」

 

宇宙港から新無憂宮までパレードをしている間に、観艦式に参加した将官たちは地表におり、戴冠式の会場である新無憂宮へ向かう。忙しい話だが、部下たちの明るい表情を見ると、不思議と疲れを感じる事は無かった。兵士ひとり一人が、同じようなことを感じていたら、士気もきっと高まるだろう。手荷物をまとめ、俺は艦橋へ歩みを進めた。ディートリンデ殿下の治世は良き物になるに違いない。



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130話:戴冠式 後編

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月上旬

首都星オーディン 新無憂宮

オイゲン・リヒター

 

「臣民たちの生活は確かに豊かになる。帝国の未来も明るいが、投げ与えられた明るい将来に、本当の価値はあるのだろうか?」

 

「ブラッケ、そこまでにしておけ。現実問題として税は安くなり、社会政策も大幅に予算が増える。今後は帝国全土で、保育園を含めた中等教育までの無償化、医療施設の新設・無償化が進む。司法制度も、今までのような不公平が改められることになる。臣民にとって良き社会に成りつつあるのだ。それで十分だろう」

 

ディートリンデ皇女殿下のパレードの模様を映すモニターに視線を向けながら、私が応える。ブラッケは少し不満気だ。開明派として活動を共にし、貴族でありながら「フォン」を外すなど、立場を示してきたが、民生尚書となった今、同じく民生次官となったブラッケとは公式の場以外では付き合いを減らしている。既に体制側の中枢にいる以上、政府に上申はいくらでも出来る。手続きさえすれば、上奏すら可能だろう。私がしたかったことは帝国内の不条理を無くすことだ。ブラッケはどうも臣民主導でそれが為されるべきだと考えている節がある。

 

だがそれは民主制につながるものだ。銀河帝国は民主制の中から生まれ、流刑地から零れ落ちた種から大きく育った叛乱軍を退けつつある。帝政が2度、民主制に勝利した事を考えれば、政府首脳陣は帝政の有用性を再確認したところだろう。それに理想に燃えると言えば聞こえは良いが、自分の理想が絶対的に正しいと考えている時点で、独裁制につながる考え方だ。

その辺りを理解していない所をみると、在野で理想を語る分には良かったのかもしれないが、帝国の首脳陣を担う適性は無いのかもしれなかった。彼が尚書になれなかったのも、その辺りが影響していると私は睨んでいる。

 

「お二人とも、こちらにおられたのですね。いよいよ新しい時代が始まろうとしております。めでたいですな」

 

「おお、エルスハイマー殿。司法次官へ任じられたと聞いた。こちらこそ祝辞が遅れて申し訳ない」

 

ブラッケと離れた代わりに親しくなったのがこのエルスハイマーだ。気骨のある人物だし、官僚としての能力も高い。そして正規艦隊司令のルッツ大将の義弟でもある。勢いがある軍部にも、物言える官僚のひとりと言えるだろう。嬉し気にモニターに目線を向けている所を見ると、エルスハイマーは本心から新しい時代の到来を喜んでいる様だ。

 

「エルスハイマー殿、確かに帝国は良き方向へ進みつつあるが、それは臣民の努力で勝ち取ったものではない。その辺り、貴殿はどうお考えかな?」

 

「そうですね。私は口に運ぶに足りるなら、そのカトラリーが銀製であれ、ステンレス製であれ気にしませんね。大事なのは食事が取れる事だと考えています。それにこの時代に生まれていなければ、上役には直言したでしょうが、不正を無くすことなど出来なかったでしょう。仕事は出来るが、部下にすると面倒な男。せいぜい局長止まりでしょうな。

そういう意味では、新しい時代の幕開けに立ち会い、抜擢しても頂けた。あとは臣民たちが期待しているように、帝国を明るく輝かしいものにすべく、微力を尽くすのみと考えていますね」

 

水を差すようなブラッケの問いかけにも笑顔で応じるエルスハイマー。確かに銀のカトラリーを持っていても、食材がなければ食事をすることは出来ない。平民出身の彼は、貴族出身の我々以上に、現実が見えている。そしてブラッケには伝わっていない様だが、幕開けに立ち会えたことを喜び、帝国に尽くさなければ、ステンレス製が使われるだけ......。つまり平民が進出するだけだと警鐘も鳴らしてくれたようだ。

エルスハイマーの回答に面白く無さげな表情をするブラッケを見て、私は彼とは一線を引くことを決めた。残念ながら、彼の志と心中するつもりはない。帝国を輝かせるために微力を尽くす事。それこそ私がしたい事でもある。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月上旬

首都星オーディン 新無憂宮 黒真珠の間

ディートリンデ・フォン・ゴールデンバウム

 

衛兵が吹き鳴らすファンファーレと共に、黒真珠の間に通じる大扉が開く。文武百官が左右に分かれて跪いている様子が、開きつつある扉の隙間から見える。フレデリック殿の演奏する国歌が聞こえたタイミングで、ゆっくりと中央に敷かれた赤絨毯の上を進み始める。エスコート役は皇配となるラインハルト様。微笑みながら隣を進む彼を横目に見て、緊張が少し和らぐ。

この赤絨毯の先にある玉座に座り、皇位を示す冠を被った時から、統治者としての私の人生が始まる。進むにつれて大きくなっていく玉座と、サイドテーブルに置かれた輝く宝冠に視線を向けながら、戴冠式に先だって行われた観艦式とパレードの事を思い出していた。

 

戴冠前にも関わらず、軍部は私を観艦式の主賓として遇してくれた。宇宙艦隊司令長官に着任したメルカッツ元帥の最初の公式行事でもあった。本来なら彼の乗艦をお召艦とすべきだが、選ばれたのはラインハルト様の乗艦で私が命名したブリュンヒルトだった。軍部は戴冠前から私の権威を認める事で、正統性を強化してくれた。そして皇配となるラインハルト様の権威も、積極的に認めてくれた。

戦後に軍縮が控えている事を考えれば、報いてやれるのは退役後の受け皿を万全に用意する事ぐらいであることを考えると、足りないようにも感じる。ただ、戦争が終わり、将来の心配なく家庭を持ち、次の世代を育む。言葉にすれば簡単だが、帝国の新体制を整え、維持していくのは、生半可なことではないだろう。世代を越えて返していけば良いのだと思う。

 

宇宙港から新無憂宮までのパレードでは、多くの臣民が沿道に並び、歓声を送ってくれた。だが、この歓声が期待の表れではあるが、既に行われつつある社会政策によるものである事も理解していた。そして臣民たちを甘やかすばかりではいけない事も......。

 

「育ててみて通じる所があったのだけど、子育てに似ている部分があるわね。甘やかしすぎても厳しすぎても良くないの。その辺りはいずれ貴方たちも体験するのでしょうけど......」

 

政策顧問であるマグダレーナ姉さまがポツリと雑談の合間に漏らした言葉。まだ成人していない事もあり、男女の営みは知識では知っていても、ラインハルト様とそう言う事はしていない。その場にいたヒルダ姉さまも、私と同じように頬を赤くしていた。婚約を発表したロイエンタール男爵とはまだそこまで進んでいないらしい。

彼の浮名は私にまで聞こえてくる。そんな彼が、まだ肉体関係を持っていない。ヒルダ姉さまの事をとても大切にしているのだと、微笑ましく思った。そんな私たちを見ながら、やれやれと言った感じでため息をつくマグダレーナ姉さま。

 

「帝国には一人でも多く次世代が必要なのよ?殿下はともかく、ヒルダはいい加減しっかりしてもらわないと。それに、独身貴族の親玉にはフェザーンに逃げられてしまうわ。あの方が身を固めてくれれば、殿方たちに婚姻するようにプレッシャーをかけやすくなるのだけど......」

 

ボヤくように話すマグダレーナ姉さま。おそらくシェーンコップ男爵の事だろう。近衛師団の指揮官でもある彼は、玉座の傍に控えている。畏まった彼が視線に入り、思わず笑いそうになってしまう。そんな事を考えているうちに、赤絨毯の終着点が近づいてくる。

 

文官側の最上位に位置に跪くのは、国務尚書に任じたミュッケンベルガー退役元帥。広い背中はここからでも目立つ。武官側の最上位は軍務尚書のルントシュテット伯、隣にシュタイエルマルク伯、その隣に私たちの後見人の姿も見える。新設される自治省の尚書職に就くにあたり、現役を退く話もあったが、新しい秩序の構築を主導する立場になるのが自治省だ。軍部との連携も必要になる。現役のまま尚書職に就くように、私も慰留した。

退いて見せる手法も確かに有効だが、政府に抜擢した人材たちは実力はある物の張り切ってもいる。リューデリッツ伯まで現役を退くと、私の戴冠に尽力してくれた軍部の勢いが弱くなりすぎると判断した。任せられる物は任せる傾向がある私たちの後見人。確かに育成を考えれば効果的だが、私たちには彼が必要だ。慰留には二つ返事で了承してくれたが、次に退役を願い出てくるときは慰留しても聞いてはもらえないだろう。驕らず、統治者として研鑽せよ!とエールを送ってくれたのだと思う。

 

赤絨毯の終点を越え、玉座に就く。文武百官が跪く横で、ブラウンシュヴァイク・リッテンハイム伯爵夫人とそのご令嬢方も宮廷流の最敬礼をしているのが目に入る。こちらの配慮に応える形で、私の権威を認めてくれている。退くことで影響力を得られる最初で最後の政治的判断だ。ここから先は帝位に就く以上、退く判断は出来ないだろう。玉座についた私に宮内尚書となった

ブルックドルフが、緊張した面持ちで白手袋をはめた手で宝冠を掲げ、ゆっくりと私の頭に乗せた。このタイミングで、ゆったりと流れていた国家の曲調が、力強いものに変わる。それをきっかけに黒真珠の間にいた文武百官が立ちあがった。

 

「帝国万歳、ディートリンデ帝万歳、銀河帝国に栄光あれ!」

 

ここから私の統治者としての歩みが始まる。まずは研鑽に努め、宇宙の統治者としてふさわしい人材になる事。そして権威は認めてくれた文官たちに、実力も認めさせることが必要だろう。ただ、不思議と不安は無かった。全面的に協力してくれる重鎮たちもいる。信用できる側近も......。そして共に歩んでくれる皇配殿も......。先帝陛下がなぜ普通の家庭を好まれていたのか、今更ながら理解できた気がする。双肩にかかる重責を忘れ、家族の温かみに浸れることがどれだけ希少なことか......。

 

「今日、この時から私は銀河帝国皇帝、ディートリンデ1世となった。銀河帝国をさらに輝かしいものとすべく尽力するつもりです。臣民ひとり一人が、同じように尽力する事を期待する」

 

「帝国万歳、ディートリンデ帝万歳、銀河帝国に栄光あれ!」

 

私の言葉に呼応するように歓声が上がる。あのまま温かい場所に引き篭っている事も出来た。統治者への道は私が選んだ道でもある。あとはこの道を自分を信じて歩むだけだ。視線を向けると、ラインハルト様も、マグダレーナ姉さま達も、そして私たちの後見人も笑顔だった。この笑顔を守り、臣民たちの笑顔も守り、帝国をより輝かせる。人によってはまだ子供とみなす年齢だが、覚悟だけは一人前に出来たように感じた。



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131話:運命のディナー 前編

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月中旬

首都星ハイネセン 自動運転車車中

ヤン・ウェンリー

 

モニターが初めに設定した目的地が近い事を表示する。私はネクタイが緩んでいないか?確認する意味を込めて、バックミラーに胸元を映す。そうこうするうちに、高級軍人の官舎の一つの前に、停車した。別にやましい事は無いんだが、変に緊張する。車を降り、インターフォンの呼び出しボタンを押すと、そんなに間を空けずにドアが開き、妙齢の女性と中年の男性が姿を現した。

 

「ヤン提督、娘をよろしく頼む。今までは軍務一筋でこういったことは初めてでね」

 

「父さん、余計なことは言わないで。閣下、参りましょう」

 

いつもより少し渋い表情をしている様にみえるグリーンヒル大将と、嬉し気なグリーンヒル大尉。その落差に驚きながらも折角着飾ってくれた大尉をエスコートしない訳には行かない。

 

「はっ。大尉をお預かりします」

 

なんとか予定していたセリフは言えたが、どぎまぎしている私をよそに「お願いします」と大尉はつぶやくと、私と腕を組んだ。流石に父親の前で長居する状況ではないこと位、私にもわかる。なんとかエスコートし、もちろん車に大尉を先に乗せてから、ディナーの場所であるハイネセン郊外のレストランへ向かうように、運転装置に入力する。普段、こういう事は副官である大尉がやってくれるが、流石に今夜は私がすべきだろう。

 

郊外の大き目の邸宅を丸々改装し、料理のおいしさだけでなく、隠れ家的な要素も相まって人気になりつつあるレストランへ向かいながら、いつもとは違う雰囲気の大尉に視線を向けてしまう。コートの隙間から見えるナイトドレスは、いろんな経緯があって一緒に買いに行ったものだ。胸元が強調されているし、コートで隠れてはいるが、背中も大きく開いているのを、私は知っている。ショールが見える所を考えると、レストランでも羽織るのだろうが、軍服の時とはガラリと雰囲気が変わった大尉に、ドキドキしてしまう自分がいた。

 

「閣下、どうされました?どこか変でしょうか?」

 

「いや、そんな事は無いんだ。ただ、普段と雰囲気が違うと言うか......。大尉がキレイだからどうもドキドキしてしまってね。私はこういうのにあまり慣れていないから......」

 

「ありがとうございます。閣下もお似合いですわ。ただ、少しネクタイが歪んでいるようです」

 

そう言うと、私の胸元に手を伸ばし、ネクタイを整えてくれる。いつもスカーフを直してくれるが、雰囲気が違うからか変に緊張してしまう。強調された胸元に視線が行くが、「はしたないぞ!」としかる様に、彼女の瞳の色に合わせてコーディネートしてもらったオレンジサファイアが輝いているのが目に入る。

 

「これで完璧ですわ」

 

嬉し気に微笑みながら視線を向けてくる大尉に変な罪悪感を感じる。一体全体なんでこうなったのか......。事の始まりは、補欠選で当選し、代議員となったジェシカからのディナーの誘いだった。シトレ校長とレベロ委員長の交友は有名だが、財務委員会に所属する以上、ジェシカも軍部に独自のパイプを持ちたいらしい。とはいえお互い異性である以上、2人で会うのも問題がある。親友であり、私の司令部に所属しているジャンがジェシカの夫である以上、3人で会えば良いと思ったが、そこで異を唱えたのが大尉だった。

 

「閣下が把握している情報を、副官が把握していないのは任務に差し支えますわ」

 

そこからいつの間にが大尉も同席することになった。ディナーに同席をお願いする以上、ドレスやら何やらが必要だ。当初は、その費用は付き合ってもらう以上、私が負担するつもりだった。

 

「今後、エドワーズ議員だけでなく他の方と会食される事もありそうですな。そうなると、大尉が同席する機会も今回だけとは限りません。同席される方の服装は、相手によっては大きな意味を持ちます。費用を負担されるなら、ご一緒に選ばれては如何でしょう?その方が大尉も安心できると思いますが......」

 

真面目なことを言っていたが、悪だくみをするような表情をしていたリューネブルク少将が周囲に聞こえる様にそう言うと、いつの間にか一緒にドレスを買いに行くことになっていた。少将に紹介してもらった服飾店に予定を合わせて向ったが、私も大尉もそう言う事には詳しくない。店員に勧められるまま、少し扇情的なナイトドレスとそれに合わせたコートとショール、そしてヒールをコーディネートしてもらった。

 

「折角ですから、装飾品も如何でしょう?すでにお持ちならともかく、これだけのドレスに服飾が無いとなると、見る方によっては興ざめされるかもしれませんが......」

 

ぼそりとつぶやいた店員に乗せられたわけでは無いが、私に付き添ってくれる大尉に恥をかかせるわけには行かない。大尉の瞳の色に合わせた大粒のオレンジサファイアのネックレスとイアリング。大粒のオレンジサファイアに小さめのダイアを所狭しと配置したリング。

 

「閣下、流石にディナーに付き添うだけで頂くわけにはいかない金額になりそうですが......」

 

途中から大尉が困った表情をしていたが、

 

「これからも支えてもらうのに、同席の場で大尉に恥をかかせるわけにはいかないからね。ここは大人しく贈られて欲しい」

 

「はい。一生お支え致しますわ」

 

顔を赤らめながら大尉は嬉しそうにうなずいてくれた。買い物位で反応が大げさだろう。折角だからと小物類も併せて購入し、15万ディナールと少し。少し高い気もしたが、家にある万歴赤絵やシルバーカトラリーに比べれば安いものだ。ユリアンに内緒で買った、銀河帝国建国期に出版された初版の伝記は30万ディナールだった。大尉が恥をかかないで済むなら、良い買い物だろう。

 

「生涯、大切にいたしますわ」

 

店を出たときに、瞳を潤ませながら喜ぶ大尉が、印象に残っていた。ふと、大尉の手に視線を向けると、照明が落とされた車内でもわかるほど、オレンジサファイアとダイヤモンドが輝いていた。ただ、コーディネートしてくれた店員もやはりプロなのだと得心できた。

 

「そろそろ到着ですわね。閣下?どうされました?」

 

「いや、コーディネートしてくれた店員さんはやはりすごいと思ってね。胸元も、耳元も、手元も輝いているけど、主役は大尉の瞳の輝きだ。全部理解して勧めてくれたとしたら、確かにプロの仕事だね」

 

私がそう言うと、大尉はなぜかうつ向いてしまった。何か気を悪くするような事を言ってしまっただろうか......。心配になったが、ドアボーイが車のドアを開ける。降りない訳に行かないので、車外に出る。一呼吸おいて大尉が出てくるが、なぜか大尉の頬は赤かった。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月中旬

首都星ハイネセン レストラン ハイドアウト

ジェシカ・エドワーズ

 

「二人で出かけるなんで久しぶりだ。士官学校の頃を思い出すな。あの頃は士官学校の場末で語り合うのが、やけに楽しかった」

 

嬉し気に話す夫のジャン・ロベールは軍人だ。激務の中でもらえる休暇は私と2人の子供たちを優先してくれるし、自分が療養中にもかかわらず、私の政治活動を応援してくれた。学生時代に一緒に過ごす事が多かったのは、ジャンとヤンだ。ここだけの話。私はどちらかと言うと明るいジャンより、どこか抜けた所があるヤンに想いを寄せていた時期がある。でもジャンとヤンは親友だった。ジャンの想いを知ったヤンは私から少し距離を置くようになり、任官のタイミングで3回目の告白をジャンからされた時、私は夫の気持ちに応える事にした。

 

夫が負傷した時は、ちゃんと自分の目で見るまで心が押しつぶされそうだった。それも今は良い思い出になりつつある。今までは、変な影響があっても困ると考えて、ヤンとの交友も控えてきたし、夫に軍の内情を聞くことも控えてきた。ただ、代議員となり財務委員会所属となった以上、出来る事は全てすべきだ。ロムスキー氏から忌憚なく話を聞き、辺境星域の視察を取りやめた事も影響しているのかもしれないが、同盟が抱えている休火山は、少しのきっかけで爆発しかねない。現役軍人と密な関係にある事を公にするタイミングだとも思ったし、ロムスキー氏が良い例だったが、現場の率直な意見を吸い上げなければ、最適な判断は出来ないとも考えていた。

 

「そうね。なんだかんだ貴方が任官してから余裕がなかったもの。こういう時間もたまには良い物ね。お互いのご両親が健在だし、たまには孫の世話を頼むのも良いかもしれないわね」

 

同盟市民の感覚からすると豪邸と言って良い邸宅を丸々改装してレストランにしたハイドアウト。来てみたかった気持ちもあるが、同盟でも知名度が高いヤンと親しくすることは政治利用につながる。そう判断して遠慮してきたが、代議員となり軍部と独自にパイプを持つ必要を感じた以上、躊躇する気は無かった。ただ、初めの第一歩として、隠れ家を売りにしているこのレストランを選んだ。もしかしたら覚悟が足りていないのだろうか?自宅に呼ぶべきだったかしら?そんな思いが胸をよぎる。

 

「ジェシカ?色々踏まえると、この選択が一番よかったと思うよ?ヤンはもともと出不精だし、最近は思い悩む事も増えた。あいつは先が見えすぎるし、悲観的になりがちだ。財務委員会所属の旧友と意見交換できるのはあいつにとっても朗報だろう。俺自身悪いと思ったが、予断をあまり入れたくない気持ちもあったから、政治的な話を控えてきた。2人ならともかく、グリーンヒル大尉を含めれば4人だ。いろんな意見が出るだろうし、思考も進むだろうからな」

 

明るい表情で話す夫だが、表情を見る限り少し無理をしている時の彼だった、右の眉が少し震える。確かに軍人である以上、冷静に戦況を見つめなければならないが、妻に劣勢な戦況の実情を話すのは、流石にストレスだろう。

 

「ジャン?貴方の気持ちはわかるわ。左派として政治活動している私に実情を話す訳にもいかないものね。でもこれからは本心を話してほしいわ。夫婦だし、軍部が無理をして貴方やヤンを失うような事になったら、それこそ悪夢よ?」

 

私の言葉に、困ったような表情をするジャン。戦傷した時の私の狼狽を思い出しているのだろう。少し沈黙が流れたが、そうこうしているうちにジャンにとっての救世主が到着したようだ。

 

「ジャン、ジェシカ。待たせたようだね」

 

「准将、代議員。本日はよろしくお願いします」

 

申し訳なさげなヤンと着飾ったグリーンヒル大尉。エスコートしているとはいえ、腕を組み合い楽し気な雰囲気の2人を見れば、鈍いジャンでもわかるだろう。

 

「待っていたわよ二人とも。さあ、メニューを選びましょう」

 

心からそう言えた自分を認識して、ヤンへの想いは青春の1ページとして整理できている実感が持てた。鈍い所があるヤンを私以外の女性が想ってくれている事も嬉しかった。副官であるはずのグリーンヒル大尉の顔は。私が見る限り恋人のそれだった。



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132話:運命のディナー 後編

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月中旬

首都星ハイネセン レストラン ハイドアウト

ジャン・ロベール・ラップ

 

「ご注文はお決まりでしょうか?」

 

「魚メインと肉メインコースを二人前ずつ、それとワインも白と赤を一本ずつ、お薦めを頼むよ。メインはシェアしたいから取り皿をそえてもらえるかい?」

 

頃合いを見計らったように近づいて来たウエイターにオーダーする。ハイドアウトは肉も魚も旨いと評判だ。男性陣は肉料理のコースを。女性陣は魚料理のコースをオーダーし、シェアすれば両方楽しめる。妙案だと思ったのだが、着飾っている大尉は、少し躊躇するそぶりがあった。

 

「ご確認ですが、何かの記念日でしょうか?」

 

違う旨を伝えると、ウエイターは個室から出て行った。ワインにもかなり力を入れているらしいが、こう伝えれば比較的リーズナブルな物を選んでくれる。事前に調べたグルメ雑誌に、そう書いてあった。大き目の邸宅を改装したハイドアウトの客席は、全て個室だ。戦況が劣勢な以上、軍人が歓楽街をウロウロするのは良くない......。そう言う風潮が生まれ、特に高級軍人が軍服で歓楽街に出かける事は無くなった。とは言え、エルファシルの英雄として市民の認知度が高いヤンは、行きつけの三月兎亭にしか足を運ばない。

ジェシカも代議員になった以上、プライバシーが確保できる所が良かったが、三月兎亭には個室が無かった。どこか良い所がないかと悩んでいた時に、リューネブルク少将がここを紹介してくれた。貴族然とした風貌だけでなく、隠れた名店やデートスポットにも詳しい。冗談半分でプロポーズのアドバイスも持ち込まれているそうだ。見込みがありそうか?まで判断してくれるらしく、うちの艦隊の連中はなんだかんだと相談を持ち込んでいるらしい。

 

「前菜と食前酒でございます。ワインの方もすぐにご用意いたしますので......」

 

食前酒と前菜が鮮やかに盛り付けられたプレートが、それぞれの前に置かれる。食前酒はシェリー酒だ。俺たちはともかく、ヤン達も恋人関係だと判断されたらしい。まあ、大尉がヤンに想いを寄せている事は、当人同士以外はうすうす気づいている事だ。ヤン艦隊も次の出征では実戦を経験することになる。秘めた想いを打ち明けておくもの良いのかもしれない。ヤンは気づいていない様だが、食前酒にシェリー酒が選ばれた意味を大尉は認識したようだ。頬に赤みが増したのは気のせいではないだろう。

 

「まずは乾杯だね。ジェシカ、当選おめでとう」

 

ヤンが乾杯の音頭を取り、4つのグラスが交差する。前菜を楽しみながら食前酒を飲んでいる間に、グラスが2つずつ用意され、赤と白のボトルがテーブルに置かれる。アイスがぎっしりつまったワインクーラーから白を取り出し、それぞれのグラスに注ぐ。ヤンとジェシカは本題があるし、この場はプライベートだ。大尉にやらせる訳にはゆかない。今日の俺の役割はホスト。そう認識している。

 

「ヤン、グリーンヒル大尉。今日は無理を言って予定を調整して貰ったこと、感謝しているわ。新人議員だけど今の同盟の実情を把握しておきたいと考えているの。もちろん代議士だから知り得る事も、機密でない事は情報交換したいと考えています。軍事的にも財政的にも厳しい事は理解しているわ。ただ、新婚時代にジャンが戦傷を負ってから、家ではそういう話題は避けてきたの。貴方も交えてなら、偏りなく状況がつかめるとも思った。だからお願いしたのだけれど......」

 

「いいんだジェシカ。私たちは親友だし、ジャンの上官でもある。率直な所を聞きたいと思うのは当然だ。それに私にとっても、軍の実情を理解している代議員が増える事は喜ばしい事だ。念のためシトレ校長には内諾を取ったからね。そんなに畏まる必要はないさ」

 

そんなやりとりで始まったディナーだが、不本意ながら明るい話題は予想通り出なかった。暗くなりそうになる雰囲気を洗い流すように、ワインのボトルがそれなりのペースで空いて行くばかりだ。

 

「そうか、ロムスキー氏は一介の医師に戻られたんだね。私はただ任務を果たしていただけだから、そんな風に言われると恐縮してしまうな。ロムスキー氏はいつも毅然とされていた。そして些細な吉報でも大喜びする方だった。些細なことでもお伝えして喜んでもらおうと、自主的に残業する市民もいたほどだ。エルファシルの真の英雄は彼なんだよ」

 

「疎遠になっていましたが、士官学校に入学した辺りから、訃報が届くことは減っていましたわ。まさか初等学校の同級生たちが志願して戦死していたなんて......。思いもしませんでした」

 

ジェシカがエルファシル視察の話をすると、その内容に大尉はショックを受けた様だった。士官学校に入校すれば、戦死者名簿を見る事が出来る。とは言え、付き合いのあった先輩、同期。そして可愛がった後輩......。顔見知りの訃報が連日届けば、どこか感情がマヒするものだ。そうでなければ気を病んでしまう。大尉を慰める様にヤンが大尉の方に手を添える。献杯する意味でグラスに赤を注ぎ、追加を頼む。

俺も酔いが回っているが、6回目の追加だろうか?自宅なら酒が尽きる頃合いだが、幸か不幸か、ここには4人では飲みきれないほどのワインがある。代議員になってから暗い表情をしがちなジェシカの事を思うと、止める気はおきなかった。

 

「ロムスキー氏から指摘されたわ。辺境星域からすれば、同盟政府はリソースを吸い上げるばかりで何もしてくれない。見た事も無い帝国軍などより、余程恨みの矛先になるだろうと。少し調べてみたら、現役の将兵の45%はバーラト星系以外の出身だった。星間警備隊が削減されているけど、安全保障費の負担は減るどころか増えるばかり......。開発事業予算も無いに等しい状況で、祖国を守るという名目だけで戦意を維持できるのかしら?もし私なら、テルヌーゼンが荒廃し切っているのに、命を懸けて国を守ろうなんて思えないのだけれど......」

 

いささか飲み過ぎたのかもしれない。酔っていなければジェシカもここまで踏み込んだ話はしないだろう。そして軍部にとって不幸なことに、この不安は的を射たものだ。戦力差を考えれば出来るだけハイネセン近郊に引き込んで決戦を挑みたい。だがそれをすれば、現役将兵の故郷を見捨てることになる。下手をすれば戦う前から軍が崩壊しかねない。軍事面だけを考えれば最適な策を、諸々の事情で選べない。同盟軍が陥る、いつものジレンマだった。

 

「案外、彼はその辺を理解しているのかもしれないね。戦争に勝つだけでは意味がないんだ。主力が本国に戻った後に、大規模な蜂起でも起きれば統治には失敗した事になる。辺境星域の市民の心情をついてくる気がする。130億の市民すべてを一度に飲み込もうとすれば無理が出てくる。でも段階を置けば何とかしてしまうだろう。既に首輪は付けられてしまった。生かさず殺さず絞った方が、帝国の利益になるだろうからね......」

 

「ヤン、何とかできないかしら。フェザーンを介して、同盟政府が必死で集めた血税が、帝国に吸い取られているのは、見て見ぬふりをしているけど、一部の人間は気づいていると思うのだけど......」

 

「難しい判断だね。少なくとも半世紀、政府国債を同盟市民が買い支えられるなら話は別だ。だが法律に則って発行された国債の利払いすら拒否したとなると、市民ですら買わなくなるだろう。そうなれば、戦争云々どころではなく、政府が破綻することになるだろうね」

 

明るい話題を聞きながら飲めば美味しいであろうワインが、苦く感じる。軍の崩壊を防ぐためには、エルファシルとウルヴァシーを堅守しなければならない。どんなに急いでも同盟の戦力は6個艦隊。18個艦隊を戦力化している帝国相手に、制約があり過ぎる。

 

「少なくとも同盟が直ちに潰される事は無いだろう。そういう意味では出来る事をやるしかないんだろうね。少なくとも一目置かれる位には.....」

 

その後は、士官学校時代の思い出話に花を咲かせた。暗い話で終わってしまうと次回が調整しにくくなる。終わり際だけでも楽し気なものになってよかった。ヤンと大尉を先に自動運転車に乗せ見送る。後はどこまで大尉が頑張れるかだが、それは大尉次第だ。ほろ酔いのジェシカをエスコートしながら、走り去っていく地上車のテールランプに視線を向ける。お膳立てはしたつもりだが、大尉は気持ちを伝えられるだろうか......。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月中旬

首都星ハイネセン 地上車内

フレデリカ・グリーンヒル

 

「大尉、長居してしまってすまないね。本当はもう少し早く切り上げるつもりだったんだが......」

 

「いえ、私も色々なお話が聞けて勉強になりましたから、お気になさらないで下さい。ただ、本当に宜しいのでしょうか?」

 

「まあ、これでも将官の端くれだしね。そこまで気にする必要はないさ。こういうのを恩送りって言うらしい。実際、私もキャゼルヌ先輩や父の代から付き合いがあるボリスと会食する時は一銭も出したことは無いからね。佐官になればそういう事も増えるだろうし、私と同席するときは気持ちよくご馳走させてほしい」

 

「では、お言葉に甘えますわ」

 

食前酒のシェリー酒に始まり、ワインをかなり飲んだせいか、いつもより素直になれた。とは言え、ヤン艦隊は次の出動で実戦を経験することになる。政治的にも軍事的にも、同盟はかなり追い込まれている事は、今日の会食でも話題になった。こうして閣下

と2人っきりになれる機会がまた来るとも限らない。フレデリカ......。ちゃんと気持ちを伝えなきゃ。

 

「閣下、何をお考えですの?」

 

「いや、どうしたら勝てるか?......をね。でも、ジェシカと意見交換できたのは幸いだった。おそらく彼は民主政体自体は、仮想敵国として残すつもりだろう。管理しやすい手頃なサイズに調整してね。その為には、バーラト星系中心の同盟を一度バラバラにする必要がある。軍事的手段でそれを何とかするとなると......。政治的な失点を軍事的な行動で埋めようとすれば、どうしても無理が出る。なかなか良い手が思い浮かばなくてね」

 

閣下は、私が気にし過ぎないように少し笑顔で肩をすくめた。エルファシルの時もそうだった。大きな責任を背負いながら、表情には出さずにすべきことをする。私が軍人になったのは、そんな彼に恋心を抱いたから。父は自分の影響だと思っている様だけど、意中の人の傍にいる為に軍人になった。あの時はサンドイッチを差し入れるくらいしか出来なかった。でも、今では副官としてこの人を支えられる。そして出来れば、ひとりの女性としても、支えていきたかった。

 

「閣下、私も聞いて頂きたいお話があります」

 

お酒の力もあったのか、気づいたら閣下の手を握りしめていた。そしてエルファシルの一件以来、ずっと想いを寄せていた事。副官として役に立てることに幸せを感じている事。女性としても、閣下の事を支えて生きたい事。そして、贈られた装飾品を父が婚約の品だと捉えている事を伝えた。閣下は最後まで視線を合わせて話を聞いてくれた。普段なら照れてしまい私から視線を外してしまうけど、これもお酒の力だったのか?かなりの時間、見つめ合っていたように思う。

 

「私は、宇宙船育ちで常識に疎い所があるし、家事も全くできない。そんな私でも良いのかい?」

 

「そんな閣下が良いんですわ」

 

そこで地上車が閣下の官舎に到着した。少し迷う素振りがあったけど、私たちは手をつないだまま、一緒に車から降りた。この日から、プライベートなときは階級ではなく、ファーストネームで呼んでくれる関係に進展した。私は初めてだったけど、浮付いた話を聞いたことがない閣下が、自然にリードしてくれた事には正直驚いた。数日後に、改めてハイドアウトに私たちだけで訪れ、ダイヤの指輪と共にプロポーズされる事になるのは、また別の話になる。



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133話:2つの会議

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月下旬

首都星ハイネセン 宇宙艦隊司令本部

アレクサンドル・ビュコック

 

「それでは艦隊司令会議を開始します」

 

総参謀長のグリーンヒル大将がシトレ長官に目線を送り、頷くのを確認して、会議の開始を宣言する。

 

「遅くとも年内には来襲するであろう帝国軍にどんな防衛方針で臨むのか?貴官らの闊達な議論に期待したい」

 

シトレ長官が、周囲に視線を送りながら発言したが、出席した提督たちの表情は冴えない。同盟に遺された6個艦隊の戦力、お互いに気心の知れた間柄じゃし、背中を任せられる面々が遺ったのは不幸中の幸いじゃ。じゃが、艦隊数で3倍、実際の艦数で5倍近い帝国軍を相手に、どう戦うのか?国内はまだ金融危機の余波から混乱が完全に収まってはおらん。一方、帝国は新帝が即位し、国内問題も粗方片付いた。内戦直後に戴冠式が行われなかった事で、何か問題があるのではという声もあった。

ただ蓋を開けてみれば帝国初の女帝でまだ幼い新帝に、暗い印象を少しでも付けない為に、色々と配慮した結果じゃった。あちらは数十年先を見据える余裕があるのに対して、こちらは6個艦隊の戦力を充足させるだけで精いっぱい、もう後は無いじゃろう。それを踏まえれば、闊達な議論を行うには少々厳しい状況じゃろうな。

 

「長官、今回の防衛方針で目指すべき戦略目標とはどの辺にあるのでしょうか?おそらく戦線はイゼルローン方面に限定されないでしょう。2つの戦線の両方で、数的劣勢を現場の努力で跳ね返すというのは、かなり困難な状況だと思うのですが......」

 

しぶしぶと言った表情で、ボロディンが発言する。一歩間違えば戦意不足を問われかねない内容じゃが、それを指摘する者はいない。この会議の前に「フォローするから忌憚なく発言せよ」と伝えた事もあってボロディンが切り込んでくれたが、普通に撃ちあってはお得意の消耗戦に引きずり込まれる。戦力を集中しても一戦、跳ね返せるか?という所じゃろう。じゃが、エルファシルとウルヴァシー。どちらかを取られると同盟はチェックメイトをかけられたような物じゃ。

エルファシルを失えば、バーラト星系まで数週間で攻め寄せる事が出来る。そうなればバーラト星系に戦力を集中せざるを得なくなり、フェザーン方面は防衛戦力の空白地となる。ウルヴァシーを取られれば、更にまずい。バーラト星系までの距離も同じく数週間じゃが、同盟後背地への航路を帝国に取られることになる。星間警備隊すら引き上げた地域に、帝国軍が侵攻できることになれば、もう戦力の集中など出来ない。有人惑星を守る為に分散した同盟軍は、少しずつ各個撃破されることになるだろう。

 

「この会議に先だって、議長から言われたのは2つだけだな。エルファシルとウルヴァシーの両方を堅持しつつ、帝国軍を跳ね返せるならそれに越したことは無い。だが、それが不可能な時は......」

 

そこで言葉を区切るシトレ長官へ、艦隊司令達の視線が集まる。

 

「それが不可能な時は、一戦、市民たちが納得する戦いをしてくれとのことだ。後の事はこちらで引きうけるとも言っていたな......」

 

「そうなると、戦力は集中できそうですな。あとはどちらで待ち受けるか?といった所でしょう」

 

ウランフが、いつもより大きめの声で発言する。既に議長も、ここにいるメンバーも敗戦を覚悟しているという事じゃ。そして市民たちに納得してもらうために、戦わなくてはならんとは......。儂は民主主義を守る軍人であることを誇りにしておるが、若い者たちの苦心を思うと、やりきれない気持ちもあった。言っても詮無い事じゃがティアマト、イゼルローンで戦力を艦隊単位で失ったのが痛い。あれがなければ、まだ打てる手はあったんじゃろうが......。

 

「どちらを選択するかを決定する前に、現在の同盟が置かれた状況を再確認しては如何でしょうか?私とワイドボーン提督で、同盟の置かれた状況と、帝国が何を狙ってくるかを分析しました。そちらをご確認いただきたいのですが......」

 

いつも通りの温和な声でヤンが発言する。あの資料の内容は先日、儂には報告してくれた。司令官職を引き継いだばかりのワイドボーンを引き込む辺り、かなり気遣っておるようじゃ。司令官職についた経緯を考えれば、ワイドボーンにも思う所はあるはずじゃ。この会議の流れに反発しない所をみると何とか堪えてくれるようじゃ。彼が堪えておる以上、他の者も堪えてくれるじゃろう.....。

 

「......と言う訳で、帝国軍の意図は、巨額の借款の請求先の確定を口実にしながら、地方星系を同盟から離反させる事にあると考えています。開発事業費の削減から、地方星系には職がありませんでした。その受け皿になったのが軍です。現在でも宇宙艦隊の将兵の内、52%は地方星系の出身者です。彼らの故郷を守る事を放棄した時、宇宙艦隊が維持できるか?この辺りがどちらに戦力を集中するか?の判断材料になりそうです」

 

感情を押し殺したように話しをまとめるワイドボーンと、それを悲し気に見つめるヤン。エルファシルはヤンにも儂にも縁のある惑星じゃ。多数を守る為に少数を犠牲にする。犠牲になる側からすれば、どんな議論の結果であれ、見捨てられた事に変わりはない。不思議と、復興作業を共にしたロムスキー氏の顔が思い浮かんだ。エルファシルの帰還民たちがどれだけ汗水たらして復興に尽力したか......。儂は良く知っている。その上で、また戦火に曝す判断をする場に居合わせるとはのう。長生きはしたくないのもじゃ。

 

「より多くの地方星系を守る姿勢を示すという観点では、フェザーン方面が選択肢になりそうですが......」

 

苦し気な表情でグリーンヒル大将が発言し、シトレ長官に視線を向ける。彼も亡くされたご内儀がエルファシル出身じゃ。本来なら切り捨てたくは無いはず。じゃが、エルファシルの駐留基地は、イゼルローン方面からの帰路で必ず通る補給地じゃ。艦隊司令達も多かれ少なかれ思い入れはあろう。あそこにつくと、一先ず帰って来た。という気持ちになるのは儂だけではないはずじゃ。自分の気持ちを押し殺して、皆が言いにくい事を発言する。総参謀長が汚れ役を引き受けてくれた形じゃな。これで方針は決まったじゃろう。

その後はフェザーン方面に戦力を集中し、ランテマリオ・マルアデッタ星域で遅滞戦を行う。エルファシルが落ちた時点で、ランテマリオ星域の艦隊はジャムシード星域に向かい、マルアデッタ星域の艦隊は遅滞戦を継続しながら、回り込んでフェザーンからの補給線を断つという方針が、一時間程度できまった。

そしてシトレ長官の決断という事で、エルファシルを始めとしたイゼルローン方面の辺境星域の出身者を分離し、2000隻程度の星間警備隊を新設。エルファシルに配備する事も決定した。故郷を守るというのは建前じゃろう。出身星域の政府の判断で帝国軍に降伏することになるはずじゃ。じゃが、故郷を切り捨てた同盟に命を捧げさせるのはあまりに理不尽でもある。この決定に、異を唱える者はいなかった。

 

辛い決断が重なった会議が終わると、皆足早に会議室を後にする。真っ先に退室したワイドボーンと、それを気遣うように後を追ったヤンが印象に残った。若い者同士、胸の内を語り合うのも必要なことじゃろう。儂も自分の司令部へ戻りたかったが、用事が一つ残っていた。

 

「総参謀長、今回は損な役割を押し付けてしまってすまなんだ。復興事業に関わった事を考えれば、儂が発言しても良かったんじゃが.....。ご息女のお相手がやっと決まった所じゃ。申し訳なく思っておる」

 

「ビュコック提督、お気遣いありがとうございます。誰かが言わなければならなかった事ですから.....。それにしても浮いた話の無かったあの子が、急に結婚とは.....。展開が急ですし、料理もサンドイッチ位しか作れませんからな。ちゃんと妻として支えられるのか?心配しております」

 

「まあ、なるようになるじゃろうて、どこもそうなんじゃろうが、儂も結婚して数年は階級で呼ばれておった。なぜだが分からんが、反射的に敬礼しそうになったもんじゃ」

 

「軍人の家庭は似たような物ですな。我が家もはじめはそうでした。さすがに娘からも階級で呼ばれた時に改める事にしましたが.....。式にもご参加いただけるとか。色々とありがとうございます」

 

「なあに、慶事には飢えておるからな。もう少し若ければ、18番の腹踊りを披露する所じゃが、最近膝の具合が良く無くてな。楽しみにしておる」

 

挨拶を終えると会議室を後にする。旗下の部隊にも休暇を与えるべきじゃろう。もし離脱者がでたとしてもそれはそれで致し方ない事じゃ。副官の控室に向かいながら、儂はそんな事を考えていた。

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 1月下旬

首都星ハイネセン 最高評議会 議長公邸

ジョアン・レベロ

 

「やあ、よく来てくれた。まあ、座ってくれたまえ」

 

トリューニヒトが相変わらず笑みを浮かべて着席を促す。応接セットに視線を向けると、紅茶とコーヒーの両方が用意されていた。私たちを気遣っての事なのか。それともこの密談が長丁場になるという事なのか?判断に困りながらも、ホアンと共に腰を下ろす。

 

「流石にこの時間なら、議長公邸に張り込んでいる記者も少ないだろう。本来なら密会に相応しい場を用意すべきだろうが、事が事なのでね。ここを選ばせてもらった」

 

ホアンに視線を向けると、いぶかし気な表情をしている。恐らく私もだろう。トリューニヒトに視線を向けると、彼は苦笑しながら答えてくれた。

 

「この議長公邸は、ダゴン会戦勝利の報がもたらされた時、その報に当時の最高評議会議長が接した場なのさ。密談の内容が、民主政体の将来である以上、この応接間ほどふさわしい場は無いだろう。明るい話ではないのが残念だが、今までも苦難が無かったわけでは無い。先人たちに我々の苦難を分かち合う意味でも良いだろうと思ってね」

 

めずらしく悲し気な表情をするトリューニヒト。それに民主政体の将来が相談内容?話についていけていない自分がいた。

 

「本日、軍部が防衛方針を決める会議を行った事は知っていると思う。その表情だとシトレ長官は、まだ君に話していないようだね。議長として出した注文は、2つの戦線を維持できないなら、市民が納得する戦いを一戦して欲しい。と言うものだ。それに基づいて、彼らはフェザーン方面に戦力を集中させる方針を決めた。後の事は政府に頼むともね」

 

「トリューニヒト、いったい何を考えているんだ?何の話をしている?」

 

「敗戦後の話だ。圧倒的な戦力差が明らかな中で、素人目でも出来もしないオーダーを出すなど無意味だ。彼らに望むのは専制政治が腐敗し切った時、民主制がそれに対抗しうると思わせる事だ」

 

まだ、話についていけない。ホアンは何となく察したようだが、どういう事なのだ。そしてシトレはなぜそんな大事なことを知らせてくれなかったのか.....。

 

「はっきり言おう。私は同盟の敗戦を覚悟している。その上で、民主制を遺す道を探して来た。その道がやっと見えたのでね。戦後は右派の跳ねっ返りなど邪魔でしかない。政権の主体は左派になる。そう言う訳で、君たちと密談しているわけだ」

 

何やらトリューニヒトの言動からは凄味すら感じる。ホアンに視線を向けると、「まあ、話を聞こうじゃないか」と返された。

 

「帝国の新体制を調べて思ったのは、バラバラになっていた権力を集約しながらも、皇帝以外の組織には競争相手がいるという事だ。政府と皇室名義の開発公社が良い例だな。圧倒的な強者の存在を帝国内で許さない。即位に貢献した軍部貴族が、取り潰された門閥貴族同様、巨額の利権を帝室に献上してしまったのが良い例だ。組織の団結には潜在的な敵が必要だ。競い合わせることでより多くの成果を上げさせる狙いもあるのだろうがね。ここで、仮に敗戦したとしても、同盟の終焉はあっても民主制の終焉は無いのではと考えた。

それが確信に変わったのが、新設された自治省の存在だ。門閥貴族を潰してまで統治権を集約した彼らが、交易の要地であるフェザーンをいつまでも間接統治のままにはしないだろう。それにフェザーンには多額の借款がある。帝国がフェザーンを併合すれば、当然、その名義も帝国になる。すでに首輪もつけているんだ。潰しても一文の得にもならない以上、潜在的な専制政治の敵として、活かされると踏んだ訳だ」

 

ここまで聞いて、やっと話が見えてきた。だが苦しい決断だし、右派にとっては裏切り行為だ。トリューニヒトは死ぬつもりなのだろうか......。

 

「帝国軍が出征してきた段階で、自由惑星同盟に加盟している全ての星系に、議長特命として、市民の生命と財産が危険にさらされた場合、独自の判断で帝国軍と交渉する事を許可するつもりだ。展開がどうなるか?は分からないが、イゼルローン方面は、軍事的に空白になる。同盟政府が防衛戦力を割けない以上、独自の判断をしてもらうしかないだろう」

 

「そんな事をすれば、地方星系の離反が相次ぐことになる。同盟はバラバラになってしまうぞ?」

 

「だからだろう?トリューニヒト。潜在的な敵とするには130億人は多すぎる。バラバラにすれば、帝国も安心するだろうし、どれか一つが生き残れば、民主制の芽は残る。だが、辛辣な策を考えたものだね。私は君の事を甘く見ていたようだ......」

 

いつもは温和なホアンが、鋭い視線を向けながらトリューニヒトに応じる。

 

「同盟は負けるが、民主制の芽は遺せる。正直なところを言えば、私たちが代議員になった時点で、勝利は厳しかった。だが、そんな事を言っても始まらない。国力増強の名目で引き篭り、戦勝の地であるダゴンやティアマトを帝国に明け渡すような判断を下すのは、当時の政治家にとって困難な事だろう。内戦という好機に、目の上のたん瘤のようなイゼルローン要塞を攻略したいというのも当然の事だ。そして積み重なった政治判断の結果、敗戦があり戦後の事を考えている。私がここを選んだ理由もなんとなく分かってもらえるかな?」

 

嬉し気に語りながら紅茶を飲むトリューニヒト。彼がそんな事を考えていたとは思わなかった。

 

「後は戦後の事だ。実際に決めるのは左派主導になるだろうが、私なりの見解を話しておきたい。結論としては民主制に辛い時代が来るだろう。それもかなりの長期にわたってだ。前面に出てくるのは実績もバッチリで見た目も整ったリューデリッツ伯、その後ろには若く、帝国全土のアイドルとなりつつある女帝、ディートリンデ一世。さて、私が言いたいことがわかるかな?」

 

「確かに、そんな辛い時代に自分たちの象徴が、常に渋面をしている初老の男性や、髪が寂しくなった男性では、対抗しようがないな。皆、あちらが羨ましくなるだろう」

 

ホアンが苦笑しながら応じる。確かに我々も委員長の座にある以上、敗戦に責任がある。左派が主導するからと言って議長の座に就くことは憚られるが......。

 

「そう言えば、最近補欠選で当選した女性議員がいたね。軍人の妻でありながら、左派支持を表明し、若い頃から政治活動をして来た。二児の母でもあり、市民たちの認知度も高いヤン提督とも懇意にしている。彼女を象徴にできれば、何かと不利な条件を押し付けられても、政府が無能なのではなく、国家の力が弱いからだと一定数は考えてくれるだろう。必死に国を立て直そうとする妙齢の女性を、捨てる事にも躊躇すると思うんだが......」

 

「そこまで市民たちは、君の思い通りにはならないと思うがね......」

 

「どちらにしても、人口空白地帯はほとんど割譲を迫られるはずだ。そこを収益化するには人口が必要だ。養いきれない分はあちらが引き受けてくれるだろう。後は、敗戦後、帝国との交渉が終わった段階で、彼女の名前でこれを活用してもらいたい」

 

そう言って分厚い資料を差し出される。中身を確認して驚いた。右派議員や政府高官の汚職の証拠だ。確かにこれを活用すれば、敗戦後の体制が旧体制から一線を画すものだと印象付けられる。だが、本当に良いのだろうか......。

 

「帝国の高官たちは時に身銭を切ってでも、やるべきだと判断したら政策を実行するそうだ。その一方で、同盟はどうだろう。市民たちにキレイ事を吐いて当選した連中が、権限を使って金もうけに勤しんでいる。統治者としての心構えがそもそも負けていたんだ。頭数が必要だから見て見ぬ振りもしたが、こうなればもう耐える必要もないからな.....」

 

トリューニヒトが一瞬いら立つような表情をしたのが印象的だった。

 

「当然の事だが、戦後処理には彼女を関わらせるな。君たちも、彼女のサポートをするなら戦後処理には関わらない方が良いだろう。関われば政治生命は終わるだろうからね」

 

自嘲気味にトリューニヒトは話したが、常に責任を言葉にしているし、流石に財務委員長が戦後処理に関わらない訳にはいかない。幸い、ホアンは人的資源委員長だ。軍の解体という大任があれば、戦後処理に関わらない理由にはなるだろう。それにしても美辞麗句を言いながら、その裏でこんな事を考えていたとは思わなかった。罪滅ぼしになるかは分からないが、トリューニヒトと政治的には心中する。秘かに私は覚悟を決めた。




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134話:最高幕僚会議

宇宙歴797年 帝国歴488年 2月上旬

首都星オーディン 新無憂宮 翡翠の間

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「皇帝陛下。御入来~」

 

近衛の前触れと共に、翡翠の間の上座に設けられた扉が開き、陛下が入室される。陛下が着席し、「皆の者、ご苦労。楽にして下さいませ」という言葉を待って、最敬礼を解き、それぞれの席に着席する。

 

「この場で、来たる大出征の方針を決める手筈であると聞いています。私は口を出すつもりはありませんが、皇帝として認識しておくべきと判断して、臨席しました。では、始めて下さい」

 

陛下が私に視線を向ける。

 

「はっ。ではこれより帝国軍最高幕僚会議を始めさせて頂きます。進行役は私が務めます。よろしくお願いします」

 

参席しているのは、3長官を皮切りに、自治尚書を兼任するリューデリッツ伯、作戦に参加する正規艦隊司令官たち、そして軍務次官として情報の収集と整理を所管するオーベルシュタイン大将、フェザーン進駐を指揮するシェーンコップ大将......。帝国内に数える程しかいない、私が頭の上がらない人物が勢揃いしている。それだけでもやりにくいのに、婚約者の陛下まで臨席された。だが、即位して色々な覚悟を決められたのだろう。日々、大きく成長されている陛下を前に、情けない姿は見せられない。司会進行のサポート役であるキルヒアイスに視線を送ると、いつもの穏やかな笑顔が視界に入る。何てことはない。いつも通りに進めれは良いのだ。

 

「では戦略的見地を、軍務尚書がご説明されます」

 

 

「この大出征の戦略目標は大きく2つあります。ひとつ目は、叛乱軍の戦意をへし折る事。ふたつ目は、彼らの勢力を内部分裂させ、バラバラにすることです」

 

陛下に一礼してから発言を始められたルントシュテット伯はここで一度、発言を区切った。

 

「そのまま降伏させ、130億の叛徒を臣民として取り込んでしまう方針が無かったわけではない。そうなると旧叛徒たちに帝国臣民と同等の待遇を与えねばならん。それを行えば天文学的な予算が必要となる。今まで臣民として尽くしてくれた者たちへの待遇も、下げざるを得なくなる。そんな事になれば帝国臣民にも不満が募ろう。130億の潜在的な危険分子を抱え、270億の臣民たちも不満が募るようなことになれば、帝国全土が不安定になりかねない。そう言った事情を勘案し、先ほどの2点を、戦略目標に決定しました」

 

帝国は門閥貴族を排除し、仮に叛乱軍を飲み込んだとしても、全員を農奴にするような方針にはならない。とは言え、ルントシュテット伯の説明通り、同化政策を行うなら、旧叛徒と帝国臣民の待遇に差は付けられない。既存の臣民の半数を飲み込み、現在の待遇を用意する事は流石に不可能だった。経済の専門家ではない俺でも、何となく理解していたが、仮にそれを行った場合の試算は、確かに天文学的な額が記載されていた。ルントシュテット伯が発言を終え、陛下に一礼してから着席するのを見届けてから、議題を進める。

 

「次に、大まかな作戦案を統帥本部総長がご説明されます」

 

「作戦案としては、イゼルローン方面とフェザーン方面からの同時侵攻を予定しています。フェザーン方面を主戦場と想定し、12個艦隊。イゼルローン方面を助功とし6個艦隊を割り当てます。攻略目標はフェザーン方面は惑星ウルヴァシー。イゼルローン方面は惑星エルファシルとなります。どちらか一方でも奪えれば、叛乱軍が、領域全体を防衛する事が困難になるでしょう。また作戦全体の統括の為、統帥本部はアイゼンヘルツ星系に分室を立ち上げております。時間的なロスを皆無には出来ないでしょうが、可能な限り減らす体制を用意していますのでご安心ください」

 

叛乱軍の戦力は多くても7個艦隊。艦隊編成が2万隻になっている帝国軍からすれば、イゼルローン方面に戦力を集中されても、十分対抗できる。アスターテ辺りで対峙している間に、フェザーン方面から進撃した部隊が、彼らの首都星を攻略することになる。上層部が決断に困るようなら3個艦隊ずつがそれぞれ防衛ラインに就くだろう。そうなれば圧倒的な帝国軍に各個撃破されるだけだ。フェザーン方面に戦力を集中してきたら、覚悟を決めてきたという所だろう。窮鼠猫を噛むということわざもある。そうなったら要注意といった所だろう。

穏やかな表情のまま発言を終えたシュタイエルマルク伯が、陛下に一礼して着席する。大らかな所があるルントシュテット伯と異なり、緻密な所があるシュタイエルマルク伯だが、そういう作戦家タイプにありがちな神経質な所がない。意識して押さえておられるのかもしれないが、改めて見習いたい長所を見つけたように思う。感情を抑える事が苦手なのは自分でも自覚しているのだから。

 

「では、艦隊編成を宇宙艦隊司令長官がご説明されます」

 

「本来であれば主戦場と想定しているフェザーン方面を担当すべきでしょうが、この作戦ではイゼルローン方面を小官が担当します。背景として、イゼルローン方面はエルファシルの占拠という軍事的な目標が明確なのに対して、フェザーン方面はフェザーンの併合に始まり、政治的判断を踏まえた行動が求められます。そこでローエングラム伯、ロイエンタール男爵、ルントシュテット上級大将の3名を中心に、4個艦隊の戦力を3セット編成します。その上で戦局に合わせて、臨機応変に動かせるように配慮しました」

 

内戦前は中将だった俺は、2階級特進で上級大将になっている。これは、内戦と戴冠に尽力したという名目で全員が昇進することになったが、イゼルローン要塞攻防戦は、内戦の枠に入らないと判断された為だ。皇配となる俺の階級を同時期に正規艦隊司令となった皆から一段高いものにする為かとも思った。だが、辞退すればロイエンタール男爵やディートハルト殿も受けられなくなる。余計なことは気にせず、もらっておく判断をした。緊張した面持ちのメルカッツ長官が説明を終えられ、一礼して席に付く。こういう場で、伯に発言を促す日が来るとは思わなかった。長官の発言の途中から変な緊張感を感じている自分が、意外だった。

 

「最後に、自治尚書から、叛徒たちの内部分裂を促す件について、ご説明されます」

 

「ローエングラム伯、紹介ありがとう。ただ、私の時だけ言葉が硬かったような気がするな。皇配殿を緊張させるなどと噂が立っては、私が悪人の様ではないか......。ん、何人か苦笑している様だな。帝国屈指の善良な臣民を捕まえて、全くひどいものだ.....」

 

そこで、堪えきれなくなったかのようにシェーンコップ大将が笑い声を上げたのをきっかけに、翡翠の間は笑い声に包まれた。陛下も、そして俺も笑っていた。場が緊張しすぎていると判断した時に、伯は一呼吸置く意味で場を和ませる。この点だけは、今の俺には難しい事だ。いつかは周囲に配慮して、場を和ませるような発言が出来るようになるのだろうか......。

 

「まあ、シェーンコップ大将には、色々確認する必要がある事が分かった訳だな。さて、本題に戻ろう。叛乱軍の内部分裂を促進する策だが、既に彼らが発行した借款のうちフェザーン国籍の企業を介してはいるが、その大半を帝室が有している形になる。この請求先の確定を、ウルヴァシーかエルファシルを占拠した時点で、大々的に要求する。中央政府は少しでも地方政府に負担を求めるだろうが、既に工作活動を開始しており、地方星系には中央政府に対してリソースを吸い上げるばかりで何もしてくれないという不満が溜まりつつある。そして市民一人当たりの借款という表現で、報道機関が取り上げ始めている。

それらを材料にしながら、叛乱軍をバラバラにする。短期的には30億人程度、叛徒を移民と言う形で吸い上げたい。そうなれば人口比で3倍になる。その後は待遇の競争によって若年層を吸い取る。中央政府には多額の借款という首輪をつけるし、地方政府はすでにボロボロだ。帝国の協力がなければ飛躍的な発展は難しい。余程の失策を政府と開発公社がしない限り、帝国は圧倒的な優勢を維持できるだろう」

 

「自治尚書閣下にお伺いしたい。叛徒どもが借金を踏み倒すような事をした場合はどうなるのでしょうか?」

 

発言主に目を向けるとオレンジ色の髪をした大将が、嬉し気に手をあげていた。場の雰囲気に酔ったのかもしれないが、彼も帝国軍の大将だ。もう少し落ち着いてほしい所だが......。

 

「ビッテンフェルト提督、良い質問だ。借金取りが取れる方策は2つだな。金額相応の現物を差し押さえるか?もしくは第三者に借款を引き取ってもらうかだ。これは叛乱軍の法律でも定められている事だ。よって、星間交易船の全てを差し押さえつつ、帝国の息のかかった叛乱軍籍の金融機関に名義を移すことになるだろう。我々は損はしないが、彼らの経済は深刻なダメージを受けるだろうね。前回の金融危機が、それこそ可愛いものに感じるレベルでだ」

 

どうしたものかと考えているうちに、伯が笑顔で解説して下さる。それは良いのだが、ここは取り立て屋になる為の勉強会の場ではない。何やら感銘を受けたかのようにうなずく者がかなりいるのが視界に入り、頭が痛くなった。艦隊司令部の人員には、法務士官研修を強制する必要があるかもしれない。

 

それにしても厳しいと言うべきか、お優しいと言うべきか。伯がしようとしている事は、民主共和制がそんなに大事なら、相応の覚悟を見せろと叛徒に突きつけるといった所だろう。多額の借款はおそらく現役世代だけで返済は終わらない。返済が終わったころには、吸い上げた資金も投入出来る事を考えれば、帝国との間で、明確に発展度合いが違うはずだ。短期的には、自分が空腹になってでも民主主義が良いというなら認める。中期的には、次世代に借款を背負わせ、暗い将来を背負わせても良いと言うなら認める。だが、そんな覚悟を、何人の叛徒が出来るのだろうか......。少なくとも地方星系の中には、農奴のような生活をしている叛徒もいる。彼らからすれば、帝国の臣民となる方が余程幸せになれるのではないだろうか......。

 

そこで、また笑い出しそうになってしまった。こんな辛辣な策を考える人物が、帝国屈指の善良な臣民を自認する。最初は場に流されて笑ってしまったが、確かにおかしな話だ。シェーンコップ大将が大笑いしたのも分かる気がした。同じようなことを考えていたのだろう。上座に座る陛下に視線を向けると、扇で表情を隠しながらも、肩が震えている。笑いを堪えておられるようだった。



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135話:結婚式

宇宙歴797年 帝国歴488年 2月下旬

首都星ハイネセン シルバーブリッジ 教会

フレデリカ・グリーンヒル

 

「フレデリカ、おめでとう!ブーケも受け取れたし、次は私ね。初恋の人を射止めたご利益があるもの、きっと効果があるわ」

 

「提督、フレデリカはずっと提督の事を想っていたんですから、幸せにしてくれないと承知しませんよ」

 

披露宴が始まって、参加者たちが各々、お祝いの言葉を贈ってくれる。士官学校の同期が、嬉し気に祝福してくれるが、こういう事に慣れていないのだろう。閣下は困った時の癖で頭を掻きながら、何とか愛想笑いをされている。だが、嫌がっている時とそうでない時の違いは何となく分かるようになった。今は嫌がってはおられない。

 

「あんまり長居するのも良くないわね、そろそろお暇するわね」

 

「フレデリカ、また後でね」

 

そう言い残して、二人は私たちの席を後にする。ホッとした様子の閣下に視線を向けると、「いい加減こういう事にも慣れないとね」と肩をすくめられた。その背景には教会と青空が映る。まだ寒い時期だが、快晴になった事もあって、永遠の愛を誓いあった教会の敷地内は、暖かい陽気に包まれている。参席者は宇宙艦隊の面々を始め、エドワーズ議員など、軍と政府の要人が揃うことになった。本当ならきちんとした式場で行うべきだったのかもしれない。だが、戦況が劣勢な事で軍人は肩身の狭い思いをしている。有名な式場は流石に急な話で押さえられなかった。なら、シルバーブリッジの教会で式を挙げてしまおうという話になった。

閣下は固苦しいのが苦手だし、参加者がほぼ軍関係者である以上、参加しやすいというメリットもあった。会場の端にイスとテーブルは用意しているが、立食メインで、当日参加もOKにした。近所の子供たちも飛び入りで料理を楽しんでくれているし、いつの間にやら、近所からの差し入れも一緒に並んでいた。ずっと夢見ていた日に多くの人に祝福してもらっている。本当に幸せだった。

 

会場に視線を向けると、ユリアンと目が合う。士官学校に優秀な成績で合格を決めたが、戦況の事もあって別の進路も模索する決断をした彼は、ハイネセン記念大学の経済学部経済史科にも合格を決めた。まだ最終的な進路は決めていない様だが、あの会食以来、家を行き来する仲になったエドワーズ議員も士官学校は推していない。なんとか反対を押し通すつもりのようだが、学徒動員の話は、議会でもたびたび取り上げられている。そんなに国家存亡の危機を謳うなら、議員中隊でも作って前線に赴けばよいものを......。今まで軍に協力的だったこともあり、現役軍人の多くは右派支持だったが、ここに来てまで我が身大事なのかと、左派に支持が移りつつある。

 

「ヤン、フレデリカさん、改めておめでとう。まさかヤンに先を越されるとはな......。これで親父からのプレッシャーが増々強くなる。参ったぜ.....」

 

「やあ、ボリス。遠路はるばるすまないね」

 

「コーネフさん、それでは祝福頂いているのか?判断に困りますわ」

 

「いやあ、すまない。祝福は心からしているさ。ただ、交易商人なんて商売をしていると、年中あっちこっちをうろつく羽目になるからな。宇宙を股にかけるなんて言えば聞こえがいいが、安息の地を決められない。付き合いのある商人との縁談もあるが、政局を考えると変な縁は結べないからな。まあ、もうしばらくはひとり身を楽しむさ」

 

やや自嘲気味のコーネフさんの発言に、閣下も私も笑ってしまう。幼い頃から交易船で育った閣下には唯一と言って良い幼馴染のような方だ。嬉しそうな閣下の様子を見て、私も嬉しくなる。

 

「新婦さんには悪いが、少し新郎を借りていくよ。見目麗しい妻を娶った男性には、先人たちに薫陶めいた格言を聞く仕事と、身を固められずにいる甲斐性無し達に、やいのやいの言われる任務があるからな」

 

「やれやれ、フレデリカ。少し席を外すよ」

 

軽く口づけをして、閣下がコーネフさんに引っ張られる様に席を離れる。その横では、ビュコック艦隊の司令部所属の女性士官たちがこちらに来るのが見えた。スピーチを引き受けてくれたビュコック提督は、スピーチと言うより漫談のような話をしてくれた、お若い頃は腹踊りを披露して笑いを取っていたとのことだが、提督の漫談も楽しいものだった。祝いの言葉をうける合間のひと時、私は閣下のプロポーズをお受けしてから初めての週末。ヤン家の家族となる3人だけで行った儀式を思い出していた。

 

「ユリアンと3人で料理ですか?」

 

「うん。別に手の込んだものでなくていいんだ。フレデリカはサンドイッチを作ってくれれば良い。だた、カトラリーを使う形式にしたいから少し大きめにカットしてくれれば有難い」

 

ハイネセン記念大学の受験が終わったユリアンと三人で、買い出しに向かう道中。のんびりと3人で街路を歩いている時に閣下が切り出した。

 

「家にはある人から頂いたシルバーカトラリーがあるんだ。順調に成長したら、一家を構えた時に恥ずかしくない持て成しが出来る様に。そして、生活に困る事があれば売れる様にね。贈り主の意向を考えれば、処分して志望していたハイネセン記念大学へ進学すべきだったかもしれないが、処分する判断はしなかった。だからちゃんと食器として使いたいんだ」

 

買い出しを終え、将官用の官舎の広めのキッチンで3人で料理を始める。私はサンドイッチ、閣下はサラダ。メインとスープは、実力差が明確なのでユリアンにお願いした。閣下が開けて以来、十数年ぶりに開けられたシルバーカトラリーの箱は、気密性も備えていたようだ。錆もなくぎっしりと詰まった輝くシルバーカトラリー。大事なお客様をもてなす意味でも、万が一の時は売れるという意味でも考えられた工芸品は、帝国式でありながら見た者を虜にするような美しさがあった。

自分たちで作ったディナーをシルバーカトラリーで食しながら、閣下は彼とのいきさつを語ってくれた。元々は交易商人をされていた閣下の父上が、ビジネスパートナーだったそうだ。とは言え、帝国貴族と頻繁にやり取りしては不都合だろうと一式贈られた事。そして結構な金額のフェザーンマルクが同封されていたこと。普段は金庫にしまっているという手紙も見せて頂いた。

 

「この手紙が認められたのはもう30年以上前。彼は士官学校を卒業したばかりだったが、領民の生活を豊かにするため、軍人の役目と経営者としての役目をこなしていた。こっちはローザス提督とのご縁で届けられたものだ。エルファシルの事を褒めてくれたんだよ。内密にだけどね」

 

「ヤン提督、もしフェザーンに行く選択肢をしていたら、今頃は帝国史編纂室で、未公開の資料を読み放題だったかもしれません。なぜ、同盟を選ばれたんでしょうか?」

 

「そうだなあ、ユリアン。確かに彼のような領主を持てれば、領民たちは幸せだろう。彼が良く使う言葉だが、今日より良き明日が来るだろうね。でもそんな偉人が、代々輩出され続けるんだろうか?それなら、歩みは遅いかもしれないが自分たちの努力で明日を良いものにできる方が良いと、私は考えたのかもしれないね」

 

ユリアンの問いに閣下は自分に確認するように答えた。リューデリッツ伯は同盟でも有名な方だ。この手紙を認めた時、丁度私と同年代だった。書き馴れていないはずの同盟語は、お手本のように達筆でありながらどこか温かみを感じる。閣下にとっても思い入れのある方だろう。そんな方と戦わなくてはいけない。少しでもお支えしなくては......。ユリアンに視線を向けると、手紙に視線を向けながらも、何か胸に来るものがあるようだった。この日から、私たちは家族になった。

 

「おめでとう。初恋を実らせるなんて、女性の敵ね」

 

「一途に想い続けたからこその戦果じゃない。貴方は気が多いからね」

 

近づいて来た女性士官の声が、私を式場に連れ戻してくれた。別に勝ち組という意識は無いが、想い続けてきた来た人と結ばれ、家族になり、支えられる。そうならないと実感は無かったが、確かに今、私は幸せだと思う。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 2月下旬

首都星ハイネセン シルバーブリッジ 教会

ヤン・ウェンリー

 

「この辺で良いだろう。それにしても式場の警護が薔薇の騎士連隊とはね。これ以上安全な式場もないだろうな」

 

「ああ、志願してくれてね。どうせなら祝うだけじゃなく持て成す側になりたかったそうだ」

 

「そうか。お前さんも同盟の中でちゃんと人のつながりを作って来たんだな。皆良い笑顔だし、雰囲気も温かい。交易船で育ったお前さんにとっては、上々といった所かな?」

 

「そうだね。あの時、フェザーンを選んでいたら得られなかった光景だ。もしを考えた事が無かったわけじゃないが、良い人生を歩んでこれたよ」

 

式場の片隅でボリスと話を始める。彼が資産運用の報告を名目として、毎年顔を出してくれるのも、同盟で身寄りが無い私の事を気遣っての事だ。何かと節目に歓楽街で祝ってくれた。苦手だった人付き合いの改善のきっかけになったのがボリスだ。

 

「その言い草だと、最後まで同盟に付き合うつもりのようだな。ヤン、かなり厳しい戦いになると思うぜ?折角きれいな嫁さんを捕まえたってのに.....」

 

「すまないなボリス。これが私の生き方だよ。君から見たら不器用かもしれないが」

 

「そういう意味で言ってるんじゃないさ。今回は運用報告だけじゃなく、ちゃんと結婚祝いも用意した。軍事情報は無理だが、政局に関わる情報なら容易に手に入る。裏取りもしてあるから、後でじっくり読んでくれ」

 

思わずボリスに視線を向ける。そんな事をしてコーネフ商会に危険はないのか?そんな私の思いを察したのだろう。

 

「心配するな。あの人の許可は出ているさ。正しい判断の為には、正確な情報が必要だとも言っていたな。そもそも運用報告書だって、ちゃんと読めば帝国の経済発展が読み取れる代物だ。案外、ずっとお前さんにラブコールをしていたのかもしれんな」

 

と、何でもない事のようにボリスが応える。確かにそうだ。閉塞感が強まるばかりの同盟社会に比して、あの資料を読み込めば、帝国が急速に発展している事は見て取れた。ラブコールだとまでは思わなかったが、自然に彼を尊敬している要因の一つには、あの資料の存在があるのかもしれない。

 

「全く、大したお人だよな。構想は壮大で、打つ手も手堅い。おまけに後進の育成まで抜かりがない。あんな人を見習えって言われてもなあ。そりゃ無理があるってもんだ」

 

「確かにね。同盟市民の間でも、変に人気がある方だ。こっちに生まれてくれてればって、皆が口をそろえるね」

 

納得するようにボリスがうなずく。軍人と貴族を掛け持ちしながら、当代屈指の事業家でもあった彼は、同業者のボリスには近くで見るにはまぶしすぎる存在だったのかもしれない。

 

「案外、お前さんが戦後の政権に近い存在になる事を見越しているのかもしれんがな。ヤン、死ぬなよ?俺の披露宴に親友代表としてスピーチしてもらうからな」

 

ジェシカに一瞬視線を向けると、ボリスはろくでもない宿題を残して、式場から出て行った。帝国軍の来襲がそう遠くない今、本来ならコーネフ商会も物資の調達で多忙なはずだ。そんな中で時間をやりくりして駆けつけてくれた、私の唯一の幼馴染に、心の中でもう一度ありがとうとつぶやいた。

 

「もう、いつまで新婦を一人にしているの?写真をお願いしたいわ」

 

フレデリカが座る主賓席の方から声が聞こえた。困った時の癖で頭を掻くが、不思議と悪い気はしない。私は新婦の待つ主賓席へ歩みを進めた。



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136話:大出征

宇宙歴797年 帝国歴488年 3月上旬

アイゼンフリート星系 航路宙域

ジークフリード・キルヒアイス

 

「そろそろ、先遣隊はフェザーン回廊に侵入しつつある頃合いだな」

 

「ディートハルト提督も、伯には懐いておられました。きっと張り切っておられるでしょうな」

 

「フェザーンの併合がスムーズに進むかは、今後の展開にも大きく影響いたしましょう。小官などは、いささかはやる気持ちを抑えるのに、既に難儀しております。」

 

「.....」

 

現在、第二陣を務めるラインハルト様の艦隊を中心とした4個艦隊は、アイゼンフリート星系を抜け、アイゼンヘルツ星系に進みつつある。第一陣を担われるディートハルト様の艦隊を中心とした第一軍は、作戦計画では大半が補給を終え、先遣隊がフェザーン回廊に侵入する頃合いだった。現在、私たちが進んでいる航路は、フェザーンと帝都を結ぶ、宇宙のメインストリートだ。内戦の際にも哨戒は徹底されたし、その後も辺境自衛軍による警備が実施されている。哨戒部隊を出していないわけでは無いが、警戒の必要が薄い。

そういう意味で、アイゼンフリート星系の駐留基地で補給を受けるまでは、手持ち無沙汰なラインハルト様は、旗下についたミッターマイヤー大将、ミュラー大将、そしてアイゼナッハ中将と回線をつなぎ、会話をする事が多い。旗下の提督たちとコミュニケーションをとる事は本来なら必要なことだが、ミッターマイヤー大将を始め、旗下に配属されたのは馴染み深い方々ばかりだ。ランチからお茶の時間までの2~3時間、雑談をする事が定着しつつあった。

 

「イゼルローンの方は哨戒を厳重にしているようですが、敵影は無いとの報も入っています。となると、統帥本部の予想通り、ランテマリオ・マルアデッタ星域辺りでの防衛線を叛乱軍は選択したと見るべきでしょう」

 

「航路情報は何度も確認いたしました。ランテマリオもマルアデッタも、大兵力を展開しやすい星域ではございません。戦力差は叛乱軍も重々承知しているはず。フェザーン回廊から先は、気を抜くことは出来ないでしょう」

 

「.....」

 

無言ではあるが、穏やかな表情をしたアイゼナッハ提督も、賛同の意を示すかのようにうなずいておられる。既にご結婚されていると聞き及んでいるが、プロポーズも無言で為されたのだろうか......。宇宙艦隊で囁かれる7不思議のひとつになりつつあるが、当人が徹底して無口な以上、この謎が解明されることは無いのかもしれない。

 

「ミッターマイヤー提督、今後の事を考えれば、この戦いでは敵を殲滅すれば良いと言う訳にもいかない。叛徒たちに降伏勧告をする場面もあるだろう。あちらの気持ちも踏まえれば、皇配の若者に勧告されても受け入れにくい部分もあろう?卿にその辺りの判断は委ねる。よろしく頼む」

 

「承知いたしました。おっしゃる通り、戦後の事を考えれば、叛乱軍の人的資源をこれ以上、摩耗させるのは得策ではないでしょう。心して臨みますが、敵の司令官が玉砕を叫ぶような人物でないことを祈るばかりです」

 

帝国軍の戦死者は叛乱軍に比して少ない。それが結果として帝国社会の生産人口の増加要因になっている。成人男性が戦死してしまえば、補うのに最低20年、一人前の乗員にする期間も考えれば25年はかかる。そう考えれば、重装戦艦ですら数ヶ月で補充できる以上、継戦力に直結するのは、いかに戦死者を減らせるか?にかかっている。その対策に時間と予算を費やした帝国と、それをしなかった叛乱軍。自分たちを死地に送る為政者を選ぶ叛徒たちがどんな価値観の持ち主なのか?ずっと不思議に思っていた。

 

「そう願いたい所だ。もっとも彼らがフェザーン方面に戦力を集中する判断をしたという事は、それなりの覚悟を決めているはずだ。降伏してもらうに越したことは無いが、帝国軍の将兵を危険にさらしてまで行う必要はない。改めて言う必要もないと思うが念の為な」

 

そろそろ頃合いだったのだろう。モニターに映る提督たちが敬礼し、ラインハルト様が答礼をされ、通信を終えられる。忙しくなるのはアイゼンフリート星系の駐留基地に到着してからだろう。俯瞰でみれば12個艦隊の縦列だ。隙間を空けないように、迅速に補給し、第二軍の先陣であるミッターマイヤー艦隊からフェザーン回廊に突入する。フェザーンの確保は第一軍の役割だ。我々はそのままランテマリオ星域を目指す。後ろに続くロイエンタール艦隊を中心とした第3軍は、フェザーン回廊通過後は直進せず、バラトールプ星系に進み、マルアデッタ星系を裏から押さえる形で進軍する。第一軍は陸戦部隊の進駐が完了次第、ランテマリオ星系へ進軍を再開する予定だ。

 

「参謀長、叛乱軍はこちらに来るようだが、まだ時間がかかる。何とももどかしい気持ちに駆られるな」

 

「左様でございますね。兵士たちも同様かもしれません。今から根を詰めては、いざという時に疲労がたまってしまいましょう。気を休める様に指示されては如何でしょう?」

 

「それもそうだな。リュッケ少佐、手配を頼む」

 

ラインハルト様が指示を出すと、副官のリュッケ少佐は敬礼し、艦隊に指示を出し始めた。フェザーン回廊を抜ければ気が休まる機会はなくなるはずだ。消耗を避ける意味でも丁度いいだろう。

 

「この戦いが終われば元帥、叛乱軍との戦争が終われば退役。そして軍人としてではなく、為政者としての戦いが始まることになる。まだまだ面倒をかけるが、これからも頼むぞ。キルヒアイス」

 

「はい。ラインハルト様」

 

直ぐに答えることは出来たが、胸に引っかかるものがあった。この戦いが終われば、私はアンネローゼ様と婚約し、先帝陛下の喪が明ければ、グリューネワルト伯爵となる。名実ともに、皇配となるラインハルト様の側近となるのだが、アンネローゼ様には意中の方がおられたはず。私は家宰としてお傍にお仕えできれば十分だったのだが......。

 

「キルヒアイス、姉上の事を頼めるのはお前しかいない。グリューネワルト伯爵家が皇室に近い家になる以上、家を繋いで行く必要もある。まあ、かく言う俺も、陛下の婚約者としてしっかり務められている訳ではないからな。あまり大きなことは言えんが、少しづつ慣れていくしかないのだろう。それに余人を姉上の相手にすれば、側近として用いなければならなくなる。女性との係わり方が何かと難しいのは分かっているが、頼む」

 

「はい。ラインハルト様。私にとってお二人をお支えするのは何よりの喜びですから」

 

なんとか笑顔で応えられたが、今までの関係が変わってしまう事を恐れている自分もいた。ただ明確なのは、アンネローゼ様にお会いできるのは叛乱軍の事が片付いてからという事だ。少なくとも、私の入れたお茶でアンネローゼ様に喜んで頂きたいという気持ちに変わりはない。その日を一日でも早く迎えられるように、今は善処するしかないだろう。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 3月上旬

首都星オーディン グリューネワルト邸

アンネローゼ・フォン・グリューネワルト

 

「殿方たちは、今頃お祭り気分かしら?親しい友人が戦場へ赴くだけでも心配なのに、肉親と婚約者となると、分かっていても不安ね。軍部貴族のご夫人方には頭が下がる気持ちだわ」

 

「ずいぶん前の事ですが、ご不安にならないのか、リューデリッツ伯爵夫人に尋ねた事がありました。もちろんご不安だそうですが、それを表に出さぬようにされているとか。私は、結局、それが出来ないでいますが.....」

 

叛乱軍への大規模な出征にあたり、陛下は御用船を用意して、静止軌道上で出兵を見送られた。私も男爵夫人もお供をしたが、艦影が小さくなっていくにつれ、無事を願う気持ちは強くなった。陛下は毅然と見送られたが、私にはとても出来そうになかった。

 

「最近、表情がすぐれないのはそれだけなのかしら?思い悩んでいる様子だけど.....」

 

「ええ、男爵夫人には隠し事は出来ませんね。実はジークとの婚約の事で悩んでいるのです。年上ですし、2度目の結婚ですから......。ジークにはもっとふさわしい人がいるのではないかと」

 

先帝陛下の喪が明けるのを待って、私とジークの婚約が決まった時から本当にこれでよいのか悩み始めた。今までの人生を、私とラインハルトの為に使ってくれた赤毛の青年。私と結婚すれば、彼は生涯を私たちの為に生きてくれるだろう。それが本当に彼の為になるのか.....。相手が私でよいのか.....。悩んでいた。

 

「それだけなのかしら?幼い頃から一緒に過ごしていた間柄。グリューネワルト伯爵家の家宰でもある。誠実で見た目も悪くない。普通に考えれば貴方の相手の第一候補だと思うのだけど.....」

 

「それは.....」

 

男爵夫人にはやはり隠し事が出来ない。ジークは確かに良い青年だし、傍にいてくれれば安心出来る。ただ、お茶を入れる所作や食事の際の立ち居振る舞い。何をとってもあの方に似すぎている。このまま結婚した時、私はジークを愛せるのか?それとも秘かに想っていたあの方に似たジークを、本来敵わぬ想いの代わりにしてしまうのではないか?そんな思いがあった。

 

「これは初めて話すのだけど、私の初恋も伯なのよ。何かと礼儀作法をうるさく言われだしたタイミングで、反発心もあったのでしょうね。客間で大人しくしているように母から言われて、反発するように屋敷を抜けだしたの。庭園をうろうろしたのは良いけど、迷子になってしまってね。そこに駆けつけてくれたのが彼だった。

物語で読んだナイトのようだったわ。困っている私を優しくエスコートしてくれた。ヒルダが彼から銀の匙を贈られる事を耳にして、気づいたら私も強請っていた。今考えればはしたない事だけど、彼は優しく了承してくれた。成長するにつれ、場を共にできる機会は増えたけど、彼がエスコートしてくれたのは、あれが最初で最後.....」

 

そこで男爵夫人はカップを口元に運び、お茶で喉を潤した。なんとかく分かる気がした。あの方と初めてお会いしたバラ園のお茶会でも、未熟な私にさりげなく配慮してくれた事は、今でも鮮明に覚えている。

 

「初めてフレデリックの奏でる演奏を聞いた時から、彼に才能がある事は分かっていたわ。でも、それだけで、ここまで献身的になれたとは、振り返って考えると思えないの。お茶を入れる所作、食事の所作、そして褒めたときに少し照れながら礼を言う仕草。息子だもの、似ていて当然だけど、もし似ていなかったらここまで献身的に尽くせたか......。答えは出ないわね」

 

「そんな事があったとは、知りませんでした.....」

 

「きっと、キルヒアイス中将は、伯になりたかったのでしょうね。貴方たちを守り、安息を与え、そしてアンネローゼに想ってもらえる。見習うとか尊敬すると言うレベルでは、ああはならないもの。それにラインハルトとの友情だけで、こんなに献身出来るとも思えない。彼にしか出来ない愛し方なのかもしれないわね」

 

「でも、本当に私で良いのでしょうか?」

 

「貴方と出会ってから、ずっと貴方を幸せに出来る存在になろうとして生きてきたのよ?なら、幸せにしてもらえばよいのではないかしら?それに、婚約の話が出た以上、軍部貴族の嗜みの方もしたのでしょう?なら、もう悩む事も無いんじゃないかしら」

 

思わず、頬が熱くなるのを感じた。軍部貴族は万が一の時に備えて、後継者がいない場合は出征前に必ず同衾する。ジークは慣れてはいなかったけど、優しく接してくれた。ジークが好きな、甘さを抑えたザッハトルテを私が焼き上げ、ジークがお茶を用意してくれる。時がたつにつれ、2人のお茶会にひとり、ふたりと参加者が増える。そんな将来を考えても良いのだろうか?今、はっきりしているのは、早くジークの入れてくれたお茶が飲みたいという気持ちだった。私の気持ちの変化を察したのか、男爵夫人は嬉し気な表情で、お茶を飲んでいた。




135話のあとがきで作中の人命表記に関してご意見を求めたのですが、アンケートに回答する旨のご指摘を頂きました。お騒がせしてしまい申し訳ありませんでした。
作中で45年以上経過し、役職や名前がころころ変わるので読みにくい部分もあるかもしれませんが、TPOと登場人物との関係で、呼び方は変えたほうが、それっぽさが出ると判断して、今作ではこのまま進めます。一番の原因は、人間関係とか心理描写が甘い部分があり、すんなりその呼び方が入ってこない点もあるのかな......。と反省しています。
ただ、この部分はあんまり詳しくしてしまうと、読者の方の想像の余地を奪いますし、ドロドロの昼ドラみたいな事もしたくない気持ちもあります。もう残り少ないですが、最終話までに自分なりの答えを探せればと思います。引き続きよろしくお願いします。



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137話:再進駐

宇宙歴797年 帝国歴488年 3月中旬

フェザーン星系 旧RC社フェザーン支社ビル

ワルター・フォン・シェーンコップ

 

「ご心配ですかな?」

 

「そうだな。彼らの能力は心配していない。ただ、叛乱軍も覚悟を決めたようだし、フェザーン方面軍の提督連中は、士官学校の時代から、何かと面倒を見てきた。半分子供のような物だからな。無事、作戦を果たしてもらいたいし、将来の帝国を担ってくれると見込んでいるのも事実だ」

 

貴賓室に備え付けられたモニターに、視線を向けたままの伯に声をかけると、そんな返事が返ってきた。モニターに映っているのは軌道エレベーターに設置された超望遠カメラの映像だ。俺が指揮する陸戦部隊がフェザーン進駐を完了するのを見届けて、補給作業を終えて進発したルントシュテット上級大将率いる第一軍の光点が、少しづつ小さくなっていく。少し選んだ道が違えば、俺もあの中に混ざっていただろうか?

宇宙艦隊から装甲擲弾兵にキャリアを変えて以来、何度も連中を見送った。優秀な男たちだけに心配はしていないが、任せるしかない自分にもどかしさを感じないわけでは無い。俺も光点が見えなくなるまでモニターを見つめていた。

 

「さて、フェザーン進駐の件は、ご苦労だった。先例があるとはいえ、予想以上にスムーズだったな。さすがはワルターだ。オフレッサーの喜ぶ顔が目に浮かぶ。落ち着いたら会食することになるだろうから、その際は同席を頼むよ」

 

「はっ。ありがとうございます。ただ、今回は私がと言うより、あの3名の手配が行き届いていたというという所でしょう。特にドミニク女史が独立商人を押さえてくれたのが大きかったですな」

 

別に茶化すつもりは無かったが、伯はため息をこぼされた。この人ですら妻には弱いのだと思うと、おかしみを感じないわけでは無いが、流石にまだ、笑って流す心境ではないだろう。

 

「まったく......。ゾフィーがあんな事を言い出すとは思わなかった。50歳を越えて、妻に第二夫人を持つように勧められるとはな。ドミニクも、私よりもっと良い相手がいるだろうに.....」

 

フェザーン進駐にあたって、事前工作を担当したのは3名。自治領主ルビンスキー、RC支社長のボルテック、そしてドミニク女史だ。ルビンスキーは自治省の第二局長、ボルテックは帝国開発公社のフェザーン支社長に内定している。今後の事も考えて、伯が俺や3名の上級大将たちに引き合わせたのはボルテックとドミニク女史の2名。伯を通さずに関わる可能性があるのはこの2名だったし、誰も不思議には思わなかった。ただ、同じように超高速通信を通じて顔つなぎをされたリューデリッツ伯爵夫人であるゾフィー様が、ドミニク女史と二人だけで会話された後、彼女を第二夫人にするようにと言いだされた。

 

困った表情の伯を近くでみれるなど、人生に2度は無いだろう。だが、ドミニク女史は言ってみれば独立商人たちへの対策と、フェザーンと叛乱軍から割譲させる事になる領域で、自治省と帝国開発公社の監査をすることになる。大きな影響力を持つ事になる彼女を、独身のままにしておく訳にもいかなかった。

 

「殿方は地位と報酬を与えれば自由にするでしょうが、淑女には想われているという実感も必要です。そんな重責を任されれば、恋愛も思うようにままなりません。すこしくたびれていますが、まあ、貴方なら良いだろうという話になりました。そうでなくても、人口比では女性が多いのです。彼女が大功を立てたのも事実なのですから、最後まで面倒を見るべきです」

 

困った様子の伯とは対照的に、まんざらでもない様子のドミニク女史。伯爵夫人のおっしゃる事は正論だったし、帝国貴族にはひとりでも多く、子供が必要なのも確かだ。リューデリッツ伯爵家としてもフェザーンに血脈が置けるならそれに越したことは無い。珍しく有効な反論が出来ない伯を横目に、ドミニク女史が第二夫人になる事が決まっていた。

パウルはこういう話を笑える奴ではない。ここはオスカーが戻ってきたら、ふたりでドラクールにでも行って話す事にするか......。いや、あいつもその気は無かったのに油断して年貢を納めさせられた口だ。そうなると酒の肴にできる相手はいないことになる。伯は、少なくともゴシップの女神には見捨てられていないらしい。

 

「何を嬉しそうにしておるのだ。半分はワルターへの最後通告だぞ?自分の価値観を大事にしたいと考えているのは、分かっている。だから宥めてきたが、婚約の話を角が立たないように断るのは、意外に骨が折れる。自分で相手を決めるつもりなら、早くしろといった所だろうな」

 

「そのようですな。ただ、ヒルデガルド嬢はオスカーが引き受けてくれました。私の記憶に誤りがなければ、私と婚約できる年頃のご令嬢をお持ちの軍部貴族はおられません。価値観を大事にするためには旧政府系と誼を通じる訳にもいきませんからな。伯を見習って、フェザーンで見繕うと致しましょうか」

 

俺がそう言うと、伯は笑ってくれた。ご本人もおそらく察しておられるのだろうが、軍部貴族の雄である伯が、第二夫人を作らなかった事で、それに倣う風潮があるのも事実だ。あまりお盛んなのも困るが、実際問題、寄り子や従士からすれば関係を保つ意味で当主に血縁を送り込みたい。当然、その場合は第二夫人以降になる訳だ。帝室と貴族の力関係が圧倒的に帝室優位になったからこそ、血縁を結ぶ重要性は増している。

その辺りも含めての事なのだろうが、油断していたとはいえ、その口実にされた伯は堪ったものではないだろう。ワルター、よく覚えておくのだ。伯ですら油断すれば年貢を納める事になる。古の賢者曰く、油断大敵......とね。どちらにしても新しい宇宙の秩序が固まるまでは、身を固めるつもりはない。そう猶予は無いだろうが、せいぜい独身貴族を謳歌させて頂こう。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 3月中旬

首都星ハイネセン キャゼルヌ邸

ユリアン・ミンツ

 

「大学に入ったら、頻繁には会えなくなるわね。寂しくなるわ」

 

「ユリアンお兄ちゃん、遠くへ行っちゃうの?」

 

「大丈夫だよ。シャルロット。同じハイネセンに居るんだから、定期的に戻ってくるよ?」

 

初等学校に通い初めて1年。来月から2年生になるシャルロットは、妹のような存在だ。ヤン提督のお留守にはキャゼルヌ邸にお世話になっていた僕にとって、オルタンスさんの指導の下、家事を手伝う戦友でもあった。ただ、来月からハイネセン記念大学に入学する僕は、大学近くで一人暮らしを始めることになる。無理をすれば通学できない距離ではないけど、結婚したばかりのお二人と同居するのは流石に気が引けた。フライングボール部の監督に進路を報告した際、ハイネセン記念大学のフライングボール部に推薦状を書いてくれた。2度ほど練習にも参加したが、大学リーグでも上位に入るだけに、レベルも高かった。僕の大学生活は勉学とフライングボールに費やされることになりそうだ。

年ごろの女の子にありがちで、シャルロットも感情が豊かだ。少し涙を浮かべる彼女の頭を撫でて慰める。僕にも経験があるが、初等学校に通い出すと、唐突な別れが一気に多くなる。シルバーブリッジの初等学校に通うのは軍人の子弟が多い。肉親の戦死をきっかけに、クラスメートが転校するのはよくある事だ。ただ、感情が豊かなシャルロットはその度に泣いていた。僕もクラスメート同様、もう会えなくなると不安に思ったのだろう。

 

シャルロットを慰めてから、食卓を拭き、ランチョンマットとカトラリーを並べる。カトラリーを見ると、自然とヤン提督が話をしてくれたリューデリッツ伯に考えが向かう。同盟でも有名な彼は、15歳の時には士官学校に首席で入学を決めながら、同時に自分で起こした企業を通じて、イゼルローン要塞建設の為の資材調達を一手に取りしきった。それ以前も経済成長を続けていた辺境星域は、膨大な資材調達の為に行われた投資をきっかけに、一気に二次産業を発展させた。それが帝国の国力増強と、軍部貴族の影響力の増大に繋がり、結果として現在の帝国の体制の礎になる。

 

彼を知る同盟市民は、こちら側に生まれてくれていれば......。と言うが、どんな財閥の家に生まれたとしても、同盟では15歳でそんな活躍は、本人に能力があってもできないと思う。帝政だからこそ、幼い頃から重責を担う事が出来た。それによって磨かれた存在を羨ましく思うのは、民主共和制の敗北のように感じるのは僕だけなのだろうか?ヤン提督は、歩みは遅くても自分たちの努力で明日を良いものに出来る方が良いと、お話になられた。でもそのせいで、本来の能力を発揮出来ないとしたら、すごく皮肉な話だと思う。

 

ランチはオルタンスさんの仕上げを待つ段階だ。僕はリビングのソファーに腰を下ろして、端末を起動する。ハイネセン記念大学への進学を決めた際、「これを分析してごらん」と、コーネフさんから毎年届けられていた資産運用の資料を頂いた。僕名義の物もまとめて一覧にしたファイルを開く。783年から13年分。経済学の基本書を読んだだけの僕でも理解できるほど、帝国は急激に経済成長が進んでいる。摩耗していく宇宙艦隊を補充するためにリソースを使い果たし、開発事業に予算を割けなかった同盟は、経済的には停滞するばかりだった。

これを見た提督は、何をお感じだったのだろう......。金融危機の際にも為替レートの動きでかなり利益を出している。そしてフェザーンマルク立てで考えると、割安になった同盟企業を、軍需業界を除けば主要産業すべてに資本投下している。莫大な対フェザーンの借款も考えれば、同盟は経済的には侵略されてしまったと言って良い状況だ。僕が簡単にたどり着いた結論に、提督を始め、同盟の政府首脳が気づかないなんてことがあるんだろうか?

 

「ここで緊急速報です。帝国軍がフェザーンへの再進駐を実施しました。また、フェザーン方面から、帝国軍の艦隊が侵攻を開始したとのことです。これに関連して、トリューニヒト議長が緊急会見を行います。中継を繋ぎますので、市民の皆さんは冷静にお待ちください」

 

僕が考え事をしていると、シャルロットが横に座り抱き着いて甘えて来る。頭を撫であやしていると、流れていたニュース番組のキャスターの緊張気味の声が聞こえてきた。結婚式を挙げてすぐに出征されたヤン提督とフレデリカさんに自然と思考が移る。今回は6個艦隊が総力を上げてフェザーン方面に出動したけど、戦術の基本をかじっていればイゼルローン方面からも侵攻するのは分かる事だ。その辺りはどうするのだろう。仕上げにかかっていたオルタンスさんと視線が合う。

 

「ユリアン、心配なのは分かるけど、貴方の仕事はまず昼食をちゃんと食べる事ですよ」

 

そう言って料理を盛り付けるオルタンスさんは、流石だった。席に付いて、3人で食べ始めた頃合いで、議長の緊急会見がはじまった。

 

「自由惑星同盟の市民諸君。最高評議会議長のトリューニヒトです。今回は皆さんに不本意な事をお知らせしなければなりません。先ほど入った情報では、帝国軍はフェザーンへの再進駐を行いました。また、フェザーン回廊を大艦隊が通過し、同盟領に侵攻を開始しています」

 

会見場は騒がしくなったが、議長はそれを制するように静まる様にジェスチャーをした。

 

「この事態に対して、軍部は宇宙艦隊の全力を挙げて、阻止に向けた作戦を実施しています。ただ、残念ながら既に余力はありません。イゼルローン方面からも侵攻が行われた場合、国防体制は非常に厳しい状況に置かれます」

 

そこで、演台に置かれていたグラスを手に取り、水を飲む議長。市民たちの理解が追い付く間を取ったのだと思うけど、こんな事態を公表する以上、自分を落ち着かせる意味もあったのかもしれない。

 

「帝国軍が外征に使える艦艇数は、同盟軍の5倍近いと推定されます。イゼルローン方面だけでなく、フェザーン方面も非常に困難な状況が予想されます。そこで、私は最高評議会議長として、議長特令をこの場で発します。各星系の地方政府は、所属する市民の生命と財産に危険が及ぶと判断した場合、帝国軍と独自に交渉する事を認めます。残念ながら同盟政府は、全市民の安全を保障できる状況ではなくなりました。万が一の場合は、各々の判断で市民を守って頂きたい。以上です」

 

「議長、つまりイゼルローン方面を始め、地方星系を中央政府は見捨てるという事ですか?あまりに無責任ではないでしょうか?」

 

出席していた記者が質問を浴びせる。中には詰め寄る人もいたが、SPに阻まれていた。

 

「無責任だとは思わない。5倍の敵に対して、何とかしろと言う方が無責任だろう。私が軍に頼んだのは、同盟市民の意地を見せる一戦をしてほしいという事だ。そして出来もしない事を言うより、状況を正確に市民に伝える事が、責任を果たす事だと判断している。軍人も同盟市民だ。私は彼らに玉砕覚悟の作戦を命じるような事は出来なかった。それだけです」

 

普段は笑みを絶やさない議長が、打って変わって突き放すような発言をしたことで、会場は静まり返った。

 

「付け加えます。金融危機の際にもありましたが、売り惜しみや値上げをする場合は心してください。良識ある同盟市民は、不買運動という形で意思表示しました。だが、危機に付け込むような行動に対して、帝国軍がどう判断するかは分かりません。市民の皆さんも同様です。不安なお気持ちは分かりますが、同盟軍はこの困難な状況を何とかしようと動いています。どうか、一時の感情に流されず、節度ある行動をお願いしたい」

 

トリューニヒト議長は一度大きく頭を下げると、会見を終えた。もしかしたら議長は敗戦を予期していたんだろうか......。画面が切り替わり、深刻な表情のキャスターが移った。彼女の横に座る解説員は、議長の豹変を批判していたが、事実を隠すより余程責任を果たしたと思う。それに僕ですら気づいていた危機を認識すらしていなかった解説員がとやかく言う資格があるんだろうか......。

オルタンスさんの料理はこんな時でも美味しかった。お代わりをする僕とシャルロットを嬉しそうに見ていた。夕方になればオルタンスさんとシャルロットは、妹を迎えに幼稚園に行く。何か間違いがあってもいけない。僕も一緒に行こう。これも議長が状況をちゃんと公表してくれたおかげだ。その点だけは、僕は議長に感謝した。




アンネローゼの件もあったので悩みましたが、ドミニクはこういう感じにしました。書いていて、アンネローゼからも第二夫人でも良いって雰囲気を感じたんですが、皇帝と皇配の後見人が、皇配の姉を第二夫人にすると、影響力が大きくなりすぎるかなと......。初恋は実りませんでしたが、きっとジークが幸せにしてくれるはすです。よろしくお願いします。


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138話:それぞれの闘い

宇宙歴797年 帝国歴488年 3月下旬

ランテマリオ星域 艦隊旗艦ヒューベリオン

ヤン・ウェンリー

 

「提督、すみません。帝国軍の連中は相変わらずです。いくらスパルタニアンが的として小さいと言っても、あの猛火の中に突っ込めとは命令できませんでした」

 

「良いんだ。ポプラン少佐。ご苦労だったね。あらかじめ予想していた事だ。こちら側の制宙権の維持を徹底してくれ」

 

「了解しました」

 

モニターに映るポプラン少佐とコーネフ少佐が、渋い表情のまま敬礼してくる。答礼をして通信を終えた。空戦隊の部隊長たちがスパルタニアンによるアウトレンジ攻撃を上申してきた時、許可するか迷ったもの事実だ。だが、ポプランを始め、スパルタニアンのパイロットたちも、後がない事を察していたのだろう。制宙圏の範囲外で長距離ビームを撃ちあう形に戦場が変化した中で、空戦隊の存在感が薄まってしまったもの事実。ただ、制宙権の維持には空戦隊の存在は不可欠だ。それに長距離ビームの奔流を避けた所で、帝国軍の制宙圏に入れば、有力な帝国の空戦隊が待ち受けているはずだ。大きな戦果は期待できないだろうし、その為にベテランパイロット達を失うリスクは冒せなかった。

 

「ありがとう大尉」

 

さりげなく手元のカップに紅茶を注いてくれたフレデリカにお礼を言う。茶化すような視線をリューネブルク少将から感じたが、特に指摘はしない。披露宴の警護を始め、設営からケータリングまで取り仕切ってくれたのは彼だ。世話になったのも確かだし、しばらくは好きにさせても良いだろう。

艦橋正面の戦術モニターに視線を戻すと、鶴翼に並んだ同盟軍6個艦隊に応じる様に、横陣で長距離戦を交える帝国軍が略式化されて表示されている。既に会敵から4時間。艦隊数でも艦艇数でもあちらが多いにも関わらず、こちらが後退すれば追撃する構えを維持したままだ。逃がす気は無いが、攻勢をかけるつもりもない。何かを待っているという事だ。つまり別動隊がいる可能性が高い。モニターを見ながら思案していると、通信が入った。

 

「アッテンボロー提督からです。繋ぎます」

 

オペレーターの報告とともに、敬礼するアッテンボローの姿がモニターに映る。

 

「どうも帝国軍の連中の動きがおかしいので、確認の為に連絡しました。敵の中心であるローエングラム伯とルントシュテット提督は、どちらかと言うと攻勢型のはずです。彼らが戦力差も明確なのに受けに回っているのは普通じゃありません。何かを待ってるとしか思えないのですが.....」

 

「私も同感だよ。アッテンボロー。恐らく別動隊がいる。規模は4個艦隊といった所だろう。マル・アデッタ星系方面から後ろに回り込むつもりだろうね」

 

「どうします?戦線を下げるにしても限界があります。我々がガンタルヴァ星系寄りに退けば、ジャムシード星系への航路が断たれます。そうなればイゼルローン方面の帝国に抗する事は出来ません。逆を行えば、惑星ウルヴァシーが取られます。地方星系が無防備なまま、帝国軍の脅威に曝されることになりますが.....」

 

判断を誤ったのだろうか?イゼルローン回廊とフェザーン回廊の出口付近に3個艦隊を派遣して、防衛線をしく。一時的に攻勢をはねのけても、物資は有限だ。補給に戻る際に追撃を受け、ただでさえ少ない戦力が摩耗しただろう。イゼルローン方面に戦力を集中し、一戦の後、フェザーン方面に切って返す。自軍より優勢な敵との2連戦。勝率は薄いだろう。政局を無視すればハイネセン近郊で決戦もあり得たが、借款の事がある。それを行う前に、地方星系の離脱が相次ぎ、宇宙艦隊は霧散していたはずだ。結局、勝敗は決まっていたという事なのだろうか......。

 

「アッテンボロー。今は何とも言えないな。新しい指示があるまでは、防戦に徹して欲しい。何をするにも戦力は必要だ。退くにしても、はいそうですかと退かせてはくれないだろうからね」

 

「分かりました。戦力の維持に努めますが、兵士たちの士気を考えれば撃ち返さない訳にもいきません。あちらはずいぶんと余裕がありそうです。急かす訳ではありませんが、方針が早く決まる事を祈るばかりです」

 

「シトレ長官もその辺りは認識されているはずだ。そんなに時間はかからないだろうし、私からも確認してみるよ」

 

ため息をつきながら敬礼するアッテンボローに答礼をして、通信を終える。前衛を務めているアッテンボローからすると、私以上に、違和感めいたものを早く感じていたのかもしれない。なんとか指示を受け入れてくれた事にホッとしていると、再び通信が入る。今度は誰かと思ったが、モニターに現れたのはシトレ長官だった。

 

「ヤン提督、残念な知らせを伝えねばならん。先ほど入った情報では、イゼルローン方面から侵攻してきた別動隊がエルファシルに到達した。ジャムシード星系経由でバーラト星系に戻るのが最短距離だが、場合によっては挟撃を受けるリスクがある。ガンタルヴァ星域方面に退却後、後背星域の航路を使ってハイネセンへ帰還する。苦しい指令だと思うが受け入れてもらいたい」

 

「苦しいご決断だったと思います。分かりました。撤退戦に移ります」

 

いつもは毅然としているシトレ長官に、どこかやつれた印象を感じた私は、了承の旨を伝えるしかできなかった。劣勢であり続けた戦況。いつかこういう日が来ると分かっておられたのかもしれない。退路を後背星域の航路にすれば何が起こるか......。地方星系は自分たちを置いて行く私たちを見て、見捨てられたと判断するだろう。宇宙艦隊に所属する将兵の40%の故郷を切り捨てた時点で、士気は維持できない。この時点で敗戦が確定した。あとはひとりでも多くの部下を、生還させる事が私にできる唯一の事だろう。後退を始めた同盟軍を戦術モニターで確認しながら、私はそんな事を考えていた。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 3月下旬

エルファシル星系 地方行政府

ロムスキー医師

 

「ロムスキー医師、あなたは確かにエルファシル復興の指導者でした。ただ、引退されておられたはずです。私たちは中央政府のように、自分たちの責任を投げ出したりはしません」

 

惑星エルファシルの首長たちが原則論を語る。停滞するエルファシルをなんとか発展させようと若者の多くが去って行く中で、奮闘してくれたのが彼らだ。だからこそ、こういう時に矢面に出す訳には行かない。彼らはエルファシルの未来だ。それに地方星系とは言え、代表ともなれば帝国軍から処罰される可能性もある。

 

「そんな君たちだからこそ、矢面に出す訳には行かないのだ。仮に農奴に落とされるような事にならなくても、厳しい条件を突きつけられるかもしれない。そうなれば君たちの政治生命は終わってしまうだろう。幸い、妻に先立たれて私には守るべき家族もいない。交渉結果が厳しい場合は、私が先走った事にすればよい。君たちに何かあれば、誰がエルファシルの将来を担うんだい?」

 

私がそう言うと、皆視線を下げた。幼い子供がいる者もいるし、妻が身重の者もいる。エルファシルの地方議員報酬は兼業しなければ生活できない金額だ。昼間は別の仕事をしながら、時には深夜までエルファシルの発展の為に議論を尽くして来た彼らを失う訳には行かない。それによくよく見れば手が震えている。責任から逃げないと言いつつも、怯えているのも事実なのだ。

泥を被るくらいなら、政界を引退した町医者にもできる。それに精強な帝国軍も、こんなくたびれた町医者相手に、拳を振り落としはしないだろう。エルファシルには2000隻の防衛部隊が配置されていたが、帝国軍は少なくとも数万隻以上。先日発せられた議長特令に基づいて、エルファシル星系は同盟からの離脱と、帝国軍と独自交渉を行う決断をしている。再びエルファシルを戦火に曝さぬ為にも、自分にできる事をするつもりだった。

 

「軌道上の帝国軍から通信が入っています。つなぎます」

 

モニターに目を向けると、オレンジ色の髪の精悍な若者が映る。まだ30歳位だろうか?ただ、彼が来ている制服は、彼が少なくとも将官であることを示していた。

 

「小官は宇宙艦隊司令長官、メルカッツ元帥旗下のビッテンフェルト大将であります。既に帝国軍は静止軌道上を制圧しました。願わくば、降伏を受けいれて頂きたい」

 

「ビッテンフェルト大将、ご丁寧に痛み入ります。私は降伏交渉の全権を任されたロムスキーと申します。エルファシル星系は既に自由惑星同盟からの離脱を決定しました。ただ、市民の生命と財産が保証されなければ、降伏に多くの市民は不安を覚えるでしょう。その辺りのお考えを伺いたい」

 

「それに関しては、自治省次官殿から説明があります」

 

彼がそう言うと、もう一人小柄な壮年の男性がモニターに映った。

 

「ロムスキー殿、交渉の全権を任されているゲルラッハ子爵と申します。非才の身ながら自治省次官の地位にあります。現状でお約束できるのは、帝国臣民としてエルファシル星系の発展に尽力する意思がある方については生命と財産を保証します。また、どうしても市民としての立場を変えたくないという方には、エルファシル星系での財産放棄を条件に、ケリム星域の惑星ネプティスまで、輸送船でお送りする事もお約束しましょう。もちろん手荷物レベルで持ち出せる物に関しては、干渉するつもりはありません」

 

想定以上の好条件に、驚く自分がいた。周囲に目を向けると皆も同じ気持ちのようだ。

 

「それと星系で不足が見込まれる物資に関しては早めに申告して頂きたい。帝国軍の物資で補えるのであれば供出する旨、女帝陛下からお許しを頂いています。交渉については明日の11時から、ランチを挟んで行えればと思います。その際に物資については申告頂きたい。後は入植して以降の財務状況が分かる資料もご用意をお願いしたい。

これは、エルファシル星系にどの程度の予算を割く必要があるか?を明らかにするとともに、フェザーンが所有する膨大な借款の請求先たり得るのかと言う判断材料にもなります。出来るだけ正確に事実を把握したいので、資料をそのままお持ちいただければ問題ありません。何かご質問はありますかな?」

 

我々が質問がない旨を伝えると、「では、明日お会いましょう」と言って通信が終わった。周囲の皆も、予想外の展開に驚いている様だ。

 

「とにかく、市民たちに今の情報をしっかり告知しよう。それと資料の準備だ。中央政府に同じものがある以上、改竄する必要はない。ただ、概要は頭に入れておくべきだ。大変だが、やるべきことは多く、猶予は無い。皆、始めよう」

私が声を上げると、すべきことが決まったらだろう。皆が動き出した。これが後にエルファシル星系の駐留艦隊の司令官になり、たまにお茶を飲む間柄になるビッテンフェルト提督との最初の出会いだった。



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139話:悲鳴と自壊

宇宙歴797年 帝国歴488年 4月中旬

リオ・ヴェルデ星系 惑星カッシナ 軌道上

ヤン・ウェンリー

 

「ヤン、結局俺たちは何もできなかったな」

 

モニター越しでもやつれた印象のワイドボーンが声をかけてくる。ランテマリオ星域から撤退を開始した時、我々がガンタルヴァ星域方面に退くのを確認すると、帝国軍は追撃を取りやめた。しんがりをワイドボーン艦隊と入れ替わりながら、地方星系の「見捨てないで欲しい」という悲鳴から逃げる様にリオ・ヴェルデ星系まで撤退してきた。

この星系には大規模な軍の工廠と補給基地がおかれている。先に撤退した艦隊は補給を終え、バーラト星系に向かっているが、軍を維持できるのはそこまでだろう。地方星系を明確に見捨てた事で、地方星系出身者との間に、消しようのない確執が生まれた。反乱にまで至っていないのは、志願する者を出身星系別に再編成し、星間警備隊という名目で送り出す事が公表されているからだろう。

自由惑星同盟に所属していた多くの星系は、同盟からの離脱を宣言しつつある。離反の意を表明していないのは、リオ・ヴェルデ星系とケリム星系ぐらいだ。もっとも、リオ・ヴェルデ星系は軍需産業で成り立っている星系だから、同盟から離脱した時点で、経済的に破綻する。ケリム星系は、帝国軍が避難民の輸送先に指定されたため、近々に攻められる事は無いと判断しての事だろう。

 

「ワイドボーン。少なくとも出来る事はやった。少なくとも多くの部下を、生還させたんだ。まずはそれを喜ぼう」

 

「確かにな。だが、ホーランド提督に会わせる顔が無い。何が10年にひとりの逸材だ。そんな風に言われて良い気になっていた自分が情けない.....」

 

ワイドボーンは、艦隊司令官に内定して以来、部下たちと忌憚なく話せる関係を築いてきた。確かに短期間で戦力化は進んだが、その部下たちに故郷を見捨てる判断を飲ませなければならなかった。うちの艦隊は、ムライ参謀長を始め、各部署に一目置かれている人材が多かった。私が受け止めるまでもなく、皆が分担して説得してくれたが、辛い役割を引き受けてくれる人材がいなかった彼にとって、退却の旅路は心労の多い物だったに違いない。追い詰められた同盟の最後の支柱を折ったのは、2つの会見だった。

 

ひとつ目の会見は、我々がランテマリオ星域から退却を始めて数日後に行われた。会見の直後には、急遽、エルファシル星系の代表となったロムスキー氏に対して、裏切り者という批判や、彼が代表者として振る舞う事への法的根拠を問う声があった。だが、ロムスキー氏は私的利益の為に動く方ではない。戦火に曝され、廃墟と化した過去があるエルファシルを守る為に、帝国に対しても、同盟に対しても矢面に立たれるおつもりなのだろう。そもそも見捨てておきながら、安全な首都星系から批判を浴びせる連中の品格を疑ったほどだ。

 

「急遽、エルファシル星系の代表となりました。ロムスキーと申します。我々は既に自由惑星同盟からの離脱を宣言しましたが、本日、帝国政府との交渉がまとまりました。エルファシル星系は帝国領として、本日から歩みを進める事になります。交渉の内容については、温情ある条件を提示して下さった、帝国自治省次官ゲルラッハ子爵からお話します」

 

帝国軍旗を背景に始まった会見の冒頭で、ロムスキー氏は帝国への併合を宣言し、横に控えていた壮年の男性を紹介した。

 

「紹介に預かりましたゲルラッハ子爵と申します。非才ながら自治省次官を拝命しております。本日からエルファシル星系の皆さんを、帝国臣民に迎えられることを嬉しく思います。戦火に曝されながらも、明日をより良き日にすべく復興を成し遂げられたエルファシルの方々には、女帝陛下も、期待されています。我々の明日をより良きものにすべく、一緒に励めることを、臣民のひとりとして嬉しくも思っています」

 

そこで言葉を区切り、ロムスキー氏と握手を交わすゲルラッハ子爵。私の記憶に誤りが無ければ、エルファシル星系の首長が、最高評議会議長と握手した事は無い。住民達からすれば、この時点で帝国寄りの感情が生まれるだろう。

 

「また、この交渉に先立ち、入植以降の財務状況と住民の出入りを確認させて頂きました。余りにひどい。今までのエルファシル星系の住人の皆さんの努力に頭が下がる思いがいたしました。そして、それを吸い上げるばかりの叛乱軍首脳陣に憤りを覚えたほどです。女帝陛下の御指示の下、既に開発予算を用意してあります。一緒に、エルファシルの明日をより良き物といたしましょう」

 

その後、もう一度握手を交わし、協定書らしきものを取り交わした所で、会見は終了する。政治的には完璧な会見だった。エルファシルの住人は明日をより良き物にするという口実で、自分たちを納得させられるだろう。そしてそれが現実になっていく内に、臣民としての生活を受け入れるに違いない。そして、その他の地方星系にとっては、リソースを吸い上げるばかりの同盟中央政府と、開発予算を喜んで出してくれるディートリンデ一世の姿勢が明確に印象付けられた。

この会見だけなら、まだ踏みとどまる星系もあったかもしれない。だが、我々が放棄したガンダルヴァ星域の惑星ウルヴァシーから発信された会見で、地方星系の離脱が加速することになる。

 

「臣民諸君、兵士諸君、そして叛乱軍の諸君。ザイトリッツ・フォン・リューデリッツと申します。非才の身ながら女帝陛下より自治省尚書に任じられています。2点、皆さんにお知らせしたい事があり、会見の場を用意しました」

 

そこでカップを口元に運び、伯は紅茶を飲んで言葉を区切った。不謹慎かもしれないが、そのカップが、かなりの茶道楽でもない限り使わない工芸品クラスの品だったことが印象に残っている。気づいた人間は少ないかもしれないが、そんな物を前線に持ち込めるほど、帝国軍に余裕があるという事だろう。

 

「まず、先日のエルファシルの一件に関してです。臣民諸君、兵士諸君の中には、今まで帝国に貢献してきた自分たちと同様の待遇をエルファシルが受ける事に、不満を感じる者もいるかもしれません。ですが、エルファシル星系には戦火に曝され、故郷が灰燼になりながらも、強い意志で復興を成し遂げた実績があります。女帝陛下も、彼らが臣民としてより良き明日を築く為に貢献してくれると期待しています。当然ながら、帝国臣民として、より良き明日の為に伴に励む覚悟の無い方を、臣民として受け入れる予定はありません。出来る事なら、臣民の先達として、彼らに負けぬよう引き続き励む事を期待します」

 

温かみのある表情をしていた伯は、そこから少し困った表情をする。

 

「次に、これは主に叛乱軍の諸君に関係する事です。私は、今まで契約不履行という事態に遭遇した事は無い。取立人としての経験も無いので、馴れない対応になるが、そこは許容してもらいたい。さて、具体的な話に移ろう。叛乱軍諸君は旧フェザーン自治領に対して、借款をされている事はお忘れでないと思う。戦況の影響もあり、ディナールは大暴落をしている状況です。3月末日が利払いの期限ですが、どうするおつもりなのか?明確な回答をお願いしたい。

 

ちなみに金額は、中央政府の歳入の60%に上ります。ディナールの暴落の余波とは言え、契約は契約です。当然ながら、契約不履行の場合、適法な範囲で対応します。利払いが滞った場合、一括返済の請求や財産の差し押さえはそちらでも認められた権利のはずです。願わくば、私が星間輸送船の全てを、差し押さえる旨、帝国軍に指示しなくて済むような回答を期待しています」

 

この会見が同盟に流れた時から、後背星域でも自由惑星同盟から離脱する動きが始まった。我々が彼らの悲鳴から逃れる様に撤退したのも、もちろん影響しているだろうが......。こうなってみると、ひとつの疑念が生まれる。帝国軍は我々がガンタルヴァ星域方面に撤退したから、追撃を控えたのだろうか?後背星域を見捨てて、縦断するように宇宙艦隊が撤退した事で、軍も政府も、内部に確執が生まれた。もしあの時、ジャムシード星系に進路を取っていたら......。だが、そうすれば挟撃を受け、包囲殲滅されていた可能性が高い。部下達を死地に追い込んでまで、得る価値のある政治的メリットはあったのだろうか。いや、この思考は止めにしよう。そんなメリットがあるにせよ、生還の余地がない作戦を実施するのは、部下への責任放棄だ。

 

「ワイドボーン、まずはタンクベットで休んだらどうだい?そんな疲れた表情じゃ、部下も心配するだろう。良い考えも浮かばないさ。それに、砲撃を交わす戦いはこれで終わるかもしれないが、市民としての闘いが終わるわけじゃない。民主共和制に冷たい時代がくるからこそ、私たちがせめて胸を張らないといけないんじゃないかな?」

 

「そうだな。どうも休む気分になれなかったが、補給が済むまで休むことにするか.....」

 

そう言ってワイドボーンは通信を終えた。

 

「閣下、ワイドボーン提督は大丈夫でしょうか.....」

 

「分からない。短期間に2度も打ちのめされたんだ。でも、彼は強い男だ。立ち直ってくれると信じているよ」

 

さりげなく紅茶を用意しながら声をかけてきたフレデリカに、私は紅茶を飲みながら応じる。彼だけじゃない。敗戦と言う事実と多額の借款。多くの市民が打ちのめされている。そして彼らが立ち直れなければ、民主共和制は瓦解することになるだろう。少なくともトリューニヒト議長は敗戦を覚悟していた節がある。どんな落し所にするつもりなのか。通信が終わり、星々のきらめきを映し始めたモニターに目線を向けながら、補給が終われば向かうことになるバーラト星系に居るであろう政府首脳陣に、私は思考を向けていた。




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140話:終戦

宇宙歴797年 帝国歴488年 4月下旬

ケリム星系 惑星イジェクオン 軌道上

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「参謀長、本当に宜しいのでしょうか?糧食長から何度も確認されていますが.....」

 

「大丈夫だ。リュッケ少佐、リューデリッツ伯は高級将校が戦地で美食をする事より、兵士達に一杯のワインを付ける事を優先するお方だ。もともと食についてはかなりの見識をお持ちだ。前線で中途半端なものをお出ししても、ご不快に思われるだろうからね」

 

惑星ウルヴァシーをフェザーン方面軍が確保して数日、イゼルローン方面軍がジャムシード星系を確保したという報を受けた時点で、我々フェザーン方面第二軍は伯をブリュンヒルトにお迎えして、ジャムシード星系に向かった。入れ替わる様にエルファシル星系を帝国領に無血で併合したゲルラッハ子爵は惑星ウルヴァシーへ移動を開始している。地方星系への対処は、引き続き自治次官が、中央政府には伯が事に当たる事になる。

 

女帝陛下もお迎えした事があるとは言え、たった半日の事だ。伯をお迎えするにあたり、今考えれば滑稽な話が、艦内を飛び交った。美食で有名な伯に、通常の糧秣を出して良いのか?給士はどうするのか?従卒は誰にするか?部下達からすれば、伯が俺の後見人である以上、何かご不満を頂かれれば、俺の不名誉になると考えたようだ。忠誠心は有り難かったが、まるで旧門閥貴族のように思われていたと知れば、それこそ伯もご不快に思われただろう。受け入れはキルヒアイスが差配したが、関係部署からは何度も再確認があった。

 

結果として、それらは杞憂に終わる。キルヒアイスの予想通り、伯は将兵たちと同じ食事を希望されたし、身の回りの世話は同乗した従士達が行った。余りにも手がかからないので、何かすべきではないか?と紆余曲折があったが、伯からすれば、私の部下を煩わせる形になれば、それもまた恥になる。キルヒアイスが苦笑しながら部下を宥める事10日、ジャムシード星系でメルカッツ長官率いるイゼルローン方面軍と合流し、先陣としてケリム星系に進撃を開始したところで、叛乱軍から講和交渉の打診を受けた。モニターには我々に正対するように、叛乱軍の艦隊が静止している状況が映っている。そこから一隻の戦艦が進み始めた。叛乱軍の宇宙艦隊司令長官であるシトレ元帥の旗艦ヘクトルが、ゆっくりとメルカッツ艦隊の旗艦、ネルトリンゲンへ近づいていく。

 

今から始まるのは事前交渉である事と、万が一の事を考えて私は出席を認められなかった。宇宙艦隊司令長官と皇配に、敵中深くで何かあれば、戦況にどんな影響があるか分からない。正式な降伏文書調印の際は、メルカッツ長官と入れ替わる形で、俺が参加することになっている。ただ、万が一の事があって帝国が一番困るのは、むしろリューデリッツ伯だろう。伯は「流石に自分たちの死刑執行書にサインするほど愚かではあるまい」などと仰っておられた。たまに見え隠れするが、あの方はご自分が帝国の重要人物なのだと思っておられない節がある。そういう意味では、俺も部下を笑えないかもしれない。何かあれば、帝国軍の将兵は復讐の念を強め、文字通り叛徒たちの死刑執行を躊躇せずに行うだろう。叛乱軍がそこまで愚かでないことを願うばかりだ。

 

「ヘクトルとネルトリンゲンのドッキングを確認しました。モニターを切り替えます」

 

オペレーターが、臨戦態勢の時以上に緊張した声色で申告した。この宙域にいる帝国軍も、叛乱軍も固唾をのんで見守っているだろう。これから行われる交渉次第で160年近い戦争に終止符が打たれるのか?それとも100億以上の叛徒と血みどろの地上戦を行うのかが決まるのだ。

モニターには伯とメルカッツ長官が映っている。隔壁が開き、正装に身を包んだ男性と、軍服に身を包んだ男性が艦内に進む。驚いた。さすがに叛乱軍の議長の顔ぐらいは俺でも知っている。

 

「さすが......。と言って良いのか分かりませんが、叛乱軍は覚悟を決めていたようです」

 

傍にいたキルヒアイスが呟く。伯とトリューニヒト議長が握手をし、その後、メルカッツ長官とも握手をする。続いて、おそらくシトレ元帥であろう人物が、握手を交わした。メルカッツ長官の先導で、交渉の場になるであろう貴賓室へ向かう。いささか配慮しすぎな気もするが、この映像は叛乱軍にも流れている。変に横柄な態度をとって、不興を買う必要はないだろう。それに、こういう配慮を受けたという事は、交渉では譲歩しないという意思表示でもある。帝国と叛乱軍で文化は違うだろうが、そのあたりもトリューニヒト議長が察せる人物なら良いが......。

 

貴賓室に4名が入室し、リューデリッツ伯の従士がドアの前で待機した。事前交渉がまとまるか分からない以上、ここからは非公開だ。交渉相手としての伯は、信用できるが、甘くは無い。もっとも、単身乗り込んできた事を思えば、トリューニヒト議長も相当な覚悟をしているはずだ。帝国軍の将兵たちも、民間人に対して武力行使をするのはためらいがあるだろう。そして、皇配として考えれば、叛徒たちを農奴にするのは経済的損失が大きすぎる事も理解している。何とか交渉がまとまればよいが......。

 

「ラインハルト様」

 

キルヒアイスがカップを手元に置いてくれた。交渉自体は少なくとも数時間はかかるはずだ。今からやきもきしても仕方ないだろう。キルヒアイスが入れてくれた紅茶を飲みながら、正対する叛乱軍の光点を映すメインモニターに視線を向ける。あちらでも、同じようにやきもきしておるのだろうか?そんな考えが、頭をよぎった。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 4月下旬

ケリム星系 宇宙艦隊総旗艦ネルトリンゲン

ヨブ・トリューニヒト

 

「事前に聞いた時は驚きましたが、本当に乗り込んでこられるとは。女帝陛下より自治尚書に任じられているザイトリッツ・フォン・リューデリッツと申します」

 

「初めまして、自由惑星同盟の最高評議会議長の地位にあります。ヨブ・トリューニヒトと申します」

 

隔壁が開き、帝国軍の総旗艦に入った私たちを出迎えたのは、リューデリッツ伯本人だった。隣にいる壮年の男性が宇宙艦隊司令長官のメルカッツ元帥だろう。私が名乗ると、伯は自然に右手を差し出して来た。握手を交わすと、シトレ長官に視線が向けられる。シトレ長官が名乗ると同じように握手をした。最後にメルカッツ元帥が名乗り、握手を交わす。これだけ見ると、帝国はかなりの配慮をしてくれたように見える。

この映像が同盟軍にも流れている以上、あまり横柄な事も出来なかったのかもしれない。ただ、私からすると油断していないと意思表示された様な物だ。シトレ長官も同じような印象を受けたのだろう。困惑する表情をしていた。メルカッツ元帥の先導で貴賓室らしき部屋に案内されるが、上座を勧められた事には困惑しかなかった。

 

「我々の関係は、まだ定まっていません。ならば宇宙で通例になっているビジネスの場での流儀で進めたほうが良いのではないかと?仮に私たちが上座についてしまうと、今後、あなた方の政府首脳が、客人としてではなく、臣下として遇されることになります。さすがに女帝陛下が上座を譲る事は無いでしょうが、この場はこうしておいた方が選択肢を狭まずに済むと思いますが.....」

 

確かに伯の言う通りだ。ほぼ降伏に近いとはいえ、実際は講和条約の事前交渉と言う位置づけになる。名称がどうなるにせよ、バーラト星系を中心とした政府と、帝国の関係はこれから検討されるのだから、現在はビジネスの場での流儀にした方が良いだろう。

 

「最近は振る舞う機会も減ってしまいました。お互い偉くなってしまいましたから、こういう機会でもないと.....」

 

そう言いつつ、用意されていたティーセットを手元に引き寄せ、自らお茶を入れ始めた。お茶が4つのカップに注がれると、私、シトレ長官、メルカッツ元帥、そして伯の順に手元に置かれる。毒見を兼ねているのだろう。伯とメルカッツ元帥はすぐにカップを手に取り、お茶を飲む。それにつられる様に、私とシトレ長官もカップを手に取り、お茶を飲んだ。口元に運ぶにつれて、紅茶の良い香りが広がる。視線を向けると紅茶派のシトレ長官も満足気だ。あまり詳しくない私でも、この紅茶が格別に美味しいものであることはわかる。

 

「さて、のんびりお茶を飲むのも嫌いではないのですが、お互いの部下たちはやきもきしている事でしょう。早速本題に入りましょうか」

 

「そうですな。自由惑星同盟は160年に及んだ貴国との戦争状態に終止符を打ちたいと考えています。議長特令に基づいて、一部の星系は独自に和平交渉を進めているようですが、我々もそのつもりで参りました」

 

「喜ばしいことかもしれませんね。帝国軍の将兵も人間です。民間人に銃口を向けるような経験をすれば、心労が重なるでしょう。また、大勢が決した以上、艦隊決戦も一方的な展開になるはずです。戦後の事も考えれば、お互い将兵を無駄死にさせる余裕は無いでしょうしね」

 

そう言いながら、資料を我々に差し出した。中身は講和の条件だった。

 

「先にお伝えすると、帝国に属していなかった民衆130億人すべてを、臣民として受けいれるつもりはありません。陛下の温情に縋りながら、その指示には従わないなどという我儘を許すつもりは無いのです。既に制圧済みの星系については割譲、また離脱を発表した星系の内、バーミリオン・リューカス・トリプラは併合で交渉をまとめますが、他はあえて交渉をまとめない方針です。約30億人が新しく臣民となる。名目は、未払いとなっている利息の対価とします」

 

無人の星域と有人とは言え、同盟から離脱を宣言した星系。これを取られたところで、今更の話だ。それ以上に、とんでもない金額になっている借款の取り扱いが重要だ。利払いだけで歳入の60%。そんな状態では事実上の破綻。切り詰めれば細々と開発は出来るかもしれないが、社会政策は軒並みカットせざるを得ないだろう。

 

「伯、借りたものを返すのは宇宙のどちら側でも通用する道理の一つでしょう。しかしながら、領土を割譲し、離脱した地方政府の事も考えれば、過剰債務と言っても過言ではない状況です。その辺りをご理解いただきたいのですが.....」

 

「そうですね。では、今後100年間、10兆ディナールを下限とし、民主共和制体をとる領域の歳入の最大で20%を安全保障費としてお支払い頂きたい。終戦となれば軍事費が圧縮されます。どう割り当てるかは、バーラト星系の政府にお任せしましょう」

 

「民主共和制体を取る領域ですか?今少しお考えを詳しく伺いたいのですが.....」

 

一呼吸置く意味でお茶を飲む。合わせたかのように4つのカップが動いた。そして示し合わせたのように空になる。ここまで忌憚なく交渉しているのだ。喉も渇くだろう。

 

「そうですね。大前提として、旧自由惑星同盟が抱えていた借款の内、併合される30億人分は帝国が立て替えたとはいえ、正式に支払われたことになります。いくら離脱を表明したからと言って、一切負担しないと言うのもおかしな話でしょう?ですから借款の代わりとなる安全保障費の負担についても、当然請求されるべきものです」

 

そう言いながら、見事な手つきで空になったカップにお茶を注いて行く伯。確かに見捨てる形になったとは言え、請求する理屈はある。だが、離脱を表明した地方星系がそれで納得するのだろうか?

 

「また、当たり前の事ですが、臣民が住んでいない領域で帝国マルクを流通させるつもりはありません。フェザーンマルクは廃止されますから、離脱を表明した星系はディナールを使うか、独自通貨を発行する事になりますね。残念ながら独自通貨を発行できるほどの経済的裏付けを持つ星系はありません。つまりバーラト星系が金融政策の決定権を持つ事になります。経済の基本書を読めば、それがどういう事が理解できるはずです。余程の事でない限り、交渉の席に座るでしょう」

 

「そうなると、バーラト星系の政府がかなりの影響力を持つ事になります。それでよろしいのでしょうか?」

 

今まで黙っていたシトレ長官が疑問を口にした。

 

「臣民でないとはいえ、民衆の生活が成り立たず、餓死するような状況になる事は女帝陛下もお望みではありません。それに、民主共和制体の芽を複数に分けたのに、たちまち枯れるような事があれば、そちらも不本意でしょう?誤解しないで頂きたいのは、臣民への待遇を考えた際に、現状受け入れられるのは30億人という事です。許可が下りるなら、民主共和制体の領域でも奨学金付きの特待生を、帝国の教育機関は募集する予定です。当然、卒業後、移民申請も受け付ける事になるでしょう。悠長なことをしていれば、若年層はどんどん流出することになる」

 

「あとは競争と言う訳ですね。我々が足踏みをすれば、新天地を求めて市民たちは移住してしまう」

 

「当然、その逆もしかりです。出来る事なら民主共和制体の皆さんには頑張って頂きたいですね。緊張感のない統治など失政の要因になるだけです。それに発展して頂くほど、実入りも多くなるわけですから.....」

 

まるで企業買収のような話の流れに、思わず苦笑してしまう。この人にとっては政治体制うんぬんよりも、緊張感を保ちながら新しい秩序の中で、統治が行われる事が重要なのだろう。民主共和制体を残すのも、それに価値を感じているからではない。将来の帝国の為政者たちが緊張感を失わない為に活用するつもりなのだ。使い道があるから残す。役に立たないと判断すれば、容赦なく潰しにかかるに違いない。だが、使い道がある今なら、これ位の要望は受けてくれるだろう。

 

「伯、最後にひとつお願いなのですが、バーラト星系に帰還してから公表する講和条件に関しては、15兆ディナールを下限とし、歳入の最大で30%を安全保障費として支払うとさせて頂きたいのです。講和条約の批准を議会で可決した後に、総選挙となるでしょう。次の議長がご挨拶に来た際に、口実を設けて本来の条件を提示頂きたいのです。困難な時代の旗振り役となる以上、初期にしかるべき実績を上げられれば、バーラト星系の安定にもつながると思うのですが.....」

 

「当初の条件が履行されるのであれば、形式にはこだわりません。その方が良いと議長が判断されるなら、全面的に協力しましょう。それと、活用するかはお任せしますので、こちらもお持ちください。我々には、もう必要ないものです」

 

分厚いファイルがテーブルに置かれる。まさかこんな物まで用意しているとは......。

 

「帝国では、お付き合いの一環で贈り物をするのはよくあることです。もっとも現金を贈る事は稀ですが......。この資料のネタ元はフェザーンです。宇宙のそちら側では、公職にある者が金銭を受け取って便宜を図る事は違法行為だそうですね。フェザーンも何かと好き勝手していましたが、併合された事で色々と反省しているようです」

 

「ありがとうございます。条約を批准するために活用させて頂きます」

 

パラパラとめくっただけだが冷や汗が出た。初期の物は30年前。私ですら把握していなかった物もかなり含まれている。刑事では時効となる物もあるが、民事で損害賠償請求は可能だ。この際だ。市民たちの不満のはけ口に使わせてもらえばいい。苦しい時代に素知らぬ顔でいられても癪に障るだけだろう。

これで終戦に向けた見通しは立った。ぬるい条件ではないが、口実がちゃんと用意されている。説得は十分可能だし、跳ねっ返りを断罪するネタもある。当初はどうなる事かと思っていたが、何とかなるだろう。見通しが立ったことに、私は心から安堵していた。



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141話:総選挙

宇宙歴797年 帝国歴488年 5月下旬

首都星ハイネセン シルバーブリッジ 軍官舎

ヤン・ウェンリー

 

「投票が締め切られて数時間ですが、下馬評通り、左派の圧勝となりそうです。右派は中道を含めても20議席を下回る予測も出ています。ここで政治部部長に解説をお願いしましょう」

 

「そうですね。今回の選挙は連立内閣にとって、敗戦と同盟の崩壊、そして金融危機に対してのみそぎの選挙でした。市民たちの多くが、これ以上の戦争を望まず、着実な発展を求めたという所でしょうか」

 

「今回の選挙戦では、帝国との和平に反対していた右派議員や、多くの高級官僚が逮捕されたことも大きな話題になりました。その辺りは如何でしょう?」

 

「はい。確かに一部から帝国との講和に反対した層への言論弾圧なのではないかと言う声がありました。ただ、結果として全ての案件で贈収賄がともなう汚職事件として立件されています。刑事で時効となった案件も、民事で争う姿勢を政府は示しています。サンフォード元議長に至っては巨額の損害賠償請求が為されると見込まれますが、市民たちが苦しみながらも闘っていた時に、陰で私腹を肥やしていたとなると、やむを得ない事のように思えますね」

 

「確かに、市民の多くが負担にあえぐのを横目に、私腹を肥やしていた。ましてやそれが政府首脳に近い人物たちだったとなると、市民の怒りにも納得してしまいます。今後の事に話題を移しますと、バーラト政府の初代議長となるジェシカ・エドワーズ氏の閣僚人事に注目が集まっています。そちらも解説をお願いできますか?」

 

「はい。彼女の擁立の立役者でもあるホアン議員は人的資源委員長に残留するでしょう。目玉人事は国防委員長でしょうか?レベロ氏の説得を受けて、引責辞任したシトレ元宇宙艦隊司令長官は初当選を決めました。軍縮と新たな国防体制の確立に向けて、今まで以上に緊張感を強いられる役職です。彼女がシトレ氏を説得できるかも注目ですね」

 

「選挙前は引退を表明していたレベロ氏も、多くの支援者の説得を受けて出馬し、当選しました。財務委員長の続投が噂されていますが、その辺りは如何でしょう?」

 

「そうですね。厳しい財政状況の中で、その切り盛りを一手に引き受けてきたのがレベロ氏です。金融危機にあたって有効な対策を打てなかったとの批判もありますが、有識者たちの分析では、あの時点で取り得る有効な施策は無かったと言うのが主流です。個人的に付け加えるなら、レベロ氏は倹約傾向が強い印象があります。既に帝国は併合した領土にフロンティアという呼称をつけて、大々的に開発を始めています。従来通りではなく、より積極的な政策を期待したいですね」

 

「最後に、政界からの引退を表明したトリューニヒト元議長についてです。宣言通り出馬せず、ケリム星系に隠棲する意向を示していますが、彼が抜擢される事は無いのでしょうか?」

 

「実績を考えれば、厳しいかじ取りを迫られるバーラト政府にとって、下野させてしまうには惜しい人材であることは確かでしょう。単身交渉に赴き、和平への道筋を付けてくれたのも彼です。相次いだ贈収賄事件にも関与していませんでした。ただ、現段階では難しいと言わざるを得ないでしょう。挙国一致の名目で組んだ連立内閣が結果として敗戦を呼び込みました。厳しい状況だからこそ、民主制のメリットでもある言論の自由を活かして、賛成意見も反対意見も公にできる状態に戻した方が良いでしょう」

 

「ありがとうございました。一旦CMを挟みます」

 

「何が言論の自由だ。大資本にすり寄って、つい最近偏向報道した連中が良く言えたものだ」

 

流れていた選挙特番の解説者に噛みつくように、アッテンボローが声を上げた。終戦条約の批准が議会で紛糾の後、可決されて1ヵ月。最高評議会は総辞職をし、バーラト政府としての最初の総選挙が行われた。キャゼルヌ先輩とアッテンボローと共に、その開票速報を自然と見ることになった。フレデリカはキャゼルヌ邸にお邪魔しているし、ユリアンはハイネセン記念大学近くで一人暮らしを始めている。何となくだが、今夜は気兼ねしなくて済むこの面子で過ごせることにホッとしている自分がいた。

 

「まあ、そう責めてやるなアッテンボロー。彼らも飯を食わねばならんだろう?まあ、どうせなら、大資本に阿って志を曲げるような事が、もうないように期待したい所だが.....」

 

「それは無理でしょうね。金融危機の時に、報道機関にもフェザーン名義の資本が流れ込んでいます。やろうと思えば帝国はマスメディアを使っていくらでも偏向報道が可能ですよ」

 

「それを言うなら軍需系以外のほとんどの業界に資本投下されているさ。今更ジタバタしても始まらんだろう。だが、意思決定の速さに関しては独裁制の強みが出ているな。我々はやっとスタートラインに立った所だが、帝国はもう戦後を走り出している。ジャムシード星系に駐留基地が作られていると聞くし、フロンティア全域を含めた補給体制も整いつつある。仕事が早い人間には基本的に好感を持つんだが、相手が相手だ。忸怩たる思いがあるのも事実だな」

 

バーラト星系に帰還した時点で瓦解した同盟軍の宇宙艦隊は、30000隻がバーラト星系に留まった。残りは兵装にロックをかけて各星系に送り出した。講和条約に紛糾する議会を尻目に、帝国軍は、同盟軍の艦艇の接収を開始した。バーラト星系に認められた保有戦力は戦艦を除いて5000隻。星間警備に限れば十分な戦力だが、可決前の接収に一部から批判がでた。それに対する回答は「18個艦隊の駐留経費を負担するならいくらでも待つ」というものだった。

艦艇の引き渡しの責任者を務めたのがキャゼルヌ先輩だ。帝国軍の対応は礼を失するものではなかったが、甘い物でもなかったと聞いている。市民たちに自分たちは負けたのだと理解させる意味もあったのだろう。和平反対派が相次いて逮捕された事もあり、報道機関の論調も敗戦をまずは受け入れようと言うものに変わった。

 

「それにしても思い切ったと言うか、何と言うか。別に不満はありませんが、年金が理由で入隊した私への罰なのか、退役一時金と年金の代わりに現物支給とは思いきりましたね」

 

「無い袖は触れんし、実際問題、退役する連中の生活もある。補助艦艇も維持費がかかる。大幅に領土が減った以上、不要なものだからな。有効活用できるならそれに越したことは無いだろう?」

 

軍縮に伴い、多くの退役兵が出る一方で、政府には予算が無かった。本来なら支給される一時金と年金の代わりに、官舎や輸送船などを現物支給する判断を下した。この官舎は私名義だし、フレデリカも佐官級の官舎をひとつ支給されている。面白かったのは空戦隊の連中が、中隊単位で輸送船をもらったことだ。ポプランたちはその輸送船で運送会社を始めるつもりらしい。「宇宙を股にかけて美女たちを巡る旅に出る」と言っていた。だが、新規参入組に仕事があるのは、おそらくフロンティアになるだろう。再会できるとしても当分先の事になりそうだ。

 

「それで、先輩たちはどうされるんです?優雅な華の年金生活という未来は失われましたが.....」

 

「そうだなあ。しばらくは落ち着いて同盟の勝機があったのか考察してみようかと思っているよ。式を上げてから二人でゆっくりする時間も無かったからね」

 

「浪人してみるのも良いだろう。どうせなら新婚旅行もしてみればいい。さすがにフロンティアや帝国本土は厳しいだろうが、そう言う時間も必要だろう」

 

そこでキャゼルヌ先輩は一度考え込むそぶりをしてから話を続けた。

 

「お前さん方には伝えておこう。シャルロット達の将来も考えて、俺はフェザーンに行こうかと思っている。後方勤務本部はセレブレッゼ中将がいれば問題ない。民間への就職も考えたが、退役軍人には何かと風当たりが強いからな。まあしばらくは単身赴任だろうが.....」

 

結局良い所が無かった軍部への不満は、表立って言う市民が少ないだけで、確実に存在している。一方で大掛かりな開発計画が動き出し、活況になりつつあるフロンティア。このままで行けば、多くの退役兵たちもそこへ向かう事になるのかもしれない。少ししんみりしたタイミングで、モニターに着信を知らせるメッセージが流れる。受信ボタンを押すとモニターに現れたのは、時の人となりつつあるジェシカだった。

 

「ヤン、こんな時間にごめんなさいね。少し良いかしら?別に内密の話ではないので、遠慮は無用ですよ。御二人とも」

 

「やあ、ジェシカ。お祝いは明日言うつもりだったんだが、圧勝おめでとう......。と言って良いのかな?」

 

「連絡したのはその件よ。ヤンに政策補佐官をお願いしたいの。貴方が念願の退役生活に入ろうとしているのは分かっているわ。でも、バーラト政府には思った以上に余裕はないわ。貴方は過去の事例にも詳しいし、御父上を通じて、細いかもしれないけどリューデリッツ伯とも縁がある。残念だけど使える物はすべて使っていかなければ、民主共和政体は帝国に飲み込まれてしまうでしょう」

 

思い詰めた様子のジェシカに驚いた。公の場では笑みを絶やさないし、弱音を吐かないのがジェシカだったはずだ。

 

「トリューニヒト議長から引継ぎを受けた際に言われたの。帝国に役に立つと判断したから伯は民主共和政体を残したと。そして役に立たないと判断すれば容赦なく潰しにかかるとも......。右派議員と高級官僚の件も、ネタ元はトリューニヒト議長だったのよ。「現状認識が出来ない輩や、私腹を肥やすような輩は、新体制になる前に掃除しておく」と、総選挙の前に言われたわ」

 

美辞麗句が売りの彼が、そんな事を裏で模索していたとは思わなかった。矢面に立ち、泥を被ってまで民主共和制体の命脈を繋いだわけだ。我ながら人を見る目が無かった。というより、議長が一枚上手だったと言うべきか......。

 

「分かったよ。ジェシカ。そんな顔をされては断れない。私にできる事があるなら喜んで協力させてもらうよ。もっとも伯と私は面識すらないんだ。そっちの方はあまり期待しないで欲しい」

 

「ありがとう。ヤン。それとフレデリカさんもヤンの秘書として雇わせてもらうわ。貴方はお目付け役がいないとサボる癖があるものね。では詳細は文書にして送る事にするわ。快諾してくれてありがとう。では明日にでも.....」

 

あっという間に、夫婦の再就職先が決まってしまった。視線を向けるとキャゼルヌ先輩もアッテンボローも笑顔だった。

 

「ヤン、お前さんは先が見えすぎるが、軍人として口に出来ない事も多かっただろう?今後は政府首班のブレーンだ。制約がなくなる訳だから、ちゃんと働くようにな」

 

「先輩、おめでとうございます。そのうち取材させて下さいね。俺はフリーのジャーナリストになります。まずはフロンティアを見て回るつもりです。その報告がてら、お邪魔しますから、色々話を聞かせて下さいよ?」

 

やれやれ。軍人として勝つ事だけを考えてろくでもない策を思いついた自分に嫌悪していた日々が終わったと思えば、今度は政策補佐官か......。だが、これもあの時フェザーンを選んでいたらあり得なかった道だろう。それにジェシカを見捨てるわけにはいかない。

本来の道に戻る決断をした先輩とアッテンボローがまぶしくもあるが、望まれる以上、呑気にお茶を飲みながら読書をする訳にもいかないだろう。調印式がジェシカの最初の大きな公務になる。何とか同席して伯の人となりをこの目で確かめたい。そんな思いに駆られていた。



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142話:調印式

宇宙歴797年 帝国歴488年 6月上旬

ランテマリオ星域 戦艦ヘクトル ラウンジ

ジェシカ・エドワーズ

 

「ランテマリオ星域を抜ければいよいよ惑星ウルヴァシーだ。ジェシカ?緊張しているのかい?」

 

「大丈夫よ。ジャン。それにしても士官学校時代を思い出すわね。フレデリカさんがもう少し早く生まれていたら、こんな感じだったのかしら?」

 

唯一保有を許された戦艦ヘクトルのラウンジで、ヤン夫妻とともにお茶を飲む。ハイネセンを発って以来、習慣になりつつあるお茶の時間は、バーラト政府の評議会議長の座についた私にとって、総選挙以来目まぐるしかった日々を振り返る意味でも、ありがたいひと時だった。

 

「ヘクトルは、ある意味記念艦だからね。帝国軍としても他の戦艦と同様に扱う訳にもいかなかったんだろう。宇宙艦隊司令長官の座乗艦で、最後の最高評議会議長が交渉に向かった艦でもある。これが彼女の最後の任務になると思うと少し寂しい気もするが.....」

 

ヤンがフレデリカさんが入れてくれたお茶を飲みながらマイペースなことを呟いた。そんな事ですら、安心につながるのだから、それなりに疲れていたのだと思う。敗戦から和平条約の可決、それに総選挙。左派の旗頭に選ばれたのも急な事だったし、多くの右派議員と高級官僚の汚職事件も重なり、何かと決断を迫られる日々だった。

そういう意味でも気心が知れた人間だけと言うのは気が楽だ。気を使ってなのかもしれないが、閣僚で唯一同行しているシトレ国防委員長は、艦橋に詰めている事が多い。慣れ親しんだ場所だろうし、艦長からしても、国防委員長を船室に押し込めておくのは気が引けるのかもしれない。

 

「それにしても複雑な気持ちだな。帝国軍の提督は出来た奴ばかりだ。ジェシカの言じゃないが、ミッターマイヤー提督は平民出身だとも聞く。士官学校で出会っていれば良い友人になれただろう。それにただの護衛なのにそつがない。こういう指揮官は実戦でも出来るんだ」

 

外の様子を映す大モニターに目線を向けながらジャンが呟く。バーラト政府に所属する艦艇は、ヘクトルを合わせても十数隻。その周囲を取り囲むように帝国軍が航行している。我々の護衛役を担当するミッターマイヤー艦隊の艦影が、モニターに広がっている。

 

「好感が持てる人物なのは確かね。何より、ご自分も幼い子供を残してきているのに部下を先に返すなんて中々出来る事ではないもの.....」

 

ケリム星系まで分艦隊を率いて出迎えに来た彼は、丁寧に挨拶をしてくれた。出征に投入された帝国軍は約18個艦隊。その多くは既に本国に帰還している。ジャムシードとエルファシルに一個艦隊。ウルヴァシーに2個艦隊が駐留しているが、数年もすれば規模も縮小されるだろう。帝国は既に戦後を見据えて動き出している。本来なら政府閣僚をもう数名同席させるところだが、それを控えたのも、政策決定に空白期間を作らない為だ。

同行しているシトレ委員長は、何か言いたげな表情をしつつも、黙したままだ。もしかしたら敗戦の責任をお一人で感じておられるのだろうか?私たちも戦後を見据えて歩き出さなければならない。あまり気に病んで頂きたくはないのだけど......。

 

「ジャン、ミッターマイヤー提督も、候補生時代からリューデリッツ伯の所に出入りしていたはずだ。調印式に同席するローエングラム伯の戦術講師を務めていた。伯の屋敷に出入りしていた青年たちが、今の帝国軍の屋台骨となっている。見出したにせよ、育てたにしろ人材を見る目は確かだ。だから今回は大丈夫だと思う」

 

和平条約の調印式の帝国側の代表はリューデリッツ伯だ。事前に対等な立場での儀礼で進める事が決まっている。バーラト政府の議長が頭を下げるのは皇帝陛下に対してだけ。他の民主共和政体をとる星系の首班は、自治尚書に頭を下げる以上、ある種、民主共和制陣営の宗主国のような扱いを受けている。ただ、トリューニヒト前議長の引継ぎの言を加味すれば、皇帝陛下の権威を高めるツールにされているとも捉えられる。好待遇に油断することは出来ない。

 

「それに、帰属が宙ぶらりんの地方星系がどちらに吸収されるか?は、為政者にとっての試金石にもなる。膨張した帝国は、血肉を伴わせる為に走り出した。我々はコンパクトになった分、体制は整えやすい。とは言え、地方星系がこちらを当てにするようでは、帝国の面目が立たない。帝国政府に緊張感を持たせるツールでもある訳だね。だから今回は大丈夫さ」

 

論旨は理解できるが、のほほんと紅茶を飲みながら解説されると、少しはこちらの心境も慮ってほしい気もする。ただ、これがヤンなりの励まし方なのも長い付き合いだ。良く分かっていた。困った表情で、ヤンの代わりに畏まるフレデリカさんの様子に思わず苦笑してしまった。副官から妻になり、そしてお目付け役になった彼女。これならしっかりサポートしてくれるだろう。艦内アナウンスで、惑星ウルヴァシーが肉眼で見える距離になったのを知らされたのは、皆のカップがちょうど空になったタイミングだった。

 

 

宇宙歴797年 帝国歴488年 6月上旬

惑星ウルヴァシー 自治省本庁舎 貴賓室

ヤン・ウェンリー

 

「本来なら、こういう場では晩餐会などを合わせて行うのだろうが、こちらも迎賓館が完成していない。そちらも就任早々、帝国の重役と楽しく会食したなどという話が漏れても良くないだろう。そう言う事はお互いもう少し落ち着いてからの方が良いと判断させてもらった」

 

「ご配慮ありがとうございます。リューデリッツ伯のおっしゃる通り、私どもの政権はスタートしたばかり。市民たちに努力を望む以上、議長である私も身を律する必要があるでしょう。お気になさらずに」

 

惑星ウルヴァシーに到着して数時間、逗留先の施設に落ち着き一息ついた所で、お茶の誘いを受け、自治省本庁舎の貴賓室に案内された。室内にいるのは6名。バーラト政府側はジェシカ、シトレ委員長、そして私。帝国側はリューデリッツ伯、ローエングラム伯、そしてその側近であるキルヒアイス大将だ。

 

「些細なことかもしれないが、会見の場での挨拶はビジネスの場の物で統一してしまって良いだろうか?女帝陛下の顧問には女性もいるが、帝国の要人の多くは男性だ。宮中作法も意味がないわけでは無いが、価値観が異なる以上、この方が良いと判断したのだが.....」

 

「ありがとうございます。私もビジネスの場の物が宜しいと存じます。もっとも、帝国の重鎮方を作法の上とは言え、跪かせるのは女性の特権でしょうから、一度は経験してみたい気もしますが.....」

 

ジェシカの冗談に、伯が笑い、場が和む。場に並んだカップは見る人が見ればかなりの物だと分かるものだが、お茶の方もかなりの物だった。心情の面でユリアンやフレデリカに軍配を上げたい所だが、壮年の男性が見事な手さばきでお茶を入れる様子は、故ミンツ少佐を彷彿とさせるものがあった。

 

「偉くなると振る舞う機会が減るから.....」

 

そう言いながら、キルヒアイス大将がお茶を用意しようとするのを制して、リューデリッツ伯がお茶を用意された。伯が入れたお茶を飲んでみたいとも思っていたが、飲んでみると美味しい事はもちろんだが、記憶に残る味......。というか経験だった。歓迎の意を表す意味も含まれているのだろうが、見事な所作は見ていても飽きない。重要な案件を話しあう前に、こういう時間を取る事は、落ち着く意味でも効果があると思った。

 

「あまり悠長にしていられる身の上では、お互い無いでしょう。先に本題を片づけてしまいましょう。明日の調印式で取り交わす協定書ですが、トリューニヒト前議長が公表された物と一部異なります。こちらをご確認願いたい」

 

私たちの手元に3通の資料が置かれる。その一部が強調されていた。バーラト政府が帝国に支払う安全保障費の条項だ。確かに公表された条件より、抑えられた金額が記載されている。

 

「その表情だと、シトレ委員長は黙秘を貫かれたようですね。事前交渉でまとまった条件では、安全保障費はこの金額でした。ですが、トリューニヒト前議長はすこし増額した条件の公表を提案しました。厳しい状況に置かれるであろう新政権に対して、その初期に少しでも功績を立てられるようにとのお考えだったようです」

 

民主共和制の芽を残しつつ、自分が泥を被り後進に功績を立てさせる。全くもって食えない人だ。笑みを浮かべながら美辞麗句を並べる裏で、どこまでシビアに先を見ていたのだろう。不幸中の幸いは、汚職事件に注目が集まり、前議長への批判が少ない事だ。ただ、こういう密約があった以上、しばらくは世に出ない覚悟もされていたのだろう。苦笑するシトレ委員長を横目に、ジェシカが話を進める。

 

「リューデリッツ伯、私はこれをどう活かすべきでしょうか?助言を願う立場にないのは分かっていますが、参考までにお考えを伺えれば幸いなのですが.....」

 

「そうですね。友好を考えるなら女帝陛下のご温情によりとする所ですが、楽な状況でもないでしょう。私なら、エドワーズ議長の必死の説得により、条件を修正させた事にしますね。幸いにも、帝国政府に属さない方々との交渉は、自治尚書の専権事項です。支払いが滞る様な事がない限り、本国も細かい事は言わないでしょう」

 

ここにも食えない方がおられる。既にリューデリッツ伯の立場は揺るぎようがない。新議長に言い負かされたとなれば不名誉かもしれないが、女性に願われて致し方なくという風にすれば、少し泥を被る程度だろう。それだけで、新議長に恩を売り、バーラト政府から多額の安全保障費を吸い上げられる。全く持って、政治の世界は怖い。勝つことだけを考えて、ろくでもない戦術を思いついた自分に幻滅していた私は、彼らに比べれば余程純粋だったと思う。

 

「ありがとうございます。参考にさせて頂きます」

 

ジェシカはそう答えると、カップを手に取ってのどを潤す。何となくそれに皆が倣った。

 

「本題は以上です。それにしても印象が御父上にそっくりだ。やっと会えたね。ヤン補佐官」

 

「私も同じ気持ちです。父が頂いた万歴赤絵の大皿は、今でも大切にしております。先日、結婚したのを機に、カトラリーの方も家族と使わせて頂きました。ありがとうございます」

 

知らなかったであろうシトレ委員長と帝国側の若者は驚いた様子だった。

 

「私と、補佐官の御父上はビジネスパートナーでね。商船事故でお亡くなりになられたが、急な話だった。身寄りがないのも知っていたから、士官学校に進んだと聞いた時は心配していた。しっかりと人の和を得られたようだね。何よりだ」

 

その後は、雑談めいた事が話題に及んだ。幸いなことに、シトレ委員長は士官学校の校長で、ジェシカは学友だった。ローエングラム伯とキルヒアイス大将は、リューデリッツ伯に厳しく養育された。帝国と同盟と言う垣根はあれ、似たような話題には事欠かない。意外に思ったのは、リューデリッツ伯が、アーレ・ハイネセンに好感を抱いていることだった。

 

「アーレ・ハイネセン氏の事を知った時には、共感と言うか、そうあるべきだと思ったな。極寒の流刑地で、今日と変わらぬ厳しい明日を、自分たちだけでなく子孫たちにも味合わせるくらいなら、命を懸けてでも良き明日を目指す。思想に関わらず、人は明日をより良くしたいのだと思ったものだ」

 

その一方で、キルヒアイス大将からぶつけられた疑問は、答えに困る物だった。

 

「失礼な物言いに聞こえてしまったなら、申し訳ありません。私も、過去の戦術を研究しました。その中で、自分たちを死地に追いやる政府を、なぜ市民の方々が支持するのか?見込みの薄い作戦がなぜ実行されるのか、理解に苦しみました」

 

事情はどうであれ、市民たちに選ばれた為政者が、市民たちを死地に向かわせる。法的根拠があるとはいえ、慎重に行われるべき事であるのは事実だ。戦況の劣勢を理由に、無謀な作戦を実施した旧同盟。表現が悪いが、臣民も皇帝陛下の財産である以上、慎重な運用をした帝国。経緯を省けば、人命を尊重したのは帝国だった。

 

「話は尽きないが、旧体制下の事をあまり引きずるのも良くないだろうな。10年もすれば、旧体制に慣れ親しんだ世代は引退して、君たちの時代が来る。過去は過去。軽視してはいけないが、まずはより良き明日を築く事が、臣民の為にもなる。エドワーズ議長、キルヒアイス大将の入れるお茶も素晴らしいものだ。いつか君たちが今日のように穏やかにお茶を飲める日が来ることを望んでいる。心からね」

 

お茶の場を締めくくった伯の言葉は、不思議と心に残った。いつかそんな日が来るのだろうが......。印象深いお茶会とは裏腹に、和平条約の調印式は形式通りに行われた。この日から、ビーム砲を交わす戦いに終止符が打たれ、どちらがより良き明日を用意できるか?という新しい戦いが始まることになる。



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143話:帝国歴493年 下野

宇宙歴802年 帝国歴493年 1月上旬

帝都フェザーン 仮宮

ラインハルト・フォン・ローエングラム

 

「とうとう来るべき日がきたという所でしょうが、いざこうなると判断に困りますね」

 

「そうだな。終戦から5年、遷都から2年。女帝陛下との結婚の儀も盛大に行い、人心は戦後に切り替わったと言えるが、判断に困る事は多い。伯も既に55歳を越えられたとはいえ、引退するにはまだ早いとも思えるが.....」

 

「ですが、建前は筋が通っております。確かに、財務尚書が御家を継いでいないとなれば、伯爵家の統括を認められていない者が、帝国のかじ取り役のひとりになるのはおかしくもあります」

 

困った表情をしながらお茶を用意するグリューネワルト伯爵となったキルヒアイスと話を進める。姉上との間には男子が生まれ、喜ばしい事に、新たな命の息吹も宿っている。女帝陛下にも懐妊の兆候があり、ヒルデガルド嬢も今では2児の母。膨張した帝国も確実に開発が進み、慶事が多い日々だった。忙しくも充実した日々を送っていた我々の悩みの元凶が、テーブルに置かれた封書だった。

 

「アルブレヒト殿も30歳、伯爵家を継いでも可笑しくないご年齢ですし、ルントシュテット伯爵家、シュタイエルマルク伯爵家、リューデリッツ伯爵家は、継爵も同じタイミングでなさいました。ディートハルト殿が軍務尚書になられるにあたり、継爵されることは既に許可しています。リューデリッツ伯爵家にのみ、それを認めないというのもおかしな話かと.....」

 

全く、伯の事だ。諸々の事情を鑑みた上で、断れないタイミングを計っておられたのだろうが、サンピエール男爵夫人との間に生まれた御子たちもまだ幼児。今更、子育てに目覚めたわけでもなし、隠棲するにはいささか早すぎるようにも思うが......。

 

「どちらにしても、女帝陛下のご意思は確認せねばなるまい。それと自治尚書の後任となるオーベルシュタイン男爵の意向もな。軍務次官が空くとなると、そちらの後任も考えねばならん。幸いな事に、軍人は層が厚いから後任に困る事は無いのが幸いだが.....」

 

「そうですね。政治面の適性を考えると、メックリンガー上級大将辺りが第一候補でしょうか?宇宙艦隊司令長官に内定しているミッターマイヤー元帥とも友誼のある方です。それに.....」

 

キルヒアイスは少し考えてから話を進める。

 

「おそらく、私たちの世代が作る明日を見る側に回りたいというお気持ちもあるのではないでしょうか?ご健在なうちなら、不測の事態があってもご助言も戴けましょうし.....」

 

「確かに、今まではリューデリッツ伯が敷いてくれたレールを歩んできた。だが、いつかは我々がレールを敷く側になる事を考えれば、いつまでも甘えている訳にもいかんか.....」

 

俺も、まもなく父親になる。皇配として、父親としてしっかり役割を果たせることを伯に示す必要もある。次代がきちんと育っている事を見れば、ご安心頂けるだろうしな。ただ、どういう感情なのだろうか......。俺は皇配である以上、選ばれる事は無いと分かっているが、伯に後任として推薦されたオーベルシュタイン男爵を羨ましく思う感情がある。

 

「惑星ウルヴァシーにはシェーンコップ男爵もおられます。男爵との兼ね合いも考えれば、オーベルシュタイン男爵以上の候補はいないでしょう」

 

フェザーンの治安維持と、仮宮の建設を終えたシェーンコップ男爵は、上級大将になったのを機に、フロンティアの治安維持部隊の長に転出された。本来なら左遷になるような人事を希望した事に、一部の軍人からは物議を醸したが、私たちには分かっていた。彼はあくまで伯に忠義を尽くすつもりなのだ。旧同盟市民と帝国からの入植者、星系によっては退役軍人が集中して入植した処もある。経済成長も著しく、人の出入りも激しい。民主共和政体の領域からの移民も、一時期の勢いは落ち着いたとはいえ、流入している。型通りの対応が通用しないだけに、シェーンコップ男爵のような型にとらわれない人材は、フロンティアの治安維持の責任者に適任だった。

 

「そう言えばシェーンコップ男爵の所も、まもなくのはずだな?シルバーカトラリーを用意せねばなるまい」

 

「はい。それにしてもシェーンコップ男爵は何かと話題になられますね。移民された方とご縁を結ばれるとは驚きました」

 

惑星ウルヴァシーに赴任したシェーンコップ男爵は、移民してきた元同盟軍人の女性と縁を結ばれた。今まで縁談をお断りされていたゾフィー様は、一時期かなりお怒りだったそうだ。それを「友好の懸け橋になる」と伯が宥めたらしい。当初は納得されていなかったそうだが、実際、移民が増えた事により、今ではご納得されたと聞く。

 

「あの方も天の邪鬼というか、困ったものだ。結婚を決めた理由が、結婚をせがまなかったからとはな。まあ、らしいと言えばらしいが」

 

結婚式には、陛下の名代として私も参加したが、ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ改め、ヴァレリー・フォン・シェーンコップ男爵夫人は、まだ宮廷作法に慣れていないご様子だった。そういう意味でも、帝都となったフェザーンより、ウルヴァシーの方が気楽なのかもしれないが。

 

「取り急ぎ、軍務省の方には連絡を入れておきましょう。オーベルシュタイン男爵もお忙しい方ですから」

 

端末を開いて、連絡を始めたキルヒアイス。シェーンコップ男爵同様、オーベルシュタイン男爵も伯に心酔している。後任に指名されたとなれば、断る事はしないだろう。経済の面で私の師でもある彼が、ウルヴァシーに行ってしまうのは惜しい気もするが、現在の自治尚書職は、財務尚書並みの重責でもある。他に果たし得るのはアルブレヒト殿くらいだろうが、彼は財務尚書になる。急速に発展しつつあるフロンティアで、リューデリッツ伯爵家の影響力が大きくなりすぎないようにと言う配慮なのだろう。予定を調整するキルヒアイスを横目に、俺はそんな事を考えていた。

 

 

宇宙歴802年 帝国歴493年 1月下旬

帝都フェザーン 仮宮

パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

名実ともに皇配となったローエングラム伯とグリューネワルト伯との会談の場に続く廊下を歩きながら、年始にリューデリッツ伯から打診された事を私は思い出していた。

 

「パウル、自治尚書の後任に君を推薦したい。フロンティアの発展と民主主義政体との交渉に監視。やりがいは十分だろう。前例が通用しない部分もあるが、ワルターがその辺りは調整してくれる。ゲルラッハ子爵はフェザーンに戻すから、次官にしたい人間がいれば君から打診すればよい」

 

「大役を仰せつかり嬉しい気持ちもございますが、私に務まりますでしょうか?おっしゃる通り、前例のない事を臨機応変に対処するのは得意分野ではないのですが.....」

 

「その辺はワルターもいるし、臨機応変な対応が得意な人材を次官にしても良い。ある意味、私のせいで、パウルも軍に進んだようなものだからね。この辺りで本来の道に戻るのも良いと思ってね」

 

嬉し気に伯は話されるが、まだ話についていけていなかった。私はどうもこういう情緒に関連する事が苦手だ。戸惑う雰囲気が伝わったのだろう。

 

「すまないな。少し話が飛んだ。まあ、関わり方は少し違うが、今の自治尚書は言ってみればフロンティアの経営をするような役割だ。RC社が健在ならそちらに戻る事も出来たが、残念ながら帝国開発公社に統合してしまった。公社はシルヴァーベルヒとグルックがいる。財務尚書はアルブレヒトが就いてしまうからね。トップとしてそれなりのスケールの組織を経営するとなると、自治尚書の職しか残っていない。昔、自分なりに考えた事が、形になり、現実に動き出すのが楽しいって言っていただろう?」

 

そんな昔の事をまだ覚えておられたとは......。伯は師であり目標でもあるが、何より父親のような方だった。お役に立てる道を模索するうちに軍へ進むことになった。だが、本来志した道へ戻るきっかけを下さったのだ。断る理由もないし、余人が自治尚書の後任になるとしたら、それは忸怩たる思いがする。ならばお受けするしかないだろう。

 

「分かりました。では、謹んでそのお話をお受けしたいと存じます」

 

本来なら、尚書職の後任が事前に打診される事は無い。ただ、自治省は新設まもなく、権限も財務省にならんで巨大な組織だ。経済面の見識と大局観、そして民主共和政体との交渉に監視。それをこなせる人材は少なく、既に要職に就いている。現職の伯が推薦すれば、そのまま人事案が通るだろう。指定された貴賓室に到着し、ノックをする。返答を待って入室すると、ローエングラム伯とグリューネワルト伯が既に着席されていた。多めの宿題に四苦八苦していた彼らが、立派に帝国の中枢を担っている。そういう意味では私も歳をとったのかもしれない。

 

促されるままに席に付くと、グリューネワルト伯がお茶を用意してくれた。見事な手さばきは伯そのものだ。何やら寂しい気もするのは、自治尚書としてウルヴァシーに赴任する事を決めているからだろうか?

 

「男爵とゆっくりお茶を飲むのも久しぶりだな。戦争が終われば無聊をかこつ事になると思っていたが、発展を競う新しい戦争が始まった。本来なら私たちの経済の師でもある男爵には、フェザーンに居て欲しかったのだが.....」

 

「現在の自治省の役割を考えますと、後任候補はそう多くはございません。何かと癖のあるシェーンコップ男爵と折り合いながら、油断できない部下を統制する事になります。リューデリッツ伯もご自分が健在なうちに、後任を立てておきたいとお考えなのでしょう」

 

「そうか......。断る訳は無いと思っていたが、後任を引き受けてもらえるようだな。後は次官の人事だ。ゲルラッハ子爵も十分功績を立ててくれた。みそぎも済んだと判断して戻すつもりだ。希望はあるだろうか?」

 

「はい。フェルナー少将をと考えています。彼も大出征に貢献しましたが、周囲からはまだ外様と見られています。胆力もありますし、臨機応変な対応も出来る男です。自治次官として功績を立てれば、能力に応じた抜擢も可能でしょう。それにブラウンシュヴァイク・リッテンハイム両家も、彼が重職に就けば安心いたしましょう」

 

「そうだな。フェルナーも器用な男だし、このまま燻ぶらせておくには惜しい人材だ。男爵が引き受けてくれるなら安心して任せられる。併せてご裁可が得られるようにしておこう」

 

手元のカップを手に取って喉を潤すローエングラム伯。私もグリューネワルト伯も倣うようにカップを手に取った。お茶に関してはシェーンコップ男爵とグリューネワルト伯が弟子としては双璧だ。本心を言えば、人付き合いが苦手な私もお茶の流儀を覚えたかったが、人並み以上にはなれなかった。

 

「ローエングラム伯とも話していたのですが、伯は引退されるにはまだお早い気も致します。サンピエール男爵夫人とのお子様はまだ幼いとはいえ、育児に目覚めたとも思えません。何か今後のお考えを聞いておられないでしょうか?」

 

「おそらくですが、初心に戻られるのではないかと。私を自治尚書に推薦されたのも、軍人として進んできたキャリアを、当初の志であった経営に戻す意図があるとのことでした。伯爵家もアルブレヒト様にお譲り為されるとの事ですし、伯ご自身も下野されて事業を興すおつもりではないかと......。何かと軍人や政治家としてのキャリアは本意ではないと洩らしておられましたし」

 

「そうだったな。フロンティアは帝国内で一番人口が増えているエリアだし、成長著しい。伯からすればビジネスチャンスがそこら中に転がっているだろうからな」

 

思い至ったかのように苦笑する二人を見て、まだまだ先読みが甘いと思ったが、指摘は控えて置いた。拡大の一途を辿るフロンティアで、伯が好き勝手事業をしだしたら......。何も起きないはずは無いだろう。彼らももう帝国の重鎮なのだ。実地で学ぶのも大事な事だろう。

 

私の予想通り、自治尚書の引継ぎを終え、伯爵号をアルブレヒト様に譲られたザイトリッツ様は、由来は秘したまま、FRS社という会社を設立する。そして起業を志す臣民に対して、資金調達と管理部門の業務代行、そして事業計画のコンサルティングを開始した。その右腕として元同盟軍の軍人であるキャゼルヌ氏が頭角を現すことになるのは、もう少し先の話になる。




ザイトリッツ=Seydlitz


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144話:帝国歴503年 訃報

宇宙歴812年 帝国歴503年 11月8日 昼過ぎ

惑星ウルヴァシー FRS社 社長室

アレックス・キャゼルヌ

 

「想定通りというか、やはりフロンティアの発展はフェザーンからウルヴァシーの航路沿いとジャムシードからイゼルローンの航路沿いだな。副社長クラスの人材がもうひとりいてくれればな。だが、エルファシルではまだ旧同盟への感情は良くは無い。本当なら私がエルファシルに行ければ良いのだが.....」

 

「今、社長がウルヴァシーから離れるのは得策ではないでしょう。投資の方は自己資本で5割は回せるようになりましたが、出資されている方々は社長のお名前に資金を出している状況です。帝国ご出身の方で、経営に見識がある方がおられれば良いのですが.....」

 

ひょんな縁からFRS社に入社して10年。まさかあのリューデリッツ伯と働くことになるとは思わなかったが、同盟軍にいた頃が甘かったと思うくらい、激務の日々だった。もっとも顧客となった数千社を、間接的にだが経営するようなものだ。本来は経営者を志していた俺にとっては、多忙な日々だったとはいえ、楽しい日々だった。そして軍人としても、統治者としても多大な実績を上げた社長の本分が、事業家であることを感じる日々でもあった。初年度から黒字経営となり、今ではフロンティアでも有数の企業となったFRS社の副社長というのが、今の俺の肩書だ。

 

「君に並ぶ人材となるとなあ。既に要職に就いているし、そうでなくても自治尚書を辞める時に強引に押しきったからね。優秀な人材を引き抜くのは気が引ける。長年従士を務めてくれたパトリックならとも思うが、伯爵家の番頭役を動かす訳にもいかないからな」

 

経営視線を求められる実務に携わりながら実績を上げた人材。確かに拡大期にある帝国でそんな人材が放っておかれるはずはない。顧客の中には旧同盟市民もいるとは言え、帝国軍の退役兵も多い。既に俺がいる以上、旧同盟市民を幹部に迎えるのは躊躇われた。

 

「まあ、即戦力の確保は無理だろうな。顧客を数十社任せれば単年で数十年分の経営を疑似経験はできる訳だし、帝大や商科大の卒業生への勧誘を強めてみても良いかもしれないな」

 

一瞬、ハイネセン記念大学を卒業後にフェザーン商科大の大学院に進み、そのまま経済学の研究者になったユリアンに思い至った。娘のシャルロットも追いかける様にフェザーン商科大に進学し、シャルロットの卒業を期に結婚した。実務を経験するのは研究の側面からも好影響だと思うが、バーラト政府の政策補佐官として苦労するヤンの事を想うと、声をかけれずにいた。

 

「フェザーンにいる義息殿の事を考えたのかな?能力面を考えれば引っ張りたい気もするが、バーラト政府の領域は拡大期というより、衰退期だ。FRS社でした経験が活きるとは約束できないし、拡大期に持ち込むには大規模なテラフォーミングが必要になる。そんな予算を割くには、少なくとも30年はかかるだろうからな」

 

「本来なら、一度離脱を表明した星域に投資をしても良かったのですが、流石に裏切った星系に投資する政策は、民意が許しませんでしたから。それにしても30年もかかりますか?」

 

一緒に働きだして、社長の先読みの的確さは認識している。ただ、30年も衰退期が続くと言われると、外に出てしまった自分に罪悪感を覚える。今の充実した日々がそうさせるのだろうか?

 

「副社長、むしろエドワーズ議長とヤン補佐官は良くやっているよ。安全保障費という足枷、最適な判断をしたくても、邪魔する民意。何かと無理難題を押し付けて来る癖に自治にこだわる地方星系。企業経営と違って不採算部門を切り捨てる訳にもいかないし、破産も出来ない。本当は100年は衰退期にする予定だったが、半分の期間で立て直す事になる。彼らが政界を引退したら、それこそ招聘したい人材だね」

 

そういう意味では、バーラト政府は帝国に貢献していると言えるのだろう。毎年巨額の安全保障費を納めるだけでなく、彼らの奮闘が帝国の統治を緊張感ある物にしている。我儘ばかり言っている地方星系に帝国政府のつめの垢でも飲ませてやりたい所だが......。そう素直に思えるあたり、俺も臣民としての生活に慣れつつあるのだろうか?

 

「そう言えば、今夜はアッテンボロー記者と会食するのだったね?いつか私の取材もよろしくと添えておいてくれればありがたい。文言がすこし過激な所があるが、切り口が斬新だ。私も読者のひとりなのでね」

 

フロンティアを始め、各地の星系を回りながら、それが民主共和政体の星系だろうと実情を辛口な記事にするアッテンボローは、万人受けはしない物の一部熱狂的なファンを獲得している。退役軍人会の予算の足しに出来ればと、ビュコック提督が書いた回顧録を社長に売りこんだのもアッテンボローだ。帝国語に翻訳され、書店に並んだし、おととしにはローザス提督の回顧録も翻訳され出版された。俺自身は、重役として顔つなぎをした手前、社長に顔を立ててもらったと思っている。臣民として生きていく覚悟を決めたのも、あの時だったかもしれない。

 

「リップサービスでもそんな事を言えば、喜び勇んで飛んでくるでしょう。ただ、社長の予定を把握している私としては、取材はもう少し人材が育って、余裕が出てからにして頂きたいですね」

 

「それもそうだ。まあ、いつか副社長も取材を受けるだろう。その時は、変に気を遣わずに正直に答えてあげたらいい。時代の節目に生きた人間にしか、語れない事もあるだろうからね」

 

そう言いながらお茶を飲む社長に一礼して、社長室を後にする。この後は3件、事業計画の相談が入っている。最後の案件はポプランとコーネフが立ち上げた運送会社だけに気が抜けない。オルタンスと夕食を共にするのは無理そうだ。この時、俺はこの会話が社長との最後の会話になる事を知る由もなかった。

 

 

 

宇宙歴812年 帝国歴503年 11月8日 夕刻

惑星ウルヴァシー 歓楽街

ドミニク・フォン・サンピエール

 

「ここに来ると動向指数なんて資料じゃなく、生の景気が分かるから不思議と嬉しくなる」

 

「貴方?紳士淑女方が喜んでお金を落とす仕組みを作った仕掛け人の事もちゃんと褒めて下さらないと」

 

夫はここに来ると本当に嬉し気な表情になる。拗ねて見せるのも半分は演技だ。この歓楽街は文字通りゼロから私が造り上げた物だが、この歓楽街に活気があるだけでは嬉しさは感じない。この歓楽街に活気がある事を自分の目で見て、フロンティアが確実に経済成長している事を喜ぶ夫の表情を見る事が、ウルヴァシーに拠点を移してからの私の喜びだった。

 

「分かってはいるがなあ......。それを褒めだしたらドミニクをFRS社に引き抜きたくなる。でもそれをしたらこの光景は見れなくなる。私なりの悩みどころなんだよ」

 

少し困った表情をする夫。結婚してからは伯爵としてではなく一人の男性としての表情も見せてくれた。2人の息子にも恵まれたが、男爵家を継ぐ以上、貴族としての教育も必要だった。リューデリッツ伯アルブレヒト様のご三男と歳が近かったこともあり、2人とも10歳になったのを機に、フェザーンの本家で養育してもらっている。

帝国貴族として生きていく以上、貴族同士のつながりは不可欠だ。残念ながらそれはウルヴァシーでは手に入らない。付いて行きたい気持ちもあったが、私が第二夫人になれたのは、第一夫人のゾフィー様がフェザーンを離れられないからでもある。息子たちの養育も引きうけて頂いた以上、私だけに許された夫の身の回りの世話をする特権を、蔑ろにするつもりは無かった。

 

「宇宙に名高いあのザイトリッツのお眼鏡に適うとなれば、私もやっと経営者として一人前という所かしら。それはそれで嬉しい気もします。そんな人材は男性を含めてもそんなにいませんものね」

 

「そういう意味では、娶った妻が2人とも才女だったことになるな。本当にすごい縁だ。一人は食糧生産効率で、ひとりは歓楽街の経営で、臣民たちを笑顔にしてくれた。100万の敵を屠ることなどより、どんなに生産的で素晴らしい事か......。案外、私の最大の功績は、君たちを娶った事かも知れないな」

 

そしてたまに心を溶かすような事をさらりと言う。第二夫人になる前に、ゾフィー様と交わした内容を思い出す。あの方も、農学を専門にしながら、それで身を立てられるとは思っていなかった。種苗事業を任され、なんやかんやと褒められるうちに、帝国でトップシェアにしてしまった。私もそう。あのままフェザーンの歓楽街の一角を仕切っていても良かった。ただ、ゼロから歓楽街を作れるという夫の誘い文句に乗せられて、気づけば15年。あっという間だった。

 

二人でレオを楽しみながら、歓楽街の活気に目を向ける。この習慣は、ウルヴァシーに移ってから始まったが、夫のお酌のタイミングが絶妙な事に気づいたのもこの習慣を始めてからだった。

 

「最近、レオを売り出すために先帝陛下やグリンメルスハウゼン子爵とあれやこれやしていた時の事を、良く思い出す。あの時はなぜ協力してくれるのか?考えなかったが、もしかしたら後進の努力を少しでも形にしてやりたい......。と思っておられたのかもしれない。がむしゃらな顧客たちの夢をかなえてあげたいと思う側になったかもしれないがね」

 

故人となったお二人を偲ぶように、レオの入ったグラスに懐かし気な視線を向ける夫。この酒がなければ、RC社も存在しなかっただろうし、帝国と同盟の国力差もここまで開くことは無かった。宇宙に新しい秩序をつくるきっかけになった酒。そんな酒を最愛の人と楽しめる私は、十分幸せだろう。静かに二人の時間を楽しんでいたが、いつもより早めの時間に、夫は邸宅へ戻ると言い出した。

 

「最近、飛びまわっていたからかな?どうも酔いが回るのが早い気がする。私の為に役目を疎かにするのは止めてくれ。そう言うのは好みじゃないのは知っているだろう?」

 

口づけを交わしてから、待機していたハイヤーに夫を乗せ、見送る。今思えば、予感のような物を感じていたのかもしれない。小さくなっていくハイヤーのテールランプを見て、久しく感じていなかった寂しさのような物を感じた記憶がある。それを振り払うかのように、私は支配人室へ戻った。

 

夫を乗せたハイヤーは、歓楽街を出て高級住宅街へむかう途中で、好景気の影響で超過勤務となり、居眠り運転をしたトラックと衝突。頭を強打した事で、外傷は無かったものの、数日後に亡くなった。享年66歳。司法省に預けられた遺言書には、フロンティアの発展を見守る為に、ウルヴァシーに埋葬して欲しい事。膨張した帝国には、国政を引退した老人の死を嘆く時間は無い為、国葬などは無用に願いたいこと。墓碑銘は「臣民に今日より良き明日を」を希望する旨が書かれていた。

最初と最後の項目は守られたが、女帝陛下の強い意向で国葬が営まれることになる。また、11月8日が臣民の休日となるのだが、それは別の話になるだろう。




次が最終話ですが、月曜日に最終話はキリが悪いので合わせて公開します。


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最終話:帝国歴533年 良き明日へ

宇宙歴842年 帝国歴533年 11月8日 朝

首都星ハイネセン シルバーブリッジ

ユリアン・ミンツ

 

「嬉しいニュースです。本日、バーラト政府発足後、初めてのテラフォーミング事業がスタートしました。テラフォーミングが完了するのは3年後ですが、技術者を中心に段階的に植民が開始されることになります。この快挙に、市民たちは喜びの声を上げています」

 

付けていたモニターからキャスターの嬉し気な声が漏れてくる。明るいニュースが少ない中で、何とか良いニュースを伝えたいのだろう。それならなぜ旧同盟時代に居住可能惑星すら放置していたんだろう?と言う、素朴な疑問が浮かぶ。

 

「貴方?また、難しい顔をしているわ。朝からそんな顔をしていたら一日持ちませんよ?」

 

シャルロットが朝食を並べるのを横目に、紅茶の用意をする。新婚時代からと言うより、義父の家でお世話になっていた頃から、紅茶を入れるのは僕の仕事だった。それは家族が増えてからも変わらなかったが、僕らの子供は2人とも既に独り立ちしている。両親に倣うように進学先はフェザーンを選び、フロンティアで就職した子供たち。寂しくないと言えば嘘になるが、僕の気持ちを押し付ける訳にもいかないだろう。僕自身も35歳までフェザーン商科大で教鞭を取っていた。ハイネセン記念大学に助教授として招聘された時も、いつかハイネセンに戻りたいと言う気持ちがなければ、話を受けなかったと思う。

 

「やっと大規模な開発事業に予算を割けるようになったのね。ヤンおじ様の悲願だったもの。フレデリカさんにお声がけして、一度ご報告に上がらないといけないわね」

 

「そうしてくれるかい?きっとフレデリカさんも喜ぶよ。どうせなら義母さんも誘ってみたらいい。女性陣で昔話をするのも良いんじゃないかな?」

 

「貴方?女性に昔話を勧めるなんて......。私はともかくフレデリカさんや母さんに漏れたら叱られますよ」

 

「すまない。今の話は忘れて欲しい」

 

一本取ったと嬉しそうなシャルロットを横目に、朝食を口に運ぶ。妹のような存在だったシャルロットは、気が付けば恋人になり、妻になり、母になっていた。昔は甘えてくれたものだが、今となっては我が家の女帝陛下だ。口ではまず勝てない。

 

機嫌を取る意味で、シャルロットのカップに紅茶を注ぎながら、僕はヤン提督の事を考えていた。第一次エドワーズ内閣で政策補佐官になって以来、政府のブレーンのひとりとして、中長期計画策定や、帝国自治省との交渉に奔走された。65歳で身を引くまで、軍人の時以上の激務をこなされていたと思う。退役する以前は、何かとボヤいておられたが、政治の世界に入ってからはそう言う事も控えておられたのだと思う。ただ、個人的には不本意なことが多かったのではないかと思っている。フロンティアを始め、帝国はこの45年、とんでもないスピードで経済成長を進めた。その一方で、バーラト政府はようやく第一歩を踏み出した有り様だ。

 

ヤン提督は歩みは遅いかもしれないが自分たちの努力で明日を良いものにできる方が良いとお考えだった。ただ、フェザーンにいた期間が長かった僕から見ると、ずっと足踏みしているように見えていた。民主共和制の悪い所が出てしまった......。と言うべきだろうか?終戦前後の混乱によって生まれた星系間の溝は、結局今も埋まっていない。

 

テラフォーミングをわざわざする位なら、エリューセラやタナトス星域の統合予算としても良かった。でもバーラト政府はテラフォーミング事業を優先した。帝国に課された安全保障費の負担割合を巡る議論は、毎年恒例の物となっている。各星系は少しでも負担を減らそうと躍起になるあまり不和となり、協力すべき相手のはずが、負担を押し付けてくる憎むべき存在になっている。

 

既にタッシリとロフォーテン星域は、帝国政府に懇願する形で併合された。このままでいくとタナトスとエリューセラも危ないと思うが、憎むべき相手に予算を割く位なら、自前でテラフォーミングする事を選んだ訳だ。閉塞感のある民主共和政体の領域からは、若年層がどんどん流出している。成績次第では、学費どころか生活費まで無料になる帝国に向かえば、今日より良き明日を確実に迎える事が出来る。戦争に敗北して45年、経済という戦場に舞台を変えた戦争も、民主共和制体はじわじわと敗戦しつつあると言った感じだ。

 

「年末には、久しぶりにフェザーンに行ってみましょうか?孫の顔も見たいし、ヤン家の2人とも大分会っていないし.....」

 

「それも良いかもしれないね。僕も久しぶりにフェザーンを見て回りたい」

 

シャルロットは嬉しそうに「旅行会社に相談してみるわ」と応じた。ヤン提督とフレデリカさんの間に生まれた2人の弟たちは、フェザーンに進学後、コーネフさんの下で働き、今では独立商人になっている。帝国内にビジネスチャンスはいくらでも転がっている以上、閉塞感のあるバーラト星系に、戻る必要性は無かった。ヤン提督も寂しかったと思うが、僕と同じように、自分の考えを押し付ける事はされなかった。

 

「もうこんな時間か。ご馳走様。行ってくるよ」

 

玄関に向かい、教授として籍を置くハイネセン記念大学へ向かう。シャルロットはコートを羽織るのをサポートし、いつものように門扉まで見送ってくれる。

 

「次のニュースです。即位40年目に生前退位された先帝陛下が、帝国各地に視察に赴くことを発表されたのは先月の事です。初めの視察先となったウルヴァシーに、今日、先帝陛下が到着されます。ウルヴァシーは帝国との和平条約が結ばれた場所でもあり.....」

 

僕はキャスターのそんな声を聴きながらドアを開けた。

 

 

 

宇宙歴842年 帝国歴533年 11月8日 夕方

惑星ウルヴァシー 霊園の入口

ザイトリッツ・ポプラン(14歳)

 

「それにしても、あのお爺さんが先々代のシェーンコップ男爵だったなんて知らなかったわ。いつもはちょい悪な感じだけど、ちゃんと礼装を来たらびしっとしてたし、明日から大変なんじゃないかしら?」

 

「うん。みんなビックリしていたからね。僕も、あのおじいさんが、まさかあのシェーンコップ男爵だとは思わなかったよ」

 

「すごいわよね。主君と見定めた方がお亡くなりになられてからも忠義を尽くす。貴方も名前だけはザイトリッツなんだから、そんな大人になれるように頑張ってよね。それにしても先帝陛下がわざわざお墓参りに来られるなんて、ほんとにすごいわ」

 

「うん。分かっているよアンネローゼ.....」

 

隣に住むコーネフ家の同い年のアンネローゼは僕の幼馴染だ。もともとお互いの爺ちゃんたちが戦友で、一緒に旧同盟から移住して以来、家族ぐるみの付き合いをしている。そして母さんと同じように、僕の名前をいじって来るのも今更の話だ。僕の名前の由来になっているザイトリッツ・フォン・リューデリッツ様は、初代自治尚書としてウルヴァシーの開発に尽力された方だ。軍人としても事業家としても実績を上げた人だし、尊敬はしているけど、見習えと言われても難しい。

 

そして、僕がザイトリッツと名付けられた本当の理由も、父さんたちがお酒を飲んでいる時に零したのを僕は聞いている。僕の爺ちゃんは変わった人で、ザイトリッツと呼び捨てにしてみたいという理由で、男の子が生まれたら、そう名付けるつもりだった。でも残念なことに女の子ばかり生まれた為、最初の男孫にザイトリッツと名付ける様に命じたらしい。

 

当の本人は、また生きている。でも僕が生まれた頃に事業拡大の為にエルファシルに移住した。数年に一度、呼び捨てにされるために偉大な人物の名前を付けられた孫の苦労など素知らぬ感じだ。もっとも詫びのつもりか小遣いを弾んてくれるので、僕としても不満は無いのだけれど......。

 

「どうしたの?淑女の荷物を持つのは紳士としてのマナーよ?」

 

自分だけスタスタと進みながら嬉しそうな様子のアンネローゼ。マナーを理由に荷物を押し付けるなら、もっと淑女らしくしてほしい。そうでなくても、ザイトリッツ様が眠る霊園から家まではかなり距離がある。学校までの2倍くらいだろうか?折角だから歩いて帰ろうって誘ったのはアンネローゼなのに......。

 

「それにしても、先帝陛下もお元気そうで良かったわね。皇配のローエングラム伯がお亡くなりになられて、気落ちされているって噂もあったし、心配していたの」

 

嬉しそうに話すアンネローゼ。何しろ彼女は大の帝室ファンだ。と言うのも、彼女の名前の由来が先代のグリューネワルト伯爵夫人にあやかった物だから。本物のアンネローゼ様は、美しいだけでなく、お優しい方だと聞く。こっちのアンネローゼも外見だけじゃなく、中身も似てくれれば良かったのに......。

 

「ザイトリッツ?また良からぬ事を考えていたんじゃない?」

 

「そんな事ないよ?ほら、お墓の横の像の事を考えていたんだ。あれってモデルが非公開のままだからさ.....」

 

「そう、なら良いのだけど.....」

 

何とかごまかせたけど、アンネローゼは変に勘が鋭いんだ。一度、本物と違って優しくないって洩らしたら、一週間、口をきいてくれなかった。機嫌が直るまで毎日通学路にあるマリーさんのクレープ屋で奢る羽目になった。それ以来、僕は口は禍の元って格言を旨としている。

 

「確かに、どれがザイトリッツ様なのか分からないのよね。年代によって、どれもザイトリッツ様になり得るし.....」

 

ザイトリッツ様の墓石の横にある像は、少年・青年・中年の3人が卓を囲んで会食している物だ。モデルは明らかにされていないので、どの像をザイトリッツ様にするかで、残りの2人が変わる。見る人の年齢によって見え方が変わる様に作られた。なんて説もあるくらいだ。

 

「話は変わるけど、進路はフェザーン商科大にするんでしょ?私も商科大だから、安心してね」

 

「そうなんだ。それは安心だよ......」

 

何を安心すればよいのか分からなかったが、安心しておいた。僕らがフェザーン商科大の最終学年になった時、ディートリンデ1世陛下の御即位50年を記念して、機密指定文書が公開された。その中にあるグリンメルスハウゼン文書と、この像から着想して「世直し陛下の事件簿」という小説を、僕は書くことになる。作家となった僕は、公私ともにアンネローゼにマネジメントされるのだが、それはまた別の話にしたい。

 

 

 

宇宙歴842年 帝国歴533年 11月9日 昼

惑星ウルヴァシー 軌道上 ブリュンヒルト 貴賓室

ディートリンデ・フォン・ゴールデンバウム

 

「何かあればお声がけください」

 

お茶の用意を整えた女官が、一礼して貴賓室から出ていく。室内の照明は抑えめにしてもらった。備え付けられたモニターが映す惑星ウルヴァシーが少しずつ小さくなっていく。資料では知っていたが、実際この目でみれて良かった。何も知らなければ、45年前には駐留基地しかなかったとは誰も思わない。そして私の後見人にもちゃんと報告が出来た。

宮内省は私が帝国各地を視察する事に難色を示したが、既に帝位は譲っているのだ。そう遠くないうちに、伯やラインハルト様の待つあちらに私も向かう事になるだろう。そう思ったとき、ちゃんとご報告する為にも、自分の目で、帝国を見ておきたいと思った。

 

「ラインハルト様が一緒じゃない事に、貴女は怒っているかもしれないわね」

 

ソファーを撫でながら、御用船にしたブリュンヒルトに話しかける。本来の主は既に亡く、旧式艦でもあるので、御用船にする事に反対意見もあった。でも、この視察は、私とラインハルト様の歩んできた道の確認でもある。他の船を御用船にする選択肢は無かった。

 

「用意されたレールを走って10年、見守られながら10年......。でもそこから20年は、貴女の主と一緒に走り続けてきたのよ?後見する側に回って5年、そろそろ次代に任せて良い時期だもの.....」

 

自分に言い聞かせる様に話をする。思えば遠くまで来たものだ。戴冠した時はただの小娘だった。いつの間にやら孫まででき。婚約の話まで出ている。守られる側から守る側にもなった。振り返ればあっという間だったが、45年と言う月日は、人間の命の営みとしてはかなりの期間だ。戴冠式の日の事も、結婚式の日の事も、昨日の事のように思いだせる。随分昔の事なのが不思議な位だ。そして、ラインハルト様との最後の日の事も......。

 

「陛下、貴方を一人にしてしまう私を許してほしい。どこまでも一緒に歩むつもりだったが、ここまでのようだ.....」

 

「皇配殿......。何を弱気な事を.....」

 

病に倒れたラインハルト様の手は、私が知っている力強さも温かさも失われていた。即位40年の式典が終わった頃から体調を崩し、床に臥せる状態になった。典医たちが治療にあたったが、原因は分からずじまい。数ヵ月の治療は気休めにしかならなかった。

 

「戴冠40年の式典で、これからの帝国は盤石だと確信できた。そこから急に力が抜けてしまった。情けない事だ。本来ならこの目で見て、ちゃんと報告できる準備をしておくべきであったのに.....」

 

この時、悔し気にラインハルト様がつぶやかれた事が、今考えれば、国内を自分の目で見ておきたいと思った要因だったのかもしれない。そして夫婦である以上、言葉にはされなかったが、ラインハルト様があちらに行きたがっていた事も感じていた。帝国は加速度的に発展し、体制も盤石なものになっていく。将来を託された事への責任感から、共に走り続けてきてくれた。

 

ただ、あちらに行くのが遅くなれば、父や伯たちがヴァルハラを開発し切ってしまい、ご自分の役割が無くなってしまうのではないか......。めったに冗談を言わないラインハルト様が、ポロリと零した事がある。冗談だったかのように誤魔化していたが、年齢を重ねるにつれて、被後見人ではなく、盟友になりたかったという思いが強くなっていたようだった。

 

「現世の帝国は、あれから毎日、良き明日を迎えられている。少なくとも数百年は大丈夫でしょう。でも、私は殿方たちとは違う。少しでも旅立ちを遅くして、あの方たちが発展させたヴァルハラで、のんびりさせてもらうつもり。銀河の発展という重責を押し付けたのだもの。それ位の我儘は許して頂きたいわ」

 

カップを手に取り、お茶でのどを潤す。あの方が入れてくれたお茶をまた飲めると思えば、旅立つのも悪くは無い。でも、その前にちゃんと帝国を見ておきたい。モニターに目を向けると、惑星ウルヴァシーはもう光点の一つになりつつあった。光点の一つひとつに臣民たちの営みがあり、彼らの明日をより良きものにする。帝国がいつまで続くのかは分からない。ただ、臣民たちの明日が、今日より良きものになるように願いながら、モニターに映る星々を、私は眺めていた。




投稿開始から144日、初期からお付き合い頂いた方も、最近お付き合いを始めた方も、完結までお付き合い頂き、ありがとうございました。145話で〆るか、150話まで進めるか迷いましたが、間延びしそうなので、これで完結とします。
投稿開始以来、予想外の反響を頂き、ありがとうございました。移民も大きな決断でしたが、温かく迎えて頂き、心強かったです。誤字報告を頂いた多くの方にも感謝しています。(本来少ない方が良い事なのですが......)走り切れたのも、読者の皆様の応援のおかげだと思います。ありがとうございました。完走祝いのポチっとなもお待ちしています(笑)

※某百科事典みたいなものをおまけで作成しています。ご確認頂ければ幸いです。


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帝国偉人録:ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ

やってみたかったんです。


ザイトリッツ・フォン・リューデリッツ 

帝国歴437~503 享年66歳

 

ザイトリッツ・フォン・リューデリッツは第一帝政期から第二帝政期にかけての、貴族・軍人・政治家・事業家。門閥貴族に統治権が分散していた第一帝政期から、銀河帝国皇帝に統治権を集約した第二帝政期への移行に、貢献した人物。最終階級は帝国元帥。現役軍人のまま、軍務以外の尚書職も兼ねた数少ない人物のひとり。

ルドルフ大帝と実績で唯一比肩しうるとされるディートリンデ1世の後見人であったことでも知られる。現在でもフロンティアで使われる乾杯の音頭「臣民たちに今日より良き明日を!」は彼の墓碑銘でもある。

 

【略歴】

 

・生い立ち

 

帝国歴437年3月、ルントシュテット伯爵家の3男として、領地であった惑星ルントシュテットにて生まれる。第二次ティアマト会戦で祖父にあたる当時のルントシュテット伯が戦死した事を受け、母カタリーナは貴族対策の為、出産後、旧都オーディンへ向かう事となり、祖母マリアと乳母カミラに養育される。5歳の時に顔見せの為に旧都で赴くが、交通事故により同乗していた乳母のカミラは死亡。本人も意識不明の重体に陥った。この交通事故の相手が門閥貴族に属し、過失が無かったかのような主張を強引に押し通した。この経験から、門閥貴族の横暴を正すべきと考え始めたと言われる。

 

・幼少期の活躍

 

旧都から戻ったザイトリッツは、惑星ルントシュテットの領地経営に参加した。小麦の増産や、酒造事業を始めるとともに、当時主流ではなかった、米を原料とした清酒の製造も、この時期に始めたとされる。オトフリート4世が命名した清酒「レオ」と、フリードリヒ4世が命名したウイスキー「マリア」は、いずれもこの時期にザイトリッツが立ちあげた醸造所の品でもある。由来も彼の祖父レオンハルトと祖母マリアにちなんだ物である。また非公式ながら、後継者争いから身を引き、放蕩を装っていた当時のフリードリヒ殿下との交友が始まったのもこの頃とされる。

 

・幼年学校から任官まで

 

幼年学校は首席で通したとされる。また、爆発的な人気となった「レオ」の収益を基に、現在の帝国開発公社の前身となるRC社を設立。惑星ルントシュテットだけでなく辺境星域の開発に乗り出した。領主に利益を集中させるのではなく、領民への社会政策を重視した開発手法は、人口増にも好影響をもたらし、辺境領の加速的な発展の要因ともなった。余談だが、当時、RC社が進めた社会政策は、現在の帝国の社会政策の原点でもあると言われている。

 

士官学校に首席で合格したものの、勅命で建設される事になったイゼルローン要塞の建設にあたって、その資材調達をRC社社長として取り仕切った。この資材調達は辺境星域全域で行われ、二次産業が立ち上がるきっかけにもなった。要塞建設は勅命であったため、士官学校に在学したまま任にあたった。特別待遇であったとは言え、士官学校に通わずに首席を通したのは、後にも先にもザイトリッツだけである。

 

・任官からイゼルローン要塞赴任まで

 

要塞建設にあたっていくつかの功績を認められ、異例ながら少佐として任官した。任官先はフェザーン高等弁務官府であったが、当時の自由惑星同盟の分析が任務であった。弁務官府には赴任した際と異動する際の2度しか赴かなかったと言われる。商科大学に聴講生として通う傍ら、ビジネス面のパートナーとなるコーネフ氏やヤン氏、そして後に右腕となるワレンコフ氏と縁を結んだのもこの頃とされる。

 

フェザーン勤務終了後、工廠部へ異動。当時、戦術家として名声を高めていたシュタイエルマルク伯ハウザーの指示を受けながら、戦術構想の転換に伴う兵器開発と増産に取り組んだ。また、この時期に、イゼルローン要塞建設を主幹したリューデリッツ伯セバスティアンに見込まれ、孫娘と婚約し、リューデリッツ伯爵家に婿入りする事となる。

 

この時期から縁のあった子弟の養育にも力を入れた。後に皇配となるローエングラム伯ラインハルト、その側近となったグリューネワルト伯ジークフリードを始め、婿となるオーベルシュタイン男爵パウル、終生忠誠を尽くしたシェーンコップ男爵ワルター、国務尚書となったロイエンタール男爵オスカー、平民で初めて宇宙艦隊司令長官となるミッターマイヤー元帥を始め、第二帝政期の初期を支えた人物たちが、屋敷に出入りしていた。一部の日記などから、統治者としての英才教育が行われていたとも言われる。

 

・要塞赴任から前線総司令部基地司令まで

 

ザイトリッツがイゼルローン要塞司令として赴任した間に、2度に渡り大規模な攻防戦が発生した。交友関係のあった駐留艦隊司令メルカッツ提督と連携し、多大な戦果を挙げた。後方メインでキャリアを重ねた彼にとって、初めての武勲と言えるが、喜ぶ様子は無かったと言われる。

 

これに前後して優勢な戦況を理由に、政府系の貴族から前進論が叫ばれた。これに反論する形で、費用対効果を考えた場合、アムリッツァ星域に大規模な駐留基地を新設し、艦隊戦力の運用を効率化したほうが良いと提案。提案主として後に前線総司令部となる当時では銀河最大規模の駐留基地建設を主幹し、完成後は基地司令官として運営にあたった。

 

・フェザーン進駐から内戦まで

 

交友の深かったワレンコフ氏がフェザーン自治領主になった際、当時、新興宗教として勢いを増していた地球教団が、皇族弑逆に関与した証拠を入手し、ザイトリッツに渡したとされる。この調査は慎重に進められ、健康診断を名目に薬物検査を行い、それを糸口に教団の強制捜査まで踏み込んだ。捜査に関連してフェザーン自治領に進駐するなど、当時でも強硬な態度で行われ、教団だけでなく、帝国に蔓延しつつあった麻薬撲滅にもつながった。この捜査記録は、今でも秘匿されている部分があり、違法捜査の可能性が指摘されている。

 

麻薬捜査に関連して、特に政府系の貴族が逮捕され、軍部貴族の勢威が相対的に強まる結果となった。これが軍部貴族の一強体制の遠因になる為、何かしら関与していた事は間違いないとされる。捜査の手は地球にも及び、この時から地球自体をひとつの刑務所のように扱った。これは現在でも変わっていない。

 

・内戦から大出征まで

 

内戦においては、アイゼンヘルツ星系の駐留基地に異動し、旧同盟への対策を担った。現在では内戦に前後して旧同盟で発生した金融危機は、タイミングがあまりにも良すぎる為、人為的に起こされた可能性が指摘されている。ただ、この金融危機に乗じて、株と為替で莫大な利益を上げたRC社は、その後、帝国開発公社に吸収されたため、具体的な資金の流れは、今も明らかにされていない。

 

・初代自治尚書

 

大出征にあたって、現役元帥のまま新設された自治尚書に任命された。これは自治省が民主共和制体と帝国の関係を明確にし、第二帝政期の宇宙の秩序をデザインする権限も持っていた事から、必然的に軍部との連携が必須だった事による。実戦部隊と連携しながら、当時大量に保有していた旧同盟の借款などを口実に、旧同盟の崩壊に多大な功績を上げた。和平条約の交渉と締結も彼が主導したとされる。

 

戦後は旧同盟から割譲された領土、フロンティアの開発に努めた。5年間と言う短い期間ではあったが、旧同盟と帝国からの移民が混在する中で、同化政策を推し進めた。終戦直後だけでなく、旧同盟からの移民が流れ込み続けたのも、同化政策による安心感と、急速な発展による明日への希望が大きかったとされる。尚、同化政策の策定にはシェーンコップ男爵ワルターの貢献も大きかったとされる。治安維持組織に早期から旧同盟人を加えた事は、当時でも議論となったが、結果としてフロンティアの安定につながった。

 

・FRS社の設立

 

短期間で新しい秩序のデザインを終えたザイトリッツは、自治尚書職を辞し併せて伯爵号を嫡男に継爵させた。下野直後にFRS社を起業。フロンティアに於いて、経営コンサル・資金調達・管理業務代行を行う企業を立ち上げた。旧同盟人であれ、平民であれ顧客とした事で、自社の収益だけでなく、フロンティアの加速度的な経済発展にもつながった。

 

66歳で彼が事故死した後もFRS社はフロンティアで企業を志す人材にとって、大きな支えとなった。同社は収益の50%をフロンティアの育英事業に寄付していた事でも有名で、同社のサポートを受けて、起業に成功した人々もそれに倣い、育英事業に寄付する習慣が生まれた。これにより経済発展を維持する人材の育成が容易になった事も、フロンティア発展の大きな要因である。

 

【能力と性格】

 

イゼルローン要塞司令としての功績を考えると、戦術家としての識見も十分備えていたとされるが、前線での功績を好んでいなかったともされる。元帥への昇進が内定した際も、後に宇宙艦隊司令長官となるメルカッツ提督を推薦したとも言われ、昇進に興味がなかったとも、軍人に成りたくなかったとも言われる。

志が別にある事は、同時代の複数の関係者が証言することでもあり、軍部貴族に生まれ、元帥にまで登り詰めた人物でもありながら複雑な思いがあった事が伺える。「100万の敵を屠るより、100万の臣民を養う事の方が大業である」という発言も、その発露の一旦と言えるだろう。

 

一方で、統治者、事業家、投資家としては、当時傑出した能力を持っていたとされる。特にRC社設立からイゼルローン要塞完成までの当時の辺境星域の経済発展は、余りに突出した実績であるため、事例として載せない訳にはいかないが、奇跡的な数字であることが注意書きされている。また、そうして得た莫大な権益を、惜しげもなく皇室に献上してしまう事などからも、物欲に乏しく、全体バランスを見る戦略眼もあったとみられている。

 

他方で軍人、平民を問わず、人材発掘と教育には異常なまでの実績がある事から、人物眼が優れていたという意見もある。彼の偉業を共に支えた多くの人材は、第一帝政期の帝国においては確かに抜擢される事がない階層の人材だった。また、下野してから立ち上げたFRS社の顧客も、ほとんどの事例が起業化に成功している点も論拠になっている。

 

【功績に対しての議論】

 

軍人、政治家、事業家と多方面で功績を上げたのは事実であるが、多くの異論が唱えられている。幼少期の酒造事業に関しては、幼少期に酒類に関心を持つのはおかしいとされ、溺愛していたとされる祖母マリアが、自分の功績を譲ったのではないか?という意見がある。RC社の躍進については、初期はケーフェンヒラー男爵クリストフ。その後はフェザーン自治領主だったワレンコフ氏の功績が大きい。初代帝国開発公社の総裁となったシルヴァーベルヒ氏もRC社出身であり、当時傑出した人材が彼の下に所属していたのも事実である。

 

その一方で、あえて裏方に回ったという説もある。軍人としては、前線で戦うのではなく、シュタイエルマルク伯ハウザーの下で行った戦術構想の転換に伴う兵器開発。アムリッツァ星域に作られた前線総司令部の建設といった後方部門の任務で功績を上げている。また補給体制の確立も彼が行ったことであり、これは帝国軍が戦況を優位に進められた要因のひとつである。

 

最近唱えられた新説として、ディートリンデ1世陛下の功績に隠れ、業績が明らかでないフリードリヒ4世陛下の意向を受けて、ザイトリッツが動いていたという物がある。一個人で立てるにはあまりにも多方面で活躍している事や、当時の人物たちが集う様にザイトリッツの下にあった事も、陛下の意向であれば説明がつくとされるが、あくまで一説という認識に留まっている。

 

【現代での取り扱い】

 

第二帝政期初期を取りあげた作品ではほぼ登場する人物である。同名の小説家、ザイトリッツ・ポプラン氏の作品「世直し陛下の事件簿」では、幼さを武器に門閥貴族の横暴の証拠を集め、毅然とした対応を求める人物として描かれた。その影響で、社会の不公正を憎む人物として描かれる事が多い。

帝国外では、陛下の右腕として民主共和制体を追い詰める悪役として描かれる事が多いが、奨学金制度を旧同盟人にも開放した事などから、民衆の生活には気を配る描写が必ず入れられている。

 

また、正妻ゾフィー。第二夫人ドミニクを始め、ディートリンデ1世の顧問となったヴェスパトーレ男爵夫人マグダレーナ、マリーンドルフ伯爵夫人ヒルデガルドなど、周囲の女性の社会進出にも肯定的であったことから、女性の社会進出が話題になる時、必ず逸話が語られる人物でもある。




おまけにもお付き合い頂きありがとうございました。


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