みほエリは果てしなく素晴らしい (奇人男)
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エミカス Eのレコンギスタ

しかしもうひとつ現状報告をしておくと、タイトルにみほエリを冠しておきながらエリカが出てこないのがこのSSってことだ。


 

――月――日

 

この世界に転生して嬉しかったことを端的に述べよと言われたら、そりゃあもうみぽりんやエリカをはじめとするガルパンのキャラ達と仲良くなれたことだ。

頭がおかしくなるかと思うような受験勉強も戦車道を続けていくための拷問に等しいトレーニングも、まあ辛かったっちゃ辛かったのだが、彼女達とキャッキャウフフすることと引き換えならばどうということはない。

一介のガルパンおじさんとして言わせてもらえば、まさに我が世の春が来たというところだ。一山いくらの転生者のオマケのような人生には出来過ぎなくらいに。

もちろん、俺の人生の目的はみほエリを成すことであるからして、俺自身が百合の間に挟まる異物にならぬよう細心の注意を払ってもいる。

今現在の見てくれがどうあれ、俺の中身はアラサーのガルパンおじさんだ。その事実は変わることがない。みほエリの間に挟まることなど断じて許されることではない。

 

そして俺は成し遂げた。

 

みぽりんと同じ戦車に乗るまでの仲になり、みぽりんに代わって滑落した戦車の乗員を救出するために荒れ狂う濁流に身を投じ、みぽりんに向けられるはずだった批判も非難もすべて俺が引き受けることになった。

さて、あとはこのまま負けの責任を取るみたいな感じのアレで黒森峰からピロシキすればミッションコンプリートだ。勝ったッ! 高校生活完ッ!

みぽりんには今後困ったことがあればエリカと力を合わせてやっていって欲しいと言い含めてあるし、エリカにも同様だ。

まほパイセンにも根回しは済んでいる。もはや黒森峰に俺は必要ない。少々名残惜しいが戦車道を続けていく理由もなくなった。

俺の退場をもってこの喜劇に幕は下り、地上は百合の花で満ちるのだ。

みぽりんは黒森峰に居まし、世は全てこともなし。世にみほエリのあらんことを。

 

 

 

――月――日

 

転校先は決めていないが、知り合いがいるという意味では敢えて聖グロに行ってみるのもアリかもしれない。

中学時代からダージリンと色々因縁はあるが、腐れ縁のライバルを邪険にするほど捻くれた性格じゃないのはよく知ってる。あの紅茶の園でコーヒー派の俺に人権があるか微妙なラインだが、ワンチャンなんとかなるだろ。多分。

なんにせよ、黒森峰にいるのもあと一週間か十日といったところだろうか。

せいぜい最後の思い出作りでもしておくとしよう。

 

 

 

――月――日

 

なんで?????????????????????

 

 

 

――月――日

 

なんで??????????????????????(一日ぶり二回目)

 

こんなことになるなんて誰が予想した? 意味が分からない。どうしてこうなった?

わけがわからないが、とにかく落ち着いて、事の次第を整理していこう。

 

昨日しほさんが学園艦にやってきて、パイセンの同席の下、直々にお叱りという名の尋問を受けることになったまではいい。黒森峰にも進路指導室なんてあるんだな、とちょっと感心したのも今は置いておこう。

俺を詰問するしほさんはヤバイ級に怖かったが、どのみち黒森峰から去るつもりでいたこともあって、実は割と冷静にしほさんの様子を観察する余裕もあった。

あの気位の高さと品の良さは生まれついてのものだと思うが、やはりいつ見ても高校生の娘が二人いるとは思えない美貌だ。いや待て、それはこの際どうでもいい。

しほさんは化粧で隠してはいたが、険しい表情の中にも疲れが見て取れた。

おそらくこの日学園艦に来る以前から、スポンサーやらOG会やら、あっちこっちに頭を下げて来てるんだろう。決勝戦の日から結構時間が空いているが、それだけ忙しかったということだ。

多分原作でもそうだったんだろう。シナリオ上語る必要がなかっただけで。

 

なにしろ西住流のお膝元の黒森峰で起きたこの事件だ。

普通に考えて、しほさんに対しても試合中の安全対策はどうなってるのかとか色々言われているに決まってる。

西住流は戦うからには必ず勝てと教えられるし、しほさんは戦いに犠牲はつきものとも言っていたが、実際に犠牲が出そうになってみろ。世間が黙っちゃいない。

戦車道は危険なスポーツだとバッシングもされる。対立流派の島田流や西住流を快く思わない連中にとってもこの一件は格好の攻撃材料だ。

そもそも犠牲が云々というのは西住流を代表する立場としてのポジショントークに過ぎず、本心は違っていたはずだ。少なくとも実の娘が相手だった原作では。

俺が真実JKであったならば、若さゆえにしほさんの言葉に反感も覚えたかもしれないが、実のところは言い訳の余地なきアラサーだ。むしろ彼女の苦労は察するに余りある。俺はしほさんに同情すらしていた。

すいません。いや本当にすいません。みほエリを成すという大儀のためだったけど、俺の身勝手で多大なご迷惑をおかけしたと思うと本当に申し訳ない。

人命がかかっていた状況だったし俺は自分のやったことを反省も後悔もしていないが、さすがにその点については罪悪感を禁じえなかった。

 

うん、やっぱり戦車道も辞めよう。すっぱりと。そのほうがいい。

パイセンやエリカは普通科への転科を勧めてくれたが、初志貫徹してどこか遠い高校に転校し、静かにみほエリを見守る余生を送るのだ。

 

胸にケツイを抱いていたところ、転校待ったなしの状況に待ったをかけたのは同席していたまほパイセンだった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

――私が守護らねばならない。

 

たったひとつの思いが、砲声のように胸の中に響いていた。

これこそが今の自分のやるべきことだと……否、今の自分の一番やりたいことなのだという決心が私を奮わせ駆り立てた。

天翔エミが黒森峰を去ろうという意思を改めて口にしたとき、椅子を蹴って立ち上がる自分の身体を押し留めることは最早不可能だった。

 

「お母様」

 

場を弁えぬ呼び方をした不肖の娘に、お母様はたしなめるような目を向けた。

 

「天翔のしたことは確かに問題です。ですが今回の一件で責任を問われるべきなのは彼女だけではありません」

「……どういうことです?」

「隊員の不始末は隊長である私の責任です」

 

私の言葉に目を丸くしたエミが、こちらに顔を向けた。

正直に言えば自分自身でも驚きだ。振り返れば、今まで母に対して反抗らしい反抗など殆どしたことがなかった。西住流という鋳型に填められて生きてきた私が、西住流という生き方に疑問など持っただろうか。

だがそれも今日限りだ。

 

「隊長として、天翔にのみ不名誉を負わせはしません。彼女が黒森峰を去るというのなら、私も今回の敗戦の責任を取って戦車道チームの隊長の座を退きます」

 

今、私が口にした言葉を、この場にいる誰よりも驚きをもって迎えているであろう自覚がある一方、不思議なことに、私は絶対にこうするべきなのだという確信めいた安心感さえもあった。

そうだ。エミの勇気ある行動に対し、私は何をしてやれた? 隊長の立場を言い訳にして何もしてやれず、結果、最も有能な隊員の一人をこの学園から追いやろうとしている。このまま手をこまねいていていいはずがない。私がエミを守護らねばならない。

 

「……自分が何を言っているのかわかっているのですか? 貴女が降りた後、誰が隊長を務めるというのです」

「チームの指揮はみほに委ねれば不安はありません。副隊長に関しても逸見がその任に堪えるでしょう。何の問題もありません」

 

我ながらひどい言い訳だ。辞めた後の始末を妹や後輩に押し付けてまでエミに肩入れしている。隊長失格、だがこの場合は望むところだ。隊長の座を退いた私に最早恐れるものなどない。

エミが余所の学校に転校するというなら、私だって黒森峰を出て行く覚悟だ。お母様だろうと誰だろうと、私を阻むことはできない。

 

(……私のような奴が聞かん気を出すと、こんな風になるんだな)

 

不意に、頭の中の冷静な部分が自分の置かれている状況を俯瞰する。

……畢竟、私も西住の女ということなのだろう。一度決めたことは断固として貫き通す意固地な性格を、お母様からしっかり受け継いでいたということだ。

 

「まほ。隊長である貴女に課せられた責任とは、西住流を体現する者として全ての隊員の規範となることです。貴女はそれを放棄するというのですか?」

「なら、これが私が示す規範です。……私の目指す戦車道の在り様です」

 

私の戦車道。

聞く者が聞けばこれほど滑稽な言葉もない。私の戦車道だなんて、お前の人生に西住流以外の何があったというんだ? そう笑われても仕方がない。

だが、私は信じてみたくなったんだ。いつかエミの言っていた戦車道を。

勝ち負けだけじゃなく、信頼しあえる仲間と支えあい、高めあう戦車道を。

何より、それを身をもって示して見せた天翔エミを。

 

そうして互いに譲れない、譲るものかと、無言の睨み合いが続いていたそのとき。

鉛のように重苦しい空気を切り裂くように、進路指導室のドアが勢いよく開かれた。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

決勝戦のあのとき、私の中には『私』がふたりいた。

 

目の前で川に転落した味方の戦車を、友達を助けなきゃと叫ぶ『私』。

勝利には犠牲がつきものだ、脱落した者は切り捨てろと淡々と告げる『私』。

 

よく見知った西住流の顔をした『私』の声を、私は聞こえなかったふりをしようと思った。

わかってる。私は副隊長で、フラッグ車の車長なのに。この行動はきっと間違ってる。勝たなきゃいけない。それが西住流で、私はそれを遂行しなきゃいけない。

……でも、それでも、やめる理由にはならない。

どんな理屈があっても目の前で危ない目にあってる人を見捨てるなんてできない。

友達を見捨てるのが戦車道なら、そんなものやってる意味なんかない。心の底からそう思って、救助に向かおうとした。

 

そして、私を止めたのはエミさんだった。

エミさんは私の心の中を見通していた。その上で、エミさんは『私』の代わりに川へ飛び込んで赤星さん達を助けに行った。

エミさんは私の代わりに『私』になったんだ。

でも、後を託された私は西住流の『私』にはなりきれなかった。勝たなきゃ、早くエミさんを助けに行かなきゃと思えば思うほど、決着を焦って冷静な指揮ができなくなった。

その結果、黒森峰は十連覇を逃して、敗戦の責任のおおむね全部をエミさんが負う形になった。

 

私が現場を放棄して救助を優先しようとしたせいだ、と弁護することさえエミさんは許してくれなかった。ひょっとしたら、お母さんに呼び出されて怒られたときにこのことを言えていれば、現状は違ったかもしれない。

本当は私のせいなんだと、エミさんは私の身代わりになっただけなんだと。

エミさんが許そうが許すまいが、本当のことを全部話してしまえばよかったのに。でも、誰にも何も言えなかった。私は臆病で、卑怯だ。

自分のことがこんなにも嫌いになったことは、今までになかったと思う。

 

……あれはいつだっただろう。エミさんが私とエリカさんに言ったことがある。

ちょっと怖いくらい殺風景なエミさんの部屋で、エミさんの淹れてくれたコーヒーを頂きながら、私たちはそれを聞いた。

 

「私には家族はいない……いや、いなかった。でも今はチームのみんなが家族みたいなものだと思ってるよ。みんなと一緒に戦車道をやれて、本当に幸せだ」

 

いつになく感慨深げに語ったエミさんに、私もエリカさんもなんだか照れくさくなっちゃったのをよく覚えてる。それくらい私たちのことを信頼してくれてるんだって思うと、すごく嬉しかった。

ご両親も親戚もいなくて、施設育ちだというエミさんは、私たちのことを家族だって言ってくれた。でも今は? 今の私たちにエミさんの家族である資格なんてあるのかな。

本当に困って苦しんでるときに味方になってあげられないのに? ううん、そんなの家族なんかじゃない。

 

……もう手遅れかもしれないけど、私はエミさんの家族でありたい。

エミさんを絶対裏切らない。裏切りたくない。絶対にエミさんを独りにしない。

 

そんなケツイを込めて、私は進路指導室のドアを開けて。

 

お母さんに向かってこう宣言した。

 

「エミさんがここを出て行くなら、私もついて行く」って。

 

 

  

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

気がつくと俺は、大洗女子学園の制服を着ていた。

 

なんで??????????????????????(二十分ぶり三回目)

 

まほパイセンがしほさんに啖呵を切った時点でどうしてそうなるのかまったく理解を超えていたのだが、さらにみぽりんまで乱入し失望しました黒森峰辞めます宣言をぶちかまし、凄まじい口論の末にしほさんは出て行ってしまった。

その翌日の朝には俺とみぽりんとパイセンは黒森峰学園艦を退艦し、熊本駅から新幹線に乗り継いで東京へ向かい、そこから特急と各駅停車、バスを使って茨城県は大洗町へ。

 

いやいやいやいやちょっと待って全然そんな流れじゃなかったでしょ。

いくら俺の私物がスーツケースひとつに納まるくらいの少なさだとはいえフットワークが軽すぎる。熊本から茨城まで何キロ離れてると思ってるんだ。

たった一晩で転校の手続きと下宿先の確保と関係各所への根回しが完了してるとか何をどうしたらそうなる。ジョバンニか? ジョバンニなのか?

 

どうしてこうなった。輝かしいみほエリの未来がすぐそこまで来ていたのにまほパイセンが介入してくるとか絶対に許されざるよ。転生オリ主が西住サンドとか誰も望んでない。胃が痛い。俺を今すぐ殺してくれ。

 

 

 

――月――日

 

大洗に引っ越して数日が経ち、つつがなく原作も始まった。そろそろ生徒会に声をかけられる頃じゃないかな。

 

西住姉妹という最大戦力を失った黒森峰女学院戦車道チームに対して、俺は哀悼の意を表することしかできない。エリカは今どうしているだろうか。俺をさらうくらいならエリカを連れ出して欲しかった。マジで。

ついでに言うと娘に揃って家出されてしまったしほさんにも申し訳ない気持ちでいっぱいである。ほとぼりが冷めた頃に謝罪の電話を入れようと思っている。本当に申し訳ありませんでした。マジで。

 

そしてみほエリの夢は水平線の彼方へ遠ざかり、俺とみぽりんは家族になった。

いや待て違うんだ、アレはみぽりんとエリカが家族みたいにならないかなって思って言ったんだ。俺を頭数に含めなくてもいいんだ。

そんでパイセンはパイセンですごい勢いで俺を構ってくるし。なんでだよ。そこはみぽりんを構えよ。みぽりんが不機嫌拗ね拗ねモードになって怖いんだよ。

戦車のない生活なんておそらくはじめてだろうから落ち着かないのは仕方ないが、黒森峰にいた頃のような落ち着きを取り戻して欲しい。切実に。

 

 

 

……あ、そういえば。

黒森峰から持ち出し損ねた私物の中に例のダミー日記があるのだが、誰かに読まれていないだろうか。

俺主演の黒歴史SSを読まれるのは結構キツいものがある。俺の日記を見つけたあなた、速やかに燃やしてください。それだけが私の望みです。




エミカスの敗因
・かっこつけて気の利いたことを言おうとした
・自分の戦車道とは何かという問いを原作からの受け売りで済ませた


この世界線ではエミカスとみぽりんのみならずまほ隊長にも置き去りにされた上に、エミカス去りし後に例の日記を読んでしまったエリカが逸見エリカダークノワールブラックシュバルツになって立ちはだかりますが続かないし始まりません。


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パンツァークエストⅢ そしてみほエリへ…

「……あ?
 大きな花が咲いたり散ったりしている……あはは……あぁ、大きい!
 みほエリかなぁ? いや、違う。違うな。みほエリはもっとこう……バァーッて動くもんな!
 ……暑っ苦しいなぁ、ここ。うーん……出られないのかな?
 ……おーい、出して下さいよ。ねえ!」


 

――月――日

 

明日は決勝戦だ。

明日、俺の十数年の転生人生のすべてが結実すると言っても過言ではないだろう。

 

この運命の日を幾度夢に見たことか。失敗は許されない。今こそ原作を改変し、みほエリを成す。俺はそのために生きてきたんだ。

だが先のことはまだわからない。

もしかしたらバタフライがなんかこうバタバタしたせいで気づかないうちに事故が起こらない世界線に移動している可能性もある。

今はただベストを尽くすだけだ。みぽりんとエリカ、その薔薇色の未来のために。二人を引き裂く運命を打ち砕くために。

願わくば、みほエリに栄えあらんことを。

 

 

 

――月――日

 

おれは

 

とりかえしのつかないことを

 

してしまった

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

果たして、事故は起きた。

 

篠突くような豪雨の中で始まった決勝戦は、一発の砲声によって大きな転機を迎えた。

雨によって緩んだ地盤はプラウダの戦車が放った牽制程度の砲弾によって大きく抉り飛ばされ、土砂崩れに巻き込まれて黒森峰の戦車が川へ滑落していった。

ついに始まった。原作どおりだ。

 

そしてここで俺がみぽりんの代わりに水没した戦車の救助に向かい、乗員を救出して脱出する。試したことはないが俺の腕力ならハッチをこじ開ける程度ならば十分可能だろう。行けるはずだ。

フラッグ車とはいえ装填手が抜けたくらいで負けるとも思わないが、ワンチャン黒森峰が十連覇を逃したとしても戦犯はみぽりんではなく俺だ。この天翔エミだ。責めるなら俺を責めろ。まさに今この瞬間のために俺はフラッグ車の装填手の座を勝ち取ったのだ。

さあ、みぽりん。座席から立ち上がってキューポラから身を乗り出してくれ。そしたら救助に行こうとするみぽりんを俺が制止して、代わりに川へダイブする。順番どおりだ。どこもおかしくない。

何千回と行っていたイメージトレーニングの成果を今こそ見せてやるぜ。

よし、今だ――!

 

 

 

そこで俺は気づいてしまった。

 

 

 

今しも濁流に飲み込まれつつあるあの戦車。みぽりんが助けに行こうとしているあの戦車は。

 

逸見エリカが車長を務める戦車ではなかったか?

 

――違う。

何もかも全部原作どおりに進んでいたと思っていたが、ここだけが原作と違う。

このただならぬ状況に気づいた俺の脳細胞はいまだかつてない速度でフル稼働し、ある仮説を導き出した。

あるいはそれは悪魔の囁きだったかもしれない。

 

“このままみぽりんにエリカを助けさせたほうが、みほエリを成すのに都合がいいんじゃないか?”

 

その仮説に辿り着くと同時に、みぽりんに向けて伸ばしかけた俺の手はぴたりと止まってしまった。

 

“今は緊急事態だ。エリカの命が危ない。だがその絶体絶命のエリカをみぽりんが颯爽と助けに行く。するとどうなる? その結果二人の仲は深まるんだ。当然、俺が助けに行けばそうはならない。ならここはみぽりんを行かせるべきだ。彼女ならうまくやる”

 

“この際、今までの計画はすべて破棄しろ。先が読めないならアドリブでやっていくしかないだろう。その上で善後策を講じればいい。妹に甘いまほパイセンを味方につければどうとでもなる”

 

“なあに、状況が変われば最適な行動も変わるのさ。もう原作どおりにやればいいって状況じゃあない。すべてはみほエリを成すためだ。わかるだろう?”

 

俺の中の俺が、合理性の衣をまとった誘惑を囁いてくる。

だが、みほエリを成すという大儀の下に生きてきた俺がそれを誘惑と感じたのは、それが損得というか、みほエリの実現可能性だけで考えられたものだと直感したからだ。

俺の本心はみほエリを望みつつも、今まさに戦車から飛び出そうとしているみぽりんと同じく、窮地にある仲間を救い出したいという衝動に駆られている。合理性の悪魔の囁きを受け入れたら、俺が俺でなくなるような恐怖すらあった。

だけど、みほエリだぞ。みほエリなんだぜ?

そのためだけに俺は、人生のすべてを捧げてきた。戦車道すらみほエリを成すための手段に過ぎなかった。大事なのは勝ち負けじゃない。その先でみほエリが成るか否かだ。そのためなら俺は何でも利用する。

ならここで信じるべきなのは何だ? 感情か、理性か。

 

俺が固まっていたのは、時間にすれば、二秒か三秒か、そのくらいだっただろう。

だがその二、三秒で、これからのすべてが決定付けられてしまった。

 

俺は理性という名の悪魔の手を取り。

みぽりんは、原作どおりに褐色に濁った激流へその身を擲った。

 

これでいい、これが正解なんだと自分に言い聞かせながら、俺は救助作業に向かうみぽりんを見送った。早鐘を打つような心臓の音が、戦車のエンジンの駆動音よりハッキリと聞こえてくる。

車長の突然の現場放棄にざわつく車内で、俺は呆けたように主のいなくなった車長席を見つめていた。通信手の絶叫のような状況報告が聞こえたが、どこか他人事みたいな気持ちでそれを聞いた。

 

「……こちらフラッグ車。西住隊長、応答願います! 副隊長が味方の救助のために現場を離れました! 繰り返します、現在、川に落ちた戦車の救助のため車長が不在です! 指示を……」

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

みぽりんがイジメに遭っていることはすぐにわかった。

エリカも今までのグループから距離を置かれて、有り体に言えばハブられている。

俺以外誰も組んでくれないからか、エリカはひたすら基礎練に打ち込んで嫌がらせを吹っ切ろうとしていて、みぽりんは練習どころか授業にも顔を出さない日が続いた。

無駄に影響力のある後援会や口だけは達者なOG会からのひっきりなしのクレームもあり、学校の雰囲気自体も最悪だ。地元のメディアも戦車道チームの体制について疑問を呈する記事がいくつも載った。

「敗北の罪は勝利をもって償えばいい。特定の個人にこの敗戦の責任を問うことは固く禁じる」とまほパイセンが声高く訴えても、戦犯扱いのみぽりんとエリカが敵視されるのを止めることはできなかった。

善後策を講じるどころではなく、どこから手をつけたらいいかわからない。それほどまでに、王者黒森峰陥落は地元の一大ニュースだった。

 

……全部、全部、全部、俺のせいだ。

俺があのとき、みぽりんの手を取って止めていれば。

 

みほエリを成すために、俺は自分の為すべきことから目を背けた。その結果がこれだ。二人はラブラブになるどころか学校中から孤立してるじゃないか。こんなの俺は望んでいなかった。こんなはずじゃなかった。

みぽりんとエリカが悪意に晒されるのを見ていられなくて、何度この目を潰そうと思ったかわからない。足の親指の爪を剥いだり錐で太股を刺したりしても罪悪感から逃れることはできなかった。

やっぱり、俺が背負うべきだったんだ。俺がやらなければならなかったんだ。

みほエリを成すことよりも、ずっとずっと大切なものがすぐそこにあったのに。

 

だが、俺はもう後戻りできない。

俺はみぽりんの手を取らず、俺の中の俺の手を取った。エリカを救う選択肢を選ばなかった。友達としてすべきことをしなかった。

だったらもう、みほエリを成す他に生きていく甲斐などない。

あの日「天翔エミ」は泥の下に沈んで、どこかへ消えてなくなってしまった。

ここにいるのは百合豚カプ厨ガルパンおじさんの残骸でしかなかった。

 

俺は、みほエリを成す。そのためだけに生きよう。

 

 

 

決勝戦から数週間が経ったある日、俺の部屋のポストに待ち望んでいたものが届いていた。大洗女子学園のパンフレットだ。

みほエリを成すためにまずやらねばならないこと、それはみぽりんとエリカをこの状況から救い出すことだ。そのためにこのパンフを取り寄せたし、大洗について調べられる限りのことを調べた。

大洗女子学園には戦車道はない……いや、今はないというだけだ。いずれ廃校の危機を前に生徒会が相当な無茶をやりつつ復活させるだろう。

今のところ原作とズレたのは水没戦車の車長がエリカであったという点だけで、相変わらず大洗は活動実績もパッとせず、募集も定員割れが続いており、このまま行けば遠からず文科省の仕分けの手が入るのは確実。

普通ならこの廃校寸前の県立高校に、日本有数の戦車道強豪校の副隊長が転校してくるなんて都合のいい展開はない。だが今この状況は普通じゃないし、だからこそ原作でもみぽりんは大洗に転校した。今はある種のショック状態で、正常な判断が機能しない状態であるとも言える。利用しない手はない。

このまま黒森峰に留まっていたところでみほエリが成る可能性は低い。みぽりんは原作どおり転校するだろうし、エリカだって来年の全国大会のメンバーに選ばれるかすらわからない。今後二人が一緒に戦車道を続けていく保証など皆無だ。

ならばみぽりんとエリカを揃って大洗へ転校させることによってみほエリを成す。大洗のこれからを考えれば否が応でも二人は一緒に戦車道をやるし、ただ二人の経験者ということもあって必然的に隊長と副隊長、あるいはそれに準じたポジションに落ち着くだろう。二人で過ごす時間は黒森峰にいるよりずっと長くなり、それを通じてみほエリに発展するという寸法だ。現状、これが最もみほエリを実現させる可能性が高い。みほエリが成らぬのであれば黒森峰に価値なしである。

必ずどこかにみほエリへの活路はある。難しいだろうが、やる以外に道はない。

 

 

 

まず、自室に閉じこもり気味のみぽりんに会うのは少々難儀した。

まあ数日通いつめる必要が生じた程度は計算のうちだ。なんとか大洗のパンフを渡して、しばらく戦車道から離れたらどうかと提案すると、みぽりんも同じことを考えていたと言った。

自分の中の正義の確信というか、正しいことを行おうとする確固たるものに従ってやったことに、冷然とした非難と陰湿なイジメでもってその評価を下されたのだ。まして共に戦車道をやってきた人間達によってだ。みぽりんは自分の信念と現実とのギャップ、矛盾に苦しんでいた。

このままでは戦車道そのものが心底嫌いになりそうで、そうなってしまえば、まほパイセンや私やエリカとの楽しかった思い出さえ嫌なものに変わってしまう、それが怖いのだと、みぽりんはまた泣きそうな顔で言うのだ。だから戦車道のない環境で過ごして、気持ちの整理がつくまで戦車から離れていたいという。

俺ごときガルパンおじさんの成れの果てをそうも買い被ってくれるのは嬉しい。だがすまない、今の俺は、君の痛みを利用してでもみほエリを成そうとする存在なんだ。今となっては親切心や友情が動機じゃない。

俺の目的のためにはみぽりんには確実に大洗に転校してもらう必要があるから、一応考えうる限りの甘言を弄して念を押しておいた。なんならボコミュの存在も教えておいた。ボコと聞いてみぽりんの表情が明るくなったので、これで間違いなく転校先に大洗を選ぶだろう。

さすがにないとは思うが、まかり間違って聖グロだのサンダースだのに引き抜かれたりしては困るから、みぽりんの身辺にも気を配らなくてはならないな。

 

……まあ、みぽりんのことはこれでいい。問題はエリカだ。

彼女の性格上、転校などするくらいなら来年の全国大会での再起を目指して練習し続ける方を選ぶだろう。というか、今まさにそうしている。

さて、どうしたものだろうか。

鉄板の方法としてはまほパイセンに説得してもらうことだ。敬愛する隊長の言うことであればエリカは耳を傾けるだろう。しかし、今回の場合は内容が問題だ。妹と百合百合してもらいたいから転校しろなんてパイセンが言うはずがないし、俺もパイセンにそんな内容で説得など頼めるはずもない。いよいよ頭がおかしくなったと思われるだけだ。

とはいえ実際、エリカのやり方は不発に終わる可能性が大だ。エリカはともかくみぽりんは既に逃げを選んでいる。

エリカだってみぽりんのことを無二の親友と思っているから、彼女が再び立ち上がってくるのを待っている。いつだってみぽりんと肩を並べて戦える戦車乗りであろうとしている。そんなことは俺にだってわかっている。

しかしみぽりんは戦車道が、というよりは黒森峰や西住流の戦車道が嫌になりつつある。エリカだけがやる気に満ちていたところでみぽりんは乗ってこない。原作でそうだったように、黒森峰から逃げ出してのうのうと暮らしているばかりか、当てこすりのように戦車道を再開などして……などと拗らせてしまうだけだろう。

この食い違いをどう利用したものか……いや、まずはぶつかってみるしかないか。うまくいかなかったところで、何度でもやってみるだけのことだ。

俺だって、劇場版や最終章を何度観に行ったかわからない。ガルパンおじさんってのは本当にしつこい奴らなのさ。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

数週間前の第六十二回戦車道全国高校生大会、その決勝戦の顛末を、我が黒森峰女学院の歴史にあってはならぬ汚点だと評する声もあるが、私はそうは思わなかった。

 

確かに、みほが味方を救うために増水した川へ飛び込んだと聞いたときは、頭を殴られたような衝撃だった。この予期せぬ事態に私達の動揺を見抜いたプラウダにはまんまとやられてしまったし、十連覇を逃したのも残念だ。

後先を考えず危険を冒したみほにはしっかりお灸を据える必要ありとも思う。

しかし、私はみほの行動を恥ずかしいものだなどとは思わないし、みほが自分の戦車道を貫いて負けたのならむしろ誇らしいとすら思っている。

 

私は自分のことを、西住流の教理のみを刻み込んだ一枚の鉄の板だと規定している。西住流以外の戦車道など知らないし、考えもしない。だが西住流は戦車道の一流派なのであって、決して殺し合いのやり方を教えるようなものではないことは知っている。

戦車道とは淑女を育てる芸事であり、正々堂々と戦うその姿勢そのものが『道』であり、戦車道の本質であろうと私は考える。これは建前ではない。勝ち負けだけが目的であるならそれは単なる闘争であり、その行く先は殺し合いにしかならない。

私達は戦争をやっているのではないし、勝利を志向するのはともかく勝利のための犠牲を仕方のないことと容認すべきではない。この点に関して、お母様が何と言おうと私の見解は変わらない。

戦車道は理念なき闘争に堕してはならない。戦車道が戦車道たりうる理念を明確にしてこそ、戦車道はただの戦車戦から一歩先へ進み、私達を心身ともに成長させ、人生を豊かにする道標となるのではないか。

 

……と、ご高説を垂れてはみたが、実のところ私がこういう考えに至ったのは割と最近のことだ。

天翔エミ。

私達とはまた違う形で戦車道に人生を捧げた後輩。

彼女との交流があったからこそ、私は戦車道で育まれる精神の重要性に気づくことができたと言っていい。

かつて、私がエミに「どうしてそんなにまで戦車道に打ち込めるのか」と問うと、エミは「戦車道が好きで仕方ないから」と答えた。

またみほによれば、「どうして戦車道を続けていられるのか」との問いに、エミは「戦車道が楽しくて仕方がないから」と答えたという。

エミは戦車道そのものを深く愛しているから、誰よりも真摯に戦車道に向き合えるのだ。時には勝ち負けにすらこだわっていないように見えたことに、私は感心させられた。

西住流は常勝不敗を旨とする。しかし本当のところは、お互いが真剣に戦車道に打ち込み、競い合い、結果として勝ちと負けが現れてくるだけで、究極的には勝利そのものすら無価値なのかもしれない。勝利を通して、あるいは敗北を通して、何を学び何を得ていくかが戦車道の真髄なのだ。

そして、その『戦車道の先にあるもの』をエミは求めている。私にはそう思えた。

 

しかし、黒森峰戦車道チームの現状は決して楽観すべきものとは言えない。

みほの行動によって指揮統制に混乱が生じ、プラウダを強気にさせてしまい、大乱戦の末フラッグ車を討ち取られてしまった。我々は負けた。その結果自体は受け止めねばならない。

だが、その発端となった人間を吊るし上げて責め立てるなどということは容認できない。第一、敗戦の責任を問うならば、隊長の私こそ一番に責めを負うべきだ。

嫌がらせのターゲットになっている人間はわかっている。みほとエリカだ。みほは西住流の人間で私の妹だから身内びいきで重用されていると噂されていた時期もあったし、大人しく優しい性格だから悪意をぶつけられても反撃などすまい。

エリカの場合、上級生相手でも物怖じしない強気な性格が災いして、普段から敵を作りやすかった。今回水没した戦車の車長であったというのはきっかけにすぎないのだろう。ここぞとばかりに戦犯扱いされている。

そのくせ、隊長である私の指揮の未熟さを批判しようという者はいない。強きに媚びて弱きを虐げる。愚劣の極みだ。

情けない。

今の黒森峰を見てお母様は、歴代の西住流家元はどう思うだろうか。悲しむか、憤るか、失望するか。考えるだけで忸怩たる思いが込み上げてくる。

早急に隊の規律を取り戻し、みほとエリカを救わなくては。

 

 

 

エミはまだ一年生ではあるが、戦車道にかける熱い思いは人一倍だ。それは私だけでなく、レギュラー・補欠を問わず多くの隊員が知っている。

私はいかにも西住流のトップダウン式のやり方しか知らないが、現状を見るにそればかりでは効果が薄いだろうと思われた。むしろ他の隊員をフォローし部隊の雰囲気を和らげるムードメーカーの存在は不可欠だろう。隊の立て直しのためにもエミに力を貸りようと、私は一年の寮に向かった。

私は当然、エミに断られるなどとは考えなかった。彼女なら、求められるまでもなく協力するにやぶさかではない、と、協力を惜しまず私を助けてくれるだろうと思っていた。決勝戦の直後は浮かない顔をしていることが多かったが、さすがに時間が解決してくれただろう。

しかし、私の作戦予想は早くも裏切られることになった。予想どころか想像もしていなかった事態によってだ。

 

「――ふざけるな!」

 

一年生の寮を訪れた私を出迎えたのは、廊下の端にいてもハッキリと聞こえる、エリカの怒鳴り声だった。ただならぬ雰囲気を感じて声のした方に急ぐと、エリカがエミに掴みかかり、エミを廊下の窓際の壁に追い詰めていた。

窓から差し込む陽光に照らされて、エリカの虎を思わせるような苛烈な表情が際立って見える。一方、エミの表情は影になっていて、瞳に光がない。

 

「エリカ! よせ!」

「っ……隊長!」

 

エリカとエミの間に割って入る。何枚かの封筒や書類のようなものが二人の手から離れ、バサバサと音を立てて床に落ちた。

喧嘩? いや、ありえない。みほとエリカとエミは一年生の仲でも特に仲が良かった。それはあの決勝戦の後でも変わらなかったはずだ。

 

「一体どうしたんだ。お前達が喧嘩なんて、らしくもない」

「……何でもありません。失礼します!」

 

言い捨て、エリカはさっと身を翻して走って行ってしまった。取り付く島もない。だが、あれでは何かありましたと自供しているようなものだ。嘘をつけないのは美点だが、時と場合によるな。

床に落ちた紙の束を拾い上げ、エミに手渡してやる。見ればそれは学校案内のパンフレットだ。表紙には『茨城県立大洗女子学園』の文字が飾り気のないフォントでデザインされている。表紙に採用されている写真から、陸の学校ではなく学園艦であることも読み取れた。

 

「エリカと何かあったようだが、これが関係していると考えていいのか?」

「……はい」

 

やはり声に力がない。いつも見かけによらず、大人びて落ち着いているエミが疲れきったような顔をしている。それだけで小さな悩み事でないことはわかった。

 

「良かったら話してみてくれないか。私としても、お前達の仲が拗れているような状況は好ましくないし、隊員のフォローをするのも隊長の務めだからな」

 

そう、力になってやらなければ。歴史的敗戦を招いた無能な隊長には荷が勝った任務かもしれないが、この状況を黙って看過しては西住流の名が廃る。

 

 

 

――エミが説明してくれたところによれば、この聞いたこともない遠くの学園のパンフレットはみほとエリカに転校を勧めるためのものだという。

この大洗女子学園という学校は、戦車道が廃れて二十年近くにもなる、ごくごく普通の県立高校だ。確かに黒森峰を離れて静養するにはちょうどいい場所だろう。

さっきのアレは、エミはエリカに大洗への転校を提案したところだったがうまくいかず、エリカを激昂させるだけに終わってしまったということか。

しかし二人を助けるためとはいえ、私は妹とその親友の両方を失わなければならないのかと思うと鼻白まざるを得ない。それはさすがに最終手段というものではないだろうか? その方法を取る前に打てる手はあると私は思う。

だがエミは、これは何よりもみほとエリカのために必要なことだと言う。

 

「試合なんかよりも大事なことがある――そういう、彼女にとって当たり前の倫理観に対して返ってきた答えがアレじゃあ、みほもショックを受けて当然です。みほは黒森峰や西住流に失望しています。戦車道そのものに嫌気が差してしまうのも時間の問題でしょう」

 

確かにそれを言われれば一言もない。

みほが深く傷つき、黒森峰や西住流にうんざりしてしまったのは、ひとえに私の隊長としての力量不足だ。しかしだからこそ、今の黒森峰を変えようと私は決心したんだ。

私はその成果をみほやエリカに、そしてエミに見届けて欲しいと思っている。

 

「確かにエリカならそれを望むでしょう。でも、私は……無理矢理に戦車道をやっているエリカを見ているのが、辛いんです」

「無理矢理に……というと」

「今まで一緒にやってきた仲間が一転、敵になったんです。エリカがいくら意地を張ったって、私や隊長が味方になってやったって、以前のようにはなりません。毎日の練習にしたって、エリカは戦車に乗れもしないんですよ」

 

エミの言葉には熱があった。まるで自分のことのように友人の無念を語る、生々しい熱が。それは普段の飄々とした調子からは想像もつかない温度を伴って、私にぶつかってきた。

手のひらをきつく握り締め、上目遣いに私を見つめるエミは、さらに続ける。

 

「エリカは――責任を取る道があるとすれば、来年の全国大会で勝つことだって。黒森峰に優勝旗を取り戻すことしかないんだって、そう言ってました。それはエリカの言うとおりでしょう。でも、私はエリカにそんな、自分を傷つけながらやるような戦車道をさせたくない。そんな戦車道は間違ってる」

 

必死に訴えるエミもまた苦しんでいる。戦車道を愛するがゆえに。友達を想うがゆえに。共に歩んだ戦車道を忌まわしいものにさせたくないと、その一心で。

 

「それとも……私達が今までやってきた戦車道のほうが、間違いだったっていうんですか?」

 

エミの潤んだ瞳から、ひと粒の涙が零れ落ちた。

間違いなんかじゃない、お願いだからそう言ってくれと、目顔で懇願していた。

その姿は一枚の絵画のようでもあり、触れれば消えてしまいそうな儚いものにも思えた。私は思わず、エミの小さな背中に手を回して抱きしめていた。

 

「……わかった。エミ、お前の気持ちはよくわかったよ」

 

みほとエリカを転校させて一時的に黒森峰から遠ざけたとしても、いずれ二人を相応の地位に迎え入れて名誉を回復させることは叶うだろう。

だがそれも、二人が戦車道を好きでい続けてこそだ。今この時機を逃せば、みほとエリカが笑いあいながら戦車道をする日は二度と来ないかもしれない。エミはそう考えて、敢えて転校を提案したのだ。喧嘩になるかもしれないことも承知で。

ああ、間違いなんかじゃない。間違いであってたまるか。こんなにも友達を思いやれる心を育てた戦車道の、どこが間違いだというんだ。西住まほの名に懸けて保証してやるとも。

 

「……戦車道の先にあるもの、か」

 

ぽつりと口の中で呟く。多分、エミには聞こえていなかっただろう。

だが今は、ただの独り言で十分だった。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

黒森峰学園艦の右舷側にある海を臨む小さな公園は、かつて俺とみぽりんとエリカの三人でよく訪れた場所だったが、今は俺一人だけがそこにいる。

俺の手には1枚の写真が握られている。

中央にはみぽりんとエリカが写っていて、その周りには華さん、さおりん、秋山優花里殿、冷泉麻子ちゃん。みぽりんもエリカも、みんな笑っている。

先日、「こっちでも友達ができたよ」と、みぽりんが手紙と一緒に送ってきてくれたものだ。向こうに行ってすっかり元気を取り戻したようで、俺も安心した。

大洗で戦車道が復活したことも書いてあった。生徒会に請われて履修し、未経験者ばかりのチームを引っ張っているという。当然、エリカも一緒に。

 

決勝戦から数ヶ月が経ち、季節は冬を経て春になっていた。

まほパイセンがエリカの説得に協力してくれたおかげで、冬を待たずしてみぽりんとエリカは大洗へ転校していった。

さらにそれと前後して、パイセンは黒森峰戦車道チームに対して改革を行った。

まず部隊の綱紀粛正を掲げ、みぽりんやエリカへの嫌がらせに加担したものを徹底的に処断し、密告の奨励すら行ったほどだ。その結果、結構な数の隊員がチームを追い出されることになった。

スタメンがわずか一ヶ月でガラッと入れ替わったことを受け、パイセン自ら率先して一年生の教導に当たっている。優しく頼りがいがあると評判はいいようだ。

作戦会議でも学年に関係なく自由な議論をさせ、内容如何では一年生の提案も取り入れている。軍隊式のガチガチの上下関係を徹底していた頃よりはだいぶ風通しがよくなったと言えるだろう。

一方で戦車道の社会的・教育的意義についてパイセンなりに思うところがあるらしく、その手の講演会やら何やらによく誘ってくるようになった。「西住流の宗家の生まれでなければ、教師や学者になるのも面白かったかもな」と語っていたのを覚えている。

またウチの作戦に口出ししてくるスポンサーやOG会ともかなり頻繁にやり合っていて、西住流のあり方についてしほさんや西住流のお偉方とも激論を交わしているそうだ。さすがに心配になって大丈夫かと聞いてみたことがあるが、パイセンはどうってことなさそうに、

 

「私が西住流家元を襲名すればこんな雑音は消えてなくなる。心配はいらない」

 

と言ってのけた。それは要するにしほさんを倒すってことか? 在学中に殺る気なのか? ゆくゆく手伝わされそうな気がするが、パイセンには転校の件で恩があるし、断りにくい。

 

そう、あの時は形振り構わない泣き落としでパイセンの協力を取り付けたんだ。真正面からエリカに転校を勧めて、大方の予想どおりエリカを怒らせるだけで終わってしまったが、都合のいいことにまほパイセンが通りがかってくれたおかげで、みぽりんとエリカは大洗で仲良くやっているのだ。

自分でも、あそこで言った内容の何割が本心で、何割が口から出任せか判然としない。エリカを大洗に転校させる理屈もかなり無理筋だった気がするし。だが結果オーライだ。みほエリはすべてに優先するのだから。

俺一人じゃエリカを説き伏せることは難しかったし、借りを返す意味でも、しほさんと戦うくらいはやらなきゃならないのかもな。俺にできることなんてただひたすら弾を装填するしかないが、それだけは誰にも負けない自信がある。

……しかし、あの時は我ながら名演だった。卒業後は女優でも目指してみようかね。西住流の後継者をだまくらかした演技力、持ち腐れるには勿体無い。なにせ生まれたときからずっと「天翔エミ」を演じ続けているのだから。

 

まあ卒業後のことなんてそのときに考えたって遅くはない。それよりも俺は最後の仕上げをしなきゃいけないんだ。

みほエリを成すための、最後の仕上げを。

 

制服のスカートのポケットからスマホを取り出し、エリカの番号にコールする。

みぽりんとエリカが大洗に引っ越してからも頻繁に連絡は取り合っているから、問題なくつながった。放課後のこの時間なら戦車道の練習も終わっている頃だろう。

 

「もしもし、エリカ。私だ」

『もしもし、エミ? どうしたのよ急に』

「いや、ちょっと話があってね。みほは近くにいるかい?」

『? いないわよ。今はグラウンドに残って一年生に色々教えてると思うけど。呼んでくる?』

「いや、いいよ。手紙と写真、こっちに届いたからさ、伝えておいてくれ。みんないい顔してたってね。エリカも。安心したってさ」

『ちょっと、やめてよ。もう……わかった、あの子に伝えとくから』

 

茶化して誤魔化したが、みぽりんに聞かれる心配はなしか。ますます好都合。

 

『……それで、話って何なの?』

 

エリカが問う。俺が改まって「話がある」とくれば何か大事な用だと察しているに違いない。

俺は努めて冷静に、今日の夕飯の献立の話でもするように、なんでもないような話であるかのようにこう言った。

 

「うん。私さ、もうみほとエリカに連絡を取り合うの、やめようと思う」

 

電話の向こうでエリカが息を呑んだのが聞こえてくる。予想だにしていない言葉に困惑したエリカに畳み掛けるように言う。

 

「黒森峰は変わったよ。優秀な者は一年生でもどんどん登用してる。その分後輩の教導に時間を取られることも多くてね。単純に忙しくなってきたんだ」

『忙しいって……でも、電話くらい休みの日でもなんでもできるじゃない。どうしてそんな』

「ああ、そうだよ。だから今言ったのは表向きの理由。せっかくだからエリカにはきちんと教えておこうと思ってね」

 

表向きの理由なんて回り道を挟んだのは、会話のテクニックでもなんでもない。

単刀直入に話してしまうための心の準備ができなかっただけだ。五臓六腑を締め付けられるような罪悪感から逃避したい、俺の覚悟のなさの現われだ。ほんの数秒だけでも長く、エリカの声を聴いていたいだけだった。

さて、現実逃避はこの辺にしておこう。ここからが名優天翔エミの一世一代の大舞台だ。

 

「まほ隊長はいずれ君達を呼び戻すつもりでいるけど……私はそうじゃないんだ。君やみほに戻ってこられると、少し都合が悪くてね」

『は? な……何、言ってるのよ? だってエミが私達に転校を勧めたのだって』

「君らを可哀想に思ったのも確かだけど、私にはチャンスでもあった。副隊長と、一年の中でも特に優秀な君が消えてくれれば、私がまほ隊長に次ぐ黒森峰のNo.2になれる可能性があったからね。ほら、私って結構、隊長に好かれてるみたいだし?」

『嘘……そんなの嘘、やめてよ。エイプリルフールはとっくに終わったわよ』

 

エリカの声が俺を揺らがせる。今すぐにでも悪いジョークだったと、全部ひっくり返してしまいたい衝動に駆られてくる。

いや、震えるな。悲しむな。自分が世界で一番正しいと思い込め。

俺は本心から、自分の地位と権力欲しさに、みぽりんとエリカを追い出したのだ。そう信じ込むんだ。

 

「一応言っておくよ。大洗で素人相手の戦車道に満足したからって、黒森峰に帰ってこられても迷惑だ。君達の席はもうないんだから」

『……騙したの? 私と、みほを。あんたは、自分が副隊長になりたいからって、私とみほを利用したの……?』

「だからそう言ってるじゃないか。まあ、みほはあのまま黒森峰に留まらせて、完全に潰してしまってもよかったかもなぁ。でもそうするとまほ隊長に悪いし」

『あの子は! エミに感謝してたのよ! あんたのおかげで戦車道を嫌いにならなくて済んだって……いつかまた一緒に戦車道やりたいって……! そのみほを、あんたは騙したの!?』

「そうだよ。ついでに言うと、私の嘘を信じた君も同罪さ」

『……っ、あんたは!』

「悔しかったら全国大会で黒森峰を倒してみせるんだな。ウチから逃げ出した敗北者がどれだけ叫んでも負け犬の遠吠えだ。せいぜいがんばりたまえよ」

 

一方的に言い終え、終話ボタンをタップする。

そして俺は大きく振りかぶって、手に持ったスマホを海に向かって放り捨てた。スマホは放物線を描いてぐんぐん遠ざかり、やがて小さなしぶきを上げて海に沈んだ。

 

これでいい。これで俺は完全に悪役だ。

大洗が廃校を回避するために優勝を目指すなら、否が応でも黒森峰と決勝でぶつかることになる。万が一にも大洗が負けることなどあってはならないが、俺自身がその原因にならないとも限らない。

みぽりんとエリカには、俺への友情など欠片もなくしてもらったほうが戦いやすいだろう。何の遠慮もいらない。俺という明確な敵の存在によって、みぽりんとエリカはより強固に団結する。

そしてその先にみほエリは成る。

 

ああ、そうだよ。これでいい。これがベストの選択だ。

考えてもみろ。そもそもみぽりんが大洗に行かなければ大洗は確実に廃校になり、あそこに住む人達はみんな陸に下ろされてバラバラになる。

生徒会は廃校を阻止するという一睡の夢さえ見ることはできない。

華さんはイマイチな花を活け、さおりんは打ち込める何かを見つけられない。

麻子ちゃんは出席日数が足りず留年するだろうし、優花里殿はぼっちのままだ。

そしてみぽりんも、自分の戦車道を見つけることはできない。

みぽりんが転校しなければたくさんの人が不幸になる。エリカにとっても、みぽりんと一緒に転校したほうが幸せになれる。針の筵の黒森峰にいるくらいなら、大洗のほうがずっとマシだ。

 

俺一人が悪役になるだけでみんな幸せになれるし、俺はみほエリさえ成せればそれでいい。

誰も不幸になんてならない。

これでよかったんだ。俺は世界一正しいことをしたんだ。

 

 

 

だから、これも嘘なんだ。全部、何かの間違いだ。

とめどなく溢れてくるこの涙も、嗚咽も。込み上げてくる後悔も、絶望も、全部――

 

 

  

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

そこを通りがかったのはまったくの偶然だった。

この小さな公園で、愛すべき三人の後輩達が戦術論議に華を咲かせていた頃を思い出し、懐かしさからふと立ち寄りたくなっただけのことだった。

だから、そよぐ海風とみかん色の夕陽の中で立ち尽くすエミに出くわしたのも、きっと神の悪戯とでも言うべき何かの賜物だろう。

 

彼女は一枚の写真をかき抱いて、静かに泣いていた。

その涙の意味はわからない。けれど、エミの頬を濡らすそれは、きっと遠くにいる親友を思って流した涙なのだと私は信じた。

 

「エミ」

 

名前を呼ばれ、振り向いたエミを、私は何も言わずに抱きしめた。

思っていたよりも泣き虫だった後輩にこうしてやるのも、何ヶ月ぶりになるだろう。エミが落ち着くまで、私は胸を貸してやろうと思った。

 

今は悲しくても、いつか悲しくなくなりますように。

みほが、エリカが、エミが往く戦車道のその先に、どうか幸せが待っていますように。

 

私はただ、それだけを願っていた。




エミカスの敗因
・みぽりんの代わりにダイブしなかった
・まほお姉ちゃんの意識が高かった



この後、阿修羅をも凌駕する存在となったみぽりんとエリカとの最終決戦とか、黒森峰卒業を前にまぽりんとしぽりんの一騎打ちとか、まあ色々あるとは思いますが続きませんし始まりません。

あくまでもエミカスを幸せにせずにみほエリを成そうと思いましたが、まほエミの希望を残さなければ終われませんでした。非力な私を許してくれ。


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くろうさぎのみる夢

エミカスのEはピロシキのE
 




エミカス三次創作の同業者である、竜胆路紬様のダージリンさん被害者ルートのささやかな続きを書かせていただきました。
所謂四次創作です。

元ネタはこちらになります。
https://syosetu.org/novel/179404/15.html






※文中に引用した詩は、ウィリアム・ワーズワースの「雲雀に寄す」という詩です。


 

 

 

 

 

“天空の吟遊詩人 大空の巡礼者よ

 お前が地上を避けるのは 不安が多い故か

 それとも羽ばたき舞いつつ 心と目は

 地上に残した巣に注がれているのか

 そこへとお前は意のままに舞い降りる

 震える翼をたたみ さえずりをひそめ”

 

 

“山を飛び越え姿の消える瞬間まで

 向こう見ずにもさえずり続けるものよ

 お前は一瞬も巣を忘れない

 羽ばたきは草むらを揺るがしながら

 お前の歌声は 誇り高い巡礼者よ 

 春の野辺に響き渡る”

 

 

“森の繁みはナイチンゲールにまかせ

 輝く大空に羽ばたけ

 神々しい本能のままに

 世界を歌声で満たせ

 歩くことなく高々と舞い飛ぶ賢者

 天地の間を行き交うものよ”

 

 

 

 

 

不意に耳朶を打った穏やかな声が一編の詩を詠い上げ、私は不覚にも心地よさを感じてしまった。

それを恥ずべきことと内心で戒めながら、不本意な秘密を共有している『同居人』に、平静を装って言う。

 

「十八世紀の英国の詩人、ウィリアム・ワーズワースの詩ですわね」

「いい詩だな。いや、私には詩の良し悪しをどうこう言えるほどの教養はないけれども」

「善き言葉を受け入れられるかどうかはまず感性の問題よ。貴女にも人並みのそれが備わっているようで安心しました」

「全自動格言再生機が言うと説得力が違うな」

 

こうも明け透けな言葉を交わすのはまるで黒森峰やサンダースのようで、優雅には程遠いけれど、今更目の前の彼女に対してそんな風に取り繕うのも馬鹿馬鹿しくなってきているのが本音だ。

何しろあの日から六週間、六週間ですって? 本当に冗談みたい。

ほんの数名の諜報部員と、片手の指で足りるほどの保険医や用務員、それと他ならぬ私がこの秘密を抱え込んで、もう六週間!

戦車道チームの隊員達、アッサムやオレンジペコにさえこのことは話していない。まさしく前代未聞といっていい。

 

今の状況をよく御覧なさい。手足の生えたすばしっこい核爆弾がソファにもたれて、ワーズワースの詩を嗜んでいるのよ。しかも、聖グロリアーナ学園艦に身を置きながら、あの忌まわしい泥水を飲ませろなどとひっきりなしに要求してくる!

この子を匿っている私の気苦労といったら!

だのに、本人は私の気持ちなど知らんぷりでのほほんとバカンスを楽しんでいる。ほんの六週間前はストレス性の胃潰瘍で吐血するほどの状態だったのに、あの病状自体嘘だったかのよう。

あの日の私の決心を返して欲しいものだわ、まったく。

 

「……私はもう戻りますわ。何か欲しいものはありまして?」

 

ただしコーヒー関連の物品を除いて。

幾度か繰り返したやり取りを否が応にも思い返しつつ、返答を待つ。一ヶ月半もここに居座っているだけあって、彼女も私が目線で訴える内容によく気づくようになっているから、豆やミルが欲しいなどとは言わなくなってくれた。

今の彼女を私のチャーチルの装填手に据えたら、阿吽の呼吸で動けそう。それだけは絶対に御免被るけれど。

 

そして彼女――天翔エミは、少しだけ考えたあと、こんなことをのたまった。

 

「う~ん……たまには外に出たいな」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

――月――日

 

たまには外に出たいと言ったらウルトラ怒られたでござるの巻。

 

いや、だってさ、この部屋退屈じゃない?

俺の部屋も大概だったけど、まずこの部屋、そもそもに物が少なすぎる。ベッドと机とソファとキャビネット、あとは冷蔵庫くらいしかない。クローゼットには何日か分の着替えがまとめて置いてあるだけだ。

テレビもないのはさすがに辛い。今ならボコのTVシリーズを三周はできそうなくらい俺は娯楽に飢えている。

何か退屈を紛らわせるものを持ってきて欲しいと言うと、ダージリンの趣味かどうかわからないが、小難しい純文学とか詩集ばかり。

よって俺は食っちゃ寝するくらいしかやることがないが、ダージリンは頑なにコーヒーを飲むのを許してくれないし。あ、こっちだって紅茶をお断りしてるからおあいこか。

 

しかし紙とペンすらダージリンに頼まないと持ってきてくれないのには困った。

俺が自傷行為に走らないようにハサミとかカッターの類を取り上げるのはわかるが、ちょっと神経質すぎない? 大丈夫?

 

そりゃあまあ、匿ってくれと言ったのは俺だ。

ダージリンがあちこちに根回しして俺の足取りを掴ませないように取り計らってくれているのには感謝してる。医者まで連れてきてくれたのには頭が上がらない。

 

でもちょっとくらいいいじゃん? 俺だって外がどうなってるのか知りたいし。

 

 

 

――月――日

 

とりあえずダージリンに頼んで、変装用の服を何着か見繕ってもらった。

すると、いいとこの女の子が入学式かピアノの発表会にでも着ていくような、黒を基調にしたフリフリのワンピースを持ってきた。顔を隠せるようにとつばの広い帽子も用意してくれた。

悲しいかな、俺の身長と体型を考えればこういうのが一番よく似合う。

 

ついでにハサミを頼んだら、持ってきたのは幼稚園児が使ってそうな刃先の丸まった工作バサミだ。どこまで徹底してるんだこいつは。むしろ嫌味か。

 

で、そのハサミを何に使うつもりだと聞かれたので、俺は答える代わりに実行して見せた。

頭の後ろでくくっている長ったらしい髪を、短い工作バサミを使ってジョキンジョキン、とね。

ほら、こうやって髪型を変えちゃって、変装すれば案外気づかれないかもだろ?

 

名案だと思ったのだが、ダージリンは絶句していた。というかドン引きしていた。

そしてまた説教を喰らった。解せぬ。

 

 

 

――月――日

 

かつて俺は、俺の日記を盗み見てしまってSAN値がピンチな秋山殿に甘いものを食べさせて事なきを得た。

しかしただ甘いものを食べればいいってもんじゃあない。

やっぱり人間、陰気な地下室を出てお日様の下に出ないと元気が出ないってもんだよな。

 

そう思うだろう、ダージリン?

心配しなくたって、俺とお前は歳の離れた姉妹くらいに見えていたさ。「いかにも」って感じの変装用サングラス持ってきたときはつい笑っちゃったけど。

 

聖グロの学園艦の街並みをゆっくり見て回れたのも面白かった。やっぱり黒森峰や大洗とはぜんぜん違う。フィッシュ&チップスの屋台ってマジであるんだな。

果たして噂どおりのマズさ、しかも下味をつけてないと思ったら塩とかお酢とか自分でかけるのか。カルチャーギャップがすごい。

 

あと、コーヒーは相変わらず許されなかったが、その代わりホットチョコレートをダージリンに飲ませることに成功した。

 

やったぜ。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

エミさんが外に出たいなどと言い出したときに卒倒しなかった私の精神力の強さを評価してくれる人は、生憎と誰もいなかった。

 

でも、それだけで終わってくれたならよかったのに、まだ先があったのだ。

 

変装用の服を用意してくれと言い出したので、思いきりエミさんにお似合いの服を一式用意した。特にリアクションがなかったのは不満だったけれど、考えてみれば、この手の服がよく似合うと何百回となく言われてきたのだろう。

問題はそこからだった。予想外なことに、エミさんは私が用意した子ども用のハサミで、その長い髪を、躊躇うこともなく切り落としたのだ!

見る見るうちに、エミさんの髪は不揃いな長さで短く切り落とされてしまった。そして、エミさんはけろっとした顔でこう言うのだ。

 

「こうやって髪型を変えちゃえば、案外わかんないものだよ」

 

開いた口がふさがらないとはまさしくこのことだった。

同時に、この子はどれほど自分自身に執着がないのだろうと、私は少しだけ怖くなってしまった。

 

 

 

一回だけ、どうしても、一生のお願い、としつこく懇願され、ついに私は根負けした。

特別に、一日だけ気晴らしの外出を許すことにしたのだ。当然、保険医の診察と診断の上で、慎重に慎重を期して、だ。

本当に、自分から匿ってくれと言ってきたくせに、こっちの苦労も知らずに。私が破局を防ぐためにどれほど気を揉んでいるか。

エミさんのマイペースぶりにはつくづく呆れ果ててしまうが、しかし一度引き受けた手前、放ってもおけない。

 

そういうわけで、お目付け役として私も同行するという条件の下、私とエミさんは聖グロリアーナの街へ繰り出した。

 

ロンドンの街並みを再現したこの学園艦の風景は、私には見慣れたものだったけれど、黒森峰と大洗にいたエミさんにはとても新鮮みたい。

日除けの帽子と黒のワンピースを着たエミさんは、髪をバッサリと切ってしまったこともあって、まるで別人のよう。ウキウキと街を歩く姿は小さな黒ウサギみたいだった。確かに、遠目からではよくわからないだろう。

かく言う私も変装はしていた。エミさんと同系統の地味めな色の服装に加えて、カラーコンタクトにウィッグ。サングラスはエミさんに笑われたので置いてきた。普段私が街を歩けば、道行く人々に挨拶されて足止めされてしまうものだけれど、今は足取り軽く歩けている。

ビッグ・ベンをモデルにした時計塔や、ロンドン・アイを意識した川辺の遊園地の大観覧車、石造りの街のオアシスとも言うべきグリーンパーク。観光客が回るお定まりのスポットを、エミさんと二人でいくつも回った。シャーロック・ホームズ・ミュージアムの見学なんていつ以来だったか。

 

やがて私達は、マーケットの一画にあるカフェに立ち寄った。川に面した窓側の席に案内されて、ようやく一息つけた。朝から歩き詰めだったのでさすがに疲れてしまった。

私が紅茶を注文しようとすると、エミさんは先に店員に声をかけ、ホットチョコレートをふたつ注文してしまった。

どういうつもりかとひそひそ声の抗議をすると、エミさんはまた白々しい顔でこう言う。

 

「イギリス人だってホットチョコレートくらい飲むだろ。それにほら、いつもみたいに優雅なティータイムの作法を見せたら、ダージリンだってバレちゃうかも」

 

……ええ、エミさんの魂胆なんてわかりきっている。

紅茶党の私にあの泥水を飲ませようとしているけれどうまく行かないから、代わりにホットチョコレートで戦術的勝利を得ようというのでしょう。小癪な。

けれど、今は乗ってあげようと思う。正直言って、エミさんと議論をする元気はあまりなかったのだ。変装が見破られても面倒なことになるのは確かだった。

 

運ばれてきたカップを手に取り、口に運んだ。優しい甘さが、じんわりと身体の中に染み渡っていくよう。思わず、ほうっと息が漏れた。

エミさんは我が意を得たりとばかりにニヤニヤしていたが、無視した。

 

それからしばらく、静かな時間が流れた。

お互いの口数は少なかったし、予期せぬ聖グロリアーナ観光ツアーに付き合わされてしまって疲れていたけれど、何故だかとても安らいだ時間だった。

絶対にバレてはいけない隠し事を抱えた身で、ずっと気を張っていたから、こんな時間は久しぶりに思えた。

 

……まさかと思うけれど、エミさんは私を労うために外に出たいなんて言い出した?

 

いいえ、絶対に違う。この子が私にそんな気を遣うものか。自分が退屈していたから我が侭を言っているだけのこと。本当に呆れた人。

一瞬浮かんだありえない考えを否定していると、窓の外で鳥達の騒々しい鳴き声が聞こえた。川のほうに目をやれば、海鳥達が一斉に飛び立っていくのが見える。

ああ、エミさんに翼があったらよかったのに。そうすれば彼女は、みほさんとエリカさんの下から自分の力で飛び立ってゆくのに。どこまでも遠く、高く、人知れぬ空の向こうへ羽ばたいていってくれるなら、どれほど楽だったか。

 

そんな私の内心を知ってか知らずか、エミさんは、空を見上げながら呟いた。

 

 

 

“森の繁みはナイチンゲールにまかせ

 輝く大空に羽ばたけ

 神々しい本能のままに

 世界を歌声で満たせ

 歩くことなく高々と舞い飛ぶ賢者

 天地の間を行き交うものよ”

 

 

 

鳥達を見送るように諳んじたそれは、自由に天空を舞う雲雀を讃えた詩の一節。

 

エミさんはどこか遠い目をして、誰にともなく言う。

 

「……みほも、エリカも、飛んでいくんだ。どこまでも遠く、遠く、私なんかには届かないどこかへ。私は、二人を地上から見上げているだけでよかったんだよ」

 

エミさんが噛み締めるように口にした言葉を、私は表面上、聞こえなかったふりをした。

ここにいるのはダージリンでも天翔エミでもない。この言葉は西住みほにも、逸見エリカにも届かないのだ。

 

本当に、不器用な子。

 

だから私も、「――仕方ありません、もう少しだけ付き合ってあげましょう」と言ってやった。

目の前の誰かさんに届かなくても、それでよかった。




このルート、エミカスを匿ってることが露見したらダージリンさん死んじゃうんじゃないかなーとか思いながら書いてました。

竜胆路紬様、何か不都合がございましたらご連絡ください。すぐ消します


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EMIKAS SENTINEL 愛里寿の懺悔 前編

まずは本家様のifルートを読んでくれ。話はそれからだ。
https://syosetu.org/novel/175665/18.html


 

――月――日

 

黒森峰から継続に転校し、この小さな食堂を新たな住まいとして約半年が経った。振り返ってみれば本当にあっという間だった。

元々名門私立である黒森峰の授業進度が速かったこともあり、こっちの授業にも特に問題なくついて行けている。

店番のときにもやることがないと教科書とノートを広げて勉強してるくらいだし、傍から見ればガリ勉みたいに見えてるかもしれない。

 

そんなわけでこのたび無事2年生に進級したが、ここで戦車道をまた履修するかどうかについては結論を出せていない。

 

というのもあの時以来、ミカが俺の前で戦車道の話題を出すのを避けているようだからだ。

 

ミカ自身が何も語ろうとしないのであの夜に何があったのかはわからないが、ともかくミカが俺にやたらと気を遣っているのは確かだし、そんな中で戦車道を始めるのも気まずいものがある。

元々みほエリのためにやっていた戦車道だ。やる理由はもうなくなっているから、やらないならやらないで構わないのも実際のところだが、黒森峰時代のような打ち込めるものがない故の物足りなさを感じているのも確かだった。

 

まあ、食堂の店主代理をやって半年近くにもなるから、口コミで俺の淹れるコーヒーの味も評判になってきたし、このまま卒業後ものんびり働かせてもらうってのも悪くはないな。

いずれみぽりんとエリカをこの学園艦に招く日も来るかもしれない。その時は最高の一杯を淹れて、二人のイチャラブを心ゆくまで堪能させてもらおう。

 

 

 

――月――日

 

半年前よりは客入りの良くなったこの店だが、この半年でいくつか特筆すべき変化もあった。

 

その最たるものとして、ミカが店の手伝いをしてくれるようになったことだ。

戦車道の練習のない日は授業が終わったらすぐに店にやって来て、俺と一緒に厨房に立って調理の手伝いをしてくれる。ミカは意外に手際がよく、少なくとも俺よりは料理のセンスと生活力を感じさせる。

手伝ってくれるのと同じ程度の頻度でつまみ食いもするのだが、まあ誤差だよ誤差。ミカと一緒に料理できるという体験には万金の値がある。それに比べれば多少のつまみ食いなど問題にはならない。

看板娘が二人に増えて、しかもそのうちの一人は継続高校の戦車道チームの隊長だというのだから、そのことが話題になってお客さんは目に見えて増えている。

 

ただし、この店が繁盛することをミカはあまり喜んでいないみたいだ。

なんというかこう、ここは知る人ぞ知る隠れ家的な店みたいな静かな雰囲気のほうがいいらしい。客で賑わって騒がしいのはこの店らしくないそうだ。

まあ店長が相当な資産家でこの店も趣味でやっているようなものらしいから、店が流行らないとしても俺は一向に構わないしむしろ一生俺を養って欲しい。

 

だがうっかりこれを口に出したら、「じゃあ私が一生そばにいてあげようか」とかミカが言い出した。

何言ってんだミカァ! 正直目が怖ぇぞミカァ!

 

 

 

――月――日

 

寂しさからなのか、それとも存外俺の中に戦車道への未練があったのか。

きっかけは授業が終わった後に店を開けてテレビをつけたら大学戦車道の試合の中継をやっていて、ボコを抱いた女の子がインタビューを受けているのを見たことだった。

 

この世界に転生して島田愛里寿の姿を目にしたのは初めてだった。

 

見た限り原作との相違はない。飛び級して大学に入学して、若干13歳で大学選抜チームを率いている。島田流の誇る天才戦車道少女で次期家元で、ボコが大好きなのも変わらないらしい。だってインタビュー中もずっとボコ抱いてたし。

その愛里寿を見て、俺はなんとなく、本当になんとなくだが、ひとつ彼女にファンレターでも書いてみようと思ったのだ。

 

別に返事が来るのを期待したわけでもないけど……何と言ったらいいだろうか。

平和だけど物足りない気持ちが燻り続ける毎日に刺激が欲しかったとでも言えばいいのか。正直自分でもわからない。

ただ、せっかく愛里寿という原作キャラが戦車道やってるのを見たんだ。ガルパンおじさんの一人としてファンレターくらいは送りたくなるのが人情だろう?

みぽりんやエリカのように比較的近い存在じゃないからこそかもしれない。俺の推しカプが違えば、ひょっとしたらみぽりんにファンレターを送る俺もいたかもしれないのだ。

 

ともあれ、店を閉めた後にコンビニで切手と封筒と便箋を買い、『応援してます。がんばってください』的なことをサラッと書き上げてその日のうちにポストに投函したのだった。

 

まあ、返事なんか返ってくるわけないよな。夢見すぎだろ、いい年こいてさ。

 

 

 

――月――日

 

信じられない。

マジか? こんなことってある? ホントに? 嘘だろ?

 

先日愛里寿に送ったファンレターの返事が返ってきた。

 

これだけでもとんでもない驚きだが、内容も判を押したような定型文ではなく、きちんと俺に宛てた文章が綴られているのだ。俺の書いた内容を踏まえて返事を書いてくれている。

思ってたより字が綺麗だし、文章の構成もきっちりしている。育ちの良さってこういうところに出るんだよな。流石島田流の娘さんだ。

 

いやいや、落ち着け。社交辞令みたいなものにテンション上がりすぎだろ。我ながらキモいって。

でもアイドルオタクが推しからファンレターの返事など貰おうものならこんな風になるんだろうな。

ましてガルパンおじさんがガルパンのキャラから手紙を貰ったんだぞ? 浮かれるなというほうが無理難題だ。ヤバい、ウキウキが止まらないぞ。

 

そんなわけで、今日もまた余っていた封筒と便箋を引っ張り出して手紙を書いてしまった。

沼にハマり込む瞬間というのを己が身をもって体感したような気がする。

 

 

 

――月――日

 

今日はミカがすっかり不機嫌になってしまった。

なだめるのにコーヒーだけじゃなくて練習品のシュークリームを献上しなければならなかったくらいだ。アキとミッコも当然の権利のようにパクついていたがこれはいつものことなのでよしとする。

 

どうしてミカが急にヘソを曲げたかというと、どうも俺が愛里寿にファンレターを送ったのが気に入らないらしい。

その上「島田流は嫌いだ」とハッキリ言いもした。じゃあ西住流は? とは聞けなかったが、実際のところどうなんだろう。

 

しかし、ミカは昔島田流と何かあったんだろうか。

俺はロマンがあるから島田ミカ説やミカありは好きだが、あれはファンの妄想だ。それ以上でもそれ以下でもないしミカの過去はほとんど何も明かされていない。当然ミカが島田流の関係者だったなどという言及はない。

最終章の続きで何か明かされたのかもしれないが、残念ながら俺は最終章の続報が来る前に前世からピロシキしたのだ。何かがあったのだとして知りようがない。

ミカの様子を見るに、迂闊に深入りすべき問題でもなさそうだ。今後は彼女のいる前で愛里寿の名前を出すのはやめよう。

 

 

 

――月――日

 

また愛里寿から返事の手紙が来た。やったぜ。

 

しかも愛里寿も俺のことを調べてくれたらしい。以前何かの雑誌のインタビューで天翔エミの名前を見たことがあると思って気になったとか。

中学の頃受けたあのインタビュー自体は黒歴史もいいところだが、人生何がどう役に立つかわからないものだ。

 

去年の全国大会決勝の事件がきっかけで継続高校に転校した経緯も、聖グロや黒森峰にいる知り合いから聞いたそうだ。

この件について愛里寿は割と同情的に書いていた。

 

なるほど大学選抜チームの隊長だけはある。ライバル流派の西住流のお膝元にも知り合いがいるとは、流石に顔が広い。

あるいは千代さん関係の繋がりだろうか。ともあれ、俺に興味を持ってくれるのは結構嬉しいもんだ。

ミカには悪いけど、やっぱ愛里寿に手紙出すのやめらんねーわ。

 

そして俺は今日もドキドキしながら返信を出したのだった。まるで文通みたいだ。

 

 

 

――月――日

 

愛里寿との文通が俺の日々に彩りを添えてくれているのは言うまでもないが、近頃戦車道関連のニュースに事欠かないことも俺を退屈させなかった。

 

“名無しの死神”――戦車道やってるときのミカはこう呼ばれているらしい。

 

ミカ・アキ・ミッコの乗るBT-42がミッコの卓越した操縦技術もあって色々とありえない挙動をするのは周知のことだが、ミカの指揮も相当なものだ。

ミカは試合中もカンテレをポロロンとやってるが、驚くべきはそのカンテレの演奏で乗員に細かい指示を出せるということだ。音の強弱や緩急が一種の符丁になっていて、アキとミッコはそれを正確に聴き取って操縦に反映させられるとか。ホントかよ。

しかも今年のミカの指揮は目に見えて大胆かつ攻撃的で、チャンスを見逃さず確実に相手チームの戦車を撃破したかと思うとすぐさま姿を消して敵に尻尾を掴ませない。そしてまた新たな敵の死角に忍び寄り、狩る。

サンダースや聖グロといった強豪相手の練習試合でもその戦法を披露し、継続を弱小の貧乏高校と侮った連中を一人残らず戦慄させたという。

 

「戦場にフィンランドの民謡が流れたら死神が来た合図だ」

 

そんな噂が流れているレベルらしい。ホントかよ。

 

しかし、店に顔を出して手伝ってくれるときのミカは到底死神などとは思えない。

今日だっていつものようにロールケーキをつまみ食いして、それを注意されてもやたら韜晦した物言いで煙に巻こうとしてくる。うん、いつものミカだ。

戦車道のことを聞いても「それを語ることに意味があるとは思えないな」などとはぐらかしてくるので、“名無しの死神”の噂の真偽の程を追及しても徒労に終わるだろう。

 

まあ、ミカらしいといえばミカらしいか。別に無理に聞き出すようなことでもないし、そっとしておこう。

今日は久しぶりにみぽりんとエリカにメールを送ってさっさと寝るか。

 

 

 

――月――日

 

みぽりんのメールの闇が深い。

2年生に進級してからというもの、多くのストレスを抱えて辛そうなのが痛いほどに伝わってくる。

 

特にまほパイセンやしほさんとの関係が悪化していることが気がかりだ。

なんでも昨年の練習試合で、相手の隊長に「天翔エミをかばいもしなかった薄情な連中」と痛烈に批判されたことがきっかけだったそうだ。

みぽりんからすればまるっきり的外れな中傷というわけではなく、俺に責任をおっ被せて追い出した形になってしまったのは確かだし、パイセンもしほさんも自分の立場や都合ばかりで力になってくれなかったとみぽりんは思っているようだ。

俺ごときのために西住家の家族仲が悪くなってしまうとかこれは天翔エミ=サンのピロシキ案件では?

 

みほエリのために好き勝手やった挙句黒森峰を去った俺が言うのもなんだが、みぽりんに俺への友情と人倫に基づいた理由があったように、パイセンには戦車道チーム隊長としての立場が、しほさんには西住流宗家の次期家元としての立場がある。

パイセンは肩書きこそ隊長だが、実態としては西住流のお偉方と黒森峰の隊員達に挟まれた中間管理職のようなもので、あまり出過ぎた言動に及ぶことは憚られるのだろう。

それに大人にだって万能じゃない。できないことなんかいくらでもある。

まして原作のように実の娘に対してならまだしも、俺など赤の他人だ。しほさんだって、たかが娘の友達のために己の進退を賭けてはくれないだろう。

俺一人が責任を背負い込んで転校することで丸く収まるならそれでよかろうと俺は思っている。こっちとしてはみほエリが成せればそれでよいのだから。

 

今のところはみぽりんに「家族でよく話し合うといい」とアドバイスするに留めた。流石にこの件についてエリカを頼れと言うのは酷だろう。

俺に家族はいないし、俺は誰の家族でもない。黒森峰の生徒ですらなくなった俺には西住家の問題に首を突っ込めないし、どうやって解決すればいいのか見当もつかない。

 

ただ、時間が解決してくれるような問題でもないことだけは確かなのだ。

 

 

 

――月――日

 

愛里寿と数回に渡って手紙のやり取りをしてきたが、今回は極めつけにぶったまげた。

なんと、近々継続の学園艦に来る用事があって、せっかくだから直に会ってみたいという申し出があったのだ。

 

俺としても愛里寿に会えるなんて願ってもないことだった。

ここ数週間の文通を通して、内気で人見知りな割に丁寧な筆致でまめに返事をくれる愛里寿に俺はすっかり夢中になっていた。

欲を言えばボコミュージアムで会いたかったものだが、向こうから足を運んでくれるというのも望外の喜びである。

自分でも滅茶苦茶舞い上がっちゃってるのは自覚してるが、こんな展開を誰が予想できるっていうんだ?

 

継続の学園艦に来るのは今度の日曜日とのことで、ウチの店で極上の一杯を淹れて待っている旨を書き、手紙をポストに投函した。

いやあ、生きてると良いことってあるもんだ。それとも日頃の行いかな。

さて、日曜日までに店の大掃除だ。あと最高の豆を仕入れておかないと。

 

 

 

――月――日

 

なんで???????????????

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

黒絹の手袋と白磁のコーヒーカップの対照は、俺には何かを暗示するようなものに思えた。

まさに貴婦人そのものという風雅な立ち居振る舞いは、街の片隅の小さな食堂にはおよそ似つかわしくない。ここは暇を持て余したり、俺のコーヒーを気に入ってくれた学生達が出入りする店であって、大学戦車道連盟理事長という大仰な肩書きの人が来るような場所ではない。

 

だが、俺の内心の動揺など気にした風もなく、目の前のご婦人――島田千代さんは、俺の淹れたコーヒーに顔を綻ばせるのだった。

 

「貴女のコーヒー、とっても美味しいわ。天翔エミさん」

 

にっこりと笑った表情は、しかし俺の不安を和らげてはくれなかった。

そりゃあそうだろう。俺は愛里寿がここに来るものと思っていたんだ。それなのに、当日の約束の時間になってみれば、ここに訪れたのは愛里寿のお母さんのほうだったのだ。

驚きのあまり絶句してしまった俺に構うこともなく、千代さんはカウンター席に座ってコーヒーを注文したのだから、俺は黙って渾身の一杯を淹れるより他になかった。

 

「……ありがとうございます」

 

コーヒーの味を褒められたので、とりあえずそう言うしかなかった。この状況について何を問うべきなのか全然整理できてなかったし、千代さんが話してくれるのを期待してもいたからだ。

果たして、千代さんはハンドバッグから折り畳まれた紙を取り出して広げて見せた。それは俺のこれまでの経歴を記した、調査書のようなものらしかった。

 

……俺のことを調べていた? 愛里寿ではなく、千代さんが? 何故?

 

「天翔エミ。両親並びに親戚はなく、○○市郊外の児童養護施設で育つ。幼少の頃から戦車道に興味を示し、地元の戦車道クラブに参加していた。小学校卒業に伴って施設を出て、黒森峰女学院中等部に入学。同校の戦車道チームに入隊し、装填手を務める……」

 

千代さんは手元の書類に目を通しながら、すらすらと俺の経歴を読み上げ、品定めするように俺を見た。

 

「去年のあの事故、大変だったわね。西住流は貴女に全責任を押し付けて黒森峰を辞めさせ、貴女は今まで積み上げてきたものをすべて失った。ひどい話よ」

「……いえ、私が勝手にやったことですから。味方に怪我人が出なくてよかったですよ」

「ふぅん……西住流に思うところはないの?」

「見捨てられたとか、責任を押し付けられたとは思ってません。やるべきだと思ったことをやったまでです」

 

これは本心だった。俺の人生のすべてはみほエリを成すためにあるからして、必要とあれば増水した川にも飛び込むし学校も辞める。みほエリが成せぬとあればこの世からピロシキすることも辞さない構えだ。

みぽりんやエリカが俺のために怒ったり、気に病んだりしているとしたら、そんな必要はないと言いたいのだが。

 

千代さんは俺の答えに感心したように目を細め、改めて切り出した。

 

「まず貴女には謝らなければいけないわね、天翔エミさん。貴女、愛里寿に手紙を送ってくれたでしょう?」

「……はい。彼女のファンのつもりですから」

「貴女に返した返事、あれは私が書いていたのよ。愛里寿は貴女の手紙を読んでもいなかったわ。手紙とかプレゼントは中身を検めて、ほとんど捨てる決まりになっていたから……騙すようなことをしてごめんなさい」

 

千代さんの口から明かされた衝撃の事実だったが、実際のところ俺はそこまで驚きはしなかった。むしろ腑に落ちたと言うべきか。

 

言われてみれば、13歳の女の子が書いたにしては文章が整いすぎていたし、字も綺麗すぎる。そもそも人見知りの愛里寿が顔も知らないファンの手紙にこんなに返事をくれるだろうか。

それに愛里寿を溺愛している千代さんのこと、ファンからの贈り物ひとつにも目を光らせて当然だ。島田流の誇る天才美少女に妙な悪戯を仕掛けてくる輩だっているだろうし、本来俺のファンレターなど捨てられて当然と言われればそうなんだろう。

 

しかし不可解なのは、何故俺の手紙の返事をわざわざ千代さんが書いてくれたか、という点だ。

この美貌の貴婦人が13歳の娘のふりをしてせっせと手紙を書いていたという倒錯的な事実については……まあ、そうねえ……。

 

「それでここからが本題。私が愛里寿を装ってまで貴女に接触したのは、貴女に興味があったから」

「それは……そうでしょうけれど、でもどうして? 私は黒森峰を辞めて、今は戦車道だってやってません。貴女なら知ってるでしょう」

「ええ、もちろん。それでも私は貴女の装填手としての能力が欲しいと思ったし、今日実際に会ってみて確信したわ。貴女はとっても良い子だって」

 

日本戦車道の二大流派と称される島田流を取り仕切る女傑は、俺に喜悦に満ちた表情を向ける。しかし俺は、それがライオンが牙を剥いて威嚇してるのとどう違うのか判断に迷わざるを得なかった。

 

「天翔エミさん。貴女、うちの子にならない?」

 

千代さんは夕飯にでも誘ってくるかのような気安さで、俺にそう言った。

 

嬉々として輝く貴婦人の眼差しに射抜かれ、何故だかゾワゾワとした悪寒が押し寄せてくる。言い知れぬ感覚に身震いし、返す言葉のひとつも口に出せない。

 

うちの子? つまり――島田家の養子ってことか?

マジ? そんなバカな。これは間違いなくピロシキ案件だ。許されんことだ。

転生オリ主が島田家の養子入り? 愛里寿と義姉妹? お前、それは……ダメでしょ???

 

だけど千代さんのプレッシャーに圧倒されている俺は、断るにしてもどう切り出せばいいかわからなくなっていた。

第一、千代さんの側は俺が断るなんて欠片も思っていなさそうで困る。どうして俺ごとき砲弾を装填するしか能のない奴を欲しがるのか理解不能だ。

大人のやることだからといって一から十までもっともらしい理由があるとは限らないものだが、俺には千代さんの考えていることがサッパリわからない。

 

「悪い話ではないと思うの。私としては、優れた装填手であり偵察兵である貴女がどうしても欲しい。貴女は最高の環境で戦車道が続けられるし、私達が家族になってあげられる。不自由な暮らしはさせないわ。どうかしら?」

「その申し出は嬉しいですけど……買い被りですよ。私は装填手しかできない一兵卒にすぎません。きっと島田さんを失望させてしまいます」

「あら、ずいぶん謙虚なのね? もっと自信を持っていいのに」

 

くすくすと笑いながら、千代さんはカウンター越しに俺の顔にそっと手を伸ばす。

頬を撫で回す黒絹の手袋の肌触りが心地よいが、俺の身体は緊張で金縛りにあったみたいにガチガチに固まってしまう。

 

「……可愛いわ。エミさん、すごく可愛い。ますます欲しくなっちゃう」

「え、ええと、あの……」

「貴女を最も活かせるのは西住流ではなく、島田流よ。私の下に来ることが貴女にとってベストな選択なの。わかってくれるわよね? 愛里寿だってきっと喜んでくれるわ」

 

千代さんは優しく言い聞かせるようでいて有無を言わせない口調で、俺の瞳を覗き込みながら言う。目が怖い。なんか誰かに似てる。割と最近こういう目をした人にこういう目を向けられたような気がする。

だけど、それは誰の? こんな昏い光を宿した目を、俺はどこで見たんだろう。

その瞳の奥は吸い込まれそうなくらい深くて、途方もなく綺麗だった。そんな、底なしの闇を湛えた目の持ち主は……。

 

俺が記憶の引き出しをひっくり返して千代さんと同じ目をした誰かを探していたその時、店のドアが開かれてアンティークのドアベルが軽快な音を鳴らした。

 

「日曜も開けてるなんて珍しいね。何かの記念日かい? それとも、特別なお客さん?」

 

戸口に立っていたのは、いつものようにカンテレを抱えたミカだった。

心なしか弾んだミカの声にわずかばかりの安堵を覚えるが、俺の目と鼻の先で千代さんの陶然とした表情は一瞬で消え失せ、ゾッとするほど冷たい目を振り向けた。

千代さんの不快感に満ちた視線が、ミカを射抜くように注がれる。

 

そして――そこにいたのが島田千代であったことに気づいたミカもまた、驚愕に目を見開き。

 

その顔が見る見るうちに憤怒と怨嗟に昏く彩られていくのを、俺は見てしまった。

 

今まで一度だって見たことはない。こんな表情をしたミカは。

 

 

 

「どうして……どうしてお前がここにいる! 島田千代ッ!!」

 

 

 

静謐を破り、“名無しの死神”と呼ばれた女の絶叫が響き渡った。




続きます。


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EMIKAS SENTINEL 愛里寿の懺悔 中編

失敗作だって、見捨てられりゃ傷つくし、腹も立つんだがね。


私は目を疑った。

何故あの女がここにいる。何故、エミのいるこの店にあの女が踏み入っている?

 

対して、あの女はいかにもつまらないものを見るような目で私を見てきた。鼻持ちならない上から目線。他人を下らないもの、価値のないものと断じることのできる傲慢な視線。

数え切れないくらい私に向けられてきた、あの目。

その目に射抜かれると同時に、葬ろうとしてきた過去がフラッシュバックしてくる。

 

不安と、孤独と、絶望に彩られたあの日々の記憶が蘇り、負の感情が無尽蔵に湧き出してくる。

一瞬ごとに、私の心が怒りと憎しみに塗り潰されていく。

私という器に注がれた激情があっという間にあふれ出し、島田千代への憎悪の権化となって私は叫んでいた。

 

「どうして……どうしてお前がここにいる! 島田千代ッ!!」

 

私の絶叫を、しかしあの女は泰然と受け流して、呆れたように肩をすくめた。その余裕ぶった態度も私の神経を逆撫でするには十分だった。

 

「……そういえば『あなた』もこの高校にいるんだったわね。あーあ、エミさんに会いに来ただけなのに、とんだ邪魔が入っちゃった」

「エミに……? エミに何の用がある。彼女をどうする気だ!?」

「『あなた』には関係ない。大人のすることに口を挟むものではないわ」

 

気に入らない。あの女が口から吐き出す言葉のすべてが癇に障った。

私も、エミも、大人のすることに翻弄されてきた。大人の思惑に振り回されて人生を狂わされた。

所詮島田流も西住流も同じ穴の狢だ。その中でもこいつは極めつけだ。自分の都合のために他人を利用することしか考えられない女が、エミに触れていいわけがない。お前なんかにエミは渡さない!

 

「ここはお前がいていい場所じゃない! 出て行け! エミに近づくな!」

「あら、おかしいわね。そんな決定権が『あなた』にあるのかしら?」

「うるさい! いいからさっさと……!」

「ミカ!」

 

横合いから投げかけられた声に、私はハッとした。

カウンターを出て私のそばに駆け寄ってきたエミが、不安げな表情で私の顔を覗き込んでいる。

 

「落ち着いて、ミカ。いい? 大丈夫、大丈夫だから」

 

エミは私の手を握り、幼子をあやすように私をなだめる。彼女の小さな手のひらに包まれて、確かな熱が伝わってくる。こちらをまっすぐに見つめる大きな瞳から、私は囚われたように目が離せなくなった。

怒りに沸騰した頭が、急速に冷めていくのがわかった。エミの前で冷静さを欠いて醜態を晒してしまったと思うと、途端に恥ずかしくなってしまった。

 

「あ……ああ、ごめん……熱くなってしまって」

「うん。大丈夫、ここは私に任せて」

 

私が落ち着いたのを確認すると、ミカはあの女に向き直って言う。

 

「……島田さん。さっきの話、今すぐお答えすることはできません。もう少しだけ時間をください」

 

決然とした面持ちで告げるエミを、あの女は少しだけ意外そうに見やる。

あいつがどんな提案をエミに持ちかけたかは知らないが、島田の家名と財力からして、断られたり返事を先送りにされることなどありえないと思っていたのか。

 

「そう。いきなりの話だったもの、考える時間は必要よね」

 

怖気が走るような微笑とともに、あの女が言う。そして財布から紙幣を取り出してカウンターの上に置き、ハンドバッグを手に取って入り口へ歩いていき、エミの前に立つ。

少し屈んでエミと目線の高さを合わせてから、あの女は言葉を続けた。

 

「美味しいコーヒーをありがとう、エミさん。いい返事を期待してるわ。それと……」

 

そしてチラリとこちらに視線をやり――その目にはありありと侮蔑の色が浮かんでいた――こう言い放った。

 

「ひとつアドバイスしてあげる。くだらない人間と付き合っていても貴女の才能を腐らせるだけよ」

 

ゴトン、と乾いた音がしたかと思うと、私はあの女に向かって身を乗り出し、エミに制止されていた。あの女に掴みかかろうとして抱えていたカンテレを放り出したことにすら、数秒も経ってようやく気づいた。

エミはその華奢な身体と細い腕から想像もつかない膂力で私を抑えつけ、悠然と立ち去るあの女の後姿を見送った。

 

カランコロンとドアベルが鳴らす穏やかな音が、静けさを取り戻した店の中に響いていく。やがてそれも静謐の中に溶けてゆき、二人分の吐息のみが残った。

 

 

 

全身にのしかかってくる疲労感に圧されるまま、ふらふらと近くの席に歩いていき、テーブルにすがりつくようにして座った。

胸の中に吹き荒れた怒りの嵐が過ぎ去り、その後に残ったのは、ただ言いようもない哀しみの灰燼だけだった。どうしてだろう。あの女をこれほど憎んでいるのに、どうしてこんなに哀しくて、寂しくなるんだろう。

身体に力が入らない。もう何もする気が起きない。

ほんの数分前までは、エミにコーヒーを淹れてもらって、一緒にご飯を食べて、日曜日らしくのんびり過ごそうと決めていたのに。

 

それなのに何故。どうして。なんであの女が、また私の前に姿を現したんだ。

 

しかもよりにもよって、エミを? あの女はエミに何をしようとしていたんだ。

私から何もかも取り上げておいて、その上エミまで奪っていこうとするのか。

悪い夢だと思いたかった。いや、そもそもこれは現実に起こった出来事なのか?

それとも私は、12歳のあの日から、決して醒めない悪夢の中を彷徨い続けているのか?

 

胸の奥で、今も膿んだままの傷跡が痛みに疼いている。

記憶の彼方から忌まわしい声が聞こえてくる。私の身に降りかかった出来事がめまぐるしく押し寄せてくる。

 

『――あなたはもう要らないの』

 

あの日、冷ややかに投げかけられた最後の言葉が記憶の彼方から蘇り、ズキズキと痛む古傷を抉った。

もう何年も前のことなのに、脳裏に焼きついた記憶があまりにも鮮明に蘇ってくる。忘れたいと願っても忘れられない記憶が、消そうと思っても消せない過去が、私を苛んだ。

 

しばらくの間、テーブルに突っ伏して頭を抱えて、じっと背中を丸めていた。

ただ、怖かった。あの女のあの目が。記憶の中にあるのと寸分違わぬ、あの冷酷な視線が。

所詮お前は捨てられた子どもなのだと、呪わしい事実を改めて突きつけられたようで、身体の震えが止まらなかった。

 

けれど――押し寄せる感情の波濤に押し流されそうな私を現実に繋ぎ止めたのは、目の前に置かれたたった一杯のコーヒーだった。

嗅ぎ慣れた芳香が鼻腔をくすぐり、私の意識を引き戻す。

いつの間にか、対面の席にはエミが座って、顔を伏せて肩を震わせる私を見守っていたようだった。顔を上げた私に、エミはいつもの調子で言う。

 

「砂糖は四個でよかったよね? ほら、あの夜もそうだっただろ」

 

エミの言う「あの夜」がいつのことを指すのかは言うまでもない。

あの時は思い返すと赤面してしまうくらいみっともない姿を見せてしまった。そして、彼女もまた大人の思惑の犠牲になった子どもなのだと知った。

戦車道という競技をエゴの腐臭にまみれさせ、自らの利益のために利用する大人どもに吠え面をかかせてやる。

高みから見下ろしているつもりの奴らを全員地獄に叩き落としてやる。

そんなケツイを胸に私は“死神”になったのに、その正体といえば何のことはない、ただのひとりぼっちの子どもに過ぎなかったというわけだ。

 

いや、エミのことはただのきっかけでしかなかったのかもしれない。私はただ、自分の中に燻っている報復心を爆発させてやりたかっただけで、エミの哀れな境遇を言い訳に使っただけなのかも……。

そう考えれば、私もエミを自分のために利用した者の一人ということになる。こんな滑稽で醜い行いがあるだろうか。私は自己嫌悪でエミの顔を直視できなかった。

 

エミが差し出してくれたカップを手に取り、口をつける。

普段とは違って砂糖が多めに入った甘い甘いコーヒーは、それでもエミ以外には淹れられない素晴らしい味だった。

冷え切った心と身体に一縷の熱が染み渡り、いつの間にか震えはなくなっていた。本当に、エミの淹れるコーヒーは魔法みたいに優しい。

 

「……私ね、島田さんに誘われたんだよ。うちの子にならないかってさ」

 

エミが吐息混じりにこぼした言葉に、私は目を見開いた。同時に、あの女の思惑が透けて見えるようだった。

あの女にとって大学戦車道を席巻する大学選抜チームなど、愛する愛里寿の将来の踏み台でしかないと見切っているに違いないのだ。島田流を体現するよう英才教育を施し、たった一輌の戦車で戦局を左右することができる、まさに天賦の才を持つ愛里寿。車長としての技量は西住まほをも凌ぐかもしれない。

その愛里寿を支えるに相応しい人材を、大学や社会人チームからだけでなく、高校戦車道からも集めようということだろう。黒森峰に根を張り高校戦車道に大きな影響力を持つ西住流とかち合うことになるが、そのリスクを冒してでも、というわけだ。

私もエミの転校前の活躍ぶりについて校長から聞いたことがある。純粋な身体能力の高さゆえに装填手として屈指の実力を持っていたこともさることながら、非公式の練習試合でのことではあるが、なんと戦車を降りて森を駆け回り単独偵察任務をこなしたという情報まであった。

なるほど定石にこだわる西住流には馴染まないやり方だが、島田流であれば喉から手が出るほど欲しい人材だろう。いかなる戦局にも対応可能なワンマンアーミー、それこそ島田流の目指しているものだ。

 

「島田さんは私をずいぶん買ってくれてるみたいだったけど、イマイチピンと来なくてさ。自分にそれだけの価値があるかどうか、わからなかった」

 

あの女はエミを戦車兵としての素質でしか評価すまい。そして悔しいが、あの女の目は本物だ。エミが自分にとって価値のある人間だと、彼女を心底欲しいと思わなければわざわざ継続高校の学園艦などに足を運ばないはずだ。

そして私も、一人の友人としてエミに何者にも代えがたい価値を見出している。戦車道に関係なく、私はエミにここにいて欲しいと思っている。

見方や目的は違えど、私もあの女も同じ人を求めている。奇妙な偶然もあったものだ。神様とやらの悪意を呪いたくなってくる。

 

「それに……ミカは昔、島田さんと何かあったんだろ? その辺りの事情を聞いとかないと答えは出せない」

 

確認するように言うエミの真剣な眼差しが私に向けられた。流石にあれほど取り乱しておいて隠し通せはしないだろう。

 

「……私の過去なんて語ったところで、それに意味があるとは思えない」

 

だけど、自分でもよくわかったんだ。

私はあの女を憎んでいる。それは間違いなく断言できる。しかし、偶然であるにせよ私と会ったというのに、あんなにも冷淡な態度を取られて、私は言いようのない哀しさと虚しさを感じてしまった。

いい思い出なんかひとつもなかったくせに、私はまだ未練がましくあの女を恋しがってもいる。私のことを気にかけていてくれはしないかと密かに期待している。つながりなどとうに切れてしまっているというのに。

そんな自分のことを改まって話すのに、私は強い抵抗感を禁じえなかった。認めざるを得ない、けれど認めてしまえば、自分を支える芯のようなものが折れてしまう予感がする。

つまらない自尊心とエミへの信頼のせめぎ合いで、私の胸は軋んでいた。

 

「あるよ」

 

逸らした視線を追うように顔を傾げたエミは、ふっと笑った。

それはエミが時折見せてくれる、不思議と大人びて見える表情だった。

部屋に忍び込んだりつまみ食いしたりしても笑って許して受け入れる、母親のような表情。

あの女が私に向けなかった顔。

私がどんなに求めても手に入らなかったものが、そこにあった。

 

「私が知りたいんだよ、ミカのことを。それに島田さんの言葉を信じていいのかわからないけど、ミカの言葉ならきっと信じられる。友達だからね」

 

その言葉が決定打だった。

相手がどんな金持ちでも、権力があっても、エミは私なら信じられると言ったんだ。友達だから、ただそれだけでいいのだと。

 

エミはこんなひねくれた子どもの言うことでも全力で受け止めてくれる。自分も孤独を抱えたひとりぼっちの子どものくせに。

いや、だからこそなのだろうか。他人の寂しさや心細さが理解できるから、ひとりぼっちの隣に寄り添う、もう一人のひとりぼっちでいてくれるのかもしれない。

受け入れて、受け止めて、寄りかからせてくれる。温かいコーヒーをそっと差し出して見守ってくれる。ただ友達であるというだけで、それを許す。

それが天翔エミという人間なのか。

西住まほがエミのことを気にしていた理由が今更ながらわかった。彼女は間違いなく黒森峰のムードメーカー、精神的支柱になりうる。そのエミを心ならずも手放すことになったのだから気にするなと言うほうが難しいだろう。その意味で、西住まほもエミに寄りかかっていた人間の一人だった。

 

……なら、私も自分のことを洗いざらい話して、後はエミの判断に委ねよう。

きっと彼女なら受け止めてくれると、私も信じているから。

 

コーヒーカップの黒い水面にぽつんと雫が落ちて、波紋を広げる。頬に一筋あふれ出た涙を拭って、私はエミに向き直った。

 

「……つまらない話だよ」

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

島田流師範にして次期家元、島田千代の長女。その肩書きこそ私が人生で最初に与えられたものだった。ただ、その肩書きが私に要求する役割がどんなものか、幼い私にはよくわからなかった。

だけど今ならわかる。それはこの社会を回す一個の歯車であるということであり、戦車道という名の巨大な戦争ごっこを演出する側に回るということだ。

そのために戦車道の大家を持って任じる島田流は強くあらねばならないし、地元の企業、特に軍需産業との良好な関係を保っておかなければならない。

 

戦車道という血の流れない戦争は、あまりにも巨大な消費イベントだ。

全国大会のたびに無尽蔵の燃料と砲弾が浪費され、修理資材、乗員の装備、糧食、その他諸々の莫大な需要を生じる。結局、人間は戦争なくして社会を維持できない動物だということなんだろうね。戦車道がもたらす経済効果は戦後の好景気を支える大きな要因となっていたし、国内外の軍需産業の影響力を大きくしてきた。

それだけじゃない。大会の会場に指定されて戦場となった街が瓦礫の山と化せば、大仕事が降って沸いた土建屋も、政府から巨額の給付金が降りてくる住民も小躍りして喜ぶだろう。今は陰りを見せているとはいえ、本来どれだけのカネを生む事業であることか。

戦車道が学園艦を持つ学校で栄えてきたのも決して偶然じゃない。戦車や学園艦の部品を供給する重工業、学園艦を建造・整備する造船業との利害関係だって当然ある。近頃文科省が推し進めていると聞く学園艦統廃合計画にしたところで、どこの企業の上役が書いた筋書きなのだろうね。

そんな無数の関連企業や利権亡者の議員とのズブズブの癒着関係を保ち、業界の中で存在感を示してイニシアティブを確保するために、日本戦車道の二大流派は反目しあっているわけだ。

島田流、あるいは西住流ここにありと内外に示しスポンサーを納得させなければ、ただでさえ金食い虫の戦車を何十輌もまともに稼動させることは難しいという切実な懐事情もある。

要するにそれぞれの流派がアイドルとなる選手を擁立し、活躍させるってことだ。そのためにも、次期家元の娘となれば相応の才能と実力をもって華々しく活躍することが求められるし、ついでに言うと容姿も優れていたほうがいいだろうね。

 

私にしろ愛里寿にしろ西住姉妹にしろ、戦車道というビジネスに衆目を集めるための見世物になるために産まれてきたようなものなのさ。

 

 

 

その点で言うと、まあ、自分に何の才能もなかったとは言わないよ。

少なくともちょっとばかり年上なだけの凡庸な戦車道家などには負けたことはないし、特に相手を誘き寄せてからの奇襲戦法には定評があった。

だけど私が持って産まれた才能の質と量は、島田千代の要求する水準には達していなかったらしい。

私が最初に違和感を覚えたのは、3歳くらいの頃だったか。

お母さんと一緒に遊ぶゲームくらいに思っていた兵棋演習で、もちろん私は島田千代に勝てた試しなどなかったが、それがあの女には不満だったらしい。目を瞠るような特異な戦法を編み出すこともない。せいぜい基本的な定石の組み合わせだけだ。

幼稚園にも入っていない子どもに彼我の戦力の測定や地形効果の把握、状況に応じた戦術案の検討をこなし、大人に勝つなど望むべくもないと常識的には考えるだろう?

しかしあの女に言わせれば「私があなたくらいの頃には出来ていた」とのことだ。嘘なら性質が悪いし、本当だとしても常に自分を基準にしてしか物事を考えられない女だということになる。西住流の西住しほもそういう人種なのかな。

 

とにかく、私が自分の期待していたほどの人間でないことが徐々に明らかになってくるにつれて、島田千代の態度は常軌を逸してきた。出来損ないをモノにするために必死だったんだろう。だんだん島田千代が私にかける声は厳しく、向ける目は冷たくなり始めた。

座学も演習も、毎日毎日、朝から晩まで、くたびれてヘトヘトになるまでやらされた。片手の指で足りるくらいの年齢の子どもにだよ? 本当にどうかしてる。

5歳になると戦車にも乗り始めた。愛里寿が産まれたのはその少し前くらいかな。

そのときは、妹ができたことは純粋に嬉しいと思っていたよ。お姉さんになるんだから今以上にがんばらないと、とも思った。

今にして考えれば、愛里寿は失敗作の私の代わりに作った子どもだったのは明らかだし、妹の存在が私に発破をかけることを狙ってもいたんだ。

でも相変わらず、私は島田千代の求めるようにはできなかった。夫を尻に敷いて島田流のすべてを取り仕切る女の求めていたのは、島田流を体現する一騎当千の傑物であり、島田流の権勢を世に知らしめるスター選手だ。

残念ながら私は、秀才どまりの二流の戦車乗りでしかなかった。

 

私が10歳になって、愛里寿は5歳になるかならないかの頃。愛里寿が戦車に乗るようになって、家に私の居場所はなくなっていた。その頃になると、あの女は私よりも愛里寿の方こそ可愛くて仕方がないんだと、ハッキリ理解していたよ。

その頃の私はもう、「要らないほうの子ども」だったんだ。

君も知ってるかもしれないけど、愛里寿は本物の天才だった。内気で人見知りな性格だけど、人一倍勘が鋭くて飲み込みも速い。信地旋回で車体の角度をずらすことで敵の砲撃を避けたりダメージを受け流して有効判定を出させないなんて芸当、他の誰にできると思う? たった一輌で相手チームの戦車の大半を撃破するような指揮を5歳の妹が振るったなんて信じられるかい?

当然、相手をした門下生の誰一人として手加減なんかしていない。愛里寿を相手に手加減をして撃破されてあげるなんて真似をしたら島田千代直々に破門されかねなかったからだ。

若干5歳にして圧倒的な才気の片鱗を見せる愛里寿は、既に周りの大人達を問題にしない異端の強さを身につけようとしていた。

まさしく、島田流が求める至高のワンマンアーミー。それに相応しき大器を持って愛里寿は産まれてきたんだ。

 

戦車道に関する限り、島田千代は私と同様のスパルタ教育を愛里寿に課していたと見えたが、私生活においては溺愛もいいところだった。愛里寿が欲しがったもので、あの女が買い与えなかったものなどないと言い切れる。傍から見てもどうかと思うくらい極端な甘やかし方をしていた。

一方で失敗作の私に対しては、事務的な必要最低限の会話があるだけだ。私の目を見て会話をしてくれたことなど何回あったか。私に何も告げずに愛里寿と一緒に出かけて、たくさん買い物をして帰ってきたことなんてザラだった。そんなことが、日常の中に数え切れないくらいあった。

表面上は不自由をさせていないというだけで、不出来な姉と将来有望な妹とで明確に扱い方に差をつけていたし、あの女はそれを悪いとも後ろめたいとも思っていなかったみたいなのが、尚更キツかった。

人間というのは生きてきたようにしか生きられないものさ。島田千代の子育ての手本になったのが自分自身の経験だと考えれば納得できなくもない。才能に恵まれた人間は大事に扱われて当然、能力不足の人間はたとえ実の娘であっても邪魔者扱い、それが島田流の常識なんだとね。

出来損ないの姉として心配だったのは、愛里寿が弱い人間は軽んじ、蔑んでもいいという偏見の塊に育ってしまわないかということだったけど、今愛里寿がどうなっているのかは私にはわからない。今となっては確かめようもないからね。

 

あの女と愛里寿が楽しそうにしているのを見ていると、世界中で私の味方なんか誰もいないみたいに思えて辛かった。もしかして私の悪口を言ってるのかも知れないと考えると胸が押し潰されそうになった。

わざと泣き喚いたり悪いことをして関心を引いてみようかとも考えたけど、そんなことしたって鬱陶しがられるだけだってこともなんとなくわかってしまった。

せめて島田家の子どもとして恥ずかしくないようにって、学校での勉強もスポーツも、死に物狂いでがんばって成績優秀な優等生になろうとしていたし、それは実際成功していたけれど、私はあの女が最も重要視している分野で愛里寿を超えることはできない。

どれほど努力したところでお母さんが私を褒めてくれることなんかないだろうって思いがあったけど、でも家名に傷をつけるような真似をして本当に捨てられてしまったらどうしようって思って、今更優等生をやめることもできなかった。

親っていうのは、子どもにとって最も拠り所になって欲しい存在なんだと思う。当時の私にとって「お母さんを嫌いになること」なんか考えもつかなかった。何をしたって無関心にあしらわれるだけだとしても、自分がお母さんの期待するような「良い子」になれば、愛里寿みたいに可愛がられて大事にしてもらえるという期待から抜け出せなかったのさ。

 

その期待にすがりついていなければ、私はきっと生きていられなかったから。

 

 

 

……その期待が最低最悪の形で踏みにじられたのが、私が12歳、愛里寿は7歳のときだった。

 

その頃には「島田流に稀代の天才用兵家あり」という評判が、戦車道関係の企業や学園艦の関係者に広まり始めていた。

愛里寿は大人達が束になっても敵わない、本物の才能を持った人間だ。母親の愛を一身に受けていることに嫉妬のような鬱屈した感情はあったけど、妹が認められているのはそれ以上に誇らしかった。なんだかんだ言って可愛い妹だったからね。

愛里寿の側が私をどう思っていたか? ……それは、怖くて確かめられなかったけれど。

そんな折、珍しく私は島田千代の下に呼び出された。

一体何事かと思ったけど、近く愛里寿を島田流と付き合いのある方々にお披露目するから、模擬戦の相手をせよということだった。

愛里寿の社交界デビューの当て馬にしようとしているのは目に見えていたが、私は千載一遇のチャンスが巡ってきたと思ったよ。

ここで私が愛里寿に勝つことができれば、お母さんも私を見直してくれると。愛里寿に恥をかかせることにはなるが、彼女はまだ7歳。5歳年上の姉と戦って負けたとしてもそんな重大事と受け止める者はいないだろうってね。

これこそ、私がお母さんに愛される最後のチャンスだと感じていた。

お母さんはずっと私と愛里寿を平等に扱ってこなかった。私に一切の配慮をせずに思いきり愛里寿だけを甘やかしてきた。けれどお母さんだって本当は私を愛したいと思っていて、私が完璧な良い子になりさえすれば、その成果を見てもらいさえすれば解決できるんだと、そんな甘い夢を見てしまった。

わかっていたはずなんだ。そんなものは、ただの現実逃避の妄想でしかないということくらい。

 

模擬戦の相手に任じられたその日から、私は前にもまして必死になって練習した。

本来、私と愛里寿とではまともにやり合っても勝てないだろうことはわかっていた。分が悪いどころの話ではない。なら情報戦で優位に立つしかないと思って、愛里寿の練習の記録を片っ端から見て研究した。情報と時間は時に金や宝石より価値があると、私はこのときに思い知った。

様々な状況を想定したシミュレーションも徹底的にやった。愛里寿ならばどうするか、この策は愛里寿に通じるのか? 私は今まで島田流で学んできたすべてをぶつけるつもりだった。でなければ、私の無様で滑稽な人生を肯定することなどとてもできない。作戦の焦点はすべて「愛里寿を倒す」ということのみに絞られた。

幸い、使用する戦車は同じものを使うことになっていた。試合は現在の大学選抜チームでも採用されているM26パーシングが五輌の編成で行われる。私と愛里寿は両チームのフラッグ車、乗員は門下生の中から腕利きが選出される。

条件は同じ。なら純粋な実力と、この試合にかける執念が勝敗を分かつ。私は寝食を忘れて練習と戦術研究に打ち込んだ。

……それまでの人生の中で一番死に物狂いで戦車道に向き合った理由が、ただお母さんに振り向いて欲しかったからというのも、寂しい話だけれどね。

 

結論から言って、私は負けた。完敗だったよ。

確かに私は愛里寿を研究して徹底的に対策を練った。しかし愛里寿は戦いの最中にも私のチームの動きに順応し、一輌、また一輌とこちらのパーシングを撃破していった。むしろ私の意図を読みきり、完全に私を圧倒していた。

寮機を次々と撃破される中で、愛里寿の才覚は私の執念を易々と超えていくほどのものだということを再認識させられた。

呆気ない、あまりにも呆気ない幕切れだった。少なくとも私にとっては、拍子抜けなくらいあっさりと、自分の未来が閉ざされてしまったように思えた。

 

だけど、周りで見ていた奴らはそうは思っていなかった。

居並ぶ招待客達は私と愛里寿の試合を観戦して興奮気味に、口々に愛里寿を褒め称えていた。素晴らしい試合だったとか、島田流の姉妹の熾烈な攻防とでも見えたみたいだったけど、私は最初から愛里寿に完全に負けていたんだ。所詮見る目のない外野の意見だよ。

 

それよりも私を打ちのめしたのは、試合の直後にあの女の口から告げられた言葉のほうだった。

 

「皆様、ご覧頂けましたでしょうか? 私の愛娘であり、島田流の正式な後継者である愛里寿の活躍を」

 

自分の耳を疑ったよ。島田流の後継者? 愛里寿が? まるっきり初耳だ。あのときはそんな話、全然していなかったじゃないか。

私をかませ犬にしようとしているのには察しがついていたけど、最初っから愛里寿を自分の跡継ぎに指名しようとしていた? だとしたら、まるで、私は。

 

あの女が招待客に向けて何事かスピーチをしていたけど、その内容はまったく頭に入ってこなかった。

頭の中で最悪の未来予想図が出来上がりつつあった。

 

愛里寿という神童の登場にこれからの島田流の一層の隆盛を予想してか、大企業の社長や地元出身の議員先生その他が盛り上がっている中で、あの女が呆然と立ち尽くす私の下に歩いてきた。

 

あの女がこれから何を告げようとしているか、私にはわかってしまった。

 

――お願い、やめて。お母さんはきっと、私の想像しているとおりの言葉を言おうとしている。

言わないで。お願いだから。それだけはダメ。聞きたくない。

 

「今までよくがんばったわね。でも、それも今日でおしまい」

 

嫌だ。やめて。どうして? 私が弱かったから? 良い子じゃなかったから?

 

「『あなた』にも聞こえたわね? これからは、愛里寿を正式に島田流の後継者として育てていくことに決めたの。だから」

 

そんな呼び方しないで。お願いだから。どうして私の名前を呼んでくれないの?

愛里寿が島田家の跡取りになるなら、私はどうなるの?

どうしてお母さんは、そんなに冷たい目をしているの?

 

どうして――

 

「――あなたはもう要らないの」

 

 

 

――その瞬間、島田千代は、親としての一線を越えた。

 

 

 

 

 




またリアルに体調を崩しそうな闇属性の話を書いてしまいましたがもうちょっとだけ続くんじゃ。


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EMIKAS SENTINEL 愛里寿の懺悔 後編

 
ミカの過去を聞いたことを、俺はじわじわと後悔し始めていた。
いつものような韜晦した言い回しが一切出てこない。彼女の口にする一言一句がまるで血を吐くようだった。心が締めつけられるように息苦しい。
ミカはどれだけの悲しみと苦しみを胸の奥に埋めさせたまま、今日まで生きてきたというのだろう。誰にも癒せない傷を抱えたまま 、誰にもそれを明かさずに。

ミカの話を聞くのに何の覚悟もなかったわけじゃない。彼女が千代さんと過去に何かあって、大変な思いをしたんだということは容易に予想がついたし、もしそうだとしたら受け止めてやりたいとも思った。元気づけてやれたらいいと思った。
だがミカの語った内容は想像以上に凄絶で、俺は自分の甚だしい思い上がりを自覚させられた。親子関係で計り知れないトラウマを抱えた彼女に、俺の言葉や存在は意味を持ちうるのだろうか。俺の淹れるコーヒーなんか何の慰めになるのだろうか。

「……誰も助けてくれなかった。その場にいた大人達は、誰も。門下生も使用人もみんなあの女の操り人形にすぎなかったし、政治家も大企業の重役も戦車道協会のお偉いさんも、戦車道の大家が自分の子どもを見捨てたっていうのにそれを咎めもしない。怖かった。当時の私には、戦車道という競技に関わるすべての大人達が、まるで人間の姿をした怪物みたいに見えたよ」

その大人達を人間の姿をした怪物と呼ぶなら、俺もきっとそうだ。
ミカにこんな悲しい顔をさせてしまった罪はあまりにも重い。この世からピロシキした程度では到底足りない。

「それからは……元々居場所のなかった実家だけど、そこにも居させるわけにはいかないってことで分家に預けられることになったんだ。でも、私は島田の臭いが染み付いた場所にはもう一秒だっていたくなかった。島田家に媚びへつらう連中は私を捨てたあの女を思い出させるし、愛里寿とも距離を置かなきゃって思ったからね。愛里寿は可愛い妹だけど、恨まずにいられる自信はなかったから……お母さんの愛情を独り占めして私の居場所を奪った張本人だって考えてしまうことも、一度や二度じゃなかったしね」

自嘲するようにミカは言う。5歳年下の妹へまでも猜疑心を向けること、12歳の子どもにそれをさせる環境。何もかも歪んでいる。胃がねじれるような不快感を惹起され、俺の顔面の筋肉も強張ってしまう。
何より不快なのは、そんな境遇に身を置き傷ついてきたミカに何かしてやれると思っていた、傲慢な自分自身だった。

天翔エミ、お前って奴は一体全体何様のつもりだ? たかが一山いくらの転生者が、年上ぶって、物分りのいい頼れる大人にでもなったつもりか? ミカの抱えていた孤独を今日になって初めて知ったくせに、力になってやりたいなんて、何を勘違いしていやがる。俺に何がしてやれるっていうんだ。この馬鹿野郎が。

「それで、小学校を卒業してすぐこの学園艦に乗艦したよ。西住流とも島田流とも特に関わりのない学校だったからね。そういう学校ならどこでもよかったんだけど、分家の人達はもちろん、あの女だって私の進路について一言も言って来やしかったなぁ。……それからね、ここの中学にも戦車道はあったんだけど、これが笑っちゃうくらいレベルが低くてさ。それこそ戦車をまっすぐ走らせることすらできてないくらい。……でもみんな、本当に楽しそうに戦車に乗ってたんだよ。島田の家じゃ見れなかった光景だった。そんな戦車道があるなんて初めて知ったし、本当に島田流から離れて自由になれたんだって、そう思うと嬉しかった。でも、私の帰る家は本当にもうないんだって、そんな風にも思えた」

島田家に生まれ、12歳で事実上の追放を言い渡されるまで、ミカの世界は徹底的に閉じていただろう。子どもの世界なんてのは自身の行動範囲内がすべてで、家と学校が世界の全部だという感覚は珍しいものじゃない。
辿り着いた先の継続の学園艦で、戦車道が楽しいものだという認識を得たのはミカにとって幸いだったと信じたい。負わされた義務ではなく、みんなが自由に行使できる権利としての戦車道にミカは出会えた。戦車道を楽しむ仲間ができた。ミカの世界が大きく広がった。そうでなければあまりに救いがない。

「……戦車道には、人生に大事なすべてのことが詰まってる。いつか、エミに言ったことがあったよね。戦車道は私から家族との繋がりを奪ったけれど、戦車道を続けたからこそアキやミッコやエミに出会えた。広い世界に出て、私の知らない戦車道がいくつもあるのを知ることができた。戦車道は辛いことも悲しいことも嬉しいことも楽しいことも、全部を私に与えてくれた。戦車道がなかったら今の私はないって、そう言い切れる。……だから、時々わからなくなるんだ。私は戦車道を愛しているのか、憎んでいるのか。戦車道と人生を共にしようとしているのか、何もかもぶち壊してやりたいと願っているのか……?」

それはちょうど、ミカが千代さんや愛里寿に向ける感情と同じであるかのようにも見えた。敢えて無責任に論評するなら、自分を蔑ろにされた怨念と、家族への想いがない交ぜになって、ミカ自身もその気持ちに名前をつけられないでいるんだろう。
それは悲劇だと俺は思った。ミカは自分で作った檻に自分を閉じ込めてしまっている。鉄格子を開ける鍵はどこにも見つからないまま、ミカの心は囚われている。どうやってそこからミカを連れ出せばいいのか、誰にもわからない。

俺の心に湧き上がってきたのは怒りではなかった。怒る資格など俺にはない。
それでも、悔しかった。何もしてやれない自分が情けなくて、苦しくて。強いて怒りの矛先があるとすればそれは自分自身に向かう他ない。
どうあがいても過去は変えられない。だけどよりよい現在と未来を導き出す方法もわからない。何も変えられない。俺なんかにはミカを救えない。そんなこと、少し考えれば最初からわかりきってることだったはずなのに。
目じりからこぼれ落ちた雫が、テーブルに落ちて弾ける。これは何のための涙だ? ミカを哀れむだけの涙なんて今一番不要なものだ。俺は込み上げる嗚咽に全身を震わせながら、胸の内に伝えるべき言葉を探した。けれど、俺が何を言っても気休めの嘘にしかならないような気がした。

「ごめん」と言いかけて、俺は寸でのところでその三文字を飲み込んだ。謝罪なんて何の意味もない。それを口にするのは最低の裏切りだ。
赦しを請うようにミカに向かって差し伸ばした手を、ミカの手がそっと受け止めた。手と手が重なり合い、握り合わされる。

「――ありがとう、エミ。私の話を聞いてくれて。こんなに自分のことを喋ったのは初めて……」

涙で滲んだ視界の大半を、同じように目に涙を溜めたミカが占めた。
今度こそ限界だった。重ね合わせた手にすがりつくように顔を伏せ、俺は祈るように涙を流した。
わかってる。俺が何リットル涙を流そうと、どんなに言葉を並べてミカを慰めてやろうと、物事は解決しない。解決できるだけの力など俺にはない。

だけど、後悔にうずくまって自分を責め続けていても、前には進めない。

俺は俺にできることをやる。それが何かはまだわからないけれど、それでも、俺はミカの友達だから。
 
 
 
 
 


 

――月――日

 

今日は店を休みにした。

今は、考えをまとめる時間が欲しい。

 

 

 

――月――日

 

ミカの過去を聞いてから――いや、聞き出してから、俺はずっとミカのことを考えている。

 

取り返しのつかないことだったかもしれない。

けど、人生ってのは取り返しのつかないことや後戻りできないことだらけだ。それでも時間は進むし人生は続く。

悔やむよりも前に進まなければならないと、あの日決めた。

 

だが実際問題、島田家の親子関係を修復することなど俺には不可能だ。そもそも千代さんのほうにそんな気がない。修復以前にまともな親子だったかどうかさえ怪しい。

じゃあ俺にできることは何だ? いや、俺はどうしたいと思ってる? 俺はミカに何を伝えたいんだろう? それさえ言葉にできたら、あとは行動に移すだけなのに。

今日も答えを出せないまま、無為に時間だけが過ぎていった。

 

……そういえば、今週いっぱいで選択必修科目の希望を出さないと。

 

 

 

――月――日

 

珍しくみぽりんから電話が来た。それも授業が終わってすぐくらいの時間にだ。普通なら戦車道の練習を始めているだろうに。

……いや、大体想像はつく。最近隊長のまほパイセンと折り合いが悪くなっているし、何かしら理由をつけて休んだんだろう。隊長と副隊長の不仲なんて部隊の士気に関わる。

 

みぽりんから話を聞いてみれば大方の予想通りと言うべきか。

この土日で実家に戻ったみぽりんは、しほさんにかねてから聞こうと思っていたことを聞いたそうだ。

すなわち、「もしも、決勝戦のとき味方を助けに行ったのがエミさんでなく私だったら、お母さんはどうしてた?」と。

 

原作を知っている俺としては、それを聞くのはあまりにも危ない賭けだと思った。

あのしほさんのことだ、副隊長のみぽりんが現場を放棄した挙句十連覇を逃したとなれば、西住流師範の立場から叱責せざるを得まい。親としての内心がどうであれ、まずは私情を押し殺し公の立場を優先させる、しほさんはそういう人だ。

そして、しほさんの答えは俺の予想した通りのものだったそうだ。

想像してみる。

そのときのみぽりんの内心は、期待を裏切られた失望か、期待を裏切った相手への軽蔑か、無駄な期待をしたことへの自嘲か、それともすべてなるようにしかならないと悟った諦念か。

いずれであったにせよ、自分の身に起こったことのように胸が痛くなる。だが、立場ある大人がそのように振舞ってしまうことも理解はできてしまう。

俺が飛び込もうがみぽりんが飛び込もうが、それは黒森峰戦車道チームという組織を動かす歯車であることを辞めたということに他ならない。人命尊重も理のある言い分だが、壊れた歯車の詭弁と言ってしまうこともできる。結果として黒森峰は負けたのだから言い訳の余地はない。壊れた歯車ならすぐに交換するのが道理だ。

畢竟、しほさんも自分を西住流を動かす歯車と規定し、大きな仕組みの中に嵌め込んでしまっているのだろう。それはきっとまほパイセンも、エリカも、誰も彼も同じだ。誰もが何かを動かすためのシステムに嵌め込まれている。自覚があるとないとに関わらず。そして、磨り減って動かなくなるまで回り続けるのだ。

 

だが、みぽりんはそんな理屈なんて求めていなかった。ただ信じさせて欲しかっただけだ。西住流とかそんなものは関係なしに、自分が正しいと信じた行いを肯定し助けてくれると。それが正しい家族の形だと。

そして、自分と同じ志を持った友達に対しても同様に救いの手を差し伸べてくれると、みぽりんは娘として期待していた。

その期待が裏切られ、みぽりんとしほさんの対立はかなり深刻なものになりつつあるようだ。

 

みぽりんが一旦ヘソを曲げると相当に頑固だ。あるいは西住家の女性というのはみんなそうなんだろうか? 原作知識で語らせてもらえば、もうビックリするくらい不器用な親子だ。拗れると長いのは嫌ってほどよくわかってる。

まったく、だから「家族でよく話し合え」って言ったんだ。

母親や姉が相手だからって、勝手に期待して勝手に失望してるんじゃないよ。そういうところがみぽりんの妹らしい甘えん坊な部分なんだ。可愛いから許すけど。

しほさんも、難しく考えることなんか何もない。単にみぽりんが甘えて構って欲しがってるだけくらいに捉えられないのか。ホントにもう。

 

……さて。これでまたひとつ、放っておけない案件が増えてしまった。考えてみるとこの継続高校でも遠く離れた古巣の黒森峰でも、友達の家庭の問題に首を突っ込もうとしている。どういう巡り合わせがあればこんな状況が生まれるのやら。

いい加減PP(ピロシキポイント)が貯まってきてるんだが、ピロシキしてる暇もありゃしない。後でまとめて実行するにしてもいつになることやら。

 

 

 

――月――日

 

特に何事もなく店を閉めた後、部屋にミカがやってきた。相変わらず窓からのエントリーだ。

何をしに来たかなんて今更問うまでもない。

 

俺とミカが一緒に4人分の夕飯を作っていると、アキとミッコも遅れてやってきた。まったく予想通りだ。たまにはデザートのひとつも持参してきて欲しいもんだが、それほど期待はしてない。俺の部屋に来ればタダ飯にありつけると考えていることは先刻承知だ。

というわけで、何の打ち合わせもなしに俺達は集まって、今夜のささやかなディナーを楽しんだ。今日はザリガニ料理に挑戦してみた。塩茹でしたりビスクを作ったり、丸ごと揚げてみたり。

ザリガニ料理に舌鼓を打つアキ、「可食部分少なくない?」と文句を言うミッコ、黙々と誰よりもたくさん食べるミカ。彼女達を見ながらこの世界に生まれたことを感謝する俺。そして食後には濃いめのコーヒーを一杯。

俺達4人が集まったときはいつもこうだ。色気より食い気の継続高校チームは今日も平常運転。ミカも、この間のことなんかまるで表に出さない。こうしていると、あの日のことが悪い夢だったみたいに思える。

 

ここまでならまあいつものことだったんだが、今日に限って普段と違うことがひとつだけあった。

それはミカもアキもミッコもお泊り用の荷物を持参していたことだった。

つまり今夜は俺の部屋でお泊り会である……いや、ちょっと待って? 俺そんなん全然聞いてないんだけど。これはまたピロシキ案件ですね……たまげたなぁ……。

 

やむをえない、ここはさっさと寝てしまおう。でなければ死ぬ。俺が。なんか爆発して死ぬ。

それでは諸君おやすピロシキ。

 

 

 

――月――日

 

昨日の夜、何があったかはまったく覚えていない。そういうことにしておこう。

俺のPP(ピロシキポイント)が天井知らずに増えまくった気もするがきっと気のせいだ。どうせ今際のときにどれほど惨たらしく死ぬかの差でしかない。

 

だが、覚悟は決まった。

 

どこかの誰かが言っていた。俺にしかできないこと、それが俺のやるべきことだと。

なら俺も俺にしかできないことをやる。

それはたとえば、千代さんに電話をかけるとか。

 

あの日、千代さんがカウンターに置いていった千円札の下に、携帯の番号が書かれたメモが残されていたことに気づいたのは、ミカが店を出た後のことだった。

決心がついたら連絡してこい、ということだろう。俺にとっては渡りに船の話だ。

俺は元より千代さんちの子どもになるつもりはなかった。そりゃあ島田家の養子になれば奨学金の返済の心配はしなくていいし、バイトも一切必要なくなるだろう。最高の環境で戦車道ができるってのも嘘じゃないと思う。愛里寿と義姉妹になるのも完全なピロシキ案件ながら、興味を惹かれないと言えば嘘になる。

だけど、それは今の俺には必要のないものばかりだ。俺が欲しいのはカネでも可愛い妹でもなく、まして娘におねだりされたら潰れかけのテーマパークのスポンサーにもなってあげるような優しい母親でもない。

 

俺の大事な友達に、親子の絆とか、家族の愛情とか、そんなありふれた当たり前のものを信じさせてやりたい。

 

何の憂いも迷いもなく、戦車道が好きだと言えるようになって欲しい。

 

ただそれだけだ。

 

俺は千代さんに電話して、ふたつのことを伝えた。

ひとつは、今年から継続高校で戦車道をやることに決めたから、今回の誘いはお断りさせていただくということ。

そしてもうひとつは、今年の全国大会で継続高校の戦いぶりを見届けて欲しいということ。俺達がどこまで行けるか見届けた上でまだ俺が欲しいと思ってくれるのなら、もう一度誘って欲しいと頼んで、通話を終えた。

とりあえず言っておかなければならないことは言った。

千代さんが俺の……継続高校の戦いを見ていてくれるなら、きっとミカのことも見ていると信じる。

今更ミカを娘として見ることはないかもしれないが、それでも一人の選手として、俺の知る中でも特に優れた戦車道家としてミカを見つめ直してくれるなら。そんな願いを込めた、短い通話だった。

 

……それじゃあ千代さん、ご縁があったらまたお会いしましょう。

 

 

 

――月――日

 

私、戦車道やります。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

第63回戦車道全国高校生大会、二回戦――黒森峰女学園vs継続高校。

 

空は厚い雲に覆われ、空気はどんよりと湿っていて寒々しい。会場の空を群れ成して飛ぶ鳥達も心なしか居心地が悪そうで、そんなどこか息苦しささえ感じるような天気の下でその試合は執り行われた。

その日の戦場に設定されたのは黒い森(シュバルツバルト)を髣髴とさせる鬱蒼とした針葉樹林だった。

森や寒冷地の戦いを得意とし、“名無しの死神”を擁する継続高校は戦車道ファンの間では今大会のダークホースとして注目を集めていたが、しかし相手は王者黒森峰。昨年の事故で十連覇を逃したとはいえ、西住姉妹が揃っている黒森峰はまさに無敵であり、試合開始の合図を待たずとも勝負の行方はすでに見えたと思われた。

いかに“死神”といえど、すぐさま黒い森の狩人達に狩り立てられその心臓に砲弾を撃ち込まれるだろう。誰もがそう思っていた。

 

実際、継続高校の保有戦車は黒森峰に比べればお粗末の一言であった。フラッグ車のBT-42からして戦時急造品のような代物であり、他の戦車もⅣ号戦車やⅢ突、出所の怪しいT-34やKV-1――継続高校側はプラウダ高校との鹵獲ルール戦で入手したと言い張っているが、プラウダ高校側は盗まれたものであるとして抗議を繰り返している――の混成部隊である。

隊員の練度もバラつきが大きく、いかにフラッグ車に乗るミカ・アキ・ミッコの3人の技量がずば抜けているとしても、さすがに黒森峰に対して明確な有利を主張できるほどのものではない。

事実、試合開始から二十分も経たないうちに黒森峰のお手本のような電撃戦により継続高校側の車輌の大半が撃破され、もはや戦いの趨勢は決したと思われた。

 

だが、黒森峰戦車隊は乱戦の中でミカのBT-42(“名無しの死神”)を見失ってしまった。

 

黒森峰に戦術上の落ち度はなかった。緒戦の余勢を駆って一気にフラッグ車を仕留めることに失敗したことも責められるほどのものではない。今逃げられたとしてもゆっくりと時間をかけて追い詰めていけばいいだけの話だった。

――相手が“名無しの死神”でなければ。そして、継続高校に天翔エミがいなければ、その戦術は最大の価値を有しえたであろう。

 

 

 

何か異常なことが起きている。西住まほがその事実に肌を粟立たせていたとき、BT-42を見失ってからすでに一時間が経過していた。

 

決して油断があったわけではない。継続高校を、“名無しの死神”を侮ったつもりは毛頭ない。緒戦からの一時間の間で残敵掃討は完了し、すでに継続高校の車輌はフラッグ車一輌を残すのみだ。

だが、十分ほど前から、行動不能となり脱落する車輌が出始めた。

森のような遮蔽物が多い環境はミカの最も得意とする戦場である。各個分散しフラッグ車を捜索している隙を狙ってやったのかとまほは考えていたが、行動不能となった車輌からの報告を聞いてその考えを改めなければならなかった。

 

曰く、

 

キューポラ(車長展望塔)のハッチがひっぺがされたかと思ったら、バケツいっぱいのザリガニを車内に流し込まれた』

 

『車内に煙玉を何個も放り込まれて色とりどりの煙で視界が奪われた』

 

『車長が車外に引きずり出されたかと思ったら、サルミアッキを口いっぱいに詰め込まれた無残な姿で戻ってきた』

 

などなど、何者かによる乗員への直接攻撃によって車内がパニックに陥った隙を突かれ、次々と撃破されているというのだ。さらに、木を切り倒して道に転がしたり橋を爆破したりされて戦車の通行を妨げられているとの報告も届いている。

 

『何者か』とは誰のことか。まほの脳裏にまず浮かんだのは、天翔エミの顔であった。

継続高校で戦車道を再開していることを、まほは今日初めて知った。みほは普段からエミと連絡を取り合っているが、教えてくれなかったのだ。黒森峰において西住姉妹の不仲、というよりみほの強情っ張りは部隊戦術への悪影響を与えうる。

 

(工兵による単独偵察……敵戦車の妨害……乗員への攻撃……確かに戦車道のルールで禁止されているわけではない。いや、実行できるわけがないから禁止するまでもなかっただけだ。だがエミのデタラメな身体能力を考えればあるいは……)

 

みほ・エリカ・エミが中等部三年生の頃、聖グロリアーナとの練習試合でみほ達がこの策を用いたことをまほが知らなかったことも、継続高校にとって大きなアドバンテージとなった。いや、それを覚えているエリカとて、森を縦横無尽に駆け回るエミを捉える方法を思いつかなかった。

おそらく乗っていた戦車が撃破された直後からエミは戦車を降り、以降は森に潜んで罠を仕掛けつつ、我が方の戦車を襲い始めたのだろう。BT-42を見つけられないはずだ。戦車よりはるかに身軽なエミが逐一こちらの動向をミカに伝え、ミカはその情報を基にこちらの死角へ回り込んでいるのだ。

エミはミカのフラッグ車の目となり、時にはフラッグ車を囮にしつつ己の任務を着々と遂行している。黒森峰戦車隊は“死神”を狩り立てているつもりが、黒い森に潜むもう一匹の魔物の跳梁を許してしまったのだ。

一輌、また一輌と、味方の戦車が“死神”に誘われ死の世界へ連れていかれていく。その合間には“死神”の尖兵たる小さな“悪魔”が狩人達を嘲笑うかのように蠢動し、こちらの気勢を削いでくる。

 

そして、数の上で勝るはずの黒森峰の決定的な劣勢を知らしめる通信がまほの乗るティーガーⅠに飛び込んできた。

 

『こちら副隊長車、敵フラッグ車の攻撃を受け行動不能! ……隊長、緊急事態です! 副隊長が敵に拉致されました!』

「――!!」

 

無線を介して響き渡った声を聞いて、まほは驚愕に目を見開いた。何重にも折り重なった衝撃が、まほの全身を貫いた。

まほが最も信頼を寄せる副隊長であるみほが指揮するパンターが撃破されたこと。“死神”と“悪魔”の言い知れぬ魔力のような強さ。黒森峰戦車道チームが二回戦で残りわずか三輌にまで追い詰められている。そして何よりも、最愛の妹が敵の手に落ちたということ。考えうる限りの悪条件が列を成し、まほを追い詰める。

だが、まほは西住流の体現者たる黒森峰の隊長である。将器とは順境ではなく逆境にこそ試されるものであり、肩書きに恥じぬ大器をまほは備えていた。

わずかな時を置いて動揺を呑み込み、努めて冷静に味方の二輌との合流を急がせつつ、「みほを捕らえる」というエミの行動の意図をまほは正確に理解していた。

 

エミが敢えてみほをさらうなど、こちらの動揺を誘い冷静さを失わせるための挑発行為であるのは明白。人質作戦など彼女らしくもないが、黒森峰と継続の戦力差を考えれば形振り構って勝てるわけもない。

しかし今行われているのが戦車道の試合である以上、まほは揺るがない。ミカやエミはみほを使ってまほをいいように操ろうとでも思ったのかもしれないが、ゲリラやテロリストと交渉するような愚を犯す西住流ではない。

目的のためなら非情に徹する冷徹さがみほの反発を招いたことは承知しているが、それでもなお、まほは黒森峰を動かす歯車であることを選ぶことができた。

あるいは、殊更に己を歯車と規定することで、みほの分の重荷まで背負ってやろうとでも考えているのか。束の間、頭の片隅に湧き出た愚かな考えを無視し、まほは生き残りの車両から得られた情報を基に地図上に進軍ルートを構築していく。

 

そんなとき、無線の発するノイズの底から、聞き覚えのあるソプラノが立ち上ってきた。

 

『――黒森峰の西住まほ隊長。聞こえますか』

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

キューポラ(車長展望塔)から半身を出して周囲の索敵を行っていたみほの目の前に小柄な『何か』が降り立ってきたとき、彼女は最初、それを森に棲む化け物か何かだと思った。

 

全身を緑色のコケのようなものに覆われ、口は頭足類の漏斗管を思わせる筒状の形をしている。ぎょろりと大きな目を剥いて獲物の顔を窺うその様を見てみほが叫び声を上げずに済んだのは、それが実家で行ってきた訓練の賜物なのも確かだが、叫ぶ間もなくみほが連れ去られたからというのが最大の理由であろう。

車体後部の点検ハッチの上に降り立った何かは素早くキューポラに駆け寄ると、みほの腋の下に手を突っ込んでその身体をキューポラから勢いよく引っこ抜き、勢いのまま腋の下に首を差し入れてファイヤーマンズキャリーの要領でみほを肩の上に担ぎ上げた。

異形の襲撃者はパンターの車上から飛び降りざま、突然の事態に騒然とする車内に向け、開いたままのハッチから火のついた煙玉を数個投げ込んだ。

数秒と経たず車内に赤や白や黄色の煙が充満し、視界を奪われた乗員達は咳き込みながら操縦室上面ハッチやクラッペなど、開けられる扉を片っ端から開け放って煙を逃がそうと大騒ぎしていた。

 

にわかに起こった混乱に乗じて、襲撃者はみほを担いだまま森の中へ走り去る。このときになって初めて、みほは精神的動揺から立ち直り、自分を連れ去った者の正体に気づく余裕を得ていた。

怪物の全身を覆う植物のように見えたものは草木や緑色のボロ布をいくつも縫い付けたギリースーツで、タコの化け物のような面貌は濃緑色のガスマスクであった。天候も相俟って薄暗く視界の悪い森の中で、戦車の上にこんな風体の人間が乗り込んできたら得体の知れぬ化け物と誤認しても無理はないだろう。

そして、そのマスクの下の顔も、みほには見なくともわかった。高校生の女子を一人担ぎ上げたまま、足場も視界も悪い森を走り抜けられる人間の心当たりなどそう多くない。

 

「エミさん……? エミさんなの!?」

「喋るな。舌を噛む」

 

みほが満身の声を上げて呼びかけ、エミはガスマスク越しに短く応じる。

親友とこんな形で再会することになろうとは想定外もいいところだったし、戸惑う気持ちも大いにあったが、それでもみほは聞き慣れたその声に深い安堵を覚えた。たとえ敵兵に拉致されたという状況であっても、それが天翔エミであるならば、と。

 

エミは走りながら、腰に巻いたベルトポーチから無線機を取り出し、短く発した。

 

「こちら“妖精”(ピクシー)、西住みほを捕らえた。そちらの状況は?」

『こちら“死神”(グリムリーパー)、君達の離脱を確認後、副隊長車のパンターを撃破したよ。予定通り、合流地点(ポイント)・フォックストロットで会おう』

「了解、見つかるなよ」

 

無線越しに聞こえた声にみほは聞き覚えがあった。確か、継続高校のチームの隊長。去年の練習試合で黒森峰の戦車道チーム全員を指して「天翔エミを見捨ててかばいもしなかった連中」と、冷然と吐き捨てた女。

 

エミを守れなかった罪を改めて突きつけられ、言いようのない失望と罪悪感が押し寄せてきたのを今でもハッキリと覚えている。

エミは自分の代わりに味方を助けに行った結果、黒森峰を追われた。エミは自分のスケープゴートになったようなものだと、みほの頭の片隅には常に自分を責める考えがあった。エミを守ろうとしなかった者達は皆、のうのうと戦車道を続けているというのに。

今、母や姉との仲が冷え切っているのも、エミのことを後悔し続けているからこそだった。エミ本人は自分が望んでやったことだと言って、決してみほを責めないが、あの時ああしていれば、あれをやれていればと、詮無きことと知りつつも『もしも』を考えずにはいられない。

 

「もしもお母さんが事態の収拾に協力してくれていれば、エミさんの名誉は守られてたんじゃないのか。もしあのときのエミさんが私だったら、お母さんは私を守ってくれたのか」

 

胸に燻り続けたその問い――あるいは希望は、他ならぬ母によって打ち砕かれた。

どんなときでも万難を排して我が子を守ると答えられない親に、今更何を期待しろというのか。そんな人が私の一番大事な友達を救ってくれたかもしれないなんて、どうして信じられるのか。こんなこと、確かめなければよかった。

まほにしたところで、長姉として、西住流の後継者として育てられた身。歯車の子は所詮歯車にしかなれまい。磨り減って動かなくなるまで母の言いなりに回り続けるに違いないと、みほは内心で軽蔑した。

やがてみほは罪の意識から、してもし尽くせない後悔の檻に自分を閉じ込めてしまった。その檻の鍵はどこにあってどんな形をしているのか、みほにはわからなくなっていた。

 

だが今、他ならぬ天翔エミその人が、みほをさらいに来た。

敵の捕虜となって連れ去られているという現実の状況は理解している。しかし、それでもみほは、エミこそが“鍵”であると思えた。自分で作り出した檻の中に閉じこもり何もせずにうずくまり続けるみほを、外に連れ出す“鍵”なのだと。

エミの肩に担がれながらではあったけれど、みほは何故だか胸のつかえが下りたような気持ちになり、無心でガスマスクに覆われたエミの横顔を見つめていた。

 

 

 

合流地点(ポイント)・フォックストロットとは何のことはない、森の中に作られた小さなキャンプ場のことだった。

キャンプ場の案内看板に従って比較的整った道を駆けていくと、受付棟として使われているらしいトレーラーハウスの陰にBT-42が停車されているのが遠目からでも確認できた。抵抗らしい抵抗もせず担がれるままになっていたみほだったが、キャンプ場の敷地に入った辺りで降ろされ、そこからはエミに手を引かれて一緒に受付棟へ入っていった。

入り口からすぐ見える受付カウンターの上にはかなり型式の古そうな無線機が置かれており、ミッコがセッティングをしている最中だった。

カウンター横、丸テーブルが置かれた待ち合い用のスペースでカンテレを奏でていたミカは、エミに手を引かれて連れて来られたみほを認めると、涼しげな微笑を浮かべた。

 

「やあ、西住みほ」

 

みほは正直、ミカの佇まいに面食らっていた。練習試合のときに見せた憎しみの権化のような昏く苛烈な表情と、“名無しの死神”という二つ名。それらと目の前のミカの落ち着いた姿がまったく一致しなかったからだ。

目をぱちくりと瞬かせるみほを疲れていると思ったのか、アキが「じゃあ西住さん、座って座って」と人懐っこい表情で椅子を勧め、みほも促されるまま木製の椅子に腰掛ける。一方、エミはカウンターで作業するミッコに声をかけていた。

 

「ミッコ、持ち込んだ無線機は使える?」

「ちょい待ち……よしオッケー、大丈夫。いつでも行けるよ」

「ありがと。みほ、黒森峰で使ってる無線周波数は変わってないよね?」

「え? うん、そのままだけど」

「だったら設定は……これでよし。あ、それと携帯持ってる? ちょっと貸してもらえないかな」

「いいよ。何に使うの?」

「まあ見てなって」

 

スマートフォンを渡してから、みほは「しまった」と思った。いくら相手がエミだとはいえ、一応は敵に捕らえられた虜囚の身である。こうも易々と情報を渡してしまっては完全な利敵行為ではないか。

試合中だというのに(エミ)に完全に気を許してしまっている我が身を省みて少し居心地悪そうに肩を竦めるみほだったが、そんなみほにミカは「心配ないよ」と言う。

 

「エミならきっと悪いようにはしないさ。君の知っている天翔エミはそういう人間なんだろう?」

 

何の気負いもなく自然に口にしたエミへの信頼の言葉に、アキも「そうだね。エミってそういう子だもん」と付け加えた。

みほはなんとなく、ミカに対するあらゆる偏見が氷解したような気がした。彼女もまたエミに支えられて、あるいはエミと支え合ったことでここにいる人間なのだと理解できたから。同時に、彼女達がエミの転校以来の数ヶ月を共に過ごしていることへのわずかな嫉妬が首をもたげた。

 

そんなみほとミカをよそに、エミはみほのスマートフォンの電話帳から目当ての名前を見つけていた。

「お母さん」の名で登録された番号を呼び出し、スピーカーをONにして通話ボタンをタップする。数回のコール音の後、底堅い声音が呼び出しに応じた。

 

『――みほ? 何の用ですか。今は試合中のはずです』

「もしもし、西住師範ですか? お久しぶりです、天翔エミです」

『……? 何故貴女がみほの電話で……いえ、一体何用です? 貴女と話すべきことなどもうないと思っていましたが』

「いきなりで不躾なのは承知してますけど、このまま電話を切らないでいてくれませんか? お願いします、すぐに済みますから」

 

しほとの通話に並行して、エミはヘッドセットをつけて無線機のスイッチを押した。

ここからが、天翔エミの臨む最大の挑戦だった。

一か八か、伸るか反るか。

すべてを賭けて、エミは通信マイクを通して黒森峰戦車隊に――彼女らを指揮するまほのフラッグ車へと呼びかけた。

そしてそれは、電話口に引き留められているしほへの呼びかけでもあった。

 

「――黒森峰の西住まほ隊長。聞こえますか。こちらは継続高校戦車道チーム所属の天翔エミです」

 

緊張が五分、引け目が五分の複雑な気分を押し隠し、エミは可能な限り堂々とした口調で言う。何しろ嘘をつくことになら慣れたものだ。天翔エミという人間の何割かは嘘と誤魔化しで構成されている。

 

「今、我々は貴女の妹の西住みほを捕虜にしています。みほを返して欲しかったら、こちらの指定する場所でフラッグ車同士の一騎打ちといきませんか。この勝負でそちらが勝てば、みほの身柄はお返しします」

 

エミは敢えて副隊長と呼ばず、妹であることを強調する。みほは壊れた歯車ではなく、一人の女の子なのだと訴えるかのように。

ティーガーⅠの車中にて神妙な面持ちでこの無線を聞いているのだろう西住まほは、低い声音でこう返した。

 

『その要求には応じられない。人質を盾に我々から譲歩を引き出そうとしているのなら無駄なことだ』

「……まあ、そうでしょうね。でもまほさん、知ってますか? 高校戦車道総合規則、『大会期間中における捕虜等の取り扱いに関する規則』にはこうあります。大会期間中に他校の生徒を捕虜にした場合、捕虜の生命・身体・健康・名誉及び学業に影響の出ない範囲でその行動を制限し抑留することができる、と。……ところで、西住流には拷問に耐える訓練もあるらしいですね?」

『何が言いたい』

「この規則には拡大解釈の余地が大いにあるということです。健康や学業に影響がなければいいんでしょう? なら、相応の訓練を受けているみほに対してなら、他の生徒よりも()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことになりませんか?」

『そのような脅しに屈する黒森峰ではない。答えはNein()だ』

 

さすがは黒森峰の隊長と言うべきだろう。身内が捕まっているにも関わらず、こうも気丈に振舞えるのだ。

ならば、やはり力押しで行くしかないか。あまり取りたくない手段ではあったが、このまま終わったのでは電話の向こうのしほにも何も伝えられない。

 

「……わかりました。要するに、貴女は……貴女方はこう言いたいんでしょう。みほに人質の価値なんかないと」

 

一呼吸置いて、ちらと横目でみほを見る。みほはエミのしようとしていることを察しているようで、こちらを固唾を呑んで見守っていた。

 

「確かに貴女方のおっしゃりたいこともよくわかりますよ。全国大会の二回戦、相手は貧乏で弱小の継続高校。例年であれば問題にもならない相手に、貴女方はここまで追い詰められている。その上、副隊長が捕虜になったときたもんだ。師範のお歴々も西住流宗家の子が恥の上塗りもいいところだと、さぞ笑止な思いをされていることでしょうね。この上みほの無事を優先してわざわざ不利な条件で戦って、万が一にも負けたりすれば、王者黒森峰の栄光も地に堕ちる。OG会にもスポンサーにも示しがつかないし、もはやみほを見捨てて勝ちを拾いに行く以外に仕方がないと? 実にご立派なお考えです。みほにも聞かせてあげたいくらいですね。

 ……隊長だろうと副隊長だろうと、所詮は歯車だ。一人や二人切り捨てたところで、すぐに後釜を据えて同じことをやらせるだけだ。実に空虚じゃありませんか? それとも、敵の捕虜になるような弱い娘は、西住流には要らないってことですかね? あんた達はみほのことなんか何とも思ってないんだ。だったら、私達がみほをどう扱おうが構わないってことでいいんですよね!?」

 

つい長広舌に熱が入り、最後には怒鳴るような声を発していた。エミの丸みのある頬から滴った雫が床に小さな染みを作り、頭の奥がじんと痺れていた。

エミは祈るような気持ちでまほの返答を待った。頭の中で、あの日見たミカの悲しみに濡れた顔がちらと見え隠れして、たまらずに視線を床に落とした。

 

『――言いたいことはそれだけか?』

『――言いたいことはそれだけですか』

 

瞬間、無線機越しに届いたまほの声と、電話越しに聞こえたしほの声が重なり合った。

まほもしほも、すぅっ、と小さく息を吸うのがかすかに聞こえた。

 

 

 

『『みほに指一本触れてみろ小娘ッ!! その首を引っこ抜いてやるからなッ!!!』』

 

 

 

二人分の凄まじい大音声が、一言一句違わぬ二重奏(ドゥエット)をエミに叩きつけた。あまりの音圧に、みほもミカも、アキもミッコも、その場にいる全員が圧倒されていた。

それを間近で受けたエミは目を瞬かせながら、自分が賭けに勝ったことを悟った。

 

『エミ、お前の挑発に乗ってやる。ミカ、聞こえているなら覚悟しておけ。私はどんな手段を使ってでもお前を倒して、みほを助け出す。必ずだ』

 

静かな、しかし明確な怒りを滲ませながらまほが言う。しほはというと、すでに通話は切れていた。だがあの剣幕だ。エミの希望的観測だが、仕事など放り出してすぐにでもこの会場に乗り込んでくるのではないかと思わされた。

 

そうだ、それなんだ。それでいいんだ。だってあんた達は、みほの家族なんだから。

苦笑交じりに、エミは万感の思いでみほを見た。みほも、エミに向けて花の咲くような笑顔を見せた。出たとこ勝負の博打だったとはいえ、望む結果は得られたと言ってよかった。

あとは、戦うだけだ。

 

「言質は取りましたよ、まほさん。では指定座標は……」

 

決戦場としてあらかじめ決めておいた場所を地図で確認してまほに伝え、無線を終える。

エミはみほに借りていたスマートフォンを返すと、ミカ達に向き直って言った。

 

「さあ、フラッグ車同士の一騎打ちだ。あと一輌倒せば私達の勝ち、わかりやすくなっただろ?」

 

あっけらかんと言うエミに、ミカもアキもミッコも笑って応じた。

 

「そうだね、あと一輌で私達の勝ちだもんね! よーし、やるぞー!」

「よっしゃー! 最後までかっ飛ばすぞー!」

「……どうやら風は私達のほうに吹き始めた。そうだね、エミ?」

「当然。みんな、この試合、勝とう!」

 

ミカ達は気炎を吐きながら受付棟を出て、BT-42へ乗り込んでいく。エミは外していたギリースーツとガスマスクを付け直し、森への単独行を再び行う構えだ。継続高校戦車道チームはそれぞれに覚悟の眼差しを輝かせながら、決戦に臨む。

準備を終えたエミは椅子にちょこんと座ったままのみほに声をかけた。

 

「ごめんみほ、もうちょっとだけ待ってて。終わったら久しぶりに、とっておきの豆でコーヒー淹れてあげるからさ」

「……うん。待ってるね、エミさん」

 

エミの言葉にみほは笑顔で応じた。今の二人にはそれで十分だった。

  

 

 

 

 




  
  
 
 
 
「エミ」

エミが受付棟の入口を出たところで、ミカの声がした。見ると、テラスの端っこにミカが座ってカンテレを弾いていた。どうやらエミの出てくるのを待っていたようだった。
カンテレを爪弾きながら、ミカはエミに問いかける。

「さっきの茶番劇に、何か意味はあったのかな」
「……わかってるくせに」
「君の口から言ってくれないとわからないね」

意地悪く言うミカに、エミは苦笑する。
いや、言うべきなのかもしれない。思っているだけの想いなど伝わらないし、言葉を尽くさねば誤解だって生まれると、西住家の親子を見てよくよく思い知ったではないか。

「ミカに見せたかった。戦車道の名門で、色んなしがらみがあって、少しギクシャクしてるけど、それでもお互いを想っている家族をさ」
「だから彼女の家族を利用したわけかい?」
「……私には、ミカと千代さんをまともな親子にすることなんてできない。ミカの悲しい思い出をなかったことにはしてやれない」

でも、それでも見せたかった。知って欲しかった。
家族とか、親子とか……そういうのも捨てたもんじゃないって。
その形は決してひとつじゃない。たとえ歪でも、たくさんの形がある。ミカだって、いつか誰かとそんな幸せを築けるかもしれない。
ただ、希望を持ち続けて欲しかった。世の中に醜いものや汚いものが溢れているとしても、そこには確かに美しく輝くものも存在するのだと。
いつかミカが見つけたようなものが、この世界には数え切れないくらい転がってるんだと。

「それに、みほのことも放っておけないしさ。だから……これは私のエゴだよ」

ミカがまた、カンテレを爪弾く。曇天の空の下に優しげな音色が溶けていく。
そう、この目に見えるものだけじゃない。たとえ曇り空の夜でも、ここよりもずっと遠く、高く、はるか空の彼方には青空が広がっているように。恐怖や抑圧だけが世界のすべてじゃない。エミが言いたかったのは、そんな当たり前のこと。
ひょっとしたら、ミカやみほが見失いかけていたかもしれないこと。

「……ありがとう、エミ」

胸の奥から感じた試しのない歓喜が湧き上がり、ミカは笑みを浮かべて空を見上げた。

天を覆う分厚い雲は消えることはない。けれど雲の隙間から、一筋の陽光が差し込んでいるのが見えた。
目に沁みる真白い光が、いつまでも視界の底に焼きついていた。


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機動戦車エミカス 鉄血のパイセンズ 壱

 
ミカ、やっとわかったんだ。俺には辿り着く場所なんていらねぇ。
ただ進み続けるだけでいい。止まらねぇ限り、みほエリは続く。

俺は止まんねぇからよ。
みぽりんとエリカが止まんねぇ限り、その先にみほエリは成るぞ!



……だからよ……止まるんじゃねぇぞ……
 


 

――月――日

 

前略、お袋様。

……お袋様? いや、俺に親はいないから違うな。

保護者……院長先生? ……まあいいか。

 

とにかく転生して早12年の月日が流れ、晴れて俺は黒森峰女学園に入学することができました。

一日も早く学校に慣れて、健やかな学校生活を送りたいと思います。いやぁホント大変だった。マジで。

 

正気を失う寸前まで己を追い詰めた受験勉強に、戦車道のトレーニング、そして小学生部門での実績作り。

女児の皮を被ったバケモノと恐怖されるほどのパワー系装填手とは俺のことよ。

そりゃもう周りは皆ドン引きで俺を猛獣を扱うかのごとくにし、割と深刻に友達がいない小学校生活だったがそんなことはどうでもいいんだ。重要なことじゃない。

すべてはみほエリを成すという大儀のため。やがて起こるであろうあの事故でみぽりんの身代わりとなり、みぽりんを転校させず、ゆくゆくはエリカとらぶらぶちゅっちゅさせること。それこそが俺の身命を賭して成し遂げるべき使命だ。

みぽりんもエリカも幸せになる。そして俺はそれをウォッチングして幸せになる。見事な計画だと感心はするがどこもおかしくはない。憧れちゃうなー。

 

だが……

 

 

 

俺がまぽりんと同じ学年だったのはさすがに想定外だわ。

 

 

 

 

 

――月――日

 

 

何故こんなことになったのか。

 

孤児院出身のカネも家柄も後ろ盾もないやせっぽちのチビすけが黒森峰みたいなお嬢様学校に入学するためには、とにかくひたすら勉強と戦車道に打ち込まなければならなかった。

戦車道特待生の奨学金を当てにしなければ名門私立特有のクソ高い授業料など逆立ちしても払えっこないし、黒森峰に入学してみぽりんやエリカの間近から介入する以外にみほエリを成す方法も思いつかなかったからな。

なので俺はテレビも観ずマンガも読まずYouTubeも観ず、早朝に起きて特訓、小学校の授業が終わったら脇目も振らず特訓、そして勉強の日々であった。

思い返してみればまったく子どもらしくない。密教の修験者だってもっと人間らしい暮らしをしていると思う。これじゃ同年代の連中と話が合わなくて当然だな。だがまあ、おかげで装填手として申し分ない身体能力が手に入ったのでよしとしよう。握力測定で120kg出したときはさすがに保健室の先生も測定器具の故障を疑っていた。そらそうよ。

 

話を戻すと、つまり俺はただ漠然と「転生したからにゃあ当然みぽりんやエリカと同じ学年だろ!」と、何の根拠もなく思い込んでいたのだ。戦車道の小学生部門で全国区の活躍をしていたまぽりんのことをほんのわずかにでも調べていれば、その時点で勘違いに気づけただろうに。

まぽりんと同期ということは必然的にみぽりんとエリカの入学は来年なわけで、つまり俺はみぽりんとエリカの先輩ということになる。同級生ならまだしも先輩後輩の間柄では四六時中一緒にいるというわけにもいかないし、みほエリを成すにも小さからぬ影響が出るだろう。(時系列のズレが)大きすぎる……修正が必要だ……。

 

しかし、これはすなわち俺の敗北を意味するものではないと言っておこう。

同級生には同級生の、後輩には後輩の接し方というものがあるだけだ。まずはまぽりんと仲良くなっておこう。この1年はみほエリのための地盤固めに徹するのが賢明だろう。

なに、失敗すればそのときは死ぬだけだ。比喩ではなく。願わくばみほエリに黄金の時代を。

 

あ、ちなみにまぽりんと同じクラスだし寮も同じ部屋だよ。アラサーでガルパンのことを話し出すと早口になっちゃうおじさんがルームメイトで本当に申し訳ない。

 

 

 

――月――日

 

俺のようなチビ女が装填手だと聞けば、普通なら嘘乙で片付けられるだろう。

しかしまぽりんは俺のことを知っていた――より正確に言えば覚えていたようだ。

 

六年生の夏休みに行われた全国大会の二回戦辺りで、俺が所属していた地元の戦車道チームとまぽりんがいた熊本選抜チームは試合をしている。まあ結果は俺達の惨敗もいいところだったけど、そこでフラッグ車に乗っていたちびっ子、つまり俺を見て、こんな小さな子も試合に出ているのかと強く印象に残っていたそうだ。

黒森峰に入学して出会えたことも驚きなら、てっきり車長か通信手辺りかと思っていたら装填手だというのも相当驚きだったとまぽりんは言う。あと、その小さな子が同い年だったことも。

残念ながら俺が通信手をやると「あの戦車は明らかな条約違反」「アニメ声の幼女を兵士として動員するな」「何人の子どもを武装勢力に売ったんだ、答えろ」などと不評の嵐なのでやらないことにしている。

 

まぽりんは、黒森峰の特待生にまでなっていることを考えれば俺の装填手としての能力は疑いようがないと冷静で的確な判断をしているようだが、やはりどうしても小学生部門最速と呼ばれた装填手と俺のビジュアルとが結びつかなくて戸惑うらしい。

俺だって走行中に装填する際の安定感を高めたいからもう少し太りたいんだが、こればかりはどうにもこうにも。一体何歳で成長が止まったのやら。

まあ、毎日一緒にジョギングしたり、同じ戦車に乗って練習したりしてればそのうちわかってくれるだろう。だから露骨に子ども扱いしてくるのは控えてくれ。一応同い年だから。

 

 

 

――月――日

 

芸は身を助けるという諺があるが、俺も一芸をひたすら磨くことによって黒森峰の特待生にまでなることができた。

俺の芸とはすなわち力、パワーである。砲弾をいかに素早く装填するか、ただそれのみを追求した訓練を積んできた。

残念ながら俺に車長適性は無い。目を覆うレベルで無い。悲しいかな、俺に部隊の指揮統率などまったくもって無理だ。あと操縦手と通信手もそれなり程度にできるが、それなり程度の選手など名門黒森峰では書類審査の時点で足切りされてメール一通でお祈りされるのが目に見えている。

だからこそ、他の誰にも真似できないレベルにまで一芸を磨き上げたのだ。ぶっちゃけ中学戦車道で俺より速く装填できる装填手はいないだろうと自負している。

 

それに考えてみて欲しい。

車長、ひいては隊長の仕事とは何か。それは決断だ。ある状況下において様々な条件を考慮に入れて作戦を考え、最も勝つ確率の高い作戦を選び、決断する。極端な話、それで隊長の仕事は8割くらい終わりだ。そして状況がリアルタイムに動き続ける以上、決断は迅速にしなければならない。

つまり速く動くのが大事ということだ。そこへ行くとまぽりんは車長として誰よりも早く決断して、俺は装填手として誰よりも早く砲弾を装填する。そこに何の違いもありゃしねぇだろうが!

 

……というようなことを力説したらまぽりんに鼻で笑われた。くそぅ。

 

だが、まぽりんも俺の装填手としての能力を高く評価しているのは確かなようだ。同室ということもあり、自然と練習でもよく組むようになっている。いい傾向だ。

 

 

 

――月――日

 

西住流とか黒森峰の隊長とか、そういうしがらみを取り払った素のまぽりんというのは、中学一年生のこの時期にしかお目にかかれないのではないか。近頃俺はそう思うようになってきた。

 

というのも、同年代の友人として付き合ってみれば、まぽりんがとても気さくで温厚な人物であるとすぐに気づけるからだ。

戦車道の大家である西住家の長女だけあってバリバリの体育会系でもあるから、自然と礼儀正しく年上を立てる振る舞いができ、これは先輩や上司から可愛がられるタイプだとわかる。

同年代に対しては自然とリーダーシップを取れるし、早くも一年生のリーダー格として頭角を現しつつある。俺がそばにくっついて気安く接しているせいか西住流の看板に恐れ入って遠巻きにされることもない。

西住の家名を背負っているとはいえ、まだ入学したての一年で、人の上に立つ立場にはない。原作で見せたクールビューティーな西住まほ隊長というのは二年生以降に確立されたキャラクターだろう。肩書きが人を作るというやつだ。それと比べると今のまぽりんはずいぶんと自然体であるように見える。

それに加えてお嬢様育ちゆえのある種の不器用さや世間知らずさも兼ね備えているから全方位に隙がない。この間など家庭科の調理実習でグーラシュの鍋を爆発させてちょっと涙目になっていた。どうしてそうなるんだ。これで熊本弁を話されていたら危なかった。可愛すぎるからな。

 

一方で、戦車道の練習をしていてもあまり面白くなさそうにしていることがあるのが気になった。

実際それを指摘すると、「みほがいないからつまらない」と返された。それから「あ、みほというのは私の妹でね」と続いて妹自慢が始まった。アカン、これめっちゃ長くなるやつや。

 

 

 

――月――日

 

孤児院にいた頃、あの場所を『卒業』していく子達を何人も見送った。

里親が見つかって引き取られていって、多分二度と会うことのない奴らだ。同じ施設で泣いて、笑って、やがてカバンひとつ分の荷物と共に孤児院を巣立って行ってじきに俺達と無縁になる。

だが、俺は特別羨ましいとは思わなかった。里親の収入とか住んでる場所とかで黒森峰に行けなくなるかもしれないリスクを考えれば当然のことだ。自分で自分の進路を決められなくなるくらいなら、死に物狂いになって努力を重ねて特待生の椅子を勝ち取ったほうがいい。みほエリを成す上で障害になるような親ならこっちから願い下げである。

そういう意味を込めて俺は「里親が見つかったからって幸せになれるとは限らない」と常々口にしていたのだが、改めて省みると、完全に施設を巣立っていく仲間を祝福するムードに水を差す嫌な奴だ。

 

あ、だから俺って孤児院でも浮いてたのか。

大人に期待もしないし信用もしない、昼夜問わずトレーニングと勉強に明け暮れて友達付き合いも悪く孤立してる奴。そういう風に見えてたんだろうな。まあおおむね事実ではあったのだが。

 

そんな話をまぽりんにすると、まぽりんは噴き出してしばらくツボっていた。それから笑ってしまったことを一言謝罪すると「天翔は本当に不器用な奴だな」と言ってまた笑った。

 

それにしても言うに事欠いて「不器用な奴」とは、西住家の女にだけは言われたくない台詞だ。

まぽりんとしほさんの愛情表現のヘタクソさ加減を俺はよく知ってるんだぞ。何せガルパンおじさんだからな。

 

 

 

――月――日

 

まぽりんのシスコンぶりはどうやら同室の俺以外には知られていないらしい。

原作を思い出すまでもなくまぽりんがみぽりん大好きなのは承知の上だが、いくら素の部分を出していても他人に弱みは見せない辺りはさすがまぽりんだ。

 

ん? だとするとまぽりんは己のシスコンを弱みと捉えているのか? もしそうだとしたらルームメイトとはいえ俺に長々と妹自慢などするだろうか。妹離れできない姉だと思われることを恥ずかしいと思ってるなら俺にだって言わないはずだ。

不思議に思って聞いてみると、「言われてみればそうだな。だけど天翔ならいいかなって思ったし……」とのこと。

俺が誰かに言い触らすと思わなかったのか、と聞くと、「まったく思わない。天翔がそういう人間ならみほのことなどそもそも話さないし、現に天翔が誰にも言っていないからみんな知らないんじゃないか」と返された。

 

考えてみれば、確かに黒森峰でみぽりん大好きなところを表に出すのはよくないかもしれない。西住家の人間であるというだけでだいぶバイアスがかかるのに、その上まぽりんが率先してみぽりんを大事に扱えば身内贔屓と取られても仕方ない。

一年の今ですら、「来年妹が入学してくるのが楽しみだ」と公言するのはリスクがあると判断しているんだろう。

それでいてルームメイトの俺には話してしまうんだから、慎重なのか大胆なのか。信用されたものだ。

 

そんなことを考えていると、まぽりんはニッと笑って「察しのいいルームメイトは嫌いじゃないぞ」と見透かしたように言った。それとも俺って結構考えが顔に出るのかな。

最近やけにまぽりんがヤンチャというか明るいというか。なんだろう、実家を離れて寮で暮らし始めて開放感でも感じてるんだろうか。

 

 

 

――月――日

 

劇場版が公開された前後にまぽりんの私服がダサいと話題になったが、服のセンスが終わっているという点では俺も人後に落ちない。

中身が中身だけに元々オシャレにこだわりなどないし、そもそもオシャレに気を遣えるような環境でもなかった。孤児院ではみんなお下がりか仕立て直した古着を着るのが当たり前だったし、黒森峰に入学することで頭がいっぱいの俺にはファッションに費やせる時間も金もなかった。

俺が求めているのは丈夫で動きやすい服装、それに尽きる。とはいえ、俺も晴れて華のJCである。しかも通っているのが日本有数の戦車道強豪のお嬢様学校とくれば、多少は身なりにも気を遣うべきかと思って己が身を省みたのだが、なんとまあひどいもんだった。

 

さすがに危機感を覚えた俺は、まぽりんと一緒に街の古着屋で私服選びをすることにした。迷うことなくしまむらやユニクロに向かおうとするまぽりんはまぽりんでそこはかとなくヤバい予感がするが今は放っておこう。

これは余談だが、同じ色のソックスを大量に買ってきて「全部同じ靴下だ。これでどの靴下を履いても大丈夫だぞ!」とか言っちゃうまぽりんはヤバいと思う。仮にもJCがくたびれたOLみたいな発想に行き着く辺りが特にヤバい。俺も真似したけどヤバい。確かに同じやつを探して履く手間がないから楽だった。

 

自由に使える金はだいぶ少ないから慎重に選ぼうということで、まぽりんにも意見を貰いつつ選んだのだが……まぽりんは全体的にパステルカラーの絵に描いたような女児服をチョイスしてくるのであまり参考にならなかった。

だから子ども扱いはやめろって言ってるだろ! いい加減にしろ!

ガルパンおじさんなのに女児服着てるとか誰にどんな需要があるんだ! 答えろ! 答えてみろまぽりん!

 

 

 

――月――日

 

いつの間にか俺とまぽりんは一年の名物コンビとして定着しつつあるらしい。

 

片や西住流の跡取りと目される才女、片や装填手一筋の女児(の皮を被ったガルおじ)。

見た目も生まれ育ちも正反対の俺達だが、お互いルームメイトとして早い段階に打ち解け入学当初からよく行動を共にしていることから、二年三年の先輩方も俺らに注目してるそうだ。

ついたあだ名が、俺達が練習のときに乗ってるティーガーⅠになぞらえて『獅子』(レーベ)『山猫』(ヴィルトカッツェ)。猫科つながりってわけだ。首輪付きかな?

 

それだけなら俺の中の中学二年生を刺激するあだ名をつけられたというだけで済むのだが、悪ノリした先輩が猫耳カチューシャなど持ってくるからさあ大変。

俺がチビだと思って、猫のポーズをしろとかにゃーって鳴けとか先輩命令でやりたい放題やってくる。これが権力ってやつか……パワハラですよパワハラ! コラ、写真を撮るんじゃない! 金を取るぞ!

挙句まぽりんまで悪ノリしだして、俺を抱え上げてライオンキングの名シーンを再現し始めた。ちょっと待て、シンバを動物達に披露したのはムファサじゃなくてラフィキだろ。なんで俺もそこにツッコミを入れてるんだ。

 

……うん? なんだかこのバカ騒ぎにデジャビュ……うっ、頭が。

 

まあ、なんだかんだで俺達も認められてきたってことか。黒森峰も軍隊みたいなノリでお堅いだけのチームじゃないってこともわかってきたし、これからもうまくやっていけそうだ。

 

 

 

――月――日

 

 

放課後、いつものように戦車に乗っての射撃訓練中のことだった。

 

事故が、起きた。

 

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

一匹の『山猫』(ヴィルトカッツェ)が装填手ハッチから飛び出して駆けてゆくのを、私はキューポラから呆然と見ているしかなかった。

天翔エミの瞳には、煙を上げて擱座したⅣ号戦車のみが映っているだろう。砲塔付近の装甲が焼け焦げ、砲身はテッポウユリの花弁のように破裂し、捲れ上がっている。先輩達が何度も呼びかけているが通信は不通だ。スピーカーからは空虚なノイズだけが流れ続けている。

初夏の陽気の中だというのに、この身体を震わせる寒々しさはどうしたことだろう。あってはならないことが起きてしまった実感がもたらす、身体の芯まで凍えさせる冷たさといったら。

冷え切った身体は指一本と動かせないでいるのに、目の前で起きたことを理解する知性だけが、怠惰な肉体を補うかのように働いている。

 

腔発――訓練に使用していた榴弾が砲身内部で暴発したのだ。

 

戦車道では競技者の安全確保のため、戦車の乗員室内壁に特殊カーボンコーティングを施すことが義務付けられているが、それも絶対ではない。特に腔発は戦車道関係者が最も恐れる事故のひとつだ。戦車道の名門中の名門をもって任じる黒森峰は整備不良による事故をなくすために車輌整備士の育成にも力を入れているし、学園艦の外部からも優秀な人材を指導教官として何人も招聘している。

正確無比の整備に、厳重なチェック体制。まさか腔発による事故など起こりえない。そんなはずはないと誰もが思っていた。

しかし……いや、だからこそだろうか。私は、西住流の後継者として、幼い頃から戦車道に携わる者として、試合中や練習中の死亡事故の事例だっていくつも知っていた。なのに、それが自分達の身に降りかかりうることなのだという実感を持てていなかったように思う。

自分だけは大丈夫だと、心のどこかで思っていたのだろう。

 

だが、現実は私達にあるがままを突きつけたのだ。

これがお前達のやっている戦車道なのだと。

 

エミがⅣ号戦車の砲手用ハッチから、負傷した乗員を引っ張り出しているのが見えた。顔はよく見えなかったが、あの車輌の砲手なら二年生の先輩だったはずだ。猫耳のカチューシャを街の雑貨店で買ってきて、エミに猫撫で声でカメラを向けていた先輩。つい数日前のことだった。

 

その先輩が、血まみれのマネキンみたいに手足をだらんと投げ出している姿に、私は耐え切れず目を伏せた。

 

 

 

幸い、死者は出なかった。命を落とさずとも、ひどい怪我を負っていつ病院から戻ってこられるかもわからないのを幸いと言っていいのなら。

砲手と装填手は重傷で、すぐに病院に担ぎ込まれた。車長、操縦手、通信手は軽傷だったそうだが、戦車道を続けていけるかどうかはわからない。戦車道の歴史上、こういう事故で閉所や大きな物音がトラウマになって、戦車に乗れなくなってしまう選手は大勢いた。先輩達もその一人になってしまうのだろうか。

 

事故の後、すぐに練習は中止となった。指導教官らの指示で私達は寮で待機、明日以降については追って連絡するとのことだったが、突然起こった事態に皆ショックを受けていた。特に一年の寮の雰囲気といったら弔辞のそれだ。

無理もない。私だって事故を目の当たりにして、凍りついたように一歩も動けなかった。慮外の出来事に混乱したからか、それとも戦車そのものが私達に牙を剥いた事実に恐怖したのか――あの場で飛び出していったエミは実に無謀で、愚かだ。自分が二次被害を被る可能性をまったく考慮に入れていない。孤児院育ちは仲間意識が強いとでも言うのか? 本当にしょうがない奴だ。

まあ、向こう見ずのルームメイトを諌めるのは後でもできるとして、現状私の頭をいっぱいにしていたのは別のことだ。

 

もし、試合中や練習中にみほが事故に巻き込まれるようなことがあったら。

 

もちろん、実際に事故が起きる可能性は低い。戦車道がしょっちゅう死傷者が出るような危険な競技じゃないことは承知している。だが、可能性がゼロではないこともまた、今日嫌というほど思い知らされた。もしそのときが来たら、とても冷静でいられる自信などない。

 

二段ベッドの下段に寝転がり、一向に眠気の波が寄せてこないのを疎ましがっていると、上段に寝ていたエミが「今、みほちゃんのこと考えてた?」と言った。

 

「……みほがあんな事故に巻き込まれるかもしれないと考えると、な」

「気にしすぎても仕方ないだろ。きっと砲身に土が入ってたとか、原因はそんなのだよ。先輩達は運が悪かったんだ」

「仮にそうだったとしても、それが先輩達にとって何の慰めになる。もう戦車道を続けられないかもしれないんだぞ」

「でも私達はこうして五体満足でベッドに寝てる。それでいいじゃないか」

「……お前がそんな冷たい人間だとは思わなかった」

「よせよ。戦車道が100%安全なわけじゃないって、わかってたことだろ」

「だとしても、私は」

「これからどうしていくかを考えようぜ。私はそのほうがいいと思う」

 

私の言葉を遮り、エミは言った。

 

「……まほがいつも言ってるみたいに、みほちゃんってすごくいい子なんだろ? そんな子に傷ついて欲しくないのは、私だって一緒だよ。みほちゃんだけじゃない。来年入ってくる私達の後輩達にはみんな、こんな思いはさせたくない。そのために私達ができることって、一体何なのか……」

 

ベッド上段の底板とマットレス越しに、エミの張り詰めた声音が聞こえてくる。私には、エミが自分の無力さを悔いているようにも聴こえていた。エミが血まみれの先輩の身体を抱き起こして車外に引っ張り出そうとしていたとき、何を思っていたのか、私には想像するしかない。瞬間、エミの手にべっとりと付いた血糊が思い出されて、私は口を閉じるしかなかった。

 

「……今日はもう寝よう。寝不足の頭じゃいい考えは浮かばないさ」

 

バサッ、と布団をかぶる音が聞こえて、それっきりエミは朝まで一言も喋ることはなかった。

私もそれ以上何も言わず、まぶたを閉じてひたすら眠りに落ちるのを待ち続けた。




エミカスパイセンのン熱血指導でみほエリを成してやるから見とけよ見とけよ~


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小ネタ
機動戦車エミカスBC


ガルパンおじさん(エミカス)の行き着く先――








――月――日

 

転校先にBC自由学園を選んだのは、単純に知り合いのまったくいない学校だったからだ。

黒森峰では良い意味でも悪い意味でも有名になりすぎ、聖グロやプラウダにも知り合いは結構いる。

その点、ここなら見知った顔はいないし誰も俺のことを知らない。

俺みたいなチビ女が黒森峰で装填手として鳴らしていたなんて常識的に考えて誰も信じないだろう。

下手によその学校で戦車道を再開しようものならみぽりんやエリカを曇らせてしまうかもしれない。黒森峰を去った後とはいえ油断してはならんのだ。

かつては旧BC高校派と旧自由学園派の派閥抗争、現在ではエスカレーター組と受験組の対立が深く根を張っている割とドロドロした学校ではあるが、戦車道に関わらない限りはそういうものに触れることもないはず。さて、選択必修科目は何にしようかな。

 

フランスを強く意識した校風ということもあり、街並みは観光地みたいに綺麗だし飯も美味い。学食にエスカルゴ定食だのフォアグラ定食だのがあったりするのはどうかと思ったが、授業料がクッソ高いだけあっていい学校だと思う。正直黒森峰以上にバイトが捗る。

まあ、みほエリはほぼ成ったと言っても過言ではないし、無理に戦車道やる必要もないし、残りの高校生活は気楽に過ごさせてもらおうかな。

 

 

 

――月――日

 

どうしてこうなった。

 

 

 

――月――日

 

転校二日目からまさかのアクシデントである。

まさか押田ルカと安藤レナのケンカの現場に居合わせる羽目になるとはこの天翔エミの目をもってしても見抜けなかった。

 

しかしエスカレーター組と受験組の対立というのは本当に深刻らしい。

押田と安藤の言い争いに端を発した一個分隊規模の睨み合いが、見る見るうちに一個小隊規模に膨れ上がっていくのはまさに壮観だった。なにこれウケる。いや全然笑い事ではない。

今にも取っ組み合いのケンカが始まりそうな雰囲気だったが、それを許せばいずれ一個大隊規模の乱闘に発展しかねないと判断した俺は、つい見かねて二人の間に割って入ってしまった。

俺をどちらかに分類するなら受験組のほうではあるが、つい最近転校してきたばかりという事情も手伝って中立的な立場と捉えられたんだろう。

押田は興が削がれたような顔で引き下がっていき、安藤は小さいのに度胸がある奴だな、と頭を撫でてきた。ピロシキしなきゃ……(使命感)

 

ともあれ、押田に目をつけられ安藤に気に入られ、遠くからみほエリを見守りつつモブキャラとしてひっそりと生きるという人生設計は早くも狂い始めている。

 

 

 

――月――日

 

俺が中学の頃受けた黒歴史インタビュー記事を読んだことのある奴が受験組の生徒の中にいたらしく、俺の素性はすっかり知られていた。やめてくれよ……(絶望)

 

で、当然の結果というべきか、戦車道チームに入ることを勧められた。

もちろん、在野の人材をどんどん受け入れてエスカレーター組に対して優位を取ろうという政治的思惑は多分にあるだろうが、受験組は庶民的というか親しみやすい奴も多いので、どうするか考えてしまう。

 

しかしほっとくとすぐにエスカレーター組への悪口大会になるのはどうも精神衛生上よろしくない。

くれぐれも取り込まれないようにしなくては。

 

 

 

――月――日

 

なんかキラキラした奴らに呼び出されたかと思ったら、押田の差し金だった。

 

外部生、しかも転校生のくせに気骨のある者もいると噂になり、あの外部生は何者かと話題になった結果、数日で俺の経歴はほとんど丸裸にされていた。

なるほど、この学校の諜報能力もバカにしたものじゃないらしい。出身の孤児院の住所まで突き止められてるとか特定班か何かかよ。

で、俺がみぽりんの代わりに川に身を投げて黒森峰が負け、全責任を負って転校してきたくだりは美談として受け取られたらしい。押田も俺に対してはやけに同情的だ。

 

「君は外部生ではあるが、なかなか見所がある。近いうちにマリー様にお会いできるよう取り計らってあげよう」とのことである。そりゃどうも。

ロマンチストのお嬢様方に受けがよろしくて大変結構だが、そういう風に過剰に持ち上げられるのもなんか違う。俺はあくまでもみほエリを成すためにやったのであって、他にどんな立派な信念もありはしなかったのだ。

 

しかし物事がトントン拍子に進みすぎでは? このスピード感は一体……。

 

 

 

――月――日

 

俺は受験組(転校組?)なので、寮も外部生向けのところを宛がわれている。なので普段接する機会が多いのは受験組の生徒達のほうだ。

本当に、エスカレーター組への敵愾心を抜きにすれば気持ちのいい連中だ。エスカレーター組にしても、聖グロの生徒を5割増しくらい貴族趣味にすればあんな風になるだろうなって感じだし、だんだん付き合い方のコツは掴んできた。

なんだかんだ言って、俺もこのBC自由学園に慣れてきたってことだ。転校生の立ち位置を利用して政治的中立につけたのも運がよかった。

 

それにしても、エスカレーター組と受験組のこのいがみ合いは何が原因なんだ?

中高一貫のお嬢様学校とはいえいくらなんでもおかしくないか?

昔はエスカレーター組と受験組ではなく、旧BC高校派と旧自由学園派の争いだった。それがふたつの学校が強引に統合させられたことによる反動だったことは想像できる。

だけど内部生と外部生の対立は? 何がきっかけでこんな風になっていったんだろう。

 

戦車道チームが試合中に仲間割れをして自滅するなんて黒森峰ではありえない光景だ。まほパイセンなら問答無用で鉄拳が飛んでくるかもしれん。

マリーは凄まじいカリスマ性の持ち主でエスカレーター組にも受験組にも慕われているらしいが、そのマリーをしてもこの有様とくる。

まとまれば強いのがBC自由学園だが、まとまりのないBC自由学園はまさしく烏合の衆と呼ぶほかない。

 

これは俺の推測だが、この状況が何者かの裏工作の結果だったとしたら?

BC自由学園にふたつの派閥の対立を根づかせ、仲間割れをするように仕向けている者がいるのだとしたら……

 

……とまあ、深読みするのも程々にしておこう。

どうせガルパン世界特有の、各学園艦の元ネタになったお国の事情を反映した結果でしかないだろう。大した真実が隠されているとも思えない。

なんにせよエスカレーター組と受験組、どちらについたところであまりいいことはなさそうだし、この学校の戦車道からは距離を保っておいたほうがいいだろう。

 

 

 

――月――日

 

BC自由学園の百合CPといえば、やはり押安だろう。俺的に安押よりも押安のほうが好きだから押安だ。

押田も安藤もそれぞれの派閥のリーダーのようになっているので、あたかも派閥の代理戦争であるかのように毎日言い争ったり取っ組み合ったりしているが、プライベートではイチャイチャしてるというのがよくあるアレだ。

百合は尊く、素晴らしい。みほエリもいいけど押安もね。

 

……だが、それは所詮ファンの妄想に過ぎなかったということか。

お互いライバルとして相手の能力に対し一定の評価はしているし、しょっちゅうケンカするってことはお互いがお互いを対等な関係と認めてるみたいだが、それ以上はない。恋愛感情になんてなりそうにもないんだなぁ、これが。

そもそもエスカレーター組と受験組とでは違う廊下を歩けとかいうレベルで分断されてしまっているのがBC自由の校内情勢で、押田と安藤がプライベートで会うことがあるのかどうかさえわからんレベルだ。これは黒森峰でみほエリを成すよりも難しいかもしれん。

 

一介の百合豚カプ厨ガルパンおじさんとして押安のロマンを追求するのも悪くないが、現状では分の悪い勝負だと言わねばならない。

それは校内情勢や、費やせる時間の問題だけじゃない。もっと決定的な話だ。

何故なら――いや、よそう。俺の予感だけでみんなを混乱させたくない。

 

 

 

――月――日

 

ついにマリーと対面する時が来た。

……といってもお茶会に誘われた程度のことで、そんな畏まったり緊張したりするようなシチュエーションでもない。

 

まさか戦車道チームの隊員でもない俺を、マリーが直々に呼び出す……もとい誘ってくるとは押田も予想外だったらしい。

俺のどの辺がマリーの琴線に触れたかは知らないが、さて、BC自由の女王様はどんなお方なのか。

 

 

 

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

この日、マリーは上機嫌だった。

天翔エミという転校生の情報は、内部生の情報網を介して既にマリーの下にも届けられていたが、エミの経歴と黒森峰での記録を見てマリーはある直観を得ていた。

 

つまり、()()()()()()()()()、という閃きにも似た直観。

 

エミをこの日のお茶会に誘ったのはそれを確かめるためだと言っていい。

もちろん、彼女が戦車道チームに入るならそれもいい。そのときは私の側近としてフラッグ車の装填手をやらせてあげてもいい。エスカレーター組にも受験組にも与せず、それでいて自然体に振舞える彼女なら、チームにとってもいい潤滑剤になるに違いない。

 

そう考えて、マリーはおかしくてたまらなくなった。まるで内部生と外部生の融和を考えているみたいだ。つい声を上げて笑ってしまい、エミに怪訝な顔をされてしまったけれど、それも無理からぬことだった。

 

BC自由学園に反感の種を撒き、確執の芽を育て、憎悪の果実を実らせようと画策しているのは、誰あろうマリーであったのだから。

 

中等部を卒業し、高等部へ入学したその日から。

自身の家柄、可愛らしい容姿、人に好かれる才能、すべてを総動員して行っていたことだった。

それは生まれた瞬間から成功と勝利を約束された人生に厭いていたマリーの、その人生を賭して挑むに足る大いなるゲームであった。

 

そして、それはきっと、目の前にいる天翔エミも黒森峰でやってきたことなのだ。

決して目立たず、主張しすぎず、常に西住みほと逸見エリカの引き立て役に徹していたことは既に調査済み。マリーと異なるのはそれが卓越した人心掌握術に拠る権謀術数を恃んだものではないことと、おそらく中等部入学からずっと続いていたという時間のかけ方だ。

 

西住みほと逸見エリカ。

あるいは、押田ルカと安藤レナ。

 

生まれも、育ちも、性格も、まるで異なる二人の少女の間に恋愛感情を芽生えさせて恋人に仕立て上げるというゲームを、天翔エミはつい最近までずっと続けてきたのだ!

 

言うなれば天翔エミは自分の先達であり、同時に敗北者でもある。最後の最後で彼女は詰めを誤った。あれほど鮮烈な印象を残して黒森峰を去ってしまえば、西住みほと逸見エリカの意識はどうしてもエミのほうを向いてしまう。

だが、マリーにはエミの愚かな選択さえも愛おしい。マリーははじめて同好の士と呼べる存在を見つけたのだ。

天翔エミなら、このBC自由学園に押安を成すという大業に手を貸してくれよう。

 

「うふふ、面白いわ……貴女って本当に面白い。私達、いいお友達になれそう」

 

内部生も外部生も、不信と嫌悪の音色を背に踊り狂うがいい。

愛し合い、分かち合うために、憎しみ合い、傷つけ合うがいい。

押田ルカと安藤レナが結ばれるのを後押しすることこそが、貴女達がこの世界に生きる意味なのだから。

 

もう心の陰りはない。

一時は無限に続くかのように思えた退屈も、今や一欠片も残さず消えてなくなっていた。マリーは今、本当に充実した人生を送っていた。

 

 

 

――そして今、ここに二人の同じ嗜好を持つ者達(百合厨)が邂逅したのだ。




そんなこんなで百合厨仲間を見つけたマリー様。

エミカスを味方に引き入れて押安を成そうとするものの、エミカスの胸中に去来したのは憐憫、嘲笑、愉悦――そのようなものだった。

何故ならば、押田も安藤も密かにマリー様への思慕を募らせていたからだった。要するにマリー様は押安にサンドされていたのである。



すべて偶然ながらも、押安を望みながら押安にサンドされているマリー様の実情を知るエミカス。
みほエリを成した気でいるようだが明らかにみほエリにサンドされているエミカスをアホで可愛いと思っているマリー様。

二人の百合厨の果てしない戦いは、ここから始まる――。


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エミカスF 虚空百合姫~イツワリノミホエリ~

 
「バレンタイン? ああ、聖ウァレンティヌスのことか……やっこさん死んだよ」



「俺が殺した。こんな風にな……ご臨終だ」
 


この年の2月14日は、青く澄み切って美しい冬晴れの空の下に訪れた。

 

フィンランド式の生活様式(ライフスタイル)が好まれる継続高校学園艦にあって、バレンタインデーのような年中行事もその例外ではない。

バレンタインデーはフィンランドでは『友達の日』とも呼ばれ、性別に関係なく親しい友人同士でメッセージカードを交換したり、お菓子やチューリップを贈り合うのが慣例となっている。もちろん、恋人達の特別なお祝いの日という意味合いも残っているが、継続高校では友情を確かめ合う日という認識が大勢を占める。

とはいえ色気より食い気が身上の継続高校戦車道チームである。

去年までは、この時期になると売り出されるハート型のチョコレートやクッキー、あるいはこれまたハート型のサンドイッチ用のパンやハムなどに心惹かれていた。しかもそれらは日付をまたいで15日になってしまえばすぐに半額以下になって、たくさん買えるし食べられる。健啖家揃いの3人にとって、逃れえぬ季節ものの性が実に好都合な時期であったのだ。

 

だが今年に限っては、ミカもアキもミッコも少し違った考えを持っていた。それは天翔エミに対する、常日頃からの感謝である。

しばらく前からミカ達の溜まり場となっている小さな食堂の店主代理に対して、多少なりと思うところがあった。エミの淹れるコーヒーはどこよりも美味しいし、エミの部屋にアポなしで集まってタダ飯にありついたことも一度や二度ではないし、それでも嫌な顔ひとつせずに食事を作ってくれるエミのことをミカもアキもミッコもすっかり気に入っていた。

 

だから、ミッコが放課後に花屋の店先でアキを見つけたのも偶然ではなかったのだろう。

常になく難しい顔をして店先に並んだ色とりどりの花々をためつすがめつ眺めているアキの横顔を窺ったミッコは、「アキ、何してんの?」と声をかけた。

 

「わっ!? ……なんだ、ミッコかぁ」

「なんだとはなんだよー。あ、いくらお腹減ったからって花は食べないほうがいいと思うけど」

「食べないよ! ……今日バレンタインでしょ? エミにチューリップあげようかなって思ったんだけど、花束にすると結構するんだよね」

 

アキはすかさずツッコミを入れつつ、気心の知れた友達に隠し立てすることもなく言う。お互いお寒い懐事情を察して、ミッコも相槌を打った。

 

「あー、わかる。バレンタインに合わせて栽培されてるやつだからねー」

「それで、チューリップ以外に値段が手頃でいい感じのお花ってないかなって思って、ずっと見てたんだ」

 

季節ものであればこそ物日には強気の値段がつくし、チューリップの花束は毎年バレンタインの人気商品であるから、客もそれに納得して買っていくものだ。アキやミッコが二の足を踏んでしまう程度の価格がついていても仕方がない。

隙あらばよその学校の戦車や食糧を持ち去ろうとする手癖の悪さで悪名高い継続高校戦車道チームではあるが、さすがに店先に並んだ花を持ち逃げしようとはしない。戦車や戦闘糧食(レーション)は拾得物ないし正当な戦利品だが、お店のものを盗んだら泥棒であるという倫理上の判断の下、アキもミッコも悩んでいるのであった。

 

「うーん、だったら花言葉とか、そういうので選べば?」

「なるほど! じゃあミッコ、あの白くて小さい花の花言葉ってわかる?」

「私にわかるわけないだろ」

「ダメじゃん!」

 

ちなみにこのときアキが指差したのはナズナの花で、花言葉は「あなたに私のすべてを捧げます」である。バレンタインデーに友情を確かめ合うにしてはいささか“重い”花言葉なので、結果的には選ばなくて正解だったと言えよう。

二人揃って途方に暮れていると、ポロロン、と涼やかな音色が耳朶を打った。

 

「バレンタイン……それは人生にとって大切なことかな?」

 

背後から声をかけられ、アキとミッコが振り向くと、そこに立っていたのはミカである。花のことを考えているときにチューリップハットを被った人物が現れたのだから、アキもミッコもおかしくてつい笑ってしまった。

 

「ミカ、タイミングよすぎ」

 

ミッコが笑いを噛み殺しながら言うが、当のミカは二人の反応に特段気分を害した風でもなく、また手に携えたカンテレを爪弾いた。

 

「プレゼントを渡すことに意味があるとは思えないね」

「じゃあミカはエミに何もあげないの?」

「そうは言ってないさ。私もエミのことは好ましく思っているからね。それを表現する方法はチョコレートやチューリップに限らないというだけの話だよ」

 

ミカの持って回ったような言い方は常のことだ。ミッコは花でもお菓子でもないなら何がいいかとひとしきり考えた後、「それじゃ手作りのカードとか? 作ってる時間なんてあるかなー」とぼやき、ミカは沈黙を返答とした。

アキは、バレンタインでもミカはひねくれてる、と内心で呟いた。とはいえ、その訴えるところも断片的ながら理解はできる。要は気持ちの込め方ひとつだと言いたいのだろう。確かにエミなら、ちょっとくらい小さい花束でも全然喜んでくれそうな予感があった。

込められている気持ちが本物なら、多少品物が貧相でも気後れすることはないと、ミカなりに背中を押してくれたのかもしれない。

 

ミカの心中を慮ったかのような間を置いて、アキは、ぽん、と手を叩き、今しがた思いついた名案を二人に披露した。

 

「じゃあさ、みんなでお金出し合って花束買おうよ! 私達3人からのプレゼントってことで」

「それいいじゃん! 3人ならちゃんとしたの買えそうだし!」

「……そうだね。まあ、それもいいかな」

「じゃあみんなお金出して、せーので行くからね」

 

タイミングを合わせる意味は特にないが、なんとなくだ。3人は財布やポケットから有り金のすべてをかき集め、手のひらに乗せて見せ合った。

 

「せーのっ!」

 

その結果。

 

アキ、1,364円。

ミッコ、748円。

ミカ、20円。

 

思わず二度見したアキとミッコが声を揃えて「嘘でしょ!?」と叫び、ミカは涼しい顔でカンテレを爪弾きながら逸らせるだけ顔を逸らした。

 

結局2,000円相当の少し小振りな花束を買うことで決まり、チューリップの花束を携えたミカ達はその足で『Ravintola UMINEKO』に向かうことにした。

 

 

 

 

 

「もー、ミカってば20円しか持ってないとかありえないでしょー」

「最近練習試合も多くて余裕ないのはわかるけどさー」

「風は気まぐれだからね。こちらに向かってくることもあれば、遠ざかっていくこともあるということさ」

 

アキとミッコの呆れた声を文字通り風と受け流し、ミカはまたカンテレを爪弾いた。

質素倹約を旨とする、より明け透けに言えば常に貧乏なのが継続高校戦車道チームの財政状況だが、隊長からしてこの有様とはさすがに予想外であった。あのわけのわからない台詞は無一文同然なのを誤魔化すためかと、重ね重ね呆れてしまう。

 

やがて3人は商店街の中心部を離れた一角に建つ小さな食堂に辿り着いた。継続高校の校長が趣味でやっている店で、儲かっていようがいまいが潰れる心配だけはない優良店である。何より、小さな店主代理の淹れるコーヒーが最高に美味い。

入り口のドアをくぐり、ドアベルの奏でる軽快な音を背中に聞きながらミカ達は店に入っていった。客のいない店内に何故か美味しそうな匂いを感じながら、アキはカウンター奥の定位置とも言える場所に、目当ての人物を見出した。

 

「Tervetuloa。ようこそ、みんな」

 

やけに流暢な発音で言いつつ、天翔エミは3人に笑顔を向けた。

 

「エミ、ハッピーバレンタイン」

「へへ、ゆーじょーの証ってやつ? みんなでお金出して買ったんだー」

 

アキとミッコはカウンター席まで駆け寄り、チューリップの花束を差し出す。正確には、20円だけ出されてもなんだからミカからはお金を貰っていないが、まあ3人分の気持ちが込められているのは間違いないからいいだろう。

エミは花束を受け取ると、照れくさそうに「ありがとう」と短く礼を述べた。継続高校のバレンタインデーの意味するところはわかっていたようで、アキもミッコもまるで悪戯を成功させたときのような達成感に高揚していた。

エミは子どものような丸みを帯びた頬を紅潮させながら、「あ、そうだ。ミカ、夕飯の準備はできてるよ」とミカに水を向ける。

 

「え、ご飯あるの!?」

「ちゃんと4人分ね。アキもミッコも食べてくだろ?」

「やったー! もーお腹ペコペコだったんだー」

 

ご飯と聞いて快哉を叫ばずにいられないアキとミッコ。平静を装いながら誰よりも早く着席し料理が運ばれてくるのを待つミカ。そんな3人を見て、「ホント、作り甲斐があって嬉しいよ」と呟くエミ。

それはバレンタインデーでも変わらない、ミカとアキとミッコとエミが囲む食卓の風景に違いなかった。

エミはひとまず受け取った花束のチューリップを花瓶に生けてレジの近くに置いてから、厨房から料理を運び始めた。

バターとチーズを添えたライ麦パン、ウサギ肉と野菜のキャセロール、たっぷりのキノコとトナカイ肉を入れたシチュー、グリルしたソーセージに付け合せのマッシュポテト。食後にはデザートのコケモモのムースと、一杯のコーヒー。

一皿運ばれてくるごとにアキとミッコは「美味しそう!」と歓声を上げた。エミ自身は「バカ舌でいい加減な性格だから味は保証できない」と言うが、3人の誰一人としてエミの料理に文句をつける者はいない。

 

「それにしても驚いたよ。まさかミカが夕飯の予約を入れてきた上に、材料代半分出すなんて言ってくるなんてさ。調理も手伝ってくれたのは助かったけど」

「えっ?」

 

食べながらエミが肩をすくめて言った言葉に、アキもミッコも驚いてミカの顔を窺った。

あのミカが、エミ相手にわざわざ夕飯の予約をするなんて。

しかも材料代を半分出した? 窓からエミの部屋に侵入して、当然の権利のようにご飯を食べて帰っていくらしいミカが? では花屋の前で20円しか持ってなかったのは、エミにお金を払っていたから?

二人の顔には「信じられない」と書いてあったが、にわかに注目の的となったミカは心なしか視線を逸らしながらこう言った。

 

「言っただろう? バレンタインはチョコレートやチューリップだけじゃないってね。みんなでご飯を食べるのも、立派なバレンタインさ」

 

バレンタインデーとは、友情を確かめ合う日なのだから。

言外にそう付け加えるミカもまた、どこか照れくさそうな微笑を浮かべた。

 

 

 

テーブル席で4人が談笑するのを後目に、レジ脇の花瓶に生けられた色とりどりのチューリップ達が、誇らしげに咲いていた。




のび太くんはホントに世話が焼けるなぁ(10時間ぶり2回目)


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世界中がみほエリを待っている

逸見エリカの誕生日に便乗し損ねたので初投稿です。

レコンギスタ世界線の例のシーンです。


 

すべては偶然だった。今日この瞬間に起きたことはすべて、誰も予想しえないことであったはずだった。

 

 

 

第63回戦車道全国高校生大会の組み合わせ抽選会に大洗代表として西住まほ・西住みほ・天翔エミの3名が赴いたことも。

初戦の相手がサンダース大学付属高校であるとわかった彼女らが、一回戦に向けた戦術論をぶつけ合う場として戦車喫茶『ルクレール』を選んだことも。

黒森峰代表として来ていた逸見エリカが只事ならぬ気配を漂わせているのを察した赤星小梅が、気苦労の絶えない隊長を労わるつもりで、大洗代表の3人がいる戦車喫茶に連れてきてしまったことも、すべてが偶然だった。

 

もしもこの世の運命を司る神がいるならば、そいつはきっと貢物を貪るだけしか能がない役立たずに違いないと、赤星小梅は確信していた。

大洗女子学園の制服を着たまほをエリカが有無を言わさず殴り倒す光景を目の当たりにしてなお、天高くから人の愚行を見下ろして嗤っているような神に、捧ぐべき祈りなどありはしない。

 

あれほど敬愛していた元隊長の横っ面に鉄拳を喰らわせたエリカの横顔は、もはや小梅の知っているそれではない。

彼女の既知と隔絶した気配――その姿を見ているだけで胸の底が冷えてくるような、あるべき何かを大きく喪失したような空虚な気配。

 

あるべき何かとは? その答えは問うまでもなく、黒森峰から去り、新天地で戦車道を謳歌する元チームメイト達に他ならない。

エリカからすれば納得のしようがないのは無理もない。裏切られ、置き去りにされた痛みを呑み込んで、押し付けられた隊長代行をやり通している。教官やOG会に実力が評価されたのではない。彼女が命令に忠実で、私情を挟まず、ルールを犯さず、余計な好奇心を持たないからだ。天翔エミに続き、西住姉妹までも黒森峰を去った今、逸見エリカがよくできた歯車であるということこそ何よりの推薦理由になった。

だが、そのエリカ評は誤りであったというべきだろう。かつて歯車であった彼女は磨耗し、ヒビ割れて、今にも壊れそうになっている。錆付いた憎しみだけがエリカを戦車道に繋ぎ止めている。

私情を挟まない? ルールを犯さない? そんな馬鹿な話があるか。天下の黒森峰の隊長が、他校生への暴力沙汰でエントリー取り消しになる可能性すら考えずに殴りかかっていった。その事実がすべてを物語っているではないか。

 

「……よくも戦車道を続けられたものね、あんた達」

 

幽鬼のような表情で倒れたまほを見下ろし、エリカは言う。一切の虚勢も虚飾も剥がれ落ち、エリカの本心だけがそこにはあった。悲しみ、孤独、怒り、絶望――憎悪。ただ、そんなものだけが。

 

「西住師範を裏切り、私達を裏切り、何もかも捨ててみんなで一緒にやる戦車道。さぞ面白いことでしょうね。本当に羨ましいわ」

「……すまないことをしたとは思っている」

 

殴られた頬に手を添えながら、まほが呻く。

 

「私達はエリカに何もかも押し付けてしまった。だが」

「エミを放っておけなかった。そう言うんでしょう? ……それで?」

 

エリカはまほの胸元の黒いスカーフを掴んで立ち上がらせると、泥のように昏く濁った目を通してまほの瞳を覗き込んだ。

 

「それが、あんたが隊長としての責任を放棄して逃げ出したことに対する、何の言い訳になるっていうのかしらね。みほもエミも同じ。個人の動機と職務上の責任を秤にかけて、与えられた役割を果たすことから逃げた。黒森峰から、西住流から逃げた! それがあんた達がしたことの全部!」

「エリカ!」

 

エリカの絶叫に鋭い声が重なり、まほの胸倉を掴む手を別の小さな手が押さえ込んだ。装填手らしいゴツゴツして骨ばった硬い指の感触に、エリカはほんの数瞬、瞳をわなわなと震わせた。

エリカの手首を掴んだエミは、後ろめたさを隠し切れない表情で切り出す。

 

「……元はと言えば私がしたことだ。私が私の責任を取るために、黒森峰から出て行かなきゃならなかった。みほも、まほさんも、ただ私の身勝手に付き合ってくれただけだ。だから、もうやめてくれ」

「へぇ、どう責任を取るつもりだったわけ? エミが勝手な真似をしたせいで黒森峰は負けた。その事実は変えようがないのよ。あんたが何をしたところで、結局自分の良心を慰めてるだけじゃない」

「……それじゃあエリカさんは、あのとき川に落ちた味方を見捨てていればよかったって言うの?」

 

そう口にしたみほは一瞬だけ、小梅の顔を見た。そのとき水没した戦車の乗員の一人が、今はエリカの副官としてこの場にいる赤星小梅であったからだ。それは全員が承知している。

だがエリカは、「ええ、そうよ」と冷たく言い放った。

 

「勝つために必要なら迷わずそうすべきだった。そして必ず勝たなければいけなかったのよ。勝利のための犠牲を贖うのは勝利以外にないんだから」

 

他意のない、どこかサバサバした口調ですらあった。味方の犠牲を容認する姿勢をあまりにも当然の理解として示されれば、みほもムキになって否定せずにはいられなかった。それはあの日、エミがみほに代わって否定した考えだったのだから。

 

「勝つために犠牲を強いて人間を使い捨てにして、それで何が残るの!? そうやって手に入れた勝利なんて学校や流派の名前を上げるだけで、誰も報われない! ……そんなの、戦車道じゃない!」

「……あんたこそ、そういうやり方をする流派の総本山で育ったくせに!」

「私もお姉ちゃんも、お母さんとは違う! だって……」

 

一泊の沈黙の後、みほは静かに言った。

それが、決して言ってはいけない言葉であることに、ついぞ気がつかぬまま。

 

「……私達は、エミさんの“家族”だから」

 

家族。

その言葉を聴いたエリカの胸中に、いつかの日の光景がフラッシュバックする。

 

家具の少ない殺風景な部屋に、一縷の温もりと生活感をもたらすコーヒーサイフォン。フラスコを熱するアルコールランプの火。温められくつくつと沸騰するお湯。それを見守る部屋の主。

エミが豊かな香りを立ち上らせるカップをエリカに差し出して、穏やかに笑う。

琥珀色の液体を飲み下し、じんわりと胸に広がる安らぎの中で、エリカはエミのその言葉を聞いたのだ。

 

 

 

『私には家族はいない……いや、いなかった。でも今はチームのみんなが家族みたいなものだと思ってるよ。みんなと一緒に戦車道をやれて、本当に幸せだ』

 

 

 

ああ、なんだ。そうだったのか。

 

私は、『家族』じゃなかったんだ。

 

 

 

「く、くく……あはは……」

 

家族。

今やその二文字は、エリカにとって絶対的な断絶を意味する。人と人とを内と外に切り分け、疎外する忌むべき言葉だった。お前は『みんな』じゃないという宣告を突きつける、禁じられた言葉だった。

心を窒息させるような失意と身を切るような絶望が口から漏れ出たとき、それは笑いの形を成していた。

 

「あはははははははははははははははははははははははははははははははは」

 

戦車喫茶の店内にエリカの狂笑が響き渡る。

 

『誰も助けてくれない』

『みんな私のせいにする』

『ぜんぶなくなっちゃった』

 

エミとみほとまほが姿を消してから見つけた、エミの日記に書かれた言葉達が生々しく脳裏に蘇っていく。

 

(そうか。あれはきっと、私に向けられた言葉だったんだ)

 

ふとそんな思いが頭をもたげ、その理解は意外なほどすとんと胸に落ちた。エミを救ってやれなかったのは自分とて同じではないか。西住姉妹と自分は鏡映しの似姿でしかなく、ただ個人の動機を職務上の責任と秤にかけて、『家族』を優先したにすぎない。エリカにはできなかった選択を、彼女達はした。

そしてその選択は、私を『みんな』の間へ戻れなくしたのだと、エリカは思った。

 

「……もういい。もう、どうでもいい。何もかも、全部」

 

実に3分あまりも笑い続けたエリカは、やがて倦んだ吐息とともに呟いた。

胸を突き上げる激情はその圧を弱め、その場に座り込みたいくらいの脱力感を堪えながら、失笑混じりにエリカは語り始めた。

驚愕と困惑の入り混じった表情で自分を見ている、目の前の『家族』へ向けて。

 

「ひとつ、面白いことを教えてあげる。今黒森峰で準備が進められてる第8次機種転換計画で、全国大会が始まる前に新しい戦車を購入することが決まったのよ。内訳はパンター8輌、ティーガーⅡ3輌、それから――カール自走臼砲1輌」

 

校外秘の軍備拡張計画を、エリカはまるで茶飲み話のネタくらいの気軽さで口に出した。黒森峰のトップシークレットをあっさり敵に漏らしたエリカに、そばに控える小梅も思わず気色ばむ。

元隊長として機種転換計画の概要を知っていたまほはともかく、みほとエミにしてみてもエリカの発言は青天の霹靂であった。

 

「カール自走臼砲!? ……でもアレは文科省でも協議中の段階で、使用許可が……」

「下りるのよ、全国大会決勝戦の前日付けでね。そういうシナリオなのよ」

 

文科省への根回しを行ったのはしほだったが、なんとしても大洗を廃校にしたい辻局長との思いがけない利害の一致もあり、カール自走臼砲の認可を取り付ける密約は呆気ないくらいすんなりと決まっていた。

許可が下りるとわかっていれば、隊長権限で機種転換計画で導入する予定の車両群にそれをねじ込むくらいは容易いことであったし、西住流宗家の後ろ盾と資金援助を得たエリカを掣肘しうる者は黒森峰には誰もいなかった。

 

「……当然、こんな大規模な軍拡を推進するためには対外的に不可欠な要素があるわ。王者黒森峰にとって脅威となりうる『敵』の存在――『裏切り者の西住姉妹』の存在が。

 OG会のババアどもも、伝統がどうたらこうたらって言ってずいぶん抵抗したけど、最後には首を縦に振ったわ。『裏切り者の西住姉妹をブッ殺すためだ』って言ったら、白々しくも渋々ながらにね」

 

サンダース、聖グロリアーナ、プラウダの三校のみならず、西住姉妹をも黒森峰を裏切った敵と定めてその座に留め、高校戦車道界を緊張状態に置き続ける。その中でこそ、乱脈を極める軍拡競争も正当化される。

『裏切り者の西住姉妹を倒せ』というスローガンは王者黒森峰の栄光を取り戻そうとするOG会のような勢力にとってはまたとない建前であったし、あくまで黒森峰の伝統を保守すべしというポーズを一時的にしろ取っておけば、仮に機種転換計画が頓挫しても急進派の逸見の暴走によるものと責任を転嫁できる。

所詮エリカは代えの利く歯車でしかなく、適当なところで使い捨てられる運命にあるのだろう。しかし、歯車にだって意地も尊厳もある。

エリカは、奥底から湧き上がる激情に身を委ねることをケツイした。

 

「勝ち残りなさい。そして決勝戦で会いましょう。そのときこそ、私があんた達を殺す」

 

 

表情の一切が抜け落ちた顔でエリカは告げた。最後の一語に、決してただの比喩に留まらない昏い情念を込めて。

とっくに失われてしまったものの形骸を、この手で葬るというケツイを込めて。

 

 

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

ヘリで学園艦に帰り着いて、寮の部屋に戻るなり、エリカさんが私の手を引いてベッドに押し倒した。二人分の体重を受け止めたベッドが、スプリングを軋ませてギシギシと音を立てた。

私に覆い被さったエリカさんは、私の身体をきつく抱きしめながら、かすかに身を震わせている。吐息を荒げて、胸の中に荒れ狂っているものに耐えている。そして私は、そんなエリカさんを抱き返して、そっと頭を撫でる。

変えようがない過去に、どうしようもない今に、行く先の見えない未来に苛まれるエリカさんを、ただこの一瞬だけでも安心して眠らせてあげたい。私のたったひとつの祈りを込めて、私達二人が眠りに落ちるまで、ただ繰り返す。

 

エリカさんは決して強い人じゃない。

信じていた人に裏切られ、置き去りにされ、それでも泣きながら、歯を食いしばって耐えている。みんな彼女の強い部分しか見ない。エリカさんの弱さを必要とする人はこの学校にはいない。それはエリカさん自身でさえも。

こうして独りで泣いているエリカさんには、抱きしめてあげる人が必要で、でも、エリカさんが一番抱きしめてほしい人はここにはいなくて。それなのに、身も世もなく泣き暮らすことを是とできるエリカさんではなく、ただひたすらに強がっていくしかできなくて。

 

嗚呼、やっぱりこの世に神様なんかいないんだ。

 

もし神様がいるのなら、何故この人にこんな過酷な運命をお与えになるのだろう。父なる者は、エリカさんがこの世でやるべきことがこれだというのか。試練と受け止めて強く生きろとでもいうのか。

そんなものを誰が望んだんだ。誰がそうしてくれと頼んだんだ。どうして神様のくせに、たった一人の女の子にさえ幸せを与えられないんだ。

 

 

 

ふと、スマホのバイブレーションの音が耳朶を打った。寝返りを打った際にエリカさんのスカートのポケットから滑り出たそれに、安らいだ寝息を立てるエリカさんはまったく気づかない。

スマホを手に取って画面に表示されている名前を見た瞬間、私はたまらなく腹が立って、スリープボタンを押してバイブレーションを止めた。

 

「西住しほ」。

 

エリカさんを隊長代行に推薦し、戦いに駆り立てる女。

自分の子育ての失敗を棚に上げて、エリカさんに自分の娘を倒させようとする女。

戦車道という競技の裏側にある暗い泥沼に、エリカさんを招き入れようとする女。

 

きっと、エリカさんへの『指導』のことだろう。西住師範は隊長代行として仕事をこなすエリカさんに、マンツーマンで戦車道の特訓をしていると聞く。黒森峰を優勝させるために、自分を裏切って西住流を捨てた娘達を倒させるために。

所詮、自分が西住流の家元に襲名するための実績作りに躍起なだけだ。そのためにエリカさんを利用しているだけなのだ。

やり場のない憤りが、憎しみが、少しずつ私の中に澱のように溜まっていく。

エリカさんを傷つけるものすべてへの憎悪が、私の心をどす黒く塗り潰していく。

 

これから先、エリカさんみたいに、赤星小梅という人間もきっと歪んで、崩れて、曲がって、壊れて、まるで別の人間みたいになっていくんだろう。

その果てで消えずにずっと残っているものが果たして何なのか、今の私にはわからなかった。

ただ、私達がどんなに変わっていっても、きっと私はエリカさんのそばにいるだろう。

 

その予感だけが、心の支えであるかのように思えた。

 

 




逸見エリカダークノワールブラックシュバルツとは一体何なのかをちゃんと言ってなかった気がしたので。

エリカは闇堕ちするけど最終的にしほエリ梅でサンドされるというエミカスみたいなポジションに落ち着くのでごあんしんです。


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