メイドイン骨髄 (紅羽都)
しおりを挟む

1層目

もしもしポリスメン?


ここは人間の体の中。

今日も私たちの細胞は、元気に働いています。

 

そして、人間がいるのはアビスの中。

今日も探窟家たちは、元気に冒険をしています。

 

人間の体の中は不思議がいっぱい。アビスの中も不思議がいっぱい。

これは、そんな不思議に包まれた世界の中の、一つの細胞のお話です。

 

 

 

とある探窟家の流した血液の上で、一つの血球が右往左往しています。

その血球の名前は血小板といいました。

 

「うーん、ここどこだろう?」

 

【血小板

血液に含まれる細胞成分の一種。血管が損傷した時に集合して、その傷口を塞ぎ止血する。】

 

不思議なことに、本来なら2μm程しかない筈の血小板が、何故だか人間と同じサイズになっています。

それに、血小板は体の外では生きられない筈なのに、何故か全然平気なようです。

これはきっとアビスの力でしょう。

アビスでは、いつも不思議なことが起こるのですから。

 

「あっ、あそこに建物がある!行ってみよう!」

 

暫くうろちょろしていた血小板でしたが、目的地が決まったようです。

荒廃した雰囲気の世界の中でポツリと目立つ、大きな建物へ向けて元気に歩いて行きます。

 

見たことのない場所で、足場も悪かったですが、その程度はへっちゃら。

普段から崩れた場所の修復を行なっている血小板にとっては、これしきの悪路はなんともありせん。

 

トコトコ、トコトコ

 

血小板は血球の中で一番小さく、その分歩幅も小さいですが、止まることなく着実に進んで行きます。

そして目的地、イドフロントと呼ばれる建物へと辿り着きました。

 

「着いたー!」

 

【イドフロント

白笛ボンドルドによって設置された、深度1万3000mの地点にあるアビスの前線基地。深界六層への入り口となっている。】

 

「どこから入るのかな?」

 

と、ここでちょっと問題が発生しました。

困ったことに入り口が見つかりません。

結構大きな建物なので、入り口を探すのは大変そうです。

少し悩んだ血小板は何か思いついたのか、大きく息を吸い込みました。

 

「すみませーん!だれかいますかー!」

 

どうやら、大声で呼びかけて、建物の中にいる人に気づいてもらおうという作戦のようです。

しかし、その声は誰にも届かなかったのか、返事はありません。

血小板は、諦めずにもう一度息を吸い込みます。

 

「すみませーん!」

 

《ギュイギィィイ!!》

 

「ひぃっ!」

 

今度は返事がありました。

しかし、残念ながら血小板が望んだ返答とは大分違うものでした。

返事をしたのは鳥のようでしたが、小鳥とか鶏みたいな生易しいものではなく、なんだかとっても禍々しい鳴き声です。

 

「うぁ……うぅっ、んぐ……うわぁぁぁああああん!」

 

大変です、鳥の次は血小板が泣いてしまいました。

ここまで抑え込んでいた寂しさと心細さが溢れ出してしまったようです。

 

「うぅっ、ぐすっ……白血球のおにいちゃーん!赤血球のおねえちゃーん!みんなー!どこにいるのぉー!ぐすっ、ひっく」

 

人間の体の中には約37兆2000億個もの細胞たちがいます。

だから、血小板はひとりぼっちになったことなど、これまで一度もないのです。

いつもみんなを守ってくれる白血球。

おっちょこちょいだけど、心優しい赤血球。

他にも、師匠の巨核球や、お淑やかなマクロファージ、キラーT細胞、ヘルパーT細胞、マスト細胞、B細胞に一般細胞。

そして何より、自分を支えてくれる血小板の仲間たち。

そんな数々の細胞たちに囲まれて過ごしてきた血小板にとって、孤独というものは生まれて初めての感覚でした。

足元が崩れていくような莫大な不安に、押し潰されてしまいそうでした。

 

「おや?」

 

そんな血小板に、忍び寄る黒い人影がありました。

ヘルメットで顔を隠し鎧のようなものを纏った、全身真っ黒の怪しい人物です。

血小板もその黒い人に気が付き、そちらへ顔を向けます。

 

「ひっっ」

 

血小板は、その黒い人の怪しげな風貌に驚き、恐怖で身を竦めました。

見知らぬ土地にひとりぼっちの時に、全身黒尽くめの鎧が近付いて来たら、誰だって恐ろしく感じるでしょう。

胸中に宿る心細さも相まって、血小板の思考はどんどん負の方向へと傾いていきます。

心の中のレセプターが、ガンガンと警報の音を鳴らし始めました。

 

(もしかして、この人……)

 

でも、その容姿にどこか見覚えがあった血小板。

怪しいとは思いつつも、意を決して話しかけます。

 

「も、もしかして、単球さん?」

 

【単球

全白血球の約7パーセントを占める単核の遊走細胞。他の免疫細胞同様、生体防御に関与する。】

 

単球は防護服を身に纏い、顔にはガスマスクを着けています。

色々と差異はありますが、この黒い人と比較的似た容姿をしていました。

 

「いいえ、人違いですよ」

 

返って来たのは男の人の声。

単球は、中身がマクロファージなのでそんなことはあり得ません。

それによく見ると、黒い人の背中には太い尻尾が生えていました。

 

(やっぱり、病原体さんだ……)

 

血小板が見たことのない細胞、それは即ちこの黒い人が常在菌ではなく、体外から侵入してきた細胞ということ意味しています。

その上この異様な姿、血小板はこの黒い人が病原体だと確信しました。

 

(逃げなきゃ……)

 

そう思ったのですが、何故だか足はこれっぽっちも動きません。

ガクガクと震えるだけで、いうことを聞きません。

助けを呼ぼうにも、全く声が出ません。

それどころか、目線すら動かすことができませんでした。

怖くて目を逸らしたいのに、あらゆる意識が黒い人に釘付けになっていました。

 

そして遂に、黒い人は血小板の目の前までやって来ました。

怯える血小板に向けて、ゆっくりと手を伸ばします。

この大きな手は、きっと次の瞬間には自分の細い首を絞め上げているだろう。

そう考えた血小板は、余りの恐ろしさに、きつく瞼を閉じました。

 

(だれか、助けて!)

 

血小板は祈りました。

いつも助けてくれるおにいちゃん、白血球が守ってくれることを。

血小板は求めました。

とっても頼れるお姉さん、マクロファージの助けを。

血小板は願いました。

一緒に育った姉妹たち、仲間の血小板が来てくれることを。

血小板は思い浮かべました。

優しく明るいおねえちゃん、赤血球の笑顔を。

 

しかし、待っても待っても誰も来ません。

守ってくれる人は、誰もいませんでした。

助けてくれる人は、誰もいませんでした。

支えてくれる人は、誰もいませんでした。

暖めてくれる人は、誰もいませんでした。

 

 

 

そして、いくら待っても黒い人の魔手が血小板に襲い掛かることはありませんでした。

不意に、暖かな感触を頭に感じました。

その感触は、血小板の頭を柔らかく撫で摩りました。

不思議に思った血小板は、恐る恐る瞼を開けて顔を上げます。

 

「さて、質問したいことは山ほどありますが、それは一先ず置いておきましょう。安心してください、私は探窟家です。あなたの敵ではありませんよ」

 

そこには、血小板の頭を優しく撫でる黒い人の姿がありました。

その手は、血小板を抱き抱えてくれた白血球のように、大きく心強い手でした。

そしてその撫で方は、血小板を心底可愛がっていた、赤血球との撫で方とよく似ていました。

紡がれる言葉も、まるで植物の心のように穏やかで、聞く者に安心感を与えます。

 

一撫でされる毎に、強張っていた血小板の心が解きほぐれていきました。

親が一緒にいてくれるかのような安心感に包まれ、身を委ねます。

やがて、体の震えも収まり、血小板はすっかり落ち着きを取り戻しました。

 

「落ち着きましたか?」

 

「……うん」

 

黒い人が話しかけてきました。

どうやら、こちらが冷静になるまで待ってくれたようです。

まだ僅かな猜疑心が拭えないものの、血小板は素直に返事をしました。

そして、冷静になった血小板は、黒い人の正体を確かめる為に質問しました。

 

「お兄さんは、だあれ?」

 

「私ですか?私はボンドルド、白笛の探窟家です」

 

【白笛

探窟家に与えられる最高位の称号。これを与えられた探窟家は、深度制限なく、自らの判断で好きなだけアビスの中を下りていくことができる。 】

 

【ボンドルド

白笛の探窟家。二つ名は『黎明卿』『新しきボンドルド』。筋金入りのろくでなしで、非常に度し難い。】

 

「ぼん、ぼるど?」

 

やはり聞いたことのない名前です。

少なくとも、細胞や常在菌の名前でないのは確かです。

そして、それと同時に、病原体にも一致する名前は思い浮かびませんでした。

 

(病原体さんじゃ、ないのかな……?)

 

危険な病原体の名前は、巨核球に教えられて全て暗記しています。

危険な病原体一覧に名前が無い=ボンドルドは安全、という単純な式が血小板の脳内で展開されました。

それに加えて、先程の敵では無いという発言や、柔らかな物腰が血小板の心を揺さぶります。

そして、

 

「ボンドルドのお兄さん……あのねあのね、わたし迷子になっちゃったの……」

 

血小板の心が完全に傾きました。

見知らぬ土地でひとりぼっちという状況が、血小板の心を傾けさせました。

誰でもいいから、頼れる相手が欲しくなってしまったのです。

それ程までに、寂しかったのです。

 

「ふむ……迷子ですか、それはいけません。私の家へ案内しますから、付いてきてください。話は家の中でじっくりとしましょう」

 

「うん……」

 

ボンドルドは、血小板と手を繋いで歩き始めました。

血小板は、ボンドルドに手を引かれながら歩きました。

 

こうして、血小板はイドフロントへと入って行くのでした。

果たして、ゲス外道に付いて行ってしまった血小板は、これから一体どうなってしまうのでしょうか。

 

 

 

今日はここまで。




ボ卿「おやおや、丁度良かった。順番ですよ」

ポリ「ぎぃぁぁぁああああああ!!!」

ポリスメンでは勝てなかったよ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2層目

ここはアビスの中。

今日も探窟家たちは、元気に冒険をしています。

 

それはさておき、ボンドルドは、珍しいことに少々困惑していました。

だって、探窟家でもない小さな子供が深界五層にいるのですから。

深界五層は、生きる伝説と呼ばれる白笛でなければ、まず到達できないような領域です。

間違っても、幼い子供がうっかりで迷い込むような場所ではありません。

 

勿論、ボンドルドが連れてきた孤児でもありません。

ボンドルドは、子供たちの顔と名前を全て記憶しているのですぐに分かりました。

はてさて、この謎の少女は一体何者なのか、黎明卿ボンドルドの興味は尽きません。

 

「あなたの名前を聞かせてくれませんか?」

 

ボンドルドは、少女の手を引きなが尋ねました。

 

「私は、血小板っていいます」

 

「血小板、ですか」

 

ボンドルドは、変わった名前だと思いました。

血小板というのは、血液に含まれる細胞成分の名前であり、人名にするには少々不適切です。

それにこの時代、血小板などの体細胞の名前なんて、かなり医学に精通している人物でなければ知ることはできません。

勿論、知識欲の強いボンドルドは昔から存在は知っていましたが、その名称が文献に載ったこと自体が、結構最近の出来事です。

 

尚、その名称を定めたのはボンドルドです。

 

「血小板は、自分がどうやってここへやって来たか分かりますか?」

 

「……全然分からないんです。気がついたらここにいて、みんな、いなくなってて……」

 

「では、ここがどこだか分かりますか?」

 

「それも、分からないです。こんな場所見たことない……」

 

「アビス、というものを知っていますか?」

 

「……ごめんなさい、分かりません」

 

申し訳なさそうに、小さく首を振る血小板。

 

「謝る必要はありませんよ。未知は罪ではありません。安心してください、あなたが分からないことは私が教えます」

 

ボンドルドは、手を血小板の頭に乗せます。

手袋をしていて無骨で、まるで白血球のような手です。

寂しそうだった血小板の表情が、ほんわかと緩みました。

 

「さぁ、着きましたよ」

 

話をしている内に、目的地へと辿り着いていたようです。

大きく物々しい扉が開き、2人を迎えました。

 

「イドフロントへようこそ。我々はあなたを歓迎します」

 

ボンドルドが、中へと血小板を導きます。

血小板も、疑うことなくボンドルドに続きます。

2人の影は建物の奥に消え、大きな扉は重苦しい音と共に閉じました。

 

そう、血小板は、イドフロントという名の恐ろしい深界の怪物に飲み込まれてしまったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ナナチのお姉ちゃん!お耳触ってもいーい?」

 

「んなぁー、いい加減はなれろよぉ。オイラだってヒマじゃねーんだからなぁ?」

 

さて、イドフロントへとやって来た血小板は現在、ナナチという名のもふもふと戯れていました。

 

【ナナチ

ふわふわでもふもふの、とっても可愛い成れ果て。よく「んなぁー」と鳴く】

 

「んなぁー、何でオイラがこんなこと……」

 

血小板にぴったりと張り付かれながら、ナナチは数分前のボンドルドの命令を思い出しました。

 

 

 

『おやおや、良いところに来てくれました。ナナチ、彼女に施設の案内をしてあげてください。

彼女の名は血小板。実は、迷子になっていたのを保護したのです。

私といるより、年の近いあなたといた方が心も休まるでしょう。頼みましたよ、ナナチ』

 

 

 

「うわぁー!もふもふのふさふさー!」

 

「んなぁー、もうさっさと行くぞ。このままじゃ日が暮れちまう」

 

「はーい」

 

べったり張り付いてくる血小板を半ば無理矢理引き剥がし、ナナチは歩き始めます。

 

(ホント、嫌になるぜ……)

 

元気良くついてくる血小板を横目に見て、その行く末を思い浮かべて、ナナチは奥歯を噛み締めました。

 

 

 

ナナチは、施設を巡りながら色々な説明をしました。

 

「えっ、お前アビスのこと知らねーのか?」

 

「うん、知らないの。ナナチのお姉ちゃん、アビスってなーに?」

 

「おいおい、アビスは海外の孤児ですら知ってるような常識だぞ?」

 

「……かいがい?こじ?それってなーに?」

 

人間の体の中には、アビスは勿論、国も孤児も存在しません。

血小板には、外の世界の常識は分からないことだらけです。

 

一方ナナチは、幾ら何でも常識知らずが過ぎる血小板を、何か訳ありの存在なのだと考えました。

思えば、ボンドルドが連れてきた孤児が1人っきりというのもおかしな話です。

 

(そういえば血小板って、確か血液の成分の名前で、その名前付けたのは自分だってボンドルドの奴言ってたよな?)

 

もしかしたら、ボンドルドによって育てられたのかも知れない。そんな想像が頭をよぎります。

 

「……んなぁー、いや何でもない。分かったよ、オイラが教えてやる。

まぁ、簡単に説明すると、めちゃくちゃ大きな穴だよ。中には危ない怪物がうじゃうじゃいる。

それが、今オイラ達がいるところさ」

 

「そうなんだ……」

 

「あと、ここからが一番重要なんだが、アビスには上昇負荷ってのがある。上に登ると体に悪りぃんだ。

10mも上に行けば体の感覚とはおさらばさ。何も感じなくなって、何も分からなくなっちまう。もしかしたら、死ぬより辛いかもな。

だから、下手に上に行こうとするんじゃねーぞ……おい、聞いてんのか?」

 

「えっ、うん!聞いてるよ!」

 

何やら血小板がボーッとしているのを、ナナチは目敏く見つけました。

 

「んなぁー、本当に聞いてんのか?もっかい言うぞ、上に行ったらダメだかんな!」

 

「うっ、うん……」

 

面倒見のいいナナチは、血小板のことが心配なようです。

この後も、色々と注意すべきことを、血小板の頭に叩き込みました。

 

 

 

必要な施設をあらかた周り終えた2人は、孤児達のいる部屋へとやって来ました。

 

「ほら、着いたぞ。ここが子供らがいる部屋だ」

 

「ありがとう、ナナチのお姉ちゃん!」

 

「んなぁー、礼なんかいらねーよ。じゃあオイラはもう行くから、中の奴らと仲良くしろよ」

 

「あっ、うん!またね、ナナチのお姉ちゃん!」

 

元気良く手を振る血小板、もう大分気分は落ち着いたようです。

それを見たナナチは、少し苦しそうな顔を浮かべて、それを見られないように体の向きを変えて、後ろ手に手を振り返しました。

 

「じゃあな」

 

そう言うと、ナナチは足早にその場を去りました。

ナナチは普段から、なるべく子供部屋には近づかないようにしています。

子供達にもみくちゃにされるから、というのもありますが、一番の理由はあるトラウマが原因です。

辛いことを思い出してしまうから、後で辛い思いをするから、だから子供部屋にはあまり近づきたくないのです。

 

同じ理由で、血小板ともなるべく一緒にはいたくありませんでした。

別れが辛くなるから。

だから「またね」と言われても「またな」とは返しません。

そういう時、決まって言うのは、別れの言葉です。

 

「はぁ……」

 

ナナチは、小さく溜め息を吐きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おやすみー」

 

「おやすみなさーい」

 

すっかり子供達と仲良くなった血小板。

みんなと沢山遊んでいる内に、もうすっかり夜になっていました。

元気いっぱいにはしゃいでいた子供達も、うとうととし始め布団で眠り始めます。

血小板も、みんなに倣って布団に潜り込みました。

 

「すぅー、すぅー」

 

「くぅー、すぴー」

 

暫くすると、部屋のあちこちから可愛らしい寝息が聞こえてきます。

どうやら、子供達は全員寝ているようです。

 

「みんな、寝ちゃった」

 

血小板を除いて。

血小板は、人間と違って睡眠をとりません。

夜中だろうと明け方だろうと、毎日毎日、24時間365日、元気に働いています。

だから、布団に潜ってもやることがないのです。

 

ワーカーホリック?な血小板としては、何かしら働いていたいのですが、音を立ててみんなを起こす訳にはいきません。

仕方がないので、血小板は、布団の中でじっとしていることにしました。

 

「みんなに、会いたいなぁ……」

 

真っ暗な中、1人だけ起きているという状況に、血小板の中の寂しさが再燃します。

心細くなった血小板は、隣にいた子の手に縋りました。

 

「ここ、どこなんだろう……」

 

やることがない分、考えごとばかりが頭の中をぐるぐると巡ります。

気になるのは、ナナチから聞いたお話です。

 

『大きな穴』『危ない怪物がうじゃうじゃいる』『上に行ったらダメ』『それが、今オイラ達がいるところ』

 

そんな場所に、血小板は1つ心当たりがあります。

 

「やっぱり外の世界だよね……」

 

大きな穴は傷口のこと。

傷口の外には危ない怪物、ウイルスや細菌がいっぱいいる。

傷口の外の世界に落ちてしまうと、もう二度と登っては来れない。

これ以上ない程、完全に一致しています。

 

「ここ、きっと外の世界だ……私、傷口から外に出ちゃったんだ」

 

ナナチからアビスの説明を聞きながら、血小板はそう確信していました。

 

「GP1b、ちゃんと使ってたのにな……」

 

【GP1b

血管壁が損傷した際、フォン・ヴィレブランド因子を介して血小板につながれ、血管内皮細胞下組織に粘着する】

 

「もう、みんなとは会えないのかな……」

 

血小板の思考は、暗い闇に囚われてしまいました。

 

『血小板ちゃん!』

 

『大丈夫か、血小板』

 

血小板の頭の中に、暖かな思い出が蘇ります。

 

「赤血球のお姉ちゃん、白血球のお兄ちゃん……」

 

色々な細胞達の顔が、脳裏に浮かんでは消えていきます。

 

「うっ、うぅ……」

 

そして、血小板はとうとう泣き出してしまいました。

心細くて、悲しくて。

どうしようもないくらい、寂しくて。

 

 

 

『何をメソメソしている!』

 

「ふぇっ……?」

 

その時、ある細胞の声が、頭の中に響き渡りました。

それは、巨核球の声でした。

 

「ししょー?」

 

『リーダーのお前が、いつまでサボっているつもりだ!』

 

「ひゃっ、ご、ごめんなさい!」

 

『働きもせず寝転がっているなど言語道断!お仕置きをくれてやるからさっさと登って来い!

戻って来たら、休んだ分働け!デカイ大穴を塞ぐ仕事が残っているぞ!』

 

「はっ、はい!ししょー!」

 

幻聴でも恐ろしい巨核球の声に、血小板は思わず飛び起きて、敬礼をしてしまいました。

 

 

 

「あっ……」

 

そして、血小板はあることを思いつきます。

 

「そうだ……登ればいいんだ」

 

血小板の瞳が、大きく開かれました。

 

「穴を登って行ったら、また元の世界に戻れるかもしれない」

 

血小板の瞳に、一筋の希望が宿ります。

 

「そうだ、そうだよ!穴があるなら、傷口があるなら塞ぎに行かないと!」

 

血小板の瞳に、強い決意が宿ります。

 

「だって、私は、血小板なんだから!」

 

血小板の瞳に、熱い焔が燃え上がりました。

 

『待っているぞ、おチビ』

 

また、巨核球の声が聞こえてきた気がしました。

 

「はいっ!ありがとうございます!ししょー!」

 

(私は、私はこの穴を、アビスを登って、元の世界に帰るんだ!)

 

血小板の体に力が漲ります。

上昇負荷など知ったことではありません。

アビスを登り切って、元の世界に帰るのです。

もう何者も、血小板を止めることなどできないのです。

 

「んぅ……血小板うるさぁい」

 

「あ、ご、ごめん!」

 

そう、眠る子供以外には。

 

 

 

今日はここまで。




血小板ちゃんの名付けの親が間接的にボ卿になりました。(ウルトラ捏造)
家族がふえるよ!やったねボ卿!
おいやめろ(消費するの)


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3層目

酷い目に合わないって言ったけど、ちょっと合います。
酷い目(アビス並感)で、欠損とか解体はないって感じ。


ここはイドフロントの中。

今日もボンドルドは、元気に人体実験をしています。

 

ガチャガチャと投薬やら解剖やらをして、じっくりと生命の神秘、延いてはアビスの神秘を解き明かしていきます。

やがて日も暮れた頃になると、漸く実験が一段落ついたようです。

後片付けを終えたボンドルドは、今度は、部屋の隅に置いてあった小さな肩掛けの黄色いカバンを手に取り、何かを取り出します。

 

「ほう、笛ですか」

 

それは、血小板がいつも使っているホイッスルでした。

そう、今ボンドルドが漁っているのは血小板のカバン。

イドフロントに入った時に預かっていたものです。

 

ボンドルドは、勝手に物色して取り出したホイッスルを、隅から隅まで眺めます。

 

「色は黄色、構造的にも探窟家のものではありませんね。

材質は合成樹脂、プラスチック。造りは稚拙で、恐らくは量産品。製造場所は不明」

 

あらかた調べ終わると、ボンドルドはホイッスルをデスクに置いて、また物色を始めました。

 

次に取り出したのは鉤縄です。

少し細めの縄の先に、4方向に反り返った鉄のトゲがついています。

これは、血小板が損傷した血管を治す時に、損傷箇所を登り降りする為に使っているものです。

 

「使用済み、縄の太さを見るに大人が使うものではない。血小板が使ったのでしょうか?

彼女にこれを使える程の身体能力があるとは到底思えませんが……健康診断に加えて、体力テストも行いましょうか」

 

ボンドルドは一瞥すると、鉤縄をデスクの脇に置きました。

 

実際、血小板の身体能力はそれなりに高いです。

彼女たちの作業場所は傷口付近、断崖絶壁のような場所です。

そんな場所で作業をするには、バランス感覚や、ある程度の力が必要となります。

その為血小板達は、師匠の巨核球から厳しい特訓を受けているのです

 

ボンドルドは更にカバンの中身を取り出していきます。

大事そうに包装紙に包まれた温泉まんじゅうや、工事中と書かれた張り紙、通行止めの旗などなど。

一体この小さなカバンのどこにそんなに収まるのだと言いたくなる程、沢山の品がポンポンと飛び出してきます。

 

そして、1番奥に埋まっていたものを、ボンドルドは取り出しました。

 

「これは……網?架橋構造の立体模型のように見えますが、いやしかし、これは……まさか……」

 

カバンの中で1番体積を取っていたそれは、一度掴むと手にくっついて離れなくなってしまいました。

しかしボンドルドは、構わずに引っ張り出します。

漁網のような大きな網がズルズルと引き出され、その全容を露わにしました。

 

「何と……少々形が違いますが、これは本物のフィブリンですね」

 

【フィブリン

血液の凝固に関わるタンパク質。】

 

ボンドルドは手にくっついたフィブリンを丁寧に引き剥がすと、端っこを切り取り、残りを透明なガラスケースの中に仕舞い込みました。

そして、フィブリンの切れ端を大型の機械の台座にセットすると、その上の覗き口に目を当てました。

どうやら、この大型の機械は顕微鏡のようです。

ボンドルドの視界には、何千、何万倍にも拡大されたフィブリンが映っていました。

そして、ポツリと呟きます。

 

「驚きました……原子のサイズが大きく膨張している」

 

それは、明らかな異常事態でした。

原子が、まるで風船のように膨れ上がりその形や性質を大きく変質させていたのです。

膨張した一つの原子が、同質量分の正常な原子と同じ働きをしていました。

それにより、構成する物質も通常の物質と同じような性質になっていたのです。

 

それからボンドルドは、カバンに入っていた物を顕微鏡でじっくり観察していきました。

そして、カバンも含めて全ての品を調べ終えると、紙にメモを書き込みました。

その後、棚から一つの資料を取り出し、メモと見比べます。

 

「血小板の持ち物は、全て原子が膨張しているようだ。そして、膨張した原子と正常な原子の大きさを比較すると、その倍率は……一律で凡そ50万倍といったところですか」

 

ボンドルドは血小板の持ち物や、実験に使った器具を丁寧に片付けると、研究室を出てある場所へと向かいました。

 

「50万倍となると、丁度、血球である血小板が、幼い子供の身長と同程度になる倍率ですね」

 

当然、目的地は子供部屋でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よーし、しゅっぱーつ!」

 

一方血小板は、既にイドフロントから脱出していました。

巨核球から指令を受けた以上、一分一秒でも早くこの大穴、アビスを踏破しなければなりません。

昼夜問わず働き続けている血小板にとって、夜明けなんてものは待つ必要の無いものなのです。

 

「えーっと、うーんと、あっちに行こうかな?」

 

とはいえ、ここは右も左も分からないアビスの中。

逸る気持ちに相反して、血小板の足取りは不確かです。

少し進んで振り返って、また少し進んでは右往左往。

歩幅の小ささも相まって、全く前進していません。

 

「どこかに上に登れそうな場所ないかなぁ……」

 

 

 

『血小板ちゃーん!こっちこっちー!』

 

 

 

と、ここで、またもや誰かの声が聞こえてきました。

 

「えっ?赤血球のお姉ちゃん?」

 

紛うことなき赤血球の声です。

今度は、イドフロントの中で聞いた時よりも、かなりはっきりと聞こえました。

そう、とても幻聴とは思えない程にはっきりと聞こえたのです。

 

「赤血球のお姉ちゃん……いるの?」

 

『だいじょーぶ!私が付いてるから!』

 

血小板の呟きに応えるように、赤血球の声が聞こえます。

これは、思い出の中の声でも幻聴でもありません。

確実に、赤血球本人の声でした。

 

『一緒に行こう、血小板ちゃん!』

 

赤血球が手を指しのべてくる姿が脳裏に浮かびます。

 

「……うん!」

 

行くべき場所が定まりました。

声が聞こえてくる所、赤血球がいる所、暖かなあの場所へと帰るのです。

一緒に働いていた時のことを思い出すと、自然と歩くスピードが速まります。

 

(きっと、赤血球のお姉ちゃんが探しに来てくれたんだ!)

 

血小板は居ても立っても居られなくなり、駆け出しました。

こんなに全力疾走するのは初めての経験で、苦しく息が上がりました。

転んでしまっても、足を止めることはありません。

地面の窪みに足を取られながらも、荒野を全力で走り抜けます。

そんな血小板を応援するように、赤血球の声が続きました。

 

『頑張って!血小板ちゃん!』

 

「うん!今から行くね、赤血球のお姉ちゃん!」

 

血小板は力強く叫びましました。

 

 

 

どれ程走ったのか、血小板には分かりませんでしたが、兎に角、長い時間が経ったように感じました。

深界の広い空間は血小板の遠近感を狂わせ、これっぽっちも進んでいないかのような錯覚に陥らせます。

それでも休むことなく走り続けていると、やがて血小板の目に小さな洞窟が見えてきました。

小さいといっても、血小板が入るには十分な大きさがある洞窟です。

辺りを見渡すと、高い岩壁が聳えるばかりで他には何もありません。

 

『ほら、もう少しだよ!』

 

赤血球の声が、かなりはっきりと聞こえます。

もう直ぐ近くに迫っているようです。

 

(あそこだ!あの洞窟の中に赤血球のお姉ちゃんがいる!)

 

漸く赤血球と会える、そう思うと血小板の顔に笑みが浮かびました。

疲れ切った体に鞭を打って、必死に足を動かします。

滴る汗も拭わずに、無我夢中で腕を振ります。

 

あと50m

 

30m

 

10m

 

そして、

 

「着いたー!」

 

血小板はとうとう洞窟へと辿り着きました。

膝がガクガクと震え、心臓が弾けそうな程激しく脈打っていますが、そんなことを気にしている場合ではありません。

そのまま、脇目も振らず洞窟の中へと飛び込みます。

その先に、あの暖かな光景が待っていると信じて。

 

「赤血球のお姉ちゃん!」

 

ガランとした洞窟の中で、血小板の声が響きました。

しかし、返ってくるのは反射した自分の声だけで、追い求めた赤血球の声はありません。

声が小さくて聞こえなかったのだろう、と考えた血小板は、遠くまで聞こえるように大きく息を吸い込みました。

 

「お姉ちゃーん!私、来たよー!」

 

血小板の声が、洞窟の壁に乱反射します。

しかし、赤血球からの返事はありません。

血小板は、地の底まで続いていそうな暗い洞窟の中へ、一歩づつ足を進めていきました。

きっと直ぐに赤血球が迎えに来てくれる、そう思いながら黒い闇に目を凝らします。

 

ゴソッ

 

視界の隅で、何かが動きました。

血小板は、咄嗟にそちらへ顔を向けました。

見れば、岩陰に赤っぽい色の何かが蹲って、モゾモゾ動いています。

 

「お姉ちゃん、そこにいるの?」

 

返事はありません。

あれが本当に赤血球なら、直ぐに返事を返している筈です。

しかし、返事がないばかりか、声掛けに対して一切の反応がありません。

となると、今は返事も出来ないような状態にあるか、或いは、そもそも赤血球ではない可能性もあります。

 

(きっと……きっと、怪我をしてて声が出せなんだ……早く助けてあげなくちゃ)

 

血小板は、無意識に息を飲みました。

洞窟の冷たい風に冷やされた汗が、火照った体から急激に熱を奪います。

そして、恐る恐る足を動かし、岩の後ろへ回り込みました。

 

 

 

「グゲッ、ゲペッ」

 

 

 

そこにいたのは、余りにも悍ましい生き物でした。

肉はデロデロに溶けて垂れていて、眼球が眼孔に収まらずに飛び出てしまっています。

湾曲して開きっぱなしの口からは、不揃いの歯が並び、異常に肥大化した舌が垂れ下がり涎を撒き散らしています。

そして、その体の半分はグシャグシャに潰れていて、ダラダラと血が吹き出し全身を赤く染めていました。

 

「ひぃっ!?」

 

血小板は、余りの恐ろしさに腰を抜かして、後ろに倒れ込みました。

 

「グギャッ」

 

それと同時に、謎の生物は血小板の方へ顔を向けました。

その生物は耳も目もグチャグチャで機能していませんでしたが、振動は感じるようです。

血小板が倒れた振動を察知したらしく、ひしゃげた体を引きずってゆっくりと近付いて来ます。

べちゃべちゃと、溶けた肉と石が擦れ合う耳障りな音が洞窟に響きます。

 

「いや……来ないで……」

 

「ゲギッ、ギギッ」

 

逃げたいのに、足が言うことを聞きません。

恐怖と全力疾走の疲労により膝はガクガクと震えるばかりで、一切力が入らないのです。

それでも血小板は体を反転させて、匍匐前進のような体勢で必死に逃げようともがきました。

藁にもすがる思いで、地面に転がる石を掴みます。

 

「グゲベッ」

 

「きゃっ!いやっ、いやぁぁぁああああ!!」

 

謎の生物の4本の指が、血小板の足を掴み引っ張ります。

然程強い力ではありませんでしたが、体重の軽い血小板を引き寄せるには十分な力でした。

血小板は、岩陰の方へ引き摺り込まれてしまいます。

 

「グィイッ、ギギャッ、ギギャッ」

 

「ひっ、ひぐっ、い、いやぁ……」

 

謎の生物は、血小板に覆いかぶさりました。

先程、殴りつける為に石を拾った方の手は、ドロドロとした肉の下敷きにされて動かせなくなってしまいました。

ねちょねちょした生暖かさと、肉が腐ったかのような異臭が気色悪く、総毛立ちます。

唾液が顔に滴り、垂れ下がった眼球が血小板の瞳を覗き込みます。

血小板は、悍ましい視線から逃れる為に瞼をぎゅっと瞑ります。

 

(お姉ちゃん、助けてっ!)

 

そして、歪んだ口が大きく開かれ、生臭い吐息が血小板の顔を撫でました。

 

 

 

「見つけましたよ」

 

 

 

体の重みが急に無くなりました。

 

「いけませんね、勝手に抜け出すのは。危ないですよ」

 

叱責する声には、血小板の身を案じる優しさがありました。

その声は、赤血球のものではありませんでしたが、心が安らぐ暖かな声音でした。

血小板は、恐る恐る瞼を持ち上げます。

 

「安心してください。もう、怖くありませんよ」

 

真っ黒な面がこちらを覗き込んでいました。

逞しい腕が、血小板の細い体をしっかりと抱き上げます。

 

「ボンドルドの、お兄さん……」

 

緊張の糸が途切れた血小板は、疲労により意識を途切れさせました。

 

 

 

今日はここまで。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4層目

血小板ちゃんの設定はもう筆者にもよう分からんのでスルーでお願いします。


ここは血小板の体の中。

今日も血小板の細胞は、元気に働いて……いませんでした。

当然です。

血小板自体が細胞なので、その中には細胞はいません。

では、血小板の体の中は一体どうなっているのかというと、

 

「膨張した原子の一つ一つが、細胞のように様々な働きをしている。また、原子の内部には解析不能な謎の力場が発生。恐らくは、この力場が様々な異常現象の元凶でしょう。何にせよ、これは最早原子とは呼べませんね。

そして、これらが細胞で無いとなると、血小板自体が一つの大きな細胞であり、内臓に似た器官は全て細胞小器官ということですか」

 

このようになっているようです。

 

 

 

ボンドルドは、レントゲン写真と皮膚組織の拡大写真を片手に、手術台に横たわっている血小板を見つめます。

血小板は手術用の衣服に着替えさせられており、トレードマークの帽子も外されていました。

そして傍らには、手足の動きを封じる為の厳つい枷が、役割を果たすことなく転がっていました。

更に、手術台の脇には、メスやハサミ、ピンセットなどの手術道具が用意されていましたが、これらも手付かずのまま放置されています。

 

「血小板は、非常に高度に進化した単細胞生物。そして、その正体は祝福により人型を得た本物の血小板、ですか」

 

ボンドルドは、背後に控えていた祈手に写真を渡すと血小板の首に手を当てました。

 

【祈手

アンブラハンズ。ボンドルドが率いる探窟隊の総称。ボンドルドの研究の助手も務めている。】

 

それから、胸に聴診器を当てたり、瞳孔をチェックしたり、腹部を触診をしたりと、体の様々な部分を診察していきます。

30分近くの入念な診察を終えて、ボンドルドは小さく溜息を吐きました。

 

「分かってはいましたが、体のつくりが人間とはまるで違いますね。是非とも解剖してみたいものですが、触診すらまともに出来ないとなると、困りましたね」

 

顎に手を当てて考え込むボンドルド。

医学に深く精通している彼ですが、流石に単細胞生物に対して執刀を行なったことはないようです。

それに加え血小板の体は、これまで解剖してきたどんな生物と比較しても特殊に過ぎました。

レントゲンに映されたのは、100を超える細胞小器官の数々。

そして、それらの器官を動かしているのは人知を超えたアビスの力です。

つまり、どの器官がどんな仕組みでどんな働きをしているのか、その全てが分からないのです。

 

「傷口を閉じる術を確立出来ていない以上、メスを入れる訳にはいきませんね。新たな検体の当てもできたことですし、そちらを優先しましょう」

 

ボンドルドは渋々、使わなかった手術道具や拘束具を片付け始めました。

 

「……んぅ、あれ?ここ……どこ?」

 

と、ここで血小板が目を覚ましました。

手術台の上で体をモゾモゾと動かし、上体を起こします。

そして、ツンと鼻を突く消毒液の匂いに首を傾げます。

 

「おや、気が付きましたか?丁度良かった。

ここは医務室です。あなたの体に異常がないか調べていたんですよ。派手に転んでいましたからね。何も問題が無いようで安心しました」

 

目を覚ました血小板の質問に対して、いけしゃあしゃあと答えるボンドルド。

執刀可能であれば、寝ている間に麻酔無しでバラし始める気満々だったというのに、白々しい事この上ありません。

 

「血小板にはいくつか聞きたいことがあります。目覚めたばかりで申し訳ありませんが、答えられますか?」

 

「ふわーぁ……うん、だいじょうぶ」

 

寝起きでぼやける眼を擦る血小板。

その姿からは、一つの細胞で肉体ができているとはとても想像できません。

ボンドルドは、血小板の動作を注視しながら質問を始めました。

 

「まず、昨日の夜何をしていたか覚えていますか?」

 

「きのう?えっと、きのうは……みんなが寝ちゃって。それから……それから、ししょーの声が聞こえてきたの」

 

「ほう、師匠ですか。それは……ひょっとすると巨核球のことですか?」

 

「うん、そうだよ。ボンドルドのお兄さん、ししょーのこと知ってるの?」

 

「少しだけですが、知っていますよ」

 

【巨核球

骨髄中最大の造血系細胞。 1個の巨核球から数千個の血小板が作成される。】

 

血小板の師匠となると、血小板を産出する細胞、巨核球のことではないかと考えたボンドルド。

その推理は見事に的中していました。

因みに、巨核球という名前を考案したのはボンドルドです。

その働きについて発見したのも、勿論ボンドルドです。

 

「それで、巨核球は何と言ったのですか?」

 

「うーん、全部は覚えてないけど——」

 

血小板は、昨夜聞いた巨核球の言葉を、覚えている限り話しました。

 

「——成る程、それで逸早くアビスから脱出しようとしたのですね。では、あの洞窟へ向かったのは何故ですか?あの辺りには、上へと続く道はありませんが」

 

「えっとね、あの洞窟から赤血球のお姉ちゃんの声が聞こえてきたの」

 

「ふむ、赤血球……」

 

【赤血球

ヘモグロビンを多く含むため赤い。血液循環によって酸素と二酸化炭素を運搬する。】

 

因みに、赤血球や、赤血球の働きについて発見は、流石にボンドルドが生きる時代より遥か昔に済んでいました。

ですが、血液型を発見してA, B, O, AB型に分類したのは当然ボンドルドです。

 

「うん。それで、赤血球のお姉ちゃんがね——」

 

血小板は、昨夜聞いた赤血球の言葉を、覚えている限り話しました。

 

「——だからね、赤血球のお姉ちゃんに会えると思ったの。でも、お姉ちゃん見つからなかったから、探してて……そしたら、変なのに引っ張っられて、すごく怖くて……」

 

「そこまで、もう大丈夫です。すみません、嫌なことを思い出させてしまいましたね」

 

洞窟で謎の生物に襲われたことを思い出してしまい、顏を青ざめさせた血小板。

どうやら、あの出来事がトラウマになってしまっているようです。

ボンドルドは頭を撫でて、怯える血小板を落ち着かせます。

 

「もう少しで終わります。次が最後の質問ですから、それまで我慢してください」

 

ボンドルドはそう言うと、血小板が落ち着くまで待ちました。

そして、血小板が平静を取り戻したと分かると、彼女の帽子を頭に被せてあげました。

代わりに、ボンドルドの手は頭を離れます。

 

「では、最後の質問です」

 

頃合いを見計らって、ボンドルドは口を開きました。

 

「赤血球の帽子は、赤色ですか?」

 

それはまるで、赤血球が帽子を被っていると知っているような口ぶりでした。

確信している事柄を念押しとして尋ねるような、そんな聞き方です。

帽子を被っているという情報は、巨核球の名前を当てた時と違い、変化した細胞の容姿を知らなければ分からない筈です。

血小板も疑問に思ったのか、首を傾げました。

 

「うん、そうだけど、赤血球のお姉ちゃんのことも知ってるの?」

 

「知っていますよ。赤血球は酸素と二酸化炭素の運搬を行う、血液中の細胞成分です」

 

「えっと……もしかして、ボンドルドのお兄さんって、元の世界……アビスの上の世界に行ったことがあるの?」

 

「勿論、ありますよ」

 

即答でした。

それも当然です。

アビスの上の世界といえば、それ即ち地上のことであり、ボンドルドが元々暮らしていた場所です。

地上とアビスを自由に行き来出来るボンドルドにとって、それは何のこともない質問でした。

ですが、血小板にとっては、その回答の重要度は大分異なります。

 

「……ボンドルドのお兄さん。あのね、お願いがあるの」

 

「なんでしょう?」

 

「わたし、アビスを登って元の世界に行かなくちゃいけないの。でも、行き方がわからなくって……

だから、お願いです!わたしがアビスを登るのを、手伝ってくれませんか!」

 

元の世界への道しるべ、それは血小板が今、最も欲しているものでした。

一度出たら、二度と戻れないと言われる外の世界。

アビスと言う名の、右も左も分からない辺境の地。

唯一の手掛かりであった赤血球の言葉も、先の見えない洞窟で行き止まってしまいました。

そんな血小板にとって、ボンドルド発言は、洞窟の奥で見つけた一筋の光明のように見えました。

 

「当然、いいですよ」

 

「……いいの?本当に手伝ってくれるの?」

 

だから、血小板は足を踏み入れてしまったのです。

その光明が、湧き出る溶岩の光だとは知らずに。

人間をドロドロに溶かして壊してしまう狂気の波に、身を晒してしまったのです。

 

「勿論です。アビスのことなら私に任せてください。何せ、私は白笛の探窟家なのですから」

 

ボンドルドは、血小板が考えるアビスの上の世界が、血管の中のことだと理解していました。

血小板にとって、とても重要な質問であることも理解していました。

理解していながら、行ったことがあると答えたのです。

 

「ありがとう!ボンドルドのお兄さん!」

 

「礼を言う必要はありませんよ。アビスを踏破するのは、私の目標でもありますからね」

 

その返答に、血小板を騙そうという意思や、悪意などはありませんでした。

ただ、ボンドルドにとっての事実を語っただけなのです。

 

「ですから……その為に、キミも協力してくださいね」

 

「うん!」

 

嬉しそうに頷く血小板の頭を、ボンドルドは優しく撫でました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから数日後。

 

「んなぁー、どーすっかなぁ……」

 

ナナチは今日、何度目かの溜息を吐きました。

表情は暗く、心なしか瞳も淀んで見えます。

何故ナナチは悩んでいるのか、それは数日前に発生したちょっとした事件が原因でした。

それは、血小板脱走事件。

イドフロントで暮らす殆どの者にとって、何の影響も及ぼさ無かった瑣末なその事件ですが、ことナナチに限ってはとんでもない一大事だったのです。

 

「何で、よりにもよってオイラの用意した抜け道使っちまうんだよー!」

 

あの日、全ての出入り口がしっかりと管理されていた筈のイドフロントから、血小板が何故抜け出せたのか。

その理由は、ナナチが予め仕組んでいた脱出ルートを、血小板が偶然発見してしまったからでした。

当然、その脱出ルートの情報は血小板からボンドルドへと渡り、今はもう使うことは出来ません。

血小板は、意図せずナナチの脱出計画を台無しにしてしまったのです。

 

(何とかして、抜け出せそうな場所を見つけねーと……)

 

ナナチは、天井を見上げます。

そこには、無骨なダクトが壁から顔を覗かせていました。

あれを辿れば、外に出られるでしょう。

しかし、ダクトの口は鉄の格子で塞がれてしまっていました。

それに幅が狭く、ナナチが通るのはかなり厳しそうです。

 

コッ、コッ、コッ

 

ナナチの長い耳が、人の足音を捉えます。

忌々しく恐ろしい、あの男の、ボンドルド足音です。

ナナチは、思わず逃げ出したくなるのを堪えて、ボンドルドが来るのを待ちました。

どうせ逃げても無駄なのですから、嫌なことは早く終わらせるに限ります。

やがて、曲がり角からドス黒い人影が姿を現しました。

 

「ナナチ、ここにいましたか。これから、実験の手伝いをしてもらいます」

 

「…………」

 

嫌だ、やりたくない、そう言えたらどんなに楽なことか。

しかし、ナナチは首を縦に振るしかありません。

この地獄から脱け出す為の蜘蛛の糸は、数日前に絶たれてしまったのですから。

 

「ナナチも喜んでください。素晴らしい検体が手に入ったんですよ」

 

楽しそうに声を弾ませるボンドルドを、ナナチは白い目で見つめました。

その口から発せられるであろう、ロクでもない言葉を黙って待ちました。

そして、そんなナナチの冷めた反応を気にも留めず、ボンドルドは口を開きます。

 

「キミにも先日会わせましたね。これから行うのは、血小板を使った上昇負荷の実験ですよ」

 

ああ……やっぱりロクでもない。

ナナチはそう思いました。

 

 

 

今日はここまで。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5層目

血小板は酷い目に合わないと言ったな……あれは嘘だ。

本当ごめんなさい。よく考えれば、そこそこ酷い目に遭っていることに気がつきました。という訳で筆者はラストダイブに行って来ます。

でも血小板ちゃんの柔肌が傷つけられることは今後もないのでご安心ください。


ここは昇降機のある部屋の中。

これから何が起こるかも知らずに、今日も血小板は元気いっぱいです。

 

「わぁ、くしゃみの時のアレにそっくり……あっ!ねぇ、ボンドルドのお兄さん!もしかしてこれでアビスの上まで行けるの?」

 

【くしゃみ

鼻の奥に付着した埃やウイルスなどの異物を体外に排出しようとして起こる反応的な反応。その他にもアレルギー反応や、こよりで鼻腔をくすぐったり、コショウを吸い込んだり、太陽を見たりといった刺激を受けると発生する。】

 

くしゃみの時のアレというのは、気管支に入った異物を粘液カプセルで閉じ込めて、上へと運んだアレのことです。

カプセルが球形か円柱形かの差はありましたが、血小板の言った通り概ね似たような外観です。

ですが、双方は全く真逆の機能を備えていました。

 

「逆ですよ。その昇降機はここからすぐ下、深界六層に行く為のものです。降りた先は袋小路なんですが、色々試すのに丁度良い深さでしてね。私の箱庭なんです」

 

ご丁寧に、今きみが首を乗せているのは断頭台だ、と宣告するボンドルド。

しかし血小板は、上昇負荷の恐ろしさや六層の呪いについて殆ど知りません。

ボンドルドを信頼しているが故に、自分の首に刃が当てられているなどカケラも考えていません。

ですので、ボンドルドの死刑宣告、或いは死刑よりもっと悍ましい宣告に対しても、小さく首を傾げるだけでした。

 

「どうして、下に行くの?」

 

「アビスを登りたければ、まず呪いをなんとかしなければなりませんからね。

これから血小板には、上昇負荷を体験してもらいます。耐えられればそれで良し。もし無理でも、研究結果を元に呪いの仕組みを解き明かすことが出来るのです」

 

「下に降りても大丈夫なの?」

 

「安心してください。かつてナナチも同じ実験をしましたが、ご覧の通り健在です。それどころか、祝福まで手にすることに成功しました」

 

重要な情報を語らずに、希望的なことばかり述べるボンドルド。

そのやり口は悪質な詐欺師そのものでしたが、彼には悪気も騙すつもりもありません。

必要でないことを語らなかっただけなのです。

 

ナナチに実験が行われる迄に何人もの子供達が死ぬか成れ果てになっている、なんて情報は、ボンドルドには至極どうでもいいことでした。

ナナチに実験が行われた際に一緒に非検体となった少女は成れ果てとなった、なんて情報も、同じくどうでもいいことでした。

ボンドルドに、人の姿形や生き死にに対する拘りはありません。

だから血小板の見て呉れがどうなろうと、血小板の命が失われようと気にはしません。

 

「心配しないでも大丈夫ですよ。君は必ずアビスの上、地上まで連れて行くと約束します」

 

例え、血小板がどんな姿に成ろうとも。

例え、血小板が二度と動かなく成ろうとも。

地上に連れて行くことは、簡単に出来るのですから。

 

 

 

ボンドルドと血小板の様子を、ナナチは後ろから祈るように見ていました。

 

(頼むぜ血小板、死なないでくれ)

 

血小板の生存を願うナナチ。

幼い子供が実験に使われることに良心が痛んだとか、少し会話して情が湧いたとか、そんな慈悲深い思いがあった訳ではありません。

寧ろナナチは、血小板に対して悪感情を抱いてすらいました。

渾身の脱出計画をおじゃんにされてしまった以上、それも仕方のないことです。

では一体何故、無事を願っているのかというと——

 

(オイラの命綱ぶった切ってくれやがったんだ、その分働いて貰わなきゃ気が済まねぇ)

 

——血小板を脱出計画に利用しようと考えていたからでした。

 

単独での脱走が無理なら、協力者を募ればいい。

アビスから出たいという願望を持ち、かつ小柄な割に非常に高い身体能力を持つ血小板は、ナナチにとってとても都合の良い存在でした。

ナナチがお膳立てしたとはいえ、一度イドフロントを脱走した実績もあります。

これを逃す手はありません。

 

(オイラとミーティの未来はお前に掛かってんだ。お願いだから死んでくれるなよ)

 

ボンドルドが語った通り、血小板の命運はまだ完全に尽きたわけではありません。

人ではいられなくとも、ナナチの様な成れ果てとして生き残れる可能性はゼロではないのです。

そして、その僅かな可能性は、ナナチの命運の一つでもありました。

ミーティを解放する為には、何としてでもイドフロントを脱出しなければなりません。

ナナチは、血小板の小さな双肩に希望を託しました。

 

 

 

しかし、そんな希望はあっさりと潰えて消えることとなりました。

 

 

 

(おい、ウソだろ!)

 

血小板が入れられたのは、ナナチから見て左側のガラスケース。

忘れもしません、そこはかつてナナチの親友、ミーティが入れられた場所でした。

それはつまり、あの悪夢が再び繰り返されることを意味しています。

 

(血小板は、押し付けられる側……)

 

反対のガラスケース入っている生物は、黒い布を被せられていて中身が確認できません。

形から察するに、人ではないようです。

ですが、右側に何が入れられようが結果は変わりません。

このまま昇降機が起動すれば、呪いは余すことなく全て血小板に降りかかります。

そうなれば、アビスの呪いは血小板から何もかもを奪い去ってしまうでしょう。

少なくとも、意思の疎通はもう二度と出来なくなる筈です。

 

(マズい、なんとかしねーと!)

 

その瞬間、ナナチの瞼の裏に、あの日の光景がフラッシュバックしました。

恐怖が足を竦ませます。

絶望が心を蝕みます。

そして、ナナチは声を出すことができませんでした。

 

「では、始めましょうか」

 

ボンドルドの手が、昇降機のスイッチにかかります。

 

(ダメだ!間に合わない……!)

 

伸ばされた手は空を切りました。

そして——

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドサッ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

——血小板は、まるで人形の様に力無く倒れ伏しました。

 

「……どうしました、血小板?」

 

異変に気付いたボンドルドは、スイッチから手を離し血小板の方へ振り返ります。

そして、血小板からの反応がないと分かると、急いで昇降機へと向かいました。

ガラスケースの中では、血小板が息を荒くして横たわっています。

ボンドルドは、ぐったりとした様子の血小板に話しかけました。

 

「血小板、聞こえますか?」

 

ボンドルドの声に、血小板はピクリと瞼を動かしました。

薄っすらと見える視界からボンドルドの姿を認めると、弱々しく唇を動かして言葉を紡ぎます。

その声は酷く掠れていて、聞き取るのがやっとなくらいに小さなものでした。

 

「からだ……うご、かな……い」

 

「何処か、傷みはありますか?」

 

「だい、じょ……うっ、うぅ……!」

 

「……大丈夫ではなさそうですね。

医務室へ運びます。担架を用意してください」

 

苦しそうに呻く血小板の姿は、とても痛々しいものでした。

その姿を見れば、誰であろうと即座に重体だと判断するでしょう。

ボンドルドは、祈手達に指示を出した後、自らの手で血小板を優しく担架に乗せました。

そして、祈手に一言二言指示を出すと、運び出される血小板に付き添って部屋を後にしました。

 

 

 

「はぁ……」

 

部屋に1人残されたナナチは、安堵の溜息を吐きました。

緊張していた体から急に力が抜けたようで、その場にヘナヘナと座り込みます。

 

「んなぁー、どうにか間に合ったみてぇだな」

 

そう呟くと、ナナチは懐から何かを取り出しました。

それは、小さな瓶でした。

中身は半透明で、薄っすらと黄味を帯びています。

ラベルには深界生物の名前と、危険物につき取り扱い注意という旨の警告文が書かれていました。

 

「どうせ毒を盛るならあいつに盛ってやりたかったなぁ。血小板には悪いことしちまった。

でも、これを飲んでもたかだか数日動けなくなるだけだが、あの実験をやった日にゃ、下手すりゃ2度と動けなくなっちまうし。だから勘弁してくれよな」

 

そう、血小板が突然倒れた原因は、ナナチが盛った毒だったのです。

そして毒を盛った理由は、当然ボンドルドの実験を妨げる為でした。

 

 

 

時間は、ボンドルドがナナチを見つけた所まで遡ります。

 

血小板で実験を行うと言われ、ナナチは舌打ちしそうになるのを堪える為に奥歯を強く噛み締めていました。

この時、ナナチは既にイドフロント脱出を血小板に手伝わせる算段を立てていたのです。

苛立ちが表に出ないよう、努めて冷静なフリをしながらボンドルドの指示を待ちます。

 

「私は実験の準備をしているので、ナナチは血小板を呼んできてください」

 

チャンスだ、ナナチはそう思いました。

この機を逃したら、もう血小板が助かる道は永遠に失われるでしょう。

去って行くボンドルドの背中を見送りながら、実験をやり過ごにはどうしたらいいか頭を捻りました。

 

(今から脱出しちまうか……?

いやダメだ、どう考えても下準備に最低でも10日はかかる。10日だ、10日以上血小板に手を出させない様にするにはどうすればいい?考えろ……何か、何か方法はないか……)

 

しかし、あのマッドサイエンティストがそう簡単に実験を止める筈はありません。

必死に思考を振り絞り、ボンドルドを止める方法を模索します。

そして、実験風景や、実験前後の会話を思い出している時、ナナチはあることに気付きました。

 

(そうだ……実験前には必ず健康診断をやってた。体調不良で血小板が倒れれば、実験を中止するしかないはず!)

 

ナナチは急いで薬品棚のある部屋へと向かいました。

そして移動しながら、実験の付き添いで得た知識から、即効性があり致死性の低い毒を脳内にリストアップします。

更に、その中でも後遺症や痕跡が残り難いものを厳選しました。

薬品棚へと辿り着くと、奥へ進み危険物の保管されている棚を物色します。

 

「あった!こいつならいける!」

 

ナナチは1つの瓶を手に取り、満足そうに独り言ちました。

 

その後ナナチは、ボンドルドの指示通りに血小板を呼び出すと、ただの水と偽って毒入りの水を血小板に飲ませたのでした。

 

 

 

「にしても、何で毒が効くのにあんなに時間がかかったんだ?分量間違えたか?」

 

瓶の中身を眺めながら、ナナチは呟きました。

もし血小板が普通の人間であれば、この部屋に辿り着く迄に倒れていたでしょう。

しかし、ナナチは知らないことですが、血小板は人間ではありません。

なので、毒薬を飲んだ時の症状も人間とは異なるのでした。

 

「健康診断もやらねーし、全くお陰で肝が冷えたぜ。まぁいいや、血小板は……ん?」

 

その時、ナナチの長い耳が異音を捉えました。

 

(あいつら戻って来たのか、もしかして聞かれたか?)

 

咄嗟に口を押さえ、ボンドルド達が出て行った扉を見つめるナナチ。

しかし、どうやら音の発生源は違ったようで、扉が開くことはありません。

こちらに向かって来る足音もありませんでした。

 

ズズッ、ズルルッ

 

今度はさっきよりハッキリと聞こえました。

何かが擦れるような音です。

 

「そこかっ!」

 

音の発生源が分かったナナチは、後ろを振り返ります。

視線の先には、片方が空になった昇降機。

そして、もう片方にはモゾモゾと動く黒い布がありました。

そう、音の発生源は、先程血小板が入れられていたのとは逆のガラスケースでした。

見ると、被せてあった布がずれて中身が半分飛び出しています。

それを見て、ナナチは少なからず驚きました。

 

「何だありゃ、何であんなもんを実験台に……?」

 

疑問を口にするナナチ。

布がずり落ちて、中身が完全に姿を現します。

それは、肉体の半分がひしゃげて無残な姿になった成れ果てでした。

 

「……グゥゥ、グゲッ」

 

血で赤黒く染まった成れ果て。

その頭部と思しき場所には、何故か真っ赤な帽子が被せられていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは誰かの体の中。

今日も細胞たちは、元気に働いています。

 

「だーかーらー、さっきから言ってるだろう!上皮付近にあって勝手な増殖してないんだったら、その内角質と一緒に破棄されるから、放置していいんだって!絶対に攻撃しないでよね、分かった!?」

 

ガチャン!!

 

受話器の向こうから聞こえてくる怒鳴り声を無視して、通話は乱暴に切られました。

通話を切った細胞は不機嫌そうに椅子に座り込むと、気分を落ち着ける為にティーカップを持って紅茶を一口啜ります。

 

「どうかしましたか、ヘルパーT司令」

 

【ヘルパーT細胞

外的侵入の知らせを受け、戦略を決める司令官。キラーT細胞に出動命令を出す。】

 

ヘルパーT司令と呼ばれた細胞は、呼び掛けてきた細胞の方へ顔を向けると、相好を崩して猫撫で声で語り始めました。

 

「それがさー、聞いてよ制御生Tさん。あの脳筋が攻撃させろ攻撃させろってうるさいんだ。せっかくのティータイムが台無しだよねぇ、まったく」

 

【制御性T細胞

T細胞の暴走を抑え、免疫異常を起こさないよう調整する。】

 

普段ならばティータイムではなく仕事中だとつっこむ所ですが、制御性T細胞にはそれよりも気になることがありました。

 

「攻撃ということは、外敵が侵入したんですか?」

 

「ああいや、どうやら傷口付近の一般細胞の姿が唐突に変質したらしい。異常事態ではあるけど、今の所害はないし、暫くは様子見かな」

 

「そうですか。一般細胞が突然変異……」

 

制御性T細胞は、不吉な予感に表情を曇らせました。

 

 

 

今日はここまで。




どうでもいい話
・ナナチが血小板の身体能力が高いことを知っている理由は体力テストのデータを見たから。
・ナナチが血小板がアビスを出たがっていたのを知っている理由は本人に聞いたから。
・ボ卿が健康診断をやらなかったのは血小板の健康状態を判断出来ないから。
・ラストのは何も考えずに適当にぶち込んた、あまり気にしないでok
・階段から転げ落ちてからずっと首が痛い。

血小板が遭遇した酷い目一覧
・アビスに放り出される
・ボンドルドと遭遇してしまう
・成れ果てに襲われトラウマになる
・解剖されかける
・実験材料にされかける←new!!
・毒を盛られる←new!!

誠に申し訳ありません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。