終末に幸せを夢見てました (駄文書きの道化)
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始まりの夢を見た

 幸せになって欲しかった。言ってしまえば、きっとただそれだけの願いだった。

 

 * * *

 

 夢を見ている。

 自分の人生を振り返る夢。正直に言って気分の良いものじゃない。

 有り触れた人生、特徴のない、山場もない。平凡という二文字がよく似合う人生だ。

 目標は大きくなく、ささやかな日々の糧の為に気の合わない上司に頭を下げ、仕事に追われる日々。

 日々の癒しは数々の物語。胸を躍らせる冒険活劇から、甘酸っぱい恋物語、幾多の登場人物達が描く群像劇。

 漫画であれ、小説であれ、アニメであれ。そういったものを求める日々だった。そうして何事もなく1日は過ぎ、そして繰り返す。

 そんな人生を追想する。繰り返す夢は終わりが見えない。また最初から。ダイジェストのように繰り返す自分の人生を振り返るのははっきり言えば苦痛だ。

 意識を逸らす。自分という存在から意識を逸らしてみれば、目の前に広がったのは……灰色の砂漠。

 見た事のない景色の筈だった。寂しい筈の世界だった。それなのにどうしようもなく落ち着くという矛盾を感じた。

 

 帰りたかった。――どこに?

 

 わからない。自分が帰るべき人生はこのどうしようもなく平凡で平坦な人生で。

 決してこのような何もない灰色の砂漠ではなかった筈だった。けれど、落ち着いている。

 これは夢だ。きっとそういう事もあるだろう。自分が理解出来ないものもある。目が覚めて見ればおかしいと思う事だって、夢の事であればどうしようもなく普通な事なんだろう。

 帰りたい。灰色の世界で思う。あぁ、帰りたかった。この静かな世界はどうしようなく落ち着く。日々に追われる事もない、そんな日々はきっと良いものだろう。

 

 ――夢を、見た。

 

 知らない街。知らない人達。知らない過去。知らない、知らない、知らない。

 これは、私の現実だ。私を振り返る夢だ。私はこんな灰色の世界も、平凡な人生も知らない。

 世界は危機に満ちていて、平凡な“自分”が見るような物語に出てくる架空の者達が現実にいて。

 灰色の砂漠に望郷と安心を覚える感覚なんてさっぱり理解が出来なくて。それがどうしようもなく恐ろしい。自分じゃないものが自分の中にあるような錯覚を覚えてしまう。

 

 これは夢だ。何度も言い聞かせる。――誰が?

 自分とは誰だ。私とは誰だ。灰色の世界を見るのは誰だ。

 わからない。わからないけれども、夢は夢だ。なら、出来れば良い夢が見たい。

 最近見た記憶は何だろうか。そう、妖精だ。妖精の夢を思い出す。

 命をかける少女達の、終末が近い世界で繰り広げた……とても、悲しくて、切なくて、でも目が離せなかった物語を。

 

 

 * * *

 

 

「――は……?」

 

 唐突に意識が戻る。夢を見ていた浮遊感から意識が現実へと引き戻される。

 夢を見ていた、という感覚は強く覚えている。そして目覚めたばかりの脳は現実を認識しきれない。

 

「あー、あぁー、うん」

 

 呼吸を思い出すように息をしてみた。声が出ると、聞き覚えのある、聞き覚えのない声が聞こえた。なんだろう、この矛盾に満ちた感覚は。

 起き上がってみようとして、自分が灰色の砂漠で寝転がっている事に気付いた。

 

「……どうしてこんな所で寝転がって……?」

 

 わけがわからない。最後の記憶を辿ろうとして意識を集中して、けれど絡み合う記憶で思い出せない。

 しかもとても不可思議な事が起きていて、思わず眉を顰めるように力を込めた。

 

「……記憶が、いっぱいある?」

 

 そう。記憶がいっぱいある。少なくとも3つはある。

 平凡だった誰かの夢。平坦な争いのない世界を生きて、物語に心を揺らされた誰かの夢。

 灰色の砂漠の夢。帰りたくて、静かな砂漠が恋しくて、寂寥感に心が満たされていた夢。

 そして――神様が世界を滅ぼそうとしていた、帰りを待ちわびた誰かが帰って来なかった夢を見た。

 痛い。どうしようもなく心が痛い。最後の夢を想えば想う程に心が引き裂かれていくようだった。

 帰らなかった。あの人は帰らなかった。待っていたのに、帰ってこなくて、寂しくて、悲しくて、とても辛くて。

 そうして私、――“アルマリア・デュフナー”は心を痛めながらも、彼が守った世界を生きようとして。

 

 

「――アルマリア・デュフナー?」

 

 

 声が掠れる。それは確かに私の声だった。アルマリア・デュフナーその人の声だ。

 けれど違う。少なくとも“自分”はアルマリア・デュフナーではない。それは自分が知る限りは物語の登場人物の名前の筈。

 飛び起きるようにして身を起こした。灰色の砂漠、そこに沈んだ見慣れた/見慣れない街の景色。そこに混じり合うようにして自分の知る世界が重なっている。

 ここはどこ、ここはどこでもない。覚めた筈の夢がまだ続いている。そんな気がする。じゃないとおかしい。ぐるぐると思考が巡って、自分の内側にあるものを全て吐き出したくなる衝動に駆られる。

 

「……なに、これ」

 

 整理が必要だ。少なくともこの状況を知る為の整理が。

 私はアルマリア・デュフナー。帝国領ゴマグ市にあるフォーリナー記念養育院で育った女の子。

 自分はアルマリア・デュフナーを物語の登場人物の少女として知っている。

 そして灰色の世界は、とても帰りたかった場所。恋い焦がれて追い求めた筈の場所だった。

 3つの認識が複雑に絡み合って、絡み合った結果にどうしようもない違和感と認識だけを刻み続ける。目の前が歪む程に辛い。

 

「……ここは、“すかすか”の世界……?」

 

 掠れた声が紡いだのは、どうしようもなく困惑した色が込められていた。

 『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』は名作である。

 自分は最近読んだこのお話をいたく気に入っていた。絶望的な世界で生きる少女達の、そしてそんな少女達と共に歩いた青年のお話。

 私が知ってる、知らない筈の物語だった。けれど、それは遠い未来の話だった。少なくとも私が生きていた時代よりも遙かに先だと、そう認識出来る。

 そして灰色の世界は、物語の彼等が絶望的な状況に追い込まれる元凶達が生み出した光景で、この世界のあるべき姿で、どうしようもなく突きつけられる現実そのもの。

 そしてアルマリア・デュフナーという少女は、そんな灰色の世界を生み出した元凶達、〈獣〉と呼ばれる存在達の最初の〈獣〉へと変貌する少女である。

 

「――落ち着こう。これは夢だ」

 

 混乱する。一体全体何がどうしてそうなるのかがわからない。

 整理する。自分には3つの記憶があり、その3つの記憶を持った意志は混ざり合ってる。割合で言えば“この世界”を物語としていた俯瞰の自分がいて、そこにアルマリアとして生きた私の認識が混ざり合ってる。そして意識の端で〈獣〉としての回帰の誘惑がちらついている。

 ゆっくりと息を吸う。言葉を口にするのは大事だ。現実を認識して、適切な行動を取る事が解決への糸口……!

 

「転生もの!? 憑依もの!? どっちにしろ、どうして私なのーーー!?」

 

 なのー、なのー、なのー……。

 虚しく響き渡る自分の声が、どうしようもなく認識したくない現実への思いを表しているかのようだった。

 どうやら私は、アルマリア・デュフナー。もっと正確に言えば、この世界を滅ぼしたと言われる〈獣〉の一種になってしまったらしい。

 

 

 * * *

 

 

「夢、じゃないよね……」

 

 ぐい、とほっぺたを抓ってみても夢が覚める気配はない。現実逃避を体感時間で1日使ってみたけれども夢が覚める気配もない。

 それにお腹も空かなければ眠気も来ない。重たい溜息を零しながら起き上がる。世界はアルマリアとして知っている世界と、現代の世界の建物が灰色の砂漠の中に埋まってるという退廃的というか、終末的な景色だった。

 

「うーん、これ現実かな……それともまだ夢の中なのかな……」

 

 夢じゃないけれど、夢の中にいる可能性があると思うのは“すかすか”の物語の私、アルマリアを知っているからだ。

 アルマリア・デュフナーは人間が本来の姿である〈獣〉に戻った最初の人であり、約束を守れなかった“彼”、準勇者(クアシ・ブレイブ)を待ち続ける為に多くの人を巻き込んで架空の夢を作り上げた獣だった。

 そうして最後には“彼”の手で討たれ、夢は覚めて私という獣、<月に嘆く最初の獣>(シャントル)は討ち果たされる。そういう筋書きの物語。

 だから今、こうしてここにいる自分が現実の世界にいるのか、それとも夢の世界にいるのかわからない。わからないけれど……多分、夢。3つの認識が重なり合ってる世界が証明だと思う。

 

「……私がここにいる、って事は、まだすかすかの本編は始まってないって事だよね」

 

 <月に嘆く最初の獣>(シャントル)が討ち果たされるのは、すかすかの物語でも後の方だから。

 まだ私がそのまま存在しているという事は、そういう事なのだろうと思う。

 

「……うん。それなら、そうだなぁ」

 

 思考する。3つの意識は統合されつつある。

 灰色の砂漠の、静謐なる世界に落ち着く自分がいる。

 意図せずして自分の未来の結末を知ってしまった私がいる。

 私はきっとアルマリアで、同時に〈獣〉で、そしてこの世界の行く末を見た誰かだった。

 こんな奇跡は本編には存在しない。有り得る筈のない異分子だ。だからこそ思う。

 

「未来を、変えたい」

 

 変えたい。『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらってもいいですか?』はタイトルの通り、とても救いがない。

 それだけ必死に生きてきた彼等の、報われて、それでも報い切れてない、そんな切ない物語だった。

 

「おとーさん……」

 

 そんな切ない物語を歩んだ主演の1人であり、自分にとって大事な家族だったヴィレム・クメシュの顔がよぎる。

 

「クトリ……」

 

 そんな彼と寄り添い、ヴィレムに恋をして世界一で幸せだったと言い切りながら燃え尽きた妖精兵の少女、クトリ・ノタ・セニオリスを思う。

 

 

「――認めない」

 

 

 そうだ、認めない。これがどこかで終わった物語だとしても。今、自分が認識している世界では先の話かもしれない。

 だったら認めない。あんな風に燃え尽きて終わる物語は認めない。だって、幸せだと笑ったクトリの、幸せにしたかったというヴィレムの物語があんな形で終わってしまうのは嫌だ。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ。安心なんかしてられない。帰りたいなんて思ってられない。強く心が軋んだ。体に力が込められていく。

 機会があるなら、それが叶えられる機会があるなら。生きないと嘘だ。それが私の結論。全てを知った上で望む願い。

 

 

「――私は、終末に立ち向かったあの人達の幸せが見たいんだ」

 

 

 

 * * *

 

 

 時は、流れる。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 遠目に炎の色が見える。

 日が沈んだ先に見えるその灯りに少しだけ彼女の心が躍った。

 表現するならわくわく、と言った具合だ。軽くなった足取りで彼女は砂漠を踏みしめる。

 人の声も聞こえてきた。わくわくは更に膨れあがって、彼女の顔に笑みが浮かんだ瞬間に、そしてその笑顔は同時に引き攣る。

 視線の先、一直線に自分に向かってくる2つの影を目にしてしまったからだ。

 日が落ちた世界で眩く輝く2つの燐光。蝶のような羽根を広げてそれは向かってくる。

 

「わ、わ、わぁ、ま、待って、まっ――!」

 

 待って、ともう一度、叫ぼうとした。けれども、それよりも早く到達し振り抜かれた剣に彼女は自分も持っていた剣で応戦する。

 甲高い金属音が鳴り響く。振り回すには巨大な剣だ、それを押し込まれるのを必死に押されまいと力を込め直す。

 向かって来たのは、まるで少年のような風貌をした赤髪の少女。敵意を隠さず、明らかに怪しむように眉を寄せた少女を見て、相対する彼女は少しだけ笑みを浮かべた。

 

「あー、あー、えっと、私は敵じゃ――」

「――ノフト!」

 

 敵じゃない、と説得しようとした所で飛んで来たもう1人、青髪の少女が振り抜いた剣をノフトと呼ばれた少女の剣を弾き返しながら受け流す。

 そのまま2人から距離を取るように地を蹴るも、追いすがるようにして二人が迫る。いやいや、と思わず彼女が声を上げて口元を引き攣らせる。

 

「ちょ、ちょっとお話を聞いて!」

「……何者ですか?」

 

 冷たい声だった。警戒を隠さない、けれども動きを止めてくれた事にホッと息を吐く。

 

「それ、“遺跡兵装(ダグウェポン)”ですね?」

 

 青髪の少女が問う。彼女の手に握られた剣は、まるで金属片を組み合わせたパズルのような刀身を持っている。それはこの場にいる3人の武器の共通点だった。

 警戒心を剥き出しにする少女2人に対して、彼女は剣をそのまま地面に突き刺すようにして手を離す。そのまま両手を挙げるようにして、おずおずと2人の少女を見やる。

 

「えーと……良ければお話を伺いしたいな、と思ってるんだけど、その、こっちに敵意はない、って信じて貰える……かな? あぁ、えっと、何者か、っていう質問には怪しいものじゃないと答えたいけれど……説得力ないよね?」

「ありませんね」

「うん。だから怪しまないで、とは言わない。じゃあ、何者かと聞かれれば私はこう答えるしかないね」

 

 そう言って彼女は被っていたフードを脱ぐ。丁度、月明かりが差し込んで彼女の顔を鮮明に2人の少女の前に晒す。

 

 

「――人間、だよ。初めまして、妖精のお2人さん?」

 

 

 彼女、アルマリア・デュフナーはそうして笑いかけた。



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私は交渉をする

 ――物語を始めるなら、最後に記す言葉はこれが良い。“めでたし、めでたし”って。

 

 

 * * *

 

 

 地上調査隊。サルベージャーとも呼ばれる探検家達がこぞって危険が跋扈する地上の宝を求める。そんな彼等の大所帯がこの地上調査隊。

 この世界から人間族が消えて、大地は空に浮かび上がって、<獣>という圧倒的な強者によって地上は生きては帰れぬと言われた魔境となった。

 そんな魔境と化した地上からかつての文明の遺産を見つけ出すのがサルベージャーの役目であり、浪漫そのものである。

 思惑は数あれど、多くの願いを込めて地上へとやってきた彼等だったが、今は地上から空に戻れないという致命的な状況に陥っていた。

 そんな生死をかけた緊張状態の中、更なる緊張状態を加速させるかのように訪れた来訪者。――彼女は、己を“人間”だと名乗った。

 

 

 * * *

 

 

(うーん、まるで見せ物小屋の動物……)

 

 視線、視線、視線。四方八方どこからも感じる視線に思わず眉がへにょりと曲がる。

 わかってはいたけれども、視線の圧が凄い。そして視線を向けてくるのも“知って”はいるけれども見慣れないものばかりで反応に困る。

 さて、ここから上手く会話に持ち込まないといけないのだけども、難易度は正直高い。出来るなら回れ右したい所だけれども、ここで逃げても意味がない。

 

「えーっと……私、悪い人間族じゃないよ!」

 

 視線の圧が強くなった。呆れた気配も感じるし、怒気すらも感じる。

 特に目力が強いのは目の前にいるカワイイ少女達だった。その手には無骨な剣が握られているけれども。今にも斬りかかられそう。

 

「……ご、ごほん。……今のは人間族なりのジョークだと思って欲しいかな」

「はぁ」

 

 冷たい気のない返事をするのは、最初に遭遇した青い長髪の女の子。

 彼女はまだ名前を名乗ってないけれど、私は彼女の事を知っている。ねぇ、ラーントルク。この会話が終わる頃には名前を呼べるぐらいの関係は築きたいのだけども……。

 

「それで? 自称人間族(エムネトワイト)の貴方は何者ですか?」

「何者、と言われても、人間だよ。敵意はないから、武器は下ろして欲しいかな」

「世界を滅ぼした相手に油断は出来ません」

「あー。……うん、まぁ、そうだよね……でも、それでも“敵意はない”って私は主張する。“聖剣(カリヨン)”……じゃなくて、“遺跡兵装(ダグウェポン)”を預けてる事から信頼して欲しいな」

 

 これでは話が進まない。進まない事には私の目的を果たす事も出来ない。

 ここは少し無理をしてでも信用を勝ち取る場面。突飛な事をしているとは思ったけれども、このタイミングを逃せば“介入”のタイミングを見失う。それは非常に困る。タイミングはとてもシビアになっているから。

 

「目的は探し人がいて、そのツテが欲しかったから貴方達に接触した。それだけ……なんだけど、信じて貰うにはとても難しいと思ってる。信用が得られると思ってないからね」

「……貴方が本当に人間族(エムネトワイト)なのか。人間族だとしてどうして“ここ”にいるのか。それがわからない以上、こっちも信用出来ませんね」

「うん。信用して貰えないととても私も困る。それで相談なんだけど、私を買ってくれないかな?」

「……買う?」

「私が貴方達に売るのは戦力。私という戦力があれば<獣>に対抗出来る力が手に入るよ?」

 

 私が告げた言葉に、しん……と周囲が静まり返る。

 

「貴方達の状況は見ればなんとなくわかる。船が故障して立ち往生してる。そして<獣>に対抗出来る力を用心棒として雇えるなら、それは良いお買い物だと思うんだけど」

「信用ねぇな。アンタがその力で殺し回らないって保証もない」

 

 威嚇するように鋭い声が割って入る。声を発したのはラーントルクの隣に立つ少女、ノフトのものだ。

 

「信じて貰えないのは承知してる。でも、私は会いたい人に会う為には貴方達について行くしかないって状況なの。つまりはギブアンドテイク。それに今、貴方達を殺して回って、私が会いたい人を探すのにどういうメリットが考えられるかしら?」

「貴方の目的自体が嘘の可能性がありますね。上に登ってから虐殺が目的、という可能性も考えられます」

「そこまで疑われたら私だって信じて、とは言えない。けれど、貴方達から離れても目的が達成出来ない。そういう訳で、この近くに、貴方達の目の届く範囲にいさせて貰うだけでいいの。それでどうかな。信用して貰う為、私は武器も貴方達に預けるよ」

 

 警戒されるように睨まれるのは変わらない。信用を得ようにも得られない状況なのはわかっていたけれども、少しばかり堪えるなぁ。人との会話に餓えてたのもあったし。

 ここに来るまで孤独だった訳じゃないけれども、暫くは“彼女たち”と会う事は出来ない。事が速やかに終われば可能だけれども、それも上手く行くやら……。

 

「1つ聞いて良いか?」

 

 前に進み出てきたのは緑色の肌に頭部に角が生えた鬼。私をジッと観察するように見る瞳は冷静で、こちらを見通そうとするのを感じる。

 

「俺はグリックという者だ。アンタ、本当に人間族(エムネトワイト)なんだよな?」

「えぇ。証明出来るものはないけれど」

「“言葉”は通じるんだな?」

 

 ……グリックの問いかけに私は笑みを浮かべる。あぁ、流石グリックさんだ。初めましてだけど、貴方の事もよく知ってる。ファンになりそうだよ、もうなってるけど。

 

「そこに気付くって凄いですね。えぇ、私は貴方達の言葉を理解出来ます。けれど、それは少し手品があるからですね。失われた人間族の遺産という奴です。意思疎通が可能な護符(タリスマン)ってご存知です?」

「お嬢ちゃんもそれを持ってる、って事でいいのか?」

「私のは形として残ってるものではないですので、見せてあげる事は出来ませんけれども」

「他に人間族だけが知っているような知識とかあるか?」

「そうですね……。そこの剣についてなら多少は。彼女たちが持っていたのは“デスペラティオ”と“ヒストリア”ですよね?」

 

 これはちょっとしたズル。私は“おとーさん”と違って意思疎通の護符(タリスマン)なんて持ってないし、遺跡兵装(ダグウェポン)の名前は本来は知る筈のない名前。

 だからこれはハッタリ。だけど、そのハッタリが通じるとも思ってるから自信満々に口にする。面白いようにラーントルクとノフトの顔が強張る。

 

聖剣(カリヨン)……じゃなくて、遺跡兵装(ダグウェポン)でしたっけ? それの使い方を在る程度は知ってますよ。ただ、専門ではないのであくまで知ってる程度ですけど」

「成る程な。……アンタ、探し人がいるって言ってたな」

「はい」

「会えると思ってるのか?」

 

 グリックさんがまっすぐに私に視線を向けてくる。私も視線を真っ直ぐに返す。

 常識的に言って会える筈がない。そもそも、この灰色の荒野で生きていける者などいない。だから私の存在も怪しいし、会いたい人に会えるなんて事はあり得ない。

 でも私は常識じゃない事を知っているし、自分が常識から外れた存在だと知っている。その上で望みを叶える為に、この長い間に覚悟を固めてきた。出来る事は全部やってきた。

 

「会えなくても、会おうとしなきゃ何も始まらないから。全部忘れて、諦めて、待ち続ける夢を見た方が幸せだったかもしれない。でも、それだと何も掴めないから、私は踏み出したい。あの人に会うんです。会って……色々と言いたい事があるから」

「……本当に俺達を害するつもりはないんだな?」

「はい」

 

 沈黙が落ちる。グリックさんを含め、周囲の視線は私に集中している。

 その沈黙は長かったのか、短かったのか。集中している為に時間の経過への感じ方が鈍くなっていく。

 

「……お嬢ちゃん、名前は?」

 

 沈黙を破ったのは、グリックさん。問われたのは名前。

 

「アルマリアです」

「アルマリア、ね。……ヴィレム、って名前に聞き覚えはないか?」

 

 どきり、とした。その名をこうして聞ける事に胸が高鳴る。

 声が上擦らないように気をつけながら、答えを返す。

 

「……ヴィレム・クメシュ?」

 

 グリックさんが息を呑むのがわかった。同じくラーントルクとノフトも。この段階でもう名前は知ってる、で良いんだよね?

 

「お前さん、ヴィレムを知ってるのか!?」

「えっと、ぼさぼさの黒髪で、うだつの上がらなさそうで、皮肉屋っぽく気取ってるけれど不器用で壊れそうな気配があるヴィレムなら知ってます」

「マジかよ!?」

 

 唾を飛ばしながら私に掴みかかってくるグリックさんに身を竦ませながらも抵抗はしない。両肩を掴まれて、前後に頭を揺らされる程に揺さぶられる。

 

「嘘は言ってないな!? 本気で本気だな!?」

「貴方達に嘘をついて私にメリットがありません!」

「神に誓えるか?」

「いいえ、ヴィレム・クメシュに誓います」

「……お前さん、ヴィレムとどういう関係だった?」

「……家族でした。私の探し人です。世界を救う為に出て行って、帰ってくるのを待ってるって約束しました」

 

 グリックさんは再度目を見開かせて、ようやく私の肩を離してくれた。

 マジかよ、と。信じられないと言った様子で呟いて、再び顔を上げて私を見る。

 

「……お前さん、どうやって今まで生きて来たんだ?」

「氷漬けにされてまして、目が覚めたらこんな事になってて……」

「氷漬けか! そうか、そうか! わっはっはっはっ!」

 

 嘘じゃない。“氷漬け”にされていたのは間違いない。私が、とは言わないけど。

 腹の底から笑い声を上げるグリックさんは私に手を差し伸べてくれた。手を取れ、と言うように。

 

「正直、信じられないし、信じる事は出来ない。だが、信じたいと俺は思った。どうだ? ヴィレムを探してるんだろ?」

「……はい。探してます。ヴィレムは、生きてるんですか?」

「ガキの面倒を見るっていう天職についてるぜ」

「……あははは。それはお似合いですね。子供の面倒を見るのが昔から上手なんですよ」

 

 知っていても、そう聞けた事がとても幸せな気持ちになる。そのままグリックさんの手を取って微笑む。

 

「必要なら拘束して貰って構いません。信用頂けないのはわかってます。けれど、もし信じて貰えるなら……ヴィレムという名を聞いた以上は、私は貴方達を信じてこの身を預けます。彼にもう一度、会えるなら」

 

 

 * * *

 

 

 それからというものグリックさんが表立って話をつけてくれた結果、私は監視付きで彼等に同行させて貰える事になった。

 もし私を連れて行けば、生きた人間族(エムネトワイト)を手土産に出来る、という事で上も納得してくれたらしい。納得させた、と言えるのかもしれないけれど、グリックさんはここでかなりの発言力があるそうで。

 私としては非常に助かる。とりあえず第一段階は超えられた、と思っても良いのかもしれない。

 さて、そうしてなんとか目論見通り彼等と繋ぎを取れた私が今、何をしているかというと……。

 

「ぎゃんっ!」

「はい。これでまた私の勝ちだね」

「くっそー!」

 

 何故かノフトと模擬戦をしている。デスペラティオを支えにノフトが立ち上がる。私はそれに自然と手に持った聖剣(カリヨン)を構え直す。

 私が構え直すのを見てノフトが突っ込んでくる。危なげなく私もノフトの振るうデスペラティオを受け止めて、そのまま流して引っかけるようにしてノフトの体勢を崩す。

 

「何度やっても勝てない……!」

「そろそろ魔力(ヴェネノム)の熾し過ぎになるからこれで終わりだよ」

「ちくしょー! 悔しいー!」

 

 ジタバタと暴れるノフトに苦笑してしまう。正直、ノフトには負けてられない。

 我流とはいえ、研鑽の年月は3桁を超えているのだから。

 

「大丈夫、ノフトは強くなるよ。ちゃんと剣の使い方を覚えたらね」

「上から目線だ!」

「私は大人だもん」

「あたしだって子供じゃない!」

 

うがー! と吠えるノフトに微笑ましい思いを抱きながら視線を逸らす。

 私とノフトの模擬戦を静かに観察していたラーントルクが歩み寄ってくる。明らかに警戒しています、と言う空気は未だに消えないままだ。

 

「くっそー……次は一矢報いてやるからな! アルマリア!」

「うん。楽しみにしてるね」

「余裕なのがムカツクー!」

「あははは」

 

 ぽかぽか殴ってくるノフトをいなしながら私は苦笑する。ノフトはこうして剣の稽古をつけるようになってから距離感が縮まったような気がするけど、ラーントルクには距離を取られている気がする。

 

「ノフト、気安すぎますよ」

「いいよ。気にしてないから」

「こちらが気にするんです。……貴方の事、警戒してますから」

「知ってるよ」

 

 信じて貰えるとは思ってないので、それは構わない。私は目的さえ果たせればそれで良い。その為にならヘラヘラ笑って良い顔もするし、虐げられても我慢しようと思ってる。

 そう思っているとラーントルクの目が細められた。私の奥底を射貫くかのような鋭い視線に背筋がひやりとする。我慢しようと思っても、慣れる事はなさそうだな、と。

 

「一体何を企んでいるんですか?」

「企みが出来る程、腹芸が出来ないから本音しか喋ってないよ」

「貴方には不可解な点が多すぎる。貴方の言動はおかしい事ばかりです」

「それは人間族(エムネトワイト)だから、って事じゃなくて?」

「貴方は私達に会う前から、私達の事情に精通した様子でした。違いますか?」

 

 ……よく見てるなぁ。ただ、私も積極的に隠すつもりもなかったけど。理由は隠しきれないと思ったから。

 腹芸が出来ない、っていうのは本当。そもそも腹芸をする相手もいないし、そんなものを学べる環境もなかった。結局の所、私に出来るのは真っ直ぐにぶつかって当たって砕け散る事しかない。

 

「そこは、謎多き人間族(エムネトワイト)の秘術、とかで納得してくれないかな?」

「胡散臭いですね。手の内を全て晒した訳でもないのでしょう?」

「うぅん。でも敵意がないのは本当だよ」

「……まぁ、良いです。そろそろ食事の時間ですから」

 

 言うだけ言ってラーントルクは背を向けて歩いて行く。刺し貫かれそうな視線が消えて、感じていた重圧が解れる。思わず緊張感が抜けて溜息が出る。

 

「ラーンはあぁ言うし、あたしも正直同感だけど。アルマリアは悪い奴じゃないとは思うぜ」

「ノフト」

遺跡兵装(ダグウェポン)の事も教えてくれたしな。アルマリアの、えーと」

「ラピデムシビルス」

「そう、それ。遺跡兵装(ダグウェポン)には特筆能力(タレント)があって、剣ごとに違う。で、アルマリアのラピデムシビルスは『心身のコンディションを最良に保つ』って力があるんだよな」

「そうだよ。それが私が地上で生き延びられた理由だからね」

 

 本来であれば、彼等の手に渡る筈だったラピデムシビルスは私の武器として私が使っている。

 その特筆能力(タレント)の効果を都合の良いように伝えて私が生存出来ていた理由にさせて貰った。

 

「実際に戦ってみて、確かにそうなのかもなぁ、って思ったし。剣を合わせて見たら悪い奴に思えないけどな。胡散臭いけど」

「そんなに胡散臭いかなぁ」

「隠し事してるだろ」

「それは、うん。してるよ」

「それを隠さないからラーンだって信用しないんだよ。あたしもな。でもアルマリアは嫌いじゃないし、負けるのは悔しいからまた稽古をつけてくれ」

「わかったよ。私もノフトに死んで欲しくないからね」

 

 ノフトの頭を撫でると、ノフトが少しだけ驚いたように肩を跳ねさせて私の手を払った。

 そのままあっかんべー、と舌を出して先に行くラーンの背中を追いかけていくノフトに思わず笑みを零して、空を見上げる。

 

「……まだ、話せない。だけど、貴方達に死んで欲しくないっていうのは本当なんだよなぁ」

 

 こうして、実際に会う事が出来て尚更強く思ったから。

 だから、少しだけ不安だ。ノフトとラーントルクでもこうなのに、あの人達に会ったら自分はどうなってしまうんだろうか、と。

 

「……おとーさん、クトリ」

 

 早く、会いたいな。

 



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2人は約束を破りました

 地上でアルマリアが動き出して、周囲と次第に関係を構築し始めた頃。

 空の上の浮遊大陸郡(レグル・エレ)でも1人の男が突然舞い込んできた報告に忘我していた。

 

「……何の、冗談だ」

 

 声は掠れて、自分がしっかりと立っているのかどうかすらわからない。

 彼が手に持っているのは地上からの報告書だと言う。男は訳あってそれを閲覧する事となり、その内容を確認して、その名前を見つけてしまった。

 

「……ヴィレム。儂も、冗談だと思いたかったよ」

 

 ヴィレム、と呼ばれた男の前に座るのは一人の老人だ。白いマントを身につけた老人は、ヴィレムと同じぐらいに顔を歪めていた。握りしめた拳が震えていて、彼の動揺を示していた。

 今は大賢者と呼ばれ、彼の名を呼ぶ者は絶えた。目の前のヴィレム・クメシュを除いて。大賢者、スウォン・カンデルは皺のついた顔をくしゃり、と歪めて言葉を続ける。

 

「一度ならず二度などと。そんな奇跡はあり得ない。起こりえる筈がない。だが、もしもこの報告書が本当なら、儂は二度目の奇跡を目にする事になるかもしれん」

「……だからって、なんで」

 

 ヴィレムの声は震えていた。奇跡だと、目の前のかつての戦友は言う。

 あぁ、間違いなく奇跡だろう。500年も前に死んだ筈の人間族(エムネトワイト)が現れたというのだから。そして、その人物は友好的に接触をしてきたのだと。

 更には聖剣(カリヨン)まで携え、それを扱う事が出来るという。つまりは勇者(ブレイブ)だ。失われた筈の英雄だ。これが真実ならば奇跡だ。そして奇跡の生還を果たしたと言われる自分よりも輝かしいまでの奇跡だ。

 だが、その奇跡は起きる訳がない。だが、現実にその名前は報告された。自分に縁もゆかりもある場所から、過去がヴィレムに迫ってきたのだ。

 

「アルマリア・デュフナー……だと? 俺は、悪い夢でも見てるのか? なぁ、スウォン。俺は実は都合良い夢を見てるだけじゃないか?」

「残念ながら現実だ。夢のような話ではあるがな」

「アルマリアが聖剣(カリヨン)を持って、それを振るって現れた? ……あり得ない。あり得る筈がないだろ! 俺をからかってるなら酷いジョークだ!」

「誰がこんなジョークを仕掛けるというのだ。儂か? もういいだろう、ヴィレム・クメシュ」

「何がいいって言うんだよ!!」

 

 手にした書類を叩き付けてヴィレムは吠える。動揺を隠しきれないヴィレムに対して、対峙するスウォンはどこまでも静かにヴィレムを見据えていた。

 

「お前に大賢者たる儂から任務を与える。ただちに地上に降り、地上に現れた勇者(ブレイブ)が真実かどうか確かめよ。護衛に妖精兵を1体、連れて行くと良い」

「――――」

「お前以外に誰が行くと言うのだ。そしてこれが真実なら、他の回収物を惜しむ程に重要だ。お前とてわかるだろう、ヴィレム。それがどんなにあり得なくても、現実として存在しているなら、彼女が本物か、偽物か、どっちにせよ!」

 

 最初は冷静な口調を心がけていたスウォンの声には段々と熱が篭もっていく。ヴィレムへと近づいていき、未だに顔を俯かせる彼の胸ぐらを掴み上げて顔を上げさせる。

 なんて酷い顔だ、と。スウォンは思った。まるで迷子になった子供のような、打ち拉がれた顔だった。それでいて突然舞い込んだ幸運を信じられず、放心しているかのようにも見えた。

 この男がそんな顔を浮かべるのは珍しい。いつだって不可能に叩き伏せられ、壁にぶつかり、それを人の身の執念のまま超越した筈の男が道を見失った迷子のような表情を晒しているのだから。

 だが、気持ちはよくわかる。痛い程にわかる。だから発破をかけられるのは自分なのだとスウォンは強く声を張り上げる。

 

 

「行けよ、ヴィレム。()が失ったものだ。お前も失ったものだ。だが、もしかしたら取り戻せるものだと言うなら――目を、逸らすなよ」

 

 

 

 * * *

 

 

 

「貴方は、何故人間族(エムネトワイト)が滅びたか知っていますか?」

 

 ラーントルクから話しかけてくるのは珍しい、と私は思った。

 あれから数日が経過して、ノフトとの稽古をするぐらいしか私にはやる事がない。サルベージャーさん達が見つけたものを検分する事はあるけれど、それも当たり障りない範囲に留めてる。

 救助が来るまで待つしかない状況。流石に暇を持て余すというもの。そんな中で私を警戒しているラーントルクが喋りかけてくるのは非常に珍しい事だった。

 

「うん。知ってるよ」

 

 ラーントルクの問いかけに私は頷いて返答する。ラーントルクの視線が鋭くなると同時に、その瞳の奥に隠しきれない探究心が見えてくる。

 時折、古文書を解読する姿を見かけていたけれども、自分も遠目に見るだけでそこに関わる気はしなかった。ただ、ラーントルクから聞いてくるなら話は別。

 

「きっと私は君の知りたい答えをほとんど知っていると思う」

「随分と自信がお有りなんですね?」

「思春期の少女の悩みなんて、世界がどんな仕組みなのか、自分という存在はどういうものなのかって思い悩むものなんだよ」

「……一気に信憑性が無くなりました」

 

 ジト目で今にも斬りかかって来そうな程に険悪な空気を醸し出すラーントルク。思わず喉を鳴らすように笑ってしまった。

 

「ごめん、図星を突かれると嫌な気持ちになるよね?」

「図星じゃないです」

「じゃあ、私に何を聞きたいのかな?」

「……貴方が、何者なのか聞きたいと言えば答えてくれますか?」

人間族(エムネトワイト)の生き残り、と言う答えだと納得しないよね?」

「貴方の答えがそのままの答えです。わかっているんでしょう?」

 

 苛立たしそうにラーントルクが言う。うん、はぐらかしているのは自覚してるからね。

 

「うん。黄金妖精(レプラカーン)がどういう存在なのかも、人間族(エムネトワイト)が何故滅びたのかも、<獣>がどこから来たのかも、私は全部知ってる」

「……貴方は、何者なんですか。何故私達の事まで知っているんですか?」

「神様から聞いた、って言ったら馬鹿にしてるって思うでしょ?」

「貴方は私を心の底から苛立たせる天才だと言う事がよくわかりました」

 

 そんなつもりはないんだけどな、と溜息を1つ。

 

「ラーントルク」

「気安く名前を呼ばないでください」

「こっちきて」

「いやです」

「きて」

「……」

 

 無言で睨み付けてくるラーントルクにそのまま手招きを続ける。

 そのまま膠着状態に陥った私達だけど、ラーントルクが警戒する猫のように近づいて来る。手が届く範囲まで来たら、手を伸ばしてラーントルクの手を引いて抱え込むように抱き締める。

 

「なっ! 何を!」

「ごめんね」

 

 腕の中に抱えられて、逃れようと藻掻こうとしたラーントルクを抱え込んだまま私は謝罪の言葉を投げかけた。

 

「私は君に不誠実な事をしてる」

「……何がですか」

「怖いんだ。突きつけるのは簡単で、でもその後の責任をどう取らなきゃいけないのか、とか。方法はわかってるんだけど、それはとても繊細で、まるでガラス細工を扱うぐらいの気持ちでいなきゃいけない」

「……はぐらかさないでください」

「今は、まだ無理。でも、いつか絶対全部話すよ」

 

 そう。私は全ての真実を知っている。<獣>の正体も、黄金妖精(レプラカーン)である彼女の達の事も、人間族(エムネトワイト)が滅びた原因も、そしてこの先に何が起きるのか、そんな予測まで。

 そして彼女は、彼女たちはそれに真っ向から立ち向かっていかなきゃいけない。それは過酷な運命だと思う。戦う為に生まれて、戦いの中で消えていく。そんな宿命の下に彼女たちは生まれた。

 

「私は、ふざけないで、って思ったの」

「は?」

「戦う為に生まれた女の子なんて、ふざけないで、って思ったの。立派だよね。必要な事だよね。わかる、わかるよ。誰かがやらなきゃいけなかった事で、それを果たすのがただ貴方達だった。ただ、それだけ。でもね、理屈をどれだけ並べても納得いかないんだよ。だから飲み込んで、でも消化出来ない。消えないんだ。だから、私はここにいられる」

 

 ラーントルクを強く抱き締めて、その背中をリズムをつけて撫でるように。

 小さな体だ。自分とそう変わらないように見えて、でも細くて、華奢で、すぐに壊れてしまいそうで。

 

「私はラーントルクにいっぱい隠し事をしてる。でも、いつか話す。約束する。だから、もうちょっと待ってね」

「……貴方はわからない事ばかり口にする。はっきり言って嫌いです」

「私は好きだよ。ノフトも、ラーントルクも、どっちもね」

「いいから離してください! 貴方に抱き締められる理由なんてないんですから!」

「それは、ラーントルクが知らないだけだよ」

 

 知りたくもありません! と叫んだラーントルクに顔を引っ掻かれて、やっぱり猫みたいだ、と笑ってしまった。

 

 

 * * *

 

 

 それから、また数日後。救助を待つ地上調査隊のキャンプはにわかに騒がしくなっていた。

 

「飛空艇が来たぞー!」

 

 空に見えた影に喜色を交えた声が響き渡る。誰もが飛空艇の到来を歓迎している様子だった。

 その中で私はグリックさんと空を見上げていた。グリックさんは空を見上げながら、どこか怪訝そうな様子だった。

 

「……随分と早いな。しかもありゃ小型の高速艇だな?」

「良くないんですか?」

「良くないっつーか。あれだと荷物も人員も乗せきれないだろ。意図が掴みきれねぇなぁ、って思ってな。飛空艇を飛ばすのにも金が馬鹿にならんしな」

「なるほど」

 

 あれ、なんか私の知ってる展開と違うな。もしかして、私がいるって報告が上がったから何か変化があったのかな。

 もし、そうなのだとしたら。あの高速艇が“予定されていたよりも早く”やってきたという事は、まさか。

 どくん、と。鼓動が期待に跳ねた。空に浮かぶ飛空艇を眩しげに私は見つめる。

 そして、飛空艇はゆっくりと地上に降りてくる。タラップが下ろされ、中から作業の為に船員が下船してくるのが見えた。

 

「お、もう救助が来たのか?」

「あ、ノフト。それにラーントルク」

 

 近づいて来たノフトとラーントルクに視線を向ける。彼女達の視線は飛空艇へと向けられていて、そこから降りてくる人達を見つめている。

 そんな中で、何かに気付いたようにノフトが声を漏らした。私もそれに釣られるように視線を向ける。

 まず真っ先に見えたのは、褪せた灰色の髪。背が低く、遠目から見ても子供だとよくわかる姿。

 

「あれ、レンだ! ラーン、レンだよ! 行こうぜ!」

「ちょっと、ノフト! 引っ張らないでください!」

 

 レン、と呼ばれた少女は知り合いなのだろう。ノフトがラーントルクの手を引っ張って勢いよく駆け抜けていく。

 レン、と呼ばれた少女も近づいて来るノフトとラーントルクの姿に気付いたのだろう。表情に変化はないものの、そのままノフトがその少女に抱きつき、何か会話を交わしているようだった。

 そんな姿を遠目からぼんやりと眺めていると、続いて船から姿を見せた姿に――息を呑んだ。

 

 ぼさぼさの黒髪に、軍服を着たどこか緊張に表情を引き締めた青年と。

 そんな青年を気遣うように隣に並ぶ、澄んだ蒼色の髪に鮮やかな緋色が混ざった髪の女の子。

 

「――あぁ」

 

 思わず、声が零れた。

 ノフトがまるで幽霊を見たかのように、2つの色彩が混ざった髪の少女に驚きを露わにしている。ラーントルクが険しい瞳で青年を睨み付けて、驚かれていた少女が青年を庇うように前に出て何かを話している。

 その間も青年はどこか緊張した面差しのままで、視線をあたりを見渡すように向けて。

 

 ふと、思う。

 何かもっと凝った演出とか、考えた方が良かったんじゃないかって。

 だって叶わなかった奇跡の筈だ。私にとっても、彼にとっても。

 一瞬迷って、その視線に入る前に隠れてしまおうかとも思って、でも止めた。

 これが決定的に全てを変える切っ掛けになるとわかっていた。だからこそ、飾るのは止めよう。

 

 一歩、踏み出す。足取りは自分が思ったよりも軽かった。

 会話を交わす少女達と、その輪にいながらも馴染めていない彼に向けて。

 前髪が崩れてないかな、とか。もうちょっと綺麗にしておけば良かったかな、とか。

 そんな些細な事も浮かんで足を止めそうになるけど、思いっきり踏み出す事で振り解く。

 

「――ぁ」

 

 彼も、視界に私を入れた。

 一歩、二歩、三歩。歩いている筈なのに、まるで感覚は走っているかのようだった。

 終わった筈の世界を踏みしめて、もう二度と出会えない筈の彼を見つめる。

 どんな風に始めよう。どんな風に声をかけよう。色々と浮かんで、考えるのを止めた。

 会話を交わしていた少女達が私に気付いて会話を止めてしまったようで。

 彼は言葉もなく、ただ立ち尽くしていて。現実を認識していないようで。

 あぁ、本当。なんて間抜け面、と吹き出しそうになって。

 一歩、二歩、最後の、一歩。声は十分届く距離で、私は向き直った。

 

 

「――約束、守ろうと思ったんだ」

 

 

 彼と、“おとーさん”と交わした約束だった。約束の瞬間が脳裏に駆け巡る。

 人類を滅ぼそうとした星神(ヴィジトルス)との戦いに向かう前夜。

 帰って来れる保証はない、と言った彼が。最後の夜を過ごすのが自分達が育った養育院に帰って来て。

 恋人の1人や2人いないのか、なんでわざわざウチで過ごすのか軽い口論になったりして。

 帰って来て欲しくて、不器用に望みを口にして。帰って来たら胸焼けするぐらいにバターケーキを食べさせるって、そんなものの為に、と呆れて。

 そして、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと……待っていた。約束をしたから。

 

 

「でも、帰って来ないから……――来ちゃった」

 

 

 言葉を無くした彼に、手を伸ばす。

 感動的な再会なんて似合わなくて、飾ったような言葉なんて浮かばなくて。

 やれやれ、なんて。そう言いたげに私は万感の思いで今の気持ちを彼に伝える。

 

 

「会いたかった、おとーさん」

 

 

 ずっと、ずっと、ずっと。

 会いたくて、会いたくて、会いたくて。

 そんな気持ちが弾けて、止まらない。あぁ、視界が滲むのは嫌だな。格好悪い。

 瞬きを1つ、2つ。熱い何かが頬を伝うのと引き換えに鮮明になった視界でその顔を眺めて、伸ばした手で触れる。

 その体温を覚えてる。その声を覚えている。彼の記憶は色褪せず、私という存在が覚えていた。

 血はつながって無くても、私達は家族で。兄って呼べと言われた事もあったけど、結局は彼を父のように感じて、おとーさんと呼ぶように定着して。

 誰よりも頑張って、強くなって、でも女の子の扱いは雑で、朴念仁で一度酷い目にあった方が良いんじゃないかと真剣に悩んだ彼が、今ここにいる。

 ヴィレム・クメシュが、確かにまだ生きている。その事実に胸がいっぱいになる。

 

 

「……アルマリア」

 

 

 掠れた、今にも消えてしまいそうな程の声で名前を呼ばれた。

 

「なぁに、おとーさん」

 

 震えないように、ゆっくりと声を出す。いつものように言えたら良いのに、まるで猫なで声で自分でも気持ち悪いなって思って。

 

「アルマリア」

 

 先程よりも強く名前を呼ばれて。

 

「うん。ここにいるよ」

 

 返事をして。――強く、強く抱き締められた。

 言葉はなかった。もう彼の顔は見えない。おとーさんの腕に抱かれて、胸に顔を押し付けられる。

 背骨が折れてしまうんじゃないかっていうぐらい強く抱き締められて、少し息が苦しくて体勢を変える。そうしていると密着するように抱き締めるような格好になって。

 あぁ、ちょっと恥ずかしい。少しだけそう思って、でもすぐに掻き消えた。

 嗚咽が聞こえる。静かに、けれど子供が泣くように。

 

「……ごめんね、バターケーキはないんだ」

 

 よしよし、と背中を撫でる。きっとそんな理由で泣いてるんじゃないのはわかってる。

 けれど、少しでも言葉で近づけないとおとーさんが消えてしまいそうで。

 

「アル、マリア」

「うん」

「約束、破って、ごめんな」

「うん。私も破っちゃった。会いに来ちゃった」

「馬鹿、野郎」

「女の子に酷いなぁ、おとーさんは」

「アルマリア」

「うん」

「……アルマリア……!!」

 

 あぁ、潰されそう。物理的にも、精神的にも。

 いっぱいだ。とにかくいっぱいではち切れそうだ。良かった、私は良かったと思える事に酷く安心した。

 約束は守られなかった。なにせ2人して約束を破ってしまったから。守るにしても遅刻のしすぎで取り返しがつかない。

 でも良い、良いの。こうして叶ったんだから。この奇跡を、ずっと願っていた。ずっと届けたい言葉があったから。

 

 

「おとーさん、お疲れ様でした。頑張ったね」

 

 

 本当に、心の底から。彼のこれまでの人生を思って、報われて欲しいと思って言葉を紡いだ。

 

 

 * * *

 

 

 かつて、ある1人の準勇者(クアシ・ブレイブ)は約束を守れなかった。

 世界は滅びて、永遠に叶う筈のない約束となった。彼も約束を破ったし、そして彼女もまた。

 破れた約束は戻らない。それでも無かった事にもならなかった。だからこそ報われる時を迎えた。

 1つ、世界の歯車がズレる音がした。

 

 

 

 

    



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そして私は正体を告げる

「おとーさん、その、そろそろ離して欲しいな……」

「……」

「……おとーさん? 聞こえてる?」

「……」

「おとーさんー?」

 

 あらら、ダメだこれ。体の震えとか、抱き締める腕の強さは弱まったけれどおとーさんは私を離してくれなさそうだ。まぁ、仕方ないのはわかってるんだけど。

 でもこれだと次のお話に進めない。何度か背中を叩いて離して欲しいと訴えてみる。それで漸く腕の力を抜いてくれた。

 ようやく見れたおとーさんの表情はまるで濡れそぼった迷子の子犬のようでおかしかった。本当に弱ってたんだなぁ、と改めて実感する。

 間に合って良かった。知っていて良かった。介入する事が出来て本当に良かった。そんな思いが溢れては消えていく。

 その感動を噛みしめるのも一瞬、おとーさんの腕から離れた私は私達の様子を見守っていた少女達に目を向ける。

 やはり一番先に目につくのは不安げな表情でこちらを見ている蒼と緋色の髪色が混ざった少女だった。その姿を見れば目の奧から涙が込み上げて来そうだった。

 

 世界一で幸せな女の子だと言い切って、もう幸せになったから幸せになれないと笑った子。大切なものをたくさん失っても尚、幸せだって言い切った健気な子。

 良い子だね、本当に。まだ私の知る結末には辿り着かない。けれど秒読みには入っている。長い研鑽の為か、それとも"私”になった為か、彼女が壊れかけているのは嫌でもわかってしまう。

 それとは別に彼女の表情には不安の色が隠せずにいて、思わず笑ってしまう。確かにおとーさんがこんな風になってたら、おとーさんに心を寄せているこの子にとっては不安だろうな、なんて。

 

「心配しないでいいよ。おとーさんを貴方から取るつもりはないから」

「えっ!?」

「初めまして。貴方、おとーさんの良い人かな? お名前を聞いても良い? 私はアルマリア・デュフナー」

「く、クトリ・ノタ・セニオリスです……」

「クトリちゃん!」

 

 クトリ。ようやく会えた、おとーさんと同じぐらいに会いたかった運命の子。

 その感動から思わずクトリの両手を取ってぶんぶんと振ってしまう。あぁ、この子がおとーさんの良い人なんだなぁ、と思うと感慨が深い。

 そうしてクトリちゃんと握手をしていると、おとーさんが慌てたように声を上げた。

 

「な、何言ってるんだアルマリア!」

「なに、おとーさん。違うの?」

「それは……その……」

 

 あれ、珍しい。昔のおとーさんなら違うってきっぱり言い切ってたと思う。

 それが出来ないのは本人が目の前にいるからなのか、それとも別の理由か。

 どっちにせよ私が楽しくなるので、どうかこのまま甘酸っぱいままでいて欲しいものだと“娘”としては切に思う。

 

 ――その為の、彼等の時間を。私は繋げる為にここにいる。

 

 きゅ、と。胸元に添えた手を拳に握って、胸に浮かんだ思いを閉じこめるように。

 時間はあまりない。彼等にも、この世界にも。だからこそ感動的なモラトリアムは終わらせないといけない。

 

「おとーさん、私は怒ってます」

「は? ……いや、怒って当然だよな」

「当然です。おとーさんもクトリちゃんも今にも死にそうな癖してほっつき歩いてるの!」

 

 ビシッ、と指をおとーさんに突きつけて言ってやる。おとーさんとクトリちゃんの顔が驚きに彩られる。

 

「そこの子はまだ元気そうだけど、えぇと、レンちゃん? だっけ?」

「ネフレン。ネフレン・ルク・インサニア」

「ネフレンちゃんだからレン、なんだね。よろしくね、ネフレンちゃん」

 

 ネフレンちゃんの顔は無表情のまま。ただ、その視線は鋭い警戒の色を秘めている。

 ラーントルクも相変わらず、ノフトは状況を見守るように静観。驚いたような顔をしているおとーさんとクトリちゃんだったけど、おとーさんの表情が険しく引き締められる。

 

「……アルマリア――」

「“本当に本物か?”」

「っ!?」

「おとーさん、ちょっとわかりやすくなった? うぅん。これはちょっとしたズルだね。本物か、って言われたら本物だけど、おとーさんの知ってる私かと言われると違うって言うのが正しいかな。私、これでも3桁も生きてるからおとーさんよりもずっと年上だからね!」

 

 えっへん、と胸を張っておとーさんに挑戦的に目線を向けてみる。おとーさんは驚いたように顔色を変えて、けれどその表情が警戒の色に変わる。

 

「……色々と話さないといけない事、伝えない事がいっぱいある。でも1つだけ信じて欲しい。私はアルマリア。おとーさんと、ヴィレム・クメシュと一緒の養育院で育って、貴方の帰りを待って、バターケーキを胸焼けする程食べて貰いたかった。ずっと約束が果たされるのを待っていた。それだけは信じて欲しい」

「……あぁ。その上で、俺はお前に聞かなきゃいけない事が山ほどある」

「うん。私も話したい。伝えたい。でも、その前にやらなきゃいけない事がある。それもここで話すのはちょっと難しい事」

「やらなきゃいけない事……?」

「頼まれたの。私ならそれが出来るからって。だから、私はおとーさん達に会う為にノフトとラーントルクに会いに行ったの」

 

 場の主導権は私が握っているけれど、はっきり行って空気は悪い。困惑、疑念、警戒。そんな疑心を詰め込んだのが今の状況。

 人の心を誘導して、丸め込んだりなんて私には出来そうになくて。だから、真っ向勝負しかないなって思って。息を吸う、度胸だけでも一流に見せなきゃ。

 

「私が託されたのは、クトリちゃんの延命」

「……え?」

 

 クトリちゃんは何を言われたのかわからない、という顔で声を漏らした。

 クトリちゃん以外の誰もが顔を驚愕に変えていた。おとーさんだって例外じゃない。無表情だったネフレンちゃんでさえも表情を崩している。

 

「クトリの延命、だって……? 誰からだ? というより、お前、クトリの事を知って!」

「その説明は“まだ”出来ないよ。クトリちゃんには時間がないし、下手すれば私の事を知ったら崩壊が進行しちゃうかもしれない。先に処置をしないといけない」

 

 クトリちゃんは“あの子”に侵蝕されてるから。今はあの子が遠ざかってくれているし、クトリちゃんが踏ん張ってくれているから。けれど、残された時間をやすりにかけるように削り取られている。

 これから話す事はクトリちゃんだけじゃない。この世界の真実とか、彼女たちの出自とか、これからの命運とかが嫌でも絡んでくる。だから事前説明だけでクトリちゃんが壊れてしまう可能性があるのは回避しなきゃいけない事だった。

 

「ここでは話せない。秘密でお話出来るような場所あるかな」

「それでしたら、墜落したサクシフラガの傍はいかがですか? 物資は既に運び出されていますし、離れすぎずの距離だと思いますが」

 

 ラーントルクがすぐに提案してくれた。確かに墜落した飛空艇の傍ならいいかな。上手く影に隠れるようにして話せば距離も離れていないし、聞き耳を立てられても気配を感じ取れそうだし。

 

「グリックさんに話をしてからそっちに行こうか。私としてもすぐに話して処置をしてしまいたいし」

 

 ここは押し切る流れで、私は皆を頷かせるのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「念のため、武器は預けておくね。はい、おとーさん」

 

 <捩じれ呑み込む四番目の獣>(レジテイミターテ)によって墜落させられた飛空艇、サクシフラガの船体の傍。そこに場所を移してヴィレム達は先導していたアルマリアが話し始めるのを今かと待っていた。

 彼女の存在には疑問が多い。彼等の中で一番長い時間を過ごしていたラーントルクも、ここにいる筈がないアルマリアの語る内容に警戒を抱いているヴィレムもそう思っている。

 秘密にしている事があるとラーントルクにアルマリアは語っていた。それは嘘ではないし、秘密がある事を隠そうともしていなかった。いつか話すと、不気味なぐらいの誠実さだった。

 けれど、そこに悪意はないように思えた。敵意もないように思えた。だからラーントルクは警戒はしつつも、アルマリアを拒絶しようとは思わなかった。

 

「……ラピデムシビルス」

「うん。借りちゃった」

「借りたって……」

 

 ヴィレムはアルマリアから手渡されたラピデムシビルスを訝しげに見つつも、それを預かる。

 一瞬、沈黙が流れる。……先程までの感動的な場面の感慨はなく、あるのは隠された秘密を暴こうとする緊張感だけが残る。

 

「何から、話せばいいかな」

 

 壊れた飛空艇の船体、その腰をかけられる場所を見つけたアルマリアが腰を下ろす。

 その表情は物憂げで、どこか困ったように苦笑している。これから話す内容を吟味して、どうすれば正確に伝わるのかを探るかのように。

 

「まずは、そうだね。クトリちゃんの事だ。私はある人……人? まぁ、人でいいや。その人にクトリちゃんの延命を頼まれたの」

「誰に、って言うのは言えないんだな?」

「言えない。で、クトリちゃんの延命が出来るか、って言われると出来る」

「本当に……クトリを延命出来るのか?」

 

 ヴィレムが信じ難い、という声でアルマリアに問いかける。それは話を聞いている黄金妖精(レプラカーン)である彼女たちにも眉唾な話だった。

 黄金妖精(レプラカーン)は滅びた人間族(エムネトワイト)の代わりに、彼等が残した遺跡兵装(ダグウェポン)を扱う事が出来た。

 しかし、その力を使い続ければ自身の存在は摩耗していき、最終的には崩壊してしまう。

 この崩壊という現象は、黄金妖精(レプラカーン)が死霊の一種だから起きる現象だった。

 魔力(ヴェネノム)を熾して遺跡兵装(ダグウェポン)を使いこなせる彼女たちは、しかしその魔力(ヴェネノム)の使いすぎで“前世の侵蝕”を受ける。

 そして人格が破壊され、最後には消滅してしまう。それが彼女たちの変えようのない末路であり、クトリが現在突き進んでいる現実でもある。

 

「出来る」

 

 彼等の疑念を断ち切るようにアルマリアは強く言い切る。……けれど、今にも唇を噛みそうな苦悶の顔で。

 

「本当は全部説明した上で同意して貰いたいけれど、それだとクトリちゃんが間に合わなくなる可能性の方が高いんだよね。だから、選んで欲しい」

「選ぶ……?」

「このまま欠け続けるまで今の自分でいるか、可能性を信じて知らされない困難を抱えて新しい自分になるか」

 

 アルマリアが突きつけた選択肢は、今のまま緩やかに死ぬか、延命の為に代償を払って生き延びるか。

 そして、その代償の説明出来ないという。それにはクトリが耐えられないと言うように。逆説として言えば、その代償とはそれ相応の代物なのだと。

 

「……この手を取ったら、君は純粋な黄金妖精(レプラカーン)じゃいられなくなる。前世の侵蝕だって止められる。命の寿命だってずっと伸びる」

「……けれど代償はデカいんだろ?」

「世界の残酷な真実と命運を背負っちゃう位には」

 

 重い沈黙が広がる。誰もが言葉を発しないまま、アルマリアが手をクトリに差し伸べ続ける。

 クトリは顔を上げる。その視線はノフト、ラーントルク、ネフレンと順番に回っていって、そして最後にはヴィレムへと向けられる。

 見つめ合う事暫し、クトリは一度目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。深呼吸を終えたクトリは目を開き、視線をアルマリアへと向ける。

 

「……私、ね」

「うん」

「まだ生きたい。生きていたい。貴方の手を取れば、私は私のまま、まだ生きていられる?」

「それは保証するよ。私も同じだから」

「同じ?」

「500年前の人間族(エムネトワイト)がどうしてここにいるのか、という答えでもあるの」

「……それは、凄く重くて、辛そうな代償なんだろうな」

「慣れるとそうでもない。でも、理解されるのは難しいかもね」

「うん。じゃあ――決めた」

 

 クトリは、アルマリアの手を取った。

 

「私、まだ、終われない」

「うん」

「終わりたくない」

「うん」

「辛くても、皆がいてくれるなら頑張りたい」

「うん」

「……アルマリアさん」

「うん」

「私、まだ生きてて良い?」

「その為に、私がここにいるから」

 

 クトリの手を取り、祈るように両手を重ねながらアルマリアは目を閉じる。

 

 

「あなたの命、私が一度預かるよ。一瞬で終わる、そう難しい事じゃない。“私”を受け入れるだけで良いの」

 

 

 そうして、アルマリアが告げた瞬間。

 アルマリアの体から“何かが”這い出すように蠢き現れたもの。それがクトリの握った手を通してクトリへと潜り込んでいく。

 あっ、と。誰が漏らした声だろうか。その声を最後に、クトリの意識は一瞬にして暗転していった。

 

 

 * * *

 

 

『緋色の髪』『赤い瞳の少女』『転がる硝子玉』『灰色の砂漠』『誰かの笑い声』

 

 ――堕ちる、堕ちる、堕ちる。

 どこまでも堕ちていく。終着がないまま堕ちていく。自分という存在が剥がされて消えていく。

 大切な思い出があった筈だった。大事な気持ちがあった筈だった。それがすり抜けて行くように消えていってしまう。

 嫌だな、と思った。悲しいな、と思った。悔しいな、と。そして何も見えないのに睨んだ。

 こんなのは嫌だ、と。そう強く叫んだ。ここで終わりたくないって、ここで消えたくないって、まだやりたい事があるって、希望を差し出されたんだから、何でも良いからしがみついてでも生きたくて。

 

『――もう、大丈夫』

 

 無秩序に頭を掻き乱していた意味不明なイメージが、ふと掻き消えた。

 声が聞こえた。誰の声だろう。思い出せないのに、安心してしまいそうな優しい声。

 

『間に合った!?』

『間に合ったよ。今、補完してるからもうちょっと待ってね』

『これが終わったら“くとり(・・・)”に会っていいんだよね!?』

『勿論。そうしたら迎えに行くから、“カーマ”と良い子で待っててね』

『うん!』

 

 重なるように聞こえたのは幼い、聞き慣れた覚えのない声。あぁ、これって誰の声だっけ。酷く覚えがあるのに、まるで聞き慣れない。知っている筈なのに知らない声。

 

くとり(・・・)! 良かったね!』

 

 良かったね、と。何度も嬉しそうに声をかけられる。

 そうだ。私はクトリだ。クトリ・ノタ・セニオリスだ。

 妖精兵として生きて、先輩達が死んで、その戦いを無意味にしたくなくて。

 頑張って、強くなろうとして。でもいざ死ぬってなると怖くて。

 彼と、出会ってしまって。

 好きになっちゃったんだ。彼の事が。生き残れるようにって、手を差し伸べてくれた。

 初めての街で手を引いてくれた。一緒にいてくれた。美味しいお菓子もくれた。

 ただいまって言えば、おかえりって言ってくれた。約束を交わして、叶えてくれた。

 大事な人がいたから、終わりたくなかった。もっと時間が続けば良いのにと願って。

 そうだ。クトリ・ノタ・セニオリスは恋をしているのだ。だから、もうちょっと生きたいとささやかに願う事の何がいけないのか!

 

『そう。だから、そんな貴方に私も恋をした。貴方達に、かな。だから私はここにいる』

 

 自分の中に何かが入り込んでくる。不思議と嫌悪感はない。欠けていたものが戻って来るような、渇いていた大地が潤されていくような。

 けれど、満たされるのと同時に餓えていくかのようだった。どうしようもない飢餓感に体に爪を立てて、叫び回りたかった。

 生きたい、生きたい、生きたい。そして、同じぐらいに帰りたい、帰りたい、帰りたい。

 

 ――どこに?

 

 生きたくて、帰りたくて、本当は憎くて、壊したくて。

 でもそれはどうしようもない過去で、今は、もっと違う“(まじな)い”になってる。

 これは誰かの記憶で、誰かの思いで、それが私に手渡されるように託される。

 これは命だ。これは願いだ。これは祈りだ。そして、どうしようもない程の“呪い”だ。

 クトリ・ノタ・セニオリスは呪われた。どうしようもない程の思いを込めて、呪いを刻み込まれたのだ。

 

 生きたくて、帰りたくて。

 

 どこに、と。心に浮かんで見えたのは、自分よりも幼い少女達と、見守ってくれた優しい女の人と、黒髪の彼と――!

 

 がちり、と。

 歯車が噛み合うような。

 そんな音がした。自分という存在が組み変わった自覚があった。

 

 

『ようこそ。ここは灰色の原風景。始まりであって終わりの景色。そこから新しい始まりを告げる君。私達という遺産を受け継ぐ新しいヒト』

 

 

 彼女が、私の目の前にいる。うぅん、違う。“私の中にあの人がいる”。

 

 

『改めて名前を名乗るね。私はアルマリア・デュフナー。そして――』

 

 

 

 * * *

 

 

 

 弾かれたようにクトリちゃんが私の手を払って飛び退く。

 突然のクトリちゃんの反応に誰もが驚いたようにクトリちゃんと私を交互に見る。

 その間にもクトリちゃんには変化があったのを私は見ていた。混ざっていた緋色は、まるで夜明けを迎えるかのように蒼色の一色へと戻っていく。

 そんなクトリちゃんの表情は驚きと、困惑と、恐怖に歪んで私を見つめていた。何故、と問うように。その答えは、もう彼女は知っているのに。

 

「……クトリ?」

「どうして」

 

 気遣うようなおとーさんの呼びかけすら聞こえていないのか、クトリはただ私を真っ直ぐに見ている。

 どうやらちゃんと“私”は定着したらしい。これで計画は問題なく進められそう、とほっと胸を撫で下ろす。これなら、世界を明日に繋げる事が出来るという確信を得る事が叶って一安心だ。

 けれど、それも事情を説明して“彼女たち”に協力を仰がなきゃいけないという前提条件があるのだけど。

 

「なんで、貴方が私を助けるの……? 貴方、本当に、本物なの? ねぇ……!」

 

 クトリちゃんが信じられない、と言うように首を左右に振って。困惑のまま私達を見つめていた皆に知らしめるように、その名を紡ぐ。

 

 

「アルマリアさん……、うぅん、違う。貴方は――<獣>」

 

 そう、私は、獣だ。

 

 

「そう、私はアルマリア・デュフナーであり。――貴方達が<月に嘆く最初の獣>(シャントル)と呼ぶ者だよ」

 

 

 人間族(エムネトワイト)を滅ぼし、世界を破滅させた己の本性の名を彼等に告げた。

 

  



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私は秘密を語る

<月に嘆く最初の獣>(シャントル)……!?」

 

 誰もがその名に身構えた。そして、信じられないと言うように目を見開かせる。

 まぁ、仕方ないよね。皆にとって獣は不倶戴天の天敵な訳だし。自分がそうだ、と名乗って警戒しない筈もない。

 

「それは貴方達がつけた名前だから、私としての名前はアルマリアのつもりなんだけど……」

「アルマリアが、獣? 獣だって……? なんだよ、そりゃ……何の冗談だよ!!」

 

 首を左右に振っておとーさんが前髪を掴み上げるようにして拒絶するように叫んでる。

 警戒と、敵意と、困惑と。それを混ぜ込んだ視線を受け止めながら私はクトリちゃんに改めて視線を向ける。

 

「体の調子はどう? クトリちゃん」

「…………私に、何をしたの?」

 

 唾を飲み込んでからクトリちゃんが私を睨む。先程まで感じていた存在が消えてしまいそうな気配は感じない。むしろ“私”と似たような気配を感じる。

 こうするしか無かった、とは言っても。やっぱり説明してあげたかったよね。だからこれは私の我が儘。勝手だけど、なってしまったのだから私の贈り物だと思って受けとって欲しい。

 

「簡単に言えば、クトリちゃんに<獣>(わたし)の因子を埋め込んだの」

「なっ……!」

 

 戦くクトリちゃんの反応に思わず苦笑する。<獣>(わたし)の因子って言うと良い印象はないよね。けど、それ以外の言葉では表現しようがないというか、説明が難しいんだけど。

 

「先に言っておくけど、だからってクトリちゃんが獣そのものになったり、貴方達を襲うようになる訳じゃないから! それだけは先に言っておくね! これは本当に延命するなら必要な処置なの」

「……どこから質問すれば良いんだよ。わかんねぇよ、何がどうなってるんだ……」

 

 おとーさんが頭痛を抑えるように頭を抑えて呟きを零す。気持ちはわかる。私がおとーさんの立場だったら一緒に頭を抱えると思うし。

 でも、だからって上手にこの状況を説明する上手い方法が浮かぶ訳でもなく。どうしようかなぁ……。

 

「私もどこから説明すれば良いのかわからないから、もう疑問をどんどん聞いてよ。クトリちゃんの崩壊は回避したから何でも答えるよ?」

「……貴方は、<獣>なんですよね? 人間族(エムネトワイト)ではなかったのですか?」

 

 顎に手を添えて思考を回しているらしいラーントルクが質問を投げかけてくれる。

 約束だったね。全部話すって、ようやく果たせそうだ、なんて思いながら質問に答える。

 

「人間だったよ。その後、獣に変わった。……正確に言えば、“獣に戻った”って言うのが正しいんだけどね」

「“戻った”……?」

「そう。それが何故なのかって説明をすると、まずこの世界の成り立ちから説明しなきゃいけない」

「世界の成り立ち?」

 

 この世界の成り立ち。

 元々、この世界に最初に住んでいたのは<獣>だった。灰色の砂漠が広がる世界こそが最初にあった世界の形。

 その星にある神様達が流れ着いた。それが後に“星神(ヴィジトルス)”と呼ばれる者達。

 彼等は長い旅を続けていた。記憶が磨り減らして、時間が時間として意味を失う程に旅を続けていた。

 その頃にはもう故郷の道は失われていて。振り返ってしまったら帰りたいと思ってしまった。失ってから始めて気付いたのかもしれない。

 彼等には死という終わりがなかった。ただ故郷の幻影に浸って、焦がれ続ける永劫に近い時の中。彼等が下した結論は『故郷を摸した箱庭の中で眠り続ける事』だった。

 

「だから星神(ヴィジトルス)は作る事にした。自分達とはまったく異なる、互いの生命の定義も噛み合わない<獣>と、自分達の魂を素材として人間(エムネトワイト)を生み出した。自分達とよく似た、けれど違う生き物である人間を」

 

 原理は簡単。獣という肉体に星神(ヴィジトルス)という魂を入れて“魂側から変質させてしまう”。

 魂という内側からの“呪い”を受けて、獣達は人間へと姿を変えて世界に広がっていった。

 問題は、素材が足りなくなった事。人間は増えすぎてしまった。人間を人間として加工する為の“星神の魂”が足りなくなった。

 肉体は増えても、魂は補充されない。それは人類という種族が行き着いた袋小路だった。人類は滅びるべくして滅びるだろう、と。

 

「元々、獣は不死不滅の存在だったけど、人間(エムネトワイト)であった事で変質したの。そしてそれは<十七種の獣>っていう、十七種類の死を象徴するバケモノとして変貌していた。そんな存在が解き放たれたら人類は滅びちゃう。だから、魂を持って来ようとしたの。まだ生き残っていた星神(ヴィジトルス)を生贄にする事で」

 

 けれど、それは途中まで成功して、最後の最後で失敗した。

 最後の星神(ヴィジトルス)を守る地神(ポト―)を倒し、最後の星神(ヴィジトルス)は人間の手中に収まった。ここまでは成功。

 

「おとーさんが星神(ヴィジトルス)と戦う事になった経緯と真実は、そういう事」

「……」

 

 当事者であったおとーさんは血の気が失せた顔で拳を強く握りしめていた。

 自分が命をかけて世界を守ろうとした真実。何故戦わなければいけなかったのか、そんな真実。おとーさんは確かに人間を守り、世界を救った。ただ、そこからが続かなかった。

 

「最後の失敗は、人間の技術では獣に注ぐ筈の欠片を砕く事が出来なかった。獣を人間にするだけの加工が出来なかった。それが人類が滅びた理由で、獣がどこから来たのか、という答え」

「……人間族(エムネトワイト)が獣を産みだしたのではなく、人間族(エムネトワイト)が最初から獣で、回帰しただけ……」

 

 ぽつりと呟いたのはラーントルク。彼女は知りたかった真実を知ってどんな気持ちだろう。そして、これが最後のピース。

 

「ここからは、貴方達の話だよ。じゃあ黄金妖精(レプラカーン)って何だと思う?」

「……死霊の類、という意味ではなくてですか?」

「妖精は本来はもっと希薄な存在らしいよ。貴方達はね、その砕けきれなくて中途半端に砕けた星神(ヴィジトルス)の欠片なんだよ。つまり言い換えれば次の人類の失敗作、もしくは人類に代わる新しい種族になり得たもの」

 

 沈黙。その結論を語った所で、誰もが口を開かなかった。いいや、開けなかったんだろうね。いきなりこんな話を聞かされても反応に困る。返答を待たず、私はそのまま説明を続ける。

 

「……クトリちゃんにやったのは星神(ヴィジトルス)と逆の方法」

「逆?」

「魂に合わせた肉体の因子を用意して、それを器に埋め込んだの。だからもう妖精ではいられない。かといって人間とも言えないけれど、延長線上にはいる。そんな存在だね、新人類って言った方がいいんじゃないかな?」

 

 それは私だから叶えられる奇跡。獣でありながら人としての形を保った異端(イレギュラー)だから生み出せる手段だ。

 

「これが私から話せる真実だよ」

「……アルマリア、どうしてそんな事を知っている?」

「うーん、理由はいくつかあるけど。1つの大きな理由として星神(ヴィジトルス)と友達だからかな」

『はぁっ!?』

 

 声が大きい面々の唱和に耳が痛くなる。思わず涙目になりながら耳に手を添える。

 

星神(ヴィジトルス)は死んだんじゃないのか?」

「砕けきれなかったって言ったでしょ? 生きて……はいないね。元気に死体と幽霊やってるよ。力そのものは全盛期以下の力らしいけど」

「元気に死体と幽霊やってるって何!?」

 

 疑問は最もだけど、いや、やってるんだよあの子。元気に幽霊と死体を。

 

「セニオリスで死を刻んで、死体という状態で保管されてるって言えば良いかな。で、その魂を少し前まで私が呑み込んでて幽霊状態だった、って言えば良いかな」

「なんだそれ……」

 

 理解が出来ない、と言うように誰かが呟いて首を振った。まぁ、そう思うよね。私もそう思う。

 

「……私、もう妖精じゃなくて、人間(エムネトワイト)みたいなものなの?」

 

 ぽつりと、クトリちゃんが小さく呟いた。

 視線がクトリちゃんに集中する。クトリちゃんは胸に手を添えて私を真っ直ぐ見つめてる。

 

「そうだよ。人間(エムネトワイト)に凄く近しい新しい存在が今のクトリちゃんって言ったら良いかな」

「私、もう記憶を失ったりしない……?」

「頭でも強くぶつけなければ大丈夫じゃないかな」

「もう前世の侵蝕もない……?」

「新しい生物として確立しちゃったからね。確約は出来ないけど、以前よりもずっと頑丈だから大丈夫じゃないかな。もしそうなっても対処方法はあるしね」

「私、まだ生きていて良いんだよね?」

「勿論。……ただ、寿命とかはすっごく伸びてるだろうし、もしかしたら老化もしないかもしれない。死ねない存在になっちゃった可能性は無くはない」

 

 そう。本当はこれを事前に承諾を貰いたかった。もしかしたらクトリちゃんはもう死ねない存在になっているかもしれない、というのが怖かった。

 ない、とは思うけれども、ないとは言い切れない。だって前例がないから。だからなってみないとわからない。

 だから本当は事前に話して同意を貰うべきだった。そう思ってる。けれど、クトリちゃんには時間がなくて事後承諾になってしまうのが少し辛かった。

 

「もし、これから先、恨むような事があったら私に――」

「恨まない!」

 

 遮るようにクトリちゃんが叫んで、思わず目を開く。

 

「私、まだ生きてて良いって、もう自分が無くしちゃう事に怯えなくて良いって、それが叶うなら、良い。これから凄く辛くなっても、でも、でもね、今、凄く、嬉しいの」

 

 だからね、と。言葉を紡ぎながらいつのまにかしゃくりを上げていたクトリちゃんが涙に潤んだ瞳を真っ直ぐに向けてくる。

 

「ありがとう、アルマリアさん」

 

 ……あぁ、その言葉が聞きたかった。ずっと、ずっと。

 クトリちゃんの笑顔が見れただけで、大きな仕事を1つ終わったんだと感じた。

 これで心残りが、1つ消えた。

 

「……しかし、貴方は危険な存在ではないのですか?」

 

 疑問を投げかけてくれたのはラーントルクだった。私の一連の話を聞いて、何かを考え込むように唸っていたけれども漸く現実に戻ってきたらしい。

 

「獣は人間(エムネトワイト)だったせいで死を象徴する存在になったんですよね?」

「そうだよ」

「貴方も、そうなんですか?」

「“そうだった”が正しいかな。今は、微妙に違う」

「どう違うんですか?」

「獣って種類こそあるけど、共通として言えるのがこの世界を塗り替えた存在への憎悪や嫌悪感から逃れられないんだよね。だから滅ぼしたがるし、破壊したがる。それが獣の共通原理。でも、私は“異例(イレギュラー)”で、獣になっても人間の自我を残してたの。そして長い時間をかけて……そうだね、獣と“和解”したの」

「和解?」

「獣も星神(ヴィジトルス)も願いは同じだったの。“帰りたかった場所に帰りたい”って。だけど、お互いの故郷が違うから反目しあった。互いに殺し合う事になった。そんな擦れ違いだったんだ。私はそれを覆す事が出来た、獣としては“異端(バグ)”なんだ」

「どう覆したのですか?」

「獣が故郷を諦める事を。私達もただ“人であろうとする”事を諦める事を。どんなに悲しくても、過去を凄く後悔しながらも、私達は“新しいもの”になる事を選んだ」

 

 その目覚めが、あの日の私の始まり。全てを知っていた“自分”という異端から始まり、私になって、私達は“私”になった。

 私は人で、同時に獣。そしてどちらでもないものに変質したもの。

 

「私は獣である自分を学んで、獣である私が人を学んで、互いに寄り添って1つの意志に統一された新しい獣群にして、人ならぬ人。それが、今の<月に嘆く最初の獣>(シャントル)という私なの」

 

 これは私の願いで、“彼”の願いだった。

 本来あるべき歴史で死したおとーさんが、ヴィレム・クメシュが己の獣と対面して抱いた願い。

 誰もが故郷に帰りたくて、ぶつかって。そのせいで世界は壊れてしまった。

 悪い事なんてなくて、小さな願いだったのに取り返しのつかない事になった。

 それでも、帰る場所がなくて辛くても。新しい居場所を見つけられると。

 

『こいつらは、こいつらの故郷の世界しか見えてねぇんだ』

『なくしたものしか視界に入ってない』

『俺らのことだって必死になって押しつぶそうとしてる』

『なんか悔しいじゃねぇか、そういうの』

『だから、どうにかしてぇんだよ』

『今は何かヘンなのが隣にいる。そう、こいつらに思わせてぇんだ』

 

 人生すらも終わって、それでも彼は願っていた。この終わった世界を見限って旅立つ事が出来たのに。

 それでも、この終わりかけた世界に残ると言って。獣と共にある事を選んだ彼を私は知っている。

 おとーさんがやるなら、私だってやらないと。そのチャンスがあるなら、それこそ全力で。

 

「……私ね、本当はおとーさんの帰りを待つ為に、故郷をずっと夢の中で繰り返して待ってたんだ。獣になって、それでも約束を守りたくて夢の中に自分の世界を作って引き籠もってたの」

 

 それが、私。

 

「でも、ある日ね。奇跡みたいな事が起こってね。私と獣が繋がった。互いに理解なんて出来ないのに、でも繋がっちゃって」

 

 それが、“自分”。

 

「このままじゃダメだって。だから、私は私の夢の中に閉じこめた人も一緒になって獣を理解して、理解されようとしたの」

 

 それが長き時に渡る研鑽。最後に残った“星神(ヴィジトルス)”の“彼女”と友達になった切っ掛け。私が取り込んでしまった人達と交わした約束で、私の決意の源だ。

 

「最後に“私達”は私になった。それが今の私。かつてあった人と、かつていた獣が結びついたもの。確かに危険かって言われたら危険だよ。滅ぼそうと思えば、きっと世界を破滅に傾けられると思う」

 

 それは獣である以上、変えられない事実だから。

 

 

「――それでも私は愛したかった。だから、ここにいるの」

 

 

 それがどんなに人から非難されても良い。わかって貰えなくても良い。

 幸せの押し付けだって言われても良い。それが出来るなら、ただそうしたかったから。

 大袈裟な理由なんかない。ただ、大好きだったから。

 

「……あたしは難しい話はよくわかんねーし、とりあえずアルマリアが悪い獣じゃねーってことはわかったぜ。それでいいんじゃねーの?」

 

 ふと、ノフトが声を上げた。そういえばさっきから随分と静かだった、と思ってしまいながらノフトに視線を向ける。

 頭の後ろで手を組むノフトは自然体で、いつものように勝ち気な笑みを浮かべている。

 

「クトリも助かって、獣の一匹は敵にならない。妖精兵のあたし達も崩壊に怯えなくて良くなる。それって良い事尽くしだろ?」

「……そうだね」

「ちょっと、ノフト、レン! これはそんな簡単な話じゃ……」

「難しい事を考えるのはラーンの仕事だろ。何か危ないってわかったらラーンが気付く」

「ノフト、貴方は……!」

 

 けらけら笑うノフトにラーントルクが頭が痛いというように額を押さえた。

 確かにちょっと楽観的過ぎるかもしれないけれど、でも、それが凄く、凄く、……嬉しかった。

 いつの間にかクトリちゃんも笑っていた。ノフトも、ネフレンちゃんも。

 皆の笑顔がそこにあった。それが堪らなく嬉しくて、私は目に焼き付けるように彼女たちの事をじっと見つめていた。

 

 

 * * *

 

 

 情報を纏めたい、思考を整理したい、とラーントルクが言い出した事で内緒の密談会は解散となった。

 それから作業が手伝っていたりしていると、いつの間にか夜が来ていた。私は外に出て、空を見上げながらぼんやりとしていた。

 

「冷えるぞ」

「あ、おとーさん」

 

 いつの間にか近づいて来ていたおとーさんに目を向ける。

 おとーさんは私の隣に腰を下ろして、一緒に星を見上げる姿勢になった。

 それからなんとなく言葉が続かなくて、無言の時間が続く。

 

「……お前と、またこうしてゆっくりする日が来るなんてな」

「私も」

 

 おとーさんの呟きに私も同意を返す。この光景は“自分”がどれだけ夢見た光景だろう。

 本当に奇跡みたいで、実を言うと少しだけ実感がない。長いこと、ゴールだけ目指して走ってきたから。まだ道半ばだけど、ここは1つの到達点だったから。

 

「あ、そうだ。おとーさんも体、治したかったら言ってね? ボロボロなんでしょ?」

 

 そう。おとーさんの体はもうボロボロだ。正直生きているのが不思議なぐらいに酷いらしい。

 だからもう戦えない体で、戦おうとすればあっさり死んじゃいそうになる。その癖に本来の歴史だったらすぐに飛び出してしまうんだから、目を離せないな、なんて思ってしまう。

 

「クトリちゃんがこれからも生きていけるようになったんだし、面倒は最後まで見てあげないとダメだから。だからおとーさんがボロボロだったら良くないでしょ?」

「いや、いい」

「え、良いの?」

 

 

「――“代償”は何だ? アルマリア」

 

 

 おとーさんの射貫くような視線が私を見据える。

 怒っているような、悲しんでいるような、そんな感情が私に伝わってくる。

 静かにおとーさんは怒っていて、嘆いていた。あぁ、そんな顔、させたくなかったのにな。

 

「代償のない奇跡なんてない。俺は、思い知った」

「……」

「お前に会えて嬉しかった。クトリが助かったのも良かった。懸念が1つ消えた。喜ぶ事ばっかりだ。あいつらの未来に希望が見えた。――それに、お前は何を支払った?」

「おとーさんの勘違いじゃない? ……って言ったら怒る?」

「凄く怒るぞ」

 

 そうだよね、と呟きを零す。はぁ、と溜息を零して、視線をまた空に映す。

 

「私がやった事は星神(ヴィジトルス)のやった事と逆だって言ったよね?」

「言ったな」

「逆なだけで同じ事だって言ったら、わかる?」

「……じゃあ、それはつまり、そういう事なのか」

 

 

 ……どこからか、歯車が欠けた音がしたような気がした。

 

 

「クトリちゃん達を、黄金妖精(レプラカーン)達を助けるなら、私という存在を砕いてばらまくしかないよ」

 

 

 代償がない奇跡なんてない。全力を尽くして、差し出すものがもう何も残らなくて。そんな最後の最後で零れ落ちてくるものが奇跡だと言うのなら。

 これは、ただそれだけの話なんだ。

 



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私は未来に思い馳せる

 沈黙が私とおとーさんの間に落ちる。私達の視線は交わらない。私は空を見上げて、おとーさんは私を痛ましげに見つめているのを感じる。

 そう。結局、犠牲なしではクトリちゃん達は救われない。私の犠牲なくして黄金妖精(レプラカーン)の宿命はねじ曲げられない。

 空に向けていた視線を下ろす。おとーさんと視線を交わして、私は微笑む。

 

「もしかして、私が犠牲になってクトリちゃん達を救おうとしてるって思ってる? それなら誤解だよ?」

「……誤解?」

「だって黄金妖精(レプラカーン)の数はかつての人間には及ばないんだよ? すぐに足りなくなる、なんて事はないと思うよ」

「それは……そう、なのか? だが、お前が犠牲になるのには変わらないだろう?」

「犠牲って考え方がよくないんだよ。私が望んでやってるから、って言う問題じゃないんだろうけど……」

 

 私は犠牲になる、なんて考え方はしてない。クトリちゃん達を助ける為には確かに私自身を削らなければならないのは事実。

 けど、重要なのはそこじゃない。

 

「確かに私自身は有限で、黄金妖精(レプラカーン)達が一気に増えたら私だっていつまで削れるかわからないけど、私はそれを苦痛だとは思ってないし、悪い事じゃないかなって」

「悪い事じゃないって、……どうして、そう思うんだ? 死ぬんだろ?」

「だって、もう私3桁は生きたんだよ? おとーさん。人間としては、もう十分生きたと思わない?」

 

 くすくす笑って私は言う。

 

「私には目標があって、自分が終わる前には果たしたい事があって、それはおとーさんと再会したり、クトリちゃん達を助ける事が出来たり、未来を繋ぐ可能性を残す事が出来たんだよ? これ以上は贅沢ってものだよ」

「……だから、死ぬのも、自分が砕けるのも怖くないって言うのか?」

「そうだね。もしかしたら怖いって感情は麻痺してるのかもね。ねぇ、おとーさん。私はもう獣なんだよ? 純粋な人間じゃない。確かに納得し合って、今の私になったけど、どうしたって違うものなんだから齟齬が出るものなんだよ。だから本当は回帰願望が消せてない」

 

 帰りたい、帰りたい、と。そんな痛みと虚無感は私の胸にずっと残っている。

 灰色の砂漠が恋しくて、静寂な世界に戻りたいと思ってしまう。よくよく考えれば獣は人間と交わった事で産まれた死の象徴。それは死滅願望とか、そういうものなんじゃないかなって思う事もある。

 だから私は、多分きっと終わりたいんだと思う。納得はしたけれど、最高ではない。互いに譲り合って、妥協した上での私が成り立ってる。それを続けるのは……きっと、どこかで苦痛なんだと思う。

 まぁ、苦痛に思ってるのは獣としての部分の私なんだろうな、と。そう思いながら。

 

「おとーさんだって似たようなものでしょ?」

「……否定はしねぇよ」

「流石、世界を救った準勇者(クアシ・ブレイブ)様だね」

「俺は、何も救ってなかったし、守れなかったよ」

「それだったら私だって同じでしょ? 約束も、居場所も、何も守れなかった」

「それでもお前はクトリを救ってくれた」

「じゃあ、今度はおとーさんが頑張る番でしょ?」

「……俺の、番?」

「戦うだけじゃ何も守れないなら、戦う以外で守る方法を探せば良いんだよ。勝つ為なら何でも手段を探すのがおとーさんでしょ? どうして戦い以外でそれを発揮しようと思わないのかなぁ」

 

 少し呆れたように肩を竦めて、私はおとーさんに言ってやる。

 

「おとーさんの勇者としての戦いは、もう終わったんだよ」

「――――」

「世界を救った。未来に繋げた。それ以上に戦えって? ひとりぼっちにされて、おとーさんが繋いだ後に何も出来なかった世界の見せ付けられて、まだ戦えって? 私はそんなのおかしいって言うよ。1人が犠牲になって救われる世界なら、いっそ滅びちゃった方が良いんだよ」

 

 あ、滅びちゃってたね。そんな冗談も織り交ぜて。

 おとーさんは案の定、渋い顔を浮かべている。冗談が余程に笑えなかったみたいだ。

 

「それは、お前にそっくり返せる言葉じゃないのか?」

「犠牲になってクトリちゃん達を救おうとするのは間違いだって?」

「……そうだ」

「ふふっ。おとーさんは心配性だね。昔からずーっと変わらない。それなら大丈夫だよ」

「何が大丈夫だって言うんだ」

「甘えん坊ってね、甘えたがりだけど、自分が甘えるだけの存在なのは耐えられないんだよ」

「……はぁ?」 

「黙って救われるなんてご免だ、ってきっとノフトなら言うんじゃないかなぁ。ラーントルクだって貴方に施されるなんてご免です、なんて拗ねるだろうし。でも死んじゃいそうなら助けちゃっても文句は言えないでしょ? 抵抗出来ないんだから。それが嫌だったらあの子達は自分を自分で助けなきゃいけない。そしたらやる気も出るんじゃない?」

 

 ぽかん、とおとーさんが口を開けて私を見る。私はそんなおとーさんがおかしくて笑ってしまう。

 だってそう言うに決まってる。過ごした時間は短いけれど、ノフトとラーントルクはただ甘やかされるだけの子供じゃないと感じるには十分だった。

 それでも助けたいのはこっちの勝手。あっちがどう思おうと、私はあの子達に幸せを押し付けたい。それが嫌なら逃げれば良い。ただこっちに逃がすつもりはないけど。

 

「私が欲しくて、あの子達にあげたいのは時間なの」

「……時間?」

「幸せを探す時間。考えて、悩んで、迷って、そして選んでいける。選ばされる事もあるし、誰かと生きて行けば意見は擦れ違う。絶対の価値観なんてものもない。でも、だから人って幸せになろうと思うんじゃないかな? 私はいっぱい悩んで、あの子達にもこんな時間を過ごして欲しいって強く思ったの。……勿論、おとーさんにもね?」

 

 勿論、時間があれば幸せになる、なんて思ってない。

 それでも無いよりは探せる。間違えたって回り道する事が出来るかもしれない。時間を置けば気付けなかった事に気付けるかもしれない。

 

「重要なのはどう生きるか、なのはわかってる。短い時間でも胸を張って生きれたら、それで幸せだと胸を張れるならそれでも良い。……でも、それでもやっぱりあげたいじゃん。貴方達はもっと悩んでいいし、楽しんでいいし、満足まで生ききって、それでも満足しきれなくても死んじゃっても」

「アルマリア……」

「自分が届かないなら、誰かに託す事だって出来る。命ってそうやって繋いでいくものじゃないかな?」

 

 私という命の形はとても歪で、きっと未来はない。あくまで私は架け橋になるもの。かつていた獣と、かつてあった星神を繋ぐもの。

 その生命の形はクトリちゃんを以てして形になった。私にだってまだ猶予があるし、あの子達にだってこれからの時間が与えられる。望める選択肢はきっといっぱい広がっていく筈で。

 

「もしかしたら私も最後まで削りきらなくて助かる未来だってあるかもしれない。未来を望むのを止めたら、もうきっとどこにも行けない。それに私が死んだら、今度は黄金妖精(レプラカーン)になって戻って来ちゃうかもしれないでしょ?」

「……ねぇな」

「なんで否定したのかな!?」

「甘え下手のお前がなれるかよ。お前はあんな風に可愛くはなれん」

「ひどーい!」

 

 まるで昔懐かしいやりとりに私は声を上げて笑ってしまう。遠くて、長くて、それでも何も色褪せてないおとーさんとの日々。

 いつの間にかおとーさんの表情も和らいでいた。顔を俯かせて、目元を隠すように手で覆う。

 

「……俺が知らない間に、立派になったんだな」

「おとーさんに負けてられないからね」

「嫌味かよ」

「嫌味に聞こえる?」

「……」

「無言は肯定と見なします! はい、どうせ劣等感みたいなの感じてるんでしょ? まだ2桁しか生きてないおとーさんには荷が重いと思いまーす」

「ババァか」

「女の子になんて事を!」

「3桁の年齢の女の子がいてたまるか」

 

 あぁ、この口の悪さ。本当におとーさんは変わらない。けけけ、なんて似合わない笑い方しちゃって!

 

「良いことばっかりじゃないんだよ、でも」

「ん?」

「獣の因子を与えるって事は、死の象徴と向き合うって事なんだ。それって凄くしんどいよ? あの子達、死に対しての忌避感が薄いんでしょ?」

「……知ってるんだな」

「見てましたから。だから、私の因子を受け入れるって事は死とか、回帰の虚無感がどうしたって付きまとうと思う。クトリちゃんは、きっとこれから大変だ」

 

 死と向き合うって事は、生きるって事だ。生きるって事は、辛いって事だ。

 人生は辛いからこそ、たくさんのものを得て幸せという字を書くしかない。

 辛いまま終わってしまうなら、生きてても意味がない。だから皆、幸せになりたがる。幸せにならないから、死にたがる。

 

「まだ続けていたい、って思うのは幸せだと思うし、このまま終わっても良い、だって幸せだと思う。望める終わり方が出来る事が一番の幸せだよね」

「……アルマリアは、幸せになれそうか?」

「たくさんの子供に囲まれて、最後までありがとう、って言って貰って終われたら幸せかな」

「そうか」

「おとーさんは?」

「……俺は、少し、自信がない」

「そっか」

 

 空へと視線を上げる。夜風は涼しく、もっと言えば少し肌寒い。それでどうにかなる体ではなくなってしまったけれど、それでも物悲しさまで消える訳じゃない。

 隣に座るおとーさんに頭を預けるように体を預ける。一瞬、身を竦ませたおとーさんだけど抵抗はしなかった。そのまま寄りそうようにして、どちらから話す事もなく時間は過ぎていった。

 

 

 * * *

 

 

 ラーントルク・イツリ・ヒストリアは憤慨していた。

 最初は思考を整理している内に疲労を感じた為、夜風にでも当たろうと思ったのが切っ掛けだった。同室のノフトが気持ちよさそうに寝入っていたのに少しだけイラッとした。

 いつか話すと、信用しきれないアルマリア・デュフナーから語られた真実の数々。それはラーントルクの情報処理能力をあっという間に過負荷に追い込んだ。

 確かに知りたいとは言った。けれど齎された情報があまりにもあんまり過ぎる。アルマリアを怒るのは筋違いだとは思いながらも、ラーントルクはアルマリアへの好感度を下げていた。

 そうして夜風を感じる為に甲板に出ようとした所で、その出口で知り合いの顔を見つけたのだ。

 

「クトリにレン? 貴方達、入り口で何を……」

「シッ!」

 

 クトリが慌てたように人差し指で口を塞ぐように息を潜める。それに合わせてネフレンもまた人差し指を口に当てていた。

 一体何なのか、とラーントルクが思っているとクトリが口に当てていた人差し指をそのまま甲板の先を示す。

 そこにはあの気に入らない女、アルマリア・デュフナーとクトリ達と一緒についてきたヴィレム・クメシュが並んで座っていた。

 今、ラーントルクの機嫌を損ねる2人だ。何やら会話をしているようで、クトリ達は2人の会話を盗み聞いていたのだと察した。

 クトリがあのヴィレムという人間族(エムネトワイト)の男に惹かれているのはすぐにわかった。その気になる相手が近しい異性と2人で話しているというシチュエーションには確かに聞き耳を立てたくなるのもわかる。ネフレンはわからない。

 そのまま立ち去る事も出来たけれども、興味を惹かれてしまったのがラーントルクの運の尽きだった。

 

 

『クトリちゃん達を、黄金妖精(レプラカーン)達を助けるなら、私という存在を砕いてばらまくしかないよ』

 

 

 なんだ、それは。

 ラーントルクの胸を埋め尽くしたのは言いようのない苛立ちだった。

 誰がそこまでして助けて欲しいと言ったのか。出会ったばかりで、ましてや仲良しな訳でもない。

 思わず聞き入ってしまった内容には、やはり苛立ちが増していって顔が歪んでいきそうだった。

 

 

『黙って救われるなんてご免だ、ってきっとノフトなら言うんじゃないかなぁ。ラーントルクだって貴方に施されるなんてご免です、なんて拗ねるだろうし。でも死んじゃいそうなら助けちゃっても文句は言えないでしょ? 抵抗出来ないんだから。それが嫌だったらあの子達は自分を自分で助けなきゃいけない。そしたらやる気も出るんじゃない?』

 

 

 知ったように言う。

 というか、拗ねませんし。

 ラーントルクにとってヴィレムという男も気に入らないが、アルマリアへの苛立ちは今までの生で一番の苛立ちを感じる相手だった。

 まるで馬鹿にされたような、暴れ回りたくなるような衝動がラーントルクの胸中に荒れ狂う。

 

「冗談、じゃない」

 

 言っている事は、まぁわかる。否定し尽くす程ではない。所々頷く事だってある。

 だけど気に入らない。とにかくアルマリアの言葉を鵜呑みにする事がラーントルクには耐えられなかった。思わず歯ぎしりをする程に。

 

「……ラ、ラーン? 顔が怖いよ」

「元からこんな顔です」

「怒ってる」

「レン、私は怒ってません。というか、2人とも。盗み聞きなんてはしたないですよ、部屋に戻りましょう」

「それここまで聞いてたラーンが言う!?」

 

 小声で怒鳴るという無駄に器用な会話を交わして、その場から音もなく去っていく。

 こちらの声も届かないだろう距離まで来て、ラーントルクは苛立ちに任せて眉を寄せたまま唸った。

 このままではすまさない、と。脳裏に浮かぶのはアルマリア・デュフナー。あのわかって言うような女に一矢報いてやらなければ気が済まない。そんな気持ちでいっぱいだった。

 

「ラーン、大丈夫……?」

「……何がです?」

「大丈夫そうに見えないから……」

「大丈夫です」

 

 クトリが気遣うように声をかけてくるのも気にせず、一刀両断するようにラーントルクは返答する。

 

(ねぇ、レン。もしかして私がヴィレムに突っかかってた時ってあんな感じだった?)

(あの時のクトリにそっくり)

 

 ひそひそと話し合っている2人に目もくれず、ラーントルクは思考を回す。

 アルマリアの思うようになるのは、癪に触る。けれど、自分はどうするべきなのか。どうしたいのか。何をすべきなのか。

 答えは、出そうになかった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 夜が明けて。おとーさんとはあの後、特に何か話す訳でもなく離れた。

 船が小型のせいで持ち出せる荷物も人員も限られている、らしい。おとーさんが言うには回収用の大型飛空艇も準備が急がれてるらしいけれど、それまで私達はここで待機らしい。

 まぁ、妖精兵がいなくなったら獣に対する戦力がいなくなるし、先当たって問題だったクトリの延命はクリアしたし、急いで浮遊大陸郡(レグル・エレ)に戻る必要はない。クトリちゃんの他に獣の因子を与えるかは未定だしね。

 そして、帰る前にやっておかないといけない事もあるし。

 

「という訳でおとーさん、クトリちゃんを借りて良い?」

「どういう訳だ」

 

 朝食の席でクトリちゃんとネフレンちゃんと座っていたおとーさんを見つけて声をかける。用件はクトリちゃんのレンタル。

 おとーさんは要領が掴めなかったのか眉を寄せて、ジト目で私を見てくる。

 

「まだ上には戻れないんでしょう? ちょっと用事があったからクトリちゃんを貸して欲しいな、って」

「なんでクトリなんだよ」

「クトリに会いたいってずっと言われてるから」

「……誰に?」

「エルク」

「……だから、誰だよ」

 

 エルク、という名前にクトリちゃんが反応したのを見つつ、眉を寄せたままのおとーさんに視線を向け直す。あまり大きな声では言えないから、顔を寄せて小声で言うように。

 

星神(ヴィジトルス)のエルク・ハルクステン」

「ぶーっ!!」

「わっ、汚いッ!? おとーさん最低ーーっ!!」

 

 口の中のものを噴出しておとーさんが悶える。折角小声にしたのに何事かって目を向けられてるじゃん!

 クトリちゃんが慌てて机の上を布巾を持ってきて拭いている。その間に咳き込むおとーさんの背をネフレンちゃんが優しくさすっていた。

 

「げほっ、げほっ……! おい、アルマリア。マジか」

「マジだよ」

「……なんで星神(ヴィジトルス)がクトリと会いたいって言ってるんだよ」

「ファンだからじゃない?」

「ファンだぁ……?」

 

 わけがわからん、と頭を抱えるおとーさん。

 

「ともかく、持って帰れば有用だから拾ってきていいでしょ?」

「お前な……まぁ、確かにスウォンにでも引き渡しが方が良い気もするな」

「だからクトリちゃんを貸して?」

「……もう、崩壊の心配はないんだな?」

「うん。遺跡兵装(ダグウェポン)を使っても問題ないよ。魔力(ヴェネノム)を熾すのも大丈夫」

「だが、クトリは聖剣(カリヨン)を持ってきてないぞ?」

「あるでしょ? ラピデムシビルス」

「クトリには使えない可能性があるぞ?」

「その時は私が戦うし、大丈夫。傷1つもつけないで返すから。ね? お願い、おとーさん」

「……どうする? クトリ」

 

 困ったようにクトリちゃんへと視線を向けるおとーさん。視線を向けられたクトリちゃんは一瞬、慌てたような挙動をする。

 けどすぐに落ち着いて、表情を引き締めて少し上目遣いになるようにおとーさんを見る。

 

「……行ってきていい? それに、エルクって聞き覚えがあるの。多分、話した事があるかも。夢で」

「クトリが行くなら俺も」

「体がボロボロな人は連れていくのはちょっと……」

「おい、アルマリア」

「事実でしょ。私は許さないからね? それにクトリちゃんともお話してみたかったし。ね?」

「……ヴィレム」

 

 ダメかな? と乞うような表情を浮かべるクトリちゃんにおとーさんが呻く。

 そこに割って入るように声をかけられる。食事を載せたトレイを持ったラーントルクだった。

 

「それなら私も同行しますよ」

「……ラーン?」

「技官はクトリが心配なのでしょう? それなら私も同行すれば構いませんよね? 船にはノフトとレンが残れば大丈夫でしょう?」

「……うぅむ、しかしだな」

「大丈夫だって、取って食う訳でもないし。というか、ラーントルクも付いてくるの?」

「邪魔ですか?」

 

 ギロッ、と音が似合うように私に睨むように視線を向けてくるラーントルク。

 あれ、なんでか対応が昨日よりも鋭くなっているような。あまり好かれていたとは思ってなかったけど、ここまで露骨でもなかったような……。

 うーん、まだやっぱり警戒してるのかな。あれだけの話を聞かされた後だし、それにエルクに興味があるのかもしれない。連れて行くのは問題ないけど、あとは保護者の許可があれば大丈夫かな。

 

「ラーンが付いてくるなら大丈夫よ」

「……わかった。あまり無茶するなよ? まだ何が起きるかわからないんだ」

「わかってるよ。大丈夫だって」

 

 クトリちゃんを気遣うようにおとーさんが声をかけている姿に思わずほっこりと笑みを浮かべてしまう。

 その間、食事を続けるラーントルクからずっと睨まれる事になったのは余談だったりする。

 



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私は神様を拾ってきた

 朽ちた地下へと続く建造物。かつての道は崩落していたり、土砂や水が流れ込んで天然の迷宮へと変わっている。

 暗闇に包まれた道を小型の灯晶石(とうしょうせき)が照らしながら進んでいく。足音は私の他に2つ、それはクトリちゃんとラーントルクのもの。

 

「大分寒いけど、二人とも大丈夫?」

 

 ここは氷室のように冷えている。装備は借りてきたとはいえ、体としては少女のもの。特にまだ黄金妖精(レプラカーン)のままであるラーントルクが心配だ。

 

「わ、私は大丈夫です」

 

 クトリちゃんが少し緊張した様子で、ラーントルクは周囲の気温と変わらぬ冷たい視線が返ってきた。うん、大丈夫そうだね。見なかった事にして視線を前に戻す。

 降りれば降りる程に冷えていって、流れ込んだ水が凍り付いていた。足を取られないように気をつけるように伝えながら、私は記憶にある道を歩いて行く。

 

「……あの、アルマリアさん」

「んー?」

 

 先導して歩いているとクトリちゃんに声をかけられた。地下で狭い空間だからか、クトリちゃんの声が少し反響した。

 

「アルマリアさんは、ヴィレムの家族……なんですよね?」

「うん、血は繋がってないけど」

「どうしておとーさんなんですか?」

「おとーさんっぽいでしょ? あの人」

 

 クスクスと笑ってみると、クトリちゃんの息遣いが不安げなものに変わった気がした。

 小姑としてはクトリちゃんのような子は大歓迎なんだけどな。恋心とはいつだってままならないものだねぇ。

 

「私の事、アルマリアで良いよ? クトリちゃん」

「え?」

「おとーさんの良い人でしょ? 気を使わなくて良いよ」

「わ、私はヴィレムとまだそんな関係じゃ!」

「“まだ”なんだ?」

 

 あぅぅ、と声を漏らしてクトリちゃんが沈黙してしまう。きっと顔は真っ赤になっているんだろうなぁ、と楽しくて笑い声が零れちゃう。

 

「私は嬉しいんだけどな。クトリちゃんみたいな良い子がおとーさんと一緒にいてくれたのが。本当にありがとうね」

「お、お礼を言われるような事は……むしろ私の方が助けられてばっかりで……」

「おとーさんもきっと同じ事を言うと思うよ。相性良いと思うんだけどなぁ」

「ほ、本当にそう思います?」

「今からおねーちゃんって呼んでくれても良いんだよ?」

「そこはおかーさんじゃないんですね」

「ふふふ、年齢的にはおばあちゃんって言われちゃうしね」

「……貴方は、本当に100年以上も生きているんですね」

 

 今まで黙ってたラーントルクが会話に入ってくる。うん、と私は頷きながら肯定を示す。

 

「500年丸々起きてた訳じゃないんだけどね。はっきり自覚してるのはもうちょっと短かった筈。数えてないから曖昧だけど」

「……ずっとここにいたんですか?」

「うん。夢の中に引き籠もってたからね。その中で色々とやってたんだ」

「色々ですか?」

「自分の中の獣と和解したり、私が取り込んだ人間の知識を自分のものにしたり、聖剣(カリヨン)……あぁ、遺跡兵装(ダグウェポン)を使えるように修行したりとか?」

「……知識を取り込む、というのは?」

 

 ラーントルクが厳しさを増した声で問いかけてくる。確かにそのまま受けとると怖がられても仕方ないよね。

 

「私がおとーさんが帰って来るのを待つ為に夢の世界を作ったのは言ったと思うけど、世界を保管する為に街の人間を取り込んだんだよね。で、その人達も夢を見ているようにその世界で生きてたんだ」

「その人達は……?」

「もう人間に戻る事も出来ない。夢から覚めれば獣になる。一人ずつ説得して、私に溶け込んで貰ったの。全員って訳じゃないけどね。そのまま消えたい、って人もいたし、私に夢を見せてくれてありがとう、って言う人も、色んな人がいたよ」

 

 私が本来の歴史に介入出来るまでの時間、“私”は自分が取り込んだ人達の知識を得る事を考えた。夢の世界で保存していた人達と対話して、時には取り込んで、時にはそのまま消して、長い時間をかけて全ての人を見送った。

 本当に私の夢の中に私とあの子、“エルク”と“カーマ”しか残らなくなった時は本当に世界が終わってしまったんだと実感してしまって、その時の事はよく覚えている。

 

「あ、これ、おとーさんには秘密にしてね? きっと気に病むから」

「……私達に言って良かったんですか?」

「もう終わった事だから。本当に終わった直後は色々と思う事もあったけど、もうずっと前だから整理ついちゃった」

 

 整理をつけたからこそ、覚悟が出来た。自分という存在を差し出す覚悟を決めたのも、きっとその時だ。

 私は多くの命を背負っている。その背負った命を食んで生きている。だからこそ悔いが残らないように自分が未来に何を残せるのか考えて生きようと決めた。

 

「辛くなかったですか?」

「心配してくれるの? クトリちゃん」

「……私だったら、辛いなって」

「そっか、優しいね」

 

 辛くなかったかと聞かれれば辛かった。けれど、気遣ってくれるだけで十分。

 

「当時はすっごく思い悩んだけど、エルクがいてくれたしねぇ」

「エルク……神様、なんですよね?」

「うん。ちょっと夢見がちの男の理想が高い女の子だけど」

「……神様、ですよね?」

「君達の大元でもあるよ?」

 

 クトリちゃんとラーントルクに振り返って言ってみると、2人とも苦虫を噛み潰した顔を浮かべた。それが面白くて吹き出してしまう。

 

「クトリちゃん、私に敬語使わなくて良いよ? 近所のお姉さんみたいに気安く接してくれていいよ」

「え? で、でも」

「ラーントルクを見てよ。私に鋭い視線を向けて、全然友好的じゃないんだよ?」

「それは貴方が信用ならないから悪いんです」

「もう秘密にするのは止めたでしょう?」

「貴方が単純に気に入らないだけです」

 

 忌々しそうな声で言われると大分ショックだ。仲良くなりたかったのに。そこまでラーントルクと相性が悪いんだろうか、私。

 ただそれはそれでカワイイのだけど。素直じゃないけど、なんとなく構い倒したくなるのがラーントルクだ。抵抗されるのも微笑ましく感じるのは私の性格が悪いのかな?

 

「……どうして、アルマリアさんは」

「アルマリア」

「……アルマリアは、私達に良くしてくれるの?」

 

 ぽつりとクトリちゃんが問いかけてくる。その問いかけに私は足を止める。

 振り向いて2人に向き直る。この話は、歩きながら流して伝えるような話じゃない気がしたから。

 

「理由はいっぱいあるけど、貴方達を私が好きだからだよ」

「好き、だから?」

「エルクは貴方達の大元、貴方達はエルクじゃないけど、エルクは貴方達でもある。だからずっとエルクの夢を通して貴方達の事を私は見てきたの」

 

 貴方達、黄金妖精(レプラカーン)達がどう生きて来たのか、私は知っている。

 エルクと一緒に見守り続けて来た。……本当は、何度手を差し伸べに行こうかと思ったかわからない。

 

「貴方達よりずっと前の子も、私は知ってる。貴方達がどう生きて、どういう風に使われてきたのかも」

 

 でも、出来なかった。

 そもそも目覚めても私が私であろうとすれば空を飛ぶ事も出来ないし、助けに行っても何も出来ない目算の方が高かった。

 私がこうして辛うじて信頼を得られているのはおとーさんがいるから、というのが大きいと思ってる。

 ……そして、言い訳でもある。私は知った。クトリちゃん達の前の妖精兵達がどういう思いで戦ってきたのか、数多くの死を知ってしまった。

 それでも動けなかったのは、私が本当に助けたいと選んだのはクトリちゃん達だったから。だから歴史に介入しなかった。

 自分勝手だな、とは自分でも思う。でも私は神様じゃないし、神様が万能じゃないって事だって知ってる。自分で何でも出来るとは思わないから、自分の身の丈に合った望みを選んだ。

 

「償い、でもあるかな。助けようと思えば、もしかしたら間に合ったかもしれない。でも私は手を差し伸べなかった。確証がなかったから。手段がなかったから。言い訳はたくさんあるんだけど、だから今度こそ手が届くなら絶対に見捨てない、って」

 

 軽蔑されても良い。それでも私はクトリちゃん達を助けるって決めたから。それで自分を犠牲として使い切っても良い。

 勿論、それで罪が償えるとは思ってないし、これを罪と思えばエルクを傷つけてしまう。あの子だって望んでそうした訳じゃない。結果的にそうなってしまっただけで、あの子が悪意を持っていた訳じゃない。

 世界はどうしようもない事がいっぱいで、その中で何を失わないか、何を選ぶのかが重要なんだって自分に言い聞かせて来た。それを信念の芯として私はここにいる。

 

「貴方達が嫌がっても幸せに押し込む。それが、私の願い。おとーさんと同じような感じかな。あの人の戦いはもう終わってるけど、貴方達の戦いはこれから。それを限られた幸せだけで終わらせて欲しくなかった。それを選ぶのだとしても、もっとたくさんの選択肢があって、その中で納得して未来を選んで欲しかった。そんな、ただの我が儘だよ」

 

 我が儘に生きようと決めた。その果てに自分自身が消えてしまう事になっても。

 後悔はしない。……そう強く言える程、強くはなかった。だからいっぱい後悔しながらでもいいから、間違えても良いから、満足行くように頑張ろうと決めた。

 私はおとーさんを幸せにしたくて、クトリちゃんを幸せにしたかった。そこから始めた。今はラーントルクも、ノフトも、ネフレンちゃんも助けたいって思ってるけど。

 

「……その為なら、自分を犠牲にしても良い?」

「ラーントルク?」

「自分の存在が削れてもいいから、私達に未来の選択肢を与えたい?」

「なんで、それを」

「自分の我が儘だから私達の意見は聞いてない? 誰が、そんな事をしてくださいって頼んだんですか。頼んでもいないのに押し付けて自己満足に浸って? 何様なんですか、貴方は」

 

 まるで爛々と瞳が輝くようにラーントルクが私を睨み付けて来る。魔力(ヴェネノム)を今にも熾しそうな剣幕で。

 ……もしかして、昨夜の話を聞かれてた? うぅん、言うつもりはなかったんだけどなぁ。いつか知る事にはなってたかもしれないけれど。

 

「なんでラーントルクがそんなに怒るかなぁ……?」

「気に入らないに決まってるじゃないですか。押し付けられて迷惑です」

「……真っ正面から言われると、ちょっと来るなぁ」

 

 頭にとか、罪悪感とかが。ちょっと尻込みしそう。でも……胸を張ってラーントルクと視線を合わせる。

 

「自分が納得してるから、なんて理由にならないものね。でも、それは私だってそうだよ?」

「何ですって……?」

「“助けて欲しいなんて思ってない”なんて、知った事かって言いたいのよ」

「……なんて自分勝手な」

「私は我が儘だから」

「私は貴方の思い通りになんてなりませんからね……」

「結構。好きなだけ抵抗しなよ、頑張ってね? ラーントルク」

「貴方の事なんか嫌いです! 大嫌いですからね!」

 

 きっ、と私を睨み付けるラーントルクに微笑みを返す。嫌われても良いかな、ってちょっと思った。それでこの子が満足して生きる事が出来るなら悪くないな、って。

 クトリちゃんがおろおろと困ったように私とラーントルクを交互に見ているのだけが、ちょっと可哀想だったけど。

 

 そしてラーントルクとのちょっとした口論をした後、私達は歩みを再開して目的の場所へと辿り着いていた。

 そこには1人の少女が退屈そうに氷の床に身を投げ出して寝転がっていた。その胸に中には目を覆いたくなるような傷がよく目立つ。

 見るからに致命傷としか思えない傷を負った少女は、私達が近寄ってきた気配を感じたのか勢いよく飛び起きた。

 

「おかえり! あるまりあ(・・・・・)!」

「ただいま、エルク。良い子にしてた?」

「してたよ!」

 

 まずは私に飛びついてくるエルク。私に頬をすり寄せてから、すぐに私から離れて私の背後にいたクトリちゃんへと目標を変える。

 私から離れ、クトリちゃんを視界に入れて、目をキラキラと輝かせて、そのまま勢いよくクトリに飛びつきに行くエルク。クトリちゃんは驚きながらも咄嗟にエルクの突撃を受け止めていた。

 

くとり(・・・)! くとり(・・・)だ! 本物のくとり(・・・)だ!」

「あ、貴方が……エルク……?」

「エルクだよ! 現実では初めまして、くとり(・・・)! 会いたかった!」

 

 ぎゅうぎゅうとクトリちゃんを抱き締めながらエルクがはしゃぐように笑う。

 どうしたらいいかわからない、といったクトリちゃんがエルクの体温の冷たさに驚きながらも抱きかかえたりしている光景が微笑ましい。

 

「……これが本当に星神(ヴィジトルス)なんですか?」

「この世界に残った2柱の内の片割れで間違いないよ」

「世も末ですね」

「上手い事を言うねぇ」

 

 信じられない、と言った様子のラーントルクの呟きに相槌を返していると強く睨まれた。

 

「はいはい、エルク。はしゃぐのは良いけどここを出るよ?」

「お外に出て良いの?」

「いいわよ。浮遊大陸郡(レグル・エレ)に行きましょうね」

いーぼ(・・・)! いーぼ(・・・)に会いに行く!」

「こらこら、あんまり騒がないの。<深く潜む六番目の獣>(ティメレ)に見つかるわよ?」

「「えっ?」」

 

 クトリちゃんとラーントルクが勢いよくこっちに振り向いた。

 

「あれ、言わなかったっけ? ここ、<深く潜む六番目の獣>(ティメレ)の巣になってるって」

「聞いてないよ!?」

「聞いてませんわ!?」

「あ、ごめん。でもこの人数なら起きないと思うから、早く出ちゃおうか」

「「そういう事は早く言って!?」」

 

 いや、私だけだったら素通り出来るし。危険でもないから忘れてたんだよね。

 そんな事もありながら、私達は星神(ヴィジトルス)のエルク・ハルクステンを連れて地上へと戻る事にするのだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「……これが、“あの”エルク・ハルクステンねぇ」

 

 エルクを連れ帰ってきて、あまり騒ぎにならないように部屋の一室を用意して貰ってエルクと妖精兵達、そこに私とおとーさんが集まっていた。

 エルクは相変わらずクトリちゃんに懐くようにして彼女に抱きついている。クトリも慣れてるのか、満更ではないのかエルクの面倒をよく見てくれている。

 

「これ、セニオリスの呪詛か」

「セニオリスの呪詛?」

 

 おとーさんがエルクの傷を見て、思い出したと言うように呟く。それにクトリちゃんが首を傾げる。

 

「セニオリスの特筆能力(タレント)だね。あらゆるものを“死者”に変える力。その力でエルクを封印してた、って感じかな」

「セニオリスにそんな力が……」

かーま(・・・)が言ってたよ、あれは“もんどーむようけん”だって」

 

 問答無用剣。言い得て妙だな、と私とおとーさんが思わず吹き出す。

 

浮遊大陸郡(レグル・エレ)に戻ればエルクの呪詛もどうにか出来る方法もあるでしょう。エルクが力を取り戻せば出来る事も増えるよ」

「私、くとり(・・・)と一緒にいたい!」

 

 すっかり懐かれたクトリが困ったようにエルクをあやしている。

 

「何はともあれ、上に戻ってからだねぇ。あぁ、エルク。カーマは何か言ってる?」

かーま(・・・)? 別になにも?」

「そう。ならいいわ」

「カーマって?」

「エルクに取り憑いてる地神(ポト―)よ。肉体を失ってるから、エルクの精神に間借りしてるから現実世界だと直接会話出来ないのよ」

『へー』

 

 驚く事に慣れてきたのか、おとーさん達の反応が雑になってきた。まぁ、立て続けに常識を金槌で粉砕するような事が続けばそうもなるかなぁ。

 ともあれ、これで私が地上でするべき事は全部やった筈。あとは問題が起きないようにして浮遊大陸郡(レグル・エレ)に行ければ良いと。

 

「……どんな場所があるのかな」

 

 知識としては知っていても、実際に目にした訳ではない。そう思うと少しだけ楽しみだ。

 私の呟きに反応したのか、おとーさんがこっちに近づいて来た。力の抜けたような表情だ。何か吹っ切れたような、そんな顔。

 

「気になるのか?」

「上はどんな場所があるのかな、って。気にならない訳がないでしょ?」

「あぁ、そうだな。色々と見せてやりたいな」

「案内してくれる?」

「クトリ達と一緒にな」

 

 それは、楽しそうだなって。おとーさんが言う光景を想像して私は笑った。

 

「……なぁ、アルマリア」

「何?」

「負担じゃなかったら、俺の体、治してくれるか。元通り、って程じゃなくて良い」

「……珍しい。おとーさんからそう言ってくるの」

「今のままじゃお前に何しようとしても止められそうだからな」

「それは否定しないけど……」

「これからも彼奴等の事を助けていくなら、俺も少しは動けるように戻らないとな。剣を教えるのも、付き添うのにもな。だから、ほんの少しで良いんだ。もう少し、彼奴等の傍にいてやりたい」

 

 ……その言葉に、胸に来るものがあった。

 思わず零れそうになった涙を押し込めて、肩を預けるようにおとーさんに姿勢を寄せる。

 

「……良かった」

「ん?」

「おとーさん、ちゃんと帰る場所が出来たんだね」

 

 彼の言葉として聞けば、知っていても感じ入るものがあった。

 泣きたくなるぐらいに切なくて、嬉しくて、胸がじんわりと熱くなっていく。

 安堵と歓喜と。ほんの少しの寂しさ。

 私達は約束を守る事が出来なかった。だから仕方ない事はわかってる。帰りたい場所に私達は帰る事は出来ない。

 でも、居場所をもう一度見つける事は出来る。そう言った彼が、ちゃんと居場所だとあそこにいる事を望んでくれる。命を繋ぎたいと言ってくれる。

 

「……お前も来れば良い」

「私も?」

「得意だろ? 子供の面倒を見るの」

「ふふっ、就職先候補として考えておくね」

 

 おとーさんと一緒に妖精達の面倒を見て、クトリちゃん達と一緒に過ごす未来。

 叶うならば、きっと幸せを感じる事が出来るだろうな、なんて。強くそう思えて。

 空はまだ遠く。自分が帰る場所はどこなのか、私は定めきれていないけど。

 まだ歩いて行ける。まだ先に、未来に向かって。その先に何があるのかわからないけど。

 頑張ろう。想像した未来の眩しさに、思わず目を伏せながらそう思った。




地上編はこれで終わり。次回から浮遊大陸郡(レグル・エレ)編予定。


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はじめての浮遊大陸郡

※内容修正の為に削除して投稿し直しました。


 浮遊大陸郡(レグル・エレ)

 かつて地上が獣の脅威に晒され、人類が滅亡し、多くの種族も挑み果てた。

 ここは生き残った者達の最後の楽園。百を超える巨大な岩塊が浮かび、風に乗って漂う浮遊島郡。これこそが現在、この世界で生きる者達に残された生存圏。

 

「いっちゃやだーーーっ!!」

 

 そんな浮遊島の1つ、飛空艇の湾港区画でエルクがクトリに抱きつきながら叫んでいた。

 ひっつき虫の如く引っ付いているエルクにクトリは困ったように苦笑を浮かべている。そんな2人を見守る関係者の目線もどこか暖かいが、同じように困っていた。

 

 サクシフラガの墜落から始まった一連の事件。アルマリアという来訪者、そしてヴィレムとの再会。アルマリアから語られた真実、そして拾って連れて来られた星神(ヴィジトルス)

 順番に名前を挙げていくだけでなかなか驚愕の事態の連続ではあったものの、彼等は無事難なくこの浮遊大陸郡(レグル・エレ)へと上がる事が出来た。

 

 とは言ってもトラブルが無かった訳ではない。現地にやってきた大型飛空艇の指揮者が人間族(エムネトワイト)の遺産を回収する為に大規模な発掘を主導しようとしていたが、これはアルマリアが<深く潜む六番目の獣>(ティメレ)の存在を示唆し、危険を促した事で中止。

 地上調査隊がかき集めた戦利品を詰め込めば長居は無用と言わんばかりの帰還。本来の歴史を知るアルマリアは密かに胸を撫で下ろしていた。

 

「エルク。クトリ達は一度、妖精倉庫に帰らないといけないんだから我が儘言っちゃダメだよ?」

「やーっ!」

 

 さて、続いて起きたトラブルというのが星神(ヴィジトルス)であるエルク・ハルクステンの癇癪であった。

 短い旅路の中であったとはいえ、以前からクトリへと思いを寄せていたエルクはそれはもうクトリに懐いた。四六時中引っ付いているのでは? と言わんばかりの勢いでクトリの後ろをついて回る姿は親鳥の背を歩く雛鳥のようであった。

 無論、クトリだけではなく他の妖精達にも懐き、大層ご満足なエルクであった。ただし、別れの時が来るまではという文言が頭に付く。

 飛空艇の護衛任務が終われば妖精兵であるクトリ達は妖精倉庫へと戻る事になる。しかし、エルクはそこまでは同行出来ない。エルクには彼女の帰還を心待ちにしている家族がいるのだから。だが、しかし……。

 

「エルクはクトリ達とは一緒の場所にいけないんだよ? カーマも言ってるでしょ?」

「知らないもん!」

「“イーボ”だって待ってるよ……?」

「やだもん!」

 

 これである。なんとかアルマリアが説得しようとするも、クトリにひっついて顔を押し付けながら抵抗の意志を見せるエルク。

 どうしたものかと悩んだアルマリアだったが、ここで1つ妥協案を出す事にする。

 

「ねぇ、おとーさん? クトリちゃんはおとーさんの秘書なんだよね?」

「お? おぉ、まぁ、そうだな」

「クトリちゃんの体の検査の事もあるし、クトリちゃんだけもうちょっと付いて来て貰おうか?」

「……まぁ、仕方ないか」

 

 このままエルクを宥め賺せるのは至難だろう、とヴィレムも判断する。それにクトリの体の検査ともなれば断る理由はない。

 今後について話し合う為、そしてエルクを送り届ける為にスウォンの下に向かう予定ではあったが、クトリもこの世界の真実を既に知った側だ。連れて行くのにはさして問題はないだろうとの判断だ。

 

「そういう訳だから、レン達は先に妖精倉庫に戻ってくれ」

「ん……わかった」

「久しぶりに帰れるなー」

 

 ネフレンがヴィレムからの指示に頷き、ノフトがグッと体を伸ばしながら久々の帰郷に喜びを露わにしている。

 その横ではラーントルクが静かに佇んでいたが、ヴィレムと視線が合えばつん、と視線を逸らされる。

 

「エルク。これ以上の我が儘はダメだからね?」

「はーい……」

 

 めっ、とようやくクトリから離れたエルクにアルマリアがお説教をしている。離れたと言ってもクトリの手を離そうとしないのがエルクなのだが。

 そんなエルクにクトリは困ったように頬を掻きながら、しかしそれほど嫌がる様子も見せずに見守っていた。

 ままならぬ事が多い末世ではあるものの、今この瞬間は間違いなく穏やかな時間が流れているのであった。

 

 

 * * *

 

 

 遂に来ました、憧れの浮遊大陸郡(レグル・エレ)

 平和に戻れて何より。本来の歴史の通りに<深く潜む六番目の獣>(ティメレ)を刺激しそうになったのにはゾッとしたけれど、本当に良かった。

 今、私は2番浮遊島に向かっている。同行者はおとーさん、クトリ、そしてエルク。本来はクトリちゃんも妖精倉庫に帰らせる予定だったけど、まさかエルクがあそこまでごねるとは思わなかったなぁ。

 検査の必要もあったし、エルクの癇癪が収まるなら仕方ないよね。実際にいてくれた方が今のクトリちゃんという存在をスウォンくんに見て貰えるし。

 

「スウォンくん、か……」

 

 浮遊大陸郡(レグル・エレ)では大賢者と呼ばれ、世界を保ち続けて来た偉大な人。

 過去においては呪蹟師(ソーマタージスト)として名を馳せたおとーさんの戦友。

 何度か孤児院で顔を合わせた事がある。けれど、その記憶も遠いものになってしまっている。はっきり言って、おとーさんやクトリちゃん達に比べると正直薄い。

 今となっては雲の上の人。そういう意味では少し緊張する。これからの事を色々を為すにせよ、スウォンくんとの交渉は避けては通れない。

 

(敵対するつもりはないけど、あっちの要求も全部呑めるとも限らないしなぁ)

 

 もうお互いに立ち位置も違うし、変わった事も多いだろう。昔みたいに仲良く、なんてのは難しいかもしれない。そう思うと少しだけ気が滅入る。

 “記憶”が確かであれば、スウォンくんは地上を取り戻す為の戦力を欲していた筈。

 その点、今のクトリちゃんは“使える(・・・)”んじゃないかな。何せ黄金妖精(レプラカーン)の枠組みを超えた彼女は元々あった崩壊のリスクを回避する事が出来る。継続して戦力を維持出来る可能性があると知れば無視は出来ない筈。

 ただ、実際に今のクトリちゃんがどこまで戦えるのかは未知数だ。もしかしたらだけど、魔力(ヴェネノム)が使えない、なんて事になっている可能性すらある。獣は本来、不死不滅の存在。魔力(ヴェネノム)との相性は悪い。

 

(その点、私は“半端”だからこそってのはあるけど、クトリちゃんにも適用されてるかと言われればわからないし)

 

 とありあえずは様子見。検査の結果も見て、クトリちゃんの今後はおとーさんやスウォンくんと相談して決めて行こう。クトリちゃんに無茶をさせようとしたらエルクが止めに入るかもしれないし。

 そんな事を考えながら飛空艇に揺られてやってきた2番浮遊島。その中の神殿のような場所で私はスウォンくんと、そして黒い巨大な頭だけの骸骨、黒燭公(イーボンキャンドル)と対面する事となった。

 

『うぉぉぉおぉぉおおん、エルクぅぅぅぅぅ、よくぞご無事でぇぇえええ!!』

『うっさいわね、この役立たず! なんでまだ頭だけなのよ!』

 

 黒燭公(イーボンキャンドル)が感動に噎び泣きだしたのと同時に、彼の額部分を小突くように現れたのは朱色の空魚。それが宙を泳ぐように自身の存在を主張している。

 

「あぁ、ここだと“カーマ”の姿が見れるんだっけ」

『そーよ! ここまでありがとうね、アルマリア! 本当に使えない黒燭公(イーボンキャンドル)とは違うわ!』

 

 エルクの精神に寄生する事で存在を保っていた地神(ポト―)の一柱、紅湖伯(カーマンレイク)。夢の世界では度々顔を合わせてたけど、こうして直接話すのは久しぶりだなぁ。

 

『ぐぬぬぬ! 儂とて遊んでた訳ではないのだぞ!』

『どこがよ! 星船の修理全然終わってないし、何よその姿!』

『力が足りておらぬのだ! ほら、そこの! そこの勇者にズタボロにされた後遺症が!』

『言い訳なんて見苦しい!』

『なんじゃとぉ!? お主にいたっては体すらもないではないか!』

『あんですって!?』

 

 ぎゃーぎゃー、わーわー、と。久しぶりの再会に賑わう地神(ポト―)達のやりとりに思わず苦笑いする。

 その様子を眺めていたけれども、傍に立っていたスウォンくんがこちらに近づいて来たのを見て姿勢を正す。どう声をかけようか迷って、成り行きに身を任せる事にした。

 

「……久しぶりかな、スウォンくん」

「……そうか。本当に、生きていたのか」

 

 鋭い目付きを少しだけ緩めて、スウォンくんは感慨深げに私を見つめる。

 

「ぬか喜びをさせるようだけど、もう私は貴方が知ってる私じゃないというか、純粋な人間というよりは獣との混ざりものだよ?」

「何を言う。そっちの方が驚いたわ! それに時の経過があれば人も変わる。……まさか、獣になった後に戻って来れる人がいるなんて。本当に、本当に良く戻ってきてくれた」

 

 私の両手を取ってスウォンくんは深々と頭を下げる。自分よりも立場がある人にそんな事をされるのはなんとも表情選びに困る。

 それから惜しむように私の手を握っていたスウォンくんだけれども、再会を喜び合う地神(ポト―)達に気を遣っていたのか立っていたままのおとーさんやクトリを席につかせて改めて会話が出来る状態へ。

 

「まずはヴィレム、よくぞ戻ってきてくれた。……良かったな、と言った方が良いか?」

「うるせぇよ、スウォン。……まぁ、なんだ。行って良かったよ。背を押してくれた事、感謝してやっても良い」

「お前から感謝されるとは。長く生きてみるものだ」

 

 旧友と言うような会話を交わすおとーさんとスウォンくん。どことなく2人とも嬉しそうでホッとする。確か2人は再会した時に仲違いのように別れてしまっていた筈だったから、こうしてまた仲を取り持つ切っ掛けになったら良いな。

 

「アルマリアさんも。君の帰還も喜ばしいが、エルク・ハルクステンと紅湖伯(カーマンレイク)の保護までしてくれていたとは。改めて感謝する」

「たまたま一緒にいただけだから。私の方こそお二人に助けられたし」

『同胞が世話になったな、獣より戻った稀有な者よ。……しかし、お主のような存在が生まれようとはのぅ』

『それを言ったらそこの妖精ちゃんだってそうでしょう?』

 

 カーマが宙を泳ぐようにクトリちゃんの周りを旋回する。会話に入れていなかったクトリちゃんが口をつけていたお茶を慌てて戻して、姿勢を正している。

 スウォンくんがそんなクトリちゃんを見つめて、少しだけ目を細めた。まるで睨んでいるかのような目付きにクトリちゃんが怯えるように肩を跳ねさせた。

 

「あぁいや、すまん。儂は目付きが悪くてな。怯えさせたのならスマン」

「い、いえ! あの、気になさらないでください大賢者様!」

 

 かちこちになってクトリちゃんが声を張り上げる。立場が雲の上の人だからね、その気持ちはわかるよ、と思わず何度も頷いてしまう。

 

「……いや、会うまいと思っていたのだ。会えば、揺らぐかもしれないと。しかしこのような形で君と対面する事になるとはな」

「わ、私の事、ご存知で……?」

「君達、黄金妖精(レプラカーン)の事は良く知っているとも。主に書面ではあるがの。……改めて名を聞いても良いかのう?」

「……クトリです。クトリ・ノタ・セニオリス」

「クトリ・ノタ・セニオリス。……セニオリスの適合者か。先日の<深く潜む六番目の獣>(ティメレ)撃退戦での活躍は耳にしている。その後の経過の事も」

「は、はぁ……」

 

 恐縮した様子でクトリちゃんが応じる。そうか、と呟くスウォンくんの様子におとーさんの目が少しだけ細められた。

 

「……もしも」

「はい?」

「もしも君達、黄金妖精(レプラカーン)を生み出し、戦場に駆り立てる者がいたとして。……君は、その者を憎むか?」

 

 きょとん、と。クトリちゃんの目が見開かれて瞬きを繰り返す。

 おとーさんが少しだけ姿勢を前のめりにした。その視線はスウォンくんに向けられている。

 黄金妖精(レプラカーン)を生み出したのは、スウォンくんと黒燭公(イーボンキャンドル)だというのは知ってる。戦場に駆り立てたのも、また。

 だから会おうとしなかった。兵器に情が沸かないように。世界を守る為の必要な犠牲として、戦いに向かわせていたのは間違いなく彼等で。

 

「……憎みません」

 

 対して、クトリちゃんの返答はとても静かな声で紡がれた。

 

「誰かがやらなきゃいけない事で、それが私達の役目でした。誰かがそのように仕組んだのだとしても、私は自分の生きて来た道で誰かを憎もうなんて思いません」

「それは、何故だね? 君の同胞は数多く散っていった。君とて死を強要された。不当だとは思わなかったのかね?」

「皆、覚悟してました。私も覚悟して……。確かに、死ぬのなんて嫌だった。本当は生きたかった。だから多分、そのまま死んでたら、恨んでたかもしれないです」

 

 そこで区切るようにクトリちゃんは目を閉じて、ゆっくりと息を整えてから目を開ける。

 その表情は、花が開くかのような笑顔。目を奪われるような姿に私は息を呑む。

 

「でも、ヴィレムと会えました。こうして生き続ける事も出来てます。だから、憎みません。もし、私達を生み出して戦いに向かわせた誰かがいたのだとしたら、生んでくれてありがとう、って今なら言えます」

 

 ……なんて、狡い。

 そんな満足げに微笑むなんて。そんな顔を浮かべさせた発端だろうおとーさんだって落ち着かないような表情を浮かべてるし。

 エルクは自分の事のようにクトリちゃんの隣に座って胸を張ってる。いつの間に移動したのやら。

 スウォンくんはクトリちゃんを見つめて、ゆっくりと瞳を閉じた。

 

「……そうか。君は、強いのだな」

 

 その短い言葉にどれだけの思いを込めていたのだろう。スウォンくんが何を感じて、何を思っているのかはわからない。

 けれど、きっと受けとった言葉は悪いようにはならない筈。そう思いたい。

 あぁ、恋する乙女はいつだって強いものなんだな、なんて。

 

「今の君は既に黄金妖精(レプラカーン)ではないと聞いている。しかし、君の歩いた道が君に続く同胞を助ける事に繋がるだろう。……どうか、これからもその力を貸して欲しい」

 

 深々と、スウォンくんが頭を下げた。頭を下げられたクトリちゃんは慌ててオロオロとしている。

 

「え、あ、あの、は、はい! 私で良ければ! あの、ですから頭を上げてください大賢者様!」

「うむ。君の処遇はヴィレム・クメシュ二位技官に任せている。これからもヴィレムと共に妖精兵達の先導者としての働きを期待している」

「は、はいぃ……」

「おい、スウォン。あんまりウチの子を虐めるな」

 

 すっかり恐縮しきって目を回してしまいそうなクトリちゃんにおとーさんが目を鋭くさせて告げる。

 そんな二人の様子を顔を上げて見たスウォンくんは、まるで子供のように笑みを浮かべて笑い声を上げた。

 

 さて、それからは地上で獲得した遺物を確認したり、今後の方針を相談する事になった。

 エルクに関してはこのまま2番浮遊島にて生活をするとの事。現在、動く死体でしかないエルクはここで呪詛の解呪を行うとの事だった。

 ただ、エルクが完全復活するとクトリちゃん達と喋るのが難しくなるとの事で、別に今のままでいい、とゴネだしてカーマが慌てていた。

 クトリちゃんはこの後、検査を受けた後におとーさんの秘書として、今後の妖精兵達の未来を決めるべく様々なデータ取りに協力を要請されて、緊張しながらも了承の意思を伝えていた。

 おとーさんは現状と変わらないけれど、体の治療の目処が立ったと報告した上で、今後は妖精兵達の戦力向上を目指しながら遺跡兵装(ダグウェポン)の調整や復元を行うとの約束をスウォンくんとしていた。

 さて、一方の私なのだけど。

 

「君は、やっぱり妖精倉庫に逗留して貰うのが良いだろうな」

「ここに残った方が良いような気もするけど……」

「うむ。それもある。けれど危険性の事も考えるとここに置くというのもな。信用していない訳じゃないが、君が獣だと言うのならば万全を期したい。それなら何かあった時の対処も可能な妖精倉庫に身を置いて貰いたい」

「願ってもない話だよ。出来れば妖精の皆と触れ合いたかったから。彼女たちに何かあった時や、今後の事を考えれば彼女達との繋がりは持っておきたいの」

「そのように取り計らうよ。基本的には妖精倉庫に逗留してもらう事になるけど、研究の為にこちらと行き来して貰う事になると思う。……また改めてよろしく」

「ありがとう、スウォンくん」

「あぁ、お礼なんて良い。……でも、良ければまた君のクッキーを食べさせてくれ」

 

 やるべき事は多いけれども、それは今後予定を立てていくという事で解散となった。

 クトリちゃんとの別れを惜しんで、ぐずぐずと泣くエルクとカーマ、黒燭公(イーボンキャンドル)に見送られながら私達は2番浮遊島を後にするのだった。



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新しい帰る場所

 2番浮遊島を後にした私達はそこでスウォンくんと別れて11番浮遊島へと向かっていた。

 そこにはコリナディルーチェという最古の都市があって、ここは良く舞台の撮影スポットにもなっているそうなのだと。前世風に言えば聖地って言えば良いのかな?

 ここには黄金妖精(レプラカーン)専門の施療院がある。妖精倉庫に帰る前にクトリちゃんの検査をするという事でここに来る事になった。

 ついでだから私も、という事で私も検査を受ける事になった。なにせ私は獣、前例がない生き物なのだからどこで診て貰えば良いのか? という話になったのだけど、とりあえず口が硬く、関連がある施設でという事でクトリちゃんと一緒に検査を受ける事に。

 まぁ、今のクトリちゃんは獣の因子も混ざってるから比較データが取れるならその方が手っ取り早いよね。そんなこんなでやって来た施療院で検査を受ける。

 

「……ふむ」

 

 私の検査結果を目に通しながら一つ目の大柄な体躯を持つお医者さんが呟きを零す。

 黄金妖精(レプラカーン)を専門に診てくれている単眼鬼(キクロベ)の先生だ。彼は検査結果の書類に向けていた視線を上げて私と視線を合わせる。

 

「……既存の生物とは大きく異なる生態、と言うべきだろうか」

「はぁ」

「もっとはっきり言うと、前例にない未知の生物だという事だ。よって、判断が出来ない。お手上げといった方がわかりやすいかな」

「まぁ、はい。仰る事はわかります」

 

 血液からレントゲンなどなど。思い付く限りの検査をしてみた結果が“よくわからないもの”だという話で。

 前例がないから健康なんか、健全なのか、健常なのかもわからない。ただ未知の生物がポッと出てきて、判断する事も出来ない。

 それが私という獣、というのがお医者様からの診断結果だった。

 

「定期的にデータが欲しい所だね。観察記録もだ。あまり気持ちが良いものとは思えないが……」

「いえ。自分の存在が異質だというのはよく存じていますので」

「……そうだね。個人的な観点で言えば、肉体と精神が釣り合っていないような印象を受ける」

「なるほど。もう少しお尋ねしても?」

「君の肉体はあまりにも強靱だ。とても年月の経過などで劣化するようにも思えない。外部からの刺激がなければ変化すらしないのではないかと思う程に。けれど、その肉体を持ちながらも君は不調も感じれば、言ってしまえば気分が悪くなれば身体機能が低下すると感じている。そういった印象を受ける」

「……成る程」

「病は気から、とは言うけれども。君という存在は精神を崩せば肉体にすぐに影響が出る、というのが個人的な意見だね。これはクトリちゃんの結果も合わせての判断なのだけど」

「クトリちゃんはどうでした?」

「至って健康だよ。黄金妖精(レプラカーン)であった頃に比べればずっと健康だと思う。但し、君ほど肉体は強固ではないし、君よりも精神の影響を受けやすい印象があるかな」

 

 改めて言われてみると、精神から受ける肉体の影響が大きいというのは納得かもしれない。

 私は獣の肉体を魂に合わせて変質するように獣の不変であり、不滅の体を改変している。それは本来混ざらないものを無理矢理混ぜ込んでいるようなものに等しい。

 だからこそ精神の影響を大きく受ける。それは獣の因子を受けとって、魂側に合わせるように変質する肉体を持つクトリちゃんも似たようなものかもしれない、と。

 

「他の黄金妖精(レプラカーン)にも同じ処置をしようと思った場合、何か注意点はあるでしょうか?」

「そうだね……君は黄金妖精(レプラカーン)の事情にも精通しているんだったね。もしも君の因子を与えるのであれば、私達が言う“調整”のタイミングを狙うべきだろうね」

「……前世からの兆しを受けたタイミング、という事ですね?」

「あぁ。君の言う獣の因子を埋め込めば確かに黄金妖精(レプラカーン)の存在は安定する事だろう。但し、精神が揺らいだままであればどのように優れた肉体を持っていても肉体が魂に合わせてしまう以上、精神的な影響が大きい。ブレやすい時期というのは避けるべきだと私は考えている」

「なるほど、お聞かせ頂いてありがとうございます」

 

 いくら実体は持てても妖精である為、その存在の根幹となるのは精神的な部分が大きく依存するのだと、単眼鬼(キクロベ)のお医者様は持論を述べてくれた。

 為になる話を聞かせて貰った事に深々と頭を下げてお礼を伝える。すると単眼鬼(キクロベ)のお医者様は左右に首を振った。

 

「感謝するのはこちらだよ。君という存在は彼女達にとって未来の可能性になり得るものだからね。ただ医者として要請したい。不用意に君の因子をクトリちゃん以外の妖精には渡さないようにして貰いたい」

「はい、それは勿論です。クトリちゃんに関しては緊急事態という事もあったので処置しましたが、本来であれば安全を確認してからというのが筋というものですからね」

「わかって頂けて嬉しいよ」

 

 穏やかに笑う単眼鬼(キクロベ)のお医者様に私も笑みを浮かべて返す。

 こうして私とクトリちゃんは体に異常は現在は診られないと診断され、経過観察を言い渡されるのであった。記録を取っていくのは今後おとーさんになるのだと言う。

 元々クトリちゃんの処遇に関してはおとーさんからスウォンさんに申請があった筈。なるべくしてなったのだと思えば、これも予定調和なんだろうなぁ、と。

 こうして検査は無事に何事もなく終わり、私とクトリちゃんは解放されておとーさんと合流する事にした。

 

 合流した私達は妖精倉庫に帰る前にお土産を買って行こう、という事になったのでおとーさんとクトリちゃんと一緒にコリナディルーチェの街を案内して貰える事になった。

 本当は二人で行ってデートでもして欲しい所ではあるのだけど、折角なので浮遊大陸郡(レグル・エレ)の風景を見ておきたかった。なので2人の好意に甘えて街を巡る事に。

 クトリちゃんもそこそこ舞台を見るのか、観光名所を解説して教えてくれた。お姉さんぶりたい背伸びした子と言う印象が拭えなくてどうにも微笑ましい。

 先を行くクトリちゃんが手を振って呼ぶのを手を振って追うように歩いて行く。その隣にはおとーさんがいる。

 

「元気だな、アイツ」

「子供は風の子ってね。元気なのは良い事だよ」

「……あぁ、本当にそうだな」

 

 眩しそうにクトリちゃんを見つめるおとーさんの声色は暖かい。私に向ける声の質と少し違う事に思わずくすくすと笑ってしまう。

 

「お前のおかげだよ、アルマリア」

「どーいたしまして」

「……お前も無理すんなよ。何か不安があったら言えよ」

 

 ぽん、と頭を撫でてからおとーさんがクトリちゃんを追うように一歩先を歩いて行く。

 きっと診断結果の事を聞いたんだろうな。精神の不調こそが今の私とクトリちゃんにとっては致命的なものになりかねないって。

 私はそこまで自分が脆いとは思っていない。クトリちゃんは恋する乙女パワーで元気いっぱいだけど、私は積み重ねてきた年月と知識がある。もし、その時が来たらその時はその時とも覚悟は決めている。

 そんな覚悟なんてしなくて良い、なんて言われそうだから黙ってはいるけれども。クトリちゃんに追いついたおとーさんが何かクトリちゃんと話しながら足を止めている。おとーさんに笑みを向けていたクトリちゃんがこっちの手を振る。

 

「……うん。ちょっと、眩しいな」

 

 見たかった光景がそこにあった。

 守りたかった光景がそこにあった。

 長い時間だった。ここに来るまでの時間を思えばこの一瞬など瞬き程でしかない。

 それでも心が蠢く。歓喜に打ち震えて、二人に抱きついて叫んで回りたいぐらいに嬉しい。

 

「お土産は何がいいかな」

 

 妖精倉庫に先に帰ったノフト、ラーントルク、ネフレンちゃんの事を思う。そして、まだ出会えていない妖精達の事も。

 どんな明日が待っているんだろう。代わり映えのない日々は終わって、これから新しい日々が始まる。

 自然と浮かんだ笑みをそのままに先に行くクトリちゃん達に追いつくべく、私は歩を進めるのだった。

 

 

 * * *

 

 

「あの、さ。ヴィレムはアルマリアとは……その、どんな感じだったの?」

「……あー、なんでそんな事を?」

 

 お土産を見て行きたい、と店に入った3人だったがアルマリアが1人で見て回りたいと行ってしまった後、気を使われたのかな、と思いながらクトリはヴィレムと一緒に店を見て回っていた。

 ヴィレムと一緒に土産を物色していたクトリだったが、ふと思い立ったようにヴィレムへと問いかける。クトリの問いにヴィレムは一瞬、間を開けながら質問の意図を聞く。

 

「だって、ほら。君と親しいから、ちょっと気になって……」

「お前が思ってるような関係じゃねーよ。俺にとっては……娘だ」

「でも、昔は年はそんなに離れてなかったんだよね?」

「昔のアイツも色々あったからな。面倒見てたらいつの間にかそうなってた」

「ふーん。昔のアルマリアってどんな子だったの? 今と変わらない?」

 

 クトリの質問にヴィレムは記憶を辿る。養育院にいた頃のアルマリアと今のアルマリアを比較して首を左右に振る。

 

「変わってない。だけど、大人になったな」

「大人に?」

「ただそう思っただけだ。ただ、俺が心配しなくてももう大丈夫なんだなって思うと、な」

「それが大人になったって事?」

「俺がそう感じただけどな」

 

 アルマリアは変わっていなくて、変わった。それは獣になった影響や、月日を重ねたのも踏まえた上での変化なのだろうとヴィレムは思う。

 決して悪い変化ではないと思う。自分の事を把握して、何をしなければならないか見据えて、地に足をつけているようにヴィレムには映る。

 父としては複雑なヴィレムである。口には出さないが、二桁しか生きてないと言われたのはヴィレムの心にしこりを残していた。

 

「変わってないのに距離は離れたな、って。言っても仕方ないんだけどな」

「……そっか。距離を詰めたいって思う?」

「どうだろうな。あいつも俺も、今の距離感が心地良く感じてる気がするからな」

 

 心配はするけれど、手を差し伸べに行く程じゃない。

 会話しない訳じゃないけれど、積極的に行く程でもない。

 いれば声をかけるし、いなければ時折思い出すぐらいで良い。

 言ってしまえばそんな距離感。離れすぎず、近すぎず。そんなアルマリアとの距離感をヴィレムは存外、心地良く思っていた。

 

「まぁ、目は離せないのは変わらないな。幾つになってもな」

「そっか、良かったね」

「何がだ?」

「家族が戻ってきて」

 

 家族。そうだ、家族だ。ヴィレムは改めて噛みしめるようにアルマリアの生存を思う。

 もう会えないと思っていた相手。約束を破ってしまった罪悪感。世界が滅びた事で自暴自棄になっていた自覚があるヴィレムも、その気持ちが薄れているのに自分でも驚く。

 新しい居場所は見つける事が出来たとそう思っていた。けれど、だからといって過去にあった場所の価値が下がる訳でも、変わる訳でもない事に気付けた。

 そして今、自分が手を伸ばせる距離にアルマリアはいる。……この感情に名前をつけるなら幸福以外あり得ないとそう思ってしまう程に。

 

「ちょっと安心した」

「安心?」

「君、どこか自分を蔑ろにする所があったけど、なんか、雰囲気が薄れた気がする」

「だとしたら理由はアルマリアだけじゃないけどな。勿論、お前がここにいてくれるっていうのも理由だ」

「なっ……!」

 

 クトリがアルマリアの事を聞いてくるのは、彼女の事を知りたいというのは間違いではないだろう。けれど、それだけじゃないんだろうな、というのもヴィレムは想像していた。

 アルマリアは確かに大事だ。アルマリアは自分に欠けていたピースを埋める存在だった。そしてクトリもアルマリアと同じく代えられない存在になっている事をヴィレムは感じていた。

 誰かが誰かの代わりになる事は出来ない。失ったものは失ったまま、新しいもので慰める事は出来ても傷が消えた訳ではない。ただ、気にしなくても良くなるだけだ。

 失った筈のものが戻ってきて、失った事で空っぽだったものを埋めるものも手に入った。満たされていると間違いなくヴィレムはこの瞬間にそう宣言する事が出来た。

 

「お前が生きていけるようになった事は本当に嬉しいと思ってるんだ。帰ったらお祝いしようぜ? ナイグラートだって喜ぶ」

「……うん。そ、その、ありがと……?」

「お礼を言いたいのは俺なんだけどな。ついでにアルマリアの歓迎会も兼ねちまえば良い。あいつは子供の面倒をずっと見てきたしな、チビ達もすぐに懐くだろ」

「そしたら……賑やかになるね」

「ああ、もっと賑やかになる。お前達の戦いだって、俺もこれからもっと助けていける」

「そっか」

「あぁ。アルマリアが俺の体を治療出来るかもしれないって言ってるしな」

「……そしたら、君はまた戦場に飛び出しちゃうのかな?」

 

 クトリが不安げに瞳を揺らしてヴィレムに問いかける。その問いにヴィレムは首を左右に振った。

 

「いや。……アルマリアも言ってた事だが、俺の勇者(ブレイブ)としての戦いはどうやら終わってたらしい。だからお前等を鍛え上げて、遺跡兵装(ダグウェポン)の点検や整備に回ろうと思ってる。それは俺ぐらいしか出来ないからな」

「……自分で戦いってもう思わないの?」

「“それ”が俺の戦いになるんだ、ってアルマリアに諭されちまった」

「……そっか。アルマリアは凄いな」

 

 嫉妬しちゃうかも。自嘲気味に呟いてクトリは苦笑を浮かべる。そんなクトリの肩をヴィレムは叩く。

 

「あいつと比べると俺も自分が恥ずかしいと思うさ。だから、これから頑張れば良い」

「……これから」

「お前には、未来を望む時間が出来たんだからな」

 

 肩に置いていた手で頭を撫でてヴィレムは穏やかにクトリに伝える。

 ヴィレムの言葉にクトリは目を細める。穏やかに微笑むように。未来はあるのだと、望んでも良いと言われる感動が胸に駆け巡っていく。

 

「……本当に、良かった」

「そうだな」

「私、幸せになりたいな」

「あぁ、そうか」

「……幸せにしてくれる?」

「考えておく」

「むーっ」

「ほら、土産を選ぶぞ。アルマリアもそろそろ土産を見繕ったんじゃねぇかな。様子見に行こうぜ?」

「あっ、待ってよ!」

 

 クトリを肩を叩いて促し、ヴィレムが先を歩き出す。先に歩いて行くヴィレムを追うようにしてクトリが小走りで駆け寄って隣に並んだ。

 クトリの歩調に合わせるようにヴィレムが歩調を変えて、2人は歩いて行く。端から見れば仲が良い2人にしか見えないままに。

 

 

 * * *

 

 

 土産物を巡る名目でおとーさんとクトリで2人で行動させる目論見は成功したようだとほくそ笑む。

 お土産はお土産でしっかりとちゃんと確保した。子供と言えばお菓子。土産物といえば地元のお菓子。そういう訳で子供達が好みそうなお土産を購入して妖精倉庫がある68番浮遊島へと向かっていた。

 空からの空の旅。最初は気分が昂揚したものだけど、慣れてくると退屈に感じるのはご愛敬かな。暇な時間はつい眠って過ごしてしまった。

 

「アルマリア、ついたよ?」

「んぅ……ついたの?」

「降りるぞ、荷物を忘れるなよ」

「はーい」

 

 おとーさんとクトリちゃんに起こして貰って荷物を手にして68番浮遊島へと降り立つ。

 妖精倉庫と呼ばれるオルランドリ商会第四倉庫。その道のりは深い森の中へと続く細い道だった。

 

「おー……凄い森が鬱蒼としている」

「アルマリアには珍しい光景か」

「街育ちで滅多に養育院も出なかったしね。ちょっと新鮮かも」

「新鮮かぁ。私はもう慣れちゃったしなぁ」

「ずっと下にいたら緑だって物珍しいよ」

「「それは確かに」」

 

 他愛のない会話を交わしながら3人で道なりに進んでいく。

 

「もう少し暗かったら視界も悪そうだね」

「そうだね。ちょっと歩きづらいかもしれない」

「そういえば夜の森と言えば、昔おとーさんが昔話でね……」

「おい、昔の話は止めろアルマリア」

「えぇ~! 何それ、気になるんだけど!」

「ほら、見えて来たぞ!」

 

 昔のおとーさんのエピソードを語ろうとすると無理に話題を転換されて中断させられた。

 クトリちゃんはどこか不満げだったけれども、見えて来た建物が近づくにつれて表情が綻んでいった。

 その足がだんだん速くなっていって、歩きから小走りへ。そして走り出したクトリちゃんの先には入り口で出迎えるように立っていた見慣れた顔ぶれ。

 見慣れない顔ぶれは小さな子供達と、クトリちゃんを迎え入れるように両手を広げた桃色の髪の女性。再会を喜び合うその姿に自然と笑みが零れる。

 一歩、二歩、段々距離が近づいて行く中でおとーさんが何歩か先に進んで振り返る。

 

「ようこそ、って言った方が良いか。それから……今日からここがお前の帰る場所になる。おかえり、アルマリア」

 

 おかえり、と。おとーさんが告げてくれた言葉に目を瞬かせてしまう。

 風が優しく頬を撫でるように吹いていった。風で揺れた髪をそっと手で押さえながら私は微笑んで、答えを返す。

 

 

「改めてよろしく、だね。……――ただいま、おとーさん」



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ようこそ妖精倉庫へ

「あー、今度からここに住む事になったアルマリア・デュフナー技官補佐だ。仲良くしてやってくれ」

「アルマリア・デュフナー技官補佐です。いつもおとーさんがお世話になってます。皆さん、よろしくお願いします」

『おとーさん!?』

 

 その日、黄金妖精(レプラカーン)の少女達が住まう“妖精倉庫”に衝撃が走った。

 そんな表現を宛てるのが合いそうな調子で子供達が驚きと好奇心で染まった視線を向けて来るのは新鮮で、同時に懐かしさも感じた。

 色めき立つ子供達におとーさんが困ったように眉を寄せて溜息を吐いてから、こっちをジト目で睨んできた。

 

「おい、アルマリア……」

「これは失礼しました、二位技官殿!」

「おい、わざとやってるだろ!?」

 

 わざとらしく敬礼して返すとおとーさんが目を釣り上げて咎めるように叫んだ。

 おとーさんの反応が楽しくて舌を出していると、ぱんぱんと手を打ち鳴らす音が響いた。

 

「はいはい。皆ー、という訳でこちらのお姉さんはヴィレムのご家族の方だそうよ? 仲良くしてあげてくださいね。それじゃあ、何か質問がある子ー?」

 

 桃色の髪のお姉さん、ナイグラートさんの声に合わせて勢いよく子供達が手を挙げていく。

 

「ヴィレムの家族って本当!?」

「本当だよ?」

「じゃあアルマリアも人間族(エムネトワイト)!?」

「うん。人間族(エムネトワイト)だよ」

「どこから来たの!?」

「ちょっと遠い場所からだよ」

「おとーさんって事は娘なの!?」

「私がそう呼んでるだけだよ」

 

 次々と投げかけられる質問に私は1つずつ答えていく。1つ答える度におーっ! とか感嘆の声を子供達が挙げる。今にも群がって来そうで、元気で良いなぁ、と思いながら笑みが浮かぶのが抑えられない。

 私はここにはおとーさんの補佐として配属という事でスウォンくんが肩書きを用意してくれた。秘書はもうクトリちゃんがいるから、あくまで私は補佐。アドバイザーという立ち位置だね。

 

「今日は遠征に出ていた子達のお疲れ様会と、アルマリアさんの歓迎会をするわよ。おいしいご馳走も出るわよー」

『やったーっ!!』

 

 ナイグラートさんがご馳走と告げた瞬間、子供達のテンションは天井破りとなった。もうお祭り騒ぎだった。持て成される側の私など目に入ってるかわからない騒ぎようだ。

 まだ年少の子供達が騒ぐ中、私に近づいて来る姿が見えた。それはノフトだった。気安げに片手を挙げている。

 

「よっ、結局こっちに来たんだな。アルマリア」

「うん。改めてよろしくね、ノフト」

「ははは、それはどうかなー?」

 

 どこか悪戯めいた表情を浮かべてノフトが笑う。どういう事かと首を傾げていると、鋭い視線を感じた。視線の先を追ってみればそこにはラーントルクが佇んでいるのが見えた。

 

「……あー、まだご機嫌斜め?」

「みたいだな。何言ったのか知らないけど、あの調子なら暫くあのままだぞ?」

「そっかー。なんとかご機嫌を取らないとね……」

「頑張ってくれ。実は、ずっとあの調子であたしもちょっと参ってる。という訳でラーンと仲良くするまではあたしも冷戦って事で」

 

 なんと無念。まぁ、ノフトはラーントルクとセットって感じだから気を遣ってるのかな。早くノフトも気兼ねなく振る舞えるようにラーントルクとの関係はなんとかしたいなぁ。

 じゃあな、と私に挨拶を終えたノフトはラーントルクの所へ戻っていった。入れ替わるように近づいて来たのはネフレンちゃんと、ネフレンちゃんと一緒に付いて来た褪せた金色の髪の少女。

 

「アルマリア、ようこそ」

「ネフレンちゃん。ありがと、これからよろしくね」

「うん」

「どもども、あんたがレンが言ってた技官の家族っすね?」

 

 ネフレンちゃんに続いて声をかけてくれた少女に私は目を細める。

 

「貴方は?」

「アイセアっす! よろしくっす、技官の……娘さん?」

「おとーさんっぽいでしょ? 彼」

「おぉう、納得出来るような、出来ないような。……いかがわしい気配はないっすね?」

「さぁ、どうかなぁ」

「あははは、おねーさん面白そうな人っすねー」

 

 アイセアと名乗った彼女は調子良く会話に興じてくれる。その様子に私は一度目を伏せて、笑みを浮かべて手を差し出す。

 

「これからどうぞよろしく」

「よろしくっすよ。技官補佐には色々とお伺いしたい事があるっすねぇ。主に技官のあれやこれについて、とか」

「期待に添えるかどうかはわからないけれど、お喋りなら喜んで。仲良くしてね」

 

 握られた手で握手を交わす。社交的で明るい子、“知って”いる通りの子で安心する。

 こうして他の元気な妖精達とも挨拶を交わしながら、遠征組の慰労会と私の歓迎会が合わさった小さな宴は子供達の喧噪と共に暖かく私を迎え入れてくれた。

 

 

 * * *

 

 

「クトリ達から色々と話は聞いたわ」

 

 夜は更けて。宴の後の静かな夜、私はナイグラートさんに誘われておとーさんと一緒にナイグラートさんの所へお邪魔していた。

 

「改めてですが、これからよろしくお願いします。あとおとーさんが大変お世話になりました。ありがとうございます」

「ふふ、良いのよ。それにしても……二人目の人間族(エムネトワイト)に出会えるなんて思わなかったわ。正確に言うと、ちょっと違うんでしょうけどね」

 

 すぅ、と細められたナイグラートさんの目が私を値踏みするように見つめる。それに私もニコニコと笑みを返す。

 クトリちゃん達を通じてナイグラートさんには私が獣である事実などは伝えてあるとの事で。管理者という立場上、私の事は知っておかないといけないしね。

 

「念のため、私はここにいる子達に危害を加えるつもりはないとはお伝えしておきます」

「わかってるわよ、気にしないで。あと敬語、使わなくても良いわよ? 年齢だけなら私よりずっと上なのでしょう?」

「ナイグラートさんが素敵な女性ですので、つい敬語になっちゃうんです」

「まぁ! まぁ! 聞いたかしら? ヴィレム! 素敵な女性ですって!」

「お世辞だろ」

「おとーさんは黙ってて」

「なんでだ……」

 

 理不尽だ、と言いたげにおとーさんがぼやくように呟く。ナイグラートさんが喰人鬼(トロール)だからって、それが素敵な女性とイコールで結ばれないかと言われたらそうじゃないんだから。

 私とおとーさんのやりとりにナイグラートさんが少しだけ驚いたように、けれどすぐに微笑ましいものを見たかのように頬を緩めた。

 

「貴方達、本当に家族なのね……」

「えぇ。こうして再会出来たのは奇跡ですが」

「本当に良かったわ、貴方が来てくれて。ヴィレムが良い顔するようになって、本当に私も嬉しいわ。彼を見てきた者としては、ね」

「本当にナイグラートさんにはおとーさんがお世話になったみたいで、なんとお礼を言って良いのやら……」

「おい、アルマリア。騙されるな、この女は隙あらば人を喰おうとする奴だぞ」

「いっそ食べられちゃえば懲りたんじゃないかな、って思うのは私だけかな?」

「なんで俺にそんなに辛辣なんだよ!?」

「うふふ。貴方達、見てて面白いわね」

 

 喉を鳴らすようにナイグラートさんが笑っている。おとーさんはそっぽを向いてはいるけれど、決して嫌がった様子はない。昔はいつもこんなじゃれあいだったし。

 するとナイグラートさんが姿勢を正して私を真っ直ぐに見つめてくる。その表情は真摯なもので、ゆっくりと頭を下げる。

 

「私からもお礼を言わせて欲しいわ。……クトリの話は聞かせて貰いました。貴方がクトリの命の恩人だと言う事も。あの子達の保護者としてお礼を言わせて。あの子を救ってくれてありがとう」

「頭を上げてください、ナイグラートさん。クトリちゃんは私にとっても恩人。助ける理由はあっても、お礼を求めての事ではありませんから」

「私が伝えたかったのよ。あの子達にまだ未来を望む事が出来るのだと思うと、嬉しくて嬉しくて……」

 

 頭を上げて、鼻を啜って涙を拭うナイグラートさん。彼女がどれだけこの妖精倉庫にいる子供達を慈しんでいたかは知っている。今も、こうして対面で感じる態度からは彼女達への深い愛情を感じる事が出来る。

 幸福は数多くあれど、黄金妖精(レプラカーン)達が手に入れた幸福の1つの中にナイグラートさんの存在は欠かせないと思う。出会って間もないけれども、彼女は信頼に値する女性だと思える程に。

 

「今後どうなるかは研究次第となると思いますけれど、現在の見立ててでも心身共に健康であるには心の安息が必要です。この点にはナイグラートさんの協力が不可欠だと思いますので……」

「えぇ。それがあの子達の為になるならば私も喜んで協力させて頂くわね」

 

 私からのお願いにナイグラートさんは喜んで快諾してくれた。これで形式上の事は終わり、と言うようにナイグラートさんが姿勢を崩す。

 

「ふふ、それじゃあ貴方達の事を色々と聞かせて貰って良いかしら? 2人の関係とかも含めてね」

 

 それからナイグラートさんとおとーさんはお酒を、私はジュースを片手に私達の関係の話で盛り上がった。

 養育院に来た頃や、おとーさんと過ごした養育院での日々、私達の日常を思い起こさせる話にナイグラートさんは笑みを浮かべながら相槌を打ちながら聞いてくれていた。

 おとーさんも懐かしむように、少し浮かれた様子で過去の話に興じてくれていた。最後には養育院で子供の世話を見ていた頃から、子供達の世話についてや、子供の魅力について話し合って夜は更けていった。

 

 

 * * * 

 

 

 次の日から私の仕事は子供達のお世話に家事といった様子だった。炊事に洗濯、掃除。妖精の子達も当番として参加してくれて、その監督をするのが普段の私の仕事になる。

 あと、もう1つ普段の大きな仕事を任される事になった。その為に私は妖精倉庫にある部屋におとーさんと一緒にいた。

 

「出来ればパーシヴァルかディンドランがいいんだけど、おとーさんある?」

「ちょっと待ってろ。パーシヴァルならあるぞ。というか、ラピデムは使わないのか?」

「あれは借りてただけだし、ハッタリだよ。もうボロボロなのを辛うじて調整してただけ。私、おとーさんみたいに怪人にはなれなかったし」

「どういう意味だ」

聖剣(カリヨン)の調整を自分で出来るのって凄いね」

「褒めてるよな?」

「勿論だよ。だからおとーさんに見繕って貰ってるじゃん」

「ラピデムも修復出来たらなぁ。後で調子見ておくか」

 

 リストを目にしながらおとーさんが呟く。それはこの妖精倉庫に保管されている遺跡兵装(ダグウェポン)のリスト。かつては聖剣(カリヨン)と呼ばれた人間族(エムネトワイト)が残した力。

 おとーさんと違って私は聖剣(カリヨン)を使うのに苦はない。その為、成体妖精の稽古をつける事になった、戦力向上の為に。その為に私が使う遺跡兵装(ダグウェポン)を見繕って貰っている訳で。

 尚、元々私が持っていたラピデムシビルスは使わない。あれは辛うじて動かせる状態にしていただけで、その使用には限界だったから。今後の修理で使えるようになると良いんだけど、それはおとーさんに任せる事にする。

 

「出来れば量産型の方が良いよね。確かパーシヴァルはおとーさんがよく使ってたよね? おとーさん用に残しておこうと思えば私はディンドランが良いんだけど……」

「今回はとりあえず使ってくれ。俺も暫く使う予定もないしな」

 

 今後、私達が獣との戦いに駆り出される可能性は低い。私達の持っている技術や知識、存在が貴重だから。だから戦いに赴くのはどうしても黄金妖精(レプラカーン)のあの子達だ。

 彼女達に稽古をつけるなら特殊な特筆能力(タレント)を持つ聖剣(カリヨン)じゃなくても良い。どちらかと言えば整備性が良い量産型のものが望ましい。

 この倉庫の物色もそんな考えがあって、同意してくれたおとーさんと一緒に目録を見ている経緯でもある。

 

「というか、お前調整が出来るのか?」

「調子を見たり、簡単になら。どこが悪いかとかぐらいならわかるけど、それ以上は無理かなぁ」

「それでも助かる。後で大掃除だな」

「本来の意味での掃除もしたいよね」

 

 おとーさん曰く、どれも戦い続けて遺跡兵装(ダグウェポン)の状態は悪いらしい。私が来た事で本格的に後回しにしていた調整や整備、修理を行っていくつもりだとおとーさんは言っていた。

 おとーさんが後方を固めて、私は現在戦力を教育し、鍛え上げる。とりあえずそういう方針でやっていこうかと私とおとーさんで話し合って決めた。

 

「それじゃあ行こうか」

「そうだな。お前の実力も見たいしな」

「どうだろう? 自己研鑽だからなぁ。ただ、クトリちゃん達には負けない自信はあるよ」

 

 じゃないと3桁の年月の訓練が無意味になっちゃうし。ただ、抜かれる時にはあっさり抜かれそう。それはそれで目的に叶っているし、自分でもそこまで勝敗に拘る訳ではないけど。

 そのままおとーさんと今後の打ち合わせをしながら広場へと出る。そこには成体妖精として数えられている子達が集まっていた。

 クトリちゃん、ネフレンちゃん、アイセアちゃん、ラーントルクにノフト、それから緑髪色のまだ小さな子、ティアットちゃんの合計6名。

 

「おはよう。待たせちゃったかな?」

「おはよう、アルマリア。大丈夫、準備運動してたから」

「今日からの稽古、よろしくお願いするっすよー」

 

 クトリちゃんが笑みを浮かべて、アイセアちゃんがっけらけら笑いながら迎えてくれた。

 

「君が一番の新人さんだね、ティアットちゃん」

「は、はい! よろしくお願いします!」

 

 一番幼いティアットちゃんが少し緊張した様子で元気よく返事をしてくれた。その小さな体に不釣り合いな大きな遺跡兵装(ダグウェポン)に少しだけ複雑な思いが過る。

 他の皆も、それぞれの相棒となる遺跡兵装(ダグウェポン)を携えていた。準備が出来ている皆を見て、おとーさんが1つ頷く。

 

「それじゃあ今日から戦闘訓練を指導していく。監督は俺が」

「私が実際に稽古をつけていくね。よろしく」

 

 私とおとーさんが挨拶して、そのまま稽古に入ろうとした所でアイセアちゃんが勢いよく手を挙げた。

 

「はいはーい! それについて質問なんですけど、技官!」

「なんだ? アイセア」

「あたし等は技官が鬼みたいに強いの知ってますけど、技官補佐はどーなんすか?」

 

 アイセアちゃんが私を見ながら疑問を投げかける。興味津々、といった様子だったけれどこちらを探るような気配を感じる。

 

「ふむ……正直、俺もアルマリアがどこまで戦えるか知らんな。本人は問題ないって言ってるが」

「じゃあ、まずはその実力を見せて貰いたいんすけど、どうっすかね?」

「私はそれでいいよ」

 

 アイセアちゃんの言葉に私も頷く。おとーさんの実力を知っている彼女達でも、私の実力は知らないからね。稽古をつけるなら私の実力を知っておきたいというのは当然の事だと同意を示す。

 おとーさんに視線を向けてくれた、おとーさんも構わないのか1つ頷いてくれた。

 

「わかった。まずは模擬戦からにするか。相手は……」

「――私が、相手を務めます」

 

 すっ、と。手を挙げたのはラーントルクだった。その視線は真っ直ぐに私に向けられている。……まぁ、こうなるとはちょっと思ってた。

 

「ふむ。ラーントルクか……」

「私は貴方の実力も知りませんから。元からここにいて貴方を知っているクトリ達と違って。それなら私が適任かと思いました」

「成る程な。……ノフトもそれで良いか?」

「んー。ラーンがそれで納得するなら良いんじゃね?」

 

 おとーさんからの確認にノフトはあっさりと答える。こだわりはない様子だった。

 ラーントルクへもう一度視線を送ってから、おとーさんは私に視線を向け直す。

 

「じゃあ、まずはアルマリアとラーントルクの模擬戦から始めるぞ。2人とも準備してくれ」

 

 

 * * *

 

 

 模擬戦には十分の広さの広場。そこでヒストリアを構えたラーントルクが相対するアルマリアへと視線を向けている。彼女は出会った時に持っていた遺跡兵装(ダグウェポン)とは別の物を手に持ち、調子を確かめるように構えを取っていた。

 

「……剣を変えたんですか?」

「ん? あぁ、うん。こっちの方が整備性が良いから」

「……整備性、ですか」

「うん。これから貴方達の稽古をつけるなら剣そのものの力よりも、継続して使える方が理想的だしね」

「それで十分って事ですか」

「……何か意図があるように聞こえるけど、別にラーントルクを侮る気はないからね? それにこの剣だって悪い剣じゃないよ?」

「そうですか」

 

 視線を鋭くしながら睨むラーントルクにアルマリアは困ったように首を竦める。

 押しても引いても穏やかに返すアルマリアにラーントルクの心中に火がついたように燻るようなものがざわめく。そのざわめきを鎮めるように息を吐いてヒストリアを構える。

 

「準備は良いか?」

「いつでも」

「お手柔らかに」

 

 構えを取る両者。少し沈黙の間を置いてから、ヴィレムが声を挙げて告げる。

 

 

「――始め!」

 

 

 

 



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私は模擬戦をする

(見せて貰います。貴方の力を……確かめずにはいられないですから!)

 

 仕掛けたのはラーントルクから。魔力(ヴェネノム)を熾し、ヒストリアに光が灯る。遺跡兵装(ダグウェポン)が起きたのをいつもの感覚で理解する。そして油断なく、かつ全力でラーントルクはアルマリアへと迫った。

 甲高い金属音が響き渡った。同時に、ラーントルクは空を見ていた。疑問を思ったのと同時に背中から地に叩き付けられていた。肺の中の空気が吐き出されて、思わず咳き込む。

 

「で、出来た……?」

 

 間の抜けたような声が聞こえた。それは自分が相手にしているアルマリアの声だと理解して、ラーントルクは痛む体を素早く、そして勢いよく起こしてヒストリアを構え直した。

 アルマリアは少し驚いたように目をぱちくりとさせていて、その様子がラーントルクの神経を勢いよく逆撫でしていった。一体何に驚いているんだ、と怒鳴りたくなる程に。

 

「こ、の――ッ!」

 

 再びの突撃。今度は魔力(ヴェネノム)も加えた突撃。ラーントルクの接近に気付いたアルマリアが応じるようにして剣を合わせる。

 剣舞が始まる。ラーントルクが振るう剣に合わせてアルマリアが軌道を合わせて剣を振るう。打ち合う剣は剣戟の音を奏で、舞い踊るように位置をずらしながら2人は舞い踊る。しかし、その表情は対照的なものだった。

 ラーントルクは苛立たしげに、アルマリアは何かを確かめるように。感情を見せているラーントルクの剣が荒々しくアルマリアへと叩き付けられ、アルマリアが落ち着いて剣を合わせて防ぐ。

 

(つ、よい……!)

 

 悔しさにラーントルクが唇を噛む。剣を合わせていれば嫌でもわかる。アルマリアには余裕がある。自分が振るう剣を冷静に観察し、合わせるように斬り結ぶ。

 イメージが浮かばない。どうすればアルマリアを下せる事が出来るのか。武器を落とさせる? 動きを封じる? 隙をつく? どれもラーントルクにとっては現実的ではない。

 こんなに差があるものなのか、と。悔しくて、その感情の高ぶりが魔力(ヴェネノム)となって現れる。

 

「はぁ、ぁああっ!!」

「あっ、それはちょっと不味い」

 

 脳天に構えたヒストリアを叩き付けるようにラーントルクが振り下ろす。パーシヴァルで受け止めたアルマリアは呟きと共に眉を寄せる。

 爛々と輝きを放つヒストリアとは対照的に、アルマリアの持つパーシヴァルは静かに発光するだけ。魔力(ヴェネノム)の量も自分の方が注げている筈なのに、まったく崩せる気がしない。

 

(なん、で)

 

 何かがおかしい。熱くなっていた頭をなんとか落ち着かせようとラーントルクは一息、強く息を吐き出すようにしてアルマリアと距離を取った。

 距離を取って、汗を落としながらラーントルクはアルマリアの挙動を観察する。自然体に剣を構え直している。やはり魔力(ヴェネノム)の量は多いとは感じない。それどころか……。

 

(まさか、魔力(ヴェネノム)を熾してない……!?)

 

 なのに遺跡兵装(ダグウェポン)は起きている。これは一体どういう事なのか、と。

 

「そこまで!」

「……え?」

 

 観察を続けようとしたラーントルクだったが、突然ヴィレムの宣言に目を見開く。

 

「何故止めるのですか! まだ私は――!」

「お前が根本的な勘違いをしてるからだ。それを正してからじゃないと意味がない。……とはいえ、自分で気付きかけてたみたいだけどな」

 

 まだやれる、と主張しようとしたラーントルクを落ち着かせるようにヴィレムは穏やかに告げる。その言葉にラーントルクは訝しげに眉を寄せる。

 

「気付く……?」

「自分の方が魔力(ヴェネノム)を注いでるのに、って思わなかったか?」

「……はい」

「えっ、ラーン、自分で気付いたの!?」

「はぁ?」

 

 何故クトリが驚いた声を挙げるのだろう、とラーントルクは首を傾げる。確かにヴィレムの指摘した疑念は確かに自分が先程思っていた疑問だった。それがどうしたというのだろう、とラーントルクは眉を寄せる。

 すると、声を挙げたのはネフレンだった。いつもの無表情のまま彼女は告げた。

 

「クトリは自分で気付けなくてヴィレムにボロ負けした」

「レ、レン!? 今言わなくても良いじゃない!?」

「……どういう事ですか?」

「説明してやるから、その説明を受けてから模擬戦を再開してくれ。いいか? そもそも聖剣(カリヨン)ってのはな――」

 

 そして始まったヴィレムの説明は聖剣(カリヨン)というのは如何なるものなのか、という説明だった。

 聖剣(カリヨン)とは“魔力の圧に応じて威力の変わる武器”ではなく、“刀身に触れた相手の力を利用する武器”なのだと言う。

 その説明を聞けばラーントルクも先程までの疑問に納得せざるを得ない。知らされた事実に驚きながらも、理解を進める為に己で言葉を口にする。

 

「それはつまり、技官補佐の遺跡兵装(ダグウェポン)が魔力も無しに起きているのは私の魔力を利用したもの、という事なのですね?」

「そうだ。それを意識して聖剣(カリヨン)を使って見ろ。使い方を覚えるだけでお前はもっと強くなれる。目も良いし、状況判断も悪くない」

「……成る程」

 

 確かにこれは有益な指導だ、とラーントルクは頷く。正式な使い方を覚えられるだけで世界が変わると言っても良い程だ。

 そう思えば、ラーントルクの中にあったヴィレムに抱いていた反抗心のようなものは溶けていくようだった。少なくとも悪い気はしなかった。

 

「それじゃあもう1回だ。アルマリア、いいな?」

「あ、うん。大丈夫だよ、おとーさん」

「あと、次は手加減なしでやってみてくれ」

「……やはり手を抜かれてたんですね」

「え、あ、そういう訳じゃなくて、私はこういう手合わせって初めてだから加減がわからなくて……」

「言い訳は結構。それじゃあ再開しましょう」

 

 ヴィレムの指摘に困ったようにアルマリアが頬を掻く。それにラーントルクが据わった目でアルマリアを射貫く。そんな2人の様子を見てヴィレムは溜息を吐く。

 

「アルマリア。お前の実力を見る目的もあるんだからな。気にせずやれ」

「……うーん、わかった。やってみる」

 

 やっぱりアルマリアには何故か神経を逆撫でにされる、とラーントルクが眉を寄せる。

 その苛立ちを抑えながらも構えを取る。ヴィレムから授けられた知識を意識して、相手の力を利用する。つまり相手を見て、正しく立ち回る事が必要だと。

 そしてアルマリアを見据えて構えを取り、ヴィレムが再度、開始の合図を告げた瞬間だった。

 

 ――かくん、と。ラーントルクの膝が力を失った。

 

 

(え――?)

 

 地に崩れ落ちて、自分が呼吸を忘れている事に気付く。思い出したように呼吸をした時には喉が引き攣っていて、噎せ返りそうだった。

 ひゅー、ひゅー、と。自分でも無様に思うような呼吸を繰り返してラーントルクは自分が生きているという実感を取り戻していく。

 そして遅れて恐怖が襲いかかる。今、自分は、確かに死んでいた――。

 

「――ご、ごめん! ラーントルク、大丈夫!?」

 

 慌てたような声が聞こえて、体が抱き起こされる。抱き起こしたのがアルマリアだと気付いてラーントルクはようやく思考を回し始める。

 あの開始を告げた瞬間、アルマリアから向けられた“ナニカ”。それに自分が崩れ落ちたのだと理解した。理解しても、意味がわからない。

 

「……アルマリア」

 

 呆れたような声が聞こえてきた。心配するように駆け寄ってきたヴィレムだった。その後ろでは何故か臨戦態勢に入っているクトリ達と、ラーントルクと同じように崩れ落ちているティアットの姿が目に入った。

 

「お前、やり過ぎだ」

 

 

 * * *

 

 

「“ちょっと殺気向けただけ”じゃないっすよ。なんすか、アレ」

 

 アイセアちゃんが呆れたようにジト目になりながら睨んでくる。う、うぅ、肩身が狭い……。

 

「いや、うん、本気じゃないよ……? 切り飛ばすとしたらどこから、ってちゃんと倒す事を考えて気を向けただけで……」

「こわい」

「怖い!?」

 

 弁明しようと口を開いた私に無表情のまましっかりと距離を取りながらネフレンちゃんがぽつりと呟く。

 

「怖かったです……」

「ティアットちゃんもごめんね!? 本当にごめんね!?」

 

 そして、ぺこぺこと頭を下げて回る私。さっきまでやっていた模擬戦は私が“ちょっと真面目に殺気をぶつけよう”って思って訓練に殺気を出してみたらラーントルクとティアットちゃんが崩れ落ちて動けなくなってしまったので中止に。

 自分で引き起こしてしまった事だけど、思わず頭が痛くなる。同じくどこか頭がいたそうにおとーさんが手で押さえている。

 

「直接向けられてなくてもクトリ達が臨戦態勢になるぐらいだったからな。まぁ、これは俺の予測が足りなかった。アルマリア、お前の存在を考慮にいれてなかった」

「え?」

「……お前が“獣”だって事を考慮し忘れたって事だ」

 

 おとーさんが耳元に顔を寄せて小声で言う。私が獣だから? こうなった? なんで?

 

「お前、戦闘慣れしてる訳じゃないだろ?」

「……うん」

「だから加減がわからないってのは良いんだが、お前の存在のスケールを忘れていた。存在の強度、感覚の差異、まぁ、お前のちょっとが並の相手だと致命的になるって事だ」

「そ、そうなの?」

 

 流石にそれは思わなかった。……待って? 思えば私が稽古していた時に傍にいたのってエルクとカーマしかいなかったよね? あの2人が平然としていたから気にしてなかったけど、存在のスケールが違うって言われたら納得しちゃうね!?

 

「慣れてないティアットと、直接叩き付けられたラーントルクが動けなくなるのは、まぁ仕方ないが……慣らしていくしかないな、こればっかりは。そういう意味では良い稽古にはなると思うぞ、お前の“ちょっとした殺気”」

「もうやめて……ごめんなさい……悪気はなかったの……」

 

 縮こまって頭を下げるしか出来ない。まさか、こんな落とし穴があるなんて……。

 

「……これが、今の私と彼女の実力差なんですね」

 

 ノフトに看護されていたラーントルクがぽつりと呟く。俯いた顔からは表情を伺う事は出来なくて、どことなく不穏な気配がする。

 そのままノフトに支えられるまま立ち上がって、ノフトの手を払ってラーントルクが背を向けて走り出してしまった。

 

「お、おい! ラーン!」

「ラーントルク!」

 

 ノフトと私が同じく叫んで声が重なる。そのまま私もラーントルクを追う為に走り出した。今、彼女を放っておけなくて体が勝手に動いた。

 私が追ってくるのが見えたのか、ラーントルクがその背に魔力の翼を煌めかせて空へと羽ばたいていってしまう。思わずその背に手を伸ばして、力なく落としてしまう。

 

「……やっちゃったぁ……」

 

 思わず頭を抱えて蹲ってしまう。うわぁ、本当にショックだ……。

 

「だ、大丈夫だよ、アルマリア。ラーンもすぐに戻って来るよ」

「クトリちゃん……」

「今はそっとしてあげた方が良いよ、ね?」

 

 いつの間にか隣まで来て、私の肩に手を置いてクトリちゃんが励ましてくれる。その気遣いはとてもありがたい。けど、目線だけは落ち着かない様子できょろきょろと動いている。

 ……そういえば、クトリちゃんも最初、おとーさんに負けた時とか、おとーさんが人間族(エムネトワイト)だって知った時って……。

 

「経験者は語るって奴っすねー」

「経験者の言う事は違う」

「な、何よ!? アイセア! レン!」

「あー、もしかしてクトリも似たような事やったの?」

「ノフトは余計な事を聞かないで!」

 

 クトリちゃんが次々と過去の痴態を話題にしようとして、その内容を知らないノフトが興味を示し出す。腕をぶんぶんと振り回しながらクトリちゃんが黙らせようと3人を追いかけていく。

 そんな様子に和みつつ、ラーントルクが飛び去ってしまった方向へと視線を向けてしまう。……大丈夫かなぁ、ラーントルク。

 

「ちょっとした家出みたいなもんだ。落ち着いたら戻って来る。……話はそれからでもいいだろ?」

「おとーさん……うん、そうだね」

 

 肩を叩きながら声をかけてくるおとーさんに、同意を示すように頷いておく。あの調子じゃ、追いつけても振り払われたかもしれない。それなら少しラーントルクの思うままにさせてあげた方が良いかな。

 少し不安になりながら、私はただ空をぼんやりと見つめる事しかできなかった。

 

 

 * * *

 

 

 ラーントルクが飛び去ってしまったので稽古は一度流れてしまった。稽古以外にもやる事があったのだけど、今日は私はおとーさんから稽古の際の“殺気”の出し方の指導を受ける事に。

 それが終わる頃、昼食の時間が近づいてもラーントルクは戻って来る気配はなかった。胸が不安でざわざわとする。

 

「……お腹空かせて戻ってきたら可哀想だもんね」

 

 昼食の時間を終えて人がいなくなったキッチン。そこでラーントルクが戻ってきた時の為にサンドイッチを用意してみる。

 バスケットにサンドイッチを詰めて終わって。それでもラーントルクは戻って来ない。小さく溜息を吐いて、私はバスケットを抱えたまま外へと出る。

 入り口に出るとそこにはノフトが座っているのが見えた。私に気付いたのか、ノフトが私に視線を向けてくる。

 

「アルマリア、ピクニックにでも行くのか?」

「えぇと、ラーントルクを待とうかなって……」

「そうか? じゃああたしと一緒だな。横、座るか?」

 

 ぽんぽん、と隣を叩きながらノフトが問いかけて来る。私はそのままノフトの隣に座って空を眺める。

 

「……雨とかは降ってなくて良かった」

「そうだなぁ」

「ラーントルク、大丈夫かな……」

「んー、今は考え事を邪魔されたくないから逃げたんだろうしなぁ。腹が空いたら流石に戻って来るだろ」

「心配しないの?」

「信頼してるから」

 

 ノフトから返ってきた言葉はあっさりとしたものだった。そこにはまったくラーントルクを疑っている気配はなくて、少しだけその関係が羨ましく思えてしまった。

 

「アルマリアって強いんだな」

 

 ぽつりと、呟きを零すようにノフトが言う。私は空に視線を向けたまま言葉を返す。

 

「おとーさんに聞いたらまだまだ素人だって」

「アレで素人かよ」

「力の使い方が下手だって。自分が出来る事を理解してない、って。鍛錬はしてたけど、やっぱり1人でずっとやってたから癖とか酷いって。もうダメだしばっかりだったよ」

「ふーん、あの技官、随分と厳しいんだな」

「皆の命がかかってるからね」

「そっか」

 

 なんとなく会話が途切れて、そのまま空を見上げる時間が続いていく。そんな沈黙に耐えられなくなって、ノフトにサンドイッチを入れたバスケットを示して見る。

 

「……ちょっと食べる?」

「お、食べる食べる。やりぃ」

 

 ノフトにハンカチを手渡して手を拭わせてからサンドイッチを渡す。勢いよくサンドイッチにかぶりつくノフトは、うまうま、と呟きながらご飯を食べた筈なのにぺろりとサンドイッチを食べきってしまう。

 それがおかしくてもう一つ、サンドイッチを渡してみる。小さくお礼を告げながらノフトも受けとってサンドイッチを口に運んでいく。

 

「あたしは、よくわかんないけど。アンタ等があたし達が生き残れるようにしよう、って言うのは伝わってくるんだ」

「うん?」

「アンタ等があたし達に対して真剣なのは伝わってる、って。ラーンだって馬鹿じゃないから、そんな心配しなくてもこのまま帰って来ないとかはないよ」

「それは心配してないけど……これからどうやってラーントルクと話そうか迷っちゃうよ。私、嫌われてるみたいだし……」

「嫌い? ラーンが?」

 

 目をぱちくり、とさせてノフトが呟く。それに私は頷いて見せる。実際にラーントルクからは嫌いって言われてるし。わかっていても、やっぱりちょっと凹んじゃう。

 

「そっか……ラーンが嫌いって言ったのかぁ」

「意外そうだね?」

「あいつ、どうでも良いものには嫌いとか言わないで無関心だし」

「……それだけ嫌われてるって事?」

「どーだろうな。ただ、興味はあるとは思うぞ。無視はしてないからな」

 

 うーん、嫌いだけど興味はある、無視は出来ないって感じかな? なんというか気難しいと強く感じてしまうのはラーントルクだからかなぁ、とぼんやり思う。

 

「ラーントルクとも仲良くしたいんだけどなぁ」

「アルマリアってお節介なんだな」

「そうだよ。月日を重ねて拗らせる程にね」

「あ、納得した。凄い納得した」

 

 獣になる程ですから。なんとなく口寂しくなって自分で作ったサンドイッチを口に運ぶ。ノフトも3つ目に突入した。

 すると、森の奥から気配がした。目を向けてみればラーントルクの姿が見えた。ラーントルクも私達に気付いたのか、視線を向けてくる。

 

「よう。おかえり」

「……暇してるんですね」

「どこかの誰かが家出して中断になったからな」

「悪かったですね。……ところでお腹が空いたんですけど」

「サンドイッチがあるぞ」

「そう。それで、そのサンドイッチをどうして貴方達が食べてるんですか? 嫌がらせ? 嫌がらせですか?」

「昼食の時間に帰って来ない奴が悪い」

 

 ノフトがそう言って3つ目のサンドイッチを食べきってしまった。更に4つ目に手を伸ばして、気付けば残ってるサンドイッチはあと1つしかない。

 それをラーントルクは今にも氷河期が来るのではないか、という程に冷たい目で見つめている。私は慌てて残りの1個を手に取って、ラーントルクに差し出してみる。

 

「お腹が空いてたらすぐ作るよ。……えっと、食べる?」

「……」

 

 無言でラーントルクが近づいて来る。目を細めて、警戒を剥き出しにしながらサンドイッチをじーっ、と睨む。

 そのまま手に取るかと思えば、そのまま手ごと噛まれるのではないかという勢いで一口を囓り取られた。

 

「ひゃぁっ!?」

「……」

 

 驚いて身を竦ませていると、手に持っていたサンドイッチが奪い取られる。そのまま一口にサンドイッチを口の中に入れて、咀嚼をしながら私を睨んでくるラーントルク。

 思わず有無を言わせぬ雰囲気に私は息を呑む。ラーントルクが咀嚼を終えたサンドイッチを呑み込んで、据わった目のまま私を見据える。

 

「……1つじゃ全然足りません」

「そ、そうだよね。すぐに作るね、食堂に行こうか。あ、手を洗ってきてね?」

「わかってます」

 

 ぷいっ、と。視線を背けるなりラーントルクは中へと入っていってしまう。戸惑うままにラーントルクの背中を見つめていると、ノフトが何がおかしいのか腹を抱えて笑っている。

 あれは、どういう反応だと受けとれば良いんだろう……? そんな風に困惑しながら、私はサンドイッチをこしらえる為にキッチンへと向かう事にした。

 

   



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私と彼女の奇行

 クトリちゃん達の稽古の初日を終えてからというもの、私の日常は子供達の世話、掃除に洗濯、おとーさんの稽古指導と慌ただしく動き回っていた。

 あれからクトリちゃん達と稽古はしていない。まずは基礎を高めるという事でクトリちゃん達は体力作りと知識を身につける為の勉強中だ。

 そのついでというように、まだ成体になっていな妖精達にも授業の時間を設けた。その時はクトリちゃん達も教える側に回っている。

 そんな日々の変化に加えて、私には大きな変化が1つあった。それは……。

 

「……」

「……」

(ま、また見てる……)

 

 何故か、ラーントルクが隠れるようにして私を見るのが増えた。

 ふと視線を感じれば必ずいる。暫く視線を合わせていると姿を隠すけれど、気付けばまた観察する為に物陰にいる。

 料理をしている時も、掃除をしている時も、洗濯をしている時も、おとーさんとの個別稽古をしている時も。気が付けば、ラーントルクが見ている。

 何を考えているのかわからない無表情で、感情が絶えた瞳で見据えられるのは正直、怖い。

 

「……ラーントルク?」

「……」

 

 声をかけると、キッ、と睨んでからラーントルクが去っていく。

 

(んー……どう捉えてあげた方が良いんだろうなぁ)

 

 ラーントルクが私への好き嫌いはともかくとして、関心は高いんだろうと思う。

 ただ本人が何を望んでいるのか言われないといまいち確信に至れない。推測は立てられるけれども、推測で気を遣うとラーントルクに拒絶されそうな気がする。

 

 それから変化があったのは数日後。私がキッチンに入ると先客でラーントルクがいたのが切っ掛けだった。

 

「あれ、ラーントルク?」

 

 声をかけると無表情で見返される。けれど、すぐに眉がつり上がって視線を逸らされる。

 ラーントルクは手際よくパウンドケーキを作っていた。その手並みに思わず関心する。随分と上手だと。

 

「ラーントルク、料理上手だね」

 

 反応はない。けれど肩がぴく、と跳ねたのは見逃さなかった。

 ラーントルクの邪魔にならないように下処理でもしていようと作業していると、パウンドケーキの良い匂いが香る。その中に僅かに混ざった香りに感心してしまう。

 

(少しブランデーを入れたのかな?)

 

 ラーントルクの好みを知る手がかりとなるかもしれない、と心の中でメモを留めておく。

 そうして私も下処理が一段落した時だった。ラーントルクが無言で切り分けたパウンドケーキを持ってきた。フォークと一緒に差し出されて私は思わずきょとんとしてしまった。

 

「……えーと、食べれば良いの?」

「食べてください」

 

 食べて、と言う割りには視線が挑みかかるような程に力が篭もってるけど……。

 気になったけれども、食べてと言われて否とは思わなかった。折角だから頂いて味わおうと思ってラーントルクのパウンドケーキを口に運ぶ。

 

「うん、美味しいよ」

 

 感想をつけるなら大人風味。甘みよりも苦み、けれど口に残る苦みは嫌味には感じない。風味でつけられたブランデーの香りも良い。コーヒーの豆かな? しっとりとした味わいに思わず笑みが零れる。

 私が感想を言うとラーントルクは目を細めてジッ、と私の顔を見つめて来た。その死線の圧に思わず一歩引いてしまう。

 

「……何か、気になった事とかは?」

「え? 気になった事?」

「……」

「え、えー? えーと……総じて言うなら、私は好きだけど皆はどうだろ。まだちっちゃい子も多いから苦みが好まれないかも。でもおとーさんとかナイグラートさんなら美味しいって言ってくれると思うよ?」

「……成る程。食べる人の視点ですか。それは盲点でした」

 

 うん。私が食べる分には良いけど、子供達のおやつにするには味わいが大人っぽすぎる。

 ラーントルクぐらいだったら丁度良いのかもしれないけれど、こればかりは好みも関わる。料理を作る上で、上手に作るのも大事だけれど食べて貰うという事を意識して貰うのは大事だったりする。

 おとーさんだって料理はそこそこ出来るくせに、私の方が美味しいからという理由でバターケーキを作らないのも似たような理由じゃないかな。あいつの方が上手く作れるんだから自分が作る必要はない、って。

 

「……ありがとうございました」

「え、あ、どうも?」

 

 パウンドケーキを抱えたままラーントルクが去っていく。その姿を見送って、思わずぽつりと呟いてしまう。

 

「……何だったんだろう?」

 

 

 * * *

 

 

 それからというもの、ラーントルクは行く先々で私の傍に現れた。

 料理の手際を、掃除の手順を、稽古の様子を。すぐに見つかるというのに物陰から隠れるようにして伺っているのだ。けれど近づいて来るのは希で、普段は声をかけても姿を消してしまう。

 そんな私とラーントルクとの不思議な距離感は当然と言えば当然だけど皆が知っている。

 

「まるで猫みたいな奴だな」

「ラーントルク?」

 

 おとーさんの体を触りながら私はおとーさんと雑談に興じる。ここはおとーさんの私室。おとーさんは上半身の服を脱いで、傷が無数に残った体を晒している。

 その体に私は触れて行く。もう、おとーさんの体はズタボロの半死人といった状態だ。その治療を施す為に改めておとーさんの傷の状態を確認してるけれど……。

 

「ここまで呪詛が入ってると、うん。……ほぼ人間を辞める事になるね」

「そうか」

「うん。……ただ、クトリちゃんみたいには行かない。おとーさんは人間だからね、星神(ヴィジトルス)の因子が足りない。過剰に与えたら獣の侵蝕に耐えられなくなる」

 

 おとーさんの完全治癒は不可能。完全に人間を辞めた上で、というのなら完全治癒も有り得たけれども、それはおとーさんが拒絶している。

 となれば、獣の因子で修復出来る所は修復して、不変の状態に固定するしかない。獣は不老にして不死、そして不衰の存在。これを弱める事で、おとーさんがこれ以上に壊れていかないように保存する、というのが治療の処置となる。

 

「全盛期には戻せないし、それ以上強くもなれない。最低限の因子で済ませるから不調が全部治る訳でもない。それが、おとーさんが人間でいられる最低限のラインかな。それでも人間から外れた存在にはなる。魔力は……多分、もう使えなくなる」

「そうか」

「……それで良いんだよね?」

「あぁ」

「わかった」

 

 これ以上はお互い、何も問わない。おとーさんは最低限の処置を受けて、人間を辞めつつもその影響を最小限に。今という状態を維持したまま、これからも生き続けていく事になる。

 外的要因以外での死亡はほぼ無くなると思う。寿命も、病魔も。きっとおとーさんを殺すには至れなくなる。

 勿論、獣の因子を更に注げばおとーさんの獣の因子が覚醒して、その制限も何もかもが無くなる可能性もあるけれど。きっと、おとーさんはその道を選ばない。私も、選ばせたくはない。

 

「ん。もう服を着てもいいよ。処置はまた今度にしよ」

「あぁ、悪いな」

 

 診察を終えておとーさんが上着を着始める。私も部屋を出て行こうとドアノブに手をかけた所で、扉の向こうの気配に気付いてドアを勢いよく開ける。

 そこにいたのはラーントルクだった。扉が勢いよく開いた事でビックリしたのか、その目が皿のように見開かれている。

 

「ラーントルク?」

「あっ」

「……何やってるの?」

 

 思わず肩を掴んでしまう。色々と様子を伺っているのは放置していたけれども、ラーントルクは何を思っているのだろう。そんな興味は私の心に浮かんだ。

 逃げようとしたラーントルクを素早く捕まえて部屋へと引き摺り込む。上着を着終わったおとーさんが一瞬驚いたような顔をして、すぐに苦笑へと表情を変える。

 

「何やってるんだ? ラーントルク」

「……別に」

「大方、アルマリアと俺が話してる声が聞こえて盗み聞きしてたんだろ?」

 

 ラーントルクは何も言わずに視線を背ける。最近の彼女は随分とわかりやすい。

 

「まぁ、お前がどう考えて動くかは自由だし、お前の自主性を重んじるつもりだがな。素直になった方が楽な時もあるぞ」

「……わかったように言わないでください」

 

 苛々とした様子を隠さずにラーントルクがおとーさんを睨む。おとーさんは飄々とした表情で、似合わない笑い声を零している。

 うーん。ラーントルクが何を考えてこうしてるか、か。多分、私への対抗意識だとは思う。私は何かとラーントルクの神経を逆撫でしてしまうようだし。

 けれどラーントルクは相手から学ぶ事が出来る頭の良い子だ。例え嫌いな相手だったとしても、いや、逆かな。嫌いだからこそ相手を観察して、その美点、欠点について考える事が出来る。

 ただ、頭ではそう思っていても感情まで同じ方向まで向けるかと言われればそうじゃない。ラーントルクは頭は良いし、探究心が強い。けれどプライドだって高いし、疑り深い方だ。だから私やおとーさんへの態度に現れるんだろうなぁ。

 

「あまり盗み聞きしちゃダメだよ? 聞きたい事があったら答えるからね」

「……」

 

 いつものように私を睨み付けて、ラーントルクは部屋を後にしていく。その背中を見送って頬を掻く。うーん、打ち解けられない。無理強いはするつもりはないけれど、ちょっと寂しい。

 

「あの年頃の娘は難しいな」

「そうだね」

「お前もあれぐらいだったか」

「私はもうちょっと大人だったよ」

「はいはい」

「むー。何さ、その反応」

 

 投げやりなおとーさんの反応に不服を申し立てるように頬を膨らませて見せる。

 

「俺達は約束を破ったからな。あの続きはなかった」

「……そうだね」

「でも、彼奴等はこれからがそうだ。俺達と同じ道は歩ませたくはないよなぁ」

「うん」

 

 それが、きっと私がここにいる意味だから。

 

「おとーさんだって、クトリちゃんを泣かせたら承知しないよ?」

「わかってる。今日の事を言えば少しは気も安らぐだろ」

「そうだね。きっと喜ぶと思うよ」

「ありがとうな、アルマリア」

「いえいえ、どう致しまして」

 

 お互いに顔を見合わせて、なんだかおかしくて笑い合う。

 悩み多けれども日々は平穏そのものだ。きっと、これは終わりに向かう世界では最高の贅沢なんだろうな、なんて。強くそう思えた。

 

 

 * * *

 

 

「相変わらずラーンには逃げられてるのか?」

「うーん、ぼちぼち?」

「ぼちぼちって何だよ。あ、それ1つ頂戴」

「つまみ食いはだーめ」

「ケチ」

 

 夕食の準備をしていると、今日のお手伝い担当のノフトと話に話が咲く。やっぱり話題となるのはラーントルクの事だったりする。

 

「ラーントルクはどんな調子?」

「こう、いつも眉間に皺寄ってる感じ。上の空な事が増えた」

「重傷?」

「大分」

 

 そっかぁ、と相槌を打ちながらも手は止めない。ノフトが切り分けた材料を確認を頼まれたので視線を向ける。問題がない事を確認してこちらで預かる。

 そこで一度、会話が途切れて食事を準備する音だけが響いていく。次の話題の切っ掛けを作ったのはノフトからだった。

 

「なぁ、アルマリア」

「ん?」

人間族(エムネトワイト)ってどうして強いんだ?」

 

 ノフトからの質問に私は鍋を掻き混ぜながら、どう答えようか考える。

 

「ん、んー……。難しいな、どう答えよう。ノフトは強くなりたい?」

「そりゃ、強くないとあたし等のいる意味がないし」

「私は、そこが違うかな、って思うかな?」

「違う?」

「ノフトは“強くなきゃ意味がない”でしょ? じゃあ、意味が無くなったらノフトは強くならないの?」

「…………考えた事なかったなぁ」

 

 私の問いかけにノフトはたっぷり間を置いてから答えてくれた。

 

「だって、そんなのあり得ないし、考える必要なかったし」

 

 妖精兵達と獣の戦いは、妖精兵が自爆覚悟でようやく防衛が出来ていたという力関係だった。

 強くならなければ世界が守れない。守れなければ意味がない。だから命をかけて、自分の身を犠牲にしてでも獣の侵攻を食い止めないといけない。

 けれど、もしも。獣を妖精兵達が倒して、世界が平和になる事があったら? その時に妖精兵たちの居場所はあるのだろうか。多分、きっと無い。

 

人間族(エムネトワイト)はいっぱい考えたんだよ。強くならなきゃいけない、ってのもそうだけど、戦う人は皆強くなろうとした。……ノフトはセニオリスってどう出来たか知ってる?」

「セニオリス? クトリの遺跡兵装(ダグウェポン)だよな。知らないけど」

「あれって偶々出来たんだって。だから伝説の武器とか言われてるけれど、中身の護符(タリスマン)がありきたりなものとかしかないとか」

「そうなのか?」

「そうなの。風邪にならないように、とか、そんなの武器にしようと思う?」

 

 ノフトが驚いたように目を見開いて、それから信じられないと言うように首を左右に振る。

 

「思わない」

「でしょ? でもね、武器にしちゃったのが人間族(エムネトワイト)なんだよ」

 

 諦めが悪い、と言えばそうなのかもしれない。けれど、あの時代、皆が戦っていた。それぞれの理由で、それぞれの場所で。それぞれの理由を抱えて。

 諦める理由はたくさんあったし、諦めない理由も同じぐらいあって。じゃあ、結局人はどうすれば良かったのか、なんて問われたら答えは1つだ。

 自分がやりたいようにする。満足出来るように戦う。結局、そういう事だと思う。

 

「戦わされてるだけじゃ強くなれない。強くなる必要も、意味もない。だからそこから先がない。もし先を望むなら、その先で本当に奇跡を起こせるかもしれない。それが人間族(エムネトワイト)の強さだった、って言えるかな」

「だから戦わされてるだけのあたしは弱いのか?」

「強くなる理由はあったの? ノフトには」

「……んー。そうだな。だってあたし等にしか出来ないって言われたら強くなるしかないしさ。アルマリア達と会うまでは自分が強くないと、って思ってた。でも、今は違う」

「違う?」

「だってアルマリア達の方がどうやっても強いじゃん。だから、なんか悔しいだろ」

 

 ノフトは私と目を合わせる事はない。ただ手を動かして、洗い物を片付けながら言葉を続ける。

 

「あたし等しか出来ないって言われてきて、でも自分よりも上手くやれる奴が来て。しなきゃいけない、じゃなくなって。なんか、悔しいだろ。だから強くなる。だからあたし達にはなくて、アルマリア達が強くなる為に何かを持ってるんじゃないかって」

「……そんな事を考えてたんだ?」

「ラーンがあれだけ悩んでたらな。あたしだって少しは考える」

「そっか。んー……私達にあって、貴方達にないものかぁ」

 

 手を洗って、濡れた手を拭ってからノフトの頭を軽く撫でる。

 

「時間、かな?」

「時間?」

「経験でも良いよ。経験ってね、受け継がれていくものなんだ。でも経験は教えて貰っただけじゃ身にならない。知識と体験が結びついて経験になる。そして経験は知識の下地になって、次の体験の備えになる。それは人生の道標に変わっていく」

 

 差し伸べて貰った手。それも道標。

 教え授けて貰った事。それも道標。

 追いかけてくる視線。それも道標。

 

人間族(エムネトワイト)が強かったのは経験があったから。受け継がれた知識と体験を恐れず冒険する心、未知に挑戦する心、そういうのが結びついて力になっていく。文明は積み重ねて行くものなの。だから、きっと貴方達に足りないのは時間なんだよ」

 

 ノフトが見上げるように視線を上げて来た。私もノフトの頭を撫でる手を止めずにノフトと視線を合わせる。

 

「私は貴方達に知識と経験を伝えて、体験の機会を増やしたいの。私達が積み重ねてきた時間は一度途絶えてしまった。けれど、私達には貴方達がいる。この世界がまだここにある。だから私は恐れず戦える。未来がわからなくても、可能性が見えなくても」

「だから、強いのか? それがアルマリアの思う強さ?」

「私はそう思う。私達の、人間族(エムネトワイト)の戦いは終わってしまった。けれどその戦いを受け継ぐ貴方達がいるのなら、私達の文化(いのち)は貴方達に続いていく。だからね、ノフト。貴方達は兵器であっても、捨て駒だとは思わないで。貴方達は私達を受け継ぐ、新しい世代になれる。未来を生きて、失う事を恐れて。それでね」

 

 ノフトと視線を合わせるように姿勢を下ろして、額を合わせる。祈るように瞳を閉じながら伝える。

 

「命を賭けて良いと思った瞬間が来たら、命を燃やしてもいいから生き抜いて。そこで終わったのだとしても、貴方から続くものがあると信じる時が来たら」

「……死ぬな、って言わないんだな」

「命は永遠には届かないから価値があるのかもしれない。人それぞれだけどね。私は嫌だけど、それを貴方に押し付けたくない。ノフトの命は、ノフトのもの。貴方が最後に決めて良いって思ってるよ。あ、でも粗末に扱うなら私が勝手に拾うかもね?」

 

 ぽんぽん、とノフトの背を軽く叩いて立ち上がる。ノフトの顔を見れば、目を閉じて何かに思い馳せるようで。

 けれどすぐに笑って表情を崩した。彼女らしい、真っ直ぐで曇りのない笑顔で。

 

「アルマリアの言ってる事、ちょっと正直わかんねぇ」

「そっか」

「あたしは難しい事を考えるのは苦手だし、それはラーンの分野だ。だからやりたいようにやる。あたしはあんたらに負けたままってのが癪だ。だからわからなかったら聞くよ。その権利があたし達にはあるんだろ?」

 

 ニッと笑みを浮かべながらノフトが言う。その笑みに、勿論だと頷いて。

 

「早く追いついてきてね、妖精さん達」

「すぐに追い抜いてやるよ」

 

 あぁ、そうだね。もし、そんな日が来て貴方達の背を見送って、見守って、そして帰りを迎える事が出来たのなら。

 それはきっと、かけがえのない幸福な事だ。だから頑張れ、頑張って。私が君達がこれから生きていける世界を用意するから。

 幸せになって、と。願いを込めるように。

 



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私は彼女と密会をする

「あ、アルマリア」

「クトリちゃん? どうかしたの?」

「ん。用事がある訳じゃなかったんだけど、暇だったから声をかけただけだよ」

「奇遇だね。私もなんか暇になっちゃって」

 

 誰もいない休憩室。そこでぼんやりとしていた私に声をかけてきたのはクトリちゃんだった。クトリちゃんも暇を持て余していたようで部屋に入ってきて、私が座っているソファーの隣に座った。

 特に振ってみる話題もなくて、私はまだぼんやりとしたままだった。もしかしたら疲れているのかもしれない。肉体的に、というよりは精神的に。体はともかく、中身までは規格外ではないつもりだから。

 子供達の世話は楽しい。けれど、だから疲れないという訳でもない。楽しいからこそ気疲れをする事だってあるもの。

 

「最近、どう?」

「どう、って?」

「私が来てから、皆の反応」

 

 それはちょっと私が気になっていた事だった。私が来てから妖精倉庫の生活は変わりつつあった。

 遊びに加えて勉強、今後の戦いに役立つ技術の伝授など目新しい事に乗り気に思える。けれど、それも目新しいからこそ。少し時間が経ってからの反応はどうなのかと。

 

「皆、不満があるようには感じないかな。ただ、皆が心の底から乗り気って訳じゃないかな。あ、嫌がってるという訳じゃなくて好みか、そうじゃないかってぐらい」

「そっか。それなら良かった」

「ふふ、ヴィレムが来た時だって騒がしかったんだもの。アルマリアが来てから皆、楽しそうよ?」

 

 クトリちゃんがクスクスと笑いながら言う。その姿を思わず目を細めて見てしまう。

 気付けばクトリちゃんに手を伸ばして、その蒼色の髪を撫でていた。突然、私に撫でられたクトリちゃんはビックリしながらも身を引いたりはしなかった。

 ここにいる彼女はもう壊れる心配はない。そう思えば胸の奥がじんわりと熱を持つ。本当に良かったと、心の底から思えて自然と笑みが零れちゃう。

 

「……髪の色、元通りになったね」

「うん。アルマリアのお陰」

「体に不調はない?」

「うーん? 特に……むしろ絶好調かな!」

 

 満面の笑みを浮かべてクトリちゃんが言う。その元気いっぱいの様子に表情が緩む。

 

「あー、でも、ちょっと違和感というか」

「ん?」

「最近、夢を見るんだけど……内容が思い出せない、かな」

「夢?」

「うん……でも、前みたいな侵蝕とも違うから、単純に夢見が悪いのかも」

「そう。不調だと思ったらすぐに言うんだよ?」

「わかってますよー」

 

 ぶぅ、と頬を膨らませるクトリちゃんの様子を注意深く見つめる。彼女達と夢の関係性はどうにも不吉だ。本人が何もないって言うなら信じよう。

 それにしても、夢。夢には私も良い印象がない。それは私がまだ、ただのアルマリアであった時からずっと見ていた夢のせいだ。

 

「アルマリア?」

「ん……?」

「いや、眉間に皺が寄ってたから、どうしたのかなって」

「あぁ、私も夢には良い覚えがなかったな、って」

「へー、そうなの?」

「私、獣との相性が良かったのか、ずっと原風景の夢を見てたの」

「原風景って……今の地上、みたいな?」

「そうそう。どこまでも続く灰色の砂漠、静寂ぐらいしかない、落ち着いて、帰りたくなる……そんな夢」

 

 正体を知ってしまえばなんともないけれど、知らずにあの夢を繰り返して見るのはどうにも落ち着かないし、不安にもなる。

 しみじみと私が振り返っているとクトリちゃんが難しい顔をしていた。

 

「……クトリちゃん?」

「……何でも無い。きっと気のせいだから」

「それなら、良いけど。あ、もう夕食を準備する時間だ」

「あ、今日の担当私だった。行こうか、アルマリア!」

「そうだね」

 

 時間を見ればもうすぐ夕食の時間だ。仕込みを始めなければ間に合わない。そして今日の相方はクトリちゃんだった。

 クトリちゃんと一緒に立ち上がってキッチンへと向かう。夢の話は、そのまま何事も無かったかのように流れていった。

 ちらり、と伺って見た彼女の様子はいつもと変わらない様子だった。

 

 

 * * *

 

 

 さて、そろそろ時期も良いんじゃないかと思って私は以前から考えていた事を実行する事を決めた。

 少し驚かせてやろうと思って計画を練る。さぁて、どうやって驚かせてあげようかなぁ。

 

「……アルマリアさん、なんか怖い」

「あら、ティアットちゃん」

「ぴぃっ」

 

 ビクビクとしながら私を見上げてくるティアットちゃんに手を伸ばして、その両頬を包んでぷにぷにして見る。

 訓練からどうにもこの子に苦手意識を持たれたような気がする。今も私の手から逃れようとジタバタと藻掻いている。

 嫌われてる訳ではないとは思いたい。多分、訓練での私の失敗のインパクトが大きくて距離感がわからないだけなのだ、きっと。

 それはさておき、今はティアットちゃんではなくあの子の事だ。少し悩んでから、ペンを手に取って手紙を書いていく。

 

「ティアットちゃん、お願いがあるんだけど」

「はい?」

「そう。これをある子に渡して欲しいの」

「はぁ……」

「はい、これお手伝いの報酬のクッキー」

「やったー! じゃあ届けてきますねー!」

 

 チョロい。手紙を届ける相手を確認してティアットちゃんはクッキーを口の中に放り込んで走り去っていった。それを満足げに見送って、今度ミルクをふんだんに使ったおやつでも用意してあげようと思う。

 ティアットちゃんが今いる成体妖精の中で一番若い。あの子が新しい世代の先駆けになるのかな、と思うとちょっとこれからの教育が楽しみになる。

 

「さて、私も準備しますか」

 

 手紙を宛てた相手はクッキーだけで持て成すのには少しばかり心許ない。

 キッチンに向かって、あの子が好みそうなお菓子をセレクトして作っていく。一通り、用意が終わってから自分の部屋へと戻ってテーブルにお菓子とジュースを並べる。

 一通り並べ終わって、準備が終わった頃にドアをノックする音が聞こえた。時間を見れば頃合いが良い時間だった。待ち人だろう、ドアの向こうのあの子に私は声をかける。

 

「はーい。入っていいよ」

 

 私が入室を許すと中に入ってきたのは目当てのあの子。

 

「どーも、技官補佐殿! 内緒の密談に来ましたよー?」

「いらっしゃい、アイセア」

 

 そう、私が呼んだのはアイセアだ。いつものように笑みを浮かべて調子良く挨拶を交わす。

 アイセアの為に椅子を引いてあげたけど、アイセアは後ろ手でドアを閉めるだけで部屋の中には入ってこようとはしない。……かちり、と。ドアの鍵が閉められる音がした。鍵をかけたのはドアの傍にいるアイセア。

 

「……どういうつもりであの手紙を私に渡したんすか?」

 

 笑みはそのままにアイセアは問いかけてくる。けれど、細めた瞳にはこちらを刺してきそうな色と光が見え隠れしている。

 そんな険しい雰囲気を纏ったアイセアに私はいつものように声をかける。

 

「誰か1人ぐらい、貴方を労う人がいても良いでしょう? いいのよ、私の前では仮面を被らなくても。でも、もうそれも貴方自身の個性になってるのかもしれないわね?」

「……知ってたんすね」

「貴方達の大元と友達だから。全部、という訳じゃないけれどね?」

「あの話、本気と書いてマジで読む話なんすねぇ……」

 

 アイセアがげんなりした表情で呟く。アイセアにはエルクの事は既に説明してある。この世界の事や、獣についても、黄金妖精(レプラカーン)についても。

 だから私はアイセアの抱えている秘密を知っている。それをどう思っているかまでは知らないけれど、これから過ごしていく中で見て見ぬ振りは出来ないから。

 

「座ってよ、“ナサニア”」

「……ッ」

 

 私が呼ぶ名前にアイセアが口元を引き攣らせる。そのまま何も言わずにアイセアは席について私を睨むように見つめる。その表情に最早、笑顔はない。

 

「ここだけの話にするし、言いふらしたりはしないよ。本当に今日は貴女を労いたかったのと、貴方の今後のお話をする為だね」

「……それで技官にも秘密でお話を?」

「そうだよ。おとーさんにだって話さない。本当にこれは私と貴方との間だけの話。それに今更“そう”呼ばれたって困るだけでしょ? だからここの間だけの話なんだよ、アイセア。私は、君が君でいる時に何もしてあげられなかったから」

 

 ふぅ、と息を吐く。アイセアの様子を伺いながら、私は言葉を続けた。

 

「……“エルバ”の事も、私もどう言ってあげたら良いのかわからない」

「……参ったっすね。本気で“知ってる”んすね?」

「夢という形で。一部だけだけどね」

 

 アイセアは“前世”の侵蝕を受けて、元いた“アイセア”という人格を塗り潰していた。

 そして今までアイセアという“自分”を演じていた、彼女の本当の……いえ、以前の名前。そして以前に辿った人生を、私は一部始終を垣間見ている。

 だからこそ、この場を設けたかった。それがどれだけ自己満足なのだとしても。彼女には伝えておきたい事があったから。

 

「労いたい、って気持ちも本当。これからの話をしたいってのも本当。警戒しないで、と言っても難しいかもしれないけど……」

「あー、良いっすよ。そこは信じるっす。技官補佐殿があたしを欺こうとかそういう人じゃないのはもう分かってるっす。……ただ、そこまで知られていて、こうして場を設けてまで労われるのは、なんか、なんて言って良いんすかね……自分でも、何を言えば良いかわからないんすよ」

 

 困ったようにアイセアが頬を掻いて言う。それは私もそうだと思う。

 

「うん。今の貴方は“アイセア”だ。だから今までの事については、お疲れ様、大変だったね、って労うだけにする」

「そうして貰えると助かるっす。……あたしも、今更どう返して良いかわからなくなるっすから」

「うん。それじゃあ本題。クトリに施した処置の話、前に話したよね?」

「……獣の因子の話っすか?」

 

 なんでまた、と言うようにアイセアが眉を顰める。私は一息吐いて、アイセアの目を真っ直ぐに見る。

 

「クトリの次に崩壊が心配なのは君だから」

「……あー、まぁ、そんな気はしてたっす」

「そもそもクトリとは別例でも同じ症状だからね。次の処置者はアイセアだって決めてたの」

「ほーん。……でも、それだけなら秘密にする必要なくないすか?」

 

 アイセアの言う事も最もである。獣の因子を黄金妖精(レプラカーン)に与えて延命を図る。それは既にクトリちゃんに行われた処置だ。アイセアの言う通り、隠し立てする必要はない。

 それでも私が隠したかったのは、次の話をしたかったから。

 

「成体妖精は、自分の扱う適正のある遺跡兵装(ダグウェポン)は1つまで。これは合ってる?」

「そうっすね。今更確認される事でもないっす」

「これが嘘だとしたら?」

「……は?」

「正確に言えば嘘ではないけれど、真実の全てじゃない、と言う方が正しいかな」

「……アルマリア、何を言ってるんすか? なんでそんな話をあたしに?」

「アイセア。君には私の共犯者になって欲しいの」

 

 この話は、誰にも話せないから。

 

「……どうしてあたしなんすか?」

「君が一番信用出来て、立場が都合が良い。そして何より、君は無関係じゃないから」

「……共犯って事は悪い事をする、って事っすよね? 何をするつもりなんすか?」

「誰かが1人、犠牲にならないと倒せないかもしれない敵がいる」

 

 ……沈黙が私とアイセアの間に落ちた。アイセアは私をじっと見つめてから用意されたお茶を飲み、お菓子を口に含んだ。

 

「……笑えない話っすね。あんたがいてもダメなんすか?」

「何もしなければ浮遊島が沈むかもしれないぐらいには致命的に」

「それは……とんでもない話っすね。あたし、この美味しいお菓子をお持ち帰りして聞かなかった事にして良いすか?」

「それは出来ないかな。どっちにしろ君達はその運命から逃れられない。何もしなければ全滅の可能性も忘れて帰る?」

「アルマリアは性格が悪いっすね」

「それは悪い人間族(エムネトワイト)を滅ぼした獣様ですから」

 

 あはは、うふふ。互いに笑ってない笑い声を交わし合って。

 

「もう一度聞くっすよ? なんであたしなんすか」

「君が一番上手くやれると思ったし、何より無関係じゃないから」

「それは、何故っすか?」

「――“モウルネン”」

 

 だん、と。手を勢いよく机に叩き付ける音が響く。アイセアの表情は信じられない、と言うように目が見開かれていて、次第にその表情に怒りの色が溢れていく。

 

「なん、で」

「確か、エルバもすごくエルクに近づいたんだっけかな。魔力(ヴェネノム)を熾し過ぎて、自分を壊していって、黄金妖精(レプラカーン)の軛を越えて……アイセアも知っている話でしょ?」

「……クトリっすか。クトリが、エルバみたいに囚われる可能性があるって事すか?」

 

 かつてあった、アイセアになった彼女が経験した悲劇。

 私はそれを知識という形で知っていた。そしてモウルネンという聖剣(カリヨン)の事も。そして、その聖剣(カリヨン)に潜むモノも。

 

 ――その名、<輝き綴る十四番目の獣(ヴィンクラ)>。

 

 かつて人間族(エムネトワイト)準英雄(クアシ・ブレイブ)の少女が獣へと変じて生み出されてしまった<獣>の一種。

 アイセアになる前の彼女と、その親友の悲劇を招いた呪わしき名を持つ<獣>。

 

「あれがある限り、妖精兵が自らの存在という軛を越えても安寧は訪れない。今は封印されてるからかな、干渉も弱い。けれどあれは“起動し続けている”」

「……つまり、エルバみたいに囚われる奴が生まれかねない、って事?」

「ほぼ間違いなく。だからこそ、妖精兵は自分の剣が1本であるように調整されるようになった。万が一にでもモウルネンに適合してしまわないように……」

 

 落ち着いてきたのか、アイセアがゆっくりと息を吐き出して席に着く。その顔色は良くない。血の気が一切引いてしまった顔だった。

 

「……つまり、モウルネンをどうにかする為にあたしに共犯者になれって言うんすね」

「えぇ。出来ればモウルネンを取り返したいしね。あれは、これからの貴方達の戦いに有用なものだから」

「……破壊はしない、と?」

「扱いが難しいけれど、それだけの価値があるから。破壊するならここまで悩まないんだけどね。でも、回収するとなると誰かが犠牲になるつもりで行かないとどうしようも出来ない」

 

 それは、<輝き綴る十四番目の獣(ヴィンクラ)>の倒し方に問題があるから。

 あれに肉体はない、いわば魂魄体のようなもの。宿主に寄生しなければ、誰かの心に入り込まなければ何も出来ない。だからこそ、倒しきるのが難しい。

 それならモウルネンを破壊した方が早い。けれど、モウルネンは取り込まれてしまっていると言っても良い。だからこそ、奪還するとなると少し骨が折れる。

 “記憶”にある手段は現時点では実行出来ない。だから、代替え案が必要だった。だから、私はアイセアにだけ話すと決めた。きっと、彼女なら巧くやってくれるから。

 

「どうにかする方法はある。犠牲だって少なくても1人で済むし、上手くやればその犠牲だって出さないかもしれない」

「……そんなうまい話があるんすか?」

「毒を制するのは毒。獣を制するのは獣にお任せあれ、だよ」

「……それ、どういう意味すか?」

 

 真っ直ぐに視線を向けてくるアイセアに、私は笑みを浮かべる。

 ずっと決めていた事だった。いつか、必要になればそうする事に躊躇いはないと。

 <輝き綴る十四番目の獣(ヴィンクラ)>は魂魄体だから、通常の手段では倒せない。

 どんな圧倒的な物理的な手段を用いても本体を傷つける事は出来ない。依代となっているモウルネンを破壊すればわからないけれど、それはモウルネンとの引き換えだ。それは非常に惜しい。

 本来の歴史を辿れば、ある1人の少年の献身と犠牲によって<輝き綴る十四番目の獣(ヴィンクラ)>は倒された。手段を知っているなら、その方法を私も用いれば良い。

 

 

「私ごと<輝き綴る十四番目の獣(ヴィンクラ)>を討って欲しいの。アイセア・マイゼ・ヴァルガリス。かつての悲劇を越えて、これから起きる悲劇を起こさない為に。そして貴方達の明日を切り開く為に」

 

 

 

 



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