糞ナードも案外良いかもしれない (i-pod男)
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近付く二人
ホラー映画の後


皆さんお久しぶりです、i-pod男というしがない物書きでごぜえやす。

最近どうも筆が進まないのでヒロアカの範疇で路線を変えて出久 x 耳郎のピュアッピュアな絡みを書いてみました。


「眠れん・・・・・!」

 

耳郎響香は心底学友の芦戸三奈を呪った。いくらハロウィン当日が平日だからと言ってその前夜に一番苦手なホラー映画を見る必要は無かった筈だ。と言うかそもそも強制参加させられている時点で色々おかしい。しかも映画のチョイスがいやらしい程に絶妙だった。

 

『個性』という超常の能力を持つことがほぼ当たり前になっている昨今、そんな能力を持ったモンスターなどが登場する映画は本当の意味で見る者に恐怖を与える事は無い。精々ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツとの強化合宿でやった肝試しのように相手を軽く脅かす程度の物だ。しかし、だからこそそう言った能力に頼らずに頭脳を生かし、次々と証拠も残さずに人を殺していく連続殺人鬼の、ひいては人間の恐ろしさが光ると言う物だ。特に殺した人間をプロ並みの手つきと手際の良さで丹念に調理して食するともなればなおの事である。

 

普段は冷静沈着な秀才の八百万百でさえ半泣きになって轟の袖を掴んでいた。

 

正直映画を選ぶ時のセンスとやる気、意気込みを勉強などの別方面に活かせていたら本人にとってどれだけ有益か分かったものではない。勿体無さ過ぎる。

 

一般的な映画の尺としては二時間弱というそこそこ常識的な物であり、付き合いという事もあって耳郎は文句を言いつつも住んでいる寮の共有スペースにクラスメイトと共に映画を見たが、四十分前後でリタイヤした。

 

皆が寝静まった後も目が冴えに冴え渡り、目を閉じれば四十分前後の間に脳に焼き付いて離れないシーンがどんどん再生されていく。眠くなる風邪薬か何かでもあればすぐにでも寝付けるのだが、生憎実家から持ってきた分は切らしてしまっている。

 

「うん駄目だ。」

 

こんな調子で寝ようとしても埒が明かない。そもそも無理に寝ようとすると言う行動自体が理から外れている。別の何かを見て気分を変えようと思い立ち、無人となった廊下を渡ってエレベーターで再び共有スペースがある一階に降りた。

 

当然自分以外の皆は寝ているか、寝ようとしている為、共有スペースは無人だった。電気をつけて壁にかかっている液晶テレビのリモコンに手を伸ばした。こういう時は何かスカッとする物を見るか、恐怖自体を笑い飛ばせる何かを見て忘れてしまうに限る。映画からテレビ番組まで幅広く取り揃えているネットフリックスには感謝しか無い。

 

何があるか探している途中、突如ゴウンゴウンと後ろから音がして、思わず振り向きざまに持っていたリモコンを思いっきり投げた。

 

「うわあああああああ!!」

 

「あいだっ!?」

 

「え・・・・・・」

 

冷静になって耳郎は声の主を改めて確認した。緑色の縮れ毛、『パジャマ』と書かれたお世辞にもスタイリッシュとは呼べないTシャツに短パン、そして両腕にある夥しい量の傷。非常に見覚えのある人物だ。そして自分と同じぐらい怖がっていた緑谷出久である。どうやらリモコンは平たい面が眉間から鼻にかけてかなりの力でクリーンヒットしたらしく、鼻から血がぼたぼたと垂れてフローリングを汚していた。

 

「ほんっっっっっっとごめん!ほんとにマジでごめん!」

 

まるで仏像にリモコンを投げつけたかのように耳郎は頭を下げて両手を合わせて出久に詫びた。元々超人的な膂力を秘めた『個性』を鋭意調整中な上、何かにつけてボロボロになる事に定評がある同じヒーロー志望生に更に傷を増やしてしまった罪悪感は計り知れない。

 

「ん、大丈夫大丈夫。流石にこんな夜更けに洗濯してる人なんて普通いないし、びっくりさせた僕にも責任はあるから・・・・」

 

急いでティッシュを取って鼻に詰め、垂れた血を拭き取ると、出久は問題無いとばかりに苦笑してパタパタ手を振った。

 

「いや、それでも思いっきりぶち当たっちゃったし・・・・・・」

 

「ん、壊れてないよ。はい。」

 

「そっちの心配してないから!ったくもう・・・・」

 

「アハハハ・・・・耳郎さんも、映画の所為で眠れないの?」

 

「ホラー系・・・・・結構というか、かなり苦手で、さ・・・・・」

 

認めたくは無いが四十分前後で早々にリタイヤしてしまったのは自分だ、クラス中の知る所となってしまっている以上今更隠した所で意味は無い。

 

「ちょっと意外だな。」

 

リモコンをソファーに戻しながら出久はそう呟いた。

 

「そ、そう?」

 

「うん。耳郎さんてなんか恐れ知らずなタイプって思ってたから。」

 

彼の言葉に耳郎の眉が僅かに上がった。あまり面と向かって話した事は無いが、まさかそんな印象を抱かれているとは思わなかった。

 

「恐れ知らず?ウチが?」

 

「うん。何て言うかな・・・・・肝が据わっていて余程の事が無い限り動じない、一度開き直っちゃえば結構ガンガン前に押していけるタイプの人だって印象があったからさ。文化祭の時も歌ってる時はつっかえなかったし。ホラー系が苦手なのはちょっと意外だった。」

 

「緑谷は予想通りのビビりだったけどね。」

 

スプラッターなシーンや殺害シーンの三歩手前に幼馴染である爆発さん太郎こと爆豪勝己の袖にしがみ付いている様は気の強すぎる兄と肝の小さい弟のような妙な微笑ましさを誘発した。何人かスマホで写真を撮影していたのを覚えている。轟は若干気に食わなそうに目を細めていたが。

 

「ちょ、言わないでよ、気にしてるんだから・・・・・」

 

「ごめんごめん。またノートになんか書いてんの?」

 

血が滴り落ちて僅かばかり汚れてしまったキャンパスノートを顎で示した。『将来の為のヒーローノート』と黒い油性ペンで書かれたそれは既に二桁に突入していた。出久の手にあるのは一年A組の『個性』を纏めてある十四冊目である。

 

「うん。頭使ってれば勝手に眠くなるかなーって思って。ついでに洗濯物も溜まってたし、誰もいないからやってしまおうかと。」

 

「・・・・・ちょっと見てもいい?」

 

別に特定の何かを探しているわけではないが、耳郎自身はノートの中身を飯田や麗日の様に良く覗いている訳ではない。興味半分、からかう為の材料探し半分である。

 

「良いけど・・・・・」

 

「んじゃ失礼して。」

 

やはりと言うべきか、持ち主を除くクラスメイト全員が出席番号順にリストアップされている。彼自身の戦闘能力はさることながら分析能力は目を見張るものがあった。個人の細やかな癖、行動前の予備動作、弱点、その突き方、可能な克服方法、更なる『個性』伸ばしのメニュー、果てはコスチューム改造の案などが事細かに書き記されているのだ。

 

「ねえ、緑谷。正直に言うわ。ぶっちゃけ教師に向いてない?もしくはヒーロー専門のトレーナー兼コスチュームデザイナーとか。」

 

「そ、そう?そそそそんな事は無いとお、思うんだけど・・・・・あくまでその、僕ならこうするかな~ってだけのアレで・・・・・」

 

「いやいや、ここまでの事が出来たらもうなるしか無いよアンタ。つーかこれ相澤先生に見せた方が良い。後パワーローダー先生にも。絶対仕事が楽になるって言うから。」

 

更にページを捲って行くにつれ、耳郎は自分の名前が次に出る事に気付いた。見てみたいと言う気持ちはある。しかし正直どんな反応をしてしまうか分からない。照れ隠しで反射的にイヤホンジャックで出久をぶっ刺してしまう可能性だって完全には否定できない。

 

ままよとページを捲り、耳郎は顎が緩んで口が半開きになった。

 

「これが・・・・・・ウチ、なの?」

 

仮免試験前にバージョンアップしたコスチューム姿の自分が、妙にカッコよく見えた。コスチュームのアンプ、上着の襟の形、更には髪にある心電図を思わせる細かい模様などもしっかり描かれている。しかも何故か右手には八百万に頼んでUSJ襲撃事件で使った剣が握られていた。鉛筆一本でここまでできる物なのか。そして緑谷出久の目に自分はこう映っているのか。他の絵もそうだが、かなり何度も描き直した事が消しゴムの痕からうかがえる。

 

やばい。恥ずかしい。恥ずかしいが嬉し過ぎる。口角が吊り上がるのを抑えるのに必死で耳郎はこめかみがヒクついているのを感じた。

 

「あ、うん、その・・・・・へ、下手糞だったらごめんね、これでも多少は上手くなったつもりなんだけど、と言ってもまあ雀の涙程度だけど・・・・・なんか、ごめん。」

 

それを怒っていると勘違いしているのか、弁解が尻すぼみになった出久は最終的になぜか謝罪してしまった。

 

「何で謝んの?自信持ちなよ、絵描くのめちゃくちゃ上手いんだし。」

 

「え、でも怒ってたんじゃ・・・・肖像権とか――」

 

「別にウチ怒ってないよ。ここまで上手く描かれたら誰だって怒る気も失せるでしょ普通。後、肖像権てクラス全員分でノート埋めてから言うなんて今更過ぎ。」

だから

ああ、もう駄目だ。我慢しているだけで顔が痛い。ならばと耳郎はにっこり笑って見せた。

 

「ありがとね、カッコよく描いてくれてさ。凄い嬉しい。」

 

轟よりかは遥かに感情の起伏はあるが、それでも普段はあまり表情を崩さない耳郎の満開スマイルを至近距離から食らった出久の顔はエンデヴァーのヘルフレイムにも負けないぐらい赤く、熱くなった。

 

「一緒になんか見よ、緑谷。」

 

「う、うん・・・・・・」

 

映画の怖さで眠れないと言う問題は解消できたが、今度は羞恥心で眠れぬ夜を過ごす羽目になる。後者の方が遥かにマシだと思い、何を見るべきか議論が始まった。

 



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出久の音楽プレイヤーデビュー

またなんか知らんうちに書きあがってしまいました。
書きたい奴が進まない・・・・・ほんとすいません。


緑谷出久は悩んでいた。何がどう功を奏したのか、母親の引子がたまたま商店街の抽選か何かで二等の大容量音楽プレイヤーとイヤホンのセットを見事引き当てて、自分は特に使う予定は無いし何より機械には弱いからと言って渡されたのだ。渡してくれたのはありがたい。ありがたいのだが、如何せん個人用のパソコンは疎か音楽CDすら持っていない出久も持っていたところで全く以て意味が無い。精々突風でプリントが飛ばされないように押さえつけるペーパーウェイトとして役立てるのが関の山だ。

 

しかし、かと言って家電売り場では税抜きでも普通に値段の桁数が五つはある物をそんな風に腐らせるのはあまりにも勿体無い。使い方はそこまで難しくないし、慣れるには半日もあれば十分過ぎる。何より自分にくれた母親に失礼だ。

 

課題を終わらせがてら何かいい知恵は無いものかと出久は頭を捻った。そして閃く。いたではないか、一年A組きっての音楽好きが。連絡網の為にクラスメイト全員の番号やチャットIDは控えてある。メッセージ一つで質問すればすぐに済む事だ。

 

しかしまた新たな障害が出久の前に立ちはだかった。

 

「・・・・・・こういう場合どう言って頼めばいいんだろう、これ・・・・?」

 

雄英入学を果たして多少は慣れて来たものの、異性と話すだけで顔が真っ赤になり、まともに目を合わせての会話すらおぼつかなくなってしまうレベルのヘタレ具合は未だ改善の兆しすら見せない。パーソナルスペースに入られるだけで心臓が破れてしまうのではないかと思うぐらい緊張して気が遠くなってしまう。おまけに相手は入学初日から仲良くしてくれている麗日お茶子、思った事をストレートに口にしてくれるUSJの一件から色々と世話になっている蛙吹梅雨とは違い、接点が無いのだ。と言うか、今の今まで挨拶以外のまともな会話をした事すら無い。

 

頭の中でこね回しても意味が無いのでどう質問すべきか、出久はノートのまっさらなページに書き出し始めた。

 

――音楽について教えてください。

 

いや、これではただ単に漠然と音楽そのものの事を教えてくれと解釈されてしまう。簡潔なのは大事だがこれは極端すぎる。そしてあまりにも大雑把だ。

 

――お勧めの音楽を教えてください。

 

こちらの方がまあまだマシと言えるだろう。不適当ではないにせよ、もう少しオブラートに包んだ方が良いかもしれない。本人の好きなジャンルはロックである事は周知の事実だが、いきなりクラスメイトだからと言ってこんなストレートに聞かれたら改まって何故そんな質問をするのかと訝ってしまうかもしれない。

 

いい線は行っているかもしれないが、失礼があってはいけないからこれも却下である。親しき仲にも礼儀あり、親しくないなら猶更だ。

 

「いや、でもやっぱりストレートに聞いた方が良いの、かな……?」

 

『将来の為のヒーローノート』第十四巻は自分を除くクラスメイトの持つ『個性』やコスチュームの事だけではない。性格やそれに基づいて導き出される思考パターン、特定の動作をする前の僅かな癖なども書き加えているのだ。そして出久はそれらを加筆、修正しながらほぼすべて丸暗記している。

 

それらの内容が正しいならば、耳郎響香と言う人間は基本ストレートに本音をぶつけた方が好印象を持つ傾向がある。蛙吹やクラスの副委員長である八百万との会話が弾むのが良い証拠だ。そして男の場合は特にそれが顕著になる。上鳴とのやり取りを見れば一目瞭然である。

 

「だけどあの二人はUSJで共闘した仲でそこをベースにある程度ラポールが形成されているからこそああいう軽口の応酬が出来るのであって、その前提すら成立しない僕がストレートに言った所で同じ効果があるかどうかなんて分かんないし・・・・・って言うかそれ以前に屋内対人戦闘訓練の時にくじ引きで選んだとは言えペアになってたからなぁ・・・・・あ“~~、どうしよう?ここは八百万さんに頼んで代理で聞いてもらった方が・・・?いやでもそんな回りくどい方法だと二度手間だし間違い無く印象悪くなるし、オーケーを貰う確率ダダ下がりだからなあ・・・・・んん”~~~~・・・・・」

 

分からない。全く以て最適解が分からない。

 

「お、相変わらずノートと睨めっこして悩んでんね、緑谷。」

 

「はひィッ!?」

 

危うく心臓が止まりかけ、声も裏返って変な悲鳴を上げてしまった。後ろから笑い声が聞こえる。出久は振り向き、脇腹を抑えた耳郎が膝をついて笑っている姿を捉えた。瞬間、顔が真っ赤に茹で上がる。声が裏返った所を聞かれてしまうなど出久からすれば正直自殺レベルの醜態、黒歴史だ。

 

「プククッ・・・・・やばいやばい、お腹痛い・・・・はひィって・・・・・クフフ・・・・・!!緑谷ごめ、ちょ待って・・・!」

 

約一分近く耳郎は笑い続けると、ようやく呼吸を整えられる程度に落ち着いた。

 

「はぁ~、おかしかった・・・・ごめん、だけど今のほぼ全面的に緑谷が悪い。で、どしたの?」

 

「あ、うん、え~、あ~、お願いと言うかリクエストと言うか、差支えなければちょこっと頼まれてくれると助かると言うか・・・・」

 

「へ~、緑谷から頼み事なんて珍しいね。まあ聞くだけ聞いてあげなくも無いけど。」

 

「その・・・・・・お勧めの音楽があったら教えてくださいっ!」

 

出久は座っていたソファーの上で起立し、親友にしてクラス委員長の飯田天哉ですら素晴らしいと唸らせる綺麗な直角に腰を折って音楽プレイヤーを差し出した。

 

「うん、良いけど。」

 

「へ?」

 

「いや、そこまで畏まって何を頼むのかとちょっと身構えちゃったじゃん。時間返せ、馬鹿。」

 

「ごめんなさい・・・・・でも、よろしいんですか?」

 

「しつこい。教えたげるって言ったじゃん、もう。」

 

正直、緑谷出久と言う少年はからかい甲斐があり過ぎる。耳郎は今まで気づかなかった自分が恨めしく思った。場合によっては上鳴より楽しめるかもしれない。それに自分が好きな音楽に興味を持ってくれているのだ。嫌だと言える筈も無い。純粋にこう言った事を語り合える人間は精々英才教育でピアノを習った八百万ぐらいなのだ。同志が増えるのは万々歳である。

 

「ちょっと待ってて。持ってくるから。」

 

「はぃ・・・・・」

 

エレベーターのドアが開閉して耳郎が共有スペースからいなくなったところで出久は胸を大きく撫で下ろした。直感に頼ってストレートに聞くのが最適解だった。冷めているように見えて実際割と面倒見がいいのは口田甲司と組んで期末試験でプレゼント・マイクと渡り合った時にしっかり目にしている。彼女の後押しがあったればこそ、二人は一緒にゲートをくぐり抜けて共に合格出来たのだ。

 

音楽が好きで、周りの人間を引っ張れる芯の強さを持っていて、比較的冷静で一歩引いた姉御肌。ダンスと同じように万国共通の言語である歌と音楽に精通している耳郎は将来プロヒーローとして皆を率いるリーダーだけでなく、培った才能で人を笑顔にする事に一番長けていると言えよう。ミス・ジョークが持つ『個性』とはまた違い、オール・フォー・ワンですら『個性』で奪う事が出来ない、壊理の様な心の闇を打ち払い、万人から自然な笑顔を引き出せる素晴らしい能力だ。

 

「やっぱり凄いなあ、耳郎さんは。」

 

出久は天井のLEDを見上げながら呟いた。諦めの悪さとなけなしの度胸、相打ち覚悟の無鉄砲さとヒーローオタクとしての知識。自分にあるのは正直その程度しかない。他人と自分を比べた所で違いなど探せばきりが無いのは百も承知だが、出久は彼女が羨ましかった。

 

文化祭の様な公の場で開き直れる舞台度胸が。

 

音楽という自己表現で己を曝け出せる純然たる勇気が。

 

窮地でも仲間を励まし、本来の力を発揮させられるその余裕と安心感が。

 

何より、演奏が終わった時の普段の冷めた表情から一転した秋の夕暮れ時に現れる紫色の空の様に柔らかく、仄かに暖かい微笑が素敵だと思った。太陽(オールマイト)の様に眩く、輝かんばかりの満面の笑みとは違う、日の光が地平線に沈み切る少しばかり手前の優しい光だ。

 

 

「お待たせ。」

 

小脇にパソコンを抱えて耳郎が戻って来た。心なしか浮かれているように見えなくもない。

 

「緑谷はどういう感じの音楽が好きなの?」

 

「ん~、僕は元々あんまり音楽聞かないから・・・・・・センスがある耳郎さんにお任せします。」

 

「そう?オッケー、任された。」

 

パソコンを立ち上げ、出久の音楽プレイヤーを繋げた。

 

耳郎のお気に入りのバンドであるDEEP DOPEは勿論の事、AC/DC、クイーン、レッドホットチリペッパー、セックスピストルズ、ガンズアンドローゼズ、ローリング・ストーンズ、メタリカ、ザ・グレイトフル・デッド、ホワイトストライプス、ブラックサバス、ムーディー・ブルース、マリリン・マンソン、パニック・アット・ザ・ディスコ、イマジン・ドラゴンズ、キング・クリムゾンなどなど、邦楽、洋楽のあらゆるアーティストの数多のアルバムが読み込まれ、音楽プレイヤーのメモリーが埋まって行く。待っている間にシャッフルボタンで選曲を任せて再生させた。

 

「緑谷、一つ聞いていい?」

 

「はい・・・・ナンデショウカ?」

 

思わず背筋を伸ばして出久は身構えた。

 

「何で・・・・・ウチに聞いたの?音楽好きって言うならウチだけじゃないし。」

 

「文化祭でも音楽についてはその理論や歴史に一番詳しい上に作詞作曲もほぼ一人で頑張ってくれて大成功に終わったから、消去法を使うまでも無く一番造詣が深い耳郎さんの意見を聞くのが最適解かなー、と・・・・・あ、そ、それにほら、英語のイディオムとか独特の言い回しをヒアリングで勉強出来るし!最初ハイツ・アライアンスの部屋を見せ合った時に上鳴君や青山君が女っ気無いとかノン淑女なんて凄く失礼な事言ってたけど、音楽の教養がある時点で十分女子っぽいって言うか・・・・・ま、まあ女子ですらない僕が女子っぽさの何たるかを語ろうとしている時点で既に烏滸がましいにも程があるのは重々承知の上で言ってるんだけど、その、何と言うか・・・・・・うん、そう言う事ですハイ。」

 

それ以上言葉が出なくなった出久は顔を背けて自己嫌悪と羞恥に押し潰されて体育座りのまま蹲ってしまった。本音をぶつけた方が得策だと思ってまくしたてた結果がこれだ。ナーバスになると暴走特級並みに口が回るこの悪癖をどうにかしたい。ワン・フォー・オールも良いが、世間一般の定義に当てはまる『普通の人間らしい活動』をさせてくれる『個性』もセットで欲しかったと、この時ばかりは出久も心底世界を恨んだ。

 

「あ・・・・・・う、うん、分かった・・・・・・アリガト・・・・」

 

イヤホンジャックの先端をカチカチ合わせながら、真っ赤になった顔を背けた。からかうつもりがまさかの伏兵による逆襲。本人にその気は全く以て無いのだろうが、嬉しいやら恥ずかしいやら腹が立つやらで耳郎は何も言い返せなかった。

 

だが一つだけはっきりしている。今のこの状況を誰にも見られてはならない。誰にも、だ。色々と台無しになってしまう。

 

全曲のダウンロードが終わると耳郎は音楽プレイヤーを残してパソコンを抱え、脱兎のごとく駆け出し、エンデヴァーのヘルフレイムにも負けない程熱く、そして赤くなった顔を隠す為に夕食の準備を手伝う様に八百万に呼ばれるまで部屋に閉じこもった。

 



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買い出しと遭遇とあんみつ

今回のサブタイトルはオーズっぽく。


「いった・・・・いたた痛い!緑谷痛い!痛いからちょ、待って!ストップストップストップストップ!ふぐぅぅ・・・・・・い”っ!?」

 

暴れる耳郎を出久はやんわりと抑えつけた。

 

「だから力まないでよ、耳郎さん!痛いのは分かるけど我慢して。今これやらないと後がホントに辛くなるから。あんまり待ちすぎると更に僕もやりにくくなるし。ゆっくり息して。深呼吸。した事無いのはお互い様だよ、後で怒りたいならいくらでも怒っていいから。」

 

だったら何で提案したと耳郎は文句の一つも言いたかったが、出久が既に経験していると言うのならば委ねるしかない。正直この痛みが続くのは嫌だった。初めてだからこそなのか、頭がおかしくなりそうだった。震えて乱れる呼吸をゆっくり整え、視界をぼやけさせる涙を乱雑に拭った。

 

「クリームあんみつ・・・・・」

 

「え?」

 

「終わったら、その・・・・・クリームあんみつ。奢ってくれたら許す。」

 

出久は頷いた。それで済むなら安い物だ。そして耳郎の案外現金な一面に思わず小さく笑ってしまいそうになるが、堪えた。それを言い訳に更に要求を追加されかねない。

 

「じゃあ、サンで行くからね?」

 

「分かっーー」

 

「サン!」

 

「あぐぅぁ!・・・・・い・・・・・った・・・・」

 

ある程度リラックスし切った所で再び一瞬とは言え目の前が真っ白になる程の激痛に見舞われ、耳郎は口を手で押さえながらも変な声をくぐもらせながらも上げてしまった。

 

「ちゃんと、入った・・・・?」

 

「うん、大丈夫。肩の関節はしっかりはまってるから、後はしばらく動かさないで。ごめんね、痛くして。でも利き手じゃないのが不幸中の幸いだよ。」

 

パーカーの袖を結んで三角巾に見立てると、それを彼女の首に引っ掛け、慎重に左腕を通した。

 

「これ炎症と痛み止め。水、置いとくから二錠飲んで。後はこのコールドパックを肩に固定ね。ガムテープあるし。」

 

「ん・・・・」

 

「後は・・・・・耳郎さん、捻挫してるでしょ?」

 

「・・・・・・してない。」

 

「間があった。捻挫してるね、ハイ確定。どっち?」

 

普段はそわそわ、あたふたと言ったオノマトペが似合い、大丈夫なのかと良く麗日や飯田、轟に心配されがちな出久は有事になるや否や途端に人が変わった様に勘が鋭くなる。人の『痛み』や『異常』に鼻が利くその様はまるで警察犬だ。勿論、こうして応急処置を施されている手前、大いに頼りになるのは否定出来ないが、耳郎は何故かどうも面白くないと言う気持ちを禁じえなかった。いや、この様に同年代の男子に世話を甲斐甲斐しく焼かれる事に違和感がある、と言った方が正しいかもしれない。

 

親馬鹿で世話焼きな父親になら心当たりはありまくるが。

 

「・・・・左側。」

 

「靴脱がすから、痛かったら言ってね?」

 

「分かった・・・・・」

 

普段着がパンクなのが幸いしてか、靴も踝を覆うブーツを履いていた為脱がすのにそこまで手間はかからなかった。しかし誰かにこうしてゆっくり靴と靴下を脱がされるのは妙に違和感があった。しかも最大限の注意を払って脱がされている為、妙に焦らされているような錯覚に陥る。

 

「大丈夫?痛くない?」

 

「平気。ところで緑谷。」

 

「ん?」

 

「何でそんなに詳しいの?救助訓練の授業でも応急処置の方法とか習ってるけど、ここまで手際いいのは何かおかしい。リュックも必要なモン全部入ってるしさ。」

 

出久がほぼいつも持ち歩いている大きな黄色のリュックには勉強道具やヒーローノート以外何が入っているのか気になっていたが、一つのポケットに救急キット、もう一つには痛み止め、炎症止め、解熱剤、抗生剤や三角巾に使える大判の布、また別のポケットには即席の添え木に使える棒きれなどが詰まっている。まるで一人で山岳救助にでも行くのかと言わんばかりの装備である。

 

「ああ、うん。リカバリーガールにこれ以上怪我するならもう治療はしないって言うんで、だったら応急処置の方法教えてくださいって頼んだら直筆の応急処置解体新書(サイン入り)を渡されて自分なりに勉強してるんだ。」

 

「あー、腕ボロボロにしてたからそれで叱られてばっかだったもんね。」

 

「シュートスタイルで多少はマシになってはいるんだけど・・・・・まあ、ね・・・・・たまにね。」

 

ふてくされてモソモソと語気が弱まり、湿布を張れた部分に張り付けられた。

 

「うっわ、腫れてるなあ・・・・・」

 

「でも、急性期だからリカバリーガールの『個性』なしでもこれは二、三日で治るよ?あくまで目安だけど。後は・・・・・軽く圧迫しよう。腫れてるって事は内出血が多いって事だから、少しでも軽減した方が自然治癒は早くなるし。」

 

「じゃヨロシク。」

 

「はーい。」

 

弾性包帯を取り出し、巻こうとした所で出久は初めて耳郎のペディキュアに気付いた。艶のある、青紫色だ。爪も綺麗に切られており、やすりもかけられている。丈の短いズボンを履いている所為でほっそりとしながらも引き締まった白い太腿の中程までが絆創膏やガーゼなどに所々覆われながらもほぼ惜しげ無く晒されているのだ。

 

「・・・・・綺麗だね、これ。」

 

「へ?」

 

「足の爪。綺麗に切れてる。この色も良いし。」

 

「じ、ジロジロ見んな馬鹿!変態!」

 

顎に蹴りを食らい、出久の眼前に数舜程チカチカッと星が飛び交った。耳郎も捻挫した方の足を使った為に更なる激痛が走り、無言でベンチに座ったまま痛みに悶えた。

 

「いたた・・・・舌、噛んだ・・・・・てか僕、さっきの戦いで脳震盪起こしてるんだけど・・・・・」

 

「うっさい、ざまーみろ!バーカバーカ!巻いたらさっさと他の人も診に行け!ヒーローは市民第一なんだから!」

 

「ごめん・・・・・あ、それと足、出来ればでいいからベンチの手すりに乗せて!脚部に血が行かなければ腫れが引きやすくなるから。」

 

ベンチの背もたれに体重を預けながら耳郎は嘆息した。今日はとんだ厄日だ。事の起こりは寮内での取り決めで共同スペースと各階の廊下掃除、ゴミ出し、朝夕の食事当番などをローテーションして出久と耳郎に食材買い出しの係が回って来た所から始まる。委員長である飯田が纏めた細かいリストの通りに近所のスーパーや雑貨店を回って必要な物を買うまでは良かったが、帰路につかんとした所で突発的な理不尽が『個性』とその使用者を増強・暴走させる薬物『トリガー』の使用者という形で降りかかった。

 

増強系の『個性』を持つ出久が相手をして時間を稼ぐ間に耳郎は避難誘導と取り残された者の確認と役割を分担し、プロヒーローと警察が来るまで粘りに粘った。苦戦し、倒されても息が続く限りは劣勢だろうと立ち上がる出久を援護しようとした所、親とはぐれてしまったと思しき子供の姿を見て一瞬注意が逸れてしまった。攻撃をギリギリ避けきったまでは良かったのだが、着地に失敗して足を挫き、更には子供を庇った際に変な角度で肩から地面にぶちあたり、脱臼してしまったのだ。

 

最終的にはベストジーニストやミルコなどのプロヒーローが現着し、トリガーを使用した犯人は無事逮捕、逃げ遅れた子供も無傷で事無きを得たが、二人はそうはいかなかった。直接戦闘に参加していなかったとはいえ耳郎は捻挫と大腿部の浅い切り傷、脱臼とそこそこ手傷を負った。出久は脳震盪以外に肋骨に罅が入り、多くの細かいガラス片に全身を切られ、額からこめかみにかけても大きな切り傷が出来ていたが、ガラスを抜き取って鏡を見ながら一人で消毒、止血、縫合をしてから耳郎の応急処置にあたっていたのだ。

 

自分より頭が良いのは間違い無いが、緑谷出久と言う人間はバイアス込みとは言え耳郎の目には良く言えば純粋、悪く言えばただの馬鹿にしか見えなかった。馬鹿と言っても、上鳴とは毛色がまるで違う。どこの誰とも分からない不特定多数の人間の危急に、自分がどんな状態にあろうとも一度スイッチが入れば遮二無二突っ込んで行き、必要とあらば何度でも骨肉の一片まで鉄壁とする単細胞野郎だ。危なっかしいにも程がある。とてもではないが見ていられない。

 

しかしながら、あの前に進む『力』と言う物は評価に値するべきだと耳郎は素直に思った。予期せぬ実戦の場で、仮免試験と同様の高い即応性は凄かった。相手がどんな『個性』を持っているのかを分析しながらも最小限の被害に留める様に立ち回り、怯まず拳を交える闘志。自分も見習わなければならない。特に近距離では即座に対応出来ない自分は。

 

「その内に・・・・・教えて貰おっかな?」

 

別に恩を着せるつもりは無いが、出久は自分のお陰で音楽が好きになったと言ってくれた。英語の小テストや課題も難無く解けるようになっており、自分のお陰だと大喜びで感謝された。それなら自分も多少は我儘を言っても許されるのではなかろうか?ヒーローとしての能力を伸ばす為の頼み事なのだ、出久も嫌とは言うまい。

 

八百万に頼むのも良いが、彼女の場合どうも理屈っぽい所がある。加えて彼女の『個性』は意外性と総合力を重視した物で戦い方もそれに合わせて誂えてある物だ。出来る事が限られる自分は得る物が全くないとは言えないが、不向きだ。自分で感性豊かだと言うのはイタイ奴だと思われるかもしれないが、幼少から音楽にのめり込んでいた自分にはフィーリングも十分吟味すべきファクターの一つなのだ。

 

あの予期せぬ戦闘でも即席とは言えかなり良く動けたのは事実なのだから。

 

「耳郎さん、リカバリーガール来たから治療して貰おう。」

 

しばらくしてから出久が買い物に持って行ったエコバッグ四つを引っ提げて戻って来た。あの戦闘でこれに被害が及ばなかったのは最早奇跡と言える。

 

「ん、オッケー。」

 

「でもその前に、はいコレ。」

 

プラスチックの容器に貼られたシールに印刷された文字を見て、耳郎は目を丸くした。

 

「・・・・・・白玉クリームあんみつ・・・・!」

 

「この近くにコンビニあったの思い出してさ。」

 

「うわー、ちっちゃ。安く済ませたね。せこいわ。」

 

「せこ・・・・・・っ!?」

 

折角買って来たのに損な言い草を食らってしょげてしまった出久をクスクス笑わずにはいられなかった。

 

「へこむなって、冗談だから。適当に言っただけなのにまさかマジで買ってくるとは思わなかったよ。」

 

「食べ物の恨みは恐ろしいからね。コレ経験談。それにそんな小さい約束でも、破りたくないから。セミプロとは言えヒーローなんだし。今度はちゃんとしたお店で出すようなの奢るから。」

 

ヒーロースイッチが入れば頼もしいが、オフになるとまたいつもの底抜けに明るく、慌ただしくもどこか憎めないヒーローオタクに戻ってしまう。爆豪は糞ナードだの何だの言っているが、飯田や麗日、轟達が彼を高く評価する理由がようやく分かる気がした。

 

「緑谷、律儀だね。じゃあその時はゴチになっちゃお。んじゃソレ開けて持ってて。ウチ、肩がこんなだし、もし落としたら勿体無いから。」

 

言われた通りに封を切り容器を開けたが、左腕が脱臼の所為でまだまともに使えない。結果的に出久があんみつの容器を持ちながら耳郎が食べるのを手伝うと言う妙に微笑ましい状況が出来上がり、リカバリーガールがにやにやしながら二人の様子を治療しながら眺めていた。

 



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胃袋の掴み合い

意外だな
割と人気な
この話


女っ気の無い部屋。ノン淑女。

 

耳郎の部屋を見てつけられたコメントだ。コメントした者は特にどうとは思っていない(コメント直後に制裁を食らって手をついて謝ったが)が、部屋の主も思春期真っ盛りの乙女なのである。傷つくのは当たり前だ。

 

冷めて一歩引いているテンションが彼女の通常運転なのだが、恋愛には一定の興味はあるし、典型的な『女子っぽい』事もやってみたいと言う気持ちも少なからずある。その内の一つが料理だ。プロヒーローになり、事務所にサイドキックとして雇われてヒーロー業に携わっていくとなると、実家を出て自分の住まいを見つけ、食い扶持を稼いで己の腹を満たす必要がある。冷凍食品やインスタントも手軽で良いが、どうせ食べるならそこそこ美味しい物を一から作って食し、自己満足に浸りたいと思う気持ちに男も女も関係無い。社会で生きて行く為だけでなく、ゆくゆくはプロヒーローとして被災地に派遣され、炊き出しの手伝いなどをする時には一定水準は必要なスキルでもある為、ほぼ必修だ。雄英には家庭科の授業もあるのが良い証拠である。

 

そして当然、『男の心を掴むにはまず胃袋から』と言う立派な格言も存在する為、それに則って行動する為に腕を磨く必要がある。不味い料理を美味いと言ってくれる相手の優しさに甘えていては色々まずい。主にプライドが。

 

そして更に追い打ちをかける様に、今日の家庭科の授業で自分の胃袋を掴む能力が著しく低い事を思い知らされた。『料理が出来る人間』と『料理が美味い人間』の差は天と地ほども隔たっていると。特に自分の周りに後者が多く、自分が前者であるが故に持つ者と持たざる者の差が人一倍身に染みる。

 

麗日お茶子は寮住まいになる前はアパートで独り暮らしをしており、当然自炊していた為台所で何をどうするかにはかなり明るい。蛙吹梅雨は親が留守の間は下の兄弟の面倒をずっと見ていた為、家事全般のスキルは恐らくクラスの中では上位どころかトップと言えるだろう。

 

男子で料理と言えばそこそこ出来る者はいる。砂藤力道は実家の人間がプロのパティシエと言う事もあり、料理の手際の良さは強面な見た目からは想像もつかない。自称『ギャップの男』瀬呂範太は部屋のエイジアンなインテリアに違わぬ若干手抜きながらもカレー以外にエスニック料理に精通しており、トムヤムクンなどで皆の舌を唸らせた。良く才能マンと呼ばれる爆豪勝己も林間合宿で見せた様に包丁捌きは中々の物だ。轟焦凍も良く姉と並んで台所で手伝っていると言っており、彼が料理をする時の食卓はかなり豪勢になる。当然予算オーバーする場合は補填している。エンデヴァー名義でだが。

 

失敗せずに作れる物が精々サラダ、トースト、スクランブルエッグ、茹でパスタ、カレーなどの余程下手でない限り失敗する事は無い物だ。一度の家庭科の授業で作ったロールキャベツなども形は八割方保ってはいるが如何せん味が濃すぎる。冷蔵庫の上の段で小さいタッパーに三つほど入ってそのままになっているのだ。他の料理は多少焦げ付いたり形が悪くなったりするが、一応食べられなくはない。しかしどうせなら一定水準以上のクォリティーの料理を作りたい。

 

そんな彼女に今日という日がやってきた。寮内で取り決められた当番のローテーションで料理係である三人の内の一人として組み込まれる、忌避すべき日が。献立は冷蔵庫の中身と次回の買い出しの予算も念頭に置いて毎度合議制で決められるが、料理スキルがそう芳しくないメンバーが過半数を占める場合は一番料理が上手い者にほぼ丸投げされて指示に従う。

 

今回のメンバーは耳郎を除き、切島鋭児郎と緑谷出久の三人だ。

 

緑谷出久が料理をしている所を耳郎は見た事が無い。基本部屋にこもって楽器を鳴らしているか、課題と取っ組み合っていてスマホに通知が来ると下に降りて食べに行く、と言うのが常だった。しかし今現在、台所で男同士の合議が始まっていた。

 

「で、どうするよ、緑谷?冷蔵庫の中身メモッといたけどはっきり言ってこれで作れる料理って俺ぁ何も思い浮かばねえわ。」

 

「ウチにも見せて。」

 

切島からメモを受け取り、耳郎は顔を顰めた。肉や野菜はある。あるにはあるがどれもこの大所帯を鑑みると量が中途半端過ぎる。ビーフシチューやカレーなどのルー系料理をしようにもそのルーの在庫が無いのだ。唯一かなり残っているのが卵である。

 

「ん“~・・・・ごめん、ウチもギブ。」

 

家庭科で料理本などを見て頑張りはしている物の、経験が浅い自分に出来る事などたかが知れている。

 

「気にしなくていいよ。父さんが単身赴任で海外にいて母さんがパートで遅くなる時はしっかり料理出来るようにって教えて貰ってたし。何度も指切ったり焦がしたりしたけど。にしてもホント中途半端だね・・・・・でも決まった。洋食系で行こうと思う。」

 

「具体的には?」

 

「ポトフと、確か青山君が割と上手く作ったトマトソースが余ってた筈だからそれに作り足してアラビアータ風パスタ。」

 

「ポトフ?」

 

切島は聞き慣れない料理の名前に首を傾げた。

 

「フランスの煮込み料理だけど、冷蔵庫の余り物は何でも使えるから家ではカレー並みに良く作るんだ。特に材料を選ばないから消費期限の迫ってる食材でも火を通せば問題無く食べられるし。スープもコンソメとお肉と野菜の味であっさりしていながら味の深さはあるから、一つの料理で二度美味しい。」

 

「おぉ、美味そうじゃん!てか飯の話してたら腹減って来たぜ。」

 

「さっき言ったそのアラビアータ風、だっけ?それは普通のトマトソースと何が違うの?」

 

「身も蓋も無い言い方しちゃうと辛くするだけなんだけどね。ポトフはある程度薄味にしてパスタは濃いめでバランスを取ろうかなーと。」

 

「うっし、んじゃ決まった所で早速始めようぜ!まず何をすれば良いんだ?」

 

待っていたとばかりに出久はポケットからオールマイトのヤングエイジコスチュームのデザインをあしらったエプロンを引っ張り出し、更に重ねて折った紙切れを数枚取り出した。まさかのレシピである。心なしか目付きが変わっている。通常運転のオタクモード、緊急事態になって切り替わるヒーローモードに続く、第三のモード、さしずめ『オカンモード』と言う奴だろう。

 

「切島君はまずお膳立てをお願いしていいかな?鍋敷きとスープボウルと平らな小皿二つずつ。ナイフ、フォーク、スプーンは言わずもがな。急いで、煮込み料理はある程度時間かけないと味が落ちるから。」

 

「お、おお・・・・」

 

まるで開店前のレストランで指示を飛ばすスー・シェフの様な有無を言わせぬ不思議な圧力に切島は唯々頷くしかなかった。

 

「さてと。耳郎さんはまず野菜洗って皮剥きが必要な奴は剥くのお願い。ピーラー予備があって、先週家から持ってきたから包丁で剥く自信が無かったら使って。僕は先にトマトソースを作り足しとくから。」

 

「あ、うん・・・・・」

 

無言でコンロを点火し、タッパーに入っているトマトソースをフライパンに流し込んだ。温まる間に中途半端に残ったトマト二つを別のガスコンロの上にかざして直火を当て、黒くなったところで冷水の下で皮を剥き、ざく切りにした。そして既に下準備の為に用意していたであろう刻みニンニクとオリーブオイルをフライパンに流し込み、刻んだまま使われなかった玉ねぎ半分と切ったばかりのトマトをへらで潰しながら入れて唐辛子の粉を適量混ぜ込み、蓋をして火を弱めた。

 

「よしと。ほうれん草は後で入れるとして・・・・・」

 

凄い。それ以外の言葉が見つからない。家庭料理だろうが何だろうが、こんな知識、自分は知らない。傷だらけでごつごつした手の動きは実にスマートだった。

 

ただ洗ってジャガイモやニンジンなどの皮剥きなどの単純作業でしか役に立てないのが妙に悔しく、羨ましい。

 

「あ、あのさ、緑谷。」

 

「緑谷です。」

 

「ポトフ・・・・・・手伝いたいから教えて。皮剥き以外で。」

 

「分かった。」

 

ヒーローノートに加筆修正を加えながらアドバイスを出す所を見て思っていたが、やはり彼は教えるのが上手い。緻密な分析でどう説明すればいいかという適応力のパラメータ上昇にも一躍買っている。切島も戻って来て人手が増えたのも相まって安心して言われるがままに野菜や肉に包丁を入れたり野菜のあく抜きが出来た。最初の心配はどこへやら、若干のぎこちなさは残る物の、準備は着々と進んでいく。

 

「えーと、火の通りにくい食材から入れて、と。」

 

最後にコンソメスープの素を少しばかり加えて蓋をし、柔らかくなるのを待つばかりだ。

 

「あ、切島君、パスタは出してあるから十五分ぐらい経ったら今お湯が茹ってる鍋に放り込んで。塩をちょっと振ってから。それとソースの方は玉ねぎが完全に溶けたかどうか確認してくれる?味見もよろしく。火を最弱にしたら、焦げない様に満遍なく混ぜること。」

 

「お、おう。分かった。いやーしかし緑谷が一緒で助かったわ。家庭科で作ったサバ味噌、あれ美味かったぜ。」

 

「ありがと。ネットで調べただけなんだけどね。」

 

いつもの照れくさいような困ったような笑みが浮かび上がった。

 

「いや、けど、『週末ウチに来てこれ作ってくれ』って和食に関しちゃ結構うるさい轟が真顔で頼んだ時はマジかって思ったわ。俺はずぼらな男飯しか作れねえし・・・・・ハァ。」

 

「ずぼらって・・・・・物は言いようだよ、切島君。手間がかからないイコールずぼらって訳じゃないからね。ランチラッシュが言ってたんだ。料理の味を決めるのは下準備と手際の良さだって。手の込み具合は何を作りたいか、本人のさじ加減一つだよ。僕は切島君が一昨日圧力釜で作ったバター風味のスタミナ肉じゃが好きだったし。もっとあったらご飯四杯ぐらいは行けたと思う。」

 

「そ、そか・・・・・なんか、ありがとな。面と向かって褒められると妙にむず痒いけど・・・・・」

 

耳郎もその点については同意せざるを得ない。特に最近は妙に出久の百万ワットの笑みに対する耐性が弱くなってきた気がするのだ。それに男なのに『母性』すら感じさせるあのオーラは一体何なのだろうか?

 

「ご飯もうすぐ出来るってメッセージ送信するからパスタとソース和えるのお願いね。 食べる前にパセリ出してあるからパラッと一振りして唐辛子もかっちゃんが座る所に出しといて。念のため。」

 

「あー、辛いの好きだもんなそういや。そろそろパスタ入れんぞ~。」

 

「よろしく~。さてと、耳郎さんはポトフの具が柔らかくなったか確認して。フォークが一番堅い食材にそこそこすんなり入れば十分だから。」

 

「ん、分かった。」

 

ニンジンやジャガイモを取り、軽く刺してみたがあともう少しと言った所だ。スープも素朴だが確かに家庭的な味でほっこりする。

 

「どう?」

 

「うん、美味しい。素人の味覚なんてあんまり当てになんないと思うけど。」

 

「僕もちょっと試してみよっと。」

 

「え?ちょっ、それ・・・・」

 

耳郎が止める前に先程使った小皿を取り、スープをすくって飲んだ。

 

「うん、いいね。耳郎さんの言う通り美味しいよ。」

 

何だこれは?何故動揺している?間接キスだ何だと、小学生じゃあるまいし。本人は気付いた様子は無い。ならわざわざ言う必要も無い。自分も忘れてしまえばいいだけだ。

 

 

 

料理は端的に言って大好評だった。爆豪は普通だと連呼しながらも二度おかわりを要求した。出久がパスタを作った事を知るとまずいに決まってるだろうがと言っていたので腹いせに唐辛子の粉が入った瓶の蓋を緩めて赤い小山がパスタの上に出来上がる様に仕向けたのはささやかだが非常に満足な復讐だ。

 

耳郎は個人的にはパスタの方が好きだった。特にこれと言った特筆すべき理由は無いが、やはりいまいち言葉に出来ない味わい深さという物がある。たとえるなら初めてBrian The Sunの曲を聞いた時の気分に似ていた。

食後は消化の為に皆思い思いに時間を過ごしていたが、小一時間ほど経過した所で短パンとシャツに着替えた出久はブツブツと何事かを呟きながらノートにペンを走らせ、いつもの自主トレーニングの為に相棒の音楽プレイヤーと共に外出した。

 

それを見て思わず耳郎は破顔した。バイアスありまくりだが、良い趣味をしている。このままどんどんロックに染めてしまうのも悪くない。

 

「耳郎ちゃん、随分緑谷ちゃんが気になってるみたいだけど何かあったの?」

 

思った事は何でも口にする事に定評がある蛙吹の質問に我に返り、耳郎は首を横に振る。

 

「ん、へ?い、いや別に。なんか、料理してる所見て女子力高いなーと思ってさ。」

 

「耳郎ちゃんも十分女子力あると思うわ。料理が得意になるのは男でも女でも関係無くプラスになると思うのだけど。ケロ。料理なんて数をこなして行けば身につく物よ。私は下の兄弟の面倒を見る為に必要に駆られてやっていたけど、自分なりに楽しみながらやれば上手くなると思うわ。」

 

「好きこそものの上手なれって奴?」

 

「ケロ。」

 

首肯し、蛙吹は立ち上がった。

 

「私はそろそろ部屋に戻るわ。おやすみ、耳郎ちゃん。」

 

「ん、梅雨ちゃんもお休み。また明日ね。ウチはもうちょっとここで頑張るわ。ホント数学嫌い・・・・・・」

 

また出久に頼むべきか?いやいや、トレーニングが終わった後となれば間違い無く疲れている。そんな状態の彼に頼むのはいくらなんでも間が悪い。

 

一旦数学から離れようと、何を思ったのかキッチンに向かった。

 

「・・・・・・・夜食、作っとこうかな?」

 



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最早ただのデートである

高々五話ぽっちしか投稿してないのにこの高評価とバーの赤さよ・・・・・恐ろしいわ。

皆さん耳郎ちゃん好きすぎるでしょ(誉め言葉)

まあ可愛いから分かるんですけどね、それは・・・・・・


寮住まいのヒーロー志望生に休日と言う物は有って無い様な物だ。平日は授業に訓練、自主トレーニングや課題の消化などで八割以上は時間が潰れてしまう。外に遊びに行くにも門限がある上、授業や訓練に影響が出ない程度に抑える必要がある。故になにかと匙加減が難しいのだ。

 

友人の八百万百が淹れてくれた紅茶を片手にハイツ・アライアンスの共同スペースでファッション雑誌に目を通す耳郎もこの土曜日を外に出て消化するか否か、悩んでいた。

 

「随分とお悩みの様ですが、どうかしましたの?」

 

「ん~?ヤオモモはさあ、イメチェンしようって思った事ある?」

 

「イメチェン、ですか・・・・・特にありませんわね。私は別に無理に自分を変えようとは思いませんもの。」

 

「無理に変えようって訳じゃないけど、何というか・・・・・己のまだ見ぬ一面の開拓、と言えば良いのかな?で、やるならまず形からって事で雑誌見てるんだけど。」

 

「成程、そう言う事でしたか!どういった一面なのでしょうか?」

 

「・・・・・男子から見て、その・・・・・・じょ、女子っぽい、とこ・・・・・・」

 

I・エキスポで着て行った正装も八百万の個性によって創造された物だ。一応の基準としてはあれがベースに定めてある。

 

「でしたら折角の休日と言う事ですし、私と買い物に繰り出すと言うのはいかがでしょう?必ず耳郎さんの新たな一面の開拓に繋げて御覧に入れますわ!午後には所用があるのでご一緒できる時間は多少縛られてしまいますが。」

 

プリプリしたオーラが相変わらず可愛い友人の厚意は素直に嬉しい。だが、彼女はいわゆるお嬢様だ。庶民的な感覚は未だ発展途上中な彼女に付き合わせてしまったらはっきり言ってどうなるか分かったものではない。服をラックごと全て買い取るなんて事もやりかねない。というか、間違い無くやっている。恐らくベネチア辺りで。

 

「いやいや、そんな一日で開拓出来たら誰も苦労はしないって。氷山の一角でも見つけられれば儲けもんだから。それに、さ・・・・・・男子の意見も必要かな~って思ったり・・・・・・思わなかったり。荷物持ちが欲しいし。」

 

「ん~~、でしたら・・・・・・同伴に上鳴さんを誘うのはいかがですか?それなりにお二人共仲は宜しい様ですし。」

 

「却下。女子二人と買い物に行くって分かったらあのジャミングウェイ絶対にデートに行ったとか何とか調子乗るし、好みの際どい服ばっか勧めて来るから、絶対に。後々の事後処理もめんどい。」

 

主に峰田が。

 

「・・・・・・轟さんは?」

 

「まあ文句言わずに黙々持ってくれるだろうけど・・・・・ウチ、あいつとはヤオモモ程話さないし、本音で話してても表情変わらないから駄目。本気で言ってんのか分かんない。」

 

「瀬呂さんと切島さんは・・・・ご実家の用事で戻っていらっしゃいますからどちらにせよ無理ですね。」

 

常闇は買う物全てが黒一色に染まってしまう可能性が大だ。耳郎は色として黒は嫌いではないが、余りくどすぎるのは自分のセンスとは違う。

 

切島は部屋のインテリア並みに暑苦しい柄物の服を勧めてきそうで無駄に疲れるだけに終わってしまう。

 

青山は本人も勧める服も見ていて目も心も痛々しい思いしかしない。

 

爆豪は・・・・・・誘っても暴言の嵐と共に断られるだけに終わる為度外視である。

 

「となると、ベストチョイスは緑谷さんですね。上鳴さんの様に調子に乗る事もありませんし表情も豊かです。惜しむらくは普段着のセンスが・・・・・・多少残念、という事でしょうか?」

 

「まあ否定は出来ないけど。でも緑谷って良くも悪くも真面目だから、しっかり意見は出してくれると思うし。それにほら、将来の為のコスチュームの色調とかも視野に入れて参考にしたいとか尤もらしい事言えばすぐ食いついてくるって。」

 

「耳郎さん、ワルですわね。」

 

「女は悪くてナンボでしょ。男をたま~に顎で使うのは女の特権だよ。」

 

ちなみにこれは恋愛結婚した母の受け売りである。含み笑いと共に出久に送るメッセージを打ち始めた。

 

 

 

はっきり言って緑谷出久はモテない。生まれてこの方、モテた事が無い。

 

例えばヒーローオタクだから。

 

例えばヒーロー活動以外の場面の八割で極端に緊張するから。

 

例えば単純に人付き合いが苦手だから。

 

理由を挙げればキリが無いが、出久自身は大して気にはしていない。人並みに彼女の一人も欲しいと思ってはいるが、別にモテたいと思った事は然程無いのだ。元よりその方面でのメンタルは豆腐以下の強度であると言う弊害が主な理由だが。

 

しかし気付かれない様に寮を出て待ち合わせをするように言われた時は本気で携帯が壊れたか、たちの悪い明晰夢を見ているのではないかと何度も思った。それもそうだ、荷物持ちとは言え女子二人に買い物に付き合ってもらえるかというお誘いを受けたのだから。全く何の脈絡も無くこんな誘いが来る確率はポーカーの初手でロイヤルストレートフラッシュが揃うぐらいあり得ない。しかし今日というこの土曜日に、その『あり得ない』が覆されたのだ。

 

オールマイトとの出会い、ワン・フォー・オールの継承など、一生涯分の運を使い切ってしまったのではないかという出来事がこの一年で幾つも起こった。しかし今回の状況こそ正しくそう思わなければ正気を保てない程に出久は緊張していた。

 

七分丈のズボンとシュールな文字のプリント入りTシャツ(今回はフランネルシャツとある)、薄手のパーカー、そしてお気に入りの赤いハイトップスニーカーを履いて指定された待ち合わせ場所に向かった。幸いと言うべきか、まだ二人は来ていない。自分の気を落ち着かせるだけの時間は出来る限り多い方が良い。自分がポカをやらかして二人に恥をかかせるような真似だけは避けなければならない。

 

「お、早いね緑谷。」

 

「レディーを待たせず待つとは、殊勝な心掛けですわね。加点しておきますね。」

 

しかし吸った息を吐き出す間も無くポンと背中を叩かれて空気に喉を詰まらせてしまい、出久は激しく咳き込んだ。

 

「ビ、ビックリシタ・・・・・!」

 

「ごめん、そこまで緊張してるとは思わなくて・・・・・・緑谷って・・・・・女子とこういう風に出かけるのって初めて?だからどうだって訳じゃないけど。」

 

目を激しく泳がせながらも出久は小さく首肯した。正直今この場でいっそ気絶してしまった方が幾分か楽だ。

 

「そっか・・・・・そうなんだ。まあウチも実はそうなんだけどさ。ありがとね、休日なのに付き合ってもらって。」

 

「暇ダッタカラ、別ニ大丈夫デス。ハイ。」

 

まるでロボットのように固く、抑揚が無い声で返事が返ってきた。出久なりの自己防衛本能か何かなのだろうが、これで飯田並のロボットダンスが出来れば本当にアンドロイドか何かに見間違えられる。

 

「ヤオモモ、駄目だわこれ。気付けに何か出来ない?」

 

「何かと言われましても、公共の場では緊急事態でもない限り『個性』は使えませんし・・・・自動販売機がありますのでそこで何か買い求めると言うのはいかがでしょうか?兼ねてより以前から是非缶コーヒーという物を試してみたく思っておりましたの。」

 

相変わらずナチュラルに生まれの違いを遠慮無しに叩き付けるピュアセレブ節に耳郎は苦笑しながらも小銭を渡して自分の分も買うように頼み、緑谷の傍に立った。指で何度か彼の脇を小突き回していると、カチコチに固まった表情筋が偉く不細工な顔を形作っていく。面白がった耳郎は更にしつこく続けるうちにようやく笑わせる事に成功し、緊張を僅かばかりではあるがほぐす事に成功した。

 

「耳郎さん、ヒドイ・・・・・・いじめられた・・・・・」

 

「何を大袈裟な。あんたがそのままだったら色々困るでしょ、お互いにさ。今後の為にも慣れといた方がいいよ。これも勉強だから。」

 

適当に尤もらしい御託を並べ立てたのにそれもそうかと頷く彼に自分も思わず笑ってしまった。彼は本当に純粋で見ていて飽きない。

 

「お待たせいたしましたわ。どうぞ。」

 

八百万は微糖の缶コーヒー、耳郎はジンジャーエール、出久はスポーツドリンクをそれぞれ近場のベンチで飲んだ。

 

「落ち着きましたか?」

 

「うん・・・・・うん、大丈夫。ありがと、八百万さん。」

 

「では、緑谷さんも多少の落ち着きを取り戻した所で、参りましょうか。」

 

訪れた所は商業施設の激戦区である木椰子区である。週末だからか一段と人混みが凄まじい。

 

「で・・・・・・荷物持ち以外に僕は耳郎さんが試着する服についてセカンドオピニオンを出して貰いたいってあったけど・・・・・何で僕?コスチュームとかのデザインや色合いならまだしも、服のセンスで僕を頼るのは的外れなんじゃ?」

 

「端的に言うと、緑谷さんなら良識の範囲内でセカンドオピニオンを挟んで頂けると思っているからですわ。恥ずかしながら私はその・・・・・・庶民的なテイストという物に疎くて、適度に下方修正が出来る殿方がいた方が耳郎さんも安心出来ると仰っていたので・・・・・・」

 

若干歯切れの悪い八百万の返答に、出久は苦笑した。爆豪救出の際に『激安の王道、鈍器・大手』で変装用の服を買いたいのを経済の歯車がどうのと言い訳を宣っていたのはまだ記憶に新しいのだ。

 

しかし予想の斜め上を行くお願いに内心冷や汗が止まらない。出久からすれば二人は魅力のベクトルこそ違えど高嶺の花である事に変わりはないのだ。そんな二人のファッションセンスに自分如きが茶々を入れるなど許しが出ているとは言え烏滸がましいにも程がある。しかし頼まれてしまった以上、やらない訳にも行かない。耳郎が言った様に、これも勉強なのだ、怒られてしまう方が得る物もあるだろう。

 

「僕なんかの意見が参考になるかどうかは分かんないけど、最大限協力するよ・・・・・・できればあんまり当てにして欲しくないけど・・・・・・」

 

「よし、じゃ行こうか。」

 

女子二人が先行して出久はその散歩後ろをおっかなびっくりついて行く。約二時間、カジュアルからセミフォーマルのブラウスからワンピース、ショートパンツからスカートまで二人が考えつくありとあらゆる衣類を組み合わせては感想やセカンドオピニオンによる下方修正が続いた。

 

「まあ、こんな物でしょうね。流石に私も疲れましたわ。にしても、少々意外でした。緑谷さん、中々的確なセカンドオピニオンでしたね。」

 

「うん、懐にも優しいチョイスだった。」

 

「最初の一、二回はわけわかんなかったけど、数こなしていくとね・・・・・・」

 

表情には出していないが、しんどい。出久自身は服装に対して正装でもない限り特に頓着はしないが、それでもこの服の吟味は自分のノート並みに緻密にして綿密だったと言える。確かにこれは勉強になった。

 

「緑谷さんの印象に一番残ったのはどのコーディネーションでしょうか?単刀直入にお願いします。」

 

「え、ちょっ、ヤオモモ!?」

 

「殿方の意見を取り入れたいと言ったのは耳郎さんですよ?あれだけ試着して何も買わずに帰るのはいかがな物かと思います。ですからコーディネート一式を買ってお開き、と言う事に致しましょう。」

 

試着の都度、八百万はスマホで写真を撮っている。最早ちょっとした写真集と言っても差支えない程の画像がある。

 

「この中から一つ選んでくださいまし。」

 

「んーと・・・・・」

 

プレッシャーが凄まじい。心臓が内側から胸を叩いて地味に痛い。画面をスライドする指が震える。新しい一面の開拓なのだから最適解などと言う物は無い。少なくともその筈だ。

 

しかし心のどこかで出久は直感していた。この中の幾つかは耳郎にとって間違い無く『ハズレ』であると。ノートに纏めてある微妙な表情筋や眼球の動きや無意識な癖で読み取れる。記憶の糸を手繰り寄せながら、一つ一つ丁寧に見て行く。

 

「こ・・・・・これで、お願いします。」

 

自分が見た物に関しては自信はある。だがノートにまとめてあるからと言ってそれが必ずしも正しいとは限らない。当たりか外れか、二つに一つの大博打である。

 

「素晴らしいチョイスですわ、緑谷さん!」

 

「ん?・・・・・・・え、と・・・・・・緑谷、マジで言ってる?」

 

出久が選んだのは白と黒のボーダーストライプ柄の膝丈ワンピースとネイビーのカーディガン、そしてアンクルストラップ付のフラットサンダルのコーディネーションに身を包んだ耳郎の画像だった。オプションだと言って八百万がかぶせた麦わら帽子が良いアクセントになっている。さる高名な漫画家が連載している漫画の発行部数が既存のギネス記録を塗り替えたお祝いキャンペーンという事で割引が効く、懐にも優しい総合価格でもある。

 

「ハィ・・・・・・」

 

「ん、じゃ・・・・・これにしよう・・・・・・かな?」

 

八百万からの反応は良好だが、最終的な評価はまだ分からない。このプレッシャーに慣れる日は、恐らく来ないだろう。

 

そんな時に八百万の携帯がメッセージ受信を告げるベルの音を発した。

 

「残念ですわ・・・・・耳郎さん、緑谷さん、申し訳ありません。用事を済ませなければならない時間になってしまいましたのでお先に失礼させて頂きます。」

 

「気にしなくていいって。わざわざ付き合ってくれてありがとね。」

 

「こちらこそとても楽しめましたわ!ぜひまた誘ってくださいまし!」

 

手を振って別れを告げた八百万は交差点で曲がり、路肩に停車した黒塗りのロールスロイスの後部座席に乗り込んだ。ドアが閉まり、二人をその場に取り残して車は走り去った。

 

「・・・・・・じゃ、じゃあ、買いに行きましょうか耳郎さん!」

 

「うん。そだね、うん・・・・・・行こうか。」

 

人一人分の微妙な距離を間に保ち、二人は歩き出した。

 

服を買う事自体は手持ちで十分払える金額だった為問題にはならなかった。問題は店員だ。勝手にカップルか何かだと勘繰ったのか、断れないまま出久はぐいぐいとメンズの服が置いてある所までずずいっと押されて試着した服を勢いに逆らえず買う羽目になった。

 

白Tシャツに赤、黒、白の格子柄のフランネルを重ねて袖を肘まで折り畳み、暗いベージュのチノパンと言う普段の地味な見た目からは想像もつかない爽やかなコーディネートに耳郎は思わず目を見張った。

 

意外と、と言うのは失礼だとは理解している。だがしかし、それでも意外なのだ。地味と言う概念に服を着せたような人間がたかが服装を変えただけでよもやこうも化けるとは。

 

「折角ですし、お買い上げ頂いた物に着替えてみませんか?彼氏さんと一緒に。」

 

「かれっ!?・・・・・いや、ウチら仲はそこそこいいけど別にそんなんじゃなくて・・・・・!」

 

「そそそでそで、そうですよ!?僕らは高校のクラスメイトではありますし日は浅くともあくまで友人関係にありましてプラトニックな部類に入る物でしかないし恐れ多いと言うかなんというか!?」

 

しかし店員はただの照れ隠しだとしか思っていないのかその初々しさに無言で小さく頷いた。

 

 

 

「・・・・・・・・あのお節介焼きな店員・・・・・・・顔覚えたから後で覚悟しろ・・・・・」

 

「なんか、ごめんなさい・・・・・・」

 

結局慣れないスタイルにしどろもどろな出久を見かねて耳郎も試着室で着替えてから店を出た。当然来ていた服は店の紙袋に入れて貰っている。

 

「で、どう?」

 

「凄く綺麗で似合ってると思います・・・・・!!」

 

帽子があって心底良かったと耳郎は思った。深くかぶり直してつばで赤くなってにやける顔の大部分が隠せるのだ。

 

「緑谷も、もそっとおしゃれしてみるのも良いと思う。タッパ無いけどガタイは良いんだし。今度はウチが選ぶから。」

 

耳郎は有体に言って八百万を心底恨みたかった。私用で一足先に抜けるのは別として、自分の普段着のセンスが多少残念と風評があったのに他人の服選びのセンスは抜群ではないか!とんだ大番狂わせだ。

 

二十弱ある写真の中からこうも的確に試してみたいと思う物を選ばれると意識せざるを得ない。いや、ちょっと待て。『意識』?一体何を意識しているのだ?普段は引っ込み思案なのが玉に瑕だが、緑谷出久は目端の所まで気が付く良い奴だ。それだけだ。の筈だ。

 

確かに料理やら数学の勉強やらで気を使ってくれた。だがクラスメイトのよしみで、同じ当番で必要だったから。

 

それだけだ。の筈だ。

 



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また笑えればいい

ねえホント何なの!?何で皆さんこれがこんなに好きなの!?(注意:感激のあまり錯乱して逆ギレしております)

いや嬉しいよ!?嬉しいけども、だよ!?ここまで評価されると今まで書いてきた他の物は一体何だったんだろうと思ってしまうよホント。

今回若干シリアスでフォーカスは緑谷少年です。


出久は足技主体の戦闘スタイルに切り替えた事は自分の中でもそこそこ大きな一歩だと自負している。おかげで許容上限を超えた出力で『ワン・フォー・オール』を自損覚悟で使う悪癖が出る頻度を大幅に軽減できたのだ。しかし、元いじめられっ子にして元『無個性』である出久はオールマイトが設定・調整した十か月にも及ぶ肉体改造プランより前はスポーツのような激しい運動を伴う動きを大してした事が無い。

 

故に、格闘技の経験など皆無。攻撃も大振りなテレフォンパンチや予備動作が多い蹴りになってしまう。『個性』が蔓延するこの社会では格闘技をまともにやる者はいなくはないが『個性』が登場する以前に比べると少数派だ。マンツーマンで教えてくれる者などいない。それもそうだ、自分がヒーローを目指しているだけで手一杯な物が大多数なのだからそんな余裕などある筈も無い。

 

しかし出久も遂に自力更生で出来る事の限界にぶち当たってしまった。やっている事はどれも他人の見様見真似である。シュートスタイルを確立したは言え、熟成、完成までの道のりはまだ半ばですらない。俄仕込みと言われても言い返せない程お粗末なのだ。

 

そして熟成の為に出来る事と言えば、無駄をただ只管に削って行く事である。その道程を出久は『個性』を使わぬ組手ただ一つである。

 

出久が思いついた組手の相手を頼める人物は二人しかいなかった。

 

一人目は担任の相澤消太だ。長年の経験によって裏打ちされて完成した戦闘スタイルは過程を重んずるカテゴリーに区分され、駆け引き、戦略、倒し方、動き一つ一つに目的がある、正に合理性を体で表すプロの物だ。しかし担任であるからこそ贔屓は出来ない。自力で何とかしろと断るだろう。そもそも彼にそのような時間など無い。教師とプロヒーローと二足の草鞋でやっている相手に負担を増やすなど考えなしにも程がある。

 

もう一人は、インターン先の先輩にしてオーバーホールの『個性』を消す銃弾により未だ『個性』を使えない雄英ビッグ3の頂点、通形ミリオである。童顔と180センチ以上ある鍛え抜かれた肉体のインパクトは勿論、抜群に飛び抜けて明るい笑顔も相変わらず健在だ。

 

「いや~、びっくりしたよ。まさか君がそんな事を直談判しに来るなんてね!まあ僕も断る理由は無いけど。」

 

人間は本当の恐怖や苦痛を伴う事は嫌でも記憶してしまう。赤子が火に触れて火傷を負い、『火=痛い』、『火に触らない=痛くない』と覚えるのと同じ原理である。

 

ならば、徹底的に痛めつけて貰い、死にもの狂いで抵抗し、苦痛で何を意識するか、何を切り捨てるかを吟味する。手段の効率としては頼りない微かな明かりでしか無いが、一人で我武者羅な暗中模索をしていた時よりは百倍マシだ。

 

それにミリオは『無個性』となっても今の自分より優れた予測能力を持っている。その脅威も体験済みだ。それが欲しい。その経験則が。力に変える為に必要な、糧が。出来るだけ多く、出来るだけ濃密な物が、欲しい。

 

「よろしくお願いします!」

 

「うん、相変わらず君は元気がいいよね!大事だよね、それ!」

 

当然の結果ではあるが、『個性』なしでもミリオは強かった。三年分の経験則は焦った所で埋まらない。時折飛んでくるアドバイスを念頭に置きながらも前に出て攻める。しかし身長、体重、体格、筋肉量と互いの肉体を見比べただけでも歴然な劣勢を覆す事は容易ではなかった。加えてまるで書物の様に読まれる攻撃、防御、回避、全てが通じない。重厚なバックボーンに支えられた技術、戦術眼、動じない精神、どれを取ってもヒーローとしての純度がまるで違う。

 

一時間半近く続く組手は週に三、四度行われる。手加減は一切必要無いと言い切られたミリオも出し惜しみをせず、遠慮なく脇腹や鳩尾、顎、こめかみと言った人体の急所を狙って攻撃してくる。透過の『個性』によって弾かれる勢いが無くとも、鍛え抜かれた体から繰り出される一撃一撃がズシリと重石をぶつけられるかの様に芯まで響く。

 

真心込めて掛かって行く甲斐があるという物だ。

 

鳩尾や肝臓を拳や膝で抉られる度に逆流する腹の中身をぶちまけた。五回目以降は血も若干だが混ざり始める。それでも、出久は倒れ伏したままでいる事をよしとしなかった。これだ。これでいい。これでいいのだ。これだけで、既に多くを学んでいる。

 

攻撃は小さく、鋭く、速く。

 

リーチの無さはダッシュ力で補う。

 

反撃に転じる時の回避動作は最小限。

 

そうでない場合は打ち終わりを狙われない様に体ごと移動する。

 

何があろうと、呼吸を乱さず、構えを崩さぬ事。

 

そしてどんな時だって諦めず、絶対に逃げない事。

 

 

 

「緑谷・・・・・・大丈夫なのか、それ?最初の頃みたく腕ボロ雑巾状態じゃねえけど・・・・・」

 

切島が作り置きの蜂蜜レモンを数切れ差し出しながら心配そうに尋ねた。

 

「あ、ありがと。平気だよ。インターン前の手合わせの時言われたじゃないか、経験則を力に変えられるって。必要な事なんだよ、これは。今まで以上にね。それに何がきっかけで先輩の『個性』が戻るか分からない。何の根拠も無いけどさ。」

 

それでも彼の完全復活を望まずにはいられない。わがままを聞いてもらっているだけなのは百も承知だが、せめて組手が助けになってくれればと思うのは本心だ。

 

だが、歯痒い。悔しい。人間ちょっとやそっとで強くなれる様な物ではない事は理解している。あっと言う間にびりっけつまで落ちて行きながらもそこから這い上がった努力の天才と拳を交えているのだからそれは嫌でも思い知らされる。だが、そう思わずにはいられない。

 

屋内対人戦闘訓練での自損。

 

USJ事件での自損。

 

体育祭での自損。

 

林間合宿でのマスキュラーとの相打ち。

 

幼馴染の伸ばす手を掴み損ねた敗北。

 

幼馴染との喧嘩での敗北。

 

一年A組の総員二十人がかりをボディーブロー一発ずつで喫した大敗。

 

『ワン・フォー・オール』の器を成す事は出来たが、肉体はまだ未成熟。捨て身の戦法以外で安全に出せる許容出力は四分の一にも満たない弱さ。

 

今まで積み重なって来た敗北と相打ちと遜色無い勝利の記憶ばかりが目まぐるしく脳内を駆け巡る。敗北と死の恐怖、屈辱、それを乗り越えられなかった怒りが込み上げて来た。受け取った蜂蜜レモンを口に押し込み、八つ当たりをかましてしまう前に寮の屋上へと昇って行く。

 

碌に咀嚼もせずに怒りと共に飲み込み、欄干に拳を叩きつけた。砕ける程に奥歯を噛み締め、涙が頬を伝って落ちる。

 

音楽を聞いた所でこれは治せない。なら考えるしかない。少しでも糧となる物を得る方法を。

 

ミリオと組手をしない時はクラスの仲間との組手を催すか?飯田や轟、そして尾白や切島辺りなら間違い無く乗ってくれる。必ずしも一人で行動しないヴィランとの対策の為にも一対多のスキルも必ず必要になる。まずは三人か四人。二対二でやると言うのもありだ。

 

だがミリオとの組手が無い日に出来るとも限らない。座学での予習復習とのバランスも必要になる。

 

考えれば考える程胸の奥が痛くなる。頭の中が真っ白になる。

 

駄目だ。これは駄目だ。この状態だけは駄目だ。『無個性』と診断された時と同じ感触だ。あのラインを越えてしまったら本当に色々とまずい事になる。抑えろ。抑え込め。くじけている場合なんかじゃない。忘れろ。忘れてしまえ。

 

ヒーローは強い。強いのだ。泣いているところなど見せられない。

 

四つん這いになり、腕立て伏せの体勢に入る。既に体中が痛いが知った事ではない。歯の隙間から呻き声をあげながらも動きを止めない。

 

足りない。この程度では足りない。もっと痛い方がいい。

 

「経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則・・・・・・・・」

 

もう既に回数は百を超えた。まだだ。ラインから一歩も遠のかない。夜の闇が心も体も踏み砕かんと圧し掛かってくる。だが折れない。折れてなるものか。

 

「経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則、経験則・・・・・」

 

二百。まだだ。しかし二百二十三回目を超えた所で腕に入っていた力が失せてしまった。折角シャワーを浴びたのにまた浴びなければならない。温水でなく冷水を使えばまだマシになるかもしれない。

 

「お、緑谷じゃん。どしたん?」

 

「ぁう・・・・・」

 

背を向けていて幸いだった。普段なら見られた所で特になんとも思わないが、今は、今だけは、誰であろうとこんな情けない姿を見せたくなかった。

 

「耳郎さん・・・・・・・あ、うん、いや別に何でもないんだ。ちょっと、ね・・・・・・・外の空気吸いたくて。月、綺麗だよね。」

 

「新月だよ、今夜。」

 

こうなれば逃げの一手に限る。出来る限り顔が彼女の視界に入らない様に移動し、扉を目指したが手首に何かが巻き付くのを感じて止まった。

 

「ウチの聴覚アンタより上なの、忘れてない?心音も脈拍もダダ漏れだから。」

 

そうだった。隠してももう無駄だろう。何かおかしい事は誰が見ても気付く事だ。でもこれは誰でもない自分の問題だ。解決するのが自分でなければどうにもならない。

 

「何でっもない、よ・・・・・・」

 

「何で嘘つくの?」

 

「嘘じゃ、ないよ。ホントに、なんっでっもぉ・・・・・ない、からぁ・・・・」

 

漏れ出る嗚咽を必死で噛み殺した。振り払わなければ。しかし振り払おうとするのには後ろを向く必要がある。必然的に彼女にみっともない顔を晒してしまう。

 

「だからっ、手ぇ放して。部屋に戻れなっ、ない・・・・よ?」

 

「そんな顔してるとこ見たらほっとけないって。」

 

見えてない癖に何を言っているんだ、彼女は?

 

しかし出久は失念していた。屋上の唯一の出入り口であるドアには窓がある。真っ赤に泣き腫らした目と、涙でぐしゃぐしゃになってしまった情けない顔を映した、夜の色に染まった鏡が。観念した出久はゆっくりと振り向いた。

 

「毎っ回帰ってくるたびにボロボロになってるの見て何も無いと思わないでしょ普通。」

 

ピエロだ。こんな無様な自分はただのピエロだ。折寺中学の校舎ではないが、ワンチャンダイブでもすればこの気持ちも多少は収まってくれるのだろうか、などと不吉な考えが一瞬頭をよぎった。

 

「何でここに・・・・・?」

 

「勉強で煮詰まったから気分転換。頭冷やして音楽でも聞いてよーかなーって思って。」

 

「そう、なんだ。だったら僕がいたら邪魔だろうし、部屋戻るから放して。」

 

「話聞いてた?そんな顔してるとこ見たらほっとけないって言ったでしょーが。」

 

近い。伸ばさずとも手が届く距離に彼女がいる。涙で視界がぼやけてどんな顔をしているのかは分からないが、荒れてごつごつした傷だらけの手を握られたのは分かる。その温もりが更にぼやけ具合を悪化させていく。

 

「ウチは、さ・・・・・・緑谷の気持ちは分からない。ウチはあんたじゃないから。『個性』も遅咲きじゃないから。それだけはウチにはどうにも出来ない。だから、何をどうするのが正しいか、間違いかなんて言えない。でも普段から一生懸命で明るい奴がそんな顔してたら心配しちゃうのはどうしようもないから。だから・・・・・・はぅあ!?」

 

両肩を掴まれ、出久の腕に包み込まれた。

 

「ちょ、え、待っ、緑谷?!あの・・・・・」

 

「ごめん、なさい・・・・・でも、少しだけ。ほんとに、少しだけでいいからっ・・・・・・!このまま・・・・・・このま、まで・・・・」

 

意識して出久が調整しているのかどうかは知らないが、多少力は入っている物の、不思議と痛みも不快感も無い。むしろ心なしか、若干心地良い。震えてしゃくり上げる彼の背中を不器用ながらも優しく撫でてやると泣き声がエスカレートして行った。自分よりでかくて男の癖に情けない、などと耳郎は思えなかった。

 

ヒーローだって人間だ。ヒーローだって心の中で助けを求めているに決まっている。志望生なら猶更だ。

 

「耳郎さんは優しいね。ホントこんなんじゃ、駄目だよね・・・・・?」

 

「駄目になったっていいじゃん、別にさ。やせ我慢すんのって男の悪い癖だよ?」

 

泣きたい時ぐらい思いっきり泣いた方が、後でまた思いっきり笑える。

 



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男女の仲の正念場
見えなくとも残る傷


告白はまだもうちょい先ですが、その先駆けとでも言いましょうか、そんなエピソードを書き上げました。この三人の組み合わせは他の二次創作ではあんまり見ないし、見た目的にも良いのではないかと思って出しています。

では、どうぞ。


「いやぁ~~、助かったぜ緑谷。持つべき物は頭の良いダチだよな。エクトプラズム先生の課題丸ッと忘れたままとか間違い無く顔面蹴り抜かれてたぜ。サンキューな。」

 

「明日絶対小テストあるからそこは自力で頑張ってね。流石に僕もそこまではカバー出来ないから。」

 

緑谷出久、上鳴電気、そして切島鋭児郎の三人は明日提出する課題を終え、息抜きにオンライン協力プレイで巨大生物を屠る某狩猟ゲームの真っ最中だった。装備のチョイス、個々の立ち回り方、そして連携も普段のヒーロー基礎学の訓練もあり、限りなくそれに近い物となっているお陰で進行のペースは初見相手にはエンジンがかかるまで多少時間が掛かるが、掛かってしまえばかなり速い。作ったゲームキャラクターのそこそこ統一された外見や装備の色も相まって『シグナル3』や『信号機トリオ』などと呼ばれている。

 

切島のプレイスタイルはパワー寄りの近距離一辺倒でとにかく攻める、前衛特化型である。一本気な性格は良くも悪くも反映され、狩猟ターゲットにHPを削り切られる事が一番多い。しかしその分他の二人が罠設置や回復などの隙を作る重要な役割もあるのだ。

 

上鳴は基本遠距離とサポートに徹するが射撃の腕は中々高い。それがヒーロー活動でも活かされれば尚の事良いのだが、現実はそう甘くない。

 

出久はスピード重視で遠距離戦もこなせるバランスの取れたプレイヤーで主に司令塔の任を帯びる。雄英一のヒーロー博士でもある彼の観察眼と予測の培いはゲームでも十全に活かされており、高効率な立ち回りと死亡回数ゼロによる受取報酬の下落阻止に一役買っているのだ。

 

「あ、切島君ガード、ガード。はい、そこでバックステップ!」

 

「うぉ、危ねぇ!?地味にいやらしいなこの野郎、デカい癖して。」

 

「上鳴君、徹甲榴弾。頭狙って。」

 

「おう。ほいっと、命中。お、スタン来た!よぅし、尻尾切り落としてやンぜこいつめ・・・・・・ソロで十回も依頼失敗させてくれやがった恨みはデカいぞ。うりゃうりゃ。」

 

「っしゃぁ~~~!倒した~~~!!!悪いな、こっちも手伝ってもらって。」

 

「ま、素材の為だからね。丁度鱗とか切らしてたし。あ、落とした尻尾貰うね。」

 

出久の言葉に上鳴は苦笑した。

 

「うっわ、緑谷ドライだな・・・・・・お前いつもの博愛精神はどこ行った?」

 

「失礼な!あるよ、ちゃんと。どれだけ回復薬融通したと思ってるの?遠距離主体でそこまでダメージ受ける人いないよ?けど、パーティーでやるのも良いね、たまには。ソロもやり込むと飽きるし・・・・」

 

出久は元々精々付き合いでボードゲームやトランプ程度しかやらないが、新しい物は試しと言う事で始めてみると自分がやり込み甲斐を感じるとハマるタイプだと早々に発見し、今ではソロでも超大型モンスターをほぼノーダメージで叩き潰せるレベルにまで成長した。

 

「取って付けた様に言われても説得力ねえわ!」

 

「まあまあ、いいじゃねえかよぉそれでも。」

 

笑いながら切島がとりなす。

 

「しっかし、部位破壊って一つの武器で届いても他のじゃ案外手が届かないところあるよな、地味に。」

 

「あ、あるね、それは。遠距離なら届くとしても動き回るのがモンスターだし、欲しい部分に当たらないのは仕方ないけど。いやー、でも弾丸の材料切らしてるの忘れてそのままクエストやった時は結構焦ったな。通常弾オンリーとかひどい目に遭ったよ。時間制限三秒前のギリギリ達成。」

 

「地味に凄ぇ事してんな、このギワギワゲーマーめ。てかそれでもクリアしてんだろーが。」

 

「まあそれはそれとして、だ。恋バナしようぜ。」

 

「上鳴、凄ぇいきなりだな。それと何が悲しくて男三人で恋バナしなきゃなんねえんだよ。言ってて虚しくねえか?」

 

ぐふっ、と胸を抑えて上鳴りは倒れて膝を抱え込んだ。

 

「傷をなめ合う仲間が欲しいんだよ、俺はぁ!察してくれよ、それをよぉ!」

 

恋の話題が何の脈絡も無く持ち上がった出久はぎくりとした。現状では正直誰にも触れられたくないトピックの一つである。最近の自分は、どこかおかしい。耳郎との交流が増えて、妙に嬉しいのだ。別にそれが悪いと言う訳ではない。ヒーロー基礎学は捗るし、英語も洋楽を聞いているお陰でヒアリングのスキルが磨かれ、ある程度は堪能になった。あくまできっかけを作ってくれただけだが、彼女には世話になっている。

 

しかし妙にざわつくのだ。屋内対人戦闘訓練で幼馴染との一騎打ち、飯田が保須市に行った時、そしてジェントル・クリミナル、ラブラバがヴィランだと気付いた時も、胸がざわついた。しかし今回のざわつきは根本的な質感から過去の感触とは異なる。

 

彼女に抱き付いて思い切り号泣してしまった時からそれが顕著になっている。未だ恋愛経験値ゼロな出久は、それが何なのか全く以てさっぱり分からない。確かにあの時自分は彼女に予期せずして甘えてしまった。甘える事でしか得られない充足感、安心感への味を占めてしまった。母親に甘えるのとはまた別種の何かを。

 

本人はそれを流している為、あの日以来お互いその話題には触れていない。

 

自分はやはり愛情に飢えているのだろうか?

 

今まであまり考えた事は無かったが、耳郎との一件以来その疑問に意識を向けざるを得なかった。別に誰にも愛されなかったと言う訳ではない。母が自分の事を愛してくれているのは言葉と行動の両方で示してくれている。オールマイトとは師弟関係にあり、愛とまでは行かずとも、奇妙な友情は成立している。メリッサ・シールドも同様だ。雄英には何かと気を遣ってくれる轟焦凍や真面目一徹な飯田天哉、今まであまり接点が無かったがそこそこ仲が良い青山優雅、入学実技の時から世話になった麗日お茶子、何でもストレートに言う蛙吹梅雨、そしてゲームで親睦を深めた二人もいる。

 

数にしてそれは約十人。しかし彼らから愛を感じたかと聞かれれば、それは否である。親愛であれ友愛であれ、その様な『無償の愛』を自分にくれた人間は同性であれ異性であれ、いない。今もそうだ。轟に関しては本人の家庭の事情が根強い為強引に行くのも躊躇われた為今のスタンスを保っているが、他の皆はむしろ積極的にくれば受け入れてくれる高い社交性と日常的コミュニケーション能力にたけている人達ばかりだ。

 

やはりどこかで自分が警戒して距離を置いてしまっているのかもしれない。異性にパーソナルスペースを侵されると普段以上にあたふたしてしまうのも、過去の経験によって深く根付いてしまったある種の危険信号、即ち防衛本能なのかもしれない。人種差別にも等しい迫害を十年近く受けた上で生きて来たのだから。今でこそ取るに足らない出来事だが、実際に中学以前にも来世ならば、と思った事はあるのだ。

 

「ここここ恋バナって言っても、ねえ切島君・・・・・・?あ、ヤバっ!」

 

表情筋を引きつらせ、思わぬ操作ミスによって大幅に削られた体力を取り戻そうと後退した。

 

「カバーすっからゆっくりな。うん、まあ確かに今の俺らそれどころじゃねえもんな。ヴィラン連合とのゴタゴタに片が付かない間に浮ついた話とかしてる間に首チョンパとかリアルにありそうだから・・・・・・」

 

けども、と切島は続けた。

 

「そういう浮ついた話題の的になりたくないって言ったらウソだけどな。その点で言えば、緑谷は若干羨ましいと思うぜ。」

 

「あ、それは俺も思った。維持継続して羨ましい。」

 

羨ましい発言に上鳴が同意して手を挙げた。

 

「僕が羨ましい?何でまた?」

 

「いやいやいやいやいや、お前・・・・・・今でもI・アイランドの金髪女神なメリッサさんとメッセージのやり取りしてんだろ!?ヴィラン逮捕の後に連絡先を油性ペンで掌に書かれてさあ。あの日初対面だぜ?!あれか、お前のその人畜無害なビジュアルが相手のガード下げてんだろ、そうだろ?!そうだと言え!」

 

「か、上鳴君、人聞き悪いよその言い方は!・・・・・・それに紙切れとかあの場に無かったんだから仕方ないじゃないか!お世話になったから嫌だとは言えないし。」

 

言えないと言うより、戦闘の後で緊張の糸が切れてどっと疲れが出た為言う気にもなれなかった、と言うのが正確だ。と言ってもメリッサが開発したフルガントレットに命を何度も救われた手前そもそも断る理由自体何一つ無いのだが。

 

それに死にもの狂いでウォルフラムと戦っていた状況だったと言うのに下心が見え見えな彼の口から言外にナンパ師扱いされるのは極めて心外だった。

 

「僕、そろそろ部屋戻るね。おやすみ。」

 

「おう!狩りお疲れ、司令官殿。」

 

「また明日な。今度は全員遠距離でやろうぜ!」

 

エレベーターに乗り込み、自分の部屋がある男子棟の二階のボタンを押した。

 

『メールが来たぁーーー!メールが来たぁーーー!メールが来たぁーーー!』

 

降りようとした所でメール受信を告げるオールマイトの着信ボイスが高らかに流れた。ヒーロー科の生徒は校外でヴィランの襲撃などの緊急事態に陥っても応援を呼べるようにA組、B組の生徒とその担任達の連絡先を登録してあるのだ。

 

メールの送り主を確認すると出久は思わず携帯を落としそうになった。耳郎からである。

 

『話したい事あるから、一階に来てくれる?時間は取らないから。多分。』

 

「多分て・・・・・」

 

また数学の事だろうか?それとも新曲を見せたいのか?それとも今度こそ何か怒らせるような事でもしたのか?適当にごまかして部屋で寝るという事は出来るが、そんなつまらない嘘をついて折角出来た友達を傷付けたくない。加速度的に心配が胸中で渦巻き始めた理由が何であるにせよ、行かないと言う選択肢は無い。

 

『丁度エレベーター内です。すぐ降りるので少々お待ちください。』

 

一階のボタンを押し、十秒と経たずに到着を告げる小気味の良いチーンと言う音と共にドアが左右に開いた。共有スペースはほぼ無人で、ソファーで紅茶を飲んでいる耳郎以外は誰もいない。

 

「耳郎さん、一応来たけど・・・・・・話って何?」

 




原作は読んだ事は無いんですが、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』を意識するつもりで書きました。

出久はヒッキーほどひねくれてはいないのですが、小中はボッチだったのは容易に想像がつきます。そして幼馴染とは名ばかりのいじめっ子がずーッといる為、拍車はかかりまくりの筈です。

過去が過去なだけに表面にそれが出ていない分根強いわだかまりが理性で心の奥底に押し込められ、更にワン・フォー・オール継承に伴い、『ヒーローとしての自己犠牲』という蓋で塞がれているのではないかと勝手に考えています。

シュートスタイル、低出力フルカウルという形で多少信奉は抜けてはいますが、リカバリーガールが言った様に出久にとってオールマイトはいわば神。どんな苦境や逆境も気力で吹き飛ばせる英傑です。そんな彼から学んでいると感化されるのはある意味仕方ありません。『彼ならこうするだろう。自分は彼の力を受け継いだのだからそれに見合う戦い方でヴィランを迎え撃たねば。自分は元「無個性」の未熟者だから誰よりも死にもの狂いで前に進まなければ。』

場合によっては強迫観念ともとれる考えの下、自損覚悟の攻撃や相打ちと言う無謀を繰り返していたとも思えます。


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惚れた負けたのコンフェッション

とりあえず書きあがりました告白パートです。正直上手く書けたかが心配ですが・・・・・

お気に入りが1,000件突破、UAは四万間近って大概ですね。応援、ありがとうございます!短編なので切りよく後もう二話で終わらせようかと思ってます。


吐く息が震えた。耳郎は気分を落ち着ける為に紅茶を入れて飲んでいたのだが、効果はゼロ。逆に舌を火傷してしまった。はっきり言って今の自分がやろうとしている事がとんでもなく恐ろしい。ベクトルこそ違えど怖さで言えばUSJ事件も凌ぐ。普段の表情や言動こそ冷めているが、自分とて花も恥じらう思春期女子なのだ。恋愛に興味はあるし、生き物である以上、性欲だってある。

 

「ああ~~~もう、ウチの馬鹿野郎・・・・・!!」

 

今回ばかりはタイミングを見誤ったのは否めない。しかもメッセージも送ってしまった以上、最早引っ込みもつかなくなった。適当に別の話題で逸らす事も考えたが、彼は妙な所で察しが良い。まごついたらウソがばれて自分で作ろうと動いたチャンスを自らの手で潰す事になる。勿体無い事この上ない。

 

緑谷出久との付き合いははっきり言って浅い。クラスメイトである事以外特にこれという接点が無い他、彼に対する評価自体かなり長い間保留のままにされていたと言うのが大きい。しかしそれは入学初日に行われた『個性』把握テスト、そして後日の屋内対人戦闘訓練以降の行事で塗り替えられた。

 

第一に思ったのが『凄い奴』である事。入試実技当日に遅咲きの『個性』が覚醒し、最近でこそ出力に制御を利かせられる様になってきたが、それが出来ない頃でも彼は決してコントロール不足を言い訳にしなかった。まともに力を扱えない状態で雄英体育祭の障害物競走に『個性』を使わずに一位入賞、騎馬戦も同じく『個性』を使わず、チームの『個性』とサポートアイテムを駆使して死に物狂いで四位に食い込んで決勝戦進出の切符を辛くも掴み取った。偶然でも何でもない、純然たる観察眼と想像力、柔軟性、そして度胸で乗り切った所を目の当たりにしたのだ。その冴え渡る思考能力はヴィラン襲撃時や仮免試験、授業中など、様々な状況で活躍している。

 

第二に思ったのが『危なっかしい奴』であるという事。これは特に推薦入試で雄英入りを果たした轟焦凍との戦いで印象付けられた。自損覚悟の攻撃をああも躊躇わずに敢行出来る奴は、どこか多少頭のネジが緩いどころか外れているような奴でなければ出来ない。今でも彼の両腕にある夥しい傷を見る度に僅かに顔を顰めてしまう。今でこそ力の制御はある程度できているが、有事の際は間違い無く何処かの誰かの為に体を張り、字面の如く粉骨砕身するのだろう。

 

第三に思ったのが『尊敬できる奴』であるという事。はっきり言って自分には大言壮語出来る様な未来のヴィジョンはまだ凝り固まってはいない。ただ、欲を言うなら自分が好きな音楽や歌を通してオールマイトの様に誰かを笑顔にさせる事が出来る、失われた笑顔を取り戻せる、そんなヒーローを目指したい。それが自分の中での暫定的だがトップヒーローの定義だ。

 

しかし緑谷出久と言う奴は寮の部屋でオールマイトのファンどころか信者ともいえる程に彼を尊敬している。彼の様になりたいと。ただそれを一心不乱に脇目も振らずに目指している。その姿を見て応援したくなるだけでなく自分もより一層身を入れて励まねばと思わせる発破にもなっている。担任には問題児扱いされているが、その問題児の余計なお世話が無ければ爆豪救出は無かったと聞いている。やっとの思いで入れた雄英生徒としての立場どころか自分の命すら投げ打ってでも『正しいと思った事』の表明、そしてそれを曲げずに則って敢行する『強さ』は毎度脱帽しっぱなしだ。

 

そんな印象を持つ彼との交流は得る物が実に多かった。ヒーローとしても、人間としても。

 

そんな彼にこんな短期間であっさり惚れてしまう自分はちょろいのだろうか?恋とはする物ではなく落ちる物であるなどと言われているが、正直言って癪だし腑に落ちない。中学時代も何人か告白してきた男子もいたが、一人残らず切って落としてやった。それは別に彼らの所為ではない。見た目が悪かった訳でもない。別段嫌っていた訳でもない。ただ何か違ったのだ。そんな自分が男を呼び出すなど、あの頃の自分は想像もしていなかっただろう。皮肉にも程がある。

 

恋愛について改めて母親に相談した事もあった。何を基準として人を好きになればいいのか、好きかどうかの判断材料は何なのか、告白のノウハウ等々。しかし返って来るのはどれもそれは自分で決める事だ、会えば分かる、惚れた人による、などと曖昧ではぐらかした回答ばかりだった。

 

それでも唯一はっきりとした答えを出してくれたのは何故父親を好きになったのかという質問に対してだけだった。

 

――尽くし甲斐がある人だと思ったから、かな?どういう訳か、放っておけなかったから私から告白しちゃったわ。あ、プロポーズは勿論男がする物だって言うのは譲れないけど。

 

「尽くし甲斐、か・・・・・」

 

もう少し深呼吸をしようとした所でメッセージ受信をスマホが告げた。

 

『丁度エレベーター内です。すぐ降りるので少々お待ちください。』

 

彼の部屋はたしか二階だった。となればここに来るのはもう一分あるか無いかだ。正直、ここまでナーバスになったのは初めて自分の演奏を披露する事になった学園祭以来なのだ。

 

エレベーターが到着し、ドアが左右に開く音がする。

 

「耳郎さん、一応来たけど・・・・・・話って何?」

 

「ま、まあ、とりあえず座って話そ?緑谷が立ったままじゃウチも落ち着かないし・・・・・」

 

食事に使うテーブルを挟んで座り、沈黙する事約一分、曖昧な雰囲気が立ち込めた。どう切り出せばいいのか、そこからどう告白に繋げればいいのか、耳郎は見当もつかなかった。

 

「その・・・・・・急に呼び出してごめん。でも、コレ今言わなきゃ後々になって多分言いたくても言えないメンタルになる気がして・・・・・・」

 

「僕は別に大丈夫だからいいけど・・・・・・どうかしたの?」

 

『個性』であるイヤホンジャックをいじる癖と、彼女のただならぬ表情の強張りに出久の心臓は矢継ぎ早に胸を内側から叩き始め、脳も警報を鳴らしていた。聞くな、耳を貸すな、そしてこの場から逃げろと。ああ言う表情をする人間が言う事は決まって言いにくい事だと相場が決まっている。経験上これは分かる。自分が何かしてしまったのはほぼ確定だろう。彼女は優しい。だから出来るだけオブラートに包もうと言葉を選ぼうと苦労しているのだ。ならば今出来る事はただそれを待って素直に謝る事だけだ。

 

「うん、同じクラスになって結構経つけど、こう・・・・・・挨拶以外で面と向かって話し合うのって割と最近じゃん?それでいきなりなのは百も承知だけど、その・・・・・・う、ウチと、付き合って欲しいんだ・・・・・・」

 

「付き・・・・・・え、っと・・・・・・それはその、いわゆるこ、こい・・・・・・恋人同士でという意味でお間違いナイデショウカ?」

 

出久は思わず声が裏返った。何だ?何を言っている?彼女は一体何を言っている?何故そんな事を言っている?何故自分に向かってその言葉をかけている?

 

「う、うん・・・・・そうです・・・・・・」

 

「え、あ、のっ、ちょ、ちょっと待って・・・・・・ちょ・・・・・・え?」

 

脳の奥がフリーズした。警報は消えたが胸が痛いのは変わらない。

 

「それ・・・・・・何、何かの罰ゲームで言ってるの?それともドッキリ?」

 

そうとしか考えられない。目の前にいる人間は、普段は冷めていて言いたい事は辛辣な内容であろうと歯に衣着せずにズバッと言う耳郎響香とは似ても似つかない。相手に言う事も、自分が言うのもおいそれとは出来ないのだからここまで口籠るのはむしろ当然の事だ。そうであって欲しい。どこかからスマホを持ったクラスメイトが出て来てくれればそれで楽になれるのだ。頼むからこれ以上引き延ばさないで、出て来てくれと出久は祈った。

 

「違う!」

 

身を乗り出して掴みかからんばかりに耳郎は語気を荒らげて否定した。

 

「混乱してるのは分かるけど・・・・・・ウチ、そんな事しないよ・・・・・・」

 

「いや、だって・・・・・・だって、僕だよ?」

 

訳が分からない。彼女が自分をどれ程評価しているのかは知らないが、これは過大で過分で、分不相応だと言わざるを得ない。今まで彼女がしてくれた事には勿論感謝している。音楽という新しい楽しみを発掘した。服を変えて違う自分を見つける旅に出るきっかけもくれた。精神的に追い詰められた、涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった情けない自分を助けてくれた。

 

だがそれはあくまで善意。ヒーローを目指す者としての行動に過ぎない。

 

新しい友達が出来た。喜ばしい事だ。嬉しくなって当然だ。なのに、彼女は自分が越える事を最も恐れる『友人』という境界線を踏み越えて手を差し伸べている。冗談でもドッキリでも何でもない、本心を曝け出してその手を掴んで欲しいと言っている。

 

分かっていても、恐怖を感じずにはいられない。裏があるのでは、と勘繰らずにはいられない。

 

「何で僕なんかにそんな勿体無い事・・・・・・言うの?耳郎さんは、そんな・・・・・・」

 

「勿体無いかどうかはウチが決める!ウチは、緑谷だから、緑谷に言いたいから言ってるんだよ!?」

 

出久は泣いていたが、耳郎も悔し涙が頬を伝っていた。背水の陣に自分を追い込み、高校生活で初めての告白を初手から冗談ではないか、ドッキリではないかと疑われた。プライドは少なからず傷つき、なけなしの勇気も今や風前の灯火である。今この場で全てを投げ出して部屋に戻ればこの二つに一つのロシアンルーレットから解放される。だが答えを聞くまでは動けない。

 

「分かった・・・・・・・耳郎さんが本気だって言うのは理解した。冗談だとかドッキリじゃないかなんて言って、ホントにごめん。凄く失礼だった。でも・・・・・・でも分からないんだ。僕のどこに耳郎さんみたいな人が僕を好きになる要素があるの?それがどうしても分からないから教えて欲しいんだ。」

 

「どこにって・・・・・・」

 

「ご、誤解の無い様に言っておくけど、別に答えを出さずに逃げようとしてるわけじゃなくて!その、耳郎さんもここまで勇気を振り絞ってくれたんだからノリで安請け合いなんてしたくないし、自分でもしっかり納得した上で答えを出したいんだ。その方が後味も悪くなくなるし、白黒もはっきりつくし・・・・・・」

 

「全部だよ。」

 

「全、部?」

 

「ウチは緑谷が、緑谷だから好きになったの。音楽の事で話せる人が出来て嬉しかった。音楽の事をわざわざ教えて欲しいって頼まれて嬉しかった。適当に言っただけなのにクリームあんみつわざわざ買って来てくれて嬉しかった。料理も、当番の時にコツ教えてくれて楽しかった!ヤオモモと一緒に買い物行ってくれて楽しかった!ウチに出来ない事がたくさん出来るのも色々知ってるの見て、正直凄いって思った!凄い奴だって思った!カッコいいって思った!クラスの誰よりもヒーローみたいだって思った!」

 

それなのに当の本人が己の美点を、自分が惚れた理由を否定、卑下している。それが無性に歯痒いやら悔しいやら腹立たしいやらで、涙が止まらない。いつの間にか彼の胸ぐらを諸手で掴んで引っ張り上げていた。

 

「答えたよ。ウチは本気だから。だから、緑谷も答えて・・・・・・!」

 

出久はすすり泣く彼女を見て顔を手で覆った。なんと愚かなのだろうと自分を罵りながら。自分が一番欲しかった物と、それを差し出してくれた人を怖がっていたのだ。そんな自分の馬鹿らしさが彼女を泣かせてしまった。

 

答えなんて決まっている。

 

「僕で・・・・・・僕でよければ、よろしくお願いします。泣かせちゃって、ごめん・・・・・・」

 

「ホントだよ、もう。女泣かせるなんてサイッテー。」

 

差し出されたティッシュの箱からそれぞれ数枚取って涙を拭い、鼻をかんだ。

 

「じゃあ、その・・・・・・正式に彼氏彼女の関係になったという事で。」

 

「え、ちょ!?」

 

出久は両手首をジャックで縛られ、頭の上で固定された。更にそれを手で掴まれ、ぐいぐい押されて背中から壁に押し付けられた。

 

「あの、これ・・・・・・耳郎さん・・・・・・?これ一体どういう状況か説明して頂けると非常にありがたいんですが。」

 

「いいから動くな!な、泣かせた罰。そう、罰だから!」

 

空いた手で首根っこを掴まれて背中を丸め、耳郎も更に軽く爪先立ちになって出久のファーストキスを奪った。テクニックもへったくれもあったものではない、ただ唇同士を押し当てるだけの素人丸出しのキスだ。

 

たっぷり十秒間キスをされた本人は突然の事に目を白黒させ、放された直後にすとんと尻餅をついた。

 

「ざまあみろ、バーカ。こっちこそヨロシクね。」

 

放心した出久に捨て台詞を吐き、耳郎はエレベーターに乗った。

 



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なりたてホヤホヤなお二人さん
彼氏三日会わざれば


感想欄の歓喜の叫びでコーラスが出来るよもう・・・・・・

デートらしいデートはまた後日となります。今回は出久視点です。次回は同じ場面ですが耳郎ちゃん視点でお送りいたします。


その日の授業が終わり、出久はクラスメイト達にまだ教室でやる事があるからと別れを告げた。全員が退室して廊下にも誰もいない事を確認すると、自分の席にストンと座り込んだ。

 

今でも信じられない。白昼夢(あれは夜に起こったのだからただの夢になるが)の様だった。あの涙も、あの叫びも、焼き付いて離れない。特に、あの薄くも瑞々しさが微塵も損なわれていない優しい温もりのある唇の感触が今も自分の物に焼き印の如く残っている。紅茶以外にほんのりとバニラの味がした。リップクリームか、それともアイスでも食べていたのだろうか?

 

腰が抜けたあの夜はあのまま床に座り込んで嬉し泣きしてしまった。その上泣き疲れて寝てしまった所を委員長の飯田に翌朝起こされ、部屋まで連れて行ってもらった。何があったのかと再三問い質されたが、考え事をしている間に眠くなってあそこで寝てしまったとシラを切り通し、本人はそれで(意外にも)納得してくれたのか、それ以上追及する事は無かった。

 

「どうしよう・・・・・・!?」

 

そもそも彼氏とは一体何をすればいいのだろうか?ただ告白されてそれを受けてカップル成立、で済むほど単純な物ではない。少なくとも上鳴や峰田などの彼女を欲しがっているスタンスがかなりあからさまなクラスメイトの会話から察するにその筈だ。その考えは間違っていないと信じたい。

 

正式に他人様のお嬢さんの彼氏になった自分にとってこれは現実的且つ極めて切実な問題である。三日も経っている以上、そろそろ何らかのアクションを起こさなければならない。デートに誘う、と言うのは男女の仲にある者なら当然行き着く答えだ。

 

―――しかしどうやって誘おうか?そしてどこへ?

 

正直言って音楽に心得がある彼女は人一倍感性豊かな人間性の持ち主であろう事はまず間違い無い。経験的に色々と目も舌も肥えていて人間的なレベルが自分とはまるで違う相手をどこに連れて行けば喜ばれるのか、恋愛経験値のレベルがようやく1になった程度の自分では皆目見当がつかない。

 

ぶっつけ本番で事に臨むのは既に何度も経験しているが、初デートで失敗はしたくない。また新たなトラウマを自分で刻んでしまう様な事態は絶対避けねばならない。

 

「ホント、どうしよう!?」

 

とりあえず調べねば。検索、検証、研究、研鑽、略して『4けん不文律』に則って行動すれば必ず突破口が開かれる。その筈だ。しかし時間が無い上寮は門限がある。自ずと行ける所が限られてくるし、予算の都合もある。

 

だが有頂天になる反面、考慮せざるを得ない事がある。付き合っている事がばれた時のしっぺ返しである。上鳴や峰田には血涙をぶちまけられ、飯田には勉学がおろそかになると相変わらず委員長気質な窘めを受け、担任の相澤先生からは気が散る要因になるし精神的に揺さぶりをかけて来る事を常套手段とするヴィランに格好の的を与える事になる為、非合理的だと13号より長く、厳しいお小言を拝聴する破目になる。恐らくあの捕縛武器でミノムシ状態にされたまま。

 

自分がそうなるのはまあまだ許せる。自分の事なのだからどうとでもなる。だが彼女にも迷惑が掛かるのはいただけない。それだけはどうしても避けなければ。その為には自分が上手く立ち回らなければならないのだ。

 

勿論これは贅沢な悩みだと言う自覚はあるし、嬉しくない筈が無い。恋人が出来るなど夢のまた夢の果ての果て、可能性など無量大数分の一だとまで思っていた。思い続けていた矢先にこれだ。惚れたら負けという格言通り、負けも負け、ものの見事に心も唇も根こそぎ奪われてしまった。あの告白で惚れぬ男がいるなら見てみたい。

 

「何を?」と、後ろから声をかけられた。

 

「誘い文句をどうすればいいのかなと思ってて・・・・・・って耳郎さん!?」

 

「ど、どーも、彼女になりたての耳郎です。」

 

僅かに頬を朱に染めながらも不敵な笑みでピースサインをする彼女の姿に心が洗われる。変わり映えのしない制服姿なのに不思議と新鮮に見える。彼女補正と言う奴だろうか?

 

「で、誘い文句って?」

 

「・・・・・・デートに誘う為の誘い文句です・・・・・・こんなんだけど彼氏に抜擢されたわけですし。」

 

「抜擢って、ヒーロー事務所のドラフトじゃないんだから。」と苦笑された。しかしその笑みに裏は無い。悪意も、含みも、そう言った物が一切ない、混じり気の無いものだ。苦笑いであろうと微笑みであろうとしたり顔であろうと関係無い。出久は彼女の全てに心底惚れてしまっている。

 

「まあでも考えてみると独り身から彼女持ちになるのはある意味栄転だね。三日も何も音沙汰無いから心配だったんだけど。」

 

「それについてはご心配おかけしてホンットすいません。言い訳のしようもありません。お詫びに放課後、どこか行きましょう。」

 

「うん、いいよ。」

 

「え?」

 

「おめでとう、言えたじゃん。」

 

「あ・・・・・・はい。」と、あまりの肩透かしにそうとしか答えられなかった。さっきまでああでもないこうでもないと頭を捻っていた自分は一体何だったのだろうか?

 

「付き合ってない奴同士なら兎も角、ウチらはその敷居三日前に越えてんだからそこまで構えなくてもいいよ?」

 

踵を返して去ろうとする彼女の手をいつの間にか握っていた。それを自分の方に引きよせると、物理法則に従って耳郎の体が自分の方へと倒れ込んで来る。そんな呆けた彼女の唇を本能に任せて奪った。奪い返した。三日前のあの夜、彼女が奪った様に。

 

何がそうさせたのかは分からないが、しなければと思った。そして単純にしたいと思った。美味しかったから。気持ちよかったから。

 

彼女の手首を掴んでいた手が二の腕から上腕、上腕から首筋、首筋から後頭部へとゆっくり滑らせていく。彼女の髪に触れた。短髪ボブの紫色の髪は柔らかく、絹糸の束を梳いているかの如く指が驚く程すんなり通る。指先が偶然耳に軽く擦れた瞬間、くぐもった艶めかしい喘ぎが彼女の唇の端から漏れた。

 

「ちょ・・・・・・みど、りや・・・・・・」

 

半歩足を引いてイヤホンジャックの先まで真っ赤になった彼女の顔を見て、自然と口角が上がるのを感じた。今の彼女は、三日前の自分と同じぐらい赤面しているだろう。惜しむらくは腰を抜かしていない事ぐらいだ。

 

「その、お詫び・・・・・です。三日も待たせちゃいましたから。」

 

嘘は言っていない。そして今も冷めやらぬ興奮で全身の毛が逆立っている。肌も凹凸が分かるぐらい泡立っていた。上気した彼女の頬と潤んだ双眼、そしてあの飽き足らぬ唇から目が離れない。アドレナリン故か、ともかく足元が覚束なくなるぐらい頭がくらくらしている。だがそんな事は今どうでもいい。

 

「おい、用が無いならさっさと帰れ。」

 

しかしその燃え上がる興奮はいつの間にか戸口に立っている黒づくめの担任の一言によって鎮火した。

 

「ハイ・・・・・・スイマセン・・・・・・」

 

告白直前の微妙に気まずい空気の中、キャンパスを出た。特に当ても無く歩いていたが、しばらくしたら彼女に肩を思いきり叩かれた。グーで。

 

「痛い・・・・・」

 

「きょ、教室でああいう事すんな馬鹿!たまたま相澤先生だったからまだ良かったけど、クラスの誰かだったらどうすんの!?」

 

「すみませんでした・・・・・・」

 

自分が上手く立ち回らなければならないのだと思ったばかりだと言うのに確かにあれは軽率だった。謝罪はした。猛省もする。だが後悔はしない。彼女はこんなダメダメな自分を受け入れてくれた。こんな自分が凄い奴だと言ってくれた。心の底から尊敬に値する人間だと認めてくれた。そんな人に感謝せず、あまつさえ三日もほったらかしにするなど失礼千万、バチが当たってしまう。

 

「でもその・・・・・・そっちからキスしてくれたのはちゃんと嬉しかったから。時と場所さえ気を付けてくれたら、いくらでもしていいからさ。ほら行こ、デート。」

 

「え、あ、でも・・・・・・その、行く所とか僕全然考えてなくて。この距離と時間帯を考えると木椰子区まで往復するには多少時間がかかり過ぎて込み具合に関係無く門限に引っかかるし、かといってコンビニとかで済ませるのもいくらなんでも安上がり過ぎますし出来るなら徒歩で行けるどこか手軽な場所を探すのがベストですけどどこに何があるとかコスパを吟味しなきゃいけないし、ああでもそれじゃまた時間消費しちゃうから――あだっ!?」

 

「落ち着け、コラ。」

 

いつものように脳を回転させ、考えを越えに出しながらスマートフォンのスクリーンを残像が残る程のスピードで操作し、近隣にある徒歩で行けるデートスポットらしいデートスポットと言う最適解を探そうと目まぐるしく思考を続ける矢先、イヤホンジャックが額を強く小突いた。

 

「何も初デートでそこまでハードル上げる程鬼じゃないよ、ウチは。真剣に考えてくれてるのは嬉しいよ?嬉しいけども、ゆっくり行けばいいから。慣れてきたら期待するけど。凄い奴。こうやって当ても無く歩き回るのもウチからすれば十分デートの範疇に収まるし。」

 

「そう、ですか・・・・・・」

 

もさもさの癖毛を指先に絡ませながら耳郎に頭を撫でられた。初めての感触で妙にこそばゆいが、悪くはない。犬が撫でられるとこんな感じなのだろうか、とふと思ってしまう。彼女の言葉にも多少安心したが、どうも納得がいかない。自分の中でのデートの定義が狭義的過ぎるのかもしれない。しかし範疇に収まると納得されている以上無暗に蒸し返す事も無いだろう。

 

「それとさ、ちょっと疑問なんだけど。」

 

「はい?」

 

「何で敬語なの?そんなんじゃなかったじゃん、付き合う前は。」

 

撫でられながらそう聞かれ、出久は答えに詰まってしまった。自分でも良く分からない。

 

「そう言えば・・・・・・変ですか?」

 

だがこの方が彼女と接する時が一番楽なのだ。勿論変えて欲しいと言うならば努力はするが。

 

「いや変、ではないけど。なんかなあ・・・・・・こう、立ち位置的に目線が合ってない様な感じがま~だ残ってるっぽい。分かる?言いたい事。」

 

「なんとなくは。でも別に壁を作ろうとしてるとかそういうわけじゃなくて――」

 

再びジャックで小突かれた。今度は弱めに。

 

「分かってる。今はまだそれでもいいよ。でも、しっかりそのうち敬語やめて名前呼んでもらうから。さん付け抜きで。」

 

「・・・・・・ハードル高くないですか?」

 

入学初日から付き合いがある飯田や体育祭以来打ち解けた轟すら未だに苗字に君付けて読んでいるのだ。二人きりの時ならまだしも、人前で気絶せずに出来るかどうか不安しかない。

 

「キスの方がよっぽどハードル高いよ!あんたの中でその順序どうなってんの!?」

 

「告白直後にした人に言われましても・・・・・」

 

「あ、そー言う事言っちゃうんだ?じゃあもうしてあげないし、させてあげない。絶対に。」

 

「・・・・・・ひどくありません?その仕打ち。」

 

表情には出来る限り出ない様に努力したが、ずきりと胸を穿つ痛みは禁じ得なかった。あの多幸感を未来永劫奪われるなど、今や味を占めてしまった自分にとって最悪のペナルティーだ。一週間も経てば禁断症状末期で発狂するかもしれない自信が今の出久にはあった。

 

「キス禁止は嫌?」

 

「嫌ですよ。」

 

明らかに手玉にとれている事を楽しんでいる表情で尋ねられ、それに対して食い気味に答えてしまった。自分はもっと複雑な生き物だと思っていたのに、結局は本能に尻尾を振る破目になるのか。そうさせているのが耳郎だからこそ悪い気はしないが、自分の単純さに呆れずにはいられない。

 

「じゃあ寮に戻ったら教室でやった感じのキス、もっかい。」

 

「誰もいないと確認が取れたら、ですよね?」

 

「ん、分かればよろしい。じゃ、音楽聞きながら帰ろ?分配ケーブルあるから。」

 

差し出された手を握り、一緒にかかった曲の歌詞を口ずさみながら寮へ足を向けた。

 

学園祭で初めて聞いた彼女のハスキーな歌声は、相変わらず美しい。

 



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彼女三日会わざれば

女子トイレで耳郎は顔に幾度も冷たい水をぶっかけた。顔の熱が取れない。火照りが冷めない。羞恥心がマッハ全開、ダッシュ豪快を維持継続している。彼のおよそ男とは思えないぐらい程よく柔らかく、ぽってりした唇は清涼感のあるペパーミントの味がした。自分が飲んでいた紅茶の余韻もあって、筆舌しがたい多幸感が全身を駆け巡った。正直、キスの快感があれ程の物とは思っていなかったし、もっとしたいと彼が抱き寄せていたらまず間違いなく受け入れていただろう。

 

「くっそぉ~~~~・・・・・・!!!」

 

自分から呼び出して自分から告白してその上自分から彼にキスまでしてしまった手前、自業自得なのは認めるし結果的にがっついたのが実を結んだ。だが正直恥ずかしくて悶え死にたかった。ラブコメ映画じゃあるまいし。恋愛小説じゃあるまいし。少女漫画の人数だけは無駄に多い男の一人じゃあるまいし。なのに。なのに、だ。恋愛初心者の分際で告白したばかりの相手を壁に押し付けてからかがませて不意打ちのキス、から捨て台詞の『ざまあみろ、バーカ。こっちこそよろしくね。』である。

 

「どう考えても一番バカなのウチじゃんかぁああああああああ!!!あああああああああーーーー!!!うわああああああーーーーー!!!」

 

洗面器を叩く手の勢いが累乗的にエスカレートした。今時の三文ドラマでも聞かないようなクサい台詞をその場の雰囲気や勢いもあって言い切ってしまった。それも高らかに。誰かに聞かれたかもしれない。いや、まず間違い無く誰かに聞かれている。クラスで告白の事が出回っている様子は無いが油断はできない。

 

いつまでも(特に担任の相澤消太相手に)隠し通す事が出来ないのは分かっているが、せめて一ヶ月、いや半月。その間に隠しつつある程度親睦を深め、色々気持ちを整えて付き合ってますアピールをすればいい。うん、そうだ。それがいい。それが今思いつく限りのベストチョイス。

 

深呼吸を繰り返しながら高血圧症患者もびっくりな程に高い心拍数を沈め、教室に戻った。扉を開いた所で彼が座って何やら赤くなったり目を白黒させたりと、一人で百面相しているのが見えた。

 

「どうしよう・・・・・・!?ホント、どうしよう!?」

 

彼とはあの夜以来挨拶すらまともに交わせていない。冷めやらぬ興奮を鎮める為の時間は必要だろうと彼のパーソナルスペースを授業などの必要な時以外は侵す事を控えたが、もうこれで三日だ。そろそろ何かあってもいいのではないか?例えば、デートの誘いとか。勿論生きる自己否定人間である彼をもっと逆方向へ引っ張って行かなければならないのは他ならぬ記念すべき初彼女である自分だが、彼自身が成長してイニシアチブを取るぐらいの度胸を付けなければ意味は無い。

 

だがまあ、焦る事は無い。それはおいおいやってくれればいい。今はとりあえず彼がどうしているのかを尋ねて助け舟を出してやろう。「何を?」と後ろから声をかけてやる。

 

「誘い文句をどうすればいいのかなと思ってて・・・・・・って耳郎さん!?」

 

「ど、どーも、彼女になりたての耳郎です。」

 

僅かに頬に熱がこもるのを感じたが、無視して不敵な笑みでピースサインを掲げて見せた。相変わらずこうもすらすらと歯の浮くようなセリフが口から流れ出る自分に呆れどころか若干の自己嫌悪すら覚えてしまう。恋愛に対して憧れはあったし、今でもある。これが恋愛脳と言う奴か。

 

「で、誘い文句って?」

 

大体予想はつくが、あえて本人の口から言ってもらいたい。

 

「・・・・・・デートに誘う為の誘い文句です・・・・・・こんなんだけど彼氏に抜擢されたわけですし。」

 

にやけてしまいそうな口元に意識を集中させて平静を装った。デートに誘う為の誘い文句。ああ、そのフレーズのなんと甘美な響きか。実に素晴らしいし耳障りが良い、と思ってしまう自分は悪くない。悪くないったら悪くない。それもこれも自分を惚れさせた緑谷出久の人間性が原因だ。悪いのはあいつだ、以上。

 

「抜擢って、ヒーロー事務所のドラフトじゃないんだから。」

 

言葉のチョイスに少し笑ってしまった。数多くいる男の中から吟味し、絞り込み、告白。

あながち間違いではない。

 

「まあでも考えてみると独り身から彼女持ちになるのはある意味栄転だね。三日も何も音沙汰無いから心配だったんだけど。」

 

これは半分本当だ。いきなりあんな告白をかまされて重いと思われるのでは、と内心危惧はしていた。勿論彼ならそれを受け止めてはくれるだろうと言う考えはあったがその優しさに甘えてしまっているのではないか、やはり時期を焦ったのではないかと何度も思った。

 

「それについてはご心配おかけしてホンットすいません。言い訳のしようもありません。お詫びに放課後、どこか行きましょう。」

 

「うん、いいよ。」

 

来た。待ちに待ったお誘いの言葉だ。腰から折れて飯田も美しいと言わしめるほど上半身が床と平行になった状態なのが玉に瑕ではあるが。

 

「え?」

 

「おめでとう、言えたじゃん。」

 

「あ・・・・・・はい。」と、まるで今世紀最大の肩透かしを食らったような呆けた顔でそうとしか答えなかった。さっきまでああでもないこうでもないと頭を捻っていた場面を思い返すと笑いが込み上げて来た。

 

「付き合ってない奴同士なら兎も角、ウチらはその敷居三日前に越えてんだからそこまで構えなくてもいいよ?」

 

むしろその調子でどんどんアプローチして自信をつけて、自分にも女としての自信を与えて欲しい。心身両面に於いてヒーロー科の授業に生易しいと言う言葉は存在しない。自分も出来る事はやれるだけやっている為、引っ込むべき部位はしっかり引っ込んでいる。その為体重や体脂肪率に関しては全く以て心配無い。問題は出て欲しい部位が出ていないという事だ。周りには八百万の様な発育の暴力と言わしめるスタイルの持ち主がいるし、そうとまでは行かなくともクラスメイトの女子は自分を除いて出る所はしっかり出ている。透明人間の葉隠ですら服の上からでも胸の豊かさがうかがえるのだ。

 

まあ彼にはスレンダーな女の良さを後でしっかり説くとして、今は当ての無い制服プチデートに思いを馳せるとしよう。だが振り向いた所で手を掴まれ、後ろに引っ張られた。思いのほか力が強く、バランスが崩れて倒れたが体制はすぐに立て直され、訳も分からぬうちに出久の顔が目の前に現れてキスされてしまった。

 

すすっ、すすすすっ、と衣擦れる音と共に彼の傷だらけのごつごつした手が腕を、肩を滑るようにゆっくり登ってくる。その都度ピクリ、ピクリと体が引き攣った。するのとされるのではこうまで違いがある事に驚きを隠せなかった。手が後頭部に差し掛かり、髪を梳く指先が耳を掠めた瞬間快感が走る雷の様に脳を撃ち抜き、小さく喘ぎ声が漏れてしまう。

 

その瞬間、彼の唇と手が離れた。

 

「ちょ・・・・・・みど、りや・・・・・・」

 

余韻だけでも溶けた脳味噌が耳から流れ出てきそうだった。膝も多少笑っている。

 

「その、お詫び・・・・・です。三日も待たせちゃいましたから。」

 

律儀なのは結構だが、今のはずるい。ずる過ぎる。いつからこいつはこんな狡猾になった?

 

――何で離れたの?

 

そう言おうとした瞬間、「おい、用が無いならさっさと帰れ。」と担任の一声で心臓が止まりかけた。出久もまるで幽霊でも見ているかのように顔から血の気が無くなっている。相変わらず不精髭を生やした抹消ヒーローの表情は読めない。見られていないかもしれないが、見られたかもしれない。

 

「ハイ・・・・・・スイマセン・・・・・・」

 

告白直前のあの微妙な空気を漂わせ、槍のような視線を背中に受けながらも退散し、キャンパスから出た。

 

――何で離れたの?

 

待て、違う。流されるな。周りには出来る限り隠していくと決めた直後にこれでは意味が無い。だがキスは気持ちよかったし、あの積極性は嬉しかった。草食系とばかり思っていた彼が実は世に言うロールキャベツ系と分かったのだ。嬉しくも恥ずかしく、腹立たしくもあった耳郎は出久の肩を思いきり殴りつけた。

 

「痛い・・・・・」

 

「きょ、教室でああいう事すんな馬鹿!たまたま相澤先生だったからまだ良かったけど、クラスの誰かだったらどうすんの!?」

 

「すみませんでした・・・・・・」

 

「でもその・・・・・・そっちからキスしてくれたのはちゃんと嬉しかったから。時と場所さえ気を付けてくれたら、いくらでもしていいからさ。ほら行こ、デート。」

 

「え、あ、でも・・・・・・その、行く所とか僕全然考えてなくて。この距離と時間帯を考えると木椰子区まで往復するには多少時間がかかり過ぎて込み具合に関係無く門限に引っかかるし、かといってコンビニとかで済ませるのもいくらなんでも安上がり過ぎますし出来るなら徒歩で行けるどこか手軽な場所を探すのがベストですけどどこに何があるとかコスパを吟味しなきゃいけないし、ああでもそれじゃまた時間消費しちゃうから――あだっ!?」

 

スマートフォンを操作しながら例のブツブツ人目も憚らずに高速の独り言が出るが、「落ち着け、コラ。」の一言と共にイヤホンジャックで額を小突いてやめさせた。

 

「何も初デートでそこまでハードル上げる程鬼じゃないよ、ウチは。真剣に考えてくれてるのは嬉しいよ?嬉しいけども、ゆっくり行けばいいから。慣れてきたら期待するけど。凄い奴。こうやって当ても無く歩き回るのもウチからすれば十分デートの範疇に収まるし。」

 

「そう、ですか・・・・・・」

 

マリモを思わせるもさもさ頭を撫でてやる。癖毛なのは生まれつきらしく、指通りなどはあまり期待できないが髪に艶はある。根津校長が大事なのはケラチンだとか言っていたが、手入れとかをしているのだろうか?伏し目がちな彼の眼を見て笑いかけてやり、ぐりぐりと少し力を入れた。チャウチャウやマラミュートなどのふわふわした犬を撫でている感じがして楽しい。

 

「それとさ、ちょっと疑問なんだけど。」

 

「はい?」

 

「何で敬語なの?そんなんじゃなかったじゃん、付き合う前は。」

 

これが今の一番の疑問だ。敬語は基本教師や先輩など目上の人間にだけ使っている。八百万は育ち故にですます調がデフォルトだと言うのは分かるが、彼はそうではなかった。不自然と言う訳ではないが、気にはなる。

 

「そう言えば・・・・・・変ですか?」

 

「いや変、ではないけど。なんかなあ・・・・・・こう、立ち位置的に目線が合ってない様な感じがま~だ残ってるっぽい。分かる?言いたい事。」

 

「なんとなくは。でも別に壁を作ろうとしてるとかそういうわけじゃなくて――」そこまで言った所で再びイヤホンジャックで弱めに小突いてやる。

 

「分かってる。今はまだそれでもいいよ。でも、しっかりそのうち敬語やめて名前呼んでもらうから。さん付け抜きで。」

 

「・・・・・・ハードル高くないですか?」

 

「キスの方がよっぽどハードル高いよ!あんたの中でその順序どうなってんの!?」

 

「告白直後にした人に言われましても・・・・・」

 

ここでそれを持ち出すか。ファーストキスで印象深く脚色してしまったのは自分だから言い返せない。

 

「あ、そー言う事言っちゃうんだ?じゃあもうしてあげないし、させてあげない。絶対に。」

 

「・・・・・・ひどくありません?その仕打ち。」

 

本気ではないとはいえ言うだけで罪悪感が半端ない。表情に出さない様に努めているが、出久がへこんでいるのは嫌でもわかる。一週間と経たずに禁断症状末期で発狂するかもしれない。

 

「キス禁止は嫌?」

 

「嫌ですよ。」

 

食い気味な答え方から本気の度合いが窺い知れる。

 

「じゃあ寮に戻ったら教室でやった感じのキス、もっかい。」

 

自分から告白したのだから責任をもって自分にもっと惚れこませてやらねば。

 

「誰もいないと確認が取れたら、ですよね?」

 

「ん、分かればよろしい。」

 

流石は中間四位の成績を持つ男だ、(まだ)学習能力だけは一人前である。

 

「じゃ、音楽聞きながら帰ろ?分配ケーブルあるから。」

 

彼の手を握り、一緒にかかったブラックサバスの曲の歌詞を口ずさみながら寮へ足を向けた。

 

英語の発音が良くなっている。そして笑顔も相変わらず明るくて優しい。

 



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忠犬キャラな出久くん

UA五万・・・・・・増え過ぎ!(ジカンデスピア風)


轟焦凍の和室と化した寮の部屋で出久は緑茶を飲みながら将棋を指していた。初心者である為今の所出久は手合い割有りでも負けこそ込んではいるものの、元々頭の回転は速く、柔軟な考えの持ち主である為飲み込み自体は速く、今では平手で指せるようになっている。

 

「なあ、緑谷。」

 

パチリと脚付きの将棋盤に駒が置かれ、カチッと対局時計に轟の手が落ちる。

 

「どうしたの?」

 

「お前・・・・・・変わったな。別に悪い意味で言ってるわけじゃねえが。」

 

「そう?変わったってどういう風に?」

 

出久も駒を進めて轟の歩を摘み取って聞き返した。

 

「いまいちどう言葉にすりゃいいかは分からねえが、こう・・・・・・雰囲気が、だ。普段の慌ただしさが無くなってる。何かあったのか?」

 

「ん~~・・・・・あったと言えばあったけど。まあその内分かると思うよ?」

 

即座に狙いすました飛車が桂馬を獲った。

 

「そうか。悪いな、変な事言って。」

 

「気にしてないからいいよ。むしろ普段無口だからもっと喋ってもいいとさえ思う。僕も変わったって自覚、少しはあるし。でも何で急に?」

 

「いや、別段理由と呼べる程大層な発端じゃねえが・・・・・・上鳴や峰田が言っているそうだ。女が出来たんじゃねえか、と。」

 

敵陣に辿り着いた歩を成駒として裏返し、対局時計のスイッチを押そうとした所で手が空を切った。

 

「雰囲気が変わったから即恋愛に繋げるなんて、ちょっと強引過ぎないかな?芦戸さんじゃあるまいし・・・・・・」

 

「芦戸の方は分からねえが、女子でもそういう話が持ち上がってるのを聞いた。チラッとだけだがな。」

 

角行の位置を変えた轟がまた攻めに入った。

 

「へ、へー・・・・・」

 

切羽詰まった所はよんどころなく持ち駒を切り落としていくが、それ以外の時は回避と防御に徹する棋風はやはり彼らしい。そして何より一局ごとに着実に上手くなっている。相変わらずブレない奴だと思いながら轟は緑茶が入った湯飲みに手を伸ばした。

 

「聞きかじった限りでは、お前は『心がイケメン』と言う奴らしい。」

 

「『心がイケメン』ねえ・・・・・・言っちゃなんだけどあんましピンと来ないな。それなら轟君はさしずめ『見た目はイケメン、心は天然』ってとこだね。ん、ここはこうだ。」

 

振った飛車が銀に獲られ、「お」と轟の顔色が僅かに変わった。「お前・・・・・・案外いやらしい指し手だな。千日手とかも混ぜてくる所とか。」

 

「そう仕向けるのは轟君だよ?だって戦い方がかなりめんどくさいんだもん。」

 

「そうなのか。」

 

「そうだよ。『個性』を使った攻撃は割と大雑把な癖に。」

 

「・・・・・・否定出来ねえな。けどだったらお前はムラがありまくりだろ。」

 

轟の角行が桂馬を獲ったが、即座に出久は既に獲った駒を次々と盤上に叩き付けて引っ掻き回しにかかる。

 

およそ300手以上に達した所で出久は投了した。飛車を取り返され、更に桂馬と歩に退路を完全に断たれてしまった。

 

「惜しかったな。今回はかなりヒヤッとした。今回は初めてだ、300手以上まで行けたのは。少し前は50も行かないうちに詰んだってのに。上手くなってるぞ、緑谷。」

 

「ありがと。でも轟君も教えるのが上手いし、詰め将棋とかも良い頭の体操になるよ。新発見」

 

「出来る奴が八百万と障子以外いねえから正直助かる。あの二人ばっかじゃ新鮮味がな。」

 

「まあ、分からなくはない。でも新鮮味で言うなら一旦ざる蕎麦から離れるってのはどう?代わりに丼料理とか。」

 

「そこだ。暗にカツ丼を勧めようとしてる所が変わったって言ってるんだ。まあお前がざる蕎麦食うなら別に試してみても良いが。」

 

「お、いいね。折角の夏だしその内やろうよ。」

 

「おお。」

 

休日、午前中の出来事である。

 

 

 

「・・・・・・もうそろそろ隠しきれないか、これは。」

 

午後はとりあえず愛用の音楽プレイヤーを持って海浜公園での走り込み(アンクルウェイト装着状態)だけで済ませよう。

 

現実に直面しながらも思い切り目を背けたい気持ちで一杯な出久はそう呟いた。

 

緑谷出久は落ちた。恋に。

 

堕ちた。耳郎響香と言う女に。

 

溺れた。彼女がくれる愛に。

 

悲しきかな男の性、今や後戻り出来ない(するつもりもないが)程に深みにはまってしまった。交際を始めて一週間と少し。出久は精神的にかなり変わった。少なくとも轟から指摘された様に周りからはそう言われている。担任からもそう言われている。オールマイトからもそう言われている。

 

素直に嬉しいし、良い意味で変わっている自覚もある。だがしかし、正直バレた時の皺寄せが怖い。西の士傑高校と違い恋愛は禁止されていないが、関係を成立させる事をよしとした以上、今まで以上に力を入れなければならない。ヴィラン連合との戦いも、オール・フォー・ワンもまだ何一つ終わっていないのだ。彼女を守る為にも、自分もその上で五体満足でいられる為にも、力も技も経験も何もかもがまだ足りない。

 

自然と走るペースが上がり砂埃を蹴立てて端から端まで往復していた様は、さながらロードランナーと言った所だろうか浜を往復する事八回目でようやく体力が底をつき始め、壁を背にどっかりと座り込んでスポーツドリンクが入ったペットボトルを三十秒と経たずに空にした。これでとりあえずノルマは果たした。他にする事となると柔軟体操と勉強しか思いつかなかった。

 

「耳郎さん、何してるのかな。」

 

ぼんやり雲を眺めながら呟いた。実家に用事があると昨日の放課後に両親が車で迎えに来たきりだ。次の日までには戻り、戻るまで連絡はつかなくなると事前に言われていたし、他人の家庭の事情である為、具体的に何をするのかはプライバシーに当たる為聞くのも憚られた。用事を済ませたら自分から連絡するとも約束したため、自分から連絡を取るのも義に反する。

 

干渉も放置も、匙加減が大事だと何かで読んだ覚えがある。

 

「むー、会いたいなあ・・・・・・」

 

耳郎がいないだけでここまで影響を及ぼすとは正直想定外だったとしか言えない。教室と寮でキスしたあの日以来軽く、さりげないボディータッチはしているものの、キスはしていない。いや、出来ていないと言った方が正しい。タイミングや場所が悪い他、学業が忙しい都合上仕方ないと言ったらそれまでだが、したい物はしたいのだ。手を握るだけでも構わない。

 

心のオアシスとなる人物の不在と未だ音信不通な状況に置かれた出久はゆっくりと、しかし確実にノイローゼになりつつある。もしくは禁煙を始めて丁度イライラし始める機関に突入したニコチン中毒者か。どちらにせよ、妙に気力が湧かず、同時に妙にイライラする。

 

彼女の所為ではない、断じて。むしろ悪いのは自分だ。自制が効かない己が恨めしい。無意識に呼吸が吸って溜息、吸って溜息になってしまう。走っている時は時間が飛ぶように過ぎて行ったのに、今はこうやって座り込んでからまだ十分も経たない。メッセージもまだ来ない。

 

「うー、まだかなあ・・・・・・」

 

音楽を聴いてもちっとも心が晴れない。一人で曲を口ずさんでいても面白くもおかしくもなんともない。彼女のあのハスキーな声が聞こえないと、どうも物足りない。

 

「そう言えば新曲入れたっけ。」

 

最近追加した曲のリストをスクロールし、心は晴れずとも気は晴れる事を祈って

シャッフルした。

 

「イ・キ・ロ~」

 

しかし次の曲へ進めても、どれ一つとして今の気分には合わなかった。

 

「はー、早く帰って来ないかな・・・・・・?」

 

帰ったら思い切り抱きすくめて、髪を梳いて、キスしてあげたい。放せと言われても彼女の香りを肺腑の奥まで吸い込み、全力で無視して抱き付いたまま甘え倒したい。半日ぐらい甘えに甘えるダメ人間になってしまってもバチは当たるまい。その為の休日なのだから。

 

汗を拭き終わって体力もある程度戻った所で立ち上がり、砂を払った。

 

―――帰ってシャワーを浴びたら昼寝でもしよう。願わくば耳郎さんが夢に出てきますように。

 

若干の悲壮感を醸し出しながら歩いて寮に戻り、シャワーを浴びた。夏の熱気を冷ます低温は実に爽快だ。着替えて冷蔵庫からお茶を出そうとした所で玄関のドアが開いた。即座に二つグラスを棚から取り出し、麦茶を注ぐ。

 

たかが一日だが、やっと見れた。メッセージで送られて来た自撮りの笑顔には到底及ばない、生の笑顔を。

 

「おかえりなさい、耳郎さん。お茶、飲みます?」

 

「ん、飲む。」

 

靴を脱いで近づいてくる彼女にグラスを渡すと白い喉が上下にこくこく動いて麦茶を嚥下していく。空になった所で「ふぅ・・・・・・」と息をついた。「いやー、外が暑かったから丁度良かった。ありがと。」

 

テレビを見ているクラスメイトがソファーに数名陣取っている手前、大した事は出来ない。

 

「屋上、行こ。」

 

出久も麦茶を一気に飲み干し、静かにエレベーターに乗り込んで屋上を目指した。他人の目と耳が無い所に着いた所で出久は我慢をやめた。耳郎の腰回りに腕を巻き付けて思い切り抱き寄せた。

 

「ただいま、緑谷。」

 

「おかえりなさい、響香さん。」

 

「ん、よしよし、名前で呼べるようになったね。さん付けだけど。」ともさもさの頭を撫でられる。この髪質が気に入ったようだ。「寂しかった?」

 

「音楽聞いても全然駄目でした。仮免の救助訓練よりつらいです。」

 

「そこまで言うか・・・・・・それと、さ・・・・・・・寂しがってくれたのは嬉しいけど、手それ以上下に動かしたらいくらアンタでも引っ叩くかんね・・・・・?」

 

彼女に巻き付けた腕はそれぞれ背中と小指がギリギリ腰と尻を隔てるラインに届かない絶妙な位置にあった。更衣室で覗こうとした峰田の両目にイヤホンジャックを叩き込む容赦の無さを見せたが、やはり引っ叩くだけで済ませる辺り(本人に認めるかどうかは兎も角として)

満更でもないのだろう。

 

「耳郎さんがやれと言わなきゃしませーん、そんな事。」

 

顔を両手に挟み込んで数日ぶりのキスを交わす。何度も、何度も、ゆっくりと、たっぷりと味わう様に。

 

――足りない。もっと、欲しい。

 

しかし唇を合わせるだけの、児戯にも等しいキスでは、最早満足できない。ボブカットの髪を掌全体で梳きながら自分の方へ引き寄せた。耳郎のシャツを掴む力が強まり、出久は更に体を密着させた。舌が絡み合った刹那、テキサススマッシュ並みの衝撃が二人の脳を突き抜けた。平衡感覚が数舜異常をきたしたがそれでも止まらなかった。

 

息も絶え絶えな二人は満足な笑みを浮かべながらも腰を抜かしてその場に座り込んだ。即座に彼女の膝に頭を乗せて横になった。

 

「甘えてくれるのは嬉しいけど緑谷、がっつき過ぎ。舌取れちゃうから。」

 

「すいません・・・・・・」

 

「許す。だからもっかい。」

 

――至福・・・・・・!

 




次回はにゃんこな耳郎さんです。


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猫系彼女の嫉妬

今回はちょっと短めです。


――ウチは多分『めんどくさい女』に分類すべきタイプなんだろうな。

 

一足早く昼食を済ませた耳郎はそう思った。恋人が出来てから分かったのだが、自分で思っていた以上に典型的な『恋人らしい事』をしたいという欲求が強いらしい。寮、校内、買い出しなどの外出中でも衆人環視の中でなければ基本ボディータッチなどのスキンシップ(キスは流石に人目が無いと確実に分かってからでなければしないが)は割と露骨にべたべたやる方だ。頻度も上がってきている。

 

出久は照れこそするが満更でもないし、逆に彼の方から仕掛けて来る事もある。素直に嬉しいし、引っ込み思案な彼の積極性に応えたい。温もりも体温も匂いも、全部が好きだ。そして触れ合っている時の安心感とマイナスイオンが半端ない。

 

だが自分が『めんどくさい女』認定してしまう理由はもう一つある。独占欲の高さだ。一皮剥けて社交性が増した出久は今やB組の生徒とも(約一名を除いて)ある程度ラポールを形成している。それは別に構わないし、むしろ喜ばしい事だ。頭を撫でて褒めてやりたい。

 

男は別に構わないが、問題は女がその友達の輪に含まれているからだ。合同演習を境に女友達と呼んでも差し支えないぐらい親密になっている生徒が二人いる。その一人が角取ポニーである。

 

「Last strawは、言ってしまエバ、悪い事が何度モ起こって我慢ノ限界を過ぎた事を意味シマス。Camelの背骨を折る最後の藁と言う逸話から来ているらしいデス。日本のコトワザで似ているのは・・・・・感染ブクロ?の緒が切レル、って奴です。」

 

「なるほど、そうか!流石ネイティブスピーカー、知識量からして違う・・・・・!それと『感染』じゃなくて『堪忍袋』だよ、角取さん。感染だとCDCに隔離して貰う奴だから。『ウォーキング・デッド』しちゃうから。」

 

日系アメリカ人の帰国子女である為、プレゼントマイク以上に流暢な英語を操る彼女は度々彼の英語の練習に付き合ったりアメリカンポップカルチャーについても教えている。今やネットフリックスで海外映画を字幕なしで観て台詞を理解出来る程に上達しているのだ。

 

「ソレにしても、緑谷サンは発音が上手くなってマス。チョーイイね、サイコー!イェーイ!」

 

「イェーイ。」

 

交換条件として苦手科目である日本語および古文、国語を手伝わせており、予習復習の合間のおやつに青りんごを食べたり、英語や日本語で取り止めない会話をA組のクラスメイトも伴って食堂で楽しんでいる事もある他、彼女の『個性』である角砲で一対多を想定した練習にも付き合っている。彼女は勉強という建前がある以上そのラインを超える事は無いだろう。

 

問題はもう一人の方、B組の推薦入学者である取蔭切奈である。出久と彼女の交流はヒーローノートの一ページから始まった。と言うのも、I・エキスポで怪獣ヒーロー ゴジロを見た時にその撮った写真を参考に絵を描いている所を見られて絡まれたらしい。なんでも、恐竜が好きで画像とコピーしたノートのページをくれとせがまれ、仲良くなったそうだ。

 

加えて『同じ緑の癖毛持ちのよしみだ』と何かと彼との距離が近く、ちょっかいを出してくる。二人を知らない人間がその様子を見れば似ていない姉弟かいとこ同士がじゃれ合っているようにしか見えないだろう。B組委員長の拳藤曰く、『どっちもイケる』のだとか。

 

ちなみにこの二人とも既に連絡先の交換は済ませている。取蔭の場合半ば無理矢理スマホを奪って赤外線を使ったらしいが。

 

サポート科の発目明とも懇意にしているそうだが、あの竜巻の様に果てしなく自分のペースにグイグイ持って行く感じには相変わらず苦手意識があってタジタジであるのは知っている。それでも改良やアイデアの為に良く出入りしているのは本人の口から聞いた。

 

更に付け加えるなら今ではメリッサ・シールドと言う金髪碧眼のナイスバディ―な清楚系お姉さんとの付き合いもある。オールマイトの親友の娘という立場上、たとえ出久が畏まってしまっても仲が良くなるのはほぼ必然だ。I・エキスポを案内して貰っていたのが何よりの証拠である。

 

彼に友達と呼べる人間が増えるのは嬉しいが、素直に喜べないしはっきり言って気に食わない。出久が一途なタイプなのは身を以て理解しているから浮気の心配はまずありえない。そう頭で分かっていても胸の内側が痒くなる。ムカムカする。イライラする。出久目掛けて空き缶をぶん投げてやりたくなる。

 

――気安くウチの男に触んな!(してるつもりは無いだろうけど)出久もデレデレすんな!

そうは思いつつも、同時につくづく自分の度量の狭さが嫌になる。告白当初の丸ごと受け止めてやる気概はどこに行ってしまったのだろうか?

 

彼のこの快挙は素直に喜ぶべきだし、彼を信じている以上心配したり、やきもきする必要は無い筈だ。むしろ余計な干渉はいらぬ軋轢を生んでしまう他、強く出たくても嫌われるかもしれないという可能性が果てしなく恐ろしい。これはやはり慣れの問題と言う奴なのだろうか?

 

「でもなあ・・・・・・」

 

プッシーキャッツの言葉を借りるなら、緑谷出久を見初めたのは自分だ。比喩的にも、逐語的にも唾を付けたのは自分だ。今になってようやく彼の良さが分かったのだろう。だがもう遅い。彼は渡さない。誰にも。

 

今こうして寮の屋上で仏頂面を引っ提げているのも遊びに来た例のB組女子と和気藹々としているのが気に食わず、臍を曲げて八つ当たりするのを未然に防ぐ為だ。

 

その所為で今日一日ずっと出久とハグどころか手を繋げてもいない。手が届く距離に立っているのが精々だ。

 

「ウチってやっぱしめんどくさい女だ・・・・・・ほんと、どうしよ・・・・・・」

 

「僕は響香さんのそんなむくれた所も途轍もなく可愛いと思いまーす。」

 

「何を馬鹿な事言ってん、の――!?」

 

「どうも、彼氏(ぼく )、参上です。」の一言と同時に首と腹回りに出久の腕が巻き付いて後ろから抱き寄せられた。首筋と耳に当たる温かい吐息がチリチリする。息遣いで自分の匂いで肺を満たしているのが分かる。

 

「ウチ、めんどくさい女じゃない?重くない?緑谷が別に誰と仲良くしようとウチが口出しする様な事じゃないのに。」

 

「ぜーんぜん。めんどくさいのは誰しもそうだし。」

 

抱き締める力が強まり、軽く、本当に軽くだが唇の先で耳を舐られた。耳の裏、耳たぶ、首筋、鎖骨。下へ下へと彼の唇が、歯が、焼き印の様に熱い。その熱を、痛みを、痺れるような快感を齎す彼が、好きだがそれをよしとする自分が、嫌になる。

 

「ちょ、コラ調子乗んな馬鹿・・・・・・ぁっ!!」

 

初めて彼女が出来た男子高校生の分際で本当に狡猾な男になってしまった。いや、自分がそう作り変えてしまったのか。綺麗な目をしているくせに、やる事は汚い。やる事は汚いくせに優しい。優しいくせに少し痛くして来る。そして痛くするくせに臍の少し下辺りが気持ちいいと断続的に腹筋を引きつらせる。

 

振り向いて彼と抱き合い、額を分厚い胸板にぐりぐりと擦り付けて唸った。拗ねて構って欲しい時によくやる『いつものアレ』だ。彼はいつも頭を撫でて、髪をかき上げ幾度も額にキスしてくれる。たったそれだけで幸せな気持ちになれるのだから不思議だし、上手くなっているから質が悪い。

 

「いた、痛い。いったい!響香さん、痛い。痛いです。ちょ、ホントに!イタタタタ!」

 

そんな彼の首筋に血が出て歯形が残るぐらい強く噛みつく自分は、もっとどうしようもない女なんだろう。

 

「ウチは怒ってんの。()()はウチの彼氏なのに・・・・・・」

 

「逃げませんから、僕は。それだけ本気だって事が伝わってきますから結構嬉しいです、個人的に。」

 

まあ逃がすつもりはどちらにせよ無いのだが、やはり口に出してくれると多少は安心する。

 

「そろそろ、言おうと思うんだ。()()()。」

 

「まあ、多分バレてると思いますけどね、聡い人には。特に僕の部屋は隣が峰田君だし。」

 

あいつはもう正直墓穴を自分で掘らせて処すべきだろう。青少年とは言え歩く性欲と言う人間の形をした二足歩行の別の生き物だ。煙草同様、百害あって一利なしだ。

 

「でも言うのは賛成です。はっきり言葉にした方がケジメつきますし。けどその前に一つやっておきたい事があります。」

 

「やっておきたい事・・・・・?何?」

 

「デートです。マジモンの。」

 

「デー、ト?デートってウチと?」

 

「当たり前でしょ?彼女以外誰と行かせるつもりなの、()()は?」

 

意地悪な質問に耳まで赤くなったのをごまかす為にとびきり濃厚なキスを返してやった。

 

狼みたいな忠犬で、悪魔みたいな天使な緑谷出久とのキスが大好きになってしまった自分は彼以上に度し難い。

 



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三種のデート盛り合わせ
大開眼!緑谷出久、Level X


デートのお話です。ガンガン見ナー!


「なあ、やっぱしやめねえか?他人様のデート覗きに行くとか、見つかったら色々ヤバい事になんぞ。そもそもデートかどうかも分かんねえだろ?ヤオモモと待ち合わせでお茶しに来てる、なんて結果だったら無駄足だぜ?」

 

目立たない服と目深にかぶったキャップで出来るだけ変装をした上鳴が心配そうに同じく変装した峰田の肩を指でつついた。

 

「どちらにせよ見つかったら耳郎がキレるのは間違い無いとして・・・・・・よしんばデートだった時の方が怖ぇわ。峰田が言うみたいにもし相手が緑谷だったら猶更だぜ、あいつがマジギレした所なんて想像出来ねえから余計におっかねえ。」瀬呂も頷いて付け足した。

 

やらないとは思うが、もし万が一やろうと思えばデコピン一発で頭をザクロの様に弾けさせる事が出来る『個性』の持ち主なのだ。怒らせれば下手をすると爆豪以上の激怒した何かを呼び起こす事になるかもしれない。

 

「とか言いながら気になってるから付いて来てんじゃんかよ、お前らもよお!オイラは緑谷と部屋が隣同士だから分かんだよ!廊下とかすれ違う度に別の匂いが混ざってるって事が。あいつから・・・・・あいつから女とシャンプーの匂いがしてんだよぉ~~~~!!!!」

 

峰田がバシバシと悔しそうに拳を膝に叩き付ける。目尻と噛み締めた下唇から血が滴り落ちた。

 

「屋上でもデートの話してやがったし、これ見よがしにキスしてやがったんだよぉ~~~~」

 

「マジでか!?」

 

「まあ確かに以前より緑谷ってびくつかなくなったし、B組とも折り合いが良さげになってっけど・・・・・・ぶっちゃけあいつ耳郎が惚れるタイプとは思えねえぞ。むしろ真逆まである。」

 

「逆に考えろよ、上鳴。緑谷が惚れて告ってこうなったってのも十分あり得るだろ?」

 

「・・・・・・まあ、それならあり得なくはない、かな。にしても緑谷いつ来るんだよ?慌てたりそわそわしてる様子はねえからまだ時間には早いっぽいけど。」

 

およそ二十メートル前後離れたベンチには耳郎が腰掛けて出久を待っていた。服装は買い物に行った時に出久が選んだコーディネート一式である。普段身に付ける様なパンキッシュなチョーカーや鋲のあるレザーバングルなどは一切なく、爪も青系で統一してあり、うっすら香水とファンデーションも使っている(あくまで峰田の嗅覚頼りの為真偽の程は定かではない)。

 

「けど・・・・・・緑谷がデートに行くとなると、どんな服着て来るんだろうな?」

 

「あー、たしかに想像つかねえな、あの二人っつー組み合わせからして。少なくとも寮にいる時に着てるモンはデート服にするなんて事は流石に無いだろ?」

 

上鳴の何気ない質問に瀬呂も首を傾げた。

 

「耳郎が今来てる服とは真逆のパンクな服装とかだろ、絶対。彼女の趣味に合わせるなんざジョーシキだ、ジョーシキ。」

 

彼女が出来た事すら生まれてから一度も無いくせに上から目線で峰田が胸を張って自信満々に答えた。

 

「いやいやいやいや、似合わねえだろ。」三者三様のパンキッシュな緑谷出久を思い描いてみたが、あり得ない。特に整髪料なしのあのモサモサな髪形ではパンクのトガッた雰囲気が台無しになってしまう。ヴィジュアル系を狙って化粧も使うとなるとまた分からないが。

 

「じゃあアメカジとか?」瀬呂が提案した。

 

「けど色合いによっちゃ悪目立ちしそうだな。瀬呂みたく背が高かったりガタイが良い奴じゃねえと服に着られてる感パねぇぞ。」

 

「案外ポロシャツとジーパンみたいなカジュアル系で行くんじゃねえか?一番失敗しにくい奴。」

 

「お、ちょっと待て、誰か耳郎の後ろから来てんぞ。」峰田の言葉に意見を出し合う二人の視線が耳郎の背後に注がれた。

 

機能美を追求するミリタリーファッションを意識しているのか、彼女の背後に近づく人物のコーディネートは黒いトライバル模様のプリントを入れた白いシャツの上にワッペンを幾つか縫い付けたオリーブグリーンのM65フィールドジャケット、カーキのカーゴパンツにブーツと言うアースカラーをふんだんに使った服に身を包んでいた。首にはアフガンストールも巻いており、AK47でも肩に担いでいれば名うての少年傭兵に見えなくもない。左腕には腕章の様に紫とオレンジのバンダナを巻き付けてある。

 

髪型は耳郎より短いショートヘアーになるまで後頭部と側面を短く切り、頭頂部の髪を耳の上に触れる程度の長さにまでさっぱりと切ったツーブロックになっていて、頭と顔の形をより際立たせていた。

 

若干ジャケットのサイズが大きい故に遠目からでは分かり辛いが十中八九男だろうと容易に予想はつく。ベンチで待っている耳郎に目が行ったのか、彼女目掛けて一直線に歩みを進めて行く。そんな彼が耳郎の肩を指でつついて彼女の注意を引き付けた。

 

「ちょっと待て、あれ・・・・・・」

 

「何か話してるな。耳郎が応対してる以上赤の他人やナンパって訳でもないっぽいし。」

 

「ええええええええええええええええええええええええ!?!?その声まさか、み・・・・・出久、なの!?」

 

耳郎の突然の叫びに三人は愕然とした。

 

「な――」

 

「ん――」

 

「だ、とぉ・・・・・・・!?」

 

髪の色からしてもしやと思ってはいたが、疑問が確信に変わったその瞬間、三人は我が目を疑いたくなった。涼しい笑みを浮かべた彼はまごう事無き緑谷出久本人だ。耳郎も恋人のあまりにドラスティックな変わりように呆気に取られて開いた口が塞がらず、彼を凝視したまま硬直していた。

 

夢か幻だと思いたいのか、上鳴は何度も目を擦った。「あれが・・・・・・あれが緑谷?そんなんアリかよ、ぱっと見じゃまるっきり別人じゃねえか!モノスグウェーイ・・・・・・」

 

髪型と服装も相まってPV衣装姿のダンス&ボーカルグループのメンバーにしか見えない。瀬呂とて認めたくはなかった。「いや、でも耳郎も下の名前で呼んでたし・・・・・マジパネーイ・・・・・・」

 

しかし擬態の『個性』でも使っていない限り、自分の恋人を見間違える人間はいないだろう。

 

「ざっっっっっっっけんな、あ・の・や・ろぉ~~~~・・・・・・!!!!」

 

ベンチの手摺が捻じ曲がるほどに握り締めていくら悔しがろうとも、認めざるをえなかった。緑谷出久という地味メンの未だ底知れぬ可能性は常識では測れない。何故なら覚醒したばかりとは言え既に進化論その物を超越(オーバー・ザ・エボリューション)しているのだから。

 

 

 

買い物に付き合わせて服を買い、更に彼の爽やかコーディネートを見たのはあの一度きりだけだ。あの一度でかなり印象は変わったが、今回の出久の風体はそれの比ではない。あのもさもさのマリモヘアーが無くなり、バンダナを除けばおとなしめなアースカラーで統一しただけだ。

 

ただそれだけの筈なのに、この伸び率は異常だ。予想外だ。そして何よりも卑怯だ。

 

――何コイツ、滅茶苦茶カッコいいッ・・・・・・!?

 

元々カッコいいとは思ってはいたが、それはどちらかと言えば内面の話だ。外見については勿論可愛げがあって文句は無い。忠犬キャラな彼の種類を例えるなら愛嬌のあるコーギーか、幼く人懐っこいジャーマン・シェパードと言える。しかしそれがどうだろう。化けに化けた結果、彼は今やウルフドッグだ。内外共にきっちりかっちりイケメンになっている。

 

「えっとぉ・・・・・・一応自分で色々調べて安価で出来る髪形に変えて古着屋さんとか回ったんですけど、やっぱり変、だよね・・・・・・」

 

片膝をついて目線を合わせる彼の眼に満ちた自信の火が緊張、恐怖で吹き消されそうになっていた。心臓が止まる程に恐ろしく感じている。可能性は無いに等しいが、もし今日のこれを彼女に否定されれば恐らく立ち直る事は出来ないだろう。

 

呆けたまま半開きだった口を閉じて耳郎はハッと我に返った。いけない。とりあえずこの否定から入りがちな彼氏の悪癖撲滅の為に褒めてやらなければ。

 

「いや、その・・・・・・カッコいいよ、うん。や、やれば出来んじゃん。」声を上擦らせながらも頭を撫でてやると人目も憚らずに抱き付かれた。公衆の面前ではやめろと何度も念を押してはいたし、彼もそれを順守していた。今日までは。居心地悪そうにもぞもぞしていたが徐々に強まる彼の抱擁にいつしか折れ、身を預けた。

 

「響香さんも、凄く綺麗です。」

 

しばしの間二人は見つめ合っていたが、先に照れ臭さが勝った耳郎が立ち上がった。このままでは衆人環視の中でありながら変な気を起こしかねない。

 

「そ、それで今日はどうするの?」

 

「色々考えてありまして。」

 

「色々って?」

 

「色々です。」

 

あの笑ったような、困ったようなそばかすがあるいつもの表情は失せ、指先でこめかみを叩く彼の眼は我に秘策(デートプラン)ありと雄弁に語っていた。柄にもなく胸が期待で高鳴り始める。

 

「響香さん、部屋にステレオターンテーブルありますよね。」

 

「うん、あるけど?」

 

「お店で何かイイ奴、探しましょう。試聴も出来るんですよ!」

 

いつになく積極的な彼の言葉に押されて無言で頷くやいなや、手を握られて軽く躓きながらも彼の後について行く。そして耳郎は少しの間忘れていた。彼氏は俗に言うロールキャベツ男子。度胸も十分ついている。一度主導権を握れば勇気で爆進していく。

 

店自体は多少さびれてはいたが品揃えの豊富さと店主が現役のミュージシャンで仕入れる物も――特にレコード盤は――こだわりを見せている為、人気は根強い。

 

「・・・・・・おお。」

 

趣味とは言え幼い頃から楽器に触れている耳郎をしてこの店は当たりだと考えずとも分かった。

 

「目当ての物って、ある?」

 

「ジャズかブルース系で。」

 

「あ、人が折角ロックの良さを教えてあげたのに。裏切者ぉ~。」

 

脇腹を強めにジャックでつつかれて出久は身を捩った。

 

「ブ、ブルースやカントリーミュージックはロックの起源だからセーフです。」

 

しかし耳郎は面白がって更に継続した。本音を言えば幅広く楽しもうとしてくれているのが一番嬉しいのだが、改めて口に出すのが恥ずかしいのだ。

 

「う~ら~ぎ~り~も~のぉ~!」

 

「ちょ、響香さんやめッ・・・・・ぷくく・・・・あはははは、くすぐっ・・・・・!!」

 

調子に乗ってやり過ぎたのが災いして他の客の生暖かい視線を四方八方から浴びる破目になった。

 

 

 

「ケロ。透ちゃん、見た?」少し離れたカフェの席で蛙吹梅雨がチャイ・ラテを飲みながら小声で尋ねた。

 

「うん、しっかりと。」葉隠透は激しく頷いた(見えはしないが)。

 

「私も見ましたわ。ええ、はっきりと。」鈍器・大手での変装が楽しかったのか、八百万百は今回もかなり凝っている。「もしやとは思いましたが、やはり実際に目にしても奇妙な光景ですわ。緑谷さんと耳郎さんは性格も趣味嗜好も正反対とまでは行かずともほぼ対極と言えます。それがまさか・・・・・・もちろん、喜ばしい事ではありますが。」

 

「対極だからこそ、なんじゃないかしら。同族嫌悪って言葉もあるぐらいだし。それにあの緑谷ちゃんをあそこまで積極的な性格に変えたのが響香ちゃんなら色々と納得出来るわ。あんなに楽しそうな緑谷ちゃん、初めて見るもの。私と話してる時に慌ててるのが嘘みたい。」

 

「うん。緑谷君の引っ込み思案が消えたのってあの二人にいつの間にか接点が出来て話し始めてからだよね。髪型とかも新鮮で客観的に見てもかなーりカッコいいし。B組の女子とかとも仲良くなってるから、結構狙ってる人っているんじゃない?」

 

「ですわね・・・・・・」三人が知っているだけでも恋愛感情の有無に関係無く仲が良い女子はサポート科の発目、I・アイランドのメリッサ、そして麗日お茶子がいる。恋愛感情かどうかは本人が出久並みにあたふたしながら必死に否定している故に真意の程はいまいち分からないが、少なくとも悪感情を抱いている事はまずない。「しかしそれは当人同士の事ですから、向こうがアドバイスを求めて来ない限りは首を突っ込むべからず、ですわ。」

 

「あ、緑谷ちゃんがおでこにチューしたわ。響香ちゃん赤くなってるわよ。」

 

「はいぃ?!」

 

「ヤオモモ、シーっ!」

 

 

 

 

こうして二人は出久が考案したデートプランに沿って考えつく限りのいわゆる『恋人らしいイベント』を消化してから悠々と寮に戻った。

 

「ふぃ~。」

 

「お疲れ。凄く楽しかった。」

 

「ありがとう。それと、はい、コレどうぞ。」寮に入る前に胸ポケットから二つのヘアピンを取り出して耳郎の手に置いた。それぞれ楽譜に使われるト音記号、ヘ音記号がついており、色も彼女の髪に合うミントグリーンをチョイスしてある。

 

「締めくくりはやっぱり何か渡さなきゃなーと思って色々見てたらこれが目に入っちゃって。髪の長さとかも全然気にせず付けられるし。」

 

――ミントグリーン。グリーン。緑。パーソナルカラー・・・・・・つまりコレは男避けって解釈で良いのかな?

 

実際出久はデート中トイレ以外では片時も耳郎の傍から三歩以上距離を空けた事は無かった。当然しっかりリードはしたものの、周囲に気を配る様子は哨戒中の軍用犬に見えた。

 

「今、付けてもいい?」

 

「どうぞ。」

 

「よし、と」特に選ぶ必要も無いので二つを左側につけ、スマートフォンのインカメラで見ると、中々可愛く見える。得意げに胸を張りながら寮の玄関へと足を踏み入れた。

 

「お、耳郎、丁度良かっ・・・・・・隣のそいつ誰?」

 

共有スペースの台所に向かう切島、芦戸、砂藤の面食らった顔に思わず吹き出しそうになったが、どうにか堪えた。

 

――まあそうなるよね。彼女のウチですら面食らったんだから。

 

「やっぱりここまで変わると見分けつかなくなるんだ・・・・・・嬉しい様な悲しい様な・・・・・・」

 

「そ、その声・・・・・まさかお前――」

 

「うん、出久だよ?ウチの彼氏。てか声で分かるでしょ普通。」

 

「カレ・・・・・マジか?」切島の問いに耳郎は無言で頷いた。

 

「マジで?」芦戸が発した二度目の問いに今度は出久が首肯する。

 

「マジ、だな・・・・・・!」砂藤も二人程表情に変化はなかったが、目は大きく見開かれていた。「峰田が色々言ってたのは分かるけどいつものバカ騒ぎかと思ってたのに、まさか本当に付き合ってたとは・・・・・・!」

 

「まさかって何?ウチの見る目疑ってんの?」イヤホンジャックが鎌首をもたげる毒蛇の様にゆらゆらと揺れ始めた。

 

「待て待て待て待て、それは誤解だ、解釈の相違だって!意外だっただけだよ!」

 

「けど緑谷・・・・・・漢らしいぜ、そのヴィジュアル!イイな、それ!好みだ!」

 

「ご丁寧にありがとう、切島君。響香さんもこう言う反応は予想しといた方がいいって。あ、それと多分クラスの人なんだろうけど、五、六人ぐらいに見られてた。内二人は上鳴君と峰田君なのは間違い無いから、瀬呂君に縛っておくように連絡回すの、ヨロシクね。」

 

「・・・・・・ちなみに縛ってどうするつもりなの?」芦戸が恐る恐る尋ねた。

 

「誰なのかにもよるけど、タバスコ100%一気飲みはしてもらうよ?鼻から。」

 

「鬼か!!何その恐ろしい罰ゲーム!?」

 

「その後は全員纏めて・・・・・・Volare Via」

 

その時の出久の満面の笑みを見た三人は心の底から恐怖を覚え、夜が更けても安眠は出来なかった。

 

自分よりも先に恋人が出来た事が非常にムカついた爆豪は夜通しどういう事だと悪態をつきながら部屋の壁を殴りまくっていた。

 



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がっつく女も乙なもの

祝!UA七万突破!そして総合評価三千突破!ありがとうございます!

今回はじゃ~っかん短めになるかな?あともう一、二話で完結させようかと思います。


耳郎との関係が1年A組の皆の知る所となってからというもの、二人はようやく公の場でのスキンシップを敢行した。と言っても腕を組む、頭を撫でる、隣に座る時は体重を預けるなどという極々当たり障りの無いものに抑えている。あまりやり過ぎると真面目一徹の委員長こと天哉・H(非常口)・飯田とツンギレ(切島談)の爆豪がうるさいからだ。

 

周りも隠そうと努力はしているものの、若干の居心地の悪さは否めなかった。しかし人目をはばからずにキスをしているわけでもないのであまり強くは言えず、むしろ微笑ましく見守る者もいる。ちなみにこれは同級生に限らず一部の教師も含んでいる。

 

しかしプライベート時となれば話は別であり、積極性はポンペイを滅ぼしたヴェスヴィオ山の如く噴火した。割合で言えば6:4で出久の方が甘える頻度が多いが、甘えの度合いは耳郎に軍配が上がる。

 

正直今でも何がどうなってこの状況に陥ったのか分からない。いつものように昼ご飯を食べてから音楽を聴きつつゆっくりするお部屋デート的な事をしようとした所でドアに背中を押し付けられ、脳味噌を直に舌でこそぎ取らんばかりに濃厚なキスをおよそ十分間味わった。

 

そして今現在、出久は妙に目がぎらついた恋人に寮の自室内で腰が抜けて座り込んだ所でマウントを取られている。

 

――拝啓、母さん。僕の貞操は現在進行形で危機に瀕しております。

 

嬉しくない訳では断じてない。勿論こういう積極性は嬉しい。嬉しいが重力を含めた諸々を振り切ったこのガツガツした状態は色々まずいのではないか。いや、まずい。

 

かと言って押し退けると間違い無く拗ねて口をきいてくれなくなるか、泣かせてしまう。それも違う意味でまずい。

 

「なーに固まっちゃってるのかなぁ~、出久は?」

 

額同士をくっつけてぐりぐりと押し付けながら至近距離から見つめられ、出久の喉元まで出かかった言葉を飲み込ませた。

 

「あの・・・・・どうしたの?随分、その・・・・・・」

 

――グイグイ来るけど、何かあったの?

 

聞きたい。聞きたいが、この質問はまず間違い無く地雷だろう。そうでないかもしれないが、そうである可能性を完全に排しきれない。

 

「ん~~?別にどうもしないよ?てか彼氏とこういう事したくない女なんていないでしょ?でなきゃハナから付き合おうとも思わないし。」

 

二度、三度とキスが続く。

 

「・・・・・・なんか言ってよ。」

 

――言いたいよ、言いたいですとも!色々と!でも目がイッちゃっておわす貴方にかけるべき適切な言葉が見つからないんですよこっちは!僕がかーなーり死に物狂いで間違いを起こさないように気を張ってるのに畳みかけて来るから言うタイミングなんて皆無だし空気も整わないし!

 

しかし口を開いた正にその瞬間、耳郎の口が出久の耳を捉えた。

 

「はぅあぃ!?」突然の不可解な感触に奇声を発した出久は抗議の声を上げようとしたが、シャツの上から指先で腹筋をなぞられて封殺された。鼓膜に反響する水音に合わせて花火が炸裂するかのようにパチパチと目の前が断続的に真っ白になる。離れようにも後ろは扉で前には髪をやんわりと掴んで耳を好き放題に舐り続けている恋人が逃がしてくれない。

 

無抵抗のまま一分、また一分と理性と言う名の牙城が崩されていく。熱情に溶かされていく。こんな耳郎響香を出久は見た事が無かった。

 

「ウチも、さ・・・・・・したいんだよ?()()()()()。」

 

その『色々』が何を意味するのか、仮にも思春期真っ盛りな男子高校生である出久も分からない程野暮ではない。恋人が出来て髪型も変えて新たな一面を見つける事に成功した事はしたが、それでも人間の性根は簡単には変わらない。こういった手合はやはりまだ苦手で怖いのだ。

 

「出久は、したくない?」

 

――したいよ、したいですとも!是非ッ!バットだがハウエヴァーしかしブレーキの加減という物がもし万が一できなくなってしまったら何もかもがおじゃんなんですよ、響香さん!人のUncontrol SwitchをMax Hazard-Onする怖さを分かってませんよね、絶対!

 

しかし悲しいかな男の理性とは、とかく脆弱である。情欲の濁流は遂に出久を飲み込んだ。若干乱雑だが腰と後頭部に手を添えて唇と舌を食い千切らんばかりのキスを返した。胡坐をかいて体勢を立て直すと、息継ぎなど糞食らえとばかりに力強く引き寄せて絡み合う。

 

正直、今舌を捻じ込まれて窒息死しても後悔は無い。それ程までの充足感を二人は共有していた。だが、足りなかった。薄手のパーカーで彼女の感触と体温が遮断されるのがもどかしく、出久の歯は胸元まで上げられたジッパーを挟み込み、ゆっくりと下ろす。

 

別にシャツを脱がせているわけではないし、行為に及ぼうとしている訳でもない。ただ上着のジッパーを下ろしている、それだけだ。それだけだと言うのにどうしようもなく肌が背徳と興奮で泡立つ。腰に添えていた手でシャツの裾をゆっくりと摘み上げて手を中に潜り込ませると、指の腹で背中をゆっくり撫で上げた。

 

刹那、婀娜っぽい喘ぎ声が漏れた。途切れ途切れの弱々しい抗議の声が上がったようなきがしたが、ジャックの先端を舌で転がすのに夢中で気付かなかった。今はただ、もっと見たい。彼女が乱れる姿を。もっと聞きたい。自分だけに聞くことが許された、色香を纏った声を。もっと感じたい。速まる彼女の鼓動を、上がる体温を、火傷するような吐息を、透き通るような柔肌を。

 

 

 

どれだけの間続けていたかは分からないが、気が済んだ頃には日が既に傾きかけていた。

 

「あー、ヤッバ・・・・・・・頭まだくらくらしてる。駄目になりそう・・・・・急にごめん、あんな事しちゃって。」

 

「役得だと思ってるからお気になさらず。でも、どうしたの?()()()()()()()なんて。通常運転の時とのギャップがかなり開いてるよ。」

 

「やっぱり、引く?ガツガツした女子って。」

 

「それは断じて無い。まあいきなりだなーと思いはしたけど、こう・・・・・・・滅茶苦茶ゾワゾワ来ました。」それも腰と尾てい骨辺りが、正確に。

 

「いつもウチが受け身になっちゃうから勢いに任せちゃえば主導権握れるんじゃないかと思って・・・・・・結局途中で失敗したけど。」

 

――やばい、可愛い!不謹慎だけどしょげてる響香さん可愛い!

 

「響香さんは可愛いなぁ~。」こしょこしょと耳の裏を指先で撫でるとくすぐったそうに身を捩った。猫みたいで実に愛嬌がある。

 

「で、こんな事してる理由なんだけど・・・・・・ウチ、麗日と話したんだ。」

 

「麗日さんと、話した?何を?」彼女がこれにどう関係するのか見当もつかない出久はただ首を傾げるしかなかった。

 

「麗日も出久の事、好きだったんだよ。」

 

「へ?う、麗日さんがだよ?マジで?」

 

「マジで。異性として意識してたよ、憧れも込みで。ウチもそれは良く分かるけど。でも、それが頭の中からすっきり飛んじゃった状態でウチが告白して今に至るから・・・・・・」

 

「・・・・・・なるほど。でも、響香さんが責任を感じる事は無いんじゃない?僕は気付かなかったし、麗日さんも何も言わなかったし。」

 

「分かってる。分かってるけど・・・・・やっぱり、謝らなきゃって思って。許してくれたけど、泣かせちゃったしさ。」

 

「響香さんは優しいね。本当に優しい人だよ。僕がもっと聡い人間だったら、もう少し何とかなったのかもしれないのに。」

 

むしろ客観的に見れば手を拱き続けて何らアクションを起こさなかった方が悪い。恋人でもない相手に伺いを立てる義理など無いし、そもそも恋愛に整理番号など無いのだから。今更何を言っても遅いが、それでも出久は耳郎の友人と恋人の不可能な取捨選択を迫られてしまった状況を作り出した責任の一端を感じずにはいられなかった。

 

「もし出久を大事にしなかったらその時はしっかり攫い返すって公言されちゃったけどね。」

 

「いや、それはあり得ないでしょ、流石に。」

 

「そう信じてくれるのはありがたいしそうならないように努力はするけど、百パーあり得ないなんて事は――」

 

「ない。ないったらない。僕が力士になるぐらいあり得ない。」

 

「プフッ、不可能じゃん!」やはり彼は優しい。そんな彼を独り占めしている自分は幸せ者だ。そしてそんな優しい彼が自分の幸せの原因である事に感謝している事を存分に知って欲しい。

 

「ん?」右耳を何かが軽く挟み込む感触は若干の違和感を生じさせたが、それが何なのか、触れてすぐに分かった。たまに彼女がつけているのを目にした事がある。イヤーカフだ。

 

「ヘアピンのお返し。」

 

「こう言うの付けた事無いからいまいち分からないんだけど・・・・・どう?」

 

「ウチの彼氏でしょ?カッコいいに決まってんじゃん。バーカ。」

 

――よっし!女避けも渡したし、今夜は添い寝してもらお。

 



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夏夜(前編):集えや歌えや花の(えん)

で、でけた・・・・・・

ジオウトリニティの誕生を祝って前編・中編・後編に分ける事にしましたのでかなり長くなりましたがやっとでけた!

今回は割とライダーネタ含めて結構詰め込みます。

T.M. Revolution、abingdon boys schoolのメドレー聞きながら書きあげました(主にBASARAな曲を)。


「なあ緑谷。」

 

「ん、どしたの轟君?」

 

「夏祭りが一週間やそこらで始まるって知ってるか?」

 

「ああ、うん。海浜公園でやるんだよね?チラシとか見たよ、ド派手な奴。」強面なフォースカインドさんが切島と地道にホッチキス片手に貼っていたのが中々シュールだった為、かなり鮮明に印象に残っている。「それがどうかしたの?」

 

「姉さんがかき氷のスタンドを出すから俺も来いって言われてな。右の出力目当てなんだろうが、裏方にいてくれりゃ後は何とかするって言われちまったから断れねえし。」

 

「轟君て、人ごみあんまり好きじゃないもんね。初詣で神社のお参りとか嫌がりそう。」

 

「寝正月はした事はあるがな。二回だけだが。それで・・・・・・多少急なのは承知の上だが、手ぇ貸してくれないか?売り上げの七割は分割してNPOの各組織に寄付する事になるが残り三割は山分けだからタダ働きさせようって訳じゃねえ。俺が行く分コスパ上がっちまって大した金額にはならねえけど。」

 

「まあ千円だろうと百円だろうとお金はお金だからね。」特に金にがめついと言う訳ではないが、自分の裁量で自由にしていいお金をある程度持っている事は得しかない。若干動機が不純で意地汚いと自分でも思うが、多少贅沢なデートをする為の費用も必要なのだ。その為ならばプライド程度は喜んで捨てる。「いいよ。頑張ろう。」

 

「役割分担はおいおい連絡する。」出久が指摘した通り人混みが苦手なのはそうだが、感情が顔に出にくいと言うのもある。体育祭を視聴していた人間からすればクールでカッコいいと言う浅薄極まりない評価を貰うが、姉にも学友に不愛想に見えると言うあけすけなコメントに実際は少なからず心を痛めているのだ。

 

「分かった。でも、轟君って兄弟いるんだ。知らなかったな。」

 

「見るか?写真あるから。」

 

「あ、良いの?」

 

「写真ぐらい構わねえよ。ほら。」

 

スマートフォンに保存された写真を幾つか開いて見せた(エンデヴァーと一緒に写っている物は何事も無かったかのようにスルーしたが)。

 

「お姉さんて、この眼鏡の人?」

 

「ああ。小学校で教師やってる。贔屓目抜きでも腕が良いからかなり人気らしい。」

 

「へー、やっぱり理知的なビジュアルが似てるね。お母さんだけ昔と全然変わってないみたいだけど。こうして見るとどちらかと言えばお母さん似なんだね、兄弟全員。」

 

「やっぱりそう思うか?」

 

「う、うん・・・・・・あくまでビジュアル的な比率という極めて主観的な意見なんだけどね。」詰め寄られて食い気味に尋ねられ、出久は小刻みに何度も首肯した。

 

「そうか、お母さん似か。そうか。」

 

「それがどうかしたの?」

 

「いや、別に。そう見えるなら、それでいい。」

 

どこか満足そうな顔に出久は思わず笑ってしまった。「はい、王手!」

 

「お。」脚付き将棋盤の盤面を見下ろし、逃げ道を探した。しかし、どこにも無い。今や平手で指せる出久は限りなく自分と五分に近い実力に手をかけた事を思い知らされた。悔しい半面、嬉しさもある。「・・・・・・もう一局やるぞ。」

 

「流石は末っ子、負けず嫌いだね。僕の方が負け越してるのに。」

 

「うるせえ。」そんな初めて出来た友達と呼べる男との軽口の応酬の心地よさに、轟は小さく笑いながら駒を並べ直した。

 

 

 

夏祭り。普段なら特に深く考えずに練り歩いて一時間もしないうちに帰っている。屋台で出す料理は美味いがやはり多少値段が張る。浴衣などの和服は初詣やら七五三の時に着た経験はあるし今でも着なくはないが、耳郎はあまり好きではなかった。理由は二つある。着付けなどに他人の手を借りる必要があるのと、単純に動きにくいのだ。それに下駄の鼻緒は擦れ過ぎると地味に痛い。

 

服選びに於いてファッションは勿論、実用性(ファンクション)も重要なファクターなのだ。

 

――かと言って・・・・・・普段着で行くのも味気無いし。いっその事男装スタイルで甚平着て行こうかな?ストローハットはおっさんから借りれば済むし、履く物もスポーツサンダルで敢えて外していくスタイルもあるわけだし。

 

別にパジェントに出る訳ではないし別段目立ちたいわけでもない。出久の目に留まりさえすればそれでいいのだ。それに典型的な『女っぽさ』が女を決める訳ではない。でなければ宝塚劇団の男装麗人が根強く人気を誇る事などなかったのだから。

 

しかし模様や色はどうしたものか?スマートフォンの液晶に映し出された通販サイトのページと睨み合いながら数ある柄や折り込まれた模様を吟味していく。夏祭りに行くのだから派手な事は良い事だが、何事にも限度という物がある。悪目立ちすればただのイタイ女でしかないし、逆に地味過ぎれば和装パジャマを着たまま祭りに来たのだろうかと思われる可能性だってある。

 

下へ下へとスクロールしていき、枝垂桜、紅薔薇、よろけ縞、麻の葉など、模様の候補を幾つかスクリーンショットで保存していく。生地の色は藍色や空色、黒などの落ち着いた物に限定している。

 

「ホント、マジでどうしよう・・・・・・?未だに好みが分からんて・・・・・・ウチ彼女失格じゃんっ!」

 

元々彼は質素でオールマイトグッズ以外の物に関しては障子程ではないがかなり物欲が低い。服装に関しても多少気を使う様に矯正する事は成功したが、安くて着られるならば構わないと大概無頓着な所はまだある。しかしデートの時になると途端に更に向こうへリミットブレイク、超変身としか形容出来ない程に見た目も性格も様変わりする。今回もそれを多少なりとも期待しているのだ。

 

かき氷のスタンドでしばらく手伝うと言っていたが、オーソドックスに甚平で来るのか?浴衣か?それとも斜め上の意外性を狙って作務衣か?

 

毎度ギャップ萌えを体験出来る事に関しては感謝しているが、今はそれを激しく恨んでいる。おかげで彼の好みの詳細が行方不明だ。しかし時間を押している状況が状況である為、あまり長考はすべきではない。当日になっても注文の品が届いていないとあっては笑い話にもならない。

 

女子に自分の彼氏の好みを聞いた所で意味は無いし、かといって男子に聞いた所でからかわれるだけで時間の無駄に終わるだろう。

 

「こういう運任せで選ぶって言うのは好きじゃないんだけど・・・・・・」

 

立ち上がり、ペン立てに使っているマグカップに入った鉛筆を取り出した。中学以来使っていないサイコロ鉛筆だ。候補として絞り込んだものが五つある。六つ目はワイルドカードで別の案にすればいい。

 

「No fear, No pain・・・・・・」

 

相手は多少なりとも勝手知ったる彼氏なのだ。恐れる事は何もない。筈だ。

 

「えいっ。」回転をかけた鉛筆が、耳郎の手を離れた。

 

 

 

「あれ?轟、もう出んのか?」法被に捩じり鉢巻きと既にやる気満々な切島が寮の玄関口で座っている作務衣姿の轟を見て尋ねた。

 

「こっちは準備があるからな。姉さんに早めに出る様に言われてんだ。」

 

「轟君、お待たせ。ど、どうかな?肩の辺りが物凄く楽でちょっと違和感あるけど。麻の生地で出来てるからか、滅茶苦茶スースーするし。」灰色の甚平姿の出久が小走りで玄関まで移動し、落ち着かなそうに肩を回していく。

 

「若干デカいが問題ねえ。夏兄の古着しかなくて悪ィな。生地が傷んでねえ奴、それしか残ってなかったんだ。」

 

「貸して欲しいって言ったのは僕なんだから選り好みはしないよ。」

 

「おお、気にしなくても全然イケてんぜ緑谷、全然!シンプルな紺色と背中の雪の結晶の刺繍、男らしいぜ!で、その傘どしたんだ?」切島は出久が肩に担いだ番傘を顎で示して尋ねる。

 

「ああ、予報で雨が降るかもって出てたから、轟君のお姉さん――冬美さんが持って行きなさいって。降らないなら降らないに越した事は無いけど夏祭りにビニール傘じゃ風情が無いから。」

 

「へ~・・・・・流石部屋を和室にリフォームした奴の姉貴だ。なあ、緑谷。一回傘開いて轟の隣に立ってくんねえか?一回だけ。こう、若干斜め向いて。」

 

「室内でやってもあんまり意味無いと思うけど、いいよ。」意外に慣れた手つきで緋色の番傘を開いた。若干首を傾け、切島の方へ目配せする。「こんな感じ、かな?」

 

「うぉ~~~・・・・・・・すっげえ絵になるな。どこの二代目組頭と補佐官だよ?」

 

「失礼な!僕そんな怖い顔してないから!髪型変えただけで普通そこまで言う!?」それに切島もフォースカインドを親分とするなら彼は若衆と言うか、舎弟だろう。あちらの方がもっとその形容がしっくり来る。

 

「そうだぞ。緑谷は補佐官じゃねえ。と言うより、アレだ、仲が良い別の組の二代目だ。」

 

「そっち!?」

 

「誉められてんだよ、良いだろうが別に。」ぶつくさ文句を言う切島を尻目に二人は寮を出た。しばらくは下駄がアスファルトに当たる小気味のいいカランコロンと言う音が夜の道に響き渡る。

 

「なあ緑谷。」

 

「ん?」

 

「差す必要あるのか、ソレ?」雨も降っていないのに傘を開きっぱなしにした出久を轟は不思議そうに見た。

 

「あ、これ?これは気分の問題。」

 

「気分、か。」

 

「うん。轟君こそ浴衣じゃなくて作務衣で良いの?お祭りが終わったら即修行にでも行きそうな感じだけど。」

 

「しねえ、帰って寝るだけだ。」

 

「そんな勿体無い・・・・・・」

 

「親父も他のスタンド手伝いに来いって姉さんに言われてんだよ。まかり間違って出くわしたらどうするつもりだ・・・・・・・」

 

――なるほど、エンデヴァーもか。だから行きたくないのか・・・・・・で、士気を上げる為に僕を誘ったと。

 

不器用なりに何とか関係修復に漕ぎ着けようとしているのだろうが、感情の距離感を掴むのが壊滅的と言える程に下手糞なのは親が親なら子もまた子なのだなと出久は思わされた。まだ道程は長く、厳しい。

 

海浜公園での設置は既に七割近く進んでいるらしく、中央には和太鼓を幾つも載せた櫓と連なった提灯が幾つも見える。屋台も焼きそば、カステラなどの食べ物から金魚すくいなどの的屋も揃っている。波打ち際で線香花火を楽しんでいる子供たちの引率はマニュアルが務めており、浜辺ではセルキーとギャングオルカが締めに見せる打ち上げ花火をモーターボートに詰め込む算段をしていた。

 

「あ、来た来た!」桔梗柄の浴衣を着たショートヘアーの女性がパタパタと手を振って駆け寄った。轟と違って髪は白の度合いが高く、赤い部分少ししか無いが、顔の形などは彼によく似ている。「おー、緑谷君も甚平似合うわね。その傘も。焦凍と一緒にやくざ映画にでも出てそう。」

 

「言うなよ、さっき出る前にそれ言われてんだ。」

 

しゃがみこんでオールマイトの似顔絵を指で描き始めた。それも無駄に上手い。彼がいる一か所だけが真冬に変わった様に熱が消えて行く。「はぁ~、どーせ僕なんか・・・・・・・ねえ、笑ってよ轟君。彼女が出来て髪型と性格が少し変わったぐらいでこの言われようの僕をさあ。笑ってよ、一思いにさあ。ねえ。鼻でさあ。」

 

「見ろ、緑谷もへこんで不貞腐れちまっただろ。結構デリケートなんだからディスるなよ。」

 

「ごめんなさい!そこまで気にしてるとは思わなくて…‥‥でも二人ともカッコいいから、一応褒めてるんだよ?」

 

「一応でも方向性が違ぇだろ。で、俺はとりあえず氷作ればいいのか?」

 

「うん、このカップの形の奴ね。出来るだけ均等にヨロシク。緑谷君は機械の方担当ね。必要な事はこれにメモしてあるから、頑張りましょう。」

 

「はい・・・・・・」

 

氷かき器は全部で四つあり、シロップはオレンジ、レモン、メロン、チェリー、ピーチにミゾレの六種類ある。

 

――これは・・・・・・僕より障子君の方が適任なんじゃ?

 

彼ならほぼ無尽蔵に腕を複製してペースに淀み無く作業を続けられるだろう。しかしやると言ってしまって会場にも到着している以上、もう後には退けない。祭りが始まるまで残り一時間弱だ。

 

 

 

「にしても・・・・・・」

 

「ああ・・・・・・注文の量が半端ねえな。」左の炎を『個性』伸ばしの合宿である程度使いこなせるようになったおかげで体に霜を下ろさずに氷を作り出せるようになってはいるが、それを維持する多大な集中力と夏祭りの賑わいはかなり相性が悪い。

 

普通の祭りと違い、プロヒーローやその卵達が厳しい監督、指導のもとで『個性』を使ってコスト削減に努めている為、安い値段と人気にどこもかしこも八岐大蛇すら凌駕する長蛇の列が出来上がっており、一向に短くなる気配が無い。

 

出久は長い間筋トレで培った集中力とスタミナが削られて行くのが分かる。指先も大分感覚が無くなってきた。かき氷を作り、運び、戻ってはまた作を繰り返す立ち仕事は、楽しさこそあれど正に試練だった。

 

「これは・・・・・・割ときついね。」

 

「もう少しだけ我慢して。十分もすれば応援が来るはずだから。」

 

「応援?」

 

「夏とお母さん。」

 

「な・・・・・・お母さんが、来るのか?てか来て良いのか?!病院とかの許可は・・・・・・?!」姉の言葉に動揺が走り、冷熱のバランスが途端に崩れ、氷塊がどんどん溶けて水と化していく。

 

「轟君のお母さんが・・・・・!?って轟君!?溶けてる溶けてる!氷溶けてるから!」

 

「っ、悪い。すぐ直す。」再び均衡を保たせようと意識を氷に向け直し、溶けた氷が元通りの均等な氷塊に戻って行く。

 

「病院からちゃんと許可は貰ってるから大丈夫よ。このお祭りも一夜限りだし、それぐらいは許してくれるわ。門限はあるからずっとはいられないけどね。お父さんと顔合わせちゃったりしたらアレだけど、そこら辺は私が上手く誘導するから。二人共もう少ししたら交代して休憩に入って。」

 

「ありがとうございます。」

 

そして九分三十八秒が経過したところ、轟姉弟の母と思しき空色の浴衣を着た白髪の女性がどことなく髪型が若かりし頃のエンデヴァーを思わせる(ただし白髪)轟と同じく作務衣姿の男と一緒にスタンドの裏手に回って来た。

 

「夏兄、お母さん・・・・・・」

 

「冬美さん、僕ちょっとお腹空いたんでお店回ってきますね。」答えを聞かずに出久は席を外した。

 

『ワッセイワッセイ!サァッ!サァッ!サァッ!ワッセイワッセイ!ソレソレソレソレ!』

 

いつの間にか盆踊りが始まっており、えらく威勢のいい掛け声が聞こえる。空にはどこから集めたのか細やかな花びらが辺り一面に舞っていた。どこかに士傑高校の夜嵐イナサがいるのだろうか。

 

「・・・・・思わず持ってきちゃったな、番傘(コレ)。まあ今は良いか。」

 

とりあえず手っ取り早く脳のガソリンであるブドウ糖を手っ取り早く補給出来る、味が濃い物を食べたい。

 

「緑谷サン、コッチにカムヒアプリーズ!」

 

「この独特な訛りの喋り方・・・・・・角取さん?!」

 

振り返ると、見覚えのある一対の角を生やした普段着の上に浅葱色のだんだら模様の法被を着た角取ポニーが手を振っていた。

 

「はい、イッツミー!ジャパニーズパラソル、トテーモ綺麗です。それと私の事はフランクにポニーと呼ぶ、オッケーデス。アンダースタン?」

 

「・・・・・・善処します。あ、ホットドッグ二つ貰えないかな?お腹空いちゃってさ。」無言で差し出されたホットドッグはシンプルながら肉のジューシーな旨味がケチャップとマスタードに絡んでくる。パンも温かい。「あ“-・・・・・生き返るぅ~~。」普段は食べないジャンクフードの美味さが染み渡る。

 

「緑谷サン、私はトフィー・アップルが食べタイです!」

 

「トフィー・アップル・・・・・あ、林檎飴の事ね。それならたしか砂藤君がカステラ作ってる隣の屋台にまだ――」

 

「トフィー・アップルが食べタイです!」

 

「何故二度言う・・・・・・ホワイ トゥワイス?」

 

「トフィー・アップルが――」

 

「三回目!?分かりました、行きます。皆まで言わなくていいですよ。」

 

――いいよ?いいですよ、別に?売上貢献イコール募金貢献ですからね。奉仕活動即ちヒーロー活動の一環ですからね。世の為人の為ですからね。

 

「二種類あったけど、どっちが良い?」

 

「両方お願いシマス、プリーズ!買ってくれた分はキッチリとリターンします。」意外に食いしん坊な様だ。しかしこのスタンドには見たところ彼女一人しかいない。離れる訳にも行かないのだろう。林檎飴二つで済むなら安い物だ。

 

「んじゃ行ってきまーす。」

 

「指さしサツジン超特急でお願いシマスです!帰って来ないとバルスします!」

 

「『確認』ね、『確認』!サツジン、SATSUGAIは駄目、絶対!」全く一体どこからあの言い回しが出て来るのだろうか、出久は甚だ疑問だった。「てかバルスするって・・・・・あれか、滅ぼすって事なの?」

 

幸いと言うべきか、林檎飴を売っているスタンドの列はそう長くはなく、無事に青林檎と赤林檎の飴を一本ずつ買う事が出来た。

 

「・・・・・・何で相澤先生がこちらに?」

 

「仕事だ。」

 

「いや、でも先生が法被なんて――」

 

「仕事だ。」それ以上は、俺に質問するなと眼力が語っている。

 

「あ、ハイ。」大方リカバリーガール辺りに童心への理解を深める為にもやる様に言われて断り切れなかったのだろう。合理性に関しては意志堅固な彼も、純真無垢な子供にはやはり勝てないらしい。服装は代わり映えのしない黒いヒーロースーツの上下に捕縛布とゴーグル、更にその上に蛍光イエローの法被を羽織っている。デザインからしてプレゼントマイク辺りに着せられたのが容易に想像できる。ちぐはぐさは否めないが、恐らく最大限譲歩した結果なのだろう。という事は、自動的にもう一人いる事が推察できる。

 

「デクさん!久しぶりです!」

 

「やっぱりいたね、壊理ちゃん・・・・・」花火模様の浴衣を着て、袖は邪魔にならない様にたすきで結んである。角もギンガムチェックの三角巾で隠しているが、何一つ彼女の可愛いらしさを損なってはいない。そう言えば彼女も林檎が好きだったのを出久は思い出した。たしか、雄英ビッグ3のミリオにも文化祭の時に林檎飴を強請っていた。「売り上げ、どう?」

 

「そこそこ大丈夫です!」

 

「そっか。頑張って!」

 

「はい!」むふーと笑いながら手を振り、見送ってくれた。

 

「お待たせしました。林檎飴二つ。」

 

「アリガトウございまーす!ところで、一つギモンです。何故グリーンカラーなのに青林檎と言うのデスか?信号もここでは青信号、アメリカでは見た色のまま、グリーンライト言いマス。緑と青、ゼンゼン違います。ホワイ、ジャパニーズピーポー?!」

 

「角取さんも一応日系だからね?まあ確かにそれは分かるけど。ほうれん草とか緑色の野菜は全部青菜って呼ばれてるし、その名残があるんじゃないかな?詳しい事は言語学者に聞いて下さい。じゃあ、僕は他のところ回ってくるから。また後で。」

 

「イッテラッシャーイ!」

 

「さてと・・・・・・響香さんを探さないと。」甚平のポケットを探り、しまったと額をぴしゃりと打った。気を利かせる事にばかり気を取られてスマートフォンをかき氷のスタンドにタオルなどと一緒に小さなカバンに置きっぱなしにしたまま出て来てしまったのだ。誰かに獲られる可能性は無いが、今からまたあそこに戻るのはこの人だかりでは難しい。ワン・フォー・オールを使えば一気に飛び越えられるが、それも法律上出来ない。「参ったなぁ・・・・・・絶対コレ怒ってるだろうなあ。」

 

「よ~~く分かってんじゃん。流石はウチの彼氏。」

 

――ガッデムシット・・・・・・絶賛絶滅タイムがスタートアップしたよ!僕の命がタイムブレイク待ったなしだよ!十秒もかかんないよ!

 

聞き覚えのある、怒気が滲んだ女の子の声と共に出久はゆっくり傘を下ろした。

 



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夏夜(中編):恋が為、天を目掛けて勝鬨を

中編!

続々行く~ぞ~!


――お、恐ろしいっ・・・・・!

 

後ろを振り向くのがここまで恐ろしい事だと感じたのは今回が初めてだった。

 

「で?どういう風にお詫びしてくれるのかなぁ~?かき氷のスタンドでの手伝いが終わったら連絡くれるって算段だった筈なんだけどなぁ~?おかしいなぁ~。」

 

何やら金属製の物を手に軽く何度もつっぺしつっぺしと打ち付けている音がする。明らかに扇子などの小物の類より重い音だ。特殊警棒か?はたまたスタンガンか?いや、まさか足して二で割って伸縮式のスタンバトンか?創造の『個性』を持つ八百万が友人なのだ、何を持たされてもおかしくはない。

 

「待てど暮らせどメッセージの一つも来ないんだもん。この浜、一往復しちゃったよ?それなのに呑気にホットドッグ食べてた挙句にB組女子にパシられてたもんね、林檎飴を。二つもさあ。」

 

「それについてはですね・・・・・・弁解の余地を頂けないでしょうか?百文字で結構ですので。」

 

「五十字以内で述べよ。」

 

――容赦無いな・・・・・・!?

 

だがスマートフォンが入ったカバンをかき氷のスタンドに置き忘れたままその場を後にして連絡を怠った責任は全面的に自分にある。この状況に於いて彼女の要求に応じないと言う選択肢は最早無い。「スタンドに一人だけだったから頼まれました。代金分は返してくれたので奢ってはいません。」

 

「オッケー、分かった。本人にも確認は取ってるからそれは特赦って事で水に流したげる。だ・け・ど・も!連絡の一つも寄越さず、恋人と夏祭りデートするって約束を取り付けたにもかかわらず、ほったらかしにしたと言う極刑レベルの責任問題が残ってるんだけど。無いと分かってても色々勘繰っちゃったんだけど。精神的苦痛に対する賠償を要求するから。」

 

ぐりぐりとジャックが背中にアイスピックの様に突き立てられている。痛い。じわじわと痛い。しかし、言えない。言ってしまったら最後だ。兎に角歯を食い縛って出久は堪える。「で、では・・・・・・今夜思いつく限りのリクエスト全てに気が済むまで僕が全身全霊で応じると言うのは、いかがでございましょうか?」

 

「当然でしょ?じゃあ早速。こっち向いて。」

 

「ハイ・・・・・・」最悪の場合、『愚か者め、首を出せ』などと言われたら差し出すしかない。正直あれで駄目なら五体投地も辞さなかったが、どちらにもならずに済んで出久は内心ホッとした。

 

そして言われた通りに振り向いた刹那、呼吸と言うものを忘れた。

 

――オーマイ・・・・・・オーマイ・・・・・・グッネス!!!

 

女性用の甚平という物があるのは知っていた。耳郎が着ている物は白地に紫のナデシコ模様のそれだった。肩に辛うじて触れるおかっぱヘアーに音符のクリップだけでなく一部を三つ編みにしていた。それが見える様に浅くストローハットをかぶっており、甚平の生地に負けず劣らず白い足にはスポーツサンダルがある。手足の爪も紫色で統一してあった。

 

――薄化粧もしてる・・・・・・こんな綺麗な人を待たせてたのか?

 

確かに、極刑レベルの大罪である。

 

「呆けてないで、さ、さっさと感想言えよ馬鹿!」

 

「惚れ直しました。何もかもが素晴らしいです。三つ編みと言う新しいチャームポイント開拓もグッドです。可憐です。可愛いです。かぶりつきたいです。」

 

「ぁ・・・・・・・ぁあ、うん。オッケー、分かった。その・・・・・・ありがと・・・・・・・って、か、かぶ――人前で変な事言うな!」脇腹を肘で小突き、手を握って引っ張って行く。帽子を深めにかぶり直し、にやける顔を隠す。まさか真顔で返されるとは思わなかった。こんな役得を拾えるなら天に運を任せるのもたまには悪くない。

 

彼は打算的な男ではない。ヒーローとしては勿論、人間としてもそうだ。だからこそ厄介なのだ。恋愛の駆け引きが上手いと言う訳ではなく、下手と言う訳ではない。ただ、正直だ。裏表が無い。無いが故に、読めない。次に彼が何を言うのか、何をするのか、まったく分からない。分からないからこそ息苦しいほどの動悸に苛まれる。狂おしい程の情欲に突き動かされる。そして――天の高さも測る事すら叶わぬほどの幸せの高みへ導いてくれる。

 

――でも、この暖かいの・・・・・・五年後にはどうなってるんだろ?

 

五年後。世間一般で言うところの成人、二十歳前後の未来だ。現在(いま)に集中するのが忙し過ぎて想像もつかない。プロヒーローとしてのデビューを果たして、サイドキックとして実績を積んで行って、それから――

 

それから、どうなる?自分の隣に出久はいるだろうか?いてくれるだろうか?自然災害、テロ、ヴィラン――相澤の言う通り、理不尽と言う名の世の理は何物にも屈せず、地球滅亡の日まで湧いて出る。プライベートで会う時間も取れるかどうか分かったものではない。雄英にいる間でも二年、三年に進むにつれ忙しさは増していく。

 

関係を持ったヒーロー同士が活動やその他の都合で会えなくなって関係が自然消滅、なんてこともよくある事だと話には聞く。しかしいざその状況を自分に当て嵌めてみると、夏の暑さが霧散する程に背筋が凍った。

 

「わ、綿菓子!綿菓子食べたいから買って。ほら、カバンも持ってきたし。」かき氷スタンドで事情を説明して回収した出久のカバンを鈍器のように脇腹に叩き付けてよこした。

 

自分から告白した手前、全く以て厄介な男に惚れてしまったと常々思う。惚れた弱みは、まっこと恐ろしい。

 

「ごぉぅふ!?・・・・・・はーい。」

 

綿菓子のスタンドはリカバリーガールが仕切っており、サービスで少しばかり大きめの綿菓子を貰った。餌付けでもするかのように出久はそれを小さく千切っては耳郎の口に運んだ。時折指を舐められ、驚いて引っ込めようとした所を噛まれて数秒放さずにいる。まだ怒っているぞというアピールなのだろう。

 

一旦休憩用に用意されたパイプ椅子に腰かけて指を拭くと番傘の柄を短く持ち、前方と左右の視界を一瞬遮って仕返しとばかりにカプリと耳に歯を軽く立てた。

 

「ひぅ?!」

 

二秒、三秒と時が経つ。熱の籠ったザラザラした表面の舌先が飴玉でも転がすように耳を弄ぶ。「こら、ちょ、何す――」四秒、五秒、六秒。粘着質な舌の動きが、吐息がダイレクトに頭蓋に響く。七、八、九、十。ぐずぐずになるまで沸騰した脳味噌を吸い出さんばかりの舌捌きに、二度三度耳郎の体が小刻みに跳ねた。

 

「ぁぅあ・・・・・・」

 

「指齧られるの、案外痛いんだよ?周りの人にも滅茶苦茶見られてたし。だから仕返し。」何食わぬ顔で居住まいを素早く正した出久はそのまま傘を畳み、したり顔で耳郎の方を見る。

 

真っ赤になった一対のイヤホンジャックが鎌首をもたげたコブラの様に顔面を狙っているが、先端がプルプル震えている。俯いているため表情は窺い知れない。

 

――あ、多分出たな。嬉し恥ずかし腹立たしモード。

 

「ね、出久はさ・・・・・ウチの事、好き?」

 

「好きだよ。今でもちょっと驚いてるんだ。親でもない人をここまで好きになる事が出来るんだなーって。それが響香さんで良かったと思う。」

 

「じゃ、じゃあ――アレ優勝して。」

 

「アレって?」

 

耳郎が指さした所の砂がいつの間にかステージとなって大きく盛り上がっている。ワイルド・ワイルド・プッシ―キャッツも手伝いに来ているようだ。ステージには司会を務めるプレゼントマイクがどぎついネオンカラーの法被を羽織って盛り上げている。「レッツ・パーリィ!!始まるぜ、一発闘魂!のど自慢大会!これは事前に有志を募り、そこから更に抽選で選定された十名のシンガーが一曲ずつリスナー達にプレゼントするっつー仕組みだ!ルールは簡単!審査員が歌唱力、パフォーマンス、音程などの基準でそれぞれ十点満点までの点数をつけるぜ!なお!優勝者にはささやかではあるが景品も用意してある!内容は勝ってからのお楽しみ!それまでしっかり待ッテローヨ!」

 

観客の沸き具合が更に高まって行く。

 

「続いて今大会の審査員の紹介だ!進行役を務めさせてもらってる不肖この俺ことプレゼントマイク、海の大親分ギャングオルカ、一昨年に殿堂入りを果たしたエクトプラズム、ヘアスプレー『UNERI』でお馴染みのMs.ウワバミ、そして今回初めて審査員を務めるゲストはレアもレア!知ってる奴は知っている、知らねえ奴は見知りおけ!鋼のムーンサルトキックが大得意!勝気なバニー・・・・・・ミ・ル・コォ~~~~!!!」

 

「・・・・・・いや、抽選だし僕は応募なんてしちゃ――」

 

「ウチが出久の名前で代わりにエントリーしといた。曲も夏祭りの雰囲気に合う奴選んであるし。」

 

「パードゥン?!」思わず英語が口から飛び出る。

 

「優勝したら、ほったらかしの件は本当に許したげる。で、終わったら・・・・・・終わったら、ウチからもプレゼントあげるから。」

 

――やられた・・・・・抽選だから一々筆跡とかも確認してないだろうし、これはもうマジでやるしかないんだろうなあ。それに事前にやってたって事はほったらかしにしていようといまいと結局やる事になってたのね。まあヒーローが戦うのは愛と平和(Love & Peace)の為ですからね。やるよ、やりますよ。やりますとも!やりゃあいいんでしょう!?

 

「響香さん、帰ったら全身歯形&キスマークの刑ね。さて、一旗揚げに行きますか。」

 

――いざ出陣!エイエイオー、なんちゃって。

 




次回でラストです。ここまでお付き合いいただきありがとうございます。


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夏夜(後編):焦がれ散りぬはナデシコか

しゅうりょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!




――まさか、マジで勝っちゃうなんてなあ・・・・・・ま、まあウチの彼氏だし?ギターのリフとかも一人でその場でアレンジ出来るようになってるし?高いオクターブも余裕で歌えるし?勝負は時の運とは言うけど、七、いや八割方結果なんて分かり切ってたけどね?

 

しかも順番が回って来たのは精神的に一番ハードルが高い十人目なのだ。大トリを飾るか、大いにスベるか、プレッシャーは半端ない。しかしそれを物ともせずに見事文句なしの五十点満点で勝利をもぎ取った。やはり夏祭りに『和』のテイストが強いロック調の曲を選んだ事もあったのだろう。舞い並ぶ花弁と彼が担ぐ番傘、そして夜空に打ち上げられる多種多様な極彩色の花火は実に画になった。

 

正しく、黄金級の経験(ゴールド・エクスペリエンス)と呼ぶにふさわしい夜だった。

 

寮に戻り、準備が整ったらメッセージを送るからその時に来るようにと伝えてある。

 

「我ながら先走っちゃったかも・・・・・・」

 

彼も健全な男子高校生、そして今や彼女持ちだ。あの誘いが何を意味する()()なのか、帰る道すがら薄々感づいているだろう。余裕が出て来た表情も振る舞いも、油を差さなかったブリキの木こりにも劣らぬレベルのぎこちなさに逆戻りしてしまっていた。

 

不安が無い、怖くないと言えば嘘になる。だが後悔は無い。これから起こる事に後悔は無かった。半面、卑怯な手だとは思う。心だけでなく体の手練手管でも彼を自分に繋ぎ止めようとするなど。でも彼なら、彼だからこそ受け入れてくれる。それが緑谷出久だから。

 

論理的に見れば根拠と呼ぶにはあまりに薄弱すぎるが、恋愛は理屈ではない。信じていればそれでいいのだ。

 

シャワーはもう浴びたし、部屋も片付いている。歯も磨いた。避妊具(五枚綴り)ともしもの為の錠剤もある。気を落ち着ける為にもスロージャズを聴いてリラックスできるようにしている。後はメッセージを送るだけだ。

 

――内容考えてなかったっ!!!!

 

気持ちが先走って結果にばかり目が言った結果がこれだ。

 

「ウチのドアホ・・・・・・!!こういう時の言い回しってどうするんだっけ?」ああでもないこうでもないと頭を捻ってうんうん唸っている内に規則正しく間を空けたノックが三回聞こえた。

 

来た。扉越しの心音と息遣いだけで必死に落ち着こうとしているのが分かる。「あ、開いてるから入って。」

 

極度の緊張で時間の感覚が延長されているのか、扉の開閉の動作が恐ろしく緩慢に見える。部屋着姿の出久の表情は堅い。後ろに回した手で施錠される音がやけに大きかった。「来た、よ?」

 

「うん。ありがと。それとのど自慢大会優勝、おめでと。」

 

「あれは正直ビビったよ。最後とか。」

 

「ウチも実はちょっと焦った。最後には勝つって分かってたけど。」立ち上がってゆっくりと出久との距離を縮めて行く。ぽすんと額を胸に付けてくしくしと擦り付けた。「ごめんね、あんな意地悪しちゃって。でもどうしても聞きたかったからさ。出久の歌声。想像以上だった。」

 

「なんとかなったからもういいんだけどさ・・・・・・で、プレゼントと言うのは・・・・・・?」出久は声が震えるのが分かった。改めて聞き直したのはやはり深読みしたのではないかと言う一抹の不安が残っていたからだ。だがこればかりははっきりさせておきたい。一度その一線を越えれば戻れないのだ。

 

「想像通り、ウチ・・・・・・だよ?ウチの、全部。やけくそになってるとか思ってるかもしれないだろうけど、違うからね?ちゃんとウチが出久としたいって決めて呼んだから。」彼の背中に腕を回してゆっくりと力を強めて行く。出久は優しい。だが優しいと分かっていても怖い物は怖い。知らない仲と言う訳ではないが、親兄弟ではない赤の他人に自分の全てを預けるという事なのだから。「す、するんでしょ?全身歯形&キスマークの刑。いいよ、しても。でも、その・・・・・・お手柔らかに、ね?初めてだし、さ。」

 

今の彼女の服はかなりラフで薄着だ。下着のラインも落ち着かせる為に擦っている彼女の背中には感じられない。「・・・・・・・同じくなので確約は致しかねますけど善処はします。」

 

「ん、じゃあ灯り・・・・・・・消して?」

 

「あの、響香?見えなきゃ色々不都合というか、不便なんだけど・・・・・・」

 

「いいから消せ、馬鹿出久!」

 

月明りを反射して光る耳郎響香の嬉し涙と、一瞬だけ見えたくしゃっとした笑みは、出久の心に生涯残る記憶の一つとして刻まれた。

 




たくさんの感想と過分な評価、応援をありがとうございました。これにて完結です。

スランプだったので筆休めに書いた結果ここまで伸びるとは思いませんでしたがとても嬉しいです。

龍戦士の方も書いて行きたいんですけどね、ちょくちょくと。中々リアルとの都合がつかない・・・・・・


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エピローグ:日曜の午後にて
事後のお昼とあれやこれ


三部構成のアレで終わりだと言ったな。

あ れ は 嘘 だ

やっぱりエピローグというか、後日談的な何かが欲しいなーと思って書き上げました。

追記:UAが9万オーバーだと・・・・・・お気に召して頂けたようで何よりでございます。


人生一目覚めの良い朝、否昼だった。勉強机の目覚ましも兼ねているシンプルな置時計は正午十分前を指し示していた。隣でモソモソと何か動く気配がする。掛け布団をゆっくり引き剥がすと、そこかしこに赤い歯型とキスマークに覆われた一糸纏わぬ女の子が彼女に負けない数のキスマークに覆われた自分の体を枕にして安らかに、軽やかに寝息を立てていた。

 

「流石に……やり過ぎた、かな。」

 

昨日の夜の事はしっかり覚えている。極度の興奮か、与え合った快楽か、所々記憶が欠落している所がある。まるで自我に新たな人格が栞のように差し挟まれ、それが記憶と共に水溶紙が如く溶け込んでしまったような、そんな不思議な感じだ。

 

十重二十重の鎖で雁字搦めにされていた奥底に眠る何かが覚醒してそれを引き千切り、自分の中にあった箍という箍を悉く吹き飛ばした。吹き飛ばして互いが互いを委ね合った。

 

違和感こそあれど、嫌悪感などはまったく無い。好きな人の寝顔をこうして間近で見て目覚める特権を自分は持っているのだ。恋人同士である者だけに許された実に贅沢な至福を味わえるのだ。あろう筈もない。くしくしと指先でつむじを撫でると、何やら不明瞭な寝言と共に押し当てられた唇が鎖骨辺りまで滑りあがって来る。スレンダーな脚がするすると下半身に絡みついて来た。

 

その一撫でで昨夜の睦みがフラッシュバックとなって鮮明に蘇った。部屋に充満するフェロモン、弾ける汗、上気する肌、淫らな水音、婀娜っぽい嬌声、荒い息遣い、そして軋むマットレスのスプリング。未だ部屋に漂う事後の匂いも相俟って情欲の奔流が再び堰を切り始め下腹に熱がこもり始めた。

 

――でも寝込みを襲うのはいくら何でもなあ・・・・・・けどおでこにキスぐらいはいいよね?

 

心電図の模様が入った髪は水の様に淀み無く指が通る。一度、二度、三度と唇が軽く額に触れる。くすぐったそうに身を捩った耳郎は寝相を変えた。

 

「ヤバい、可愛いいいいいい・・・・・・!」

 

キスの位置を額から瞼、耳、頬、鼻先と、更に変えて行く。まだ寝ぼけているのか、唇へのキスも腕を巻き付けて受け入れた。流されてはいけないと思いつつも、出久は女の味と言う物を知った。知ってしまった。何物にも代えがたい、黄金の果実の味を。

 

渇きはまだ、消えない。出久、出久と息絶え絶えなれども愛おしく自分の名を呼ぶ彼女の声も耳にこびりついて離れない。一口味わえば二口、二口味わえば三口と、甘美な感触に溺れて行く。

 

しかし、そんな濃厚なキスをされ続ければ耳郎も覚醒するのは当然の帰結だった。

 

「・・・・・・何してんの?」

 

「えっとぉ・・・・・おはよう響香さん。」

 

「ん、おはよ。で、何してんの?」

 

元々三白眼である彼女の眼付は鋭いが、寝ていたところを起こされて更に機嫌が悪そうな顔に出久は起床早々冷や汗が背筋を伝うのを感じた。正直に言うしかない。「えーっと、寝顔見ててムラムラしちゃいました。」

 

「変態。」

 

「ごめんなさい。」

 

「ケダモノ。」

 

「スイマセン・・・・・・」

 

「鬼畜。女の敵。ベッドヤクザ。」暴言一つ言う度に共にした一夜の情景が蘇り、顔の赤みが増していく。まさか自分があそこまで乱れるとは。あんな声を出してしまうとは。今更過ぎるのは分かっていても止められない。

 

「そ、そこまで言います?」

 

「あんだけぐちゃみそにされたら言うわ!それにウチまだ眠いんだけど。腰も凄い痛いんだけど。しかもこれ・・・・・・うわ、全身・・・・・・?隠しきれないじゃん、どーすんのコレ?!」部屋は防音仕様の為声は漏れていない筈だが、水疱瘡並みに全身を駆け巡る歯形やキスマークは防寒具とマスクでも着用しない限りは見えてしまう。

「どうすんのも何も・・・・・・もう全員付き合ってる事は知ってると思うから今更なんじゃない?それに響香さんも割とノリノリだったよね。思いっきりマウント取られてものすっごい腰使いと言葉攻めで自分も二、三回連続――」

 

「あーー!あーー!聞こえない聞こえなーい!突発性の難聴でなーんにも聞こえなーい!」出久の言葉を遮り、毛布を頭からかぶって悶え始めた。

 

――嘘だぁ~~・・・・・・・ウチがあんな声とかあんな事するなんてあり得ないし!!夢・・・・・じゃないのは分かってるし、誘ったのもウチだし夢だと色々困るけど!嬉しいし気持ち良かったけど!けどぉ!!

 

出久はうーうー唸るこんもり膨らんだ毛布を苦笑しながら見つめた。恐らく普段の自分とは想像もつかない魔貌を思い出しているのだろう。かくいう自分も軽くだが自己嫌悪に陥っていた。最初こそ恋人とは言え赤の他人の前で服を脱ぐという事に抵抗はあったが、その場のムードと彼女の積極性も相まって普段とは想像もつかないガツガツした己の一面を思い知らされたのだ。いやいやとかぶりを振りながら涙と汗と鼻水でぐちゃぐちゃになった彼女の顔を見て更に攻め立てる自分は、彼女の言う通り鬼畜の所業でしかない。明らかに悦んでいたのは間違い無いが。

 

それに余すことなく互いを見せ合い、触れあった以上、今更恥ずかしがるのも違う気がする。

 

毛布を引っぺがして未だ互いに服を着ていないのも構わずに彼女を抱き寄せた。「ありがとう、響香さん。」今はそれしか言える言葉が見つからない。

 

――僕の傍にいてくれて、僕を受け止めてくれて、受け入れてくれて、僕を強くしてくれて、僕を好きになってくれて、本当にありがとう。

 

「出久も、ありがとね。色々。それとウチをキズモノにした代償は高くつくからそのつもりで。」

 

「はーい。それと、まだ眠いなら・・・・・・二度寝する?」

 

「ん~~・・・・・・どうしよっかな?もう昼過ぎだし、流石に起きてご飯食べなきゃいけないし。」思わせぶりな言葉にご褒美を吊り下げたまま『待て』と命じられた忠犬系彼氏のどこか残念そうな弱々しい唸りに反応し、両手で髪の毛をわしゃわしゃと乱してやる。

 

――可愛いな~、もう。惚れた弱みって怖いわ。ま、悪い気はしないけど。

「腰痛いし、まだだーめ。治ってから、ね?」

 

「・・・・・・はーい。」

 

どちらともなく顔を近づけ、ソフトなキスの応酬が始まる。起き抜けの昼に互いの反応を見ながら楽しむそれは昨夜とは違う毛色の快感と多幸感があった。

 

「にしても・・・・・・卒業しちゃったんだね、お互いで。」

 

「ですね。こう、思ってた程――」

 

「――凄いハードルじゃなかったね。こう、一度しちゃうと開き直って割とね。」まあ多少の優越感は否めないのはお互い様だろうが、思っていたほど大した事は無かったと言うのは事実その通りだった。出久も一回戦は自分勝手な行動はせずに大概自分の下知を待ち、丁寧に緊張をほぐしてくれたのが大きくプラスに働き、三十分と経たずに不安は彼方へとデトロイト・スマッシュされた。

 

「勿論出久以外の人とはこんな事考えられないし、嬉しかったけど。こーんなに出久の女だーって印付けられちゃったし。」

 

「それはお互い様。頑張ろうね。ヒーローも、恋愛も。」

 

「うん。今後ともよろしくね、彼氏君。」

 

「こちらこそ、彼女さん。」

 

「あ“~~、やっぱ好きだ、出久の事。腰痛いけど、二度寝も悪くないかも。なーんて。」

 

しかしほんわかした空気はノックの音で掻き消えた。

 

「響香ちゃん、私よ。お昼過ぎになっても起きないから様子を見に来たんだけど、大丈夫かしら?ケロ。」闖入者は一年A組女子屈指のしっかり者の梅雨ちゃんこと蛙吹梅雨だった。

 

「あ、うん、大丈夫!少し……と言うか、かなりだけど寝過ごしただけだから!」

 

「ご飯はもう出来てるから早く下りないと切島ちゃん達が全部食べちゃうわよ?ちなみに緑谷ちゃんのレシピを改良したナポリタンなの。自分で言うのもなんだけど、中々上手く出来たと思うわ。」

 

「ヤバッ、じゃ急がないと。ありがと、すぐ降りるから!」

 

「それと響香ちゃん、緑谷ちゃんがどこにいるか分からない?障子ちゃんが部屋にはいないって言ってたし、靴も玄関にあるからロードワークに出た訳でもないし気になってるんだけど。」

 

いきなり核心を突かれた。分かってて聞いているのか、それとも本当に行方が分からずに本心で心配しているのか。思った事を何でも口にするのが彼女の持ち味なのだが、冗談を言う時も真顔なお陰で時折分からなくなる。ドア越しで顔も見えない為、猶更分からない。

 

「あー・・・・・・ちょ、ちょっと待っててくれる?説明するから。」

出久と耳郎は目配せし合って静かに立ち上がり、脱ぎ散らかされた服を回収して身に付け始めた。

 

「ケロ、そう?なら待つわ。」

 

三分ほどしてからドアの鍵が開き、全身歯形とキスマークでデコレートされた二人が気まずそうに戸口に現れたのを見て全て納得したのか、「・・・・・・そう言う事だったのね、ケロ。」と、蛙吹は何度か小さく頷いた。

 

「あんまり深く聞かないでくれると嬉しい。」

 

「峰田ちゃんと一緒にしないで欲しいわ。これでも口は堅い方なのよ。」

 

「男子は特に峰田君や上鳴君とか、後かっちゃんからの質問攻めは全部ノーコメントで通すとして・・・・・・」

 

「いや、ノーコメントってのも面白くないから、ウチは一言二言話そうと思う。」

 

「ちなみに響香さんは何を言うつもりでしょうか?」出久は恐る恐る尋ねた。

 

――出久って舌、めっちゃ長いんだよ?

 

「それは・・・・・・秘密。」

 

昨日は7:3の割合で受けに回らされたのだ。意趣返しに軽く引っ掻き回してやってもばちは当たらないだろう。彼なら笑って許してくれる。

 

彼は強いから。強い故に優しい。優しい故に笑顔が眩しい。そんな笑顔の彼が大好きだから。

 




今度こそほんとに 完了です。

お付き合いいただきありがとうございました。


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フューチャータイム:僕らが照らす光で・・・
初めての宅飲み


何故か無性に書きたくなった。


出久は酒を飲んだことは一度も無い。精々正月に屠蘇を口にしたのが関の山だ。肉やら魚の臭みを消す必要がある料理に含まれたものもあるが、既に調理中の熱でアルコールは飛んでしまっている為、酔える筈もない。そんな中、一通のメッセージが恋人から送られて来た。

 

『家で一緒に飲まない?』

 

出久自身、興味が全く無いわけではなかったが、母は一月に一度か二度ぐらいしか飲まない。たまに飲んでいる物もノンアルコールなので純粋に酒類に接する機会が少なかったのだ。既に満二十歳になって半年は過ぎている。そして今日は久々の非番、翌日も有休を取ってある。縛る物は何も無い。

 

『OK、おつまみとか買って行こうか?』

 

『大丈夫。こっちで色々準備してるから、慌てずゆっくり来てね。くれぐれも屋根伝いで飛んでこない様に!』

 

『了解。』

 

雄英卒業から二年と少しが経過した。一年A組の面々も、国内外の各所に散って活動を始めた。華々しくデビューを飾る者、堅実な奉仕活動という下地から着実に積み上げて行く者など様々だが、皆元気でやっている。時折現場で顔を合わせる事もあるのだ。

 

出久はと言うと、卒業直後に武者行の為にヒーロー制度のメッカであるアメリカへ渡った。そして一年間、日本よりも遥かに過激且つ苛烈な数々の事故・事件現場に揉まれ、折れずに戦い抜き、サー・ナイトアイ事務所所属のサイドキックになる為に帰国した。サイドキックでありながらも今や時折(報告、連絡、相談してからのみ)単独行動も許されるほどで、確実にヒーローとしての頭角を現しつつある。

 

「フルガントレットとアイアンソール・・・・・・だけでいいか。セカンドスキンスーツもあるし。」

 

非番とは言え、油断はできない。アメリカで第一に学んだ事はほぼ常時戦闘態勢でいる事だ。夜の帳が下りた時は勿論、白昼も例外ではない。逗留先での古典的な爆弾トラップは勿論、変装した刺客(八割近くがトガヒミコだった)、果ては対戦車ミサイルを対角線にあるビルからぶち込まれかけた事もある。最初こそ生きた心地がしなかったが、半月と経たずに慣れてしまった。しかし事ある毎に私服を駄目にされる事に嫌気が差し、メリッサ・シールドと発目明に日常でも着用できる汎用型防護服の共同作成を依頼し、実用段階に至るまで実験台にもなった。

 

「色々あったなあ・・・・・・」

 

変装に使う出水洸汰から誕生日に貰ったお揃いの二本の角が生えた赤い帽子と瓶底の伊達メガネ、そしてアースカラーの私服に着替え、バラードを口ずさみながら歩きだした。

 

マリーランド州ボルチモア市警に、フィンガースナップなどの強い摩擦で火花を出せる『個性』の持ち主であるフリント・ウォンという中国系アメリカ人の若い刑事がいた。勝手が分からない異国であたふたしていた自分を見かねて、同じ東洋人のよしみだと、躊躇なく手を差し伸べてくれた。警察組織の違い、地元の地理、英語、中国語、車の運転、果ては銃の扱い方すらも非番の時に教わり、食事も週に数度は決まって彼の実家である店でご馳走になって食費節約の手助けをしてくれた。

 

そんな彼も、今や一介の刑事から警部補へ昇進し、職場恋愛の末に婚約した。祝いの品に金粉入りの日本酒を贈って大層喜ばれた。感謝の手紙にも式を挙げて子供が産まれたら警察から身を引き、実家の店を継ぐから是非食べに来て欲しいとあった。実際、両親と調理場に立つ姿は様になっているし、料理の腕も贔屓目無しでも上手い。自炊のコツも教えて貰ったほどなのだ。

 

「また行きたいなあ、アメリカ。」

 

公共交通機関は日本ほど発達していない上郷土料理と呼べる物も無いが、横社会の解放感と実力主義の序列はやる気を出すには最適な環境だった。そして何より土地面積が広い。様々な状況にそれこそ立て続けで出くわす数々の現場では、豊富な経験則が収穫できた。短期間でもちょくちょくヒーロー活動を兼ねて海を渡るのも悪くはないかもしれない。そのうち上海辺りに赴くのも一興だ。

 

過去の二年を振り返りながら歩いて行くうちに、今や見慣れた表札のある一軒家の前に着いた。インターホンを押して到着を告げると、獰猛なコブラが襲い掛かるが如きスピードでイヤホンジャックが首に巻き付き、出久を玄関に引っ張り込んだ。

 

「お帰り。」相変わらずラフな薄い部屋着の恋人に抱きすくめられ、自然と口元がほころんだ。首筋から香るジャスミンの匂いを肺一杯に吸い込んだ。

 

「ただいま。ゆっくり過ぎた?」

 

「ん、そんな事無いよ。てか眼鏡外して。帽子は百歩譲って良いとして、その眼鏡はウチの美的センスを激しく逆撫でしてるから。ほら早く。」

 

「変装の為にそうしてるんだけどなあ・・・・・・」と靴と変装を脱いで居間に向かった。テーブルの上にはビールやワインなどの酒瓶各種とソフトドリンクが並び、カシューナッツやチーズ、サラミ、更には枝豆と餃子などのつまみが用意されていた。

 

「彼氏が自分のイケメンレベルを損なうなんて彼女として見過ごせないから。」

 

「イケメンレベルって・・・・・・そこまで言う?イケメンって言ったら轟君とか通形先輩とか、身だしなみを整えた相澤先生とかでしょ。僕未だに二十歳に見えないって言われてるんだよ?」

 

反論する出久に、響香は「ん」と週刊誌のページを開いて差し出した。『彼氏に欲しいヒーロー特集』と銘打たれた記事だ。コスチュームΖ(ゼータ)とフルガントレットVer 7.4を身に付けた出久の写真が載った所に辿り着く。

 

寄せられたコメントには、あの笑顔を向けられて朝を迎えたいだの、頭を撫でられて慰めて欲しいだの、是非とも甘やかしてあげたいだの、着痩せのギャップが萌える、などがあった。

 

「また知らない間に変な特集を・・・・・・よく飽きないな、書く方も読む方も。ま、これは置いとくとして、飲もうか。餃子とかが冷める。」

 

「ん。作るからちょっと待って。」

 

言うや否や、響香はグラスを二つ取ってラムとコーラを適量注ぐと、氷を三つとライムの切り身を投入し、軽くマドラーでステアして出久の前に置いた。

 

「家でも出来るお手軽カクテル、キューバリブレです。」

 

「おお~・・・・・・じゃ、じゃあ、久々の休日に乾杯。」

 

「乾杯。」

 

グラスを手に取り、グイッと一口飲んだ。癖の無いアルコールにコーラのシンプルな甘みとライムの酸味が絶妙に馴染んだ一杯は、驚く程スムーズに腹の中に納まった。

 

「飲みやすくて美味しい!」

 

「でしょ?この時の為に色々調べてたんだから。」

 

肴をつまみつつ、愚痴であったり、冗談であったり、過去の失敗談であったり、兎も角アルコールで緩んだ気持ちの赴くままに言葉を重ねては飲み、飲んでは重ねた。つまみが全てなくなった頃には瓶ビールと赤ワイン、更にラムの瓶を空にし、今はそれぞれ焼酎のロックとスクリュードライバーを飲んでいた。

 

顔こそ真っ赤になってはいるものの、出久は未だにほろ酔い程度にしか至ってはいなかった。酔うという感覚は妙に暖かく、浮遊感が心地いい。新発見だ。幼少期は乗り物酔いした記憶があるが、あれとは比べるべくもない。

 

「これは・・・・・・いいな・・・・・・」

 

「んー、いいね。初めて飲むのは出久とって決めてたけど、そうして良かった。そのうちバーデビューしよ、バーデビュー。」

 

「あ、それはしたいな。」

 

「どれが美味しかった?」

 

「このスクリュードライバーは結構好きかな?深く考えずに楽しめる。響香さんは?」

 

「ん~とねぇ、モヒートかなぁ。」

 

「あれか・・・・・・一口飲んだけど僕にはミントがきつ過ぎた。量が多すぎ。」

 

「え~~、そこがイイんじゃん。出久はおこちゃまだな~。」

 

焼酎の残りを飲み干す恋人を尻目に、なんとでも言うが良いとばかりに出久は小さく鼻を鳴らした。

 

「でさぁ、さっきの週刊誌の話だけどぉ。」

 

「うん。」

 

「はっきり言って無防備過ぎなんだよね、出久は!自覚が無いだけで自分が思ってるより遥かに、遥かぁ~~~にイケメンだから。顔もそうだけど、特に中身!女子力高いし、包容力あるし。要するにぃ、心がイケメンなの。轟とかあんな紅白饅頭は顔ばっか。セットで初めてイケメンは成立すんの、お分かり?」

 

バシバシ背中を叩いたと思いきや、シャツを掴まれて前後左右に揺さぶって絡んでくる彼女の目は据わっており、顔と同様真っ赤に染まったイヤホンジャックも奇天烈な形を描いている事から、相当出来上がっているのが伺える。

 

しかし無防備なのは一体どっちだろうか。赤みが差したうなじや鎖骨のラインも、ホットパンツで惜しげも無く晒すカモシカの様な健康的な美脚も、食指の動かぬ男などいない。今ですら出久は滾り始めた欲を紛らわす為に残ったカクテルをぐびりと飲んでいる。

 

「間違いなくエンデヴァーに殴られるよ、そんな事言ったら。」

 

「エンデヴァーがなんぼのもんじゃい!あんな燃える筋肉達磨なんか灰になって消し飛びゃ良い!」

 

とりあえず公の場で飲む時は彼女の限界はきっちり把握しておかなければ。問題発言をすっぱ抜かれたら大変なことになってしまう。

 

「またそう言う事を・・・・・・」

 

「と・に・か・く!出久はイケメンなの。逆ナンされたの知ってんだからね?三回も!」

 

「プレゼントマイク先生とメリッサさんに聞いたな、さては・・・・・・」本当は三回程度では済まないのだが、口に出せば何をされるか分かったものではないので慎んだ。

 

「自覚が足りない!ウチの彼氏としての!」酒に半ば飲まれた状態での発言とはいえ、出久も流石に聞き捨てならなかった。

 

高校一年からの付き合いは今や五年と少し。海外に一年間渡る事の報告と説得以外で、お互い緊急出動による待ち合わせの遅刻やドタキャンなどの恋人関係特有の地雷を踏んだ事は多少あった。至らなかったところは確かにあったし、今でもある。だが、そう言ったプロヒーロー業と私生活の両立というハードルもなんとか二人で飛び越えてここまでこぎつけたのだ。

 

それを否定されるのはいくら彼女であってもいただけない。残ったカクテルを一気に飲み干すと、未だに舌っ足らずに文句を並べたてる彼女を米俵のように肩に担ぎ、二階に続く階段を目指した。足をバタバタさせて抵抗されるも、尻を軽くだがピシャリと叩いて大人しくさせて若干雑に彼女の部屋のベッドマットレスの上に放り投げた。

 

「や~~、ケダモノ―・・・・・・!!」

 

機嫌を直したり、渋っていることを快諾させるのに寝技に持ち込もうと時折考える自分も我ながら度し難いほどに業が深くなってしまったな、と出久は苦笑した。

 



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大事な質問

時期の見極めは難しい。クロスカウンターの出し時はもちろん、特定の話題を特定の人物に切り出す時は尚更だ。その場の雰囲気、その日の流れ、そして相手の気分の良し悪しなど、慮るべき要因は多種多様だ。

 

特に交際相手との親密度を正式に上げるとなると、猶更注意が必要になってくる。

 

一応卒業後に互いの親との顔合わせはしたし、互いに好印象を残せはした。だが、あれ以来全員揃っての顔合わせはできていない。予定の擦り合わせはいつも以上に難しくなってきているし、何より夫婦というものは足並みを揃えて行動を起こすものだ。自分一人で話を進めるような身勝手な事は出来ない。

 

はやる気持ちを抑えられずに小箱に納まった例のアレも、ベッドサイドテーブルの上げ底になった上段の引き出しにしまったまま二年半が経過した。サイズも今まで二回直してもらい、今日で三度目となる。

 

「人間関係って難しいな・・・・・・・」

 

そう呟いた矢先、スマートフォンが震え、セットしていた十分前のアラームが鳴る。アポを欲したヒーロー事務所との商談があるのだ。

 

足音が近づいてくるのに気付き、立ち上がると深々と頭を下げた。

 

「おはようございます。MMインダストリーズのコスチュームデザイナー兼コンサルタントの緑谷です。」

 

「ギャングオルカ事務所に所属するサイドキック一同の代理として選ばれて参りました。八手奥人(やつでおくと)と申します。本日はよろしくお願いします。」

 

名刺の交換が終わり、向かい合って席に着くと、出久はカバンの中から白紙と事前に完成させていたデザインの紙束を取り出した。

 

「お電話でサイドキックの皆様のコスチュームを改良したいと伺いました。具体的には粘着弾射出装置とスーツの複合的な耐久制度を見直したいとの事ですが、お間違い無いでしょうか?」

 

「はい。粘着弾射出装置自体に問題があるわけではないのですが、異形系の『個性』を持ったサイドキックにはどうにも扱いづらいらしく、どうしてもワンサイズフィットというわけにはいかないのが現状です。スーツの方はもちろん陸でも使えますが、シャチョーは『個性』の関係上水場の方が立ち回りやすいのでどうしてもそちらを想定した造りになっているんです。着心地の点は問題無いのですが、防御面はどうしてもケブラー繊維程度の強度しか・・・・・・・」

 

ふむふむなるほど、と出久は頷きながらペンを白紙に走らせた。

 

「確かに、闇ブローカーが違法サポートアイテムを売りさばいている昨今、防御面は確かに懸念すべき事項です。コスチュームにプレート状の装甲などを入れると言うのは如何でしょうか?これはあくまで元のデザインを可能な限り残して、内部などの細かい部分をチューニングした一例です。もしその他のご要望があれば可能な限り対応させていただきます。」

 

デザインの一つを墨田の方へ押しやり、反応を待った。

 

「おお、これは・・・・・・中々良いですな。ちなみに、このプレートを全てコスチュームに取り入れた時の総重量は?」

 

「既存の物に比べておよそ六キログラム前後上がりますが、体力強化でカバーは可能な範疇です。頭部や脇腹、金的などの急所となりうる部分を重点的に守るので、動きはあまり阻害されないように配慮してあります。プレート以外の部分はゲル状のショックアブゾーバーを導入します。銃弾や鈍器などの運動エネルギーを吸収する優れものです。スーツの布地そのものはダイバースーツとその上にチタンに浸したケブラーの三重編み構造となります。勿論このままでも水中活動は可能です。色の選択も可能ですが、何かご希望は?」

 

「淡い灰色とネイビーの二色でお願いします。」

 

「かしこまりました。それと粘着弾射出装置の事ですが、何が何でも統一させなければならないと言う事は・・・・・・?」

 

「それについては心配ありません。あくまで今になってそういった問題が浮上したと言うだけです。サイドキックのニーズには出来る限り答えてやれとシャチョーが仰っていたので。」

 

「でしたら、こういった形状の物はどうでしょう?」

 

二枚目のスケッチには、発目が一年目の体育祭で見せた対ヴィラン用の捕獲銃の改良版が描かれていた。

 

「これは確か・・・・・・警察官に支給されているヴィラン捕獲用のCNLシリーズでは?」

 

「はい。弊社が開発した物です。仮免取得試験の時に逆俣社長にお相手して頂きましたが、二の腕に装着して扱いやすさと連射速度を重視していますよね?」

 

「ええ、まあ。練度を高める時間を短縮できますし、基本は多対一に持ち込んで面制圧からの確保が基本なので。」

 

「では、思い切ってーーー」

 

 

 

長続きする恋人を探すのは難しいが、長続きする結婚相手を探すのは更に難しい。プロヒーローならばその難易度は累乗的に跳ね上がる。少なくとも、それが響香の持論だった。

 

報酬は歩合制である為に額はピンキリ。日勤、夜勤の兼任。プライバシーはほぼ皆無。休日返上、睡眠不足は当たり前。場合によっては副業による忙殺。加えて連日連夜、事件及び事故現場を行脚僧が如く巡り、人の死に立ち会い、命の危機にも瀕する。

 

それ故に、ヒーローは職業ではなくライフスタイルである。少なくとも、出久はその考えの持ち主だ。雄英卒業後にヒーロー殺し事件の真相を明かしてくれた時は驚きも怒りもあったが、同時にそういう考えを持ったきっかけとしては妙に納得してしまったところもある。

 

『英雄というものは、英雄になろうとした瞬間、失格である』

 

そんな一文が、ヒーロー制度が確立する前に活動していたヴィジランテの著書にあった気がする。

 

だからだろうか、出久はヒーロー活動中に得た報酬のおよそ四割を寄付に回し、三割を家賃や生活費などの必要経費に、そして二割を母への仕送りに充てていた。残り一割は殆ど手を付けずに暇を見つけては貯金したり、貸金庫に預けたりしている。

 

唯一自分の裁量で好きにすると決めている金銭はサポート科を首席で卒業した発目明とI アイランドから来日したメリッサ・シールドが立ち上げたサポートアイテム会社でデザイナー兼コンサルタントとして得ている収入からだ。

 

そしてそんな安定とは程遠いライフスタイルを送っている人間と結婚するとなると、並々ならぬ覚悟と忍耐力が必要になる。一般人にそれを求めるのは正直酷だ。となれば、プロヒーローが恋人や結婚相手を選ぶとき、必然的に同業者の中から選択する。

 

かくいう自分も、高校一年に出会った同級生と交際を始め、今日までそれを続けて早八年、同棲を始めて一年と少しが経過した。順風満帆とまでは行かないが、シンガーソングライターとしてもヒーローとしても、それなりに充実した生活を送っている。

 

しかし、頃合いという物がいまいち良く分からない。

 

長期間交際をしていたから。身も心も許した相手だから。ゆえに理想の結婚相手であると言う考えに帰結するのは、どうも違う気がする。交際経験は一人しかいないが、異性として恋人以外の男を意識したことが無いわけではない。これは向こうとて同じだろう。多少目移りしてしまうのはお互い仕方ない。しかし、だからこそ悩んでしまう。彼以外の男と所帯を持つ事を想像する自分は不誠実なのだろうか?打算的なのだろうか?それは悪い事なのだろうか?女である自分からプロポーズすると言うのもありなのではないか?

 

そもそも、前提として彼は自分と結婚したいと思ってくれているのだろうか?

 

少しでも不安を紛らわせようと結婚情報誌やネットの記事を読み漁ったが、どれもこれも自分が探している答えとは違う物ばかりで、結局不安を煽る破目になってしまう。おかげで建設的であるはずだったその日のスケジュールが大幅に狂った。いつもはすらすら出てくる作詞作曲の作業も低迷し、自宅で整理するからと言って事務所から持ち帰った書類の内容も頭に入って来ない。

 

「共同生活って難しい・・・・・・」

 

「ただいまー。ごめん、ちょっと遅くなった。」

 

ベランダの窓を開けてコスチューム姿の出久が上がり込んだ。

 

「それは別に良いんだけどせめて玄関のドアを使いなよ、ドアを。その為にあるんだからさ。」

 

「こっちの方が早いし・・・・・・わ、すごい量の書類。手伝おうか?」

 

「大丈夫。締め切りまでまだあるから。って、今日はコスチュームじゃないんだね。」

 

やはり童顔が抜け切らないからか、スリーピーススーツに着られている感じが否めない。体つきはがっしりしているのが幸いである。

 

「手持ちのやつは修理がまだ終わらなくて。発目さん、もうちょっと機動力上げたいからって改造してる最中なんだ。明日中には終わるらしいけど。それにコスチュームが無くてもハイエンド脳無じゃない限りはどうとでもなるし。」

 

「ま、そうだよね。ところでギャングオルカとマニュアルさんと、後は13号先生の事務所だっけ?どうだった?」

 

「うん、全員割と積極的だった。掴みでのっけから食いついてくれたし。13号先生は相変わらず小言が増えに増えてマニュアルさんのアポに遅れそうになったよ。遅れなかったけど。響香は?作詞作曲の調子はどう?」

 

「ちょっと行き詰まってて・・・・・・・」

 

「えー?普段割とスラスラ出来てるのに?」

 

「出来てるからこその皺寄せなの。」

 

スランプというものは、一度嵌ると場合によっては抜け出すのが実に難しい。出久がくしゃくしゃに丸めたデザインの山に囲まれて二徹、三徹した所を見るなど珍しくない。周りが良作だと納得しても、自分が納得できない以上は良作と呼ぶのはお互いプライドが許さないのだ。

 

「じゃあお茶淹れるからちょっと待ってて。」

 

首筋に彼の歯と唇が当たり、キュッと下唇を噛む力が強まった。好きな銘柄のジャスミンティーに足裏、膝裏、そして頭皮のマッサージをしてもらって全身の力を一旦完全に抜き、更に彼の膝枕で心を癒す。

 

「ねえ出久?」

 

「何でしょ?」

 

「うちらはさ、付き合ってもう八年ぐらい経つじゃん?」

 

「もうそれぐらいになるね、うん。」

 

「出久はさ、その・・・・・・・今後の事ってどうしようかとか・・・・・・考えたりはしてるの?」

 

「まあそれなりにはね。MMインダストリーズも軌道に乗ってるし、僕も段々サイドキック卒業にも近づいてる。このまま行けばーー」

 

「いやそうじゃなくて!そうじゃ・・・・・・・」言え。言うんだ。だがまるで言葉が出ない。小さく歯がカチカチ鳴る。怖い。言えない。言うんだ、腰抜け。八年の付き合いで何故気付かないのだ、この間抜けは。怒り、歯がゆさ、恐怖がごちゃ混ぜになり、目が熱くなる。

 

そして涙でぼやけた視界の中に何かが天井の蛍光灯を反射して煌めくのが見えた。瞬きで涙が流れ、プリンセスカットの1カラットダイヤを台座にはめた指輪が目に入る。よく見ると緑色だ。両脇には更に一粒ずつ半カラットの同じグリーンのダイヤモンドが鎮座している。

 

「実は・・・・・・かなり前から用意してたんだけど、中々タイミングというか、渡す決心がつかなくて。もしこれを聞いちゃったらやりたい事が出来なくなっちゃうんじゃないかって考えると凄い怖かったんだ。でも同棲しても何も言わなかったから、ずっと不安だったよね。ホントにごめん。」

 

「いつ?」

 

「え?」と起き上がりざま膝に腰掛けられたまま胸倉を掴まれた出久は間の抜けた声でそう返した。

 

「だから、指輪!いつ買ったの?!」

 

「えっと、二年半ぐらい前、かな?ローンが面倒だったから現金で一括払いしたんだ。あの時は気持ちばっかり先走っちゃって・・・・・・」その刹那、ヘッドバットを食らった。

 

「お~ま~え~は~!!!だったら同棲始めた時に渡してくれればいいでしょうが!!返せ!今までのウチの気苦労とか心配してた時間と体力と情報誌のお金、消費税と十日五割の利息付きで返せ!!」

 

凄まじい勢いで揺さぶられ、「痛い・・・・・・・ほんとスイマセン」としか返せない。

 

「ダメ。許さない。ちゃんとプロポーズしてウチにその指輪くれなきゃ許さないから。絶交だから。ここの合鍵置いて別れてやるから。」

 

後半は最早ただの脅迫でしかない。そんな事は承知の上だ。しかし、そんなもの知ったことではない。自分は二年半も待たされたのだ。これぐらいの我儘は通しても罰は当たらないだろう。

 

「じゃあーー」

 

「じゃあで始めんな!無理やり言わせてるみたいじゃん!」

 

「いや、この状態じゃ片膝付けないから、『じゃあどいて』って言おうとしただけなんだけど。」

 

「ん。」

 

ムードもへったくれも無い空気の中、出久は2LDKアパートのソファー前で片膝をついて指輪をクッションに収めた小箱を差し出した。

 

「耳郎響香さん。まだ十五の時に僕の全部が好きになったと言ってくれた貴方のことが大好きです。愛してます。誰よりも。僕と、結婚してください。」

 

五秒、十秒と時が経つ。嫌な汗をじっとりと書いたまま返事を待つ出久を見下ろす響香は相変わらず無言だったが、やがて左手を差し出した。

 

「ん、まあ・・・・・・無駄に気取ってないし直球だから及第点ぐらいはあげてやらなくもない。だからそれ、さっさと頂戴。」

 

指輪は採寸を再三やり直したお陰か、すんなり彼女の薬指にはまった。灯りに透かしてあらゆる角度からそれを眺めまわす彼女の目は無色透明なダイヤにも勝るうれし涙で輝いていた。

 

「直後に俗っぽい話で申し訳ないんだけどさ、幾らしたの、これ?ベタな給料三か月分じゃ足りなさそうなんだけど。」

 

「相場って基本四十万前後かららしい。」

 

「四十万ぐらいか。割とリーズナブルな――」

 

「舐めないで頂きたい。僕が買った奴はその五倍だよ。」

 

「に、二百万ッ!?高ッ!!」

 

「これでもまだ安い方。ブルーダイヤだったら石だけで二百五十万はするから。米ドルで。オランダでの出張があったでしょ?アムステルダムに行って天然の奴探してたの。パープルダイヤもあったらしいんだけど、あれとグリーンダイヤ合わせると余裕で四百万は越えてたから諦めた。」

 

「自重しろよ・・・・・・・」

 

「良いじゃん別に。自分の貯金で買ったんだから。これでも足りないと思ってるんだよ?」

 

負けず嫌いな子供を思わせるその言葉に、響香は胸が熱くなった。気づいた時には彼の手を掴み、寝室の方へ引っ張っていた。待たされたのは正直癪だったが、プロポーズもされたし、指輪も貰った。惑星一つ分の愛を凝縮した指輪を。

 

そんな彼氏――否、婚約者には相応の褒美を下賜してやるべきだ。半永久的に自分に繋ぎ留めておく為にも。

 

腰に回される腕は自分が雲か霧の如く掻き消えてしまう事を恐れるかのようにきつく抱きしめて離さない。首筋をくすぐる囁きも、唇やジャックの先端を優しく食む歯と舌も、服の下に潜り込む指先も、初めてその身を委ねた夏夜のように胸を高鳴らせた。あまりの多幸感に頭が壊れてしまいそうだ。

 

今はとにかく彼に組み敷かれて愛されたい。お前が射止めた女はこんなにも美しいのだと見せつけて、組み敷いて、目一杯愛してやりたい。悶えて悶えさせて、溺れて溺れさせて、可能ならば一つに溶け合ってしまいたい。

 

「気持ちだけで十分。ありがと。ウチはウチで頑張るから、出久も好きなこと頑張って。ずっと一緒にいようね。」

 

あとは式を挙げて子を授かれば、女の幸せはだいぶ叶ったと言えるだろう。ついでにペットも欲しい。

 



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三つ子が来た!!

今から五年前の話である。

 

稲妻が黒雲に覆われたアメリカ東海岸の空を裂き、嵐が吹き荒ぶ七月中旬。親子二世帯の家族旅行二日目にそれは来た。

 

陣痛である。予定日より三日程遅れたが、やって来た。七分間隔で押し寄せる激痛の波状攻撃がきっかり五十分続いたところで、待機していたメリッサが全局面に対応する可変型ビークル『オールモービルMkII』を発進、時に陸路を走破し、時に空を飛んで病院まで担ぎ込んだ。

 

不安は当然だし自分たちがしっかりサポートすると看護師や助産師、そして担当医が勇気づけてくれるが、そんな使い古されたフレーズなど父母になりつつある夫妻の精神安定の足しにすらならなかった。書籍を読み漁って知識だけは身についていたので段取りこそ良かったが、初産なのだから気を張るのも仕方ない。

 

そして陣痛室入室から実に二十一時間三十五分が経過し、二度の輸血の末、家族に見守られる中、七月十四日の十四時二十一分に女児一人、男児二人の二卵性三つ子が母体共々健やかなままこの世に誕生した。ちなみに三つ子の体重は例外なく三千グラム以上を記録し、アプガースコアも満点を叩き出した。

 

緊張の糸が切れた祖父母は凄まじいストレスと過労、更には落涙による脱水症状で起こる連続的な失神で十余年は老け込んだ風体となり、二日ほど入院する羽目になった。命に別状は無く、今はえらくすっきりとした寝顔で枕を高くして寝ている。片や男児を欲しがる祖父母、片や女児を希望していた祖母。双方の願いを一度の妊娠で一気に叶えてもらえた事が余程嬉しかったのだろう。

 

ようやく不安から解放された父親の姿はワン・フォー・オールを受け取るトレーニングを始めたばかりの頃に戻ったかのようで、一時間弱は情けない顔での号泣が続き、宥めるのにかなり手間がかかったが、最終的には五人に増えた家族の隣に座り、雨が止んで夜が明けるまで妻と子供達の側を離れず、彼女の手と六法全書並みに分厚い姓名判断の本をそれぞれの手にしっかり持ったまま眠ってしまった。

 

寝ている最中、手を右肩に置かれた気がした。大きくて武骨だが、まるで陽光を思わせるような、力強くも芯まで届く優しい温もりだ。その温もりが頭や左肩、背中など一つ、二つ、三つ、四つと、最終的には八つにまで増えた。

 

――――泣き虫なのは変わらないな、緑谷少年。おめでとう。

 

笑いを含ませた恩師のそんな声が聞こえた気がした。跳ね起きて辺りを見回しても、自分を含めた家族五人しかこの病室にはいない。

 

「オ、オールッ・・・・・・・!?夢、か。」

 

既に日は昇り、壁に掛けられた時計の針は正午を既に過ぎている事を示していた。切っていた携帯の電源を入れると、祝福の言葉を綴ったメッセージの通知が一斉に現れた。

 

「おはよ、出久。」

 

「おはようじゃないよ。もっと寝ててよ、丸一日眠れてないんだから。」

 

「言われなくても動けないし、うつらうつらしてるから。は~~、これリハビリが地獄になるのが見えるわ。」

 

「みんな応援してくれるから、頑張ろう。ホントにお疲れ様。」

 

「ありがとね、我儘聞いてくれて。二人欲しかったのが勢い余って三人になっちゃったけど。名前は決まったの?」

 

「うん。三人にぴったりな名前。」

 

「聞かせて?」

 

 

 

 

 

「出久、ゆかり達起こしてくれる?今ご飯作ってるから。」

 

目玉焼きがベーコンの脂で焼ける音と回る換気扇をバックグラウンドに響香が声を上げた。

 

「了解。あ、今日の演習ってSPやSATの人もいるんだよね?確か。」

 

「メリッサが言うにはそうらしいよ。対ヴィラン用特務部署の人材育成の為に力を貸してくれって。警視総監直々に任命が来るとかビビったよ、ウチは。」

 

「それは確かにね。でも僕だけじゃないからよかったよ、幸い同期の人が大半だし。渡りは心操君がつけてくれてるからあーんまり心配はしてないんだけど、問題は他の部署なんだよなあ・・・・・・あー、考えるだけで胃が痛い。塚内警視正が上手く纏めてくれてると良いんだけど。」

 

三つ子が寝ている部屋の扉をそっと開けると、そこには既に引子、美香、響徳の三人が孫と孫娘の着替えを手伝っていた。

 

長女のゆかりは顔立ちから目元、髪質に至るまで出久似で、新しいものを見つける都度目を輝かせる旺盛な知識欲までそっくりだった。だが『個性』は母と祖母の物をしっかりと受け継いでいる。恥ずかしがり屋で、他人に慣れるまでは親の後ろやぬいぐるみ、果ては本の表紙を使って身を隠し、恐々と様子を窺ってくる。だが打ち解けると瞬く間に友達の輪を広げ、中心的人物になってしまうカリスマ性を発揮する。五歳の割に背は高く、鼻筋も通っており、響徳と引子は間違いなく聡明な美人に育つと自分の事のように声を合わせて豪語する。

 

双子の長男響生は、顔立ちや目つきこそ母親に似ているが、姉と違ってあまりはしゃがず、五歳児とは思えないほど聞き分けがいい。何よりも親の手料理が好きで、好き嫌いこそ多少はあるものの、三つ子きっての健啖家で一番背が高い。

 

母より短く切ったストレートヘアーを横切る二本の心電図の模様は緑色だ。耳たぶにイヤホンジャックこそ無いが、心音を爆音の衝撃波として放つ能力は健在で、全身のあらゆる部分から発することが出来る。転んで膝を擦り剥いてわんわん泣いていた際に『個性』を発動させ、彼を中心にアスファルトやデパートの床などの接地面にいくつもの亀裂を走らせたのは記憶に新しい。しかしそれだけではない。伝来の常人離れした聴力で音をソナーのように視認する事も出来るのだ。

 

次男の紫音は悪く言えば予測不能、良く言えばマイペースで、広いスペースなら時と場所を選ばず駆けずり回り、足がつかないほど深いプールに浮き輪なしで飛び込んだり、次の瞬間ベンチで昼寝をしていたりと、見ていて飽きない甘えん坊の末っ子である。一卵性双生児であるため兄の響生と瓜二つだが、兄と違い、右の目尻に泣きぼくろが二つある。

 

里親として緑谷家が引き取った雄のスコティッシュフォールドのチャコールと黒猫のシャープに一番懐かれており、二匹と一人で日向ぼっこをしている写真でアルバム三つが埋まっている。『個性』は雑種強勢か何かの影響か、イヤホンジャックは左右一本ずつどころか三本に枝分かれしている。時折絡まってしまうのが難点であり、美香や響香にそれを解いてもらうのは今や一種のお約束となっている。

 

一癖も二癖もある三つ子には『個性』発現の前も後も手を焼きっぱなしだが、親のサポートもある。何より十月十日の超特注である我が子はそれらを度外視できるほど可愛いのだ。

 

「お、よしよし、三人とも起きてるね。えらいえらい。」

 

「おとーさん、おはよー!」

 

「おはよ。」

 

「おあよあいま・・・・・ふぁあ~~・・・・・・」

 

約一名まだ眠いのか、ネコ科の動物を思わせる大欠伸が止まらない。紫音である。

 

「ほら、紫音は顔洗ってきて。ゆかりと響生はご飯が冷める前に食べに行って。」

 

「ふぁ~い・・・・・・・」

 

「ご飯~~!!!」

 

「あ!ひーちゃん待って!!しーちゃんの分は食べじゃ駄目だからね!?」

 

カバンを持ったまま一足先に響生が部屋を飛び出し、少し遅れてゆかりが慌てて後を追った。

 

「こら、転ぶから走らないの!」出久がそう注意した頃にはもう小さくも忙しない足音は廊下の向こう側に消えてしまった。「元気があり過ぎるのも考え物だな。」

 

「段々父親が板についてきたわね、出久。」

 

母の言葉に出久は苦笑した。

 

「いやいや、五歳でこれなら十年後とかどうなってることやら。ごめんね、パートあるのに幼稚園の送り迎え任せちゃって。」

 

「いいのよ、別に。孫をほぼ毎日甘やかせるなんて贅沢な楽しみがあるんだもの。」

 

「心配しなくても大丈夫よ、響香と貴方の二人なら。なんせ私達の息子でもあるんだもの。ね、響徳さん?」

 

「うん。君は良くやってる。この調子で頑張ってくれよ?」

 

「はい。朝御飯は全員分用意してあるんで、良かったら孫三人と一緒にどうぞ。」

 

「あら、そう?」

 

「じゃあ遠慮なく。いやー、にしても娘の料理が美味くなったのは感動的だな。」

 

「ですね。」

 

 

 

 

保育園に向かう子供たちと送迎する両親に別れを告げると、二人は即座にコスチュームに袖を通した。

 

「とうとう三十路超えたね。あーあ、ウチもいよいよおばさんに片足突っ込んじゃったのかぁ。やだなあ。」

 

「大丈夫、十五歳から変わらずにずっと奇麗だから。」

 

「おバカ。」苦笑しながら首筋に鼻先と唇を擦り付ける旦那の頭をぺしりと叩き、撫で回してやる。「んじゃ、そろそろ行こうか。」

 

「だね。」

 

コスチュームΣ(シグマ)と子供達のリクエストで短めの赤いスカーフを身に着け、マンションの屋上まで上がった。

 

「じゃ、出久、いつものよろしく。」

 

「はーい。指さし確認。遮蔽物、飛行体はナシ、と。」

 

響香を横抱きにしてワン・フォー・オールを発動。出力は二十パーセント。

 

「New Hampshire・・・・・・・SMASH!」飛び上がり、出力を倍に上げると再び空気を蹴って空中に躍り出た。

 

雲一つ無い晴天。絶好のパトロール日和である。




緑谷三兄弟の『個性』などを改めて書いておきます。

緑谷ゆかり
『個性』:イヤホンジャック
母、祖母同様耳から伸びる左右のジャックの先端を通して増幅した心音を衝撃波として相手に叩き込む。聴力も人並み外れており、射程距離は最大8メートルまで伸びる。

緑谷響生
『個性』:破砕超音波&ソナービジョン
増幅した心音を増幅して衝撃波に変え、触れた所から相手に叩き込める、いわば全身イヤホンジャック状態。出力次第でコンクリートも強化ガラスも粉々に砕く。触れずにそのまま放出も可能。ソナービジョンは音と反響で遮蔽物を通して物を視認する事が出来るが色彩が判別不能で、全神経を集中させる必要がある。使用中は動けず、この間に大音量をぶつけられるとダメージを受けてしまう。

緑谷紫音
『個性』:イヤホンジャック・トリプル
耳から最大六メートルまで伸びる左右のジャックの先端を通して増幅した心音を衝撃波として相手に叩き込む。ジャックは片耳に三本ずつの計六本で、それぞれ独立して動かすことが可能。聴力も人並み外れている。


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