叶わない恋をしよう! (かりほのいおり)
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その日、幸福が保証された時
01 ある日、放課後、赤坂さん


 輪廻転生とかいう言葉がある。

 死んだらあの世に行って、生まれ変わってこの世に帰ってくるとかいうあれだ。

 実際自分としては生まれ変わって日本以外に生まれたらどうしようかなーとか、人間以外になりたくないなーとか、そんな事を考えるものだけれども、とにかく長生きすれば無縁のことだと気付いてからは考えないことにした。

 さらに言うならば今を生きる自分には過去の記憶は無いし、本当にあるのか疑わしいものだ。

 

 だけれど悲しいかな、今まで語った言葉は全て過去形になってしまったのである。

 はたしてここがあの世なのか、この世なのかは判断のしようがないけれど、自分としては生まれ変わりと言うものは実在すると断言しよう。

 

 ●

 

 スーッと息を吸い込む。

 教室はまだ騒めきの中、けれども二人の間には緊迫した空気が漂っていた。

 片方は勝利を確信した自信満々といった笑み、片方は敗北を悟っているのか険しい表情を浮かべていた。

 

「覚悟は、出来てる?」

「当たり前だ……今更引き下がる訳にはッ!」

「――じゃあ、行くよ」

「さあ来い!」

「「せーのっ!」」

 

 そんな掛け声と同時に二枚の紙が机の上に並べられる。68、82。14点差の敗北であった。

 

「はい、ボクの勝ちー!」

「自信あったんだけどなー……」

「60点台で自信あるとか大した度胸だね」

「四捨五入したら70点だしセーフだよ」

「えぇ……ま、とりあえずボクの勝ちだから100円プリーズ?」

 

 舌打ちしながら財布を漁る。

 いまなお授業中の教室は、世界史の中間テストの返却もあって落ち着きを取り戻せていない。その合間を活かしての賭け事だった。正直勝てる自信はあんまりなかったけれど、提案されたからにはノリである。

 

「次は英語の返却だけどそっちも賭ける?」

「いやこっちが英語を大の苦手なの知ってるでしょうに、逆にそっちは得意科目だし、流石にそんな勝負に乗るはずがないでしょ」

「何点ぐらいの予想?」

「……50点ぐらいかな」

「じゃあ、45と見たよ」

 

 そう言いながらカラカラと笑うのは及川 渚(おいかわ なぎさ)、ショートカットにくりっとした目。背は小さいけれど運動神経は良く、逆に勉強は不得意だろうと思ってみれば、そこそこ勉強も出来てしまうという万能な人物である。一応一年生から同じクラスの腐れ縁だ。

 

「そろそろ静かにしろー」

「じゃ、また後で」

 

 世界史の教師がやる気なさそうに手を叩いて注意を促して、口にチャックをする仕草と戯けて見せながら、彼女も自分の机へと戻っていった。

 何度見ても可愛い、クラスの中でもかなり人気のある彼女。1つため息をついて自分も席に着く。

 

 教師はクラスをぐるりと見渡し、クラス中に伝わるぐらいの声で平均点は68点だと知らせた。

 調()()()()()()()()()()ここまでドンピシャになるとは思っておらず、ほんの少しだけ嬉しくて、柄にもなくボールペンをクルクルと廻す。

 

 瞬間、何かゾッとする寒気を感じてペンが手からこぼれた。カツンと落下する音を耳聡く聞き付けて、教師がこちらを振り向くのを愛想笑いでうまく誤魔化して。

 

 教師が何か探るように見えるのは、多分自分の猜疑心のせいだろう。結局はすぐにテストの解答率が低かったところの解説を再開して、一人危ない危ないと深く息を吐いた。

 こんな感じを度々感じるようになったのは、新しいクラスになってからのこと。誰かに見られてるのかと周りを窺ってるのに、いつまで経ってもその出所が分からない。

 

 その気配について考えていると、テストの回答を黒板へと書き殴るカツカツという音が響き始めた。

 思考を止めてボールペンのキャップを外せば、きゅぽっと景気のいい音が響く。さて、自分はちゃんと全問正解出来るだろうか?

 

 次々と赤い線を走らせていく、埋められていくのは空白の部分。黒板を見てないと言うのに手の動きは止まることはなく、それは自分の自信のうらづけだ。全部修正を終えて黒板の回答と見比べていくも、案の定間違いは無い。

 

 ちゃんとやっていれば100点満点だ。だと言うのに平均点ぴったりを取れたこと以上の喜びになることは決してない。

 それがズルだと思っているから、だから絶対に認めたく無いのだ。100点を取ることは当たり前だ、その知識が完全に頭に入っているから。ただそれは自分が努力したものでは無いという一点だけが許せない。

 

 佐々木 玲(ささき あきら)、16歳。どこからどう見ても普通の女子高生、でもそんな自分には隠し切らなきゃいけない秘密がある。

 前世の記憶を完全に引き継いでいるという、とんでもないイカサマ。

 

 ただし――その記憶は男のものである。

 

 ●

 

 物心ついた頃には既に記憶があった。

 とある男子高校生の記憶、同じ日本に住み、違う街で普通に生きて、ある日死んだ彼の記憶。

 でもそれに気づいても混乱することはなかった。何故かそれが自分が経験したものだという確信があった。

 

 精神とは経験により育まれていくものである。そして記憶という経験の塊があった以上、それに沿うのは至極当然のことだった。

 

 子供が自分のことを初めから女の子だと認識してるわけじゃなく、色々な経験を踏まえて初めて認識する。

 だが自分は男だという認識を既に確立してしまっていた。

 途中までこの記憶を封印することができたのなら、自分もちゃんと女の子らしくなれたのだろうけれど、もうそれは既に叶わないことだ。

 

 自分は女の子だと思おうとしても、記憶がそれを拒絶する。

 今の身体は女の子なのだから、それでいいじゃないかと思おうとも、もともと培ってきた価値観がそれを否定して、どうしても男を恋愛対象として見ることができない。

 

 でもそれを表だっていうこともできず、子供の頃は自分はなるべく無口で大人しい女の子として振舞ってきた、女の子らしい有り方を必死に学んできた。

 話したらボロが出る、ならば子供のうちはなるべく喋らなければいい。

 男を恋愛対象として見ることが出来なくても、別にいい。別に女の子らしく恋をしたいわけじゃなくて、異物として認識さえされなければいい。

 そうやって、今まで生きてきた。

 

 前世においての心残りは彼女が出来なかったこと、今のところそれが果たせる気配はない。

 好きな人は確かにいる、けれども問題は相手から見れば自分は同性であるということ。

 受け入れてくれるという確信もなく、そんな確信もなく動けるほど度胸もなかった。

 

 さてそんな悪い事ばかりを並べてみたが、男子高校生の記憶があるというのはかなりのアドバンテージである。

 都合周りと比べて18年分人生を多く積み上げているわけだ、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 前の人生では勉強に死に物狂いで打ち込んでいた、そうすることでいい大学に入れれば、彼女が出来ると思い込んでいた。

 今となって冷静になればこんな言葉を送るだろう、だから彼女が出来なかったんだよ、と。

 

 さてそんなメリットを初めて活かそうと思ったのは中学校に上がってからの事。

 ほんの好奇心だった、小学校と違い順位が出されることもあって、一発はじめのテストでぶちかましてみようというお遊び。

 

 でも酷く、つまらなかった。

 RPGとは過程を楽しむものである。努力して、苦労しつつ、成長していくのを楽しむものだ。

 勉強も似たようなものだ。その過程をすっ飛ばして結果だけ受け取ったって、つまらないのは当然だった。

 周りからすごいすごいと褒められても、ただ虚しさだけが残っていた。

 自分なら出来て当然なのだから。その時初めて周りを羨んだ、これから成長していく喜びがあることを、そんな単純なことに。

 

 そして悲しいかな、自分は天才ではなく凡才だった。

 

 ●

 

 放課後の教室で一人掃除に取り組む。

 自分が今日の日直であり、もう一人の方は既に帰ってしまったから。別にそれを苦にも思わず、サッサッと箒を掃く。

 

 英語は50点だった、英語が苦手というキャラを偽った通りに。実際前世で一番苦手な科目は英語だったから特に間違ってはいない。

 まあそれでも凡ミスさえなければ、満点を叩き出すことは余裕なのだから本当にズルである。

 

 この記憶を自分は有効活用したくなかった。

 そう思っていたとしてもテストの問題を見れば勝手に答えを引き出してくるのだから、本当にどうしようもない。

 

「ああ、神さま。どうして自分にこんな祝福を授けたのですか」

 

 そう前世の記憶があろうともビタイチたりとも信じてない神様に訴えつつ、ちりとりでゴミを回収していく。

 記憶を引き継がせるにも、もっと有用な人物がいただろうと思うのだ。もしかしたら自分以外にも記憶を引き継いでいる人がいるかもしれないけれど確認する手段はない。

 

 教室には他に人は居なかった。みんな部活に行ったのか、家に帰ったのだろう。世界史で賭け事をした渚もその例から外れず部活である。

 

 ゴミを捨て教室が綺麗になったことを確認して、良しと自画自賛する。今日もいい仕事であった。掃除用具入れに使った道具を次々叩き込み、さあ帰るとしよう。

 その時、視界の隅にちらりと机に置きっ放しの鞄が入り込んだ。不思議に思い首を傾げる。たしか、この席は――

 不意にガラリと扉を開ける音がして、慌ててそちらを向く。

 

「あー、赤坂さんまだ帰ってなかったんだね」

 

 その言葉に不機嫌そうに、彼女はジロリと視線だけこちらに向けた。

 

 赤坂 舞、一年生の時は常に学年一位の成績を誇っていた秀才である。今回の中間テストでも高得点を連発してるので、また一位だと予想されている彼女。

 雪のように白い肌に、自分の癖っ毛からしてみれば羨ましいほど、黒く真っ直ぐ艶やかな髪。これぞ大和撫子といった美少女。

 及川 渚は可愛い系、赤坂 舞は綺麗系と人気を二分する二人だ。

 だがこちらの彼女は自分に対して少々あたりがきつい、理由はわからないけど私に対してだけは不機嫌そうな表情を隠そうとしないのだ。

 そう言うわけでほんのちょっとだけ苦手意識を持っている。美少女に嫌われるのは嫌だなと思っていても、どこを直せばいいのか分からないから仕方がない。

 

 残っていた鞄は彼女のものだろう、たははと笑いながら自分も撤退を図る。こんな気まずい空間に長居する趣味なんて当然ない。

 鞄を掴み、はしたなく走ることはせず、できるだけ早足で。

 

「佐々木さん、ちょっとだけお話をしない?」

「な、何でしょうか」

 

 ぎぎぎとぎこちない動きで振り返る、なんのきまぐれか彼女は私との会話を所望らしい。

 可愛い女の子との会話は決して嫌ではない、けれども彼女のゴミを見るような視線はいまだ続いていて、それがいい会話になるとは全く思えなかった。

 

「会話といってもほんの少し、単純な質問に答えてくれればいいの」

「自分に答えられる質問なら何でも答えますよ」

 

 その言葉を聞いて彼女は目を細めながらニッと口の端を釣り上げた。それを見て遅まきながら頭の中で警鐘がなる。

 あ、逃げればよかったなと後悔するももう遅く、夕日を背にして彼女は言ったのだ。

 

「佐々木さん、貴女いつも手を抜いてるでしょ?」



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02 放課後、廊下、三人が

 ほんの少しだけびっくりした。貴女のことが嫌いだから半径5メートル以内に近づかないでとか、話しかけないで汚らわしいとか、そんなことを言われるかと思っていたから。

 そう言われたのならもう一回お願いして音声を保存しようかと期待していた。彼女の容姿、綺麗な声からしたらかなりのご褒美だろう。

 

 無論、冗談だ。ただの現実逃避である。

 この間1秒にも満たない時間であり、その間に私が取るべき答えも決まっていた。

 

「ごめん、私は赤坂さんが言ってる意味がちょっとわからないなー。手を抜いてるって勉強のこと? そうだとしたらこれが私なりの全力だし、そんな風に言われるのは嬉しいけど私に期待をかけ過ぎだと思うよ」

 

 私がとった答えはすっとぼける事、けれども確信があるのか赤坂さんの余裕のある表情は崩れない。

 まるで私がそういう予期していたかのように、すぐさま口を開いた。

 

「そうやって嘘をつく、猫を被る。だけどさ、貴女は気づいてないかもしれないけれど私は知ってるの。貴女がそうやって一人称が私の時は、意識してキャラを作ってる時だって」

 

 確かに使い分けていた。女の子になりきるために一人称に俺が使えるはずもなく、でも私というのにはどこか忌避感が合って、だから基本は「自分」という一人称を使っていた。

 しかし私という人称を必要に応じて使う利点もあった。それが自分とはどこか違うという感覚を抱くことを利用しての、精神的仮面である。それをつかうことでスイッチがカチッと入る。

 

 そんなことは当然誰にも言っていないのに、かなりの所まで見抜かれている、背中に冷や汗が一筋伝うのを感じていた。もしかするとかなりマズイ状況なのかもしれない。

 

「貴女が演じているのは普通の女の子でしょ、それもちょっとおバカな女の子。でも私はさ、そういうの嫌いなの。羊の群れの中に皮だけ被った狼が紛れ込んで、しかも草を食んでいるとか意味がわからない」

 

 切れる言葉を次々と投げ込んでくる。

 自分はといえば笑顔を浮かべているつもりだが、それは顔がこわばって動かせないだけだし、もしかしたら笑顔になってないかもしれない。

 でも、このまま黙っているのは悪策だとわかっていた。認めるつもりは無い、ならば答えは1つ。

 嘘を突き通す、ただそれだけ。

 

「でも私が手を抜いてるって証拠がないじゃん、手を抜いたって私になんか得があるの?」

「得があるかって言われても、そんなの私にもわからない。得があると思ってるなら私も手を抜くわ」

「でしょ? 合理的じゃない、赤坂さん風に言うならそんな感じかな。じゃあこれで話は終わりっ、さようならー」

 

 自分が優位だと見切るやいなや、素早く話を切り上げて、すぐさま鞄を肩にかけ、逃走に移る。深追いは厳禁、赤坂さん相手だとどんなヘマをするのかわかったものじゃない。もう既に自分の一人称についてまで気づいているのだから。

 ただ気づかないうちに、自分は既に袋小路へと追い込まれていたらしい。待っていましたと言わんばかりに、赤坂さんは最後の札を切った。

 

「理由はわからない、でも貴女が手を抜いてるっていう証拠はあるわ」

「ほぇ?」

 

 思わず足を止め、そんな気の抜けた声が口から漏れた。そんな私に向かって赤坂さんは一歩二歩と歩みを進めていく。逃げるべきなのに蛇に睨まれた蛙のように体はビクとも動かない。

 

「……佐々木さん」

「な、何でしょう」

 

 ようやく歩みは止まった。息がかかるほど、パーソナルスペースなんて知ったっこちゃないとばかりの、そんな距離。押し倒されるかと思ったけれども、さすが彼女はそんなことはしなかった。

 そんな至近距離で見る彼女の顔は芸術家が作った作り物かと思えるぐらい綺麗で、否応無く胸は高鳴っていた。

 酷く顔が熱かった。けれども赤く染められた教室と同じように、きっと自分の顔色も夕日が隠してくれていただろう。

 

「証拠はね――」

「ひいいいいいいいいい!!」

 

 しかし、そこが我慢の限界であった。

 その先の言葉を聞かず、自分は教室を飛び出した。

 目の前に展開される美少女オーラに耐えきれなかったのだ。でもそれもしょうがないことだろう。夕日に照らされた放課後の教室、それもたった二人というシチュエーションといい、あまりに近い距離といい、そこから繰り出される他の女の子の甘い香りと、耳に届く声と、肌に届く彼女の吐息に、さらに視界いっぱいに映る美少女と。

 味覚以外の五覚をフルに使い迫ってくるのだから、どうしても無理。無惨な敗北である。

 

 誰もいないことをいいことに、廊下を全速力で駆けていく。それでも先の見えない曲がり角へそのまま突っ込むことをしない知性は辛うじで残っていた。

 

「お、玲じゃん」

「げっ、渚……」

「ボクを見るなりそんなこと言うなんて、流石に失礼じゃないかな」

 

 運がいいのか悪いのか、曲がった先でばったりと渚と遭遇した。口を不満そうに尖らせるのもつかの間、不思議そうに首を傾げた。

 

「なんでそんな息が荒いの?」

「いや、ちょっと、逃げててね」

「はぁ?」

 

 どう説明するべきか。赤坂さんが美人過ぎて逃げてきましたとか、流石に頭の心配をされかねない。

 そんな悠長にことを考えている間にも事態は動いていく。

 

「佐々木さん、なんで逃げるの?」

「ひぃ!」

 

 そんな声が後ろから届いた。

 ギョッとする渚をさて置いて、ささっと自分より小さい彼女の背中へ縮こまりつつ身を隠す。

 

「あら、及川さん御機嫌よう」

「あー赤坂さん、これはどうも」

 

 そうぺこりとお辞儀した向こうで見えた赤坂さんは先程より不機嫌そうに見えた。私が逃げたせいか、それとも別の原因か。渚はちらりとこちらを伺って赤坂さんの方へまた向き直った。

 

「なるほど、そういうことね。大体何があったのか理解したよ」

「勝手に納得してもいいけど。及川さん、とりあえず佐々木さんをこちらに引き渡してくれない?」

「ごめん、それはちょっと無理かな」

 

 即答、珍しく赤坂さんは戸惑っているようだった。それでも諦める事はなく、言葉を繋いでいく。

 

「私と佐々木さんで話してたんだけど、それを邪魔するっていうの?」

「別に邪魔する気は無いけど、玲にはボクとの先約が残ってるんでね。それで来るのが遅いから迎えにきたってわけ」

 

 別に何も約束した記憶はない。服の裾をチョイチョイっと引くとこちらを振り向いてパチンと1つ、ウィンクをした。どうやらこちらを手助けするためにでっち上げたらしい。

 

「時間が押してるからさ、また今度にしてくれるかな。赤坂さん」

 

 それとも、そう言葉を繋ぐ。

 

「今、ボクの目の前で話すならいいよ。それが二人っきりじゃないと出来ない会話じゃなければ、当然できるでしょ?」

 

 その言葉がトドメ。赤坂さんが何かを言おうと口を開いて、すぐに閉じる。数秒の沈黙、そして出した答えは終わりを知らせるものだった。

 

「……なんでもない、別にしなくてもいい会話よ」

「ならこれで終わり、じゃあ行こっか玲」

 

 そう言いながら、自分の手を引っ張って行く。それに抵抗する事もなく連れられて行く俺に、赤坂さんは言葉を投げかけた。

 

「佐々木さん、また明日」

 

 慌てて首だけ振り返るも、赤坂さんは既に背を向けていた。ほんの少しだけその背中が俺には寂しく見えて、慌てて口を開く。

 

「赤坂さん、また明日!」

 

 その言葉は確かに届いたらしかった。彼女の肩がピクリと跳ねる。けれども振り返ることはせずに、ただ手だけを小さく振り返してくれた。

 

 ●

 

「前から怪しいと思ってたんだよねー」

 

 そうトランプをシャッフルしつつ語るのは及川 渚。ここは手品部の部室、他の部員がいない事もあって貸切状態である。

 

「何か怪しいことあったっけ?」

「いやさ、彼女、赤坂さんの事だよ」

 

 気づいてなかったの? そんな問いに素直に頷くと呆れたようにため息を吐きつつ、二人の前にトランプを交互に配って行く。

 手品用のトランプを使ってのババ抜きである。もし手品のタネに使うようにマークをつけられていたら必敗確定だが、自分がぱっと見たかぎりそんな様子もなく、別に賭けるものもないしと適当に流している。

 

「前々から何で玲にだけ不機嫌そうに振る舞うのか不思議だったんだよ」

「あ、やっぱり渚からもそう見えてたんだ」

「そりゃ誰から見てもそう見えるって、そっちババ持ってるね」

「二人っきりだし、そっちが持ってなければこっちに決まってるでしょ」

 

 ジョーカーがこちらに向かって不愉快な笑みを見せつけていた。残った枚数は5枚、相手は4枚。いきなり不利な状況だが別にまだ負けたわけではない、

 

「でどうしてだろーって思って赤坂さんの事を観察してたんだけど、授業中時たま親の仇を見るかのように玲のことを睨みつけてたんだよね」

「あのたまに感じる悪寒は赤坂さん、か……。それに気づいたら教えてちょうだいよ」

「ごめんごめん、もしかしたらボクの気のせいかと思って」

 

 タイムを取って残り3枚になった札を適当にかき混ぜる。特に引っかかる事もなく、ジョーカーはいまだに手元に残っていた。

 ちらりと彼女の表情を伺えば、勝利を確信してるのか緩み切った笑みを浮かべている。

 その余裕を崩そうとさらに時間をかけて混ぜ込んでいると、何かを疑問に思ったのか眉をひそめた。

 

「でも何で玲のことを嫌うんだろうね」

「ん……」

 

 手を抜いていると言われたことを伝えるか、ほんの少しだけ逡巡する。すぐに脳からGOサインが出た。

 黙っていても後々赤坂さんの口から言われるかもしれない。そうなった時になぜそれを黙っていたのか、本当に手を抜いていたんじゃないかと思われるかもしれない。

 

 もう一つの理由がある。彼女から見て、自分が手を抜いてると思われてるのか確認がしたかった。自分の一番近くにいた彼女をちゃんと欺けているかどうか、それが少しだけ不安だった。

 顔色を伺いつつ、慎重に口を開く。

 

「赤坂さんから見ると私はいつも手を抜いて見えたんだってさ、それがどうしても許せなかったんだって」

 

 それを聞いて彼女はポカンと口を開けた。

 驚きのあとにじわじわと笑いがこみ上げてきたのだろう、プルプルと肩を震わせたかと思えば、爆笑しながらバンバンと机を叩き始めた。

 

「あっはっはっはっ!」

「流石に笑いすぎだと思うんだけど……」

 

 どうやらちゃんと騙せてるらしい、そうなるとなんで赤坂さんが気づいたのか謎は深まるばかりだった。彼女はどういう証拠を持っていたのだろうか?

 しこたま笑って流石に疲れたのか、ヒイヒイ言いながら涙を拭い渚は言った。

 

「うん、そうか、なるほどね。大体わかったよ」

「一人で納得しないでほしいんだけど」

「あれだよ。つまり、多分彼女はね」

 

 

 

「玲のことを好きなんだ」

 

 その言葉を聞いて、自分は手に握ったトランプを全て取り落とした。ついでに変なところに唾が入り込み、激しく咳き込む。

 咳を抑えようと涙ぐみながら渚の様子を窺うも、冗談ではなくいたって真面目な様子だった。

 ポケットからハンカチを取り出して、滲んだ涙をぬぐいつつ問い掛ける。

 

「……冗談でしょ」

「いやほんとだって、これは信じてくれても構わないよ?」

「どうして私?」

「そんなの赤坂さん自身に聞いてくれよ、でもどうして手を抜いてるように見えたのかは説明がつく」

 

 そう言いながら空中を指でなぞり始めた。

 こちらからは反対になって読めないけれど、彼女側から見れば多分読める言葉。それは渚が自分なりに答えを出す時の癖だった。

 

「要するに彼女は玲に期待してたんだよ」

「期待?」

「そう期待、好きだからこそね。私の好きな彼女はもっとできるはずだって。そう思うのは多分、彼女が頭がいいからこそだろうけど」

 

 皮肉だね、好きな相手にその優秀な頭を生かせないのは。そう言いながらこちらに手を伸ばした。三分の一、これでジョーカーを取られなければ相手が一枚になって自分の負けである。

 

 

 トランプを持つ手を前に出しつつ、何気なく自分は言った。

 

「それだと赤坂さんはレズだってことになるけど」

「あー……それはそうだね。普通じゃない、かな。でもこれであんな美人でも彼氏ができない理由がわかった、結構前からレズ疑惑は上がってたけど、相手はまさか玲だとはね」

 

 まさか嫌ってるように見える相手が想い人だとは、みんな思わないだろうね。そんな彼女の言葉をどこか遠いもののように感じていた。

 不意に俺までまとめて鋭利な言葉でざっくりと切りつけられたから。

 

 ジョーカー以外が引かれて俺の負けが確定した訳だけれども、勝ったことを彼女が喜んでいたけれども、それより先の急務は自分の精神を立て直すことだった。

 そう、彼女の価値観から見れば女の子が女の子を好きになるのは普通じゃない事なのだ。

 別に特に怒ることも悲しむ必要はない、それが普通なのだから。

 喜びながらもちゃんと最後まで終わらせようと、つっと差し出したトランプを笑顔で引く。

 

「……私の負けかー」

「まだまだだねー」

 

 俺の偽った感情に彼女は気づく様子はなく。これまで必死に取り組んできた、普通の女の子というキャラを作る努力は無駄じゃないことをおしえてくれたことが、ほんのちょっとだけ救いだった。

 そう努力をしてなければ好きな女の子に振られて、外面だけでも平静を保つことはできなかっただろうから。

 

 ただ、どうやら俺の恋は実ることはないらしい。残ったジョーカーはそれを嘲るかのように笑っていた。



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03 むかし、入学式、及川さん

 ●

 

 春は出会いと別れの季節。

 入学式を目の前にひとまず顔合わせと詰め込まれた教室で、新入生の各々がぎこちないながらも何処どこの中学校から来たとかそんなことを話しつつ、これからのことについて夢を膨らませている。期待で顔は明るく染まり、なんともまあ初々しいばかり。

 そんな中、自分はといえばポツンと一人、出席番号通りの席に座っていた。

 

 はっきり言えば出遅れたのである。

 入学案内に書いてあった時間通りに教室にやって来たというのに、その時には大体グループが決まっていた。

 なるほど、なるべく早く来て友達を作ろうとするのが普通だったか。だけれども自分としては高校の入学式も2回目であり、あまり緊張しすぎないのが運の尽き。

 

 訂正。2回目だから緊張していないというより、特に何の期待もないから心が平坦なのだ。

 中学校の頃に手酷い失恋をして、それをまだ引きずってるのもあるだろう。何となく世界がくすんで見えるのは気のせいだろうか?

 

 期待もない、ならばと何か新しいことを始めようとするわけでもなく。そういうわけで今はまだ部活に入る予定はなかった。

 今の生きがい、もとい趣味は読書とゲーム。中学三年生の時、他の同級生がひーこらひーこらと必死に受験勉強に取り組む中、ゆっくりのんびりと楽しんでいた。

 そんな趣味に打ち込んでいる間にも言い知れぬ閉塞感が付きまとうのだから、なかなかどうにもうまくいかない。

 多分何か、心を埋めるピースが足りないのだ。それが何なのかはまだわからないけど。

 

 そういうわけだからこの高校に特に思い入れもない。選んだのは距離が近いからというだけだ。家から徒歩五分でたどり着く駅に、一駅電車に揺られるだけで到着できる。

 ほんのちょっとだけ学力は高かった気もするけれど、それがどれぐらいなのかはっきり覚えてないぐらいのおまけに過ぎない。

 

 というわけでみんなのように頑張ってここまでたどり着いたという達成感もないわけで、これからの期待を吸って空気が熱を帯びているのに、こちらとしてはなかなかテンションが上がらないのも必然だった。

 

 取り敢えず冷めた視線で周りを見渡しても、同じ中学校から来たとわかる人物は見た限りでは居ないようだった。一つため息をつく、それが良いのか悪いのか。適当に今あるグループに入ろうとするきっかけがひとつ失われたことだけは確か。

 

 黒板に書かれたSHRの時間が、これから15分ほど時間が空くことを淡々と告げていた。

 まあそれぐらいの時間があれば何とかなるだろう。よしっと小声で自分を奮い立たせて、席を立とうとして――そこでようやく自分を見つめる視線に気づいた。

 

 ひとつ席を飛ばして二つ前の彼女が、椅子に正座してこちらをガン見している。念のため他の誰かを見つめているのかと振り返るも、綺麗に誰もいなかった。

 仕方なく前に視線を戻すも、いまだに名前も知らない彼女はこちらをじーっと見つめている。

 好奇心からか、目が爛々と輝いていた。しかしながら別に自分は特に何かした記憶はないし、そんな注目を集めるほど綺麗な容姿をしてる自信もない。

 ただそんな目で見られているのに不思議と嫌悪感はなかった。

 

 なんとなく席を立とうとするのをやめ、無言で視線を送り返すことにした。逸らしたら自分の負けな気がしたから、幸いなことに相手はかなり可愛い部類の女の子である、はっきりいえばどストライクだ。だから目の保養に丁度いい、そんなおじさんじみた思考があった。

 

 見つめあっていたのは1分ほど、先に切り上げたのは彼女だった。ほっと息を吐きつつ、彼女はこれからどうするのかとそのまま観察していると、あろうことかこちらへちょこちょこと近づいてくる。

 今更逃げるわけにもいかず、自分はそれを黙って見つめていた。小動物みたいだなとの感想を抱く。

 ウサギか、はたまたモルモット。餌付けしてみたいと思うが入学式に食べ物を持ってくるはずはない。

 そんなことを考えてる間に彼女は自分の目の前に辿り着いた。

 

「キミさ、コロッケそばは好きかい?」

「は?」

「うん、コロッケそば」

 

 思わず素で聞き返してしまったのも仕方ないだろう。入学式前に尋ねることは本当にそれで良いのか、そもそもお互いまだ名前も知らないというのに。

 それでも彼女は神妙な顔で同じ言葉を繰り返すものだから、仕方なく真面目に記憶を漁る。

 コロッケそば、聞き慣れない言葉である。

 少なくとも前の18年の人生の中で食べた記憶はなかったし、女の子になってからの記憶にもない。

 

「ごめん、食べたことないや」

「そっか、やっぱそうだよねー」

 

 うんうんと俺の言葉をじっくりと噛み締めるかのように彼女は頷いた。なんとなくうさ耳をつけたい気分に駆られる、きっとよくぴょこぴょこ動いて映えるだろう。

 そんな自分の気持ちを知らず、彼女は続けた。

 

「ボクはコロッケそばが好きでさ」

「はあ……」

 

 まさかの純正ボクっ娘である。性癖的にはドンピシャだが、まさか自分はボクっ娘が好きですとか、いきなり言い出せるはずもない。そんなことをのたまえば、ここから3年間暗黒の時代を過ごすことになるのは必定である。

 今まで見たことがなく、本当に存在していたのかと内心の驚愕を表情に出さないように必死に努力しつつ、続く言葉を待っていた。

 

「こう……なんというか、ボクはコロッケとそば両方とも好物なんだよね。だからこの二つを組み合わせたら最強に美味しいんじゃないかって思ってさ」

カレーにカツを乗せる的な(ボクっ娘にショートカット)?」

「そうそうそんな感じ、だからコロッケそばを頼むのは必然だったわけだ」

 

 コロッケそばさんがやれやれとかぶりを振った。まだ名前も知らないし、コロッケそばとボクっ娘という特徴しか捉えられていないから仕方がない。内心でそんなあだ名をつけるも、当然彼女が気付くはずもない。

 

「そんなわけでコロッケそばを食べて見たんだけど、すぐに期待外れだとわかってしまったんだ……あれ、凄い勢いでコロッケがつゆを吸い込んでいくんだよね」

「へー、それは残念でしたね」

 

 そうやってなんの感情も篭ってない相槌を打ちつつ、はじめの言葉との矛盾に首を傾げる。

 それはおかしいのではないか、これだとコロッケそばを好きになる理由がないのではないか?

 

「コロッケそばが好きなんですよね?」

「うん、好きだよ」

「でも期待外れだったんですよね?」

「残念ながらね」

「……矛盾してるじゃん」

 

 その言葉を聞いて待ってましたと、彼女はニヤリと笑みを浮かべた。チッチッチッと指を振りながら、ちょっとだけ周りを見渡して、席の主がいないことを確認し前の席についた。

 

「嘘はついてないよ。考えたんだ、なんでこのメニューがあるかって。そして一週間ぐらいかけた結果ようやく一つ思いついた」

「だいぶ時間がかかってるけど」

「答えが見つかったからいいの! 見つからなかったら無駄だったけどね」

 

 そういうと指で空をなぞり始めた。多分文字なのだろうけれど、何を書いてるのかこちらからは全く判別がつかない。

 

「要するにボクの食べ方が間違っててさ、美味しく食べる方法が他にあったんだ――ってね」

「へえ、じゃあ正解はどういう食べ方だったんですか?」

「ところが残念なことに、それがまだ見つけられないんだ」

「……は?」

 

 拍子抜けの言葉。冗談かと思ったのに特に答えを変える様子もなく。なぜか自信満々にない胸をえへんと張っている。顔は勝てないけれど、胸と背だけなら勝てそうだ。

 

「……じゃあなんで好きなんですか?」

「ボクの知らないところにきっとものすごい食べ方があるはず。その期待がボクをコロッケそばに進ませるんだ、そうやって冷静に考えてみれば可能性の塊だよ、コロッケそばは」

 

 試したコロッケそばをずらずらと並び立てるのを聞き流しながら、冷静に俺は何をやってるんだろうと考えていた。

 

 入学式に名前も知らない女の子からコロッケそばについて延々と語られるというシチュエーション、言葉にしてみると訳のわからなさが増してきて、思わずフッと笑みを浮かべた。

 狂人の戯言か、夢だろうと言われかねないだろう。でも悪夢ではなく、いい夢なのは確かだった。

 

 そばの食べ方を語る声が途絶えていることに、ふと気付く。どうしたのだろうと伺うと、上手くいったとばかりに満足げな笑みを彼女は浮かべていた。

 

「やっと笑ってくれた」

「え?」

「心配だったんだ。これから入学式だっていうのにずっと無表情で、これから肝試しかってぐらい暗かったからさ」

「だから自分に話しかけたの?」

「そ、もう緊張はほぐれたかな。今の顔のほうがずっとよく見えるけど」

 

 静かに頷いた。別に緊張してたつもりはないが、そう解釈してくれるならそれでいい。

 自分としてはちゃんと内面に隠してたつもりだけれども、周りからしてみれば隠しきれてなかったらしい。

 念のために頰を優しく数度揉みほぐす。

 なんとなく閉塞感を突き抜けた気がした、欲しいものを見つけた気がした。

 

「別に……うん、大丈夫」

「ならよし! キミは可愛いんだから、笑ってなきゃ損だよ」

 

 お世辞だろうと分かっていた、自分より彼女の方が可愛いのは確かだったから。でもそう分かっていたとしても心が弾むのは抑えきれなかった。

 そんなちょろかったのは、多分入学式だから。

 

「今更だけど自己紹介しよっか――ボクの名前は及川 渚、キミは?」

「佐々木 玲、玲って呼んでくれていいよ」

「じゃあボクのことも渚って呼んでね!」

 

 そう言いながら差し出した手を拒むことなく握る。自分よりも小さいけれど、柔らかくあったかい手。

 一つ祈るは、願わくば彼女との関係が長く続かんことを。

 

 

 

「そういえばここの食堂にもコロッケそばがあるらしいんだけど」

「……自分は食べないよ」

「残念、仲間が一人増えると思ったんだけどなー」

 

 そしてもう一つ願わくば、彼女がコロッケそばの美味しい食べ方を見つけられますように。

 



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04 次の日、昼休み、ある男子

 前の記憶があるからなんでもできる、というわけではなかった。ちゃんと努力しなければ身につかなきゃいけないものもある。

 例えば字を書くこと、とか。

 

 字は心の鏡、そんな言葉がある。

 はたして自分がその言葉を本当に信じているかといえば、別にそうではないのだけれども、字が綺麗であれば良い印象を与えるのは確かであり、そうなれば自分が字を上手くしようと取り組む事もまた必然だった。

 

 ただ前世と同じように文字を書こうとしても身体の勝手は違う、そこら辺の子供と同じぐらいブレブレの文字を見た時は愕然としたものだ。

 ただ努力をしなければ前に進まないのは分かっていたし、それから逃避する気はさらさらなかった。

 そんなこんなで悪戦苦闘しつつも、努力の果てに綺麗な字を手に入れることはできた。やれば出来る、至言である。

 

 懐かしい思い出だ、もしかしたら今までで一番苦労して成し遂げたことはそれかもしれない。結局それは役に立ったとも言えるし、肝心な時に役に立たないということもあった。

 テスト返しも終わり、普通に進行する英語の授業。ぼんやりとシャーペンを無駄にカチカチとさせながら、そんなことを振り返っていた。

 現実逃避だとは分かっている、目の前にある手紙はどうしたって消えることはない。

 教科書とノートの間に挟み込み、自分しか見えないその招待状。

 

昼休み、旧校舎にある外付けされた非常階段の入り口に来てください

 

 そんな綺麗な字が踊っている。これが朝、自分の下駄箱の中に叩き込まれていた。

 字は人の鏡。それが正しいのであるならば、この手紙の差出人はきっと素晴らしい人物なのだろう。

 

 なんとなく推察する。

 これは俗に言う恋文というものではないか? つまり、ラブレター。名前が書いてないことがちょっとだけ不安だけども、差出人がきっと素晴らしい人物なら多分嘘ではないはずだ。

 

 たしかに指定された場所は人がほとんどいない場所だからうってつけではあるけれど、まさか自分が対象だとは世の中に物好きもいたものである。

 

 何ともなしにこの恋文の相手を推測し、ノートの余白に書き出そうとして、手が動かないことにため息を吐く。

 全くわからない、自分もまた人の好意に疎すぎる。

 でも、もしかしたら。そう脳裏に浮かんだ人を書き――すぐ横線を引いて消した。

 まさかそんなはずはないだろう、ブンブンと頭を振って考えを頭から振り落とす。うん、渚の推理であり本当はもっと別の理由があるはずだ。

 

「佐々木、56ページの一行目から読んでくれ」

「はい」

 

 挙動不審だったせいか、教師に指名された。言われた通り、教科書を持って立ち上がる。

 

 赤坂 舞

 

 ノートに残る、消しきれないそんな文字。

 

 ●

 

 さて手紙を貰えば行かないわけにもいかず。

 どうせわざわざ外に行くのだからと、自分の手にはパンが入った袋が下げられていた。

 春のうららかな日差しが差し込む絶好の散歩日和である。いつもなら教室で昼食を取っていたが、久しぶりに中庭にあるベンチで食べることにした。

 今から向かう場所と違って晴れていれば人気があるスペースだけど、先に渚が場所取りに向かっている。

 ちょっと用事があるから先に行っててと彼女に頭を下げたのが数分前、サクサクと早足で進むことであっという間に目的地に着いた。

 

 案の定、周辺に人気はなく手紙の差出人もまだ来てない様子。立っているのも疲れるし、日陰になることを厭わず階段へと腰掛ける。

 

 もしこれが告白だとしたら、誰だろうと振ることは確定していて、目下の悩みはお腹が空き過ぎていると言うことだった。

 袋の中のパンをちらりと見やる。真っ先に目に留まったのは、あんぱん98円(税抜き)。ちょっとぐらい食べてもバレないだろうか、きっとバレないだろう。

 そんな誘惑に負けてパンを取り出したところで、ようやく目の前に一人男子が立っていることに気づいた。

 

 まじまじと視線を送られてるのに気づき、仕方なくパンをしまう。

 無音でやってくるとはタチが悪い。そんな八つ当たりに近い感情に苦笑いを浮かべつつ、立ち上がった。

 

 そんな目の前の男子には見覚えがあった。と言うのも当然だろう、彼は今のクラスメイトだったから。

 確か犬飼なんちゃらとか言う名前。下の名前はうろ覚えだから定かではない、たしか孝志とかそんな名前だった気がする。

 持っている印象は普通の男子。特に悪いところもなく、たまに会話することを見れば、普通よりちょっと上かもしれない。

 ただまあ、それが好意に達するかと言われれば絶対に否。

 

「この手紙を私に出したの犬飼くん?」

 

 手紙を指差して尋ねると、彼は素直に頷いた。

 相手が赤坂さんと言う予想は外れたらしい、それでも別に構いはしないのだけれども。

 

「じゃ、ここまで呼んで私に何の用?」

「そ、その……」

 

 なんともまあ顔を赤らめて初々しいことである、もし自分が女の子であったなら一緒に顔を赤く染めていたかもしれないけれど、残念ながら中身は男であるから別に興奮することもない。あゝ無情。

 

「一目見た時から気になっていました! ……ええっと」

 

 緊張から考えてきた言葉が吹っ飛んだのだろうか、ええっとの後に続く言葉はなく、沈黙だけが場に残されている。

 それを冷やかすかのようにひゅるりと風が一つ吹いて、俺は体を震わせた。

 しかたがない、自分が言葉を促させるしかないか。

 

「で、私のことが気になってどうしたの?」

「えっと、ここに呼び出しました!」

「そう……」

 

 普通に話が終わってしまった。

 いや、そこから話を広げるべきだろうと突っ込みたいが、なぜか満足げな表情をしている彼にそれを言うのも憚られた。

 

「私、もう行っていいかな? お腹減ってるし昼ご飯早く食べたいんだけど」

「どうぞどうぞ、って待ってくださいよ!」

「犬飼くんはツッコミがうまいねえ」

 

 あがり症なのをいれてトントンだが。

 ようやく話が進みそうなのを見て、再び腰を下ろした。

 

「じゃあさ呼び出して何をしようとしたのかを教えてよ。呼び出して目的終わりっ、じゃないんでしょ?」

「……俺は貴女のことが好きなんです」

 

 ようやく吹っ切れたのか、先程よりは男らしい顔つきになった。あとは手伝わなくても自分で最後まで言ってくれるだろう。

 一つ頷いて、先の言葉を促す。

 

「だから貴女のことがもっと知りたくて、告白することにしたんです。遠くからじゃ限界があるから、そして自分の中にこの気持ちを留めて置くのは限界だったから」

「……そう」

「僕は貴女のことが好きです、だから付き合ってください」

 

 そう言いながらも彼は悲しそうな表情だった。自分がまだ答えを言っていないのに、それを予知したかのように。

 でも告白されたからには答えを出さなきゃいけない。その答えを経て、一つ終わって、そこから始まるのだから。その覚悟を背負った彼もここに立っているのだ、彼が本心をさらけ出したのに自分が逃げるのは卑怯だ。

 

「告白されたのは初めてだからちょっとだけ驚いたよ、でもそれだけ。ごめんなさい、私は犬飼くんとは付き合えない」

「……そうですか。うん、そっかあ」

 

 ほんの数秒、彼は空を見上げて、またこちらへと視線を戻した。

 

「時間をかけてごめんなさい。だけどもう一つお願いがあるんです」

「なに?」

「告白して振られた身から言うのも差し出がましいことだけど、これからも友達として相手してくれませんか?」

「……うん、いいよ。こちらこそよろしく」

 

 それは自分から言うべき言葉だったけど、初めて告白されることもあって、言うのを忘れていた言葉。

 返事をせず、無言で頭を下げて彼は去っていった。

 それをなんとなく見送っていると、彼は不意に振り返った。

 

「佐々木さん!」

 

 よく通る声だ。ほんの少し距離は遠いけど、ちゃんとこちらまで届いている。

 

「最後に一つだけ質問なんですけど、いいですか!」

「いいよ、答えられる質問なら!」

「佐々木さんは、好きな人いますか!」

 

 ほんの数秒、躊躇する。嘘をついて別にいないと答えてあげるべきか、それとも。そんな考えをよそに答えは自然と口から出ていた。

 

「いるよ!」

「……ありがとうございます!」

 

 その言葉を最後に振り返ることなく彼は走って行き、校舎の角を通り過ぎて完全に姿が見えなくなった。

 

 早く中庭へ行き渚と合流するべきなのに、いまだ階段に腰掛けたままだった。

 初めて告白されて気づいたことは、される側もなかなかにしんどいと言うことだった。赤坂さんとか渚は度々告白されたとか告白したとかの話題は聞いていたけれども、平気な顔をしてこんなことを淡々とこなしているのだから、女子とは凄いものである。

 もしかしたら告白されているうちに慣れるものなのかもしれないけれど、自分は何度告白されても慣れそうにない。

 

 そんなことを考えていると、自分がなんで好きな人がいると答えたのか、そんなことに考えが移り変わっていった。

 

 無駄な期待を背負わせたくなかった、だろうか?

 それは俺が身に染みているから、叶わない恋ほど辛いものはないと、心の底からわかっていたから。

 俺が俺である限り、彼の恋が実ることはない。

 それこそ記憶が吹っ飛びでもしない限りは。

 

「……そろそろ、行くかー」

 

 うんと伸びをしてスマホを取り出す。告白なら直ぐに終わるかと思っていたけれど、予想以上に時間がかかった。

 

「隣、いいかしら」

「ああ、すいません。いま退きますんで」

 

 立ち上がろうとしたところで後ろから声を掛けられた。非常階段を使って上から降りてきた人がいるらしい、ちゃんと道は半分開けてるのに、そう思いながら顔だけ振り返る。

 

 瞬間、顔が引きつった。聞き覚えがある声だなとは思っていた、ただその先まで考える余裕も時間もなかった。

 そんな自分をさておいて、彼女は俺の隣に腰掛ける。

 

「なんで私がこんな場所にいるのかって顔してるけど、習慣、つまり偶然よ」

「そ、そうですか……」

「まあ偶然会ったことも何だし、お話しましょうか」

 

 絶対に逃がさないという意思を込めた笑顔に、自分ができることはただコクコクと首を振ることだけだった。

 

 手紙の差出人は彼女ではなかったけれど、結果として待ち構えていたのは初めの予想通り赤坂 舞、その人であった。



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05 赤坂さん、昼休み、2人きり

 昨日は逃げ出してしまったが、直接面を付き合わせてる訳ではないので比較的余裕がある。

 壁に頭をもたれかからせて、何を切り出すのかをじっと待つ。なんとも断頭台に乗せられた心地だった。

 そんな自分をさておいて、俺が逃げないことをいいことに赤坂さんはじっくりと言葉を選んでいる。

 その隙に渚に先にご飯食べててとメッセージを送る。流石にこれ以上長くなるなら待たせることは忍びない、彼女なら来るまで律儀に待ってそうだし。

 ポケットのスマホが返信を受け取って、一つ揺れると同時に赤坂さんの声がした。

 

「ねえ、佐々木さん」

「……何でしょうか」

「貴女は、私のこと嫌い?」

 

 思わず顔を見つめるも強い視線を送り返される。赤坂さんのその質問の意図が俺にはわからない。確認なのか、それとも否定して欲しくていったのか。

 

「えーっと、赤坂さんはどうしてそう思ったのかな?」

「昨日はいきなり逃げ出すし。いまでも私に怯えてるのか、ちょっとでも距離を取ろうとしてるじゃない。そう思うのも別に不思議じゃないでしょ?」

 

 慌てて姿勢を正す。どちらかといえば赤坂さんの色香から遠ざかりたかっただけだが、言われてみればそう受け取られて当然だった。別に彼女の事を嫌ってる訳ではない。

 

「そんなことない。ただ、なんというか……」

「何?」

「自分は赤坂さんの事を知らなすぎるから。だからほんの少しだけ怖い、かな?」

 

 そう、自分は赤坂さんの事を知らなすぎる。

 知らないことは怖いことなのだ、知らないから彼女が怖い。至極当然の人間の本能、未知に人は恐怖する。

 俺が赤坂さんについて説明するなら、多分片手の指で足りるぐらいだろう。

 

「私がさ、赤坂さんについて知ってる事っていうと、物凄く頭がいい、物凄く美人、物凄くモテる、だけど孤高の存在。それぐらいだからさ」

 

 指を順繰りに折っていっても使い切らない。そこにもう一つ付け加えるなら自分に対する対応が何故か悪いぐらいで、それで丁度五つだ。

 そんな自分の言葉にため息を吐くのをみて、慌てて言い訳の言葉を並び立てた。

 

「まあ仕方ないじゃん? 新クラスになって二ヶ月しか経ってない訳だしさ、そんな話もしてなかったからさ」

「……私について教えてあげる必要がある、か」

「ゑ?」

 

 なんとなくアダルティな言葉。思わず変な声が漏れるが俺の脳内の桃色の妄想に反して、彼女の言葉は案外まともであった。

 

「佐々木さんが私について気になってる事を教えてちょうだい、全部答えて疑問が無くなれば怖がる必要もないでしょう?」

「それはそうだけど」

「別に、特に隠していることもないわ」

 

 自分が赤坂さんに対して質問することは既に決定事項のようだった。彼女はなんでもどんとこいとばかりに、堂々と待ち構えている。

 頰に手を当て考える、一番はじめに引っかかったのは彼女がここに来たのは習慣だったという事。

 

「赤坂さんがここに来たの、さっきは習慣って言ってたけどなんの習慣? 野良猫でもこの辺にいるの?」

「ここで野良猫なんて見たことないけど、ただ一人になるのはここが丁度良かっただけ」

 

 そう言って抱えた巾着袋をこんこんと叩いた。

 今更その存在に気づくのは、自分が予想以上に緊張して赤坂さんのことをまじまじと観察する余裕がなかったからだろう。

 

「それ、入ってるの弁当箱?」

「他に何か別のものが入ってると思う?」

「いや、別に思わないけど……」

 

 さも当然のように返されても困る。苦笑いしつつ、自分のパンが入った袋と見比べた。自分の物の方が見えるのは、彼女が少食だからだろうか。

 

「……嘘だと思う?」

 

 自分としては一段落なのだけれども、彼女は躊躇いがちにそう尋ねた。

 自分を追いかけて、話すためにここまでやってきた。そう言われれば納得はできる。ただ自分はすぐに首を振った。

 

「別に疑ってたらきりが無いし、わざわざ疑う気もないし。赤坂さんが嘘をつく理由もないでしょ?」

「まあ、ね」

 

 というか嘘を吐かれても、それを証明する方法がない。嘘を吐きましたと白状しない限り、自分は信じ続けるだろう。必要なのは納得できるかできないか、いや理解できるかできないか、か。

 確かに天気のいい日は姿が見えないことが多かったし、そう言われれば確かに納得できることだった。

 ウンウンと1人納得する、自分を赤坂さんがストーキングするとはなかなか理解し難いことである。

 そうなれば、初めから聞いていたことになるし。

 

 初めから?

 

 頰に冷や汗が一筋伝う。冷静に考えろ、彼女はいつからこの場に来ていた?

 

「他に質問はある?」

「もしかして、もしかしてーって思ってるんだけれど――」

 

 やめろ、そんな声が聞こえた気がした。

 第六感が危険を告げていた。本当にそれを尋ねて良いのだろうか、聞かないままの方がいいんじゃないか?

 途中で言葉を切ったためか、彼女はキョトンとした表情を浮かべている。

 よしまだ引き返せる、そう判断した。笑いながらお茶を濁して後は流しで。そう冷静に頭の中で計画を練る。

 パンドラの箱は開けないに越したことはない、

 

「いやなんでもない、あはははは」

「ん、そう。もう聞きたいことが無いってこと?」

「そうそう、じゃあ及川さん待たせてるからもう行っていいかな?」

「いや普通に考えて今度は私の質問の番よね?」

 

 ガシッと肩を掴まれる。あ、予想以上に握力が強いんだなと、どこか他人事のように思っていた。

 彼女の言葉は正論だった。聞くだけ聞いてさようならは許されない、対価を支払いなさいと言っているのだ。

 

「女の子らしい話をしましょう」

「お嬢様言葉で話をするとかそういうことですか?」

「それは女の子らしく話をしましょう、ね」

 

 女の子らしい話に嫌な予感が止まらない。

 冗談は彼女にほんの少しの笑みをもたらしただけで、それ以上の効果は無く、この流れを止められそうになかった。

 

「佐々木さん、さっき告白されたよね?」

「気のせいだと思います」

「相手は犬飼くんだったよね」

「違うと思います」

「結局振っちゃったよね」

「そうですね」

「ああ、それは肯定するのね」

 

 赤坂さんの視線が否定を重ねるごとに暗く冷たくなっていくのが、ほんの少しだけ色を取り戻した。

 なぜか先程より圧力が高い気がするのは彼女が次第に距離を詰めているせいか、それに屈してへんにょりと壁に寄りかかる。

 

「なぜ佐々木さんは彼を振ったの? 結構、彼は人気があったと思うけど」

「逆に聞くんですけど、赤坂さんはかっこよければ誰でも付き合うんですか?」

「興味ない相手は論外よ」

「そういうことですよ、自分も彼は恋愛対象外だっただけです」

 

 男という時点でNGなのだから、もう大前提から彼は転けていた。まあそれは俺もまた同じなのだが。

 恋をするだけなら無料、そんなキャッチフレーズを思いついたが特に使う機会はなさそうである。

 

「赤坂さんは好きな人居ますか?」

「居るよ、貴女と同じようにね」

 

 それっきり会話は途絶える、やっぱりちゃんとそこも聞いていたのか。まあ、聞いたからと言って特にどうこうする気はないらしい。

 やる事もなく、立ち上がる。今度は彼女は止める様子を見せなかった。

 

「赤坂さん、最後に質問なんですけど」

「……何?」

「もし自分が手を抜いているとして、ですよ。どうしてそれを見逃さなかったんですか? それを突きつけてどうしたかったんですか?」

 

 今日は出さないその話題を自分から出す事にした。それが彼女が自分から避けてるのか、それともたまたま忘れていたのか。

 多分、わざと出さなかったのだろう。

 

 冷静に考えれば手を抜いていると認めて終わりじゃなかったはずなのだ。その先に何か言いたいことがあった筈で、それを聞かなきゃ話は進まない。必要なのは俺が本気を出してない証拠ではなく、彼女の目的なのだ。

 

 渚の予想通り、私に本気を出して欲しいのか。

 そうだとしたら突っぱねるだけだが、もしそれ以外に理由があったとするならば。

 

「昨日言った通りよ」

「え?」

「理由がわからないから知りたいの。どうして本気を出さないのか、ただそれだけ」

 

 そこで言葉を切り、自分のことをじっと見上げていた。どうせ答えないんだろうと、諦め混じりの感情がちらりと垣間見えたのは気のせいではないのだろう。

 

「及川さん待たせてるんでしょ、もう行っていいわ」

 

 先に視線を切ったのは彼女だった。こちらに興味を失ったかのように、弁当箱を広げ始めた。

 

「赤坂さん、私達と一緒に昼ご飯一緒に食べない?」

「遠慮しとくわ。私、及川さんのことあまり好きじゃないから」

 

 視線をこちらに寄越すことなく断られ、肩を下ろす。名案だと思ったのだが。

 言葉をもう一度反復して、赤坂さんの方を振り返る。なんでもない様子だが彼女が渚の事を嫌いだというのは衝撃の事実であった。

 どうしてか尋ねたいところだが、そんな事を聞く雰囲気ではないことをわかっている。ぼんやりと振り返ることなく中庭へと向かっていく。

 

 先約は渚に有り、優先するべきは彼女である。今もまだ場所を取っているのだろうから早く向かうべきだ。そう分かってるのに、足取りは重い。

 赤坂さんをここに一人で残しておくべきではない、先約が無ければちゃんと残っていただろう。

 

 いや、言い訳か。自分が赤坂さんより渚のことを優先したいだけだ。それから目を背けちゃいけない。

 髪が乱れるのも無視して、髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。

 

 スマホを取り出して渚へと約束取りやめのメッセージを送る。これだけじゃなくて後でちゃんと謝らなければ、そう思いながら来た道を引き返していく。先程よりはずっと足取りは軽く、すぐに非常階段へと戻って来れた。

 

「隣、いい?」

「いいけど、及川さん待たせてるんじゃないの」

 

 一番最初の会話と今度は立場を入れ替えて、彼女の言葉を言い終わらないうちに隣に腰を下ろしていた。袋から取り出してカフェオレにストローをさしながら口を開く。

 

「こんな人も来ない場所だと、寂しいかなって思ってさ。一人の方がいいならすぐに行くけど」

「いや、別にいいわ。貴女と昼を一緒にするのは二度目ね」

「あれ、前も同じようなことあったっけ?」

 

 その言葉に返事を返すことなく、赤坂さんはふわりと笑った。



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06 放課後、及川さん、部室にて

『及川 渚は手品部部員、そして部長でもある。そして佐々木 玲は部員Aだ。そして手品部は総勢2名の閑散とした部活である』

 

 実はこれ、正しい情報ではない。

 自分は部活に入っていない。よく勘違いされることだが、手品部には所属していないのだ。

 

『及川 渚は手品部部員、そして部長でもある。そして佐々木 玲は部員ではない。手品部はたった1名の閑散とした部活である』

 

 これが正解。

 彼女と友達というだけで本質的には部外者だ。

 それでも自分がその部室に入り浸り続けているのは、彼女との時間を過ごすという不純で純粋な目的だけ。

 

 ただそんなことをしていても彼女から無理に入部を勧められないこともないし、そんな渚の気持ちに甘えて一年の時から今に至るまでダラダラと関係が続いている。

 はじめに入部を躊躇ったのは二人きりの部活というのもなんとなく気恥ずかしいものだったから、彼女が手品部に所属をすると決めた時に先輩は部室を明け渡して引退していったらしい。

 先輩の義務とはとか個人的には思うのだが、その時から1人だというのに彼女は寂しがるどころか、自由に使える部室ができたと喜んでいたから、まあそれで良かったのだろう。

 俺はその先輩を見たことはないけれど、その先輩のおかげで部室にいるときは渚と二人っきりが続いている。

 

 さてそれは良かったのだけれども、いざ入部するとなるとなんとなく気がひける。わざわざ彼女を追いかけて入部したと思われるんじゃないかと、変に妄想を膨らませたりして。ならきっかけがあればいいじゃんと俺は考えたのだ。

 そう例えば他の部員が増えたら、その他の部員と一緒に切り出せば丁度良いのではないか?

 そう考えて今に至ると言うわけだ、部員が増える気配は未だにない。

 

 その中途半端さが渚への好意の証明なんじゃないかと思われてるかもしれないが、そうは言ってもここまで続いたものを変に踏み出すのもどうかと思うし、別にこのままでいいのではと思うのもたしかだった。

 

 そう言うわけで手品部は現在一名所属するのみである。

 

 ●

 

 レジ袋を片手にぶら下げながら今日もまた部室へと向かう。

 レジ袋の中身を見下ろせば、横倒しになったカフェオレの紙パックの上にシュークリームが載せられている。

 潰れてないことに安堵しつつ、誰もいない廊下をゆっくりと進んでいく。

 

 やることはお詫びの品を渡すことと、行けなかった理由の説明だ。いまだに渚には告白されたことを伝えていなかった、どうせ放課後話すことになるんだしと、適当な後回しである。

 

 カフェオレは個人的に好んでいる自分用の物、シュークリームは渚の好物で送る用の物。昼休みのお詫びに購入したものだ。多分これで大丈夫。

 

 廊下の窓から吹き込んでくる風に顔をしかめながら、ようやく部室の前へとたどり着いた。

 ドアを開ける前に手鏡を取り出して、手早く髪型を整える。こういうのももうだいぶ手馴れたものだ。一息入れて、なるべく音を立てないようにドアを開けた。

 

 いつも通り部室に渚は1人っきりだった。

 椅子を窓の近くへと移動させ、そこへ腰掛けている。窓の外を向いていて表情は見えないけれど、片手にはノートを抱えていて、多分絵を描いているのだろうと察しをつけた。

 まだ自分が部室に入ってきたことに気づく様子はなく、彼女の集中を妨げるのも憚られ、話しかけることなく静かに椅子に座る。

 ほんの少しだけ買ってきたものを早く渡したい気持ちもあったけれど、それを止めることは容易いことだった。

 別に話さなくても暇を持て余すことはない、後ろからその姿を眺めてるだけでも充足感はある。

 

 渚はジェスチャーが多い。さらに文字を動かす癖といい、休む後間もなくせわしなく動く手は彼女の象徴だ。

 そのおかげかは分からないけれど、手を動かす繊細さはずば抜けたものがあった。絵が上手い、字は綺麗、手品は上手、料理も上手。大体手を動かすことならなんでもできる。

 その器用さを褒めたことはあるけれど、手品部だから当然と言われた記憶。そんな手品部だからと言いながら、彼女はかなりの頻度で絵を描いている。それこそ部室で手品を見せてもらことより、絵を描いてることが多いぐらいだ。

 

 手品を始めて手先が器用になったのか、それとも絵を描くことが乗じて手先が器用になったのか。

 果たしてどちらが先なのか、それをまだ自分が知ることはない。

 

 そんな思考に沈みながら飽くこと無く渚を眺めていると、絵がひと段落ついたのかこちらを振り向いて「おっ」と声を上げた。

 

「やっときたね、いつ頃きたの?」

「だいたい5分ぐらい前かな」

「なんだ、そんな前から来てたら声かけてくれればいいのに」

 

 そんな彼女の言葉にゆるゆると首を振りながら、お土産を袋から取り出し優しく放り投げる。

 それをうまく受け取って、サンキューという言葉を言うが早いか、あっという間にシュークリームを二口で平らげた。

 

 食べるのは早いけれども、それを足りないと思ってる様子はなく、満足げな笑みを浮かべていた。

 彼女の幸せそうな表情を見ていると無限に渡したくなるが、あいにくお小遣いというものは有限なのだから仕方がない。

 そんな貴重なお小遣いを消費して買ったカフェオレを一口飲み、口を開く。

 

「気づかないぐらい集中してるんだからそれを邪魔する方が無粋でしょ」

「まあね、久し振りに面白い題材が見つかったからちょっと集中しすぎちゃった」

「ふーん、見せてもらっていい?」

「どうぞどうぞ、拙いものですが」

 

 そんな謙遜と共にノートを差し出される。ザッと見る限り女の子の絵。やはり上手くて、でも思考はそこで止まらない。

 その女の子に見覚えがあったから。というかその姿の特徴全てが彼女だと物語っていた。

 長い髪に気が強そうな目、自分には昼ご飯を一緒に食べた彼女にしか見えない。

 

「これ、赤坂さん?」

「大正解! どう、上手いでしょ?」

「上手いけど、赤坂さんに見られたらめちゃくちゃ怒られそうな……」

 

 ただでさえ嫌われてるというのに、そんな呟きはしっかりと心の中に留めていた。流石に他人の秘密をバラすほど馬鹿ではない。

 そんな忠告も気にも止めず、バレなきゃヘーキヘーキと渚は言っているが、ひょんな事からばれるフラグにしか聞こえないのは、きっと気のせいではないだろう。

 まあバレたら自業自得だ、そう思いながらじゅるじゅるとカフェオレを摂取していく。

 

「で、ボクをほったらかして昼来れなかった理由はさ、告白にオーケーしたから彼氏くんとイチャコラしてたってこと?」

「……げほっ、っぐ」

 

 不意に爆弾を投下され、吐き出すことは堪えたものの思わず咳き込む。まだ告白されたことを言っていないというのに、彼女には既にお見通しらしい。

 ただ結果だけはまだ知らない様で、彼女が完璧ではない証明になっていた。

 

「なんで告白されたのを知ってるのか知らないけど、振ったからいまだ恋人なしですよ」

「いや何で知ってるのって、そりゃあ旧校舎の非常階段といったら絶好の告白スポットでしょ。ボクも度々呼び出されてるしさ。それを聞いたら察しがつくのは当然のことじゃないかな」

 

 生憎のことながらそういう色恋沙汰と自分は遠い存在である。自分の困った表情を浮かべてるのに気づいたのか、彼女は呆れたようにため息をついた。

 

「で、振ったことはわかったけど、それがどうしてこれないことに気づいたのか教えてちょうだい?」

 

 さあ!と大きく手を広げて渚は待ち構えている。

 既に話のペースを彼女に握られているようで、なんとも言えない感覚だった。既に何があったのか全部お見通しの様な、そんな感じ。

 そうだとしても起こったことを正直に話すしか自分に選択肢はない。そういう意味では楽ではある、行動の方針を1つに狭めてくれる。

 それを彼女が狙ってやってるのかどうかは分からない。

 

「偶然あった赤坂さんと、昼ご飯を一緒に食べることになったから」

「……ちょっと待って」

 

 それでもその回答は渚の予想を超えていたらしい、頭が痛むのか入念にこめかみを揉みほぐしている。

 

「状況を整理しようか、旧校舎の非常階段に呼び出された玲は告白された」

「うん」

「で、キミは彼を振った。それで話は終わるはずだろう?」

「いや赤坂さんはいつもそこらへんでご飯を食べるらしくて、偶然告白の場面を見ていたらしく話すことになって。その流れで1人でいつもご飯食べてるって聞いたら、置いてくわけにはいかないでしょ?」

 

 その言葉を聞いてあー、うーと言葉にならない声を漏らして渚は沈黙した。いや、よく耳をすませば何やら呟いているようだが、上手く聞き取れない。

 

「――野良猫に餌をあげちゃいけないとあれほど……」

「なんか言った?」

「何でもないよ!」

 

 返事は大きな声でなにもかも諦めたのか、それとも一つ突き抜けたのか、眩しいぐらい明るい笑みだった。

 

「うん、ボクも1人で赤坂さんがご飯食べてるところ見たらきっと一緒に食べようとするだろうしね。しかたないね」

「いや、たぶん拒否されると思うけど」

 

 自分の言葉に不思議そうに首を傾げるのを見て、慌ててストローを口の中に突っ込んで無駄なことを言わないようにした。カフェオレを飲むことに集中、微量のカフェインが無駄に気分を高ぶらせているらしい。

 ほんの少しカフェインを摂るだけですぐに酔うものだから、あまり向いてはいないのかもしれないけれど、なかなか手放せない。

 

 そんな微妙に上ずった気分で何を話そうか考えていると、不意に扉を叩く音がした。

 



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07 お知らせ、終わり、及川さん

 真っ先に反応したのは渚だった。

 慌てて立ち上がり、扉の前へ素早く移動する。見敵必殺の構えというわけではなく、その来訪者を歓迎するためにだろう。

 部員がいないとはいえ、流石に部長としての自覚は持っているらしい。そう思いながら飲み終わったカフェオレとシュークリームのごみを袋にしまいつつ、ぼんやり行く末を見守っていた。

 

 けれどもノックの音が一回した限りで扉はピクリとも動く様子はなく、渚がただ1人ドアの前で突っ立っているだけだった。

 不思議そうに彼女はこちらを振り返る。

 

「……聞き間違えじゃないよね?」

「うん」

 

 自分が頷くと同時に、もう一度ノックする音が聞こえた。

 今度は弱めに、何やら躊躇するように。

 けれどもやっぱり扉は開けられることはなく、痺れを切らした彼女が動き出すのもまた必然だった。

 加減もせずに強く扉を開け放つ、ドンっという音に紛れて何やら可愛い声がした。

 

「やあやあ手品部へようこそ! 部活に参加希望かい?」

「えっ、いやその」

「まあまあここで話すのもなんだから部室へご案内ー!」

 

 続く言葉を待つことはなく、渚はその女子生徒の右手をむんずと掴み部室へと引きずり込んだ。

 無遠慮に渚に手を引かれてる彼女。それにほんのちょっとだけ嫉妬となにやらもんにょりとしたよく分からない感情を抱きながら、ざっと上から下まで一瞥する。

 

 知らない生徒だ。髪はおさげに、あまりおしゃれとは言えない眼鏡をつけている。あわあわと緊張してるのか、顔は赤かった。

 そうこうしてるうちに彼女を席につけ、渚もまた席へと戻っていった。都合、彼女、渚、自分で三角形の並びである。

 

「部員が増えるとは感無量だねぇ、玲さんや」

「増やす努力をしてなかったのは渚でしょ」

 

 そも、その眼鏡の彼女はまだ入部するとは一言も言ってないのだけれども。威厳を示したいのか倒れるんじゃないかと思うぐらい踏ん反り返る渚から視線を外し、例の彼女はと目を向けた。

 

 いきなり部室にほっぽり出された彼女だけれども、先程よりは緊張している様子はなかった。部室を見渡して何やら感慨にふけっているようで、一通り見渡して最後に視線を向けたのが自分。

 視線があったのは一瞬だけだった。すぐに視線を逸らし、指を1、2と折ってうーんと唸っている。

 何を考えているのかはわからないけれど、とりあえず話を進めるべきだろう。ひとまずの確認をと口を開いた。

 

「部活に入るんですか?」

「い、いや私はお知らせ担当でして、顧問の先生から誰か来るとか連絡はありませんでしたか?」

 

 二人揃って部長である渚へと視線を送ると、予想通りに彼女は首を横に振った。

 

「あの人は滅多に顔見せないからねぇ」

 

 自分が出入りしてるのは見逃してくれているけれど、そういうところが悪い所。よく言えば生徒主体、悪く言えば責任放棄である。

 

「ですよね。だから私がお知らせに来たんですけど――あっ、私は三年の野田 唯です」

 

 思わず身を正す。自分よりちょっと背が高いように見えたとは言え、まさか年上だとは思っていなかった。制服には学年を見分ける部分がないため、そこら辺の問題がままあることだけが欠点だった。

 渚は逆にいつもと変わらない様子でほんの少しだけ不安になるも、野田さんはそれを気にする様子はなく、ほっと溜息を吐く。

 

 一息ついて冷静になればふと何か引っかかっていることに気づいた。野田 唯、どこかで聞いたことあるような名前。そう思いつつも彼女が誰なのかに先に気づいたのは渚だった。

 

「あー生徒会役員のうちの一人か、確か庶務だったっけ?」

「そうです、そうです。よく知ってますね!」

 

 てれてれと嬉しそうに髪をいじっている。役員だということを忘れられがちなのだろうか?

 その様子に反して渚はへーそうなんですかと適当に相槌を打つだけで、少しやる気を無くしているように見えた。

 それもそうだろう。目的は生徒会のお知らせということで、彼女は特に部活に入る気は無いのだから。

 

「で、わざわざ野田さんはなんのお知らせに来たんですかね」

「あ、そうでしたそうでした。えーと部長が及川 渚って事になってますけど、そちらの彼女を含めて他に部員は増えましたか?」

「いいや、増えてないですよ」

 

 その言葉に野田さんは表情を曇らせた。

 

「そうですか、それは困りましたね……」

「何か問題でも?」

「えっと、その」

 

 しかしその続く言葉を言うことはなく、ただ指と指をもじもじとさせている。テンションが下がった渚はその先を促すことなく頬杖をついて持久戦の構えを見せた。

 自分もそれに倣って野田さんが自然に言い出すのを待つ。

 

 これで生徒会役員が務まるのか不安だが、それを言うのはお節介か。やにわに手に人の文字を書き始めてるのを生暖かい目で眺めていた。

 待つこと数分、ようやく話を切り出した。

 

「部員をあと一人集めなきゃ廃部です」

 

 ぽーんといきなり爆弾を放り込んだ。部室に静寂が訪れる。渚も驚いたのか何も言おうとせず、そのリアクションに驚いたのか野田さんは一人あわあわとしている。

 廃部、思わず頰を抓るも痛いだけ。いつまでもポカーンと口を開けたままの渚に見切りをつけ、慌てて口を開いた。

 

「廃部?」

「え、ええ廃部です。最低限三人集めてくれなければ規定により、大変悲しい事ですけど」

「ちょっと待ってくださいよ、去年も二人だった筈ですけど」

「いえ、今年は居ない卒業生と及川さんと、幽霊部員の現三年生が所属していたのでぴったり三人でしたよ。その三年生も今年になって退部しちゃったので……」

 

 それはまずい、よろしく無い事だ。

 唐突に廃部を告げられた現実に頭が追いついていない。あと一人集めなければ廃部、()()()()()()()()()()

 

 冷静になれば彼女は廃部決定とは言っていない事に気づく。廃部ならばそんな言葉をつける必要がない筈だ。という事はまだ存続の可能性が残っているのだろうか?

 条件は既に述べられていた。

 

「でも部員をあと一人集めれば廃部は回避できるって事ですか?」

「そうです、そのとおりです! とりあえず一週間という期間はありますので、来週の火曜日までに集めることができれば!」

 

 ふぁいとー、と気の抜けた掛け声とともに右手を掲げる。それが彼女なりの精一杯なのだろう。ちらりと渚の方を見てみるが、いまだに思考停止している様子で部長の威厳は全くない。

 

「出来れば私が所属してあげたい所なんですが……」

「えっ、出来るんですか!?」

「いえ、確認したところ生徒会と部活の掛け持ちは出来ないらしくて……ごめんなさい」

「いえいえそんなこと」

 

 先に対策を考えている分、野田さんもお人好しなのだろう。心底申し訳なさそうに頭を下げるのを見て、慌ててこちらも頭を下げた。

 

「とりあえず幽霊部員でもなんでもいいので、一人集めさえすれば廃部は無しなので頑張ってください。部員表を見る限りは一人でこれから二人は厳しいと思ってましたけど」

 

 思わず苦笑い、どうやら入ったばかりで入部届も出していない一年生と思われているらしい。

 これから入ることは確定してるし、別に否定する理由もないのだけれども。

 

「わかりました、私も入部届は早めに出しときますよ」

「もし廃部になってしまって入る部活に困ったら、私に声をかけてくださいね。良ければ他におすすめの部活を教えてあげますから」

「いえ、結構です。自分はこの部活以外に興味はないので」

 

 本当に良い人なのだろう、けれども強く否定することを抑えられなかった。でも、まあ、それは仕方のないことだろう。

 

 ●

 

 他に話す事はなかったのか、野田さんはそのあとすぐに戻っていった。申し訳なさそうに部室を出るときまでずっとペコペコしてたのが印象に残る。

 稼働停止した渚に代わりに自分が部屋の扉まで見送りしたのだから、彼女の部長の名は飾りらしい。

 

「……はてさてどうしますかね」

 

 再び二人っきりになった部屋にそんな声がポツリと響いた。ようやく再起動したかと思えば、まるでことの重大さを理解してないかの如く、他人事のような言葉。

 

「どうするって、部員を探すしかないでしょ?」

 

 ぶっきらぼうに吐き捨てて、彼女の寂しそうな顔に気づいて慌てて言葉をつないだ。

 

「取り敢えず、このまま廃部になるのをゆっくり待つ気はないんでしょ?」

「まあ、ね。一応先輩から引き継いだものだし、自分の代で終わらせるのもね」

 

 けれど新入部員のあてが見つからない、そう言いながら再びノートとシャーペンを取り出した。

 

「玲はさ、なんかそういうあてがある?」

「男子も可? それとも女子だけ?」

「別にどっちでもいいけど、まさかとは思うけど今日告白された相手を引っ張ってこようとしてないよね」

 

 言われて初めてその考えに気づいた、手段を問わなければその方法もありかもしれない。

 けれども無言で候補を積み上げていく自分を見て、肯定したと取ったのか彼女はバツマークを出した。

 

「それはやめてね、流石にボクもそんな環境には耐えられないから。絶対ギスギスするでしょ」

「分かってる、しないってそれは」

 

 冷静に考えると部活をやってない知り合いはなかなか少ないもので、難しい問題だった。

 それは渚も同じことだろう。ノートを開いて再び絵を描き出すかと思ったのに、手は全く動いておらず視線は宙を彷徨っている。

 

「一人ね……たった一人、されど一人」

 

 そう呟くと、漂う視線がこちらへと向く。

 彼女は自分を見てコクリと一度頷いた。

 

「部活が終わるにしても、続くにしても、二人っきりの部室は終わっちゃうね」

 

 その言葉を聞いて思わず「あ」と漏らした。

 ようやく気づいたのだ、さっきの彼女が来た時に抱いた説明しがたい感情の理由が。この二人っきりの空間が終わってしまうことが嫌だったのだ。

 それをわからなかったのは、わかりたくなかったからか。

 

「それが残念だなぁって思ってさ、うん」

 

 ああ、酷い人。

 平然な顔をしてなんでもない事のようにそんなことを宣うのは、自分よりずっと狡いじゃないかと思っていた。

 感情をひた隠しにしているのに、そんな弱みを無遠慮に突き刺していく。

 わかっていればそんな事を言わないのだろう、だけれどもそんな事をいうから無駄な期待を抱かせる。

 蜃気楼のようにユラユラと、ちゃんと知っているから。だから期待をするなと戒めても、どうしても。

 

「……仕方ないよ、これが決まりなんだから」

「まあね、都合のいい幽霊部員がいればなー」

 

 まあ高望みはしないでおくよ、そう言って彼女は再び絵を描き始めた。



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08 登校、赤坂さん

「玲より先に恋人ができたから紹介するよ! ついでに部員もやってくれるから一石二鳥で廃部も回避、最高だね!」

 

 いつものように人の気持ちを弾ませる笑顔は、その言葉を聞いた今となっては毒以外の何物でも無かった。

 水面に顔を出す金魚のように口をパクパクさせることしか出来ない、言葉を出そうにも喉が詰まってどうしようも出来なかったから。

 自分は振った相手を部に誘うのを拒否しながら部内恋愛はありなのかとか、身体で部員を釣ったのかとか、好きな相手が居る気配なかったじゃないかとか、そんな言いたい言葉はいくらでもあった。

 

 多分この反応も彼女にとっては予想通りだったのだろう。そんな俺の状況を意に介することなく淡々と彼女は話を進めていき、ピッと俺の背中を指差した。

 

「今日から及川さんの恋人兼部員を務めるから、これからよろしく佐々木さん」

 

 それと示し合せるように後ろからそんな綺麗な声がして――。

 

 ●

 

「うおおおおおおおお!?」

 

 女の子らしくない言葉と共にガバリと布団を蹴飛ばして起き上がる、いつもの私室が目の前に広がっていた。

 夢、か。

 

 枕元にはアナログの時計が律儀にカチカチと時間を進めている。6時20分、目覚ましがなるのは10分後だから微妙な時間。

 

 寝間着がわりのジャージが汗を吸って体に纏わりついていて、それが少しだけ不快だった。

 けれども着替えるなら制服になるわけで、そうするとこの安息の地から追い出されることになる。

 

 二つを天秤にかけたところ、ここから動くのは面倒くさいという方向に傾いた。

 ごろりと枕を抱き枕代わりにしながら寝転がる。ふと思い出して、うんと右腕を伸ばして時計のアラームを切った。

 二度寝する気は無かった、しようにも胸の鼓動が収まるまでは到底なれそうには無かったから。

 自分の内心の激情を枕を込める。それを人だと思い込むには小さすぎるけれども、ほんの少しだけ緩和された気がした。

 

 渚に彼氏が出来る、こういう夢を見ることは初めてでは無い。彼女が告白されるのを見るたびに見たり見なかったり二分の一ぐらい、運が悪ければ訪れる。

 その出来た彼氏とやらは彼女に告白して玉砕していった相手で、もしかしたらあり得た未来を映しているように思えた。まあ結局、今までその夢は杞憂に終わっていたのだけれども。

 

 そういう意味では今日の夢は例外だった。

 告白されたのは渚ではなく自分であり、そしてもう一つ注目するべきところは出来たのが彼氏ではなく彼女だったところ。

 犬飼くんでは無く、赤坂さん。

 それが今日の夢の登場人物であった。確かに色々と印象に残る出来事はあったけれど、夢が自分の想像で出来てると知ってるとはいえ、変わった組み合わせ。

 

 赤坂さんなら渚にくっついてもおかしくない、深層心理ではそう思っていたのだろうか?

 渚が赤坂さんの絵は描いていたのは、彼女が赤坂さんに好意を抱いた兆しだと?

 

 哀れにもひしゃげた枕に込める力をふっと緩めた。

 まあ、そうだとしても現実には叶わない事だろう。赤坂さんは渚のことを好きじゃないと断言しているから、それこそ昼ご飯を一緒に食べることを拒否するぐらいに。

 昨日の昼は渚のことを嫌いな訳を深く掘り下げる空気ではなかったから結局その理由はわからないままだった。

 というかそもそも赤坂さんもほとんど口を開かないから、会話は殆ど弾まずに二人並んで昼ご飯を食べただけで、自分と赤坂さんとの仲の進展は殆ど無い。

 

 いまだわからない、知らないで埋め尽くされている彼女。渚は赤坂さんが自分の事を好きだというけれど、それにしては一緒に昼ご飯を食べたと言うのに感情の表現が乏しくて、あまりその言葉を信じていないのが現状だった。

 自分が好きな相手とご飯を食べる珍しい機会に恵まれたのなら喜び勇んで会話を繋ごうと必死になるだろう、けれども赤坂さんにはそれが無い。

 そういう訳で分からないということは継続してるのだけれども、昼ご飯を一緒に食べた事で一時期彼女に抱いていた怖い人という印象は今の所かなり薄れていた。

 渚と昼ご飯を一緒に食べることを拒否するけれども、自分は追い払わなかったことから、相対的にそこまで嫌われてる訳ではないと分かったから。

 そんなあまり前向きとはいえない理由。

 

 まあそんなこんなで赤坂さん方面からのアプローチをしたところ、付き合う可能性はゼロであると分かったが、渚方面から否定するならば、渚の恋愛対象は女子では無いことは今までの経験上明白だったし、何かその価値観を変える出来事が合ったかといえばまだ無い。考える間も無く安心である。

 いや、自分の恋が叶わないとの裏付けは安心ではないだろう。精神的に芳しくない思考を振り払おうと再び枕に力を込めた。

 

 そんな風に悶々と思考を巡らせているうちにいつもの起きる時間を過ぎていたようで、お姉ちゃんと自分を呼ぶ声を聞きつけ、慌てて枕をほっぽり出して起き上がる。

 

 着替えもせずに扉を手にかけた所で、ふとありもしない仮定が浮かび上がった。

 もしも渚の恋愛対象が男から女の子も枠に入れられるようになったとして、自分は赤坂さんに勝てるのだろうか?

 彼女より魅力があると言えるだろうか?

 

 考える間も無く、すぐに答えは出ていた。

 だって、そもそも答えありきの問題だったから。

 

 ●

 

 朝ご飯を食べ、制服に着替え、髪型を整えて、いつも通りの時間に家を出る、ある種のルーティンだ、決まった行動が運を引き寄せてくれる気がしていた。

 

 いつもと同じ時刻にやって来る、いつもの号車に乗り学校へ行く。たった一駅程度のこと、贅沢と言われるかも知れないけれど、自転車登校は雨の日が憂鬱になることを前世の経験からよく知っていた。

 あれは地獄だ、一度経験したら絶対に二度と自転車通学なんてしないと断言できる。

 

 そんなに混んでない電車に揺られて、流される。

 徒歩5分、電車3分。8分を消費して学校の最寄駅。吐き出される学生の数はそんなに多くはない、もう少し時間が遅くなれば増えて来るけど、自分と同じように早く学校に来るのは物好きだけ。

 

 ふん、と鼻を一つ鳴らす。なかなか機嫌が良くない。

 夢の事もあるし、部員探しをしなきゃいけないという現実が心を曇らせる。正に今の曇り空を映したかのように、心が沈みっぱなし。

 

 これはあまりよろしくない、それを晴らすべく自動販売機の前で足が止まる。いつもならば使わない物だから不安だったけれども、ざっとラインナップを眺めれば目当ての品物はすぐに見つかった。

 甘いカフェオレ、それを飲むことにより無理やりテンションを上げていこうと安易な作戦。

 カフェイン is GOD、困った時はカフェインを取っとけばなんとかなるのである。

 

 硬貨を入れ、ボタンを押したところで軽快な音楽が鳴り始めた。回る数字、どうやらこの自動販売機は当たり付きのものらしい。

 

「まあ、当たるはずがないだろうなぁ」

 

 そんな独り言を漏らす。

 すぐに見切りをつけるほど今まで当たり付きというものには縁がない人生だった。今回もまた同じだろうと、やけに出て来るのが遅い缶コーヒーを待ちながら、ぼんやりとスロットが止まるのを待っていた。

 

 7、7、7

 

 ガシャン、ガシャンと何かが落下する音が連続して、思わず天を仰いだ。こんな所で運を使う必要があるだろうか、いやない。自分は幸福有限論者なのである。

 心の中でありもしない造語を嘯きながら、とりあえず屈み込んでカフェオレを取り出す。

 あとで渚にプレゼントしようかな、そう思いながらベンチへ移動する。歩きながら飲む気は無い、ホームですぐに飲んで学校に向かう。そうするだけの時間の余裕は十分にある。

 

「おはよう、佐々木さん」

「ん、おはよう」

 

 ただ精神的に余裕があったかといえば別にそんな訳はなく、移動中にカフェオレの扱いを考えていた事もあり、名指しの挨拶にも適当に挨拶を返した。

 そちらを振り返る事なく多分クラスメイトの女子と判別する、でも渚なら下の名前で呼んでくるだろうから彼女以外。

 

 そうなると割とどうでもいい扱いになるので、そこまで気を払う気は無かった。用があるならもっと話しかけて来るだろうし、結局声の主はそれ以上話しかけてこなかったからつまりはそういう事なのだろう。

 

 一つだけ空いたベンチに腰掛けて、カフェオレを口に流し込む。思わず数回噎せながらも、心なしか気持ちも上向いてきた気がした。

 

「随分と美味しそうに飲むのね」

「……そりゃ実際、美味しいし」

 

 さっきと同じ声。てっきり先に学校に行ってるものだと思っていたが、予想を外れて自分に用があるらしい。

 先程とは違ってひと心地ついて、声の主は誰なのかは半分ぐらい確信を抱いていた。

 でもじっとカフェオレの缶を見下ろす、なんとなく確認したらアウトな気がした。

 

「ねえ」

「……なんでしょう」

「なんでこっちを見ないの?」

 

 ゆらゆらと影が体を昇っていく。目の前に彼女が近づいてきており、既に足が視界に入っていた。

 どうやら一緒に登校するという選択肢以外自分には残されていないらしい。残ったカフェオレを一気に飲み干して、立ち上がる。

 

「……特に理由はなかったんだけど」

「そう、じゃあ偶然会った事だし一緒に学校いきましょうか」

 

 笑顔でもなく、怒るでもなく、徹底した無表情で淡々と告げる。まあただしそんな顔をしていても美人だという想いは変わらないから、羨ましい事。

 怖い人度を引き上げつつ、赤坂さんも電車通学らしい、頭の中の人物メモにそう書き足した。

 

「もしかしてカフェオレ欲しかったの?」

 

 その言葉に何を言ってるかわからないと彼女は首を傾げた。



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09 教室、赤坂さん、援軍なし

『クラスの美人さんと登校イベント!』と名付けてみれば、なんとなく胸に響く感覚はあるのだけれども、果たして現実がラブコメ調にすべてうまく進むかと言えばそういうわけでもなく。

 スタスタと足早に進んでいく赤坂さんから遅れないようについていくだけで必死になりつつ、気づけば高校の校門前。

 

「赤坂さん、ちょっと歩くの早くない?」

「……そうかしら」

 

 人気があんまりない校門をくぐり抜ける。こちらに視線を寄越すことなく素っ気ない言葉を残すのは、それがさも当然で疑問にも思ってないからだろうか?

 

「こう、偶然会ったんだからさ、ゆっくりのんびり歩きながら会話を楽しむもんだと思ってたんだけど」

「佐々木さんは私と話をしたいの?」

「うん」

 

 迷いも見せずに答えを出す。こういうのは迷いも見せずに色好い返事を残した方が良いことだらけだと知っている。

 

 不意に風が強く吹き、校門脇から昇降口に続く桜並木が一斉に騒めいた。今はすっかり葉桜になったけれども、季節となればこの学校の名物である。

 入学式の後、渚と一緒に写真を撮ったのももう去年のこと。そんな懐かしい記憶を桜の木に仰ぎ見てため息をつき、視線を隣に戻すと赤坂さんの姿が見えない。

 

 前にはいない。すぐさま足を止めて振り返ると、彼女は数メートル程後ろで足を止めていた。

 

「どうかした?」

「貴女は――。」

 

 ざわざわと木が騒めいて、再び無粋な風が吹き荒ぶ。正面から打ち付ける風に思わず目を閉じる。

 風がやんだと見て目を開けた時には、先ほどよりゆっくりとしたペースで赤坂さんは再び歩き始めていた。

 

「ごめん、聞き取れなかったんだけどさっきなんて言ってたの?」

「別になんてこともないたわ言だから、気にしなくていいわ」

 

 そう言われるともっと気になるのだけれども、彼女はそれ以上口を開かない。むすっとした顔が彼女の心境を表している。

 

 ああ、悪いことをした。

 胸に残るは罪悪感。別にわざと聞き逃したわけではないし、赤坂さんもそれはわかってるだろう。

 そうは言ってもやってしまったことは取り返せない。彼女がほんの少し不機嫌になったように見えるのは、自分のせいに他ならないし、多分気のせいではないだろうから。

 

 汚名をそそぐべく、慌てて鞄を漁りカフェオレを取り出した。ほんの少し温くなり始めている気がするけれど、そんなことかまっちゃいられない。

 彼女の前に立って手を出すと再びピタリと足が止まる、今度はちゃんと確認していたから自分もすぐに静止できた。

 唐突に前へ突き出されたカフェオレを見て、彼女はジロリと視線をこちらへ向けた。

 

「これはなに?」

「なにってそりゃ見てわかる通りカフェオレだよ。プレゼント・フォー・ユーって感じで、余り物で悪いけど」

 

 ふむと頷きながら赤坂さんは缶に手を伸ばした。

 食い付いた。そんな思考もつかの間、缶を掴むこと無く手を降ろす。

 直前まで行って受け取るのをやめる理由がわからなかった、もしかしてカフェオレが嫌いだったのだろうか?

 そんな予想は赤坂さんの続く言葉にあっさり否定される。

 

「……及川さんに渡す用のものじゃないの?」

「いや、別にそのために買ったものじゃないよ」

 

 思わずホッと息を吐く。

 そもそも意図して手に入れたものではないので、その考えは杞憂である。

 はじめは渚に渡す予定だったけれど、別にそれを今言う必要もない。押せば行けると判断していまだ掴もうとしない彼女に追い打ちをかけるように、更に言葉を叩き込む。

 

「もしかしてカフェオレ嫌い?」

「別に嫌いでもないし普通だけど、私でいいの?」

「自分が赤坂さんにあげたいからあげるの! ほら持って待って!」

 

 グイグイと手に缶を押し付けると、ようやく赤坂さんは缶を握った。いい仕事をやり遂げたと額の汗を一拭い、長い戦いだった。

 

「……そう、ね。じゃあ有り難く貰っておくわ」

 

 そう言いながら彼女はカフェオレを飲むでも無く、鞄にしまうでも無く、体を冷やしたいのか頰にピタリと缶を添えた。

 

 ●

 

 世の中にはハンドシグナルというものがある。

 軍隊だったり、ダイビングだったり、そういう言葉を出しちゃいけない場面で情報を伝えることが出来るものだ。

 

 別に自分がダイビングとかサバイバルゲームをやるわけではないけれど、前に渚と二人で軍隊式のハンドサインで試しに遊んでみた経験がある。

 

 これがまた、予想以上になかなか楽しい。

 なんというか、子供の頃の暗号ゲームのような感じといえばわかるだろうか。共犯者にしか伝わらない秘密の背徳感ときたら、堪らないものがある。

 

 とはいえ基本的に日常生活で声を出しちゃいけない場面で、ハンドシグナルをわざわざ使って連絡しなきゃいえない事は滅多にない、絶対にないと断言してもいい。

 

 というわけでそのハンドシグナルの遊びも飽きてしまい、そんなこともあったなという過去の遺物になったのだけれども。今、まさにそのハンドシグナルが役に立つ時が来ていた。

 

 眠たそうに目をこすりながら教室へと入ってきた渚に、すぐさま『来い』とハンドシグナルを送る。

 彼女はすぐにこちらに気づき、訝しげに目を細めた。当然だろう、普通ならば声を掛ければ良いわけで懐かしいモノを使う必要はないのだから。

 

 けれどもどうしてかは分からなかったようで自分の机へと数歩近づいて、ピタリと足を止めた。

 代わりにぱっぱっと手を動かし始めた。左手の平をこちらに向けて左右へと往復させる、『分からない』という意味を持ったハンドシグナル。

 

 いや絶対にわかってるだろ! そんな内心の叫びを無視して彼女はスタコラサッサと自分の席へと引き下がっていく。ハンドシグナルは役に立たず、どうやら助けは来ないらしい。

 仕方なく真正面の席に座っている赤坂さんへと視線を戻す。

 

 そう、そこに赤坂さんがこちらを向いて座っているのだ。赤坂さんは自分の後方の席であり、当然ながらその席の主は別人である。

 教室にたどり着き自分の席に鞄を置くやいなや、カフェオレだけを持ってこちらに戻ってきてから、赤坂さんはずっとそこに居た。

 ちびちびとカフェオレを飲み、飲み終わって席に戻るかと思えば、缶をじっと見下ろしてる彼女。

 恐る恐る、尋ねる。

 

「……もっとカフェオレ飲みたかったの?」

「もう少し、味わって飲むべきだった」

「いや十分味わってたと思うけど」

 

 その言葉にふるふると首を振って彼女は言った。

 

「それで、話をしたいんじゃないの?」

「あ、もしかして話しかけるのをずっと待ってた?」

 

 その言葉にコクリと赤坂さんは頷いた。

 てっきりカフェオレに大事に飲む姿を見せてくれているのかと思ったけれど、自分が話しかけるのをずっと待ってくれていたのか。

 

 赤坂さんと話したいと自分が言ったから。

 

「もしかして赤坂さんってさ、人付き合い下手くそ?」

「そんなことないわよ」

「アッハイ」

 

 異議を認めぬ強い視線。でも会話というものは両方受け手であり出し手でもあるのだから、彼女から話しかけてくれれば良かったのにと思わざるを得なかった。

 まあ彼女と同じように此方も話しかけるより受けに回るタチなのだけれども。

 

 やっぱり何も言おうとしない赤坂さんを置いておいて、頭を振り絞る。後につながるような話題で言えばペットだろうか、そんなことを考えているとぼんやりと涎を垂らしながら猫の顎を撫でて和んでそうなイメージが浮かび、慌てて振り払う。

 不埒なことを考えたら見抜かれて天誅を喰らう気がした。

 

「……赤坂さんは何かペットを飼ってたりするの?」

「トイプードルを一匹飼ってるわ」

「へー、名前は?」

 

 どうやら彼女は猫派より犬派らしい、勝手になんとなく裏切られた気分になっていた。

 

「クドリャフカ、よ」

「スプートニク2号に乗ったあの?」

「そうだけど、説明してないのによくわかったわね」

 

 その言葉にただ苦笑する。

 前世の知識フル活用である、起こった出来事は変わらない。この世界でも変わらずスプートニク2号は打ち上げられていた。

 クドリャフカはそれに乗せられた犬の名前だ。

 

「なんというか、あまり縁起が良くない名前だと思うけど」

 

 スプートニク2号に乗せられた時点で片道切符しか持ってなかったのだ、帰るための設備は備え付けられず、大気圏再突入で死体も残らず燃え尽きた彼女(クドリャフカ )

 まあその時まで生きてたわけではなく、打ち上げられて1日ほどで死んでしまったらしいが。

 

「それって赤坂さんが名前をつけてあげたの?」

「ええ、そうよ」

「元ある名前を付けるなら生還した犬の名前を付けた方が良かったんじゃないの?」

「違うわ、クドリャフカだからこそ意味があるのよ」

 

 だからこそ意味がある、それは自分にとっては理解しがたい言葉だった。当然彼女もそれをわかっているだろうに、その言葉については補足しようとしなかった。

 一番最初だから意味があるということだろうか? 一頻り考えて、ギブアップと手をあげる。

 

「……やっぱり、赤坂さんはわからないよ」

「私も全く貴女のことがわからないけど」

 

 知るにはお互い時間が足らなすぎるのだ。

 さらに言えば貴女が知りたがっている自分のブラックボックスは、いくら知ろうと焦がれても絶対に明かさない場所だから。

 到底、無意味な話。でも、それを口にすることはない。

 

「知りたければ努力することだよ」

「……なれるのかな、私に」

 

 彼女は何になろうというのか、その答えを出さずに「そろそろ席に戻るわ」と、そう言って赤坂さんは立ち上がった。

 

「佐々木さん、また」

 

 彼女が小さく手を振って、自分もまたそれに手を振り返す。

 それが次があることの約束になってると気づくのに、まだ少しの時間が必要だった。



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ex.1 及川 渚は思考する

 赤坂 舞は孤高の人物である。

 これはクラスのほぼ全員が抱いている共通認識であり、異議を唱える者はいないだろう。

 馴れ合いなど不要と言わんばかりにただ1人ひたすらに努力を積み重ね、学年一位の成績を入試の時から堅守しつつ、それに慢心する事なく更に先へと進んでいく。

 

 何かに急かされるのように、他の全てを投げ打って、ただひたすらに前へ前へ。

 はたして彼女が何を目指してるのかなんて全くわからないけれども、そうまでしなきゃ届かない目標が何なのかは興味が惹かれるモノがある。

 目標がないと人は頑張れない、ある種の鎖が人を強くするというのは及川の自論であった。

 

 まあ下手に藪をつつく気もなく、赤坂さんも現状で満足している以上特に何かをする必要もなく、ならばと変わらない温い生活を送ってきたのだが、そんな日々がいともあっけなく崩れようとしていた。

 

 寝不足の目をこすりながら学校にやってきていきなり見せられたものは、それまでのポリシーを放棄して、ぎこちないながらも赤坂さんが玲と会話をしている姿。

 

 はたして何が正解だったのか、そもそも正解があったのかもわからないけれども、及川 渚が教室にたどり着いた時にはもう手遅れだったのは明白な事実であり、何か取り返しのつかないことが始まっている予感だけが胸を叩いていた。

 

 赤坂さんがいなくなって、玲は1人ぽつねんと席へ座っていた。それを後ろからひっそり近づいて一呼吸、背後に近づいていることに気づく様子はなく、白い首筋が無防備に晒されている。

 不意に首に手を当てて驚かすこともできたけれど、彼女は首が弱いことを知っていたし、それをやると激怒することは容易に想像できた。

 シンプルに肩をぽんぽんと叩く。安全第一、距離感を間違えてはいけない。

 

「数学の宿題、終わってる?」

「宿題は終わってるけどさ、都合のいい時だけくるのずるくない?」

 

 予想通りの不満そうな表情、やはりさきほどあっさり見捨てたことを快く思っていないらしい。

 

「玲の自業自得だし、それをボクに押し付けられても困るよ」

 

 返答を待つ事なく玲は鞄を探っていて、言い終わると同時にノートを突き出してきた。

 小さくサンキューと言いながらパラパラとノートを捲る。何度見ても綺麗に整頓されている。まるで他のノートに一度書いてから、それ用のノートに清書したかと思うぐらいに。それがテストに反映されないのは不思議なことだと思うけれど、時間が足りないとの弁明を聞けば納得はいく。

 宿題もざっと見たところおかしい所は無く、多分大体合ってるのだろう。そこまで目を通したところでパタンと閉じ、玲へノートを返す。

 

「写すんじゃないの?」

「ボクは玲のものを写すほど落ちぶれていないんで」

「むう……」

 

 ぷくりと膨らんだ頰を突っつきたい衝動に駆られるが、それを何とか抑えつつぼんやり彼女を見下ろす。茶色いくせっ毛が今日も元気に自己主張している。

 

「まあ宿題はさておいて、今日は朝から何があったのかを教えてくれるかな」

「もとからそっちが本題でしょ」

 

 一つため息をつき、朝のあらましを彼女は語った。

 曰く、赤坂さんと駅で偶然出会った。

 曰く、それならばと一緒に登校することになった。

 曰く、赤坂さんは私が会話したいと言ったが故に先程まで前の席を占領していたらしい。

 

 玲の話を聞き終えて一つため息をつき、赤坂さんの席の方をちらりと見やる。

 空席、どうやら彼女は教室にはいないらしい。

 じくじくと痛む頭を無視して口を開く。

 

「もしかして玲って、馬鹿なの?」

「なんでさ」

 

 昼にたまたま会って昼食を食べたのはまだ良い、その次には偶然駅で遭遇するなんてあり得ない。それは必然であると考えるべきだ。

 赤坂さんが玲と一緒に登校することを狙っていた、それは自分の胸の中では確固たる事実として固まっていた。

 

 けれどもそんな考えとは裏腹に、彼女は赤坂さんがそんなことをするとは思っていないようで、及川は思考する。

 はたしてその事実を直球で伝えるべきか、否か。

 

 ●

 

 さて及川 渚という人物は他人からどう思われているだろうか?

 

 クラスメイトに尋ねれば例えばこんな答えがずらっと並ぶだろう。優しい、面白い、可愛い、落ち着きが無い、小さい

 

 たしかにそれらは彼女の一面を表す言葉ではある、だが少なくとも及川自身は真っ当な人間だとはビタイチたりとも思ってないのは事実であった。

 

 及川 渚は常に思考が先着するつまらない人間である。真っ新に自分を晒さなきゃいけないのならば、そう自称するだろう。

 

 自己を如何に良く他人に見せられるかを腐心していたし、その為にはどんな行動も惜しまない。自分がどう見られるかを常に考えていたのだ。

 

 一人称であるボクも、特技である手品も、得意科目である英語も、それ以外のそこそこ優秀な学業も、全部が全部キャラを作る為に積み上げた努力であった。

 

 果たしてどうしてその行動に至ったのか。はじめの理由はもう覚えていない、思い出す必要もないだろう。

 及川 渚は道化である、それもタチの悪い。それだけを覚えておけば良い。

 

 他人とはある程度仲良くするも、親友とまではいかない距離。そこまで行ってしまったら自分を晒さなきゃいけない気がして、その勇気が自分にはまだ無かった。

 

 さて、そんな醜い自分ではあるけれど唯一の癒しは一人の友人だった。

 佐々木 玲、彼女も赤坂 舞と同じく一種の異端。

 彼女は同学年の女子と同じように見えるだろう、ただ瞳にたまによぎる諦めがそれを否定する。

 

 それが一番色濃く現れていたのは入学式。

 新しい始まりに騒ぐ新入生と打って変わり、彼女だけが凪いだ水面のように一人静かに落ち着いていた。

 自分が取るべき行動は新しい友人をなるべく多く作ること、そうだとわかっていたのに自然と彼女に目を惹かれていた。

 誘蛾灯に惹かれるように羽虫のように、ゆらゆらと彼女に話しかけたのは必然だった。

 

 はたしてそれが幸いしてか、玲との関係は入学式以来途切れることなく親密に繋がっている。彼女は分を弁えていた。決して踏み込み過ぎることはなく、されど他人を遠ざけることもない。

 

 だから玲が手品部に入り浸ろうとも、それを拒絶することはなかった。たわいもない冗談を積み重ねて、表面をなぞるだけの微妙な距離感が心地良かったから。

 

 達観しているように見えた、悪く言えば子どもらしくなく冷めていると言われるのかもしれないけれど。それが彼女の特徴であった。

 

 そんな温い関係が動き始めたのは2年生になってからのこと。

 赤坂 舞の登場である。

 はっきり言ってしまうと自分は赤坂さんの事は嫌いだ。

 彼女は激情型の人物であったが故に、大事な感情は包み隠すものという信条と真っ向から対立していたが故に。

 

 彼女はなぜか初めから玲に対して何かしらの思いを抱いているようだった。

 視線、表情、仕草、ある程度の情報が集まれば、それは話したことがない自分からもわかるぐらいで。他のクラスメイトの中にも気づいた人がいたのではないだろうか?

 まあ、玲は感じが悪いぐらいしか気づいてなかったようだけれども。

 

 興味はある、だが嫌い。でも彼女自身で完結している以上はどうこうする気は全く無かった。――その激情が自分や玲に直接向かわない限りは。

 

 故に彼女が動き出したのを見て、すぐに自分は手を打った。安息は保たなければいけない、その為ならばどんな手を取ってでも。

 

 赤坂さんではなく、玲に対して讒言を。

 赤坂さんは玲に好意を抱いている――当然裏は取れてるはずもなく、本当にその感情が好意だなんて知ってるはずもない。

 

 ただ小学生並みの言葉だが、それはある程度の重みを持つと知っていた。

 そもそも自分は滅多に嘘をつかないように立ち振る舞い、玲に対して自分の言葉が信頼できるものと刷り込まれている自信もあった。

 

 故に刺さる。彼女の立ち振る舞いからして踏み込むこと、踏み込まれることは避けるべきものだから。

 恋愛なんてめんどくさいものだ、ましてやそれに同性と接頭語がつけば。

 必然、玲も接触を避けるだろう。及川の策謀に抜かりなし。

 

 そして及川 渚は慢心し、結果として失敗した。

 

 もう終わったもの、ふんふんと鼻歌交じりに赤坂さんの絵を描く。

 まるで遺影みたいだな。一人そんなこと趣味の悪いことを考えていたのが悪かったのか、彼女は赤坂さんと昼ご飯を食べたと語った。

 

 何故彼女が踏み込んだのか、それがわからない。

 言葉はちゃんと通っていたはずなのに。

 告白されて浮かれていた、はたまた気の迷いか。

 

 玲は自分の行動に違和感を感じてないようで、一先ず同意をしてからどんな会話をしようとしたのか掘り下げようとしてきて、生徒会のアレが来たのだ。

 

 自分の言葉に偽りなく及川 渚という人物はあの空間を好んでいたので、思考の第一優先目標は部活の存続という方向に傾き、取り敢えず赤坂さんのことを置いておくことにした。

 

 1日あれば部活もなんとかなるだろう。

 それまで赤坂さんもどうにも出来まい。

 甘い、甘過ぎる見立て。

 

 でもまさか登校時間を狙うなんて、そんなの予想する方が無理だろう!

 なんか気づいたら赤坂さんが手品部に入ってきそうな気がして、そんな嫌な予感を振り払う。

 まさか玲もそんなことをしないはずだ。

 

 佐々木 玲の為に、及川 渚は今日も思考する。

 変わらない日常を維持する為に。



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10 赤坂さん、対、及川さん

 渚がぼんやりと机の前に立ったまま、何かを考えている様子だった。こちらが馬鹿だという説明をオブラートに包んで言うべく、頭を回しているのだろうか。

 その間に宿題にざっと目を通す。初めから分かっていた通り、特に間違っている様子もない。丁度それが終わる頃に「よし」と渚が呟やく声を聞こえて顔を上げる。

 うんうんと頷いて、渚は答えを裏付けるためか一つ質問をした。

 

「玲は別に赤坂さんのこと嫌いじゃないんだよね?」

「まあ、普通だよ」

「そっか、それじゃあさ」

 

 そこで言葉を切り、突然渚は自分の席の後方へと歩き始めた。慌てて椅子の向きを変え、彼女がどこへ向かうか姿を追う。

 立ち止まったところは空席。気取ったターンを決めて、クルリとこちらは振り向き、渚はコンコンと机をノックした。

 

 その席が誰のものかなんて自分も当然知っていた。

 今の話題の赤坂さんの席、渚が今いるところがちょうどそこなのだ。慌ててこっちに戻ってこいと手を振るも、黙ってゆるゆると首を横に振る。

 それどころか机に直接よっこらせと腰を下ろす始末。

 

 すぐにでも引っ張って連れ戻すべきだ。そう判断したのも早かったがそれより早く、ガラリと扉を開く音が耳に届いた。身体の動きを止め、恐る恐る視線だけをそちらに向ける。

 

 なぜかシーンと静まり返る教室。彼女以外であってくれという願いと裏腹に、その入り口に立っていたのは赤坂さんだった。

 なにかまずいことが起きているというクラス一同の空気なんて御構い無し。『私、今ものすごく不機嫌です』そう自己主張するかの様に響く足音、それと共に席へ向かうのを見て、思わず天井を仰ぐ。

 

 ああ、終わった。

 

 でも渚の自業自得なのだ。

 赤坂さんが不機嫌そうなのは渚の行動が関係ないと思うほどおめでたい性格はしていない。当然関係あるに決まってる。

 そんなの深く考え込む必要もないだろう、自分の机を椅子代わりされてるのをみれば。その不快な行動をとってる相手が自分の嫌いな相手であれば。

 赤坂さん自身が渚のことを嫌いだから。

 畢竟、不機嫌の理由がわかるというものだ。

 

 けれども慌てず騒がず、渚はじっと彼女が近づいてくるのを待っていた。

 はたして赤坂さんの反応が想定通りなのか、それとも今更逃げても無駄だと観念したのか。

 まあ渚なら自分でなんとかできるだろう。信頼というより思考放棄に近いそれを胸に抱いて、自分はこの行く末を見守ることにした。

 

 緊張からか、自分のゴクリと唾を飲む音がやけに大きく聞こえた。

 もし自分が助けに来ることを予定に入れていたのならば少し困ってしまうが、彼女はちらりともこちらを見ようとしなかった。

 

「そこ、退いてくれない?」

 

 怒りの色を見せることなく、無感情にシンプルに――それが逆に怖いのだけれども――必要最低限の言葉を放つ。

 

「ん、ごめんごめん」

 

 机からは退いたが1ミリたりとも悪びれる様子もないことにひやりとしたものの、それに拘泥する事なく赤坂さんは席に着いた。

 一件落着。ほんの少し教室の空気が緩くなった気がしたのは、多分気のせいではないだろう。自分の耳が確かなのならば、ほっと息を吐く音が確かにいくつも聞こえた。

 

 一安心して赤坂さんから視線を外したものの、渚の行動になんの意味があったのか尋ねなければと決めた。少なくとも意味のない行動ではないと思うぐらいには渚のことを信頼しているのだ。だからこれにも理由があったはず、多分。

 

「なんでまだいるの?」

 

 だからそんな言葉を聞いて慌てて振り向いたのは、まだ話が終わってないと気づいたから。

 

 今度は赤坂さんの前の席へと渚は腰掛けていた。それを見てすぐに分かった、自分と赤坂さんの立場を入れ替えて入学式と同じ様なことをしている。そしてまだ残ってるということは話が終わってないということ。

 

 これまでが前振りで、これからが本題なのだ

 渚の表情をこちら伺う事は出来ない。けれどもいつものように人が良い笑みを浮かべてるのは容易に想像がついた。

 

「そりゃ、初めから赤坂さんに用があって来たからに決まってるじゃん」

「それは今すぐ言わなきゃいけないこと? もうすぐSHRが始まると思うけど」

「ややっ、つれないねえ赤坂さん。あんなに玲と話してたってのにボクとは話さないっていうのかい?」

「時と場合、それに相手によるわ。今は貴女と話したくないの」

 

 やんわりと、それでいてはっきりとした拒絶。

 こんなことになるならばあらかじめ赤坂さんは渚のことを嫌ってると伝えればよかったか、そう思うも後の祭りである。

 でも、そんな言葉を柳に風とばかりに渚は笑って受け流す。

 

「まあすぐ終わる話だからさ。手早く話をすませようか、そろそろ先生も来そうだし」

「話をすることを止める選択肢は?」

「そんなものは、ない」

 

 パンっと一回大きく手を叩き、渚は言った。

 

「赤坂さんを手品部に勧誘しに来たんだ、ボクは」

 

 何を言ってるんだ、渚は(あの馬鹿)

 

 そんなツッコミを思わず口にしそうにして、思わず口を手で押さえる。

 その言葉に意表を突かれたのは自分だけでなく、赤坂さんもまた同じだった。されど流石学年一の頭がいい彼女、豆鉄砲を食らったような表情を浮かべたのも数秒。すぐに言葉を切り返す。

 

「なんで私を?」

「なんとなくだよ。帰宅部だしやる事もなく暇そうだから、赤坂さんなら入れてあげてもいいかなって」

 

 なんで上から目線なのか、それが自分には理解できない。

 赤坂さんならって条件を付ければプラスに働くと見ているのだろうか。残念ながら1ミリたりとも赤坂さんにその言葉が響いてないことは、続く言葉を聞けばすぐに分かることだった。

 

「申し訳ないけど、私は部活に入る気は一切ないわ」

「そう、そりゃ残念だなぁ。なかなかいいアイデアだと思ったんだけれどな」

 

 案の定、答えはNO。それ以上言葉を繋げても無駄だと分かったのか、いかにも残念そうに肩を落として今度こそ席を立った。

 こちらを向いた顔を見てほんの少しだけ驚いた。勧誘に失敗して、少しでも凹むかと思えばまったくそんな様子を見せることはない。どちらかといえばやるだけやって満足したという表情だったから。

 そんな背中に追い打ちをかけるように赤坂さんが追撃の言葉を飛ばした。

 

「及川さん、今のうちに言っとくけど私は貴女のこと嫌いよ」

「そう、でもボクは赤坂さんのこと別に嫌いじゃないけどね」

 

 もう感情を隠す気もない悪意しかない言葉。それでもダメージを受ける様子もなく、ゆらりと顔だけ向けてそんな言葉を打ち返す。

 それ以上会話は続けられる事はなく。何も知らない教師がやってくるまでなんとなく気まずい空気が教室に充満していたのは、紛れもなく渚の失敗だっただろう。

 

 ●

 

「いやー、ボクともあろうことがあっさり失敗しちゃったよ」

「その割にはなにも残念だと思ってなさそうだけど」

 

 あっはっはっと渚が笑い飛ばしているのを横目に、カフェオレ片手に溜息を吐いた。

 時刻は昼休み、話すにしても赤坂さんが教室にいる状況で先ほどの振り返りもできるはずがなく、結局昼休みまで待つ事になっていた。

 

 彼女の姿は教室には見えない。昨日のようにあの階段に今日も向かっているのだろうか。

 できればなんとかしたいと思うけれども、今優先するべきは情報の整理である。そもそも赤坂さんの話は今日1日2日で解決できるようなものか、そもそも自分が解決するべきものなのかそういう問題もある。

 そんなややこしい思考を打ち消して、確認するべく口を開く。

 

「で、本気で赤坂さんを手品部に入れようとしてたの?」

「半分ぐらいね、まあ断られても仕方ないかなーとは思ってたけどさ」

 

 思いついたのは朝、玲と話してるところを見たときさ。そう語るのを適当に聞き流しながら、メロンパンを一口大にちぎり口に放り込む。

 

「ボクと、とはともかく玲とは十分仲良くやれそうだからさ丁度いいかなって思ったんだけど」

「自分に言ってくれれば、こっちから赤坂さんに話を通したのに」

「それじゃあ意味無いんだよ、入ってから赤坂さんとボクが意思の疎通を取れなくて部活が空中分解とか嫌だろう?」

 

 箸を使い器用に黒豆を掴んで口へと放り込んだかと思えば、卵焼きを掴みこちらの口の前に突き出した。

 間接キスを極力意識しないようにありがたくいただく。甘めの味付け、自分の好みでは無いけれど、これはこれでいいものだ。

 よく味わい、話を逸らされかけたことに気づいて慌てて話を戻す。

 

「それはわかるけどさ」

「それが先に起こるか、後に起こるかって問題だけだよ。遅かれ早かれ赤坂さんが部活に入ったら起きただろうさ」

「起こさないように努力するって選択肢は?」

「あったらよかったんだけどねえ、こちらが努力するだけじゃなくてあちらも頑張る必要があるし、なかなか難しかったと思うよ?」

「それもそうかぁ……」

 

 今日話していきなり嫌いという感情を抱いていたわけではなく、前から嫌いという事実を知っててからこそ、渚が全部悪いと言い切れないのはわかっていた。

 それでももうちょっとやりようがあると思うけれども。

 

「赤坂さんは確実に無理。他になんか良さそうな人、玲は心当たりない?」

「あったらとっくに勧誘してるよ」

「だよねー」

 

 赤坂さんが渚のことを嫌ってなければ真っ先に勧誘していたのに、世界は早々上手くはいかないものだ。

 渚が勧誘して手酷く失敗したのもまた痛い。人一人が一度決めた判断をひっくり返すほど自分に話術があるわけでもなく。

 こういうところで前世の記憶は全く役に立ってくれないのが恨めしい。

 

「とりあえずやるべきことは放課後終わった後、すぐに校門前に行って勧誘とかかな、玲も来る?」

「当然でしょ、部員として手伝わないでどうするのよ」

「助かる、ありがと」

 

 はにかみながら、彼女はそう言った。

 別に感謝する必要もなく、当然の責務だと踏ん反り返っていてもいいのに、渚はそうすることはない。

 

「放っておいたら赤坂さんの時みたいに失敗しそうだしさ」

「失礼な、ボクがそうなんども失敗するはずがないだろ?」

「さっきのやり方を見る限り成功する確率はほとんどないと思うけど、わざと失敗させようとしてるかと思うぐらい酷かったよ?」

 

 その言葉を聞いて言葉を返すことなく、彼女はクスリと小さく笑みをこぼした。



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11 放課後、ファミレスにて

 ●

 

「なんというか、なかなか集まらないもんだねえ」

 

 コーヒーカップに渦を作りつつ、渚はそう言った。

 結局、放課後の勧誘は成果はなくて今はファミレスでぼんやりと時間を潰してるところ。

 四国には一軒もないという無駄な情報だけ覚えてる、安くパスタとドリア、ついでにピザも食べれる店。

 

「今残ってるのは部活に入る気なんてさらさら残ってない人ばかりってことかな」

「そういうことだと思う」

 

 適当に相槌を打つと彼女は深くため息をつきながら、何も持たない手を上下に振った。

 何をやるのやら、そう注視していると渚の空っぽの手中に花がぽんと出現した。

 

「おぉ、すごい」

「簡単な手品だから褒められるようなものじゃないんだけどね……」

 

 そういいつつ何ともない顔でそのまま花をポケットの中へしまう辺り、とくに種明かしをする気はないらしい。

 

「あと6日、それまでになんとかできるかどうか」

 

 元気のない声で彼女はそう言った。

 なんとなく、らしくない。そう思う。

 そういうところで後ろ向きな見通しなのはらしくないだろう、大胆不敵に笑ってなんとかなると余裕を見せて、実際なんとかするのが及川 渚という人物だと思っていた。

 オレンジジュースを飲みながら、彼女の様子を伺う。渚はじっと何もかも吸い込むかの如く黒い水面を見つめていた。

 

 その嫌な空気を割り行って、注文していたデザートがやって来た。こっちがバニラアイスクリームに渚はティラミス。

 それに気づいてようやく彼女が顔を上げる。

 

「アフォガート?」

「そう、ちょっと取ってくる」

「いやいかなくていいよ、これ一口だけしか飲んでないから」

 

 丁度ボクも飲み物変えたかったし、そう言いながらこっちにカップを差し出して彼女は席を立った。

 

 残されたのはコーヒーと自分と、それにやって来たばかりのアイスクリーム。なんとも言えない気持ちになりつつ、コーヒーを半分ほどアイスへと振りかける。

 ブラックコーヒーはそこまで好きではなく、個人的にはスティックシュガーは二本は入れたいところ。

 そういう訳でもバニラアイスで丁度良く中和できるアフォガートは大好物だった。

 

 残りの半分のコーヒーにほんの少し頭を悩ませる。

 渚はブラックを好むから当然このコーヒーにも何も入っていない。だからといって取りに行くのもめんどくさい。

 まあ半分程度だ、モノは試しと飲んでみよう。

 そう思い立ったがすぐ行動、一口だけ飲んでみて顔を顰めた。ただただ苦いだけでやっぱり美味しいとは思えなかった。

 これを好んで飲む人の気持ちなんて、自分にはまだまだわかりそうにない。

 

「……なんで変な顔してんの?」

「コーヒーが苦くて」

「変なの、残しとくか全部かけてしまえば良かったのに」

 

 紛れもなく正論でぐうの音もでない。

 白と茶色で綺麗なマーブル模様のアイスで口の中を癒して、さらにオレンジジュースを飲んだところでようやくひと段落。

 

「ブラックコーヒーの何が良いのか教えてほしい、本当に」

「うーん、大人っぽい感じを体験できるとこ?」

「自分は大人になりたくないなぁ」

 

 マージナルマン、大人になることがほんの少しだけ怖かった。

 18歳を超えたら大人、高校を卒業したらまた世界が一つ広がっていく。

 実際、自分は同級生の倍の人生を経験してる訳だけど、高校生のその先を見たことは、一度もないのだ。

 やってないことはいくらでもある、酒、タバコ、賭け事、車の運転。今よりやれることの選択肢は増えるのは確実だ、でも幸せが保証されているかと言われればまた別の話になる。

 未知の選択肢ばかり増えて、いままで選んできたような正解を選べるかなんてわからない。

 

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 もしかしたらこれから先、ずっと生まれてから高校生までを繰り返すことになるのだろうか?

 根拠のない絵空事だけが頭の中を満たして、それを止めたのは彼女の言葉だった。

 

「そう思うのは、多分幸福に浸りきってるからだろうね。これから先ずっと先の未来はわからないかもしれないけれど、この今、この時間が幸せだって言うのは確かな事実だから、だから未来が怖いんだ」

 

 要するに落差だよ、そういいながら右手で大きな弧を描いた。手が伸ばせる限界、頂点にたどり着いたかと思えば、まっすぐ下へとすとんと落ちた。

 

「渚は今、自分は幸せって断言できるんだね」

「出来るよ、当然。その為にボクは動くんだ、幸せを追求する為に。世界が一つの劇だとしても悲しい役を押し付けられるのはゴメンだからね」

「そっか……」

 

 オレンジジュースの爽やかな酸味が喉を潤わせる。悲しい役回りだと自分のことを達観していたのはアントーニオだったか。

 

「玲も幸せ?」

「幸せだよ、順調すぎて怖いぐらいには」

「じゃ2人の幸せを維持する為に頑張ろう、ボク1人じゃ無理かも知れないけれど2人なら!」

 

 彼女がコップを持ち上げて、それに応じて自分もコップを持ち上げる。乾杯、直ぐに一気に流し込んで渚は再び席を立った。

 もうだいぶ溶けかけたアイスを掬う。

 

 渚に頼りにされている。こんな状況ではあるけれど、それがほんの少しだけ嬉しかった。

 ならばその期待に応える為、全力を尽くしてみせよう。

 

 ●

 

 犬と猫。

 ペットとして最も人気のある二つだが、古今東西どっちの方が可愛いのか血で血を洗う争いが繰り広げられてきた。

 まあ、犬と猫の派閥争いなんて個人的にはどうでもいいものであり、どっちも好きでいいんじゃないとは思ってるのだけれども、それはどっちも飼ったことがない自分だからこそ言えること。

 優劣をつけずにはいられないのは自分の好きなもの、愛しいものを褒めずにはいられない人間の性だろう。

 

 犬派の人からどっちが好きかと言われれば犬が好きと答え、猫派の人から尋ねられれば猫が好きと答え、そんな風にのらりくらりとやり過ごす。

 さながら風見鶏、これが自分の処世術。強いて言うなら犬の方が好きだけど、それを声高に主張する必要も特にない。

 

 ワンワンと鳴きながら足元で無邪気にはしゃいでいるトイプードルを見て、ぼんやりそんなことを考えていた。やっぱり犬はなかなか可愛いものだ。

 ピンと張ったリードの先でトイプードルの飼い主が宥めようと必死に頑張っている。一緒に散歩できるというのも犬の良いところであり、また逆に苦労するところなのだろう。

 

 握りしめた手にジワリと汗が滲んで、無言でスカートで拭う。ファミレスで渚と別れてから、自分はまだ家へと帰れていなかった。

 

 幸福だと言い切ってしまったのが、神様の不機嫌を買ったのだろうか。それとも運命のいたずらか。

 どうしたって現実は変わらない。偶然会ってしまったのだから仕方がない。

 

 犬を飼ったことは無いし、これから飼う予定も全くない。じゃあこのトイプードルの飼い主は誰か?

 

「クドリャフカって名前だっけ?」

「そう」

 

 素っ気ない返事を返したのは赤坂さんだった。



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12 帰路、本当の偶然、いずれ起こる必然

 ●

 

 自分の好きな香りといえば、真っ先に思いつくのは焼きたてのパンの香ばしい香りだ。

 自宅から駅へと向かう途中にあるパン屋があって、帰りに店の中を覗くといつも客が1人か2人ぐらい入っているのが見える。

 

 近隣の住民に愛されて、今も昔も変わらずに、自分が小学生の頃からある店。もしかしたらもっと昔からあったのかもしれないけれど、そんなことはどうでもいいことで。

 開店時間は10時なので、昼ご飯にそこのパンを買っていくなんてことはできないのが唯一無二にして致命的な弱点だった。

 

 そんな店の前に今日も今日とて通りかかり、ふと足を止める。流石に閉店間近だからか空白だらけのショーケース、余り物とはいえまだまだ美味しそうに見えるパンが並んでいた。

 

 店のドアを開けたのはほんの気まぐれ、たまには妹にお土産でも買っていこうと思っただけのこと。カランカランと響く鈴の音、それを聞きつけた店員の元気のいい挨拶に軽く頭を下げつつ、手頃なものを見繕う。

 狙うは晩御飯の後に食べるちょうどいい感じのデザート、店の一押しらしく『オススメ!』とデカデカと吹き出しをつけられたアップルパイを一つ取ってレジへと運ぶ。

 

 そんな時、ふと店の外から犬がワンと鳴く声がしたのだ。100円硬貨を二枚渡しながら耳を澄ましても、もう鳴き声は聞こえなかった。

 

「ポイントカードはお持ちでしょうか?」

「いや、持ってないです」

 

 半ば意識が犬へと逸れながらも受け答えはちゃんと出来るもので、その返事を聞いて店員はレシートと一緒に赤いカードを差し出した。

 なんでもポイントカードは最近始めたシステムらしく、ポイントが貯まると何か良いことがあるらしい。

 

 良いこととだいぶぼんやりとした情報だけ言われても困るのだけれども、別にそこを突っつく気も無く店を後にする。

 

 扉の外はすっかり陽が落ちていて、パン屋から漏れ出る明かりがあたりを照らしていた。

 春の日はそこそこ長いとはいえ、途中でファミレスに寄ったからそれも当然のことだろう。まあとりあえず早く家に帰るべきだ。そう歩き出そうとした自分は、しかしながらすぐに足を止めることになった。

 

 暗がりからパン屋の前の明かりに向かって、何かがバタバタと近づいてくる。人とは思えないほど小さい、けれども動きは早く、真っ直ぐこちらに近づいてくるではないか。

 野良猫だろうか? そう当たりをつけてみる。

 

 そんな予想はあっさりと裏切られた。明かりに照らされたのは白いトイプードル、それもリード付きの。

 多分先ほど聞いた鳴き声は多分こいつのものなのだろう、そう出来事を結び付けているとその犬は自分の前でピタリと足を止めた。

 

 どういう理由でこの犬が逃げ出したのは分からないがチャンスらしい、再び逃げ出さぬよう驚かさないようにそっと近づく。

 つぶらな瞳はこちらをじっと伺っていたものの、それでも逃げることは無く無事リードを拾い上げることが出来た。

 

 ほっと一息を吐き、どうするか考える。

 リードが付いてたということは散歩中にこの犬が逃げ出したのだろう。つまり飼い主も多分この犬を探している筈だ。

 じゃあ自分はどうするべきだろうか。犬がやってきた方向へ向かうべきか、それとも犬を追って飼い主がここにやってくるのを待つべきか、それともとりあえず交番に行くべきか。

 

 何をするわけでも無くトイプードルを見下ろす。貴方のいうことに従いますよと言わんばかりに、犬もこちらを見上げていた。

 そんな顔をするならお前の飼い主のいうことをちゃんと聞いてあげてやれば良いじゃないか、それともお前は飼い主を認めてないのか?

 

 目は合おうともお互いの気持ちは通じない。そんな数秒の視線の交錯の後、犬は自身がやってきた方向へと目を向けた。

 

「クドー?」

 

 綺麗な声、そして聞き覚えのある声。犬の尻尾がブンブンと揺れているのをみるに、クドーというのがこの犬の名前なのだろう。

 さて話は感動の再会、そしてクライマックスと至るのだが、こちらとしてはどうしてこうなったのかリードをほっぽりだして逃げたい気分だった。

 

 恐らく犬の姿を見えたのだろう。慌てて駆け寄ってくる足音は聞こえたものの、その足音もこちらの姿を見えたのか止まった。

 

「……佐々木さん?」

「いいえ、違います」

「……」

 

 赤坂さんの冷たい視線が酷く痛かった。

 

 ●

 

 さて犬を引き渡して話が無事解決と行けば良いのだけれども、先ほどの落ち着きは何処へやら、自分が離れようとするたびに犬が暴れ始め、また同じことがないよう足止めを食らっている最中である。

 

 犬、改めクドリャフカ、改めクドー。成る程、確かにクドーの方が呼びやすい。そう頷きながら赤坂さんの悪戦苦闘を観戦中。

 

「ごめんなさい、いつもはもっと大人しいんだけど。ほらクドー、帰るわよ」

 

 ワン、ワンと吠え返して全く落ち着く様子は無い。本当に飼い慣らせているのだろうか?

 

「……まあ、そういう時もあるよ」

「……その沈黙、全然信用してないでしょ」

「ソンナコトナイヨー、ホントダヨー」

 

 目は合わせない、考えてることが見透かされる気がしたから。言葉が通じてるのか、クドーもワンワンと相槌を打つ。2人の間に気まずい沈黙が流れる。

 そんな沈黙になる度に、なんとなく話を繋げなければという焦りに追われるのは自分だけだろうか?

 ちょうど良いことに疑問が一つ頭の中に浮かんで来て、それを言葉にすることに躊躇なんて無かった。

 

「赤坂さんってもしかして学校行く時もこの駅使ってる?」

「……当然でしょ」

 

 散歩にいくぐらいの距離なのだからこの駅を使うことは当然という意味だろうか、そんなわかりきったことを聞くなとばかりに赤坂さんは不機嫌そうに顔を歪めた。

 

「で、それがどうしたの?」

 

 つっけんどんな言葉に思わず怯む、そこまで気を害する言葉だっただろうか? よくある会話じゃないか。

 

「いや、今日まで会うことがなかったからさ。もしかして気づかないうちにすれ違ったりしてた?」

「さあ、わからないけど。すれ違っていたとしても興味がないなら気付かないのも当然なのじゃないかしら」

 

 先ほどのはしゃぎっぷりとは打って変わって、ご主人様の機嫌を読み取っているのか、クドーも悲しげにクーンと唸っている。

 これ幸いと赤坂さんもリードを引っ張るが、小さい体はその場からピクリとも動きそうになかった。

 

 ご主人様もその家族も何を考えてるのか、こちらにはさっぱりわかりそうもない。ただただ空気が重くなるばかりで、とにかくこの犬を動かす案を出さなければいけないのは確かだった。何より自分も早く家に帰りたい。

 

「クドーが動かない時はいつもどうしてるの?」

「前例がないからわからないわ。まあ、好物で釣れば動くかもしれないけど」

 

 好物で釣る、成る程良い案かも知れない。

 

「クドーって何が好きなの?」

「……佐々木さんじゃないかしら」

「じゃ、それを餌に……ん?」

「ワン!」

 

 その通りとばかりに1つ鳴く。

 

「いやいやおかしいでしょ、その犬と自分は初対面だって」

「でも私からみると佐々木さんに物凄い懐いているように見えるわ」

 

 なんかクドーに餌でもあげたかという質問を聞かれ、ふるふると首を横に振る。懐かれる覚えは全くないのに懐かれる矛盾。もしかしてこれが俗に言う運命の出会いというやつだろうか?

 

 しゃがみこんで鼻先に手を差し出してみれば、おもむろに手をペロペロと舐め始める。

 

「もしかして自分、美味しい餌扱いされてない?」

「長く一緒に暮らしてたけど悪食趣味だとは知らなかったわ」

 

 つまり、自分で釣るということは赤坂さんの家まで一緒に行くということだろう。

 

「赤坂さんの家ってどっち方向?」

「あっちね、一緒に行ってくれるの?」

「あー、それは……」

 

 そう赤坂さんが指差した方向は自分が出てきたホームの方向で、高架を通り越して反対側にあるということだろう。

 遠回りだ、そう思ったのとほぼ同時にスマホが揺れた。

 

 多分妹からの連絡、早く帰って来てねということだ。さてどうするべきか、怒られることを覚悟して送ってから帰るべきか。

 答えを出すための時間も無限ではないのがもどかしい。

 

「しかたがない、それじゃあ一緒に――あっ」

 

 人は追い詰められると超能力が発現するらしい、というのをまともに信じてるわけではないけれど、追い詰められたお陰で良い案を閃いたのは確かだった。

 怪訝な目でこちらを見つめる赤坂さんを他所に、ポケットからハンカチを取り出して犬の前にぶら下げてみれば、案の定物欲しげな目で見つめてくる。

 

「成る程、そういうことね」

「1人で納得しないで欲しいのだけど」

「たぶんクドーは自分の匂いが好きなんじゃないかな」

 

 クドーが好きなのは『佐々木 玲』本人ではなく、その匂いだと分かれば解決方法は簡単だ。

 トイプードルの首にハンカチを優しく結んであげれば、嬉しそうに一つ鳴いて、用は済んだとばかりにテクテクと歩き始めた。

 

「待ちなさいっ、クドー! 佐々木さんごめんなさい、お礼はまた明日でいいかしら、……ちょっとッ」

「本当にいつも言うこと聞いてるの、それ」

「聞いてるわよ!」

 

 思わず笑ってしまったがそれも無理もないことだろう。幸いこちらを怒るほど彼女に余裕は無いのだから、これぐらいは許されて然るべきだ。

 

「それじゃ赤坂さん、また明日」

「ええ、また。佐々木さん」

 

 彼女の姿が曲がり角は消えていくのを見届けて、自分も家へ向かって走り始めた。



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13 ある男子、恋愛談義

 初めは校舎裏で二度目は駅、三度目は家の最寄り駅。

 二度あることは三度あると言う通りに実際三度偶然が重なって、出会いをどんどんと積み重ねていったわけだけれども、流石に四度目は無かったらしい。

 赤坂さんとの出会いの無い朝、いたって何事もなく自分は教室に辿り着いたのだった。

 

 別に赤坂さんに会いたいと思っていたわけではないけれど、いないならいなかったでなんとも言えない寂しさがある。

 同じ最寄り駅ということだから一緒に登校しようと思えば可能だが――そうはいっても一緒に登校しようと提案する距離感でもないので、わざわざ申し出てまで一緒に登校する気もないわけで。

 会えなかったら、会えなかったで良いはずなのに。だから偶然任せにしておいたのに。

 そんな何分の一かもわからないような偶然だろうと四度目もあるかもしれないと思ってた。

 

 そんな夢も冷めて、実際世の中そんなものである。

 もし遭遇していたのなら自分はどう思っていたのだろうか? 薬指と薬指を糸で繋がれてるのかもしれないと思っていたのかもしれない。

 

 無色透明の赤い糸。

 

 まったく年頃の女の子らしい夢である。

 そう思いながらも頭の中に思い浮かんだ言葉を追い出すべく、ブンブンと首を振った。

 前の席に座る彼が何事かと顔を上げたが、慌てて冷静さを取り繕って何事もなかったかのように素知らぬ顔で押し通す。

 

 感情を押し殺すのには自信があった。

 完璧に整えた自分の表情に何も言い出せずに、彼は気まずそうに手元のノートへと視線を戻す。ほんの少しだけ申し訳ない気持ちだったが、顔が赤らんでいるのをみて、その気持ちもどこかへ飛んで行ってしまった。

 

 ほんの少し冷静さを取り戻すと再び赤い糸が目の前に垂れ下がり、仕方なく合理化を図る。

 もしもそれが赤い糸だったとしても、殺人と言う名の真っ赤な糸*1かも知れないからセーフ、いやそれは別に全然セーフでは無い、まったく縁起でもない話。

 

「ありがとう、助かったよ佐々木さん」

 

 そんなとりとめもない思考は彼の言葉に遮られた、どうやらようやく作業が終わったらしい。

 

「ん、まあ困った時はお互い様ってことで」

「そうは言われても俺はそれほど上手くノートをまとめられる気がしないよ……」

 

 そう苦笑いを浮かべてるのは犬飼くん。自分に対して告白して、あっさりと失敗したあの犬飼くんだった。

 

 何をやるでもなく渚の登校をぼんやり待ちぼうけていたら、ノートをちょっと写させて欲しいと話しかけられたのだ。

 特に断る理由もなく、結んだ約束もあったから断ることこともなく――だって彼と自分は友達だから、それが友達らしい行動だと思った故に。

 

「そう謙遜するけどさ、字は綺麗なんだからちゃんとまとまってるんじゃないの?」

「俺の書いた字見せたことあったっけ?」

「あの手紙があるでしょ」

 

 なるほどね、彼はぽんと手を叩いた。

 一応あの恋文――正確に言えば呼び出し状かもしれないが――はしっかりと保存しておいてある。

 何しろ俺がこの人生どころか前の人生を通してみても、初めてもらった物だから。

 果たしてもう一度貰う機会が訪れるのかどうか、前の記憶があろうとも未来の出来事を知る余地もない。

 というわけでその手紙は唯一無二の物になる可能性を秘めていたからなんとなく価値があるように思えたのだ。

 

「……佐々木さんはさ」

「ん?」

 

 自然と視線が扉の方へとずれていた。まだ渚は教室に姿を見せていない、いつも通りのことだが今日も遅めの到着なのだろう。

 

「本当に初めて告白されたの?」

 

 その言葉に思わず笑ってしまったのも無理はないだろう。

 自分に嘘をつく必要なんてないだろうに、だというのに彼はいたって真面目な様子で。

 どうしてそう思ったのかを尋ねずには居られなかった。

 

「私がそんなに告白される様な人に見える?」

「見えるよ」

「あー、これは私の質問が悪かった」

 

 恋は盲目、好意を抱いてる相手をまともに評価できるはずがないのだ。

 周りにはもっと魅力的な人がいるというのに、わざわざ自分に目を向けるの時点で彼の審美眼は歪んでいる。

 例えば渚とか、赤坂さんだとか。

 

「どうしてそう思ったのかを聞きたいんだけど。魅力的だからとか、容姿以外の理由で」

 

 その言葉が『自分の容姿には自信がありますから』と意味してるのに気付いた。まったく真逆である、別に自信はない。

 慌てて訂正しようとしたが、彼はそれより先に口を開いた。

 

「なんというか、佐々木さんは場慣れしてるように見えるよね」

「場慣れ?」

「こういうことをたくさん経験してきて、だから今もある程度落ち着いて話してくれる」

 

 確かに人生経験は2倍だが、告白された経験はこの一度しかないぞ、ただただ初心なだけだぞ。

 そんな内心のツッコミも届くはずもなく彼の言葉は続いていく。

 

「てっきり告白失敗したからには口も聞いてくれなくなるかなーって……でもそんなことはなくて、普通に話すからこんな事に慣れてるのかと思ったんだけど」

「でも犬飼くんは友達としてよろしくっていってたよね、そして私はいいよって言ったわけで。だから友達としているんじゃん?」

「言うだけならいくらでも出来る――だから俺は内心ドキドキだった。ノートを見せてくれるか、見せてくれたとしてまともに会話してくれるか、ここでの答えでどういう距離感かわかるから」

 

 まあ、無駄な心配だった訳だけれども。そう言いながら彼は背もたれに体を預けた。

 ノートはあくまで建前、リトマス紙だったと言うことか。犬飼くんなりに色々心配して策を講じた。

 それを本人に言ってしまうところが彼の甘さであり、強さなのだろう。

 

「佐々木さんはみんなと仲がいいから、それがどんな人だろうと。そこの輪から1人だけばっさりと切り離されるのは、俺はほんの少しだけ怖いと思うんだ」

「でも1人だけの特別になろうとしたんだから、その罰もまた仕方ないんじゃない?」

 

 辛辣な言葉に彼はそんなこと分かっているよと薄く笑うだけだった。

 

「確かに仕方ない、それを言われたら辛いよ。でも佐々木さんも好きな人がいるなら俺の気持ちがわかるはずだろ? 誰かの特別になりたいって思いを」

「わかるよ、自分も諦めたくはないなぁ」

 

 痛いほどその気持ちはわかるのだ。

 でも自分は彼と違ってその一線を踏み越える勇気は持っていなかった。その点においては彼が羨ましく、そしてずるく思えるのだ。

 

 その強さに羨望を、その幸運に妬みを。

 果たして叶わない恋をしてしまったことが幸運かはわからないけれども。

 

 ●

 

 それ以上会話が続くことはなく、犬飼くんは自分の机へと帰って行った。こちらの気分を下げるだけ下げて帰って行くとは、友達というかもはや敵である。

 まあだからと言って特に何をする気もないのだが。

 

 やることもなく手持ち無沙汰に時間割を確認すると、自然と4限目の体育に目が吸い寄せられる。

 別に体育は嫌いではないし、あくまで女子の中ではと言う話だが運動神経は悪くはない。

 

 だからと言って体育が好きかといわれればそうではなく、面倒くさい科目という印象でしかない。

 まあ渚は運動神経バリバリの体育大好きガールなので、水を得た魚が如く暴れ回り、周りが死んだ目になるのが日常となっている。

 

 時間割を眺めるのにも飽き、スマホを取り出す。SHRがそろそろ始まるというのに渚はまだやってこない。

 ゆっくりやってくるとはいえ遅刻をしたことはなかったはずだ。珍しいこともあるもんだなと思いつつ、扉の方に視線を向けるとちょうど扉が開いた。

 

 渚ではない。髪が長いし、背の高さも全然違う。というか見間違えるわけもなく赤坂さんその人である。

 

 赤坂さんの気迫に打たれたのか、それまで談笑して道を塞いでいたクラスメイトもすぐさま道を開けて行く。

 そうして彼女がたどり着いたのは自分の席の前、当然ながら彼女の席はそこでは無い。

 

「おはよう、佐々木さん」

「お、おはよう……」

 

 シーンと静まり返った教室にスマホの通知音が響いたが、それを確認する空気では無さそうである。

 赤坂さんの目つきが怖いのだ、昨日寝れなかったのか目の下にクマが浮かんでいた。

 

「昨日はごめんなさい、クドーがハンカチを」

「いやいやそれは別に気にしなくていいけど、調子は大丈夫?」

「それは大丈夫よ、ちょっと寝れなかっただけだから」

 

 それだけ言って彼女は自分の席へと歩いて行った。

 少々足元がフラフラしてるように見えて不安だが、本当に大丈夫だろうか? 

 何事もなければ良いのだけれども。そう思いながらスマホを取り出して、思わず二度見した。

 

『風邪引きました、休みます』

 

「お大事に」

 

 そう呟やきつつ、同じ言葉を送信した。

 高校入ってから渚が居ない日を初めて過ごす、そのことにようやく気付いたのはしばらく後のこと。

 

 

*1
コナン・ドイル『緋色の研究』より



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14話 体育、直撃

 本日晴天、絶好の運動日和なり。

 まあ天気に関係なく女子の授業場所は体育館だったりするのだけれども。

 憎たらしいほど青い空だというのにと、窓越しに眺めながらそんなことを思っていた。

 

 特に喋ることもなく、それもそのはず会話相手が居ないのだから当然のこと。

 いつもならば隣に渚がいたはずだったのに、あいにく今日彼女は休みである――あらかじめ言っておくが、だからといって別に他に友達がいないわけではない。

 

 じゃあ他の友達と仲良く一緒に行けばいいじゃんと思うかもしれないが、悲しいことにそうすることができない理由がある。

 

 着替えにかかる時間が遅いのだ。

 それが嫌で、和気藹々と話しながらゆっくり着替えをするのも、ささと着替えを済ませて彼女らが着替えを終わらせるの待つのも、どっちも嫌だった。

 着替える姿があまりに無防備すぎて、なんとなく罪悪感を抱いてしまうから。

 

 自分が見たところで彼女たちが目くじら立てて怒るわけでもないし、ならば見てもいいと思うかもしれないが。

 でもそれは、俺のことを普通の女の子だと見てるからである。

 

 どうしたって自分の視点は男寄りに立っていて、それは彼女らにとって好ましくないことだろうから。

 だから自分からこうやって遠ざかる、別に黙っていれば気付かれなかったとしても。

 

「……いっそのこと空が緑色にでもなればいいのに」

 

 そう独り言をつぶやいた。

 それだけのことがあれば自分の秘密を明かしても、きっと小さいことと受け止めてくれるだろうに。

 

 ●

 

 柔軟体操は体育の前に必須である。

 怪我をして痛い思いをしたくなければ当然やるべきだ、と言うか義務だし、だからみんなで授業初めにやるのだ。

 自分も『いらねえよ、こんなもの』と突っ張る反抗期でもなければ、わざわざ怪我をしたいと願うほどドMでもない。

 

 しかしながら自分は1人ぽつねんと取り残されていた。いつものペアがいないから、渚がいないから。

 まあ別に焦る必要は無いのだ。他のクラスメイトが柔軟を始めるのを横目にすたすたと歩き始める。

 

 確か1人、余るはずだ。

 クラスの女子は総勢19人。全員出席した時は余りが出るけど、今日は渚が居ないからお釣り無し。

 いつもは3人ペアのところから1人拝借するだけの簡単なお仕事。

 

 

 

 そうして向かった先にて、さも当然の如く赤坂さんをすっと差し出された訳である。

 長い髪をポニーテールに纏めた体育仕様に変わりながらも、いつもと変わらず不機嫌そうに彼女は言った。

 

「じゃあ佐々木さん、さっさとやりましょうか」

「ソウデスネ」

 

 とりあえず赤坂さんは自分に任せておけば良い、みたいな空気が出来始めているように思えるのは気のせいだろうか? 

 きっと気のせいだろうと結論づけ、自分が先にしゃがみこむ。彼女に背中を押してもらいながらつま先へと手を伸ばす。

 毎回のことであるがやっぱり手が届くことはなかった。ギリギリとかそういうレベルではなく、全然届く気配がない。

 

「ねえ、手を抜いてない?」

「……本当にこれが本気なんですよ」

 

 後ろから呆れたような言葉が飛んでくるが、本当に手を抜いてる訳では無いのだ。

 背中からぐいぐい押されようとも、曲がらないものは曲がらない。前屈下手くそ人間と称された過去は伊達では無い。

 

「自分さ、体硬すぎ選手権みたいなものあったら優勝できると思うんだけど」

「……今から本気で押すわ」

「ちょっ」

 

 その冗談が何故か彼女の琴線に触れたらしい、止める暇もなく言葉通りに背中へと強烈な負荷が掛かる。

 ミシミシと体から嫌な音がした気がした、けれども一向に自分の体は柔軟さを取り戻すことはなかった。

 そんなことで体がいきなり柔らかくなってくれるならこんな苦労してるはずがないのだから、まあ当たり前の結果だろう。

 結局自分が得たものは体を無理やり押された痛みと、首筋に残る彼女の息のこそばゆさだけだった。

 

「……そろそろ交代しよっか」

「……そうね」

 

 疲れか、イラつきか、はたまた呆れたのか、言葉少なく彼女は自分の隣へとしゃがみこんだ。

 その様子を見て玲はほんの少しムッとした、ちょっとぐらい謝罪があってもいいんじゃないかと。

 

 ならばこちらにも考えがある。赤坂さんの背後に回りつつ、かの暴虐の赤坂さんに今だに体に残った恨みを晴らすべしと決意したのだ。

 流石に自分並みと行かないだろうけど、人並みより体が硬かったら同じ苦しみを味あわせてやろう。先にやったのは赤坂さんであり、自分は悪くないはずだ、多分。

 

「それじゃ押すよー」

「軽くでいいわよ」

 

 もちろんその言葉に従う気なんてさらさらない。構わずグッと力を込めた瞬間、赤坂さんの体が沈み込んだように感じた。

 押し過ぎたかと自分が手を離してしまったのも無理はないだろう。それぐらい赤坂さんは身体が柔らかかった。

 紛うごとなき完敗である。綺麗な髪と柔軟な身体、羨ましいことこの上ない。

 

「佐々木さん、ちゃんと押してくれない?」

「すいません……」

 

 赤坂さんの声を聞いて我に帰り、せっせと背中を押す――ほとんど力を込めてないし、自分がいてもいなくても変わらない気がするが。

 

 さっき赤坂さんが思い切り体を押したのは、自分が出来るのだからそれぐらい出来て当然だと思ったからだろう。

 あまりの体の硬さに冗談だろうと思ったなんて言わせない、認めない。

 そんな馬鹿なことを考えながら自分が出来たことといえば、いつもは綺麗な黒髪で隠されているうなじをじっくり眺める事ぐらいだった。

 また一段、変態の階段を登った気がするのはきっと気のせい。あまりよろしくない思考を打ち切ろうと口を開いた。

 

「今日の体育は何をやるんだろうね」

「先週と同じようにバレーだと思うけど?」

 

 ネットがもう準備されてるのが見えないの、そんな声を聞いて振り返ってみれば確かにもうセットされている。

 

「でも、もしかしたらバドミントンかもしれないじゃん?」

「高さが違うでしょ、高さが」

 

 反論しようと思ったが特にうまい言葉が出てこない、別にする必要もないのだけれども。

 自分はバレーはあまり好きではなかった、サボろうにもサボれない競技である。ボールが飛んできたら、嫌が応にも反応しなきゃ行けないから。

 スパイクが滅多に飛んでこないことが幸いだ、バレー部の子もわざわざ体育の授業で無双しようとする気がない。

 

 そういえばと、頭に疑問が浮かんだ。

 赤坂さんって運動神経は良いのだろうか?

 勉強ができるのは知っていたけれど、そっちの方面の話は一度も聞いたことがない。

 

「赤坂さんってさ、バレー得意? そもそも体育好き?」

「どっちも普通だけど」

 

 柔軟を一通り終えて彼女は立ち上がり、くるりとこちらに振り向いた。

 

「ねえ佐々木さん、少し賭けをしましょうか」

「賭けって?」

「単純にどっちの方が得点を取れるか、どう?」

 

 そんな提案はどちらかといえば渚にするべきだ、内心そう思っていた。彼女なら喜んで乗っただろう。

 でもたまにはそんな事をやっても良いかもしれない。自分は1つ、首を縦に振った。

 

 それを見て赤坂さんは薄く微笑んだ。

 

 ●

 

 ジャストのタイミング、綺麗な跳躍、そして白い腕が素早く振り抜かれる。中心を撃ち抜かれたボールは誰にも止められる事なく、床に叩きつけられる音が響いた。

 

「いや、バレーガチ勢じゃん」

 

 勝負中ながらも同じチームに振り分けられた赤坂さんがいきなりそんなスパイクをきめて、思わずつぶやきを漏らしていた。

 

 体育用の髪型に変わってる時点で察して置くべきだったのか、これまで体育の授業中赤坂さんのことをちゃんと見なかったのが悪かったのか。

 

 今更考えても遅いことだ、前向きに考えよう。赤坂さんを敵に回さなくて良かった、今はただそれだけ。

 

 こちらに飛んできたボールを上に打ち上げる。

 可もなく不可もなし、味方が無事回収して再び赤坂さんが決めた。

 どうやら勝ち目は無さそうである、そう諦めるが早いが額の汗を拭う彼女へとふらりと近付いた。

 

「ねえ、バレー普通って言わなかったっけ?」

「普通にできるって意味よ」

「言葉が圧倒的に足りてないよ!」

 

 同程度だと思っていたから勝負に乗ったのであり、わざわざ負ける勝負を挑む物好きではないのだ。

 

「もっと公平な勝負に変えない? 例えばじゃんけんとか」

「相手が早く始めたそうにしてるから早く戻った方がいいわ」

「わーお、すっごい打ち切り方」

 

 すごすごと元の場所に戻っていけば、すぐにボールが飛んできた。それを味方が回収し、再び赤坂さんが打ち下ろす。

 味方から赤坂さんを褒めそやす声が聞こえてきて、なんかもう、どうしようもない感じがした。

 

 朝は調子が悪そうに見えたのに、それが嘘のような活躍振り。寝不足だと言っていたけれど、途中の授業で仮眠でも取ったのだろうか?

 授業中に居眠りをする赤坂さん、絶対無さそうだとそんな考えをばっさり切り捨てた。

 

 多分、勝負だからやる気を出してるのだろう。もしそうなら少しだけ不安だった、頑張りすぎて無理をしなければいいのだけれども。

 

 飛んできたボールを打ち上げて、チラリと彼女の方を伺う。ゆらりと赤坂さんの背中が揺れたように見えた。

 嫌な予感がした、慌てて駆け寄ろうとして。

 

 危ないと声が響いた。

 衝撃、暗転。

 

 気がつけば体育館の天井を見上げていた。

 小さいバレーボールが、次第に視界いっぱいに大きくなってきて。

 どうやら嫌な予感とは自分の身に差し迫ったことだったらしい、ボールがぶつかる直前にそう思った。

 

 

 

 後から聞くに、ボールの着弾点に自分が吸い込まれるように移動したらしい。頭に直撃したボールはそのまま真上に打ち上げられ、そして地面に倒れた自分へと追い討ちをかけた。

 なんかコントを見てるみたいだった、とは友人談である。

 

 どうしていきなり駆け出したか、と聞かれたものの赤坂さんが倒れるかと思ったとは言えなかった。実際そのあと赤坂さんが倒れることもなかったから、自分の杞憂をわざわざ明かすのは恥だから。

 

 今日の体育の授業で得た教訓は、バレーをやってる時にボールから目を離すなということだ。

 その教訓を胸に抱いて、私は保健室に向かった。

 

 

 

 

 

 

 赤坂さんと一緒に。

 



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15話 2人、保健室、報酬

 ボールをぶつけた痛みより氷嚢を当ててる方が痛い気がした。保健室まで付き添ってくれた赤坂さんは何も喋らず、壁に掛けられたポスターを眺めている。

 

 もうここまできた以上役目は終わったはずなのに、全然戻る気配を見せない。付き添ってくれるなんて有難いなと思っていたけれど、ただ体育の授業をサボりたかっただけなのかもしれない。

 

「赤坂さん、先に戻っても良いよ?」

「いやよ、めんどくさい」

 

 軽いジャブにど直球の答え。

 日ごろ真面目な彼女でも、体育の授業がめんどくさいことと思ってることがやけに人間くさいなぁと思った。

 

 氷嚢を渡され、たんこぶに当てとくように言いつけて、保険医はいそいそと保健室の外へ出て行ってしまったから、赤坂さんの行動を咎める者は誰もいない、当然自分もできるはずがない。

 

 長椅子を立ってベッドに移動する。誰も使ってないのならば、自分が使っても構わないだろう。

 これぞ保健室といった感じの硬いベッド、ぽさりと顔を沈めた枕からは特有の消毒液の香りがした。

 

「ねえ、佐々木さん」

「ひょっ!?」

 

 不意に背後から声がして、慌てて顔を向ける。赤坂さんはポスターを眺めていたはずなのに、気づけば自分が横たわっているベッドの縁へと腰掛けていた。

 上半身起こしたらぶつかってしまいそうな、そんな距離。

 

「な、なに?」

「準備体操の時に言った言葉、まだ忘れてないよね」

 

 とろんとした目で彼女はそんな事を言った。

 忘れてはいない、あえて振り返る様な言葉なら1つだけ思い当たる。

 

「『賭けをしましょうか』、だよね」

「内容もちゃんと言える?」

「どっちの方が得点を多く取れるか、忘れるわけないよ」

 

 結局赤坂さんが3点取って、自分は一点も取れずに負傷退場したのだが。

 まあ怪我しなかったとしても勝てる気はしなかったのが本音である、完敗なのは認めざるを得なかった。

 

「それじゃあ報酬を貰おうかしら」

「え?」

「報酬」

 

 ほ、う、しゅ、う、と馬鹿でも理解できる様に一文字ずつ赤坂さんは言った。

 思考が止まったのも一瞬である、思わず冷や汗が一筋頰を伝う。

 

 少し賭けをしましょうか。

 赤坂さんのそんな言葉を対して深く考えずに頷いてしまったのだけれども、そんな自分を誰が責められようか。

 

 ほんの少しのニュアンスの違い、冷静に考えれば彼女の言葉はこうあるべきだった。

 少し勝負をしましょうか、と。

 その違いに気がついていたのならば、きっと頷くことは無かったのだろうけれども。現実は非情である、過去を変えることはできないのだ。

 

 けれどもここで諦めるわけには行かないと、精一杯の抵抗を試みる。もしかしたらもしかすると許してくれるかもしれない。

 第一案、まさか何かを賭けて勝負したつもりはなかった作戦決行。

 

「ちょっとまって、自分はまさかそんな、何かを賭けたつもりはなかったんだけど!」

「へー、佐々木さんは自分の言葉にも責任が持てないんだ」

 

 じとっとした視線がぐさりと突き刺さる。

 

「う……」

「そういうのってさ、ずるいと思わない?」

 

 確実に勝てる勝負で挑んでくる方がずるいと思う、さらに言うならば事前に賭けの報酬を決めなかったこともずるいと思っていた。

 けれどもそんな言葉は彼女の視線に気圧されて言えなかった。何か言おうものならどうなるか分かってるよな、そう瞳が語っていた。

 どうなるかはわからないが、それを試す勇気はなかった。

 

「ずるい、です……」

「そうね」

 

 作戦失敗。もう自分にできることはといえば、なるべく要求されることが優しいことになるぐらいだった。

 少なくとも今、報酬を要求されると言うことは欲しいものは物品ではないはずだ。

 持ち合わせている物といえば身に付けた体操着ぐらい。

 

「赤坂さんは何が欲しいの?」

「それ」

 

 ピッと赤坂さんは自分()の顔を指差した、まったく意味がわからない。

 

「それを変えて欲しいの」

「顔を変えろって変顔しろってこ――ひたひ、ほおをひっはんなひで」

「誰もそんなことは言ってないでしょ」

 

 解釈違いでどうしてここまで頰を引っ張られなきゃいけないのか、一通り引っ張って満足したのかパッと手を離した。

 氷嚢のあてる場所を額から頰へと移す、怪我人の頰を引っ張るとは情けも容赦もない。

 

「じゃあ何を変えて欲しいの」

「変えて欲しいのは呼び方よ」

 

 成る程、指差してたのは口だった訳か。ふむふむと頷いたところで、はてと疑問に思う。

 

「赤坂さん呼びじゃ駄目なの?」

「駄目、今すぐ変えて」

 

 赤坂さん呼びの何が駄目だと言うのか。最後以外は全部母音がAで、最後を撥音で締める感じはなかなかに綺麗だと思うのだが。

 

「呼び方を変えるだけでいいの?」

「他に何か要求していいなら、そうするけど」

「いえ、滅相もございません。これが精一杯です」

 

 思いのほか楽な内容だった。本気を出せとか、やる気を出さない理由を聞かれるものかと思っていた。

 とはいってもこれはこれでめんどくさい内容だ、呼び方を変えるならこう呼んでほしいと決めて欲しい。

 

 無難に行くなら下の名前にさんをつけて呼ぶべきだろう、呼び捨てで呼ぶ勇気は持ち合わせていない。

 

 それとも指定されないと言うことは何かセンスのあるあだ名をつけることを期待されてるのか? 

 残念ながら自分にはセンスがないが、もしやそういう才能を持ってると勘違いされてるのか? 

 

 ほんの少し考えた挙句、一番無難な選択を選んだ。ほんの少しの時間ではふざけたあだ名しか思い浮かばなかった。

 

「あー、舞さんって呼べばいいのかな?」

「……及第点ってところね」

 

 不満そうな顔で彼女はポツリとそういった。

 採点基準がわからない、やっぱりあだ名をつけるべきだったのか? でも一番いい候補がマッカーサーの時点でまずいだろう、絶対。それでも念のため尋ねずにはいられなかった。

 

「もしも舞さんのことをマッカーサーって呼んだら怒る?」

「何いってんの佐々木さん……」

 

 赤坂さんのことを舞さんとよぶことも気恥ずかしかったし、彼女が怒ることなく、ただ残念なものを見る目で見つめられたのが、とても辛く悲しくて顔を手で覆った。

 結構自信のあるあだ名案ではあったのだけど。まあ冷静に考えれば日常的に使うのは不便だから、やっぱりセンスはないことは確かである。

 

「そういえば赤さ、じゃなかった。舞さんは自分の呼び方を変えないの?」

「佐々木さんも変えて欲しいの?」

「いや、別にそういう訳じゃないんだけど……」

 

 まあ別にどう呼ばれようと変わりは無いか。氷嚢を額に当て目を閉じる、赤坂さんを放置してこのまま寝てしまえそうな気がした。

 

 自分が目を閉じたことに気づいたのか、赤坂さんも何も言おうとしない。これ幸いと寝に入るが、なかなか寝れなかった。

 どうも意識は絶妙なところをさまようばかりで、寝るより先に4限目の方が早く終わってしまいそうだった。

 

「……舞さんは暇じゃないの」

「見てると、なかなか退屈しないものよ」

 

 先程から変わらず、すぐ近くから声がした。多分はじめと同じようにポスターを眺めてるのだろう。

 

「……ねえ佐々木さん」

「なに?」

「……私も及川さんと同じように、貴女の事を下の名前で呼んでいい?」

 

 今にも寝てしまいそうな小さな声だった。

 寝不足といっていたから、彼女にも睡魔が襲ってきたのだろう。

 

「眠いの?」

「眠くは、無いわ。それより私はダメなの?」

 

 相変わらず声は小さく、薄く目を開けてみればうつらうつらと船を漕いでる背中が見えた。

 慌ててベッドから降りて、彼女の正面へと回り込む。素直に横になれば良いのに下手すれば床にダイブしかねない。

 ポンと肩を押せば抵抗もなくベッドへ倒れ込んだ。これで良し、追加で足も乗せてあげれば完璧である。

 

 先程の場所と入れ替わるようにベッドの淵へと腰掛ける。4限目が終わるのが先か、それとも赤坂さんが目覚めるのが先だろうか。

 彼女がまだ聞こえているかはわからないが、眠気に抗ってまで聞きたかった言葉の答えを自分は言った。

 

「別に、好きにすればいいよ」

 

 それを聞いて安心したのか、すぐに安らかな寝息が聞こえてきた。

 



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ex.2 林檎の皮むきが下手くそな人

 馬鹿は風邪をひかないという言葉は、風邪をひいたとしてもその鈍感さから症状を自覚しないということから来ている。

 

 そこまで馬鹿でもないし、鈍感でも無いと思っていた。けれども風邪をひいたのは、いつぶりだったか思い出せないほど久しぶりのことだったから。

 そんな訳でなんとなく喉が痛いし、気怠い気がすると思っていても、それを綺麗に無視していた。

 きっと気のせいだろう、そんな楽観。

 

 念の為、行く前に一度だけ熱を測ってみようとしたのがファインプレー。38度をほんの少し超えた体温計の表示にあえなくストップをかけられた。

 

 昨日の今日で休むのはなんとなく嫌な予感がしたけれど、クラスメイトに風邪をばらまくわけにも行かない。

 泣く泣く風邪薬を飲んでベッドへUターンを決めて布団に潜り込めば、あっという間に睡魔に飲み込まれた。

 

 自分が思っていたより弱っていたのだろう。昼ご飯を食べることもなくこんこんと眠り続けて、及川 渚の半日は特に何事もなく浪費されたのだった。

 

 ●

 

「……さんじゅーななどごぶ」

 

 目がさめるとそこは一人っきりの部屋だった、というのも当然のことで、家にいるのは自分一人だけ。

 鼻をすすりながら体温を読み上げた声は誰に聞かれることもなく、それに対して何も思うこともない。

 

 明日には学校に行けそうだ。そう思いながら体温計を枕元に戻してアイマスクをつけようとしたところで、そういえばとスマホを確認してみることにした。

 

 朝に玲へ休むと送ったし、おそらく返信が来てるだろうから。開いてみれば案の定、お大事にとメッセージが飛んできている。

 特に返す言葉も思いつかず、再びアイマスクを付けて寝ようとしたところで再び端末が振動した。

 

『お見舞いに行っていい?』

 

 思わずあーと声が漏れた。

 玲の家と自分の家は学校の最寄り駅を中心に逆方向にあって多少面倒な手間になろうとも、確かに彼女の性格ならお見舞いに来るだろう。及川 渚が体調を崩すのは珍しいことだから、尚更。

 

 選択肢は2つ。

 良いよと返信するか、そのまま見なかったことにして無視するか。

 多分、何も返信しなければ寝てるだろうと判断してくることはないだろう。来なくても大丈夫というのはなかなか自分のキャラらしくない、及川 渚とはそういうキャラだから。

 

 一人っきりの時間を手放したくないな、そう思っていた。風邪だからとかそんな思考に至ったわけではない、多分どんな時でもそう考えていただろう。

 無理にこうであれと飾り付ける事は疲れるから。

 

 スマホを体温計の隣に放り込んで、再びアイマスクを付けて横たわる。じわっとした湿気と寒気を感じながら。

 玲は今頃何をしてるんだろうか、スマホを握って返信が来るのを今か今かと待ち構えているのだろうか? 

 脳裏にその光景がありありと浮かんで、クスリと笑う。返信、送る気ないんだけれども。

 

 仕方がないと額までアイマスクを上げてメッセージを開く。

 

『来なくても大丈夫、多分明日には学校行けそうなんでよろしく!』

 

 これでいいか。体調が悪い人が送る文には見えないけれど、むしろなんか凄く元気が溢れてそうだ。

 二、三度ほど見返してうーんと首をかしげる。

 

 それでも改良する点を思いつかず、送信しようとしたところで不意にぐーっとお腹が鳴った。そういえば昼に何も食べていない、何か家に食べ物残っていたっけ。

 

 何もない、気がする。

 冷蔵庫の中身を確認もせず、送ろうとした文を180度改変させることにした。

 

『我、救援求む。家、飯無し。お金、後で払う』

 

 ちょっと冗談めかした文を一度読み返し、一つ頷く。これで、よし。

 先ほどの文に比べて送信ボタンはずっとずっと軽かった。

 

『すぐに行く!』

 

 送信を終えてスマホを枕元へと置く前に返信がやって来て、自分の予想がちゃんと当たっていたことに気づいた。

 

 ●

 

 すぐに行くとの言葉通りに、30分後には自分の部屋に学校から直接来たのか、制服のままの玲がいた。

 ちょっと早すぎるんじゃないかと思っていた、すぐに行くと送った時には最寄駅に着いていたんじゃないかと思うぐらいに。

 

 それでもずいっと渡された、そこそこ大きなビニール袋を前に何も言えず、ペコペコと頭を下げてぽんぽんと中身を広げていく。

 2リットル入りのスポドリ、冷えピタ、冷凍ドリア、林檎。マスク越しにくぐもった声で一つ尋ねる。

 

「ちょっと思ったんだけど、買いすぎじゃない?」

「……そんなことないと思うよ」

 

 すーっと顔を逸らして、玲は目を見ようとしない。

 ご飯を買ってきてほしいとは行ったけれど、なんか色々余分なものが混じっていた。

 自分の言葉が足りなすぎたのだろうか、それとも意識が朦朧として余分な文を送っていたのか。

 

 それでもお粥とか病人食じゃないのは嬉しいことだった。送るのを忘れていたけれど、普通のものを食べたいと思っていたから。

 

「お粥とか作って女子力示してあげようかと思ったんだけど、自分作り方わからないからさ。初めての実験台とか嫌でしょ?」

「やめてよね、ほんと」

 

 もらった冷えピタをぺたりと額に貼り付けつつ、そう返す。人は自分の料理の腕前をちゃんと自覚しているべきなのだ。積み重ねもないのにいきなり料理が上手くなるはずもない。

 冷凍食品ならどんなに下手くそでも、レンジに入れてボタンを一つ押すだけで全員同じ味を出せる。なんて素晴らしい文明の利器だろうか! 

 

 飲み物は置いとくとして、後はやってもらおうと冷凍食品と林檎を渡したところで一つ疑問が浮かんだ。

 彼女の料理の腕前はひとまず置いといて、林檎を剥くことは出来るのか? 

 

「玲って果物ナイフで林檎剥けるの?」

「……」

「……玲さん?」

「……いける、多分」

「絶対手を切るやつじゃん、それ」

「絶対できる、カレーでジャガイモとかニンジンの皮とか剥いたことあるし」

 

 絆創膏はどこに置いてあったけ、あらかじめそう考えるぐらいには信用がない言葉。

 カレーで使うのはピーラーだし、ジャガイモやニンジンの皮を剥くのとはレベルが違うと玲は分かってるのだろうか。

 

「……まあやるだけやってみればいいか、物は試しだし」

 

 少なくとも林檎の切り方で味が変わるなんてことはないのだから。ほんの少しの不安を抱えつつ、彼女と一緒に台所に向かう。

 レンジにドリアを入れるの横目に、果物ナイフとまな板を取り出し準備完了。

 

「無理そうだったらピーラー出すよ」

「果物ナイフで出来るって、絶対」

 

 多分という言葉を一度使ってる時点で、信用は地に落ちている。皮付きで良いから八等分言ったところで玲が意固地になるのは見えていたし、もう自分にはぼんやりと横で眺めることしか出来なかった。

 目を閉じて、すーっと一つ深く深呼吸をした。

 

「……佐々木 玲、行きます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「林檎には勝てなかったよ……」

 

 自分がやっておいてこの惨状に目を当てられないのか、1人林檎を残して彼女は顔を覆っていた。

 残ったのはだいぶスリムに、そしてやたら角ばった形をした無残な林檎だった。

 1つなぎにして皮を剥けるはずもなく、バラバラと一片ずつ切り離されていった結果がこれである。

 なんて様、それでも特に馬鹿にする気は無かった。

 

「でも、まあいいんじゃない?」

 

 悪くはない。手を切らなかったことだし、十分上出来である。顔を手で覆ってる玲を横目に、忘れてるようなので最後の芯取りだけ自分がやる。

 四等分に分割して、芯を取り除き、さらに二分割。そこまでやったところでちょうど電子レンジがチンと鳴った。

 

「ごめん、レンジ終わったから出して頂戴」

「アッハイ」

 

 皿になるべく美味しく見えるようによそってみたけれど、やっぱりローポリゴンの林檎といった感じだった。

 それでもコップにスポーツドリンクを注いで、手前にドリアを置き、一番遠くに林檎を置けば、なんとなく上等な食事に見えた。

 

 使い捨てのマスクを付けて向かいに座る玲を他所に、一人パクパクとスプーンを進める。

 

「渚の親って共働きだっけ?」

「そ、前に来た時もおんなじこと話した気がするけど」

 

 及川 渚の家を知っていて、なおかつ訪れたことがある人はかなり少ない。高校では玲一人だけだった。

 去年一度だけ、彼女を家に招いたことがある。その記憶に従って玲は家に来たのだろうけれど、よく覚えているものだ。

 

「なんか学校で変わったことあった?」

「いや、なーんも。強いて言うなら渚が居なかったことかな」

「もしかしてボクが居なくて寂しかった?」

「まーまーかな、渚が居ないの高校に入って初めてだったし」

 

 そう言って彼女は目を細めた。多分マスクの裏では恥ずかしそうに笑っているのだろうけれど、あいにくながら見ることはできない。

 

「でも一つだけあったな。渚の好きな体育の授業でさ、まー……」

「まー?」

「……赤坂さんがめっちゃバレー頑張ってたよ、うん」

「あっ、そう」

 

 赤坂さんに興味はないし、強いて言うならはじめに言おうとしていた『ま』の続きが何になるのか気になって仕方がないのだけれども、ゴニョゴニョと濁した言葉はマスクに遮られて聞こえず、玲はそれについて何も言わなかった。

 

 言い澱むような言葉がなんかあったか、少し考えるも熱のせいか頭が働かない。ほんの少し不機嫌になったのを察したのか、慌てて玲が口を開いた。

 

「ねえ、どれぐらい調子悪い?」

「もう死にそう」

「本当は?」

「明日には学校行けるぐらい、そこまで悪くはないよ。朝よりだいぶ熱は下がったし」

「てっきり明日も休んで、四連休にするのかと思ってたけど」

「四連休は魅力的だけどね、でも部員集めがあるし」

 

 たった一人、されど一人。

 来週の火曜日までに見つけなきゃ廃部という現実は、風邪を引こうとも御構い無しにヒタヒタと迫ってきている。

 

「まあ、無理だったらまた朝にメッセージ送るさ」

「来ないことを祈ってるよ、心の底から。もし自分が風邪引いてたらこっちもメッセージを送ってあげる、救援求むって」

「そしたらボクがお見舞いに行ってあげるよ」

 

 皮剥きとはなんぞやを見せつけに、一繋ぎの林檎の皮で彼女の首をしめに行ってあげるとしよう。

 そのときはどうかよろしくと言いつつ、林檎の一片を指でつまんで、玲は一口それを齧った。



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16話 朝、示し合わせることもなく

 林檎の皮をまともに剥けなかったとしても、別に人生にとってなんの影響もないし、実は世間の一般の女の子もわりかし出来ないことだと信じている。

 そんなことをうじうじと翌日になっても考えてるぐらいには余波を残していった出来事だった、昨日の失態は。

 朝ごはんにバナナを齧りながらも、ずっとそんなことを考えていた。皮が剥けた状態の林檎とか発売されないだろうか、種無しブドウ的な感じで。それは無理でもせめて手で皮を剥けるように。

 

「バナナと蜜柑は良い物だよ、だって手で皮を剥けるから」

 

 なんともなしそんなことを呟いて、妹から送られる視線が残念な物を見るような、そんな生温かい物に変わったのを感じながら携帯の画面をもう一度確認する。

 すっかり元気になったので今日は学校に行く、彼女から朝一番にそんなメッセージが届いていた。

 三分の一ほど残ったバナナを一気に口に詰め込み、牛乳で一気に胃へと流し込む。

 

 いつもならばこれからゆるゆると制服に着替えて登校するところだけれども、今日は起こされる前に自分で起きて制服に着替えていた。ルーティンの崩壊、そんな言葉が脳裏によぎる。

 

 でも、たとえ決まり事を崩したとしても、今日は早く学校に行きたかったのだ。渚が今日学校に来るのなら、きっと早く来るだろうと予想していたから。

 朝一番に教室に乗り込んで、風邪を引いていたそぶりも見せず、いつものように元気に振る舞うだろう。

 弱さと言うものを渚はほとんど見せない。

 

 別に彼女の行動にどうこう言うつもりはないのだ、自分としては彼女がきっと早く学校に来るだろうと言うことが大事だった。

 自分も早くいけば2人の時間を長く作れる、単純にして明快な行動原理。それはやっぱり不純だろうか? 多分、不純だろう。

 

 寝癖が無いことをチェックして、鞄を持ち家を出る。早く出るなんて珍しい、後ろから投げかけられた妹の声にたまには早く行きたい気持ちになる日もある、そう返す。

 きっと今日はいい日になる、そんな気がした。

 

 ●

 

 そんな予感が本物だったかはわからないけれど、校門の前で渚と合流できたのは幸運なことに違いない。

 ポンと背中を叩かれ振り向いてみれば、ハロハロと手を振るマスクをつけた彼女の姿があった。

 

「おっはよー、早いね今日は」

「いつもより早いのは、どちらかといえば渚だと思うんだけど」

「まあね、でも今日は朝一番に教室に乗り込んで見ようかなって思ってさ。珍しくボクが先に居たらきっと驚くだろう?」

 

 ほら、やっぱり予想通りだった。

 思わず口元に笑みを浮かんだのを見て、彼女は不思議そうにこてんと首を傾げた。

 

「いや、なんでも無いよ」

「そう言われると気になるんだけど、まあいいや。とりあえずさっさと教室に行っちゃおうよ」

 

 そう言い終わった時には渚は数歩前を歩いていて、慌てて小走りで追いつき、歩調を合わせて隣に並ぶ。

 歩きつつ、チラリと様子を窺うがマスクもあって何を考えてるのか全く読み取れない。自分より小柄な身長を上から見下ろす形である。

 

 自分の身長が161センチで女子の平均身長よりほんの少しだけ高い感じ、前世の時も170センチぐらいだったし、大方普通という運命なのだろう。

 

 渚の身長は分からない。背が小さいことを気にしてるのかそれを言うことも無かったし、特に自分も掘り下げることをしなかった。

 まあ155、150センチと行ったところだろうか。そんなことを考えつつもう一度渚の方を見てみれば、彼女はじっとこちらを見つめていた。何やら冷たい目線に思わずびくりとする。

 

「玲さんや、なーんか失礼なこと考えてない?」

「……滅相もございません」

「滅相もございませんって誤用だって知ってる?」

「え、じゃあなんて言うの?」

「滅相もないことですだってさ、滅相もないで一つの形容詞だからないを取っちゃいけないんだって」

「へー」

 

 また一つ、無駄な知識が増えた。

 きっと役に立つこともないだろうけれど、それでも忘れない記憶がまた一つ。

 

「で、何を考えてたの?」

「コロッケそばに入れるコロッケは何が一番いいのかについてを」

「絶対嘘でしょ、まあボクはカレーコロッケ一択だと思ってるけれど」

 

 つらつらと次から次へとよくわからない、ともすれば呪文のように聞こえる熱いコロッケそば論を右から左へと受け流す。

 あんなに入学式に熱心に語られたコロッケそばだけど、結局一度食べただけで自分は満足だった。彼女と違いそこまでの情熱をコロッケそばに見出すことは出来ない、一回食べるだけで理解できた。

 

 そう言うわけで馬耳東風、馬の耳に念仏。適当に相槌を打ちつつ、学食のコロッケそばを食べようと言う誘いだけを的確に拒否していけば、教室に着くのもあっという間である。

 

 扉をあけて見れば教室にはやっぱり誰もいない。

 鞄を自分の机に放って渚の前の席を借りさせて貰い、向かい合わせで座る。

 

「自分で朝早く来ておいてなんだけどさ、来ても特にやる事ないよね」

「じゃあ勉強でもする?」

「ボクの事は気にせずやってて良いよ、一応玲より成績良いからね」

 

 ふふんと無い胸を張られても、特に何も思う事はなく、よし勉強しよう!、と思い立つこともない。

 その為に学校に来たわけでもないし、至極当然の帰結である。

 

「トランプは?」

「部室にある、ちょっと取りに行ってくるよ」

 

 言うが早いがガタリと立ち上がり、止める間も無く教室の外へと走って行ってしまった。

 病み上がりとは思えないスピードである。自分が取りに行っても良かったのに、そう思いながら机に指でジグザグと線を引く。

 

 こうなると暇である、行って帰ってくるまで五分ぐらいと行ったところか。

 それまでにできる事はと10秒ほど考え、真っ先に思いついたのが机に落書きをする事だった。

 なかなか良い考えじゃないか、そう思った。バレないように、隠れミッミーぐらいのさりげなさで何かを忍ばせてみせようじゃないか。

 

 そう決めると時間は限られている、1秒1秒が惜しい。自分の机に戻ってシャーペンと消しゴムをもってすぐに戻り、彼女にわかるように描けるよう、席の方へと回り込みつつテーマを考える。

 

 一番最初に思い浮かんだのが猫だった。

 多分、自分にも描けるぐらいの難易度だろう。ほんのちょっぴり不安になりつつ、とりあえず筆を走らせる。

 大きな丸一つに三角二つを乗せて、丸の中心のちょっと上あたりに横にしたどんぐりを二つ並べる。

 口はもるんと行った感じにωを描いて、ヒゲを左右に3本ずつつければ。

 

 多分、猫の完成。おそらく描き始めてから一分も経っていないのではないだろうか。

 一応、念を入れて何かわかるように下の方に『猫です』とだけ書いておく。きっと分かるだろうけど、念のため。

 そう書き終えて顔を上げたところで、自分のことをじっと見つめてる視線を発見してヒュッと息が漏れた。

 

 そりゃそうだろう、誰もいないはずと思っていたのに気づいたら人が増えていたら誰だって驚くはずだ。

 渚が出て行った時、扉を閉めないで出て行ったからそういうことが出来たのだろう。そうして教室の入り口から入ったところで自分が何かをやってるのを発見して、しばらく観察してみることにした。

 

 両者無言でじりじりと間合いを測るような、そんな張り詰めた空気。先手を打ったのは。

 

「……玲さん、何や「おはよう舞さん」」

 

 その先は言わせない、言ったら答えを言わなきゃいけなくなるから。後の先を取ったのか、取ってないのか。それ以上の質問を封じるために完璧な笑顔で、自分はそう言った。

 

「……その机で何を」

「今日はいい天気だね、舞さん」

「ええ、そうね。そこは及川さんの机だと」

「絶好のコロッケそば日和だと思うんだ、自分は」

 

 絶好のコロッケそば日和とはなんなのだろうか、自分が言ったことが何にもわからない。

 

 そんな日は来なくていいし、もし世界がもう1時間後に滅ぶとしても、最後の晩餐にコロッケそば以外の選択肢を封じられたら、そしたら自分は何も食べない所存である。

 まあ渚と一緒に食べれるなら食べるかもしれないけど。

 

 自分の意味不明な言葉にすっかり毒気を抜かれたのか、彼女はため息をついて自分の席へ向かって行って――思い出したかのように振り向いた。

 

「おはよう、玲さん」

「ん、おはようおはよう」

「挨拶は一回で良いわ」

 

 それっきりこちらに興味を無くしたのか、彼女は席に着き、鞄から本を取り出して読み始めた。

 無事、切り抜けることが出来た。まあ彼女が渚に何かやっていたとかいうビジョンは見えないけれど、それでも何をやっていたのか言わないで済んだのは一安心である。

 

 鼻歌混じりに制服のポケットにシャーペンと結局使うことのなかった消しゴムを突っ込んで、何事もなかったかのように元の位置へと戻る。

 

 

 

 一日が始まったばかりだといのに、適当に誤魔化してばかりな気がして、今はうまくいってるけど、どこかでしっぺ返しが来そうな気がした。

 

 まだ、渚は教室に戻ってこない。

 



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17 ハンカチの行方

 一昨日の帰り道にハンカチを赤坂さんに渡したことを覚えていましたかと尋ねられれば、あぁそんなこともあったなと思い出しはするものの、当然ながらその事を常に意識しているはずが無い。

 

 自分のことではあっても、そこらへんで千円ぐらいで買えるハンカチなんて付属品に深い感情を抱いている訳でもないし、なくしたところで別に命がなくなるような生命維持装置でも無いのだから。

 人はハンカチがなくても生きていける、多少不潔ではあるけれど。

 

 まあこれが渚からの贈り物だとか付加価値が付いていたら話は別なのだけれども、自分のハンカチはそんなに大それたものではない。

 というかそんなものを日常的に使うはずが無い、机の奥底に大事に大事に宝物の様に仕舞っておくだろう。

 

 ハンカチに感情があるなら、その待遇をどう思うのかとか、ものは使われることが使命であるとか、そんなこと知ったことでは無い。

 

 閑話休題。

 

 どうしてそんな事を突然語り始めたかといえば赤坂さんから、その話題にのぼったハンカチを返されたからである。

 ちゃんと洗濯されきっちりアイロンをかけて、ぴっちり折れ目がついたバリバリの新品に見えるほどのそれは、最早別ものであった。

 

「どこをどうすれば赤坂さんにハンカチを貸すことになるのか、ボクとしては全くわからないところだけど」

「そういえば話してなかったけ?」

 

 ハンカチから目を逸らして、渚の方を見てみれば紙パックのジュースをお手玉がわりに弄んでいる。

 昼休みの教室。事の本人である舞さんは教室にはもういない、ハンカチだけ返すや否や再び何処かへと去ってしまった。

 あいも変わらず仲が悪そうな二人を取り持つ妙案は、残念なことに自分の脳みそは灰色でも無いから閃かず、自分にできたことはただ漫然と見送ることだけだった。

 

「なんかさー、玲って見えてる地雷に突っ込む癖ない?」

「別にそんなことないと思うけど」

「別に他人の趣味嗜好に口出すほどボクは野暮じゃないけどさ、もうちょっと自覚ある行動をするべきだと思うんだ」

 

 そう、ボクみたいにね。と誇らしげに胸を誇る彼女を横目になんとかアラを探してみるが見つからない。

 及川 渚はいつも通りに変わりなく、完璧な女の子であった。

 

「で、話を戻してどうして赤坂さんにハンカチを貸すことになったのか教えて欲しいんだけど」

「別に大した話じゃないよ?」

 

 偶然赤坂さんに遭遇して、偶々犬が自分に懐いてしまっただけのこと。よくある話とは言えないけれど、山も谷もないければ、綺麗なオチもない話。

 

「一昨日家に帰る途中で偶然散歩途中の赤坂さんに会って、彼女の連れていた犬が自分から離れようとしないから、仕方なくハンカチを犠牲に犬を引き離しただけだよ」

「偶然ねえ……」

 

 偶然でないなら運命だとでもいうのだろうか。けれども渚は言葉を続けることなく、レジ袋からパンを取り出した。

 

「ま、そんなことは別にどうでもいいか。もう終わった話だしね」

「人に聞いといてなんて投げやりな……」

「まあ考えるべきことは色々増えたんだけどさ、とりあえずご飯食べなきゃ昼休み終わっちゃうし、食べながら話すことはできなくても考えることはできるからね」

 

 言うほど深く考える必要のない話だとは思うけれど、彼女が言うならきっとそうに違いないのだ、多分。

 なにかを考えてる様子の彼女を放っておいて、教室の雑音を聞き流しながらパンを食べる。

 途切れ途切れにしか聞こえない話を脳内で補完していくことはそれなりに楽しいことだった。

 

 今日、もっぱらの話題は恋愛談義である。

 まあ高校生同士の等身大の恋愛談義は聞こえて来ず、アイドルやアニメの方に流れていくばかり。

 

「玲と赤坂さんがその駅であったってことは中学校同じだったりしたの?」

 

 ようやく口を開いたかと思えばそんな問いが飛んできて、それに対して自分はふるふると首を振った。

 

「ないよ、ないない。赤坂さんがいたらよくも悪くも目立っただろうけれども、見た記憶はかけらも残ってないし」

 

 もしも中学校の頃に彼女を知っていたのなら、今の自分のこの関係性とやらも変わっていたのだろうか。

 自分を過大評価する原因はわかっていないけれど、あの頃の凡凡とした自分を見たらものすごい才能を隠してるなんて思うことはなかった様に思えた。

 逆に、もし関わりあうきっかけがあったのならそれは。

 

「自分はね、赤坂さんって頭は良いけれど物凄く不器用な人だと思うんだ」

「なにをいきなり、どうしたの?」

「自分と渚と、下の名前を呼びあってるのは特に理由もなく、初めからじゃん?」

 

 入学式の日からずっと、お互いに下の名前で呼ぶことは変わってない。特になんの賭け事もなく、けれども赤坂さんがそれを提案するには何らかのハードルがあった訳だ。

 それの飛び越え方が赤坂さんには分からなかった、だから勝負の代償としてそれを選んだ。

 

「渚が休んでる間にさ、赤坂さんに下の名前で呼んでも良いかって聞かれたんだ」

「……へー、それで?」

「別に断る理由も無かったし、良いよっていったけれど」

 

 美人で、勉強もできて、運動神経もいいけれど。赤坂さんは人間関係に疎すぎた。

 下の名前で呼び合うことなんて、友達であればなんらおかしくないことなのに。

 ならば自分と友達になってしまえばいいのに。

 

 

 

 ――友達になれば、下の名前で呼べる。

 

 

 ああ、そうか。逆なのだ。そこに至って自分はようやく気づいた。

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 赤坂さんは自分と友達になりたかったのか。

 そう思うと、やっぱり彼女はあまりにいじらしく、不器用すぎた。

 

 本当に見抜いたのか、それともまぐれ当たりかは知らないけれど自分の実力を見抜いた底しれなさは、今となっては気にとめる必要もない気がした。

 

 ならば今、自分が赤坂さんなら出来ることは何だろうか? 

 こういう役回りは渚の方が向いているけれど、でも赤坂さんに今一番近いのは間違い無く自分である。

 

「不器用だね、赤坂さん」

「ボクは努力しない人の方が悪いと思うけれどもね」

 

 思わず苦笑いを漏らす。

 彼女なりに努力してはいるのだろうけれども、それが遠回りだといえるのもまた事実だった。

 

「まあ赤坂さんのことはそこら辺にしてさ、部員どうするかってことでも考えようよ」

「……そうだね」

 

 そちらの方が差し迫った問題であり、もう時間もあまり残ってない話であるからにして。とは言っても部員に心当たりはおらず、そもそも部活に後輩がいない時点で違う学年の友人なんて期待しないでほしいのだ。

 同学年なら、といっても他クラスに広がるほど広い人脈を持ってるわけでもない、渚ならそれなりに立てはありそうだけれども。

 

 渚に無くて、自分に有る繋がりを探すべき。

 とは言ってもそんな都合のいい人居るだろうか? 

 

 居た。

 居るじゃないか、1人だけ。一挙両得の素晴らしい解決が出来る人が。

 絶対に無理そうだと諦めていたけれど、今ならば、もしかしたら。

 

「ねえ、渚」

「何?」

「もう一回、赤坂さんを部活に誘ってみない?」

 

 渚がその時浮かべたあの表情。なんとも形容しがたい表情は、今となってもはっきりと思い出せるぐらい酷いものだった。



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18 正解、そして不正解

 ●

 

 そんな酷い表情もすぐさま引っ込めて彼女は笑みを浮かべた、けれどもそれすら引きつっていつも通りとは言えなかったけれども。

 

「……本気で言ってる?」

「割と名案だと思ったのだけれど、だめかな」

「なんでわざわざボクが通った道を辿るかなぁ」

 

 ずぞぞぞと紙パックのジュースを啜り渚は一息ついた。自分が出した案に賛同するわけでもなく、ダメだというわけでもなく、淡々と案に対する問題を積み上げる。

 

「まず初めの問題としてボクが勧誘して一度失敗している」

「それもちゃんと覚えてるよ」

 

 あっさりと、そしてきっぱりと、部活には入らないと断言したことを自分はちゃんと覚えている。

 

「そして第二に、部活内がギスギスすることは本末転倒だということ。もしかしたら上辺だけの言葉かもしれないけれど、ボクは赤坂さんに嫌いだと断言されてしまってるからね」

「なんとかならない?」

「それはボクというより赤坂さんの問題だからね、ボクにとって彼女はどうでもいい存在だから」

 

 嫌おうとも、好こうとも別に彼女からの好感度が変わるわけではない、と渚はそう言った。

 

「さらに第三、その時間を別に割いた方が効率がいいってこと」

「つまり渚が思うに、自分が勧誘しても無駄足になると考えてるってこと?」

「まあ、かなりの確率でね。それは別に玲が勧誘するから悪いわけじゃないんだ」

 

 飲み干した紙パックを机の上にパタンと倒して、そのまま机に指で円を描いた。

 

「……そう、失敗する」

 

 言い聞かせるように、耳をすませていたからこそようやく聞こえるような声だった。

 

「でもさ、ここで問題点を並べてもきっと玲が勧誘しに行くってことは変わらないんだろうなって。だから赤坂さんを勧誘することをやめろなんてボクは言わないよ」

 

 表情に浮かんだ色は諦観。

 はたして渚の言葉を聞いたからと言って勧誘することを止めるつもりだったかと言えば、別にそんなことはなかったのだから、それは正しいことだった。

 

 渚の心配もまた的を外したものではないのだろう。実際、赤坂さんが不和の原因になるかもしれない。

 けれども放って置くことは出来なかったから。

 一挙両得できるその選択肢があることに気づいてしまったのなら、あっさりとそれに飛び込んでしまえるのだ。

 

 リスクに怯えてやらないより、やってみよう。

 その選択肢が取り返しのつくものであれば。

 

「……いいの?」

 

 それでも躊躇いがちに尋ねたのは、自分勝手な事をしてると自覚があったから。強く反発されるんじゃないかと恐れはどこへやら、渚はあっさりと頷いた。

 

「いいよ、けれど条件がある」

 

 条件、との言葉にほんの少しだけ身構える。姿勢を正した自分を見て、渚はようやくいつものような笑みを浮かべた。

 

「別にそこまで難しいことじゃないよ、ただ赤坂さんの勧誘に関してボクは関与しないってだけさ」

 

 赤坂さんに関しては自分一人でやれということか、その間に渚は別の道を探すつもり、ということか? 

 

「別行動?」

「そんな感じ。玲が無理だと思っても手を貸さない、それでいい?」

 

 もともと赤坂さんとは一人で話すつもりだったし、それがなにかの問題になるとは思わなかった。

 自分が首を縦に振るのを見て、渚はようやくパンを食べ始めた。

 

 ●

 

 思い立ったが吉日。

 お昼休み中に勧誘しようと思ったのだけれども、赤坂さんの行く先など知らず、文明の利器であるスマホも彼女の連絡先を知らない以上、ただのガラクタに過ぎなかった。

 

 教室で待ってるべきな気がしたけれど、居ても立っても居られずふらふらと教室から流れ出たのは自分の性ゆえに。犬も歩けば赤坂さんに当たる、かも。

 

 まあ自分のここ最近の赤坂さんの遭遇率を考えれば、会わないことの方がおかしい気がしたから、こんなことに時間を費やすのもきっといい気がした。

 

 不合理に、根拠のない発想に身を任して、そうして歩いていってたどり着いた先は、前に告白された場所である旧校舎の非常階段だった。

 

 数日前。ここでよくお昼を食べていると言っていたから、今日もここにいるんじゃないかと言う安易な考え。

 

 しかしながらそんな考えはあっさり外れて赤坂さんの姿は見えず、校庭で元気に遊んでいる男子生徒の声が微かに聞こえてくるだけである。

 

 残念、無念、一つため息をついて前と同じように階段に腰掛ける。ここに居ないとなると、自分にはどこにいるのかさっぱり当てがつかない。

 結局のところ、自分に知らないことが多すぎるのだ。世の中のことも、赤坂さんについても。

 

 程よい気温、眠気を誘う昼下がり。

 また立ち上がって赤坂さんを探しに行く気力を緩やかに奪い去っていく。

 

 前は赤坂さんが居たから特に何とも思わなかったけれども、なんとなく赤坂さんがこの場所に来る理由がわかった気がした。

 人気はなく、誰も来る様子はなく。遠くから微かに聞こえてくる声が、それが尚更ここを一線を画した場所であるように思えて。

 

 それは寂しいような気がしたけれど、赤坂さんらしいと言えば確かにそうなのだ。

 あちらからこちらを伺うことも、こちらからあちらを知ることもできない、そんな。

 

 ふと立ち上がる、頭によぎった考えがあった。前に一緒にお昼を食べたここを基準に考えていて、自分は一階止まりに諦めるところだったけれど。

 

 上へ、さらに上へ。

 思い返せば前も赤坂さんは上からやってきた。それを自分は偶然と考えていたけれど、それが偶然じゃなかったのであれば。

 

 ほら、やっぱり。

 後ろ姿を見るだけでそうだとわかってしまった。

 

 最後の踊り場で、青空を背景に赤坂さんが立っていた。何をするわけでもなく、手摺に寄りかかってどこか遠くをぼんやりと眺めているよう、まるで太陽に憧れる向日葵のように。まあ、太陽を直視しているわけではないだろうけれど。そんな様子であるから、こちらにはまだ気づいていない様子だった。

 ほんの十段程度の近いような、遠いような曖昧な距離。けれども声は届くだろうと隣に並ぶことなく、仰ぎ見て声を掛けたのだ。

 

「すいません!」と。

 

 気だるげに赤坂さんは振り向いて、けれども逆光で彼女の顔はよく見えなかった。手を目の上にかざしても、やっぱり変わることはなく。

 そうこうしてるうちにようやく赤坂さんは口を開いた。

 

「……何の用?」

「少し話でもしようかなって思って」

「よく、ここにいると分かったわね」

「まあ、探すのにほんの少しだけ時間は掛かったけれど」

 

 数日前に一緒に昼ご飯を食べたから気づけた、そういうと彼女は納得したのか微かに頷いた。

 

「舞さんはいつもここにいるの?」

「そ、下を見下ろすのは気分がいいから」

「自分はその気持ちはよくわからないけど」

「そう? きっと分かってくれると思ったのに。屋上が解放されてくれれば……この学校の欠点ね」

 

 はたしてそれが本音なのか、冗談なのかわからないけれども、学校の屋上にいけないのは残念だと思うのは共感出来ることだった。

 アニメのごとく都合よく屋上が解放されてることなんてなく、自殺防止のため戸締りはきっちりとされている。

 

 ここから観れる空は校舎の壁に阻まれてほんの一角に過ぎないから、きっと屋上なら何にも阻まれることなく空を独占できるだろう。

 理由をつければ入れるだろうけれど、それは赤坂さんには無い。

 

「入るためには何か名目が必要だけど、帰宅部にはそれが無いもんね」

「……部活に入ってまで屋上に行きたくはないわ」

「あっ、はい」

 

 綺麗に先手を打たれてしまった、しかしながらここで引き下がるわけには行かないのだ。しかしながら赤坂さんを勧誘する上手い文句は思いついてないことにようやく気付いた。

 

 ど直球に一本釣りで勧誘するしか無いのだろうか。赤坂さんが部活に入るメリットを示せればいいのだけれども、手品部であるメリットがあるかと言われれば、無いのである。残念ながら。

 

「舞さんは部活に入る気はないの?」

「入るならとうに入ってるし、分かるでしょ?」

「ですよねー」

 

 力なく笑う。彼女は部活に入る意味がない人なのだ。別にそれはおかしいことではない、自分もまたそうだったのだから、渚が居なければ手品部に入ろうとは全く思わなかったし、彼女が部活に入らなければ自分も無所属のままだっただろう。

 

「心変わりとか、急にしたりしない?」

「しないわ」

 

 その言葉を聞いて一つ息を深く吸う、わざわざここまで来て引く気は無かった。無理かもしれないけれど、試さずには居られなかった。

 

 いや、訂正しよう。

 自分が勧誘すれば100パーセント成功すると思っていた。心の何処かできっと大丈夫だと思っていた。

 

「舞さんに一つお願いがあるんだけれど」

「……何?」

 

 地球が自分を中心に回ってなんかいないってわかりきっていたはずなのに、自分がなんでも出来るとは思っていなかったはずなのに、そんな失敗を何度も繰り返していたはずなのに。

 

「舞さんもさ、一緒に手品部に入らない?」

 

 そうして今日も、懲りることなく不正解へと突き進む。

 



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19 誤答、正当

「入らないわ」

「……え?」

 

 とんと突きつけられた言葉はちゃんと自分に届いていたけれど、それでも聞き返してしまったのは多分自分がそれを認めたくなかったからだろう。

 

「二度も同じことを言わせないでくれる? 入らないって言ったのよ、私は」

 

 さっきよりも幾分冷たい視線を送りながら赤坂さんはそう言った。

 足元の土台がいきなり崩された感覚だった、本当にそれが実在していたのかもわからないけれども。

 

 失敗した。じっくりと、ゆっくりとその結果が体に吸い込まれて行って、真っ先に思い浮かんだ疑問はどうしてだろう、ということだった。なぜ、なぜ赤坂さんが素直に頷いてくれなかったのか。

 

 ほかの有象無象の部活動と同じように、手品部もまたその一つにすぎないというのだろうか? 

 自分は入る理由たり得なかったのか、それとも渚と相容れないとすっぱり諦めきってるからだろうか? 

 

「どうして、だめなのかな?」

 

 そんな問いが自然と口から漏れていた、自分の声なのにどこか遠くから聞こえてくるようで。

 

「逆に尋ねるけど、どうして私だったの?」

「……え」

「どうして私だって聞いてるの、二度も言わせないでくれる?」

 

 どうして私は赤坂さんを勧誘しようとしているのか。簡単だ、赤坂さんと仲良くなれる切っ掛けになれればと思って。それを答えるより先に、彼女は口を開いていた。

 

「ええ、知ってるわ。言わなくていい、あなたは私ならば断らないと見越していたんでしょう?」

 

 否定は、できなかった。そう思っていたのも確かにある。でもそれは一面でしかなくて、主題ではないのだ。

 

「やっぱり図星じゃない、そういう事だと思ったわ」

 

 即座に否定するべきだとわかっていた、それが嘘だとしても今ならばこの事態に収拾をつけることができる。

 そう理性ではわかっていたのに自分は何も言わなかった、その嘘すら看破されて事態が悪化するような気がして。

 

「結局、駒としかみてないのよ。誰が入ってもとりあえず廃部さえ免れればいいと思ってる、なら私である必要はないでしょうに」

 

 まるで及川さんみたいだわ、そう言って赤坂さんは苦々しげに表情をゆがめた。

 

「大方、及川さんに言われて私のことを勧誘しに来たんでしょう? 貴女ならきっとうまく行くからって」

 

 違う、自分は自分の意思で此処に立っている。それは紛れも無い事実だったから。

 

「それは違うよ、自分は自分の意思でここに来て!」

「もっとひどいじゃない――何、佐々木さんもアイツの物真似でもしてるつもり? 他人を見透かして、行動を見越して、それを当てて、いい気になって、バカじゃないの。なんでも出来ると思い込んでるんじゃないの」

 

 全部的外れなセリフ、いつもならば柳に風とばかりに受け流していただろう。

 でも今日は違かった。少しだけ、ほんの少しだけカチンと来てしまったから。きっとそれは渚の事をアイツ呼ばわりされたからだろう。

 

 自分が悪いのは分かってる。赤坂さんが怒る理由も分かるのだ、そう思われても仕方ないことをしているから、けれども言い返せずには居られなかった。

 

「……自分がなんでも出来ると思い込んだことなんてないよ、舞さん」

 

 精一杯の笑顔を浮かべてそう言ったつもりだけれども、果たして自分が笑えていたかどうかは分からなかった。

 相変わらず赤坂さんとの距離は変わらず、彼女がどんな表情をしているのかもわからないけれども、これ以上此処にいることは出来なかった。

 

 赤坂さんから返す言葉はないのが幸いだった、今のうちにと階段を下りていく。

 呼び止める声も、非難する声も、後ろからは何も聞こえなかった。

 

 ●

 

 教室に戻ってきてもいまだ昼休みは終わっておらず。無言で渚の席へと吸い寄せられていく。

 後ろからイタズラを仕掛けてやろうか。そんな邪な思念を察知したのか、近づく前に渚はくるりと振り向いた。

 

「あれ、失敗したんだ」

 

 こちらを一目見るなり、渚はそう言った。そこまでわかりやすい顔をしているだろうか? 

 軽く頰を揉み解しながら渚の対面へと腰掛ける。

 

「まだ何も言ってないんだけれど」

「それじゃ成功したんだね?」

「いいや、普通に振られちゃった」

「ほらやっぱり」

 

 自分の予想が当たったことが嬉しいのか渚は満足げに頷いた。腕を枕にぺたりと机に張り付いて彼女見上げながら思うことは先ほどのことで。

 どうすればよかったんだろう、そう自問する。どうすればうまくいったんだろう。誘い方の問題か、そもそも勧誘するというのが間違いだったのか。

 

「そうか、やっぱり失敗しちゃったか」

「……うん」

「断られたことがそんなにショックだったの?」

 

 ぽんぽんと頭を触れる感触がした、心地いい感触に眠気を誘われる。頭を触られることに特に不快感は無かった、別に髪型が崩されるわけでもないし、そこら辺の加減は渚もわきまえているだろうから。

 

「考えすぎは良くないよ」

「そうはいっても、なんだかなぁ」

 

 多分、自分じゃなくて渚ならどうすれば良かったのかわかるのだろう。目を閉じて心地いい感触に身を委ねる。

 何もできない自分。できればアドバイスの一つや二つ欲しいところだけれども、それはしないと事前に断られていた。もしかしたら、それは自分の拡大解釈なのかもしれないけれど。

 

「……自分も渚みたいになれればいいのに」

「それはダメだよ」

 

 間髪を入れずに声が飛んで、頭を撫でる手がスッと離れた。思わず顔を上げる、渚はいつも通りの笑顔を浮かべていた。

 

「ダメというか、無理というべきか――そうやってボクみたいになりたいってことはさ、『渚なら出来るだろう』って思ってるってことでしょ?」

「自分が行くより可能性はあると思ってるよ」

「ないない、自分が行っても可能性は0だよ。玲はさ自分のことを過小評価しすぎなんだよ、自分の庭を見ないで隣の庭ばかり見ている」

 

 渚が言葉を言い切って、一瞬だけ場が静かになった気がした。真っ直ぐにこちらを見つめる視線が、その言葉が嘘偽りないことだと雄弁に語っていた。

 吸い込まれそうな、自分の心の奥底までどこまでも見通してしまいそうな瞳。何も言い返すことを出来ずにただぼんやりしていた。

 

「勝手にあったことを話すなら、もしかしたら聞いてしまうかもね」

 

 はたして本当にこちらの心を見透かしているのか、彼女はそういった。

 

「……いいの?」

「いいよ、どうせ暇な時間だしね。勧誘に関して力になれないかもしれないけれどアドバイスぐらいならボクも出来るよ」

 

 力を借りるべきじゃないんじゃないか、自分の力で最後まで頑張るべきじゃないか、そんな考えが一瞬過ぎる。

 それでも自分は渚に手を借りることにした。時間は限られているのだから、そう言い訳を心の中で呟いて。

 

「どうして私を勧誘するんだって聞かれたんだ、私なら断ることはないと見込んだんじゃないか――そう思ったから私だったんじゃないかって」

「それを否定した?」

「いや、自分がそう思ってたのもまた事実だったし」

 

 呆れたようにため息を吐く音を聞いて、再び自分は腕に顔を埋もれさせた。やっぱり渚からしてみれば嘘をつくべきだったのだろう。

 

「玲は馬鹿だね、別に嘘を吐いちゃえばよかったのに」

「嘘をついたら見透かされる気がして」

「それもまた嘘でしょ、嘘をつきたくなかっただけだよ。知ってるよ玲は嘘をつけない人だって」

 

 買い被ってるのだ、彼女は自分を。そこまで自分は出来た人間じゃないのに、現にハリボテだらけだというのに。

 

「そして、玲は赤坂さんを勧誘するのまだ諦めてない。でしょ?」

「……」

 

 無言、それをみて彼女はニコリと笑った。諦めてない、そう諦めていないのだ。だからこそ次回につながるアドバイスを求めている。

 

「なら良し、じゃあ玲がやる事は決まってる」

「どうするの?」

「勧誘だよ、再チャレンジさ」

 

 わかりきっている言葉だった、諦めていないのならば自分がそうするしかないってことを。彼女は臆病者の自分の背をアドバイスという形でひと押しする。

 

「部活に勧誘しようっていった時点で、ボクは知ってるんだ。君が赤坂さんと仲良くしたいんだってことをさ。それを直球で伝えればいい」

「……もう失敗したのに?」

「たった一回のミスさ、釘を打つときに一回叩いて刺さらないから諦めるわけないだろ? 何回も小さく叩いてようやく成果として帰ってくる」

 

 机を指でトントンと叩きながら彼女はそういった。

 

「一度の失敗で終わるわけじゃないんだからさ、何回失敗しても最後の一回に成功すれば万々歳、でしょ?」

「そう、だね」

 

 まだ終わっていない。まだ時間は残っているのだから、なら自分がするべき事は。

 

「別に玲が勧誘失敗したからって世界が終わるわけじゃないんだから気軽に行こうよ、ボクが期限までに一人も引っ掛けられないと思う?」

 

 自信満々に胸を誇るのを見て、思わずクスリと笑いがこぼれた。そう言う彼女もこれまでに勧誘成功してる訳では無いのに。

 

 フッと気が楽になった。

 行こう、もう一度赤坂さんに会いに行こう。何度失敗しようとも、例え彼女に嫌われようとも。

 

「ありがと渚、助かったよ」

「いいよこれぐらい簡単なアドバイス、ボクに掛かれば簡単なことだからさ」

 

 そう言いながら渚はこちらから目を外して窓の方を見つめた。一緒の方向を眺めてみれば遠くに白い白い入道雲が浮かんでいた。

 

「アドバイス、する気は無かったんだけどなぁ」

 

 そんな声がポツリと聞こえた気がした。



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20 赤坂さん、帰路、逃走

 帰りのホームルームも終わって慌ただしい教室、自分は人ごみをかき分けて赤坂さんの方へ真っ先に進んでいた。

 今日を逃せば次に会うのは月曜日、つまり土日を挟むことになってしまう。

 それはあまりよろしくない、成功すれば御の字だけれども失敗したとしてももう一枚情報を積み上げることが出来る。

 

「どうも舞さん、奇遇ですね」

「真っ先に近づいてきといて奇遇でもなんともないと思うけど」

 

 そう言いながらも鞄を肩に掛け、こちらを無視してすぐにでも家に帰る構えである。間一髪、話しかけるのが遅れてたらとっくに教室から姿を消していたのかもしれない。

 運が良い、とても。

 

「何か用?」

「一緒に帰ろうかなーと思ってさ、良いかな?」

「……」

「いやいや、なんで無言で帰ろうとするの」

 

 何食わぬ顔で隣を通り過ぎて逃げようとする彼女の肩に手を乗せるも、すぐさま払い落とされる。釣れない対応、その代わりに足は止めることに成功したからギリギリセーフ。

 

「自分が隣にいちゃ嫌?」

「……嫌ではないけど」

「じゃあ、鞄取ってくるから待っててね!」

 

 返事を待たず自分の席へと引き返す。鞄をあらかじめもっとけばよかったな、後悔後先に立たず。

 もともと荷物はしまい込んでいたしほとんど時間もかからず、しかしながら帰ってくると赤坂さんの姿がどこにも見えない。

 

「?」

 

 ぐるりと周りを見渡すとこちらを見て苦笑している渚の姿があった。困ったときの渚さん、尋ねるべく近づいていく。

 

「及川さんや、赤坂さんがどこ行ったか知らない?」

「ついさっき教室から出ていったところだよ」

「いやいや、そんなまさか……一緒に帰ろうっていったばかりだよ?」

「だって赤坂さんだし」

 

 Q.そこまで協調性がないことをするだろうか? 

 A.赤坂さんならやりかねない

 この間僅か0.1秒である、速やかにターンを決めて扉の方へ振り向いた。

 

「ごめん渚、また来週!」

「頑張ってねー」

 

 そんなのんびりとした声を背中に受けつつ、走る走る。

 

 慌てて走って追いかけて、ようやく追いついたのは校門を出たところである。何かに急かされるように早い足取りで全くこちらのことを考慮に入れてない様子。

 

「ちょっと待ってよ舞さん!」

「あら、玲さん奇遇ね」

「いやいや奇遇も何も、なんで一緒に帰ろうっていってるのに先に行っちゃってるの」

「一緒に帰ることは許可したけど、待つとは言ってないでしょう?」

 

 思い返すまでもなく確かに言っていなかったのはわかるけれど、それは確認するまでもなく付随する条件なのではないだろうか。

 

「それじゃ嫌われちゃうよ、浮いちゃうよ?」

「別に嫌われようとも何か変わるわけではないもの」

「強いね、独立独歩って感じで」

 

 けれどもそれは誰にだって真似できるものではないだろう。嫌われるのが怖いからこそ、自分も含めて誰だってゆるく優しくしようとするものだから。

 ちらりと横目で赤坂さんの様子を伺えば、スマホの画面を眺めていた。ほんの少しの時間、時刻だけを確認したかったのかすぐにポケットへしまう。

 

「舞さん、スマホ持ってたんだ」

「私が持ってちゃ悪い?」

「いや別にそんなことはないのだけれども」

 

 ぷつりと会話が途切れる。会話の広がりとか拡張性が皆無なのは自分のコミュニケーション能力が問題なのだろうか、そうなのだろう、多分。

 しばしの黙考、話の切っ掛けを探す。

 

 とりあえず部活勧誘の話は後回しに、そういう流れではないことは自分でも分かる。じゃあどんなことを話せば良いかと考えれば、自分が聞きたいことを問えれば良いんじゃないか? 

 

 そう例えば、どうして本気を出せなんて自分に言ったのか、その根幹にある実力を隠してると思った原因について。

 流れに流れて尋ねることが無かった言葉、そう言えばことの出来事の一番初めの発端はそれだった。

 本気を出してほしい理由は聞いた、でもそこに至る経緯は知らない。

 

 自分が告白されたり、廃部の危機だったり、渚が風邪でダウンしたり、下の名前で呼ぶことが決定したり、冷静に考えればこの一週間の密度がおかしいのだ。

 すっかり抜け落ちていたけれど、一番初めに解くべき問題はそれなんじゃないか? 

 

 その考えを閃くと同時に自然と口は動いていた。

 

「そう言えば結局自分が実力を隠してるって思ったのか聞いてなかったけど、どうしてですか?」

「それを聞いて何か変わるの?」

「いや、まあ、何も変わらないと思いますけど」

 

 やっぱり自分が悪いというより、赤坂さんのコミュ力がやばい気がするのだ。話しているというのに相変わらずこちらを見ようともせず、真っ直ぐ前を向き続けている。

 

「でも答えない理由もない、ですよね?」

「まあ、それもそうね」

 

 ほんの一瞬だけこちらをちらりと見やり、彼女はまたすぐに前を向く。

 

「そもそも大前提として学校に受かるだけの実力がある」

「いやいや、自分はたまたま受かっただけだよ。ほんの記念受験に受けただけで、まさか受かるとは思って無かったし」

「本当に?」

 

 無論、嘘である。

 

「そして実際、テストの成績は悪いし。ちょっと頭のいい高校に受かるだけの学力があるからと言って、その高校に通ってる生徒がみんないい点数が取れるわけでもない」

「そうかしら、みんなちゃんと勉強すれば同じぐらいになると私は思うけど」

「赤坂さんが凄いだけじゃない? みんながやろうとしてできることじゃないよ」

 

 努力だけじゃどうにもならない領域がある。赤坂さんの努力を否定するわけではないけれど、自分はそう思っていた。

 努力尽くして願いが叶うなら世界平和なんてとっくに成し遂げられている。

 

「自分に期待するなら渚とか、学年二位に期待するべきなんじゃないの? なんでわざわざ大穴をつく必要があるの?」

 

 ライバル、または当て馬として狙うならずっとそこらへんの方が近いだろう。少なくとも自分よりずっと努力しているはずなのだ。

 

「じゃあ、あなたは学年二位が誰だか知ってる?」

「いや知らないけど」

「そう、実は私も誰が二位なのか知らないわ」

 

 そういうことなの、と彼女は言った。

 

「一位は取れないと諦めて現状に満足しているかもしれない、もしかしたら次こそは勝つと意気込んでいるかもしれない。でもその人は私に勝てなかった、それだけが事実。二位は誰の記憶にも残らない、価値もない。数多いる私に勝てなかった人の内のたった1人に過ぎないのよ」

 

「私もその内の1人なんだけど」

「……そうね」

 

 いやいや情報が歯欠けすぎるし、理由にもなっていないじゃないか。誰にかけて良いから自分に賭けたわけではないだろう。でも、少なくとも赤坂さんに勝ったことはない、これは記憶に裏付けされた間違いのない事実である。

 

「そもそも赤坂さんって誰かに負けた事あるの、ちょっと想像できないんだけど」

「あるわよ」

 

 あっさりと赤坂さんは頷いた。本当に勝てる人がいるとは、世の中も広い物である。

 

「へーきっと凄い頭がいいんだろうね、その人は」

「まあ今は私の方が上だけれどね」

 

 負けず嫌いなのか、すぐさま言葉を返される。まあそんな質でもなければ勉強する気力も保てないだろう、完璧主義で負けず嫌い、そんな彼女はまたスマホを取り出していた。

 

 連絡先の交換でも提案しよう、かな。

 いい案に思えた、この機会を逃せば土日が飛ぶ。ポケットを漁りスマホを取り出して隣を見れば、赤坂さんがいない。

 

 いないのである。

 

「……逃げられた?」

 

 ポツリと寂しく自分の声が響く、念のためにキョロキョロと前も後ろも確認するも姿が見えない。ほんの一瞬だけ目を離した隙。駅へ向かう道は真っ直ぐだし、撒こうとでもしなければこんなことは起こり得ないはずである。

 がしがしと頭を掻いてとりあえず道を引き返す、距離を離すと考えたなら向かう先は後ろである。

 

 少し進めばちょうどいい感じの細い路地があった、きっと1人でここを曲がったのだろう。けれども後の祭り、とっくに赤坂さんは姿を眩ませた後である。

 ほんの少しだけカチンときた、積もり積もる恨みがあった。そもそも教室で逃げられた事もほんの少しだけ腹が立っていた事もあるし、それにこの追い討ちである。

 そこまで一緒に帰りたくないのだろうか、まあそうなのだろうけれども一言言ってくれればいいのに。

 

「逃がさないから!」

 

 一つ叫べば、その分だけ少しだけ気持ちが軽くなった。彼女にこの声は聞こえただろうか。分からない、でも聞こえてなくてもいい。

 

 一種の決意表明だ、自分には引き下がる気はもう無い。

 ここを無闇矢鱈に探しても無駄だと分かっていた、だから今度は1人っきりで駅へ向かう。

 

 諦めたわけではない、会える場所で待ち伏せればいい。ここまでする気はなかったけれど、赤坂さんが逃げるのだから仕方がない。

 

 今日もまた帰るのが遅れそうだ。空に浮かぶ飛行機雲を見上げながらそう思った。



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21 放課後、赤坂さん、セカンドアタック

 ●

 

「なんでここにいるの?」

 

 とは赤坂さんの言葉であり、自分が来るのを待っていたからが答えではあるけれど、そう返すことはなく自分の足元へと駆け寄ってきたトイプードルへと屈み込んだ。

 会うのはたった2度目であるというのにやけに自分に懐いているトイプードルは頭を撫でると気持ちよさそうに目を細めた。

 

「名前、クドーっていうんだっけ?」

「私の質問に答えてくれる?」

「つれないなぁ赤坂さん、そりゃ待ってればここを通るんじゃないかと思ってたからだよ」

 

 此処とはつまり、偶然散歩中の赤坂さんとばったり遭遇したパン屋の前である。

 改札前で待ち構えることも考えたのだけれども、残念ながら中央改札と別にもう一つ改札があり二択を迫られることになる。

 あまり自分が幸運であるという自負があるわけでもなく、むしろあまりツいてないんじゃないかと思っていたから此処で待つことにした。

 

 それに散歩中であるならばクドーが居てくれる。

 紐をぐいぐいと引っ張られながらもピクリとも動こうとしないお犬様を見て、自分の考えがずばりと決まった事を知った。

 人質ならぬ犬質である。

 

「舞さんが悪いんだよ、勝手に置いていくんだから」

「勝手に居なくなったのかと思っていたわ」

 

 一緒に帰ろうと自分から提案しといて勝手に居なくなるはずが無いだろう。どういうキャラ付けなのだ、自分は。

 

「まあ、いいや。本題に入ろうか」

「私としては早く帰りたいところなのだけれど」

「帰りたいならどーぞ、可愛い犬を置いてけるなら」

 

 ね、とクドーの顎をくすぐればワンと一声可愛く吠えた。

 呆れたように彼女はため息をついて歩道脇の手すりへと寄りかかる。

 

「卑怯ね」

「それはお互い様」

「……ねえ、ずっとここで待ってたの?」

「まあ一旦家に帰ったけど、鞄だけ放ってすぐ戻ってきたからそんな感じかな」

 

 雨が降ってなかったことも幸いしたし、丁度パン屋が近かったことも幸いした。妹にお土産で渡したらなかなか好評だったアップルパイを食べたり、携帯を弄っていたりしてその隙を潰すことが出来たから。

 

「そこまでして勧誘したいの?」

「うん。それでさ、赤坂さんはどうしてくれれば部活に入ってくれるのか聞きたかったんだ」

 

 果たして彼女を待ってる間に『どうすれば赤坂さんを口説き落とせるのか』を考えていたのだけれども結局名案が思いつく事もなく、うまい言葉選びも、美辞麗句も思い浮かばず。

 結局そのような問いしか自分には出せなかったから──でもそれでいい気がした。

 

「入らないわ、別に私である必要は」

「あるよ、少なくとも自分にはある」

 

 覚悟を決めて自分の言葉をぶつけるしかない。背筋を伸ばして真っ直ぐに、彼女と目を合わせて逸らさずに。

 

「『舞さん』だからこそ勧誘してるんだよ。自分が意思を持って勧誘しようとする相手は君以外は居なかった、『赤坂さん』なら勧誘することはなかった」

「……そんなこと言って私が断らないだろうと見越していたくせに」

「否定はしないよ、ただそれは自分も舞さんも互いに仲良くなれればいいなと思ってたからで」

 

 果たしてそれが独り善がりな考えだったのか、赤坂さんはこちらから目を逸らしてトイプードルを見下ろした。

 

「でも、それは私が入る理由足り得ない」

 

 どうやら自分の考えは外れているわけではなかったらしい、ホッと安堵のため息を吐く。つまるところ理由がないことが理由というわけで。

 第一関門突破。もう一押し、何かが必要だった。

 

「理由があればいいんだよね」

「はたして本当にそんなものがあるのか甚だ疑問だけど」

 

 そう、『仲良くなれるように』は部活に入る理由たり得ない。それが十分条件ではあっても必要条件ではないから。

 部活に入らなくてもそれ以外の時間に話すことはできるし、同じ部活じゃ無いと友達になることができないなんて決まりなんてないのだ。

 

 部活に入るメリット、結局それはどうしても自分には見つけることが出来なかった。だから、その条件を彼女に決めてもらう。

 

「自分は舞さんに部活に入って欲しい、だから取引をしよう」

「何?」

「なんでもするとは言えないけれど、それに見合ったことをするよ。等価交換、win-winになれるように」

 

 代価は払う、ただし自分が。

 駆け引きは全て放棄する、彼女に体を任す。自分が得意とする領域では無いと分かっているからこそ、下手に顔を突っ込めばよろしくないことが起こることが見えていた。

 

「だからお願い舞さん、部活に入ってください」

 

 深く頭を下げる、彼女から返事は聞こえない。

 こういう関係の持ち方を赤坂さんが嫌う可能性もあった。そうなるともう一発アウトではあるけれど、体育の時の賭けを見るに十分乗る可能性もある、ある程度の遊び心はあるはずで。

 よしんば失敗しても拒絶には至らないだろう、そんな希望的観測もあった。

 

「不格好ね、もっと綺麗な文句でも思いつかないの?」

「……やっぱり駄目かな」

 

 どうやら再び失敗してしまったらしい。けれども激する訳でもなく、落ち着いた声であったから地雷を踏み抜いた訳ではないと見た。苦笑いが漏れるも、それは安堵が混じったもの。

 トイプードルが足元からつぶらな瞳でこちらを見上げていた。ここが引き時、か。

 

「じゃあ今日のところは帰らせてもらうよ」

「今日のところはってまた月曜以降も来るつもりなの?」

「うん、何度でもしつこくやる気だけどダメ?」

「ダメって言ってもくるんでしょ、貴女は」

 

 呆れたようにため息を吐いて赤坂さんは手すりから身を離し、リードをやる気なさそうに引っ張りながら彼女は口を開いた。

 

「なら、決めたわ」

「何を?」

「特別に入ってあげる、手品部に」

 

 ぱちんと頭の中が真っ白になって、自然と言葉が漏れていた。

 

「条件は?」

「……は?」

「どうすれば入っていただけるのですか?」

「気持ち悪いわね佐々木さん、そこは喜ぶべきところじゃないの?」

 

 赤坂さんが引いている、先ほどより1歩半ほど距離を離してのドン引きである。気がつけば名字呼びになっているし。

 けれども、どこまでいっても自分は小市民であるからにして、真っ先にそれを尋ねたのは仕方のないことだった。

 成る程、言われてみれば真っ先に喜びの感情を表すべきだろう。嬉しいのは確かである。

 とりあえず笑みを浮かべてみることにした。

 

「……凄い引きつった笑顔ね」

「どうすればよかったんだろうね、自分は」

「話を進めていいかしら」

 

 怒ってもいい気がしたけれど、あくまで下手に出なければいけない立場だからぐっと我慢。ここで機嫌を損ねて条件を上乗せされては堪らない。

 赤坂さん曰く、引きつった笑みを浮かべつつ話を促す。

 

「あまりに無理そうな条件は勘弁してね?」

「簡単よ、期末テストで総合1位を取りなさい」

「舞さんってもしかしなくてもこっちの言葉を全く聞いてないよね?」

 

『ね、簡単でしょう』と言いたげな顔してものすごい条件を叩きつけてくるではないか。3分クッキングに満漢全席を作ろうとか言い出すレベルの話である。

 

「っていうかさ、学年1位ってもしかしなくても赤坂さんに勝つ必要あるよね」

「当然、勝ってもらわなきゃ困るわ」

 

 どうやら彼女は冗談ではなく、大真面目にこの条件が適切であると思って言ってるらしい。

 

「私は大幅に譲歩してるつもりよ。期末テストまで十分に準備する時間もあるじゃない」

「それは確かにそうだけど、自分がその条件をクリアできなかったらどうする気なの?」

「私が貴女を軽蔑して、部活を辞める。それだけよ」

 

 それだけ、本当にそれだけなのか。それでは空手形になる可能性もあるというのに、それでもいいと言ってるのか。

 

「無理だと思ったならそれまでの間に代わりの部員でも探せばいい、十分甘い条件じゃない?」

「でも、舞さんは本当にその条件でいいの?」

 

 いつまで経っても動かないクドーの体をヨッコラセと持ち上げつつ、赤坂さんはクスリと笑った。

 

「それでいい、でも私は貴女のことを信用してるのよ。そう約束を結べばわざと手を抜くことはしないって」

 

 それだけ言って、赤坂さんは去っていった。

 果たして自分にどれだけの信用を抱いてるのか、その根拠がどこからくるのかわからない事だらけだけど、ひとまず成功したということだけはたしかで。

 

 ワンと何か言いたげな声が耳に届いて、唐突にやり忘れたことを思い出した。

 赤坂さんと連絡先を交換していない。それが思い浮かんだ瞬間、自分は走り出していた。

 犬を抱えていたから、そして自分が動き出すのが早かったから、今度は逃さずに追いつくことが出来た。

 

「まだ私に何か用?」

 

 訝しげに尋ねる彼女に、自分は一言こう言った。

 

「連絡先の交換をしようよ!」

 

 と。

 

 ●

 

「……うまくいった、はず」

 

 家に帰ってすぐさま自室へ直行しベッドに倒れ込み、1人そう呟いた。恐ろしく精神を磨耗した自覚があった、やはり慣れないことをするべきではない。

 

 動く気力もなく、ぼーっとスマホの壁紙を見つめていた。自分はいつまで経っても初期設定のシンプルで味気ないのやつを愛用している。愛用しているというか、変えるのがめんどくさいというだけだが。

 

 そろそろ変えるのを検討してみよう、何度目かの決意を胸に抱きつつモゾモゾと動き出す。ぽちぽちとメッセージアプリを開き、追加された赤坂さんの連絡先をスルーして渚の宛先へ。

 

『赤坂さんの勧誘できました!』

 

 と送信すればあっという間に既読がつき、満点花丸よくできましたスタンプがぺたりと貼りつけられた。褒められるとやっぱり気分が良くなるし、さらに褒められたくなるものである。

 

『赤坂さんと連絡先交換したけど橋渡しする?』

『大丈夫、それはボクから動いた方がよさそうだし』

 

 そう言われると自分から動けることもなく、繋ぐ言葉もないわけで画面を眺めることしかできない。そういうわけでようやく起き上がり制服を脱ぎにかかる。晩ご飯を食べて、風呂に入って、後は寝るだけ。

 待ちに待った休日である、それも問題は解決したから何の拘束もない自由な休日。自由というものは素晴らしい。

 

 パパッと部屋着に着替えて、トントンと赤坂さんの方のトーク画面を開く。新雪の雪原の如く真っ白な画面を前に、ふむとひとつ呟いて一つコメントを落とす。

 

『これからよろしくお願いします』

 

 今日のところはこの辺で。

 

 

 

 



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-3 赤坂舞の回想

 ●

 

 中学に入ってから1番初めのテストとはつまり、1学期の中間テストのことである。

 小学校の頃と大きく変わったテスト。より難しく、誰でも簡単に100点を取れるようなものではない。

 テストの問題その物の違いもあるが、1番変わった点は順位が掲示板にでかでかと張り出されることだろう。

 

 生徒の意欲を駆り立てる為に。ここに乗りたいなと思わせたり、これだけ点を取る人もいると判らせたり、或いは優越感に浸らせる為に。さながら馬の前に吊るされた人参のような役目である。

 

 さてそんな悲喜交交が交差する掲示板の前で、私は立ち竦んでいた。掲示板にはしっかりと自分の順位が載っていた。が、それは予想外の順位であったから。

 

 二位、それが私の順位だった。

 

 まず間違いなく一位を取れると思っていた。それだけの手応えはあったし、全問正解のオールパーフェクトでもおかしくないと思っていたのに。

 決して慢心していたわけではない、それだけちゃんと勉強してきたという自負があったのだ。

 

 別に私は勉強のことを好きでもなければ嫌いでもなかった、ただやれば親から褒められるから。

 手段のひとつとしての勉強だった。けれどもやるならば徹底的にやるという信条がそれに結びついた結果、人並み以上に勉強できるという副産物をもたらしていた。

 

 だとしても、二位である。

 いくら目を擦ったところで順位を見間違えたということはなさそうだった。

 自分の上、一位にある名前は佐々木玲。聞いたことがない名前、男だか女だかどっちと取るか判別が難しい。

 

「すごいじゃん佐々木!」

「自信はあるって絶対フラグだと思ってたのに……」

 

 やいのやいのと一際騒がしい声が聞こえてくる。

 佐々木という名前に反応して目を向けると、凄い勢いで頭を揉みくちゃにされてる女子生徒の姿。

 

 きっと彼女が佐々木玲なのだろう。何処にでもいそうな普通の女子、それが私の第一印象だった。

 

 笑いながら「やめてよもー」というその彼女と、一瞬だけ目が合った。

 すぐに視線は外れた。それがまるで貴方には興味なんてありませんと言ってるようで、無性に腹が立って、私はギリと歯を食いしばってその場を後にしたのだ。

 

 次は絶対に勝つ、そんな決意を胸に抱いて。

 

 ●

 

 果たして二位だからと言って別に褒められないということもなく、普通に褒められたのだけれども、だからといって期末テストで手を抜く訳にはいかなかった。

 

 打倒佐々木玲、その一心で勉強を進めて行く。

 負ける訳には行かない。

 前回負けた理由はケアレスミスで一問を落としていたことが原因――つまりは佐々木玲はオール満点だったということだ――とはいえ油断できるはずがない。

 

 一問落としたら負ける、その覚悟で挑んだテストは拍子抜けする程簡単だった。むしろ中間テストの方が難しかった気がするぐらいには。

 それでは困るのだ。もっと難しくしてくれなければ、どちらも同じ点数なら決着が付かないではないか。

 

 とりあえずの自己採点はやっぱり完璧で、だから私は気を落として掲示板へと向かったのだ。

 どうしても彼女が取り落とすとは思えなかったのは、格上なのはあちらだと認識していたからだろう。

 

 果たして、結果は一位である。

 同率の一位ではなく単独の一位、思わず思考が真っ白になって前と同じように立ち竦むことになる。

 

 暫しの間の後、私は佐々木某の名前を探し始めた。

 彼女は何処にいるのだろう。掲示板には30位までしかのらないけれど、彼女が乗らないなんてことはあり得ないだろう。

 

 しかし彼女の名前は何処にもなかった、何度も上から下へと巡ってもどうしたって見つかることはない。

 何で載ってないのかという問いに答えるものも無く、慌てて周りを見渡すと、その彼女がぼんやりと順位表を見上げていた。

 

 ショックを受けるわけでも無く、ただ興味のなさそうな顔で彼女は掲示板を見上げていた。

 それを少し離れて見つめる私、知らずに欠伸をする彼女。

 

 用が済んだとばかりに歩き始めた彼女の後を追って私も歩き始めた。クラスメイトが褒めてくれていたような気がするけれども、それすら無視して。

 

「ねえ、佐々木さん」

 

 昼休み、廊下、私は佐々木さんに初めて話しかけたのだ。

 くるりとこちらを向いた彼女は怪訝な顔をしていた。

 

「テストの調子、悪かったの?」

「……誰だっけ?」

 

 そう言いつつ、彼女は首を傾げた。

 

()()()よ」

「野崎舞……ああ、前回二位の」

 

 そう言われて少しだけカチンときた。

 わざわざと前回のと付けるあたりに。今回は一位なのだからそっちから取れば良いじゃないか、まるで自分の方が上だと言ってるようだ。

 そんな自分の内心を読み取ったのか、彼女は言った。

 

「野崎さんは凄いね、今回は一位でしょ?」

「当然よ、一位を取る為に勉強したんだから」

 

 そっかぁ、と彼女は呟いた。まるで他人事のように、一位を取られて悔しくないかのように。

 私にはその気持ちが理解できなかった。一位を取れたのはまぐれだから今回は仕方ないと思ってるのだろうか、そんなはずはないだろう、まぐれで私に勝てるはずがない。

 

「ねえ、野崎さん」

「何?」

「なんで野崎さんは一位を取るの?取りたかったの?」

「……勝ちたかったからよ」

「誰に?」

「そんなの決まってるでしょうよ。私が前回負けたのはあなた以外居ないの、あなたに勝つ為に勉強してたのよ」

 

 その言葉に彼女は目を丸くして、次の瞬間吹き出した。何らおかしいことを言ったつもりはないのに、振り返っても何一つ面白い要素はないというのに。

 

「自分に?自分に勝ってもなんの意味もないよ」

 

 話は終わりと言わんばかりに佐々木さんは私に背を向けた。最後に一つだけ、彼女に言葉を投げかける。

 

「ねえ佐々木さん、今回の期末テストで本気出した?」

 

 一つ笑って彼女は顔だけをこちらに向けて、

 

「それさ、出してないって言ったら死ぬほどダサくない?」

 

 その言葉を最後に彼女は去っていった。

 追いかけることもせず、私は一人廊下へ取り残された。

 

 ●

 

 結局中学校のテストで一位を逃したのは一年生の中間テスト、そのたった一回のみと言うことになる。

 結局あの後佐々木さんが自分を上回るどころか、上位30位に入ることすらなかった。

 

 3年間の中で同じクラスになることは一度もなかったから、彼女が果たしてどれぐらいの順位だったかはわからない。あの日以来話すことも尋ねる機会も無かった。

 

 危なげなく順位を保ち、勉強を続け、そして高校入試。

 

 別にわざわざ遠くの高校に行く必要もなく1番近いと言う理由である高校を選んだ。難関校というのはあくまでおまけ、何処だろうと同じぐらい勉強するのは変わらない。

 

 そうして、私は危なげなく高校にも合格したのである。

 

 

 入学式の日、私は入学案内通りに高校へとやってきていた。

 私について変わったことは二つ。名字が母方の旧姓の赤坂に変わったことと、眼鏡からコンタクトに変わったこと。

 

 別に高校デビューというわけではなかった。髪型も変わらないし、染めたわけでもない。私のことを知ってる人が見れば多分気づくだろう、そもそも自分の中学からここに何人も来れてはいないと思うが。

 

 来れるとしたら、佐々木さんだろうか。

 ありもしないそんな空想。結局彼女が掲示板に載ることはなかったじゃないかと、即座に否定する。

 どうしても彼女に期待してしまうのは、唯一私に勝った相手だから。

 

 あの一回だけ彼女に神様でも宿っていたのだろうか。それとも本気を出せばやれるけど、それ以外は手を抜いていたのだろうか。

 だとすれば、なぜ手を抜くのか?――不明。

 

 甚だ不合理、やっぱり理屈が成り立たない。

 取るに足らない妄想なのだろう。それでも、

 

 その時ざっと強く風が吹いた。校門入口、桜が一斉に舞い散って。思わず足を止めた私の横を誰かが走り抜けていった。

 

 その後ろ姿が彼女に見えて、私は首を横に振る。ありえない、そう呟いて再び歩き始めた。



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22 夢よ、覚めないで

更新遅れました、すいません

言い訳はしません、代わりに短編をそこそこ書きました
『だれにも見えない彼女』の短編はめちゃくちゃ上手くできたと思ってるのでおすすめです
ファンアートもめちゃくちゃうまいのをもらいました、ありがとうございます



 ●

 

 憂鬱な月曜日。それでも何時もより気分良く過ごせることができたのは、部活が廃部を免れたお陰だろう。

 赤坂さんに書いてもらった入部届を、手品部に1ミリたりとも興味を持ってなさそうな顧問に手渡して、自分は生徒会室へと向かっていた。

 

 廃部回避の条件をクリアしたことは確かだけれども念のため、あの日部室にやってきた野田さんへと話を通しておくために。

 顧問のあの先生が気を利かせて、3人目が入ったことを伝えてくれるとは思わなかったし、そういう気を利かせてくれる人ならば、きっと部員が足りないから廃部になるかもよ、的なことを伝えてくれていただろうし。

 

 だからといって、自分はあの顧問の事が嫌いなわけではないのだ。その無関心さ故に、あの部室の温い空気感があった訳なのだから。

 

 そんな事をゆるゆると考えているうちに、生徒会室の前へと辿り着いた。一呼吸を入れてノックをすると、聞き覚えのある気の抜けた声が耳に届いた。

 

「失礼します」と一声入れて、扉を開ける。

 部屋の中には人が1人だけ、都合の良い事に目当ての人物だけが取り残されていた。

 

「手品部の、佐々木さんですね。どうかしましたか?」

「顧問の方に入部届けは渡しておいたんですけど、三人揃えることが出来たんで一応報告しにきました」

 

 自分の言った言葉がちゃんと飲み込めなかったのか、ポカンと口を開けること数秒、ぱっと笑顔が咲いた。

 

「良かった〜!」

 

 手を掴んでまるで自分のことのように驚く野田さん。自分はと言えば、ほんの少しだけ、彼女が自分のイメージと違って見えてキョトンとしていた。

 他人事なのにそれほど喜ぶ事なのか、別にわざわざ口にするほどでも無いけれども。小さく、あったかい手だなと思いながら彼女の気の済むまで待機する。

 

 しばらくして自分と相手の温度差にようやく気づいたのか、野田さんは慌てて手を離した。羞恥で赤く染まった顔を手で仰ぎながら、彼女はペコペコと頭を下げている。

 

「す、すいません。つい……」

「別に、大丈夫です」

 

 大丈夫ってどう意味だよと、内心で自分に突っ込みながらこの気まずい空間から去ろうと、扉へと足を向ける。

 もう用も終わったし、何より部室にあの二人だけを残しておくのも不安だった。

 

「あの!今日他の部員も揃ってますか?」

 

 足を止めて、後ろを振り返る。

 きっと2人とも部室で待っているだろう。喧嘩でもして先に帰るなんてことがなければ、そう考えて自分は首を縦に振った。

 

「なら、揃った記念にみんなにジュースを買ってあげますよ」

「いえ、そんなことしなくても、そもそも生徒会室を開けといて良いんですか?」

 

 ちらりとスマホを取り出して、彼女は首を縦に振った。

 

「私達が行ったら多分、代わりがすぐに入るからそこらへんは問題ないかな」

「いや申し訳ないですって、たかが廃部を免れただけなのに」

「私が『先輩』だから、これで良いでしょ?」

 

 これ以上話を続けても問答が長くなるくだけで、きっと結果は変わらないのだろう。すぐさま切り返せるような理想的な答えも思い付くこともなかった。

 仕方なく溜息ついて歩き始める。返答なしの問答拒否が答えだと気づいてくれないかなと思いつつ。

 

 まあ、そんな淡い期待はすぐ隣を彼女が歩き始めてすぐに打ち砕かれた訳だけれども。

 

 野田さんとの間に話を広げるような話題もなく、ただ二人揃って歩くばかり。何か話題の種がないものかと考えているうちに、それより先に彼女は言ったのだ。

 

「実を言いますとね、私も前に手品部に入ってたんですよ」

「え、この高校のですか?」

「そう、知らなかったでしょ?」

 

 自分が知ってる限りでは、つまりは去年の4月から手品部で野田さんの姿を見かけた事は無い。

 つまり先輩が一年生の時の話だろうか?

 

「と言っても、もう二年前のことですけどね」

 

 自分の予想を肯定して、彼女は寂しそうに笑った。

 

「だから一応先輩なんですよ、まあ先輩面するにしては余りにも関わりが無いですけど。せめてジュースぐらいは奢らせてね」

「ありがとうございます、先輩」

 

 その言葉にはにかんでみつつ、彼女は言葉を続けた。

 

「ちょっと色々あってね、去年は幽霊部員と言う形になってて。退部届を出さないまま、なんとなく過ごして、気持ちを切り替えようとして生徒会に入ることにして」

 

「大事な事を忘れていたんです」、こちらを見ないまま彼女は言う。

 

「生徒会と部活が兼任出来ないこと忘れてました、だからこれは私のミスでもあるんですよ。私が幽霊部員のままでも籍を置けてれば廃部の危機なんて事は起こらなかった」

 

 本当に忘れていたのだろうか?

 ふとそんな考えが頭をよぎった。根も葉もない、過程をすっ飛ばした予測。部活と生徒会が兼任出来ないという規則を利用していたのではないか?

 

 戻る勇気もなく、退部届を出す勇気もなく、部活を辞める理由の正当化のために生徒会に入ったのではないだろうか?

 

「……まあ、そんなこともありますよ」

 

 その推理をわざわざぶつけようとする気もないのだけれども、知らなければこんなのただの妄想に過ぎないのだから。

 何があったのか知る必要も無い、先輩が話そうとしないと言うことは、そう言うことなのだから。

 

 ●

 

「みんなの好きな飲み物知ってる?」

 

 自動販売機の前で先輩は尋ねてきた。

 

「渚はブラックコーヒーで、自分はカフェオレ」

「コーヒー好きなんだ、私は紅茶の方が好きかな」

 

 そう言いつつ自分の分も含めて三つ買って、先輩はこっちへと向き直った。

 

「それで、あと一人の分はどうするの?」

「もう一人がなに好きなのか分からないんですよね……」

 

 赤坂さんのことが全然分からないという問題である。多分カフェオレでいいだろう、適当に。運良く自動販売機で二つ出てきた時にあげたし。

 ジュースを買うと彼女は生徒会室へと戻っていった。

 

『私はもう関係ないから、三人の邪魔したくないしね。ファイト〜!』

 

 最後にそんな言葉を残して。

 

 良い人だったな、あとでまた生徒会室にお土産でも届けに行こう、そう脳裏に刻み込んで廊下を行く。

 やけに静かな廊下だった、部室の前にたどり着いたというのに部屋の中からは何も声が聞こえてこない。

 

 喧嘩してませんように、そう祈りつつ扉を開けると、ちゃんと二人とも残っていた。渚は退屈そうにトランプを切りながら、赤坂さんは参考書に目を通して、向かい合って入るけれども決して目を合わせようとしない。

 

 ぼんやりと立ち尽くしていると、渚が駆け寄ってきた。

 

「おかえり、遅かったね」

「まあね、ちょっと野田さんと話してたし」

 

 そう言いつつ、ブラックコーヒーを渡す。

 先輩のあれそれの話は後ででもできるから、まだ口にすることはない。

 

「舞さん」

「何?」

「先輩からプレゼント」

 

 赤坂さんは受け取ったカフェオレを弄んで、そのまま机に置いた。

 

「カフェオレはそんなに好きじゃないの」

「あれ、前受け取ってくれなかったっけ?」

 

 赤坂さんのと同じもの、手に持った缶を見るり確かに前にあげたものと同じはずだった。どうしたものかと考えてるうちに渚が隣へとチョコチョコと駆け寄ってきた。

 

「要らないなら貰ってあげるよ、赤坂さん」

「貴方にあげる物は無いわ」

「ごめん舞さん、代わりのもの買ってこようか?」

「別に、そこまでする必要も無いから」

 

 そう言ってプルタブを引いて、けれども彼女が缶に口をつけることはなかった。手に持ったまま、ぼんやり互いに見つめ合う。

 

「……あれ、しないの?」

「ノリ良いね赤坂さん。そういうところは、ボク好きだな」

「私は、貴方のそういうところが嫌い」

「まあまあ2人とも、喧嘩しないで」

 

 ガスの抜ける軽快な音。缶を手に持って、やる気の無さそうに缶を構える赤坂さんの隣に並ぶ。

 

 音頭を取るのは渚だろう。部長だし、そこら辺の役回りを彼女は譲らない。自分の予想通りに、渚は缶を片手に掲げて朗々と言葉を放った。

 

「それじゃあ!新生手品部の誕生を祝って!」

 

『乾杯!』

 

 ●

 

 自分は今、幸せだ。

 だからこそ未来が怖いのだ。

 

 いつかそれが崩れる時が来る。それがいつかは分からないけれども、確実に、自分が自分である故に、天才でないが故に、この幸福を永遠に続ける方法を知らないのだ。

 

 それが幸せなことだと分かっている。

 そう思える事自体が幸せなのだから、幸せでなければそんな事を思いもしないのだから。

 

 だから自分は祈ることにする。

 夢よ、覚めないでと。

 



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彼女という存在
23 昔、箱の中身、及川さん


 ●

 

「地面に無地のダンボールが一つ転がっていた時、その中身を知る為にはどうすれば良いだろうか。手っ取り早い方法は箱を開けてしまう事だろうけれども、それは禁止だとしてね」

 

「ダンボールの中からは物音もせず、持ち上げてみるとそこそこの重量があり、匂いを嗅いでみると何かの匂いはするけれども、箱自体の匂いに掻き消されてあまりよく分からない」

 

「試しにひっくり返してみると、一番底にはネームペンで林檎と書いてある」

 

「玲はさ、このダンボールの中身が本当に林檎だと思う?」

 

 

 手品部の部室で渚と、そんな箱問答をした事がある。結論から言えば、自分は『分からない』と答えたわけだけれど。

 

 林檎であると言い切れなかったのは、箱の下に林檎という文字があったとして、それは他者に伝える為に書いたとは思えないのだ。だって伝える為に書くのならば、わざわざ表に書かない理由が無い、わかりにくく底に書く必要はないのだから。

 

 もちろん問題を作る上での都合上で、目立つところに書けなかったかもしれないけれど、メタ的な考えを捨てるのならば、やっぱりそういう事なんだと思った。

 伝える為に書いたのじゃなければ、中身は林檎では無いのだろう。もちろん断定できるわけじゃ無い。

 

「そうだね。僕が答える立場だとしても、きっと分からないと答えたと思うよ。林檎と書いてた理由は幾らでも説明できるしね、元々林檎が入ってたダンボールを他に再利用したのかもしれない」

 

「でも、中に林檎が入ってる可能性はまだ残ってるんだ。どこかのうっかりさんが上下逆に置いたのかもしれないしね」

 

「実のところ、この問題に答えはないんだ。答えは『分からない』でも『林檎』でもいい、大穴狙って蜜柑とか言ってもやっぱそれは正解なんだ」

 

 それじゃどうしてこの問題を出したのか。首を傾げる自分を眺めながら、彼女はニヤリと笑った。

 

「結局、人は観たいように観てしまう。林檎の文字を見た瞬間、中身もそうだと信じて疑わない人もいる。それは悪い事じゃ無い、だからこそ気をつけなきゃいけないんだ」

 

「勘違いする生き物なんだ、それはもう変わらない。人は完璧じゃ無いし、すべてを拾う事が出来るはずがない」

 

「玲は、なんでこの話をしたのか全く分かってないでしょ?」

 

 自分が何か勘違いしてとんでもない失敗をしたんじゃないか、そう尋ねながら思い返すも特にやらかした記憶はなく、渚はゆるゆると首を横に振った。

 

「いやいや、玲が勘違いすると疑ってる訳じゃないよ。むしろ勘違いさせる側だろうね。『らしい』行動を取ってしまうから。まあ、なればこそ、なんだろうけど」

 

 

 

 その話を、赤坂さんの前に来るとよく思い出すのだ。赤坂さんはある意味で正鵠を射ていたけれども、それは自分の一端でしか無く、思い描く想像と現実は、今だに遠い。

 

 まあ赤坂さんに限らず、やはり人は勘違いしていく生き物であるが故に、本質と少しずれた印象を抱くのだろう。自分も、赤坂さんや渚に抱いているイメージが本質そのままかは分からない。

 

 でも、少なくとも自分は、期待に応えたいと思ってしまうのだ。たとえそれが無理だとしても、きっとそれが渚の言う『らしい』行動なのだろう。

 

 渚は自分に「仲のいい友人」を超える価値観を見いだしていないし、だからこそ自分はその期待に添えるように動く。きっとそれは、全て崩れるその時までずっと変わらないだろう。

 

 じゃあ、赤坂さんは自分に何を見て、何を期待しているのだろう。「張り合える相手」を探しているのか、はたまた「退屈な日常を破壊してくれる人」か。

 

 どちらにしろもっと適役が居るだろうと思うし、尚更自分の何を見たのかが気になるところではあるけれど、まだ赤坂さんに詳しいことは聞けないまま。

 

 そんなこんなで気がつけば6月の半ばである。

 

 ●

 

「というわけでさ、舞さんに自分の長所を考えて欲しいんだよね」

「前後の話の筋が全くわからないんだけど」

 

 机の上に広げられた参考書から顔を上げて、彼女はこちらに胡乱げな視線を向けてきた。渚は用事があると先に帰ってしまっていた。故に今現在、部室に自分と赤坂さんの二人っきりである。

 

 机の対岸にて休むまもなく動くペン先を眺めている間に、暇つぶしに何となく話の種を思いついて、思いつくまま口を開いたのだから、そんな目で見られるのもまあ無理もないことだろう。

 勉強の邪魔をしないでほしいと言われなかっただけ、マシというものだ。

 

 何はともあれ長所の話である。

 赤坂さんが自分に何かを見つけているのならば、きっと自分の知らない長所も見つけているかもしれないし、だからこそ張り合える相手として自分を選んだのかもしれない。

 

 自分の長所を見つけるのが苦手なのだ。一つ挙げるとするなら間違いなく記憶力ではあるけれど、それ以外に自信はあるものはない。記憶力に関しても唯一無二ではあるけれど、それが無ければ困るということもない。

 渚は他人とのコミュニケーション能力が抜群に上手いし、赤坂さんは学力がずば抜けてるという点で部内3人の中ではなんとなく見劣りするように思える、というか自分がそう思っている。

 

「いやさ、履歴書とか自分の長所を書くところがあるじゃん?でもそういうのってなかなか思いつかないものだからさ、他人に考えてもらおうと思って」

「……バイトでもしたいの?」

「いや、別にそんな気はないけどね」

 

 よかった、と彼女はため息をついた。

 

「てっきりバイトして勉強の時間を削っても、私程度なら勝てると挑発されたのかと思ったわ」

「してもしてなくても、赤坂さんの方が勝つと思うけどなぁ」

「……どうかしら」

 

 赤坂さんの自分に対する評価が高すぎて思わず苦笑する、彼女の中で自分はどんな存在になってるというのか。

 

「長所、長所ね。私はあまり貴女のこと知らないから、あの人に聞いた方がいいんじゃないの?」

「それはそうだけどさ、今は舞さんしか居ないじゃん?」

「そうね……」

 

 彼女は考えを纏めようとしたのか、目を閉じた。思わずぼんやりと見惚れるほど、綺麗に整った顔。

 しばらくして「優しいところ、かしら」と、彼女は言った。

 

「わあ、ふわふわ〜」

 

 そんな曖昧な、誰にでも言える言葉じゃないかと笑う。けれども、そんな自分のことなんて意に介すことなく再び彼女はペンを取り直した。

 

「……本当に、残酷なくらい」

「じゃあ、舞さんは優しくしない方がいいの?」

「どうでもいいわ、約束さえ守ってくれるのなら」

 

 部活に入ってもらう為にした、あの約束。

 

 再び勉強し始めた赤坂さんから目を逸らして窓の外を眺める。空は曇り模様。きっともう直ぐ梅雨が来る、日の差さない季節が来る、そんな気がした。



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24 放課後、犬飼君、雨が来る

 ●

 

 手品部の部室に盗む価値があるようなものがあるとは思えないのだけれども、それはそれとして鍵を閉めない理由になるはずもなく、部活が終わったのならばちゃんと戸締りをしていくのは当然のことである。

 

 日頃部活前に部室の鍵を開けるのも閉めるのも渚の役目、自分がやっても良いのだけれども、そもそも部活にちゃんと加入してなかった人物がやれるはずもなく、今までは1年の時の流れを引き継いで部長である彼女がやっていた。

 

 あまり多くはない渚の居ない日に、代わりに自分が鍵を開け閉めするなんてことは一度もなかった。

 そもそも渚のいない部室に寄る理由も無かったのだから、必然に彼女が部活に顔を出さない時にわざわざ部室に行く必要もない。

 自分の目的は渚の居る部室であり、別に手品部の部室という訳ではないのだから。

 

 それまでのそんな日常が変わって、彼女が居なかったとしても、代わりに自分が部室を開けるようになったのは、やっぱり赤坂さんが理由なのだ。

 

 意外にも。

 意外と言っては失礼なのかもしれないけれど、彼女はちゃんと部活に顔を出していた。

 赤坂さんの主義からして、必要ないことは無駄とバッサリ切り捨ててしまって、てっきり名前だけ貸すものだと思っていたけれど、別にそれでもこちらからしてみれば別に文句を言えるはずもなく、そもそも文句を言う必要も無く。

 

 自分としてみれば部活が続いてくれば万々歳であった。あわよくば仲良くなりたいな、みたいな目的もありはするけれど。

 

 そんなわけで渚がいない時は自分が鍵の管理をするようになっていた。部室が空いてさえいれば、赤坂さんは律儀にちゃんとやってくる。

 

 まあやってきたとしても彼女がやることは勉強だけだと決まっていて、自分と赤坂さんの間には相変わらず微妙な壁を感じてはいるのだけれども。いつものように参考書を広げる彼女に、尋ねてみたことがある。

 

『舞さんってさ、勉強しかしないの?』

『……別に』

『部室だと勉強やってるところしか見たことがないけど、四六時中勉強してない?』

『私が犬の散歩してるの知ってるでしょ?』

『じゃあ、散歩以外は家で何してるの?』

『ご飯食べて、お風呂入って、勉強して、髪を梳かして、後は寝るだけ』

 

 ワーカホリックの如く勉強に勤しむ、正に学生の鑑といえる存在だろう。もう自分はそんな風にはなりたくはないが。

 ある日突然張り詰めた神経が破断しないかと思うけれど、そこまで日常に染み付いているのならばおかしいことに気付いてないのかもしれない。

 奇異なものを見る目で見られていることに気付いたのか、彼女はこてんと首を傾げた。

 

『ここでは勉強しちゃいけないとかいう決まりがあるの?』

『別に、そう言う決まりはないけれど』

 

 もしかしたらその時に、そういう決まりだと嘘をついていたら、赤坂さんが部室で勉強する事はなくなったのかも知れないけれど、機転良く嘘をつく事は出来なかったが故に、ときたまたわいもない会話を挟みつつ、彼女は部室で勉強し続けている。

 

 少し話がそれたけれども、とにかく渚がいない今日、部室の戸締りをしなければいけないのは自分だという事だ。

 きっちりと鍵をかけ、自分は鍵を返しに職員室へと、赤坂さんは校門へと二手に分かれる。

 

 赤坂さんと一緒に帰らないのかと思うかもしれないけれど、ちゃんと彼女は校門の前で待ってくれているだろうと分かっていた。

 

 夕日が差し込まない薄暗い廊下を歩いていく。雨は降るだろうか、自分は折り畳み傘を持ってきたけれど、赤坂さんはちゃんと用意しているだろうか。

 多分、赤坂さんのことだから心配するまでも無く持ってきているのだろうけれども。

 

 適当に挨拶をして職員室へと入り込む。

 無防備に置かれた鍵のホルダー。悪いことしようとしたら簡単に盗めるだろうなと常日頃から思っているけれど、とくに何も起こらないから見過ごされてるだろうそれに鍵を戻して。

 

 後は帰るだけである、しかしながら自分と同じように鍵を返そうとする人物を見て、思わず足を止めてぺこりと頭を下げた。

 というにも彼が見知った人物であったから、さらに言えばクラスメイトであった。ずばり答えを言ってしまうのならば、しばらく前に告白された、そして自分にあっさり振られて玉砕した、今現在ではただの友達である犬飼君である。

 

 まあ職員室で会話をできるはずもなく、そのまま隣をすり抜けて、とくに彼を待たずに、そそくさと足早に校門へ向かって歩き始めた。

 

 だってとくに話す事もないし、なんとなく気まずいだけだ。別に嫌いというわけでは無いけれど、なんとなく接しづらい人物。

 モテる人ならばそこら辺の関係のつなぎ方とか心得ているのだろうけれども、前世含めてそういう話には疎すぎた。

 

 君子危うきに近寄らず。正しい判断だ、多分。そして背後から追いかけてくる足音もきっと幻聴である。

 

「やあ佐々木さん、なかなか珍しい」

「珍しいって、いつも教室で会うけどね」

「それはそれ、放課後のこの時間に会う事はそんなに無いからさ」

 

 諦めていつも通りのペースへと速度を緩める、ちらりと隣を見ればちゃんと自分のペースに合わせて彼も付いてきていた。学ラン姿、胸の前に揺れるカメラ。

 

 写真部か、新聞部なのだろうか? 聞いたことあるならば彼の部活も分かるのだけれども、そんな話をした事もないから判別は付かない。

 自分の視線に気づいたのか、彼はカメラを手に取った。

 

「ああ、これ? これは学校の備品。俺、一応新聞部に入ってるからさ」

「へえ、犬飼君も取材とかするの?」

「取材もするけどインタビューは別の担当、そして俺は写真撮る担当」

 

 はいそれじゃ笑って笑って、彼はそう言いながらこちらへカメラを向けてきた。笑う事はないけれど仕方なくピースして、けれども彼は写真を撮る事なく手を下ろした。

 

「まあこんな感じに写真を撮っていくわけですよ」

「ははぁ……」

 

 なんとなく写真撮るの下手くそそうだなと思った、ついでに言えばインタビューも下手そうだ。勝手な偏見を貼り付けつつ、特にそれ以上会話が広がる事もなく無言で歩いていく。

 

 恐ろしく気まずい空間だった、なんでわざわざ追いかけてきたのか問い詰めたいぐらいには。

 とても残念なことに彼は帰り支度をバッチリ固めていて、なおかつおそらく部室の鍵を返しにきてたことを見るに、部活も終わって自分と同じく下駄箱に向かっているのだろう。

 ならば途中でこの空気が自然に消滅する事も期待できない、自分と同じ道を行くしかない。

 

 お手洗いに行くとか理由付けて道を分かれようかな。そんな事を考え始めた時、彼はようやく口を開いた。

 

「佐々木さんに一つ聞きたいことがあるんですけど」

「……何?」

 

 しかし、彼はそれ以上何も言わなかった。不思議に思って隣を見ると言うか言うまいか躊躇っているようだった。

 

「正直、これを尋ねるべきかわからないんです。もしかしたら勘違いなのかも知れないし、ただの杞憂なのかもしれない」

「別に、怒らないからさくっと尋ねちゃっていいよ。よほど失礼なことじゃなければね」

 

 そんなふうに言いながら、彼が何を聞こうとしてるのか予想する。まだ自分に脈はありますかとか、彼氏居ますかとか、そんな感じだろうか。

 脈はない、死んではないけど。彼氏も居ない、脈はないけど。

 

 予想質問と答えを並べて、万全に備える。

 どこからでもどんとこい。

 

 けれども犬飼君の予想は自分の予想をすり抜けて、自分は思わず答えに詰まってしまった。

 

 

「佐々木さん、最近及川さんと喧嘩してます?」

 

 

 正直、その質問に1mmたりとも心当たりが無いのだ。はっきりNOと言える質問だ、喧嘩は一度たりともしていない。

 

 でも犬飼君がその質問に至る切っ掛けがあるのは確実だ、彼の心配そうな顔を見るからに、カマをかけている様には見えなかった。

 だからこそわからない。彼が何に気付いてそう思ったのか、そしてなぜ自分がそれに気付けてないのか。

 

「……いや、私は渚と喧嘩した覚えは無いけど」

「そっか、なら良かった。多分俺の思い違いだと思うんで」

「参考に聞かせてほしいんだけど、犬飼君は何を見て私達が喧嘩してると思ったの?」

 

 癖なのかカメラを手で弄びつつ、たどたどしく彼は口を開いた。

 

「なんとなく、説明しづらいんですけど。きっと佐々木さんから見て、及川さんはいつも通りだと思うんですよ。でも、違う。俺から見て、なんとなく、及川さんの様子がおかしいんです」

「……?」

「どう言えばわかりやすいかな。欠けたパーツをよそから拝借して、そこに当て嵌めて、佐々木さんから見るときっといつも通りに見えるけど、今度は他のパーツが欠けるから、俺から見ればおかしく見える、感じですかね」

 

 説明下手くそで申し訳ないんですけど、そう言って犬飼君は苦笑した。

 

「その欠けた原因、変調の原因が佐々木さんと喧嘩でもしたんだと思ったんですけど、心当たりがないならきっと違うんだと思います。そもそも他に原因があって、佐々木さんの前ではいつも通り振る舞ってただけかも知れない」

「……まったくわからない」

「でも俺の思い違いかもしれないんで、あまり信用しないでくださいね!」

 

 それじゃ、また明日!

 そう言って彼は颯爽と去っていった。

 

 廊下に1人ポツンと取り残されて、彼の姿が見えなくなってから再びゆるゆると歩き始めた。

 

 用があったのは渚の事を尋ねるだけだけだったのだろう。

 尋ねると言うか、自分の疑問を解く為では無く、その異常を自分に気づかせる為だけに。

 

 もしかしたら何かやばい筋に踏み込んでいるのだろうか?

 その事だけを聞きにくるぐらい、やばいという事なんじゃないだろうか。もしかしたら犬飼君のいう通り思い過ごしなのかもしれないけれど、そこまで楽観主義でも無い。

 

 スマホを取り出して、彼女へ何てメッセージを送るか少考する。正直、明日学校で直接聞けば良いことではあるけれど。

 

 葉っぱを叩く音を聞いて、窓の外へ視線を向けると雨が降り始めていた。自分の予想通りに赤坂さんは折り畳み傘を持ってきていた様だった。

 遠くからでも艶やかに見える真っ赤な傘。名前が示す通りにきっとあの傘の下で彼女が待っている、そんな気がした。



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25 放課後、関係性、赤坂さん

 ●

 

 とりあえず渚の変調が、果たして本当なのかはわからないけれども、それが本当だとして切っ掛けとして思い付くのは赤坂さんが部活に参加したということである。

 

 それ以外記憶にある限りでは特に大きな変化もない。時たま自分が部室の開け閉めをやるということも変化の一つではあるけれども、それは赤坂さんが部活に参加したことの余波だ。

 

 じゃあ大元の原因は、その大きな変化である赤坂さんが元なんじゃないかと予想が立つわけで。自分の知らない間に渚と何かがあって、自分がそれを見落としていたんじゃないか? みたいな考えがパッと浮かぶ。

 

 そもそも自分より先に渚が勧誘した際に、渚の事を嫌いだとはっきり言った事があったから。だから2人の間に一悶着起こしてもではみたいな危惧はあったし、その嫌な予想通りに事件があったのならば、渚の異変の原因に直結していてもおかしくはない。

 

 しかしながら、それはほとんど有り得ないことを、ちゃんと自分は知っている。今のところ、という条件付きではあるけれども渚と赤坂さんはそれなりに上手くやれていた。

 

 意外だ、意外と言っては失礼なのかもしれないけれど。

 

 でも実際、彼女は入部してから黙々と勉強するばかりで、渚に自分からアクションをかける様子は一切見せなかった。

 

 興味がないのか、それとも嫌いだから構いたくないのか。

 まあそもそも赤坂さんが自分からコミュニケーションを取ろうとする事自体激レアではあるし、正直どっちが理由でもおかしくない。

 

 それはともかく赤坂さんは部活に入ったところで手品部らしい活動をするわけでもなく、ただ黙々と、淡々と勉強するばかりだった。

 

 それに対して渚は構おうとすることもなく、かわりに自分が赤坂さんに話しかける姿を遠巻きに眺めていた。

 

 そんな観察の日を続けること数日、渚はこう結論づけた。

 

『……要するに過剰に踏み込まなければ、彼女にとってボクはそこら辺にいる有象無象の1人でしかないんだろうね』

 

 赤坂さんは別に渚だけ嫌いというわけではなく、その他全員も有象無象扱いという推察。

 実際、『あなたの事が嫌いです』的な刺々しい雰囲気は、自分含めて誰に対しても等しく向けられていたものではあるが、その推察が当たってるかはわからない。

 

 もしかしたら一つ頭抜けて渚の事を嫌いだけど、他人と同じぐらいの扱いだと混ぜてしまってわからなくしているのかもしれない。

 

 それでも、深いところまで踏み込みさえしなければ大丈夫という予想に基づいて渚は動いた。

 ある程度の距離感を開けて、過度に干渉することもなく、されど無視するわけでもなく、話しかけるときの狙いは一つ、勉強についてのみ度々尋ねる。

 

 それに対して赤坂さんも無碍にすることもなく、聞かれたのならばちゃんと答えていた。

 きっと尋ねられることが勉強についての事ばかりだったのも理由の一つだろう。それに自信があるからこそ、彼女が何よりも誠実に向き合っていたからこそ。

 

 きっと他の話題だったのなら、やる気なく適当な返事を返されるか、または思いっきり舌打ちされて黙殺するかのどっちかだろう。

 

 釣りの如く、踏み込めるまで気長に待つ。

 渚らしいそんな持久戦の構えである。

 

 まだ渚は勉強以外の話題を振ろうとはしていない。

 赤坂さんが部活に入ってしばらく経ってはいるけれども、彼女からしてまだ自分は有象無象の域から脱してはいないと思っているのだろう。

 

 それでも渚はめげることなく、いまだにちょくちょく構ってるあたり、まだまだ諦めてはいないのだろう。

 

 そしてここまでの考えを元に、原因は赤坂さんではないのだろう、と思うのだ。

 

 ●

 

「及川さんのことなら、私より貴方の方がずっと知ってると思うけど」

 

 赤坂さんはこちらへ向くことなく、いつも通りの平坦な声でそう言った。

 雨降る帰り道。特に期待せずになんとなく聞いてみて、帰ってきたごもっともな言葉に苦笑する。

 

 まだ渚には何も聞いていない。メッセージで聞いてみるにしても、なんで聞けばいいかわからなかった。

 それにもしかしたら考えてるうちに答えが見つかるかも知れない。まあ、要するに後回しである。

 

 記憶の中の渚にはどこにもおかしなところは見えず、自分1人で考えをこねくり回したところでもう行き詰まってしまってるのはとっくに分かっているのだから。

 

「そんなに及川さんのことが心配なの?」

「心配、といえば心配だけど」

 

 どちらかと言えば、何があったのか知りたいという興味なのかもしれない。何があったのかのか、何もなかったのか、何かあったのならば、どうして自分に相談してくれないのか。

 

「もし本当に何かあったのなら、自分を頼ってくれないのが悔しいなぁってさ」

 

 このヤキモキとした気持ちは、要するにそういうことなのだろうか?

 もしかしたら自分ならなんとかできるかもしれない、手助けになれるかもしれない。もしかしたらそれは思い上がりなのかもしれないけれど、それでも渚と一番仲が良いという自負もあった。何かあれば頼ってくれると思っている。

 

「そう、なら別に好きにすればいいと思うわ」

「場合によっては好きにしてはいけない場合があったの?」

 

 向かい側から人が歩いてきて、そそくさと一列になって交わす。赤坂さんの赤い傘を追って、きっと大丈夫だろうと踏み込んだ足は、勢いよく水たまりに突っ込んだ。

 

「最悪……」

 

 自分がポツリと漏らした声に彼女はちらりと振り向いて、すぐにまた視線を前に戻した。なんとなく隣に並ぶ気も削がれてぼんやりと後を追う。

 しばらくして、傘越しに赤坂さんの声が聞こえてきた。

 

「つまり、自分がその原因だと思いたくない、そういう理由で別の原因を探すのなら、そんなこと、自分勝手に及川さんのことを掻き回すのはやめるべきだと私は思うわ」

「……いやいや」

 

 即座に否定しかけて、しかしそれ以上の言葉を繋ぐ事はない。ないだろうか? 本当に?

 自問自答。突如降って湧いた疑惑、今まで全くそんな事を考えてはいなかったと断言できる。なのに、違うと即答する事は出来なかった。

 もしかしたら、そんな疑念が急速に膨らんでいた。

 

「貴女も気付いてるでしょ? 何かあったのかも知れない。じゃあ、本当の自分を隠して、いつも通りだと偽る理由は何?」

 

 クルクルと機嫌よさそうに、目の前で赤い傘が回っている。渚が自分に心配を掛けないためにという考えがあったけれど、それは本当だろうか?

 本心を隠す為に。じゃあ、なんで隠す必要がある?

 

 自分に悟られたくないから、相談できないから。

 それで全部説明できてしまうじゃないか。

 

『原因は佐々木 玲にある』

 

 相談できないのは、悟られまいと隠していたのは、自分が原因だったから。渚の様子がおかしいことに気づけば間違いなく自分が行動する、そうするだろうと自分もよく分かってるし、渚も気付いていたのだろう。

 

 だから隠す、面倒くさいから。そりゃそうだろう、事を引き起こした張本人が解決させてあげようと息巻いてやってくる、本人はそのことに1ミリも気付いてないのだから100%の善意で行動してるのが、尚のことたちが悪い。

 

 見下ろした足元に、ローファーが雨に濡れて鈍く光っていた。水の染み込んだ靴下が酷く不快だった。

 視界にこちらを向いた足先が見えて、足を止めた。

 

「たった一言で流されすぎ、適当に思いついた事だからそこまで気にしなくていいのに」

 

 呆れた様にため息をついて、彼女はそう言った。

 いけしゃあしゃあと、自分がそこまで考え込む理由になったその一言を言ったのは赤坂さんなのに。言わなければ気づかなかったのかも知れないのに。

 まあ、言われなくても1人でその考えに至ってたかも知れないけど、そこら辺は置いといて。

 

「でも、赤坂さんはそうかも知れないと思ったから言ったんでしょ?」

「……ただの意地悪よ」

 

 そんな意地悪があってたまるか。怒りを込めて送った視線をどこ吹く風と受け流し、再び彼女は口を開いた。

 

「でも、たった一言でそこまで考え込むのなら何もしない方がいいって思ってるのは本当。

 わざわざ踏み込む必要もない、だって1人で抱え込むって決めたのは及川さんよ。

 そして、もしかしたら演技かも知れないけれど、少なくとも佐々木さんといつも通りに接しようしてるのは事実なのだから」

「……つまり?」

 

 たっぷりの間を開けて、赤坂さんはすました顔で

 

「果報は寝てまてってこと」

 

 と、そう言った。



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26 休み時間、憂鬱、及川さん

 ●

 

 佐々木 玲は他人に言えない秘密を抱えて生きている。秘密を隠して、平凡な人間を装って生きている。

 

 つまりは四六時中嘘をついて生きているわけだけれども、だからといって、嘘が上手くなるわけでもない。

 ただ単純にそういう役回りを演じるだけだ。そこらへんにいる平凡な女子を装うだけ。そうしていれば疑われることはない。

 

 人は他人に自分の思ったような虚像を被せてしまう生き物だから、見たいように他人を見てしまう。

 第一印象で普通の女の子だと思わせてしまえば、その行動予測から外れなければ、何かおかしいなんて思われないものだ。そして赤坂さんのような例外でもなければ、誰がみても、どっからどうみても自分は平々凡々な女の子を演じきれていたはずだ。

 

 そして、疑われなければ嘘をつく必要もない。嘘をつかなければ、バレる心配は必要はない。

 

 そもそもの話で今も昔も自分は嘘をつくのが苦手な生き物であった。嘘をつく必要がなければ、嘘をうまくつく方法もいらないのだ。

 

 きっとそれはいいことなのだろうけれども、そういう上手な生き方を知っておくべきだったのかもしれない、たまにそんなことを思うのだ。

 

 あまりに自分は偽ることが下手だった。

 普通の女の子ならこういう行動をするとわかったとしても、『自分ならこういう行動をする』という事を分かっちゃ居なかった。

 

 ●

 

 休み時間。騒がしい教室の中で自分はとくにやることもなく、自分の席に留まっていた。ただただぼんやりと、頬杖をついて渚のことを目で追うばかり。

 

 当の渚はといえばクラスメイトと何かについて話している。その会話に混ざりに行く気力もなく、ただ自分がどうするかを決めあぐねていた。

 選択肢は二つ。違和感の正体を暴いて解決するか、赤坂さんのいう通りに話に触れる事なく、いつか時間が解決する事を期待して待つか。

 

 いまのところ、自分には犬飼君の言うような違和感がわからない。だから、動かない。違和感に気付いた時に動けばいいんじゃないか、そんな気もする。

 

 本当にそうだろうか?

 

 単刀直入にズバッと切り込むのが手っ取り早いのはわかる。でもそのための勇気がない、せめてそう決断させるほどの根拠が欲しかった。

 

 本当に根拠があれば聞きに行けただろうか?

 

 たとえば赤坂さんを部活に勧誘した直後の自分なら、あっさりと聞きに行けたに違いない。でも、いまの自分はそうすることができなかった。

 

 だって、自信がないから。

 自分ならなんでもやれる、そんな根拠のない自信が今は存在しないから。

 

 その自信がハリボテだったことに気付かなければよかったのに、犬飼君に言われる前に違和感に気がつければよかったのに。気が付いていれば考えなしに聞いていたかもしれない、同じぐらいの確率で気のせいだと流したかもしれないけれど。

 

 考えすぎだとはわかっていても、ひたすらに気持ちは落ち込んでいく。あまりよろしくない兆候。

 

「なーに考え込んでるの?」

 

 だから渚とクラスメイトの会話がとっくに終わってることにも、彼女が自分の様子に気づいて自分の目の前にやってきたことにも、話しかけられるまで気づけなかった。

 

「……なんでもない、秘密」

 

 我ながら不機嫌そうな声が出てしまった。

 渚がいつものように前の席に腰掛けて、心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。やっぱり違和感はなく、いつもと同じようにしか思えない。

 

 自分の返事が悪かったのか、どちらも話し始める事なく、気まずい時間。

 

 こういう時は責任を取って自分から話し始めるしかない。問題は、話の種が何も思いつかないことだった。

 いつもこういう時、どういう話をしていたのか思い浮かばない。なんでもない、たわいもない話をしていたはずなのだ、どうでもいいくだらない会話をしていたはずだった。

 

 どんな話をしていたかは覚えてはいるのだ。

 それでも、どうしようもなく、なんでもない話の仕方が分からない。『重症ですね』と、どこか他人事のように心の中で呟く。

 

 全部を放棄して腕を枕にして顔を伏せる。

 会話からの逃走、そうすれば渚も何処かへ行ってくれるんじゃないかと期待していた。

 

 話せるなら話したい、決して会話をするということが嫌いなわけではないのだ。それも渚とのものであれば尚更。

 でも今はきっとダメなのだ、何も気にする必要がないのかもしれにけれど、自分にはダメだった。

 だから少なくとも1日、1日さえあれば、きっと自分も元どおりになれるはずだから。

 

 けれども、渚が席を立つ音は聞こえずに、代わりに頭を優しく撫でられる感触がした。

 

「…多分、季節が悪いと思うんだ」

 

 自然と口が動いていた、出てきたのは文句の言えないものに責任転換する言葉で、我ながら情けないなとは思ったけれども、きっとこれでいい気がした。

 

「中途半端な季節が悪いと思うんだ。微妙に高い気温に、まとわり付くような湿気も全部ひっくるめて。例外もあるにはあって、雨の音は好きだけどさ、雨の中を行ったり来たり含めるとやっぱり雨も嫌い」

「じゃあ、好きな季節は?」

「冬が好き。自分が、世界で1人っきりだと思えるから、世界で1番不幸だと思い込めるから」

 

 悪循環。それでも、ようやく自分は顔をあげた。

 

「なんてね、冬は好きってのはあってるけどその理由は嘘。夏と違って厚着しとけば寒さを防げるから、春と秋は中途半端だから嫌い、ただそれだけの理由なんだけどね」

 

 ようやく向き合って、渚が興味深そうな視線を向けていることに気づいた。ちょっとの間、しばらくしてなんともなしに彼女は尋ねてくる。

 

「何か隠し事してる?」

「なんで?」

「そういうってことは、やっぱりなにかあったんだ」

 

 そんな質問を出す理由を聞いただけなのに、ただ彼女は納得したとうなづくばかりだった。

 何もない、そう答えればよかったのかもしれない。それでも自分は嘘をつくのが苦手だから、嘘をつくより何も言わないほうがいいと思ってしまったから。

 だからこそ、読まれたのかもしれない。何もないなら何もないというはずだと、何かあるならそう聞く理由を知ろうとすると。

 

 まあ十中八九自分の様子を見て鎌をかけただけだろうけれども、それにあっさり引っかかってしまう自分も自分だった。

 隠し事をするのに、あまりにも向いてない。

 

「話を聞いて欲しいならいつでも聞くよ?」

 

 聞いてしまうチャンスだった、たった一言尋ねてしまえば終わる話だった。

 

「……なにも、ない」

 

 それでも、自分は聞くことが出来なかった。

 後に回して、その後回しを延々と繰り返すことになるのだろう。知らなくていい、きっと時間が解決してくれる。

 もしかしたらそんな事ないのかもしれないけれども、きっと後からでも取り返しが付くだろう。

 そう、思うことにした。

 

「なら、いいけど」

 

 自分は何をやっているんだろう。

 渚が困ったように笑う後ろで、授業の開始より一足早く、教師がゆらりと教卓へ近付いていた。

 クラスメイトが会話を切り上げ、各々の席へと戻っていく。彼女も例にもれずに、占拠していた椅子からゆっくりと立ち上がった。

 

「まあ元気だしなよ、ボクはなにもできないけど」

 

 渚からしてみれば、そう言う言葉しか残せないだろう。全てを突っぱねたのは自分だ、何も悪いことじゃない。

 でも、それで会話を終えるのは嫌だった。

 後味が悪い、そう言い表すのが正しいかは分からないけれども、せめて何かを繋ぎとめるために、言葉を投げ掛ける。

 

「今週の土日、暇?」

「多分暇だけど」

 

 自分がずるい事をしてるとちゃんと分かっていた。多分、彼女は断らないだろう。そういった優しさに漬け込むことがずるいってことも、ちゃんとわかっていた。

 

「じゃあさ、どこかに遊びに行かない? 適当な服選びでも映画でも、なんでもいいからさ」

 

 渚がどう答えるかなんて、わかりきっていた。

 ただ彼女は頷いて、それに合わせるように授業の始まりを告げるチャイムが鳴った。

 



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27 休日、待ち合わせ、及川さん

あいー


 ●

 

 いつもより早めの6時丁度に設定した目覚まし時計。

 それが鳴るより先に自分が目を覚ますことが出来たのは、間違いなく今日が約束の日だったからだろう。

 

 ベットの中でスマホの待受画面をぼんやりと眺める。二度寝するという選択肢はない、こんな日に遅刻したら最悪だ。

 それでも起きて動き始めるにはほんの少しだけ気怠くて、アラームが鳴る1分前に漸く目覚ましを切った。

 

 それでも、まだまだ布団からでる元気は出ないけれど。

 

 何をする訳でもなく寝ぼけ眼で何となく開いたトーク画面。

 上下に履歴順に並んだマグカップとトイプードルのアイコン。とりあえずマグカップの方を選んだ。

 

 今までの経験からして渚に遅刻する心配は無いだろう。きっといつも通りに、彼女は約束の時間丁度に来るだろう。

 そう分かっていながらも、とりあえず『おはよう』と打ち込んだ。

 

 渚はまだ眠っているだろうか、もしかして自分だけが1人浮かれているのだろうか。

 たわいもない疑問を掻き消すように伸びをして立ち上がり、窓の外を覗き込む。

 

 空を覆い尽くすどんよりとした鈍色の雲。

 折り畳み傘を忘れまいと心に刻んだところで、握りしめたスマホが新しいメッセージが来たことを知らせてくれた。

 

 きっと今日は良い日になる、そんな気がした。

 

 ●

 

 いつもと同じ学校に向かう電車、いつもと同じ号車に乗り込む。

 座席には余裕を持って座れた。何故なら休日でもあるし、いつもより遅い時間だったから。学校の始業時間ならとっくに一限目が始まっている頃だろう、まあ今日は平日ではないから関係ないのだけれども。

 

 当然のように学校の最寄り駅を通り過ぎ、数駅過ぎたところで席から立ち上がる。到着したのはショッピングモールの最寄り駅である。

 

 改札を出るなり、ショッピングモールへと向かう人並みから外れて、ベンチに向かう。スマホの時計は約束の時間の20分前を示していた。

 渚が予定時間ぴったりに来るだろうことは予想できてはいるが、それはそれとして自分は余裕が無ければ安心出来ないタチだった。

 

 とりあえず渚には待っていると連絡して暫くの暇な時間。

 予定では映画を見る予定だけれども、どの映画を観るかは彼女に任せていた。

 

 だから、まだ自分がどの映画を見るかは知らない、そしてそれを知る気も無かった。それが映画を見るのが本意では無いという訳でも無く、映画に興味がないという訳でも無い。

 

 映画を見るのは好きだし、どんな映画を見るのか楽しみではある。

 まあ自分の家で映画を見ることはほとんど無いのだけれども、それは映画は劇場で見てこそという主張があるからだ。

 

 そういう風に自分が思っているのは、後ろ向きな話で自分が自宅で映画を見ることに向いてないからである。

 映画を自分の家で見るということが出来ない人間だからだ。

 

 金曜とか日曜日とかの夜中9時からの番組として流してくれる映画を見るのはまあ良い。問題は映画を借りた時とか、月額で見れる映画を見ようと思った時の話。

 

 両者の違いは至極単純、早送りボタンの有無である。

 見ようと思いさえすればボタンを押すなり、シークバーを動かすなりなぞるなり、指先一つで自分の好きな場面まで飛ばしてしまえるから。

 大多数の人にとっては自宅で見れる一番とも利点とも言えるそれが、自分には弱点でしかなかった。

 

 要するに早送りボタンがあれば押したくなってしまう人間なのだ、なぜならそこにボタンがあるのだから。

 それは映画を真っ当に楽しむ為にはやっちゃいけない事だとわかってはいるのだ。話を理解するにあたって見落としちゃいけない部分もあるし、作った側からしてここは見て欲しい部分もあるに違いない。

 

 多分、自分がやるようなことは物語を台無しにするような行為で、実際邪道に違いなかった。

 

 それでも、である。

 

 例えそうだとしても、どうにも抗い難い衝動があった。

 それはきっと誰にでもある感情。自分には結末を知りたいという衝動があった。端的に言えば、知識欲だろうか。

 

 結末を知りたいのだ、自分が安心するために。

 多分、衝動の根源はそこなんだろう、安心するためにカンニングをしてしまう。知ってさえいれば身構えることができる、そうして居れば余裕を持って映画を見れる。

 

 多分、世界で一番映画を見るのに向いていない人間だろう。

 なら同じ映画を2度見ればいいんじゃないかと言われたこともある、結末を知った上でもう一回映画を観ればいいんじゃないかと。

 その解決方法は一見的を得ているようにみえて、微妙に論点から外れていた。

 

 だって結局、結末を知らない映画を一本耐えなきゃ行けないのだから。それは先を知らなくても耐えられる人間の理論である。

 そして自分は耐えられない。ならば結末を知った上でもう一回見る。

 実質2回見たこと同様である。

 

 我ながら思う。

 多分、屑だ。

 

 さて、そういう自分からして映画館とは有難い場所だった。

 なぜなら早送りボタンもない、文明の利器にして人類の敵であるスマホを取り出し、ネタバレを検索する事もない。

 完全に世の中から隔離されて否応なくただただスクリーンを眺めるしか無い場所。

 

 全くもって素晴らしい、自分が唯一真っ当に映画を見れる場所である。

 まあCMと一部の場面削りに目を瞑れば、テレビでやってる映画をリアルタイムで見ることも似たようなものだけれども、それはそれとして。

 

 映画ではなく現実だとしても、結末を知りたいと思う様なもんなのだろうか。ふと、そんな事を思った。

 

 例えば高校を卒業した時。自分達3人がどういう過程を経て、どういう関係になってるのかとか。

 それを今なら知ることができると誰かにいわれたら、自分は知りたいと即断できるのだろうか。

 

 ●

 

 予想通り、及川 渚は約束時刻丁度やってきた。白いパーカーにデニム、つば付き帽子と彼女らしいラフな私服姿である。

 ベンチに腰掛ける自分の前に立ち止まり、挨拶して自分をスルーして周りをぐるりと見渡して開口一番。

 

「あれ、赤坂さんは?」と、そう言った。

 

 成る程と納得する。

 確かに赤坂さんを誘っていたのは事実である。ただ、その事を渚には伝えてなかった。あくまで自分のスタンドプレー、1人を除け者にするのはなんとなく嫌な気がしたから。

 渚からその言葉が出てきたのは、自分と彼女の勝手を知ったる仲だからこそだろう。

 

「誘ったんだけどね、断られちゃった」

 

 悪い返事は無いだろうと甘い見込みは、バッサリと行かないの一刀両断である。まあ断られた事もわざわざ言う必要は無いし、闇から闇へ葬り去るつもりだったが、聞かれたからには答えるしか無い。

 

「だろうね。でも誘いを断られてるのは予想外だなぁ、赤坂さんのことだし休みの間も四六時中勉強でもしてんのかな」

 

 渚の言葉に思わず苦笑する。想像するに容易く、否定しきれないのが怖い所ではある。

 完璧に見える赤坂さんだけれども、いつか破裂する日が来るのかもしれないし、彼女なら耐えることが出来るのかもしれない。それが良いか悪いかはともかくとして。

 

 渚は深々と息を吐いて、自分に手を差し出した。

 

「まあ、とりあえず行こうか」

「ほいさ」

 

 並んで歩き始める、見る映画とかは決まっているのだろうか。

 その思考も読んだのか、渚は口を開いた。

 

「これはもう見たとかいう映画はある? どれでも良い感じ?」

「渚のセンスに任せるよ、オススメの映画とか見たい映画があればそれで」

「悪いけどオススメは無いよ、見た映画をもう一回見るのは勿体無いし」

 

 そう答えが来る事は知っていた、彼女は片っ端からお話を消化していく人だ。きっと渚の見たい映画を見ることになるだろう、それでも外れの映画を選ぶ事はない。

 感性が似ているからか、それとも彼女の趣味が良いからか、渚のおすすめするものにハズレがない事を自分はよく知っている。

 だからこそ、惹かれるのだろう。

 

「そういえば、まだ玲はあの知りたがりグセ治ってないの?」

 

 頷きを返せば、渚は呆れたように首を振った。

 自分の映画についての話は昔、彼女と話したことがある。2回見れば良いんじゃないとアドバイスしたのも渚だった。

 2度同じ映画を見ようとしない人から2度同じ映画を見ればというアドバイスをされるのは、なんとなく不思議な感じがする。

 彼女も自分も2回同じ映画を見る事はない。

 広義で見れば同類なのかもしれないし、真逆のなのかもしれない。結末を知った映画を見る事は2回見ることに含まれるだろうか。

 

 その疑問投げかける勇気は持ち合わせていない。一緒にするなと言われること間違い無いし、実際その通りなのだから。

 

「やっぱり理解に苦しむよ、最期の知れた映画ほどつまらないモノはないと思うんだけど」

「でもさ、どうしようもない終わり方をしてもラストを知ってさえいればダメージを半減出来る気がするんだよ」

「気がするだけじゃ無いの、それ。オチを知った映画だと主人公とかの選択にムカついて余計ダメージ喰らうんじゃない?」

 

 確かに、そういう意見もあるのだろう。

 

「多分、自分は諦めれられるんだろうな。仕方がないことだって」

 

 所詮映画だから、割り切れちゃうんだろう。

 だって自分のことじゃないから、画面の向こう側でしかない他人事だから、そういう結末を受け入れるんだろう。

 

「ボクは嫌だな。結果を見ないと分からないような最善手だとしても、それからかけ離れた選択をしちゃうのは許せないよ」

 

 特に悪役の方、そう渚は言葉を付け加えた。

 

「答えを教えてあげたくなるんだ、こういう風にやれば目的を達成出来ますよって」

「神様みたいに?」

「そう、神様みたいに。きっとそんな日常も楽しいだろうさ」

 

 そう言って彼女は人差し指を立てて、くるりくるりと回した。

 

 『神様始めました』、そんな文字が書かれた板を抱えた渚の姿が脳裏に浮かぶ。多分、報酬はぼったくるのだろう、想像するに容易い絵面だった。

 



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28 休日、昼食、及川さん

あいー


 ●

 

 高校生という身分には制限が色々あるけれども、良い点も色々ある。そのうち一つを例として挙げるのならば、映画を見るのにも学割が効くということだ。

 

 映画一本ぴったり1000円、500円の割引というものは中々でかいものである。まあ、ポップコーンのペアセットを一つ買うだけで吹っ飛んでしまうのだけれども。

 

 それにしても中々良い値段をしてるポップコーンである。コンビニとかスーパーで一袋100円とちょっとで売ってるものと本当に違いがあるのだろうか。

 もしかしたら無いのかもしれないし、自分が鈍いだけでわかる人にはわかる違いがあるのかもしれない。

 まあ違いがあったとしてそれを自分が理解したとしても、多分、間違いなく、ポップコーンと飲み物の値段はやっぱり高いなぁと思うに違いない。

 

 まあ、映画館の利益が売店の利益がデカいというのも有名な話だし、わざわざルールに背いてまで持ち込みをする気にはならない。罪悪感を背負いながら映画を見たくもないという理由。それに、渚にケチだなぁとか思われたくはなかった。

 好きな人になるべく駄目なところを見せたくないというのは、きっと誰だって同じことだろうから。

 

 スクリーンに映し出された映画から目を逸らして、渚と自分の間に置かれたポップコーンと彼女のドリンクを見やる。ちょっとだけ飲んでもバレないだろうか、そんなアホな考えが一瞬だけ脳裏に浮かんだ。

 

 それを実行へと移すことは無い。多分バレないだろうけど、理性とリスクが歯止めを掛けてくれていた。

 大人しくポップコーンを口へと運ぶ。音を立てないように食んだそれは、やっぱり至って普通のバター醤油味のものでしかなかった。

 

 スクリーンにはバス停で雨宿りするシーンが映されている。

 見てる映画は1つ前に大ヒットを飛ばしたアニメ映画監督の最新作だった。アニメだと雨のシーンが映えやすいのは分かるし、多分その監督も雨のシーンを描くのが好きなのだろう。よく雨が降っている映画だった。

 

 隣の渚の様子を伺う。行儀良く帽子を取り、代わりに眼鏡を付けていた。貴重な姿ではあるし、眼鏡姿も良く似合っていた。そもそも彼女が眼鏡を付けていると言う話を聞いた事がないのだけれども。

 

 視力が落ちたのだろうか?

 あとで会話の種にしようと思いつつ、暫く横顔を眺めていた。

 こちらが見つめていることに一向に気づく気配は無かった。こんなことなら視線に力を込める方法とか、知っていれば良かったのに。

 

 そしたらきっとこちらを向いてくれるだろうし。

 映画を見てる途中に隣の友人の様子を伺ってみたら偶然視線がかち合うとか、そういうラブコメの王道展開を期待していた。

 

 自分も映画を見よう、心の中で溜息を吐きつつ前を向く。

 

 期待薄なことを祈るより、ドリンクを強奪して間接キスを狙う方が現実的なことに気付いてしまったから。

 

 そして、自分がそれを実行する勇気を持ち合わせていない事も当然知っている。

 

 ●

 

「眼鏡?」

「ほら、今はつけてないけど映画を見る時に付けてたでしょ」

 

 フードコートは土日という事もあり混雑はしていたけれど、2人用のテーブルを見つけて昼食を取ってる最中である。自分はチーズバーガーのセット、対面に座る渚はうどんを食べていた。

 映画を見てる最中とうってかわって何事も無かったかのように、彼女は眼鏡を外している。

 

「前にも言ってなかったっけ? 最近視力が少しだけ落ちちゃったって話」

「いや全然、かけらも聞いたことがないけど」

 

 そうだっけと言いつつ、渚は鞄から眼鏡ケースを取り出してこちらに手渡してきた。

 渡してきたと言うことは多分そういうことなのだろう。試しに掛けてみると、伊達眼鏡ではなく確かに度が薄く入ったレンズのようである。

 

「掛けなくてもまあ日常生活は困らないんだけどね、映画を見るときだけ付けるようにしてるんだ」

「この眼鏡、4DX対応とかしてたりとか……」

「無いよ、そんな機能」

 

 眼鏡代とばかりに勝手にポテトを持っていくが、ポテトとうどんと組み合わせとか美味しいのだろうか?

 ジャガイモだし、あげてるし、コロッケそばと共通点は多いように思えるから普通に食べれるのかも知れない。

 

「フライドポテトそばってものが世の中にはあるらしいね、ボクは食べたことないけど」

「本当にあるんだ……」

 

 もしかして心を読まれてるのだろうか?

 まじまじと渚の顔を見つめるが、視線の意図が分からないのか彼女はキョトンと首を傾げていた。

 

「そのうちコンタクトに切り替えたりするの?」

「ずっと先の事だからわからないけど、眼鏡で済むなら眼鏡で良いかな」

 

 だってほら、眼鏡姿が似合うでしょ。

 そう自信満々に言いつつ眼鏡ケースを仕舞い込んでいるが、実際事実なので特になにも言い返せない。

 

「でも、眼鏡を掛けたら見たいものしか見れなくなるよ」

「眼鏡かけてた事ないでしょ、君」

 

 無いといえば無いし、有るといえば有るのだけれども。

 それを説明出来るかといったら出来ない訳で、適当にそれっぽい事を言って話を誤魔化すことしかできない。

 

「眼鏡を掛けると頭が良くなる代わりに視界が狭くなるからね」

「そう、なら玲も眼鏡3個ぐらい付けたほうがいいかもね」

「なんも見えなくなっちゃうよ」

 

 視野狭窄を超えて視野盲目ではなかろうか。

 ほんの少し会話に間が開いた、席を求めて右往左往する客を横目にチーズバーガーを一口頬張った。食べるのが早いのか、そもそも元々の量が少なかったのか、気づけば渚はもう既に食べ終えていた。

 

 この後の予定は食べ終わった後に少し休憩して、もう一つ映画を見る予定だった。まだ時間に余裕はあるから焦る必要はないのだけれども、なにを言われずとも、対面に食べ終えた人がいるとなんとなく急かされているような気持ちになるのは自分だけだろうか?

 

「……でもさ、本当に頭がよくなるならさ、それぐらい試さなきゃいけないんじゃない? だって期末テストで赤坂さんに勝たなきゃいけないんでしょ?」

 

 不意に渚が切り出した言葉はあまりにも突拍子なもので、だからこそ理由付けの方の違和感に遅れてしまった。

 

「……いやいや、自分が赤坂さんにテストで勝てるはずないって」

 

 そう口にしたところで、ようやく違和感に気付いた。

『期末テストで赤坂さんに勝たなきゃいけない』、これは確かに事実ではある。

 

 でも、それを渚に伝えたことがあっただろうか?

 赤坂さんが部活に入る条件を伝えた事は今まであったか?

 彼女は悪戯に成功した子供のような笑みを浮かべていた。

 

「いやほんと、玲のリアクションは面白いね。予想通りのリアクションすぎて良い、ずっと変わらないでいて欲しいぐらいだよ」

「……どうも」

 

 なんとなく馬鹿にされてるような気はするが、それはそれとして。

 

「なんで知ってるかを知りたい? 単純に赤坂さんに聞いただけだよ、どうして部活に入ってくれたのかって」

 

 いやめちゃくちゃな条件をつけてくるよね、赤坂さんも。

 そう言いながらも渚はポテトを奪っていた。だいぶ取られている気がするし、そろそろ止めたいのだけれども、なんとなく渚の機嫌が悪そうで止められなかった。

 あいも変わらず笑ってはいるのだけれども、何故か叱られている気分。

 藪を突くようなものだけれども、探りをいれずにはいられない。

 

「……もしかして怒ってます?」

「いや全然!」

 

 そう言いながらも、彼女はとうとう箱ごとポテトを持っていった。

 

 残ったのはほぼ食べ終わったチーズバーガーとそこそこ残ったコーラ。取り敢えずチーズバーガーの最後の一口を口に放り込み、飲み物で流し込む。

 

 多分ある種の形にははまってるのだろうけれども、それを脱出する案も、それを解体する方法も分からないのだから、渚の動きを待つしかないという結論。

 

 案の定自分が食べ終わるとほぼ同時に、それを待っていたかのように渚は口を開いた。

 

「じゃあボクが怒ってる理由を当ててもらおうかな」

「やっぱり怒ってるじゃん」

「怒ってないよ、本当だよ」

 

 やっぱり怒ってるじゃんと、喉まで出掛かった言葉をひとまず飲み込む。真っ直ぐにこちらを見据えた視線に気付いたから。彼女はどうやら真面目に聞いているらしい、と。

 

 ならばと、目を閉じて考える。

 

 答えを外したとしても死ぬ訳じゃ無いけれど、出したからには考えれば自分でも分かるような問題なのだろう。

 そして、分かるような問題だと言う事は答える事も期待されてるのだ。答えを求めてると言う事は、自分にちゃんと考えて欲しいってことだろうから。

 

 パッと思いつく答えは幾つかある。

 例えば、赤坂さんが部活に入る事に条件があった事、その条件が到底不可能な事、条件を破られたら赤坂さんが抜ける事。それらのことを渚が知らなかった事。

 それらの予想から一つに絞ることが出来るかと言われたら、まあ今は無理な話なのだけれども。

 

 自分の予想を全て纏めていってしまうのも一つの手なのかもしれない。実際全部が答えなのかもしれないけれど、なんとなく腑に落ちない。

 本当にそんな問題だろうか、そして当てずっぽうで当てて自分は良いのか? 思考放棄は良くない、最終手段としてならともかく、まだ考える時間はあるし答えを急かされている訳ではないのだから。

 

 考える、考える。

 

 渚の言葉通りに彼女が本当に怒ってないとするのならば、どうだろうか。単純に嫌だったから、それを聞いてるのだとすれば。

 

 目を開けると渚が口にポテトを詰め込んでいる最中だった、容赦なく食べている最中。目を閉じていた時間はそこまで長くないのに、もうだいぶ無くなってるように見えた。

 自分のために残してくれてるとか、期待しないでおこう。

 

「……赤坂さんを部活に勧誘した時に条件をつけて、それを渚に伝えなかった事です」

「はい、大正解」

 

 消去法的に出した答えはどうやら正解だったらしい。本当に祝ってるのかわからない適当な拍手を他所に、思わずため息をつく。

 

 自分が渚だったらどれが一番嫌だろうかという想定。

 条件がある事も、それに付随する事も、所詮他人事に過ぎない。

 でも、それを意図的に隠していたなら?

 そして隠されている事に気付いたのならば。

 

 自分なら嫌な気持ちになる、多分渚もそうだろう。

 

 今出した答えすら卑怯なものだ。言わなかったじゃなくて隠してたんだろう、でもそれを渚は指摘しなかった。

 

「別にね、どういう条件があっても良いし、勝ち目の無い勝負だって良いし、また部員を探すことになっても良いんだよ。でもボクにも相談してほしかったとは思うんだよね」

「おっしゃる通りです……」

 

 強奪されたポテトの箱をこちらに返してくる。重みはない、当然のように空っぽの残骸である。少しぐらい残してほしかったという気持ちもあるけれど、致し方のない犠牲だと諦めるのは簡単だった。

 

 まあそれはそれとしてじーっと責めるような視線は送るのだけれども、こちらの視線をスルーして渚は言葉を繋いだ。

 

「まあ、良いよ。ボクは許す。相談しなかったって事は相談しないだけの理由があったんだろうし、それを玲が言いたくないなら無理強いはしない」

 

 でも、と渚はそこで言葉を一旦区切った。

 

「……なんで玲が勝負の相手なんだろうね?」

 

 心底不思議そうに、彼女はそう言った。

 

 



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ex.3 及川渚と1人反省会

あいー(次は多分金曜)


 ●

 

 及川 渚が玄関の扉を開けると夕食の匂いが漂っていた。もうそんな時間だったかと思う、時計を見ると6時をほんの少し超えた頃。

 晩御飯の準備をしている母親に帰ってきたことを告げ、自室へと向かう。

 

 灯りを付けて帽子と鞄を適当に机に放り、ベッドに身体を投げ出す。心地良い疲労が身を包んでいた。

 出来れば夕食の前にいつもやること――映画の半券を感想と一緒にスクラップブックに纏めておく習慣――を済ませておきたいけれど、少しだけ時間が欲しかった。

 

「楽しかったなぁ」

 

 誰に言い聞かせるわけでもなく、そう呟いた。

 楽しい1日だった、間違いなく。良き友人は相変わらず良き友人のままで、いつもとなんら変わりのないように見えた。

 

 映画を見て、感想を言い合って、お昼を食べて、また映画を見て。買う予定の無い服を見てまわって、ついでにプリクラも撮って。

 

 本当に楽しい1日だった。

 保存したプリクラのデータを眺めようとスマホを取り出す。馬鹿みたいにでかくなった目を見て、思わず笑みが溢れた。そのまま横にスクロールして、今日一枚だけ撮った写真を呼び出す。

 

 佐々木 玲の後ろ姿、こちらが撮ったことには気づいていないだろう。だって自分が気づかれないように撮ったものである。

 彼女は写真を撮られることを嫌っている。とまではいかないけれど、なんとなく避ける風潮にある。プリクラならノリノリで撮るのに、カメラを向けられた途端に仏頂面でやる気のないピースをする人間だった。

 

 本当に馬鹿の一つ覚えのように、カメラを向けるとピースをするのだ。

 真顔ならまだしもクソダサいピースは本当にいらない。そのピース、はっきり言ってダサいよとはいまだに言えていなかった。まあ、それはそれで面白いからそのままで放置しているのだが。

 面白いのは面白いで良いのだけれども、やっぱり写真映えというものは無いから、それならば自然体の後ろ姿でも撮っておいた方が得だった。

 

 後ろから撮った写真ではあるけれど、可愛い雰囲気はちゃんと捉えられていた。服とスカートは妹に選んでもらったと自称していたが、果たして本当だろうか?

 もしかしたら服のセンスがおかしいと指摘されても、自分が選んだ服じゃないという理由で妹に責任を押し付けられる、そんな卑屈な理由かも知れない。でも姉としてどうなんだろうか、それは。

 

 そう思うぐらいには佐々木 玲は自分に自信が無い人間だった。写真にしても服装にしても、自分に自信が無いから予防線を張っているんじゃないかと思うぐらいには自信が無い。

 

 スマホを置いて、ベッドに寝転んだまま天井を眺める。

 

 ――その彼女がどうして赤坂 舞の勝負に乗ったのか。

 それがどうしてもわからなかった。

 

 2人の思考が自分にはわからない。

 出来るだけ自分の思い通りに動くように物事を回していたけれど、最近では全てが空回っていた。

 

 あの日、学校にやってきた時にみたもの。

 玲と赤坂さんのぎこちない会話を見て、自分の何か知らないところで何かが始まってしまった予感は、今を見ると嘘ではなかった。

 

 だからこそ速やかに終息へ向けて解決するために動いた。

 変わらない平穏な日々を続けるための行動、それは多分、間違いではなかったはずなのだ。

 

 動いたから失敗したとは思わない。

 自分が動いたからこそ、少しの時間稼ぎは成功した。

 あの赤坂さんを部活に入れないように、遠回しに嫌われるような立ち回り。あまりにも急であり即興でやるしかなかったからこそ、我ながら少し拙く、それ故に玲には怪しまれたけれども、目的は概ね成功したと言って過言ではないだろう。

 

 安心して気が抜けたのか、ついつい体調を崩してしまって1日だけ学校を休んだ。たった1日、しかしこの日がターニングポイントだったのだろう。再び学校に行くと玲と赤坂さんは下の名前で呼び合うようになっていた。

 

 なんでだよ!と叫びたくなったが必死に抑えたのももう昔の話である。まるで意味が分からなかった、休んでた間に何があったというのか。

 

 そうこうしてるうちに、玲がもう一度赤坂さんを勧誘すると言い出し、自分の焦る気持ちに反して失敗して、しょげ込んでるのを見て思わずアドバイスしてしまって。

 

 そう、自分がアドバイスしなきゃ良かったのだ。

 そうしたら赤坂さんも部活に入ることなく、部活が解散してたりしてなかったりしたかもしれない。部活の存続に限らず、ここまで赤坂さんと繋がりができることはなかっただろう。

 

「……本当に、そうかな」

 

 本当にそうだろうか?

 もしかしたら自分が動こうと動くまいと、玲は勧誘に成功していたのかもしれないんじゃないか?

 自分のミスを認めたくないだけかもしれないけれど、彼女のあまりに緩い性格と意味不明な行動をしている赤坂さんをみるに、最終的な結果は変わらなかったんじゃないか?

 

 読めないものは読めないと諦めてしまった方がいいと分かってる、事態は自分の手中から飛び出してしまっているのだから。それでも、知らないものを知らないままにしておくのは嫌だった。

 

 だから、部室に2人っきりの時に赤坂さんに尋ねたのだ。頼まれたからとしか答えない彼女に、どうして部活に入ったのかと自分はしつこく尋ね倒した。

 

 結果、赤坂さんは根負けして答えてくれた。簡単に教えてくれたかのように言ったけれども、実際にはなかなか時間がかかった。しかも入る条件をいうだけという口の固さ、それ以上深掘りすることは出来ないまま。

 

 その条件から余計に訳がわからない。

 玲に鎌をかけるまで嘘かと思うぐらいには。でも本当だった、謎は謎のままである。

 

『期末テストで私に勝つことが条件』

 

「……無理ゲーすぎる、断るための条件を承諾されたってこと?」

 

 いや断るだけならば、ばっさり切り捨ててしまえばいい。条件をつける必要があったということだ。条件そのものか、条件が建前か、もしくは期限的な意味合いの条件としての必要。

 

 わかりやすくいえば、期末テストまでの猶予だ。

 そこまで籍を置いてあげるから新しく新入部員を捜せということかもしれない。でも玲がその為に動かない理由が分からない、再び廃部の危機が訪れるかもしれないというのに全くもって動こうとしなかった。

 流石にそこまで能天気ではないだろう、もしかしたらただのアホかもしれないけど。

 だから3番目だ、他の2つの方がまだあり得る。

 

 2番目は条件が建前ということだ。

 赤坂さんはツンデレ。なかなか笑える妄想である、デレが無いからツンツンだ、前世はウニかクリに違いない。

 もし彼女がツンデレなら負けたとしても何かと条件をつけて残るだろう、貴重なデレが観れるかもしれない。

 笑えるから1番自分が信じたい考えではあるけれど、そう言えない理由があった。

 

 玲が赤坂さんが部活に居る条件を言わなかったこと。

 玲自身に、その条件に心当たりがありそうなこと。

 

 赤坂さんが本当に『玲が期末テストで自分に勝つ事』を期待している。

 自分からしてみれば鼻で笑うような夢だった。

 

 有り得ないことだ、玲は記憶力は確かに良いと思う。

 最近映画を見る時、眼鏡を付けているという話は忘れていたけれど、大抵のことは忘れていない。

 その記憶力はテストに生かされたことは無いのだが、実際覚えるだけじゃ解けない問題なんて幾らでもあるからおかしいことではないだろう。

 

 赤坂さんの期待はわからない、その期待をかけられる玲も分からなくて当然だ。

 

 それでも、さりげなく探りを入れた。

 あり得ないとは思っている。それでも念のため、有り得ないことばかりが続いてるから。探られたことにきっと彼女は気づいてないだろう、ただの優しさだと思ってるのだろう。

 そして、佐々木 玲は優しすぎて、嘘をつけない人間だった。

 

『まあ、良いよ。ボクは許す。相談しなかったって事は相談しないだけの理由があったんだろうし、それを玲が言いたくないなら無理強いはしない』

 

 彼女はたった一言、分からないと言えば良かったのだ。

 赤坂さんが自分に期待している理由が分からない、過剰な期待をされていると。

 嘘をつける人間ならば分からないと言うだろうし、心当たりがないのであるならば分からないと言うだろう。

 

 それでも彼女は言えなかった。

 優しすぎて、嘘を付けなかった。

 

 佐々木 玲には赤坂さんに期待されるだけの理由に心当たりが有る、もうこれはほぼ確実だろう。

 そして、それを3人の中で自分だけが知らない事も。

 

「……聞いちゃえば良かったのかな」

 

 1人グダグダしていないでその手に握ったスマホで尋ねるか、その昼食の時に畳み掛けて仕舞えば良かったのだ。

 そうしなかったのはなぜだろうか、自分に問い掛ける。

 

 なんでだろうな。

 

 自分がらしくないことをしているのは分かっていた。今のところはっきり言えるのは、彼女に関しては遠回しな手段を選びがちだということだけで。

 

 もう全部が全部、自分の手から離れて回っていた。

 玲と赤坂さんとの勝負に自分は見物することしかできない、それがなんとなく嫌だった。はっきり言うととても嫌だった。

 

 でも、自分にできることは何も無い。

 どこまで行っても2人の話なのだ。今しがた遊んだばかりなのに、少し前から少し遠く感じてた距離感が更に離れた様な気がしていた。

 

 今日、本当は会わない方が良かったのかもしれない。

 

 そう思ってしまった事が、嫌だった。

 今日は楽しかった、それは間違いなく事実なのだから。

 

 ぼんやりと天井を眺めていると、スマホからメッセージの到着を告げる通知音が聞こえてきた。

 見ないでも誰からのメッセージかは予想が付いていた、きっと彼女が家に着いたとでも報告が来たのだろう。

 

 それでも、今の自分に返信する気力はなかった。

 

 ●



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29 放課後、後輩、小鳥遊さん

 ●

 

 自分から告白することもなく、状況を変えようともせずに変わらない日々を享受している自分が、恋愛弱者に当てはまるのはきっと確かなことなんだろうけれども、そう考えた時に自分が恋愛強者になる為に必要なことは何なのだろうか、そもそも恋愛強者の基準は何なのだろうか。

 

 恋を成就させる事ができる人間のことを言うのだろうか?

 それとも自分の恋愛の為に強く動ける人間のことを言うのだろうか?

 

 適当にスマホで検索してもよくわからなかったから、まあ好きなように捉えて、勝手に使って良いのかもしれない。

 おそらく、恋愛強者という言葉は褒め言葉の部類に入るだろうし、きっと大体の場面で怒られることはないだろう。

 

 でも、自分が彼女にその言葉を使ったら物凄く怒られることは間違いなかった。時と場合によってはただの皮肉にしかならない言葉であり、実際自分が使ったのならばそういうシチュエーションに当たるものであるだろうから。

 

 ただ、自分が彼女を説明するなら『恋愛強者』という言葉が1番しっくりとくるのは間違いない。だって、自分の恋愛の為に能動的に動ける人は無条件に尊敬してしまう性質だから。

 

 渚は彼女のことをつむじ風と称していた。自分のために動くからこそ周りを掻き乱す、去っていく。台風というには弱すぎて、そよ風というには無視できないほどの強さ、自分もその表現でなんとなくちょうど良い感じはある。

 

 悪意を向けてくる人に対しては悪意を返すのが普通だし、自分は聖人ではないからそれは変わらない。彼女はきっと自分の事を嫌いだろう、でも、どうしても自分は彼女のことを嫌いになれなかった。

 

 その気持ちがわかってしまうからかもしれないし、崇拝とまではいかないけれど、彼女に対して尊敬や憧れを抱いてるからかもしれない。

 

 彼女は至って普通の女子高生だった。

 入学して早々ある先輩に一目惚れして、その先輩が入っている部活に入り、恋は電撃戦とばかりに告白し、あっさりと玉砕する。

 

 行動力があったから恋は絶対に叶うなんて言えないのだ、もしかしたらある程度関係を積み重ねていたら結果は違ったかもしれない。

 

 でも先輩には想い人が居た、要するに叶わない恋だった。

 

 それでも彼女は健気に部活へと足を運び、機を窺っていた。一度振られた程度では諦めない。既に敗北してはいるけれども、その行動は弱者とは言い難いものだった。

 

 まさに恋愛強者というに相応しい人物ではある、なんとなく物語の主人公っぽいキャラクターでもある。でもまあ、ここまでの話だけならば自分と縁も遠く、何も起こらなかったに違いない。

 

 同じ学校に行ってるとはいえ、学年も違うし部活も違う後輩なんて早々関わりを持てるはずがない。だから、そのまま何事も無ければ交わるはずのなかった線だった。

 そう、何事も無ければ。

 

 もしも、たった1枚の写真がなければ。

 もしも、彼女がそれを目にする事がなければ。

 もしも、そして彼女が想像を飛躍させていなかったのならば。

 

 そう言った『もしも』をくぐり抜けたのは偶然か、はたまた必然か。まあどちらにしても起こってしまったことは仕方がない。

 

 彼女は部室の扉を叩いた、それが結果なのだから。

 

 ●

 

 冬至と比べて夏至が地味な印象を覚えるのは、自分が思うに季節が悪いからな気がした。

 その時期はよく雨が降る季節であるから、1番日が長いという恩恵すらも印象が薄いものになってしまうのだろう。

 だから毎年夏至は必ず晴れる日という決まりがあったのならば、きっと祝日にでもなっていたに違いないと思う。

 まあ、所詮絵空事にしかすぎないのだけれども。

 

 じゃあそんな空想に関係なく冬至にゆず湯に入る風習があるのは、はたして何故だろうか?

 

 多分、1番夜が長い日というのが昔はあまり良くない事だったからだろう。人は良いことより悪いことの方に注目するから、それを乗り切る為にある種のおまじないが必要だったのかもしれない。

 

 小さい幸福を自覚無しに享受して、小さい不幸に必要以上に気を取られるのはなんとなく、それっぽいような気がした。

 

 そんなことを考えながら歩く放課後のこと、今日も今日とて部室を開けるのは自分の役目である。

 渚はやっぱり今日も来ないらしい、一緒に遊びに行って何かが変わることに期待してはいたけれども、週明け初日の月曜日は何も変わってないように思えた。

 まあやれることはやったと思っているし、許すという言葉が出たからにはきっと自分がやったことは間違ってないはず、多分。

 

 だからやっぱり、赤坂さんが言った通りに果報は寝て待てということなのかもしれない。いつかは渚も部室にやって来てくれるだろうし、その時の為にも自分が部室を開けて置かなきゃいけない。

 それがいつかはわからないけれども。渚は来なくても、少なくとも赤坂さんは来るのだから。

 

 まあ渚がやって来ないと、この部活が何部なのか忘れ去られそうな有様なのだが。とりあえず部活は続いていくのは良いことなのだけれども、健全な部活動とは程遠い気がした。

 

 そんなことを考えてながら廊下を歩いていると、今自分が向かっている最中の部室の前で誰かが待っているのが見えた。

 恐らく後輩だろうか、少なくとも見覚えのない人物だった。いつもならば赤坂さんが部室の扉が開くのを待っているのだけれども、彼女の姿はどこにもない。

 

 部室の前に居るのだから、結構高い確率で部活に興味があるのだろうけれども、あまりに新入部員に縁がないものだから半信半疑である。どちらかと言えば、また生徒会から何か突っ込まれるのかもしれない。

 まあ、その時は野田さんが来るような気がするけれども。

 そう考えるとやっぱり新入部員だろうか?

 

 そんなことを考えていると、足音に気づいたのか彼女の視線が此方に向けられた。ポニーテールに纏められた髪が揺れている。

 なんとなく気が強そうだ、そんな第一印象。

 

「赤坂さんって人から伝言です。今日は先に帰る、だそうです」

「ありがと、もしかして手品部に用があったりする?」

「……無ければこんな所で待っていませんけど」

 

 それはそうなのだけれども。

 返す言葉もなく苦笑い。こういう時こそ部長の渚の出番なのだが、今日はいない事が確定してしまっている。

 扉を開けると自分に続いて彼女も入ってきた。

 

 とりあえず自分はいつもの席につき、入口に突っ立っていた彼女とも席に着くように勧める。彼女は自分と反対側の席へ着いた、いつも赤坂さんが使ってる場所である。

 

 どちらも何も喋らない気まずい空間。名前も知らない後輩、本当に後輩かもわからないけれども、とにかく彼女は黙りこくったままだった。

 当然といえば当然か、彼女にとってここはアウェーなのだから。ワンオンワンとはいえやりにくい場所には違いない。

 そうなると、まず自分が何かきっかけを作らなければいけないのだろう。自分が部長ではないとはいえ、本職ではないとはいえ。

 この場に渚がいたのなら、どう振舞っただろうか。

 

「……とりあえず自己紹介からしようか、私は佐々木 玲」

「1年のたかなしかずさです、高い梨の方じゃなくて」

 

 そう言いながらどこからか取り出した手帳に、小鳥遊 一沙とすらすらと綺麗な字で書いた。

 佐々木なんてありふれた名字よりずっと羨ましいと思ったけれども、鷹がいないから小鳥が遊べて小鳥遊だと、心底つまらなそうに彼女は語った。

 まるで価値がないかのように、まあ自分の名前に頓着してない人からすればそんなものなのかもしれない。

 

「それで、小鳥遊さんは新入部員として来てくれたのかな?」

「そうなんですけど、私はもう部活に入ってるんで」

「じゃあ今入ってる部活を辞めて、代わりに手品部に入るってこと?」

 

 手品部に入る意味なんてないような気がするが。

 1ミリたりとも手品部を擁護出来ずに、真っ先にそう思ってしまうぐらい意味は無い。

 

 そもそもの話、既に入ってる3人。つまりは渚と自分と赤坂さんのことだけれども、3人とも手品を目的として部活に入ってるようには思えなかった。

 もしかしたら渚は心の底から手品がやりたくて仕方がないかもしれないけれど、少なくとも自分と赤坂さんは別だ。自分は渚がいるからこそ部活に入ってるし、赤坂さんは自分がいるからこそ部活に入ってくれている。

 じゃあ小鳥遊さんはなんで部活に入るのかと考えるが、彼女の次の言葉を聞いて自分はさらに首を傾げた。

 

「いえ、私は兼部したいんですよ」

「……兼部」

 

 思わず反復してしまった。

 兼部なんてシステムがこの高校にそもそもあるのかは知らないが。本当に存在していたのならば、廃部の危機なんてもんは一瞬で解消していたので、やっぱり無いような気がする。

 あったとしても1番の疑問は残る。

 手品部にわざわざ兼部してまで入る意味があるのか?

 

「多分大丈夫だと思うけど。兼部するにしてもここはそんなに手品部らしいことしないよ?」

「ここに来ていいならそれで良いんですよ、私はね」

 

 薄々考えていた嫌な予感が鎌首をもたげていた。しかしながら臆病な自分にはそれを直視する勇気はなかったから、自分は深入りすることを避けた。知らない方がいいこともある、これも多分そうだろう。

 

「……まあ部長に聞いてみてどうかって感じになると思うけど、兼部できるかどうかはわかんないや」

「そうですか」

 

 嘘である、渚なら恐らく許可するだろうと予想はついていた。

 ほんの少しの抵抗。自分がここでダメと言ってしまえばそれで終わるのだろうけれども、そこまで意地悪にはなれないから。

 

 もしかしたら渚が断ってくれるんじゃないかと淡い期待もある、でも彼女は断らないだろう。ほんの少しの時間稼ぎにしかならないだろう。

 

「また、明日の放課後に来ます」

 

 話は終わったとばかりに彼女はそそくさと立ち去ろうとしていた。

 冷たい対応をしたという罪悪感があった。行動が早く既に扉に手をかけていた彼女に向けて思わず声を掛けたのは、そんな負い目を感じていたからだろう。

 

「小鳥遊さんはさ、どこの部活と兼部しようとしてるの?」

「……新聞部ですよ」

 

 それっきりである。

 彼女に会話を続ける意思はなく、部室にピシャリと扉を閉める音が響いたのも、きっと自分が悪い訳ではないだろう。

 彼女が会いたかったのは自分じゃないだろうから。

 

 でも、なんとなく一つだけわかったことがある。

 自分が部長に向いてないのはきっと事実だ。

 

 ●

 



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30 放課後、部室、赤坂さん

 ●

 

 部室に一人取り残されたところで特にやらなきゃいけないことがある訳でもなく、自分が今やれることといえば、2度あることは3度あるとばかりにとても貴重新入部員がやって来るのを待ちぼうけするぐらい。

 要するに暇な時間、何をやってもいい時間。

 まあだからといってやりたいことも無いのだけれども。

 

 赤坂さんがくれば少しはやりようのだけれど、その赤坂さんはと言えば帰ると伝言を残していた。めんどくさいから逃げただけに違いない、九分九厘の確率で。

 文句の一つでも送っといてやろうとスマホを取り出すと、当の彼女からメッセージが届いていた。

 

『終わったら呼んで』

 

 本当に逃げてただけなのか、呆れてため息を吐く。

 そもそもの話、自分がこれを読まないで帰ってたらどうするつもりだったのか。多分、明日来た時に怒られたに違いない、こちらに非があるとは思えないけれど。

 

『終わったよ』、そう送信して待つことしばし。

 何事もなかったかのようにしれっとした顔で赤坂さんはやってきた。先程小鳥遊さんが座っていた席、つまりはいつもの席、自分と反対側を陣取っている。

 こちらの非難する視線を無視して、いつものように勉強道具を広げてるあたり、やはり彼女のメンタルの強さは尋常ではない。

 

「……逃げた?」

「私に用がある訳でも無さそうだし、それなら適役に任せるべきでしょ?」

「別に逃げる必要もないでしょ、赤坂さんのそういうところ良くないと思うな」

「善処するわ」

 

 全くやる気のなさそうな返事である。

 良くも悪くも赤坂さんは変わらないままだ。空気が読めない訳ではなく、逆に読んでしまうからこそ、それに合わせて行動しているような気がしていた。小鳥遊さんが自分に用がないと分かったからこそ、彼女は席を外す。

 

「映画もさ、舞さんも来ればよかったのに」

「邪魔になるだけでしょ、それに用事があったのは本当の事だし」

「どうせ舞さんのやることといったら勉強でしょ」

「……」

 

 沈黙である、そういうところで嘘がつけないのも赤坂さんらしい。

 部室に赤坂さんが筆を走らせる音が静かに響いていた。心地良い音、ずっと昔には、それを聞きながら眠りそうになることが良くあった。

 でもその音で眠ることはなかった。だって寝るということは手を止めるということだから、つまりはその音が消えた時だから。

 手を動かしてる限りはそうそう眠れないことを知っている、あの寒い部屋で得た教訓の一つである。

 もう一つは白熱電球は割と暖かいということ、テーブルライトの鉄製のカバーはクレヨンを溶かせるぐらい熱くなるということ。

 

 それ以外にもたくさんの事があったはずなのに、パッと思い出せるのがそれぐらいなのは果たして良い事なのだろうか。

 昔のことを思い返しながら筆の音に耳を傾けていると、不意に欠伸が込み上げてきた。本格的な眠気、欠伸を噛み殺しつつ眠気を覚まそうと無理やり口を開いた。

 

「……手品部と新聞部の兼部するほどの価値があるとは思わないけどさ、舞さんはどうしてあの1年生がここに来たんだと思う?」

「別に、聞かなくても貴方は分かってるでしょ」

「赤坂さんの予想が聞きたいなーって思ってさ、駄目かな」

 

 手を合わせて頼み込めば、心底嫌そうな顔を浮かべながらも問題集から此方へ向き直らせることには成功した。

 

「用がある人がいるからでしょ、私と同じように」

「そんな要因でぽんぽん人が来るなら閑古鳥が鳴くこともないと思うけど」

「逆に、手品部にそんな価値があると思ってるの?」

「それはちょっと失礼じゃない?」

「自分でも手品部に兼部する価値はないって言ったばかりでしょ」

 

 確かに言っていた、これは失策。

 入る価値のない部活に兼部しようとしてやって来る後輩、どうにもこうにも不穏な予感しかしない。

 

「まあ、もっと単純な話なのかも」

「と、いうと?」

「前に同じ人がいたからこの人も同じだろうっていう先入観ってこと。そんなにあり得ないと思うのなら、本当に違うのかも知れない」

 

 例えば、シンプルに他の部活を探してるのかも知れない。

 そう彼女は語った。

 

「どの部活でも良いからこの部活を選んだ、そういう人が来たってこと」

「なるほど……?」

 

 あまりよくわからないけれど、なんとなく適当に頷く。

 自分は渚がいるからこの部活だし、赤坂さんは自分が居るからこそこの部活ではあるけれど、世の中そう複雑に考える人ばかりじゃないのかも知れないと言うことだろうか。

 例えば人間関係を拡げるために部活に入るとか、友達が欲しいから部活に入るとか、そんな単純な理由ということか?

 

 自分が小鳥遊さんだと仮定しよう。

 1年生、夏休み前、私は新聞部に入っている。少しの考えの飛躍、彼女は気が強そうだったし、そういう意味で馴染めなかったのかも知れないと失礼な空想を浮かべた。みんながそれぞれの部活に馴染み始めた頃、1人馴染めなかったとしたら。

 

 まあ、苦痛だろう。自分ならば部活を辞めて帰宅部になってるかも知れない。ただ彼女が帰宅部ではなく、他の部活に入るという選択をしたのなら。

 

 運動部には入るには遅すぎて、文化部なら既に関係が出来ているところに遅れて入り込むより、そもそも新聞部に留まればいいんじゃないか。

 留まれないということは人間関係の問題もあるのかも知れない、そこで失敗したから他に手を広げるとか。

 

 そう考えると手品部はちょうどいい緩さな気がした。

 入る価値がないからこそ、価値がある。人数が多くて、部活動に熱心で、新入部員を歓迎してない、厳しい部活の対極にあるからこそ。

 

「……つまり人数が少なくて、部活動に熱心ではなく、いつでも新入部員を歓迎してそうな、緩い部活が手品部ってこと?」

「そこまで言ってないわ」

 

 兼部の意味が分からない以外は説明がつきそうではある。

 彼女の人となりがわかればもう少し分かりそうではあるけれども、自分は彼女を知らないからどうしようもない。もしかしたなら渚と小鳥遊さんに何か関係があるからという理由かもしれない。

 

 新聞部の知り合いがいれば彼女のことを聞けるけれども、連絡先を知っている友人に新聞部は居ない。まあそもそも話、自分の交友関係が狭いのだが。

 1人、新聞部に入ってる知り合いは居るが、彼との連絡を取る方法はクラスで遭遇する以外に知らない。その彼が誰かといえば、自分に告白してきてあっさりと振られた犬飼君である。

 

 明日小鳥遊さんの事を聞いてみよう、やる気が残っていれば。

 まあそんなふうに考えている時点で、明日になったら聞くのもめんどくさくなってるに違いないのだけれども。

 

 そんな取り留めもない事を考えているうちに、会話は終わりとばかりに赤坂さんは勉強を再開させていた。

 いつもと変わらず、飽きる事なく。

 

「ねえ、舞さん」

「……何?」

「本当に、勝てると思ってるの?」

 

 度々勉強を遮って申し訳ないとは思うけれど、どうしても聞いておきたかったこと。期末テストまでもう1週間とちょっとしかない、逆にいえば1週間以上も残ってはいる。

 

「それはどっちに向けた言葉? 私が貴方に勝てるかってこと? 貴方が私に勝てるかってこと?」

「自分が赤坂さんに勝てるかってこと」

 

 ほんの少しの考慮の後、彼女は口を開いた。

 

「……私より勉強すれば勝てるんじゃない?」

「つまり自分より勉強してない相手には負けないと、すごい自信」

「事実よ」

 

 自惚れる訳でもなく、実際そうなのだろう。彼女は学年1位を常に取り続けているからこそ言える言葉。

 才能もあるし努力もしているからこそ。自分の実力を疑いなく誇れることがどれだけ凄いことか、その自信が羨ましかった。

 だからこそ嫌味を一つ、ちくりと刺したくなったのだ。

 

「そういえば舞さん、渚にどうして部活に入ったのか言ったんだね」

「聞かれたから、言っちゃいけない理由も無いわ」

「まあ確かに、それはそう」

 

 あっさりと切り返された。

 実際言っちゃいけないとか、変な条件をつけてないから何をしても許される事ではある。そもそもの話で自分が先に言っておけばよかったことでもあるし、別に赤坂に非があるわけでもない。

 だから、彼女が頭を下げたのはある意味予想外だった。

 

「……ごめんなさい」

「なんで謝るの?」

「悪いと思ってるからよ。別に言う必要もなかった、2人だけの話で終わらせれば良かった」

 

「私はね、佐々木さん。ただただ意地悪したかったの、及川さんの鼻を明かしてやりたかった」

 

 なんでも知っている風に立ち回っているのが気に食わなかった、赤坂さんはこちらと視線を合わせないまま語り続けていた。

 

「だから及川さんの様子がおかしかったのはね、私が原因なのかも知れない、ほぼ確実にそう」

「……」

「ね、私のこと幻滅した?」

 

 ようやくこちらに向けた眼は爛々と輝いて見えた。

 あくまで自分が悪いとは1ミリも思っていないと言わんばかりに。なのに何故か、ただ叱って欲しいだけの子供のように見えた。

 

「……ふふっ」

「何もおかしくはないと思うけど」

 

 そう、きっとそうなのだろう。

 言わなくても良いことを赤坂さんは言ったのだ、それはきっとそういうことなのだろう。そして先程の赤坂さんの威勢はとっくに消え去っていた。きっと自分の行動が予想外だったから、それはつまり自分が怒るのを期待してた事の裏付けだろう。

 

 でもそうはいかない、いかないよ赤坂さん。

 気付いたからには怒れないし、怒る気も湧かなかった。

 むしろ逆に、ただただ笑ってしまうのだ。いつもの自信に満ち溢れてる姿と違って、何が起こってるか分からず戸惑っている姿はあまりに新鮮で、笑みが溢れるのを抑えられなかった。

 

「舞さんはね、正直すぎるよ」

 

 あまりに愚直すぎて、眩しいぐらいに。

 

「自分だって隠してることはあるし、多分渚にもあるんだよ。言いたくないこともある。それは自分の弱味だったり、他人に見せたくない醜悪な部分だったり、色んな事を抱えてるんだよ」

 

 きっと赤坂さんも抱えてる事はあるに違いなかった。

 最低限それを隠すことはしているだろうけれど、それを自ら晒しかねない危うさを持っているように見えた。

 だから忠告せざるを得ない。それが長所であるが故に、きっと自分すら傷つけてしまうだろうから。もしかしたらそれも無駄かも知れないけれど、ただの自己満足かも知れないけれど。

 

「多分赤坂さんが思ってるより、自分は凡人だよ。期待をかけられるような人じゃないことをちゃんと自分でも分かってる」

「……それは私が決める事よ」

 

 そう、確かにそうなのだ。

 だからあらかじめ断っておかなきゃいけない。

 

「自分は最善を尽くすよ。そしてね、きっと負けるんだ。舞さんの期待を裏切ることになると思う」

「……」

 

 汚い事をしている自覚はあった。負けるなんて予防線を張る事すらも、彼女は気にいらないだろうとわかっている。わかっているなら勉強しろとでも言うだろう、映画を見てる場合かと思ってるのかも知れない。

 

「その時は、自分の秘密を一つだけ教えてあげるよ」

 

 その言葉は言わなければ良かったかも知れない、余計赤坂さんのやる気を出させるだけだったかも知れない。ならば、なんでその言葉を付け加えたのだろうか。

 

 負けた時に言い訳をするつもりだったのだろうか?

 

 多分、違う。

 その秘密を知った上で彼女が自分の事をどう思うのか、知りたかったのだ。期待するんじゃなかったと失望するのだろうか、それでその程度なのかと呆れるのだろうか。

 わからない。でも、あまり良くない予測ばかり浮かんでいた。

 

 もしかしたら、知った上で残ってくれる事を期待していたのかもしれない。期待して良かったと認められたかったのかもしれない。

 

 久しぶりにある感情が胸の中で燻っていることに気づいた。その欲が満たせない事を自分は知っているからこそ、いままで見えない振りをしていたもの。

 

 ――自分は勝ちたいのだ、赤坂さんに。

 

 ●

 



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31 昼食、追跡、小鳥遊さん

 ●

 

 我が校の食堂はいうほど不味いわけでもなく、いうほど美味しいわけでもなく、いうほど高いわけでもなく、いうほど安いわけでもない。

 つまり、はっきり言って仕舞えば極めてごく普通の学食だった。給食の延長線上にあるようなものであるから、それを好き好んで食べるような人を見たことがなかった。

 

「あ、なんとなくコロッケ蕎麦を食べたい気分」

 

 はたして本当にそう思っているのだろうか。

 四限目を終え一緒に昼食を食べようと彼女の机に近づいたものの、渚はそんな言葉を残して教室の外へと逃げ出した。

 

 もしかしたら学食のコロッケ蕎麦に物凄い依存性があるのかもしれない。自分は試す気はないけれど。だって、依存したら怖いし。

 1ミリもそうなるとは思っていないけれど、今日もコロッケ蕎麦を食べないための建前を積み上げていた。

 

 少なくとも今日は渚とお昼を一緒できないのは本当のことで。

 食堂で何も注文しないのに、そこそこ混雑している席を一つ占有する勇気を、小市民である自分は持ち合わせていないからである。

 

 その上で、自分は既に昼食を準備してしまっている。

 学食に行くのならあらかじめ言ってくれれば良いのに。このパンを明日に回すという案もあるけれど、このしけった時期に半日常温で置いといたパンはだいぶ危険な香りがする。故に今日中に消化せざるをえない。

 

 1人で食べるのもなんだし、赤坂さんとお昼を一緒にしようと教室を見渡したが、彼女も既に姿を眩ましていた。

 梅雨なのに雨は何処へやら、昨日に引き続き窓の外は快晴だった。

 パンとカフェオレの入ったコンビニ袋を抱えて外へ出る、赤坂さんが何処にいるのかは検討がついたから。

 

 そうしてやってきた旧校舎の非常階段に、しかしながら人影はなかった。

 首を傾げる、まさか予想が外れるとは思わなかった。たしかよくここで昼食を食べているらしいしけど、今日は違ったのか。

 

 赤坂さんのことを全部知っている訳でもないし、まあそんな事もあるだろう。読みが毎回当たるとは限らない、少なくとも自分の予想とは大体の場面で当てにならないものだから。そう分かっていながらも、自分の予想とか予感とか、そういう証拠不十分なものに頼るのをやめられないのは、どうしてだろうか。

 

 考えるのをやめよう、合理ではなく不合理に縋るのもまた人間だから。気を取り直して階段に腰掛ける。赤坂さんを探しに行く時間は余っているけれど、一人で静かに昼食を取るのもまた一興。

 

 懐かしい場所だった。懐かしい、と言っても一月ほど前のことだ。

 前回はここで犬飼君に呼び出されて告白された後、赤坂さんと一緒にお昼を食べた訳だけど。

 なんともまあ、1人でいると中々落ち着く場所ではある。彼女は習慣と言ったけれども、確かにその習慣になったのも頷ける。

 

 なんとなく隠し事をしている気分になれる。

 誰も自分がここにいることに気づかない、何をしてるかわからない。世界で1人っきりになったと思えるような場所。屋上とかも行けたら良いのに。空を1人で独占出来たのなら、きっと気分がいいだろうに。

 

 残念ながらこの学校の屋上は、どちらの校舎とも鍵をかけられていて、一部の部活動でしか入ることを許されていない。まあ、そんな開放された屋上なんて人でごった返して、それが持つ価値もなくなっていそうだけれども。

 

 紙パックのカフェオレで喉を潤わせていると、誰かが近づいてくる足音がした。思わず動きを止める。悪いことをしてるわけではないけれど、なんとなくバレたら不味いような気がした。

 その足音はというと、自分のいる場所へと真っ直ぐ近づいてきていた。もしかして赤坂さんだろうか? 気づかないうちに自分が先回りしてしまったのだろうか。

 

 非常階段の入り口で彼女、つまりは小鳥遊さんは足を止めた。

 逆光の中、眩しそうに手をかざしてこちらを見上げている。なんで彼女がここに来たんだろう、そんな疑問が浮かんだ。流石に偶然ではないだろう。

 しかしながら彼女も彼女で何をしているのかと、此方に怪訝な視線を向けられてことに気付いて思わず苦笑する。

 

 まあ悪くはない。予想と違ったけれど、少なくとも知っている人ではあったから。

 知らない人にぼっちで飯を食べているとか、そんなレッテルを貼られるのはあまりに不名誉だ。彼女も関わりは薄いのは確かだけれども、少なくとも釈明するチャンスはあるだろう。

 そんな彼女の第一声は。

 

「……友達とかいないんですか、先輩」

「失敬な、後から来る予定だから」

「そうですか、そうですか。なら、来るまで待たせてもらいますかね」

 

 拒否する間もなく、彼女は速やかに隣へと腰掛けた。

 適当な嘘をつくのは良くないという教訓を得た、後悔後先に立たず。何も考えずに適当な嘘をつくからこういう事になるのだ。

 

「ごめん、本当に来るかどうかはわからないんだけど」

「じゃあやっぱり、先輩って友達居ないんですか?」

「とりあえずそこから離れない? 雨の中で踊る自由もあれば、1人でご飯を食べる自由もあるよ。ちょっとばかし小鳥遊さんは、1人でご飯を食べる人に対する偏見が強すぎると思うんだけど」

「じゃあ、先輩に友達がいるって事で良いですか」

「もちろん」

「では、思いつく限りの友人の名前を言ってみてください」

 

 真っ先に思いついたのは渚と赤坂さんである。が、それ以外は友人と知り合いの境界があまりにあやふやであり、それを一括りに友人と言い切る図太さを、残念ながら自分は持ち合わせていなかった。

 しかしながら、こういう場面を切り抜ける魔法の言葉を知っている。

 

「小鳥遊さん。友達っていうのはね、数えるものじゃないんだよ」

「いえ、数じゃなくて友人の名前を言ってみてください」

「…………及川 渚、赤坂 舞」

「友人の数、2人と」

 

 何処かで聞いた魔法の言葉は無惨に切り捨てられて、彼女のメモ帳には佐々木 玲の友人の数は2人と記された。あまりに不条理、1人でゆっくり昼食を食べる筈だったのに何でこんな辱めをうけているのか。

 

「そもそもさ、なんで小鳥遊さんはここに来たの?」

「それは、ここに先輩がいるからですよ。そうでもなければこんな場所、寄る必要もないってわかる筈ですよ」

「いやいや、いつも自分がここにいる訳じゃないし。後を追いかけてこなければわかんなくない?」

「何言ってるんですか、もちろん後を追いかけてきたに決まってるでしょう?」

 

 ああ、誤解しないでくださいね。

 自分が言ってることがまずいと思ったのか、彼女は慌てて補足した。

 

「先輩が教室から出てきたところを見て、どこに行くんだろうと思っただけですから」

「ふーん……」

「……絶対に誤解してますね」

 

 まあ多分そうなんだろう。その行動に深い意味は無いに違いのは、彼女が誤解を説こうと四苦八苦してるのを見れば確かなことのように思えた。

 まあ、だからといってこちらからは何も言わないけれど。

 こちらにも人並みの感情はあるのだ。恥ずかしい思いをした分、彼女には苦しんでもらおう。

 

 ゆっくりと焼きそばパンを食む。

 ちらりと隣の様子を伺うと、小鳥遊さんは相変わらず煩悶していた。どうやら彼女は昼食の準備を持ち合わせていなさそうだった。咄嗟の行動で付いてきたことの証拠と言えるだろう。わざわざ偽装していなければ、だけれども。

 

 偽装する意味もないのは分かっているけれども。それでもなんとなくそう思ったのは、昨日部室で初めて会った時の怒気というか、嫌味というか、悪意というか、無愛想な感覚とか、そういう物を不思議と感じなかったからだろう。

 もしかしたら彼女の事をあまり知らないから、そういう印象を抱いていたのかもしれない。

 

「小鳥遊さん、お昼持ってないならパンひとつ食べる?」

「……帰れって事ですか?」

「……」

「……すいません、頂きます」

 

 パンはぶぶ漬けじゃあるまいし。そんな嫌味な人間に思われてるのだろうか、自分は。何故か彼女から色眼鏡でみられているようなきがするけれども、その理由が分からない。

 

「そういえばさ、何で小鳥遊さんは手品部に入ろうとしてるの?」

「いま、それを聞きますか」

 

 受け取ったメロンパンを一口サイズにちぎって口に放り込みつつ、呆れたようにこっちを見た。

 

「その理由次第で部活に入る事を拒否したりするんですか?」

「いや、まあ、自分が気になっただけだからなぁ」

 

 断れないし、断る理由もない、余程の理由じゃなければ。

 それを聞いて安心したかのように彼女は頷いた。

 

「それは、建前と本音の二つの理由があるんですよ」

「建前って、わざわざそれを言う必要なくない?」

 

 ある種のプライドですから、彼女はそう言った。

 

「嘘を言いたくないんです、私は。自分に正直でありたいから、だから嘘をつくにしても、それは建前だとか嘘だとか前振りしておきたいんですよ」

「それはまた、難儀な性格してるね」

 

 ある意味、元新聞部っぽい性格だとは思う。

 ジャーナリストっぽいと言うべきか。

 

「先に建前の方を言わせてもらうと、新聞部に少し居づらくなったから。だから他の部活に入ってほとぼりを覚まそうって事です」

「居づらくなったって、なんかやらかしたの?」

「大した事はないと思うんですけどね、ちょっと告白して振られただけなのに」

 

 おぉ、と思わず感嘆する。なんでもない事のように言うけれど、そういう風に告白する勇気を持ってる事は素晴らしい事だろう。

 しかも1年生だからそんな時間も経ってないはずなのに、なんというクソ度胸。

 そこまで思ったところであれ?と首を傾げる。

 

「建前って事は告白したっていうのも嘘?」

「それは本当ですよ。無ければ良かったのに、本当にあったことです。人間関係がギクシャクしたっていうことも事実」

 

 いや、彼女は被りを振って否定した。

 

「なければ良かったことではないですね、だって私は告白した事を後悔してませんから。振られた事は残念ですけど、それを糧に前に進めるんですから」

「……強いね、小鳥遊さんは」

 

 心の底からそう思えるのは、自分との対比だ。

 少なくとも彼女は前に進もうとしている、停滞する事を選んだ自分とはまるっきり正反対の人間だったから。

 

「そして、私は振られてしまったけどまだ諦めてないんですよ」

 

 本音の部分はそこなんですよ、彼女はそう言った。

 彼女の話を聞きながら悠長にカフェオレを飲んでいたが、彼女は次の言葉を言う前に、親切に自分が飲み終わるまで待っていた。果たしてそれが本当に優しさだと思っていたのか、自分には分からないけれども。

 

 そして彼女は1つ、爆弾を投下した。

 

「ねえ、先輩。犬飼先輩のこと知ってますよね?」

 

 ●

 

 



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32 昼休み、小鳥遊さん

 ●

 

 告白して振られたという話から、犬飼君を知っているかという話に繋げられて、小鳥遊さんが告白した相手が彼以外であると予想するほど鈍い筈がない。

 そして彼女が振られた理由が理解できないほど鈍い訳でもなかった。彼女が振られたのは彼に好きな人がいたからで、それはつまり自分が原因という訳で。

 

 小鳥遊さんが手品部にやって来たのは九分九厘、自分が原因のような気がした。残りの一厘はそれを認めたくないという願望。

 しかし、原因が自分にあるとしてそれがどういう行動に繋がるのかは全く分からないままである。具体的な予想が思い浮かばない、それこそ物理的に排除するとか荒唐無稽な物騒な案ぐらい。

 その答えを求めるため、少しの躊躇いの後、自分は口を開いた。

 

「知ってるよ、同じクラスだから」

「どういう関係ですか?」

「どういう関係って……友達、かな」

 

 赤の他人ではないのは確かである。告白されて、それを断って、一応友達にもなってもいる。只のクラスメイト、つまりは名前を知っているぐらい関係性から一応ランクアップもした。といっても、まだたまに話すぐらいだけれども。

 異性との付き合いはそういうものだろう、チェーホフが昔言ったように友情を深めるのには時間がかかるものだから。

 

「私が告白したのは、その犬飼先輩なんですよ」

 

 予想的中、あまり嬉しい予想ではなかったけれども。

 

「まあ、あっさりと振られたんですけどね、好きな人が居るからって。私は先輩のそういう一途なところも素晴らしいと思いますし、それが振られた理由だと言うのなら望みが叶わなそうってこともわかるんですよ」

 

 それでもまだ、私は諦めてませんけどね。

 彼女はそう言った。そうだろう、だから彼女はここに居る。

 

「問題は、犬飼先輩が誰の事を好きかわからないって事でした。恐らく部活の仲に居ない事は確かでしょう、女子部員もまあまあ居ましたけど、それっぽい様子も見せませんでしたし、それに」

「それに?」

「敵わないと思った相手はいませんでしたから」

 

 冗談ですよと彼女は無表情で付け加えたけれども、それを言葉通り受け取る事はできなかった。きっと、それは彼女の本心だ。

 自分が負けたと認めたくないのか、ただ傲慢なだけなのかはわからない。ただ、それがどちらであろうと、その根源が彼女の自信だという事は分かる。

 そう思うと、小鳥遊さんは赤坂さんにダブってみえた。同じ時間、同じ場所、繰り返されたかのようなシチュエーションに自分達が居る。

 違うのは衣替えした制服と、自分が前より余裕があるという事だろう。

 

「犬飼先輩が誰のことを好きか、先輩は知ってますか?」

「それを聞くってことは誰が好きかわかったってこと?」

「恐らく、この人なんじゃないかなっていう予想は」

 

 そういって彼女が懐から出した写真には見覚えがあった。無表情のつもりが微妙にへらへらとはにかんでいるし、なんとなくピースしている姿。

 間違いなく自分であるし、撮られた場面には覚えがある。

 

「なかなか苦労したんですよ、本人が教えてくれないから。高い確率で同じクラスの人だとは思ったんですけど、そこから先に絞り込む為の情報がない」

 

 先輩の周りに探りを入れる手もあるだろうけれど、それを知られた時に私の好感度が下がるかもしれない。

 まあそうだろう、自分の知らない場所で探られてたら、誰だろうといい気持ちではないのは確かである。

 

「下手は打てないから、待つしかない。どこかで先輩の足がつくのを待つしかなかった。状況が好転するのを期待しつつ、長期戦も覚悟のことでした」

 

 結果として小鳥遊さんは一つの札を掴んだ。

 1枚の写真、そして彼女は状況を変えるべく動き始めた。

 

「小鳥遊さんが告白したのっていつぐらい?」

「3週間ぐらい前です。その時は振られたショックのまま、フワフワとした気分で曖昧に新聞部に居たんですけどね」

 

 つまりは彼が小鳥遊さんを振ったのは、自分が犬飼君を振ったあとということか。後先逆ならば違う答えが出たかもしれないなんて事はないのだろう。

 彼は妥協しなかった。小鳥遊さんの言葉通りに、彼女の恋は望み薄のように思えた。なんとなく付き合う相手に選ぶような人でないのなら、なおさら。

 

 小鳥遊さんが可愛くないなんて事はない。

 気が強そうとは思うけれど、それが理由で他人に好かれないなんてこともないだろう。

 

 自分からしてみれば赤坂さんとか、渚とかの方が魅力的に見えるけれど、少なくとも自分と彼女、どっちが可愛いかと言われれば彼女を選ぶだろう。

 

 彼女と自分の違いはなんなのだろうか?

 彼女が選ばれなかった理由は何なのだろうか。

 

「でも時間を無為に過ごすのが嫌だった。恋を諦めるにしても、諦めないにしても、私は行動しなきゃいけなかった」

 

 停滞を選んだ自分と対照的に、彼女は前に進む事を選んだ。

 

「先輩、好きな人居ますか?」

 

 その問いかけを無視して、彼女から目を逸らした。あまりに眩しくて、大人気なく嫉妬してしまいそうだったから。

 それを気軽に問いかけられることも、挫折しても前に進めることにも、小鳥遊さんに勝てる部分を見つけられそうになかったから。

 

「それで、部活に入ってどうするの。自分が目的なのはわかったけど、それがどういう風な行動に繋がるの?」

「つれないですね。私が腹を割って話したっていうのに、それに釣り合う情報を渡してくれたっていいじゃないですか」

 

 ま、いいですけど。そう言いながら彼女は立ち上がった。

 気がつけば彼女はパンを食べ終えていた、自分は彼女の話に気を取られてまだ半分ほどしか食べ進めていない。

 

「理由1、佐々木先輩のことを知る為」

「……自分を知る為?」

「先輩に興味があるわけじゃないですよ、私が知りたいのは犬飼先輩が佐々木先輩のどこを好きなのかってことです」

 

 好きになった理由、犬飼君はどうして告白したんだったか。

 好きだったから、知りたいと思ったから、確か彼はそんな事を言っていた気がする。そういえば詳しいことは知らないままだ。

 知りたいから好きになったのか、好きになったから知りたいのか、自分のことを知りたいと思うような出来事があったのだろうか。

 わからない、そんなことがあった気がしない。

 

 首を振る、分からないものを考え続けても仕方がない。

 それより先に聞いておくべきことがあるだろう、理由1ということは2があるはずなのだ。

 

「もうひとつは?」

「もうひとつは、佐々木先輩を排除する為」

「……排除?」

 

 いきなり物騒な言葉が出てきた、あり得ないと真っ先に消した案が復活してくるとは思わなかった。恋愛は戦争であるとは良くいうけれど、知らないうちに本当に殺し合いになったのだろうか。

 

「退場と言い換えた方がいいかもしれませんね、先輩に彼氏ができたら犬飼先輩も諦めてくれるかもしれないじゃ無いですか」

「なるほど……?」

 

 予想以上に平和な案だった、お節介ではあるけれど。

 

「恋のキューピッドですよ、役に立って見せますよ」

「悪いけど、しばらく告白する予定ないから」

 

 問題はそれ以外にもあるけれど、まずはそこだろう。

 他人に自分の恋路を決められたくないという反発心も当然ある、わざわざ今の関係性を他人の為に崩すほどお人好しじゃないというのもある。

 手伝ってくれるとはいえ、成功するとは限らないのだから。そもそも知り合って2日も経ってない相手に助けを求めるほど落ちぶれては居ない。

 そしてなにより。

 

「なにより、自分の事を嫌ってるかもしれない相手に誰が好きとか言えるはずないでしょ」

 

 恐らく、彼女が自分に好意的な感情を持っているはずがないのだ。

 自分の恋の障害を世の中そういうものだと甘んじて受け入れられるような人間が居るとは到底思えないのだ。居なくなってしまえと思っているのが当然である、人が人である故に、そうそう簡単に割り切れないことを知っている。

 

「その通り。その通りですよ、先輩」

 

 自分の予想を否定せず、彼女は笑顔で受け入れた。そこは否定するべきだろうに、それをしない事がチグハグで、はっきり言えば気持ち悪い。

 

「私のことは信用しないほうがいい、部活にも入れないほうがいい」

 

 彼女の言う通り、入れないほうが良いのだろう。はたして断れるかどうかは別として。面倒なことになるのはほぼ確実だ、それも悪い方向に。

 

「これまで語ったことが全部嘘かもしれないし、本音は別に抱えてるかもしれない」

「嘘は嫌いなんじゃなかった?」

「それすら嘘ってことですよ」

 

 めんどくさい、赤坂さんよりめんどくさい。

 少なくとも彼女は本当のことしか言わないのに、そう考えると赤坂さんほどやりやすい相手は居ないのかもしれない。

 まあ、赤坂さんも大概何を考えてるか分からないけど。

 

「もしかしたらただ先輩の嫌がらせするためにきたのかもしれない、こんな相手を先輩は部活に入れてくれるんですかね?」

 

 そもそもこちらは拒否権を持ち合わせていないのに彼女はそんなことを言う。断れるなら断りたいけれど、それを決めるのは部長である渚だろう。渚は渚で面白がって入れそうではあるし、そう言う意味でも詰んでいる。

 

 階段に身体を投げ出し、背後の空を見上げる。憎たらしいほど青い空、多分入れるだろうと言うのも、拒否権を持っていないと正直に言うのも癪だった。後輩にやり込められっぱなしというのが許せない、人生の先輩のプライドとして、まあ恋愛についてはもう完敗と言ってもいいだろうけれど。

 

 逆鱗に触れるだろうセリフは思いついていたけれど、それを軽々しく使う気にはなれなかった。

 

「それじゃ、犬飼君のことを好きなのも嘘って言ってよ」

 

 恐らく、彼女はそれを嘘といえないだろう。それが事実だから、彼女の行動の支柱であるから。そこが崩れたらもう何も分からないけれど、写真のことを考えると、やっぱり事実なのだろう。

 嘘を嘘だということは簡単だけれども、真実を嘘だというのは容易くない。人が大事にしている感情ならば、尚更。

 だから、自分がやれることは彼女の予想を裏切るだけだ。

 

「部活に入ることは別に断んないよ」

 

 渚に任せて入ることが決まるぐらいなら自分が決める。

 きっと彼女は断られることも想定して居ただろうし、むしろそれ前提で話を組み立てていたのかもしれないけれど、そうはさせない。

 

 それが良いことか、悪いかはともかくとして。

 

 ●




彼女の知らないところで回る話


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0 夢、あるいは昔話

感想読めてないのほんとごめんなさい
ゆとりができたら読みます


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 少なくとも当人の間で勝負をするとか、そういう約束どころか会話をしたことはなかった。それはただの意地の問題であり、彼女がそれを意識していたかはどうかは分からない。

 それは勝手に競り合って、勝手に負け続けたというお話。

 

 高校1年生の冬、文系に進むか理系に進むかの選択肢を迫られた自分は、特に悩むことも無く文系を選んだ。世界史に関しては自信があるというという単純な理由と、文学部への憧れという理由。

 

 努力の分だけ点数を稼げる暗記科目。まあ実際、他の教科も努力すれば点は稼げるのだろうけれども、興味があるものは覚えがいいのが世の中の常である。自分にとっては世界史がそれだった、ただそれだけの事だった。

 井の中の蛙と言われるかもしれないけれど世界史だけはこの学校、同学年の中では1位を取るだけの自信があった。

 

 私立学校であり、学力でクラスを割り振っていく中、自分は一応文系の中で一番上のクラスに居て。

 そうして迎えた2年生1学期の中間テストである。

 

 学年で上位の成績を貼り出すとかそういう慣習はなかった。クラスによりテストが違うから、点数では比べられないという理由。

 代わりにクラス内での順位が発表されるだけ。でもこのクラスの中で1位を取れば、学年で1番上といえるのは確かだった。

 バランスよく分かれてるならともかく、このクラスに学年で頭のいい奴らが集められているのだから。

 

 テスト後の手応えはというと、他の教科の点数はそれなりながらも、世界史は満点を取ったという確信があった。

 確信があるテストの自己採点は気楽であり、予想通り100点の見込みだった。同点が居たとしても100点ならばクラス内1位は確定である。

 

 他の科目もそれなりの点数。まあ総合でクラス内1位がどうかは怪しいが、世界史で1位ならそれで良かった。

 

 結果から言えばクラス内の総合1位は別のやつだった。というか去年から同じクラスの友人だった、まあそこら辺はあいつが日本史選択だった事もあり、極めてどうでも良いことなのだけれども。

 

 世界史は予想通り満点であり、しかしながら同率1位という結果で終わっている。彼女のことを意識することになったきっかけ、それが始まりの話。

 

 ●

 

 階段から足を踏み外したような浮遊感、ガタリという音と額に走る軽い衝撃。慌てて顔を上げると、前方の机にも、教卓の前にも誰も居なかった。

 窓の外に視線を向けるも、日はすっかり沈んでいた。

 

 不覚にも気づかないうちに寝ていた。ほんの少しの寒気と下敷きにされていた腕の痺れ、黒板に残された白い文字の羅列を眺めながらぼんやりと考える。

 頬がヒリヒリするのはきっと腕を枕代わりにしていたからだろう、学ランの肌触りは枕に適していないから。

 

 腕の下に置かれて少し皺のついた世界史のプリントを鞄に仕舞い込みながら首を傾げる。

 ほんの少しの違和感があった。何かが、おかしい様な気がする。

 

 帰りのホームルームはいつやったのだろうか、黒板を消さないままやったのだろうか?

 6限は世界史だったかと思い返すも、靄がかかったようにうまく思い出せなかった。

 それは自分が寝起きだからだろうか?

 いくら考えても答えは出ないままだった。

 おぼろげな意識のまま、なんとなく義務感に駆られて黒板の前に立つ。11月15日という日付を明日へと書き換えて、それ以外の文字を一切合切消して行く。

 

 文字を消すたびに意識が冴え、寝る前のことを思い出す。

 そうだ、放課後に世界史の補講を受けていたんだった。やる事といえば過去問の演習とそれの解説、希望者のみだからあまり受けてる人はいなかったけれども。

 

 一通り消し終えて、効きの悪い黒板消しクリーナーで後処理をする。

 蛍光灯で照らされた黒板は、自分でもありえないと思うほど綺麗になっていた。もしかしたらこれが天職かもしれない、黒板消し専門職という職業があるのならばだが。

 我ながら満足のいく仕事の出来だったと同時に、どうして黒板という名前で緑色なのかというふとした疑問が頭に浮かんだ。

 今更考えるようなことでもないけれど、一度浮かんだ疑問は容易に消えなかった。これは黒板ではなく緑板と呼ばない理由はなんなのだろうか?

 

「いやいや、本来は黒板は黒色だったらしいよ。でも黒い塗料は貴重だったから、だから緑色で代用されるようになったらしいんだ。ま、諸説あるらしいからこれで確定という訳でもないんだけれどね」

 

 一人っきりクラスに取り残されていたと思い込みの意表を突いた言葉、そして自分の思考を読み透かしたかのような解答だった。

 背後から飛んできた声に慌てて振り返る。ちょうど自分が座っていた席の後ろに腰掛けている奴がいた。自分が寝ているうちに既にいたのか、それとも黒板を消すのに集中しているうちに入り込んでいたのか。

 どちらかはわからない。ただ、知らない奴というわけもなかった。

 

「……来てたなら起こしてくれよ、委員長」

「あまりに気持ちよく寝てるから、起こすのも悪い様な気がしてさ」

 

 そう言いながら委員長は日本史の一問一答をパラパラとめくっていた。

 高校に入学して以来、3年目になる腐れ縁ではある。まあ学力でしかクラスが変わることがないから、あまり珍しいことでもないのだけれども。

 

 その委員長とやらと放課後の教室で二人きりである。めんどくさそうな状況だった、起こしてくれないで自然に起きるのを待ち構えてる時点で不審に思うべきなのだ。それはつまり、起こさないことに利点があると考えるべきで、委員長が帰らずに待ってるということはこうなることを想定していたということで。

 

 そこまで考えて真っ先に思いつくスマートな切り抜け方は、関わらず話し掛けずに速やかに教室から退出することだろう。

 問題点はたった1つ。鞄は自分の席に置きっぱなしであるから、絡まずに帰るにしても一度近寄らなければならない。

 

 ならば妥協案。一旦教室の外へ、男子トイレにでも逃げ込んでしまおう。生理現象であるからその行動にとやかく言われる心配もない。

 数秒の気まずい沈黙の後、その結論に従って1番近いドア、つまりは教室の前方の扉に手を掛けた。

 

 びくともしない、というか鍵を掛けられている。教室の内側に鍵を掛ける機能はない、つまりは外側から施錠されていた。

 この状況を説明できるだろう人へ抗議の視線を向けると、彼女は困った表情でお手上げのポーズをしていた。

 

「言い忘れていたけどね、警備員が自分達が教室の中にまだ残ってることに気付かず両方とも施錠してしまったらしい。つまりは密室って事」

「いや、ありえないだろ。常識的に考えて照明がついてたら教室の中に人が残ってないか確認するにきまってる」

「ジェーケーね、でも実際閉じ込められてるんだから仕方ないんじゃない?」

 

 そうなってしまってるのだから仕方ない、そんなことが原因じゃないとしても。その原因は九分九厘の確率で委員長なのだろうけれど、どうやって密室を作ったのか推理するのも時間の無駄だろう。

 それより考えるべきなのはこういう状況を作って何をしたいか、それを予想することにすら情報が足りないのが現実なのだけれども。

 

「で、警備員が戻ってくるまで暫く話でもしようって言うんだろう?」

 

 仕方なく自分の席へと腰掛ける。椅子を横に向けて、半身を向けた状態。窓の外はすっかり日も暮れていて、もう運動部の声すら届いて来ない。

 

「察しがいいね、君」

「……そりゃ、ずっと一緒にいるからな」

 

 良くも悪くも、一緒にいすぎた。だから変わらないし、変えられない。恐らく、この関係は卒業まで変わらないだろうことを二人とも知っている。

 そのことを後悔してるかと言われたら別に後悔はしてないから、そういうものなのだろう。なにから話をしようかと一問一答を閉じて考え込む姿をぼんやり眺める。

 

「次のテストは、勝てそう?」

「勝ちたいけどなー、ここまでくると負けすぎて自信が無い」

 

 腕を組んで天井を見上げる。初回のテストで引き分けになって以来、ムキになって自分が世界史に打ち込んでる事を委員長は知っている。そしてその結果として負け続けている事も。

 初めの中間テスト以来、世界史はクラス2位のままだった。

 期末、中間、期末、期末、中間、期末、中間、都合7回のテストがあったわけだけれども、自分はことごとく満点を逃しているし、彼女は満点を取り続けている。

 自分が満点とったところで初回の中間テストと同様に引き分けで終わるわけで、それはつまり、いままで勝つ機会もなかったというわけで。

 

 教師も教師で満点を取られないための作問をしてることには気づいてた。自分が見落としていた部分を本番前に潰せることは有難いし、ある程度の難易度でないと勝敗がつかないし、それはそれで困る。

 問題は点を取らせないために作った問題に引っ掛かるのが悉く自分で、彼女はそれを切り抜け続けているということだろう。

 

「まずこっちが満点取らなきゃいけないんだよな。相手のミスとかもう有り得ないだろうし、ケアレスミスを祈って願って、その上で満点を取る必要がある」

「一科目で争うのが不毛な気がするけどな、それ」

「それはそうだけど」

 

 世界史に関しては無類の強さを誇っていたが、他教科も同様に隙がない訳ではなかったし、むしろ隙しか無かった。世界史で得点を荒稼ぎしても、その他の教科が猛烈に足を引っ張り、総合得点でクラストップ10位に一度も食い込んだことがない。

 そして総合1位を安定して取り続けてるのが、自分の隣にいる委員長である。日本史、世界史で多少の点数のブレはあるとはいえ、それでも勝ち続けていた。

 

「世界史じゃなくて日本史にすればよかったのに」

「うるせー、お前が得意な教科に誘導してるだけだろ」

「ま〜自分がいない教科で勝手に争ってくださいよ、低レベルな次元で」

「お前、世界史で一度も勝ったことないけどな」

 

 1年の頃の文系理系の選択前では世界史においてはことごとく自分が勝っていたし、日本史においてはことごとく委員長が勝っていた。

 それぞれが得意な方に分かれて、そしたら1教科のみの上位互換が現れてタコられ続けている状況。日本史に行ってくれれば楽だったのに、なぜこっちに来たのか。

 

「ま、元々世界史には進む予定がなかったんでいい感じに手を抜いてただけなんですけどね」

「それなら逆のことも言えるけど」

「知ってるよ、君がちゃんと勝つために勉強してた事」

 

 そう、自分が手を抜く筈が無かった。

 世界史ほど力を入れてなかったとはいえ、勝てなかったとしても教科を捨てた訳でなく、隠れて努力してた事も、勝てなかったからこそ自分が別の科目に進んだ事も事実。

 その言葉を即座に否定できるはずがない、自分の努力を認めないどころか、一切無かったなんて否定するなんて許せるはずが無いだろう。

 

「……本当に世界史で手を抜いてた?」

「秘密、いう訳ないじゃん」

 

 自分勝手な理論を振り回せることが、心の底から羨ましかった。不機嫌なこともきっと表情からバレていたのだろう。良いように此方を振り回しておいて、彼女は素晴らしく綺麗な笑みを浮かべた。

 

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次はなるべく早く

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