石上優の生存戦略 (ミート)
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石上優は生き延びたい
第六感、という言葉をご存じだろうか。直感、霊感、虫の知らせ、シックスセンスと呼ばれるそれは五感を超えた感覚を意味しており、時には未来予知すら引き起こす人の持つ可能性の一つだと言えよう。
だが、現在では未来予知とも呼べるその能力に一つの結論が定着している。人は未来を見たのではなく、自らが持つ経験に基づき高度に予測したのだと。その計測に脳が追いつかず予感として本人へと警告をしている、という説が挙げられている。無論、人の潜在能力は現代ですら全て明かされてはおらず、未知の可能性を求め研究し続けて居る人が存在する以上その説が絶対などと結論付けることはできない。ただ有力な説であることもまた、否定はできないのだ。
そして今、秀智院学園生徒会室その場所で、石上優は正にその
インターネットでラノベの致命的なネタバレを見ようとしたときか、ゲームでBADEND直通の選択肢を踏み抜こうとしていたときか――。いずれにしても石上はその第六感を無視して突き進み、地に伏し苦しむことが幾度もあった。
だがそれらは無意味ではなかった、あれらの苦い記憶は全て経験が伝えた
「それで――『私が会長のこと――』の続きはなんですか?」
嫋やかな笑みに鈴のように凛と響く透き通った声、それらを向けてくるのは石上一人であり、傍から見れば女神の恩寵を独り占めしているかのようなその光景に、石上は冷や汗を流しながら思う。
「(『四宮先輩、会長の事好きなんですか』、は……地雷! 見えている地雷だったんだ! だけどまだ僕は、踏んでいない!)」
第六感は、石上が地雷を踏み抜き大炎上する前に、歯に衣を着せぬ言い方をこぼす前に、地雷原前で足を押しとどめた。
――
石上が四宮に無謀な言葉を言おうとしたきっかけは、秀智院生徒会長である白銀御行と四宮かぐやの恋愛頭脳戦に巻き込まれたことだ。恋愛頭脳戦とは何か、コミックスを呼んでいる読者であるのなら目にタコができるほど見た説明なのであえてここでは省略する。重要なのは天才たちの戦いに意図せぬ形で石上が巻き込まれていたことであるのだから。
かぐやが節制主義者の白銀を喫茶店に誘おうと(誘わせようと)、テーブル下に割引券を張り付けておいたのだが、石上はそれに気が付き剥がしてしまった。
不自然に途切れる会話、「割引券でもあれば(一緒に行きましょう)」という誘い文句が中途半端に終わり、かぐやの視線は石上の持つ割引券へと動き、石上はその表情を見た。
なるほど、と石上は納得する。石上も次元が一つ下がった女性を幾人も攻略してきた身だ、難聴鈍感クソヤロウでもないと自覚がある以上、かぐやが行おうとしていた意味を理解――
『(あ、だめだ僕死んだ)』
してしまった。かぐやから向けられた、凍り付くような視線は石上の精神をぶっ殺した。
視線で人は殺せる。石上は死んだ。じゃあ今生きている自分は何かと言えば、四宮先輩の言葉を忠実に守るアンデッドなのだろう。「割引券のことは他言無用」と言われた言葉をロボットのように何度も頷くことしかできなかったのだから。
そうして精神的にアンデッドになっている石上だが、かぐやがどうしてそのような行動をとったのか――端的に言って白銀御行に対して好意を持っているのだろうと結びつくのは当然だった。
それに関連付けて白銀を観察してみれば、両者とも相手にアプローチをかけさせようとしている。……かけさせようと、と言うのが石上には理解できなかったがおそらく両思いなのだろう、と想定することができた。
日付を幾つか跨ぎ、趣味や時間が石上を
生徒会室でかぐやが紅茶を楽しんでおり、他のメンバーも居なかったため、丁度良いと考え聞こうと思ったのだ。
石上とてかぐやも白銀も恩があり、尊敬する先輩でもある。結ばれるという良い出来事があるのならそれに越したことは無い。
挨拶もそこそこに石上は切り出した。
「四宮先輩って会長のこと好――」
何かが、石上の声を出すことを止めた。
――第六感。
直感、予感、シックスセンスと呼ばれるそれ。即ち石上が培ってきた全ての経験は、石上の足を押しとどめる。
そして石上は幻視した。自分は今、糸くずよりも脆い綱の上を歩んでしまっているのだと。
「――今、なんと言いましたか? 石上君?」
笑み。かぐやが石上に対して向けたのは四宮家の令嬢、秀智院学園生徒会副会長に相応しい、一片の濁りも隙も無く見るものを魅了するものだ。
だがそれは死だ。死神が石上に対して指を差した、次はお前の番だ、と。
ようやく石上は気が付いた。今自分が居る場所は――地雷原。迂闊な行動一つが命を奪い、散らせていく戦場に居るのだと気が付いてしまったのだ。
「…………いえ、なんでも、ナイデス」
石上が選んだ選択、それは即撤退することだった。進めば死、ならばそのまま後ろに下がればいい。来た道を引き返し、足跡をたどるのだ。それなら爆発することは――
「あら、そうまで含むものがあると、私としても気になりますね。遠慮せず、聞いてくれても構いませんよ?」
「(追撃!? なぜどうして!? 此処で終わらせれば四宮先輩にとっても都合がいい筈でしょう!?)」
石上は忘れていた、此処は地雷原だ。石上は目の前の地雷に気が付いただけであり、その周りには無数に地雷が埋まっている。この
だから深追いはしない、テリトリーには入らないと伝えたはずなのに
そしてかぐやも石上が言おうとしていたことを察した。普段ならば白銀が絡むと途端にポンコツになり、石上の言葉に対しても大きく動揺しただろう。
だがかぐやは白銀を告らせようとするその事前準備に関しては、冷静で綿密な計画を立てて挑むことができる。そして今の石上が、かぐやの恋愛頭脳戦に関して致命的な亀裂を発生さしうる相手であると理解し、元来あった聡明な頭脳は感情面を置き去りにして回転を始めていた。
「(石上君が何を言おうとしたのか、それは想定できます。さしずめ私が会長のことを好、好いているのかとでも言おうとしたのでしょう。どうしてそんな愚かな妄想を、百歩譲って会長が私を、と言うのなら理解はできるのですけれど。……いえ、原因は分かっています。以前会長『が』私を誘うことができずに居て、それを見かねた私が与えようとした慈悲を、石上君が私の会長への好意であると勘違いしてしまっているのでしょう。ですが問題は――それが事実として広まってしまうことよ)」
そう、石上は四宮が白銀に仕掛けようとしたことを知っている。無論かぐやは口止めをしたが、今こうして地雷原にのこのことやってきた人間が、うっかり口を滑らせることは想定できてしまった。
『かいちょー、四宮先輩がかいちょーのこと好きみたいですよー、こんなことをやってましたしー』
『えー!? そうなんですかー!? かぐやさんがー!? みんなに知らせなきゃ!』
かぐやの脳内では、デフォルメされた石上とお花畑の藤原の言葉を止めようとかぐやが四苦八苦している最中、ポン、と肩を叩かれてその先を見上げた。
『ほう、俺の気を引きたいがためにこのような小細工までして用意周到に準備しておくとは。そんなに俺と一緒に出掛けたかったのか? 全く、お可愛い奴め』
そこには見下した視線でやれやれと溜息を吐いた白銀御行の姿が――
「(そんなの! まるで私が会長を好きでたまらない臆病で内気な少女の様じゃない!? 違うわ! この四宮家令嬢、四宮かぐやが、そんな後ろ向きで歩くような思いを抱いているものですか!?)」
プライドが高いかぐやにとって自分が会長に好意がある、などと言う事実は在ってはならない。無論、誰かにそう思われることもまた同じだ。石上が恋愛敗者へと成り下がる勘違いをしたままであることを見逃すなど、できるはずがなかった。
此処でのかぐやの勝利条件とは即ち、石上の持つ認識を変えること。そのためには石上が今かぐやと白銀に対してどう思っているのか、聞き出さなければならないのだ。
故にかぐやは石上を観察する。目の前に居る石上は路傍の石――までは行かないが道端のタンポポ程度の存在である。だからこそかぐやは完璧に対応した。頼りになる先輩として、四宮家の令嬢として、秀智院生徒会副会長として、紅茶の水面は波一つ立たず、一片の隙も無い姿で石上へと問う。
「それで――『私が会長のこと――』の続きはなんですか?」
此処で冒頭へとつながった。
石上が初めに理解したのは第六感によって得た危機感は全く去っていないという事実だ。人の地雷が人一倍見えて、その地雷を人一倍踏みしめる男は今、生き残りをかけた戦いを始めようとしていた。
これは恋愛頭脳戦などではない。石上の四宮かぐやとの力関係は兎とライオン、ミジンコとメダカ、地味っ娘とヤリサー! 正に生きるか殺されるかの理不尽な二択! これは石上の未来を賭けた生存戦略なのである!
生存戦略、開始!
「(分かってることは二つ、四宮先輩が会長に何かしらの好意を抱いていること。そしてそれを指摘されることを嫌っていること)」
前者は以前の四宮の立ち振る舞いで、後者は無くならない第六感からの推理だった。石上とて過去には無数の選択肢の選び取り、その結果でいくつもの屍をさらした男である。その経験が引き起こす警告からその二つを確定情報とした。
この情報を無視して何時ものように突き進んだとしたら――
『四宮先輩って会長の事好きなんですか?』
死である。
『僕から会長に、四宮先輩が好意を持ってることをそれとなく伝えておきます』
死である。
「(恋愛関係を決定づける返答は死……っ! それなら!)」
「……四宮先輩と会長は『友人関係』なのだろうか、と思いました。ふとなんとなくですが気になったので」
石上、初手で地雷原を探る。そも石上には勝利条件すら表示されていない上に時間制限付きの糞ゲー状態である。情報を整理し、まずは地雷の位置を確認した。
友人関係、一見すると確かな関係に見えるが、その内容は天と地ほど差を付けられることは皆もご存じのとおりだろう。
上を見ればたとえセッ……したとしても友人、で済ます者も居れば、下を見ればメールのアドレスだけ乗っていて一切連絡も取っていない相手も友人だと呼べてしまう。『友人』などと言う単語は駄菓子屋のおまけシールよりもペラッペラの意味しか持たないのである。
「(私に対して警戒している? ……なぜ?)」
その意味は白銀が絡まないパーフェクト四宮かぐやにも当然伝わっており、その返答から石上が自身に対して警戒していることも見抜いていた。
対面している石上以外がこの光景を見れば、四宮は後輩と談笑している先輩にしか見えないだろう。石上にもそう意識させるように振舞っていて、それでも石上はそれが演技で在り本命があることを見抜いたのだ。一段階、かぐやは石上に対して警戒度を上げた。
「『友人関係』……ええそうね。共に勉学に励み生徒会で協調、協力しているのだから、私と会長は友人関係と呼べなくもないでしょう」
「まぁ、やっぱりそうですよね。じゃあ僕はこれで」
「ですが私と会長、私と藤原さん、これは同じ『友人関係』であったとしても距離感が明確に違っているでしょう? これは個人的な質問なのだけれど、石上君の目から見て、私と会長の距離感はどう映っていますか? ふと、なんとなくですが気になってしまったんです」
凶弾。
明確な殺意が込められた弾丸が逃走を決意した石上へと発射された。もしも石上が『四宮先輩は会長に対して好意を持っている』という間違った認識を持っているとしたのなら、かぐやはいかなる手を使ってもその認識を変えなければならない。それこそ四宮家の全権力を使ってでも。
何となく気になった、石上も先ほど使った単語である。真意はともあれ同じ思いから生まれた疑問であると明確になっているのなら、かぐやだけが答えるのは不平等であり、石上が答えなければならない雰囲気が形成された。
「(か、考えなきゃ……。どう返答すれば四宮先輩は満足する? どう答えるのが正解なんだろう)」
石上、返答に詰まる。
馬鹿正直に言えば在るのは確実な死。わざと外れた事を言っても嘘だと見極められて死。ゲーム、ラノベ用語を使って解読不能に応えても「石上君は、気持ち悪いですね」と答えられて精神的な死!
もう、無難な答えを出して相手の意のままに任せてしまった方が楽なのではないか?
「(だけど、それは、ダメだ!)」
石上の第六感は警告を出し続けて居る。それを無視してしまえば残されているのは死だ。白銀御行によって背中を押され、この場所に立っている自分が、分かっている死への自殺など取れるはずがない!
「(……発想を変えよう。考えるべきはこの場を脱出するための答えじゃない。四宮先輩がどんな答えを求めているか!)」
無難な答えは、所詮無難な答えだ。四宮ならばその無難な答えから袋小路に追い詰め刈り取ることなど容易いことだった。
ならば石上に求められるのは無難に見せかけた鋭利なカウンター。即ち、かぐやがこの会話をする理由を無くす返答だ。
「(人が返答を求めている、そして特定の異性に興味を持つ人物が。それなら求められているのは同意、安心、助言。……だけど)」
同意や助言をしてしまえばかぐやの凶弾は石上の額を撃ち抜くと第六感は示している。そしてそれは正しい。
ならば否定してほしいのか、それも否だ。ありたい自分、から離れた自分を指摘されて何も思わない者はいない。その選択は石上にとっての死だった。
「(つまり求められている返答は、恋愛仲ではないけれど疎遠な友達でもなく、でも有象無象の友人より一歩、二歩、……いや三歩か? それぐらい進んでいる関係であること……ああもう面倒くさいな!!)」
恋する少女なんてみんな面倒くさい生き物だ。石上は今心の底から理解した。
「石上君? どうかしましたか? そんなに答えにくい質問ではないと思うのだけれど」
「いえ、少し、思い出して考えてたので。そうですね、上手くは言えませんが」
急かし少しでも本音の解答を出させようとするかぐや、定型文を使って時間稼ぎをする石上。結果は出ようとしていた。
石上に取れる友人よりも数歩先に進んでいる関係のサンプルの絶対数は無い。だが、『無いわけではない』。故に選択する。
「僕から見ると四宮先輩と会長は、一緒に外へ食事に行くぐらいの仲、それくらいの距離感だと思います」
その石上の答えに、かぐやは――
「――ふふ」
笑みを見せた。
「随分と、おかしなことを言うのですね、石上君は」
「(
それは、地雷だ。
「私と会長が二人で外で食事をとるような関係だなんて」
石上は地雷へと踏み込んだ。
「それではまるで私たちが――」
かぐやの放った凶弾の弾幕へ真っ正面から飛び込んでしまったのだ。
「恋人同士に見える、と言っているようなものでしょう?」
かぐやは氷のような笑みを見せる。何を成してでも、石上の認識を変えなければならないと決意し――
「……え、それは恋人同士ってことにはならないと思いますよ?」
石上はマジレスを返した。
「……………………え?」
かぐや、沈黙。
「異性でも食事を一緒に取るくらいは普通だと思いますし……」
石上、追加のマジレス! 確かに石上はかぐやの地雷を踏んだが――その地雷を踏み潰して故障させたのだ。凶弾の弾幕に真っ正面から突っ込んだ自殺行為も、かすり傷で済ませていた!
「そんなはずないでしょう!? そもそも、石上君が異性の誰かと一緒に食事をとるだなんて考えられません!」
事実だが石上は普通に傷ついた。
「……藤原先輩に、一緒に昼食を取らないかとこの生徒会室で誘われたことがあります。ああ、外にいい場所があるから行きましょうとも」
因みにその場には石上だけではなく白銀も居たからである。二人っきりで外で食事、となると流石の藤原も恥ずかしい。
「じゃ、じゃ、じゃああなたと藤原さんが付、つ、付き合って!?」
「いえ恋人同士じゃなくて。……ある程度仲のいい『友人』なら普通、だと思いますけど」
嘘は言っていない。だがこれまでの人生で石上が女子に二人っきりで食事に誘われたことなど一切無いため、広義的に見れば本当の事でもない。
因みにかぐやは一緒に食事を、という言葉の上に二人っきりで、という単語を付けて考えているが、石上が言っているのは複数人での話である。かみ合っていないがかぐやの認識をずらすのは十分だった。
と言うか一緒に食事をした程度で恋人と呼ばれるのならリア充たちはみんな恋人同士で、石上が呪詛を吐く時間はもっと増えるだろう。
「(そんな!? それじゃあ私が今まで抱いていた恋人のイメージと世間の実態はいつの間にか乖離していたと言うの!? こんなことを会長に知られたら)」
『ほう? まさか四宮がたかが食事を共にした程度で、恋仲のような関係に見られると思っていたとはな。――お可愛い奴め』
「(ダメ! それは! 絶対にダメ!)」
実際にイメージはそこまで離れてはいないが、白銀の存在が思考に侵入しポンコツと化しているかぐやには気が付かない。
「……そう。そういう意見も、あったのですね。参考になったわ、ありがとう石上君?」
僅かに声を震わせ石上へと返答するかぐや。暫定的ではあるがかぐやは、石上が自分と会長との関係を友人同士だと思っている、と認めたのだ。
かぐやの額から冷や汗が流れ、手に持つ紅茶の水面は波立っているが、石上はそれらの光景を一切無視した。無視しなければ死ぬと思った。まだ地雷原は脱出できていない。
「いえ……と、これ、会長に依頼されていた資料のまとめです。じゃあ、僕はこれで」
「ええ、お疲れ様」
かぐやからの追撃は無い。それどころではない。
石上は油断をしない。最後の最後まで、神経を張り巡らせる。
扉に手をかけ、石上優は生徒会室を後にした。
「っっっっしゃあ!!!!!!」
石上、キャラを崩壊させ魂の咆哮。道行く人にキモイと言われながらもガッツポーズは緩めない。
生き残れたことに今までの行いの全てに感謝した石上は、家に帰ったら久しぶりに恋愛ゲーをやろうと決意した。
本日の戦場、石上帰還。
戦果 四宮先輩と白銀先輩は恋愛感情を抱いている(呪いのアイテム)
――
「会長、もしよろしければこの後、一緒に食事でもいかかでしょうか?」
白銀は持っていたペンを落とした。
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石上優は逃げ出したい
昼休み、生徒会会計として生徒会のメンバーである石上優が生徒会室に来ることは多々ある。それは食事の時間を削ってでもゲームをしたかった時や、帰りに資料を持って帰るのが面倒だったとき。あるいはクラスメイトの面倒な眼差しから逃れる時にも使用している。
その日は石上も昼食を終え、放課後に生徒会室へ寄っていくのが面倒だと言う理由で訪れていた。おおよそ白銀は昼休みにはそこに居る。ついでに作成したデータを渡してしまい、資料を回収して今日はそのまま家へと直行しようと考えていた。
ドアノブをひねりそのまま中へ入る。ノックはしない、面倒だった。やればよかったと数秒後の自分は後悔した。
「私だって、恋の一つもしてみたい年頃なのです」
石上の耳に届く声。
白銀の手を両手で包み、憂いを帯びた表情を見せるかぐや。ポカンとした表情の藤原。焦る白銀。そして入ってきた石上に視線が向けられた。
「(状況はよく分からないけど、やってしまったことは分かった)」
石上は数秒前の自分を殴りつけてセーブデータを全部上書きしてやりたかった。
――
恋愛頭脳戦、白銀とかぐやの間で行われている互いに何かをさせようとするよく分からないやり取りを、石上はとりあえずそう仮称づけた。石上としてはもう好意の矢印が互いに向かっているはずなのにブッキングしない理由が意味不明であり、なぜか毎度の如く擦れ違うのを見ていた。
基本的に石上は恋愛頭脳戦が発生した場合、それに気がついたら何もしない。自分が何かをやらかし、ガッカリする白銀を見たくはないし、かぐやは怖い。船底のフジツボの如く気配を殺し巻き込まれないようにしているのである。
だが不意の事故や発生に気が付かず踏み込んでしまい、否応なしに巻き込まれてしまうことは多々ある。運よく逃げ続けることなどできるはずがない。
「(甘ったれた考えを捨てよう、石上優。此処は既に戦場だ。四宮先輩の狩場なんだ)」
生存戦略、開始。
「あ、石上君お疲れ様です。何か御用ですかー? 昼食にしてはちょっと遅い時間ですよ?」
石上、初手で逃げる選択を藤原に潰される。無言で扉を閉じてそのまま踵を返すのが正解だったが、今この状況で自分の存在が浮き彫りになった以上、此処から撤退するのは不自然。
「お、お疲れさまです藤原先輩。会長に頼まれていた会計報告を先に出しておこうと思ったので」
冷や汗をかくし、平静を装い石上は藤原へと返答する。
藤原の傍に行き対応するのは、こと恋愛頭脳戦が展開されてしまった場では次善解でもあった。藤原千花、彼女は白銀とかぐやの間に何の戸惑いも無く入り、空気を全部吹き飛ばして藤原色に変えることのできるタイフーンなのである。
そしてタイフーンの中心、藤原の傍は案外無風状態だったりする。時折石上が発言を間違えてキモイと言われて心が折れてしまう以外には無事生存することができる安全地帯だった。
「(……どういう状況なんだ。机の上には映画のチケットが二枚、四宮先輩が会長の手を取って……大胆だ。もしかして幻覚? いやでも関係ない。報告だけ藤原先輩にお願いして、会長と四宮先輩は放置して、僕はこのまま教室に戻れば無事に――)」
「ああ、そうだったのか。わざわざすまないな石上会計。助かったぞ」
「(――――なんで、四宮先輩の手を離してこっちに来たんですか会長?)」
白銀、かぐやのスキル『
現在この部屋では映画の無料券を使った恋愛頭脳戦が繰り広げられていた。そして白銀は劣勢で在り、かぐやからの追撃を受けたところで、石上と言う援軍が現れたのだ。敗走寸前の白銀、当然石上に縋りつく。石上に言った言葉のうち、助かったぞ、というのが現状に対するものであるのが9割を示していた。
映画を見に行くか否か、それはあくまでも私的な話であり、生徒会の役目を果たした石上を労うという会長としての公的な職務とは比べ物にならない。よって、話を中断することは何の違和感も無いのだ!
「(あ、まずい。これ死ぬ)」
だが、白銀にとっての援軍はかぐやにとっての敵である。かぐやの人を数人殺したような視線が石上に突き刺さる。その時点で石上にとっては精神的に満身創痍だった。
「いえ、こちらこそ、話を中断させたみたいで。気にしないでください」
石上はこれ以上かぐやの機嫌を損ねないよう
「あら、そんなことはないですよ石上君。大した話をしていたわけではないですから」
パスは受け取られなかった。笑みを見せている筈のかぐやの表情と地獄の果てのような背景が一致せず、石上はそれほどかぐやが怒っているのかと恐怖する。
「藤原さんが懸賞で映画の無料券が二枚当たったのですが、どうも家庭の方針と合わない内容だったらしく。どうしましょうかと話していたところなんです」
「はぁ……お二人で見に行けばいいじゃないですか? 友人同士なんですから」
友人同士! この言葉は、石上としてはさっさとくっついて恋愛頭脳戦を発生させないでほしい身としては、仲を進めその上で自分は無難にやり過ごすことができるパワーワードなのである。
ニコリとかぐやは石上に笑みを見せた。よくできました、と言外に伝えているのだ。
「ですがこの映画にはジンクスがあるのです」
「ジンクス?」
「この映画を男女で見に行くと二人は結ばれるんですって! 素敵ですよねー」
はー、くっだらねぇ、という単語を石上は飲み込んだ。
血液型占いを信じる者に、それ全く信憑性ないよ、をコメントするのと同じく、ジンクスに関して何言ってんだコイツとマジレスしたら悪者になるのは此方だからだ。
「ええ。どうせなら私としても情熱的にお誘いいただきたいのですが、会長にはそんな風にお誘いを貰えなかったので」
ああ、それが今日の四宮先輩の勝利条件か、と。石上は女子のジンクスへのよく分からない好意を、少しは理解しようと頭を回す。
「そうだ、どうでしょう石上君? 私を誘ってみませんか?」
「えー!?」
「なっ!?」
「(……なんで、僕?)」
石上はゲロを吐きたくなった。
どうせなら情熱的に誘って欲しい、かぐやが白銀に言った言葉であるが、これは恋愛頭脳戦では諸刃の剣なのである。判定的にはアウトよりのセーフ、セウト、一定以上の好意があることを示す言葉でもある。その代わり、相手には致命的な言葉を引き出させようとすることができる、まさに切り札だと言えるのだ。
しかし石上の乱入によってそれは躱された。これが藤原タイフーンでうやむやにしてしまえば話は別だが、以後白銀に話をぶり返されたとき致命傷になりかねない。
そこで石上だ。白銀に言った言葉は特別ではなく、あくまでもジンクスや噂話に興味がある少女であることを演出。さらに二次的な効果として――
「(馬鹿な! 四宮が石上に誘わせるだと!? まさか四宮、石上に――!)」
小悪魔。
わざと本命以外の異性と仲が良い場面を見せつけ、本命をやきもきさせる王道とも呼べる作戦は、見事に白銀には成功した。王道とは、最も安定して効果を出すことができるから王道なのである。白銀の僅かな表情の変化をかぐやは見逃さず、口の端を吊り上げ僅かに笑う。
なお石上にとっては悪魔以外の何者でもなかった。
『石上が四宮を誘うぐらいなら俺がやる!』
『あらあら、それでは会長はどんな情熱的な言葉で私を誘っていただけるのでしょう?』
「(ダメだ! それでは相手の下に態々潜り込んでマウントを取らせているようなもの! 喧嘩で言うなら馬乗り状態! 逆転の目などない!)」
「(ですが会長にはそれ以外に止める手段はない。まぁ石上君のことですから、私の尊さに圧倒され遠慮して断る可能性も大きい。それはそれでいいのです。ここでの戦術的勝利は私が会長に見せた諸刃の剣を回収することで、それも達成されている。しかしもしも石上君が私を誘った場合――)」
「(俺は止めるために告白同然のことをしなければならない! だがそんなことは、絶対に許されない!)」
「(なんで、どうして僕が四宮先輩を。僕は前世でどんな罪を犯して此処に立って居るっていうんだ)」
対峙する
三者三様の硬直状態。次にアクションを起こすとしたら石上か、白銀か。
藤原タイフーンは動かない。ほえーと、興味深げに三人の様子を窺っている。石上と白銀は舌打ちをしたくなった。
初めに動いたのは白銀だった。
「四宮、そう石上を困らせてくれるなよ」
「困らせる、ですか? いったい何のことでしょうか会長?」
「言葉通りの意味だ。俺も同じだが男子と言うのは、こういった恋愛のジンクスには興味を持たないものでな。四宮が興味があるのは分かるが、分からない側にそれを強要させては戸惑いしかないだろう」
嘘である。この男白銀御行は朝の星座、血液型占いは確実にチェックし、ジンクスには全力で縋る男である。
だが、それをかぐやは嘘だと言いきれない。『男子とは』と言う言葉は、同性が複数居て、発言した対象の性別が違えば追撃をシャットダウンする強カードなのである。
「そうなのですか、石上君?」
「え、ええはい。ジンクスとかはあまり気にしたことは無いです」
嘘である。ゲームでドロップ品が出た際に無駄に連打をしてしまう連打教に入信している。
ハンターがライオンの前に出て兎の逃げ道を作った。兎は全力でその逃げ道を走り去ろうとする。後ろにはライオンが苦々しい表情をしていたが、それは兎以外には気が付かなかった。
「(やっぱり会長は凄い。ありがとうございます、これなら僕は此処から――)」
「だがそうだな、そんな噂を気にしてこのチケットを無駄にするのも勿体ない話だろう」
何気ない白銀の言葉であったが、なぜか石上の第六感は反応する。速く走れ、逃げろ、離れろと。
石上にとって白銀は尊敬する先輩であると同時に年上の友人でもある。そこになぜ危険を感じるのか、戸惑いは足を止め結果は表れる。
「そこでだ、石上、四宮、俺の三人で一緒に行く、と言うのはどうだ? 石上のチケット代は俺が出そう。友人同士なのだから共に映画に行くのも可笑しな話でもないんじゃないか?」
「(……なんで、僕?)」
石上はいろんなものを漏らしそうになった。
友人同士、天才である白銀がそのパワーワードの存在を聞いて有効活用しない理由が無かったのだ!
だがこの状態で白銀は四宮を映画に誘うことなどできはしない。情熱的に、という条件が付け加えられている以上、それは最早告白同然の行為であった。
そしてそれは四宮も同様。
「(四宮とデートをするせっかくの機会、これ以降は無い可能性もある。この際相手に止めを刺すのではなく、共に映画を見ると言う状況にはせめて行きたい。だが、そんな関係は――)」
「(戦術的勝利ではあるけれど、私にとっては何の成果も得られなかったと同意。この機会を逃せば次のチャンスの消滅の可能性だって。せめて映画だけ会長と一緒できれば。だけどそんな関係――)」
『はぁ……お二人で見に行けばいいじゃないですか? 友人同士なんですから』
二人の脳裏に石上の言葉が響く。
「「((これ
「(四宮、気が付いたようだな。この場において俺たちが互いの望む条件を達成することなど不可能!)」
「(ですが次善解、互いの妥協点を示すことで、互いの利益を損なわないように成果を得ることは難しい話ではありません)」
「それはいい考えですね、会長。本音を言うのなら、このジンクスも面白そうなことだと思っていたのですけれど、男性のお二人が否定的なら仕方ありません。友人同士として三人で映画を楽しむことにしましょう」
二人にとっての最善解は相手を跪かせデートに誘い告白同然の行為をさせ、そのまま映画を見に行くこと。
だがそれは不可能、しかし友人同士として映画に行くには二人きりはちょっぴり恥ずかしい上に、二人の基準にとっては誘った側は告白寸前の行為である。以後の恋愛頭脳戦に大きく影響を出すことは間違いなかった。
だが、そこに石上を挟み込めば?
互いに告白同然の行為をさせようと踏み込むことはできない、しかし映画を共に見に行くと言う成果を出すことは可能だった。
石上については当日何とかなるだろう。清々しいほど二人は自分のことしか考えていなかった。
石上は自分の胃壁が削られていく音を聞きながら考える。
「(どうして、なぜこんなことに!? 休日まる一日使って先輩たちのよく分からない
死である。
何が好きで(石上視点で)リア充の間に入り込まなければならないのか。死ね死ねビームでカップルが絶滅してしまえばいいとすら考える石上にとって、その行為は苦行を通り越して死、そのものであった。
対峙して居たはずのライオンとハンターが肩を組んで兎鍋を創ろうと迫ってくる。兎、逃げの一択。捕まれば死、絞殺所行き、精肉へとワープ進化! 認められるはずがない。
「い、いえ。会長にお金を出させるのも悪いですよ。ただ僕も今月は厳しいので、この話は――」
「三人で行くんですか? えへへ、実はもう一枚チケット当たってたんです! これで石上君の分もありますよー」
「(畜生馬鹿野郎藤原千花!)」
タイフーン、此処で動く。
逃走しようとしていた兎の後頭部めがけて吹き飛んだ木材が着弾。兎は倒れる。
藤原はゆるふわラッキーガールであり、元々かぐやが仕掛けなくとも素でチケットの懸賞が当たっていた。鞄の中には「とっとり鳥の助」のチケットまで存在している。
藤原は恋愛頭脳戦においてどう動くか分からないお邪魔ギミック、だがしかし、この現状においては石上を追い詰めるための道具として天才二人は活用していた。
「それならよかった有難い藤原書記。せっかくの好意を無駄にしてしまうのは申し訳ないところだったからな」
「そうですね。友人と一緒に外で映画を見に行く、というのは初めてなので楽しみにしています」
「(どうする、どうする、どうすればいいんだ)」
ハンターとライオンは後ろに迫り、天候は暴風が吹いている。兎の頭を直撃した木材がからんと音を立てて転がった。
「あーでもそうすると皆で行くのに私は行けないんですよね。……いーなー」
「!」
「!」
「(こ、こ、だぁ!!!)」
石上、掴んだ。タイフーンの中に存在する風を! 木材をサーフボードのように使って風に乗った!
「……見損ないましたよ、先輩方がそんなに冷たい方々だとは思いたくありませんでした」
暗く、多少の怒りを込めた口調で石上は白銀と四宮へと言った。
「生徒会のメンバーの半分以上参加するグループの催しに、藤原先輩だけ放置してみんなで楽しんで、本当にそれでいいんですか!? 会長!? 四宮先輩!?」
「(なっ――)」
「(ぐっ――石上、そこを突くか!)」
グループ! 人間が二人友人同士で何かをするなら只のコンビだが、三人以上になればそれはグループ。何かしらの繋がりがある集まりである。石上はこの映画鑑賞と言うイベントを、生徒会というグループのイベントに差し替えたのだ!
だがここで大多数が参加するのに、一人だけのけ者にされた場合どのような空気が流れるか。楽しかったイベントの会話を一人寂しく聞くことになり、やがて居た堪れなくなり足が遠のく。
無論完全に発生を防ぐことなど不可能だ。しかしそんなことを故意的にやってしまえばそれは最早虐めである! 秀智院生徒会、会長と副会長とはこの学園全ての模範! 立場的、心情的、道徳的、全てにおいてできるはずがない!
「そんな、石上君が私のために言ってくれるんですか……?」
「当然です。藤原先輩は、尊敬する生徒会の先輩です。だから藤原先輩が参加できないと言うのなら、僕が参加するわけにはいかないでしょう」
嘘である。この男、石上優は自分のこと以外全く考えていない。
休日に発生する
「……でも、チケットを無駄にしてしまうのも確かに申し訳ないです。ですからここは会長と四宮先輩で――」
「石上」
石上の言葉は白銀の一言によってかき消される。第六感が反応した。
「助かった。俺は生徒会長として、大切なことを見落としてしまっていたようだ。気が付かせてくれてありがとう」
「……え」
後悔と、そして決意に満ちた視線で白銀は言う。
石上は尊敬する先輩に対して何言ってんだコイツと内心で思った。
「そうですね。私も会長も、目先のことに気を取られ過ぎて本質を見失っていたようです」
かぐやは石上へと裏の無い笑顔を見せて微笑む。
石上は自分の胃壁が削れる音が聞こえた。
「(俺は……何をしていた。四宮と映画を見に行けることに気を取られ、残される藤原書記のことを何も考えていなかった。石上も誘う以上これは生徒会の催しであり、石上ではなく会長であるこの俺が気が付かなければならなかった事だろうが!)」
「(……自分で思ってた以上に、藤原さんのことを蔑ろにしていたのですね、私は。もしも私が一人残されてしまう立場だったとき、きっと――。駄目よ、それはきっと駄目。あの時のまま何も変わらないという事なのだから)」
白銀御行と四宮かぐやは天才である。
両者が絡むと途端にポンコツになるのは共通しているが、一つの目的のために歩みを合わせれば、それは誰よりも早く進むことができる組み合わせでもあった。
恋愛頭脳戦を一時停止し、『生徒会のメンバーのため』というお題目の上で行動する彼らは何よりも有能で迅速だった。
「四宮、藤原書記のご家族への説得は頼めるか。確か家族ぐるみで仲が良い、という記憶があったが」
「問題はありません。ただ映画の内容によっては教育方針と真っ向からぶつかるとも考えられるでしょう」
「分かった、こちらで老若男女問わず見られる映画もピックしておく。無論原作も評価も確認した上でだ」
「では映画が決定次第、四宮家の方で何かしらの優遇処置がとれるかも調べておきましょう。石上君も、会長も、そちらの方が気兼ねなく観られますよね?」
「む、……助かる。一つ借りにしておこう」
「では、いつか返してくださいね」
白銀とかぐやは仕事モードだった。どうやってこの生徒会の催しを完璧にこなすかを立案計画を進めていく。
「か、会長。かぐやさぁん! その、いいんですか!?」
「ふ、遠慮をするな藤原書記。どうせなら全員で見たいだろう、映画を」
「近いうちに藤原さんの家を訪問させていただきますね」
生徒会は今一つの目標に向かって団結した。藤原千花に映画を見せる、そのために対策を、計画を練り動き始めている。
きっとその結果は素晴らしいものになるはずだ。白銀は全角度から映画を確認し、藤原千花が観るにふさわしい映画を提案し、かぐやはその持ち前の弁舌を振るい藤原父を説得するだろう。二人が全力を尽くす以上、そのイベントは成功したも同然だった。
見よ、これが世界が誇る秀智院学院、その全ての模範となる生徒会の姿である。
「(……どうしてこうなってしまったんだろう。週末のゲームイベント、参加したかったな)」
一人、心情的にのけ者になっていた石上は、とりあえず映画の後の予定を考え始めた。
本日の戦場、生還。次の戦場へ。
損失 週末の休み
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石上優は逃げ出せない
シネマエリアの受付には二人の男女の姿があった。係員とやり取りをしているのが白銀で、それを興味深そうにかぐやは眺めている。まだこの場に慣れていないかぐやに白銀が気を利かせたのだ。
生徒会での映画鑑賞当日、白銀とかぐやは集合時間30分前にはすでに集合場所まで来ていた。白銀は石上の生徒会への強い思いを聞き、本気で組んだイベントであり、かぐやにとっても今日は初めて藤原と外で映画観賞をするのだ。普段より意気込みは確かに在った。
二人とも早めに来たのも予め現場を確認し、集合後に滞りなく進めるためである。
「(四宮に意識させ、映画ではなく俺に夢中にさせるため何としてでも隣に座る!)」
「(会長がドキマギしている様子を楽しむために私は会長の隣に座る!)」
そんなことはない。詰まる所今までの説明は表面上の事である。
白銀が率先して受付に行き、かぐやがその様子を観察していたのも、どうすれば自分が優位に立てるか互いに考察していただけのことだった。
幸い二人の頭脳戦を乱す
「取った席は真ん中近くの一番見やすい席だ。通路に接するように取っておいたから、何かがあって外に出る時も問題ないだろう」
「ありがとうございます会長。横一列に四席なら、座って映画が始まる前に少し話すこともできそうですね。まだ時間がありますが、先にドリンクは買ってしまいますか?」
「いや、石上と藤原が来てからで大丈夫だ。手荷物になるし氷が溶けたジュースは不味いだろう?」
「ふふ、それもそうですね。ではそのタイミングは会長にお任せします」
他愛のない会話であるが二人の間では相手がどの席に座るのか、座るとしたらどんな理由を付けて隣に座るのかを考え続けて居た。
ここでの互いの勝利条件は『相手から』自分の隣に座らせること。貴方の隣の席に座りたい、などと発言すればそれはもう告白同然であった。
ただし――今回の場合はそれも例外だった。白銀は冷静に思考を巡らせる。
「(今日は生徒会のレクリエーション、そしてあくまでも『友人同士』の集まりだ。俺と四宮が偶然隣に座ることも可笑しくはない。となれば勝負所は此処ではないな)」
そう、白銀はあくまでも席順決めは次への布石にするつもりだった。『友人同士』である、その一言で大体のことは恋愛には結び付かず、違和感なく対処することが可能だ。よって今日この時は決着をつけることは難しくなるだろう。
「俺が席を取ったのだから俺が通路側に座ろうか。上映中は少ないだろうが通路を歩く人も居るし、それで皆が映画に集中できないと言うのも面白くない」
よって今回も白銀があらかじめ通路側に座ることを公言することで、かぐやに座る場所を決めさせることにした。互いに思惑は同じ(だと白銀は思っている)ため、白銀の隣に座る方法をかぐやは幾らでも用意できるだろう。
そして『友人同士』という言い訳もある。この誘いにならかぐやが隣に座るため乗ってくるだろうと白銀は――
「それなら私は、そうですね。せっかくなので藤原さんと一緒に座りたいです」
かぐやの返答が自分の想定にかすりもしなかったことで戦慄した。
「あ、ああ、そうだな。藤原も特に四宮と一緒に映画を見ることを楽しみにしていたから、そうしてやると本人も喜ぶだろう」
何時もの調子で白銀は喋っている。だが内心ではメンタルに甚大なダメージを負っていた!
具体的には自分よりも藤原を優先したかぐやを見て、自分の隣に四宮が座りたがっているのは勘違いじゃないかと思い始めていたのだ!
「(まさか四宮は俺のことを一切意識していないとでも言うのか? だとすれば今の俺は只の勘違い野郎以外の何者でもないじゃないか!
――――いや、別に。俺も意識をしていたわけじゃないし。単純にどこに座るか言っただけだし。勘違いしている要素は一切無い)」
本日は『友人同士』という
一方かぐやは白銀の提案が妥協案として出されていたことを勿論理解していた。
「(成程、私が会長の隣に座りたいと直接言わずとも座ることは可能、そんな条件であることは認めましょう。ですが、ここで一切の妥協はありません! 会長『が』! 私の隣に座りたいと言う以外は認めるつもりはありません!)」
だがかぐや、その提案を蹴り飛ばす。そもそも今回の映画を『友人同士』で観ると言うこと自体が妥協案である。そこからさらに妥協するなどかぐや自身のプライドが許さなかった。
――というのは建前で、今回かぐやは冷静な判断ができていなかった。藤原という自身の親友と共に外で遊ぶ、さらにそこに意中の相手でもある白銀が一緒に、という状況はかぐやを遠足前の子供のように興奮させるには十分だった!
誕生日とクリスマスが同時に来たような多幸感によって、イケイケの状態であるかぐやは、今なら会長も落とせるとロジックの存在しない考えに支配されていたのだ。
でなければ
「藤原さんだけじゃないです。私も、ですよ会長。私も藤原さんも家の事情でこういった機会は――ああ、考えてみれば初めてなんですよね。だからちょっと楽しみにしていました」
少し儚げに、それでいて嬉しさを隠しきれないような表情でかぐやは笑みを作る。
当然語りも口調も表情も意図的なものである。こうして自分の背景を語ることで、より自身の隣を藤原に固定することを白銀に意識させた。
藤原は一緒に座りたいと言えば真っ先に自分の手を取って席の奥から詰めていくことを、かぐやは普段の行動から知っていた。
「(即ち席順は【 】【 】【かぐや】【藤原】こうなりますね。通路側に座る、という会長の言葉は一見端に座るように聞こえますが、端から二番目に座ることも言葉としては間違いではない。そう予防線を張っていたことは見切っているんですよ、会長?)」
そして二択の内で白銀がかぐやの隣に座りたいと言えば……それはもう告白のようなものである。尤も今日に関しては生徒会の集まりという表面的な理由がある以上、言い切ることはできないが、それでもかぐやとしては大きく優位に立ったと言えるだろう。
白銀もかぐやが位置調整した場合を考えて、座れる席を二択にするよう考えていた。
「(ま、まぁ四宮が藤原と一緒に座りたいのは分かった。それなら石上には悪いが端に座るよう聞いても――)」
「あ、かぐやさーん! 会長! お待たせしましたー!」
「(来やがったか!)」
「(来ましたね藤原さん!)」
後ろから石上も付いてきていたが、白銀とかぐやの間の空気に当てられ顔を強張らせた。
「すみません、遅れ……てはいないですよね。藤原先輩はともかく二人は早すぎじゃないですか? まだ待ち合わせの時間まで15分以上あると思うんですけど」
「そうか? 久々に来たから迷子になるのも嫌だったからな。先に席は取っておいたから、あとは飲み物を買って――」
「ポップコーンにコーラ! この定番は外せませんよね!? かぐやさんはキャラメルと塩、どっちが好きですか? あとはチーズ味なんかも……」
頬を紅くし少し興奮気味の藤原に、かぐやは少し驚いた。そして口元に手を当てふわりと笑った。
「藤原さん? ……そう慌てなくても時間はありますから、ね?」
「あ、ごめんなさい。つい、その。かぐやさんと一緒に映画を観られるって思ったらわくわくしちゃって。凄く楽しみだったんですよ!」
「ふふ、私もですよ、藤原さん」
私は嬉しいです! と満面の笑みで表現する藤原に、かぐやは優し気な笑みを見せ――裏ではにやりと笑っていた。
「(私との友情を効果的に演出してくれてありがとう藤原さん。これで藤原さんの隣は盤石、つまり私の隣の席はもう一つしかありません。隣にどうしても座りたいと言うのなら、今しかありませんよ会長?)」
かぐやは白銀へと視線を向けた。藤原が白銀へと、かぐやさんの席の隣に座ってもいいですよね!? と尋ねている。
顎に手を当て思案する白銀。人差し指を藤原に向け――
「ははっ、それな! 楽しみにしてくれているなら何よりだ。ほら、四宮と藤原には隣り合った席のチケットを渡しておこう!」
「わーい、ありがとうございます会長!」
「楽しみなのは分かりましたけど、来る道中でも一人でにやにやされたのは気持ち悪かったですね。性別が逆だったら捕まってましたよアレ」
「う、でも仕方ないじゃないですか! 石上君だって、ガッツポーズしながらニヤニヤして歩いていて怖かった、って苦情が生徒会に来ていたんですよ!?」
「…………マジですか?」
「ははっ、それな! なにか良いことでもあったのだろうが程々にだぞ、石上会計!」
「……死にたいので帰りたいです」
「(あ、あれ? 会長あんまり私の隣の席のこと興味を持ってない……)」
仏のような穏やかな笑みで藤原、石上と談笑する白銀に、かぐやは自分の仕掛けの手ごたえが感じられなかった。
まるで今までのやり取りはなんの含みも無い雑談であったと言わんばかりに、かぐやの投げたパスに興味を持たれなかったのだ。
此処で白銀視点で見てみよう。かぐやにとって藤原は数少ない親友と呼べる存在だ。しかし外で遊ぶという機会に恵まれず、今回ようやくその機会が訪れたのだろう。
無論両者ともそれを楽しみにしており、友情という暖かい思いの籠った二人の世界が形成されており――そこに入り込もうとしている自分を白銀は想像する。
『せっかく藤原さんと一緒なのに……。どうして私の思い出を奪うようなことをするんですか会長』
何時もの凛と姿ではなく、只の少女として目じりに涙を溜めたかぐやを想像した。
「(いや無理だってこれ!? あれだけ映画を楽しみにしている四宮の気を引くって、こんなの俺が空気を読めていないにも程がある!?)」
白銀、折れた! 心の致命的な所が折れたのだ!
後ろに逃走経路があり前が不明瞭であるのなら撤退は間違いではない。しかし相手がウェルカム状態であることに気が付かず全力で逃げ去る白銀は、確かに空気が読めていなかった。
会話ができていた。だがもしも万が一、自分の勝手な思い込みでかぐや自身が隣へ座らせようとしているのなら――
「(嘘……私がまさか痛い勘違い女!? ……いいえまだです。あくまでもこれは私から会長へと授ける慈悲であって、私が別に会長のことをどうこうするだなんて考えても居ませんから)」
「そういえば先輩、なんでまた制服のまま来たんです? 生徒会のレクって言ってもそこまで厳密でしたっけ」
「そうですよ会長、会長の私服が見られるかもってちょっと期待していたのに!」
かぐやの思考に割り込むように石上と藤原の会話が耳に届く。何でもないように白銀は応えた。
「ん? ああ、いや、少しばかり日程の調整ミスがあって、午前中は学園で生徒会の仕事を終わらせていたからな。休みとはいえ私服で敷地内を歩くわけにもいかないだろう?」
「ミスって、会長もおっちょこちょいな所もあるんですねー」
藤原の意外そうな表情に白銀は否定することも無く、そういうこともあると答える。しかし何かに気が付いた石上は、藤原の耳元でと呟くように言った。
「(藤原先輩。会長、多分この時間を作るためにバイトのシフトとか無理して、今日の午前中までに仕事を持ち込んだんだと思いますよ?)」
石上の言葉にはっと息を飲んだ藤原は、白銀へと見遣る。何ともない、という表情を見せる白銀であるが、今ここに制服で来ていると言うのは日程を詰め込んだ結果なのだろう。
「会長、今日は本当にありがとうございます」
藤原は泣きたくなりそうなくらい嬉しかった。だけどその思いを口にするのは違うと思い、ただ感謝を白銀へと伝えた。
「何のことかは分からないが、せっかく石上も乗る気なんだ。誘った身としては今日も楽しんでくれるのなら嬉しい。四宮もそう思うだろう?」
「ええ、勿論です」
小さく笑う白銀にかぐやも同じく静かな笑みを見せ――
「(これ私完全に浮いているじゃないですか!? 何!? 会長が隣に座りたがっているって、完全に私が場の雰囲気を理解していないじゃないの!?)」
内心で冷や汗を流していた。現場の雰囲気は一致しているくせに、この場所に居るメンバーは180°誰一人心境が一致していなかった。
「(なんだ四宮その笑みは!? やっぱり藤原か!? 藤原と一緒がいいのか!? ……落ち着け、此処で引くのは敗北なんかじゃない。軽蔑されるよりマシだ。だが、四宮と、一緒に映画! くっ、煩悩を止めろ、顔の筋肉を動かすな、緩むな!)」
「(あれだけ真面目にこのイベントを成功させようとしている会長の横で私は何を……。浮かれている所を見せて軽蔑されるよりはいい。だけど会長が、隣に! うぅ! 駄目よ四宮かぐや! こんなところで弛んだ表情を見せるなんて許されないでしょう!?)」
「「(
だがそこにさらに180°を追加すれば一周するように、奇跡的にかぐやと白銀の思考は一致した。
即ち今の浮かれた状態を見せれば軽蔑される、ならば冷静になる、しかし隣に居ると崩れてしまう。両者ともそう思いこの場所に存在していた。
この場所に頭脳戦は存在しない、言わば冷戦状態だった。親密さを上げることのできるイベントであるはずが、まさかが両者とも互いに踏み込まないことで決定した。
そして方向性が決定した以上、二人が聡明であることには変わりない。幾ら普段通りで居ようと考えていても、学外という開放感のある場所で共に時間を過ごせば、必ず自身に含むものが出てきてしまうと互いに理解していた。
更にこの場所には藤原が居る。距離を取ろうとして巻き込まれるのが目に見えていた。
ならばどうするか、天才である二人の頭脳は端的にその答えへとたどり着く。
「「(そうだ、石上(君)を間に置こう)」」
「…………………なんで?」
両者、自身の間に
自分以外の生徒会全員が映画に意識を向ける中、右隣には白銀、左隣にはかぐや、間に挟まれた石上は自分のメンタルが叩きつけられる音が聞こえた。
――
石上とて油断していたわけではない。行く前は憂鬱であるが、それは結果的に行けば楽しいと思えることだと自分の体験から分かっている。懸念するのは恋愛頭脳戦に巻き込まれないようにすることだけだ。そこで石上は、石上、藤原、かぐや、白銀の順番で座り、自分と恋愛頭脳戦領域の間に壁として藤原が座ってくれないかと考えてはいたのだ。
だが相手は既に間に石上の設置を決定した天才二人である。意思疎通はしてはいないが、互いに状況を最適に利用した結果、あれよあれよと石上は二人の間に座らされていた。石上の直感など発動する暇もない。警告度が1から100へと一瞬で変わったものをどう回避しろというのか。
「(……大丈夫だ、先輩たちがわざわざ隣り合わせになることを避けた、ということはこれは二人とも真面目だ。
少なくとも此処で地雷を踏むか、そのことに関して意識を向ける必要はない。何しろ映画館で着席した今この場所で、頭脳戦が発生していない。現にかぐやは藤原と楽し気に話しており、白銀も石上と談笑していた最中だ。
故に石上はこの場所に自分が居ることが意図的ではないと判断した。そんなことはないのだが。
「(だったら……今日は普通に映画を楽しめばいいんじゃないのか?)」
石上はそう思う。間に挟まれたときは今から拷問でも始まるんじゃないかと身構えてはいたが、会話を楽しむ先輩たちを見て、石上の緊張もほぐれていた。
「なによりこの映画の見どころは本の原作をどう表現しているか、だな。漫画やアニメ、勿論実写化もされていない以上、世界の描写は監督の読み方に委ねられるのだから」
「そんなことよりも恋愛描写ですよ! 恋愛描写! 真面目な努力家と浮世離れしたお嬢様って組み合わせだけで期待大でしょう!? ねっ? かぐやさん!?」
「私は……よく分かりませんけれど、石上君の方がこういうことは詳しいのでは?」
「……あー、こういうありきたりの設定って割と先が読めるんですよねー。だから後で原作読んでその差を見るのが面白そうですよ」
石上は通ぶった口調で会話に入っていった。
作品自体は中高生向け、藤原が好みそうな過度でない恋愛描写があり、石上が興味を惹かれるアニメだった。空から落ちてきた羽をもつ少女と飛行士の少年とのボーイミーツガール、そしてスチームパンクという設定を見た石上の感想は、天空の城みたいな作品だな、というものだ。
満点の好みではないが、メンバー全員が高得点が取れる映画を選んでくるあたり白銀の努力が窺える。
「(それなら自分も楽しまないと損だ)」
せっかくの機会であることは事実。そして頭脳戦が発生していない以上何かに巻き込まれて自分が地雷を踏むことは無いのだから。
しかし石上は忘れていた!
この場所には確かに
即ち恋愛である、いちゃラブである、桃色空間である!
常に空回りし続け、
例えば白銀がポップコーン食べようとしたとき互いの手に触れたり、手すりに手を置こうとしたかぐやが手を重ねたり。
この恋愛頭脳戦から頭脳戦が抜けた恋愛空間において、そんな当たり前のようなイベントは当然起こりうるのである!
「(僕の両隣の席に隕石が落ちてくればいいのに)」
そう! 両者の隣である石上に対して!
「(やめろよ……別に四宮先輩や白銀先輩が怒ってないのは分かりますけれど、(本来ならば在ったはずの)
白銀が手を触れたのは石上だし、かぐやが手を重ねてしまったのも石上である。壁に罪はないが少なからず非難の視線を向けられるのも壁である。
石上だって(何故かは理解していないが)壁として間に置くなら自分だと理解できる。対抗馬の藤原は万里の長城だったりベニヤ板だったり普通の壁やったり、その日によって形状が変化するのだから。
「(映画の恋愛描写の度に『相手はどう思っているんだろう』みたいな感情で、僕を通して相手を見ようとするの分かってマジきつい)」
いくらイベントが起きて視線を相手へと向けようが、隣にあるのは自ら設置した
しかし石上はそういう視線に敏感だった。なぜか勝手にお邪魔虫になっている現状から逃げ出したくなった。設置したのは先輩二人のため自業自得なのだが、恋愛暴風域に巻き込まれている以上
「(……くっそ、映画は普通に面白いんだよなぁ。主人公とかヒロインとか、なんか会長達に似てる気がするけれど)」
白銀の緻密な仕事が生きたのか、今見ている映画は普通に面白かった。面白さで言えば石上の人生で二回目に観た天空の城ぐらいには面白かった。百点満点ではない、だが続きを見なければ勿体ないと思う程度には面白いせいで寝るという選択肢は早々に潰されていた。
『燃料は片道分だけ! 飛行船から連れ出す手段も無いんですよ!? 本当にできるんですか!?』
『知らん! だがまだ追いつく、挑戦する価値はある! アイツに世界を見せるんだよ! 空からだと見えない場所がまだまだ在るんだって伝えに行くぞ!』
石上の脳が半分映画を楽しんで半分桃色空間によって悩まされている内にいつの間にか物語は佳境へと差し掛かっていた。
主人公が去っていったヒロインを追いかけ、伏線やサブキャラクターがその道を作り出す。
全力ではないとはいえ石上も映画を半分は楽しめていたことには変わりない。ありきたりな設定である以上石上にも先の予測はできる。だがもしも、という思考は映画の先がどうなるのかという高揚感を発生させた。
おそらくこの作品の最大の見せ場になるだろう、そう石上が思ったとき感じたのは一つの思いだった。
「(……このままで本当にいいのか石上優?)」
桃色空間を生み出す二人に殺意はある。石上が石上である以上仕方のないことだった。だがバッドエンドは望んでいない、さっさとくっつけと舌打ちしたくなるくらいだ。
だが強い思いがあるなら通ずるべきだと石上は思う。自分がその邪魔になっているのなら、空気を読む程度の事は石上もやる。
映画の熱い展開に押されて石上は、何時も恋愛頭脳戦を繰り広げる二人に、何か一歩踏み出すきっかけがあってもいいと思ったのだ。
「(それならどうする? クライマックスが近づいている今席を立つことは不可能、というより僕がこの後の展開を見たい。今更席を変えるのは不自然、それなら……互いの視線を通わせる空間ぐらいはできるはず)」
恋愛描写が入るたびに白銀とかぐやは東西に分かたれた恋人たちのように、視線を
人は何かに興味を持った時体を前に乗り出す。両手を前で組んで、両肘を膝の上に乗せて体を前に倒した石上は、映画に興奮して身を乗り出しように見せた。
すると石上の頭が在ったところの空間が無くなり、白銀とかぐやが視線を向き合える空間ができたのだ。
「(あ、この姿勢きつい)」
一度この姿勢になった以上、元に戻すのは違和感がある。なぜならこの姿勢が楽だからそうしたのであり、間違ってでも二人に気を使ったなど思わせてはならない。それは地雷であり、石上もその思いやりが伝わる必要はないと考えていた。どうせ残り十数分程度の事だ、という理由もあった。
少女が決意を固め、飛行船を抜け出して空から落ちていく。飛行機から手を伸ばした少年の手を掴み、少女は風と共に羽を羽搏かせた。
別の飛行機に乗ってきた出資者の令嬢が手を振り技師が親指を立てる。その光景を見て少女と少年は見つめ合って微笑んだ。
文句なしのハッピーエンドであり石上も目頭が熱くなる。ABCすら入ってないくせにきちんと恋愛描写を入れてくるその作品の締めとしては最高だと思った。
「(主人公もヒロインの境遇がなんか先輩たちと似てる、つまり感情移入するには十分! だとすれば見つめ合うんだったら今ですよ先輩方!!)」
正直腰辺りが痛い。二人はどうしているだろうと石上はまずかぐやへと視線を向けた。
「か“く”や“さんん! 良か”った、良か”ったです“ぅ!!!」
「藤原さん……! 私、二人がどうなるかって! だけど、良かったぁ」
「(ふっ、ふ、ふ、藤原先輩このやろう!?)」
そこには感極まってかぐやに抱き着く藤原の姿があった。二人で感動を分かち合っている今、かぐやには白銀へと視線を向ける余裕など欠片もなかった。
「いいな、ああ、いいものを見た。圭ちゃんにも観せてあげたい」
「(ってこっちはこっちで普通に感動していらっしゃる!?)」
そして反対側を見てみれば、目に手を当てエンディングを聞きながら静かに涙を流す白銀の姿があった。視線云々どころか塞がれて自分の世界に入っていた。
「(……なんだ、このもやもや。別に見返りが欲しくてやるわけじゃないけれど、なんだろう。どうしてそうなるんだと声高らかに言いたい)」
石上は前に倒していた姿勢を戻し、静かにエンドロールの流れる映画に視線を向ける。
せめてエンドロール後のおまけぐらいは純粋に楽しもうと思った。
――
「あー面白かったですねぇ!」
「ああ、事前に原作自体は知っていたが、あそこまで見事に再現するとは恐れ入った」
「アニメーション、と聞いてどこか子供向けを想像していたのですが、十分に楽しめるものでしたね」
「(さっき滅茶苦茶泣いてたのに……どの口で言うんですか先輩方)」
映画が終わり点灯して明るくなった後、かぐやと白銀は瞬時に切り替え平気な顔をしていた。両者とも『お可愛いこと(だ)』と言われないようにするためだろうと石上は想像する。一瞬で感情を整理できる切り替えの良さは凄いと純粋に思う。
「ふむ、映画も終わったしこの後は……」
「当然! カフェで映画の感想会ですよ! デートでも定番になりますから、知っておくと便利ですよーかぐやさん」
「ど、どうして私に今それを言うんですか!?」
「えっ」
藤原としては軽口で言ったつもりであったが、思わぬ反応に目を丸くする。
「なるほどな、しかしカフェか……」
藤原の提案に白銀が思案する。カフェ、というのはそこそこ単価が高い。映画だけでも白銀にとっては痛い出費で在ることには変わりない。
そんな様子に気が付いた石上は、あることを思い出す。カフェと言えばかぐやの仕込みの割引券を取ってしまい、そのまま財布の中にしまってあったのだ。使用期限も問題なく、近くに使える場所もあった。
「会長、それならカフェの割引券――」
瞬間石上の第六感は警告を放つ。
石上は無意識にかぐやへと視線を向けた。そして気が付く。かぐやが取り出そうとしていたものが視界に入り、それがカフェの割引券だと気が付いたのだ。
石上は理解してしまった。この映画というイベントすらかぐやの仕込み、本命は白銀へとカフェの割引券を渡し一緒に行き、ついでに好感度も稼ぐつもりだったのだろう。まんまと自分はその仕込みを踏み潰した形になる。
あ、これ地雷だ。
……………………………まぁいいや。
「が有るんですけど、使います? 偶然当たっちゃって使う機会なかったんで」
「本当か? それなら俺としては助かる。今度なにか手伝おう」
「いいですよ別に、僕も会長にはいつもお世話になっていますから。普段のお礼ってことで」
石上、精神疲労から探知した地雷をそのまま踏み潰す。爆発して木っ端微塵でも別にいいやと開き直っていた。
「(どうせ最終的には渡せなくて白銀先輩が先に帰っちゃう奴でしょう。知ってますよその展開、何回見せられたと思ってるんですか)」
具体的には文芸作品や普段の生徒会室でよく見る光景であるため、半分アシストみたいなものだから大丈夫だろうという確信はあった。
「――。藤原さん、私も一応そのつもりで割引券を持ってきたので使いますか?」
「え、本当ですか! わーい! ありがとうございますかぐやさん!」
そんな心境を分かっていたのか、かぐやは何かに納得したように沈黙すると、笑みを作ってそのまま白銀に渡すつもりだった割引券を藤原へと渡した。
そして藤原を先導に歩き始める。
「たしか近くにありましたよね!? お話の内容とか、キャラクターについてとか、いっぱい語っちゃいましょう!」
「キャラクターについてか。それなら俺はヒロインが良かったな。超常的な視線を持ちつつも素直になり切れず、いじらしく思慕を募らせる姿がかわいらしいと感じたな」
「ふふ、あれは意気地のないの間違いですよ会長。私は主人公でしょうか。たった一度の邂逅を胸に努力し続けてつかみ取った姿は格好良かったですよ」
「はは、あれは女々しいと言うべきだろうけれどな、四宮」
「……」
「……」
「あ、あのお二人とも?」
「(映画の話をしているんですよね? ……え、もしかして異性を褒めているから嫉妬とかじゃないですよね?)」
立ち止まって見つめ合う白銀とかぐや。そこに浮かんでいるのは笑みであるが、どこか譲れないものを秘めている。
「いいだろう四宮、カフェでディベートと行こうじゃないか」
「ええ、かまいませんよ会長。楽しみです」
「(もうそのままデ(ィベ)ートに行っちゃってくださいよ)」
藤原の前を行き歩き始める二人の後ろ姿を見て、石上は疲れたように肩を落とす。磁石の同じ極をくっつけているようなものだ。いつかは一致してくっつく時が来るのだろう。
ただ、石上も非常に疲れてはいたが今日という日がつまらないわけではなかった。生徒会で遊ぶのは楽しかったし、映画の内容も良かった。トータルで見れば悪くない一日だったのだろう。
しかしいずれ先輩二人が恋人同士になるそのときまで、自分は大丈夫なのだろうか、と。ずんずんと先に進む二人を追いかけながら思った。
そんな三人の姿を藤原は不思議そうな表情で首を傾げた。
今日の戦場、満身創痍になりながらも生還。
戦果、FUJIWARAクライシス設計書。
――
「石上君、石上君?」
「……なんですか藤原先輩」
「もしかしてなんだけど、会長とかぐやさんって、付き合っているのもしれませんね!?」
石上は逃げればよかったと後悔した。
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藤原千花は爆破した
need-not-to-know、情報は必要がある者だけが知っていればいい、だから知る必要のない者には与えないという意味だ。冷たい論理に見えてこれは有情なことだと石上は思う。好奇心は猫ですら殺すのだ。人間だって必要外のことを知ってしまえば殺されることは多々ある。現に石上は殺されまいと
なぜか自分を挟み行われる
知らなくてもいい、と言うより知るべきではない情報は知るべきではないのだ。石上は強くそう思う。
「あれー? でも今週末って雨ですよね? 外で買い物して会長もかぐやさんも大丈夫ですか?」
スマホ片手に響く藤原の声。ぴしり、と生徒会室が軋む音を石上は聞いた。
きっとそれは知るべきではない情報だった。のどかな花畑から唐突に地雷原へと変わったことに、ああまたか、と石上は諦めた。
――
パリに在る姉妹校との交換留学歓迎会が開かれる、それを数日前に準備しろというのは無茶ではないかと石上は思った。生徒という身分である以上授業という拘束時間があり、放課後だけを使って準備をするなら開催まで時間ギリギリだった。
現に石上も幾つか生徒会の仕事を持ち帰り家で片付けてきた。負担をかけたことに関しては白銀が深く謝罪してきたが、石上もその程度なら構わないと思っている。先輩ではあるが友人の助けになりたいと思うのは当然なのだから。
かくして石上は必要なデータを揃え資料を作成し、後は生徒会室で残りの作業を行い、会長の判を押すだけの状態にしてきた。先日白銀がスマホを買い替えメールアドレスの交換もしたため、電子ファイルに添え付けて送ればいい状態にもでもあるが、行き違いをしてトラブルになるのはこの詰まった日程では避けたいところだ。
休日は日曜の設営準備の手伝いだけで、なんとか土曜日は自由時間を潰さずに済むだろう。直接書類を渡してさっさと済ませることにしよう。
そんなことを考え生徒会室まで来てノックをすると、返ってきたのは「YOYO-!どうぞだYO-!」というラップを舐めているとしか思えない返答だった。
「お疲れ様です。……何やってるんですか藤原先輩」
ちぇけら、と書かれた紙を額に当てながらラッパーの真似をする藤原へと石上は尋ねる。白銀はなぜか脱力しつつも石上から書類を受け取り目を通している。かぐやに聞くのは怖いため残ったのが藤原だったのだ。
「YO! NGワードゲームで買い出し決め! オレっち大金星で二人に勝利だYO! YO! チェケラッチョ! FO~!」
「……藤原さん、どーんです」
「へっ? ちぇけらっ!? なんで!?」
かぐやの指摘に頭を抱える藤原を見て、まぁ何時ものことだと納得するが、いくつかの言葉が気になっていた。
「買い出し、ああ交流会の。今から行くんです?」
「いや、流石に生徒会の仕事が終わった後だと時間がな。土曜日に四宮と行くさ。休日が潰れてしまうのは痛いが、藤原に負けてしまったのだから仕方ない」
「そうですね、仕方のないことです。勝負から降りなかった以上、負けることによるデメリットも受け入れなければなりませんから」
半分嫌々ながらと肩をすかせる白銀と、平静ながらもやや嗜めるように言うかぐや。その二人を見て石上は思う。
「(とはいえ嫌々ながら、っていう顔じゃないな、アレ)」
白銀の表情の端に笑みが含まれており、さらにかぐやは声色から上機嫌で在ると分かる。そのため石上には言っていることとは逆の思いが有るのだろうと想定できた。
ふ、と廻りに気が付かれないように石上は笑った。相変わらず警告を出し続ける第六感に、そんなに慌てるなよ、と言いたげな表情だった。もはやベテランであった。
生徒会室という何時もの地雷原であるが、今日に関しては地雷が丸見えだったのだから。地雷の横を踏まないように石上は通り過ぎるのも楽勝だった。
「(気を使って「土曜日空いてますから手伝いますか」なんて言うのはアウト、そんなことしたら運が悪ければ会長と代わって四宮先輩と行くことになる。だからこのままアデューしちゃえばいい)」
何度も思うが石上に馬に蹴り殺される趣味は無い。用は済んでさっさと逃げようと扉へ向かって回れ右しようとした。
「あれー? でも今週末って雨ですよね? 外で買い物して、会長もかぐやさんも大丈夫ですか?」
藤原の呑気そうな声が届き、この穏健な空気に亀裂が入った。石上は嫌な予感を感じた。いつものことかと諦めた。
何て単純な構造の地雷だ、簡単に解体してやろう。そう石上が鼻歌交じりにほくそ笑んでいると、藤原がラジカセを肩に乗せYOYOやって来る姿が目に浮かぶ。
そして「俺っちが本当の歌を教えてやるぜメーン!」とリズムに乗りながら普通に地雷の上を通過し、爆破に巻き込まれている自分を幻視した。
「ふ、ふむ。それなら待ち合わせや買い物をする場所は少し考えた方がいいな。わざわざ濡れに行く必要も無いだろう」
「え、ええそうですね。小雨程度なら問題はありませんが、手荷物があることを考えると、あまり移動が含まれるのは賢い選択では無いですから」
白銀、かぐや共に理論武装によってなんとか二人きりでの買い物を潰されないよう動く。相手が雨の中行きたくない、という程度の理由で断ることは無いと互いに考えている。
ならばある程度状況を整えて道を舗装してやれば、中止をする理由にはならないのだ。
「えーと、天気予報だと……大雨に変わってる!? 大変ですよ会長! かぐやさん! もしかしたら駅も浸水するかもって! このまま行ったら大変なことになってましたね!」
そして天然は舗装されるはずの道を大量破壊しながら通っていく。こっちの方が面白そう! という理由で森林を突っ走る
「あー……ソウダナ」
「……………………そうですね、藤原さん」
「(やめろよ……藤原先輩なんでそんな自殺みたいなことができるんですか!? 脳みそ代わりにプリンでも入ってぷっちんしているんですか!?)」
どうして自分が退出する少しの時間じっとして居られなかったんだ、と石上は藤原に視線を向け――表情が引き攣った。その視線に気が付いた藤原は首をかしげるが、石上はそれどころではない。藤原の後ろで起こっていることに気が付いたからだ。
「(ああ! 四宮先輩が人を数人殺したような視線をしている! 『まずは胸の肉から剥ぎましょうか』とか言いそうな感じのやつ! 会長は……なんでもないように取り繕ってるけど落ち込んでいる)」
「ふっふー、やっぱりあらかじめ情報は調べるべきですよね! ちゃーんと
「ははっ、上手いこと言うじゃないか、藤原」
「とても、……ええ、とても面白いですよ、藤原さん」
「(なにが
地雷解体に失敗し爆風に打ちのめされ、薄れていく意識の中で石上が僅かに目を開いて見たものは――まだラジカセを肩に乗せYOYOやっている(頭パ)
ニード、ノット、トゥ、ノウ。世界には知ってはいけないことがある。その答えの一つがこれだ。
好奇心は猫をも殺すのである。おまけにそれが善意で地獄の道を舗装しているならぶっ殺されても文句すら出ないだろう。
きっと藤原は明日の朝には海で見つかり遺影となってしまうのだ。ピースサインでイエーイとかやっているのだ。その光景を石上は思い浮かべ――
「(……いや、考えてみれば関係なかった)」
今回は石上自身が何かをしたわけでもなく、被害が及ぶわけでもない。全ての罪を藤原に投げてこの場から逃亡すればいいだけの話だった。勝手に
「だけどそうなると買い出し分は当日間に合うように発注しないとならないですしー、すぐにやった方がいいですよね? それじゃあ注文票を立ち上げて、と」
意気揚々とスマホを取り出し調べ始める藤原を石上は可愛そうなモノを見る目で見つめた。
笑顔のかぐやが藤原の肩を叩こうと近づく。おそらくその肩たたきは死の宣告なのだろう。
「(まぁ、僕には関係ない。藤原先輩が僕ドザえもんになろうと、翌日出荷されようともどうしようもないんだ)」
いまだにYOYOと曲に乗りながら地雷原を歩き続ける藤原を石上は幻視する。地雷解体をできる自分は既に力尽きどうしようもない。
数秒後、藤原千花は爆破するだろう。そして石上は掠れ行く意識の中で目を閉じた。
それがお前が望んだ結末なのか?
「(それは、ダメだ)」
頭の中に石上自身の声が響く。それは寸での所まで来ていた諦念を吹き飛ばす。
「……えーと、日程的に土曜日には買い足しが終わってないとマズいんですよね? なんとか会長と四宮先輩で行ける場所ってありませんか?」
石上が口を開く。ほえ? と首をかしげる藤原、そして白銀とかぐやは驚いたような表情を見せた。
どういう意味ですか、そうかぐやが石上へと視線で尋ねてくる。それを石上は気が付かないふりをした。
直感的に石上は死を意識する。返答を間違えたら自分の未来は死だと察知したのだ。おまけにこの場所には白銀が居て、もしも『互いに好意を抱いている』ということを石上の態度から知られれば、石上に起こりうる不幸は死よりも恐ろしいことになるだろう。
その雰囲気の変化に藤原は気が付いていない。何時もの事である。
地雷爆破に巻き込まれ行動不能に陥りかけていた石上だが、いまだに能天気な状態の
そうこの男、石上優は歩む必要が無かった危険地域へ。自ら進んで
「(分かっている。リア充は爆発しろ、度を越えた天然も爆発しろ、カップルもアベックもピンク空間もデートスポットも全部爆発してしまえばいい)」
そうだ、男女が進展している光景を見て考えるのは爆破一択。積極的に爆破させに行きたくはないが、もしも神様がこの世界に居るなら爆破を願う程度には石上にとっての敵だった。
だけど――
「(――だけどそれでも、会長たちは別だ。
石上は理不尽を嫌う男だ。そして不条理に対してたとえ自分が一時的に被害を被ったとしても助けようとすることができる男だ。
自分の親友である白銀ならば迷わず、かぐやや藤原に関してはできる範囲で助けようと手を伸ばす男だった。
ならば藤原という暴風に曝された白銀に、そしてかぐやという死の権化に近づいた藤原へと手を伸ばすのは当然だったのだろう。
「(見ての通りの自業自得になるだろうけれど、それが知っている人だったなら見過ごす言い訳にはしたくない)」
そう、これは石上にとっては自ら死中に赴き活を拾うようなもの。
島津の退き口の如く、死から逃れるのではなく、死に向かいつつも生き延びようとする石上の生存戦略なのである!
「だめですよ石上君! かぐやさんと会長に何かが在ったらどうするんですか!」
何時も通り藤原に背中を刺され背後を断たれるが、石上にとっては慣れたものだった。
実際吐血したくなるほどきついが、そのリスクは織り込み済みだ。
「まぁ、もしかしたら予報が少し外れて小雨で済む可能性もありますし、決めつけるのはどうかと」
「(…………先に考えるべきは目標の整理、なにに対して四宮先輩は苛立っているか、白銀先輩が残念なのか)」
藤原先輩の発言で買い出しに二人で行けなかったこと――ではない。
何方にしても天候と言う人知の及ばないことに対して苛立つほど四宮先輩は、理不尽ではない、と石上は考える。では今回の地雷は何か。
「(たとえ本当に雨だったとしても初めての電話、初めてのメール! そんなやり取りができるかもしれない、というチャンスを潰されてしまったこと!)」
初〇〇、それは独占感情とも呼ばれる存在だ。誰もが意中の相手には自分が特別な物であってほしいと願う。そしてそのタグ付けをするのに最も簡単な内容が、人生で初めての行為であるという事だ。
安っぽいものだと誰かは言うだろう。白銀御行や四宮かぐやであればその言葉を補強することは幾らでもできる。
だがそこに価値があることは誰もが知っている事実でもある。ならば石上が恐ろしいと考えているかぐやでも、初〇〇に拘ることは十分にあり得た。
「(そして藤原先輩のAmaz●nでOKで、絞り出そうとした言い訳という、あったはずのわずかな希望すら潰されてしまった! だからこそ先輩たちは残念だと考えているし苛立っている! そういうことか!)」
ぴたりと全ての推論が繋がったことに石上は――
「(うっわ)」
ドン引きだった――。信じられるだろうか、彼らはこの秀智院学院のトップとその次である。できれば違っていて欲しかった。
「石上の言って居ることも一理ある。初めから決めつけてしまうのも柔軟性に欠ける。ただし確定させないことのデメリットとして、約束相手の時間を拘束する面もあるけどな。俺は土曜日問題は無いが、四宮はどうだ?」
「大丈夫ですね。ただしずるずると引き延ばして時間を無駄にする必要もありません。当日の天気を見てから判断して、決行か否かの連絡を
違ってなかった。全力で石上の意見を利用する二人を見て、石上は遠い目をして思う。
「(小学生だってもっと進んだ関係になってますよ……! いや、それはそれでこの国が乱れているってことかもしれませんけど!)」
天才二人が同じ方向を向いたとき、石上の言った単語一つを相手を告白させるための道具に使用できるだろう。
何時もの恋愛頭脳戦領域を展開し始めた二人を見て、石上は安堵から息を吐く。まだこの場所は地雷原であるが、何とか退避を可能な程度に減らすことはできただろう。
ここからなら藤原先輩が何かしでかさない限りは大丈夫だ、ちらりと視線を藤原に向けると……
「……うーん」
宙に視線を浮かべて悩む藤原の姿。
人差し指を頬に当てながらこてんと首を傾げるすがたは、彼女とも相まって愛らしい。
だがおかしい。この場で藤原が悩むようなことがあっただろうか。そう石上が疑問に思ったとき、声が聞こえた。
――――ニゲロ。
「(!!!!!!??!?)」
汗がどっと滝のように背中からあふれる。第六感は粉砕しかねんばかりに警鐘を鳴らし、無意識のうちに視界が赤く染まる。
なんてことはない。単に藤原先輩が
「
笑みを浮かべて言う四宮かぐやの姿は普段と何ら変わりも無い。誰がどう見ても、石上すら違和感一つ察知できない。五感全てが状況を正しいと判断しているのに、第六感のみが反論を出している状況に、石上は固まりつつも言葉を紡ぐ。
「……いえ、僕も土曜日はゲームのイベントがあったので、先輩たちが仕事を、こなしてくれるなら、楽できます、よ」
あらあら、と。言い訳交じりの石上の言葉をかぐやは呆れたような微笑みを返す。
視界が真っ赤だ。第六感の警報が大変なことになっている。地雷原がいつの間にか処刑場に代わっていることに気が付き、だけどそれでもと勇気を絞り出した。
「……と、そうでした。此処に来るついでに、藤原先輩を呼んできてくださいって頼まれていたんです。もう生徒会の仕事とか済んでます?」
もうなりふり構っていなかった。ともかくこの場所から離れなければならないと。藤原への説明は道中で考えるという数十秒後の自分に託す選択を石上は握りしめた。
「あらそうだったんですね。藤原さん?」
「あ、今日やる分は終わってるからもういいですよー。それじゃあ、今日は先に上がりますね!」
「お疲れ様、気を付けて帰るんだぞ」
白銀とかぐやへの挨拶もそこそこに石上は逃亡する。ふわりとした笑みを見せたかぐやは自身の髪を払うようにして耳元に手を当てた。
――
「それで私を呼んだのって誰ですか?」
「上手く説明できないんですよね、校舎裏の方まで来てくださいとは言われたんですけれど。……多分先輩だったと思います。もしかして告白でもされるんじゃないですかね」
「あはは、まさかぁ」
どこに向かっているのか石上自身も分からない道中を歩きながら、必死になって言い訳を考える。しかし告白する誰かが居るかもしれない、という言い訳は悪くない。いざとなったら怖気づいて藤原が来る前に去ったのだと言う事ができる。
軽く流した割には藤原はモテる。告白を意味不明に見えて相手に新しい光を見せると言う、告白の定義をよく分からないものにしてはいるが。
嘘になったところで傷つく誰かは居ない。そも呼び出した誰かなどいないのだから。ここまでは石上にとっては完璧な作戦だった。
「ああ告白といえば! むふふふ」
「……なんですか気持ち悪い」
石上の正直な感想だった。何かを狙ってます、楽しそうなことが起こりそうです! そんな期待を持ったような目つきで含み笑いをされれば、石上だって引くものだ。
そんな石上を無視して、藤原は楽しそうにいった。
「もしかして会長とかぐやさんって付き合っているのかもしれませんね!」
「正気ですか」
石上第六感が救急搬送されていた病院から仕事場へと叩き込まれる。藤原空間がヤバい。今まで信じてきた感覚まで可笑しくなりそうだ。
頭が痛い。ゲロを吐きそうだ。どこかで自分は致命的な間違いをしてしまったのだと石上の直感が言っている。
「正気も正気です。お二人とも、あそこまで頑なに一緒に買い出しに行きたいだなんて、狙いは一つだけじゃないですか!」
不味い、と石上は思う。気が付いてしまった藤原先輩は無敵だ。行動力が陰キャを自覚している石上では違い過ぎる。
「こう見ても藤原千花、探偵業を営んでいましてね。人の恋愛感情を情報を集めて人となりを知り、ほんの少し勇気で背中を押すことが趣味なんです」
「それって要するに出歯亀するのが楽しいクソヤロウって認識にしか思えないんですけど!?」
「恋愛探偵、ラブホームズ千花と呼んでください!!」
「逃げて! 恋愛事件迷宮入りになって! せめてこの女の興味を持たれない場所に!」
やってしまったかもしれない。一番知られてはいけない人に秘密を知られてしまった。
いや、まだ核心には至っていない。それならば放置する? あの藤原千花に彼らの間にある空気を読むことができるだろうか? ああ、もう白銀先輩と四宮先輩はだめだ。
藤原に対して散々な評価を脳内で下した後、ならばせめてと石上は決意する。
「(僕が守護らなきゃならない)」
「藤原先輩」
「ん? なにかな石上くん!?」
テンションが高い藤原に対し、石上は不敵に笑っていった。
「探偵には、助手も必要でしょう。相棒役を任せてはくれませんか」
石上、最終手段で自身を藤原の生贄に捧げることを選んだのだ。
つまりこの一手は、藤原と石上が二人が行う活動であるということだ。つまりこの後に白銀とかぐやの仲を探るのならば、石上付いてくるという事だ。
一部以外の女性からの最大評価が「キモイ」になっている石上と共に居る。そんな活動など藤原も御免だろう。自身の境遇を生かした最大限の一手だった。
「ラブワトソンくん! 君もその気になってくれたんですね!」
「え、マジですか。あとその言い方頭悪いんで止めましょう」
駄目だったよ彼女は恋愛大好き生物だ。
因みに藤原から石上への評価は映画の件もあり、まだ『自分を尊敬して慕ってくれる後輩』だった。そんな彼が手伝ってくれると言うのなら藤原にとっては大歓迎だった。
石上の手を握りぶんぶんと楽し気に振る藤原に対し、石上は放心状態だった。どうすればいい、そんなことを考え――
「あれー、書記ちゃんと会計くん? 二人ともどうしたし? なんか楽しそーだけど」
石上にとっては初対面の女子生徒だった。秀智院では珍しいギャルっぽい陽側の人だ、という第一印象を持った。
「あーっ早坂さん! 聞いてください! かぐやさんと、もぐっ!?」
「わーっ! 待った待った待ってください藤原先輩!」
平穏な地に積極的に地雷をばら撒く悪行を成す藤原の口を石上は思わず塞いで止めた。この態勢とか密着度とかやべぇよな、と内心で思いつつ。
そんな態度が可笑しかったのか、藤原に早坂と呼ばれた先輩は楽し気に笑った。
「ぷは、何するんですか石上君!?」
「あははー二人とも仲良しさんじゃん? なんか内緒話してたみたいだし。丁度私も書記ちゃんと話そうとしてたし、私にも教えてよ」
「あれ、ということは私を呼んでたのって早坂さんだったんですか!?」
「? まぁ探していたけど? ……なんか腰引けてるけど、どうしたし?」
「……早坂さん私に告白するつもりだったんですか?」
「書記ちゃん可愛いから私的にはオッケーかな~? ……いや、ドン引きしないでよ。傷つくじゃん」
どういうこと? と言う視線を早坂は石上に向ける。
「えーと、藤原先輩が告白するために呼ばれたんですよ、っていう冗談を真に受けてしまったので……」
「はー、会計くんも案外ユーモアがあるんだねー」
石上に対して悪印象を持たない女子生徒は珍しい。しどろしどろに答える石上に対しても笑いかける早坂に、陽キャの先輩ってすごい、と内心で石上は尊敬した。
同時にこれはチャンスではないかとも考えた。丁度藤原をどこに連れていくかも考えていなかったのだ。この先輩が呼んでいたことにしてしまっても良いのではないだろうか。
「(悪くはない、と思う。丁度この人、早坂先輩も藤原先輩を探していたって言っていたし、それとなく話を持っていけば……)」
「それで、二人とも何の話してたの? あ、もしかして生徒会のことについてとか!?」
「(……その話からは逃げられないのか)」
逆に考えよう。ばらしてしまってもいいさ、と。
藤原が持っている情報は所詮は確定情報ではない。と言うよりこの学園の会長と副会長が恋人ではないか、などという事は秀智院の生徒ならほぼ全員が知っている噂だ。せいぜい距離が近そうに見えた、程度の話ならば問題ないのではないか。
二人が生徒会の仕事で買い出しに行きたがっている、その程度のことだ。見方によっては恋愛方面のことに見えるかもしれない。だが逆に仕事仲間の関係かもしれない。要するに彼らは噂で盛り上がれれば良いだけの話なのだから。
「僕の口からはなんとも。藤原先輩に聞いていただけると……」
石上は藤原にパスした。
こう見えて藤原はかぐやの親友だ。あまりにも誇大な表現をしないだろうし、それが悪評になってしまうようなことを言いふらす人間ではない。その手腕は石上も知っている。風評のコントロールを容易くできる辺りは政治家の娘であるのだから。
「あ、そうなの? それじゃあ書記ちゃんを呼んでくれた君には、お礼に内緒の話を教えちゃうね!」
石上にウィンクをして早坂は言う。言外に、石上が藤原をどこに連れていくべきか迷っていたのを見抜いていたのだろう。
優秀な先輩だった。陽キャの人間は空気だって容易く読める。人はこうも優しくあれるのかと内心で感度する。
「あ、ずるいですよ早坂さん! 私にも教えてくださいよ!」
「あはは、それは後でね。ちょーっと耳を貸してくれる?」
「は、はぁ」
ちょいちょい、と石上を藤原から離し、口を耳元に近づける。シャンプーの良い香りがするな、とか石上は呑気な感想を抱いた。
――思えば石上は幾つかの伏線に気が付いていたはずだったのだ。
都合よく現れた先輩が、都合よく藤原に用があり、何故か石上に呼びに行かせたことにしてくれた。
そんな石上にとって都合の良い話があると思っていたのだろうか。
「――藤原さんの足止め、ありがとうございました」
ぞっとするほど冷たい言葉だった。視界が赤に染まった。警告音がひっきりなしに鳴り響いた。
幾つもの仮想が石上の脳内を過ぎり、それが全て恐ろしい可能性を含みつつも確定ではないことに戦慄した。
只一つ理解したのは、このことをこれ以上深く考えてはいけないという第六感による命令だけだった。
「以上! ね、凄かったでしょ!?」
「ハイ、ソウデスネ」
「あ、これも何かの縁だしラインの交換しよ!」
「アリガトウゴザイマス。ジャア、僕ハコレデ失礼シマス」
ラインの交換も早かった。自分の手はこんなにも早く動くのだろうかと石上は感心した。
寒気がする。風邪をひいたのだろうか。後ろでは藤原と早坂が楽しそうに話しているが自分はこんなにも寒いのはなぜだろうか。
need-not-to-know. 世界には知ってはいけないことがある。その答えの一つを見つけてしまったのだ。
近い未来が確定する。要するに石上は爆破されるという事だった。
今日の戦場。戦死1名、死亡確認。
戦果、中身が怖い先輩のライン。
――
「いや、ぶっちゃけそれもう告白みたいなものですよ。なんやかんや理由を付けて、形にするのは避けていたのにどういう心境の変化」
「ああそうだ」
「……え?」
「俺は、四宮かぐやが好きだ」
白銀の言葉に石上は目を見開いた。
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石上優は否定したい
海か、山か。夏の旅行と言えば真っ先に浮かぶのがその二択だ。限られた季節で行ける場所であることも勿論だが、それは人が無意識に避暑地を求めているから、という仮説も立てられる。
秀智院生徒会のメンバーでもそれは例外ではなかったようだ。キーボードでパソコンに文字を入力しながら、海を推すかぐやと山を推す白銀の会話に耳を傾け石上は思う。白銀が海の欠点を挙げていくが、かぐやは予習していたかのようにそれらを潰していく。
「(おおよそ四宮先輩が優勢で、そろそろ会長が折れる頃だ。……これが恋愛関係の決め手にならないし、イニシアチブを握れないのも何時もの事、なんだけれど)」
「……成程、海も確かに悪くはないな。藤原と石上はどう思う?」
「(なんかそんな感じの質問が飛んでくるのは知ってた)」
おなじみの流れ弾である。響きからしておおよそ観念したが、蜘蛛の糸に縋る程度に聞いただけだろう。もしかしたら石上の考え過ぎで、雑談に混ざらせようと振ったのかもしれない。
初めに返答したのは藤原で、山が良いという返答に隠しながらガッツポーズをす白銀と、やはり敵であると再認識したかぐやが其処に居た。ただその山が恐山という心霊スポットであることや、謎の交霊術を行おうとしている藤原に、白銀かぐや両者ともノーカウントであると認識する。
となれば残されたのは石上の意見だ。そうですね、と。視線を宙に浮かべながら答える。
「海か山かで言うのなら、圧倒的にクーラーがキンキンに効いた室内ですね」
何事でもないと言わんばかりに石上の表情に、白銀、かぐや、藤原の三人はちょっと引いた。
――
インドアとアウトドア。人の嗜好や趣味を二つに分けることもできるその単語達の前では、どこに行くか、などと言う問いはミクロなものに過ぎない。
サバイバル動画、海の環境音をネットで拾える圧倒的現代っ子である石上にとって、山や海で遊ぶことは絶対ではない。無論その価値を否定するつもりは無いが、室内で全てが手に入る現代環境では優先順位が下がる、ただそれだけのことだ。
「大体ですね、海も山も本質は同じなんですよ。自然を感じたい……なんて意識の高いことを言って居る連中が何かと理由を付けていちゃつきたいだけなんです。何が自然ですか。不自然なことヤりに行ってるじゃないですか。自然に謝ってください」
「石上、何がお前をそうまでして自然を恨ませるんだ」
「自然は嫌いじゃないですよ。不自然な人間どもが嫌いなだけなんです。あいつら爆発しねぇかな」
「現代社会に生きる人間が言うセリフじゃないぞそれは!? 中身が完全に野生のラスボスじゃないか!?」
石上の青春へのヘイトは大きい。自分に持っていない物を羨む気持ちが大多数ではあるが。
このような思考回路は確かにラスボスのようだ、と。白銀の嘆きを聞きながら石上は思う。こんなラスボスだらけの学園で何をいまさらと言う気持ちもあるが。
「石上くん、可愛そう……」
「死にたくなるのでガチで言うのやめてくれません?」
眉を下ろし悲しげな表情で言う藤原に、石上も言葉が胸に刺さった。普通にキモイとか言ってくれれば直ぐに爆発四散して嘆きながら家に帰っていたのに、と。
このまま自分が小さいと思われるのも石上にとっては癪でもある。行けないのではなく、自分は行かないという選択を取っているのだ。そこを間違えて欲しくないと石上は口を開く。
「そもそもですよ。自然、という共有できる物体があって、それを介して仲を深めたい、ってのが本質なら、別に外で在る必要ないじゃないですか、良いじゃないですか室内で」
「……なるほど、一理無いわけではないな」
「会長?」
白銀の反応にかぐやは僅かに目を見開く。海か山かの論争で自身が折れかけていたところを逃避しようとしているのか、かぐやは一瞬そう思うが、白銀の反応は至って真面目なものだった。
「どこに焦点を当てた話かで石上の主張も変わる。存分に自然を満喫する、という事が主題であるのなら確かに複数人で行くことも、場所を選択する理由も無いということだ」
「ああ、そういう話でしたか。では誰かと仲を深めるため遊びに行くことを主題とした場合は?」
「これも石上の主張は間違っていない。仲を深めることを目的とするのなら、場所は最も重要なものではない。そして俺たちの話は後者に当たる」
「そ、そんなのおかしいですよお二人とも!」
石上の言葉に納得した二人に、我慢できないと藤原は叫んで否定する。なぜなら白銀とかぐやの言葉に納得してしまったら、室内に籠りきりの石上が正しいという事になってしまうからだ。
「全人類が石上くんみたいな生活をしていたら、背中からキノコが生えてきちゃいますよ!? 海にも、山にも、外にはもっと輝いて見えるものが沢山あるのに! それを切り捨てるなんて間違ってます! 地球を菌類の苗床にしてしまう気なんですか!?」
「焦らないで下さい藤原さん。話はまだ終わっていません。でしょう、会長?」
「ああ」
「(え、なにこの雰囲気。石上きもーいで終わる話だった筈なのに)」
どうして白銀とかぐやがそこまで自分の話に食らいつくのか石上は理解できていなかった。石上自身ある程度は自分のキャラが分かっている。ドン引きされる話だと理解した上で発言したのだ。この具体的には恋愛頭脳戦空間をボロボロにするために。
そもそも今は恋愛頭脳戦が始まっているのだろうか? 此方に話を振った時点で終わっていたのでは、というのが石上の認識だった。
「今回の俺たちの話で最も重要なのは、仲を深めることだと定義した。ならばそれを成すため、自分が最も全員が満足できると考える場所を挙げるべきだ。それが石上にとっては室内であったという事だろう」
「人は行動範囲も知識も体験もそれぞれ違います。だから個性のある場所を挙げること自体は間違いではない、と。先ほど会長が石上君の意見を肯定したのはそういう意味ですよ」
「そういう事だったんですね、石上くん……!」
「え、あ、はい。そうなんじゃないですかね」
どうしてそういう話になったのだろう。でもなんとなく自分を肯定してくれているから良いのかな、と石上は意見に流される。
「それじゃあ私が恐山を挙げたことも間違っては無かったんですね」
「いやそれは間違っています。流石に僕も引きますよ」
「培養室を挙げた石上くんに否定された……」
「キノコ扱いするのやめてくれません?」
中等部の時とは違い、きちんと窓もカーテンも開けている。健康的にゲームはやっているつもりだ。
こほん、と一つかぐやが咳払いをする。話はまだ終わっていないのだと、言外に言った。
「ですがその話には穴がありますね、会長?」
「ふむ?」
「石上君の意見の正当性は確立されました。ですがそれは私たちの意見と石上君の意見が対等であった、というだけの話で、決して最も相応しい意見であるという確証にはならないでしょう?」
「もっともな話だ。反論する余地もない」
かぐやの意見にあっさりと折れた白銀を見て、石上は違和感を持った。
「(うん? 何か変だ。まるで白銀先輩と四宮先輩の掛け合いが予定調和みたいに……)」
「石上君?」
かぐやが微笑む。石上は嫌な予感がした。第六感が有給を使って消えていたのだと今気が付いた。
「石上君の室内が最上であるという発言は、海か山か、その選択を挙げていた私たちへの否定でもありますね」
「へっ?」
そうなのだろうか、そうかも。確かに二人の話を何時もの恋愛頭脳戦だとため息交じりに聞いて、その憂さ晴らしに吐いてしまった言葉かもしれない。
いやしかし四宮先輩に喧嘩売るつもりじゃなかったが、本人はそう捉えていない。絞殺される一分前って表情してるもの。
第六感が働かない。休暇取ってくるからたまには一人で頑張れと言わんばかりだ。グルグルと頭の中を情報が巡り、やがて白銀がかぐやの肩を叩く動作で正気に戻った。
「そう言うな四宮。結論さえ出れば選択肢が増えるのは悪い話じゃない」
「白銀先輩……!」
なんと頼れる先輩なのか。最近の先輩たちは恋愛頭脳戦とかいうよく分からない戦域を広げポンコツさを溢れんばかりに出しているというのに。尊敬は元々しているがそれはそれで、これはこれだ。
どちらかが折れれば一話で終わるラブコメに誰か止めを刺してくれ、と。内心思っていた石上にとっては救いの神のように見えた。
「もしかしたら山から見た星の輝きを知らないだけかもしれない。室内を挙げたのはそういう理由もあるだろう」
「(……うん?)」
「そうですね……。底が見えそうなほど透き通った海の美しさを知らなければ、その意見が出るのも仕方ない事です」
「…………ちょっと待ってください」
白銀の言葉はかぐやを納得させた。だからこの話は此処で終わりだ。それで良かったのかもしれない。
否である。
白銀も四宮も石上の出した室内という意見を否定しなかった。しかしそれは肯定したわけではない。自分たちが挙げた山と海が最上のものだというプライドがあった上での発言だった。
自身の意見が最上であると発言することは、同時にその他の意見が下であると発言したと同意だとかぐやは言った。
その通りであった。
二人は石上の意見が下であると言ったのだ。山を、海を本気で知ったのなら室内という選択が出てこないと!
それが石上のインドア魂に火をつけた。此処で引いてはならないと。自分は室内という場所を進んで選んだのだと証明しなければならない!
「逆に言わせてもらいますよ。室内の快適さ、そして優雅さを知らなければ、アウトドアなんて選択肢は端から出てこないんじゃないですかぁ?」
「ほう?」
「へぇ?」
白銀が不敵に、かぐやが穏やかに笑みを浮かべた。石上の発言を面白そうに聞いていることは共通だった。
「夏に迎合するだけが夏を味わうってことじゃないでしょう。猛暑の中でクーラーを利かせた部屋でキンキンに冷えたジュースを手にボートゲームとかで楽しむだとか! 外の環境に逆らった部屋で夏に反抗していくのはまた、夏でしかできないんですよ!」
「まぁ悪くはないんじゃないか? 実に文明的じゃないか、なぁ?」
「その恩恵を享受している私たちにも十分理解できることですが、ねぇ?」
それは自分たちの意見の否定にはできない。そう言外に語る二人に石上は言葉続ける。
「机の上の論争を広げたところで意味はないです。僕も先輩たちも意見の論拠が自分の体験から来ているなら、共有することはできません」
「道理ですね。パンフレットを広げて旅行した気分になって人に勧めても、説得力に欠けるのは事実。それを補強するための言葉で、それをひけらかして皆さんを丸め込むのは簡単ですが……石上君の意見は変わらないでしょうね」
それは相手に反骨精神を植え込むだけだとかぐやは知っている。完全敗北でなければ人は自身の意見を捨てられない。
石上は強い。それは生徒会全員が知っている。かぐやも同じだった。
「困りました。それではこの問題をどう解決すべきでしょうか? いえ、問題とすら呼べませんが、しこりが残ってしまうのは事実です」
なにしろ最上の意見は決まり切っているのに、納得させることが難しいと。かぐやは困ったように言う。
石上も白銀も同じ考えだ。ただ主張が違うと言うだけで。
「四宮、石上。こののっぴきならない状況を解決する方法がある」
「あら。聞かせていただきますか、会長?」
「……それは?」
かぐやの笑みも白銀の自信満々な表情も揺るがない。
「体験をしたことがないから納得させられないのなら……体験してしまえばいい。各々が自身の主張した意見の計画を立て、生徒会で実行するぞ」
それは山か、海か、室内か。選べないの全部実行しちゃえばいいじゃないという乱暴なものだった。
だがそれは高等部一年、二年の学生の内ならば許される。その余暇を作ることは、彼らにとってはまだ難しいことではないのだから。
「成程、そういうことですか。流石は会長、初めからこの予定で?」
「まさか。だが俺も幾分か自我が強い。自分の主張を曲げたくないと言う程度にはな。四宮も同じだろう? 石上は少し意外だとは思ったが」
「白銀先輩、流石にそれは僕を舐めすぎじゃないですかね」
石上は曲がったこと、間違ったことはハッキリと発言する性格だ。だからこそ地雷を踏むこともあるし、自分の意見が最上と考えているなら対立する。それが例え恐ろしい先輩や最も尊敬する先輩であったとしてもだ。
「夏休みで最も最高の体験をさせた者のプレゼンが至上だったと証明できる。これで否はないな?」
「ええ、それで構いません。尤も結論に変わりあることはありえませんが」
「上等じゃないですか。室内での楽しみ方って奴を教えてあげますよ」
ここに夏休みの予定が一つ決定した。石上はこの生徒会のメンバーで遊ぶなら何がベストなのか思案に暮れ始め――
「「(計画通り)」」
そんな石上を見て白銀とかぐやは目も合わせずお互いにほくそ笑んだ。
かぐやと白銀は予知していたのだ。所詮は会話の流れの話題の一つに過ぎないこの話は、日常の忙しさによって忘れられお流れになる可能性も高い。それぞれ恋愛頭脳戦を仕掛けるチャンスにも関わらず。
ならば、約束として結びつけてしまえばいい。
片方に縛る必要はない、これはピンチでもあるがチャンスでもある。白銀は障害に対して何時も努力を続け乗り越えてきた。かぐやも多少の難点をひっくり返すだけの時間や教養を持っていると自負している。故に今回の約束は必ず自身に対して有利に働くと確信していたのだ。
ただし一つだけ、二人には間違いがあった。
彼らは石上を利用している、かのように見えるが生徒会のメンバーで何かをしたいという思い自体は本物だった。だからこそ利害関係のみの意識ではないということだ。
それは恋愛頭脳戦上では甘えだ。白銀もかぐやも、互いに他者に意識を振り分けながら墜とせるほど甘くはなく、そして石上や藤原が利用されるだけの相手ではなかったのだ。
結論から言おう。
この世界において、ウルトラロマンティックな告白など無い。存在するのは爆破され無惨になった恋愛という戦場だけであり、その未来が今確定した。
次話を書く予定が無いので、次話でプロットを出して未完とさせていただきます。
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