携帯獣異聞録シコクサバイバー (桐型枠)
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始まりはかみなりの如く



 ポケモンの現代モノという表記を見てティンと来た結果書いてました。
 独自の設定も多々絡めていますが、お楽しみいただければ幸いです。




 

 

 ――空を雲が流れている。

 

 吹き抜けた風が、潮の特有の臭いを運んでオレの頬を撫ぜた。

 このなんとも言えないベタッとした感じが、オレはあんまり好きじゃない。汗をかいたときの不快感がそのまま体にまとわりついているような気がするからだ。

 

 本日の天気は晴れ、のち晴れ。空を覆う雲はほとんど見られない。ぽかぽかとした良い陽気だ。

 対照的に、オレの心はどんより曇り模様。ここ二年ほどずっとそんな調子なのだから、むしろそれがオレの標準(デフォ)と呼ぶべきなのだろうか?

 

 掌を太陽にかざしてみれば、そこにあるのは透き通るように細く白い「オレ」の腕。かつての「俺」の姿など見る影もないほどに替わり果ててしまった、少女のような小さなもの。

 見れば見るほどに嘆息してしまう。ああ、どうしてこんなことになってしまったのか――。

 

 

 記憶をさかのぼること二年半ほど前。当時15歳――高校に入って少し経った頃。俺は目を覚ますと女になっていた。

 何を言っているのかわからないと思うが、正直に言ってオレも何が起きたのかまるで分からない。

 色素の抜けきった白い髪。死体か何かを思わせるくらいに血の気を感じさせない青白い肌。頭一つ……半、くらい背の低くなってしまった自分の身長に違和感を覚え、ことあるごとにつまづいていたのは「こう」なってしまったばかりの頃のことだったか。

 今となっては慣れ切ってしまったが、それで慣れるオレはもうヤバいと思う。

 

 そして、どうしてこうなってしまったのか、それを示す記憶もまた、オレには存在しない。

 それどころか、それ以前に経験した過去の記憶さえ、断片のようになってしまっていている。

 ある種の記憶喪失と言うべきなのだろうか。肉体が変化したことによる作用だろうか。いずれにしても日常生活を送るには不便なことこの上なく、加えて言うならこの激烈に曖昧な記憶のせいで、「もしやオレは自分が過去男だったと思い込んでいるだけの精神異常者なのではないか?」と一瞬思いこんでしまうほどだ。

 

 

「――――いや、違う」

 

 

 ……カッコつけて言葉にしてみても、今この時点でオレがそうだという事実は変わらないのだが。むしろ少女特有のソプラノが耳について、何だか最近はこの声にも慣れてきたな――なんて事実に対してイラッとした。

 少なくとも「俺」が行方不明になっていることは事実だ。曖昧であってもオレは過去の自分の言動を記憶しているし、親も行方不明になった「俺」を捜しているし、そんな親に会いに行ったらふざけてるのかと門前払いを食らう程度には確かに存在している。しているのだ。泣いてない。

 

 なんとか祖母(ばー)ちゃんには信じてもらって、ばーちゃんの家、父さんの実家に住まわせてもらえているけど……地に足がついてないような、ヤな感覚があった。

 

 そういう一方で、失われた記憶に代わるように、ある奇怪な映像(ビジョン)が頭の中にある。

 

 闇の中に灯る、ステンドグラスのような輝き。

 黒い怪物。

 

 この幻影は、オレがこんな体になったことと関係してくるはずだ。

 ……そう信じて行動して二年。未だ、確かな成果は得られていない。

 立場も戸籍も所属も、あらゆるものが宙ぶらりんというのは、思っていた以上にキツいということは分かったか。未成年とはいえいつまでもばーちゃんのスネかじり続けてるわけにもいかないし。

 

 喋ってても、体を動かしてても、徐々にそれに違和感を覚えなくなっていくというのは、ちょっとした恐ろしさがある。

 このまま馴染んで元に戻れなくなるんじゃないだろうか。そうじゃなくとも、元に戻ろうとする気持ちすら、いずれは失って……。

 

 

(……ダメだ、一旦帰ろう)

 

 

 良くない考えが浮かんだところで、オレはそう決断した。

 ここのところずっと根を詰めていたし、気分転換に散歩に来たが、どうやら逆効果だったらしい。調べものをするにも、東京か、せめて近場の都会である広島か岡山、福岡の方が都合は良いかもしれない……なんて思いが増すだけだった。

 

 虚しさを吹き飛ばすように、ハンドスプリングの要領で思い切り跳ね、起き上がる――と、次の瞬間、頭に小さな衝撃と、ちくりという何かが刺さったような痛みが走った。

 

 

「ん? ……おぐっ!?」

 

 

 次いで、全身に走る痺れと痛み、熱……まるで電流が走ったかのような。いや、まさしく全身に電流が走っている!

 そこまで激しいものではない。けれど、駆け抜けた電気のショックで目の前がちかちかする。思わず体が前に倒れ掛かる――と、その時、頭の上から砂浜の上に落ちていく、小さな黄色い毛玉のようなものを見た。

 

 ……何だ、あれ。

 

 10cmほどの、黄色い球体……に見える。見た目、モップの先端か何かのような……いや違う、そうじゃない。動いた。あれは……動物、なのか?

 手……というより、あれは前脚か。前脚が二本。後ろ脚も、どうやら二本。頭部と思われる場所には、サファイアのような色合いの目……らしきものが、二対、合計四つ。

 威嚇するように、そいつは目と似たような色合いの青い爪を叩き合わせた。同時に、爪と爪の間に電流が走った。

 

 

「……な、なんだこいつ……?」

 

 

 全身の体毛を逆立てているあたり、やっぱり威嚇はしているんだろう。ぬいぐるみのようなふわふわの毛や、掌に乗るようなサイズのあの小さな体もあって、コアリクイの威嚇のように愛くるしさの方が勝っているが……。

 

 

「ヂヂッ」

「わっ……と」

 

 

 そっと手を差し出そうとすると、指先を電撃がかすめていった。どうやらこの動物、電気を自在に操っているらしい。

 ……シビレエイやデンキウナギのような発電器官を持っているんだろうか? そう考えたのだが、どうにもしっくりこない。

 違和感の原因を探りながらそいつを観察していると、記憶の断片……いや、比較的新しい記憶の中から、この動物の正体と思しき存在に行き当たった。

 

 

「ヂッ……」

「…………」

 

 

 ……でも、そんなことがあり得るのか? あんまりにも非現実的すぎる。

 確かにこの動物にはそれらしい特徴はあるし、オレもそれを体感している。

 電気に、複眼。このカモフラージュを欠片も考えてないような体毛。人間を見て全身の毛を逆立てる様子からは、野生(・・)の動物に特有の警戒心が見て取れる。

 

 ここまで一致する符号があると……流石に、現実のものと認めなければいけないんだろうか。

 

 ……「くっつきポケモン」、バチュル。

 

 

 ポケットモンスター、ちぢめて、ポケモン。現代日本、どころか世界的に見ても有数の人気コンテンツ。初代にあたる「赤・緑」の発売以降、二十年以上も成長を続けながら人々に愛され続けている。今年も新作が発表された。

 だだ、言うまでもないことだが、ポケモンは創作(フィクション)だ。どれだけ市場規模が大きかろうと、現実世界にGOしてAR(拡張)してこようと、実写映画になろうとも、そこだけは変わらない。ポケモンは現実に存在しないものだ。

 ……もの、のはず。

 

 一瞬、もしかしてオレは、自分は過去男だったと思い込んでいるだけの精神異常者な上に、妄想を現実にまで持ち込んでしまったのか……なんて、弱気に弱気が重なった。

 ……いやいやいや、違う違う! オレはちゃんと男だった! つまり妄想じゃない! 違う、そっちは妄想! きっと、あれだ。大きなストレスのせいで幻覚が見えてしまっているだけだ。多分そういうやつだ。間違いない。

 

 

「妄想ならもうちょっと妄想らしくしてくれないかな」

「ヂッ!!」

「グワーッ!!」

 

 

 この野郎!! 本物じゃねえか!!

 当然のように顔面狙ってくるとかどうかしてんじゃねえのか!? 野生動物なら急所狙って当然!? そりゃそうか!!

 くそっ、毛先焦げちまっ……あ、でもちょっと元の色に近づいてて嬉……いや焦げただけだからダメだな……うん……。

 

 

「……現実……なのか……?」

「ヂッ……」

 

 

 恐る恐る声をかけてみると、当たり前だとでも言いたげに、短く鳴き声が帰ってきた。

 こいつ……バチュルは、どうやら現実の存在らしい。何とも言い辛いことだが、彼(彼女?)は小さな体を精一杯に使ってそう訴えかけていた。

 人の言葉が理解できる程度には、頭も良いようだ。

 

 ともかく、こいつが現実の存在だということは、文字通り骨身に沁みて分かった。けど、問題は何でこいつがこんな……現実に存在してるのかだ。

 ポケモンが現実に存在してるなんて話は聞いたことが無い。遺伝子操作の産物か……それとも完全な新種だったりするのだろうか。それとも実験動物がどこかから逃げ出した? しかしそれならそれで何故オレの頭の上に落ちてきた?

 

 本日の天気は晴れ、のち晴れ。いっそ憎たらしいくらいに太陽は照っているし、上空に異常無し。墜落する飛行機なんてものはどこを見ても存在しない。あるのはわけのわからんワームホールだけだ。

 本日の伊予市は晴れときどきワームホール。ところによっては雲がワームホールに吸い込まれていくでしょう。

 

 ……いや待て、オレは何を言ってるんだ。

 ワームホールってのはそもそも理論上の存在であって、現実に存在するものじゃない。人類が光の速度を超えたことは少なくとも今まで一度も無いし、仮にワームホールなんてものを人工的に作ることのできる技術が確立されれば、それだけで連日連夜ニュースになることは確実だ。いくら空によくアニメやマンガで見るような、あの漏斗型の謎空間があるからと言って――――あるじゃねえか。

 

 

「はぁっ!?」

 

 

 思わず二度見すると、確かに上空に極彩色の穴が開いていた。一秒ごとにその色味は移り変わり、内在するものの正体(せいたい)の一つも把握できない。

 それでも、「何か」が来る――そんな、不思議な確信を抱いていると、次の瞬間、空間に開いた穴の内側から飛び出してくる四つの影を見た。

 

 最初に飛び出したのは二つ。黒服の男と、見る者に強烈なプレッシャーを与える、筋肉質(マッシブ)な外見の白い人型。その両手からは目に見えない不可思議な力が放出され続けていて、ワームホールの中にいる「何か」を攻め立てているのが分かる。

 

 対して、白い生物の猛攻を、正面から突破する大きな影が一つ。いや――その背に騎乗するかたちで、もう一つ。

 日輪のような輝きを放つ、白銀の獅子とも形容するべき生物と、白を主体とした色味の、機械式のスーツを身にまとう少年。

 

 人型と、獅子。

 いずれも、知らない存在ではない。「現実では」見たことがないが、それでも、その姿形は知っている。

 

 メガミュウツーX。

 ソルガレオ。

 

 片や、言わずと知れたポケモン界における「最強」の一角。片や、ポケモンの中でも異質な能力と経歴を持つ「伝説」。

 いずれにしても、およそ現実では存在するはずのないもので。

 

 

(……まさか?)

 

 

 ソルガレオの能力は、ウルトラホールと呼ばれるワームホール(・・・・・・)を生成し、そこに広がるウルトラスペースを自由に航行することができるというものだ。

 つまりあのワームホール、ウルトラホールなのでは? ……いや、そのことは今はいい。そんなことよりあいつら、あのウルトラホール(?)から戦いながら出てきたよな……? 待てよ。あいつらこのまま戦う気か!?

 

 あいつらは自分の戦いに集中していてオレの存在に気付いている様子は無い。場所も時期も大外れだから、オレ以外に誰も人はいないが……。

 そう考えたところで、二匹のポケモンの強烈な念動力同士がぶつかり合い、周囲に大きな衝撃波がぶちまけられた!

 

 

「うわっ!?」

 

 

 猛烈な風を伴う衝撃波に、今のオレの体重では抗う術も無い。枯葉が風に舞うように、オレの身体は至極容易に吹き飛ばされてしまった。

 ――と、同時に目にしたのは、今の今までオレと相対していた小さな小さなポケモンが、オレと同じように宙に舞い上げられる姿。

 マズい! そう思うと同時、オレはバチュルの前脚を取って引き寄せて胸元へ抱え込んだ。同時に、着水。不格好ながらも、なんとか足のつく場所で踏みとどまれたようだ。

 

 

「かはっ……けほっ、だ、大丈夫か?」

「…………」

 

 

 衝撃を逃がすためか、体を丸めたバチュルは、少しだけ警戒心を緩めたような様子でオレを見上げていた。

 ……もっとも、その代償にオレの身体はびしょ濡れだ。季節外れの海水浴なんて頼んだ覚えは無いぞ、くそったれ。

 

 

「ほしぐもちゃん、『メテオドライブ』!!」

「押し返せミュウツー! 『サイコブレイク』!」

「!!?」

 

 

 あいつら、またぶつかり合う気か!? 一部気になることを言っていたが今ここで気にすることでもないか……!

 バチュルを胸に抱いて、姿勢は低く。片腕を砂浜に突き立てて衝撃波に備える――と、次の瞬間、再び衝撃が炸裂した。

 

 

「だああぁぁーっ!?」

「ミ゛-っ!?」

 

 

 さっきとは違って木っ端のように吹き飛ばされるようなことまでは無かったが、その分ダイレクトに衝撃が駆け抜けてくる!

 

 ――――バケモノかよ、あいつら!!

 

 バケモノだったわ。少なくとも種族値オバケだったわ。

 そういう意味じゃなくとも、どっちも設定面からバケモノには違いない。片や破壊の遺伝子の申し子。片や異次元の超獣。

 能力値とか、そういう次元の問題じゃない。生物としての格が違う。さっきまでの「わざ」の衝突とそれに伴う衝撃波のせいで――あるいはおかげで――そのことが肌で理解できた。

 

 それらを操る人間も、また怪物に近い。ミュウツーの念力で浮いている黒服の男……オールバックに、胸元の「R」の――虹色の――マークを見れば、ポケモンにおける代表的な「悪の組織」、ロケット団の首領(ボス)、サカキであることがよく分かる。

 対して、ソルガレオに騎乗している少年。あのスーツのせいでやや分かりづらいが、今聞こえた「ほしぐもちゃん」という言葉から察するに……彼はポケモンにおけるシリーズ、「サン・ムーン」、もしくは「ウルトラサン・ウルトラムーン」における主人公だろう。

 

 ここに来るまでにどれだけの攻防を繰り返してきたのかは分からないが、戦いの趨勢は、既に少年の方に傾いているようだ。

 

 

「くそ、いつまでもここにいるわけには……」

 

 

 何がなんやらわけがわからないが、いつまでもここにいては戦いに巻き込まれかねない。そう思って海から出ようとした――その瞬間、一瞬だけ、両者の視線がこちらを向いた。

 互いに驚きの色を含んでいたことは変わりないが、少年は直後に焦りを、サカキは喜色を表した。

 

 

「ミュウツー、『サイコウェーブ』!」

「! ほしぐもちゃん、あの人を!」

 

 

 ミュウツーの手から放たれた強烈な念動力の奔流が、オレとバチュルの方に向かってくる。

 高速で渦を巻く、超常の力の嵐。その威力のせいで、自然と紫電を纏い、飲み込んだものを引き裂いていくかのような猛烈な威力を秘めた一撃は――次の瞬間、オレたちの前に「テレポート」したソルガレオの放つ強烈な輝き――「ワイドガード」だろうか――によって受け止められた。

 

 一方で、それが死力を尽くした最後の一撃だったのか、ミュウツーのメガシンカが解除される。

 が……今の攻防の中で、サカキと少年の間には、ほんのわずかな距離が生じている。一息で埋めることができない程度の、ギリギリの距離だ。

 サカキは上から少年を見下ろし、少年は下からサカキをにらみつける。

 

 

「サカキ……!」

「そう睨まないでくれ。キミならばきっと防ぐだろうと読んでいた」

「白々しいことを!」

 

 

 激昂する少年に対して、サカキは余裕の表情を崩さない。追い詰めているのは少年で、追い詰められているのはサカキのはずなのに、彼らの様子を見る限りではその逆にも感じられる。

 攻撃は――できない。距離がそれを許さない。双方ともに中・長距離にいる相手を攻撃する手段は持っているが、それを放てばほんの僅かな隙が生じることだろう。「わざ」を外せば、その隙を突かれて負ける。

 仮に当てることができても、攻撃同士が交錯すれば互いに、同時に攻撃が当たってノックアウト……ということもありうる。もしソルガレオが少年の最後の手持ちポケモンなのだとすると……あまり考えたくないことだが、ポケモントレーナー同士のリアルファイトに発展する可能性だってありうる。そうなれば、体格で勝るサカキに少年が勝つ見込みは薄い。

 

 当然、オレも動けない。この状況下でヘタに動けばそれだけで命取りになるからだ。

 

 

「どうやら、この場は退くしかないようだ」

 

 

 声を聞いただけなら余裕すら感じそうなものだが、サカキの額には玉のような汗が浮いている。ああやって余裕の表情を作っているのも、実は厳しいのかもしれない。

 ……だからって、直接アイツに殴りかかろうと思っても、その手前でミュウツーに阻止されるだろうが。

 

 

「ここであなたを逃がせば僕らの世界だけじゃなく、無関係な世界まで侵略される。絶対に逃がすわけにはいかない!」

「素晴らしい決意だ。出会った時は子供特有の無謀さと笑っていたが……今思えば、こうして追い詰められている理由も分かる。だが、私はまだ追い詰められただけで、負けて(・・・)はいない」

「負け惜しみだ!」

「いいや。痛み分けだ。証拠に、ここに来るまでにそのポケモンも随分消耗したはずだ。今のサイコウェーブを受けたのなら、もう限界も近いはずだ」

 

 

 少年は答えない。しかし、ソルガレオの後ろ脚の震えが、何よりもその事実を雄弁に物語っていた。

 

 

「そして」

「!」

 

 

 更に、サカキがオレを指差すと、ミュウツーは再びオレに向けて腕を掲げた。

 ……マズい。確かに今アイツはメガシンカを解除したが、消耗のせいで解除したのか――それとも自分の意思で解除したのか、それが分からない。

 もしかするとまだ体力は残っていて、虎視眈々とこの機を狙っているのでは? そう思った次の瞬間だった。

 

 

「――――『フラッシュ』」

「なっ!?」

 

 

 ――「ひんし(・・・)でも使える(・・・・・)ひでん技、「フラッシュ」。

 まさか、まだ抵抗する体力があるのでは――と考え、その動向を見逃すまいと目を皿のようにしていたオレたちにそれを防ぐ術は無い。強烈な閃光が炸裂。目を眩ませることに成功したサカキたちの気配が、一瞬で掻き消える。

 

 逃げた。

 

 その事実を認識すると共に、ようやく視界の明滅が治まってくる。

 ……砂浜に、サカキの姿は無い。この場に残されたのは、オレと、バチュルと、少年。そして夜空のような藍色の煙を全身から立ち上らせるソルガレオだけだった。

 

 

「くっ……大丈夫かい、ほしぐもちゃん。……ほしぐもちゃん!?」

 

 

 背に乗る少年の切迫した声に応じるように、ソルガレオは一つ、苦しげな……もしくは、申し訳なさそうにも感じる鳴き声を発し――その体を急激に縮め始めた。

 

 

「は?」

「わっ!?」

 

 

 煙が吐き出される。ソルガレオが縮む。いや、凝縮される。

 煙が晴れたその時、砂浜に立っていたのは、威風堂々とした立ち姿の白銀の獅子ではなく――夜空の中で輝く星のような、淡い輝きを放つ、夜色の鉱物のような存在だけだった。

 

 自然、少年も砂浜へと放り出される。衝撃の大半はスーツが吸収してくれたようだが、その表情からは大きなショックがうかがえた。

 

 

「ほしぐもちゃん……」

 

 

 彼の声は強い悲嘆に満ちていた。

 大敵とも呼ぶべき男の逃走を許してしまった自分の無力と、ソルガレオを退化……一時的な休眠状態になるまで酷使させてしまった、自身の采配を悔いているのだろう。

 

 一方で、オレの頭は困惑で埋め尽くされていた。

 荒れ果てた砂浜。ずぶ濡れのオレ。胸の中で震えているバチュル。戦いの中で閉じてしまったワームホール。眠りこけるソルガレオ休眠態(コスモウム)。呆然と立ち尽くす少年。

 

 

「……何がどうなってるってんだ……」

 

 

 誰かオレにこの状況がどういうことなのか、説明してくれ。

 特大の困惑を込めたひとことは、虚しく空に溶けていくだけだった。

 

 

 







 プロット先生は今のところご存命ですが、思いつきと剣盾の新情報次第で多分死にます。




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出会いはあわただしく

 

 

 

 少し経って、少年は一つ息を吐いて顔を上げた。

 このままこうしてもいられない、と思ったのだろう。その表情は決意に満ちていて、先程までの嘆きはうかがえない。

 少年は、コスモウム(約1t。サイコパワー枯渇)を動かそうとして――いったん諦めた後、こちらに向き直った。

 

 

「きみ、大丈夫だった?」

「ああ」

 

 

 体の節々が痛むが、この程度は許容範囲だろうと考えながら、少年の問いに答える。

 少年は少年で……客観的に見て、やや儚げな印象を受ける外見をしていると言うのに、やけに不愛想な返答をすることに違和感を覚えたのか、苦笑いでそれに応じた。

 

 ……それよりも。

 この少年、スーツを脱いだ姿は、それこそ「どこにでもいるような」子供という感じだ。

 黒と白の帽子に、七分丈のズボン。水色のタンクトップに、ボーダーの上着。ポケモン「サン・ムーン」と「ウルトラサン・ウルトラムーン」における主人公の、デフォルトの衣装を組み合わせるとこんな感じになるだろうか。

 

 

「大丈夫だ、けど状況がイマイチ分からん」

「そうだろうね……」

「けど……」

 

 

 疑問は腐るほどにある。

 ただ、今すぐに聞きたいことは――。

 

 

「……これ、現実だよな?」

「げ、現実、かな……」

 

 

 お互いに色々と困惑しているのは確かだけど、それだけはどうやら事実らしい。

 ……あまり、事実であってほしくはなかったが。

 

 

 それから。

 十数分ほどかけて、二人で四苦八苦しながらコスモウムを波打ち際から動かすと、オレたちは砂浜に腰掛けてお互いの情報を交換することにした。

 

 

「それじゃあ、まずは自己紹介からかな。僕はヨウタ。君は?」

刀祢(トウヤ)アキラ」

「……トウヤ、アキラ……どっちが名前?」

「アキラの方だ」

「わ、分かったよ」

 

 

 どうやら、さっきもそうだったが、少年……ヨウタはどうにも、オレの外見と口調のギャップに面食らってるらしい。

 オレ自身はそういう反応には慣れてるが、思えばばーちゃんちに世話になってからはそういうことが多かった。近所の町工場のおっちゃんや交番の署長さんなんかも、こんな反応をしてたなと思い出す。まあ、気にすることもないが。

 

 

「ヨウタはどこから来たんだ?」

「僕は……出身地って言うなら、カントー地方のマサラタウン。今はアローラ地方のメレメレ島に住んでる。どこから来たかって言われると、さっきの穴……ウルトラホールから……なんだけど……」

 

 

 分からないよね、とヨウタは頭を掻いた。しかし、オレはその予想を否定するように「いや」と投げ掛けた。

 

 

「言ってることは分かる」

「えっ!?」

 

 

 カントー。マサラタウン。アローラ。メレメレ島。ウルトラホール。

 本来ならばフィクションの中にしか存在しないはずの地名や固有名詞を、極めて自然に告げるヨウタの言葉は、彼が異邦人であるということを端的に示していた。

 オレ自身も、さっき彼がウルトラホールの中から出てきたところを見ている。状況証拠と、本人からの証言……オマケに砂浜には、さっきまでミュウツーとソルガレオが行っていた戦闘の爪跡が至る所に刻まれている。ここまでくると確定的だ。

 

 

「どういうこと?」

 

 

 ヨウタは、どうやらオレの返答に困惑しているようだった。

 それも当然か。何せ彼から見ればここは異世界だ。本当なら、知識も、常識も、価値観も、土地や町や人、それどころか物質を構成する原子でさえも違う可能性だってある場所だ。同様の知識を共有できているというだけで、異常なことだと言っていい。

 ウルトラホールにしても、ポケモンの世界においては、その単語を知っている人間自体も限られている。

 それでもオレが知っていると言うのは、何か事情があると察したのだろう。

 

 

「ヨウタから見てオレたちの世界は異世界にあたるんだと思うけど、オレたちの世界にはポケモンは存在しない」

「……その子は?」

「こいつは例外中の例外。今は置いといて」

 

 

 バチュルはオレの頭の上に乗って、海水を乾かすために日光浴をしていた。

 ……こいつもこいつで、出所が謎なんだよな。多分ウルトラホールから出てきたんだろうけど。

 

 

「……けど、ポケモンに関する知識はあるんだ。というか、ポケモンのいる世界に関する知識、かな?」

「それは……どうして?」

「オレたちの世界では、ポケモンは創作として存在してるから」

 

 

 それから、オレはヨウタに――ポケモン世界の「主人公」とも呼ぶべき存在に、この世界におけるポケモンについてを語ることになった。

 「ポケットモンスター 赤・緑」から始まり、連綿と続く歴史。そこには当然、ヨウタのポジションにあたる「サン・ムーン」または「ウルトラサン・ウルトラムーン」の主人公とそのストーリーに関わる話もあった。やはり、自分の冒険や自分が関わった事件が、自分の知らないところで勝手に物語にされていたり、ゲームにされているとなると、気味が悪いんじゃないかと思ったわけだが――。

 

 

「それは僕じゃないし、そのゲームに出てきてる人は、名前は同じでも僕の友達とは違うよ」

 

 

 とのこと。

 リーリエやハウ、グラジオ、ルザミーネ、グズマ。そういった人物はいるらしいが、だからと言ってゲームなどで語られるのと同じ人物ではないという。

 

 Wikiや攻略サイトに掲載されていた、第七期のポケモンの攻略情報などを見せてみると、ヨウタは「ここが違う」、「ここは同じだった」と、一つ一つに注釈を入れながら、彼が経験した冒険について語ってくれた。

 

 

「基本的に、しま巡りをするのに僕はリーリエと一緒に行動してたよ。ハウは、街につくまで競争して、街についたら一緒に行動して……って感じで、一緒に行動したり、しなかったり、かな。グラジオは何だかんだ言いながら、リーリエのことをずっと見守ってたみたい。時々、ピンチの時にすごくタイミングよく出て来たりしてたよ」

「なるほど」

 

 

 それもまた道理と言えば道理か。RPGで、かつポケモンというゲームの都合上、主人公が一人で行動するのは前提と言える。

 ゲームにおいては、基本的にリーリエは別行動を取っていたが、ヨウタは一緒に行動して彼女を守っていたらしい。もっとも、スカル団やエーテル財団に関わらなければならないような場面では、ポケモンセンターなどで待っていてもらったようだが。

 

 

「僕の目的はしま巡りだったから、大筋はこのサイトに載ってる通りだよ。けど、そこから先がちょっと違うかな」

 

 

 続けて、ヨウタは冒険の終盤について語り始めた。

 

 曰く、リーリエが「ほしぐもちゃん」……コスモッグと共にエーテル財団に誘拐された。誘拐を画策したルザミーネは、ウルトラビースト……ウツロイドの神経毒に侵され、操られていたという。

 

 ほしぐもちゃんはウルトラホールを開くことのできる特殊なポケモン――ウルトラビーストだ。ほしぐもちゃんに強いストレスを与えることで、強制的にウルトラホールを開くことができるのだが……ルザミーネは、というより、彼女の行動を操っていたウツロイドは、この能力を欲した。自分が元いた場所に戻るためか、あるいは仲間を呼び込もうとしたのか――それは定かではない。

 ともかく、ウツロイドはほしぐもちゃんに過剰なストレスを与えて、ウルトラホールを開いた。そこにルザミーネと共に――融合した状態のままで――入り込み、自身の住処へと移動しようとした。これを許さなかったのがヨウタだ。リーリエの母親をわけのわからない生物に奪わせるわけにはいかない、と奮闘。操られたルザミーネを撃破、ウルトラスペースから脱出し、ウルトラホールも閉じることに成功した。

 

 のだが、ルザミーネは長いことウツロイドの神経毒に侵されていたため、体に過剰な負担がかかって昏睡してしまう。

 リーリエは母を元に戻す方法を探すため、カントーへ…………というのが、「サン・ムーン」におけるお話。

 

 だがここで、ヨウタに天啓が走った。ルザミーネを侵していたのはウツロイドの神経「毒」……つまり、カプ・レヒレの「穢れを祓う清らかな水」を生み出す能力、あるいは、カプ・テテフの「たちまち元気を取り戻す」鱗粉によって、治療は可能なのではないか? と。

 その推測を試すためには、二柱のカプ神から認められる必要がある。ルザミーネをエーテル財団に預け、ヨウタはリーリエと共にカプ神のもとへ訪問。紆余曲折を経た末に、カプ・レヒレにも……気難しいカプ・テテフにも認められ、治療に乗り出すことができた。

 

 しかしここで、なんとレインボーロケット団を名乗るサカキらが現れ、突如としてエーテル財団の拠点、エーテルパラダイスを占拠。ルザミーネの身柄を奪われる。

 レインボーロケット団は、卓越した科学力によってウルトラホールを利用する術を得た数少ない組織である。彼らはその能力を利用して、並行世界に存在する様々な「悪の組織」、その首領格から下っ端まで全ての人材を取りこみ、伝説のポケモンまでをも捕獲することに成功したのだという。

 彼らはその力を用いて、ヨウタたちの世界へと攻め入り、世界征服を実現しようとしていた。

 

 が、アローラ全土……どころか世界全体の危機に、人間もポケモンも黙ってはいなかった。

 アローラ四島のしまキング、クイーンをはじめとして、それぞれの島のキャプテン。ヨウタの友人たちや、アローラにやってきていた国際警察のエージェント、果てはスカル団までもが、レインボーロケット団を倒すための戦いに参戦。カプ神も彼らに力を貸し、なんとか全ての幹部を撃破。ヨウタもサカキを追い詰めるも、彼はそこでウルトラホールを作り出すことで逃走を図る。

 これを追いかけるため、ヨウタはリーリエと共にほしぐもちゃんを覚醒に導き、ソルガレオに進化させた。

 そうしてサカキを追いかけて、現在に至る――――とのこと。

 

 

「ここに来るまでにサカキを倒せてれば、迷惑をかけることも無かったんだけど……本当にごめん」

「いや、そりゃ逃げたサカキが悪いだけだろ。謝る必要は無いんじゃないか?」

「それでもだよ。僕がもっと強ければサカキも倒せてた」

 

 

 しかし、ああいう人間は切り札の一つや二つや三つや四つくらい用意していてもおかしくない。仕方ない……と、慰めるのは簡単だが、ヨウタはそれじゃあ納得しないだろう。

 だったら次は頑張ろう、ということにしておいて、話を続ける。

 

 

「ヨウタはこれからどうするんだ?」

「なんとかしてサカキを捜すよ。あの人を倒して、この世界から追い出さなきゃいけない」

「そうか……」

 

 

 そのためにはまず、ほしぐもちゃんの回復を待つ必要がある……と、ヨウタは至極冷静な意見を述べた。

 

 サカキだって、仮にもジムリーダーを務めていたほどの実力者だ。人格はどうあれ、回復アイテムを欠かすという愚を犯すことは無いだろう。ヨウタにとっての切り札であるソルガレオ――ほしぐもちゃん――が消耗しきってしまっていて戦えない現状、無理を押してサカキを追えば、返り討ちに遭う可能性も低くない。

 

 ゲームと違って、回復アイテムを使ってもポケモンの体力が一瞬で回復するようなことは無い、らしい。ポケモンセンターで回復を頼んだとしても、完全に回復しきるまでにはそれなりの時間が必要なのだとか。まあそれ自体は自然な話だ。

 ……なので、下手にこんな満身創痍の現状で追いかけると、追いかけた先でサカキは多少なりとも自分のポケモンを回復していたが、こっちは一切回復せずに連戦……なんていう最悪の状況もありうる。それに比べたら、まだお互い万全の状態で戦った方が、勝率が高いとすら言えるだろう。

 

 

「ならうちで休んでくといい。すぐ近くだし」

「え? い、いやいいよ! 迷惑になるし……」

「オレがここにいたせいでサカキを逃がしちまったんだ。このくらいはさせてくれ」

 

 

 元をただせば全部サカキが悪いのだが、それはそれとして、オレがここにいなければ、サカキはオレを人質にとるような真似はできず、そのままヨウタに負けていた……可能性はある。

 勿論可能性の話だ。街に「テレポート」して街全体を人質にするということだってありうるし、結局逃げられたってこともありうる。けれど、今回オレが邪魔になってしまった、というのが結果だ。だから、これはその罪滅ぼし。

 このまま話していては、オレがオレが、僕が僕が……と、責任の奪い合いという謎の状況に陥るだろうことを察したヨウタは観念したように息を吐いた。

 

 

「分かった。よろしく頼むよ」

「ああ、少しの間、よろしくな」

 

 

 互いにがっちりと握手を交わす……と、ふと見ればヨウタが顔をしかめていた。どうやら力を入れすぎてしまったらしい。

 

 

「ち、力、強いね……」

「悪い」

 

 

 ちょっと気合をそのまま表しすぎてしまったようだ。

 少し反省。

 

 その後、多少の念動力を取り戻したコスモウムをボールに収め、オレたちはばーちゃんの家に向かうことになった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 家に帰り着くと、オレはまずバチュルを家のコンセントの前に連れていった。

 ネットで検索したところによると、バチュルは自力では電気を作れず、外から電気を取り込む必要があるのだとか。オレの頭の上に乗っていたのもそれが理由で、摩擦で静電気を起こして、電気袋にそれを蓄えていたらしい。

 で、まあそれよりは、こっちの方が良いだろう……ということで連れてってみたのだが、これが大好評。バチュルは喜んでコンセントに電気を蓄えに向かった。

 

 

「ばーちゃーん、ただいまー!」

 

 

 家の裏手の方に呼びかけると、小さくそれに応じる声が聞こえてきた。

 晩飯の準備でもしているのだろう。さっき、こっちに戻ってくる間に電話で事情はそれとなく伝えてあるし……今は詳しい説明はいいか。

 

 ヨウタを見ると、バッグの中から赤い板……ポケモン図鑑と思われるものを取り出していた。

 ポケモン図鑑、というよりは、シリーズ的に見れば「ロトム図鑑」か。ポケモン、ロトムは電化製品に憑りついて自在に操る能力を持つ。ロトム図鑑は、その能力を応用し、空中浮遊、自衛、マッピングやナビゲーション、物質の成分の解析や、手持ちポケモンの健康状態の把握等々、様々な機能を持たせた高性能なポケモン図鑑である。らしい。

 ……ゲームをやったりアニメを見たりする限り、喋りかけてくる頻度の多さやオーバーリアクションのせいで、「うざい」とも言われることがあるらしいが……。

 

 

「ふうっ、息がつまるロ」

「ごめんねロトム。こっちだと悪目立ちしちゃうから」

「いいロ。仕方ないロ」

「…………」

「どうしたの、アキラ?」

「い、いや……」

 

 

 ……声、女の子なんだな。

 アニメの声を思い浮かべていただけに、そのギャップは少々大きい。

 オマケに性格もややひかえめだ。もしかすると本当に「ひかえめ」かもしれない。理想個体だったりするのだろうか。いやいやそこは気にするところじゃねえ。

 

 

「紹介しておくね。ロトム図鑑に入ってもらってるロトム」

「はじめまして、よロトしくお願いします」

「はじめまして。よろしくな」

 

 

 ともあれ自己紹介を済ませたところで、居間の方へ。

 

 オレが今住んでいるばーちゃんの家は、平屋建ての和風建築だ。部屋の多くは和室であり、居間も例外ではない。

 引っ張り出した座布団をヨウタに差し出し、オレは台所の方へ。ジャリジャリになった口の中を軽くゆすいだ後、冷蔵庫からお茶を取り出して机の上に並べた。

 

 

「ロトムの分要るか?」

「いや、大丈夫だよ。飲めないし」

 

 

 そりゃそうだ。一応電化製品だしな。

 当たり前のことに納得しているオレを他所に、ヨウタは物珍しそうに周囲を見回している。

 

 

「何か珍しいのか?」

「ううん、あっちもこっちも、建築様式自体は変わらないんだなぁって……」

「そりゃ変わらんだろ。奇抜な建物ばっかりじゃ、住むのに不便だ」

「何て言ったらいいんだろ。僕らの世界からポケモンを抜いただけ……って感じだなって思ったんだ」

「あんなに悪の組織は大ハッスルしてないけどな」

「あ、ああ……あはは……いや、あれは僕らでも何でかはよくわかってないんだけど……」

 

 

 ポケモンっていう強大な存在が人の心の枷を外してしまうのだろうか。

 あと、明確な抑止力……物理的な、例えば兵器の存在なんかも……示唆くらいはされてるかもしれないけど、よく覚えてないな。「X・Y」だと最終兵器なるものがあったけど、あれもロストテクノロジーの産物って感じだし。

 

 

「ところで……あのバチュルは、君のポケモンじゃないんだよね?」

「違うよ。海岸で寝てたら降ってきたんだ」

「え、えぇ……」

「困惑したいのはこっちなんだが」

 

 

 どこから来たのか、どうやって来たのか、何で来たのか、それが一つたりとも分からない。

 多分、ウルトラホールが原因……なんじゃないかなあ、くらいの推測はできるが、それだって推測でしかない。

 

 

「ロトム、翻訳とかできないかな?」

「ちょっと難しいロ。ポケモンによって言語体系が違うロ……」

「そっか……」

 

 

 逆に言うと体系付けさえできれば、ポケモンの言ってることが分かるようにもなるのか。すごいなロトム図鑑。

 

 

「でも、付着物の成分は解析できるかも。ちょっと待っててロ……」

「高機能すぎねえ?」

「おかげですごく助けられてるよ」

 

 

 ヨウタは遠い目をしている。

 自分でもどういう機能がどれだけあるか把握しきれていないんだろう。ロトムがビックリドッキリ機能を披露する度に驚くのに慣れ切ってしまったというか、驚き疲れたというか、ともかくそんな雰囲気だ。

 

 

「成分が出たロ。エーテルパラダイスの土と発電機の金属片みたい」

「ってことは、元々はエーテルパラダイスにいた子みたいだね。サカキとの戦いの時に巻き込まれて、ウルトラホールに入ってきちゃったみたいだ」

「で、ヨウタたちがこっちに来るのに合わせて、バチュルも一緒に来ちまった……ってことか」

 

 

 思ったよりも不憫な子だな。

 そう考えると、出会い頭に電撃を食らわされてしまったことも許せそうだ。

 

 

「そういうことならしばらくうちで面倒見るか。ヨウタが帰る時に連れて帰ってもらえば解決だろうし」

「そうだね。あの子、アキラに懐いてるみたいだし……サカキを倒すまでは、面倒を見ててくれるとありがたいな」

「分かった」

 

 

 ヨウタも歴戦のポケモントレーナーだ。既に手持ちポケモンも六匹いるという。

 

 ゲームやアニメでは、手持ちポケモンは六匹までに限定した方がいいとされている。

 ヨウタの言うところによると、それ以上のポケモンがいてもちゃんと一匹一匹と向き合うことができないらしい。愛情を注げるのは六匹まで……というのは、誰の言葉だったっけか。

 オマケに、今は傷ついた手持ちポケモンたちについていなきゃいけない。残念ながら、面倒を見る余裕なんて無いだろう。

 七匹目としてほしぐもちゃんがいるようだけど、それはまあ例外として置いておく。

 

 ……サカキも、言っちまえば孤立無援の状況だ。この世界にはポケモンに関わる機械やアイテムは無いし、レインボーロケット団の団員はヨウタの世界に置いていかれてる。

 何より、いつまでもこの世界にいる理由が無い……って、そうだ。

 

 

「そういえば、サカキって自分でウルトラホールを開く手段を持ってるんだろ? 他の世界に逃げられたらどうするんだ?」

「ボクにはウルトラホールが開いたかどうかを感知する機能もアップデートで導入されてるロ」

「だから大丈夫。まあ、この世界から出て行ってくれるのなら、その方がいいけど」

「そっか」

 

 

 やたら高性能だなロトム図鑑。

 誰だよアップデートしたの。ナリヤ博士か? それともククイ博士……いや、バーネット博士の可能性の方が高いか?

 ……まあいいや。そういうことなら、サカキもすぐ捕まるだろ。その間バチュルの面倒を見ておくくらいなら、なんてことはない。

 

 このまま追い込んで追い詰めて、この世界からも追い出す。それがオレたちの今の目的ってとこだな。

 

 






 ヨウタの名前の由来はSM/USUMの主人公のデフォネームの組み合わせで、ヨウ+コウタ=ヨウタ となっております。
 



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迅速なかいふくしれい

 

 

 お茶を飲んで一通り話したおかげで、落ち着いて自分の状態を考える余裕もできた。

 ……おかげで今のオレが、体中砂まみれな上に海水でべとべとだってことを思い出した。その辺はバチュルもそうだったな。

 シャワーを浴びたい。が……あいつ、水濡れ大丈夫なんだろうか。いや大丈夫か。海に落ちてたし。

 でも気にはなるな。一応、専門家の意見をあおいでみるか。

 

 

「オレもあいつもだいぶ汚れたし、バチュルと一緒にシャワー浴びてこようと思うんだけど……何か注意点とかってあるか?」

「ん? んー……ベトベターでもない限り、ポケモンって基本的に綺麗好きだから嫌がりはしないだろうけど……嬉しかったり楽しかったりしたら、つい、こう……ビリッといっちゃうこともあると思う」

「ビリッと?」

「ビリッと」

 

 

 嬉ションか何かか。

 

 

「小さめの桶にぬるめのお湯を張って、自分で水浴びしてもらうのがいいと思うよ。変な触り方とかすると、怒って放電したりすることもあるかもしれないから、満足して出てくるまで待っててあげて」

「分かった。サンキュ」

 

 

 風呂場への行きがけに、コンセントの前で座っていたバチュルに呼びかけると、嬉々とした様子でオレの頭の上まで駆け上がってきた。

 パラパラと砂が落ちてきてちょっと痒い。

 

 風呂場について服を脱ぎ捨てたら、まずはバチュルの浴場づくりだ。

 ぬるめに調整したお湯をプラスチックの桶に注ぐ。だいたい高さは5センチ程度で溺れないように。

 桶の縁に手をかけてしばらく待つと、恐る恐るといった様子で、腕を伝ってバチュルが桶の方まで降りて行った。一度、二度、と軽く前脚を浸けて様子を見ていたが、特に問題無いと見ると、すぐにそのまま着水。身体を浮かべることにしたようだ。

 あのふわふわの毛。見た目通り、毛と毛の間に多く空気を含むようになっているらしく、それなりに浮力はあるらしい。本来の目的は、多分あれを擦り合わせて静電気を作り出すことなんだろうが……面白い副産物だなあ。

 

 うちの風呂場は、普通の住宅と比べると広い。足をゆっくり伸ばせる程度の大きさの浴槽に対して、L字型に空間があるような構造だ。旅館なんかにあるような、小さめの共同浴場のそれに似てるかもしれない。じーちゃんが存命だったころ、とにかく風呂は広くしたい……と言っていたとかなんとか。

 とりあえず、オレはオレで汚れを流していく。どうせ晩飯食べた後にちゃんと風呂に入る予定だし、とりあえずでも砂を落とせればいいや。

 

 そんな中、ふとバチュルの方に目線をやると、器用に前脚を使って毛と毛の間に入り込んだらしい砂を洗い落としていた。どうやら本当に清潔な方が好きらしい。

 

 

(そうだ)

 

 

 だったら、と軽く石鹸を泡立てて作った泡玉をバチュルの前に置いてやる。

 何に使うのか、と困惑している様子だったが、同じものを作って体を洗って見せると、同じように体につけて汚れを洗い落とし始めた。

 本当に賢いな。

 

 こうして改めてバチュルを見てると、ヨウタたちの世界でポケモンが愛されている理由も分かる。

 彼らは言葉を喋ることができないだけで、人間と同じくらいには賢く、情緒豊かだ。

 ペット――ではなく、隣人。主従――ではなく、友人。そういう風に捉えて真摯に接することができれば、ポケモンはトレーナーに対して強い信頼でもって応えてくれる。

 

 ……じゃあ、何でそんな相手を使ってバトルなんてしてんだ、という考え方もあるだろうが、それは正当な批判じゃない。根幹的な設定として、そもそもポケモンには強い闘争本能と、進化への欲求が備わっているからだ。前にネットか何かで見た。

 トレーナーに従っているのは、彼らと一緒に戦うことで、より効率よく、安全に闘争本能を満たすことができるからだ。また、戦う機会も多くなるので、それだけ進化も早くなる。

 ヨウタたちの世界もそれと同じなら、ポケモンと人間はそういう複雑な関係の上で成り立っているのだろう。

 

 とはいえ、時には戦いを嫌がったり、進化するのを嫌がったりするポケモンもいる。前者は、時々ゲームなどで表現されることがあったと思う。後者は……アニメのピカチュウ……いや、ピカチュウさんが有名か。あのピカチュウさん、めっちゃバトルしてるけど。そこはまあいい。

 ともかく……ポケモンの本能にも、個体差はあるという話だ。人間だって、本能にそのまま従って生きてる人間なんてそうそういないだろう。いやいるが。一般的に社会に生きてる人はそうでもないはずだ。理性で上手く自分を律している人もいるだろう。それはポケモンも同じだと考えられる。

 

 

 ……で、そこまで人間と同じなら、彼らも同じように、それぞれのポケモンが多様な価値観のもと生きているとも考えられる。

 群れの中にあって、孤独を好むようなポケモンもいるだろう。本能を律することができずに、暴れ狂うようなポケモンもいるだろう。時には悪事に魅力を感じ、傾倒するようなポケモンもいるかもしれない。

 そして、人間と同じなら、教育によってその価値観を善性にも悪性にも近づけられる。ポケモンカードにも「わるい」ポケモンってのが昔あったし、ある漫画だと、アクア団の手持ちのマリルリがやたら凶悪なツラで人を溺れ殺そうとしてたし。

 それとは逆に、ポケモンカードでも「やさしい」ポケモンってのがいるし、一般的なポケモントレーナーに育てられたポケモンというのは、だいたい優しいものだ。

 

 ポケモンも、賢いからこそ――環境や育て方によって善にも悪にもなる。

 だから悪の組織に戦力として目をつけられるという点もあったりも、するのかもしれない。

 

 

「お前はそうはなるなよー」

「ヂッ……?」

 

 

 怪訝そうに、「何言ってんだお前」とでも言いたげな表情が向けられた。

 いや分かるよ。けどちゃうねん。教育が大事だからそうはならないようになってくれっていう祈りなんだよ。分かれ。分かってくれ。

 分かるわけねえだろオレの頭の中で考えてただけのことなんだから。

 

 ……そんな言い訳を脳内で行いながら、泡でもこもこになったバチュルの身体を洗い流してやった。

 

 

「……随分貧相な見た目になったな?」

「…………」

 

 

 バチュルのふわふわの毛は水に濡れ、時々画像で見る、風呂に入った後の猫みたいな見た目になっていた。

 ……ドライヤーで乾かしてやった方がいいだろうか。貧相って言われてるの、ちょっと不満そうだし。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「上がったぞー」

「あ、うん。おか――――」

 

 

 少し、遅くなってしまった。

 バチュルを乾かすだけなら良かったんだが、あいつ、オレの頭に乗りたがるから、濡れたままだとマズいってことでオレの方も乾かすことになったからな。

 ばーちゃんに、「髪を短くしすぎると、周りから変に思われるよ」ってアドバイス通りに、そこそこ程度に髪を伸ばすことになってたのも、更に時間がかかった原因だろう。

 

 ……待たせちまって悪いなー、とは思ってるが、そんなに言葉を途中で止めるほど怒ってたんだろうか?

 やけにヨウタの顔が赤い。

 

 

「ちょっ……何で服ちゃんと着てないの!?」

「え? あ、悪い」

 

 

 そういやバチュルの方にばっかり意識がいってて、オレ、自分の服いつもので出て来ちまったな。男に戻る日がいずれ来るか、そのうち成長するだろと思って買った大きめのやつ。もし女ものの、今の身体にフィットするやつを着てる時に元に戻ったら目も当てられねえなー……と見越して買ったから、これ、ちょっと動いたら肩とか平気で出るんだよな。

 

 

「まあ気にすんな。オレは男だ」

「男!?」

「いやまあ、今は女になってるけどな?」

「「!!??」」

 

 

 わけのわからないものでも見るような視線が突き刺さる。気分はさながら、性別比率の違いのせいで♀→♂になってしまったルリリ→マリルってところか。凄まじい困惑が伝わってくる。

 ……そういや、オレの昔の話って全然伝えてなかったっけ。

 

 

「オレ、二年前までは男だったんだ」

 

 

 そう切り出してから話を始めると、ヨウタもロトムも苦虫を噛み潰したような顔をして見せた。

 こいつら狂人でも相手にしてるつもりなんだろうか。いや、客観的に見ればあまり変わりないか。オレだって、もし同じ立場なら何言ってんのか分からないがとりあえず病院に行こう、頭のな。くらいは言う。

 ただ当事者側としては由々しき問題なんだ。今のところまでオレが調べたこと、知ってること、あと知ってることがあったら教えてほしい旨を伝えると、ヨウタは目を白黒させたまま虚空を見つめ、ロトムはオーバーヒート*1して真っ赤になっていた。

 

 

「……というわけなんだけど何か知らないか?」

「特殊過ぎて分からないよ!?」

 

 

 どっちの意味の「特殊」にかかってるんだろう。いや、自分の知ってる分野じゃないって意味だろうが。

 しかし、参ったな。ポケモンとかウルトラホールとか、こっちの世界の法則で語れないような特殊なものがこっちに流れ込んじゃってるんなら、もしかしてオレの異常も……と思ったんだが、そう簡単にはいかないか。

 

 

「アキラは『Fall(フォール)』って知ってるロ?」

「……何だっけそれ?」

 

 

 と思っていると、予想外のところから予想外の言葉が飛んできた。

 ええと……「Fall」……どこかで聞いたことがある気はするが。

 

 

「ウルトラホールは、ごく稀に自然発生するこトがあるの。Fallは文字通り、そこに落ちた(Fall)人のことだロ。もしかしたら、アキラはそういうところで……」

「なるほど。『そういう』ことがありうる異世界に行って、帰ってきたと」

「確実なことは言えないロ。ごめんロ~……」

「いや、いいよ。手がかりが見つかる希望が出てきた」

 

 

 それだけでも、足踏みを続けてきただけのこれまでと比べると雲泥の差だ。

 元に戻れる。――かもしれない。そう。それだ、オレはその可能性が欲しかった!

 

 今までだと本当に文字通り「何も無かった」んだよ。それこそ、性転換手術でもすれば? くらいのものだった。ハナっから方法なんて無くて、原因なんて分からない。そこで諦める以外の方法が見えてこなかったんだ。

 それが、「他の世界に渡る手段が存在する」という確証と、「他の世界ならもしかしたら今の状態を改善する手段があるかもしれない」っていう可能性が同時に生まれた。これ以上に嬉しいことがあるか! なんなら今すぐ跪いて靴を舐めたっていいぞ!

 

 

「それで、ヨウタはどうするんだ? 風呂」

「みんなを治してあげないといけないから、その後にするよ。清潔な場所、少し借りてもいいかい?」

「ああ。うちの風呂場広いし、二匹くらいなら多分出せるだろ。手伝おうか?」

「手伝ってくれるなら助かるけど……いいの?」

「正直ポケモン見てみたいし触りたい思いがある」

「ああ、そういう……」

 

 

 苦笑して返すヨウタ。

 キャラじゃないことは認めるが、オレだってポケモンやってるし好きな方だし、本物のポケモンに興味が無いわけがない。

 

 風呂場に案内すると、ヨウタがボールを六つ取り出す。

 そこに収められているのは、ハッサム、ジュナイパー、「たそがれのすがた」のルガルガン、フライゴン、ミミッキュ……あと、キテルグマの六匹。外からは薄く中の様子が透けて見えるが……「ひんし」の状態になっているのだろう。いずれもぐったりとした様子だ。

 アニメの影響もあって、ちょっとキテルグマは……その……アレだ。つい身構えてしまうが、大丈夫だろうか。色んな意味で。いや怖がっててもしょうがないな。よし、ちゃんと向き合おう。

 

 

「こんな状態で悪いけど、先に紹介するね。左から、ライ太、モク太、ワン太、ラー子、ミミ子、クマ子」

「うん。……うん?」

「みんな進化する前からの付き合いロ。ニックネームもそれに準じてるの」

「……ああ、なるほど……」

 

 

 ストライクの♂だからライ太、モクローの♂だからモク太、イワンコの♂だからワン太。それと、ナックラー♀でラー子、ミミッキュ♀のミミ子、ヌイコグマ♀でクマ子か、よし、分かった。

 しかしやけに安直な……いや、こういう名前ってものは安直なくらいの方がいいのか。覚えやすいし、あんまりヒネった名前だとポケモンの方が覚えられず、指示が通らないこともありうるし。

 

 

「アキラはライ太とワン太をお願い。僕は……ちょっと危ないからミミ子たちの方を。これ、薬。分からないことがあったらロトムに聞いてね」

「おう」

 

 

 ヨウタから二つのボールを受け取って、開閉スイッチを押し、邪魔にならないような場所に放る。出てきたのはハッサムのライ太だ。

 特に警戒した様子は見せない。よっぽど人慣れしてるのもあるだろうし、オレみたいな見た目の相手を警戒する必要も無いってこともあるだろう。

 そういう風に思われてることはちょっと複雑だが、しょうがない。

 

 ヨウタから渡されたのは、「まんたんのくすり」と思われるスプレー。ポケモン世界のものだなあと強く実感すると共にちょっとした感動が湧いてくる。

 いや、それどころじゃないな今は。よし、まずは……。

 

 

「えーっと……これを……吹き付けるといいのか?」

「その前に汚れを洗い落とした方がいいロ。バイ菌が入っちゃう」

「あ、そっか。えーっと……」

 

 

 シャワーノズル一つしか無いんだよな……桶使うか。

 

 

「ヨウタ、そっちの方がシャワー近いから使ってくれ」

「いいの?」

「オレ、桶使うから」

「そっか。ありがとう」

 

 

 じゃあ、浴槽に軽く水を張って……と。汲みだしたぬるめのお湯をかけて、ライ太の体表の砂や埃、血を洗い落としていく。

 鳴き声の一つも上げないあたり、我慢強い子だ。

 

 

「薬は、2~30センチくらい離して軽く吹き付けるくらいがいいロ。痛がるから手で塗り込んだりしないように気をつけるロト」

「オッケー」

 

 

 ライ太は「はがね」タイプらしく、体表はやや金属質だ。メッキとまではいかないまでも、光沢がある。

 そんな甲殻には、大小様々な傷が見て取れた。サカキのポケモンと戦ったことでついた傷なのだろう。妙に痛々しいこの捻じれた感じは……ミュウツーの念動力だろうか? でも、確かメガミュウツーXってどっちかっていうと「攻撃」の能力に特化した形態だったよな?

 ……考察は今はいいか。先に治療からだ。

 

 

「……大人しくしててな」

「…………」

 

 

 ライ太は文句ひとつ言わずに薬液を吹き付けられていく。

 まるで武人が瞑想するかのようなその物腰に、武士か、あるいは剣士か……見ていてどことなく、そんな印象を覚えた。元々ストライクだった時にそういう気質が強かったのかもしれない。

 

 

「ロトム、これ吹き終わったらどうするんだ?」

「ここはメディカルマシーンが無いロ? だったら、自然治癒に任せなきゃいけないロ。ガーゼと包帯ってある?」

「ん……ちょっと取ってくる。消毒液とかは要るのか?」

「きずぐすりには消毒作用も含まれてるロ~」

 

 

 これで全身に一通り薬液を吹き付けられた。あと、必要なのは……清潔なタオルもかな。

 一旦戻ってタオルを数枚とガーゼ、包帯を取ってくる。戻った時にはもうヨウタの方はミミ子の方の治療に移っていた。

 

 ……あの「ばけのかわ」の上から治療するなんてことは無いよな? 無い……はずだよな? あれ布だろ、だって。

 ちょっと見ていたいが、邪魔になるな。オレの方はライ太とラー子をタオルで拭いておこう。

 

 

「ヨウタ、これ」

「ああ、ありがとう」

 

 

 ヨウタの方に残りのタオルを投げ渡す。ガーゼと包帯は近くの濡れない場所に置いてと。

 ……「フライゴン」って聞いてあんまり意識したこと無かったけど、まさしく「ドラゴン」って感じだな。全身すべすべの肌のようにも見えるが、実際には細かな鱗が見て取れる。若干、蛇にも近いだろうか? 軽く触れて見ると柔軟性があるようにも感じる。それでいて一枚一枚は頑丈だ。この鱗のおかげで砂嵐の中でも傷つくことなく自在に飛行できるということだろう。

 その鱗を貫いてダメージを与えているあたりに、サカキのポケモンの精強さがうかがえる。

 

 さて、まずはライ太だな。変形してしまった甲殻を覆うようなかたちで包帯を巻く。幸い、こちらはそこまで出血している個所が多くないため、あくまで固定するだけに留めておく。

 ラー子は、鱗の剥がれや出血が目立つ。こちらはガーゼを多めに使っておこう。早いうちに出血も止まればいいのだが。

 二匹ともに一応の処置が終わると、そのままボールに一旦戻ってもらう。次はワン太だ。

 

 

「……っと」

 

 

 これは――思ったより傷が深い。狼……は見たことが無いが、犬はたまに見るし、見てて比較してしまうのもあって、やけに痛々しく見える。

 傷口を洗い流すためにお湯をかけると、苦悶の声が漏れてきた。凄まじい罪悪感だ。

 ……獣医って、こういうのをいくつも見ることになるんだよな……いや、人間相手の医師もそれは同じだけどさ。応急処置とは言っても、こうして自分が治療するような立場に立ってみると、改めてそういった職業に就いてる人たちの偉大さがよく分かる。見ててつれぇわ……。

 

 

「頑張ったよな……ゆっくり休めよ……」

「……ワフッ」

 

 

 返事がほぼほぼ犬だ。

 待ってくれ。待ってくれ。本当に待ってくれ。オレこういうの本当に弱いんだよ。テレビ番組見てても犬の特集とか犬との別れとかだいたい泣きそうになるし。早く良くなってくれ。本当に。このまま弱って……とかイヤだからなオレは。長生きしろよ!

 

 それからしばらく、涙目になっているオレを怪訝そうに見つめるワン太とヨウタ……という謎の構図で応急処置を続け、ようやく一区切り。

 六匹にそれぞれ「げんきのかけら」を投与したら、においで索敵ができるワン太を残して、他の五匹はボールの中へと戻ることになった。

 ともかく、これであとは回復を待つだけだ。

 

 

「完治までどのくらいかかる?」

「メディカルマシーンがあるならともかく、何も無い状態だと二日、三日……場合によっては一週間は見ないとダメかな」

 

 

 思ったよりは早いな。きっと、生命力にあふれてるんだろう。

 とはいえ、怪我しないに越したことはないだろうけどな。

 

 

「ほしぐもちゃんは……ちょっと難しいかもしれない」

「何でだ?」

「この世界はウルトラホールが開きにくいロ。今のほしぐもちゃん……『コスモウム』は強いエネルギーを受ければ、元のソルガレオに戻ることができるんだと思うんだけど……そのためには、ウルトラホールから降り注ぐエネルギーが最適だと思うロ」

「そのエネルギーって、確か……何だっけ。ぬしポケモンのオーラとかそういうやつの大元だっけ?」

 

 

 たしかそういう設定があったはず。

 

 

「うん。ウルトラビーストも、ウルトラホールを通って現れる時に、このエネルギーを受けてる。多分、アローラならもっと早く元のソルガレオに戻ってくれるんだろうけど……この世界、良くも悪くも安定してるから、ウルトラホールが開きにくいみたいなんだ。完全復活はもっと先かな」

 

 

 苦笑するヨウタの表情からは、あまり焦燥感や危機感というものを読み取れない。

 焦ると焦った分だけ損だと割り切ったのだろうか。実際、変に回復を急いでも、生物の体なのだからどうしようもない部分はあるな。

 

 オレは……どうしてようか?

 ヨウタはしばらく回復に努めることにした。その期間ずっと何もしてないってのは無駄の極みだろう。

 そうだな……この世界のメタ知識は絶対のものじゃないが、多分、ある程度までは通用するだろう。ポケモンの覚えてる技、タイプ相性、進化の系譜やその条件。特にミュウツー対策は急務か。サカキとの戦いに備えて、ロトム図鑑にこういった情報をインストールさせてもらうのも手っちゃ手か?

 

 そう考えだしたところで、勝手口が開いたような音が聞こえた。どうやらばーちゃんが外から戻ってきたようだ。

 挨拶に行っとくか、とヨウタを誘って勝手口の方に。柱から覗いてばーちゃんの影を確認すると、声をかけた。

 

 

「ただいまばーちゃん。電話で言ったけどちょっと一人泊まらせるよ」

「あれ、まあ。そうだったねえ」

「すみません、お邪魔します」

「ええ、ええ。ゆっくりしていきなさい」

 

 

 朗らかに笑うばーちゃん。オレのそれとはまた違った雰囲気の白髪(しらが)に曲がった腰。歳の割には肉体的にも足取りもしっかりしていて、物腰からはあまり年齢を感じさせない。

 その右手には肉切り包丁が握られていて、左手には、オレンジ色の羽毛を持った鳥――アチャモのトサカが握られていた。

 

 

 

「それじゃあ、今夜はからあげにしようねえ」

「「そのからあげはダメだぁぁぁぁ――――――ッ!!」」

 

 

 

*1
威力130/特攻ががくっとさがる。





 ※ からあげ(仮)は無事回収されました。



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日常のギアチェンジ

 

 

 死の恐怖で大泣きするアチャモをなだめて慰めて数十分、ようやく落ち着いてくれたアチャモを膝の上に。バチュルを定位置と化している頭の上に乗せて、オレとヨウタは再び居間で向き合っていた。

 

 

「ロトム、解析結果は?」

「う~ん……付着してる灰は、ホウエンのハジツゲタウン周辺で見られる火山灰のそれっぽいロ。エーテルパラダイスの残留物質は無いロ」

「実はこっちの世界に元からいた……なんてないよね?」

「無い。断言していい」

「じゃあ、ウルトラホールが開いた……?」

 

 

 ……状況証拠から見れば、まあ、そう考えるしかないが。

 

 

「ウルトラホールが開いたら、ロトムが感知できるんだろ?」

「うん、でもボクたちがこの世界に来てからのものだけロ。それより前にこっちの世界で開いたものは、感知できないロ」

「……ってことだから……」

「で、うちの鶏小屋にか……?」

 

 

 二度もこんな偶然が続くとか、なんて日だ。

 それにしても危うかった。もうちょっとでばーちゃんの必殺剣でそのまま晩飯の食卓に並ぶところだった。もうちょっと開く場所考えてくれよ。

 

 

「ガバガバじゃねえの、ウルトラホール……」

「ホントにね……!!」

 

 

 ヨウタは、今にも血涙を流しそうな表情で歯噛みしながらそう答えた。

 どうやらよっぽど嫌なことがあった……いや、そもそもレインボーロケット団が来た理由もそれだし、ヨウタたちがこっちに来た発端もそれ。ルザミーネの錯乱も元々はウルトラホールがガバッたせいだ。嫌なことだらけだな。そりゃ嫌う。仕方ねえわこれ。

 

 ……まあ、ともかく。今のうちだな。

 

 

「ロトム、ちょっといいか?」

「何ロ?」

「こっちの世界のパソコンって対応してるか? スマホでもいい。とにかくネットに繋げるヤツ」

「パソコンなら大丈夫だロ。端子の規格を合わせれば」

「オッケー。それならいけるな。ネット上のポケモンの関連ページやデータ、かき集めといてくれないか。多分後で絶対必要になる」

「お任せロト~」

 

 

 言いつつ、ロトムは近くのパソコンに自らの端子を接続。目にも止まらぬ早さでネット検索を始めた。

 

 

「何をさせてるんだい?」

「もしウルトラホールからドバッとポケモンが出てきたりしたらとんでもない異常事態だろ? もしそれが世界規模で起きたら、それだけ混乱も深まる。ポケモンの情報を求める人がネットに殺到するだろうから、サーバーもダウンするだろ、多分。そうなる前にストレージに保存していつでも見られる状態にしとくのがいいんじゃないかって」

 

 

 サカキはなにも未知のポケモンを使ってたわけじゃない。ミュウツーも破格の能力を持ってはいるが、それでも既存のポケモンの範疇にはなんとか収まる程度だ……と思う。ソルガレオで追い詰めることができていたのだから、そこは間違いない。

 だからこそ、情報は重要だ。どの技を使えば最も効果があるか、どの能力が秀でているか、どの能力に穴があるか……それを知ることができれば、次に戦う時にはより効率よく動けるはず。

 オレのせいで逃げられたんだ。オレにできる範囲でサポートしていくのが筋だろう。

 

 今はまだ、オレの近くにいるバチュルとアチャモの二匹だけだが、「まだ二匹」なんじゃない。「もう二匹」なんだ。この数時間で二匹もポケモンが現れていることは、偶然のものとは考えづらい。まだ推測とはいえ、推測で終わるとは到底思えなかった。

 

 

「そういうことなら、アキラにはこれ、渡しとくよ」

「これ……って、モンスターボールか!? うおっ、すっげぇ……これが本物か……!」

「お、大袈裟じゃない……?」

「大袈裟なもんか! オレたちの世界には存在しない技術の塊だぜ!?」

「そ……そっか……」

 

 

 それがヨウタたちの世界では200円! すげえ!!

 大量生産品だからどうした。大量生産できるってことは、つまり大量生産できるだけコストを下げられるノウハウがあるってことだ。原料もきっと普通にどこにでもあるものを使っていることだろう。興奮くらいすらぁ!

 

 

「……興奮してるところ悪いけど、バチュルとアチャモ、その中に入れてあげた方がいいよ……って話だったんだけど」

「ん。そうなのか?」

「二匹ともアキラによくなついてるみたいだし、これから先どうなるか分からないからね。ポケモンが生態系に根付いちゃうほど流入したら、連れて帰ってもしょうがないような状態になるかもしれないし……仮にそうはならなくても、モンスターボールに入れておいた方が、ウルトラスペースを移動してる最中に落とす……なんてことにならないから」

「そっか、なるほどな」

「あと、珍しいポケモンがいると盗む人もいるかもしれないし」

「なんだそれこわ……」

 

 

 そういうことする人がいること自体は知ってる。共感も理解もできないけど。

 

 まあ、ともあれあとは二匹が受け入れるかどうかの問題か。ヨウタからボールを受け取ってバチュルの前に差し出すと、自ら開閉スイッチを押してボールの中へと入っていった。

 ……あまりにあっさりした結末に内心「えぇー……」なんて思っていると、アチャモの方は、やけに慌てた様子で、同じように自らボールの中に入った。全然揺れない。よっぽど食肉扱いを受けたことがショックだったようだ。そりゃショックだろうが。

 

 ボールを放り、二匹を再び外に出すと、また二匹とも元の位置に戻っていった。どうやらそれぞれ頭の上と膝の上を定位置に定めたらしい。さっきよりもちょっと遠慮が無いようにも感じられる。

 

 

「これでアキラが二匹の『おや』だね」

「みたいだな」

「ニックネームとかつけてあげたら?」

「ふむ?」

 

 

 ニックネームか。そういえばゲームだと基本的にはつけてなかったな。

 けど、現実世界の生物と思うとこれがまた別問題だ。人間に対して「おい人間!」と呼ぶようなものなのだし。人外が言ってたら映えるがそういう問題じゃない。

 

 

「じゃあ……バチュル……デンチュラ……チュ……ちゅ……ら、れ、り、る、れ、ろ……り。チュ……リ。チュリにしよう」

「ヂッ」

 

 

 バチュ「ル」とデンチュ「ラ」、の二音の間の「リ」。分かりやすさも加味すると、こんなところだろう。

 あんまり複雑な名前にしすぎても、本人――ヒトじゃないが――が分からないと意味が無いしな。

 

 

「アチャモの方はどうする?」

「アチャモか。からあげ……」

「ピッ!?」

「……はダメだな。チャモ、シャモ……シャモ。シャム……いやチャムにしよう」

「ピィ……」

「露骨にほっとしてるけど」

「さっきの今で脅かしすぎたな。ごめんな」

 

 

 ゆっくり頭を撫でてやって落ち着かせる。

 ちなみにシャムというのは、軍鶏(シャモ)の語源にあたる。アチャモの進化先の語源が軍鶏(シャモ)にあることは分かりやすいが、これもある意味では先祖返りのようなものと言えるんじゃなかろうか。言えないか。なんだか耳元で叫ぶフェアリー/ひこうみたいな名前になったし。

 

 ……ともかく、これで正式にバチュル……チュリと、アチャモ……チャムがオレの手持ちになったということになる。ゲットだぜ。

 イッシュの中盤以降のポケモンとホウエン御三家が一緒にいるっていうのも不思議な心地だが、それはそれでいいや。なんだか特別感。ヨウタの方も、アローラにいないストライク――ひいてはその進化系のハッサムと一緒なんだし、このくらいは許してほしい。ここ、ポケモン世界の特定地方とかじゃないし。

 

 

「そろそろご飯にしようねぇ」

「んー」

「あ、はい!」

 

 

 さて、ちょうどいいタイミングで食事に呼ばれた。ここで一旦話を置いて、チュリたちをボールに戻してから食卓に向かう。

 ポケモンたちの食事の問題もあるが、今は先に自分たちの腹を満たすことにしておこう。

 

 ちなみに、おかずは予定通りからあげだった。普通の鶏肉の。

 ヨウタは絶妙な表情をしていたが、これはその、あれだ。うちの鶏小屋の……うん。

 ……まあ、気持ちは分かるぞ。

 

 

 〇――〇――〇

 

 

「さて、と」

 

 

 食事を終えた後は調べものだ。オレの部屋に戻ってロトムをパソコンにつないだ後、テレビを点けてニュースを探す。

 どうやら今日のこと、まだ全国ネットには上がってないらしい。ローカル局では「海岸で謎の爆発!?」という見出しでちょっとしたニュースを流していたが、それも核心には一切触れてない内容だし、大した問題も無いか。

 

 

「ロトム、ネットの方はどうだ? 昼間のニュースとか」

「特に見当たらないロ。あっても映画とかのニュースくらい?」

「そっか。SNSとかも?」

「う~ん……うん。無いロ」

 

 

 そうか。まあ、春先の愛媛の海岸だしな。人も見てないだろ。

 ……しかしなぁ、そうなると疑問が湧いてくる。

 

 

「ヨウタはどう思う?」

「ニュースが無いって話?」

「いや、そっちじゃなくて。何でオレの周りでばっかりこんなことが起きるんだろうってさ」

「うーん……アキラが『Fall』だって事実と関係があるかも」

「オレを起点にしてやってきてるってことか」

「ウルトラビーストとは勝手が違うけど、そういう部分はあるかもしれないロト……」

「なるほど」

 

 

 つまり、それっぽい理由は推測できるけど、確証があるわけじゃないと。

 よし。

 

 

「オッケー。じゃあ面倒だしこのことについて考えるのはヤメだ。次行こ」

「じ、自分のことなのにドライだね……」

「考えても分からんこと、いつまでも考えてもしょうがねえよ。意味わからんことに対応するには、見たことだけを判断材料にするしかない」

 

 

 どうせできても憶測か、いいとこ希望的観測までが限界だ。それなら余計なこと考えて動きを鈍らせるより、とっとと目の前のこと済ませてしまう方が効率的だろ。

 状況に応じて(いきあたり)臨機応変(ばったり)だ。思考放棄のようだが、結局のとこそれが最適解ってこともたまにはある。

 

 

「んで、ポケモンの食事ってどうするんだ? 専用のフードとか、そういうのがあるんだったよな。あとポケマメとか……」

「ポケマメはおやつだよ」

「あ、そだっけ?」

「基本的にポケモンフーズの方が栄養バランスも考えられてるし、適してると言えるね。けど、人の食事も食べられる。それに元々は野生の存在だから……まあ、狩りをしたり、自分で獲ってきたりもできる。『きのみ』も好むんだけど……」

「こっちにはそういうの、無いからな」

 

 

 それっぽいものならあるけどな。オレンじゃなくてみかんとか。

 まあ、だいたい普通の動物と同じ扱いでいいが……と思いつつロトムの方を見ると、少し照れた様子で、しかし、しっかりと胸を張っ(たように直立し)て見せた。

 

 

「こういう時はボクにお任せロ。みんなの栄養管理もバッチリやってみせるロ!」

「流石ロトム!」

「最高! 究極! 完璧!」

「えへへ~」

 

 

 なんだコイツかわいいな。

 なんだオレふざけたコールレスポンスしてアホっぽさが半端じゃねえな。

 

 

「じゃ、そういうことならメシ買いに行くか。怪我した後は栄養補給も大事だし」

「そうだね。それじゃあ――」

 

 

 と、二人して腰を浮かせたところで、不意にロトムのモードが切り替わった。

 これは――通話?

 

 

「……ヨウタ?」

「……ロトム、繋げて」

 

 

 ヨウタの指示に合わせてロトムが映像を切り替える。ライブキャスター的な機能もあるようだ。

 そこに映し出されていたのは、昼間にオレたちが出会い、取り逃がした男。

 

 

「――サカキ……!?」

『やあ、ヨウタ君。それにあの時の少女もか。元気そうでなによりだ』

「開口一番ナメ腐ったこと言ってんじゃねえぞハゲ今すぐ出てこい」

「アキラ、スカル団みたいになってるから落ち着いて」

 

 

 見ると、ヨウタもサカキもロトムも揃ってヒいているようだった。

 ちょっと先走りすぎたか。まだだ。まだサカキは画面の向こうだ。あの顔面に拳を叩き込むには遠すぎる。

 

 軽く咳払いをして仕切り直した後、サカキは余裕の表情を作って見せた。

 

 

『まずは昼間の戦いでの健闘を讃えよう。私とミュウツーを相手に引き分けたその手腕は見事だった』

「どの口が……」

 

 

 ……しかしこの通話、どこから繋がってるんだ?

 こっちの世界の通信端末じゃあ、電波の質がまた違うだろう。ライブキャスターなんかの、あちら側の通信機器だとすると、電波を中継する設備が存在しないのに使用できてる意味が分からない。ポケモン世界の謎技術か? ……まあ、何でもいいか。

 ともかく、サカキが今いる場所を確かめよう。木。木。木。木。木。森! って感じだ。特定できる要素がカケラもねえ。クソァ!

 

 内心焦りつつあるオレをよそに、話は続く。

 

 

『第一ラウンドは引き分けだ。しかし、第二ラウンドは私が勝つ』

「いいや。僕が勝つ。確かに今は満身創痍かもしれないけど、条件はあなたも同じだ」

『本当にそう思うのかね?』

「……?」

 

 

 パチン、とサカキが小さく指を鳴らした。その次の瞬間――サカキの背後に、無傷の状態の2体のミュウツー(・・・・・・・・)が姿を現した。

 

 

「「!?」」

『見ての通り、ミュウツーは健在だ。回復まで時間はかかったが』

「それは、どういう……」

『メディカルマシーンを使っただけのことだよ』

「バカなこと言ってんじゃねえぞ。オレたちの世界にそんなものは無いはずだ!」

「そうだ。それに、回復のためにあなたがこの世界から出たと言うなら、それは僕にも分かる!」

『その通りだ。ならば自ずと答えは限られるのではないか?』

 

 

 ……ロトムに感知されず、回復する。

 短時間での回復には、メディカルマシーンが必須。「じこさいせい」ではああまで完璧に回復されはしない。

 世界を移動するには、ウルトラホールを通る必要がある。しかしそれはロトムに感知され……? いや、待て。

 

 ――――まさか!?

 

 

「テメェ……最初(ハナ)っからこの世界に逃げ込む気だったな!?」

「……!?」

『御明察だ。なぜ分かった?』

「敵に教えるマヌケがいるか!」

『くくくく……それもそうだ』

 

 

 実際のところ、アチャモがこの世界にやってきてたのを、ロトムが察知できなかったことを思い出したのが一つ。

 次に、ヨウタが言ってたこと――この世界が非常に安定してて、ウルトラホールが開きにくいってことが一つ。「戦いの最中に偶然この世界に落っこちてしまった」なんてことは、普通ありえないはずなんだ。狙ってでもなければ!

 オレの存在がきっかけになったことは確かかもしれないが……それでも、これだけ偶然は重なれば、誰か裏で糸を引いている人間がいるのは確実だ。

 ……その人間がサカキだとすれば、つじつまが合う。

 

 

「……何を企んでいる、サカキ?」

『敵に教える間抜けがいると思うのかね?』

「チッ」

 

 

 ……そりゃそうだ。オレでも分かる道理なんだから、そっくりそのまま同じ言葉を返して来るに決まってる。

 クソッタレ。ロケット団的にはどうせ世界征服だか裏の世界を牛耳るだか、なんだろうが……。

 

 

『と、言いたいところだが――いくつか教えておいてやろう』

「あ?」

「何……?」

 

 

 と、サカキは余裕の表情を崩さないままに続ける。

 

 

『この世界は隠れ潜むには最適な場所だった。ポケモンの存在を知りながらも、誰一人ポケモンの実在を信じない。超常現象は科学的に解明できると妄信され、人々は他人に大きな関心を持たない。表に向けた顔を取り繕いさえすれば、よほどのことが無ければそれ以上に追及もされない……』

「…………」

 

 ポケモンの存在がフィクションとして語られているが故に、誰もその実在を信じない。当たり前だ。誰がゲームやアニメの存在がそのまま出てくるなんて思うか。

 隠れて動くには好都合な条件なのはその通りだろう。誰もアイツが「ロケット団のサカキ」だなんて思うはずもない。

 

 

『何より、この地方は人が多くない』

「おいハゲやめろ」

 

 

 マジメな話の途中でそこに触れるんじゃねえ。

 

 

『真面目な話なのだがね』

「人の目が届きにくいってことか」

『よく分かっているじゃないか。それに加えて言うなら――それは、あらゆる意味で『支配』しやすいということでもある』

「!」

『人々はポケモンを持たないが故に、我々に対抗する手段を持たない。絶好の土地だ』

 

 

 こいつ、面倒なこと考えやがって!

 ああ、そりゃそうだ。確かに効率的だ……効率的、だが。

 

 

「……オレたちの世界にだって、自分たちの街を、国を守るための力がある。それを分かって言ってるんだろうな?」

『分かっているとも』

 

 

 ……チッ。流石にそこは分かってたか。

 だけど、流石に戦車や戦闘機なんてどうもこうもしようがないだろ。いくら伝説のポケモンだ何だって言ったって、日本の……それだけじゃない。周辺諸外国の軍備も合わせて考えれば、サカキの企みなんてそう簡単に成就するはずが――――。

 

 

『だから、こうしよう』

 

 

 と。

 再び指が鳴らされると共に、空が途切れた(・・・・・・)

 

 夜の空に灯る星の光が霞んでいく。外を見れば、水平線の先にあるはずの空が、極彩色のオーロラによって塞がれているのが見える。

 

 

「――――な」

 

 

 何が、起きた?

 それを理解するには、数秒の間を要した。

 

 重く、分厚い鉄を叩いたような音色が響き渡る。一度、二度、鐘を撞いた時のような振動が、空間を揺らしていた。

 空間を。いや、世界(・・)を。本能的にそのことを感じた瞬間に、ロトム図鑑が五度、アラート音を発した。

 

 

『今、この島の周囲に時空の断層を作り出した』

「……な……に……?」

『シコクと言ったかな。外からシコクへの干渉はできず、また、内部から外に出ることもできない、そういった、ある種の結界を作り出したのだ』

「……待て、そんなことができるようなポケモンは」

 

 

 時空の断層。

 ――「時」「空」の、断層。そんなものを作り出せるポケモンなんて、「あの」二匹しか存在しない。

 

 その答えに行き当たった時、サカキの背後に降り立つ影があった。濃い灰色の髪の偉丈夫。虚無的な印象を受ける表情は、オレの知るある人物に合致する。

 

 

『ディアルガとパルキアの能力を用いた封鎖は完了だ。これで良かったのだろう』

『ご苦労。これで何者の邪魔も入らない』

 

 

 ――――ギンガ団の、アカギ!

 

 見れば、奴の背後には青い体色をしているらしい巨大な生物が見える。ディアルガの背から降りてきたようだった。

 その口ぶりからすると、どうやらディアルガのみならずパルキアもまた、アカギがコントロールしている……できているらしい。

 

 

『そして、君の言う戦力』

 

 

 次いで、サカキは画面を四つに分割して、それぞれに四国各地の――自衛隊駐屯地の状況を移して見せた。

 一つは大海をそのまま凝らせたかのような莫大な水に押し流され、一つは無限に溢れ出すマグマによって熔け落ちる。一つは空から降る炎と雷により残らず蹂躙され、一つは全てを風化させられたうえで、跡地に見上げるような高さの大樹を屹立させていた。

 

 いずれも、名だたる悪の首領の仕業だ。

 アオギリ。マツブサ。ゲーチス。フラダリ。そして、彼らの操る伝説のポケモンたち……。

 彼らは、ウルトラホールによってこの世界に降り立ったのだろう。彼らは迎撃の準備をする暇すらも与えずに、その圧倒的な能力によって全てを破壊しつくした。

 

 伝説のポケモンにすら抗しうる戦力があるというのなら――先に全てを消し去ってしまえばいい。

 清々しいほどに暴力的で短絡的な……同時に、武装勢力としては最適とも言える回答だ。

 

 

『これで全ての問題はクリアされた。我々を阻む者はいないだろう』

「……な」

『ん?』

「何が――目的だ、お前」

『私の目的は常に同じ。世界征服だ。そのためにまずはこのシコクを手中に収め、我がレインボーロケット団の軍事要塞に改造する』

 

 

 ――愕然とした。

 どこかの、ヒーロー番組(仮面ライダー)悪の組織(クライシス)みたいなことを言いだすこともそうだが、何より、こいつらは……それを確実に実現できるだけの手腕と算段がある。

 

 この世界にヒーローはいない。抵抗できる勢力も今しがた叩き潰した。一般市民に彼らに対抗することができるだけの能力も気概も無い。

 外へ助けを呼ぶことを封じた。中へ助けに来ることを封じた。邪魔者であるヨウタは満身創痍。

 その上で、サカキはいけしゃあしゃあと言ってのける。

 

 

『――――さあ、ここからが第二ラウンドだ。是非とも君たちの足掻きを見せてくれ』

 

 

 





 
※ この物語のRロケット団大幹部はUSUM両バージョンの要素を含んでいます。

※ 4/17 アチャモのNN変更しました



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降りかかるひのこ

 

 

 一方的に通話が打ち切られ、しばらく部屋に沈黙が訪れた。

 テレビは、少し前から砂嵐を映すだけになっている。インターネットも、まともに使えない。

 空には相変わらずオーロラがかかったまま。空間の歪みがはっきりと眼に見えて、さっきまでの出来事が夢や幻ではないということを示している。

 

 ――――うろたえるな。

 

 無理やりにでも、自分の心を奮い立たせる。

 ふざけてる、ありえない、そう自分に言い聞かせて現実を誤魔化し続けるのはやめだ。もうそんな段階はとうに過ぎた。

 オレ自身のことだって、十二分に現実からかけ離れてるんだ。今更、悪の組織が現実世界に現れるなんてことで、歩みを止めるわけにはいかない。

 

 

「ッ!」

「!?」

「!?」

 

 

 軽く自分の頬を叩いて気合を入れる。それと同時に、ヨウタたちも我に返ったようだ。

 よし――持ち直した。

 

 

「ボーッとしてても仕方ない。動くぞ」

「動くって……」

「……まずは情報を手に入れる。ロトム、ネットの方を頼む」

「分かったロ!」

 

 

 スマホ……は、ネット環境が必要なものも、使えなくはないが、大元の本体サーバーに繋がらなかったりして意味が無い。

 じゃあテレビはどうだろうか? チャンネルを回してみると、地方局のケーブルテレビはなんとか映るようだった。この辺は有線放送の利点だな……こんな機会が今後二度とあるか分からないが。

 

 

『――情報が入りました。鈴井さん?』

『はい、こちらつるぎ町です。先程の天変地異から、大きな地鳴りが……』

「ん……」

 

 

 どうやら何か進展があったようだ。

 つるぎ町……っていうと香川……いや、徳島だっけか。あー……と……確か剣山が徳島だから徳島だな。うん。

 

 たしか……サカキたちはどこかの森の中にいた。一応そういう場所も無いではないが、平地で木々が林立しているような場所もかなり限られる。そう思うと、剣山にヤツらがいるという考え自体はそう的外れじゃないか……?

 と。

 

 

『きゃあっ、地震が……あ、ああっ!? ご、ご覧ください! 剣山から、剣山の山頂から何かがせり上がってきます! 塔でしょうか!? 全長数十メートルはあるのではないかという巨大な塔が我々の前に……』

『避難してください! 危険ですので速やかに避難をしてください!!』

 

 

 叫ぶようにして周囲に呼びかける警官の声によって遮られてはしまったが、カメラはその状況の全容を映してくれていた。

 唸る地面、倒れる木々、弾け飛ぶ砂礫。そして、アナウンサーの言葉の通りに――山頂からせり上がってくる虹色の「R」のマークが燦然と輝く、趣味の悪い超巨大建築物……。

 

 あまりの事態に、ヨウタが白目をむいて泡を吹きそうになっている。ロトムなんかはもう既にショート寸前だった。

 かく言うオレもわけのわからなさのせいで意識が飛びそうだ。オレ今何見せられてんの?

 

 いや分かってるんだ。これはとんでもなく恐ろしいことだって。

 周辺住民に気付かれること無く剣山に資材を運び込み、超高層建築物を作ったって手腕もそうだ。現代社会のそれを大きく上回る技術に、計画を漏らさず成功に導く手腕、そして隠密性……戦慄するにも余りある。

 

 だが何より。

 

 

「アホかあいつら!?」

「アホなんじゃないかな……」

 

 

 絵面があまりにマヌケすぎる。

 何故地下から生やす。何故巨大な「R」の文字を虹色に輝かせる。どっかのアべンジャーズタワーじゃねえんだぞ。いや明らかにあっちの方が慎ましいわ!

 

 これ考えたの絶対ゲーチスだろ。あいつ確か「ブラック・ホワイト」の最終決戦の時「Nの城」を地中からドーン! みたいな仕込みしてたはずだし……。

 

 

「クソッタレが……」

 

 

 ……だが、マヌケであっても同時にそれだけ「派手」だということは確かだ。パフォーマンス性も高い。

 シンプルで派手ってことはそれだけ人目を惹きやすいってことだ。この物理的・概念的に封鎖されてしまった四国に残された一般人も、各メディアも……明確な異変が起きれば、全てがそれに注目する。

 

 ――嫌でも、誰もが注目する。

 

 

『――――シコク全域に宣言する』

 

 

 当然、ヤツはそこに一石を投じた。

 一瞬の砂嵐ののちにテレビの画面が切り替わり、サカキの姿が映し出される。中継しているのは、先程のタワーの外周部だろうか。異常な色合いをした空のもと、強風に打たれながらも、ヤツは悠然とたたずんでいた。

 

 

『我々はレインボーロケット団。異なる次元(ウルトラスペース)を通じて、この世界に来た』

 

 

 それを人々が信じようと信じまいと構わない。ヤツは自分勝手に、自分の理屈だけを捏ねて言葉にして発する。

 大仰な手ぶりで自分の言葉を飾り、より観衆に伝わりやすく、何よりも威圧感を与えるようにして、ヤツは演説する。

 

 

『遠大なる世界征服の野望のため、この地方は、我々が占拠し、支配する』

 

 

 既にヤツらはそれを実現すると決めているからだ。実現できると確信しているからだ。

 これは決定事項の通達なんだ。聞く者が理解していようがいまいが関係ない。

 

 

『これよりシコクは、我々レインボーロケット団の名のもとに変革を遂げる! その手始めこそがこれだ!』

「……ロロ!?」

「どうしたんだ、ロト……まさか!? アキラ!」

「……クソッ、あいつらマジかよ!?」

 

 

 画面の中のサカキが手を振り上げるのと同時に、ロトム図鑑から大きなアラームが鳴り響く。外……上空を見やれば、今までに例を見ないほどに巨大なウルトラホールが開き――その内側からは、まるでそれ自体が一つの生物であるかのように、無数のポケモンが連なって「こちら」の世界へとなだれ込むのが見えた。

 

 ――――やりやがった、あの野郎!!

 

 オレはつい、ウルトラホールがごく自然に……偶然開いて、ポケモンを飲み込んで、こちらの世界に送ってくるのだと解釈していた。

 しかし、きっとそうじゃない。アチャモもバチュルも、偶然こっちにやってきたんじゃない。あいつらの実験の結果、こっちにやってきたんだ。

 オレの近くに現れたのは、「Fall」という最も導線の引きやすい人間がいたから。そうして確実に成功させられるという確信を得たことで、ヤツらはこの……侵略を開始するというタイミングで、恐らくは野生のものだろうポケモンを、大勢こちらに引きずり込んだ……。

 

 

「ロトム、反応は!?」

「百……千……二千、三千……万……ロロロ、計測不能ロトーっ!」

「……最ッ悪だ……!」

 

 

 人類にポケモンに対抗する手段は無い。今しがた、ヤツらの手によって丁寧にすりつぶされた。

 「こちらもポケモンを持っていれば戦えるのじゃが」、とは、初代ポケモンでの有名なオーキド博士の台詞だ。ポケモンに対してはポケモンの持つ力で対抗しなければならない、ということだろう。モンスターボールの技術も無いオレたちの世界の人間じゃあ、野生のポケモンにすら勝てるはずがない。

 ……このままポケモンが雪崩れ込んだら、起きるのは極限の混乱と破壊だけだ。

 

 

『ポケットモンスターよ。この世界へようこそ』

 

 

 続けて、サカキは腰元に備え付けてあったボールから、一匹のポケモンを繰り出した。

 全身に毒針を備えた、紫色の表皮を持つポケモン――ニドキングだ。

 

 

『我々の世界には、ポケットモンスターと呼ばれる生き物たちが至るところに住んでいる。人々はポケモンと共に暮らしたり、戦ったりしているが……私は、このポケモンを悪事に使っているのだ』

 

 

 その語り口はまるでオーキド博士のそれを思わせるが、言っていることはまるで真逆。

 歓迎ではなく、嘲り。絶対的強者の立場から来る驕りと、自らの勝利を確信しているが故の愉悦だ。

 

 

『君たち、ポケモンのいない世界の人間では、野生のポケモンに対抗する術は無い。我々に逆らう術もまた、無い。抵抗は無意味だ。だが、服従すれば身の安全は約束しよう。ポケモンを操る術を与えよう。我こそはと言う者は、このレインボーロケットタワーのもとへ集え! 繰り返――』

「――――だあああああ、クソッ!!」

「あっ、アキラ!?」

 

 

 居ても立ってもいられず、オレは思わず開け放した窓から飛び出した。

 あいつらをこの世界でのさばらせちゃおけねえ! 一人残らずこの世界から叩き出す!!

 その意志を胸に走り出そうとしたところで――。

 

 

「待った!」

「ぐえーっ!?」

 

 

 ……同じく窓から飛び出してきたヨウタに服を掴まれ、オレはその場に倒れることになった。

 お……思ったより速いじゃないかヨウタ……! やるなこいつ! というかオレこんな動けなかったっけ? あれ?

 

 

「な、なんだよ……!?」

「なんだよじゃないよ! 冷静になってよ、アキラに何ができるって言うんだ!」

「殴る蹴るくらいできらぁ!!」

「じゃあポケモンは倒せるの!?」

「それは……」

 

 

 そう言われて、ミュウツーの圧倒的な力を思い出す。

 あれを基準にするのはどうかと思うが、戦闘の余波程度でオレたちを吹き飛ばしてのけたヤツの念力を思えば、人ひとり捩じ切るくらいは簡単にやってのけるだろう。

 

 

「……悪い。先走った」

「ホントだよ……いくらなんでも無茶だって」

「だからって黙って見てられるか。アイツら、好き勝手やりやがって……」

「仮にやるとしても、少なくともチュリやチャムが成長してからじゃないと無理だよ」

「……そう……だな」

 

 

 多分ヤツら、団員自体はそこまでレベルは高くないんじゃないかと思う。だったら進化した直後でも多少はなんとかやれそうだが……バチュル(チュリ)アチャモ(チャム)だけ、オマケにレベルもよく分からん、なんて状態じゃまだ無理か……。

 がしがしと頭を掻きむしる。こういう時に回りくどいこと考えるのは正直苦手だ。

 

 

「……あいつら、サカキを倒せばどうにかなると思うか?」

「分からない。サカキだけじゃなく、他の五人も大きな組織を束ねてきた人たちだ。頭を挿げ替えて同じことをする可能性は高いよ」

「だろうな……サカキは名目上の首領で、実質は六人全員が同じだけの立場って考えるべきか」

 

 

 と、そこでふと思い当たったものがある。ヨウタには、少し酷なことを聞くようだが……。

 

 

「……なあ、あの、サカキ以外の五人……あいつら、倒せてなかったのか?」

「きっとあの人たちはこの世界に逃げてきたんだよ。みんなは、あんな人たちに負けてない」

「そう……そうだな。そうに違いない」

 

 

 聞けば、ヨウタはアローラの仲間たちへの信頼を滲ませながら、はっきりとそう返した。

 野暮なことを聞いちまったらしい。確認のためとはいえ、悪いことをしたな。

 けど、それを聞いたことで、更にオレたちの現状が分かった。分かってしまった。

 

 ――戦えるのがヨウタ一人じゃ、絶対にマズい。

 

 ヨウタはサカキを追い詰めるほどの実力を持っているようだが、仲間に他の五人の対処を任せて一騎打ちに持ち込んだからこそ、ああまで追い込めたんだ。ゲームの主人公のように、個人で無双してたわけじゃない。

 ……この世界に、悪の組織のボス五人を押し留めることができる人間はいない。オレも力を貸すつもりだが、それでも今のオレたちじゃ力不足も甚だしい……それでいて、現状は切羽詰まってる。

 

 

「……だったら」

 

 

 あいつらははっきりと「四国全域を占拠する」と宣言したんだ。なら、すぐにでも団員を主要な市町へ送り込み、制圧していくことだろう。それはオレたちのいるこの街だって例外じゃない。サカキの方からはオレとヨウタが一緒にいるってことが分かってるんだ。最優先目標に設定してる可能性すらある。

 

 じゃあ逃げるか……って、そういうワケにもいかない。この街にはばーちゃんがいる。知り合いも大勢いる。戦う力も無いような人たちを見捨てるなんて、できるわけがない。

 男として――そう。そうじゃん。男として! 男の矜持(プライド)として、そんなことは許されない! ふははは、そうだ。男としては! 「男」としてな!!

 

 

「逃げるわけにはいかないだろ……!」

「……あれ? なんか話飛んでない?」

「……ごめん。脳内完結してた」

「せめてこっちに話してくれないかな……」

「ヨウタだけに任せるなんて男が廃るって話だよ。だからオレも逃げねえ」

「何かニュアンスが違う気がしたけど、そういうことにして納得しておくね」

「すまねえ」

 

 

 バレてる。

 ……まあ大丈夫だろ。オレの事情は説明してるし。そもそも街の人たちを守りたいって思いそのものは事実だ。

 まあ……多少な? 受け取り方は色々あるだろうけどさ。オレだって個人の利益くらい考えるって話だ。

 

 

「……よし!」

 

 

 気を取り直して立ち上がる。

 己を知り、敵を知れば百戦危うからずとも言う。今はまだ敵のことは分からなくとも、自分たちのことならちょっと調べれば分かるというものだ。

 

 

「ヤツらが来るまで、まだ少し時間がある。その間にチュリとチャムがどれだけのことができるか確かめないと」

「そうだね……あ、手伝おうか?」

「いや、ヨウタは休んでてくれ。まだみんな本調子じゃないだろ?」

「でも――」

「でももだってもねえよ。ヨウタたちが本調子にならなきゃオレらに勝ち目は無いんだ。そこんとこ分かってくれ」

「……うん。分かった」

 

 

 幸い、チュリもチャムも怪我はしてない。オレも体力的には万全だ。

 奴らがいつこっちに来るのだか分かったものじゃないが、本拠地が剣山だとすれば多少の時間はある。太陽も月も出てないせいで薄暗いから時間の感覚が曖昧になるが……短めに見積もって、一晩と言ったところか。

 

 

「まずは……っと、二匹とも!」

「ヂッ」

「ピヨッ」

 

 

 庭にモンスターボールを放って二匹を出してやる。話はそれとなく聞こえてたのか分からないが、チュリはかなりやる気を出している。対照的にチャムはややビビり気味だ。まあ、しょうがないだろう。いきなりこんなことになったらそりゃビビる。

 

 

「じゃあ、まずは何ができるかを確かめてかなきゃな。ロトム、『わざ』のリストとか出せるか?」

「お任せロト~」

 

 

 ふよふよ浮いてきたロトム図鑑の画面に、バチュルのデータが表示される。レベルで覚えるのは……ふむふむ。

 

 

「じゃあ……『エレキネット』」

「?」

「……無理か」

 

 

 チュリは小首を傾げるだけで何も出そうとはしなかった。つまりまだレベル15には達してない、と。

 

 

「じゃあ『れんぞくぎり』……と……ヨウタ、ロトム、耳塞いでくれ。『いやなおと』!」

「ヂヂヂッ」

「うっ……と」

 

 

 続けて指示を出すと、「れんぞくぎり」は繰り出せなかったが、爪と爪を擦り合わせることでちゃんと「いやなおと」は出た。

 なるほど、どちらかと言うと音波……振動で不快感を与えることの方がメインなわざなのか。それで姿勢を崩すなりすることで、「ぼうぎょ」が下がる……と。

 

 

「……ってことはだいたいレベル7以上12未満……ってところか」

「前線でガンガン敵を倒していくっていうのは難しいだろうね。チャムの方はどう?」

「ピヨッ……」

「えーっと……チャム、『すなかけ』」

「……ピ……ッ!」

「……できないっぽいな」

 

 

 全身に力を込めて何やら足元を蹴ろうとしている……というのは可愛らしい姿だが、「すなかけ」はまだできないか。

 

 

「じゃあ、『ひのこ』。地面に向かってな」

「ピィ~!」

 

 

 チャムの嘴から吐き出された火が地面を焼く。

 火の勢いそのものは大したことがない。が……。

 

 

「おおっ! すごいぞ!」

「ピヨッ!」

 

 

 うん、「ひのこ」はちゃんとできるな! 吐き続けられるのは数秒ほどだが、それもこの体でできるならかなりのものだ。充分充分。

 たしか、アチャモの吐き出す炎は摂氏千度ほど。ぶっちゃけた話ろうそくの火の方がまだ温度は高いって話だが、継続して放射し続けられるってだけでも、生物としては十二分にすごい。

 

 

「よしよし、よくやったなー。あ、チュリ。『いとをはく』とか、『くものす』ってどんな感じになるんだ?」

「ヂッ!」

 

 

 片手でチャムの頭を撫でさすりながら問いかけると、ほんの少しむっとした様子を見せながらも、チュリは全力で糸を伸ばした。

 蔵にくっついた糸の先を追って、チュリが飛んでいく。前に進むたびに収納されていく糸は、なんだか掃除機のコードを見ているようでもあった。

 そして動きを止めたところで、オレの方にむかって「くものす」を発射! オレとチャムの目前で広がり切って直撃することまでは無かったが、なるほど。こんな動き方もできるのか。

 

 

「こんな動きができたんだね。飛び跳ねるのは知ってたけど……」

「オレとしては、なんか馴染みのある動きなんだけどな……」

 

 

 主に映画の中で。

 ビル街の間をすいすいっと……糸を伸ばして飛び回って……っていうか。ほら、つい最近も、姿を消(ほごしょく)して、電気を操る(ほうでん)するアルティメットな黒いのが出てきたじゃないか。

 ……思い返してみるとあいつほぼデンチュラでは? いや今はそれはいい。

 

 

「……ゲームに合わせて言うなら、レベルはだいたい10手前くらいってところかな」

「ゲームに合わせればな。つかヨウタ、お前分かって言ってるだろ?」

「あんまりゲームゲームって言われると、僕としてもちょっとムッとするんだよ」

「分かってるって。でも、オレからすると一番分かりやすいからさ……」

「現実だと、身に着けた実力以上の能力を発揮することもできるってことは分かってるよね?」

「大丈夫だって、それを導くのもトレーナーの役目、だろ?」

「うん、分かってるならいいよ」

 

 

 火と、電気。それに糸。これだけ使えるなら色々なことが考えられる。

 圧倒的な戦力を誇るレインボーロケット団に対して、オレたちはたった二人。そんな相手に勝とうと思うなら、それなりの立ち回り方というのは絶対に必要だろう。

 ……ま、地力があるに越したことは無いんだけどな……。

 

 

「……あ、そうだ、あれだ。『ふしぎなアメ』って無いか?」

「ごめん、こっちに来る前に使った」

 

 

 ですよね。

 レインボーロケット団のボスとの対決が控えてるってのに出し惜しみなんてするワケないよな。そりゃそうだ。

 

 

「ま、無いなら無いでなんとかやるっきゃねーか」

「ポジティブだね……」

「人は配られたカードだけでやりくりするしか無いモンだからな」

 

 

 だからこそ、日々の積み重ねが重要になってくる……ってハナシなんだが、こういう時に限って、その積み重ねをする前に動かなきゃならない。

 それでもやらなきゃならないことには変わりないんだ。やるだけのことはやるさ。

 

 

「……じゃ、一通り分かったししばらく休むか」

「え、もういいの!?」

「これ以上下手に体力使っても、アイツらが急にこっちに来たりしたら戦えなくなるだろ。備えとこうぜ」

「あ……うん、分かった」

 

 

 オレはまあいい。問題はヨウタだ。無理にでも寝かせとかないといけない。

 何せまだ……えーっと……11だっけ12だっけ。まあ、少なくともオレより六つは年下だ。砂浜での戦いのことを思えば、疲労が溜まっているのが当然くらいに思った方がいい。今元気なように見えるのは、年齢的にそれを自覚できる状態じゃないってだけだ。

 

 

「部屋用意しとくから、ちゃんと休んどけよ」

「アキラこそ」

「言われなくても寝るっての」

「ならいいんだけど」

 

 

 オレだってチュリに電撃食らったり、ミュウツーとソルガレオの激突の衝撃で吹き飛ばされたりで色々ダメージあるし、寝ないわけにはいかない。

 そんなわけで、適当な応接間に布団を敷いて、ヨウタにはそこで寝てもらうことにした。オレは引き続き自分の部屋で何かできることは無いかと探して……まあ、ネットもテレビもまともに使えないので、11時を回ったところでやめて寝ることにした。

 

 

 ――――翌朝。目を覚ますと、ヨウタの姿は応接間に無かった。

 

 

 



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朝日にかかるくろいきり



 三人称視点です。




 

 

 

「急ごう……!」

 

 

 夜も明けきらない午前五時、ヨウタはルガルガン(ワン太)の背に乗って道路を駆けていた。

 痛々しく巻かれた包帯と、そこに滲む血が、ワン太の傷が未だ癒えていないことを物語る。それでもなお、彼は苦しげな表情一つ見せないまま、ヨウタを「敵」のもとへと運ぶために駆けていく。

 

 ヨウタは、チュリとシャムの実力を目にした時、アキラを置いていくことに決めていた。

 彼女――あるいは彼――のことを嫌っているがため、ではない。むしろ、アキラと出会ってからの数時間で、彼女に対して好感を抱いてはいる。

 

 しかしそれは、アキラのことを「信用」しているという意味ではない。

 確かに、レベル以上の能力を発揮することができることは示した。それができるかもしれない、とは、彼女の態度から察することはできた。しかし――それは、信用に足るほどのものではなかった。

 その時点で、アキラはヨウタにとって「共に戦う相手」ではなく、「守るべき相手」という認識になっていた。

 

 今この世界において、レインボーロケット団と戦った経験があるのはヨウタだけだ。

 彼らは、一人一人は決して強くはない。サカキをはじめとする六巨頭や大幹部を除けば、一山いくらという程度の実力を持つ者しかいないことだろう。

 

 だが、それを補って余りあるほどの数がいる。

 そして、誰一人としてポケモンバトルという枠組みを守ろうとする人間はいない。

 そんな中に、何も知らない人間を放り込むなどという行為は、ヨウタの良心が咎めた。

 

 

「良かったのロト?」

「いいんだ」

 

 

 加えて言うならば――酷な話だが、今のアキラは、ヨウタにとっては足手まといだ。

 手持ちのポケモンたちが傷つき、本来の実力の半分も発揮できない今、守るべき人間がいるということは致命的だ。

 

 そうとヨウタがはっきり言葉にしないまでも、横で飛ぶロトムにはそのことが伝わったらしく、彼女は哀しげな表情をした。

 

 

「ワンッ!」

「うん、分かってる」

 

 

 ワン太は、そんな主たちに自分の存在をアピールするように、力強く一声鳴いた。

 彼も、ヨウタと共に激戦を潜り抜けてきた一匹だ。島巡りのはじめから、ライ太、モク太と共にヨウタと駆け抜けてきた。当然、その実力も折り紙付きである。

 

 吹き抜けていく生暖かい嫌な風を感じながら、大丈夫だとヨウタは自分に言い聞かせた。仲間たちの力を信じれば、道は拓ける、と。

 

 一晩は大丈夫じゃないか、というのがアキラの予測だ。しかしそこまで悠長になれるほど、ヨウタに堪え性は無い。

 「テレポート」や「そらをとぶ」などで予想よりも早くレインボーロケット団が来たら? そうではなくとも、街の近くで戦闘になってしまったら? 万が一のことを思えば、早いうちに接敵して遠い場所で倒すのが一番だ。ヨウタはそう確信していた。

 

 

「クアーッ!」

「モク太! どうだった?」

「…………」

 

 

 上空を哨戒していたモク太が降り、ヨウタたちと並走を始める。その表情は険しく、状況があまり良くないことを物語っている。

 数か、質か、その両方か……少なくとも、今のヨウタたちにとって脅威になる相手が近づいてきているのは確かだ。

 

 

(――――勝てるかな?)

 

 

 一瞬よぎった弱気な考えを、ヨウタは思い切り(かぶり)を振って振り払った。

 ことここに至れば、問題は勝てるかどうかではない。勝たねば生きては帰れないのだ。

 

 更に数分ほど進んだところで、ヨウタは遠方から迫りくる黒服の集団を見た。レインボーロケット団の団員だ。

 その数は、両手の数を優に超え、百人単位の集団にまで膨れ上がっている。彼ら一人一人が既にポケモンを携えている以上、激突は到底避けられ得ない。

 

 

「多勢に無勢……だね」

 

 

 無勢、どころではない。たった一人で、数百人もの敵を相手にするなどというのは、自殺行為も甚だしい。

 それでも、とヨウタはワン太から降りてアスファルトに降り立った。

 

 

「ワン太、行けるかい?」

「ワォンッ!」

「……うん。それじゃあ……やろう」

 

 

 苦々しい表情を浮かべながらも、ヨウタはワン太へと宝石を手渡す。

 ルガルガンZ――ルガルガン専用のZ技を使うためのZクリスタルである。

 

 Z技は、その絶大な威力の反面、反動が非常に大きい。下手な使い方をすれば、ポケモンのみならず、トレーナーの生命力すらも奪われてしまう。

 本来のヨウタならば、そのリスクすら承知の上であえて乗りこなすほどには余裕があるのだが――今回に限ってはそうもいかない。

 Zパワーリングを通して生命力を送り込む側のヨウタは疲労困憊。力を受け取り、「わざ」という形にして放つ側のワン太は満身創痍。

 

 一つボタンをかけ間違えればヨウタ自身が吹き飛ぶ可能性がある。あるいは、ワン太が再起不能に陥るほどの大怪我を負うかもしれない。

 それでもなお、少年たちは迷わなかった。ヨウタはワン太を絶対に傷つけないという堅い意志のもとエネルギーを送り込み、ワン太は絶対にこの一撃を決めるという強固な忠誠と使命感のもと、注がれるエネルギーに呼応するように雄叫びをを上げた。

 

 

「アオオオオオオォォォォォ!!」

 

 

 ワン太の全身から迸るエネルギーが、空を茜に染める。

 周囲から突き出す岩は、そうして放たれた余剰エネルギーの一部が固形化したものだ。その元はワン太の持つエネルギーであり――故に、彼はそれを自在に操ることができる。

 

 ――照準。

 

 紅に染まるワン太の眼光が、迫りくるレインボーロケット団員たちを捉えた。

 アスファルトを踏み締める足に力を込め、「その時」を今か今かと待ち構える。

 狙いは、視界に映る全ての物体。

 

 ルガルガンという種のポケモンは、元来強い狂暴性を持つが、特に夜間に進化して「まよなか」の姿となったルガルガンにその性質が強く表れるようになる。対して、「まひる」の姿のルガルガンは、主人に対する忠誠心を強く表すようになり、群れというものを強く意識した性質を備えている。

 他方、昼と夜が交わる瞬間にのみ放たれる特殊な光――グリーンフラッシュに含まれる特異な波長を受けて、「まよなか」と「まひる」の中間という特殊な形態となった「たそがれ」のルガルガンは、内に強い狂暴性を秘めながらも、それを適宜コントロールしている。

 

 そして今。ワン太は、その内に秘める野生を剥き出しにし、アスファルトが抉れんばかりの勢いで飛び出した!

 

 

「――『ラジアルエッジストーム』!!」

 

 

 そして、ワン太の最も信頼する主人の後押しと共に、Zクリスタルがその輝きを強めた。

 

 景色が流れる。流星の如く、岩塊――余剰エネルギーが放たれる。

 一秒と経たぬ間に敵陣の最前線へと到達したワン太は、犬歯を剥き出しにして再び吼えた。

 

 

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオォォンッッ!!」

「――――構えろォッ!!」

 

 

 縦横無尽――慣性の法則すら関係ないとばかりに動き回るワン太は、手当たり次第に「敵」へとその爪牙を向けた。

 最前列。ドガースの噴煙口を前脚で砕き、団員の腹を頭部で打ち据えながら、頭部を軸に回転。宙返りのような格好でデルビルの頭部に爪を叩きつける。瞬時に回転――真横にいる黒服の団員をなぎ倒し、突き飛ばし、邪魔をするポケモンがいるのならば噛み砕きながらただひたすらに前へ進む。

 

 竜巻か、あるいは嵐のような暴威が過ぎ去るのには、数分も要しなかった。

 一分か、あるいは二分か。たったそれだけのことだと言うのに、最前列に陣取っていたレインボーロケット団員、その多くが地を舐め、倒れ伏していた。

 

 

「子供のくせに……化け物が!」

「だが……」

「ははは、これで終わりか!」

 

 

 ――だが、倒せたのはあくまで「一部」である。

 この場で数十人もの団員を倒せたのだとしても、数百人は存在しているレインボーロケット団側は、未だ一割ほどの損害しか出ていない。

 

 そして何より、ワン太はこの攻撃によって全ての体力を使い果たしていた。

 

 

「ワ、グゥ……」

「戻れ! ……ゆっくり休んで」

 

 

 沈痛な面持ちで、ヨウタは隣に戻ってきたワン太をボールに戻した。全力という全力を超えて放たれた一撃は確かに効果を発揮した。普段と同じように敵陣に大穴を開け――しかし、体力の消耗によってワン太自身も「ひんし」に追い込まれてしまったのだ。

 ヨウタは新たに他四つのボールを取り出し、放る。姿を現したのは、昨晩治療を施したばかりで未だ傷の癒えていない四匹――ライ太、ラー子、ミミ子、クマ子だ。

 その間に、地上に降り立ったジュナイパー……モク太が、ヨウタへと指示を仰ぐようにして視線を送る。

 

 一瞬の逡巡。しかし、答えは既に決まっている。

 

 

「――僕たちが逃げたら、誰も守れない。ここで、全員倒そう」

 

 

 ポケモンたちは咆哮し、ヨウタの求めに当然のように応えた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 戦場となった沿岸沿いの大通りより数十メートルほど離れた場所に、レインボーロケット団の指揮官の姿がある。

 レインボーロケット団幹部、ランス。

 六組織の統合より前の旧ロケット団においては、「ロケット団において最も冷酷」と評され、恐れられた男である。

 

 彼は、ヤドンの尻尾の取引やその他違法アイテムの斡旋・仲介といった手段で財を築き、ロケット団に大きく貢献したことで、下っ端から幹部へと大きく昇進を遂げた人間だ。しかし、ポケモンバトルに強い適正を持たない彼は、実のところ幹部という枠組みの中では冷遇されている立場でもあった。

 そのルックスもあって女性団員からの支持はあるものの、部下からはやっかみ半分で見られ、先に幹部となった先達からは白眼視される。オマケに、他の組織と統合したことで幹部の数も増加。他の組織の幹部はその立場に違わぬ実力を備えており、ランスは更に肩身の狭い立場に立たされていた。

 

 そこへ今回の襲撃である。ランスにとっては初の、そして、ボスから直々に任された「幹部」としての仕事だった。

 

 

「所詮は子供。それも手負いで、一人きりです。囲んで潰してしまいなさい」

『ハッ』

「攻撃の手は一切緩めないよう。彼もいずれは体力が尽きます。その機を逃さず、確実に始末しなさい」

『ハッ!』

 

 

 ランスは、少なからず高揚していた。

 偉大なるボス、サカキからの直々の指令であることもそう。旧ロケット団幹部を示す白い制服に袖を通したこともそう。

 とかく低く見られていた自分が「幹部」であることを示すことのできる絶好の機会だ。彼の精神状態は、未だかつてないほどに最高潮だった。

 

 

「ふん……突出した戦力など、必要無いのですよ」

 

 

 他の幹部の才覚へ僅かな嫉妬心を滲ませながら、ランスは双眼鏡を覗き込む。

 今、ランスの視線の先で足掻いている少年がトレーナーとして優秀であることは、疑いようのない事実だ。ポケモンもよく鍛えられていて、万全の状態の時に真正面からぶつかれば勝てる見込みは無い。

 しかし、傷つき疲弊している今ならば、大した苦労も無く勝つことができる。回復の暇もないほどに間断なく攻撃し続ければ、遠からず少年は力尽きるだろう。

 

 ランス自身前に出る必要は無い。無暗に前線に出ればそれだけリスクが発生する。万が一指揮系統が乱れてしまえば、ヨウタにつけ込む隙を与えることになる。確実な排除を命じられた身として、それだけは避けなければならない事態だった。ヨウタさえ始末してしまえば、他は有象無象の一般人だけなのだから。

 

 

「おや」

 

 

 趨勢を見守るランスの耳に、ビリリダマが「じばく」する心地よい音が聞こえてきた。

 巻き込まれたフライゴンが地に墜ち、群がったポチエナたちが次々と「かみつく」。ひんしの状態に陥ったフライゴンを少年が回収するも、次いでズバットの群れがミミッキュを襲った。

 

 ミミッキュの特性は「ばけのかわ」。ミミッキュは、ピカチュウの被り物を身に着けているある意味異質なポケモンだが、本来のミミッキュは、ピカチュウの被り物のおおよそ半分程度の大きさしか無い。故に、「ばけのかわ」とは、胴部に攻撃を受けた時には頭部へ。頭部へ攻撃を受けた時には胴部へと避難することで、一度だけ、相手の攻撃を受け流す特性でもある。

 しかし、ミミッキュの「ばけのかわ」は非常に剥がれやすい。どれほど弱いポケモンの攻撃だとしても一度受けただけで壊れ、ミミッキュ本体の位置を特定できるようになってしまう。

 ランスの指揮するレインボーロケット団員は、精強ではなくとも数だけは多い。そうなれば、防御能力の低いミミッキュは連続で攻撃を受け、「ひんし」となってしまう。

 

 これで二匹。

 

 しかし、その二匹を倒すまでの犠牲は大きい。連れてきたメンバーのおおよそ半分が倒されている。

 ランスは軽く舌打ちをした。彼の想像よりも、遥かにヨウタは腕が立つ。

 だが、ここまで来れば消耗の度合いも知れるというものだ。

 

 

「総員、ビリリダマを『じばく』させなさい」

『は……ハッ!』

 

 

 ――――「弾」はいくらでもあるのだ。

 

 ロケット団で最も冷酷な男、ランス。彼はたとえ相手が子供だろうと容赦することは無い。手駒をいくら使い潰そうとも、心は痛まない。

 その姿勢は――ある意味では、最も作戦の「詰め」に適した人材と言える。

 

 

「しかし、存外粘りますね」

 

 

 「じばく」を続けるビリリダマの群れを、しかしヨウタのポケモンたちは冷静に切り抜けていく。

 元々ジュナイパーはゴーストタイプ故に効果が無い。が、ハッサムとキテルグマは別だ。それでも倒れないのは、それだけ彼らが場数を踏み、鍛えられているということである。

 

 ノーマルタイプのわざが効果を発揮しないジュナイパーが、状況に応じて「かげうち」などを用いてビリリダマを吹き飛ばす。

 効果が今一つであるハッサムが、技の冴え(テクニシャン)を活かして自爆するよりも前に仕留める。メガシンカができないほどに疲弊しているにも関わらず、その動きに乱れと衰えは無く、まるで隙が無いように感じられる。

 キテルグマは、ごく自然のことのように二段ジャンプを披露してゴルバットを撃墜――なんだあれはちょっと待て。ランスは自らの目を疑った。

 

 頭から落下するその先に敵の姿があれば、頭突きを見舞って地面に埋めていく。吹き飛ばした団員の背に乗って突撃し、別の団員やポケモンに叩きつける。あれは果たしてポケモンの枠組みに入れても良い存在なのか? ほんの少しだけ考えて、ランスはその思いを打ち切った。

 世の中には、必ずしも道理に沿わない、なんというかバグめいたポケモンが存在するものだ。アレもそういうものだ。考えるだけ無駄である。

 

 ――ランスは優秀な人間だったが、想定外の事態にはそこそこ弱かった。

 

 

「――――……予定は変わりません」

 

 

 たっぷり数秒使って、彼は気を取り直して前に出た。

 その右手にはホロキャスター。抵抗を続けるヨウタを前に、彼は最後の「詰め」に入ろうとしていた。

 

 

「そこまでです」

 

 

 戦闘の中心へ向けて、ランスが呼びかけた。途端に、ピタリと戦闘音が止む。自然と下っ端たちが道を開け……この戦いにおいて初めて、ランスと少年(ヨウタ)が顔を合わせることとなった。

 

 

「おまえは……」

「私の名はランス。この襲撃の手引きをさせていただいた、レインボーロケット団の幹部です」

「…………!」

 

 

 ヨウタは思わずその姿を睨みつけていた。この男が――そう思うと、自然と力が入る。

 クマ子へハンドジェスチャーで指示を送って攻撃してもらおうとし、

 

 

「迂闊なことはしない方が良い」

 

 

 その言葉を聞いて、ヨウタは手の動きを止めた。

 

 

「何の用意も無く、ただ『なんとなく』でここに来たと思っているのですか? 子供らしい甘い考えだ」

「……何を狙っている? いや、何をしたんだ……?」

「あの街の逆側に数名、団員を配置しています。あとは、私が指示を出すだけで彼らが街へとなだれ込む」

「――――!」

 

 

 ――――人は、ポケモンには勝てない。

 

 それは生物としての構造が異なることから来る、当然の結論だ。ヨウタもそれを理解していないわけではない。

 同じくポケモンを持つことが、ポケモントレーナーを敵に回した時に打てる最も有効な手段になるのだが……今、あの街でポケモンを持つのはアキラだけ。それも、まるでバトルを経験したことが無いようなポケモンを二匹だけ、だ。

 彼女がどれだけ工夫をこらそうとも、負けん気が強かろうとも、大きなレベル差と数の力を覆すのは不可能だ。

 

 

「やめろ!」

 

 

 ヨウタは叫びながら、自身の不手際を呪った。

 せめてクマ子を置いてきていれば、このような結果にはならなかっただろう。

 けれども、それはできなかった。自信があったことも確かだが、何より、敵の総数や質が分からない状況では、戦力を分散することが憚られたというのがある。

 

 ――彼が得意としているのは、あくまで「ポケモンバトル」だ。単独の戦闘であれば、歴代の図鑑所有者のように、絶大な能力を発揮できるだろう。

 ヨウタと僅かでも「戦い」になり得るのは、今のところ幹部格以上から。彼らですら足止めになるかという程度のものだ。六人のボスが本気で戦った時、ソルガレオ抜きでも食らいつける程度には、彼はバトルの天才と言えた。

 十代前半という幼さでありながら、ここまでの評価を得られること自体がまず破格だ。戦術的に見れば、一つの戦場の勝敗が彼の存在によって左右されてもおかしくはない。

 

 しかし――戦略単位で見た時、ヨウタはあくまで「一戦力」以上の扱いは受けられない。

 レインボーロケット団の目標は、四国全土だ。対してヨウタは一人きり。全ての街を守る……どころか、一つの街でさえ、包囲されれば守り切ることはできない。

 伝説のポケモンがいるならば話は変わるが、その伝説のポケモン(ソルガレオ)も今や休眠状態。これでは、手の打ちようがない。

 

 ヨウタは若すぎた。駆け引きというものを知らず、ただ目の前の敵を倒せば良いと思っていた。

 彼の失敗は、経験不足と、周囲と相談するための時間が足りなかったことの二点に尽きる。

 

 

「やめるかどうかは、お前次第ですよ。投降すれば、考えても良いでしょう」

「――――」

 

 

 ヨウタは一瞬、その言葉に応えられなかった。

 投降する……つまりは、降参する。そんなことをしてしまえば、あの街に住んでいる人たちは――。

 

 

「どうしました? 『やれ』と言ってほしいんですか?」

 

 

 ――されど、選択肢は、無かった。

 

 

「ポケモンを全てボールに戻しなさい」

「………………分かった……」

 

 

 血を吐くような思いをしながら、ヨウタはゆっくりと――抵抗の意思を示すように、クマ子、モク太、ライ太の順で三匹をボールへと戻していく。

 砕けんばかりの力で歯噛みするその姿からは、無念と怒りがにじみ出ていた。

 

 

「ボールに戻したポケモンをこちらに渡しなさい」

「…………ッ!!」

 

 

 精一杯の怒りを湛えた視線を送るも、ランスはどこ吹く風だ。いや――むしろ、彼はそれを、初夏に吹く微風のように心地よく感じていた。

 所詮は、敗者が間抜けを晒しているだけのことだ。奪い取るようにしてボールをもぎ取り――そして、ランスはホロキャスターのスイッチを入れた。

 

 

「あっ!?」

「――総員、攻撃を開始しなさい」

「そんな、汚いぞ!! 僕は言うことを聞いた!」

「私の言ったことが聞こえてなかったのですか? 『考える』と、そう言ったのですよ。このような子供だましに引っ掛かるなど、言語道断もいいところですねぇ」

「この……人でなし!!」

町々を襲いつくせ(Raid On the City)撃ちのめせ(Knock out)悪の牙達よ(Evil Tusks)。それこそが我々の理念ですよ」

「ランスゥゥゥ!!」

「拘束なさい」

「ハッ!」

 

 

 バッグへと手を入れて、何かを取り出そうとしたヨウタの機先を制し、レインボーロケット団員が彼を拘束する。

 

 これで最早恐れるものは無くなった。思わず、ランスの口元に笑みが浮かぶ。

 再び、彼はホロキャスターへ目を向けた。襲撃班からの返答が無かったためだ。

 

 

「返事はどうしました? ああ、そうそう。サカキ様からのご命令です。あの白髪の」

『ら、ランス様! お助けください!』

「――――何です?」

 

 

 ――次の瞬間、ホロキャスターは襲撃班の惨状を映し出した。

 青あざを作って昏倒する団員。火に包まれ転げまわる団員。倒れ伏して痙攣している団員。その中にあって無事なのは、連絡を送ってきている一人だけだ。

 

 

「……な」

『ギャアアアアアアッ!』

 

 

 何があったのですか。そう問いかけようとした瞬間、ランスは団員の身体が雷撃に打たれるのを見た。

 残影のように瞬く紫電が、その強さを物語る。電気に侵され壊れたらしいライブキャスターは映像を送ることができなくなり、やがて砂嵐だけを映し出すようになった。

 

 一瞬の沈黙が場を支配する。その直後、ランスの耳に、ノイズ交じりの小さな声が聞こえてきた。

 

 

『――――そこか』

 

 

 知らず、底冷えを感じるような怒りの込められた一言に、彼は一瞬思考を止めた。

 

 ――――再三になるが、ランスはロケット団で最も冷酷と恐れられた男である。

 それは、冷静と評されるほどに動じないわけではなく、冷徹と評されるほどに感情を捨てた采配ができない、という意味でもある。

 それ故に、彼は即座に判断を下すことができなかった。自分たちは圧倒的に有利なはずだ。だというのにどこへ逃げる必要がある。きっとこれは何かの手違いだ。

 

 

「ゴルバット!」

 

 

 そう考えたランスは、自らの手持ちポケモンを繰り出し、その口にカメラを咥えさせた。

 目的は上空からの偵察だ。強く命じると、ゴルバットは急ぎ足で現場へと向かって行った。

 

 一分、二分。上空を行くゴルバットの送信してくる映像には、あまり変化が見られない。

 三分。現場までまだたどり着かないのか――とランスが焦れていると、その時、映像に変化が起こった。

 

 逆行しているのだ。

 

 

「……は……?」

 

 

 まるで映像を巻き戻すように、ゴルバットの送ってくる画面が逆転している。元へ、元へ――元の場所へ。ランスたちがいる、海沿いの道へ。

 

 

「どういうことですか!?」

 

 

 あまりの意味不明さに、思わずランスも叫び出していた。

 何が起きているというのだ。鳥ポケモンの姿は無かった。ならば何故? 疑問符が次々と頭に浮かび、しかし自らでは答えを出すことができない。

 

 やがて、その問いに答えたのは――――上空から降ってきた一筋の雷光(渾身の右ストレート)

 

 

 刀祢アキラの拳(・・・・・・・)だった。

 

 

 黄色い毛玉(バチュル)を頭に乗せ、内心の怒りを隠しもせずに表情に映す彼女は、蜘蛛糸で拘束したゴルバットを思い切り団員に叩きつけ、全身から紫電を迸らせる。

 普通の人間にはありえないその姿に、全団員がドン引きと困惑の表情を浮かべ、ヨウタは呆けたように目を丸くしていた。

 

 

 ――――時に。

 

 レインボーロケット団員は元より、ヨウタすらも知らない事実が、アキラにはある。

 

 アキラは二年半ほど前に、原因不明の女性化を経験した。

 あまりにオカルト。あまりに非現実。だが、異常はそれだけに留まらない。

 

 腕を振り下ろせば岩が砕ける。

 脚を振り上げれば海が裂ける。

 掌底が音の壁を突き破り、手刀が空気を切り裂き、震脚が地を揺らす。

 

 アキラの肉体は、女性化すると共にそれまでのものと比にならないほどに強靭に、頑強になった。

 即ち。

 

 

 ――――刀祢アキラは、強化(かいぞう)人間である。












〇読み飛ばしてもあんまり問題無い小さめの伏線らしきもの一覧

1話
・ポケモンの電撃を受けて何ともない
・数メートル吹き飛ばされて無傷

2話
・コスモウム(1t)を波打ち際から動かす
>どうやら力を入れすぎてしまったらしい。
・力加減がよく分かっていない

4話
>まだサカキは画面の向こうだ。あの顔面に拳を叩き込むには遠すぎる。
・サカキが出てくれば殴れるとわけもなく確信している

5話
>「殴る蹴るくらいできらぁ!!」
・少なくともそれ一本でなんとかできるかもしれない程度の自信があった
>ミュウツーの圧倒的な力を思い出す。
・ミュウツーを最初に見て基準にしてしまったので若干及び腰
・逆に言えばミュウツーさえいなければ何とでもなると思っている
>火と、電気。それに糸。これだけ使えるなら色々なことが考えられる。
・一般人はそれだけでどうもこうもできるものじゃない



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腕力という名のきりばらい

 

 

 

 ――時間は少し遡る。

 

 

「ばーちゃん、ヨウタがいねえ!!」

 

 

 家じゅう探し回ってヨウタがいないことを確かめたオレは、まず先に起きていたばーちゃんにヨウタの行方を問いかけることにした。

 ばーちゃんは、食器を洗いながら「あら」とのんきな声音で呟くと、

 

 

「朝ごはんを食べたら、外に出ちゃったねえ」

 

 

 と、あまり想像したくなかった答えを述べた。

 

 うっそだろ、おい。

 まさか一人で行ったのか、アイツ。いや、そのこと自体は……正直、分からんでもないが。オレ、ここまであんまり頼れるような姿見せてないし。頼りないどころか足手まといだくらいに思われてもしょうがないし、オレ自身どこまで通用するか、とも思ってる。

 けど……。

 

 

「勝手に行くかよフツー……」

 

 

 軽くボヤくが、それで何か状況が変わるってことも無い。ヨウタは先に出た。オレは置いてかれた。それだけだ。

 ヨウタはレインボーロケット団と戦ってきた張本人だ。元々オレが関わってくことについては乗り気じゃなかったし……予測が甘いと感じたのもあるだろう。オレも楽観的なとこ見せすぎたと思うが……打ち合わせも無しに行ったら、もう立ち回りようが無くなるだろ、くそっ!

 

 

「オレも行ってくる」

「お待ちよ」

「うん?」

「どこに行ったかも分かってないでしょうに、変に急いでもしょうがないよ。まずは朝ご飯を食べて、落ち着いて考えなさいな」

「……分かった」

 

 

 渋々ながらばーちゃんの言うことに頷いて食卓につく。

 ごちゃごちゃと色々考えちゃいるが、オレはまだ20にもなってない子供で、経験は浅い。

 亀の甲より年の功とも言う。

 その昔、ばーちゃんは言っていた。焦ったり慌てたりしてる時は、逆に人の忠告をよく聞くべきだ、と。焦ってる人間は目が曇っている。一見不合理なようでも、まず落ち着いて周りを見てみることこそが、本当の近道になる、と。

 

 ばーちゃんが出してくれたのは、ごくシンプルな釜玉うどんとほうれん草のおひたし。それと、冷ました豆の煮物が――二皿。

 そういうことだと解釈して、ボールからチュリとチャムを出してやる。何やら困惑しているようだったが、皿を押して食べていいことを示すと、二匹ともゆっくり食事を始めた。

 

 さて。

 問題はヨウタの行き先でもあり、レインボーロケット団の狙いだ。

 レインボーロケット団は、とっととヨウタを潰したがってる。それは間違いない。

 改めて考えると、あの通話と演説はヨウタに向けたパフォーマンスだったとも思える。ヨウタは賢い子だが、賢いだけでまだ子供だ。どうしても衝動を抑えきれないこともある。オマケに正義感も強い。オレを引き留めちゃいたが、あんな大演説を聞いて黙っていられなかったのはヨウタもだったということだ。あの時は、オレのことも守らなきゃいけないと思ってたから我慢してただけで。……内心半ギレだったんじゃないか、もしかして。

 ともかく、ヨウタはそれにまんまと乗ってしまったわけだ。オレもあの時は完全に沸騰してたけど。揃って迂闊だなオレら。

 

 まあ、そこはもういい。良くないけど、過ぎたことだ。しょうがない。

 問題は、あいつらがヨウタを始末するのにどうするか、だ。人質、陽動、脅迫……何でもできるだろうし、何でもしてくるだろう。一番考えられるのは、オレたちの街を襲わせるとかか?

 

 唯一の救いは、オレの存在がまだ大きくは取り上げられてないことか。サカキも、他のレインボーロケット団員も、オレのことは添え物以上の認識は無いだろう。そこに勝機がある。

 

 

「ごちそうさま」

「お粗末様。ああ、アキラ」

「ん?」

「何をするのも、思うようにしなさいね。それが正しいことなら、後から結果がついてくるものよ」

「……ん、分かった。あんがと、ばーちゃん」

 

 

 もし、間違ってたら?

 ……なんて、考えるまでもないか。それもばーちゃんが言ってた。間違ってたら、反省して次に活かせばいい、と。

 

 よし。迷ったり悩んだりするよりも、まずは行動だ。焦らず慌てず冷静に。それでいて迅速に。

 自分のアタマの出来を過信しないこともそうだ。その上で、正しいことは何か、を考える。

 

 とりあえず、あの連中に好き勝手されることに正しさは無いな、と確信した。

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 朝食を終えた後、オレは自室に戻って準備を整えることにした。

 何をするにしても、下準備は必要だ……が、あのままじゃ、何もしないまま外に出てたかもしれない。そう思うと、改めて落ち着いて考える機会というものは絶対に必要だったわけだ。ばーちゃんはいつも正しいな。

 

 まず、服。これは動きやすいものにしておく。普段着ならブカブカのあれでもいいが、いざ戦うってなったらそういうわけにもいかない。

 次に、マフラー。これはオレの顔を隠すためのものであり、ロープ代わりや拘束用にも使える。これは導電糸という特殊な素材を使用した電気を通すマフラーで、本当は別の用途があるのだが、チュリの電撃を通しやすくするためにも使える。ポリカーボネートでコーティングしてあるから頑丈だ。

 それから……いくつか何か仕込んで行こう。食べ物とか、罠とか、武器……になりそうなものとか。戦いは工夫だ。

 

 次に、庭に出て周囲の音を拾うことに注力する。

 ヨウタが出て行ってしばらく経つ。ミュウツーとソルガレオの時ほどじゃないまでも、もし戦いが始まったらそれなりの音は聞こえてくるはずだ。

 幸い、オレは耳がいいほうだし……。

 

 

「っと」

 

 

 聞こえた。海に近い方だ。

 何かが砕けるような、激突事故でも起きたのかと思うような大きめの音。そのことを感じ取ったオレは、即座に逆方向(・・・)に向けて飛び出した。

 

 ロケット団は、典型的な「悪の組織」だ。その行動もいわゆる「悪人」のそれに根差している。

 ああいう連中は基本的に手段を選ばない。街に火を放つ、建物を壊す、その辺の子供ひとり攫って連れてくる……何でもいい。とにかく、ここにはヨウタを陥れるための材料が山ほどある。あいつらがそのことに目をつけないとは思えなかった。

 

 

「急ぐか」

 

 

 戦いが始まったばかりのタイミングなら、仕込みは使わないだろ。こういうのは最後の「詰め」で使うから意味があるんだ。

 

 家の屋根に飛び乗り、空を蹴り、街路樹や信号機、道路標識を足場として飛び移る。

 前へ、前へ。そうしていると、不意にオレの知らない人間の気配を感じた。

 ここもそんなに広くないし、よその人が来ることも少ない。二年以上過ごしてきたのだから、街の人ならだいたいは分かる。

 

 けれどそいつらは明らかに異質だった。仮によそ者だとしても、この状況下で、かつ町はずれにある廃屋に十人も集まってるなんて、ちょっとどころじゃなく考えづらい。

 

 迷わず、廃屋の天井をブチ抜いて降りた。

 

 

「な……なんだァッ!?」

 

 

 突然の事態に、その場にいた十人は全員、驚きで体を硬直させていた。

 呆けているなら都合はいい。一人目。目の前にいた男に崩拳を叩き込む。音を立てて吹き飛び、意識も飛んだ。

 

 二人目。まだ動けていない。掌底を顎に打ち込み意識を飛ばす。三人目は手を振り抜いた勢いで回転、頭に回し蹴りを入れた。四人目は五人目にぶつけるような形で蹴り飛ばすと、壁に激突。そのまま動かなくなった。

 

 

「て……敵襲――――!」

 

 

 と、そこで我に返るものも出始める。

 だが、声を発したその瞬間こそが大きな隙だ。あいつが六人目だ。懐から取り出した小さめのペットボトルの中身をヤツにぶちまける。

 やけに香ばしい匂いを放つ、粘性のある液体――ごま油だ。そのことに気付いた男の顔が青褪める。だが、そこで待つ馬鹿がどこにいる。

 

 

「チャム!」

 

 

 勢いよく、男の後ろに向けてチャムの入ったボールを投げる。と、ボールの中から様子をうかがっていたらしいチャムは、オレの意図を察して即座に「ひのこ」を放った。

 食卓にある他の油に比べ、ごま油は引火するとよく燃える性質があるとも聞く。命を奪うまではしたくないが、だからって容赦する気も無い。しばらく焼けてろ!

 

 

「うわあああああぁーっ!!」

「な……ばっ、来るな!」

 

 

 火を消そうと走り回る団員の男だが、彼はその必死さ故に周りが見えていない。偶然近くにいたせいで巻き込まれかけている男の姿を認めると、オレは対角線上にいるチャムへ指示を飛ばした。

 

 

「こっちだチャム! 『ひっかく』!」

「ピィッ!」

「があっ!?」

 

 

 チャムの足先の鋭い爪が男を捉える。咄嗟にガードしたようだが、同時にそれによってこちらに転がり込むような格好になってしまってもいる。

 この機を逃すつもりもない。腹部に蹴りを入れて吹き飛ばし、気絶させることに成功する。これで七人。

 

 

「く……!」

「逃がすか、このっ!」

「何ッ!? マフラー……――!?」

 

 

 外に向かって走り出した男の腕に、首に巻いていたマフラーをムチや縄の要領で巻き付ける。

 こういう時のために長めに作ってもらってんだ。あとは……!

 

 

「チュリ! 思いっきりやっちまえ!」

「ヂッ!」

「があああああああ!?」

 

 ボールからチュリを出し、マフラーを示す。チュリは遠慮なく放電し、通電性の高いマフラーを通してオレとヤツの身体に電流が走った。

 技の「ほうでん」じゃない。単なるポケモンの生態としての放電現象だ。それでも、オレ以外の人間が食らえば一瞬目が眩むし、しばらく身動きも取れなくなる。そして――。

 

 

「だらァッ!!」

「ごはァ!!」

 

 

 マフラーを引き、こちらにやってきた男を殴り倒した。あと二人!

 

 

「くっ、好き勝手しやがって! 行け、ドガース!」

「ドガァァァ……」

「ベトベター!」

「ベタァン」

 

 

 ――と、流石に一方的な展開もここで打ち止めか。男たちは急いで自分のポケモンたちを繰り出した。

 ドガースに、ベトベター……対して、オレの側にはチュリとチャム。ダブルバトルのかたちになる……か?

 

 

「おい、この女――!」

「ああ、指令書にあった……」

「あ?」

 

 

 実質的なにらみ合いの状況に陥って僅かに余裕が生まれたためか、ヤツらが何か気になることを相談し始めた。

 何だ? 指令書? ……オレのことを知っている? そんなわけないだろ。サカキに会ったのもあれが初めてな上にロクなこと喋ってねえ。

 ……そうか! もしかしてヨウタへの人質に使おうってんだな。だったら話は早い。

 

 

「……捕まえるぞ!」

「おお……!」

「何だか知らんがごちゃごちゃとうるせえッ!」

「「!?」」

 

 

 その最中に、オレは無拍子の一撃を廃屋の()に叩き込んだ。

 田舎には山ほど無人の家屋があるが、そういうものに総じて言えることはとにかく耐久性に難があるということだ。

 長年風雨に晒されている上に手を入れる人間もおらず、窓が割れていたりして内装もボロボロ。そんなところに強い一撃を打ち込めば、どうなるか。

 

 

「チャム、チュリ、戻れ!」

「な、馬鹿! やめ……」

「狂ってるのか貴様ァ!?」

「イカれた侵略者に言われたくねぇな。そのまま埋まってろ」

 

 

 二匹をボールに戻したのち、崩れかけた建物の外壁を突き破って外に飛び出る。

 その直後、廃屋が崩落した。当然、ドガースとベトベター、レインボーロケット団員の男たち二人もそれに巻き込まれる。

 

 元々が木造の腐った建物だったおかげか、衝撃自体は大きくない。オレは安全を確認すると、その場で二匹を再びボールから出した。

 

 

「悪い、二匹とも。もうちょっと頼む」

「ヂヂッ」

「ピィ……」

 

 

 衝撃が小さい、ということは、つまり倒せてない可能性が高いということだ。

 ドガースはともかく、ベトベターは不定形な「ヘドロポケモン」。実体があるとは言っても、物理的手段で与えられるダメージなどたかが知れている。

 

 

「狙いは――あそこだ」

 

 

 指差すのは、ヤツらが埋まっているはずの場所……から、もう少し手前。元いた場所からすぐに飛び出すなんて、そんな愚は犯さない。

 十秒。二十秒。まだ出てこない。三十秒――と、数えたその瞬間に、隙間から汚濁した粘液が這い出した。

 

 

「今だ! チュリ、『でんじは』! チャム、『ひのこ』!」

「ビギィッ!」

「ピィィィィィッ!」

「ベドドド……」

 

 

 先んじて放たれた「でんじは」がベトベターの動きを鈍らせ、元々移動速度の速くないベトベターへ、継続的に「ひのこ」の炎が浴びせられ続ける。

 摂氏千度。例にして示せばろうそくの炎と同じくらい、という程度だが――言い換えれば、赤熱した木炭を常に押し当ててるようなものだ。ダメージは甚大だ。

 何より問題視していたのはベトベターの練度(レベル)だったのだが……ほどなくして倒れたのを見るに、そこまで高いものでもなかったようだ。

 それを見て一つ、オレはある確信を得た。

 

 

「……よし、チュリ、『くものす』だ。出入り口をふさいでくれ」

「ヂッ」

 

 

 ベトベターの出てきた小さな穴に放たれた「くものす」。それは数秒と経たずに、出てきたドガースを捕らえることとなった。

 

 

「ガガガ……!?」

「……やっぱりな」

 

 

 力任せに外そうともがくが、拘束は解けない。

 間違いない。あいつら、大したことないぞ。

 

 チュリのレベルはいいとこ10。ちょっと昨晩試してみたが、オレの腕力でも「いとをはく」で生成した糸はギリ引きちぎれるほどの強度ではあった。

 それでも人の体重を支えることくらいはできるだろうし、その上で動くことくらいは容易い。束ねればもっと強度は増すだろう。

 

 思うに、ポケモンならもっと簡単に拘束は解ける。

 体感……だいたい20くらいか? 倍くらいにレベル差があれば、数秒から数十秒ほど時間をかければ、力ずくで引きちぎれるはずだ。

 だが、アイツはそうじゃない。ってことは、多分レベル自体は……15くらいなんじゃないか?

 

 相手のレベルも自分たちのレベルも可視化できない現実のバトル。正直に言うと、及び腰な部分はあったが……下っ端がこのレベルなら、一対一のバトルであれば、正面からでも打ち破れる可能性が見えてきた。

 

 

「後は任せる。好きなようにしてやってくれ」

「ヂュ……」

「ピョ!」

 

 

 もう抵抗のしようもないドガースに打ち込まれる「ひっかく」や「すいとる」を尻目に、オレの方は崩落した廃屋へと近づいていく。

 上蓋のように被せられていた屋根を蹴り飛ばすと――いた。残り二人――のうちの一人は気絶しているようなので、もうあと一人。その手には何やら見慣れない機器が握られている。

 

 ――通信機か! そのことを察したオレは、即座にマフラーを伸ばして男の首に巻き付けた。

 

 

「ら、ランス様! お助けください!」

「黙ってろ」

 

 

 次の瞬間、オレの全身から電気が漏れ出す。

 電気――正確には、生体電流。拳法における練気の応用により、全身の生体電流を増幅・放出する武当派拳法の秘奥。名を――電磁発勁と言う。

 

 

「ギャアアアアアアッ!」

 

 

 その威力は強力にして無比。マフラーを伝い流れた電流は、ヤツの手の通信機を破壊し、その意識をも断ち切った。

 死には、していないだろう。加減はした。あとは……。

 

 

「――――そこか」

 

 

 ヨウタたちの戦っている、湾岸の道。敵の本隊はそっちだ。

 ランス、とか何とか言ってたな。そいつが敵のアタマか。

 

 

「戻れ、チャム!」

 

 

 きっちりとドガースを倒した二匹のうち、チャムの方を一旦ボールに戻す。

 ここからは一直線だ。しがみついていけるわけじゃないチャムはボールの中にいた方がいい。

 

 その一方で、他の団員たちを糸で拘束しているチュリを呼び寄せる――と、明らかにウチを出る前よりも嬉々とした様子で、オレの頭に飛び乗ってきた。

 

 

「どうしたんだお前」

「ヂッ」

 

 

 頭の上で何やら体を擦りつけている。……なるほど、さては電気だな。

 電源や特殊な設備が無くとも放電できるんだから、チュリは頭の上にいるだけで充電できるんだ。至れり尽くせりってところか。

 

 

「……これ疲れるし、ホントならもっと負担スゴいんだぞ?」

「ヂ♪」

 

 

 分かってるよー、なんてのんきな鳴き声が聞こえた。

 ウッキウキな声出しやがって。いいけどさ、別に。疲れるし負担あるったって、この体になってからは負担もあんまり無いし。

 

 

「しっかり掴まってろよ」

 

 

 そう言い聞かせ、全身に生体電流を巡らせながら、来た時と同じように近くの家屋の屋根に飛び乗った。

 来た時と同じ――とはいえ、来た時よりは幾分か速い。電磁発勁によって全身が活性化したためだ。

 

 体外に漏れ出る電流が、尾を引くようにして宙に軌跡を描く。

 思えば以前、こんな移動方法で街中をうろついてたことがあって、そのせいでUFOだか何だかと見間違えられたこともあったか。

 それ以来、特に必要もなければやってもこなかったが……今の状況だと逆に積極的に使わなきゃいけない状態だな、これ。チュリの充電にもなり、移動速度も上がる。オレが疲れることを除けば利点の方が多いようだ。

 

 

「あん?」

 

 

 と、そんな折に、上空を横切る青い物体が見えた。あれは……何だ? ゴルバット?

 ロケット団の使うポケモンの中でも代表的とも言える……が……。

 

 進行方向は、オレが来た方。つまり、さっきまで戦ってた廃屋。口に何か、機械のようなものを咥えているのが分かる。

 ……放置しておくのも問題か。

 

 

「チュリ、『いとをはく』」

「ヂュイッ!」

 

 

 チュリが勢いよく吐き出した糸が、ゴルバットの足に絡み付いた。

 咄嗟に、ゴルバットが振り向く――ような隙は与えない。チュリの口から切り離した糸を受け取り、オレが手に持ってゴルバットを思いっきり引っ張って駆ける、駆ける、駆ける!

 

 やがて湾岸の道に出た時、オレが目にしたのは大きな破壊の跡と、黒い服を身に着けた男たち。彼らに身柄を拘束されているヨウタと、その中にあって異質な白い服を着ている男……ハートゴールド・ソウルシルバーで目にした、ロケット団幹部の制服!

 見つけたぞ、アイツがランスってヤツか!

 

 

「くたばれ悪党ッ!!」

「な ガッ!!?」

 

 

 叩き込んだ拳の勢いで、ランスは手に持っていたボールを取り落としながら、10メートルもきりもみ回転しながら吹き飛んでいく。

 次は――こっちだ!

 

 

「共ッ!!」

「ごはっ!?」

「ふざ――ごっ!!?」

 

 

 ヨウタを拘束していた男二人にゴルバットを叩きつけ、吹き飛ばす。

 ばきり、という音がしたのは果たして何だろうか。まあいい。目を回したゴルバットと団員たちを置いて、オレはヨウタの前に出る。

 ギリギリだが、なんとか間に合ったようだ。

 

 

「一人で出てくなよこの馬鹿。作戦の一つも立ててから行けってんだ」

「え、あ……アキラ……だよね?」

「オレ以外の誰に見えンだよ。ほら立て、ヨウタ」

 

 

 目ざとくボールが落ちるところを見ていたらしいチュリが、自身の糸で拾い上げたボールをヨウタへ寄越す。

 それを見届けた後、オレは思い切り震脚を地面にぶつける。アスファルトが砕け、全身から放たれた紫電が空気を焼いた。

 

 

「あいつら全員、ブッ飛ばすぞ」

 

 

 言い放つと、目に見えてロケット団共の動きが鈍くなる。後ずさる者も出て来て、やがて「ひぃ」と小さな悲鳴までもが聞こえてきた。

 その声に応じるようにして、比較的冷静な風な声が指示を発した。

 

 

「――――退却だ! ランス様を連れて逃げるぞ!」

 

 

 その一声で、ヤツらは蜘蛛の子を散らすようにして一斉に逃げ出した。

 団員たちの足音が遠ざかっていく。やがて、この場に残されたのは、オレとヨウタ、そして気絶した団員たちだけとなった。

 

 完全に気配が消えたところで、息を吐く。

 ……とりあえず、なんとかなったか。

 

 

「追わなくていいの?」

 

 

 ライ太を改めて表に出したヨウタが問いかける。が、オレは手を軽く振って否定の意を示した。いいよそんなもん。

 

 

「あんだけの人数相手にするのは骨だ。つーか無理」

「あれだけ大暴れしといて……?」

「パフォーマンスだよ、パフォーマンス。ああいう連中は威圧しときゃ勝手に散るさ」

 

 

 人間は、わけのわからないものに対して多くは恐怖を抱く。

 ロケット団の連中は――はっきり言って、衆愚もいいところだ。ボス格や幹部なんかはこうもいかないだろうが、下っ端はチンピラに毛が生えた程度の度量しかない。

 そんなもん、だいたいの組織でそうだけどな。下に行けば行くほど一般人と変わらない。悪の組織でもどうやらそれは通じる話らしい。

 

 

「何より、オレはポケモンに勝てねえ」

「嘘だ! 絶対嘘だぁっ!!?」

 

 

 ……さっきの大ピンチ以上にうろたえてないかコイツ? 心なしかライ太もちょっと訝しげにオレを見てるし。

 

 

「まあ聞けよ。ヨウタ、お前ベトベターに触れるか?」

「……仲良くなれば、毒を発しなくなるらしいから、それならなんとか……?」

「敵のベトベターだよ」

「無茶言わないでよ……あ、そうか」

「そういうこった」

 

 

 知っての通り、ベトベター……と、ベトベトンは、体中が毒の塊のようなものだ。

 懐いた相手には無害になりうるが、そうじゃない相手に対しては「体に触ると猛毒に冒される」なんてポケモン図鑑で明言されてる種だ。オレだって触ったらタダじゃ済まない。

 そんなベトベターは――ロケット団の主力の一匹だ。

 

 

「ベトベターだけじゃない、ズバットの『どくどくのキバ』なんて受けたらそれこそ猛毒に冒されるし、ドガースの『どくガス』に……ゴースのガスなんて、二秒でインド象が倒れるってんだろ?」

「ゴメン最後の話は何?」

「あー、そっか、修正されてんのか。いやそれはいい。ともかくだ。多少身体能力が高くったって、特殊な能力一つで太刀打ちできなくなんだよ」

 

 

 ほのおタイプのポケモンと戦おうと思っても、火傷するか、場合によっては消し炭にされる。

 こおりタイプのポケモンと戦おうものなら、氷漬けにされる。

 でんきタイプのポケモンと戦ったなら、許容限界を遥かに超える電流を流される。

 どくタイプは言わずもがな。ゴーストタイプにはそもそも攻撃が当たらない。飛ばれたら対処のしようがないし、潜られてもそれは同じ。

 ノーマルタイプだろうがドラゴンタイプだろうが、人間よりも遥かに身体能力が高いことには変わりない。生半可なことじゃ、手傷を負わせることすらできないだろう。

 

 

「ポケモンにはポケモンでしか立ち向かえない。オレが殴り倒せるのは徹頭徹尾トレーナーまでだ。ポケモンが出てきた時点で詰むんだよ、結局な」

「そう、なんだ…………いや、それもそれでおかしくない? 何でそんなことが簡単にできるの?」

「後で説明する。それよりも――これ、どうするんだよ」

「ああ……うん、そうだね……」

 

 

 オレたちの周りには、さっき倒したレインボーロケット団員たちが転がってる。

 チュリに拘束してもらう手はあるが、それにしたって人数が多すぎる。

 

 ……知り合いの署長さんに頼むのが一番かな、こういうの。

 

 

 






 
FR・LGより後のシリーズでは、インドぞうや東京タワーなど、現実に即した内容のポケモン図鑑の記述は行わなくなったようです。



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心をつつく選択肢

 

 さて。

 とりあえず、近所の交番に言って状況を説明し、気絶したレインボーロケット団員の身柄を拘束してもらった後、オレたちはばーちゃんちの居間に戻って向かい合っていた。

 頭の上にはチュリも一緒だ。ヨウタの方は、さっきの戦いで傷ついたポケモンたちを休ませるためにボールに戻している。

 

 

「で……何の話からすりゃいい?」

「全部かな」

「分からないことが多すぎるロト……」

「だろうな」

 

 

 っつってもな……オレだって分かってないことあるんだぞ。この身体能力とか。

 まあ、言わないよりはいいか。

 

 

「筋力の方は、女になってからなんか滅茶苦茶に強くなってた」

「……つまり、その時に改造か何かされて?」

「多分な」

 

 

 でもまあ、これは別に大層なことでもない。女になったことに比べると、オマケみたいなもんだ。

 女になったのと同時に起きた異変なんだから、女になった理由が分かればその時に一緒に理由も分かるだろ。そう思って一旦置いといてるってのもある。便利だし。

 

 

「あの電気はどういうことロ?」

「拳法の奥義の一種だ。身体の生体電流を増幅してる」

「拳……法……?」

「気ってあるだろ。アレの発展形」

「胡散臭……」

「あんまそういうこと言うなよ。師匠キレるぞ」

「ご、ごめん」

 

 

 そういえばオレもはじめの頃そんなこと言ってたっけ。

 何でこの拳法始めたかって動機は覚えてない――ってか、消えてるんだけど。

 

 

「下手な使い方をすると、筋肉と神経が焼ける諸刃の剣だな。ただ、今んとこオレはあんまり負荷なく使える」

「それは……改造されたから?」

「多分な。ていうか、こうなる前は使えなかったからほぼ確実だ」

 

 

 元の身体だと負荷が強すぎて使うどころじゃなかったんだよな。それこそ今言ったみたく、筋肉が焼けかけてたくらいには。

 オレの身体が「改造」されたってのはそういうことだ。純粋に強靭になったのか、最適化されたのか……どっちかは分からないが。

 

 

「……で、何でこんな技術を覚えようとしてたの……?」

「ごめん、覚えてない」

「そこ大事なんじゃないか!?」

「覚えてないのはしょうがないだろ。まあ無くなったもんはどうもこうもねえ」

「思い出す努力とかしようよ!」

「お前思ったよりか頑なだな……」

「気にしてないアキラがおかしいんだよ!」

 

 

 そうだな。オレもそう思う。けど便利だしいいじゃないか。この状況には適してる。

 悪人が只人を食う修羅の園。今の四国で、力無くただ漠然と正義を叫ぶことなどできはしない。

 

 

「気にするのは分かるけど、今はそれ気にしてる暇無いだろ。女になっちまったのと同時にこんな体質にもなった上に記憶も無くしたんだ。だったら、一つ原因が分かればどの原因も分かってくるはずだ。今はレインボーロケット団のことを優先して対処しようぜ」

「至極まっとうなことを言ってるはずなのに……」

「違和感がものすごいロト……」

「お前らいい加減しつこいぞ」

 

 

 まあ、いずれにしても納得はしてるようなので話は続けよう。

 

 

「とりあえず、あいつらを追っ払うことには成功したけど、二度とここに攻めてこないなんてことは無いだろうな。今回はオレのことも知られたし、次はもっと強い連中を連れてくるはずだ」

「うん……」

「だから、今は逃げる」

「に……逃げる!? ダメだ、そんなことしたらっ!」

「じゃあお前、今のままで何とかなると思ってんのか? 勝てるってんなら、理由を聞かせろ。納得行くハナシなら、オレは全力で……命懸けでそいつに乗ってやる。勢いで言葉にしちまったんなら、まずは落ち着いて考えろ。……今のオレらだけでアイツらに勝てんのか?」

 

 

 そう問いかけると、考え込むように押し黙ったヨウタは、しばらくして鉛でも吐いてるかのような重苦しいため息をついた。

 

 

「……街の人たちを見捨てることになる。本当にそれしかないのかな」

「結果的には、そうだ」

 

 

 オレもまた、(はら)の底に苦々しく、重苦しいものを感じていた。

 ヨウタが見捨てないでいたいと思う気持ちは、痛いほどに分かる。オレだって、今のオレを受け入れてくれた街で、自分が育った場所だ。尊敬してるばーちゃんもいる。それを見捨てて出て行くなんてしたくない。オレたちには街を守れる力があるのだから。

 しかし。

 

 

「オレたちが捕まったり殺されたりしたら、全部終わりだ」

 

 

 希望の芽くらいは、遺せるかもしれない。

 後の時代になって、虐げられている人たちの中から救世主と呼ばれるような人物が出てくるかもしれない。

 しかし――それでは、「今」は救われない。

 オレたちが守りたいのは、今の日常だ。あいつらにブチ壊されてる何でもない日々だ。取り戻すには、戦う以外に道は無い。

 

 

「だから……逃げる?」

「そうだ。ヨウタが万全にならなきゃ、まずスタートラインにも立てねえ。オレらが弱いままじゃ、足手まといにしかならねえ。そんで、オレとヨウタだけじゃ、『組織』ってものには勝てねえ」

 

 

 ――それをひっくり返すために、逃げる。

 そのことを理解したヨウタは唇を噛み締めて顔を俯け、ロトムは沈痛な面持ちで目(にあたる部分)を閉じた。

 

 

「……アキラは」

「あ?」

「アキラは……それでいいの?」

「いいわけないだろ」

 

 

 ミシリ、と。手を当てていた机が音を立てて軋んだ。

 さっきから脳味噌は沸騰しそうだし、今にも飛び出していきたい気持ちは強い。太ももに爪を立てて抑えてなけりゃ、多分とっとと剣山まで走ってただろう。

 今のまま戦ってもどうにもならないからこそ、オレも迂闊には飛び出せない。正直なところを言えば頭の中じゃもうどうやってヤツらを殴るかをずっと考えている。一撃でいいんだ。本当に。顔面に全力で一撃入れればオレは満足なんだ。命の保証はできないが。連中の自業自得だ。慈悲は無い。

 

 

「戦略的撤退ってやつだ。今は逃げる。だが、必ずここに戻る。その時にはみなご……お……一人残らず追い払ってやる」

「今凄まじく物騒なことを言いかけたね?」

「聞き違いだぜ。オレは善良な市民ぜ」

「そんな喋り方もしたこと無いよね?」

「誤差だぜ」

 

 

 オレだってただのいち市民とはいえ、品行方正な方じゃなくてむしろ粗野な方だってのは自覚がある。こういう物騒な言葉が飛び出しそうになるのは勘弁してほしい。正義の味方とかじゃないんだから。いや最近の正義の味方も時々乱暴なのいるけどさ。

 

 

「ともかく! オレたちは逃げるためにやるべきことがいくつかある」

「それは?」

「まずは、街の人たちに事情を説明して防衛体制を敷いてもらうこと。バリケードのひとつでもあれば多少は時間が稼げるだろ」

 

 

 あっちも「面倒くさいから後回し」ということにしてくれるかもしれない。希望的観測だけどな。でも何もしないよりはマシだろう。危機感の一つも煽っておいた方が、守りを固めるにしてもやりやすいか。

 

 

「次に、戦力だ。ヨウタ、モンスターボールってどのくらいある?」

「……だいたい、十個くらい」

「少ないな」

「そんなに普段から持ち歩く人いないよ」

「そういうもんか? ……そういうもんか」

 

 

 既に決まった六匹のメンバーがいれば特にそうだが、普通は余計に手持ちポケモンを増やすようなことはしないだろう。

 家族が増えるというか、ペットが増えるというか……とにかく、手持ちポケモンを増やすということは、どれだけ責任を負うことができる対象を増やせるかということにもつながる。一匹だけが適正という人もいるだろうし、もっと増えてもいいという人もいるかもしれない。そう思うと、緊急時のため、という程度の心構えで持っている数としてはそんなとこか。

 

 バッグも異次元じゃないだろうし……オレたちみたいに「最近の最終決戦はパッケージ伝説ポケモンを捕獲してから挑むことになるかもしれない」なんてメタ知識を持ってるってワケでもなければ、最終決戦の時にわざわざモンスターボールを持って行くような必要も無いだろう。かさばるし。

 

 

「それ、いくつか譲ってもらうこと、できるか?」

「いいけど……何に使うの?」

「バラして作り方を調べて、量産できるようにしたい」

「え、ええ……? 大丈夫なの、それ?」

「大丈夫であろうとなかろうと、やらなきゃ詰む」

 

 

 倫理的にか、技術的にか……どっちにしたって、やらなきゃ終わりだ。

 事前にモンスターボールに対する寸評として述べた通り、200円という安価さで流通しているということはそれ相応にポピュラーな素材が必要なはず。それを明らかにすれば、モンスターボールの作り方も分かる……はず。

 いわゆるリバースエンジニアリングというやつだ。言葉の使い方違うかもしれないけど。

 

 

「モンスターボールの理論って覚えてるか?」

「いや……ごめん、知らない。本場の僕が知らないって言うのも変だけど」

「ニシノモリ教授の論文のことロ?」

「そう、それだ。多分。名前は……知らないけど。ポケモンが弱った時、自分の身体を縮小させてペンケースだか眼鏡ケースだかに入り込んで体力の回復を図ったってやつ。モンスターボールが普及するより前は、ぼんぐりを使ってたっていう話もあったよな。だったら、この世界独自のボール……じゃなくても、ポケモンを捕獲できる何かが作れてもおかくないはずだ」

 

 

 確証は……無いが。それにしても、やってもみないうちから「できないかも」と思って諦めるのは馬鹿げてる。

 

 

「これで、街の周り……だけじゃないな。ざっと見た感じ、街中にもポケモンがいる。ああいったポケモンたちを味方にできれば、心強い」

「そうだね……あ、レインボーロケット団の人たちから没収したポケモンたちはどうだろう?」

「……見るか?」

「え、いいの?」

「知り合いに預けてある。けど、期待はすんなよ。とりあえず話の続きだ」

「あ、うん」

 

 

 一応、近所の交番の署長さんだから、よっぽどのことが無けりゃ大丈夫だと思うが……あの人もそこそこ抜けてる部分あるからな。ちょっと心配だ。

 まあ、ともあれ、もうちょっと話を進めよう。こっちは後から行くからいい。

 

 

「で、戦力だ。仲間を集めなきゃどうしようもねえ」

「そうだね……どうする?」

「ネットは使えて地元サーバーくらい……よりにもよって検索エンジンが全滅してるのが痛いな。クソッ……掲示板で募ったりは無理だ」

「ネットの力を過信しすぎない方がいいロ。そういう場だと、つい大きなことを言っちゃう人もいるロ」

 

 

 ポケモンなのに人間の機微をよく分かってるじゃないかロトム。

 いやポケモンだからこそか。どっちにしてもそうだな、としか返しようがねえ。

 

 

「ああもう面倒くせえ! とりあえず出たとこ勝負だ、こんなもん! 小難しい戦略なんてどうせオレのアタマじゃ考えられねえんだ!」

「ニシノモリ教授のこととか細かいこと覚えてるのに」

「そっちは記憶力の問題だろー……頭回すの向いてねえんだよ、オレ」

 

 

 失った分記憶力だけ良くなったのかなはっはっは、なんて言うと、ロトムもヨウタもドン引きしていた。

 分かってんだよ。それでもポジティブに考えねえとやってけねえんだよ。

 オレは気を取り直すため、手に拳を打ち付けた。

 

 

「パッと思いつくのは、とにかく片っ端から街に行ってレインボーロケット団の連中をブッ倒すことだ。そんで、街を解放して、自分たちの力で街を守れるようになってもらう。その時に誰かしらついてきてくれるならそれがベスト。そうじゃなけりゃ……まあ仕方ない」

「あまり大勢いても目立って動きにくいかもしれないしね。僕はそれでいいと思う」

「分かった。じゃ、この方向で行くとして……と」

 

 

 何はどうあれその前に、さっき言ってたことだな。

 

 

「まずは、交番の方行くか」

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 近所の町工場のおっちゃんにモンスターボールを一つ預けた後、オレたちは交番の方にやってきていた。

 ばーちゃんちの近所の交番は、本当に小さなものだ。どれだけ大きくとも、せいぜい平屋建ての一軒家くらいのもの。交番ってそんなものだと言えばその通りだが、こう……ロケット団の団員たちがぎっちぎちに詰め込まれてるのを見ると、もうちょっと大きくてもいいんじゃないかという思いも、湧いてこなくもない。

 

 

「……ほ、他に収容するところ無いのかな……」

「さっきもさっきだぜ。そういうトコ探すのは後だろ。県警本部の方には連絡取れねーって言うし……」

 

 

 流石に小学校の体育館に……とか、そういうわけにもいくまい。そういう場所はたいてい避難所になっている。この未曽有の事態で、老人や子供が避難していないとも限らない。

 まずは一旦ここに勾留。あとはその内、ってつもりなんだろう。色々しがらみもあるだろうし、今はとやかく言うべきじゃない。

 

 軽く耳を澄ましてみれば、交番の裏手の方から小さく声が聞こえてきた。あっちだな。

 

 

「署長さんってどういう人?」

「気のいいおっさんって感じの人。喋り方は関西弁……ヨウタたちで言うとコガネ弁って言った方が分かりやすいか? んで、まあ、時々厳しいけど、基本優しい人だよ」

 

 

 本当なら、その辺の交番の署長さん――って言っても、そんなによく会うような人じゃないだろうけど、どうもあの署長は近所付き合いを大事にする人らしく、道端でばったり出会うような機会も多い。

 あと、関西人らしくノリがいい。元々の出身は兵庫の方だとか。そんなことをヨウタと話しながら裏手の方に向かうと、制服に身を包んだ壮年の男性と、リードを持っているはずの署員の人を引きずって前に突き進んでいっているポチエナの姿があった。何やってんだあの人ら。

 

 

「署長ー」

「ええい、おすわり!」

「ガウッ!」

「座れや! ああ、くそっ……お、嬢ちゃん。来たんか」

 

 

 見れば、どうやら押収したモンスターボールから出したポチエナとコミュニケーションを取っている様子。

 噛まれたせいだろうか。左手は痛々しい生傷だらけ。いつもニコニコして通行人を見守っている署長にしては珍しく、顔も苦しいやら痛いやらでやけに歪んでいた。

 

 

「来たよ。どうなんだ、そいつ」

「ダメやなアレは。人のこと警戒しきっとる。虐待受けた犬によーあるヤツやな」

「他のポケモンも?」

「似たようなもんや。そうじゃないのは俺らには見向きもせんわ」

 

 

 ポチエナの目は強い警戒心を滲ませていて、全身の毛も逆立っている。

 下手に刺激すると、今にもとびかかってきそうだ。……というより、実際刺激した結果が署長さんの手だろう。それでリードを持ってきてみたのだけど、ポチエナの筋力が予想以上に強すぎて、署員の人じゃ止めきれなかった……と。

 

 

「やっぱりか」

「……そっか。ロケット団って」

「邪魔なガラガラを殺したりするようなヤツらだ。言うことを聞かないポケモンに暴力振るうなんて、やらないわけがないだろうな」

 

 

 アニメのいつもの二人組+一匹+αを見てると感覚がマヒしてしまうが、そもそもロケット団ってのはそういう組織だ。

 ポケモンを道具扱いするのは当たり前。邪魔なら殺すし、高い金になるからって売りさばくこともある。乱獲も、まあしかねないだろう。

 

 

「本当に心を開いてくれるまでには、だいぶ時間がかかる」

 

 

 これがアクア団やマグマ団といった、あくまで「環境のため」なんて大義名分があるならいい。ポケモンにもちゃんと愛を注いでいるはずだ。プラズマ団も、「ポケモンの解放」なんてお題目を掲げている以上大事にはするだろう……と思いたい。オラッ、ゆめのけむりだせ! の事件があるから信用はできないが。

 フレア団やギンガ団は分からないが……絆を結んでないと不可能だっていうメガシンカができてるあたり、フラダリ個人はまあ、ポケモンに対する愛情はあると考えられる。アカギもクロバット持ってたはずだからこれもいいか。

 ただ、レインボーロケット団は、その名の如く中核メンバーはあくまでロケット団員。その気質もどちらかと言えばそれに近いだろう。

 

 

「ランスのゴルバットを見た時から思ってたんだ。何でコイツクロバットに進化してないんだ――とか、何でオレに振り回されてんのに、すぐ諦めるんだ――とか」

「あくまで道具扱いだから?」

「……多分な」

 

 

 なつき度が最大であってはじめて進化を遂げることができるポケモン、ゴルバット。

 仮にランスが本当にゴルバットと心を通わせることができてたなら、ゴルバットもクロバットになってたはずだ。

 そのゴルバットだが、オレに捕捉された時、あんまりにも抵抗しないなコイツ、って思ってたんだよ。ビックリして何もできなかったってのもあるかもしれないけど、それならそれで何かアクションを起こすはず。そうじゃなかったってことは、「どうなってもいいか」という諦めが心のどこかにあったからに違いない。

 

 再三になるが、ポケモンは人間よりも遥かに強い生き物だ。本気になれば、あの場面で引っ張り合いに持ち込むこともできたはずだ。

 ゴルバットの体重は55kg。ウェイトも明らかにあちらの方が勝っている。糸を伝って電気を流せば、結局動きを止められる――とはいえ、それならそれで抵抗の姿勢を見せてなければおかしかったんだ。

 

 

「ごめん、ありがとう署長。こいつら、できれば逃がしてやってくれないかな。ここですぐじゃなくてもいいから」

「ええんか? というかどうやってやるんか?」

「あ、はい。逃がす方法ですけど、ボールのこの……内部にリセットボタンがあるんですけど、まずポケモンを外に出してもらって……」

 

 

 ヨウタに説明を受けながら、署長はボールの機能を用いてポケモンを「逃がす」手順を学んでいく。

 今回の戦い、残念ながら彼らが心を開いてくれるまで待つということはできはしない。時間も人手も足りないからだ。

 心のケアには、長い時間がかかる。真摯に、真面目に接することでなんとか彼らに心を開いてもらうことができるならそれが一番いいが、そのために必要な時間はどれほどのものになることか。その間にレインボーロケット団が攻めてこないという保証があるだろうか?

 

 オマケに、オレを含めこの世界の人間には、ポケモンと接する時のノウハウが無い。悪人に利用されてきた彼らとどう接すればいいか分からないというのもそうだ。加えて言えば、怯えて怯えて追い詰めて――その結果、人間に襲い掛かってくる、というようなことがあった場合、それを食い止める術が何も無い。

 

 戦うための訓練と、心を通わすための交流。この二つを上手く両立させるためには、今は他に手が無い。

 もしも、こんな戦争みたいな状況じゃなければ、もっと彼らのためにしてやれることを探していただろう。

 

 ……こうして逃がしたのは、万が一ロケット団員たちが逃げ出してきた時、再び彼らに利用されないようにするための措置でもある。

 せめて人に二度と会うことなく、自然の中で心と体を癒してほしい……と、今は願うしかできない。

 

 偽善的だろうか。偽善的だな。

 それでも、しょうがない。いつか「しょうがない」って言わずに済むために、今は歯を食いしばって立つしかない。

 

 

「一応、無反応ってわけでもなく、人間を敵視してるわけでもないようなポケモンもいました。こっちの子たちは……って言っても何匹も残ってないですけど……皆さんで、どうか面倒を見てあげてください」

「うん。すまんなぁ坊主(ぼん)。助かったわ」

「いえ。今の僕にできること、このくらいしか無いですから……」

 

 

 逃げるのを選んだことで、ヨウタは心の奥の罪悪感が刺激され続けているんだろう。署長の顔を見ることができず、ヨウタは顔を俯けていた。

 

 

「署長」

「ん、何や嬢ちゃん」

「嬢ちゃん言うな」

「嬢ちゃんやがな」

「見た目だけな……オレたち、これからちょっとここ出て他所行ってくる」

「おう?」

 

 

 オレはというと、正直に署長にそんなことを口にしていた。

 

 

「オレたちがいつまでもここにいると、あいつらが街に攻めてくるからさ。できるだけ派手に逃げて、引き付けてくる。けど、それでももしかしたらあいつら、こっちに来るかもしれない。その時のために街を守ること、任せていいかな?」

 

 

 あまりに愚直な言葉に、ヨウタが息をのんだ。

 署長の目が一瞬細められる。見透かすような目だ。しかし、一瞬の跡にはもういつも通りの笑顔に戻っていて……。

 

 

「構へん構へん。行ってき。そういうのは大人の役目やからな」

 

 

 朗らかに、そう返してくれた。

 分かっては……いると思う。実質見捨ててるようなもんだって。それでも署長は、笑顔を絶やさないまま、大人の役目、だと言って承服した。

 ごめん、と内心で謝罪が漏れた。今のままじゃ、街がどんなにピンチでも、オレたちは戻ってはこられない。

 

 任せるには、あまりに心許ない。

 それでも、やってもらうしかない。

 

 ……反撃開始は遠いな。

 

 

 





 ※ 2019/5/1 内容微修正


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沈む夕日をにらみつける

 

 

 

 さて、これで一応、ヨウタにしておくべき話はだいたい終わったことになるか。

 何重かの意味で詰んでることを補強してしまっただけとも言えなくはないが、まだだ。まだ本当の意味で詰んでるわけじゃない。

 

 ともあれ、まず家に戻ってきたオレたち。その足は納屋の方に向かっていた。

 

 

「そういえばアキラ、さっき気になること言ってたよね。派手に逃げるとかなんとか……」

「ああ。とにかく目立つように派手に逃げて、あいつらの目をこっちに向けるんだ。ヨウタがターゲットになってるのは確定的だし、ランスたちが逃げ出したことで、多分、オレのことも知られたはずだからな」

 

 

 レインボーロケット団にとって、オレとヨウタは数少ない「敵」足りうる存在だ。あいつらの立場からすれば、なんとかしてどっちも始末したいと思ってるはず。そこを突く。

 派手に、それこそ街のほうに目を向ける余裕を無くさせるくらいの行動を起こす。

 例えばそれは、あたりそこら中にいるレインボーロケット団の連中を倒すって行動でもいい。あるいは……そう。

 

 

「そこでこいつの出番ってわけだ」

 

 

 納屋から引きずり出したのは……巨大な電動式バイクだ。

 電動だ。オマケに、大型。一般的な電動バイクはスクーター程度がせいぜいだろうが、コレはその枠を完全にぶっちぎっている。

 

 

「な、なんだかすごいね……」

「だろ? だろ?」

「やけに自慢げだロト。アキラが作ったノ?」

「いや、オレは作ってもらっただけなんだが……」

 

 

 積載量も明らかなほどに規格外。……当然、必要な電力量もけた違い。

 こいつのコンセプトは何か? 決まっている。

 

 オレ自身が、動力源になることだ。

 

 

「速い、派手、オマケに頑丈。こんなことがあろうかと……思ってたわけじゃないが、いつか何かの機会に必要になるかもって用意してもらってたんだ」

「趣味?」

「……趣味もある」

 

 

 いいじゃん、バイク。かっこいいじゃん、バイク。

 そりゃあ、車に比べたら利便性の面で劣るかもしれないけど、小回りは利くし、こういう状況下でなら便利な方だとも思える。

 

 

「……ねえ。派手って、つまりこれ」

「電気がバチバチッと」

「僕感電しないよね!?」

「お、おう。大丈夫だ。構造上、感電を防ぐために放電してるような感じだ……ったよな多分」

「多分!?」

「大丈夫だって! 無差別にビリビリやるほどオレも下手っぴじゃねーから!」

「ほんとぉ?」

「トラストミー」

「その胡乱な目つきで何を信じロト言うのか分かんないロ」

 

 

 ですよね。

 まあこんなもんただの定型句だ。オレだって本気でトラストミーなんて言うか。

 

 

「とにかく、こいつを使って市内の方に出る」

「市内? ここも市内じゃ?」

「いや、まあそうなんだけど……違うんだよ。こう……合併する前は町だったから……って知らない人に言ってもな……」

 

 

 こういう微妙な言葉のニュアンスは難しいな、しかし。

 住んでるオレだって別に何か特別な意図があって言ってるわけでもないんだが。

 

 

「市街地の方って意味な。もうとっくに根城になってんのか、これからするのかは分からねえけど、あっち方面にいるのは間違いない。ここらで一番目立つ建物は、市役所かショッピングモールのどっちか。多分そのどっちかにいるはずだ」

「そうか、そこに乱入して叩けば……」

「オレたちがここから出てったってことをアピールできるし、あいつらも市内から追い出せる」

 

 

 希望的観測だけどな。

 オレの言ってることってのは、だいたい「勝つ」ことが前提だ。戦力を増強して待ち受けてるって可能性もある。

 けど、旅立とうとしてる現状既に崖っぷちなんだ。勝たなきゃ終わりだ。

 

 

「でだ。あいつらも無補給でここまで来られるってことはないだろ」

「……そうか! メディカルマシンがあるかもしれない!」

「それなら、モンスターボールとか、他にも補給物資があるかもしれないロ」

「ならそいつも奪う。輸送手段くらいは用意してるだろうからそれも()る。根こそぎ全部だ」

 

 

 ポケモンに関わるアイテムなんて、オレたちの世界には存在しない。

 ピッピ人形くらいはあるだろうが、それだってただのぬいぐるみだ。ポケモンのアイテム、なんて言ったらだいたいはファングッズでしかない。

 

 きのみ、もちもの、薬類にわざマシン、その他諸々。足りない、なんてもんんじゃない。無い、だ。ヨウタが持ち歩いているものも数があるわけじゃないからすぐに底をつくだろう。だったらよそから持ってくる以外に手が無い。

 

 

「……持てる?」

「……も、持つしかねーだろ」

 

 

 ……それこそ、風呂敷でも段ボールでも、マンガとか、たまにある過積載のバイクみたいに……こう……ハチャメチャに背負ってでも行かなきゃダメだろ。

 バイク免許はあっても自動車免許の方は持ってねえし……中・大型なんてもっと無理。何かウマい手があるならそれも探さなきゃな。

 

 

「準備はできたのかい?」

「あ、ばーちゃん」

 

 

 がらがらとバイクを引いて倉庫から出していると、ばーちゃんが何やら大きなコンビニ袋を持ってやってきた。

 

 

「どしたん?」

「そろそろ出ていくだろうと思ってねぇ、おむすび作ってきたんだよ。後でヨウタ君と食べなさいね」

「ん、あんがと」

「あ、ありがとうございます」

「いいんだよ。何だか大変なことをしようとしてるみたいだしねぇ」

「大変な……そうなんですけど……アキラ、なんて説明したの?」

「悪人が来たから全員ブッ飛ばしてくる」

「シンプルすぎるよ!?」

「だからってポケモンのことよく知らないばーちゃんに何て説明すりゃいいんだよ……」

「……分かった、それもそうだね」

 

 

 こういう時は当人に分かる言葉だけで伝えればいいんだ。小難しい言葉をこねくり回したって、本質は伝わらねえっての。

 ……オレが説明苦手ってのもあるが。

 一応、ヨウタの方はそれで納得してはくれた様子だ。納得だけは。

 

 そうして、ヨウタは一つため息をついて、腰にマウントしたボールのうちの一つを取り出し――ばーちゃんに差し出した。

 

 

「あの、おばあさん。一つ、お願いがあります」

「何だい?」

「このボールの中に、僕の友達が入ってるんですけど……この子を、しばらく預かっていてほしいんです」

「……はあ!?」

「おやまあ、大丈夫なのかい?」

 

 

 突然の申し出に、オレも困惑しきりだ。あれは……クマ子のボールか?

 というか何だそれ!? ちょっと待て!

 

 

「おいヨウタ、そういうことオレ一言も聞いてねえぞ!?」

「あ……うん、今思いついたんだ」

「だったら行動するより先に相談しろよ……」

「ご、ごめん……」

 

 

 こいつ……もしかしてオレが思ってたより遥かに軽率なんじゃないか……?

 いや、ちゃらんぽらんっていうより、行動がとにかく早いっていうか……無鉄砲で向こう見ずっていうか……。

 

 ……いや待てよ? そうか、ヨウタって、こういう言い方もなんだけどいわゆる「主人公」じゃないか。

 ポケモントレーナーとして一流なのは言うまでも無いが、それ以上に子供でもある。多少軽はずみな行動してても仕方ないかもしれない。

 

 

「ふふふ、ヨウタくんは、もうちょっとアキラと相談しないとねぇ」

「すみません……」

「で、どういう話だよ」

「あ、うん。レインボーロケット団の人たちだけどさ、いつここに襲いに来てもおかしくない、って話はしたよね」

「おう」

 

 

 だから逃げるんだ。でなきゃ、にっちもさっちもいかないような状況に追い込まれかねない。

 

 

「街の人たちを守る方法、あれだけじゃ足りないと思ったんだ」

「そりゃそうだろ……あ、まさかお前」

「クマ子に、守りの要になってもらう」

 

 

 ……そう来たかぁ。

 現状の懸念と言えば、やっぱりこの街を守る戦力がほぼ無いに等しいことだ。

 時間も無ければ物資も無い。育成のノウハウも勿論無い。人間より遥かに力の強い存在――ポケモンと接したことのある人間もいない。

 

 それを考えると、よく鍛えられていて、その上人によく慣れてるポケモンが一匹いるだけでも随分違う。

 その一方で、クマ子はヨウタのパーティの主要メンバーでもある。それを手放すとなれば、戦力低下はどうしても避けられない。

 

 

「……クマ子がいねえからって、泣き言言うなよ」

「分かってる。僕たちが決めたことだ」

 

 

 強い決意を秘めた目でそう告げると、ヨウタはボールからクマ子を出してやった。

 

 

「ぐー」

「おやおや、かわいい子だねぇ」

「えっ」

「あっ……」

 

 

 ピンク色の、ずんぐりむっくりした……なんというか、ぬいぐるみか、あるいは着ぐるみのようにも見える、非常に愛嬌のあるクマ。それがキテルグマだ。

 知らない人が見ればこの感想も当然のものではあるが、「知ってる」側から見ると「かわいい」という印象は少し薄れる。

 何故ならキテルグマは、はっきりと「背骨を砕かれて世を去るトレーナーが多い」などと図鑑に記述されている恐ろしいポケモンだからだ。

 

 アローラに移り住んだ人間だとはいえ、ロトム図鑑が近くにいてその危険性を理解してないヨウタではないだろう。

 そしてオレも、色んな媒体でその危険性はしょっちゅう目にしている。この反応になってもしょうがないと言えるだろう。

 

 

「ぐーま」

「おやおや、だっこかい? はい、よしよし」

「アキラ。一応先に言っとくけど、クマ子はよく訓練してるから力の加減は完璧だからね」

「それを聞いて安心したよ」

 

 

 ばーちゃんにハグをするクマ子を警戒し、いざって時には飛び出せるようにしてたが、本当にクマ子のハグはごくごく優しいものだった。ほっとひとつ息をつく。ヨウタも安心して……いやちょっと待て、お前が安心してどうするんだ。そこはもっとトレーナーとして堂々としててくれよ。

 

 

「この子の名前はクマ子。すごく強い子なので……悪い人たちが来たら、この子に追い返してもらってください」

「ケガしてて本調子じゃないけどな」

「おや、そうなのかい。道理で、ちょっと動きがおかしいと思ったよ」

「きー……」

 

 

 恥ずかしそうに頭を掻くクマ子。アニメのあのキテルグマを知ってる身としては、なんというか……こう……違和感はあるが、愛嬌があって感情的で可愛らしくもある。

 

 ……さて、面通しも済んだし、これでいいだろう。

 

 

「じゃ、これであとは大丈夫だな。あんまり悠長にしてるとマズい。行くぞヨウタ」

「うん。それじゃあ、すみません。行ってきます、おばあさん」

「ええ、ええ。怪我をしないで帰ってくるんだよ」

「おう。ばーちゃんも気をつけてな」

 

 

 言いつつ、軽く通電してバイクのエンジンを始動すると、辺りにごく小さな、高い音が響いた。

 

 

「ヨウタ、これ」

「了解」

 

 

 ヘルメットを被り、シートにまたがってハンドルに手をかける。二人乗り用の背後のシートを示すと、ヨウタは恐る恐ると言った様子でゆっくりまたがった。

 

 

「こういうの初めてか?」

「ライドポケモンはしょっちゅう乗ってるけどね……バイクは、ちょっと」

 

 

 なるほど、道理で安定性に欠けてるのか。

 重心の取り方も、どっちかって言うとやっぱり一人乗りの時のそれに似ている。このまま発車すると振り落としてしまうかもしれないな。

 

 

「まず腰に手回せ。んでしっかり掴まってろ」

「え!?」

「何だよ」

「こ、腰って」

「おいバカ変なこと気にすんな」

「う、うん……」

 

 

 くそっ……だから嫌なんだこの体!

 ヨウタもヨウタで、何でこう無駄にどぎまぎするかな……中身は男だぞ?

 

 

「し、失礼しまーす……」

「ひゃあっ!!?」

「うわああああああああっ!!?」

 

 

 ひっ、なんか今脇腹触られてすごいヒュッってなった!

 何だ今の!? 気持ち悪い!

 

 

「ご、ごごご、ごめんなさい! やっぱり僕ワン太に乗って」

「それはダメだろ! う、うぐぐ……」

 

 

 自分で自分の脇腹に触れてみるが、何ともない。

 これは……そうか、アレだな。ゆっくり恐る恐る……ってな感じで触れてきたから、それでちょっと変な風に体が反応したんだ。他人からの予想外の刺激だからってことで、よくあるやつ。

 

 

「変に優しく柔らかく触れようとするんじゃなくって、思いっきりギュッと、落ちないようにしっかり手え回せ!」

「わ、分かった!」

 

 

 と言うと、気合を入れたように息をつき、ヨウタはぐっとオレの腰辺りに手を回した。

 よし、さっきより予想外の刺激が来ないだけマシだ! これなら問題無い!

 

 

「ヨウタ、顔真っ赤ロト」

「うるさい!」

「煽んなよロトム。オレまでなんか恥ずくなるだろ!」

「ご、ごめんロ……?」

 

 

 どうやら当人には煽ったつもりは無いらしい。けどな、なんかこう……変に意識されると、気にしてしまう。

 その辺に関してはヨウタはもうちょっと割り切ってほしい。そりゃあ、見た目は完全に女だけど。

 

 

「そ、それじゃあばーちゃん、行ってきます!」

「行ってらっしゃい、気をつけてねえ」

 

 

 一言伝えると、アクセルをひねりバイクをゆっくりと前進させ始める。

 まだ速度は大したことが無い。家の敷地を出て、公道へ。周囲に車の影は……特に無い。当たり前だ。これだけの騒動で、外に出るって方がどうかしてる。

 

 エンジンに電気を送り、その回転数を更に増していく。30キロ。40キロ……50キロに乗った段階で、ホイール部分から余剰電力が徐々に放出され始めた。

 60キロ。ここでバイクに刻まれた青いラインから淡く光が放たれる。電気の供給が完全であるという指標だ。

 70キロに乗った段階で、バイクの速度を落ち着ける。ここまで来ると、周囲に目を向ける余裕も出てくる。

 

 

「うわぁ……」

「…………」

 

 

 差し込んでくる西日に、思わずといった様子でヨウタが声を上げた。

 

 この街の特色はと言えば、やはり綺麗な夕日が見られることだろうと思う。

 立地の問題で、東にすぐ山があって朝日があまり差し込まないっていう問題もあるが――だとしても、沈む夕日は何にもかえがたいほどに美しい。

 まして、今はディアルガとパルキアの作り出した次元断層のせいで、オーロラがかかってるような状態だ。普段の光景としてよく見るオレでも、この光景は息をのみそうになるくらいなんだ。ヨウタが声を上げるのも頷ける。

 

 オーロラに遮られているより手前の海から、マンタインが飛び出すのが見える。海の中に見える魚群はヨワシだろうか? 追い立てていたはずのキバニアが、「ぎょぐん」でパワーアップしたヨワシに逆に追い掛け回されているようだ。

 空ではキャモメが飛んでいて、海岸にはヒドイデやナマコブシが打ち上げられている。その光景もまた現実離れしていて、あまりに幻想的だ。

 

 ――けど。

 

 

「オーロラが無かったら、もっと綺麗だった」

 

 

 オレは、それだけははっきりと言っておきたい。

 これは、外と内とを隔てる壁だ。ヤツらの侵略の象徴だ。

 こんなものがある状態で景色を楽しめるはずがない。

 

 

「え、でも……」

「……綺麗だったんだ」

「……うん」

 

 

 だから、この光景を肯定したくない――それを言外に告げると、ヨウタは黙ってしまった。

 意地が悪かっただろうか。けれど、これだけは言わなきゃいけない。示さなきゃいけない。

 オレは、あの日常の光景を取り戻すんだ。

 

 しばらく、道なりに夕日を眺めながら進んでいくと、山道に入った。ここから進むと市役所の方面だ――が、なんだかヨウタが息をのむ音が聞こえた気がする。

 

 

「どうした?」

「いや、ちょっと……何でさっきまで海沿いだったのに急に山道に入ったんだろうって……」

「それが四国だからな」

「説明になってないよ!」

「いや真面目に四国の道路ってだいたいこんな感じだから……」

 

 

 四国を横断するかたちで屹立する四国山地のおかげで、四国は全体的に見ても人間の住める平野が少ない。内陸部は特にそうだ。

 基本的に住民は松山・讃岐・徳島……などの山地の隙間を縫うようにして存在している平野に居住地を設けている。他の主要な居住地はと言うと、オレたちの住む街のような沿岸部だろうか。山中に住んでる人も中にはいるけど。

 

 ともかく、そういう立地なので、四国では少し移動するとすぐに山にぶち当たる。例えば今までオレたちが通っていた道だが、右に海、左に山と崖、なんてのはごくごくありふれた光景である。街中を進んでいたはずなのに、五分もすると急に山の中に入ったなんて例も少なくない。

 

 別の市に移動するために一時間以上かかるのはザラ。国道を走ってたのに、対面二車線だったのが急に一車線になって対向車とぶつかりそうになるなんてのは日常茶飯事。そもそも山道をそのまま道路にしているようなものなので、傾斜もあるわ道自体も曲がりくねってるわと、危険極まりない。事故が起きて大怪我で済めばいい方。ちょっと道をはみ出すとがけ下に真っ逆さまなので、まず命の心配をする必要がある。雨が降った日なんかは最悪と言っていい。

 

 四国で長距離の移動をする場合、多少金がかかっても、高速道路を使うべきだとオレは思う。死ぬよりははるかにマシだ。

 

 

「そう言うけどよ、アローラの方はどうなんだよ」

「……メレメレ島は普通だよ」

「ウラウラ島……」

「ウラウラ島の話はやめよう」

 

 

 ウラウラ島。ラナキラマウンテンとホクラニ岳、ハイナ砂漠という三つの特異なスポットが全て一つの島に収まっている場所である。

 当然だが、インフラがちゃんと整ってるとはあまり思えない。ホクラニ岳は天文台がある関係上、バスが通っていたりしてある程度は整ってるようだが……果たして、それ以外がどうかと言うと、どうだろう。市街地は間違いなく整ってるとは思うのだけど。

 この反応を見るに、まあ、そういうことだろうとは思うが……ポケモン世界だしな。ライドポケモンの技術も発達してるし、こっちと同じようには言えないはずだ。むしろ、多少自然が残ってる方が過ごしやすい部分もありそうにも思える。

 

 十分ほどバイクを走らせていると、そこでようやく山道が途切れた。とはいえ市役所に行くには、まだもうちょっと先に行く必要がある。

 

 

「あとどのくらいかかりそう?」

「もう十分くらいじゃないか。どうする?」

「市街地に入ったところで一旦降りて歩いて向かおう。そこからは目立っちゃマズいと思う」

「オッケー」

 

 

 移動中に多少目立ってヤツらの目を引き付けることは、むしろオレたちも望むところだ。しかし、いざ目的地に到着してからはそういうわけにもいかない。今の状態じゃ真正面から戦っても勝てないことは明白だしな。

 

 

「で、どうやって勝つ? とりあえずまたランス殴るか?」

「とりあえず殴る方向で考えるのはどうかと思うなぁ!?」

「でも一番手っ取り早いだろ」

 

 

 頭を潰すなんてのは戦術の基本だ。統制を取る人間が一人いなくなるだけで、途端に戦線は崩壊する。あとは有象無象を叩けば終わりだ。

 こっそり近づいて、頭だけ潰す。少数の個人にできることなんてこれが精々だろ。

 

 

「僕らには逆転の手が一つ残されてる」

「って言うと?」

「メディカルマシン」

「……まずはみんなを回復させる?」

「そう。今の僕らでも、人質を取られさえしなければ半数は倒せた。完全回復させることができれば、メガシンカもZ技も完全に使えるはず。それなら、幹部クラスが相手でも正面から戦える」

「言い切ったな。じゃあ、オレは露払いでもすりゃいいのか?」

「とりあえずは、そう。できる?」

「できるできないじゃねえだろ。やらなきゃ終わりだ」

 

 

 今のオレは囲まれると袋叩きに遭う可能性が高いが、それでも、ポケモンさえいなければ二、三人まとめて闇討ちするくらいは楽勝だ。

 油断して……はなくても、本物の達人やポケモン相手じゃなければ何とでもなるだろう。

 

 やがて、街の端にあたる住宅地が近づいてくる――と、そこで不意に黒い影を見た。ロケット団員の服だ。数にして二、三人。それほど多くはない。

 オレは口の端を持ち上げた。

 

 

「なあ、ヨウタ」

「何?」

「この先に二人か三人、ロケット団員がいるみたいだ。どうする?」

 

 

 答えはだいたい決まってる。確認のための問いかけに、ヨウタは軽く苦笑して応えた。

 

 

「……正面突破! 僕たちがここにいるってことを、あの人たちに示そう!」

 

 

 



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かみつく牙を抜かれたもの



 一部三人称です。




 

 

 

 

 今回の事件において、ポケットモンスターというゲームをよく知るものほど、レインボーロケット団の脅威を正確に理解していると言ってもいい。

 それはポケモンという存在の生物的な強さを正しく認識しているということであり、あるいはレインボーロケット団という大組織の恐ろしさをよく理解しているということだ。

 レインボーロケット団への恭順を示した青年、朝木(あさぎ)レイジもその内の一人だった。

 

 

(無理だろ)

 

 

 この世界に主人公(ヒーロー)はいない。そんなのは子供でも分かっている絶対の真理だ。

 破天荒で、お人好しで、優しく、それでいて強い。そんなものがいるわけがない。破天荒な人間はただ常識が無いだけだし、お人好しは悪人に食い物にされるだけ。優しい人間は重圧に押しつぶされるし、強い人間は結局のところそれ以外の何かが不完全なままだからこそ強さを誇示している。そして「いずれも」兼ね備えた人間など、創作の存在だけだ。

 

 だからこそ、彼は最速で状況を正しく――少なくとも彼の中では――読んで、レインボーロケット団の宣言に応じて彼らに従うことを選んだのだ。

 死なないためにはそれ以外の道が見えなかった。少なくとも、一般人にとってはそれが普通だ。

 ただの演説なら「何言ってるんだあの狂人は」で良かった。同時に放映された映像で、自衛隊駐屯地を破壊している伝説のポケモンたちを映し出してさえいなければ。

 

 朝木は平均的な日本人として、少なからずポケモンに触れたことのある青年だ。就職して以降はあまり遊ばなくなってしまったが、伝説のポケモンと聞けば「ああ、あれか」とすぐに思い出せる程度の知識はある。

 そして、だからこそレインボーロケット団の脅威というのはよく理解できる。ゲームでも、アニメでも、漫画でも、人の世を滅ぼしかねないほどの存在として描かれている伝説のポケモンたちが――映っているだけでも六匹、彼らの掌中に収まっているのだ。

 

 

「おい新入り、なにボケッとしてやがる!」

「す、すんません」

 

 

 ぼんやりと外を眺めていた朝木の足に、軽い蹴りが入れられる。

 彼は今、監視の任を受け持っていた。レインボーロケット団が占拠した市役所、その会議室に詰め込まれた反抗的な市民たちが脱走しないかを見回る役目だ。

 

 時折、朝木が外にいることを知っている市民の口から、「裏切り者」や「恥知らず」といった言葉が投げ掛けられていることを、彼は知っていた。

 建物を占拠して数時間。その間ずっとだ。捕縛した時は、直接顔を合わせる機会もあったため、その罵声もより苛烈だった。

 

 

「裏切り者!」

 

 

 ――ほら、まただ。

 朝木は耳を塞ぎたくなった。けれどそうすれば、横に立っているロケット団員の男に叱られるだろうということは目に見えているので、それはできない。せめてもの意思表示に、彼は渋面を作った。

 

 

「気にするなよ。あいつらは所詮情勢も見られない馬鹿ばかりだ」

「そ、そうっすね」

 

 

 男の言葉に、朝木は素直に気を良くするということはできなかった。

 はっきり言ってしまえば、よくあるカルトの手法だ。罵声なりを浴びせたり、冷ややかな視線を浴びせることでもといた集団から孤立させる。そうして精神的に不安定になったところへ、甘い言葉をかけて篭絡する。これで今の集団に対して帰属意識を植え付けることができるというわけだ。

 これを馬鹿正直に受け止めていたら、いずれ自分は彼らの尖兵に成り果てる。捨て駒同然に使われてしまう。

 危機意識だけは一人前以上に持ち合わせている彼にとって、それは避けるべき事柄だった。

 

 

「ああ、おい、馬鹿と言えばよ」

「あ、はい?」

「聞いてるよな。俺たちに逆らおうっていう馬鹿がいるらしいぜ」

「はあ……そうっすか」

「気のねえ返事だな」

「す、すんません!」

 

 

 ――――知らねえよ、馬鹿!

 そう内心で毒づきつつも、彼は男の言葉に耳を傾けざるを得なかった。

 出世はできずとも組織の中でなんとか生き残るコツは、上司の機嫌を損ねないことだ。そして、話を真面目に受け取りすぎないことでもある。言っていることが日によって二転三転することなどありふれているからだ。

 

 

「子供が二人、一人はうちのブラックリストに載ってるんだがよ、もう一人の変なガキ……電気を出したりするらしいんだが、お前知ってるか?」

「さあ……そんな人間は知らないっすよ」

 

 

 これは正直な感想だった。

 電気ウナギの化身か何かか。少なくとも人間じゃない。こわい。

 

 

「何なんすかそいつ」

「さぁ……十人が一瞬でやられたとか、ランス様の顔面を陥没させただとか、色々言われてるが……あのガキの新しいポケモンとかじゃないのか?」

「ゴーリキーとかっすか」

「カイリキーかもしれねえ。でもサカキ様は白髪の少女は優先的に捕らえろって言ってるんだよなぁ。ポケモンじゃなきゃ何かの実験体なのか?」

「はあ……」

 

 

 サカキってロリコンなんすか? 朝木は一瞬そう言葉に出しそうになった口をしっかりと噤んだ。

 組織で適当に生き残るコツは、上の言うことに変に口を出さないことだ。出世に響く。

 適度に出世をしたら、あとは下の人間にあれこれ言いつつ適当に指示を出し、ふんぞり返っているだけでいいのだ。

 

 当然、そこには責任の所在と管理職の責任という言葉がついて回るが、朝木はそのことについてはあまり理解を深めていなかった。

 

 と、そうしているうちに、男へと通信が入る。ホロキャスターに映し出されているのは、市役所内で通信手の役目を受け持った団員だ。

 

 

「どうした?」

『アサリナ・ヨウタと白い少女が接近。検問は突破された模様です』

「来たか……おい新入り! お前はここ動くんじゃねえぞ。いいな!」

「え? あ、うっす!」

 

 

 威勢の良い朝木の返事に気を良くしたのか、男はそのままのっしのっしと大股で市役所の入口へと駆けて行った。

 

 ――言われなくても動くかよ!

 

 もっとも、朝木の内心としては、それに尽きるのだが。

 そんなことを考えているうちに、彼の腰元のボールがひとりでに動き、地面に落ちた。

 

 

「あっ」

「ズバッ!」

 

 

 出てきたのは、彼に支給されたポケモンの一匹、ズバットである。

 超音波の反響で正確に朝木へと近づくと、ズバットはそのまま――彼の頭にかみついた。

 

 

「あだ、あだだだだだっ! 痛い! 痛い! やめてくれっ!」

「バガガガガッ! ガガッ!」

「ごめんなさいごめんなさい! 痛ぇぇえ! くそっ、このっ……」

 

 

 こうもりポケモン、ズバット。

 本質的には臆病であり、群れで行動して生活しているポケモンだ。しかし、朝木に対しての態度は野生におけるそれとあまりに異なる。

 攻撃的、反抗的――というよりも、有体に言えば朝木のことを軽視している。

 ポケモンとして、トレーナーと認めていない。あるいは、そもそもトレーナーとしてすら認識していないと言えよう。噛み付く力は弱くとも、ズバットが朝木を侮って見ていることは明白だ。

 

 

「め、メシか!? それともブラッシング!? いやメシだな!?」

「バババッ!」

 

 

 その理由は、朝木のあまりに弱々しい態度にある。

 多少なりとも毅然としてさえいれば、あるいは不満げにしながらもちゃんと言うことは聞いていたことだろう。もしくは、他のロケット団員のように暴力に訴えれば従順にもなっていたはずだ。

 彼にはそうはできなかった。

 

 曲りなりにもゲームを遊んだことのある人間として、ポケモンに対する愛着……というのも、多少はある。それ以上に、そうすることができるほどの度胸が、彼には無かったというのが現実だ。

 殴ろうとすると、ズバットが驚く。その様子に委縮して、自分の方が手を止めてしまう。

 大した喧嘩すらせずに事なかれ主義で生きてきたのが朝木だ。相手が怖がっていると知れば躊躇する程度の善性は、彼にもあった。

 

 その一方、ズバットの側から見れば朝木は「暴力を振るおうとしている人間」という以上の認識はできない。

 躊躇したとはいえ、ズバットを威嚇するために拳を振り上げたことそのものは紛れも無い事実だ。だからこそ、ズバットは二度とそうはさせないよう、上下関係をはっきりさせるために朝木へ反旗を翻した。

 そうして、ほんの半日しないうちに完全な上下関係が叩き込まれた成果がこれだ。

 

 

(ご主人様に対して何てヤツだ……!)

 

 

 そうは考えるが、ズバットの側は主人とは思っていないのだから、思考は完全にすれ違っている。

 何が悪いかと言えば、それに足る資質を見せたことの無い朝木がやはり問題だが。

 

 

「ババッ、ズバッ!」

「……う、うん?」

 

 

 そうしているうちに、朝木にも何やらズバットが騒ぐ理由がようやく感じ取れた。外の騒ぎのせいだ。

 ロケット団にとっての「敵」――たった二人のポケモントレーナーの子供たちが攻めてきたのだということは、通信内容から察することができた。元々、聴覚の発達しているズバットにとっては、あまり好ましいものではなかったらしい。

 

 

(じゃあボールに戻ってろよ……ぐぶっ)

 

 

 彼の内心のボヤき――若干の反抗的な気質を読み取ったのか、ズバットは朝木の腹部にごく弱い体当たりを仕掛けた。

 そんな時のことだ。

 

 

「んれ?」

 

 

 その瞬間、朝木の首に強い衝撃が走り、視界が揺れた。身体も傾き、徐々に床が近づいてくる。

 

 

(何が――――?)

 

 

 疑問を感じる思考すらも、意識の明滅と共に奪われていく。

 そうして彼が意識を失う目前に見たのは――月の光を思わせる白い髪と肌の少女だった。

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 格闘技の技術に、神経打ち(ナーブストライク)というものがある。首筋及び脊髄に通る神経系に直接、ないしは間接的に強い衝撃を与え、意識を飛ばす技だ。

 漫画でよくある首トンと言えば分かりやすいだろうか。一般にああいった技術はフィクションの誇張であり、現実的ではないとする見方が強い。

 実際、それを行うためには、常人離れした繊細な威力のコントロールと、何より緻密な練気が必要になってくる。打撃によって外部から衝撃を与え、発勁によって内部からより強く浸透させる。この流れを作ることで、一撃のもと人間を昏倒させることができるわけだ。

 

 オレじゃなきゃ見逃してしまうほどに速い手刀と、繊細な練気。この二つがあってはじめて成り立つ神経打ち(ナーブストライク)は、なるほど、「一般的には」できないものとして見てもまず間違いない。

 しかし、優れた格闘家は極限まで体を鍛えるうちに、ごく自然の帰結として「気を練る」ことを習得している。偶然の産物であるために正しく技術として昇華しているわけではないが、それでも時折試合などの際、意図せずして本人の本来の実力を超えたパフォーマンスを発揮するものだ。

 

 ……さて。前置きは長くなってしまったが、ともかくオレは、検問所を突破した後、バイクを隠してからヨウタと別れて市役所の方に突入していた。

 主な役割は、今の市役所がどのようになっているかの偵察だ。メディカルマシンがあるか、幹部クラスがいるか、などなど……知るべきことは色々ある。隠密行動は、面倒だが苦手ではない。そんなわけで、今回はオレが潜入役を引き受けることになった。

 

 チュリの糸を活用させてもらって天井に張り付いたり、時には見つけたレインボーロケット団員を適宜闇討ちしながら進むこと数分。何やら扉を守っている男を見つけたため、これは怪しいということで神経打ち(ナーブストライク)を叩き込んで黙らせたのが三秒ほど前。

 今は、何故だか倒れた主人のことも一顧だにしないズバットと向き合っている。

 

 

「…………」

「……ズバッ」

 

 

 ズバットは――何もしてくる気配が無い。「ちょうおんぱ」も使ってこないし、「きゅうけつ」……は今は習得レベルが上がってしまったから「すいとる」か。それをしてくる様子も無い。ただ、ぼんやりとこちらに向いている。目が退化してしまっているから、注意はしていても見てはいないようだ。

 

 

「お前、大丈夫か?」

「ババッ」

 

 

 呼びかけて手を差し出すと、ズバットは警戒しながらも指の先に止まった。

 一瞬、オレの腕に噛み付こうとしたが、これは視線で黙らせる。生体電流が一瞬増幅したのを感じ取ったのか、ズバットは動きを止めた。

 

 

「よーしよし、いい子だ」

 

 

 どうやらズバットは、この男のポケモンでありながらオレの敵ではないらしい。

 普段からどういう扱いをして……いや、受けているのだろうか。さっきも何やらズバットに一方的にやられていたようだったし。

 ま、オレの気にすることじゃないな。

 

 

「さて」

 

 

 ズバットは日の光で火傷してしまうほどに肌が弱い。電灯の下に置いておくだけでも若干の問題がありそうだ。捕獲できればそれがいいんだが、あくまでまだこの男のポケモンである以上オレがそうするわけにはいかないしな。でも、万が一の時のために没収はしておくか。

 

 

「ボール、ボール……っと」

 

 

 見ると、廊下に空のボールが落ちている。ついでに、男のベルト部分を探っていると、モンスターボールがもう一つ出てきた。

 中に入ってるのは……ニューラか? こいつ、下っ端のくせにいいポケモン持ってるな……。

 

 

「戻れ!」

 

 

 ズバットをボールへ収容。あとはこっちで没収しておく。

 比較的大人しいし、人に対するトラウマも無し。これなら後でちゃんと交流すれば手を貸してくれることもありうるだろう。この分ならニューラも同じくだな。

 

 この男は転がしときゃいいか。どうせ何もできやしねえ。

 扉の方は……南京錠がかけられている。ビンゴか? いや、中からすすり泣くような声が聞こえる。これは……抵抗した人たちを捕らえていたりしているのだろうか。あるいは人質か……。

 何にせよ見過ごすわけにはいかないな。

 

 

「チャム」

「ピヨッ」

「いいか、こっちのこの……鎖の部分に向かって『ひのこ』だ。頼むぞ」

「ピィ!」

 

 

 ボールから出てきたチャムに指示して、軽く南京錠の周囲を(あぶ)ってもらう。

 一般的に、温めたものを急激に冷やすと劣化して脆くなると言う。創作では、それを利用して謎を解くというような場面がよく取りざたされることだろう。

 それ以外にも、金属には熱脆性(ねつぜいせい)という性質が存在している。特定の温度に到達すると、材質が途端に脆くなる――加工しやすくなる現象だ。

 とりあえず、狙いは鎖。次いでドアノブ。とりあえずどこかしら脆くなってくれればそれでいいが……。

 

 

「火事にならないように、慎重に慎重に……」

「ピヨッ」

 

 

 敵が戻ってこないうちにやってしまわないといけないが、焦りすぎも禁物だ。煙が出すぎると火災報知器が鳴り、場合によってはスプリンクラーが作動する。

 

 

「よし、もういいぞ。ありがとう」

「ぴゅう」

 

 

 数十秒ほど経って鎖やノブが強い熱を発するようになった頃合いを見計らい、オレは鎖を力任せに引きちぎった。

 多少熱いがこんなもんか。問題ないだろう。軽くドアをノックして、反応を確かめる。

 

 

「――誰だ!」

 

 

 鋭い、罵声とも思えるような声。なるほど、抵抗したからここに閉じ込められてるってところか。

 こういう時、中にいる人を安心させるには……と。あんまり好きなことではないが……。

 オレは軽く手で覆いを作り、内部にだけ声が聞こえるようにして呼びかける。

 

 

「伊予市民です。助けに来ました」

「な、なにっ!? お、女の子!?」

 

 

 ――よし、読み通り。

 中にいる人たちはごく普通の一般市民だ。女――それも子供からの呼びかけとなれば、強い物腰で接しようとは思わないはずだ。できるだけ柔らかい対応を心掛ける。

 その時に、多少なりとも心理的な余裕が生まれて、こちらの話を聞いてくれる余地も生まれるはずだ。

 

 ……オンナノコらしい言葉遣いと声音を心掛けなきゃいけないっていうオレの精神的ダメージを除けば、多分そこそこ効果はあるはずだ!

 

 

「そのまま、声を落として」

「う、うむ……」

「外のやつらに気付かれます。見張りは倒しましたが、今は静かに。騒がないように」

「わ、分かった。君は?」

「おるぇっ……れっ……ぉわ、ワタシぅは! えー……善意の協力者?」

「……うん?」

 

 

 ……う、うん? こういう時なんつったらいいんだ? 善意の協力者とかじゃダメなのか?

 所属とかそういうの明らかにしなきゃダメ? えー……?

 

 

「正義の味方……」

「は?」

「ただの一般市民です」

 

 

 ……分かってんだよ! こういうこと言ったらふざけてると思われるって!

 けどな! いいじゃねえかよたまには! オレだってこういうこと言ってみたりしたいって願望くらいあんだよ! まだ18だぞ!!

 

 げふんげふん。

 ともかくだ。

 

 

「見張りは倒しましたが、まだ外は安全じゃありません。いざという時に逃げることができるよう、鍵は開けておきますが、まだ外には出ないでおいてください。こちらで敵は倒します」

「し、しかし……相手は人を傷つけることを何とも思わない悪人だ! そんな場所に一人で行かせるなんて……」

「戦う手段はありますし、仲間もいます。大丈夫、心配しないでください」

「待ってくれ!」

「――何です?」

「そこにいた男のうちの一人は、私たちをロケット団に売った裏切り者だ。どんな情報を売ったかも、何が仕掛けられてるかも分からない。気をつけてくれ……!」

「……あ、はい」

 

 

 そこにいた男の一人……って、この情けないやつか……?

 ……まあいいか。一般人にとっての脅威はオレにとってはあんまり脅威にならないってこともある。

 小賢しい策略は、時に単純な暴力の前に意味を無くすこともある。多分――これはただ、それだけの話だったんだろう。相性だ。あくタイプがかくとうタイプに弱いような……そんな感じの。

 

 ……まあなんだ。世の中そんなもんだ。

 

 

 



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なしくずしの追跡劇

 チャムを戻し、一旦会議室から離れ、男の襟首を引っ掴んで別の場所を探す。

 ラウンジ……は、人の目があるかもしれねえ。応接室……は、カギがかかってるか。

 しょうがねえ。便所でいいや。どうせ女子トイレなら誰も入ってきやしねえ。

 適当なところで首根っこを掴んで適当に立たせて、と。

 

 ――電磁発勁(最弱)!

 

 

「起きろ」

「ぐべええええええっ!?」

 

 

 普通の人間相手にはまあ充分だろう程度の、強烈な電気の刺激によって、急速に意識を覚醒に導かれる男。目を白黒させてこちら見るのを確認すると、オレは片腕を背後に回し、指を取ってトイレの壁に押し付けた。

 

 

「ぐえっ、な、なに……!?」

「黙れ。無駄口を叩くな。余計なことを言ったら一本ずつ指を圧し折る」

「!!?!?!?」

 

 

 一つ脅しをかけるだけで、男はガタガタと体を震わせるだけの置物と化した。

 想定通り……だが、あまり喜ばしいことでもないな。世の中をひっくり返そうとしてる思想犯や、ロケット団に忠誠を誓っている狂人の類なら、ここで変に狼狽えたりしないはずだ。あえて言うと、そういう連中はもっと目が爛々と輝いている。

 ズバットへの態度といい、どこか中途半端な感は否めない。さっきのおっさんが言ってた通りの「裏切り者」だと言うのなら、それも頷けるが……。

 

 胸糞悪い。それが正直な気持ちだ。

 

 

「名前を言え」

「あ、あ、朝木レイジ……」

「お前が『裏切り者』か?」

「………………」

「答えろ」

「そ、そうだ! いっ……指! 指を放してくれぇっ!」

 

 

 脅しのために、右手の指で摘まんでいた小指を一旦放してやる。腕は背後に回したままだ。このまま解放してやるわけにはいかない。

 

 

「ポケモン用のメディカルマシンはどこにある」

「め、メディカルマシン……?」

「ポケモンセンターで使う回復用の機械だ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ、思い出す――」

「五秒だ」

「嘘だろ……!? ああ、い、一階だよ! 多目的スぺ――――」

「仲間のいる場所に誘き寄せるつもりなら、その考える脳の無い頭をスイカみたいに潰してやる」

「――――――外の車の中!」

「よし」

 

 

 これ以上無駄な時間はかけていられない。逃げること自体は難しくないが、囲まれてこちらの位置が特定されても困る。

 あくまで今は隠密行動だ。そもそもこの建物自体ガラス張りなのに、オレがまずそっちを見てなかったと思ってたのか、コイツは。

 

 

「見張りは」

「わ、分かんねえよ! お前らが来たせいで配置も変わってる! っていうか外が一番警戒やべえよ!」

「チッ……」

 

 

 それも道理か。オレたちも混乱を狙って検問所を襲撃したわけだし、警戒用のシフト……それが無けりゃ、相応に重要な場所を守るように動くはずだ。

 と、なると……。

 

 

「お前。朝木」

「な、なんだよ」

「下に降りる。ついてこい」

「はあっ!? 何で俺が、かっ!?」

 

 

 再び指を取り、折れる寸前のところでぴたりと止める。見る間に朝木の額に脂汗が浮いたのを見て、続ける。

 

 

「ロケット団の連中の警戒を弱めるためにお前を使う。来い。いいな」

「わ、分かった……!」

 

 

 エレベーターは……使う頻度が高いだろうし、目立つ場所にしか無いな。となると……まあ、多少の無茶は仕方ない。

 

 あとの問題は、ヨウタか。とりあえず、オレのスマホはロトムにチューニングしてもらってるから、通信くらいはできそうだが……陽動が成功してたとして、今通話できる状態かどうか……。

 

 

「かけてみるしかないか」

 

 

 片手で朝木を押さえたまま、スマホを操作してヨウタを呼び出す。数秒とせずに通話に応じる声があった。

 

 

『まだ無理っぽいロト! 追われてる!』

「そうか。こっちはメディカルマシンの場所は分かった。時間、かかりそうか?」

『もうちょっト……』

「なら先に確保しとく。無理はしないでくれ」

『言っておくロト』

 

 

 ……こうなってくるとしょうがないか。場合によっては、正面突破も必要になる。

 覚悟はしてたことだ。やるしかない。

 

 

「行くぞ」

「行くぞって……お、お、おい、正気か!?」

「正気に決まってるだろ」

 

 

 狂気に浸されて勝利は掴めねえ。

 必要なものは常に、冷静な判断力だ。窮地にあってなお揺るがない心だ。

 怒りは視界を曇らせる。焦りは視界を狭める。驕りは思考を鈍らせる。最大の敵は常に己自身。

 

 勇気と蛮勇は別物だが、時には無茶と知りつつ前に進む必要がある。それを知る以上、オレは正気のまま前に進むことを決めている。

 

 

「チュリ」

「ヂッ」

 

 

 再度チュリをボールから出す。チュリは威嚇するように朝木へ毛を逆立てた後、オレの頭の上に登った。

 

 

「『いとをはく』。こいつに貼り付けた後、こっちにくれるか?」

「ヂュッ!」

「うえっ、何だ!?」

 

 

 朝木の首筋にチュリの吐いた糸がくっつく。ポケモンの「すばやさ」を落とすほどの粘着性を誇る糸だ。並大抵のことでは外れない。

 小さくない違和感に身を縮める朝木へ、オレは続けて告げる。

 

 

「逃げたり、最悪のタイミングで離反されないようにするための対策だ。一瞬でもそういう素振りを見せたら、電流を流す」

「ひっ……お、お前、そんな気軽に……!?」

「味方でもなんでもないヤツに何を躊躇する必要があるんだ?」

 

 

 ヨウタはいい顔しねーだろうけどな。でもあいつはあれでいいんだ。まっすぐなままで。

 あの年齢でルール外のダーティな部分まで気は回らないだろうし、回さなくていい。そういうのはちょっとでも年上のオレの役割だ。

 

 一方の朝木は、顔を青くして俯いていた。

 

 

「どうしてこんなことに……俺はただ……死にたくないだけなのに……」

「知るか。いいから来い。死にたくなけりゃ協力しろ」

 

 

 面倒くさいなこいつ。

 古今と洋の東西を問わず裏切り者への対応なんてたかが知れてるだろう。

 イスカリオテのユダは惨死したし、カエサル暗殺のブルータスは戦死。明智光秀なんて言わずもがなだ。仮面何某や戦隊の追加戦士は……あれは置いとこう。人類対人類の例と人類対怪物だとどうしても色んな部分で違ってくるしな……利権が絡まなかったり、子供向けの舞台でそういう話をするわけにもいかなかったり……。許す心や罪を償う気持ちというものを養うにはそういう描写は欠かせないし……。

 と、そっちは置いといて。

 

 再びラウンジの方に出て、メディカルマシンがあると思しき車を確認する。朝木に問えばあの白い……キャンピングカー? のようなものがそうだという。

 なるほど、移動式ポケモンセンターってところか。いい発想だと思う。奪われる危険性を除けば。

 

 

「行くぞ」

「は? 行くってどうやって――」

「見りゃ分かる」

 

 

 目標を正確に見定める。ここからならそう遠くはない。あとは下にいるロケット団員だが――どう対処してくるかにもよるな。

 オレは片腕に気を込め、思い切り――ガラス張りの壁を、ブチ破った。

 

 

「はあああああああ!?」

「……ッ」

 

 

 思ったよりは硬い……強化ガラスか? だが、この際構わない。壊すことはできた。

 轟音と共に砕け散るガラスが階下に降り注ぐ。何事かと目を剥き、何が起きたかを理解して慌てふためき逃げていくロケット団員たち。その姿を、のんびりと眺め続けているわけにはいかない。オレは朝木の腕を掴み取った。

 

 

「え」

「行くぞ」

「そんな、まさか、お前そんな、馬鹿、いや、嘘だろ? ちょっと待て冗談だ――」

 

 

 何やら慌てふためいているが、ここで聞いてやる義理なんてどこにもない。

 オレは思い切り駆け出し――車に向かって、跳んだ。

 

 

「い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああだあああああ!!」

 

 

 断末魔にも似た叫びがこだまする。尾を引くような音を聞きながら、空中のガラス片を蹴り加速。軽く姿勢を変えて着地の衝撃を殺しながら、オレは駐車場のど真ん中へと着地した。

 

 

「あ゛あ゛あ……――――あれ、俺生きてる……?」

「死にたかったのか。手伝わんぞ」

「死にたくねえよ!! てか何でお姫様抱っこ!?」

「細かいこと気にすんな」

 

 

 ひょいとその辺に放り投げる。オレだっていつまでも男を横抱きにする趣味はねえ。

 おぶると衝撃がダイレクトに来るし、かと言って米俵めいて担ぐのも同じく。どうしてもこうなっちまうんだよ。察せ。

 

 

「運転はできるか?」

「め、免許くらいは……けど、キーどうするんだよ!?」

「キー……まあ、なんとかなんだろ」

「なるかぁ!」

 

 

 ある程度ならなる。

 ポケモンセンターの設備を代行するってんだから、アニメやゲームの描写から考えると、電力消費量はかなりのものになる。サブバッテリーくらいはあるだろうが、本来はエンジンルームのバッテリーで動いてるはず。緊急時に対応するためにも、基本的にエンジンはかけっぱにしててもおかしくない。

 

 

「よし、いける」

 

 

 運転席を見てみると、そこにはやはり、つけっぱなしのキーとかけっぱなしのエンジンが。ヨウタが外で大暴れしてるから、その分回復が必要と見越していたんだろう。

 想定通りだ。

 

 

「……マジかよ……」

「マジだよ。そっち乗ってろ!」

 

 

 言い捨てて背部のコンテナ部分をこじ開けて確認する。

 

 

「むっ!? 貴様、昨日の――」

「邪魔だ!」

「こふっ!?」

 

 

 案の定、回復に戻って来ていたらしいロケット団員を叩き伏せ、外に放り出す。メディカルマシンは……あった。既にいくつかボールが設置されているので拝借してしまおう。

 起動は……方法が分からない。ヨウタかロトムに聞くしかないか……!

 

 

「発進しろ! ショッピングセンター方面!」

「ち……ちっくしょぉぉ!!」

 

 

 運転席に向かって呼びかけると、半ばヤケクソめいた叫び声と共に車が動き出した。

 車が無いと生きていけない地方の住人だ。運転となれば迷いは無いらしい。手を抜けば、オレに殺される。追いつかれれば、ロケット団に裏切り者として殺される。

 どっちも嫌なら生き残る道を模索する以外に無い。悪いが、このままこの状況は利用させてもらおう。

 

 

「追手は……いるか」

 

 

 開け放した背面のドアから車の屋根部分に乗り移る。

 アーボック、グラエナなどの進化が比較的早く、人を乗せて動くことのできるポケモンたちが、オレたちの乗る車を追いかけていた。

 

 

「チュリ、あっちに『くものす』!」

「ヂュッ!」

 

 

 だが、その動きは直線的で非常に読みやすい。指示した通りに放たれた蜘蛛糸は、奴らの足を止めてその場に釘付けにしてみせた。

 ……くそっ。経験値入らねえかな、これ。倒してないからダメか。

 

 十人ほどの足を止めたところで、追撃の手が緩む。どうやら、進化させるまでポケモンを育てた人間というのは少ないらしい。

 ほっと軽く一息つくと、今度はショッピングセンター方面から大きな音が聞こえてくる。ヨウタが戦っているようだ。

 朝木には聞こえてないかもしれないが、このまま上手くやれば合流もすぐだろう。そうすればすぐに市役所に捕まってる人たちも助けられるはずだ。

 

 ――そう思ったところで、不意に空気に冷たいものが混じったのを感じた。金属質で鋭い何か。嫌な予感を覚えて周囲に注意を向ける、と……次の瞬間、陽光を反射しない、黒々とした針状の何かが飛来する。

 

 

「――――!」

 

 

 流す……いや、触れるのもマズい! マフラーを外して薙ぐことで、黒い針を叩き落す!

 今のは……ただの針じゃない。専門の加工を施した暗器だ。オマケにそれを車の屋根にいるオレに正確に当てにくる技量――只者じゃない。

 

 

「何者だ!」

「奇襲は無意味か」

「なれば直接!」

「お相手仕る」

 

 

 問えば、応じる声が三つ。車に並走するようにして、周囲の建築物や道路標識を飛び移る影も――三つ。そのいずれも、黒衣を身に纏う白髪の男だ。

 

 

「ダークトリニティか!」

「然り!」

「その身柄、我らがもらい受ける」

 

 

 そして、無数の黒い金属が飛来する。

 先程と同じ針に、同じ材質のクナイ、手裏剣。いずれも何らかの薬液に浸されているらしく、金属のそれとは違うぬらぬらとした質感が見て取れる。

 

 ――毒だ! 間違いない!

 

 

「チィ!」

 

 

 全力の電磁発勁による体細胞の活性化、負担は並外れているが、やるしかない!

 マフラーに通電、更に振り回して周囲に電気の旋風を巻き起こして吹き飛ばし、撃ち落とす!

 

 

「ッ……!」

 

 

 だが、ダメだ。数が多すぎる。その上相手の技量も有象無象の雑兵とは段違いに高い。どこに仕込んでいるのか、弾いても弾いても延々と投げつけてくる上に、一投ごとに補整を入れて確実に当てに来ている。そして、実際に――皮膚に触れる程度に、手を掠めた。瞬時に感じる強い痺れ。即効性にしても程があるが、ポケモン世界の毒だ。何でもありだろう。

 

 

「一人が百発放とうともお前は防ぎ、躱してのけるだろう」

「だが千発ならば! それが三人ならば! 必ずや届く!」

「そして当たれば、動きを止められる……」

「丁寧なご教示(インストラクション)どうも!」

もう一つ教えてやろう(インストラクション・ツー)!」

「『人間ではポケモンには絶対に勝てない』! ゆけっ、キリキザン!」

「キリキザン!」

「キリキザン!」

 

 

 ダークトリニティの三人が繰り出したキリキザンは、ヤツらの超人的な動きに難なく合わせてのけている。縦横無尽に屋根や街路樹の上を跳ねまわり、オレたちに追いすがってくる。

 オレは思わず運転席を覗き込んで叫んだ。

 

 

「おい朝木! もっと速く走れ!!」

「ムチャ言うなよ! 街中だぞ!?」

「最高に高めた集中力で最高の速度を出してやるぜくらい言えないのか!」

「貴重な集中力を削がないでくれぇ!!」

 

 

 ……逃げ切るのはムリか!

 そもそもこっちは交差点だとか丁字路に差し掛かったらどうしても速度を落とさなきゃいけない。対してあっちは建物の上を飛び回って最短距離でこっちを追ってくる。

 

 オマケに、ダークトリニティという連中はゲーチス直属の親衛隊。暗殺者的な側面も強いとはいえ、その実力は折り紙付きだ。キリキザンの進化レベルが52というところから見てもそこは疑いようがない。

 

 

「諦めろ、お前の負けだ」

「そこで止まれば痛みは無いよう取り計らおう」

「同行者にも手を出すつもりは無い」

 

 

 次の道は右折。更に次は左折。多分ヤツらはそのどちらかで追いつく。確かにこのままだと、ヤツらの言葉は覆しようがない。

 ――――だが!

 

 

「かもしれないが、一つ教えといてやる。ばーちゃんが言ってたんだ。『悪党に持ち掛けられた取引は絶対に信用するな』……義理や義務ってモノを蔑ろにしているから悪党に堕ちるんだ! お前らの言うことなんか、聞いてやるものか!」

「「「ならばそこで力尽きるがいい!」」」

 

 

 思い切り啖呵を切ったオレに、ヤツらは一斉にとびかかった。

 躱せば車が木っ端微塵。受け止めることは不可能。大怪我じゃ済まないだろう。

 八方ふさがり。詰み――だ。

 

 

 

 

 

 ――――そう思って一瞬でも気を緩めたのが、こいつらのミスだ。

 

 

「行けっ、ラー子(・・・)!」

「「「!!?」」」

 

 

 運転席側に飛びのきながら放ったボールから現れたのは、闘志を剥き出しにした、傷だらけの(フライゴン)

 絶好のタイミングで放たれた強烈な「りゅうのはどう」は、キリキザンとダークトリニティの三人をまとめて吹き飛ばすほどの威力を秘めていた。

 流石、ヨウタの育てたポケモンだ。

 

 

「……まだここからだ。何が何でも、ヨウタと合流させてもらうぞ……!」

 

 





現在の手持ちポケモン

・アキラ
チュリ(バチュル♀):Lv10
チャム(アチャモ♂):Lv8

・ヨウタ
ライ太(ハッサム♂):Lv75
モク太(ジュナイパー♂):Lv72
ワン太(ルガルガン♂):Lv73【たそがれのすがた】
クマ子(キテルグマ♀):Lv77 →街を守るため一時離脱
ラー子(フライゴン♀):Lv69 →アキラに一時的に貸与
ミミ子(ミミッキュ♀):Lv71
ほしぐも(コスモウム):Lv70

・レイジ
ズバット♂:Lv6
ニューラ♀:Lv8



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ほしがるものは何なのか?

 

 

 ラー子が敵を吹き飛ばしたのは、実のところ大した距離じゃあない。ダークトリニティとキリキザン、その双方が瞬時に空中で体勢を整えてのけたからだ。

 だが、ダメージはあった。少なくともその手ごたえがある。

 ……本当なら「じしん」や「だいちのちから」あたりが一番良かったのだが、ここは車の上だ。危険極まりない。

 

 

「……強いな、どいつもこいつも……」

 

 

 ダークトリニティもそうだが、キリキザンの動きもすさまじい。とてもじゃないが、全身に刃物をぶら下げているとは思えないほどだ。

 

 

「おのれ……」

「小癪な!」

「このままでは済まさん」

 

 

 悪態をつきつつも、やはりダークトリニティの三人は、キリキザンと共に先程と変わらない速度で猛追してくる。くそったれ。多少は効いた素振りくらい見せやがれ。

 

 

「チャム!」

「ピッ!」

 

 

 再びチャムをボールから出す。位置は、安全を考慮してラー子の隣だ。既にだいぶ逆風に負けつつあるが、頑張れ。オレも頑張る。

 

 

「チュリ、『くものす』で足止めしてくれ! チャムは『ひのこ』、ラー子は『だいちのちから』だ!」

 

 

 指示を聞いた三匹は、素早く自分の技を放った。チュリは周囲の道などに「くものす」をかけ、チャムは近づいてきそうなところで「ひのこ」を放って牽制。そこへ、ラー子が放つエネルギーによって隆起した地面、あるいはアスファルトがキリキザンに突き刺さって体を「く」の字に折り曲げる。

 だが……足りない! チュリの糸はキリキザンの刃によって瞬時に切り刻まれ、チャムの炎は……効果はあっても大したものじゃない。目くらましにくらいは、なってると思いたいが……。

 

 

「無駄だ! キリキザンは群れで狩りを行うポケモン!」

「本来はコマタナを従えているが、協働の相手が同種のキリキザンであるなら、その動きは大きく変わりはしない」

「即ち、確実に相手を仕留めるために動く!」

 

 

 チャムの放つ「ひのこ」による目くらましは、確かに有効だ。しかしそれは相手が一体だったら、だ。三体同時に目を潰すことはできない。ラー子の攻撃と合わせて考えても、どうしても一体は漏れてしまう。

 ダークトリニティの三人は、どうやらラー子の攻撃を警戒して、乗り込んでまではこないようだが……ポケモンであるキリキザン三体には関係ない。

 

 ――――そうして止められなくなったことで、キリキザンのうちの一体が車の上に降り立つ。

 

 

「ズァァッ!」

 

 

 紫色の光を放つキリキザンの刃がラー子へ向けられる。「つじぎり」か! まだ体力を回復してない今のラー子が受けるのはマズい!

 考えるが早いか、オレは自分の身体をキリキザンとラー子の間に割り込ませた。そして、前に出た勢いで、電力を全開にして掌底を叩き込む!

 

 

「たあああァッ!!」

「ザッ!?」

 

 

 突き出した右腕が、硬すぎるものを殴った時のそれを思わせる痛烈な痛みを訴える。しかし、おかげでキリキザンの方は吹き飛ばすことに成功した。

 意識の外からの一撃だ。効くはずだ――という思いと、効いてくれなきゃ困るという泣き言が同時に胸の内から生じる。それでも、精々車の上から退かした程度の成果しか得られない上、オレの手には大小さまざまな傷がついていた。どうやらキリキザンの胴部にあった刃物に触れてしまったらしい。ほんの一瞬の接触でこれか。

 

 左手はひどい痺れ。右手は傷だらけ。格闘は……足を使えばできるが、達人三人相手じゃ分が悪すぎる。

 この体になってから初めて味わう、体術面での完全な不利。状況が許せば高揚の一つもしていたんだろうが、生憎今はそれどころじゃない。試合や手合わせじゃないんだ、楽しんでられるか。

 

 

「フリュー……」

「大丈夫だ! 攻撃してくれ!」

 

 

 ボタボタ流れ落ちる血を心配してか、ラー子が声を上げた。だけど、今はそういう場面じゃない。あいつらを撃退しなきゃ、怪我のことだってどうにもならない!

 

 

「その腕力と隠し玉には驚かされたが……」

「数の優位はいかんせん覆せぬようだ」

「何より、その貧弱なポケモンが足を引っ張っている……付け焼刃の愚策よ!」

「ピィィッ!!」

「乗るなチャム! 見え透いた挑発だ!」

 

 

 くっ……チャムの「ひのこ」の矛先がダークトリニティの方に向かってしまった!

 なんとか目くらましできていたキリキザンがフリーになる。チュリが必死に糸を吐いているが、焼け石に水。適当に振った腕の刃で瞬時に切り刻まれている。

 あんな切れ味のもの、傷だらけでまともに飛べないラー子だけじゃない、レベルの低いチュリやチャムが食らってしまったらまず間違いなく命にかかわる。

 どうする……!? あいつらはオレの身柄が欲しいと言っていた。言葉だけなら、殺す気はないとも読み取れる。なら、オレが盾になれば、あるいは……!

 

 

「詰めとしよう。コマタナ!」

「コマタナ!」

「コマタナ!」

「――――ッ!?」

 

 

 ――――マズい! キリキザン三体だけでも十二分に持て余してたってのに!

 いや、当然と言えば当然ではある。ポケモンを一匹しか持ってないわけがない。ここで出しておけば確実に仕留め切れるとなれば、出さない理由は無いだろう。

 

 

「素人にしてはよくやった!」

「だが、ここまでだ」

「ゲーチス様のためだ。ここで倒れるがいい!」

 

 

 六匹のポケモンとダークトリニティが共に駆け出し、車に向けて飛び上がる。

 ここまでか――胸の奥から生じる泣き言を握りつぶし、歯を食いしばって前を向く。

 

 まだだ。多少の怪我が何だ。拳を握ることはできる。足は動く。ポケモンを相手にできなくとも人間相手ならまだなんとかなる。噛み付いてでも食い下がって、噛み千切ってでも勝利をもぎ取れ!

 負けるわけにはいかない。勝つんだ! じゃないと――オレは永遠に自分のことさえ知ることができない。家族のことも思い出せない!

 

 

「お前らの思い通りにだけは――なるものか!!」

「「「その意気や良し!」」」

 

 

 こんなところで負けられない。そう決意して構えを取る――瞬間、空から声が落ちてきた。

 

 

「――また無茶しようとしてる!」

 

 

 その場の全員が声が聞こえてきた方向に視線を向けた。と、同時にその場に暴風が吹き荒れる。

 視界に映るのは、空に浮かぶ羽根、羽根、羽根――それを変換した、何十、何百もの矢。そして、突撃するジュナイパーと、その背に乗る少年の姿。

 思わず、口の端が持ち上がる。

 

 

「……ヨウタにだけは言われたくねえ!!」

「僕もそう思う!」

 

 

 声と共に、無数の羽根――モク太の放つ「矢」が降り注ぐ。

 ジュナイパーの専用Z技、「シャドーアローズストライク」……その変則型。突撃というプロセスを伴わずに放たれた無数の矢は、コマタナとキリキザン、そしてダークトリニティの三人に触れると共に急激に発光を始めた。

 

 

「これは――なにっ!?」

「抜け! これは……」

「爆――――」

 

 

 ダークトリニティはその危険性に気付いたようだ。が、もう遅い。次の瞬間、モク太の羽根は轟音を立てて大爆発した。

 「ひんし」に陥ったコマタナが吹き飛ばされて地面を転がる。キリキザンはなんとか踏みとどまったものの、その被害は甚大だ。タイプ相性から考えるとダメージは半減されているはずだが、それでもなおこの威力。Z技の恐ろしさを痛感させられる。

 ……と、驚いてる場合じゃない!

 

 

「ラー子! 『だいちのちから』!」

「フラッ!」

 

 

 踏みとどまったキリキザンたちを、ラー子の追撃が吹き飛ばす。ギリギリの綱渡りじみた攻防が終わったところで、ヨウタが車の上に降りて来た……が、いかんせん、乱暴な運転(にさせてしまった)せいで、どうにも体勢が保てないようだ。こうやって改めてオレ自身やダークトリニティの身体能力を顧みると、ちょっと複雑な気分だ。超人に慣れすぎれるといけない。手を差し出し……かけてやめる。今両方ともひどい状態だった。

 

 

「大丈夫か?」

「うん、アキラこそ大じょ……本当に大丈夫!!?」

「見た目がハデになっただけだ」

 

 

 嘘だ。無視できないくらいの痛みはあるし、そろそろ左手も手首くらいまで感覚が無くなってきそうだ。

 それでもオレが折れるのはマズい。ヨウタを動揺させてしまう。この戦いの柱は間違いなくヨウタだ。それだけは避けなければならない。

 それに、ダークトリニティの三人も何ともなってない。最低でもやつらを退けなければ。

 

 

「……引くぞ」

「「御意」」

 

 

 そう思ったところで、ヤツらはビルの影に溶けていくようにして、その姿を消した。

 

 コマタナは全員「ひんし」。キリキザンも三匹のうち一匹がラー子の追撃を食らって「ひんし」。残り二匹がいるとはいえ、ヨウタもここに来てしまった以上は形勢不利と見たのだろう。それにしても撤退までの判断が早すぎるのは……褒めるべきなのか、呆れるべきなのか。

 妥当な判断ではあるんだけどな。ダークトリニティ自体、身体能力の面で見てもポケモンの練度の面で見ても、なかなか替えの効かない貴重な人材だろうし。ゲームの方でも、警察に捕まったゲーチスがあいつらの手引きで逃げ出してたはずだ。闇討ちを警戒するうえで、あいつらがいるって思うだけでこっちも動きづらくなる。

 

 まあ――でも。

 退けたってのは、喜ぶべきことだ。多分。

 

 

「……撤退した?」

「多分な。気配は無い」

 

 

 一旦止まれ、と運転席の朝木へ呼びかけて路肩に停車させる。

 しばらく経っても、襲ってくるような気配は無い。本当に撤退したようだ。

 

 

「メディカルマシンは車の中だ」

「うん、分かった。けど……」

「オレのことはいいから先にみんなを回復させてやってくれ。じゃないとこの先勝てるものも勝てないだろ」

「……分かった」

 

 

 渋々ながらも承服し、ヨウタはモク太と共に車の背部コンテナ――キャンピングカーで言うところのシェルの中に入っていった。

 オレも、ラー子をボールに戻した上で一旦地上に降り、軽く息をつく。同時に、電磁発勁の負担のせいでどっと疲れが押し寄せて来て、その場に座りこんだ。

 

 

(……危なかった)

 

 

 あいつらがヨウタを最大の脅威と認識してくれてたおかげで、なんとか撤退まで追い込めた。

 けどそれは今回限りだ。多分、次は無い。ヨウタを足止めして適当な幹部級がポケモンと一緒に2~3人で当たればオレは完封できるし、そのオレを人質にすればヨウタはどうとでもなる。奴らもそれを狙うだろう。

 何か、対策を考えないと。

 

 

「ヂュ……」

「ピィ……」

「ん……?」

 

 

 鳴き声を聞いて振り向けば、チュリとチャムが何やら悔しそうにしていた。

 この一戦、ダークトリニティを退けることには成功したが……確かに、二匹ともあんまり活躍はできてない。面と向かって暴言を言われたことも堪えたんだろう。あれだけ怒ってたんだ。そりゃあ、悔しいよな。

 近づいて、二匹を抱き上げる。

 

 

「大丈夫だ。二匹(ふたり)ともよく頑張ったよ。まだ始まったばっかりなんだ。これからまだまだ強くなれる」

 

 

 優しく語り掛けると、二匹の様子も徐々に落ち着いてきた。

 そうだ。オレたちはそもそも旅立ってすらない。トレーニングもしてない。今の時点で力不足を感じるのは、当然のことだ。

 だから。

 

 

「みんなで強くなろう」

 

 

 オレ自身も、もっと強くなりたい。三対一の状況からでもひっくりかえせるくらいに。

 必要なのは腕っぷしだけじゃない。ポケモンのことだってよく知ってないといけない。オレはまだ、ゲームをやって知ってる「気」になってるだけだ。

 今回のキリキザンのことがいい例だろう。かくとうタイプの技が苦手だと知ってたから、なんとなくオレが殴ってもイケるんじゃないかと思ってたが、結果はご覧の有様。腹部についてる刃物の存在が、完全に頭から抜けてたんだ。

 

 恐らく、それと同じようなことが今後も起きるだろう。チャム――アチャモの進化系であるバチャーモ、じゃない、バシャーモは主に近接格闘戦に長けたポケモンだ。敵ポケモンとも殴り合いを演じることも多くなる。

 その時、オレは適切な指示ができるだろうか? 体温が一万度あるという(多分そこまでは行かないと思うが)マグカルゴに「とびひざげり」を仕掛けろなんて言ってしまわないだろうか?

 多分、無理だ。そのせいで怪我をさせてしまうことだってあり得る。

 

 だからオレも、もっと強くなって、ポケモンのことを深く知って、チュリとチャムに相応しいトレーナーにならないと。

 

 ……その前に、まずは市内から何とかしなきゃだけどな。

 

 

 さて、シェルに戻ってみると、既にヨウタはメディカルマシンを起動させていたところだった。

 マシンには三つのボールが乗っている。オレはそこに、ラー子を含めて持っていた自分のボールを三つ置いた。

 

 

「どのくらい時間かかる?」

「完全回復までは、一時間くらい。けど、戦うだけなら十分くらい……かな」

「メガシンカやZ技が完璧に使えるのは?」

「三十分くらい……けど!」

「焦るな。また負けるぞ」

 

 

 昨日のことを思い出したのか、ヨウタは小さくうめくとそのまま押し黙った。

 改めて、車内を見渡してみる。どうやらこの車、メディカルマシンだけじゃなく医薬品も積んでるらしい。ある意味救急車か何かか。あっちの世界だとこういうポケモン専用の救急車とかも発達してるのかもしれない。

 とりあえず、医薬品の中から包帯と消毒液を手に取って、右手の処置を始める。

 

 

「あ、そうだ。それどうしたの?」

「キリキザン殴った」

「馬鹿なの!?」

「はっきり言うなよ! ……ていうか、でもしなきゃラー子も大怪我だったぞ」

「だからってアキラが怪我してちゃどうしようもないロ」

「こいつ……」

 

 

 いや分かってるけどさぁ。指示出すトレーナーが倒れたら終わりってのは。オレがそれ狙いでトレーナー殴り倒してるし。

 

 

「そっちの手は?」

「あー……」

 

 

 流石ロトム。高性能センサーでもついてるのか、目ざといな。麻痺してる手のことまで見抜いてる。

 

 

「なんか、あいつらの武器にやられた後、感覚が無くて動かせない」

「大変ロト! えーっと、えーっと……これは……ガマゲロゲの毒みたいロ! 解毒薬は……」

「ごめん、世話かけるよ」

 

 

 流石ロトムだ。そういう方向の知識までインストールされてるのか。

 とりあえず、ゆっくり近くのシートに座ってロトムが調合を終えるのを待つか。そう思った時、不意にシェルの戸が開いた。視線を向けると、びくびくと怯えた様子が見て取れる。朝木だ。

 

 

「――レインボーロケット団ッ!?」

「やっ、違う違う違う! 違わないけど違うんだ!」

 

 

 ……あ。こいつのこと説明するの忘れてたわ。

 

 

「落ち着いてくれヨウタ。そいつは……敵だけど敵じゃないっていうか」

「どういうこと?」

「…………」

 

 

 朝木は顔を青くしながら、その場に座り込んだ。何も言ってないのに何でこいつ床に直接座ってるんだろう。別にすぐ殴るほどオレも見境ないわけじゃねーのに。

 

 

「脅してここまで運転させたんだ」

「脅してって……いくらなんでもそんな」

「オレ、バイク以外運転できないし。こいつもどうせ敵だし、巻き込んで乱暴に扱ったところで別にいいだろ、って」

「倫理的にどうなのロ?」

「勝った後で清算するよ、そういうのは」

 

 

 そっち方面は今は後回し。どうせこれ以外に方法思いつかないしな。

 勝つにしろ負けるにしろ、最終的に自分のなしてきたことの因果がそのまま巡ってくる。そういうものだ。

 

 

「それに倫理のことを言うなら、街の人たち裏切ってるそいつの方がなおのことだぞ」

 

 

 ビクビクビクッ、と朝木の身体が大きく震えた。驚いたロトムが薬を滑らせて、オレの顔にかかってしまった。

 ……何驚いて……ってか、ビビッてんだこいつ。事実だろ。

 

 

「し、ししし、仕方ないじゃないか! じゃないと死ぬだろ!? あんなの、逆らったってどうにもならないじゃないか!」

 

 

 体育座りで自分の足に顔を埋めたまま、ガタガタ震えつつそんなことをまくしたてる朝木。

 何だこいつ新種の生物か。異様すぎるんだよいいから顔を上げろ。

 

 

「伝説のポケモンだぞ!? ウルトラホールだぞ!? 普通のポケモンにすら勝てない普通の人間が勝てるわけがないだろ……! たった一晩で自衛隊基地を全滅させた上に、脱出不可能だって……なら勝ち馬に乗った方が賢いだろ! あんなやつらと戦うなんて、お前ら頭おかしいんじゃないのか!?」

「体もおかしいぞ」

「聞いてねえよそれは!!」

「オレだってお前の事情なんて聞いてない。お前が勝手に話しただけだ」

 

 

 朝木はどうやら、オレの返答の意味が分からなくて混乱しているようだ。多少でも、同意されると思ってたんだろうか。

 

 

「良い暮らしでもしたかったのか?」

「……別に、そういうのじゃ……」

「ふーん。じゃ、いいや」

「何でもいいなら何で聞いたのさ?」

「引くに引けない理由でもあるのかもしれないと思って」

「俺は……ただ……普通にそれが一番賢い選択だと思って……」

「ただ楽な方に流れたのを賢く見せたいだけじゃないの? お前」

「アキラ」

「いいだろ、少々」

 

 

 窘めるようにヨウタから声が飛ぶ。

 確かにちょっと刺々しい言葉遣いにはなってると思うけど、別にオレは怒ってるわけじゃないんだ。何かされたわけでもないのに、こいつに対して、オレが怒るのはお門違いだし。

 

 

「オレが言おうと言うまいと、いずれは返ってくることだよ」

「どういうこと?」

「ばーちゃんが言ってたんだ。『悪因悪果、善因善果。悪いことをすれば悪い行いとなって。()いことをすれば()い行いとなって、ものごとは返ってくるもの』だってね。こいつのしたことが間違ってるのなら、後になって何らかの形で帰ってくるだろ」

 

 

 実際、もう既に「街の人の信用」という形で返って来ているとも言える。

 この後で市役所を解放したとしても、こいつの居場所は多分、無い。よっぽど寛容な人がいれば話は別だが、現実には贖罪を促してくれるヒーローなんて存在しない。

 

 

「生きようとするのが悪いことかよ……」

「別に。でもさ。生きたいと思うのって、動機があるものじゃないのか? 美味いものを食べたいとか、あのゲームクリアするまで死ねないとか、そういう些細なものでも」

「……あ、と……」

「それすら無いのに、他の人の希望を奪って自分だけ生き残るなんてのは、賢いことだとは思えない」

 

 

 それだけ告げると、オレは返答も聞かずにシェルの外に出た。

 

 ――――市役所に攻め入るまで、あと二十分ほど。

 

 

 



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十倍返しのアクセルロック


 一部三人称です。




 

 

「――――何サマなんだよあの女!」

 

 

 アキラが出て行った後、朝木は逆ギレしていた。

 彼女の言っていることが決して間違っていないということは、朝木にも理解できている。だが、だからと言ってその正論をはいそうですかと言って飲み込むことは、彼にはできなかった。

 

 

「……言い方は、もうちょっと考えるべきだったかもしれないけどね」

「でも、アキラってそういうこと苦手そうロ……」

 

 

 無関心を装ってはいるが、彼女が朝木の言葉に憤りを感じているのは間違いない。ヨウタとアキラの二人しか今は戦える人間がいないから、年上としての義務感で半ば無理矢理冷静さを保っているのが彼女だ。本質的には、サカキからの通信の直後に見せた姿のように、スカル団もかくやというほどに直情的で短絡的である。あれで抑えているというのが奇跡に等しいと言えよう。

 

 ふと、ヨウタは朝木が視線を向けてきているとことに気付いた。

 

 

「何?」

 

 

 問うと、朝木は言い辛そうにしながらも、なんとか口を開く。

 

 

「お前さ……」

「『お前』じゃないよ。僕の名前はヨウタ」

「あ、わ、悪い……ヨウタは……」

「ちょっと待ってほしい。僕は名乗ったんだから、あなたの名前も教えてくれないかな?」

「え……何で?」

「僕からなんて呼べばいいのか分からないじゃないか」

「朝木……レイジ」

「レイジさんだね。それで、何?」

 

 

 ヨウタは改めて自分の方から切り出した。

 朝木はレインボーロケット団に従った人間だ。アキラは問題は(なくも)ないなどと言っていたが、それでヨウタの警戒心が薄れたわけではない。できるだけ、会話の主導権は自分が握らないといけないと考えていた。

 また、参考になるかどうかはともかく、何故レインボーロケット団に従うことにしたのか……そういったことを、今後のために知っておくべきじゃないかという考えもあった。

 

 

「いや、何でお前ら……じゃない、ヨウタ君たちはあんな……ロケット団と戦おうなんて思ったんだ? 怖くないのかよ?」

「怖いよ。けど、他にできる人がいないから」

 

 

 僕のことは知ってるよね? というヨウタの問いかけに、朝木は少し考えながら頷いた。

 彼がポケモン世界の住人であることは、レインボーロケット団に下った人間の中では周知の事実だ。

 

 

「投げ出したって誰も怒らないじゃないか……」

「僕が僕を許せなくなる」

「へっ……子供だな。無鉄砲で世間知らずで命知らず……」

「じゃあ大人は、慎重で賢いから動かないの?」

「そうさ。大人はな、子供よりも色んな経験してるから、現実が見えてて賢いんだよ」

 

 

 ――だからどんどん卑怯になっていく。

 朝木は自嘲するようにそう呟いた。

 

 

「勝てもしない相手に死ぬ気で挑むくらいなら、別の有意義なことを探した方が得だ。やっても無意味だ。時間の無駄だ。どうせ俺には才能が無いんだから。荷が重いんだよ。大丈夫、他の誰かがやるさ。俺は悪くない――ってな。大人になっていくにつれて、そんな声が頭の中で語り掛けてくる。実際、身の丈に合わない馬鹿なことしてさ、志望校には落ちるし、就職も失敗した。今度こそ賢い選択をした……はずだったんだ」

 

 

 ツイてねえ、と絞り出す声に、震えるような音が混じるのをヨウタは聞いた。同時にそうか、とある確信に至る。

 

 朝木の根底に根付いているのは、保身だ。

 

 彼は、過去の失敗や人生経験の中で、「自分の利益を損なうこと」を病的なまでに恐れている。

 他人を見下したり、馬鹿にするような扱いをしているのはそのためだ。実情がどうあれ、自分が他人よりも上に立っていると感じられなければ心が保てないのだ。

 死なないことを何よりも優先していたのは、「あいつらは死んだ愚かな人間、自分は生き残った有能な人間」だと――言ってみれば、マウントを取って精神的優位を取り続けていなければ、安心ができないからだ。

 

 背景の事情までは見えないが、何か辛いことがあったから、このような性格が形成されたのかもしれない、とヨウタは推察した。

 朝木は自分の保身的な性格をある程度までは自覚できている。だから、どこまでも中途半端なのだ。保身に走って自分以外全てのものを見下して生きるか、あるいはそれも自覚しきった上で折り合いをつけて生きていくか、そのどちらかに降り切れていれば、ここまでの無様は見せなかっただろう。保身に振り切れようと思うと、捨てきれてない善性が邪魔をしに来るのだ。

 

 ヨウタは軽く目を伏せた。どれほど同情しても、それをどうこうできるのは自分自身だけだ。アキラのように刺激しすぎるのも良くはない。

 

 

「確かに、僕もアキラも、あまり頭は良くないと思う」

「お……おう」

 

 

 気を遣われたことを察したのか、朝木は僅かに頬を朱に染めた。

 見た目の見苦しさにロトムは若干引いた。

 

 

「けど、戦ってる人たちを否定しないでほしいんだ。みんな、誰かを守ったり、何かを取り戻すために戦ってる。アキラはおばあさんや知り合いを守りたいって言ってる。レインボーロケット団に逆らってる人たちは、きっと『いつもの何気ない日々』を取り戻したいんだと思ってる。そういう人たちに、ただ馬鹿だなって思うのは……悲しいことなんじゃないかって、思う」

 

 

 朝木は、ひどく複雑な表情をして見せた。ほんの少し、後悔するように自分の頭に手をやると、今度はようやく膝から頭を離した。

 

 

「……そうだな。ごめんな、ヨウタ君」

「ううん」

 

 

 その頬にくっきりと膝の赤い跡が残っているのを、ロトムは見逃さなかった。

 朝木はせめてもう少し格好をつけることをするべきではないだろうかと、彼女は強く思った。

 

 

 それから数分ほどが経ち、多少落ち着いてきたはずの朝木は、唐突に何か思い出したように顔を青くした。

 どうしたの、とヨウタが問うと、言い辛そうにしながらも朝木は思い切ってヨウタに切り出す。

 

 

「し、市役所に、ロケット団に逆らった人たちが捕まってるんだ。人質ってか、うん、人質として。俺たち、こんな派手に出て来て、あの人たち見せしめにされたり、しやしないかな……とか……」

「は? ちょ、ちょっと待って!?」

「え? 聞いてない……?」

「アキラ、確かメディカルマシンのことしか言ってなかったロ」

「ウワー!! 何してるんだよアキラのバカッ!!」

 

 

 まずいまずいまずい、とヨウタの頭の中が焦燥に染まる。

 忘れてたという可能性は拭えない。何せ敵と見たらまずどう殴るかを考え始める頭空っぽのアキラだ。ゴタゴタがあればすっぽりと頭から抜け落ちてしまうくらいはやりかねない。

 だが一番の問題は、それも彼女の計算のうちというパターンだ。人質がいると聞けば、ヨウタは飛び出すに決まっている。それを見越して、人質がいるということを告げずに、戦いに集中させようとしている――なんてことがあってもおかしくない。ランスとの戦いでもやけにクレバーな部分を見せた彼女だ。仮にそうなったとしてもある意味で納得はいく。

 

 どちらにしてもこのままじゃマズい! そう判断してシェルから飛び出したヨウタは――直後、遠方から爆発音が響くのを聞いた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 外を警戒すること十分と少々。市役所の方から聞こえてきた轟音に、そろそろかなと思って腰を上げる。

 ――と同時に、何やら慌てた様子のヨウタがシェルから出てきた。いったいどうしたんだ?

 

 

「アキラ! 市役所! 爆発! 人質!!」

「は?」

「市役所に人質がいるはずだけど、あの爆発は何? 大丈夫なの? っていう話だと思うロト」

「通訳ありがとうロトム」

 

 

 よっぽど焦ってたんだな。

 ……そういえばオレ、ダークトリニティが来たせいで伝え忘れてたっけか。やっべぇ。

 

 

「ごめん、言い忘れてた。捕まってる人たちに、もしあいつらが襲ってくるようならこの子に守ってもらってくれ、って言ってミミ子を預けてきたんだ」

「えっ。………………オアァァァ!! ホントだラー子しかいない!!」

 

 

 シェルの中を行ったり来たり、モンスターボールを確認して顔を青くしたり赤くしたり、ヨウタのやつせわしないな……いやオレが悪いんだけど。

 

 

「だからあれはミミ子が暴れてる……んだと思う。すぐに市役所に戻ろう。長くはもたない」

「そ、そうだ! レイジさん! お願いします!」

「お、おお……お、送っていくだけでいいんだよな!?」

「それ以上は期待してねえよ」

 

 

 朝木の様子がさっきより落ち着いてきてる。ヨウタと打ち解けられでもしたのだろうか。

 オレに対してやけにビビってるのは変わりないが、まあスムーズに話が進むんならそれに越したことは無い。

 朝木が運転席に、オレとヨウタがシェルにそれぞれ乗り込み、発進する。

 

 

「作戦はどうする?」

「オレが正面から陽動する。ヨウタは四階にいる人質の人たちを直接助けに行ってくれ」

「シンプルすぎないかな?」

「現場は多分混乱してるだろうし、むしろシンプルなくらいがやりやすい。人が足りないから小難しい作戦なんてやれないし……思いつかないしな」

「最後が本音?」

「……うん」

 

 

 一対一の格闘術なら腕に覚えはあるけど、戦術とか戦略となるとからっきしだ。昔はもうちょっとできてたんだけど……そこんとこは、今更言っても仕方ない。

 

 

「ってことだから、ラー子はヨウタが連れて行ってくれ」

「分かった。じゃあ、アキラは代わりにワン太を連れて行って。地上戦は得意だから」

「ん」

 

 

 モンスターボールをそれぞれやり取りして、おおよその準備は完了。そうこうしている内に見覚えのある光景が近づいて来たので、そろそろかと運転席に呼びかける。

 

 

「もういい、ここで止めてくれ」

「へ!? ここで……?」

「足はある」

 

 

 路肩に停めた車から出て、無人の民家の庭先へと向かう。よし、ちゃんと見つからなかったみたいだ。

 

 

「じゃあ……気をつけて!」

「お互いに」

 

 

 シェルの中から呼びかけてくるヨウタに応じながら、オレは車道に出したバイクのエンジンを始動した。

 電磁発勁――発動に問題は無し。よし、行ける。

 ここからは、二人と八匹の総力戦だ。

 

 

「行くぞ、ワン太、チュリ、チャム!」

 

 

 モンスターボールを放り、三匹を外に出す。ワン太はオレの隣に、チュリはオレの服に、チャムはワン太の背にそれぞれしがみつく。

 そして――勢いよく回るアクセルと共に、小さくうなりを上げるエンジンが、作戦の開始を告げた。

 

 

「アオオオオオオォォォオン!!」

 

 

 まだ遠くにいるはずのレインボーロケット団員に向けてか、ワン太が遠吠えを放つ。

 威嚇のつもりだろうか、あるいは、溜まったフラストレーションを解き放っているのか……いずれにしても、心強い。

 

 ワン太の足は、驚くほどに速い。

 オレのバイクは特注品だ。普段出すことはないものの、最高で300km/hの速度を出すこともできる。足並みをそろえることが大事だし、ワン太はそもそもどの程度の速度を出せるかも分からない。そこを考えた上で、徐々にギアを上げて行っていたのだが……ワン太は余裕すら感じさせる表情で、悠々と並走してくる。

 メディカルマシンに入ってたとはいえ、休めたのはほんの三十分ほど。体力の回復具合も半分と言ったところなんじゃないだろうか。それでこの速度か。やべーな、なんて呑気な感想が口から漏れそうになる。

 

 ポケモンって、すごい。もしかしたら彼らの本当の力は、こんなものじゃ済まないんじゃないだろうか。

 隠している――隠れているのかどうかはともかく、どれほどスピードを上げてもなおワン太は当然という顔をして、時には不敵な笑みさえ浮かべながら、それに応じてくれている。

 

 

「――――行くぞみんな! 全力で……正面突破だ!」

「ワンッ!!」

「ヂュイッ!」

「ピヨォォォ……」

 

 

 逆風に耐えるチュリとチャム、意気軒高とした様子で吼えるワン太。

 ぐんぐんと近づいて来る市役所の方には、突然の事態のせいで混乱に陥るレインボーロケット団員の姿が見える。ポケモンは展開しているようだが、そのポケモンもトレーナーの混乱が伝わってまともに統制できてない。

 

 これなら数の差も関係ない――やり合える!

 

 

「ワン太、『アクセルロック』! チャムは『ひのこ』だ! 手当たり次第に撃ちまくれ! 今度は効くぞ!」

 

 

 急激に速度を上げ、生体エネルギーによって多数の岩塊を作り出して突撃するワン太。遅れるようにして、オレも駐車場中央へと躍り出る。

 ドリフトによってゴムが焼け、煙を撒き散らしながら周囲の人間をもなぎ倒す。ぽっかりと穴の開いたようなかっこうになった市役所駐車場中央に踏み込むと、わっと周囲に喧騒が広がった。

 

 

「白いのか!?」

「戻ってきたのか!? だったら――ごあっ!?」

「ルガルガンだと!? まさかアサリナ・ヨウタもいるのか!?」

「違う、ヤツはいないぞ!!」

「いや待て、隠れて……」

「そんなことはいいから倒せ、倒せぇぇっ!!」

「うわああああああああ!!」

「遅いッ!!」

「ゴフォッ!?」

 

 

 襲ってくるのは、数十匹にもなるポケモンたちの群れ。それらをワン太は力任せに吹き飛ばしていく。

 体力が尽き果てていた先程までは、絶対にできなかった芸当だ。心なしか生き生きとした様子で、目の前に現れる敵をなぎ倒していく。

 時折背中のチャムが放つ「ひのこ」が、また絶妙に敵の目くらましや足止め……時には直接的なダメージソースにもなって、ワン太をサポートしている。

 そうやって開いた隙間に飛び込めば、大抵はレインボーロケット団員の姿があって――――

 

 

「やあァッ!」

「ガハッッ!!?」

 

 

 面白いように、攻撃が入る。

 今は怪我の影響で足技しか使えないが、それを補って余りあるほどに動きやすい。

 オレに攻撃しようとするポケモンはワン太やチャムが対処し、指示を出すトレーナーはオレが蹴り飛ばす。背後など、目の届かない位置にいる敵はチュリが「いとをはく」で拘束し、時折適当な場所に放った「くものす」に当てに行くような形で敵を蹴り込めば、糸ダルマが出来上がる。

 

 だいたい、分かった。充分に育ったポケモンたちと共闘すれば、有象無象の一般団員なんてものの数じゃない。幹部級の実力者の持つポケモン相手でもなければ――止められはしない!

 

 

「バケモノかよあいつはぁ!?」

「止めろ……止めろォォォォォ!!」

「何を小娘一人にてこずっている! いいからポケモンをぶつけるんだよ!」

「ダメです! ルガルガンに止められ……こッ!?」

「糸!? ひ、ヒィィィ!!」

 

 

 怒号と悲鳴の行きかう戦場のただなか、オレは何人目かも分からない敵を蹴り倒しながら上層階に向けて、叫ぶ。

 

 

「――――出てこいランス! 決着をつけてやるッ!!」

 

 

 








 三階、市長室。階下の地獄を目にしながら、ランスは少女の声を聞いて、「あ、これは逃げなければ殺されますね」と確信して白目を剥いた。




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どくガス使いはご用心



 三人称視点です。




 

 

 

 市役所の上空から戦場を見下ろすヨウタは、アキラのあまりにもあんまりな戦いぶりに軽く戦慄(ドン引き)していた。

 露払いをワン太に頼んだうえで、自身はただひたすら蹴り、縛り、吊るす。せめて死人が出ないようにと、ヨウタはただ祈るばかりだ。

 

 レインボーロケット団の下っ端たちの、ポケモンの練度は低い。彼らにとってポケモンとは悪事の道具でしかないため、「鍛える」という概念が無いからだ。

 そんなポケモンたちが、ヨウタの手によって鍛え抜かれたワン太に勝てる道理はない。

 また、アキラの位置取りが巧いということもある。彼女は常にポケモンとの間に下っ端を配するようにして動いている。これでは迂闊に放った攻撃は味方に当たってしまう。圧倒的優位のはずなのに捉えきれない――下っ端たちの焦燥は、目に見える以上のものがあるだろう。

 

 

(それにしてもワン太……なんだか妙に張り切ってないかな?)

 

 

 ふと、なぜだかヨウタはワン太の動きが普段と比べて鋭いことに気が付いた。

 これまで暴れられなかった鬱憤を晴らすためか、チャムの足爪が食い込んで痛いからか、あるいは見た目は美少女のアキラがいるからか……いずれにしても、動きが良くなっている以上問題はないということにして、ヨウタはモク太に指示を出して四階のガラスに空いた大穴に飛び込んだ。

 

 市役所の中に入ると、戦闘の音はより大きくなる。モク太と共に現場に向かうと、「ばけのかわ」の首部分が折れ千切れ、満身創痍になりながらも果敢に会議室の扉を守り続けるミミ子の姿があった。

 

 

「ミミ子!」

「ギュギュ……」

「ちっ、来やがったか!」

 

 

 ヨウタの声に安心したのか、ゆっくりと身を横たえるミミ子。換わるようにしてその前方に躍り出たモク太が、「かげうち」によってレインボーロケット団員をポケモンごと叩き伏せた。

 

 

「野郎、下じゃなかったのか!?」

「どういうことだ、報告じゃ駐車場に……」

「こっちにもいるのか!? どうなっている!?」

 

 

 彼らの混乱は深い。アキラがワン太を連れていることで、ヨウタも駐車場にいるという勘違いも起きているようだ。

 加えて、そのアキラに対処するために多くの人員が駆り出されている。この階に送り込んでいた人員を割いたのだろう。

 しめた、とヨウタはモク太へハンドサインを送った。「リーフストーム」の合図だ。

 

 

「クォォォッ!!」

「「「うわあああああああっ!!?」」」

 

 

 前触れ無しに放たれた、切れ味を持つ木の葉を伴う暴風。レインボーロケット団員とそのポケモンたちはその表皮を切り裂かれ、猛烈な勢いの風に翻弄され、吹き飛ばされていく。殆どの団員が気を失い、あるいは動くことすらできなくなったタイミングを見計らい、ヨウタは会議室の中に向かって呼びかけた。

 

 

「大丈夫ですか!?」

「!? ……き、君は? さっきの女の子の友達かね?」

「とも……はい、そうです!」

 

 

 ヨウタの問いかけに応じたのは、くたびれたワイシャツを身に着けた壮年の男性だ。その手には空のモンスターボールが握られており、先の発言と併せ、彼がアキラによってミミ子を預けられたのだと推察できる。

 

 

(……アキラ、もしかしてかなり猫被って接してたんじゃ……?)

 

 

 一方、ヨウタは僅かながらそんなことを考えた。

 そもそも彼女がヨウタのことを「友達」だなんて形容するとは思えない。しいて言うとするなら「仲間」だろう。人質にされていた人たちを落ち着かせるためにそうしたのだとすればつじつまは合うが、違和感が拭えないのは確かだった。

 

 

「助けに来ました。ここは危険ですから、早く外に出ましょう!」

「あ、ああ! ありがとう!」

 

 

 わっ、と会議室に歓声が広がる。よほど重度の緊張に晒されていたためか、涙を流していたり、へたりこんでしまっているような者もいた。

 

 

(アキラが戦ってるのは、正面側……)

 

 

 その中でも、ヨウタは必死に考えを巡らせる。

 アキラが戦っているところに向かうのは一番の愚策だ。彼女の戦いに巻き込まれれば、一般人はただでは済まない。

 そもそもを言うなら、一階に降りること自体が危険だが、それはどうしようもない、とヨウタは飲み込んだ。敵がいたとしても自分が倒せばいい。その決意のもと、男性から受け取ったミミ子のボールに彼女を戻し、人質たちを先導しようとした――まさにその時だった。

 

 

「……!」

「おや」

「むっ……」

 

 

 階下からの足音が二つ。階段を登ってきたうちの一人は、赤いフードを被った男。

 そしてもう一人は――――

 

 

「……ランス!」

「アサリナ・ヨウタ! やはりおまえですか……」

 

 

 レインボーロケット団幹部の一人、ランス。

 ヨウタは一瞬彼のことを認識できなかった。ガーゼを張りつけ、包帯を巻き……アキラに殴られたことで骨折したか、ひどく腫れてしまったのだろう。痛々しい治療の跡が、その整った容貌を隠していたためだ。

 とはいえ同情して良い相手でもない。ましてや加減などもってのほかだ。もう一人の素性も分からない。

 ヨウタは、一番の相棒のボールを握った。

 

 

「アサリナ・ヨウタ……か」

「お前は!?」

「マグマ団幹部、ホムラ」

「マグマ団……ランスを助けに来たのか!」

 

 

 マグマ団は、ロケット団と統合した組織のうちの一つだ。当然、ヨウタとすればこれを見過ごすことはできない。

 二対一という不利な状況だが、狭い室内で、かつポケモンたちもちゃんと回復している。負ける気はなかった。

 対して、ホムラはヨウタの言葉に僅かに額に皺を寄せると、一つ息をついてボールを取り出した。

 

 

「……まあ、そういうことでいいだろう。行け、グラエナ」

「ゥガアッ!!」

 

 

 ホムラが繰り出したのは、黒と灰色の体毛を持ったポケモンだ。その反応を察知して、ヨウタのカバンの中からロトムが呼びかける。

 

 

「グラエナ、『あく』タイプのポケモンだロト!」

「分かった! ライ太!」

「ッサム!」

「くっ……直接のぶつかり合いなど主義ではないというのに……! マタドガス!」

「ガガガァ……」

 

 

 同時に、ヨウタとランスが二体目のポケモンをそれぞれ繰り出した。

 互いに向かい合う形で二体ずつのポケモンが並び立つ。

 一見すれば状況は互角、しかし――と、ランスは顔をしかめた。

 

 ――この場所は、狭すぎる。

 

 それは、元々が人が使うためだけにデザインされた施設であるというのが大きいだろう。ポケモンが存在しない世界の建築物なのだから、ポケモンバトルを想定しているつくりであるはずがない。ただ戦うというのも、容易なことではないだろう。

 しかし。

 

 

(何故笑っている?)

 

 

 ヨウタは、自信を感じさせる笑みを、僅かながらに浮かべていた。

 ポケモンの練度の差があることは確かだが、ヨウタは人質たちを守らなければならない。それは背後に攻撃を通してはならないということだ。場合によっては全ての攻撃を自身とそのポケモンだけで受けきる必要もあるだろう。

 彼はそれが「できる」と確信しているのだ。そうした上で、勝てる、と。

 

 三人とそのポケモンは、互いに適度な距離を測りながら、動き出した。

 

 

「ライ太、『バレットパンチ』! モク太は『かげうち』だ!」

「サッ!」

「クアァッ!!」

 

 

 弾丸の如き速度でライ太の拳がグラエナに迫り、モク太は周囲の影を操り、矢のようにしてマタドガスへと撃ち放つ。

 超高速の一撃だ。当然ながら、回避は極めて難しい。しかしホムラは冷静にそれを観察しながら、グラエナに指示を出した。

 

 

受けろ(・・・)グラエナ。そして食らいつけ、『ほのおのキバ』だ」

 

 

 あえて「受ける」という判断。腹部に叩きつけられた剛腕による一撃と影の矢は、確かに痛烈なダメージを与えた。だが同時に、グラエナはライ太の腕に火炎を纏う牙を食いこませた。

 

 

「マタドガス、『どくガス』を撒きなさい。ただし相手は彼ではなく、その背後だ」

「ガッガア……」

 

 

 対して、ランスはヨウタではなく彼の守るべき人間――人質に向かって「どくガス」を放射させる。

 これもある意味では正しい判断だ。そもそも、ランスではヨウタに敵うほどの実力を持たない。ならば、彼の「弱点」を突く。そうすれば、少なからず彼に手傷を負わせる結果になるだろう。

 

 ――――だが。

 

 

「モク太、『おいかぜ』!」

「クォォォッ!」

「ち……マタドガス、自分で出したものなのだから「のみこむ」のです!」

「ガッ!? ガゴオオオオ……!」

 

 

 ヨウタもまた、その程度のことは予測できている。

 一度はランスにしてやられた彼だ。だからこそ、こういった手段を取るだろうと理解していた。マタドガスの分類は「どくガスポケモン」。この状況でやることなど一つしか無いだろう。

 

 

「そんな無意味な小技に時間をかけるな。グラエナ、ジュナイパーに『イカサマ』!」

「ガアゥッ!!」

「ライ太、行かせちゃ駄目だ! 割り込んで!」

「サァァァ!」

 

 

 自ら牙を放し、黒く輝くグラエナの爪がモク太に迫る――その直前に、ライ太は己の腕を無理やり二匹の間に潜り込ませた。

 「イカサマ」は相手のポケモンのエネルギーを逆用して、その攻撃力をそのまま相手にぶつける技だ。ライ太――ハッサムの攻撃力は群を抜いて高い。弱点を突かれるかたちになるモク太よりもダメージは小さいだろうが、それでも被害は甚大だ。

 しかし、甚大であるからこそ、輝く技がある。

 

 

「『きしかいせい』!」

「――――ムァァッ!!」

「ギャウウッ!」

「……戻れ!」

 

 

 片腕にめり込んだ爪を抜かず、返さず――むしろ引き込むようにしながら、ライ太は音よりも早く、グラエナの頭に一撃を叩き込んだ。

 こうなってしまえば最早戦闘はできない。それを察したホムラは、グラエナをボールに戻して別のボールを手に取った。

 

 

「行け、コータス」

 

 

 次いで現れるのは、亀形のポケモン。背中から黒煙を噴き上げようと一瞬体を揺らすが、その直前にホムラの手によって止められた。この場でそんなことをすれば、相手のみならず自分たちの視界も塞がれてしまうからだ。

 更に言うなら、それに伴って消火設備が作動する可能性もある。有効範囲の狭い「ほのおのキバ」は、この状況に最も適した技だった。スプリンクラーを作動させるようなことはなく、仮に作動させたとしても、口の中だけで作用する効果であるため、影響が少なかったからだ。

 

 対して、コータスの技は有効範囲が広く、直接的に炎を吐く、噴き上げる……といった使い方が多く、水びたしになってしまえば悪影響を受ける可能性が高いことだろう。

 モク太とライ太に対して有利なタイプ相性であることには違いないが、高威力の技をまともに扱えない以上、不利は明らかだった。

 

 ふう、とホムラは一つ息を吐いた。

 

 

「流石に腕が立つ。どうだ、アサリナ・ヨウタ。我々マグマ団に従う気はないか?」

「ホムラ! まさかおまえ、そのつもりで……」

「冗談のつもりなら笑えないよ。あなたたちは全員倒すと決めてるんだ」

「何もレインボーロケット団に、というのではない。『マグマ団に』だ。彼らとはただの協力関係に過ぎない」

 

 

 はあ? と、常なら絶対に出すはずもない威圧的な態度で、ヨウタは聞き返す。

 

 

「何をどう言い繕っても変わらないだろう。どう違うって言うんだ」

「マグマ団の目的は、支配ではなく発展だ。陸地を増やすことで人類の発展を促す。それがマグマ団の目的だ。決して、人を虐げたいわけでは――――」

「どれだけの人が迷惑をかけられて、苦しんでると思ってるんだ! そう思ってるなら最初からレインボーロケット団になんて協力するべきじゃないだろ!」

「必要な犠牲だ」

「ふざけるなッ!! どんな目的があっても、それで人を傷つけることを正当化するなんて最低だ!」

「青臭い啖呵を切るのは結構ですがね、言っている場合ですか? マタドガス、『ヘドロばくだん』!」

「ンガガァッ!」

「!」

 

 

 ランスのマタドガスが攻撃を行ったのは、まさに絶妙なタイミングだった。

 どくタイプの攻撃が効果の無いライ太が前に出て攻撃を防ごうとするが、その細身の身体では炸裂したヘドロ全てを防ぎきることはできない。ポケモンならともかくとして、人間が……ヨウタがその毒液をわずかにでも受けてしまえば、すぐに即効性の毒が全身に回るだろう。

 

 ――――それを、ヨウタは壁を駆け上がって回避した。

 

 

「は……?」

 

 

 ランスは唖然とした。

 何だ今のは。意味が分からない。彼はいったい何をした?

 ランスを殴り倒したアキラ、彼女の身体能力なら理解できる。しかし、では、これは?

 

 困惑するランスだが、実情はと言うとごくシンプルなものだ。アキラの身体能力が異常なだけで――ヨウタの身体能力も、非常に高いということ。

 彼はアローラ地方の「島めぐり」を制覇したトレーナーだ。アローラの特殊な環境下で行われる数々の「試練」は、自然とヨウタの身体を鍛える結果となっていたのだ。そこに加えて、スカル団にエーテル財団、レインボーロケット団という、三つもの「ルール無用」を体現した組織との戦い。トレーナーが狙われることなど日常茶飯事であり、そうなるたびにヨウタの回避技術は磨かれていった。

 

 彼は、知略という面では迂闊なところがある。しかし、ポケモンバトル――戦いという面に限って言うなら、隙は無い。

 

 

「モク太、『かげぬい』だ!」

 

 

 宙返りして着地しようとするその最中に発せられた指示に応じ、モク太は影の矢を複数放った。

 ランスとホムラ、マタドガスとコータスの影に突き刺さった影の矢が、彼らを縫い留める。バトルからの離脱を許さず、また、その行動を多少ながら制限する、ジュナイパーという種族にのみ許された妙技。一瞬のうちに広がる静けさの中、ランスはこの戦いの趨勢が完全に彼らの方に傾いたことを理解した。

 そして、最悪の事態になったとも。

 

 静かになった(・・・・・・)ということは、つまり。

 

 

 ――――カツン。

 

 

 足音と共に、電気が弾けるような音が階下から発せられた。

 

 

「――――!!!!」

 

 

 ヤツだ。間違いない!

 全力でランスの脳が警告を発し、顔面が痛烈な痛みを訴える。それほどまでに、ランスにとって彼女の存在は鮮烈だった。

 

 ――――カツン。

 

 どこからともなく現れて、作戦を破綻に追い込み部下たちをなぎ倒し、ランスの顔面に拳を叩き込んで文字通り鼻っ柱を折った少女。

 まさか、この短時間で階下のレインボーロケット団員を全滅させたなど、ありうるのだろうか?

 

 ――――カツン。

 

 有りうる。

 流石にポケモンに勝てるほどの能力ではないはずだ。だが、それでも「まさか」と思わせるような迫力がある。実力がある。

 ポケモンを出す前にやられれば。あるいは出した後でも、指示を出す前にやられれば。

 

 ――――カツン。

 

 悪鬼羅刹か修羅の類か、いずれにせよ、その存在は作戦の失敗と共にトラウマとして刻み込まれてしまっていた。

 

 

「ホムラ、この状況はいただけません。撤退しましょう」

「そうしたいところだが……これでは」

 

 

 モク太の「かげぬい」は、敵の逃走を防ぐ効果を持った技だ。技の特性上、「テレポート」などの逃走用の技すらも効果を発揮できない。

 ランスはアキラへの対策として、普段は運用しないケーシィを取り寄せて手持ちに加えていたのだが、これではまるで意味が無い。

 では、「かげぬい」を破る別の方法――モク太を倒すことはできるか?

 否。不可能だ。あまりにもレベル差がありすぎる。

 

 

「絶対に逃がすものか……!!」

 

 

 オマケに、ヨウタは何があろうともランスたちをここで仕留めるつもりだった。

 そして、階下から現れるのは拳の鬼。敵対者に一切の慈悲も容赦も与えない怪力乱神。出遭ってしまったが最後、ランスもホムラも文字通り、物理的に打ち砕かれることだろう。

 

 そこで不意に、ランスはこの場に来る前に持ち込んでいたアイテムの存在を思い出す。

 

 

「ホムラさん! マタドガスに攻撃しなさい!!」

「!? ――――コータス! 『こうそくスピン』!」

 

 

 一瞬の思考の交錯。ランスの意図を察したホムラは、即座にコータスに命じて高速で回転させた体をマタドガスへぶつけさせた。

 ランスがマタドガスへ投げ渡したのは、「だっしゅつボタン」――逃げられない状態を無視できる、数少ないアイテムの一つである。

 瞬時にマタドガスがランスのボールに戻り、代わるようにしてランスの目前に黄色い体色のポケモン、ケーシィが姿を現した。

 

 

「ッ、逃がすか! ライ太、『バレットパンチ』!!」

「コータス、受け止めろ! 『まもる』!」

 

 

 ケーシィの前方にいたコータスの甲羅を中心として描き出された真円の波動は、逃がすまいとして放たれた一撃を見事に受け止めて見せた。

 

 

「詰めが甘かったですねアサリナ・ヨウタ! 今回は勝負を預けます。しかし、次はこうはいきません!」

「ランス!!」

「ランス、言っている場合か! 早くしろ!」

「分かっています! ケーシィ! 『テレポ――――」

 

 

 ――その瞬間、雷鳴が轟いた。

 足音は無く、ただひたすらに鋭いだけの、音ですら無い気配を感じる。ほんの一瞬にも満たない間隙(かんげき)の中、「それ」は雷霆の如き速度で彼らの背後から現れる。

 

 

「ッ!?」

「逃がすものかァァァァァ――――――ッ!!」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」

「ごはッ!!?」

「げえッッ!!?」

 

 

 ――紫電を伴う白い影。

 勢いをつけて飛び込んでくるその少女(かいぶつ)は、一撃のもとにランスの顎を蹴り砕いていった。

 

 

 








 ホムラはアニメに出演した時のキャラクター造形をイメージしております。



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決死必死のテレポート

 

 

 

 ――ここで逃がすわけにはいかない。確実に仕留める!

 それが、ケーシィをくり出したランスを目にした瞬間の思考だった。沸騰した脳は即座に全力全開の電磁発勁を選択し、床と平行に――落ちるように、矢の如く飛び出した。

 瞬時に、足裏に骨を砕く感触が伝わってくる。

 

 ――――()った!!

 

 確実に意識を奪った。

 この手ごたえにこの威力、脳は揺れるだろうし、仮にそうじゃなければこのまま追撃して、確実に殺――倒す!

 オレの町に手を出したこの男だけは、何があってもここで仕留める!!

 

 ランスは、白目を剥いて通路の彼方へと吹き飛んでいく。そして――その隣にいたらしい男も。

 

 

「『テレポート』しろ、ケーシィィィ!!」

 

 

 その最中、ランスの隣にいた男が叫びをあげ、二人とそのポケモンの姿が掻き消えた。

 どうやら、もう一人の赤服の男――マグマ団?――が、強引にケーシィに命じて「テレポート」したらしい。わざと自分から巻き込まれて飛んでいったのか。だとしたらとんでもない根性だ。

 

 取り逃がしたか、という怒りと、なんとかなったか、という安心が同時に胸の奥に湧いてくる。

 

 

「……逃がしたか……!」

 

 

 やりきれない思いを言葉にして発すると、ほんの僅かに怒りが和らいだ。

 冷静になれ。たった二人でレインボーロケット団の先遣隊を全滅させた上に幹部格を撤退させることもできた。オマケに、一人はあの傷。再起不能とまではいくまいが、しばらくはまともに動くこともできないだろう。だったらこれは大金星と言ってもいいんじゃないか? 腹は立つが、仕方がない。今は退けられたことを喜ぼう。

 

 

「大丈夫? アキラ。今にも人を殺しそうな顔してるけど」

「マジか」

 

 

 ヤバい。もしかして全然怒り収まってないなオレ?

 どうやら全く冷静になり切れてないらしい。反省。

 

 

「大丈夫だよ。あれだけやったんだから、きっと再起不能だよ」

「だといいんだけどな。半端にやって後で強化して発狂とかなったら目も当てられない」

「何の話?」

「ありがちな話」

 

 

 よくあるじゃん、ロボットモノで。強化しすぎたか……みたいなの。

 まあポケモン世界にそういうのは無かったと思うし、大丈夫……だと思いたいんだが。どうだろうな。

 

 ともかく、これから人質にされてた人たちに会うって言うのに、そんな人殺しみたいな顔してちゃマズいだろう。ヨウタとロトムに確認してもらって、なんとか普段通りの表情を作ってから二人と一匹(さんにん)であちらの代表者……市役所の課長さんに会いに行った。

 

 

「きっ、君たち! 大丈夫だったか!? うん!?」

「あっ、はい、大丈夫です」

「右に同じく」

「良かった……本当に良かった。それと助けてくれてありがとう、君たち」

「当然のことをしたまでです」

 

 

 そう言って謙遜してみつつも、ヨウタは心なしか耳を赤くして照れている。

 対して、課長さんはそんなヨウタの様子に涙ぐんでいた。子供が戦うところを間近で見て不甲斐なさを覚え――それでも止められないことを悟っているかのような表情だ。

 きっとこの人は善い人なのだろう。二人の様子を眺めていると、そんな印象を覚える。

 

 

「君たちは、これから何を?」

「敵の親玉を倒します。そのために……」

「とりあえず松山に」

 

 

 この辺で一番大きい街と言うと、やっぱり松山だろう。外から見ても目立つし、自衛隊の駐屯地もあった。レインボーロケット団各組織のボスたちの誰かも、そこにいる可能性が高い。

 そこから高速道路か……それが無理なら、下の道経由で各県庁所在地及び駐屯地付近へ。

 

 どっちにしろ、あんまりここに留まってても狙われるから、と注釈を入れると、後ろから割り込んできた女性が声を上げた。

 

 

「つまり、ここは安全なの? ……そうよね!?」

「え、いや……」

 

 

 問われたヨウタは、答えを返せない。そんなのありえないからだ。

 相手は一晩で四国のほぼ全域を蹂躙し、手中に収めたレインボーロケット団だ。そもそも四国を手中に収めることは彼らにとって「手始め」でしかなく、取りこぼしがあればすぐに拾いに行くことだろう。心底来ないでほしいが。

 

 

「安全かは分からないですが、ここよりは久川町*1の方が、狭い分防御がしっかりしてて安全だと思います。モンスターボールについても調べてもらってますし、自衛できるように何匹かポケモンも待機させてるので」

 

 

 あと、クマ子がいる。その一点だけで他の場所よりは格段に安全と言えるだろう。

 ……ともかく、オレの住んでた街、久川町へのアクセスはやや不便なところがある。南北に突き抜ける形で道路が敷設されているが、それ以外に町内に入る場所があまり無いんだ。

 その上、東には山、西には海。ある意味で天然の要塞じみた立地だと言ってもいい。少なくとも、平地よりは守りを固めやすいだろう。注意喚起もしてあるし。

 

 

「家を捨てろって言うの!? 生活を!?」

「いえ……強制はしません。信用できないという方もいらっしゃるでしょうし……」

 

 

 というかそんなの自分で判断してくれ。オレが横から口出しても納得しないだろうし、こっちだっていっぱいいっぱいなんだ。

 オレが内心そう思ってることを見透かされたのか、ヨウタは微妙な顔をしていた。

 ……そりゃ、助けた責任、なんて言葉はあるけどさ、より安全な場所は教えてるし、オレたちと一緒に行動する方が危ないんだ。これ以上オレたちがここでしてやれることなんて、無いんじゃないか?

 極限状態に置かれてヒスりそうになってるのは分かるが、こっちに当たって来られても……。

 

 

「ロケット団が持っていたポケモンの中にも、皆さんの言うことをちゃんと聞いてくれる子がいるかもしれません。不安なら、今から探してみませんか? 僕も手伝います」

「しかし……」

「気にしないでください。みんな無事なのが一番ですから」

「あ……ご、ごめんなさいね。どうしたらいいかしら……」

 

 

 ……と。鬱陶しさを滲ませそうになったオレの前に出たヨウタは、見事な主人公ムーヴでヒスりかけていたおばさんの態度をほぐすことに成功したのだった。

 こういう時、反抗期に突入していない純真な少年は、多方面に特攻を発揮する。

 そして、「そう」はできないオレが薄汚れているような気がして、なんとなく気後れを感じてしまうのだった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 結局、ヨウタは一階に転がしているレインボーロケット団の連中のボールを没収しに向かった。

 あの後急いで四階まで上がっていったものだから、縛り上げる余裕も無かったので、今回はチュリを同行させている。PPの残りにやや不安はあるが、ライ太やモク太が護衛についてるし、まあ、大丈夫……だろうか。

 

 さて。オレはというと、ヨウタから預かったミミ子のボールをメディカルマシンにセットした後、朝木を連れて市役所の中を漁っていた。

 

 

「俺、必要無いと思うんですけどぉ!?」

「やかましい。いいから働け」

 

 

 目的は主にポケモン用のアイテムだ。技マシンに薬に特別な「どうぐ」、それにモンスターボールとポケモンフーズ。特にモンスターボールは必須だ。

 今の残りは九個。オレとヨウタで五つ確保しておけば、今後フルメンバーを揃えるには充分と言えば充分ではある。が、それだと失敗した時や、他に仲間が増えた時に使えないということでもある。久川町でやったように他の市町でもモンスターボールの解析はしてほしいし、できるだけ多く確保しておきたいというのが本音だ。

 

 

「というか、俺を帰してくれよ……どうしようもないヤツなんだから、どうでもいいだろ……?」

「別にいいけど」

「えっ!?」

「裏切り者が平気なツラして帰ってきたのを見て、普通の人がどう思うかが想像できなけりゃな」

 

 

 喜色満面の笑顔から一転、すっと引いてった血の気と白目を剥いた壮絶な表情が、朝木の内心の衝撃と絶望を物語っていた。

 

 

「手伝わせてください」

「分かった」

 

 

 このくらいも予測できないなんて、想像力が足りないよってやつだ。

 いや、例を示せばすぐ理解する分、想像力は足りなくてもある程度理解力はあるんだろうか。

 ……となると、こいつらも、もういいか。

 

 

「ん」

「ん? ……あ、これ!?」

「返す」

 

 

 オレが朝木に差し出したのは、さっきこいつから没収していたズバットとニューラの入っていたボールだ。

 

 

「自分の身は自分たちで守れ。ただし、余計なことはするなよ」

「し、しないって……」

「どうだか」

 

 

 一度裏切った前例がある以上、こいつを信頼してポケモンを託す……なんてことには、絶対にならない。これは、こいつがどういう行動に出るかを知るためのリトマス紙だ。

 今は役に立つから見逃しておくが、次裏切るなら次は本気で殴り倒して再起不能にして山に放り出してやる。そうじゃないなら、まあ、いい。そのまま役に立ってもらう。

 一応、ポケモンがいないと自衛もできないだろうしな。命を脅かすことは本意じゃない。

 

 

「な、なあ、荷物、持とうか?」

「必要ない」

「いや、でも」

「いらない」

 

 

 今更ご機嫌取りのつもりか、そんなことを提案してくる朝木。当然オレは信用なんてしない。

 ぐい、と積み上げたポケモンフーズを持ち上げる。オレの腕で抱えられる範囲ではあるが、その高さは十二分。

 

 ふんっ、何が荷物持とうか、だ。変に気を回さなくたって、オレなら余裕なんだ、こんなの。

 

 

「……出入口、いいのか……?」

「………………」

 

 

 忘れてたわ。

 

 

「これで勝ったと思うなよ……!」

「え、いや……えぇ―――――……」

 

 

 そこから先は、しばらく朝木の生暖かい視線に晒されることになった。

 オレはひたすら作業に没頭することにした。くそう。さっきの醜態は忘れたい。何やってるんだオレ。一戦終えたからって気、抜きすぎだろ! 大丈夫かオレ!?

 

 ……とまあ、そんなこんなで一通りの選別と搬入を終えたわけだが、ここで少し問題が起きる。

 

 

「で、ボール……これだけか?」

「あ、ああ……うん。みたいだ」

 

 

 未使用のボールが、三つしかない。

 モンスターボールだけじゃなくて、スーパーボールとハイパーボールも混じってるってのはいいんだよ。これがあるだけで随分違うから。けど三つって! 収支そのものはプラスだけど、気分的にはマイナスだ。これだけ苦労して三つ。割に合わない。

 チュリやチャムみたいに、ほとんど流れで仲良くなれるようなポケモンがどれだけいることか。普通に捕獲しようと思ったら、二つ三つくらい普通に使うものだろうし……うーん……。

 

 

「ま、考えても仕方ない。これでいいか」

 

 

 よし、悩むのやめ。動こう。

 下手の考え休むに似たり。オレは殴るしか能が無いんだ。

 

 

「……やけにさっぱりしてるんだな」

「拘ってもしょうがないしな。ヨウタを手伝いに行くぞ」

「おっ、おう。分かった……」

 

 

 ……で。

 そうしてヨウタのもとに向かったはいいが、小一時間程度市役所の中を物色してた程度で、下っ端どもの拘束やポケモンの選別が終わるはずも無かったりして。

 結局、オレたちが手伝いに行ってから更に三時間ほどかけて、どうにかこうにか作業を終わらせたのだった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「……月、めっちゃ照ってるんですけど」

「そうだな」

 

 

 それからまた更にもう一時間ほど。気付けばとっぷりと日も暮れ、空には月が昇っていた。

 家を出た時間も時間だったからしょうがないとはいえ、時刻は既に深夜に差し掛かろうとしている。そんな中、オレたちは松山市に続く道をバイクと車とで並走していた。

 

 ……結局、オレたちはあの後、あの人たちを市内から出る手前くらいまで送り届けることにした。オレたちが来た時は特に問題は無かったものの、夜道はポケモンが飛び出してくるかもしれないし、ポケモンの扱いを詳しく知らない街の人たちだけで先に行かせて、問題が起きてもいけないから……というのがヨウタの弁。それもそうだなということで同行。結局特に何も起きなかったけども。

 

 それで結局この時間になってしまったわけだが、どうやら朝木はそこが気に入らない……というか、怖いらしい。気持ちは分からんでもないけどな、奇襲されるかもしれないし。

 

 

「いや『そうだな』じゃなくて! 無いのか!? こう、休もうとかさっ!」

「夜討ち朝駆けってやつだ。夜襲にはもってこいだな」

「諦めてくださいレイジさん。アキラってこういう子なので」

「頭おかしいんじゃねえの……」

 

 

 何だこの野郎失礼なやつだな。

 

 

「でも実際無茶だよ。相手は誰になるか分からないけど、伝説のポケモンがいるんだよ?」

「こっそり忍び込んで闇討ちすればやれるかも」

「居場所分かってるの?」

「……むぅ」

「計画性ゼロかよ!?」

 

 

 そんなことねーし。ただ……そう、松山は特徴的な建物が多いのがいけない。

 松山城は言うに及ばず、県庁に市役所に地裁に坂の上の雲ミュージアム、市民会館もあるし萬翠荘もあるし、居場所を絞り込むのは……まあ、ちょっと難しいかもだ。

 でも、派手な動きを見せてる場所に行けばいる。はず。たぶん。

 

 

「じゃあそっちこそ何か無いのかよぅ」

「えっ」

「いや……まあ……その」

「無いんじゃねーか」

 

 

 しかし、それは……まあまあマズい事態じゃないか? 作戦ってものを考えられる人間が誰もいない。オレの考えることなんて言わば作戦モドキ。結局のとこ、今回のも地力でゴリ押ししてるだけだったし。

 ……じゃあどうすりゃいいかってそれもなーあー。どこかに軍師落ちてないかな、諸葛孔明みたいなの。

 

 そう考えながらぼんやりバイクを走らせていると、不意に気配を感じた。

 

 

「君たち、止まりなさい!」

 

 

 そんな制止の声と共に、けたたましいホイッスルの音が響く。

 この先の道……ではなく、そこから少し脇に逸れた場所。普通に走ってたら意識を向けづらいようなところから発せられたものだ。

 

 レインボーロケット団か? いや、あいつらなら警告もせずにそのまま攻撃するだろう。じゃあ、これは……。

 警戒しながらバイクと車をその場に停めると、暗がりから複数人の男女が姿を現す。彼らはいずれも迷彩服を身に着けていて――嫌でも、オレたちにある存在のことを思い起こさせる。

 

 

「……自衛隊?」

 

 

 ――――伝説のポケモンの攻撃で壊滅したはずの自衛隊。

 その亡霊か、あるいは生き残りが、オレたちの行く道を塞いでいた。

 

 

 

*1
アキラとその祖母たちの住んでいる架空の町の名前







 アキラの住んでいる町にもモデルはあるのですが、現実に即していない描写が少なからず見られるため、架空の町名にしています。



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あくびをしている暇も無し

 

 

 ……相手は、武器を構えている様子はない……ように見える。殺意や敵意なども感じられない。どうやら敵というわけではないらしい。

 無視して通り抜けてもいいが、彼らは別に敵対者ってわけじゃない。雰囲気こそ剣呑だが、それは戦う者特有のそれであって、決してこちらと敵対しようとしてるわけじゃないんだと思うが……。

 

 どうする? と意見を仰ぐようにヨウタに視線を送ると、ヨウタは彼らを見ながら一つ頷きを返した。話してみよう、ということらしい。荒事は避けたいと見える。朝木は彼らが亡霊か何かかと思ってるのか、顔を蒼褪めさせて涙目になっている。

 

 

「少し、よろしいですか?」

 

 

 先頭にいた壮年の男が、丁寧な語調で話しかけてくる。やけにゆったりとした、どこか作ったような声音は、彼が市民に優しく接することを心掛けているからか。

 となると、まあ、やっぱり市民の味方と思って間違いないだろう。礼儀として、応じる意思があることを示すためにも、オレはヘルメットを取って彼らに素顔を晒すことにした。

 同時に自衛隊員たちの中から「おおっ」などと声が上がったが、その人物は直後に隣にいた女性隊員に頭を殴られていた。

 

 

「構いません。あなた方は?」

「我々は松山駐屯地の生き残りです。壊滅した部隊を再編するため、こちらに退避してきておりました。市民の救助や避難誘導も兼ね、松山市へ向かわないようこちらで呼びかけているのです。あなた方何を?」

 

 

 なるほど、幽霊とかじゃないらしい。行動目的も咎めるようなもんじゃないが……あんまり良くないぞ、これは。よろしくない。

 何を、と聞かれても、こっちはその松山に行く気満々なんだ。朝木は行きたくなさそうにすさまじくムカつく顔してこっちを見てるが、行かなきゃどちらにせよオレたちが生きられる場所が無くなるってことを理解してるんだろうかコイツ。

 

 

「松山に」

「……は? ごほん。いえ失礼。その松山が大変危険なのです。あなた方も放送は見られたと思いますが……」

「はい。ですので、これからその連中を倒しに」

「……? ……???」

 

 

 おっと。おじさんこれは明らかに気狂いを見る目ですよこいつは。

 いや、まあ、ね? オレだって分かってるんだよ、無茶苦茶言ってるのは。明らかに行っちゃいけないところに行こうとしてる子供がいるなら、そりゃあ職務以前に人として止めるだろうって。

 

 

「松山に、行ってはならんと、言っているのですが」

「知っています。それでも行かなきゃいけないんです」

「詳しくお話をうかがっても?」

「勿論。ヨウタ」

「ああ、うん……僕が説明するんだね……」

 

 

 ごめん。そこは本当にお任せだ。

 オレ、こういう説明しようとして分かってもらえなかったりすると、イライラしてどうしても喧嘩腰になりそうになるし、多分そもそも向いてない。朝木は論外。

 

 その点、ヨウタは穏やかだし、何より当事者だ。ロトムっていう解説役もいるし、オレや朝木よりは確実に説明役に向いているはずだ。

 あっちとしても、ポケモン世界の悪役がこちらの世界にやってきたとか、ポケモンがこっちにやってきた……くらいの事情は把握してるはずだし、そこでヨウタからちゃんとした説明を受ければ、正確な状況も把握してくれることだろう。

 

 

「福徳泉公園で炊き出しなどを行っています。そちらに移動しましょう」

「分かりました。車って停められます?」

「ええ、大丈夫です。誘導しますのでこちらへ」

 

 

 とりあえず、そういうことにした。

 オレたちとしても、ちゃんと味方になってくれる人がいるかもしれないのわけだから断る理由は無い。

 

 ……ただ、古今東西、混迷した状況に乗じて他人の足を引っ張って利益を得ようとする人間は、少なからずいるわけで。

 味方になってくれるかもしれない、市民の味方かもしれない――と思いつつ、余計な落とし穴が待っていたりしないか、やや警戒しながら話し合いに臨むことになった。

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 レインボーロケットタワー中層、会議室。そこでは六人の頂点(ボス)たちが一堂に会していた。

 マグマ団の頭領(ボス)、マツブサ。

 アクア団の代表(ボス)、アオギリ。

 ギンガ団のBOSS(ボス)、アカギ。

 プラズマ団の創始者(ボス)、ゲーチス。

 フレア団の指導者(ボス)、フラダリ。

 そして、ロケット団の首領(ボス)、サカキ。

 四国に影を落とす六人の「悪」。彼らは部下から上げられてきた情報をもとに、この日の情報共有を行っていた。

 

 

「トクシマでは大きな問題はありません。しいて言うなら『整形』する以外にも何割か陸地を沈めておくべきでは、というところでしょうか」

「戯けたことを抜かすなよアオギリ。計画の障害になるならお前から始末してもいいんだぜ」

「マツブサ……貴様に言われるまでもありませんよ。そちらこそ、無意味に余計に海を埋め立てているのではありませんか?」

「フンッ」

 

 

 マグマ団とアクア団は、元から敵対関係にある組織だ。数ある並行世界においても、それは変わらない。しかしこの二人については、通常考えられるそれを明らかに逸脱するほどに険悪な仲だった。

 それは、両者が「自分の勝利した世界」から来たからに他ならない。故に互いが互いを軽んじる。それが伝わることで更に仲が険悪になる……ということを繰り返しているのだ。

 

 そのような彼らを意に介した様子も無く、アカギが口を開く。

 

 

「コウチは問題無い。だが――ディアルガとパルキアの力は依然回復していない。しばらく大規模な行動は起こせないだろう」

 

 

 四国を外部から隔離し、分断した時空断層は、およそ通常のポケモンでは破壊も突破もできないほどの強度と持続力を誇る。伝説のポケモンが作り出したこともあって非常に安定しているが、それだけのものを作り出すには、相応のエネルギーが必要であった。

 本来のディアルガとパルキアであれば、この程度のものは造作も無く作ることができただろう。しかし、アカギの操る二匹は、既に一度アカギの望む「新世界」を作り出したことで多くのエネルギーを消費していた。そのような状態ではこの程度(・・・・)のことすらも大きな負担となってのしかかる。

 

 

「仕方がないな。『赤い鎖』の調子はどうかね?」

「修復はしているが、いつ完全に亀裂が消えるかは分からない。運用には問題が残るだろう」

 

 

 ごく冷静に、無機質とすら言えるほど平坦な声音で、淡々とアカギは自身の現状を述べた。

 伝説のポケモンの中でも限りなく「神」に近い権能を有するディアルガとパルキアは、ただ単にボールに収めただけでは命令を一切受け付けない。その二匹を強制的に操るためには、「赤い鎖」というカギが必要になる。

 が、今日この日までに幾度となくその力を行使した結果、肝心要の「赤い鎖」に亀裂が生じたのだ。やけに激しいエネルギー消費も併せて、ディアルガとパルキアが抵抗している証だとアカギは考えていた。マスターボールに収めただけで只人に従うほど、彼らもプライドは低くないのだ。

 

 次いで、赤毛の男――フラダリが切り出した。

 

 

「カガワの支配には時間がかかる」

「君にしては珍しい。何かあったのか?」

「反乱分子だ。もっとも、殲滅にはそう時間はかからないはずだ。そちらが終われば選別(・・)に取り掛かる。場合によってはそちらの方が時間がかかるかもしれないな」

「分かった。では引き続き、侵略活動は任せよう」

「…………」

 

 

 鷹揚に言葉を返すサカキに、フラダリは鋭い視線を向ける。命令するようなその口調に対して、彼は反感を抱いていた。

 そもそもを言えば、フラダリはサカキのような「悪人」を毛嫌いして――自分も同類とはいえ――いる。そのような人間に命じられて行動するというのは、内心はらわたが煮えくり返る思いだろう。

 

 しかし、それに異論を差し挟むことは無い。いや、差し挟めない。

 彼らは、同盟関係にはあるがそこに上下の差はない――そのはずだった。

 

 

「では、続いて最大の脅威であるアサリナ・ヨウタとその同行者について、お伝えしておきましょう」

 

 

 その図式を覆した原因たる男――ゲーチスが話し出したのを見て、マツブサとアオギリ、フラダリの忌々しげな視線が飛んだ。

 

 ゲーチスは、事実上レインボーロケット団のナンバー2である。

 本来、彼ら六組織のトップは、ほぼ同数の伝説のポケモンを保持していることもあってほとんど対等な関係であった。しかし、ゲーチスはその図式を好まなかった。

 彼の目的は、自分以外の全ての人間がポケモンを持たない世界。それによってより確実、かつ盤石な支配を行うことである。そのために、彼はより扱いやすい、自身の手足となって動く駒……あるいは、裏から操って利用できる、都合のいい「組織のトップ」というものを求めた。その対象に選ばれたのがサカキだ。

 

 曰く、「純粋な悪の思想を持った目的の分かりやすい人間」。ゲーチスはその下につくことで、自身の存在を目立たせず、それでいてサカキが有利になるように様々な陰謀を巡らせ、組織の版図を書き換えた。

 実際に、この目論見は成功だった。

 虚無的で厭世的なアカギを除く他の三人は、我が強く、いざとなれば反逆も厭わない人間だ。だが、伝説のポケモン4体を相手にするとなれば、迂闊なことでは動けない。

 いくら強力なポケモンを持っていたとしても、同格の相手が複数いて勝てると思えるほど、彼らは自惚れてはいなかった。

 

 

「彼らはイヨシティを解放した後、マツヤマ方面へと向かったことが報告されています。マツブサさん。あなたの支配区域になりますね」

「……おうヨ」

「アサリナ・ヨウタですが……彼は要りません。抹殺し、ウルトラビーストを奪ってしまいなさい」

 

 

 露悪的な提案に、思わずマツブサは顔をしかめた。

 彼は邪魔者には容赦しないが、人殺しという手段を積極的に採ることができるほど狂ってもいない。そもそもを言えば、マグマ団の目的はあくまで陸地を増やして人類の発展に寄与すること――立場としてはむしろヒューマニストに近い。

 

 

(下衆め)

 

 

 マツブサは内心で毒づいた。奇しくも、彼のもっとも嫌うアオギリも同様の感情を示していたが、そのことにマツブサが気付くことは無かった。

 

 

「同行者の少女、彼女は可能なら捕らえてタワーへ送ってください」

「相当厄介な存在だと聞き及んでいるが?」

「手足の二、三本も切り落とせば抵抗もできないでしょう。生きてさえいれば構いません」

「……では、そのようにしよう」

 

 

 フラダリは内心でゲーチスを粛清対象のリストの最上位に記した。

 彼も手段は選ばない人間だが、ならば子供を傷つけ、殺すことに忌避感が無いかと言えば嘘になる。

 

 

「確かもう一人いたはずですが?」

「彼は路傍の紙屑のようなものです。適当に始末すればそれでよろしい」

「…………」

 

 

 ゲーチスは曲がりなりにも「七賢人」と呼ばれた人間の一人である。人間観察力に長け、一を聞くだけで十を知る程度には知恵と経験に溢れていた。

 その上で、彼は朝木レイジという青年には何の価値も見いだせなかった。戦いに参加できるでもない。十全なサポートができるわけでもない。弁が立つわけでもない。放っておけば戦いに巻き込まれてそのうち死ぬだろう。それがゲーチスの結論だ。

 

 アオギリは僅かに目を伏せた。聞いておいてこれだが、いささか辛辣すぎはしないか。ゲーチスは彼に何か怨みでもあるのだろうか。

 

 

「方針はそのようなところだ。各地域の支配に着手しながら、抵抗勢力の排除を頼む。必要とあらば該当地域に我がロケット団の精鋭幹部を送り込もう」

「それでは、本日はこれにて。解散しましょう」

 

 

 その後、三つ四つほどの連絡事項を伝えた後、ゲーチスとサカキの締めの言葉が発せられ――マツブサ、アオギリ、アカギ、フラダリの姿が消失した。

 会議室に設置された、巨大ホロキャスターの機能だ。各地域にいる人間の姿を投影することで、疑似的に「その場に立ち会う」形での会議を成立させる。フラダリの技術は見事に有効活用されていた。

 

 数十秒ほどが経ち、誰の姿も無いことを確認したゲーチスが、赤い液体の入った小瓶を手にサカキへと近づく。そのことに気付いたサカキは唇の端を僅かに歪めると、その小瓶を大事そうに受け取った。

 

 

「サカキさん、これを」

「早いな。もう手に入れたのか」

「ええ。優秀な部下を向かわせたものですから。ですが数十倍に希釈してその量です。サンプル程度には使えるかとは思いますが……」

「それでいい。まだ実験段階だ。いずれ現物を手に入れれば問題は解消される」

「そうですか。では、私はこれにて……」

 

 

 恭しい態度で下がるゲーチスとは対照的に、笑みを深め思索するサカキ。

 夜が深まっていくように、彼らの策謀もまた暗く、深い場所へと沈んでいく。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 結論から言うと、自衛隊員の人たちはすんなりと事情を理解してくれた。

 そもそも、状況が状況だ。伝説のポケモンに襲われた上にレインボーロケット団が電波ジャック、加えて外を出歩けば野生のポケモンだ。

 ちょっと異世界人が紛れ込んでたり、それがポケモントレーナーだったりしても、その程度のことならすんなり受け入れられる。市民の味方ってことなら尚更だ。

 もっとも、あちらの警戒の色は薄れていないし、どうにも後ろの方でこちらを見ながら何か話し合いをしているあたり、企んでいることは何かありそうだが……。

 

 

「……お話は分かりました」

 

 

 ヨウタからの説明が終わった後、自衛官の男性は複雑そうな表情をして見せた。

 

 

「詳しく話を進めたいところですが、この時間です。まずは一度休憩して、翌朝話し合いましょう。皆さんも疲れていることでしょう」

「そう……ですね。分かりました」

「良ければ、こちらで休んでいかれますか。女性もおられるようですし……」

「? ……あ、そうで」

「お構いなく。車があるのでそちらで休みます」

「しかし……」

「アキラ、折角言ってくれてるんだし」

「保護されてる人たちも、急に知らない人間が割り込んだら気を遣うでしょ」

 

 

 あと、オレが気を遣う。そういう意図を示すために、隠れて軽くオレの方を指差すと、察してくれたのかヨウタも渋々同意をしてくれた。

 

 

「では、駐車スペースに案内します。こちらです」

「はい」

 

 

 と。そうして案内されようとする直前、不意にオレたちの視界に、この場にいるとは思えなかったあるポケモンの姿が数匹目に入る。

 そいつは……そいつらは、自衛官さんを見つけると、すぐに駆けよってきて整列を始めた。

 

 

「ゼニゼニっ!」

「夜間哨戒ご苦労、ゼニガメ曹長」

「ゼニガメ……そうちょう?」

「ああ、すみません。総員、敬礼!」

「ゼニッ!」

 

 

 びしっ、と……やや不揃いなところはあるが、それでも見事に敬礼をしてみせるゼニガメたち。モンスターボールに入ってもないポケモンが軍隊行動……? と圧倒されていると、横から朝木が口を出す。

 

 

「は、はは……なんだかゼニガメ消防団みたいだな……」

「何ですか、それ?」

「昔、アニメでやってたんだ。イタズラ者のゼニガメの話でさ。思ったよりずっと社会性あるんだな……」

「それ、どの話だ?」

「え、確か、無印の最初の方*1……」

「……どれくらい前だっけ」

 

 

 そう聞くと、朝木は頭を抱えた。強いジェネレーションギャップを感じたらしい。

 隊員の人も目頭に手を当てて何やら考え込んでいるようだった。そういうつもりじゃなかったんです。ホントすみません。

 

 

「……彼らは我々が逃げてくる時に保護したゼニガメたちです。駐屯地横の池に落ちてきたようでして」

「なるほど、それでこんなに懐いてるんですね」

「懐いて……いるかは分かりませんが、野生のポケモンから守ってくれています。頼もしい限りです」

 

 

 経緯はオレとチュリの時と似たような感じになるのか。本気で命の危険があったようだから、比べられるもんじゃないが……。

 まあ何にせよ、ポケモンと人間がお互いに信頼してるってのはいいものだ。

 

 

「ともかく、こちらに駐車をお願いします」

「はい、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。興味深い話をありがとうございます」

 

 

 それでは、と去り際に帽子を取って挨拶していく自衛官の人。丁寧な対応に、こちらも感謝しきりだ。

 朝木は車に戻り、この場所まで移動。それから改めて、オレたちは車内のスペースで顔を突き合わせていた。

 

 

「あの人ら絶対腹に一物抱えてるぞ」

「ブーッ!!」

「汚ぇ!!」

「ご、ごめん! ごめんなさい!!」

 

 

 口に含んでたもん吹きだすんじゃねえ! どっかの探偵じゃねえんだぞ!!

 くそっ、もしかして何も考えてなかったのかよこいつ! ヨウタも流石に苦笑してるぞ! 

 

 

「気持ちは分からないわけじゃないけど、確証はないよ」

「今から確認しに行く」

「悪い人には見えないけど……」

「責任感が暴走してやらかすヤツなんて、いくらでも例はあるぞ」

 

 

 悪人だから害をなそうとするとは限らない。善人だからこそ、害をもたらすことだってありうるんだ。

 今の状況でレインボーロケット団に対抗するためには、ポケモンが絶対に必要になる。それを「子供に戦わせるわけにはいかないから」って理由でオレたちから取り上げるってこともありうるだろう。ポケモンに対する知識が無きゃ尚更だ。よかれと思いつつも、兵器扱いして無茶なことしてもありえないことじゃない。

 

 

「オレだって別に、ああいう人たちをぶちのめす気は無い。もし何かありゃ適当に逃げるさ」

「悪人だったらぶちのめすこと前提の行動はやめてくれないかな」

「……ぶちのめすものだろ?」

「頭スカル団かよ」

「スカル団よりはギリギリ善人寄りかな……」

 

 

 何だお前ら二人して悪くいいやがってちくしょう。

 最短ルートじゃんよぉ。

 

 

「……それで、あの……寝床、どうするんだ……?」

「雑魚寝でいいだろ」

「よくないだろォ!?」

「良くないと思うよ本当にそこは」

「は? ……ああ」

 

 

 ああ、そういうことか。こんな状況で考えなくてもいいだろ普通。

 朝木に至っては顔真っ赤になってる……一方で青くなりかけてもいる。紫色だ。暴力を振るわれないかが心配なんだろうか。

 

 

「いいよ、オレは外で寝る」

「こっちで寝ろよ!?」

「こっちで寝た方が良いよ、僕ら外か運転席に行くから」

「いいよ。体は丈夫だ」

 

 

 そりゃあ、普通の女だったら遠慮なくそうしてたかもしれないが、オレの身体は特別製だ。ちょっとやそっとじゃ風邪なんて引かないし、虫の歯も通らない。もう随分暖かい季節だ。大したことは無いだろ。

 

 

「そういうのも想定してコート着たりしてるんだ。チュリに糸出してもらってハンモックにでもして、一人と二匹(さんにん)で寝るよ」

「話だけだと牧歌的だな……」

「チャムを抱いて?」

「ああ。湯たんぽ代わりに」

「ゆたんぽ」

 

 

 摂氏千度の火を出せると言っても、それを制御できないわけでもない。体温は高いが、別に持ってられないわけでもないんだ。寝る前に羽繕い(グルーミング)の真似事もしてやりたいしな。

 

 

「ともかくそういうこと。じゃ、オレはちょっとあっち見てくる」

「あ、そうだ。アキラ。あの人たちにボールを分けてあげたいんだけど、いいかな? ゼニガメの数と、あと一つ」

「……ヨウタが決めたことならいいぞ」

 

 

 一瞬、考え込んだ。

 モンスターボールはギリギリ10個超えた程度の数しかない。正直に言って滅茶苦茶惜しい。けど、仕方ないか。

 ゼニガメたちも、いつまでもあのままではいけないだろう。いくら心が通じ合ったからって言っても、まだ「野生のポケモン」であることには変わりないんだ。自衛隊の人たちが保護してる民間人を怖がらせることにもつながりかねない。それに、あの人たちにとって、もうゼニガメ部隊は仲間だ。仮の住まいにも緊急避難場所にもなるモンスターボールがある方が安心できるだろう。

 

 ……それに、自衛隊の生き残りの中に工作が得意な人がいれば、そういう人にモンスターボールを複製してもらえるかもしれない。あわよくばここで増やしていける。

 情けは人のためならず。巡り巡ってこっちに返ってくるかもしれないと思えば、それもいいさ。

 

 

 

*1
12話。1997年放送。






 ①からあげ
 ②チャム
 ③ゆたんぽ ←New!



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夜闇に灯る蒼紫のはっけい

 

 

 

 福徳泉公園は、伊予周辺だと二番目に大きい公園だ。

 国道からはやや外れた位置にあるものの、自然に囲まれ、春になると綺麗な桜が見られるこちらの公園の方が好きだという人は多い。

 この辺りで一番大きな公園の方が、避難してきた人たちを保護するにはちょうどいいのかもしれないが……ヨウタが戦ったショッピングモールと隣接している関係上、レインボーロケット団がいたあちらには行けなかったのだろう。

 

 オレたちの車は、今のところ公園入口の駐車場に停めているのだが、自衛隊の人たちも主にこの周辺に車を停めている。水タンク車や、野外炊具……だっけ。あと、大きなトラックも。

 運転席で眠っている人も多いようだが、一方で、寝たフリをしてこちらを観察しているらしい人の姿も見える。

 

 ともあれ、それで見つかるほどオレも未熟じゃない。気配を消して適切な距離を保ち、動くべき時は素早く、鋭く動く。

 人間の動作には必ずと言っていいほど「意」というものが伴う。敵意、悪意、害意、あるいは善意も。注意というのは「意を注ぐ」ということだ。それを正確に読み取れば、相手の動きくらいは読んで動くことができる。

 そうして向かうこと少し、自衛官の人たちが集まっている場所に到着した。見張りは……それなりに多い。まあ、場所が場所だからな。警戒するに越したことは無いだろ。オレみたいな不埒者もいるしな。それはそれとして侵入はさせてもらうんだが。

 

 

「――結局、我々は不甲斐なくも市役所の奪還を彼らに丸投げしてしまった形になるわけだ」

 

 

 ――とと、声が聞こえてきた。これは……さっきの、ええと、中隊長さんだったっけか。

 

 

「しかし、あれは仕方ないことでは? 現在の我々では太刀打ちできる装備もありませんし、ポケモンも……」

「それを理由にするわけにはいかない。一般市民に戦わせているのだぞ!」

「その一般市民の方が強いんですが」

「そんなことは分かっている! 東雲、余計な口を挟むな!」

「あ痛ッ! ……申し訳ありません隊長!」

「よし!」

 

 

 どうやら、流石に現状のことは理解しているらしい。

 ……こうして話を(盗み)聞く限り、彼らの信念は立派なものだと思う。戦いを本業とする人間として、そうではない人たちを守ろうとして、彼らに負担を強いたことを悔いる。大人としては理想的だ。

 ただ、少し認識が間違っている。オレもヨウタも、覚悟したうえで戦ってる。死んだって……いや、まあ、死ぬのは嫌だし悔いは残るけど。そんなことよりもヤツらの好きにさせておく方がもっと許せん。グローブはめてギチギチやって台詞全部に濁音がつくくらい許さん。そういう気持ちを汲んでほしい、っていうのが正直なところだ。

 

 

「しかし、隊長。東雲の言うことも無視できません。事実、我々よりも彼らの方が強い。ゼニガメ隊は頼もしいのですが力不足でしょう」

「それに、指示を出す我々も……まるで経験の無いことじゃないですか」

「…………」

 

 

 考えて見れば当然のことだが、あの人たちは自衛隊員としての訓練しか積んでいない。隊長さんなんかは指揮の経験はあるだろうけど、一般の下士官がどうかっていうのは……どうだっけ。現場指揮くらいはするか? まあ、いずれにしたって現実世界でのポケモントレーナーとしての経験なんて、カケラも無いはずだ。

 ……まあ、指揮能力に関してはオレも普通の一般人並だけど。お粗末もいいところだ。戦ってる最中、しょっちゅうチュリたちの判断に任せてるし。

 

 それでもオレたちが戦えてるのは、それ相応のものを持ってるからだ。

 ヨウタはポケモンバトルが強い……とだけ言うとなんだか大したこと無いように聞こえるが、その一点が徹底的に飛び抜けてる。それこそ、サカキの手持ちを全滅させたうえでミュウツーを追い詰めるレベルで。

 オレは腕力でだいたいなんとかできる。

 何にせよ、そのくらいの「何か」が無いと戦い抜けない――あるいは、戦っても死ぬ可能性が高くなるってことでもある。数は力とは言うが、半端な力では伝説のポケモンの力の前に蹴散らされるだけだ。今はむしろ、少数で動く方が面倒が少ない。

 

 

「……この中でポケモンの知識がある者、挙手しろ」

 

 

 と、そんな中、ふとした拍子に隊長さんがそんなことを問いかける。ちらほらと手が挙がったが、意外なことにそれを問う隊長さんもまた同じように手を挙げていた。

 

 

「隊長?」

「娘の付き添いだ。映画くらいは見たことがある」

 

 

 特典が欲しかったそうだ、という隊長さんの言葉に、小さく笑いが起きる。

 その娘さんガチ勢とかいうやつではないだろうか。

 

 

「娘さんの方が強そうだ」

「だろうな。だがそうするわけにはいかんのだ」

「ではどうするんです? 彼らのポケモンを接収すれば――」

「それはならん!」

「は――――?」

 

 

 一喝。

 オレの想定していた悪い想像は――他ならぬ隊長さんの言葉によって断ち切られた。

 

 

「知らんのか。ポケモンというのは彼らにとっては家族同然の存在だ。『君を戦わせないために家族を差し出しなさい』などと言えるのか? え?」

「申し訳ありません。出過ぎたことを言いました!」

「ですが隊長、そうするなら対案は必要です。今、我々がどうしようもないということには変わりないんですよ」

「分かっている。案はあるが煮詰める必要がある。まずは、多少なりにもポケモンの知識がある者を集めろ」

 

 

 その指示と共に、隊長さんの周りにいた人たちが動き出す。

 そろそろオレも動かなきゃバレるな。この流れならあまり嫌な結果にはならないだろうし、信用してもよさそうだ。

 

 ……もっとも、なんだ。オレ、さっき明らかに悪い風に言っちゃってるんだよな。そこは当人たちには聞こえてないとはいえ、内心で平謝りだ。

 でもさ、だって漫画なんかだと、こういう極限の状況下だと自衛隊や警察が暴徒と化すなんてよくある話じゃないか。市民襲ったりさ。そりゃまあ、一般的なモラルを持ち合わせてたら、そんなことしようとも思わないのが普通だろうけど……。

 

 いっそ土下座でもするか。でもあの人たち何でそんなことしだすのか理解できないだろうしな……と。そう思った時のことだった。

 

 

「ゼニ~!」

 

 

 不意に、遠くからゼニガメの声――悲鳴が聞こえてきた。

 どういうことだ、と思う間も無く、心のスイッチが潜入から戦闘のそれに切り替わる。

 悲鳴――助けを呼ぶ声だ。全身の生体電流が活性化し、体の端々から紫電が迸る。地面を蹴ってその場から飛び出すと、オレの身体は即座にトップスピードに乗って駆け出した。

 

 声がしたのは……水の広場の方だ。見れば、その中央付近。ゼニガメの撃ちだす「みずでっぽう」を躱し、代わりとばかりに突撃する影が見える。

 その四肢には、夜闇の中でも目立つ蒼い炎が絡みついていた。奇しくもその淡い光が、襲撃者の姿を照らし出す結果になっていた。

 

 

「……リオルか!」

 

 

 「はもん」ポケモンリオル。「波動」と呼ばれる生体エネルギーを操るかくとうタイプのポケモンだ。

 見た目は可愛らしいが、その攻撃は俊敏かつ的確。「でんこうせっか」と思われる技でゼニガメを翻弄している。

 「はっけい」は使っていないのだろうか? だとするとレベルはそこまで高くなさそうだが、ゼニガメの方もどっこいどっこいと言ったところ。種族として「素早さ」と「攻撃」の両面で劣る以上、不利は否めない。

 

 

「やめろ!」

 

 

 咄嗟に、オレはゼニガメとリオルの間に割り込んでいた。

 驚いて目を丸くするゼニガメと、唖然とするリオル。その手に灯る波動に触れないようにしながら、円の動きでその勢いを後ろへと受け流す。

 リオルは勢いのままに地面に突撃し、したたかに体を打ち付けた。

 

 

「……!?」

「大丈夫か?」

 

 

 問えば、ゼニガメはやや呆然とした様子ながらも、しっかりと首を縦に振って応えた。

 状況は理解したみたいだな。リオルは……もう起き上がってきたようだ。こちらは何が起きたとも理解していない様子だ。

 

 

「逃げろゼニガメ。あいつはオレが相手する」

「ゼ……ゼニッ」

 

 

 言えば、ゼニガメは困惑しながらもちゃんと言葉で返し、甲羅に潜って回転しながら自衛官たちのいる方へと逃げて行った。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 そうして自然、この場に残るのはオレとリオルだけになる。

 互いに向き合うことで理解できるのは、困惑と憤り。困惑は、恐らくオレが突然現れて割り込んできたことに対して。憤りは――何に対してだ?

 分からん。ただ何か理由はあるはずだ。進化先のルカリオのことを考えても、こんな無軌道に襲い掛かってくるようなポケモンじゃあないはず。

 

 チュリとチャムは……あえて出さない。仮にゼニガメに対して怒りを覚えているのなら、ポケモンを出すことで刺激してしまいかねないからだ。

 幸いなことに、レベルは高くなさそうだ。そして。

 

 

「…………」

「……!」

 

 

 半身になって、左手を前に。軽く構えを取って見せると、リオルもまたそれに応じるように独特な構えを取った。足は大きく開き、左手を前に、右手を最上段に掲げた、少林拳のそれを思わせるもの。本能か、あるいは学習の結果か。

 

 先に動いたのはリオルだ。四肢に宿した波動を尾のようにたなびかせながら、右手を突き出して迫ってくる。オレはその腕を取ることで横から「押し」て、力の流れを変えていく。それだけのことで、容易にリオルの体勢は崩れてしまった。

 追撃――は、しない。あくまで目的は落ち着かせることだ。立ち上がってくるのを静かに待つ。

 

 

「――――!」

 

 

 鋭く吐き出される息と共に、体勢を立て直したリオルが「でんこうせっか」を放つ。しかし、それはただまっすぐに突っ込んでくるだけの突進でしかない。

 足を払い、上半身に僅かな力を加えることでぐるん、と上下が反転する。目の前にやってきた足を取って落下を止め、もう一度リオルを元の場所に降ろした。

 

 

「次だ」

 

 

 くい、と指を引くと、再び飛び掛かってくるリオル。それを再び捌く。

 突き出した拳をいなす。蹴りを繰り出してきたところを転がす。突進を流す。

 殴る、躱す、蹴る、流す―――――そんなやり取りを幾度となく繰り返すうち、リオルの動きは徐々に鋭くなっていった。

 一切の脅威を感じなかった当初と比べると、多少マシになったというところか。無駄を省き、適切な術理に乗せることで破壊力を増す。拳法としての形が備わってきている。野生の荒々しさが必要なことも時にはあるが、それと一切の原理を知らないとでは雲泥の差だ。

 

 やがて、オレたちはどちらからともなく矛を収めた。

 どちらが何をした、というわけではない。疲労も強くない。ただ、互いにこの辺りが潮時だと漠然と理解していたからだ。

 見つけた当初の剣呑とした雰囲気はもうそこには無い。ただ、状況を上手く呑み込めていない困惑があった。

 

 さて。

 

 

「お前、何でゼニガメと喧嘩してたんだ?」

 

 

 ある程度、言葉は通じるものとして問いかける。リオルはあくまで波動を読み取るだけであって人に伝えることができるかは分からないが……、それでも何か、ある程度は分かることがあるかもしれない。

 そう思っていると、リオルはまず大通りの方を指差した。

 

 

「リオッ」

「あっち……あっちでゼニガメたちが悪いことしてたのか?」

 

 

 リオルは少し考えて、首を横に振った。

 そりゃあ……そうだよな。隊長さんたちはあっちから逃げてきたんだ。そもそも、直接大きな被害を受けたはずの自衛隊が敵に寝返るってのも考えづらい。

 

 

「悪いことしてたやつらと勘違いしたのか? ほら、こんな感じで胸のところに『R』のマークがついててさ……」

「リオッ!」

「あー……それで、何で勘違いを?」

 

 

 なるほど、怖そうな人間とその味方のポケモン=レインボーロケット団と勘違いしちまったか。

 ただ、それでも服装が違うし、そうそう間違えないと思うんだけどな……?

 

 

「リュッ、リオッ」

「あっちは……避難所か? 避難してきた人たちがどうした?」

「リィ」

「波動……? で、人の心を感じ取って?」

「リオッ! リー……リュッ」

「怖がってる人たちが多かったから、心配になって……か?」

 

 

 現在の状況から、リオルのジェスチャーをどうにかこうにか読み解いていく。こういう時、言葉が分からないからちょっと不便だ。

 ただ、オレも気という、ある意味「波動」に通ずるところもある……一種の生体エネルギーを扱える身だ。ニュアンス程度ではあれ、なんとなく感じ取れるものはある。それが無かったら多分、もうちょっと苦労してただろう。

 

 

「……えーっと……まとめると、こうか?」

 

 

 まず、リオルは元々松山の方に落ちてきたのだが、そこにレインボーロケット団がすぐに侵攻して来たため、逃げるようにして伊予の方まで走ってきた。

 波動を上手く使うことで、人と出会わないようにして逃げ延びたものの、その弊害として捕まえられて苦しんでいた市民の感情まで読み取ってしまう。

 そんな中、この公園にも似たような波動を発している人たちがいて、そこにゼニガメが来たため勘違いしてしまい……と。

 

 

「リオッ!」

「そそっかしいやつめ、こいつ」

「リュッ」

 

 

 ごく手加減したデコピンをみまってやると、リオルは困ったように顔を少し赤くした。

 ……思えば、ここにいる人たちは、突然現れた理不尽のせいで、急に生活の場を奪われてしまったんだ。怖がってたって、むしろその方が自然だろう。

 

 

「でも、だからって襲うか、フツー」

「リオ~……」

「悪いヤツがいるかもしれないと思ったって? 気持ちは分かるけど、ゼニガメには悪いことしちゃっただろ」

「リューン……」

 

 

 流石にさっきのことは悪かったと思ったのか、リオルは少し落ち込んだ様子だ。

 そりゃ良かれと思ってやったことなんだから、気にするよな。

 

 

「悪気があったわけじゃないんだ。謝って、それで許してもらおう」

「リオッ」

 

 

 と、そうこうしている内に、ゼニガメが自衛官の人を連れてくるのが見えた。

 なるほど、逃げろとは言ったが、ただ逃げるだけじゃなくて対処できるかもしれない大人を連れて来たのか。いい判断だ。ちょっと遅かったけど。

 

 

「ゼニゼニ……」

「あの……ゼニガメに連れてこられたのですが、何かあったのですか?」

 

 

 いまいち状況が把握できていないらしい自衛隊の人。ここに来る前にゴタゴタは終わったし、ゼニガメも喋ることができるわけじゃないから、分かりようがないのだが。

 

 

「この子が外から入り込んだみたいで。いきなりのことだったから、驚いて攻撃してしまったみたいです。今は落ち着いてくれたので問題ありません。お騒がせしました」

「なるほど、そうだったのですね。怪我などはありませんでしたか?」

「特には。でもゼニガメの方は、もしかしたら擦り傷や打ち身があったりするかもしれませんから、診てあげてください」

「了解しました。ご協力に感謝します」

「いえ」

 

 

 その後、ひとことふたこと話し合って、リオルはリオルでちゃんとゼニガメに頭を下げた後、自衛官の人はゼニガメを背負って元の場所へと戻っていった。

 さて、と。

 

 

「で、お前この後どうする?」

「?」

 

 

 車の方に戻る前に訊ねると、リオルは首をかしげて見せた。いや、「?」じゃなくて。

 

 

「このまま野生に戻るかどうかだよ。どうする?」

 

 

 リオルは「え? このままついてく流れじゃ?」みたいな顔をしている。そりゃまあそういう考え方もあるが、ついてくるにしても、ちょっと問題があるんだよな。

 

 

「お前、人を守ろうとしてくれてたよな。人間のことが好きか?」

「リオッ」

「そうか。それなら、さっきの人たちについていった方がいいかもしれない」

「?」

 

 

 リオルは人を守ろうとしてくれた。その心の在り方は、どちらかと言うと、人を守るために戦う自衛隊のそれに近いのではないかと思える。

 対して、オレは――――。

 

 

「オレは正義の味方とかじゃない。殴るしか能の無い人間だ。守るよりも先に敵を倒す方を選んじゃうかもしれない。けどその辺、あの人たちは守るべき人たちを守るってことにかけては徹底してる。そういうところを踏まえて、決めてくれ」

 

 

 そう言って聞かせると、リオルは考え込むように目を閉じて腕を組んだ。

 そうして少し経って結論が出たのか、リオルはオレの前に出ると――

 

 

「リオッ!」

「わっ、と」

 

 

 そのまま、オレの背中に飛び乗った。

 

 

「物好きだなあ、お前」

「リオ~」

 

 

 そっちこそ、と言いたげに叩かれる背中。

 柔らかな肉球の感触と共に、なんだか温かさが伝わってくるような気がした。

 

 

 







現在の手持ちポケモン

・アキラ
チュリ(バチュル♀):Lv15
チャム(アチャモ♂):Lv14
リオル♀:Lv11


ボール:残り3つ





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苦汁を飲み込みてをつなぐ

 翌朝。「増えてる」という声と共に、オレは目を覚ました。

 

 

「んぃ」

 

 

 眼を開けば、目の前には黄色と青の塊が。お腹には心地よい温かさのふわふわした感触。チュリとリオルとチャムだ。

 適度に揺れてる感覚は、昨日みんなで協力して作ったハンモックだろう。コートを着てないせいで僅かな肌寒さを感じながら身を起こすと、苦笑するヨウタの姿が目に入った。

 

 

「おはよ」

「おはよう。その子は?」

「昨日、仲良くなった。ボール貰っていいか?」

「後で渡すよ。それで、情報収集はどうだった?」

「ん……あー……うん。自衛官さん、ごめんなさい……」

「特に企んでなかったんだ……」

「なんていうか……ちゃんと理解してくれてる人がいた。じゃあもうこれ大丈夫だろ、って」

 

 

 意外なことだが。

 でも、当然と言えば当然なんだよな。そこまでモラルが崩壊してるようなら、もっと日本はヒャッハーな連中が幅を利かせてたことだろう。

 言ってみれば創作におけるハッタリだ。誇張して見せることが、むしろより「らしく」感じられるような、そんな感じ。

 

 ハンモックから降りると、チュリたちも目を覚ました。移動先はだいたいいつもの定位置だ。リオルは肩に手をかけて背中に乗っている。

 ちなみにこれで合計約23キロ。リオルの加入で一気に十倍近く増えていた。

 

 

「リオルのそれ、前にクマ子にやられたよ」

「よく首無事だったな」

「進化前だったからね。進化した後は流石に無理」

 

 

 ……まあ、砕けるからな。

 もしかしてこういうの、かくとうタイプ特有の何かだったりするんだろうか。しないか。ローブシンがこんなことやってると思うと引くし。

 

 ハンモックにしていたコートとマフラーを回収して再び身に着ける。これでだいたい準備よし、と。

 

 

「今何時だ?」

「八時少し過ぎ。十時になったら集まってくれって言ってたよ」

「分かった。その前に朝食済ませよう」

「うん。ポケモンフーズは用意してもらってるよ」

「ん。用意し……て……『もらってる』?」

「ん? うん、レイジさんに」

 

 

 ……それ、マズくないか? 朝木が? ポケモンフーズを? あの、ズバットに明らかに格下に見られて滅茶苦茶にナメられてる朝木が?

 確か、ポケモンフーズってドッグフードとかみたく包装されてたような……? と思ったのもつかの間、車の方から野太い悲鳴が聞こえてきた。

 

 

「ええっ!?」

「ちっ、やっぱりか!」

 

 

 急いで駆けつけてみると――そこでは、凄惨な光景が広がっていた。

 頭からポケモンフーズをひっ被って地面に倒れる朝木。そして、そんな朝木を意に介さず、ポロポロ落ちてるポケモンフーズを食べて回ってるズバットとニューラ……。

 

 

「うわぁ……」

「こらっ、ズバット! ニューラ! ダメ!!」

「ニュ……!?」

「ズバッ!?」

 

 

 少しヒいているところで、隣にいたヨウタがいつになく真剣な声音で二匹を威圧した。

 ズバットは車の屋根の方に逃げようとし、ニューラは倒れた朝木を盾にしようと身を屈める。しかし、ヨウタはそんな二匹に、ライ太の入ったボールを投げる。瞬時にライ太のハサミに捕まえられた二匹は、逃げようにも無駄だと理解してすぐに暴れるのをやめた。

 

 

「…………」

「ニュッ!? ニュァァァ……」

「ズバババ……」

「ありがとう、ライ太。二匹(ふたり)とも! これはみんなのための食べ物なんだ。自分たちだけで勝手に食べようとしちゃダメじゃないか!!」

 

 

 すげえ。レインボーロケット団に対してのそれとはベクトルが違うが、いつになくヨウタが怒ってる。

 いや、あれは怒ってるっていうか叱ってるって感じだが。

 チュリたちも、なんだか怒ったように二匹にかかっていった。こっちは自分たちの食事を台無しにされて本当に怒ってるようだ。

 

 

「よ……ヨウタ君は頼もしいな……」

 

 

 あ、起きた。

 

 

「あっちじゃ生まれた時からポケモンと接する機会があっただろうからな」

「け、経験の差だな……じゃあ、仕方ないな、うん……」

「『仕方ない』で済ますなよ。本当ならアンタがやってないといけないことだろ」

「そりゃあ……そうだけど……」

「あいつらと仲良くなれなきゃ、身も守ってもらえないって分かってるか?」

「でも、もう自衛隊いるし、俺が協力する必要も無いんじゃあ……」

 

 

 ……何言ってんだこいつ? オレは思わず眉をひそめた。

 

 

「それ、関係ないだろ。オレたちに関わろうと関わるまいと、レインボーロケット団の連中はもう四国のあちこちにいる。野生のポケモンだっているんだし、ポケモンたちに守ってもらわなきゃいけないことには変わりないじゃないか」

 

 

 そう指摘すると、朝木はきょとんとした表情を浮かべていた。言っている意味は分かってるが、何でオレがそんなことを言うのか、分かってないような顔だ。

 何だ、オレってそんなに何も考えてないように見られてるのか? あんまり否定はできないが、間接的にでもそれを臭わされると腹立つな……。

 

 

「ンだよ」

「……か、勝手に野垂れ死ねとか言われるかと」

「はぁ? 何でそんな悪趣味なこと言わなきゃいけないんだよ」

「アキラちゃん、俺のこと嫌いだろ?」

「ちゃん言うな。嫌いは嫌いだよ」

「ぐ……」

 

 

 そういう風に推測してたくせに、いざ言われたらショック受けるって何だよ。

 そりゃ好きとは言えないだろ。ウジウジしてる上にめんどくさいし、日和見主義で信念も感じられない。オレの主義からはあまりにも遠い人間だ。オマケに「ちゃん」とまで言いやがった。イラッと来るぜ!

 

 

「けど、じゃあ死んでいいと思ってるかってのは別だろ。ただ『嫌い』なだけで死ねだの殺すのだのと、本気で言うほど品性を欠いてるつもりはない」

 

 

 そこまで行ったら、もうただ「憎い」だけだ。

 それこそ、敵――ランスに対してなら、オレも言葉にしかけたことがある。あの辺は……戦闘中だから言葉が荒くなってしまうというのもあるが。

 

 

「そ、そうか……」

「何でそこが直結しちまうんだか分からないんだが、何なんだ? 確かに、軽口で言うやつもいるだろうけど……この状況で迂闊にそんなこと口に出せるもんじゃないだろ」

「……たまーに、何やってても否定されるような、そんな感じがして」

「自意識過剰」

 

 

 本当この男ネガティブだな。それもある種の予防線だろうか? この人格を形成するうえで、何を経てきたんだか分からねえ。

 そう思って少し訝しんでいると、朝木は少し考えてからこう切り出してきた。

 

 

「な、なあ……アキラちゃん。話聞く限り、俺ってもう降りてもいい……んだよな?」

「ちゃん言うな。……アンタも別に敵じゃないだろ。自衛隊の人らも味方になってくれるかもしれない。で、人に迷惑かけないって言うんなら、降りたって別に構わない」

「そっか……」

 

 

 ていうか、それが目的だったんじゃないのかよ。何でことここに至ってこんな神妙な顔を?

 どうするんだよ、と聞くと、朝木はたっぷり十秒近くもうなった後で、ようやく口を開いた。

 

 

「やっぱ降りないよ」

「何で?」

「まだ、ニューラもズバットも全然懐いてくれる様子が無いし……あと、結局レインボーロケット団のヤツらはいるんだから、君らの近くにいた方がむしろ安全じゃないかって……あ! それと、ほら、子供だけで行かせられないだろう!? やっぱり!」

「最後の建前だろ」

「ヴッ」

「バレて心苦しくなる嘘ならつくなよ」

 

 

 ほんと……マジでこいつ……なんか……どうしようもねえな!

 ある意味、これも人間の自己防衛本能に従った結果なんだろうか。いっそ清々しいくらいイラッとさせられるが、協力してくれる事実はありがたい。

 さっきも言った通り、こいつのことは人間的に「嫌い」なだけであってそれ以上ではない。それなら、割り切って戦うには充分だ。

 

 

「二人とも、準備できたよ!」

 

 

 そうこうしているうちに、ヨウタが準備を終わらせてくれたらしい。ありがたい。

 バイクのボックスに入れてたばーちゃんのおにぎりを持って行って、これで朝食の準備は完了。

 ……持たされたのが二人分だっただけに、三人で分けるとちょっと少ないけど、ま、いいだろ。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 それから少し経って、午前十時ちょっと過ぎ。オレたちは自衛隊の人たちの張った天幕で改めて顔を突き合わせていた。

 あちらの出席者は、隊長さんを含む数名。夜中ずっと起きてたのか、どの人も目の下にうっすらと隈ができている。

 ……こうして改めて苦労してる姿を見ると、昨日疑ったことが本当に申し訳なく思えてくる。謝りたいような気もするが……うん、分からないだろうし置いとこう。

 

 今回、代表して話を進めることになっているのはヨウタだ。オレはその隣で、適宜相談を受けることにしている。もっとも、オレの頭でどれだけ適切なアドバイスができるか分からないが……。

 

 

「――――では、まず現状を確認しましょう」

 

 

 言って、隊長さんは四国の地図を示す。各県庁所在地と剣山には赤く「〇」が記されており、レインボーロケット団の首領格の人間たちの所在が分かりやすくなっている。

 

 

「我々がいるのがここ、伊予郡です。各県庁所在地及びほとんどの市町はレインボーロケット団に占拠されております。現在、解放されていると言えるのは伊予市周辺のみ。このまま手を打つことができなければ、物量差に押されてこの街も占拠されてしまうでしょう」

 

 

 ……改めて確認すればするほど絶望的だ。戦うことができる人間の数だけ考えても、百倍も千倍も差がある。

 加えて、と隊長さんはそれぞれの〇印の上に小さな駒を並べた。

 

 

「それぞれの県庁所在地には、伝説のポケモンを持ったトレーナーがいます。松山にグラードン。高松にゼルネアスとイベルタル。徳島にカイオーガ。高知にレシラムとゼクロムが出現しておりますので……」

「なるほど、だからイヨの市役所にマグマ団の幹部が……」

 

 

 ダークトリニティがいたから、もしかしたらゲーチス……プラズマ団かと思ったが、どうやら違ったようだ。

 まああいつ、相当有利な盤面にならなきゃ前線には出てこないだろうしな。自分が絶対的に安全になったと確信しなきゃ何もできない・しないタイプだ。

 

 

「アサリナ・ヨウタ君。一つ聞きたいのですが……伝説のポケモンに、普通のポケモンで対抗できるものなのでしょうか?」

「普通は、足止めがせいぜいだと思います。相手にもよりますが……今、レインボーロケット団が手中に収めているものに関しては、ほぼ不可能です」

 

 

 いわゆる「幻のポケモン」だとか「準伝説」と呼ばれているようなポケモンになると、ある程度戦えるようにもなる……と思う。出自そのものは特殊だが、体格や戦闘力そのものは群を抜いてるというほどじゃないからだ。強いのは間違いないけども。

 

 

「トレーナーを直接倒すのは?」

「それは……アキラ……あの、隣の彼女にも言われたのですが、ちょっと難しいです。伝説のポケモンの攻撃をかいくぐった上、脇を固める手持ちのポケモンをどうにかしないといけませんから。それに、仮に倒せても、制御を失った伝説のポケモンが暴れ出す可能性が高いです」

 

 

 ……いい手だと思ったんだけどなぁ、闇討ち。邪道であることには間違いないけど、こっちも被害出さずに終わらせられる可能性あるし。

 

 

「つまり、伝説のポケモンには伝説のポケモンでもって対抗するしかない」

「はい」

 

 

 ヨウタがそう断言すると、隊長さんたちは苦渋に満ちた表情を浮かべた。

 

 

「……恥を忍んで、頼みたいことがあります」

「どういった内容でしょうか」

「レインボーロケット団を倒すのに、力を貸していただきたい。そのために……笠井、データを」

「はい」

 

 

 と、何やら書類をこちらに寄越してくる女性隊員。これは……気象情報か?

 徳島では豪雨。愛媛では日照り、各所で竜巻や急な落雷、吹雪や気温の異常下降が見られる。

 一通りのデータを見ながら、ふとした拍子に何か気付いたように、ヨウタは「もしかして」と呟いて、バッグの中のロトムに呼びかけ、何らかのデータを呼び出し始めた。

 ……何に気付いたんだ?

 

 

「――――伝説のポケモンが、この世界に来てるかもしれない?」

「「!」」

 

 

 そこで、オレと朝木もようやくそのことに気が付いた。

 そうか! 最初にウルトラホールが開いた時、ポケモンが山ほどこっちの世界にやってきた。その時に伝説のポケモンが紛れ込んでたってこともありえないわけじゃないんだ。

 で、この気象情報。竜巻はトルネロス、落雷はサンダーやライコウ、ボルトロス……吹雪なんかはフリーザーって線もあるか。何にしろ、ヤツらの手に渡ってない伝説のポケモンがいる可能性は否定できない!

 

 たとえそうじゃなくても、ほしぐもちゃんが復活すれば、ウルトラワープライドで伝説のポケモンに会いに行くという選択肢も取れる。

 レインボーロケット団も、伝説のポケモンがいると知れば狙ってくるのは間違いないが……反撃の手段としては、今のところ最適だ。

 

 

「残念なことですが、我々では伝説のポケモンと出会っても、捕獲どころか戦うことも……まして、対話にすらならないでしょう。しかし、君たちならば」

「……そうですね。伝説のポケモンとでも多少戦えますし、僕たちなら、たとえレインボーロケット団の連中と出会っても戦って突破できます」

 

 

 ……ただ、それは全てが「かもしれない」という、希望的観測に基づいて立てられた筋道だ。

 けど、まっとうな考え方でどうにかなるなら、自衛隊の人たちがとっくの昔になんとかしているだろう。ワラにでも蜘蛛の糸にでも、何でも縋らなきゃ、今はどうにもこうにもなりそうにない。

 

 

「分かりました。僕たちに任せてください!」

 

 

 ヨウタもそのことを理解して、隊長さんの提案に大きく頷いた。

 オレも、異論は無い。あっちもホッとしたような――それでいて、小さく無力感を覚えたような表情で頷きを返した。

 

 

「ご協力、感謝いたします」

「こちらこそ、ありがとうございます。お恥ずかしながら、僕たちだけじゃ方針も定まらなかったと思います」

 

 

 ……うん、まあ、そこはホント、うん。なんとかしないとな。いやマジで。

 頭脳労働できる人がいないと、このままじゃただ突撃するだけのアホの集団になりかねない。

 いや、ヨウタはそこのとこ例外か。地頭は良いし、年齢を重ねればもっと頭も良くなるだろう。

 

 ともあれ、と気を取り直すように、ヨウタはバッグからモンスターボールを取り出した。

 

 

「では、あの、これ。お渡しします」

「!? これは……」

「モンスターボールです。ゼニガメたちを入れてあげてください」

「しかし、こんな数……いいのですか?」

「はい。余分に一つお渡しします。調べて新しく作ったりしてくれれば、普通の人でも野生のポケモンに対抗できるようになるかもしれません」

「これは……ありがたい。我々も、皆さんを全力でバックアップさせていただきます」

「本当ですか? ありがとうございます!」

「やったな、ヨウタ」

「うん……!」

 

 

 うん。実際、こうして協力を取り付けることができたのは大きい。人や町を守ることを生業にしている人たちだけあって、肉体面でも頼りになるし、知識も申し分ない。

 ちょっと贔屓目は入ってるかもしれないが、これ以上心強い人たちもそうはいないだろう。

 

 

「つきましては一名、連絡員として同行させたい者がいるのですがよろしいでしょうか?」

「は……? と……連絡員? えっと、アキラ?」

「単に自衛隊の人たちと連絡を取るにもしても、専用の設備が必要になるのかもしれない。国防に関わることだから、機密事項も多いと思う。その関係じゃないか?」

「あ、そうなんだ。分かりました。すみません」

 

 

 実際、通信機とか無いもんな、オレたち。普通の携帯とロトムくらいのものだ。それにしたって絶対のものじゃないし、盗聴の危険性はある。やっぱりそういうところは、専門の人たちに任せた方が都合は良いだろう。

 

 

「ありがとうございます。東雲!」

「はっ!」

 

 

 と、自衛官としての顔を覗かせた隊長さんに応えるようにして、後ろに控えていた男が一人、前に進み出る。

 東雲、と呼ばれていた……あ、あの人昨晩女性隊員に殴られてた人だ。

 

 

「東雲ショウゴです。これより皆さんの護衛及び本隊との通信を担当させていただきます。よろしくお願いします!」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「どうも」

 

 

 最敬礼――と言うにはやや軽薄な印象を覚える敬礼を向けながら、東雲という人はオレたちに笑みを向けた。

 

 

「さて、では最初の目的地はどのようにされますか?」

「……伝説のポケモンって言ったら、まあ、あそこじゃないか?」

「あー……そうなる? なるよね……」

「二人とも、何の話?」

「「鳴門海峡」」

 

 

 鳴門海峡。徳島、鳴門市と淡路島との間に存在する海峡のことを言う。

 この海峡、何が最も有名かと言えば――間違いなく、渦潮だろう。

 誰が呼んだかリアルタンバシティ。ジョウト地方のマップを見ると分かるが、だいたいうずまき島の位置があの辺にあたる。

 もしも、仮にだが――伝説のポケモン、ルギアが存在するとしたら、そこに間違いない。

 

 

「では、一旦松山は避けた方が無難でしょう」

「そうですね。じゃ、今治(いまばり)を経由して宇摩(うま)……直に徳島に行くと、剣山の近くを通ることになるから迂回して……って感じで」

「了解しました。では、こちらの方で最適なルートを選定しましょう。しばらくお待ちください」

「はい! あ、そうだ。皆さん、少し時間はありますか?」

「は? ええ、多少は……」

 

 

 ヨウタの言葉に僅かに首をかしげる隊長さんたち。オレたちも何も聞いてないけど、ヨウタのやつ、一体何を始める気なんだ?

 

 

「じゃあ、この際ですからポケモンの扱いについて、皆さんで学んでみませんか? 僕が教えますから!」

「え?」

「は?」

 

 

 …………そういうことになった。

 

 

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 

 

 天幕の裏、誰の視界にも入らない場所で、内部の話に耳を澄ませる影がある。

 自衛隊の迷彩服を着用した男だ。彼はその顔を半分溶かし(・・・)て本来の顔を露出させると、持参してきたホロキャスターに向けて報告を述べた。

 

 

「――――奴らの次の目的地は、イマバリだ」

 

 

 その一言以上には何も告げることなく、男は再び潜り込む。驚くほどの緻密さ、精巧さを備えた変装に、気付く者はいなかった。

 

 ――本質を()る、ただ一匹(ひとり)を除いて。

 

 









隊「ポケモンの扱いについて学ぶ場でポケモンと格闘技を始めてる人がいるのですが」
ヨ「彼女は色んな意味で特例なので無視してください」



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学ぶ、真似ぶ、ものまねる

 

 

 ヨウタの授業はまず、ゲームと現実との違い、というところから始まった。

 

 何を今更そんなこと、と思うかもしれないが、実際のところ、これも今の現実を戦い抜くためには重要な認識だと思う。何せこの世界の人間にとって、ポケモンは長く「創作物として」愛されてきた存在だ。彼らが現実に現れたからと言って、今日(こんにち)に至るまで築き上げられてきた価値観が変わるということはなかなか無い。

 例えばポケモンを見ればつい個体値だの種族値だのと考えてしまう人も多いだろうし、タイプ相性を絶対のものと考えてしまう人もいる。オレだって、未だに性格補正がどうこうと考えてしまうし、ある意味、ゲームに触れている人ほど現実に適応できないとも言える。

 

 じゃあ、例えばアニメだけ見てたとか、ほんの一時期触れたことがある……もっと言えば、「存在は知ってる」程度の人はどうか?

 これもそれほど良くはない。大人も楽しめるものとはいえ、普通の人の認識の上でポケモンは「子供向け」の作品である。その意識が根底にあると、低く見て侮ってしまうことが多い。そうなると危機感が薄れるし、「所詮」なんて意識が根付いて正しく相手を認められない。

 

 だから、ポケモンに対する認識を正す。そのために、ヨウタは自分のポケモンたちをボールから出し、ゼニガメたち共に実際の例として見せていた。

 ポケモンたちも人間と同じく情緒豊かな存在であり、個としての考えもちゃんと持っている。時にトレーナーの言うことを聞かないものもいる……。

 

 

 ――そんな授業風景を横目で見ながら、オレたち一人と三匹(よにん)はみんなからちょっと離れて訓練に移っていた。

 

 ヨウタ曰く、「アキラは分かってるだろうからいいよ」とのこと。まあ二回も戦ったし、ヨウタのポケモンたちを……彼らが傷ついてる姿を間近で見たのもあって、徐々にその辺の意識は改めつつある。実際に触れたり、それで怪我したり。嫌というほど味わったしな。

 ……あと、一応後でトレーナーとしての指示の出し方なんかも教える予定なんだが、オレ、「戦い方が特殊すぎて教えたら逆に弱体化しそう」って断られたんだよな。ちょっと何言ってるか分からないがニュアンスは分かった。

 

 さて。

 

 

「やるぞ、リュオン」

「リオッ!」

 

 

 リュオン――昨夜のリオル――に呼びかけながら、構えを取ると、あちらも同じく構えを取った。

 ニックネームの由来は「リュカオン」だ。狼の神で、リオルかルカリオの名前の由来の一つだったと思う。

 

 ……ついでとばかりに、脇の方でチュリとチャムもなんだか威嚇するみたいな体勢*1を取っている。これ、技の……というか、拳法の訓練のつもりなんだが、人型じゃないのに真似して意味は……いや、いいか。心構えが大事だ。

 

 

「いいか、リュオン。お為ごかしは抜きにして言うと、拳法は『他者を害するための技術』の集合体だ。場合によっては、相手を殺すことだって十分できる。それだけはまず心得ていてくれ」

 

 

 たとえそれが当然のことであっても、あるいは死というものが身近にあった元野生ポケモンであっても、そこだけははっきりさせておく必要がある。

 リュオンは人を守りたいからということで仲間になったポケモンだ。時に人と対峙することがあるだろうが、そこでの力加減がしっかりできておかないといけないだろう。

 

 これから教えるのは武術であって「武道」ではない。武によって道を説き、心を鍛えるのが武道。オレのそれは人を壊す術だ。当然、心を養うものではない。

 だから、心を問うのだ。

 

 

「同時に――これは、自分よりも体格や力の勝る相手を倒す手段にもなりうる。戦えない人たちを守ることもできる。一朝一夕で身につくものじゃないが……やれるよな?」

「リオッ!」

 

 

 オレの問いかけに、大きく頷きを返すリュオン。なら、こっちもそれ相応の態度で臨まなければならない。

 さて。まず確認するべきは、リュオンの素の実力の方だ。攻撃を促すと、超速の「でんこうせっか」がオレに迫る。

 だが。

 

 

「踏み込みが足りん」

「ルッ!?」

 

 

 その体を横に軽く「押す」ことで、受け流す。

 こちらの身体には一切ダメージは無い。一方、後ろに通り過ぎて行ったリュオンの側にもダメージは無い。

 

 

体重(ウェイト)で劣るお前がただガムシャラに突進しても、それは体をぶつけてるだけに過ぎない。『攻撃』と言うからにはそれに適した体勢や当てどころというものがある。それを理解すれば――」

 

 

 オレは、その場でリュオンに手本として鉄山靠を放つ。

 ボ、という空気が爆ぜる音と共に、数メートル先の木が揺れて葉が散った。

 

 

「このくらいはできるようになる」

「「なってたまるか!!」」

「外野うるさーい」

 

 

 つーか授業中断してまでツッコミに来るなよヨウタも朝木も。

 そりゃ普通の人基準じゃできないよ。オレだって本当は普通に普通の人間だったんだ。そのくらい分かる。

 けどポケモンを基準にして当てはめたら、そうじゃない。レベルが上がっていけば、きっとオレはすぐに力では敵わなくなってくるはずだ。

 

 ……足元を見ると、チュリが鉄山靠の真似*2をしていた。いや、何してん。

 

 

「あくまでこれは一例だ。真似して同じようにやる必要は無い。少しずつ、より強い技にしていこう」

「リオッ!」

「お前の場合、ただ体当たりするよりは、ある程度突きや蹴りも交えた方が――」

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 そうしてたっぷり二時間ほど使って、こちらの訓練もあちらの授業もある程度かたちになってきた頃。どこからか良い匂いが漂ってきた。

 思わずといった様子でリュオンの手が止まる。こうなると、訓練を続ける気も無くなってることだろう。オレも同じく、手を止めることにした。

 

 

「昼食ができました! そろそろ休憩にしましょう!」

 

 

 自衛官の人の声と共に、広場の方に入ってくる炊き出し用の車。食欲を誘うこの匂いは……どうやらカレーのようだ。

 

 

「よし。オレたちも行こう」

「リオッ」

「ヂッ」

「ピィ」

 

 

 ……オレとリュオンはずっと訓練と組手を繰り返していたが、チュリとチャムはその間ずっとじゃれていて、疲れたらお昼寝をしていた。

 お前ら、あの時の強くなろうっていう決意はどうしたんだよ……と思わないでもないが、そもそも野生だった二匹(ふたり)がトレーニングの方法なんて知ってるわけがないし、そこはしょうがないのかもしれない。

 強い野生のポケモンというのは、やっぱりそれ相応に戦闘経験を経た者が多い。二匹もその辺は理解してるだろうが……初日から一緒にいて、もう友達みたいなもんだしな、二匹とも。殴り合って鍛え合ってくれというのも酷な話である。とりあえず、訓練方法はヨウタに聞くことにしよう。

 

 さて、ともかくメシだメシ。近くの水場でみんなで手を洗って、配膳場所に向かう。

 ヨウタたちも講義を終えたらしく、オレたちよりも先に炊き出しの列に並んでいた。ちょっと遅くなるかなぁ、なんて思っていると、ふと、横から誰かが近づいてくる。

 

 

「どうも」

「……? あなたは、さっきの……」

 

 

 確か……そうだ、東雲さんだ。

 

 

「何か用ですか?」

「お近づきの印にどうかなと思いま……思ってね。どうだい、一緒に」

 

 

 彼の手には、カレーの皿が二つ用意されていた。どういった風の吹きまわしなのか……意味が、というか意図が分からない。

 一緒に? 食事をってことか? オレと?

 

 

「まあ、別にいいですけど」

「それは良かった。どうぞ。ウチの駐屯地特製のカレーだよ」

「はあ。どうも」

 

 

 受け取ってみると、まあ、確かに美味そうなカレーではある。具材は小さめで、肉と玉ねぎはルーに溶け気味。個人的にはもうちょっとライスが多い方が好みだが……そこは贅沢言うところでもないか。

 ……ただ、なぁ。

 

 

「……あの、このからあげ貰ってくれませんか」

「嫌いなのかい?」

「いや、そういうワケじゃないんですけど」

 

 

 チャムが震えてるし。

 狙ったのかってタイミングだよマジで。オレ自身はから揚げ好きな方だし、カレーと合わせるのもいいかなぁとも思うんだが……もしかしてオレ、今後から揚げ食えなくなるんじゃ?

 ……いや、そんなこと言うと肉全般無理になっちまうな……まあ、今だけと思っとこう。

 

 

「うちのポケモンからあげにされかけて」

「話が読めないのですが」

「いや、そのままの意味で」

 

 

 ……まあ、普通に考えてもわけわからんわな。でもそれが事実なのだからどうしようもないというか。

 オレだって自分のポケモンが料理されかけたとか言いたくねえよ。

 

 少々げんなりしていると、東雲さんの付き添いらしきゼニガメが、背中に大皿のポケモンフーズを持ってくるのが見えた。

 

 

「ゼニッ」

「ヂヂ?」

「ピヨ。ピピピィ?」

「リオッ!」

 

 

 ……どうも、ポケモンはポケモン同士で仲良くなりに来たらしい。正式なもんじゃないとはいえ、トレーナーがトレーナーならポケモンもポケモンか。

 まあ……カレーは刺激も強いだろうし、ポケモンには向いてないかもしれないな。せがまれたらあげてみることも考えるか。

 

 

「……君、名前は?」

「……刀祢アキラ」

「アキラちゃんだね。よろしく。彼氏とかいるの?」

「は?」

 

 

 ……突然何言ってんだこいつ? ふざけているのか?

 つーか朝木のみならずこの男まで「ちゃん」付けしやがった。

 そんなオレの怒気が伝わったのか、東雲さんは「おっと」と一歩退いて苦笑いを浮かべた。

 

 

「冗談で言ってるなら笑えないし、本気で言ってるなら頭の病院に行け」

「あぁ……と、思ったより、取り付く島もない感じ? こういう話題、女の子なら好きだと思ったんだけど……」

「言ってる意味が分からない。イカれてんのか、この状況で」

 

 

 あの時見えたやや軽薄さを感じる笑顔は、どうやら見間違いじゃなかったらしい。くそったれ、と内心毒を吐く。

 ……オレだって別にマトモな人格してるとは思ってないが……じゃあ、マトモなのはヨウタだけかよ。

 

 

「……こういう時だから、潤いってものが必要じゃあないか?」

该死(ガイスー)*3

「今、何と?」

「別に」

 

 

 リュオン――リオルやルカリオほどじゃないが、オレだって生体エネルギー、波動に類するものと思われる「気」を読み、操ることができる。その上で、彼はまあ、まともな人かなーと思っていたのだが……アテにはならなかったか。

 見た目も派手じゃないし、自衛隊の……服装に係る規定だっけ? あれを忠実に守っているようでもある。だから、まあ……なんとなし、真面目なんじゃないかとばかり思ったんだが。

 ……油断だな。

 

 オレは、カレーを持ったまま東雲さんに背を向けた。

 

 

「どこへ?」

「一人で食べる。アンタには悪いが、『口と尻の軽い人間を信用するな』ってばーちゃんに言われてるんだ」

「それは……世の道理をよくご存じの御婆様で……」

「カレー取って来てくれたことは感謝する。ありがとう。じゃあな」

 

 

 行くぞ、とみんなに呼びかけると、やや躊躇しながらも三匹ともこちらについてくる。

 特に、リュオンが何やらこちらの顔を覗き込んできている。「いいの?」とでも言いたげな顔だ。

 

 ……いいんだ、別に。

 口が軽い――というのは、つまり言うべきでない時に、言うべきでないことを言ってしまう迂闊さと分別の無さを示している。尻が軽い――というのは、誰にでも尻尾を振り、欲望を制御できない者を示す。そういった人間は平気で人を裏切り、堪え性が無い。

 たとえ隊長さんの推薦であっても、そんな人間は信用には値しない。

 

 ヨウタは――多分、そんなこと考えないだろうし、考えさせたくもない。

 いいや。オレが警戒してりゃ大丈夫だろ。小銃の一丁や二丁、あったところで負けないし。

 

 

「ヂュイッ!?」

「? どうしたチュリ……あ」

 

 

 ……なんて、考え事をしていたのが悪かったのか。カレーに興味を持ったらしいチュリは、オレの目を盗んでこっそりカレーを食べてしまったようだ。

 が、このカレーは割と大人向けのカレー。だいぶスパイスが効いてたらしく、辛さで涙目になってしまっていた。

 

 

「ビギュッ、ヂヂッ、ヂュゥ~……」

「あーあー、勝手に食べるから……ほら、水飲みな」

 

 

 紙コップを傾けてやると、チュリは勢いよく水を飲み始めた。

 こうして考えると、チュリはいわゆる「からい」味が苦手なんだろうか? ってことは、「攻撃」のステが下が……いや。いけないいけない。さっき自分でそういう考えはダメだって思ったんじゃないか。やっぱオレもその辺根付いちゃってる。

 午後からはもっとオレ自身も鍛えよう。もっと鍛えて、精神も養わないと。

 

 そうだ。いっそこの際、波動も使えるようになればどうだろう?

 言葉を使わずにリュオンと通じ合うこともできるようになるだろうし、他にもポケモンの感じてること、伝えたいことが分かるようになるかもしれない。

 そうと決まれば、午後からはその特訓も始めよう。気功の一種ならきっとオレにも使えないわけじゃないはずだ。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 東雲ショウゴは、去っていく少女を見送って大きく嘆息した。

 

 

(最悪の手を打ってしまったか……)

 

 

 よもやあそこまですげない態度を取られてしまうとは彼自身も思っていなかったのだが、しかし、慣れないことをしているという自覚はあった。

 何せ、東雲にとって婦女にああいった態度を取ること、それ自体が生まれて初めての経験なのだ。そのため、幾度となく素の彼自身の言葉遣いが顔を覗かせてしまってもいた。

 一目惚れ――などでは、当然無い。東雲も一端(いっぱし)の自衛隊員である。国防に携わる人間として、心を律することを心掛けている彼にとって、見目麗しいというだけで心を奪われるほど弱くは無い。

 

 ただ、友人の言葉があった。曰く――「今時の女の子は、多少軽く接した方がいい」、と。

 薄い色素に色の抜けた髪。アキラのことをいわゆる「今時の少女」だと認識していた彼は、そのように接することを心がけようとしていた。

 結果的に、その試みは大失敗であった。アキラは東雲に強い敵意と不信感を抱いてしまった。

 

 

「ゼニゼニ……」

「ゼニガメ陸士……」

 

 

 素の彼を知るゼニガメが、東雲の足を叩く。その瞳はまるで、「無理するな」と語り掛けているようでもあった。

 

 

「俺は大丈夫だ」

 

 

 生来、東雲ショウゴという男は生真面目かつ不器用な性分であった。

 親友からは、その頑固で融通の利かない部分を心配され、日ごと「もっと緩く生きろ」と言われたものである。その言葉を真に受けて、似合いもしない態度を取って周囲から心配されたのが何度目か。挙句、適切な場面で適切な言葉を選ぶことができず、異常を疑われ同僚に頭を叩かれてすらいた。

 ヨウタ少年に同行するように命令されたことにも、彼らの護衛という目的も当然あるとはいえ、ある意味では東雲の心のケアも兼ねていると見ていいだろう。そのように気を遣われているという事実がまた、東雲の心を苛む。

 

 

「だが……どうすれば良かったのだろうな」

 

 

 男の言葉は、虚空に紛れて消えていった。

 

 彼の言葉に応える者はいない。

 回答(こた)えられる者も、もういない。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ところで、ポケモン世界には「技教え」ができる人間が存在する。

 こっちの世界で言う職業に当たるのか、それとも単なるボランティアなのかはよく分からないが、ともかく、それは技マシン以外にも「人間がポケモンに技を教える」ということが可能だということの証明でもある。

 

 ……結論から言うと。

 

 

「リュオン、『かみなりパンチ』」

「リオッ!!」

 

 

 オレもできた。

 

 「波動」の色合いと似た青い雷。腕のみに限定したポケモンのための(・・・・・・・・)電磁発勁。リュオンはその場で感触を確かめるように幾度も腕を振った。

 ……オレ、これができるようになるまで何年もかかったのになぁ。一日、どころか数時間でできるようになってもらうと、それはそれでちょっと嫉妬する。

 でもまあ、これも確かな成果と言えるだろうか。

 

 

「さて……と。」

「ルー……」

 

 

 一方のオレはと言うと、さっきよりももうほんのちょっとだけ、リュオンの考えてることなんかが分かるようになっていた。これも波動使いに近づけてると思っていいのだろうか。いっそむしろ波紋戦士でも目指すか? いや違うか。

 ただ、やっぱりいまいち薄ぼんやりしてるんだよな。ニュアンスは分かるけど、言語化できない感じ。あんまり変わってないと言えば変わってないのだが、ニュアンスが伝わるだけまあマシか。

 しかし、その練習を経る中で、気になることが一つだけあった。

 

 

「……自衛隊の人たちの中に……邪気……か?」

「ルッ」

 

 

 邪気、と言葉にすると仰々しいが、要するに「悪いこと考えてる」という話だ。だから、リュオンはオレについていくことを選んだのだと言う。

 しかし、邪気。邪気か。人間ならそのくらいは誰しも多少は持ってるものだ。オレだって例外じゃない。それでもわざわざ、それをことさらに取り上げたということは……。

 

 

「レインボーロケット団みたいな、悪人があの中にいる、ってことか?」

「リオッ!」

 

 

 それが事実だとしたらとんでもないことだ。あまり考えたくないことだが……考えなくてはならないことでもある。

 さっきの男……ではないだろう。だったらリュオンがとっくに反応してる。じゃあ、他に誰かが……?

 

 

「……スパイ、か……?」

 

 

 考えられ……る。

 確実じゃないが、ありえない話でもない。ヤツらも……致命的に愚かな悪人ではあるが、馬鹿ではない。あっちだって(こちら)の情報は欲しいはず。

 考えられる手法は……スパイ、盗聴器、隠しカメラ……あと、ポケモン。自衛隊の人たちも警戒してないわけがない、が……ポケモンを扱うことができる上に、あちらの世界の技術もある。そう考えると、油断は一切できない。

 

 

「ヨウタにも伝えないと」

 

 

 もしも戦闘になるんだとしたら、ヨウタの力は絶対に必要だ。相手に気付かれたら問題だが、だからと言ってこっちが負けるのは論外も論外。独断専行は敗北のもとだ。

 いなければいないでいいし、いるならいるで確実に叩きのめす。

 

 まずは少し相談して、それから対処にあたることにしよう。

 

 

 

*1
(「0w0)「

*2
(「0w0)」

*3
意訳:くたばれ



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俺がへんしんする

 

 

 

 少しして車に戻ったオレは、ヨウタへ気に満ちた掌を向けていた。

 波動。そう、波動だ。オレに波動を操る素養があるのなら! たとえ一度も訓練したことが無かろうと……ヨウタにオレの考えを伝えることができるはずだ!

 

 そんなこんなで五分ほど。一向にヨウタが何か感じ取ってるような様子は無い。困惑を通り越して疲れが出てきつつあるほどだ。

 むぅ。むーん。むむむーぅん。

 

 

「あの……アキラ?」

 

 

 大事な話があると言って来たのに、オレは無言でただうなるばかり。何がなんやら分かってないヨウタは流石にこの空気に耐えかねたらしく、顔を引き攣らせながらこちらの顔を覗き込んで来た。

 

 

「あのさ……何してるの?」

「お前は波動を感じないか?」

「何その胡散臭い新興宗教の人みたいな台詞」

 

 

 むぅ。やっぱり分かってない。

 

 

「テレパシー的な何かが通じるかと思ったんだが、ダメか」

「テレパシー的なって……ああ、波動?」

「ん。リュオンと一緒に訓練してたんだ」

 

 

 けど、どうにもまだそこまではできないようだ。

 やっぱり、気功と波動は別物かぁ。

 

 

「でも、何で急に? そういうの、もうちょっと訓練してからやるものじゃないの?」

「だな。でも……あ、そっか」

 

 

 そうだ、なにも波動にわざわざ頼らなくとも、文明の利器があるじゃないか。

 スマホを取り出して文章を打ち込み、ヨウタに見せる。

 

 

『ひとにきかれたくないはなしある』

「……ああ、そういうことか。でもそれならそれでまずは人の言葉使ってよ……」

 

 

 ごもっともである。

 

 

『すぱい

いるかも』

「!」

 

 

 その文面を見て驚きつつも、ヨウタは即座に口をつぐんだ。状況から、ここで無駄なことを喋ると相手に気付かれる可能性があるかもしれないと察したのだろう。

 同じく無言のままで、ロトムがヨウタのバッグからふよふよと浮いて出てくる。こうなると話が早いな。すごく助かる。

 

 

『確証はあるロト?』

 

 

 ロトムの図鑑部分の液晶に文字が表示された。オレがリュオンのボールを出して示すと、ロトムは応じるようにリオルの図鑑ページを開いた。

 

 ――波動と呼ばれる波を見て人やポケモンの気持ちを知る。危険な相手には近付かない。

 

 うん、まさしくこれだ。頷いて返せば、納得したようにヨウタたちも頷き返した。

 続いて、ヨウタもロトム図鑑を軽く触り、こちらに文章を見せてくる。

 

 

『僕が捜そうか?』

『おれがやる』

 

 

 人探しにしろスパイ探しにしろ、気功ができるオレと波動を読めるリュオンの方が適当だ。悪意を持ってる人間がいるとしたら、近づきさえすれば分かる。あとは顔面に拳を叩き込んで終わりだ。

 

 

『ぽけもんとは

よーたがやって』

 

 

 文字を見て、頷きを返すヨウタ。しかし、その目はなんだか険しい。大事な話の方はもう終わったしいいだろ、ということで「どうした?」と問いかけると、ヨウタは躊躇いがちに答えた。

 

 

「……アキラ……もしかしてメール打つの下手なんじゃ……」

「……言うな」

 

 

 正直電話でいいじゃん、と思う。

 ここ二年近くメールもまともに打ってないし、SNSもしてないし……そりゃ衰えるっていう話だ。というか忘れるっての。

 ボヤきながらチュリとリュオンにボールから出てきてもらって外に出る。

 

 小難しいことは今はいいや。とりあえず最短で殴ることだけ考えよう。

 絶対に逃がさんぞ。

 

 

 ――と、決意して三十分弱。思ったよりもあっさりと、オレたちはそれらしきものを見つけていた。空中に浮かぶ赤い模様だ。

 これ見よがしにも程がある異様な物体……明らかに、「いろへんげポケモン」、カクレオンだ。

 

 怪しい。

 

 このあからさますぎる感じ、明らかに囮じゃねーのかこいつ。

 だからってこいつを見過ごすと、後で絶対面倒なことになるよな……そもそも、ここにいるこいつだけとは限らないし……んん~……。

 

 

「チュリ、『くものす』」

「ヂュッ」

「レオッ!?」

 

 

 とりあえず動きは封じとこ。

 そんで――騒ぐか。

 

 スマホを取り出してヨウタに連絡を送る。声は大きく、焦ってる風を装いつつ――。

 

 

「ヨウタ、カクレオンを見つけた! きっとコイツだ!」

『え……あ、うん、了解! すぐに行く!』

 

 

 場所は――いいや、写真だけロトムに送ろう。

 それよりも。

 

 

「ッ、――――」

 

 

 いた(・・)

 何事かと駆けつけようとする自衛隊員たち、その中にあってほんの僅かにおかしな動きをする輩。一瞬、こちらに来ることをためらうような。

 ――ヤツだ。

 そう確信したオレは、即座にその場を飛び出した。ギョッとして目を剥く自衛隊員の人たち。その中にあって、明らかに逃げ出そう(・・・・・)とする男が一人。

 

 

「あいつだ! リュオン、回り込め! みんな退いて!」

「! 全員、道を開けろ! 引け、引けェ!」

「ルッ!」

 

 

 「でんこうせっか」の速度で先行するリュオン。その姿を見て一瞬振り返り駆けた男に追いつき――そののっぺりとした顔面に、拳を叩き込む!

 

 ――そして次の瞬間、ぬるん、という感触に手を滑らせ、突きの威力が拡散していった。

 

 

「!?」

 

 

 何だ!?

 意味が分からず前を見れば、そこには顔の「崩れた」男の姿。この感触、このぬるつき、それにこの現象――まさか!

 

 

「おのれ! メタモ」

「うらあァッ!!」

「ゴあハアッ!!?」

 

 

 メタモンだ。そう確信した瞬間、オレは空いた片腕で男の腹に拳を突き入れていた。

 敵に教えられるのもシャクだが、ダークトリニティも言っていたことだ。百発でダメなら千発云々。何にせよ、驚いて手を止めるなんて愚を犯すほど、オレも馬鹿じゃない。

 顔面に攻撃しても無駄? 知るか! 人間の体にどれだけの急所があると思ってるんだ。千でも万でもいくらでも殴り抜いてやる。

 

 

「メタ~!」

 

 

 主人を殴られて怒ったらしきメタモンが、しゅるりと飛びのいてその姿形を変えていく。

 ち、いざって時はあいつが離れて自分だけで戦えるようにもしてたのか……!

 

 

「ッ、リュオン、『でんこうせっか』!」

「リオッ!」

 

 

 男の足を崩して地面に転がし、叩きつけながら指示を送れば、さっき訓練した通りの鋭い動きでリュオンが突進を放つ。

 しかし……。

 

 

「リッ……」

「……マジかよ……!」

 

 

 メタモンが変身したのは――ドータクンか!?

 水色を基調にした、それこそ銅鐸に似たフォルム……間違いない。だが、この場にいないヤツをどうやって……? そういう風に教え込ませたのか?

 あ、いや……待てよ。板切れみたいなのが本物のドータクンの腕のはずだが、なんか……なんていうか……何だろう。あいつ、指がある。

 そうか、アレか。メタモンは思い出しながら「へんしん」すると、ちょっと違う形になるってやつ。だが、しかし……だとすると。

 

 

「――――!」

 

 

 メタモン=ドータクンは、その腕を思い切り振るった。地面を掠めた指先が溝を穿ち、周囲に砂礫を撒き散らす。

 ……そうだ。そう、そうだよな! 「へんしん」はポケモンの能力すらコピーする技だ! となると、最低でもそれ相応の攻撃能力・防御能力は持っているはず。今のオレたちと比べれば、多分、倍は強い。

 特性は……「ふゆう」だろう。視覚的に分かりやすいのは結構だが、だとしてもあまり喜ばしいことでもない。強靭な鋼の肉体により、リュオンの「でんこうせっか」が弾かれて逆にダメージを受けてしまっている。やっぱりはがねタイプは面倒だな……!

 

 

「下がれリュオン! チュリ、『くものす』! 出てこいチャム!」

 

 

 こちらに退いてくるリュオンと代わるようにチュリの放った「くものす」が、メタモン=ドータクンの身体に絡み付く。

 チャムは、近くに出しはするが一時待機だ。ドータクン……はがね・エスパーというタイプへの有効打を持ちうるのは現状チャムだけなのだから、迂闊に手を出すわけにはいかない。

 

 しかし……くそっ、指示忙しいな!

 それに、ヨウタはまだか!?

 

 

「!」

 

 

 そう考えていると、着信があった。ヨウタだ!

 スマホを耳に当てて応じると、何やらヨウタは慌てた様子。

 ……カクレオン相手にヨウタが焦ることがあるのか?

 

 

「まだかよ!?」

『ごめん、避難所の方にメタモンが出た! そっちにかかりきりになって行けそうにない!』

「はあ!?」

 

 

 だからか! くそったれ、余計なモン仕込みやがって!

 

 

『カクレオンは倒したし、持ってたカメラも壊した! けど、相手がサザンドラに「へんしん」して暴れてるからちょっと手が離せない!』

「マジかよ……」

『そっちはどうなってるの!? すごい騒ぎだけど……』

「……ッ、問題無い。そっちに集中しろ!」

『嘘だね! ちょ』

 

 

 ――スマホの電源を落とす。

 バレバレかよ。いや、でもいい。まずは目の前のヤツに集中してもらわないとダメだ。

 幸いこっちには避難民はいない。腹くくるか。

 

 

「――――!」

 

 

 途端、メタモン=ドータクンが高速で回転を始めた。見る間に全身の糸がちぎれ飛び、ヤツ自身もその勢いのままこちらに駆けてくる。「ジャイロボール」か! 

 

 

「チャム、『ひのこ』!」

「ピィ!」

「――――!」

 

 

 チャムの放った火炎が、ヤツの身体を焼く――ことは無かった。高速回転する体に弾かれ、拡散して消滅する。

 そんなのアリかよ! 殴ったらこっちが傷つくキリキザンといい、はがねタイプってあんなんばっかりか!

 しかし、この勢いのままだと……!

 

 

「逃げてください! あとこいつも持って行って!」

 

 

 遠巻きにこちらを見ている自衛隊の人たちが危険だ。注意と一緒にスパイらしき男を投げ渡すと共に、わっと引いていく人の波。しかし、その中に、逆にこちらに向かってくる影が一つ――いや、五つ。あれは……。

 

 

「援護する! ゼニガメ隊、前へ!」

「――東雲さん!?」

「「「ゼニッ!」」」

 

 

 東雲ショウゴ――ふざけた態度で接してきた軽薄な男。しかしその表情は、先程までのそれとは明らかに異なる、精悍で真面目なもの。

 顔は同じだが、本当に同一人物か? 別人と見紛うばかりの変わりように、正直言って動揺が隠し切れない。

 

 

「狙え! 『みずでっぽう』、斉射! ――てぇぇーッ!!」

 

 

 四匹のゼニガメたちから一斉に放たれた水流が、メタモン=ドータクンの回転の勢いを削ぎ、逆に後方に押し流していく。

 よし、「ふゆう」のせいで逆に踏ん張りがきかなくなってる! それに水……これなら!

 

 

「合図したら『みずでっぽう』をやめさせろ! こっちで攻撃する! チュリ、リュオン、準備!」

「ヂッ!」

「リオッ!」

「! 了解した!」

 

 

 徐々にメタモン=ドータクンの回転速度が落ちていく。あとは、最適のタイミングで――。

 

 

「今だ! チュリ、『エレキネット』! リュオン、行くぞ!」

「射撃やめぇェッ!!」

「「「ゼニッ!」」」

 

 

 チュリが蜘蛛の巣状の電撃を放ち、それに応じるようにゼニガメたちの「みずでっぽう」が止まる。

 ――直後、電撃の網が、周囲の水を伝い、その規模と威力を増してメタモン=ドータクンに襲い掛かる!

 

 

「――――――!!」

 

 

 浸透した雷撃は、バシャ、という音と共に、ドータクンに変身していたメタモンの腕を僅かに粘液に戻した。

 よし、やっぱりだ! 乱入してくれたことによる偶然とはいえ、これだけ水を浴びせれば雷も通る! だったら……!

 

 

「リュオン!」

「ルッ!」

 

 

 先程、男を追い詰めた時と同様、挟み込むような形で両サイドへ。そして、もう一発!

 

 

「――――電磁発勁(かみなりパンチ)!!」

 

 

 動けないところへ、双方向から全力全開の一撃!

 鉄が割れるような高い音と共にメタモン=ドータクンの外殻がひび割れ、部分的に体が粘液に戻っていく。

 よし、あとはチャムの「ひのこ」で――――と、そう思った瞬間、メタモン=ドータクンの身体から念動力の暴風が吹き荒れた!

 

 

「くっ!?」

 

 

 この感じ……ミュウツーも使ってた「サイコウェーブ」か! あの時の本当にどうしようもなく翻弄されてふっ飛ばされる感じじゃないが、それでも強力な念動力には違いない。

 

 

「チュリ、『いとをはく』!」

「ヂュッ!」

 

 

 頭の上で踏ん張るチュリから糸を受け取り、体勢を整えてリュオンとチャムを回収する。各個撃破されるリスクを回避するためにも、変に分断されることは避けなければならない。

 こっちの武器は速さと数だけなんだ。一撃食らえば戦闘不能は必至だろう。

 

 

「チャム、『ひのこ』頼む!」

「ピッ!」

 

 

 抱えた状態からチャムが「ひのこ」を放つ――が、即座に「シャドーボール」によって完全に蹴散らされてしまった。

 

 

「ピィッ!?」

 

 

 ああ、くそっ! 折角上向きかけてたチャムのメンタルがまたどん底だ! あのメタモン野郎ただじゃおかねえ!

 

 

「チュリ! 『いとをはく』だ! 大雑把でいい、ヤツの足を止めてくれ!」

「ヂッ!」

「ゼニガメ部隊各員、ヤツを包囲だ! 援護しろ!」

「「「ゼニィ!」」」

 

 

 統制の取れた素早い動きで、ゼニガメたちがヤツを四方から包囲する。

 それに合わせるように、チュリもまたオレの頭から離れて、周囲の木々を飛び移りながら糸を吐きだしていく。

 「みずでっぽう」に合わせ、紛れるようにしてチュリの吐く糸が乱れ飛び、相手の動きを徐々に制限していく。

 

 しかし――――。

 

 

「――――!!」

「ゼニィ!?」

「っ、ゼニガメ!」

 

 

 鬱陶しそうに放ったヤツの「シャドーボール」が、「みずでっぽう」を突破してゼニガメに直撃し、吹き飛ばす。

 地面を思い切りバウンドしたゼニガメは、大きなダメージを受けてしまったらしい。倒れ込んだまま動かない。

 

 

「ッ……下がらせろ!!」

「ここで手を止めてしまえば、それこそゼニガメが危険だ!」

「――ッ、リュオン!」

「リオ!」

 

 

 だったら、安全になるように立ち回ればいい!

 リュオンとアイコンタクトを交わしてチャムを降ろし、それぞれが全速力で走ってゼニガメを回収に向かう。オレとリュオンは回収、チャムは牽制だ。

 まず最優先に今倒れ込んだやつ。四方に散ったゼニガメと、弱点を突くことのできる技を持つために脅威度の高いチャムを狙って放たれた「シャドーボール」を躱しながら、「みずでっぽう」を放っているゼニガメも担ぎ上げて回収する。

 ほどなく、四匹のゼニガメを全員回収したオレたちは、東雲さんの目の前にゼニガメたちを降ろした。

 

 

退()け!」

「……すまない!」

 

 

 苦み走った表情を浮かべながらも、ゼニガメたちを全員ボールに戻す東雲さん。

 今の彼には、どうにもさっきまであった軽薄さは感じられない。

 

 

「ヂュイッ!」

 

 

 そんな折、木の上からタイミングを見計らったように、チュリが木の上から降りてくる。

 メタモン=ドータクンはずぶ濡れの上に糸でぐるぐる巻き。おあつらえ向きの状況だ!

 差し出された糸を受け取ると、オレは全身に気を巡らせ、全開の電磁発勁を行う。活性化した筋肉の前では、たとえ200キロ弱の重さを持つポケモンだろうと関係ない!

 

 

「せぇ……のォッ!!」

 

 

 じめんタイプの技が無効化されようとも、「ふゆう」してるってことはそれだけ踏ん張りがきかないってことだ。問題無く、ヤツはこちらに引っ張り込まれてきた。

 ――――これで終わりだ!

 

 

「全力だ! 行けェッ!!」

「ヂィ!!」

「ピィィ!!」

「ルゥッ!」

 

 

 「エレキネット」と電磁発勁による放電、そして「ひのこ」が全身を焼き、脆く、液化していく体に突き込まれる全身全霊の「はっけい」の乱打。一発ごとに模していたドータクンの身体が崩れ、緩み、元のメタモンの粘液質が姿を現していく。

 それでもなお、攻撃は止まらない。充電が切れたチュリは爪による「れんぞくぎり」を食らわせ、チャムは炎を吐き出し続け、リュオンもまたラッシュを止めない。

 

 

「メ……タァ……」

 

 

 ――やがて、力尽きるような声と共に、体の全てが元に戻ったメタモンが、地面に倒れ伏した。

 眼を回し、動く様子も無く、体全体がもうでろんでろん。こうなると、もう脅威を感じることも無い。

 

 

「…………キッ……ツ」

 

 

 その姿を見て、オレも思わずその場にへたり込んだ。二日連続、電磁発勁の使いすぎだ。

 チュリも充電切れ、リュオンも満身創痍。唯一、チャムは比較的元気なようだが……さっきのことが癪だったのか、メタモンの近くに行って「すなかけ」してる。

 結局、チャムの「ひのこ」も決め手の一つだったんだからいいじゃないかと思うが、思いのほか執念深いなあいつ……。

 

 

「ヨウタは……」

 

 

 ヨウタは今はどうしているだろう。勝ったのだろうか。いや、負けることは無いか。勝ったとして、今どうしているだろうか。

 戦闘の音は聞こえない。もしかすると、誰か……一般人の方に被害でも出たか?

 そう思いつつ、避難所の方に顔を向ける。

 

 ――その時だった。

 

 

「危ない!!」

 

 

 不意に、東雲さんがオレに向かって叫びを発した。

 頭のスイッチが警戒のそれに切り替わる。周囲の気配――生体電流の様子が如実に読み取れる。

 

 ――メタモンが、再び動きだしている。

 

 嘘だろ、と思うが、要するに――ただ、オレたちはアレでとどめを刺しきれてなかった、ということか。あれだけやっても、なお。

 

 疲労のせいで立ち上がり切れず、反応も遅れたオレをかばうようにして、東雲さんが飛び出してくる。

 メタモンが「へんしん」するのは、キリキザン――その腕の刃、ただそれだけ。しかし、それでも充分に殺傷能力は秘めている。

 

 マズい!

 あの人は普通の人だ。どんなに鍛えていても、装備を整えていても、ポケモンの膂力で刺されれば、命の危険が……!

 

 

「ダメだ!」

 

 

 声が届いているはずなのになお、彼が引くことは無い。ただそれが己の職務だと言わんばかりに、巌のような体を盾にして――――。

 

 

 

 

 

 その瞬間、めき、という音がした。

 

 爆炎めいた衝撃が地面を吹き飛ばし、何か大きなものが瞬時に移動するのが感じられる。「そいつ」はメタモンが移動するよりも遥かに先に動き、その刀身に強烈な蹴りを浴びせかけた。

 

 

「シャアアアアアァッ!!」

 

 

 けたたましい鳴き声と共に浴びせられるのは、更なる連撃。強靭かつしなやかな筋肉が生み出す鞭のような蹴りは、一秒のうちに十回もの衝撃を浴びせかけ――今度こそ本当の意味で、ヤツを「ひんし」に陥れた。

 

 唖然としたようにその姿を見る東雲さん。オレもまた、ようやく周囲を把握する余裕ができて改めてそいつの姿を見据えた。

 橙色の羽毛に、発達した手足。やや色の濃いトサカを見ると、まだ出会った時のことを思い出せる程度に面影はある。

 

 

「……まさか、進化……」

 

 

 思わず、と言った様子で呟いた東雲さんの言葉が、その現象を正確に言い表す。

 オレもまさかこんなタイミングでとは思ったが……でも、思えばそういう頃と言えば頃ではあるよな。

 

 

「ありがとうな。それと、おめでとう、チャム」

「シャモッ!」

 

 

 ――――わかどりポケモン、ワカシャモ。

 進化し、成長することでこの場の危機を脱した立役者に、オレは感謝と祝福の言葉を向けた。

 

 

 



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二重三重のわるだくみ

 

 チャムに助け起こされた後、オレは改めて東雲さんと向き合っていた。

 その顔には、以前のような軽薄な笑顔が浮かんでいる……ようにも見えるが、あまりにも歪で、違和感が拭い切れていない。あからさまに、無理矢理作ったような表情だ。見るに堪えないほどに。

 でも、まあ。

 

 

「助けに来てくれて、ありがとうございました」

 

 

 とりあえず、お礼を言わないと。

 さっきのあの戦い、オレ一人じゃ多分どうやっても勝てなかった。時間稼ぎがせいぜいだっただろう。

 東雲さんが乱入してくれて、本当に助かった。

 

 

「い……いや、いいんだよ~」

「さっきまでの口調と態度はどこにいったんです?」

「む……」

 

 

 指摘すると、途端に彼の眉間にしわが寄った。

 流石にもう無理があると悟ったのか、東雲さんはシャンと背筋を伸ばしして顔を引き締め、恐らくは彼にとっての「自然体」に戻った。

 

 

「……君のような年頃の女性であれば、ああいった対応の方が気安く接してもらえるのでは……と、思っていた」

「あれで?」

「女性とよく遊んでいた友人を参考にした。……飾り気も無い、口が巧くもない素の俺では、相手に威圧感を与えるからな」

 

 

 気持ちは……まあ、分からないでもない。

 こうして改めて対面すると分かるが、東雲さんは……背も高くてがっちりした体格で、彫りが深い顔立ちなせいもあってちょっと怖い。普通の人が見たら、まあ怖がるか、遠巻きに見るか……ってところだろう。その上仏頂面だし、なおのこと近寄りがたい。

 

 

「……だが、それで君に不快感と不信感を与えてしまった。本当に申し訳ない」

「いえ、こっちこそ。オレも……結構酷いことを言いましたから。ごめんなさい」

「いや、こちらの方が――」

「オレの方が――」

 

 

 俺が俺が、オレがオレが……と、互いに責任を譲らないオレたちは、最終的には「どちらも悪かった」ということにして、話を終わらせた。

 改めて、オレは東雲さんに手を差し出す。

 

 

「じゃあ……改めて、これからよろしくお願いします、東雲さん」

「こちらこそ、よろしくお願いする」

 

 

 がっちりと握手を交わすと、東雲さんは痛みに耐えるように僅かに顔をしかめた。

 どうやらまた力加減が良くなかったらしい。反省。

 

 

 ――さて。

 その後、一通りの処理を終えたオレたちは、また改めて天幕の方に集合していた。

 スパイの存在と今回の襲撃、その二手から現状を考えると……既に決めてたことも変えてかないといけない。

 

 

「――あの手の人間が潜入していることを考えると、情報は既に漏れていると考えてもいいでしょう」

 

 

 隊長さんの言葉に、その場の全員が同意を示した。

 そりゃあんな反則じみた方法で入り込んでたヤツがいるんだから、情報なんて抜かれ放題だろう。次もまた同じように侵入してくる可能性だってある。

 

 

「となると……えと、イマバリ? は、もう相手が待ち伏せしてると考えられますよね」

「それだけではなく、これから先この場で情報共有を行ったことも、同じく漏れていくと考えていいでしょう」

「スパイは倒したんじゃ?」

「……はっきり申し上げますが、我々は……あれと同じ手を使ってこられれば、対処のしようがありません」

 

 

 隊長さんの言葉に、ヨウタがギョッとした顔を向けた。

 同じ手は二度も食わない、と言われるのを期待してたのもあるだろう。けど、そこはオレも流石に無理だと分かる。

 リュオンやオレと同程度に人の気配の質が分かる人がどれだけいるんだって話でもあるし、仮に対策を打つとして、全ての場所に生体認証を取り付けるなんて無理がある。ああいったセンサーがどれだけ四国の中で流通してるんだってことにもなるし……まあ、無理だ。

 

 

「分かっ……りました。ってことは、経路や目的地は、こっちで内々に決めた方がいいってことですよね」

「申し訳ありませんが、そうなります。気象情報や最新の地図などはこちらから提供させていただきます」

「じゃあ、そういうことで」

 

 

 勝手に話を進められて、ヨウタはちょっとむくれていた。

 オレよかヨウタの方が頭が良いのはもう確かなことだが、悩み始めると長いな。良い対策が思いつかなかった――あるいはこっちの世界で再現できるもんじゃなかったのかもしれないが、それができるようになる目途がついたら連絡すりゃいいってだけだと思うんだが……。

 

 

「負担、大きいな……」

「ちょっと苦労した分、敵と戦わずに済むかもしれないんです。仕方ないですよ」

「そういうものか……」

 

 

 朝木のボヤきも、まあ分からんでもない。頭脳労働ができる人がどれだけいるかって話だからな。

 問題は東雲さんか……あの人がどれだけ考えを回すことができるか。今の段階ではまだ分からない。

 あの感じだとちょっと期待するもんじゃない気もするが。

 

 ……あ、そうだ。

 

 

「すみません。一ついいですか」

「はい、どうぞ」

「この避難所の位置、レインボーロケット団に知られてるけど、いいんです?」

「現在、意見が割れております。動くべきだと言う者もいますが、動くべきではないと言う者もいる……それに」

 

 

 と、隊長さんは一瞬ヨウタの方に視線をやった。

 ヨウタは分かってないようだが……そうか。さっきの戦いのことか。

 

 避難してきた人たちを襲ってくるメタモン(サザンドラ)。颯爽と現れてそれを倒して見せたヨウタ。避難民にとっては、救世主にも等しい存在に映っただろう。

 ばーちゃんも言ってたが、人は信じたいものを信じたいように信じる生き物だ。あんな姿を間近で見れば、こう考えるんじゃないだろうか。

 ――「きっとまた彼が助けてくれる」と。

 

 だから、正確にはこう。「動くべきではない」じゃなく、「動く必要は無いんじゃないか」。

 きっと助けてくれる。きっと守ってくれる、なんて、相手の事情や現在の状況も考えずに勝手に期待を向けてる。

 でもって、期待が外れると怒りや憎しみを向けるんだ。自分の不幸には原因がある、あいつのせいだ――なんて考えた方が、楽だから。

 

 

「今すぐこの場を離れた方がいいと思います。このあたりだと久川町が一番安全かと」

「昨晩も仰っていましたね。了解しました」

 

 

 何ならヨウタのことを言われたら、白い髪の女が引っ張ってった……と言ってもいい、なんて言うと、隊長さんは苦笑いしながらオレの意見を否定した。

 何やかや、自衛隊っていう職業的に、ヘイトを向けられ慣れてるってのもあるんだろうか。でもこの極限状況で、一般市民を守ることができる人たちがそうなるのはマズいよな。何ならパフォーマンスでもいいから、後でヨウタを引っ張ってオレにヘイト向けるようにしとくか。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 そんなこんなと色々あったが、夕方までにはなんとか準備も終わった。

 メディカルマシンを載せたキャンピングカーは、外見的にも目立つし相手にも知られているため、自衛隊の輸送車両と入れ替え。いざという時のためにバイクも積めるようにしてもらった。

 野営のための荷物も積み込んだし、これで当面は大丈夫だろう。あくまで当面はだが。

 

 その間、盗聴器が見つかったりなどはあったものの、それ以外の大きなトラブルは無く、一応は順風満帆。出発前に自衛隊の人たちに最敬礼で見送られたのは、正直に言って度肝を抜かれたが。

 

 さて、今回当面の目標になっているのは鳴門海峡だが、今回の経由地は東温市になる。

 東温市は伊予・松山の隣の市で、坊ちゃん劇場、三島神社……あと、白糸の滝が有名だ。

 

 ただ、あくまでここは経由地。直接、どこかの観光地に行ったりということは、基本的に無い。

 

 ……無いのだが、今回オレたちは、東温市の銭湯にやってきていた。

 公園から車で30分ちょっと。既に無人で、人の出入りは無い。果たして設備が生きてるかも分からないが……そこはなんとかすると言って、東雲さんが出て行ったのだが――。

 

 

「実際それでなんとかしてるんだからあの人とんでもないな」

「ヂュ」

 

 

 ものの一時間ほどで、彼はなんとかしてしまった。

 なるほど、隊長さんが彼を推薦するわけだ。修理の腕……っていうか、技術全般に係る知識が凄まじい。むしろ彼を本拠地に置いてボールの複製を頼んだ方が良かったのでは? と思わないでもないが、メディカルマシンと車は今のオレたちにとっての生命線だ。どっちを優先するべきかと言うところでいうと……分からん。

 

 ……まあ、技術者なら他にもいるだろうし、町工場のおっちゃんにもお願いした。自衛隊の人たちが合流すれば研究もより進むだろう。

 

 ともかく、ほぼ二日ぶりのお風呂だ。

 なんだかんだ言ってオレたちも現代人。身体を流したい欲は、正直あった。シャワーでも浴びられればそれでも良かったんだが……避難民優先だったしな。ま、そこは仕方ない。

 それにしても。

 

 

「リオッ!」

「シャモッ、シャボボボ」

「泳ぐな!」

 

 

 何か本能的に感じるものがあったのか、かくとうタイプ組が湯船で泳ぎ出していた。

 風呂は落ち着いて入るものだ、と少なくともオレは思っている。人に押し付けるものじゃないが、外でお風呂に入る時には厳守させたいところだ。これからの世界、どうしたってポケモンと一緒に暮らしていくことになる。一般常識だけは身に着けさせなければ。

 二匹(ふたり)を引っ張り上げて隣に座らせる。いくら無人とはいえ銭湯は銭湯。ちゃんとしないと。

 

 

「いいか? ここじゃ泳いじゃダメだ」

「ルー?」

「何でって……今はいいかもしれないけど、他にお客さんいたら迷惑になるじゃないか。いつもそういう風に心掛けてないと、本当にお客さんがいた時にできないんだぞ」

「モモ……カシャァ」

「よしよし、良い子だ」

 

 

 少し不服に思いながら、それでもちゃんと言うことを聞いてくれてこっちもありがたい限りだ。

 オレが非難されるのはいいが、普通の人はやんちゃしてるポケモンの方にどうしても目がいくだろうしな。

 

 この後は、みんなで体と頭を洗い、もうちょっと汗を流した後で風呂を出た。

 今回の収穫は……何だろう。チャムが頭洗うの嫌いってことだろうか。

 ほのおタイプだからなのか、それとも例の事件のトラウマで人に頭部を触られたがらないのか……判断に苦しむところだ。

 

 

 さて。

 既に外は陽が落ち切ってるような状態だ。ここから一番近いのはお隣の西条市だが、行こうと思うと、夜間の山中を抜けていかないといけないので非常に危険だ。なので、今日は銭湯を借りて一泊。日が昇ってから再度出発、というはこびになっている。

 ヨウタたちの風呂上がりを待つこと三十分ほど。ポケモンの世話があるとはいえ、思ったよりも早く全員が上がってきたことに驚き、同時に(男の頃だったらあのくらいの時間で上がれたなぁ)と気付いて少しへこんだ。

 

 まあそこはいいんだ。重要なことじゃない。

 それよりも。

 

 

「……メシ作れるやつ。手ぇ挙げ」

 

 

 びっくりするほど、誰も挙げてこなかった。

 そしてこの瞬間、オレたちの士気が一気に急降下していった。予想は……してた。してたんだ。けど、ほんのちょっと心の底に、「誰かできるんじゃねーかなー」という期待のようなものがあったんだ。

 しかし、それは今この瞬間完膚なきまでに打ち砕かれた。

 軽い絶望を携えたまま、オレたちは顔を突き合わせる。

 

 

「……ほ、本当にできないのか!? ヨウタ君、ほら、旅してただろ!?」

「ポケモンセンターで食事が出てたんです。僕自身は作らなくてもそこまで問題無かったんですよ! ショウゴさんは……?」

「基本的に、駐屯地で供されたものを食べていた。刀祢さんは……」

「………………ちゅ……中華くらいなら、多少は……」

「マジで!?」

「嘘でしょ!?」

「何だお前らこの野郎オレが料理できちゃダメか」

 

 

 キャラじゃねえってんだろ!? 分かるよそのくらいは!

 

 

「……だ、大丈夫なのか? 鋼のような味がしやしないよな?」

「そこまでヒドくはねえよ!」

「……おばあさんの料理はおいしかったよね。もしかして、アキラに料理教えたの、おばあさん?」

「おう。だから味は一応心配要らない……と、思う……」

「何故、尻切れトンボなのですか」

「多分……だいぶ、脂っこい」

「いやそのくらいいいって! 炭になるとかそういうのより断然マシだって!」

 

 

 まあ、そりゃあそうだが。

 曲がりなりにもばーちゃんに教わった以上、「ある程度」って以上にはできるとオレも自負している。だが……しかし、それでもだ。毎日中華は、だいぶ無理だろ。

 

 勿論、中にはそんなでもないのはあるし、作り方も知ってる。けど……断言してもいい。三日目には胸やけがする。絶対だ!

 

 

「いいって言うならそれで行かせてもらうけど……『やっぱだめ』とか『やめときゃよかった』はナシだからな」

「待ってくれ何その前置き超怖いんだけど」

「警告はした」

「待って!!」

 

 

 ……その後、作ってきたチャーハンは何だかんだで完食。美味かったと言われるのは作った側としては嬉しい限りだが、果たしてこの三人、明日のお腹の具合は大丈夫なのかと、若干心配になった夕食だった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ――レインボーロケット団の幹部であるラムダは、自衛隊に捕縛された自身の部下を見送りながら、メタモンに覆われた顔の下でほくそ笑んだ。

 

 

(これで奴らの目はあいつに釘付けだ。いい仕事(・・)をしてくれたもんだぜ)

 

 

 ラムダが彼に命じた――強制した――のは、自身の身代わりだ。

 得てして、人間という生き物は信じたいものを信じる生き物である。きっと誰かが助けてくれる。きっと誰かが守ってくれる。それ以外にも――「きっとこれで終わりだ」、などと。

 

 リオルの存在をラムダが知ったことで、彼は遠からず自分の存在が外に漏れることを察した。

 そこで講じた策は、ある意味では場当たり的な――しかし、人間の心理の隙を突いたものだった。先に「こいつが犯人だ」という人間を差し出すことで、自身への追及を逃れたのだ。

 

 結果として、誰もがラムダの部下こそがスパイなのだと――ラムダの部下「だけ」がスパイなのだと、信じ切っていた。

 いや、あるいはそう「信じていたい」のだろう。自衛隊には余力は無い。最大の戦力であるアサリナ・ヨウタとその一団はこの場を発った。自衛隊員にとって、同じ手法で出入りできるスパイがいる、などという事実は、誰もが「信じたくない」ことだ。

 

 自衛隊員たちは仕事に対して真摯であったが、同時に力の差もよく理解していた。アキラやヨウタの戦闘を間近で見ることで、メタモンの脅威をよく理解させられてもいる。彼らのいない今、下手に藪をつついて蛇を出せば、自衛隊員諸共に避難所が全滅するおそれもあった。故に彼らは、もしかするとまた同じように潜入している者がいるかもしれないと疑念を抱きながらも、余計な追及をせずに――できずにいる。

 

 

(いずれは俺の存在もバレる。が……そうなる前に仕事は終わった。後は)

 

 

 

 ラムダはまだ今も、公園の避難所で自衛隊員たちに紛れて潜んでいる。そして、万が一その存在が割れたとしても、メタモンを暴れさせるか――ないしは、追及するのが難しい避難民たちに紛れ込めば、逃げおおせることは難しくない。それまでの間情報は全部抜き取らせてもらおう、と彼は悪辣に笑う。

 

 確かに盗聴器は破壊された。しかしそれは、彼の部下と同様の囮に過ぎない。

 彼は、出発直前に彼らの車に発信機を取り付けていた。事前に改修を行う班に入り込んだおかげだった。

 

 ラムダは自身の通信端末に発信機を示す光点が浮かんでいるのを確認すると、一言だけ言葉を打ち込んで送信した。

 送信先は、松山を支配した、伝説のポケモンを従える男――マツブサ。

 その内容はただ一つ。

 

 

『この場所に奴らはいる』

 

 

 彼らを討ち取るための、布石だ。

 

 

 






 ※ 2019/6/13 内容微追加


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じゅうでん期間を大切に

 

 

 

「そういやあアキラちゃんとか東雲君って、どんなパーティ組むんだ?」

 

 

 そんな疑問が飛び出したのは、夕食の最中のこと。

 ニューラにチャーハンをねだられ、半ば奪われかけつつもなんとか死守して口にかき込む朝木へ、オレはあまり良い顔を向けることはできなかった。

 

 

「考える気は無い」

「へ? 何で? こういうのって先にある程度考えとかなきゃ、一匹に弱点突かれて壊滅とかになるんじゃね?」

 

 

 確かにそれは一理ある。一貫性……って言ったっけ、あるタイプのポケモン出されたら詰む、みたいな。

 否定はしないが……。

 

 

「打算塗れで適当に捕まえたポケモンと心を通わせられるとは思えない。長い時間をかけりゃなんとかなるかもしれないが、今のオレたちにそれだけの時間があるか?」

「あー……や、まあ……そうだなぁ」

「同意する。重要なのは練度もそうだが連携の質だ。指示の伝達に不備があればそれだけ隙を晒すことになる。組織内の不和は可能な限り取り除くべきだ」

「組織って話とは違うような……」

「む……」

 

 

 東雲さんの言うことも……その、なんだ、自衛隊というか軍隊っぽくなってはいるが、おおむねそんなところ。

 チュリ然りチャム然りリュオン然り、みんなちゃんと言うことを聞いて、その上である程度こちらの思惑も推し量ってくれるからこそ、今の状況がなんとか成り立っているんだ。そこに不穏分子を加えるのは好ましくな……これもなんか東雲さんみたいな表現だな。伝染ったか。

 

 

「ともかく」

 

 

 話を戻すためにか、ヨウタが声を出す。その手には、ポケモン用らしいスプーンが複数握られていて、しきりに動かしては仲間たちに自分のチャーハンを分け与えている。

 ……あれ、ポケモン世界的には必須スキルだったりするんだろうか。複数のポケモンを一度に面倒見なきゃいけないわけだしな……あれでも合理的だったりするのかもしれない。

 何故か一本多いのは……クマ子のか? ヨウタめ、さてはばーちゃんに渡しそびれたな。

 

 

「ポケモンたちの方だって、このトレーナーに従いたい、従いたくない、っていう思いはあるんだ。お互いの感情が一致してはじめて『トレーナー』と『パートナー』になれるものなんだから、あまり理想がどう、って言うのは……今ついてきてくれてるポケモンたちも、よく思わないと思う」

「なるほどなぁ……ったぁあいズバット! 血を吸わないでくれぇ!」

 

 

 ……そういう観点で見ても、あいつはしばらくかかるなこりゃ。

 

 

「アサリナ君。キミも昔はそういうものはあったのか?」

「えっ」

「言われてみると気になるな。オレも無いではなかったし」

 

 

 ポケモンユーザーなら、「もしポケモン世界に行ったら」――みたいなことを考える人はいるだろう。オレも中学校に上がる前くらいの頃は、メガシンカポケモンだけのパーティとか考えたことはあった。まあメガシンカは一匹限定だったし結局頓挫したんだが……。

 

 

「そりゃあ、僕も昔はあったよ。ライ太を中心に……えーっと、あの頃は……ワタルさんやレッドさんに憧れて、カイリューやフシギバナはいいなぁって思ってたし……友達の家のピッピに憧れてた頃もあったかな? それに、やっぱり大きくって強いイワークとか……たまに建設に来てたワンリキーを旅に誘ったこともあった……ような気もする」

「……クルゥ」

「ギュギュギュ」

「なんかみんなちょっと不機嫌になってるぞ」

「不機嫌になるようなこと言わせたのアキラたちじゃないか!?」

 

 

 そうか。いやそりゃそうか。自分たちじゃない誰かがもしもヨウタと一緒に旅をしてたら――なんて、みんなの立場からしたら考えたくないな。

 ごめんと頭を下げつつ、ちょっと気になったので改めて考えてみる。そういえばヨウタの言うポケモンって、全員、今の仲間たちと通じるところがあったりしないだろうか。草御三家のフシギバナとジュナイパーとか、ドラゴンタイプ繋がりのラー子とか……。

 もしかしたら、そういう幼少期の原体験が、今の仲間たちと心を通わせるきっかけにもなったのかもしれない。

 

 

「そういうアキラはどうなの?」

「メガシンカ使いとかカッコイイなと思ったことはあるぞ」

「ショウゴさんは?」

「………………」

 

 

 めちゃめちゃ真剣に悩み始めたこの人。

 あれか、子供の頃のことだから思い出せないけど何とか思い出そうとしてるのか? そこまで頑張らなくてもいいんだけど!?

 

 

「レイジさんは……あ、ダメだ。ニューラたちに追われてる」

「あいつそろそろ本格的にどうにかしてやったらどうだ?」

「どうにかして、どうにかなればいいけどね。本人の心の持ちようって部分もあるし、すぐには難しいかも」

「弱腰であればあるほど、ズバットたちにとっては良い標的か」

「そうですね。反撃してこないサンドバッグ扱いです」

 

 

 じゃあ逆に手を出すようにすればいいかと言えばそうでもないしな。怖がらせるのは逆効果だ。

 単に朝木に自信が備わればいいかって言うと……微妙な話だ。ああいうヤツが変に自信を持つと、殆どと言っていいくらい変な方向に行っちまうし。思い切りが良くなる分、行動が予測できなくなるっていうか……。

 あのネガティブさを中和できればいいんだが、あいつ絶対後ろ向きなまま突っ走るだろ。それってある種の躁状態と言えないだろうか。冷静になって後で振り返ると死にたくなる類の。

 

 ……そこは置いとこう。

 それよりも、何か最低限正しいことなら言うことを聞いてもらえるようにできないかな……と考えたところで、ぱっと思い浮かんだものがあった。

 

 

「……連帯感を高めるために、みんなで修行っていうのはどうだ?」

 

 

 協力せざるを得ないくらい困難な状況に身を置けば、どれだけ反発しててもとりあえずは協力関係を築くだろう。ハードなトレーニングを通じて地力もつけられる。そこから最低限は言うことを聞いてもらえるようにも……なんて思うんだが……流石に脳筋すぎるかも。

 

 

「いいね、それ。やろっか」

「訓練か。悪くない。俺も同意する」

 

 

 ――そう思っていたのだが、意外なことに二人とも乗り気だった。

 あれ、と違和感を覚えはしたものの、すぐに気を取り直す。そうだ、二人ともどっちかって言うと体育会系だわ。訓練とか修行って言ったって拒否するような素養してねーわ。現役自衛官と島巡り制覇者だからそりゃやろうぜと言われりゃやるわ。

 

 

「じゃあポケモンたちの訓練方法教えてくれよ。昼間やってたら自分たちだけだとダレちゃってさ」

「え、そうなの? じゃあライ太かラー子に組手の相手になってもらえば大丈夫かな?」

 

 

 そしてオレも比較的そっち側である。

 特訓も必要だと思ってるのは確かだし、とりあえず乗っとこう。特訓もできる、朝木もポケモンたちと連携できる(かもしれない)と一石二鳥だ!

 

 

 ――――で。

 食事を終えて一時間ほどして、朝木は夜の雑木林で屍を晒すことになった。

 正確に言うと、朝木とズバットとニューラだが。

 

 しかし、まさかと思ったが基礎トレ段階でこうまでなるとは……。

 片や筋トレ、片や模擬戦という差はあれど、どっちも疲労困憊状態。

 思えば、確かに朝木は運動してた体には見えなかった。こんなことになるのも仕方ないかもしれない。

 

 ……まあ、より困難な状況の方が連帯感もより高まるだろー……なんて、オレもちょっとやりすぎたが……。

 

 

「……刀祢さん。もう少し加減をした方が良い」

「そうですね……ごめん朝木。やりすぎた」

 

 

 謝罪を投げると、かひゅー、かひゅー、という喘鳴だけが返ってきた。

 駆け寄ったヨウタがなんとか聞き取る分には、どうやら許してくれたらしい。

 

 ……しかし、それはそれとして、平然とやり切る東雲さんもすごいな。自衛隊の訓練も相当厳しいらしいし、これも納得と言えば納得だが。

 

 

「アサリナ君。この訓練にはどのくらいの意義がある?」

 

 

 そんな中、ふと東雲さんがヨウタに向けて疑問を向けた。

 効果の「有無」じゃなくて「大小」を問うあたり、東雲さんもこの世界におけるレインボーロケット団との戦いがどういうものになるかは理解しているようだ。

 

 そうですね、とヨウタは朝木にも聞こえるようにややボリュームを上げて返した。

 

 

「レインボーロケット団は、手っ取り早く相手を倒すためにポケモンよりトレーナーを標的にすることが多いです。それに耐えたり避けたりするためには、どうしても僕らが強くなるしかない」

 

 

 勿論、ポケモンたちもトレーナーを守るために最善を尽くそうとするだろう。が、どんなに頑張ってもどうにもならないことはある。その予防のためには、どうしてもトレーナーの方が鍛えるしかないわけだ。

 それに、ヨウタたちは大丈夫としても、オレや朝木、東雲さんのポケモンの体格だと、守るとかそれ以前の問題だ。相手の攻撃を躱すだけの身体能力は、半ば必須と言ってもいいかもしれない。

 

 

「それに、これはアキラを見てて分かったんですけど」

「オレ?」

「うん。ポケモンは、トレーナーが強ければ強いほど、全力で戦える」

 

 

 そう言うと、ヨウタはワン太をボールから出した。

 

 

「市役所での戦い、覚えてる?」

「ああ」

「あの時……アキラから指示を受けてる時の方がワン太の動きが良かったんだ。僕と一緒の時の倍くらい」

「マジか」

「マジだよ」

「そうなのか」

 

 

 え、そうなの?

 確かに、オレもどこまでやれるかと思ってたし、ワン太もどこまでやってくれるかとも思って本気でやったけど。

 

 

「倍は言い過ぎかな。でも、そのくらいはできてた。それは多分、アキラが一緒ならどこまで本気を出してもいいって思ったからだと思うんだ。巻き込むことは無いし、仮に巻き込んでも問題無いって」

「まあオレ指示殆ど出してないけど」

「……うん、まあ、だからアレは暴れてるだけとも言える」

 

 

 それもものすごい精度で、お互いが戦いやすいようにだ。

 トレーナーの指示無しでそこまでできるのもよく考えたらとんでもないし、それができるほど鍛え上げられてるっていうのも、またヨウタたちの実力を再確認させられる。

 

 

「アキラと同じくらいまで、っていうのは……無理です。けど、ポケモンたちにとって『本気を出してもいい』って思ってもらえるほど鍛えることには、意味があります」

「了解した。教示に感謝する」

 

 

 そう言うと、東雲さんは再びゼニガメと共に筋力トレーニングに移った。

 ……あなたの場合は、筋トレよりゼニガメとの連携とかゼニガメの地力を伸ばすことに集中すべきでは? とも思ったが、鬼気迫るその表情を見ると委縮してしまい、結局言い出すことはできなかった。

 

 

「……オレたちの方もやるか。ヨウタ、本気でやってくれよ」

「うん。勿論」

 

 

 何はともあれ、こっちもこっちで特訓だ。

 オレ自身も基礎トレを欠かす気は無いが、それでも今はポケモンたちの地力が大事になってくる。加えて相手は格上ばかり。ここで立ち回りを学んでおかなければ勝てはしない。

 ヨウタには、それこぞ全力で当たって来てもらわないと。

 

 ――その後、オレたちの特訓は深夜まで続いた。

 あくまで特訓なので、オレが直接ヨウタに攻撃したり、Z技やメガシンカを使われたりということは無かったが、ほとんど実戦さながらにやれた……はずだ。

 元々セオリーなんかは基本的にガン無視で戦ってるオレだが、その弱点と利点も分かったので充分な収穫だろう。

 

 それはそれとして、最後にライ太と殴り合いに行ったのは流石にやりすぎだったかもしれない。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 翌日、オレたちは全員揃って車で西条市に向かうことになった。

 理由としては、バイクが目立つというのも、東温市から西条市に行く道のりがずっと山道だというのもあるが……一番は、オレの治療だったりする。

 

 

「しかしここまでよくやったね……」

 

 

 多少ならずヒいたような様子で、オレの傷の具合を見るヨウタ。目立つところで言うと、擦り傷に青あざ、関節の腫れ……などなど、一見する限りかなり痛々しいが、あくまで見た目だけだ。痛みが全くないってワケでもないが、オレ自身の回復力も常人以上にはあるし、すぐに治るだろう。

 

 

「このくらいやんなきゃ意味ねーって」

「そうかな。レイジさんはどう思う?」

「えっ、俺ぇ? ……ま、まあ……オーバーワーク気味なんじゃないのとは思ったけど……」

「何でアンタにそんなこと分かるんだよ」

 

 

 意外なことに、オレの治療を行ってるのは朝木だ。

 それもやけに手際が良く、まさか偽物か……なんて思ったものだが、オレとリュオンを騙せる偽物なんていうのもありえないことだ。とりあえず本人だということにしておいた。

 

 

「怪我の仕方見てなんとなくね。俺、昔医学部だったから、多少は分かるって程度だけど……」

「嘘だろ!?」

「医学部!?」

「何だよぉ!? 俺が医学部で何が悪いってんだよぉ!?」

 

 

 い……意外にも程がある。

 失礼な話だっていうのは分かってるんだが、朝木って男と医者志望ってところが全く結びつかない……。

 

 

「マジかよ……すげえ転落人生だな……」

「……どういう失敗をしてしまったんですか?」

「や、普通についてけないで中退だよ。そっからドロップアウト。父さんからは勘当されるし、就職先も見つかんないから、パチ屋で清掃」

 

 

 マジの転落人生すぎて何も言えねえ。

 しかもそこからレインボーロケット団ときた。呪われとんのかこいつ。

 ため息をつきながらも、朝木は手を止めない。素人目にはだいぶ優れた技術してると思うんだが、それでもダメっていうのは……学力の問題か、それともまた別個の問題になるだろうか?

 

 

「……よし! これでいいはずだ」

「ん……ありがとな」

 

 

 動きは……うん、大丈夫。阻害される感じは無い。これなら突然敵に出遭っても対処できるだろう。

 

 

「よし、ちょっとオレ周辺警戒に出てくる」

「どうやって?」

「この上にぴょーんと」

「怪我したばっかりなんだから休んでてよ。モク太!」

「クォ」

 

 

 ヨウタが車の外に手を出してボールを開くと、モク太が車と並走を始めた。

 そうか、そっちの方が簡単だったな。それにモク太なら仮に攻撃されても凡百のポケモン相手ならものの数秒で打ち負かせる。ヘタにオレが外に出るよりよっぽどいい。

 

 

「さて……と、ロトム!」

「はいロト。何するロ?」

「地図、お願いできる?」

「了解ロ」

 

 

 続いて、ヨウタはロトム図鑑にマップ――四国の地図を表示させた。脇には、伝説のポケモンを探すための天気図などが表示されている。

 

 

「今僕らがいるのがここ、サイジョウ。このまままっすぐ……えっと」

「新居浜」

「ニイハマを抜けてくんだよね。その後は?」

「戦力を揃えられるまで剣山には近づきたくないんだよな。四国中央、観音寺、三好経由して大回りで徳島まで行くか……あ、でも松山は多分ボス格がいるよな……」

「三好から一旦土佐に抜けるのは?」

「つるぎ町に最接近しちまうんだよな……それに山も多い。高速使えりゃな……」

「強行突破も考えなきゃかもしれないね」

 

 

 一回くらいなら突破してイケるかもしれないけど、二度目になると警戒度もハネ上がることになるし、いざって時以外はあまり行きたくはない。

 ……とりあえずで鳴門海峡選んだけど、別の場所で伝説のポケモン出ないかな。そう思って、ロトムに言って天気図を出してもらった時だった。

 

 

「……あん?」

「どうしたの?」

「あ、いや、これ……ここ、雲が」

 

 

 ふとした拍子に、オレは西条市上空……オレたちの進路に、奇妙な違和感を覚えた。

 見ると、一部だけ雲がかかってない場所がある。まるで台風の目のような、あるいはそこだけ避けて通ってるような……わけのわからない現象だ。

 

 

「これって……」

「……何かあったっけ?」

「分からない。ロトム、ここ、何か異常とかある?」

「気温の異常上昇が起きてるみたいロ。気温は……アローラ並み」

「………………」

 

 

 何かあったっけ、そういうの……ホウオウ、は無いよな。あれは炎と言うより生命の力がメインな感じがあるし。じゃあエンテイとか? それも何だか違う気がする。

 ファイヤーにボルケニオン……詐欺罪に器物損壊罪……違う、ノイズが混ざった。

 雲……台風の目……トルネロス? それだと気温の上昇に説明がつかないな。分からん。

 

 

「あ……!」

 

 

 うんうんと首をひねっていると、不意に朝木が顔を蒼褪めさせながら声を上げた。

 

 

「……? 何か気付いたのか?」

「これ! これ、天候変化じゃないか!? 雲一つない状態にして、周囲を熱くして、ほのおタイプ技を強化して……」

「あ、そうか! 『ひでり』か! ってことは、コイツ、まさか――――」

「グラードン……マグマ団のマツブサ!?」

「嘘だろ……情報が漏れてる!?」

「ちょっと待てよ。じゃあ何でわざわざもうこの時点でボールから出してるんだ? オレたちがここにいることを知ってるなら、もっと近くに来てから奇襲すりゃいいじゃないか」

 

 

 伝説のポケモンであろうとも、モンスターボールには収まる。どんな場所にも持ち運ぶことができる上に特性――この場合は「ひでり」になる――も隠すことができるわけなので、こんな風に外に出して運用するなんて、不合理極まりない。

 

 三人でうんうんを頭を悩ませる……たって仕方ないな。折角なんだから東雲さんにも聞くべきだ。

 運転席の方に体を乗り出してかいつまんで現状を説明すると、彼は顔をしかめながら答えた。

 

 

「……不可解だと感じることには原因がある。戦術であれ、戦略であれ……ならば、それにも原因はあると見るべきだ」

「つまり……オレたち以外の誰かと戦ってる。もしくは、何かを追いかけてる」

「恐らくは。しかし、ただ誘い出しているだけかもしれない」

 

 

 横から話を聞いていたヨウタへ視線を向ける。どうする、と聞かなくとも、どうやら頭の中では決めているようだった。

 

 

「行こう。罠でもそうじゃなくても、行かなきゃいけない」

「え……いや、無理じゃね……? 逃げた方が賢明だって」

「馬鹿言え。伝説のポケモンなんて野放しにしてたら、あの辺に住んでる人たちみんな死ぬぞ」

「それに、もし仮に戦ってる人がいるなら……協力できるかもしれない」

 

 

 どっちに転んでも、オレたちにとっては変わらない。

 罠なら砕いて進めばいい。そうじゃないならそれでいい。結論は変わらないんだ。

 

 

「東雲さん、進路そのまま西条で。このまま突っ込みます」

 

 

 



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市街地にはじけるほのお

 

 

 

 ぐつぐつと、地面が煮えたぎっている。

 火に巻かれた建物が黒煙を上げ、延焼した別の建物がまた、黒い煙を吐き出す。倒壊した建物はとろけてグズグズになった地面に熔解して同化し、やがてその姿を消した。

 

 見渡す限りに生命の気配が存在しない、地獄のような光景。その中に、地面を揺らすほどの足音を響かせる影があった。

 灼熱の溶岩すらものともしない頑強な外殻を持つ、紅の超古代ポケモン――グラードン。

 その頭頂に立って、マツブサは生命の気配の消えた街を見下ろしていた。

 

 

「チッ」

 

 

 知らず、舌打ちが漏れるのを彼は止められなかった。

 レインボーロケット団首脳部の指令によってここ西条に送られたマツブサだが、その目的はヨウタたちの殲滅だけではない。この情勢下で生まれた反抗組織(レジスタンス)――彼らを排除することもまた、目的の一つだった。

 

 

 ――よろしいですか、マツブサさん。アサリナ・ヨウタたちは優れたトレーナーであり戦闘者ですが、彼らはまだ若く、青臭い。

 ――目の前で失われる命を黙って見ていることなどできないのです。「まさか」という可能性があれば、必ずやってくる。

 ――街中でグラードンを使っていると知れれば、彼らは必ず現れる。そこを狙えば一網打尽にできましょう。

 

 

 べったりとへばりつくようなゲーチスの声がマツブサの中で想起され、思わず眉間にしわを寄せる。

 確かに有効な作戦だろう。人並みの倫理観と同時に人並み外れた力を持つあの少年たちならば、そうすることはむしろ自然なことだ。賢人と呼ばれていただけはある――だが、その指示に従った結果がこの光景だ。市街地の無差別破壊など、人類の発展を切に願うマツブサの――マグマ団の理念に沿っているはずはない。

 市街地でグラードンの力を解放したのだから当然の話だ。ゲーチスともあろう男がそれを理解していないはずはない。理解した上で、この作戦を立案し実行させたのだ。

 

 これだけの被害を与えた以上、人的被害も半端なもので済むはずはない。果たして死人がどれほど出てしまったか……考えるだに恐ろしい話だった。

 そして真に恐ろしいのは、ゲーチスだろうか。下手をすれば大虐殺になる可能性を理解し、マツブサが嫌悪を示すことを踏まえてなお、微笑みを絶やさずに作戦を伝える彼は、紛れもなく外道だとマツブサは断ずる。

 

 

(……オマケにこの有様だ)

 

 

 燃え盛る街の中では、食料品店などに押し入って略奪を行う部下の姿が見える。

 レインボーロケット団の黒衣ではなく、マグマ団のそれを着用した者たちだ。すっかりレインボーロケット団という組織の気質に染められてしまった彼らに、かつての理想は残っているのだろうか?

 舌打ちが止められず、語気も荒くなる。勝手に敵であるヨウタの勧誘を行ったという彼の右腕(ホムラ)のことは、組織の規律のためにも咎めるべきだということは理解しているが、それでも内心、組織の現状を思えばそうなっても仕方がないかもしれないとは思っていた。

 

 

頭領(ボス)、やはり来ます」

「そうか、やはりか」

 

 

 オオスバメに乗って現れたホムラの報告に、マツブサは渋面を作るほかなかった。

 ゲーチスの予想が当たった。それは間違いなく、彼らが人並みの、まっとうな正義感を持っているということだ。

 はっきり言って、マツブサはゲーチスに対して強い嫌悪感を覚えていた。

 

 

「タワーから増援が来るって話になってたな、あれはどうなっている」

「詳しくは、はぐらかされました。いったいどうする気なのか」

「秘密主義もいい加減にしてほしいもんだ」

 

 

 だが――少年たちを囲う網は、既に出来上がっている。

 伝説のポケモンに、多数の団員。およそこの状況下で抜け出すことなど――不可能に近い。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「嫌だー!! あんなとこ行ったら絶対死ぬぅぅー!!」

「ガタガタ喚くな鬱陶しい! くだらないこと言ってる暇があるなら知恵を出せ! 元でも医学部だろうが!」

「医学部は関係ねえよぉ!」

 

 

 あれから数分、オレたちは西条市街地に続く道をひたすらに進んでいた。

 まだグラードンの姿は見えてきていないものの、既に周囲の気温は酷暑とも言えるほどにまで上昇している。

 街はあちこちに破壊の爪跡が見られ、レインボーロケット団の連中がどれだけやらかしていったのかがよく分かる。

 

 

「医学部ってことはそんだけ賢いってことだろ!?」

「そういう印象で人の頭の出来を決めつけるのって俺どうかと思う!」

「レイジさん、それ自分で言っちゃダメなやつ」

 

 

 コレって要は「俺はそこまで頭良くない」って言ってるのと同じだよな。

 お前自分で自分の行動を賢い選択とか言ってたやん……と思わんでもないが、過剰な自尊心がある程度和らいだと思えばこれも良いこと……なのか?

 

 

「できないことまでやる必要は無いですよ。僕とアキラで前に出て足止めしますから、レイジさんはショウゴさんと一緒に避難誘導と応急処置とかをお願いします」

「ひ、避難誘導と応急処置……だな、オッケー、分かった」

「アキラ、僕たちはグラードンとレインボーロケット団員に集中するよ。僕がグラードンを足止めするから」

「オレがマツブサを殴り倒せばいいんだな」

「違うよ!? アキラは露払いと退路の確保! 伝説のポケモンが守ってるのに殴りに行くなんて自殺行為じゃないか! 禁止! 禁止!!」

 

 

 そこまで言うことなかろ。

 とはいえポケモンに対する知識が一番あるのは間違いなくヨウタだ。従わない理由は無い。

 キビキビと発せられる指示に頷き、声を上げて返す。大きな異論は無かった。

 

 

「……ま、何にせよやることは単純(シンプル)な方がいいよな」

 

 

 オレが敵を殴れば、ヨウタたちや逃げ遅れた人たちの道を切り開ける。たった一つ、シンプルな結論だ。

 迷うことは何一つ無いだろう。

 

 

「刀祢さん、どうする。目前まで送り届けるべきか?」

「いや、この車が壊されるとマズい。そろそろ行きます。いいよな、ヨウタ?」

「うん。バイクは使うの?」

「いや、置き場も無いし壊されるのがオチだ。置いてく」

「じゃあ、ワン太……いや、モク太と一緒に行ってくれる? 多分、アキラの方が目は良いよね」

「分かった。上から探せばいいんだな」

「よろしく」

 

 

 拳を掲げると、ヨウタも応じるように軽く自分の拳を当てた。

 

 

 ――そうして車の外に出ると、そこは灼熱地獄さながらの様相を呈していた。

 地面のあちこちに見えるマグマ溜まりに、燦然と照り付ける太陽。周囲の建物からも火の手が上がり、更に空気が熱されていく。

 体感……50度から60度……くらいだろうか。文字通り、身を焼くようなこの陽射しの下では、普通の人間はまともに動くことも難しいかもしれない。

 

 ヨウタに指示された通り、モク太の背に乗って眼下に広がる光景を見渡していく。その中に――あった。紅の甲殻に身を包む巨大な影。そしてそれを囲むように配された、マグマ団の制服を着用しているレインボーロケット団員たち。ここからはまだ百メートル以上は離れていて、今すぐに接敵というわけにはいかないか。建物と建物の間を埋めるように築かれたバリケードは、特定の方向から以外の侵入・脱出を阻むためのものだろう。オレたちにはあんまり意味が無いが。

 しかし、確かに見える。データ上だと、グラードンの「たかさ」は3.5mだったが……あれはもっと大きいようにも見える。まあ、いずれにせよ間違いない。

 

 

「見つけた。グラード、ン……」

 

 

 そう呟いた、瞬間。

 

 グラードンの黄金に輝く瞳が、オレを射抜いた。

 

 

「――――モク太!」

 

 

 この酷暑の中にあってなお駆け上がる悪寒に導かれるように、遮二無二にモク太に声を飛ばす。

 死ぬ。そう確信する何かがそこにはあった。

 その進路が先程までのものから僅かに逸れた――直後、さっきまでオレたちが飛んでいた場所を、巨大な熱線が貫いた。

 

 

「っ!?」

 

 

 莫大な熱量と光量に、一瞬目が眩む。

 あれは――何だ。本当にポケモンの技なのか?

 熱線。熱――「かえんほうしゃ」? それとも「オーバーヒート」? あるいは、「ソーラービーム」?

 

 未だかつて知覚したことのないほどの威力の光線は、誰もいない空間を貫いてビルへと直撃し――そのビルの上層階部分を、まるごと円形に融解(・・)させた。

 

 

「……あ……」

 

 

 ――――嘘だろ?

 

 思考が一瞬止まりかけるほどの衝撃が走った。

 あれが、伝説のポケモン。あれが、グラードン。

 

 思えばオレは、伝説のポケモンという存在を侮っていた。驕りがあったんだ。

 伝説のポケモンだろうと生物は生物。トレーナーを殴り倒せば終わり。ワケもないことだ……なんて、無意識のうちに確信していたように思う。

 

 だが、これはどうだ。

 近づける――わけがない。守りを抜ける――わけがない。隙を突ける――わけがない。

 ありとあらゆる手段を考えてなお手の届かない圧倒的な存在感。ただ目にするだけで体の芯から底冷えして身震いが起きるような、絶対的な威容。

 ヨウタは全面的に正しかった。無策に立ち向かうことは、自殺行為も甚だしい。

 

 

「ッ……」

 

 

 それに加えて、ヤツは――ゲンシカイキを行っていない。

 体に走るラインは黒く染まり、その瞳も金色のまま。それでいて、素の状態で5メートルはあろうかという巨体なのは……並行世界ごとの個体差とでも言うのだろうか。

 今ここにいるマツブサとグラードンは、「マグマ団が勝利してグラードンの力で陸地を増やした」世界からやってきた者たちだ。他の世界と比べて強力な個体だという可能性もある。

 

 あそこからまだ強くなるのだとすれば、まともに考えれば戦って勝つなんていうのは絶望的も甚だしい。相対すること自体が、そもそも自殺行為だ。

 ……けど。

 

 

(――――ヨウタは、「足止めする(・・・・・)」って言い切った)

 

 

 だったらオレは、それを信じる。

 

 

「行くぞ、ヨウタ!」

「うん! モク太!」

 

 

 ヨウタの指示に応じて、モク太が両翼を伸ばす。

 この状況でやること――となると、もう既に決まっている。邪魔にならないように近くの建物の屋上に降りるのを確認すると、ヨウタは敵のいる場所を指差して指示を発した。

 

 

「『シャドーアローズストライク』!!」

 

 

 上空から降り注ぐ無数の矢羽根が、道を塞いでいるレインボーロケット団員と、そのポケモンたちに降り注いだ。

 そして――爆発。次々と放たれていく幾多の羽根と爆発は、さながらクラスター爆弾か絨毯爆撃か。

 体力が全快になった影響か、モク太の攻撃はダークトリニティに放った時のそれよりも更に強い。

 

 

(まさか死んでないだろうな)

 

 

 ……いや、ヨウタたちも長いこと敵対組織と戦ってきたんだ。加減は分かってるだろう。

 それよりも。

 

 

「露払いは任せろ!」

「任せる!」

 

 

 壁を蹴り、モク太の開けた敵陣の大穴に向けて飛び出す。

 弾丸のような急加速の中、体細胞が活性化し、生態電流が増幅される。体表に伝ったそれを放出しながら、アスファルトを蹴り砕いて着地――周囲に石片と紫電を撒き散らしながら、オレは地獄に降り立った。

 

 

「き――来たぞぉぉぉぉ!!」

 

 

 敵の数……倒れてるのが三十、起きてるのが同数くらい。その中で起き上がろうとしてるのがだいたい十……いずれもマグマ団の制服。

 出てきてるポケモンは、デルビル、ドンメル、マグマッグ、ポチエナにスバメ……マグマ団のポケモンとして思い当たるものはだいたいいるか。一様に驚いてはいるものの、ちゃんとグラードンへの道を塞いでるあたり、一応の統率は取れているようだ。忌々しいことだが。

 

 

(……まあ、いい)

 

 

 話がちょっと複雑になっただけだ。乱戦の方が、やってくるヤツを手当たり次第殴り倒せばいいから楽だったのだが……こっちから突っ込めばいいだけのことだ。その後で、ヨウタが逃げる道を守ればいい。

 

 ボールから三匹が飛び出す。伝説のポケモンを前にして委縮している部分も見られるが、いずれの目にも確かな闘争心が浮かんでいる。

 

 

「構えろ、来るぞぉ!」

「死守、死守だァァ!!」

 

 

 前方にいた男の号令で、団員たちの間に緊張が走った。ポケモンたちが前に踏み込むためにやや前のめりになり、あるいは、それと逆に「技」を放つために四肢を突っ張らせる。

 応じるようにチャムの嘴から火が漏れそうになるが……それを手で制する。

 

 

「チャム、先走るなよ。リュオン、警戒は任せる。チュリはいつも通りで。できるだけ離れるな」

「シャモッ!」

「リオ!」

「ヂ」

 

 

 チュリはオレの頭の上。チャムとリュオンはオレとだいたい同じくらいの速度で動ける。

 ……となれば、やることは単純。

 

 

「――――行くぞ!!」

 

 

 オレたちは、揃って地を蹴り走り出した。

 周りは瓦礫の山。溶岩溜まりもそこら中にあり、部分的にバリケードで封鎖されてしまってもいる。どうしても、動きは制限されてしまうことだろう。

 ――普通なら。

 

 

「――!?」

「壁ッ……馬鹿、そっちじゃない! あの壁だ!」

「違う、もう道の方に降りて……!?」

 

 

 撃ちだされた「ひのこ」や「かえんほうしゃ」は、本来想定された道――ヤツらが塞ぐことで固定化されていたルート上に向かっていた。

 だが、だとして――そもそも、想定されたルートに沿う必要があるのだろうか?

 近くに壁があるなら壁を蹴って走ればいい。瓦礫の山なんて飛び越えりゃいい。バリケードはぶっ壊す。溶岩はどうしようもないとしても、制限されたルートなんてものはオレたちにとってはあって無きに等しいものだ。たったそれだけのことでオレたちを阻もうなんて……。

 

 

「ナメんなァッ!!」

 

 

 その場にあったバリケードを引っぺがし、思いっきり投げつける!

 巻き込まれた数人が悲鳴を上げながら吹っ飛んでいくのを見届けるまでもなく、オレたちは更に前へ前へと走っていく。

 

 

「ガァァッ!」

「グオオオオッ!」

 

 

 直後、乗り越えようとしたバリケードの裏からポチエナとデルビルが現れる。伏兵的にここに配置してたんだろうが……相手が悪い。

 

 

「チャム、『にどげり』! リュオン、『はっけい』!」

「シャアァッ!!」

「リオッ!!」

 

 

 勢いよく放たれた掌底と、腰の入った強烈な回し蹴りによって吹き飛んでいく二匹。「あく」タイプである二匹にとって、「かくとう」タイプのチャムとリュオンは天敵と言っていい。

 ……むしタイプのチュリも同じだが、そっちは今「れんぞくぎり」しか覚えていないのでちょっと置いとこう。チュリの体格だとちょっと直接戦闘は向いてない。

 

 

「何してる! 撃て、撃てぇっ!! 近づかせるなぁ!」

 

 

 次々と放たれる技、技、技。一見間断なく向かってくるように見えるそれにも、隙間は当然存在する。

 躱し、いなし、時に地形を盾にして攻撃をやり過ごす。

 

 

「何で当たらない!」

「まるで攻撃がどこから来るのか分かってるみたいで……くっ!」

「また投げてくるぞ! 逃げろぉ!」

「カイリキーかよ!」

 

 

 ――「みたい」じゃなくて、「分かってる」だ。

 攻撃の気配、敵意、殺意……まっとうなトレーニングを積んでいない人間が向けてくる「意」は手に取るように分かる。

 離れるな、と言ったのもそれだ。オレが感知し、躱す。それに伴って三匹も攻撃を回避できる。加えて、リュオンが波動を読み取ることによって更にその精度も上がる。

 相手には分からないだろうが……それによって取るべき選択肢というのも、また限られてくる。

 

 

「くっ……囲めぇぇっ!」

 

 

 痺れを切らしたか、先頭にいた男の号令によって隊列が崩れ、オレを囲むために団員とポケモンたちが走り出す。

 だが――その焦りこそ、命とりだ。

 

 

「今だ、ヨウタ!!」

 

 

 次の瞬間、崩れ切った隊列を喰い破るように、ワン太がトップスピードで疾走してくる!

 

 

「な――――」

 

 

 敵はオレだけじゃないってことを忘れていたのだろうか? だとすると万々歳だ。

 進行方向にいたポケモンや団員はそのまま吹き飛ばされ、踏み抜かれ、すり抜けざまに爪の一撃を食らっていく。

 これでヨウタは確実にグラードンの足止めに行け――いや、まだ!

 

 

「チュリ、『エレキネット』! 止めろ!」

「ヂュッ!」

「ぐわぁあ!」

 

 

 そのヨウタを追う影が一つ、二つ。ヨウタなら物の数じゃないが、だとしても邪魔者が一人でも来ることは避けるべきだ。そのためにオレはここにいる。

 まだ敵はいるが、流石にそろそろ打ち止めだろう。一人ずつ確実に潰せば、このまま行けばこの辺の避難や救助もすぐ終わる――そう思った時だ。

 

 

「ル……?」

 

 

 不意に、リュオンが何かを感じ取ったのか、後方の空を見上げた。

 次いでオレも、何か――妙な気配を感じ取る。ヒトか、あるいはポケモンか。いずれにしても、なんだかおかしな気配だ。

 直後に聞こえてきたのは、ヘリコプターか輸送機のそれと思われるローター音。それと、何か巨大なものが動いているかのような振動と重低音――。

 

 

「……またこの手のか……!?」

 

 

 ……どうせ増援だろ!

 くそったれ、だとすると幹部級か? この重低音はロボか何かか!?

 まさか伝説のポケモンということは無いだろう。グラードンの時のような威圧感……ぞわっとするような悪寒は無い。

 だとすると、何が?

 

 少しすると、その全容が見えてくる。一つはコンテナを吊るした輸送機。もう一つは……四足で動く、巨大ロボとそれに乗る仮面の男。

 

 

「これはこれは、マツブサもおあつらえ向きな盤面を整えてくれたものだ」

 

 

 大仰な仕草で手を広げる大男。ロケット団のマークを掲げている以上、彼がロケット団の幹部格……少なくとも、マツブサに対して無礼な口を利くことができる人間に間違いない。

 だが。

 ――――だが。

 

 

「誰だ」

 

 

 オレには――――それが誰なのかは、正直に言うと分からなかった。

 

 

 



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れんごくの攻防戦

 

 

 

 ポケモンの歴史は長い。

 オレが生まれる前から今に至るまでずっと続いている作品だけあって、ゲーム本編だけでも、バージョン違いとリメイクを含め既に30種類以上がリリースされている。

 アニメなどは通算で千話以上。映画も二十作以上あり、外伝作品も挙げていけば枚挙に暇がない……と、全てを正確に把握することは困難なほどの作品群となっている。

 

 だからこそ、オレはその全部を把握してるわけじゃない。

 ゲームの方はやってるから、メインの流れは知ってる。マンガも一部読んでて今も追いかけてるが……アニメの方は見てないものもそこそこ多い。

 あの仮面の男も、オレが把握しきれてない「誰か」なのだろうが……うう、分からん。朝木とか把握してないかな……。

 ……まあ、何でもいいか。

 

 ――前に出てきたんなら、倒すだけだ。

 

 

「――――」

 

 

 一つ息を吐く。目標は約二百メートル先。道の状況も考えれば……十秒もあればたどり着ける。

 

 

<投下>

 

 

 そう思った直後、輸送機に吊るされた荷物が落ちてくる。

 相当に巨大なコンテナだ。中身は……知る由も無いが、万が一爆弾やそれに類するものだった時、迂闊に近づいてドカン……じゃあ、あまりにも間抜けに過ぎる。

 だが、迂回すればいいだけの話だ。ずどん、という重い音が聞こえると同時、オレは両足に電力を漲らせて踏み込み――――。

 

 その直前に、ヤツのマシンから「何か」がこちらに向けて撃ちだされた。

 

 

「あん?」

「クリスタルシステム、起動」

 

 

 水晶のような――何だ、よく分からない。妙な物体だ。男が何やらボソッと呟いてスイッチを押すと、その内側から機械音が発せられる。

 次の瞬間、電磁発勁によって増幅されて体外に放出されていた電気が――全て、あの水晶体に吸収されていった。

 

 

「な!?」

 

 

 チュリが威嚇のために放出していた電気もまた、同じように吸われている。慌てて電磁発勁をやめ、水晶体に目を向ける。

 電気を吸収する……何なんだ? またレインボーロケット団驚異のメカニズムか!?

 

 

「あれはクリスタルシステム。我らがロケット団の技術部によって開発された、電撃を無効化する力場を生み出す装置だ」

 

 

 オレの内心の疑問に応じるように、男が口を開いた。

 男は余裕綽々の様子で、こちらの歯噛みする顔を見てはほくそ笑んでいる。

 

 

「はじめまして、と言うべきかな? 私はレインボーロケット団大幹部、ビシャス。お嬢さん、あなたをお迎えにあがった」

 

 

 男は、どうやらビシャスというらしかった。

 ビシャス……聞いたことがあるような、無いような。でもレインボーロケット団なのだから、確実に特別な何かはあるはずだ。

 加えて、意味ありげな「大幹部」の称号――ランスたち幹部格よりも上なのか……失った記憶の中に、彼のこともあったりするだろうか。

 

 

「お迎えにあがったなんて雰囲気か、コレが?」

「失礼した、こちらの世界のマナーには疎くてね。破壊と惨劇の宴はお気に召さなかったかな?」

「最ッ低の気分だよ!」

 

 

 ――二度とスカした言動ができないように、その趣味の悪い仮面ブッ壊してやる!

 

 足元の瓦礫を掴んで投擲する。加減は要らない。音の壁を突破したそれはビシャスの顔面へと迫り――着弾するその直前、割り込んで来た何者かによって弾かれてしまった。

 

 

「フフフ……手厳しいな」

 

 

 黒い体毛と、王冠を思わせるような頭の飾り……マニューラだ。流石に護衛はつけてきているか。

 しかしあのマニューラ……やけにこう、様子がおかしい。落ち着きが無いというのだろうか。遠目で見ていても明らかなくらい、何か不穏なものを感じる。頭をぐらんぐらん揺らしてみたり、マシンを引っ掻いたり……子供のような、あるいはイライラをぶつけてるような……何だ?

 

 

「サカキ様からお前を連れてくるように命じられている。大人しく来てもらおう。さもなくば、この街を更なる破壊で染め上げることになる」

「ついて行こうが行くまいがどうせ最終的には破壊するんじゃねえかお前らみたいなのは。騙されんぞ!」

 

 

 思わず体から電気が漏れそうになる……が、寸でのところで押し留める。

 落ち着け、今下手なことしてもあのクリスタルなんとかに吸われるだけだ。不要な消耗は避けないと。

 確かに電磁発勁で体細胞の活性化させれば、その分身体能力が上がる。けどそれは下駄を履かせただけだ。オレの素の能力はむしろ超人寄り。使わなくとも、大きな違いは無い。

 

 

「――ならば力尽くで連れて行ってやろう。行け!」

 

 

 マシンに同乗していたマニューラが飛び降り、ビシャスが胸元の黒いボールから三匹のポケモン――ハッサムと二匹のヘルガーを繰り出す。

 あのハッサムやヘルガーも、やはり落ち着きが無い。威嚇しているのか何なのか、無駄吠えは多いし体をよく揺らすし、目も焦点が合っていないように見える。

 明らかに挙動がおかしい。あいつら、何か変なクスリでもやっているのか……?

 

 

「そして更にもう一匹、特別な兵器を見せてやろう……バンギラス!」

 

 

 ビシャスの声に合わせて、突如としてコンテナが揺れた。いや――ひしゃげた。

 内側からの衝撃で鉄板が歪み、猛烈な破壊音と共に中から「それ」が姿を現す。

 

 よろいポケモン、バンギラス。

 通常、考えられるそれの倍はあろうかという、怪物じみた個体だ。

 

 

「……マジかよ」

 

 

 あのグラードンほどじゃないにしろ……デカい。三メートル? いや、四メートル……!?

 もはや怪獣としか言いようのないソレは、自身が外に出られたことを認めると、直後に咆哮を放った。

 

 

「グオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 

 

 続けざまに、ヤツは空に向かって光線を吐き出す――「はかいこうせん」だ。

 狭苦しいコンテナから脱出したことの解放感か? それとも、単にそうしたかっただけなのか……? いずれにしても、あのバンギラスの目は明らかに正気を映してはいなかった。

 

 

「我が組織の強制進化マシーンによって生み出された怪物の力、思い知るといい。――破壊しなさい!」

「っ――チャム! リュオン! 構えろ!」

 

 

 全力で突撃を始めるマニューラたち四匹。それに遅れるようにして、バンギラスもまたその巨体をゆっくりと動かし始めた。

 ……幸いと言っていいのか、相性そのものは悪くない。相手はハッサムを除けば全てかくとうタイプが弱点。そのハッサムも、ほのおタイプのチャムに弱い。レベル差はあるにしても、戦いようはそれなりにある……はずだ。

 退くわけにはいかない。ヨウタもオレも街の人も、こいつを倒さない限り安全には逃げられない!

 

 

「ガアアアァッ!!」

 

 

 二匹のヘルガーが、オレたちの周囲に向かって炎を吐く。とりあえず当たればいい、とばらまいているのか……いや、そうじゃない。口内に何やら、高熱の炎が渦巻いているのが見える。「れんごく」だ! ――――多分!

 

 

「チュリ、糸頼む!」

「ヂュ!」

 

 

 やや遠くの信号機に、チュリの糸が絡みつく。その糸を受け取って手繰る。

 更に、横で並走していたチュリとリュオンを空いた腕で抱え上げ、思い切り前に向かって――――跳ぶ!

 まずはとにかく技の範囲から抜け出さなければならない。それと、

 

 

「リュオン!」

「!」

 

 

 オレの波動を読み取ったリュオンが、腕の中から抜け出して飛び上がる。狙いはマニューラの足止め――と、可能なら撃破だ。本当ならほのおタイプでもあってより好相性のチャムの方がいいのだろうが、そうなると今度はヘルガー二匹を止めることが難しくなる。

 

 

「チャム、ヘルガー二匹、任せられるか!?」

「シャモッ!」

 

 

 そちらは、ほのおタイプの技に耐性があるチャムに行ってもらうのが現状では最善だ。

 そう思ってチャムの顔を見ると、自信に満ちた表情で返された。よし――それなら今は任せよう。

 

 

「投げるぞ、跳んでくれ! 『にどげり』!」

「クァァァッ!!」

 

 

 着地した直後、オレは投げるような格好でチャムをヘルガーたちのいる方へと向かわせた。

 空中で体をひねり、体勢を立て直して放つ渾身のドロップキック(にどげり)。食らったヘルガーは勢いよく吹き飛ばされるが、戦意を失った様子は見られない。ギラギラとした目の輝きもそのままだ。

 

 

「チュリ、オレたちも……」

「ヂヂッ、ギュゥッ!」

「なん……くッ!」

 

 

 チュリの声に反応して体を反らせば、さっきまでオレの頭があった位置をハッサムの鋏が通り抜けていった。

 そりゃあ、こっちだってオレとチュリでバンギラスとコイツの足止めをしようと思って前に出たんだ。来てくれること自体は構わないがな……!

 

 

「グオオオオォォォォォォォォォッ!!」

「く、うおおっ!!」

 

 

 体勢を整えようとしたそのタイミングを見計らったように、バンギラスが突進してくる。

 技の「とっしん」ですらない、ただ走ってくるだけの動作。しかしその巨体では、それだけの動作が莫大な破壊力を伴っている。

 だが――この程度なら、力の向きを変えることそのものは難しくない!

 

 

「チュリ、『くものす』! 渡せ!」

「ヂュヂュッ!」

「ギィィァアアアアアァァアッ!!」

 

 

 バンギラスに付着した放射状の糸、その中心から伸びる粘着性に欠ける糸を受け取り、全力の力で「横に」向けて引っ張った。

 それだけで、バンギラスの突進はそのまま「流す」ことができる。向かうのはオレの横にいるハッサムの方だ。

 

 

「ガアアアアァァァオオオオオオオォォッ!!」

「サムッ!?」

 

 

 一切の躊躇なく突撃して行ったバンギラスは、更にハッサムに追い打ちをかけるように、拳を叩き込んだ。

 鋼の甲殻がひしゃげ、砕ける音がする。それでもなお、バンギラスは止まらない。

 

 

「お……おい」

 

 

 な……何だ? 同士討ち……?

 あのビシャスってやつ、バンギラスを制御できてないのか?

 

 

「ハッ、サムッ!」

 

 

 愕然としていると、今度はハッサムが「メタルクロー」をバンギラスの腹部に突き入れた。

 それでバンギラスは正気を取り戻す……ようなことはなく、むしろその攻撃のせいで余計に怒り狂い、暴れ始める。離脱するべく、ハッサムは空へと飛び出した。

 癇癪を起こした子供のように地面を叩き、空を割き、そして、さっきまでハッサムが転がっていた地面に足を突き入れ、踏み抜いた。

 

 ――直後、地面が揺れる。バンギラスの身体から伝う生体エネルギーが「揺れ」を増幅し、「振動」へ。やがてそれは極めて強力な「攻撃」へと転化していく。

 

 

「――――マズい、チュリ! 逃げ」

 

 

 そうやって頭の上にいたチュリを軽く上空に投げた時には、もう遅かった。

 全方位、広範囲にわたって浸透したエネルギーは、既にオレの足元にまで届いていた。

 

 

「ゴオオオアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 次の瞬間、猛烈な揺れと共に全身を衝撃と振動が襲った。

 骨が歪む。筋繊維が断裂する。臓腑が揺さぶられ絞られ、脳が目が耳が揺られ、毛細血管が引きちぎられていく。

 

 

「カハッ!?」

 

 

 目から耳から鼻から、何か(ぬる)い液体が伝うような感触があった。

 立っていられずに膝をつくと、喉の奥から熱い塊が飛び出した。同時に、口の中に鉄の味が広がる。

 

 これは――――「じしん」か。

 一切の躊躇も遠慮も加減も指向性すらも無い、ただ凶暴性と狂気のままに放たれた、あのレベルのポケモンの本気の「じしん」。周囲を見れば、建物も倒壊しているようだった。

 戦いが始まって以降……いや、それより前の、コンテナを投下したあの瞬間から、これは狙っていたのだろう。一向にビシャスが近づいて指示を出しに来ないのは、自分が巻き込まれるのを防止するためってワケか……!

 

 

「ヂュヂュゥ! ヂヂヂ、ギュビィィ!!」

「げ、ほ……うぐっ、だ、大丈夫だ……!」

 

 

 頭の上に戻ってきたチュリが騒いでいる。良かった、どうやらチュリの方はダメージが無かったらしい。

 赤くにじんだ視界で周囲を見回すと、どうやらチャムとヘルガーの方にも影響があったようだということが分かる。リュオンは……効果範囲の外だったか。今は、優勢に戦えているようだ。

 だが、こうなるとチャムの方は仕切り直しだろう。二対一、お互いに甚大なダメージを受けつつも、ヘルガーの側が止まる様子は無い。このままじゃ、負けるか……!?

 

 オレは……かなりのダメージだが、動けないわけじゃない。まだやれる!

 

 

「……チュリ、ヤツを怒らせてくれ。『いとをはく』だ!」

「ヂッ!? ……ヂヂッ!」

「グガガアアアアアアァァッ!!」

 

 

 再び、チュリの糸がバンギラスに絡み付く。思った通り、動きにくさのせいでバンギラスは苛立ちを止められないようだ。

 元々無かった理性の色がより窺えなくなってくる。

 

 

「チャム! そいつらはほっといて、リュオンに加勢してくれ!」

「シャモッ!」

「ほう、確実に一つ一つコマを減らしていく気か。させんぞ! ハッサム!」

「ハッサム!」

 

 

 空に浮かんでいたハッサムが、勢いよくチャムの進路上へと降り立つ。

 足止めのつもりか。だが――――こっちはそれを待ってたんだよ!

 

 

「押し通れ! 『ニトロチャージ』だッ!」

「シャァァァ――クアアアアアァァッ!!」

「ぬっ!?」

「ムウウウウッ!?」

 

 

 チャムの全身から火炎が迸り、立ちふさがったハッサムへと激突する。

 両の翼爪が、バンギラスのせいで砕けかけていた甲殻を更に割り、砕く。そのまま、チャムはハッサムを押し倒して叩き伏せた!

 

「ちっ、ヘルガー! その小娘を黙らせなさい!」

「――――いいのか?」

「何……むうっ!?」

「ギャオオオオオオオオッ!!」

 

 

 怒りが臨界に達したバンギラスが、全速力でオレの方に向かって走り出す。同時にビシャスの指示によって、ヘルガーもまたオレの方に向かって走り出していた。

 

 

「周りくらい見ろよ」

 

 

 そのまま、軽く横に跳んだ。

 それだけで、怒りに我を忘れ視界を狭めていたバンギラスは、オレの姿を見失う。ヘルガーの側はとっくに「れんごく」の火炎弾を放っていたが――それは、バンギラスに当たってしまった。

 

 

「ガアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 怒り狂ったバンギラスは、そのままヘルガーへと大量の岩を伴って突撃していく。どうやら「いわなだれ」のようだ。

 ヘルガーもまた、それに反撃を行うも、バンギラスの進撃は止まらない。

 結果は――――同士討ちだ。

 

 

「何をしているのだ、役立たず共め……!」

 

 

 ヘルガーは強力な技を受けてひっくり返ってしまっている。バンギラスは依然立っているが、それでも全身が焼けたようになっている。「やけど」状態のようだ。

 

 

「シャアァッ!!」

 

 

 他方、リュオンの加勢に入ったチャムは、噴出させた炎をアフターバーナーのように利用して加速。最高のタイミングで横合いからマニューラへ跳び回転蹴り(にどげり)を決めた。

 

 

「マ゛ニュッ!?」

「リ……オッ!」

 

 

 更に、たたらを踏んだマニューラの懐に飛び込んだリュオンが、崩拳の要領で「はっけい」を放つ。

 元より正気を感じられなかった目がぐるんと周り、意識を失って吹き飛ばされるマニューラ。

 瓦礫の山に突っ込んだそいつは、そのまま体をその場にだらりと投げ出した。

 

 

「ふ……ふふふっ、フフハハ、やるものだ。私のダークボールによって強化されたポケモンと渡り合うなど!」

「は? ダークボール……?」

 

 

 ……それ、暗い場所で捕獲率が良くなるボールじゃねえのか?

 何でそれでポケモンが強化されるんだ。

 

 

「私のダークボールはポケモンを邪悪に染め上げる究極のモンスターボールなのだよ」

「邪悪……」

 

 

 ……それでか、マニューラたちのあの正気を失ったような様子は。

 邪悪、というよりは凶暴化。攻撃性を抽出したようでもあった。あの尋常じゃない様子を見て「変なクスリでもやってるみたいな」と表現したが、それと比べてもそうは変わらない。

 ネットじゃ冗談交じりに「モンスターボールは洗脳装置」なんてネタにされちゃいるが、あのダークボールってやつは本物の洗脳装置だ。何が究極のボールだ。コイツにとって都合がいいだけの、究極に自己中心的なボールの間違いじゃねえか。あんなおぞましいものを自慢げに見せびらかすような輩を野放しにしておけるか!

 

 

「御託はいい! お前のポケモンは全滅だ。そこを動くな、引きずり降ろしてやるッ!!」

「全滅? 何のことかな」

 

 

 ――すっとぼけたことを!

 

 余裕の笑みを向けてくるビシャスに苛立ちが募る。

 まさかこいつ、ここで逃げる気か? だとしたらチュリに「くものす」を張ってもらわないと……!

 

 射程距離は遠くない。もっと近づく必要がある。

 ヤツに肉薄するべく足にぐっと力を込める――と、その瞬間、全身に激痛が走った。

 

 

「ぐ……!?」

 

 

 思わず膝をつく……が、そこでなんとか踏みとどまった。

 くそっ、「じしん」のダメージか……!

 

 

「ふははははは……やはりそちらは満身創痍のようだな。だがこちらにはまだ策がある」

「……それは……!?」

 

 

 ビシャスがオレに見せつけてきたものは、くすんだ色味の宝石の埋め込まれた腕輪――らしきもの、だった。

 あれは……メガバングルってやつ……か? だとしても、一体何であんなヤツが!? メガシンカはポケモンと絆を結んだ人間にしかできないはずじゃ――――。

 

 

メガウェ(・・・・)――()!!」

「!!」

 

 

 ――――オレの杞憂は、およそ最悪な形で覆された。

 ビシャスの腕のバングルが鈍い輝きを発し、倒れていたポケモンたちの頭上に奇怪な黒い文様が浮き上がり、体を震わせる。何らかの痛苦が伴っているものらしく、その表情は苦悶に歪んでいた。

 

 メガウェーブ。他はともかく、アレだけは知ってる。ボルケニオンの映画に出てきた――ポケモンを強制的にメガシンカさせる装置だ。

 メキメキ、バキバキ、という破砕音が聞こえてくる。装甲を割るような……殻を破るような、生理的嫌悪を催すような嫌な音。

 

 ――やがてその音が止まると、オレたちの前には三匹のメガシンカポケモンが立ちふさがることとなった。

 

 二匹のメガヘルガーと、メガハッサム。

 再び立ち上がったヤツらの目に――正気の色は窺えなかった。

 

 

「さあ、どう抵抗してくれる? その抵抗、全て破壊して差し上げよう」

「………………」

 

 

 絶望的な状況には、間違いない。

 

 

 ――――だが同時にオレは、この瞬間、ある事実を確信した。

 

 

 








 映画・アニメオリジナルキャラ等の紹介


・ビシャス
 カウボーイビバップの人ではない。
 映画4作目「セレビィ 時を超えた遭遇(であい)」にて登場したロケット団の大幹部。別名「仮面のビシャス」、「邪悪なるポケモン使いビシャス」。サカキに次ぐ地位にあたる。本作では幹部よりは上、各組織のボスよりは下という設定。映画公開時、諸事情によって彼のせいでトラウマを植え付けられた子供が続出した。詳しくは映画本編を見よう!
 実力はロケット団史上最強と言われるが、映画の活動を見る限り最強だったのはダークボールの方じゃねえかな……と思わないでもない。
 なんだかんだ割と最悪な所業をしている名悪役。サトシさんに右ストレートを叩き込んだシーン(漫画版)も印象深い。


・ダークボール(映画版)
 ゲーム本編のダークボール(暗い場所で捕獲率アップ)ではない。
 捕獲したポケモンを邪悪にするというモンスターボール。どんなポケモンでもこのボールで捕まると凶悪になってビシャスの命令を聞くようになる。
 某所で「本来はありえない二重捕獲をされ」という記述があるが、こちらに関しては真偽不明(映画中で捕獲したバンギラスは檻の中に入っていた個体であり、モンスターボールから出てきた描写が無いため)。
 本作では他人のポケモンを奪うような効果は無いが、追加効果が色々盛られている。


・クリスタルシステム
 正式名称「クリスタルフィールド・ジェネレーションシステム」。テレビスペシャル「ポケットモンスタークリスタル ライコウ雷の伝説」にて登場。
 かみなりタイプのポケモンをおびき寄せ、電撃を吸収・増幅して反射という凶悪な機能を持った機械。伝説のポケモンであるライコウすら無力化するというトンデモ兵器。
 これ使えばピカさんくらいどうにでもなるんじゃね……? とか言わない。番外編のものを本編に持ち込んではいけない(戒め)。
 本作では量産に成功している。


・メガウェィィィブ
 映画「ボルケニオンと機巧のマギアナ」にて登場。ポケモンとの絆やキーストーンが無くとも強制的にメガシンカさせることができる装置。キーストーンに類するものは使用しているようだが、どうもメガストーンを持っていなくとも使えるような描写が見受けられる。更に何匹でもメガシンカさせることができるとかいうネオ神秘化学脅威のメカニズム。映画本編だとデメリットが描写されていなかったけど絶対裏はあるゾ。
 映画本編の描写のみで考えると対戦勢垂涎の品。ガラルへの輸入はできない。


・じしん
 ノリと勢いで原作のじしんに設定が付け加えられてしまった。
 第一プロセスでは通常の地震が引き起こされ、第二プロセスでポケモンの生体エネルギーを注ぎ込むことで技として完成する。
 揺れによる負荷で骨格を破壊、生体エネルギーによって引き起こした超振動によって細胞を破壊する。
 地震の恐ろしさはどちらかと言うと揺れよりもその後の建造物の倒壊や津波によるものの方が大きいのでは。では威力100とは? という自問自答の末にこんなことになりました。勿論原作にこのような設定はありませんので、本作のみの独自設定ということでご容赦ください。




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ねっぷう吹きすさぶ中で


 三人称です。



 

 

「落ち着いて! 走らないでください! 手が空いている方は、怪我人や子供さん、お年寄りの肩に手を貸してあげてください! ……押さないで!」

 

 

 未だ火の消える気配が無い街の中、東雲は必死の思いで避難誘導を続けていた。

 体力の無い者から順に命を蝕まれていくこの地獄の中では、とにかく避難のスピード――と言うよりも、手際が重要だ。

 

 西条市の人口は十万人強。その全てがこの周辺にいるというわけではないが、近隣には病院もある。本来なら動かす訳にはいかない重症者や――そうでなくとも、この騒動の中で傷ついた市民などがつめかけている。

 この状況下で更なる火災など起きようものなら、大惨劇は避けられないだろう。ゼニガメが火を食い止めてはいるものの、いつまでもそうしていられるわけではない。

 

 

(……焦るな!)

 

 

 東雲は心に喝を入れた。

 この場で市民に正しく指示を出せるのは東雲だけだ。「話を聞いてもらえる」程度の立場もある。

 ここで焦って不手際を起こしてしまえば、それだけで被害が増えていくことだろう。それは避けなければならなかった。

 

 

「東雲君!」

「朝木さん」

 

 

 市民を誘導する最中、周囲を走り回っていた朝木が戻ってくる。

 その姿からは、普段の消極的な雰囲気というものが多少失われていた。

 

 

「こ、この辺は……ぜぇ、ズバットにめっちゃ頼み込んで……はぁ、『ちょうおんぱ』で……人、探して……げほっ! ……もらったけど、これで全員っぽかった」

「お疲れ様です。水分を」

「あ……ああ……ありがとう……」

 

 

 この高温下では、ただ立っているだけでも汗が噴き出してくるものだ。

 その中で、一向に汗の出ていない朝木は、果たしてサボっていたのか――というと、そうではない。その事実を示すように、勢いよくスポーツドリンクを飲み干した、その端から再び汗が噴き出した。

 深刻な脱水症状の典型例だ。訓練している東雲ならまだしも、一般人に限りなく近い朝木ではどうしても多少の無理が出る。しばらく休憩するように指示をすると、朝木はやや心配げに戦場の方に視線をやった。

 

 

「……んにしても、あの二人大丈夫かな……」

 

 

 利己的な朝木にしては珍しいことだった。東雲も、短時間とはいえ朝木と接することで、彼の性質というものはなんとなく掴んでいる。はっきり言って、このようなことを言いだすのは彼の気質に合わないのではないか、と東雲は感じた。

 理由があるとすれば――それは、この場所にいる限り、脱水症以外に目立った危険性が無いためだろう。

 ポケモンの攻撃が飛んでくることもなく、伝説のポケモンがいるという特異な状況のためか、野生のポケモンさえ近寄って来ない。レインボーロケット団の人間も、ヨウタやアキラによって足止めされている。

 いるのだが。

 

 

(おかしい……)

 

 

 そのことに対して、東雲は小さくない違和感を覚えていた。

 いくらヨウタやアキラが強いとは言っても、根本的に彼らは「少数」でしかないのだ。多勢に無勢……という言葉が通用する実力ではないが、少なくとも「討ち漏らし」というのはどうしても出てくる。そうしたレインボーロケット団員が一向にやってこないというのは、あまりに不自然だ。

 民間人を襲うと言う考え方が人道にもとると言うのなら、そもそもグラードンを出して街中に現れること自体、人の道から外れていると言っていい行いだ。到底看過できることではない。

 

 

(……だが、分からん……)

 

 

 東雲も頭が悪いわけではないが。他人の考えを読めるほどに良いわけでもない。

 彼は一時、自分の考えを放棄した。今重要なのは、一刻も早く市民を安全に逃がすことだ。

 

 戦場では、今も少年少女が戦っている。炎が噴出し、目が眩むような光線が空を貫いていく。

 あれは、彼らがレインボーロケット団を足止めしているという確かな証だ。

 

 

「……朝木さん。頼みがあります」

「え、うん? どした?」

「いざという時に、彼らが安全に逃げられるよう、割り込む準備をしていただけませんか」

「うん。うん? うええええええええええええええ!?」

 

 

 その提案に、素っ頓狂な声を上げて朝木は白目を剥いた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 他方。

 マツブサとヨウタの戦いは、比較的マツブサに有利なかたちで進んでいた。

 グラエナの爪がワン太の顔を掠める。バクーダの吐く炎に対して、モク太は回避の一手しか取ることができない。

 ヨウタ自身もまた、この灼熱地獄で体力を消耗していた。滝のように流れ出る汗が、地面に触れて蒸発した。

 

 

「グラエナ、『ほのおのキバ』! バクーダは『ふんか』しろ! グラードン、あの鳥を叩き落せ!」

「モク太、反対側に迂回して回り込んで! ラー子、『ばくおんぱ』! ワン太は『いわなだれ』! 止めるんだ!」

 

 

 バクーダの背から放たれた溶岩が、爆風の如き振動と衝撃を伴う音波によって進行を抑えられ、更にワン太の放った無数の岩塊によってせき止められる。

 危うくそこに巻き込まれかけたグラエナは、一歩下がって体勢を整えた。グラードンが放つ炎は、未だモク太を捉える様子は無い。

 

 

「…………」

「…………」

 

 

 グラードンの攻撃は、一度でも当たれば致命傷になりうるものだ。現在はモク太の「かげぬい」によってその侵攻を止められているが、一度でも攻撃が当たりさえすれば、その効力も切れる。

 バクーダの攻撃も手ぬるいものではない。グラエナも、その牙と爪で確実にダメージを重ね続けている。

 

 

(何だコイツは……)

 

 

 ――だというのに、まるで倒れない。

 傷ついているのは確かだ。しかし、いずれも軽傷であって戦闘には大きな影響を及ぼさない程度のもの。

 彼が足止めのためにマツブサの前に出てきたことは最初から分かっていたことだが、そのあまりの粘り強さに、流石のマツブサも焦れていた。

 

 

頭領(ボス)! オオスバメ、『エアスラッ――――」

「ライ太」

「――――ッ!」

「なっ……うおおおおっ!」

「スバァァ!」

「下がれホムラ! お前じゃ敵わん!」

「くっ、すみません、頭領(ボス)……!」

 

 

 戦闘している最中に、横から奇襲するというホムラの案は悪くない。

 だが、あまりに相手が悪すぎる。ヨウタはホムラを一顧だにせず――指示すら出すこと無く、ライ太の「しんくうは」で撃墜して見せた。

 何も言わずとも、ポケモンがトレーナーの意思を汲み取るほどの信頼。本来あまり高い威力は持っておらず、ハッサムでは使いこなせないであろう「しんくうは」の一撃で、オオスバメを半ば戦闘不能にまで追い込む高い練度――それを見せられては、彼では荷が重かったと言わざるを得ないだろう。

 

 だからこそ、マツブサはヨウタが慢心すると思っていた。

 神業じみた技量とポケモンとの信頼、極めて高い練度を誇る相棒のポケモンたち――どれほど強いトレーナーであっても、まだ彼は十歳そこらの子供だ。必ずどこかで欲を出す。

 マツブサはいくつか彼に誘いをかけていた。ポケモンたちの動きの中に微妙に隙を作ることで、「ここでもしかしたら攻めきれるのでは」と考える余地を残していたのだ。

 

 だが――乗ってこない。

 

 

「どうした小僧! お前の相手はこっちだろうが! バクーダ、『ねっぷう』!」

「……ラー子、『りゅうのはどう』!」

 

 

 バクーダの背の火山から吹きあがる火炎混じりの風を、ラー子が全身から放つエネルギーが押し戻す。拮抗したエネルギー同士がぶつかり合い、やがて両者の攻撃は打ち消されることとなった。

 

 ヨウタは徹底していた。無駄な攻撃は行わず、たとえ攻め手を欠くことになろうとも、可能な限り賭けに出るようなことはしない。執念すら感じるほどに、彼は「時間稼ぎ」という役割に徹している。

 折れず、曲がらず、揺るがず――その姿に、思わずマツブサはかつて対峙したチャンピオン、ツワブキ・ダイゴを幻視した。

 

 

「埒が明かんか……」

 

 

 このまま続けていても、千日手もいいところだ。

 そう考え、マツブサは自身の左腕を掲げた。

 

 

「それは、まさか……!」

「そうよ。そのまさかよ!」

 

 

 メガバングル。

 ポケモンのメガシンカに必要となるキーストーンを配した腕輪(バングル)であり――つまり、それはマツブサがメガシンカの使い手であることを示す。

 

 

「我がキーストーンよ、バクーダナイトと結び合え……!」

 

 

 ――メガシンカ。

 キーストーンから放たれた極彩色の光が、バクーダを包み込む。

 その背の二つの瘤は、巨大な一つの活火山に。強い熱にも負けない体毛が伸びて身を包み、更にその身を頑丈に変えていく。

 

 

「ブオオオオオオオオッ!!」

 

 

 バクーダの咆哮の中、想定外の事態に、僅かにヨウタの顔が険しくなった。

 

 

「レインボーロケット団が……メガシンカを……!」

「レインボーロケット団とひとくくりにされるのは気に入らんな。私は『マグマ団』頭領(ボス)のマツブサだ。私をあのように野卑な連中と並べるな!」

「…………ッ」

「このバクーダは私の理想に共鳴した同志にして相棒だ。メガシンカなど、できないわけがないだろう……!」

 

 

 ならば何故、バクーダに向けられる愛情の一滴でも、外の世界に向けられなかったのか――?

 ヨウタは一瞬そう考えたが、その考えは即座に否定した。マツブサにとっての愛情とは、即ちマグマ団の理想を成し遂げることだ。

 

 

「……ライ太、ラー子と代わって! ラー子はグラードンの抑えに!」

「……!」

「フラッ!」

「何……?」

 

 

 そのマツブサを相手に、ヨウタは相性の悪いハッサム(ライ太)を前に出した。

 ありえないだろうと瞠目するマツブサに、応じるようにヨウタも右手のZパワーリングを掲げた。

 

 

「だったら僕たちも――本気で行く!」

 

 

 キーストーンが輝きを放ち、ライ太を更なるシンカへと導いていく。

 その腕の鋏はより攻撃的に。その装甲はより頑丈に。膨大なエネルギーを吹きだすように、背の羽根が煌々と光を放つ。

 

 声は無かった。力の滾りに身を任せるほど未熟ではなく、感情の高ぶりを声にするほど饒舌でもない。ただ、目の前の空間を薙ぐように腕を振るった――その一瞬で、メガシンカの光が弾け、空気が攪拌され、暴風が巻き起こる。

 

 

 ――もしや、今のグラードンですら、戦えば無事じゃ済まないんじゃないか……?

 

 

 マツブサは海の色のように深く蒼い(・・)宝玉を握り直し、流れる冷や汗を拭って笑みを作る。

 気圧されてはいても、まだこれは互いに五分の状況になったに過ぎない。グラードンを倒されたわけではなく、むしろグラードンの攻撃に一度でも直撃すれば即座に倒れるということには変わりない。

 

 

「『かえんほうしゃ』だバクーダァ!」

「『こうそくいどう』!」

 

 

 動き出したのは、二匹同時のことだった。

 バクーダの吐き出す火炎を、ライ太は目にも止まらぬ速度で飛翔し、躱す。この展開は既にマツブサも読んでいる。

 メガバクーダは鈍重なポケモンだ。初動はどうあれ、背負っている巨山のせいもあって、巨岩そのものと称されるギガイアスや、動くことにすら倦怠感を覚えるナマケロにすらスピード面では劣る。

 マツブサはその「遅さ」を、恐らくは誰よりもよく理解していた。

 

 

「『むしくい』!」

「――そこだ、『ふんえん』!」

「バオオオオオオオオオッ!!」

「――――!」

 

 

 そうやって培われたのは、後の先――すなわち、カウンター戦法だ。

 機先を制することはできない。ならばいっそのこと相手に取らせる。その上で、メガバクーダの莫大な火力による確実に「返す」一手で捻じ伏せる。まして、ハッサムの弱点は「ほのお」。当たれば致命傷は避けられない。

 そのはずだった。

 

 

「何ッ!?」

 

 

 バクーダの背から放たれる「ふんえん」は、確かにライ太を撃ち抜いた。しかし、直後にその姿が薄れて消えていく。

 ――「かげぶんしん」だ!

 

 

「『つるぎのまい』!」

 

 

 分身したライ太が、その背の羽根に沿うようにして剣に似たエネルギー体を作り出す。

 この剣は、彼の攻撃を補助するための外付けの機構だ。ライ太自身の生体エネルギーから創り出したこともあり、その切れ味は彼の攻撃能力をそのまま写している。単純に、手数が二倍・三倍に増えたと言っても過言ではないだろう。

 流石にメガシンカしたバクーダと言えどもただでは済まない。そう確信したマツブサは、即座にグラエナたちに命令を下した。

 

 

「グラエナ! 全方位にブチ込め! 『バークアウト』! グラードン、『いわなだれ』!」

「ワン太、『アクセルロック』! モク太、『ハードプラント』! ラー子、『りゅうせいぐん』!」

 

 

 グラエナの咆哮が放たれる――その瞬間に、ワン太はその身を弾丸に変え、グラエナの喉元に食いついた。

 グラードンが創り出す無数の岩塊は、上方をラー子が呼び寄せた流星が打ち砕き、下方をモク太が生命を吹き込み急成長させた強靭な樹木が支えていく。

 

 ――これも潰されるか!

 

 驚愕せざるを得なかった。伝説のポケモンの攻撃を、たった二匹のポケモンの攻撃によって相殺するなど、彼にとっては悪夢に等しい。

 

 

「っ……」

 

 

 ――これでも止めるのが精々なのか……!?

 

 対して、ヨウタもまた、グラードンの高すぎる能力に小さくない衝撃を感じていた。

 モク太の放った「ハードプラント」は究極技とも呼ばれ、その高すぎる威力故に、伝承できるポケモンが限られる特別な技だ。

 ラー子の用いた「りゅうせいぐん」も、天空から隕石を呼び寄せるというプロセスの関係上、ハードプラントなどの究極技に迫るほどの特殊性と威力を誇る。

 

 それだけの技を二種、全力で使ってなお――グラードンの放った「普通の」技である「いわなだれ」を相殺するのが限界だった。

 ヨウタも、その脅威を知る者として決して伝説のポケモンを侮ってはいない。それでもこの力の差だ。ソルガレオ(ほしぐもちゃん)の不在は、彼の想像以上に大きかった。

 

 ――それでも。

 

 

「……ライ太!」

「……!」

「バクーダ!」

「バオオオッ!!」

 

 

 ヨウタは退かない。

 マツブサは下がらない。

 

 互いの信念のもと、二人のトレーナーはその全力をもって、再び灼熱地獄の中で激突した。

 

 

 










・余談
①年齢は朝木>東雲>アキラ>ヨウタ
②ポケアニ版マツブサのCV:藤原啓治さん



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地獄に垂れるいとをはく

 メガヘルガーの全身から放たれる高熱が、視界を揺らめかせる。

 メガハッサムが持つ膨大なエネルギーが内側から弾け、甲殻がミシミシと音を立てている。

 

 彼らの目に正気は無い。果たして、敵であるオレたちのこともちゃんと認識できているのかどうか……。

 

 

「ガアァアァ!!」

「っ!」

 

 

 ヘルガーが火炎弾を放つ。転がるようにそれを躱すと、それを見計らったかのようにハッサムが現れ、オレの頭目がけて鋏を振り下ろした。

 

 

「シャァッ!!」

「ハッサムッ!」

 

 

 ――それを、横からの突撃(ニトロチャージ)によってチャムが吹き飛ばす。

 心なしか表情が険しいのは、ハッサムの甲殻がさっきよりも硬くなっているせいだろうか。

 

 

「く……そっ」

 

 

 なんとか立ち上がろうとするも、そこで浮遊感に襲われた。視界が歪み、うまく体勢も立て直せない。

 脳震盪……さっきの「じしん」で揺さぶられた分か……!

 

 

「ははははは! さっきまでの元気はどうしたのかな? ほら、バンギラスが迫っているぞ。さあ、ヘルガー、やれ!」

「……ッ!」

 

 

 バンギラスが背後から、ヘルガーが前方からこちらに向けて走り出す。

 まだひどいめまいはある。貧血も併発していると見るべきか……くそっ、今はとにかく動き回るしかない……!

 

 

「ぐ、うあ……」

「ヂヂィ!」

「シャモ!」

「つ……ごめん」

 

 

 流石にちゃんと歩いていられない、チュリがその事実を伝え、チャムに手を引かれる形になってその場から離脱する。

 しかし――それだと、やはり遅い。ヘルガー二匹が吐き出す火炎弾は、しっかりとオレたちの進行方向に吐き出されていた。

 

 

「リオッ!」

「ほぉう……?」

 

 

 しかし、それはリュオンの「みきり」によって四方に散らされ、弾かれる。

 ただ……その方法は、火炎の塊を四肢で直接弾くこと。波動によって多少の保護はあるとはいえ、触れればその部分が焼けてしまう。

 元々が、超高温の火炎を撃ちだして周囲を焼き尽くす「れんごく」だ。その痛みも絶大なもののはず。グラードンの特性で日が照っていてただでさえとんでもない威力なのに、メガヘルガーの特性は「サンパワー」。その威力を更に底上げしてしまう。

 「みきり」はあくまで回避のための技……これ以上はダメだ!

 

 

「リュオン、下がれ!」

「主人のために身を挺するとは、なかなか見上げた道具だ。ヘルガー、遠慮することはない。撃ち続けなさい!」

「リオ……ッ!?」

 

 

 ビシャスの指示に合わせて、更に攻撃が激化する。それを弾くのにも、数秒もしないうちに限界が訪れ――やがて、「れんごく」の一撃がリュオンを捉えた。

 膨大な熱量を秘めた火の玉が弾け、周囲に莫大な威力の熱波を撒き散らす。もはや流すことも受けることもできず、リュオンはそれを受けて吹き飛ばされてしまった。

 

 

「戻れ!」

 

 

 地面にぶつかる――その前に、光線を照射してリュオンをモンスターボールに戻す。

 容体は……分からない。「ひんし」なのは確かだろうが……少なくともこれ以上戦わせるわけにはいかないだろう。

 戦況は最悪に近い。四対二……いや、実質オレたちの中で戦闘可能なのはチャム一匹(ひとり)。残る三匹に対して優位を取れるタイプだとはいえ、それだけじゃどうにも戦えない。

 

 

「ヂィッ!」

「ガアアッ!」

 

 

 チュリが「くものす」を吐き出すものの、ヘルガーには即座に燃やされハッサムには切り裂かれてしまう。

 バンギラスは……ここまで、残り十数メートルほど。まだ火傷が痛むのか、その歩みはやや遅い。

 やっぱり、電気が使えないと戦うのは辛いものがある。クリスタルシステムってヤツは、オレたちの天敵と言っていいだろう。

 

 

「追い込め!」

「ガウバウガアウッ!!」

 

 

 まだまともに動けもしない中、ヘルガーが猛烈な勢いで突っ込んでくる。

 チャムが慌てて対応に向かうが、相手は二匹。一匹に「にどげり」を食らわせても、もう一匹はそれを抜けてそのままオレの方にやってくる。

 

「ヂッ! ヂュ……ヂュイ!?」

「ッ……で、電気は今は駄目だって……!」

 

 

 反射的にチュリが放出してしまったらしい電気が、クリスタルシステムに吸収・反転して放出、オレたちの方に返ってくる。

 オレは耐性があるし、チュリにとって電気は充電して摂取するものだ。ある程度までは耐えられるが……それでも、どうしても僅かな隙は生じてしまう。

 チュリ――バチュルにとって、電気とは身に蓄える栄養の一種であり、同時に身を守るための武器だ。生態の一環として、攻撃を受ければどうしても漏れ出し、攻撃に転化させてしまう。この状況で流石にそれはマズい……!

 

 

「一旦戻ってくれ、それから――」

「ガアアアアァゥ!!」

「くあっ!?」

 

 

 そうしたところで、高熱を帯びた爪が顔を掠めた。

 くそっ……もうこんなところまで来たのか!

 再び、転がるように距離を取る。不格好だが、今はこうしなきゃまともに動けもしない!

 

 

「ゴアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「なっ……」

「クアアアアアアッ!!」

「チャム!?」

 

 

 と。しかし、そうして距離を取った先にいたのは――バンギラス。

 天頂に掲げた腕の先に岩を作り出し、そのままオレ目がけて「いわなだれ」を仕掛ける……その直前、不意討ち気味に放たれたチャムの「にどげり」がバンギラスを襲い、その巨体をよろめかせる。

 流石にタイプ相性としては4倍……「いわ」「あく」タイプ双方に効果の高い「かくとう」タイプの技だ。だけど……。

 

 

「ふはははは! 状況判断には長けていないようだな、そのワカシャモは! ヘルガー、ハッサム、やりなさい!」

「ガァァアッ!」

「グオオオオオッ!」

 

 

 同時に、ヘルガーたちがフリーになってしまう。

 一匹は全力で地を駆け、一匹はその口内に炎を貯め込み、ハッサムはやや遅れるかたちで飛翔してくる。

 

 ――――そして。

 

 

「グウアァァゥ!!」

「がっ!!?」

 

 

 ついに、その爪がオレの腕に食い込んだ。

 熱い。熱い熱い熱い、痛い、熱い!

 メガヘルガーの爪は、自分自身が苦しむほどの高温を持つ……クソッタレ、これがそれか!

 

 

「放せッ……」

「ガオオオオオオオオオッ!!」

「うああああああああああああっ!!?」

 

 

 続けて、腕に食いついたヘルガーを巻き込み(・・・・)、もう一匹のヘルガーの「れんごく」によって身が焼かれる。

 熱い、どころか――それを通り越して、感覚が薄くなる。酸欠もあるのかもしれない。コートが端から燃え出し、マフラーが炭化していく。更に――――

 

 

「ハッサム!」

「ガ――――――」

 

 

 ハッサムの「メタルクロー」が、突き刺さった。

 左肩から胸元、脇腹にかけて切り裂かれ、冷感すら感じるような痛みと共に、血が噴き出す。

 膨大な内在エネルギーにあかせた一撃は、そのまま莫大な衝撃を生み出しオレの身体を吹き飛ばし、ガレキの山へと叩き込んだ。

 

 

「シャモッ!? シャモーッ!!」

 

 

 ――――痛い。

 ガレキで傷ついたのか、片眼が見えない上に頭からも血が噴き出して止まらない。

 火が付いた衣服が、オレの皮膚を焼いて苛んでいる。

 

 

「あ……う……」

 

 

 ガンガンと痛む頭を押さえ、薄らいでいく感覚を繋ぎ止めながら、コートの端の部分、火の点いた個所を千切り捨てる。

 マフラーも、もう使えない。この戦いの中、火災で黒煙だらけのこの街の中で動き回るに重宝したんだが。

 ……どっちも、ばーちゃんに貰ったものだ。

 

 ――――くそったれ。

 

 

「シャモッ! シャモッ!!」

 

 

 不意に、体が揺り起こされていることに気付く。どうやら一瞬、意識を飛ばしていたらしい。

 ガレキの山に突っ込んだのが功を奏したか、砂埃に紛れて相手はこっちが見えてない。

 その間に、チャムもなんとかオレを揺り起こそうとしてたのか。心配させちゃったか……。

 

 

「……まだ……やれ……る……!」

「クァ!? シャモッ、シャモモッ!」

 

 

 チャムは、必死に首を横に振った。

 違う。オレの求めてる答えはそうじゃない。オレのことは、いいんだ。

 

 

「アイツを……倒さ……ない、と……!」

 

 

 うわごとのように、言葉が漏れた。

 

 ポケモンを邪悪に染め上げるだとか。

 ロケット団の作り上げた「兵器」だとか。

 そんなおぞましいものを自慢げに、さも素晴らしいもののように言いだすあのビシャスという男だけは……絶対に逃せない。

 

 

「いつまでそうして隠れるつもりだ? それとも――こちらから出向いた方が好みか?」

 

 

 遠くから、ビシャスの声が響いてくる。

 いや、もしかすると近くだったりするのか……どっちにしても、よくは分からない。黙れ、と悪態をつこうとしても、開いた口からは喘鳴しか漏れてはこなかった。

 何もしてこないこちらの様子に気を良くしたのか、ビシャスは高笑いしながらヘルガーへ命令を下している。直後、何やら炎が渦巻くような音がして――――。

 

 ――同時に、何か、冷たいものが触れた。

 

 

「やれ」

 

 

 その命令と共に、二つの「れんごく」がガレキの山を貫き――――やがて、大爆発と共に周囲を火の海に変えた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「――――ぅ」

 

 

 ――ひんやりとした、冷たい感触で目を覚ます。

 どうやら、またしても少しの間気絶していたらしい。残った片目で軽く周囲を見回すと、どうやらどこかの屋内……多分、倒壊を免れたものの中にいることが分かった。

 

 

「シャモッ、シャモッ」

「ニュッ、ニュッ」

 

 

 なんか、妙に揺れてる。それにこの声。チャムと……ニューラか? マニューラじゃなくて、ニューラ。

 この冷たい感触は……台車に乗せられてるってところ、だろうか。気温よりも遥かに温度が低いのは、ニューラの出している冷気のせいか。

 

 

「…………チャム、と……ニューラ……?」

「シャモッ!?」

「ニュッ!?」

「…………あり、がと」

「ニュニュ、ニャァ!」

 

 

 震える声で何とか発した言葉は、なんとか二匹に伝わったらしい。

 ……状況を考えるに、どうやらビシャスが最後に放ったあの一撃から救ったのはニューラ、ということだろう。傷のそれとは違う、やたらと冷たい感触をよく覚えている。

 ともかく、そうやって二匹が進んでいくのに任せていると、案の定と言うべきか、店の奥にはニューラのトレーナー……つまりは、朝木が待っていた。

 

 

「ど……どど、どうしたんだよこの怪我ァ!?」

 

 

 怪我の具合見てこんな驚くってことは、やっぱコイツあの現場にいたわけじゃないのか。

 さしずめ、とりあえず行ってきてくれと言われて、何をするでもないけど、とりあえずニューラに様子を見てきてもらったところ、こうやって拾ってきてもらった……ってところか。相変わらずせせこましいなこいつ。

 ……オレも、運が良いのか悪いのか……でも、まあ。

 

 

「……悪……助か……」

「しゃ、喋るなって! オイオイオイ……なんだよこれ……ちょ、ちょっと待ってろ!」

 

 

 今言える範囲での礼を言うと、朝木は何やらごちゃごちゃとその辺にあるものを弄り始めた。

 よく見えないが……色合い的に、医薬品、だろうか。

 

 

「見つけた! よし、とりあえず応急処置だ! ……けど」

「……?」

「……ず、随分服がパンクなことになって」

「…………笑かすな……」

 

 

 流石にそのまま火だるまになるよりはマシだろう、と思う。

 

 

「ごめん、処置するのに服を一部切らなきゃいけない。いいね?」

「…………任せ……る」

 

 

 と、急にマジメになった朝木。かつて医療者を目指してただけあって、流石にこういう場面で弁えないってことは無いってことか。

 こっちとしても、文句を言う気も無い。その場に体を投げ出して、処置を受けるのに任せる。

 

 いつものビクビクした様子はなりを潜め、その場にあったものでテキパキと処置を施していく朝木。

 火傷はニューラの冷気と汲んだ水で冷やし、スプレーをかけた後で……多分、医療用と思われる何かで傷を覆った。

 ハッサムの「メタルクロー」による切り傷は水で洗い流して止血。消毒は……朝木の口ぶりだと、しない方がいいらしい。湿らせた方がいいの何の。よく分からないが、頷いておく。しかし、覆うにしても、どこにでもあるようなラップでいいものなんだろうか?

 

 

「頭の方は……もう血は止まってる。目は……処置できないな……内出血は吸収されるのを待つしかないか。眼帯をして……耳、鼻……鼓膜がやられてるのか? こっちは消毒した方がいいな、あとは抗生剤と……」

「……ずい、ぶん……詳しい……な」

「研修医は何でもやらなきゃいけなかったからね。これでも、努力はしてたんだよ。とりあえず、薬。飲んでくれ」

 

 

 ……言いたいことはあったが、とりあえず薬を飲み下す。中には強い鎮痛薬も混じっていたのか、しばらくすると体の痛みは多少なりとも和らいだ。

 しばらく休んだおかげか、めまいや体のふらつきといった脳震盪の症状も治まっている。

 

 

「ど……どうだ? 立てそう?」

「……なん、とか……」

 

 

 その場で軽く手足を動かしストレッチ。うん、大丈夫だ。動こうと思えば、動くことはできる。

 

 

「……ありがとう。助かった」

「お、おう……じゃあ、その」

 

 

 言いつつ、朝木は自身の目を腕で塞いだ。

 何やってんだ……と、首を傾げたのだが。

 

 

「服を……着替えた方が……」

「……ごめん」

 

 

 ……そうだった。「メタルクロー」で切り裂かれたり燃やされたり、大概なことになってたんだ。

 治療中は朝木もそっちを気に掛ける余裕が無かったようだったからいいものの、いざ処置が終わってみると……ってところか。

 

 どこかの衣料品売り場から持って来たらしい服をチャムから受け取り、適当に服を着替えていく。上に丈長めのTシャツ、下にレギンス……と、簡素なものだが、このくらいでいいだろう。その上から、ほとんどボロ布と化したコートを羽織る。

 

 

「それ、捨てた方がいいんじゃ」

「……まだ、使える。それに……アンタが、治療したことを……ある程度、悟られないようにするには……これ、着てた方が、都合がいい」

「悟られ? ……おい待ってくれ。そんな体でまだ戦う気なのか!?」

「……当たり前、だろ」

 

 

 まだ、オレたちはちゃんと勝ってない。ごく私的な怒りは置いといても、そこはちゃんと考える必要がある。

 ヤツを退けられてないってことは、ヨウタが安全に逃げられないってことだ。なら、オレ一人逃げるなんてできるわけがない。

 

 

「あの……ビシャスってやつだけは……何としてでも、倒さなきゃ、いけない」

「はえ? ビシャス? ……ビシャス!?」

「……知ってるのか?」

「いや、ほら、セレビィの映画に出てたヤツだよ! 知らんの!?」

「…………初耳」

「ン゛ヌ゛ッッッッッッッ*1

 

 

 何だこいつ急に血でも吐きそうな顔して。

 血反吐を吐いてるのはオレだろ。

 ……まあいいや。

 

 

「……ともかく……ばーちゃんも、言ってた。悪党を野放しにして……知らん顔してる人間にだけは、なるな……って」

「そりゃ……そうかもしれないけど、それで死んだら本末転倒じゃないのか? アキラちゃんのおばあさんだって、そんなんなってまでやれ、だなんて思ってねえよ!」

「……それでも、行くんだ」

「ッ……おかしいだろ!? 死にかねないのに『それでも』だなんて、イカれてるとしか思えない!」

「…………だったらオレは、イカれてていい……!」

 

 

 思わず、血を吐くように、激しい声が出た。

 

 

「何言って……」

「……ゲホッ……オレは……『正しいこと』を……するんだ……! ……それしか、残って……ないんだから……!」

「た……正しい? 残って? 意味が……」

 

 

 ……くそっ。

 こんなこと――よりにもよって朝木には言うつもりなんて無かったってのに。治療されてる間何もできずに、考える時間が増えたせいだ。

 だから嫌なんだ、考える時間が増えるのは。結局、最後にはこんな風にイライラを抱えて人に当たり散らしちまう。

 

 

「……ごめん。処置してくれたのは……助かった。ありがとう」

「い、いや、でも――――」

「……勝算は、ある」

 

 

 強引に道を塞ごうとする朝木の手をやんわりと押し退けつつ、オレはそう断言した。

 そうだ。何もオレだって、無策に行って無駄に傷つく気は無い。

 

 

「それに、あいつら……何でか、知らないけど……オレを狙ってる。多分……負けても、死にはしない」

「そ、そうだったのか? でも……」

「……手足の、一、二本……くらいは、いいんだろ」

 

 

 死体を人質にしたって、意味無いだろうからな。

 もしくはオレの能力に目をつけたのかもしれない。それなら、どっちにしろ殺すまではされないんじゃないだろうか。

 

 

「……一つ、聞かせて……」

「お、おう。けど、あんま喋らない方がいい。喉焼けてるだろ」

「伝わらないだろ……それより」

「うん」

「……クリスタルシステム……に、ついて」

「クリスタルシステム? ああ、あれか。ライコウの。……ええと、ここにそれが?」

 

 

 頷く。

 

 

「……弱点が知りたい、とか?」

 

 

 もう一度頷く。

 渋い顔をしながらも、朝木は少しずつ記憶を掘り起こすように、指で頭を叩いた。

 

 

「つっても……あれ、殆ど無敵な機械みたいなもんじゃなかったっけか。ライコウの雷まで吸うし……あ、でも雷技以外は通用してたっけ。バクフーンとメガニウムでなんとか壊してたような……」

 

 

 物理攻撃は? そう聞こうとして、軽くシャドーをして見せる。朝木は首を傾げた。

 

 

「……物理攻撃してたっけ?」

 

 

 となると、そっち方面は完全に未知か。試してみる価値はあるな。

 

 

「コートの……中にあった……それ、返して、くれ」

「あ、ああ……でも、こんなの何に使うんだよ。ここ、敵しかいないじゃないか……」

「見てれば……分かる」

 

 

 朝木からあるものを受け取り、ボロボロのコートのポケットにしまい込む。

 さっきまでの状況を思い返せば……そう。やりようは、ある。ある程度は運次第な面はあるが、それでも分の悪い賭けではないはずだ。

 

 

「あれだけ好き勝手やりやがったからには……倍にして、返してやる」

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ――状況を、再確認する。

 この場で戦えるのはオレ一人。リュオンは戦闘不能。チュリは諸々の条件のせいで攻撃不能。唯一、ダメージはあるが、チャムが戦闘可能。ハッサム相手にもヘルガー相手にも、バンギラス相手でも優位は取れる。

 

 最大のネックは、オレの怪我の状況とクリスタルシステムか。動き方が悪けりゃ傷が開くし、多分あと一発でも攻撃を食らったら、本当にアウト。電磁発勁も使えないしチュリも攻撃できない。なら――アレさえどうにかなれば、多少は戦えるってことだ。

 遠目で見る限り、ビシャスは未だバンギラスとは距離を取っている。近づけば、あの怪物と自分が戦わなきゃいけないことを理解しているからだろう。

 メガシンカは……解いてるか。オレが逃げたことで、「バトル中ではない」と判断されたようだ。

 

 クリスタルシステムは、ヤツらの背後。アレをどうにかするには、そもそもヤツらを倒すか出し抜く必要があるか。

 ……ま。

 

 

「……なんとか――するさ」

「シャモッ!!」

 

 

 決意を新たにしながら大通りを歩いていった先で、やはり――そいつらは待っていた。

 ビシャスはオレの姿を認めると、口元を大きく歪めて見せた。

 

 

「こそこそと隠れて逃げ帰ったと思えば……まさか戻ってくるとは。そこまで痛めつけられたかったのか?」

「ふざけろ……オレたちは……お前ら、なんかには……絶対に、屈しない」

「ははははははは! 実力も弁えず、地面に這いつくばって傷ついてなおその台詞とは……健気で強情で……滑稽なことだ」

「……だったら――その滑稽で……弱い、小娘にしてやられて……奥の手まで切らされたテメーは……道化(ピエロ)の世界チャンプか……?」

「……減らず口を! メガウェーブ!」

 

 

 会話をしている中で、位置関係は掴めた。メガウェーブのくすんだ色の光が三匹をメガシンカさせる、その最中。オレはチュリの背を叩いて合図すると――そのまま一直線にバンギラス(・・・・・)の方に向かって走り出す。

 

 

「何っ!? ヘルガー、ハッサム、追え!」

「ガウバウガウ!!」

「ハッサム!」

「チャム……!」

「シャアアアアッ!!」

「ぬっ、ワカシャモを……!?」

 

 

 ――当然、ビシャスは挟撃するためにもそれを追わせるだろう。

 そこを、チャムが横から蹴り抜いて釘付けにする。いくら再度メガシンカしたからとは言っても、元からあったダメージは帳消しにはできないし、ヘルガーとハッサム双方の弱点を突くことのできるチャムを無視することはできない。

 

 

「だが、それで何とする! トレーナーが一人でバンギラスに立ち向かうなど、死にに行くようなものだ――――」

「どうか……なッッ!!」

 

 

 瞬間、オレは近くにあった街路樹を叩き折った(・・・・・)

 水分を失ってからからになった木片が周囲に散乱し、火に巻かれて燃えていく。

 木の幹を全力で握りつぶすようにして持ち――それをそのまま武器として、バンギラスの顔面に叩きつけた!!

 

 

「何ィ!?」

「ゴアアアアアアアアアッ!!?」

 

 

 バンギラスが、驚きに目を眩ませる。とはいえ、これは、あくまで自分の目の前に「何か」がやってきたことに対し、眼球を守るために行う反射のようなもの。大してダメージは無いだろう。

 けれど、これでいい。バンギラスの分類は「よろいポケモン」。その外殻は文字通り鎧のように硬質で、水分が抜けてスカスカになった木なんて、当たったところで逆に粉砕するほどだ。

 

 ――――オレが狙っていたのは、それだ。

 

 

「むうっ!?」

「チャム……来い! ――『けたぐり』!」

「カッ――――シャアアアアアアアアアアアッッ!!」

「ガッ……グオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 

 辺りそこら中に撒き散らされた木片は、この高温とヘルガーやチャムの攻撃の余波によって発火して火を上げ――煙を撒き散らす。

 周囲に火と煙が立ち込める。3メートル超はあろうかというバンギラスの巨体を隠すには不足しているが、オレやチャムが隠れるには充分なほどの煙。そこに紛れて――バンギラスの足関節に、破壊的な一撃が、叩き込まれた。

 

 「けたぐり」。相撲で言う決まり手の「蹴手繰(けたぐ)り」とは異なる、ポケモンの技として調整が行われた関節破壊の一撃。

 攻撃を与える相手ポケモンの体重が重いほど、その威力は増し、自重によってより多大なダメージを与えることになる。

 流石のバンギラスもこれには耐えきれなかったらしく、一撃を加えたチャムがその場を離れた直後にその身を地面に横たえた。

 

 

「ええい、なんという無様な! ……戻れ!」

 

 

 そう言って、ビシャスは胸元にマウントされた黒いボールを手に取り、バンギラスに向け――――投げた(・・・)

 

 

 

 ――次の瞬間、信号機の上に隠れてたチュリの放った糸に絡め取られるとも知らずに。

 

 

「ヂッ!」

「な……糸? な、何!? 糸!?」

 

 

 チュリはこの状況下では正面切って戦うことはできない。故に、最初からオレは戦力としては数えていなかった。

 けれど、同時に……「正面突破以外の方法」でなら、戦えるとも踏んでいた。

 そのために打った策の一つが、これだ。

 

 

「――――最初から、違和感はあったんだ」

 

 

 オレはふと、ビシャスとの戦いが始まった時のことを思い返した。

 コンテナによって輸送されて来たバンギラス。ポケモンを強制的にメガシンカさせるメガウェーブ……いずれも、見ていて違和感を覚えていた。

 

 バンギラスもポケモンであるなら、ボールに入れて連れてくればいい。

 メガウェーブを使えるなら、バンギラスも一緒にメガシンカさせればいい。

 それが、状況に合わせた適切な運用というものだろう。必要もないのにやるのはただのバカだが、必要なのにやらないというのは……「そうせざるを得なかった理由がある」からだ。

 

 

「何故、バンギラスは輸送されてきたのか。何故、仲間であるはずのヘルガーやハッサムと同士討ちしているのか。何故、お前はバンギラスもメガシンカさせなかったのか。……それは」

 

 

 その答えは、ただ一つ。

 

 

「最初から、バンギラスは(・・・・・・)お前の(・・・)ポケモンじゃない(・・・・・・・・)からだ」

 

 

 気付かなかったのは……勢いと状況に飲まれてたのもあるし、ダークボールに入ってたポケモンと同じように、正気を失っていたというのも一つ。気付いたのはメガウェーブを使ってるのを見た時だ。

 映画でも、メガウェーブは手持ちの(・・・・)ポケモンを強制的にメガシンカさせるために使われていた。記憶が確かなら、あの映画でメガウェーブの影響下にあったのは全て「モンスターボールに入っていたポケモン」だけだ。

 元々、メガウェーブを使ったのは「詰め」の一手。威圧して戦意を失わせる――あるいは、抵抗を叩き潰すなら、バンギラスもメガシンカさせない理由は無い。

 

 

「……おおかた、強制進化マシーンってやつは……コイキングをギャラドスに無理矢理進化させた『怪電波』ってやつの発展形じゃないのか? そうやって進化させたポケモンは、こんな風に正気を失うんだろう」

 

 

 オレもハートゴールド・ソウルシルバーはプレイしたことはあるので知っている。「カイリュー、はかいこうせん」の、例のあの場面……のちょっと前。

 いかりのみずうみにいたギャラドスも、確か正気を失っていた……はずだ。

 

 

「そこへ、ダークボールなんてもので捕獲して……邪悪に染め上げたら、どんな怪物が出来上がるのか。それで捕まえたら、強化されるんだったよなぁ? 制御すらできない、本物の怪物になってしまったら――って思うと、恐ろしくて使えなかったんじゃないか?」

 

 

 もしくは、ただ単純に――――。

 

 

「……それとも、強すぎて捕まえられなかったか? だから、こんな風にオレたちとの戦いに連れて来て……捕獲できるかもしれない体力になったところを狙って、そいつを投げた。だとすると……ハッ。大幹部ってワリに……尻の穴が小さいんだな」

「き……き……貴様……!!」

「どうした? 小馬鹿にして侮ってた小娘に抵抗されて……癇癪でも起こしてるのか? 予備はあるんだろ。投げろよ、ダークボールを。全部……オレの相棒(チュリ)が止めてくれるだろうけどな。それと」

 

 

 そして、オレは最後に――ハイパーボール(・・・・・・・)を、懐から取り出した。

 

 

「な……!?」

「『まだ誰の手持ちでもない』なら――『オレが捕獲する権利もある』」

「待っ……やめろォ!!」

 

 

 ひょい、と、オレは、バンギラスに向けて軽くボールを投げて寄越した。

 瞬時にその巨体がボールの中に収められ、一度、二度と揺れて……やがて、その動きを止めた。

 

 唖然とした様子で推移を見つめていたビシャスは、口元を震わせ、怒りに満ちた様子で怒号を発した。

 

 

「まさか……あの……役立たずの虫ケラがぁッ!!」

「……そうやって、侮るから! 見下すから! してやられるんだろうがッ! チュリ!」

「ヂッ!!」

 

 

 そしてこれが最後の仕掛け。チュリの伸ばした糸の先にあるのは、1メートルほどの高さの水晶体――クリスタルシステム。

 チュリがオレのもとに戻ってくると同時に糸を引けば、装置にマウントされていた水晶体はそのままオレの手元にやってきて。

 

 

「オレの仲間を傷つけたことも、チュリを馬鹿にしたことも、ポケモンたちを好き勝手弄り回して挙句に道具扱いしたことも! 全てここで贖わせる! お前だけは、何がなんでも逃がすものかッ!!」

「う、うお、うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!?」

 

 

 ――――そのまま、オレの全力によって、鎖付き鉄球(フレイル)の要領でビシャスのマシンへと叩きつけられた。

 

 

 

 

*1
「時を超えた遭遇(公開:2001年)」が十年くらい前の映画だと思っていたところに唐突に二十年近く前の映画だと突きつけられた男が感じたジェネレーションギャップによる断末魔






 設定等の紹介


・強制進化マシーン
 「金・銀」、「ハートゴールド・ソウルシルバー」などに登場した「怪電波」の発展形。本作半オリジナル設定。
 コイキングを進化させてギャラドスにさせるような電波があるのなら、他のポケモンにも応用できるはずだということでロケット団によって発展・改良が行われた。
 しかし、コイキングをギャラドスに進化させたときのものと同じく、進化させたポケモンは通常のものよりも遥かに凶暴になるという欠陥が判明。それでも、ごく短期間で下っ端の戦力増強を行うことができることから、使用される機会は多い。
 ビシャスはこれを利用してあたかもバンギラスが自分のポケモンであるかのように見せかけた。
 アキラの煽りは後者が正解。ビシャスは捕獲できなかった。最初から捕獲してたポケモンを使えばいい? さもありなん。


・ビシャス本来の手持ちポケモン
 映画「セレビィ 時を超えた遭遇(であい)」にて登場したのはハッサムとニューラの二匹のみ。
 バンギラスは現地のポケモンハンターが捕獲していたものをそのまま流用していたため、実際にはバンギラスは彼の本当の手持ちではない。
 なおヘルガーも本来なら映画においてはハンターのポケモンだが、同じ映画に出てた繋がりかつメガシンカもできるため、本作ではそのまま抜擢された。



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ふるいたてる心と感情

 

 着弾と同時、痛む体に鞭打って、壊れかけの道路を疾走する。

 血が足りない上に、体力も残り少ない。さっきの攻撃も筋肉まで到達してしまったのか、ところどころ体が動かしにくい。

 

 けれど、動ける。戦える。

 弱ったと言えども、能力は変わらず人外のそれ。頭は、昇っていた血が抜けてむしろスッキリしてさえいる。

 やるべきことも、やりたいことも合致している。

 あとは、この心の激情が導くまま――――。

 

 

「――――倒す!!」

「くっ……う……お、おおおお!? は――ハッサム! ヘルガー! 私を守れ!」

「ガアオオオオオッ!!」

「ハッサム!」

 

 

 片目が使えず僅かに狙いがズレていたのか、ビシャスはまだ意識は失っていないようだ。

 しかし、衝撃によってヤツの乗るマシンのコンソール部分は潰れきっているし、多少はダメージもあるようだ。

 

 

「チャム! ヘルガーは任せる。ハッサムはオレが足止めする! 合図をしたら上に向かって『ニトロチャージ』!」

「シャモッ!!」

「人間がポケモンの足止めなど……!」

「どう……かな!」

 

 

 ビシャスを守ることを命じられた三匹の動きは、僅かに鈍い。

 恐らく、それはダークボールによって攻撃性が高まったことによる弊害だろう。相手を破壊することに精神を誘導したことで、誰かを「守る」ような行動に反発を覚えているのかもしれない。

 惨いことだが、これも今は好都合だ。動きの鈍いハッサムの懐に潜り込んで、その顔面を殴り抜く!

 

 

「ハッ……サム!」

「っ……と!」

「サムッ!?」

 

 

 上からの振り下ろし。150cmちょっとのオレに対して2mと、体格の勝るメガハッサムがするには順当な――それでいて見え透いた手だ。僅かな移動で躱し、崩れた体勢を利用してそのまま地面に叩きつける。

 ダメージは無いだろう。だがそれでいい。格下に見てる相手にコケにされたからこそ――こういう手合いは、頭に血が上る。

 

 

「ハッサム!」

 

 

 体を反転させたハッサムは、そのまま背部の羽根からエネルギーを噴出させ、起き上がりざまに再び殴りかかってくる。

 それも――しかし、そう速いものじゃない。技術も伴っていない。躱すのはあまりに容易で、再び体勢を崩すことも、また容易だった。

 

 

「その程度か!」

「ハッサム!?」

「馬鹿な……ハッサム、何故倒せん!」

「テメーの育て方が悪いんだろ……! ッ、チャム! 『にどげり』!」

「シャァッ!」

「ゴフォッ!!」

 

 

 ヘルガーの炎が吐き出される直前、狙いすましたチャムの前蹴りが顎に入り、暴発が起きる。浮き上がったところにもう一発――踵落としの要領で振るわれた後趾は、寸分狂わずヘルガーの脳天に叩き込まれた。

 

 

「ハッサム!」

「よし……っと! チャム、後ろから来るぞ!」

「ガアッ!」

「シャモッ!」

 

 

 仰向けに転がされたハッサムが宙返りのような形で脚を振り回す。それを躱してチャムに指示を出すことで、背後からの火炎弾を回避してもらう。

 ヤツらの動きは手に取るように分かる。あの凶暴性に由来する邪気、悪意――波動だとかそれ以前に、純粋な技量の問題としても同じだ。

 

 

「何故だ! 何故当たらん!? さっきはああまで……」

 

 

 回避、回避の連続で、ビシャスの顔に焦りが浮かぶ。チャムだけならともかく、一応は人間、かつ怪我人のオレまでハッサムの攻撃を避けて回ってる以上、あちらもどうにか対応を取りたいのは間違いないはずだ。

 だが、それはできない。既にビシャスは全ての手を切っている。バンギラスは捕獲済み、他のポケモンはメガシンカ済み。これ以上強くなる余地がどこにもないのだ。

 ハッサムの攻撃を躱しながら、口を開く。

 

 

「――ヘルガーの進化レベルは24」

「……何?」

「ハッサムの進化条件は……メタルコートを持たせて交換。マニューラの進化条件は、『するどいツメ』を持たせて、夜間にレベルを上げること」

「何だ? 待て、何を言っている!」

「別に。ただの……データだ」

 

 

 それも、ゲームにおけるデータだ。レベルを明確に数値化できない現実ではあまり意味をなさないが……参考にはなる。

 同時に――これは、ビシャスの手持ちポケモンに関わるデータだ。

 

 

「お前、ポケモンを進化させただけで満足して……鍛えてないんじゃないのか? ダークボールの力で強化されてるおかげで……ゴリ押しで、今まで何とでもなってきたから」

 

 

 ビシャスは応えない。何か答えるだけの余裕が無いのか、それとも、答えてしまえば自分の不利が確定すると考えたが故か。

 推測するに、バンギラスを求めたのは、地力の無さを補うためじゃないだろうか。実際、オレがやられたのは大半がバンギラスにやられたせいだから。

 ……でも、まあ、どっちでもいい。そうじゃないってんなら、それはまったく無意味なトレーニングを繰り返してるってことだが。

 

 

「何を根拠にそんなことを……!」

「お前のハッサム、ヨウタのハッサム(ライ太)の足元にも及んでねえんだよ」

 

 

 ライ太よりも遥かに遅い。

 ライ太よりも遥かに脆い。

 ライ太よりも遥かに弱い。

 

 オレが実力を知るハッサムはたった一匹(ひとり)だけだ。

 けれどその一匹(ひとり)は――――世界一強いハッサムだ。

 昨晩、直接手を合わせたからよく分かる。メガシンカしてなお、このハッサムからはそうあるべき強さというものを感じない。ただ凶暴なだけだ。

 

 

「チャムッ!!」

「!」

 

 

 ハッサムの胸元に、掌底を叩き込む。浮き上がったその体は遥か先、チャムの戦っているその場にまで到達し――合図とともに放たれた「ニトロチャージ」によって、その装甲が完膚なきまでに粉砕された。

 

 

「ヘルガーは、さっきの下っ端どものデルビルの倍は強い……けどな、それは『たかが下っ端の倍程度しかない』ってことだ。ワン太ならそのヘルガーの百倍は強い!」

 

 

 百倍は言い過ぎか? でも、これはオレの正直な感想だ。

 技量が違う。視野の広さが違う。判断能力も、鍛え方も、経験も、トレーナーへの信頼もトレーナーからの信頼も、そしていざ元のトレーナーから離れても、他人を導いて行動し、その助けになろうという心意気も――何もかもが違う!

 吐いた炎の中を突っ切って、チャムがもう一体のヘルガーに蹴りを叩き込む。チャムが倒れる気配は未だ無く、対して、ヘルガーの方は二体ともフラフラだ。

 

 

「だとしても、お前のような小娘のくだらんチンケなポケモンなどにィ!」

「それともう一つ! ……チャム、右から来る!」

「シャモッ!」

「お前はッ! ポケモンに(・・・・・)指示を出してない(・・・・・・・・)!」

 

 

 最初から、今に至るまで――ビシャスは一切ポケモンたちに明確な指示を出してはいない。

 潰せ。あいつをやれ。倒せ。技を命じたこともない。「じしん」とも「れんごく」とも。……「避けろ」とさえも。

 

 

「お前は観察してるとかそういうんんじゃない……ただ『眺めてる』だけだ。凶暴化させたポケモンに戦闘を丸投げして、ただ大口を開けて『勝利』って結果が降ってくるのを待ってる……最低のゲス野郎だ。だからポケモンたちの状態にも気を配りやしない」

「そいつを黙らせろヘルガー、ハッサムッ! いつまでも調子に乗らせるなッ!!」

「できるのか?」

「何ッ!?」

 

 

 その瞬間、ヘルガーとハッサムの身体が――その場に崩れ落ちかける。

 

 

「な、何だ!? どういうことだ、お前たち! 何故動かんッ!?」

時間切れ(・・・・)だよビシャス。メガシンカのリスクを……考えてなかったな」

「メガシンカのリスクだと!? どういうことだ! そんなもの……」

「知らなかった、か? 一緒に戦ってりゃあ、そんなことは当たり前に分かることだろうが」

 

 

 それは、学ぶ機会を自ら放棄していたってことだ。

 メガヘルガーは、自身の爪や尻尾の先端すら溶けかけるほどの温度を持つ。更にその特性「サンパワー」は、特攻を五割増しにする代償にポケモンへの強い負担を強いる。

 メガハッサムは、過剰なエネルギーを浴びることで常に体内のエネルギーがオーバーフローを起こしている。そのため長時間は戦えない……と、ポケモン図鑑には記されている。

 

 いずれも、長時間戦えないことは明言されている。

 仮にこいつが長時間メガウェーブの実験でもしてればそれは自ずと知れたこと。オレたちもそうなることを狙っていたとは言っても、手を打つことはできたはずだ。

 

 だから、時間切れ。

 これ以上戦えば、本当に命を失う結果になってしまう。

 

 

「ポケモンが死ぬ前にとっとと退()けよ!」

「退け!? この私に『退け』だと!? たかだか二十年も生きていないような餓鬼が、指図するんじゃあない! メガ……ウェエエエエエエブ!!」

「何ッ!?」

 

 

 三度目のメガウェーブ。それも、今度は通常のメガシンカのプロセスじゃない。メガシンカ状態からの――更なるメガシンカエネルギーの注入。

 メガハッサムの砕けた甲殻から更にエネルギーが溢れ、内側から破裂するかのように全身が痙攣を始める。

 メガヘルガーの爪が完全に溶解し、尾が弾け飛び、その奥から炎が噴出する。

 

 

「役割も果たせんポケモンになど価値は無いッ!! ポケモンなど、所詮は替えのきく道具! 個の強さなど追及したところで負ければ無意味! 無価値! 人間(わたし)の役に立たん家畜(ポケモン)なら、死んで役に立てばいいのだ!! うわははははははははは!!」

 

 

 その瞬間、頭の奥でぷつりと何かが弾けるような音が聞こえた気がした。

 

 ボールが開き、ポケモンが外に出るまでに一秒。ビシャスまでの距離は約二百メートル。

 オレは――全力で、ハイパーボールをビシャスの直上へと投げ放った。

 

 

「ははは――――は?」

「ギルァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッ!!!」

 

 

 空気を揺るがすような咆哮と共に、巨獣がビシャスの真上に現れた。

 その目は猛烈な怒りを湛え、全身の筋肉が膨張し、隆起している。巨大メカの脚部を足場として着地したバンギラスは、その勢いのまま全身に生命エネルギーを漲らせた。

 

 

「『じしん』」

「う、うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!?」

 

 

 指示を出したその先で、バンギラスが獰猛な笑みを見えた。

 踏み込んだ脚がロボットそのものを揺らし、振動によって関節部から順に粉砕していく。見る間に四つの脚部全てが崩壊し、操縦席だけが取り残されるような形で地上へと落下した。

 

 

「『いとをはく』」

「ヂッ」

「ぬ!? がっ!? おおおおおおおっ!?」

 

 

 糸を吐き出しヤツの身体に絡めたチュリが、そのままオレのもとに戻ってくる。オレはその糸を引き絞り、思い切りヤツを引き寄せた。

 操縦席から転がり出るように身を乗り出していたビシャスは、体を上下逆さにしたままでこちらにすっ飛んでくる。

 

 

「ッらああぁぁ!!」

「ごっ……ばあああああああああッ!!?」

 

 

 オレは、その顔面を殴り抜いた。

 仮面が粉々に割れ、顎が音を立てて砕け散る。されど、ビシャスは未だ糸によって拘束されて宙に浮いていて……オレの手は、止まらなかった。

 

 

「負ければ無価値なんだろ」

 

 

 瞬間、オレは全身の痛みを厭わず、一息、かつ全力でビシャスの全身の急所を――殴り抜く。

 

 

「ぐげっ、ごおあああああああああああああああっ!!」

 

 

 一発。十発、百発。全身全霊に感情を込め、ただ打ち据えていく。

 一発一発ごとに痛烈な衝撃が駆け抜け、糸が引きちぎれて徐々にビシャスの身体が浮き上がる。胸元にマウントされていたダークボールが破壊され、ハッサムとヘルガーが元の姿に戻っていく。

 

 そして。

 

 

「き……貴様……本当に……人間、か……!?」

 

 

 胴部に打ち込んだ掌底によって、ビシャスは元いた操縦席に向かって再び吹き飛んでいった。

 莫大な衝撃によって周囲に轟音が響き渡る。

 

 ……同時に、痛烈な痛みと共に胸元の傷が開いて血が噴き出した。

 感情任せに無理をしすぎたせいだろう。スイッチが切れたように意識が徐々に朦朧としてくる。それでもなんとか、オレは口を開いて一言だけ、ヤツに言葉を返した。

 

 

「……そんなこと、オレが知るか」

 

 

 ――――知りたいのは、オレの方だ。

 

 本当にオレは人間のままなのか? そもそもオレは「刀祢アキラ」のままなのか? 本物なのか?

 分からない……けれど「分からない」を理由に止まりはしない。少なくとも今、この場においてオレはオレだ。この感情もこの思いも紛れも無くオレ自身のものだ。

 何より、今こういう場では、戦う力があるのならむしろ好都合だ。

 ……今は、それでいい。

 知ったことか。

 

 

「っ……」

 

 

 オレは、再び膝をついた。

 ハッサムとヘルガーはその場に倒れ伏している。チャムはさっきまでやせ我慢していたのか、今はオレと同じようにその場に膝をついている。

 バンギラスは……興奮でか、咆哮を挙げていた。唯一無事なのはチュリだが……オレを動かすほどの腕力はあるだろうか?

 ともかく、まずは制御できるかも分からないバンギラスをボールに戻さなければ。そう思った時のことだった。

 

 

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――!!」

 

 

 ロボットの操縦席が遥か天空に向かって発射された。

 操縦席に叩き込まれていたビシャスもまた、それに伴って天高く打ちあがり――やがて、星になって消えていった。

 

 

「……何だ、アイツ」

 

 

 バンギラスを戻しながら、ヤツがすっ飛んでいった先を見据える。東の方角……剣山の方か。

 脱出装置でもセットしていて、この衝撃で誤作動でも起こしてしまった……か、単純にそういうスイッチに触れてしまったのだろう。

 だが、どっちでもいい。あれだけやればどうせヤツも再起不能。半年はベッドから起き上がることもできまい。

 あとは、ヨウタに合図を送って……。

 

 

「……あ」

 

 

 ビシャスを撃破してつい気が抜けてしまったのか――もう、これ以上意識は保てなかった。

 視界がぐらりと回り、地面が近づいていく。チュリとチャムが悲鳴を上げて近づいてくるが、もうどうにもこうにも動けない。

 

 

 

 ――そうして、オレはこの日二回目の意識喪失を経験した。

 

 

 









 設定等の紹介


・ビシャスの手持ちポケモン(2)
 アニメ世界だと進化している=強いというわけではないにしろ、ニューラはダークボールで強化されてるのに、総合的な種族値で劣るはずのユキナリのリザードに負けている。それどころかハッサムは好相性のベイリーフにも負けた。
 ダークボールで強化されていることを鑑みても、レベルは高く見積もっても30前後ではないだろうか。


・ビシャスの指揮能力
 映画だとどうもハッサムとニューラを適当に出して丸投げしていた印象が強い。というか、ちゃんと指示を出していたような記憶が無い。この辺りの描写に関しては詳しい方にお任せしますが、本作では単純に力押しの人として描写しています。
 やっぱり洗脳強化できるダークボールが本体なのでは?


・ビシャスのハッサム
 鳴き声は「ハッサム!」。
 「ハッ」と「サム」の間に一瞬の間があるのがポイント。


・メガシンカのリスク
 後の話の流れの中で解説予定。



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得るもののあるいたみわけ

 

 

 

「…………………………あ、アキラちゃん!?」

 

 

 たっぷり数十秒、ビシャスが星になったのを唖然とした表情で見届けてから、朝木はようやくアキラが気を失ったことに気が付いた。

 元より彼女の傷は深い。素人目に見ても――朝木は素人ではないが――すぐに動くことはできないと分かるほどの重傷だった。そして今の、遠目から見ていても分かるほどに、明らかに無理をしている動き。傷は開き、服の上からでも見て取れるほどに血が噴き出している。

 誰がどう見ても、限界だった。

 

 

「やっ………………」

 

 

 べぇ。

 そう言いかけて、朝木は自らの口を塞いだ。

 周囲を見回して誰もいないことを確かめながら、強い警戒のもと彼はナメクジが這うような速度で移動を始め――。

 

 

「ニュッ!」

「あい゛っだぁあ!?」

 

 

 直後、ニューラに足を蹴られた。「ローキック」である。

 はよ行け。そんな感情がニューラからはありありと発せられていた。

 文字通り、尻を蹴られながらも、なんとか朝木はアキラのもとにたどり着くことに成功した。尻は腫れあがった。

 

 

「ヂッ」

「あっ、バチュルか! ちょっとそこ退いてくれ! ワカシャモも!」

「シャモ」

 

 

 アキラを心配してきたチュリとチャムだが、今この状況で彼らはむしろ邪魔になるだけだ。アキラの腰元のモンスターボールにチュリとチャムを戻し、改めて朝木はアキラの容態を確かめた。

 

 

「あ……アキラちゃん?」

 

 

 呼びかけるも、反応は無い。当然の話だった。

 次に、呼吸と脈を確認するため首筋、口元と手を当てる。

 

 

(……脈拍がやたら早い。呼吸も荒い……発熱も……いや気温で分からねえよ。それより、こんな場所に放置するのは……)

 

 

 開いた傷に処置を施さなければ、失血性のショックで命に関わる。でなくとも、この気温だ。人間なら――彼女を人間の範疇に含めていいのかは微妙なところだが――すぐに体力を奪われて死に至りかねない。

 

 

「にゅ、ニューラ、冷やしてくれ!」

「ニュッ」

 

 

 ニューラの「こごえるかぜ」によって、周囲の気温を調節していく。可能ならより温度を低くして代謝を低くするべきだが、ニューラの現在の実力ではそれも難しい。

 それでも現状では無いよりはマシだ。朝木はスマホを取り出し、東雲に電話を繋げた。

 

 

「東雲君! 避難は!?」

『彼らは東温市に脱出してもらいました。こちらは現在中央市方面に向かっています。そちらは?』

「アキラちゃんが敵倒したけど代わりに大怪我してる! 早いとこ逃げなきゃやべえ!」

『分かりました。こちらからアサリナ君に連絡を送ります』

「分かった。一旦切る」

 

 

 そう言って通話を打ち切った朝木だが、そこでふと現状を思い出した。

 ヨウタはグラードンを食い止めるために戦闘中。東雲は既にこの場を脱出している。アキラは見ての通りの重傷で、彼女のポケモンはほとんどが戦闘不能で、唯一無事なバチュル(チュリ)は体長10cm。アキラを運ぶなど不可能だ。

 では、朝木やニューラなら運べるかと言うとそれもまた少し難しい。ニューラは1メートルにも満たない上にそれほど鍛えておらず、人ひとりを大きな衝撃無く運ぶには力が足りない。朝木も決して優れた身体能力をしているわけではないし、彼女を背負ったままではどうしてもまともには動けない。

 

 

(……あれ? 俺詰んだ?)

 

 

 詰みである。

 

 

「うげええええええええやべええどうしよう!? にゅ、ニューラ! ニューラさん! アキラちゃん運んで……」

「ニュニュッ!? ニュラッ!」

「無理!? いやそんなっ」

 

 

 ニューラとしても、朝木はともかくとしてアキラは助けたい気持ちはあった。なにせ「ローキック」は彼女から教わった技である。気が弱く、ポケモンたちにも怯えている朝木に代わって接することも多い。有体に言って朝木よりも懐いていた。

 しかし、ニューラの身体は大きくない。そもそも朝木のところに運んでこられたのは、常にアキラと一緒に前線で戦って鍛えられているチャムと一緒だったからという事情が強い。

 

 

「ど、どうすりゃいいんだ……台車……いや、ストレッチャーじゃないんだ。担架も無い……簡易担架……くっそ、作ってる時間なんてねえぞ!?」

 

 

 東雲がヨウタへ連絡を寄越したということは、彼もすぐにこの場を脱出するということである。かと言ってヨウタに逃げる手伝いを任せるというのも現実的ではない。伝説のポケモン相手にどれだけ手持ちが残ることか、それ以上に、ストレートにこの道を使うかどうか……。

 途方に暮れかけ、朝木の背を冷や汗が伝った……そんな時、けたたましい音と共に、一台の大型オフロード車が彼の前に姿を現した。

 

 

「う、うおおおっ!?」

 

 

 猛スピードで突っ込んできたその車は、朝木の目の前でその動きを止めた。あまりに唐突な事態に彼が目を回していると、後部座席の扉が開いて声が飛ぶ。

 

 

「乗れ! ここから離脱する!」

「お、おう! ……誰!?」

 

 

 車に乗っていたのは、サングラスをかけた男だ。朝木は、あまりの怪しさに思わず顔を歪めて拒絶を示した。

 この混乱した状況だ。レインボーロケット団が、救援を装っているという可能性は高い。タイミングが良すぎるためだ。

 

 

「怪しすぎるぞアンタ!?」

「言っている場合か! その子はいいのか!?」

「……ゴホッ」

「……ッ!?」

 

 

 だからと言って、この場にいつまでもいていいわけではない。血交じりの咳を見て、朝木は更に顔を歪めた。

 一瞬のうちに、倫理と効率と恐怖と疑念とを秤に乗せ――最後に、彼はアキラを見て、自分の気持ちを秤に乗せた。

 

 

「……分かった、乗せろ! くそっ……これでダメだったらアキラちゃんのせいだからなぁ!?」

「責任を人に押し付けるな!」

「もっともらしいこと言うな分かってんだよそんなことは! というか流石に名乗ってくれよ!」

 

 

 最低限の保身のためにいざという時の責任をアキラに委ねた朝木は、ニューラと共に後部座席へとアキラを運びながら男へ文句を発する。

 流石にその言葉には思うところがあったのか、男も厳めしい顔をより険しくしながら、言葉を返した。

 

 

「俺は反抗組織(レジスタンス)の代表者だ! 同じレインボーロケット団を倒そうって人間を見捨てるわけにはいかん!」

「レジ……」

 

 

 ――――レジスタンスって何!?

 

 唐突に判明した新組織の存在に、朝木の頭は混乱に陥った。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 マツブサは、戦闘によって破壊しつくされた街並みを見つめていた。

 グラードンの放った「じしん」によって建物は倒壊し、アスファルトは砕け、互いのポケモンが生み出した岩があたりに転がっている。

 溶岩溜まりも姿を消すような様子は無い。しかし一方で、マツブサがグラードンをボールに戻したためか、「ひでり」の状態は既に解除され、気温も戻りつつある。

 

 

「…………」

 

 

 マツブサの目の前では、グラエナとメガシンカを解除されたバクーダが、力なく横たわっていた。

 この二匹以外にも、マツブサのポケモンたちは皆大なり小なり戦闘で負傷していた。治療には多少の時間がかかるだろうというのが、彼の見立てだ。

 

 マツブサの視線の更に先には、「ガレオス」と呼ばれるビシャスが搭乗していたロボットの残骸があった。

 こちらもまた、完膚なきまでに破壊しつくされている。とはいえ、鋳潰せばまだ資源にはなるはずだ。マツブサは部下に命じ、ロボットの回収を任せた。

 

 

頭領(ボス)

「ホムラか」

 

 

 そんな折、マツブサの前に、彼の信頼する右腕(ホムラ)が姿を現した。

 その表情はなんとも言い難い微妙な感情に彩られており、彼が「よっぽどのもの」を見たと想像するには余りある。

 彼の手には、現在東雲が運転している車の位置を示したホロキャスターが握られていた。

 

 

「……追いますか?」

「こちらもかなりの損害を受けている。追う必要は無い」

 

 

 マツブサの言葉に、ホムラは一も二も無く頷いた。

 彼がグラードンを制御するには、相当な集中力を要する。実質的な三対三(トリプルバトル)を演じた直後ともなれば、その疲労は尋常なものではない。

 超古代ポケモンを制御するためには、それ相応の実力と精神力が求められる。マツブサも優れた能力を持つ一流トレーナーだが、それでもメガシンカポケモンを含む三匹を同時に操ることは至難を極めた。

 

 それを為した要因の一つは、彼の持つ海のように深い藍色の宝玉――「あいいろのたま」である。

 この「宝珠(たま)」は、自然エネルギーを蓄えた超常の物質だ。あいいろのたまは海洋のエネルギーが蓄えられているとされており、グラードンの能力を抑制する力を持つ。

 仮に、これが大地のエネルギーを蓄えた「べにいろのたま」であれば、マツブサはグラードンをコントロールしきれずに自滅していただろう。

 

 

「避難の方はどうなった」

「無事完了したようです」

「そうか。一人でも死人が減るならその方がいい」

 

 

 マツブサは、決して死人を出したいわけではない。

 グラードンの力を示し、少なくとも現状で発せられた指令は達した。彼は元より、それ以外の死者を出す気は無かった。

 東雲のもとにレインボーロケット団員が向かわなかったのは、そのためだ。

 

 

「もう一人の方はどうだった。見てたんだろう?」

「……はい。しかし……あれは……」

「何だ、言ってみろ」

「はい……もう一人の少女の方は、大幹部ビシャスの連れてきたバンギラスを強奪。そのまま彼の手持ちを全滅させ……撤退に……追い込んだ……ようです」

「……何笑ってるんだお前?」

「いえ、あれは……すみません」

 

 

 ホムラは、外側から戦いの一部始終を観察していたという状況もあって、その全容を一から十まで捉えていた。

 つまり、ビシャスがアキラを逃し、反撃を許し……全身を殴打された挙句、彼の代名詞とも呼べる仮面を粉砕されて天の星になった事件をだ。

 流石のホムラも吹き出した。

 

 

「ビシャスはガレオスの脱出装置で『直接』レインボーロケットタワーに帰還した模様です」

「……そうか。待て、直接?」

「空に……」

「何でそんなイカれた脱出装置をつけてんだ……?」

「分かりません……」

 

 

 そんなことは装備した本人にしか分かりようは無い。

 どう考えても、もっと安全に脱出するための手段はいくらでもあり――やがて二人は、考えるのをやめた。

 そもそも、彼らにはビシャスを心配する筋合いも無いからだ。

 

 

「……で、どうだ。使えそう(・・・・)か?」

「間違いなく。しかし、本当にやるのですか?」

「当然だ。あいつらの力がありゃあ――レインボーロケット団を解体できる」

 

 

 ――と。

 自分たち以外に誰もいない大通りの中央で、マツブサは自身の目的を口にした。

 それは、彼の右腕であるホムラ以外に誰も聞いたことの無い、マツブサの真の目的である。

 

 

「一人は言わずと知れた賞金首(ブラックリスト)最上位。もう一人は、トレーナーになってまだ一週間と経ってない子供だが、それで大幹部を倒すっていう規格外。あいつらが仮に伝説のポケモンを手にしたらどうだ?」

 

 

 複数匹の伝説のポケモンを要するレインボーロケット団は、その力を背景に他者に臣従を強いている。

 では、それに対抗するにはどうすればよいか。対抗する側もまた、同じように伝説のポケモンを所有する他に手は無い。

 だが、それも二流三流のどこにでもいるトレーナーでは駄目だ。それでは、かつてジムリーダーという、一地方の中でも指折りのトレーナーとして活躍していたサカキの操るミュウツーは決して倒せない。

 だが、彼らならば――。

 

 

「レインボーロケット団は人を『殺す』組織だ。ヤツらは人を支配はするだろうが、育みはしない。食い散らかすだけだ」

 

 

 それは、決してマグマ団の理念と合致しはしない。それどころか、真逆と言ってもいいだろう。

 ホムラはマツブサの言葉に薄く笑んだ。彼もまた、マグマ団の理念に深く共感して入団した人間だ。この言葉を待ち望んでいたことは、言うまでもない。

 

 

「では、戦力の拡充が必要では?」

「ふっ……そうだな。だが、『二人』は確実に応じるだろう?」

「確かにそれは……そうですが」

「何だ。不安か?」

 

 

 ホムラが不安に思うのも、当然のことだった。マツブサが思い描く二人とはつまり――彼らと対極の理想を持つ、アクア団の二人だからだ。

 彼らは、マグマ団と対極の理想を抱く人間たちだ。だが、真逆であるからこそ、彼らが敵視する人間は似通ってくる。

 どちらも無意味な破壊など望んでいないし、最終目標は支配などではなく、発展。技術か自然かという違いこそあれ、彼らにとってレインボーロケット団という母体は決して望ましいものではないのだ。

 

 

「確かにヤツとは絶対に相いれない。これが終われば必ず決着は付けさせてもらう。だが……あの子供たちを見れば、ヤツも、俺の考えを理解するだろうよ」

 

 

 マツブサは、アオギリを嫌悪している。

 アオギリも、マツブサを嫌悪している。

 されど、それ故に通じ合うこともあった。それこそ、それは――信頼と言い換えてもよいほどに。

 

 

 







・マツブサとアオギリ
 第三世代のルビー・サファイア・エメラルド、第六世代のORASでも描写されたが、基本的には手段を選ばないだけで純粋な悪人とは言い難い二人。
 手段が悪ければ意味が無いと言われればその通りだが、目標自体は人(ポケモン)のためを思っていたし、実際に自分たちが起こした事態に対して心を痛め、反省する余地があった。ORASと比べるとRSE時代の方はその傾向がより強い。
 実際のところ、この二人レインボーロケット団の巻き込まれ枠では? と思わないでもない。
 ゲーチスとフラダリは残当。




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短期間のとおせんぼう

 

 

 

 ――全身に強い痛みを感じて、オレは唐突に目を覚ました。

 頭が重い。妙に気怠いし、吐き気もする。

 

 たしかオレは、ビシャスと戦って……。

 

 

(そうだ。アイツに勝った後、気が遠くなって、それから……)

 

 

 ……あの野郎を倒した後、オレ、どうしたんだろう。閉じた瞼を無理やりこじ開けて、自分が今どこにいるのかを確かめる。

 まず最初に目に入ったのは、自分が寝かされていたベッドの白い布と毛布、それからリノリウムの床。そこら中に何か食料やら医薬品やらが詰め込まれた段ボールが転がっている。

 どこかの仮眠室か何かだろうか。それとも病院? よく分からん。

 こういう時の判断基準が無いって言うのは、オレ自身の人生経験の浅さと記憶の欠落が恨めしい。

 

 胸の傷の痛みを堪えながら体を起こす。内装も、なんというか「いかにも」なものは無い。病院ではないことは確かだが……。

 

 

(余計分からん)

 

 

 なら考えても仕方ないか。そう思ったところで、ふと腰元の違和感に気が付いた。

 モンスターボールが無い。一瞬、誰かに奪われたことを考えてカッと頭に血が昇りかけるが、スマホと財布がちゃんとあったのでその考えは横に置いた。

 もし敵に捕まったんだとしたら、まず連絡手段を断つはずだ。つまり、これはあの後ちゃんとヨウタたちと合流できてたってことになる。多分チュリたちは今、メディカルマシンの中だろう。

 

 一人で焦って一人で安心するという器用なことをした後で、オレはもうこれ以上何も考えずに回復に努めることにした。

 何か考え始めると、悪い方向に考え出して止まらなくなるからだ。だったらとっとと寝るに限る。

 そう思って身体をベッドに横たえる……と、そこで不意に、外から何かの気配を感じた。人間じゃない。ポケモンだ。

 

 

(ん……?)

 

 

 ポケモンだと?

 自衛隊の前例がある以上、ありえないとまでは言わないが……普通の人がそんな簡単にポケモンと心を通じ合わせ……るのは割とできそうだな。それはそれとして。

 ここがどこだか分からない以上、野生のポケモンが寝床にしている場所だったり、場合によっては誰かが面倒を見てるポケモンの遊び場だったりする可能性も否定できないが……。

 扉を押し開いて、そのポケモンが姿を現す。白と黒の体毛に、頭部の鋭い刃……アブソルだ。

 

 彼(彼女?)とオレとの視線が交錯すると、アブソルはそのまま、ひと鳴きもせずに部屋の外へと出て行った、

 しばらくすると、アブソルは一人の女性を連れて戻ってきた。トレーナーだろうか。眼鏡に黒髪というあまり目立たない見た目の女性だ。彼女はオレが目を覚ましていることに驚いたのか、僅かに目を見開いてからこちらに近づいて来た。

 

 

「……目が、覚められましたか?」

「はい。……あなたは?」

 

 

 体重移動の感じや服の膨らみを見るに、彼女がモンスターボールを持っている。つまり、アブソルのトレーナーであることが窺える。

 だが、だとするには小さくない問題がある。この世界にはモンスターボールは存在しないし……仮に持っているとするなら、それはオレたちの関係者か、もしくはレインボーロケット団の関係者のどちらかだということになる。

 警戒は緩められない。

 

 

小暮(こぐれ)、といいます……レジスタンスのメンバー、です」

「…………レジ?」

 

 

 そんなオレの思いを知ってか知らずか、小暮と名乗った女性はオレの想定外の名前を口にした。

 レジスタンス。一瞬、新たなレジ系の伝説のポケモンか何かかと思ってしまったのは秘密だ。多分単あくタイプだろう。

 ……まあそっちは置いといて。

 

 

「レインボーロケット団を倒すために……結成された、組織です。組織と言うよりは……寄り合い所帯と言った方が適切かもしれませんが……」

「はあ」

 

 

 この数日でそんな組織ができたのか? 早くない?

 寄り合い所帯って言ってるってことは、人数自体は大したこと無いのかもしれないけど……。

 

 

「その……アブソルは?」

「……最初の襲撃の時……あぶさんが助けてくれて、それからの付き合いなんです」

「あぶさん」

「あぶさん」

 

 

 その言葉を聞いて一瞬脳裏に浮かんだのは、どこぞの野球漫画だった。

 アブソルだからあぶさん。この人……小暮さんの丁寧な人柄のよく出たニックネームだとは思うが、しかし誰か止めなかったんだろうか。いや、止めてもしょうがないか。知ってなきゃただのニックネームだし……。

 

 

「その、ボールは?」

「……レインボーロケット団に従うフリをして、物資を奪った人がいて……その時に」

「でも、どうやって。あいつらだって、警戒はしてるはずじゃ」

「初日からしばらく、命令系統がガタガタになっていた時期があります……その、あなたたちを……追っていたとか、負けていた、とかで……」

「あ」

 

 

 そうか。初日からしばらく……って言ったら、それこそオレたちがランスと戦ってた時期だ。

 サカキはヨウタと引き分けに終わった直後で動きづらいだろうし、他の首領格にしたって、駐屯地を襲った直後でまだ下を見るような余裕があったようには思えない。それにあいつら……配給品とか人員とか、ちゃんと書類に取って残してたりするタチだろうか? ……幹部格ならともかく、ヒャッハー気質のある下っ端連中だとどうかな、という気持ちはある。

 ともあれ。

 

 

「……つまり、味方と見ていいんですか?」

「はい……お連れさんから、話は聞いています。あの、中学生くらいの……」

 

 

 中学生くらい……ってなると、ヨウタのことか。そういうことなら、多少はその話も信じていいのかとも思う。鵜呑みにはできないけど。

 

 

「あなたが目を覚ますのを待っていたようですので……今、伝えてきます」

「あ、どうも、すみません」

 

 

 言うと、小暮さんはアブソルを連れて部屋を出て行った。

 しばらく待っていると、部屋の外から聞き慣れた程度の足音とよく知る気配が近づいてくる。……普通に。

 ……いや、まあ、そりゃあ、オレの怪我で心配かけたりしたら申し訳ないし、変に気負わないでほしいとは思ってるよ。けど、そこまで普通だとなんかこう……釈然としない気持ちにはなる。オレも無意識では人恋しかったりするのだろうか?

 

 

「ああ、ホントだ。起きてる。大丈夫なの、アキラ?」

「死にはしないが痛いことは痛い。……ごめん、世話かけた」

「……鎮痛剤打ってるとはいえその怪我で『痛いことは痛い』程度で済むのがおかしいんだが」

「そうか? まあ、確かに言われてみればそうかもだが」

 

 

 何でか、あんまり重篤な怪我だって自覚が持てないんだよな。

 動けはしなくとも、死にはしない程度のものだって分かってるからだろうか。何でそんなことが分かってるかは……多分無くした記憶のどっかに引っ掛かってるんだろうけど、その中のどれかは分からんので置いておく。

 それに、オレは肉体的な耐久力だけじゃなくて回復力も高い。こっちは実際、随分前に身をもって実証したのでよく分かってる。

 

 

「そっちは、みんな無事だったんだな」

「まあ、一応ね。アキラが無茶しすぎなだけだと思うけど」

「……結果的に成功したんだし、そんな堅いこと言うなよ」

「いいや、言わなければならない」

 

 

 と、オレの言葉に反論してきたのは……東雲さんだ。

 オレの傷を見ると、彼はいつになく険しい顔で再び口を開いた。

 

 

「目的が果たせたことは、喜ばしい。死人も出なかったのだから、上出来と言っていいだろう。だが、それで毎回捨て身になってしまっては、君の身が持たない。いずれは本当に死んでしまう」

「……勝算も、死なない算段も、つけてましたけど」

「半ば賭けのようなものだったと聞くが」

 

 

 これにはオレも黙るしか無かった。

 バンギラスはビシャスのポケモンじゃない。……かもしれない。

 ハッサムとヘルガーはあまり育ってない。……かもしれない。

 怪我しながら実証を組み立てていっただけであって、仮にバンギラスがビシャスのポケモンじゃなく、「別の人間が所有するポケモンを借りてきた」という場合は多分、オレはあそこで負けていただろうから。

 

 

「……って言っても……あそこだと、他にいい手が思いつかなかったですし……」

「思いつかなければ、誰かを頼れ。アサリナ君は戦っている最中だったから難しいかもしれないが……俺もいる。ゼニガメ共々戦力として不足はあるかもしれないが、知恵は出せる。君一人で戦ってるわけじゃないことを忘れないでくれ」

「東雲さん……」

 

 

 ……確かに、あの場面だと、オレはちょっと凝り固まってたような気がする。

 東雲さんも避難があるしな……とか、朝木は頼りにならんしな……とか。そればかりにこだわってたわけじゃないんだが、先入観があったと言えなくもない。相談すれば、自衛隊員である東雲さんは多少なりとも知恵を出してくれた可能性はあるかもしれないのに。

 

 

「すみません、気負いすぎてました」

「……分かったなら、これ以上言うことは無い。すまない。上から目線で」

「上の人でしょ。気にしませんよ」

 

 

 実際東雲さん、年齢的にも社会的にも圧倒的にオレより遥かに上の立場だし。

 

 

「ただ……」

「?」

「そこまでマジメでマトモなことが言えるのに、何で初対面ではあんな大ポカを?」

「…………」

 

 

 東雲さんは、思い切り目を逸らした。

 これ以上追及するのは良くないことなのだろう。オレもそれ以上は何も言わないことにした。

 

 

「じゃあ、話を戻そう。あの後何があったんだ? あと、ここどこだ?」

「あ、うん。あの後は……レイジさんがアキラを運んでここに来て応急処置。僕らの方は、一旦市民の人たちを送り届けた後……流石にあの待ち伏せは怪しいと思って、少し車を調べたんだ」

「結果は?」

「あったよ、発信機」

 

 

 やっぱりか。でも、このタイミングで見つけられて良かった。この先、とんでもないタイミングでこれを利用されたらたまらない。

 

 

「ここは?」

「新居浜市のイベントホール。病院は空いてないってさ」

「まあ、病院はな……」

「……で、あのレジスタンスって……どうなんだ?」

 

 

 あえて、肝心なところはボカしたままにしておく。

 あの人たちは今のところ味方であるかもしれないが、だからと言って気軽に信用していい相手でもない。盗聴器が仕掛けられてる可能性もあるのだから、警戒は入念にしておかないと。耳元を軽く叩くと、こちらの意図を察したように三人が頷く。

 

 

「アキラのことも助けてくれたし、敵じゃないとは思うよ」

 

 

 味方と確定してないということは、敵になる可能性も秘めている、ということか。

 

 

「彼らの思惑がいまいち分からないのが問題だ……良い関係を築いていけるといいのだが」

「レインボーロケット団を倒そうっていう考えは同じはずなんですけど」

 

 

 えーと、これは……ほぼそのままの意味だな。けど、ヨウタが最後に「はず」なんて付けてるってことは……本当にレインボーロケット団を倒そうとしてるかどうかはいまいち分からないってところか?

 ……まあ、あの人たちあくまで寄り合い所帯って言ってたしな。こっちの目的と合致するかっていうのは怪しいところだ。

 

 オレとヨウタは、既に目的の共有は済ませている。つまるところ、「レインボーロケット団の全滅」だ。最低ラインは幹部クラス以上を全員この世界から排除すること。そうしなければ余計な火種が残ったままになっちまう。

 けど、レジスタンスの方がそこまで行くかは分からないんだよな。同じ倒すにしても、皆殺しレベルまでいくのか、それとも……生活圏を確保できればそれでいい、という程度にとどまるのか。仮に大目的は同じであるにしても、全員がそう考えてるのか……。

 

 できれば意思を統一しておきたいところだが、それができるなら世の中派閥争いなんて起きてねえ。そういうのはただの「仲間」から「集団」になった時点で大なり小なり起こるものだ。楽観的にはどうしたってなれやしない。

 

 

「利害が一致できている今は、なんとかなっていると言っていいんだが……」

「だいたい分かりました」

 

 

 かと言って、表立って敵対関係に回るのは愚の骨頂だ。オレたちは少数勢力、どころかほとんど個人の域も出ていない。あっちにだって、オレたちを潰そうって気配も無いのに、どうこうするというのはいくらなんでもイカれてる。

 レジスタンスはレインボーロケット団に寝返るかもしれない、ということを念頭に置いておいて、いつでも対応に回れるようにしておくのがいいだろう。

 

 

「で、どうする?」

「早めに今回の恩を返して、お互いに貸し借り無しの関係にしておこうとは思ってるんだ。ショウゴさん」

「しかし……いや、そうだな。君が眠っている間に、頼まれていたことがある」

 

 

 オレが怪我をしていることを気にしてか、東雲さんの語り口は硬い。

 それでも今は気にしておかなきゃいけないことだ。続けるように促すと、ためらいがちにながらも東雲さんは続けた。

 

 目的地は、四国中央市の工場地帯。製紙工場で有名なこの場所に、レインボーロケット団の連中は地下工場を作っていたらしい。

 ……要は初日のレインボーロケットタワーの亜種。ことを起こすより先に準備として作っていた、というところだ。そこでは、モンスターボールや各種アイテムなどを製造し、また、何らかの秘密の研究も行っているのだとか。

 

 

「で、レジスタンスの人らはその工場を手に入れたいと」

「できれば、無傷でだってさ」

 

 

 結構な無茶を言いやがる。いや……気持ちは分かるが。

 オレたちにとっての問題は、モンスターボールの安定供給がされないってことだ。レインボーロケット団の連中に負けてる主な理由ってのも……全部が全部それだからってワケじゃないが、自衛さえできるなら違ってくる部分というのもかなりある。都市部は無理でも、小さい町や市なら守り切れる場所はあるはずだ。

 で、だ。

 

 

「オレが起きるの待ってたってことは、オレが行った方がいいんだろうな」

「……うん」

 

 

 ヨウタは申し訳なさそうに頷いた。

 そりゃそうなるだろうな、とは思った。波動を読めるリュオンに、生物の気配に敏感、かつ一度は市役所に侵入して人質のいる場所まで見つからずに済ませた実績のあるオレ。適任と言えば適任だろう。

 

 

「分かった。いいよ、行ってくる」

「けどその怪我じゃ」

 

 

 確かに、怪我は見た目、酷い。オレの回復力でも一日二日じゃ、ちょっと無理だろう。

 けど、その間、何も行動が起こせないからこそ、できることもあるし……よし。

 

 

「大丈夫だ。一週間……いや、五日くれ。なんとか、してみる」

 

 

 



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ふういんされた記憶

 

 

 さて。

 たった五日で胸元の縫うような傷や軽微な骨折などが治るかと言われると、普通は無理だ。不可能と断言してもいい。

 朝木と違って医療知識の無いオレでもそれだけは分かる。全身の火傷……拘縮……だっけ? それも半端なものじゃなくて、本当なら皮膚移植や、それが終わっても結構に長いことリハビリが必要だとかなんとか。

 

 けど、オレはそんなことは知ったこっちゃないとばかりに立ち上がった。

 貧血特有のくらっとしためまいは感じるが、床に足をつけて踏みとどまる。このくらいなら、動くことに支障はない。思わず飛び出しかけた朝木を手で制して、服の腕部分を軽くめくる。そこにあったはずの火傷は、既に治癒しつつあった。

 

 

「改めてその体なんなんだよ、筋力といい……まともじゃないだろ……」

「そんなことオレが知るか。オレだって知りたいんだよ」

「え。アキラちゃん自身も知らないって何なん。死ぬほど鍛えたとかじゃなくってか?」

「じゃあない。鍛えてるのは事実だけど、だからってここまで強くなったりするわけないだろ」

 

 

 そもそも、この件についてはこの事件とは特に関係ないんだ。だからこれ以上はノーコメントとしておいた。

 今は何より、レインボーロケット団への対策をしっかりしていかなきゃならない。

 

 まずはコート……は、無い。マフラー……も、無い。どっちも焼けてる。

 なんとなく自分の服装に頼りなさと寂しさを感じつつも、まずは目の前のことだ、と気持ちを入れ替える。服は服だ。また買えばいい。

 

レジスタンス(あっち)の代表者に顔を通しておきたい。誰か付き合ってくれないか?」

「俺が行こう。アサリナ君は刀祢さんのポケモンたちを回収してきてほしい。朝木さんは医薬品のストックの確認をお願いします」

「分かりました」

「ん、了解」

 

 

 ……そういえば、当初のオレとヨウタだけの道中と比べると、今はその倍に増えてるんだよな。こうして役割を分担して行動してるとよく分かるけど、やっぱり、お互いにある程度意思を統率できているとそこは便利だ。

 ただ、できることなら、この倍の人数くらいはいた方がいいんだよな。戦力的な意味でも。

 そのためには、やっぱり全員の意思統一がなされてる必要があるけど……全員がちゃんと戦えて、ポケモンもフルメンバー揃ってたら、勝てる見込みもある……かもしれない。伝説のポケモン相手だと、どうだか分からないけど。

 

 つっても、今の段階じゃまるで夢物語なんだけどな……モンスターボールも無いし。

 ……工場の潜入の時、ちょっとくらいちょろまかしても別に誰も何も言わないよな? 危険はオレが被ってるワケだし……。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 アキラたちがレジスタンスの代表者との面会に向かってしばらく、朝木はどこかモヤモヤした気持ちを抱えていた。

 本来ならもはや関わることが無かったであろう「医療」に、緊急事態とはいえ再び関わってしまったことに対する後ろめたさというものも、当然にある。しかしそれ以上に、彼の胸の中ではアキラとの会話がこびりついていた。

 

 ――「正しいこと」をするんだ。それしか残っていないから。

 ――そんなこと、オレが知るか。

 ――オレだって知りたいんだ。

 

 会話の中ではさりげない言葉のようであっても、後になって精査すれば違和感は徐々に浮き彫りになっていく。

 あれは、まるで――。

 

 

「レイジさん! 薬落ち……ああっ、マズい! ワン太!」

「ワウッ!」

「え? っとあっぶなぁ!!?」

 

 

 そうして考え事をして上の空になっていたせいだろう。危うく朝木の腕から零れ落ちかけた薬瓶は、寸でのところでワン太によって受け止められた。

 

 

「危ないはこっちの台詞だよ……レイジさん、なんか上の空だけどどうしたの?」

「ガウ」

「あ、ああ……ごめん、ありがとう。いや、ホラ、アキラちゃんの言ってたことがさ」

「ああ……ああ、うん……」

 

 

 ヨウタは、アキラを除く三人の中で唯一、彼女の本当の素性を知る人間だ。

 思わせぶりな彼女の言葉の理由もよく理解しているし、朝木と東雲にそれを語らない理由もなんとなくは察している。と言ってもそれは単純なもので、「説明する時間が無かった」ことと「そこまで信用してない」こと、何より「混乱を避ける」ことだ。

 特に最後の理由は重要だ。(見た目だけ)可憐な少女がいきなり「自分は男だ」などと言っても、信じる人間は到底いない。その説明に取る時間を思えば、もういっそのこと勘違いさせたままで通した方がいいのだ。

 

 ヨウタの方もそれを理解しているため、あえて指摘や訂正を加えることはしなかった。

 色違いのゼラオラかメスカイリキーと言われた方がまだ納得できるアキラだが、その内面は他人が思うよりも理性的、かつ冷静だ。そのため、ヨウタも彼女の考えを尊重していた。

 しかし、はぐらかすにしてもどうするべきなのか――そう思ったところで朝木が発したのは、ヨウタの想定外の言葉だった。

 

 

「ビシャスと戦う時もさ、『オレにはそれしか残ってない』……みたいなこと言ってて」

「え……?」

 

 

 それは、ヨウタにとっては初めて聞く類のアキラの言葉だった。

 

 

「レイジさん、その話……」

「え? あ、そっか、あの場にはみんないなかったんだよな……でもこれ、うっかり口滑らせたって感じだったし……言っていいもんか……」

「いいよ、それは――」

「――許可が必要ならボクがすぐ連絡を取るロト」

「いや、許可ってーか……まあ、大丈夫か。別に口止めされてるわけでもないし……」

 

 

 強いて言うなら、それはアキラが「口を滑らせた」事柄を朝木が口にしてもよいものか、というモラルの問題だ。

 しかし、ヨウタがここまで言ってるんだし……と、半ば彼に責任を押し付けつつ、朝木は先の戦いの中でのアキラの言動をヨウタに語って聞かせた。

 と言っても、それは一言二言程度のものだ。彼女の言葉をそっくりそのまま伝えながらも、これのどの辺が重要なのかと訝しむ朝木。対照的に、ヨウタは頭の中で既にアキラから聞かされていた情報とその言葉を照らし合わせ始めていた。

 

 やがておおよその見当がついた頃、ヨウタの表情は先程よりも険しいものになっていた。

 

 

「よ、ヨウタ君?」

「ワフッ」

「あ、ごめんワン太……レイジさんも」

「何か分かったのか?」

「……思ったより、深刻なことかも。推測だけど……もしかしたら、この先の戦いで軽く影響するかもしれないくらいには」

「……あの、女版呂布だか島津だか項羽だか森長可だかみたいなバケモンが?」

「…………どんな人でも、心にヒビが入ると脆くなるものだよ」

 

 

 あえて、ヨウタはその言葉を否定しなかった。

 彼は人名に詳しくないが、だからこそ、いずれもよっぽどの豪傑なのだろうということはすぐに推察できたからだ。

 

 

「なんにしても」

 

 

 と、続けて、朝木を混乱させないよう性別の件については触れずに、ヨウタは彼女についてある程度の概略を語った。つまりは、記憶喪失についてだ。アキラのルーツがあるとするなら、確実に「そこ」なのだから。

 そうして一通り語り終えた後、ヨウタは更に自身の推論を述べる。

 

 

「アキラは、『部分的に』記憶を無くしたって言ってた。けど本当は、かなりの大部分を無くしてるんじゃないかな?」

「え……ん? って言うと?」

「アキラ、友達いないんだ」

「いやそりゃ、あの性格だと……」

「……そういう問題じゃなくって。もしも見た目が変わったとしてもさ、自分たちだけが知ってることを言えば信じてくれる、って人も片っ端から探せば、多分いるよね? そういう話、僕は一度も聞いたことが無いんだ」

「そういう余裕が無かったとかじゃなくってか?」

「ううん。僕はアキラからおばあさんと家族の話以外、聞いたことが無い。その家族も、アキラの話を信じてくれなかったんだって」

 

 

 ん? と軽く首を傾げた朝木は、次の瞬間にその事実を改めて認識して顔を青くした。

 

 

「……家族のこと以外、全部忘れてんのか……?」

「もしかしたら、だけど。その家族のことも、半分くらい忘れてるかもしれない」

「で、でもそれだと……いや、でも……ああ、くそっ、脳神経科のこととか分かんねえぞ!」

 

 

 人間の記憶には複数の領域が存在する。過去の「出来事」を示すエピソード記憶、「知識」を示す意味記憶、などが代表的だが、記憶喪失を患った人間が「どう」記憶を失うのかは現代科学でも未だ解明されていない。

 また、記憶喪失――健忘症にも複数の種類がある。未だそこまで知識を広げていない朝木には、アキラのそれがどれに該当するのかも分からない。彼はただ唸る以外に手の施しようは無かった。

 

 

「アキラがたびたびおばあさんの言葉を引用してるのは知ってるよね」

「あ、ああ。でもアレ、ネタじゃないのか? ほら、おばあちゃんが言ってた~……みたいな」

判断基準が(・・・・・)それしかない(・・・・・・)んだとしたら?」

 

 

 ――人間というものは、長い時間をかけて倫理観と道徳観を養っていくものだ。

 大人の姿を見て学び、また、他人と接することで改めてそれを学ぶ。読書、遊び、勉強……ありとあらゆるものを教材として、人間は独自の価値観を確立していく。

 

 では、それがある日突然消えて失せたなら?

 

 

「『それしか残ってない』っていうのは、そういう部分なんじゃないかな。もしかしたら、だけど」

 

 

 言われて考えてみれば、朝木にもその説明はいやにしっくりと嵌った。

 同時にアキラの危うさもまた――否応なしに理解できる。

 彼女はそうすることが「正しい」と信じるなら、容易に人を殺しうる。――あるいは望んで自ら死地に向かうだろう。と言うよりも、実際にビシャスとの戦いでは「そう」しているのだ。

 

 

「でも、待ってくれよ。だったら何であんなポケモンに詳しかったり、普通に受け答えできたりするんだ? 無茶苦茶な子だけど、割かし常識的っちゃ常識的だし」

「ポケモンはこっちの世界だとゲームなんだよね。記憶喪失になって二年も経ってるし……その間、しばらく暇だったからやってたって言ってたよ。一般常識はおばあさんから教わったんじゃないかな。なんだかんだ、冷静っていうか、色々考えられてるし……」

「……まあ、なあ……おばあさんすごいな」

 

 

 その結果が久川町の単騎駆けや市役所での潜入からの脅迫と強奪に四国無双、果ては西条市での対大幹部戦の大立ち回りの末に完全撃破……という戦績だ。

 彼女の能力と地頭の良さがあっての成果だが、よくもここまで巧く教育したものだ、と朝木はアキラの祖母へ惜しみない賛辞を送った。

 しかしそのおかげで現代の女呂布(メスカイリキー)が爆誕してしまったことに関しては、ひとことくらい恨み言を言ってもいいのではないかとも、彼は感じていた。

 彼女のせいでこの無謀な珍道中に付き合わされている以上、そのくらいは言う権利があるはずだ。

 

 

「多分……ショウゴさんに怒られても、アキラはきっとまた何かやらかすと思うんだ」

「そう……だよな。そこまで拘ってるんなら、ありうるかもしれない」

 

 

 彼女は、そうすることが「正しい」と思ったなら即座に行動に移す。

 たとえそれが、自らを死に導く行為であったとしても。

 

 

「で、レイジさん、その時は」

無理

 

 

 応えたい気持ちが無いではない。

 しかしそれ以上に、暴走状態の女項羽(白ゼラオラ)になんて下手に手を出そうものなら朝木はミンチ確定だ。

 

 ――結局それ以上は何も言えず、一旦ヨウタはその話を打ち切った。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「ひえっくしょんっったあああい!?」

「刀祢さん!?」

「い、いや……すみませ……なんか、急にくしゃみ……」

 

 

 レジスタンス代表者との面会のその最中、オレは急にむずむずとした感覚に襲われてくしゃみを放っていた。

 流石は我慢しすぎると肺に穴が開くという、人体屈指の衝撃を放つ生理現象だ。一瞬傷が開きかけてしまった。

 

 

「大丈夫か?」

「っぐ、大丈夫です……えっと……」

宇留賀(うるが)だ」

「クルーガー……?」

宇留賀(うるが)だ」

 

 

 ……そして改めて、レジスタンスの代表者である宇留賀さんに向き直る。

 身長は190センチ前後、茶髪にサングラス、革ジャンを着たマッチョ……という、不審者と言ったらいいのか、溶鉱炉に沈んでく人と言ったらいいのかよく分からん感じの偉丈夫だ。

 座ってても、オレと目線の高さがそれほど変わらない。相当デカいはずの東雲さんよりも更に上だ。首なんていっそ埋まってしまいそうなくらいゴリッゴリに鍛えられている。この人どういう職業に就いてたんだろう……。

 

 宇留賀さんの隣には、彼の手持ちと思しきサワムラーがこちらを見定めるようにして立っていた。

 敵対関係に無いからか、威圧感はそれほどでもない。実力の方は……どうだろう。少なくとも体術には覚えがあるように見える。

 

 

「さて。先に行った通り、君たちには件の秘密工場の確保を頼みたい。手段は問わない。潜入でもいい、正面突破でもいい。ただ……できることなら、内部の設備は手に入れておきたい」

「目的は、モンスターボールの安定した生産のためですか?」

「そうだ。そうすれば少なくとも、市民の自衛の手段は手に入る」

 

 

 嘘は……無いように感じる。戦えない人たちをなんとかしようという意志はあるらしい。

 なら、こっちも特に迷うことなく動けるな。少なくとも、今のところは。

 

 

「承ります。しかし、彼女の怪我のこともある。少々時間をいただきたいのですが、いかがですか」

「当然だ。どのくらい必要になる?」

「…………」

「五日」

「……いつ……? 聞き間違いか?」

「五日」

 

 

 宇留賀さんは、サワムラーにサングラスを一旦手渡すと、両目を擦って耳を掘ってから再びサングラスを受け取って装着した。

 

 

「……正気か?」

「……個人的にも、彼女には少し休んでいただきたいところですが、本人が……」

「早い方がいいのは間違いないでしょう。()の怪我も見た目ほどには酷くない」

「…………? 今」

「分かった。なら、こちらも何も言わないでおこう」

 

 

 ふと、何やら違和感を覚えたように、東雲さんがオレを見た。が、その前に宇留賀さんが話を続けたことでそれ以上の追及はできなかったようだ。

 ……何やら分からないが、何なんだろう? まあ、そっちは置いといて。

 

 

「必要なものがあるなら言うといい。可能な限り融通する」

「じゃあ、余ってたらモンスターボールをください。こちらもひっ迫してるので」

「分かった、探してこよう」

「ありがとうございます」

 

 

 正直、今は一個でも二個でもいい。二つじゃいくらなんでも足りなさすぎるんだ。

 時間もできたことだし、訓練もできる。先にある程度メンバーを揃えておかないと、後々になって鍛え方に差が出てきて、そこから崩される……なんてことにもなりかねない。

 一番強いヨウタにも、やっぱりフルメンバーで戦ってほしいというのもあるしな……。

 

 

「それじゃあ、失礼します」

「少し待ってくれ」

「はい?」

「いつどこで誰がここをかぎつけるとも限らない。いつでも逃げられるよう、準備はしておくように」

「あ、はい。分かりました」

「了解しました」

 

 

 改めて礼をして、部屋を出る。

 どうやらここも、あくまで仮の拠点らしい。まあ、どこもかしこも段ボールに詰めてる荷物だらけだったし、そういうことなんだろう。

 

 そうして少し歩いてから、再び何か思い出したように東雲さんが口を開いた。

 

 

「刀祢さん。君は自分のことを『私』と言うような性質(たち)だったか?」

「……は? ンなわけないでしょ」

 

 

 うわ、背筋がゾッとした。ナイナイナイ、それは無い。

 

 

「オレ、ずっと自分のこと『オレ』で通してますよ。何なんですか、急に?」

「……い、いや。何でもない」

 

 

 変なこと言うな、東雲さんも。

 

 この後、ヨウタたちと再度合流してチュリたちのボールを受け取ったものの、ヨウタと朝木の方も何やらオレの方を見ては神妙な表情をしていた。

 ……なんなんだ、急に……?

 

 

 



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歪んだせいちょう

 

 

 結局、あっちも余ってるボールは三つしか無かった。

 とはいえ、これでスーパーボールを含めてボールは五つ。全員分のフルメンバーを揃えるには足りないが、それなりのものにはなったと言えるだろう。

 

 

「とりあえず、このモンスターボールを使って仲間を増やそうと思う」

 

 

 移動用の自衛隊車両の脇。駐車場で、オレたちは輪になって四つのモンスターボールを囲んでいた。

 オレたちの目前には、それぞれの手持ちポケモンが収められたボールが置かれている。ヨウタが五つ、オレが四つ。朝木は二つで、東雲さんが一つ。トレーナー自身の能力によっても多少変わりはするが、この手持ちポケモンの数がそれぞれの総合的な戦力をそのまま示していると言っても過言ではない。

 

 約一名戦う気が全くないヤツがいるが、そこはそれ、戦う以外の方法で何かしてもらうとしよう。

 なお、スーパーボールはいざという時の保険に取っておくためこの場には無い。

 

 

「何か意見ある人」

「む」

「東雲さんどうぞ」

「今のところ、俺の手持ちはゼニガメだけだ。頼れる相棒だが……流石に、対応力が不足している。もし良ければ、モンスターボールを一つ貰いたい」

「一つと言わず二つどうぞ。ヨウタも、一つ持って行ってくれ」

「分かった」

 

 

 それぞれの前にボールを転がしていくと、目の前に残ったボールは残り一個。

 これは――

 

 

「朝木」

「へ? 俺ぇ!?」

 

 

 ――朝木の方に転がした。

 毎度のように異様なほど驚いてるが、もういつものことなのでほっとく。

 慣れろよ、流石に。

 

 

「今のオレ、まともに動けないの知ってるだろ」

「ああ……けど、それでもやっぱさ、戦力的には……」

「戦力的にどうこう言うなら、今はこっちに集中したい」

 

 

 そう言って、オレはハイパーボールを指先で軽く転がした。

 その中にいるのは――バンギラス。未だどのように動いてくれるのかも分からない厄介者でもあり、今のオレの手持ちの中では切り札中の切り札にも位置付けられるポケモンだ。

 暴れる可能性も今は高いし、あの巨体を外に出すのは、現状無理だろう。

 

 

「他の三匹(みんな)はいいんだけど、バンギラスだけはまだ意思疎通も何もできてないし……ちゃんとこいつの手綱を持っててやれるかも分からない。けど、そこさえなんとかなれば、ヨウタのポケモンたちにも負けないくらい心強い仲間になってくれるはずなんだ」

「心強いのはまあ、確かだね」

 

 

 でもそのくらいじゃ僕らは負けない――とでも言いたげに、ヨウタは唇を尖らせた。

 そりゃそうだよな。ビシャス相手でも多分、ヨウタだったらもっとスマートに倒せてただろう。ただその場合、バンギラスのことまで気付くかは半々……ってところか。

 

 

「ニックネームは決めてる?」

「名前……ん~……」

 

 

 思い返されるバンギラスの姿って言ったら……暴れてるか吼えてるかってところだし、それらしい名前をつけられるイメージも湧いてこないが……。

 よし。

 

 

「吼えてる時ギルギル言ってたからギル」

「英雄王かよ」

「うっせ!」

 

 

 オレもちょっとそれは思ったけど、いいんだよ別に。FFとかあるだろ。

 

 

「それっぽい名前ならそれっぽい名前で、良からぬ力を正しいことのために……って感じでカッコいいじゃん!」

「分かるけども」

「うむ」

 

 

 分かっちゃったよ。朝木はともかく東雲さんまで。

 ……いや、まあ、兵器っていう、本来は決して善とは言い切れない武力でもって、防衛という正しいことをしようという人にとっては、ある意味これも分からなくはない……のか……?

 

 閑話休題(そっちはおいといて)

 

 

「まあそっちはいいんだ」

「うん。僕は、バンギラスが暴れ出したりしたらいけないからしばらくアキラの近くにいるよ。レイジさんとショウゴさんには申し訳ないけど……」

「了解した。こちらはこちらで動こう」

「えっ、マジで」

「アンタもしかしてヨウタがついてきてくれると確信してたんじゃないかね」

「そっ、そんなことないよォ!?」

 

 

 声、上ずってんぞ。

 この中で最年長者がこの情けなさ。よく考えりゃ、ニューラやズバットはレインボーロケット団から支給されたのであって、朝木自身は捕獲は初体験か。そう考えると、不安にくらいは思うだろうけどさ。

 

 

「ホラ、頑張れ頑張れ☠」

「威圧感しかねえんですけど」

「威圧してんだよ。大丈夫だって、オレみたいにはならないっての」

「そこまで無理できない」

 

 

 ですよね。

 しかしアレだな、朝木は基本、ケツ叩いて動かさないと動き出さないっぽい。

 いざ動き出しさえすれば、運転といい応急処置といい、良い仕事はするんだけどな……。

 ……うーん……追い詰めないとダメなのか?

 

 

「アキラちゃん目ぇ怖っ!?」

「さ、流石に何もサポートできないっていうのも問題あるし、ショウゴさんにモク太を預けておくよ。『みねうち』も使えるし……」

「ありがたい。強いポケモンが出てきたとしても、撃退できるというわけだな」

「そうですね……あ、捕獲するのも手か」

 

 

 人に慣れて、更に言うことを聞いてくれるまでちょっと時間はかかりそうだけど、それも一つの手だろう。

 まあ、どうするにしろ選ぶのは二人と、そしてポケモンたち自身だ。オレたちが下手に口出しすることじゃない。

 

 

 その後は、連絡の徹底と集合場所の確認を行い、二人と二人でそれぞれ分かれて動き始める。

 東雲さんたちはポケモンがいそうな場所へ、オレたちは近くの広場へだ。

 

 

「誰か人はいるか?」

「リオ」

 

 

 まずはリュオンを出して、周辺を警戒。敵だけじゃなくてレジスタンスの面々がいても問題だ。万が一のことがあったら守り切れるか分からない。

 問題が無いことを確認すると、ヨウタはミミ子をボールから出してバンギラスが出てくるのに備えた。

 

 

「ギュゥゥ」

「……うん、よし、ミミ子も準備完了だよ。始めよう」

「おう」

 

 

 ……流石にオレも緊張する。何せ、内臓を掻きまわされた挙句、全身ズタボロにされた原因だ。ちょっとくらい怖くもある。

 けど、向き合わなきゃ何にもならない。しばらく経ったおかげでお腹も空かせてるだろうしな。フーズも大量に用意したし、あとはボールから出すだけだ。

 

 

「……出てこい!」

 

 

 十メートルから二十メートルほど先に向かってボールを投げる。と、次の瞬間、光と共に深緑の巨体が姿を現す。

 バンギラスはきょろきょろと周りを見ると、すっと大きく息を吸い込んで――。

 

 

「グオオオオオンッ!!」

「っ!」

「うっ……!」

「――!」

「ギュルッ……!」

 

 

 手始めとばかりに、咆哮を放った。

 空気がビリビリと震え、思わず耳を塞いでしまう。くそっ、これは……だいぶヤバいか……?

 

 やがて気が済んだのか、バンギラスは視線を下げ……オレの姿を認めた。

 

 

「ギラァ……!」

 

 

 そして、ひと鳴き。身体を折り曲げて前脚を地につけたバンギラスは、そのまま猛然とこちらに突進し始め――

 

 

 ――オレの眼前で、急停止した。

 

 

「――――ん……!?」

 

 

 ……えっと……な、なんだ。「かげぬい」じゃないよな。だって今モク太は東雲さんに預けてるし……「ひかりのかべ」……?

 だとしたら何かに激突してるはず。何なんだ……?

 隣を見ると、ヨウタは何か指示を出そうとしているような、そうでもないような微妙な格好で固まっている。ミミ子も、ぐんと体を伸ばした姿勢のまま……何をどうするべきか、考えあぐねているようだった。

 

 やがて数秒ほど見つめ合っていると――べろん、と。バンギラスがオレの顔を舐めあげた。

 

 

「ぶわっ!!?」

「は!?」

 

 

 みんなして、困惑に見舞われる。

 何だコレ!? どういうわけだ!?

 リュオン腰を抜かしかけてるし、ミミ子はダメージを受けたわけでもないのに首が折れかけてる。そうこうしているうちに、バンギラスは何やらウッキウキした様子で広場を走り始めた。

 何だろう……何と表現すればいいだろう。ばーちゃんちのお隣さんの駄犬が脱走してウチの目の前を全力疾走してる時、ちょうどあんな感じだった気がする。その犬の数倍はあるあの体格なのだから、広場の地面はもうエラいことになってるし振動もスゴい。

 

 唖然とその様子を見ていると、ヨウタのバッグからロトムがスッと浮いて出てきた。

 

 

「ろ、ロトム、これ……どうなってるのかな……?」

「う、うーん……似てると言えば、進化の石の超早期使用による適応障害が近い……ロト?」

「何だそれ?」

「タマゴから生まれたばっかりだったり……幼い時期に進化の石を使っちゃって、体『だけ』が大人になっちゃったポケモンに見られる症状ロト。歳を取れば、徐々に適応していってギャップは無くなるんだけど……」

「でもバンギラスがそうなるなんて、聞いたこと無いよ」

「……強制進化マシン……」

「?」

 

 

 ……あ、そっか。ヨウタってあの場にいなかったんじゃないか。そりゃ知らなくて当然だな。ビシャスと話したのオレだけだし。

 

 

「レインボーロケット団のヤツら、ポケモンを無理やり進化させる機械作ったらしいんだよ。副作用で凶暴化するって話……だったんだけど」

「捕まえたらああなった?」

「……だな」

「ロトム、似た事件とか、あった?」

「ロケット団残党のいかりのみずうみでの実験の延長になると思うロ。事件自体は流れのトレーナーが解決。赤いギャラドスは別のトレーナーが捕獲。レポートによれば、捕獲することで凶暴性が薄まった、って書いてあるロト」

「ふーん……どういう理屈で?」

「ウツギ博士の論文があるけど、見るロ? ざっと5~6ページくらいにびっしり……」

「「遠慮します」」

 

 

 興味はあるが、今そういうことしてる場合でもねえ。そういうのは本当に必要な時に見るもんだ。

 

 

「三行くらいで頼めるか?」

「ボールが

怪電波を

遮断ロト」

「だいたいわかったよ」

「サンキューロトム」

「いいってこトロト」

 

 

 知らなかったわけじゃないけどこの子めちゃめちゃ融通利くよね。そういうとこ素敵だと思うよロトム。

 ともかく、それならボールに入れさえすれば、正気に戻すことはできるってワケだ。ただ……。

 

 

「なあロトム、それって……もしも『既にボールに入っている』ポケモンに怪電波を浴びせたらどうなるんだろう?」

「前例が無いから分からないロ。こっちの世界でもそこまで研究してる人はいないだろうし……禁止されてるから無理だったト思う。けど、モンスターボールの登録タグと干渉するから、既に捕獲されてるポケモンには効果が無いんじゃないかな……って、推測はできるロト」

「……登録タグ?」

「人のポケモンをとったら泥棒」

「だいたいわかった」

 

 

 つまり、更に他の人から捕獲される……みたいな事例を防ぐためのシステムってところか。

 ……まあ、話半分くらいに考えといた方がいいな。あくまで推測だし、今後もしかすると改良されてどんどんおかしな方向に行く可能性だってあるだろうし。

 

 

「でも、だからあんなに子供みたいなんだ」

 

 

 ぽつりと、バンギラスの様子を見ながらヨウタが呟く。

 というか、実際子供だったんだろう。しばらく経って落ち着いて、ようやく本来の幼児性が顔を出したんだ。多分――ヨーギラスとしての。

 

 

「惨いな」

「うん。クソ食らえだ」

「口が悪いぞ」

「普段はアキラの方が悪いじゃないか」

「ごもっとも」

 

 

 ――あのクソ共、命を弄びやがって。命の大切さを身をもって理解(わか)らせてやろうか。

 ……と考えて、その思いは一旦脇に置いた。口が悪いぞ、オレ。

 

 もっと先に気にするべきはバンギラスのことだ。手を叩いて呼び寄せると、さっきと似たような勢いでドスドス音を立ててバンギラスが突っ込んでくる。

 さっきと違って、害意や敵意が無いことはヨウタも知っているので、止めるようなことはしなかった――――が。おかげでブレーキをかけそびれたバンギラスの頭の角が刺さって傷が開いた。

 

 

「バぁン?」

「アキラーっ!?」

「ふ……ふふふ……お、思ったよりわんぱくなヤツ……」

「言ってる場合じゃないロトー!」

 

 

 ……それから、轟音と悲鳴を聞きつけてきたレジスタンスの小暮さんに包帯を巻きなおしてもらった。

 

 しばらく経って、バンギラスやチュリたちにフーズをあげていると、ふと思い立ったようにヨウタが口を開く。

 

 

「そういえばアキラって、どういう風に記憶が無いの?」

「何だよ、藪から棒に」

「レイジさんと何か話してたのを聞いて、気になって」

「あー……」

 

 

 そうか、あの話か。朝木には口止めもしてなかったし、聞かされたなら多少気になってもしょうがない……か。

 別にこっちも、言う分には問題があるわけじゃねーけど……。

 

 

「言っとくけど、一般知識くらいはあるんだぞ」

「あ、そうなんだ」

「ちゃんとそれを学んだっていう実感も無いけどな。なんか、ネットで大百科でも見てる気分だ」

「それ以外の記憶は?」

「ぼんやりしてる。霞がかってるような、薄暗いような、影がかかってるような……正直、どう説明したらいいか分からない」

 

 

 人間は影絵みたいにおぼろげで、景色なんかは下手な切り絵みたいにざっくばらん。

 誰の顔もはっきりとは見えないし、誰の声も思い出せない。

 だからオレの中に実感の伴う知識というものは、ほとんどない。それが正しいかどうか考えあぐねて二の足を踏むことも多い。というか、多かった。

 

 

「残ってる記憶って、ほとんど全部そんなイメージだ」

「ぜ……全部?」

「いや、『ほとんど』な。子供の頃の記憶はあるよ。じーちゃんち……今のばーちゃんちに行ったり、父さんと母さんがいて」

「それで」

「そのくらい」

「へ?」

「そのくらいだって、明確に覚えてるの。だいたい四歳くらいかな。それから先は……歯抜けが多いし、残っててもさっき言ったみたいになってて」

 

 

 拳法のことは「知識」として根付いていたらしく、少し体を動かして鍛え直せば身についたけど。

 催眠療法や薬なども試したが、特に効果なし。もうお手上げだ……ってなりかけてたところにヨウタが現れて、異世界っていう手がかりが舞い込んだんだから幸運だったのかもな。

 

 

「おかげで妹のことも忘れてる」

「い、妹がいたの?」

「ああ。そのせいで親にもオレのこと分かってもらえなかったしな」

 

 

 思えばアレが決定打だったんだろう。家の中から出てきた妹に「誰?」って言った瞬間、父さんの顔が泣きそうな、怒ってるような、苦しいような表情になった。

 後からばーちゃんに詳しく聞いてみると、オレが武術を始めたのは「妹を守るため」「妹に恥ずかしく思われない人間になるため」……だった、らしい。

 でも、覚えてないならそういう顔されても仕方ないんだよな。

 

 

「…………」

「いや、ヨウタが暗い顔してどうするんだよ」

「だって……」

「だってもへったくれもあるかってーの」

「え? あいたぁ!?」

 

 

 当事者でもないのにやけに暗い顔してるヨウタの額に、軽い軽いデコピンを食らわせる。……力加減はヨシ!

 表面はちょっと痛いだろうが。

 

 

異世界(ウルトラスペース)に出れば、記憶を取り戻す手がかりがあるかもしれない。父さんや母さんだって、説得を続ければ何かの拍子に思い直して、オレのこと気にしてくれるかもしれない。もう全部過ぎたことでしかないんだから、とっとと割り切って前進むしかないだろ」

 

 

 気にしてないって言ったら嘘になるし、取り戻せるなら取り戻したい。

 けど、そればっかりに拘ってこの「先」のことを何も考えないというのは、それこそ愚の骨頂というやつだ。

 考えたくなんてないけど、元に戻れなかった時にどうするか……記憶が戻せず、父さんたちに受け入れてももらえなかった時にどうするか。いずれ、オレよりも先に亡くなるであろうばーちゃんのこともあるし、考えないわけにはいかない。

 

 だから、その上でポジティブに考える。きっと大丈夫だ、と思う。

 ばーちゃんが言ってたんだ。時には割り切って考えることも必要だって。

 あの時は説き伏せられなかった。じゃあ仕方ない、次の手段を考えよう! くらい気持ちを切り替える方がいいだろう。

 オレ、元々の考え方は若干ネガティブ入ってるしな。だから考えるより先に行動、を心掛けてるとも言える。

 

 

「分かったよ」

 

 

 渋々ながら、なんとか納得したようにヨウタは息を吐いた。

 

 

「前を向くのはいいけど、足元確認しないで突っ走るのはやめてほしいところなんだけどね」

「善処します」

 

 

 ――目を逸らしながら、オレはそんな玉虫色の回答を返した。

 こうも言われるってことは結構に心配かけたってことなんだろうけど……。

 

 ……オレ自身の迂闊さを思うと、なかなか「はい」と頷きがたいのが正直なところだった。

 

 

 



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旅のみちづれ


 三人称です。



 

 

 レジスタンスが借りているイベントホールから徒歩で十分ほどの位置に、国領川という河川が流れている。

 その国領川を辿り、車で上流へと向かうこと、更に十分。その程度の時間で、朝木と東雲は山中へと足を踏み入れることになっていた。

 

 四国の山は、近い。

 アキラの祖母の現住地のように、道を隔てて山と海が隣接しているということも少なくない。そうでなくとも、街を走っていたというのに五分で山中に入って遭難しかけたという話が相次ぐほどである。日常生活において言うなら、若干の不便さがあることは否めないだろう。

 しかし、その欠点は裏を返せば「ポケモンの生息地が近い」という利点にもなりうる。

 

 街にも当然ポケモンは存在しうるが、生活圏を守るためにレジスタンスの面々によって追い払われていて周辺には殆ど生息していない。そのため、自然と彼らは山の方に足を運ぶことになってしまっていた。

 

 

「はひぃ、ひぃ、ま、待ってくてよぉ……」

「…………」

 

 

 そして、その中で朝木は東雲との体力の違いを見せつけられていた。

 現役自衛官とフリーターである。その体力には大きな差があって当然だ。東雲は生来の気質もあってそれに文句を言う気は一切無いのだが、一方であまり戻るのが遅くなってはヨウタやアキラに迷惑がかかるとの思いもあり、振り返ったり立ち止まったりというのはそこそこの頻度に抑えていた。

 

 

「ポケモンの姿はありますか?」

「い、いや……ぐえっほ、ごえ……やっべ……現役自衛隊員速すぎだろ……」

「そうまで仰るほどでは」

「俺が遅いのか!? 俺がスロウリィ!?」

「…………」

「……」

「すみません。どういったお話なのでしょう」

「悪かったよ……」

 

 

 朝木は僅かに肩透かし感を覚えていた。これがアキラなら、きっと切れ味鋭く突っ込んでくるだろう。

 近年の自衛隊員は、外出のための手間が大きく、給料も貯まりやすいため、休日に暇を持て余した結果オタク趣味に傾倒する人間が多いという。しかし当然、中には東雲のような真面目一辺倒の人間も存在するのだと、この時朝木は改めて思い知った。

 

 

「東雲君はノリが悪いな」

「……すみません、生来のもので」

「いや分かってるよ。俺もそんな良い方じゃないけど……」

「改善は、試みているのですが」

「あ、そうなの?」

「もっとも、刀祢さんのような方には甚だ不評でして……」

「あの子はそりゃそうなるだろうな……」

 

 

 あれは女項羽(しろいゼラオラ)だ。他人にも自分にも厳しい猛虎だ。硬派を通り越して化石のような価値観をしているとすら、朝木は評している。

 なんだかんだと朝木に対してもそこそこに歩み寄りを見せている彼女だが、軟弱なところを見せれば容赦なく檄が飛ぶ。拳が飛んで来たり電気が飛んで来たり指を折ってきたりしないだけマシ――という納得の仕方は、危うくそれらを経験しかけた朝木特有のものだが――彼にとっては未だ恐怖が薄れない相手でもあった。

 

 

「ゼニゼニ!」

「お、帰ってきた」

「ご苦労だった、ゼニガメ陸士」

「ゼニニッ!」

「クリアか。了解した」

「めっちゃ軍隊ナイズされとる」

 

 

 確かな安全確認(クリアリング)は、このような見通しの悪い場所では必須になる行為だろう。

 が、ポケモンであるゼニガメがそれを完璧に遂行できるほどに訓練する必要はあるのだろうか? それ以前にもっと優先すべき訓練がありはしないか? 朝木は訝しんだ。

 

 

「それにしても、なかなか出てこないもんだな」

 

 

 周囲を見回しながら、朝木はそんなボヤきを漏らす。それを聞いて、東雲はある程度当然のことでしょう――と、頷いて返した。

 

 

「どういうこった?」

「四国の総人口は約四百万人。これは静岡県の人口とほぼ同じですが、それに対して面積はと言うと、四国は静岡の二倍以上あります」

「密度か」

「はい」

 

 

 ポケモンがこの世界にひとつの種として定着しきるのは時間の問題だが、裏を返せば「今はまだ」定着していないということでもある。

 ポケモンたちがこの世界に来て一週間と経っていない今、繁殖や育児を行うにはあまりにも時間が不足しているのだ。現在はまだ、サカキがウルトラホールを通じて呼び込んだポケモン程度しか生息していない。

 

 四国には、たとえ数億のポケモンが来訪しようとも、それを受け入れられるだけの土壌――文字通り――が、ある。広大な土地があり、山や森、川、海……そうした自然に溢れているというのはそういうことだ。大きすぎるキャパシティに対し、ポケモンの数がやや少ないのだ。

 

 

「街の方には結構出てきてるみたいだったけどなぁ」

「そういったポケモンは、他の生物に対して警戒心を持っていない若い個体や……それだけ強力な個体が多いようです」

「熊とか猪みたいな扱いか、今」

「恐らく」

 

 

 であるからこそ、レジスタンスの面々は逐一それを追い返しているのだ。

 ポケモンが一般的なものになり、モンスターボールが普及し、民間人が自衛の手段を手に入れ――何よりも、レインボーロケット団がいなくなりさえすれば、山から降りてきたポケモンにも適切な対処ができる。穏便に山に返すなり、捕まえるなり、だ。

 しかし、過渡期たる現在はそれが許されるような状況では決してない。レジスタンスの対処は、間違いなく状況に即しているものだろう。

 

 惜しむらくは、その人里に降りてきそうなポケモンの方が朝木や東雲にとって、捕獲するのに手頃であるということだ。

 

 

「作戦立てた方がいいかもなあ……東雲君、ポケモンどのくらい知ってる?」

「プラチナまででしょうか」

「んじゃ、山の中だし……ツチニンとか……か?」

「……申し訳ありません、ポケモンの名前を言われてもパッとは出てこなくて……」

「あ、いや、だーなぁ……」

 

 

 ポケモンは、実際にプレイしていたとしても、その全種類を正確に記憶しておくことは難しい。

 東雲の言う「プラチナ」――いわゆる第四世代ポケモンの時点で、既に493種のポケモンが存在しているのだ。対戦や収集といったやり込み要素に手を出すことが無ければ、そうそう全種類を覚えていることは無い。

 そして第七世代に到達した現在は、既に807種類を記録しており、第八世代に到達すれば更に増える見込みでもある。一般的には、最初の151匹を言えるというところが限度だろう。

 

 

「朝木さんは……覚えているのですか?」

「…………いいか、東雲君。就職諦めたフリーターってな……死ぬほど暇なんだよ」

 

 

 求職者ですらなかった男は、そう告げた。

 あまりに悲しく、そして哀れな言葉だった。

 

 

「話を戻しましょう」

「うん……」

「作戦を立てる必要があります」

「そうだな。罠でもかけるん?」

「ゼニ、ゼニガー」

「あまり推奨できないようです。やはり、ポケモンの側も強引にというのは抵抗があるものかと」

「ほーん。で……あの、また地道に?」

「ええ。探しに行きましょう」

 

 

 ですよね。そう呟きながら、朝木は遠い目をした。

 既に彼の足は生まれたての子鹿の如く震え切っている。もっとも、彼には子鹿のような愛嬌は無く、ただ見苦しいだけではあるが。

 

 

「少し周囲の見回りをしてきます。朝木さんはこちらで待機を」

「お、おう!」

 

 

 それを察して放たれた東雲の一言で、朝木は露骨に元気になった。

 軽く苦笑しながら、ゼニガメを連れて森の中へと一歩踏み出す――と、その瞬間のことだった。

 

 ――ぼとり、と。木の上から落下してくるものがある。

 青緑の松かさに似た外殻を持ったポケモン。その名は――――。

 

 

「く、く、クヌギダマだぁぁぁぁあ――――!!」

「知っているのですか、朝木さん?」

「早く離れろ東雲君! 『じばく』するぞォ!!」

「!?」

「ゼニッ……!?」

 

 

 クヌギダマ。その最大の特徴は、かの「はかいこうせん」、「ギガインパクト」を超える破壊力を持つ「じばく」を、レベル6という超早期に習得することである。

 更に、その特性は「がんじょう」。あらゆる攻撃を受けても必ず一度は耐えきれるという極めて優秀な耐久能力の持ち主でもあった。

 彼らに出会うということはつまり、ほとんどの場合においてほぼ確実に「じばく」、ないしは「だいばくはつ」の猛威に晒されるも同然でもある。

 

 

「身を守れゼニガメ! 朝木さ――」

「問題なァい!!」

「あ、はい」

 

 

 朝木は、東雲が指示を出すよりも先に当然のように地面に伏せていた。

 あまりに迅速すぎる行動に思わず素に戻る東雲だが、事は急を要する。彼自身もまたその場に伏せ、衝撃を待った。

 

 

 ――――しかし、衝撃はいつまで経っても訪れることが無かった。

 一分か二分か経った頃、東雲は顔を上げて周囲を見回した。そうして彼が見たのは、クヌギダマが「じばく」している姿ではなく――せっせと「どくびし」を撒いている姿である。

 そしてまるで「この先に進むのは許されない」とでも言うように、クヌギダマは二人と一匹(さんにん)の前に立ちふさがっていた。

 

 

「……?」

「どういう……ことだ……?」

 

 

 これに困惑したのは「じばく」を警戒した二人だ。ビリリダマやマルマインのように、遭遇即自爆というような気質ではないまでも、クヌギダマも「じばく」「だいばくはつ」の使い手である印象が強い。「まきびし」や「どくびし」、「ステルスロック」を扱う設置技の名手でもあるのだが、野生の個体にそこまでの戦術を組むことは通常、不可能だ。

 二人はその姿に、違和感を覚えずにいられなかった。

 

 

「……ど、どうする? 逃げっか?」

「いえ……」

 

 

 朝木の言葉に首を振り、東雲は考察する。クヌギダマの行動の真意。この場面で出てきたことの意味。そして、何よりクヌギダマのようなポケモンたちから見た、東雲ら人間のことを考えると……。

 

 

(俺たちは、住処を荒らす外敵か)

 

 

 現状では推測でしかないにせよ、その考えは正鵠を射ていると言えるだろう。

 加えて言うなら、彼らは突然この世界に呼び出された直後だ。元の住処に戻れず不安に思っているとしても致し方ない。そこに突然やってくる人間――となれば、警戒しない方がおかしい。

 クヌギダマが「じばく」を使わないのは、ここで並外れた大きな音を立てて仲間を怖がらせないためか、あるいは後に控えるポケモンがいないためだろうと東雲は推測した。

 

 

「……ならば」

 

 

 もう一つ考えて――改めて、東雲は前に出た。

 

 

「お、おい!」

「クヌ……!」

「ゼニ!?」

 

 

 目前にはばらまかれた「どくびし」がある。触れないよう、そしてクヌギダマを刺激しないようにゆっくりと近づいた東雲は、なるべくクヌギダマと目線を合わせるべく片膝をついた。

 とはいえ、東雲自身は身長180cmを超える長身だ。恵まれた体格が邪魔をして、しっかりと目線を合わせることはできない。しかし東雲の心は伝わったか、クヌギダマもまた応じるように「ステルスロック」を応用し、足場を作って彼と目線を合わせた。

 

 

「俺たちは、戦いに来たわけじゃあない。ただ、仲間になってくれるポケモンを探しに来ただけだ」

「ヌ……?」

「ゼニゼニゼニ、ガーメ」

「ヌヌ……」

 

 

 困惑しながらも、なんとか東雲の言葉を噛み砕いて飲み込んでいくクヌギダマ。彼に続くように、ゼニガメもクヌギダマを説得するように鳴き声を発する。

 やがて根負けしたように、クヌギダマはその場に撒かれた「どくびし」を片付けた。

 

 

「ヌッ」

「ゼニッ!」

「……感謝する」

「お、おお……すげ」

「クヌッ!」

「あいっでぇ! 何で俺には攻撃してくんだよ!」

 

 

 言うなればそれは信頼の差である。

 誠心誠意、自分の思いを言葉にして伝えようとした男と、便乗して侵入しようとしている男。後者の方が遥かに心証が悪いというのも、当然のことと言えよう。

 

 

「すみません、朝木さん。しばらくここでお待ちいただけますか?」

「あーうん、いいよいいよ。しゃーねえ」

「ゼーニ」

 

 

 一礼した東雲とゼニガメを見送ると、朝木はその場に腰を下ろした。

 しばらくすると、彼のスマホに着信が入る。ヨウタからのものだ。自分たちと合流したいという彼の言葉を、朝木は一も二も無く受け入れた。

 そうして、ほんの数分ほど。朝木はラー子に乗って最短距離でやってきたヨウタを若干羨ましく感じながら、彼を迎え入れた。

 

 

「やーよく来てくれたよ! マジで! 割と心細かったわこの状況」

「ははは……」

 

 

 あまりに現金な態度に、流石のヨウタも苦笑を禁じ得なかった。

 それにしても、なぜこちらに来たのかと朝木が尋ねると、ヨウタはアキラがダウンしたから――と簡潔に答えた。

 

 

「また?」

「うん、ちょっと傷が開いて」

「あのバンギラス、そんな手ごわかったのか……」

「あ……いや…………あー……いっか、それで」

 

 

 語弊が無いとは言い難いが、ある意味では事実でもある。別段否定する要素も無いので、ヨウタはそれ以上何も言わないことにした。

 別に間違ってはいない。それどころか実際アキラの傷が開いている。ならもうそれでいいんじゃないだろうか。

 

 

「それで、こっちはどうなってるの?」

「あー……んと」

 

 

 かいつまんで現状を語ると、ヨウタは表情を明るくした。

 

 

「それなら、もうほとんど大丈夫だね」

「そうなのか?」

「ポケモンたちが自分の住処に招いたってことはそういうことだよ」

 

 

 少なくとも東雲が信用に足る人間である、とポケモンたちが認識したはずだ。

 ゼニガメの口添えがあったとはいえ、間違いなく幸先のいい出だしと言えるだろう。

 

 

「ヨウタ君は、まだ捕まえてないよな?」

「ううん、僕はさっきここに来る前に」

「早っ」

「まあ、年季が違うからね」

 

 

 得意げな顔をして見せるヨウタを、なんとなし朝木は微笑ましく感じた。

 今日までずっと緊張感に満ちた表情ばかり見ていた少年だ。こういった年相応の表情が見えると、それだけ心理的に余裕があることが分かると言うものだ。

 同時に、今の自分はこんなに純真な表情をできるだろうか……などと考えて、その差に30手前の男は死にたくなった。

 

 

「どうしたのレイジさん!?」

「俺は……今までなんて無駄な時間を……」

「え!? え、いや……ほら、無駄なことなんて何も無いよ。経験したことは、何かでその人の役に立ってくれるものだよ!」

「眩しっ」

「え、ええ……?」

 

 

 薄汚れたアラサーにとって、夢と希望にあふれた少年の言葉は「ノーガード」と「じわれ」を併用するようなものだった。

 

 そうこうしてしばらく経てば、半死半生に成り果てたアラサーも徐々に回復し、それを見計らったかのように東雲が戻ってくる。

 彼が引き連れていたのは、クヌギダマを含め、ワシボンとツタージャの三匹……ちょうど、彼らが求めていた数のポケモンである。これには思わず、朝木も元気を取り戻した。

 

 

「うおっ、すげえ! ワシボンにツタージャじゃないか!」

「ご存じなのですか?」

「そりゃもう、珍しいポケモンだしな」

「え?」

「えっ」

「僕らの世界じゃどっちもそれなりにポピュラーだよ?」

「なん……だと……」

 

 

 朝木の言うことも、決して間違いとは言い切れない。

 事実として、ゲームにおいてツタージャは野生で出現することは無く、ワシボンもごく限られた地域にしか生息していない。

 

 しかしヨウタが言うのは、現実に即した彼らの世界――ゲームではない世界での話だ。

 そこにいわゆる「御三家」と呼ばれる括りは存在しないし、飛行ポケモンの活動領域も相応に広い。ヨウタはイッシュ地方には行ったことが無いが、それでも資料や経験から、ほぼ間違いなくそうであろうということは知っていた。

 

 

「よろしいか」

 

 

 意見のすれ違いを起こして、頭に大量の疑問符を浮かべる二人に割り込むように、東雲が咳ばらいをした。

 

 

「我々のことを話したところ、この三匹(さんにん)が協力してくれることになりました。振り分けを行いたいのですが」

「ん、あー……と、どうしたらいい?」

「フィーリングでいいと思うけど」

 

 

 大切なのは、いかに互いの感性が合致するかだとヨウタは考えている。

 

 例えば、リーグチャンピオンを目指して日々研鑽を重ねるヨウタだが、手持ちポケモンたちも皆その夢に共感し、意志を重ねている。

 平和を取り戻すために奔走するアキラには、その気質と性質に色々な意味で適した仲間が集まった。

 そういう風に、トレーナーとポケモンはある種、なるべくしてパートナーになるのではないか……ヨウタの世界においても理想主義に近い考え方だが、ヨウタ自身はそういう考え方の方が好きだった。

 

 実際に、ゼニガメにしろ、ニューラとズバットにしろ、何かしら相通ずるものがあるからこそ、今のトレーナーである彼らと出会ったのではないか……と、ヨウタは結論づけていた。

 

 

「どうかな、みんなはどうしたい?」

 

 

 ヨウタの言葉に応じるように、まずワシボンが東雲の肩に止まった。

 続いてクヌギダマが、それに続くようにして東雲の足元に転がっていく。残るはツタージャ一匹だけだ。

 二匹を見てしばらく考えると、ツタージャは仕方なさげにニヒルな笑みを浮かべ――ヨウタの足にぽん、と触れた。

 

 

「何でだよッ!!?」

「は、ははは……ツタージャ……? あの、僕の方は今いる仲間たちで手一杯だし、この人に協力してほしいんだけど……」

「タージャ……」

 

 

 ツタージャは、「やれやれ仕方ないなぁ」とでも言いたげに軽く首を振ると、やや横柄な態度で朝木の足元に腰を下ろした。

 

 

「コイツ……!」

「…………」

 

 

 主人の頼りなさに憤り、反逆の翼を翻すズバット。

 文字通り人の尻を叩いて動かそうとするニューラ。

 そしてここにきて、この横柄なツタージャだ。ある種の一貫性を感じながら、ヨウタは苦笑した。

 

 

「では、そろそろ移動しましょう。訓練もしなくては」

「だーな。ところでヨウタ君、車で移動しないか?」

「ううん、僕はラー子に乗せてもらって移動するよ」

「……一緒に歩こうぜ?」

「遠慮します」

 

 

 なお、仮にヨウタが首を縦に振ったとしても、ダウンするのは朝木一人である。

 そうして仕方なさげに腰を上げた、その瞬間のことだった。

 

 

「大変ロト!」

 

 

 盛大に警告音(アラーム)を響かせながら、ロトムがヨウタのカバンの中から飛び出した。

 その音は、ヨウタにとってはここ数日の中ではいっそ不自然なまでに聞かなかった――しかし、聞きたくもなかったものだ。

 

 

「何ぞ?」

「アサリナ君、これは?」

「……ウルトラホールが……開いた?」

 

 

 初日、サカキが「こちら」にポケモンを送り込んできて以来聞かなかった音が、ついに発せられた。その事実に東雲は目を見開き、朝木は白目を剥いた。

 即座にマップを用意するロトムへ、ヨウタは叫ぶように問いかける。

 

 

「場所は!?」

「ここロト! 北に約4キロ!」

 

 

 ロトムによって示された地点は、ヨウタもよく知る……それこそ、自分がつい先ほどまでいたような地点だった。

 

 

「――――イベントホール横の広場! アキラのいる場所ロト!」

 

 

 



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広場に響くなきごえ

 

 

 結局、オレは今回留守番になった。

 動けないことはないとはいえ、あんなちょっとしたことで開く傷だ。ポケモンを探して野山を駆け巡る、なんてしてたら余計に悪化することだろう。

 バンギラスの様子を見ておく必要もあるし、しばらくこの近くで安静にしておいてほしい……ともヨウタに言われたので、今はその言葉に甘えることにした。

 オレも大概体は頑丈な方だが、それでもロボットってワケじゃない。痛けりゃ動きは鈍るし、怪我すりゃ動かせない部分は出てくる。このまま行けば、邪魔になることも明白だった。

 

 そんなこんなでヨウタを見送って少し。広場の端のベンチで、オレは手持ち(みんな)が遊んでる姿を眺めていた。

 なんだかんだ、バンギラス(ギル)も子供だってことがみんな分かったからだろうか。ギルの周りに集まってわいわいやってる様子は微笑ましいものがある。

 こうして見て比較すると、その大きさは歴然だ。チュリとチャムとリュオンが縦に並んでも全く及ばないほどに大きい。ギルは自分の身体の大きさに戸惑ってる……というか、やや自覚に欠ける部分があるのだが、こうやって自分の目から比較することで、その辺を自覚させるのにも一役買ってるようだ。

 

 

(それに……)

 

 

 こうして直接他のポケモンたちと接することで、大なり小なり力の加減を知ることができるんじゃないか、って思いもある。

 この戦いはもう「ポケモンバトル」って枠組みから大きく外れてる。そんな中で他のポケモンと協力できないっていうのは問題だろう。

 オレとギル、一人と一匹(ふたり)だけで敵陣中央に突っ込んで暴れるだけ暴れて離脱する……って戦法もあるけど、通じるのはせいぜい下っ端までだ。幹部クラスには通用しない。

 

 ……いや、全体の人数比を考えればそれでも充分役に立てるとは思うんだけど、やっぱり幹部相手に通用しないとするじゃ取れる手段は大きく違ってくるし、ヨウタへの負担も変わる。

 個々の強さだけじゃなく、連携も磨く必要がある。ビシャスとの戦いを通じて、そう強く感じるようになったのは確かだ。

 

 

 さて。

 

 そろそろ考えと視界からあえて外してたものについて考えていきたいと思う。

 視線の先では、ギルがチュリとチャムとリュオンと一緒に追いかけっこなどをして遊んでいるが、そこには更に三匹……マグマラシとモンメンとシズクモ……という、オレの知らないポケモンたちも遊びの中に加わっていた。

 

 そして、オレの隣にはアブソル――あぶさんと、そのトレーナーである小暮さんもいる。

 その手元には、何の本だか良く分からない大判の……小説か、何か。

 さっきからどちらからも話を切り出せず、なんとも言いようのない雰囲気が漂っている。

 

 ぺらりと、紙をめくる音さえ聞こえてきた。それだけお互い無言だってことなんだけど……。

 ヨウタがポケモンを探しに行った直後に、この人こうしてここに座ってるんだが、何なんだろう。何が目的なんだろう……。

 ……多分、あの三匹は小暮さんの手持ちポケモンのはずではあるんだけど。

 

 

「……あの」

「え、はい」

 

 

 と、そんなことを考えていた折、唐突に小暮さんがこちらに声をかけてきた。

 数分間お互いに無言を貫いて、ようやく発せられたひとことだ。思わず背筋が伸びる。

 

 

「……ええ、と」

「はい?」

 

 

 身構えて次の言葉を待っていると、小暮さんはどんどん丸まって小さくなっていく。

 ……いや、何でこの人の方から話しかけといてそれなんだよ。

 

 

「何ですか?」

「……すみません。何とお呼びしたら、いいか……」

「……あー」

 

 

 そういえばオレ、名乗ってもなかったっけ。ヨウタのことも「中学生くらいの子」って言ってたし、伝わってないのかも。

 

 

「刀祢アキラです。呼び方は、何でも」

「では、アキラさん……と」

「はい」

「………………」

「………………」

「…………」

「え、それだけ……?」

「……え。あ、すみません……そうじゃなくて」

 

 

 セーフ!

 ……いや、いくらなんでもそりゃねーだろとは思ったけど、マジで呼び方気にしてた「だけ」ってのはちょっと想定外すぎる。本題があってくれて助かった……!

 あぶさんが目を閉じて首を横に振っている。この人もしかしていつもこうなのか。

 

 

「……アキラさんのポケモンたちは、よく……鍛えられていますね」

「まあ……鍛えないと勝てませんから」

「私たちも……それなりには、鍛えているつもりなのですが。やはり……アキラさんのポケモンたちと比べると、少し足りていない、かもしれません」

 

 

 ポケモンたちの追いかけっこの様子を見て、小暮さんは目を伏せた。

 なるほど、確かに小暮さんの手持ち三匹の方が、心なしチュリたちに追いつけてないように見える。

 種としての特徴……いわゆる種族値の問題もあるんだろうけど、そこを言うと本来同レベルならワカシャモ(チャム)の方がマグマラシよりも遅くなる。

 というか、うちの面子だと誰一人追いつけないんじゃないか? 進化したら話は別だけど。

 

 とはいえ、そこのところは鍛え方や各自の方針もある。こうだから良い、とか、こうだからダメ、とか、そういう単純な話ではない。

 強さは一種類だけじゃない。個としての強さ、群としての強さ、頭脳、技能、精神、積み上げてきたあらゆるものが本質的に「強さ」に繋がるものだ。今、この時点で「ちょっと足が遅い」だとか、そういうのは些細なことだろう。

 

 

「どういう風に鍛えたのか……教えていただければ、と思ったのですが……」

「どういう……って言われても、参考になるか分からないですよ」

「……問題ありません」

「はあ。って言っても、一番は実戦の中で強くなったっていうのがあるんですけど」

 

 

 連戦に次ぐ連戦だったからな。戦えるのもオレとヨウタ、時々東雲さんみたいな感じだったから必然的に戦闘経験がモリモリ増えていくわけだし……。

 それとはまた別に、ということならないわけじゃないけど。

 

 

「あとは……体術を、とにかく教えてます。ポケモンって元々野生の生き物だから、人間より遥かに強くってもほとんど本能だけで戦ってるんです。それを補う……っていうかたち、ですかね」

「なるほど……ですが、人型でないポケモンなどは、どうされてるのですか……?」

「そのポケモンに合わせて、適切なやり方を一緒に考えます。体術……ってひとくちに言っても、拳法だけじゃないですし」

 

 

 別に一つのやり方にこだわる必要は無い。重要なのは、いかに相手に合った指導をするか、だ。

 人型には人型なりの、そうではないならそうではないなりの身体の動かし方の最適解というものがある。それを総合して人は「体術」と称しているのだ。蜘蛛のような外見のチュリだって、それは例外じゃあない。

 チュリは見た目ひどく小さいが、それは裏を返せば狙いを定めづらく、かつ身軽であるという利点になりうる。それを念頭に置いて考えると、有効そうな体の動かし方というのは色々と思い浮かぶ。

 

 あと重要なのは、チュリ自身との意見のすり合わせだ。どんなやり方が一番本人と合っているかを話し合わないと、それが適してるかそうじゃないかすら見極めきれないってこともありうるし。

 

 

「それと……ヨウタのポケモンたちと一緒に訓練して、上から引き上げてもらうっていうか……手伝ってもらったからっていうのも、あると思います」

「強いポケモンたちも、指導者になってくれたということ……ですね……」

「だから、その辺が参考になるかはちょっと分からないので……」

「……いえ……前半部分は、大いに参考になりました。ありがとうございます……」

「だったら、いいんですけど」

 

 

 オレとしても、言ったことがあまり役に立たなかった……となると、流石にちょっと落ち込むから、安心した。

 

 

「こっちからも、少し質問していいですか?」

「答えられることであれば……」

「じゃああのマグマラシなんですけど」

「……まぐさんですね……」

「……えと。……モンメンとシズクモは」

「もんさんと……しずさんですね……」

 

 

 もうツッコまんぞ。

 

 

「進化してるってことは、結構戦闘経験があるんだと思うんですけど、小暮さんも戦いに出てたんですか?」

「いえ……その、私は、あまり……。申し訳ないんですが、後ろの方で見てただけで……」

「そうなんですか?」

「……まぐさんも、一、二回戦っただけで進化しましたから……」

 

 

 確かに小暮さん、物静かで活発そうじゃないし……あんまり戦いに出そうな感じでも無いな。

 攻め込まれた時に守備に回って、なんとか切り抜けたって感じなんだろう。元々、ヒノアラシだった時点でそれなりにレベルが高くて……ってところか。

 

 

「ここに来る前は、どこで戦ってたんですか?」

「……香川の……三豊(みとよ)市です」

 

 

 三豊……って言うと、市の入り口に某有名俳優の看板が出迎えてくるあそこか。思いのほか遠いな。県をまたいでるし……。

 でも、香川から来たってことはあっちの情勢も知ってる可能性はあるか。

 

 

「あっちにいたレインボーロケット団の幹部……いや、ボス? なのかな。って、誰なんですか?」

「フラダリ……という人だと聞いています。すみません、私は……詳しくなくて」

「いえ、大丈夫です」

 

 

 ……よりにもよってフラダリかよ! 香川は地獄か! 何が「大丈夫です」だよオレのバーカ!! 全然大丈夫じゃないです!!

 あの選民思想のクソコラ野郎を好きにさせたら絶対香川で虐殺するじゃねえか! 激減どころか半減してもおかしくねえ!

 ゼルネアスとイベルタルの両方を手に入れてるとか、どっかのヒーロー映画の青いゴリラくらいタチ悪いぞアイツ……。

 

 鳴門海峡に行く方法としては、ここからだと……剣山を抜けて直接徳島に行くか、香川経由で大回りして徳島へ行くか、だ。

 剣山は今はヤツらの本拠地になってる。流石にこれを抜けていくのは難しい。というかいっそ不可能とまで言える。意気揚々とサカキかゲーチスが仕掛けてくるだろう。

 ということで、消去法で香川から回っていく方を選んでるんだが……フラダリかぁ……。

 

 どっちにしろ地獄か、くそったれ。覚悟はしてたけどさぁ……。

 

 

「大丈夫ですか……?」

「大丈夫……いや大丈夫じゃない……ちょっと辛いというか……」

「す……すみません、余計なことを申し上げて……」

「いえ、小暮さん悪くないです。こっちが勝手に現実に打ちのめされかけてるだけで……」

 

 

 だってフラダリだぞ。ポケモン世界でも一、二を争うレベルのサイコパスで思想犯だ。オマケにレインボーロケット団にいるってことは、元の世界で既に最終兵器を起動した後……ヤツの思想に沿わない人間とポケモンを皆殺しにした後だってこと。そうなったらもう、あいつブレーキ無いじゃん。最悪の場合殺すしかないやつじゃん。

 

 徐々に思考が物騒になっていくのが分かる。仮にフラダリをこの世界から追い出したとしても、あいつその追い出した先で虐殺しそうだしな……どうしよう……ホント……。

 そう考え始めた時、不意に聞き慣れない音が耳に届いた。

 

 とぷん、と、どことなく、湿り気のある音だ。それは、ありえないことに空から聞こえてきた。

 それに反応して上を向く――すると、そこには巨大な「穴」が開いていた。

 

 ――――オレは、それを知っている。

 

 ヨウタと出会った日に開いた、時空の穴。今日までこの世界に次々と災厄を呼び寄せている……次元の扉。

 すなわち、ウルトラホールだ。

 

 

「みんな!」

「ヂュイイッ!」

「シャモッ! シャモッ!」

 

 

 こちらから呼びかけると、瞬時にチュリとチャムが周りにいるポケモンたちへ声をかける。 

 流石相棒、当のウルトラホールから出てきたミュウツー(ヤツ)に痛い目に遭わされた者同士、アレの危険性はよく分かってるようだ。

 あぶさん……つまり、「災厄」を未然に予見するアブソルもまた、「災厄」の気配を敏感に感じ取ったようだった。

 

 オレも急いで立ち上がり、モンスターボールを用意してみんなを戻し、戦闘のための準備を始める。と、その前に――――!

 

 

「小暮さん! すぐここから離れて!」

「え……? あの、どういう……?」

「説明してる暇が無いんです! いいから! チュリ、チャム、リュオン、戻れ! ギル、戦闘準備! そっちの三匹も急いで戻して!」

「は……はい」

 

 

 レーザー光を照射し、ギル以外の全員を一旦ボールに戻す。ギルは状況がいまいち理解しきれずやや混乱しているようだが、チュリに発破をかけられてある程度は気持ちを切り替えているようだ。

 ただ、小暮さんがいまいち状況を理解しきれてない。ボールに三匹を戻そうとしてはいるが……一方のあぶさんはやる気のようだ。

 

 ……どうする!?

 そう考えた瞬間、ぞわりと皮膚が粟立つ。

 

 何か(・・)()られている。

 ソレが「何」かを判別する前に、全身の細胞が活性化する。生体電流が増幅し、紫に色づいた稲妻が全身から漏れ出す。

 

 

「ッ!!」

 

 

 隣にいる小暮さんとあぶさんの腰に手を回し、一息でその場から離脱する。

 ――次の瞬間、オレたちの座っていたベンチは、その周囲の地面ごと(・・・・)「そいつ」に抉り、食われ――飲み込まれた。

 

 あまりにも唐突に起きた現象に、小暮さんが目を剥いている。あぶさんもまた、想定をはるかに超える「災厄」に体毛が逆立ち、威嚇の声が漏れ出している。

 前方にいたギルは、あまりの事態に口をあんぐりと開いていた。いや、ギルが驚きに口を開き切っているのは、何かがウルトラホールから現れたからと言うよりも……「そいつ」のあまりの異質さ、異様さ故のものだろう。

 

 

「……最ッ……悪だ……」

 

 

 通常のバンギラスの倍はあるだろうギルすらも、小柄に見えてしまうほどの巨躯。スズメバチの警戒色を思わせる、黒と黄の強烈な色彩。胴部に開いたブラックホールの如き大穴……いや、ヤツの()は、今この場で食らった石畳とベンチをバキボキと噛み砕いている。

 ぐりん、と。饅頭の上に重なるかのように配されたもう一つの小さな頭がこちらを向いた。青い光の漏れ出している瞳が、正確にオレを射抜く。

 

 UB-05 GLUTTONY(グラトニー)――――正式名称、アクジキング。

 

 

「ドカグイイイイイイイ!!」

 

 

 ウルトラビーストの中でも最悪の部類に数えられるそいつは、オレたちの方を向き直ると――甲高いような、それでいて地の底から響くような、異質な不協和音(なきごえ)を放った。

 

 

 





 ※ 2020/06/07 一部修正。


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砕きのみこむ悪食竜

 

 

 ウルトラビーストとは、ウルトラホールを通ってやってきた異世界のポケモンの総称である。

 ……そういう意味で言うと、この世界にやってきたポケモンは全て広義の「ウルトラビースト」にあたるのだが、そこは一旦置いておく。

 

 一般に「ウルトラビースト」として認知されているポケモンは16種類。その中でも随一の危険性を持つのが、あのアクジキングだ。

 進行方向に存在するもの全てを有機物無機物問わず食いつくし、それでいて排泄物を出さず、自然に対して一切寄与しないという特異な生態を持つ。

 

 勝てるかどうか……いや、それ以前に――――。

 

 

(戦えるか、どうか……)

 

 

 現状、オレと小暮さんの手持ち全員を見てもヤツとまともに戦いになりそうなのは……アクジキングを挟んで向かい側にいるギルくらいしかいない。

 それに、ゲームではウルトラビーストの中でも最弱だなんて貶されてたが……ここは現実だ。最弱だなんて、とんでもない。今の一撃を見て分かった。こいつは……ウルトラビーストの中でも、最悪の存在だ。

 

 

「グバアアアアアアッ!!」

 

 

 ヤツの口が開き、奥から黒い触腕が高速で伸びてくる。その楕円形の先端部ががばりと開き、剥き出しになった鋭い牙が、つい一瞬前までオレが立っていた場所を貫き、粉砕した。

 

 

「クゥ……!」

「っ……」

「動かないでふたりとも!」

 

 

 ――――速い!

 

 こいつ……あの場から一歩も動いていないくらいには鈍重であっても、一つ一つの挙動がとんでもなく素早い!

 まともな人間なら、なすすべもなくあの触腕に捕まれて食われてしまうだろう。

 

 

「ギル!」

「グオオオオオオオオオオァッ!!」

 

 

 慣性に従って地面を滑り、靴が摩擦で高熱と煙を発する中でギルの名を呼ぶ。

 状況が状況だ。すぐにその意図を察したギルが咆哮し、その巨体に似合わない速度でアクジキングへと飛び掛かった。

 激突の衝撃で周囲の砂礫が舞い上がる。顔面を叩き潰すような形で押し倒したこの状況からなら……!

 

 

「『ストーンエッジ』!」

「ガアアアアァッ!!」

 

 

 ギルの掲げた腕の先、宙に放たれた生体エネルギーが固形化して鋭い岩を形作る。突き立てるように、振り下ろすようにして放たれたその一撃は――――。

 

 

「ドグガガガガガガッ!!」

「何ッ!?」

「!?」

 

 

 ――強引に体を回して反転し、宙に向けたアクジキングの胴の口へと向かった。

 バキ、ゴリという鈍い音と共に巨岩が噛み砕かれ、飲まれてヤツの体内へと消えていく。

 

 

「マジかよ……!?」

 

 

 こいつ、文字通りストーンエッジを「食い」止めやがった……!

 いや、それ以前に、今のタイミング、今の威力の技であんな超反応を見せるってことは……。

 

 

(へ……下手に手を出せば……ポケモンも食い殺される……!!)

 

 

 オレの手持ちポケモンは、そのほとんどが肉弾戦向きだ。

 ワカシャモ(チャム)はそれなりの威力が出せるものの、最大の技は「ひのこ」止まり。リオル(リュオン)は進化するまで体外に放出する類の波動を使えず、バンギラス(ギル)なんかは言うに及ばず。特殊技を得意とするはずのバチュル(チュリ)も、未だ「エレキネット」以外はその直接攻撃が大半。

 はっきり言って、相性は最悪だ。

 

 

「クゥ!」

「!」

 

 

 打開策が見えない中、あぶさんがオレの脇腹を叩く。

 何かが来る――そう言いたいようだ。それに応じて脚に力を込める。

 

 

「グイイイイイイイィィィィ」

「ギラアッ!?」

 

 

 と、その瞬間、アクジキングが全身の筋肉を隆起させ、口内の黒い触腕を最大限に利用してギルを吹き飛ばす。

 そして、そのままの勢いで旋回。あの巨体を支えられるとはあまり思えない脚部――ではなく、発達した口内の触腕を地面に突き立てたアクジキングは、スリングショットのような要領で、その身を思い切り前に向かって弾き飛ばした!

 

 

「ッ!!」

 

 

 全力で地を蹴り、アクジキングの進行方向と垂直方向へと飛び出す。

 ――直後、アクジキングは進行方向に存在する「全て」を破砕し、その大口に収め、食らいつくした。

 

 高架の柱が粉砕され、その先の建築物やガードレールがアクジキングの口の形に削り取られる。放置車などはまるごと消えうせてすらいた。

 ……巻き込まれてたら、確実に死んでいた。改めて背筋が凍るような話だ。ウルトラビーストの脅威はある程度ゲームを通して知ってるつもりだったが、オレの知識なんて本当に「つもり」だけだ。

 

 

「ありがと、あぶさん!」

「ルル……」

 

 

 同時に、こいつをこの広場から逃がしちゃいけないという気持ちもまた強くなる。

 レインボーロケット団に支配された区域であろうとも、基本的に一般市民は自分の家にいる。そんな場所にこいつが突っ込んで行ったら、大惨事は避けられない。

 そもそもを言うなら、まずあのイベントホールに近づけることもマズい。レジスタンスの人たちのポケモンのレベルは、いいとこオレたちと同じかそれ以下。オレはギルがいるからいいが、そうじゃない人たちがこのアクジキングに抗う手段は……無い。

 

 オレはギルの背後、トレーナーとしての定位置に戻ってふたりをその場に降ろした。

 

 

「あの……アキラさん……?」

「逃げてください小暮さん、早く! 巻き込まない自信が無い!」

「ですが、その怪我……」

「いいから! 急い――ギルッ!!」

「グオオオオオオオオオッ!!」

 

 

 ――再び、高速でアクジキングが突撃を敢行する。大口を開けて飛び出すあの技は、恐らく「かみくだく」の応用だろう。

 あの大口に取り込まれないよう全身を大きく開き、正面から受け止めるような形で両者が激突する。

 

 

「っ……!?」

「チッ……!」

 

 

 その衝撃は尋常なものではない。ギルの後ろにいるというのに、小暮さんはその場に立っていられないほどだ。

 

 

「あなたがいると本気で戦えないんです! いいから退いて!!」

「……分かりました。ごめんなさい……!」

 

 

 はっきりとそう告げれば流石に理解してくれたのか、小暮さんは申し訳なさそうにしながらもあぶさんの背に乗ってイベントホールの方へと駆けて行った。

 アクジキングが小暮さんを追うような気配は無い。その二対の目は、しっかりとギルを……いや、オレを見つめている。

 思えばさっきの数度の攻撃は、いずれもオレを狙ったものだった。それはつまり、

 

 

(「Fall」か)

 

 

 ウルトラビーストは、「Fall」に引き寄せられる。

 確かアクジキングの犠牲になったのも、「Fall」の少女とかだったか。一瞬の隙を突かれて食い殺されたという話だったが、なるほど。これだけ執拗かつ苛烈な攻撃に晒されたとなると、ほんの一瞬の気の緩みが惨劇を生むというのも納得できる。

 

 ……ただ、こうしてギルが暴れられるようになったとは言っても、正直言って今のオレたちに勝ち目は無い。

 ヤツをここで食い止めることくらいはできるかもしれないが、そこから先……アクジキングを倒すには、決定打が無い。

 ここで「じしん」を使えば、攻撃の範囲が広すぎてイベントホールが被害を受けかねない。「ばかぢから」や「げきりん」はまだ覚えてないし、「ストーンエッジ」は見ての通り。「あくのはどう」のような特殊技は……悪い意味で、どれだけ威力が出るかが分からない。使ったの、見たこと無いし。

 

 けど……たしか、特殊型バンギラス、みたいな運用法があったはず。やれないことはない……か……?

 くそっ、ぶっつけ本番なんて主義じゃないんだが……!

 

 

「ギル、『あくのはどう』!」

「グルァ……!!」

 

 

 指示を発すると共に、ギルとアクジキングとの間の空間に、黒い球状のエネルギーが浮かび上がる。

 押し合いの中、僅かに形勢がギルの側に傾いたその一瞬、タイミングを合わせて合図を送ると、凝縮したエネルギーが解放され、黒い閃光がアクジキングを貫いた。

 

 

「どうだ……!?」

「ガグィィィィィイイイイイイイイ」

「グルッ!?」

「効いてねえ……!?」

 

 

 いや、効いてはいる!

 ヤツの口内の触腕、その一部が傷ついて体液が流れ出してる。けど……。

 

 

(動きは全然変わってない……!)

 

 

 痛みなんてものは無い、と言わんばかりにアクジキングの動きは止まらない。どうなってるんだ、こいつ。本当に生物か!?

 いや、生物の中には痛覚を持たないものもいるが、だとしてもコイツのこれは……。

 

 

「グイイイイイイイイイイイ」

「っ!」

 

 

 考えを巡らせていたところでアクジキングの異変に気付く。再び取っ組み合いに応じるべくして前に出るギルだが、さっきまで押し合いを演じていたはずの触腕が無い。

 胴側部にある腕とはまた異なり、自由自在に動いて本来の「腕」の役割を果たすはずのそれは、今は何故だか後ろ(・・)に延ばされていて――――。

 

 

「まずい、戻れっ!」

 

 

 その挙動に嫌な予感を覚えたオレは、即座にギルをボールに戻した。

 と、次の瞬間、ボ、という大気を貫き粉砕する音と共に、音の速度を遥かに超えた一撃が、一瞬前までギルがいた空間に突き刺さった。

 その進路上、建物の壁面もまた、撃ち放たれた空気の塊によって轟音を上げて崩れ落ちる。

 

 さっきの――自身の肉体そのものを砲弾としてぶっ放す「かみくだく」とは逆の、自身の身体を発射台代わりにして、触腕を前方へ叩きつける――「アームハンマー」。

 常識外れの威力に、流石に背筋が凍りつく。いわ・あくタイプのギルがこれを受けたら、果たして無事でいられるものか……良くてひんし、当たり所が悪ければ、あの口に早変わりする触腕に貫かれて即死。また体術の「た」の字すら教えていないギルでは、躱すことも難しいだろう。

 

 

「ドガアアアアアアアアア」

「チィッ!」

 

 

 だが、ギルがいないとなると、そのまま攻撃は素通しだ。さっき以上に攻撃は苛烈になるに決まってる。

 しかし……ああ、くそっ! 他のみんなは元より、ギルだってもう迂闊に出せない!

 

 ――――だったら!!

 

 触腕が左右から挟み込むようにして同時に迫ってくる。普通なら、一旦下がって様子を見て、確実にポケモンを出して反撃するべきだが……オレが普通なわけがあるか!

 だったら前に出ろ! あの触腕は直接アクジキングに繋がる「道」だ!

 集中しろ。全力で気を練れ。普通のトレーナーの常道ではポケモンたちを活かす術は無いかもしれない。だが、オレがまっとうなトレーナーか? 違うだろ! だったら邪道でも何でも、勝つための道を選び取れ!

 

 

「っ、あぁッ!」

 

 

 アクジキングが動揺することは無い。動きも鈍らない。

 だとしても、この場でなら試せることがある。アニメの設定では、アクジキングの弱点は上部の小さな頭だと言う。

 思考中枢、つまり脳がそこにあるのなら、ある程度それも頷けるが……試してみる価値はあるか。

 

 

「ィィィィイイイイイイ」

「ああ、もう! 耳障りなんだよッ!」

 

 

 再びオレを狙って振るわれた触腕を、躱し、足場代わりにしてヤツの本体へ向かって駆け抜ける。一歩一歩ヤツの触腕を踏むごとに、体内に留めきれず放出される膨大な電気が、僅かにアクジキングの部位を硬直させる。小さな方の頭部までは、あと二、三歩。

 よし、これなら……!

 

 

「リュオン、チュリ!」

「ヂッ!」

「リオッ!」

「『エレキネット』! 『かみなりパンチ』! これでぇぇ――――ッ!!」

 

 

 一人と二匹(さんにん)の放つ最大の電流が、アクジキングの頭部を貫く。莫大な電力に由来する光量に一瞬目が眩みかけるが、構わず最大の出力を放出し続けた。

 一瞬か、あるいは数秒ほどか……全力全開、放てるだけの電気を放出しつくしたチュリとリュオンを急いでボールに戻し、オレ自身もアクジキングを蹴って背中側へと飛び出す。

 

 たとえ未だ経験が足りずとも、でんきタイプのポケモンでなくとも、たかが人間の生体電流を増幅しただけのものであろうとも――電気は電気だ。その性質は変わらない。

 アクジキングの脳機能が一瞬だけダウンし、肉体に灯っていた水色の光が消えうせる。次の瞬間にはもう復活しているだろうと確信できるが、それでも一瞬の隙は生じた。

 チャンスは、この一瞬だけ。

 

 

「ギルッ!!」

 

 

 投げ放ったギルのボールは、アクジキングの直上で開いた。

 ヤツの体高は5メートル超。対して横幅はその倍近くある異様なものだが――それは、通常の倍近い大きさのギルがその身を足場(・・)にするにも充分という意味でもあり―――――。

 

 

「グルルルアアアアアアアアァッ!!」

「やっちまえ! 『じしん』ッ!!」

 

 

 その巨体を押し潰すように、大地をも揺らすほどの威力の一撃が叩き込まれた。

 衝撃がヤツの身体を突き抜け、その下の地面をも穿ち粉砕する。衝撃と自重によって陥没した地面に埋め込まれたアクジキングは、わずかに体を震わせると、力なくその場でだらりと触腕や手足を投げ出した。

 

 

「…………」

「グルルルルルル……」

 

 

 ギルがアクジキングの上から降り、オレの前に出て警戒を向ける。

 あのギルの「じしん」を直接受けたんだ。ダメージが無いわけがない。いや、ダメージってだけなら、ちゃんとさっきの「あくのはどう」で通ってるんだ。それを表に出してないだけ。ちゃんと通じてるはずだ!

 縋るように、祈るように視線を向けていると――――しかし、次の瞬間、アクジキングはその身を震わせながら触腕と本来の腕とを地面に突き立てた。

 

 

「まだやれるのかよ!」

 

 

 嘘だろ……!?

 

 メタモン……ドータクンの時は、まだ分かる。みんなのレベルもそこそこ低かった。それをなんとか手数で補っていた以上、多少効いてなかろうと仕方ないことだとも思えた。

 だが、今は破格の能力を持つギルがいる。相手が伝説級でさえなければ、多少は通用する……そう思っていたのだが。

 

 

「グガガガッガ、ガググググイイイイイイイ」

 

 

 陥没した穴の底からアクジキングが這い出してくる。

 考える――時間はあまり無い。どうするか今決めろ。もう一度、さっきみたいな賭けを演じて一撃叩き込むか? だとして、それができる――許される相手か? 今の一撃で流石に学習したんじゃないか……!? かと言って逃げることなんて今はできない。

 

 

(ここで引いたらダメだ。どれだけ犠牲者が出るか分からない! ビシャスの時と同じだ。あの時だって引けないから戦っ――――――)

 

 

 そこで、オレはようやく思い出した。ビシャスの時と同じだって言うなら、やるべきこと(・・・・・・)もまた同じだ。

 と言っても、それはわずかな勝機に賭けた特攻などではなく。

 

 

「ギル、そいつをそこに押し留めるんだ! 『いわなだれ』!」

「! ガアアアアアアッッ!!」

 

 

 無数の岩がアクジキングにぶち当たる。ダメージはあまり無い……どころか、さっきと同じで埋めた端から食い尽くしていくだけだ。

 だが、それでいい。どうせやったってまともにダメージは通りやしないどころか食われるだけあんだ。

 

 ――だったらいっそ食わせてやれ。

 

 ただし、自発的に食うのではなく、ひたすらあの口の中に流し込んでやる。衝撃と落石の勢いでヤツはまともには前に進めないはず。

 それでいいんだ。それしかない。オレじゃこいつには絶対に勝てない。

 じゃあ勝つ必要なんてない。

 あの時と違って今はヨウタが完全にフリーだ。ロトムもウルトラホールの開閉を検知する機能が備わってるし、そうじゃなくとも時間にさえなればいずれはこっちに戻ってきてくれる。

 時間稼ぎだ。それさえできれば、必ず状況は変わる。

 

 

「チュリ! チャム!」

「ヂュイ!?」

「シャモ!」

 

 

 出てきたはいいものの、ここで!? と言いたげに鳴き声を発するチュリ。確かにそりゃ状況は最悪だけど、目的は倒すことじゃない。

 チャムの方はやる気満々だが、それだってちょっと待ってほしい。

 

 

「『クモのす』か『いとをはく』! あと『エレキネット』! 何でもいい、とにかくあいつの動きを止める!」

「ヂヂッ!」

 

 

 とにかくアイツをここから動かしてはいけない。岩だけじゃなく、蜘蛛糸で動きを止める。

 だが、それでもなおヤツは止まりはしない。生物としての規格が普通のそれと違うんだ。あいつが暴れ、口を動かすごとに勝手に糸は引きちぎれ、岩は粉々に砕けていく。

 

 

「クソッ……!」

 

 

 もうちょっと、強度か火力があれば……!

 いや、無いものねだりしても仕方ない! 電磁発勁の応用で放電してピンポイントにあの小さい方の頭を抜けば、多少はヤツの身体機能をマヒさせることができるはず……!

 

 

「ッ、あ、ぐぅぅ……!」

「ヂュ……!?」

 

 

 ――そう感じて気を練った直後のこと。胸元の傷が血を噴き出した。

 電磁発勁の理屈は、体細胞の活性化。生体電流を増幅させるには、それ相応の負荷が体組織にかかる。接触によって相手の体内に直接電気を流し込むのではなく、いわゆる「でんきショック」のようにして放出しようというのであれば、その負荷は数倍、数十倍程度じゃ済まない。

 内臓の出血もぶりかえしたらしく、喉の奥から鉄の味もせり上がってくる。

 けど。

 

 

「ッ、いっけぇぇぇぇッ!!」

 

 

 全身全霊を込めて練り上げた電気を撃ち放つ。

 その威力は――正直言って、大したことはない。けど、狙いは外さない。

 ヤツの「眼」に直撃した電気はその光量による目くらましの役割を果たし、また、内部へと通電することで一瞬その身の自由を奪う。そして狙いはこの一瞬。

 

 

「ギル、続けて! チュリ、『でんじは』で動きを鈍らせろ!」

「ギラァッ!!」

「ヂヂヂッ!」

 

 

 次々となだれ込む岩、岩、岩。その合間を縫うようにして、チュリがでんじはを放ってアクジキングを「まひ」状態にして動きを鈍らせる。

 ただ……こいつ、元々の素早さがそうでもないからか、動きは鈍っていても大して変化があるわけじゃない。

 それどころか、こっちはこっちで膝が笑い始めている。致命的に血が足りない。病み上がりで無茶しすぎたか……。

 

 

(方向性としては間違ってないはずなんだけど……!)

 

 

 オレたちにまだ充分な能力が備わってないのもあるけど、アクジキングが規格外すぎる。

 思えば、ウルトラビーストも扱いとしては準伝説……アローラの守り神であるカプ神が本気で戦わざるを得ないような能力を持ってるんだ。当たり前だろうと言われればそうだが……。

 ……そうやって歯噛みした、その時だった。

 

 

「もんさん、『わたほうし』。しずさんは『くものす』。アキラさんを援護してください……」

「!?」

 

 

 想定外の声と共に、無数の綿が降り注ぐ。それらを、「くものす」によって蓋をするようにアクジキング諸共その場に縫い留めた。

 

 

「小暮さん……!?」

「……すみません。逃げろと、言われたのですが……」

「い……いいえ……けど……」

「……確かに、私一人では……力不足かもしれません。ですが……」

 

 

 すっ、と小暮さんが手を挙げる。すると次の瞬間、待ちかねていたかのように周囲から幾重にも糸が飛んだ。

 糸、糸、糸――――数十、数百はあろうかというほどの量のそれは、アクジキングの身体と岩とをくっつけ、雁字搦めにしてその場に括りつけた。

 

 

「……人数がいれば……足止めくらいなら、なんとかなるかと、思います」

「………………」

 

 

 見れば、周囲にはアクジキングを取り囲むようにして多くのポケモンとそのトレーナーたちがいた。その先頭に立っているのは……さっき会ったレジスタンスの代表者、宇留賀さんだ。

 彼もまた、糸を出せるポケモンであるメラルバを――――――メラルバ!?

 ……いや、今は置いとこう。ともかく、まだそこまで育っているわけではないだろうメラルバを連れている。

 他のレジスタンスの人も、バタフリーやスピアー、イトマルやケムッソといったむしタイプのポケモンを連れてアクジキングへ糸を吐きかけさせている。

 

 

「バケモノめチクショウ! 子供が命を張って戦っているんだ! なんとかして動きを止めろ!」

「大丈夫だ、多分、動きは止められてるぞ!」

「うるさい黙れ! 下手な慰めは言うな!」

 

 

 次々と現れてはむしタイプのポケモンに粘着性の糸を吐きかけさせ、アクジキングの動きを食い止めていくレジスタンスの人たち。

 すげえ、と思わず驚きが口をついて出た。正直言うと、オレはこれまで数の力というものを軽んじていたフシがある。というのは、レインボーロケット団を相手にする時には、有象無象の下っ端どもを蹴散らして進んでいけてたから……というのがある。

 

 だが、こうして見るとオレの考えはちょっと間違ってたんだと思い知らされる。レインボーロケット団のあれは――単に頭数を揃えただけだ。

 秩序だった戦術的行動というのがどれだけ恐ろしいものなのかが分かったような気分だ。隙を無理やり作ったおかげだとはいえ、あれだけ群がられてるのを見るとちょっと背筋が冷える。オレだって、もしかしたらあのくらいやられてたら抵抗すらできず終わってそうだ……。

 

 

「でも、何で……」

「……怪我されているのに……見捨てることなんてできないと、思いまして……」

「……ありがとうございます」

 

 

 正直、今はそれでものすごく助かった。

 オレ自身は見ての通りの満身創痍だし、ポケモンたちもなかなか攻撃が通用せず、若干の焦りがあった。

 よし。このままここで拘束できていれば……!

 

 

「ゥゥゥゥゥググググググウイイイイイイイイイイイ」

「!!」

 

 

 そこで、糸の山と成り果てていたアクジキングが――地獄の底から響くような声を漏らした。

 そして。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 

 ――――ヤツは、咆哮と共に、天に向かってその体色と同じ黒い閃光を吐き出した。

 あれは、「はかいこうせん」だ。あの大口から放たれたことで、威力と効果範囲が常識外れの域に達している。目を塞がれたせいで狙いをつけることができず、適当に空に向かって放ったおかげでオレたちの被害は無いが……あれだけの威力だ。当然、拘束は解けている。

 

 

「――――――」

 

 

 ……あいつ、今の今まで一度も使ってなかった技をここで繰り出しやがった。

 多分今までは食うことに集中していたから、アレは使わなかったんだろう。けれど、それではどうしようもない外敵と認められたからこそ、「はかいこうせん」を解禁した……というところか。

 あのとてつもない膂力に加えて、あの超威力の光線。ギルでもなければまともに通りもしないほどの耐久力……こいつ、無敵か……!?

 

 

「まぐさん、『ひのこ』」

「マグッ!」

 

 

 と。

 困惑と衝撃で目を見開くオレの横で、小暮さんは至極冷静に、まぐさんに指示を送った。

 次の瞬間、「ひのこ」には到底思えないほどの尋常じゃない勢いで火が燃え広がっていく。

 

 

「……アキラさん、火を」

「あ、は、はい! チャム!」

「シャモッ!? シャモモモッ!」

「もんさん、追加で『わたほうし』を……」

 

 

 オレもまた、チャムを出して「ひのこ」を放ってもらう。と、やはりその威力は絶大だ。空から降る綿にも火は燃え移り、より効率的にアクジキングの全身を燃やしていく。

 そうか――糸と綿か。真綿というのは非常に可燃性の高い物質と聞く。服の袖口に火が触れて、そのまま発火……ということもあると聞く。

 そこに加えて、導火線代わりの多量の糸。今の「はかいこうせん」で千々にほつれたそれによって、更にその火は燃え広がる。

 

 

「もしかして小暮さん、そこまで考えて……」

「……いえ……あの、手立てがないと、戦えませんから……」

 

 

 その場で即座にその「手立て」を考えられるって、それはそれでどうなんだ。逃げろって言って五分も経ってなかった……ぞ。

 ……五分? そうか、もうそろそろそのくらいの時間か。そう思って空を見上げると。

 

 

「あ」

「……それより、これも、効果はありますが……このままでは、また動いて……」

「いえ、心配ないです」

 

 

 アクジキングが燃え盛る炎の中、口を開いてエネルギーを収束する。

 そうして、再び超威力の光線が放たれ――――。

 

 

 ――――黒い光を切り裂いて、空から墜ちる流星があった。

 

 

 



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戦場にあやしいかぜが吹く

 

 

 ――ドラゴンタイプの究極技、「りゅうせいぐん」。

 その本領は単純な威力の高さだとか、撃った後には反動でエネルギーを操る力が弱まるだとかそういうことではなく、この技によって呼び寄せられた隕石全て(・・)が、あの「はかいこうせん」を貫いてなお余りあるほどの威力を秘めているということだ。

 

 空から、10を超える数の「流星」が空を切り裂いて飛来する。ゴム質の柔軟で頑丈な皮膚や、その隕石をも食らおうとして開かれた牙――それらを貫き、圧し折り、叩き伏せて、フライゴン(ラー子)とヨウタがオレたちの前に降り立った。

 

 

「ゴ、ガガガガガ……」

 

 

 アクジキングは、そのまま小さくうめき声を上げて動きを止めた。

 ある程度オレたちで体力を削ってたとはいえ、ここにきて誰もが直感的にヤバいと認めた「はかいこうせん」を上から押し潰して、一発で戦闘不能か……圧巻というか、なんというか。

 そもそも、ヨウタは事前に同じウルトラビーストであるウツロイドを一人で倒してるワケだし……これもできないこととは言い切れないか。

 

 

「今度は間に合ったね」

 

 

 この光景の立役者のうちのひとりであるところのラー子、その背から降りたヨウタは、ごく涼しい顔で――しかし、多少安心したように、そう言った。

 メタモンの時、足止めされて結局オレの救援に来られなかったことをちょっと引きずってたんだろう。

 

 

「最高のタイミングだったな」

「はは……あ、ラー子。そのウルトラビースト、見張ってて」

「フラー」

 

 

 皮肉交じりにひとこと言って手を挙げると、ヨウタは苦笑しつつそこに手を合わせてきた。ぱしん、と小さく音が響いた。

 ――そこで、全身の力が抜けた。

 

 

「……あ」

「あ――だ、大丈夫ですか……?」

「す、すみません、気が抜け……ギル、ストップ! ストップ!」

「ギラァァァ……」

 

 

 お、おお……危ないなんてもんじゃない。あとちょっと指示が遅れてたらそのままオレごと小暮さんも轢き潰してたぞ。

 ギルのやつ……心配してくれるのは嬉しいし可愛げがあるんだが、せめてもうちょっと自分がどんな大きさしてるのかを思い出してくれないかな……。

 

 ともかく、小暮さんに助け起こされたままというのも良くない。礼を言って立ち上がろうとするが……困った。全身激痛でまともに動けそうもない。痛みを抑えてた脳内物質がスーッと引いて……これは……死ぬほど痛い……。

 

 

「またそんな怪我で無茶するからだよ」

「したくてしたワケじゃないっての……」

 

 

 オレだって休む気満々だったんだよ。アクジキングさえ来なけりゃな!

 恨めしさを込め、半目でヤツをにらみつける。ぼうぎょは下がらない。

 

 

「それで、あのウルトラビーストは?」

「アクジキング……って、知らないか?」

「うん。ロトム」

「ロト。ボクたちが出会ったのはウツロイドとソルガレオ……ほしぐもちゃんくらいロト。一応、ハラさんにEXPANSION(マッシブーン)のことは教えてもらってるケド……」

「そっか」

 

 

 ……となると、ハンサムイベントは経験してないってことになるか。時系列から考えると……エーテルパラダイスでルザミーネと戦った後、すぐにカプ神に会いに行ってルザミーネを治療してもらって、その直後にレインボーロケット団が……という流れになってたので、当然と言えば当然なんだけど。

 となると、殆どのウルトラビーストについてはオレたちの方が詳しいのか。変な逆転現象だな。

 

 

「周り見てくれ。この被害出したの、全部こいつだ」

「う……っわ。何コレ……?」

「全部コイツが食ったんだよ。そういうウルトラビーストだ」

 

 

 みんなをボールに戻しつつ、ヨウタにスーパーボールを投げ渡す。

 なけなしのボールだけど、この状況を考えるとしょうがない。仮にあいつを逃がしたら大惨事になるし……ウルトラホールも閉じてしまったし。他に手の打ちようも無いな。

 ……けど。

 

 

「『ひんし』のポケモンって捕まえられるのか?」

「じゃないと保護とかできないでしょ」

「それもそうか」

 

 

 ま、そりゃそうだよな。

 強引に捕まえたとしても言うことを聞いてくれない可能性が高い以上、モンスターボールの役割は、捕獲用ってより運搬用だ。

 衰弱したポケモンを一時的に運ぶために……っていう時に役立つだろうし、回復したら逃がせばいい。

 ……ゲームじゃないんだし、体力の限界ギリギリを見極めて……とか、考える必要無いってことだな。

 

 

「皆さん、下がってくださーい!」

 

 

 アクジキングが暴れ出さないようラー子に監視はしてもらってはいるが、念のためだろう。周囲の野次馬根性出して見物しようとしてる人たちに注意を呼びかけつつ、ヨウタはアクジキングの元へと駆け出す。

 そんな時のことだった。

 

 

「ん?」

 

 

 チリッ――と、不意にうなじあたりに痺れるような感覚があった。

 電磁発勁の名残か? いや、だとすると小暮さんにも、静電気のようなビリッと来る感じがあるはずだ。見てる限り、そんな素振りは無い。

 

 

「んー……」

「アキラさん、どうされたんですか……?」

「ちょっと気になることが――」

 

 そう思って周囲を見ていると、人の流れに反して誰かがヨウタのもとに近づいていっているのが見える。

 中肉中背で黒髪の男――誰だろう。分からない。

 

 

「小暮さん、あの人誰ですか?」

「……沢渡さんですね。レジスタンスの」

 

 

 さわ…………うん、オレが知ってるはずもないか。

 となると、余計に気になる。レジスタンスの人たちは、今日までレインボーロケット団に反抗してきただけあって、愚かではいられなかったはず。だというのに、ここにきてあの迂闊な行動――ありえない。

 

 

「リュオン」

「リオッ」

「探ってくれないか」

「リオ。リオリオ」

「うん? 別にいいけど。うん、いいよ」

「……?」

 

 

 何も無ければ無いで問題無いんだが……と思っていると、小暮さんが不思議そうな顔でこちらを覗き込んで来た。

 

 

「……ポケモンと、お話を……?」

「あー……いえ、お話というか、ボディランゲージの延長っていうか……波動で」

「はどう」

「波動」

 

 

 ……何がなんやら分かってない顔だ。そう簡単に理解するものでもないけどさ。

 オレも練気の応用でなんとか言わんとすることが分かっているだけで、実際普通の人だとどの程度分かるんだろうな。

 

 そう思ったところで、動きがあった。

 沢渡は、ヨウタをまるでいないかの如く扱い、懐からモンスターボールを取り出した。流石のヨウタもこれには驚き、一瞬の隙が生じる。男は腕を振るい、ボールを投げる――が、直前にリュオンが飛び込み、顔面に拳を叩き込む。ポケモンの力に耐えることはできずにその顔面は「砕け」、衝撃と共に沢渡という男――だった者はしたたかに後頭部を地面に打ち付けた。

 

 

「うぇえええええええええええ!? アキラ何やって……誰この人!?」

「やっぱりか」

「やっぱり!? え、ちょ、ちょっと待ってよ! どういうこと!?」

 

 

 一旦ヨウタの質問を置いて、小暮さんに肩を借りながら男のもとへと歩いていく。と、案の定、そこにいたのは奇妙なスーツを身に着けた沢渡ではない(・・・・)誰かだった。

 頭は機械式のフルフェイスヘルメットに――破壊されているが――覆われており、多量の電気を使うためか、破損部から漏電して絶え間なく火花が散っている。

 ……オレは、コレの正体を知っている。

 

 

「イクスパンションスーツ……実用化してたのか……」

 

 

 イクスパンションスーツ。原作「X・Y」で登場した強化戦闘服だ。

 その機能は多岐に渡り、人体の強化に始まり、実質的に洗脳とも言い換えられるAI制御による自動操縦、光学迷彩の応用による他者への変装――そして、ボールジャック、と呼ばれる「他人のモンスターボールを奪う」機能などが挙げられる。

 

 原作ではフレア団の活動開始に開発が間に合うことは無く、全ての事件が終わってはじめて日の目を見ることとなったのだが……どうやら、フレア団がレインボーロケット団に編入されたことで開発が完了、この四国侵略に合わせて実用化してきた……ってところか。

 ……しかし男がこのぴっちりしたスーツ着てるのってビジュアル的に最悪だな。

 

 

「だから何なんだよそれ!?」

「あ、悪い」

 

 

 ちょっと考えをまとめるのに時間がかかりすぎたか。ほっとかれて流石にヨウタが半ギレだ。

 わけのわからない状況に身を置いたまま説明もされないとそうなるよな。すまない。

 

 

「カロス地方のフレア団が開発した特殊な強化スーツだよ。モンスターボールを奪う機能とか、他人に変装する機能とかがついてる」

「そ、そっか……よく分かったね?」

「リュオンが直接波動を読み取って悪意を感じたんだ。じゃあ間違うはずがない」

「リオ」

「アキラってポケモンへの信頼が重くない……?」

「実績があるからだよ」

 

 

 怪しい動きをしてたのは確かだけど、流石にオレも自衛隊の避難所でレインボーロケット団の変装を見破ったって実績が無ければちょっと考えてた。

 ……実際に予感が当たったってのは、なんとも言い辛い感覚だが。

 

 さて、それよりなによりアクジキングだ。「じしん」と「りゅうせいぐん」によってできたクレーターの中にいない……ってことは、この男の投げたボールのせいで捕獲されちまったってことになる。はず、なんだが……。

 

 

「……おい、こいつボール持ってないぞ」

「え?」

 

 

 懐、腰元、などなど。ボールを隠せそうな場所を全て見てみるも、まるで見つからない。

 何でだ? こんなの、だって……ありえない。状況から考えると、たった今こいつはここでアクジキングを捕獲したんだ。そのはずなんだが……。

 

 

「……無い」

 

 

 ヨウタが改めて探してもなお、そこにアクジキングを収めたボールは無い。

 二人して困惑する中、小暮さんが改めて見てみると、男のスーツの中に謎の装置があることに気付いた。こちらで言うスマホのような……板状の電子機器だ。

 

 

「あの、これは……?」

「これは……何……だろう」

「さあ……」

 

 

 黒い板だ。何ともよく分からない。どこが電源だ? そもそもコレ、電源入れていいものなのか?

 うーん……いやちょっと待てよ。そうだ。知ってるヤツがいるじゃないか。

 

 

「小暮さん、ちょっと降ろしてください」

「え? あ……はい……」

「テメェ起きろコラァ! ハッ倒すぞオラァ!」

「アキラ! ガラの悪さが半端じゃな……叩いちゃダメだよ!」

「そうは言うけどよー……」

 

 

 こういう手合いにはコレに限るんだって。変な遠慮して逃げられたり、ナメてかかられたりしたら困るのはオレたちだ。

 それに、完全に意識を失ったところから起こすには、多少強引でもこのくらいするしかない。

 

 

「う……うう……」

「よし、起きたぞ!」

「…………」

「…………」

「何です」

「……強引、だと……思います」

「うん……」

「変にまごついたらアクジキングがどっかで解放されて誰か死ぬかもしれないでしょ。おい起きろ! おい!」

 

 

 アクジキングの危険性はさっき見た通りだ。もしかしたら何か思いもよらない方法で逃げ去ってるかもしれない。そうなるとまず間違いなくどこかで誰かが死ぬ。

 最悪、電磁発勁でも何でも使ってとっととコイツを叩き起こすしかない。

 

 

「……う、ご……な、なんだ……何が起きたと……言うんだ……」

「こっち見ろ」

「おごっ!? が、な、白い悪魔!?」

 

 

 何だその全盛期のトゲキッスみたいな異名は。

 

 

「てめえ、あのアクジキング……ウルトラビーストをどこへやった!」

「ぐえっ! な、何の――――」

「すっとぼけてんじゃねえぞこの野郎! 指の先から順番にヘシ折って話す気にさせてやろうか!?」

「アキラ、落ち着いて。いや本当に」

「……チッ」

 

 

 舌打ちと共に、近くの地面に血痰を吐き捨てる。

 ふと周りを見ると、野次馬めいて集まってきているレジスタンスのメンバーの中に、オレを見てドン引きしている人が何人かいた。

 ……いや、違うんですよ。オレだって好き好んでこんな態度取ってるんじゃないんですよ。コイツが何も話さないのが全部悪いんですよ。

 

 

「……急に意識を取り戻して、混乱しているのかもしれません……」

「でも、自分でやったことが分からないなんてことが……」

「あ」

「どうしたの?」

「……あり得るのかもしれない」

 

 

 イクスパンションスーツとしての機能……装着者を睡眠状態に置き、AI制御で自動操縦を行う。それなら、自分のしたことを理解してないということもあるかもしれない。

 そういったことを二人に説明すると、ヨウタも小暮さんもやや微妙な表情をして見せた。概要だけでその辺の説明をしてなかったから、改めてそれを知るとそういう反応も当たり前か……オレも失念してて、そのままこの男の仕業だ、と断定して脅してたわけだし。

 

 

「……この人からは、情報を得られそうにないですね……どう、しますか?」

「この端末が何かを調べれば、少しは分かるかもしれません。ロトム」

「ロト。電波が発生してるみたいロ。通信端末?」

「見た目はスマホっぽいけど……」

 

 

 ロトムは端末に手を当て、その内部情報を探り始めた。その間、オレと小暮さんは男を強く拘束していたのだが……しばらくすると、顔(?)を蒼褪めさせたロトムが、震えた音声でその事実をこちらに伝えにきた。

 

 

「こ……この端末……『ポケモン預かりシステム』に繋がってるロト……」

「「!?」」

「……送信先は、どこですか?」

「レインボーロケットタワー……敵の拠点ロト!」

「引き出せないのか!? ハッキングは!?」

「送信専用の端末みたいロ……それに、ハッキングってそんなに便利なものじゃないロト。無いものをあるように見せかけるのは……」

 

 

 ハッキング……って言っても、そんな無茶はできないか。

 そりゃそうだよな。創作だとなんだか色々できるけど、普通そういうものじゃないし。あくまでできるのは「その端末でできること」だろう。

 ……なんてこった。リュオンはちゃんとコイツがボールを投げる前に潰したはず。だってのに捕獲されて、あまつさえ敵の本拠地に送られるなんて……。

 

 

「つーか何でコイツここにいたんだよ……」

 

 

 苦々しい思いを吐き捨てるように、男を睨みつける。

 ヨウタたちは発信機は潰したと言っていた。ここはまだ愛媛で、フレア団の勢力圏外のはず。だってのにこれだ。ヤツら、何か他の方法を使ってオレたちの居場所を探り当てたのか?

 自分の方が聞きたいと言いたげに男はぶんぶんと首を振るが、どこまで信じていいものか……。

 

 

「……ロトムさん、一つ……データを……あの。アクジキングのものを、出していただけませんか? あれば、でいいんですが……」

「ボクらの世界のデータは無いから、こっちの世界のものになるケド、いいロト?」

「はい。そちらの方が……分かりやすいので」

 

 

 悩むオレを尻目に、小暮さんはロトムに頼んで何やらアクジキングのデータを出してもらっているようだった。

 そうして表示されるデータをしばらく眺めていると、彼女は何かに納得したように頷いた。

 

 

「あのアクジキング……野生の存在ではなかったのかもしれません……」

「……は!?」

「どういうことですか?」

 

 

 言って、小暮さんはロトムの図鑑画面こちらに向ける。そこに表示されているのは、アクジキングの技リスト……こっちの世界に来てまるごとコピーしたウェブサイトのデータだ。

 

 

「通常、ポケモンが……成長の中で覚えていく技、というのは……ここで言う『レベル技』として、示されているかと、思います……それでよろしいですか……?」

「あ、はい。例外はありますけど、その認識で大丈夫です」

「……ありがとうございます。それで、先程の……推定、『はかいこうせん』と思われる技ですが……これは、技マシンでなければ、習得できない技です」

「……あ」

 

 

 そうか!

 仮にできるとしても、通常ヤツが覚える特殊技は「りゅうのいかり」か「ゲップ」、「しぼりとる」のいずれか。「しぼりとる」があんな光線を吐くような技になるわけがないし、きのみを食べていないから「ゲップ」は使用できない。「りゅうのいかり」ならもっと炎のようなものを吐く技のはず。

 レベル技……自然に、生態として「はかいこうせん」を覚えるポケモンは少なくないけど、アクジキングはその中には含まれない……!

 

 

「……レインボーロケット団は、ウルトラホールを開く技術を持っています……。推測ですが、あのアクジキングは、レインボーロケット団が捕獲していたものではないでしょうか……」

「確かに、さっきリュオンがあの人を倒した時、モンスターボールは投げ切れてなかった……それなのにアクジキングがいなかったってことは」

「『捕まえた』んじゃなくて、『ボールに戻した』のか……」

 

 

 それならまあ、辻褄は合う。言ってみればビシャスの時とは逆の状況だったってことだ。レーザーポインターを当てればボールの中に戻るから、投げる必要が無かった……けど、偽装のためにわざと投げるフリをした、ってところだろう。

 問題は、何故ここに来たか……だが。

 

 

「……でも、やっぱり何でここに来たのかが分からない。やっぱり動向が漏れてたのか……?」

「……いいえ。恐らく、彼が狙ってきたのは……レジスタンスです」

「あ……そういうことですか」

「どういうことだ?」

 

 

 なんだかだんだん複雑になってきた様相に頭の中がこんがらがる。

 アクジキングはオレに引き寄せられて来たよな? 何でそれがレジスタンスに繋がるんだ? アレ?

 

 

「……順序立てて説明します」

「お願いします」

「まず……彼は……香川から愛媛に来る前に、レジスタンスを内部から壊滅させるため、潜入してきたものと思われます」

「うん? ……あ、そうか」

 

 

 順序としては、どうしてもそうならざるを得ないのか。

 イクスパンションスーツはフレア団が開発した技術だ。今は同じ組織に属してるとはいえ、容易にマグマ団にその技術を供与するとは限らない。同じ組織の中でも勢力争いとかあるだろうしな。愛媛に入ってから……オレたちとレジスタンスが合流してからじゃ、潜入するタイミングは無かったはずだ。

 

 

「……アクジキングも、レジスタンスを壊滅させるために、ウルトラホールを介して呼び寄せたのかと。レジスタンスでは……戦力的に対処できませんので。ですが……そこに、本来いるはずじゃない、アキラさんたちがいました」

「そっか。『Fall』のアキラに引き寄せられて……足止めもされてたから、本来の目的が達成できなかったんですね」

「んで、オマケにそのアクジキングを倒せるヨウタもいた……」

 

 

 もっとも、オレたち全員が出払ってる時を狙って送り込んでくるあたりは徹底してるな。偶然オレが近くにいたから、こっちに引き寄せられて足止めできただけで、本当なら皆殺しにされててもおかしくなかった。

 オレたちは今回、レジスタンス狙いの襲撃に完全に巻き込まれたかたちになるのか。まあ、そこはいいや。助け合いだ。

 問題はそっちじゃなくて、この先か。

 

 

「……どうする、アキラ? 逃げられたっていうことは、この先アクジキングが立ちふさがってくるってことだと思うけど」

「そこは別に大した問題でもない。倒せたろ?」

「けど」

「レインボーロケット団が負けたこと反省してポケモンを鍛え直すような殊勝な心持ちの組織なら、オレたちはとっくに負けて死んでる」

「……そうだね」

 

 

 もっとも、サカキは別だ。あいつ元ジムリーダーだけあって強さの追及には余念が無さそうだしな。

 けど下っ端から幹部クラスまで全部そうだとは言えない。アクジキング自体の厄介さも相まって、まず制御することから始める必要もある。どうやっても「鍛える」までに至るハードルが高すぎるんだ。

 だったら、あいつらはその手間で他のことをするだろう。

 さて。

 

 

「……だいたい分かりましたけど、これからどうするんです? ここの場所バレちゃってるし、移動しないと」

「そうですね……それに、またスパイが潜入しないとも、限りません……対策を講じないと……」

「ええ……」

「…………」

「何です二人してオレを見て」

「見破れるのはアキラとリュオンしかいないから、手伝ってくれないと……って」

「……可能なら……ですが……」

「……まあ、やりますけど」

 

 

 まだ潜入してる相手がいるかもしれない以上、やらない理由も無い。

 オレは再び小暮さんに肩を貸してもらいながら、イベントホールの方に戻って行った。

 なお、朝木と東雲さんが戻ってきたのは更に数分後。ある意味これはこれで巻き込まれずに済んで幸運だったと言えるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 ――――ウルトラホールから出てきたのがアクジキングだけではなかったと知るのは、しばらく後のことになる。

 

 

 





参考

・アクジキングのレベル技

1  ゲップ
1  ワイドガード
1  のみこむ
1  たくわえる
1  りゅうのいかり
1  かみつく
7  ふみつけ
13 ぶんまわす
19 ハードローラー
23 ドラゴンテール
29 アイアンテール
31 じだんだ
37 かみくだく
43 アームハンマー
47 あばれる
53 いえき
59 ヘビーボンバー
67 しぼりとる
73 ドラゴンダイブ



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鍛錬にイカサマ無し

 

 あの後、すぐにその場を動かなきゃいけないということもあって、オレたちは一日がかりで引っ越しを行った。

 次の仮拠点は――四国中央市。襲撃先の工場のにほど近い場所にある集会所だ。

 敵から逃げるのに敵の近くに来ていいのかという問題はあるが、小暮さん曰く「近くの方が意外と気付かれにくい」とかなんとか。最終的にその工場も奪う予定なので、最終的に運用がしやすいように考えた結果なのだろう。

 

 イクスパンションスーツの着用者や、メタモンを利用して変装しているような人間は、他には見つからなかった。

 オレとリュオンでひとりひとり確かめていったので、そこはまず間違いない。

 

 そもそも、イクスパンションスーツによる変装は「光学迷彩を応用した」もの。メタモンのように感触まで模倣したものじゃないので、基本的には顔に触れれば分かる。メタモンの場合も顔を引っ張る程度で判別はつく。イクスパンションスーツを着てた場合は身体能力が強化されてるし、メタモンだった場合は人間が敵う相手じゃない……という危険はあるが、これはポケモンたちにやってもらうことで、ある程度の安全性は確保できる。これは、基本的に宇留賀さんのサワムラーが担当することになった。

 

 さて、それはそれとして。

 

 

「治らないな」

「一日で治ってたまるか!」

 

 

 取り替えた後の包帯を朝木に渡しながら、オレはそんなことをボヤいた。

 しょうがないと言えばしょうがない。しかし、まあ、自分の体のことを知ってるだけに、ちょっとだけ「もしかしたら」なんてことも考えてたのは間違いないが。

 

 

「オレなら治るかもってちょっとでも思わないか?」

「それは正直思ったけどそりゃ不可能だよ」

「不可能か」

「人体の構造そのものは普通の人間と同じみたいだからな。頭に血が行かなくなればブッ倒れるだろうし、脳に酸素がいかなくなって死ぬ。アキラちゃんが強いのはみんな分かってるけど、ポケモンには敵わないんだ。気をつけないと」

「分かってる」

 

 

 そりゃもう、文字通り痛いほどに。これだけ怪我して分からないって言う気は、流石に無い。オレだって別に死にたいわけではないんだし。

 そうこうしていると、東雲さんが扉を開けて入ってきた。その表情は、なんとなしいつもより苦み走っているようにも見える。

 

 

「ここにいましたか。例の潜入してきた男の素性が分かったのですが……」

「あ、もう分かったのか?」

「一応は。ここで申し上げた方がよろしいですか?」

「お願いします」

「はい。名前は伏せさせていただきますが……高知県出身の33歳、妻子あり。レインボーロケット団に協力した理由は、家族の存在だそうです」

「家族ぅ?」

「はい。生活の保障を願っての行動だ……と」

「あいつらそんなこと約束するタマじゃねーだろ」

「そりゃそうだけど、溺れる者は藁をもって言うじゃないか。俺だって……」

 

 

 確かにそれは、朝木が言うとちょっと説得力がある。

 ……が、オレ個人としてはあんまり好ましいものとは思えなかった。まず、先に述べた理由が一つ。悪党が約束を守るわけがない。

 それと。

 

 

「死にたくないなら逃げりゃいいじゃないか。何でわざわざ悪人に手ェ貸すんだよ」

「いや……そりゃ、自衛隊駐屯地が壊滅させられて、勝てるなんて思わないじゃん。だったら少しでも自分の立場を良くしようって考えるのもおかしくないんじゃないか?」

「で、人殺しと侵略を手伝うのか。ワケ分かんねえ」

「……家族という守るべき者がいる以上、間違った手段と理解していながら、それを選んでしまうということは有りうる」

「そんなものですか」

「そういうものだ。俺も覚えはある。君は……できるかもしれないが、普通の人間は、そうもいかない。心が弱れば、判断力が鈍る。判断力が鈍れば……正しい行いはできない。誰かを守りたいという想いは尊いものだが、合理性を失わせることも多々、ある。それは、覚えておいてくれ」

「……分かりました」

 

 

 やけに真に迫ったその言葉に、オレは頷くしかできなかった。

 考えてみれば……どうだろう。例えばばーちゃんが襲われたとして、オレは冷静でいられるだろうか。あいつらに人質に取られたりしたら、まともにものを考えられるだろうか。

 あるいは、オレに今みたいな力が無かったとしたら……ヨウタが近くにいなかったら、どうしてただろう。

 

 ……分からない。仮定でしかないことを考えるのは、正直言って面倒で、辛い。

 でも、東雲さんのおかげでなんとなくは、そういう風に考える人たちもいるということは認識できるようにはなった。

 

 

「アキラちゃんって弱者に厳しいよな」

「そんなこと無い……っていうかもっと他に言い方あるだろ。何なんだよ弱者に厳しいって」

「だってよぉ……だいたい全部自分基準でもの語るじゃん」

「そうだっけ?」

「……そういう傾向はあるかもしれない」

「東雲さんまで」

 

 

 ……そんなことはオレだって分かってる。分からないはずがない。

 腕を振るえば人が飛び、足を振るえば大気が爆ぜる。だからこそ、この戦闘力を主戦術の一つに――――え、違う?

 

 

「心の話だ。逃げればいい、間違ったことをするべきじゃないと君は言うが、普通の人にそれは難しい」

「え……おかしくないですか? 何で?」

「そりゃ生活があるからだよ。持ち家がある人はローンが残ってるだろうし、仕事がある人だっているだろうし、それに食事とか、交通機関とか……安定した今までの生活を捨てて着の身着のまま逃げろって、メチャクチャ怖くね?」

「その生活基盤が丸ごと壊されてるんじゃないか。そんな悠長なこと言ってられるもんか……?」

「人間誰だって『自分だけは大丈夫』なんて根拠なく思ってるもんなんだよ。ほら、地震が起きたって、別に死にやしない……なんて、アキラちゃんそういうこと思ったこと無い?」

「無い」

 

 

 可能性は皆平等だ。誰がいつどんな目に遭うかは、分からない。ある日突然女になるなんてことを経験してオレはそれをよく知っている。

 そもそもを言えば、ただでさえばーちゃんちが海と山に挟まれてるなんて面倒な立地をしているんだ。土砂崩れや高潮といった自然災害への備えは常にしておかなければ安心はできない。オレ「は」生き残れるかもしれないが、ばーちゃんは普通の人間なのでそんなものに巻き込まれたら死んでしまう。

 何かあるかもしれない。自分もそれに巻き込まれるかもしれない。そう考えて備えておくのは、当たり前のことだ。

 

 

「そういう人間は極めて少ない」

「むぅ……そうなんですか」

「東雲君にだけはエラい素直だな?」

「だって……どっちの方が信用できると思う?」

 

 

 両手で二人を指出す。

 正直、初対面のうっかりを除けば、社会的にも人格的にも東雲さんの信用度は段違いだと思う。

 朝木に説教されると反発したくなる気持ちが湧くが、東雲さんに説教されると何も言えなくなる重みを感じる。

 

 ……そんなオレの手を横にどけて、朝木は続けた。

 

 

「別に俺のことは信用しなくてもいいけど、フツーの人はそんなに強くないってことだけは分かってくれよ」

 

 

 あとできれば俺に強くあることを押し付けないでね、という言葉は効かなかったことにした。あんたはもうちょっと強くなってくれ。

 でも、そうか、そうかもしれない。オレ……人に期待しすぎてたのかも。だからなんだか、朝木やあのイクスパンションスーツの男を見てると、ちょっとイライラしてたんだ。

 潔癖ってやつなのかな、こういうのも……。

 

 

「分かった。今後は気をつけます」

「なら良し。では、この話は終わろう。訓練の方に移りたい」

「手伝います」

「やめとけよ!?」

「オレは動かないって」

「嘘つけ絶対途中参戦するゾ」

 

 

 しねーよ失礼な。

 堪え性の無い犬か何かか。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 結論から言えば、そもそも訓練への参加そのものを止められた。

 

 朝木にはちょっと勘違いされてそうだが、オレは別に戦闘狂ってワケじゃないんだ。ただ、この情勢下では暴力という手段が一番手っ取り早いとは思っているだけで。

 かと言って修行バカというのも違う。喫緊の問題に対処するにはどうしても力が必要になる。そのために最も有効なのは、ポケモンたちを含めとにかく地力を養うことだ。結果的に特訓特訓また特訓ということになっているが、別に好きでやってるワケじゃあない。

 で――ここに来て思ったのだけど。

 

 

(……オレ、もしかしてロクに趣味が無い……?)

 

 

 ゲームは……する。バイクも、好きっちゃ好きだ。

 ただ、前者は時間つぶし的な側面が大きいし、バイクは弄るよりも眺める方が好きだし、今は運転は厳禁。そもそもゲームはばーちゃんちに置いてきてる。パソコンも同じく、だけどネット環境が無いから時間つぶしにもなりゃしない。

 

 オレは、一体今からしばらくどうすれば……?

 アレか、アニメポケモン映画恒例の「みんな出てこーい!」的なアレを……でも大丈夫なのか? 主にギルとか。

 ……でも、そこまで心配すると心配しすぎか? ヨウタたちは近くにいるし、異変を感じ取ったら、空からラー子かモク太でも降りてくるだろうし……いいか。新居浜市では結局アクジキングの邪魔が入ったし。

 というわけで、ほいと。

 

 

「ヂュ」

「シャモ?」

「ルル」

「ギラ? ギララッ!」

「あ、やっべ」

 

 

 みんなをボールの外に出した瞬間、オレは「あ、これ即突進してくるやつだわ」と確信した。

 ギラギラおめめ(バンギラスだけに)が完璧にオレを捉えてる。ぐいっと踏み込んだ脚が滅茶苦茶分かりやすい。

 

 

「ヂヂッ、ヂュイッ!」

「シャモッ!」

「リオ? リ、リオッ!」

「――んぇ?」

「ギラァッ!?」

 

 

 ――とかなんとか思った次の瞬間、危機を察知したらしいチュリの号令によってチャムとリュオンが駆け出し、ギルのひざ下にダイブ。どこぞのサッカー漫画を彷彿とさせるようなコンビネーションで同時に(弱めの)「けたぐり」をシュート。

 ……ギルは頭からすっ転んだ。

 

 

「バァァン……ギララ、ギラアアアアァァァ……」

「えっ。あ、え? 嘘、泣いた!?」

「ヂ!?」

「ふたりともやりすぎだって!」

「リオ……」

「シャモ!?」

 

 

 片ややりすぎたと言う風にしゅんとしつつ、片や「えーッおれが悪いの!?」と言いたげにややショックを受けている。いや、確かにあの場面じゃああでもしなきゃ止まらなかったかもしれないけど……ええい、フォローを入れるにしても今はギル優先だ!

 あの巨体がさめざめと泣いてるのも、なかなか凄まじい圧迫感を覚えるが……とにかく顔の横に行ってよく頭を撫でてやる。

 

 

「ご、ごめんな。痛かったな。ふたりとも悪気があったわけじゃなくって、えー……」

 

 

 えーっと……えーっと! あ、くそ、こういう時「悪気は無かった」とか厳禁だっけ!?

 ちくしょう、俺だって記憶を失う前は確かに妹がいたはずなんだ。となると慰めた経験の一つや二つあって当然のはず! うなれ灰色の脳細胞! なんとか気の利いた言葉をひねり出してくれーッ! えーっと!

 

 

「ほ、ほほほ、ほらっ!」

「バぁン?」

 

 

 そうして混乱した頭は、「傷の具合を分からせてふたりの正当性を証明する」という方向に向かい――まず、オレは服の前をまくり上げた。

 そこには、およそ現実味に欠けるほどおびただしく包帯が巻かれている。まだ傷は塞がってないから、血も薄くにじんでしまっている。自分で見ててもなお痛々しい。外から見ると余計にそうだったのか、思いがけずギルの涙が引っ込んでいた。

 

 残念なことに絵面はまごうこと無き痴女である。

 

 

「ふたりとも、これを気にしてつい力が入っちゃったんだよ。ギルは大きくて頼りになるけど、力が強いからもしかしたらほら私を傷つけるかもって気にしちゃったんだよだからほら」

「ギルルぁ…」

「でもギルだって無事なの分かってつい興奮しちゃったんだよな、心配してくれて嬉しいよ。次は気をつけよう。ね?」

「グルル……ギュゥ……」

 

 

 殻に閉じこもるように丸まりかけていたギルの頭を膝の上に乗せるようにして撫でてなだめる。しばらくして、ようやく落ち着いてこちらに顔を擦りつけてくるその姿はやっぱり犬っぽい。

 それはそれとしてめっちゃ痛い。この子めっちゃ硬い。ちょっと待ってやすりがけみたいになってるよろいポケモンの分類が伊達じゃなさすぎる。

 

 ……でも、こうして見てるとなんとなく、二年前――記憶も見た目も性別すらも失った自分のことを思い出す。あの時のオレは、経験も知識も失ってそれこそ幼い子供のようだった。

 ばーちゃんも、こんな風になぐさめて、寄り添ってくれたっけな……。

 

 

「……似た者同士か」

 

 

 体という器に対して、心が不完全だという点において言うなら、オレたちは間違いなく似た者同士だ。

 もっとも、その点で言ってもオレの方が二年以上は先輩だ。トレーナーとして、同じ立場に立ってる者として、しっかりと面倒を見ていかなきゃいけない……そう思わせられる。

 

 遠くからは、レジスタンスの人たちと合同で訓練を行っているヨウタの声や、朝木の悲鳴が聞こえてくる。

 早いところ回復してあれに加わりにいかないと――なんてぼんやりと思っていると、頭の上でチュリがぐさっと爪を突き立てた。

 

 

「あいっった!! 何だよぅ!?」

「ヂヂヂッ」

「行っちゃダメって? いや、分かってるよ」

 

 

 分かってるけど考えはするんだよ。まだ足りないなって。

 次にアクジキングと出会ったら――そのトレーナーと出会ったら、きっと足止めだけじゃ済まない。本気で戦うことになる。その時までにもっともっと強くなってないと、負けて、死ぬ。

 

 ……と、考えすぎると良くないのも、分かってる。

 焦っても怪我は良くならないんだ。だったら今はやるべきことをちゃんと定めよう。まずは……うん。よし。もっとみんなと触れ合って、もっと仲良くなろう。目指せヨウタのパーティ。あのくらい以心伝心になれるようにしよう。そうしよう。

 

 

「毛づくろいでもするよ。ほらチャム、おいでー」

「シャモモっ」

 

 

 時間はまだまだだいぶある。普段は時間の関係でできてなかったことをするいい機会だ。

 もっともこう……ギルに抱き着かれてるせいで、体の半分がほぼ使えないのは、ちょっとなんとかしたいところだけど……。

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 レインボーロケットタワー中層、闘技場(コロシアム)。平時は団員の遊興と賭博によって賑わいを見せる施設だが、今は閉め切られてただ一人の幹部のためだけに、その全機能が用いられていた。

 ポケモンの能力を機械的に数値化し、おおよその強さを表示して見せる電光掲示板。ポケモンの攻撃に瞬時に対応し、周辺被害を軽減するバトルフィールド。

 その闘技場(コロシアム)の中心に、いくつかの影があった。ゴルバット。マタドガス。ユンゲラー。そして、彼らのトレーナー、顔面におびただしい量の包帯を巻きつけた男――ランス。

 

 彼は紛れもなく、鍛錬(・・)に励んでいた。

 

 

「全力でぶつかりあいなさい。そうでなくては今の限界を超えることなどできはしません!」

「ド、ドガァ……!」

「バババ!」

 

 

 常の彼を知る者ならば、見間違いだと断ずるだろう。

 ランスは元来、個の強さなど必要無いと説いてきた人物だ。統制された人員を用い、戦略を徹底し、敵の弱点を把握すれば、時間はかかっても必ず勝利に至る。そう確信していた。

 ――――かつては。

 

 

(結局、ただ一人にしてやられてしまった)

 

 

 その確信を打ち砕いたのは、一つの白い影だ。今もなお、彼の脳にはその時の光景と衝撃が焼き付いている。

 鮮烈な痛み。弾ける血潮。稲妻のように駆ける「彼女」の白……。

 

 アサリナ・ヨウタは素晴らしい強さを持つトレーナーだ。アローラ地方にいなければいなかったで、所属する地方の中でも指折りの実力者として数えられたことだろう。ランスも、それは認めていた。しかし一方で、そんなヨウタも人質という弱点を突きさえすれば無様に地を舐めるということも、彼は理解していた。

 そうして一度は勝利した。まごうこと無き作戦勝ちだ。

 

 ――しかしその少女は、横から現れてランスの勝利とプライドを完膚なきまでに粉砕した。

 

 ランスは恐怖した。二度目に出遭った際はランスの側が劣勢だったが、それにも関わらず少女は一切の躊躇なくランスの顔面を粉砕した。

 明確な指向性を持って雷のような速度で飛来し、電気を撒き散らしてはマシーンのような正確さで顔に一撃を入れて去っていく。もはやそういう災害ではなかろうか。有体に言って、ランスにとって刀祢アキラという少女はトラウマそのものと化していた。

 

 

(ビシャス様もあの少女に敗北し、再起不能の重傷を負った……悪夢ですね)

 

 

 聞けば少女は、あれでも現地人だと言う。

 あれ(・・)が現地住民だと聞いてランスの背は止めどなく冷や汗を垂れ流したものだ。後になって、あれはむしろこの世界でもポケモンのいる世界でも異常な方なのだと知り、柄にもなくランスは(アルセウス)に感謝を捧げた。

 

 ともあれ。

 

 そうした経験を経て、レインボーロケットタワーで目覚めたランスは自身の考えを見つめ直した。

 ともすれば、自分は個の強さというものを羨み、妬み――過剰に遠ざけてしまっていたのではないか?

 あの時もっと自分たちが強ければ、このような無様を晒すことは無かったのではないか?

 

 そうして――ランスは自分たちを鍛え直すことを選んだ。

 

 

(次は、私が勝たなければならない)

 

 

 かつて、アローラ侵攻より以前……異世界への侵略にあたり、暫定的な拠点を選定するにあたって、この四国を選んだのはランスだ。

 自然にあふれているためポケモンが生活しやすい。人口密度が低く、高齢化も激しいことからレインボーロケット団の暗躍に気付く者はまずいない。そして、侵略した後の支配が簡単になる。現実にそういった想定はほぼ的中し、レジスタンスという抵抗勢力を生みながらも、着実に支配の手を広げることができている。

 しかし、たった二人。いや――ひとり。

 

 刀祢アキラの存在が、それを瀬戸際のところで押し留めてしまった。

 

 アサリナ・ヨウタ一人を相手にするだけなら、既に勝利して四国全域を掌中に収めていたはずだ。しかし、そうはならなかった。あの白い少女が、それを阻んだ。

 ヨウタも当然ながら問題だ。しかし、ランスは既に標的を一人に定めていた。そうせざるをえないほどに強烈な衝撃を受けた。

 

 ――――あの少女に、勝つ。

 

 そうしてはじめてトラウマは払拭される。計画の唯一の汚点をそそぐことができる。ランスは、そう確信した。

 

 

「準備しなさい」

 

 

 ポケモンたちに命じながら、ランスは、やや緊張した面持ちで新たなモンスターボールを投げる。

 そこから現れたのは――――傷ついたアクジキング(・・・・・・)。電光掲示板には、そのレベルは「85」と記されていた。

 

 アクジキングは、あえて万全の状態にまで体力は回復させられていない。そうしてしまえばすぐに暴れ出し、周囲の物質を全て食い散らかしてしまうからだ。最低限、身動きができる程度にまで体力を落とした上で、力で抑えつけ強引にでも言うことを聞かせる……そのための措置だ。

 しかし、ランスにとってはそれでも命に関わりかねないほどの存在である。自然と、彼の手に力が込められた。

 

 やがて、アクジキングがゆったりと動き出すのに合わせ、ランスとそのポケモンたちも動き出す。

 

 

「……その力、制御させてもらいましょう!」

 

 

 ――更なる力を得るために。

 

 

 






 Charat様にて現在のアキラのイメージ画像を作成しました。
 アンケートの結果も鑑みてこちらには載せず、ユーザーページの画像一覧にのみ掲載しております。
 場面の想像の一助になれば幸いです。


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じたばたしなきゃ始まらない

 

 

 休養四日目、早朝。陽が昇るかどうかという時間に、オレは一人で集会所の近くにある埠頭にいた。

 潮風が生ぬるい。暦の上では、そろそろ初夏に差し掛かる頃だ。日ごとに気温も高くなっている。グラードンの時とはまた違うが、熱中症にも気を付けていかないといけないな、とふと思わされた。

 

 

「――――……」

 

 

 息を吐く。あえて全身の力を抜き、構え――突く。

 音の発せられない、緩やかな突き。身体の状態を確認するように突き出した腕が、空中で静止した。

 

 

「…………ふっ」

 

 

 続けて、全身の状態を確認するように、緩やかに(当社比)演武を行う。

 皮膚――つっぱりや違和感はない。ほぼ完治と見ていい。

 筋肉――断裂などは無いようだ。考えた通り、スムーズに動く。同じく、完治。

 練気――むしろ好調。ここしばらく、体を動かす訓練ができなかったので、こちらに時間を費やしていたおかげかもしれない。

 

 一挙一動ごとに速度と精度を高めていく。身体機能の精査から動きの調整へ。やがて鍛錬へ――となりかけたところで、オレは動きを止めた。

 

 

「……ヨシ!」

 

 

 前に突き出していた腕を天高く掲げ、大きく伸びをする。

 全く問題無し。オレ、完治!

 たった四日間のこととはいえ、よっぽど焦れてたんだろう。もう一か月も経ったような気分だ。けれど、これでいつも通り動けるはずだ。

 

 

 

 

「――――ってことで完治した」

「ふざけてんのかよその体」

 

 

 そんなこんなあって、一時間ほど体を動かした後で集会所に戻ってきたオレを迎えたのは、そんな呆れと驚きを含んだ言葉だった。

 いや、そう言いたい気持ちも分かるよ、オレも。けどオレの身体がおかしいというのはもういつものことなので、今日のところは「まあそういうもんだよな」という程度のやり取りに留まった。

 

 ただ、このやり取りに驚きを見せたのが小暮さんだ。小暮さん、アクジキングの事件があって以降は、(今の性別上は)女性であるオレがいることを気遣ってか、だいたいオレたちと行動を共にしてくれている。

 ……が、今日はなんというかバケモノでも見るような目でオレを見ていた。あなたこないだのアクジキング相手にした時だってそんな目してなかったのに何です急に。

 

 

「……本当に人類ですか……?」

「ひでぇ」

「でも気持ちは分かる」

「むう」

 

 

 でもあくまで「体質」である以上オレにはどうしようもないことなんだよな……とりあえず、小暮さんにはみんなと同じように「まあそんなもんか」という認識までたどり着いてもらいたいものだ。

 小暮さんもオレの身体能力は見てるし、そのうち理解してくれるだろう。だいいち、オレ自身が原因を知りたいくらいだし。

 

 

「んでさ」

「あ、うん」

 

 

 ヨウタの隣の席に腰を下ろしながら、今日の朝食の焼きおにぎりを手に取る。口に運ぶと、特有の塩辛さとにおいを感じた。どうやら酒盗を塗ってから焼いた……みたいだ。食べやすいように味は整えてあるけど、やっぱり独特には違いない。

 ……いや、それより本題だ、本題。

 

 

「今度の潜入だけどさ、オレだけじゃなくって東雲さんにも来てもらいたいんですけど」

「む……分かった。承ろう」

「アキラちゃんからそういうこと言うなんて意外だな」

「そか?」

「そうだな。君なら一人で充分だと言い出すと思っていた」

「ああ、言いそう」

「ええ……」

 

 

 マジか。オレそういう独断専行しがち……に、見える、な。まあ……。

 それを東雲さんにも指摘されたわけだし、そう思われてても仕方ないかもしれない。よく分かってらっしゃる。

 

 

「でも現実問題、一人じゃどうしようもないよ。機械知識とか無いし。潜入はできました。でも全部壊しました、じゃダメだろ?」

「まあ、そりゃそうだわな」

「だろ?」

 

 

 動けってんだよ!(ドボォ)ってやったら動く以前に壊れるし、この手以外知らない。

 あと、オレ電気を出すだけしかできないので、いわゆる電気系の超能力者みたく、特定の電気機器の操作とかもできない。つまり、一人で工場になんて潜入したらその時点で詰みなんだ。

 こっそり全滅させる……って方法もあることにはあるが、それをしようと思ったら非現実的な時間がかかる。オチとしては、全部やり切る前に異常を知られて、逃げられるか包囲されるか……ってところだろう。

 

 ――で、そこで頼りになるのが東雲さんだ。

 警備室を乗っ取ったり、そもそも連絡をさせないよう電気系統を掌握したり、設備を逆用したり……オレ一人じゃ絶対にできない戦術を取れる。

 いくらオレがニンジャめいた動きができるとは言っても、それだけでできることというのは限られているんだから。

 

 

「……では……私も同行させていただきたいのですが……」

「小暮さんも?」

「え、いややめとこうぜ……? 俺らじゃ邪魔になるだけだって」

「まあアンタは邪魔だが」

「ひでぇ」

 

 

 分を弁えていると言えば聞こえはいいが、朝木の場合はやれることすらやろうとしないからそれ以前の問題だ。

 

 

「何か考えがあるんですか?」

「考え……と言いますか……最前線にいないと、その、考える材料も……得られませんので……」

「あ、はい」

 

 

 もしかしてこの人、考えるより先に行動するタイプだったりするのか? この文学少女的な見た目で……?

 ……いや、人を見た目で判断するのは良くないんだけど。アクジキングとの戦いの時もそんなに機敏に動いてた感じでもなかったのに、潜入なんてできるのか?

 

 

「でも、大丈夫なんですか?」

「心得は……あります……」

「あるんですか」

「あるのか?」

「あるんです……」

 

 

 あるのか。

 じゃあいいか。いや良くはないか? 試した方がいいんだろうか。どうしよう。

 少なくとも集団行動に適性があるのは間違いないんだけど……。

 

 

「心得かぁ……」

「しかし、できることならそれができるのかどうか、試しておいた方が良いかと思います」

「でも、どうやって試せばいいんだろう?」

「かくれんぼでもするか?」

「いや、そんな単純な……」

「それがいいでしょう」

「マジかよ東雲君」

 

 

 提案したオレもなんだけど、そんなもんでいいものだろうか?

 

 

「偽装……いわゆるカモフラージュの訓練の簡略版だと思えば、決して効果が無いとは言えません」

「なるほど。じゃあ……」

「あ、ごめん。アキラは不参加でお願い」

「何でだよ!?」

 

 

 ここに来てそれは流石に生殺しが過ぎるだろ!?

 トレーニングに参加しなきゃって気持ちで必死に治したのに!

 

 

「だってアキラ、人の気配とか波動とか読んですぐに見つけそうだし……それに、それだけの身体能力があったら誰にも見つけられないような場所に隠れられるじゃないか」

「う――んんんんん」

 

 

 否定のしようが無かった。

 やれるかどうかで言えば間違いなくやれるし、訓練という前提があるなら、本気でやらないと意義に欠けるからだ。だから多分やる分にはオレは本気でやる。

 ……けどコレあくまで小暮さんがどれだけやれるかを確かめるためのものなんだよな。うーん……。

 

 

「逆に言うとオレから隠れられたりオレを見つけられたりしたら即戦力確定ってことじゃん」

「無茶を言う」

「い、言うほど無茶ってワケでもないだろ! 隠れる場所なんて限られてるし!」

「天井とか木の上とかならまだしも、アキラ絶対もっと複雑な場所に隠れるんじゃないの。配管の上とか機材の上とか荷物の上とか……」

「上ばっかか。逆に探しやすいじゃないか」

 

 

 もっとあるだろ! …………排水溝とか。

 そりゃまあ身体能力を活かすとなると、どうしても隠れたりよりは登ってく方向になるのは間違いじゃないんだけど。

 

 

「かくれんぼってそういうものじゃないだろ!? なあ!?」

「何なのさそのかくれんぼに対する尋常じゃない情熱」

「かくれんぼとか(記憶上)初めてなんだよ!」

「おお……もう……」

 

 

 みんなが一斉に頭を抱えるないしはそれに類する動作を取った。

 ちゃうねん。(突発的な関西(ジョウト)弁)

 ただ過去の記憶がほぼリセットされてるだけだから。多分やったことはあるはずだ。知識はあるし。

 

 

 

「……時間制限を設ければ、どれだけ隠れていても大丈夫でしょう」

「そそ! これも訓練だ。だったら実戦を想定しておくのは大事だろ? な!」

「必死すぎて笑えねえ」

「必死じゃねーし」

 

 

 必死じゃねーし。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ところで、根本的なところでレジスタンスを含めたオレたち「こちらの世界」側の戦力は非常に少ない。

 人数は元より、ポケモンそのものの能力もまたそこまで高くない。例外はヨウタくらいのものだろう。必然的に採れる戦術というのも限られてくる。

 突発的かつ散発的な待ち伏せ・攪乱などの戦闘行為――要するに、ゲリラ戦術だ。

 

 隠蔽、偽装、奇襲……何でもアリだし、何でもしなければならない。

 で。

 

 

「……発見したか! ワシボン、『つばさでうつ』!」

「クェーッ!」

「見つかったか……! サワムラー、『まわしげり』!」

「サワッ!」

 

 

 気付いたら、こういう感じになってた。

 空から東雲さんのワシボンが強襲し、応じるように宇留賀さんのサワムラーが蹴りを放つ。空中で衝突した二匹のポケモンは、僅かに苦悶の表情を浮かべた後で互いに距離を取った。

 

 発端はごく簡単で、あるタイミングで小暮さんが「発見された時に戦闘するようにしたら、潜入だけではなく遭遇戦の訓練にもなりませんか」と――いつも通りややたどたどしく――言い出したことだ。

 で、じゃあこの際みんなでやった方がより質の良い訓練になるんじゃないか? という話になったことで、レジスタンスメンバーの半数を交えたかくれんぼもといゲリラ戦訓練ということになったのだった。

 

 ……ちなみに。

 

 

「小暮さん、どうやってここまで来たんです……?」

「しずさんに……手伝ってもらいまして……」

「ク」

 

 

 その小暮さんだが、本人の弁の通り――ある意味では当初の予想を覆し――隠れるのは得意らしく、ここまで、ほとんど見つけられていない。

 時に木の上に登ってみたり、自動車の下に潜り込んでみたり、見つかりそうになったらなったで機微に動いて場所を移り……と、その外見からは想像もできないような動きを見せていた。そして今回はオレと同じ場所、集会所の屋根の上だ。

 

 それができた理由は、しずさん――シズクモが吐いている糸にあることは、明白だ。

 もっとも、それを利用して屋根まで登ってくるあたり、小暮さんの身体能力は見た目と不相応なものなんだろう。

 

 

「……やべーですね」

「……アキラさんの方が……よっぽどだと思います」

「それはそうかもですけど」

 

 

 まあオレは特にポケモンの力借りずに素でやってるから、どっちがって言われたらオレの方がヤバいものなんだろうけど。

 と、そんな折、ふと思い出す。

 

 

「あ、そうだ。あの男、どうなったんです?」

「あの……?」

「潜入してきた」

「ああ……はい。……現在は、拘束の上……最終的には、法の判断に委ねるつもりで……」

「……えと。なるほど?」

 

 

 相当理性的な判断だな。こういう情勢下だから、どうしても倫理観が緩んでしまうかと思ったんだが。

 あの男が化けてた人――たしか、沢渡さん――は、今もまだ行方不明だ。死んでないといいんだが、状況を考えると絶望的だろう。

 必要以上の私刑とかもありうるんじゃないかと思ってたが……。

 

 オレが理解してないことを察したのか、少し考えて小暮さんは一つ指を立てた。

 

 

「私たちレジスタンスは……あくまで、民間人です。法律の専門家も……政治に通じているような方も、いません。RR団(かれら)と戦い終えた後のことを考えられる人も……いません」

「それは……そうでしょうね」

 

 

 オレたちもそうですし。そう一言付け加えると、小暮さんも頷いた。

 オレと朝木は元から割と論外。方向性は違うけど、そんなこと考える余裕が無い。ヨウタは別の世界の人間だから、そういうことを考えるような素地が無い。自衛隊は上意下達が基本だというから、その後のことに関して、東雲さんは上官の指示に従うだけだろう。

 

 

「少なくとも……今、四国にいる人は……みんな、そうだと、思います。……あの、レインボーロケット団を除いて……ですが」

「まあ……現状、勝つ見通しが立ってないですからね」

「……ですが、万が一を考えると……良くありません。勝てずとも……ええと……ディアルガとパルキアを何とかすれば………………何とかできるのでしょうか……」

「最後で突然弱気にならないでください」

 

 

 そこで弱気になっちゃダメでしょ。いや、ディアルガとパルキアの能力考えたら気持ちは分かるけど。

 

 

「やりようはありますから……」

「……で、では、そういうことで……もしあの二匹を対処できたら……外から、人が入って来られます」

「ですね」

「その場合、自衛隊や……米軍などが入ってくることも……ありえます。というよりも、現状を思うと……まず入ってくるかと……思います」

「……でしょうね」

「こういった防衛戦力が介入してくる場合……暴徒化している市民を見て、果たして守るべき相手だと思ってくれるでしょうか……」

「多分……まず、鎮圧されますね」

「ですので、特に規律が大事なんです……」

 

 

 なるほど。そう考えるとそういうところは大事だな。

 ……オレ、全然そんなの考えてなかったわ。

 

 いや、これはオレが特別アホなワケじゃ……ないこともないだろうけど……ともかく、それを考える余裕があるかどうかというのは別だ。

 連日連日、襲撃やら待ち伏せやら奇襲やらで心が休まる暇も無い。ここ数日だってトレーニングしなきゃって考えが頭から離れなかったし、ヨウタたちも暇があればトレーニングや模擬戦をしている。レジスタンスの人たちもそれに付き合っているし、オレなんかよりもよっぽどものを考える余裕は無いだろう。

 

 ……これだけ考えられるのは、本人曰く「後ろで見てるだけ」であるからこそ、だろうか。もっともその「見てるだけ」の内、どれだけ謙遜が含まれてるかは分からないが。

 

 

「なるほど」

 

 

 なんとなく、その理屈はスッと腑に落ちた。いつも「正しいことをしなさい」と言い聞かせてくれたばーちゃんの言葉に、少なからず実が伴ってきたような気がする。

 そうか。道義的・倫理的に正しいということは、世間的にその行為が認められやすいということでもある。必要なら何をするにも迷わないつもりではあるんだが、これからも可能なら人としての道は外れずに行動するべき、だろう。

 

 ……さて。

 

 

「えっと。変なこと聞いてすみません。ともかく今度の潜入、よろしくお願いします。オレ、考え足らずなので……フォローしてくれると嬉しいです」

「あ、いえ……こちらこそ。私は、その、直接的な戦闘が、あまり得意ではないので……頼りにしています」

 

 

 隠れて、小さく二人で握手を交わす。

 正直言うと、レジスタンスと合流した時は、今後……それこそ、裏切られたりするじゃなかって結構な不安があったが、こうして話して……数日接してみれば小暮さん、だけではなくてレジスタンス全体のスタンスも読み取れる。そうして少なくとも、こういう風に規律を守れるのなら、まず信用に値すると考えていいのではないかと思う。

 

 この分だと、自衛隊の人たちと協働することも不可能じゃないんじゃないだろうか?

 連絡は東雲さんができるはずだし、ちょっと相談してみようか。そう思った時のことだった。

 

 

「見つけたぁぁぁ――――!!」

「あ」

「……あ」

 

 

 ――――見上げると、そこにはラー子に乗ったヨウタがいた。

 

 ……まあ、これ実戦を想定した訓練だしね。そりゃ、乗れるポケモンがいるなら乗るよね。普通。

 

 

「やっぱり二人して屋根登ってるじゃないか! さっきは木の上! その前はパイプの間! 何でこう本気で見つけにくいところにばっかり行くかな!」

「いや本気で見つけにくいところじゃないと意味無いだろ」

「分かってるよ!」

「言ってること支離滅裂だぞ」

「……興奮されてますね……」

 

 

 そりゃそうなるな。ここまでやってまだ発見二回目だ。一回目は制限時間ギリギリだったし、実質これが最初の接触になる。

 ……さて、模擬戦とは言っても、それで手を抜いちゃ訓練にはならない。全力でやろう。

 と……一応聞いておくか。右手にハイパーボール、左手にモンスターボールを取り、掲げて見せる。

 

 

「どっちがいい?」

「今ここでギルを出したら建物が壊れるじゃないか。ナシだよナシ。それに――」

 

 

 と、モンスターボールを掲げながら、ヨウタは軽く笑みを浮かべる。

 

 

「――新しい仲間と、息を合わせる練習をしたいからね。できれば軽く手合わせできる方がいい」

「分かったよ。チャム!」

「シャモッ!」

「あ……では、私も……しずさん」

「ク」

「頼むよ、マリ子!」

「マリーっ!」

 

 

 そうして屋上に降り立ったのは、三匹のポケモンだ。ワカシャモのチャム、シズクモのしずさん――そして、新たにヨウタの仲間になったらしい、青く、丸々とした水風船のような外見のポケモン――青い悪魔(マリルリ)だ。

 子、と名付けられているということは♀なのだろう。彼女は自身の特性をはっきりと示すように、ヒレのような両腕を掲げて、力こぶを作るような姿勢をして見せた。

 

 

「……相性最悪じゃねーか!!」

「じゃ、そういう時のための訓練だね。マリ子、『アクアテール』!」

「くそっ、チャム! 正面からまともに当たろうとするな! 『かみなりパンチ』!」

「げ、迎撃します……しずさん、『クモのす』」

 

 

 マリ子が宙返りをするのに合わせて、多量の水分を蓄えた丸い尾がしなる。その進行を阻み、攻撃を妨害するようにして、しずさんが糸を放った。

 一方、「アクアテール」の直撃を避けるような体捌きを見せながら、チャムは右腕に灯した火炎をプラズマ化していく。

 

 

「マーリっ!」

 

 

 勢いをつけて振るわれた尾が屋根に叩きつけられると同時に、多量の水が飛沫となってチャムに襲い掛かった。

 しかしチャムは、そんな中にあってもなお冷静に対処していた。電気を纏っていない左腕を振るうことでダメージと影響を最小限に抑えつつ、突進する。

 

 

「シャモッ!!」

「マリリリリリリリッ!?」

 

 

 ――そして、チャムはその右腕をマリ子の柔らかに見える腹部へと突き込んだ。

 一瞬にして全身へと伝わる電流。みずタイプであるマリルリにとっては、当然ながらそのダメージは深刻である……はずだった。

 

 

「マリマリーッ!」

「え」

「モ」

 

 

 バシッ! と、気合を入れるようにして自身の顔をはたいたマリ子は、次の瞬間元の調子を取り戻していた。

 腹部のダメージも……無い。

 もしや、別に特性にはなってなくとも、マリルリって種族的な特長として、そもそも「厚い脂肪」を持っている……のでは? それで、電撃の威力はともかく、パンチそのものの威力は殺され……。

 

 

「やっべ……チャム、離れろ!」

「しずさん……糸で、引き上げて……」

「ク」

「逃がしちゃダメだ、マリ子、『じゃれつく』!」

「マリリーっ!」

 

 

 砲弾めいた猛烈な勢いで迫る青い球。ビビッてややヒいてるしずさんとチャム。「じゃれつく」とは名ばかりの途轍もない威力の突撃に、二匹の戦意は急速に萎びていくようだった。

 模擬戦だからいいけど、こりゃほぼ趨勢は決したようなモンだよな……。

 

 

 

 ……で、結論から言うと、交代を駆使することでその後ニ十分ほどは粘れたものの、脅威の新人マリ子のパワーに押され、オレたち二人は敗北。

 実は負けず嫌いなフシのあるヨウタは、ほくほく顔で今日の訓練を終えていったのだった。

 

 ちなみにあのマリルリ(マリ子)、前の拠点の近くの川にいたヌシ的なポケモンだったのだそうな。

 ヨウタのパーティ全体の平均から考えると大したほどではなかったのだが、周囲の環境と比較してあんまり強すぎるポケモンがいると、悪影響になりかねないからその対処も兼ねて仲間になってもらった……のだとか。

 ……じゃあ、模擬戦するならギルの方が良くなかったか? そう聞くと、ヨウタにはスイと目を逸らされた。

 くそう。

 

 

 





現在の手持ちポケモン

・ヨウタ
ライ太(ハッサム♂):Lv77
モク太(ジュナイパー♂):Lv76
ワン太(ルガルガン♂):Lv75【たそがれのすがた】
ラー子(フライゴン♀):Lv72
ミミ子(ミミッキュ♀):Lv71
マリ子(マリルリ♀):Lv45
ほしぐも(コスモウム):Lv70


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頭にかかったしろいきり

 

 

 

 休養五日目。この日の訓練は、オレとヨウタの本気のぶつかり合いから始まることになった。

 場所は、集会所から更に離れたとある空き地。その辺で拾った棒で引いた線で作った簡易的なバトルフィールドの中で、途方もない巨体のギルと、恐ろしく小さなミミ子とが向かい合っていた。

 周囲には、攻撃の跡の岩、岩、岩。ミミ子は既に「ばれたすがた」になっているがほぼ無傷。一方のギルは傷だらけだ。

 

 

「面攻撃しかないか……ギル、『いわなだれ』!」

「ミミ子、よく見れば隙間が――上、『シャドーボール』!」

 

 

 体高4メートルを超えるギルの攻撃は、その大きさに相応しい規模と威力を誇る。

 生態的な問題でアクジキングに通用はしなかったし、本(ポケ)の気質もわんぱくながら泣き虫な子供……ではあるものの、強い闘争本能と高い適応能力を兼ね備えている――総合的に見て、「戦闘の才能」というものは、他のポケモンと比べても一歩抜きんでている。

 

 対して、ギルの欠点はその幼さと戦闘経験の少なさに起因する「雑さ」だ。

 攻撃の狙いは甘いし、一つの行動に集中しすぎるせいで、行動の後が続かない。

 現に。

 

 

「ギュウ――――」

「ギラッ!?」

 

 

 岩と岩の隙間を抜け、自身に当たりそうなものだけを「シャドーボール」で弾き飛ばしていくミミ子。対して、ギルはそれに驚くばかりで次の行動を起こせていない。

 当然ながら、それをフォローしに動くのがトレーナーの役割なのだが――。

 

 

(「じしん」――いや、ここじゃダメだっていつも言ってるだろ! だったら「いわなだれ」で追撃……いや、それだと今と同じだ。なら「あくのはどう」、「でんげきは」、「れいとうビーム」……)

 

 

 ――ここで、オレはどうにも決め切れない。

 技のデパートと称されるニドキングほどではないにしろ、バンギラス(ギル)の技のレパートリーだって相当なものだ。対応力を高めるためにヨウタの技マシンを借りて色々と技を覚えさせてみたり、オレが個人的に技教えの真似事をしてでんきタイプの技だったりかくとうタイプの技だったりを覚えさせてもみたのだが……それが裏目に出た。

 結果、指示もワンテンポ遅れることになる。

 

 

「……迎撃だ! 『あくのはどう』!」

「ミミ子、懐に潜り込めば躱せる! 『ウッドハンマー』!」

 

 

 ギルの眼前に浮かんだエネルギー球が、前方に向かって黒い波動を放射する。

 しかし、体が小さくすばしっこいミミ子は、その前に攻撃の死角となるギルの懐に潜り込んでいた。

 

 

「ギギギギュギュッ!」

「グルルァ!?」

 

 

 ドゴン! と、砲弾を撃ち込んだような轟音と共に、ギルの顎が跳ね上がる。

 口を封じられた!

 だが、顎をカチ上げられたとなるとそれはそれで好都合だ。この勢いを利用すれば……と息巻くものの、次の瞬間、脳裏に複数の選択肢がよぎる。

 

 ① ストーンエッジ

 ② しっぺがえし

 ③ シャドークロー

 ④ ドラゴンテール

 ⑤ アイアンテール

 ⑥ げきりん

 ⑦ アクアテール――――

 

 

(長いよ!!)

 

 

 対処法は即座に思いついた。しかし、その量が尋常じゃない。そもそも一部は効果が無い。そこから派生して可能になる体術というのも無数に頭に思い浮かんでくる。

 だがそれは重要じゃない、むしろ思考の邪魔だ。より効果的……より効率的な行動を即座に絞り込まないと、次のミミ子の行動が……。

 

 

「『じゃれつく』!」

「あ」

 

 

 ――結局、思考は間に合わず。

 体高僅か20センチのミミ子の「じゃれつく」を受けて、ギルは仰向けにダウンすることとなった。

 

 

「そこまで!」

 

 

 ギルの背が地面についたと同時に、東雲さんの放った鋭い声でオレたちは動きを止めた。

 

 

「お疲れ様。大丈夫か?」

「グルルルル……」

 

 

 ギルの方に駆け寄ると、不満げな表情で喉を鳴らされた。まだやれる、と言いたいのだろう。

 個人的にもそれは同じだが、潜入一日前となると疲れを残させるわけにはいかないので、手でそれを制する。

 

 ……もっとも、見たところそれだけじゃなく、お腹の上で勝ち誇ったようにぴょんぴょん跳ねるミミ子にちょっと腹が立ってるのもあるんだろうけど。

 

 

「どうだった?」

 

 

 ミミ子を抱いて降ろしたヨウタが、そんなことを聞いてくる。

 オレは寝ころんだままのギルの頭を撫でながら、肩をすくめて応じた。

 

 

「反省点だらけだよ。いつもと勝手が違うのもあるけど」

 

 

 言いつつ、周囲を――やや窮屈に感じるバトルフィールドを見回す。

 これは、ヨウタに教えてもらってみんなで引いた、あっちの世界のリーグ公認のバトルフィールド……を再現して引いた線だ。

 本場のフィールドはもっと……例えば「じしん」のような、広範囲にわたって被害を及ぼしかねないような技に耐え、観客に被害が及ばないように設計されているとも聞くが、今オレたちの周りに引いてるのはただの線だ。当然、そんな効果なんて無い。

 

 で、この場合の「いつも」というのは、つまるところルール無用の殺し合いを指す。

 そんなもんがいつものことであってほしくない思いは強いが、残虐ファイトとトレーナー狙いの横行する現状がそれを許さない。まあ両方とも主にオレがやってるんだが……人質取ったりとか、ポケモンを持ってない弱者や、そもそもポケモンのいないこの世界を狙って侵攻して来てるあたり、あっちも大概ルール無用だからオレにできる手段で応じてるだけだし……。

 ……よし、言い訳タイム終了。話を戻そう。

 

 

「正直、一緒に前に出てる時の方がアタマが冴えてる」

 

 

 今回、訓練を行うにあたって一つ、ルールが追加されている。「アキラは線の内側に入って来ないこと」だ。

 最初は意味が分からなかったが、こうして模擬戦をしてみるとそうした理由が見えてくる。なるほど、単純な指揮能力を見ると、オレは大したことないかもしれない。

 腕組みしながら、オレたちの模擬戦を見守っていた東雲さんが口を開いた。

 

 

「極端に本番に強い、ということだろうか」

「……確かに……アクジキングと戦っていた時は、即断即決されていたようでした……」

「うん。最初の……ほら、ランスとの戦いの時も、もっと的確な判断ができてたと思うんだけど。今、どんな感じなの?」

「どんなって言われてもな。技の選択肢がバラッと湧いてきて、そこからまた更にどう行動するかの選択肢がバーって……」

「戦ってる時は?」

「別にんなこと無い。パッと思い浮かんだらすぐ動いて終わりだよ」

 

 

 問題はそこなんだ。

 今まではできてた。なのに今はできない。東雲さんの言う通り、単に極端に本番に強いと言うにしても、限度はある。

 技の範囲が増えて考えるのが遅くなった……とか、そういうのじゃない。オレも一緒に戦ってるって状況の方が、よっぽど取れる選択肢は多いんだ。

 

 

「判断力が鈍ってるのかな……」

「数日で鈍りすぎでしょ。いくらなんでも流石にそれは無いと思うよ」

「分からないぞ。若年性アルツハイマーとかもありうる」

「アキラちゃん今適当に言ったろ」

「適当じゃねーよ。オレだって自分の身体のこと、分かってないんだ。脳のことなんて特にだ。もしかしたらって可能性だってあるだろ」

 

 

 一度記憶のほとんどを無くしてるんだ。もしかしたらという可能性は否定できるものじゃない。

 もっとも、それならもっと明確に不調になってると思うけど。

 

 

「ゾーン入ってんじゃね?」

「ゾーン……?」

「マキシマムドライブ?」

「エターナルじゃねえよ」

「ゾーンだぞーん」

「「「「…………」」」」

「僕が悪かったからこっち見ないで……」

「……あの……スポーツ漫画などでよくある……」

「そそ、それ。超集中状態とも言われてる」

 

 

 どうやら、複雑……というわけではないにしろ、やや専門的な知識のようだ。オレと東雲さん、ヨウタはなかなかピンと来ていない。

 一方の朝木もやや確信には欠けるらしく、言葉にしていいものかどうかとしきりに首を傾げながら、少しずつ説明を始めた。

 

 

「極度の興奮状態や緊張状態に置かれると、アドレナリンとか、βエンドルフィンといった脳内物質が分泌されるんだ。一般には脳内麻薬とか言われてるけど……痛みを抑える機能があるんだから、似たようなもんか」

「それがどう関係してくるの、レイジさん?」

「説明長くなるけど」

「できれば結論だけ頼む」

「脳内物質の働きでリミッターが外れて脳も体も超パワーアップ」

「だいたい分かった」

 

 

 逆に言うと、オレはそういう状態に入らないとまともに戦えもしないのか。

 この体になって初めて知った新事実だ。もしかして素のオレって実は相当能力低いのでは? そう思っていると、どこか釈然としない様子で、朝木が口を開いた。

 

 

「でもそれだけじゃない気がするんだよなぁ」

「……や、それだけだろ?」

「いや違うんだよ。じゃなくってさ、なーんてーのかな……アキラちゃん、さっき無数に選択肢が湧いてくるとか言ってたじゃん? それ、具体的にどのくらい? 技範囲だけでいいんだけど」

「全部だよ」

「じぇんぶ」

「全部。言ってけばいいか?」

「言わなくていいです」

 

 

 ギルを例に出せば、今覚えてる技は全部言える。まあ五十種類以上全部言ってくのは、流石に時間がかかりすぎるし面倒か。

 

 

「ヨウタ君はどう?」

「いや、全部は無理だよ……普段主に使う技くらいで精いっぱい。だいたい……使える技全部のうちの、二、三十種類くらいじゃないかな」

「東雲君や小暮さんは?」

「……まだ、技の総数が、多くありませんので……一応、そちらは、全て覚えています……」

「俺はアサリナ君と同程度です」

「……ま、まあ、一人同じくらいできてる人がいるからちょっと比較はできねーけど」

「おい」

 

 

 ……こうしてよく聞いて考えると、小暮さん滅茶苦茶スペック高いんじゃないか?

 小暮さんの手持ちポケモン全員をレベル20と仮定して……全員分、約四十種前後の技を全部記憶してて、かつポケモンの力を借りながらとはいえ三階以上の高層建築によじ登れる……って、これ、東雲さんと同じくらいのものはお持ちでは……。

 いや、話を戻そう。

 

 

「ともかく、アキラちゃん記憶力と地頭はメチャ良いと思うんだよ。なんだけど経験が足りなくて使いこなせてないとかそんな感じじゃね?」

「あー……なるほど」

 

 

 なんと。オレはもしかして結構なハイスペックマン(強調)だったのか。

 ハイスペックマン(強調)であるならなるほどこの食い違いも納得と言えるかもしれない。

 そう、オレは本番と窮地にめっぽう強いハイスペックマン(強調)……即ち秘密兵器……!

 

 

「この顔すごくアホっぽくないかな?」

「ここまで知性を感じないのはスゲェな……」

「ぶちころがすぞキサマら」

 

 

 正直自覚が無いとは言えないが。

 ぼんやりしてる時のオレを見た時のばーちゃん曰く、「口を閉じなさい」。

 アホっぽいことは否めなかった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 さて。

 その後も東雲さんや小暮さん、朝木も交えて指揮のトレーニングということで模擬戦を続けた。

 結果分かったのは、平時の指揮能力はヨウタ>小暮さん>東雲さん≧朝木>オレ、という序列だ。

 あまりにも雑すぎる自分にちょっと凹む。

 

 ともあれ集会所の方に戻ってきたオレたちだが、そこでまず耳にしたのは、普段のそれとは明らかに異なる喧騒だった。

 あちらこちらをレジスタンスのメンバーの人たちが走り回っているようだ。

 

 

「何かあったのかな?」

「聞いてみるか。すみませーん!」

 

 

 通りかかった人を呼び止めてみると、一瞬迷惑そうな顔を浮かべながらも、オレたちだということを確認するとすぐに表情を一変させた。

 

 

「皆さん! 帰ってたんですか!」

「何かあったんですか?」

「それが……実は、食料が食い荒らされてて」

「……また、誰かが潜入しに来た……と……?」

「ではないか、と」

 

 

 なるほど、それでこんな蜂の巣をつついたような騒ぎになってるわけか。

 四国の外から食料を運び入れることもできない現状だと食品の在庫管理も重要だし、またしても侵入者がいると言うのなら、またウルトラビーストを送り込まれるような可能性もある。なんとかしないとなぁ……。

 

 

「じゃあ、捜すか。小暮さん、メンバー全員集めてください。ヨウタは空から誰か外に出ていくヤツがいないか監視」

「オッケー」

「……海の方から、出ていく人がいるかもしれません……しずさんと、あの……マリ子さんを、配置した方が良いかと……」

「じゃあそうしましょう。朝木と東雲さんは周辺警戒お願いします。小暮さんは人集め終わったら食べ物がどうなってるか確認お願いします」

「了解した」

「……はい……」

「……さっきの模擬戦でのグダグダっぷりはどこ行ったんだか……いやマジで」

 

 

 朝木の言ってることは無視しつつ、それぞれ行動を開始する。

 と言っても、戻ってきたからにはレジスタンスのメンバー全員を集めてくるのは難しくない。

 その上で、リュオンと一緒に集会所内を回って他の人がいないかを確認。外に出ていくような人もいないことを確認した上で、一人一人の波動と人相を確認。ほんの一時間ほどで、イクスパンションスーツ着用者も、メタモンで変装してる人間もいないと、確認できた。

 

 

「……あれ?」

「何だ、誰も問題無いのか?」

「みたいです……」

 

 

 訝しげに、屈んでこちらに視線を合わせながら宇留賀さんが首をかしげる。

 もしもレインボーロケット団の連中が波動を封じる手段を作ってきたのだとしたら、もう打つ手は無いが……流石に文字通りのゼロ距離で封じる手立てがあるとはあまり思えないし思いたくない。

 たしか、明確に波動封じの技術があったのは漫画だっけ。「エアスラッシュ」で真空状態を作り出すことで波動の伝達を封じて……だったはず。だったらここでは使えないだろうし、多分問題無い、はず、なんだけど。

 

 

「……すみません……」

 

 

 と考えていると、集会所の奥の方からとてとてと歩いて小暮さんがやってきた。どうやら保管してある食料の状態を見てきてくれたらしい。

 

 

「どうでした?」

「ポケモンフーズと通常の食品と、両方が満遍なく食べられていました……判別は、難しいところですが……恐らく、ポケモンが入ってきたのかと……」

「判断材料を教えてくれ」

「はい……主には、食いちぎられた跡……です。いずれも同じように、口と牙のみを用いて、包装を破った形跡と唾液の跡が見られます……」

「ってことは、ポケモンが入り込んだ?」

「なるほど、だとするなら辻褄は合うが……」

 

 

 誰の目にも留まらない、波動も感じられない、そんなポケモンがいるものだろうか?

 それとも、ゴーストタイプのポケモンだったらそういうこともありうるだろうか。壁を抜けて夜な夜な忍び込む……例えばゴースとか。

 

 

「口の大きさは?」

「推定ですが……開いて3~4センチ前後。それほど大きなポケモンではないようです……」

 

 

 じゃあゴースという説はハズレ。他の小さいポケモンが入り込んでると見るべきだろう。

 ありうるとしたら、すぐに思い浮かぶのは……例えば、家屋に入り込む……タヌキ。ジグザグマやオタチなんかかな。どこかしらの隙間に入り込んでるとしたら、見つけられなくとも仕方ない。

 

 

「いかがされます……か?」

「野生ポケモンなら、環境が整ってる場所に行くまで放置するしかないと思いますけど」

「うむ……退治する必要が出てきたら、我々がやろう。君たちは明日のことがある。怪我をしたり、後ろを気にするような余地を残したくない」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 

 ふう、と軽く息を吐くと、空気が弛緩した。

 ったく、連日連日この調子だと気の休まる暇も無い。明日の工場襲撃が反撃の狼煙になればいいんだが……どうだろうなぁ。別にみんなが満遍なく強くなったとかそういうわけじゃないんだし、戦力を揃えてくにもまだまだ時間はかかるし。

 

 そういえばあの工場、秘密工場だけあってまず確実に幹部クラスはいると考えられるんだよな。

 いるとしたら誰だろう。立地的に、フレア団の科学者連中か、それともロケット団旗下の本隊科学班か?

 

 ……ま、気を揉んでも仕方ない。

 幹部だ科学者だの何だの言ってるが、人間であることには変わりないんだ。だったら、殴れば倒れる。それでいいじゃないか。

 単純(シンプル)に行こう。隠れて近づいて殴る。以上。これで解決。暴力でもってことに当たる相手に対しては、何事も暴力で解決するのが一番だ。

 

 

「じゃあ、明日は頑張ってきます!」

「祈っているだけの身で申し訳ないが、よろしく頼む」

「……何故だか今から不安がぬぐい切れないのですが……」

 

 

 ……多分その不安は当たると思うので、個人的にはその辺のフォローも含めてお願いしたいなって。

 

 

 







 次回、潜入(スネーク)編開始。


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ふいうちの三重奏

 

 

 ――――長かった休養(当社比)も終わり、六日目の午前二時。レジスタンスのメンバー数名を交えて、オレたちは工場の近くに集合していた。

 コンディションは……ちょっと眠いくらいでほぼ万全。ヨウタは時折目を擦っているが、潜入する方じゃないし今はいいだろう。

 

 

「作戦について説明する」

 

 

 皆の顔を見回しながら、東雲さんが切り出す。

 プリントアウトした見取り図をライトで照らすと、皆の視線がそちらに行った。

 

 

「今回の目的は、レインボーロケット団の秘密工場の奪取だ。潜入は俺、小暮さん、刀祢さんの三名で行う。工場内……上層の見取り図はあるものの、下層……レインボーロケット団によって増築された側の見取り図は無いことには留意してくれ」

「はい」

「……分かりました。それで、侵入のための経路は……」

「上層、工場内にあるという話ですが。宇留賀さん」

「そうだ。レインボーロケット団に従うフリをしていたレジスタンスのメンバーに、この工場に配属されていた者がいる。あちらもそれを承知しているだろうから、入り口は変わっているかもしれないが……」

 

 

 ヒントが無いよりはマシだろう。それに、一度造った入口を封鎖するというのもなかなか難しい話だ。そこも含めて問題無いということで、話を続けてもらう。

 

 

「アサリナ君、朝木さん、宇留賀さんたちは工場を囲む形で待機してください。緊急事態には外から突入してもらいます」

「分かりました」

「お、おう」

「了解した」

「以降、私語は可能な限り慎みましょう」

「無事を祈る」

「はっ」

 

 

 小さく宇留賀さんに敬礼を返し、東雲さんはハンドサインでオレたちに「前進」の指示を送った。

 オレもリュオンを出し、二人の前に出て索敵しながら進んでいく。ここは既に敵地に近い。誰かが警戒のために周囲を見回っていてもおかしくはなかった。

 

 

「……」

「……」

 

 

 リュオンの波動探知とオレの気配探知、二つの手法を駆使しながら周囲の状況を確かめていく。

 当然だが、敵に出会わないに越したことは無い。オレたちの目的はあくまで工場を手に入れること。派手な戦闘になればそれだけで機材は壊れるだろうし、証拠隠滅のために自爆……なんてことにもなりかねない。隠密行動が大前提だ。

 野生ポケモンに出遭うことも避けたいが、こちらについてはヨウタからゴールドスプレーを貰っているので、だいたいは問題無いだろう。

 

 静かに、慎重に、それでいて大胆に。

 そんなことを考えながら、明かりの無い田舎道を三人で走っていく。

 

 四国中央市の工場は、その多くが製紙工場だ。レインボーロケット団が隠れ蓑に使った工場もその例に漏れなかったらしく、外には再生紙用と思われる紙ごみが山のように積まれている。もしかしたらあの山の下に……なんてこともありえそうだが、夜間は基本的に盗難防止のために紙ゴミ置き場はライトで照らされている。近づかないようにしておくのが無難だろう。

 

 

「……!」

「…………」

 

 

 時折、闇夜に紛れて見回りの団員が通りかかるが、それらは全てリュオンが察知してくれるので、遭遇することは無かった。

 オレも相当夜目は利く。僅かでもライトで照らしているのが見えたらその時点で「そこに誰かがいる」ということは察知できるため、工場の敷地に近づくこと自体は思いのほか簡単だった。

 問題は、ここからだ。

 

 

(……正面玄関は人の気配多数。流石にここを警戒しない理由は無いか)

 

 

 いなかったら楽な話だったんだが……いや、代わりに中の警備が増えるだけか。

 よし、ポジティブに行こう、ポジティブに。戦力をこっちに割いてくれてるんだ。別の場所から入ればいい。

 

 二人にハンドサインを送り、外周に沿って別の侵入路を探しに行く。

 ここで重要なのは、安易に敵のいない場所に行かないことだ。勿論、人がいない方が都合がいいのは間違いないんだけど、都合が良すぎるのも考えものだ。相手がこちらの思考と動きを誘導している可能性が高いのだから。

 

 そうしてしばらく。ようやく「アタリ」に近いだろう場所を見つけた。

 巡回らしき人間の気配が二つ。ポケモンは連れていない。にわかに感じるこの刺激臭は……煙草のようだ。

 暇になって煙草を吸いに外に出たってところだろうか。

 

 

(チャンスだ)

 

 

 二人に停止のハンドサインを送り、チュリをボールから出して頭の上に乗ってもらう。

 そして――跳躍。塀や街灯を足場代わりに建物の雨どいに降りると、まずは、片方がよそ見をしている間に、もう片方の男の背に糸を貼り付けてもらい、そのまま上に引っ張り上げる。

 

 

「!?」

 

 

 驚きで体が硬直し、声が上がるまでは一秒足らず。しかし、「そう」なる前に顎を叩いて脳を揺らし、意識を飛ばす。

 あとはもう一人。同じように釣り上げて意識を飛ばす。あとは二人とも、チュリの糸で縛り上げたうえで「クモのす」を利用して口を塞ぎ、壁に貼り付けてしまえば終わりだ。

 これで……えっと。クリア、だっけ? ともかく安全確認はヨシ。東雲さんたちのいる方に、「問題無し」を示すため何度かライトを点滅させる。そうすると、ほどなくして二人もこちらにやってきた。

 

 

「……見事だ」

「どうも」

 

 

 短く小さく言葉を交わしながら、東雲さんも見事な手つきでドアロックを解除して見せた。

 カチン、と小さな音がして、扉が開く。よし、じゃあ行くぞ――と一歩踏み出したところで、今度は小暮さんがオレを手で制した。

 

 

「……監視カメラが……」

「あ……そっか」

 

 

 危なかった。完全に失念してた。

 一人の時なら映らないような速度でずいずい進んでけば良かったけど、今は三人だ。どうしてもそういうわけにはいかない。

 

 

「入口は確実にカバーしているだろうが……少し調べよう。録画式の定点カメラなら、リアルタイムで確認していないものもある」

「分かりました」

「はい……」

 

 

 東雲さんの見極めのもと、先導する彼にオレたち二人もついていく。

 しかし……こうして三人で動いてると、すごく楽だ。負担はそれぞれあるけど、探索のスピードが五割増しくらいにはなってる。

 オレが物理的障害を排除して、東雲さんが電子的な障害を解除、小暮さんがオレたちの思考の隙を埋めてくれる。ポケモンの実力という不安要素こそあるが、そこさえ除けばもしかしたら白兵戦闘においてはそうそう後れを取ることは無いんじゃないだろうか。

 

 ……と、そうこうしているうちに第一の目的地、警備室にたどり着く。中に人の気配は三つ。それを示すため、三つ指を立てて二人に示した。

 

 

「カウント3で突入する。3、2、1――――」

「今」

 

 

 がちゃり、と何でもない風に、まるで普段使いのドアと同じようにして扉を開く。それと同時に、同じように何でもないようにロケット団員がこちらを振り向き……一瞬、体を硬直させた。

 

 

「一人任せます」

 

 

 鋭く指示を飛ばすと共に、床を蹴って電磁発勁によって二人を文字通り黙らせる。

 それに応じるように、東雲さんと小暮さんも俊敏に動いて残った一人の口を塞いで首を絞め落とす。手法の乱暴さにちょっぴり驚くが……スタンガンとかそんな簡単に作ったり調達できるようなものじゃないし、こうするのが一番手っ取り早いのだろう。

 

 

「制圧完了……」

「……しずさん、拘束をお願いします」

「クッ」

「チュリ、頼む」

「ヂヂ」

 

 

 続いて、さっきと同じように拘束。これで完全に無力化完了……と思ったその時、不意に部屋の外から音が聞こえたような気がした。

 こつん、こつんという小さな音。リュオンに目配せするも、特に悪意や敵意は感じないようだ。オレも特に気配は感じない。となると、どこかで何かをひっかけてしまったのだろう。

 ともかく、ここまで来れば声も出せるな。

 

 

「ここまで来てみてどうですか?」

「問題無い。むしろ、想定よりも早く到着している」

「……順調……ですね」

「この先はどうします?」

「どうやらここで下層(した)もモニタリングしているらしい。こちらで全域をモニタしておくから、刀祢さんと小暮さんは予定通り奥を目指してくれ」

「了解です」

「……ですが……その、あまりに……杜撰過ぎませんか……? 一か所に監視機能を集約する……というのも……」

「む」

「言われてみれば」

 

 

 そうだ。別に一か所にこだわる必要も無いんだもんな。横着してここに増設したんだとしても、やっぱり都合が悪かった……ってことで、機能を移すってこともありうる。

 んー……でも、それでボヤボヤしてたら、結局無駄に時間食うだけだしな……。

 

 

「とりあえず上は全部制圧してしまいますか?」

「……君はその困ったらとりあえず力業に出る癖を直した方がいい」

「でも手っ取り早いですよ」

「でもではない」

「そですか」

 

 

 ちぇ。

 ま、いいけどさ。チームワークだ、チームワーク。オレ一人がどうこうできたって、みんながそれについてこれないんじゃ仕方ない。

 今、オレたちは個々人で動いてるわけじゃない。一人の勝手な行動が他の人の命取りになることだってあるんだから、勝手な行動は慎もう。

 

 

「……階下にも、こういった監視設備がある……と思われますので……そちらの制圧を、優先したいと思います……」

「じゃあ、それで行きましょう。東雲さん、いいですよね?」

「異論は無い。ただ、隠密行動の徹底をお願いします。敵との接触は最小限に。異常が発生したらグループチャットへ連絡を」

「了解」

「了解です……」

「地下への入り口は……東入り口にしましょう。そこからの方がこちらからモニタしやすい」

 

 

 東雲さんの提案に頷き、二人で警備室から飛び出す。

 電子ロックを解除できる東雲さんがいないのはちょっと不安だが、遠隔操作でなんとかなると本人が言っているので、大丈夫だろう。多分。

 

 ともかく、迅速に地下への東入り口へ向かう。やはりと言うべきかなんというべきか、その入り口はポスターによって隠されていた。

 何だろう。この圧倒的杜撰さ。お前らそれでいいのかという思いと同時に、ロケット団はこうじゃないとという思いも湧き上がってくる。レインボーロケット団、こっちの世界では完全無欠の悪役なんだけどな……もう既に何人ってどころか何千人って規模で死者も出てるし……。

 

 

「……うわ」

 

 

 そう思いながら階段を降りる――と、そこは、これまで歩いてきた工場のそれとはまるで違う景色が飛び込んでくる。

 白と黒を基調に赤のラインが入った、鉄……いや、カーボン? ……ともかく、わけのわからない謎の材質の壁と床。あちこちに見えるのは……移動床か? ロケット団の基地にあったり、トキワジムにあったりする……。

 

 

「……これは……正しいルートを通らなければいけないという……パズル、でしょうか……」

「いえ」

 

 

 小暮さんは、あちこちを見回して正解のルートを探そうとしているようだが……別にそんなことは必要ない。

 

 

「チュリ」

「ヂ」

 

 

 天井に向けて吐き出される糸。それを伝い、オレはリュオンと一緒に天井にある剥き出しの配管を掴んだ。

 

 

「あっちの土俵にわざわざ乗ってやる必要は無いと思います」

「……それもそうですね……」

 

 

 そう言うと、小暮さんもしずさんに糸を吐いてもらって、オレと同じように剥き出しの配管に掴まりに行った。

 床から天井まではそれなりに遠い。このままの状態でも、よっぽど上を向いて見なければ気付きはしないだろう。このままうんていの要領ですいすいと前に進んでいく。

 意外なことに――これ何度思ったやら分からないが――小暮さんもひょいひょいと前に進んでいく。

 

 ……しかし……何だろう。景色の異質さのせいで気にしてなかったが、意外に……。

 

 

「音、しますね」

「ええ……これは……工場が、稼働してる……?」

「……ですよね?」

 

 

 今は深夜二時過ぎ。一般的な企業で、夜勤が設定されてるような場所だったらそれもあるかもしれないけど……レインボーロケット団が規則正しく働くものだろうか?

 いや、科学力が発達してるポケモン世界だ。もしかすると完全自動化が進んでるのかもしれない。でも、その場合でも、もしかしたらバグとか出るかもしれないし誰かは見てる必要はあるよな?

 なんか気になるな……。

 

 

「先、確認行きましょうか」

「そうですね……」

 

 

 どこかしら覗き窓はある……あるか? いや、まあ。そうじゃなくとも適当な入口から覗き見たりすればいいか。

 しばらく進んでいくが、窓はどこにも無い。やっぱりかという思いと同時に、これ福利厚生的によろしくないだろという思いも湧き上がる。それでもなんとか出入り口であろう扉を見つけたので、ここから入っていくことにしよう。

 

 

「ちょっと待っててください」

「……はい」

 

 

 鍵は……かかってないみたいだ。普通は、そもそもここに入ってくる人がいないから気にする必要が無いってとこか。

 そもそも、ここに来るためには移動床を使って正しいルートで来る必要があるしな。そこはいいか。

 

 

「周りに敵は?」

「リオ」

「分かった。行こう」

 

 

 リュオンの索敵には敵――強い悪意を持つ人間は引っ掛かっていない。よし、これならこの周辺に関しちゃ大丈夫だ。中はまだ分かんないけど。

 気配を殺しながらゆっくり静かに扉を開け、中の様子を窺う。と――――。

 

 

(……うっ……!?)

 

 

 ――そこで、オレは一瞬自分の目を疑った。

 

 さっきまで、オレはここの作業は全部自動化されてると思ってた。しかし、実態は真逆――見る限りの、人、人、人。

 何らかの機械の前でモンスターボールの機構の取り付け作業や、薬剤の混ぜ合わせなどを行っている人たち。いずれも、その格好は……「こちら」の世界のそれだ。

 

 

「……まさか……」

 

 

 強制労働……か?

 だとすると、執拗にレジスタンスが「無傷で」奪取したいと主張してきたのは……あ、いや、それ以前にもしかして……あの中にいる一部はレインボーロケット団に寝返った連中か?

 一般に強制労働と言ってイメージするみたいな、鞭を床に叩きつけて働け働け……なんてしてる風ではないが、ロケット団特有の黒服を身に着けてる男女とそのポケモンが、何人か巡回して目を光らせているようだ。疲れてうなだれている人を見かけると、すぐに怒鳴りに行っている。ストレス解消も兼ねてるのだろうか。胸糞悪い話だ。

 

 天井からは監視カメラが十数台吊るされている上、よく見れば管理のための部屋と思しき場所から、この場所を見下ろすことができるようだ。これは……ここで騒ぎを起こしたら大変なことになるな。

 だけど、同時にそれは、あの管理室(と表現していいのか?)から見下ろしてるヤツは、少なからず高い立場にいるってことだ。幹部か、それとも幹部から権限を移された奴か……どっちでもいいか。倒せば同じだ。

 しかし……。

 

 

「ル……」

「……っ」

 

 

 リュオンはどうやら悪意の波動を感じすぎて胸やけを起こしそうになってるらしい。

 元が正義感の強いポケモンだ。多少ならずキツいものはあるだろう。頭を撫でてやるが、あまり落ち着きが無い。

 

 こうなってくると、放っておくわけにはいかないか。幹部が何人いるかは分からないが、不意討ちに対応できる人間もそう多くはない。仮に三人以上いるなら二人は確実にやれる。

 まずグループチャットに連絡を入れて、小暮さんと合流。あの管理室に向かって、それから……。

 

 

「ベノ!」

「え」

 

 

 ――――そこで、不意を突くようにして謎の声がオレの耳を揺らした。

 

 いや、オレだけじゃない。この場にいる「全員」の。

 恐る恐る振り返って見ると――そこには、ここに存在するはずのない小さな純白の(・・・)ポケモンが、ニコニコ笑顔でオレの足を叩いていた。

 

 ウルトラビースト、ベベノム。本来は紫色の体色をしているはずだが、何故かそいつの色は「白」。極めて珍しい色違いの個体だ。

 想定外の存在に、チュリとリュオンが目を見開いて驚きに身を固める。オレもまた、こんな状況では流石に驚きを隠せなかった。

 

 リュオンの方に視線をやるも、感知できなかったと波動で伝えられる。どういうことだ、と考えるが――そうだ、オレがリュオンに頼んだのは「悪意」と「敵意」の感知。このベベノムからは何の悪感情も、敵意もうかがえはしない。それどころかむしろ、こうしてくいくいとズボンの裾を引いて上目遣いでこちらを見てる姿からは、好意の色を感じる。

 ……何故!? 初対面だろ!? ちょっと待て、ベベノムってどういうUB(ポケモン)だっけ!?

 

 いや待てオレ。そっちは置いておいて、それ以上にもっとマズいのは。

 

 

「…………やっべ」

 

 

 ――今ここにいる全ての人間の目が、オレと、そしてこの野生と思しきベベノムに向いているということだ。

 民間人だけじゃない。監視カメラも、管理室にいる人間も、ロケット団も。想定外の人間――レインボーロケット団に敵対していて、重要目標になってるらしいオレが現れたことに困惑し、一瞬動きを止めた。

 工場の中が一瞬、静寂に包まれた。

 

 状況は、最悪だ。予期してないタイミングで予期してない遭遇。オマケに周りは民間人(ひとじち)と敵だらけ。

 この状況下でオレにできることは何だ? オレができることは。オレたちにできる――――――。

 

 

「オラァァッ!!」

「ごべァッ!?!?」

「ベノッ!?」

「リオッ!」

「ごぼェッ!?!?」

 

 

 オレの頭は瞬時に答えを導き出した。

 

 つまり――殴る(・・)こと。

 

 手近な場所にいたヤツに、音超えで接近し電磁発勁を併用して顔面を叩き潰す。リュオンも同じように、逆サイドにいた男の腹部を殴りつけてノックアウト。

 

 不安だが……やるしかない! オレの存在がバレた時点で騒動になるのは確定的なんだ。だったらせめてこの状況を利用する!

 なんだかベベノムが妙にテンションが上がってるようだが、今それどころじゃないんだよ後でね!!

 

 ――と。そういう考えはおくびにも出さずに飛び上がり、工場の中央に降り立つ。

 二人が意識を失ったことで、ようやくあちらも硬直状態から抜け出したようだ。だったらタイミングは今、ここしかない。

 オレは管理室の窓に向かい、しっかりと左手の指を突き付けて――。

 

 

「降りてこいサカキの使い走り! 今日でこの工場は廃業だッ!!」

 

 

 半ばヤケクソで、そう叫んだ。

 

 

 






 ふいうち①:潜入
 ふいうち②:ベベノム
 ふいうち③:大乱闘



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急転直下のすてみタックル



 一部三人称です。




 

 

アキラ>ごはんなさい

アキラ>みつかやました

アキラ>ようとまうします

 

 

 ――その連絡を見た時、小暮ナナセは配管に掴まりながらも困惑した。

 送り主は白い拳鬼、レインボーロケット団から悪鬼羅刹・怪力乱神の異名を欲しいままにする刀祢アキラである。

 彼女が一時この場を離れて偵察に行く、と言って数分。周囲が騒がしくなってきた――と思ったら、コレである。騒ぎの原因が彼女であることは明白だ。

 大人しいナナセも流石に焦った。こんなことは一切予定に無い。それどころか、本来のアキラであれば絶対にやらないだろうという失態だ。グループチャットに流れてくる言葉も誤字だらけだ。

 

 

(……これは……ええと……「ご」の予測変換を誤って……「ごめんなさい」……フリック操作が上手くいかなくて、「みつかりました」……最後は……濁点を付けることができなかったのでしょうか……「ようどうします」……「陽動します」……)

 

 

 文章が崩れているため分かりづらいものの、内容そのものはごく平易なものだ。

 「敵に発見されたので、このまま陽動として動きます」――アキラの性格と能力を考えれば、妥当な判断だと言えるだろう。

 

 

「……しずさん」

「ク」

 

 

 状況は間違いなく悪化している。だが、悪化しているなら、悪化しているなりのやりようはある。

 ナナセはシズクモ(しずさん)に指示を送り、東雲から送られてくる情報をもとに自らも動き始めた。

 

 

(……恐らく……幹部はアキラさんへの対応に向かう……はず。となれば、まず先に警戒するのは……ヨウタくんになるはず……)

 

 

 アキラとヨウタの二人は、現状レインボーロケット団に対立している人間の中でも最高戦力と言える人間だ。

 片やこれまでの経歴とポケモンの能力のおかげで。片や極めて単純な身体能力のおかげで……と差異こそあるものの、脅威という意味ではどちらも変わらず脅威ではある。そんな二人が共に行動しているというのも、レインボーロケット団にとっては憂慮すべき事態だ。片方が現場に現れれば、もう片方も確実に近くにいる。今はいないにしても、いずれは現れるかもしれない。合流すれば、一方がもう一方の弱点を補ってより厄介になっていく。なら、合流させないためにも戦力を割かなければならない。

 

 そして重要なのは、注目されているのはアキラとヨウタの二人「だけ」という事実だ。

 レジスタンスは昨日今日ポケモンを手にしたばかりの有象無象だらけで、注目するような能力を披露してもいない。有体に言って、レインボーロケット団にとってナナセや東雲はノーマークなのだ。

 

 ナナセはこれをチャンスだと捉えた。

 そういう風に捉えざるを得なかった面もあるが、嘆いたところで何が変わるというものでもない。

 

 

(アキラさんの戦い方は、それほど丁寧では、ありません……工場設備の何割かは、確実に、壊れるはず……)

 

 

 あるいは全損か、それともわざわざ気を遣ってそれどころではなくなるか。

 いずれにせよ、どう転んでも問題が無いようにするためにも、工場のデータを確保するというのは急務だ。ナナセは、スマホを取り出してグループチャットへ接続した。

 

 

東雲ショウゴ>どうしますか?

ななせ>製品と製造機器のデータの回収に向かいます

ななせ>東雲さんはナビゲーションをお願いします

ななせ>アキラさんは戦闘を継続してください

ななせ>状況が状況ですので、周囲の被害は考えなくとも結構です

ななせ>とにかく勝つことを優先してください

 

 

 応答は無かったものの、「既読」が表示されると共にナナセは小さく頷いてそのまま前進を再開した。

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

「――――おい、どうするバショウ!? あのやべェ女、ほっといたら全部ぶち壊しやがるぞ!?」

 

 

 慌てた様子で管理室のゆったりとした椅子から腰を上げながら、レインボーロケット団特殊工作部員であるブソンはそんな不安を口にした。

 彼の眼下……工場の中では、片腕で白いポケモンを抱えながら文字通り縦横無尽に駆け回り、ポケモンと共に団員たちを殴り倒していく白い髪の少女の姿がある。

 どういった理由で彼女がやってきたのかは、今のところ誰にも分からない。だが、これ以前に少女の存在が確認された戦闘では、ほとんど確実と言っていいほどに幹部格のメンバーが戦闘不能、ないしは再起不能状態に陥っている。一度は彼女を重傷にまで追い込んではいるものの、それも一週間足らずで完全に回復している。

 

 

「下手な挑発です。放っておいた方が良いでしょう」

 

 

 そんなブソンを窘めたのは、彼にバショウと呼ばれた灰色の髪の優男だ。

 バショウは階下を見回すと、小さく溜息をついてアキラを見(くだ)した。

 

 

「人間の枠組みで考えれば怪物同然かもしれませんが、知能が伴っていると言えますか? 所詮はポケモンの一匹も存在していない程度の低い世界のメスオコリザルです」

「言うねえ。けど、そいつにやられた幹部連中は黙って無いんじゃないか?」

「手順さえ誤らなければ勝てる相手だったと――正直に申し上げますよ」

 

 

 バショウはそう嘯くと、手元のコンソールを操作して通信用のチャンネルを開いた。

 対象は、工場作業を監督していた複数人の下っ端たちだ。

 

 

「監督官へ通達します。民間人を(・・・・)殺しなさい(・・・・・)

『は! ……は!?』

「おいおい、貴重な労働力じゃないのか?」

「面白い冗談ですね。彼らに生贄以上の価値はありませんよ」

 

 

 驚きを口にする監督官を尻目に、バショウは冷徹に言葉を続ける。

 

 

「我々の世界では既に徹底した自動(オートメーション)化が進んでいます。彼らを働かせているのは、いわば見せしめ。我々に逆らえばこのような目に遭うのだと、分からせるための措置です。それと同じで――『やる時はやる』ということをはっきりさせるためにも、ここで殺します」

「それで、あのお姫様に守らせるようってハラか」

「手傷の一つでも負ってくれれば儲けものと言う程度ですがね」

「バンギラスを出して守ってきたりはしないのか?」

「あちらとしては、我々の設備は出来る限り無傷で手に入れたいところでしょう。あれだけの設備を生み出すだけの技術力も無いでしょうからね。まず出さないと見ていい……何を呆けているのです。やりなさい」

『は……はっ!』

 

 

 無感情に言い放つバショウに小さくない畏怖を抱きながら、監督官のレインボーロケット団員は鋭く返事を返した。

 再びバショウたちが階下を見下ろせば、依然として目にも留まらないほどの速度で駆け回りながら、なんとかして民間人を避難させようと奮戦する少女の姿があった。

 

 

「窮屈そうなことだ」

 

 

 その戦いぶりを見て、バショウはどこか勿体なさを覚えた。

 周囲の機材に気を配り、人質を守って戦い方を制限する。民間人から見ればその戦い方は頼もしいと言えるのだろうが、これまでの戦闘データを分析して見る限り、彼女の本領というのはそこではない。

 

 

(本来なら、早期にバンギラスを出して全て巻き添えにするつもりで攻撃すれば、こちらも危うかった。しかし、そうはしなかった。倫理などというくだらないものに縛られている彼女が我々に勝てるはずもない)

 

 

 彼女は人知では計り知れないだけの能力があり、それによってポケモンの力を最大限に発揮できる。

 ならば、被害を考慮することなく最初から全力で攻撃を行っていれば、民間人の被害は避けられずとも、バショウとブソンの二人は確実に撃破できていたことだろう。

 既にこの一連の戦いは、この世界の人間とレインボーロケット団との戦争に近い。副次的被害(コラテラル・ダメージ)を許容できないなどという甘い考えでは、勝利など到底掴めはしない――バショウは、そう内心で嘲った。

 

 

「狙えぇーっ!」

 

 

 やがて、工場区画から声が上がった。

 ポケモンがいるとはいえ、監督官も無防備ではない。懲罰や見せしめ、示威行為の一環としてこちらの世界で強奪した拳銃を所持している。

 特別な訓練を積んでいないとはいえ、その数はそれなりに多い。四方八方から狙われ、かつポケモンと同時に攻撃を行えば、到底無事で済む者などいはしないだろう。

 

 わ、と悲鳴が上がる。

 絶大な混乱の最中、凶弾が民間人を貫かんと放たれた。

 

 

 ――――直後、少女はその辺の床材を引っぺがし、その人間離れした膂力で振り回すことで弾丸の全てを叩き落した。

 

 

「――――――」

「…………は?」

 

 

 到底ありえないはずのその行為に、ブソンが思わず声を上げ、バショウが閉口する。

 そんな馬鹿な、と言う間も、彼らには与えられなかった。勢いよく振り回された床材はそのまま宙を飛び、尋常ではない速度で下っ端たちの顔面や腹部を打ち据えて吹き飛ばす。そして直後、光が走った。少女がその全身から紫電を迸らせ、銃を手にした下っ端を狙って一人ひとり、殴り、蹴り倒していく。

 その最中、管理室を見上げる少女の雷光の如き眼光が、バショウを貫いた。

 

 

(――――見られた! マズい!)

 

 

 そう確信したのは、半ば本能的なものだったのだろう。ジャングルの中で丸腰の状態で猛獣(ポケモン)と出会ったような怖気(おぞけ)を感じたバショウは、腰のモンスターボールを急いで手に取った。

 そうして次の瞬間――少女は既に、そこにいた。

 

 バショウの思惑は正しい。少なくとも、アキラのような考え方の人間――正しいことに固執する彼女には、特に効果が大きいはずだった。

 しかし、それ故に彼女が「どれほど」常識の埒外にある存在であるかを測り違えていたと言える。

 

 

降りてこい(・・・・・)って言ったぞ」

「ッ――ハガネール!!」

 

 

 貫手によって強化ガラスを貫き、まるで張り付くようにして現れた彼女は、渾身の蹴りによって轟音と共にガラス窓を突き破る。空いた片手にはハイパーボールが握られ、既に室内へと投げ込む体勢が整っていた。

 それを視認すると、バショウは応じるようにして、即座に自身のモンスターボールを投げ放った。

 二つのボールが同時に光を放ち、その内に宿した巨獣を解き放つ。

 

 そして――――レインボーロケット団四国中央市製造工場の地下管理室は、崩壊を迎えた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「くそッ!」

 

 

 途轍もないギルの巨体と、生態として元来巨大な体を持つハガネールとの激突の直後、その衝撃に耐えきれずに部屋は完全に崩壊した。

 落下していく瓦礫の上を跳び回り、周囲の様子を見回しながら状況を頭の中で組み立てる。

 割と完璧なタイミングの奇襲だったと思うんだが、これで対応してくるかよ。

 

 

「ハガネール、『かみくだく』攻撃!」

「ギル、『かえんほうしゃ』! 開けた口の中にぶち込め!」

 

 

 落下していく最中、攻撃のためにがばん、と開いた口の中へ、ギルの吐き出した火炎が放り込まれる。

 しかしハガネールに意に介した様子はなく、ジリジリという鉄板が熱されるような音を立てているにも関わらず、そのまま強引にギルを挟みこもうと口を閉じてきた!

 

 

「だったら――『ばかぢから』!!」

「ぬ……!?」

「グオオオアアアアアアアアアアッ!!」

「ギイイイイイイイイイイ!」

 

 

 そこで取った手は、その勢いを利用すること。閉じゆく口を上から勢いよく押さえつけ、ハガネールの上顎を下顎へと叩きつける一撃。

 自分自身の自慢の牙をそのまま利用してやったかたちだ。効かないはずはない。

 

 

「ええい……ブソン!」

「分かってる! 行け、エアームド!」

「エアッ!」

「!」

 

 

 そうしてる間にも、もう一人の敵……ブソンと呼ばれた男はどうやら奇襲の衝撃から持ち直したようで、自身のポケモンと思しきエアームドに乗って、灰色の髪の男と共に崩落から逃れて行った。

 オレはオレで、飛び移る瓦礫が無くなったのでそのまま機材の上へと着地する。と同時に、横からベベノムがふよふよと浮いてやってきた。

 

 

「ベノノ?」

「げっ……お前、まだいたのか!? 離れてろって言っただろ!」

「ベノ……? ベベノノ……?」

「だぁぁ、泣きそうな顔しないでくれよ!」

 

 

 ああもう調子狂うな、今戦闘中だぞ!?

 そもそもベベノムってもっとイタズラ好きで、遠慮なしに人に毒液ぶっかけてくるようなヤツじゃなかったっけ!? 何で初対面でいきなり懐いてんだよ!

 アニメでピカチュウの「10まんボルト」だかを見た時みたく、電磁発勁の光に反応してるのか? だとしてもあれだけの光量じゃなかっただろ。光ってるけど!

 

 ――それとも、もしかして初対面じゃない(・・・・・・・)のか?

 ベベノムはウルトラビースト、オレは「Fall」。あるいは、異世界ってのはこのベベノムがいた世界ってことも……。

 

 

「エアームド、『エアカッター』!」

「! ギル、『すなあらし』!」

「ガウッ!」

 

 

 一瞬反応が送れたものの、放たれた空気の刃は同じく空気の流れを操る技である「すなあらし」によってせき止められた。

 本当なら天候操作技なんだけど……いや、細かいこと言いっこ無しだ。そういう技なんだと覚えとけばいい。

 

 気になって視線を横に向けると、そろそろ民間人の人たちはこの場所からはいなくなりつつあるが……。

 

 

「エアームド、続けて『はがねのつばさ』!」

「ハガネール、『アイアンテール』!」

 

 

 くそ、まだ攻撃が激しい! まだこいつらに対処するしかないか……!

 

 

「ギル、止めてくれ! 『だいちのちから』! と……チャム、頼む! 『かえんほうしゃ』!」

「ガアアアアアアアゥ!!」

「シャモモモォッ!!」

 

 

 床下から突き出した岩が二匹の攻撃を押し留め、チャムの吐き出す火炎が二匹をジリジリと焼いていく。

 効果の有無はともかく、リュオンが民間人の誘導をしてくれている今は、まだあいつらを押し留める必要がある。とはいえ、ギルとの技にも力負けしないこの二匹相手にどう戦うか……!

 

 

「ベーノっ!」

「な、何ッ!?」

「あ、こら!」

 

 

 と、技と技同士が激突しているその最中、不意にベベノムが怒ったような顔で前方の二匹……エアームドとハガネールの方に攻撃を放った。紫色の光弾――「ベノムショック」だ。

 しかし、どくタイプの技ははがねタイプには効果が無い。そもそもベベノムはレベルアップでは「とどめばり」くらいしかどくタイプ以外の技は覚えられない。加勢してもらえるのはありがたいけど、今は意味が無い……!

 そう思った時だった。

 

 

「ガネェェ……!」

「何をしている、ハガネール! 押し返しなさい!」

「こいつは……!」

「……!?」

 

 

 ――ベベノムの技がチャムとギルの放つ技に加わり、ハガネールたちをより押し返している。

 不可解な現象に戸惑いが生まれ、小脇に抱えたベベノムへと視線が向かう。そこでようやく、ベベノムの身体から立ち上る赤い波動――いや、「オーラ」の存在に気付いた。

 

 

「これって……」

 

 

 もしかして……ウルトラホールから現れたウルトラビーストに特有の、能力値がアップするオーラか!

 だからこれ、一緒になって押し返せてる理屈は「技の威力」じゃなくって「噴射の勢い」ってことか!?

 思えば確かに、ゲームでもぬしポケモンといいウルトラビーストといい、妙に強かったが……そういう方向の強化アリかよそれ!

 

 

「おいバショウ、あのポケモン……いや、オーラを纏ってやがる。ありゃウルトラビーストだ!」

「あなたも気付きましたか、ブソン。しかもこれまでに見たことが無い……新種です。捕獲してサカキ様に献上しなくては……!」

 

 

 くそ、あっちも気付いたか!

 ウルトラビースト、ベベノム……やりようによっては色んな悪だくみに使われかねないポケモンだ。

 特にアーゴヨンに進化した時、その毒の砲撃の飛距離は一万メートルとも言われてる。どう考えても悪の組織に渡していいポケモンじゃあない!

 

 それに、初対面であるにも関わらずオレに何でか懐いてるこいつを、見捨てていくわけにはいかない。

 レインボーロケット団は潰すって決めてるんだ。元から渡す気なんてサラサラ無いけどな!

 

 

「させるわけないだろ! お前らにだけは渡さない!」

「ふん……全てのポケモンは、我らがレインボーロケット団のためにあるのですよ」

「それに、そいつはどうやら『野生』だ。『おや』でもないのに『渡さない』ってのは、傲慢じゃあねえか!」

「傲慢だろうが知ったことか! 渡さないって何度も言わせんな耳腐ってんのか!」

「顔の割に口の悪いお嬢ちゃんだ……!」

「侵略者に優しい口利いてやる義理なんざあるかよ!」

 

 

 改めて、その身を守るためにベベノムをしっかりと抱き寄せる。

 オレ個人にとしても、無くした記憶に繋がるかもしれない手がかりなんだ。絶対に、何があろうとヤツらにだけは渡せない!

 

 

「『誰か』が好きにしていいものなんて、この世に一つだって無いんだ。そんな子供でも分かる理屈が分からないってんなら、骨身に沁みるまで叩き込んでやる!」

 

 

 









 アニメオリジナルキャラ等の紹介

・バショウとブソン
 テレビスペシャル「ポケットモンスタークリスタル ライコウ雷の伝説」にて登場。ロケット団特殊工作部に在籍。クリスタルシステムを実際にアニメで運用していたのはこの二人。
 名前の由来は松尾芭蕉と与謝蕪村と思われる。どちらも結構な実力者で、最終進化ポケモンを相手に2対3、という数的不利の状況でも押し返してたし、ライコウがいなかったら普通に勝っていた。
 アニメロケット団にあるまじきガチさのため、彼らについては賛否両論の声がある。アニメにはこれ以降登場していないようだが、彼らの上司は後の映画「マナフィ」でレックウザを捕獲していた。



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しっぺがえしの代行者

 

 

 

 啖呵を切ったその直後、ハガネールとエアームドはダメージを気にしてかそのまま僅かに退いた。

 この機を逃さず、オレは出口に詰めかけている人たちにむけて叫ぶように声を上げる。

 

 

「逃げてください! 巻き込まれる前に!」

「ひ、ひぃぃ!」

「やめて! 押さないでぇ!」

「お前らどけぇ! 俺が先に出るんだ、早くどけよぉ!!」

 

 

 ……くそっ、もう恐慌状態に陥ってる。最悪だ。人間、誰でも自分を優先したい気持ちはあるだろうけど、死ぬかもしれないって状況になってその気持ちが暴走してる。

 ちゃんと並んで外に出なきゃ、ケガもするし全体の脱出が遅れるだけだ。焦りすぎるな、と叫び出したい気持ちが湧き上がるが、同時にある言葉も思い返される。

 

 

 ――フツーの人はそんなに強くないってことだけは分かってくれよ。

 

 

(そうだ。誰でも言われてすぐできるほど、心は強くない)

 

 

 ある意味でその「フツーの人」に一番近い朝木の言葉だからこそ、そこには強い実感が伴う。

 焦るなと言われてすぐに平静を取り戻すことができる人はそういない。だったら、平静を取り戻せる環境を設ける……少しでも、安心する余地を作る必要がある。

 あるいは、自分が「やらねば」と思わせるように、今のこの性別をこそ利用する――――。

 

 オレは意を決し、息を吸い込んだ。叫ぶのではなく、この場に「響かせる」ことを主眼に置いて、声を放つ。

 

 

「落ち着いてください! あの人たちは()が足止めします! 前の人を押したりしないでください! 時間は……稼ぎます!!」

 

 

 あえて口にした「私」という一人称は、あの人たちに疑問を抱かせないためのものだ。この見た目で「オレ」と言うと、違和感で多少ならず首をかしげてしまうものらしいから。

 

 

「ッ……みんな並べ、並べェッ!! あの子の邪魔をしたいのか!?」

「そうだ、前の人を押さないで! 全員で逃げ切るんだ!」

 

 

 驚くほどすんなりと飛び出してしまったその一人称に、自分でショックを受けている暇はない。

 なんとか正気に戻ってくれた人が率先して前に立ち、誘導を始めてくれる。状況を考えれば、これだって途方もないくらい、勇気を振り絞ってくれたに違いない。ならオレは、その勇気に報いるため一分一秒でも長く時間を稼がないといけない。

 

 

「逃しませんよ。ハガネール、『アイアンテール』!」

「エアームド、『エアスラッシュ』!」

「ッ、ギル! 尻尾の起点を狙って『かわらわり』! チャムは『ねっぷう』!」

 

 

 「アイアンテール」の始動に合わせ、ハガネールの尾が輝きを増す。だが、ギルはそれが動き出すよりも先に突進し、その輝きが発せられる手前の部位に向け剛腕を振るった。

 双方共に弱点となるタイプの技だ。先手を取って威力を殺しているとはいえ、メキ、という嫌な音が両者から発せられるのは当然のことと言えた。ギルは腕、ハガネールは胴体の中ほど……いずれも折れているということは無いが、相当な痛みではあるようで、ギルもハガネールも同様に苦悶の表情を浮かべた。

 

 同時に放たれたのはエアームドの「エアスラッシュ」――強烈な風による真空の刃は、チャムが「ねっぷう」を放つことにより、温度上昇による空気の「揺らぎ」が生じてその威力は大幅に減衰した。

 ダメージは多少あるかもしれないが……それはあっちも同じだ。

 

 

「くっ、このままではむざむざと逃がすだけに……ブソン!」

「分かってんだよ! 工場内の全団員に告ぐ! 脱走だ! 今すぐ殺してでも止め――――」

「ッ!」

「ぐわぁッ!!?」

 

 

 ブソン、と呼ばれた男が言い切るよりも前に、手近なところに落ちていた瓦礫の破片をぶん投げて握っていたホロキャスターを破壊する。

 同時に腕を潰すことはできたが、直撃そのものは免れたようだ。しかし、本旨は既に伝え終わってる。妨害まではできなかったか……!

 

 

「ク……ハハハッ! 残念だったな! もう指令は出ちまった! どれだけ逃がそうと、無駄な足掻きだ!」

「けど、『これ以降』の指示が伝わることは無い……!」

「……!? そうだ! ブソン、マズいことになります! アサリナ・ヨウタが外に!」

「な……しまった!!」

 

 

 ――ま、半分は(ブラフ)だがな。

 ここにいるのは東雲さんと小暮さんだけだ。ヨウタはまだ外で待機している。こっちが騒がしくなったからあっちも動き出す頃だろうけど、どっちにしたってすぐにこっちにやってくることはできない。

 しかし、この二人にとって、ヨウタがいる方向に部下を行かせるというのは、地獄の片道切符を掴ませたようなものだ。一瞬、ヤツらの思考に隙間が生じる。

 

 

「今だ! チャム、『ニトロチャージ』! ギル、『ストーンエッジ』!」

「ッ、マズい! エアームド、かわせッ!」

 

 

 もう遅い! 急旋回したエアームドはなんとかチャムの猛突進を回避したようだが、遅れて放たれたギルの「ストーンエッジ」は、遅れて放たれたが故により高精度に照準をつけることに成功している。回避したその先に向けて放たれた岩塊は、狙い違わずエアームドの片翼を撃ち抜いた。

 

 

「とどめだッ!」

「ムドォ……!!」

「グルルル……グオオオオオオオッ!!」

 

 

 ――直後、ギルの尋常ではない膂力任せの「ばかぢから」により、エアームドは思い切り床へと叩きつけられた。

 ハガネールのあの顎を強引に閉じ切り、勢い任せに砕き割ることができるほどのパワーだ。流石に耐えきれることはできず、エアームドはその動きを止めた。

 

 

「くっ……こんなガキに! 戻れ、エアームド! 行け、ベトベトン!」

「ベトォン……」

 

 

 続いてブソンが繰り出したのは、その全身を紫色の粘液で形作るヘドロポケモン――ベトベトンだ。

 その底面、床材に接した部分からは、ベトベトンが分泌しているのだろう毒液によってシュウシュウと音を立てて煙を吹いている。

 アレは……マズいな。触るだけでも危険だ。アローラのベトベトンじゃないだけマシだが……直接攻撃は得策じゃない。

 

 

「チャム、『かえんほうしゃ』!」

「させませんよ。ハガネール、『すなあらし』!」

「ついでにこいつも持っていきな! ベトベトン、『ヘドロウェーブ』!」

 

 

 ハガネールの生み出した砂塵の嵐が、同時に生じた汚濁の波を飲み込んで成長し、やがて周囲に黒い粘着質の雨を降らせていく。

 不可解なその現象に顔をひそめていると、不意に雨に触れた二の腕部分に痛みを感じた。

 

 

「痛っ……まさか!?」

 

 

 ――――毒だ!

 こいつら、ヘドロウェーブ……つまり毒液の波をそのまま巻き上げて降らせ(・・・)やがった!

 

 

「な……うわああああああああああああ!」

「どうッ……があああっ、目が、あああああああ!!」

「ギャアアア!」

 

 

 直後、まだ逃げきれていない人たちにも向かい、黒い雨が降り注ぐ。

 強い刺激を持った毒素は、触れた皮膚を溶かし、焼き、ただれさせていくほどの威力を秘めている。このまま放置しておけない!

 

 

「ベノー!」

「ばっ、やめろベベノム! 今はマズ……ぐっ!?」

 

 

 対抗しようと思いきり毒液を吹きかけようとしたのだろう、口をぷくりと膨らませたベベノムだが、オレはその攻撃を止めるためベベノムの口に手をやっていた。

 毒の影響で激痛が走り、皮膚が溶けただれる。思わずうめき声が漏れてしまうが、何にしろここで更に毒をプラスするなんてもってのほかだ。更にこの毒液の雨が悪化してしまう。

 

 

「フフフ……ハハハ! 予想外の相乗効果でしたが、これはいい。なるほど、君は広範囲攻撃には対応しきれないようだ」

「るっせ! こ……んのォ!!」

 

 

 ばかん! と壁板を引っぺがし、逃げようとしている人たちの上に掲げて盾代わりを請け負う。

 これで多少は被害も軽くなる……が、これだけじゃじり貧だ。まず元を断たないと!

 

 

「ギル、本気でやっていい! 『じだんだ』だ!」

「ギィィ……ラアアアアアアアッ!!」

 

 

 全速力で前方に向けて突っ走っていくギル。毒液の嵐に侵されながらも、その速度と破壊的な突進の威力にはいくらかの陰りも無い。

 

 

「やらせはしません! ハガネール、『アイアンテール』!」

「ネェェェェル!!」

 

 

 グオン――と、ハガネールが自身の尻尾を振りかぶり、その先端を光らせた。

 その動作を目にして、オレは――オレとギルは、次にそれがどこから振るわれるか、どのように振るわれるかを予測し……断定した。

 

 

「そこだ! 右下!」

「グルァッ!!」

「な……にっ!?」

 

 

 ――果たして、振るわれ、その足を掬うはずだった尾の一撃はギルによって掴み取られた。

 今度は逆にギルの側がしっかりとハガネールを捕らえるような形になる。

 

 

「何だと……!?」

「読みやすいんだよ、予備動作が! ギル! やれええぇっ!!」

「ゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 

 次の瞬間、ギルは元来持ち合わせている幼児性を爆発させるようにその場でハガネールを持ち上げ、文字通りの「じだんだ」を踏みながら、まるで紐か何かのようにして――癇癪をぶちまけるようにして、咆哮と共にハガネールの身体を振り回し(・・・・)始めた。

 

 

「なんだとォ!?」

「うわっ!! まさかこんな、攻撃! しょ……正気ですか!?」

「知るか。オレたちに出遭った不幸を呪え」

 

 

 引き延ばし、叩きつけ、踏みつけ踏み抜く。半ば「げきりん」のそれが混じったような暴れっぷりで工場設備が跡形もなく粉砕され、火花を撒き散らしていく。

 周囲の瓦礫もまた同様に衝撃と共に前方にぶちまけられ、多数の瓦礫が散弾銃のようにしてブソンたちを襲っていく。

 

 

「マズい!! ベトベトン、攻撃はやめだ! こっちを守れ!」

「くっ、出なさいグライオン! 『はたきおとす』攻撃!」

 

 

 が、流石にそれ以上は望めない。依然ヘドロウェーブを放ち続けていたベトベトンの攻撃が中断され、ブソンを取り囲むようにして弾力のあるその体を盾にした。

 また、もう一人は新たなポケモンを繰り出し、その技でもって襲い掛かる瓦礫を吹き飛ばす。結局、これだけではヤツらに大した手傷を追わせるには至らなかったようだ。

 

 

「戻れ、ハガネール!」

 

 

 今度は、あの二人に向けて投げ放たれようとしていたハガネールだが、流石にそれは無理だった。戦闘不能であることを認めると、灰色の髪の男は迅速にハガネールをボールに戻した。

 

 

「どうするバショウ、あのお嬢ちゃんまるで遠慮が無いぜ」

「計算外です。彼女らにとってこの施設は重要だったはず……」

 

 

 その言葉にオレが応じることは無い。実際、小暮さんに「全力でやっていい」と後押しを貰ってるからこそ遠慮せずに指示を出してるのであって、実のところ惜しいと思う気持ちは残ってる。

 が。それ以上に重要なのは、民間人への被害をできる限り抑え、この場を切り抜けることだ。

 

 

「人の命はモノに換えられない」

 

 

 ひとことだけ、しっかりとヤツらに向けて告げ、オレはその場に壁板を降ろした。

 ……もう全員逃げてくれたようだから、盾は必要無い。

 

 

「彼らのような一山いくらの労働者を逃がしたところで、何になるのです。君たち『こちら』の世界の住人にとっては、この工場と生み出されるアイテムこそが値千金ではないのですか?」

「人と金を並べて語るな、ゲス野郎」

「『人』? クッ、ハハハ! 面白いことを言うじゃねえかお嬢ちゃん。ポケモンなんざ一匹もいない、技術だってまるで大したことがない……こんな世界の無力な知恵遅れの猿と、俺たち『人間』の命の価値はまるで違うだろ!」

 

 

 ――――。

 

 思わず、頭の奥でぶちりと音が鳴りかけた。

 けれど、その感覚を理性で押し留める。殴りに行きたい。が、ポケモンたちが前に出ている以上そういうわけにはいかない。

 横に立つチャムを見ると、今にも前に飛びださんという表情でぶるりと体を一つ震わせた。

 

 正直なところ、あいつらの目的は分かってる。オレをキレさせて、突撃させることだ。

 見たところ、ベトベトンはどちらかと言えば攻撃よりも防衛……相手に攻撃をさせて、迎え撃つ形で攻撃を行う方が得意に思える。ただ単に殴り合うだけならギルと一緒に突撃すれば勝てるだろうが、それが通じるのは万全の状態の時だけだ。この一連の攻撃の間に、ギルの体力はかなり削られてきている。

 直撃こそ避けてはいても、ハガネールの「アイアンテール」を何度も受けた上にあの猛毒の嵐の中を突っ切っていったんだ。一見問題無いように見えても、戦いの空気の中で脳内物質がダダ漏れになって疲れを無視してるだけだ。限界に達したら即ダウンしかねない。

 

 ……かと言って、このままあいつらに喋らせておくのも論外だ。

 毒は依然、ギルの身体を蝕み続けている。無駄に時間を食えばそれだけ体力が消耗してしまう。

 加えて、アレは流石にそろそろマジでキレる。時間稼ぎの意味合いもあるんだろうけど、あいつらの言葉には嘘が無い。半ば本気でそう思ってるのがありありと感じ取れる。ボールの中にいるリュオンでも、何かイヤなものを感じ取ってボールを震わせてバトルに出すことを要求してくるほどだ。

 けど、その前に――言い返すだけ、言い返しておきたい。

 

 

「その猿を潰しきれてないのが、お前らの限界だろ」

「あぁん?」

「本当にお前らが全てにおいて上回ってんなら、レジスタンスだって発足する前に潰してる。オレやヨウタを取り逃がすような真似だってするもんか」

「言いますね。――だからどうしました? このシコクの各都市は既に制圧し、あなたがたもコソコソと隠れて逃げ回るだけ。それが即ち、あなた方が弱者である証明だと言うのです」

「大人しく支配されてりゃあいいってのに、抵抗するからそうやって傷つくんだ。最早この世は弱肉強食、弱者は大人しく強者に従ってりゃあいいのさ!」

「ぷ」

 

 

 その、あまりに身勝手な弱肉強食論を耳にすると――怒りを通り越して、オレは思わず吹き出してしまった。

 

 

「何がおかしい!」

「お前らがこの世界に来たのは、ヨウタに勝てなかった(・・・・・・)からだろ。負けなかったら、こんなトコに――何があっても負けるはずのない、『無力な猿』しかいないような世界になんて来やしない。結局のところ、お前らは絶対に負けないって確証が得られなきゃ勝負も仕掛けられない腰抜けの集まりだ」

 

 

 ギルをボールに戻し、新たにリュオンをボールから出す。

 体力が削られてはいても、頭一つ抜けた能力を持つギルを戻す意味が理解できなかったのか、灰色の髪の男は怪訝そうにこちらに視線を寄越していた。

 

 

「お前らは自分たちの一方的な略奪を正当化するために、弱肉強食って言葉を使ってるだけだ」

「それで? 実際勝ち目が無いことには変わりないだろうが! お前もバンギラスを引っ込めて、何のつもりだ!? 自分から勝ち筋を消しちまってるじゃあねぇか!」

「本気でそう思ってるならグダグダ御託抜してないでとっととかかって来いよ。『弱肉強食』なんだろ。とっくにオレたちは生活も街も何もかも奪われてんだ。できるんだろ? ならやってみろよ」

 

 

 ――メキ、と。チャムとリュオンの身体が音を立てる。

 体組織の急激な変質と共に、増幅する生体エネルギーが漏れ出し光を放つ。

 

 

「けど、弱肉強食なんて口にした以上、勝って奪い返す(・・・・)ことに文句は言わせねえ」

 

 

 やがてその変化が終わったその時、赤と青の炎を噴き上げ咆哮するポケモンの姿があった。

 

 もうかポケモン、バシャーモ。

 はどうポケモン、ルカリオ。

 

 

「――お前らが戦えない人たちから奪っていくなら、オレたちがお前らに勝って、全部()り返すだけだ」

 

 

 ――――二匹(ふたり)はオレの意志を代弁するように前に出ると、しっかりと地を踏み敵と相対した。

 

 

 










・バショウとブソンの手持ちポケモン
 原作で使用したのはバショウがハガネール、ブソンがエアームドとベトベトン。
 本作ではバショウのPTにグライオンが追加されているが、これはハガネールが「すなあらし」を多用していたことで砂パと設定されたため。また、登場世代では進化しなかったが、後の世代で進化を獲得した(イワーク:第一世代→ハガネール:第二世代/グライガー:第二世代→グライオン:第四世代)繋がりによる。



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激浪貫くはどうだん

 

 

 

 休んでいた五日間の間にも、兆しはあった。

 リュオンとは出会った時から妙にウマが合ったし、目的もほとんど同じで、日々の訓練の中でも拳法の手ほどきを通じて心を通わせていた。

 チャムはほとんど常に最前線に立ち続けていて、数多くの戦闘経験を積んできた。ビシャスとの戦いでも最後まで戦っていたし、ヘルガーなどの強敵も下している。レベル自体もきっと、思った以上に高くなっていたんじゃないかって思う。

 

 ポケモンの進化を何度も間近で見てきたヨウタ曰く、最終的に大事になるのはポケモン自身が実戦の中できっかけをつかめるかどうか、だと言う。

 ――果たして、二匹(ふたり)はこの戦いの中で「それ」を掴んで見せた。

 

 片や同調した波動(こころ)を重ねることで。

 片や燃え上がる闘争心を本能に乗せて解放することで。

 

 ……こんな状況にも関わらず、ベベノムはチャムの腕から放出されてる炎……つまるところの「光」を目にして興奮していた。

 

 

「進化……このタイミングでですか……!」

「ビビッてる場合か、バショウ! 今がチャンスだ(・・・・・・・)! 進化したばかりの今なら成長した体に慣れてない! ベトベトン、『ヘドロウェーブ』!!」

 

 

 ベトベトンが床に自身の手を叩きつけるの同時に、噴き出した猛毒のヘドロが津波のように押し寄せる。あれが「すなあらし」の影響下に無い時の本来の「ヘドロウェーブ」……人ひとりくらいは簡単に飲み込んでしまいそうだ。

 ――――けれど。

 

 

「リュオン、『はどうだん』!」

「ルァ――――ッ!!」

 

 

 一撃のもとに、波濤は砕かれた。

 

 

「なんだとォ!?」

 

 

 かくとうタイプに加えてはがねタイプの加わったルカリオ(リュオン)生体エネルギー(はどう)は、どくタイプの技に対して強い抵抗力を有する。

 そして「はどうだん」は、波動を直接撃ち放つ技だ。よって実際の威力はどうあれ、どくタイプの技である「ヘドロウェーブ」を弾き飛ばすというのは、ごく自然なことでもある。

 

 

「ブソン、アレははがねタイプのポケモンです!」

「そ、そうか! くそっ……」

「そちらはあのバシャーモを! グライオン、ルカリオへ『じならし』攻撃!」

「分かったぜ……! ベトベトン、バシャーモに『ダストシュート』!」

「近づけさせるな! チャム、『かえんほうしゃ』! リュオン、『はどうだん』!」

「バシャアァァァァッ!!」

「リオッ!」

 

 

 周囲にバラまくようにして吐き出される火炎が二匹の進行を阻む――と思われたが、それは一瞬。まず先に炎上網を突き抜けてやってきたのは、ベトベトンだ。粘液で構成された体は、多少の火炎はものともせずにかき消して突き進んでくる。

 その進行を阻むべく、波動を凝縮した蒼い弾丸が再び放たれる。が。

 

 

「ベトォォォンンン……」

「……!?」

 

 

 ベトベトンは、波打たせたその体でもって衝撃をかき消してしまった。

 

 

「ハハハッ、練度が違うんだよ! 行けぇ!」

「グララララァァーイ!!」

 

 

 突き破った火炎の網を先に抜けてきたのは、グライオンだ。鋏を閉じて振りかぶったその腕を、リュオンに向けて思いきり――文字通り「地を均す」かのように叩きつける!

 

 

「リュオン、直接受けちゃダメだ! 『ボーンラッシュ』!」

「! ルゥアッ!」

 

 

 ドゴォ! と、大型トラックが衝突したような音が響く。その中心部で、リュオンはグライオンの鋏を骨状の波動を用いて受け止めていた。

 「ボーンラッシュ」――本来なら、それこそ「骨」を武器として扱うカラカラなどのポケモンが用いる技だが、ルカリオもこの技を扱うことができる。一種の棒術と言うべきだろうか。後々のためを思って棒術も教えておいたのだが、それが功を奏したと言えるだろうか。

 だが、そうこうしているうちに。

 

 

「ベトオオオオオン……!」

「バシャッ……!」

 

 

 ベトベトンが、チャムの間近にまで迫っていた。

 ヤツの肉体は全てが猛毒のヘドロ。だが、この距離なら……!

 

 

「『かえんほうしゃ』!」

「シャアアアアアアアッ!!」

「ベドオオオオオオオオオ!!」

 

 

 チャムの吐き出す火炎がベトベトンへと迫る。さっきの、進行を妨害するためにバラ撒かれたものとは異なり、一点に集中させた最大威力の「かえんほうしゃ」だ。流石にヤツも多少は堪えたのか、その表情は苦悶のそれに移り変わる。

 

 

「バシャァ!?」

 

 

 だが――直後、莫大な量のヘドロが、チャムに叩きつけられる。

 圧倒的な質量と威力言う点でも当然脅威だが、それ以上に厄介なのはその毒性――下がってきたチャムの全身を見れば、まるで酸に焼かれたような傷が生じていた。

 このまままともにぶつかるのはマズい……!

 

 

「追撃と行きましょう。グライオン、『アクロバット』!」

「下がれ二匹(ふたり)とも! チャム、『ブレイズキック』! 狙いは――下だ!」

「「!!?」」

 

 

 大きく振りかぶられたチャムの右脚が、火炎を纏って床を踏み砕く。そして次の瞬間、巻き上がる爆炎と砂埃によってオレたちの姿が覆い隠された。

 ポケモンたちは、高い感知能力があるおかげでその状態でも一瞬の間があれば再びオレたちを捕捉することはできる。

 しかし、人間……トレーナーの方はそうはいかない。視認・思考・指示出しのための発声――というプロセスを踏むためには、必ずそこに二秒から三秒ほどのタイムラグが生じる。

 ――その前に。

 

 

「行くぞっ!」

 

 

 オレたちは、一人と二匹(さんにん)別々の方向(・・・・・)へと飛び出した。

 

 

「なにっ!?」

 

 

 オレたちは身長の差こそあれ、皆人型だ。色合いはそれぞれ異なるが、バシャーモ(チャム)は三十階建てのビルを軽々と飛び越えられるほどの脚力を有し、ルカリオ(リュオン)は「でんこうせっか」や「しんそく」と言った超高速の突進技を覚えるポケモン。オレも足の速さだけはポケモンに比肩するほどのものがある。全力で動けば、常人には「何かが動いている」以上の認識はできないことだろう。ただ、これは同時に多大なリスクを背負う行為でもある。

 

 

「正気ですか!? 死にますよ!?」

「だったら殺してみろ腰抜け共ッ!」

「そこまで言うならお望みどおりにしてやる! ベトベトン、あのガキに『ヘドロこうげき』!」

「な……ブソン! 命令は殺さずに捕まえることです!」

 

 

 ベトベトンの腕が、まるでヘドロを噴き出すように爆発的に伸長してオレの方に向かう。

 人間が蝕まれれば数分で命を落としかねないほどの濃厚な猛毒と、一撃で骨肉を砕かれかねないほどの痛烈な威力。どちらを取っても、オレを殺すことにだって充分だと言えるだろう。

 だが。

 

 ――見える。

 

 ベトベトンの動きがスローになり、飛沫の一つ一つすらもはっきりと見える。

 それと同時に、高速で動くために地面すれすれを跳躍している今この状態のままでは、回避しきれないだろうということにも気付く。

 だろうな、とは半ば気付いていた。それでもやるだけの価値はあると、ある程度オレは確信していた。

 

 ――ゾーン。

 ――超集中状態とも言われてる。

 ――脳内物質の働きでリミッターが外れて脳も体も超パワーアップする。

 

 小暮さんが注釈を入れていた……「スポーツ漫画でよくある」という言葉を考えるに、その現象は「ボールが遅く見える」ことも含むと見て間違いない。

 思考が加速する。目に映る光景全ての動きが緩やかになる。そんな中で――オレは迷わず、左腕をヘドロの中へと突き込んだ。

 

 

「!!?」

 

 

 本当なら溶け落ちたって仕方ないくらいに愚かな行為なのだろう。けれど、そんな中でもオレの手には焼けるような感覚が残っている。

 そのまま、粘度の高い水のようなヘドロを掻き、腕を支点とすることで、宙返りの要領で「ヘドロこうげき」を飛び越える(・・・・・)

 結果、その攻撃が直撃することはない。飛沫が跳ねて顔を焼き、視界が塞がるが、それでも――戦闘続行には問題無い。

 

 

「づっ……今だ、チャムッ!」

「バ……シャアアァァァァッ!!」

「ベト……!?」

 

 

 狙っていたのは、その瞬間だ。

 ベトベトンの特徴は、やはりその粘液質で不定形な……スライム状の肉体だ。ゲーム上では「とくぼう」の数値に優れるベトベトンだが、現実になるとその体質のおかげで物理攻撃に対しても大きな耐性を持つことになる。

 だから、その「耐性」が落ちる一瞬、腕が伸び切って、防御に回すだけのヘドロが少なくなった瞬間を狙いさえすれば。

 

 ――容易に、その防壁(ヘドロ)は焼き切れる。

 

 

「ベドォォォォ……!!」

「嘘だろ……人間が陽動役!? いや、だいいち、何であのガキは無事で済んでる!?」

「ッ……リュオン、続け! 『れいとうパンチ』!」

「――――! しま……っ」

「ルオオオッッ!!」

「グルルァァッ!!?」

 

 

 バショウとブソンの虚をつくかたちでリュオンが跳び、迫りくるグライオンの顔面に蒼い炎を纏わせた拳で一撃を入れる。

 鋭い冷気とともにグライオンの顔面は霜が降りたように白く染まり、その体も吹き飛び、壁に叩きつけらることとなった。

 まだ、倒れたわけじゃないようだが……。

 

 

「ルッ……」

「こっちは気にするな! 前を見て……ッ!」

「……いえ。無事で済んでるわけでは、ないようです。が……」

 

 

 ベトベトンの腕を全力の「ブレイズキック」で断ち切り、再びオレの前にやってきたチャムだが、その表情は芳しくない。

 それは――ベトベトンの攻撃を凌ぎきったとはいえ、その結果オレの腕と目が毒に侵されてしまったことが原因だろう。直接浸していた腕などは、毒のせいで煙だか湯気だか分からない気体が立ち上っている。

 

 

「……く、う……ッ」

 

 

 痛い、と言うよりも熱い。その上、徐々に感覚が無くなってきてる。顔の方にはどの程度触れたのかよく分からないが、少なくとも首元から頬にかけて多少どころではない熱を感じる。左目も開けられない。

 逆に言えばそれだけ(・・・・)だ。手は繋がってるし、目だって溶け落ちたわけじゃない。

 

 毒を振るい落とすように、左腕を軽く回す。同時に、堰を切るようにリュオンの纏う炎と同じ蒼い色の電気が音を立てて大気中へと放電されていった。

 ……現状じゃ、もって一分が限度か。

 

 

「……畳みかけるぞ! リュオン、『ボーンラッシュ』! チャム、『かえんほうしゃ』!」

「あの電気の色……先程までのものでは……! いえ、それよりも――グライオン! 何をしているんです、『こうそくいどう』!」

「近づけさせるなベトベトン! 『どろばくだん』!」

 

 

 リュオンが跳び出し、波動を固形化して創り出した骨状の棒を振りかぶる。その瞬間、横から飛び出してきたグライオンが、その攻撃を阻んだ。

 次いでチャムが吐き出した火炎が、ベトベトンの投げ込んだ泥と激突する。が、泥は見る間に乾き、逆にそのチャムの火炎の勢いのままに押し返されていた。

 

 

「何をしてやがるベトベトン! もっとパワーを上げろ!」

「ベ、ベトォ……」

 

 

 そうは言うが、ベトベトンも相当なダメージを負っている。体力的にも半ば限界に近いだろう。むしろトレーナーの要望にちゃんと応えている分、精神的には優れていると言って間違いない。

 あのベトベトンがパワーを出せていない原因は――。

 

 

「あれだけヘドロを削られたのです、本来のパワーなど出せるはずもありません! それをしでかしたのは、あのバシャーモ……いや、そもそもを言うならあの少女が……!」

「くっ……どうすりゃあいい、バショウ!」

「撤退します。あの少女、間違いない――波動使い(・・・・)です! このままでは分が悪い!」

「…………」

 

 

 何だ、もう気付いたのか。気付かなきゃ、このまま押し込めたんだが。

 

 さっきのオレがベトベトンの攻撃を僅かながらにも耐えられたのは、全身に波動を纏っていたからというのが大きい。

 ポケモンたちがこの五日間の間で成長したように、オレだってこの五日間何もしてなかったわけではない。リュオンと一緒に常日頃から波動のを操るための訓練を続けていた。その成果が――この、波動と電磁発勁が混ざってしまった蒼い電気だ。

 どちらも生体エネルギーであることには変わりない。問題は出力の方式だ。まだ完全にどちらに振り切っているとも言えない現状ではこれが精いっぱいだが……僅かな時間、ポケモンからの攻撃を防ぐのに使えることには変わりない。そして何より、普通の人間が視認できるという程度の違いこそあれ、本来の波動のそれと能力は変わらない。

 

 

「チィ……今は逃げるしかないか……! 覚えていろ! 次はこうはいかねえからな!」

「次?」

 

 

 それには、一定範囲内のあらゆる生体の存在を感知するという能力も、含まれている。

 

 

「次なんて無い」

 

 

 ――そう告げた瞬間、バショウとブソンの身体に粘着性の糸が絡みついた。

 

 

「な、なんだぁッ!?」

「これは……『クモのす』!?」

 

 

 今、チュリはボールに戻っていて、当然ながら「クモのす」を使うことができる状態ではない。そもそも、このタイミングからではヤツらに届く前に逃げられてしまうだろう。

 なら、何故ここで「クモのす」が彼らの身体に巻き付いたのか。それができるのは――ただ一人。

 正確には、一匹(ひとり)

 

 

「……詰みです」

 

 

 今この場で彼らに敗北を告げた、小暮さんのシズクモ(しずさん)に他ならない。

 

 

「な……他に仲間がいやがったのか!?」

「すみません。小暮さん、しばらくこの子を」

「え……あ、はい……」

「聞いてるのか!?」

 

 

 聞いている。聞くだけの価値が無いと断じているだけだ。

 昂る激情のまま、オレは走り出した。ほんの僅かに小暮さんが驚きを見せるが、やることは変わらない。同時にリュオンとチャムが、進化前のそれを思わせないほどに力強い動きで前に出る。

 

 

「……ッ、まだです! グライオン、『ハサミギロチン』!」

「うおおおお……! ベトベトン! 『ダストシュート』ォ!!」

「……しずさん、『バブルこうせん』」

「――リュオン、『はどうだん』! チャム、『フレアドライブ』!」

 

 

 ベトベトンが最後の力を振り絞って吐き出した多量の毒はリュオンの「はどうだん」によって貫かれ、高速で接近していたグライオンは、しずさんの吐く無数の泡で動きを止められたところを、チャムの全力の一撃でとどめを刺された。

 オレは――まだ、突き進む。拳を握り、前に出る。

 

 

「な……もうポケモンは」

「ポケモンを持ってないから何だ!? 戦えない人たちを襲ったのはお前らだ! 先に弱者を踏み躙ったのはお前らだッ! 言ったぞ、『奪われたものは取り返す』って!」

 

 

 蒼い稲妻が――全身から迸る。

 

 

「まずはお前らが奪った――誇りからだッ!!」

 

 

 ――――そして、崩落した工場の中に轟音が響き渡った。

 

 

 



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じだんだ踏むほど物分かりは悪くなく

 

「正座」

「はい」

 

 

 戦いを終えて、オレたちがまず始めたのは本日の反省会だった。

 出席者は、左腕と顔半分が包帯でぐるぐる巻きになったオレと、ヨウタと小暮さん。それとオレの腕にベベノム。場所は工場付近のテント。

 東雲さんは今回救出した人たちを安全な場所に誘導する手伝い。朝木はそれについていって、健康状態に問題が無いかのチェックと治療ということになっている。

 

 その一方でオレは地べたに正座である。

 オレ、一応今回の功労者兼怪我人ってことになってると思うんだけれども。

 

 

「……釈明を……聞きたいと、思います」

「……何があったのか、聞いていい?」

「Q(急に)B(ベベノムが)K(来たので)」

「僕をおちょくってるのか」

「違うって! 工場の中覗いてたら、本当に急に出てきたんだよ!」

「アキラのことだから、どこかで拾ったけどボールが無かったから言い出せなかったって線もありうると思うよ僕は。そんなに懐いてるし」

「……先日の食料の件も、それで辻褄は合います……から」

「ホントに知らないです……」

 

 

 はっきり言って完全に初対面だ。あの場面で邪魔された分むしろ印象としてはマイナスとすら言えるだろう。

 小さな疎ましさを隠しきれずにベベノムにやや鋭さを持った視線を向けると、彼(?)はひどくショックを受けたように目に涙を溜めた。

 

 

「あっ、泣かせた」

「ひどい……」

「えっこれオレが悪い流れ……?」

 

 

 悪いのか。悪いんだろうな。ばーちゃんも言ってた。「子供を泣かせたら泣かせた人が一番悪い。そういうものよ」って。

 子供は感情で動く生き物だ。ベベノムもアーゴヨンの幼生という生態である以上、子供と言っても差し支えない……だろう、多分。だったら邪険にしたオレも悪い。そういうことだろう。

 

 ともかく、ベベノムに謝って機嫌を取りながら話を続ける。

 

 

「ていうか小暮さん、直前まで一緒にいたんだから状況は知ってるじゃないですか!」

「……索敵を行っていたのは……アキラさん、ですよね……? 気付けなかったのは……どういう……」

「リュオンはあくまで『悪意』を感じ取っていたので……」

「ベノ~」

「……こういう、悪意がまるで無い相手は、ちょっと……」

 

 

 頭をオレのお腹にこすりつけてくるベベノム。当たり前みたいな顔して懐いてきてるけどキミ、ギルとかと違ってそれに足るバックボーンとか無い……はず、だよな?

 ……いや、それを確かめるために何としてでも連れて帰ろう、ってことで連れて帰ってきたんだけど。なんというかその、それはそれとして困る。

 

 

「じゃあそれはそれで置いといて」

「はい」

「何であれだけ壊したのか聞かせてほしいんだけど」

「Q(急に)B(ベトベトンが)K(来たので)」

「喧嘩売ってるのか!?」

「ヨ……ヨウタくん……抑えて……」

 

 

 これほぼマジな話なんですけど!

 

 エアームドと戦ってる時までは、まだオレだって多少は遠慮というか躊躇というか……機材を気に掛ける余裕は多少あった。

 けど流石にベトベトンが出てきて、ハガネールと連携して民間人を襲いだしたんだから、どっちかを速攻で沈めるために他のことを気にかける余裕が無かったんだ……ということを説明すると、二人とも肯定とも否定ともつかない表情をしてみせた。

 

 なんせ状況が状況だ。民間人の保護は優先しておきたいというのはみんなの共通認識としてあるだろう。

 ヨウタなら機材をなるべく傷つけずに戦えるかもしれないが、そもそも潜入ができるかというとまた別問題になってくる。

 というか当初の予定だとバトルなんてなるべくせずに、工場の責任者――バショウとブソンを闇討ちしてしまおう、という段取りだったんだ。どこをどうしたらこんなにも予定(チャート)が狂ってしまうのか。これが分からない。

 

 

「じゃあそこは百歩譲っていいとして」

「はい」

「この怪我は?」

「……ベトベトンの攻撃の囮になって」

「それでよくその程度で済んだね!?」

 

 

 あれ。怒られるよりも先に驚いて心配された。

 小暮さんは完全に呆れてるみたいだけど。

 

 

「普通は?」

「最悪死ぬね。悪くいけば失明と腕の切断。良くても即入院だよ。アキラはちょっと頭の病院に行った方がいいかもしれないけど」

 

 

 半年通院してコレだが?

 ……なんて煽ることはせず、今は黙っておいた。オレも大概自分の行動がおかしいのはわかってるし……。

 

 

「それにしたってちょっと頑丈過ぎない? いくらアキラでも、あんな毒の塊に接触したんなら高熱くらい出てもおかしくないと思うんだけど」

「対策はしてたんだよ。ホラ、波動」

「波動」

「……リュオンさんの……?」

「それです。出会って手持ちに入ってもらってからずっと訓練してたんだ。で、今日ようやく使えるようになって」

 

 

 言って、右腕で波動の蒼い雷を披露する。

 ヨウタも小暮さんも、「うわぁ、こいつまた人間から遠ざかったなあ……」なんて遠い目をしていた。

 オレだってそう思う。誰だってそう思う。

 

 対照的に、ベベノムはその雷光を目にしてキャッキャとはしゃいでいるようだった。キミ神経太いな。

 

 ともかく。

 

 

「これで全身保護してたからなんとかなったってコト」

 

 

 多分、二日もあれば治るだろう。前の時みたく行動不能になるまでボコボコになってたわけでもないし。

 が、当然にと言うか、ヨウタは納得いってない表情だ。

 

 

「だからってトレーナーが前に出て自分からケガしに行くなんて、大バカもいいところだよ。何のためにポケモンたちがいると思ってるのさ」

「ポケモンたちは、レインボーロケット団を倒したいってオレのわがままに付き合ってくれてるだけじゃないか。本当なら傷つく必要だって無いのに、代わりに傷ついてもらうってんじゃ筋が通らないだろ」

「アキラはポケモンより遥かに弱いだろ」

「うぐ」

「役割分担なんだよ。ポケモンたちが前に出る。僕らトレーナーは指示を出す。そうして『一緒に戦ってる』んだ。それができないって言うんじゃよっぽど道理が通らないよ」

「けど、オレがやった方が早い部分もあるし、何より連戦になったらってこと考えたら……」

「多少は気に掛けるべきかもしれないけど、アキラが怪我して指示できなくなったらそれこそ勝てないじゃないか。それじゃあまるで、ポケモンたちのことを信頼してないみたいだ」

 

 

 ――――オレが?

 ポケモンを、信頼してない?

 

 

「そんなわけないだろ! ふざけるなよ!」

「何だよ急に! トレーナーとして客観的な事実を言っただけじゃないか!」

「オレは……そういうつもりなんて無い! そんなこと、絶対……!」

「でも、だったら一方的に守ろうとなんてしないじゃないか! 自分『だけ』が傷つけばいいなんて傲慢だよ!」

「……ヨウタくん、アキラさん。一度……落ち着きましょう」

「でも……! ……はい」

「………………」

 

 

 違う、と言いたい。けど、はっきりと否定できるのか?

 今までの状況から、自分の言動から――もしかして、自分が気付いていないだけで。

 全幅の信頼と親愛を向けてきたつもりだった。けど、それは伝わっていたのか? いや、それとも、仮に伝わっていたとしても、本当の意味でちゃんとした愛情を注げていたのか……?

 

 オレは。

 わたし(・・・)は。

 

 

「……少し、整理しましょう」

 

 

 と。心の奥底に深く沈み込みかけた思考を、澄んだ声が呼び戻す。

 小暮さんはこちらに向かってピンと指を立てて言葉を続けた。

 

 

「……ヨウタくんは……ポケモンのことを、どう思っていますか……? その、手持ちの」

「友達で、相棒(パートナー)です」

 

 

 ヨウタは、一切淀みなくそう言い切った。

 オレも、同じように言えるだろうか。自分のポケモンたちの目を見て、強く、はっきりと――。

 

 ……無理だ。

 違う。違う。何かが――違う。部分的には違わない。友達、かもしれない。パートナー、かもれない。けれど何かが違う。どこかが違う。根本的な部分が、少し、違う。

 

 

「……アキラさんは?」

「…………しっかり、固まってるわけじゃない、です。けど」

 

 

 信頼はしてる。親愛も注いでる。けど、オレの思ってるそれは……みんなに対して抱いている感情は。

 失いたくない。傷ついてほしくないと願う心の源泉は――――。

 

 

「――家族、だと……思いたい」

 

 

 徐々に言葉が尻すぼみになっていくのが、自分でも分かる。

 けどこれ以外に表現することばが思い浮かばないんだ。時間の積み重ねが無いことは分かる。だってまだ皆、出会って十日も経ってないんだ。それなのにこんなことを言いだすのは、いっそ愚かしいとすら思える。

 けど、オレにとって――損得勘定抜きの全幅の信頼と無償の愛情を注げる相手というのは、その言葉以外に思い浮かばない。

 

 

「……記憶、無くしてからばーちゃんしか頼れる人いなくて……でも、ポケモンたちはそういう引け目とか体質とか関係なく接してくれて、信じられる相手だから……」

「……えっ……と」

「…………」

 

 

 ヨウタと小暮さんは、二人して押し黙っていた。

 想定外の答えだったらしく、特に小暮さんは何やらフリーズしていた。目が「え、これ聞いていい話ですか?」と痛切に訴えかけている。

 しまった。小暮さんに詳しいこと話してない。

 

 一方のヨウタには何とか思いが伝わってくれたのか、気を取り直したように顔を上げた。

 

 

「――ごめん、僕も言い過ぎた」

「いや、いい……オレも、無鉄砲だったのは分かってる」

「そうだね。……ポケモンのことを想ってるのは良いことだと思う。けど、アキラがポケモンたちのことが好きなように、ポケモンだってアキラのことが好きなんじゃないかな」

 

 

 オレ、だけじゃなくて。

 

 

「傷ついてほしくないっていうのは、お互いに一緒だよ。戦いになる以上怪我は避けられないけど……トレーナーが怪我して動けなくなったり、喋れなくなったり……死んじゃったりしたら、ポケモンたちも怪我どころじゃ済まないと思うんだ。それは、忘れないで」

「……ん」

「……あ、え、えっと……そ、そういうことですね……」

 

 

 あ、小暮さん復活した。

 ……ま、まあどうあれ、これで今回の反省点はある程度洗い出せたと言ってもいい、かな?

 うん。次は気をつけよう。何をするにしても。

 

 

「……あ、そ、そうだ。レイジさんが、まだ応急処置だけしかしてないから精密検査に来てくれって」

「あ、ああ。じゃあ、うん。行ってくる」

 

 

 正直、大した症状が出てるとも思えないけど、朝木以外にも医療関係者はいるそうだし……やらないよりいいか。前からの怪我、本当の意味でちゃんと治ってるかも分からないし。

 オレは二人に軽く手を振って、治療や検査をしているという一角へと歩いて向かった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 精密検査の結果、特に異常は確認されなかった。

 骨密度や筋肉量などなど、別の意味で異常な数値は確認されたがそれはそれとして置いといて、ともかく精々微熱とちょっとした頭痛程度しか異常は見られなかった。

 

 その後やったことはと言えば、基本的に地下工場のガレキの撤去だ。

 機材も床も壁も何もかも破壊してしまうほどの戦闘ではあったものの、元々の目的はこの工場からアイテムを回収することだ。壊れず残ったアイテムも少なくはないだろうということで、人間ポケモン問わず動ける者を総動員してガレキを掘り起こしていったのだった。

 

 結果、モンスターボールも薬品も結構な数を入手することに成功した。とはいえ、レジスタンスは非戦闘員含めても百人近くが所属する大規模組織である。

 戦わない人でも自衛や作業の補助、時によっては単に仲良くなったということで手持ちポケモンを増やしていく人もいるため、オレたちの方で何個も何個も持っていくわけにはいかない。

 

 というわけで、確保できたのは一人当たり三つほど。レジスタンスの方で製造データを確保したという事情もあってできる限りこっちに回してはくれたみたいだ。

 製造機器に関しても、あの場にあったものだけが全部じゃあない。メンテナンスや突然修理が必要になった時のためなどと思われる予備パーツが、別室で発見された。ある程度は新造しなければいけないものの、それでもこれまでと比べれば雲泥の差だという。

 

 怪我人は、車で十分ほどの位置にある診療所までとりあえず運んでいる。一応本職の医療関係者や介護・看護関係の職員の方もいるらしいので、基本的にはそちら任せだ。落ち着いたら、動かせるなら安全そうな場所に一旦移動するようには頼んである。

 怪我は負っていないという人も多いが、そちらはそちらでレジスタンスに合流するともどうするとも決められないとのこと。先に挙げた怪我人の人たちと同じように安全そうな場所に逃げておくという人もいれば、一旦レジスタンスに同行してこの場所を離れるという人もいた。こちらは、工場近くに設けたテントで過ごしてもらっている。

 

 で。

 それから休みを挟んでしばらく経って、再び深夜。作業は明日も続くが、今度は工場付近に停めたトラックの方に集まって作戦会議だ。

 

 

「一応、次のレジスタンス本拠地には伊予市を推薦しといた」

 

 

 現状のレジスタンスは根無し草だ。元は香川、今は四国中央。必要に応じて大人数で各地を転々としているが、アイテムを製造するとなったらちゃんと腰を落ち着けられる場所が必要になる。

 そういうわけで、今後とも協力関係を築くならということで、オレは宇留賀さんの方にそう言っておいたのだった。

 というのを聞いて、朝木はわずかに顔をしかめる。

 

 

「また伊予かよ。アキラちゃん地元だからって贔屓しすぎてねえ?」

「そういう部分があるのは否定しないけど、別にそれだけじゃない。自衛隊の人たちにもあっちに行ってもらうように伝えてるし……戦力は、できるだけ合流させといた方がいいだろ?」

「加えて重鉄鋼業の分野での作業が必要になる事態です。協力者はできるだけ多い方がよいでしょう」

「まあ、言われてみりゃそうか……」

「……加えて、地元ということで……アキラさんのおばあ様の伝手を辿ることができるようで……工業関係の方の協力も、期待できます……」

「そっか。……何で当然のように小暮ちゃんいんの?」

「ウルガさんが連絡役に連れて行ってほしいって」

「ほーん」

 

 

 半分は……お目付け役の意味合いもあるだろうな。オレたち――というか特にオレだけど――監視してなければ何をしでかすか分からないだろうし、何かあってから対応するんじゃ遅い。工場潜入の時の土壇場の対応力を見れば、適任ではあると思う。

 あと、性別的な兼ね合いもあるかな。オレたち今のところ、(肉体的には)男3に対して女1という構成だし、気を遣った部分はありそうだ。

 

 

「じゃあそっちはいいとして……どういう経路で……ナルト? だっけ? に行こうか?」

「たしか高松はフレア団が牛耳ってんだろ。つったってあっちを経由しないと讃岐山脈と剣山の間を抜けてかないといけなくなる」

「……丸亀から主要道路を避けて……讃岐山脈の方に抜けて、山脈沿いに東かがわを経由、そこから鳴門市へ……という経路は、いかがでしょうか」

「それならば、観音寺市手前から県境沿いに山中を行くべきでは?」

「いえ……それですと……天候によっては進めなくなりますので……そろそろ梅雨も近いことですし、避けた方がよいかと……」

酷道(こくどう)険道(けんどう)死道(しどう)だからな……無理だわ」

 

 

 まあ、大雨でも降り出すとそれこそ土砂崩れとか起きかねないしな。

 トラックも相当重量があるし、ちょっと運転ミスったらみんなまとめて……いや、オレは無事か。じゃなくても四人はほぼほぼ確実に死人が出るからマズいだろう。

 見つかりにくいのは確かだけど、それはレインボーロケット団側も迂闊に山に入れないからだ。割と真面目な話、普通にしてたって事故の確率は低くないのに、ポケモンたちまで突然飛び出すようになってしまった現在、山道を行くのは分の悪い賭けなんてもんじゃない。自殺行為そのものだ。

 

 

「……まあ、ここ何年か梅雨なのに雨降らないこと多いですけど」

「……今年は……そうじゃないということもありますし……」

「ですよね」

「まあ、そこは安全策でいいんじゃないかな。幹部級までなら対処できるだろうし」

「ただ、ダークトリニティと戦った時のこと考えるとな……」

「あの人たちはアキラと同レベルの達人だしそう簡単に出てこないでしょ」

「逆だろ。あいつらあの場できっちり倒せたわけじゃないんだし、オレたちも最優先目標だろ? いつまた襲ってきてもおかしくないぞ」

「そうかな……そうかも……」

 

 

 あいつらほぼほぼニンジャだし、絶対執念深いぞ。

 今となったらある程度以上に戦える自信はあるが……あの連中はなぁ……何してくるかって部分ではとっくにネタは割れてるけど、じゃあ対処できるかって言うと別問題だからな……。

 

 

「……先に対策を立てておきましょう……その、ダークトリニティという方々は……」

「逃げの一手がいいと思いますけど。囲まれたら多分誰か死にますし」

「え、守ってくれない系……?」

「三人相手とキリキザン三体、場合によってはここにコマタナが加わるんだ。流石に守れない」

「あ、守ってはくれる系……」

「では……」

「その時は僕とアキラでなんとか。倒せるなら倒しますけど」

「あいつら逃がさずになんとかなるか……?」

「そこは作戦で……」

 

 

 作戦か……作戦か。

 オレどうせ戦うくらいしかできないだろうし、敵倒すことだけ考えて丸投げしとこ。

 

 

「『丸投げしとこ』とか考えてるでしょ」

「丸投げする」

 

 

 ばーちゃんは言っていた。「下手の考え休むに似たり」。

 同じ休むなら精神的な部分も休めた方がいいだろう。

 当然の如く、みんな微妙な表情をして見せた。

 ごめんなさい。

 

 

「今回の一件は不測の事態が連鎖してしまったために起きた不幸な事故です。刀祢さんも、弁えないということは……恐らく、無いでしょう」

「無いです」

「ホントかよ」

「ほんとです」

「ホントにホントぉ?」

「ホントだっつってんだろやれベノン」

「ベノッ」

「眼がッッ!!」

「ベノノッ♪」

「何してんの!? ていうか手持ちにしたの!?」

「手持ちにした。懐いてるし」

 

 

 オレの手元で、ベベノム――ベノンはいたずらに成功したからか、けらけらと笑い声をあげた。

 ベベノムは種族単位でイタズラ好きな性格だ。攻撃用のそれと使い分けるような形で専用の毒を体内で分泌することができるらしく、今回使ったものはちょっと刺激がある水という程度の、毒性は無いものだった。

 

 

「あと、どこかで無くした記憶に繋がってる……かもしれない」

「うぐ、ぐお……べ、ベベノムが? それってことはつまりアキラちゃん、キミ、ベベノムのいた世界に行ったことがあるってことにならん?」

「……まあなるだろそりゃ。どんな問題が?」

「っつーことはそれ、あー……アニメで言えばなんかよく分からん世界で……ゲーム基準ならウルトラメガロポリスってことになるな。確かどっ――――」

 

 

 ――その瞬間だった。

 何かが弾け飛ぶような轟音と共に、トラックの荷台を強烈な突風が駆け抜ける。身体ごと吹き飛ばされそうなその威力に一瞬瞠目しつつも、心のスイッチは一瞬で切り替わった。

 

 

「敵襲……!?」

「戻れべノン! リュオン!」

「リオッ!」

「先に行って何があったか確認する!」

「分かっ……もう行ってる――――!?」

 

 

 緊急事態だ。ただのボヤ、あるいはガス爆発ということもありうるが、いずれにせよ時間をかけてはいられない。

 焦燥にかられながらも、波動の稲妻を放出。リュオンと共に音のした方向……工場近くに設けた難民テントの方へ超速で駆け抜ける。

 

 だが。

 

 

(――――ッ)

 

 

 波動を扱えるようになった影響か、頭に無数の感情が流れ込んでくる。

 苦しみ、痛み、悲しみ、怨み。マイナスの感情が渦巻くその中で、唯一異なる感情の波動を感じ取る。

 好奇心と……嗜虐心。複数の欲望がない交ぜになったような――紛れも無い「悪意」だ。

 

 走る。走る。走る……そうしてたどり着いた先で目にしたのは。

 

 

「フフヒヒヒャヒャヒャヒャ! 燃やせ燃やせヒードラン! 焼き尽くしてしまえ!」

 

 

 ――――浮遊する機械に乗った老人が、臨時テントを設置していた土地をポケモンに命じて焦土に変えている光景だった。

 

 

 








現在の手持ちポケモン


◆刀祢アキラ
チュリ(バチュル♀):Lv34
チャム(バシャーモ♂):Lv40
リュオン(ルカリオ♀):Lv38
ギル(バンギラス♂):Lv64
ベノン(ベベノム):Lv19

◆アサリナ・ヨウタ
ライ太(ハッサム♂):Lv77
モク太(ジュナイパー♂):Lv76
ワン太(ルガルガン♂):Lv75【たそがれのすがた】
ラー子(フライゴン♀):Lv72
ミミ子(ミミッキュ♀):Lv71
マリ子(マリルリ♀):Lv48
ほしぐも(コスモウム):Lv70

◆朝木レイジ
ズバット♂:Lv16
ニューラ♀:Lv20
ツタージャ♂:Lv17

◆東雲ショウゴ
カメール♂:Lv28
ワシボン♂:Lv26
クヌギダマ♀:Lv27

◆小暮ナナセ
あぶさん(アブソル♀):Lv31
しずさん(シズクモ♂):Lv26
まぐさん(マグマラシ♂):Lv29
もんさん(モンメン♀):Lv22


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夜闇の中のきんぞくおん

 

 

 

 グラードンの時とのそれとは、また別種の焦熱地獄だった。

 地の底からマグマが湧き出し、周囲のガレキを溶かし飲み込む。「ひでり」の能力によって降り注ぐ高熱とは異なる、じっとりと熱を帯びた……地獄の窯の底を思わせるような気配(はどう)に目を向ければ、この光景を生み出した張本人が這い回っている。

 

 かこうポケモン、ヒードラン。

 

 本来なら火山(ハードマウンテン)の火口付近に封印されなければならないほどに強力な力を持ったポケモンであり――「伝説のポケモン」の、一種。

 今、こんなところで出会うべきではない相手だ。

 

 ……何か、思いもよらないもの(・・・・・・・・・)が焼けたような異臭が鼻を刺す。それ(・・)の正体が何なのか――その結論に思い至るよりも先に、あるいはその結論から逃れるようにして、オレは胸の奥から溢れ出す感情をそのまま爆発させた。

 

 

「やめろぉぉぉぉぉぉーッ!!」

 

 

 応じるように、二つの視線がこちらに向けられる。

 一つは絶大な威圧感を放つヒードランのもの。そしてもう一つは、じっとりと湿ったような……薄暗ぐ浅ましい欲望を感じさせる人間の視線だった。

 

 

「フフヒヒヒャヒャヒャヒャ!」

 

 

 と――身構えるよりも先に、不快なしゃがれ声が耳を叩く。発生源は視線の先、浮遊する機械に身を預ける初老の男だ。

 やや肥えたるんだ腹と顔。加えてあの特徴的な、髪への未練を感じさせる側頭部ばかり伸ばした頭頂ハゲは――――。

 

 

「プルート……!」

 

 

 ――ポケモン原作、「プラチナ」で初登場したギンガ団幹部、プルートだ。

 ゲームから読み取れるヤツの性格は、言ってみれば「小物」そのもの。人望があるというわけでもなく、かと言ってバトルの実力に優れているわけでもない……オマケにギンガ団幹部の中では新参者で、他の幹部と比べてやや扱いが悪いということが描かれていたはずだ。

 一説では、アカギが今のような虚無的な性格になる一因を担ったことがあるとされている。ある意味ではこいつこそが第四世代のポケモンにおける一連の事件の元凶と言えるだろう。

 

 

「やーっぱり出てきおったわ、白い小娘! おびき出せば真っ先に来ると言うのは本当じゃったか!」

「何でここが……!?」

「フヒヒャヒャ! マヌケが! 定時連絡が無くなれば様子の一つも見に来るというものじゃろうがぁ! よりにもよってバショウにブソンがやられるなんて、お前たちが来たんでもなければありえんわ!」

 

 

 くそっ……そうか、あの工場の責任者、バショウとブソンを倒したから、連絡がタワーに行かなかったってことか……!

 それで、オレたちがやったことだとアタリをつけて、わざわざ伝説のポケモンを持ってるコイツを向かわせた……。

 

 ……怪我人もいるからあまり遠くに動けなかったからとはいえ、勝利で心が浮かれていたのかもしれない。

 自分の胸を掻きむしりたくなるほどの苛立ちに見舞われながらも、オレは近くに落ちているガレキの中から鉄パイプを拾い上げた。

 

 

「この人殺しが……! 今すぐそこに伏せて手を頭の後ろに回せ! オレの言った通りにしなかったりちょっとでも口を開けばもう容赦はしない!!」

「人殺し? 殺したのはヒード」

「警告はした」

 

 

 その返答の全てを聞くより先に、オレは全力で鉄パイプを投擲した。

 音の速度を超えて放たれた一撃。蒼い稲妻が夜闇に尾を引いて大気を裂き――――。

 

 ――――次の瞬間やってきたあるモノによって、致命の一撃は食い止められた。

 背面バーニアをふかし、超高速で空中を飛び回る鋼鉄の塊。そいつは――そのポケモン(・・・・)は。

 

 

「……ゲノセクト……!」

 

 

 こせいだいポケモン、ゲノセクト。ポケモン世界における三億年前に生息していたポケモンを復元し――改造することで生まれた、プラズマ団の狂気の象徴とも呼ぶべき「幻のポケモン」。

 ……プラズマ団も勢力に取り込んでいる以上、これはありえた……むしろ、今までそうしてこなかったのが不思議なくらいだが、厄介なポケモンを厄介なヤツに……!

 

 

「ふぃぃぃ~……まったく情けも容赦もしないとは、か弱い老人に何をするか!」

「か弱かろうが老人だろうが人殺しは人殺しだろうが……! その腐った性根にくれてやる答えに暴力以外の何がある!」

「カ~ッ! 先人に対する敬意が足りん!」

「外道に向ける敬意なんて持ち合わせちゃいない」

「外道? 殺したのはこのヒードラン! ワシは手なんぞ下しちゃおらんわ!」

「だからどうした薄らハゲ!」

「ハゲッ……!?」

「伝説だろうが幻だろうがポケモンはポケモン! させた(・・・)人間が誰よりも悪いに決まってんだろ……!!」

 

 

 同じことだ、そんなもの。

 ポケモンの罪は、トレーナーの罪だ。それを命じた時点で、実行されてしまった時点で……そこから逃れることはできないし、許されない。許さない。

 

 

「強そうな言葉を吐くのは結構じゃが、伝説と! 幻! この二匹に勝てると本気で思っ」

「黙ってろ!! 貴様の腐り果てた思想をいつまでも聞いてるほど暇じゃあないッ!!」

 

 

 感情の爆発に乗せて、オレは思い切り地面に向けて震脚を叩き込んだ。

 衝撃で地面が爆ぜ、砂礫が舞い上がって一瞬プルートたちの視界を覆う。

 その瞬間を見計らってボールから出たチャムがリュオンと共に砂煙の中から飛び出し、己が敵と見定めたポケモンへと飛び掛かっていく。

 

 

「リュオン、『ボーンラッシュ』! チャム、『ブレイズキック』!」

「バ――シャアァァッ!!」

「ルァァァアアアッ!!」

 

 

 高熱を孕んだ爆発を伴う蹴りがゲノセクトの胴を捉え、骨を模した棍状の波動がヒードランの外殻を滅多打ちにする。複数の鈍い金属音が周囲に響き渡り、ヒードランとゲノセクトがわずかに動きを止めた。

 が。

 

 

「ッ、退け!」

 

 

 オレの声が飛ぶのと同時にリュオンとチャムが後ろに向けて跳ぶ。

 次の瞬間、二匹(ふたり)が一瞬前までいた場所を莫大なエネルギーの奔流が貫いた。

 渦巻くマグマと、強大な水のエネルギーに満ちた砲撃……。

 

 ――「マグマストーム」に「テクノバスター」……!

 

 相当な威力の――とはいえ、他に似たような威力のものを見たことが無いわけじゃない――攻撃だ。地面が融解し、あるいは弾け飛んでいる。

 だが、真に恐ろしいのは……あいつらの耐久力か。

 

 

(四倍弱点にビクともしてねえ……!)

 

 

 じめんタイプの技である「ボーンラッシュ」、ほのおタイプの技である「ブレイズキック」――いずれも、ヒードランとゲノセクトにとって致命的な弱点となるタイプの技だ。

 どちらの技も応用性に優れる代わりにやや威力の面で「じしん」や「フレアドライブ」などには劣るものの、それでも相当の威力を誇る……はずだった。それでも堪えた様子がまるでない。外殻は、わずかにへこんでるようだが……。

 

 

「フフヒヒヒャヒャヒャ! そんな普通のポケモンの攻撃が伝説のポケモンに通用するものか! やれ、ヒードラン、ゲノセクト!」

 

 

 その指示に対して、ヒードランとゲノセクトは一瞬だけ躊躇を見せたものの、すぐにその口蓋から火炎を、砲口から極大のビームを撃ち放った。「かえんほうしゃ」と「テクノバスター」だ。

 

 

位置交代(スイッチ)! リュオン、『れいとうパンチ』! チャム、『オーバーヒート』!」

 

 

 オレの指示に、リュオンとチャムは迷わず応えた。

 瞬時に互いの立ち位置を入れ替え、チャムはヒードランの吐き出す火炎に負けじと全身から炎を噴き出す。リュオンは、膨大な水のエネルギーを蓄えた砲撃に自ら拳を突き入れ、凍結させる。

 威力は充分、だが……。

 

 

(……「オーバーヒート」でも相殺が精いっぱいかよ……!)

 

 

 いや、想定はしていたはずだ。相手は「伝説」。技の威力が普通のポケモンよりも遥かに強いのは当然だ。

 ヒードランの特性は「もらいび」。押しきれず、押されきれず。この威力が、きっと最適なはずだ。

 ……それに、現状で決定打を入れられずとも、勝機はある。オレじゃ倒せなくとも――――。

 

 

「――あの小僧が来るのを待っておるのか?」

「……!?」

「ぶぁ~かが! アサリナ・ヨウタを野放しになどするものか! 既にあやつらはレインボーロケット団の精鋭によって足止めされておるわ! あ、いや。とっくに始末されとるかもしれんのォ。フフヒヒヒャヒャヒャ!」

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 迂闊だった、とヨウタは自身の行動を恥じた。

 いくら事前に工場のことで釘を刺していても、アキラが直情的な性格であることは間違いないのだ。異変を感じ取れば持ち前の脚力で現場に急行し、ヨウタが到着するまでの時間を稼ぎに行く。当然と言えば当然で、現状で言えば最も被害を出さずに済み、かつ確実に敵を倒せる役割分担だ。

 

 だが「当然」、あるいは「自然」な思考であるが故に、その行動は読まれやすい。

 

 

「……噂をすれば影が差す、か」

 

 

 苦々しげに、ヨウタは呟く。彼の視線の先には、三人の男がポケモンを携えて立ちふさがっていた。

 

 

「左様。我らはゲーチス様の影」

「影が……刺す(・・)

「ここから先へは、通れぬものと見よ」

 

 

 ――ダークトリニティ。伊予市役所における戦いで遭遇した、レインボーロケット団の遊撃要員だ。

 彼らとは、結局本格的な戦いにはならなかったものの、その脅威についてはヨウタはよくアキラと朝木から聞かされていた。曰く、彼らの本質はトレーナーと言うよりも暗殺者である、と。

 

 ヨウタは何よりもまず、ポケモンたちをボールから出すことを優先した。たとえ人間では視認できないような攻撃であっても、ポケモンにとってはそうではない。身を守ってもらう必要があるのは、ヨウタ自身を含め四人。選出されたのは、速度に長けるワン太とモク太だ。

 

 ダークトリニティは、あのアキラと比べても見劣りしないほどの敏捷性がある。人間の範疇から外れている彼女と比較すれば、まだ人間として見ることはできるが――いずれにせよ、常人であるヨウタたちから見れば、超人と言えるだろう。

 最大の脅威は、その身体能力から繰り出してくる毒ナイフだ。捕縛する必要のあったアキラに対しては神経毒を用いたが、ヨウタやそれ以外の人間は捕縛対象ではなく「抹殺対象」――命に関わる猛毒を使ってくるのは確実だ。

 

 ヨウタは軽く周囲に視線を巡らせた。既に一度ダークトリニティと遭遇している朝木は、真っ先にニューラを出し、前に押し出すような格好で身を守らせている。そんな彼を白眼視しつつあるナナセは、アブソル(あぶさん)マグマラシ(まぐさん)の二匹を出し、いつでも次の行動に移れるように構えた。

 一番行動が遅れたのは東雲だが、彼の本職は自衛隊だ。まず周囲を見回し、自分よりも優先して守らなければならない存在――民間人がいないか、という部分に気を配る。しかしそれも一瞬のことで、東雲もすぐに朝木たちに追従して、特訓の中進化したカメールをボールから出した。

 

 

「みんな気を付けて! あの人たち、毒を塗ったナイフを投げて――モク太!」

 

 

 ヨウタの言葉を裏付けるようにして放たれたのは、夜闇に溶け込むように黒く塗られたナイフだった。

 モク太はその優れた視力でもって全てのナイフを捉えると、必要最小限の矢羽根を放ってそれら全てを撃ち落とした。

 

 

「流石に反応が早い」

「やはり貴様を相手にするのは骨が折れる」

「小細工は通用しないか……」

 

 

 ヨウタは内心で冷や汗を流しつつも、ダークトリニティに向けて不敵な笑みを浮かべて見せた。

 はっきり言えば、ヨウタとしてはこのまま立ち去ってくれるか、ないしはヨウタ個人のみに狙いを定めて他の三人は見逃してほしい、と考えている。

 ダークトリニティはいずれも手練れだ。それも、殺人に対して嫌悪も躊躇も持たない生粋の人殺しである。彼らを前にして三人全員を守り切れるとは、ヨウタは思えなかった。

 

 

(せめてクマ子がいてくれれば突破は難しくなかったんだけど……)

 

 

 生憎と、ダークトリニティの扱うポケモン――キリキザンに対して最も有効なタイプ相性であるキテルグマ(クマ子)は、ここにはいない。

 市民を守るという仕事を受け持っていることを考えてヨウタは即座にその後ろ向きな思考を打ち切ったが、こういった状況はアキラの方が向いているんじゃないか、という小さな愚痴は消しきれなかった。

 

 

「……刀祢さんは?」

「応答……ありません。爆発も聞こえましたし……戦闘中、かと……」

 

 

 ダークトリニティと相対して気を抜けないヨウタにも聞こえる程度に、東雲とナナセは言葉を交わす。元から携帯の扱いが巧くないアキラだが、ここまで連絡が無いというのもおかしな話だろう。彼女は工場で大立ち回りを見せながらも現状報告だけは怠らなかったのだ。腕に怪我を負っているという事情こそあれ、こうまで連絡が無いということは、それだけ彼女に精神的余裕が無いという事実を示していた。

 

 

「……う、うおお……」

 

 

 他方、朝木は逃げ場を探して周囲に視線を彷徨わせていた。

 が――見れば見るほどに逃げ場が無いことが分かる。それはダークトリニティの三人に隙が無いということ、のみならず。

 

 

「なんか囲まれてるんすけど……」

 

 

 三匹のキリキザンと、十二匹のコマタナ。ダークトリニティの総戦力と思しき強力なポケモンたちが、四人を取り囲んでいた。

 威嚇するような、チャキ、チャキという小さな金属音が断続的に鳴る。その音色を耳にするたび、朝木は委縮し続けていった。

 

 

「こ、降参ってのは……」

「ならぬ」

「殺す」

「皆殺しよ」

「アイエエエエエ……」

 

 

 小さな小さな、蚊が鳴くほどの声に反応してみせたダークトリニティの超人的な聴力とその返答に、朝木は思わず失禁しかけた。

 逃げ場はどこ……? ここ……? ニューラの後ろに隠れながらそんなことをブツブツと呟く彼へ、ナナセは白い目を向ける以外にできることがなかった。

 

 

「……そうさせないためにも、僕がいる」

「そうだ。貴様は『そう』なのだ」

「然り。それができてしまう人間よ」

 

 

 一歩前に踏み出して放ったヨウタの言葉を、しかしダークトリニティはしっかりと肯定した。これに驚いたのはヨウタの方だ。

 

 ――あの人たちが、戦力差を認めてる?

 

 ゲーチスのためになら捨て石になることを厭わないだろうダークトリニティだが、ではレインボーロケット団のために捨て石になれるかというと、それは違う。彼らはあくまで「プラズマ団の」ダークトリニティである。その認識が崩れることはまずありえない。

 現状、彼らはレインボーロケット団の命令で動いている。大きな戦力差がある――負ける可能性が高いと見れば、彼らは即座にこの場を放棄して逃走するだろう。事実として以前はそうしていたはずだった。

 だというのに、この対応。何かがおかしいとヨウタが疑問を呈した、その瞬間だった。

 

 

「故に我らも対策を講じた」

「――――それは!?」

 

 

 ダークトリニティの三人が新たに取り出したのは、上半分が紫に塗られた特別なボール。

 ――――マスターボール(・・・・・・・)

 

 

「ゆけ、ボルトロス!」

「トルネロス!」

「ランドロス!」

 

 

 瞬時に、ヨウタの眼前に雲が渦巻く。身体を裂きかねないほどの暴風(・・)が駆け抜け、やがてそこに三匹のポケモンが現す。

 

 一本角と筋骨隆々の青い肉体を持ち、全身から稲妻を放つポケモン――ボルトロス。

 深緑の体色をと二本の角を有し、周囲の大気の流れを操るポケモン――トルネロス。

 短く頑強な三本の角を持ち、尾の先から膨大なエネルギーを放つ橙色のポケモン――ランドロス。

 

 イッシュで語られる災害の化身――三匹の、「伝説のポケモン」だ。

 

 

 



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疾風怒濤のトライアタック


 三人称です。



 

 

 

 朝木が絶望に膝を折り、東雲は決死の覚悟を胸に前に出る。

 ナナセが必死に頭を回して打開策を練り上げようとし、しかし見つからずに顔を俯けようとする、その最中。

 

 ――ヨウタは、思わず浅く笑みを浮かべていた。

 

 

「――――は」

「……貴様」

「何がおかしい」

「よもや、狂ったか?」

「いいや」

 

 

 否定しながら、ヨウタはライ太をボールから出して三匹の「伝説」を見据える。

 いずれも体色こそ異なるが、ほぼ同一の外見を持つポケモンたち。彼らは「雷」、「風」、「大地」の、それぞれ強大なエネルギーを放ってヨウタたちを威嚇していた。

 ただ佇んでいるだけでも、普通のポケモンと比べればその強さは明らかだ。

 

 だが。

 だからこそ。

 

 

「……アキラの方に行かなくて、良かったと思って」

 

 

 ――その暴威がアキラのもとに向かっていれば、彼女は絶対に勝てなかった。

 そのことをよく理解しているヨウタは、この三匹の姿を見て胸を撫で下ろした。

 

 

「変わらぬ!」

「彼奴のもとへ向かった幹部・プルートの持つポケモンもまた『伝説』」

「そして我がプラズマ団が現代に蘇らせた『幻』……勝ち目は無い!」

「え、プルート?」

 

 

 と。

 その名を耳にして、朝木もこの場に来た、ダークトリニティ以外の人間が「誰」であるのかに気付いた。露骨なまでに嫌そうな表情をして見せるのは、プルートという男がどの媒体でもおよそまともな人間ではないと理解しているからだ。ゲームでは言うに及ばず、漫画でも終始人間として破綻した部分を見せつけている。あまり快い感情を覚える人間ではなかった。

 

 そして同時に、ああいった人間を見ると、本気で怒りを露にするのが刀祢アキラという少女である。

 ビシャスやバショウ、ブソンの末路を思い出した朝木は、プルートの辿る結末を想像して胸の前で十字を切った――が、そんな朝木の思いを他所に、東雲がその手を取って引き起こす。

 

 

「朝木さん、その人物はどんなポケモンを!? ご存じなら早く!」

「え!? 今それ必要!?」

「必要です……! ヨウタくんに分かるように、早く!」

「え、ぷ、プルートならヒードランだろ多分!? プラズマ団の幻ってんならゲノセクト!」

「だったら――大丈夫だ」

 

 

 ヒードランもゲノセクトも、伝説や幻という名に恥じないほどの実力を持つポケモンだ。

 ヨウタたちの世界でも、過去、ゲノセクトはプラズマ団のイッシュへの第二次侵攻に合わせて複数匹が戦いに投入され、猛威を振るっていた。逃げ出した個体もいるようだが、その消息は不明とされている。ヒードランは世界大会の上位入賞者の手持ちポケモンとして活躍した。少なくともそういった記録は残っており、ロトム図鑑にもこの二匹のデータは存在する。

 

 それは同時に、過去これらのポケモンたちが「普通のポケモンに倒されたことがある」という事実を示している。そうでなければ「上位入賞」などではなく、「優勝」という結果以外は許されないだろう。

 ヒードランは、イッシュ地方のリバースマウンテンやホウエン地方のひでりのいわとなどに生息していることが確認されており、雌雄の判別方法も確立されている。他の――グラードンやカイオーガといった災害そのもののようなポケモンや、ゼルネアスやイベルタルのような生態系そのものに干渉しかねない強大な力を備えたポケモンと比べると、まだ「対処可能」という範疇に収まることは間違いない。

 

 

「それならアキラは負けないように立ち回るさ。あとは僕がお前たちを倒して先に進めばいい!」

「思い上がるな、アサリナ・ヨウタ!」

「貴様の前にいるのもまた伝説……」

「この力、とくと味わわせてくれよう……!」

 

 

 口上と共に暴風が吹き荒れる。姿勢を低くしてもなお吹き飛ばされてしまいそうな威力を誇りながらも全力ですらない威嚇(・・)の最中――ヨウタは即座に三人に背を向けた。

 

 

「「「!?」」」

「モク太、『ハードプラント』!」

「クォォォァッ!!」

 

 

 爆発的な勢いで伸び行く樹木が、包囲の一角を担っていたコマタナを巻き込み、飲み込んで夜闇の中に消えていく。突然のヨウタの行動に驚きを露にしながらも、瞬時にその意図を察したナナセは自身にできる限りに声を張り上げた。

 

 

「――逃げます!」

「な……くっ!」

「ぃよっしゃぁぁっ!!」

 

 

 反応は三者三様。しかし、いずれもその行動は早かった。「ハードプラント」によって穿たれた包囲の穴に向かって一斉に逃げ込む。これに焦ったのは、場を任されているキリキザンだ。

 彼らはわずかにダークトリニティへ指示を仰ぐべく視線を向ける。その目が「追え」と言外に告げているのを認めると、三匹のキリキザンは即座にコマタナを率いて三人を追い始めた。

 

 

「ボルトロス、『かみなり』!」

「トルネロス、『ぼうふう』!」

「ランドロス、『じしん』!」

 

 

 驚きの声もヨウタへの問答も一切発することなく、ダークトリニティは即座に指向を切り替え、ヨウタに向けて最大の攻撃を放った。

 ランドロスの尾が大地に沈み込み、空に飛び立ったボルトロスがその身に纏う雲から電撃を放つ。また、それに合わせてトルネロスが大木すら捩じ切らんばかりの威力の暴風を巻き起こす。ヨウタが再び向き直るまでの一瞬を狙った、最大威力の三連撃――およそ、まっとうな人間であれば対処できるはずもないはずのそれは、

 

 

「――――」

 

 

 次の瞬間、耳を裂くかのような轟音と共に生じた爆発によって、三匹の攻撃は虚空へ消えた。

 周囲を薄く砂埃が覆って互いの視界を遮るが、ダークトリニティはそれを意に介さず、トルネロスに命じて風を起こして視界を晴らした。

 そうして彼らが目にしたのは――先程よりも、一回りは体格が大きくなったライ太(メガハッサム)。そして、輝くZクリスタルを口に咥えたワン太の姿だった。

 

 

「Zワザにメガシンカ……なんと、このタイミングで切り札を切るとは」

「思い切りの良さは認めよう。しかし――」

「息が続くか!? ランドロス、『アームハンマー』!」

「トルネロス、『おいかぜ』!」

「ボルトロス、『ほうでん』!」

「モク太、こっちも『おいかぜ』! ワン太は『ステルスロック』! ライ太、『かげぶんしん』!」

 

 

 ほぼ同時に発生した「おいかぜ」が、両者の間で絡み合うように荒れ狂い、爆発的な上昇気流を生み出す。

 直後、踊るように空を駆ける三匹のポケモンの道を塞ぐべく、無数の岩塊が浮かびあがった。更に、岩塊の裏から無数のライ太の分身が姿を現し、ランドロスに向けて殺到する。

 

 

「ボルルァッ!」

 

 

 しかし、それらの分身はボルトロスの全身から放たれた超高圧の電流によって瞬時に消し飛んだ。

 広範囲に渡る攻撃の余波で周囲の木々が水蒸気爆発を起こし、幹が破裂する。だがその最中、ダークトリニティはライ太の姿がどこにも無いことに気付いた。

 

 ――本体は……!?

 

 

「――『バレットパンチ』!」

「ドロッ!?」

 

 

 困惑の最中、背からエネルギーを噴射したライ太が「ステルスロック」によって形作られた岩塊を砕いて現れ――ランドロスの顔面に超音速の鋏を叩き込んだ。

 

 だが、ランドロスもまた伝説のポケモンである。頭こそ僅かに揺れるが、それだけだ。

 思い切り引いた右腕の筋肉が膨張し、空間そのものを抉り取るのではないかというほどの勢いで「アームハンマー」が放たれる。

 爆ぜた空気がライ太の甲殻を叩く。「伝説」としての並外れた能力を持つが故の、力任せの一撃。彼らの攻撃に技術などという野暮なものは必要無い。振るえば倒せる。伝説とは、そういうものだ。

 

 ランドロスは、己の力に絶対の自信を持っていた。伝説としてかくあるべしという自負であり、誇りである。事実としてそれに見合っただけの力を持つのは間違いない。

 だが――しかし。

 

 

「!?」

「――――」

 

 

 突如として、その自信は打ち砕かれた。

 振るわれたはずの剛腕が、受け流される。

 肘を曲げ、相手の腕を内側から「押す」ことによって僅かに軌道を逸らす、ごく簡素なブロッキング。たったそれだけのことで、ランドロスの一撃はライ太の顔面から外へと僅かに流される。ライ太自身もまた、ほんの僅かに頭を傾けることでその攻撃を皮一枚のところで回避して見せていた。

 

 一見すれば紙一重の攻防だが、何よりその攻撃を逸らされたランドロス自身がそうではないことを自覚する。

 極限まで無駄を省いた効率的な動作。ランドロスの常識外れの速度を見切ることのできるだけの動体視力と戦闘経験。そして何よりも、濃密な鍛錬によって練り上げられた膂力と戦闘技術……あるいは、その力は「伝説」たる自身に伍するほどのものがあるのではないか?

 

 ほんの一瞬、たった一瞬の攻防でありながら、ランドロスにとってその事実を認識するには充分なものだった。

 そしてその認識は、ボルトロスとトルネロスを統括する力を備えた豊穣の神として謳われるランドロスの自尊心をひどく傷つけるにも、また充分なものだった。

 

 

「ドロロルラァァァァァァッ!!」

 

 

 故に、ランドロスは激情のままに腕を振るった。

 神を打ち落とさんとする不埒者を誅殺せんと、その剛腕を更に膨張させ、「アームハンマー」という技の枠組みに当てはまるかすら危うい怒涛の乱打(ラッシュ)を放つ。

 それを見てライ太は、僅かにあとずさりかけ――。

 

 

「ライ太、『むしくい』!」

「――――!」

 

 

 

 ――思考するよりも先に、その背を彼の相棒(パートナー)が押した。

 信頼を寄せる少年。兄弟同然に育ったトレーナーの言葉は、「次の行動」を躊躇うポケモンたちの背を押し、そのポテンシャルを限界まで引き出していく。

 ライ太はただ、培った技術と力のまま――その腕を、全力で振るった。

 

 

「ムゥァァァァッ!!」

 

 

 全力のランドロスの乱打を一つ一つ捌き、弾き、逸らす。人間には――アキラを除けば――到底まともに認識もできない、残像によって同時に数百もの腕が飛び出してくるかのような拳の嵐。しかし、同等のレベルにまで鍛え上げられたライ太(ポケモン)にとって、それはただ振り回しているだけの、言わばそのままの「野生の動き」に過ぎない。

 練り上げ、高め、己の肉体に刻み込んだ「強者を打倒するための技術」を前に、ランドロスは完全に翻弄されていた。

 一瞬一瞬の交錯の中で鋏が開閉し、ランドロスの腕が、体が、文字通り「むしくい」の如く抉り、削られていく。ライ太の外殻もまた、ランドロスの常識外れの剛力によって発生した衝撃波に叩かれ僅かに歪んでいるが、ランドロスのそれと比べればはるかに軽傷と言えるだろう。

 

 

「おのれ、これ以上はやらせん! トルネロス、『ぼうふう』!」

 

 

 指示に合わせて、トルネロスが両腕を掲げる。荒れ狂う大気が塊となって渦を巻き、見る間にトルネロスの身の丈ほどの球状にまで凝縮される。

 

 

「トルルゥゥァァッ!」

 

 

 鳥のような鳴き声と共に、球体が一直線にヨウタに向けて解き放たれる。

 進路上のあらゆる物体をなぎ倒し、巻き込んで圧壊させる。触れれば人間などは瞬時に粉みじんになって死ぬだろう。

 

 

「ワン太!」

「ガウァッ!!」

 

 

 そこへ、「ロックカット」によって身軽になったワン太が、ヨウタの服を咥えてその場から離脱する。

 球体が直撃した地面はそのまま爆音と共に抉り取られ、周囲に膨大な土砂と瓦礫を撒き散らした。ヨウタもその影響からは逃れられず、腕で顔を覆って目を守る。だがそれは同時に彼の視界を狭める結果となり、その機を待っていたダークトリニティは即座に命令をボルトロスに飛ばした。

 

 

「『かみなり』!」

「ボルルルルァッ!!」

 

 

 先に放った「ほうでん」以上の威力を有した雷撃が、ランドロスとライ太へと向けられる。

 大気中の水分が弾けて消し飛ぶほどの威力でありながら、じめんタイプでもあるランドロスには一切の効果は無い。

 一方的に放たれんとする猛威にヨウタは僅かに目を細め、

 

 

「『ハードプラント』!」

 

 

 ――しかし、本来は攻撃として用いられるはずのそれを避雷針として用い、危難を脱した。

 轟音と共に、天を衝かんばかりに成長した樹木が焼け落ちる。そうしてで生まれた一瞬の間隙の中で、奇しくもヨウタとダークトリニティは同じことを感じていた。

 

 

(――流石に)

(強い――)

 

 

 強い。忌々しいほどに。

 その技術も心胆もただのトレーナーと隔絶したものを持っている。

 

 ――やはり、この少年は危険だ。

 

 ポケモンの鍛え方もさることながら、彼自身の精神力もまた驚嘆に値する。

 ただ戦うことだけなら誰でもできるだろう。ヨウタと同等の力量を持つトレーナーというのも、世界を見渡せばそれなりにはいるものだ。

 だが、あの幼さすら感じるほどの年齢でとなると話は変わる。トレーナーとしての役割に徹し、確実に死に至るであろう攻撃を前にしてなお冷静に次の一手を指し示す。恐怖を感じていないのか、どこかに置き忘れてきたのか――いずれにせよ、あの年頃の少年と考えれば異質だ。いっそ異常とすら呼べる域にある。

 

 いったい彼はどれほどの修羅場をくぐってきたのか? それだけの実力が必要になる環境とは? 疑問は尽きないが、アサリナ・ヨウタという少年がその年齢に不相応な精神力と相応の成長性――そして何よりも、間違いなくサカキに伍するほどの実力を兼ね備えていることには違いない。

 このまま放置していてはいけない。ゲーチスの隠れ蓑となりうるサカキを倒し、ゲーチスにまでその刃を届かせるかもしれない彼だけは。

 

 

 ――この少年はここで殺さなくては!

 

 

 他方、ヨウタもまた、伝説のポケモンたちを操るダークトリニティの実力に舌を巻いていた。

 一人一人を相手取るなら付け入る隙はいくらでもある。だが、ヨウタが相手にしているのはあくまで三人。一人の死角を突こうとしても、残る二人がそれを埋めていく。慣れない三対三(トリプルバトル)ということもあって、ヨウタの精神はジリジリと削られていた。

 Zワザを使ったワン太と、究極技を連発してしまったモク太の疲労も色濃いうえ、遠方で幾度となく火炎が噴き上がる度に焦燥感に苛まれる。

 

 攻撃を受けている、ということは、まだアキラが無事であるという証拠だ。だが、いずれはそれが止むかもしれない。今の一撃がそうかもしれない。そう思うとヨウタも内心焦らずにはいられない。

 ライ太の戦いぶりは凄まじい。元の世界で培ったものとこちらの世界に来てから学んだもの、二つの戦闘技術を融合することで、生物として格上であるランドロスを翻弄している。このまま時間をかけて戦えば、勝利も決して非現実的ではない。

 

 ――が、時間をかけてしまえば、今度はアキラの方がもたない。

 あまりに厄介な状況だ。気を抜けばヨウタのポケモンたちも即座に全滅しかねないほどの猛威に晒されては、一気呵成に攻めるというのもリスクが大きい。

 では、ヨウタがダークトリニティの三人を倒すまでアキラが場を保ってくれることに賭けるべきか? ――それも不可能だ。いくら彼女が強く、そのポケモンたちも成長目覚ましいとは言っても、伝説のポケモンを相手にするには未だ力不足だ。何としてでもこの場を突破し、何かしらの救援を送らなければならない。

 しかし、この三匹のポケモンを放置しておくことだけは絶対にできなかった。そうしてしまえば、アキラのいる戦場に乱入することも、朝木たち三人を追って殺すことも容易にできてしまう。

 

 

 ――この人たちは、ここですぐに倒さないと……!

 

 

 そうと決めてしまえば、ヨウタはもう迷わなかった。

 

 

「みんな、下がれ!」

「!」

「何……!?」

 

 

 ヨウタの指示に従い、トルネロスと空中戦を繰り広げていたモク太とランドロスを追い詰めにかかっていたライ太が前線を離れ、彼のもとに戻っていく。

 そのままヨウタは何事かをモク太に言づけると、常に身に着けていたバッグに手を入れた。

 

 

「……何かするつもりだろうが! ボルトロス、『かみなり』!」

「機先を制し、潰させてもらおう! トルネロス、『ぼうふう』!」

「戦場で敵から目を離すとは未熟な! ランドロス、『だいちのちから』!」

 

 

 伝説のポケモンたちの攻撃が放たれんとする中、ヨウタが手に取ったのは八つ目(・・・)のモンスターボール。

 本来なら、サカキとの戦いや各組織の首領格との戦いに備えて隠しておくはずだった、正真正銘――――最後の切り札だ。

 

 

「――もう、どうなっても知らないぞ」

 

 

 一言、警告のように言葉を紡ぎ、ヨウタはボールの開閉スイッチを開く。

 一瞬の間隙が生まれ、モンスターボールの奥から光が瞬く。

 

 ――――そして、けたたましい雄叫びと共に、周囲一帯を焼き尽くすほどの雷が大地を貫いた。

 

 

 







GUZUMA「アローラの風習って……醜くないか?」
(試練でぬしポケモンの攻撃や環境の過酷さで死にかける後輩トレーナー(ヨウタ)を見ながら)




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投げ込め話のタネばくだん


 三人称です。



 

 

 

 ポケモンと人間の能力差は歴然だ。

 人間の限界を遥かに超えるほどの身体能力を持つアキラですらその原則からは逃れることはできてはいない。ポケモンが鍛えられていればいるほどその差は開き続けるものだ。

 ――まして、一般人である朝木たちにとってみれば、その能力差は天と地ほどに離れたものになる。

 

 

「ギエエエエエエエエエエ!!」

 

 

 朝木の珍妙な悲鳴が夜の道に響く。

 耳障りな音響がコマタナの怒りを買い、その腕の刃が(くび)()ねんと振り抜かれ――。

 

 

「『かえんぐるま』!」

「マグッ!」

「――――!」

 

 

 ――首に触れるその寸前、火炎を纏ったまぐさんの突進によってコマタナは吹き飛ばされることとなった。

 

 

「朝木さん、下手に叫べばそれだけ狙――カメール、『こうそくスピン』!」

「カメェェーッ!」

「ぬわーっ! また俺ェェ!?」

「ニュラッ!」

 

 

 再び、挟み込むように攻撃を仕掛けてきた二匹のコマタナを、甲羅に潜って高速回転したカメールが吹き飛ばし、ニューラの放った「こごえるかぜ」が二匹を地面に縫い付けるようにして凍り付かせる。

 数秒……長くとも十数秒あれば即座に抜け出してしまう拘束だ。だがそれでも、今は一分一秒でも時間を稼ぐ必要があった。

 

 

「……ヨウタくんたちのところへは……」

 

 

 行かせない。と、声こそ無かったが、ナナセのその意志を酌んだあぶさんの目が一瞬輝きを放った。

 

 

「幸い、あのキリキザンは我々に攻撃をしようという気は、今のところ無いようですが……!」

「ちげーよアレはコマタナに獲物を追い詰めさせてんの! あいつらトドメ刺せると思ったら即動くぞ!」

「……なら、余計に……このまま、では……っ!?」

 

 

 ナナセが懸念を抱いたその時だった。先程まで彼らがいた方角から、吹き荒れる風と共に轟音が響いて来る。

 それは、ヨウタとダークトリニティとの戦いの余波だった。トルネロスの放った「ぼうふう」――アキラが飛び出した原因となってしまったそれが、僅かに三人の意識を逸らしてしまう。

 そしてそれを逃さないコマタナたちではなかった。一斉にニューラに向かって飛び掛かって彼女を引きはがすと、完全にフリーになった朝木を狙い再びコマタナがその首に向けて飛びこんだ。

 

 

「――――!」

「カメッ! ガッ!!」

「ニュッ!?」

「カメール!」

 

 

 それを阻んだのは、他ならぬカメールだ。首を引っ込め、そこから水を噴射することで高速で移動することで朝木を庇い切って見せたのだった。

 しかしそれを成し遂げた代償は大きい。渾身の「きりさく」を受けた甲羅は裂かれ、大きく溝が穿たれてしまっていた。

 

 その結果を目にして、朝木は――しかし、「このままじゃ死ぬ」という焦りの感情しか得られなかった。

 彼には優れた身体能力は無い。危機的状況にあってなお冷静に考えられる能力も無い。緊急時を想定した訓練など積んでおらず戦術眼があるわけでもない。そして何よりネガティブ思考だ。彼はどこまでも「ただの人間」でしかなかった。

 

 

「ニュアァッ!!」

 

 

 自分に代わって守りに入るなんて、余計なことを。そう思いつつも、ニューラはコマタナに対して強い怒りを覚えていた。

 トレーナーが「アレ」ではあっても、ニューラも日々の訓練には積極的に参加している。その中で、アキラやヨウタ……そして東雲のポケモンとも交流を持ち、親交を深めていた。友が傷つけば、怒りもする。

 「こうそくいどう」による脚力強化で一気にコマタナの背後に回り込んだニューラは、そのまま「だましうち」の一撃を放つ。狙い違わずコマタナの後頭部に入った一撃は、その頭を揺らし――それでも、倒れない。

 

 

「ニ゛ュラッ!?」

「ニューラ!?」

 

 

 そして、振り向きざまに放たれる「メタルクロー」。一匹だけではない。周囲にいたコマタナもまた、囲むように、群がるようにニューラに襲い掛かる。さながら鳥葬のような様相を呈したその光景に、東雲は思わず声を上げかけた。

 

 

「このままでは――!」

 

 

 本当に殺される!

 悲鳴じみた心の叫びが漏れ出ようとしたその時、先に動いたのは――朝木だった。

 ほぼ無意識的にホルダーからボールを引き抜き、コマタナの隙間を抜けてレーザーを届かせる。それはあるいは、元医療従事者としての直感だったのか、それとも臆病ゆえの本能か。いずれにせよ。

 

 

(……朝木さんはもしかすると、俺たちの中の誰よりも、土壇場での危機管理能力に優れているのかもしれない……?)

 

 

 逆に言うと、平時ではそれを発揮する機会は得られない上に、危機的状況に陥らなければまず発揮されない能力ということでもある。

 状況の維持には向いているが、逆転には一切寄与しない。仕方がないこととはいえ、この状況でそんな才能を開花されても、という辛辣な思いを東雲は止めきれなかった。

 

 

「くっそ……ツタージャ、頼むっ!」

「タージャ……」

「……やはり……数の差を覆すのは……しずさん」

「ク」

 

 

 ニューラに代わってツタージャを出した朝木。彼に合わせて、ナナセはしずさんを追加でボールから出した。

 頭数も、力量(レベル)も、あらゆるものが圧倒的に足りない。コマタナやキリキザンに指示を出すトレーナーがいないというのは彼らにとっては喜ぶべきことではあったが、それだけでは焼け石に水もいいところだろう。

 

 

「……しずさん、仕方ありません。そろそろ……」

「ク」

「どうしたのですか」

「……ずっと、進化を止めてもらっていて……」

 

 

 なるほど、と周囲へ巡らせる視線を止めないままに東雲は頷く。

 幹部格との戦いにおいてはもっぱらバンギラス(ギル)やヨウタのポケモンたちのような圧倒的強者の存在が不可欠になるが、アキラのバチュル(チュリ)と同じく、小回りのきくポケモンというのは「ここぞ」というところで勝利の決め手になりうる。潜伏や攪乱など、小さいからこそ取りうる戦術というものも無数にあり、あえて進化することを止めてもらっていたというのも頷ける話だが、今は状況が状況だ。解禁することもやむを得まい。

 

 

「フゥゥ……ッ!」

「――!」

「マグッ!!」

「――――!」

 

 

 地面に降り立ち、メキメキという音と共に輝きを放ちながらその身を巨大化させていくシズクモ(しずさん)。だが、その間は無防備な姿を晒すことになってしまう。当然ながらその機を逃すコマタナたちではない。故に、その身を守るべくあぶさんとまぐさんの二匹が前に出る。

 この場にいる他のポケモンたちと比べれば比較的に鍛えられた二匹ではあるが、それでもこれだけの集団を相手に守り切るのは非常に難しい。そうなれば、コマタナたちがあぶさんのもとへ殺到するのはごく自然なことだった。

 

 

(――――読んでいます)

 

 

 が、次の瞬間、コマタナたちの足元が爆散した。

 砕かれたアスファルトが礫となってコマタナたちへ押し寄せてその身を叩く。何匹かはその勢いに負けて吹き飛んでいった。

 エスパータイプの技、「みらいよち」。数十秒前にあぶさんが放っていた技だ。本来、あくタイプのコマタナたちには効果が無い技だが、それによって発生する余波――衝撃などを防ぐことはできない。ポケモンたちにとってそれは傷にすらならない程度のものだが――。

 

 

「グモぉン…」

 

 

 ――時間を稼ぐには充分だった。

 

 体高2メートル弱。その巨大さはこの場にいるポケモンの中でも随一だ。コマタナもまた、その威容に一瞬、立ちすくんでいた。

 

 

「――!」

「……! しずさん、『バブルこうせん』……!」

「ク」

 

 

 そんなコマタナの様子にしびれを切らしたのは、キリキザンだ。コマタナとは比べ物にならないほどの速度で地を駆け、瞬時にオニシズクモ(しずさん)に肉薄する。

 紫に色づいた生体エネルギーを、持ち前の鋭い刃に這わせた「つじぎり」。より高まった切れ味を持つそれがしずさんの水泡に触れ――――爆発的な勢いで飛び出した無数の泡に絡め取られ、凄まじい勢いで宙を舞った。

 

 

「! 朝木さん!?」

「え、何!?」

「……ツタージャさん、『つるのムチ』……!」

「ツータッ!」

 

 

 朝木に代わって発せられたナナセの指示に頷き、ツタージャは勢いよくキリキザンを捕まえ――そのまま、地面に叩きつけた。

 鈍い金属音が周囲に響き、頭から勢いよく落とされたキリキザンの身体が地に沈む。あまりの衝撃に脳が揺れ、気を失ったようだった。

 

 

「……残るは……十……二匹」

「あんだけやって三匹って嘘だろ……」

 

 

 ニューラは戦闘不能。カメールも、傷の深さによっては戦闘の継続は困難だろう。その上、キリキザンは未だ二匹が残っている。彼らは、もはや同じ手は食わないとばかりに重い腰を上げて、揃って前線へと歩みを進めていた。

 ふと東雲が空を見れば、黒雲から莫大な威力の雷が、ヨウタのいるであろう場所に落ちていくのが見えた。どれほどに凄惨な戦闘なのか。想像するだけで東雲の背を汗が伝い、朝木の膀胱が悲鳴を上げる。

 

 ナナセは依然として状況を冷静に判断しようとしていたが、どれだけ考えても「最悪」という以外に例えようはなかった。

 キリキザンのレベルは推定50オーバー。アキラであれば苦戦しながらも撃退できるものだろうが、東雲と朝木、ナナセの三人では、先程のような奇襲と偶然に頼らない限りは到底倒すことなどできはしないだろう。

 

 決定力が無い、というのは「こちら」の世界のトレーナー全員が抱える共通の問題だ。

 アキラにとってのギルのような例外こそあるが、大半の人間はポケモンを鍛えるような時間も、あるいは強いポケモンを仲間にするような余裕も与えられていない。

 ヨウタやアキラのようなイレギュラーさえいなければ、武力を用いた侵略としては完璧に近い作戦だったと言えるだろう、とナナセは内心で評した。相手がしたっぱならともかく、幹部格が手ずから育て上げたポケモンを相手にすれば、そのことはより強く実感できる。

 

 

(……あの二人は、今後の戦いの鍵です)

 

 

 ならばこの一連の戦いは、ヨウタとアキラの存在こそが鍵となる。

 そう確信したナナセは、あるいは自分が今ここで犠牲になるとしても確実にこのポケモンたちを仕留めるための方策を練り始め、

 

 

「『れんごく』ーっ!!」

 

 

 ――――横合いから飛び込んで来た赤黒い火炎弾によって、その方策は数匹のコマタナ諸共に吹き飛ばされた。

 

 

「なにっ!?」

「なっ……なんだあっ!? 『れんごく』!?!?」

 

 

 突如として飛び込んで来たその言葉に東雲が臨戦態勢を取り、朝木が恐慌状態に陥る。

 そんな彼らをよそに闇の中から姿を現したのは、融解したような片角を持つ、尾無しのヘルガーだった。

 

 

「オアアアアアアアアアア!!!?」

 

 

 ――知っている。俺はこのヘルガーを知っている!!

 

 朝木の心が悲鳴を上げる。その特徴は紛れもなく、先の戦いでアキラが倒した、ビシャスの操るヘルガーのそれと同じものだったからだ。

 同時にここで、彼の脳は更なる混乱に陥った。

 

 

(いや待て、女の子の声!?)

 

 

 「れんごく」の指示を下したその声は、間違いなくビシャスのものではなかった。女性の――それも、若い、少女とも推察できるほどに幼さを残したものだ。

 そうしてヘルガーに続いて闇の中からこの場に駆け込んできたのは、ヨウタと同年代ほどであろう赤毛の少女だった。

 

 

(((誰!?)))

 

 

 自衛隊――では、当然ありえない。

 レジスタンス――にも、該当する者はいない。

 となれば当然、正真正銘ただの一般人ということになるのだが、そうなるとなぜ彼女がビシャスのヘルガーと一緒にいるのか? という話になる。

 

 三人が三人共に困惑と混乱の渦に叩き込まれる中、少女はビシッと片腕を挙げてポーズを決めた。

 

 

「天が呼ぶ地が呼ぶあと何だっけ忘れたっ! (ウチ)が来たからには好きにはさせないぞ、悪党どもッ!」

 

 

 この時、三人は即座にこの少女がただのおバカな一般人であることを確信した。

 

 

(――――どうする!? 彼女は何者だ!? どこから来た!? 避難指示を行うべきか!? いや、だとして聞くか!? すぐに守りに行くべきか!?)

(なんかあの()アキラちゃんを三十倍くらいアホにした感じだな)

(コマタナの推定レベルは30から35、キリキザンは50オーバー。ここまでの戦闘のダメージでコマタナの体力が相当量削られていると仮定するとあのヘルガーのレベルも推定35前後。倒れたコマタナは4匹、残りは8匹――こちらの戦力は現状5匹、戦力を拮抗させるには……)

 

 

 混乱を深める東雲。混乱がオーバーフローした結果呑気なことを考えて精神の安定を図ろうとする朝木。対して、ナナセの思考は、戦況が変化したことで混乱が降り切れて逆に冷静になっていた。

 

 

「……全員! 指示できる範囲で……ポケモンを、出してください……!」

「! 了解……!」

「オッケー!」

 

 

 そう言って、ナナセは追加で最後のボールを取り出してもんさんを出す。続くように東雲もカメールをボールに戻し、代わってワシボンとクヌギダマをボールから出した。朝木はツタージャを出したそのまま。少女は――それに応じて、更に二つのボールを取り出した。

 

 

(あれは……!)

 

 

 既存のモンスターボール、そのいずれにも当てはまらない(・・・・・・・)ボール。

 通常のモンスターボールの1.5倍はあろうかという巨大さに加え、メカニカルな機構がそのまま剥き出しになったという異質な外観。

 一つの技術として確立され、洗練されていった「あちら」の世界のモンスターボールのそれとは明らかに異なるそれを見て、現状とは別にナナセは確信を得た。

 

 ――――この世界産のモンスターボールが完成した、と。

 

 

「ロン! メロ! 行くよっ!」

 

 

 少女が繰り出したのは二匹、全身を緑色の殻で覆ったポケモン――ハリボーグと、巨大な二本の腕を持つ、青いポケモン――メタング。

 どちらも、東雲やナナセのポケモンよりも育っているだろうことが推測できるほどにエネルギーに満ちている。この三匹のポケモンが、この戦いにおける主力となることは明白だった。

 

 

「……戦術を練り直します……! あなたは、コマタナを……我々は、キリキザンを足止めします!」

「うん、分かった!」

「嘘ぉぉぉぉ!? ちょ、キリキザンは無理だろ!?」

「できなくともやるんですよ! 今の我々には数の差で押し切る以外の手が無い! クヌギダマ、『ステルスロック』! ワシボン、『ねっぷう』!」

「ダーマッ!」

 

 

 パワハラァ! などと悲鳴を上げる朝木をよそに戦況は動く。

 クヌギダマが生成する無数の岩がコマタナとキリキザンとを分断し、ワシボンの放つ熱風がキリキザンたちの視線を引く。ワシボンの能力の関係上、威力はたかが知れている程度ではあるが、それでも「不快感」というものは必ず付きまとう。

 

 

「く、くそぉ……ツタージャ、『グラスミキサー』!」

「……しずさんは『クモのす』、もんさんは『わたほうし』、まぐさんは着火用に『ひのこ』、あぶさんは『ちょうはつ』を……」

 

 

 そこへ、吹き出した竜巻が鋭い切れ味を持った木の葉を伴ってやってくる。周囲にはしずさんが蜘蛛の巣を張り巡らせ、そこにもんさんが大量の綿を注ぎ込む。

 まぐさんが着火役として糸の根元から火を吹きこみ――そこへ、あぶさんの「ちょうはつ」によってキリキザンたちが突撃を敢行した。

 

 

「ウチらもやるよ、ルル、ロン、メロ! 『かえんほうしゃ』と『バレットパンチ』、『タネばくだん』お願い!」

「ウオオオオオンッ!」

「ハリハリッ!」

「――――――!!」

 

 

 その間に、少女は自らポケモンたちと共に前線に飛び出した。自然、コマタナの狙いは少女に絞られていく。

 彼女を殺せば、ポケモンたちの統率を取る者はいなくなるのだ。狙わない手は無い。

 

 ――それを理解しているが故か、あるいは無意識の行動か。

 いずれにせよ、彼女のポケモンたちはその事実をよく理解していた。メタング(メロ)が寄ってくるコマタナに拳を叩き込み、ヘルガー(ルル)がそこに生じた隙に乗じて、前に出てコマタナたちを焼き払う。足踏みしたところには、ハリボーグ(ロン)が種状の爆弾を投げ込み、数匹をまとめて吹き飛ばした。

 

 

「何じゃあの子!?」

「立ち回り方が刀祢さんと似ている……! なんて危険な……」

「……あなた、名前は……!?」

「ウチ!? 今じゃなきゃダメ!?」

「こちらから指示ができません……!」

 

 

 そりゃそっか、と少女は頷き、滑るようにコマタナたちの放つ「あくのはどう」などの遠距離攻撃を躱して応じる。

 

 

「――刀祢ユヅキ(・・・・・)! ユヅでいいよ!」

「「「は!?」」」

 

 

 ――しかしながら、その回答が爆弾になるとは、誰が思ったか。

 その衝撃は、三人の頭から一瞬全ての思考を奪うほどのものだった。

 

 

 



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じばく、天罰、ご用心

 

 絶望的な戦力差。

 期待できなくなった増援。

 現状は、なるほど。今までになくピンチだと言っていい。

 けど。

 

 

それがどうした(・・・・・・・)

「ヒョ?」

「貴様と同列のたかが(・・・)幹部ごとき(・・・)にヨウタが負けるわけないだろ」

「んなっ……フフヒヒヒャヒャヒャ! バカが!! やつのもとに向かった幹部が持っておるのもまた伝説、イッシュのボルトロス、トルネロス、ランドロスじゃ!」

 

 

 ボルトロス、トルネロス、ランドロスの三匹――なるほど、確かに驚異的には違いない。

 オレたちの世界だと準伝説とも分類されるが、伝説は伝説。それが三匹となれば、そうだな。ヨウタもてこずるだろう。

 

 

「お前たちが気象情報をもとに推測して伝説のポケモンを探してたのは分かっておる! そして、あの三匹は、先んじてワシらが気象情報を調査したことで、『この世界で』捕獲したポケモンじゃ! もはやお前たちに希望なんぞ残されておらんと知れぇ!」

「――だったら好都合だろ。貴様らを倒してッ!!」

「ピピピッ!」

「ぬおっ!?」

「その五匹、全ていただく! 『はどうだん』!」

「リオオオッ!!」

「ゴボゴボッ!」

 

 

 周囲の瓦礫を砕き、散弾銃のようにして投げつける。ゲノセクトが瞬時に飛来してその一撃を防ぐが、その一瞬の隙を突くようにしてリュオンが「はどうだん」を放つ。

 瞬間的に波動を圧縮したせいか、その凝縮はやや甘い。威力もやや低く、射線上に防ぎに入って直撃したにも関わらず、ヒードランの外殻に傷はほぼ見られなかった。

 

 

「ひ、卑怯な」

「『ねっぷう』!」

「バシャアアアァァッ!!」

「ピピーッ!」

「うぬうぅっ!?」

 

 

 畳みかけるように放ったチャムの「ねっぷう」は、プルートの盾になるようにして割って入ったゲノセクトに直撃する。

 ――しかしこれも大した手傷は与えられない。やはり、地力には差があるか。

 

 

「――ええい、この卑怯者めが! 人のポケモンを盗ったら泥棒という言葉を知らんのか!?」

「黙れ人殺しが! 奪われる側の気持ちを刻み込んでやる……!」

 

 

 強い怒りを込めて、一瞬生じた防衛網の隙間に向けて投擲を行う。当然、それを見逃すゲノセクトとヒードランではない。

 しかし、これはあくまで人間の行った投擲だ。彼らはただ、少し体の位置をずらすだけでその威力を殺すことができる。今回もそうしてゲノセクトが立ちふさがり、

 

 

「――『ストーンエッジ』」

「グルァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「ぬおおおおおっ!?」

 

 

 投擲物――すなわち、ハイパーボールから飛び出したギルがゲノセクトを押しつぶさんと巨大な岩塊を叩きつけた。

 

 

「ゲ……ギギギ……ビーッ、ビーッ!」

 

 

 あまりの過負荷にゲノセクトが警告音(アラート)を張り上げる。だが、流石に幻のポケモンと言うべきか。その一撃を受け止めた直後、背のバーニアをふかしたことでその押し合いは拮抗状態にまで持ち込まれてしまった。

 体格だけで言えば倍以上はあるというのに、なんて能力だ……!

 

 

「ぬうう、どうしたゲノセクト、押し返さんか! ヒードラン、お前もそこの小物をやれい!」

「ル……?」

「シャァ……!」

「――落ち着け! あんな器の小さいハゲにみんなの強さなんて分かるはずがないだろ!」

 

 

 そう告げると、怒りで今にも飛び出そうとしていた二匹(ふたり)はすぐに落ち着きを取り戻した。

 同時に、ヒードランの放った「マグマストーム」が迫るが、チャムが「すなかけ」で巻き上げた砂をリュオンが「れいとうパンチ」で固めることで壁……あるいは目隠しの代わりとして、瞬時に左右に分かれて跳躍、そのまま渦巻くマグマを躱して見せた。

 

 

「ええい小癪な! ならヒードラン、あのデカブツをやれい!」

「ゴボボ……」

 

 

 次いで、ヤツが標的としたのは、押し合いが膠着状態に陥ったギルだった。

 だが、その動きはプルートの指示から一瞬遅れて始まり、

 

 

「リュオン、『ボーンラッシュ』! チャム、『とびひざげり』!」

「ルウァァアアッ!!」

「バシャアアアアッ!」

「ゴボボッ……!?」

 

 

 横合いから二匹に殴り抜かれることで、その体勢を大きく崩すこととなった。

 

 

「何度邪魔をすれば気が済む!」

「貴様が倒れるまで何度でもだッ! チャム、『ブレイズキック』!」

「ぬぅ、止めいヒードラン!」

「リュオン、『さきどり』ッ!」

 

 

 ゲノセクトに横から一撃を入れようとチャムが駆けたその瞬間に、リュオンもまた動いた。ヒードランの波動から使用する技を推定、ヒードランから溢れ出る生体エネルギーを絡め取り、全く同質の技――「だいちのちから」としてほぼ同時に撃ち放つ。

 まるで二匹の巨大な蛇がうねり、食らい合うようにして地面が波打ち、轟音を立てて砕け散る。そしてその隙間を縫うようにして、チャムが飛び込んだ。宙に浮かんだ岩の塊をも足場にした、ランダムかつ超高速の軌道、そこから放たれたドロップ(ブレイズ)キックは寸分狂わずゲノセクトの胴を打ち抜いて見せた。

 

 

「グオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 

 そこで、押し合いの趨勢は一気にギルへと傾く。全身の筋肉を隆起させ、咆哮と共に全身全霊を込めて――叩き潰す!

 

 

「――――!!」

 

 

 悲鳴じみた甲高いアラート音が響き、バキバキという凄絶な音と共にゲノセクトは岩と地面との間に挟みこまれ、その外装が割れる。

 

 

「跳べぇッ!!」

 

 

 直後、オレはリュオンとチャムに声を飛ばした。

 その脚力を活かしてチャムがリュオンを抱え、オレはギルの背に向かって走り込む。

 この状況だ。周囲の被害どうこうよりもこいつらを倒す方を優先しないと危険だ。

 

 

「ギル、『じしん』!!」

「ゴッ――ガアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 

 オレがギルの背に乗り、チャムがリュオンを抱えて遥か上空に跳躍したその直後。

 ゲノセクトを押しつぶした岩と共に、大地が音を立てて砕けた(・・・)

 かつて狂気に飲み込まれ、目標を見失いながら場当たり的に放ったそれとは比べ物にならないほどの威力の一撃だ。正しく敵を見据えて放たれたそれは、(しか)とゲノセクトとヒードランの外殻を破り、その奥にまで刃を届かせて見せた。

 

 

(どうだ……!!)

 

 

 オレが感じられるゲノセクトの波動は、徐々に小さくなりつつある。「ひんし」状態に追い込まれつつあるポケモンに特有の状態だ。

 流石にギルほどのイレギュラーとなれば、その能力値も通常のポケモンとはケタが違ってくる。それこそ、伝説のポケモンと同レベルに。その攻撃の直撃となれば、流石に効かないと言うことは無いだろう。

 

 プルートのポケモンの弱点はビシャスのそれとほぼ同じ。指示が下手なことだ。

 「やれ」「止めろ」「防げ」……ただただ場当たり的に指示を繰り返している。だからヒードランもゲノセクトも、指示の直後は思考のために一瞬のタイムラグが生じているんだ。

 凡百のトレーナーならそれで充分……いや、そもそも伝説のポケモンを従えていれば、戦力としては圧倒的なんだ。何も考えずに力押ししても大抵は勝てるだろう――本来なら。

 

 オレのバトルの師は「あの」ヨウタだ。バトル中の一瞬の隙なんて話にすらならない。その理由は、こうして体感するとよく分かる。

 ヨウタからも指示ははっきりと伝えるように言われていた。オレたちの最終目標が「あの」サカキであることを考えると、厳しい特訓も何もかもやって当然のことと言えるだろう。

 

 

「グルルルルルルル……」

 

 

 ギルは、肩越しにヒードランを見据えて唸り声を上げた。「次はお前だ」と言わんばかりに殺意を込めた瞳に、わずかにヒードランがたじろぐ。

 

 

「今じゃ」

「――――!?」

 

 

 ――次の瞬間、着地しようと体勢を整えたチャムを、莫大な光の奔流が貫いた。

 

 

「チャム!?」

 

 

 今のは――「テクノバスター」!?

 けど、ゲノセクトは今確実に撃破した! 波動も小さくなってるし、一瞬見えたあの傷で動けるはずなんて……!

 そう思って光が放たれた元を辿って視線を向けたその時、オレは強い衝撃を受けた。

 

 

「な……ッ」

 

 

 絶句した。

 ゲノセクトが――動いている。いや、違う。ゲノセクトが――動かされて(・・・・・)いる。

 外装はボロボロで、部分的に剥離して元のポケモンとしての筋組織が覗いている。片腕はほぼちぎれかけで、僅かでも衝撃が加われば今にも落ちてしまいそうだ。

 そこに生命の波動は、ほんの僅かにしか感じられない。間違いなく今こいつは「ひんし」のはずだ。けど、これは……生命のそれじゃない、「波」。この……「電磁波」は。

 

 

「プルート……貴様……ッ!」

「フフヒヒヒャヒャヒャ! 甘く見たのォ、ゲノセクトはたとえ瀕死になろうともこのコントローラーがあれば死ぬまで、いや、死んでも(・・・・)動く! そォら、オマケをくれてやろう」

 

 

 言うが早いか、ゲノセクトは背のブースターを限界以上(・・)に稼働させ、全身の装甲を崩壊させながら、オレの目にすら映らないほどの速度でギルに肉薄し、

 

 

「ガ――――」

「――――――」

 

 

 閃光が、迸った。

 

 「だいばくはつ」。その技を放ったのだということを認識したその瞬間に覚えたのは、浮遊感だった。

 ブラックアウトした視界のひとつも戻らない中、木っ端のように宙を舞う。四肢に力が入らない。耳鳴りが酷い。口の中に鉄の味が広がっている。

 

 次いで感じたのは、強い衝撃と全身の痛みだった。

 何本か骨が折れているような感覚がある。鎖骨、肋骨、指……足も、感覚が無い。

 

 

「かはっ!」

 

 

 せき込むと同時に、バチャ、ベチャ、と水音が聞こえた。改めて見れば、体にはゲノセクトの装甲材の残骸らしき金属が複数突き刺さっている。

 いや、今はそれはいい。それよりも、みんなは……。

 

 

「ッ」

 

 

 血で滲む視界の端、どうやら今の攻撃が直撃したらしいギルが、力尽きて体を横たえている。

 チャムもまた、過剰出力の「テクノバスター」が直撃して「ひんし」に陥ったのか……その際に弾き飛ばされて無事だったらしいリュオンが抱えてこちらに駆けてくる。

 まずい、すぐにボールに戻さないと……。

 

 

「……ッ」

「フフヒヒヒャヒャヒャ! どうじゃこの威力は、素晴らしいと思わんか! 死してなおこれじゃ、ヤツも人間様に使われて本望じゃろうと思わんか!」

 

 

 何か……死ぬほど腹立たしいことを言っているような気がする。だが、詳しくは聞こえない。

 あと十秒もあれば聞こえるくらいに回復するだろうけど、その前に二匹(ふたり)をボールに戻さないといけない。

 震える右手でボールを探ろうと腰元に手を伸ばした、その時。

 

 

「ぐああァッ!?」

「なぁにをしとるんじゃ小娘が!」

 

 

 前に向かって投げ出されていた折れた左腕を、プルートの乗る浮遊マシンから伸びたアームがつかんで引き上げていた。

 宙に浮かされることで全体重が左腕にかかってくる。その痛みは到底看過できるものではない。その上で、万力のような力で締めあげられ――更にもう一度、ゴギリ、という嫌な音が聞こえた。

 

 

「リオ……!」

「お前はヒードランと遊んでおれ!」

 

 

 危険だと感じたのか、チャムを置いてこちらに走り出したリュオンだが、その道はヒードランによって塞がれてしまった。

 「ボーンラッシュ」によって応戦しているが、その動きは明らかに精彩を欠いている。

 

 

「フフヒヒヒャヒャヒャヒャヒャ! 無様じゃなぁ~! あれだけ啖呵を切ってこれとは、恥ずかしくはならんのか? ん?」

「――――」

「なんとか言わんか!」

「――――ご、えっ……ごぼっ!!」

 

 

 腹に、鋼鉄の拳が叩き込まれた。

 べちゃべちゃと熱い液体が口元から胸元にかけて吐き出され、濡らしていく。

 

 

「まったく不愉快な小娘じゃ。まあいい、残るポケモンを無力化……む、ムオオオオオ!?」

 

 

 腰元のボールホルダーを機械の腕でまさぐり始めたプルートが、あるボールに目を止める。

 それは……。

 

 

「こ、こりゃ……ウルトラビーストか! しかも未発見の新種! こ、こりゃほしい! フ、フフ、フヒャヒャ!! なんというラッキー! こんな拾い物をするとは!」

「……ベ……ノ」

 

 

 ヤツが手にしたのは――ベノンのボールだ。

 舐め回すような視線がボールの中からでも透けて見えたらしく、ベノンはボールの中から震えながらオレに怯えたような視線を向けていた。

 

 

「ヒャヒャヒャ! そんなに睨まんでも、お前のような小娘と違って有効活用してやるわい。まずはあのダークトリニティに貸してやった三匹を取り返し、弱ったアカギを葬りディアルガ様とパルキア様をこの手にする! そして目障りなサカキを始末できれば……伝説のポケモンは全てワシのものじゃ! ヒャヒャヒャヒャ!!」

「……無理……だな……」

「ヒョ?」

「……お前如きじゃ……サカキの足元にも……及ば、ない」

「まだ口をきけたか! こいつめ、こいつめッ!」

「ご、あ、があっ……!!」

 

 

 次々と顔面に鉄拳が叩き込まれる。一撃ごとに頬骨が歪み、鼻から血が噴き出してくる。

 それでも、心は折らない。絶対に。こいつに屈することだけは、決してありえない。

 攻撃そのものは、あまりにも単調だ。およそ戦闘者のする動きではない。ただ嗜虐性を満たすためだけのものだ。

 だから。

 

 

「ぬ?」

「…………は、ァッ……」

 

 

 ――圧し折れた指だらけの手でも、何も問題無く受け止められる。

 

 

「な、なっ、な!?」

「……ッ、ア゛あッ!!」

 

 

 全身から青い稲妻が迸る。

 鋼鉄の腕だとかそんなのは関係ない。その威力は、耐久性は、決してポケモンのそれには及ばない。

 渾身の力でアームの接続部に手刀を入れ、その中ほどから切断(・・)する。左腕を拘束していたアームは腕を引くことでこちらに引き込み、背負い投げのような要領で――引き千切る!

 

 

「んなぁっ!? 特殊カーボンのアームを……!」

 

 

 そのまま投げ出されかけたベノンのボールを、しっかりとつかんで引き寄せる。そして代わるように、最後のボールをホルダーから落とし、足を使ってヤツの操縦席に向かって蹴り込んだ。

 

 

「ヂュヂイイイイイイイイッ!!」

「なっ!? あががががががががががががががッ!?」

「っ……!」

 

 

 チュリの電撃がプルートとヤツの乗るマシンとを貫き、小規模な爆発を起こし黒煙を上げさせる。

 その間に着地……は、できず、もんどりうって転がり回る。それに合わせてチュリもマシンから脱出して来たようで、そのまま急いでこっちに駆け寄ってくるのが見えた。

 一方、プルートの乗るマシンは今の電撃で操作系がイカれたらしく、フラフラとした軌道でやや離れた場所に不時着するのを目にすることができた。

 

 這い出してくるプルートを見る限り、大きな怪我は負っていないようだ。あまり高くまで飛んでいなかったせいだろう。オレ自身も、そのおかげで大怪我せずに落下できたのだから、それを悔いることはしないが……。

 

 

「ひ、ヒードラン! ワシを守れ!」

「ゴボボボボ……」

 

 

 ほうぼうの(てい)のプルートが、傷だらけになっていたリュオンを足蹴にしていたヒードランを呼び戻す。あのクソ野郎が、この期に及んで……!

 

 

「こ、こんなバケモノは手に負えん! 退却するしかないわい……ポリゴンZ!」

「……!」

 

 

 あ、あの野郎まだポケモンを隠し持ってやがったのか! トレーナーでもねえってのに……!

 見ればプルートは、ポリゴンZの脚部……というか、尾? らしき部分を引っ掴んで、宙に浮いて逃げようとしている。

 

 

「チュ、リ……!」

「ヂッ、ヂヂッ!」

「ゴボゴボ……」

 

 

 逃すまいと放ったチュリの「10まんボルト」だが、割って入ったヒードランによってその多くは散らされてしまった。

 チュリ自身の充電も心許ない。リュオンは立ち上がろうとしているが……ヒードランにやられたダメージが大きい。どうしても、今は這って進んでいるような状態だ。

 

 

「くそったれ……!」

 

 

 まだ……何か手はあるか……!?

 いや、あるんだ、手は。だが、失敗すれば後がないどころかただただ無意味に終わり、オレもベノンもヤツらの手に落ちる。

 

 だが、ここでヤツを逃せば必ず今回以上の被害が生まれる。あのゲノセクトのように、無意味に犠牲を強いられるポケモンが生まれる。

 そんなことが許されるはずはない。許されちゃいけない!

 誰よりも、そうだ。オレが信じなくってどうするんだ!

 

 

「……ベノン……!」

「ベノ!?」

 

 

 まさか、というところで呼び出されたせいだろう。ベノンの表情は驚きに染まっている。

 鍛えるどころか戦闘経験すら無いんだ。それも当然だろう。けど、今はそのポテンシャルに賭ける以外に手が無い。

 

 

「あいつを、倒す。よく……狙え」

「ベ、ベノ……」

「ヂュヂュイ」

 

 

 不安か。オレも不安だ。

 けど、その不安を押し殺し、ベノンを抱いてその視線の先に腕を差し出す。「この先に敵がいる」と、「こっちを狙え」と、はっきりと指し示すために。

 その上から更にチュリがちょんとベノンの頭の上に位置取り、その視線を更に誘導する。

 

 

「……やろう」

「ヂッ」

「ベノ……!」

 

 

 人ひとり抱えた状態のポリゴンZの速度は大したものじゃない。一つ、呼吸の間を置く。

 全神経、気功を視界に集中。ほんの一瞬でいい、攻撃を徹すための間が必要だ。

 

 

「――『エレキネット』!」

「ヂ!」

 

 

 先んじて放たれたのは、チュリの「エレキネット」だ。当然、当たればプルートは大怪我だろう。だから――ヒードランは射線上に出て、攻撃を防ぐ。

 

 

「ボゴッ……」

「ベノン、ここだ! 『ベノムショック』……!」

「ベ、ノッ!!」

 

 

 直後に、ベノンの頭部噴射口から、レーザーのような勢いで毒液が噴出した。

 ヒードランは……動かない。この「エレキネット」だけならまだしも、さっきも一度「10まんボルト」を食らってるんだ。多少なりとも体は痺れてるだろうし、この一瞬じゃあ反応はできない!

 

 

「ひいいいっ!」

 

 

 そうして、毒液が貫いたのは。

 

 ――プルートが盾にした(・・・・)ポリゴンZの胴部だった。

 

 

「――――――!!」

「な……」

 

 

 悲痛なまでに甲高い鳴き声が響き、ポリゴンZがその体をくねらせる。

 ど……どこまでこいつは……ッ!!

 

 

「ひゃ……ヒャヒャヒャ! どうやらそれが最後の攻撃のようじゃな! やぁってしまえいヒードラン!」

「ッ!」

 

 

 優位と見るや即座にポリゴンZを投げ捨て、意気軒高とした様子でヒードランに命令を下すプルート。

 その忌々しい表情を見て、しかし今のこの状況下では何もできない自分の無力さを歯が砕けんばかりに噛み締め――。

 

 

「コケエエエエエエ―――――――――ッッッ!!」

 

 

 ――雷鳴のような雄叫びと共に、視界を一条の閃光が走った。

 

 雷光そのものの速度とも評するべき――文字通り、目にも留まらぬ速度だった。

 その閃光……いや、ポケモン(・・・・)が駆け抜けていったのは、ヒードランの懐だ。減速など一切なく、慣性の一切を無視したかのような超常的な動き。ヒードランの周りを一瞬、光が瞬いたと思えば、次の瞬間にはその外殻には複数の殴打したような跡が穿たれ、一瞬遅れて鈍い金属音が複数、その場に響く。

 

 

「なっ――――」

 

 

 言葉を放つ暇すらも、プルートには与えられなかった。

 まるで庭を歩いていくような気安さでプルートを素通り(・・・)すると同時、その顔面がひしゃげて、眼鏡が弾け砕け散る。果てはその全身に電流が走り、丸コゲの状態でプルートは地に崩れ落ちた。

 

 

「………………」

 

 

 絶句する。

 その戦闘力もそうだが、何よりも――間違いない。このポケモンは、この場にいるはずの無い……。

 

 

「……カプ・コケコ……」

「カプゥ――コッコォ!」

 

 

 その名を呟くと共に、オレの眼前に降り立ったカプ・コケコは、応じるようにしてその名を関する鳴き声を一つ、上げて見せた。

 唖然としてその威容を見つめていると、コケコは手に持った何かをオレに差し出した。これは……。

 

 

「……!? よ、ヨウタのZパワーリング……!? それに、コレ……」

 

 

 Zパワーリング。それに加えて、この宝石……まさか、メガストーンか!?

 それに、この色合い。純度の高いトパーズのような濃い黄色の宝石の中に浮かぶ、青と黒の二重螺旋……間違いない、ルカリオナイトだ!

 けど、何で。そんな疑問を込めてコケコを見つめると、コケコは一度ヒードランを――未だ、完全には倒れていないヒードランの方に視線をやり、オレを引き起こした。

 

 

「コココ……」

「……た……『戦え』?」

「コッコ!」

 

 

 オレの返答に満足したように頷いたコケコは、来た時と同じように雷同然の速度で元来た場所へと飛んでいった。

 いや、待てよ。お前プルート殴り倒さなかったか、とか、ヒードラン倒してないのかよ、という疑問が湧き上がったが、当然ながらコケコは何も答えてくれなかった。

 

 嵐のような数秒が過ぎ、オレたちの前に静寂が広がる。その間にヒードランは再び立ち上がり――先程以上の勢いで、炎を噴き出して見せた。

 枷は無くなった。そう言いたげなほどに活き活きしているその様子は、以前ヨウタが口にしていたことを思い起こさせる。

 

 ――トレーナーを直接倒すのは?

 ――制御を失った伝説のポケモンが暴れ出す可能性が高いです。

 

 

「あの野郎……」

 

 

 あ……あいつ、絶対意図的にやりやがった……!

 コケコは言うなればアローラの戦神。自分が戦うことのみならず、ゼンリョクバトルという形での「戦の奉納」も好むという極めて好戦的なポケモンだ。やるかやらないかで言えば……やる。間違いなく。試練という形にしても、奉納という形にしても。

 

 

「ゴボゴボボボボ……」

 

 

 一歩、ヒードランが地を踏み締める。それと同時に、地下から多量のマグマが溢れ出した。

 ……何にせよ、このまま放置はできない。ヒードランを止めるには、当のヒードランの後ろで寝コケているプルートのクソ野郎が持ってるボールを奪うしか、今のところは無い。

 つまり、強行突破。

 

 

「リュオン!」

 

 

 逡巡は一瞬。こうまでお膳立てされたとなると、やる他無い。

 オレはリュオンにメガストーンを投げ渡し、オレ自身もZパワーリングを装着して集中する。

 

 

「――――結べ!」

 

 

 次の瞬間、キーストーンから放たれた光が、メガストーンと結びついて――光と衝撃を放つ。

 周囲に蒼い炎が弾け飛び、二重螺旋にも似たメガストーンの輝きが、新たにシンカしたリュオンのその姿を示した。

 

 

「ルオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 

 

 一回り大きくなった体格。自身の体色にすら影響を及ぼすほどに高まった波動エネルギーと、伸びた体毛。

 一瞬だけ紅に色づいた瞳は――直後に蒼い波動の輝きによってかき消される。そして、極限まで高まった闘争本能は、咆哮として放出した。

 

 

「――――終わらせるぞ! これでッ!!」

 

 

 











今回のコケコさん


コケコ(あの爺ポケモン大事にしとらんなころころしたろ)

コケコ(おっあのお嬢ちゃんUB持っとるやんけ! 悪いことせーへんかいっちょ試練与えたろ)



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飛び込めほのおのうずの中



 一部三人称です。




 

 

 心臓が二つに増えたかのように、動悸が激しさを増す。

 爆発的に増えた血流が全身を巡り、口から温い液体が止めどなく滴り落ちる。

 

 ――けれど、立つ。立って、前を見る。

 

 指示を行うべき人間がいなくなったことで、ヒードランは半ば暴走状態に陥っている。放っておいても力尽きるかもしれないが、それまでに出る被害は、ヤツが伝説のポケモンであることも相まって計り知れないほどになるだろう。良くて火の海。悪くすれば……この一帯は溶岩の海に沈む。

 奇しくもオレが発案した「トレーナーを闇討ちして無力化する」作戦を否定したヨウタの言葉がそのまま証明されたような形だ。

 

 ベノンを一旦ボールに戻す。戦うにしても、どくタイプ以外の技をほとんど持たないベノンでは、今戦うのは難しい。

 

 

「――行くぞ」

 

 

 誰にともなく呟いたその言葉を皮切りに、砕き割れんばかりの勢いで地を蹴り、リュオンが前に出た。

 

 宙にたなびく蒼い炎が、はっきりとその軌道を示している。

 ……あまり良くない兆候だ。本来、体表で留め置くべき波動が外に漏れ出している。

 ダメージが相当蓄積していることの証拠だ。キーストーンを通じて「繋がって」いる今、その怪我の酷さはただ見るよりも克明に理解できる。

 オレ自身の体力も限界に近い。こうなると――短期決戦、今はそれ以外に手が無いだろう。

 

 

「チュリ、『いとをはく』!」

「ヂュッ!」

 

 

 この手の戦いではもはや恒例と化した牽制。それは、出会った当時のものと比べると質も量も遥かに向上している。当たりさえすれば、ヒードランでも一瞬は動きが止まるはずだ。

 しかし当然、ヒードランの側がそれを看過するはずもない。その場で足踏みするように鋼鉄の前脚を振り下ろすと、それに合わせてヒードランの足元から多量のマグマが噴き出して渦を巻く。むしタイプの生体エネルギーで織られた糸を焼くつもりだろう。

 だが。

 

 

「『きあいだま』!」

「ルゥゥアアアアアアアアッ!!」

 

 

 空気が凝縮し、波動が混ざり込んだ球体を形成する。

 推進力は――その拳だ。殴り放たれた蒼白い球体は、進路上の物体全てを薙ぎ払って進み、ヒードランの背部の甲殻にブチ当たって消滅した。

 くそ、やっぱり狙いが甘いか……!

 

 

「ゴバアアアアアァァァッ!!」

「ッ、正面!」

 

 

 これに業を煮やしたのはヒードランだ。コケコにボコボコにされたことで体力もだいぶ削れているのだろう。

 怒りのまま放った炎を、横に転がって避ける。プルートが倒れてるのは……ヒードランの向こうだ。曲がりなりにもあいつはプルートに「守れ」と命じられている。ボールの強制力か、それとも伝説のポケモンとしてのプライドか……いずれにせよ、命じられた以上、倒れるまでオレたちを通す気は無いようだ。

 律儀に守ってやることも無いだろうに。文字通り煮るなり焼くなりしてくれた方が楽だったんだが。

 ……とはいえ。

 

 

(ヤツの特性は、だいたい読めた)

 

 

 今も地上に滲みだしているあの溶岩。あれは恐らくヒードランの「伝説のポケモン」としての能力だ。

 グラードンもマグマを噴出させていたが、あれは「大地を創る」能力の副産物。ヒードランの場合は自身の領域(テリトリー)を「火山に変える」力なんじゃないだろうか。

 このまま放置しておけば、いずれこの場所は溶岩を噴き上げる「火口」と化す。そうなれば、溶岩に潜ることもできるヒードランに手出しはできなくなるだろう。

 

 その前に、決着をつけないといけない。

 短期決戦どころじゃない。こうなると「超」短期決戦だ。こっちも限界だが、ヤツも限界近い。全力でブチ当たれば倒せるはずだ。

 それができるのは――――。

 

 

「リュオン!」

「! ……!?」

 

 

 キーストーンとメガストーンの「つながり」によってオレの意図を察したリュオンが、驚きの表情を浮かべ、しかし即座に(きびす)を返してこちらに戻ってくる。

 オレの掲げた手にリュオンの拳が打ちつけられ――直後、リュオンの放つ波動の量が倍増する。

 

 

「ッ……」

 

 

 同時に、全身の力が抜けてその場に倒れ込む。

 ギリギリで動けるかどうかという量だけ残した、波動の譲渡。この状況においては、文字通り「最後の切り札」だ。これをしてしまえばオレはもうほとんど動けないし、リュオンも全て出し尽くして動けなくなるだろう。

 

 

「……波動……全ッ……開……!」

「オオオオオォォォオオォォオ――――ッッ!!」

 

 

 血を吐かんばかりの咆哮と共に、激流のような「はどうだん」――波動の嵐が放たれる!

 

 

「ゴオオォォォォ!?」

 

 

 ヒードランが吐き出す火炎諸共に飲み込み、蒼い炎と稲妻が荒れ狂う。

 地面を削り、周囲に暴風と破壊を撒き散らす爆発的な光の奔流。

 

 ――しかし、その最中にあって、ヤツは倒れない。

 

 

「ボゴオオオオオオオオォォォォッッ!!」

 

 

 ――「マグマストーム」。

 伝説のポケモンとして、僅かに残った体力全てをつぎ込んだ全力全開の一撃が、波動の嵐を押し返していた。

 

 

「っ……わ、ぐ……!」

「ヂュ――――……!」

 

 

 二つの苛烈な「嵐」が押し合い、突風が生じる。吹き飛ばされかけるのを地面に伏せて必死にこらえていると、一瞬そのことを察知したリュオンが焦った様子で振り向きかけた。

 

 

「振り向くな……!」

「――!」

 

 

 大事なのはただ一点。ヤツを倒すことだけだ。

 オレたちのことは、今はいい。遠慮も躊躇も要らない。今ヒードランに向けている意識を途切れさせれば、すぐに形勢はあちらに傾いてしまう。

 だから――「全力でやれ」と、視線で訴えかける。

 

 そして、直後。残された気力と体力、精神力と生命力……その全てを余さず振り絞るように、放たれる波動の量が一気に倍増した。

 後のことは一切考えない。ここで倒れてもいいと――そんな感情が、キーストーンを通じて流れ込んでくる。……「後のことは任せる」、とも。

 

 

「ゴ……ゴボボ……」

 

 

 ――そしてついに、その瞬間が訪れる。

 蒼と赤、二匹(ふたり)の中間地点で拮抗していた色彩が、僅かにその均衡を崩した。

 

 

「ル――ガアァアァアアアァァッッ!!」

 

 

 その綻びを、リュオンは見逃さない。

 ヒードランの生体エネルギー(マグマ)を取り込んだ蒼い嵐がその勢いを増し、極大の閃光と化してヒードランを呑み、押し込んでいく。そこではじめて、ヤツがその身を揺るがした。

 脚が持ち上げられ、身が浮かぶ。莫大な量の波動と稲妻に晒され、外殻が軋みを上げる。

 

 

「ゴボボーッ!」

 

 

 だってのに、まだ倒れやしない!

 クソッタレ、そんな悲鳴を上げるんならとっとと倒れろよ!

 リュオンはもうとうに限界を超えてしまったらしく、メガシンカも解除されてその場に倒れ伏してしまっている。もう打つ手は無いのか? このままこいつにやられるだけか――――?

 

 

(――――いや!)

 

 

 さっきまでビクともしていなかったヒードランが、今は動いている。

 先に創り出した領域から無理矢理に退かされたことで、プルートのもとに向かう道ができている!

 チュリなら行ってボールを取ってきてくれるか……? いや、ダメだ。身体の大きさから考えると、どんなに頑張っても取って来れるのは一つ。ベノンも同じ……というか、まだこっちの常識だってはっきりしてないんだ。ボールを持って来てくれと言って別のものを持って来てもらっても困る。オレが行くしかない。

 

 

「……ベ、ノン……!」

「ベ、ベノッ!?」

 

 

 全力で……けど、余力が一切残ってない中ではほとんど動きもしない腕を無理やりにでも動かし、再びベノンをボールから出す。

 早く……早くしないと、もうこんなチャンスは訪れない!

 

 

「……オレを、あっちまで……ブッ飛ばしてくれ……!」

「ベノォ!?」

 

 

 いくらなんでも唐突に過ぎたか、オレの申し出にベノンは大きく首を横に振った。

 けど今はもうこれしか手が残って無いんだ! リュオンもチャムもギルも戦闘不能、チュリはオレを運ぶような力は無い。けど、ベノンが毒の噴射する時の威力は、それこそ人ひとり吹き飛ばしてもまだ余りあるほどのものだ。ウルトラホールを通って来た時に纏うことになった、能力を増強するオーラがそれを実現してくれている。

 

 

「早く……!」

「ベ、ベノノ……」

 

 

 必死になって訴えかけると、ベノンも不承不承ながらに頷いてくれた。

 

 

「……今だ……!」

「ベビュゥーッ!」

「がッ!!」

 

 

 合図を出したその直後、凄まじい衝撃が体を貫いた。毒性を極限まで抑えて接触面積だけを大きく拡げた「ようかいえき」だ。

 最悪の飛び心地で血反吐を撒き散らしながら――着地。いや、墜落する。全身をしたたかに焼けた地面に打ち付けながら、それでもオレは確実にプルートの倒れた場所へとたどり着くことに成功した。

 

 

「こ……の……っ」

 

 

 白衣を引き千切り、その奥に隠しているモンスターボールがいくつか露になる。マスターボールが二つ、モンスターボールも二つ。マスターボールはいずれも空になっているが、片方は反応が無い。どうやらゲノセクトのボール……だった、らしい。

 ヒードランのものと思われる、まだ反応がある方のボールを奪い取ってヒードランに向ける。

 

 

「戻……っ! ……!?」

 

 

 ボールの格納用ボタンに手を触れて押し込む……が、固い! このクソジジイ開閉ボタンロックしやがった!!

 力尽くで……いけるか!? いや、いくしかない! もう握力は無いが、それでもやる以外にない! リュオンがやってくれたんだ。トレーナーのオレがそれに応えなくってどうする!!

 

 

「ううう……ああああァァァーッ!!」

 

 

 直後――ガチン! と。

 全力の……握撃とも指弾とも取れるような威力のそれが開閉スイッチを貫き……ロックが、解除された。

 レーザーが一直線にヒードランに向かって飛び、その巨体をボールの中へと収容していく。ぐぐ、という僅かな抵抗の後……小さなロック音がして、動きが止まった。

 

 

「止まっ…………た……」

 

 

 さっきまでひどくうるさかった戦場は、今はただ風が吹き抜けるだけの更地と化している。

 そのことを認めると――ぷつりと、何かが切れる音が聞こえて、体中の力が抜けた。

 

 

(あ、これダメだ)

 

 

 血を流しすぎたし、緊張の糸が完全に切れた。流石にもう立てないし、動けない。

 心はまだ戦うつもりだけど、どうしても体がついてこない。もしかしたら、まだ増援があるかもしれないじゃないか。動けよ、オレ。

 そう考えても、やっぱり体は限界で。指一本も動かすことはできず。

 ――やがて、血の海の中で意識が途切れた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 その時、彼らは天高く登る蒼い光の柱を目にした。

 

 ほんの一瞬のことだった。遠方……アキラとプルートが戦っているであろう場所から放たれたその光は、紛れもなくルカリオの放つ「波動」のそれと同じもの。

 それを目にしたヨウタはアキラの勝利を確信し、ダークトリニティの三人はこれまでヨウタには見せてこなかった焦りの感情を示し始めた。

 

 

「!」

「まさか……」

「あの少女とプルートか!」

「向かわねば――」

「っ、させるか! コケコ、『ブレイブバード』!」

「コケッ、コォォォ――――ッ!!」

「トロアァ!?」

 

 

 背を向けたその一瞬を突いて、カプ・コケコが飛ぶ。稲妻のような速度で顔面を打ち抜かれたボルトロスは、小さく悲鳴を上げてその身を地面に落とした。

 

 

「ライ太、『バレットパンチ』! ミミ子は『シャドーボール』!」

「鬱陶しい……!」

 

 

 次いで、メガシンカを解かれながらも未だ問題無く立っているライ太が、トルネロスにその鋏を打ち付ける。

 更にもう一撃――ライ太の頭上数ミリを掠めていくようにして、黒い球体が空間を抉ってランドロスを打ち据えていった。

 

 

「…………」

「!」

 

 

 ダークトリニティの三人が視線を交わす。

 既にこの戦いに大きな意味は無い。彼らはプルートがアキラを倒すまでの時間稼ぎのためにこの場にいるのだ。当のプルートが倒された今、いつまでもこの場に拘っている理由は無い。

 しかし、雷とほぼ同じ速度で空を駆けるカプ・コケコに勝る機動力を持つポケモンはいない。離脱しようとすれば光速の追撃が放たれ、背後から直撃を受けることだろう。

 三匹の伝説のポケモンも、ヨウタの操るポケモンたちの連携の前に翻弄され続けている状況だ。

 

 

「散!」

「!?」

 

 

 故に、ダークトリニティは彼らのうちの一人をこの場に置いて、二人を離脱させることを選択した。

 ランドロスとトルネロスのボールは残る一人に預けられており、指示を出すことに関しては――「時間稼ぎを行うこと」に関して、大きな不足は無い。

 

 

「くそっ……!」

 

 

 ヨウタは歯噛みした。追撃のためにポケモンを出すことは――できないわけではない。

 だが、カプ・コケコを操っている今それをしてしまえば、コケコが何をしでかすか分かったものではなかった。つい先ほども、交代の隙を突いてヨウタの指示下から勝手に離れてアキラのもとへ飛んでいってしまったのだ。ここでまたポケモンを追加で出すような隙を晒せば、好き勝手に暴れ回るだろうことは間違いない。

 

 幸いなことに、彼らは全ての手持ちポケモンを使い切っている。たとえ襲撃を受けようとも、アキラなら対処はできるはずだ……と、ヨウタはそう考えて集中する。

 指示者は二人減って、残り一人。人間が伝説のポケモン三匹を同時に操るというのは非常に難しいことだ。これまでよりも隙は大きくなるだろうし、突きやすくなる。

 彼を突破しさえすれば、伝説のポケモン三匹をここで仕留め切れる。そう考えてヨウタは、役割に徹することを己に架した。

 

 

 







設定等の紹介



・プルート
 第四世代「プラチナ」から登場したギンガ団の幹部(新人)。本作に登場したプルートはポケスペのものをベースにしている。プラチナでも戦う機会は無く、彼自身はポケモントレーナーというよりもあくまで「科学者」であり、バトルには精通していない模様。
 ポケスペにおいては伝説のポケモンすら一時的に操って見せた「ポケモンを操る機械」なるチート機器が登場したが本作では未登場。
 言動から推測するに伝説厨。オマケに人のポケモンだろうとお構いなしに強奪しようとする見境の無さを持つ。絶対伝説に認められない人間筆頭。
 あくまで一説ではあるが、ポリゴン2をポリゴンZに進化させるためのアイテム「あやしいパッチ」を作ったとも言われる。また、ギンガ団BOSSアカギが「心の無い世界」を望むようになった事件の犯人であるという説もある。
 本当にいい加減にしろよお前……。




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黒い刃のどくづき

 

 

 

 暴風と雷の飛び交う地獄を脱した二人を待っていたのは、また別種の地獄だった。

 灼熱を帯びて草一本生えていない更地と化した広場。一角では止めどなく溶岩が流れ出ており、周囲には血痕や焼け焦げた「何か」が散見される。生理的嫌悪感を催しかねないその光景を目にして――しかし、ダークトリニティは、一切感情を動かさなかった。

 

 

「いたぞ」

「うむ」

 

 

 見晴らしの良くなった広場の中、ダークトリニティは恰幅の良い禿頭(とくとう)の老人を見つけ出した。プルートだ。

 彼のトレードマークとも言うべき白衣は肩付近から裂けており、顔面は変形するほどの力で殴打されている。彼を殴り倒した犯人と思われる――実際には濡れ衣だが――少女は、その付近で血溜まりの中に沈んでいた。

 彼女は既に意識が無い状態だ。少女を連れ去ってこい、というサカキからの命令を遂行するには絶好の機会だと言えるだろう。しかし。

 

 

「ヂィィ……」

「…………」

 

 

 バチュル(チュリ)新種の白いUB(ベノン)。二匹のポケモンが、それを阻んだ。

 どれだけ小さくともポケモンはポケモン。そしてもう一匹はウルトラビースト。迂闊に近づけば殺されるのはダークトリニティの方だ。

 

 

「主を守るか」

「……その忠義、見事」

 

 

 (トレーナー)を想い守るその献身に、ダークトリニティは賛辞を送った。

 戴く主やその主義思想は真っ向から対立しているが、その身を案じ、守ろうという心は同じだ。故に彼らは、その小さなポケモンたちに小さくない共感を示した。

 彼らは少女に手出しすることを自ら禁じて、プルートへと向き直った。

 

 

「う……うごご……何が……」

 

 

 そんな折、タイミングよくプルートが目を覚ます。これ幸いと、ダークトリニティは彼の眼前に立った。

 

 

「む……むむっ、ダークトリニティ! キサマら、なぜここに……」

 

 

 そんなダークトリニティの姿を目にしたプルートの反応もまた早かった。

 顔面を潰されてなおこれだけ喋ることができるとは、呆れた生命力である。

 

 

「貴様の敗北を察知して来た」

「よもや伝説を用いてなおこのような無様を晒すとは」

「や、やかましい! キサマらこそ時間稼ぎもできずにこんな……お、おごごご……」

 

 

 プルートは痛む顔面を押さえた。

 カプ・コケコにとっては撫でる程度の攻撃だが、人間にとっては乗用車が正面衝突したにも等しい衝撃だ。だから何で普通に喋れてるんだこの爺。

 

 

「ま、まあいいわい。早くワシをここから逃がせ!」

「それはできん」

「ヒャ?」

 

 

 そして、己の要求を告げた次の瞬間。

 

 プルートの胸に、黒い刃が突き立った。

 

 

「な……ん……?」

 

 

 即効性の毒が回る。掠り傷でも命を落とすほどの猛毒を持つドクロッグの毒液を利用した、殺人用の暗器だ。五秒と経たずにプルートの舌が痺れを発し、十秒も経つうちに体が動かなくなる。やがて神経系に作用した毒によって、呼吸が止まった。

 まだ意識がある内にダークトリニティはプルートへと言葉をかける。

 

 

「貴様がレインボーロケット団内の伝説のポケモンを狙い、暗躍していたことは知っている」

 

 

 その言葉に、プルートは心臓を跳ねさせた。

 まさか! それは誰にも言ってないはずだ!

 

 

「我らに気取られないと思ったか」

「我らはゲーチス様より密命を授かっている」

「即ち――不穏分子、誅すべし」

 

 

 無慈悲にそう告げると、二人はプルートの所持品を全て奪い取っていく。

 

 

「……わ……ワシ……死ねば……研究成果……」

「我らが知ることではない」

「全てはゲーチス様の意思のままに」

 

 

 プルートはここではじめて、ダークトリニティが「味方に対しても」一切容赦をしないことを理解した。

 あるいは――彼自身、その事実を認識してはいたのだろう。

 

 

「わ……ワシは……ただの人間で……終わりは……」

 

 

 「自分だけは大丈夫」などというある種願望じみた自信が、老人の判断を狂わせていた。

 

 その自信こそ、ただの人間(・・・・・)に特有の、根拠のないものであることに気付かずに。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

『――任務完了だ。撤退せよ』

「了解」

 

 

 トルネロスがその身を横たえ、ボルトロスが今にもカプ・コケコの手により地面に叩き落とされんとするその最中、不意にダークトリニティの残る一人の持つライブキャスターから、通信が発せられた。

 このままでは逃げられる。舌打ちを隠しもせず、怒りを湛えたままにヨウタはコケコに指示を下す。

 

 

「! またッ……! 『マジカルシャイン』!」

「コカカッカァァァ――――ッ!!」

「ランドロス、『みがわり』」

「ヌゥゥーッ!」

 

 

 確実にこの場で仕留めんと放たれた虹色のレーザーが、ランドロスを貫く――が、直後にその土色の影は霧散した。大きな生体エネルギーを割いて生み出した分身……「みがわり」だ。

 直後、ダークトリニティは地面に煙球を叩きつけた。夜の闇に溶け込むような黒い煙が周囲を包み、ダークトリニティの姿をも覆い隠していく。

 

 

「逃げるなァァッ!!」

「いいや、逃がしてもらう」

 

 

 敵の幹部を仕留め切れなかったのはこれで何度目か。普段は温厚なヨウタでも、流石にもう限界だった。思わず声を荒げるが、それに対してダークトリニティの態度は至極冷静だ。

 

 

「最初から貴様とまともにやり合う気など無い」

「コケコ、『ブレイブバード』!!」

「クワァァ――――ッ!!」

「的外れだ」

 

 

 その怒りのままに発した指示による一撃は、しかし、本来狙うべき目標とは真逆の方向に放たれることとなった。

 黒煙が引き裂かれるように割れ、本来の夜空が姿を見せる。そこにダークトリニティの姿は無く、遥か彼方の空に白い雲が消えていくのみだった。

 

 

「……ッ!!」

 

 

 ここでダークトリニティを仕留め切れれば……伝説の三匹のポケモンを倒しきれれば、この後の被害はより小さくなることだろう。

 くそ――と、小さく重く毒づきながら、ヨウタは地面に拳を落とした。

 

 

「……戻れ」

 

 

 ともあれ、カプ・コケコをいつまでも外に出しておくわけにはいかない。ヨウタにとってカプ・コケコは本当の意味で手持ちポケモンというわけではないからだ。

 あくまでカプ・コケコとヨウタは「協力者」の関係だ。ヨウタは友達とアローラのためにレインボーロケット団を排除することを目的として。カプ・コケコの側は、ポケモンの守護者として、ポケモンを害する存在であるレインボーロケット団に神として罰を下すため。つまりは利害が一致したから一緒にいるというだけなのだ。

 

 しかしながら、カプ・コケコは三歩行けば目的を忘れるほどの鳥頭であり――戦闘狂である。

 戦闘中に戦闘の目的を忘れるなどは日常茶飯事で、今回のように他に何か食指の動く「戦い」があればつまみ食いの如く飛んで見に行ってしまう。切り札と呼ぶに相応しい実力があること確かだが、同時に扱い辛さは他のポケモンの比ではなかった。

 

 

「急がないと……」

 

 

 問題はアキラだ。戦闘が終わったというのに、一向に戻ってこない。彼女が単独で幹部級と当たるのはこれで三度目だが、過去の二度はいずれも大怪我をして戻ってきた。今回もそうなっているのだろうということは容易に想像できる。

 その歩みは、自然と早足になっていた。

 

 しばらく行けば、変わり果てた工場付近の様相が彼の目に飛び込んでくる。

 同時に、ヨウタの姿を見て飛び跳ねて自身の存在を主張する小さな黄色い影と、その端で横たわる少女の姿も、また。

 

 

(――――!!)

 

 

 その姿を見て、医学知識の無いヨウタでも、その傷を見れば一目で理解した。

 ――ダメだ。このまま放置していては、確実に命を落とす。

 

 

「ヂュ!」

「アキラ!」

 

 

 駆け寄って見たその姿からは、まるで生気が感じられない。

 しかし、ヨウタには正確な応急処置の知識というものが無い。こういう場面で最も頼りになるのは、元医療関係者の朝木だが――。

 

 

(……レイジさんはキリキザンたちに追われてる……! こんな時に……ッ! 戦えるのは……)

 

 

 伝説のポケモン三匹を相手にするとあっては、ヨウタとそのポケモンでさえも被害は免れられない。今なおキリキザンに追われているであろう三人を助けに行くには、現在のポケモンたちの体力では心もとないというのがヨウタの見立てだった。

 カプ・コケコなら動くことはできるが、あの戦闘狂に任せるのは不安が付きまとう。

 しかし、ではどうするべきか――?

 

 たとえどのようなポケモンを相手にしても冷静になれるヨウタだが、仲間がこういった形で大怪我を負ったという経験には乏しい。そのため、彼はいつになく、それこそ持ち前の冷静さを欠くほどの緊張を覚えていた。自分の行動ひとつで仲間の命が左右されるというのは、十二歳を過ぎたばかりの少年にとってはあまりにも重すぎた。

 

 

「おおぉぉーい!!」

「! レイジさん!? こっちに!!」

 

 

 ――しかし、そんなヨウタに助け船が送られた。

 朝木の声だ。これ幸いと声に応じ、大きく手を振って自分の位置をアピールしながら、彼らが来るのを待つ……が、その様子がおかしい。

 

 

(……あれ? 一人多くない……?)

 

 

 明らかに、駆けよってくる人間が一人多かった。その上何やら見慣れないポケモンに乗ってやってきている。

 ヨウタは困惑した。誰あの娘。

 

 

「誰!?」

「あ、いや、俺らもよく分かんね……アキラちゃんの妹っぽいんだけどこの子が助けてくれて」

「アキラの妹ォ!?」

「ちゃん?」

 

 

 ちょっと待ってほしい。この場の全員が一斉にそう感じた。

 しかしそうはいかない事情もある。何があったのか説明してくれ――そう言いたくなる気持ちをぐっとこらえて、ヨウタは朝木に呼びかけた。

 

 

「説明は後に! アキラが大怪我してる!」

「またかよ!? わ、分かった、診てく……うおっ……!?」

 

 

 その姿を目にした朝木は言葉を失った。

 全身に突き刺さった金属片。止めどなく溢れる血液。あちこち骨折しているらしく、曲がってはならない方向に曲がった腕や指……露出した素肌に生じた熱傷も、重い。

 

 

「東雲君、小暮ちゃん、担架と包帯! 急げ!」

「了解しました!」

「は、はい……!」

「ヨウタ君とユヅちゃんは……離れてろ!」

「え、でもウチ何かできること無い!?」

「今は無い! いいから!」

「そんなぁ! おに」

「邪魔になるから退いてよう。僕らは連絡!」

「う、うん。分かった!」

 

 

 「おに?」と僅かに首を傾げかけるものの、朝木はすぐに意識をアキラの方に向けた。

 意識は完全に失われており、脈拍も弱い。そのことを確認した朝木は、まず自身の服の上着を破って止血処置を始める。

 流石にこの状況になると、ヨウタたちにできることは何も無い。キツい言い方になってはしまったが、近くで動かれれば正確な処置を行えないこともある。今は彼らの出る幕ではなかったんだと自分に言い聞かせ、朝木は処置に集中し始めた。

 

 その朝木から一旦離れたヨウタは、関係各所への連絡を始めた。

 まずはレジスタンス。次に、工場地下で強制労働させられていた人々を収容した病院だ。前者はどれだけの被害が出たかの確認。後者はアキラの治療のための設備の確保ということになる。ユヅキの手伝いはあまり効果を為さなかったものの、それでも短時間で最低限の準備が整ったのは――電話役とメモ役、その両方を買って出たロトムのおかげだろう。

 

 

「……そんなに……」

 

 

 その結果判明したのは、レジスタンスの被害者の数の多さだった。

 宇留賀のレジスタンス、その全所属者の二割が、この戦場で命を落としている。負傷者も決して少なくなく、当の宇留賀も前線に出ていたこともあって重傷を負っている。

 多くはヒードランにやられたようだが、同時にダークトリニティの手にかかった者もいるとの話を聞くことができた。

 

 

『ヨウタ君たちは、どうしますか……?』

「後で合流します。こっちも、アキラを病院に連れていかないと……」

 

 

 事実上のレジスタンス副長となっている女性にそう告げると、ヨウタは通話を打ち切った。

 憔悴しきったその声は、ヨウタの心を打ちのめすのに充分な威力を秘めていた。 

 一週間にも満たない期間とはいえ、レジスタンスもそう人数を抱えていない組織だ。見たこともあるし、中には会話を交わしたことのある相手もいる。一緒に修行を行った相手もいた。そういう人間が亡くなったと聞くのは、彼にとって初めてのことだ。

 

 

「…………っ」

 

 

 後悔が胸に溢れ出す。事前に阻止する方法は無かったか? あの場面で追撃してでもダークトリニティを倒すべきではなかったか?

 過ぎたことだと理解はしていても、それでも人の死を知るというのは、ヨウタにとってはあまりに重すぎる出来事だった。

 

 しばらく、ユヅキもヨウタも言葉を発することをしなかった。

 それができる精神状態というわけでもなかった。

 

 

「……え、えっと……いい?」

 

 

 やがて空気に耐えかねたのか、ユヅキがそう切り出した。

 ヨウタも流石に俯いてばかりいられないと理解したのか、そこでようやく顔を上げる。

 

 

「あ……うん。ええと……」

「刀祢ユヅキ。ユヅって呼んで」

「アキラの妹だっけ……あの、でもアキラっておばあさんの家にいて、実家は本土だって……」

「ん。ゴールデンウィーク使ってこっちに一人で来たの。お兄に会いに」

「一人で? え、でもユヅ僕とほとんど変わらないくらいじゃ……」

「十二歳!」

 

 

 ヨウタの想像以上の低年齢であった。

 同じくらいどころかほぼ同じだ。あまりの事態に、彼も頭を抱えた。

 

 

「で、でも何で? アキラってご両親と折り合い悪いんじゃ……」

 

 

 それは彼女自身が語っていたことだ。両親からは、息子を名乗る不審者と思われており、今の自分が「刀祢アキラ」だと認められてはいない……と。そのため、実家の敷居をまたぐことさえできていない。妹のことも記憶を失った際に忘れてしまった、と。

 

 

「それパパとママの話でしょ? ウチ違うもん」

「はあ。でも見た目全然違うし記憶も」

「お兄はお兄だよ?」

 

 

 何を根拠にそんなことを。そう言いたげにヨウタが白い目を向けていると、ユヅキは続けて語る。

 

 

「ヨウタくんずっとお兄と一緒にいたよね。お兄って辛気臭いでしょ?」

「言い方」

 

 

 しかし否定できるものではなかった。

 事実として、アキラは辛気臭い。表面的にはカラッとしているようだが、何かにつけ物憂げだ。そして考え事も多い。真面目ではあるし、それ自体は美点ではあると感じられるのだが――同時に、その点がむしろ暗い雰囲気を生んでいるように見えなくもない。戦い戦いまた戦いで笑っていられないこの状況も相まって倍率ドン。印象の持ち直しようがない。

 

 

「やっぱり。前からお兄辛気臭かったもん」

「自分のお兄さんのことそう言うモンじゃないと思うよ!?」

「いやぁ……妹だからこそ言わなきゃだよ。お兄、なんかウチの前だと猫被って優等生ぶってて、あ、でも実際文武両道だったんだけどね? 時々すごい短絡的になるんだよ」

 

 

 アキラだ、とヨウタは確信した。

 性別が変わって記憶を失う前もどうやら何かにつけ思考を放棄する短絡的な部分は変わらなかったらしい。

 

 

「悪いことと曲がったこと大っ嫌いだし」

「うん」

「おばあちゃんっ子で」

「うん」

「自分のことより他の人のこと優先するの」

「アキラだ……」

「でしょ? じゃあ間違いなくお兄じゃん!」

 

 

 アキラの過去のことはあまり知らないヨウタだが、なるほど。こうして聞く限り、彼女はああ(・・)なる以前もほとんど変わらない性格をしていたようだ。

 多少外面を取り繕ってはいたようだが、三つ子の魂百まで――と言うところなのだろう。四歳までの残っている記憶の中でも、既に人格形成を済ませていたようだった。

 

 

「ウチはおばあちゃんから聞いたんだけどね。じゃあ実際に見て確かめようって思って」

「シコクに来たと……でも、大丈夫だったの? レインボーロケット団とか……」

「うん! みんなそんなに強くなかったよ!」

「そういうことじゃない」

 

 

 ヨウタが問いかけたのは、「レインボーロケット団に出遭わなかったのか」「出遭ったとして、どのように対処したのか」である。

 まさかの答えだった。普通に倒してやって来ている。

 何なんだこの子は。アキラの妹だ。なるほど。理屈で語れない。

 

 

「倒したの!?」

「倒し……てくれたよ!」

「え、と、その……」

「ルルとロンとメロとジャック……あ、見せた方がいい?」

「種族だけ聞ければ」

「えーっとね。ヘルガーと、ハリボーグと、メタングと、ジャランゴ」

 

 

 ヨウタは最後の一言に聞き覚えがあったことに再び頭を抱えた。何で当然のようにアローラの極めて珍しいポケモンがこんなところにいるのか。あまつさえこの少女の手持ちに加わっているのか。

 それ以外のポケモンも、当然のように相当な強さを誇るポケモン――に進化しうる逸材だ。

 しかし、それでも倒せない相手というものは存在するだろう。そう問えば。

 

 

「ウチも拳法修めてるから強いよ!」

 

 

 そう言って、ユヅキは目にも止まらぬほどの速度で拳を繰り出して見せた。アキラには及ばない……ということまでは理解できるが、素人のヨウタにはどっちも速いということしか理解できない。明らかに人間の枠組みから外れたアキラもアキラだが、それと「比較できる」という時点で少女も充分人外じみている。この姉妹(きょうだい)だけ世界観がおかしい。

 ヨウタは三度(みたび)頭を抱えた。

 

 

(アキラもアキラなら妹も妹だ……)

 

 

 ヨウタはこの少女がアキラの妹であることを確信した。

 彼女に比べると無茶苦茶の度合いこそまあ人間としての範疇に収まってはいるものの、ユヅキもまた人間としてはそこそこおかしい部類であることは確かだった。

 

 

「それで、これからどうするの?」

「ウチも戦うよ! 悪い奴ら放っておけないでしょ!」

 

 

 気を取り直すために投げ掛けたヨウタの質問に、ユヅキは意外にも――あるいはアキラの妹とするならむしろ順当に――前向きな答えを返した。

 これまでにないカラッとした正義感から来る発言に思わずヨウタも毒気を抜かれかけるが、次の瞬間には思い直して言葉をかける。

 

 

「僕はオススメしない」

「えっ、何で?」

 

 

 心底意味が分からないと言う風に、ユヅキは首を傾げた。

 しかし、ヨウタとしてはそれこそ意味が分からない発言だ。

 

 

「僕らの中で一番体が強くて頑丈で、人間離れしてるアキラがあんな風になる相手なんだ。無事でいられる保証なんて無い」

「そんなん四国のどこにいても同じでしょ? 『悪を見過ごすこともまた悪だ』っておばあちゃんが言ってたってお兄が言ってた!」

「又聞きかっ」

 

 

 アキラの言い回しを彷彿とさせるその言動に、小さく溜息をつくヨウタ。

 はっきり言えば、ヨウタはユヅキの参戦を望んでいないわけではない。むしろ、この地獄と化した四国を単独で生き抜き、それどころかレインボーロケット団を退けてきたという実績を思えば、喉から手が出るほどに欲しい戦力と言える。

 

 しかし、幼すぎる。

 ヨウタも同じ年齢だが、元々ポケモンが存在する世界の人間だ。まず踏んだ場数が桁違いであり、その手持ちポケモンも他と隔絶した能力を持つ。加えて伝説のポケモンを従えることができる貴重な人材だ。

 アキラとよく似たこの少女は、アキラと同じように動いてアキラと似た戦い方をするだろう。その結果は――およそ、逃れようのない死だ。

 アキラほど人間離れした頑丈さと回復力の無いユヅキでは、いずれ必ず限界が来る。

 

 ……はずだ。

 というのは、ヨウタの憶測である。現実には、より戦力が増強され、これまで以上に安定した戦いができる……可能性もある。これも推測に過ぎないことだ。

 

 

(どっちにしても、危険に一番近い場所で戦うことになる……)

 

 

 たとえ今はその記憶が失われているとしても、彼女は自分を慕ってくる妹を邪険にできる性格ではない。いずれは(ほだ)されて身内として受け入れるだろう。その時、、「家族」というものに人一倍強い想いを持つアキラが、ユヅキが傷つくことに耐えられるだろうか。

 

 

「……どっちにしても、アキラが目を覚ましてからの話だけどね」

 

 

 いずれにしても、この場で話を終わらせるのは、彼女にとって不誠実だろう。

 少なくとも、アキラ本人の意思を確認しないことには、話を進めるのも難しい……と、ヨウタは結論づけた。

 

 

「うん。でもウチ、おばあちゃんを守るためにも、戦うからね」

「一番近くで守ってあげた方がいいと思うけど……」

「あいつら倒した方がよっぽど早いと思うな……それよりお兄、大丈夫かな」

「二日あれば目を覚ますと思うけど、心配だね」

「二日……?」

「二日」

 

 

 しばらくヨウタの言葉の意味を考えていたユヅキだが、数秒ほどして疑問を全て放り投げた。

 そっか! 二日あれば目を覚ますならま、いっか!

 

 ――無論、彼女の現在の体質を知らないからこその現実逃避である。

 

 

「……あ、あと、アキラ、元々性別が違うってこと、みんなに言ってないから。できれば呼び方、変えといてね」

「やっぱ言ってないんだ、お兄。だよねー。『ちゃん』って言ってたもん。またどうせ説明めんどくさがったんだろうなぁ」

「混乱させるだけだからって言ってたけど」

「お兄面倒くさがったらテキトーに理屈つけて流すんだよ。絶対そうだよ!」

「そ、そうか……そうかも」

 

 

 以前なら、ヨウタはアキラのことを鉄とか鋼とかタングステンとか、ウルトラスペースの鉱物ででも構成されてるんじゃないか、などと思っていたものだ。

 だが、今は彼女の吐いた弱音を知っている。それゆえか、ユヅキの言葉は、思いのほかヨウタの心にすんなりと染み渡った。

 

 同時にほんの少しヨウタからアキラへの評価が下がった。

 あいつ何か考えてるっぽい雰囲気だけ出してちょくちょく何も考えてない。

 

 

 







〇オマケ


「そういえばお兄ってどんなことになってるの? 二日で治るって何?」
「いや、僕も詳しくは知らないんだけど、何だか体が普通の人の数十倍くらい強くなってて……あと体から電気がバリバリ出てて」
「あー、お兄やってるよね。でもそこまで言われるってゼクロムにでもなったの?」
「やってる? 待って、やってるって何?」
「前からやってたよ」
「やってたの!?」
「うん」
「……ぜ、ゼクロムにはなってないかな、ドラゴタイプ無いし」
「そっかー。そっちは無いかー。安心なような残念なような……」
「???」


 なお、とある映画ととある拳法家の影響で中国拳法の使い手を「ドラゴン」と呼ぶことがあるということを、ヨウタはまだ知らない――。




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きつけの言葉

 刀祢ユヅキにとって、(アキラ)は不屈のヒーローだ。

 アキラが今のように肉体と記憶を失うより前のこと。見ず知らずの子供が事故に巻き込まれかけていたところを助け出したアキラは、その子供に代わって事故に遭った。

 現在のように人間離れした頑丈な肉体というわけではなかった彼だが、当然ながらその事故によって生死の境をさ迷うことになった。医者からは全治半年が告げられ、意識もいつ戻るか分からないというほどの重傷を負ったことがある。

 

 しかし、アキラはすぐに立ち上がって見せた。曰く――「妹の前で無様な姿を見せていられない」。

 イカレてんのかこのシスコン、と周囲の人間を蒼褪めさせたものだが、その姿に何故か感銘を受けてしまったのがユヅキである。――ウチのお兄は最強なんだ! グッと顔の前に右手を掲げてそう口走ったユヅキに、流石の両親も白い目を向けざるを得なかったという。ちなみに彼は一か月で退院した。

 

 つまるところ。

 

 

「おに……姉なら大丈夫!」

 

 

 ユヅキは、(あに)の生命力に対して、絶大な信頼を置いていた。

 病院の廊下でヨウタを含む面々に、ユヅキは特に根拠の無い自信と共にそう言い放つ。

 この子はアホなのかな?

 

 

「ユヅ、流石にもうちょっと心配してあげた方がいいよ……」

「鬼?」

「鬼……」

 

 

 ――うわぁ何か勘違いが起きてる。

 

 確かにアキラは鬼のように強いし、敵対者にとっては悪鬼羅刹じみた存在だ。時には味方に対しても厳しいところがある。そんな彼女が他ならぬ身内から「鬼」などと言われてしまえば、「身内にも鬼のように厳しかったのか」などと思われても仕方ない部分があるだろう。

 当然のことながら、東雲とナナセはアキラが過去に男だったなどとは知らないため、ユヅキからアキラへの呼び方が「お兄」だったなどということは知る由もない。

 

 風評被害が生まれる瞬間を目にしながら、ヨウタは「まあ説明を怠ったアキラにも責任はあるよね」と思考を放棄した。

 東雲もナナセもいい大人だ。そんなアホみたいな勘違いに惑わされるということも、そうは無いだろう。

 というかユヅキはそろそろ呼び方の調整を済ませるべきだ。

 

 ……と、そんなヨウタの胸中など露知らず。アキラに投げるべき小言が一つ増えたことに頭を悩ませながら、東雲はヨウタにあるボールを手渡した。

 

 

「……刀祢……アキラさんがきつく握っていた。あの戦いでの唯一の戦果だ。処遇は君に任せる」

「え、は……うおわあああっ!!?」

 

 

 ヨウタは思わず自分の目を疑った。東雲が手渡してきたのは――マスターボール。

 そして、外から透けて見えるポケモンは、伝説のポケモンの一匹……ヒードランだったからだ。

 その重大さに、ヨウタは思わずマスターボールを取り落としかけた。

 

 

「しょ、ショウゴさん! せめて渡す前に言ってよ!」

「む……申し訳ない。配慮が不足していた」

 

 

 心臓に悪い、とヨウタは思わず胸を押さえた。

 しかし、これは他ならぬアキラが勝利したことの証明だ。

 

 何者か――恐らくはダークトリニティ――によって殺害されていたプルートの遺体には、所持品が一切無かった。それは、万が一にも情報を抜き取られたり、ポケモンを奪い取られたりしないようにするための措置だったのだろう。

 本来なら、ここでヒードランもまた回収されるところだった。が、直前にアキラがプルートからボールを奪取していたことが幸いした。誰にも奪われないようにという意識の表れか、全力で握りしめていたため東雲も朝木もこれを手放させることに苦労はしたが、それに見合うほどのものであったことは間違いない。

 その後プルートの遺体は荼毘に付したが、情報が得られなかったことで今後の方針を決めることが難しくなったのは間違いない。

 

 

「ヒードランか……僕が持ってるのは少し問題かな」

「しかし……私たちでは、制御できるかどうか……」

「僕も同じですよ。というか、下手すると僕が一番制御できなくって」

「そなの?」

「流石に伝説三匹はちょっと……手持ちも実は制限超えてるし……」

 

 

 現在のヨウタの手持ちポケモンは、合計八匹。内、現在は戦えないコスモウム――ほしぐもちゃんを除けば七匹。これからカプ・コケコとの意思疎通と制御に全力を注ごうという時にヒードランまで抱えるというのは、明らかにキャパシティを越えている。

 

 

「待ってくれ。既に二匹いるということが初耳だ」

「あ、そうだった……実は、サカキとの戦いまで隠しておこうと思ってて」

「隠し玉……使い切ってしまった、ということですね。……では……アキラさんに?」

「今のところ候補にはなると思います。直前までバトルしてるし、一度会わせてみないと分からないけど……」

 

 

 最大の問題は、ヒードランがアキラとそのポケモンたちに恨みを抱いていないかという点だ。

 元々プルートの手持ちだっただけにその感情の動きはやや逆恨みに近いが、徹底的に叩きのめされたことで、伝説のポケモンとしてのプライドが傷ついていないとは限らない。

 加えて、アキラにはバンギラス(ギル)という伝説のポケモンと真正面から打ち合えるほどの切り札がある。優先度はそう高くないだろう。

 

 

「僕としては、ショウゴさんかナナセさんがいいと思ってる」

「……! ……!」

「戦力比では……東雲さん、でしょうか。あの、ユヅキさんは……なんだかすごくアピールしてますが……」

「ユヅは一旦保留で。これからどうするかも決めてないので……」

「戦うもん!」

 

 

 ヨウタはユヅキがついてくることに難色を示してはいるが、その様子を見るナナセはきっとこの子は言っても聞かないだろうと予測していた。

 そもそも、彼女自体四国封鎖から今日までを一人で生き抜くだけのバイタリティがある。突き放したところで勝手についてくるのが関の山だ。

 

 ヨウタはポケモンバトルのことになると天才的だが、日常においてはごく普通の……それも、どちらかと言えば繊細な少年だ。

 人やポケモンが傷つくことに心を痛め、よく他人を慮る。年齢に比べてよく「できた」子供だが、それ故にやや決断力に欠け、他人に判断を委ねる傾向もある。

 この場にアキラがいれば、彼女はヨウタに代わって即座に決断を下すだろう。恐らくは、ナナセと同じ結論のもとで。

 

 

「……そういえば」

「はい」

「……あの。朝木さんは……先程、何か……外科の先生と、揉めてらっしゃったんですが……」

「何やってるんだあの人……」

 

 

 朝木は決して自ら危険やトラブルに飛び込んでいくような性格ではなかったというのに、ここに来てのこれか。うんざりとした様子でヨウタは頭を抱えた。

 

 

「そ、それおっ……ぬ……姉大丈夫なの!?」

「え、ええ……手術には、普通に向かったよう……ですけど……」

 

 

 ホッと胸を撫で下ろすユヅキを半目で見ながら、ナナセは眉根を寄せた。何今の妙な発音。

 

 

「レイジさん、どうしたのかな」

「元医療関係者にしか分からない何かがある……のではないか、としか言いようがないな」

「医療関係者……」

 

 

 ヨウタは以前から、朝木には何か特殊な事情があってああいった性格になってしまったのではないか、という疑念があった。

 あるいは、元からああだったということもありうるが――それが医者だった時代に起きた「何か」に起因するものだとしたら……。

 

 

(……今考えてもしょうがないか)

 

 

 

 目下最大の問題は、アキラがいつ目を覚ますかだ。

 朝木は後方支援、それで分担が取れている現状は、それで十分だろう。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ――やがて、一夜が明ける。

 アキラの全身に食い込んだ鉄片の摘出や傷の縫合といった手術は、病院の医師の尽力によってその間に終了したものの、彼女が目を覚ますことは無かった。

 傷の深さから言えば、それはある意味では当然のことと言えるだろう。しかし。

 

 

「――――これ以上この街にいることは危険だろう」

 

 

 東雲は、現状をそう結論づけざるを得なかった。

 

 

「えっ、何で!?」

 

 

 これに驚いたのは、現状をよく理解していないユヅキだ。彼女はそもそも昨晩この街にやってきたばかりであり、ヨウタたちが四国中央市にいる事情というものを知らなかった。

 

 

「ダークトリニティに僕らの居場所がバレたからだよ。このままじゃあ本部に連絡されて、避難も済んでない街中で乱戦になる」

「レジスタンスと同行していた時は、俺たちの居場所が知られていなかったからな。ある程度なら留まることも許されていた」

「今は無理?」

「……無理、ですね。私たちは……特に、アキラさんとヨウタ君は、その……レインボーロケット団にとっては、お尋ね者、ですので」

 

 

 特に、重要目標であるアキラが重傷を負って動けないという情報はすぐに出回るだろう。

 ヨウタだけでも戦えないわけではないが、物量で押されれば被害は甚大なものになるだろう。相手が伝説のポケモンでさえなければ充分に勝つ自信はあったが、同時にそれは、この絶好の機会に四国中央市に四方の各県から、悪の組織のボスが押し寄せる可能性が高いということだ。

 

 

「そうなる前に逃げる。……できるだけ派手に、あいつらに『逃げた』って分かるようにね」

 

 

 伊予を出た頃からの方針である。

 あの時は非常に目立つアキラのバイクによってそれが可能となったが、現在それをなすのは自衛隊の大型トラックだ。

 

 

「どやって?」

「……高速道路を使用します」

「しかし、高速道路は敵の警戒が最も厳重では……」

「はい……だからこそ(・・・・・)いいんです。正面突破して……私たちの存在を思い切りアピールします」

 

 

 四国各地を直接的に繋げている高速道路の警戒は、非常に厳重だ。人員も多数配置されていることだろう。

 しかし、必ずしも幹部級以上の人員が配置されているというわけではない。幹部級のメンバーは支配・統治のために各都市に配置されているため、むしろこういった地点には配置し辛い。レジスタンスもナナセの所属していたものだけではなく、各地に散らばっている。そちらの対処のためにも、遊撃的に動くことのできる幹部も必要になるだろう。

 ある程度以上の実力があるのなら、むしろ高速道路こそ逆に安全な面もあると言える。

 

 

「……その際に、可能なら……アキラさんのポケモンの力も、借ります。そうすれば……確実に、私たちと同行してると分かるはずです」

「問題は、アキラを動かしても大丈夫かってところだね」

「……朝木さんに聞くしか無いだろう。恐らく、大丈夫だとは思うが……」

「お……姉なら大丈夫! きっと!」

「根拠の無い信頼やめなよ」

 

 

 そこでやりかねないのがアキラの恐ろしいところである。

 と、そう考えたところで――――。

 

 

「……問題、無い」

「「「!?」」」

「お兄!」

「鬼?」

 

 

 ――彼らの前に、他ならぬアキラが姿を現した。

 

 全身包帯だらけのミイラじみた姿で松葉杖をついているとはいえ、紛れもなくその姿はアキラのそれだ。その脇から、ルカリオ(リュオン)が肩を貸すかたちでその体を支えている。

 何でこいつあれだけ死にかけておいて一晩で回復してるんだろう。三人は思わずドン引きした。アキラを連れてきた朝木は既にドン引きし終えて諦めの境地に入る段階に至っている。

 対して、表情を輝かせたのは当のアキラの妹であるユヅキだ。一瞬、アキラに向かって踏み込みかけた彼女は、アキラが大怪我していることを寸でのところで思い出して踏みとどまった。

 

 いや問題だらけじゃねえか、とその様子をハラハラしながら見守る朝木を他所に、アキラは続ける。

 

 

「オレは、死なない……大丈夫だ……連れて、け……」

「いやどっかの不死身な赤ジャンのライダーみたいなこと言ってんじゃないよ! 無理だっての!」

「大丈夫! おに、お姉は不死身だから!」

「馬鹿かお前死ぬわ!!」

「ルォ……」

「リュオン、ちょっとそこの二人黙らせて」

「アサリナ君も短絡的になるんじゃない……!」

 

 

 おいどうするんだお前先に止めろよ、と言いたげな視線が朝木に絡み付く。

 しかし、朝木としては全力で止めたつもりだったのだ。当然のように振り払われただけで。無理だった、と視線で訴えかければ、ヨウタたちは小さく重い息を吐いた。

 そんな彼らの胸中を知ってか知らずか、うわごとのようにアキラは呟く。

 

 

「必要なことだろ……だったら、躊躇うなよ……」

「アキラ……」

 

 

 突き詰めて考えるなら、市民を守るためにもそれは「やらなければならないこと」でしかない。

 あとは重症者を動かすべきかという人道的な問題であり、当の本人がそれでいいと言うなら、やらない理由は無いだろう。

 

 と――そこまで伝えきると、やるべきことはやった、とばかりにアキラは意識を手放した。

 前回、レジスタンスに保護された際は一晩で会話ができるまでに回復したが、今回はそうはいかなかったようだ。言葉を告げる先を見失い、立ち尽くすユヅキ。彼女にとっては二年ぶりの再会となるはずが、この惨状だ。大なり小なり、ショックや悲しさはある。だが。

 

 

(二年待ったんだ。たった数日ッ!)

 

 

 彼女はそれに耐えるだけの芯の強さを持ち合わせていた。

 

 やや身長差のあるリュオンとチャムが、多少の試行錯誤をしながら担架を利用してアキラを処置室に運んでいく。その姿を見送ると、ヨウタは決意を込めて四人を見回した。

 あれだけの重傷を負って、それでも再び立ち上がって自分たちの背を押しにきた友達を目にしては、報いないわけにはいかない。

 

 

「ショウゴさん、ナナセさん、出発の準備をお願い」

「了解した」

「……? ……朝木さんは、どうするのですか……?」

「レイジさんは、僕とユヅと一緒に来てもらう」

「え、なして……?」

 

 

 朝木は情けない男だが、しかしこの一団の医療関係を一手に担う屋台骨でもある。彼がいなければ、不足した医薬品などの補充はおぼつかない。

 ――が、ここは総合病院である。その手の専門家は大勢在籍しているため、彼がいてもいなくとも構わない、というのも確かだ。

 

 

「……しかし、なぜ……?」

「レイジさん向けのポケモンを探しに行きます。このあたりに花畑……とかってありますか?」

「お花……畑……? でしたら、海沿いの運動公園に……バラ園があった、かと思いますが……*1

「バラ……いけるかな……」

「……この状況でポケモンの捕獲に? そもそも、花? というのはどういうことだ?」

 

 

 首をひねるヨウタだが、彼の行動は現状から考えればやや軽率なものだ。東雲が疑問を呈するのも当然と言える。

 しかしヨウタとしては、これも今だからこそ(・・・・・・)必要な行動だと考えていた。

 

 

「花がある場所にいるポケモンなんだ。少し珍しいけど、これからのことを考えたらいてくれた方が絶対にいい」

「花……珍しい……わかった、シェイミだっ!」

「違うよ」

 

 

 珍しさの格が違う。流石に指針も無く「幻」を探し当てられはしない。

 

 

「アキラの治療の手助けになりそうなポケモンだよ。この先の戦い、僕らもきっと怪我をする場面は増えてくと思う。そうなった時のためにも、後ろで待機してるレイジさんの手持ちに入ってくれたらいいかなって思うんだ」

「ハピナス!」

「違うよ」

 

 

 今度は花が関係なくなった。

 とはいえ傾向としては似てはいるのだけど……とヨウタは前置いて。

 

 

「――キュワワーだよ」

 

 

 ――と、果たしてこの世界にやってきているのかいないのか分からない、アローラのポケモンの名前を告げた。

 

 

 

*1
伊予三島運動公園バラ園。五月ごろが見ごろ。




アキラは……鬼なんだろ!?


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いやしのねがいを何度でも

 

 

 はなつみポケモン、キュワワー。アローラに住む人間にとっては、ある意味で最もポピュラーなポケモンだ。

 というのは、彼、あるいは彼女らの持つ「癒し」の力にある。

 キュワワーは、自身の体液を花に与えることで、その花を「癒し効果を持つ花」に作り替えることができる。この花は特殊な匂い成分を持っており、鼻や口といった粘膜から吸収されると、体内の生体エネルギーを増幅。代謝や免疫、自然治癒力を高め、体力を取り戻す効果を発揮する。

 

 アローラの病院やポケモンセンターには数多くのキュワワーが働いており、こうした能力が医療に役立てられている。

 病院の受付や待合室で目にすることも多く、ヨウタも幾度となくそのお世話になっていた。性格も温和で大人しく、出会って心を通わすことさえできれば心強い味方になってくれるだろう、と彼らは期待していた。

 

 出会うことさえできれば。

 

 

「そもそもキュワワーが集めてる花ってアレ、ハイビスカスじゃねえの?」

 

 

 結果、彼らは捜索開始直後に躓いていた。

 

 

「うん……」

「いや『うん』じゃねえよ!? 俺らヨウタ君の知識以外頼りにできないんだけど!?」

「正直僕も知識面はロトム頼りなんだけどね……ロトム、どう?」

「呼んだロト?」

 

 

 と、ヨウタのカバンから出てきたロトムが、キュワワーに関わる図鑑のデータを検索し始める。

 数十、数百もの資料の中、適切と思しき研究資料に行きつくと、その画面に表示して見せた。

 

 

「研究によれば、キュワワーはある程度どのような花ででも花輪を作るみたいロ。綺麗な花よりも匂いの強い花に引き寄せられる傾向が強いから、バラでもちゃんと花輪を作ると思うロ。外敵と出会ったら花を投げつけて隙を作らなきゃいけないから、特定の種類の花『だけ』っていうのは、キュワワーにとっても都合が悪いのロト」

「だって」

「十文字以内でお願い!」

「バラでも構わないロト」

「お、おう……そりゃいいんだけどよぉ」

 

 

 朝木は周囲を見回した。

 伊予三島運動公園バラ園。六千本以上のバラが植えられた華美なバラ園だが、その広さは約六百平方メートル。あくまで運動公園内の一施設ということもあってか、一面薔薇だらけ、というわけではない。ロゼリアやスボミーといったポケモンの姿は時折見られるが、キュワワーがいるのかと言うと、微妙なところだ。

 

 

「アキラちゃんのルカリオに『いやしのはどう』覚えてもらった方が早くねえ?」

「それ、まだだいぶかかると思うよ。それに一番前線に出ていくアキラのポケモンが回復役っていうのも問題があると思う」

 

 

 確かに、リュオンが「いやしのはどう」を覚えることは重要だ。継戦能力が向上するし、前線ですぐに応急処置ができるようになる。しかし通常、ポケモンが戦闘不能になった場合、回復するためにはメディカルマシンを利用しても一時間以上は必要になる。その間に一分一秒を争うような怪我を負った場合、手の施しようが無くなってしまうだろう。

 朝木はその性格もあって、前に出ていくことをほとんどしない。彼が回復役のポケモンを所持していれば、応急処置も滞りなく済むだろう。

 

 

「ねーロトム、他に『いやしのはどう』が使えるポケモンって?」

「データだと他のポケモンは……ヤドン、ラッキー、ラルトス、チリーン、タブンネ、ママンボウ、フレフワンなどが使えるロト。他に伝説のポケモンも使えるようだけどロ……」

「伝説のポケモンは無理だねぇ」

「他も珍しいの揃いだな……いや待てよ、タブンネなら……」

「……レイジさん、多分ゲーム基準で考えてるだろうけど、僕らの世界でもタブンネって結構珍しいからね」

「お、おう……タブンネ道場に毒されすぎたか……」

「道場?*1

「ゴボッ*2

「どっちにしろ、次善策として他のポケモンに力を貸してもらうことも考えておいた方がいいかもね」

「じゃあウチ、海の方に行ってくる! プールもあるし、水タイプのポケモンならいるかもだし」

「そうだね。ヤドンやママンボウなんかがいたら、こっちに連絡してくれる?」

「オッケー! 行こ、ルル!」

「バウッ」

「ヒエッ」

「時間になったら戻ってね!」

「分かったー!」

 

 

 現れたヘルガー(ルル)の姿に思わず腰を抜かしかける朝木。

 ルルもまたジロリと朝木を睨んだが、直後「こいつはいいや」とばかりに鼻を鳴らした。

 どうやら大した脅威とはみなされていないようだ。

 

 

「これがアキラちゃん相手だったらどうなってたんだろうな……」

「何でアキラ?」

「いや、あのヘルガー、アキラちゃんが倒したビシャスが持ってたやつだと思うんだが」

「何でユヅがそれを?」

「さぁ……ボールぶっ壊してたから、野生に戻ったのは間違いないけど。それを偶然拾ったとかじゃね? あの戦いも一週間くらい前だし、時期的にはおかしくないと思うけどな」

「ふーん……」

 

 

 実際のところ、それが事実であるかどうかをヨウタは疑っていた。

 可能性は現状ではあまりに低いが、それでも可能性は可能性だ。間が一にもユヅキが敵であった場合のためにも、ヒードランを彼女に渡すことには難色を示していたのだった。

 妹であることはまず間違いないだろう。というよりも、あれに血縁が無ければいったい何だというのか。

 ――が。だからと言って味方であるとは限らない。この地獄のような環境ならば尚更だ。家族だって売る人間は出てくるだろう。そんな腹芸ができるような人間には思えないが、「そういう演技」の可能性もありうるものだ。

 

 

「まあ、割り切るでしょ、どっちも。アキラだってポケモンに罪があるとは思ってないだろうし、ヘルガーだって悪い人に操られてたわけなんだから、倒されても仕方ないと思ってるよ、きっと」

「……じゃあ何で俺あんな睨まれたの?」

「なめられてるんじゃないかな……」

「ひでぇ」

 

 

 朝木ははっきり言って戦力的には大したことのない人材である。

 先のビシャスとの戦いにおいては逃げ惑うばかりであり、その上、重傷を負っていたアキラを優先しただけとはいえ、ヘルガーたちからすれば、自分たちを見捨ててそのままどこかに逃げて行った人間だ。当然、ヘルガーとしてはあまり良い印象を持てはしない。

 

 

「あんまり時間も無いし、ローラー作戦で行こう。ライ太、モク太、お願い」

「……サム」

「クァ」

「じゃあ俺も……ズバット、ツタージャ……グワーッ!」

「ジュバー」

「ちょっ……レイジさんに『すいとる』しちゃダメだよズバット!」

「ダジャ」

「ズババ……」

 

 

 ツタージャの伸ばしたツタがズバットを絡め取り、朝木から引きはがす。

 ここまで来てまだこれというのは、もういっそこれがズバットなりの愛情表現だったりするのだろうか。ヨウタは小さく溜息をついた。

 

 

「出発までそんなに時間は無い。とりあえず一時間、集中して探そう」

「おう、分かったぜ。まあ戦闘にはなんねーから楽だな! はは!」

「……あのさ、もしもって時にはポケモンバトルになるって分かってる?」

「……せやったぁ」

 

 

 気が重い、などとぶつぶつ呟きながら周囲を散策し始める朝木。彼とは逆の方向に向かうようにして、ヨウタもポケモンたちと共にバラ園を探し始めた。

 

 ――そうして三十分ほど。それほど広くないバラ園を探し終えた彼らは、再び元の場所に戻ってうなだれていた。

 

 

「まさかこんなに見つからないなんて……」

「ヨウタ君、どうだったんだよ?」

「ポケモンはいたよ。スボミー、ロゼリア、アブリー、ナゾノクサ……って、あんまりちょっと回復向けじゃあないポケモンなんだけど……」

「俺全然だわ……っていうかズバットはまるっきり無視して花の蜜吸うしツタージャはなんかその辺のポケモンと仲良くなってるし……あいつ俺よりコミュ力高ぇ……」

 

 

 どうしたものか、と二人は互いに顔を突き合わせた。

 「いやしのはどう」を覚えるポケモンは、エスパータイプとフェアリータイプ、そしてみずタイプのポケモンが多い。いずれもそれなりに珍しいポケモンだが、ヤドンなどであればそれなりには見つけやすいだろう。

 

 

「とりあえず、海に行った方がいいかな。ユヅに連絡して……マリ子やラー子に海に探しにいってもらって……かな」

「俺どうしたらいい?」

「いやそりゃついてきてもらわないとダメだよ。ライ太、戻って」

「だよな。戻れ、ズバット、ツタージャ!」

 

 

 互いにポケモンを戻し、ヨウタはそれに代わってラー子をボールから出す。

 その後、ヨウタはモク太に、朝木はラー子に乗ってそれぞれ海に向かって飛び始めた。

 

 と――その最中、ふとヨウタは気になったことを朝木に向かって投げ掛けた。

 

 

「そういえばレイジさん、さっき、外科の先生? ともめてたって聞いたけど」

「ん? それな……あー……まあ、いいか」

 

 

 朝木は僅かに躊躇いを見せたが、異世界人のヨウタにならまあいいか、と一つ息を吐く。

 

 

「俺、昔医療事故起こしてんだよ。そんなやつがもう一回でも医療に携わろうなんてけしからん、だってさ」

「それは……」

「その時に研修医辞めて。先生ともしばらく会ってなかったけどさ……でも、そりゃ言われるって話だよ。俺だって同じ立場なら言う。俺がやったのは、取り返しがつかないことだ」

「うん……」

「あとその時の言い合いでアキラちゃん起きてさ……」

「あの時アキラ起きてきたのレイジさんたちのせいかよ」

「割とマジで悪いと思ってる」

 

 

 それでもアキラの時は、朝木以外にできる人間はいなかった。それに加えて基本的に現在、四国の医療関係者は基本的に病院内の入院患者や押し寄せる周辺住民などの対処に追われており、ヨウタたちの旅に同行できる人間というのもまずいない。結局のところ、どうにかできるのは今後も朝木くらいのものだ。本職が不安に思っても致し方ないというところだろう。

 

 

「俺んち、医者一族なんだよ」

「え、うん」

 

 

 いや、そこまで聞いてない……とは言えない雰囲気だった。

 とはいえ、何か抱えているとするなら、それは他人に吐き出すことである程度はスッキリできるものがあるだろう。仕方ない、と割り切ってヨウタは続きを促す。

 

 

「親父は院長やってるし、兄貴もデカい病院で天才医師って触れ込みの優秀なヤツで……なんてーのかな。俺も追いつこうと努力はしたんだけどな。結局、それも意味無くなっちまった」

「……」

「だからなんてーか、頑張っても仕方ねえやって……いや、そういうのがアキラちゃんとかに嫌われてんだろうけどさ……」

 

 

 そこでようやく、ヨウタは現在の朝木の性格が形成されるに至った原因に納得がいった。

 ある意味で言うなら、それも世の中にはありふれたことだ。経緯こそやや異質ではあっても、単に「努力してきたことが無駄になった」というのであれば、よくある話と言えるだろう。

 

 

「でも、こうやって僕らも助けてもらってるんだし、努力そのものは無駄になってないよ」

「そうかぁ? こんな極限状況じゃないと活かせないんじゃあな……」

「普通に暮らしてても怪我くらいするし、応急処置の知識くらいはあっても無駄にならないんじゃないかな」

 

 

 僕にはできないし、とごく当たり障りない言葉を付け加えると、朝木はどこか肩の荷が降りたような面持ちで口を閉じた。

 無論、それで何が変わるというものも無い。過去に起きた事故は決して覆らない。あえて言うならただの自己満足である。この場にアキラがいたなら、彼女は間違いなく厳しい言葉をかけただろう。

 

 

「後悔はしてるんでしょ?」

「当たり前だよ。一度も忘れたことは無い」

「だったら、そのことを胸に刻んで、これから先もっと多くの人を助ければいい。それも、レイジさんの償いだと思う」

 

 

 それでも優しい言葉をかけられたという事実は、僅かではあっても朝木の心は軽くなる。

 なんとなしにほんの少しでも自分の価値が認められたような気がして、彼は小さく息を吐いた。

 

 ――と、そうこうしている内に、彼らも目的地となる海にたどり着く。

 見れば、彼らの視線の先ではユヅキが座り込んで青い「何か」にしきりに話しかけていた。

 

 

「あれ、ユヅだ。おーい!」

「あ、ヨウタくんだ。こっちこっちー!」

 

 

 あまりにも久しぶりにめにした年頃の少年少女らしい呼びかけに朝木が目をやられながらも近づいていくと、その「何か」の正体が見えてくる。

 体高およそ50cmほど。右腕が極端に大きな、青い甲殻を持つエビのようなポケモン――みずでっぽうポケモン、ウデッポウだ。

 

 

「見つけたよ、ウデッポウ!」

「いやユヅキちゃん、俺らが探してんの、ヤドンとかママンボウとか……」

「いや、お手柄だよ!」

「え?」

「ロト」

「え? あ、嘘、ブロスターって『いやしのはどう』覚えんの……!?」

 

 

 ロトムが表示した画面に映されたのは、ウデッポウの進化系であるブロスターである。

 「ランチャーポケモン」という分類に違わずその技の多くは「はどうだん」や「みずのはどう」といった「撃ち出す」ことに特化した技になるが、その中に燦然と「いやしのはどう」の文字が輝いていた。

 

 

「えへへ、『メガランチャー』ってどんな特性だろ、って思って調べてたの覚えてたんだ。ちゃんと『いやしのはどう』も強化される……んだよね?」

「そうだよ。それにしてもよく見つけたね?」

「ルルが砂浜掘ったら出てきた!」

「クゥン……」

 

 

 ルルは、水で濡れた体をぷるぷると震わせていた。においでウデッポウの存在を感知して掘り出したところ、反撃に「みずでっぽう」を受けたのだろう。

 

 

「で……何してたの?」

「この子全然動かなくって。つっついてみても反応しないの」

「ほーん。土ん中埋まってて、クルマエビみたく冬眠みたいなことにでもなってたのかね」

「何それ」

「知らないか? クルマエビ、生きたまま輸送するのにおがくずに包んでるっての」

「知らない知らない」

「あのさ、それよりウデッポウ……」

「あ、そうだった。どうするの?」

「レイジさん、お願い」

「お、おう。任せろ」

 

 

 言って、朝木はウデッポウにモンスターボールを軽く投げた。

 一度、二度とわずかに揺れるものの、すぐに動きは止まり――カチリ。小さく、モンスターボールをロックする音があたりに響いた。

 

 

「……できちまった」

「なんてあっさり……」

「と、とりあえずこいつは確保……ってことでいいのか? 何か言っとかないといけないとか」

「それは、うん。少し話した方がいいと思う。けど目的も果たしたんだし、一度戻った方がいいんじゃないかな?」

「さんせー。お……姉の様子も気になるし」

 

 

 あまりに拍子抜けするようなあっさりさに、三人はやや困惑しながら病院の方へとそれぞれポケモンたちに乗って帰っていく。

 ウデッポウはその間もボールの中で大人しくしており、一切暴れだすようなそぶりを見せるようなことは無かった。

 

 ――――朝木の鼻が挟まれるまであと10分。

 

 

 

*1
ブラック・ホワイト発売は2009年。ブラック2・ホワイト2発売は2012年。ユヅキはBW当時で二歳。B2W2当時で五歳のため道場などを意識してプレイしていない。

*2
ジェネレーションギャップ死







 医療事故は起きると割と冗談では済まされない事態です。
 本作では深いところまで取り扱うことはしませんが、場合によっては不快感を覚える方がいらっしゃるかもしれません。今回に関しては、今後のお話の布石ということでご了承ください。



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ころがる状況、ころがる精神

 

「アバーッ!!」

 

 

 合流から五分後。朝木はトラックの荷台に揺られながら、ウデッポウに鼻を挟まれていた。

 往年の芸人のようなその光景に肩を震わせるユヅキと呆れるナナセ。対してヨウタは、ごく冷静にその様子を観察していた。

 

 

(本気になったら鼻の方が千切れるんだけどね、あれ……)

 

 

 あくまであれがはさむだけに留まっているのは、ウデッポウが手加減して朝木に痛みだけを味わわせているから。言うなれば、ポケモンから人間に対する「しつけ」だ。

 他のポケモン……特にズバットと――今は落ち着いたとはいえ――ニューラという前例があったことも大きいが、朝木はポケモンに対して基本的に下に下に出て接する傾向がある。

 そういった姿勢を見たポケモンは思う。「あ、こいつはなめてかかっていいやつだ」と。その結果がコレだ。

 

 

「レイジさんさ、もうちょっと爽やかに『これからよろしく頼むぜ!』とか、そんな感じで行けなかった?」

「ムチャ言うなよ」

 

 

 朝木と爽やかという言葉があまりに似合わないということは、彼自身がよく理解していた。そしてその結果がこのザマである。

 四の五の言わずにやっておけば、ウデッポウが力加減をちょっと間違えて鼻血が出ることも無かっただろう。

 

 

「……そろそろ……よろしいでしょうか」

「あ、はい」

 

 

 アキラの様子を見守っていたナナセが、朝木の方に区切りがついたことを察して声をかける。朝木が鼻にティッシュを詰め終えると、三人は揃ってナナセに向き直った。

 

 

「……私たちの、今回の目的は……高速道路を利用して、四国中央市を脱出すること……可能なら、そこから鳴門海峡まで、向かうことになります」

「直行?」

「いえ……土居IC(インターチェンジ)から入った後は、適当なところで降ります……目標はさぬき豊中で……そこから、事前にお話していた通り、山沿いに鳴門海峡を目指します……ですが」

「ですが?」

「そういうタメやめてくれぇ……」

「……その前に……丸亀市付近で、レインボーロケット団の施設を……破壊します」

「わかった!」

「待ってユヅ、キミ反射的に答えてない?」

 

 

 せめてそうする理由を聞こうよ、と立ち上がりかけるユヅキを押さえるヨウタ。

 ナナセはその姿に、作戦があると言うと特に理由は聞かずに即決で乗ってくるアキラを重ねた。やはり姉妹(きょうだい)だ。

 

 

「これは……RR団(かれら)を撹乱する作戦です……。私たちが、伝説のポケモンを求めて旅をしているのは……あちらも、知っているはず。ヒードランを手にした今、ある程度までは……あちらと、戦力を拮抗させられます」

「ってことは……攻め込むのか?」

「……と、いう思い込みを……利用します。これから一度、施設への攻撃を行えば……あちらも次回以降の襲撃を、警戒せざるを得ません。……可能なら、ここで追加で、別の施設への攻撃を行います」

「その後は?」

「逃げます……高速道路でも一度は戦うことになると思いますし、合計三度も当たれば……充分です。警戒が最大限に高まると、思います。そこで……何も、しない」

「小暮ちゃん、君、結構エグいこと考えるな……」

「……嫌がらせは、戦術の基本、ですから……」

 

 

 人間は常に緊張状態ではいられない。必ず、どこかで「(ゆる)む」時間が必要になる。そうしなければ精神の均衡を保てないからだ。

 「確実に自分たちを倒しうる敵が襲撃してくることへの警戒」など、緊張の度合いとしては最高峰だろう。そんな状態でしばらく過ごせば、まず自然と自律神経が乱れて体調不良を起こす。頭痛、耳鳴り、腹痛……自律神経失調症の代表的な症状だ。

 それもしばらく規則的な生活を行えば復調するが、

 

 

「……その後……落ち着く前に、また襲撃をかけます。そうやって、襲撃を繰り返すことで……ポケモンよりも、トレーナーの方を疲弊させるんです。いずれ、体調も……精神も、限界が来る時が決ます。その時に、とどめを……」

「鬼かな?」

「……ゲリラの代表的戦術です」

 

 

 しかしながら、これはヨウタの圧倒的実力を背景に行える、ギリギリの策だ。

 肝心要のヨウタが倒れれば計画は頓挫するし、ボス級のトレーナーが現れればそれだけで確実性はグンと落ちる。

 もっとも、ヨウタ自身はボス級のトレーナーと出くわそうとも負けるつもりは一切無いが。

 

 

「そろそろ高速道路に入る。準備を頼む」

 

 

 話がひと段落ついたところで、運転席の東雲から声がかかった。

 四人は頷くと、それぞれがつくべき位置へと移動する。

 

 

「……今回、私と……朝木さんは、バックアップ、です。基本は、お二人に前線に出てもらうことになります……」

「うん。基本的にポケモンたちの足は速いから、車の方はどれだけ速度を出してても大丈夫だよ」

「それで……恐らくは、彼らは料金所を検問代わりにして、封鎖していると思われるのですが……」

「うん」

「……全て、吹き飛ばしてください」

「うん!」

「いや『うん!』じゃないよ!? いいのそれ!?」

「……レインボーロケット団の手に落ちている以上……料金所という施設は、もう邪魔にしかなりません。……全責任は、彼らに押し付けましょう……」

「鬼だ……」

 

 

 朝木は戦慄した。

 この女、アキラちゃんと別のベクトルでやべえ、と。

 

 

「じゃ、じゃあ……行きます! ワン太!」

「ウォン!」

 

 

 まず、手本を示すようにワン太にまたがったヨウタがトラックから飛び出す。

 走る車両から飛び出したにもかかわらずその足取りは軽く、着地の衝撃など無かったかのようにそのまま反転。速度を上げてトラックと並走し始めた。

 

 

「よーし、ウチも行ってくる! ナナセさん、お姉のポケモンよろしくね!」

「あ、はい……なんとか、頑張ります……」

「うん! ルル!」

「グァゥ!」

 

 

 ユヅキもまた、それを見習うようにしてルルの背にまたがり荷台から降りていく。

 ワン太と比べると練度が低いため、着地はややおぼつかないものがあったが、それでも即座に軌道を修正――ヨウタと同じようにトラックとの並走を始めた。

 

 

「チャムさん……二人の援護、よろしくお願いしますね……」

「バシャ」

 

 

 それを見届けると、ナナセは一時的に預かったアキラのボールからチャムを出した。

 チャムの方も、やや不承不承ながらナナセの指示に応じて荷台の上に飛び上がって警戒を始める。

 

 そして、ワン太とルルの二匹は、そのまま強くアスファルトを蹴った。ほどなく、トラックのそれを遥かに超える速度で高速道路の入り口へと突入する。

 

 

「モク太」

「クァ」

 

 

 次いで、ヨウタはモク太をボールから出した。

 目標は「できるだけ派手に突破すること」だ。遠慮や躊躇などする必要も無ければ、ヨウタ自身そうしてやる気も無い。先日ダークトリニティを取り逃がした件から、彼自身も内心鬱憤をため込んでいた。

 そんなモヤモヤを全て発散するように、ヨウタはアキラの手術前後に手元に戻ってきたZパワーリングを掲げて叫ぶ。

 

 

「シャドーアローズストライク!!」

 

 

 ――――この日。レインボーロケット団の手によって簡易的な拠点兼検問と化していた土居IC料金所は、消滅した。

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 レインボーロケットタワーの豪奢な造りの一室。そこでゲーチスは、執務机について報告書に目を通していた。

 

 

「失敗。失敗。失敗――――」

 

 

 彼が目にしているのは、今日までのアサリナ・ヨウタたちとレインボーロケット団との戦闘記録だ。

 マグマ団とビシャスの待ち伏せ――失敗。

 UBによるレジスタンスへの奇襲――失敗。

 アイテム工場の防衛――失敗。

 直後の奇襲は最初から失敗を前提に計画されていたが、ヒードランを回収できなかった点は失敗と言っていいだろう。

 

 四国全体の情勢は今のところ安定しており、支配体制は盤石だ。

 民衆はレインボーロケット団に対抗する術を持たず、ただなすがまま。

 にわか仕込みのトレーナーなどは物の数ではなく、各地で蜂起した反抗勢力――レジスタンスも、香川及び徳島の二組織を残してほとんどは壊滅、あるいは敗走にまで追い込んでいる。

 

 

(おかげで、支配は順調ですがね……)

 

 

 そうした人間たちは、ゲーチスたちにとってはいい「エサ」だ。

 あえて生かして捕らえて、民衆の前で見せしめとして凄惨に殺す。反感は買うだろうが、それによって堪え性の無い――それでいて反抗心にあふれる人間が浮き彫りになってくる。その人間をまた、殺す。

 逆に、従う者には厚遇を約束する。そうすれは彼らはそうそう逆らいはしない。

 

 そして最後に、この状況にあって「どちら」につくか決めかねている日和見主義の風見鶏。彼らはゲーチスの中では粛清対象だ。

 より確固たる支配を敷くためには、多すぎる人間を多少なりとも「間引く」必要がある。レインボーロケット団の団員だけでも相当数の人間がいるのだから、余分な人間は必要無い。

 戦況に一切寄与することの無い彼らを今はどうこうするつもりはないにしろ、アサリナ・ヨウタたちを抹殺してしまえば、不要な人間は全員始末する――というのが、ゲーチスの考えだった。

 

 

「しかし……やはり、彼らは邪魔ですねぇ……」

 

 

 ゲーチスは、ヨウタたちの写真を片目で忌々しげに睨んだ。

 あの一団は今、この四国における台風の目だ。他の戦場においてはほぼ理想的と言っていい戦況の推移を見せているだけに、彼らの立つ戦場だけ(・・)が明確な汚点としてゲーチスを苛立たせていた。

 

 

「ゲーチス様」

 

 

 そんな折に、扉が叩かれる。ダークトリニティだ。

 気を取り直して入室を促すと、ダークトリニティの一人――ゲーチスも名は知らない――が、恭しく報告書をゲーチスに差し出した。

 

 

「――報告いたします。アサリナ・ヨウタの一団はドイの検問を破り、北東へと進行。サヌキの検問を破壊して、市街地へ向かった模様です」

「ご苦労。目的地は特定できましたか?」

「伝説のポケモンの居場所と推測しますが、確証は得られていません。お許しください」

「結構」

 

 

 無論、ゲーチスもその程度のことは理解している。伝説には伝説でなければ対抗するのは難しい。戦力差を埋めるには、どうしても伝説のポケモンの力が必要になる。そう考えるのが、やはり自然だ。だが――。

 

 

「報告します。サヌキの市役所が襲撃を受けた模様です」

「そうですか」

 

 

 ――これである。

 となると彼らは、まさか前線基地を潰す気か……と思い至る。ヒードランを手にした今、ありえないとは言い切れない。

 しかしこの状況で、それはいかがなものか?

 

 二人目のダークトリニティに「ご苦労」と返すと、ゲーチスは少し考えて二人へ指示を告げる。

 

 

「――現地人部隊を動かしましょう」

「お言葉ですがゲーチス様、あれ(・・)は……」

「忠誠心が足りない。人格に問題がある……でしょう。しかし、実力は一人ひとりが幹部級に迫る。目的さえ果たしてくれるのならば構いません」

「御意」

 

 

 ダークトリニティは否定しない。逆らわない。懸念を口にはしても、最終的な決定権はゲーチスにある。主に逆らう手足など存在しないからだ。

 一切の不服を申し立てること無く、彼らは部屋を後にした。

 

 ゲーチス自身もまた、滅多なことでは惑わない。

 彼らが部屋を後にした後、ゲーチスはしばし思考を巡らせると、ホロキャスターを手に取った。

 

 

「――確実に奴らを始末する手段を採りましょうか」

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 市役所の襲撃に出かけた三人と、ウデッポウの水を腹に受けてしまったこととストレスで腹を下した朝木を見送って、東雲は一人、アキラの様子を見守っていた。

 

 

(………………)

 

 

 彼女が傷を負ったのは、これで何度目か。

 これまでとは違って、今回は仲間の支援を受けづらい状況であったことは間違いない。

 ただでさえ民間人に犠牲者が多数出ている以上、現場に急行して足止めをするという判断は間違っていない。むしろ、そのおかげでプルートの追撃を許さず、生存者が増えたことを考えればよくやった方だと言える。だが。

 

 

(……頼れと……言っておきながら、俺は……!!)

 

 

 そこから先。ヨウタの「奥の手」が披露されるまで、誰もそこに助けに向かうことはできなかった。

 もっと自分たちに力があれば。そう感じるたび、東雲の掌に爪が食い込む。血がにじむほど強く握った拳は、彼の無念を表すように震えていた。

 

 

「……っ、う……ぁ……」

 

 

 と、そんな折、不意にアキラの口から声が漏れた。ほどなく、彼女の目がゆっくり開かれる。どうやら意識を取りもどしたらしい。

 前回と比べれば遅いものの、それでも十二分に早い目覚めだ。安心すると同時に強く心配しつつ、東雲はアキラへと呼びかける。

 

 

「刀祢さん?」

「……あ……東雲……さん……?」

「ああ。身体は大丈夫か……?」

「……全身、痛い……」

 

 

 当たり前の話だった。全身余すところなく、どこかが傷ついている。

 骨折、切り傷、刺し傷、火傷。これで痛くないと言うのは嘘というものだろう。

 それでも痛みを感じるということは、神経がちゃんと繋がっているということだ。小さく安堵の息をこぼしつつ、東雲は続ける。

 

 

「まだそれほど時間が経っていないからな……痛みがひどいようなら鎮痛剤を飲むか?」

「……いらないです。聞かないと……いけないことが……ッ」

「聞かないと……?」

 

 

 ユヅキのことだろうか、と東雲は考えた。

 一時的に目を覚ました折、彼女は確かにユヅキの姿を見ているはずだ。それなら、と言いかけたところで、先んじてアキラの口が開く。

 

 

「プルートは……どうなったんです……?」

「ぷ、プルート……?」

 

 

 彼女の口から飛び出したのは、思いもよらない人物の名前だった。

 そもそも彼女が最初に意識を失ったのは、当のプルート戦の直後のことだ。気になっても仕方ないのか、と東雲は思い直した。

 

 

「奴は死んだ。恐らくは、ダークトリニティに殺されたのだと思う」

「……そう、ですか……」

 

 

 情報源として身柄が欲しかったのだろうか。あるいは、ナナセに言われたことを気にしているか……いずれにせよ、彼女にとって酷な話だった。

 しかし東雲のそうした想像は、直後にアキラの言葉によって覆される。

 

 

「――――だったらオレは、警告なんてせずに最初(ハナ)ッから殺すべきだった……」

 

 

 ――その声には、聞く者の心を底冷えさせるような殺意が滲んでいた。

 

 

 






11/9 さぬき市→丸亀市に修正


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こわいかおをさせたのは


 三人称視点→一人称視点です




 

 自分に向けられたものではないと理解していても、東雲は寒気を抑えきれずにいた。

 

 仕事柄、彼は敵意や悪意というものには小さくない耐性がある。時に殺意を向けられることもあり、多少のことなら動じずにいる自信はあった。

 だが、その自信全てが押し流されかねないほどに、アキラの殺意は――怒りは、静かでありながらも、強烈だった。

 

 

「目の前で」

 

 

 声を出すことができない東雲を置いて、アキラは語る。

 

 

「ポケモンが、ゴミのように使い潰された。人も、たくさん死んでた。たどり着いた時には、まだ生きてた人も、いたかもしれない」

 

 

 後悔が滲んでいた。

 怒りが滲んでいた。

 憎悪が滲んでいた。

 祖母によって形作られた倫理観という殻が、内から噴き出す感情によって、ひび割れかけている。

 

 

「誰も助けられなかった。目の前で自爆されて……全部、有耶無耶にされた。もう、誰が死んだのかも分からない」

 

 

 刀祢アキラの人生は、一度(うしな)われている。残っているのは幼少の四年間、両親の愛に包まれていただけで良かった頃のぼんやりとした思い出だけだ。

 その後、祖母に引き取られてからの一年と少しは、「個」を確立するために費やされた。倫理を学び直し、生活を送る上で必要な社会技能を叩きこまれた。

 

 しかしそれは、本来十数年かけてゆっくりと構築されるべき人間性というものを、二年足らずで「なんとか形にした」というだけに過ぎない。

 柔軟で壊れやすい本来の心を守るために備えられた「殻」は、人やポケモンの死という現実を目にして軋んでいる。

 

 

「――どうせ死ぬなら、オレが殺すべきだった。……殺さなきゃ、いけなかった」

 

 

 なまじ、それができるからこそ――できてしまうからこそ。

 そして何より、それが成功すれば、間違いなく犠牲者が減らせると確信しているからこそ、アキラは血を吐くように、言葉を紡いでいた。

 

 

「殺される前に、殺さないといけないんだ……」

 

 

 その言葉は、常の彼女が発するよりも遥かに暗く、重い。

 彼女の瞳から理性の輝きは失われ、代わって負の感情を示すような黒い殺意の炎に満ちていた。

 

 

(――マズい)

 

 

 危険な兆候だ。思考の多くが「殺す」ことに支配されている。

 違う。そうじゃない、と東雲は思う。確かに他人の行動を止めるためには「そう」するしかない場合というのもある。

 東雲も自衛隊員として、そういった事態に直面することもあるだろうと覚悟は抱いている。とはいえそれはくまで緊急時の手段であって、積極的に用いるべきものではない。

 

 だが、今のアキラは――レインボーロケット団員と見れば、積極的に(・・・・)殺しに行きかねない。

 

 

「一人、残らず……」

 

 

 因果応報と言えばその通りだろう。彼らはあまりに人を殺しすぎた。

 止めるには殺すしか無いという場面も、あるかもしれない。だが、今の彼女は容赦をしない。逃げようとも、降参しようとも、戦う力が無くとも、そして敵意が無い者であろうとも、関係なく殺す。

 

 ――お前たちが先にやったことだろう、と。

 

 それは以前の彼女からは想像もできない、あらゆる意味で「間違った」行動だ。

 敵対者を殺し尽くすまで止まらず、たとえ殺し尽くしたとしても新たな敵対者が現れればそれもまた殺し尽くす。その連鎖は死ぬまで永遠に止まらない。

 待て、と東雲は震える声でアキラに言葉をかけた。その瞬間――――。

 

 

「……嘘ですよ」

 

 

 と。

 返されたた言葉と共に、車内に満ちていた殺意が霧散した。

 

 

「嘘……?」

「はい。嘘です」

 

 

 有体に言って、悪質な嘘だった。

 いや。果たして嘘だったのかどうか。内心では大いに疑いつつも、しかし東雲は仲間を疑うとは何事だ、と自分自身に言い聞かせた。

 そうだ。あのようなことがあった直後で、状況も状況だ。つい口走ってしまうこともありうる、と。

 

 あるいはそれは、彼自身がそう思いたかったという部分はあるだろう。

 粗野ではあっても仲間想いで、見ず知らずの誰かのために自分を投げうってでも戦うことができる正義感を持つ――人をよく心配させる少女。それが、東雲からアキラへの印象だ。だからこそ、信じたいという気持ちが――勝ってしまった。

 それは、言ってしまえばある種の防衛本能だ。東雲自身も、この状況下では精神を削られる。疲労に次ぐ疲労によって、それゆえ思い込んだ。「そんなはずはない」と。

 

 東雲は知らない。自分が合流する以前のアキラたちの言動を。

 東雲は知らない。「この状況だからこそ軽々しく『殺す』などと言えない」と――彼女自身が発言したことを。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 夢を、見た。

 いつか、どこかで見た世界。いずれ、どこかでたどり着く世界。

 今は、あり得ざる世界。

 

 ポケモンと、人間とが共存する世界。

 

 幸せな世界だった。

 何を憂うでもなく、親しい友達と世界を巡る旅をして。ポケモンたちと触れ合い、実力を高めて、競い合って。

 ほんの少し小競り合いはあるけど、前を向いてただひたすらに前に進んでいく、穏やかな夢。

 

 

 ――君が望んでいるのは「こう」じゃないのか?

 

 

 そう、痛切に訴えかけてくる甘い夢。

 ……その通りだ、と思う。けれどこれは、所詮夢だ。沈み込みたくなるくらいに居心地の良い、都合の良い――幻想だ。

 だったらそこに価値なんて無い。現実が何も変わっちゃいないってのに、夢に逃避するなんて結末が許されるものか。

 

 オレたちの今の現実はあの地獄しか無いんだ。

 他の人間をそこに残したまま眠ってなどいられない。仮に「そう」なっていくとするなら、それはオレたちの手で変えていくものなんだ。

 

 

「だから、この夢は要らない。戦わないといけないんだ」

 

 

 オレは、問いかけてくる影に向けてそう応えた。

 幻想が音もなく霧のように消えて失せる。暗闇の中、淡く燃える二つの炎が悲しげに揺れた。

 

 

 ――その戦いの果てに、何を求める?

 

 

 オレが、この戦いの先に求めるものなんて決まってる。

 始めから、何も変わってなんていない。

 

 

「――みんな(・・・)で、生きていける世界が欲しい」

 

 

 ポケモンたちはもうこの世界に根付いてしまうだろう。だからもう、彼らを無理に帰す気は無い。オレたち人間もそれに適応して、お互いを尊重して生きていく必要が出てくるはずだ。

 そのためには、レインボーロケット団の連中が邪魔だ。

 

 あいつらは、存在してはいけない人間たちだ。

 

 だから、オレは――――。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「………………」

 

 

 東雲さんとの話を終えた後、再び鎮痛剤を打って寝入ったオレが目を覚ましたのは、数時間経ってからのことだった。

 

 妙な夢だった。やたらと哲学的で説教くさい夢。

 夢というものが人間の記憶の整理の役割を果たすものだと言うなら、オレにはあのような一面もあるということになるわけだが――だとすると、ひどく恥ずかしい話だ。

 

 さて。

 時刻は再び夜。流石にそろそろ起床時間の関係で体内時計が狂ってきそうだが、そこは置いておこう。

 車外からはポケモンたちを含むみんなの声が聞こえてくる。その中に、聞き覚えの……無い、と言えばいいのか、ある、と言えばいいのか分からない声が一つ。

 

 

「……ユヅ……?」

 

 

 痛む足を引きずりながら外に出ていくと、ポケモンたちを交えて夕食を囲んでいたみんなが驚いた様子でこちらを向く。

 唯一、東雲さんはオレの顔を見るや、気まずそうにしてわずかに顔を俯けていた。

 

 

「おにッ……お姉!!」

 

 

 何だ今の素っ頓狂な噛み方。

 あ、そうか。今のオレ女だから呼び方修正しようとして頑張ってるのか。えらいぞ。

 ……と思っていると、ユヅは涙ぐみながらも勢いよくこちらに向かって飛び込んできて……。

 

 

「お姉――――っ!!」

「うわあぁユヅちょっと待っ!!」

「…………」

 

 

 その勢いに、流石にヨウタが悲鳴を上げた。

 こいつオレの怪我のこと完全に忘れてやがる。

 まあ、オレもやりかねないかもとは思っていたが……なんて向こう見ずな。

 

 

「落ち着け」

「むぇっ!?」

 

 

 突撃してくる体を受け流し、緩やかに受け止め……は、腕が折れててどうにもならない。ので回転するようなかたちで、その場に立たせて留める。

 次いで心配した様子でこちらにやってきたのは、オレの手持ちのみんなだ。ユヅの突撃を見たせいか、やや及び腰だ。

 なんだかチュリとベノンがオレの頭の上を見てにらみ合いを始めているが、今は置いとこう。どうこう言える気力が足りない。

 

 ……さて。

 

 

「で、何でいるんだユヅ」

「えぇー起き抜けに言う台詞がそれぇ!? 『久しぶりだな』とか無いわけ!?」

「それ以前の問題だろ」

「まあ……それはそうだよね……」

 

 

 起きてみたら実家にいるはずの知らない妹がいた。言っちゃなんだけど軽いホラーだぞ。

 いや、知らないっていうか記憶が無いだけだし、記憶を失った後もことあるごとに電話したりはしてるんだが。

 一つため息をついて改めて問いかける。と、そうしたところで黒い影がユヅの前に出てきた。

 

 

「何しに来……何であのヘルガーがいるんだお前」

「あのへるがー? あ、ルルのこと?」

「ルル……?」

 

 

 尾無し、片角のヘルガー。その外見は、以前オレが戦ったビシャスが手持ちにしていたヘルガーのそれと一致している。何でユヅがこいつと一緒にいるんだ?

 だいぶ話がかみ合わない。どういうことだ?

 怪我をした後、目を覚ましたのは二度。最初に目を覚ました時には意識が朦朧としていつつもユヅの姿を見たような記憶はあるんだが、結局その時は言うべきことを言うだけで気を失ったからな。オレ、何も聞けてない。

 

 

「アキラが眠っていた間のこと、説明しなきゃいけないね。長くなるけどいい?」

「メシ食べながらなら」

「いや待て待て待て、まだアキラちゃん胃に穴空いてんだぞ!」

「栄養摂れば治る」

「治らねえよ牛乳飲んだら歯が生えてくるどっかの海賊じゃねえんだぞ」

「死ぬ前にじーちゃんが言ってた。『食うもん食ってりゃ怪我くらい治る』ってな」

「おじいちゃんその怪我で死んじゃったじゃん」

「やかましい」

 

 

 今は固形物を腹に入れたい気分なんだ。

 それにオレの回復力なら、このくらいなんてことないさ。そう思いつつ近くにあったパンを手に取って食べ――。

 

 

「ヴッ」

「ほら言わんこっちゃねえ!」

 

 

 鮮烈な痛みで思わず声が出た。

 なるほど、ダメだこれ。胃どころか食道まで痛い。長時間あの環境の中にいて喉が焼けたせいだろう。

 ともかく、そういうことなら言うことを聞くのも致し方ない。大人しくその場に座って点滴を受ける。

 

 それからしばらくは、これまでにあったことの説明を受けることになった。

 ダークトリニティがプルートを殺したこと。

 オレがヒードランのボールを握ってたことで、ヒードランだけは奪えたこと。

 今は丸亀市周辺でレインボーロケット団の基地を襲撃するなどして撹乱し、本命の目的を絞られないようにしていること……など。

 ユヅはさっき……いや、オレの感覚ではさっきだけど、実際にはもう昨日か。昨日の戦いで乱入して東雲さんたちを救ったのだという。

 それ自体は喜ばしいことではあるんだが……。

 

 

「どうやって来たんだ? ……いや、そもそも何で来たんだ? 父さんと母さん、お前がこっち来るの賛成してないだろ」

「んっとね、ネットの友達とオフ会があるからおばーちゃんち泊るって言ってきたの。あ、オフ会あるっていうかあったのはホントだよ? 流石にこんな状況だとお流れだろうけど」

「当たり前だ……ってか相手誰だよ男か!?」

「んーん、中二の女子」

「つって騙ってるやつじゃないだろうな、大丈夫か!?」

「ボイチャもしてるし大丈夫だよ~」

「主題からズレてるよアキラ」

「……そうだな」

 

 

 ああ、まあ、そうだ。そっちは今重要じゃない。気にはなるけど、そっちを問題視することはない。

 

 

「どういう経路だったんだ?」

「しまなみ海道通っておばーちゃんち行こうと思ってたんだけど、途中食べ歩きとかしてたら暗くなっちゃって」

「おい……」

「あーあーあー今はそこ言わないで!それで、その辺でオーロラがかかって外と連絡つかなくなったんだったかな?」

「初日の話だね」

「せめてばーちゃんにでも連絡しろよ……」

「したよ! けどもうお姉どっか行ったって」

「………………」

「入れ違いってわけだね……」

「おばあさんの方からや……刀祢……アキラさんへ直接連絡をするというのは?」

「お姉電話番号教えてくれてないから家電でしか話したことないし、おばーちゃんもすっごい忙しそうだったから無理言えなくって」

 

 

 ……ばーちゃんが忙しそう……って、アレか。オレが頼んだやつ。街にバリケード敷いたりクマ子のお世話頼んだり。

 あと自衛隊の人たちも行くからっていうのでその辺の調整でってことか……うわ、これもオレのせいだ。

 

 

「二日目はなんか街の人たちみんな避難するからそれについていって」

「うん」

「三日目になっても状況が動かないからおばーちゃんとこ行こ、ってなって」

「堪え性無さすぎねえか」

「言うな」

 

 

 状況も状況だし分からんこともない。やめとけとしか言えないが。

 

 

「で、歩いてってる途中でルルと出会ったの。すっごい大怪我してたから見てらんなくって! もう一匹ヘルガーと、ハッサムとマニューラも引きずってたからこれウチが何とかしなきゃ! って」

「今治からか……」

 

 

 マグマ団、ひいてはビシャスと戦ったのが西条だから……あの直後か。

 まさかオレが倒したヘルガーがユヅと会ってたなんて、奇縁もあったもんだな……。

 

 

「ん、待てよ? だとしても他のポケモンいなくね?」

「みんなおばーちゃんちに預けてるからね。ルルだけついてきてくれたの」

「なるほど、だったらルルが特にユヅに恩を感じてるんだろうね」

「だったら嬉しいなー。あ、それからおばーちゃんちに戻ったらコレ、持ってってって」

 

 

 と言いつつ、ユヅはバッグの中から数個の巨大な……モンスターボール? らしきものを取り出した。

 メカニカルな機構剥き出しで、それでいて普通のモンスターボールよりも遥かに大きいが、どうやら本当にモンスターボールみたいだ。

 しかし、このモンスターボールってなんだろう。ガラルの新モンスターボールとかか……?

 

 

「工場のおじちゃんが作ったんだって」

「やったのか……!?」

「お姉が持ってきたモンスターボールからりばーすえんじにゃ? したとか言ってたよ」

「町工場スゲーなオイ」

 

 

 ちなみに「リバースエンジニアリング」な。

 日本だと違法と合法とスレスレのところにあるが、まあそもそもが異世界の技術だし緊急事態だし大目に見てもらおう。

 

 

「まだ完成度はそんなに高くないらしくって、こんなに大きくなっちゃったけど、しばらくしたらサイズも近づけられるかもって言ってたよ」

「よし……! それなら、街の人も自衛の手段が手に入れられる……!」

「……宇留賀さんたちに……工場の設計データも、預けていますので……すぐに増産体制も整うかと……」

「ようやくそこまでこぎつけられたか……」

「えーっと、ウチの話このくらいかな?」

 

 

 だいたい分かった。なんとも言い難い話もいくらかあったが、同時に有益な話もいくつもあった。

 特に一番の収穫はこの世界産の試作型モンスターボールだ。改良が進めばきっとヨウタたちの世界と遜色ないほどのものができるはずだ。

 オレたち自身や、自衛隊とレジスタンスの戦力問題も解決する。残るは、メディカルマシンの量産化ってところか。

 

 

「それでアキラ、ユヅのことだけど……どうする? いた方がいいか、帰らせた方がいいか……」

「帰らせる方が危険だろ。それにオレたちだって、猫の手も借りたいような状況なんだ。人手は一人でも多い方がいい」

 

 

 ユヅのポケモンだろう、メタングとハリボーグ、それとジャランゴを見る。いずれもレインボーロケット団の下っ端どものポケモンたちよりはよっぽど強そうだ。

 生半可な鍛え方をしていない――というよりも、環境のせいで結果的に鍛えられていったのだろう。ヘルガー……ルルを筆頭に、その実力のほどがうかがえる。

 ユヅもオレたちを追って来たということはレインボーロケット団と、多分下っ端とくらいなら何度かぶつかってるはずだしな。

 

 

「そだよ! ウチだって幹部倒したもん!」

「ちょっと待ってそれ初耳なんだけど?」

「まあウチじゃなくってクマ子ちゃん? がやったんだけど」

「クマ子が?」

「うん、なんか自衛隊の中に、やたらルルに吠えられてる怪しい人いたんだけど、顔剥がしたら変装してた変なおじさんだった」

「ど、どういうおじさんだったんだ……?」

「紫色の髪で、あごひげフサフサで痩せてるひと」

「ラムダじゃん!」

「ラムダだ……」

 

 

 ラムダだコレ!

 ちょっと待ってオレたちの知らないところでラムダが排除されてる! 潜り込んでる可能性はあると見てたけど、いつの間にか潜り込んでいつのまにか倒されてるアイツ!

 

 

「最近のキテルグマってすごいんだねー。アニメで見たみたいな動きしてたよ」

「アニメ……?」

「そ、そこは置いとこう。こんだけやってるんだ。充分だろ。背中はオレたちが守ればいい」

「……分かったよ。そこまで言うなら」

 

 

 不承不承という風だが、しかしヨウタもなんとか納得したように頷いてユヅの参戦を了承した。

 

 ……オレだって、別にユヅが戦場に出てくることに喜ぶつもりは無い。本心では、ばーちゃんところで待ってて、ばーちゃんと一緒にいてほしいと思ってる。

 けど、他の誰よりユヅ自身がそれを選んだことなんだ。兄として、オレはそれを尊重すべきだと思う。

 

 だからこそ、オレにできる限り、その背中は守る。

 姿も変わって記憶も失ったオレを、それでも慕ってくれる大切な妹なんだ。父さんと母さんを悲しませないためにも、絶対に死なせはしない。

 

 

 ――何を、しようとも。

 

 

 






・補足
 ユヅキがラムダを見抜いたのはアキラと同じく「気」。
 アキラと同門なので人間としての範疇で気功も扱える。
 なお(あに)より才能がある模様。


〇刀祢ユヅキ
ルル(ヘルガー♀):Lv37
メロ(メタング):Lv30
ロン(ハリボーグ♂):Lv33
ジャック(ジャランゴ♂):Lv26


11/9 さぬき市→丸亀市に修正


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しぜんのちからでは足りないと

 

 

 

 殺人とは、他人の可能性を潰えさせる行為に他ならない。

 

 人間にとっての死を「終わり」と位置付けるなら、殺すということはその人間を強制的に終わらせることだ。

 そこから先に辿ったであろうありとあらゆる可能性を強制的に断ち切る。そこに正当性などあるはずもない。確実に言えるのはそれが「間違い」であり、「悪」であることだけだ。

 

 では。

 ――その間違いを止められなかった人間は、「正しい」のか?

 ――「悪」を止めることのできない人間は、「正しい」のか?

 

 止められる力を持っていたのに、止めることができなかったオレは――「正しい」のか?

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ユヅの話が終わってからしばらくして、ヨウタは簡易テーブルの上にマスターボールを置いた。

 

 

「で、そろそろヒードランをどうするか決めたいんだけど」

 

 

 ヒードラン。あの戦いにおける唯一の戦果だ。

 いつまでも「ひんし」のまま置いておくのはポケモン自身の命に関わるため、もう回復は済ませている頃だろう。伝説のポケモンを抑えることができるヨウタがいれば話す分には構わないだろうが、オレが起きて改めて話し始めるということは、どうやら皆を待たせる結果になってしまったらしい。内心で申し訳なく思いつつ、続くようにオレも口を開く。

 

 

「――オレに預けてくれ」

「え?」

 

 

 意外そうに、あるいは驚くようにヨウタが眉をひそめる。

 

 

「それは……アキラよりも、他の人の方が」

「……分かった。そうだな」

「え?」

「言ってみただけだ。……気にするな」

 

 

 衝動的に口にした言葉だったが、冷静に考えれば当たり前だ。

 東雲さんと小暮さんは、遊撃的にあちこち動き回るオレと比べて、民間人を守るような立ち回りをすることも多い。ギルっていう破格の戦力がいるオレよりも優先されるべきだろう。

 当たり前だ。言ってみただけだ。

 

 心は、凪いでいる。

 

 

「オレは東雲さんがいいと思う。ヒードランの能力は防衛向きだ」

「防衛向きなの?」

「いや、直接戦ったアキラじゃないと分からないけど、そうなの?」

「ああ」

 

 

 単に炎とか溶岩と言うなら侵略向きなように思えるが、ヒードランの能力は本質的には領域(テリトリー)の塗り替えだ。自分がいる場所を「火口」に変える……周囲の物的な被害さえ気にしなければ、あれほど防衛に向いてるポケモンもいない。もしもあいつが万全の状態だったらオレたちじゃあ迂闊に手は出せないだろうし、ヨウタだってきっとてこずるはずだ。

 

 

「しかし……俺は小暮さんの方が、と思ったのだが」

「いえ……私では……やはり、そこは、東雲さんの方が、と思いますが……」

「俺はどっちでもいいと思っぬああ!」

「ニュー」

「あっ、『どろぼう』してる。いけないんだ」

「グルルルルルル……」

「キュッ!?」

 

 

 軽い調子で注意するユヅとは反対に、低い唸り声を上げてニューラを威嚇するルル。ビシャスと離れて良い影響を受けたのか、それともダークボールに入る前はこうだったのか……猟犬のような姿を思うとどちらもありそうな話だ。

 ニューラは促されるまま、朝木から奪い取った一六タルトを返した。これに気を良くしたのは朝木の方だ。返してもらったのをそのまま半分にして分けてやる。これにはユヅもルルもニッコリだった。

 ……問題はその後、ズバットやツタージャ、見覚えが無いが、朝木の手持ちになったらしいウデッポウなどに寄越せ寄越せとタカられてることだろうか。まあ、置いておこう。

 

 ともあれ結局、ヒードランは東雲さんに預けられることになった。

 

 

「……よろしく頼む」

「…………」

 

 

 ……が、そこは伝説のポケモン。その態度はあんまりに素っ気ない上に威圧的だ。

 カプ・コケコ――もう隠す必要がなくなったからか普通に食事に紛れ込んでる――から、「こいつ()高くない?」的な視線がヨウタに注がれる。お前は単に喧嘩売りたいだけだろ。

 

 ――で、だ。

 

 

「……ヨウタ、一つ二つ聞きたいことがある」

「コケコのこと?」

「いや、どうせサカキ対策に情報が漏れないよう伏せてただけだろ。そっちじゃない。メガシンカのことだ」

 

 

 言って、オレはルルに視線を向ける。

 

 

「……危険じゃないのか? あいつがあんな風になったのは、メガシンカが原因だ」

「あんな風に……って、そういえば気にはなってたけど、どういうこと?」

「自分が発してる熱に耐えきれなかったんだよ。図鑑にもあるだろ、たしか」

「あっ、それ、ウチもちょっと気になってた。ヨウタくん、どうなの?」

「ど、どう……って、ロトム、どう?」

 

 

 困った時のロトムだ。こういう時、常識のすり合わせができるやつがいると本当に助かるな……。

 はいはい、と充電ケーブルが繋がったまま飛び上がると、ロトムはまずメガヘルガーの図鑑データを表示する。

 

 

「アキラたちの言ってるのはこれロ? こっちの世界の図鑑の……」

「うん、オレたちの認識はそうだ」

「強そうだけど、ちょっとかわいそうだよねー。ね、ルル」

「クゥーン……」

 

 

 「ヘルガー自身が苦しむほどの高温ですでに溶けかけている」と、メガシンカに伴うデメリットの方が遥かに強調されている。

 特性も「サンパワー」でオレが戦った時も実際自滅してたし……。

 そう思ってると、次いでロトムはメガシンカに関するプラターヌ博士のものと思しき論文を表示して見せた。

 

 

「ボクたちの世界だと、メガシンカは『遺伝子を辿って』変化する戦闘に特化した姿だと考えられてるロト」

「……つまり?」

「どういうこと?」

「この姉妹(きょうだい)は……」

「歴史上はじめてメガシンカを果たしたのは、レックウザだと考えられてるロ。ゲンシカイキしたグラードンやカイオーガと同じく、古代ではレックウザはあの姿だった……とも考えられてるの」

 

 

 ……それって要するにゲンシカイキでは?

 言葉は無かったが、全員の意見が即座に一致した。

 

 

「それゲンシカイキでは? って思ってるロト?」

「鋭いな。その通りだよ」

「学説の一つだけど、一般に知られてる姿のグラードンとカイオーガは、エネルギーを節約するための形態なんじゃないかって話もあるロト。ちょうど、今のほしぐもちゃんみたいに」

「あれでか?」

「あれで」

 

 

 じゃないと「あいいろのたま」で操ることはできない……と、ロトムは続ける。

 小さいとはいえ、ビルを一棟……「ソーラービーム」で融解させたあのグラードンが、まだエネルギー節約状態。頭がどうにかなりそうだ。

 そのことを知らないユヅは「何かあったの?」とキョロキョロ周りを見回しているが、まあ、後で説明しよう。

 

 

「だからあくまでゲンシカイキはそんな二匹を完全に目覚めさせること、になるね」

「じゃあ、メガシンカは?」

「話長くなるけどいいロト?」

「十文字くらいで」

「疑似ゲンシカイキロト」

「ちなみにメガシンカの負担ってどうなの?」

「三行で」

「メガストーンとキーストーンがあって

ポケモンとトレーナーが信頼してれば

負担はゼロに近づくロト」

「ありがとうロトム」

「ありがとロトム!」

「ホントこの姉妹(きょうだい)は……」

 

 

 となると、現状はオレたち一人ひとりにキーストーンが欲しいところだな。

 原石が無いからZリングは作れないだろうし、手に入るものでもないだろうが……それ以外なら、奪えばいい、か。

 

 

「あ、そうだ。リュオン。ヨウタにルカリオナイト返してあげてくれ」

「ルゥ……? ルルル……」

「返したくないみたいだね……いいよ、そのまま持ってて」

「ルォ?」

「いいのか?」

「僕が持ってても宝の持ち腐れだしね……」

 

 

 まあ、オレたちの中じゃリュオンしかルカリオはいないし、オレが持ってないと確かに意味は無いわけだが……。

 リュオンが返したがらないのは、やっぱり自分のメガシンカに関わるアイテムだと理解しているからだろうか。ポケモン自身は常に進化を求める生き物のようだし、メガシンカっていうのはそれくらいには魅力的なんだろう。

 

 

「元々はグラジオに渡すつもりだったんだけどね」

「グラジオ? ……だったら、戦いが終わったら返すよ」

「いいよ。あっちの世界に戻ったらまた手に入るし」

「そっか。悪いな」

 

 

 ヨウタと、あと内心でグラジオにも礼を言っておく。リュオンは嬉しそうに再びルカリオナイトを手の中で転がし始めた。

 チャムとギルがちょっと羨ましそうに見てるのは、どちらもメガシンカできるポケモンだからというのはあるだろう。……いや、キーストーン無いから結局まだメガシンカできないんだが。

 

 しかしこれは……どう装着すればいいんだろうか。ヨウタのハッサム(ライ太)のように首輪みたく加工すると装着しやすいだろうが、生憎とそういうものを作る設備は無い。

 小さめの肩掛けポーチでも手に入れて、リュオンに渡してあげよう。

 

 

「ねーねーヨウタくん、ウチのは?」

「無いよ流石に」

「えーっ! 何それお姉だけズルい!」

 

 

 そもそもルカリオナイト持ってたこと自体が割とミラクルなんだが。

 普通、自分の手持ち以外のメガストーン確保しようとは思わないだろう。

 

 ただ、同時にこれは、メガシンカによる急激なパワーアップはそう簡単には見込めない、ということでもある。

 結局のとこ、ヒードランを手持ちに加えられなかったことと併せて、オレは現状維持のまま、ということだ。

 何も変わらないだけだ。

 

 心は凪いでいた。

 

 

「なあ、それよりアキラちゃん、そろそろ寝たらどうだ? まだ体力戻ってないだろ。顔、暗いぞ」

「そうか? ……そうかもな。悪い。先に寝るよ」

「あ、うん。おやすみ」

「おやすみお姉ー」

 

 

 そう口にして、皆から離れてさっきまで眠っていたストレッチャーに戻って寝転がる。

 オレが流したのだろう血液の鉄くさい臭いが、先の戦場の様相を思い起こさせる。

 倒れている人。焼け焦げた死体。目の前で四散したゲノセクト――。

 

 

「……寝よう」

 

 

 呟き、瞼の上に腕を落とす。包帯の隙間から、何か濡れたような感触があった。

 今は――何も考えたくない。

 

 今度は、夢は見なかった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 小さな圧迫感とちょっとした肌寒さを覚えて、オレは目を覚ました。

 わずかに視線を横に向けると、ベノンとチュリが枕元に転がって眠っている。どうやら圧迫感の正体はこいつららしい。

 

 ふたりを起こさないように注意して、身を起こす。

 見たところ、今は早朝……それも、まだ陽が昇り切っていないような時間のようだ。

 幌から顔を覗かせて外を見ると、近くの樹の上でモク太が周辺警戒を行っていた。

 

 

「お疲れ」

 

 

 小さく呼びかけると、もう大丈夫なのか、と言いたげな声で「ホウ」と一声帰ってくる。

 どうやらもう傷は随分塞がっている。骨は接合しきっていないようだが、動くだけならそれほど問題無い。

 大丈夫。――そう、大丈夫だ。問題無い。オレは生きてる。死んだ人は一番言いたいことがあるはずなのに、何も言えない。だったらオレが何か言うのは間違ってる。

 

 

「ん……?」

 

 

 そんな折、外の方から何やら風を切る音が聞こえてきた。

 オレにとってはよく馴染みのある――拳が空を裂く音。

 導かれるように音の元に向かっていくと、木々の合間にできた小さな広場で、チャムが鬼気迫る表情でひたすらに拳を振るっている姿が見られた。

 

 

「チャム……?」

「……!」

 

 

 その動きは、オレが以前教えた「体術」のそれに間違いない。人体としての最効率を目指した最速・最短の動きだ。ポケモンとして考えるとまだまだ効率化していけそうな余地はあるものの、姿かたちが人間とそう変わらず、尻尾のような付属器が少ないチャムに適しているのは間違いない。

 いったいいつからそうしていたのだろうか。その羽毛には玉のように汗粒が浮いている。

 

 

「根を詰めすぎると、逆に良くないぞ」

「バシャ……」

 

 

 人間に限った話ではないが、生物というものは疲労によって大きく肉体的なパフォーマンスを落とすものだ。

 人間と比べれば無尽蔵とも思えるくらいのスタミナを持ってるポケモンとは言え、長時間運動していればそれだけ鍛錬の効率は落ちる。マンガによくある、「疲れたからこそ最高の効率で動ける」という理屈は、現実では通用しない。

 

 

「何でそんなに?」

「バシャ。シャモシャモ……」

 

 

 ポケモンの言葉は分からないが、波動によって言わんとしていることはなんとなく分かる。リュオンならもっとよく分かるが、他のポケモンでもまあ、充分だ。

 感じ取ったのは、「俺があんなところで負けてしまったからあんたに怪我させてしまったんだ」という心。だからもっと強くなりたいと思って、昨夜から鍛錬に励んでいたようだ。

 

 

「……馬鹿言え」

「シャモ?」

「あれは……オレのせいだ」

 

 

 卑怯な手を使われたから何だ。それが原因で負ければ、何もかもを失う。そうなってしまえば取り返しはつかない。

 あいつらはああする、と予測できていれば対策は打てた。あんな手を使うとは想像もできなかっただなんて、言い訳以外の何でもない。オレの怪我は全てオレのせいだ。みんなを傷つけてしまったのも、殺人を見過ごす結果になったのも――全て、オレ個人の責任だ。

 

 

「みんなはよくやってる。本当になんとかしなきゃいけないのは……オレだ」

 

 

 あの場で、オレの判断だけが間違っていた。

 ゲノセクトを撃破して、ヒードランを追い詰めたみんなの実力は間違いなく一線級のものだ。

 オレの考えがあまりにも甘く、ぬるかった。

 だから。

 

 

「だから……」

「バシャ……?」

「どんな手段を使ってでも、みんなを勝たせる。目の前で死ぬことになる人を、一人でも少なくする」

 

 

 そのために――情けも容赦も捨てる。

 オレにできることは全部やろう。限界まで……いや。限界を超えてもまだ頭を回そう。相手を甘く見ることをやめよう。どんな卑劣な手を使われてもいいように備えよう。

 死人に鞭打つようなことを言う気は無い。だから。

 

 ――プルート、貴様のおかげでオレは甘えも情けも人間性も切り捨てられる。

 

 何があろうと許すつもりは無いが、そこだけは礼を言っておく。

 結局のところ、そういう状況に陥ることが無ければオレはきっといつまでも甘い考えのままだっただろうから。

 

 

「シャモ」

「『強くなりたい』か? ……そうだな。だったら訓練の仕方は考えよう。今みたいなやり方じゃ、体を壊すだけだぞ」

「バッシャァ」

「もっと効率的にやるべきだ。鍛錬に近道は無い」

 

 

 無力感は痛いほどによく分かる。

 だからこそ、最も効率的に強くなる手段を採るべきだ。鍛錬というものは地道なものだ。近道なんて無い。

 

 無い、はずなのに。

 

 

(――――力が欲しい)

 

 

 心が、力を渇望する。

 この現実を破壊するほどの力が欲しい。あいつらに好き勝手させないだけの力が欲しい。そんなことはすぐには出来ないと理解してもなお、心がそれを求めてやまない。

 

 他ならぬオレ自身が、それが難しいと分かっているというのに。

 

 

 







◆本作の独自設定

・メガシンカ
 本編では書ききれなかったというか書くと冗長になるためあとがきにて補足。
 過去、現在の姿に進化する前のポケモンは、強くなろうという本能が強すぎて自らの身体を傷つけてしまいかねないほどに力に傾倒した進化をしてきた。当然ながら、そういった生物は生物としては欠陥が多く、生殖能力を欠いたり長く生きられなかったりしたため、進化の過程の中で淘汰された。
 こうした過去の形質を呼び起こすのがメガシンカであるとされている。
 人工的に作られたポケモンであるミュウツーのメガシンカに関しては「ミュウの遺伝子」からメガシンカしている。
 メガストーンとキーストーンはこの「発露する形質」をより微細に調節し、負荷をかけないように肉体の変化を整える役割を持つ。メガウェーブによって変化したポケモンはこの調節が無いため非常に負担が大きく、不安定。
 絆が必要、とされているのは「ポケモンと人間双方が互いを信頼している際に発生する特殊な波動」が必要であるため。(波動≒生体エネルギー、波動使いでなくとも常に微弱には発生している)

 勿論本作の独自設定ですので真に受けないでください。


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ダメおしの一射

「コケコと戦わせてほしい」

 

 

 ある程度包帯が取れ始めた丸亀市二日目の朝。

 そう切り出した瞬間、ヨウタがココアを噴き出し朝木が椅子からひっくり返り、東雲さんが目を剥いて小暮さんが自分の耳を疑い耳掃除を始めた。

 唯一この場で平静を保っていたのは、ユヅだけだった。

 

 

「模擬戦ってやつ? 見たい!」

「遊びじゃないぞ。……いや、見ておくのも必要なことか」

「ゴホッ、ゴホッ……な、なにいきなり……コケコと戦……正気?」

「『本気?』じゃないんだな」

「どこに伝説のポケモンと模擬戦したがる人がいるんだよ……」

 

 

 ここにいるぞ(馬岱)。

 だがヨウタの言うことももっともだ。いわゆる禁止級伝説ほどではないとはいえ、カプ・コケコの能力は絶大だ。

 先の戦いを考えればすぐ分かるが、今のオレたちじゃ瞬殺されるのがいいとこだろう。

 けど。

 

 

「あいつらの掌握する伝説のポケモンが増えた今、『伝説のポケモン相手だから戦いは避けておく』なんて甘いこと言ってられる状況でもないだろ」

「そこまで言うほどのことかな。まだ僕が前に出ても……」

「ヨウタに負担が集中していずれ何もかも破綻するだけだ。一人ならいいだろうけど複数人が囲んできた時、ヨウタだけで守り切れるわけじゃないだろ」

 

 

 今回の襲撃などいい例だ。複数匹の伝説級ポケモンを用意した上で分断されて、戦線が完全に瓦解した。

 切り札であるコケコの解禁やユヅの参戦などの偶然が続いたことでなんとか切り抜けることはできたものの、実質的にあの一連の戦闘の結果はほぼ負けに等しい。

 そして問題なのは、ボルトロス、トルネロス、ランドロスのコピペロス三兄弟を取り逃がしたことだ。あいつらがレインボーロケット団の手元にいる以上、今後も同じような手を使ってこないとは限らない。

 

 

「経験を積んでおく必要があるんだ、どうしても。そのための想定敵として最適なのが、コケコなんだよ」

「コケコが……っていうのは」

「躊躇わないし、加減もしない」

 

 

 つまり限りなく実戦に近い戦闘経験が得られるってことだ。

 そして、ポケモンたちの守り神というコケコの性質を鑑みれば、少なくともポケモンに対しては命の危険が無いよう配慮してくれるはずだ――人間はともかくとして。

 

 

「コケコに手も足も出なけりゃ、他のポケモンに勝つことはどだい無理な話だ。けど、ちゃんとした『戦い』の形にできるようなら……伝説相手にも勝機を見出すことができるはずだ。体力を削ることさえできるなら、いつかは必ず倒せる」

「血が流れるなら殺せる理論かよ」

「だいたいの生物は脳と心臓どっちか潰すか(くび)を切れば死ぬだろ」

「やめろよなんか経験に基づいてそうなこと言うの!」

「一般論だっての」

 

 

 まだ人殺しに手を染めたことは無い。

 

 

「それより他人事みたいに言ってるけど、アンタもやるんだぞ」

「えっ」

「……妥当なところ、でしょうね……」

「俺たちもやるべき……そうだな?」

「はい」

「えっ」

 

 

 そもそも、という話だが。

 敵の気持ちになって考えてみれば、弱い人間から排除しよう、というのは至極当然の考えだ。

 真っ先に狙われるということではないにせよ、伝説のポケモンの力があるならついで(・・・)に殺しておくか、そのくらいの気安い考えで殺しにくる。自衛の手段は必須だ。

 

 

「いつもなら『別にいいけど』って言ってるとこじゃないのけ……?」

「真っ先に殺されても文句言わないなら止めないぞ」

「やりまァァす!!」

 

 

 半ば以上ヤケクソで朝木はそう答えた。

 だったらいいんだ。

 

 

「……オレたちだっていつも近くにいるわけじゃない。仲間(・・)に死なれたくなんてないんだ。自衛の手段くらい整えてくれ」

「お、おう……」

 

 

 いつになく真剣な声音を聞いて流石にビビッたのか、朝木自身も真剣味を帯びた雰囲気で答える。

 同時にあれ、今仲間って言った? などと恐る恐るヨウタに確認を取りに行く。そこまで変なことを言ったつもりは無いんだが、オレは。

 

 正直なことを言えば、朝木のことはもうそんなに嫌いじゃない。

 臆病者で、小市民で、判断が遅くて保身的だけど、オレはそいつにもう何度も助けられてる。だから、好きとか嫌いとか以前に――「仲間」なんだ。

 

 

「それじゃあ……僕もできるだけコケコのこと制御できるよう頑張るけど、アキラもまだ全快してないんだし……どうにか気を付けてね」

「おう」

「気を付けてもどうにもならねーことあると思います……思います……思います……」

 

 

 でもこういうわけのわからんところでふざけて人力ドップラー効果とかやりだすのは嫌いだよ。

 

 

 で――まあ、それやこれやして五分後。

 オレたちは普通に全滅した。

 

 

「コココケーッコッコ!」

 

 

 ……状況は、まあ。有体に言って死屍累々。

 倒れ伏して地を舐めているオレたちを見て、コケコが頭を上下に振って煽ってくる。うっぜぇ!

 しかもこいつご丁寧に、手持ちが全滅したトレーナーに電撃――って言ってもせいぜい足がつるか滅茶苦茶痛い静電気程度のもの――を浴びせて勝ち誇って、反応を見てケラケラ笑ってる。耐性があるからってオレにはもっと強力なやつだ。流石いたずら好きと明言されてるだけはある。性格悪いだろこいつ!!

 

 

「オ゛ォゥ! な、なんヴェッ……俺にばっかり連続で電げくハァー! 電撃をヴェエエイ!」

 

 

 朝木はまだビリビリさせられている。

 多分それ反応を面白がられてるんだと思うぞ。

 

 

「えっと……コケコが『あんなに軟弱な育て方をするとは何事だ』って」

「コケッコゥ!」

「アイムメディック! アイムメディック!」

「しかし、後方支援は最も狙われやすい役柄なのですが……」

「……補給を断つのは……戦術としては、ありふれたものですしね……」

「oh......」

 

 

 気付けよ。

 ちなみに、最初に脱落したのが朝木、次に小暮さん、ユヅ、オレの順だ。最後がヒードランを出して対抗した東雲さん。

 ちゃんと制御できてるって言うよりも、あれは……コケコにしてやられたヒードランが仕返ししたがって先走るのを、利害が一致してることでなんとかかんとか言うことを聞いてもらってる……って感じだ。

 

 当然、指示なんてちゃんと聞いてくれるわけはない。けど、言ってしまえばこれに関しては指示を聞いてもらうための「入り口」に立ったようなかたちだ。戦場を俯瞰してる人間がちゃんとした指示を出すことの重要性。連携による攻撃の通しやすさ……などなどを、きっとこの模擬戦で初めて理解した。

 そもそも、ヒードランはちゃんとした戦いをする上で力押し以外の方法を知らない――させてもらえてない。ちゃんとした土台を作れば、きっとあいつも今まで以上に強くなるだろう。

 

 

「それにしても、やっぱり勝てないねぇ。ねえお姉、どう?」

「……もうちょっとで、捉えることはできそうだった」

「そっかぁ、ウチまだダメだなぁ、残像しか見えなかったや」

「……いや、あの、見えるもんけ? あれ」

「俺は……光の線のようにしか見えませんでしたが……」

「同じくです……」

 

 

 そうか……まあ、そうなるよな。

 ポケモンたちはそこそこ見えてるみたいだったし、リュオンは特にギリギリのところまで対応できそうな感じはあった。メガシンカの……あの時の能力があれば、もしかすると……。

 

 

「ていうか何で二人は当然みたいに見えちゃってるの……あれほとんど雷と同じ速度だよ」

「波動」

「気!」

世界観(ジャンル)が違ァう」

「それは普通の人間ができていいことか?」

「できてるんだから、できていいことなんじゃないですか? 他にやれるのオレたちだけじゃないですし」

 

 

 曲りなりにも、人間に備わっている能力には違いない。

 もっとも、習熟に個人差はある。要領の良し悪し、術理の理解度に始まり、師の教え方だったり鍛錬に取れる時間だったり、習得しようという人の意欲だったり……様々なものに左右されることになる。

 ばーちゃんによると、オレが習得したのが十四歳くらいの頃。ユヅは二年前会った時にはもう習得してたから十歳でかな。それでオレが刀祢アキラ(オレ)だと分かった部分もあるだろう。

 

 ともあれ。

 

 

「習得するに越したことはないと思います」

「……どのくらい、時間が……?」

「……少なくとも年単位は」

「この戦いに間に合わない」

「うげえ」

 

 

 よーやるよ、とうんざりしたようにボヤく朝木だが、医者になるための勉強というのは、それこそ学生時代のほとんどを勉強につぎ込まなきゃいけないくらいじゃあないんだろうか。

 それと比べたら……って、比較できるものでも、していいものでもないか。

 

 

「気功は無理だけど、気配の読み方くらいなら比較的短い期間で覚えられると思う。不意討ちを防げるし、コケコみたいに目で追えないような相手だといいようにやられるから、覚えておいても損は無いと思う」

「そう、ですね……」

「それを教えてもらうのは、可能だろうか」

「はい。まあ、オレじゃなくてユヅにやってもらいますけど」

「ウチ? お姉じゃないの?」

 

 

 ユヅがこてんと首をかしげる。

 オレもそうしたいところだが、と思いつつ、回復した両足でその場に立ち上がる。

 

 

「少し用事があるから、しばらく任せる」

「わかったー」

「いや、ちょっと待ってよ。まだケガ治り切ってないじゃないか。コケコにやられたみんなも回復してない。そんな状態でどこに行くの?」

「善通寺。今ならあいつらの目は丸亀市(こっち)に向いてる。その間に食べ物とか消耗品とか、ちょっと行って取ってきたい」

「それは……まあ、必要だけど」

 

 

 補給の時間は、無かったわけじゃない。けど、既にオレたちは人間六人とポケモンが三十匹近くいるというかなりの大所帯だ。当然だけど、消耗品はすぐになくなってしまう。

 例えばタオルだ。昨日使い始めたばかりのものが翌日にはもうボロボロ、なんてどれだけ見たことか。ポケモンたちのお世話をしていると本当によくある。ギルとか。大きい&硬いで、もう体の汚れを落とすだけで大変なことになる。

 

 

「気になるなら誰か護衛つけてくれよ」

「じゃあ、ワン太を連れていってよ。言っとくけど、くれぐれも」

「ああ、戦わないよ。できる状態でもないし」

 

 

 言って、オレは荷台からバイクを降ろした。

 ヨウタからワン太のボールを受け取るのに合わせて、こちらもコケコとの模擬戦に参加したチャムとリュオンとギルのボールを預けておく。

 

 今回は派手に動く必要は無いから、並走はナシでお願い、と告げるとワン太はボールの中で少し不満げにして見せた。どうやら全力で走りたかったらしい。

 内心で謝って、オレは善通寺に向かって――あまり急がず、そこまでバチバチ電気を放出し続けるようなこともせず、法定速度で走り出した。

 

 

 

 で、そうこうして二時間ほど。

 目的のものはおおよそ集めきることができた。おかげでバイクの方はネットなどでたまに見る海外の過積載のそれみたいな状態になっている。仕方ないことではあるが……。

 

 ともあれ、そうこうして必要なことを終わらせた後、オレが向かっているのはとある神社だ。

 神社……というか、道場か。と一口に言ってもオレが通っていた場所ではない。知識としてそういう場所があることを知っているだけの――居合道場だ。

 

 刀が欲しかった。力じゃなくて刀だ。いや冗談とかではなく。刀は欲しかった。

 前の戦いで分かったが、場当たり的な手段では銃に対抗するのは難しい。周りに遮蔽物が無いような状況だと、どうしても他の人を守ることができないというのもある。

 オレ一人なら掴み取れば済む話だが、そうもいかない状況なら「切り払う」という選択肢を増やしておきたいという事情もあった。

 

 オレ自身の専門は倭刀術だが、ぶっちゃけて言うと日本刀と扱いはそれほど変わらない。何せ、倭刀って要するに「中国で再現した日本刀」だから。

 居合刀というのは、細分化するとまた色々と区分が異なってくるが、今重要なのはそこじゃなくて「ちゃんと使えるかどうか」だ。火事場泥棒のようになってしまって本当に申し訳ないが、いずれ返却して然るべき謝罪をしないと。

 そう思って一歩を踏み出した時。

 

 ――助けて、と声が聞こえた。

 

 

(――そうか)

 

 

 神社、仏閣というのは人間の……特に、日本人にとっては心のよりどころにもなりうる場所だ……と、オレは考えている。社務所や道場もあるこの神社を避難所代わりにしているとしても、おかしくはない。

 そうと知れば、そこに押し入ってくるようないることも――また。

 

 心は、凪いでいる。

 しかし、こんな悲鳴が聞こえてきたということは、もう既に危険な状況だということは明白だ。この場を去る、という選択肢は、頭には無かった。

 全ての光景を置き去りに、階段を十段以上も飛ばして駆け上がる。チュリとベノンは模擬戦に不参加だったから、戦闘に支障はない。ワン太も預かっている。ここで負けることはありえないはずだ。

 

 駆け上がるその最中、不意に乾いた破裂音が聞こえ――いや。聞いていない。オレは何も聞こえていない!

 聞いてなんているものか! まだ、まだ、まだまだまだ……!!

 

 やがて、数秒とかからずに、たどり着いたその場所で。

 

 

「――――あ」

 

 

 鮮血を、見た。

 老婆が一人、倒れ伏している。倒れて――――その胸元から、血が、噴き出している。

 その目の前には、赤いスーツに赤いサングラスの男が立っていた。フレア団の下っ端だ。男の手には、まだ銃口から煙が立ち上る拳銃が握られていた。

 

 

「あ――――あ」

 

 

 傍らに、刀が落ちている。きっと、あれで反撃しようとしたところを……撃たれたんだ。

 何か、見たことのないポケモンがフレア団員のポケモンらしいデルビルに襲われている。 おばあさんのポケモンなのだろうか。

 倒れたおばあさんを、守っている。けれど、ダメだ。あのままじゃ――抵抗すらまともにできてない。フレア団の下っ端も、ボールを手にしている。

 

 

「――――あ、あ……」

 

 

 あのままじゃ、死ぬ。

 死ぬ――――。

 

 倒れ伏すおばあさんの姿に、ばーちゃんの姿が重なる。

 ただ年齢が似てるだけだ。けれど。どうしても、何故か、連想されてしまう。

 

 心は、凪いでいた

 

 

 心は

 

 

 心は

 

 

 ――――心に、赤く、紅く、染みが広がっていく。

 

 

「う――あ゛あああああああああああああああああああああああッッッ!!」

 

 

 瞬時に、ワン太のボールを投げ放った。光と共に現れたワン太が、デルビルの横腹に「アクセルロック」を入れ弾き飛ばす。

 そして。

 

 

■■■■■■■■■■!!!!」

 

 

 オレは、言葉にすらならない叫びの中、地面に落ちた刀を手に取り、稲妻を迸らせて赤スーツの男を――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 その日、善通寺市に研究拠点を構えるフレア団研究員、アケビのもとに三つの荷物が届けられた。

 一つは――爪と、指。力尽くで剥がされたらしい生爪と、鋭利な刃物で切断されたらしい三本の血染めの指だ。それらが収められている箱には破壊された赤いサングラスが添えられており、そこに刻まれた認識番号が、否応なく「それら」の持ち主を無理やりにも理解させる。

 

 これだけでも十二分に人に忌避感と生理的嫌悪感を覚えさせるものだが、問題は二つ目。

 

 

「脅迫状……」

 

 

 いや、果たしてそれは、脅迫状と呼んでいい代物か。

 内容はごく単純なものだ。

 

 ――今夜0時に指定の廃工場に来られたし。来なければお前の部下を殺し、拠点に押し入り、構成員も皆殺しにする。

 

 脅迫状、と言うよりも、むしろそれは殺人の予告状と言えるだろう。

 

 必ず殺す、というドス黒く凍えるような殺意の滲む血文字を前に、アケビは身を縮め、震わせた。

 

 

 



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げきりんに触れた者



 三人称視点です。




 

 

 

 結局のところ、アケビに救出に行かない、という選択肢は残されていなかった。

 皮肉なことに、それはフレア団という組織内の「和」こそが原因である。

 

 ――このような非道を許しておけるか!

 ――野蛮な原住民に裁きの鉄槌を!

 ――我らの同胞を見捨ててはおけない!

 

 ――粛清せよ!

 ――粛清せよ!

 ――粛清せよ!

 

 と。

 「同志」を傷つけられた彼らの反応は、実に顕著だった。

 入団のために高い金を支払い、「最終兵器」による世界規模の粛清を超えた彼らフレア団員の結束は、固い。それは強く、大きな共通点――「自分たちは指導者(フラダリさま)によって選ばれた者なのだ」という選民思想に由来するものだ。

 先鋭化した思想は、自分たちの存在をこそ至上のものとして位置付ける。彼らにとっての他人とは常に見下されるべき者であり、立ち向かってくる敵は神に逆らう背教者の如き罪人……殺されるべき(・・・・・・)人種の悪人だ。

 

 香川のレジスタンスも、フレア団の――フラダリの――圧倒的な戦力によって、文字通りに塵と化した。

 故に、誰一人としてこの暴走めいた進撃を止めることは無かった。自分たちが負けるはずは無い、と確信していたからだ。

 

 

 ――かくして、彼らは「何」が待ち受けているのかも知らず、廃工場へとたどり着く。

 

 

 開け放された扉をくぐって突入した彼らがまず目にしたものは、腕を断ち切られ、乱雑な処置で止血され、なんとか「生かされている」状態のフレア団員の姿だった。

 しかし、敵の姿はそこには無い。疑問から周囲を見回す。とその直後、入り口の鉄扉が大きな音を立てて閉じた。人気も無いと言うのに、それが閉じた理由は――ポケモンだ。一切気配を感じさせずに彼らの背後に立ったそのポケモンは、ルカリオ。自らの波動を遮断することで外部に一切気配を漏らさないその隠密性は、アケビにこの状況が罠であることを確信させる。

 

 

()・チーム!」

了解(ダコー)!」

 

 

 当然、そのことはアケビも既に承知していた。呼び出された時点で「そう」なることは、むしろ自然、廃工場などという場所ともなれば、それは九分九厘罠が待ち受けていることだろう。

 故にアケビは、その対策チームを備えていた。数匹のコダックと、そこに混ざるようにゴルダックが現れて「しめりけ」を発する。およそ現状において完璧と言ってもいい「じばく」「だいばくはつ」対策だ。

 更に複数匹のポケモンが現れてその場に複数の影響を及ぼす。シュシュプが「アロマベール」による精神感応系の技を封じ、ペロッパフが「スイートベール」で「ねむり」状態を封じる。加えて「ひらいしん」を持つサイホーンがかみなりタイプの技を、「よびみず」を持つケイコウオ、ネオラントがみずタイプの技をそれぞれ封印する。

 

 盤石の備えだ。加えて、アケビの部隊は百人を超える大所帯。レジスタンス程度の集団であれば即座に押し潰すことができるだけの戦力は備わっていた。

 

 

「――雁首揃えてゾロゾロと。一人で来るのが随分と心細かったようだな? フレア団」

 

 

 そして、鈴の鳴るような声が「上」から降ってきた。

 つられて彼らが上を見れば、剥き出しの梁の上に一人、少女が座っているのが見える。

 月の光を思わせるような光を帯びた白髪。血を落としたような赤い瞳。全身に巻かれた包帯が、彼女の経た激戦の様子を否応なく思い浮かべさせる。その姿は紛れもなく、レインボーロケット団最大目標の一人……。

 

 

「白い少女……!?」

 

 

 彼らには、彼女がこの場に現れる理由が一切読めなかった。

 ありえない、どころの話ではない。彼女が行動を共にするアサリナ・ヨウタは今現在丸亀市で活動を行っている。

 その事実を踏まえて考えるなら、本来はここでヨウタたちが包囲網を敷いているべきだが――この場には彼女以外の人間がいるような様子はない。単独でこの場にやってきたとするなら、あるいは彼女を捕縛する大きなチャンスと言えるだろう。

 

 だからこそ理解できない。彼女は何故、このような場面で現れたのか?

 

 

「話があるんだ」

「話……? 何を言っているのかしら」

「何を、も何も。ただ聞いてみたいだけなんだ。『お前たちは、何で人を殺すんだ?』って」

 

 

 少女の目からは、一切の感情が失せて消えていた。その表情からもまた、感情はうかがえない。

 それ故に、アケビにはあのような手紙を書いて寄越すような人間には見えなかった。

 

 

「『何で人を殺す』……?」

 

 

 そしてアケビには、一瞬その言葉の意図が理解できなかった。

 

 

「ああ、あなたたちにとってこの世界の人間は『人間』なのね」

「何が言いたい?」

「アハハ! 私たちにとって、あなたたちは人間ですらない。何で人を殺すかって? 害虫がいたら、駆除するものでしょ。貴女、頭が悪いの?」

「そうか」

 

 

 レインボーロケット団……と言うよりも、フレア団員にとってみれば、いずれも変わらない。自分たち以外は、全て塵芥と同じものだ。

 この世界の住人は全て自分たちよりも劣る存在であり、排斥されて然るべき存在であり、弓引いたその時点で全ては罪人である――と。

 

 その言葉に対して少女が返したのは、あまりにも素っ気ない、感情の乗らない一言だった。

 その反応は、ともすると聞いているアケビからすれば不可解にすら映るものだ。他の人間、例えばレジスタンスなどであれば、こういった言葉に強く反応して怒りを露にしたものだ。こうも無反応だと、もしや彼女は自分たちに同調を示しているのでは――と感じるほどに情動が感じ取れない。

 

 

「この世界の人間がフラダリ様の望む『善き人間』であるならば、最初からこの地を我々に明け渡していたはずだ」

「ここは争いの無い美しい世界ではなかった。力と兵器が支配する薄汚れた世界だ!」

「殺されても仕方がない、いや殺されるべきだ!」

「――――……」

 

 

 言葉の渦の中で、少女は無感情に宙に視線を移す。

 ボールホルダーから取ったモンスターボールを中のポケモンと視線を交わすように目線の高さに掲げると、しばらく自身の感情と向き合うように目を瞑った。

 そうして数秒か、あるいは数瞬ほどのごく短い時間か……焦れたアケビは、嘆息して少女に声を投げた。

 

 

「それで、つまらない問答はそれで終わり? こちらも忙しいのよ」

「…………ああ」

 

 

 たっぷりと間を置いて、少女が返す。

 アケビの言葉を肯定も否定もしない、無感情な言葉。アケビはその反応に持論の正当性を確信し――――。

 

 

「終わりだ」

 

 

 直後、炸裂(・・)した殺意の渦に身を凍らせた。

 違う、と彼らが理解したのはその時だ。

 

 ――ああ、私たちは、何を悠長に観察などしていたのか。

 

 「あれ」は何も感じていなかったのではない。全ての感情を内側に溜め込んでいただけだ。その内面はおよそただの人間が溜め込み続けるには余りあるほどに荒れ狂い、殺意と憎悪が彼女自身の身をも焦がしていた。

 片目を伝う涙が、その瞳の色を映して血に染まる。

 

 

「少しでも、お前たちに人間の心を期待した()が愚かだった」

 

 

 彼女がてをかけた、鉄骨で造られた梁が悲鳴を上げる。

 それほどまでに凄まじい力がかけられているという事実に、フレア団員の中から小さく悲鳴が上がる。

 

 

「『もしかしたら』なんてものは、無かった。お前たちは、命という命を冒涜している存在だ」

 

 

 およそ、年頃の少女の放つ声ではなかった。血を吐くような声音に、自然と気圧される者が現れる。

 

 

「お前たちは、崇高な存在なんかじゃない。命という命を足蹴にして悦に入っている、ほかから奪うしか能の無い薄汚れた寄生虫だ。この世に存在してていい生き物じゃない」

 

 

 殺意が膨れ上がる。やがて、それに呼応するように外から咆哮が放たれ、工場を揺らす。

 そして。

 

 

「――だから、私が殺す。皆殺しだ。一人たりとも逃がすものか」

「!!?」

 

 

 少女の周囲をくりぬくようにして、天井が、鉄骨が、建材が音を立てて崩れ落ちた。

 およそ人間が耐えうるものではない超重量が襲い来る。

 

 

「まずい、()・チー……」

「『じしん』」

「グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 

 

 轟くような咆哮に合わせ、彼らの道行きを阻むように凄まじい衝撃が周囲を襲う。嘘だろ、と下っ端の一人が呟いた。

 ――あの少女は、本気で殺すつもりだ!

 

 

「くっ!!」

「潰れて死ね」

「ッ、パンプジン、クリムガン、グラエナッ!」

 

 

 あるいは、そこでわずかなりとも反応できたのは、アケビのトレーナーとしての直感ゆえのものであろうか。

 他の者が動き出すのに先んじてボールから出された三匹のうち、パンプジンが無数に張り巡らせるツタと「ヤドリギ」によってガレキを押し留める。更にそこへクリムガンが「はかいこうせん」を発射。押しとどめたそれらを砕き、グラエナの爪が切り刻んで、フレア団員の命に支障がない程度にまで細切れに変えてのけた。

 

 

「リュオン、『はどうだん』」

「クリムガン、前に出るのよ! 『ドラゴンテール』!」

「ル……!」

「クガアアァッ!」

 

 

 入り口付近から一気に飛び込んで来たルカリオの放った「はどうだん」を、クリムガンがその強靭な尾で打ち返す。あらぬ方向へ飛んでいってしまったそれは、細切れになった瓦礫を更に細かく砕いて夜空へと消えていった。

 

 

「アケビ様! ……サイホーン、『とっしん』だ!」

「あの悪魔を近づけるな! 倒せ! 『ハイドロポンプ』!」

「援護する! 『ハイドロポンプ』!」

「『ムーンフォース』!」

 

 

 遅れて、この場に集っていた百を超える下っ端のポケモンたちが少女に牙を剥く。勢いよく放たれた数条の光線、あるいは水流は――しかし、着弾前に少女が梁から飛び降りたことで、直撃には至らなかった。

 

 

(自滅!? いえ……)

 

 

 十数メートルの高さを飛び降りる、というのは一般人にとっては到底不可能なことだ。しかし、少女は一切躊躇なく飛び降りた。周囲の団員たちは驚きを露にしているが、そのようなことをしていることが命取りであることを彼らが理解したのは、一瞬後。

 

 

「ギル、突っ込め!」

「ギラアアアアアアアアアアッ!!」

「ぎゃああああああッ!」

「げ、えッ」

 

 

 見計らったかのように壁を突き破って、巨大なバンギラスが現れた瞬間だった。少女は勢いのまま背に飛び乗り、その進行方向を巧みに誘導することで立ち止まっていた団員を轢き潰していく。死にはしていないにせよ、すぐに戦線復帰は望めないだろう。

 

 

「ギル、『すなあらし』。リュオン、『かげぶんしん』。包囲しろ」

「ゴアッ!」

「リオッ!」

「ッ!」

 

 

 直後、廃工場に砂塵を伴う嵐が吹き荒れる。数匹の比較的軽いポケモンが宙を舞い、戦場から吹き飛ばされていくが、問題はそれ以上のことだ。

 

 

(見えない……!?)

 

 

 トレーナーの少女の姿が、消えた。

 バンギラスほどの巨体であれば見逃すはずは無い。しかし、その巨体を盾に、更に「すなあらし」による目くらましまでもを併用したとなれば、少女の姿を捉えることは非常に難しい。加えてそこに、波動――生体エネルギーを持った、「実像を伴った分身」が周囲を囲むことで少女の気配を失わせ、更にアケビたちの目を欺いていく。

 

 

「ぎ――ぎゃあああああっ!!」

「あゴッ!?」

「げはっ」

「!? まさか、くっ! クリムガン!」

「クグアアッ!!」

 

 

 次の瞬間、どさりと部下の身体がアケビの方へと転がる。驚いて見てみれば、その体には本来あるべき腕が存在しておらず、止めどなく血が流れだしていた。

 クリムガンが護衛に入るのが遅れていれば、アケビも同じ姿になっていたことだろう。その事実に気付いた彼女は、小さく身を震わせた。

 

 

「リュオン、『ボーンラッシュ』」

「「「ルオオオッ!!」」」

「! く、クリムガン! 『ドラゴン……」

 

 

 ――マズい、どれが本物か分からない!

 

 四方、八方から襲い掛かってくるルカリオの影は、そのいずれもが「実体」だ。一介の研究員であるアケビには気配を読み取る術をなど当然持ちえないし、仮に読めたとしてもその特性上本体だけを見抜くということは非常に難しい。

 一方でクリムガンの得意な戦術は、その強靭な筋力を活かした肉弾戦だ。一対多数の攻撃に向く技は、そう多く持ち合わせていない。よって一瞬、アケビに迷いが生じた。

 

 

「――『バークアウト』!」

「ギル、『ストーンエッジ』」

「!?」

 

 

 そして、クリムガンの音波がその全てを薙ぎ払った瞬間、思い知らされる。全て偽物(・・・・)だと。

 数十匹のルカリオの分身を突っ切って、その背後から怒涛の勢いで迫るバンギラス。技にも満たないただの「前進」だというのに、その巨体から繰り出されているというだけで、周囲には壊滅的な被害が広がる。

 クリムガンでは、体格の差もあって組み合うことは難しい。その上に、床を砕いて岩塊が隆起し、それに伴って建物の基礎が崩れていくために回避行動もままならない。

 

 ――勢いを殺すしかない!

 

 アケビの判断は、速かった。

 

 

「パンプジン、『タネばくだん』! クリムガン、『アイアンヘッド』!」

「プッジャ!」

「クルルルガアッ!」

 

 

 パンプジンの放つ硬質な殻を纏った爆弾が、バンギラスの眼前に着弾し――炸裂する。

 くさタイプのエネルギーが極限まで詰め込まれた文字通りの「爆弾」だ。相性の良いこの一撃ならば、確実に突進の勢いを殺すことができると確信したそれを。

 

 

微温(ぬる)い」

 

 

 炎が、消し飛ばす。

 一体、どのタイミングでボールを投げていたのか。バンギラスに先行するような形で現れたバシャーモが、その腕に紅の炎を纏わせて、「タネばくだん」のエネルギーをかき消していた。

 まっとうな神経の持ち主ができることでは、当然ありえない。「タネばくだん」が着弾し、起爆するその一瞬の間を見計らい、ボールを投げ入れる――。

 

 

(人間業じゃ……!)

 

 

 と、生じた思考の隙をこそ、「悪魔」は突き崩す。

 

 

「『落とせ(ブレイズキック)』」

 

 

 敵を示した指を二本、クイ、と下に向けるだけのごく簡素なハンドサイン。それ故にポケモンにとっても分かりやすい動作は、即座にバシャーモへとトレーナーの意を伝える。

 指示に応じたバシャーモは、勢いよく宙で身を回し、クリムガンの頭を押さえ込むように強烈な踵落とし(・・・・)を叩き込んだ。

 野生のままのポケモンの動きではありえない、単純、かつ明快なまでに研ぎ澄まされた体術。神経系の集約する脊椎を狙って放たれたそれによって、クリムガンの意識が一瞬、暗転し――直後、超重量によって押し潰された衝撃により、目を覚ます。

 

 

「『げきりん』」

 

 

 しかし、意識が戻ったのはその一瞬だけ。

 

 ――憤怒の化身がその目に映る敵全てを、蹂躙する。

 

 

 

「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」

 

 

 手始めにクリムガンをアケビ諸共に叩き伏せたバンギラスは、目の前に躍り出たサイホーンを轢き潰す。逃げ惑うゴルダックを掴んで床に叩きつけ、ケイコウオやネオラントを腕を振るその勢いだけで弾け飛ばす。

 対処のできないシュシュプやフレフワンといったポケモンは、ルカリオが冷静に、ともすると冷徹とも取れるほどに鋭く「処理」されていく。

 

 やがて、数十秒か、数分か、あるいは一時間も経ったか。それだけの体感時間を経てようやく――暴力の嵐は消えて失せた。

 それに伴って、周辺が静寂に包まれる。静寂――とは、即ち。

 

 

(全……滅……)

 

 

 ――フレア団陣営の、文字通りの「全滅」を示していた。

 

 

微温(ぬる)い」

 

 

 少女は、バンギラスをボールに戻しながら、冷たい声音でそう呟く。そこには強い怒りと、憎悪と、わずかな失望とが覗いていた。

 

 

立て(・・)、外道ども。まだ手はあるだろう」

 

 

 砂嵐の晴れたその中に、夜闇に紛れて少女の影が揺らめいている。

 

 

「包囲しろ。数で攻めろ、押し潰せ。後ろから襲ってこい。人質を取ってみろ。狙撃しろ。巻き添えで自爆してみろ。どれもお前たちの十八番(おはこ)だろう。それとも伝説でも出すか? それもいいだろう。早くしろ」

 

 

 暗闇の中、煌々と輝く紅い血の雫が、鮮烈なまでの殺意を映す。

 

 

「――全て破壊してやる。細胞の一片たりとも残すものか」

 

 

 どうしてこんなことになってしまったのだろうと、パンプジンの下敷きになりながらもアケビは嘆きを露にした。

 敵の存在を侮ってしまったがためか。この少女の逆鱗に触れてしまったためか。あるいはそもそも、この世界に手出ししたことから、間違いだったか……。

 

 ――――チャキ。

 

 少女が手にする刀の鍔鳴りが、否応なしに恐怖を掻き立てる。

 

 

「抵抗しないなら、それでもいい。――ひとりひとり、残らず殺すだけだ」

 

 

 少女が、血にまみれた刀を抜き放つ。

 見せつけるようにしてフレア団員に向けてその刀身を掲げるのは――あるいは、そうやって恐怖を煽る意味合いもあるだろう。

 「同じ恐怖を味わわせる」、と。「お前たちが奪ったものと同じものを奪ってやる」、と――。

 

 

「うわああああああああああああっ!!」

 

 

 やがて、恐怖に耐えかね、恐慌状態に陥った者が、少女に向かって残ったポケモンをけしかけた。

 およそ育てることを怠り、未だ進化に至っていないフシデ。しかし、だからと言ってその毒性は弱いわけではない。自身よりも大きな鳥ポケモンでさえ痺れて動けなくなるほどの神経毒を持つその牙に侵されれば、いかに「悪魔」と言えど行動不能になることは必至だ。

 

 ――当たりさえするならば。

 

 

「メェェ~!!」

「な、なんだっ!? ポケモン!?」

「フシャァァ……!?」

 

 

 ルカリオもバシャーモも少女から離れ、およそ阻む者がいないであろう最適のタイミング。

 そこで放たれた致命の一撃は――あらゆる障害物をすり抜けてやってきた一匹の謎のポケモンによって、阻まれた。

 

 

「よくやった」

 

 

 そのポケモンの瞳もまた、小さくない怒りに燃えている。

 彼、あるいは彼女にとっても――レインボーロケット団、あるいはそこに含まれるフレア団とは、仇敵に他ならないのだから。

 

 

「仇は、私が討つ。他の誰にも、こんな奴らの血で手を汚させはしない」

 

 

 かつ、かつ、かつ、かつ――――と。死刑台に上がるまでの時を刻むように、足音が響き渡る。

 その音はアケビの視線の先、彼女が動かせない顔のその先……既に動くことのできないフレア団員の目の前で、止まった。

 

 それは――フレア団の代表たるアケビに、「奪われる側の気持ち」を、僅かにでも味わわせるために。

 そして。

 

 

「――――――――」

 

 

 断頭台の刃が、振り下ろされる。

 

 

 



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剥がれた仮面の下のなみだめ

 

 

 

 その刃は。

 

 振り抜かれた一刀は。

 

 

 

 ――――雷電と共に現れた黄金色の外殻によって、受け止められた。

 

 

 

「――――……」

 

 

 絶句する。

 まさか、という表情で、アキラはそのポケモンを見据えた。

 

 

「……カプ……コケコ……」

 

 

 カプ・コケコ。遥か古からのポケモンの(・・・・・)守護神。その守護の在り方は人間よりもポケモンの方に遥かに高い比重が置かれている。ポケモンやその住処を害する者があるなら自ら誅罰を下しに行くほどのやや物騒な「神」。

 しかし、なぜ。

 ならば――なぜ。

 

 

「こんな奴を……何で庇った……!」

 

 

 激情に彩られつつも、彼女の声は困惑に満ちていた。

 当たり前のことだ。フレア団――ひいてはレインボーロケット団は、人間のみならずポケモンにとってもおよそ害悪しか生み出さない、人の世が生み出した悪性腫瘍と呼ぶべき存在だ。カプ神にとっては罰を下すべき存在でこそあれ、庇護するべき存在であるはずがない。

 ウルトラビーストの氾濫、レインボーロケット団の侵略という「ポケモンの生きる場を奪う」行為に対して、偶然に人間たちとの共闘が成し遂げられたが、それも奇跡のようなものだ。

 本質的に彼らは、人間の生き死にになど興味を持っていないのだから。

 

 

「…………」

 

 

 カプ・コケコはその意図など語らない。神は常にヒトにその意図を酌ませるものだからだ。

 理解しようとすらしない不逞の輩は、関わることすら値しない。

 

 永劫とも感じられるほどの数秒のにらみ合いの末、アキラは血振りをした刀を鞘に納めた。

 

 

「野放しにするわけにはいかないぞ」

「コケッコォ」

 

 

 当たり前だ、任せておけ――とばかりに頷くカプ・コケコ。その体から、周囲……廃工場を覆い尽くすほどに膨大な電気の力場が構築される。特性「エレキメイカー」によって張り巡らされたエレキフィールドだ。

 適度に調節が施された電気刺激が倒れたフレア団員たちの脳に作用し、この場に残った者を一人残らず昏倒させる。

 

 ポケモンであれば「ねむり」状態に陥らなくなる程度に適切な刺激だが、ヒトにとってはそういうわけではない。技として使用された場合に短時間しか展開されない理由はそこにある。

 もっとも、範囲内に入った人間たちを昏倒させるなどという芸当は、息をするようにエレキフィールドを展開するカプ・コケコにしかできないことだろう。彼自身は生粋の戦闘狂であるため、好んでこのようなことをするような性質(たち)ではないが。

 

 

「…………」

 

 

 苦渋に染めた表情で、アキラは鯉口を切り幾度か音を鳴らす。感じる波動……その質が下がってはいても、数が減ってはいない。つまりは、あれだけの猛攻の中、死者が未だ出ていないということを示している。

 感情のやり場が、どこにも無かった。膨れ上がった殺意は彼女自身の胸の(うち)を焼き、(はら)の底から溢れてくるドス黒い憎悪が喉を焦がす。

 ポケモンたちにあたってしまわないよう、アキラは外に出ていたポケモンたちをボールに戻した。

 

 と――そんな折、空を駆けて向かってくる気配がある。

 極限まで鋭化した神経が敏感に気配に呼応し、猛り狂う感情が突然の闖入者の頸に神速で刀を突きつける。

 

 突然の凶行に首の薄皮を裂かれた闖入者は、冷や汗を流しながら声を上げた。

 

 

「僕だよ!!」

「――――――」

 

 

 悲鳴にほど近いヨウタの(・・・・)声に、周囲に充満していた殺意の波動と淀んだ憎悪が霧散する。

 ばつが悪そうに「ごめん」と一言謝ると、アキラは顔を俯けて背を向けた。

 

 一方、ヨウタは疑問と困惑が溢れかえっていた。

 夜中になって突然いなくなったアキラが、一つ隣の市で何事か凶行を繰り広げているのだ。困惑しないはずもなかった。自然と、彼女に詰め寄るようなかたちで前に出る。

 

 

「『ごめん』じゃないよ、何だよいきなり! それになんなんだよこの有様は! 何してるんだよ!? それに……殺したのか!? 人を!」

「……殺せてない」

 

 

 その気はあったが、とアキラは続ける。

 

 

「何で、気付いた」

「ショウゴさんがアキラの様子がおかしかったって言ってた。昼間、戻って来てからも違和感があった。握ったもの壊すとか全然力加減できてないし、呼びかけても上の空で目が据わってるし!」

 

 

 アキラが異常な筋力を持っているのは周知の事実だが、同時に繊細なコントロールができるのもまた、周知の事実だ。

 少なくとも、これまではそれができていた。だというのに、今日に限ってそれができてない。言ってみれば「たが」が外れている。

 おかしいというどころの話ではなかった。ヨウタは帽子の隙間から手を差し入れ、頭を掻きむしる。

 

 

「もしかしたらとは思ったんだ、そしたら案の定だ! 考えたくもなかった、アキラが人を殺そうとするなんてこと! 何でこんなことを!?」

「何で……?」

 

 

 そして。

 ヨウタは、アキラの表情が――やけに幼いことに、気が付いた。

 普段のどこか済ましたような強気な表情でもなく、戦っている時の苦渋に満ちたような表情でもなく、ただ、泣きそうな子供のような幼い表情。それは、彼女の育ち切っていない内面を示しているかのようで。

 

 次の瞬間、ヨウタは肩を押されたことに気が付いた。

 

 

「何でも何でもあるか……! 考えたんだよ。考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて考えて……! それでも犠牲がちょっとでも減る手段が浮かばなかった! 他に手があるなら言えよ、言ってみろ! 教えてくれよ! どうしたらいい!?」

 

 

 詰め寄る彼女の目じりには、大粒の涙が浮かんでいる。

 時折、アローラの友人に鈍感であると言われたりもするヨウタでも、ことここに至ってはアキラが苦しんでいることが、理解できないわけがない。だが――同時にヨウタは、なぜ、とも感じていた。

 

 どこまでいっても、自分たちは人間である。すくいきれない(・・・・・・・)命というものは――悲しいことだが、当然に、ある。香川にいながらにして高知で起きた殺人を止めることはできないし、その逆もまた然りだ。手が届く場所でなければ、どれだけ優秀でも、どれだけ強くても、何もできない。

 悔いてはいても、同時にそれは割り切るしかない事実だということを、ヨウタはよく理解していた。

 

 それ故に。

 

 

「目の前で、人が死んだんだ」

 

 

 互いの思いには、小さくないギャップが生じていた。

 

 

数時間前まで一緒に(しってる)夕飯食べてたレジスタンス(ひと)が焼け死んで、避難所を守ろうとしたおばあさん(しらないひと)も撃ち殺されて! 今だって、きっとどこかで人がゴミのように殺されてる! こんな、人を人とも思ってない連中をのさばらせておくなんてできるわけないだろ! 皆殺しにしなきゃ不幸な人が増えてくだけだ!」

「気持ちは分かるけど、極論だよそれは! 脅されて入団した人だっているかもしれないし、みんながみんな人殺ししたいと思ってるわけじゃないかもしれない! そういう人まで殺すって言うのか!?」

「人殺しをすると分かってて止めないヤツが、真っ当な人間なわけがあるか!! 人を殺すと分かってて、それを手助けするような人間も――」

「それ以上言うな!!」

「みんな死ねばいいんだ! 皆殺しにしてやる!!」

「――――こ、のッ」

 

 

 アキラが口にする言葉を耳にした瞬間、ヨウタは頭の中が真っ白になった。

 

 ――よりにもよって、君がそれを言うのか?

 

 誰より「正しさ」に拘泥していた彼女が、それ(・・)を口にしてしまったなら。

 後に残るのは、正しさから背を向けて殺戮を繰り返す、矛盾にまみれた悪鬼だけだ。

 

 それ故に、ヨウタもまた、気付けば激昂していた。

 それは、彼女のことが大事な友達だと……恐らくは、仲間の誰よりも感じていたからこそ。アキラを止めるためにも、拳を握りしめ――前に出た。

 

 

「分からずやがああああ――ああああああ痛ァァッ!!?」

「……!!?」

 

 

 基本的に、という話ではあるが。

 刀祢アキラは超人であると同時に、内気功を修めた達人でもある。極限まで気が立っているこの状況においてその肌は岩のように硬く、その骨は鋼鉄よりもなお頑強だ。

 どれだけ心が折れていたとしても、体だけは壊れない。怪我をする頻度が非常に高いことで耐久力は普通の人間並みだと勘違いされることもないではないが――ポケモンの爪や牙がそれすら貫くというだけで、普通の人間が殴れば、それは鋼鉄の塊を殴りつけるのと同じことであり。

 

 

「うおわああああああああああっ!!?」

「ヨウターッ!!?」

 

 

 ペキン――と。

 狙い過たず彼女の頬に突き込まれた拳……その指が、枯れた枝のような音を立ててヘシ折れた。

 

 旅に出始めたばかりの頃、スカル団に折られて以来の痛みだった。思わずその場で転がり回るヨウタに、流石のアキラも気勢を削がれた。

 冷静になってもみれば、仲間であるヨウタに当たり散らすというのは人間的に好ましい行いとは言えない。あまりの事態に、筋力と意地と、自分がやらなければという義務感と折れてはならない環境によって形作られた仮面が、剥がれはじめる。

 

 

「だ、大丈夫……?」

「うっさい!! 大丈夫に見えるかこれが!? 目腐ってんのか君は!!」

「えっ酷い」

「だいたいッ……何なんだよ、そんな重大なこと、一人で抱え込んで! 相談しろよ、仲間じゃないのかよ僕らは!!」

「な……仲間だから相談なんてできなかったんだろ!? 止められないわけがない……」

「当たり前だ、止めないわけがないだろ! 今君言ったよな、『人殺しをすると分かってて止めないヤツが真っ当な人間なわけがあるか』って! 僕らも『まとも』じゃない方がいいのか!?」

「あ……」

「勝手に考えが煮詰まった気になるなよ! 殺す殺すって、今のアキラはただ悪い感情が先行しすぎて殺すことありきでものを考えるようになってる!」

 

 

 立ち上がり、ヨウタは無事な左手でアキラの胸倉を掴み引き寄せた。

 

 

「本当ならもっとやれることがあるだろ君なら! それができる力と、頭くらいあるはずだ!!」

「買いかぶりだ! そんなの……わた、私は」

「『私』!? 自分のことそんな風に言わないだろ!」

「え……あ……!?」

 

 

 そこではじめて、自分の一人称が移り変わっていることに気付いたらしいアキラは、ひどく狼狽えたように顔を強張らせた。

 彼女にとって、「オレ」という一人称は、「刀祢アキラ」が男であったことを示す数少ない(よすが)だ。それが揺らいでいるということは、アキラ自身の自我が揺らいでいるということに他ならない。

 

 

「それが正常か!? まっとうな考え方ができる状態か!? 考え抜いたなんて妄言を吐いていいのは、普段通りにものを考えられるようになってからだろ! どうせアキラのことだから全員殺した後で自分も死ねば悪人はいなくなって解決なんて考えてたんだろ! ふざけるなよ!」

「な、なんで……」

 

 

 図星を突かれたように目を白黒させるアキラ。衝撃で身じろぎ一つできなくなった彼女を放し、ヨウタは指をつきつける。

 

 

「ランスの時、無謀な突撃をしてた」

「うっ」

「ビシャスに立ち向かって大怪我」

「あぅ」

「ポケモンを守るために自分が前に出てまた大怪我!」

「うっう」

「独断専行に自己犠牲のオンパレードじゃないか。君がそういう考えになっても全く不思議はない」

 

 

 けど、とヨウタはそこで一度言葉を切った。

 ――が、そこに言葉を重ねたのは、他ならぬアキラだ。

 

 

「――でも、他のやり方なんて知らない……!!」

 

 

 常の彼女なら、絶対にしない表情(かお)で。

 常の彼女なら、絶対に発しない声音で。

 堪え切れなかった涙を流しながら、言葉を紡ぐ。

 

 

「わたっ……お、オレ。他にどうしたらいいかなんてわからないよ……! おばあちゃんは、こんな時どうしたらいいかなんて言ってくれてない! 殺したらいけないなんてこと、分かってるよ。けどそれ以外できないんだ! 壊すしかできない! 暴力しか知らない! それ以外の使い道なんて知る時間も無かった! おばあちゃんは言ってたよ、『その力だってきっと正しいことに使える』って。オレだってそう思う。そう思いたかった……」

「…………」

「けど、誰も助けられてない……! 目の前で、死んじゃって……まだ体温だって感じるくらい……。

 これから先も殺される前に殺さなきゃ、きっと、たくさん人も、ポケモンも死ぬ……。けど他の誰かに手を汚してもらうなんてしたくない……ポケモンたちにだって、みんなにだって……! だったら、オレが、わたしが……やらなきゃ……いけなくって……」

 

 

 ヨウタには、アキラのそんな姿が想像できなかった。凛々しく、それでいて雄々しい姿しか、目にしていなかったというのもある。

 それは、二年というごく短い期間で祖母が築き上げた「理想的な自分」を演じ切っていたということだ。

 

 

 本当の「刀祢アキラ」とは――十数年の人生を失い、たった六年分の経験で理想を演じている。

 

 ただの、子供だ。

 

 

 ただ日常を送るだけならば、破綻などしなかっただろう。戦いになど身を投じなければ、ここまで自我が混濁などしなかっただろう。

 彼女の祖母の言葉が「悪」を憎むきっかけになり、やがて致命的な矛盾を起こして自死に至らしめることになりかねなかったというのは、確かだ。しかしその教育方針は決して間違っていない。ただ、時間が足りなかった。環境が悪かった。ここまで保っていたこと自体が奇跡的と言えるが、それを為したのはアキラの祖母の倫理教育だ。

 

 人の死と悪意を目にしてその心は歪み、怒りと憎悪で折れ、捻じれ、曲がり、内から湧き出る殺意の衝動によって突き動かされている。

 このまま進めば、取り返しがつかなくなると確信できるほどに。

 

 

「殺しちゃ、ダメだ」

 

 

 故に、ヨウタはその手を取った。

 

 

「許せないのは分かる。けど、それだけはダメだ。ただアキラが……違う。アキラだけじゃない。みんなが(・・・・)不幸になるだけだよ、それは」

「……みん、な……?」

「おばあさんとユヅは、きっとアキラが人を殺すなんてこと絶対にしてほしくない。レイジさんも人の命は大事に思ってるし、ショウゴさんとナナセさん、アキラの様子がおかしいのを見過ごしたって、すごく悔やんでた。ポケモンのみんなだってそうだよ。人殺しの手伝いなんてしたくないはずだ。僕だって人を殺すのを見過ごすなんて、絶対にできない」

 

 

 たとえ彼女自身が、そうは思ってないとしても。

 

 

「――友達だから。アキラが人を殺して自分も死ぬなんてこと、選んでほしくない」

 

 

 告げた一言は、あまりにも簡素なもの。

 根本的な解決策にすらならない、ただ個人的な気持ち。

 それでも、ただ一人でやるしかないと頑なになっていた彼女の心を溶かすには、十分なものだった。

 

 やがて決壊した感情が溢れ、一人の「子供」の泣き声が、夜闇に響いた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「……ご迷惑おかけしました」

 

 

 腕の切断といった重傷を負ったフレア団員の処置のために朝木らが到着し、崩落した廃工場から場所を移してかれこれ約三十分。胸を貸したヨウタの服は、涙と鼻水とでびしょ濡れになっていた。

 本当だよ、と冗談めかして告げるとアキラは気落ちしたように肩を落とす。未だ錯乱の影響は根深いようだった。

 

 

「僕よりもショウゴさんたちに謝ってね。ロトムに連絡入れてもらったから」

「うん……ありがとう、ロトム」

 

 

 微笑みを向けてくる気遣いのできる図鑑に感謝を告げた後、アキラは気恥ずかしそうにヨウタから離れた。

 

 

「……ごめん、カッコ悪いところ見せて。わ……オレ、年上なのに」

「戸籍上だけじゃないか。実際のとこ、僕よりよっぽど年下でしょ」

「んなっ……こ、これでも今年十八だぞ」

「年齢でマウント取ろうとしてくるあたり、余計だよ」

 

 

 そうかな……そうかも……と、アキラは再び気を落とした。

 事実として、彼女はただ知識だけを持っている子供のようなものだ。そういう風に装えているというだけとんでもないことだが、ヨウタよりもその精神は未成熟なものとしても過言ではない。もっとも、この点に関してはヨウタが成熟しすぎている部分があるのだが。

 

 

「……でも」

 

 

 と、そこでアキラは思い出す。決して彼女の懸念が解消されたわけではない、と。

 結局のところ、敵が減らなければ四国の住人は常に生活を脅かされ続けるのだ。その点に関しては否定のしようもない。

 

 

「殺すのがダメなら、どうすればいいんだ?」

「無力化するんだよ。今までやってきただろ? それを突き詰めていくだけ」

「……でも、手加減なんかしたら、止められない。殺すくらいの勢いじゃないと……」

「腕斬れば?」

 

 

 ――と、ヨウタは、何の気なしという風に、あまりにもあんまりな答えを返して見せた。

 

 腕を、斬る。

 つまりは今回のような、両腕切断の重傷を負わせる、と。

 

 

「ざ、残虐じゃないか?」

「実際にやった君が言えることか?」

 

 

 返す言葉も無かった。そんなアキラに、そのくらいは仕方ないんじゃない、とヨウタは続ける。

 

 

「残酷かもしれないけど、命は残る。僕らの世界じゃ、重罪人にやる処罰って見方もあるけど……」

「処罰? 江戸時代の盗賊か何かかよ……」

「二度とモンスターボールを持たせない、って罰だよ。滅多なことじゃあ、無いけどね」

 

 

 人間によっては死ぬよりも重い刑罰と言えるだろう。

 とはいえ義肢技術のある昨今、それはまったくの不可逆的な措置というわけではなかった。

 

 

「命さえ残ってるなら更生の機会はある。あとは、それさえも棒に振るのかどうか、だよ」

「それは……まあ、それも、そうか」

「殺さなきゃ何をしてもいいっていうのは違うし……勿論、積極的にやれって話じゃないよ」

「わ、分かってるよ」

「やるなよ」

「……うん」

 

 

 あくまでそれは、殺されそうな人がいるような場合に限ってくれ――と、ヨウタは締めくくった。

 

 アキラの様子は、先程と比べれば幾分か落ち着いている。しかしそれはどちらかと言うと、「混濁したまま」落ち着いたというような状態だ。

 剥がれた仮面はそのままに、むしろ柔らかい心が剥き出しの状態で固定されてしまっているような状態だ。どのような場面で崩れてもおかしくはない。

 そんな懸念を抱いたその時だった。

 

 

「ロト……? ヨウタ、広域通信!」

「え? ……映して」

 

 

 激しくその身を震わせたロトムが、広域通信――周辺の電波に乗せられたテレビ電波を受信する。そうして映し出されるのは、赤髪に雄々しい髭をたくわえた大男。

 即ち――フレア団指導者(ボス)、フラダリ。

 

 

「……こいつ!」

「フラダリ……!?」

『――カガワの民よ。私はフレア団総帥、フラダリ。本日は諸君らに一つ、重大な報告がある。心して聞いてほしい』

 

 

 何をする気だ、と二人の表情が強張る。

 以前、サカキが四国全域に向けて行った放送においても、およそ考えうる範囲で最悪の状況に陥ったのだ。ヨウタとアキラにとっては、トラウマにも等しい状況である。

 

 

『これより我がフレア団は、このカガワ――タカマツにて民の浄化を行う』

「「!!?」」

『善き人間だけが生き残り、悪しき人間が滅び去る。諸君らが善良な市民であることを示す方法は、二つ。我々フレア団に忠誠を誓うこと。そして』

「!」

 

 

 言葉と共に、画面にいくつかの写真が並べられる。日本語で丁寧に作られたそれらが示しているのは、紛れもなく――レインボーロケット団への反抗勢力。何よりも、ヨウタたち六人の姿が、克明に映し出されていた。

 それらを大仰に指し示すと、フラダリは弧を描いた口で宣言する。

 

 

『――重罪人、反逆者たる彼らを、我々フレア団に引き渡すことだ』

 

 

 



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世になやみのタネは尽きまじ

『猶予は本日十八時までとする。これを過ぎた場合、三十分を過ぎるごとに無差別に一人ずつ、市民を粛清していく。場所はタカマツ市、タカマツ城』

「……あ、の、野郎……!!」

 

 

 アキラは、再び強い熱を帯びた激情に支配されつつあった。

 無理からぬことではある。何せ今の今だ。メンタルに負ったダメージは計り知れず、かと言ってフレア団、ひいてはレインボーロケット団に対する憎悪は一切おさまってはいない。

 初日のことを思い出し、ヨウタは小さくない頭痛を感じた。あれも恐らくはフラダリの仕込みだったのだろう。ホロキャスターの開発者として、メディアの与える影響というものをよく理解している。サカキの大仰な仕草も指導の賜物と言えるかもしれない。半分は素の部分があるだろうにしても。

 

 

「アキラ」

「……大丈夫」

 

 

 肩を押さえれば、初日とは異なりアキラはその場にとどまった。

 が。

 

 

「コケェ――――!!」

「し、しまった! 戻れコケコ!」

 

 

 それに代わるように、戦の気配を感じたカプ・コケコがいきり立った。

 バチバチ、というある意味聞き慣れた帯電の音を耳にした瞬間、ヨウタはカプ・コケコをボールに戻す。

 不服に満ちた感情を込めた視線がボールの中から投げ掛けられたが、ヨウタは気にしないことに決めた。

 

 

「……オレの時は止めたくせに自分は行くのか」

「コケコのこと? ……いやコケコは深いこと何も考えてないよ。自分のこととポケモンのことだけだよ」

「どういうこと?」

「アキラが殺人をすると、チュリやチャムたちが悲しむから止めた。それはそれとして、コケコはアキラ自身の問題とは関係ないし、戦いたいから戦いに行こう……ってだけ」

 

 

 ロクでもない、とアキラは呆れたような面持ちでカプ・コケコのボールを見つめた。

 ヨウタはそんなアキラを半目で見た。君がどうこう言えることか?

 

 

『――全ては清浄なる世界を作り上げるために。我々に従うことを選ばなかった愚かな皆さん。残念ですがさようなら』

 

 

 そうしている間にもフラダリの言葉は続き、やがて締めくくる一言によって放送は打ち切られた。

 次いで、音声と字幕によって、この放送は既定の時刻まで一時間区切りで放送されるという旨がアナウンスされる。見る側としてはやや抜けた印象が拭えないが、繰り返し放送を行うことでヨウタたちのことを周知する狙いがあるのだろう、とアキラは考察した。

 

 

「どうするんだ?」

「皆と合流して対策を立てる。こんな大々的に放送するなんて、間違いなく罠だ」

「けど、行かざるを得ない……だろ」

「うん」

 

 

 確かなのは、それを見過ごせば大勢の人間が死ぬという事実だけだ。

 それを分かっていて何もしないことを選ぶなど、一人を除けばできるはずもない。

 

 

「マツブサといいフラダリといい……一般人巻き込んで平然としてるとか、頭どうかしてるぞ」

「どうかしてなきゃあんなくろいヘドロ煮詰めて固めたような腐った組織作りやしないよ」

「そ、そだな……」

 

 

 言われてみればその通りではあるのだが、一方でヨウタのあまりに刺々しい言葉を聞いて、苛立ちがピークに達しているのだろうとアキラは察した。

 そしてその何パーセントかは自分がヨウタに与えたストレスが原因だと思い至り、恐縮した。

 自分の言動が他人に与える影響について学んだ瞬間である。

 

 

 どうあれ、フラダリの放送によってタイムリミットが設けられた以上、アキラたちの行動は迅速だった。

 倒したフレア団員たちのモンスターボールを没収。応急処置を施した上で拘束し、監視を行う――ために、近隣に潜伏しているレジスタンスの斥候役に連絡。拘束した団員たちの引き渡しを行い……と。一晩中せわしなく動き回った結果、怪物じみた体力を持つアキラを除き全員が疲労の極致にいた。

 

 仮拠点(キャンプ)に戻ることができたのは、もう陽が高く登った頃だった。

 眠気で倒れ込みそうになる体を必死に引きずり、ヨウタの持参したカゴのみを投入した渋くも辛いカレーを口にして目をこじ開けながら、六人はテーブルを囲んでブリーフィングを始める。

 

 

「……まず……報告が、少し……。レジスタンス本隊が、久川町に到着……自衛隊とも、合流したようです……」

「めでたい話ですね」

「うん」

 

 

 東雲とヨウタの返答は、やや素っ気ない。

 しかし、実際のところ本人たちは真剣に聞いているつもりではある。しかし、眠気と疲労で頭が上手く回らず、情報をとにかく頭に入れるということに注力しすぎて返事にまで気が回らないのだ。

 

 他方、朝木はうつらうつらとするたびに、ウデッポウに冷水を浴びせられて目をこじ開けられている。

 ユヅキは耐えきれず、カレーに顔を突っ込んだような状態で眠っていた。流石にマズいと感じたハリボーグ(ロン)が、目を覚まさせようと腕を引く。起きない。

 当の報告者であるナナセもまた、隣に立たせているしずさん――オニシズクモの水泡に時折顔を突っ込んで、眠気を追い払っていた。

 大事なものを水泡にしまおうとする習性を持ち、時にはトレーナーのことが好きすぎて水泡にしまってしまおうとするような種族のオニシズクモ(しずさん)ではあるが、流石にこれには困惑を隠せなかった。

 

 

「……レジスタンス、自衛隊と共同で……既存の交通網に頼らない新しい移動方法を考案……現在、そのために動いてくれているようです」

「どんな方法ですか?」

「……情報漏洩防止のために、今は極秘……だそうです」

 

 

 この情勢下、新たな交通手段を構築するに際して重要なのは、「いかに相手にそれを使わせないか」となる。

 レインボーロケット団の団員数はあまりに膨大だ。遭遇戦による消耗を避け、補給物資を安全に輸送し、逃走経路を用意する――それができるだけでも、戦いは随分と楽になる。

 特に高速道路を封鎖された四国においては、安全性という面で需要が非常に大きい。

 

 そのことを理解しているだけに、誰もこれに異を唱える者はいなかった。

 ユヅキは新たにボールから出てきたメタング(メロ)に浮かされてカレーから顔を離した。

 

 

「では……」

 

 

 次いで、ナナセはちらとアキラの方を見た。

 ある程度は割り切ることができたのか、その表情は深夜前と比べていくらか険の取れた表情になっている。と同時に、東雲にされた説教がよほど効いたのか、反省と後悔でやや意気消沈してもいる。ナナセに視線を向けられたのもそれに関係しているのだろうと感じたアキラは、恐縮したように頭を下げた。

 

 

「……いえ、そうではなく……」

「え、あの、じゃあなんでしょう」

「……その、子は……?」

「メェ~?」

 

 

 ナナセが疑問を呈したのは、アキラの周りをふよふよと浮かぶトカゲのような幽霊のような……有体に言ってよく分からない生物についてだ。

 恐らくは、ポケモン。少なくともゲームに登場したポケモンは記憶しているらしい朝木が困惑しているということはまず間違いなく新種。

 

 

「メェメェ鳴いてるからヤギだな」

「メェメェ鳴くのは羊では?」

「ああ、そうだっけ……」

「メ~……」

 

 

 眠気で思わず飛び出たとりとめのない発言に、そうじゃない、と恨めしげに羊(暫定)が抗議の声を上げた。

 

 

「ドラメシヤだよ、その子」

 

 

 そして当然にと言うべきか、答えは出るべきところから返ってきた。ポケモン世界の住人、ヨウタだ。

 

 

「ドラ……」

救世主(メシア)?」

「メシヤね。アじゃなくてヤ。ドラメシヤ。ガラル地方の」

「ガラルぅ? 発売前じゃ……あー、そうか」

 

 

 二つの世界の間には、小さくも薄い、確かな繋がりがある。

 現在はゲームという手段でそれが表出しているが、ゲームとして設定が発表されていない地方やポケモンが存在しない――などということはあり得ない。朝木やアキラたちにとっては未知のポケモンであっても、ヨウタにとってはそうではないということだ。

 

 

「ロトム」

「ロト」

 

 

 ひょいと飛び出したロトムが、図鑑のページを表示する。

 

 No.885、ドラメシヤ。

 ――古代の海で暮らしていた。ゴーストポケモンとして蘇り、かつての住処をさまよっている。

 

 

「なかなか壮絶な成り立ちだな……」

「メェ~?」

 

 

 というアキラの言葉に、あまりよく理解していないらしいドラメシヤが軽く首をかしげる。

 当然のことだ。ドラメシヤはポケモンの幽霊――ではなく、あくまで単体として成り立った「ゴーストタイプのポケモン」だ。そのいずれもが古代から亡霊として漂っているわけではない。むしろ、そのほとんどはタマゴから生まれたものである。

 

 レインボーロケット団がこの世界に呼び込んだポケモンの種類に、法則性などは存在しない。だから、こういったことは今後もあるかもね――と、ヨウタは呟いた。

 

 

「んで、何でまたそのドラミドロ……じゃない、ドラメシヤがアキラちゃんと一緒に?」

「神社に行った、時に……」

「アキラ」

 

 

 一瞬表情を曇らせたアキラに、言いたくないなら言わない方がいいんじゃ、とヨウタから気づかわしげな視線が送られる。それを手で制した彼女は、意を決して続けて語った。

 

 

「……神社に行った時に、フレア団におばあさんが襲われてた。助けに行ったけど間に合わなくて……銃で撃たれて、手遅れだった。ドラメシヤは、そのおばあさんと一緒にいて……守ろうとしてた。それで、あんな風に殺される人を減らしたいって話したら……ついてきてくれた」

 

 

 ドラメシヤの目的の半分は、復讐だった。

 環境もあってか神社・仏閣にはゴーストタイプのポケモンが寄り付きやすい。

 住処を失ったドラメシヤが彷徨った末に神社に辿り着くのも必然と言えるが、ドラメシヤは同じドラゴンタイプの中でも最弱と呼ばれるヌメラよりも更に脆弱なポケモンだ。同じゴーストタイプにも頻繁に小突かれる。

 それを見かねて助け出したのが、ドラメシヤと共にいた老婆だった。

 

 そのような人間を殺されたのだから、激怒もする。しかしながら、直接の仇はアキラが両腕を切断するなどして再起不能の重傷。部下の凶行を許した直接の上司であるアケビは撃破し、拘束された。

 過ぎたことは、もはや戻ることは無い。だが、これから先、再び同じことが起きないとは限らない。二度とこんなことが起きてはならない、というアキラの思いに同調するようなかたちで、ドラメシヤは彼女と同行することを選んだのだった。

 

 

「……分かりました。では、話を戻します……。目下、最大の問題は……」

「フラダリのイベルタル」

 

 

 ナナセの言葉に引き続くような形で、ヨウタが断言した。

 

 

「あの時はカプ・レヒレとジガルデがいたから対応できたけど」

「いたのかよジガルデ!? あいやいるのが当然なのか!? あ、あれ!?」

「いや、あの……まあ、うん……。ジーナさんとデクシオさんに頼まれてみんなでなぜかアローラにやってきたっていうジガルデの調査をしてたんだけど、その流れで」

 

 

 結論から言えば、その時の戦いはジガルデがいなければ大勢の人やポケモンが死んでただろう、と語る。

 加えて、その戦いによってジガルデの細胞(セル)は散逸。コアも行方不明になった。

 

 

「……一番警戒しなきゃいけないのが、『デスウイング』。一発食らったら、終わりだと思ってほしい」

「具体的には」

「生命力を吸い尽くされて、石になる」

 

 

 全員の表情が一瞬強張った。アニメ仕様かよォ!! と悲鳴を上げる朝木だが、事実、そうであるならイベルタルの能力はあまりに脅威と言える。

 当たれば即死。これまでの敵とは格が違う。

 

 

「つかゼルネアスも敵ってことは、石化も解けねえじゃねえか!?」

「だから僕たちの戦いだと、レヒレがそれをなんとかしてくれては……いたんだけど」

 

 

 今は、いない。

 

 逃げれば市民が死ぬ。

 立ち向かえば返り討ち。

 防げない。

 そして相手に躊躇は無い。

 

 考えうる限り最悪の手合いだと言えるだろう。その中で、最強の遊撃(アキラ)が立ち上がり、ナナセに問いかけた。

 

 

「どうしたらいいですか」

 

 

 ナナセは僅かに考え、彼女に告げる。

 ある意味では最も単純な、しかし、同時にある意味では死刑宣告にも近い、彼女でなければ不可能な方策。

 それは。

 

 

「――超々高速の強襲でフラダリを仕留め、一撃離脱」

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 市民を扇動するのは、実はそう難しいことではない――というのは、クセロシキに語られたフラダリの言葉だ。

 力を示す必要は無い。

 知恵を絞る必要は無い。

 ただ、耳障りの良い言葉を吐くだけで良い。楽な道を示すだけで良い。それだけで――人は、その本性を露にする。

 

 

「――あの子供たちを探せ!」

「お前が隠してるんだろぉ!?」

「誰か! 誰かああ!!」

 

 

 高松市、高松城、桜の馬場。

 市街から時折聞こえてくる悲鳴と怒号に、フラダリは小さく嘆息する。

 

 ――この喧騒は、私の望むものではない。

 

 と。

 

 

「鎮めましょうか」

 

 

 カロスリーグ元四天王――フレア団大幹部のパキラがその呟きに応える。しかし、フラダリは手を振ってそれを止めた。

 

 

「混乱の最中だからこそ、人の本質というものは垣間見える――私はこのままで良い」

 

 

 フラダリの方針と思惑は、かつてと変わらない。善良な人間のみを残し、他を滅ぼす。あまねく世界が――自らの暮らす世界以外にも(・・・・)かくあるべきと訴える彼の目に、淀みは無い。

 

 フラダリは、先の放送の後、ヨウタたちを突き出すこと以外にも二つ、「フレア団に従う意思を示す」条件を示していた。

 一つは、上納金五百万円。金銭的な豊かさというものは、その人間の優秀さを示す一つのバロメーターになりうるものだ。フラダリの考える「選ばれるべき人間」は、善悪以前にまず有能な人間である必要がある。レインボーロケット団と関係なく資金を調達するためにも、これは必要な条件だと言えた。

 そしてもう一つは――「社会から除かれるべき悪人を一人、フレア団に報告する」こと。

 

 人は極限状態に置かれれば、自らの命を守るため、人間性をかなぐり捨ててでも生き延びようとする。

 隣人や友人、家族でさえも切り捨てて、あるいは売り渡してでも保身を図ろうとする。

 その中にあってなお、人としての善性を捨てない本物の「選ばれるべき人間」を、フラダリは見出そうとしていた。

 

 ――ほとんどの人間は「そう」ではないと知りながら。

 

 それでも淡い希望にすがるように、彼はイベルタルに命じる。

 

 

「『デスウイング』」

「コオオォォ――――――ッ!!」

 

 

 必殺の技、「デスウイング」。

 両翼と尾羽の先端から生じる深紅のエネルギーが収束し、隣人を売り渡した(・・・・・・・・)俗物を薙ぎ払う。やがて砂埃が晴れた時、そこに残るのは人の姿を模した石像、ただそれだけだった。

 その冷然とした様子に、パキラは陶酔したような視線を送る。

 その一方で、彼のその様子に疑念を覚える者がある。クセロシキだ。

 

 

 ――私の求めていたものは、この光景(・・・・)だったか?

 

 

 人心は荒れ狂い、悲しみに満ちている。ポケモンたちは傷つき石と化し、人間諸共に砕かれる。

 血が流れないというだけで、それは紛れもなく殺人だ。

 

 三千年前のカロスの王がかつて使ったと言われる「最終兵器」。あるいは、人やポケモンを意のままにできる催眠。あるいは「人」を超越せんとする外部機構。

 フラダリによって倫理観を取り払われたクセロシキは、嬉々としてこれらの研究を進めた。そうして「最終兵器」は発動し、カロスの――全世界の人間の命は焼き払われた。イクスパンションスーツも完成し、人を意のままに操ることを可能とし、他人のポケモンをも奪う(ボールジャック)機能も完成した。それらは全て彼の内から生じる知的好奇心の賜物だ。

 

 好奇心が満たされなかった、わけではない。イクスパンションスーツは当初の想定以上の性能を発揮し、「最終兵器」もまた――想定以上の成果を、フレア団にもたらした。

 

 ――「カロス地方」ではなく、「全世界」にその効果を波及させるかたちで。

 

 それは、間違いなくクセロシキの好奇心を満足させるに十分な威力だった。

 充分――過ぎた。

 文字通りに更地と化した世界を目にしたのは、レインボーロケット団に召集されるまでの約数秒。その数秒だけでも、クセロシキに「技術と好奇心の果て」を知らしめるには充分だった。

 

 人間としての良心と倫理観は捨て去った。

 だとするとこの感情は一体何なのか。この疑念は一体何なのか。

 フラダリを見て感じるこの違和感は何か。

 

 クセロシキには理解できなかった。

 

 

「――彼らは必ずやってくる」

 

 

 フラダリはその内心に気付かず、続けて語る。

 

 

「我々の暴虐を許さぬとして立ち上がった、アサリナ・ヨウタとその仲間たち。彼らは怒りに惑わされず、義のみによって立つだろうか?」

「それは難しい話だゾ、フラダリ様。ああいう年頃の子供は感情で動くもの。目の前でこんなに人を……石にされちゃあ、怒って当然だゾ」

「フラダリ様はそうならない(・・・・・・)人間をお求めなのよ、控えなさい」

「む……だゾ」

 

 

 言うなればそれは、菩薩のような。仏のような――神のような。

 争いを嫌い、和を貴び、私欲を持たず、何者をも拒絶することなく、ただあるがままにある。そういう人間だけが生き残るべきだと。

 そうすれば、ポケモンの数をも減らす必要は無くなってくる。人は争うことなく、有限の資源を分け合い持続可能な社会を生きていける。

 

 紛れもなく、実現不可能な理想論だった。

 しかしフラダリは信じていた。極限状況の中にあってこそ、輝くものが見つかるのだと。

 

 ――自ら、「輝くもの」を穢しながら。

 

 

 







設定等の紹介

・イベルタルの能力(デスウイング)
 ポケスペなどの媒体では単に「体力を奪う技」として描かれるが、当小説においてはアニメ準拠の即死技として扱う。
 余談だが、映画「破壊の繭」では、イベルタルによって発生した被害(ピカさん石化、森林一帯石化)はゼルネアスが補修したが、当のゼルネアスはそれで力を使い果たして大樹になって行動不能に。対してイベルタルはコクーンモードになることなく何処かへ飛び立っている。つまり完全に野放し。あの世界大丈夫なのだろうか。


・ドラメシヤ
 ポケモン第八世代(ソード・シールド)初出ポケモン。ギラティナに続くドラゴン・ゴーストタイプの珍しいポケモン。いわゆる600族。
 作中は、設定上2019年5月時点で四国が外界から封鎖されているため、ソード・シールドはまだ販売されていない。
 未進化状態だと全ドラゴンポケモンの中でブービーの種族値(280)、種族値最低はオンバット(245)。最終進化系は超高速の600族だけあって第八世代の対戦環境で大暴れしている。らしい。



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空からとびかかるもの

 高松市、高松城付近ホテルの屋上。近隣の建物の中でも有数の高さを誇るその場所で、監視のために配置されていたフレア団員全員を数秒のうちに昏倒させたアキラは、その脅威的な視力をもって桜の馬場に陣取るフラダリたちを観察していた。

 現状は、有体に言って最悪のものだ。周辺に広がる石像の群れ、その数はそのままフラダリによって実質的に殺された人間の数を示している。

 

 

(……落ち着け)

 

 

 彼女は自分自身に言い聞かせるように頭の中でその言葉を反芻する。

 当然、内心は荒れ狂っている。それでも無理矢理に自分を抑えつけることができているのは、何よりもイベルタルの存在が大きい。

 安易に近づいて存在を気取られれば、その時点で「デスウイング」が飛んできて、アキラは石化させられる。

 

 

(殺されることは、無いはずだが……)

 

 

 アキラは基本的に、レインボーロケット団から身柄を狙われる立場にある。あくまで彼らの目的は捕獲、拉致だ。ならば仮にこの強襲に失敗して石にされたとしても、生き残る目はある。アキラがこの作戦に抜擢されたのも、そうした理由が大きい。

 人々はあくまで「石にされた」だけだ。生命力を戻す方法さえあれば、元の人間に戻すこともできる。そのかすかな希望だけが、アキラにとっては正気を繋ぎ止める数少ない理由となっていた。

 

 

「チュリ、リュオン」

「ヂヂ……」

「リオ!」

 

 

 ボールの中から現れた二匹のうち、チュリはどこか心配したような様子でアキラに視線を送っている。

 一方のリュオンはアキラに対して怒りを向けるように、あるいは叱るように、尾をアキラの腿に軽く打ち付けた。

 

 

「あ痛ッ!? な、なんだよ……」

「リオ、ルルル、リオ」

「『急にあんな風になるから心配した』? いや、お前普通にオレの指示に従ってくれ……痛い痛い!」

「リオ、リオッ!」

「『指示には従うけど殺す気は無かった』? 『あの時死ななかったのは私たちが裏で手を回してたから』……っておいお前……いや、責めはしないけどさ……」

 

 

 結果的に言えば、そうして死人が出なかったことが、アキラの精神を崩壊の瀬戸際でつなぎとめる役割を果たすことになったことは間違いない。

 小さく礼を言いながら、アキラは続けて二匹と共に経過を見る。得られた情報は全て、スマホを通してナナセや東雲経由で全員に通達される。フラダリ以外に誰がいるか、イベルタルの感知範囲、「デスウイング」の前兆、射出までにかかる時間等々――元来の電子機器の扱いの拙さもあって読み解くには多少の苦労を要するが、それでも間近で得られたデータというのは大きい。

 

 

(……「デスウイング」、指示から発射までのタイムラグは約一秒)

 

 

 客観的に見て、それはあまりに短い。

 しかし一方、アキラ個人として見るならば、ある程度までは許容可能な範囲だ。加えて、ポケモンにとっては長すぎるとさえ言ってもいい。

 アキラだけが突入するなら、空中でイベルタルに迎撃されて終わりだろう。しかし――と、アキラは先のブリーフィングにおけるヨウタの発言を思い返した。

 

 ――十秒までなら、なんとか稼いでみせる。

 

 ならば、アキラはそれを信じて進むだけだと自分を奮い立たせる。

 

 

「チュリ、そことそこ、それからあそこにも……うん、そう。一直線に、平行になるように糸を引いて……」

「ヂゥ」

 

 

 今回の作戦の要は、チュリの持つ技、「でんじふゆう」だ。

 その効果は、磁力によって宙に浮くことでじめんタイプの技を無効化すること。通常であれば、この技は自分自身だけを浮かすのに使用されるが、一方、この浮遊状態は「バトンタッチ」によって後続のポケモンに引き継がれる。

 アキラはこれを、周辺環境を磁化させたものと捉えた。ここで用いられる「磁化」は、非磁性体――いわゆる石や樹木のような磁石にはならない物体――に磁力を付与する時点で通常の磁化とはニュアンスが異なるが、大筋は変わらない。重要なのは、どんなものにも磁力を付与できるかどうか、の一点のみである。

 

 そして、もう一つ重要になるのが、電磁発勁。アキラはこれを電気を発生させる技術として扱っているが、本来これは電磁パルスを発生させる技術である。

 が、これもまた大筋では変わらない。重要なのは、電磁パルスのエネルギーの形態の一つに「磁場」が存在することだ。つまり電力と同時に、磁力を操ることができるということでもある。

 これに目をつけたアキラは、事前にいくつかの実験を行った。そうした結果導き出された回答が、この作戦。

 即ち、アキラの身体を弾丸に見立てた電磁投射砲(レールガン)――である。

 

 アキラ自身の質量を鑑みると実際のレールガンほどの初速は出ないとはいえ、それによってかかる負荷は生半可なものではない。が、彼女はこれに耐えられると確信した。

 あとはいかに確実にフラダリにぶつけるか、だ。低空でフラダリの指示を待つイベルタル、その背を見つめながら、アキラはその場に全ての荷物を置いた。

 

 

「もしもの時は、任せる」

「………………」

「……ヂゥ~……」

 

 

 その言葉に、リュオンは苦渋を滲ませながら頷きを返す。一方のチュリははっきりと不服を表に出しながら、その言葉に首を振った。

 もしもの時のことなんて考えたくない、そう言いたげな鳴き声だ。

 

 

「や、あのな……失敗したとき、わた――オレは生き残る可能性あるかもしれないけど、みんなは殺される可能性高いって、何度も言ったじゃないか。だからいざって時はヨウタたちのところに行って、いっしょに助けに来てくれよ、って」

「ヂ~……」

「どうやっても絶対成功するってことは無いんだ。だからな? 頼むよ」

 

 

 その胴部を優しく撫でつけると、アキラは元の位置に戻って体内の気を練り始めた。

 

 

「カウント」

 

 

 同時にスマホをタップして全員に通達。アプリと連動したタイマーがカウントを始める。

 一分からスタートしたタイマーに合わせるようにして、気――生体エネルギーが増幅を続ける。

 

 ――このままじゃ気付かれる。

 

 イベルタルの能力は、生命体のエネルギー吸収。であるなら、強い生命エネルギーを持つ者に惹かれるのは当然のことだ。

 

 ――けど、このままじゃ足りない。

 

 しかし、電力が足りない。このままでは、中途半端なところで見つかってしまう上に何もできない状態で「デスウイング」を撃たれてしまう。

 だが、そこで背中を押すのが――ヨウタの言葉だ。彼なら必ずやってのける、その信頼を胸にアキラはカウントがゼロに近づくにつれて、より強く(はどう)を高めていく。

 

 

「……!」

「コォォォォ――――」

 

 

 残り十秒。そこで、アキラとイベルタルの視線が交錯した。毒々しい色合いの羽毛の中にあって、青空のような、あるいは氷のような青い瞳が彼女を射抜く。

 その瞳孔が殺意を示すように鋭くなり、鋭い鳴き声が響いた。

 

 ――九秒。

 

 両翼と尾羽から、攻撃的な赤い光が迸る。

 

 ――八秒。

 

 イベルタルの様子に気付いたフラダリが、反射的に「デスウイング」を指示した。同時、三点に灯る紅の輝きが収束し――。

 

 ――七秒。

 

 その頭上から、雷霆の如く黄金の輝きが落下する。

 狙いすましたようにイベルタルの尾羽を貫いたカプ・コケコは、即座に反転して続けざまに「かみなりパンチ」を両翼に叩きつける。その瞬間、赤い光が霧散した。

 

 ――六秒。

 

 アキラは、まさか、という考えに思い至った。思い浮かんだのは図鑑の「翼と尾羽を広げて赤く輝くとき、生き物の命を吸い取る」という一文。

 

 ――五秒。

 

 つまり、「デスウイング」の発動には両翼と尾羽を広げておくことが必要であり、発動前に潰せる(・・・・・・・)可能性があるという事実。

 ヨウタの自信の根拠は、ここから来ていたのだ。

 

 ――四秒。

 

 リュオンが波動を増幅し、緩やかな動きで精神を統一する。これからやることには強い力よりも繊細なコントロールが必要だ。

 

 ――三秒。

 

 墜落したイベルタルを目にしたフラダリたちが、驚きに表情を歪める。一手目から最強の手札を切ってくる思い切りの良さにか、あるいはカプ・コケコがいるという事実を、意図的にダークトリニティから伝えられていなかったか……いずれにせよ、アキラたちにとってそれが好都合であることには変わりない。

 

 ――二秒。

 

 

「リュオン! チュリ!」

「クアァ……!」

「ヂ……!」

 

 

 アキラはそこで、鋭く指示を飛ばした。

 眼下では、イベルタルとカプ・コケコが壮絶なまでに殴り合っている。咆哮が直接的な破壊力を有する「バークアウト」でイベルタルが距離を取ろうとすれば、カプ・コケコが雷速の「ワイルドボルト」で体ごと吶喊する。

 雷と衝撃波が飛び交うその渦を見ながら、しかしアキラは躊躇うことをしない。

 

 ――ゼロ。

 

 

「オオオォッ!!」

 

 

 そして、起爆剤の役割を果たすリュオンの波動が、アキラの身体を押し出した。

 更にチュリが「でんじふゆう」を用い、屋上に張り巡らせた糸を通じて強い磁場を作り出す。それに「乗る」ような形で、アキラの身体は瞬時に亜音速の領域に到達した。

 直線距離として、約五百メートル。対して、亜音速――マッハ1は、秒速340メートル。

 

 ――結果として、アキラの身体は、わずか一秒強でフラダリのもとへとたどり着く。

 

 

「!!?」

「な――」

「ゾ!?」

 

 

 三者三様の驚きをもって迎えられた「白い死神」は、声の一切を発することなく。

 電磁力の反発作用を利用し、神速の抜刀を行った。

 

 

「――――」

 

 

 更に、「返し」の一閃。

 神道無念流龍飛剣、その崩し。居合による切り上げと直後の振り下ろしを刹那の間に行う、防御不可・回避不可の一刀。常人には一条の光が瞬いたようにしか見えないその二撃により、フラダリの両腕が斬り飛ばされ喉が裂けた。

 一拍遅れて、人間ほどの質量が亜音速でやってきた弊害――衝撃波が周囲を襲う。風圧に翻弄されるクセロシキとパキラを尻目に、アキラは抜刀の勢いのまま体を回すようにしてフラダリの背後へと回り込んだ。そしてその首に刀を突きつけると、冷たい声音でクセロシキたちへ告げる。

 

 

「動くな」

 

 

 動けば殺す――と、直感的に理解させられる重圧を伴う眼光に、クセロシキとパキラの動きが止まった。喉を潰され腕を両断されたフラダリに、抵抗の術は無い。彼らに選択の余地は無かった。

 

 

「卑劣ね……!」

「自分たちが人質取る時は『戦術』で他人がやれば『卑怯』か? 随分都合よく茹だった脳味噌してるな、お前」

 

 

 フラダリはこの状況に、声を発さない。そもそもそれをなすための声帯が断ち切られているのだから、発しようがない。

 頸動脈は外しているが、腕が切断されている以上そう長い時間はもたないだろう。処置が遅れれば命に関わるということは明白だ。

 焦りに身を焼くフレア団幹部を横目に、アキラはフラダリの所持品を漁っていく――が、無い(・・)

 

 

(――どういうことだ?)

 

 

 フラダリもまたトレーナーの端くれだ。ギャラドスをメガシンカさせるほど関係を深めてもいる。そうなると、ボールホルダーが必ずどこかにあるはずなのだ。

 胸元、腰、場合によっては腕……いずれにせよ、イベルタルかゼルネアスを入れているボールがどこかにある。それは間違いない。どちらかが見つかれば、イベルタルをボールに戻すかゼルネアスを解放して状況を五分に持ち込むことができる。そのはずだというのに。

 

 

「――お探しのものは、アレかな?」

 

 

 その声が飛んで来たのは、アキラの「前」――フラダリのその口からだった。

 

 

「な……!?」

「『くさむすび』」

 

 

 その指示に合わせて、アキラの四肢がフラダリの体諸共に、地面から這い出した七色に輝くツタに絡め取られる。

 どれほど力を込めても、あまつさえ斬りつけてもなお切断されないそれが――ゼルネアスの(・・・・・・)技だと気付いた時には、もう遅い。

 

 

「ゼルネアス!」

 

 

 フラダリの一声によって、どこか虚ろな目をしたゼルネアスが、風景を切り裂いて現れカプ・コケコを弾き飛ばす。それだけで、イベルタルが自由になるには十分すぎるほどだった。

 

 

「コオオオオオ――――……!」

 

 

 そして再び、イベルタルが空へと舞い上がる。

 

 

「最初から狙いは読んでいた」

 

 

 フラダリの腕が、再生を始める。元の腕は斬り飛ばされたままに、新たに両の腕が「生える」。あまりに異質なこの光景を生み出したのは――間違いなく、ゼルネアスだ。

 見れば、裂けた風景のその中に、フラダリのものと思しきボールホルダーが放置されている。

 

 

「だからゼルネアスと、私の手持ち全てをあの場所に隠しておいた。イクスパンションスーツの光学迷彩を応用したテントにな。そうすれば案の定、私を一直線に狙ってくれた……良い判断ではあったよ。実に。だからこそ分かりやすい――何か言い残すことは?」

「地獄に落ちろ、外道」

 

 

 ゼルネアスの能力により、フラダリだけは石になりはしない。

 その露骨なまでの勝利宣言に、アキラは憎悪を滲ませ、呪いを込めた視線でフラダリを射抜いた。しかし、彼は動じない。そこに殺意はあっても、所詮は負け犬の遠吠えとしか言いようのない言葉だからだ。

 

 絶対的な優位に立った時、人は小さな余裕が生じる。しかしそれでもなお、イベルタルの「デスウイング」の影響を懸念して離れた場所にいたヨウタがここに駆けつけるには――時間が足りなすぎる。

 

 

「『デスウイング』」

 

 

 死刑宣告に等しい指示が、イベルタルの身体を動かす。

 そして僅か、一秒。収束を終えた紅の輝きが、二人の人間の身体を貫いた――――。

 

 

 








・余談
フラダリのボールの隠し場所、最初は「想定外の場所」ということでズボンの下(股間)でしたがギャグすぎるのでやめました。




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ちからをすいとる赤き翼

 

 

 ――その赤い光を目にした時、ある者は絶望を抱いた。

 ある者は激憤し、ある者は嘆き、ある者は歓喜し、またある者は恐怖に震えた。

 

 様々な感情が交錯するその中心、「デスウイング」が炸裂したそこで――――さも何事も無かったかのように、刀祢アキラは佇んでいた。

 

 

「「「は?」」」

 

 

 当然、その場の全員――本人含め――から、困惑の声が上がる。

 そんなことは関係ない、と言わんばかりにイベルタルに殴りかかるカプ・コケコの戦闘音と鳴き声をバックに、時間が止まったように誰もが動けずにいた。

 

 

 ――不発?

 ――それとも、当たってない?

 ――タイムラグがある?

 ――効かない特異体質?

 

 

 当惑と憶測、疑問と混乱が渦巻く中、一番最初に動いたのは――当事者である、アキラ本人。

 作戦の失敗を感じ取った彼女は、まず目の前のフラダリへと襲い掛かった。

 

 倒せない、殺せない、再起不能にもできない。だが、一時的に行動不能にはできるし、能力は人間のままだ。ならば、この場から一時的に遠ざけて安全に逃走することはできる。

 呆然としているフラダリの背に向けて全力の掌底を放つと――ぽす、と。気の抜けたような音が、両者の耳に届いた。

 

 

「―――――」

 

 

 同時に、確信する。

 ――あの力(・・・)が消えた、と。

 由来不明、原因不明の謎の超身体能力。時に疎みはしたが、それでもこの地獄のような情勢下では絶対に必要だった「力」が、消えた。

 

 

「成程、当たってはいたようだ」

「あうっ!?」

 

 

 突き出された腕をつかみ、吊り上げるようにしてフラダリはアキラを目の前に持ち上げる。

 先程の「デスウイング」は、確かに直撃した。彼女の身体を縛っていたツタがボロボロに朽ちているのが、その証拠だ。では、何故無事なのか?

 

 

「そういえば君は、『Fall』だったな」

「それがどうした……!」

「となれば――――『オーラ』か! 偶発的にでもあれを取り込む体質になっていたのだとしたら……いや、あるいはそもそも、そのための技術があるのだとすれば……!」

 

 

 ウルトラビーストやぬしポケモンなどが纏う謎の光――「オーラ」。「Fall」もまたウルトラホールを通って他の世界に行ったことがあるという関係上、それを纏うこともありうるだろう。

 人間より遥かに膨大、かつ強大な生命力を持つポケモンを更に強化させるほどの力だ。人間がそれを取り込めばどうなるか……その実例がアキラだということは、充分にありうる。

 誰かにそういった施術を施されたのか、あるいは単なる偶然か。サカキが彼女の身柄を求めるのはそれが原因か。いずれにせよ、フラダリにとっては間違いなく、刀祢アキラという存在は研究対象としてひどく魅力的に映った。

 

 だが、当人(アキラ)にとってそんなことは関係ないし、どうでもいい。

 フラダリに吊り下げられながらも、アキラは自分の身体の状態を確かめる。視力や聴力は格段に落ち、筋力などは見る影もない。

 しかし、それだけだ。思考力が落ちたわけでも、再び記憶が失われたわけでもない。

 

 

「――――」

 

 

 冷静に、冷徹に。

 アキラは残った左手に握った刀で、フラダリの目と鼻を瞬時に削いだ(・・・)

 

 

「がッ――――」

 

 

 悲鳴を上げるような間も与えず、腕を振り払って顎に蒼い稲妻を纏った掌底を入れる。脳震盪と電気刺激によって意識を飛ばし、崩れかけた膝に足を入れて体重をかけ、皿を砕いて逆向きに圧し折る。更に、完全に行動不能に陥ったその体を、巴投げの要領でパキラへと向けて投げ飛ばした。

 

 

「!?」

「フ、フラダリ様!」

「パキラ様、いかんゾ!」

「――!?」

 

 

 そして、その忠誠からフラダリを庇いに向かうパキラ。その行為の危険性を感じ取ることができたのは、彼女からやや離れた場所にいたクセロシキだった。

 

 

「――――」

 

 

 紅い眼光が、フラダリの身体を盾に地を這うようにして迫る。

 その速度は先程よりも遥かに遅い――そのはずだと言うのに、パキラの目に映るアキラの姿は、明らかに捉えづらい。

 

 

「ッ、ヘルガー!」

 

 

 よって、ポケモントレーナーとしてパキラはそれに対応するべく自身のヘルガーを繰り出し――。

 

 

「ルオオオオオオオァァッ!!」

「ギャンッ!!?」

 

 

 ――空から、流星のように蒼い炎をたなびかせながら落ちるリュオンが、勢いのままヘルガーの胴部を「グロウパンチ」で殴り抜いた。

 顔を見ることも声を交わすこともなく、波動によって通じ合ったアキラとリュオンは、即座に己のなすべきことをしに動きだす。リュオンはヘルガーを食い止めに、そしてアキラは――パキラへ。

 振り抜く刀がその首を落とさんと鈍く光る、その時だった。

 

 

「キキィィィ!」

「!」

 

 

 クセロシキの出したクロバットの翼が、その凶刃を寸でのところで食い止めた。

 金属同士が打ち合うような鋭い音が一瞬響いた直後、ポケモン相手では不利と悟ったらしいアキラが刃を滑らせ刀を戻す。それによって負わせた手傷は、せいぜいが薄皮一枚程度のもの。服を斬ってはいても、そこから先へは届かない程度のものではあったが。

 

 

「――――()ったぞ」

 

 

 引き戻し、肩に担いだ居合刀の先端には――パキラの所持するペンダント型のメガストーンが引っ掛かっていた。

 

 

「な!?」

「あれは、パキラ様のキーストーンだゾ!? あっ」

「ッ、クセロシキ! 戦いに集中なさい!」

「――――」

 

 

 アキラはその、露出したパキラの肌に目を奪われかけたクセロシキに追撃を――かけなかった。

 

 

(今のオレじゃあ、追撃は不可能……)

 

 

 それは単純な能力の問題だ。

 超常的な筋力と速度、耐久力によって全てを破壊しながら突き進んでいたのがこれまでのアキラだが、それらは全て失われた。そうでなければあるいは、近くに落ちている石でも拾って投げるか、それができないようなら、手に持っていた居合刀を投げつけていただろう。

 しかし、現在のアキラは刀が相当に重く感じてしまうほどに筋力が萎えてしまっている。石を投げたところで行動不能に至らせることはまずできなかった。

 

 他方、そのアキラの動きを観察しながら、戦慄している者がいる。クセロシキだ。

 

 

(あれほどの動き……普通じゃないゾ。それをなしているのは……)

 

 

 イベルタルのポケモンとしての能力やフラダリの言動から、彼はアキラの能力が格段に落ちていることを推測していた。

 超常的な力を失った以上、彼女はただの人間……それも、外見通りの筋力しか持ち合わせていない力無き少女でしかない。それでもこの戦闘能力を維持しているというのは――。

 

 

(あの少女の体術! 尋常ではない努力で培った、我々ポケモントレーナーには及びもつかないほどの戦闘技術だゾ……!)

 

 

 それだけの体術――「体を動かすための技術」が無ければ、あれほどの筋力を正しく活かすことはおろか、まっとうに日常生活を送ることもできなかったことだろう。

 クセロシキとしても、イクスパンションスーツという人間の身体能力を文字通り「拡張」する装置の開発者であり、人間の機能についてよく知る科学者だからこそ、それがいっそうよく分かった。

 

 あるいは、イクスパンションスーツを使ったとしても、ただの人間同様の力しかないあの少女に肉弾戦で勝てるかどうか――。

 にわかに好奇心が首をもたげかけたその時、パキラの胸元から声が上がる。

 

 

「イベルタル、『デスウイング』!」

「!」

 

 

 その声に瞬時に呼応したのはイベルタルだけではない。アキラもまた、それに反応して即座にその場を飛びのいていく。

 もう復帰したのか、とアキラが内心で毒づいたのもつかの間、イベルタルが赤い光を放ち――それは、明後日の方向へと飛んで、消えていった。それは、まるで「そちらにこそ標的がいる」かのような挙動であり、困惑するパキラたちの様子からもそれが本来想定されたものではないことが推測できる。

 

 

「ッ――パキラ、あの少女はどうなった……!?」

「いえ、イベルタルが妙な方向に……」

 

 

 その様子に、アキラは内心でやったか、と安堵の息をつく。彼女の瞳には、先程――異常身体能力を失うまでの鮮明な視界ほどではないまでも、カプ・コケコが誘導したイベルタルに対し、遠方から幾多の攻撃が行われているのが見えた。事前に計画していた通りの、仲間たちの攻撃だ。

 

 イベルタルの攻撃は、どのような防御をも貫く一撃必殺の暴威だ。しかし、その攻撃は常に一方向……イベルタルの向いている側にしか作用しない。そこを、側面から叩くことで意識を逸らす。

 万が一、アキラが作戦に失敗し、その上で生還できる可能性がある時になんとかして逃がすべく、ナナセが提案した作戦だ。大いに危険が伴うが、その分イベルタルとフラダリを分断できた場合のメリットは大きい。

 絶対に当たってはならないという技の性質とポケモンたちの出せる機動力の関係上、担当は主にヨウタとそのポケモンたちだけだ――が、無論、そのことについてフラダリたちが知る由は無い。

 

 

「今だ、ヨウタ!!」

「!?」

 

 

 そこで、アキラは思い切りブラフを放った。

 あらぬ方向に声をかければ、当然ながらフラダリたちは最大戦力であるヨウタを気にかけざるを得ない。背後から強襲されれば、いかに元四天王とそれを超える実力を持つ悪の組織の首領と言えど、敗北は避けられない。

 

 

「リュオン!」

「リオ!」

 

 

 自然、思い切りそれに引っ掛かってしまった三人を尻目に、アキラは脇目も振らずに逃げ出した。

 更にその途中、拾い上げたフラダリの元の腕から、指輪に加工されたキーストーンを抜き取り懐に収める。そのいっそ鮮やかとすら言える手並みに唖然とする気持ちを隠し切れない中、それでもなんとか我に返ったパキラがヘルガーに続いて二体目のポケモンを繰り出す。

 

 

「カエンジシ!」

「ガアァウ!」

「!」

「ヘルガー、カエンジシ、『かえんほうしゃ』!」

「――結べ(・・)!」

「――――!」

 

 

 新たに現れたのは、ひと房の赤い鬣を持つメスのカエンジシ。ヘルガーと並んで放つ火炎が、ひと塊の巨大な火球となって襲い掛かる。

 そうしてリュオンに直撃する――その直前、アキラが手にしたパキラのキーストーンが光を放ち、リュオンの持つルカリオナイトと結びついた。元来膨大な量を誇るその波動が更に膨れ上がり、宙を蹴って回転し、天地を逆転しながら放つ「みずのはどう」によって火炎の大半を消し飛ばす。

 

 チ、とパキラの口元から舌打ちが漏れた。

 ――既にこの少女はメガシンカを「もの」にしている!

 

 

「憎たらしいわね、貴女……憎らしすぎて……むしろ、可愛らしく思えてきたわ」

「黙って死ね、変態ババア」

「口が減らないこと。クセロシキ、フラダリ様が回復されるまで時間を稼ぐわ」

「は、はいだゾ! クロバット、回り込むんだゾ!」

 

 

 ポケモンの中でも有数の速度……「すばやさ」を持つクロバットならば、ただの人間を追い抜いて回り込むことは至極容易だ。それこそ、不意を討たれて後手後手に回ったとしても。

 あるいは、これまでと同様の身体能力があったなら、強引にでも振り切って突破できた可能性はあっただろう。

 それはアキラ自身、無意識下でまだ感覚を切り替えられていないことの証左だ。彼女は自分の迂闊さに舌打ちした。敵はそんな事情など、汲み取ってはくれない。

 

 

(三対一……)

 

 

 絶望的な戦力差だ。リュオンがメガシンカしているとはいえ、それでできたのは二匹の「かえんほうしゃ」を散らして威力を削ぐところまでだった。普通に考えればそれも破格の能力だが、現状ではやや不足がある。

 ダメージは浅い部分で留まっているが、このまま攻撃を続けられればそれも破綻する。そこへダメ押しとばかりにけしかけられたクロバットが、完全に戦局をフレア団側に傾かせていた。

 

 

「……何でボールホルダー持って来てなかったんだよ」

「リオ……」

 

 

 やや恨めしげに小さく問いかけるアキラへ、リュオンは申し訳なさそうに顔をしかめた。

 とはいえ、それも難しい話ではある。高層建築か飛び降りながら奇襲を行い、そのまま肉弾戦に移って時間を稼ぐ……などという芸当は、余計な荷物を持った状態ではおよそ不可能だ。よしんばできたとしても、受け渡す相手であるアキラの手がふさがっている。

 理想論にしてもあまりに無茶が過ぎると気付いたアキラも、小さく反省した。

 

 とはいえ、あまりにも窮地が過ぎる。この状況から抜け出すには、手が足りない。

 なんとか光明を見出そうと、彼女は波動による周辺感知を行い――。

 

 

「今だ!」

 

 

 再び、声を上げた。

 しかし、それに引っ掛かるクセロシキとパキラではない。

 

 

「バカのひとつ覚えだゾ」

 

 

 クセロシキは、嘲りと失望を隠さずそう呟いた。

 何をしてくれるかと思えば、あまりに芸がない。これで勝とうとするにしろ逃げようとするにしろ、浅はかだ。

 

 ……それでもあるいは、もしかすると、うん。ありえなくはない、のかも、しれない。

 

 倫理観を捨ててなお捨てきれなかった小市民性……とも呼ぶべき臆病さが、僅かにクセロシキの視線をアキラから外させた。

 その時、不意に彼の視界に青いものが移った。見覚えの無い、青い塊だ。

 

 ぐんぐんと大きくなる――近づいてくる――それは、本来であればあるべき空気を裂く音や衝撃波といったものを発することなく、無音でやってくる。

 クセロシキが「あ、まずいゾ?」などと、ややのんきにも感じられるような思考が浮かんだ時には、もう遅い。

 

 

「おら――――っ!!」

 

 

 裂帛、と言うにはやや幼さを感じさせる掛け声と共に、ユヅキが載った青い鉄塊(メタング)がクセロシキとパキラ、そして動くことができず地面に横たわるフラダリを目がけて超高速で吶喊した。

 高さ1.2メートル、重さ200キロオーバーの鉄塊。ジェット機と衝突してもなお傷一つつかないという驚異的な耐久力を用いた「とっしん」、あるいは「アイアンヘッド」の応用。

 サイコパワーを用いて空気の影響などを遮断することで無音かつ前兆無く途方もない勢いで叩きつけられたそれは、勢いそのまま破滅的な衝撃をもたらし――地面が炸裂するように、爆ぜた。

 

 

「ッ……!」

「きゃあっ!」

「ぬおおおおおお!?」

「っしゃあっ! 天に竹林地に内家の拳、悪党よここできさまらの命運は」

「バカ言ってないで逃げるぞ」

「おあー」

 

 

 体操選手もかくや、というようなぬるりとした動きで着地したユヅキ。そのままポーズを決めて口上を述べんとしたその瞬間に、その手をアキラに掴まれ駆け出した。

 砂煙が周囲を包む中、アキラとリュオンはそれでも波動によって正確に周囲の物体の位置を特定できる。見当違いの方向に命令やポケモンたちの技が飛んでいく中、アキラたちの足取りは極めて正確だった。

 

 

「あ、お姉コレ」

「んぁ? あれ、何でお前がオレのバッグ持って……」

「チャムくん? だっけ? あの子が持って来たよ」

 

 

 チュリは10センチにも満たない体高ゆえに、アキラが持ち歩くようなバッグなどを運ぶことは難しい。

 とはいえ、ポケモンは基本的にその気さえあるなら自分からボールの外に出ることができるものだ。リュオンがアキラを助けに駆けつけるのと同時に、チャムがボールから出て他の仲間のもとに連絡に向かったとしてもおかしなことではない、とアキラは考えた。

 

 

「悪いな――ユヅ!」

「見えてる! メロ! 『サイコキネシス』!」

「――――」

「キキィ!?」

 

 

 と、そんなアキラたちの前に立ちふさがろうとした影がある。視界が悪い中でなお、超音波でアキラたちの行き先を察知したクロバットだ。

 羽ばたかせた四枚の羽根で砂埃を払うことで、他のポケモンたちの視界を晴らして追撃を行おうとしたのだろう。しかし、その動きはメロの念動力によって強制的に止められていた。

 

 

「リュオン!」

「ル――オァッ!!」

「ギイイィ!!」

 

 

 そこへ叩き込まれる、雷電を纏った拳。メガシンカによって強化された波動を伴うそれは、身動きの出来ない状態のクロバットの顔面に吸い込まれるようにして叩きつけられ、牙と翼を砕きながら遥か彼方へと吹き飛ばした。

 おお、と小さく感嘆の声を上げながらも、ユヅキはやや不満げにアキラへ問いかけた。

 

 

「あのままやってたら、パキラとクセロシキって倒せなかった?」

「無理だ。ユヅ、そこ樹ある」

「おけー」

 

 

 スパリとその意見を切って落としながら、アキラは桜の馬場裏手の木立を抜けていく。

 その表情は常と同じく涼やかに見えるが、額には少なくない汗が浮かんでいた。それは、ただの疲労だけが原因というわけではない。

 

 

「パキラの攻撃を軽減できたのは、あいつが手加減してたからだ」

「手加減? されてたの?」

「あいつの目的はオレを捕らえること。多少いたぶることは想定内だろうけど、それ以上に『殺さないこと』が大事なんだ」

 

 

 故に、パキラはリュオンを倒し、その上でアキラを捕らえられる程度に手加減した程度の「かえんほうしゃ」を使わせていた。

 本当にそのつもりなら、あの程度では済まなかっただろう。波動を扱えるからこそ、アキラにはそのことがよく分かった。

 

 ただでさえ、元とはいえ四天王という肩書を持つ女だ。それも実力不足から職を辞したというわけではなく、単に悪の組織に立場を替えただけで、実力そのものは一切衰えていない。他の幹部とは一線を画す実力を持っていると言っても過言は無いだろう。奇襲で精神的に優位を保っていたからこそ、ここまで食らいつくことができたのだ。ユヅキの乱入が無ければどうなっていたことか……と、アキラは軽く唇を噛む。

 

 

「それよりヨウタがイベルタルにやられることの方がマズい。急ぐぞ」

「うん、わかった!」

 

 

 作戦が失敗した今、最優先するべきは自分たちの戦力を失わないことだ。

 中でもヨウタを失ってしまえば、そのままレインボーロケット団に敗北することに繋がりかねない。

 

 姉妹(きょうだい)は、脇目も振らずに駆けていく。

 街に立たされた石像を見れば、きっと怒りが再び噴き出すことを理解しているから。

 ここで敗走を選んででも、生き残ってレインボーロケット団を倒さねばならないと理解しているから。

 

 

 

 



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力のみきりは難しく

 ――時は僅かに遡る。

 

 高松城桜の馬場からやや遠方に位置する四階建てのビルの屋上で、朝木達はアキラが「デスウイング」から生還するのを見て安堵の息を漏らした。

 ある程度そうなることは考慮に入れているとはいえ、やはりあれだけ行動を共にした人間が石にされるかもしれないというのは、心臓に悪い。まだ殺されはしないだろうがと分かってはいても、それで落ち着いていられるほどに冷淡な者はこの場にはいなかった。

 

 ユヅキは、アキラの無事を確認すると「うらー!」などと、日本語かロシア語かはたまたポケモンの鳴き声か分からないような雄叫びを上げて、姉を救出するために敵陣に突っ込んでいった。ヨウタは当初の計画通り、逃げるまでの時間を稼ぐために、カプ・コケコを伴って牽制に向かう。

 

 こうなってくると、作戦は失敗だろう。となれば、どうにかして安全に逃げ出す必要がある。残された年長者の三人は、ビルから降りて方針を練っていた。

 その中で、不意に東雲が二人に向けて切り出す。

 

 

「あの鹿のようなポケモンを、止めに行きます」

「メガオドシシみたいに言ってんじゃないよ。てか待てよゼルネアスを止める!?」

 

 

 東雲の性格を鑑みれば、そう言いだすことは不思議ではない。

 だが、伝説のポケモンに自ら立ち向かうなど、朝木には正気の沙汰とは思えなかった。

 

 

「勝ち目は!?」

「ありません」

「無いのかよ!?」

「それでも必要なことです」

 

 

 先に繰り広げられていた攻防を見ていたからこそ、東雲は断言する。

 イベルタルを止めに向かったヨウタだが、そこにゼルネアスが加われば流石の彼でも無事ではいられない。カプ・コケコも伝説として相応しい力を持っているし、ヨウタのポケモンたちも伝説のポケモンに食い下がるほどの力はあるが、それでもイベルタルの能力が異質すぎる。「デスウイング」を放つ時間を稼がれればその時点で死ぬのだから、横槍を防ぐことは絶対に必要だった。

 

 

「今の俺には……ヒードランがいます」

 

 

 そして、勝算は無くとも時間を稼ぐ手立てが無いわけではない。

 フェアリータイプのゼルネアスの主要な攻撃は、ほのお・はがねタイプのヒードランに決定打とはなりづらい。加えてヒードラン固有の特殊能力や伝説のポケモンとしての能力の高さもある。そう簡単に倒れるということは無いだろう。

 

 

「時間がありません。俺は行きます」

 

 

 そうして朝木達が止める間も無く、東雲は鍛え上げられた脚力を用いて全力でゼルネアスのいる方向へと駆けて行った。

 

 

「せめて作戦立ててから行けよぉ――!!」

 

 

 朝木のその声に、東雲が応えることは無かった。

 

 普段から戦いというものを避け続けている朝木でも、それがどれだけまずいことかは分かる。東雲の背に向かって叫びはするが、返ってくるのは自分の声の反響だけだった。

 

 東雲がああして半ば暴走気味に走っていくこと、それ自体は決して不思議なことでも不可解なことでもない。

 彼は普段、年長者としての自覚と自衛隊員としての立場から、己を律して落ち着いた振る舞いをしていることが多い。しかし、実のところ東雲はかなりの激情家だ。有事にあっては率先して前に出て、仲間を慮り、悪を許さない。多少ならず天然と言える部分はあるが、それを踏まえてもなお、こうなることは予測できたと言えよう。

 

 

「……追いましょう」

「そうだな……あえ?」

 

 

 そんな東雲の姿を目にして、ナナセが提案した。

 そりゃ人が多い方がいいだろうけどと思いつつも、自分はとりあえず安全な場所に移動したい……などと考える朝木は、引き攣った顔でそれに応答する。

 

 

「なぜゆえ?」

「……ゼルネアスも、伝説のポケモンとはいえ……それだけを理由に、単独行動させるとは、思えません……」

「そ、そうかあ?」

「必ず、護衛がいるか……もしくは、騒ぎを聞きつけてやってくる、したっぱがいる、はずです……」

「……つまり、あれっすか。露払いっすか」

「……っす」

 

 

 ナナセは逃げようとする朝木の腕を即座に掴み、ゼルネアスがいるであろう七色の輝きが発せられている方向へと駆け出した。

 こうなるともはや、逃げ出すこともできない。ウフフ俺生き残れるかな、などと益体も無いことを考えながら、朝木もまた戦いの中へと繰り出していくこととなった。

 

 そして一分後。朝木は、アキラやヨウタのような戦闘者は、自分とは別の生き物だと結論付けた。

 

 

「ウワーッ!! 無理無理無理無理! ズバット、『つばさで――ああ゛ッつゥい!!」

「キイイ!」

「ええいうるさいお前黙れ! ちょこまか動くな! ヘルガー、『かえんほうしゃ』!」

「ガアァッ!」

 

 

 朝木は、当然のように四方からの集中砲火を受けていた。

 フラダリやパキラ、クセロシキのような主要な幹部はアキラの方にかかりきりになっているためこの場にはいないが、ここもやはり「敵地」であることには変わりない。

 加えて、フレア団には四人の科学者以外にも更に複数の幹部が在籍している。いずれも強者揃いであり、フラダリが表に出るとなれば彼らも当然ながら護衛のためについてきもする。

 

 結果、朝木は白スーツの幹部を指揮官に据えた十数人の赤スーツの下っ端たちに追い回されていた。

 実を言えば、朝木とそのポケモンたちは、一対一なら下っ端のポケモンを倒すことができる程度の戦闘力は備えている。キリキザンとコマタナの群れに襲われるという修羅場を潜り抜けたという経験は、多少ならず成長を促していた。

 が、それはそれとして、複数相手は無理だった。

 

 元からポケモン世界の住人であるヨウタは別枠としても、戦闘民族(アキラとユヅキ)でもなければポケモンたちがそこまで育ってない状態で複数のトレーナーを相手にするなど正気の沙汰ではない。

 あの子らやっぱりおかしいよ、などと悲鳴を上げるように朝木は叫んだ。

 

 

「お前も大概おかしいわぁ!」

 

 

 しかし、そう言う朝木も朝木でここまで生き残っているだけはあり、生存能力だけは妙な方向に進化している。

 恥も外聞のかなぐり捨てた、やけにぬるぬるとした動きでポケモンたちの攻撃を次々と避け、躱し、時に流れ弾が頬などを掠めて悲鳴を上げる。

 

 

 ――この男、うぜえ!!

 

 

 フレア団員の総意だった。

 強くはない。決して強くない。が、とにもかくにも鬱陶しい。避けるたびに奇声を上げ、当たりかければ悲鳴を上げ、反撃に移れず怪鳥のような声だけ上げる。オマケに顔がうるさい。頼むからそのリアクションを抑えてくれ、と誰もが感じていた。

 

 そして何よりの問題は――その回避に連動してポケモンたちも動くため、まるで技が当てられないことだ。

 そうして無駄に時間を稼がれてしまえば。

 

 

「……『わたほうし』、『つじぎり』……!」

「ももっ!」

「フゥ……!」

「なっ、足が……!」

「ギャンッ!?」

 

 

 フレア団員とそのポケモンのラクライの足をもんさんがぶちまけた綿が絡め取り、更にあぶさんがその機を逃すことなく、一撃のもとに体力と意識を刈り取る。

 朝木に気を取られればこのようにナナセとそのポケモンたちが隙を突いて、頭数を減らしにかかる。決して強力ではないし繊細さの欠片も無く、そもそも連携と呼んでいいものかどうかというレベルのやや一方的な行動だが、それでもフレア団からすると極めて厄介であることには変わりない。ナナセのポケモンの練度が朝木のポケモンたちよりも遥かに高いことがそれに拍車をかける。

 

 

「クソッ、なら直接あの男を――」

「ク」

「ばァうあ!!」

 

 

 そして、遊撃に回ったしずさんが東雲の邪魔をしに行くことを徹底的に封じにかかる。

 近づこうとすれば「バブルこうせん」で敵を遠ざけ、糸で拘束して動きを封じる。ポケモンとしての「すばやさ」の低いオニシズクモだが、それはそれで動く必要が無いように立ち回ればいい。固定砲台の代わりとしても、彼は相当に優秀だった。

 

 

「アキラちゃんたちまだァァ――!?」

「まだです」

 

 

 短く言い捨てて、ナナセはまぐさんを戦列に加えて目の前の敵を一人ひとり的確に減らしていく。

 対応の冷たさと、一匹以上のポケモンに指示が出せないという能力的な不甲斐なさに朝木が頬をひくつかせていると、そこで不意に何かが彼の頭上から降ってきた。

 

 

「ぐあああっ!」

「ゴボボっ!」

「どえええええええっ!!」

「ッ、東雲さん……!?」

 

 

 ゼルネアスを食い止めていたはずのヒードランと、東雲だ。

 ナナセの方に吹き飛んできた東雲はもんさんの綿毛によって受け止められるが、ヒードランは朝木の身体を削るような勢いで彼のすぐそばに降ってきていた。

 

 東雲には、切創や広範囲に渡る火傷などの傷は見受けられない。だがよほど強い衝撃を受けたためか、露出した腕などにはひどい打撲の跡が見られた。

 なぜ相性の良いはずのヒードランが、と焦りと共に疑問からヒードランに目を向けたナナセは、鉄板のように熱されたヒードランによって小さく火傷しかけている朝木を見て改めて何も見なかったことにした。さっきまでの回避能力はどうしたというのか。

 

 

「いったい、何が……」

「く……誤算だった……! ヒードランは、ゼルネアスと相性が悪い(・・・・・)……!」

「え……」

 

 

 想定外の答えにナナセの言葉が詰まる。状況を考えればその言葉も真実であることは分かるが、しかし信じがたいことだということも確かだ。

 

 

「――――」

「!」

 

 

 そうしているうちに、ゼルネアスはフレア団員を脇に寄せ、悠然とした足取りで東雲たちへの方へと向かってくる。

 角の色は既に七色に輝いており、戦闘用の「アクティブモード」と化していることが見て取れる。

 

 

「っ、ヒードラン! 『マグマストーム』!」

「ゴアッ!!」

「アッツゥイ!!」

「キキィ!」

 

 

 その姿を視認した瞬間、東雲はヒードランに指示を送る。

 地面から噴き出した溶岩の熱に煽られて朝木の上着と髪が一部焦げる――が、それも致し方ないことだと、朝木も次の瞬間に理解した。

 

 

「――――――」

 

 

 ゼルネアスの足元から伸びる無数の木の根が、その一撃を抑えて燃え尽き――ない。

 補足、網状に張り巡らされたその根は焼けた端から再生し、溶岩の渦を受け止めてみせていた。

 タイプ相性を明らかに超越したその現象に、驚きを感じない者はそういなかった。

 

 

「は……はあぁ!? 何だよどうなってんだアレ!?」

「分かりません。しかし、これでは有効な攻撃も……」

 

 

 本来、ゼルネアスに対して最も有効なヒードランの攻撃は、ほのおタイプの「マグマストーム」ではなくはがねタイプの「ラスターカノン」だ。

 しかし、ゼルネアスが防御に利用していると思われる技は「くさむすび」。こちらに対しては、当然ながら「マグマストーム」の方が有効となる。

 いずれにしても、東雲もそういった相性は理解した上で指示を出しているのだ。それでもなお――貫けない。

 

 

「――――」

 

 

 そして、ゼルネアスの角がより強い輝きを放つ。その眼前に生じたエネルギー体が光り輝いた。

 がばりと開いた無数のツタ、そこから飛んでくるのは白銀の光線――「ムーンフォース」だ。

 

 

「ヒードラン、『まもる』!」

「! ゴボオ!」

 

 

 対して、東雲の指示を受けたヒードランが前に出て、薄い光の幕を張ることでその攻撃を一部シャットアウトする。

 あくまでこれによって防ぐことができるのは「一部」のみだ。多くの技はゲームと現実では効果が異なるが、「まもる」もその一部である。力量(レベル)差に由来する生体エネルギーの総量や質といった根本的な問題で、格上のポケモンからの攻撃に対してやや効果が薄いのだ。

 加えて、守り切れるのはヒードランの身体から周囲数十センチまでという程度の範囲。自然と、東雲を含め全員がヒードランの背後に隠れるようなかたちになる。

 

 

「小暮ちゃん! コマタナ地獄の時みてーな切り札ねえの!? ほら、『たいようのいし』でエルフーンに進化させたりとかよぉ!?」

「……無理です」

 

 

 そもそもオニシズクモへの進化が切り札として機能していたのは、根本的な運用法が異なるからだ。

 モンメンとエルフーンは共に補助系統の技を得意とするポケモンだ。一発逆転の策とすることはできない。加えてこの状況を凌ぎきるには「ひかりのかべ」が必要になるが、それを覚えられるのはエルフーンに進化してからになる。元から「たいようのいし」を持っているわけでもなく、技マシンがこの場にあるわけでもない。逆転の手にはならなかった。

 

 

「アカーン! ず、ズバット! お前何かこう……逆転の技とかねえの!?」

「ズヴァ」

「いっどええええええっ!!」

「こんな状況で無茶ぶりをしないでください!」

 

 

 最悪なのは、このような状況にあってなお「ムーンフォース」の照射が止まらないということだ。ただでさえ高い威力の技が十秒も二十秒も照射され続ける。他にこの渦中に突入できるようなトレーナーがいないのが救いだが、そもそも朝木や東雲も本来はゼルネアスほどの脅威に相対するためには実力が足りていない。

 その絶大な出力によって地面がガラス化し、徐々にヒードランが押し出されていく。このままでは、と三人が焦燥感と絶望感を抱いた、その時だった。

 

 

「――――!!」

 

 

 爆音にも似た打撃音が二つ生じ、ゼルネアスが体勢を崩して光線の軌道が捻じ曲げられていく。

 思わず彼らが視線を向ければ、ゼルネアスを挟んで対角線上を位置取るように、刀祢姉妹(きょうだい)がリュオンとメロの最大火力をぶつけていた。

 

 「アイアンテール」と「アイアンヘッド」――メガシンカによって絶大に強化されたリュオンがゼルネアスの頭部を揺らし、メロが後脚を叩くことではじめてなされる「崩し」。それでもなお体勢が崩れただけで転倒すらしないという異常な状態に、奇襲をかけたアキラたちの側が冷や汗を流した。

 

 

「遅いよぉーッ!!」

「うるっ……さい! こっちだって、全力で……走って、きてんだよ……!」

 

 

 今までになく息を乱したその様子に朝木が首をかしげる。確かにそれなりの距離を走ってきただろうとはいえ、無尽蔵の体力ならあれくらいは乗り切れるものではないのだろうか? 一瞬湧き出たその思考は、すぐに鬼気迫る様子のアキラ自身にかき消されることとなった。

 

 

「作戦失敗! すぐ逃げます!」

「分かった……アサリナ君は!?」

「ロトムちゃんに連絡入れてるよ!」

「あいつなら隙作ってすぐ逃げてくれる! 急ごう! リュオン、『はどうだん』!」

「メロ、『はかいこうせん』!」

「ルゥ……アァァッ!!」

「――――!!」

 

 

 一条の光線と、あえて凝縮させることなく肥大化させた波動の球体が包囲網の一部を食いちぎる。それと同時に、東雲から車のキーを預かったナナセが、外に出ていたポケモンのうちしずさんとまぐさんをボールに戻し、もんさんを抱えた状態で自身はあぶさんの背に乗って先行する。アキラはユヅキと共にメロの背に乗り、リュオンと並走しながら殿(しんがり)を務めた。

 途中、いくら頭部に攻撃を受けたとはいえゼルネアスからの追撃が無いことをナナセは訝しんだ。すると、その腕の中で抱かれているもんさんが突如として暴れ始める。

 

 

「ももっ!?」

「ど……どうしたんですか……!?」

「も、もももっ、ももんっ」

「……っ」

 

 

 が、残念ながらナナセではもんさんの言わんとすることが分からない。状況が状況ということもあって、「後でアキラさんに聞いてもらいます」と言い含めて彼女はあぶさんに速度を上げさせた。

 

 

 







・余談
ゼルネアスは隠れてる最中にこっそり「ジオコントロール」を使用しています。






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狂奔のかぜおこし

 

 伝説のポケモンとは、そもそも「戦い」になることすら極めて難しい。

 どれだけ弱点を突こうとも、どれだけ戦術を練ろうとも、そしてどれだけポケモンたちを鍛えようとも、それだけでは「戦い」にはなり得ない。生物としての基盤が違いすぎるからだ。

 

 それでも、ポケモンという枠組みに収まっている以上は、相応の時間の鍛錬を積み、場数を踏み、作戦を立てることで、ある程度まではそれに並び立つことができるほどに高められる。

 

 ――しかし、人間はどうだろうか。

 

 

「か……はっ……」

 

 

 ヨウタは、頭から血を流しながら、崩落しかかったビルの屋上に横たわっていた。

 

 

(……しまっ……た、なぁ)

 

 

 出血で霞がかった視界の中、ヨウタは自分の不手際を呪う。

 

 怪我の原因は、突如として戦法を変えたイベルタルによって繰り出された「ぼうふう」だ。

 通常のポケモンの枠を遥かに超えた、超広範囲の爆風じみた一撃。成熟しきっていないヨウタの身体はいともたやすく吹き飛ばされ、屋上の突起物や壁面に体や頭をしたたかにぶつけていた。アルミの破片によって頭部が裂けて血が噴き出し、ぶつけた拍子に肋骨が折れ、肩が激痛を訴える。着地を失敗したせいか、足には既に感覚が無かった。

 

 まるでクマ子が力の調節を失敗した時みたいだ、などと戦場に相応しくないのんきな思考が浮かぶ。それを振り払いながら、彼は近くの壁を支えに立ち上がった。

 

 

(……これが、イベルタルの本気か……)

 

 

 流れ出る血をぬぐい、ヨウタはイベルタルを見据える。

 決して侮っていたわけではないが、あまりに突然の豹変に虚を突かれたのも事実だ。戦力の見積もりが甘かったというのもあるだろう。

 ここまで、ある意味で上手くいき「すぎて」いたのだ。

 

 

(「デスウイング」は……イベルタルにとっては、本来技ですら無い……生態(・・)だ)

 

 

 あの光線は技として成り立ってはいても、本質的には呼吸や食事と同じで「戦うための技」とは言い切れない。

 そして、そうであっても十二分以上にイベルタルは強い。おおそ他に比肩しうる生物が存在しないほどに。

 故に「デスウイング」を撃たなくなってはじめて、イベルタルは「本気」たりうるのだ。それは、つまるところ一連の攻防でヨウタたちを「戦うに値する敵」だと認識したということになる。

 

 

「ヨウタ、もう逃げた方がいいロト!」

「分かって……コケコ! 『かみなりパンチ』!」

「コケェー!!」

「クァァアア!!」

 

 

 意識が朦朧としている間に目前まで迫っていたイベルタルの巨体を、「ぼうふう」で墜落させられていたカプ・コケコが急上昇して殴り飛ばす。

 流石のイベルタルも、これには僅かに体勢を崩した。――が、先程のように崩れたままではない。即座に切り返すと共に、イベルタルはその両翼をはためかせて、カプ・コケコに向かって無数の風の刃……「エアスラッシュ」を放った。

 

 

「『10まんボルト』……!」

 

 

 対うすべく指示したのは、「10まんボルト」だ。アキラが以前採った戦法と似た、空気の流れを乱して風圧の攻撃を防ぐ技法。エレキフィールドによって強化された雷撃が空気の層を破壊し、真空状態を作り出すことで「エアスラッシュ」はカプ・コケコに届く前に消え去る。

 

 

「コケッコォォォォ――――ッッ!!」

「カアァァァァァアアッ!!」

 

 

 ――中・遠距離攻撃は無意味。

 そのことを悟った二匹は、即座に高速の超近接戦闘へと移行する。カプ・コケコにとっては、互いの息すらかかるほどの密着状態こそが本領を発揮できる場だ。速度とタイプ相性の良さもあり、回避しながら的確に殴り続けることさえできれば、勝機はある。

 しかし、イベルタルとしてもこれこそが一番戦いやすい距離となる。基礎的な体力と膂力が上回り、更には体高5メートル超とカプ・コケコの数倍はあろうかという巨大さも相まって、はばたき一つでそれを叩き落とすことができるからだ。

 

 二匹の攻防を横目で見ながら、ヨウタはロトムに指示を出す。

 

 

「ロトム、周辺サーチ……人は?」

「いないロト」

「よ、し……! マリ子!」

 

 

 ここでヨウタが選択したのは、新入りのマリ子だ。ふんす、と胸を張って――直後、自分の主人が頭から血を流していることに慌てる彼女を制すると、ヨウタは続けて指示を出す。

 

 

「マリ子、『アクアテール』セット……! ロトム、構造計算、お願い」

「――そこから前に一歩、右に三歩ロト!」

「よし、マリ子……やって!」

「マリリーッ!」

 

 

 マリ子の特性、「ちからもち」。その強靭な筋肉から放たれた尾の一撃は、屋上の一部を破壊し――勢いのままに地上に向けて突き抜けていった。

 

 

「が……ッ、く、ぶわっ!」

 

 

 破砕したビルの建材の破片が体を掠め、傷だらけになっていくのを感じつつも、地上に到達するその瞬間だけはマリ子の尾の先端の水風船めいた膨らみに受け止められてヨウタは安心して息をこぼした。

 

 

「マーリマリッ」

「ありがとう、マリ子……っい、たっ……た、ワン太!」

「アオンッ!」

 

 

 続いて、マリ子に代わってワン太が姿を現す。

 早急に、しかしヨウタが頭を打っていることもあって慎重にワン太はその身を自分に乗せていく。

 ヨウタ自身は、この時点で既にほとんど意識が無かった。それでもワン太を安心させるべく無意識に手が動いてその腹を撫でつける。

 

 彼としても、既にやることは分かっていた。

 外に聞こえるようにして強くひと鳴きしたワン太は、その場ですぐに「じしん」を放つ。轟音と共に崩壊しかけたビルが完全に崩落し、地鳴りと共に周囲に砂煙が撒き散らされていく。

 

 そして、カプ・コケコもこれによってヨウタの意図を察した。彼は仕方なさげに頭を一度かくりと落とした後、その身に蓄えた雷のエネルギーをイベルタルの眼前で開放する。

 

 

「ギアァァッ!」

 

 

 文字通りに目を焼く(・・)ほどの凄まじい光量に、イベルタルの視界が潰れてヨウタたちの姿を見失った。

 その一瞬の隙に、ワン太とカプ・コケコは共に駆けていく。「みがわり」を利用した生体エネルギーの保護膜によってヨウタが落下してしまうようなことはない。今はとにかく、仲間たちのもとへ。その思いのもと駆け抜けた彼は、わずか数十秒でトラックのすぐ後ろへと到着してみせた。

 

 

「ワンッ!!」

「ワン太? 来たのか!」

「遅ぇんだ……ッ、ヨウタ君!?」

 

 

 まず声を上げたのは、チュリを頭の上に乗せたアキラと、医療要員となる朝木だ。だがその表情はすぐに凍り付いた。まさか、よりにもよってあの(・・)ヨウタが。

 伝説のポケモンとはいえ、トレーナー不在のポケモンにここまでの傷を負わせられるなどと言うことは、誰一人として考えてはいなかった。

 

 出血がひどい。ワン太はもうひと鳴きするとトラックの幌をくぐって荷台に着地して、ヨウタをその場に降ろした。

 アキラがすぐにボールホルダーを取り、カプ・コケコとワン太をボールに戻す。流石に彼らまで荷台にいてもらうとキャパシティオーバーだった。

 

 

「いつもと逆だな……」

「まったくだな! アキラちゃん、折り畳みベッド用意してくれ! ユヅキちゃんは救急箱!」

「おっす!」

「水は?」

「生食……あーいいや、ウデッポウ、ニューラ! あとツタージャも!」

「ニュラ?」

「…………」

「じゃあ?」

 

 

 そこで、朝木がボールから出したのは三匹のポケモンたちだ。

 自身はその場でテキパキと処置のための準備を整えていく中、ウデッポウに指示してざっと砂埃の付着した部位の傷を洗い流してもらい、ニューラに氷嚢などを作ってもらうことで頭部を冷やす。更に、衝撃ができるだけ加わらないよう、ツタージャのツタを用いてアキラが組み立てた簡易ベッドにヨウタを寝かせる。

 そこで処置を始めようか――とした次の瞬間、トラックを衝撃が襲った。

 

 

「どえわぁっ!?」

「敵か!?」

「敵だー!」

「敵だな! 殺す!」

「うおおおーっ!」

「そこの姉妹ちょっとIQ回復させよう! な!?」

 

 

 戦闘直後、と言うよりも現状すら広義で考えれば戦闘中だ。アキラもユヅキも脳内には溢れるほどにアドレナリンが噴き出しているだろう。そこへこの急な敵襲だ。敵意も殺意も溢れ出して当然と言える。

 車中で大型のポケモンを出せば走行にも戦闘にも大きな支障が出る。アキラは追加で「オーラ」を纏ったことで戦闘力が向上しているベベノム(ベノン)を、ユヅキも同様に、自身の手持ちの中では比較的体の小さなハリボ-グ(ロン)を出して外を覗き込む。と。

 

 

「――――逃がすと思って……!?」

「パキラ!」

 

 

 そこにいたのは、元四天王にしてフレア団ナンバー2――そして、戦いの中で退けたはずのパキラだった。

 彼女が騎乗しているのは、先の戦いで姿を見せたヘルガーだ。同じようにカエンジシと、更に彼女の手持ちであろうファイアローが並走している。

 想定される中では、最悪から二番目の追手だ。

 

 

(つったってフラダリが来るよりマシか……!)

 

 

 イベルタルを貸し出す、ゼルネアスを貸し出す、フラダリと共にやってくる……考えられる可能性はいくらでもあるが、その中では「まだマシ」な方だ。

 自前のポケモンしかおらず、他に帯同する者がいない。ポケモンもいて六匹が限度だろう。

 

 

「ロン、『ミサイルばり』!」

「チュリ、『エレキネット』! ベノン、『ようかいえき』! おい朝木、何かやれ!」

「ひぃぃ、俺に言うなよ! えええ、何すりゃいいんだ! あー、ウデッポウ! 『みずでっぽう』!」

「フフッ……『かえんほうしゃ』」

 

 

 車内からパキラに向かって飛び出す複数のタイプの複数の攻撃。

 広範囲に渡って繰り出されるそれらは、少なくともパキラの足を止めるには充分な威力を秘めているはずだった。

 しかし、それらは射出口――つまり、トラックの幌の入り口に向かって放たれた火炎ただ一つによって全てが消し飛ばされた。

 

 

「嘘だろ嘘だろ待てよちょっとォォ!」

「デタラメな……!」

「『かえんほうしゃ』」

 

 

 アキラとしてはありえない、と言いたいところだったが、同様のシチュエーションであればヨウタなら難なく同じことをやってのけることだろう。

 次いで放たれた二撃目は――止められない。そのことを即座に察したアキラは、ごめん、と口の中で一つ呟いてヨウタの(・・・・)ボールを足元に叩きつけた。

 

 

「――『りゅうのはどう』!」

「!」

 

 

 カエンジシが発したものとは真逆の、青い炎がその一撃を押し返す。

 それをなしたのは他でもない、ヨウタのフライゴン――ラー子だ。

 

 アキラは経験上、ヨウタが負傷していることを悟られればそれこそが付け入られる隙になりうることを理解していた。

 アキラ自身が負傷していた時に、似たような欺瞞作戦を行っていたことも知っている。ここで妙な遠慮をするわけにはいかない。それが彼女の結論だ。

 もっとも、打ち合わせ無しにそれなりに大きなラー子を出したこともあって、幌の入り口に立っているロンやウデッポウが窮屈なことになってしまっていたのは申し訳なく思っていた。

 

 

「足を止めて打ち合ってもいいんだぞ、オバサン(・・・・)

 

 

 いつになく挑発的な言動だった。

 事実、数の差は明白だ。パキラはヨウタが負傷していることを知らず、ここで止めてしまえば六対一になると考える。いかに彼女であっても、そうなれば負ける可能性はグンと上がることだろう。一人二人は道連れにできるだろうが、そこで終わりだ。

 一瞬の悩みを波動で感じ取ったアキラは、畳みかけるようにして爆弾を投下する。

 

 

「それに、いいのか? あれだけゼルネアスとイベルタルを暴れさせたんだ。生態系の秩序を乱しているお前たちは――監視者『Z』の監視下に置かれた」

「何ですって?」

 

 

 横から口を出しかけた朝木に、チュリが糸を吐きかけて黙らせる。現状で余計な言葉を吐かれるわけにはいかない。

 

 

「無事で済むかな? 愛しのフラダリサマは」

「……ッ」

「ラー子、『すなあらし』」

「ラッ!」

「――あッ」

 

 

 パキラのフラダリに対する忠誠心は本物だ。故に、アキラはそこを突いた。

 一瞬でも思考が逸れたなら、あとはヨウタが育て上げたラー子が視界を塞ぎ、行動を抑制させられる。

 莫大な規模の砂嵐に襲われたパキラに、もはやトラックを追う余裕は、無い。

 

 

「潮時ね……」

 

 

 彼女はアキラに告げられたほんの僅かな「不確定要素」を胸に、元来た道を走り出した。

 

 

 ――他方、プレッシャーから解放されたアキラは、冷や汗を滝のように流しながらその場に腰を下ろした。

 

 

「お姉、大丈夫!?」

「……平気だ。いや、平気じゃない。手、貸してくれ。腰抜けて……」

 

 

 そのある意味で「らしく」なく、しかし、刀祢アキラ(あに)としては「らしい」姿に、ユヅキは小さく苦笑した。

 アキラは常に虚勢を張り、理想の姿を演じている。以前なら兄として、今はかつての自分として。時折、ぷつりと緊張の糸が切れると、素のやや辛気臭く生真面目で思い悩みがちな面が姿を覗かせたものだ。今でもそれは変わらない。

 人に弱味を見せることを嫌うアキラがごく稀に見せる一面でもある。朝木もまた、この子も人間か、と小さく安心を覚えた。

 

 

「ヴォェェ! ……ねえ糸吐かせる必要あった?」

「あのままだと余計なこと喋ってただろ」

「いやま、そうだけど」

 

 

 それはそれとして、口元に貼り付けられた糸は朝木にとってはやや辛いものがあった。

 そうした理由について納得しているとはいえ、彼としてはもうちょっと方法を考えてはくれなかっただろうか、という思いもある。

 

 

「でさ、『Z』って……ジガルデだろ? 手がかりも無いのに、何であんなこと。まさか気配を感じたとか?」

「いや、全部デタラメだけど」

「はぁ!?」

 

 

 あっけらかんとしたその返答に、朝木は思わず驚きの声を上げた。

 一方、ユヅキは「あー」とどこか納得したように手を打つ。

 

 

「ただのブラフかよ!?」

「そうだよ」

「そっか、ポケスペの台詞だ今の」

「あん? あー! AZが言ってたやつ!」

「何で二人ともそんな覚えてんだよ」

「いや即興でアレンジ加えてぶっこんだアキラちゃんに言われたくねえ」

「それもそうだが」

 

 

 とはいえ、実利的に考えればより信憑性を高めるためにも、よりフレア団に関連する話の方がパキラに信じられやすかったというのは確かだ。

 何より結果から言えば、それで気を引いて逃げ切ることができた……というのは、間違いなく正解だ。

 

 

「……ま、上手くいきゃあいつらはいもしないジガルデを警戒して無意味に捜索に力入れるだろ。万が一ジガルデがこの世界にいたとしたら、勝手にあいつらが探してくれる」

「探してくれるはいいけど先に捕まえられたらどうすんだよ?」

 

 

 その問いかけに、アキラは自身の手首に手刀を当てて、軽く引くような動作を取った。

 殺してでも、奪い取る。

 彼女の瞳に宿る仄暗い光に、朝木は思わず乾いた笑いを漏らした。

 

 そもそもは今回の戦いだって「それ」も目的の一つではある。ヒードランの例もあったため、不可能ではないことは証明されている。

 続くように、ユヅキも同じような動作をして見せた。お前もかブルータス。

 

 やると言ったらやる。どころか、やると言わなくてもやる。やった。あとついでに()りかけたアキラの言葉だ。そこには説得力しか無かった。

 

 

「……あの……」

「ヴぁい!? おう、な、なんだ小暮ちゃんか。何だよ」

 

 

 と、そこへ不意に割り込む声がある。助手席に移ったナナセだ。

 彼女は先の攻撃の余波で軽く煤けた顔をぬぐいながら、三人に向かって問いかける。

 

 

「ここから……どう、しましょう……」

 

 

 最も気にかかるのは、ヨウタの容態だ。少し前のアキラほどではないとはいえ傷だらけで、彼女ほどの回復力の無いヨウタをこのまま連れまわすのはあまり良いことではない。

 

 

「頭打ってるみたいだからまず病院へ。検査しないとどうもなんねえ」

「……分かりました。東雲さん」

 

 

 ナナセは使い慣れない紙の地図を回したり傾けたりなどして軽く苦慮しつつも、東雲に目的地を告げた。

 対する東雲もそれに応じつつ、しかし彼自身道が合ってるかどうかを逐一確認しながら進んでいく。そもそも彼は香川の道には詳しくなかった。

 

 他方、アキラは先程の戦いの「戦利品」を確認し、その内の一つ……パキラのキーストーンをユヅキに差し出した。

 

 

「ユヅ、これ使え」

「わ、キーストーンだ。いいの?」

「いいよ、もう一個あるから」

 

 

 そう言って、アキラが掲げるのは指輪に加工された方の、フラダリから奪ったキーストーンだ。

 どちらかを渡すなら、こちらはできれば避けたいというのがアキラの思いである。

 

 

「赤くね」

「赤いぞ」

「何で……あ、いややっぱいいですいい言うな言わないでく」

「フラダリの腕を」

「やめろ!」

 

 

 果たして、べっとりと色んなものが付着してしまっている装飾品を妹に渡したいという者がいるだろうか。

 アキラ自身も多少ならず嫌な顔をしながら、洗浄作業をウデッポウに手伝ってもらうことにした。

 

 

 








独自設定等の紹介

・伝説のポケモン
 我々の世界で言う「準伝説」、「禁止級伝説」、「幻」。この場合、UBは除いて取り扱う。
 基本的に本作では「理不尽の化身」として取り扱っている。生物として通常のポケモンよりも上に位置するため、数値上のレベルと実際の能力とが一致しない。目安としては表示されたレベル+50くらいが適正。(例:ゼルネアスLv70ならLv120相当)
 代わりに成長する(レベルが上がる)のが非常に遅く、鍛えてもなかなか能力が伸びないためほとんどの禁止級伝説は数値上Lv70前後で打ち止め。
 「準伝説」は伝説よりも一段階落ちるので実数値+30くらいが適正。「幻」は希少性や戦闘への向き不向きなどが千差万別のため決まった基準は無いが、おおむね準伝説と同等。フーパ(ときはなたれしフーパ)などは禁止級伝説基準で取り扱う。

 アルセウスはそういう基準のポケモンではないのでそもそも数値としてレベルを測れないものとする。
 






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臆病者のいかりのツボ


 一人称に戻ります。



 

 

 レインボーロケット団が四国各地を占拠して、既に二週間以上が経つ。

 各自治体の機能は元より、流通などもほぼ停止していて、食料供給の面でも今の四国には大いに不安が生じている。

 

 ……だから、より豊かな物資を持つレインボーロケット団の方に寝返る人間が出ても、それはおかしくないことだ。

 生活のため……というか、生きるため。根本的なところで、生き物はものを食べないと死ぬものなのだから。

 

 

「……だとしても、これはねーよ」

 

 

 フレア団から逃げ出したその翌朝に、検査機器があるということで立ち寄ったとある病院。そのロビーに、レインボーロケット団員の山が積み上がっていた。

 訂正。食い物欲しさにレインボーロケット団側に付いた人たち、だ。

 

 病院だ。そこに務めているのは、当然医者と看護師だ。

 人を治すことを志したはずの人たちが、人を傷つける側に回っている。胸糞悪いし、吐き気がするほど腹立たしい。

 気持ちは分かるけど、分かりたくない。

 

 

「チュリ、『クモのす』」

「ヂュヂュ」

 

 

 当然だけど、そんな連中の扱いはぞんざいなものになる。

 いつもなら腕や足を縛るくらいで許すところだけど、今回は毛玉になるまで固めてやる。ついでに軽く蹴りつけた。どうせ今はもう大したダメージにもなりゃしない。

 

 

「お姉~」

「ん」

 

 

 あまり認めたくない現実に少し落ち込んでいると、階段を降りてユヅがやってくる。

 ジャランゴ……ジャックも一緒のようだ。上の階の方はいいんだろうか。

 

 

「見回り、終わったのか?」

「ううん、でもなんか先降りてろーって。部屋多いからウチかお姉がいた方が良かったと思うんだけど、いいのかな?」

「多分、何かあるんだろうな」

 

 

 薬とか、医療機器とか。

 そう言いつつも、内心ではなんとなく察していた。きっと、オレたちに見せたくないもの(・・・・・・・・)があるんだ。

 やけに静かな病棟に食料不足という現状……レインボーロケット団についたことを考えると、「あっち」は無くとも「こっち」はありうるだろう。

 オレは本気で毛玉に蹴りを入れた。

 

 

「何してんの!?」

「お前もいつか分かる時が来るだろうけど今は分からなくていい……!」

「えー何それ……」

 

 

 無垢でいてほしい、とは言わないが。

 言わないが、ことさらに人間の汚い部分を目にする必要は無い。いつか分かるようになってから、「あの時のあれはああいうことだったんだ」と気付くくらいでいい。

 これは朝木や東雲さんたちの気遣いだろう。オレも子供扱いされてるのが気になるが、仕方ないということにしておく。

 

 ……ともかく、やることはやらなきゃな。

 病院というのは急患を受け入れなきゃいけない関係上、出入り口は複数設けられている。今はほとんどが施錠するなどして封鎖されてる――というか病院に来た時に敵の方がご丁寧に封鎖してきた――が、それでもカバーしきれてない場所はあるものだ。

 そんな出入り口のうち、一つはリュオンに警備に立ってもらうことで封鎖。正面玄関は、日向ぼっこついでに自動扉の前でギルに寝ててもらってる……んだが、当然それだけじゃ足りない。なので、残りはユヅのポケモン、ルルとメロ、ロンに行ってもらうことにした。

 オレたちは二人でロビーに待機。毛玉にした連中もいるし、階段もあるから見張ってないといけない。

 

 

「……ん」

 

 

 しばらくユヅと二人で話しながら皆が戻るのを待っていると、階段の方からどたどたとせわしない足音が聞こえてくると共に、どことなく不穏な波動を感じ取った。

 敵だ。一人……いや、ポケモン含めて一人と二匹(さんにん)。追いかけているのは、どうやら朝木のようだ。

 

 東雲さんや小暮さんは手一杯だったのだろうか。手に負えそうになかったら、オレたちが乱入する必要がある。

 

 

「何か来る」

「あいよっ」

 

 

 オレはチャムのボールを手に取り、ユヅは立ち上がっていつでも前に出られるように構えた。

 そしてどんどん気配が近づき――――。

 

 

「手ぇ出すなぁッ!!」

 

 

 その怒号で、オレたちの動きが止まる。

 今の声、間違いない。朝木だ。いや、でも何で臆病なあいつがあんなことを? 普段ポケモンバトルだって、格下の相手とでも絶対にやりたがらないのに……「手を出すな」?

 疑問に思って首をかしげていると、階段の上から何かがもみあいになりながら転がり落ちてくる。ズバットとゴルバット、そしてアローラのすがたのコラッタとジャノビーだ。

 

 ……ジャノビー? ってことは、朝木のツタージャが進化したのか? ってことは、あっちのズバット……ゴルバット……ズバッ……ゴ――――どっちだ、アレ。

 

 

「お姉、あれどっち!?」

「分からない。迂闊に手は出すな」

 

 

 どっちが朝木のポケモンか分からない。そんな状況で攻撃したら、誤って朝木のポケモンの方が戦闘不能ということにもなりかねない。

 まとめて攻撃してもいいが……そうするのは流石に人道的に、ちょっとな。

 とはいえ、状況が状況だ。攻撃する準備だけは忘れないでおいた方がいい。

 

 

「ひぃ! ひ、人! 人!」

 

 

 次いで、転がり込むようにして何者かが現れる。看護師の女性のようだ。凄まじい形相をした彼女はオレたちの姿を見て更に表情を歪めた。

 敵、だとしても見た目は少女だ。与しやすいと思ったのだろう。極度の興奮状態に陥っているせいでジャックの姿が見えていないのかもしれない。

 殺気を向けるも、動じた様子は無い。それにあの据えた目……物騒な染みがついたメスが握られてもいる。

 

 

(人殺しだ)

 

 

 察する。と同時に刀の鯉口を斬る。殺しはしなくとも行動不能にしない理由は無い。最低でも四肢の腱は斬る。

 ――とはいえ、それは最後の手段だ。まずは朝木がどうするかを見守るべきか。

 

 

「チャム」

「バシャァ!」

 

 

 空いている右手でボールを投げて、道を塞ぐようにチャムに出て来てもらう。その時点で女の表情がひと際歪んだ。

 と、そこへ階段を飛び降りるような勢いで朝木がやってくる。

 

 

「逃がさねえ!」

「しっ……つ、こいィィ!」

「こっちの台詞だクソ女! ゴルバット、『かみつく』! ジャノビー、『つるのムチ』!」

「ズバット、『すいとる』! コラッタ、『かみつく』!」

 

 

 ゴルバットがその大口を広げて食い殺すかのような勢いでズバットに噛み付くが、ズバットも負けじと体液を啜り自身の体力を回復させる。対してコラッタの方はロクに抵抗もできていない。伸びてきたツルに胴部を掴まれ、あちこちに叩きつけられている。

 ポケモンたちの育ち具合や立ち回りの拙さから見ても、あの女はどうやら昨日今日ポケモンを手にしたばかりの素人のようだ。知識的にもこっちの世界の人間の……ちょっと詳しい程度の人と、そうは変わらないだろう。

 

 形勢は既に朝木の方に傾いている。放っておいてもポケモンたちの方はすぐに決着がつくだろう。

 問題は、錯乱した様子のあの女だ。朝木はいつになくキレて……はいるようだけど、冷静さは残っているらしく、拳を振りかぶりつつも凶器(メス)を目にしたせいで腰が引けている。あんな状態で殴りかかっても、逆に反撃されるだけだ。

 

 

「見てるだけってのもな」

 

 

 小さく呟いて、オレは動き出した。かつてのそれより遥かに遅い移動速度だった。けど、既にあの女はオレが見えていない。

 人間にはどうしても、体の構造上盲点が存在する。視界だって、見えている範囲全てが本当の意味でちゃんと認識できているわけじゃない。視神経や眼球の構造の中でどうしても光情報を獲得できない部分が出てくる。見えているように感じるのは、脳が周囲の情報から補完しているだけだ。

 

 それだけじゃない。まばたきの瞬間や、意識を逸らした・逸れたその一瞬。そうした「意識の隙間」に動くことで、相手はこちらを見失う(・・・)。目の前にいるにも関わらず、だ。

 

 

「――え」

 

 

 呆けた女に、最速最短のショートフックを顎先に入れる。ほんの僅かに掠める程度の一瞬の接触に合わせて波動を全開。「耐えられる」体にした上で、電磁発勁を一瞬だけ発動した。

 

 

「はうっ」

 

 

 カクン、と女の膝が折れて意識がオチた。

 おー、とユヅが拍手を送ってくるが、対照的に朝木の顔はどこか浮かない。拳を振り上げたまま降ろすことができていないのもそうだ。どうやらこの男、珍しく自分の手で決着をつけたいと思っているようだった。もっとも、流石に今は自分の身を守ることを優先したようだが……。

 ともかく、顔を真っ赤にしている朝木の手を降ろさせる。

 

 

「落ち着けよ。らしくないぞ」

「……ッ……カッ……く……ぬあああああああああッ!!」

「おい」

「ああッ! ……くそっ!」

「おい!」

「…………悪い」

 

 

 やり場の無い怒りをぶつけるように、オレたちから背を向けて朝木はリノリウムの床を蹴りつけている。

 何なんだ……と言いたいところだが、状況から考えればコレもまた理解できる。推測でしかないが。

 それにしてもこの態度は流石にユヅの教育に悪い。やめてくれ。

 

 

「何があったかは聞かないぞ」

「ああ、そうだな……アキラちゃんは特に聞いちゃダメだ」

 

 

 オレもそういう扱いか。いや分かるが。まだ想像の域を出ないからこそオレも冷静でいられる部分はあるんだ。ここに現実味が伴ってしまったら、きっとオレはこのまま倒れた女に刀を突き立てることになるだろう。

 

 それが「目の前で起きたことかどうか」というのは、人間にとって大事なことだ。たとえ親類縁者が亡くなったとしても、人に聞かされただけでは冷静なままであることが多い。精神的な防衛本能が勝り、現実から目を逸らすからだ。けど、実際にそれを目にしてしまえば、そういうわけにもいかなくなる。強く、コントロールさえできない感情が溢れ出して……その後は、まあ人それぞれ。哀しくなることもあるだろうし、怒りに支配されることもあるだろうし。

 

 そして、どんなに目を逸らしたくても避けられない現実を目にした時は……悪い例が先日のオレだ。関わりない他人でも、殺されるのを目にしたらああいう風になる。

 つまりは多分、そういうことだろう。

 

 

「それで、そのへっぴり腰で何を殴る気だったんだ?」

「お姉、言い方」

「そりゃあ、こいつを……殴り倒せたらいいな、って……」

「無理だろ」

「ひでぇ」

 

 

 事実だ。それどころか、反撃に遭って下手をすれば殺されるだけだ。

 それに……。

 

 

「アンタは人を傷つけるのに向いてない。そういうのはオレの役目だ」

「けどよぉ」

「大丈夫! お姉強いから!」

「いやそれは見りゃ分かるよ? ていうか前より強くなってね? どういうこと? 意味分かんねえんだけど?」

「アレはただの誤魔化しだ。力業で押し通れるならその方が強いに決まってる」

「だよねー。どんなテクニックも、パワーで押されれば意味無いもん」

「な」

「ねー」

 

 

 そりゃ勿論両立するに越したことは無いけど、戦場でそれができるなら苦労は無い。

 確かに技術を凝らした戦法は多少見栄えが良いだろうけど、身体的な負担はむしろ増える。一対一の競り合いじゃないと意味が無いってことも多いし、一対圧倒的多数の戦局ばかりのこの情勢下じゃ力押しが一番有効なんだよ。

 今はそういうわけにもいかないから、何とかなるように無理矢理動いてるようなもんだ。

 

 

「それより、ヨウタの方、頼むよ。意識の方はともかく、体の方がだいぶひどいことになってるし」

「あ、ああ……」

 

 

 ボヤきながら、朝木は正面入り口付近に向かい、ストレッチャーに乗せたヨウタを運んでいった。

 しかし、そうなんだよな。医療方面となるとオレたちにやることが無い。

 オレも何かこう……「いやしのはどう」的な何かを覚えられないだろうか。でも人間だしな。波動の受け渡しがせいぜいだろうか。

 あとはリュオンがいつ「いやしのはどう」を覚えてくれるか……ってところかな……。

 

 

「あ、そうだ。ロトムー!」

「はーい?」

 

 

 ストレッチャーに向けて呼びかけると、ヨウタを見守るために待機状態だったロトムが起動してこちらに飛んでくる。

 そうだ、別に今オレたちが認知している技だけで考える必要なんてないじゃないか。

 

 

「ちょっと聞きたいんだけど、『いやしのはどう』みたいに他人を回復させられるような技って、オレたちが知ってるもの以外……この前ダウンロードしてもらった技リストに載ってない技とか、あるのか?」

「あるロト。『いのちのしずく』って言うんだケド

 

 

 思った通りだ。やっぱりオレたちの知らない技がある。

 

 

「それってどういう技なんだ? オレたちのポケモンの中に、使えるヤツがいたりは……」

「生体エネルギーを込めた水を振りまいて体力を回復させる技ロ。アキラたちのポケモンだと……リュオンが使えるロト」

「リュオンちゃん大活躍じゃない?」

「ホントにな……」

 

 

 索敵、戦闘、回復と何でもござれだ。オマケにメガシンカまで体得した。できないのって小回りのきく妨害くらいじゃないだろうか。

 ……まあ、それだって別にやろうと思えば何とでもなるんだけど。仲間も多いからカバーもきくし。

 

 

「ちょっとリュオンとチャムに交代してもらってくる。ユヅは待っててくれ」

「うん。その間ロトムちゃんに技のこととか聞いとく」

 

 

 それに、そこはリュオンだけじゃなく他のみんなの技についてももっと詳しく聞いておかないとな。

 オレも力押しができなくなったんだから、もっとよく考えて戦わないといけないし……。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 そうこうしてしばらく。上の階の見回りを終えて戻ってきた東雲さんと小暮さんは、ひどい表情をしていた。

 特に憔悴していたのは小暮さんだ。戻ってくるや否や、トイレに行って胃の中身を吐き戻すほどだった。東雲さんは……本気でキレてた朝木や、戻すほどショックを受けてる小暮さんと比べれば、まだマシな方か。それでも「マシ」というだけで、決して良い精神状態というわけではないが。

 

 ヨウタについては、朝木から聞かされた限りでは、頭部は血栓ができたりといった「大きな異常は無い」ということだった。

 ただ、問題はそこじゃない。どうやら、全身あちこちの骨が折れてるということらしい。

 十二歳という時期で、骨の成長途中ということもあるだろう。足と鎖骨、肋骨と手指が何本か……ということだった。

 

 

「小児整形は専門じゃねーけど、とりあえずしばらく動かさないのが一番かな……」

 

 

 とは、全検査を終えた朝木の弁だ。

 オレは折れても動いてたけど、アレはあくまで回復力と耐久力と筋力任せのヤセ我慢だし、それが普通だろう。

 リュオンに「いのちのしずく」を使ってもらって……一応成功もしたんだけど、どれだけ効果が出たものか。

 

 

 ともあれ、ヨウタの検査さえ終わってしまえば、病院そのものに用は無い。何はともあれ然るべき場所に連絡を入れた後、オレたちは再び元の予定地――鳴門海峡に向けて走り出した。

 

 ポケモン金・銀におけるうずまき島のモデルは、恐らくは淡路島だ。しかしながら、淡路島とひと口に言ってもあの島も随分と広い。人口は十三万人、面積も約600平方キロメートル。ルギアがいるにしても、人里に近すぎてとてもじゃないがまともに暮らせもしないだろう。

 ルギアそのものも、かなり大きなポケモンだ。全長5メートル超……図鑑の話を信じるとするなら、海溝の底で眠っているはず。なら、いるとしたら瀬戸内海でも水深200メートル超あるという鳴門海峡の海釜(かいふ)にいると考えるのが自然だろう。

 そうなると、仮に地上に上がることがあるとするなら、播磨灘……北側の海に面する場所。それも比較的人口に乏しい島田島が、最も可能性が高いのではないか。

 

 ……という小暮さんの推測をもとに、オレたちは高松を出た後もさぬき市を超え、東かがわ市に向かっていた。

 そもそもが車での移動だ。止まらざるを得ない状況にでもならない限り、通常なら県境を超えるまで半日かからない。警戒網にひっかからないように山道を主に選んでいるからちょっと遅いというのもあるけど。

 野生のポケモンたちもいるが、そこは車の上でモク太やラー子などが目を光らせていたのでほとんど飛び出してはこなかった。レベル差を理解しているのだろう。

 

 検査にそれなりに時間もかかったし、あんなことがあった後だ。そろそろ夜に差し掛かろうかという頃になると、流石にそろそろ疲労の色も濃くなってくる。

 そんな折に、小暮さんからある提案があった。

 

 

「東かがわ市にいるレジスタンスの安否確認、ですか?」

「……いえ、あの……東かがわ市と言うより……完全に徳島なんですが……」

 

 

 曰く、徳島市にいるレジスタンスがある漁港を拠点にしているのだとか。

 その漁港自体は鳴門市内で、目的地に設定している鳴門海峡の道のりの途中にある。県庁所在地の徳島市からは目と鼻の先だが……いずれにせよ、ルギアに会いに行くなら通らざるを得ない位置にある。休憩も兼ねて、そこで一泊していくべきじゃないか、と。

 

 ――――結論から言えば、オレたちの気が休まることは、一切無かったのだが。

 

 









設定等の紹介

・「何があったかは聞かない」
 食料供給上の問題から、医療者が患者を手にかけたということ。
 朝木は元医療関係者として怒り、東雲らはこれを年少者であるアキラたちに決して知らせないことを決めた。


・いのちのしずく
 第八世代にて初出の技。味方ポケモンのHPを1/4回復する。
 ダブルバトルなどで使用される……ことはまず無い。見るとしたら大抵の場合、ソロでマックスレイドバトルをしている時にトゲピーが使用しているものになると思われる。
 この技に助けられるということもあるかもしれないが、最高難易度のマックスレイドバトルにおいて一撃でポケモンが倒れることは日常茶飯事のためこの技を使う=行動が一手無駄になるということで嫌う人もいる。回復技なのでまだギリギリ許容範囲という人もいるかもしれない。
 それはそれとして、マックスレイドバトル中の「てだすけ」はしないでほしいし自分磨きは許されない。








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だくりゅうに沈む海岸線

 

 

 到着したレジスタンスの拠点は、惨憺たる有様だった。

 

 元からある程度想像はできたことだ。わざわざオレたちに安否確認を頼むということは、「連絡が取れなくなった」ということ。

 中継局がある以上、携帯は生きているのだから誰にも連絡が取れないということは――そういうことなのだろう、と予想はできた。

 しかし、まさか。

 

 

「沈んでる……」

 

 

 ――目的地が丸ごと海中に没しているなどと、誰が想像できようか。

 海岸線が、まるごと抉り取られている。隣接している山もその中ほどから円形に山肌が露出してしまっていた。土砂崩れも起きたようで、海の中も土色に濁ってしまっている。

 道も……当然ながら、寸断されていた。

 

 

「これ、アクア団かな。カイオーガ?」

「かもな……」

 

 

 既にここは徳島。アクア団の勢力圏内だ。

 アオギリが直接出張ってくるというのも……すこぶる嫌な話だが、充分ありうることだった。

 しかし昨日の今日で伝説伝説また伝説とかもう勘弁してくれ。ヨウタも倒れてるのにあんな怪物と何度も相対したくない……。

 

 

「道がねえ……」

 

 

 朝木が呆然とした様子で頭を抱えている。そうだ。それも大きな問題だ。

 島田島までここからおよそ10キロ。よりにもよって迂回路の無いこの道が寸断されているとなると、一度道を戻って徳島市内を経由しないといけなくなる。そうなると……レインボーロケット団――の中でもアクア団――と出くわす可能性がより高まる。疲労もピークに達している今、消耗を避けるためにもそれは勘弁したい。

 

 迂回するにしても、舗装されていない山道は避けないといけない。

 となると……うーん……力を失った今、オレが運ぶってワケにはいかないし。

 

 

「……ポケモンたちに、道を作ってもらえばよいのでは……?」

「……あっ」

「あっ」

 

 

 小暮さんの一言で、オレたちもようやく気付いた。というか、オレたちみんな「こっち」の世界の人間だから、単純にポケモンに頼るって発想が足りないんだよな……。

 戦闘手段としてポケモンの能力を活用するって方法はすぐ思い浮かぶけど……なんだろう、この歪さ。

 アレだな。一緒に日常を過ごした経験っていうものが、圧倒的に足りない。これに関してはその辺の弊害だ。

 

 

「強度に問題はありますが……氷で、橋を作ってもらえれば……このまま、進めるかと」

「おう、氷橋(すがばし)ってやつか。金田一でやってた*1よな」

「すが……?」

「きんだいち……?」

「カ゜ッッッ」

「あっ、分かった! 氷橋うおおおおおってやってるやつ!」

「あ、あれか! 犯人たちの*2ってやつ!」

「えっ何それ今度は俺が知らない……」

「え?」

 

 

 ……えっ、初めてのパターンだ。何だこの逆ジェネレーションギャップ。

 いや、まあ、概要を知ってるならいいか。とにかく……氷の橋を架ければ、向こう岸に渡るくらいならなんとかなるだろう。使えてもこれっきりだろうけど。

 

 

「皆、少しいいだろうか」

 

 

 と。とりあえずの筋道を立てたところで、東雲さんがこちらに呼びかけてきた。

 何かあったのだろうか。

 

 

「どうしたんです?」

「……生存者がいないかを確認したい。いる可能性は……低いだろうが」

「そうですね。分かりました。オレは手伝うけど、みんなは?」

「ウチも手伝う!」

「…………」

「……あ、コレ俺も手伝う流れっすね」

 

 

 東雲さんの提案に対して承諾の意を告げたオレとユヅ。それに続いて控えめに手を挙げた小暮さんを目にして、完全に朝木も手伝う流れになった。

 救助や捜索というという目的において、朝木のゴルバットの能力は非常に有用だろう。手伝ってくれないと、正直ちょっと困るのは確かだ。

 ……っと、そうだ。

 

 

「ヨウタ、起きてるかー」

「……う゛」

「いや無理して返事しなくていいぞ」

 

 

 トラックの中に向かって呼びかける。

 一応ヨウタにも了承を取っておこうかと思ったんだが、ダメか。起き上がるのも返事するのも厳しそうだ。

 鎖骨が折れてたり肋骨が折れてたりしたらそりゃそうなる。

 

 

「この辺に生存者がいないか確かめるのに、ラー子とモク太、あとマリ子に力借りたいんだけど、いいか?」

 

 

 尋ねると、ヨウタは首を小さく縦に振って見せた。承諾してくれたらしい。

 全員が出払うのは問題だし、ともかくまずはライ太をボディガード役に立たせ、リュオンにも「いのちのしずく」を使うついでに警護を頼む。これでひとまずはよし、と。

 

 

「よし、みんな頼んだ!」

 

 

 言って、オレがボールから出したのは、ヨウタから許可を取って力を借りることにした三匹と、チュリとチャムだ。

 それから先日加入したばかりのドラメシヤも――シャルト、という名前をつけたあの子にも手伝ってもらうことにする。

 ドラメシヤはゴーストポケモンだ。その性質上夜目がきくし、常に浮遊しているから、この環境下でも「一旦下に降りる」というようなことがやりやすい。その上障害物もすり抜けることができるので、救助にはうってつけのポケモンと言えるだろう。

 

 

「ヂッ」

 

 

 まず、チュリの仕事は明かりを確保することだ。

 オレたち六人のポケモンの中で、実はでんきタイプのポケモンはコケコを除けばチュリだけだったりする。

 なのでちょっと……いや、だいぶ……かなり……うん、心細いというか、電力的に心許ない部分はあるんだが、仕方ない。

 

 通電性の高い糸を利用して糸球を作り、周辺に貼り付ける。

 電力の供給元はオレだ。謎耐久力を失ったオレは今、電磁発勁を使うと結構な負担が発生するようになった。波動である程度まで耐えられるようにすることはできるが、以前のような電力は発揮できないというのがまたもどかしい。

 謎筋力も失ったので、土砂をかき分けたりということもできないのでその辺に立って、簡易電球に電力を供給し続けるしかない。そしてついでのようにチュリに電力吸われてる。

 

 オレって何なんだろう……オレはコンセント……?

 

 

「チャムたちは東雲さんたちの手伝い頼むよ」

「バシャ」

「メ~」

 

 

 割り振りとしては、チャムを含むほのおタイプのポケモンたちが、電球糸球で照らせないようなピンポイントな場所を炎で照らして捜索。シャルトが「すりぬけ」を利用してそのサポート。モク太とラー子、それから東雲さんのワシボンのように空を飛べるポケモンに空から見てもらって、マリ子やしずさんのようなみずタイプのポケモンは海上と海中を捜索、というところ。

 あとは山の中なんかのちょっと人が分け入るには難しいような場所もも、ポケモンたちに見て来てもらう……くらいだろう。

 

 

「……ふぅ」

 

 

 可能性が低いながらも、それでも生存者の捜索を優先するのは、単に人道的な考え方から……ではない。

 昼間に行った病院、あそこで東雲さんたちはオレたちに代わって――想像が正しければだが――あまりに残酷な人間の所業を目にしているはずだ。

 病院を出る時も、誰一人として他所の避難所などに連れていくような人がいなかった。それはつまり、そういうことだろう。

 

 高松での敗走の件もある。この有様を見てなお「もしかしたら生存者がいるかもしれない」という考えに縋りたくなる気持ちも、痛いほど分かった。

 あのままだと、以前のオレのように心を壊してしまう。だから、率先して協力を申し出たという面はあった。

 

 

「朝木」

「ん? あー……うん。だな」

 

 

 もう完全に日も暮れた。野営の準備を始めて欲しい、と軽くジェスチャーで朝木に伝えると、あいつもばつが悪そうな顔をしながらそれに応える。

 次に、小暮さんに近づいて後ろから声をかける。気配を隠していたせいかひどく驚かれて体が跳ねかけたのは申し訳ない。

 

 

「あの、いいですか」

「……あ、は、はい。何でしょう……」

「……連絡があったのって」

「……二日は、前……です」

 

 

 ――この捜索がうまくいくことは、多分無い。

 

 みんな、多分それは分かっていた。

 連絡が途絶したのが二日前だとして……巻き込まれた人の生存率は、どれくらいだろうか。

 仮に生き残った人がいるとしても、いつまでもここにいるはずはない。どこか、別の場所に逃げて身を隠すはずだ。

 仮に見つかるとしたら、それは多分死体くらいのもので……。

 

 

「マリリーッ!」

「? マリ子?」

「……?」

 

 

 思考を打ち切らせるように、海の方からマリ子の声が聞こえてきた。

 何か見つけたんだろうか。魚とか。コンテナとか。ルギアとか。マナフィとか……いや、今ここにいるわけないか。

 ともかく何があったんだろうと思って一歩前に踏み出すと、その瞬間に違和感を覚えた。

 

 波動だ。二つ……いや、五つ?

 ……この感じ、覚えがある。モンスターボールに入ってる状態のポケモンだ。

 ちゃんと外に出てるのは、二匹……いや、一人と一匹。ポケモンと人間とでは波動の強さが変わってくるから、なんとなく分かる。

 

 

「生存者……?」

「え……?」

 

 

 それは……つまり、生存者がいた、ということに他ならない。

 強い困惑を抱えながらもマリ子の声が聞こえた方に向かうと、そこにいたのは海から上がってきたばかりのマリ子と、彼女に背負われた一匹のポケモン。それから――女だ。十七、八歳くらい女。全身ずぶ濡れで、今の今まで水に浸かっていたのだろうということがよく分かる。

 

 

「生き……て……?」

「る、と思います。小暮さん、タオルと毛布! オレはこの人を!」

「は、はい……あ、それなら……もんさん!」

「ももっ」

「わ、『わたほうし』……お願いします……!」

「もフッ!」

 

 

 ぽっ、ともんさんの全身の綿毛が、爆発的に増殖してずぶ濡れの女とエンペルトを包み込んだ。

 ほどなくして、水を吸って重くなった部分が切り離され、また新しく綿が出てきてふたりを温める。

 季節は初夏、とはいえ夜はまだ肌寒い時期だ。水の中にいたことで体温も下がっているだろう。

 

 ――本当に、二日前から今の今まで水の中にいたら、だが。

 

 

「小暮さん、誰だか分かりますか?」

「……いえ……私たちは、知りません。他県で発足したレジスタンス、という可能性も……ありますが、あまり、他と交流を持つことが無いので……」

「……ですか」

 

 

 小暮さんが知らないとなると、オレたちの誰かが知ってるとも思えない。どうしたものかとも思うが、選択肢も多くないか。

 

 ……だって多分、こいつは敵だ。

 

 あまりにタイミングが不自然すぎる。ユヅもまあ、妹っていう贔屓目を抜きにして見ればなんともまあ良いタイミングで合流できたものだけど、アレはあいつがばーちゃんたちと適宜連絡を取り合ってオレたちの居場所を知っていたからというのもある。

 ただ、こいつは……時期的にありえないんだ。連絡が取れなくなったのが二日前。それから今までずっとここに浮いてたのか? それとも海岸に打ち上げられていたのか?

 いずれにしても、どこかのタイミングで意識を取り戻しているのが普通だ。朝木によれば、外傷で意識を失った場合、長時間……たとえば半日でも意識不明の状態が続けば、脳に深刻な悪影響が及ぶという。

 

 いや、まあ、オレもしょっちゅう意識失ってるけど、オレはノーカウントだ。ノーカウント。

 だってオレの回復力とか耐久力とか考慮するとその辺の常識狂うし。

 

 ……ともかく、そういうことを理解した上で波動を感じ取ってみると、違和感が強い。

 健常者とそう変わりない強さを保っていて、乱れが無く滑らだ……なんて、ありえない。十中八九ロクでもない「何か」がある。

 

 

(それに……エンペルトか)

 

 

 加えて、問題があるのはこの女の持つポケモンのレベルだ。

 エンペルトまで進化しているということは、数値上、少なく見積もってもユヅ以上。現状で抑えられるとしたら、ヒードランを持ってる東雲さんかオレくらいだ。

 ……しばらく、オレが気を張って見ておくしかないか。

 

 万が一、億が一本当にただのレジスタンスだったら、このまま放置するわけにもいかない。

 オレと小暮さんは、綿にくるんだままの女とエンペルトを野営地の方に運び込むことにした。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 あれから更に二時間ほど。結局、見つけられたのはあの女一人だけだった。

 なんとも言い難い結果だが、それでも一人見つけられたというのは、東雲さんの心にとっては多少なりとも良い影響が及んだ……と言っていいのだろうか。

 分からないが、一つだけ判明したことがある。

 

 

「――隊長の娘さん……!?」

 

 

 驚きと共に発せられた東雲さんの言葉だった。

 

 ――――アンタの関係者かよ!!

 

 全員の意見が内心で一致する。隊長――自衛隊の隊長さん。東雲さんの上官にあたる。

 確かにあの日、あの人が――盗み聞きだが――娘がいる、というような話をしていたような記憶がある。

 世間が狭い!!

 

 

「知っているのか東雲君」

「え、ええ……何度か写真を見せてもらっていて、それで」

「……隊長……?」

「東雲さんが所属してる基地の、自衛隊の」

「オクサラたいちょー」

「オク……?」

「あれ、お姉名前聞いてない?」

「初耳」

 

 

 どうやらあの隊長さん、本名は奥更屋(おくさらや)というらしい。オレがあんまり言えることじゃないけど、珍しい名前だ。

 ……ともかく、この場で自衛隊の隊長さんについて知らない小暮さんに軽く説明をしておく。

 ユヅが知ってたのは、一度ばーちゃんちに寄った時に会ったからだろう。まあ、あの町にも馴染めてるようで良かった。

 

 

「隊長さんって徳島の人だったんですか?」

「今はそちらに家族がいると聞いている。元々はもっと別の県からの転勤だったようだが」

 

 

 そういえば、自衛隊って日本各地に駐屯地があるからしょっちゅう転勤があるんだっけ。県外でも離島でも関係なく。

 ……って考えると、平和になったらそのうち東雲さんともお別れしなきゃいけない日が来るのか。連絡はできるだろうけど、なんかそれも寂しいな。

 

 

「すまない、少し隊長と連絡を取ってくる」

「あ、はい」

 

 

 この様子を見る限り、隊長さんは東雲さんたちに娘さんのことは伝えていなかったのだろう。

 ……というか、果たして伝えられるだろうか。命がかかっている可能性があるとはいえ、あくまで家族の問題だ。任務に就いていて忙しい東雲さんに伝えるべきではないと判断したのかもしれない。

 

 しばらく待っていると、連絡も終わったらしい。東雲さんは小さく安堵の息をついて、こちらに戻ってきた。

 

 

「やはり隊長の娘で間違いない。避難所にいる、とか大丈夫、とか伝えていたようだが、二日前から連絡が取れなくなっていたようだ。もしかするとレジスタンスに参加していたのを、隊長には隠していたのかもしれない」

「……心配……しますから、ね」

「…………」

「高校生……大学生? くらいの娘だし、あんまり過干渉されても面倒だと思ったのかもな」

「大学……? いえ、朝木さん、娘さんは中学生です」

「……ぱーどぅん?」

「娘さんは、今年で中学二年です」

 

 

 朝木は娘さんを見て、オレを見て、ユヅを見て、そして再び娘さんに視線を戻した。

 

 

「うっそだぁ!! だって中学生ってこのくらいじゃんッ!!」

「オレの肩に手を置くな」

「このくらいじゃん!!」

「ユヅの肩ならいいって話じゃねーよ」

「どう見ても……ッ」

「オイ今何見た」

 

 

 今明らかに顔から数十センチくらい視線が下に落ちたぞ。

 

 

「どう見ても小暮ちゃんくらいはあるだろ!!」

「まぐさん」

「マグッ」

「ぶあッづゥあッ!?」

 

 

 セクハラもいいところじゃねーかこの野郎。

 いや、まあ……まあ……その。思うよ、それは、正直言うと。全体的にデカいもん。170センチ手前くらい? 正直、オレも最初十八歳くらいだと思ったしさ。ビックリしたよ、十四、もっと言うと十三歳くらいって。

 それは分かってるから慎めよ。選べよ言葉を。小暮さん半分キレてるじゃねーか。

 

 

「俺からのコメントは差し控えさせてもらうが」

 

 

 でしょうね。

 

 

「隊長からは、可能なら現拠点に送るよう言われている」

「まあ、心配だもんね」

「皆はどう思う?」

「私は……どちらとも、まだ」

「オレは反対です」

「!?」

「あれ、お姉反対?」

「とう……アキラさんなら、賛成してくれると思ったが……」

「……まあ」

 

 

 ある程度落ち着いた今なら、言葉にしても大丈夫だろうか。

 東雲さんも人の言葉には耳を傾けてくれると思うし……まずは言ってみないと始まらないな。

 

 

「彼女が敵じゃないという保証は無いですよ」

「それは流石に考えすぎでは……」

「そうかもしれないけど、あんまりにもタイミングが良すぎませんか」

 

 

 そこから、先程までにこの娘さんを見ていて感じた事柄や推測を並べて、敵である可能性を羅列していく。

 勿論、そうであってほしくはない。しかし可能性としては常に頭の中に入れておかないといけないことだ。

 語り終えると、東雲さんは葛藤するように頭に手を当てて顔を俯けた。オレの言葉も考慮に値すると思ってくれたのだろうか。

 やがて東雲さんは苦々しい顔をこちらに向けた。

 

 

「どうするべきだと思う?」

「敵か味方か判別できるまで拘束してトラックの荷台に放り込む」

「……さ、流石に……酷、です……。私たちに、余計な……悪感情を、植え付けることになる、かと……」

「……そうですね」

 

 

 万が一本当に敵じゃなかった時、それだと無用な悪感情を植え付けることになる。物分かりが良い人間ならいいが、中学生となると……いちばん、感情のままに動いてしまう時期か。

 何があってもおかしくない、のかもしれない。恨みで人を後ろから撃つこともありうる。あまり良くない環境に置けばそれだけでこちらのことを嫌う理由にはなるだろう。

 

 ああ、もう面倒だな!

 敵なら敵ってはっきりしてくれりゃいいのに。そうすればとっとと縛り上げて余計な心配もしなくて済む。

 久川町の拠点に送るのは……内部から敵を誘い込まれる可能性もあるし……くそ! もどかしい!

 

 

「じゃあ、オレが監視してます。言い出しっぺですし」

「警戒しすぎではないのか?」

「……いえ、警戒してしすぎということは……ないと、思います。ヨウタ君が……今、あのような状態ですから」

「そうか……それもそうか」

 

 

 今は特にそうなんだが、少し潜り込んで胸にナイフでも刺せば、それだけでヨウタは死ぬ。いや、それされたら普通の人間みんな死ぬけど。

 ポケモンたちに警戒を任せているからよっぽどの手練れでもないとそれは極めて困難だが、それができるダークトリニティもまだ健在だ。ヤツらを呼び込まれてしまうと今度は流石にしのぎきれない可能性が高い。何より、オレたちの仲間として認めてしまうとポケモンたちが警戒の目を向けなくなってしまう。そうなったらもう手の打ちようがない。

 

 

「……では、一時的に俺たちが保護し、その上でアキラさんが監視を行う。安全が確認されれば、拠点に送る……そういう方針でいいだろうか?」

「異議なーし」

「……はい」

「右に同じ」

「同じく!」

 

 

 ……できることなら、何も起きないでほしいところなんだが。

 起きるんだろうなぁ、と半ば確信にも近い推測を立てながら、オレは眠り続ける少女の横顔を忌々しい思いをもって見据えた。

 

 

*1
雪夜叉伝説殺人事件(1993年。アニメは1998年放送)

*2
犯人たちの事件簿 ファイル4:雪夜叉伝説殺人事件(2017年)







・話題には出たけど本編の動向には一切関係ないパーソナルデータ
〇刀祢アキラ
年齢:18
身長:150cm強
**:普

〇刀祢ユヅキ
年齢:12(中一)
身長:150cm弱
**:微

〇小暮ナナセ
年齢:21
身長:170cm弱
**:爆

〇奥更屋隊長の娘
年齢:13(中二)
身長:160cm強
**:巨




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疑心暗鬼にかくばる心

 

 

 少女が目を覚ましたのは、話し合いから更に一時間後。食事の準備が整ってからのことだった。

 彼女は果たしていつ、どのタイミングで「本当の意味で」起きていたのか。それは分からないが、少なくとも今、食い物(カレー)に釣られて目を開いたこと、それ自体は間違いないと思う。

 

 

「起きたか」

「…………ッ」

 

 

 寝起きのせいか、どこか胡乱な視線がこちらに向けられる。

 ……いや。胡乱、と言っていいのだろうか。一見するとどれだけ曖昧な状態であるように見えても、波動は雄弁だ。少なくとも、こいつはオレのことを正しく認識できていた。

 少女はオレの顔と周囲……山の中と何度か繰り返し視線を移した後、ぼんやりとした風なまま、こちらに訊ねてくる。

 

 

「……ここ、どこ? あなたは?」

「徳島県の山中。オレはただの通りすがりだ」

「オレっ娘……」

「は?」

「何でもない」

 

 

 何でもない……何でもない?

 今あからさまにこちらの想定と違う言葉が飛び出したのだが。

 

 

「それより……ん、ぐ……水、無い……? 喉、イガイガして……」

「…………」

 

 

 海水を飲んで喉をやられたのだろう。長時間海中にいたとなれば、そのくらいはあってもおかしくないか。

 近くに置いてあったペットボトルの水を差しだす……と、少女はすぐにそれを飲み干した。流石に喉は渇いていたらしい。

 

 

「ありがとう。で……レインボーロケット団じゃなさそうね」

「そっちはどうなんだ。レインボーロケット団と関係はないのか?」

「違うわ。あんなやつらと一緒になんてしないで……!!」

「あ、ああ……悪かった」

 

 

 問いかけに、少女は強い拒絶と怒りを示した。

 波動も――また、怒りを抱えている人間のそれだ。

 

 ……? あ、れ?

 おかしいな、何でこんなに……レインボーロケット団に対して、本心から怒りを剥き出しにしているんだ?

 だってそれだと……辻褄が合わない。じゃあ、何であんな……違和感しか無いような状況で。

 確かに証拠は無い、けど、それだと……。

 

 

「私はレジスタンスの奥更屋ヒナヨ。よろしく」

 

 

 困惑するさ中、少女――ヒナヨは自分の名前をこちらに告げる。

 黙ってるのも不自然だ。答えるしかない。

 

 

「刀祢アキラ。……何で奥更屋は海に浮いてたんだ?」

「名前でいいわ。アクア団の……分かる? アオギリ」

「ああ」

「あいつのカイオーガにやられて、ご覧の有様よ」

「ゲンシカイオーガか?」

「え? 違うわよ。普通のカイオーガだったけど……」

 

 

 普通のカイオーガ……ゲンシカイキしてない状態であれだけの被害を出せるのか。規格外にも程がある。

 戦力の過小評価はすまい。仮にゲンシカイキしてないのだとしても、それは「できない」のではなく単に「してない」だけと見ることもできる。

 

 勢力として弱小に過ぎるオレたちに油断は許されない。奇跡なんて期待もできない。警戒しろ。全てを疑え。そしてそれを悟られないようにしろ、オレ。ヨウタが動けない今、みんなを守れるのはオレだけだ。

 

 

「……分かった。疲れただろ。食事はどうする?」

「いただくわ……あ、ペルル――――私のエンペルトは?」

「そこ」

「っ、誰も死んだりしてない!?」

「あ、ああ……回復も済ませてある」

「そ。……良かった」

 

 

 本当は返したくないが、仕方ない。ヒナヨの頭の横にある四つのモンスターボールを置いた小さな机を指差すと、彼女はほっとしたようにひと息ついた。

 ……ポケモンのことを慮りはするんだな。

 いや……安易に信用するな。体力を回復しているから、いつでも攻撃できるってことで安心したのかもしれない。

 

 

「歩けるか? 肩を貸した方がいいようならそうするけど」

「ええ、大丈夫……うん、大丈夫」

「そうか」

 

 

 まあ、肩貸してもオレの方がだいぶ背が低いから、肩を貸すと言うより支持棒になってるだけな気がするが……それを気にしたのだろう。ムカつくな。

 くそっ。何だってこう背が伸びないんだ。写真を見る限り、前のオレの身長は平均程度はあったはずなのに。平均からすると小学生もいいところじゃないか今のオレ。

 いや、待てよ? 体そのものが若返ってるとかで、実は平均的な伸びって可能性もあるぞ。あ、でも女子ってその場合でももうちょっと伸びたら止まるのか……?

 

 ……このデカ女!

 

 

「……な、なんかすごく見てない?」

「気のせいだろ」

「本当に……?」

「気のせいだ」

 

 

 敵だったらコイツ足先から切り刻んで身長低くしてやろうかクソッ。

 いや待て落ち着けオレ。それよく考えたらただの凌遅刑じゃないか。死ぬだろ。ここは上から押し潰して縮めるかたちで……死んだ。

 急に力が人間並みに戻ったせいでまだ完全に脳内の身体性能が補正しきれてないようだ。おのれフラダリ。

 

 ともかく、食事ついでにコイツが起きたということをみんなに伝えに行く。

 顔合わせの反応は――オレよりも、遥かに感触が良い。ある意味それは当たり前だろう。ユヅよりもやや高いレベルのポケモンを持つレジスタンス――となれば、歓迎しない理由は無いだから。

 そもそも、オレの懸念を正しく理解できる人間がいない。オレ以外だとせいぜいリュオンくらいだろうか。もっとも、リュオンとはっきりした意志疎通が取れるのはオレくらいで、他の人にとっては普通のポケモンと同じだ。ニュアンスは汲み取れるだろうけど……。

 

 

「――ともかく、無事なようで何よりだった」

 

 

 ……涙ぐんでいる東雲さんを見ると、どうしてもその辺を言い出せそうには無い。

 大概オレ自身のことは甘いと思ってはいるが……こういう時にうまく追及できない自分の心と頭の弱さが恨めしい。

 

 皆から少し離れたところで、横目で様子を見やる。

 これはヒナヨのことが嫌いとかそういう問題ではなく、現実的にギルがデカすぎるという色んな意味で大きすぎる問題で皆に近づけないだけだったりする。

 ……まあ警戒もあるが、そっちの比重は大きくない。それよりオレの警戒心が伝染してギルがヒナヨのことを睨んでるのがちょっと怖……何してるんだお前オレを抱え込もうとす――アッ肌ザラザラでめっちゃ痛い!

 

 

「ユヅ、たすけて」

「むりですぅ」

「無理かぁ」

 

 

 くそったれぇ……。

 

 

「……あれは……?」

「気にしなくて構わない。隊長……お父さんには伝えているのか?」

「伝えてない。連れ帰られるのがオチだもの」

「それは……そうでしょうね……。人の親なら、心配でしょうから……」

「……人によっちゃそうでもねえけどな」

 

 

 朝木はそう言うが、隊長さんも心配はしているはずだ。でないと職務の枠を超えてまで東雲さんに詳しく娘の話をするようなことも無いだろう。

 ……オレがそう思いたい部分もあるか。親は子供を想うものだ、って。実際、そうじゃない親ってものはいるんだろうし。

 

 

「それより、今ゆず? って」

「はーい?」

「ユヅがどうかしたのか?」

「ゆず……って名前なの?」

「ユヅキだよ!」

「柚子じゃないぞ」

「柚子じゃないのね……」

「どうかした?」

「いえ……ちょっとね。何でもない……とは口が裂けても言えないけど。知り合い……友達? ……何て言ったらいいのかしら」

 

 

 何だ、変に歯切れが悪いな。

 友達なら友達と言えばいいもんじゃないのか?

 

 

「ははーん、さてはネットの友達だな?」

「一瞬で正解にたどり着いてて気持ち悪いんだけど」

「ひでぇ」

 

 

 頭のデキはそれなりに優秀なばっかりに気持ち悪いと罵られるって、朝木もなかなか不憫だな……。

 いや、正直言うとちょっとオレも気持ち悪いなこいつと思ったけど。あれも臨床心理? だかなんだかの応用をきかせたとかそういうやつなんだろうか。

 

 

「ネットの友達で……ゆずきちって子とオフ会する予定だったのよ。この騒ぎでお流れになったんだけど、心配になったワケ」

「ゆず……あ、それウチだ」

「え?」

「えっ」

「は?」

「もしかしてナっちゃん?」

「ゆずきち!?」

「わぁぁ!? すっごい偶然……え、これ喜んでいいとこお姉?」

「オレに聞くな」

 

 

 判断できるかそんなもん!

 こっちはとっくの昔に頭ン中ぐっちゃぐちゃで何から対処を考えたらいいか混乱してるところなんだよぉ!

 

 そりゃあるとは思ってたよユヅもオフ会目的って言ってたし、相手も四国の人間なんだから、この情勢下でもどこかにはいるだろうしな!

 だからって東雲さんの上司の娘がオレの妹の知り合いとかどういうことだ!

 世間が狭い!!

 

 

「ナっちゃんって何だ」

Knight(ナイト)§Chick(チック)っていうハンドルネームだよ。カッコいいよね!」

「やめて」

「カッコよくない? 真ん中の記号とか」

「やめて!」

 

 

 記号って何だよ。

 何でハンドルネーム付けた張本人なのに恥ずかしがってんだよ。

 何だお前支離滅裂か。

 

 ……まあ支離滅裂具合じゃ今のオレの頭の中も大概だがな!

 

 

「分かるぜ……」

 

 

 なんか変なの来た。

 

 

「分かります……」

 

 

 オイおかわりまで来るんじゃねえ。

 何やってんだ年長者二人。話がこじれるからやめろ。

 

 

「いいか、ノリと勢いだけで決めたりネットのジェネレーターで出力したり本名からモジるのはやめろ……死ぬぞ」

「死ぬ」

「……記号をちりばめたり、他の人に乗せられたりして……通常使うべきでない場面で奇怪な小文字を使ったりしてしまうと……その後も、自分自身の本質とまるで違うことを言い続けることになって……死にます……」

「死ぬ」

「何こんなクソみたいな環境で接続もできないネットの恥の話してんだよアンタら」

 

 

 別に日常的な話するなとは言わねえけどここですべき話でもねえだろ。

 もうちょっと緊張感持てるだろ。持ってくれよ。敵地目前だし島田島も目前だぞ。言葉通りの意味で死ぬぞ。オレはこのままギルにちょっとキュッとされたら死……やめろやめろお前オレの耐久力人並みに戻ってるんだぞ!

 

 

「のっ」

「……うん?」

 

 

 情勢に反してあまりにのん気に過ぎる話に辟易していると、不意にオレの前に何やら黒い塊が姿を現す。

 こいつは……モノズのようだ。誰の……って、オレたちの中の誰もモノズは手持ちにいないんだから、野生かヒナヨのものしかありえないか。

 

 

「どうした?」

「ののっ」

「腹減ったって? ほら、これでも食べな」

「ののの」

 

 

 ギルに抱えられながら近くに置いてあった焼いたササミを差し出すと、モノズは……表情に出すことは無かったが、なんとなく美味そうにしながらもっ、もっ、とササミを()み始めた。

 モノズってたしか「粗暴(そぼう)」ポケモンだっけ? 粗暴感薄いなこいつ……どっちかって言うと大人しめだ。その辺は個体差か。人間だって「賢い生物」と分類されてはいるけど、みんな頭が良いわけでもない。中には猿未満じゃないかと思わせるような愚物もいる。このモノズも例外のうちの一匹だろう。

 しかし……なんだろうな、この不思議な波動。のっぺりとしたような……抑揚が無いような……どこかで感じたことがある気がするんだよな……。何だっけ?

 

 

「何であの子当然みたいにポケモンの言いたいこと理解してるの?」

「あれは例外中の例外みたいなもんだから気にしちゃ終わりじゃねえかな……」

「あと彼女は君よりも四つは年上だ。いや五つだったか」

「嘘でしょ……!?」

 

 

 なんて失礼なヤツだ。

 ……オレの年齢の話になる度に何回かやってる気がするなこの流れ!

 

 

「というかそろそろ話を戻せよ」

「お、おう。……俺ら何の話してたっけ?」

「ハッ倒すぞ」

「話を始めたばかりでそもそも何を話していたということも無いと思うのだが」

「……とりあえず……明朝のことから話し始めた方が良いかと……」

 

 

 まあ、とりあえずそうなるだろう。

 今日はヒナヨを見つけたから結果的に何もできなかっただけで、本来は寸断された道に橋を架けて島田島まで行く予定だったんだ。で、またここに不確定要素の塊であるヒナヨが絡むと話が二転三転してしまうが……仕方ない。

 

 

「まず、ヒナヨさん……で、いいんですよね……?」

「ええ」

「……はい。ヒナヨさんが今後どうするか、ですが……」

「当然、ついて行くわ」

「い、いや、流石にそれは……もう少し考えた方がいい。あれほどの事態に見舞われたのであれば、目に見えない部分での疲労も相当なものに……」

「怪我は無かったんだし、こんな状況でしょう? 私もレジスタンスじゃエースよ」

 

 

 嘘は言ってない、が、正しくもない感じだ。

 アレ、多分レジスタンス(に加入してる仮定の上)じゃエース(級の実力を持ってる)よ、ってことなんだろう。騙されんぞ……。

 

 

「いいんじゃないですか。オレたちも戦力はどうしても欲しいし、ユヅの時と同じだ。何ならこっちでフォローすればいい」

「アキラちゃんは冷静ってかいっそ冷徹だな……」

「ん~……コレは……本当にお姉が冷静なときだから参考になるよ」

「何で分かんの……?」

「血の繋がり的な?」

 

 

 的な?

 ……まあ、的なものだろう。正直、オレの血液どうなってんのか分からないし。もしかしたら人体改造受けた結果なんかDNAとかそういうところが変化してたりするかもしれない。考えれば考えるほど血の繋がり「的な」何かとしか言いようが無いんだな。

 

 

「ともかく同行すること自体は問題無いだろ」

 

 

 その方が監視にも、対処するにも好都合だ。

 

 

「オレたちの目的は伝説のポケモンの力を借りること。だけど、それ以前に戦力になる人材ならどれだけいても足りないくらいだ」

「伝説のポケモンを? この世界にいるの?」

「少なくとも今ンとここっち来てるのって確認されてた……よな? 小暮ちゃん?」

「……はい。トルネロスや、ボルトロスは……こちらで、捕獲したと……あの、忍者……」

「ダークトリニティ」

「ダークトリニティが、言っていたような……」

 

 

 そう。だから「伝説のポケモンがこちらに渡ってきている」という事実自体には、疑いようがない。

 少なくとも、コピペロス三兄弟というイッシュの固有種が来ていて、他のポケモンがいないとは考えづらい。ファイヤー、サンダー、フリーザーなども、たしか複数匹が存在しているはず。そういうポケモンならいてもおかしくない。それ以外も……もしかしたら。

 分の悪い賭けなのは承知の上だ。それでも乗るほかに手が無い。

 

 

「だから鳴門海峡に行く」

「鳴門海峡……ルギアね?」

「やっぱり分かるもんだな、こっちの世界の人間だと」

「分からないなんてことがあるの? カントージョウトホウエンシンオウの日本地図上の位置関係と伝説のポケモンの所在地の割り出しは必修事項でしょ」

「何言ってだコイツ」*1

「ナっちゃんちょっと廃*2に片足踏み込んでる*3から」

 

 

 そんなことしてたのか? と怪訝な目が朝木から向けられた。

 いや流石にそこまではしてない。オレ単に状況証拠で語ってるだけだし……半分以上希望的観測だし……。

 ヒナヨは何だろう。こいつ突き抜けてんな。完全に確信から入ってるぞ。

 

 オレはユヅに視線を送る。

 

 

「で、鳴門海峡に行くのね」

「うん。鳴門海峡に(・・・・・)向かう。準備はしておいてくれ」

「? 明日はし――ゴッ」

「あっ、ごめん!」

 

 

 横から口を挟みかけた朝木の水月に、ふと立ち上がった拍子に転びかけたユヅの肘がわずかに入り、言葉が止まる。

 

 

「もー、何してるのよゆずきち」

「えへー、カレーおかわりしようと思って……」

「足捌きが甘いぞユヅ。体重移動が完璧なら人にぶつかることも無かった」

「もーせーしてます……」

「何その達人みたいな会話」

「こいつら拳法の達人だぞ……」

「何その……何……えっ、?」

「悪いな朝木」

「いやまあ、いいけどな……それより、なんつーかそろそろカレーも飽きねえ……?」

「そうですね……」

 

 

 が、正直この状況だとコレが色々とありがたいんだ。割と適当に煮込んでもそれなりに食える味にはなるし、カレールーも長期保存がきく。それに、様々な具材を一緒くたに煮込む関係上、栄養もそれなりに採れる。味自体はそれほど変わり映えが無いってのが辛いけど……。

 あと、コレ自体はヨウタのリクエストでもあったりする。

 

 

「ヨウタがだいぶハマったからな……どうもアローラやカントーじゃ聞いたことないって話だったし」

「はぁ? え? カレーが無い?」

「ポケモンがいないと流通もまともに機能しないだろうしなぁ」

 

 

 そこはちょっと驚きだったが、まあそういうものなんだろう。現実とゲームの違いだ。

 香辛料や……あと肉とか。色々問題もあるだろうし。

 

 それからは、明朝からの予定について話し合い、早朝から動くためにそれぞれ早めに睡眠を取ることになった。

 話し合いそのものは一件和気あいあいとしているようだったが、さて。

 

 ヒナヨは「釣り」にどう反応を返すことか。

 

 

 

*1
ン抜きスラング

*2
ポケモン廃人。

*3
2019年シーズン14でレート2000オーバー。








 あけましておめでとうございました。


独自設定等紹介
・カレーライス
 第八世代にて登場した食品。ガラル地方で大流行している食べ物らしいが、選択肢によっては主人公はそもそもその存在を知らないこともある。
 そして「ライス」なのに米が一切使用されていないカレーラーメンを作り上げることもある。逆にキョダイマックスカレーは途方もないほどに米が盛られている。
 本作においては、「ポケモン世界では一部の地方で愛好されているマイナーな食品」という扱いとしている。
 そのため、「こちら」の世界に来てヨウタは初めてカレーを食べてハマった。きっと元の世界に戻ったら周囲に布教を始めるはず。




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脅威のビルドアップ


 途中から三人称になります。



 

 

 

 明朝。朝日が昇るかどうかという時間帯に、オレたちは動き出した。

 道路の崩落は数百メートルにも及ぶ大規模なものだ。この場所だけならともかく、この先も同じようになっていたらまた同じように橋を架けて先に進む必要が出てくる。なので、とにかく迅速に行動する必要があった。

 

 とはいえだ。橋を架けることそれ自体は特別難しいことというわけでもない。

 手順としては、まずチュリとしずさんに、向こう岸まで平行に糸を吐いてもらう。更にそこから「クモのす」を使って平行にかけた糸を渡して橋のような形状にする。これで土台が完成。

 次に、粘着質の「クモのす」の上に、落ち葉などを撒いて形状を整える。最後に海水なりみずタイプの技なりで水をかけ、最後に「れいとうビーム」で凍らせて完成だ。

 

 簡単なのは、その辺に水でもぶちまけて凍らせるだけ……なんて、例えばアニメなどやってる氷の橋の架け方になるんだけど、アレは大型車が乗ったら多分崩れるだろうし、路面が非常に荒い。自衛隊のトラックだから、多少の荒れ地くらいなら大丈夫だろうけど……「多分大丈夫だろう」なんて希望的観測で、車を傷めるような真似をするのはよろしくない。これから先もどれだけ使うか分からないのだし。

 

 ともかく、そういうワケで先に進むことそれ自体は問題無いのだが――――。

 

 

「ここから先は別行動だ」

「「「は!?」」」

 

 

 突然のその発言に、皆が困惑の声を上げた。

 正確にはユヅと小暮さん以外、か。嘘だろ、と言いたげな三人に向けて、オレは自分のバイクに乗り込みながら三本の指を立てた。

 

 

「理由は二つ。威力偵察と陽動だ」

「三本立ってんぞ」

「ああ、うっかりしてた」

 

 

 嘘である。

 

 

「けどよぉ、確かにあいつら俺たちが伝説のポケモン狙ってることは知ってるだろうけど……ンなピンポイントに待ち伏せしてるもんか?」

「……考え方を変えましょう……。あの病院でも、分かるように……私たちの敵は……レインボーロケット団だけではなく……裏切った日本人も、含まれます」

「鳴門海峡とルギアを結びつける人はいる、というわけですね」

 

 

 レインボーロケット団の目的もまた、オレたちを排除することと同時により強いポケモンを――伝説のポケモンを確保することだ。

 強力な力はそのまま、この四国を平定した後にこの世界を征服するための力となる。情報があれば欲するのは当然のことだった。

 

 

「だからきっとあいつらは来てる。その規模を確認して――潰す」

「いや単独で潰そうとするなよ、無理だろ!?」

「来てるとしても、ウチらと同じ日本人でしょ? あと下っ端? 幹部もいるかもしれないけど……お姉以上に場数踏んでる人いるの?」

「……無理だな。経緯はどうあれ、アキラさん以上に対人での戦闘経験がある人間が……いてほしくはない」

「願望かよ東雲君……いや分かるけどよ……」

 

 

 まあ分かるが。

 オレだってあの体じゃなきゃあそこまでの無茶はしない。というかできない。その経験を簡単に超えられてたら流石にちょっと落ち込む……っていうかヒくわ。

 

 

「ってワケで、幹部の一人でもいたら仕留めて海に捨ててくる」

「いえ……あの、捨てないでください……」

「非人道的ですからね」

「……あ、いえ、情報源になりえますので……」

「人道……」

「人道とは……」

「……あくまで『可能な限り』ですので……」

 

 

 あっ、はい……小暮さんはオレとは違ってそこそこ割り切れてる人なんだったな……そういえば……。

 ……いや、まあ、オレたちが来るまでずっとレジスタンス活動してきたってなると、そういうこともあったのだろうし、不思議は無いけどさ。自分がやりかけておいて人にやるなとは言い辛いし……。

 

 まあ、それはそれとして。

 

 

「ずっと黙ってるけど、お前は何か意見は無いのか?」

「えっ!? ……わ、私はいいわよ、新参者が変に口出すわけにはいかないわ」

「遠慮すること無いよナっちゃん、ウチだって合流してから……あれ、何か言ったことあったっけ……? お姉?」

「………………」

「ナナセさーん?」

「………………」

「レイジくん!」

「……すまねえ」

「ゆずきち……」

 

 

 そこは、まあ、オレもノーコメントで。

 オレもユヅも、その場その場の場当たり的な戦術はともかく、作戦立案に関してはてんでダメだからな……。

 

 と、まあそんなことを思っていたところ、ヒナヨは観念したように一つ言葉を発した。

 

 

「……全員で行った方がいいんじゃないの?」

「偵察なのに目立ってどうするんだよ」

「じゃあゆずきちと一緒に行くとか」

「もっともだけど、気は進まない」

「何でよ」

「……何でって」

 

 

 コイツ昨晩オレの何を見てたんだ?

 ……ああ、いや、そうだ。まだ昨日は落ち着いてる時の姿しか見てなかったっけ。戦闘中でさえなければ、うちのエースはちょっとユルめの大型犬みたいな性格してるから、脅威度が見て取れるものじゃないんだ。

 ともかく、オレはハイパーボールを指して示す。

 

 

「――近くにいたら、巻き込まれるからな」

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 徳島を武力で支配したアクア団。彼らはレインボーロケット団の一員ではあるが、本質的にその思想と相容れることは無い団体だ。

 彼らの本質はテロリストやマフィアではなく環境保護団体であり、ヒトよりもポケモンを重視する傾向にこそあるが「命を無暗に奪ってはならない」というスタンスは一貫している。

 

 一見するとアクア団は人間の住環境に対して一切の配慮が無いようにも見える。実際に、彼らが元いた世界ではカイオーガの力を借りて陸地を沈めるところにまで至ったほどだ。しかし、そこから先のアフターケアについて、考えを巡らせていないわけではない。

 ホウエン地方には、キナギタウンという「海に浮かぶ町」が存在する。これはアクア団にとっては貴重なモデルケースだった。

 この建築様式を取り入れることで人の生きる場所を設け、ポケモンとの濃密な共生を推し進める――それが彼らの本来の目的だ。決して、人を殺すことは含まれていない。

 

 故に、反逆者の迎撃、などと言われて気が進む者がアクア団の中にいるはずも無かった。

 ある男が来るまでは。

 

 

「ハァーッハッハッハ! よぉ~く見ておけよ、ヤツらは必ず(・・)来るからなァ!!」

 

 

 ゲーチス直属の現地人部隊(・・・・・)。その一人――氷見山(ひみやま)

 彼はレインボーロケット団からの指令を伝えにアクア団の占拠する徳島県庁へと、昨晩突然にやってきた。

 指示そのものは簡潔なものだ。「徳島県に入った反逆者たちを追え」。それ自体は、レインボーロケット団としては当然の選択である。もっとも、アクア団の中に気が乗る人間はいなかった。彼らは本来、和解できるならむしろ現地住民とは積極的に争うべきでないと考えたからだ。

 

 そのため、アオギリはレインボーロケットタワーからの追加人員を要請した。モチベーションの低いアクア団員たちに追走させるのは、どちらにとっても得策ではない。

 だが――氷見山は、待たなかった。

 

 

「ゲームキャラ風情が、人間様に盾突くとはいい度胸だなァ」

 

 

 彼はそう嘲りの言葉を向けると、見慣れないポケモンをボールから出してアクア団員たちを蹂躙した。

 仮にも味方であるというのに、氷見山という男は一切躊躇なく、その場にいた団員たちをボロ雑巾のようにしてのけたのだった。

 これほどの暴力性を持つ人間をここで暴れさせるわけにはいかない、とアオギリは苦渋を飲み込んで動員の要請に応じるしかなかった。

 

 ――命には替えられない。手に負えないと思ったらすぐに離脱しなさい。

 

 と、一言添えて。

 だが、実際にその言葉に従うことができた者は、今はいない。

 

 

「ババルクゥ!」

 

 

 神戸淡路鳴門自動車道。小鳴門橋と隣り合った撫養橋。バリケードを構築して周囲に警戒を送るアクア団員たちのその中心に、一人の男と一匹のポケモンがいる。

 一人は筋骨隆々の大男、氷見山。一匹は、何やら筋肉を見せつけるかの如きポーズをキメている見たことも無い赤いポケモン。アクア団員たちの離脱を阻んでいるのは、このポケモンだ。

 そのポケモンは、逃げ出そうとする団員を見ると瞬時にそれに追いつき、体に針のような口吻を突き刺し――ものの十秒ほどで、その体液を啜り殺したのだ。

 

 恐怖によって人を縛ることは、愚かだが効率は良い。

 自らの力にのみ信を置き、他人と信頼関係を築く気が無いなら――という前提のもとでならば、素早く大勢の人間をまとめ上げる方法として有力だ。

 氷見山がそれを理解しているかどうかはどうあれ、彼がたった一晩で自由に動かせる大隊規模の人員を手にすることができたのは紛れも無い事実である。

 

 

「ほ……本当に来るのですか、例の反逆者は?」

「あァ? 俺の言葉が信じられねえってのか?」

「そ、そのよ……がッ!!」

 

 

 口答えをした男の顔面を、氷見山が殴りつける。男の鼻が歪み、血が噴き出した。

 

 

「グハハッハア! おい、どうした何か言いたいことがあるんだろうが言い返せ殴り返せオラどうした! できねえのか楽しくねえなあ!」

「ごえッ!」

 

 

 彼は続けて、男の腹を踏みにじる。

 それに口を挟むことのできる団員は、いない。単純に実力が足りないというのもあるが――何よりもそれは氷見山が望んでいることだからだ。

 

 彼は生粋の狂人だ。

 人を苦しめ、痛めつけることを好み、より「歯ごたえ」のある人間の心を折り、辱めて傷つけることを更に好む。歯向かってくるならそれも良い。その方が良い。より楽しめるのだから――そのような男に「餌」を与えるようなことが、誰もできるはずは無い。

 

 ――誰か、この男をどうにかしてくれ。

 

 味方であるにも関わらず、アクア団員たちはそれだけを願っていた。

 そして奇しくも、それを果たすことのできる可能性を――彼らが「死神」と呼ぶ白い影が引き連れてやってくる。

 

 

「き、来ました!」

「何ッ、どこだァ!」

 

 

 その報告に、氷見山の唇の端がつり上がる。ついに来たか、と。

 喜色に満ちた彼の表情は――。

 

 

「しょ、正面! 一人(・・)です!!」

「あ?」

 

 

 ありうるはずのない最も愚かしい選択に、色が抜け落ちた。

 

 

「何だそりゃ。馬鹿か?」

 

 

 近くに立つアクア団員が持つ双眼鏡をひったくり、氷見山は正面に目を向ける。

 なるほど、一人――ヘルメットで顔は見えないが、市販品よりもやや武骨な印象のあるバイクに乗った何者かが駆けてくる。

 その速度はせいぜいが法定速度(時速60キロ)程度のものだろう。これ見よがしにやってくる子供のような影に、彼らは驚きが隠せなかった。

 

 確かにこの場所は、周囲四方に遮蔽物の無い開けた空間だ。だが、それでもやりようはある。橋の下や、隣り合った小鳴門橋からの強襲。あるいは海からでもいい。虚を突く方法など山ほどある。それを――。

 

 

「本当に、正面だと……?」

 

 

 氷見山の額に青筋が浮かぶ。更に、「反逆者」と思しき影は次第にバイクの速度を緩め、近くに停車して歩いて彼らの元へとやってきていた。

 気付けば、彼は吠えていた。ふざけるな、と。

 

 

「コケにしてんじゃあねえぞォ、このクソカスがあっ! マッシブーンッ!!」

「バァルクゥ!!」

 

 

 マッシブーンの全身が、「ビルドアップ」によって更に一回り大きくなっていく。

 「反逆者」は、一人を除けば全員が日本人だ。その全てがポケモンの詳しい知識を持っているわけではないが、「ポケモン」という枠組みからやや外れた異質な外見のマッシブーンを見て――ウルトラビーストを見て、警戒心を抱かない者などいるわけがない。ここまで生き残っている者なら尚更だ。

 

 そういった警戒のもとで練り上げられた戦術を、規格外の筋力によって捻じ伏せ殺す。それが氷見山にとって最高の悦楽であった。

 それを、まるでそれにすら値しないとばかりに正面から歩いてなどと。侮っているとしか、彼には感じられなかった。

 

 驚異的な筋力による爆発的な踏み込みのもと、マッシブーンが勢いよく飛び出していく。

 その瞬間速度は音速にも匹敵し、ただの人間にはおよそ赤い線にしか映らないほどに凄まじい。

 ――だが。

 

 

そのくらい(・・・・・)か」

 

 

 その影は――少女は。

 刀祢アキラは。

 知った速度だ(・・・・・・)と言わんばかりに、悠然と――まるで日常の一シーンのように自然な動作で、自らの進行方向にボールを投げた。

 

 直後、莫大な衝撃が周囲に広がっていく。

 それは決して、アキラを殴り殺した際の衝撃……などではない。より大質量の「何か」が、衝突してなお破壊されること無く受け止めた衝撃に他ならない。

 

 

「な……にィィ!?」

「『ストーンエッジ』」

「ぬぅっ、『アームハンマー』ッ!!」

 

 

 双方向から放たれた致命の一撃は、両者の間で猛烈な勢いでもって激突した。

 途方もないほどの衝撃波が周囲に波及し、突風が駆け抜けてアクア団員たちを押し退け、吹き飛ばす。

 

 

(こ……こいつ!)

 

 

 その中にあってなお、アキラは氷見山から目を逸らさず、一切揺らぐことなく立っていた。

 筋肉の塊のような氷見山が吹き飛ばされかけているにも関わらず、である。

 

 

「指揮官はお前だな」

 

 

 彼女は確信をもってそう断言すると、その瞳に燃えるような殺意を宿してその左腰に佩いた居合刀の鯉口を切った。

 氷見山は――その様子を見て、改めて、獰猛に笑った。

 

 

「だったらァ!? どうする!!」

「斬る」

「上等だァァ!!」

 

 

 アキラはその様子を見て――しかし、感情を揺らすことは無い。

 彼女にとって、戦闘は手段である。そこに喜びや悦楽というものは一切無く、自分が「それ」しかできないことも含めて、ただただ凄惨であるだけの唾棄すべき手段だ。

 故に、彼女はこの状況の中にあってなお狂笑を絶やさない氷見山に強い嫌悪感を覚えた。

 

 ――こいつはここで仕留めるべきだ。

 

 本能的に彼女はそう察した。

 当然ながら、アキラに氷見山の人格を見定めるだけの時間など無かった。しかし、彼女の中には明確な判断基準がある。

 

 ――笑って戦うような人に、マトモな人間はいないねぇ。

 

 それは彼女の拳の師の言葉だ。

 戦後すぐ、激動の時代を生きて数々の闘士と拳を合わせた人間はそう語る。実体験に基づく言葉は、スポンジが水を吸うようにしてアキラの胸に沁み込んでいる。

 

 ――拳法とは常に己との戦いだ。目の前の敵に勝って喜ぶなど笑止千万。それは己の未熟の証と知れ。

 

 ――真の賢者はそも戦いを選ぶことすらしない。そうなる前に全てを終わらせるのだ。

 ――しかし世の全てがそうではない。だから人は力を蓄えなければならない。「手向かえぬ」と思わせることもまた肝要だ。

 

 それらの教えの一つ一つが彼女のスタンスに影響を与えている。

 「戦い」を選ぶことそのものが愚かしく。

 仮に戦いになったとしてもそこに喜びなど見出すことは無く。

 容赦など一切せず無慈悲に敵を叩いて潰す。

 

 戦いとは凄惨であるものだ。そこに見栄えの良さや楽しさなどあってはならないのだ。

 常に忌避され、疎まれ、いずれ世から消え去らなければならないものだ。だからこそ、彼女はどこまでもそれが凄惨に映るように戦う。誰もが厭うように、誰もが「こんなことなどしてはならない」と思うように。

 

 

「楽しい戦いになりそうだなァァ……!!」

 

 

 故に、眼前のこの男とは相容れないと、はっきりと感じ取った。

 「楽しい戦い」など存在しないと心の中でその言葉をばっさりと切り捨て、男の戦う手段をも斬り捨てんと勢いよく踏み込む。

 

 

「ハッハァァ!!」

 

 

 その瞬間、人間にあるまじき速度で踏み込んでくる氷見山を見て、アキラは瞠目した。

 その勢い、その力強さ、まるで力を失う前の自分のような――――。

 

 

(いや)

 

 

 その速度は確かに目を見張るものがあるが、それだけだ。

 体重移動や足運びなどの体捌きに見るべきものは無く、普通の人間が普通に行う動作の延長でしかない。高すぎる身体能力に明らかに「慣れて」いないことが読み取れる。

 

 

(つまり――イクスパンションスーツ……!)

 

 

 外部装置で身体能力を強化したということならば、そのチグハグさも当然のものだ。

 それと分かれば対処するためにどう動けば良いのかは、アキラ自身が最もよく分かっていた。

 

 

「チャム!」

「ぬっ!」

 

 

 正面からぶつかりあうべきではない。

 刀の腹で弾いたボールから現れたチャムが、炎を纏った蹴りで牽制することで氷見山の進行を食い止めた。

 

 「人はポケモンには勝てない」。その大原則は、図らずとも彼女がその身をもって体験している。

 あとはその対処法を自ら実践する――つまり、ポケモンをけしかければいいだけのことだった。

 

 

「ハッ……! 一瞬で見抜くか、骨がありやがる! オラ行けやケケンカニィ!」

「ケェッカァ!!」

 

 

 急ブレーキをかけた氷見山が放ったボールから姿を現したのは、けがにポケモンのケケンカニだ。

 白い体毛を身に纏ったそのポケモンは、チャムの姿を見るや否や、猛然と突進を始めた。しかし――その瞬間、見計らったかのように、アキラと氷見山の声が重なった。

 

 

「――『かみなりパンチ』!」

「『クラブハンマー』ァァ!!」

 

 

 チャムの眼前で回転したケケンカニが、その遠心力を上乗せした打撃を放つ――瞬間、チャムの拳にまとわりつく火炎がプラズマ化した。

 正面から衝突した二つの拳は、ほんの一瞬拮抗した様子を見せたものの、その趨勢も即座にチャムの側に傾き、ケケンカニの胴部を雷光が貫いた。

 

 

「ガニィ!」

(読みが深ぇ……!)

 

 

 相性に劣るケケンカニを出したところで、アキラはその目的が「クラブハンマー」であることは察していた。

 問題はそれを放つタイミングだが、闘争を嫌悪しながらそれに対して絶対の才能と適性を有する彼女にとって、他者の「攻め気」を見抜くことなど息をするほどに容易いことだ。あとは最適のタイミングで指示を出すだけで、打ち返すことができる。

 

 もっとも、それは実行する側(チャム)にも相応の実力(レベル)が要求される行為だ。

 少なくとも、それが自分たちに匹敵するかあるいはそれ以上のモノがあると察した氷見山は――。

 

 

「グハハハハハハハハハハハハハハァッ!!」

 

 

 ――全霊の歓喜と共に、満面の狂笑を浮かべた。

 

 

「最高の獲物だなテメェ!! 待ち伏せした甲斐があったぜェ、ハアッハアアアアアァアッ!!」

「…………」

 

 

 対して、アキラは至極冷然とした態度を堅持したまま、双方の戦力と現在の戦況を分析する。

 

 

(……マッシブーンはギルと互角。ケケンカニはチャムの方が上回る……)

 

 

 誰かは知らないしどうでもいいが、幹部クラスの実力者であることは間違いない。

 強い、だがそれだけだ。ウルトラビーストを所持してはいても、伝説のポケモンを持っているわけではない。アキラ一人ならば十二分に抑えきれるし、このまま押し切れる。

 何百人といたアクア団員はそのほとんどが撤退して散り散りになっている。

 

 

(――そんな状態で「待ち伏せ」だと?)

 

 

 ありえない、と彼女の感覚(けいけん)が訴えていた。

 待ち伏せとは即ち、敵に何らかの害を負わせるためのものだ。足止めにしろ、迎撃して壊滅を狙うにしろ、この戦力ではあまりにも中途半端に過ぎる。

 単に現地人の戦闘狂を使い潰すのが目的であるにしろ、ほんの二週間余りでこれほどまでに高め上げた実力を持つ人間を使い潰す意義は薄い。

 

 考えうる可能性としては、やはり現地人がレインボーロケット団上層部に助言してルギアを探しに来た――という部分だが、だとするなら氷見山のような戦闘狂を派遣するというのはあまりにも道理にそぐわない。ルギアを弱らせるならもっと強い幹部格を揃えてくるべきであり、隠れて近づいてマスターボールなどで捕獲するというなら、ダークトリニティを派遣した方がまだやりやすい。

 

 

(チグハグすぎる)

 

 

 そこには当然ながら意味がある。

 

 

(つまりコイツには、確実に勝つ手がある(・・・・・・・・・)。オレたちはこっちに逃げてくる時、ヨウタが健在であるように見せかけたはずだが……もしもそれを知ってたら、一人で足止めなんて選ぶはずは無い。この程度の実力なら、あいつは文字通り瞬殺できる)

 

 

 即ち、ヨウタが健在ではないことは相手に知れ渡っている。

 それを察することそれ自体はそう難しくないだろう。アキラ自身もそれがあくまで時間稼ぎであることは理解していた。

 だとしても、アキラたちはそれ以降レインボーロケット団の前に姿を見せていない。疑惑の段階で留まっていてこれがその確認であるというのならまだしも、「ヨウタが重体である」という確信を持って行動しているその事実自体がおかしいのだ。

 

 

(間違いない。ヒナヨは敵のスパイだ! とすると――――、っ!)

 

 

 と、考えを巡らせたその瞬間。不意にアキラを影が覆った。

 遮蔽物の存在しない橋上においてあまりに不自然なその現象に驚くことなく、彼女は即座にチャムを伴ってその場から飛び退き、指示を発した。

 

 

「ギル、チャムと位置交代(スイッチ)! 上だ!」

「!」

 

 

 それは、通常のバンギラスの倍はあろうかというギルをも更に超える巨体だった。

 それほどの規模の質量が、空に浮かんでいる(・・・・・・・・)。その異質さ、異様さは実際に目にすれば驚きこそすれ、知る者が見れば「これならば」と納得はできるものだ。

 

 

 かがよふ 

 

 

 ――うちあげポケモン、テッカグヤ。

 その体長は9メートル超。三階建てのビルにも相当するその威容を見て、アキラは即座に攻撃を決定した。

 

 

「『はかいこうせん』!」

「バァァァン……ギアアアアアアァァッ!!」

「『ラスターカノン』!!」

 か 

 

 

 黒色の光線が空を裂き飛来すると同時、どこからともなく発せられた指示に応じたテッカグヤがその口――と思しき窪みから銀色の光線を放つ。

 宙で激突した二つの光は互いに絡み合い飲み込み合うと、やがて空間に割れたような音を響かせて消滅した。

 直後。次第に、テッカグヤの背につい先ほどまでは存在しなかった人影が浮き出してくる。

 

 

「グハハハッ、ざまあねえなあ三ツ谷(みつや)ァ!」

「……っ、あああああああ!! くそっ、喋るな! うるさい! お前が下手な戦い方してるせいで、狙いが狂っただろ! 迷彩も……!」

 

 

 その背に乗っているのは、強い焦りを浮かべた痩せぎすの青年だ。彼はアキラを見下ろしながらも喚き散らすように声を発し、テッカグヤの背で地団太を踏んでいる。

 その風体に比してあまりに幼稚な言動に、流石のアキラも困惑した。戦場に出て来て何を言ってるんだこいつ狂ってんのか、と。

 

 

(ともかく、撤退も視野に入れて……)

 

 

 どうあれ、こうなってくるとアキラは圧倒的不利の状況に置かれる。

 その前にまずは逃げることを考えなければ――と考え、ちらりと背後に視線を向けた時だった。

 

 

「ィィィィ――――――」

 

 

 遠方から、何か。

 途轍もない派手な極彩色の光と共に――何やら、「音」が迫ってくる。

 本来ならあと数か月もすれば、恐らくは聞くことになるだろう音響。アキラも耳にしたことがある、しかし本来ならばこのような情勢下で聞くはずのない――花火の音。

 それを感じ取った瞬間、彼女は再び動いた。

 

 

「リュオン! もう一体来る!」

「リオ……!」

 

 

 ボールから現れたその瞬間、リュオンは砕けんばかりの勢いでアスファルトを踏みしめ前に出る。

 駆けてくる七色の光は、その爆音と共に火炎を弾けさせ――叫んだ。

 

 

「レェェ――――ッツゥ! パアアアリィィィィィ――――!!」

 

 

 三匹目。

 ピエロの如き外見を持つポケモン――はなびポケモン、ズガドーンと共にやってくるのは、全身を派手な衣服で飾った若い女だ。

 彼女はその外見と同じく派手に飾り付けたオープンカーに乗り込んでおり、七色の「はじけるほのお」を辺りに撒き散らしながら、全速で駆けてくるリュオンを迎え撃つ。

 

 

「『だいもんじ』!!」

KABOOOOOOOM!!」

「『ボーンラッシュ』!」

「ルアァッ!」

 

 

 本来放たれる紅ではなく、その体色と似た七色に色づいた「大」の字の火炎。およそ致命の一撃となりうるそれを、リュオンは真正面から見据えて、己の波動で生み出した根を用い――瞬時に引き裂いた。

 同時に、その進撃を食い止めるため、走り来る車のエンジン部に「ボーンラッシュ」の一撃が叩き込まれる。

 

 

「!」

 

 

 大きく歪み、破損したその車体が走行という本来の役目を果たすことは叶わない。更に、漏れ出したガソリンにズガドーンの噴き出す火花が引火する。

 まずい、と思ったその瞬間には、もう火はエンジン部まで到達していた。そして――爆発。轟音と共に車が火を吹いた。

 

 

(ただの馬鹿か)

 

 

 アキラは即座にそう結論づけた。死なせる気は無かったが、そもそもあのようなパフォーマンスをしながら戦場に割り込んできて無事で済むと思う方が間違っている。

 そもそも、ガソリンに引火した原因はズガドーンが撒き散らした自分自身の火炎だ。それで爆死したとしても、自業自得としか言いようが無い。

 関心を失いかけたその時、不意に感じた波動によってアキラは視線を僅かに上に向けさせられた。

 

 

「ヒュウッ!」

 

 

 およそ生きているとは到底思えない爆発の中にあって、しかし女は生きていた。

 爆発炎上するその直前、彼女は――恐らくはイクスパンションスーツの生み出す――常識外れの身体能力を用いて、その場を離脱していたのだ。

 一方、爆発の中心にいてなお健在なズガドーンは、そもそもがほのおタイプのポケモンである。多少爆発を受けたところでダメージは無いのだろう。カラカラと嗤うような鳴き声を上げ、アキラとリュオンに向けて歩き出した。

 

 

「遊んでんじゃあねえぞ阿曽沼(あそぬま)ァ!!」

「遊んで? ハッ、ナイスジョーク! 爆発炎上する車からの脱出! 視聴者が求めてんのは派手な画だって分かってないなぁ!」

 

 

 ケラケラと笑い声を上げながら自撮り用のビデオカメラを掲げる女――阿曽沼に、アキラは思い切り舌打ちをした。

 戦闘狂が来たと思ったら、次は思い通りにならないことがあると子供のように喚き出す癇癪持ち、果ては戦いをエンターテインメイトか何かと勘違いしている物狂いだ。

 そのいずれもが、戦闘能力に長けたウルトラビーストを持っている……などと、悪い冗談だと思いたいというのが彼女の正直な気持ちだった。

 

 

(包囲された上にポケモンの数は三対四と劣勢……か)

 

 

 アキラを守るようにして三方に陣取り、背を預け合ってそれぞれの正面に立つポケモンたちを見据える三匹。その肩越しに敵の姿を見やりながら、アキラは小さく右手を掲げる。

 

 

「上等だ」

 

 

 ――つまり、ここで敵を釘付けにしていれば、仲間たちの負担が激減するということだ。

 敵はウルトラビースト三匹と、後ろに控えているであろう手持ちポケモンたち。その程度(・・・・)は倒せなければ、この先に待ち受けているであろう数々の敵も倒せるわけがない。

 そう自分に言い聞かせ、彼女は一歩を踏み出す。

 

 

「――纏めてかかってこい。全員叩き潰してやる」

 

 

 そこに喜びや悦楽は存在しない。

 彼女はただ、闘志と憎悪と殺意で心を満たし、倒すべき敵に狙いを定めた。

 

 

 








・殺意
 殺意があるのは確かだが、だからといって殺すとは限らないのではないだろうか?(詭弁)


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がまんすることは性に合わず

 三人称です。




 この事件に始端(はじまり)があるとするならば、奥更屋ヒナヨにとってそれは一ヶ月ほども前のことになる。

 

 アキラとヨウタが出会う、その更に二週間前の夕方。自宅近辺の桑野川に隣接した道でランニングをしていた彼女は、道の脇に生い茂る草むらの影に、何やら得体のしれないものがうごめいているのを見た。

 彼女が住んでいるのは、阿南市の拓かれた平地だ。山も海もそう近い場所にあるわけではなく、少し車を走らせてもらえばすぐにそれなりに栄えた街並みが見えてくるという、四国の中ではそれなりに恵まれた立地だった。

 

 とはいえ彼女も四国の人間である。何だかんだ、野生動物の危険性についてはよく父母から言い聞かせられていた。頻繁ではないがイノシシなどが川岸に姿を見せることはあるため、こういった場合には決して近づかないのが一番だとも理解していた。

 

 しかし、それでも気になって視線を向けてしまったのは年頃故の好奇心か、それとも本能的に引き寄せられたものか。

 彼女のその視線の先にいたのは、イノシシ――に似た、全く別の生物だった。

 

 体高40センチ。成体にしてはやや小さく、幼体としては大きい。が、その毛皮の模様は確かにイノシシの……中でも幼体(うりぼう)の特徴を示していた。 

 しかし、まるきり違う。体毛はイノシシのものよりも遥かに長く、四肢を隠してしまうほどだ。その四肢も非常に短く、ひとつひとつの歩幅が非常に狭いために歩みもまた非常に遅い。

 何より特徴的なのは……その息。食料を探してか、くんくんと周囲を嗅ぎ回って息を吹きかけたその跡には、薄く白い霜が降りていた。

 

 

「あ、ウリムーだ」

 

 

 ほとんど何の気なしに自然と発せられたその発言は間違いなく正鵠を射ていたが、同時にこの状況のおかしさをそのまま示していた。

 いのぶたポケモン、ウリムー。ポケモンに対して強い思い入れを持つ彼女にとって、その存在についてつい何の気無しに真理を突く発言ができるのは当たり前のことだった。

 

 何をするでも、何ができるでもなくそのままの姿勢で固まっていた彼女は、自分の発言を認識するのに数分ほどの時間を要した。

 

 

「――――はああああああああああああ!!? うええええええええええええ!!?」

 

 

 そして彼女は、驚きのまま叫んだ。しばらくは意味すらなさない叫び声でしかなかったが、だからこそ、それが彼女の心をわずかに落ち着かせた。

 見間違えるはずはない。あれはウリムーだ。ウリムーだ! 何でこんなところに? いや、そもそも何でポケモンがこの世界に? 様々な疑問が湧いたものだが、それらは瞬時に霧散した。

 ウリムーが、その場に体を横たえたためだ。

 

 

「!」

 

 

 その息遣いはやけに荒い。体調を崩していることは、遠目からでも明らかだ。 

 野生動物に迂闊に近づいたり触れたりするのは避けるべきだということは、ヒナヨも理解していた。が。

 

 

「ああ、もう! ほっとけない!」

 

 

 彼女は自衛官の娘として、ゲームを通してとはいえポケモンをこよなく愛する人間の一人として、そのような状態の(推定)ウリムーを放っておくことなどできなかった。

 

 ヒナヨは知る由も無いことだが、この時点で既に、レインボーロケット団の暗躍は進んでいる。ウルトラホールを介して他の世界と行き来するうちにこの世界との経路(パス)は比較的繋がりやすくなっており、少数のポケモンが誰も意図しないうちに「こちら」の世界へとやってきていた。

 例えば、それはアキラの祖母宅の鶏小屋に落ちてきたチャムであり――このウリムーでもある。

 

 ウリムーは本来、その多くが寒冷地に生息している。それが、突然の世界間移動によって温暖な気候の徳島にやってきてしまったとなれば、肉体的な負担も大きい。身体を横たえたのはそうして体力を消耗してしまったがためだ。

 

 

「大丈夫!?」

 

 

 駆けつけたヒナヨは、急いで息と脈を確かめた。息は――ある。ただし、冷蔵庫や冷凍庫に手を差し入れた時に感じる冷気と同じほどに冷たい。

 脈は……。

 

 

(分かるわけないでしょ!!)

 

 

 分厚い毛皮と「あついしぼう」に遮られ、感じ取るも何も無かった。

 迂闊な自分に小さく悪態をつきながら、彼女はジャージが汚れることも厭わずにウリムーを抱え上げ、家路を走った。

 

 

 そうこうして、ウリムーが元気を取り戻したのは、それから二日後のことだ。

 

 帰宅した後、ヒナヨは様々な工夫を試した。冷たいものを飲ませてみたり、氷を当ててみたり……更にその翌日は、休日を全て潰す勢いで思いつく限りのことを試したものだが、最も効果があったのは、結局のところ単に栄養を摂らせることだった。

 多少特殊な生態をしているとはいえ、ポケモンはポケモン。その生命力と環境適応能力はこちらの世界の生物のそれを遥かに上回って高く、翌日には元気にヒナヨの部屋を駆けまわる――かなり遅いが――姿が見られることとなった。

 

 

「おいで、むーちゃん!」

「むむむぅ」

 

 

 結果的に言えば、だが。

 本来、彼女が助けずとも、ウリムーはポケモンとしての本能で体を縮小させて物陰に潜み、適当なものを食べて体力を回復して元気になっていたことだろう。

 しかし今ほどに早く回復はせず、整備された街中では食料も見つかる可能性が低い。仮に見つかったとしてもそれは個人の畑などであり、そうなれば害獣として駆除されることもありえただろう。命の危険があったことに変わりはなく、そこに救いの手を差し伸べたヒナヨは、ウリムーにとっては非常に好ましく尊敬すべき人間として映っていた。

 

 

「モンスターボールが私らの世界にもあったら良かったんだけどね」

「むぅ?」

 

 

 ヒナヨは、母に対してウリムーのことを「衰弱した仔犬」として説明している。

 毛布でくるんでいたため誤魔化すことができた(と本人は思っている)が、「治るまで」と期限が決められてしまったために、あまり長く家に置いておくわけにはいかない。

 

 とはいえこのウリムー、普通の動物と比べて非常に大人しく、賢い。

 無暗に鳴くようなこともなく、決められた寝床で睡眠を取り、その上トイレに連れて行けば普通に便座に座って用を足す。というかわざわざ連れていかずとも普通に自分からトイレに行く。

 キノコに目が無く、少しだけ抜け毛が多いのが玉に瑕だが、それくらいはもう愛嬌で済まされる。

 

 歳を経てイノムー(体高1.1メートル)やマンムー(体高2.5メートル)になってしまったら、まあ少しどころではなく大変なことになってはしまうが。

 

 

(ポケスペだとヤナギおじいちゃんのウリムー、あれだけ強くてもウリムーのままだったのよね。まあ多分大丈夫でしょ……)

 

 

 と、希望的観測のもとそういうことにした。

 先延ばしにしてブン投げたとも言う。

 

 どうあれ、この世界にとって完全な異物であるウリムーはどの動物の群れにも馴染めないし、その強い力で、あるいは生態系を乱すこともありうる。

 何よりヒナヨ自身が、ウリムーと離れたくないと強く感じていた。

 

 ――その日の晩、ヒナヨは母親を強く説得してウリムーとこれからも一緒にいることの許可を得た。

 母親はウリムーの猪なのか犬なのか毛玉なのかはたまたぬいぐるみなのかよく分からない外見に困惑していたが、ともあれ愛らしいその姿にほだされてなんとなく許可を出した。

 

 それからの日々は、前にもましてヒナヨに大きな楽しさを感じさせた。

 自宅で一緒に映画を観たり、大きなカバンを用意して食事やショッピングに行ったりと、それはごくありふれた――ささやかながら幸せな日々だった。

 時折、若い感性(ちゅうにびょう)に突き動かされて「カバンの中に紛れ込んで学校まで来ちゃったウリムー」を割と意図して演出しかけたりもしたが、ウリムーがそこそこ賢く「流石に行っちゃまずそう」だと察したために問題は起きなかった。

 

 

 そうこうして数日が過ぎた頃、彼女は「ポケモンが現実に現れるなんて流石にトンデモ現象過ぎるわね」と急に冷静になった。

 極度の興奮状態でなんとなく勢いで行動していたが、それはそれとして原因がまるで分からない。

 

 

「むーちゃん、どうやってここに来れたか分かるかしら?」

「むむぅ?」

 

 

 当然ながら当のウリムーに聞いたところで答えてはくれない。

 人の言葉を喋ることができないのでそれは当然だ。ともあれ、彼女はそれを知らなければならないと感じた。そこで思い当たったのは、以前からネットで懇意にしていた「ゆずきち」だ。

 彼女とは二年ほど前にポケモンのコミュニティサイトで知り合った間柄だが、それ以来年齢が近いこともあって妙にウマが合い、その後もSNSなどで頻繁に交流を持っていた。彼女のことを思い出したのは、以前「神隠し」や「取り換え子(チェンジリング)」などの超常現象の実現性について意見を交わしたことがあったためだ。

 

 もっとも、ゆずきち――ユヅキは神隠しや取り換え子(チェンジリング)という単語を出したのはヒナヨで、ユヅキの側は何がなんやらといったところだったが。

 彼女は徹底した感覚派である。

 

 曰く、詳しくは話せないが、彼女の身内がそういった現象に巻き込まれた――と。

 そのことを思い出したヒナヨは、連絡先を知っていたユヅキにまず取り次いだ。そうすると。

 

 

「うん、詳しくは分かんないけどわかった! じゃあ、直接会おーよ!」

「えっ」

「じゃあウチがそっち行くね。用事あるし。あ、ゴールデンウィークでいいよね? 今年十連休だし!」

「えっ」

 

 

 そういうことになった。

 お互いに具体的なことは言わなかったが、何か内心に秘めたものがあるのだろうということは互いに察していた。

 ヒナヨはウリムーのことについて詳しく相談しようと。ユヅキは姉になってしまった兄について相談しようと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そうして、「最初」の日が訪れる。

 

 

 

 

 

「良いポケモンですね。このような未開の世界には勿体ない。私が解放して差し上げましょう」

 

 

 

 

 

 ヒナヨのウリムー(むーちゃん)がどれほど彼女を好いていても。

 どれほど心を交わしていようとも。

 

 その本質は変わらず、野生のポケモン(・・・・・・・)である。

 他人の投げるモンスターボールを弾くような電子的なセキュリティなどあるはずもなく。

 

 

 ――その日、奥更屋ヒナヨはレインボーロケット団に屈した。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 そして、今。

 

 

(何でゆずきちのお姉ちゃん一人で行っちゃうのよぉぉぉぉぉぉぉーっ!!)

 

 

 ヒナヨは、島田島へ向かうトラックの車内で頭を抱えていた。

 彼女にとっても、レインボーロケット団は不倶戴天の敵である。

 いっそそれを話してしまえたならどれほど楽だろうか。しかし、それを許してくれない者がいる。

 

 

「の」

「よく食べるねー。おいしい?」

「のっ」

「…………」

 

 

 今も至極のん気にユヅキの手から菓子を受け取って食べているモノズだ。

 自分は無害ですよという顔をしておいて、このモノズは元々「ゲーチスの手持ちだった」という極めて特異な出自を持つ。

 更に正確に言うとするなら、「ゲーチスのサザンドラの仔」である。ヒナヨの動向を監視し、いざ叛逆の兆候があれば帰還して報告の代わりとするのだ。

 

 その首に備えられた細い首輪は、「ひんし」になったことや外されたことを感知する機能を持つ。

 更に、ヒナヨの腕にかけられた腕輪も同等の機能を持ち、一定距離以上離れた時点で検知される。ボールに入れて放置というわけにもいかず、戦闘に出したり雑な扱いをすることもできない。

 もしもそのようなことになれば――。

 

 

(……むーちゃん……)

 

 

 彼女の大事な友達(ポケモン)は、間違いなく無事では済まないだろう。

 ヒナヨは強く唇を噛んだ。友達(ポケモン)を助けるためとはいえ、彼女が陥れているのもまた友人であるユヅキと、その仲間たちだ。胸が痛む。胸は痛むが――スパイとしての役割を果たせなければ、ウリムーの奪還というヒナヨの目的も果たせない。

 

 そもそも、彼女自身は「こちら」の世界側の勢力に対して敵意は無いし、できることなら負担は減らしたいと考えていた。そうして今の彼女にできる限りの工作は行っているのだ。

 

 まずヒナヨは、ヨウタが大怪我を負っているという報告をある程度過剰に盛ることで「今のヨウタは戦力として数えるに値しない」という印象を植え付けた。これは最大戦力のヨウタが戦闘に参加しないということを誇張し、送り込んでくる戦力を可能な限り「幹部格以下」に抑える策だ。レインボーロケット団の面々、特に伝説のポケモンを従える首領格ともなると、暇ではいられない。統治に集中するためにも、できるだけ表に出ずに済むならそうしたいというのが本音であろう。

 戦力そのものはレインボーロケット団側が優勢となる。が、アキラたちの戦闘経験は、この地獄のような四国を生き抜いてきただけあって膨大だ。格上相手であってもある程度まで戦線を維持できる可能性は高い。そこへ、「本当はある程度無理をすれば動くことができる」ヨウタをぶつけることで勝利する。その予定――だったのだが。

 

 

「ナっちゃん、どしたの? なんか顔怖いよ?」

「……ごめんなさい。ほら、お姉さん無事かなって思って」

「あはは、お姉なら大丈夫だよ」

 

 

 何故この娘はこれほどまでにアキラを信頼しているというのだろうか。

 そして当のアキラは何故本当に一人で行ってきて、そして撤退せずに戦っているのだろうか。狂ってんのか。

 

 

(だいいち、あの子……いえ、あの人、私に対してやけによそよそしいのよね。他の人より警戒心がすっごい。絶対何か疑われてるわ……)

 

 

 仮にもレインボーロケット団に協力させられている関係上、その敵対勢力筆頭であるアキラやヨウタについての噂を聞く機会は多い。

 ヨウタなどは言うに及ばず、アキラ――レインボーロケット団には本名は知られていないが――など、鬼、悪魔、死神などとも言われ、前触れなく突然現れては甚大な被害をもたらすという災害めいた扱いもされている。事前に戦闘狂としか言い表しようのない氷見山のことを知っていたのも大きいが、ヒナヨからの印象は有体に言ってF.O.E.(たたかったらしぬやつ)だった。

 

 実際に会えば別にそんなことはないと理解したものの、問題は彼女の怒りのツボだ。何をすれば、どうしたらレインボーロケット団員を恐怖のドン底に陥れるほどの猛威を振るうだけの……言うなれば「スイッチ」が入ってしまうのか。今のヒナヨにはそれが分からない。

 下手に地雷を踏み抜けば、本来なら同じ目的を持つ同志だと言うのに、何やら知らない内に躊躇も容赦もなく再起不能にされてしまうことだろう。

 

 

「そ、そういえばゆずきち、なんか高速道路から離れてない?」

「そう? この辺の道詳しくないし、ウチ分かんないや」

「実際離れてるのよ。東雲さんから何か聞いてない?」

「ウチそういう話に混ぜてもらえない……」

「ごめん」

「レイジくん、知らない?」

「ユヅちゃんが混ぜてもらえてないのに俺が混ぜてもらえると思うてか」

「ごめん……」

 

 

 朝木に作戦立案能力は無いし戦闘能力もこのメンバーの中では低い方だ。よってそもそも戦術を立てるその場にいたとしても、横から聞いているだけでそのうち頭からも抜け落ちる。医学知識を学び直し、ロトムと協働して新たにポケモンの能力を転用した医療法を確立するために、脳のほとんどのリソースを割いているためだ。

 片手間でそこに混ざっても無意味だ。ならいっそのこと、医学書を読み込むのに時間を使った方がまだ有意義である。

 

 その一方、ユヅキはヒナヨたちが思うよりも冷徹だ。

 ユヅキは刀祢アキラの妹である。彼女と比較すれば快活な性格であることは確かだが、根本的なところではやはり彼女譲りの冷静さを秘めている。今のアキラの思惑について最も理解しているのは、ユヅキだろう。だからこそ、朝木がヒナヨに言いかけた「本当の行き先は島田島」という発言を止めたのだ。

 しかしながら、その方向性は(あに)と比べると異なる。アキラが波動を基にして判断しているのに対し、ユヅキは常に感情と直感に依って判断する。

 

 

(お兄は心配性だなぁ。ナっちゃんはきっと敵じゃないって。もし仮にそうだとしても、きっと事情があるもん)

 

 

 意図せずして、彼女の直感は正解を引き当てていた。

 もっとも、ヒナヨが言葉にしない以上ユヅキがその事実を知ることは一切無い。場合によっては、アキラがしびれを切らして――あるいはヒナヨが敵であるという決定的な証拠を掴んで、排除するべく攻撃するということもあるだろう。そこは仕方ないことだ。悪いことをしてたのなら、裁かれないといけない。

 

 しかし、アキラなら悪いようにはしないだろう。ユヅキはそんな風に考える。

 彼女の(あに)に対する信頼は、時によっては妄信にも映りかねないほどに強固だった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 戦闘が始まって、一時間ほどが経った。

 

 実戦における勘というものが実戦の中でしか磨かれないというのなら、ヨウタを除けば今の四国において最も戦闘勘に優れる存在は刀祢アキラに他ならない。

 必死に格上に食らいつき、大怪我をしながらもほとんど常に最前線で戦い続けた。加えて、彼女はその超常の力を使いこなすためにも二年の間修練を欠かしたことが無い。

 それだけの戦闘経験の上で彼女が下した判断は。

 

 

(戦闘技術は最底辺(プルート)や下っ端以上、非戦闘員系幹部(ランス)以下。ポケモンの力量に対してあまりにもお粗末だ)

 

 

 砲撃めいたマッシブーンの「メガトンパンチ」を、チャムが単純なフェイントとウィービングを織り交ぜてかいくぐり、ズガドーンの「はじけるほのお」はギルが岩塊を叩きつけて打ち消す。上空から降り注ぐテッカグヤの「ラスターカノン」や「うちおとす」は、波動を用いた先読みで、リュオンにはその一切が当たらなかった。

 そしてもう一匹、残ったケケンカニは――。

 

 

「ベノン、『どくどく』!」

「ベにュッ!」

「ガニぇ!?」

「ち……クソがァ! テメェ届かねえところからチクチクチクチクうっぜぇ! 正面から来いっつってんだろォが!!」

 

 

 アキラの腕に抱かれ、三方を仲間たちに囲まれたベノンの毒液により、徐々にその体力を削られつつある。

 ケケンカニも決して能力の低いポケモンではないが、ウルトラビースト三匹が一斉に攻撃を敢行するその現場に踏み込むには、現在の実力ではやや力不足だ。アキラが自らのポケモンたちに指示して、あえて「押し返さない」ことを選んだこともまた、ケケンカニが追撃を加えられない理由となっていた。

 

 

「三ツ谷、阿曽沼、テメェら本気でやってんのか!? たった一人にどういうザマ晒してんだ、えぇ!?」

「と、自分だけポケモン二匹出しておいて勝てない無様が言う~ヒヒハッ」

「僕は弱いんだから勝てなくて当たり前なんだ……! 悪いのはお前だろ!」

「…………」

 

 

 力押しが通用するのは一定以下の実力の相手に対してだけであり、複数戦闘において重要なのは、常に連携である。

 少なくとも、アキラはヨウタにそのように教わっており、その基本に忠実にポケモンたちに指示を出していた。対して、この三人の連携はあまりに拙い。そこに付け入る隙があるが――同時に、アキラ自身そうすることは控えていた。

 

 

(こいつらの力の使い方は常に「自分だけ」が、だ。他の二人への影響を考慮することも無く攻撃している今、戦線を膠着させていれば余波で勝手に消耗してくれる)

 

 

 それは強すぎる力を制御できない人間が持つことの弊害だ。

 その「弊害」については、彼女自身が最もよく理解している。かつては愛すべき家族をも傷つけかねなかったのだから。

 

 ズガドーンの放つ火炎は周囲に弾け飛んで他者の身体を焦がすし、テッカグヤが飛ばす光線とその衝撃は他の二匹を掠めていく。唯一近接格闘を主軸にしているマッシブーンであっても、その剛拳を振るうことによって発生する風圧が微細に他のポケモンの攻撃に影響を与えていく。結果的に、それを踏まえて立ち回るアキラと彼ら三人との間には、現状であってもそれなりに大きな体力差が生じていた。

 

 

「塩試合の上に無言とかサイアク~! なんなのそれでいいの人生損してるゥ~!」

「ギル、『あくのはどう』!」

「グルルァァッ!!」

BOMB!!」

 

 

 周囲のアスファルトを焼いていた火炎がギルの放った黒い光線によってかき消され、同時にズガドーンの身体を掠めて小さく傷を作る。

 対してズガドーンも相当に強力な勢いの爆風でそれに対抗するが、「あくのはどう」の直線状にあるものは拡散し、結果的にそのあおりを受けるのはテッカグヤやマッシブーンだけとなる。

 

 

「あ゛っっっづ!! くっそ……僕に当たってるんだが!?」

「あっ、ごっめーん☆ でもそれ、オイシいからいいでしょ!」

「うるさい! 煽ってるのか!? この……ッ『エアスラッシュ』! 『エアスラッシュ』! 『エアスラッシュ』!」

 ふ ぅ 

「『みきり』」

「ル――――」

 

 

 上空から降り注ぐ、不可視の刃がアスファルトを切り裂いていく。しかしやはり、リュオンにそれが触れることは無い。その全てがすり抜けていくように、流れ去っていく。

 単純な「みきり」の効果のみならず、波動の活用による先読みをも併用すれば直撃に至ることはまず無い。周辺一帯を焼き尽くす飽和攻撃に対しては意味をなさず、かつ反撃もできないという欠点はあるものの、この状況下であれば、通り過ぎた空気の刃はズガドーンとマッシブーンへ被害を及ぼしていくため、勝手に相手の体力は削れていく。

 

 

(いつ攻勢に転じるか……)

 

 

 問題は、ウルトラビーストの並外れた能力だ。体力もまた相応に高く、戦闘開始から延々と回避を続けてなお、倒れる気配は無い。

 特に、テッカグヤはその巨体故に無尽蔵とも言えるほどの体力を有しており、無機質な表情は現在の残る体力を推察させない。

 加えてほぼ常時空を飛んでおり、近接攻撃はほぼできない。

 

 

(弱いなんてうそぶいてるが、一番厄介なのは……三ツ谷って呼ばれてたアイツだ。指示も雑、動き方も雑、はっきり言ってトレーナーとしては下の下だが、テッカグヤのデカさと破壊力だけで厄介さがハネ上がってる。このまま放置はできないが、他の連中もどうしたもんか……ヨウタなら余裕なんだろうが)

 

 

 現状は三対三、あるいは四対四ではなく、一対一が三つ、全て並行に戦闘が進んでいるような状態だ。一つ戦線を崩せばそこから瓦解することは目に見えている。

 アキラの手持ちポケモンの中で、ウルトラビースト相手の戦闘に対応できるのはチャムとリュオン、ギルの三匹のみだ。体の小さなチュリやそもそもの能力が低く訓練を積んでいないシャルトは直接的な戦闘には向いていない。遠距離から毒を射出でき、かつ特性「ビーストブースト」及びオーラによって「特攻」の能力値を強化されているベノンならば、現在のようにアキラに抱かれながらであれば移動砲台のようにして戦況に対応できるが、それも補助という以上にはなりえない。

 

 

(長期戦は覚悟してるが、体力がどこまで続くか……)

 

 

 敵は全員イクスパンションスーツの着用者だ。少なくとも通常の人間よりは、遥かに体力の消耗が軽減されていることだろう。

 現在のアキラはそういうわけにもいかない。長期戦になれば、まず間違いなく先に脱落するのはアキラの方だ。

 ならば、と彼女は一つ指示を出す。

 

 

「チャム、『ねっぷう』! ギル、『かえんほうしゃ』! リュオン、『しんくうは』!」

「バシャ……!」

「ゴアッ!」

「!」

 

 

 マッシブーンの攻撃から一歩退いて振りかぶったチャムの腕から、猛烈な勢いで熱波が噴き出し周囲に熱を撒く。ギルはズガドーンの爆風を打ち消すようにして口から炎を放ち、リュオンが空気を掻き回してアキラたちの周辺にやってくる熱を遮断する。

 

 

「おっほ、ファイアァ! アーイイ、イイですよォコレェ! ズガドーン、やぁっちまい!」

BOOOOOOM!!」

 

 

 割り込むように放たれたのは、ズガドーンの「だいもんじ」だ。渦のように連なっていた火炎に更に加わる七色の炎が、周囲に弾けて熱を撒き散らし、アキラたちを囲うようにしてアスファルトをも溶かしていく。

 

 

「何を余計なことしてやがる! 殴りに行けねえだろうがこのボケ!」

「ハ! だぁって、あんたらに目立ってもらっても? 再生数(スウジ)に影響しないじゃなーい。邪魔邪魔!」

「うるっさいな、お前がどけよ! 僕が……熱ッ!!」

「ああん? ……ッ、阿曽沼ァ!! ズガドーンの攻撃を止めろォォ!!」

「はぁ?」

 

 

 そして、異変に最初に気付いたのは、金属質の肉体を持つテッカグヤに乗った三ツ谷だった。

 戦闘開始から延々と吐き出されていたズガドーンの爆炎と、チャムたちの攻防によって周囲に撒き散らされた火炎、そしてたった今、アキラが自らのポケモンたちに命じて放った強い「熱」――これらは戦場に強く作用し、周囲の気温を急激に高めていた。

 温度にしておよそ60℃。人間にとって活動できる限界を遥かに超えた気温であり、このまま放置しておくことはそのまま命に関わりかねない極限の環境だ。

 

 アキラはそれを、先の攻撃で更に助長させた。イクスパンションスーツを着用していると言っても、それは言うなればロボットに乗っているようなものだ。パイロットが衰弱して動けなくなれば、ロボット自体ももはや動くことは叶わない。

 リュオンの「しんくうは」によって形成された炎の渦は、そのまま彼女らへの影響を防ぐ壁だ。少なくとも彼女らがあの中にいる限り、高温による身体機能障害はそう簡単には(あらわ)れない。マグマ団との戦いで得た経験をもとに即興で作り出したこの「場」は、着実に氷見山たち三人の体力を奪っていった。

 

 

「ケケンカニ、『アイスハンマー』ァッ!!」

「ケェァッ!」

 

 

 即座に対応すべく、氷見山がケケンカニに命じてその場に拳を叩きつけさせる。その冷気は熔けかけたアスファルトを固め、氷見山の周囲の温度を確実に下げていった。

 対して三ツ谷は熱に喚くばかりで対策を打てず、テッカグヤに命じてその身を地上に降ろして氷見山の方へと向かって走り込む。残る阿曽沼は――。

 

 

「アハハハァーッハッハ! もんじ! もんじ! 『だいもんじ』! アハァー!」

KAAAA-BOOOOOOOOOOM!!」

 

 

 ――知らぬとばかりに、ズガドーンに火炎を放たせていた。

 

 

「テメェ、このボケが! 共倒れだぞ!!」

「ノンノンノォン! 共倒れ? ハァ! 死んでくれていいんだよ、マッシブーンもテッカグヤも貰えれば? ド派手にやれるじゃない!」

「このイカれ女があ!!」

「サンキュー戦闘狂(バトルジャンキー)ィッハァ!!」

 

 

 結局のところ、この三人はただ一人一人が「自分」にのみ目線を向け続けているだけの人間である。これまで「三人がかりの方が効率がいい」という考えはあったが、氷見山と三ツ谷の消耗とアキラの消極的な姿を見たことで、「全員まとめて殺した方が得がある」という考えにシフトしてしまったのだ。

 本質的に他人の被害になど目を向けることは無いし、自分さえ良ければそれだけで最高にハッピーであると信じて疑わない人間が三人。故に、ある意味では仲間割れ(こうなる)のもまた必然の出来事だと言えた。

 時間稼ぎに徹してダメージを最小限に抑え続ければ、誰かが必ず功を焦り、突出して足並みを乱す。やがてそれは致命的な不和と化し――目の前で隙を晒す。

 

 その瞬間を、彼女は待っていた。

 

 

「――結べ(・・)

 

 

 小さな声と共に、内から生じたまばゆいばかりの光が炎の渦を引き裂いた。

 そこから飛び出したのは、リュオン――メガルカリオ。彼女はズガドーンが放ち続ける「だいもんじ」を全て躱して肉薄する。

 

 

「『ボーンラッシュ』!」

「ルォ……アアアアアアアアアアッ!!」

BRROOOOOOOM!?」

 

 

 両手に携えた長大な一本の棍が、爆弾そのものであるズガドーンの頭部を避けて全身に叩きつけられる。

 全身全霊を込めて滅多打ちにされたその末――線香花火が落ちるその瞬間のようにズガドーンの頭部がその場に落ち――――その身は阿曽沼のボールへと送還される。

 

 

「あと二人」

 

 

 冷然としたアキラの呟きだけが、風に乗って消えた。

 

 

 



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ふくろだたきの包囲網



 三人称です。




 

 

「え……へ?」

 

 

 彼らにとっては、わずか一瞬のことだった。

 ほんのわずかに目を離しただけだったというのに、そのわずか一瞬の隙を突かれただけで、ウルトラビーストが沈んだ。

 それは、ウルトラビーストの力に強い信頼を寄せる――妄信とも言い換えられる――彼らにとっては、大きな衝撃だった。

 

 ――準伝のカプが全力で戦う化け物だぞ。

 ――規格外の怪物だぞ。

 ――それを、あんな。

 

 ――ただの、ポケモンが!!

 

 

「うっそ」

 

 

 それがこの場で阿曽沼が呟いた最後の言葉となった。

 リュオンの掌を雷電が走り、ポケモンの基準としては極めて優しく――触れるように、阿曽沼の首筋が叩かれる。

 その瞬間、強烈な電気刺激によって彼女の身体が痙攣し、意識を失いその場に崩れ落ちた。

 

 

「――――――」

 

 

 それと同時に、アキラは視線を次の標的に移した。

 まず彼女は手近な敵から排除したが、この中では最も「厄介」なのは間違いなくテッカグヤだ。制空権を取られている今、それを操る三ツ谷を排除するのは優先事項だった。

 それに伴って発せられる殺気は、普通の日常を生きてきた人間が許容できる限界を遥かに超える。

 

 

「て……て、テッカグヤぁ!!」

 かがよふ 

 

 

 ――逃げなければ殺される!

 そう認識した三ツ谷は、ほとんど無意識のうちにテッカグヤを呼び寄せていた。

 手が焼けかけるのにも構わず、彼はその巨体に再び乗り込み、逃走を図った。

 

 

「『はどうだん』」

「ルオオッ!!」

「!! マズいッ、急上昇!」

 

 

 無慈悲に放たれた巨大な青い球体。しかし、その一撃は体内の可燃ガスを用いて急上昇したテッカグヤには、ただ片腕を掠めるのみに終わった。

 体勢を崩されながらも上空数十メートル地点にたどり着いた三ツ谷はほっと息をひとつ吐いて……直後、その目を見開いた。

 

 

墜とせ(・・・)

 

 

 その一言と共に、テッカグヤを追い越して上空に消えていったはずの巨大な「はどうだん」が無数に分裂――そのまま、まるでクラスター爆弾のそれを思わせるような勢いで、真下にいるテッカグヤの背に向けて降り注いだからだ。

 

 

「う、うわっ、うわああああああ!! くそっ、テッカグヤァ! 『ワイドガード』!」

 かご 

「チィ……正面しか見えていないのかカス野郎が! マッシブーン、『ギガインパクト』ォ!!」

「バババッバアアルクゥ!!」

「ギル、止めてくれ。『ストーンエッジ』! チャム、跳べ!」

「グルァァァッ!!」

「シャアアッ!」

 

 

 絶大な威力を秘めた一撃同士の再びの激突に空間が軋み、衝撃で橋がわずかに(たわ)む。

 圧力を伴う爆発的な風圧が二人のトレーナーをも巻き込んでいく。しっかりと地に足をつけて踏ん張って耐える氷見山に対し、アキラはあくまで自然体のままそれを受け流して見せた。

 

 

(こいつ……ッッ!!)

 

 

 その姿に氷見山が感じたものは、やはり歓喜だ。

 これだけの戦闘技術。ポケモンたちの強さ。桁外れの鍛え方! その全てが彼の中の暴力性と闘争本能を刺激する。

 

 殴り合いたい。殺し合いたい。屈服させたい。その涼しげにしている顔を地面に叩きつけて這いつくばらせたい!

 その感情が自身の中の悪性に由来するものだということを氷見山は理解していたが、では、その事実が何に影響するというのか。

 レインボーロケット団の手によって秩序という秩序が崩壊した今、彼は自らの感情を抑圧する気など一切無かった。ただ、己の悦楽を追求するのみ!

 

 

「グ――――ハハハハハハハァーッ! 今だ、行くぞオラケケンカニィ!」

「ガニャァァ!」

 

 

 リュオンとチャムが一時的に離れ、ギルがマッシブーンを止めるために前に出たこの瞬間をこそ、氷見山は好機と定めた。

 ポケモンの人間と比べて遥かに高い能力と、イクスパンションスーツによって強化された膂力を用いた爆発的な加速だ。およそまっとうな人間には対応すらできないほどの速度に、しかしアキラは顔色一つ変えることは無かった。

 

 

「『ベノムショック』」

「ベノノッ!」

 

 

 毒液が散弾めいた勢いで噴出し、一瞬氷見山たちの視界が奪われる。そこで、アキラは残る二つのボールをその場に落とした。

 そこから現れるのは二匹の小さな影。チュリとシャルトだ。その姿を見て、氷見山は――小さく怒りを露にした。

 

 

「期待外れだ! そんな切れっ端のカスみてえな出来損ないのチビに何ができるってんだァ!?」

 

 

 勝手な期待に対しての勝手な失望だ。身勝手なその言葉に、本来ならばアキラは眉一つ動かすことは無いだろう。

 しかし、「それ」は彼女にとっての逆鱗だった。

 

 

「貴様の勝手なものさしで私の相棒を測るな」

 

 

 その瞬間、ただ冷たかっただけのアキラの目に燃えるような怒気が宿る。

 自分のことならば、どれほど罵倒されようと侮られようと受け流せるだけの余裕はある。しかし、苦楽を共にして時に寄り添ってくれる相棒たちが、よりにもよってレインボーロケット団の側についた狂人に馬鹿にされることは、耐えがたい苦痛だった。

 トレーナーの怒りに呼応してチュリとシャルトが動き出し――次の瞬間、氷見山の視界から二匹の姿が消える。

 

 

「何……ッ!?」

 

 

 ありえない、と目を剥く……よりも先に、彼は周囲に視線を巡らせた。

 あれだけ黄色い目立つ毛玉と、動き自体はそこまで素早くは無い浮くトカゲだ。見失ったなどありえない。氷見山もケケンカニも、そう思いたがった。

 

 

「ケャッ!?」

 

 

 その思い込みが、致命的な隙を生む。気を逸らしたその瞬間、ケケンカニの足元から突如として水が噴き出した。

 ただの水ではない。ベノンが生成した、無色透明に近い毒液――「ベノムトラップ」だ。

 「どく」状態か、あるいは「もうどく」状態に陥り、免疫力の落ちたポケモンでなければ通じないが、全身の筋肉を弛緩させる強力な神経毒だ。こうげき、とくこう、すばやさの能力値を削がれ、ケケンカニは一瞬その体をふらつかせた。

 

 

「絡め手かうざってえ! ケケン」

「シャルト、『おどろかす』!」

メ゛~!!!

「おお゛ッ!!?」

「ケガッ!?」

 

 

 それでも攻勢に移ろうとした、その間隙を縫って出された指示に合わせてシャルトが橋の下を「すりぬけ」て突如として氷見山たちの前に現れる。

 曲がりなりにも、シャルト――ドラメシヤはドラゴンタイプである。その体はまだ未発達でありながらも人間のそれよりも遥かに強靭だ。そこから放たれる大声は、もはや音波や衝撃波と呼んでもいいほどのものに仕上がっており、彼らの動きを止めるには充分な威力を秘めていた。

 

 

「今だチュリ、『エレキネット』!」

「ヂィッ!」

「ぬ……くっ!!」

「ケギャァ!?」

 

 

 そして直後、氷見山の背後(・・)から蜘蛛の巣状に織られた電撃が飛来する。

 仮にも人間でしかない彼にそれを耐える術は無い。それを理解している以上、その行動は早い。ケケンカニの前に出て攻撃を押し付けるような形でそれを躱すと、行動不能に陥ったケケンカニがボールに戻るのに合わせて別のボールを取り出す。

 

 

(こいつ、いつの間に……!!)

 

 

 バチュル(チュリ)は小さく非力で、一見すれば戦闘に向いていない。

 その主要な攻撃方法も「充電した電気」であり、発電能力も持っていない。特筆すべきは頑丈かつ柔軟な糸くらいのもの。

 ――――だと、少なくとも相対した人間は認識する。

 

 その本当の強みは、一連の戦いの中で自然と鍛え上げられていった、その「速度」だ。

 元より蜘蛛という生物は跳躍能力に優れている。「こちら」の世界における蜘蛛でも、体長の数倍はあろうかという距離を飛び越えるほどだ。それがポケモンともなれば、脚力は更にその数十倍から数百倍にも至る。他のポケモンのように正面から敵を打ち破る力にこそ欠けているが、氷見山だけでなくケケンカニをも欺いてみせるほどに、チュリの速度は驚異的だった。

 

 そして一瞬のうちに、アキラは踏み込んだ。

 波動によって強化された肉体をバネとして、帯電した鞘を発射台に代えて放つ神速の居合。蒼い稲妻が尾を引いてその軌道を描き――瞬時に鞘に納められた。

 

 

「斬ると言ったぞ」

 

 

 次の瞬間、氷見山の両腕がズレ(・・)、落ちる。

 当然、彼が握っていたボールもまた、開かれることなく――地面に落ちた。

 

 

「う、うお、おあああああああああッ!!?」

「チュリ、糸!」

「ヂュッ」

 

 

 即座に、アキラの声に応じてチュリが糸を放つ。単純な拘束だけでなく、止血も兼ねた強度の強い縛り糸だ。バチュル特有の通電性の高さもあり、その場で打ち込んだ蒼雷を纏った掌底によって氷見山も意識を手放すことになった。

 

 

「リュオン、ギルのフォローに入って!」

「ル!」

 

 

 アキラは倒した氷見山にそれ以上の関心を向けることなく、即座にマッシブーンとテッカグヤに視線を向けた。

 そこでアキラが目にしたのは、変わらず凄絶なまでの殴り合いを繰り広げるギルとマッシブーン、そして――。

 

 

「ッづううあ゛!!」

 

 

 その半身を赤熱化させるほどにチャムによって炙られたテッカグヤだ。

 熱伝導率の高い鋼鉄の身体は頑丈ではあるが、同時にその背に乗って指示を出すようなタイプのトレーナーにダイレクトに熱を伝えてしまうという欠点がある。そのような状態でいつまでも耐えられはせず、三ツ谷は先程の焼き直しのように再び橋上に転がり込んだ。

 

 

「がっ、あ……服が、肌が焼けてる……! 痛い痛い痛い! あああああああ!! くそっ、お前ェ! こんなことして何とも思わないのか!?」

「思わない」

 

 

 ひどく冷たいアキラの返答に、三ツ谷は絶句した。

 

 

「そんな世迷言を口走るくらいなら最初から戦場(こんなところ)に立つな」

 

 

 アキラ自身は、どちらかと言えば善人と言っていい感性の持ち主である。人の悪性を憎み、人殺しを忌避し、他人を傷つける術しか持たない自分を嫌悪する。

 だが同時に、戦うなら躊躇うことはしない。それが敵であるなら――悪と断ずれば、傷つけることも厭わない。そうしなければ自分の後ろにいる誰かが傷つき殺されると、この一連の戦いの中で学んだからだ。

 彼女の感情は、ひどく擦り切れていた。

 

 

「弱者を傷つけて楽しいのか!?」

「笑わせる。誰が弱者だ」

「僕は昔からずっといじめられてて」

「だから何だ? それがレインボーロケット団なんかに手を貸すことと何の関係がある」

 

 

 三ツ谷を仕留めるべく歩みを進めるその度に、彼の口から泣き言が漏れる。

 その様子に、内心の辟易を隠すことなくアキラは一つ舌打ちした。

 

 

「余計なことを喋るな。まずはテッカグヤをボールに――」

「うるさい! 僕のだ! 僕の力だぞ! そうやって最初から何でもできるヤツは僕から奪って見下そうとするんだああああああ!」

「『ブレイズキック』」

「シャモ」

「ヒッ!」

 

 

 次の瞬間、三ツ谷が倒れ込んでいるその数ミリ横を、チャムの蹴りが掠めた。

 アスファルトが砕けて破片が周囲に散らばる。その勢いに圧された三ツ谷は、二の句を継ぐことができずにいた。

 

 

(少しはまともに話ができると思いたかったんだが)

 

 

 激しい被害妄想に、いっそここまで来ると感嘆しそうになるほどの自己憐憫。他の二人と比べると一見まだ会話が成立しそうに見えたが、とんでもない。ともするとこの男が一番話が通じない。この三人は方向性が異なるだけで、皆一様に人の話なんて聞かないということだ。

 

 

(穏便には済ませられないか。なら――)

 

 

 あわよくば話の流れで情報の一つでも漏らしてくれればいい、という希望的観測を持っていたアキラの企ては消え去った。

 こういった人間には論理も倫理も通じない。根本の部分がねじ曲がったまま心に強い芯が刺さっているようなものだからだ。既に折れたものを更に折るというのは難しい。

 ――正攻法であれば。

 

 

まず(・・)指の一本でも折るか)

 

 

 要は、その歪んだ芯からそれ以外の全てに至るまで粉々に叩き壊し、平らに均してしまえばいい。

 こと「壊す」ことにかけて、アキラの右に出る者もそうはいない。彼女はものを壊さない手段を学んでいるが、それは「ものが壊れるまでの閾値を学んだ」とも言い換えられる。ほんの少しそれを踏み越えれば、人間など簡単に壊れるのだ、とも。

 

 状況が状況だ。気は進まないが死なない程度になら仕方ないだろう。そう結論づけてアキラは刀に手をかけて――。

 

 

「――チャム、上!」

「!」

 

 

 感じ取った敵意に応じるように、即座にチャムに注意を促す。

 今のアキラにかつてのような異常な視力は無い。しかし、それを補うように気配に対してひどく敏感になっていた。その彼女の感覚が警鐘を鳴らす。何かが来る、と。

 

 ――果たして、空から矢のように何かが飛び込んでくるのを、チャムは見た。

 その大きさはともかく、速度と勢いは先の戦いの中でもそうは見なかったほどのものだ。マッシブーン……では、ない。あのウルトラビーストは今なお、やや離れた場所でギルとリュオンの二匹を相手に大立ち回りを繰り広げている。

 そうなれば、自ずとどういった人間がやってきたのかは絞り込める。

 

 

「新手か……!」

 

 

 予想はしていたが、当たってほしくはなかった事態だ。これまでもいくつかの作戦をこなしてきたが、そのほとんどが当初想定していた展開とは異なる戦況を辿っている。希望的観測というものは悉く外れるものだな、と彼女は眉根を寄せた。

 戦闘そのものが長時間に及んだこともあって、アキラの体調は芳しくない。が、そんな事情を斟酌(しんしゃく)してくれるほど生温い敵などいるわけはない。後顧の憂いを断つためにも、ここで戦う必要があった。

 

 そうして空からやってくるのは、紫色の影。飛んで、と言うよりは空を裂くようにしてやってくるそのポケモンには、アキラも見覚えがあった。

 

 

「クロバットか! シャルトとベノンは戻って! チュリ、『クモのす』! チャム、『かみなりパンチ』!」

「ヂ!」

「シャアッ!」

 

 

 相性の悪さと危険性の高さから、シャルトとベノンは即座にボールに戻される。他方、残った二匹の行動は素早い。

 撫養橋にも他の橋と同様、タワーとケーブルが懸架されている。チュリの放った「クモのす」はその部分を塞ぐような形で架けられた。

 敵の多くはトレーナーであるアキラを狙って攻撃を行う。そうなれば確実に糸に絡め取られ、少なからず動きが鈍るだろう。仮にそれを避けるために迂回して飛んでくるなら、それはそれで軌道が読みやすく、カプ・コケコとの模擬戦を幾度か行って目を慣らしてきたチャムにとっては獲物も同然だ。

 

 

「――迂回してくる!」

「バシャァ!」

 

 

 そしてアキラの予想通り、クロバットは蜘蛛の巣を迂回して飛び込んできた。

 チャムの腕にプラズマが帯び、鋭い視線が交錯し――激突することなく、通り過ぎた。

 

 

「――!?」

「何……!?」

「ババッ!」

 

 

 通り過ぎて行ったクロバットは、まず即座に三ツ谷を回収し、次いで昏倒して地面に倒れ伏している氷見山と阿曽沼を連れ去り、そのままアキラたちから離れていった。

 肩透かしを食らってしまったアキラとチャム(ふたり)は前のめりのまま転びかけた。

 

 

「っ、こいつ! チュリ、『いとをはく』!」

「ヂィ!」

 

 

 なんとかして逃走を阻止しなければ、情報を得られない。ここで逃すものか――と伸ばした糸は、届く直前でその軌道を変えた。

 

 

「ッ――……エスパータイプ! 『シグナルビーム』!」

「ヂュィィ!」

 

 

 極めて細く、糸のように凝縮した三原色の光線だ。派手さや破壊規模こそ他の技には劣るが、威力自体は決して劣らない。その一撃が直撃したのは、空に展開した透明な壁だった。

 相当に強力なエスパータイプのポケモンの「ひかりのかべ」だ。

 

 

「容赦や加減というものを一切感じさせない惨状ですね。いっそ惚れ惚れしますよ」

「……誰だ」

 

 

 彼女も、その言葉に素直に応じると思っていたわけではない。他ならぬアキラ自身、敵に対しては問答無用で攻撃を行っているのだ。答えることなく逃げられることも、またありうる話だとは感じていた。

 しかし、その予想を覆して、空に広く敷いた「ひかりのかべ」を応用した「道」を歩いて、男が姿を現す。

 

 

「お前は――」

「久しいですね。二週間ほどですか。忘れた……とは言わせませんよ」

「ランス……!」

 

 

 黒い衣服に、顔面に刻まれた深い傷。

 最初に出会った頃と多少の差異こそあれど、その姿は紛れもなく、アキラが最初に戦ったレインボーロケット団幹部――ランスだった。

 

 

 



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それはあくむの黒い旋風(かぜ)


 三人称です。



 

 

 アキラにとって初めての「敵」と呼べる存在は、間違いなくランスという男だった。

 戦略眼に優れ、その場に応じた戦術を組み立て、最低限の自衛の手段を持つ。アキラが戦って勝ったというのもあくまで奇襲戦法ありきの結果であって、当時の彼女では正面から戦っては逆立ちしても勝つことは不可能だっただろう。

 「そうしなければ勝てない」と断じている時点で、間違いなくアキラはランスを現場指揮官として、あるいは幹部として一定以上に評価していた。

 

 対するランスにとって、アキラ――本名は知らない――という少女は、紛れもなくトラウマの象徴だ。通りすがりついでに片手間のように作戦を破壊して、ランス自身にも文字通り深い傷を刻み込んだ、悪鬼のような存在だ。恐怖感を拭うというのは難しい。

 鍛え直してなお、アキラの強烈な印象はランスの奥深いところに突き刺さっていた。若干の女性不審に陥るほどの鮮烈な経験だ。見た目に惑わされるということは今後一切無いだろうと彼自身も自認していた。

 

 多少の差異こそあれ、二人にとって自分の目の前にいる相手は紛れもなく「油断ならない強敵」だ。

 故に、交錯する視線には少なからず緊張感が伴っていた。

 

 

「――遠足の引率か?」

「見ての通りですよ」

 

 

 そう言うと、ランスは自身の服を示した。以前とは異なる、黒い色の制服だ。

 

 

「貴女のおかげで幹部の座から降ろされました。今は行動隊長……このどうしようもない人たちの上司になっています」

「落ちぶれたものだな」

「お陰様でね。そちらはまた、壮健なようで」

 

 

 皮肉に対して、ランスが動じるような様子は無い。逆に、アキラのポケモンたちの成長具合をしっかりと把握するほどに、ランスには余裕があった。

 

 

「……何をしに、ってのは愚問か?」

「私はただ、この敗北者たちを回収に来ただけですよ。フーディン、『テレキネシス』」

「フッ」

 

 

 ランスに続いて現れたのはフーディン――以前、アキラが目にしたケーシィが進化したものと思われるそれだった。

 三人もの人間を抱えて疲れ気味だったクロバットの翼から、氷見山たちが浮かび上がる。更には、戦闘中だったマッシブーンや橋上に突っ伏していたテッカグヤまでもがボールに戻される。これで、ほぼ完全に一対一の状況となった。

 

 

「はいそうですか、と逃がすと思うか」

「ウルトラビーストとの連戦で消耗している貴女たちが、今まともに戦えると?」

「そんなヤワな鍛え方をした覚えは無いな」

 

 

 少なくとも、アキラのポケモンたちは今だ絶えず闘志を見せている。リュオンのメガシンカは解除されておらず、ギルも威嚇を続け、チャムの四肢から噴き出す炎も衰えることを知らない。

 連日の激戦は、間違いなくアキラを含めた全員に地獄のような苦しみと痛みを与えてきたが、それらを乗り越えたことで、ポケモンたちには激戦の連続を耐え抜くだけのスタミナが備わっていた。

 

 チリチリと空気そのものが焼けつくような感覚の中、先に動いたのは――リュオンだ。

 波動によって指示すら出す必要の無いアキラとリュオンにとって、奇襲と隠密行動は最も得意とするところだ。選択した技は、軽減できるタイプの少ないゴーストタイプの「シャドーボール」。音も無く発せられた一撃だが。

 

 

「『エアスラッシュ』」

 

 

 次の瞬間に、クロバットによって放たれたによって空気の刃によって霧散させられた。

 それを見届けたランスは、クッ、と一つ喉を鳴らしてアキラと氷見山を見比べた。

 

 

「貴女もそこの戦闘狂(バトルマニア)と同じ類でしたか?」

「戦いに快も楽もあるものか。イカれた脳内麻薬中毒者(ジャンキー)と一緒にするな――チャム、跳べ! 『かわらわり』!」

「シャァァァッ!!」

「愚問でしたか。フーディン! 『サイコキネシス』!」

「フゥァアァッ!」

 

 

 フーディンがその意識を集中すると共に、チャムの進行方向の空間が歪み始める。着弾までわずかコンマ一秒ほど。その刹那の間にアキラは攻撃の矛先を見切り、口を開きかけた。

 チャムが視界の端で捉えたのはその一動作(ワンアクション)だが、彼にはそれだけで充分だ。軸足の指先に強い力を込めることで進行方向を調節。空間のねじれを回避して見せた。

 

 

「不可視の念力までもを……!」

「見えないからどうした」

 

 

 現象を起こしているのがポケモンの生体エネルギー……一種の波動である以上、アキラにそれが見えない道理は無い。

 習得そのものはごく最近のことでありながら、彼女の波動使いとしての力量は戦場の中で研磨され続けている。ある意味で言うなら、彼女の技量が高くやけに容赦が無いのは、無用にレインボーロケット団がストレスと苦難と逆境を与えすぎたせいと言えよう。

 

 

「バッ、シャァァァァッ!!」

 

 

 裂帛の気合と共に、「ひかりのかべ」が砕け割れた。それに伴ってランスの体勢が崩れかけるが、直後にフーディンが再度「テレキネシス」を使用したことで、彼らは再び空中に浮かび上がりかける。

 

 

「フーディン、我々を地上に降ろしなさい!」

「ディンッ」

 

 

 しかし、空中に戻ってもそこに壁は無い。戦術的優位を取ることも難しいと考えたランスは、即座にその思考を却下。地上に戻ることを選択した。

 だが当然、そのまま降りるのでは迎撃される可能性が高まるだけだ。ここで手札の一つを切ることは避けたいのがランスの本音だったが、そうして隙を見せればアキラは即座にランスの顔面を潰しに来ることだろう。今は手札を晒してでも彼女から離れることが先決だった。

 

 

「行きなさい、ジバコイル!」

「コォ――――」

「ギル、頼む!」

「グルルルルアァッ!!」

 

 

 ランスが選択したのは、新たに手持ちに加えたジバコイルだ。クロバットやフーディンなど、これまでに見せていたポケモンの進化系とは異なる一匹に、アキラも僅かに驚きを見せた。

 が、それはそれだ。彼女が切ったのは最強の一手。容赦無く、正面から叩き潰すというこれ以上ないまでの明確な意志だった。

 

 

「『ばかぢから』!」

「『ラスターカノン』……!」

 

 

 全身の筋肉を隆起させたギルの圧力すら伴うほどの突進と、生体エネルギーに由来する光を集約したレーザーとが激突する。

 ギルは元より破滅的なほどの威力を備えた技を放つが、ジバコイルのそれも相当な威力を秘めている。しかし、互いの攻撃が拮抗していたのは一秒にも満たない間だけだ。

 力強い踏み込みで強引に前に出たギルが、ジバコイルの鋼鉄の身体を掴んで地面に叩きつけ、全力の握撃を見舞った。

 

 

「ギギッ、ジ――――!」

「グィラアアアアッ!!」

 

 

 ミシミシとジバコイルの身体が悲鳴を上げる。ギルの体表にも幾多の傷がついているが、未だその体力が尽きる様子は見られない。

 

 

「『すなおこし』というのは、厄介なものですねえ……」

 

 

 通常なら、タイプ相性が勝っていることもあってジバコイルの使用した「ラスターカノン」はまだ効果を発揮していたはずだ。

 が、周囲に散らされている砂粒がレーザーを屈折させ、減衰して威力を軽減させている。これでは倒れないというのも無理はない。

 

 

(もっともそれ以前に、レベルが随分違うというのもありますが……!)

 

 

 ランスの経てきたトレーニングは、その多くがレインボーロケット団員を相手にしたものだ。時には伝説のポケモンなども相手にするが、それでは「実戦経験」と呼ぶにはやや不足がある。

 対して、彼の視線の先にいる少女は、常に命懸けの戦場で圧倒的格上相手にでもしのぎを削ってきた。スタートこそランスの方が先に切っているが、濃密すぎる実戦経験によってポケモンの実力に小さくない差が生じても仕方がない。

 

 ランスは小さく身震いした。恐怖である。

 彼は武人でもなければ戦いを楽しむ性質(たち)でもなかった。

 

 

「アレで倒れないのかよ……!」

 

 

 対して、アキラもまた小さな困惑があった。

 ギルは幼くも、パワーや体力という面で見ればヨウタのポケモンたちにも劣らないほどのものを持つ。身体の大きさという絶対のアドバンテージもあり、正面から当たれば幹部格のポケモンでも「ひんし」に追い込むほどの戦闘能力がある。

 だと言うのに、ジバコイルはそれに耐えた。未だ戦闘可能ということは、少なくともそれに足るだけの鍛え方をしているということだ。

 

 

(ポケモンの強さって部分が唯一の付け入る隙だったってのに……!)

 

 

 アキラは、長期的視野を必要とする戦略においてランスに遠く及ばない。戦術面では勝っているが、それだけでは大勢に影響はしない。

 彼女が食らいつけているのはひとえにその類稀な戦闘力のおかげだ。それが通じなくなれば、勝ち目はどこにも見いだせなくなる。

 急成長を遂げているのはアキラも同じだが、これでもしも彼が伝説のポケモンを運用できるようになればどうなることか――。

 

 

 ――――ここから逃げなければ!!

 

 ――――ここで仕留めなければ!!

 

 

 二人の思考の向きはまったくの正反対だったが、それ故に相手の思考は手に取るように分かった。

 

 

 

「マタドガス!」

「リュオン!」

 

 

 パートナーの名を呼んだのは、ほぼ同時。アキラたちは橋の下に隠れていた伏兵(マタドガス)の存在を読み切った上で。ランスはそれすらも織り込んだ上で、指示を発する。

 

 

「『インファイト』!」

「ルァッ!」

 

 

 先んじて指示を口に出したのはアキラだ。マタドガスのほとんどの技はどくタイプのもの。はがねタイプのリュオンには効果が無い。視界を塞ぐ「スモッグ」のような技も波動でものを視ている以上通じない。

 ジェット噴射のように手足から波動を放出し、瞬時にマタドガスに肉薄したリュオン。特性「てきおうりょく」によって強化された拳撃の嵐がマタドガスを襲い――次の瞬間、両者は同時(・・)にその身を地面に横たえた。

 

 

「なっ……『みちづれ』か!?」

「御明察。ですが五秒遅い! マタドガス!」

「!」

 

 

 次いでランスが出してくるのも、またマタドガスだ。

 当然だが、トレーナーの中には同じポケモンを複数匹手持ちに組み込む者もいる。理由は、個人的な拘りでタイプを統一していたり、趣味嗜好の一環であったり、ポケモンとトレーナーの相性だったり……というものが挙げられる。

 レインボーロケット団に関しても、同じポケモンを使用するパターンは多い。ダークトリニティなどはその筆頭だ。

 そうしたパターンを踏まえた上でアキラが目にしたのは、マタドガスのようでマタドガスとは異なる……だが、マタドガスであることには間違いのないポケモンだった。

 

 その双頭からは、SLの汽笛筒やシルクハットにも似た噴出孔が突き出している。口から吐き出した煙はヒゲや眉のように滞留しており、どこか英国紳士然とした姿を思わせる。

 

 

(――リージョンフォーム!)

 

 

 どの地方か、という点はともかくとしても、その姿は紛れもなくリージョンフォーム。そうなれば、アキラの思うマタドガスとは根本のタイプからして異なる可能性があった。

 「みず」、「じめん」のようにチャムとギルの弱点を共に突くことができるタイプになっているとすれば、確実に戦線は破綻するだろう。そのことを察したアキラは、一瞬攻め入ることに躊躇する姿を見せた。

 

 ――そして、当然、それを見逃すランスではない。

 

 

「フッ……『ワンダースチーム』!」

 

 

 次の瞬間、ランスたちを覆うようにして、虹色の濃密な蒸気がマタドガスの口内から放たれた。

 

 

(っ、蒸気(スチーム)……みずタイプか!?)

 

 

 確認したことの無いリージョンフォームだ。少なくとも今、アキラにそのタイプを知る術は無い。

 ただ、現状と技の名前から、彼女はそれをみずタイプの技であると推測した。

 

 

「チュリ、『エレキボール』!」

「ヂヂヂヂッ!」

 

 

 となれば、最も効果的なのは霧の水滴に通電することで広範囲に効果を発揮するでんきタイプの技である。

 勢いよく放たれた小さな弾丸は――しかし、蒸気の壁に小さな穴を穿つにとどまった。

 

 

「みずタイプじゃないのか!?」

「……流石にこのマタドガスは知らなかったようですね……!」

 

 

 蒸気の中、ランスは大粒の汗を流しながら深く安堵の息をついた。

 はっきり言えば、これは彼にとっても賭けだった。マタドガスのリージョンフォーム――「ガラルのすがた」の存在をアキラが知っていれば即座に破綻し、かつ、見破ることができなかったり知らなかったとしても、「とりあえず」全力で攻め込んで来られればそれでも破綻しかねない作戦だ。

 これまでの戦いでアキラがそれなりにクレバーな考え方をしていると知っているからこそ、ここで慎重にならざるを得ないと踏んでの賭けである。

 

 ランス自身、トラウマが再発しかけていたため、決してそれだけを頼りにしているわけではないが。

 

 

「――今日のところはこれで失礼させてもらいましょう」

「『クモのす』!」

「『テレポート』!!」

 

 

 逃走を図るために糸よりも早くその場から「テレポート」で消え去るランスたち。彼らが次に現れたのは、今アキラのいる撫養橋に隣接した小鳴門橋だった。

 距離にしておよそ30メートルほど。この微妙な距離で、かつ海を挟んでいるとなれば、迂闊に手を出せばその時点で再び「テレポート」されるだろう。アキラは小さく舌打ちした。

 

 

「今回は痛み分けとしましょう。しかし、次は私が勝利します」

「次だと?」

「私も今や行動隊長、矢面に立たねばならない立場です。……戦う機会は必ずやってくる」

「お前ともう一度戦う……?」

 

 

 アキラは心底嫌そうな顔をして見せた。同時に、ランスも心底嫌そうな顔をした。

 できるならコイツとだけは戦いたくないという思いが多分に溢れ出していた。

 

 

「拒否させろ、この陰険野郎」

「私だって拒否できるものならしていますよ、暴力少女」

 

 

 組織というものに所属する以上、上司の命令には従わなければならないという悲哀があった。

 

 

「それよりも、私などに構っている暇があるのですか?」

「何だと?」

 

 

 言うと、ランスは別方向……アキラたちが本来(・・)目指しているはずの島田島の方角を指差した。

 そうした次の瞬間――黒い旋風(かぜ)が吹き荒れ、轟音と共に衝撃波が駆け抜ける。

 

 

「ッ、今のは――――!?」

「ひとつ、ヒントを差し上げましょう。この敗北者たちが我々に従うようになったのは侵略を始めたごく初期のこと。この世界に住む人間から我々が情報を集めていないとお思いですか?」

「――まさか!!」

 

 

 その言葉を耳にした瞬間、アキラはチュリ以外全てのポケモンをボールに戻し、弾かれたようにバイクの方に向かって走り出した。

 

 

「察しが良くて実に結構」

 

 

 ランスは、心底安心したようにもう一度息をついた。仲間を優先して行動しないのであれば、あのまま橋から橋に飛び移って殴りかかってきかねないと思ったためだ。

 ともあれ、レインボーロケット団が動かしたのは、実験中とはいえ現状では最高戦力に匹敵するであろう一匹だ。いかにこれまで生き抜いてきた彼らとはいえど、無事では済まないだろう。

 

 しかし、ランスには奇妙な確信があった。これから先、少なくともあの少女か、アサリナ・ヨウタのいずれかと再び矛を交える機会はあるだろう、と。

 これまで生き延びてきたということは即ち、それに足るだけの生存能力があるということだ。どれほどの窮地に追い込んでもなお死ななかったからこそ、今の彼女らがある。

 

 心の底から再び出遭いたくないと感じながら、ランスはフーディンに「テレポート」を命じた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「――なんか暗くね?」

 

 

 最初にその事実に気付いたのは、奇しくも下ばかり見つめていたはずの朝木だった。

 彼は車の中で何をしていても割と酔わないタイプの人間である。医学書を読み耽っていたこともあり、むしろ明かりの有無には敏感だったというのもあるだろう。言われてみれば、とユヅキたちが顔を上げた時、車の外は夜闇に包まれたように暗くなっていた。

 

 

「あれ、ホントだ。何だろ」

「雨?」

「にしちゃ暗すぎだろ」

 

 

 空を見上げても、星や月などは見えない。万が一、突然時間が進んで夜になったということであっても、そうであれば空にはオーロラが見えるはずだ。それが見えないということは――――。

 

 

「ヤバいかも」

「ぁえ?」

「レイジくん、東雲さんとナナセさんの方に言って。敵来たかも」

「え……ゆずきち、それ本当?」

「間違ってたらその時! でも、急いだほうがいいかも。これ『あまごい』とか『あられ』じゃなさそうだし」

「それってどういう……」

「さあ?」

 

 

 ウチのはただの勘だもん、と言って、ユヅキはけらけらと笑った。

 波動使いのアキラなら正確なところは分かるだろうが、ユヅキは気くらいしか分からない。それも感覚でやっているものだから、何が起きるかを正確に推測して語ることなどできるはずもないのだ。むしろ、ポケモンの知識に詳しい二人の方がよほど正確な情報が読み取れるだろう。

 

 

「むしろナっちゃんの方が何か知らない?」

「えっ、わ、私に聞く!? って言われても、こんなの……」

 

 

 と、そう言いかけたところで何かに思い当たったのか、ヒナヨは軽くこめかみに指を当てた。

 ポケモンにおける変化技というものは、上げていけば枚挙にいとまがない。状態の変化もまた然りだ。時と場合によっては一作のみに登場する状態や状況の変化もある。その中から僅かに引っ掛かる「何か」を探し当てるのは決して容易なものではなかったが――わずかにでも引っ掛かってくれば、答えは比較的簡単に引き出せた。

 

 

「――『くらやみ』状態……?」

「何それ」

「何だっけそりゃ」

 

 

 ユヅキと朝木は共に首をかしげた。そんな状態なんて聞いたことは無い。

 

 

「闇の探検隊?」

「じゃなくて! 何て言ったらいいのかな、コレ……コロシアム、知ってる?」

「スタジアムじゃなくってか? 俺昔だいぶやってたぞ」

「じゃなくって、ゲームキューブの」

「あー……なんか……あったような、無かったような……」

「ゆずきちは知らない前提で進めるわよ。昔、ポケモンコロシアムってシリーズがあったの。その中で出てきたダークポケモンってのが」

「ルル?」

「ヘルガーとデルビルの分類じゃなくて!」

「心を閉ざして戦闘マシンになったポケモンのことよ!」

「何それ怖い!」

「あ、あーっ! なんか聞いたことあるぞそれ! 敵のポケモン奪うやつだ!」

 

 

 そこでようやく、朝木も納得いったように手を打つ。しかし、ではなぜこの場でそのような話が必要になるのか?

 そうして考えたところで、彼は顔を蒼褪めさせた。

 

 

「まさか」

「ダークポケモンには『ダークウェザー』って技があるの。それを使うと場が『くらやみ』状態になる……」

 

 

 

 その事実を告げた次の瞬間、車外から大きな音が響く。

 何事か、と外を見た三人と、助手席から窓の外を見たナナセが目にしたもの、それは――――。

 

 

「――――黒い、ルギア?」

 

 

 その巨体に備わった翼を羽ばたかせて空に飛び出した、異質な黒いルギアの姿だった。

 

 アキラたち一行にとって、敵対組織がレインボーロット団であるということは既に語るまでも無い事実である。

 ポケットモンスター第七世代マイナーチェンジ版「ウルトラサン・ウルトラムーン」の存在がその事実を彼ら彼女らに強く印象付けている。実際に姿を見せた「悪の組織」の首領の人数が合致していることからも、そのイメージをより強固なものにしている。

 

 そして同時に――それは、「それ以上の戦力はいない」ものと、彼らに印象付ける結果となってしまっていた。

 レインボーロケット団。つまり、ロケット団、マグマ団、アクア団、ギンガ団、プラズマ団、フレア団……この六組織だけ(・・)が統合した結果生まれた組織なのだと、無意識のうちに決めつけてしまっていたのだ。

 

 

「――ッ、逃げろォォォォォ!!」

 

 

 我知らず、朝木は叫び出していた。

 間に合わないかもしれない。いや、そんなことはどうでもいい。早くここから離れなければ!!

 

 全霊の叫びを耳にしたかどうか、というタイミング。いずれにせよ東雲は、次の瞬間にはアクセルを踏み込んでいた。

 首を天に向けた格好の黒いルギアは大きな呼吸音(・・・)を上げている。そうして、その規格外の肺機能で空気を取り入れ続けて――数秒。

 

 

 トラックに向けて、破滅的な威力を誇る黒い竜巻(ダークブラスト)が放たれた。

 

 

 









独自設定等紹介

・ダークポケモン
 「ポケモンコロシアム(2003年発売)」及び「ポケモンXD(2005年発売)」にて登場。外部要因で心を閉ざされ、戦闘マシンと化したポケモンたちのことを言う。
 ダーク技と呼ばれる特殊な技を覚えるが、それ以外の技を一切覚えない。これらの技はあらゆるタイプに対して「効果は抜群」になるという特性を持っている。
 しかしながら、わざマシンによって新たに技を覚えることはできず、レベルも上がらず、進化すらしないためポケモンとしてはデメリットが大きい。
 ダークポケモンは特殊なオーラ(UBなどのものとは異なる)を纏っているようだが、これは普通の人間では見ることはできない。なお「コロシアム」、「XD」作中ではオーラを見ることができるヒロインが登場したり、オーラを見ることができるようになる装置などが開発された。
 一部のポケモンもこのオーラを見ることができるという設定があるらしく、ダブルバトルなどを嫌がるとか。本作では波動使いがこの「オーラを見ることができる者」に該当する。
 リライブという儀式を経ることでダークポケモンから元の普通のポケモンに戻すことができる。


・ダークウェザー(「くらやみ」状態)
 「XD」に登場した技。5ターンの間、フィールドの天候を「くらやみ」状態に変更する。
 この状態になるとダーク技の威力が1.5倍になり、ダークポケモン以外のポケモンは毎ターン終了時に1/16分の体力が減る。





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とびはねるモノと者

 三人称です。



 

 彼らに与えられた猶予は、わずか数秒だった。

 黒い(ダーク)ルギアが息を吸い、空気弾を放つごくわずかなタイムラグ。あまりに唐突かつ最悪の事態に直面して喚き出す朝木(もの)はいたが、新顔のヒナヨを除けば彼らは既にアクシデントに慣れ切っていた。

 

 

「ジャノビー!」

「もんさん……!」

「メロ! ナっちゃん、エスパータイプ!」

「え、ええ!? る、ルリちゃん!」

 

 

 運転に集中しなければならない東雲を除いた各々が、早急に車内外にポケモンを繰り出す。

 朝木のジャノビーは周囲に種を打ち込んだ。そこから急速に伸びてくるツタが周辺の機器とヨウタを載せたストレッチャーをすぐさま固定する。同時にナナセのもんさんは、前部後部の両座席にクッション代わりの大量の綿を放出した。

 

 

「サーナイト! ルリちゃんってキルリアから取ったの?」

「え? あ、うん――いやそれどころじゃないでしょ!? どうするのよ!?」

「あそうだ!!」

 

 

 流石のヒナヨも、連絡されてもおらず、想定もしていない事態に狼狽を見せていた。

 撫養橋に一行を誘導するように――結果アキラが単独で受け持ってしまったが――動いていたのはヒナヨだ。実際にそのように報告も行い、戦力も集約させた。しかし、それでもこうして最大戦力の一匹であるダークルギアを寄越してきたということは。

 

 

(あいつら、逆らえないことをいいことに私ごと殺す気か!)

 

 

 仮にまとめて殺すことになったとしても、それは不穏分子を処理できたというだけに過ぎない。が、生き残ればまだ利用価値はある。そういった思惑だろうと彼女は推測した。

 そしてその後生き残ったとしても、ウリムーが戻ってこない以上ヒナヨが逆らうことはできない。

 いずれにせよ、ウリムーを取り戻す足掛かりすら無い以上ここで死ぬのはまず論外だった。

 

 

「飛ぶ!」

「飛ぶぅ!?」

「ルリちゃんだっけ!? 着地お願い! メロ、『サイコキネシス』! 車浮かして!」

「――――――」

「ナー……?」

 

 

 いったいどういうことなのか、と困惑するヒナヨ主従を置いて、メロは即座にその出力を全開にして車を思い切り空中に浮かせていく。

 そうして――直後、空間そのものが爆発するほどの威力の「ダークブラスト」が放たれた。

 

 

「っい……!」

「ぐうっ!」

「ぎゃああああああああああ!」

「行っけえええっ!」

「にゃああああああああ!!」

 

 

 ルギアの技「エアロブラスト」とは、「風の渦を発射する」技である。乱暴な言い方をすれば、途方もない規模の吐息(ブレス)だ。

 着弾と同時にその一撃は地表に特大規模のクレーターを刻み、同時に圧縮された空気が解放され――あらゆるものを吹き飛ばすほどの暴風を巻き起こす。当然だが、宙に浮いたトラックはそのあおりを受けて、勢いよく吹き飛ばされた。

 乗車している面々にはすさまじい負荷がのしかかるが、しかしもんさんの出した綿毛のおかげでそれも軽減される。狙いはこれだったのかと思いつつも、ヒナヨはそれに応じてサーナイト――ルリちゃんに指示を出した。

 

 

「る――ルリちゃん、『サイコキネシス』!」

「サ――――!」

 

 

 ここで重要なのは、「いかに落ちるか」だ。あれだけの攻撃ともなれば、吹き飛ばされることは元より墜落も避けられない。であるならこそ、それを前提に――むしろそれを利用して、逃走経路にする。それが、ヒナヨを除いた四人の出した結論だった。

 そもそも彼らからしてみれば、ルギアがこのようなことになっている上に、民間人も周辺におらず避難誘導などをする必要すらも無いなら、もうこの場所に用は無いのだ。ルギアは惜しいが、それでも命には替えられない。バーカ滅びろレインボーロケット団!! などと朝木が思わず捨て台詞を吐くくらいには、彼らも苛立ちは募っていた。

 ともあれ。

 

 

「海の方に飛び出しているぞ! 誰か、方向を変えろ!」

「ええっ!? あああもうっ! ルリちゃん、出力上げて! ゆずきち!」

「ごめん、メロの方は浮かすので限界!」

「二倍サイコパワーは飾りかっ!」

「元がそんな強くない~……」

 

 

 東雲からの要請に、三人は頭を抱えた。

 メタングは二体のダンバルが連結することで二倍のサイコパワーを得た……ということになっているが、元のダンバルが自力で覚える技は「とっしん」のみ。技の教え方によっては「てっぺき」や「しねんのずつき」も覚えるが、基本的にサイコパワー、念動力はそれほど高くない。それが倍になったとしても……言ってしまえば1が2になるようなもので、5が10になったり10が20になったりと言ったような飛躍的な成長は望めないのだ。

 

 

「ヨウタ君起きてくれぇぇ! 死ぬー! 死んじゃーう!」

「アンタ今滅茶苦茶情けないこと言ってる自覚ある!? 何歳(いくつ)下の大怪我人頼りにしてんのよ!?」

「ていうかヨウタくん麻酔効いてお休み中だよレイジくん!」

「ガッデェム!」

「いやウチらが指示すればいいじゃん!? ラー子ちゃん、お願い!」

「フラッ!」

 

 

 この状況、最も頼りになるのは、砂嵐の中であっても容易に空を飛べるフライゴン――ラー子だ。本来ならヨウタが指示を出してこそ、その能力は十全に発揮されるものだが、他のトレーナーが指示を出してはいけないというわけではない。戦いの初期、戦力が心許ないアキラに力を貸した経験があるくらいには気性も穏やかで人懐こい。とりわけ、これほどの緊急事態となれば致し方ないことだ。

 ラー子は瞬時に状況を把握すると、勢いよく羽ばたいて車道へとトラックを押し戻していく。それを見届けるとメロとルリちゃんの二匹は「サイコキネシス」を用いてトラックを車道に衝撃を緩和させた上で着陸させた。

 

 

「前が見えん」

「……す、すぐ窓を開けます……」

 

 

 他方、「わたほうし」でいっぱいになった運転席はひどいものだった。

 窓を開けばそれらは外に飛び出して行ったが、下半身は未だ埋まっている。エアバッグの衝撃よりはマシだったが、動きを阻害されるという点では運転の邪魔でしかなかった。

 

 

「小暮さん、これからどうすればいい?」

「……早急に逃げます。後ろから聞こえてくる話を考える限り、あのポケモンは敵です。でしたら、トレーナーが……指示ができる範囲にいるはずです。そこから、逃れれば……追ってはこなくなるかと」

「希望的観測ですか」

「希望的観測です……」

 

 

 とはいえ、他にやりようがないのが現状である。

 

 

「実際、それが一番だと思うわ」

「ヒナヨさん」

 

 

 後部座席から、ヒナヨが言葉を割り込ませた。彼女の知る設定では、ダークルギアは「究極のダークポケモン」と呼ばれるほどに深く精神を制御された存在である。

 その洗脳は体色が変わってしまうほどに深く、心を閉ざしきってしまっているため、通常の方法でリライブすることも不可能だ。兵器としては、ある意味で完璧と言えるほどに完成されていると言えよう。

 しかし。

 

 

「あいつはトレーナーの命令が無きゃ自分で考えることだってできないの。山の方まで行けば逃げきれるはず」

 

 

 兵器として完成しているということは即ち、他のポケモンと異なり「命令以上の動きができない」ということだ。

 実際に相対しての戦いならともかく、姿が見えなくなれば攻撃の命中率も格段に落ちる。少なくとも、ただ普通に道路を走るよりは幾分かマシだった。

 

 

「撃破というのは?」

「今の戦力じゃ無理無理のカタツムリ! アレ倒せるなら伝説求めて旅なんてしてないんじゃないの!?」

「……その通りだが」

 

 

 あるいはヨウタが万全、かつ総力で挑むなら勝つ見込みもあるかもしれないが。

 そうでないなら手を出すのは自殺行為だ、とヒナヨは東雲を窘めた。

 

 

「……では……あの、『テレポート』は……?」

「えっ、それは……あれ、いけるの? いけると思うゆずきち?」

「ウチに聞かれても」

「待ってよ待ちなさいよー……えーっと……ルギアの技が……行ける気がするかも」

「本当ですか……?」

「ルギア、『テレポート』覚えないから」

 

 

 あらゆる意味で根本的な問題ではあるが、ルギアは技として「テレポート」を覚えることは無い。

 強大な念動力を持っていることは確かで、健全な状態かつ元来の能力・頭脳が万全であれば、空間を歪ませるなどして敵の「テレポート」地点を改変、そのまま自分の近くにまで呼び寄せる――というようなこともしかねないが、思考能力のほとんどを奪われている今、それはできない。

 加えてその技のほとんどはダーク技に置換されており、仮に「テレポート」が使用できる特殊な個体ということだったとしても、それも間違いなく全く異なるダーク技に置換されている。よってここからでは、どうあってもこの「テレポート」を追跡できない……というのがヒナヨの推論だ。

 

 

「って言っても『テレポート』は精々数百メートル程度のショートワープよ。どこに飛ぶの!?」

「……どこに、とかではないのでは? 何度も使えば距離は稼げます……」

「え」

「何度も使ってください……」

「あの、ルリちゃんの体力」

「……そこに……メディカルマシンがありますよね?」

「……えっ」

「……死ぬほど頑張らないと生き残れません」

 

 

 少なくとも、伝説のポケモンを相手にするにはそうするしかないと、ナナセは認識していた。

 あれほどに強いヨウタがしばらく寝たきりになってしまうほどの重傷に陥り、アキラも波動の受け渡しという命懸けの賭けを行って、なお緊急手術が必要になるほどの大怪我を負ったのだ。たかだか体力を失う程度のことが何だと言うのか。

 

 

「ルリちゃん、ゴメン!!」

「サナー……」

 

 

 ヒナヨは土下座するほどの勢いで頭を下げてルリちゃんに頼み込む他無かった。

 体力を大幅に使うし負担も非常に大きいが、やらなければまず死ぬ。選択肢が絶無である。

 では自分だけ逃げればいいかと言うとそうではなく、万が一そんなことをしようものなら分かっているよな、と言わんばかりの圧がナナセから発せられた。

 あ、これこの人も私疑ってるわ、と気付いたのはその時だった。事実、ナナセは隠しているが、車の上にはしずさんが静かにたたずんでおり、逃げようとすればすぐにでも「クモのす」を発射しようという姿勢が整っていた。

 

 

「方向は!?」

「アキラさんのいる方向に向けて……お願いします」

「一秒間隔、南方面に全力で『テレポート』!」

「サー……」

 

 

 トラックの周囲を囲うようにサイコパワーの円が出現し、指示に合わせてトラックが瞬時にその位置を次々に変えていく。

 一つ、二つ、三つと目まぐるしく移り変わる景色に東雲がわずかに眉をひそめていると、不意に、その移り変わりが止まった。しかし、まだ外は夜闇のような「くらやみ」に閉ざされたままだ。どうした、と呼びかける暇も無く、トラックを縛り付けるように黒い光が絡みついた。

 

 

「何だ!?」

「これは……まさか、『くろいまなざし』のような――」

「その通りだ」

 

 

 不意にかけられた低い声が、新たな敵の到来を告げる。

 待ち構えていたかのようにゆったりと道の先から歩いて来るのは、民族衣装にも似た青い衣服を着用した男だ。髪はオールバックにまとめられており、眼はゴーグルに隠され感情を窺うことはできない。とはいえ仮に見えたとしても、真一文字に結ばれた口元を見れば、愉快な感情を抱いていると思う者はいないだろう。

 彼はフーディンと、どこか混濁したような瞳を持ったカビゴンを連れていた。力無く開かれたカビゴンの口からは黒い涎のようなものが垂れ流されており、そこから生じた黒い光が、トラックを足止めしているようだった。

 

 

「アルドス……!」

 

 

 ヒナヨのその言葉に反応できた人間は皆無だった。思わず「誰?」と聞き返すユヅキに対しても答えを返せず、彼女たちはとりあえず目の前の敵を見据える。

 

 ――アルドス。

 彼は本来レインボーロケット団に加入している人間ではない。カントー地方から遠く、オーレ地方に拠点を持つ「シャドー」という組織の幹部だ。

 当然ながら、「ゲームにおいては」彼の存在は影も形も無い。しかしながらこの場にいるということはつまり、シャドーもまたレインボーロケット団に組み込まれたのだろうことは明白だった。

 

 

「大型トラック一台を運ぶだけの『テレポート』となれば、大きな空間の歪みが生じ、念動力の放出が行われる。有効な作戦だと思っていたようだが、甘かったな。私のフーディンはそれをしっかりと感知してくれ」

「しずさん、『シグナルビーム』……!」

「カビゴン!」

 

 

 彼の言葉を最後まで聞くことなく、ナナセは即座にしずさんに指示を出した。

 放たれた三原色の光線が地面を穿ちながら突き進み、フーディンへと叩きつけられようとする。その寸前、横から割り込んだカビゴンが代わりに攻撃を受け持った。

 全身の脂肪が衝撃で揺れ、毛皮が焼けたように一部が黒ずんだ。しかし、カビゴンは何も感じていないかのように、ひと鳴きすらしない。

 

 ヒナヨは自分の感知しないところで当然のように表に出ていたしずさんの存在と、躊躇なく攻撃を放つナナセの容赦の無さと、カビゴンの無感情さに戦慄した。

 

 

「フン……野蛮なことだ。警告も無しに攻撃とは」

「貴様らがそれを言うか……!」

 

 

 思わず東雲は激した。警告無しに四国各地を攻撃したのはどちらだ、と。

 同時に、ヒードランのボールを投げようともしたが、それは直前で抑えた。

 

 ――凄まじい勢いで駆けてくる青い光が、彼の目に映ったからだ。

 その車両(・・)はエンジンの根本的な仕様から静音性が極めて高く、それを駆る人物は戦闘に対する根本的な姿勢の違いから叫ぶようなことはほぼありえない。

 ルギアの攻撃開始から約三分。「テレポート」によって稼いでいた直線距離はおよそ3キロ。彼女(・・)が到着するには充分な時間だった。

 

 

「――ならば警告しておく。今すぐそこから(・・・・・・・)離れろ(・・・)

「何?」

 

 

 次の瞬間、尾のような蒼い稲光と深緑の暴威を従えた白い影が、音も無く刃を滑らせた。

 アルドスにとって唯一幸運だったのは、フーディンがダークポケモンではなかったことだ。十全な思考能力を残していたフーディンは、ポケモンにすらギリギリまで悟らせない人外めいた暗殺術に目を見開きながらも、全速力でサイコパワーを発揮。襲撃者――刀祢アキラをギリギリのところで「かなしばり」にして空間に縫い留めることに成功した。

 

 

「――ッ!!?」

 

 

 一拍遅れてその存在に気付いたアルドスは、即座にその場から飛び退いた。

 暗闇の中ですら煌々と輝いて見える血の雫のような瞳が、彼女の殺意と黒い意志をそのまま映している。あと一瞬フーディンの対応が遅れていれば、アルドスの手足のどちらかはそのまま斬り飛ばされていたことだろう。

 

 ――もっとも、その対応すら、彼女には予想の範疇だった。

 

 

「ギィアアアアアアアアッ!!」

「フゥアッ!!?」

 

 

 彼女を追いこして現れたギルが、フーディンの胴部にその鋭い牙を突き立てた。「かみくだく」ことで逃げ道を封じ、全霊を込めて「ぶんまわす」。

 噛み砕く、というよりもいっそ噛み千切らんとするほどの威力の一撃だ。全力で地を踏み締め、振り回す。周囲の木々を砕き折り、フーディンの細い体をもヘシ折って――とどめとばかりに、彼はその体を顎から解放し、掌底を放った。

 アキラのそれを真似たような、しかし彼女ほどの技巧を凝らしたものではなくただ真下に「押し付ける」かのような不格好な一撃だ。しかし、ギルの膂力とウェイトで行えば、それは必殺と呼んでも差し支えないほどの威力を叩き出す。

 

 ――ずどん、と轟音が生じた。衝撃で地面がめくれ上がり、木々や砂礫が舞い上がって地面に巨大なクレーターが穿たれる。

 当然、その中心にいたフーディンは「ひんし」の状態に陥り、セーフティによってモンスターボールへと戻された。

 同時にアキラの「かなしばり」も解け、彼女は幽鬼の如き動きでアルドスへと迫る。

 

 

「選べよ。腕か眼か。選ばなかった方を斬り飛ばす……!」

「何だその理不尽は――!」

この世界の人間(わたしたち)に理不尽を押し付けた貴様らが! 文句を言う権利の一つもあるものか!! ギル、『ばかぢから』!!」

「カビゴン、『ダークエンド』!」

 

 

 アルドスの命令によってようやく動き出したカビゴンが、全身からドス黒いオーラを立ち上らせて猛烈な勢いでギルに突進する。

 「くらやみ」状態でひと目では分かりづらいが、ギルの全身にはマッシブーンとの激闘によって大小様々な傷が刻まれている。自然、アルドスはこの激突の勝利を確信して口角をわずかに持ち上げた。

 

 

「グァアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

「ゴォォォォォォォォオオオオオオン」

 

 

 二匹のポケモンが激突する。

 

 が。ギルが退くことは――無かった。

 その全身から血を滴らせ、最大限に筋肉を膨張させた彼の肉体はダーク技の中でも最たる威力を持つ「ダークエンド」を受けてなお健在だ。

 逆に、徐々にカビゴンが押し返され始める。

 

 

「……何……アレ」

 

 

 その光景を目にしたヒナヨは、思わず呟いていた。

 彼女がアキラの戦いぶりを目にしたのは、これが初めてのことだ。

 強いとは聞いていた。しかしその主な「強さ」とは彼女本体の身体能力こそがメインであると考えていた。ポケモンを含めた全体的な戦闘力はヨウタの半分以下、とも目されていたのだ。

 

 しかし、ヒナヨはそもそもヨウタが戦う姿など見たことが無かったのだ。重傷を負って倒れている姿しか見たことが無い以上、基準もまた存在しない。

 結果、彼女はアキラの実力をやや低く見積もってしまっていた。味方である現状は頼もしいと思えるかもしれないが、僅かでも騙していることが知れれば彼女は確実にあの猛威をヒナヨに振るう。容赦も、慈悲も無く。あれは「やると言ったらやる」どころか言わずに即行動に移すタイプの人間だ。この凄絶なまでの戦いぶりを見て、ヒナヨはそう確信した。

 

 

「アキラ……さんって、いつもああなの……?」

「あん? いや……ちょっと前……人殺しを、直に見た後から特に、だな。最初の頃は、もうちょっと感情的ってか……多分あそこまでじゃなかったと思う」

「本当にそう……?」

「いや本当にそうだよそこんとこ疑われても困るわ」

 

 

 彼女のあの姿勢は、戦いの中で自分自身の心を保ち、仲間を守り、罪の無い人々を守るために自分にできる役割である「敵を倒す」という一点のみを突き詰めていったものだ。

 一方で、身内だと認定した相手にはやや甘いのだが――やはり、その落差はよく目立つ。味方に対する甘さ、優しさが、そのまま敵への苛烈さに転化されたようなものだった。

 

 そして間違いなく――裏切りを感じ取れば、彼女は「そう」した人間を徹底的に叩き潰すだろう。

 誰よりも、仲間を守るために。

 

 

 






 2/1 ジャローダ→ジャノビーに修正しました。



独自設定等紹介

・アルドス
 「ポケモンXD」にて登場した悪の組織「シャドー」の幹部。知っている人は知っている、ポケモンにあるまじきガチめな戦術で主人公を殺害しようとした人。
 レインボーロケット団はそれぞれの悪の組織が「成功した世界」から選りすぐったメンバーを(半強制的に)招集、合併して巨大組織となっているが、本作における首領同士の会談の席にシャドーの首領の姿は無かったりする。





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きしかいせいの手には届かずとも

 

 

 ――奇怪なポケモンだ、とアキラはドス黒い波動(オーラ)に包まれたカビゴンを見て感じていた。

 外見的な異常があるわけではないが、腕がミシミシと音を立てて折れかけているというのに声を上げるどころか表情ひとつ変えない姿を見れば、はっきりとその異常性は認識できる。あまりにも虚無的な有り様には、アキラも思わず眉をひそめたが。

 

 

「アキラさん、急いでカビゴンを倒してくれ! あの黒いルギアが来る!」

「――了解」

 

 

 その言葉を耳にして、彼女は感傷も感情も全て脇に置いた。 

 この状況で最も優先すべきことは、一刻も早く目の前の敵を排除することだ。考えるべきことは多いが、それに気を取られれば生き残ることはできないし目的も果たせない。言葉や心を交わすのは、敵を殲滅してからでもできることだ。

 

 

「ユヅ、手を貸せ! 小暮さん、東雲さん、援護を! 囲んで速攻で潰す!」

「あいよーっ!」

「わ、私は!?」

「遊撃!」

 

 

 アキラの中で、ヒナヨは黒い(ダーク)ルギアを呼び込んだ最有力候補だ。

 根本的なところで信用などできるはずもなく……というのも勿論含むが、何より問題なのは彼女が戦う姿を見たことが無いことだ。長いこと一緒に戦ってきたヨウタたちや何となくで通じ合えるユヅキとは異なり、戦法もスタンスも得意な戦術も何も分かっていないのだ。これでどう連携を組めというのか。

 

 

「面倒なことになってきたな……行け、エレキブル! ヘラクロス!」

「ヘラッ!」

「…………」

 

 

 アルドスが繰り出してきたのは二匹のポケモンだ。ヘラクロスは通常のポケモンと同様の様相だったが、エレキブルはカビゴンと同じくその全身から黒いオーラを垂れ流しており、ひと鳴きもしない。およそまっとうと言える状態ではないことは明白だった。

 

 

「またダークポケモン……みんな気を付けて! そのエレキブルも多分、拘束技は使える!」

「じゃあ優先的に倒せばいいんだよね。分かった! 行って、ジャック!」

「マイちゃん!」

「クヌギダマ!」

 

 

 対して、ヒナヨはマイちゃんと名付けられたアマージョを、ユヅキはジャックを繰り出して構える。東雲も同様にクヌギダマを出したが、その立ち位置は二人よりもやや後方。ポケモンたちの実力(レベル)で多少劣る東雲は、彼女らの援護を主体とした立ち回りに徹するようだった。

 また、ナナセはしずさんを出したままで、車内に残したルリちゃんを守っていつでもまた「テレポート」ができるよう守りを固めていた。これでおよそ五対三。圧倒的不利にも関わらずアルドスが退かないのは、ダークルギアがやってくれば全員まとめて始末できると理解しているからだろう。

 

 

(……しかし解せないわね。ダークルギアって言ったら、普通デスゴルドが持ってるもんじゃないの?)

 

 

 そんな中、ヒナヨは僅かな疑問を覚えていた。ダークルギアといえば、ある意味ではシャドーという組織を象徴するダークポケモンだ。シャドーの総帥――デスゴルドという男のため、権力と暴力の象徴として改造を施されたはずなのだから、当然彼が従えているポケモンでないとおかしい。

 しかし、ダークルギアが姿を見せたその時、背に誰かを乗せているというようなことは無かったし、周辺に人がいるわけでもなかった。「テレポート」を使用して逃走することを先読みしてきた以上、アルドスがダークルギアを所持していると見て間違いないだろう。あくまで「幹部」であるアルドスが。

 

 

(そりゃあ、幹部が伝説や幻を持ってちゃいけないってことは無いけど、ただの幹部がミュウツーとかディアパルに並ぶような伝説持ってるって、おかしくない……?)

 

 

 それは、他のメンバーよりも知識量に優れている彼女だからこそ気付けた違和感だった。

 戦術に影響するというようなことこそ無いが、だからと言って放置していていい違和感ではないのも事実である。何か、その要素がレインボーロケット団にとって大きな意味を持つような気がしてならなかったのだ。

 

 

「ヘララアアァ!」

「おい何ボーッとしてる! 来るぞ!」

「――――! ごめん!」

 

 

 しかしその思考は、途中で打ち切られた。ギルがカビゴンを、ジャックがエレキブルを抑えに行っている段階で、ヘラクロスは野放しになってしまっている。指示を行えずに思考に耽っているヒナヨは格好の標的だった。

 

 ――チャムを出して援護を……。

 

 ギルの指示に集中し、連続しての襲撃に備えるためにも他のポケモンは出していなかったアキラだが、こうなると致し方ないかと僅かに気が逸れる。

 アマージョはくさタイプ。むしタイプのヘラクロスを相手にすれば、当たり所によっては一撃で「ひんし」にされかねないのだ。戦線を維持するためにも増援を送る必要があるか。

 

 

「あんた邪魔!」

「マジョッ!!」

 

 

 ――その想定は、良い意味で裏切られた。

 くい、とヒナヨが指を持ち上げる動作を取ると同時にマイちゃんがその両足にエネルギーを込め、掬い上げるような形の「トロピカルキック」を放つ。それによってヘラクロスの頭がカチ上げられ、「メガホーン」のために角に集約されていたエネルギーが行き場を無くし、拡散した。

 その一瞬を見定め、ヒナヨは続けてヘラクロスの顔面をしっかりと指差した。

 

 

「アマッ!!」

 

 

 マイちゃんはそのままの勢いで、ヘラクロスの顔面に足先を当てがい、押し倒すかのように後頭部を地面に叩きつけた。

 自然、その足はヘラクロスの顔面に付きつけられることとなり――。

 

 

「『ふみつけ』! 『ふみつけ』! 『ふみつけ』!!」

「アママママッ!」

「ヘナッ!?」

 

 

 そこから続く連撃は、あまりにも苛烈だった。

 無理やりレインボーロケット団に従わされている現状、ヒナヨのストレスは常軌を逸したものがある。鬱憤を晴らすかのようなその指示には、「倒した相手を足蹴にして高笑いで勝利をアピールする」アマージョもこれにはやや苦い顔を見せた。やることはやるのだが。

 

 

「……エレキブル、纏めて葬れ! 『ダークストーム』!」

「しずさん、『ワイドガード』……!」

「ブルルル……」

「ク」

 

 

 二匹の静かな鳴き声とは対照的に、二つの技の激突は極めて激しいものだった。

 エレキブルの放出した、常人にすら見えるほどに濃密になったドス黒いオーラが、嵐と化して破壊を撒き散らす。

 対して、しずさんはその身に纏った水泡を勢いよく膨らませ、放出して水流の壁を形成することで「ダークストーム」の勢いを削ぐ。

 

 

「行くよ、ジャック!」

「ジャラララァッ!」

 

 

 直後、ユヅキはジャックを伴いわずかに薄くなった水壁の中から、濡れることすら厭わず水流の勢いをむしろ逆用するかたちで飛び上がる。

 「ボディパージ」を利用した軽量化だ。虚を突くかたちで上を取られたエレキブルは、自我が希薄であるが故に命じられない限り(・・・・・・・・)動けない(・・・・)

 

 

「エレキブル、対応しろ! 上に向かって『ダーク――――」

「『じならし』!!」

「ジャララジャラアッ!!」

 

 

 アルドスの指示を遮るようにして、ジャックはエレキブルごと地面を「均す」ように両腕を叩きつけた。

 

 

「ブガッ……」

 

 

 エレキブルの身体が地面に叩きつけられる、その一瞬。金属質の鈍い光が瞬き――エレキブルの全身に突き刺さる。クヌギダマが生成した鋼鉄の「まきびし」だ。

 

 

「ガッ……ガガッ……」

「これはっ……『まきびし』だと!? ……貴様か!」

「……どうだろうな」

「クヌ」

 

 

 東雲は、あえてそれに否定も肯定もしなかった。

 これだけの多人数戦闘ともなれば、少人数側に要求される集中力は尋常なものではない。どうしても警戒の網から抜け出す者は出てくるものだ。

 警戒されずにいれば動きやすくなり、いざ警戒され始めれば他の者への注意が散漫になって自分以外が動きやすくなる。クヌギダマが未だ進化していない状態という点も、それはあえて進化していないのか――と、アルドスの疑心をより強く掻き立てる効果を生んでいた。

 アルドスは小さく歯噛みすると、周囲を見回して呟く。

 

 

「厄介な連中だよ、貴様らは……あのシャドー最大の敵(・・・・・・・・)と同じく……」

「――何ですって?」

 

 

 思わず、ヒナヨは攻撃の手を止めてその言葉に聞き返していた。「シャドー最大の敵」というワードに聞き覚えがあったからだ。

 そこでようやく、先に得た情報と推論が彼女の中で明確な繋がりを持ち、一つの結論をもたらしていた。

 

 

「あんたたち、もしかして――」

「『じしん』」

「グルル――ゴアアアアアアアアアアッ!!」

「ゴォ―――――――」

 

 

 と。

 次の瞬間、ヒナヨの問いかけを断ち切るように轟音が響き――同時に、非現実的なまでの速度で、カビゴンが木々をなぎ倒しながら遥か彼方へと飛んで行った。

 

 それと同時に、この場にいる人間全員の頭に、疑問が浮かぶ。――今のは本当に「じしん」か、と。

 「じしん」と言えば、超高威力、かつ広範囲に影響を及ぼす、ある種の広域殲滅技だ。これほど近い場所にいれば仲間も巻き込みかねないことから、使用は躊躇われる……はずだった。しかし、結果はカビゴンを吹き飛ばした、それだけ。強い違和感で困惑する一行に、アキラは鋭く声を飛ばした。

 

 

「『テレポート』だ。急げ!」

「え、あ……いや、待って! まだ聞きたいことが!」

「こいつらがまともに答えるわけがあるか!」

 

 

 アキラは既に、幾度か敵と言葉を交わしている。

 例えばそれは、地下工場のバショウとブソン。フレア団のアケビ。先程戦った氷見山や三ツ谷などだ。結果は全て、彼女の心の暗い炎に薪をくべるだけに終わった。

 最早問答などするだけ無駄だ、と彼女の荒み切った心は結論づけていた。

 

 それを差し引いても、まずこの場を早く立ち去らなければ、ダークルギアがやってきて全滅させられかねない。

 

 

「……ルリちゃん、『テレポート』!」

 

 

 ヒナヨは歯噛みしつつも、どうにかその理屈を飲み込んでルリちゃんに「テレポート」を命じた。

 次の瞬間にはアキラたちの姿は消え去り、後にはアルドスと彼のポケモンたちだけが残された。

 

 

「……私一人ではここまでか」

 

 

 伝説のポケモンを従えた襲撃者という圧倒的優位な立場にありながら、手傷を殆ど負わせられずに戦闘を終えてしまったという不甲斐なさに、彼は眉根に深く皺を刻んだ。

 

 

「シャドーの復権(・・)は、未だ遠い……」

 

 

 ダークポケモンは強大な力を持つが、命令されなければ動けない分多数の敵を相手にするのには向いていない。

 ダークポケモンとは言うなれば「兵器」なのだ。「操縦」される限り絶大な力を発揮するが、そうでなければ置物も同然だ。ダーク技によってポケモンとしての技を封じ個性を殺すのも、画一化によって「性能」に大きな差が出ないようにするためである。

 

 こうなるのなら子飼いの部下でも連れてくるべきだったか、とひとりごちて、アルドスは手持ちのオオスバメをボールから出し、その足に掴まってレインボーロケットタワーに向けて飛び出した。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 アルドスから逃げ延びた一同が腰を落ち着けることができたのは、約一時間後のことだった。

 到着したのは、鳴門市から町ひとつ分離れた位置にある山間の温泉施設だ。近隣に神社や工場といった施設とそれに併設された合同の避難所などがあることから、人の出入りもそれなりにあるのの、幸運なことに現在の時間帯に利用者はいなかった。

 それ自体は喜ばしいことではあるのだが――しかし彼らの間に漂う雰囲気は暗く、重かった。

 

 数少ない、かすかな光明(きぼう)とも呼べるルギアを奪われたという事実は、それほどまでに深い。この先どうするべきか。何をどうすれば、レインボーロケット団を打倒えきるのか。彼らの胸に小さな絶望を刻み込むのに、アルドスの襲撃は十分な効果を発揮していた。

 

 普段の様子が変わらないのは、せいぜいアキラとユヅキくらいのものだろう。が、アキラはそもそもが辛気臭い性格の上にやけに冷徹だ。雰囲気の改善に一切寄与するものは無かった。

 

 

「――ちょっと、話があるんだけど」

 

 

 そんなアキラに近づく恐れ知らずが一人いた。ヒナヨだ。

 彼女は先の戦いを思い返しながら、チュリを頭に乗せベノンを膝に乗せ、シャルトに首に巻き付かれながら、なぜかヒナヨの(強制的に手持ちに入れさせられている)モノズを手入れしていた。

 

 

「……こいつのことか? お前のポケモンじゃないか。自分で手入れしてやれよ」

「そうだけど。……いや、そうじゃなくって、その話じゃないの」

 

 

 道理だが、心底嫌だった。

 何せこのモノズは怨敵としか言いようのないゲーチスに押し付けられた監視役だ。隙さえあれば放り出したいというのが本音である。

 問題はそこではなく。

 

 

「あの『じしん』、何だったの?」

 

 

 まず最初に抱いた疑問はそれだった。

 どちらかと言えば、トレーナーとして……ゲームとしてのポケモンユーザーとしての好奇心に由来する質問だ。アキラは、何でもないことのように応じた。

 

 

「蹴りで直接全エネルギーをぶち込んだだけだ」

「え?」

「出力の向きを下向きから横向きに変えただけだ」

「は?」

 

 

 何を言ってるんだこいつは、と言わんばかりにヒナヨは困惑の表情を浮かべた。

 

 

「地面を揺らすから『じしん』でしょ……?」

「『そういう名前の技』だろ。地面が揺れるのは結果だ。過程が変われば、どういう風に結果が生じるかも変わる」

 

 

 ビシャスとの戦いやアクジキングとの戦いを考えると、それはより顕著だ。

 ギル――ビシャス戦当初はまだアキラのポケモンではなかった――が使った「じしん」は、周囲一帯の建造物を破壊するほどの威力を秘めていたが、ポケモンよりも耐久力の低いアキラを重傷に陥れる程度(・・)の威力しか、発揮してはいなかった。

 対して、ビシャスの乗ったロボットやアクジキングに対して使用した時。これは彼らの上に乗って直に攻撃を行ったため、破壊規模こそ先に挙げたものよりも小規模だが、相手を限定している分威力はこちらの方が上だった。

 

 アキラは、「じしん」という技を、足底から放出する破壊エネルギーを、地面を通して間接的に相手に注入する技だと捉えている。

 結果、「じゃあ相手に直にぶち込めばいいじゃん」として、本来下に向けるべき足を横に向けた。そうした果てがあのカビゴンの吹き飛びようである。

 

 

「……ま、まあ……だいたい分かったわ。応用技ってことね」

「ああ。それだけか?」

「ううん。もう一つ。何であの時私の話を遮ったの?」

 

 

 ヒナヨはしばらくそれについて考えていたが、結局まとまりきることはなかった。

 技に関してはトレーナーとして、あるいはゲームのポケモンユーザーとしての知的好奇心という面が強いが、もう一点はともするとレインボーロケット団が戦いを起こした理由、その根幹に関わってくることもありうる重要な質問だ。ここで遮られるというのは、ヒナヨにとっては不本意だった。

 

 

「無意味だからだ」

「むい……ッ!」

「時間が無いってのは分かってただろ」

「そうだけど……」

「あっちからしたら真面目に答えてやる必要も無いんだ。時間稼ぎされたり、最後の最後に意味無いのに無駄に意味深なこと言われて混乱させられたりしたくない」

「で……でも、もしかしたらレインボーロケット団の成り立ちとか、何でこの世界に来たのかとか分かるかもしれないでしょ?」

「それこそ無駄だ」

 

 

 アキラは、ばっさりと切り捨てた。

 

 

「今あいつらがやっていることだけが全てだ。どんな高潔な理想を持ってたとしても、どんなに同情すべき過去があったとしても、今あいつらが何百人も何千人も虐殺してる事実は変わらない。一秒でも早く殲滅する以外に手の施しようのない連中の事情なんて考えて、何の得があるんだ」

 

 

 殴りにくくなるだけだ。そう言って、アキラは苦々しげに目を伏せた。

 

 一方、ヒナヨはアキラから見えない首から下に大量の冷や汗をかいていた。

 アキラの主張は正論だ。正論、だが、それは乱暴な語調に言い換えれば「問答無用、敵は死ね」である。

 言うまでもないことだが、ヒナヨは(スパイ)である。そうなるだけの事情こそあるが、それは目の前にいる少女には一切関係ない。

 

 

「……こんなところかな」

 

 

 戦々恐々としているヒナヨをよそに、アキラはモノズの手入れを終えた。

 心なしか体表の鱗や毛はつややかになっており、モノズも上機嫌になっていた。

 

 

「なんか手際良くない……?」

「教えてくれたヨウタ(やつ)が上手かったからな。それに……」

 

 

 アキラは、回復中のチャムやリュオン、ギルのボールが据えられているメディカルマシンを見た。

 

 

「……もっと手間がかかるからな」

「あっ」

 

 

 比較的短毛のリュオンはともかくとして、チャムは長い羽毛を持っているためやや手入れが難しい。

 ギルなどは巨体故に、その手入れの手間は言うまでも無い。その上いわタイプだからか風呂に入ることも嫌がることすらある。冷たい水を浴びることやシャンプーが目に入ることも苦手であり、アキラもその辺りのちょうどよい塩梅を見出すのにだいぶ苦慮したものだった。

 

 

「じゃあついでに聞いてもいい?」

「え? ああ」

「その膝の白光(はっこう)のベベノム触ってもいい?」

「は……はっこう……?」

「あれ、知らない? 随分前に配布があったのよ、色違いベベノム。あーかわわ」

「ベニュ」

「おいあんまり強く突っつくな。毒出るぞ」

「大丈夫よ大じょボボボボボ」

「あ、ベノン!」

「~♪」

「苦酸っぱい!!」

 

 

 ベベノムは種族単位でイタズラ好きなポケモンだ。ベノンはアキラに対しては極めてよく懐いており、イタズラも本人の意図ではしない。

 が、他の者に対してはそうでもなかった。

 楽しそうにくつくつと笑うベノンだが、対するヒナヨは――――また、笑顔だった。

 

 

「え」

「は……ほっほ、ベベノムのナマイタズラ……いい……」

「な……何で恍惚としてんだよお前、頭大丈夫か……?」

「逆に聞くけど何であなた普段平然としてるの? もうちょっと興奮しない? するでしょ? 本物のポケモンよ?」

「できる環境じゃねーよ……どうにかしてるぞお前……」

 

 

 ドン引きするアキラだが、ヒナヨの素は本来「こう」である。

 そしてレインボーロケット団に情報を流さなければならないとはいえ、本質的なところで言えば彼女はアキラたちの陣営の人間のつもりだ。加えてごく短いとはいえ純粋な休息時間である。環境的にはレインボーロケット団の陣地にいるよりもよっぽど良い。気も抜けるというものだった。

 

 

「そこの見たこと無い子も触ってみたいしバチュルもナデナデしたいわ! どんな手触り? やっぱりフワフワ?」

「ヂ……デュイ……」

「フワフワだけどやめろ、すごい勢いで迫ってくるな! ビビッて電撃出しちゃうぞ!?」

「いっそ浴びせて! 体感したいわ!」

「オイこいつやべーぞ! ユヅ、ユヅーっ!!」

 

 

 奥更屋ヒナヨ。彼女は熱烈なポケモンファンであると同時に――そこから更に一歩踏み出してしまった、「私もピカチュウの電撃浴びてみたい!!」という類のややネジの外れた愛好家(マニア)でもあった。

 

 閑話休題。

 

 ともあれヒナヨの追求からなんとか逃れたアキラは、ポケモンたちの回復を待って全員をトラックの周辺に集めることにした。

 思惑は最悪の形で裏切られたが、だからと言っていつまでもここにいていいわけではない。新たに対策を考えなくてはならないからだ。

 

 

「提案がある」

 

 

 普段なら真っ先に提案を行うのはナナセだが、ここに来て最初に手を挙げたのは、皆を招集したアキラだ。

 集めたからには、という責任感もあるが、何より他のメンバーはほとんど意気消沈していて提案どころの話ではない。まずは自分から切り出してみて、反論を受けるなりして作戦をブラッシュアップして行こうという意図もあった。

 

 

「部隊を三つに分けて行動したい」

「は?」

「冗談だろ!? 何だその自殺行為!」

「……どうするつもりなのか、聞かせていただけますか?」

「伝説のポケモンの力を借りない限り……オレたちは勝てません。いっそ手分けして、少人数の方が隠密行動も取りやすいし動きやすくなるかも、って」

 

 

 無論、それ自体は紛れも無い素人考えだ。

 戦闘の可能性は常について回る。下っ端を倒すこと自体はそう難しくないが、物量で押されればどうしても消耗は激しくなる。幹部を倒せる程度の実力が身についたとはいえ、それだけでは圧倒的な数的差を解消するにはやや心許ないのだ。複数人数で行動した方が安全ではあるし、何より、メディカルマシンは一つしかない。回復したくともできないという状況がどれほど辛いかは、戦いのごく初期を経験しているアキラにはよく理解できていた。

 

 

「補給も無し……戦力も分散されるとなると……危険は避けられませんが……」

「ウチも仕方ないと思うけどなー。リスクは高いけど、それで動かなかったら何にもならないでしょ?」

「それはそうだが……しかし、回復手段も無いのではリスクが高すぎる」

「それについてはちょっと考えが。ロトム、いいか?」

「はいロトー」

「レインボーロケット団の連中が持ってる機械を複製したい。できるか?」

 

 

 そう言って、アキラはとある機械――以前、アクジキングとの死闘を経て手に入れた、レインボーロケット団製の「ポケモン預かりシステム」に転送するための装置を提示した。

 

 

「それは……たしか、アクジキングを転送した……」

「これはあくまで一方通行ですけど、双方向にポケモンをやり取りできるようなシステムがあれば……ロトムを基点に、みんなの通信端末を通してポケモンのやり取りができるようになるかもしれません。そうすれば、メディカルマシンは一つあれば十分ってことになる」

「……なるほど、確かに、似たようなシステムなら、今のカントーとガラルにあるよ」

 

 

 横から口を出してきたのは、作戦会議ということで多少無理を押してでも起きてきたヨウタだ。

 彼は痛む胸を抑えながらも、なんとかアキラの言葉に注釈を加えていく。

 

 

「あるのか?」

「うん。ポケモンボックスって言うんだけど」

「どこでもポケモン預かりシステムに接続できる拡張機器ロト。貴重品だから、どこにでもあるわけじゃないケド……

「じゃあそれ奪おう」

「……そういうことでしたら、確かに……現実味は、出てきますね」

 

 

 その状態ならば、ある程度までチームを分けたとしても行動はできるだろう。なるほど、と納得を示して、改めてナナセは思考の海に沈んだ。

 それができるのなら、ある程度できることとやれること、そしてやるべきことは徐々に定まってくる。

 

 

「……チームを三つに分けましょう」

「三つ、ですか」

「一つは……ヨウタ君と、朝木さん……」

「え、俺!?」

「と、僕……?」

「はい……ヨウタ君は、こうして連れ回してしまっていては……いつまでも戦線復帰できません。一度、本格的に静養する必要があるかと……」

「ああ、そういう……」

 

 

 ある種の主治医であるところの朝木が、付きっ切りでヨウタを看病する。それによって戦線復帰を急ぐ、というのはなるほど、理解できる話だ。これについては、反論する者はいなかった。

 

 

「ま、任せとけよ! ……治すのは本人次第だけどさ」

「最後が余分だな……」

「……もう二つのチーム、ですが……」

「それについては、僕から少し……」

「ヨウタくんから?」

「うん。伝説のポケモンって言うなら、ソルガレオ(ほしぐもちゃん)を復活させるのがいいと思うんだ」

「それは分かるけど、それ、どうやって? この世界には祭壇も笛も無いのよ?」

「だから、その辺りは賭けだね……こっちの世界に何かウルトラホールに関わるような伝承でもあれば、それを通じてほしぐもちゃんにエネルギーを供給できる可能性もあるんだけど」

「じゃあ、そういうのは私が――――」

「いや。ユヅと東雲さんと小暮さんで行ってほしい」

「む?」

「……え」

 

 

 なるほど、ポケモンに対する深い知識を持つヒナヨは、ウルトラホールが開く可能性のある場所を探すのに向いていると言えるだろう。

 しかし、アキラはそれを遮って東雲たちを指名した。

 

 

「知恵を出すだけならスマホ越しでもできる。ユヅ、いいか?」

「オッケー!」

「ちょっ……即決しないでよゆずきち! もうちょっと考えよ!?」

「でもお姉の言ってること自体はもっともだよ? それに何か考えあるんでしょ?」

「ああ。メガストーンとキーストーンを探す」

 

 

 そう言うと、アキラは自らの左手に嵌めた指輪を掲げた。

 この中でキーストーン及びそれに類する機能を持ったアイテムを所持しているのは、今のところアキラとヨウタ、そしてユヅキの三人だけだ。その上、ユヅキはメガストーンを持っておらず、アキラも対応するメガストーンはルカリオナイトしか所持していない。ナナセにはあぶさんが、東雲にはカメールが。朝木はメガシンカ可能なポケモンが手持ちにいないものの、それでもいずれ手に入れる可能性はある。簡易的な方法になってしまうが、それでも一つの手間だけで急激な戦力増強が見込めるのだから、手に入れない理由は無かった。

 

 

「そのためにはやっぱり、レインボーロケット団の基地に攻め込んだりこっそり潜入する必要がある。さっき言ってた『ポケモンボックス』も、もしかするとあるかもしれないしな。できるだけ戦力的に充実してるオレたちが行った方が確実だ」

「……そうですね。現状はアキラさんたちに組んでいただくのが、確実ではあります……」

「え゛」

 

 

 オイオイオイ死ぬわ私、などと内心で状況を茶化しつつも、ヒナヨの頭には強烈な不安感が付きまとう。

 これは完全にバレているやつなのでは? 二人きりになって殺しに来るやつなのでは? そうする理由があるだけに、彼女としては強い恐れを抱かずにはいられなかった。

 

 

「では……動けるようになったら、ヨウタ君たちも……伝説のポケモンの生息地候補を探してみてください……」

「うん、分かってるよナナセさん」

「アキラさんたちも……連絡は密に、可能なら……アイテムを入手次第、一旦合流をお願いします……」

「了解です」

「りょ、了解」

 

 

 各々のやるべきことを頭の中に入れた彼らは、誰からともなく立ち上がり始めた。

 その中で、東雲は神妙な表情で他の面々へ小さく告げる。

 

 

「……皆、どうか気を付けてくれ。危険であることは承知の上だ。だが、それでも……勝つための無茶はしてもいい。だが、どうか無理だけはしないでくれ」

「……東雲さん」

「これ以上、親しい人間の死にざまなんて見たくはない」

 

 

 東雲は、苦渋に満ちた表情でそう告げた。

 彼の心の中に浮かんでいるのは、最初の襲撃に際しての自衛隊駐屯地での光景だ。

 凄惨な死にざまをした者もいるし、死体すら残らなかった者もいた。過ぎたこととはいえ、それは彼の心を強く縛り、締め付けている。そのことを理解している一同は、当然とばかりに手を前に差し出した。

 

 

「みんなで戻りましょう」

「うん。みんなで」

 

 

 かつん、と拳同士を打ち付け合い、彼らは旅の無事を誓い――あるいは、互いに祈りを交わした。

 

 

 

 







現在の手持ちポケモン(数値は目安です)

〇刀祢アキラ
チュリ(バチュル♀):Lv48
チャム(バシャーモ♂):Lv55
リュオン(ルカリオ♀):Lv57
ギル(バンギラス♂):Lv73
ベノン(ベベノム):Lv32
シャルト(ドラメシヤ♀):Lv26

〇アサリナ・ヨウタ
ライ太(ハッサム♂):Lv81
モク太(ジュナイパー♂):Lv79
ワン太(ルガルガン♂):Lv80【たそがれのすがた】
ラー子(フライゴン♀):Lv77
ミミ子(ミミッキュ♀):Lv75
マリ子(マリルリ♀):Lv59
ほしぐも(コスモウム):Lv70
カプ・コケコ:Lv75

〇朝木レイジ
ゴルバット♂:Lv23
ニューラ♀:Lv29
ジャノビー:Lv22
ウデッポウ♂:Lv25

〇東雲ショウゴ
カメール♂:Lv35
ワシボン♂:Lv31
クヌギダマ♀:Lv33
ヒードラン♂:Lv45

〇小暮ナナセ
あぶさん(アブソル♀):Lv36
しずさん(オニシズクモ♂):Lv39
まぐさん(マグマラシ♂):Lv32
もんさん(モンメン♀):Lv34

〇刀祢ユヅキ
ルル(ヘルガー♀):Lv42
メロ(メタング):Lv36
ロン(ハリボーグ♂):Lv35
ジャック(ジャランゴ♂):Lv38

〇奥更屋ヒナヨ
ルリちゃん(サーナイト♀):Lv44
ペルル(エンペルト♂):Lv41
マイちゃん(アマージョ♀):Lv43
モノズ♀:Lv10



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獅子身中のだいばくはつ

 

 

 アキラにとって、自分が男であったということは何よりのアイデンティティである。

 ここのところ一人称が混濁し続けていて崩壊しかけているが、それは確かにアイデンティティなのだ。

 入浴にはすっかり慣れてしまったし、脂っこいものは何だか受け付けないことも多いし、力を失って以来自分の非力さが(本人基準では)目立つようにもなってきてはいるが。それでも男なのだ。

 

 だった。過去形である。

 それはそれとして、男としての矜持は残っている。元を知っているユヅキは当然として、ナナセやヒナヨと入浴時間を絶対に合わせなかったり、洗濯もできるだけ自分のものは自分だけで区別したりと様々な方法で他の女性たちとはある程度距離を置いて生活していた。

 

 ――そうしていたのだが、しかし、流石にどうしようもないことというものはある。

 チームを三つに分けるという提案を行ったことで、移動手段もそれぞれ三通りに分けられることとなった。ユヅキと東雲とナナセはトラックで。ヨウタと朝木はポケモンたちの力を借りて。アキラとヒナヨは――バイクで、二人乗りだ。

 抱きつかれるような格好にならなければならない関係上、どうしても、ヒナヨの中学生にしては豊かなものがアキラの背中に触れることとなる。初めての経験だった。

 だったのだが。

 

 

(――――何も感じない。虚無だ)

 

 

 彼女は無の境地に到達していた。

 何も興奮しないし高揚しない。何一つとして情動が動く気配が無いこと自体がまたアキラに哀しみを呼び起こさせる。

 彼女の心は凪いでいた。

 

 

「何そのチベットスナギツネみたいな表情……」

「何もない……」

「いや何もないように見えないから聞いてるんだけど」

「何も……無いんだ……」

 

 

 何が問題なのかと言えば何も無いことが一番の問題である。

 

 

(なるほど。これがEDというやつか)

 

 

 アキラはそう結論づけた。戦渦に巻き込まれ、極端な経験をしたことで性的欲求が萎えて動かなくなってしまったのだろうと。

 それも事実ではあるが、何よりそれは男性的な部分がほとんど喪失しつつあることの証左だった。

 アキラは静かに泣いた。

 

 

(急に泣いてるこの人……怖……)

 

 

 ヒナヨは静かに引いた。

 

 

「……で、今どこに向かってるわけ?」

 

 

 急激な話題転換を行ったのは、何よりまずヒナヨの心を守るためと言えるだろう。

 バイクで走り始めて、これで三十分ほど。流石にそろそろ彼女もどこへ向かうかという点を明かしてほしいところだった。

 

 

「ぐすっ……フレア団の基地だ。メガストーンやキーストーンと言えば、カロス地方が本場だからな……」

「ま、そうよね……でもそれ、どこにあるかってアテあるの?」

「無い」

「はぁ!?」

「無くてもいいんだよ。派手に動けば勝手にあっちから寄って来てくれる。あとは撫で斬りにしていけばいい」

「雑!!」

「い……言うほど雑じゃないだろ……尋問くらいはして情報抜くぞ…」

「そのとりあえず尋問すればなんとかなるみたいな考え方がもう雑なの! 下調べくらいしなよ! 何のために小回りのきくバイク使ってんのよ!?」

「……? 小回りがきく方が撹乱しやすい……」

「その小回りで情報集めろってのよ」

 

 

 脳味噌筋肉でできてんのかこの女、と感じたヒナヨだが、その妹がまず感覚派の極致のような人間であることを思い出し、それ以上の追及をやめた。

 ユヅキもそうだが、アキラは特に誰かが手綱を握ってかじ取りをしていないとダメだ。「次」があればそうしようと考え――思い直し、歯噛みして腕輪をガリガリと引っ掻いた。

 

 

(むーちゃんをまず取り戻さないと)

 

 

 定めた目標は何も変わらない。それさえ遂げられれば、彼女にとっての問題はおおよそ解決する。そうなれば、大手を振って友人のもとに「仲間」として駆けつけられるだろう。

 

 ――だが、そのためにはそれに足る「成果」を示さなきゃいけない。

 

 ヒナヨの頭の中でささやきがこだまする。事実として目の前にいるのだ。レインボーロケット団にとっての脅威、かつ優先的に確保すべき対象としてのある種の「成果」が。

 

 やれ、と声がささやく。やるべきじゃない、と本能が叫ぶ。

 けれども、そうしているうちに次第に選択の時は近づく。視界の端に赤いスーツの人影を捉えたからだ。

 電源が切れたように、アキラの顔から表情が抜け落ちる。どこか彫像めいた美しさのある横顔を見てわずかに息をのむと、彼女はスピードを上げる……ことはなく、丁寧に近くの路肩にバイクを駐車すると彼女は小さくヒナヨに呼びかけた。

 

 

「そろそろ、ポケモンを出しておけ。伏兵がいたら優先的に対処を頼む」

「あ……うん。ルリちゃん」

「サー……」

「よし、行くぞ。三、二、一……」

「ルリちゃん」

「サナ」

「ゼ――――――ぐぅ」

 

 

 そしてカウントの最中、ルリちゃんの放った紫色の光輪に包まれたアキラは、唐突に糸が切れたようにその身を地面へ横たえた。

 

 

「うーわ……」

「サナー……」

 

 

 即コテン、である。

 これが「さいみんじゅつ」の恐ろしさだ。本来、その射出の遅さから命中率に欠ける技だが、無防備なところに当てればこうなるのか……と、小さくヒナヨは戦慄する。

 

 ――スリーパーが調子に乗って子供を誘拐するわけだ。

 

 この先世界が平和になったら、優先的に隔離しておく必要があるのではないだろうか。ヒナヨの心に謎の使命感が刻み込まれた瞬間だった。

 無論、まだ何もしていない以上ただの冤罪である。

 

 ヒナヨはルリちゃんに指示して、アキラの身体を浮かせた。続いてペルルを出して安全を確保し、ゆっくりと外に出てフレア団員のもとに近づいていく。

 彼女たちの存在に気付いたフレア団員は当然ながら驚きを露にし、警告のために言葉を飛ばしかけるが――直後、浮いている白髪の少女の姿を目にして息をのんだ。

 それを見逃すことなく、彼女は機先を制するように声を発する。

 

 

「ゲーチスに取り次ぎなさい! 最優先目標を捕まえたって!!」

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 あの(・・)白髪の少女が捕らえられた。その報を耳にしてレインボーロケットタワーへ最初に駆けつけたのは、最高峰の催眠能力を持ったカラマネロを手持ちポケモンとして擁するクセロシキだった。

 

 レインボーロケット団に所属する科学者、あるいは(ばけ)学者は数多い。クセロシキや配下の四人の女科学者、プラズマ団の賢人やギンガ団の幹部など、科学力に優れていながらもレインボーロケットタワーに身を寄せていない者もいるが、一方でナンバ博士やシラヌイ博士、ゼーゲル博士といった本部を離れることがほとんど無いような者も中にはいる。

 求める環境の違いもあってどちらの方がより優れているとは一概に言い切れないが、いずれにせよ領分の異なる彼らが一堂に会するということはそうはない。

 そのはずが、この日は少々様相が違った。

 

 クセロシキ、プラズマ団の賢人ヴィオ、そしてギンガ団のサターンという、普段タワーに寄り付かない三人が、ロビーに集っていたのだ。

 かつて示された「目標」を果たすため、人体工学に優れたクセロシキが呼ばれたというのは当然のことだ。プルートの突然死によって他の団員への引継ぎが済んでいないため、強制的に駆り出されたサターンも、本人にとっては不本意極まりないが、いてもおかしくないと言っていいだろう。

 問題があるとすれば。

 

 

「お前は呼ばれてなさそうだゾ?」

 

 

 ヴィオである。

 確かに彼はプラズマ団の中では賢人と呼ばれた者の一人ではあるが、正確には科学者というわけではない。クセロシキのその指摘に、彼は首をすくめて答えた。

 

 

(ポチエナ)の餌やりだよ」

 

 

 意味が通るような通らないような曖昧な返答でその場を濁され、他の二人もまた首をすくめた。

 

 

「何に?」

「こちらに聞くな。無関係だ」

 

 

 サターンは、「プルートが何故かレインボーロケット団本隊と太いパイプを持って、いつの間にか参加していた詳細不明のプロジェクトを彼の急死によって引き継がされ、他人への引継ぎ業務を終える前に無理矢理駆り出された」……という経緯もあり、やる気があるわけではない。

 元々彼はプルートと仲が良いわけではないのだ。単に幹部格かつ科学者という繋がりで、勝手に仕事が回ってきただけである。むしろ迷惑している側だ。

 

 

「そもそもあの白髪の少女を捕まえたことが何になる? 何も聞かされていないのだが」

「プルートの爺様からは何も?」

「何もだ!」

 

 

 プルート本人も死ぬとは思っていなかったのだろう。引継ぎの準備などできているはずもない。

 腹立たしげにするサターンへ、クセロシキはなだめるように言葉を口にした。

 

 

「私も概略しか聞かされていないが、あの少女に別人の記憶を植え付ける……らしいゾ」

「なんだ、それは。どういう意味がある。だいいちそんなことが可能なのか?」

「さあ。『造られた器(・・・・・)なら親和性が高い』という仮説はあるが」

「アレが人造人間(アンドロイド)だと?」

改造人間(サイボーグ)かもしれないゾ。まあどっちでもいいか。『造られた人体』という容れ物に、後から中身を入れた……というプロセスを経ているという事実だけが重要なファクターなんだゾ」

 

 

 クセロシキは、高松城で出会った少女の、文字通り「造られたような」美しさを思い出す。

 それこそ数ミリ単位の誤差が出れば、それだけでどこか醜さが出てしまうその狭間を突いたような領域に彼女はいる。見る者が見れば……それと理解していれば、その「作り物」らしさははっきりと見て取れるだろう。

 

 

「一度何かが入ったってことは、『別のもの』も入れられるということだゾ」

「悍ましいな」

「まったく」

 

 

 もっとも、何が入るかという点はクセロシキにとってはどうでもいいことだ。

 ただ唯一、気がかりなことがある。「そうなった」後の少女の人格だ。

 かつて彼女は、「デスウイング」の直撃に耐えるという幸運こそあったものの、その後パキラとクセロシキという明らかな格上と戦ってなお逃げ延びている。

 その前のアケビとの戦いも、その前のバショウたちとの戦いも、もっとさかのぼればビシャスとの戦いやランスとの戦いも――明らかに不利な状況に置かれてなお、彼女は生き延びている。

 その強さがいったいどこから来るものなのか? それを問いかけるべき人間の人格が消失してしまえば……。

 

 

(残念な話だゾ)

 

 

 しかし、組織に所属している以上、それは致し方ないことだ。

 そう考えたところで、不意に彼の頭に疑問が首をもたげる。

 

 ――私はそんな当たり前の理屈に殉じるためにフレア団に入ったんだゾ?

 

 彼がフレア団に入団したのは、既存の倫理観から脱却し、常識をひっくりかえすことで新たな境地に至るためだ。

 そして。そして――――――。

 

 

「皆様、こちらへ。実験の準備ができました」

 

 

 その思考は、言葉を割って入れた研究員によって遮られた。

 誘導されるままエレベーターへ向かう三人だが、扉が閉じる直前にそこに割り込む人影があった。

 

 

「待ちなさい、ヴィオ!!」

 

 

 恵まれた体格のもと全身で怒りを表して走り来る少女――奥更屋ヒナヨだ。

 彼女は靴をエレベーターの扉に差し入れて強引に扉をこじ開け、ヴィオに詰め寄った。

 

 

「ゲーチスから聞いたわよ、何であんたがむーちゃんのボールを! 早く解放して!!」

「何をそう急いている。ちゃんと返してやろうと思ったからこうして出向いてやったのだろう。その私に感謝の言葉の一つもないのか?」

「……アリガトウゴザイマシタ」

「心がこもっていない。本当にありがたいと思っているのなら、床に頭をこすりつけてでも言えるはずだぞ?」

「…………ッッ」

 

 

 ヒナヨは、自らの歯が砕けて割れそうなほどに噛み締めた。

 要するに――そこに土下座をして見せろ、と彼はそう言っているのだ。徹底的に屈辱を与えてなお逆らわないかどうかを見定めるように。

 

 脳の血管がはちきれんばかりに頭に血が昇るのを感じながら、それでも、血を吐くような思いをしてヒナヨは床に頭をつけた。

 

 

「……ありがとう……ございま……ぐッ!」

「それとゲーチス『様』だ。ゲーチス様の恩情に与れて光栄です、くらいは言えるだろう。その口から聞かせないか」

「~~~~~ッッ!! ゲー……チス……様のッ……温情に与れて……光栄……です……ッッッ」

 

 

 ヴィオ――とはまた違う、心無い団員が、ヒナヨの後頭部を、あるいは背を足蹴にしてくすくすと笑い声を漏らす。

 

 やがて、永遠に続くとも思われた長い屈辱的な時間は、エレベーターが停止する音と共に発せられたヴィオの「よろしい」という一言と共に終わりを迎えた。

 

 

「いかがしますか?」

「逆らいようもない。同行を許可しよう」

 

 

 見慣れぬ風体の、しかし無様な闖入者の存在に、小さく三人に問う研究者だが、ヴィオは何事もなげにそう答えた。

 周囲の人間は全員が紛れも無く幹部として相応の実力を備えた人間たちだ。今のヒナヨに勝ち目は無い。侮りと驕りこそあるが、それは厳然たる事実である。

 

 

(趣味が悪いな……)

 

 

 サターンはその光景を遠巻きに見て、軽く眉をひそめた。

 興味は無いが目の前でやられても迷惑だ。どこかよそでやってほしかった。

 

 しばらく歩いて、彼らは地下施設の一角へと到着した。

 扉を潜った先は、どうやら隣の部屋と強化ガラスによって仕切られたモニタールームであることが分かる。薄暗い室内でモニタが明滅し、何らかの数値を示した。

 そんな中、ヒナヨの目を奪ったのはそうした数値ではなく、ガラスによって仕切られた先だ。

 

 

「――――」

 

 

 思わず彼女は息をのんだ。そこから見える実験室(・・・)に、四方から伸びる異常な数のコードに覆われた椅子に座らされた白髪の少女――アキラの姿があったからだ。

 その頭には、ヘッドギアのような機器が取り付けられていた。彼女のバイタルは常に監視されているらしく、周囲のモニタの数値は、一秒ごとに移り変わっていく。

 

 

「何……コレ……」

「記憶の転写作業だ」

「き……記憶?」

 

 

 いったい何を言っているのか、とわけもわからず目を白黒させるヒナヨに、ヴィオが告げる。

 

 

「我らが組織の長、サカキ殿は後継者を亡くしておいででね」

「えっ……!?」

 

 

 予想外の発言に、ヒナヨは言葉を失った。

 サカキの後継者とはつまり、彼の直接の血縁……息子のことを指すと見ていいだろう。

 あまりに当然のことのようにヴィオは言っているが、それはありえないことだとヒナヨは認識している。いや――「彼女の知る中では」それはありえないとするのが正確だろう。

 「彼」は確かにゲームにおいては、あるいはそれとよく似た世界の上に成り立つヨウタたちの世界では生きているかもしれない。

 

 しかし――レインボーロケット団が生まれるに至った世界の「彼」は、そうでは、なかった。

 

 

「彼はその死を認められなかった。自分に勝るとも劣らないその才覚やカリスマ性が失われることを悔やんだのだろう……彼は何をおいてでも後継者を蘇らせたいと願った。その果てにこの装置が造られたのだよ」

 

(違う)

 

 

 ヒナヨは心の中で強く否定した。

 才能が失われることを悔やんだとか、そういうものではない。それはもっと単純で、きっと親として当たり前の――――。

 

 

「そして彼女は、都合の良い器というわけだ」

 

 

 どういうことか、と言い終わる間も無く――次の瞬間、研究員たちは装置のスイッチを入れた。

 

 

「――――!!」

「意識レベル安定、転写開始。終了までおよそ九分四十二秒」

「まあ、ゆっくり見ていくといい。ああ――そうだ。返さなければだったな」

 

 

 言うと、ヴィオは黒いボールをわざと床に転がした。

 

 

「むーちゃん!?」

 

 

 遮二無二拾い上げたそのボールから透けて見えるその中にいたのは――彼女の知る「むーちゃん」ではない。

 

 

「!?」

 

 

 2ほんヅノポケモン、マンムー。ウリムーの進化系であるポケモンだった。

 そうなることも、場合によってはありえないことではない。しかし、何よりヒナヨが持つ異質なボールが「何があったか」を雄弁に告げてくる。

 言葉を発することもできないヒナヨに、ヴィオは言葉をかけた。

 

 

「それは間違いなくゲーチス様から預かったウリムーだぞ。どうした? 嬉しくはないのか?」

「何で……何が……」

「さあ、強制進化マシンの実験台になったか、ダークポケモンにする処置の実験台になったか、ダークボール製造の実験台になったか、いや、その全部(・・・・)かな? さて、その辺りは専門ではないからな」

「――――」

「あれほど求めていたというのに、少し姿が変わったのが不満と? それとも施術の内容を(つまび)らかにしないといけないかね? これは困った。この程度の働き(・・・・・・・)では、ゲーチス様は満足されまい……」

 

 

 ヒナヨは、静かに膝をついた。

 つまり、彼らのやり口とはそう(・・)だと。ひとつ付け入る隙を与えれば、そこから傷口を開くようにふたつ、みっつと手を伸ばして脅しの材料を手に入れる。

 ウリムーを奪ったその時点で、彼らはここまでやることを考えていたのだ。

 

 だから。

 

 

「――あっそ。ならもういいわ」

 

 

 ヒナヨは、ごく自然に立ち上がって軽蔑の視線を向けた。

 

 

「チュリちゃん」

「ヂ」

 

 

 ――瞬時に、ヒナヨを取り巻く全ての人間が、電撃の糸に絡めとられる。

 

 

「――ガッッッ!!」

「おごごっごごごこっこここここれはああああああああ!!」

「ど、ど――どこがらぁぁぁぁぁ!!?」

 

 

 その疑問に応じるようにチュリが這い出してきたのは、ヒナヨの服の下だ。

 他のどのポケモンでもおよそ不可能な、極めて小さなバチュル(チュリ)だからこそ可能な奇襲だった。

 

 

「――悪人の言葉に耳を貸すなってマジね。忠告聞いといて良かったわ」

 

 

 言いつつ、ヒナヨは数時間前のことを思い出す。

 温泉施設を後にしてアキラと二人でこちらに来る直前、彼女から話しかけられた時のことだ。

 

 ――「お前は敵のスパイだな?」

 

 その「文字」を目にした時、ヒナヨは驚きに目を見開きつつ「ああ、まあ気付いてただろうな」という諦めの念を抱いた。

 しかし、重要なのはそこではない。アキラは首を横に振ると、ヒナヨに二枚目の紙を差し出した。

 

 ――「何か事情があるなら紙に書け」

 ――「あんなにポケモンのことが好きなやつが、あんな連中に素直に協力すると思えない」

 

 アキラは幾多の戦いを経て、波動使いとして円熟しつつあった。

 そのため、その能力こそがヒナヨの感情の機微を読み取って彼女を疑ってかかる原因となったのだが、同時に、その能力があったからこそ、奇しくもヒナヨの疑いを晴らす結果を生んだ。

 アキラが筆談という手段を用いたのは盗聴を警戒してのことだったが、それも含めてヒナヨにとっては救いだった。声に出して言葉にするには、いささか分かりづらいことも多い。自分の現状を全て明らかにしたところで、アキラは確認するように一つ切り出した。

 

 ――ウリムーを取り返すためには、それに足る「成果」を示さなきゃいけない。

 

 そこで示した「成果」こそが――アキラ自身だった。

 

 

(……それで「じゃあオレが行く」って、流石にどうなのよ……)

 

 

 ヒナヨも随分と止めたのだ。そんなことやるべきじゃない、と。しかし、アキラはやれ、と執拗なまでに推した。

 実際、そうすることが一番の近道であることはヒナヨも理解はしていたのだ。ただ、じゃあ友人の姉を差し出せるかと言われるとそこまで腐っていない。

 しかし逆に、アキラの側も妹の友達が苦しんでいるというのに黙っておくということができなかった。

 そうした結果、ほとんど連れ去られるようにしてバイクに乗せられ敵陣中央への特攻である。結果、選択肢は他に無くなった。その上自我を失うかどうかというような状況にまで陥っている。思わずアホかと叫びたくなった。

 

 それでも、今の気分は極めて清々しかった。

 

 

「チュリちゃん、これカゴのみ! 食べさせてきて!」

「ヂ!」

「ルリちゃん、来て!」

「サー」

「――この部屋の機械全部ぶっ壊して!!」

「サナ!」

 

 

 轟音と共に、ルリちゃんの全身から放たれる「サイコキネシス」が周囲の機械を捻じ曲げ、引き裂き、修復すら不可能になるほど完膚なきまでに破壊していく。

 抗議の声を上げる研究者の姿もあったが、ヒナヨはそこに向かって思い切り金属の破片を投げつけた。

 

 

「ぐ、ぐおおおお……!! 本当にいいのか!? そのマンムー、元に……戻せなくなる、ぞ……!」

「はあ? 次は何? 偽物でも用意するつもり!? っざけてんじゃないわよこのクソ外道!! アンタたちが勝ち誇って本物のむーちゃんを見せびらかしてきてる今しか取り返せる機会なんて無いのよ!!」

 

 

 「苦あああああああああああ!?」というアキラの悲鳴をバックに、脅しのような言葉を向けるヴィオを睨みつけるヒナヨ。彼女は唾を吐きながら腰元に回していたダークボールを手に取り――投げた。

 

 

「なぁ!?」

「ぶおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 当然ながら、むーちゃん……マンムーが姿を現す。その体格はギルとよく似て、本来の倍ほどの大きさにまで膨れ上がっており――天井をも突き破るほにまで肥大化していた。

 次いで、ヒナヨのもとにダークボールが戻ってくる。が、彼女はそれを思い切り地面に叩きつけ……踏み砕いた。

 

 

「これで解放!! あとは再捕獲してリライブすれば元通り! シンプルな話じゃない!!」

「馬鹿か!? なぜダークボールに捕獲して、その上でダークポケモンにしたと思っている! そうでもしなければ」

「うっさい!! ルリちゃん黙らせて!!」

「サナ」

「制ギョッ!!?」

 

 

 ヴィオの首に小さな負荷がかかり、直後に彼は意識を喪失した。命に別状は無いだろうが、少なくとも一時間は起き上がってこられないだろう。

 ヒナヨは小さく息をついて、狭苦しそうに咆哮を上げるむーちゃんへと向き直った。

 

 

「さて――どうしようかしら」

「サナっ!?」

「ごめん、実は勢いでやっちゃった」

 

 

 ルリちゃんの驚く顔を目にしながら、彼女は自分の迂闊さを呪う。

 戦略を考えるなら、当然ながらここでむーちゃんを解放するべきではなかった。次第に深まる冷気に体を震わせかける、小さく苦笑いした。

 

 

「――じゃあ、次はわたしの出番だな」

「え」

「グルルルゥァアァッ!!」

「ぶおおおおっ!!?」

 

 

 ――そうした次の瞬間、彼女の目の前にいたはずのむーちゃんが、壁を突き破り、部屋の外にまでその身を吹き飛ばされる。

 それを成し遂げたのが深緑の鎧を持つポケモンであることを認めて、彼女は小さく安堵の息をついた。

 

 

「平気?」

「口ん中イガイガして頭痛い……」

「でしょうね」

 

 

 世界最高峰の「さいみんじゅつ」を受けた後で脳内を弄り回され、その上カゴのみを口内に放り込まれるという怒涛の経験をしたのだから、それもむべなるかな。頭が痛いで済んでいるのがおかしいのだ。

 しかし、彼女はしっかりとその両の足で立ち、先とまるで変わらぬ様子で掌と拳を突き合わせる。

 

 

「何からすればいい?」

「むーちゃんの再捕獲、手伝って」

「その後は?」

「この目障りなタワー、ぶっ潰すわ」

「いいね、やろう」

 

 

 この瞬間、二人の思いは完全に合致した。

 

 

 








独自設定・原作設定等の紹介

・ナンバ博士・シラヌイ博士・ゼーゲル博士
 アニメ「ポケットモンスター」に登場するロケット団技術部の博士。当小説においてもレインボーロケット団の技術部に所属。いずれも幹部かそれ以上の扱いを受けている。
 内、シラヌイ博士がポケモンの強制進化装置を開発。ナンバ博士はルギアの研究を行っており、ゼーゲル博士はポケモンの兵器化の研究を行っている。ゼーゲル博士が現状のダークポケモン研究の主軸。

・「彼」
 「金・銀」及び「ハートゴールド・ソウルシルバー」に登場する主人公のライバル。赤毛の少年。もしくは「???」。
 ロケット団ボス、サカキの息子。ポケスペにおいては「シルバー」として描かれる。
 基本の世界線においては彼もロケット団残党の打倒に手を貸すなど活躍していたが、レインボーロケット団の母体となったロケット団=カントー地方の支配を完了したロケット団においては彼は何らかの原因によって死亡している……という扱い。本作オリジナル設定。
 彼の記憶がアキラに転写されたらしいが……。



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紅蓮のミストフィールド

 

 

 アキラは機嫌が悪かった。猛烈に頭が痛いからだ。

 本人は与り知らないことだが、彼女はつい数秒前まで脳に直接他人の記憶を書き込まれるなどという尋常ではない経験をしている。事実として記憶と自意識の混濁は以前よりも激しくなっており、施術を途中で中断されたことで、脳への高い負荷が加わり鼻や目から血が流れてもいる。

 

 とはいえ今はそれだけ(・・・・)だと、彼女は自分を納得させた。

 目的は定まっている。自分は自分だという確かな意志がある。そして何より、消えることなく燻り続ける黒い炎が胸の内にある。

 だったら、体調が優れなくとも体のどこが痛くとも今合致した「やりたいこと」と「やるべきこと」を成し遂げるために動く。ただそれだけでいい――と、彼女はギルに指示を出した。

 

 

「ギル、普段被害を広げないように頑張ってくれてるけど、今はいい。全力でやってくれ――『ストーンエッジ』!」

「グルルルルル……!」

 

 

 唸り声と共にギルの生体エネルギーが渦を巻く。常のそれよりも遥かに多量、かつ力強い奔流は、日頃彼が創り出すそれよりも遥かに巨大、かつ頑強な岩塊をその場に生成してみせた。

 

 

「ガアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 そして、規格外の一撃が振るわれる。

 戦いの日々によって培われた伝説のポケモンにすら負けないほどの筋力を全開にして放った一撃だ。マンムーはその直撃を受け、壁や柱、床や天井を破壊しながら別の区画にまで吹き飛んでいった。

 

 敵の非道に憤っているのは、なにもヒナヨやアキラだけではない。同じく強制的に進化させられ、狂暴化させられたポケモンとして、ギルは間違いなく激怒していた。

 このマンムーは、自分以上に体を弄り回されている――と本能的に察知した彼は、同時に今は倒すしかないということもよく理解している。故に、その攻撃に躊躇は無い。

 

 

「ぶおおぉぉ……」

「……ッ」

 

 

 苦しげに声を上げるマンムーに、ヒナヨの表情が悲痛に歪む。

 体力が残っていれば、ポケモンは暴れ出すためボールに収めることは難しい。極めて当たり前の事実だ。しかし、だからと言って家族同然に暮らしていた相手が傷ついて平然としていられるほど、彼女は薄情ではない。

 そのことを察したアキラは、すぐにヒナヨに駆け寄った。

 

 

「後は任せてほしい。そっちは必要なものを集めてくれ」

「でも、血が出てる。それに、あんなことがあった直後に一人で戦わせるなんて!」

「どんなことされたのか知らないけど、この程度が何だ。頭が痛いだけだ! 全身の骨が折れてた時と比べれば!」

「狂ってんのか」

 

 

 比較対象が悪すぎる。それで生き残る彼女も彼女だが。

 そもそも、だからと言って今の状態で戦っていてもいいというわけでもないのだ。変な方向に慣れ切っているアキラにドン引きしつつも、しかしもしもアキラがここで抑えることができるなら、相当に有効な手になりうる――とも考えられた。

 

 

「それにさっきから頭の中で妙な音(・・・)が響いてるんだよ。わたしのことはいいから!」

「…………わかった。でも、いい!?」

「任せろ、絶対に連れ戻す!」

「じゃなくって! みんなで(・・・・)一緒に帰るの!」

「――――……ああ!」

 

 

 ここで初めて、アキラはごく自然な笑顔を見せた。

 わずかに一瞬のことだったが、これまでにヒナヨが見てきた仏頂面とは違う新鮮な表情だ。

 これが、例えば下っ端であってもトレーナーを相手にしている本気の「戦い」の中であれば、彼女の表情は一切変わらなかっただろう。仲間のポケモンを救うために戦う――という状況があってはじめて見ることができた表情だった。

 

 

「勿体な」

 

 

 同性のヒナヨすら思わず魅入ってしまいそうな綺麗な笑みに、彼女は知らず呟いていた。

 レインボーロケット団は、この表情(かお)も、戦いの中で奪っていたのだ。ヒナヨ自身もいつから笑わなくなったことか。快活なユヅキも、いつ笑うことができなくなることか。

 

 

(――全力で潰さなきゃダメだわ、あのRR団(クズども)

 

 

 改めて、彼女の胸に決意が宿った。

 

 

「……私のボール、全部預けるわ。お願い!」

「当然だ!」

「ルリちゃん、一緒に来て! マイちゃん! ペルル!」

「サナ」

「アマッ!」

「ペル!」

 

 

 全部――とは言うが、彼女も余っているボールの数はたったの三つである。

 思わず微妙な顔をして見せるアキラだが、物資が極めて限られる現状では致し方の無いことだ。どうあれやるべきことには変わらない。彼女は小さくサムズアップして、ヒナヨを見送った。

 

 

「まずは……地下コントロールルーム!」

 

 

 崩落した壁から部屋の外に出たヒナヨの足取りは軽く、しかし確かだ。心理的なストレスが軽減されたという点もあるが、何よりもこの状況は全て彼女の理想通り(・・・・)のものだからだ。

 

 レインボーロケット団に協力させられて以降、彼女は常に「レインボーロケット団からむーちゃんを取り戻した後はどうするべきか」を考え続けてきた。言ってやりたいことややってやりたいことは腐るほどある。特にゲーチスは彼女自ら顔面に拳を叩き込まないと気が済まないほどだが、そうするためにはそもそもゲーチスが引きこもっているレインボーロケットタワーそのものが邪魔だった。

 外部からこれを崩壊させるには尋常ではないほどの威力の技――それこそ、伝説のポケモン複数匹を動員するほどの威力のものが必要になる。それはあまりに非現実的だ。

 故に、()くべきは内部。だからこそヒナヨは必死になって内部の構造を覚えた。時にはルリちゃんの手も借りて見取り図をこっそりと拝借し、一般団員に明かされていない部分をも把握しようと努めた。把握した。

 

 唯一の不安要素は、幹部や首領格がどう動くかだが、それはあえて考えないようにした。

 というよりも、考える余裕など無かった。ここでしか目的を達することができる機会はそう無い。

 

 

「なっ、貴様何を」

「邪魔!」

「アママッ!」

「ゴエッ!!」

 

 

 結果、彼女は一直線に目標へと駆けていた。立ちふさがる団員はマイちゃんが得意の蹴りを活かしてなぎ倒し、ポケモンたちはルリちゃんが念力を発して上から押し潰す。

 ペルルは背にヒナヨを乗せた状態で道を凍らせ、そこを腹ばいになって滑ることで高速移動を可能としていた。

 そうして最初にたどり着いたコントロールルームは――――。

 

 

「ペルル、『しおみず』! ルリちゃん、『サイコキネシス』!」

「ペルァァァッ!!」

「サナッ!」

「「「うおおおおおおおおおおおっ!?」」」

 

 

 先手必勝。ペルルが放出した膨大な量の「しおみず」をルリちゃんが念動力で操作し、周囲のレインボーロケット団員ごと押し流して機械類に進水させて破壊して回る。

 抵抗しようとする団員はまとめてマイちゃんが蹴り出した。煙を上げて機械が停止するのを見るのが早いか、ヒナヨは即座に身をひるがえして再び廊下に躍り出た。

 

 

「これで通信と監視の目は潰した! 次――――あ」

 

 

 さあ次へ、と思ってペルルの背に乗りかけたその時、不意にヒナヨの耳に警報が鳴り響く。

 あ、と思うと同時、彼女は自分の迂闊さを呪う。なるほど、他の機器との接続が断たれたところで警報が鳴る仕組みだったか、と。

 考えてもみれば当然なのだが、はっきり言えば彼女はもうその辺の機器や設備を壊すことで頭がいっぱいな上、ようやくレインボーロケット団から解放されたことでテンションが上がりすぎてそこまで頭が回っていなかったのだ。

 

 

「……まあ、大丈夫でしょ」

「サーナ……」

 

 

 多分。

 その言葉には半分以上希望的観測が混じっている。流石のルリちゃんも呆れ半分に首を横に振った。

 しかし、こうなれば話はまた変わる。警報の原因はコントロールルームが破壊されたことと理解はできても、「誰が」「どうやって」破壊したかまでは分からないからだ。現在進行形で暴れ続けているアキラたちの方がどうしても目立つ関係上、今ならむしろヒナヨの方が動きやすいとすら言える。

 加えてここからの行き先は主に上層階だ。騒ぎに紛れて必要なものを調達する良い機会ですらある。

 

 

「急ぐよ! 次は……二匹(ふたり)は戻って。ルリちゃん、上! 二階の支給品(・・・)置き場にテレポート!」

「サナ」

 

 

 次いで、ヒナヨはマイちゃんとペルルをボールに戻し、上層にテレポートを行う。たどり着いたのは、数多くのポケモンが収められたボールが保管された「支給品」置き場だ。

 レインボーロケット団においてポケモンは武器や兵器のような扱いを受ける。ポケモンの強さによっては団員が共有できるよう、このように「使用」した後は返却して一か所にまとめるということがままあるのだ。

 ヒナヨはそれを見て、

 

 

「ルリちゃん。コレ全部一か所にまとめて『テレポート』」

「サーナッ」

「それが終わったら四階、備品倉庫にお願い」

 

 

 その全てを根こそぎ奪うことに決めた。

 「テレポート」はゲームにおける用途こそ限られるものの、ゲーム以外の媒体における汎用性は非常に高い。漫画媒体において*1も他人をテレポートさせるなどの応用を見せており、ヒナヨもそれができるのではないかと幾度か試行を繰り返していた。結論から言えば自分以外を転移させること……物体を転送することも充分可能だった。

 ルリちゃんの念力によって浮かせたモンスターボールが一か所に纏められると、ボールはそのままルリちゃんの「テレポート」によって予めヒナヨが見繕っていたタワー周辺の空白地帯へと送られる。それを見届けた彼女は、間髪入れず「テレポート」を実行。次いで目にしたのは、暗闇に包まれた倉庫だった。

 

 

「明かりは……」

 

 

 倉庫ゆえに、この場所は普段閉め切られている。手動で電灯のスイッチを入れない限りは暗闇に閉ざされたままになってしまうが、しかし、かと言って安易に電気をつけてしまえば、エネルギーの供給上の問題から内部に誰かがいると知られるのは自明だ。

 

 

「マイちゃん、来て。『にほんばれ』」

「アママッ」

 

 

 そこでヒナヨが選択したのは、マイちゃんの使う「にほんばれ」だ。太陽に似た光球を天井付近に放つことで、周囲を照らし出す。

 そうして強い光に目が眩みかけた一瞬のことだった。

 

 

「『はかいこうせん』」

 

 

 黒い光線が、マイちゃんを貫いた。

 

 

「ア゛ッ……!?」

「……っ!? ルリちゃん、次が来る!」

「!」

 

 

 ボールのセーフティが作動し、「ひんし」になったマイちゃんが戻るのに合わせてヒナヨは急いでその場から飛び退いた。続くように身を翻すルリちゃんの、その肩口を掠めるようにして更に一発の光線が駆け抜ける。

 いずれも今のヒナヨでのポケモンたちでは、直撃した途端に即座に「ひんし」になりかねないほどの威力だ。自然と彼女の背に冷や汗が伝う。

 幹部格を相手にしても時間稼ぎができると自負する彼女にここまでの脅威を感じさせるポケモンを持つトレーナー。加えて確実にヒナヨを狙いに来たとなれば、自ずと答えは絞られる。

 

 

「ゲーチスね!?」

 

 

 「にほんばれ」によって照らされた倉庫の大部分とは対照的に、暗い影のかかった場所から大柄な男が姿を現す。

 プラズマ団ボス、ゲーチス。彼に追従するように現れたサザンドラの中央と右側の頭からは、攻撃を行ったことの証明である煙が吐き出されていた。

 

 

「何でアンタがここに……!」

「あまり侮らないでほしいですね。薄汚れたコソ泥の餓鬼の思考一つ、読めないと思いましたか?」

「うん」

 

 

 ゲーチスはイラッとした。

 

 

「コソ泥のガキに出し抜かれた気分はいかが? 無様すぎて私なら死にたくなるわ――『ムーンフォース』!」

「『ラスターカノン』!」

「……!」

 

 

 ルリちゃんの放った月の光の如き白金色の光線に対抗したのは、残る腕……左側の頭部から発せられた銀色の光だった。

 拮抗する二つの光線だが、それに一拍遅れるようにして、更に異なる技(・・・・)が他の二つの頭から放たれた。「かえんほうしゃ」と「チャージビーム」だ。

 

 

「ルリちゃん、横に避けて!」

「……!」

 

 

 このままでは耐えきれない! そう察したヒナヨは、ルリちゃんの肩に手をかけて、一緒に横に向かって飛び込むようにして三つの技がそのまま融合したかのような色味の光線を躱す。

 同時――爆発。彼女たちが背にしていたコンテナが貫かれ、その内部から技のエネルギーが膨張。中身(きのみ)を飛び散らせた。ツンとしたにおいがヒナヨたちの鼻をつく。

 

 

「あーもうはいはいそういうヤツ(・・・・・・)ね!」

 

 

 ヒナヨは即座にそのサザンドラが「三つの首それぞれから別の技を出せる」ような特殊な個体であることと看破した。

 両腕の発達具合は異様なほどと言え、本来は中央の頭よりもやや小さく、羽毛の飾りも無いはずが、いずれも見分けがつかないほどだ。本来なら両腕の頭には無いはずの脳も、あるのかもしれない。

 いずれにせよ難敵だった。レインボーロケット団における六人の首領格のうち、ゲーチスはバトルの腕前においては他と比べて一段落ちる……が、今のヒナヨからすれば、実力の差は明白なほどだった。

 

 

(……じゃあ、逃げる? ううん。まさか!)

 

 

 こうなってしまえば逃げることも一つの手ではある。しかし、彼女は(かぶり)を振って否定した。

 まだ大事なアイテムは手に入れられていない。そして何よりも――――。

 

 

(こいつは痛い目見せないと私の気が済まない!!)

 

 

 ゲーチスには、強い恨みがある。どれだけ彼が格上でも、食らいついて喉を食いちぎるくらいのことはしないと、とにかく気が済まなかったのだ。

 

 

「ルリちゃん、『サイコキネシス』!」

「サナッ!」

「あくタイプのサザンドラに『サイコキネシス』とは、何を無意味な……」

「――――へえ?」

 

 

 ヒナヨは薄く笑った。

 

 ――やっぱり、ゲーチスはバトルセンスに欠ける。

 

 次の瞬間、周囲にうずたかく積まれた幾多のコンテナが、高速でサザンドラとゲーチスに殺到した。

 

 

「!」

「『弾丸』だけは山ほどあるのよ」

 

 

 サイコパワーなら通用しないだろう。じゃあ、質量攻撃だ。極めてシンプルな答えだった。

 サーナイト(ルリちゃん)は、いざとなれば極めて小さいブラックホールを作り出すほどのサイコパワーを秘めている。一トンや二トン程度のコンテナを浮遊させることなど、彼女にとってはわけもないことだった。

 

 

「……『あくのはどう』!」

「ザァァァッ!!」

 

 

 そうして放り込んだ鉄塊は、瞬時にサザンドラが放った黒いエネルギーによって破壊される。こちらもまた中身はきのみだ。ぐちゃ、と音を立てて床に落ちるのを聞きながら、ヒナヨは続けて指示を送る。

 

 

全方位(オールレンジ)!」

「――!」

 

 

 その指示と共に、コンテナがゲーチスたちの周囲全てを取り囲む。視界全てが鉄塊に埋め尽くされる中、しかしゲーチスは余裕の表情を崩さない。

 

 

「砕きなさい」

「ドララララアァッ!!」

 

 

 全方位から来るならば――同じく、全方位。

 周囲一帯を薙ぎ払うようにして全ての頭から放った「はかいこうせん」は、まるで紙を裂くほど簡単に、飛来する全てのコンテナを破壊して見せた。

 轟音を立て、中身がぶちまけられていく。鬱陶しそうにそれらを手で払うと、ゲーチスは呆れたように言葉をかけた。

 

 

「無駄なことが好きなようですねえ」

「あんたは人がやってることが無駄にしか見えないようなおめでたい脳味噌してるのね。ルリちゃん、今!」

「サ――――!」

 

 

 そうして余裕を見せた彼らに、次に襲い掛かるのは――水だ。

 いや。正確には果汁(・・)。周囲に散らばる潰れたきのみの汁が、彼らに殺到しているのだ。

 

 

「ム――――うぐっ!!?」

 

 

 どう対応すべきか。そもそもコレに何の意味があるのか。首を傾げたゲーチスの目に僅か一滴の雫が飛び散ると次の瞬間、彼は燃えるような激痛を感じた。

 これは――マトマのみだ!

 

 

「サザンドラ、『だいもんじ』!」

「ルリちゃん、『ミストフィールド』!」

 

 

 放置しておくわけにはいかない。ヤタピのみやノワキのみといった多量の辛味成分を含むきのみや、ベリブのみやレンブのみといった酸味を含むきのみの果汁は、傷口に沁みるというだけでなく粘膜に触れる、それだけでも激痛を引き起こしかねない。その全てを焼き払うため放ったすさまじい威力の火炎は――標的となる液体を見失い、その瞬間に消えて失せた。

 いや、消えたのではない。

 文字通り――霧散(・・)したのだ。

 

 

「ゴハッッ!! が、っ! うごおおおおおおおおおおっ!!」

 

 

 戦闘に限らず運動時や緊張状態にある時、人間は息が荒くなる。息を吸う量は当然として、吐く量もまた著しく増える。

 ネブライザーという医療機器がある。薬剤を霧化して気管支へ送り込むためのものだ。霧というものはそれだけ体内に浸透しやすく、吸入もしやすい。まばたきと呼吸のたび強くなる激痛は、老境に至り体内臓器の機能が落ちているゲーチスにとっては、呼吸困難に陥るほどの衝撃と痛みだった。

 

 

「レシラムかゼクロムだったら跡形も無く吹き飛ばせたのに何で出さなかったの? 手加減したつもり? ――――なんてね」

 

 

 ヒナヨは小さな確信をもとに、軽く煽るように言葉を発した。

 

 

「状況もそうだし、この場所も出せないってほど狭くない。出さない理由なんて無い……ってことは、出さなかったんじゃなくて出せなかった(・・・・・・)が正解。違う?」

 

 

 当然、それには相応の理由が存在する。

 

 

「単なる参謀的立ち位置なのかと思ってたけどようやく分かった……そうよね。レシラムもゼクロムも、他と違ってやたらトレーナーを選ぶポケモンだもの。ライトストーンとダークストーンに戻ってないのが不思議なくらいだわ」

「ガハッ、ぐお……何をォッ!」

「……アンタに英雄の資質がこれっぽっちも無いから、私程度のゴミみたいな『英雄の資質』……ってやつでも、あの二匹は言うこと聞かなくなるんでしょ。ああ、答えなくていいわ。表情でだいたい分かるから」

 

 

 もっとも、それ自体にも条件はある程度あるでしょうけど――と、推測しつつも、彼女はそれ以上何も言わなかった。

 ほとんど全滅という憂き目に遭ったとはいえ、例えば自衛隊に英雄の資質が無いとは言えない。むしろただの一般人よりも、彼らの方がよほどそれに相応しい。

 だというのにレシラムとゼクロムの力を使えた。となれば、人間一人一人をちゃんと見ることができないほどの遠距離から攻撃すれば、ある程度は力を行使できると解釈できるだろう。

 

 ゲーチスに英雄の資格は無い。

 仮に彼に「それ」があるとするならば、王としてNを擁立する必要など無い。最初から彼とその信奉者だけで行動すればいいだけだ。

 

 

(問題は、何でダークトリニティが来てないかってこと……こいつが動くなら、あいつらも動かすのが道理だけど……下に送った? 自信満々だったけど、実は私がこっちに来るっていうの半信半疑だったってことかしらね)

 

 

 そうなると、多勢に無勢を強いられることになるアキラが危ない。ヒナヨはルリちゃんにアイコンタクトを送り、この場で可能な最大限の物資を「テレポート」で転送する。

 ゲーチスの身柄は確保しておきたい気持ちがあったが、しかし多量の辛味成分と酸味成分が充満した彼の周囲は地獄そのものだ。確保するためにあの場を抜け出させてしまえばそれだけ予期せぬ反撃を受けるリスクは増える。かと言って殺すなどというのは論外。ヒナヨは小さく舌打ちした。

 

 

「あんたはそのままそこで床でも舐めてろ!」

 

 

 あえてその場に残していた数少ないアイテムを鞄に詰め込み、アキラを回収するために地下への「テレポート」を再度敢行する。

 そうして地下研究施設に移動した彼女たちを待っていたのは、元の様相が分からなくなるほどに荒れ果てた地下の光景だった。

 床や天井は元より、壁などは既に痕跡しか見当たらないほど徹底的に破壊し尽くされている。周辺には凍結の跡や砕け散った岩の破片なども見られ、この場で戦闘が繰り広げられていたことは明らかだ。

 問題なのは、明らかに凍結した個所の方が少ないことだろう。だというのに未だ激しい戦闘音が鳴りやまない。

 

 

(まだ戦ってるの? 誰と……!? ふたりとも無事なの!?)

 

 

 そう考えた瞬間だった。

 

 

「ぐああああああああっ!!」

「!!? る、ルリちゃん! 止めて!」

「サナナ!?」

 

 

 その瞬間、女性らしさの欠片も無い雄々しい悲鳴を上げ勢いよく飛んでくる白い影があった。アキラだ。

 ルリちゃんが念動力でそれを受け止める――と、更に続くように深緑の影が飛んでくる。ギルだ。

 

 

「ちょっ、デカいデカいデカい!! 『リフレクター』! 柔らかめで!」

「サ、サナ……」

 

 

 そうして、全員で転がり込むようにしてどうにかこうにかそれを受け止める。

 そうするにしても、流石にギルは巨大すぎた。押しつぶされなかったことが唯一の幸いと言えるだろう。

 ふとヒナヨがアキラの状態を確かめれば、彼女の片腕は力なくぷらんと垂れさがっていた。

 

 

「折れてるううーっ!!? 大丈夫なの!? ねえ!!」

「ぐっ……あ、あんまり騒ぐな……本当に折れる前に関節外しただけだ……!」

「えっちょっと待って何それ怖い」

 

 

 この女は狂ってるのかと改めてヒナヨが思った瞬間だった。

 

 

「何があったの!? むーちゃんは!?」

「そっちはとっととカタ付けた! ほら!」

「あっ、ありがと……って何コレ。ハイパーボールはむーちゃんには似合わないわ」

「オシャボ勢か! 今そんなん気にしてる場合かおバカ!」

 

 

 この女は狂ってるのかとアキラが初めて思った瞬間だった。

 

 

「来るぞ! 構えろ!」

 

 

 いずれにせよアキラを「こう」した張本人はまだいるのだ。彼女も腕を嵌め直し、ギルとヒナヨたちに呼びかけて迎撃態勢を取る。

 そうして現れたその紫色の影に、ヒナヨは頬を引き攣らせた。

 

 ――ミュウツー。

 

 悠然と宙に浮いてやってくるその姿に、彼女は軽い絶望感を覚えた。

 

 

「……うっそでしょ。いや、当然と言えば当然か……」

「お前の予測だと、出てこないんじゃなかったか?」

「ごめん、あれ色々知って改めて考えると来て当然だわ」

「ハッ倒すぞ」

 

 

 あえて内部に潜入して突き崩す……という部分までは、二人にとっては予定通りだ。しかし、その後の状況はヒナヨにとってはあまりにも想定外だった。

 そもそも彼女はアキラを捕まえてこなければならない理由など知らなかったのだ。もしもその理由が「サカキの後継者を復活させるため」だなどと知っていれば、計画の修正も視野に入れられたことだろう。問題は、計画を始める直前も直前にそれを聞かされたことだ。今後のためにはどうしてもレインボーロケット団が保管しているアイテムが必要だったのも確かなため、こればかりはどうしようもないというのもそうだが。

 

 

「とんだじゃじゃ馬だな。まったく、親の顔が見てみたいものだ」

「っ、サカキ!」

 

 

 ミュウツーにやや遅れてやってきたのは、この状況を生んだ張本人の一人であるサカキだ。

 彼にとってアキラの捕獲というのは、長く待ち望んだ悲願に近い。それが失敗に終わり、より直接的に反抗されているのだから、その怒りも失望に比例して大きくなる。それこそ、本来堂々とタワーの上層で構えていなければならないサカキ自身が出張ってくるほどに。

 

 

「よくもまあ綺麗に邪魔をしてくれた……と、誉めてやろう」

 

 

 言うと、ミュウツーの両腕に強大なサイコパワーが宿る。それが「サイコウェーブ」の予兆だと気付けたのは、アキラにとっては既に一度見た技だったからだ。

 しかし、問題はそれが分かったからと言って何ができるでもない点だ。あくタイプのギルはダメージを受けないかもしれないが、トレーナーであるアキラたちはそうではない。ひとたび巻き込まれれば、全身をずたずたにされて引き千切られかねない。

 

 

「ああ、もう……切り札なんて、切らないに越したこと無かったんだけどね……!」

 

 

 ヒナヨは吐き捨てるように呟いて、鞄に手を突っ込んだ。そこから取り出すのは――先程回収したメガリングだ。

 更に、ルリちゃんに対応した灰色のサーナイトナイトを手渡す。そして、もう一つ。

 

 

「使って!」

「……! 助かる!」

 

 

 その外殻と同じ色合いの、深緑のメガストーン(バンギラスナイト)

 それがギルに投げ渡されるのを目にして、二人は腕を掲げた。

 

 

「キーストーンよ、サーナイトナイトと結び合え!」

「――結べ!」

「メガシンカ!!」

 

 

 次の瞬間、二匹のポケモンがその内側から生じる輝きに包まれ、姿を変える。

 より大きく、そして力強く――やがて姿を現したのは、新たな姿を獲得した二匹だ。

 

 

「なるほど、既にもの(・・)にしていたか」

 

 

 メガバンギラス。そして、メガサーナイト。トレーナーたちを守るように前に出たポケモンたちが、ミュウツーを睨みつけた。

 ミュウツーはその二匹にさえまるで興味が無いと言いたげに、腕を上げる。

 その様子に、サカキは嬉しそうに好戦的な笑みを浮かべた。

 

 

「たった半月でそこにまで至ったその才能は買おう。どうだ。我々ロケット団につく気は無いか? そうすれば、お前たちの命と身柄は、私が保証してやろう」

「「断る!!」」

「ならば――少し痛い目を見てもらわなければな!」

 

 

 そして。

 はっきりとした拒絶の言葉を投げ掛けられた次の瞬間――地下空間を、全てを捻じ曲げるほどの威力を持った竜巻が薙ぎ払った。

 

 

 

*1
ポケットモンスターSPECIAL13巻162話「VSカポエラー」








独自設定・原作設定等の紹介

・レシラムとゼクロム
 「ライトストーン」、「ダークストーン」に自らの肉体を変化させ、次の主がやってくるのを待っていた二匹。
 当小説において「悪の組織が目的を達成した世界線」については各ゲームの主人公が存在していない世界線と解釈しているため、レシラムもゼクロムもNが目覚めさせたものとしている。また、ポケモンをボールに入れないというNの主義を利用されゲーチスによって捕獲されたという形となった。
 ゲーチスに英雄の資質は無いため本来の力はまるで扱えていない。基本的に「他の誰かにレシラムとゼクロムの力を使わせない」という点でのみ優位性がある。
 ただし同じ悪の組織の人間も基本的に英雄の資質は無いため、内側に対してはちゃんと効果を発揮する模様。




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きりふだはその道の先に

 

 

「ルリちゃん、『ひかりのかべ』! 全力全開!」

「サーナ!」

 

 

 竜巻じみた念動力の奔流が迫るその最中、ルリちゃんは全力でその能力を駆使して半球型の防護壁を練り上げた。

 多少の加減はしているとはいえ、「そう」あるべくして生まれたミュウツーの能力は、世界でも最高峰のものと見て間違いはない。メガシンカをしていなかろうとそれは変わらない。強いから強い(・・・・・・)という、鍛錬や実戦の中で練り上げられるそれとは対極に位置する生物種としての強さだ。

 何のかんのと言いつつ、アキラは根本的なところで生物の強さというものは極限の鍛錬の果てにあるものと考えている。なんとなくミュウツーを見ていて感じる据わりの悪さに苛立ちを覚えながら、アキラはヒナヨに問いかけた。

 

 

「どうする、『テレポート』できるか!?」

「無理! ミュウツー相手じゃ転送先を書き換えられるか即追いつかれるのがオチよ!」

「だろうな!」

「隙は!?」

「ねえよんなもん!」

「ファ〇ク!!」

 

 

 防護壁の中で情報を交わす。その結果導き出されたのは、「ミュウツーと同程度のサイコパワーを持っている」か、もしくは「真正面からミュウツーを打ち負かす」ことのどちらかができなければ逃げ切れないという事実だった。

 アキラの手持ちにエスパータイプのポケモンはいない。ヒナヨも手持ちはルリちゃんのみだ。その上ゲーチスとの戦闘による消耗もあり、メガシンカしているとは言ってもそれだけで同程度の能力を得たとは言い難い。加えて言うなら、ミュウツー自信もまたメガシンカという切り札を残している。戦況は絶望的だった。

 

 

「どうするの!?」

「アテが無いわけじゃない。けど分の悪い賭けだ。乗るか?」

「上等! 作戦は!?」

 

 

 その問いに、アキラは竜巻の吹き荒れる防護壁の外――それも、ミュウツーのいるその場所を指差した。

 

 

この道(・・・)をまっすぐ」

「聞くんじゃなかった! 聞くんじゃなかった!! 正気!?」

「くるっくる掌返すやつだな! 残念ながら正気だよ! 文句があるなら対案出してからにしてほしい!」

「マジでマジで正気!?」

「マジでマジで正気だよいいから行くぞ! カウント3で壁解除!」

 

 

 自らも緊張から冷や汗を額に流しつつ、アキラはその場にボールを落とした。

 別に彼女としても好んで無茶な手を取っているわけではない。むしろ安全策が取れるなら取りたいのが本音だ。単純に毎回毎回状況がそれを許してくれないのだが。

 

 

「ああもう、どうなっても知らないわよ!?」

「どうなってもどうにかする! 腕が折れても足が折れても逃げきれればわたしたちの勝ち! オーケー!?」

「すっごい薩摩を感じる……! ああもう、分かったから! カウント! 3! 2! 1!」

「――今!」

 

 

 じりじりと「ひかりのかべ」が削れていくのを間近で見ていたアキラは、その消失と竜巻の奔流を感じると同時に外――ギルのもとに向かって走り出した。

 極めて僅かな空気と空気の隙間を縫うようにして走る、卓越した技術ありきの疾走。巻き込まれたと錯覚して一瞬声を上げかけたヒナヨの目を見開かせるそれを見て、しかし、サカキは大きく心を動かすことをしなかった。

 彼はカントーの中でも最強のジムリーダーだった男だ。技巧を凝らして隙を作る、または攻撃を逆用しようと試みるトレーナーとポケモンなど、星の数ほども見てきた。それをトレーナーがやる、というのは確かに驚くべき事態だが、それだけだ。

 

 

「ミュウツー、『ふぶき』」

「…………」

 

 

 ミュウツーの攻撃は、確実にトレーナーを巻き込むものへとシフトする。

 アキラの衣服が末端から凍結し、波動に保護されているはずの肉体が指先から冷え、瞬時にその感覚が失われ始める。ギルもまた全身に霜が降り、鎧の各部が凍結していた。

 しかしその中にあってなお、止まらない。全身が凍え、皮膚が破れ肉を裂きながらも、彼女は全幅の信頼を置く最強の相棒(エース)の背に手をかけた。

 

 

「――行けるよな?」

「グァウ!」

 

 

 猛吹雪に圧され、萎えかけていたギルの闘志に再び火が灯る。同時に、その両腕が燃え盛る。「ほのおのパンチ」だ。

 その様子を目にしたサカキは――――。

 

 

「『みずのはどう』」

 

 

 即座に、技を切り替えた。

 ミュウツーほどの力を持つポケモンが、正面から打ち合って負けることは絶対に無い。そこに、長年の経験から来るサカキの類稀な判断力とトレーナーとしての勘が加われば、あらゆる行動を上から潰し、封殺することができる。これを唯一単独で打ち破ったのが、他ならぬアサリナ・ヨウタだ。

 彼と同レベルのポケモンを持ち、彼と同程度の場数を踏んでいる人間などそうはいない。

 

 ――そうやって侮ってくれることこそが、彼女らにとっての唯一の勝機でもある。

 

 

「ギル!」

「ゥゥウウウウオオオオオッ!!」

「――――!!」

 

 

 その瞬間、ギルはその腕で迫りくる水流を殴りつけた。

 破裂する、というよりも、いっそ爆発するかのような轟音が響き渡る。同時にミュウツーの全身に強烈な稲妻が走り抜けた。

 

 

(――「かみなりパンチ」! いや、しかし技の前兆は明らかに「ほのおのパンチ」だったはず……あのサーナイトか!)

 

 

 言わば、突き込んだ拳にそのままルリちゃんの「10まんボルト」を乗せた形だ。

 ギル自身も傷つきはするが、その特性「すなおこし」によって高められた高い抵抗力もあり、直接の対象となったミュウツーほどには傷つかない。

 そして、一拍遅れてギルの拳が突き込まれる。プラズマと火炎と水との激突により、水蒸気爆発が彼らの眼前で発生した。

 サカキとミュウツーの視界が、白い蒸気によって一瞬塞がる、が。

 

 

「ムダだ」

 

 

 水蒸気はミュウツーの力によって、瞬時に取り払われた。

 視界が急激に開け、彼らの前にギルの巨体が再び姿を――――現さない(・・・・・)

 そこにいたのは、全身に凍傷を負い、凍結してずたずたに引きちぎれた衣服と張り付いた皮膚を引きずってなおしっかりと立つアキラの姿だけだった。

 

 

「!」

 

 

 次の瞬間、サカキの視界を赤い「線」が横切る。

 ただの錯覚か。いや、違う。こと戦いの場において彼が余計な情報に惑わされることはありえない。ならば。

 

 

「グウゥゥッ!!」

 

 

 一瞬のうちに駆け巡る思考――それよりも早く、ミュウツーが勢いよくその身を吹き飛ばされる。

 攻撃された! そのことを認識するが早いか、次の瞬間また更に異なる方向から攻撃が撃ち込まれた。その一撃によってミュウツーの表皮が焼け、薄く痣のように三本爪の拳の跡が残る。

 

 

「お前の戦い方はだいたいわかった」

「何……?」

「言ってしまえば究極の後の先(カウンター)。お前は前兆からわたしたちの攻撃を全て先読みできる」

 

 

 何じゃそれふざけるな、と後ろで聞いていたヒナヨは叫び出したくなったのを抑え込んだ。

 カントーポケモンリーグにおける八人のジムリーダー、その頂点にいるサカキの異名は、「大地」。その名の如く、彼は泰然自若として容易なことでは揺るがない「待ち」の戦法を得意とする。超高精度のカウンターはある種究極の格下殺しとして機能しており、ミュウツーと組み合わせればそれこそほとんど無敵の力を発揮する。

 事実、アキラたちの勝機は万に一つも無い。技も、力も、頭脳も、何一つ及ばない。それが現実だ。

 

 

だからこそ(・・・・・)。一つだけお前を突破する方法が分かった」

「なるほど――読めたぞ」

「――――全身全霊、最高速度でただ殴りつけることだ」

 

 

 その瞬間、わずかにサカキの目にも先の「線」の正体が見えた。

 赤と黒に変色した長い羽毛。四肢から噴き出す火炎。何よりもアキラの指で紅く輝くキーストーン。

 その正体は――。

 

 

「メガバシャーモか……!」

 

 

 メガバシャーモ。その特性は「かそく」。時を経るごとにその速度は鋭さを増していく。

 ポケモンとしての身体能力を最大限に発揮している今、チャムはトレーナーの目で追うことすらできない速度の極みに到達していた。線、とはつまりその残像が目に焼き付いているだけのことだ。

 

 

「いやバカなの!?」

 

 

 そんなことは言われなくともアキラにも馬鹿ではないのかという自覚はある。

 彼女も自分で言っていてなんだこの脳味噌まで筋肉みたいな解決法は、と思ったところなのだ。しかし、実際他に有効な手段は無い。

 この戦法は要するに、サカキの反応を圧倒的に凌駕する速度で戦うことで指示を出させない、というものだ。事実、ミュウツーは一瞬とはいえ吹き飛ばされ、僅かに押されかけてすらいる。しかし――――。

 

 

「馬鹿め、そうしてどうやって指示を出す?」

 

 

 最大の問題点は、サカキ自身が指摘した。

 最強のトレーナーいう称号に最も近いのはサカキだ。彼が指示を出せない領域の戦いということは、他のトレーナーが指示を出せる余裕も無いということだ。事実、アキラの目にもその攻防はおぼろげにすら映っていない。

 

 

「――『シャドークロー』!」

「ッシャアアアアァァ!!」

「ヌウッッ!!」

 

 

 されど、彼女は(しか)とその軌道を読んだ。

 線のようにすら見えない暴力の嵐の中、それでも彼女は「どう動くか」を手に取るように知覚する。

 ミュウツーが宙を念動力で駆け回れば、チャムは鍛え上げた体術によってその隙を縫うように最短距離を突っ切ってその肩口に爪を突き立てる。対してミュウツーはその一撃をあえて念動力で己の身に食いこませると、チャムの腹に向けて「サイコショック」を叩き込む。その衝撃はチャムの身体を大きくのけぞらせるほどのものを秘めていたが、同時に彼にとってはそこから体勢を変える一助となる。食い込ませた爪を思い切り押し付け、押し切るようにして逆側の壁に叩きつける。更にもう一撃――「ブレイズキック」によってミュウツーごと壁面を蹴り砕き、自身はその場から逃れ再び高速機動へと戻る。

 わずか一秒にも満たない攻防は、波動を読む彼女にとって知覚できる範囲のものであった。

 

 

「ほう……!」

 

 

 思わず、サカキの唇の端がつり上がった。望外の強敵だ。アサリナ・ヨウタとは異なるアプローチとはいえ、サカキにこうまで食らいつく者もそう多くはいない。

 彼は襟元に留めたキーストーンへと手を伸ばした。

 

 

「キーストーンよ――――」

「チュリ、今だ!」

「何っ!?」

「――――――――!!!!!!」

「ぐおおおおっ!」

「ムウァァッ!!」

 

 

 その瞬間、天井に潜ませていたチュリの「むしのさざめき」がサカキとミュウツーの脳を揺らす。

 即座に張った天井への「リフレクター」が音波を軽減し、微小な「サイコウェーブ」がチュリの小さな体を吹き飛ばしていく。人間であるサカキにとって、その威力は甚大だ。結果的に晒すこととなった数秒の隙を見逃すヒナヨではない。

 

 

「ここしかない! ルリちゃん、『はかいこうせん』!!」

「サ―――――ナッ!!」

 

 

 その一撃は、彼女が信じる中で最高の威力を誇るものだ。黒く、全てを飲み込み砕くかのような色合いとは異なる光線。「フェアリースキン」によって紫銀に色づいた、通路そのものをも飲み込むほどの莫大な光量が、サカキとミュウツーを飲み込んだ。

 

 

「チュリ、『ほうでん』! チャム、『オーバーヒート』!!」

 

 

 そして一切躊躇いの無い苛烈な追撃がサカキたちを襲う。

 周辺を焦土と化し、床が熔解し空気すら焼け付くほどの圧倒的な火力をぶつけた焦熱地獄。彼女らに自覚は無いが、その威力だけを見れば「あちら」の世界におけるチャンピオンと遜色ないほどの火力にまで至っていた。

 

 しかし。

 

 

(こんなことで倒れるものか)

 

 

 確信があった。この程度で倒れるのなら、既にここまでの道程でサカキは倒れている。激戦があったはずだ。窮地があったはずだ。

 彼はその全てを踏破して来た。ヨウタに出会うまで決定的な敗北を味わうことなく、恐らくはチャンピオンたるワタルを降してすらいる。

 

 ――つまり、彼にチャンピオン級の火力をぶつけようが、それは既に一度踏み越えた程度(・・・・・・・)のものでしかないのだ。

 

 果たして。

 黒煙の中に光球が浮かぶ。「リフレクター」と「ひかりのかべ」を組み合わせた、圧倒的な防御能力を誇るエネルギーフィールドだ。

 

 

「フ……フフフ……このサカキにメガシンカを使わせるとはな……」

 

 

 そして、再び現れたミュウツー……メガミュウツーXは、傷こそ刻まれているものの、その立ち姿は先と変わらぬ威風堂々としたものだ。

 ダメージこそあるが、大した傷とすら認識していない。むしろそこから来る痛みが彼の闘争心を掻き立てる。

 桁外れのサイコパワーが、奔流となってその体から噴き出した。

 

 

「う……そ……」

「――――」

 

 

 生粋の一般人であったヒナヨは、その闘気と殺気にあてられたことで顔色が蒼白を通り越し、完全に白く染まっていた。

 勝てない、と。はっきりそう思わされる力の差。これでは前に進むことは元より、退くことすら不可能だ。殺される、という確信めいた予感が彼女の胸をよぎった。

 その時。

 

 

ようやく切ってくれた(・・・・・・・・・・)な」

 

 

 予想外のアキラの言葉が、耳朶を打つ。

 刹那、彼女はその場で床を思い切り踏みつけた。ビリビリという鋭い衝撃が床を伝う。その時、それが「合図」だと気付いたサカキは思わず背後を振り返った。

 彼が本能的にまずいと感じたのはその時だ。アキラたちに全く感じない「脅威」を、この先から来るものから強く感じとることができる。

 

 

(――――これか!!)

 

 

 ここまでの戦いは全て布石。あくタイプのバンギラスを前面に押し出して戦っていたこと、メガバシャーモで超音速の接近戦を仕掛けていたことも、バチュルを潜ませむしタイプ技を用いたことも、全てはこの三匹に対して優位が取れ、かつその多くの能力を身体強化に用いたことで感知能力が落ちた(・・・・・・・・)メガミュウツーXを引きずり出すためのものだったのだ。

 それによって床を「すりぬけ」させ、潜航させていたシャルトの行動を読まれることなく、結果的に「通路の先」へと到達する。ミュウツーをメガシンカさせるほど追い込む必要があり、かつその上でメガミュウツーXが来るという状況を手繰り寄せる。「分の悪い賭け」と彼女が自嘲するほどにか細い可能性だが、そうなるように場を整える手腕はなるほど、サカキとしても評価に値すると感じられるものだった。

 

 

(だが、あの少女にここまでの作戦を組み立てる能力があったか?)

 

 

 少なくとも、サカキが知る限りそれは無い。それどころかどちらかと言えばアキラは優れた脳機能を持っているという程度でむしろ考え無しの部類だ。少なくともサカキはそのように報告を受けているし、映像から読み取れる彼女の性質は紛れも無くそういった方向性のものだった。

 たかだか数日程度でそれが変わるはずは無い。もしもそういった事態が起きるとするなら、それは――――。

 

 

(あの少女の脳に「影響」を及ぼしたものがある)

 

 

 件の施術は現状、完全に失敗したというわけではない。外的要因によって強引に中断させられたというだけだ。僅かなりにとも、サカキの後継者……息子の記憶は混入している。

 彼はサカキに似て――あるいは似ておらず――極めて優秀な資質を秘めていた。そうした上澄みを掬い取っていったのだとすれば、そういうこともありうるのだろう。

 そうしてそれらの成果は――ミュウツーの肩を貫く緋と青碧、二つの色彩という形で現れた。

 

 本来ならこれが刺さっていたのはサカキの方だ。しかしポケモンとしての矜持か、ミュウツーはかばうようなかたちでそれらを引き受けた。

 傷を負いつつも、彼はその刺さった二つの色彩……触手を掴み、思い切り自分の方に向かって手繰り寄せる。そうしてようやく、襲撃者の姿があらわになった。

 

 

「で……デオキシス!!?」

 

 

 ヒナヨは思わず驚きで叫んでいた。宇宙由来のポケモンがなぜ、と思うと同時に、様々な世界を練り歩いて来たレインボーロケット団ならそういうこともあるか、と自分自身を納得させる。問題があるとしたら、ミュウツーを突き刺したという点だ。

 

 

「味方……!? でも、え、ええ!? どういうこと!?」

「さっぱり分からん」

「全身血まみれで何そんなクッソIQ低いこと言ってんのよ!! いるって分かってたの!?」

「『何か』がいるのはな」

 

 

 そこでヒナヨもはたと思い出す。確かにアキラは何らかの「声」が聞こえると言っていた。当初は、流入した記憶が何らかの影響を及ぼしているのかと考えていたものだが、こういうことだと分かれば状況に即した知識も湧き出してくる。

 

 DNAポケモン、デオキシス。ある媒体において、彼は「あるトレーナー」の血液を偶然に取り込んだことでそのトレーナーとの相互感応現象を起こしたことがある。

 それはあくまで偶然の産物だったが、例えば最初からそうするつもりで調整を行い、性質を安定させれば……その結果は、今のデオキシスの「声」を聞いているアキラがそのまま示している。

 本来なら、アキラの脳は漂白され、そこにサカキの息子の記憶と意識を植え付けられる予定だった。仮にこの計画が上手くいっていたなら、「後継者」は人類最強の肉体と、ミュウツーに比肩するサイコパワーを持つポケモン、そしてそんなポケモンに言葉を出して指示を出す必要すら無くなる感応能力を得ることになる。

 

 そうなった場合を想像し、ヒナヨは小さな寒気を覚えた。しかし、少なくとも敵ではないのなら何でもいい、と思い直した。

 物陰から引きずり出されたデオキシスが、触手の先端を自ら切り離しながらスピードフォルムに変化(フォルムチェンジ)し、先のチャムのそれを遥かに超える速度をもって翻弄を始める。その姿からはサカキに対する強い敵意を感じられた。

 

 

「詳しい話は後でする。今はあいつとも利害は合致してるはずだ。まずはここから出ることを考えよう」

「どうやって?」

「五秒後、全力で下に(・・)向かって『はかいこうせん』」

「はぁ!?」

「デオキシス!」

「――――!」

 

 

 アキラが声を発したその瞬間、デオキシスはその姿を数十、数百にも増やした。

 周囲の空間に滞留する粉塵を用い、サイコパワーによって生み出した複製体(シャドー)と呼ばれる残影だ。本来の「かげぶんしん」とは異なる実体を持つ分身であり、サイコパワーを持つ故に他のポケモン――特にエスパータイプのポケモンからは、その全てが本物と錯覚してしまうほどに精巧だった。

 

 

「ぬっ!」

「『サイコブースト』!!」

「『サイコブレイク』!!」

「▲▲▲▲▲▲!!」

「ウウウアアアッ!!」

 

 

 次の瞬間、その全ての矛先がサカキとミュウツーへと向かう。どれが本物かも分からない状況下での攻撃にサカキも僅かな焦りを見せた。

 が、彼らにとってそれは極めて些細なことだ。攻撃目標は周囲一帯。群がる複製体(シャドー)、そのうち半分ほどが、ミュウツーの放った「サイコブレイク」によって消し飛んだ。

 

 

「……!?」

 

 

 だが、攻撃が無い。デオキシスにとって最強の技、「サイコブースト」はどこから――否。

 どこへ(・・・)放たれた?

 

 

「ヌウッ!?」

 

 

 彼らが疑問を抱いたその時、轟音が響いた。

 ――周囲一帯。この地下空間を揺らすほどの音響だ。いっそ破滅的とも思えるほどのそれが示しているのは、「サイコブースト」を放つ対象がタワーそのものだったという事実である。

 

 

「まさか、支柱を崩したということか!」

「そのまさかだ! やれ!」

「ルリちゃん、『はかいこうせん』!」

「サナッ!!」

 

 

 更に、ヒナヨの指示に合わせてルリちゃんは「はかいこうせん」を真下――床に向けて叩き込んだ。

 その一撃は床を貫通し、レインボーロケットタワーがせり上がってくるのに合わせて形成された地下空洞を彼らの前に曝け出す。

 ここまではアキラの指示通りだ。ここからの思惑はヒナヨも知らない。縋るような視線を向けながら、彼女は問いかけた。

 

 

「ここからどうするの!?」

「落ちるぞ!」

「え……えええええええ!? きゃあああっ!!?」

 

 

 予想外の言葉と共にヒナヨはアキラに抱きかかえられ、地下空洞に向けて真っ逆さまに落下し始めた。

 更にデオキシスが、複製体(シャドー)と共に「はかいこうせん」によってできた穴に向けて殺到する。すぐにそれを追うようにして、サカキは身を乗り出して穴を覗き込んだ。

 

 

「最初からそのつもりだったか!!」

「当たり前だ! ――これから合計296体の複製体(シャドー)と本体を全て同時に別々の方向に向かって『テレポート』させる!!」

「なんじゃそれ!?」

 

 

 サカキは思わず膝を打った。ヒナヨはその突飛な発想に驚いているが、なるほど、それならば追い切れない。

 流石のミュウツーもデオキシスレベルのサイコパワーを持つ相手の「テレポート」を妨害することはできないが、どこに転移したかなどはすぐに分かる。あとは同じように「テレポート」すれば追跡は容易――なのだが、追跡すべき対象が増えれば増えるだけ、本命に行き当たる可能性は低くなる。

 

 

「覚悟しておけ、次は必ずお前たちを倒す!」

 

 

 最後の最後、彼女の奥底に秘める怒りをそのまま吐き出すように突き付けられた言葉に、サカキは小さく不敵な笑みを浮かべる。できるものならやってみろ、と。

 その態度に更なる怒りを覚えながらも、アキラはそれ以上の言葉を吐くことなく「テレポート」の感覚に身を委ね、姿を眩ませた。

 

 

 








独自設定などの紹介

・デオキシス・シャドー
 映画「裂空の訪問者 デオキシス」や「ポケットモンスターSPECIAL」にて登場した「かげぶんしん」のようでいて違うようなちょっと「かげぶんしん」な複製体。
 ポケモンの技を受けるなどした場合には消滅してしまう程度に耐久力は低いが、いずれの原作においてもポケモンや人間、機械などを運ぶ程度のパワーはあると描写された。
 本作においては、空間の分子とサイコパワーで構成した「実体のある分身」として描いている。大きな衝撃を受けたら消滅するのは本作でも同様。ただし、シャドーのフォルムチェンジはできない。


・デオキシスのフォルムチェンジ及び細かい設定
 「ノーマル」「アタック」「ディフェンス」「スピード」の四種類のフォルムが確認されているが、基本的に本作のデオキシスは使い分けが可能。
 設定としてはダークトリニティに採取されたアキラの血液を取り込んだことで、デオキシス自身の細胞が安定したため……というところ。
 感応能力は主に「ポケットモンスターSPECIAL」のレッドとの間に描かれたそれを発展させたもの。原作においてはイエローの能力があって初めて対話が可能となったが、本作では波動使いというイレギュラー要素のおかげではっきりとお互いの考えを通じ合えるようになっている。


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コスモパワーを感じるか

 

 

 どこまでも落下していくかのような感覚が、二人の少女を襲う。

 ただの「テレポート」とは状況も情報量も何もかもが異なる長距離転移。行き先も知らない彼女らにとって、転移までの一瞬は永遠にも長く感じられるほどの時間だった。

 

 そうしてたどり着いたのは――剣山山頂レインボーロケットタワーから直線距離にして約2キロ離れた、槍戸山の山頂。西日の差し込む開けた場所だった。

 逼迫した状況とは裏腹に、オーロラのような霞がかかった美しい夕焼けの光景だ。しかし、それを見たヒナヨは、口を押さえて思わず近くの物陰に走った。

 

 

「……何やってんの?」

「バカっ! こんな開けた場所に来てるんだから隠れなきゃでしょ!?」

「それは……まあ、そうだが」

 

 

 理屈ではそれが最善なのは理解しているが、アキラ個人はどうしてもそうする気分にはなれなかった。

 それは単純にデオキシスがその能力を使ってミュウツーからの追跡を妨害しているからというのもあるが、何よりその当のデオキシスと感覚が繋がっていることで彼――あるいは彼女――の感情をダイレクトに受け取ってしまったせいだ。

 

 

「▲▲▲▲……」

「『わたしはここにいたい』」

「何それ」

デオキシス(あいつ)がそう言ってる」

「分かるの? ……ううん、分かるんでしょうけど」

「何でかは知らないけど、はっきり分かる」

 

 

 アキラ自身もその理屈は分からない。しかし、確かなことが一つある。それはデオキシスがこの山頂からの光景を目にして、「感動している」という事実だ。

 それに共鳴しているアキラもまた、胸が締め付けられるような感覚を強く味わっていた。感情(それ)が自分自身のものではないというのは不可解で気味の悪い感覚だったが、元々彼女は記憶を失ったり他人の記憶が流れ込んだりと精神的な問題には事欠かない人間である。内心は「まあそういうこともあるだろう」という程度に留まっていた。

 そんな一人と一匹(ふたり)のどこか憂いを帯びた表情を見て、ヒナヨは小さく呆れたように息をついた。

 

 

「だからまあ、しばらくはそうさせてやってくれないか。追跡はできないようにしてるみたいだし」

「そ。……で、さっき言ってた『説明』は?」

「……『ここから出せ』ってさ。ずっとこっちに語り掛けてきてたんだよ。わたしたちもタワーから出なきゃいけなかったし、じゃあここは協力して外に出ようってさ」

「なるほどね……あ、え、てことはこれでお別れ……?」

「いや、流石にそれは」

 

 

 どうだろう、と思いながらわずかに不安を覚えたアキラは、デオキシスに軽く視線を向けた。

 デオキシスはそんなアキラの思いに対して僅かに逡巡を見せつつも、やがて何やら納得したように頷いて見せた。

 

 ――なお、あくまで心の中でのやり取りのためヒナヨにはふたりが何を言っているかはまるで分かってない。

 

 

「大丈夫。協力してくれる」

「頼むから他人から見て分かるようにやりとりしてくれないかしら!?」

「え。あ、ごめん……」

「で、何なの?」

「えーっとな……デオキシスは、ずっと実験室に閉じ込められてたんだって」

「実験室……まあ、そうでしょうね」

 

 

 デオキシスがどういた経緯で現在のポケモンの姿を得ることになったのかは、色々と解釈できる。宇宙由来の微生物への実験の結果か、あるいは宇宙線でDNAが変質した結果か……いずれにせよ、何らかの形で、どこかの世界で、彼がレインボーロケット団に捕まり、閉じ込められたことだけは確かな事実だ。

 能力を抑制させられ、培養液に浸され、監禁され続けてきた……というのは、果たしてどんな気持ちだったことか。

 

 

「だから今見てるのは、この世界でデオキシスが初めて見る『外の景色』なんだ」

 

 

 そう言われてしまうと、ヒナヨはそれ以上何かを言う気も失せた。

 確かに、夕焼けの朱と夜闇の黒、そしてオーロラの混ざり合ったような幻想的な色彩は、この上なく美しい。デオキシスにもまた人間と同じようにそれを「美しい」と捉える感性があるからか、無表情でありながらも彼の目は穏やかで、飽きることなく景色を眺め続けていた。

 そんなデオキシスに感化されたか、あるいはそれが旅立ちの日のそれに似た夕焼けだったからか、アキラ自身もまた――――。

 

 

「説明」

「はい」

 

 

 ヒナヨが遠慮するのはデオキシスに対してだけだ。

 何お前まで一緒になって浸ってんねんおう()くしろよと言わんばかりに彼女はアキラに指を突き付けた。

 

 

「だから後はホラ、あいつらを野放しにしてたら何もかも台無しになる。レインボーロケット団を倒すまででもいいから手を貸してくれってさ」

「お願いしたわけね」

「お願い……そうだな。うん、そうなる」

 

 

 一瞬、あまりにも柔らかな「お願い」という言葉に面食らいかけたアキラだが、なるほど、その方が表現として「らしい」と感じられた。

 尊重するべきは、デオキシスの自由意思だ。人間に振り回され続けてきた彼は、もう関わりたくないと思っても仕方がない。だからこその、打算や利益を絡めた「交渉」ではなく「お願い」だと。

 

 ともあれ。

 必要なことは伝え終わった、と腰を下ろしたアキラの顔には、隠し切れない疲労の色が浮かんでいた。

 当たり前のことだ。連戦という観点ではヒナヨも同じだが、アキラの場合もっと長い時間サカキと――ひいてはミュウツーと戦い続けて自ら時間を稼ぎ、傷つきながらも戦っていたのだ。凍傷と念力で千切れた皮膚や、凍って貼り付いたことで結果的に生じた裂創、また、それに伴ってボロボロになった衣服がなんとも痛々しい。

 

 ――壊死とかはしてないっぽいけど。

 

 以前にネットなどで聞きかじった知識でなんとなくそんなことを考えるヒナヨだが、そもそも、その知識とは素人の浅い知識で痛い目を見た人間に関する知識だ。得てしてそういった人間は酷い目に遭っていたことを思い出し、とりあえず「今は何とも無いかもしれない」という考えは捨てた。早めに朝木(せんもんか)に診せるべきだろう。

 

 というところまで考えて、彼女はアキラの格好が著しくパンクかつロックな状態になっていることに気付いた。

 破れた服の下からは、病的なほどに白い肌が覗いている。激動にしても度が過ぎる数日を過ごしていたためヒナヨもわざわざ指摘することはなかったが、こうなると流石にあまりにもユヅキとは異なる外見や、「造られた肉体」という話が気になってくる。

 

 

「あのさ」

 

 

 と、そこで更に気付く。アキラからヒナヨに対してもそうだが、ヒナヨからアキラに対しても何と呼べばいいのかが分からないのだ。

 見た目は自分より小さくとも、友人の姉だ。その上家族(むーちゃん)を助けてもらった恩人でもある。学校の先輩にするように「ちゃん」と付けて呼ぶのは気後れがあった。では「さん」と呼ぶべきなのか。しかしそれでは他人行儀にも感じられる。

 

 

「アキラちゃんさん」

「せめてどっちかにしろ」

 

 

 敬意と恩義が渋滞を起こしていた。

 

 

「というか……呼び捨てでいいよ。どうせ精神年齢(なかみ)はそう変わらないだろうし」

「どういうこと?」

 

 

 聞けば、アキラはぽつぽつと自身のことを語り始めた。

 記憶の欠落、身体能力の異常上昇、などなど――余計な混乱をさせないよう伏せている性別(こと)こそあるが、それでようやくヒナヨもこれまでのことについて納得いった。

 だからこその「造られた肉体」。だからこその強さ。狙われるわけである。内心「どこの特撮よ」とも思っているが。実は物理学専攻だったり家事万能だったりするのだろうか。

 

 

「じゃあ……えっと……アキラ……で」

「ん、わたしはどうしたらいい?」

「別になんでもいいわ。あ、でもヨっちゃんとかはやめて。どこかの駄菓子を思い出してヤダ」

「何だその基準」

 

 

 ならナっちゃんはいいのか。それもどこかの清涼飲料水のようだがと思うアキラであった。

 

 

「じゃあ、ユヅの友達だからヒナ」

「お母さんからの呼び方だわそれ」

「それを聞かされたわたしはどう反応を返せばいいんだ」

 

 

 呼ばれ慣れているからそれでいい、とヒナヨは返した。

 さて、どうあれとりあえず互いのことをある程度理解したところでどうするか――となったとき、不意にアキラのスマホが着信音を鳴らした。

 表示されたのはユヅキの名前だ。確認するが早いか、即座に接続する。と、アキラの耳に入ってきたのは、やけに困惑した様子のユヅキの声だった。

 

 

「どうしたんだ?」

『んーと……あのー……なんて説明したらいいか……寒っ』

「寒い?」

『寒いぃ……じゃなくてそっちは違くて』

「何か問題か?」

『問題……っていうか……うん、そうなんだけど……うーん問題……』

 

 

 あまりに歯切れの悪い言葉に、思わずアキラは首を傾げた。

 ともあれ、何を判断するにしても一人では処理能力に限界がある。ヒナヨにも聞かせようとハンズフリー通話に切り替えた、その時だった。

 

 

『な……なんか、ほしぐもちゃん、増えちゃった……』

『ぴゅい!』

「「は???」」

 

 

 その言葉と鳴き声を聞いた二人は、何が言えるでもなくただ頭をフリーズさせるだけだった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 時はわずかに遡る。

 

 休眠状態のほしぐもちゃんを一旦預かったユヅキたちにとって目下最大の問題は、行くべき先が分からないことだった。

 ほしぐもちゃん――コスモウムを覚醒させるために必要なファクターは、ウルトラホールから降り注ぐ多量のエネルギーだ。その上ウルトラホールさえ開いていればなんでもいいというわけではなく、ウルトラビーストなり何らかのポケモンなりが出てき次第閉じてしまうため、長時間開いているウルトラホールを探すか、複数のウルトラホールを見つけて順次エネルギーを蓄えさせる必要がある。

 また、コスモッグ――あるいはコスモウム固有の能力でウルトラホールを開くことはできるのだが、そのために使うエネルギー量は膨大で、はっきり言って収支は合わない。ほしぐもちゃんの体力も相当に使うことになってしまうこともあり、その方法を使うことは無いだろうというのが共通の見解だった。

 

 こうなると、いつ開くのか分からないウルトラホールを探すため、足で情報を稼ぐしかない。

 と思われていたのだが、ここでアシストがかかった。

 ヒナヨ――ではなく、朝木――でもなく、まさかのユヅキである。

 曰く。

 

 

「おばーちゃんが言ってた。愛媛の池に妖怪の伝説があるって!」

 

 

 ――それはつまり、もしかすると遥か(いにしえ)の時代にウルトラホールが開いて何らかの生物がこの世界に訪れたという証明ではないだろうか? 

 対戦のみならずストーリーの考察も楽しむヒナヨの話にそれなりについていけるユヅキだ。考察というよりは妄想に近い推論ではあるが、「まあなくはないのかな?」と思える程度の信憑性はあった。

 

 元々、先にウルトラホールが開いた久川町の海岸やアキラの祖母の家の鶏小屋に行く予定ではあったのだ。彼らは一路愛媛――赤蔵ヶ池(あぞがいけ)へと向かうことになった。

 

 赤蔵ヶ池。愛媛県、久万高原(くまこうげん)町の山奥に存在する池だ。農業用水として優れた水質を持つ池で、源頼政が鵺を退治したという伝説も残っている。

 日本のため池百選にも選ばれているので、池までの道は整備されているが、こういった事態にあってはそうそう人が訪れることも無い。

 

 ともあれ、その道程そのものはかなり険しい道となる。阿波市から四国中央市を経由して西条へ。更に一度東温市を経由し……と、片道、時間にして五時間近くとなる。

 その途中。西条市から東温市までの体力に優れた東雲にも運転の疲れが見え始めた頃だった。あまりの長距離移動のせいでユヅキも後部座席で眠ってしまった頃、不意に車両のフロントガラスを濡らすものがある。

 

 ――雪だ。

 

 東雲とナナセが思わず目が点のようになった。また、それに伴って後部座席から悲鳴が聞こえてくる。

 

 

「ぎゃーっ! 寒い寒い寒いさーむーいーっ!! 何!? 何コレ!? どゆこと!?」

 

 

 トラックはその構造上、後部座席――幌の中は閉め切った空間というわけではない。隙間から流れ込んでくる寒気にやられたユヅキはひどく狼狽して跳び起きた。

 そのままルルを出して暖を取ろうとする……が、その前に東雲から制止の声がかかった。

 

 

「ユヅキさん、火は厳禁だ」

「はぁい……」

「…………はい」

「……小暮さん……」

 

 

 見れば、隣の座席に座っているナナセもまぐさんを出して抱えていた。火は出していないようだが、東雲は内心戦々恐々としていた。

 しかし、それだけ寒いというのも事実だ。まだ五月だというのにこの異様な寒波、となれば何らかのポケモン……それも伝説のポケモンの介在を疑うに足る根拠になりうる。

 

 

「しかし……小暮さん。これは……」

「はい。恐らく……。ですが、流石に……あからさますぎます」

 

 

 気象図などを見ればそんなことは一目で分かる。現に東雲たちにとって「いずれは確認しておくべき場所」として、この寒気の大元――石鎚山は認知されていた。

 

 

「……考えられるパターンとしては、四つほど」

「聞かせていただけますか」

「……ひとつは……強すぎて、手が出せない」

 

 

 分かりやすい話ではある。が、ルギアが捕獲されてしまっている今、その可能性は非常に低いと見ていいだろう。

 

 

「ふたつ目は……捕獲した後、嫌がらせのためにあの場所に配置した……」

「ただの嫌がらせでそんな馬鹿げたことを?」

「……ああいう人たちは、悪い意味で合理で測ることはできませんから……まともな論理と倫理があれば、そもそも……あんな組織には入りませんから……」

 

 

 東雲は顔をしかめた。嫌すぎる話だが、なるほど、納得はいく。

 レインボーロケット団……その前身たるロケット団は、ポケモンマフィアと呼ばれている。良くも悪くも、彼らは基本的に正義感や順法精神というものは無く、自分たちのやっていることが社会悪であることを理解している者が大半だ。歪んだ正義感を持つフレア団やプラズマ団が加入してもその根本の部分は変わらない。ならばこれも可能性としてはある――いや、むしろ高い方と言える。

 

 

「みっつ……あちらの世界で、こういった気候はごく普通のことで、『異常気象』だと気付いていない……」

 

 

 例えばカントーのふたごじま。例えばジョウトのこおりのぬけみち。複数のこおりタイプのポケモンによる局所的な寒冷化は、むしろ「あちら」の世界においては当たり前なのかもしれない。そうなれば、こちらの世界でも同じように……と考えている可能性はあった。

 

 

「最後は?」

「……あえて、見逃している」

 

 

 そんなことがまさかありうるものか、と東雲は苦笑いを浮かべた。理由が一切無いからだ。

 ナナセも自分で言っておきながら、内心まずそれは無いだろうと感じていた。常人の理解の外にいるある種の狂人というものは、ただ場当たり的に支離滅裂な行動をしているわけではない。本人なりの法則や道理に基づいて行動しているものだ。最大の戦力となりうる……または、最大の敵となりうる可能性の高い伝説のポケモンを放置しておくなど、論外も甚だしい。

 

 

「――とにかく、ここにこおりタイプの伝説がいるかもしれないってことだよね?」

「バゥ」

「そうなりますね……」

 

 

 体温の高いルルに抱き着いた上から毛布をかぶって元気を取り戻したユヅキの問いに、まぐさんを抱きかかえて毛布で身を包んだナナセが応じる。

 温めてくれるポケモンもおらず安全の都合上毛布を膝にかけたりといったことができない東雲の顔から表情が抜け落ちた。

 

 

「ロトムちゃん、レイジくんたちに連絡お願いできる?」

「お任せロト~。ウルトラホールが開いたら、引き続きお知らせするロト」

「うん、ありがとー」

 

 

 言うと、ロトムもまたユヅキの被った毛布の中に引っ込んでいった。

 ロトムは――というよりも図鑑はそれなりの精密機器だ。温度が高ければ熱暴走してしまわないだろうか?

 東雲は寒さに身を震わせながらそんな益体も無いことを考えた。現実逃避である。

 

 さて、どうあれ山道を進んでいくごとに雪は深く、濃くなっていく。

 初夏のこの時期にタイヤの交換などしているはずもなく、戻ることができるギリギリの場所にトラックを停めるとそこからは完全に徒歩となった。

 

 極寒の中、徒歩である。その上衣服も基本的に元のままだ。

 東雲の宿舎は燃え尽きて既に無いし、ナナセの自宅は最大の危険地帯であるフレア団の支配領域の中。ユヅキの出身は四国の外。(現在は)体格が似ているアキラの服を借りればいいのだが、そのためには一度祖母の家まで行かなければならない。まるで遠回りだ。道中に服屋があるわけでもないしこの時期では冬服などあるはずもない。

 結果的に確立したのは、毛布を羽織ってポケモンたちの熱で暖を取り、メロの「リフレクター」や「ひかりのかべ」で外気を遮断しながら歩く……という不格好な方法だった。

 

 数キロも歩くころには女性陣は疲労困憊の状態だった。あぶさんやルルの背に乗ってそれもなんとか乗り切った。

 なお東雲は完全に徒歩である。行軍訓練も幾度となく行っているため、逆に体力が尽きてもなお歩き続けることができるため踏破はできたが、はっきり言って地獄のような道のりであった。帰り道はこれをもう一度行わなければならない。苦行そのものであった。

 

 

「これで何も無かったらヤだなー……」

「……思ってても……言ってはいけないことがあります……」

 

 

 そんなことになってしまったら心が折れそうだと誰もが感じていた。

 

 

「ロトムちゃん、何も感じない?」

「ウルトラホールが開いた形跡はあるロ。あとはほしぐもちゃんがどう反応してくれるか……」

 

 

 ユヅキの腕に抱かれているほしぐもちゃんは、黙して語らない。サイコパワーはある程度回復しているらしく重さは感じないものの、まだ本調子には程遠い。

 そうこうしてしばらく、ようやくたどり着いた赤蔵ヶ池は、やはり本来のそれとはまるで異なる雪景色を見せていた。池自体にも分厚い氷が張っており、水中を見通せそうには無い。

 

 

「ほしぐもちゃん、どう?」

「…………」

 

 

 ほしぐもちゃんは、何も答えない。が、それに代わるようにしてロトムのセンサーが音を立てた。

 

 

「むっ、これは……微小だけど、ウルトラホールが開くみたいロト」

「びしょー? ……ってことはどういうこと? ウルトラビーストが来るの?」

「ううん、このくらいなら出てこられないと思うロ。これはほしぐもちゃんに反応して開いてるみたいロト?」

 

 

 その時だった。

 不意にほしぐもちゃんがゆっくりと浮き上がる。その速度は歩くよりもなお遅く、著しくサイコパワーを節約しているだろうことが見て取れる。

 少し経って、池の中央まで到達したところで、ほしぐもちゃんの頭上にごく小さなウルトラホールが開いた。

 大きさにして四十センチほど。よほど小さいポケモンでなければ潜り抜けることは難しいが、中には体高三十センチという極めて小柄なウルトラビースト――カミツルギという例外も存在する。万一のことも考え警戒していた三人だったが、そこで突如として甲高い音が響いた。

 

 

「!」

 

 

 鳥の鳴き声か、あるいは竜の咆哮か――本能的な恐れを感じた三人とそのポケモンたちは、即座に臨戦態勢を取った。

 何かがいる。イベルタルのように生命の危機を感じる、ある種根源的な恐怖とは異なる、人知を超えた存在への畏怖。だが「何か」がいることには間違いない。

 

 ユヅキとナナセを手で制しながら、東雲はワシボンと共に前に出た。

 静寂が周囲を包む。途方もない圧迫感によって、わずか数秒ほどの時間が数分にも数時間にも引き延ばされていくような感覚を覚えた頃。

 唐突に、圧迫感が消失した。

 

 

「む……」

 

 

 嵐の前の静けさか、それとも本当に過ぎ去ったのか……いずれにせよ脅威が消え去ったことは確かだ。

 ナナセが小さく息をつく。と、その時、ぽん、という小さな音を立てて、黒い煙状の「何か」がほしぐもちゃんの上に落ちてきた。

 

 

「……ん?」

「え……」

「あれって……」

「ぴゅい?」

 

 

 ――せいうんポケモン、コスモッグ。ソルガレオ(ほしぐもちゃん)の進化前にあたるポケモンだ。

 先の強烈な圧迫感と、それに反してまるで感じない「災い」の臭い。愛らしい現れた愛らしい見た目のポケモン。あまりにちぐはぐな状況に、あぶさんが目を白黒させて困惑する。

 

 

「……ほしぐもちゃん?」

「ロト……」

 

 

 ロトムもまた、想定外の事態に困惑していた。

 復活――とまではいかずとも、エネルギー補給してその足掛かりにはなるだろう、と思っていたところにコレだ。何をどうしたらこんなことになってしまったのか、誰も何も分かりはしないが……。

 

 

「……と、とりあえず、お姉とナっちゃんに相談してみる!」

 

 

 ユヅキは「分からない」なりに、まず人に聞くことを選択した。

 

 それから一分後に当のアキラとヒナヨもまた混乱のどん底に叩き落とされることになるのを、彼女はまだ知らない。

 

 

 



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みずびたしの足元

 

 

 朝木達が療養のために滞在しているのは、先に利用させてもらった温泉にほど近い場所にある学校や神社を利用した山間の避難所だった。

 様々な意味合いでの特性上、この周辺には高齢者が多く、医療者の存在は非常に重要だ。たとえ「元」であっても朝木の知識量と技量は今もなお高いままだ。頼られる頻度はやけに高く、人に頼られることに慣れていない朝木は常に恐縮しきりであった。

 

 ヨウタの容態そのものは、そう悪くはない。元来の体力と成長期特有の回復力の賜物だろう。

 最近なんだか疲れが取れづらいことを思い出し、三十路手前の男は知らず空を見上げていた。十二歳から見て一回り以上も年上の男はもうおっさんもいいところである。

 

 さて。ともあれ療養中とはいえ――あるいは療養中である程度の暇があるからこそ、仲間たちの動向は気にかかる。

 

 

「ほしぐもちゃんが増えたって何???」

「どういうことだ、まるで意味が分からんぞ!」

 

 

 そして連絡を取り合った結果、朝木たちは間借りさせてもらっている保健室で混乱の渦に叩き込まれることになった。

 とんだフレンドリーファイアである。

 

 

『私たちに聞かれても困るんですけど! 一日で状況動きすぎなんですけど!! くそったれ(ファ――――ック)!!』

「どこのII世だオメー」

「一日でハジけすぎじゃない?」

 

 

 心理的負担と後ろめたさが無くなったヒナヨは、有体に言って絶好調だった。

 

 

『落ち着け』

『ハァ……ハァ……そうね……』

「アキラちゃんはどう思うよ?」

『……期待しすぎるのは良くないと思う。進化に伴って成長はするかもしれないけど、きっと今はまだ精神的に未熟な――』

『いや誰が戦力評価しろっつったのよ』

『大事だろ、戦えるか戦えないか、仮にそれができるとしても戦いたいのか戦いたくないのか……』

 

 

 良くも悪くも、過去を失った経験によって、アキラはその辺りの割り切りが極めて速い。経緯については深く考えず、「今」どう思っているか、何をしているかという点が、彼女にとっての主な判断材料だった。

 

 

『まあそこは置いといて。ゲーム的にはこれ、コスモッグの入手イベントに近いやつじゃない?』

「ああ、あの……なんか、遺跡みたいなトコに行くやつ」

『そ。って言ってもそれそのものじゃないだろうし、なんだか意図……というか、意思……? みたいなものを感じるんだけど』

『気のせいじゃないか』

「アキラ、そういうところだよ」

 

 

 多少の割り切りが必要なことはあるが、割り切りすぎだった。

 主にこれまでの戦いとレインボーロケット団のせいである。

 

 

『とにかく、ちょっと話は逸れたけど、ほしぐもちゃんが増えた……っていうか、コスモッグがこっちに来たことに関しては、間違いないと思うの』

「そ、そっか……」

「一旦回収とかしたのがいいか?」

「いや、僕はユヅに預けたままにした方がいいと思う」

『だな。わたしは情操教育上良くない影響を与えるだろうし……』

「『わたし』?」

 

 

 通話口から何やら人が倒れ込むような音がした。ここにきてようやく一人称の異常に気付いた瞬間である。

 状況が分かっていないヒナヨの悲鳴と、『オレ……オレ……わた、オレ……』という呪詛か何かかとでも言うような声が漏れている。

 ヒナヨが「とうとう」倒れたと言ったことからもまた無茶をしたのだろうということも読み取れたため、ヨウタは小さく溜息をついた。

 

 ともあれ、とりあえずは今のまま。コスモウム(ほしぐもちゃん)とコスモッグはユヅキたちに面倒を見てもらうという方針は固まった。

 アキラの状態については多少の議論と問診、映像のやり取りを行ってからの診断の上で、応急処置とリュオンの「いやしのはどう」を併用することで自然治癒が見込めるという結論となった。二人はこれから奪った物資の検証を行い、東雲たちと一度合流することを告げると、そこで一度通話を打ち切った。

 

 

「状況動きすぎだろ……つーか何してんだあの()ら。いきなり本陣突入とかどうかしてるぞ……」

「結果オーライ……とは言いたくないよね」

「言い出したらああいう子ら絶対また同じことやるぞ」

 

 

 結果的に大損害を与えることにこそ成功はしたが、それは曲芸じみた綱渡りの連続の果てにようやくつかんだ結果だ。一歩間違えれば大怪我では済まなかったのだから、仔細を聞かされていなかったヨウタと朝木は肝を冷やすどころではない。

 

 

「んで、ヨウタ君が治ったら雪山と……またハードだなしかし」

「……ウラウラ島に比べたらマシかな」

「あー……」

 

 

 ウラウラ島。ホテリ山にホクラニ岳、ハイナ砂漠にラナキラマウンテンといった、極端な環境を詰め込んだかのようなある種の魔境だ。アローラの中でも特に印象深いその島のおかげで、ヨウタの認識は「まあそういうこともあるよね」程度に落ち着いていた。

 

 

「あーチクショウ、やること多いな」

「ごめん、僕が下手打ったせいで……」

「それは……別にヨウタ君のせいとは違くねえ? つか、こういう時はむしろ大人の方がなんとかしないといけないもんだしな……キミ、もっと不甲斐ないっつって怒っていい立場だと思うぜ」

「本当に怒っていいの?」

「いやマジギレされたらそれはそれで俺は多分ヘコむ……」

 

 

 じゃあ言わなきゃいいのにと思いつつも、それがある意味では朝木からの気遣いだろうということを感じて、ヨウタは少しだけ気が軽くなった。

 そうして一つ息をつくと、朝木は医療器具を詰め込んだ鞄を手に取った。これから彼はまた避難所のあちこちに言って怪我人や病人を診察しなければならない。それが終われば今度は防寒具を調達し、夜にはヨウタたちのポケモンたちと特訓だ。せめてウデッポウがブロスターに進化し、「いやしのはどう」を覚えてくれなければヨウタの治療は長引くばかり。戦闘も激化していく以上、自衛のためには強くなる必要があった。

 

 もっとも、ポケモンが強くなる一方、特訓に付き合う関係上朝木の体力は日ごとに削れているが。

 軽く手を振ってその場を離れる彼の背はどこか煤けていた。

 

 

「あら、先生は?」

 

 

 そんな折、戸を開けて一人の老婆がやってくる。避難所の運営に携わっている女性で、ヨウタたちも度々世話になっていた。

 先生、とはつまり朝木のことだ。彼は本職の医療従事者からは外れてしまったが、それでも極めて貴重な医学を修めた人間だ。自然、周囲からは医者として認識され、「先生」と呼ばれるに至っていた。

 

 

「体調が悪い人の診察に。何かありましたか?」

「おやつでもどうかと思ったんだけど。ああ、ヨウタ君もどうかねえ」

「いただきます」

 

 

 おやつ、と言いはするが、実際に老女の手のお盆に載せられているのは大きめのサツマイモだ。食べ盛りのヨウタにとってはちょっと嬉しいが、普通に考えればややヘビーである。

 が、果たして二十代後半の朝木にはどうだろうか。いや、そもそも彼ならニューラやジャノビーたちに奪われることだろう――と想像して、ヨウタは小さく苦笑した。

 

 

「レイジさん、先生って言われるのあんまり好きじゃないみたいですけどね」

「そうねえ。でも、あんなに親身になってくれるお医者様もあんまりいないからねえ。どうしても先生って言っちゃうのよ」

 

 

 人に「先生」と呼ばせたくないというそれ自体は、「先生」であることをやめたからこその朝木の矜持だった。

 特に自分のミスで医療の現場から離れた以上、そう呼ばれるたびに罪悪感で死にたくなるのだと言う。実際、避難所に来てからの彼の顔色は芳しくない。もっとも、ここまでの旅での体力の消耗が大きかったこともまた一因ではあるが。

 

 

「白衣も着ないしねえ」

「『それは医者の領分を侵してる行為だ』って言ってました」

「お医者さんじゃないの?」

「お医者さんじゃないです」

「まあ、なんだか……複雑ねえ」

「そうですね……」

 

 

 ヨウタも言うまでもなく複雑な経緯を辿っているし、ヨウタたちには知らせないよう立ち回って現在は仲間という立場に修正されたが、ヒナヨもレインボーロケット団がこの世界に来て以降はまた複雑な立ち位置に置かれていた。あるいはそれに次ぐレベルで複雑なのが朝木だ。アキラに関しては複雑怪奇すぎるので例外である。

 いずれにしろ、医療技能を修めているのに医者ではないと言い張っているのだから、周囲からすれば違和感はあった。

 

 

「複雑なんですよね」

 

 

 呟くようにして発せられたその言葉は、小さな憂いが込められていた。

 

 

 

 

 そこから更に一時間ほどが経って、日が落ち切った頃。朝木は怪我人や病人を寝かせている体育館から一度出て、階段に腰掛けていた。

 彼の前には、幾人かの青年が立って――あるいは正確に表現するなら立ちふさがって――いる。彼らは皆一様に不機嫌そうな表情を浮かべており、朝木に対して小さくない敵意を向けていた。

 対する朝木は、迷惑そうな表情を隠そうともせず。しかし生来の小心者の気質から、彼らの向ける視線から軽く目を逸らしていた。

 

 

「……早く出て行ってくれよ。お前らがいるとここが危ないんだ」

「わぁーってるよ。出ていきたいのはこっちだってそうだ」

 

 

 朝木は小さく舌打ちをした。彼としてもその気持ちが分からないではないし、自分たちが追われている自覚はある。だからこそ、滞在させてもらっている間は、避難所にいる人間の診療をするという取引をしたのだ。内心「テメーこの野郎だったら今すぐ出て行って医者不在の状況作ってやろうか畜生」くらいのことを考えている朝木だが、そうすると自分たちも薬品や医療器具を使えなくなるため、反論することはできなかった。

 

 

「せめて連れの小学生が普通に歩けるくらい回復するまで待ってくれって何度も言ったろ。こっちだってちゃんと護衛も診療もやってるし……」

「それが何なんだよ。そのガキ追われてんだろ?」

「……そりゃあ……追われてないっつったら嘘になる」

「だったら釣り合いが取れてないんだよ!」

「釣り合い?」

「人数だよ、人数! そのガキ一人助けてここの人間全員殺されちゃあ話にならねえだろボケ! 迷惑してんだよ、全員な!」

「おい……」

 

 

 そうだ、とも違う、とも。激している男に対して朝木は答えられなかった。

 それでヨウタを殺されてしまえば、やがて四国全土の一般人が……それが終われば日本が、世界各国が標的にされ、およそ想像できない規模で虐殺が起きかねない。釣り合いが取れていないという意味ではそちらの方がよほど取れていないだろう。

 しかし、彼らの言うことも一般論としてあり得ないものではない。自分や関わりの深い人間以外はどうだっていいと考えている人間は少なくないものだ。特に命がかかっている状況なら、自分のことだけを優先して、友達だろうと家族だろうと蹴落として生き残ろうとする人間はいる。他ならぬ朝木もその類型だ。ただ、関わりを持ったアキラやヨウタたちが、見ず知らずの相手でも――敵は除く――見捨てられない人間だったという点は大きい。最初は自分の身を守るためだったが、やがてアキラたちを見捨てられなくなり、彼女らを助けたいと思った、その結果としてなんとなく目についた人間は助けていくというようなスタンスに落ち着いたのだ。

 

 本質的な部分で朝木は小市民だからこそ、そういったことを告げてくる気持ちは分かってしまっていた。

 こういったところにまで思考が行ってしまうと、次は正当化のために相手に罪を擦り付ける段階に入る。

 

 

「だいいち、お前らが余計な抵抗なんてしてるから、あの連中がムキになって民間人を殺して回ってんじゃねえのか?」

 

 

 朝木は心の中でほら来た! と悲鳴を上げた。

 そもそもレインボーロケット団は好き好んで民間人を虐げるような者たちであることに間違いない。ヨウタたちが抵抗しているいないの問題ではないのだ。

 RR団(かれら)は狡猾だ。抵抗を受ければ大義名分は得たとばかりに虐殺するだろうし、抵抗が無いなら無いで圧制に追いやり表に出ないようにしつつ謀殺する。最終的な死者の数はどれだけのものになることか。

 

 

「何とか言ったらどうなんだオイ!」

「なんとか」

「ブッ殺すぞテメエ!?」

 

 

 ほとんど煽りに近いことをごく自然な風に口にしている自分に驚きつつ、随分と肝が据わったものだと朝木は内心で苦笑した。

 濃密な「死」という概念そのものとすら言えるイベルタルや、しょっちゅう全身を引き裂いてでもまだ足りぬとでも言葉を操りそうなほどに濃密な殺気を放つアキラと比べれば、本気で殺す気の無い言葉だけの脅しなどそよ風もいいところだ。胸倉を掴まれてさえなければだが。

 こういう時に限ってニューラたちは勝手にボールから出てきてくれたりはしない。徹底的に締まらないアラサーだった。

 

 どうあれ、今はそれどころではない。努めて冷静な風を装い、朝木は口を開いた。

 

 

「今俺がここを離れたら、助かる人も助からないぞ」

 

 

 半ば脅しに近い発言だが、厳然たる事実である。

 ポケモンは頭が良く、人間に対して友好的なものこそいるがやはり、その本質は野生動物でもある。人を傷つけることに躊躇しないものも、当然ながらいる。

 中には人間に好意的であっても、人との関わり方を知らないために、そんなつもりではないのに誤って人を傷つけてしまうポケモンもいる。

 ポケモンにとって住みやすい自然――山に囲まれたこの避難所の周囲は、特にそういった被害が多い場所だった。

 

 必然的に、医者の需要は増す。ここで朝木が離れれば、深い傷を負っている老人や子供は命を落とす可能性はある。もっとも、彼個人としては人命を盾に取るようで気は進まなかったが。

 

 

「チッ……」

 

 

 男たちは舌打ちをして、朝木の服から手を離した。そこまで勘定ができていないわけではないらしい。彼らは謝罪などをすることはなく、足早にその場を後にした。

 後に残されたのは、服が伸びたせいで落ち込み、今後もこういうことがあるだろうと予感してなおのこと憂鬱になった朝木だけだ。

 しかし、こういった人間の暗黒面とすら感じられるような場面をヨウタに診せるのには気が引ける。年長者の役割だなぁ、などと、朝木は体を傾けた。

 

 

「マジでキツい……」

「ポーゥ」

「うおっなんだお前そんな鳴き声だったのか!?」

 

 

 出てくるにしてもあまりに遅すぎる登場と、何よりなんとも往年の名歌手を思い出させるような鳴き声のせいで、彼は思わず声を上げた。何が問題かと言えばこれまでほとんど無口だったウデッポウが鳴いたというのもある。驚きはなおのこと大きい。

 当のウデッポウはその反応が気に入らなかったか、朝木の足に水をぶちまけてそそくさとヨウタのいる保健室へと去っていった。

 靴下までまとめてびしょ濡れにされてしまった不快感でうへえと声が出るが、後になって考えればそれがウデッポウなりの気遣いであると気付いた朝木は、穏やかな笑みを見せた。

 

 

(結構な修羅場くぐってきたしな……)

 

 

 伝説のポケモンからの逃走や数々の戦い――というよりかはそれによって傷ついた仲間の治療に心を砕いていたこと――によって、彼はようやく手持ちのポケモンたちからも一目置かれるようになっていた。距離感はどちらかと言えば主と言うよりも悪友とでも言うような雰囲気があったが、それでも距離が縮まったことは嬉しいことだった。

 もっとも、戦闘の際はポケモンの自主判断に任せた方がよっぽど効率が良いため、基本的に誰も指示に従わないが。それでもトレーナー以前に人間として落第点を出されていたことを考えればよほどマシではあるが。

 

 

「ゴルバット」

「ババッ」

 

 

 旅の最初から連れ添っているゴルバットなどは、それがより顕著だ。当初はそれこそ出てくるたびに血を吸われていたものだが、今となってはよほど不興を買わない限りそういったことは無い。やや沸点が低いのが難点だが、それも常識的な範囲だ。普通に同じ人間と接するように、相手を尊重して、それでいて相手を上に置きすぎず、かつ侮って見るようなことをしなければそう簡単に怒るようなことは無い。

 

 

「索敵、頼むぜ」

「ゴルバッ」

 

 

 防寒具の調達にあたって、レインボーロケット団の監視の目に引っ掛かることだけは絶対に避けなければならない。その点、「ちょうおんぱ」によって暗闇の中でも行動できるゴルバットの能力は最適だった。

 返答に気を良くした朝木は、その背を撫でようとし――すぐに手を引っ込めた。

 これがヨウタのポケモンたちなら、ミミ子を除けば気前よく触れさせてくれるものだが、朝木の手に渡る以前までレインボーロケット団に虐待を受けていたゴルバットは、人に触れられることをあまり好まない。これはニューラも同じことだったが、毛づくろいの必要性からか、彼女は他の人間に対してはよく慣れているようだった。

 

 これではいつクロバットに進化するものか――と思いつつも、朝木は一切期待するようなことはせず、ゴルバットに向けて笑いかけた。当のゴルバットはその意図が分からず、しかし何だか馬鹿にされたと感じたのか、鋭い牙を見せつけて目を逸らした。

 

 

「お前はそのままでいいや」

「バッ?」

 

 

 睨みつけるような視線を向けられた朝木は、冷や汗を流しながらゴルバットを手で制する。

 そういうつもりで言ったわけではないが、悪く取られても仕方ない言葉ではある。悪いな、と軽く謝って、朝木は借りた車に乗り込んだ。

 

 ――人が嫌いなら、嫌いなままでも仕方ないよな。

 

 彼は良くも悪くも諦めの速い男だ。そのため、嫌われていると分かっていれば無理に距離を詰めようとはせず、自然の成り行きに任せて事態を見守る。

 人間的に優れているスタンスとは言い難いが、そうして距離を取ってくれているというのは、彼にとっては気が楽だった。

 

 

 









 繋ぎ回になってしまったので明日もう一話投稿予定。




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さきおくりはもうやめた

 

 

 

 防寒具の調達を終えた朝木たちは、夕食を取り終えるとすぐに外に出た。

 地獄の特訓の始まりである。

 

 

「ぐぼォォォォ……」

 

 

 アラサーは即死した。体力(ガッツ)が足りなかったのだ。

 普段なら四、五人に均等に割り振られる負担がそのまま全て朝木にのしかかっているのも一因で、彼の疲労感はほとんど限界に近かった。

 それでも研修医時代に突然フッと意識がオチた時よりはマシだな、と考えつつ、彼は当時の薄給っぷりと激務を思い出して泣いた。戦場ないしは地獄としか言いようのない医療最前線と比べれば、この程度はまだ楽な方ではあった。加齢のせいで体力を失った証明である。

 

 

「ジャノ!」

「うん、その調子だよジャノビー。格上と戦う時は、徹底的に相手が嫌がることをするんだ。ライ太、戦列に加わって。――複数相手だからって距離を置きすぎない。懐に飛び込んで相手を攻撃の盾にして。自分の方が小さいってことを活かすんだ」

 

 

 ヨウタの訓練は、一見静かな様子でありながらも内容は苛烈だ。

 怒号こそ飛ぶことは無いが、ポケモンの動きからその問題点や改善点、課題、伸ばすべき分野などを瞬時に読み取り、淡々と指摘しながら目標に向かって黙々と突き進む。徹底して合理を突き詰めたかのようなその特訓は、アニメなどで行われる「気合」と「根性」を重視するような特訓とは明らかに趣が異なる。そのため、幼少期からポケモンについてアニメに関する印象の強かった朝木にとって、こういった訓練をするというのは小さな驚きだった。

 そしてただ淡々としているだけではない。

 

 

(密度やべえ)

 

 

 その特訓の密度は、短期間でポケモンたちの能力を上げなければならないため、非常に密度が高い。

 朝木はそのせいで吐きそうにすらなっていた――というのに、一方でヨウタは一切動じた様子は無い。単に怪我の件を考慮して、座って指示を出すだけというのも理由ではあるが、そうであっても彼の頭の中は目まぐるしく変わる状況に合わせて最適な指示を出し、ポケモンたちの問題点を洗い出した上でそれを改善するための策を講じる。精神的な負荷は明らかに朝木以上のはずだが、その顔は涼しげだ。それは、ヨウタが日常的に現状を超えるほどの負荷を己に課していることを示している。

 

 とはいえ、十二歳の少年があの(・・)サカキと対等に渡り合っていることを考えると、それにも納得はいった。朝木にはそこまでしてチャンピオンを目指す意味が理解できなかったが、そこは世界そのものの構造の違いもあるだろうと朝木は自分を納得させた。「こちら」の世界要準で考えれば、上位のトレーナーというのはプロのスポーツ選手のようなものだ。本気で頂点を狙う気があるのなら、なるほど、子供の頃からここまでの訓練を積んでいて当然のことなのだろう。

 

 

「ヨウタ君は強ぇーな……」

「僕より強い人はいっぱいいるよ」

「そりゃあっちの世界の話だろ? こっちの世界基準で考えるなら、マジでトップだよ」

 

 

 ヨウタとそのポケモンたちは、全ての能力が高水準でまとまっているという、言うなれば器用かつ万能なタイプだ。

 一匹一匹のポケモンを見れば得意な戦法や弱点は必ずあり、付け入る隙もあるのだが、互いがそれを補い合うことで欠点の多くを帳消しにしている。まともに正面から当たって彼らに勝つためには、「更に強いポケモンとトレーナーを用意する」という身も蓋もない対策しか無い。

 その上、ヨウタ自身も運動神経に優れ、十二歳という若さのせいで戦略的視野にこそ欠けるが戦術規模の思考なら彼の右に出る人間は――この世界には――いない。

 事実、彼に明確な敗北を叩きつけることができたのは、狡猾に立ち回ったランスと、生物としての土台から異なるイベルタルだけだ。ポケモントレーナーとしては、この歳にして既に完成形に近いと言っていいだろう。

 

 

「でも、僕もヨーイドンの勝負じゃなければ、アキラには負けると思うよ」

「いやそりゃ前提条件が悪いだろ」

「まあ、うん」

「つか、弱体化してる今も?」

「今も」

 

 

 ヨウタはあくまで「トレーナー」であって「戦士」ではない。

 対してアキラは「戦士」あるいは「武侠」であって「トレーナー」とは言い難い。彼女の戦い方には一切の容赦が無い上、波動使いであるためポケモンの全力機動にも対応し、自身の危険も顧みずにあらゆる手を尽くして敵を打倒する。闇討ちに奇襲、囮、トレーナーへの直接攻撃や人質など、何でもアリなのがアキラだ。

 ルールという制約のもとであれば百回バトルしても百回ヨウタが勝つ自信があるが、ルールという明確な縛りが無ければ百回戦って百五十回叩き潰されるビジョンしか見えなかった。一回の戦いの中で複数回トレーナーとして殺されることも含む。

 

 それも現在の四国の地獄のような環境に適応した結果と言えるが、あれだけの能力をトレーナーとしての能力に注ぐことができていれば、どうなっていたことか――そのことがどうにも惜しくなり、「バトル」ではなく「戦闘」しかできない現状に、ヨウタは悲しさを覚えた。

 

 

「僕らももっと頑張らないと……!」

「ちょ、ちょっ、待っ……」

 

 

 同時に、そんな状態を解消できるのは自分たちだけだと彼は奮起した。

 無論のこと、そのあおりを直接受けるのは朝木である。それまでより更にハイペースになった特訓に、かつての激務を思い出しながらも彼はしばらくなんとか食らいついていった。

 

 

 

 

 

 それからしばらく、特訓は深夜まで続いた。

 メディカルマシンが無いため、大きく傷つくような特訓は避けてはいるものの、それでも特訓の濃密さのせいで朝木もそのポケモンたちも疲労困憊の極みにいた。少し気を抜けばそのまま倒れてしまいそうなほどだ。

 

 

「レイジさん、みんなも。大丈夫? 僕、今日だいぶ遠慮なくやっちゃったけど……」

「ハ、ハ、ハ……お、俺が頼んだことだしな……余裕だぜ……」

「ジャノ……」

「ニュー……」

 

 

 揃って強がって見せてはいるものの、その声に覇気は無い。

 ふらふらと廊下を歩き、時折壁に寄り掛かるその姿を見れば、そんな声も出そうというものだった。

 

 

「戻りました……って、誰もいないよね」

 

 

 時刻は既に0時を回った頃。当然ながら、ヨウタたちが戻ってきた保健室に人の姿は無い。

 が、代わるようにして、部屋に備え付けられている机におにぎりや卵焼きの乗せられた皿と手紙があった。

 

 

「あれ、これ……『よかったら食べてね』だって、おばあさんが」

「おお……おお……ありがてえ……」

「しわっしわのミイラみたいになってるよレイジさん……食べられる?」

「食うよ。おばあちゃんに悪いっつーのもあるし、食える食えない以前に詰め込まなきゃ明日動けねえ」

 

 

 研修医時代に学んだ、と呟くその言葉には、強い実感が込められていた。

 

 

「そんなにひどい職場だったの……?」

「ん……まあ……場所や地位によっても違うけど、研修医はな。まあ、地位があがっても仕事量ハンパじゃねえけど……」

 

 

 医者って常にそういうもんだ、と朝木は家族のことを思い返しながら呟いた。

 

 

「それだけ激務なの分かってたのにお医者さんになろうと思ったのって、やっぱりお金?」

「そりゃあそれもあるけどよ。一番はうちの爺様婆様かな」

「おじいさんとおばあさん?」

「誕生日祝いに行ったりするとさ、『来年はもう死んでるかもしれないけど』とか笑えねえ冗談言い出すじゃん、ご老人」

「こっちでもそういうジョーク言うんだ……」

「そういうの俺スゲー嫌いでさ。なんだけど、まあ……実際そうなったことがあってな。婆様、心筋梗塞で。応急処置が間に合ってたら生きてたかもしんねーんだけど……間に合わなかった。俺、その時に居合わせてたのに何もできなかったのが悔しくて。爺様には二度と『来年は死んでるかも』なんて言わせねえよ! っつって……まあ結果はこのザマだが」

 

 

 皮肉なことに、そうした経験があったからこそ、彼は今、避難所で明日とも知れない怪我を負った人間の命を救うことができていた。

 決して正道ではないが、確かに「人を救った」という結果があったのだ。

 

 

「つまんねー話したな。ほら、ニューラたちも食えよ」

「ニュラッ」

「ん、何? 僕が先?」

「ジャノ、ジャーノ」

「ええっと……ありがとう。うん」

 

 

 ニューラたちは完全にヨウタと朝木との格付けを済ませていた。ここで「いや、レイジさんが先に」と言うのも角が立つ。

 目線で謝罪を送りながら、ヨウタは先におにぎりを手に取った。

 意外なことに、その後のニューラたちは穏やかな様子で、朝木ともちゃんと食事を分け合っていた。

 それは単に疲労から来るものか、それとも何か心境の変化があったのか。それは分からなかったが、皆が仲良くなったのならそれはいいことだ、とヨウタは結論付けた。

 

 

 

 ――――状況が動いたのは、そのすぐ翌朝のことだった。

 

 

 

「レインボーロケット団の連中がこっちに向かってきてる!?」

 

 

 朝。寝耳に水、というどころではない報告が上がってきた時、朝木は思わず手に持っていた水を取り落とした。

 周囲を混乱に陥れないよう、彼の声は抑えられてはいるものの、その表情は明確なまでに感情をそのまま映していた。

 

 ――ヤバい、嘘だろ。こんなタイミングで。まさか昨日ヘマしたのか……!?

 

 不安と恐怖、絶望感といった数々の感情が渦を巻き、朝木の喉奥にすっぱいものがこみ上げた。

 ぐるぐると回る目を見かねたためか、即座にヨウタがそこに声をかける。

 

 

「レイジさん」

「分からねえ、ヘマした覚えはねえけど、いや、でも、もしかしたら、でも」

「――今、そういう話はしてないよ」

「っ……あ、ああ。そうだな。悪い」

 

 

 前日の行動を口にして自分に非が無いと主張しかける朝木だが、はっきりとしたヨウタの言葉に冷静さを取り戻す。彼の悪い癖だった。

 その通りだ。そんなことをしている暇はない。

 

 

「モク太が哨戒してて見つけたんだ。人数は五十人ほど。三十分もしたらこっちに来る」

「三十分……って」

 

 

 その間に避難を終えることは不可能だった。

 この避難所も規模は小さいとはいえ、百人単位で人が詰めかけているのだ。次に向かうべき場所を選定する暇も無く、ただ漫然と逃げるというのは非現実的に過ぎる。

 何よりも――。

 

 

(動かせるか……!?)

 

 

 寝たきりになっている者もいるし、足が悪い者もいる。しかし、ストレッチャーのような機器は数が限られ、車を使ってぞろぞろと逃げようものならそこで勘付かれる。

 じゃあ、徒歩で行くべきなのか――と、そこまで考えて、彼は一つ思い直した。

 

 

(……俺が考えてるくらいのことは、あいつらも読んでんじゃねえのか?)

 

 

 朝木は凡人だ。一般的な域を出ない考え方しかできない。故に、七人の中では浮いた立ち位置で、作戦立案にも基本的に参加していなかった。

 が、その内容と顛末は今でも思い出せる。その多くは、得るものこそあったが「失敗」だ。その経緯が訴える。「これだけであるはずがない」と。

 

 

「……ヨウタ君、すぐに逆側確認してくれ。挟み撃ちの形にしてるかもしれねえ」

「あ、そうか! うん、モク太! ごめん、すぐにお願い!」

「ジュナ」

 

 

 そう応答するが早いか、モク太は風のように上空へ飛び上がった。

 数十秒ほどして戻ってきた彼は、ヨウタの目前に数枚の羽根を落とした。数にして八枚。八十人超の敵がいる、という連絡だ。

 案の定当たっていた予想に、朝木は小さく胃を痛めた。

 

 

「普通に逃げたら人質にされてたか……危なかった……。モク太、他の場所は?」

 

 

 その問いにモク太は首を横に振って応じる。既に完全包囲が済んでいて確実に死人が出る、というような最悪の状況こそ避けられているが、朝木とヨウタだけではここから死人を出さずに突破するということは不可能だ。

 

 

「……どうすりゃいいんだ……」

 

 

 途方に暮れて、朝木は頭を抱えた。

 一点突破という策も不可能だ。ヨウタのポケモンたちには突破力こそあるが、老人がそれについていくことは難しい。

 ヨウタは一瞬朝木を見たが、すぐに目を伏せた。

 彼を頼ることはできない。まず、性格が戦いに向いていない。彼にできるのは自衛までだ。

 

 

「それにしても、何で……」

 

 

 今は考えるなと言った手前、あまり口にはしたくなかったが、現状を思うと自然と疑問が湧いて出る。

 朝木は良くも悪くも臆病だ。無理はせず、自らの限界を悟って、保身的に行動する。だからこそ(・・・・・)、バレるということはまず無いのだ。徹底して自らの感覚を信じず、優れた能力を持っているポケモンたちの力だけを頼りにする。町の中心から離れた場所で防寒具を調達し、静かに帰ってくるというだけではレインボーロケット団に察知される可能性は限りなく低い。ヨウタも基本的に外出はせず、情報が漏れることは無い。

 

 ヨウタたちは知らないが、ヒナヨに仕掛けられた発信機に関してはゲーチスが管理しているため、現在気管支を潰されて絶対安静の状態になっている彼が部下に命令を出すことは難しい。加えて彼らは温泉で別れたため、避難所の位置は基本的に露見しない。これに関しても、実のところ問題は無いと言えた。

 

 そんな折、不意に上げた視線の中で、人影が横切る。その足はまっすぐに外に向かっていた。

 

 

「っ、ワン太!」

「アオンッ!」

 

 

 今外に出すわけにはいかない、その判断からヨウタはワン太を出し、その男の進行方向へとけしかける。そして案の定、男の足は止まった。

 強く注意の声を上げようとする。が、折れかけたヨウタの肋骨が悲鳴を上げ、彼に大声を上げさせない。そのことを察した朝木は、代わるように男へ声を発した。

 

 

「おいあんた、何やってんだ!」

「ああ!? 何邪魔しやがる!」

 

 

 見れば、その顔には覚えがあった。前日、朝木に掴みかかった男だ。

 その表情には焦燥が貼り付いており、明らかにこの場から離れたがっている。朝木たちとしては外に出てほしくないのが本音ではあるのだが、そこではっきりとものを言えば男がパニックを起こし、避難所全体が大混乱に陥る可能性がある。言葉は選ぶ必要があった。

 

 

「そっちは………………狂暴なポケモンがいるのが見えたんだよ! 俺らが対処するから行くな!」

 

 

 もうちょっと別の誤魔化し方があったのではなかろうかとヨウタは内心でツッコミを入れた。

 

 

「嘘つけよ、この愚図!」

「はぁ!? 嘘……いや、何で嘘って分かんだよ!」

 

 

 その態度じゃないかなぁ。

 明らかに焦ったその表情は何よりも雄弁に嘘を物語る。

 しかし――彼の語る言葉は、それ以前の問題であった。

 

 

 

「そんなもん、俺があの連中を呼んだからに決まってるだろ!」

 

 

 

 予想外の言葉に、二人は愕然とした。

 この男が、あの連中――レインボーロケット団を、呼んだ。

 

 

「――何で」

「何で? お前らが悪いんだぞ! お前らがここに来なけりゃあ、あんな連中を呼びもしなかったのに!」

「おまっ……馬鹿か! 自分から殺されに行くようなもんじゃねえか!? ふざけてんのか!?」

「はあ? 馬鹿はお前らだろ。お前らを売りつければ、俺だけは(・・・・)保護してくれるって約束してくれてんだよ!」

 

 

 その言葉に、朝木は渋面を作った。何よりその言葉には、身に覚えがあったからだ。

 利己的、かつ保身的な「俺だけは」という言葉。、先日「避難所の人間が殺されるから」という理由で朝木を非難していた人間と同じ口から出てきたものとは思いたくはなかった。

 

 

「お前……昨日言ってたことは何だったんだ!? ヨウタ君一人助けるだけで他の全員が死んじゃ話にならないっつってたのは、アレは嘘か!?」

「うぜえんだよお前! 俺が(・・)死ぬだろうが!! 爺も婆も、どうせ先は長くない(・・・・・・・・・)んだ、何人死んでも知るかよ!」

「あ……?」

「誰が支配してようと知るか! 一般人の生活になんか関係あるか!? お前らが無駄に頑張れば頑張るだけこっちの締め付けが厳しくなるだけなんだよ、クズ共があ!!」

 

 

 ――結局のところ。

 「みんなが」迷惑をしているというやけに主語の大きな言葉も、全ては「彼」を含む一つの集団を守るためのものだ。根本的には「自分だけが」生き残ることができるなら集団そのものに頓着は無く、自らの言を正当化させて一方的に朝木を言葉で殴りつけるための武器でしかなかったのだ。

 そのことに――そのこと以上に、元の生活を守るために戦っている仲間たちや、見ず知らずの自分たちにもよくしてくれた老人たちを蔑ろにする一言に、朝木の心の臓からカッと強い熱が駆け上がる。

 

 

「この……馬鹿野郎!!」

「ぐがっ!!」

 

 

 気付けば、彼は男の頬を殴りつけていた。

 体重の乗っていない、いわゆる「手打ち」の殴り方だ。洗練などされているわけもないその一発は、しかし成人男性のそれなりの筋力もあって、男の身体を吹き飛ばす程度の威力は秘められていた。朝木はそのまま男に馬乗りになって胸倉を掴んで引き起こす。どこか歪んだ瞳が過去の自分と重なって見えて、彼は思わず声を荒げていた。

 

 

「自分だけは助けてもらえる!? そんな美味い話があるわけねえだろ! 騙されてんだよお前は!」

「なっ……何を根拠に……!」

「てめえの目の前にいる俺が根拠(それ)だよ!」

 

 

 目を見開く男に、朝木は苦虫を噛み潰したような顔で続けた。

 

 ――他の人の希望を奪って自分だけ生き残るなんてのは、賢いことだとは思えない。

 

 いつか、アキラに言われたことが朝木の中で渦を巻く。この男は以前の自分と同じだ。だからこそ、その末路が分かる。

 窮地に陥ったら裏切る人間を重用する人間はいない。同じように窮地に陥れば、やはり周りの人間を売り渡して再び裏切る可能性が高いからだ。だから、そうした人間は重用されないし、場合によってはその場で始末される。この男もその手合いだ。朝木自身も、レインボーロケット団に残っていたなら、そうなっていただろう。

 

 

「断言してやる! たとえお前があいつらに寝返っても、元と同じ生活なんてできるわけがない。雑用として使い潰されるか、扱いに困って処分されるか、捨て駒にされて死ぬだけだ!」

「ぽ……ポケモンって力があるだろ!」

「ざっけんな! 他人を売り渡って自分だけ生き残ろうなんて野郎が、ポケモンに認められるわけねえだろ! お前も、俺も、ただの賢ぶってるだけの馬鹿な小悪党だ! そういう中途半端なクズが、あいつらは大ッ嫌いなんだよ! だからいつまでも……いやそれはどうでもいい!」

 

 

 徐々に自虐に入りかけた頭を元に戻し、再び状況に目を向ける。残り時間は二十数分。こんなところでくだらないやり取りをしている場合ではなかった。

 

 

「来い、ジャノビー! ツタで適当に縛り上げててくれ!」

「ジャノ!」

「な、うげぇっ!!」

 

 

 言いたいことは色々とあるが、それでも言っていけばキリが無い。くそ、と地面を蹴りつけながら、朝木はスマホを取り出した。

 通話先はアキラだ。彼女たちも忙しい身であることは確かだが、愛媛県にいて最短でも五時間以上はかかる東雲たちを呼びつけることはできない。半ば苦渋の選択だった。

 

 

『もしもし?』

「アキラちゃん、俺だ。緊急なんだが、今すぐこっちに来れるか?」

『え、緊急? ……何があった?』

 

 

 朝であるからか、やや彼女の口調がおぼつかなかったものの、朝木の一言を耳にしたアキラの声は即座に引き締まった。

 

 

「レインボーロケット団の連中が避難所に押し寄せてこようとしてる。数は五十と八十。攻めてきてるのは二方向。このまま放置してたら避難所の人が皆殺しにされかねねえ」

『タイムリミットは』

「三十分……いや残り二十五分。間に合うか?」

『……無理だ。今、みんな回復中なんだ。どんだけ頑張っても……間に合うか分からない』

「え、ポケモンボックス手に入れたのか?」

『いや、じゃなくて。昨日のうちに拠点一つ潰したからそこにあったメディカルマシンを』

 

 

 この子たちはサカキと激戦を繰り広げた直後に何を当たり前のように襲撃などしているのか。

 前日の話を考えると、彼女たちは物資を届けるために一度東雲たちと合流するよう動いていたはずだ。アキラの怪我もあり、一晩休んで今朝から動こうとしている、というような状況だったとして、途中で割り込んでしまう形になってしまったのは申し訳なく思うが、いささかやっていることがブッ飛びすぎている。

 思わず朝木は頭を抱えた。

 

 

『……今から一時間、あいつらが来てから三十分か。なんとか稼いでくれ』

「三十分?」

『それだけあれば、到着できると思う』

 

 

 戦いの中での三十分というのは、相当な長時間だ。五十人を相手にそれだけの時間を稼ぐなどというのは、およそ絶望的と言っていい。

 朝木の顔が、わずかに恐怖で引き攣った。

 

 

「俺と……ヨウタ君、だけで……」

 

 

 朝木にとって、本格的な戦闘はほとんどこれが初めてと言っていい。ポケモンたちの能力もさほど高いわけではなく、幹部級の相手がいればまず負けるだろうという実力でもある。

 それでも、戦わなければ、守るべき「患者」たちが死ぬ。その事実を理解したその時――朝木は、恐怖を押し殺して口を開いた。

 

 

『無理なら、それでも――』

「いや。いや……やらなきゃ、人が死ぬんだよ。だから、やらなきゃならねえ」

『朝木……』

「でも、俺だけじゃ決心が鈍る。怖くてたまらねえ! ……だから、頼む。はっきり言って、背中を押してくれ……!」

『……っ、分かった』

 

 

 アキラとしても、強い言葉で仲間を脅すというのは本意ではない。以前は無遠慮に棘だらけの言葉を投げ掛けていたものだが、幾度も治療を受ける中でその態度は自然に軟化していた。

 だから、朝木の力が足りないのは致し方ないことだ、と無理矢理にでも自分を納得させかけていたところに差し込まれたその言葉に、アキラは驚いた。

 そして同時に、頼まれたからには――正直に、それを告げるしかない。

 

 

『――オレたちが向かうまで、なんとしてでも時間を稼げ。アンタが敵を一人でも通せば、力の無い人たちが死ぬ』

「ああ……」

『だから誰も死なせるな。死んでも守り抜け! できなきゃオレがアンタを殺すぞ! いいな!?』

「ああ……!」

 

 

 力は足りない。死ぬかもしれない。いや、死ぬ可能性の方がよほど高いだろう。

 相手は五十人超の集団だ。普段ポケモンたちを鍛えることをおろそかにしているレインボーロケット団員の下っ端であっても、朝木にとってはその一人一人が脅威そのものとしか言いようが無い。

 

 逃げたい。自分の命を守らないと。どうせ俺には無理だ。そんな意思が渦を巻いて――最後に、避難所で出会って、よくしてくれた人たちの顔が思い浮かぶ。

 彼らを、彼女らを、死なせていいのか?

 

 

 ――――やがて訪れかねない末路を考えたその時、朝木は生まれて初めて、「保身」を捨てた。

 

 

「分かった、守り抜く! アキラちゃんたちも、頼む。急いでくれ!」

『当たり前だ!』

 

 

 そう言うと、アキラは準備のためにかすぐに通話を打ち切った。

 つー、つー、という等間隔のビジートーンが鳴り続ける。朝木は恐怖と絶望感で狂いそうになる心を抑えつけるために、自分自身の頬を殴りつける。

 

 

「レイジさん!?」

「……ヨウタ君。怪我してるとこ悪ぃけど、後ろの方の道、任せてもいいか」

「い、いいけど……まさか、本気!?」

「今俺がやらなきゃここで何人殺されるんだよ。逃げ場なんて無いんだ、だったら、やるしかねえだろ!」

 

 

 半ば絶叫めいたその声に、ヨウタは「みんなと一緒に逃げてほしい」という本能を理性で押しとどめた。

 確かに、朝木が前方の五十人を押し留めることさえできれば、挟撃を避けてそのまま突破する目が出てくる。

 しかし、そのためには――――。

 

 

「死ぬかもしれないよ」

「分かってるよ」

 

 

 アキラほどの身体能力や戦闘技術があるわけでもなく、ヨウタほど強いポケモンを従えているわけでもない。戦闘勘にも欠ける。そんな彼が真正面から五十人もの敵と当たれば、ちょっとしたきっかけで死ぬ可能性は高い。

 それでも、と朝木は先のアキラの言葉で沸き立つ胸を強く押さえた。

 

 

「けど守り抜けなきゃ俺、アキラちゃんにぶっ殺されっからな」

 

 

 あくまで「それ」を言わせたのは朝木自身だ。しかし、この旅を始めるきっかけとなった彼女の口から言ってもらったことで、どこか朝木は自分の背中を押されたような気持が湧いていた。

 

 

「背中は任せてくれよ。俺も『大人』だからな。年下の東雲君たちがちゃんと『大人』をやってるのずっと見てきてんのに、俺ができなきゃ死んだほうがマシだぜ」

 

 

 無理に笑って見せる朝木の顔を見ると、ヨウタはそれ以上何も言葉を告げることができなかった。

 代わりに、彼に一つボールを投げ渡す。ラー子のボールだ。

 

 

「任せるよ」

「――おうよ!」

 

 

 レインボーロケット団の襲撃部隊がやってくるまで、残りニ十分と少し。

 その間、彼らは必死に避難所にいる市民の準備を整えていった。

 

 



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誰もふみつけさせぬと誓って

「――俺と一緒に死んでくれ」

 

 

 避難所の学校グラウンドに展開した自らの手持ち四匹の前で、朝木は開口一番そう告げた。

 ふざけた話だ、と彼自身も自嘲する。アキラたちの勧めもあって、これまでなんとかまともに人として接するように心がけてはいたものの、それでも全員と正しく心を通わすことができたわけではない。だというのに、彼の口から飛び出したのはある種の集団心中にも等しい一言だ。

 冗談ではない、と口を揃えて抗議される可能性はあった。むしろ、関係性を考えればそうなっても仕方がなかったと言えるだろう。

 

 それでも、彼らは何も言わず、まっすぐに朝木を見つめていた。

 

 ――ゴルバットを除き。

 

 彼は他のポケモンたちと比べてどこか遠巻きで、輪の中に入っていく様子が無い。ただ周囲が明るいというだけでは説明のつかないことだが、それでも朝木は仕方ないと考えた。個々の性格だけは、どうしようもないことだ。

 

 

「ヨウタ君のフライゴンの力を借りることはできる。けど、一匹だけ突出して強くてもどうしようもねえ。囲んで叩かれたら終わりだ」

 

 

 アキラたちはさも当然のようにそういった危難を乗り越えて見せるが、一般人はそういうわけにはいかない。「数」という圧倒的な力を覆す個の力を、朝木は備えていないのだ。

 フライゴン――ラー子は前提としてヨウタのポケモンである。戦闘の一助にはなってくれるだろうが、それ以上のことは期待できない。朝木の指示能力が低いことも含めて、突出してラー子の能力が高いからこそ、朝木がその足を引っ張りかねないのだ。

 そうして瓦解したところから押し込まれ、全滅する。朝木には嫌でもそのビジョンが見えていた。

 

 

「だから、逃げたきゃ逃げていい」

「ニュァ?」

 

 

 しかし、そこで想定外の言葉がかけられる。

 四匹の顔に疑問符が浮かぶのを見て、朝木は苦笑した。

 

 

「俺は強制したくねえ。死にたくないのは誰だって同じだ……まあ、フライゴンは強ぇーから、俺らがどうこうなっても逃げきれっけどさ」

 

 

 ――――どうする?

 

 問いかける朝木の声に、応じたのはゴルバットだった。

 彼は一瞬逡巡するような様子を見せるが、それでも彼は一つ鳴き声を発して――その場から、飛び去った。

 

 あるいは、ヨウタはこうなることを見越して飛行能力を持つラー子を預けたのかもしれない、と。朝木は一瞬寂しそうにその様子を見届けるが、他の三匹がその場に残ったことを見ると、少しだけ泣きそうな顔で彼らに笑いかけた。

 

 

「悪いな。俺なんかに付き合わせちまって」

「ニュラッ、ニュッ!」

「……悪ぃ、何言ってんのかサッパリ分かんね」

「ニュアッ!!」

「うげえ!」

 

 

 波動も使えない、接した時間も濃密ではあるがそう長くはない、と。基本的に彼はポケモンが言わんとしていることが理解できない。

 ニューラとしては「もうそんなことは気にするな」と言いたいのだが、よりにもよって朝木自身に「お前何言ってんの」と言われてしまえば怒るものだ。

 それでも、彼女はその場にいることを選んだ。朝木が突き出した拳に応じる――ことはしないが、それでもその表情に陰りは無かった。

 

 

「ジャノビー、ウデッポウ。お前らも、頼むぜ」

「ジャーノ」

「…………」

 

 

 ウデッポウは声を上げて応えることをしなかった。先日朝木に鳴き声のことを言われたことが存外堪えたようだった。

 ジャノビーは普段と変わらぬ不遜な態度で朝木を見上げている。その変わらなさすぎる態度に朝木はむしろ頼もしさを覚えた。

 

 

「うっし。そんじゃ……」

 

 

 行くか、と務めて冷静に呼びかけようとして、朝木が自分の手が震えていることに気が付いた。

 恐怖だ。

 この期に及んでまだ怖がってやがる、と彼は臆病風に吹かれかける自分を殴りつけたい衝動に駆られた。

 

 

(今の俺らより圧倒的に力量(レベル)の低かったアキラちゃんたちが単独で敵陣に突っ込んでったけど、あの子らマジどんな心臓してんだよ……)

 

 

 本人に問えば、「できることをしているだけ」と言うのだろうが、仮に同じ能力があったとしても、朝木はそこまでやれる自信は無かった。

 しかし、そうして行動したことで、少女(アキラ)は確かな結果を出している。なら、大人(朝木)がそれに追随しないわけにはいかなかった。

 

 

「……行くぜ」

 

 

 拳を握り、無理矢理に震える手を抑えつけ、朝木は前に一歩足を進めた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 反抗勢力の急先鋒たる七人の中で、最弱に数えられるのは間違いなく朝木レイジだ。

 彼らを支えるための専門的な技能こそあるが、精神薄弱で戦略眼に欠け、ポケモンたちも自衛目的以上に鍛えられていない。周囲に引っ張られて「自衛」に求められる基準こそ際限なく高まりつつあるが、それでも他の六人と比べれば欠点が多すぎるのだ。

 

 簡単な仕事だ、とレインボーロケット団の下っ端たちは、嘲りを込めて呟いた。

 彼らにとって、「反逆者狩り」は重要な任務だ。これを一つ成し遂げるだけで幹部への昇格が叶うともされている。しかし狙いとなるのは、後ろに隠れて震えている臆病者。かのアサリナ・ヨウタと当たる可能性も否定できないが、彼は負傷中の身。本名不明の「白光(びゃっこう)」、「血判(けっぱん)」といった怪物と比べれば、なんと簡単な相手だろうか。

 

 五月も中旬から下旬に差し掛かろうかという、梅雨を目前にした時期。

 アクア団の支配する徳島県となれば、多少道路が濡れていたりしても、それはごく自然なことだ。

 

 ――だからこそ、レインボーロケット団員の下っ端たちは、油断する。その油断こそが、周囲の状況に気を配るという、当たり前の思考をおろそかにさせていた。

 

 

「……?」

 

 

 一人、隊列からやや離れた位置を歩く男がいた。彼は削れたアスファルトに溜まった泥水を見て、何やら言い知れないものを感じ取った。

 ポケモンたちが野に放たれた今、そんなものはどこにでもある光景ではある。野生のポケモン同士のいさかいや、鉄よりも遥かに硬いポケモンが激突した、などだ。しかし、男はそれを「そういうもの」だと判断することをためらった。ひとりでに、ごくわずかな波紋が水面に立ったからだ。

 風にあおられて小石が落ちたか、あるいはただの見間違いか。首を傾げた男に、先行する団員が声をかける。

 

 

「おい、置いていくぞ!」

「あ、悪い」

 

 

 その思考が遮られ、彼らは再び避難所に向かって歩き出す。その顔には、弱者をいたぶって遊んでやろうという下卑た笑みが浮かんでいた。

 彼らの士気は高い。故にこそ、彼らは見落とす。その水たまりが、濁っているため分かりづらくとも相当な深さがあるということを。それが人工的(・・・)に造られた水たまりであることを。

 そこに、一匹のポケモンが潜んでいるということを。

 

 ――ぎちり、という金属が擦れ合うような音がする。それに反応できたのは、数名とそのポケモンのみ。いずれも水たまりから近い位置にいた。

 絶好のカモである。

 

 

「――――!!」

 

 

 言語化できない叫びを発しながら、泥水の中からウデッポウがその身を躍らせ、「みずのはどう」を放った。

 

 

「ギャンッ!」

「な……ぶわあっ!!」

 

 

 その威力は見た目ほどに大したものではない。威力ではなく、効果範囲のみを追求した一発だ。身体のやや小さなウデッポウ自身にも大きな負荷をかける技だったが、そうして団員たちが頭からずぶ濡れになったことで「仕込み」は終わった。

 

 

「今だニューラ、『ふぶき』!」

「ニュ……ラァァッ!」

「ギイイイイイイッ!」

「ぎゃああああああっ!」

 

 

 そうして襲い掛かるのは、ニューラが巻き起こす極低温の風だ。

 滴り落ちるはずの水が急激に凝固し、顔に張り付いて鼻や口を塞ぐ。あるいは目に影響を受けている者もいるだろうか。服や靴が凍り付いて行動不能になった者の姿もあったが、そこまで被害を与えられたのはせいぜいが十人に満たない程度のものだった。

 

 

(減らねえ!)

 

 

 朝木は泣きそうになった。ひとつのパーティで何十人もの敵をひと息で蹴散らして見せるヨウタやアキラの姿を見慣れているせいで、感覚がマヒしていたのだ。「もしかしたら俺でも」という幻想は即座に砕かれた。

 

 

(どうする? 退くか? いや――)

 

 

 周囲には草むらや木々がある。避難所も山に近いため、不用意に距離を取ればデルビルなどのほのおタイプのポケモンの技によって延焼し、大規模な山火事が発生する可能性もあった。

 レインボーロケット団員たちも火に巻かれることは確実だが、彼らにそこまで先のことを深く考えられるような頭があるなら、そもそもレインボーロケット団になど加入していない。目先のことだけにしか目が行かないからこそ、下っ端という地位に甘んじているのだ。

 何より朝木自身、同じ立場ならそういう手段を採ることもありうる、と確信しているのもあった。自分がやるなら敵も、ということだ。ならば。

 

 

「前に出ろッ!」

 

 

 集団に近づくように、前に出ること。

 目先のことにしか目がいかないのなら、これも「目先のこと」にしてやればいい。自分に燃え移る可能性があると見れば、彼らも流石に躊躇する。

 そしてもう一点。朝木の走り方は硬く、へっぴり腰そのものだったが、だからこそ相手には「大したことの無い相手」という風に映る。ここだと思った位置に朝木がついたその瞬間に、敵のリーダー格と思しき男が口を開いた。

 

 

「殺せぇぇぇっ!!」

 

 

 わっ、と勢いよく黒服の男たちとそのポケモンが朝木に向かって殺到した。

 

 

(早まったかも。俺死んだわ)

 

 

 というのが、その光景を――まるでポケモンたちがそのまま壁になって迫りくるような、迫力満点の情景を見た朝木の頭に湧いた感情だ。

 コラッタ、デルビル、ポチエナ、ドガース……数々のポケモンがひと塊になって迫ってくる様は、恐怖そのものだ。

 単純に数の差だけを見ても、百倍はくだらない。本来なら勝ち目のない戦いだ。はっきり言って、彼は今すぐ逃げてしまいたかった。

 

 それでも必死の形相で、髪が貼り付くほどに冷や汗を流しながらもその場に両足をつけて立っているのは、自らが退けば後ろで誰かが死ぬということを理解しているからだ。

 朝木がヨウタの実力を疑うことは無い。更に言うなら、彼は自信の無さと引き換えに仲間たちの実力に全幅の信頼を置いていた。ヨウタが突破に成功するのはもはや当たり前の、言うなれば前提条件だ。朝木自身の作戦の成否こそが、死人が出るかどうかの分水嶺だった。

 

 その姿を見て、黒服たちはほくそ笑む。この戦力差に挑んでくるなど、愚か者にしても甚だしい、と。

 

 

「ホラ、また油断した」

 

 

 ――そして、その嘲弄を最も歓迎していたのは、他ならぬ朝木だった。

 彼は弱い。それは事実だ。だから、できるなら下限ギリギリいっぱいまで侮って思考停止してほしい。そうした方が、どんなにか稚拙な策であっても勝手に「刺さって」くれるのだから。

 

 

「フラァァッ!」

「――――な」

 

 

 次は、黒服たちの顔と肝が凍り付く番だった。

 フライゴン――ラー子が突如として上空から現れる。ひと塊になったポケモンたちに向かって叩き込まれた「ドラゴンダイブ」は、その場にクレーターを穿ち、およそ半数のポケモンたちを「ひんし」に追い込むほどの威力を発揮して見せた。

 

 

「ふ……フライゴン!? まさか、あのアサリナ・ヨウタの……!」

「嘘だろう!? 何で自分のポケモンを、よりにもよってあんなザコに……がぁぁ!」

「ザコだからこのくらいしねえと勝てねえに決まってんだろバァァァァァカ!!」

 

 

 優位に立ったと確信した朝木は、小学生じみた語彙で黒服たちを思い切り煽り倒す。

 事実、彼は弱いからこそ(・・・・・・)戦力となるラー子を預かっている。だが、それはレインボーロケット団員から見れば、到底理解できることではない。

 

 ――自分の(ポケモン)を他人に預けるなんて。

 

 レインボーロケット団は悪人の集団だ。互いが互いを出し抜き合い蹴落とし合うという悪の巣窟において、団員同士の信頼・信用など角砂糖よりも脆いものと言って過言ではない。

 ひとたびポケモンを貸し出そうものなら、借りた人間が雲隠れし、違う派閥に乗り換える……などということは日常茶飯事である。欲したものは奪うというのが、彼らの大原則だった。

 これが例えばランスのような、どちらの価値観も想定して行動できる者なら、この展開も予測できた範囲だったと言えよう。しかし、今この場にいる者の基準は常に「自分」だ。故に、彼らはある程度複雑な思考を求められる幹部格に至ることができない「下っ端」でしかないとも言えた。

 

 

(こいつらの考えるくらいのことなら、手に取るように分かる! たりめーだ、俺だって似たようなもんだからな……!)

 

 

 朝木は自分が善良な人間ではないと自覚している。保身的で、自己中心的。それはレインボーロケット団の下っ端の感性とほど近く、一度は彼らと同じところまで身を落としたことからも明らかだ。

 だからこそ、レインボーロケット団員の行動は、彼にとっては非常に読みやすいものとしか映らない。

 

 

「よし、ジャノビー! 『グラスミキサー』!」

「ジャーノッ!」

「フルルル――――!」

「ニュウウ――ラッ!」

 

 

 目先のラー子に注視していた彼らの背後からジャノビーが飛び出し、刃のように硬質な葉を巻き込んだ強烈な空気の渦を放つ。

 これに呼応したのはラー子とニューラだ。「すなあらし」と「ふぶき」を更に別方向から挟み込むように放つことで、この一帯に凄まじい規模の爆風が巻き起こった。

 

 

「ギャワンッ!」

「ひっ……ぎゃあああああっ!」

「アオオオ――――――ン!」

「うっ、うおおあああああああっ!」

「ち……近くのものに掴まれぇぇぇぇ!!」

 

 

 大型車すら容易に吹き飛ばしかねないほどの威力を誇る上に、極低温で凍り付いた葉が肉を切り裂くという地獄のような竜巻だ。人が、ポケモンが、紙きれのように巻き上げられ吹き飛ばされていく。

 敵にとっても悪夢のような技になったが、朝木にとってもあまり望ましい光景ではない。落下した時、打ちどころが悪ければ想像よりも容易に人は死ぬのだから。

 

 とはいえヨウタの例もある。この竜巻よりも遥かに規模も威力も大きいイベルタルの「ぼうふう」を受けてなお、彼は肋骨や手指の数本を折る程度で済んだのだ。「あちら」の世界の人間はかなり頑丈であることがうかがえる事例だった。

 

 

「こっちだって死にたくねえんだ、手足の一本や二本、悪く思うんじゃねえぞ……」

 

 

 落下した男たちの腕や足から鳴るバキ、メキという音に、元医療従事者としての朝木の側面は、強く抵抗を感じた。怪我人を増やすようなことは、彼にとっても本意というわけではない。

 

 

「このゴミがああああああッ! 行け、オコリザル!」

「加勢する! リングマ!」

「!」

 

 

 そんな中、暴風から逃げ延びた運――と、そして実力を備えた団員のうち二人が、新たにポケモンを繰り出してくる。いずれも相応に高いレベルがあって初めて進化するポケモンだった。

 

 

「くっそ手に負えるかあんなの! すまねえフライゴン、頼――――」

「――――!!?」

「ッ!?」

 

 

 自分のポケモンたちでは手に負えない可能性がある、と察した朝木の反応は早かったが、それよりも遥かに早くラー子の姿が彼の視界から突如として消失した。何らかの攻撃によって吹き飛ばされたのだと気付いたのは、先にいた位置から数十メートル先の上空にフライゴンの体色特有の緑色を目にした時だ。

 目で追い切れないほどの速度で動くポケモンがいる。それは間違いないことだ。

 

 

(……マズい、マジで見えねえ! 目で追い切れねえのは当然だが、それどころか何も認識できねえって時点でおかしい! コケコ以上の速度だと!?)

 

 

 朝木の知る限り最速のポケモンは、雷とほぼ同じ速度で動くことができるカプ・コケコだ。雷の実際の速度は本当の意味での光速には遥かに劣るものの、それでも秒速200kmという凄まじい速度だ。朝木が知る限りそうした動きをされると目に線のようにして「焼き付く」ものだが、ラー子を吹き飛ばしたポケモンはそれすら無いほどの規格外の速度を有している。

 

 

(コケコと同レベルの速度を出すには準伝から伝説レベルの種族的な強さが必須。一般ポケモンじゃヨウタ君レベルで鍛えねえとそこまでの速度は出せねえ。考えろ! ゲーム基準で考えてもしょうがねえのは分かってる指標にはなる。種族値130以上の伝説、準伝、UB……)

 

 

 ゲームと同様に考えるべきではないというのがヨウタの言葉だが、それでも朝木は多少、それが基準になるということもこれまでの戦いの中で知っていた。

 彼は応用力が必要な「知恵」は他のメンバーより劣るが、「知識」だけは誰にも負けないものを持っている。ポケモンの知識に関しても、ヒナヨに比肩するほどだ。

 

 

(……三択! デオキシスはアキラちゃんたちが確保してる、ゼラオラは「雷と同じ」って明言されてる以上コケコと実質同速! ってことは――フェローチェだ! 間違いねえ! アキラちゃんが戦ったっつーUB使いの……日本人の裏切り者がいるって部隊の連中か!?)

 

 

 彼にとっては最悪の展開だった。ヨウタの存在を前提に考えると、当然と言えば当然のことではあるのだが、一度攻撃を受けただけでも総崩れになりかねない朝木の側から見ると、速度に特化しているフェローチェは特に相性が悪い。正面から戦いたい相手でも、ましてや戦える相手でもなかった。

 

 

「そっち頼む!」

「……!」

 

 

 顔を上げて視線を寄越せば、ラー子は「任せろ」とばかりに頷いて見せた。

 

 

「ジャノビー、ウデッポウ、その二匹は頼む! ニューラ、周りの連中を近づけさせないでくれ!」

「ニュラ!」

「ジャノ!」

「――――」

 

 

 代わって、前に出るのはジャノビーとウデッポウだ。圧倒的に体格で劣る二匹が自然と気圧され、上から見下されるかたちになるが――それを許せないと感じたのが、自尊心の強いジャノビーだった。彼は上空から体ごと叩きつけるように突き出した「クロスチョップ」を素早い身のこなしで躱すと、尾先の鋭い葉を用いた「リーフブレード」でオコリザルの背を切りつけた。

 

 

「ゴァッ!!」

「――――!」

「グッ、キィィッ!」

 

 

 激昂したオコリザルに、ウデッポウから文字通りに冷や水(みずのはどう)が浴びせられる。先に使った範囲を重視したものではなく、正しく「技」として完成している高威力の一撃だ。虚を突くように顔面に――そして、正面に開いている鼻の穴にそれを直に受けてしまったオコリザルは、その瞬間にわずかに視界と嗅覚とを同時に潰された。その不快さと、感覚の二つが同時に潰されるという異常事態によって「こんらん」したオコリザルは、周囲に当たり散らすように拳を振るった。

 

 

「ブッ……キィィィ―――――――!!」

「グ……ガッ!」

 

 

 そのあおりを受けたのは、他ならぬリングマだ。腹部にオコリザルの拳が突き刺さり、その身がのけぞる。

 本来ならトレーナーがこの機を見計らって指示を出すところだろうが、朝木にとっては「ここから強引な反撃が来るかもしれない」という事実は指示を躊躇させるに足るものだ。だからこそ、そのことを理解しているポケモンたちは、わずかに言葉をかけるのを躊躇した、その心の機微を読み取って自ら動く。

 

 

「ジャノォッ!」

「ゴアァッ!!?」

 

 

 リングマの上に回り込んで、その体重ごと押し潰すような「たたきつける」。その腹部に拳を突き込んでいたオコリザルもまた、それに巻き込まれて地面に顔を叩きつけられることとなった。

 

 

「くっ……お前! ……何してる! リングマ、そのザコ共を殺せ!」

「チィィ……オコリザル、目を覚ませ!」

「正面からの殴り合いは避けろふたりとも!」

「ジャノノッ」

 

 

 そんな分かり切ったことを言うな――とばかりに、ジャノビーはニヤリと朝木に笑みを向けた。

 相手の二匹と異なり、ジャノビーとウデッポウは共に訓練を行う機会が多いこともあって、巧みに連携をして相手を手玉に取っている。このまま戦う上で、負ける要素もそうはない。

 

 あるいはいけるかもしれない、と朝木自身も僅かに気が抜けるのが分かった。

 同時に本能的に「マズい」と思い至る。戦場で気が抜けることもそうだが、何よりもそう、フェローチェ――と思しき影を繰り出した団員がいるはずなのだ。

 どこだ、と周囲に視線を巡らせようとしたその瞬間。

 

 ――彼とポケモンたち四匹をまとめて巻き込んで、凄まじい威力の水流が襲った。

 

 

「う、お、だああああああああああっ!!?」

 

 

 肺の中の空気が全て吐き出されるような錯覚を覚え、全身の骨が軋む。路肩の木に激突するようなかたちで押し流されるのは止まったが、ジャノビーとウデッポウが朝木を庇うように彼の下敷きになっていたため、二匹は目を回してしまっていた。

 当の朝木自身も、状況に適応しきれておらず頭は混乱しきりである。こんな状況で追撃が来てはマズい、と思ったところで、彼の前にニューラが回り込んで、水を放ったポケモン――ガマゲロゲをけん制する。ニューラに内心で感謝しながら、朝木はこの状況に割り込んで来た人間を探した。

 

 

「やっ……べ……げ、はっ……クソ、どっから……」

「ようやくご到着ですか、朝木(・・)さん」

「そう言うな。こちらにも用事があったのだからな。それにしても――」

「……な――――」

 

 

 そうして、彼は目にする。

 自身とよく似た黒髪を短く揃え、レインボーロケット団の制服の上から「白衣」を着込んだ眼鏡の男だ。

 彼のことを、朝木はよく知っていた。

 

 

「兄……貴……」

「久しいな、レイジ」

 

 

 ――朝木レイジの実兄、朝木コウイチ。

 

 

「無様なことだ」

 

 

 現職の医師であり、朝木の知識と価値観に強い影響を与えたその男は、冷たく嘲るような視線を実弟に送っていた。

 

 

 








〇雑記

 いつも誤字報告・感想・評価ありがとうございます。

Q.急に兄貴が生えてきた?
A.51話(いやしのねがいを~)で話の流れでボソッと明かしてます。
ちなみに名前も漢字に変換するとレイジ→黎二で次男でした。



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いのちがけの絶対防衛線

 

 

 ――無様なことだ。

 

 嘲るような、憤るような一言が、朝木の頭の中で幾度となくリフレインする。

 かつて病院を去る時に聞いたものと全く同じ言葉に、彼は一瞬目の前が真っ暗になるような錯覚に襲われた。

 

 

「お前のような考え足らずの愚図は、情勢をよく見て勝ち馬に乗れなければどこでも生き残れないと、散々言い聞かせてきたというのにな。脳味噌まで医局に置き忘れてきたか」

「…………」

 

 

 声が出ないことに、朝木は気付いた。当然だ。今目の前にいる男は、彼にとってあらゆる分野で上を行く人間だ。学問も、運動も、遊びでさえも、(レイジ)(コウイチ)に一度として勝った覚えがなかった。

 その上、研修医を辞めるきっかけとなった医療ミスを指摘し、糾弾したのは他ならぬコウイチだった。精神的な委縮は相当に大きい。

 それでも、衝撃と混乱で痛む頭を押さえながら朝木はその場に立ち上がった。

 

 

「んなこと……どうだっていいじゃねえか……」

 

 

 本来なら、朝木は当初、レインボーロケット団をこそ「勝ち馬」と認識して彼らのもとに身を寄せていた。少なくともその時は、彼は「コウイチの知る」朝木レイジだっただろう。

 しかし、今はそうではない。だからこそ、朝木自身はそれを「どうでもいい」と見做した。考え方という前提条件が変わってくる以上、この議論に意味は無い。

 不意に、朝木の頭に言葉が想起させられる。

 

 ――アンタが敵を一人でも通せば、力の無い人たちが死ぬ。

 ――だから誰も死なせるな。死んでも守り抜け!

 

 ひどく乱暴な言葉だった。何よりそれは朝木が言わせてしまった言葉で、彼女の本心から出たものではない。

 それでも、だからこそ彼は奮起した。萎えかけていた戦意を奮い立たせ、兄を――「敵」を正面から見据えた。

 

 

「け……形式的に、聞いとくぜ、兄貴。いったい何しに来た」

「出来損ないの愚弟(ゴミ)を処分し、しつけのなっていない異世界人(ガキ)を駆除しに、出涸らしの老人(カス)を廃棄に――だな」

「ああ」

 

 

 それは、ある意味で最も聞きたくない言葉だった。

 そして同時に――コウイチならば言いかねないという言葉だ。

 朝木はそのことをよく知っている。厳格な父から目をかけられていたコウイチは天才的な外科医としての腕前を持っていたが、同時にそのことを鼻にかける高慢な性格だった。朝木自身も彼からどれほど見下されて育ったことか。

 

 何より、彼は俗物だった。

 

 際限なく金や名誉というものを欲し、保身のために他人を蹴落とし、貶めることができる人間だった。

 故に、彼がレインボーロケット団に寝返ったことも必然としか言いようが無い。

 

 

「聞かなくてもよかったわ」

 

 

 万が一、億が一の低い可能性でも、一応は肉親だ。あるいはと考えた朝木の考えはその場で即座に切って捨てられた。

 同時に、彼は自分の頭の中で太い何かがぶちりと切れるような音を聞いた。

 

 

「ざけたこと言ってんじゃねえぞクソ兄貴がテメェ!! 俺の患者に手ェ出そうとしてんじゃねえッ!!」

「医者でもないお前に患者? 図に乗るな、愚弟(ゴミ)が」

 

 

 ――その言葉の応酬こそが、再び戦いの火蓋を切って落とす引き金となった。

 

 朝木と共に倒れ込んでいたジャノビーとウデッポウも、彼の怒気に引きずられるようにして武者震いの如く身をわずかに震わせる。

 「だくりゅう」に巻き込まれていたオコリザルとリングマも遅れて飛び上がり、ガマゲロゲの横に立つように布陣した。そうして直後――機先を制するべく動いたのは、朝木の三匹のポケモンたちだった。

 

 

「俺たちじゃ守りに回ったら勝てねえ! 攻めろ!!」

「大声で弱点を漏らす趣味でもあるのか? 能無しめ」

「うるせえ!」

 

 

 朝木自身、はっきりと口にすることは憚られたが、同時にそうすることでしかポケモンたちに自分たちの致命的な弱点を伝える術はないとも理解していた。

 そもそも、このようなことは既に分かり切ったことだ。言葉にするまでもなく、コウイチなら理解しているだろう。既に伝えない理由は無かった。

 

 

(相手は全員ゴリゴリのアタッカー……! 押されれば押されるだけこっちは不利になる!)

 

 

 そもそも、レインボーロケット団全体の求める気質自体は大きく「強さ」に傾いている。一人一人の人間も自己顕示欲や上昇志向が強く、サポート向きの人員はほとんどいないと言っていい。仮にそれを考えるとするなら、幹部にのし上がって以降のことだろう。

 コウイチも例に漏れず、また、生来の気質もあって攻め気が非常に強い。故に。

 

 

退がれ(・・・)!」

「何……!?」

 

 

 激突するべきところで一度退くことで、容易に体勢を崩すことができる。

 僅かに前のめりになったオコリザルとリングマを、ジャノビーとニューラが飛び上がって上から叩きつけるように地面に押し倒す。ガマゲロゲが唯一、ウデッポウによる足止めを受けそれらに一歩遅れた位置で立ち往生させられることとなった。

 

 

「ジャノォッ!」

「ゲロガッ!」

「――――!」

 

 

 その瞬間をジャノビーが見定め、オコリザルを踏み台代わりに跳躍。その両腕に風を纏わせ、ガマゲロゲに「グラスミキサー」を叩き込もうとし――瞬時に、ツタを用いて体勢を変更。空中で更に飛び上がるようにして、標的をコウイチに(・・・・・)絞り込む。

 

 

「くたばれクソ兄貴ィ!!」

「ガマゲロゲ!!」

「ゲァァァァァッ!!」

「ジャノッ!?」

 

 

 そうした次の瞬間、ガマゲロゲが跳んだ。

 短い四肢に似合わぬ極めて速い跳躍だ。彼は上空で「グラスミキサー」の発動を目前にしたジャノビーの足を掴み引き寄せ、その腹に勢いよく拳をみまった。「どくづき」だ。

 腕から放出した毒が周囲にびちゃびちゃと飛び散り、ジャノビーが苦悶に息を漏らす。しかし、その目には未だ戦意がみなぎっていた。

 

 

「『リーフブレード』だ!」

「ジャノノッ!」

「ゲロガアァッ!」

 

 

 あえて自らの内側に引き込むような一動作。その直後、ジャノビーは尾を器用に動かし、体を捻りながらその先端部の葉をガマゲロゲに突き込んだ。

 「斬る」ではなく「突く」――分厚い皮膚に覆われたガマゲロゲも、これには苦悶の声を漏らした。

 

 

「リングマ、『きりさく』!」

「ガアァァァアッ!」

「! ニュラッ!」

「グマァッ!?」

 

 

 そこへ割り込もうとしていたリングマをニューラが「だましうち」によって牽制する。朝木の指示を必要とせず、自身の感覚によってのみその体術は繰り出されているが、極めて直線的な力押しでしかないリングマの攻撃がニューラに当たる気配は無い。その様子に、思わず下っ端の一人は声を上げた。

 

 

「ポケモンが自ら……!」

 

 

 どんなに賢いポケモンであっても、戦闘中に俯瞰的にものを視るのは難しい。戦術的な行動を取るにはどうしても強い無理が出る。だからこそ、トレーナーという存在が必要になるのだ。指示を必要としないのはつまり、ポケモンがトレーナーを必要としていない……単純に命令を聞かないか、あるいはポケモンがトレーナーの考えと限界をよく理解した上で、自らよく考えて行動しているということだ。その負担の度合いは当然のことながら普通に戦うそれと比べて跳ね上がる。

 ――同時に。

 

 

「低能の浅知恵だな。レイジ、貴様が指揮できるポケモンは一匹だけなのだろう」

「………………」

 

 

 指示を「しない」ではなく、「できない」。

 朝木は一切言葉を発しなかったが、その顔色の悪さを見れば否応なく理解させられる。

 

 

「ウデッポウ、『みずのはどう』!」

「――――!?」

 

 

 しかし一方で、告げる必要の無い事実まで口にする必要は無い。まだコウイチの言葉は推測の域を出ていないのだ。まだ隠し通す目はある――そう考えての指示。しかし、彼の意思に反してウデッポウは射撃を行うことをしなかった。射線上にジャノビーがいたためだ。

 

 

「だから浅知恵だと言っただろう」

「しまっ――――」

「オコリザル、やれ!」

「ウッキャアアァッ!」

「うっ、だぁぁぁっ!!」

「む……」

 

 

 朝木はその攻撃を、体を思い切り捻って泥だらけの地面に倒れ込むことで躱して見せた。

 更に代わるように、先に命じられていたウデッポウの「みずのはどう」がオコリザルの身体を吹き飛ばす。面目躍如とも言える一撃の余波で頭から水を被りつつも、朝木は再び泥だらけのまま立ち上がった。

 これもヨウタに教わった「戦い方」の一つだ。トレーナーとして、ポケモンの攻撃をとにかく回避すること。人間を身体能力で圧倒的に上回るポケモンたちに狙われた時、みっともなくてもとにかく逃げ回り、致命的な怪我を負わないようにするために体力づくりに励んでいたのだ。

 

 

「逃げるのだけは上手いようだな。流石はたかだか患者(カモ)を一匹殺しかけた程度で怯えて逃げ出すドブネズミと言ったところか?」

「俺は俺が……ペッ! 取るべき責任を取っただけだ!」

「お前一人の首程度で責任? おめでたい頭だな。お前などと同じ血が流れていると思うと反吐が出る」

「……ジャノビー! 『グラスミキサー』!」

「ジャァノッ!」

「ゲゲゲガァッ!」

 

 

 分かり切ったことを言うな、という思いに代わって命じられた攻撃は、寸分狂わずガマゲロゲの顔面へと叩きつけられた。

 膨大な量の葉が視界を遮り、あるいは眼球を切り裂かんとするが、ガマゲロゲは両腕でそれを防ぐことで被害を最小限に抑えていく。

 その様子は、場当たり的な対処だと一目で分かるほどに稚拙なものだ。コウイチのみならず、周囲の下っ端もまた朝木を嘲るような視線を送った。

 

 

「図星を突かれて暴力か。猿にも劣る低能ぶりだな――()れ」

「ケェェェ――――ッ!!」

「!? ガッ!!」

 

 

 次の瞬間、上空から四匹目(・・・)のポケモンが飛来する。朝木の肩を抉り、翼を叩きつけて駆け抜けていくその姿は、猛禽類のそれに似ていた。

 ――バキン、と。吹き飛ばされるその刹那、彼は自らの首筋からそんな音が響くのを聞いた。体がずたずたに引き裂かれそうなほどの衝撃の中、地面に激突すると共に奥底から燃えるような痛みがこみ上げる。

 

 

「あ、ぎ、があっ、あ゛ああああああああああああああッッ!!」

 

 

 ――痛い。

 ――痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!

 

 これまでの人生の中で痛みというものから目を逸らし、可能な限り逃げてきたツケとでも呼ぶべきか。その痛みはあまりにも鮮烈で、掻き毟るようにして彼の心へ刻み込まれていく。

 

 

「フ……フフフ……ハハハハハハッ! 無様なものだなあレイジィ……! その反応、鎖骨でも折れたかぁ?」

 

 

 悲痛な様相に、しかしコウイチは一切同情を向けることなく嘲笑だけを送る。

 彼の表情は、これ以上ないまでに優越感とドス黒い悦楽に満ちていた。

 

 

「ぎぃ……が、あああ……ぐっ、む……ムク……ホーク……!」

 

 

 薄れかける意識と視界の中、朝木は再び空へと戻っていく伏兵の正体を見た。

 もうきんポケモン、ムクホーク。「(ホーク)」の名を関するその能力は、やはり猛禽のそれに似て力強く、素早く、何よりも視力に優れている。人間一人仕留めるなど、彼にとっては造作も無いことだった。

 朝木が生きているのは、ヨウタの特訓が功を奏した形になるだろう。

 

 

「フン、無駄に避けなければ頸椎を砕いて気付く間も無く息の根を止めてやったものを。生きている価値も無いくせに生き汚いだけの見苦しいゴミめ。だがもう終わりだ。殺せ!」

「ぐっ……う、う゛ああああおお゛お゛お゛ぉぉっ!!」

 

 

 ――こんな奴に、殺されてたまるか。

 

 痛みを誤魔化すように叫び声を上げ、無事だった左腕を必死に動かして立ち上がろうと朝木はもがく。涙と鼻水と泥でグチャグチャになりながらも、彼はまだ足掻く。

 ジャノビーやウデッポウもまた、彼を救うために必死に足を動かす。技のエネルギーをチャージする――しかし、このままでは間に合わないことは明白だ。

 

 今のまま(・・・・)では、届かない。

 

 その事実を認めた瞬間、ポケモンたちの心臓がどくんと跳ねた。

 

 本当に今、自分たちは最善を尽くしていると言えるのか?

 あの特訓は無駄だったのか?

 本当に彼を死なせていいのか?

 

 浮き上がってくるいくつもの疑問。しかし、彼らはその全てに「否」を叩きつけた。

 認めない。認めたくない。認めてなるものか! その意志が強く彼らの中に灯ったその時、ジャノビーとウデッポウの身体が強く震え、輝きを放った。

 

 

「!!」

 

 

 一瞬の出来事だった。

 その体が形を変え、肥大化し、余剰エネルギーが衝撃となって周囲の大気を揺らす。

 そして、朝木の眼前にまで至っていたムクホークを、二筋の砲撃が貫いた。

 

 

「クァァァァ――――!!」

 

 

 一瞬だけムクホークは抵抗を見せたものの、それが許されたのはほんの僅かな間だけだった。ゴムボールのように吹き飛ばされた体は、そのまま周辺の木々へと叩きつけられることとなった。戦闘不能にこそなっていないものの、ダメージは相当のものだろう。

 その光景に最も非現実感を覚え、呆然としていたのは他ならぬ朝木だ。肩の痛みも忘れ、目の前で起きたことを改めて自らの中で咀嚼する。

 

 

「ジャ……ローダに……ブロスター……」

 

 

 ――進化。

 待ち望んでいた、しかし自分とは縁遠いものとも思っていたその現象が、彼の身を助けた。そして何よりも、その力を使ってポケモンたちが自分を助けてくれたという事実に、朝木の涙腺が緩む。

 更に、ブロスターは朝木に淡い桃色の光線を照射した。激痛が僅かに緩和し、最低限動ける程度にまで回復する。それが「いやしのはどう」だということに気付いたのは、彼が立ち上がってからのことだった。

 

 

「この土壇場で……」

「進化……だと……?」

 

 

 下っ端たちの間で動揺が広がると共に、コウイチの表情が憤怒のそれに彩られた。

 あってはならない抵抗。あってはならない奇跡。そのいちいちが彼の心を逆なでし、苛立たせる。これまでの気分が台無しだ、とコウイチは怒りを露にした。

 

 

「レイジィィィ……!!」

「へ……へへっ……まだ、やれるな……!」

「この……搾りカスのゴミ風情がァァァァッ!!」

 

 

 コウイチの怒りに応じるようにして、ガマゲロゲとムクホークが再び飛び出す。跳躍の衝撃でアスファルトが砕け、あるいは飛行のための足場として利用した木が幹から粉砕されていく。しかし、それだけの速度を目にしてもなお、「同格」になるまで成長(しんか)したジャローダとブロスターにはしっかりと見えていた。

 

 

「ブロロロロロロロロ――――ッ!!」

 

 

 鬱憤を晴らすかのような低い唸り声を上げ、ブロスターは砲口から「みずのはどう」を放った。

 

 

「クァァッ!!」

 

 

 先の戦いでのそれよりも遥かに規模も威力も、何もかもが段違いにまで研ぎ澄まされた一撃だ。「ハイドロポンプ」のそれに勝るとも劣らない水流の渦にムクホークは「とっしん」を仕掛けるが突き抜けることは叶わず、猛烈な勢いの水流の中で全身をヘシ折られて「ひんし」に至った。

 

 

「ジャロロロ――――!!」

「グワァッ!!」

 

 

 続くように、ガマゲロゲに相対したのはジャローダだ。長大な体全てを使ってガマゲロゲに巻き付いて締め上げると、「どくづき」を幾度となく打ち込まれるのも構わず自らの身体ごと、ガマゲロゲの頭を地面に「たたきつける」。

 しかし、直撃を受けたガマゲロゲのダメージは通常のそれよりも小さい。蛙に似たポケモンというだけはあってその外皮は厚く、衝撃を吸収する作りになっている。全身のコブを震わせ、続いての攻撃に移る――その直前だった。

 

 

「コォォォォ――――――ジャアアアアァァァアアアアアッッ!!」

「ガァッァァアァアアアァァァッ!?」

 

 

 咆哮と共に、ジャローダは自らの身体が傷つくことも厭わず、巻き付いた体ごとガマゲロゲに「はかいこうせん」を叩き込んだのだ。

 ジャローダ自身も、甚大なダメージは受ける。しかし、ガマゲロゲ自身のダメージは、本来なら吹き飛ぶことで逃げる衝撃をダイレクトに受けることで、より深刻なものとなっている。全身に巻きついたその圧迫によって骨を砕くことでガマゲロゲも「ひんし」となり、セーフティが起動。こちらもボールに戻されることとなった。

 

 

「……何だこれは」

 

 

 唖然とした様子でコウイチが呟く。つい数秒前まで朝木レイジは敗北寸前の死に体だったはずだ。それがどこで息を吹き返した?

 諦めない心などという、曖昧で不確実なものが彼とそのポケモンに力を与えたとでも?

 オコリザルとリングマもまた、ニューラとの戦闘から再びスイッチしてジャローダとブロスターとの戦闘に突入する。しかし、彼らもまたすぐに戦闘不能に陥るだろう。はっきりと勢いがついたこの状況下、委縮しかけた精神状態で勝てるほど、実力の差は無い。

 

 

「お前のようなゴミが何故……!」

「ケッ……そうだよなぁ、テメーに比べりゃ俺はゴミだよ……ヨウタ君たちに比べりゃゴミ以下だ……」

 

 

 ムクホークの攻撃の際に喉を傷つけたのか、声には咳と血痰が混じる。

 今にも倒れそうに、しかしそれでも強い意志を秘めた瞳で、朝木はコウイチに視線を向けた。

 

 

「けど……テメーらだけは死んでも絶対通さねえって決めたんだよ!」

「それで死んで何になる!? 狂っているのか貴様!」

「……なあ、おい、クソ兄貴よぉ。テメー、他人に本気で惚れ込んだようなこと、ねえだろ」

「こんな状況でくだらん色恋の話でもする気か!?」

「ハッ……そうか、そっちもそうだな。どっちも同じだ。テメーは人を好きになることがねえ。まず見下しにかかるからだ」

 

 

 いつも俺にしてるみたいにな、と朝木は続ける。

 コウイチの姿勢は常に同じだ。他人を見下し、マウントを取り、自らが上だと何としてでも知らしめる。それ故に彼に対等な目線で話すことができる友人などはいない。必要ともしていない。同時にそれは、コウイチにとって異なる価値観を受け入れる土壌が無いということでもある。

 

 

「けど、俺には……こいつらと一緒なら死んでも構わねえと思えるヤツらがいる」

 

 

 次々と想起されるのは、仲間たちとそのポケモンたち。そして、今もなお自分についてきてくれている三匹と――見送った最後の一匹。

 死ぬのは恐ろしいことだ。しかし、だからこそ、愛する仲間たちにそれを押し付けたくないと思える自分がいる。

 朝木は、左手をコウイチに向かって突き出した。

 

 

「だから……立ち向かう! 絶対ここは死守する!」

「ゴミが……ッ! 余計な御託はそこまでだ! そうやってベラベラベラベラと喋ってくれたおかげで――」

 

 

 ――直後、一陣の白い風が吹き抜ける。

 

 

「――邪魔者の始末は終わったようだぞ」

「!!」

 

 

 朝木にとって、正しくその姿を認識することすらできない最悪、かつ規格外の怪物――フェローチェが、ラー子を突破してこの戦場にやってきたのだ。

 

 

「ゴミが、死ねェッ!!」

「ジャロッ……!?」

「ブロロロロッ!!?」

「ニ゛ュッ!?」

 

 

 果たして、フェローチェはその速度の中で何をしたのか。残像すら掴ませないほどの刹那。朝木がまばたきをしたその瞬間には、ブロスターの甲殻がひび割れ、ジャローダが空中へ跳ね上げられていた。ニューラは地面と平行に、遥か彼方へと蹴り飛ばされていく。

 そしてまた、次にまばたきをするまでの極めて僅かな間隙の中。ジャローダを四方八方から襲うように、フェローチェの連撃が叩きつけられる。

 

 

「ジャローダ!!」

「ポケモン如きを心配している間があるか?」

「し――――」

 

 

 しまった、と言葉にする間も、彼には許されなかった。

 顎が跳ね上がり、空中で二度も三度も回転するほどの衝撃が体中を駆け抜ける。フェローチェが手加減をしたせいか、あるいは危機を感じ取って朝木の身体が半ば自動的に動いたせいか、ギリギリのところで意識を繋ぎ止めることにだけは成功していた。

 

 

「カ――――」

「フェロロロッ」

 

 

 血を吐きながら地面に叩き伏せられると共に、フェローチェの細い足が朝木の背に突き刺さる。文字通りに「突き刺さる」ように突き立てられた足は、そのまま彼への死刑宣告も兼ねていた。

 再び優位に立ち戻ったことで、コウイチの顔に歪んだ笑みが灯った。

 

 どれほど強い気持ちがあったとしても、それだけで勝てるのなら最初からこの戦いは終わっている。

 どれほど鍛えたとしても、鍛錬にかける時間が短ければその鍛え方はあくまで付け焼刃でしかない。

 

 ――「こう」なること自体は、彼にとってはある種の予定調和でしかなかった。

 仮に、もっと早く本格的に鍛えることを決めていれば、もっとフェローチェに対しても有効な手を打つことができただろう。あるいはもっと早くに進化を遂げ、戦いそれ自体も優位に立って進めることができたかもしれない。

 しかし、それらは全て過ぎ去ったことだ。その「もしも」の可能性を全て踏み壊しながら、歪んだ笑みを湛えたコウイチは朝木の眼前に立ってその頭を踏みにじる。

 

 

「ヒッ、ハハハッ、クハッ! いいザマだなぁレイジィ……! お前は『そう』でなきゃあいけない。そうやって無様に地を舐めろ!」

「あ゛……ごぇっ……」

「ああぁ~……いい気分だ。あの日お前を医局から追放した時のことを思い出す……」

「な……にを……」

「あぁ!? 誰が質問を許可すると言った!? ええぇっ!?」

「がっ……い、ぎっ……お゛ごっ」

 

 

 嗜虐的に、幾度も幾度も、意識を飛ばさないよう、しかし痛みだけは的確に与えるよう、コウイチは朝木を足蹴にし続ける。

 やがて僅かに気が晴れたのか、彼は陶酔した表情で朝木へとある言葉を告げた。

 

 

「冥途の土産に教えてやろう、レイジ……お前が医局を去るきっかけになった医療ミスだがなぁ。アレは、私の差し金(・・・・・)だ」

「――――――――!!?」

「つい、やってしまってな。私のミスをお前に押し付けた。あの父親(クズ)が――レイジの方が医者としての適性があるだと? だが、お前は所詮私のスペアだそうでなくてはいけない(・・・・・・・・・・・)ィ。お前は私の絞り滓だ! ゴミでしかないお前に価値を与えてやったのだからありがたく思え! お前が私の上を行くことなどあってはならない!!」

「こ…………ぼ、ごぁあぁっ!!?」

「無駄口を叩くなこのゴミがぁっ! そろそろお前も殺して――――」

 

 

 と。

 朝木の頭を踏み砕くべく、足を高く掲げた瞬間――その足に食らいつく影があった。

 

 

「がああああぁっ!!?」

「ゴルルルアアアアアアッ!!」

「な…………!?」

 

 

 ――――ゴルバットだ。

 逃げ去ったはずのポケモンが、何故かこの場に舞い戻ったのだ。その目は憤怒に彩られており、全身全霊でもってコウイチの足を噛み砕かんと力を加えている。

 しかし、それをするにはあまりにも間が悪い。彼の姿を目にしたフェローチェは、即座にゴルバットの翼を蹴り抜き、蹴り砕いて吹き飛ばしたのだ。

 

 

「ゴルバァッ!?」

「ご……ゴルバット……!? お前……」

 

 

 何で、と問いかけかけたその時、彼が目にしたのは怯えて涙を溜めながらも、射殺さんばかりにコウイチを睨みつけるゴルバットの目だ。

 フェローチェは汚いものでも見るかのように侮蔑の視線を送り、再びその倒れ込みかけた身に猛攻をかけた。

 

 

「フェロロロッ」

「ゴゴァッ――キィィィィ!!」

「!!」

 

 

 ゴルバットは折れ、貫かれた翼で果敢にそれに応戦する。一秒にも満たない攻防の中、彼の身にも大きな変化が起きた。

 その大口が縮み、足が翼に変化する。体毛が徐々に赤みを帯び、紫色に変化していく。

 

 ――進化だ。

 

 ゴルバットが進化するためには、高い「なつき」度が必須だ。これまでの態度からそれと匂わせることが無かった彼の変貌に最も驚いているのは、他ならぬ朝木自身だろう。

 嫌われている。距離を取られているとずっと感じていたのだ。しかし実態はやや異なる。それは、人間から虐待を受けていたゴルバット自身が、どう距離を取るべきかを測りかねていた、という前提があった。

 故に甘え方が分からない。どう接したらいいか分からない。適切な距離を取ろうと模索し、実際にストレスがかからないよう取り計らっている朝木は、ゴルバットにとっては救いに他ならなかったのだ。

 

 実のところ、彼は逃げ去った後も、空から朝木を見ていた。そうして、いよいよという場面を見て――決壊した。

 あの人間を殺されたくないという自らの感情に、初めて素直になれたのだ。

 

 

「もう……やめ、ろぉぉ……!」

 

 

 ――その結果が、半ば嬲り殺しにされかけている今の現状だ。

 朝木は悲痛に声を漏らした。自らもまた今にも死にそうなほどに傷ついているにも関わらず、それよりもクロバットが傷つくことが耐えられなかった。

 

 

「コイツを殺せば、お前はもっと傷つくのか?」

 

 

 嗜虐的な声が、朝木の心を切開する。

 手持ちのポケモンは全て戦闘不能。朝木自身の身体も動かない。もがくように手を伸ばしかけるも、指先ひとつ動かない。ただ、その口から血が漏れ出るだけだった。

 

 

「あ……があ゛あ゛ああああああああぁぁッ!!」

 

 

 悲鳴にも似た絶叫に気を良くしたフェローチェは、その足先を鋭く尖らせてクロバットの脳天に向けて――――叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――その姿が消えていることに、気付かず。

 

 ざしゅ、と。フェローチェの足先が地面に突き刺さる。

 ほんの今、一瞬前までいたはずのクロバットの姿が、そこに無い。いや、それどころではない。朝木レイジの姿もまた、倒れていた場所から消えうせていた。

 

 

「な……に……?」

 

 

 思わず、コウイチは疑問の声を漏らす。これはいったいどういうことだ。何故自分もフェローチェも一切気付かない間に、ふたりが消えた?

 その疑問を解消したのは、コウイチたちの視界からやや外れた位置から静かに響いた鈴の鳴るような声だった。

 

 

「――――ごめん、遅くなって」

 

 

 そこにいたのは、白い影だ。

 悲痛な色に彩られた声は、常の気の強さを感じさせないほど弱々しい。後悔に満ちたその声を知る者は多くないが、一方でレインボーロケット団にとってその姿は言うなれば悪夢の象徴とすら言えるほどに名高い。

 白い悪魔。あるいは、白光と呼ばれるようになった少女は、朝木レイジとクロバットを抱きかかえてそこに座り込んでいた。

 

 

「……遅……くは、ねえ……」

「喋っちゃダメだ。こんなになるまで戦って……あんなこと言ったからって、本気に取るなよ……馬鹿……」

 

 

 適当なところで逃げると思っていた――と言うよりも、そうして欲しかった、と言うように、彼女は優しく言葉をかける。

 ここまで戦ってくれたおかげで死者が出ずに済んでいることは確かだ。故に、彼女はそれ以上に言葉をかけることができなかった。

 

 

「……リュオン。ふたりを頼む」

「リオ」

 

 

 呆然と見ているレインボーロケット団員たちの前で、少女はルカリオを出して朝木とクロバットの身柄を預けた。

 その手からは桃色のモヤのような波動が生じており、なんとか両者の傷を緩和するべく「いやしのはどう」が放たれている。

 

 

「――貴様」

 

 

 その闖入者に最も怒りを露にしたのは、コウイチだ。

 何故。どうやってここに。そういった疑問、疑念を、彼の中の激情が洗い流していく。

 よくも気分のいいところに水を差すような真似を。しかし、ルカリオのスピードでは、フェローチェには敵わない。いずれにせよここで殺す――と、彼はフェローチェに指示を送るべく腕を持ち上げた。

 

 ――そして次の瞬間、雷よりも素早く動くことができるはずのフェローチェが、機先を制されたように顎を跳ね上げられる。

 

 

「!!?」

 

 

 いったい何が起きたのか。それを探るより先に、少女が幽鬼の如くゆらりと立ち上がる。

 

 

「お前か」

 

 

 そして、血を落としたような赤い瞳を向けられた瞬間――コウイチは、突如として瞬時に自らの全身を切り刻まれるような錯覚を抱いた。

 

 憎悪も憤怒も、医局という政治闘争の場にいる彼にとってはよく慣れたものだ。あるいは患者を救えなかった時、往々にして遺族からそうした目を向けられることもあった。

 しかし今突きつけられているのは、それらすべてがそよ風のように感じられるほどに凄絶かつ濃密な殺意だ。彼にとって、それは一瞬全ての言葉を失わせるに足るだけの威力を秘めている。

 

 

「わたしの仲間を、あんな風にしたのは」

 

 

 その瞬間、死を覚悟させられることになったのは、レインボーロケット団の側となった。

 

 

 









独自設定などの紹介

・朝木父
 ちょっぴり厳格な性格の病院長。兄のコウイチに目をかけていたが、こいつ傲慢すぎるなということは以前から感じていた。
 「レイジの方がちゃんと患者に向き合う分医者に向いてるよ(だからお前も謙虚な心を持ってね)」と伝えたせいでコウイチは逆恨み。レイジは医療ミス擦り付け事件を起こされる。
 その後現在に至るが、なまじ兄は優秀だったせいで隠蔽も完璧にしてしまったので、まだ本当にレイジがやらかしてしまったものと思っている。




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しんそくの紅と白

 

 

 先に「彼女」と矛を交えた団員に、曰く。

 

 その在り方は獣のそれに近く、剥き出しの闘争心によって敵を撃滅する悪鬼羅刹。

 あるいは、閃光のように突如として戦場に現れ、壊滅的な被害をもたらす雷の化身。

 あるいは、頼むから私の前に姿を見せずにどこかでひっそりと死んでいてくれと思わずにはいられないほどの恐怖の象徴。

 

 これらの証言はいずれも団員それぞれの立場に基づいてのものであるため、客観性に著しく欠けるが、同時に彼らが刀祢アキラを指す言葉にはある共通点がある。それは、言うなれば彼女が「殺意の塊」であるということだ。

 もっとも、彼女自身は人を殺す気は無い。最も直接的な被害を受けたビシャスでさえ、最終的には「再起不能」に留まった。彼女自身にも強い自制心がある以上、実際にそうなることはまず無い。

 しかし、相対する相手にとってそれは関係ない。「殺される」と僅かにでも感じればその心は委縮する。濃密な死の気配から逃れようと躍起になり、思考力が低下する。言うなれば、彼女にとってその殺意もまた「武器」のひとつと言えよう。

 

 

 時に。

 人間というものは、往々にして自分を良く見せようとしがちだ。いち組織の幹部ともなれば体面や見栄を気にしなければならない立場ともなるためそういった傾向はより顕著で、自分を低く見られないようにするために、わざと相手を持ち上げることがある。

 あるいは、彼女があまりに畏怖されるようになったのは、そうした評が独り歩きした結果ではないか?

 

 一瞬前まで、コウイチはそう考えていた。

 

 

「――――――」

 

 

 ――これ(・・)は、何だ。

 

 コウイチは、少女の姿をしているだけの魔獣めいた存在に、言い知れない恐怖を覚えた。

 一瞬は逃げることも考えたが、そのためには彼女から背を向けなければならない。ドス黒い殺意の波動を振り撒く少女(かいぶつ)から目を逸らしたが最後、彼女は一人一人を確実に、淡々と、そして迅速に「処理」していくことだろう。

 

 

「へへっ……」

 

 

 コウイチが戦々恐々とする一方、この空気を感じ取ることすらできず意気揚々と前に出る者がいる。良く言っても鈍感、有体に言えば脳機能に割くべきリソースを全て体と自尊心の肥大化に充てたような男だ。

 

 

「現地人部隊のお上品なお医者様はビビッて戦えねえらしいなぁ。だったらこの俺様が、こいつをブッ殺して賞金をいただいてやらぁ!! 行け、ハリテヤマァ!」

「ハリァッ!」

 

 

 大きさにして2m強。アキラを見下ろすようにして現れたハリテヤマは、250kg超という体重からは想像もできないような素早い動きで、トレーナーと共に彼女へと突撃した。

 コウイチは、あえてその無謀な突撃を止めることは無い。頭の出来がどうであれ、ハリテヤマまで育て上げた実力だけは間違いない。相手がどれほどの強さかが分かればそれも良し、万が一勝ってしまえば、それもまあよし。言うなれば試金石だ。彼らは息を飲んでその激突の結末を待つ。

 

 ――次の瞬間、ハリテヤマは男と共に消失(・・)した。

 

 彼らは、何が起きたのか理解できなかった。「テレポート」の応用か? そてとももっと別種の能力か?

 様々な疑問が渦巻きながら、それが僅かながらも解消されたのは永遠とも感じられる一秒の後。アスファルトに深く刻まれた亀裂と縁取るように灯った火炎、そして少女の隣で脚を突き出しているバシャーモの姿を見た時だった。

 その足が突き出された先には、血達磨になって転がされている下っ端とハリテヤマの姿がある。手足は曲がってはならない方向に曲がってしまっており、どのように見ても再起不能の状態であるのは明らかだった。

 

 

(――つまり)

 

 

 現象としては、「人間に視認できないほどの速度で蹴り飛ばされた」という、ごく単純なもの。それが示しているのは、明瞭なまでの力の差と、お前たちもこうなる/するという宣告だ。

 

 

「フェローチェ!!」

 

 

 唯一勝つ見込みがあるとするならば、それはフェローチェの素早さを利用した攻撃に他ならない。

 コウイチの指示に反応したフェローチェが、目にも止まらぬ速さでチャムを無視して一直線にアキラへと肉薄する。

 白光(アキラ)の身体能力の低下は既にレインボーロケット団内でも報告されている。同時に「それでも異常に強い」ということも含めて――だが、確実に彼女自身の戦闘力は落ちているのだ。ポケモンと真正面から渡り合って重傷で済ませるほどの耐久力も、重傷を負ってから数日程度という異常な早さで戦線に復帰するほどの回復力も無いとなれば、最も有効なのはやはり、最速のポケモンによる奇襲となる。

 

 ポケモンの中でも三本の指に入るほどの速度を持つフェローチェによる一撃だ。これを防ぐことができるトレーナーなど存在しない! その確信のもとに「とびげり」が放たれる。雷の速度を遥かに超えるとなれば、たとえカプ・コケコが相手であろうと防ぐことができる道理は無い。

 

 

「▲▲▲」

 

 

 ――より速いポケモン(・・・・・・・・)がいない限り。

 

 

「フェロッ!!?」

 

 

 アキラへと「とびげり」が直撃しようかというその刹那、フェローチェの全身に強烈なエネルギーが浴びせられ、彼女は勢いよく地面に叩きつけられた。

 アキラの冷たい視線がフェローチェを射抜く。フェローチェはそれに怒りを覚えるよりも先に、強い恐怖を覚えた。スピードという一点において彼女はまず、この世界において敗北するようなことはありえないと思っていたからだ。

 次いで、その視線は上空へと――そこに浮いている、赤と青、二色で彩られた異質なポケモンへと移る。コウイチもまた、そのポケモンを見て目を剥いた。

 

 

「な……ッッ、フェローチェェ!!」

「殲滅する。纏めろ」

「▲▲」

 

 

 そこで自らの危機感を疑うことなく迷わず「逃走」という手を選び、フェローチェを呼び寄せることができたことは、紛れもなくコウイチの実力の高さを示していると言えるだろう。

 直後、ノーマルフォルムに戻ったデオキシスはその場で両腕を交差させた。その動作に合わせるようにして、周囲に散っていた団員とそのポケモン全てがアキラの目の前に集められていく。「じゅうりょく」か、あるいは「サイコキネシス」の応用であることを悟った時には、もう遅かった。

 

 

「バッシャァァァァッ!!」

 

 

 携えた巨大な火球を直接ぶつける、「フレアドライブ」。その一撃で、先の嵐を乗り越えた精鋭の団員は、全滅となった。

 アキラが現れてから、ほんの一分弱。彼女はその間、ゴミでも見るかのような冷たい表情を一切崩すことは無かった。

 ――お前など眼中に無い、と言われているかのように感じるほどに。

 

 

「――撤退だフェローチェ!!」

 

 

 戦えば確実に負ける。そのことを理解した時点で、コウイチの行動は確定した。他の何を捨て置いてでも絶対に逃げ切ることだ。

 雷よりも速いというフェローチェに抱えられれば、まず確実に逃げることができる。その際の負荷は尋常なものではないが、ここで倒されるよりはよほどマシだと自分自身に言い聞かせる。

 コウイチは現行世界にとって紛れもなく裏切り者だ。自らの意思で「勝ち馬」に乗った彼が再び元の世界の陣営への帰順を求めたとしても、受け入れられない可能性は非常に高い。それどころか彼の弟への仕打ちもある。まず拘束され、日の目を見ることは二度と無いだろう。彼もその程度の勘定はできていた。

 加えて、この場においては討伐隊を壊滅させられるという憂き目に遭っても、レインボーロケット団そのものは未だ盤石の体制だ。少年少女の二桁にも満たないような寄り合い所帯で、何ができるというのか。

 

 

「次は必ずレイジ諸共に殺す……!」

 

 

 彼はそんな捨て台詞を吐くので精いっぱいだった。しかし、同時にそれは紛れもない事実だった。

 「次」、チャンスさえあれば確実に彼らを圧殺するだけの戦力を本隊に要求できる。それはアキラも理解しているところだった。

 故に。

 

 

「次なんて無い」

 

 

 彼女は逃走を許さない。

 

 

「何!? おっ、がぁぁぁっ!!?」

「フェロオォォッ!?」

 

 

 逃走しようというその刹那、フェローチェとコウイチの脚をアタックフォルムへと変化したデオキシスの触腕がまとめて貫き、地面に縫い付けたのだ。

 

 

「ひとり野放しにするだけで、何十人も何百人も人を殺すようなお前たちに……二度と『次』なんて与えるものか」

 

 

 日の光の下にいるというのに、アキラの表情はその髪で影がかかったように、窺い知ることができない。瞳だけが濃厚な殺意を放って煌々と輝くことで、そのまま彼女の言葉の本気さがコウイチにもはっきりと理解できた。

 

 

「終わりだ」

 

 

 紅の残光が尾を引いて、高速でコウイチに迫る。

 この戦いは全て、自分たちが優位に進められていたはずだ。だというのに、それがいったいどこで狂ったのか。こんな相手と、いったいどうやって戦えばよかったのか――数々の後悔が噴き出していくのを感じながら、コウイチは自分の顔面の骨が砕ける音を聞いた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「これはひどい」

 

 

 ――というのが、事後になって改めて二か所の戦場を目にしたヒナヨの感想だ。

 徹底的に破壊しつくされた地形、なぎ倒された木々、そしてそれらに巻き込まれて襤褸(ぼろ)切れのように成り果てたレインボーロケット団員……と、ヨウタの側だけ見ても、いっそ何かの恨みがあるのではないかと言うほどの有様である。いや、間違いなく恨みはあるが。

 ただ、それで彼が怒り狂っていたのかと言うと、そういうわけではない。どちらかと言えば逆。極めて冷静な判断のもと、一般人を逃がすために最大効率で敵を即時撃滅するための手を取っただけだ。ただ、それが味方からもドン引かれるほどだったというだけである。

 

 他方、アキラの向かった戦場も、ヒナヨが目を覆いたくなるような惨状だった。

 あえて周囲に被害を散らすことで人的被害を最小限に抑えたヨウタとは異なるが、こちらも凄まじく効率的に敵を倒している。全員を血達磨にするかたちで。

 あまりの凄惨さにヒナヨはうへぇと声を漏らしたが、そもそもこの暴力が彼女に牙を剥く可能性は二度もあった。スパイという事実が露見した時と、アキラの脳が書き換えられかけた時だ。彼女はどちらの時も難を逃れることができた幸運さに感謝した。

 

 

 ともあれ、一連の戦闘が終わった以上、これ以上あの避難所を使い続けるわけにはいかない。

 ヨウタたちが身を寄せていたという事実だけで、レインボーロケット団にとっては攻め入って略奪を行う理由になるからだ。

 それを踏まえた上で、ヨウタたちは次の避難所の選定を行わなければならなかった。

 その最中のことである。

 

 

「何その格好……」

「聞くな」

「いや、でも」

「やめ(りょ)

 

 

 ヨウタは、明らかに異常(じょせいてき)なことになっているアキラの服装に気付いた。

 必死に唇を噛んで笑わないよう努めているが、いつ噴き出すことやら分からない。当のアキラは戦闘時の冷静さ、冷徹さをかなぐり捨てたように真っ赤になった顔を隠していた。

 普段の彼女が着用しているのは、ごくありふれた無地のTシャツに同じく無地のパーカー、丈が短めのクロップドパンツだ。あるいは少年のようにも見えるように服を選んでいるのは、彼女にとっても意地だったのだろう。

 ところが今はやけに少女めいた(ガーリッシュ)な装いである。

 隣でやけに得意げな表情をするヒナヨを他所に、ヨウタは戦慄した。

 

 

「気でも狂ったのか?」

「言い方考えなさいよ。それにこれはアキラじゃなくて私プロデュースよ」

「え? あ、あー……」

 

 

 ヨウタはヒナヨとアキラの着用している衣服を見比べて、なるほど同じセンスで選ばれた服だと理解した。

 スカートの下にレギンスを履いているのは、彼女の体術を阻害しないための心遣いか、それともアキラの唯一の抵抗か……いずれにせよ厚意でやっていることだから受け入れないというのも角が立つ。彼女に選択肢は無かった。

 しかしいずれにせよ、似合っているのは確かだ。裏の事情を知っているヨウタとしては思わず笑ってしまいそうになるというだけで。

 

 

「いい素材してるのに戦ってるからってそれにまるで気を遣わないのってどうかと思うのよ私。衣食足りて礼節を知るって言うでしょ? 特に『衣』、身なりの部分がきちんとしてないと自分のことも他人のことも気にしなくなっていくの」

「じゃあ元の服と似たようなのでも……」

「ダメ。却下。お断り。どうせ戦いが終わって日常に戻った後もずっとあのままのつもりでしょ?」

「…………」

 

 

 そこに関してはアキラ自身も自覚はある。そもそも、元の性別に戻ることができるかどうかすらも曖昧なのだ。永遠に元に戻らない可能性すら有りうる。慣れておかなければ今後の人生で大きな苦労を負うことになるだろう。

 根本的な事情を話せていないとはいえ、友人としてのアドバイスだ。アキラ個人も一理あると思うからこそ、それに異を唱えることはできなかった。

 

 

「少し真面目な話に戻そうか。レイジさんの容態は?」

「……それなら問題無い。見た目はちょっと……ひどいけど、『いやしのはどう』を併用して治せば跡も残らないと思う」

 

 

 具体的に検査を行っているわけではないが、アキラはその能力の特性上、怪我の容態というものを一見しただけでもある程度は理解できる。

 鎖骨の不完全骨折、肩の脱臼と上腕骨折、顔面の裂傷など、大小様々な傷を負っていることが分かったが、内臓や脳へのダメージは最小限だった。ほとんど無意識的に自分の身体の中で、致命的な怪我になりそうな部位を守っていたのだろう。

 

 

「それにしてもさ、二人とも早かった(・・・・)よね?」

「ああ」

 

 

 実際のところ、朝木レイジは先の戦闘で三十分間を凌ぎきったわけではない。

 むしろ逆だ。実力不足もあって、彼が実際に稼ぐことができた時間は十五分と少々。時間だけを見ればアキラたちの指定した時間の半分ほどだ。

 

 

「どうやって来たの?」

「デオキシスの『テレポート』。問題はどこにいるかだったけど、そこは脚で稼いだ」

「回復にかかる時間もそんな長くなかったんだけど、盗聴も警戒して遅めの時間を指定しといたのよ。万が一聞かれても、『じゃあこの間は』って油断するでしょ?」

「マラソンとかでやる『次の電柱までは頑張って走ろう』作戦の亜種とでも思ってくれ。三十分って言われたら三十分頑張って戦おうって思うだろ」

 

 

 結論から言うと頑張らせすぎたわけだが……と、アキラは苦い顔を見せた。

 朝木のこれまでの行動パターンもあって、アキラ自身は彼は無理をせず自分にできる程々の段階を見極めて適当なところで撤退すると思い込んでいたのだ。

 しかし、その予想は良くも悪くも覆された。捨て身の攻撃で幹部格と思しき男にも痛手を与えたが、常の訓練不足が祟って途中で戦闘不能に。危うく殺されるところだった。

 

 

「普段からもうちょっと訓練に励んでてくれてたら防げたかもしれないけどね」

「逆に言うとこれから頑張ってくれるかもしれないわよ」

「アキラはどう思う?」

「何だかんだ今までやってなかったのは『自分がやっても意味無い』っていう感じの諦めがあったからなんだと思うし、訓練も受け入れやすくなるんじゃないか」

 

 

 その辺りの諦めを含めたネガティブな考え方が、今回の戦いのおかげで少なからず解消された――言ってみれば、人間として「一皮剥けた」ような状態になったと言えるだろう。

 ……と、日頃と同じ淡白な口調と内容で語る彼女の声音は、以前に比べるといくらか優しく穏やかだ。

 臆病であっても、誰かを守るために戦った「尊敬する大人」に、アキラは労わるような笑みを向けた。

 

 

 









 風邪でダウンしてました。
 季節の変わり目ですので皆様もどうぞお気をつけて。


 〇「彼女」と矛を交えた団員
だいたいライバル感出てきたあの人。





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日々のじならしが力のもと

 

 

 

「俺はもう駄目だあ……明日の朝日も拝めずに死ぬんだぁ……」

「骨折程度でクッソ舐めたこと言ってやがるぞこの野郎」

「いやそれはあんたの基準も大概おかしいわよ」

 

 

 一時間後。一時的に場所を戻し、先に使用していた避難所の保健室。傷の痛みに耐えかねて目を覚ました朝木は、一切悲壮感の無い泣き言を漏らしていた。

 普段の彼なら、普通に口にするだろう言葉ではある。しかし、先の戦いを目にしていたことで僅かに上がりかけていたアキラから朝木への株は暴落もいいところだった。

 

 もっとも、アキラがあまりに痛みに慣れているため、認識に差が生じているだけとも言えるが。

 そもそも骨折というものは大怪我の範疇である。

 

 

「朝木さんってもしかして今まで骨折とかしたこと無いんじゃないの?」

「おう、ねーわ……治療はしたことあるけどよ……」

「そっちは……まあ、あるだろうね……」

「整形外科の手技でな……こう……折れすぎたところをメスで切開して……骨を直接捻って固定して……」

「ぎゃー痛い痛い痛い! 聞いてるだけで痛いからやめて!」

「わり……」

 

 

 なまじ知識があり、実際に治療を経験していることもあって、朝木はつい自分が「そう」なっているところを想像して顔を少し青くした。

 

 

「わたしなんか内側から骨突き出たことあるぞ」

「開放骨折だな……」

「この前の工場の時のだよねそれ」

「やめなさいよ怪我の程度でなんか無意味に張り合おうとするの! ていうか聞かせないで想像させないでぇ!」

 

 

 これまでにごく普通の日常生活を送ってきたヒナヨとしては、そういったある程度想像ができる――あるいは自分もこれから先の戦いで負いかねない怪我の話はあまり聞きたくないというのが本音だ。

 実際にそれを目にしたことがあるヨウタもそういう意識は持っているし、治療に携わった朝木はより強く感じていた。特に二人に関しては実際に負傷しているのだから「こんな怪我はしたくない」という実感はより強い。

 

 

「しかし、何だ。『いやしのはどう』もあるし、完治まであと……どれくらいだ?」

「僕らの世界だと骨折ならだいたい二、三日」

「やっぱポケモンがそういうことできるとだいぶ違うな……ちょっと前のアキラちゃんみてえ」

 

 

 実際、そのプロセスは「大きな生命エネルギーによって治癒する」という点で似る。

 アキラに関しては自前……あるいは外付けのもので、ヨウタたちの世界の傷病人はポケモンのエネルギーを分け与えてもらうという点で異なるが、いずれにせよ自前の生命エネルギーを消耗しない分、ポケモンによる治療の方が効果が大きく、早期の復帰が期待できることだろう。

 

 

「わた」

「アキラ」

「おれ」

「ホントに大丈夫……?」

「大丈夫じゃないかもしんない……」

「他人の記憶とか自我とか頭に突っ込まれて大丈夫なわけないじゃない。精神的に色んな部分が歪んでるんだろうからしばらくそっちで通したら?」

「やだー……」

「幼児退行まで起こしかけてるよ……」

「六歳児みたいなもんだって話だけどよ」

「誇張表現だよそれ」

 

 

 床をごろごろと転がり始めたアキラを目にして、流石にそれはどうよと半目になった。

 実際のところ、知識と倫理が伴っている以上四年+二年で実質六歳……という計算は通用しない。

 とはいえ人生経験そのものは六年足らず程度のものしか無い以上、彼女は普段から理想的な自分を思い描き、演じているような状態にある。幼児退行とは言うが、実のところこうした姿の方がむしろ素と言えよう。

 とはいえ。

 

 

「……キャラ崩壊もいいところだよ。何の記憶とか入れられたのさアキラ」

 

 

 ここまでの付き合いでアキラがそういう素を滅多なことでは表出させないことはヨウタが一番よく知っている。どうしても「何かヤバいものが混ぜられた」ような印象は拭えないというのが彼としての本音だ。

 

 

「サカキの子供。ちっちゃい頃に死んだって」

「それってシルバーさ……ああ、異世界の別の可能性を辿った、ってやつ……」

「何歳だか分からないけど、そんな子供の記憶が混ざったらそりゃ……多少は子供っぽくなるんじゃないの?」

「なんとなく分かったよ」

「もしかしたらあの殺人鬼か何かかって戦い方も――――!」

「そっちは素だよ」

「ファ〇ク」

 

 

 戦うにしてもせめて節度と品位は保っていてほしいというのがヒナヨの思想だ。彼女自身は感情に振り回されることが多く、やりすぎてしまうことも多いのであまり実践はできていないが。

 それはそれとして人には求めるというあたりの図々しさはさるものである。

 

 

「話を戻す。ともかくわたしとしては――」

(開き直った……)

(開き直ったな)

(開き直ったわね)

 

 

 じろりと三人へ視線が飛ぶも、殺意の込められていないアキラの視線などどこ吹く風だった。

 

 

「朝木は後方にいた方がいいと思う。今回のことで分かったろ、痛い思いするってのは」

 

 

 前後のやりとりも手伝ってか、彼女の言葉には幾分か棘があったものの、同時に気遣わしげな色も多分に含まれていた。

 いわゆるツンデレじゃな? と茶化したヒナヨは、次の瞬間デフォルメされた自分がファンシーな背景の中、同じくデフォルメされたアキラにぐさぁーっ! と刺される姿*1を幻視した。殺意の波動による威圧の応用である。あまりに緊張感の足りない絵面は、アキラ自身が仲間に対して本気で威圧できないためだろう。

 

 ともあれ、朝木はアキラの言葉に首を振った。

 

 

「他の誰かに同じ思いをさせないためにやるんだ。今更引けねーよ」

 

 

 半ば投げやりなようにも聞こえるその言葉に、しかし諦念や自暴自棄と言った感情は込められていない。

 むしろ、決意と責任感――彼がこれまで後生大事に抱え続けていた「保身」を投げ出したことで生じた義侠心というものが、より強く込められていた。

 

 アキラはわずかに抵抗があるような表情をして、すぐに緩めた。

 戦力的にも、論理的にも、大人である朝木が戦うことに否定意見は見いだせない。彼自身も、言うなれば「男の意地」というものを徹そうとしているのだ。どうしても、彼女はそれに対して何か言うということができなくなった。

 一方、その返答を予測していたのか、ヒナヨは満足そうに笑いながらバッグを漁り始めた。

 

 

「そう言うと思ってたわ。はいっ」

「うぐえっ!? ちょ、投げんなよ取れねーんだぞこっちは!!」

「ごめん素で忘れてた」

 

 

 言いつつ、ヒナヨは朝木が受け取り損ねたモンスターボールを拾い上げる。

 

 

「それは? ポケモン?」

「そ。即戦力。RR団(あいつら)のタワーに攻め込んだ時にちょっちょっとね」

「ちょちょっとで済む戦果じゃねえぞ」

「そこはまあ?」

「連携だ」

 

 

 無論のこと、一人だけでは各個撃破されて終わりだったことだろう。陽動と工作という役割分担を徹底し、分の悪い賭けに勝ったことではじめて得られた結果だ。二人にとってはある意味で自慢の成果と言える。

 

 

「今出しても――」

「あ、それはヤバいわ。絶対ダメよ。せめて外で、私たちの誰かのポケモンと一緒じゃないと」

「俺に何持たそうとしてんの!?」

「ガブ」

「……リアス?」

「いえす」

「いやいやいやいやいやいや俺如きに持たせていい戦力じゃねえだろ!?」

「逆だよ。あんたが今一番持ってないといけない戦力だ」

 

 

 小暮さんについても似たようなことが言えるけど、とアキラは一つ前置いた。

 

 

「クロバットに、ジャローダに、ブロスターに、ニューラ。みんな強くなってるけど、やっぱりどっちかって言うと搦め手向きで、正面切っての戦闘には向いてない。今回は相手がフェローチェだったからギリ何とかなったけど……」

「これ『何とかなった』の範疇!?」

「マッシブーンが相手だったら防御の上から突き破られてミンチだぞ」

 

 

 朝木は自身の背筋が冷えるのを感じた。

 他ならぬそのマッシブーンと正面から戦ったアキラの言葉となれば疑う余地は無いが、この状態で他のウルトラビーストと戦ったらどうなるのかと彼は不安が止まらなかった。

 

 

「メガシンカ……をするには絆が大事だからまだ無理かもしれないけど、うん。確かに穴を埋める即戦力だね」

「けどよぉ……俺には分不相応って感じがな……」

「何でさ」

「だって……ガブだぜ?」

 

 

 レー島の守護神ガブ・リアス。

 ――もとい、マッハポケモン、ガブリアス。「こちら」の世界においてはある意味で伝説のポケモン以上に恐れられ、あるいは頼りにされ、時に愛され時に憎まれ……という、「ゲームとしての」ポケモンにおいてある種の象徴的な扱いさえ受けるポケモンだ。そのことをよく知る朝木が委縮するのは当然だった。

 一方、同じくそのことをよく理解しているヒナヨは、だからこそ(・・・・・)その発言を切って捨てた。

 

 

「そうやって特別扱いしちゃダメ。ガブリアスも他の子と同じよ」

 

 

 対戦環境において猛威を振るったといった事情はゲームにおける話であり、現実となった今はまるで関係ないことだ。

 その能力は他と隔絶するほどではなく、まして数字によって厳密に優劣が決まっているわけでもない。トレーナーからの愛情をたっぷり受けて無数の修羅場を潜り抜けているバチュル(チュリ)がガブリアスを倒すということが、下手をすれば――どころか、「順当な結果」としてありうるのだ。対戦におけるレベルの平滑化などという機能の無いこの世界においては、鍛え方とその質と量こそが最も重要だ。

 

 

「ウリムーやデリバードがルギアやホウオウを完封するような世界よ。ポケモンの種族的な強さはスタートラインの違いでしかないわ!」

「事例が極端すぎらぁ」

「でも真理だよ。……いや、極端すぎるっていうか僕もその話は聞いたことないけど。ガブリアスはちょっとこの世界で有名なのかもしれないけど、無敵でも最強でもない。自分を下に置きすぎず、相手を高く置きすぎず、他の皆と接するのと同じように接してほしいんだ」

「それはいいんだけど俺の身の安全は?」

「わたしたちが見守っておくさ」

「お、おう。ありが……見守るだけ?」

「致命的なことになる前になんとかするよう努力はする」

「……努力目標?」

 

 

 三人は目を逸らした。

 いずれにせよ本当の意味で交流を持つには、実際に朝木自身が相対しなければならない。そこに余人が立ち入るのは無粋であり、本質的に互いを理解することが難しくなる。

 彼のパーティの中でも最大の難物であるゴルバット――現在はクロバット――の心を開かせ、進化させるという実績もあってか、ヨウタたちは朝木を強く信頼していた。丸投げとも言う。

 

 

「よし、そうと決まれば一刻も早く治さなきゃな」

「はは……そりゃ治したいけどな、じゃあ今日はもう寝て――」

「何言ってんだ。リュオン、来てくれ」

「リオッ」

「え?」

「あんたもちょっとブロスターを出せ」

「え?」

「こっちで出したわよ。よろしくねブロスター」

「ブロロ」

「え??」

「行くぞー」

「え???」

 

 

 言うと、アキラは馬乗りになるような格好で朝木の目の前にやってきた。

 常の彼女らしからぬ行動と、やけに近づいた顔に彼は少なからず照れを覚えた。睫毛長い――とか、目綺麗だな――といったことを考え、直後にこのシチュエーションに対して恐れを覚えた。出会った時に受けたトラウマである。そうして案の定、彼女は朝木の骨折している鎖骨に手を添える。痛みは感じないが、それだけにこの後に起きるであろうことを思うと恐ろしかった。

 

 

「何する気!? 何する気!?」

「治す」

「何言ってんの!? あ、柔整!? いや免許あんの!?」

「やむを得ない緊急避難ってやつね」

「それは命の危険がある時だけだろォ!?」

「動くな。痛みは一瞬だ」

 

 

 アキラの指示に応じて、リュオンが更に逆側から手を添える。ブロスターはそんな二人からやや離れた位置で砲口を向け待機していた。

 

 

「せー……のっ!」

「ういぃっ!!?」

 

 

 その直後、リュオンとアキラの掌から電気が走る。当然の帰結として朝木の全身が痺れに襲われた。

 アキラが待っていたのはその一瞬だ。折れた鎖骨に添えた手を動かしてミリ単位でズレを修正、鎖骨を折れる前の元の形状に近づけた上で、リュオンとブロスターの「いやしのはどう」と、彼女自身の持つ波動の素質を利用した「いやしのはどう」の模倣。三方向から寸分狂わず骨折部位に照射された三つの波動は、見る間にその朝木の鎖骨を治癒してのけた。

 

 

「ぃぃぃぃっ……いぃ? ……痛くない。てか痛みが取れた? あれ?」

「よし、成功!」

「やったわね!」

「どういうことコレ? え? 逆に怖いんだけど」

「リュオンと一緒に電流を流して一瞬神経を麻痺させて、その隙に折れて外れた骨を元に戻したんだ。で、『いやしのはどう』を三方向から一点に向かって照射して、骨を癒合させた」

「ガンマナイフの原理……いやそれはともかく気軽に現代医学敗北させにかかるのやめねえ?」

「わたし如きに敗北させられる現代医学サイドにも問題がある」

「理不尽の権化かよ」

 

 

 そういえばまさしく理不尽の権化のような子だった、と朝木は思い出した。

 そして同時に、だからこそ自分たちも助けられたのだと思えば、あその理不尽さにも頼もしさが伴ってくる。敵であれば恐怖の対象そのものだが、味方ならこれ以上頼もしいものも無い――そう思った時だった。

 

 

「ともかくこれでもっと特訓ができるな!」

「なんて?」

 

 

 少しどころではなく想定外の言葉が発せられた。

 朝木は今病み上がり、どころか顔面など未だに痛々しい傷跡が残っており、とてもではないがまともに戦闘などこなせるはずもない。

 困惑しきりの朝木に、アキラは威圧するように更にずいと顔を近づけた。

 

 

「特訓だよ。あの人たちを安全なところに送り届けたらやるぞ」

「あの……俺怪我人……」

だから(・・・)やるんだろ?」

「はぇ? ぐええぇっ!!」

 

 

 言うと、アキラは怪我を治していない側の腕を取って、あちらこちらへと動かし始めた。

 勝手に動かされている側の朝木は地獄のような激痛を味わわされているが、彼女に遠慮や躊躇などというものは微塵も無い。ヨウタとヒナヨも止めようとしたが、その真剣な表情に気圧されて結局何も言えずにいた。

 右へ左へ、下へ上へ。そうこうしているうちに「何か」を探り当てたのか、彼女は得心した様子である一定方向へ朝木の腕を動かした。

 

 

「ああああああ無理無……あああ? ……っ、あんまり痛くない」

「痛くない?」

「いや比較的な……これ、痛みが出ない動かし方……ってことか?」

「そんな感じ。怪我の程度や重症度によっても違うけど、『動かせる』ってことを知ってるだけでも、今後大怪我をした時に咄嗟に動ける可能性は上がる。意識してくれ」

「お、おお……」

 

 

 つまり、「怪我をしているからこそ」できる訓練と言えよう。

 朝木は思わず関心して声を上げた。当然と言えば当然の措置なのだが、普段の彼女の言動もあって、酷いことになるという先入観があったのだ。

 そもそもを言うなら刀祢アキラは戦闘の、ひいては格闘術の達人だ。異常なまでに向上した身体能力を二年足らずで完璧に掌握したという経験や、ポケモンたちに体術を教え込んだ経験もある。基本的に彼女の行う訓練は合理性に根差した極めて効率的なものだ。

 

 

(それならヨウタ君の訓練よりもまだ楽な可能性ワンチャンあるんじゃねえ?)

 

 

 先日の訓練に関しては、朝木も乗り気であったとはいえ、相応の負担を強いることになっていた。

 もしかしたら、そちらよりもアキラの訓練の方がまだ楽に終わる可能性があるのではないだろうか――と。

 彼は安易にそう考えた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 デオキシスとルリちゃんの「テレポート」によって久川町へと避難所の面々を送り届けたその後、アキラたちは近隣の山中を訓練地として設定した。

 「ひかりのかべ」などを敷くことによって疑似的に外部への影響を遮断した空間での訓練だ。アキラは元より、ヨウタもまた、全力をもって訓練に臨むことができる。

 

 結果、朝木レイジは地面に没した。

 物理的に。

 

 

「うげええええええええええええええっっ!!」

「デオキシス、『じゅうりょく』二倍に戻して」

「▲▲」

 

 

 涼しい顔をしているアキラたちとは対照的に、ヨウタとヒナヨを含む三人とそのポケモンたちは疲労困憊そのものだ。

 通常、生物というものは地球の重力に適応して生活しているものだ。そこに急激に倍以上の重力がかかれば、当然ながら押し潰されるような感覚になるし、負荷もそれに応じて上昇する。格闘漫画などでもよくある、高重力による高負荷トレーニングだ。

 ヒナヨなどは潰れて動くことすらできなくなっていた。

 

 

「何でアキラちゃん普通にしてんだよ!?」

「慣れた」

「慣れたァ!?」

「▲▲▲▲」

「あはは、褒めるなよ。このくらいできなきゃあいつらには勝てないぞ」

「△△△」

「ふたりだけで通じ合ってないでどういうワケか説明してくれないかな……」

「普段からデオキシスにこの負荷頼んでたんだよ」

「馬鹿なのか?」

 

 

 ヨウタはトレーナーとして極めて優れた人間だ。

 しかし、あくまで人間の範疇に留まる程度の鍛え方していない――できない。高重力下での特訓などという常軌を逸した訓練など、想像もしていなかったというのが彼としての本音だった。

 

 

「ぐあああああああ何でこの時代になって80年代の少年漫画みたいなド根性論に回帰した訓練になんてなってんだよぉぉぉ!!」

「が……ガブッ……ガブァ……」

 

 

 当の朝木が最も懸念していたガブリアスは、訓練の過酷さに息も絶え絶えでもはや狂暴性など見る影もないほどだった。

 その方が後の対話のことを思えば都合がいいというのは確かではあるのだが、そのことを気にする余裕すら無いというのが現実である。

 

 

「つまり当時の少年漫画が結構理に適ってたってことだろう?」

「そりゃ……かも……しれねえけどさ……」

「流石にちょっと手加減して段階を踏んだ方がいいと思うよ僕は……」

「でもさ、悠長にしてたらそれだけあんな風に理不尽な目に遭うかもしれない人が増えていくんじゃないか?」

 

 

 ヨウタの言うことももっともだが、同時にアキラの言うことも現実に即した言葉だった。

 そしてその事実は、ヨウタと朝木にとって何よりも間近に迫っていたことだ。避難所での一戦は、一歩間違えれば誰かが、あるいは誰もが死んでいたという状況に身を置いていたのだから、それは痛いほどによく分かる。それはそれとして全身への負荷のせいで激痛は走っているが。

 

 

「よし、休憩終わり。五倍だ」

「▲▲」

「ぐええええええっ!」

「ぎゃあああああっ!」

「こ……この調子で訓練がキツくなってったらどっちみち死……」

「安心しろ」

「セーブしてくれんの!?」

「要領は分かった。心臓くらいなら止まっても動かせる」

「人殺しぃぃぃぃぃぃ!!」

 

 

 ポケモンたちは「ひんし」になれば勝手にボールに戻りはするが、人間はそうもいかないものだ。

 が、他ならぬ気と波動に特化した達人であるが故にアキラの言葉に嘘は無い。

 無いからこそ、そうなることも確実に訪れる未来であろうことを予感して、三人は声にならない悲鳴を上げた。

 

 

 

*1
ヒナこら太ー!







手持ちポケモン

〇朝木レイジ
クロバット♂:Lv40
ニューラ♀:Lv41
ジャローダ:Lv37
ブロスター♂:Lv39
ガブリアス♂:Lv49




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なまける術を知らぬ心

 

 

 朝木が目を覚ましたのは、月も高く昇った深夜のことだった。

 

 

「んがっ……」

 

 

 全身に走る痛みが現実感を急速に呼び起こし、先に自分たちの身に起きた事態を想起させ、急激に彼の顔から血の気を引かせた。

 朝木は思わず胸元に手を当て心臓の鼓動を確認した。早鐘を打つ鼓動が自身の生を実感させる。

 

 アキラの「特訓」は、誇張抜きに死者が出かねないほどに過酷なものだった。何度か実際に心臓が止まったのではないかと感じるほどに不自然な記憶の空白があったほどだ。

 しかし、なぜ「何度か仲間に殺されたかもしれない」などというあまりに殺伐とした懸念を抱かなければならないのか。朝木は渇いた笑いを漏らす他無かった。

 

 

(真剣なのは分かんだけどな……)

 

 

 真剣だし、真面目だ。だが同時に本気すぎるし、何より余裕が無さすぎる。

 顔は極めて整っているが、険しい表情以外をほとんど見たことは無い。常に殺気立っていて冷静・冷徹な性格であることから、整いすぎている容姿との相乗効果で、その印象は人斬りの妖刀や断頭台の刃かと言うほどに鋭利で冷ややかだ。あれならいっそ木石の方がよっぽど人間味がある――などと、何度考えたことか。

 時折覗かせる柔らかい表情のおかげでかろうじて人間かなぁと思わされるが、いっそ擬人化した刀か何かと言われた方がよっぽどしっくりくるのがアキラだった。伊達に刀祢などという苗字ではない。問題は同じ苗字のユヅキが感情豊かな方だということだが。もしや彼女は妹に感情を吸われているのではなかろうかと、益体も無い妄想が浮かんだ。

 

 

「……腹減った」

 

 

 ふと、状況が落ち着いて来ると、彼は唐突に空腹感を覚えた。極度の疲労感のせいで何か食べる前に眠ってしまったせいだ。

 いや、そもそも果たして「眠った」と表現していいものかどうか。気絶か、あるいは死亡一歩手前の意識喪失状態だったのではなかろうか。

 

 

(ヨウタ君たちまでダウンしてんのはシャレんなんねーなぁ……)

 

 

 驚くべきなのは、ヒナヨはともかく、普段の訓練で人一倍よく動いて鍛えているはずのヨウタでさえ、尋常ではない過負荷に耐えかねてダウンしてしまった点だ。

 もっと驚くべきは、顔色ひとつ変えず――流石に汗くらいはかいていたが――訓練を終えたアキラだが、彼女は存在そのものが理不尽に片足を突っ込んでいることもあって、朝木にとってはスルーすべき対象でもある。

 

 痛む体を起こせば、全身の骨がバキバキと異様なほどに音を立てる。折れてはいないが、それでもその寸前の状態ではなかろうかと小さな不安が募った。

 

 

「バッ……」

 

 

 唐突に、朝木の背後から声が発せられる。同じく特訓で疲れ切って眠っていたはずのクロバットだ。

 元が夜行性のポケモンであるため、鋭敏になった感覚で朝木の発した声や音を聞きつけたのだった。彼も朝木と同じく食事の前に眠ってしまったからか、物欲しそうな目つきで朝木をじっと見ている。

 

 

「……何か食うか」

「クロバッ」

 

 

 提案に応じてはばたき始めたクロバットは、一メートルほどの間隔をあけて朝木の後について飛んだ。

 先日までは三メートル以上は離れていたのが、この進歩だ。朝木は嬉しくなると同時に、少しだけ気恥ずかしくなった。

 

 

「男のツンデレの需要は限定的だぞ」

「ババッ」

「いってぇ!」

 

 

 彼の口にはワックスが塗られていた。

 

 ともあれ、食事である。とはいえ基本、キャンプ用具などはトラックに積み込んでいるため、この場で自炊はできない。

 戦闘の長期化もあって、食事のほとんどはインスタント食品か冷凍食品に限られる。しかし今日、彼らの目に映ったものはそれらと趣が異なっていた。

 

 

「ん……ん、何だ?」

「バッ?」

 

 

 彼らが普段食卓として利用している折り畳みの机、その上に見慣れない大皿が複数あったのだ。

 中身はいずれも茶色く、彩りには欠ける。しかし、炊き込みご飯で作られたらしいおにぎりやシンプルな肉団子は、一度眠って極度の空腹状態に陥った朝木たちにはひどく魅力的で、栄養を考えての取り合わせと思しきナスとインゲンの煮物などは、今すぐにでも手をつけてしまいたくなるほどだ。

 

 

「ババッ!」

「待てクロバット!」

「クロバッ?」

「何でコレがこんなところにあるんだ? 勝手に食べたらヤバいやつかもしれん。アキラちゃんが明日の朝飯のために用意したとか……」

「バッ……」

 

 

 と言うよりも、消去法で考えれば彼女以外にそれができる人間がいない。

 加えてこのあからさまなほどに手作り感溢れる料理。自宅も近いのだから、ついでに持って来たと考えるのが自然だ。

 そうなると、勝手にこれに手を出すことは憚られる。仲間に対して甘い彼女であっても、その辺りの線引きははっきりとしているため、怒られる、ないしは凄まじい修行に巻き込まれて大変な目に遭うことは確実だ。

 

 

「まずはアキラちゃんに確認を取ろうぜ。寝てたりしたら、まあ、しょうがないし……ちょっとだけ貰って後で謝ろう」

「クロババッ」

 

 

 そもそもが相当に遅い時間だ。流石に彼女も眠っている可能性が高い。

 多少空腹であっても眠ることはできるが、それも度が過ぎれば寝つきは最悪になる。質の良い訓練のためには質の良い休息が必要だなどということはアキラもよく分かっているはずだった。食べ尽くしたというわけでもなければ、流石の彼女もそう悪く言いはしないだろう。

 

 ふたりは周囲を見回した。当然ながら、夜の山中に人影などは見られない。

 そのはずだったのだが。

 

 

「……オイオイオイ」

 

 

 まるで当然のように、アキラは訓練を行っていた。

 朝木たちが休憩していた場所からは相当に離れた場所だ。クロバットが空から発見できていなければ、まず間違いなく見落としていたことだろう。

 彼女が利用しているのは、昼間に引き続いてデオキシスの作った「壁」を応用した即席の高重力空間だ。内部こそ透けて見えるが、音が漏れることは無い。それは隠密性に気を遣ったと言うよりも……。

 

 

「俺らが寝てるから起こさないようにしてんのか?」

 

 

 彼女の性質からすれば、ありえないことではない。

 生真面目で融通のきかない、極めて不器用な堅物。同時に確かな優しさを内に秘めているが――秘めているだけで滅多なことでは表に出さない。

 その様は人間としてあまりに武骨で、「人らしさ」が損なわれているようにも感じられた。そのあり方は正義の味方……という温かみのあるものではない。「正義」そのものだ。人としての正道に拘泥しすぎ、それ故に人としてあるべき情や欲というものを切り捨ててしまってすらいる。少なくとも朝木にはそういう風に見えていた。

 

 

「……ババッ」

「だよなぁ」

 

 

 しかし、それとこれとは別に、朝木もクロバットもなんとなく、彼女の行動に対して小さな反感を持った。

 

 

「うぉぉぉぉーい」

「うわああああぁぁっ!!?」

 

 

 そこで彼は、その場に展開している壁にへばりついた。

 淡く発光しているとはいえ、基本的には透明な壁面だ。何が――あるいは誰がやってきたのか、何をしているのか、という点はすぐに分かる。あまりに唐突にやってきた朝木に、流石のアキラも驚きを露にした。

 まして今は既に深夜だ。いっそホラーじみてすらいるその姿は、アキラを戦慄させるのに十分な威力を秘めていると言えよう。いくら歴戦の猛者と呼んでも過言ではない彼女とは言えど、怖いものは怖い。

 

 

「な、ななっ」

 

 

 想定外の闖入者だ。理解が及ばずに訓練の手を止めた彼女に向かって、朝木はジェスチャーでこの「壁」を一時的に消して自分たちを内部に入れるよう呼びかける。

 

 

「い、いやいやいや……」

 

 

 アキラは(かぶり)を振った。随分と離れた場所にいるはずなのに、どうして朝木はこの場所のことをかぎつけてきたのか。そしてなぜ、よりにもよってここで中に入ろうとしてきているのか。様々な疑問が浮かんで混乱に支配されかける彼女を置いて、デオキシスが代わるように「壁」を開く。

 これ幸いと入り込んだ朝木は、「じゅうりょく」が解除されたらしき空間の中、困惑しきりのアキラの前にどっかりと腰を下ろして目線を合わせ――ようとして、先程までチャムの攻撃で熱されていたらしい地面の恐ろしいまでの熱にやられて中腰になった。あまりにも格好がつかない。

 

 

「な……何やってるんだ、こんな時間に……?」

「こっちの台詞だぜそりゃ。一人で何をしてるんだよ」

「特訓だよ。何か問題でもあるか?」

「『こんな時間』なんだから寝ろよマジで。疲れ残してたらなんもできねーぞ」

 

 

 朝木の言葉に、アキラは小さく「ぐぅ」とうめき声を漏らして不満げな顔を浮かべた。

 こういったところは年相応な部分があるのだ。内容はともかく。

 

 

「それが嫌なら俺らも混ぜろ」

「は……はぁ!? いや、そういうわけにいかないから、一人で……だって、みんな疲れてるし……」

「疲れてんのはアキラちゃんだってそうだろ」

「そこまでじゃ……」

「『そこまで』ってことは疲れてることには変わりねえんだろ。自分では気づけてねえだけだぜ、それ。断言してもいいけど、何かの拍子にカクンと行くぞ」

「…………」

 

 

 何故だか妙に実感の込められた言葉に、アキラは返す言葉が浮かばなかった。

 

 

「それに、もうちょっと気を楽に……ってのは無理だろうけどよ、そこまで根詰めない方がいいだろ。逆に能率落ちるぞ」

「む……無理をしてるわけじゃない」

「本当かよ。俺にはなんか焦ってるように見えるが」

「………………」

 

 

 その指摘に心当たりでもあったのか、彼女は反論まではしなくとも、そのまま朝木から目を逸らした。

 気まずくなった雰囲気をかぎ取ったためか、ギルがアキラを庇うようにして前に出ようとする。そういうつもりじゃない、と朝木はビビり倒しながらそれを手で制した。

 

 

「何かあったか?」

 

 

 そう問えば、アキラは少しだけ考えた後、ぽつりと小さく呟くように応じた。

 

 

「今のままじゃ、ミュウツーに勝てない」

「悪り、ちょっと話のレベルが高すぎて聞き逃した。なんて?」

「ミュウツーに勝てない……」

「正気かよ」

「正気だが」

 

 

 朝木は現実味の薄いその言葉にドン引きした。

 少なくともミュウツーは朝木の知る限り、アルセウスなどの規格外を除けば最強と呼んでいいポケモンだ。弱点はあるし、ヨウタが追い詰めた実績もある。しかしそれでもまだ揺るがず「最強」の座に君臨していることには間違いない。

 それでも、アキラ自身はミュウツーを超えることは絶対条件だと考えていた。

 

 

「ミュウツーは二匹いるんだぞ」

「え……あっ」

「ヨウタが片方を抑えられても、もう片方が止まらない。それに、万が一……万が一だけど、三匹目や四匹目がいたらどうするんだよ。多分、技術自体はあるぞ」

 

 

 ミュウツーは人工的に遺伝子操作を施されて生まれたポケモンだ。科学技術によって生まれた以上、その誕生に至るまでの詳細な手順を残しておくべきものだし、規則性と再現性は必ず存在している。もし仮にサカキの手元に無かったとしても、異世界のどこかにはあるだろう。

 異世界に行って捕獲してくるということもありうる。いずれにせよ増える可能性があるのだ。ミュウツーが。

 

 

「……で、そのミュウツーは誰が扱えるんだ?」

「サカキと……サカキと……」

 

 

 思い当たらなかったようだ。

 懸念そのものは間違っていないが、その可能性自体は低い。

 ミュウツーはその狂暴性もあって、本来、極めて扱いにくいポケモンだ。まともに運用するためにはそれこそサカキと同レベルのトレーナー能力が必要になる。

 どこまで行っても「できるからと言ってやろうとしたら組織自体が物理的な意味で崩壊しかねない」という極めて高いリスクを背負うことになる。必要性は薄い。

 

 

「直に一度戦ってどんだけ強いのか分かったからっつっても、そんな調子じゃじきに心の方が潰れちまう。敵を倒せても、普通の生活が送れなくなるぞ」

「映画みたいな……」

「ランボーみたいにな。だから今日はもう寝ようぜ」

 

 

 実際、彼女の心は今、奇跡的なバランスの上に成り立っている。崩壊していないのが不思議なほどだ。

 そしてこんな状態では、たとえ平和になったとしても日常に溶け込めるかは怪しい。

 

 

「デオキシス」

「▼▼▼▼……」

 

 

 アキラの指示に合わせて、デオキシスは壁を消した。

 夜の澄んだ空気が吹き抜ける。そこに僅かな日常感と安心を覚えたか、彼女は小さく息をついた。

 

 

「その普通の生活に、誰一人欠けててほしくないから、頑張ってるんだけどな……」

「そこにアキラちゃんもいなきゃ、意味ねえよ」

 

 

 以前の朝木なら絶対に口にもしなかっただろうカラッとした言葉に、アキラはフイと顔を背けた。

 まるで、朱に染まった頬の色を見られまいとするように。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 翌朝、ヨウタたちは長時間の睡眠でなんとか疲労の取れた状態で、ようやく食事にありついていた。

 もそもそと口に運んでいるのは、炊き込みご飯のおにぎり――ではなく、中華ちまきをおにぎりにしたものだ。

 

 

「これアキラの手作り?」

「まあ」

 

 

 朝木は驚愕した。どこにそんな体力があったというのだろう、この娘は。

 

 

「てっきり俺はアキラちゃんのおばあさんが作ってくれたもんとばかり……」

「そっちの煮物はばーちゃんが作ってくれたやつ」

「だろうね」

「全体的に茶色いわ……生野菜が欲しい……」

「野菜自体の供給が無いし……」

 

 

 既に二十日近く、四国は封鎖され続けている。当然ながら食料は四国内部で補う他無い。土地柄、畑などが多いこともあって多少は野菜の供給もできているが、それでもその量はたかが知れている。冷凍や加熱などして加工して消費期限を引き延ばすかというのが、現状では最も有効な対策だろう。

 よってサラダなどの生野菜を利用した食品は滅多なことでは口に入らない。ヒナヨだけでなく、実を言えばアキラとしてもその辺りは不満であった。

 

 

「そんなにサラダ欲しいかな?」

「俺はあんまり」

「カーッ! これだから男子は! ねえ!?」

「わたしに聞くな」

「お野菜の煮物めっちゃ食べてるじゃない」

「これは……ばーちゃんが作ってくれたから……」

 

 

 アキラにとっての好物は基本、祖母の作ってくれたものだ。

 味覚の変化も多分にあるが、それ以上に単に久しぶりの祖母の煮物に舌鼓を打っているというのが実情である。

 

 

「おばあちゃんっ子か」

「多分僕が知ってる中で一、二を争うレベルでそうだよ」

「それはいいだろ。それより戦況!」

 

 

 露骨な話題逸らしに、三人は苦笑いした。

 

 

「ユヅちゃんたちの方針は?」

「おとといから同じ。とりあえず心当たりを回ってもらってる」

「……ってのは流石に不親切すぎるから私の方で方針は示したわ。今目指してもらってるのはいわゆる『霊地』ってやつね」

「霊地? またなんかどっかのファンタジーチックな……」

「実際この状況自体がファンタジーよ。で、必要なことは何か分かる? はいヨウタくん」

「えっ。あー……っと、ウルトラホールが開きそうな場所?」

「半分正解。厳密にはウルトラホールが『かつて開いたかもしれない』場所よ」

 

 

 言うと、ヒナヨは三人に示すように手をひらりと振って、指を一本立てる。

 彼らが探しているのがウルトラホールの開く場所という点では間違いないが、そこにはまず共有しておくべき認識があると判断したためだ。

 

 

「まずこれは大事な話なんだけど、何でRR団(あいつら)剣山を本拠地にしたの? 『知らない』とか『興味ない』はナシね」

「……四国が人口少ないから支配するのに都合よくて、剣山がこの辺じゃ高くて目立つからじゃねえの?」

「それもあるけど、私は『最初にあの場所に来たから』だと思うの」

「剣山にウルトラホールが開いたって?」

「ええ、可能性だけれど。知ってる? 剣山の大蛇の伝説」

 

 

 ――曰く、それは1970年代のこと。剣山にて全長10メートルはあろうかという青黒い大蛇を発見したという。

 当時はそれなりのニュースとなったようだが、最終的には這った跡以外何も見つかることは無く、現在に至るまで未確認生物……UMAとして扱われている。

 

 

「それがポケモンだって?」

「私はそうだと思ってる。それだけじゃないわ。剣山って昔から色んな伝承があるらしいのよ」

「伝承ってかそれMMRとかのヨタ話じゃ……」

「明確に否定する根拠も無い。そうでしょ?」

「無敵かこいつ」

「悪魔の証明じゃねーか」

 

 

 とはいえ現在の情勢そのものが、彼女の推測を裏付けるものとなっている。

 それはない、と言いつつも、朝木やアキラも明確に否定するだけの材料は持ち合わせていなかった。

 

 

「とにかく今は藁でも何でも掴まなきゃいけないのよ。で、そういう『かつてウルトラホールが開いた場所』をアンカーにしてこっちに来たと考えられるわけ。はい。じゃあ次の問題。これを踏まえて考えると、パワースポットって何? はいアキラ」

「……ウルトラホールが開いてオーラが降り注いでる場所?」

「ってことと推測できるわ。ここで質問。四国で一番有名なパワースポットは?」

「そりゃあオメー八十は……お、おいまさか」

「察しの通り――今ゆずきちたちは八十八か所巡りをしてるのよ!!」

「この状況でかよ!?」

「この状況だからよ!」

「……それってどれだけ変なことなの、アキラ?」

「この状況下で島巡りするくらい」

「それでも島巡りならやりそうな気がするよ」

「……あ……うん……」

 

 

 八十八か所参りがある種の伝統行事であることを考えると、立ち位置としてはそのようなところだろうとアキラは考えていた。

 もっとも、ヨウタの中では重要性はかなり異なる。様々な意味で将来に関わってくる島巡りがイベントとしてやや異質というのもあるのだ。最終的に何だかんだ言って島巡りが中止されることは無いんじゃないだろうかと彼は考えている。ヨウタは半目で微妙な顔をして見せた。

 もしかしてヨウタは、島巡りそのものにはあまり良い思い出が無いのでは? アキラは訝しんだ。

 

 

「僕らはその間、伝説のポケモン探し?」

「いや、アイテム探し優先した方がいいんじゃないか?」

「うん、回復もままならないもの。とりあえず、アキラのおばあちゃんのところにメディカルマシンとか置いてはきたけど」

「アレも自衛隊の人たちに使ってほしいしな……」

 

 

 何度か行われた「いやしのはどう」による治療ですっかり体調の戻ったヨウタの問いかけに、ヒナヨとアキラは難色を示す。

 やはり、伝説のポケモンを探すというのは当面の目標としては間違いないが、それ以上に物資の不足の方がよほど深刻だった。

 

 

「だから基地襲撃して嫌がらせして回るのよ」

「言い方をもうちょっとさぁ」

「でも戦術の真理だって小暮さん言ってたぞ」

「オブラートに包めって言ってるんだよ僕は」

「取り繕っても変わらないんだから放火して略奪するでいいじゃないか」

「オブラートに包めって言ってるんだよ!」

 

 

 言い方が最悪である。これでは火事場泥棒だ。

 実質的にやっていることはもっとタチの悪いことだが、しかしこれが有効な手段であることも否定できない。

 外聞を気にしないアキラはあっけらかんと言ってのけていた。

 

 

「ああ、まあ、なんだ。その辺のことは任せるよ。俺はちょっと別行動していいか?」

「え、何で?」

 

 

 そこで、三人に向けて朝木が遠慮がちに提案を告げる。

 この中で唯一医療技術に秀でる彼が抜けるというのは、少なくない戦力低下を引き起こすことになりかねないことだ。

 

 

「考えがあるんだ。伝説のポケモンを引き入れられるかもしれねえ」

「だったら誰かと一緒に」

「いや、一人じゃなきゃダメ(・・・・・・・・・)だ。これはマジで。アキラちゃんたちが、ってか東雲君たちもだけど、俺以外の誰かが混ざってたら状況が変わりそうだ」

 

 

 首を傾げる三人に、朝木は続けて、僅かに緊張した面持ちで告げた。

 

 

「――けどうまく行けば、ゲーチスを再起不能に追い込める」

「すぐやりなさい」

 

 

 食い気味のヒナヨの言葉に押され、朝木の提案はその場で即座に可決された。

 

 







 いつも誤字報告など助かっております。
 朝木のターン続きだったので次回あたりいったん他面子の描写挟んで計画の全容を次々回あたりで描ければと思ってます。




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たいあたりの謀計

 

 

 この世界の戦いにおいて、少数精鋭とならざるをえないアキラたちにとって、個々のパーティの強化は急務である。

 既に一般的な限度である六匹を超えて手持ちのポケモンを増やしているヨウタやアキラなどは、基礎能力の向上によってより「個」の強さを突き詰めていく段階に入っているが、そうではない五人は常に新たな仲間を求めていた。

 しかし。

 

 

「………………」

 

 

 東雲は、後ろ足で砂をぶちまけて去っていくモグリューを見送った。

 全身は砂どころか雪交じりの泥塗れで、なんとも無情な感が漂っている。

 四国八十八か所を巡る旅の中、ついでに行われている勧誘はかれこれ十数度に及んでいるが、東雲のパーティメンバーは一向に増える兆しを見せない。慰めるように肩に止まったワシボンの気遣いが心に沁みるが、現実が特に変わるわけではない。虚しい限りだった。

 

 

「ダメでした」

「東雲さんも……ですか……」

 

 

 問題は、生来の生真面目さに由来する口下手さだ。

 同僚や仲間たちに用件を伝えたり相談したりということであれば、一切問題は無い。既に仲間となっているワシボンなどに見られるように、「仲間から」の信頼をより強くする能力に関してはナナセも東雲も申し分ないものを持っているが、「仲間になるまで」という点は極めて難易度が高かった。

 

 

「……何かコツは無いだろうか、ユヅキさん」

「う、うーん。ウチもフィーリング? だから、コツっていうコツは無くって……ごめんなさい」

「ガウッ」

「あいすす」

「ゴゴォ」

 

 

 申し訳なさそうにするユヅキ――と、彼女に倣って同じく何やら頭を下げているらしいルル、そして二匹のポケモンを見て、東雲とナナセは苦笑いを浮かべた。

 ユキハミのハミィと、ゴルーグのゴルムス。いずれも雪山にいる間に仲良くなってユヅキの手持ちになったポケモンだ。

 どちらもごく些細なきっかけから出会ったポケモンで、ユキハミ(ハミィ)は食事の匂いを嗅ぎつけたところに自分の分を分けてやることで。ゴルーグ(ゴルムス)は急激な寒波のせいで凍り付き、地面に埋まっていたのを助けたことで仲良くなったかたちだ。

 

 

「ユヅは最終的にはフィーリングが合ったかどうかが大きいけど、ポケモンのことを感知する能力が高いことも大きいと思うロト。ポケモンと多く出会うから、結果的に良い出会いに恵まれてるの」

「そうですね……思えば、仲間にならないまでも……仲良くなったポケモン自体は、多かったように思います……」

 

 

 ユヅキはすぐに二匹に出会って即座に仲間にしたわけではない。そこに至るまでには、何度かポケモンたちとの出会いがあったのだ。

 例えば、寒さにやられて尻尾の火が消えかけたヒトカゲと出会ったりもしているが、これは結局山を降りるまで一緒だっただけだ。雪山という過酷な環境に強くなるための極意を見出したらしいコジョフーと一緒に修行などしていたが、それも結局は同行することなく別れている。コミュニケーションを行うことを厭わずにぶつかっていくことで心を通わせていく、というのは、活動的なユヅキだからこその手法と言える。

 

 

「どうやって、そういったポケモンを……見つけているのでしょう……?」

「え……気?」

 

 

 それに伴う技能が特異すぎてアキラしか真似できなかった。

 東雲とナナセは色々と諦めた。

 同時に、彼女らはやはり姉妹なのだと思い至る。ヨウタを除けば、最も早く手持ちを六匹揃えていたのがアキラである。ポケモンの気持ちをよく読み取って彼らに寄り添うことで、彼女に続いて六匹を揃えたユヅキは間違いなく優秀なトレーナーと言えた。他の人間に可能かどうかは置いておいて。

 

 対して、自衛官として、あるいは学生として、平時なら問題の無い東雲とナナセの気質は、今この場においては少なからず足を引っ張ってしまうことになってしまっていた。

 

 

「…………」

「どーしたの?」

「い、いや……」

 

 

 ならば、アキラたちと出会った時のような態度で接するか? と考えて、即座に東雲はそれを切って捨てた。

 アレは、アキラやヨウタのみならず、自分の手持ちポケモンたちにも非常にウケが悪い。他の多くのポケモンにとってもそうだろう。

 

 

「焦りすぎはダメロト。ショウゴもナナセもいい人なのは、付き合いが深くなればポケモンたちも分かってくれるロ。ただ、ポケモンは人間に興味が無い子も多いから……」

「根気よく、か」

「ロト……ボクにはこれくらいしか言えなくってごめんロト……」

「いえ……お気遣いありがとうございますね……」

「えっと、あの、そう! 人間もポケモンもそうだけど、自分たちとか、自分の居場所とかが危ないってことが分かんないと、どうしてもやる気が出なかったりするでしょ?」

「……危機感が、足りないと」

「そんな感じ」

 

 

 当然ながら、そういった損得勘定を超えた信頼で結ばれている者たちもいる。しかし、現状を考慮するなら、必要なのは自らも当事者であり「敵」を打ち払わなければ死ぬ、という明確な危機感である。

 一般市民ですら我関せず、自分だけは大丈夫、という態度を貫く者が多い中で、そういった意識を持たせるのは至難だ。

 あるいはそれこそ、アキラの手持ちポケモンたちのように危機感を共有し、レインボーロケット団の脅威を実感し……というプロセスさえ踏むことができれば、ある程度はすんなりと仲間になってくれるだろうが。

 

 

「あ……」

 

 

 そこまで考えて、ナナセはもしや、という考えに至る。

 しかしながら彼女は苦虫を噛み潰したような表情だった。それはあまりに暴力的で、短絡的で、ナナセにとっては忌避すべき選択だったからだ。

 

 

「……あの」

「どしたのナナセさん?」

「はい、その……」

 

 

 少しの間逡巡し、彼女は遠慮がちに流げる。

 

 

「……飛び出してきたポケモンを戦闘不能にして、無理やりにでも話を聞いてもらいましょう……」

「え?」

「は?」

 

 

 ――とりあえずブッ飛ばす。話はそれからだ。

 

 アキラは一言も口にさえしてない言葉を脳内で捏造されていた。

 とはいえ彼女のスタンスを思えば、この程度はむしろ生温い。現実はもっと過激である。

 だからこのくらいは許してください、とナナセは内心で軽く頭を下げた。

 

 

「……ロトムさん」

「あ、ウン」

「……ポケモンは、本能的に闘争心が強く、戦って進化することを求めている生き物……ですね?」

「生物学的にはそれで間違いないロト」

「ですので、一度……原点に、立ち返ります」

「……つまり?」

「戦って、弱らせて、ゲットします」

 

 

 即ち、「ゲームにおける」ポケモンとの接し方だ。

 厳密にはゲームのそれと異なり、対話の席についてもらうことを前提に、その場から逃がさないために戦うのだ。つまり。

 

 

「……殴り合って……理解し(わかり)あいます」

 

 

 ――貴重な参謀役が提案したのは、脳筋の極みの如き解決方法だった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 敵の拠点を奇襲する、とひと口に行っても、その目的は時によって異なる。

 例えば物資目的の略奪、施設の破壊や要人の暗殺、あるいはそれそのものが陽動であったり、それらの複合……など、実行する側、される側。戦況によっても異なる。

 そんな中で現在の戦況を鑑みて採るべき選択は。

 

 

「全部だ」

 

 

 アキラは高らかにそう宣言した。

 ヨウタとヒナヨは閉口した。正気かこの女。

 

 

「アナタ優先順位って言葉知ってる?」

「脊髄反射的に脳の茹だったこと言ってるようにしか聞こえないけど、もしかしたら深い考えがあるかもしれないよ。もうちょっと詳しく聞こうよ」

「お前ら失礼極まるぞ」

 

 

 それもこれも普段の言動のせいで彼女自身にも自覚はあるが、それはそれとしてと全て棚に上げて彼女は遠くに見える香川の防災センターを指差した。

 

 

「順序の問題だ。『最終的に』全部やる。まず、物資の強奪から。溜め込んでるものを全部いただく。可能なら、ついでに施設も破壊する」

「兵糧攻めってわけね。その後は?」

「何も」

「え?」

何もしない(・・・・・)。監視にデオキシスの複製体(シャドー)だけ置いて、動きがあったらアクションをかけるだけ」

 

 

 ヨウタはしばし首を傾げていたが、その言葉の意味するところを理解したヒナヨは、うわ、と顔を引き攣らせた。

 

 

「つまり、そのまま干し殺すってこと……?」

「うん」

 

 

 動き、とは、即ち補給物資の搬入や街への略奪行為のことを指す。

 何か運び込むなら先回りして潰す。街へ繰り出そうとしたら何か奪う前に潰す。そうして構成員の体力を奪い尽くすのだ。

 

 

「人質とか……」

「そんな時のための『テレポート』だよ。わたしには誰かがそこにいるならすぐに分かる。誰にも手は出させない」

 

 

 それは戦いの当初、市役所の戦いで人質を取られたことで動き辛くされたことの反省なのだが、ヨウタはまた別の考えに至っていた。

 もしや、アキラはエスパータイプのポケモンとの相性が極めて良いのではないだろうか?

 彼女の感知能力は、波動使いということも相まって、下手をすればそれこそエスパーポケモンをも超えるほどのものがある。そしてポケモンの方はテレパシーによって言葉では伝わりきらない詳細な情報を正確に受け取り、過不足無い必要十分な能力で応じる。デオキシスと組んだ今のアキラなら、ヨウタにも比肩しうる可能性があった。

 

 

「その上弱らせた団員を餌に幹部を釣り上げるつもりでしょ」

「餌って……」

「わたしたちが来たと察して幹部を差し向けてくれる可能性があるわけだからな」

「幹部くらいは倒せるかもしれないけど、ボス格が来たらどうするのさ」

「脇目も振らず逃げる」

 

 

 いやいやいや、とやや武人気質のあるヨウタは逃げるということに対して、小さな拒否感を示した。

 「ダメだ! 勝負の最中に相手に背中を見せられない!」と言って茶化すべきかヒナヨは少し考えたが、ノリに任せて突っ切った。肘が入った。

 

 

「それはそれでいいんだよ。余計なことにわざわざ時間を割いてくれるんだぞ? 願ったりかなったりだ。精々無意味にやってきて、無駄に体力を消耗してもらう」

「そういう手ね……」

 

 

 つまり、長期戦を前提としたうえで、相手の継戦能力を徹底的に奪い尽くすという戦略だ。

 戦略眼というものは、アキラにとっては最も欠けていた資質である。それは才能が開花してきているのか、それとも後付けの能力なのか……頼もしいという気持ちはあるが、同時に懸念と不安も大きい。具体的に言えば、彼女自身に非が無くとも、何か妙な不運で作戦が全てご破算になるような類の事態が起きる可能性だ。

 はっきり言ってアキラは運が悪い。悪運はあるが、それは「何故か分からないが悪い方向に転がった状況の中で命からがら生き延びる」というような類のものだ。体を失うわ記憶を失うわ家族と離れ離れになるわこんな戦いの最前線に巻き込まれるわと、列挙してみれば彼女はロクな目に遭っていない。

 そんなアキラの立案した作戦だ。

 

 

((100%予想外の事態が起きる……))

 

 

 そもそも先の本拠地潜入の際も、自分を囮にすることをアキラが提案した結果、何だか分からないがとにかく大変なことになってしまったのだ。もう「想定外の事態が起きる」までは完全にヨウタとヒナヨの共通認識だった。

 それに関しても本人には一切非が無いのがタチの悪いところである。攻めて何が起きてもいいように、と二人はボールを握りしめた。

 

 

 そうこうして一時間ほど。潜入となると基本的に足手まといとなりかねないため、ヨウタとヒナヨの二人は外でアキラが戻るのを待っていたのだが、彼女は尋常ではない速度で物資の保管場所を探り当てると、デオキシスの複製体(シャドー)を上手く用いた「テレポート」で、宣言通り物資を根こそぎ奪うことに成功したのだった。

 問題はそこからである。

 

 

「なんか……随分賑やかになってきたわね……」

「えっ、何で……?」

 

 

 アキラは困惑した。

 確かにある程度、あえて痕跡は残していた。

 それは「敵が来た」ということを知らしめ、敵を釣り出すためである。そうして出てきたレインボーロケット団員を倒すことで、未帰還状態に陥らせる。そうなればレインボーロケット団員……フレア団員は警戒するだろう。同じ轍を踏むまいとして拠点での籠城を選択する。賢い人間だと自称しているフレア団員なら尚更だ。

 そうでなくとも、ある程度聡い者なら釣り出しという目的を看破するかもしれない。そうなっても結果は同じことだ。

 

 しかし、いずれにしてもアクションはもう少し後になるはずである。それがこうも蜂の巣をつついたような騒ぎになるというのは、おかしな話であった。

 

 

「わたし何かしたか……?」

 

 

 自問するように失態の有無を頭の中で確認し始めるアキラだが、まあ彼女は完璧にやるべきことをこなしただろうとヨウタは考えていた。それはそれとして。

 

 

「アキラ、戦闘準備」

「え、ああ。うん。……え?」

「こう言うのもなんだけどね、アナタ自身には別に何も問題は無いと思うの。無いんだけど――」

 

 

 施設から、無数の黒と黄色が飛び立っていく。いわゆる警戒色そのものの色味を映したそれらはの姿がはっきりと彼女たちの目に映るまで、そう時間はかからなかった。

 ――無数の、巨大なスピアーだ。

 

 

「アナタ致命的に運が無いわ」

「なんでぇ……?」

 

 

 アキラは困惑した。

 少し――いや、少しどころではない。本気で想定外だ。

 

 彼女自身は知らなかったが、先の本拠地襲撃に際してポケモンの強制進化装置の実験場も崩落している。

 それに合わせて、装置の量産を行うと同時に実験場の機能を分割した上で他の拠点に順次移していき、戦力の拡充を図ろうとしていたのだった……が、アキラが目標に選んだ拠点も、偶然にもそうして強制進化装置の運び込まれた場所だったということだ。

 情報を先に集めていればそれも分かっただろうが、そもそも今回の襲撃自体情報収集の一環として行っているのだ。想定なんてできようはずもない。

 

 

「あ、気付かれた……」

 

 

 元のビードルの生息域が四国においては広く、それなりに頻繁に出会えるポケモンだ。それらを全て進化させたなら、数百、場合によっては数千もの軍勢が完成する。

 それだけの数での人海戦術ともなれば、三人の姿などすぐに発見されてしまうのも道理だった。

 

 

「くそっ、やるしかない!」

「ヨウタくん、これ切り抜けたとして次の拠点に襲撃に行ったりしたら、どうなるかしら」

「ゲノセクト量産のためのラボだったに一票」

「じゃあ私はイクスパンションスーツ実験場に一票」

「お前ら変な賭けを始めるんじゃない!」

 

 

 とはいえ。

 彼らはまともな戦闘経験も無い上に狂暴化させられ、思考能力を奪われたポケモンである。三人の誰も、負けるとは欠片も考えてはいなかった。

 

 ――数秒後、暴風と灼熱と念力が、群がるスピアーたちを纏めて吹き飛ばした。

 

 






手持ちポケモン

〇刀祢ユヅキ
ルル(ヘルガー♀):Lv48
メロ(メタング):Lv44
ロン(ハリボーグ♂):Lv43
ジャック(ジャランゴ♂):Lv46
ハミィ(ユキハミ♀):Lv20
ゴルムス(ゴルーグ):Lv47




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白雪降る山にこごえるかぜが吹く

 

 

 

 

 ここからの戦い、もしかすると自分の行動こそが鍵を握ってくるのではないだろうか?

 そんな気持ちで意気揚々と石鎚山に向かった朝木は、一歩山中に足を踏み入れた段階で、寒さに震えながら自分の軽率な考えを後悔していた。

 

 

「…………」

 

 

 文字通り――死ぬほど寒い。

 人間の生存限界ギリギリ、どころか遥かにそれを下回る気温だ。人は寒さで死ぬのだと、温暖な気候のもと住んでいるため普段はまるで湧きもしない思考が、実感を伴ってやってくる。

 

 

「マニュッ!」

「…………」

 

 

 口開けてらんねえ、と割と切実に、彼は隣で何やらはしゃいでいるようにも見えるマニューラ――先の特訓の際、アキラたちの持って来た物資のおかげで進化した――へ、ジェスチャーで示した。

 全身を防寒具に包んでいてようやく活動できるほどの寒さだ。下手に粘膜を露出してしまえば凍傷になるし、悪化すればそこから壊死していく。

 

 状況として良くないのは、マニューラ以外のポケモンがこの雪山を歩くのに非常に適していないことも含まれる。

 というのが、そもそもマニューラとブロスターを除く三匹はいずれも寒さに激烈に弱い。そしてブロスターも原型(モチーフ)はロブスターである。

 ――冬眠するのだ。どのポケモンも。

 

 唯一クロバットは単にこおりタイプに弱いだけで冬眠するわけではないが、戦闘でもないのに吹雪の中で飛んでもらう、というのはあまりに酷だ。結局、マニューラだけで捜索することになってしまっていた。

 マニューラ自身の能力――というか、木に引っかき傷を作って遠く離れた場所にいる同族とコミュニケーションを取り合うという生態を利用していることもあり、伝説のポケモンの捜索自体は順調そのものなのだが。

 

 

(俺の推測が正しければ、って言いはしてみたけど、実際どうなるか分かんねーんだよなぁ)

 

 

 朝木は洞察力に長けた方ではないし、予測も得意ではない。

 ただ唯一、彼は自分のことだけはよく理解している。そして己に通じる俗物のこともよく理解している。

 それに当てはめて考えるなら――――。

 

 

(……それでも、まああいつは来るだろ)

 

 

 ゲーチスは先の本拠地襲撃の折、自ら引き入れたヒナヨに裏切りを受け、アキラと物資をまとめて奪われるのを阻止できなかったという致命的な失態を侵している。オマケにタワーそのものの基部を破壊された。修復にはそれなりの日数がかかることだろう。

 これを挽回するためには、それに値するだけの成果が必要になる。例えば、伝説のポケモンを捕まえる。例えば、今まで誰一人倒せなかったヨウタたち七人の内の誰かを始末する。

 

 

(食いつかざるを得ねーんだよな。と言うよりも、俗人(おれ)ならまず食いつく)

 

 

 無論、「あの」ゲーチスは、一度世界を手中に収めることができたほどに優れた頭脳を持つ。しかし、状況が状況だ。焦れば焦るほど、人は能力を発揮できなくなる。いかに明晰な頭脳を持っていようと、腐らせる。凡俗に貶められる(・・・・・・・・)

 人が人である以上、心の動きとそこから生じる能力面の揺らぎからは逃れることはできない。制御できる人間がいるとすれば――そう考えた朝木の頭に浮かんだのは、アキラだった。彼女は冷静沈着で常に心を闇に沈めたような戦い方をするが、怒ったら怒ったで逆により頭が冷静に回るようになる性質(たち)だ。言ってしまえば彼女と同レベルまで至っている戦闘巧者でもなければ、意図して怒りや憎しみといった心の動きを力に転化することは難しいのだ。

 それだって彼女個人の資質によるものが大きい。もしもゲーチスが同じことをやろうとすれば、破綻するのは目に見えている。

 

 

「準備がどこまで通用すっか……」

 

 

 ぽつりと呟くと同時に、朝木は自分の口が文字通り凍りかけるのが分かった。

 やべえ、と頭の中で叫びながらネックウォーマーを口元まで引き上げる。

 

 

「ニュア?」

「お前は平気そうだな」

 

 

 マニューラは防寒具など身に着けてはいないが、当然のように口を開いていて、何のダメージも負っていない。

 種族の特性によるものなのだろう。正直に言って、朝木はちょっと羨ましかった。

 しかし、こおりタイプのポケモンなのだからマニューラは他のポケモンのように体温は高くない。外気よりもマシというだけで、抱き着こうものなら容赦なく体温を奪われることだろう。ほのおタイプのポケモンもエスパータイプのポケモンも手持ちにいない朝木に、この環境はいささか以上に過酷であった。

 

 

(みずタイプの「ねっとう」……無理だな、すぐ冷えて逆に死ぬ。電熱……なんか痺れるだけだろうしな。けど、逆にコレここまで寒けりゃ何がいるかなんて丸わかりだ)

 

 

 こおりタイプのポケモンは数多くいるが、その中で「伝説」と呼ぶに足るポケモンは多くない。

 朝木が即座に思い浮かんだものは三匹。そのうち、周囲一帯の環境を激変させるだけの力を持つものは――。

 

 

「マニュ」

「ん? おう」

 

 

 思考の途中で、マニューラが爪で朝木の服を引っ張った。人間には感じられない微弱な振動を感じ取り、敵がやってきたことを伝えているのだ。

 朝木は大きなため息をついた。やっとか、という思いと同時に、はえーよ、という思いも生じる。準備は可能な限りしていたが、だからと言ってそれが通じるとは限らないし、何より朝木の能力が他の面々の誰よりも低いことは、彼自身が自覚している。勝てるかどうかは賭けだ。

 それでも彼は、ぐっと堪えて恐れを押し殺した。

 

 

(……なんとかするっきゃねえ。アキラちゃんやヒナヨちゃんも……そうだ、全員俺より遥かに分の悪い賭けしてるんだ。俺が引いたら皆のやってきたことが台無しになっちまう)

 

 

 そうしているうちに、遠方から地鳴りのような音が響く。冷や汗が流れるのを感じたと同時、朝木はそれが山頂からの音であると気が付いた。

 ――雪崩だ。

 

 

「お、おおおおっ!?」

「ニュラ!?」

 

 

 先制攻撃を受ける可能性は既に想定していた。しかし、それはあくまで個人か集団による奇襲、包囲といった攻撃であって、こういった環境を利用した圧倒的質量による攻撃は想定の外だ。危機感を覚えるより先に朝木はガブリアスをボールから出した。彼は前方からの雪崩と寒さで目が飛び出しそうなほどに驚きを露にしているが、今はそれどころではないとして、朝木はその場に大きめのプラスチック製のソリを置いた。

 

 

「逃げるぞ! 飛べガブリアス!」

「ガブ!?」

「ニュッ」

 

 

 え、マジで? と言わんばかりにガブリアスはマニューラにしがみつかれている朝木を振り返った。

 彼はそもそもが「戦力」として抜擢されたポケモンだ。これまでに参加した訓練もそのためにやってきたようなもので、ここで即逃走というのは肩透かしもいいところである。

 しかし、それ自体は朝木にとっても本来望むべきところではない。

 

 

「こんだけクソ寒い雪山にいやがるくせに周りの被害なんて考えず、自分が巻き込まれねー前提でぶっ放してきてんだよ連中! 断言してもいいが連れてきてんのは十中八九『まともじゃねえ』ポケモンだ! 例えばアキラちゃんのデオキシスみてーにな!」

「!」

 

 

 順序立てて説明されたことでガブリアスの側も理解に至ったらしく、「え、やべーじゃん」とでも言いたげに口を閉じられなくなった。

 そこで即座に行動に移すことができたのは、事前にカプ・コケコやデオキシスといった伝説のポケモンの力を目の当たりにしていたことが大きいだろう。脅威度が文字通り身に沁みて理解できている現状、逃げることそれ自体が戦術の一環とすら言えた。

 

 

「よォし逃げるぞ! せぇのオ゛オオオオォッ!!?」

「ニ゛ュ――――!!」

「ガァッ!?」

 

 

 ――ここで着目すべきは、ガブリアスの飛行速度だ。

 マッハポケモンの名前が示す通り、その最高速度は音速を優に超える。初速はそこまでは至らないとはいえ、全力で逃げ出そうというのだから、その加速度もそれに伴う負荷も、普通の人間である朝木に耐えきれるものではない。彼は肋骨が軋みを上げ、内臓が潰れかけるのを感じた。

 悲鳴を聞くことができたガブリアスがすぐに加速をやめたため大事には至らなかったが、彼はゴーグルをはじめとした防寒具で完全防備の態勢を整えていた自分を心から褒めてやった。

 

 

「ニュ……マニューラ! て、敵は!?」

「ニュッ!」

 

 

 亜音速の軌道の中、それでもマニューラの目は確実に敵の存在を捉えている。

 鋭く振り抜かれた腕の先から、「こおりのつぶて」が投擲される。灰色の空に浮かぶ白い影へと空気を切り裂いて氷塊が叩きつけられた――その瞬間、氷は影も残さず蒸発した。

 土交じりの濁流じみた雪崩をを見送り、朝木はマニューラに続いて「敵」の姿を見据える。

 

 ただ存在している、それだけで周囲の大気を揺らめかせるほどの熱量を持つ純白の竜。そして、その背に乗って忌々しげに朝木を睨み返す黒衣の男――レシラムと、ゲーチス。

 朝木にとっては紛れもなく今回の標的(ターゲット)であり、同時に明確な格上であるプラズマ団のボスだ。

 

 視線が絡む。それと同時に朝木は両腕を前に突き出し、思い切り中指をおっ立てた。

 そして直後、彼は瞬時に背を向けて脱兎の如く逃走した。

 その行動のなんと素早いことか。ゲーチスは思わず閉口した。と同時に、朝木が全力で自分を(・・・・・・)おちょくっている(・・・・・・・・)のだと芯から理解し、心の底から湧き出る怒りに駆られる。

 

 

「レシラム、『あおいほのお』!」

「ルゥゥーアァァッ!!」

「ッ、来るぞガブリアス! 上しょおヴェェェェッ!!」

 

 

 朝木の危険察知能力もさしたるものである。アキラたちとの特訓によって、より強いポケモンの存在とその苛烈な攻撃のことを理解していることもあり、背後から迫る圧倒的な脅威に対して半ば自動的に体が反応するようにすらなっているのだ。

 空間すら焼き尽くし、大気の水分すら根こそぎ蒸発させるほどの一撃だったが、慣性すら無視するほどのガブリアスの急上昇に対応しきれず、蒼い火炎は空を切る。朝木の身体もまた悲鳴を上げたが、彼はあえてその痛みを無視した。

 骨は折れていない。内臓は傷ついていない。ならば動くことはできる。と言うよりもこの程度のことで動くことをしなければ目の前のゲーチスに殺されるしゲーチスに殺されなくとも他の誰かに殺される。主に仲間(アキラ)に。

 

 

「ぐ、う、おおおお……ッ! ま、マニューラ! 『シャドークロー』!」

「ニュァッ!」

「クゥァァッ!!」

 

 

 レシラムの直上に位置取ったその段階で、マニューラの爪が黒く閃いた。深い影のように薄暗い色合いのエネルギーがレシラムに向けて放たれ、その外皮を薄く裂いていく。

 しかし、裂けたのは薄皮一枚程度。ダメージがまるで無いというのは遠目からでも見て取れる。

 

 

「『伝説』にその程度の力が通用するとでも……!?」

「レシラムに効こうが効くまいがテメーに当たりゃ一発だろ!」

「この期に及んで奇跡頼り……愚かなことです」

 

 

 ゲーチスの顔が、明確に侮蔑に歪んだ。

 それは力の差が明白であるにも関わらず挑みかかってくる愚か者への侮蔑であり、同時に「やりようによっては勝ち目がある」という考えへの明確な否定だ。

 

 

「『ハイパーボイス』」

「―――――――!!!!」

「なっ、ぐおあああああっ!!?」

「ガアァァウ!!?」

「ニャァッッ!!」

 

 

 瞬時に、一人と二匹(さんにん)の耳を爆発的な音響と熱波が貫いた。

 生物にとって防ぐことのできないものの代表格が、音と温度による攻撃だ。大気が存在する限り振動である音の伝達は止められないし、また、気温もそのまま伝達される。完全な真空を作り出すことで防ぐことはできるかもしれないが、人間は当然そのようなことはできないし、ポケモンでもそれができるものは限られる。

 

 そして、レシラムはそれができるポケモンだ。瞬時にゲーチスを覆うように熱の幕を作り出し、一瞬の間真空の壁を作り出す。「ハイパーボイス」による音波は本来まったくの無差別な攻撃だが、ゲーチスはそれに守られダメージを負うことは無い。

 対して、ダイレクトにそれらを受けた朝木たちは、全身に痛烈なダメージを負うこととなる。

 

 

「あっ、が――――く、クロバット!!」

 

 

 ガブリアスがダメージを受け、落下する。それは同時に朝木もまた相当な高度から落下するということだ。ポケモンたちは落下程度ではダメージになるかも怪しいところだが、生身の人間である朝木は確実に死ぬ。考えるよりも早く、彼はクロバットをボールから出していた。

 

 

(誰だよこいつをボスの中で一番弱いっつったの! 俺じゃ手に余りまくるぞ!!)

 

 

 しかし、それも事実ではある。ゲーチスは六人いるボス格の中では、間違いなく最弱だ。一流に片足を突っ込んでいるヒナヨやアキラ、既に特級のトレーナーであるヨウタだからこそ言えることではあるが。

 そもそもポケモンの中でも進化に要するレベルが非常に高いはずのサザンドラを手持ちに加えている――場合によっては強制進化マシンを使った可能性も考慮できるが――以上、彼のトレーナーとしての能力は高い。ただ、元の世界であればN、こちらの世界に来たのであればダークトリニティといった優秀な配下がいるため、その実力を披露する必要が無いだけなのだ。

 そうして配下に任せきりという事情もあって、根本的な部分で彼の腕は錆びついている。――ただ、それを補って余りあるほどに、伝説のポケモンがオーバースペックということでもあった。

 

 

「く――――、ッ!!」

 

 

 ――チリ、と不意に朝木は首筋に焼けるようなごく小さな刺激を感じた。

 以前にも味わったことのある感覚だ、と知覚すると同時に、彼は自身をゆっくり地面に降ろそうとするクロバットの背を叩いた。その一動作でクロバットも何かが起きるということを察し、朝木を振り回すような格好になってでもその場を離脱していく。

 そうして直後、寸前まで朝木たちのいた空間を、途方もない威力の「らいげき」が貫いた。

 空間を穿つように落ちて行った一撃は、そのまま地面へと激突し巨大なクレーターを刻み込む。露出した山肌を目にすると、朝木の冷や汗が止まらなくなった。

 

 

(一度アキラちゃんに電撃食らってなけりゃ、今頃……)

 

 

 奇しくも、朝木の命を救ったのは、アキラと出会った時に食らった電撃だ。あの時の痛みと恐怖は今でも心に焼き付いており、電撃と見ると今でも体がすくむ。

 高レベルのポケモンの電気ともなれば、もはやそれそのものが「死」を臭わせるほどだ。先程の攻撃などはその典型だった。

 

「やっぱりいやがるかよ、ゼクロム……!」

 

 

 灰色の雲に彩られた空を切り裂き、雷雲を纏って漆黒の竜が降り立つ。

 その瞳には確かに朝木の姿が映っているものの、しかし、同時にゼクロムは微塵も彼に興味を持っていない。ただ路傍の石でも見ているかのような面持ちだった。

 

 

「落ちていれば、楽に死ねたものを」

 

 

 馬鹿言え、そう簡単に死ねるわけねーだろ――と叩こうとした減らず口は、直後に叩きつけられるように放たれた無数の火炎と雷電によってかき消された。

 言葉を発するどころではない。意識を切らせばその瞬間に間違いなく死ぬ! はっきりとした確信を持って朝木はクロバットの脚を掴む手に力を込める。

 その姿を、ゲーチスは忌々し気に見つめた。

 

 

「不可解で、不愉快なことですよ。あの集団の中にあって、あなただけがあまりにも程度が低い人材なのです。だと言うのに、あまりにもよく粘る……」

 

 

 稲妻が大地を穿ち、火炎が木々を焼き払う。その中にあって、朝木はギリギリのところで生き残っている。

 自由に動くこともままならない空中から地上に降りたせいで、全身は雪が解けたことで生じた泥にまみれ、防寒具ももはやまともな形を保っていないが、それでも立ち止まることなく走り続け、攻撃を躱す。

 その行動は生存本能から来るものと言うには、あまりにも反抗の意志に満ちすぎている。明確な目的ありきの行動だ。それはゲーチスの目にも明らかだった。

 

 

「あなたが企んでいることを言い当てて差し上げましょう」

 

 

 ――無意味なことだ、とゲーチスは嘲った。

 

 

「あなたの狙いは、レシラムとゼクロム。この二匹を私から引きはがすことだ」

 

 

 そう告げた瞬間、朝木の表情が強張った。

 図星を突かれたのだ――ゲーチスは暗い感情をたたえてほくそ笑んだ。

 

 

「あまりにも愚かで、浅はかだ。あなたはこの旅の道のりで変わることができたと、自分も(・・・)英雄の(・・・)素質が生じた(・・・・・・)と、そう考えているはずだ。しかし、そのようなことはありえない。人はそう簡単に変われるものではないのです」

 

 

 レシラムとゼクロムがトレーナーを自らの主と認める条件は、「理想」と「真実」、それぞれが司る資質を満たす必要がある。

 当然、ゲーチスにそうした資質は無い。より英雄としての資質を持つトレーナーが現れれば、レシラムもゼクロムもゲーチスの制御から離れてしまうことだろう。彼はあくまで仮の主。本質的に二匹の竜を御することなどできないのだ。

 だからこそ、朝木はその一点に賭けたのだ。この旅を通して成長した自分であるからこそ、彼らに認めさせることができると考えた。そうゲーチスは推測する。

 

 

「あなたは常に流されて行動しているだけで、一人で私に挑むという英雄的行動も打算から行っている。これでどうして認められようか! レシラム、『クロスフレイム』! ゼクロム、『クロスサンダー』!」

「コォォォォォォ――――!」

「ギガアアァァァッ!!」

 

 

 ゲーチスが二匹に命じたその瞬間、彼らはその尾から吐き出す火炎と稲妻を絡ませ合った。

 互いが互いを食い合い、あるいは増幅し合うことでそこに内在するエネルギーが膨張する。

 ここまで、いちいち狙いをつけてから朝木へ攻撃を行っていたのだが、それは非効率なものである。伝説のポケモンが大した力を持たない一般人を狙うというのは、戦車で蟻を狙うようなものだ。強すぎる力がかえって邪魔をしてしまっている。

 

 ならば、とゲーチスが考えたのは、周囲一帯を消し飛ばしてしまうという作戦だった。

 粗雑極まりない発想だが、朝木は彼の想像以上にしぶとく、しかし矮小な男だ。上から丁寧に踏みつぶしさえすれば、どうということの無い相手でしかない。

 普段であれば必ず帯同しているはずのダークトリニティがいないのは、レシラムとゼクロムの全力戦闘を行うのに邪魔になりかねないからだ。彼らも有能なトレーナーだが、伝説のポケモンの広域殲滅攻撃に晒されればタダでは済まない。

 

 

「ババッ……クロバッ!」

「う、おおおおおおおおおおあぁぁっ!!」

 

 

 ――その狙いを誰よりも素早く察知したのは、クロバットだった。

 彼は再び朝木の身体を掴むと、高速で空に向かって飛び立ったのだ。山肌に向けて二筋の光が撃ち放たれると、それに伴い途方もない破壊の嵐が生じた。着弾と同時に生じた衝撃波によって弾丸のようになって飛んでくる木々や砂礫を、自らの身で防ぐことで、クロバットは朝木の体だけはなんとかして守り切ることができていた。

 

 しかし、それでもダメージは甚大なものとなる。衝撃を逃がすために空に跳んで逃げたまでは良かったが、着地のことまでは考慮に入れていなかったのだ。

 朝木は折れたか、あるいは単に筋を痛めたか分からない腕を懸命に振り、ジャローダをその場に出し――めき、という音と共に落下する。

 

 

「ガッ……!!」

「ジャロロ!」

 

 

 ジャローダの身体がクッションになることで落下の衝撃を緩和することには成功したが、朝木の身体は大きな悲鳴を上げていた。

 

 

「がっ、はぁ……!」

「あなたのように浅薄な人間の考えを読めないとでも思っていましたか? レシラムとゼクロムを連れているのは、あなた如きが英雄としての資質を備えることなど、絶対にありえないと理解していたからですよ」

「……く、ッ……! く、そ……んな……」

 

 

 朝木は唇を噛んでその場に崩れ落ちた。

 彼はずっと流されるがままに動いてきたのだ。その行動の目的も、多くは「仲間がそうしているから」という極めて消極的かつ自分自身の意思が介在していないものである。

 仮にそれが利己的な目的であっても、ゲーチスも「理想の世界を作る」ことを目的としている以上、それすらも無い朝木よりもよほどレシラムやゼクロムを操るに足る資格を持つと言えよう。

 

 

「……そんな……こと」

 

 

 しかし、彼の口から零れるものは、嘆きではない。

 

 

「知ってんだよ、このゲス野郎!!」

「!?」

 

 

 罵倒じみた啖呵を切ると同時――周囲に凄まじい冷気が満ちる。

 レシラムの熱量すらも凌駕し、凍えさせるほどの、それこそ絶対零度とすら思わせる冷気だ。それはぬかるんだ地面をも凍らせ、霜を降ろし、それどころか満ち満ちていく冷気によって水晶めいた氷の柱までもが屹立する。

 

 ――これだ。

 この瞬間を待っていたんだ、と朝木は唇の端を吊り上げた。

 

 

「俺に英雄の資質が無い!? ンなこと俺自身が誰より知ってんだよボケッ! 俺がここに来たのはな、テメーを……レシラムとゼクロムを(・・・・・・・・・・)釣り出すためだ! アイツ(・・・)は……間違いなくこいつらを求めてるからな!」

 

 

 ヒュオ、という音と共に、身を切るような風が通り抜ける。

 いや、それは音ではない。空洞を抜けていく風のようだが、紛れもなくそれは鳴き声――歓喜に満ちたポケモンの咆哮(・・)だ。

 

 

「ルァァァァァッ!!」

「ぬ、おおおおおおおおおっ!!?」

 

 

 次の瞬間、レシラムを叩き落すようにして、上空から腕のような、あるいは翼のような――数十メートルを超す氷塊が叩きつけられる。

 ゲーチスは心の中で鳴り響く警鐘に従い、レシラムに指示して地上に転がり落ちるように降りると、「それ」を行ったポケモンの姿をようやく目にした。

 氷の鎧の如き外皮と、純白と漆黒、ちょうどその中間のような灰色の体色を持つドラゴン。

 

 ――――きょうかいポケモン、キュレム。

 

 理想(ゼクロム)真実(レシラム)を失った抜け殻が固有の意思を持って動き始めた、伝説のポケモンである。

 確かにその存在は、ゲーチスも間違いなく把握していた。しかし、この局面での乱入など、想定できようものか。朝木を殺した後で悠々と探し当てようとしていた彼の目論見は、薄氷の如く砕け散った。

 

 

「ブロスター、マニューラァ!!」

「ブロロロロォッ!!」

「マニュァッ!!」

 

 

 その心の隙を突いて、朝木は最後の「仕込み」を施した二匹へと指示を発した。

 ブロスターの砲口が勢いよく膨大な量の水を放出し、マニューラがそれに乗って加速する。その爪が狙うのはゲーチスの命――ではない。

 その胸元に隠した、「伝説のポケモンを捕獲するための」アイテム。

 

 

「『どろぼう』!」

「ニュー……ラッ!!」

「ぐうっ!?」

 

 

 マニューラは「それ」を手に取ると同時、手首のスナップだけで朝木へと高速で投げ渡す。相棒の最高のアシストに応えるべく彼の腕は限界を超えて動き、キャッチするや否や、即座に上空にいる氷塊――キュレムへ向けてマスターボール(・・・・・・・)を投げ放った。

 

 

「待てェッ!!」

「待つかよバァァァァカ!!」

 

 

 ボールは、揺らぐことすらしなかった。

 落下するそれを即座にキャッチしたのは、土の中を「あなをほる」で潜航していたガブリアスだ。泥濘の中から飛び出すと同時に彼は口でキャッチしたそれを朝木に投げ渡した。

 

 ――制御できるのか?

 ――認められるか?

 ――そもそも出てくるか?

 

 様々な疑念と不安が渦巻く最中、それでも朝木はその全てを押し殺してマスターボールの開閉スイッチを押し――キュレムを解放した。

 その黄金色の瞳は、まっすぐに――レシラムとゼクロムを射抜いている。

 

 

「ヒュオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

「俺をカス扱いするんなら、レシラムとゼクロム狙いってのは高く見積もりすぎだ。最初から、狙いはコイツ一匹だけなんだよ」

 

 

 朝木は、アキラに教えられたように痛みが出ないような動き方で立ち上がり、キュレムの隣に立つ。

 その全身は傷だらけだったが、煌々とした眼光は戦意を湛え続けていた。

 

 

「――続きだ、ゲーチス。こっからが本番だ!」

 

 

 



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黒泥混じりのゆきなだれ

 

 

 ――境界(きょうかい)ポケモン、キュレム。その体はあくまで「抜け殻」であり、生物としての核たる存在であったレシラムとゼクロムと比べると、その能力はやや劣る部分がある。

 冷気は自らを凍り付かせるほどに制御が困難であり、また、凍っていることもあってか、その体も他の二匹と比べると多少脆い。肉弾戦が得意なゼクロム、間接攻撃が得意なレシラムといった突出して優れた能力があるわけでもなく、「伝説」としてあるべき基準は保ってはいるという程度だ。極めて優れたポケモンには違いないが。

 

 

「ヒュラ――――」

 

 

 ただ二匹、かつての存在の核となっていたレシラムとゼクロムに対してを除けば、だが。

 キュレムはレシラムとゼクロムを含む三匹の中で、最も素早さに優れたポケモンだ。その差はごくわずかなものだが、こと戦いの場においてはそのわずかな差が勝敗を分けることもある。

 そして、最も重要なのが――。

 

 

「!」

 

 

 かつて(レシラム)(ゼクロム)、二匹の竜をその存在の内に秘めていたという特異性だ。

 それによって、今もなお欠けた二つの存在を埋めようという妄執じみた飢餓感によって「繋ぎ止める」ための能力が生じた。結果的にそれはドラゴン(レシラムとゼクロム)に対する特効――凍結能力として顕在化する。

 レシラムとゼクロム、その全身を霜が覆う。周囲から瞬時に槍のように、彼らをその場に繋ぎ止める無数の氷の柱が突き立った。

 

 

「こ、これは――!!」

「へっ……!」

 

 

 凍結しその動きを止めざるを得なくなった二匹を目にして、朝木は不敵な笑みを浮かべる。

 

 

(俺こんなん指示してない……)

 

 

 それっぽいドヤ顔をして見せてはいるものの、有体に言って、暴走状態であった。

 

 キュレムは抜け殻だが、その本能によって常に欠けた理想と真実を埋めてくれる「英雄」を求めている。「どちらか」ではなく、「どちらも」を求めるキュレムを制御するためには、根本的なところで、レシラムとゼクロムを御するよりも遥かに難易度が高いのだ。朝木の手に余るのは当然のことだった。

 どうするんだとこれ、とばかりに隣に戻ってきたマニューラたちが朝木を見つめている。外面をどれだけ取り繕おうとも、パートナーである彼女らはよく分かっていた。

 

 

「ここまでのことを瞬時にやってのけるとは……私が読み違えていたと――!?」

「……訳知り顔で的外れなことを言いだしたテメーは傑作だったぜ。その曇り切った目、片方しか開けてねーでよく人の本質を知った気になってやがる」

 

 

 そのようなことはおくびにも出さず、朝木は煽るような言葉を放った。

 事実煽っているのだが、それによってゲーチスは更に怒り狂う――ことは、無かった。

 

 

「その通りですね」

 

 

 彼もいち団体の頂点に君臨する男だ。戦闘に適応できずとも、元来、頭脳は極めて優れている。

 ゲーチスは、即座に朝木に対する警戒の度合いを引き上げた。これ以上彼を侮ることをしないと自戒するように。

 

 そして朝木は、そんなゲーチスの様子を目にした瞬間、もはや原型をとどめているか怪しくなった上着を脱ぎ捨てると、ガブリアスの首に巻き付け――そのまま勢いよくその場から飛び、逃げ出した。

 

 

「――――――――」

 

 

 先程の脱兎の如き逃げっぷりを思い出しそうなほどに見事な撤退ぶりに、ゲーチスは思わずぽかんと口を開いてしまった。

 何故――と、一瞬ゲーチスは困惑したが、その答えはすぐに浮き上がる。

 

 そもそも、朝木レイジとゲーチスとでは、根本的な勝利条件からして異なるのだ。

 

 ゲーチスは、まず何を置いてもまず朝木を倒す必要がある。これはいち組織の人間としての進退がかかった問題だ。失敗したからと言って必ずも失脚するというわけではないが、今後の立場はまず危うくなる。

 対して、朝木はゲーチスを倒すこと自体は、それほど必要ではない。レシラムとゼクロムは驚異的な能力を持ったポケモンだが、朝木以外のメンバーを前にした時にはゲーチスの制御下から外れる可能性が高いからだ。どう戦局が転んでも彼は勝手に戦線から外れていく。下手に深追いすることで朝木が戦線離脱してしまう方がよほど憂慮すべき事態なのだ。安全にキュレムと共に帰還し、次の戦局に繋げていくことこそが朝木にとって最も重要だった。

 

 

「だーっはっはっはさらばだ明智君! テメーとはもう二度と会いたくもねーし会う気もねーけどなバーカバーカ!!」

 

 

 先の饒舌な煽り口とは明らかに異なる幼稚な罵声に、ゲーチスの口が閉じなくなった。

 そこで初めてゲーチスは気付く。これまでの自分の考えが「行き過ぎ」であったことに。

 これまでその能力、人格といった要素を低く見積もっていたことで彼を見逃し、間接的にとはいえ組織が小さくない損害を負ったのだ。朝木もまたひとかどの脅威に値する人間だと、ゲーチスも認識を改めていた。そしてダークトリニティに収集させた彼の情報から、より正確な「朝木レイジ」という男の人物像を描き出した。

 

 その結果、想像の全てが過剰だった。

 彼の能力を――思想を、高く見積もりすぎたのだ。

 

 朝木レイジの本質は、今もなお「生き残りたいだけの一般人」の域を超えないというのに。

 

 

(――ぬかった!)

 

 

 唯一、朝木の能力がゲーチスの想定を上回った点がある。頭脳だ。

 彼は兄によって考え方が歪んだまま育ってきたが、そのような状態でもなお医学部に合格し研修医として病院に勤め、兄の妨害さえなければ医者として将来を期待されたほどの人間でもある。歪んだ考え方が矯正され、自分()仲間たちが生き残るために全力を尽くす今の彼は、元来の頭脳を十全に使うことができるようになっていた。その上で、朝木は自分の実力と現状の戦力を把握し、「できること」だけを選んで実行している。

 能力を高く見積もればそのハードルを下から潜っていき、低く見積もれば隙を突いて喰い破る。今の彼は、戦う相手にとって非常に「やり辛い」トレーナーという評価を受けるに値する妙手に至っていた。

 

 

「レシラム、『クロスフレイム』!」

「!」

 

 

 今ここでこの男を除かねばという焦燥感が、ゲーチスを即断させた。

 全身を凍てつかせ行動不能に陥ったレシラムの尾から噴き出す太陽の如き紅炎が、ゼクロムの(・・・・・)全身を焼き焦がして氷の戒めを溶かし、蒸発させていく。

 

 

「『クロスサンダー』!」

 

 

 そして直後、再び炎を取り込んだゼクロムが増幅した全電力を放出するべく両腕を掲げ――。

 

 

「――――!!」

「ゼァァァアッ!?」

 

 

 刹那、空洞に吹きこむ風のような甲高い音を発したキュレムがゼクロムの喉元に食らいつき、押し倒す。

 それによってゼクロムの放つはずだった雷はあらぬ方向へとねじ曲がり、山肌を削り消滅させながら上空へと消える。次元断層を一瞬歪ませるほどの威力を秘めた攻撃を肩越しに見て朝木は悲鳴を上げかけたが、彼は必死にそれを押し殺した。

 

 ――全て計算通り。

 

 そんな風を装いながら。

 

 

(っぶねえマジ助かった!)

 

 

 朝木も何も考えていないわけではないが、暴走状態のキュレムがどのように動くかなど彼自身も分かっていない。物事を論理的に考えられるかどうかさえ不明瞭なのだ。ただ目の前の標的だけを本能的に狙っているだけということだってありえた。

 万が一の備えをしていないわけではないとはいえ、ガブリアスも傷ついて思うような速度を出せていない現状、本当の意味で逃げ切れると確信できるまで全ての手を明かすことは憚られた。

 

 

「……なるほど。あなたと同じ立ち位置にまで降りなければ、殺すことは難しそうですね。サザンドラ! デスカーン!」

「げっ……!」

「ドラァッ!!」

「カ――――ン」

 

 

 状況が急激に悪化したことを朝木は察した。サザンドラもデスカーンも、共に言うなれば「普通の」ポケモンだ。だが、だからこそ(・・・・・)彼にとっては最も厄介なポケモンでもある。

 レシラムとゼクロムは伝説のポケモンだ。存在のスケールからして人間とは根本的に異なることもあって、その視点は超越者のそれと相違ない。朝木のことなどは虫けら同然に思っており――言い換えればその生死にも一切頓着が無いと言える。何が何でも殺すというような必死さには当然欠けるし、攻撃もはっきり言って雑そのものだ。だからこそ、そこには付け入る隙があった。

 

 しかし、サザンドラとデスカーンにはそうした油断も慢心も無い。

 朝木の最大の弱点、それは単純に徹底して「個の力に欠ける」ことである。地力で上回る相手が一切隙を見せず、徹底して丁寧に追い詰めるような手を打てば――当然の帰結として、順当に彼は敗れ去る。

 

 

「アキラちゃんやヨウタ君みてーに正面突破できる実力が無いから必死こいて頭回してんのによぉ! みんな頼む!」

「マニュッ!」

「ジャァロッ!」

「ブロロ……!」

 

 

 その進路を塞いだのは、作戦のため一時的に朝木の傍を離れていた三匹だ。

 機先を制してマニューラが周囲の環境を利用してサザンドラの両腕を「ふぶき」で凍てつかせて開閉を封じ、周囲の環境に対抗するため火炎を吐き出そうとしたところに、ブロスターが水流の一撃を叩き込み鎮火する。

 デスカーンに即座に対応しに向かったのは、ジャローダだ。比較的足の遅いデスカーンをその場から弾き飛ばそうと「グラスミキサー」を放つ。

 

 

「カーカカカカッ!」

 

 

 雪と氷交じりの木枯らしが吹き荒れる中、デスカーンはその中心に自ら飛び込んで風の吹く方向と逆に光速回転した。

 極めて単純な力技だ。しかし、デスカーンの放つ「あやしいかぜ」によって「グラスミキサー」によって発生した現象は強引に消し飛ばされていく。

 

 

「ざっけんな悪魔超人みてえな鳴き声しやがって!」

「人をおちょくって勝ちを拾おうとしているあなたにふざけているとは言われたくはありませんね。デスカーン、『くろいまなざし』」

「しまっ……!」

 

 

 その瞬間、ジャローダとマニューラ、ブロスターにデスカーンの伸ばした影が絡みつく。

 こうなってしまえば三匹をボールに戻すことはできない。ガブリアスもまた小さくない影響を受けているらしく、一定距離以上離れることを許されない。

 

 

「――見たところ、結局キュレムを操ることもできていないようです」

 

 

 ゲーチスは一時的にレシラムとゼクロムから離れ、サザンドラとデスカーンへの指示へと集中することに決めた。

 キュレムはゲーチスではなく、レシラムとゼクロムを執拗なまでに狙っている。あの二匹を手元から離すのは戦力的にも抵抗があったが、それでも伝説のポケモンの横槍が入らないようにするにはあの二匹を囮にするほか無かった。

 

 

「クソッ……!」

 

 

 しかしそれは、「多少の手傷を負えども確実に朝木を始末できる」ということを示している。

 今ここで彼を殺すためならば、伝説のポケモンでも囮にできる。彼の割り切りはある意味では完璧なものだった。

 

 

「やめろ、来るなぁっ!」

「なんと往生際の悪い……サザンドラ、動きを止めなさい!」

「ドラァァッ!」

「ガブァァッ!」

「う、おおおあぁっ!!」

 

 

 黒く染め上げられた三条の光線が雪を消し飛ばして朝木に迫る。

 ガブリアスはそれを肩越しに見るや、彼への直撃を避けるために振り回すようなかたちで雪原へと突っ込んだ。

 直後――爆発。大量の雪が舞い上げられ、ゲーチスたちの視界が一瞬塞がった。

 

 

「『あやしいかぜ』です」

「カカカーッ!」

 

 

 しかしゲーチスは、既に油断を捨てている。この雪に紛れて反撃を行おうとするのは目に見えていた。瘴気めいた黒い霧の混じる風が、粉のように舞い上がっている雪を吹き飛ばす。

 果たして、朝木は反撃を行うべくボールを掲げていたが――そのボールは。

 

 

「!」

 

 

 ――――先程キュレムを捕まえるために使用した、マスターボール(・・・・・・・)

 

 

「いかん!」

「もう遅ぇっ!」

 

 

 雪原を、赤いキャプチャーライトが貫く。キュレムが急速に収縮してボールに収納されていき、レシラムの放つ火炎によって周囲の気温が瞬時に十数度上昇した。

 朝木はその次の瞬間、マスターボールを再び足元に叩きつけた。

 

 

「ヒュラ――――――」

暴れろ(スマッシュ)

 

 

 そうして再び現れたキュレムは、先の焼き直しのようにしてレシラムとゼクロムへと、空気すらも凍てつかせながら突撃する。

 ――その進路上にいるゲーチスとそのポケモンたちの存在を意識にすら入れず。

 

 

「ザァァッ!!」

「ぬ、おおおおおおおぉぉっ!!」

 

 

 その身を救ったのは、種族的な特性から僅かなりにとも素早く動くことができたサザンドラだ。威力を最大限に弱めた衝撃だけの「あくのはどう」を放つことでゲーチスをキュレムの進路上から吹き飛ばしたのだ。

 一度、二度とバウンドするように転がっていったゲーチスは、その視界の端でサザンドラとデスカーンが氷像のように氷漬けになっていくのを捉えた。

 しかし同時に、朝木のポケモンたちは四匹とも、キュレムの行動の余波によって凍り付き、戦闘不能状態に陥っている。

 

 

「ま……さか、暴走を逆手に取るとは……思いませんでしたが、これであなたの手持ちは……!」

「ッ……ああ、もういねえよ」

 

 

 朝木は吐き捨てるように呟きながら、戦闘不能に陥ったポケモンたちをボールに収めていく。

 寒さに強いマニューラがかろうじて動けるようではあったが、彼女でさえキュレムの冷気は堪えるらしく、もはや満身創痍という風体だった。

 

 

「よくやった、と評価して差し上げましょう。しかし、これであなたは――」

「ああ――」

 

 

 がくり、と朝木はその場に膝をつく。泣くように、あるいは痛みを我慢するようにうずくまった彼は、寒さに震える声で呟いた。

 

 

俺の仕事は(・・・・・)終わりだ」

「……何?」

 

 

 ――直後、彼は大きくシャツをめくり、その下に隠していたあるアイテムを素早く自身に巻き付けた。

 

 

「それは! まさか『あなぬけのヒモ』!!」

「へっ……デスカーンが倒れてくれてラッキーだったぜ」

 

 

 ――あなぬけのヒモ。体に巻き付けると、ポケモンがそこに込めた「テレポート」が作動するポケモン世界特有のアイテムである。

 道路や洞窟で当然のようにポケモンが闊歩する「あちら」の世界においては、子供の安全を確保するため、ごく少額のお小遣いでも買えるほどに安価でありふれた商品だ。

 あくまで「出入り口に戻る」という用途にのみ使用されることから利便性は低いが、それだけだ。山の奥深くから一瞬で登山口にまで戻ることができるというその効力は、紛れもなく朝木にとって切り札と言えるアイテムだった。

 エスパーポケモンの能力を利用し、「テレポート」のメカニズムを再現しているという特徴から、例えばエスパーポケモンがいれば容易に追跡され、あるいは次の出現位置を弄られるというようなこともありえたため、いずれにせよ「ゲーチスはエスパータイプのポケモンを持っていない」という確信が得られるまで温存しておきたかったアイテムでもある。

 

 

「テメーを倒すのは俺の役割じゃあねえ。あばよゲーチス! せいぜい首でも洗って待ってやがれ!」

 

 

 朝木はテレポートが始まるその瞬間まで、思いつく限りの言葉をゲーチスへと投げつける。

 彼の役割はほとんど「つなぎ」のようなものだ。本当の意味でゲーチスに引導を渡すとすれば、それは彼に直接の因縁を持つ人間こそが相応しいのではないかと、朝木は考えていた。そうでなくとも、そもそも彼は既に満身創痍で、戦闘を続けることなどできるはずも無かったが。

 

 あなぬけのヒモが作動するに伴いキュレムがボールに戻り、朝木の目に映る景色が一面の銀景色から緑の混じる山道へと姿を変える。

 数秒ほど、彼は全ての思考を放棄して、その場に立ち尽くしていた。本当に終わったのか、実感が伴わなかったためだ。

 やがて山中であった突き刺すような寒さが無いことを実感すると共に、朝木は小さく息を吐く。

 

 

「……終わ……ったぁぁぁ……」

 

 

 もう二度とこんなことしたくねえ。

 そうぼやく彼の表情は、言葉とは裏腹に晴れやかなものだった。

 

 

 










Q.ガブリアスに直接乗れば逃げられるのでは?
A.さめはだ超痛い


現在の手持ちポケモン

〇朝木レイジ
クロバット♂:Lv45
マニューラ♀:Lv46
ジャローダ:Lv43
ブロスター♂:Lv42
ガブリアス♂:Lv50
キュレム:Lv70





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横あなをほるその先に

 

 

 次元断層(オーロラ)によって遮られた空の向こうを、夕日が沈んでいく。

 廃墟を照らす薄い紅の光のもと、瓦礫の山の上で物憂げに佇む白髪の少女(アキラ)の姿は、ひとつの絵画めいて繊細で美しいと言えた。

 

 これが予想外の遭遇戦の結果ズルズルと戦線が拡大してあれよあれよという内に、気付いたらあたり一帯瓦礫の山だった……という前提さえ無ければ、もっと画になったことだろう。

 より正確に現状を表すなら、「作戦が成功したのやら失敗したのやらあやふやになって全部瓦解した上に、自分の運の無さを強制的に自覚させられたせいで拗ねて半泣き笑いでたそがれている」――である。

 

 

「運……運なんてどうしようもないじゃん……」

 

 

 個人としての力量で考えれば、アキラは「あちら」の世界で言えばキャプテンやジムリーダーの域を超えて四天王のそれに届こうかというほどにまで至っている。

 が、不運を捻じ伏せるだけの実力があるということと、不運な事態を避けることができるということは決してイコールではない。相手は力を見せつけさえすれば自ら逸れていく人間や生物ではなく、現象である。どれだけ注意してもそうなるものはなる、という極めて理不尽なものだ。

 理不尽の塊のような人間を最も苦しめているのは、より大きな不条理であった。

 

 

「……いつまでああしてるんだろ」

「さあ……まあ、別にそんなに長いことやらないだろうけど」

 

 

 遠目に生暖かい目で見守りながら、ヨウタとヒナヨは苦笑いした。

 アキラとて好んでそうしているわけではない。ただショックから抜け出せないだけだ。

 作戦を提案したのは彼女だが、その彼女の運のせいで作戦そのものが破綻している。無論、本人に責任は無いしそもそも天運というものはあまりに曖昧模糊とした概念である。偶然の連続に理由をつけているだけなのだ。問題は、そんな偶然の連続があってもらっては今後の作戦にも大きく影響するというだけで。

 アキラはその性格故にそれこそ文字通り「無駄に」責任感が強かった。

 

 

「アキラってレインボーロケット団最大の敵みたいな扱いされてる割に精神クソ雑魚なの?」

「硬度ばっかり高くて靭性に欠ける系のザコだよ」

 

 

 決して意志が固くないわけではない。むしろ、年齢や諸々の事情から考えると破格と言ってもいいほどだろう。

 ただ彼女の場合、耐久度テストか何かかと言わんばかりにトラブルに巻き込まれるため、旅立ちの直後はともかく今はだいぶ心にヒビが入ってしまっている。ちょっとした衝撃で感情が溢れ出してしまうのも致し方ないと言えよう。

 

 

「たかだかちょっと運が無いくらいでそんなにいじけなくてもいいじゃん」

「記憶も無い……」

「あと元の体も無いよね」

「意識の連続性は?」

「無い……」

「本人かどうかの確証さえ無いんじゃないのそれ?」

「わあああああっ!」

「あっ泣かせてしまった」

「こんなこと言ったらそりゃ泣くでしょ」

 

 

 かすかに残ったアイデンティティをそのまま突き崩しているようなものだ。仲間が。

 アキラが涙を見せたのは数日前。人を守ることと殺すことの狭間で葛藤した果てに自我が壊れかけた時に見たのが最初だったが、二度目の涙がよりにもよってこんなくだらないことでいいのかとヨウタは困惑した。

 

 

(……いや、逆かな)

 

 

 アキラは基本、徹底的に感情を抑圧して戦場に立つ。そのあり方は気丈を通り越して異常そのものであり、本来思考の邪魔をしかねない怒りや憎悪といった感情すらコントロールして力に換えるという、ヒナヨ曰く「悪鬼羅刹か修羅金剛の化身か何か」。こちらの世界の文化風俗に疎いヨウタは何を言ってるのか分からなかったが、とにかく遠回しな悪口だと解釈した。

 どうあれ、そのようなことを言われてしまうほど彼女の状態は健全なものからは程遠いということだ。いつまでも緊張状態に置かれ続けていては、心が徐々にもたなくなってくる。戦っていないような時にはちゃんと感情を発散することで、健全な状態を保つというのが、ヒナヨの思惑なのかもしれないとヨウタは考えた。

 

 

「わ、悪かったわよ! けどほら、何も無いからこそ、ゼロからスタートできるわ!」

「取り戻したいんだよぉぉぉ!」

「ヨウタくん! どうすればいいの!?」

「まず謝りなよ」

 

 

 ただ天然で煽ってるだけなのかもしれないとヨウタは思い至った。

 

 ――と、そんな折だった。

 何かを感じ取ったのか、アキラの目とその身に纏う雰囲気が瞬時に移り変わる。彼女が顔を上げると共に、周辺で休んでいたリュオンが応じるように立ち上がり、波動を充填する。

 遅れて二人が視線を上げると、その先には炎のように赤い羽根を持つ鳥ポケモンの姿が目に映る。そして直後、爆発するようにその羽根が弾け飛んだ。

 

 

「!」

 

 

 すわ何事かと目を見開く二人を尻目に、アキラは立ち上がり、デオキシスをボールから出した上で二匹を従え走り出す。

 先の謎の現象がリュオンの放った「はどうだん」に打ち抜かれたのだということに気付いたのは、鳥ポケモンが落下を始めたその時だ。

 

 

「先に何か言ってよ!」

「ごめん、時間が惜しい!」

 

 

 言葉を投げ掛ける間にも、アキラたちの攻撃は続いている。リュオンが波動を足元から噴射してジェット噴射によって飛行するという荒業で赤い羽根のポケモンを叩き落すと、デオキシスが落下点に移動して両翼を穿つ。磔にするように木に拘束されたのは――ひのこポケモン、ヒノヤコマ。主にカロス地方に生息するひこうタイプのポケモンだ。

 

 

「そこか」

「▲▲▲▲」

 

 

 その意識の向く先を読み取ったアキラとデオキシスが、即座に「テレポート」によって姿を消す。そうしてヨウタとヒナヨのもとに野太い悲鳴が届くのに、数秒ほどもかからなかった。

 やがて、再びアキラがデオキシスとリュオンと共にヨウタたちのもとに戻ってくる。その手には、何によるものかは分からないが、ともあれ顔面が歪んだ赤スーツの男の襟が握られていた。

 

 

「ごめん。説明してたら逃がしてたかもしれなかったから」

「それは、まあ。そうだね」

 

 

 独断専行……と表現しようにも、そもそも現状作戦立案に主に関わっているのはアキラだ。その彼女が即断即決を要する状況だと判断した以上、横から口を出すことはヨウタには憚られた。

 ヒナヨも不満はあるようだが、冷静に考えれば必要なことであるということは理解しているらしく、文句を言いそうになるたび、むむぅ、などと唸って自制していた。

 

 

「……これで情報源は手に入れたってことでいいのよね」

「そうなる。まあ、こいつが何か情報握ってたらって話だけど。斥候だしどうせ大した情報持ってないかもしれないが……その時はその時で『使いよう』はあるさ」

 

 

 アキラからは、先程まで見られた感情の色というものの一切が抜けていた。

 つまり普段戦場で見られる彼女の姿だ。ヨウタは気を引き締め、ヒナヨは意気消沈した。戦い戦い戦いの連続ともなれば、流石に精神も削られるというものだった。

 

 

「二人とも何で疲れないのよ?」

「疲れてるんだよ。けどそれ表に出して相手にわざわざ知らせる必要あるか?」

「僕はそこまででも……」

「マジかよ」

「嘘でそ」

 

 

 いかに戦闘に特化した能力を持つアキラと言えど、戦闘の連続には流石に疲弊する。

 しかし、ヨウタはそもそもポケモンバトルが日常という世界からやってきた人間だ。戦闘員と指揮官という程度の差こそあるが、ともするとヨウタの方が彼女よりも遥かに戦闘に特化した能力を持っているとも言える。

 

 

「もしかしてアニポケのスーパーマサラ人基準が本当に正しいのかしら……」

「……ポケスペ方向で考えた方がいいんじゃないか?」

「ダメよ。基準をあっちに揃えても、頭カチ割られてるのに普通に行動してたり、空中で鉄塊と激突して無傷って人がいたりして平均値が割り出せないわ」

「そこんとこどうなんだ、ヨウタ?」

「僕に聞かないでほしい」

 

 

 当然、そのようなことをヨウタが知るはずも無い。

 身近な人間だけなら、大抵普通の耐久力しか持っていないとしか言いようが無かった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 現状において最も重要なのは、いかに敵を倒すかと言うよりもいかに敵の力を削ぐかという点だ。

 幹部や首領格と戦い、無理やり勝ちに行く必要は無いし、むしろそれは避けるべきだ。戦略という点で見るなら、「最終的に」レインボーロケット団を壊滅させることができればいい。局所的な勝敗そのものは関係なく、自分たちが最大限に力を発揮できる状況を作り出す――ということこそが今のアキラたちのやっていることだった。

 

 

「――だからって本拠地再突入とか普通考える!?」

「ヨウタは激怒した。かの行雲流水たる相方を(ただ)さねばと決意した」

「変なナレーション入れるのやめてくれないかな!?」

行雲流水(いきあたりばったり)ってお前……」

 

 

 好きでそうしてるわけじゃなくてそうならざるを得ないだけなのにと、暗い穴の中で呻くようにアキラは嘆きを口にした。

 彼女たちが今いるのは、剣山の中腹にポケモンたちの力を借りて作った横穴の中だ。目指しているのは数百メートル先の地下空洞。本来なら一刻も早く離れなければならない場所だが、厄介なことにそれを許されなかったのが現状である。

 

 

「しょうがねえだろ、どいつもこいつもロクな情報持ってなかったんだから!」

 

 

 彼女とて何も考えていないわけではないし、むしろよく考えて最適解を導き出そうとしている方だ。

 しかし、得られる情報の質が悪ければ意味は無い。たとえ質が良くとも、それでできることが増えなければなおのこと意味がない。

 標的の第一候補としていたクセロシキは先日の地下崩落に巻き込まれてフラダリの近辺で療養に務めているとのことで頓挫。その他の幹部格に話を聞こうにも、あまりに派手に拠点を破壊しすぎたことから、ヨウタとアキラの存在が即座に漏れて下っ端以外は近寄ろうともしてこない。

 

 かろうじてポケモンボックスの話を聞くことができた者もいたが、結論から言えば「タワーにしか無い」という話だった。

 当然のことではあるのだが、下っ端にポケモンボックスなど渡したところで扱い切れないのは明白だ。かと言って幹部級に渡すにしても彼らの手持ちは基本的に固定されており、回復用のメディカルマシンも量産がきくことから他所にポケモンを移す必要は無い。

 必然的に、ポケモンボックスのような装置・機能が必要になってくるのは、より多くのポケモンを扱う部署……ポケモン研究のための部署ということになる。「あちら」の世界と異なり、「こちら」の世界の通信環境ではポケモンの転送はできないからだ。

 しかし、当のその部署はアキラとヒナヨのせいで壊滅的な被害を受けており、現在は各地に機能を分散している最中だ。先に崩壊させてしまった施設から機械を掘り起こすようなことは――勢いあまって破壊したため――できず、その場所以外に実験所と化した施設の場所も知らない。

 

 そうしてあれやこれやと議論した果てに、「タワーになら確実にあるんじゃないか」という結論に至ったことで現在、アキラたちは一見無謀とも思えるような再突入を敢行していた。

 

 

「だからってねぇ……」

「僕知ってるよコレ、多分こっそり入っていっても例えばランスとかが『お待ちしてましたよ』とか言ってズラッとポケモン出して待ち構えてるやつ」

「やめろバカ!」

 

 

 必死に否定するのは、彼女自身それが有りうるという一抹の予感が胸をよぎったからである。

 最早アキラは実力以外の全てに自信が持てなくなりつつあった。

 

 

「ふたりとも、悪いけどもうちょっと頑張ってね」

「ギラッ!」

「フララッ」

 

 

 横穴を掘るにあたって最も活躍しているのは、それぞれいわタイプとじめんタイプという、土や岩に関係の深いタイプを持つギルとラー子の二匹である。

 それに合わせてルリちゃんやデオキシスが土を固めたり外に放り出したりしているのだが、高いサイコパワーを持つ二匹にとってみれば片手間に邪魔なものを押し退けているという程度の感覚だ。デオキシスなどは本――文字の基本を学ぶためか絵本である――を読みながらやってのけている。全身の筋力を用いている二匹と比べればその負担は小さかった。

 

 

「ちゃんとした理屈はある」

「ほんとぉ?」

「キレるぞ」

「ごめんごめん。で、どんな?」

「まず『当然』という思考の隙。今ヨウタが言ったみたいに、『普通』こんなことをするわけがない。ありえない。だから、一見警戒しているように見えてもどこかに必ず隙が生まれる」

「フツー……」

「普通だね」

「やめろ」

 

 

 しかしながら現実的に考えれば、そうした「普通」――即ち戦術的な「定石」というものは、それが有効であるから定石となっていたものだ。

 普通に有効なものは有効ってことでいいんだ、と半ば無理矢理にでも自分を納得させ、アキラは続ける。

 

 

「サカキはどうするのよ。簡単に欺ける相手じゃなくない?」

「あいつが地下に来た理由を考えろ」

「あ……そっか、アキラがいたから!」

「じゃなきゃあいつは来ない。それが許される立場じゃない」

 

 

 組織の長というものは、おいそれと自ら動くことはできない。来るかどうかも分からないような相手のために自ら警備として出ていくなどということはありえないのだ。

 アキラを見に来た時が例外中の例外というだけで、本来サカキは後手に回る形でしか対応することを許されてはいない。

 

 

「ゲーチスはちょうど今朝木に釣られてる」

「クマー」

「ざまあみろだ」

「僕の知らない符丁で会話するのやめてくれない?」

「ごめん。で、ランスは行動隊長に格下げ食らってるから外回り。ダークトリニティは遊撃的に使いたいだろうからわたしたちの位置が割れない限り動かさないだろ。となれば本部に残ってるのは他の幹部……」

「アポロとアテナ、と……アニメとか混ぜたら結構な人数いると思うんだけど」

「全員いるわけじゃない。それに――ただの人間にわたしは見つからない」

 

 

 嫌になるほどに自信に満ちた言葉だった。その一点に関して、彼女は決して譲らない。そして、ヨウタたちもそれを疑わない。事実だからだ。

 失敗は――と言うには不運の比率が高すぎるが――しても、そもそもの能力は高いのだから。

 

 

「調達が必要なのはポケモンボックスだけ。手に入れたらとっとと逃げるよ」

「マジで気を付けなさいよ」

「うん……そりゃまあ……ッ!」

「どうかした?」

「ギル、ラー子、ストップ!」

「?」

「フララ」

 

 

 と、会話の最中、何かを感じ取ったように、アキラはギルとラー子が「あなをほる」のを止めた。

 

 

「何か波動で感じ取った?」

「あ……ああ。けど……」

「あ!」

「どうしたの、ヒナヨ?」

「もしかしてと思うんだけど、ほら。アキラと私が逃げる時、地下の研究施設ついでに破壊していったでしょ?」

「うん」

「その後、もしかしたらだけど……地下施設を放棄したりする時に、実験に『失敗』したようなポケモン……あの、地下空洞に捨てたりしてないかって……」

 

 

 それを聞いて、思わずヨウタの顔が強張った。同時に、そういうことならばアキラがストップをかけるのも理解できるとも考え、僅かに冷や汗を流す。

 

 

「じゃあ地下から侵入はダメか……アキラ? 何か違う?」

「……いや、まあ……ヒナの言ってることは事実だ。実際、命の波動を感じる。けど……何か変なんだ。いや、変なところが無いのが変っていうか」

「どういうこと?」

「こんな地下に落とされて、例えば落下の衝撃で怪我をしてたり、何日もここにいて空腹になってたりするポケモンがいて当然だろ。けど、そういう精神の揺らぎを感じないんだ。あまりにも安定しすぎてる」

 

 

 おかしい、と彼女は強い疑念を口にした。

 同時に、その理由を確かめなければ――と、浅く、薄く、ゆっくりと穴を掘り進めていく。勢いよく穴を掘り抜くことをせず、穴の向こう……タワー地下の空洞の中にいるであろう相手の存在を確かめるためだ。

 そうして数分ほど。やがて人ひとりがよく目を凝らしてようやくその先が見えるかという程度の穴が開く。

 彼女は慎重にその先を見つめ――やがて、暗闇に閉ざされているはずの空洞の中に、ある存在を見た。

 

 

「――――――」

 

 

 暗闇の中でなお淡く輝く、翠玉のような色味の鱗で体の半分を覆う、黒い大蛇。

 遠目にもその威容ははっきりと見て取れる。そのポケモンは、まるで王のように小高い段差の上に位置取って、他のポケモンたちを見下ろしていた。

 

 そのポケモンの名は――。

 

 

「――ジガルデ……」

 

 

 ――紛れもなく、この場にいてはいけない存在だった。

 

 

 







 〇補足
・頭カチ割られてるのに普通に行動してたり、空中で鉄塊と激突して無傷な人
主にポケスペX・Y編のワイちゃんをご参照ください。




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地下の闇にこころのめを開き

 

 

 アキラはかろうじて叫び出さなかった自分を褒めてやりたくなった。

 秩序(ちつじょ)ポケモン、ジガルデ。ゼルネアスとイベルタルと並んで語られる、カロス地方の伝説のポケモンである。

 現在彼女の視線の先に存在するジガルデは東洋の竜に似た姿をしていた。これは50%フォルムと呼ばれ、ジガルデにとって全力(100%)を出すために必要とする半分ほどの量の細胞体(セル)と合体した、基本と呼べる姿だ。

 

 

(嘘だろ……!?)

 

 

 当然ながら、常識的に考えれば伝説のポケモンがこんな場所にいるはずは無い。

 ないのだが、果たして現状は常識で語って良いものだろうかと彼女は考える。じゃあ有りうるのだろうか。

 

 

「集合。静かに」

「何よ」

「何かあったんだね?」

 

 

 何かが起きたことを前提にしないでくれと言いたいアキラだったが、実際途轍もない事態になっているので何とも言い辛い。

 丁寧に穴を埋め直して向こう側に声が届かないようにしてから、アキラは二人を呼び寄せて軽く顔を近づけた。

 

 

「絶対に大声を出さないこと」

「今度は何なの?」

「僕もう流石に驚くこと無いと思ってるんだけどそんなに?」

「……壁の向こうにジガルデがいる」

「はッ…………!!!!!!」

 

 

 思わず大声を出しかけたヒナヨの口を、ルリちゃんがサイコパワーで塞いだ。

 ヨウタもひどく驚いているが、その表情は激烈に苦くて渋くその上硬いバコウのみの皮の塊でも噛み潰したように嫌そうな表情だ。

 またかこいつという感情がにじみ出していた。

 

 

「わたしのせいじゃない」

「そりゃそうだろうけど」

「……ぶへっ! 静かに、ね? ああ、もう、分かってるわよ、でもマジでマジでどうなってんのよおぉぉぉぉ……」

「で、どんな様子?」

「王。って感じ……」

「何言ってんの?」

「ちょっと見せてもらっていいかしら」

「デオキシス、頼む」

「▽▽」

 

 

 その指示に合わせ、穴に詰めた石が音も無く外れる。そこに顔を近づけてその先の光景を目にしたヒナヨは、しばらく言葉を失って唖然としていた。

 しかし、しばらくそうしていると、なんとはなしに状況を整理することができてきたのか、徐々に表情が真剣味を帯びていく。

 数分ほど周囲を見回した彼女はやがて結論を得たのか、先程のアキラと同じように穴を塞いで再び二人のもとに戻った。

 

 

「アキラの言う通りだったわ。確かにジガルデと……ポケモンがたくさんいる」

「何か分かった?」

「推測だけど」

「構わない」

「……やっぱりさっきの予想通り、レインボーロケット団の連中、実験に使ったポケモンをここの穴に『廃棄』したんだと思う」

「そうか? それにしては、なんていうか……普通だぞ、あいつら。ちょっと体がデカかったりするけど、普通のポケモンの範疇だ。波動にもおかしなところはない」

「そう、問題はそこ。ヨウタくん、ジガルデの能力って何?」

「え? ……細胞体(セル)の数によって戦闘力を上げること。100%ならそれこそ災害みたいな相手でも、一方的に倒しきれるくらい強くなる……かな?」

 

 

 ジガルデの100%(パーフェクト)フォルムは、生態系を乱すほどの力を持つ者を、更に武力で鎮めることができるだけの力を持つ。

 ゼルネアスやイベルタルをも圧倒し、「全てを消し去る」と言うほどの凄まじいエネルギーを秘めてすらいる。

 しかし、ヒナヨはそれに納得がいかなかった。

 

 

「そうね。けど、それで秩序守れてる?」

「どういうことかな。守れてるんじゃないの?」

「……そうか。ジガルデって、生態系が崩れると(・・・・)姿を現すポケモンだ」

「あ……」

 

 

 即ち、ジガルデが出てくるのは生態系が壊れた「後」のこと。一度被害が起きた後、対症療法的に生態系を破壊した者を圧倒的武力で鎮める――というのがジガルデの役割だ。

 そうなると生態系を「守れている」とは言い難い。結局のところ、彼が現れた時点で生態系は破壊され終わっている。全ては終わっている以上、守るも何も無いのだ。

 

 

「たしか『X』とルビーの図鑑だったと思うけど、私これずっと不思議だったの。警察みたいに何か起きた後じゃないと動けないのかなって思うと、まあ『秩序』ポケモンって分類には納得はしてたんだけど……いややっぱおかしいわね守り切れてないしポケモン相手じゃ力による抑止力とか関係無いのに秩序守るって何よ」

「本題に入ってほしいんだが」

「……ごめん。とにかくそういう感じだから、生命力を与えるとか奪うとかしてる特殊能力の極みみたいな連中が相手なのに、上から力でぶん殴るだけのジガルデが秩序の守護者なんてちゃんちゃらおかしいこと言ってんじゃねーわよとか前は思ってたのよ」

「言い方」

「けど、もしかすると……もしかするとよ? 目に見えるような形じゃなくても、私たちには分からないような形で顕在化している能力もあるかもしれない。例えば――」

 

 

 言って、ヒナヨは先の光景を思い返しながら土壁を振り返る。

 

 

「――生態系を『元に戻す』力とか。生物をフラットな状態に戻す力、とか」

 

 

 ヨウタは納得の声を上げた。やや荒唐無稽な感は否めないものの、状況だけを見ればそう読み取る他無い。

 対してアキラはやや納得いっていないらしく、首を傾げている。

 

 

「理屈は分かるし実際そうなってるのも分かるんだが……ヨウタ、セル集めてたよな? わたしたちよりジガルデについては詳しいだろ」

「うん。だから、僕もそんな能力があるなんて不思議で……図鑑にも載ってないし。デクシオさんやジーナさんにそういう話は聞いたこと無い」

「個体差でしょ? 三鳥だって、文字通り世界を滅ぼしかねないアーシア島の個体もいる一方で、なんか元無人発電所の隣でぽつんとしてるのもいるじゃない」

「言われてみりゃそうか……? ……いや、何だアーシア島とか元無人発電所とかって……」

「何で知らないのよ!! たかだか二十年前の映画*1と十年前のソフト*2よ!?」

「わたしらが生まれる更に前じゃねーか」

 

 

 アキラも存在を知らないわけではないが、踏み込んだ内容までは知らないというのが正直なところだ。

 そもそもそこまで知っていてかつ覚えているヒナヨがややおかしいと言えるのだが。

 

 

「だいいちこの世界の生態系なんてヤバヤバのヤバよ。ゼルネアスとイベルタルがあの極まったレイシストでポケモン不要論者のフラダリの手の内なんだから。私たちの知らない能力が生えてきてもおかしくないくらい本気になってるってことだと思うわよ」

 

 

 普段のそれよりも遥かに回る口に押されつつ、アキラもとりあえずは納得したように頷いた。

 

 

(……ポケモンにとっての生態系の守護神という話で括るなら、そうするのが適切か)

 

 

 ジガルデは生態系の守護神と言ってもいい存在だが、同時に、ジガルデ自身もポケモンであるためか、その立場はどちらかと言えば野生動物であるポケモンの守護者寄りだ。

 この世界におけるポケモンの生息域は、現在のところ四国四県のみ。環境を激変させるだけの力を持つ伝説のポケモンも、そのほとんどがレインボーロケット団の手中にあり、彼らの気まぐれひとつで四国は至極容易に壊滅する。現在は世界侵略の第一歩として統治の真似事をしているだけであり、必要となればこの世界を脱出するついでに四国全域を滅ぼしてから去っていくということもありうるだろう。

 

 思想だけを見ても充分に生態系にとっての脅威となりうる存在なのだが、彼らはその上実際にポケモンを乱獲し、改造を施した上に失敗した者は廃棄して死なせるという蛮行まで行うようになってすらいる。監視を主目的として据えた上で、副目的として傷ついたポケモンたちを救っているのだとしたら、アキラたちの見た光景もある程度まで納得のいくものではあった。

 

 

「それで、どうする? 正直わたしはあんまもう動きたくない」

「動くと事態が悪化しそうだから?」

「そうだよ」

「ほーん。それってやっぱり拗ねてるってことじゃないの~?」

「……は? 拗ねてないが? 戦略的判断だが?」

「それはマジなやつよね?」

「マジもマジだが?」

「明らかに機嫌が悪くなってるんだが?」

 

 

 何せ今度こそはと思った策がこの有様である。今回に限っては幸運と言えなくもないが、予定していた侵入路である地下空洞が塞がれているのだ。

 下手にデオキシスの「テレポート」を用いた場合、少なくともタワー内部に潜入したということをミュウツーに感知される可能性がある。そのため、アキラは地下から物理的に潜入することを考慮していたのだが、それも頓挫したことになる。機嫌のひとつも悪くなろうというものだった。

 

 

「それは置いといて。ジガルデと……他にポケモンがいるんだったよね? できれば全員ここから連れ出してあげたいと思うんだけど、どう思う?」

「それは当然わたしもそう思う。ヒナ、ボールはどのくらい残ってる?」

「ごめん、ほとんど街の人に渡しちゃって手元に残ってないわ」

「そこも含めて調達しないといけないか……分かった、ちょっとやり方を変えよう。わたしは当初の予定通り潜入して必要なものを調達する。二人はジガルデたちにこっちが味方だってことを伝えてほしい」

「だいぶ無茶ぶりしてきたわね……」

「何なら外に追い出すだけでもいい。とにかくこの場にいることだけは避けたいんだ」

「そうだね。何ならジガルデまで相手の手の内ってことになりかねないからね……」

 

 

 ルギアの一件は、彼らが思う以上に強く深く突き刺さっていた。

 そういった意味で言うならば、敵に先んじて伝説のポケモンと接触を持てることは、間違いなく不幸中の幸いと言えよう。外に逃がしさえすれば、レインボーロケット団に捕まることはそうは無い。自分たちの戦力が増えずとも、敵の戦力が増えるのを目の前で見過ごしてしまったり、そもそも敵の戦力が増えたということを把握できなかったりするよりはよほどマシだった。

 

 

「で……肝心の侵入方法は?」

「このまま上に向かって掘り進んでくよ。基礎か床にでも行き当たったらそこから侵入する」

「どうやって? あ、破壊するの?」

(これ)で……」

 

 

 優れた内気功の使い手は木剣で鉄を貫くという。ならば達人の域にあるアキラが合金製の居合刀を持てば鉄を斬る程度はわけもないことだが、それはそれとしてヒナヨは自分の中の常識が揺らぐのを感じた。

 

 

「もしかしてゆずきちもできるの……?」

「え。いや、ユヅはまだ(・・)できないんじゃないか」

 

 

 親友がそこまで人外の域に至っていないことに安心したヒナヨだが、裏を返せばいずれできるようになる可能性が高いことを悟った彼女は頭を抱えたくなった。

 この姉妹だけ明らかに別の摂理法則のもと生きているような印象さえ受ける。できて当然のスキルのように斬鉄剣を語るな。

 

 

「とにかく、行ってくる。そっちは任せた」

「ギララ」

「あ、うん」

「そっちもねー」

 

 

 いっそ何の気負いも無いのではないかと言うような語調でそう告げると、アキラはギルたちと共にその場を去っていった。

 二人はそれを見送ると、小さく溜息をついた。頼まれた以上二人としてもやる気でこそいるが、相当な重責であることには変わりない。カプ・コケコという対抗可能なポケモンこそいるが、相性が良いわけではないし、戦いになれば苦戦は必至だ。

 できるだけ穏便に、という点を心掛け、少しでも友好な存在であることをアピールするため、ヨウタはラー子、ヒナヨはルリちゃんの近くからなるべく離れないようにしながら、土壁を叩いて自らの存在をアピールしながら外に出た。

 

 

「! グルルルル……」

「ッギャウッ! フゥゥ……!」

「……メチャメチャ見てるわよ」

「だろうね」

 

 

 グラエナ、ヘルガー、ラムパルド、ドラピオン、ゲンガー……最終進化にまで達している数々のポケモンたちの敵意に満ちた視線が、ヨウタたちを射抜く。彼らの中でも特に大きな威圧感を放っているのは、その中央に坐するジガルデだ。

 しかし、ジガルデからは威圧感こそ発せられているが、敵意や殺意といった強烈な感情は発せられていない。ただ、意識を向けているだけだ。それはヨウタとヒナヨが、生態系を乱す存在には未だ当たらないと感じ取っているからか、あるいは敵意を向けるにすら値しないと感じているからか。

 

 

「――僕たちは君たちを害するつもりは無いよ」

 

 

 ヨウタは、敵意が無いことをアピールするために大きく両腕を掲げた。ヒナヨもそれに倣うようにして手を挙げると、しばらく訝しげに二人の様子を見つめていたポケモンたちだが、彼らに敵意や悪意が無いことを悟ると、しかし気を許す気は無いとでも言うように、フンと軽く鼻を鳴らしてその場に座り込んだ。

 ポケモン世界の住人らしい慣れた対応にヒナヨが感心していると、彼はポケモンたちと向かい合うように、一定の距離を取って向かい合う。

 

 

「何してるの?」

「目線を合わせてる」

 

 

 相手の目線に立って話をする――というのはコミュニケーションの原則だが、これは何も精神的なものに限った話ではない。実際に目線を合わせることで、その感情の揺らぎもまた相手に伝わっていくものだ。

 感情を持つ生物にとって、「相手から好かれている」と感じるのは心を開くための第一歩となる。無論、警戒心の強い者にはより強い警戒を抱かせてしまう場合もあるが、それでも好意を寄せられていると知って邪険に扱える者は少ないだろう。

 人と同じように感情を持っているポケモンにも、同じようなことが言える。相手から嫌がられているかもしれないと感じた時には時に目を逸らし、受け入れてくれると感じれば再び目線を合わせる。これを繰り返していくことで、コミュニケーションを行うための土台を作っていくのだ。

 

 

「フラー」

 

 

 ラー子もまた体を寝そべらせ、彼と同じようにポケモンたちとコミュニケーションを取ろうとしていた。

 ポケモンとの接し方のいろはを知らないヒナヨから見た時、それは一見するとあまりに悠長な接し方にも映る。しかし、最終的にこの場にいる全てのポケモンたちを外に逃がし、ジガルデに悪印象を与えないまま協力を頼む――というところまでやることを考えると、遠回りではあっても決して不合理なものではなかった。

 

 

(私は……どうしようかしら)

 

 

 ヒナヨもそれに追随するべきか悩んだが、彼女は何もしないことに決めた。彼女はポケモンのことが好きだが、その接し方にはやや一方的なものがあるという自覚がある。付け焼刃のモノマネでは、相手に警戒心を抱かせてしまうだけだ。

 そこで、彼女は彼女なりの誠意を持って、ルリちゃんを伴ってジガルデに向かって行った。

 

 

「ヒナヨ?」

「大丈夫よ。ちょっと考えてることがあるの」

「――――――」

 

 

 近づいてくる少女に対して、ジガルデは僅かに興味を示したように首を動かした。

 テレパシーなどは――伝わってこない。アニメで見られるような個体とは違うという点にやや落ち込んだものの、それは一旦脇に置いてヒナヨは何かを決意した様子でボールを取り出し、ジガルデに差し出す。

 

 

「ルリちゃん、ジガルデに私の思いを届けてくれる?」

「サナ」

「ありがと。――ジガルデ、お願いがあるわ」

「――――」

「私の家族を……正気に戻してほしいの」

 

 

 そのボールの上部からうっすらと見えるのは、一匹のマンムー――彼女が最初に出会ったポケモンであるむーちゃんの姿。

 ダークポケモンと化し、その自我を失ったむーちゃんを元に戻すこと。

 自分たちの絆を示し、敵でないことを理解させること。

 これは、その二つを同時に為すための一案だった。

 

 

 

*1
ルギア爆誕(1999年公開)

*2
ハードゴールド・ソウルシルバー(2009年発売)を指す。金・銀・クリスタル(1999年発売)ではサンダーはいない。










〇設定等紹介

・ジガルデ
 初出はポケットモンスターX・Y。当然ながら特殊能力の存在は本作オリジナル。
 でも単純なパワーだけでゼルネアスとイベルタルに対抗するって何なんだろうと思うので、原作などでも実は無効化能力などがあったりするのかもしれない。無いかもしれない。
 少なくともアニメでは何だかよく分からないがごん太な木の根をこれでもかと言うほど操っていたので生命を操る力くらいはあるかもしれない。
 ゼルネアスとイベルタルを同時に相手どらなければいけないため、より特異な個体である本作のジガルデがやってきた……という設定。


・アーシア島の三鳥
 映画「ルギア爆誕」に登場するファイヤー・サンダー・フリーザー。
 極めて特殊な個体のようで、三匹のうちの一匹が欠けるだけで自然界のバランスが崩れ、災害が頻発するほどの力を持つ。映画本編ではルギアによって調停され、災害も抑制された。個人の欲望のせいで世界滅亡の危機を呼び込む辺りジラルダンの科学力がヤバい。
 何故かサンダーはファイヤー不在の隙を突いて火の島を奪おうとするなどやけに好戦的だったりするのだが、これほど気性の荒いポケモンが自然界のバランスを担っていて大丈夫なのだろうか。


・元無人発電所(カントー発電所)のサンダー
 「金・銀・クリスタル」及びリメイク「ハートゴールド・ソウルシルバー」にて登場。
 本来この場所はカントー・ジョウト間の行き来ができるようにするために部品を届けにいく……というイベント専用の施設だったのだが、なぜかリメイク版にて発電所表の玄関脇にサンダーが配置された。本当にぽつんと配置されてるだけでイベントなどは一切無い。
 もしやあれは色違いのオニドリルだったのでは? ゴールド(仮称)は訝しんだ。



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くろいまなざしを注ぐ者

 

 

 タワーに再潜入したアキラの道のりは、意外なことに順調なものだった。

 先のタワー襲撃の際に起こした基部の破損の補修、研究設備の分割といった混乱の隙を突いているという点も大きいだろう。元々、反攻のためにと思ってヒナヨが内部の構造を示した図面(マップ)を所持していたこともあってか、彼女は迷うことなく倉庫へとたどり着いていた。

 

 

(問題はここからだな……)

 

 

 ここまでの間に何度も実例を見せつけられてしまっては、アキラとしてももう想定外は起きるという前提で動くしかない。

 彼女は「扉を開けたら即ミュウツー」などということも想定に入れることにしていた。最早ノイローゼである。

 

 

「おい、聞いたか?」

 

 

 そんな折、通路の奥から声が響き、アキラは即座に身を隠した。

 しばらくすると、レインボーロケット団の下っ端が二人組で姿を現す。アキラは、彼らの話に耳を澄ますことにした。

 タワー内部という状況も相まってか、レインボーロケット団員の口は非常に緩い。情報セキュリティという観点からすれば杜撰もいいところだ。とはいえ、下っ端程度の立場では大した情報も話していないだろう――とアキラは高をくくった。

 

 

「ランス様の話なんだが」

「へっ、おいおい、もう『様』じゃないだろォ?」

「はっ、そうだったな。ランスのヤツがよ、『あの連中は必ずまた来る』――なんつって、外に出る前に触れ回ってたらしいぜ」

「ギャハハ、マジかよ! 心配性すぎるだろ!」

(マジかよあいつ)

 

 

 アキラは内心で戦慄した。自分たちが来るということを、ランスは極めて正確に推測しているのだ。これで何も感じないということはありえない。

 失敗続きで幹部から降格させられた、という経緯を辿ったことで下っ端からの信用を失い、その話を信じている人間が少ないの唯一の救いか。しかし、もしランス自身がタワーにいたならば、やはり彼の計略に嵌められて大きな損害を被っていたことだろう。

 

 

(問題は、ランスの言葉をちゃんと聞くだけの土台がある連中だ。ありうるとすれば幹部だが……)

 

 

 ランスほどに計略に長けた者は多くない。追随できる者として即座に思い浮かんだのはラムダだったが、彼は既にユヅキが倒している。

 候補は限られることになる――が、アキラは一旦全ての考えを脇に置いた。どうせ考えたところで無駄に終わる可能性は非常に高いのだ。

 

 

(状況に合わせて臨機応変に……それ以外やりようは無い)

 

 

 雑談をしながら去っていく二人組を見送ったアキラは、監視カメラに映らないよう静かに倉庫の扉に近づき、内部の気配を探った。

 

 

(ポケモンが数匹に、トレーナーが……三人ってところか。ヒナが一度入り込んだから、警備が厚くなってる)

 

 

 敵に気付かれる危険性をできる限り減らすためにも、戦闘は避けたかったところだが、こうなってしまえばやむを得ない。デオキシスを外に出せば、感応能力で意図はすぐに伝わった。すなわち、即時殲滅だ。

 応援を呼ばせず、異常を悟らせず、かつ全員をまとめて撃破する。そのために、デオキシスの能力はうってつけだった。

 

 

「やれるか?」

「▲▲」

 

 

 デオキシスはそれに応じ、掌の中で確認するように二つの能力を行使する。一つはオーロラのような幕を現出する力。もう一つは、空間に黒い「穴」を穿つ力だ。

 いずれも、以前のデオキシスでは使えなかった――と言うよりも、「気付いていなかった」能力である。これはヒナヨに教えられた、ある媒体(せかい)におけるデオキシスという種にとっての基本能力とも呼ぶべきものだ。

 本来ならこのデオキシスに備わっていてもおかしくないものではあったが、彼が培養槽から出たのはほんの数日前のこと。それまで肉体を扱うということすらできていなかったというのに、自分にどれほどの能力が備わっているかを理解するというのは難しい。

 

 が、その後、ヒナヨの立ち合いのもとやってみたら、これが成功してしまった。潜入にも有効ということで、拠点襲撃に際し活用する算段だったのだが……結果的に、作戦は本拠地潜入という方向にずれ込んでしまった。

 ともあれ、有効性は変わらない。僅かに開いた扉の隙間から、オーロラ状の幕が流れ込んでいく。これによって監視カメラに「今は何も起きていない」という虚像を映すのだ。

 

 

(――今!)

 

 

 そして直後、警備の人間やポケモンたちの口がデオキシスのサイコパワーによって塞がれる。アキラは音を立てることなく、チャムとリュオンをボールから出しながら倉庫に攻め入った。

 静かに、しかし確実に、レインボーロケット団員とそのポケモンたちの意識が瞬時に刈り取られていく。数秒と待たずに制圧された倉庫には、意識を失った者たちが積み上げられることとなった。

 

 

「……よし、運び出そう」

「リオ」

「バシャッ」

「△△△△」

 

 

 アキラの合図によって、デオキシスは黒い穴(ワープホール)を開く。宇宙由来の、サイコパワーに依らないこの能力は、ミュウツーには感知することはできない。

 今の内だ急げ急げ、とばかりに、リュオンとチャムは周囲のコンテナをワープホールへと放り込んでいく。送り先は、近隣の山を掘って作り上げた空間だ。

 なお、この際出た土砂はギルが腹に収めてしまっている。ヨーギラスとそれに連なるポケモンたちの食性はアキラも理解していたが、改めて間近に見ると異様な光景であったことをアキラは思い出した。

 

 

(ポケモンボックスそのものは量産品だし、全部使ってる最中……ってことは無いだろう。ボールも確保した。あとはイレギュラーさえ無ければ……)

 

 

 と。そこで、彼女は倉庫の外から向かってくる気配を感じ、苛立ち交じりのため息をついた。

 逃げるが勝ちだ、とばかりにワープホールに向かうアキラだが、直後にその足に黒い触手めいた帯が絡みつく。ほとんど脊髄反射的に刃が閃き、神速の抜刀が黒い帯を――切り裂くことは無かった。

 その波動、その性質。アキラはその()に見覚えがあった。

 

 

「『ダークホールド』……ダークポケモンか」

「少し違いますわね」

 

 

 彼女の呟きに応えるように、正面扉から女が現れる。レインボーロケット団の幹部であることを示す白い団服に身を包んだ、ふくよかな体格の女だ。

 射貫くようなアキラの視線をものともせず、むしろ不愉快そうに鼻を鳴らす姿は、実力と権力に裏打ちされた不遜さに満ち溢れていた。

 

 それに対するアキラたちの返答は、無言の攻撃。リュオンの放つ不可視の「はどうだん」が、空を裂いて女幹部に迫る。しかしその一撃は、直撃には至らない。女が従えるアーボックの「まもる」によって構築された障壁が攻撃を阻んだからだ。

 女は手に持った装飾過多な扇子で自身を扇ぐと、余裕たっぷりな表情で続けた。

 

 

「オホホホ……それはダークポケモンを改良、調整を施した『シャドウポケモン』。命令されなければ動けない欠点を克服し、自己判断で動けるようになった……より戦闘兵器として高みに近づいた姿ですことよ」

「――幹部か」

「ええ。あたくしはレインボーロケット団幹部が一人アテナ。不甲斐ない同僚の尻拭いに来たというところよ」

 

 

 語る言葉は、一見すると同僚――ランスに対する苛立ちが込められているようでいて、実際の矛先はアキラに向けられている。

 そこには、間違いなく尻拭いという以上の、優秀な人材を失脚させられた恨みというものが乗せられていた。

 

 ――あれだけのことをしでかしているくせに、仲間を想う気持ちはあるのか。

 

 アキラは内心で強い怒りを覚えた。

 彼女にとって、悪人の仲間意識ほど唾棄すべきものは無い。感情の動きそのものは美しく見えても、その果てにあるのは他人を害して自分たちだけが利益を貪ろうという下卑た思想だ。どれだけ綺麗な感情を持っていても、先にあるものがそれでは腐って醜悪なものに成り果てる。

 

 その気持ちひとつで他にできることがあるだろ――と叫びたくなる気持ちを、アキラは斬って捨てた。

 それができる/やるつもりがあるなら、ここで今対峙していない。考えを改める余地が無いからこそのRR団(かれら)なのだ。

 

 

「貴様らの動機や主張になんぞ蚤の糞ほどの価値も無い。御託はいいから来い」

「ホホホ……来いと言われて行ってやる義理はあたくしには無いのよ。そして」

「……!」

 

 

 次の瞬間、アキラの全身に『ダークホールド』の黒い帯が巻き付いた。十や二十ではきかない夥しい数の技の群だ。それはただの拘束という枠組みをを超えて、強い圧迫感をアキラに与えるほどだった。

 

 

「一対一で戦ってやる義理も無い。百人を超える精鋭団員と五百匹を超えるシャドウポケモン! あなたがどれほど強くっても、これだけの物量を受け止め切れるわけがないのよーっ!」

 

 

 アテナが前に出ると共に、彼女の言葉を裏付けるように、百人もの黒服団員と彼らが従えるポケモンたちが一斉に倉庫内へとなだれ込んだ。

 紫と黒の毒々しい波動(オーラ)に包まれ、その目から血のような真っ赤な光を放つシャドウポケモンたち。ダークポケモンを遥かに超えた存在としてのいびつさに、アキラはふつふつと怒りが湧いてくるのが分かった。

 それと同時に、逃げきれないことを悟ったためか、デオキシスが作り出していたワープホールが消滅する。アテナは、その様子を目にしてほくそ笑んだ。

 

 

「オホホホ……とはいえ。あたくしがあなたと『戦う』必要はありません。分かって?」

「……サカキが来るまでの時間稼ぎか」

「御明察。小憎たらしいこと。でもランスのお坊ちゃんのおかげで助かったわ。あなたの行動パターンをよぉく分析してること。オホホ、もう逃がさないわよ。サカキ様への連絡も終わったし、これであなたもお終いねぇ!」

「そうか? わたしはそう思わない」

 

 

 どこか余裕を感じさせる、しかし、一切の感情の乗っていないアキラの言葉に、アテナと彼女の引き連れた団員たちは表情を変えた。

 この状況で何ができるのかという嘲笑。調子に乗るなという怒り。あるいは、この状況で何をしでかすつもりなのかという、警戒。

 ――次の瞬間、その全てを力で握りつぶさんというほどの衝撃が、部屋を襲った。

 

 

「な……何!? これは何!?」

「転移だ」

「転……移……? 待ちなさい、『テレポート』は使えないはずですわよ!」

「そうだな」

 

 

 「ダークホールド」によってアキラ本人が全身を雁字搦めにされている以上、「テレポート」は元より、彼女を連れての物理的な逃走も不可能だ。

 ではこの状況で、いったい何を転移させるのか――その答えに、アテナは目を見開いた。

 

 

「だから、この部屋全てを(・・・・・・・)ワープホールに落とした」

「は……な、ななな、なん……!?」

 

 

 倉庫の小さな窓から覗く外の光景は、何処とも知れない極彩色の異空間へと変じていた。

 想定外に過ぎる大規模な能力の行使に、アテナの口がふさがらなくなる。

 

 

「『くろいまなざし』も『ダークホールド(それ)』も、敵を戦場から逃がさないための技だろう。依然戦場はここにある」

 

 

 ダークポケモンの技術があると知った時点で、アキラにとっても仲間たちにとっても「ダークホールド」のような時間稼ぎに向いた技は突入時点から警戒の対象に上がっている。

 しかし実のところ、単に対処法というだけならそう少なくは無い。「とんぼがえり」、「ボルトチェンジ」といった技や道具「だっしゅつボタン」による離脱などがそうだ。そうした技を使った敵ポケモンを排除することでも逃げることができるようになるため、道具「レッドカード」によるボールへの強制送還や、「ふきとばし」による戦線離脱なども有効な手として挙げられる。

 

 一見すれば強固な拘束のようでいても、あくまでそれはポケモンの技だ。生体エネルギーに由来する以上、限界というものはある。あとはいかにそれを出し抜くか、超越するかという問題だった。普段であれば相手を倒すことでも十分に逃げるという目的は達することができる。

 とはいえ、現在のように一分一秒を争うような状況では、目の前の敵を全滅させるという手段も難しい。そこでアキラは、前提を覆すことにした。目的があって時間稼ぎをしようと言うのなら、その目的を達することができない状況に持ち込めばいい、と。

 

 

「逃がさないだと? それはわたしの台詞だ。誰一人逃がすものか。()ろうじゃないか、このまま。ただし、横槍は一切許さない(・・・・・・・・・)

 

 

 アキラを拘束する目的が「サカキの到着を待つため」だと言うなら、そもそもサカキが手出しできないような状況を作ればいい。

 デオキシスにばかり大きな負担をかけていることはアキラも忸怩たる思いでいたが、それもこれも生き残り、レインボーロケット団を撃滅するためだ。テレパシーによって両者の間で合意は取れており、次元の狭間から四国の山中へと位相を戻したところでデオキシスも失った体力の回復のためにボールに戻っていった。

 

 

「へっ……ヘヘヘヘッ! ちょうどいいじゃあねえか。なあ、幹部サマよぉ」

 

 

 そこへ、凶悪な面相で笑みを浮かべた男が、他の団員を押し退けて現れる。

 殺意と膨大な闘争心を孕んだ視線をアキラに送るその男の両腕は、本来鳴るはずのないギチギチという鉄が擦り合うような音が発せられていた。先日、アキラが倒したレインボーロケット団に与した現地人……氷見山だ。

 

 

「あなた……ランスの部隊から譲られた、確か……ヒミヤマですわね」

「ヤツには恨みがある。逃がさねえと言ってくれてんなら、逃げる必要もねえ。テメエも言ってただろ? これだけの物量だ! たった一人でどうこうできるモンじゃねえ!」

「誰だお前?」

「殺す!! やれェケケンカニィ!!」

「……」

「お待ちなさい!」

 

 

 彼の従えるポケモンは、以前と変わらずケケンカニだ。しかしその目は赤く染まり、全身から毒々しいオーラが放たれている――シャドウポケモンと化していた。

 アキラはその姿に思わず強い嫌悪感を抱き、目を細める。彼女は元来戦いを嫌悪する性格であり、戦いに喜びを見出すような者もまた激しく忌み嫌っている。が、そうであっても、以前のように戦いに喜びを覚える感覚を――感情を剥奪されたケケンカニの姿は、アキラに小さくない憐憫を抱かせた。

 

 

「――――『オーバーヒート』」

「「「!!」」」

 

 

 それ故に、彼女はポケモンたちに手を止めさせなかった。

 早急にトレーナーを撃滅し、シャドウポケモンたちを元に戻すことが先決と判断したためだ。

 

 メガシンカの光に身を包んだチャムの両腕から放出された爆炎が、アテナたちの視界を紅に染め上げる。巻き込まれた数匹のポケモンが吹き飛ばされ、焼き尽くされてボールへと強制的に帰還させられてゆく。それに伴ってアキラの拘束が解け、彼女が立ち上がる余地が生まれた。

 

 

「ギル」

「グルルル……!」

「! 逃げられる者はすぐに退却を――」

「『すなあらし』」

「ガアアアアアアアァァッ!!」

 

 

 正確にその脅威を感じ取れたのは、アテナだけだったと言えよう。しかし、その指示を出すのはあまりにも遅かった。

 ボールから現れたギルが全身から生命エネルギーの奔流を放ち、倉庫――と定義すべきか悩むような空間――の周囲に砂礫交じりの暴風を展開した。

 

 

「誰一人逃すものか。お前たちはここで終わらせる」

 

 

 その死刑宣告のような言葉と共に、狂乱の中、身動き一つできない少女(狩る者)と、それを取り囲む黒服たち(狩られる者)との戦端が開いた。

 

 

 










〇設定等紹介
・デオキシスの能力
 「ポケットモンスターSPECIAL」にて描写された、オーロラを使って敵の目を欺く能力と、ブラックホール状のワームホールを作り出して対象者を別の空間に移動させる能力。
 前者は光の屈折を捻じ曲げてデオキシス自身が姿を隠すために使われたものだが、シルフスコープによって見抜くことが可能であり、それなりに能力的な穴はある。
 後者は「テレポート」とはまた別の能力であるらしく、ブルーの両親を誘拐したり、シルバーたちを別の安全な場所に(安全ではない)転送するなどして活躍した。
 本作では後者の能力は体力の消耗が激しいというデメリットを抱えているものの、ポケモンの技とは異なる宇宙由来の能力であるとしているため、エスパータイプの感知能力には引っ掛からないという優位性を持っている。


・シャドウポケモン
 初出は「Pokemon GO」(2019年7月~)。作中時系列(2019年5月頃)においては未登場。
 ダークポケモンに近似した存在で、本作においてはダークポケモンの発展形として描いている。
 ダークポケモンが「命令だけを聞いて動くロボット」とするなら、シャドウポケモンはそれにAIを搭載して自己判断ができるように改良した形。
 ダーク技だけでなく通常の技もフレキシブルに使えるようになっており、使い勝手が向上。ただし、感情や自我はダークポケモンと同様喪失しており、あらゆる意味で「兵器」に近づいている。アキラはキレた。
 シャドウポケモンという名前はダークポケモンの英語版の名称でもあるらしく、Pokemon GOの開発元がアメリカであることから、ダークポケモンのつもりで制作していた可能性も無きにしも非ず。
 なお、Pokemon GOにおいてはアメとほしのすなを使って「リトレーン」というシャドウポケモンを元に戻す儀式ができるようになる。これによって元に戻ったポケモンは「ライトポケモン」とも呼ばれ、様々な能力に好影響を及ぼすとか。



・「誰だお前?」
 本当に覚えていないわけではなくただの挑発。
 ただ、マッシブーンの印象が先行している上に個人のパーソナリティに関心が無いため実はうろ覚え。




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ばかぢからを制する理性(もの)

 

 

 アキラたちの行動に対してのレインボーロケット団員たちの反応は、精鋭と言うだけのことはあって迅速だった。

 

 幻のポケモン、デオキシスは疲弊してボールへ戻った。

 戦力比は1:100としても過言ではない。

 加えて、幹部とウルトラビースト使いまでもが動員されている。

 そうした要因もあってか、彼らの士気は低くない。ポケモンたちをボールから出し、ポケモンたちと共に四方を固めたアキラを包囲していく。

 

 

「来い、マッシブゥゥン!!」

「ババァルクウウッ!」

「やるしかありませんわね……ドンカラス!」

「カァァッ!」

 

 

 氷見山とアテナもまた、自らのポケモンたちを繰り出してアキラの行動に身構える。

 対するアキラは自然体に近い。と言うよりも、拘束が多少緩んだとはいえ未だ全身に黒い帯が絡み付いている以上、身動きが取れていないだけだ。

 しかしながら、彼女の放つ威圧感と殺意は本物だ。だからこそ、その自然体という一見隙だらけの立ち姿が攻め入ることを躊躇わせる。そして、その隙を逃すアキラではない。

 

 

「分断する。『がんせきふうじ』!」

「ギラァッ!!」

「何……!」

「う、うわぁっ!」

「囲まれ……ギャアアッ!」

「ガアアアァッ!」

 

 

 最初に標的となったのは、僅かにでも突撃することを躊躇った者たちだった。ギルの作り出した岩塊が彼らの四方を取り囲み、上空から叩きつけられるようにして巨岩が落着する。蓋をするようにしっかりと道を塞がれた彼らでは、しばらくの間はアキラたちを攻撃することも難しくなる。

 

 

「『はどうだん』」

「リオオオッ!!」

「ぬっ、く……!」

「わあああっ!!」

「ギャオオオォォ……!」

 

 

 次いで放ったのは、その散弾状にして放たれた全力の「はどうだん」。押し固めた球体の波動から扇状に放たれた細かな弾丸は、床とポケモン、そして攻撃を防ぎきれなかったトレーナーをもまとめて抉り、弾き飛ばした。

 鮮血が舞う。一切の情けも躊躇も無い、だからこそ(・・・・・)より確実に相手を死に至らしめることなく「怪我」という程度で戦線を離脱させるための攻撃だ。

 その攻撃を目にすると氷見山の脳裏に先の敗戦の光景が浮かぶ。心がふつふつと沸き立ち、闘争心が膨れ上がった。

 

 

「ハァァァァァッ!!」

「バァァァァルクッ!」

 

 

 アキラはその場を動けない。彼女を狙えば、嫌でも足を止めての打ち合いに発展することだろう。マッシブーンの全力を、より有利な状況でぶつけるための最適解だ。

 

 

「ブチ砕け、『アームハンマー』ッ!!」

 

 

 マッシブーンの腕が凄まじい勢いで膨張していく。つけすぎた筋肉が動きを阻害するとか、そうした理屈の全てを「力」ひとつで貫くほどの超スピードで、マッシブーンは駆けた。

 技など無い。そんなものは必要ない、と言わんばかりの一撃は。

 

 

「嘗めてるのか、お前」

「……」

「バッ――――」

 

 

 大気の壁を破り、地殻ごと大地を割るほどの一撃に沿って(・・・)、全くの等速でメガシンカを果たしたチャムが跳んでいた。

 腕を捉えるようにして、その鉤爪がマッシブーンに食い込む。あまりに現実離れした事態に、マッシブーンの小さな目も見開かれた。

 

 

「『ブレイズキック』」

「シャアアアァァッ!!」

「クアァァァァッ!!?」

 

 

 火炎を纏う踵落とし。炎を纏った――蹴り、と言うよりも最早雷霆めいたその一撃は、マッシブーンに痛烈なダメージを及ぼした。

 

 

「な……バカな!?」

「マッシブーンとその直線的な動きのおかげで思い出したよ。あの時のUB使いの一人か」

 

 

 アキラの挑発じみたその言葉に、氷見山の頭に血が昇りかける。

 彼女の認識の上では、あくまでマッシブーンこそが主体であって氷見山の存在は最初から無いものと同じなのだ。両腕を切断されたことで強い恨みを持つ氷見山からすれば、それは紛れもない侮辱と言えよう。

 

 

「――それで。まるで代わり映えしない実力で何を殺すつもりだと言ったんだ、お前?」

 

 

 しかし、そこで氷見山は冷静さを取り戻す。アキラははっきりと、「代わり映えしない実力」と言ったのだ。だが、それは本来ならまずありえない。

 氷見山はあの敗戦の後、義手の手術を乗り越えた上にポケモンたちを鍛える時間も充分に取った。レインボーロケット団の所有する力量(レベル)を数値化する機械にかけることによって、着実にその実力が上がっていることも確認している。

 それを、彼女はまるで何も変わっていないかのように言い捨てた。それは彼女から見た時、氷見山の成長など取るに足らない程度のものでしかないということだ。

 

 

「こいつ、あの時より更に強くなってやがる……!!」

「ふぅん……これでまだ成長途中と? サカキ様が後継者の『器』に選ぶだけのことはあるということですわね」

 

 

 アテナもまた、その異常性に眉を顰める。

 アキラの噂は、彼女も――と言うよりも、レインボーロケット団員ならば少なくとも一度は耳にしている。出遭えば大損害は必至。再起不能にされた団員は数知れず。数少ない無事だった団員もぐずぐずになるまで精神を徹底的に破壊され、トラウマを植え付けられている。レインボーロケット団員として復帰し、悪事を行うことも難しいだろう。

 名前もまともに名乗らず、残されているのは白い髪と抜刀の閃きという数少ない証言のみ。故に、少女についた仮称は「白光」。特徴的な赤毛と一切容赦のない踏み潰し(ストンピング)、そしてそれに伴う流血によって「血判」と仮称される敵性存在も確認されているが、それよりも遥かに危険度は高い。彼女は既にアサリナ・ヨウタ並かそれ以上の危険人物として語られるほどの人間と言えよう。

 

 それが未だ発展途上である。アテナの胸中には小さくない恐怖が湧き上がっていた。

 伝説のポケモンであるデオキシスを手中に収めていることで戦力がより充実したことも事実だが、それ以外のポケモンたち実力も、氷見山の言葉通りなら軒並み向上している。

 

 

「そこまでの実力……レインボーロケット団に来れば即大幹部も夢ではありませんのに、なぜ愚かな民衆を守るためになど使うのです?」

「レインボーロケット団自体に価値が無いからな」

「でしたらあなたは何のために戦っているんです?」

「お前らのせいで苦しんだり悲しんだりする人を少しでも減らすためだ」

「チッ……何だァその理由は!? 正義ぶってカマトトぶってんじゃあねえぞガキッ!」

 

 

 氷見山のその言葉を耳にして、アキラははじめて彼にはっきりと意識を向けた。

 それに伴って、拡散していたはずの殺意の波動が一直線に彼に向かっていく。まるで暴風の中にいるような錯覚を覚えながらも、氷見山はだからこそ、逆に気を良くした。敵意や殺意こそ、彼にとってはより慣れた心地よい感情であったからだ。

 

 

「人間が動くのは欲望があるからだ! 金が欲しい! 崇められてえ! ブッ殺してえ! それ(・・)が本質だろうが! そんだけ強ェ癖にやることが雑魚共を守るだなんざ狂ってんだよ! 人間のやることじゃあねえ!」

 

 

 そうした一方、氷見山はアキラの在り方に憤慨していた。

 彼にとってみれば、力を持つ者が己の好きなように振る舞うというのは当たり前のことだ。だと言うのに、アキラのしていることは既存の秩序のもと、力無い人間を守るという――氷見山からしてみれば、あまりに無益な行為。彼にとってアキラの姿は、人間ではなく秩序というシステムのもと動く機械のようにしか見えていなかった。

 

 対するアキラは――眉間に刻んだ皺を、より深くした。

 同時に、周囲に吹き荒れる殺意の嵐の濃度が更に高まる。

 

 

「貴様の浅薄な考え方で、人の欲望を定義するな」

 

 

 ――彼女もまた、はっきり言ってしまえばキレていた。

 

 

「人間に欲望が必要という考えそのものは否定しない。けど、誰かと一緒にいたい、平和に生きていないという暖かい願いも『欲望』の一種だろう。醜く浅ましい我欲だけが人を動かすと思うな!」

「正義の味方気取りがァッ!!」

「人を傷つける手段しか取れないわたし(にんげん)が、正義の味方(そんなもの)を気取れるかッ!! ギル!」

「グルゥアッ!」

 

 

 アキラの激憤に呼応するように、ギルが一気にアキラのもとに詰め寄り、彼女の体を下から一気に持ち上げる。

 膨大な数の黒い帯に圧迫されて全身の骨が軋むのを波動による強化で堪えながら、一切の躊躇なく彼女は指示を放つ。

 

 

「『じしん』!!」

「なっ――――」

「ど、ドンカラスッ!」

「カァーッ!」

 

 

 敵に打ち込む変形の「じしん」ではない、本流の――地面に叩き込むことで、周囲全てにその効果を及ぼすための一撃。広く、そしてアキラを囲うようにして布陣しているこの状況下においては、最適と言っていい技だ。

 しかし、そのためには彼女自身もまた傷つくことを覚悟した上で行わなければならない。拘束によって地面に縫い付けられているような状況に陥っている今、ギルに抱え上げられているとはいえ跳ぶこともできない関係上、振動はダイレクトに自身を襲うのだ。

 

 ――それでも、ギルは一切躊躇うことなく地面を蹴り穿った。

 

 

「ごあああああああああっ!!?」

「うわあああああ!」

「ぎゃああああ!!」

「っ……ごぼっ!」

 

 

 拡散する衝撃と振動、そして生命エネルギーの奔流は、周囲に散らばる敵を撃滅するのに十分な威力を誇っていたが、同時にそれはアキラの体を蝕むのにもまた、充分な威力があった。

 骨が軋み、内臓が掻き回され、口の端から血の塊が零れ落ちる。しかし、ギルと最初に出会った時のような絶望的なダメージは彼女には無かった。波動によって体を強化していたことや、前回と異なり生命エネルギーによる超振動がダイレクトに直撃していないことが原因だ。

 アキラは血を吐き捨てながらボールを転がし、跳び上がって「じしん」の影響を回避したリュオンとチャムへ指示を発した。

 

 

「叩き落とせ、『はどうだん』! チャム、マッシブーンに『フレアドライブ』!!」

「リオオオオッ!」

「バシャッ!」

「なっ……無茶苦茶な! ドンカラス、『みがわり』!」

「カァァ――――ッ!」

「ぐあ……ッ! ま、マッシブーン、迎撃しろォ! 『ばかぢから』!!」

「ババアァルクウウウッ!!」

 

 

 リュオンが放つ「はどうだん」がドンカラスの身から生じたエネルギー体を貫き、全身から火炎を噴き出したチャムが、全身を倍の大きさにまで膨れ上がらせたマッシブーンへと吶喊する。

 チャムの速度は、先のマッシブーンのそれを遥かに超え、人間の目では追えないほどとなっている。しかしその中でも、彼は「技術」を織り交ぜることはやめない。振るわれたマッシブーンの剛腕を掌でいなし、紙一重で躱して肉薄する。

 しかし、マッシブーンも曲がりなりにも伝説のポケモンに近しい力を持つウルトラビーストである。全身の膨張(EXPANSION)した筋肉に全力で力を込めることで、それは鋼のようにガチガチに硬質化するのだ。それに加えて、その尋常ではない脚力をもって全力で後退することで、更にダメージは軽減することができる。

 

 ――だが。

 

 

(ミュウツーのバリアはもっと硬かった)

 

 

 想定されうる最大の硬度を誇る障壁を張ることのできるポケモンは、ミュウツー。

 レインボーロケット団を撃滅するためには、それを超えて一撃を叩き込まなければならない。

 

 

(デオキシスの動きは、もっと速かった)

 

 

 現時点でアキラたちが知る中で最も速いポケモンはデオキシス。当然ながら、手持ちポケモンとして常に交流し、特訓を行っている彼女たちはそのことをよく理解している。

 常にその速さに目を慣らし、体感し、対応できるよう最善を尽くし続けている。

 ――それらに比べれば。

 

 

「シャアアァァッ!!」

 

 

 メガシンカした自分なら、それらに満たないものなら必ず貫ける。その確信を持って、チャムは思い切り前に踏み込んだ。

 震脚による運動エネルギーの増加をそのまま拳に込め、歩法による急激な方向転換と回り込みによってマッシブーンの意識の外に躍り出る。更に、拳に纏うようにして吐き出されていた火炎が爆発的な推進力に転化される。

 

 

「ク――ハ、バァァァッ!!」

 

 

 空気が弾け、衝撃波が吹き荒れる。拳がマッシブーンの巨体捉え、爆炎がその身を焦がしていく。

 そして、振り抜いた拳がマッシブーンを吹き飛ばした。「すなあらし」によって生じた風の結界を突き破り、遥か彼方へと消えていく。

 それを見た者たちは、一拍遅れて爆発音が鼓膜を叩くのを感じた。超音速の攻防の中、その動きは音を置き去りにしてしまっていたのだ。

 

 氷見山たちは、唖然とした様子でそれを見送った。

 どこでも捕まえられる、言うなれば「普通のポケモン」が、生物としての土台からして異なるウルトラビーストを圧倒し、凌駕し、あまつさえ勝利して見せたのだ。レインボーロケット団の――ポケモンを鍛えることを常道としない者たちの――常識においては、考えられないことだった。

 

 

「ウルトラビーストをこの短時間で……どういう怪物……!」

「人として、あるべき理性を放棄した(けたもの)共に……理解してもらうつもりは無いな」

 

 

 アキラはそう告げると――次はお前だ、と言わんばかりに、その視線をアテナに移した。

 

 

 



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撃ち抜くは白きりゅうのはどう

 

 刀祢アキラは、無欲な人間というわけでは決してない。

 妹に良く見られたいということで見栄を張ることもあるし、男っぽく見られると嬉しく思ったりもする。根本的なところで、彼女の大目的も「記憶を取り戻したい」という欲求だ。ただそれ自体は一連の戦いにはほとんど関係ないし、気にしても仕方ないので脇においているというような状態なのだが。

 

 いずれにせよ、彼女にも欲求はある。肉体的な問題か、実は甘いものが欲しくなることが割と多いし、親や祖母に甘えたい気持ちも出てくる。妹にはいいところを見せたいし、たまには何の目的も無く眠ったり、いいものも食べたい。

 そして何よりも。

 

 

(帰るんだ――――みんなで)

 

 

 この旅を通じて新しく心を通じ合わせたポケモン(かぞく)、そして仲間たちが誰ひとり欠けることなく日常へ帰る。

 四年にも満たない擦り切れた記憶の中に、確かに存在する幸せだった時間を、彼女は切望していた。

 

 しかし、勝てなければ結局のところ何も果たすことはできない。

 敵はあまりにも強大だ。ミュウツーやグラードンのあまりにも規格外としか言いようのない能力によって、彼女の胸に小さな絶望の種が撒かれた。そして目の前で人を助けられなかったことで、脳が焼き切れそうなほどの怒りと共に、「仲間たちや家族を喪うかもしれない」という強烈な不安と恐怖として、種は芽吹いた。

 殺意の奔流と鋼のような理性によって表出することこそ無いが、病的なまでに強さを求める渇望の根源は、そこにある。

 

 ――結局のところ、遠因は辿れば全てRR団(かれら)に行き付くのだが。

 

 

「さて」

 

 

 アキラは絡みついていた黒い帯状のエネルギーを掴むと、そのまま引き抜くような動作で千切り捨てた。

 既に「ダークホールド」を使ったポケモンの多くが「ひんし」の状態に陥っている。戦場から逃げられないという効力はともかく、技を重ねたことによる物理的な影響は、劣化し消えかけていたのだ。

 

 

「ゲホッ」

 

 

 血液交じりの湿った咳をしながら、彼女はまた後で叱られるなと思い息をこぼした。

 血もこぼれた。

 

 

「分かりませんわね。なぜそれほどの力を、人を守るなどという無益なことに?」

「無益かどうかはわたしが決める」

「言い方を変えましょう。たとえ愚民を守った、守れたとしても、彼らが感謝するのはせいぜい少しの間……いずれ守られることが当たり前になり、強い力も疎まれるようになり――」

「面倒だから黙れ。お前らとは話が噛み合わん」

「んなっ」

「人を守らなきゃならないのはRR団(おまえら)のせいだし、力が欲しいのもRR団(おまえら)がいるせいだ。RR団(おまえら)がいなければ、万事解決だろ」

 

 

 ――だから、殲滅する。

 

 言葉にこそしなかったが、彼女の放つ殺気は雄弁だった。

 そもそも、アキラに大した自己顕示欲は無い。人をどうこうできるようなカリスマ性も無い。人を傷つけるという手段そのものを厭うため、英雄視もされたがらない。最終的には、元の体に戻るにしろどうなるにしろ、祖母の畑を手伝うような程度の、ごく普通の暮らしに帰りたいだけだ。強い力が疎まれようと、そうですかハイさようならと逆に意気揚々と行方を眩ませて市井に溶け込んでただの一般人に戻るだろう。

 

 

(詭弁は通じませんわね)

 

 

 アテナは不満げに鼻を鳴らした。

 元々、彼女も議論をしようという気は無い。多少でも心を揺らしてくれれば、戦闘力に影響が出るとも考えていたのだが、そのアテも外れたようだった。

 しかし、時間稼ぎはなった。アテナはアキラの背後から襲い掛からんとする深い紫の影を見てほくそ笑む。

 

 

(そう、そのまま――)

「背後2メートル」

「リオッ」

「え――――」

 

 

 次の瞬間、アキラの背後から地面を通じて噴き出した「はどうだん」によって、影――アーボックは宙へ打ち上げられる。

 アキラを飛び越え、彼女の前へと飛び込んでいく軌道だ。声を上げる間も無く、アーボックはその途中に屹立する深緑の鎧に踏み砕かれ、地に伏せる。その間、アキラは眉一つ動かすことは無かった。

 

 

「不意討ちすら通じねえかよ」

「ヒミヤマ……」

 

 

 マッシブーンを倒されたことへの焦りこそあれど、氷見山は至極楽しそうに前に一歩踏み出した。

 

 

「正面から殴り合わなきゃ勝てねえ……グハハハッ! そうじゃねえと殴り甲斐がねえ!」

 

 

 アテナは閉口した。

 まだ勝てるつもりでいるのかこの(サル)は。

 

 

「勝算がありますの?」

「あぁ? ねえよそんなもん! 俺ァこういう、自分は強いと思ってるガキの澄ました顔が歪むのが何より見てえんだ!」

「殺しますわよ偏執狂(パラノイア)

「あぁ? テメーじゃ俺は殺せねえよババア」

「バッ……」

「カァーッ!」

 

 

 氷見山は愕然とするアテナをよそに、アキラへ視線を送った。

 アキラは一切意に介さず、指を軽く下に向けるような動作を取る。寸でのところでドンカラスの反応が間に合い、何は逃れたが、僅かにアテナと氷見山の首筋に粘着性の糸が付着する。「いとをはく」によって生じた、高レベルのポケモンが吐く硬質な糸だ。

 

 

「っ……!」

「ハッ! やっぱりなぁ!! テメーはそういう、隙あらば殺しに来るヤツだ!」

「糸!? いつの間に……!?」

「――あの『じしん』の直後か! ボールを転がして……面白ぇ! ゴロンダ! ギガイアス!」

「…………」

「…………」

「また……!」

 

 

 氷見山が追加でボールから出したポケモンもまた、シャドウポケモンだ。特に片一方、ギガイアスは通常のそれと比べて遥かに大きく、ギルにすら届こうかという体高を誇る。

 そうであるという可能性は当然アキラも想定していたが、だからと言って許容できるものではない。本来のありようを歪める強制進化マシンと、シャドウポケモン化の合わせ技だ。当然、そこにポケモンの意思などあろうはずもない。

 

 

「チャム!」

「させませんわよ……! ドンカラス! ラフレシア! そのバシャーモを押さえなさい!」

「カァーッ!」

「フレレー!」

「――――」

「アテナ様たちに加勢しろ!」

「何としてでも止めろぉ!!」

「「「…………」」」

 

 

 次いで突撃してくるのは、アテナのドンカラスとラフレシアだ。その姿を目にしていた生き残りのレインボーロケット団員もまた、鬼気迫る様子でシャドウポケモンたちを繰り出す。

 ポケモンの波動が見える彼女にとっては、人間の悪業を見せつけられているようで直視しがたい光景ではあった。しかし、彼女は目を逸らすことなくその動きを目に焼き付ける。

 

 この中で最も戦闘力に長けているのは、氷見山ではなくアテナ。アーボックは不意討ちに対する不意討ちというある種反則めいた手段で撃破できたのだが、それ以外のポケモンはとなると、真正面からではややアキラの方が上か、下手をすると互角というのが彼女の見立てだ。

 氷見山が彼女に劣る原因は、単純な練度不足だ。そもそもポケモンのいる世界に生まれ育ったアテナと彼では、根本の土台が違う。

 

 

(本職の幹部が入ってくるだけでここまで違うか。立場や年齢を考えるとランスに戦術を仕込んだのは、恐らくアテナ……用兵はお手の物か)

 

 

 加えて、今回に関しては下っ端の中でも精兵を用意して来ているというのもある。広範囲に広がりすぎた「じしん」では一撃で倒せた者は多くない。このままでは、間違いなく物量にお押し潰されることだろう。

 やりようはある。だが、アキラ個人の心情としては、正直に言えばあまり打ちたくない手でもあった。

 先にアキラが転がしていたボールは、二つ(・・)。一つは当然ながら先に奇襲を行っていたチュリだが、もう一つは――。

 

 

「ベノン!」

 

 

 かつてアキラにも気付かれず、彼女に接近を許したのがベノンだ。色違いで派手な体色に比して隠れるのは非常に巧い。レインボーロケット団員たちの視界の外でその体が一瞬震え――直後、それでも分かるほどに強く輝きを放った。

 

 

「何だ!? 光!?」

「進化!? この局面で!?」

「――――!!」

「『ベノムショック』!」

 

 

 そして次の瞬間、アキラたちに向かって突撃を始めたシャドウポケモンたちの機先を制するように二条の閃光が走った。

 一つは、輝かんばかりの白。人間の目では追い切れない非常識な速度が、見る者の視界に残像となって焼き付く。

 そしてもう一つは、毒々しい紫。居並ぶシャドウポケモンたちを纏めて打ち抜いたそれは、通常の「ベノムショック」を遥かに超える威力を持った光線だ。

 

 

「何が……!?」

「――何でもいい、進化したってんなら慣れる前に潰す! やれゴロンダァッ! 『ダークブレイク』ゥ!」

「ベノン! 『りゅうのはどう』!」

「ア――――アアアアア――――――ッッ!!」

「退避しなさいッ!!」

 

 

 彼らが先に認識できたのは、歌うような鳴き声だ。その一瞬でアテナが危機を察知できたのは、それなりに卓越した戦闘経験を持っていたためだろう。

 しかし氷見山のゴロンダは彼女が止める間もなく、命令に忠実に、全身に黒いオーラを纏いながらアキラに向かって突撃した。

 対するのは、全身に蒼いオーラを纏い、閃光のように飛翔する白いポケモン――アーゴヨン(ベノン)。体高にして3メートルを超える巨躯へと成長した彼は、怒りを剥き出しにして尾先の砲口からゴロンダへと凄まじい威力の一撃を放った。

 

 互いの攻撃が拮抗していたのは、ほんの一瞬のことだ。

 ベノンの特性は「ビーストブースト」。敵を戦闘不能に追い込めば追い込むほどに強くなる凶悪な特性だ。加えて彼は、ウルトラホールを通ってきた影響か――あるいはもっと別のものか――その攻撃能力を「オーラ」によって強化されており、進化した今でもその影響は今だ大きい。

 

 

「……!」

「ゴ――アアァァ――!!」

「なっ……!!」

 

 

 結果、ベノンの攻撃は地面を抉りながらゴロンダを飲み込み、戦闘不能へ追いやった。

 アキラはそれを横目で見やりながら、戦場を見回して次の手を打つべく更に一歩前に出る。

 

 

「戻れチュリ! リュオン、チャムの援護を! ベノンは周りの敵を掃討! ギル、ギガイアスを潰すぞ!」

「ヂ……」

「リオ!」

「バシャアッ!」

「グルゥ……!」

 

 

 と、指示を出した次の瞬間、チャムのメガシンカが解除される。四肢から噴き出す火炎の勢いも衰え、アテナの目にも明らかにパワーが落ちたことが分かった。

 

 

「! メガシンカを解除……!?」

「――結べ!」

「!」

 

 

 戦術的にありえない、そう考えたところで、アキラは更に腕を掲げ、メガシンカの対象を(・・・・・・・・・)ギルへと変える(・・・・・・・)

 

 ――メガシンカはキーストーン一つにつき一匹。

 

 その大原則を思い出し、アテナは小さく歯噛みした。アキラはメガシンカを完全に理解している。ポケモンたちとの絆の結び方も一切不足は無く、戦況が変わればそれに応じたポケモンをメガシンカさせて対応する。厄介極まる適応能力だ。

 

 

「オオオオオオオラアァァァッ!!」

「…………」

「――――」

「ガアアアアアァァアッ!!」

 

 

 その体躯を更に巨大化させたギルへと突っ込む氷見山たちと、応じるアキラの態度は極めて対照的だ。

 好戦的に笑みを張り付けて突撃する氷見山と、一切の感情を失ったギガイアス。対して、アキラは感情の一切を内に秘め、ギルは興奮を隠すことなく咆哮を上げる。

 激突の瞬間、衝撃波が周囲一帯を駆け抜ける。眉一つ動かさないアキラに対し、氷見山は拳を振るいながら言葉を向けた。

 

 

「テメェももっと楽しめよ、戦いを! 闘争本能を解放しろ!」

「戦いは手段だ。そんなものに喜びを覚えるほど、脳味噌を融かした覚えは無い」

 

 

 剛腕を振るう氷見山に対して、アキラはあくまで冷静に刀と掌を器用に用いて全てをいなしていく。いくら相手が鋼鉄の義手を装着していて、かつイクスパンションスーツを装着していたとしても、同じ人間だ。たとえ相手が格闘技を嗜んでいたとしても、そもそも彼女自身が達人の域にある拳士である。金属音を響かせて、応酬は続く。

 

 

「人間の脳に刻み付けられてるモンだろうが、闘争本能(ソレ)はよぉ! 今も昔も、人間は意味もねえ戦いを求めてるモンだ! 見ろよ! 娯楽でだって人は競い争い蹴落としあってる!」

「安全圏にいるからストレスを発散する先を求めてるだけだろ。実際に殺し合いがしたいなんて人間は極めて少数(マイノリティ)だ。自分の尺度で人類を語るな」

「ハッ、どうだかよ!」

 

 

 直立するギルと、対して四足を地につけたギガイアスの激突は、ギガイアスが先んじてギルの腹部に「ダークブレイク」を当てる形で始まった。低い姿勢から突き上げるような形で攻撃を行うギガイアスの方が、比較的に攻撃が早かったためだ。

 対するギルに、しかし動じた様子は無い。この程度かと言わんばかりに唸り声を上げると、その足に生命エネルギーを集約し、超振動と共にギガイアスの胴部に「じしん」を叩き込む。

 

 

「世の中にゃあ、俺みたいにこのぬるい世界に馴染めねえ人間はごまんといるんだ! RR団(ここ)にいるヤツらは大抵そうだろうよ! テメエはそんな連中から居場所を奪って何も感じねえってか! ああ!?」

「どうでもいい」

「ハッ、マイノリティなら踏みつけても構わねえか! とんだカスじゃあねえか、よぉ!」

「――――」

「ガッ……!」

「! ギル……」

 

 

 その衝撃に耐えきれずに倒れ込むギガイアスだが、彼は全身に振動が行き渡る寸前、その口腔部射出口から、「ロックブラスト」を放った。体を圧迫されたことで射出力の増した技は、ギルの体に傷をつけるのに有効な攻撃だった。

 同時に、僅かに意識の逸れたアキラの頬を鉄拳が掠める。その瞬間にアキラは苛立ちが頂点に達したのか、噛み砕かんばかりに歯を噛み締め――――神速の抜刀により、氷見山の鋼鉄の義手を両断した。

 

 

「もう黙れ。お前に対して脳のリソースを割きたくないんだよ……!」

「う、お……!? 馬鹿な!?」

「わたしはお前たちが『他人を傷つけてる』ことが我慢ならないんだ! いちいち詭弁を並べ立てるな下衆野郎!」

「ギガイア――」

「ギルッ!!」

「ガアァァァァッ!!」

「――――――!!」

 

 

 そうして次の瞬間――体勢を立て直したギルは、ギガイアスの四足の内の一つに足をかけた。

 横から払うようにして、その足が動く。ローキックにも似た足払いの一種。相手の体を破壊するための技の一環とも言える以前、彼自身が受けた技の一つ――――「けたぐり」だ。

 

 ギルにとって、この技は本来そこまで大きな意味はない。彼自身が規格外の巨体を誇るため、わざわざ相手の体勢を崩す必要が無いからだ。

 しかし戦いの当初、アキラたちに脚部を執拗に攻撃されたことで敗北したことで、彼自身の頭に「けたぐり」の強い印象が焼き付いていた。後々伝説のポケモンと戦おうという段階に至れば、パワーだけではなく、当然ながら負けないための戦闘技術を磨くことが大事になる。

 こうして確かな「技」を得たのも、その成果の一つである。

 

 ――ズガン! と轟音を立て、ギガイアスの体が崩れ落ちる。

 

 

「お前たちの狂った自尊心を満たす程度の目的で! 何人の人生を狂わせた!? 何人殺した!? どれだけ不幸を生んだ!!」

「ぬ……おがっ!!」

 

 

 一瞬の間に、氷見山は自身の肩が抜け、膝の皿が砕ける音を聞いた。

 

 

「身勝手な理屈で居場所を無茶苦茶にされてるのはわたしたちの方だ!!」

「カ―――――」

 

 

 両手足の腱が断ち斬られ、肺に痛烈なダメージが加わり、顎が外れ視界が歪む。

 それは一切の容赦が無い、後遺症を残す(・・・・・・)ための攻撃だ。意識、身体、骨格。あらゆる面に歪みを作り、二度と戦えない体にするための――。

 

 

(こ……こいつ! 俺を……壊す気か!?)

 

 

 殺しはしない。それは人として間違っていることだからだ。

 だが、殺さなければ氷見山はいずれまた不幸を振り撒く。だから――二度と戦うことができないよう、徹底的にその体を、心を壊す(・・)

 二度と拳を握る気など起きないよう、そもそも拳を握ることすらできないよう。

 

 

「お前だって、覚悟くらいはして来てるだろ――――!!」

「ギラアアアアアアアアアアアァァァァァァァッ!!」

「――――――――!!」

「ガハアッ!!」

 

 

 アキラの掌底が鼻を砕き、蒼雷が氷見山の意識を底から刈り取っていく。

 ギルの全力の(ばかぢから)がギガイアスの巨体を砕き、「ひんし」に追い込みセーフティを作動、強制的にボールへと帰していく。

 

 凄惨な光景と呼ぶほか無いその一連のやり取りに唖然とするアテナに、アキラは全身から雷を迸らせながら刀を向けた。

 

 

「次だ」

「……そう簡単に行くと思わないことですわね」

「どうかな」

 

 

 短くそう返すと、アキラはアテナに向かって一歩を踏み出した。

 

 

 








〇設定紹介
・アーゴヨンへの進化
 波動のエキスパートであるルカリオ(リュオン)とアキラがいたので、「りゅうのはどう」の習得自体は実はかなり早期に終えていた。
 が、頭に乗ったり抱えてもらったりといったふれあいは、進化してない状態の方が適していると判断したため、何らかの原因でアキラに甘えたがっているベノンは、急を要する状況でなければ進化したくはなかった。
 致し方ない状況とはいえ本人の望まないことを求めてしまったこともあり、アキラはとりあえずアーゴヨンに進化しても頭に乗ったりできるよう体を鍛えることを決めた。
 なおアーゴヨンの体重は150kgである。




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血風紅雨におにびの灯る

 

 血風が、駆け抜ける。

 剣閃と共に指が、腕が、足が飛ぶ。惨劇と呼んでも過言ではない血溜まりの中、この地獄を生み出した張本人である少女(アキラ)は、一切の熱を持たない氷のような表情のまま、舞うように駆けていた。

 

 

「何でこんなことにィ!」

 

 

 その悲鳴は、この場にいる下っ端たち全員の代弁のようでもあった。

 この世界を征服するなど簡単なことだった。この少女を足止めすることなど簡単なことだった。その前提が全て覆されている。

 それどころか、立場を見れば狩る側、絶対強者であるはずの自分たちが押され、あまつさえこうして再起不能の重傷を負わされ続けている。目の前で繰り広げられる凄惨な一幕は、見る者に強烈な危機感と恐怖を抱かせ、鉋で一枚一枚削り取るようにその精神を蝕んでいく。

 

 

「因果応報だろ」

 

 

 その悲鳴を斬り捨てるように、声と共に深緑の剛腕が下っ端の体を彼のニョロボンごと叩き潰した。

 

 

「因果……そんなものがあると?」

「さあな」

 

 

 ドンカラスの「つじぎり」がチャムの目を掠めかけたところを、リュオンの「きあいだま」が貫きドンカラスの頭を揺らす。

 隙を突くようにラフレシアが桃色の花びらを風に乗せて散らし、リュオンに向けて突撃する――「はなびらのまい」だ。しかし、そうは問屋が卸さぬとチャムが爆炎を放ち、花弁を焼き尽くす。

 

 

「別に、そんなものはあっても無くて構わない」

「なんですって?」

「――無いのなら、人間(わたし)たちの手でお前たちに報いを与えるだけだ」

「傲慢なことを!」

「お前たちには負ける」

 

 

 アキラはこれまでに遭遇したレインボーロケット団員のことを思い返しながら、心底嫌そうにそう返した。

 

 

(……相性だけなら今のところは有利。けど、アテナには大きな焦りが見えない。十中八九、まだ何かある)

(既に戦況は圧倒的不利。あとはいかに上手く逃げるか。そのために……)

 

 

 ベノンが超高速で動くことで白い閃光と化し、視界に映るシャドウポケモンを蹴散らしていく。

 奇しくもこの時、それを横目で見ながら二人は同じことを考えていた。

 

 

((――いつ、切り札を切る……!?))

 

 

 重要なのは、切り札と目される「何か」を出してくるタイミングだ。

 次いで、その中身。候補はいくつか考えられたが、アキラは周囲を見回すとそれを即座に絞り込む。

 

 問題なのは、「それ」がボールから出てくるまでの一秒を捻出する方法と、妨害する方法だ。

 圧倒的に手数の足りないアキラよりも、その点に関してはアテナの方が有利だった。

 

 

「行きなさい!」

「うわっ……ウワーッ!!」

「……」

「!」

 

 

 アキラに奇襲は通じない。しかし、向かってくる敵を処理するためには、それこそ数秒程度の手間が必要になる。

 対処に向かうのは、当然ながら遊撃的に動いて戦場を駆け回っていたベノンだ。

 

 叫び声に反応し、砲口を向ける。アテナはその隙を突いてボールを取り出し、ロックを解除した。

 同時に、ギルのメガシンカが解ける。ギガイアスを最速で倒すためにメガシンカをした以上、ここで維持しておく必要は無いということか――とアテナは推測した。

 

 一万メートル(10km)先まで届くとすら言われる超高圧の毒が、下っ端諸共にラッタを吹き飛ばす。すぐ背後で起きた出来事だ。いかにアキラと言えど、進化したばかりで力加減の調節がうまく行っていないベノンの攻撃の余波程度は受けざるを得ない。

 アキラの体が、わずかに揺れた。その瞬間をこそ好機と見たアテナは、意を決してその場にポケモンを呼び出した。

 

 紫色の装甲。背に増設された大砲と、眼光のごとく光を放つカメラアイ。

 ――人の業によって生まれたポケモン、ゲノセクトだ。

 

(倒すことはできなくとも、時間稼ぎならば……!)

 

 

 その大元は化石から復元されたポケモンであることから、プテラやカブトプスといったポケモンたちと性質が似る。

 が、彼らと異なるのは、プラズマ団の――ひいてはレインボーロケット団の科学力によって改造されているという点である。性能(のうりょく)は鍛えていない程度のウルトラビーストと比べても引けを取らないほどで、かつ命令をよく聞くことから安定性も高い。伝説とすら比肩するほどにまで至っているというのは、ひとえに脅威と言えよう。

 

 

「ゲノセクト! テクノ――」

 

 

 リュオンとチャムは、ラフレシアとドンカラスに釘付けだ。ベノンは全力の攻撃を行った直後で、再度攻撃を行うのは難しい。

 何より戦力の要となるギルは、メガシンカを解除したばかりで――――。

 

 

「バ……ス……」

 

 

 解除。

 ――されていない。

 

 いや、そうではない。彼は――この一瞬で、再度のメガシンカ(・・・・・・・・)を果たしていた。

 

 

「――ブラフ!?」

ゲノセクト(そいつ)はもう見ている! ギル! やれぇぇぇっ!!」

「グルゥゥアアアアアアアアッ!!」

 

 

 ゲノセクトの砲口にエネルギーが収束していく時にはもう、ギルはその体格を活かした破壊的な突撃を敢行していた。

 

 

「『ほのおのパンチ』!!」

 

 

 灯した炎が軌跡となり、吸い込まれるようにしてゲノセクトへ突き刺さる。そして、警告音にも似た機械的な悲鳴が響き渡った。

 ゲノセクトの装甲が音を立てて砕け、猛烈な勢いで地面へと叩きつけられる。直後、あまりの事態に唖然としていたアテナの首筋に、冷たいものが突き付けられた。

 

 

「――終わりだ。投降すれば、斬りはしない」

 

 

 アキラの持つ刀だ。当然ながら、トレーナーを盾に取られたかたちになったラフレシアたちの攻撃の手が止まり、チャムたちに取り押さえられる。

 

 

「……完敗ですわね。従いましょう」

 

 

 アテナは冷や汗を流しながら、その勧告に応じた。

 アキラの殺意は、ゲノセクトを出した直後から濃密になっている。従わなければ本当に殺されるのではないかと感じるほどの、死の気配。血が凝ったような彼女の瞳は、至極冷静な言葉とは裏腹に、まるで仇敵に対する抑えきれない憎悪の炎を燃やしているかのように煌々と輝いていた。

 

 

「一つ聞いても?」

「何だ」

 

 

 チュリが再びボールから出てきて、アテナや他の下っ端たちを拘束していく。その中で、アテナはふと気づいた疑問を投げかける。

 

 

「なぜ、ゲノセクトが来ると?」

 

 

 ギルのメガシンカを解除したその時、アテナは対応力を上げるためなのだろうと思っていた。

 しかし、アキラたちの行動は真逆。油断を誘うということには成功したものの、もしもゲノセクトとは異なる単純なパワー偏重のポケモンでも出てこようものなら、単に体力を消耗しただけで終わったはずだ。

 どうしてそんな賭けができたのか、アテナには分からなかった。対するアキラは苦虫を噛み潰したような表情で応じる。

 

 

「プルートと戦った時のことを思い出した」

「プルート?」

「ヤツがゲノセクトを自爆させたときの悪意の動きが……さっきのお前とそっくりだった」

「あたくしをあの爺と同列にしないでくださる!?!!??!」

「え、あっはい」

 

 

 アテナは思わず素でキレた。

 アキラはその剣幕に素で引いた。

 アテナ個人としても、プルートと並べられることは髪を振り乱すほどに嫌なことであったらしかった。

 

 

「……と、ともかく、お前たちはこのまま全員拘束させてもらう」

「その後は?」

「法のもとで裁かれろ」

RR団(あたくしたち)が勝てば無罪放免ですわよ」

「かもな」

 

 

 神ならぬ身では、この戦いの行く末が勝利で終わるか敗北で終わるかなど、理解しようも無い。

 けれども。

 

 

「でも、勝つのはわたしたちだ」

 

 

 心だけは絶対に負けないようにと、自らにも言い聞かせるようにアキラはそう告げた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

「いくら何でも遅すぎるわよ」

 

 

 アキラが突入してから二時間ほど。淡い光が照らす空洞の中で、ヒナヨは苛立ちと不安の入り混じった声を上げた。

 ごろごろぬーんと低く喉を鳴らすブニャットの腹を撫でながら、ヨウタはボソッと返す。

 

 

「でもアキラだし……」

「そうね……」

 

 

 絶対何かやらかされてるぞアイツ。二人はそう確信していた。

 特に、一時間半ほど前に上階で発生したらしい轟音など、ほぼ間違いなくアキラが原因と言っていい。

 

 

「どうする? 助け……が必要かは分からないけど、行く?」

「いやぁ……潜入とか分かってない私たちが下手に動いても、邪魔になるだけじゃない? 連絡来てからにした方がいいわよ、多分。それより、サカキと戦ってたりしたらと思うと……」

「エスパータイプのルリちゃんがいるから分かるよ。アキラもデオキシスで対抗するだろうから、絶対にとんでもないことになる」

「サナ……」

 

 

 本調子に戻ったデオキシスとミュウツーの戦闘ともなれば、その規模は前代未聞と言ってもいいほどになる。万が一ここで戦いが始まろうものなら、気付かないわけがないだろう。

 相手が動けば必ず分かる、というのは小さくないアドバンテージだ。対して、レインボーロケット団はデオキシスの能力発動を感知することはできない。いずれにせよ、何か動きがあれば分かるだろう……としていた時だった。

 

 

「みんな~」

「あ、戻って……」

 

 

 鈴の鳴るような声に応じて顔を上げたヒナヨとヨウタ。

 その視線の先にいたのは、デオキシス*1と一緒にゆっくり駆け寄ってくる全身血塗れのアキラだった。

 

 

「おわああああああああっ!?」

「ギャーッ阿修羅!!」

「ギャウワウバウワウッ!!」

「フシャアアアーッ!!」

 

 

 ヨウタとヒナヨが何事かと仰天する一方、ポケモンたちはすわ襲撃かと浮足立った。途方もなく濃厚な血臭と、頭から血を被ったような――事実そうなっているが――外見は、彼らの警戒心を刺激するには十分だったのだ。どうどう、とラー子がポケモンたちをなだめるのを横目で見ながら、ヨウタはヒナヨにペルルをボールから出すよう指示を出す。

 

 

「ヤバいわよそれ!? 何どうしたの!?」

「何してきたのさ」

「ちょっとトラブッた。ランスが入れ知恵してたみたいで、待ち伏せ受けたから全滅させてきたんだ」

「サラッと全滅させたとか言わないでくれる!? てかその血は!? ペルル!」

「ペルッ」

「あ、ごめん。洗う時間とか無くって……ぷぇ」

「あ゛ー!! もう染みてる! 折角選んだ服なのに!」

 

 

 ペルルの発した水流が、全身にはりついた血を流していく。

 そこから新たに赤い色が流れてくるということも無く、本人にはほとんど外傷がないと確認はできたが、それはそれとしてほとんどが返り血であったという事実に二人は軽く戦慄した。

 

 

「誰を倒してきたの?」

「アテナってやつと現地人(こっち)のUB使い。いくつか新しい情報があるから、そっちは後で話す」

「また状況が悪化したってこと? クソね」

「口が悪いぞ。クソッタレだが」

「口が悪いわよ」

「で、どうだったんだ? ジガルデは?」

「落ち着いてる。こっちの考えも理解してくれたし……見て!」

「ん?」

 

 

 そう言って差し出されたハイパーボールを見れば、その中から視線が返ってくる。マンムー――ヒナヨの「むーちゃん」が投げ掛ける視線だ。思わず、アキラは声を上げた。

 

 

「あれ……治ったのか!?」

「そうなの! ジガルデにお願いしたら治してもらえて……まあ進化したのと体が巨大化したのは戻らなかったけど、意識は戻ったからいいとしとくわ」

「やったじゃないか! おめで……」

「ありが……え、何?」

「――――」

 

 

 祝福の言葉を投げ掛けようとした、その時だった。

 不意に、ヒナヨの肩越しにジガルデの射抜くような視線が、アキラに向かって投げ掛けられる。そうして彼――あるいは彼女――は、アキラを見て「何か」に気付いたのか、音もなく彼女の眼前にやってきた。

 

 

「っ――――――……」

「………………」

「な……何、だ……?」

「……? …………」

 

 

 ジガルデは、「何か」を感じ取りはした。しかし、同時に釈然としない思いを抱えるようにわずかに首をかしげると、「何か違うな」と言わんばかりにそっぽを向いてアキラから離れた。

 横からそれを見ていたヨウタたちも、何が起きたのか、ジガルデが何を思っているのか分からず目を白黒させているが、その一方でアキラは何やら落ち込んだ様子で指を眉間に当てた。

 

 

「どうしたの? ジガルデはなんて?」

「『お前の状態は戻せないな』って……」

「戻せないんだ……なんかできそうなのに」

「せめて生命力戻して元の腕力に戻すとかできないのかよぅ……」

「その生命力も後付けだったってことなんじゃないの?」

「あー……」

 

 

 納得はしながらも、同時にアキラは苦い表情をした。

 今着ている衣服が衣服ということもあって、今は完全に「元の状態」に戻るのを避けたいから、「できない」とはっきり拒否されるのはまあ、悪いことではない。また、ジガルデでは元に戻せないということも、検討に値する収穫の一つではある。

 ただ、戦いは激化する一方なのだから、人外じみた身体能力も、無いよりは当然あった方がいい。それを思うとやや惜しいものがあると言えよう。

 とはいえ、体が大きいままのむーちゃんを見れば、元に戻せる範囲にも限度があることは分かる。特にポケモンと人間とでは構造が異なるのだから、致し方ないとして彼女は一旦諦めることにした。

 

 

「……ジガルデはどうする?」

「私が連れていくわ。戦力的にはこれでだいたいトントンってところでしょ?」

「分かった。それと……あー……と……」

「どうしたんだい?」

「いや……」

 

 

 言うと、アキラはジガルデに保護されていたポケモンたちを見回す。痛いほどに突き刺さる警戒の視線は、元々は彼女自身のミスが招いたものではあるが、それでも少しばかり辛いものがあった。彼女の反応でそれを察したヒナヨは苦笑いで応える。

 

 

「……こっちでやっとくわ」

「……ボールは渡しておくよ……」

「その……お疲れ」

「うん……」

 

 

 戦闘中はまさしく悪鬼羅刹の如き奮戦っぷりを見せ、他人に厳しく自分にはもっと厳しいアキラだが、ポケモンは大好きと言っていい。

 自業自得な面が強いとはいえ、なんだか嫌われているというの精神的に結構なダメージであった。

 デオキシスは慰めるようにアキラを撫でた。

 

 

*1
ディフェンスフォルム







・現在の手持ちポケモン

〇刀祢アキラ
チュリ(バチュル♀):Lv56
チャム(バシャーモ♂):Lv64
リュオン(ルカリオ♀):Lv65
ギル(バンギラス♂):Lv75
ベノン(アーゴヨン):Lv55
シャルト(ドラメシヤ♀):Lv48
デオキシス:Lv70


〇アサリナ・ヨウタ
ライ太(ハッサム♂):Lv79
モク太(ジュナイパー♂):Lv80
ワン太(ルガルガン♂):Lv79【たそがれのすがた】
ラー子(フライゴン♀):Lv75
ミミ子(ミミッキュ♀):Lv74
マリ子(マリルリ♀):Lv65
ほしぐも(コスモウム):Lv70→一時ユヅキの手持ちへ
カプ・コケコ:Lv75


〇奥更屋ヒナヨ
ルリちゃん(サーナイト♀):Lv54
ペルル(エンペルト♂):Lv50
マイちゃん(アマージョ♀):Lv52
モノズ♀:Lv25
むーちゃん(マンムー♀):Lv66
ジガルデ:Lv75




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兆しのふんえん

 

 レインボーロケットタワー中層、倉庫区画。報告を受けてサカキが訪れたその場所には、文字通り「何も無かった」という奇怪な状態に陥っていた。

 区画そのものが抉り取られ、物理的に何も存在しなくなっている。アキラとデオキシスの巧妙な工作によって監視映像なども残っていない。

 

 

「申し訳ありません、サカキ様」

「いや、構わん」

 

 

 とはいえ、状況を考えればタワーに入り込んだ挙句これほどまでの被害をもたらして雲隠れするなどという芸当は、レジスタンスの面々では不可能だ。十中八九ヨウタやアキラたちの仕業であろうと、サカキも見当がついていた。下っ端では原因が特定できなくとも致し方ない。失態による処分を恐れて声を震わせる黒服へ、サカキは微笑んで答えた。

 次いで、白服の大幹部――アポロが資料をサカキへ手渡す。

 

 

「サカキ様、現在急ピッチで侵入経路の割り出しを進めておりますが、お耳に入れたいことが」

「何だ?」

「地下空洞へ廃棄していたはずの実験体が……痕跡も残さず消えておりまして」

「……ほう」

「恐らく、侵入者は地下を経由したものと思われますが……」

「不可解だな」

 

 

 先に「廃棄」された実験体の生死を確認した者はいない。しかし、狂暴化・巨大化して理性を失ったポケモンたちだ。何らかの痕跡を残していなければ、それはそれでおかしい。

 たとえ侵入者――ヨウタたちが埋葬したのだとしても、「埋葬した」という類の痕跡は残るはずなのだ。

 

 

「となれば……『何か』いたと考えるのが適当だろう。騒ぎが起きなかったことがまた不可解だが……ふむ、彼らはポケモンに対して柔らかい対応を心掛けているだろうから……」

「……ここにいた『何か』と話をつけた、と?」

「可能性の話だ。が――考慮には値するだろう」

「は」

「アテナはどうした?」

「確認中ですが、恐らく……」

「倒されたか」

 

 

 だろうな、とサカキは苦笑した。彼女は引き際を弁えている優秀な人材ではあるが、相手が白光(アキラ)では荷が勝ちすぎる。

 

 

「この失態は同じ幹部のン私が!」

「アポロ……お前には本陣の守りを任せたいのだがな」

「はっ! 出過ぎた真似を……」

 

 

 アポロは優秀な幹部だ。最高幹部に抜擢されるほどの実力を持ち、かつ、強い忠誠心を持つ。しかし、彼はその忠誠心がやや行き過ぎている部分がある。アポロ自身が自覚を持って律していることで大きな問題は起こしていないが、ともすると暴走しかねない程度には危うい男でもあった。

 

 

「三度目は無いよう、厳重に警戒しておけ。それと、ランスを招集しろ」

「ランスですか?」

「そうだ。特別な任務を与える」

「おお……ヤツも喜ぶことでしょう」

「もう一つ」

「は」

「――作戦を実行に移す。アオギリに、『例のアイテム』と一緒に指令書を送れ」

「はっ!」

 

 

 サカキから指示を受け取ったアポロは、嬉々とした様子で廊下を駆けていった。

 彼は基本的にロケット団の仕事のこととなるとテンションがおかしくなる。仕事熱心なのはサカキとしても喜ばしいと思えることだが、やはり行き過ぎる感があるというのは小さくない欠点ではあった。

 

 

「さて、奴らはどう出るか……」

 

 

 サカキは焦らない。「挑戦者」を待つことも、楽しみの一つだからだ。

 既に彼は、目的に至るための筋道を立てている。彼にとって今のこの時間は、そこに至るまでの余暇のようなものでもあった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 四国八十八か所霊場第四十番、観自在寺。四国霊場の裏関所とも呼ばれる、よく整った景観と屹立する宝塔を持つ、愛媛と高知の境目にある寺社だ。

 日頃であれば多くの観光客や巡礼者が訪れ活気に溢れているが、現在はそういうわけにもいかない。

 

 ユヅキたちがこの場所に訪れたのは、二時間ほど前のことだった。

 時刻も夜に差し掛かろうかという頃だ。コスモッグやほしぐもちゃんがある程度満足するまでその場にとどまり続けなければならない関係上、彼らが各霊場を巡るペースはそれほど早いものではなかった。そして歩みが遅くなればなるほど、その行動の指針を紐解くための時間をレインボーロケット団に与える結果となってしまう。

 そんな中、大目的そのものは読み解けずとも、「何らかの寺社へ向かっている」ということだけは、ここまでの行動で読み解けるようになってしまっていた。

 そうなれば自然と、進めば進むほど敵の数は増してくる。観自在寺にたどり着いた頃には、既に数十人ものレインボーロケット団員に囲まれるような事態となっていた。

 

 

「やあああぁっ!」

「なっ、待っ……がバッ!!」

 

 

 境内に、生ぬるく湿気た音と共に、甲高い悲鳴が響く。

 相手の体勢を崩したところでふくらはぎで首を取り、繊細な体重移動と「崩し」によって相手の顔面を大地へ叩きつける、ヘッドシザーズ・ホイップ。大地という絶対的な質量に叩きつけられたレインボーロケット団員は、血を流しながらそのまま意識を失って倒れ込んだ。

 

 

「し……神聖な場所を血で汚したりしていいのかぁーッ!?」

「そっちがつっかかってこなかったら最初っからこんなことしないもん! メロ、『コメットパンチ』!」

「グロロロ……!」

 

 

 その体から発せられる磁力と強大なサイコパワーによって、巨体にあるまじき速度をもってメタグロス(メロ)彗星(コメット)のようにグラエナに拳を叩き込む。悲鳴を上げて吹き飛ぶグラエナを尻目に、ユヅキは下っ端の足を崩して倒し、低くなった頭を踏みつけて意識を刈り取った。

 鼻が折れたか、あるいは額が切れたか……いずれにせよ、盛大に血を流した下っ端は、その場の地面を赤く染め上げて意識を手放した。

 彼女の体捌きは姉を思い起こさせるほどに素早く、正確で、そして何より容赦がない。ナナセも東雲も、これには閉口するほか無かった。

 

 

(姉妹だ……)

(姉妹ですね……)

 

 

 アキラがもはや人外とすら呼べる領域に達していそうなのに対して、ユヅキのそれはあくまで人間の範疇に収まっている。

 どちらの方が脅威かと言えばアキラに軍配が上がるのは確かだが――想像の範疇という意味で言うなら、「もし自分が同じことをされたら」と思わせることで、ユヅキの戦法の方がより恐怖を掻き立てることができるとも言える。

 

 

「こいつ――『血判』か!」

「けつばん!?*1

「活版……?」

「…………」

 

 

 愉快な聞き違えをしている女性陣を一旦置いて、東雲はユヅキのことを指しているのだろうその異名について考えを巡らせる。

 軽い体重と恵まれているわけではない体格を補うために練られた一連の体術と、地面に刻まれた血痕。血液で判を捺したように見えた東雲は、なるほどと頭の中で納得した。

 それが異名にまで発展しているということは、それだけ多くのレインボーロケット団員を、同様の方法で屠ってきたということだ。彼らがざわつくのも当然の話ではある。

 

 

「クッ……トレーナーはいい、そっちのドガースもどきをやれ! ゴースト、『シャドーパンチ』!」

「ケケーッ!」

 

 

 独立して浮遊するゴーストの片腕が、暗い光を放ちながらコスモッグへ向かう。

 東雲たちが何らかの目的のもと、コスモッグたちを守っていることは下っ端たちにも読み取れていた。既に場は乱戦の様相を呈している。ここでコスモッグを倒すことができれば――そう考えて放った一撃は、しかし、直撃するその寸前に、突如として飛び出した氷壁によって阻まれる。

 

 

「ケケッ……ケ?」

「な、なななっ……こいつは!」

「――クレベース! 『かみくだく』!」

「ベベェェェ……」

 

 

 ――氷山(ひょうざん)ポケモン、クレベース。

 扁平な背甲が特徴的なポケモンだ。その体高そのものは2メートルほどではあるが、全長で見た場合六メートルを超えるほどにもなる。それが突如として立ち塞がり、ゴーストが放った渾身の「シャドーパンチ」を平然と受け止めたのだ。なんの痛痒も感じていないというのは流石に下っ端といえども衝撃だった。

 そうして、一瞬の強張りを見抜いたクレベースが、低い唸り声を上げながら巨顎をもってゴーストを粉砕する。鉄塊同士が激突したような轟音が響くと共に、「ひんし」となったゴーストが男のモンスターボールへと送還された。

 そしてその瞬間を見計らい、東雲は鋭く指示を――命令(・・)を飛ばした。

 

 

「吶喊!!」

「ターイ」

「「「「「レーツ!」」」」」

「な、なななっ、何っ!? 六体!!? いや、これは――――」

 

 

 次いで、物陰に身を潜めていた六匹の――「六匹一組」のポケモンが隊列を組み、一丸となって突撃する。

 陣形(じんけい)ポケモン、タイレーツ。古い王とその兵に似た外観そのままに、集団行動に特化した性質を持つ彼らは、軍人である東雲と気質がよく合致していた。

 タイレーツは東雲の発した命令の通りにまっすぐに、レインボーロケット団員諸共、立ち塞がるポケモンたちへ「ずつき」を叩き込む。彼らは六匹でひとつのポケモン。一匹一匹がそれぞれ目の前の敵に向かえば、六匹のポケモンを同時に対処することができた。

 

 

「く、くそっ! お前らぁっ! こっちに手を……」

「無理に決まってんだろうがあ!!」

 

 

 こうなれば彼らも、一匹一匹の質が高まりつつある東雲のポケモンたちを押し返すのは難しい。

 数の力で押し返す――そう決めて呼びかけた言葉に返って来たのは、焦燥に満ちた言葉だった。

 

 

「六匹……いや、七匹同時(・・・・)だと!? ふざけんな、そんなのアリかよ!」

 

 

 ユヅキが大立ち回りを演じ、東雲が堅実に敵を一人一人減らしていく中――戦場の大部分を支配していたのは、ナナセだ。

 彼女の周囲には総勢七匹ものポケモンが円陣を組むような形で戦線を構築していた。

 

 

「フルルル――――」

「……あぶさん、そのまま睨みを。しずさん、『アクアブレイク』。エルフーン(えるさん)は牽制、『わたほうし』。バクフーン(ばくさん)、近づいて来ます。『かえんぐるま』。アマルルガ(まるさん)、地面に『オーロラビーム』。レアコイル(るーさん)、逃げようとしています。『ロックオン』」

 

 

 声は非常に小さいながらも、彼女の口は普段の数倍以上の速さで回っていた。

 ポケモンの聴覚は人間のそれとは比べ物にならないほどに敏感だ。どれほど小さな声でも、トレーナーの出した指示であれば拾い上げて実行して見せる。視野を広く持ち、周囲の状況を正しく認識し、次の行動を予測する。それができる人間にとって、多数のポケモンへ同時に指示を出すというのは、それほど難しいことというわけではなかった。

 もっとも、それは二匹同時(ダブルバトル)三匹同時(トリプルバトル)を基準にしたものがせいぜいで、七匹同時などという曲芸じみた芸当など想定の範囲外だが。

 

 

イエッサン(えっさん)も……迎撃、お願いします」

「イェッサ!」

 

 

 新たに進化した二匹と、手持ちに加わった三匹。本来トレーナーとしてあるべき制限を突き抜けた形になるが、ナナセにとってはこの形が最も力を発揮できる状態と言えよう。

 

 

「おりゃああぁーっ!!」

「ガルルルアアァッ!!」

「ギャ――パッ」

「ガオオオオン!?」

 

 

 ルルと共に、ユヅキが縦横無尽に戦場を駆け抜け地面を血で染め上げる。もはや形勢は彼女たちの側に完全に傾いていることに、流石の下っ端たちも気付き始めていた。

 

 

「ええい、これ以上は……全員、退却! 退却ー!!」

 

 

 そうと決まれば、判断はそう遅くない。完全に戦闘不能、意識不明となった団員を置いて、下っ端たちは大急ぎでこの場から離れていく。

 これでようやく終わりか――空気が弛緩しかけたその時、ユヅキは暗闇の中で、他の団員たちとは真逆、こちらに向かってくる(・・・・・・)気配があることに気づく。

 

 

「まだ来るよ!」

「くっ……消耗が激しいというのに……!」

 

 

 新たに、進化した自身の相棒(カメックス)のボールを構えて次にやってくるであろう敵に備える東雲。

 その表情は、その「向かってくる人物」が何者なのかが露わになるにつれて、徐々に凍り付いていった。

 

 赤と黒に彩られた、シンプルなデザインのコート。その胸元に刻まれた、火山を象った紅のシンボルマーク。

 ――マグマ団頭領(ボス)、マツブサ。

 それは間違いなく、ここにいるはずのない、いてはいけない人間だった。

 

 

「皆さん!」

「フゥッ!」

「バクァッ!」

 

 

 その姿を視認すると同時、あぶさんとばくさんの二匹が瞬時にマツブサの首筋に刃と火炎とを振りかざす。

 薄皮が切れ、髪先が焦げていく。一団体のボスが、護衛も……ましてやポケモンも連れず、このような場所に出向くなど普通はありえない。少なくとも、ナナセはこれを単純な好機と捉えることはできていなかった。

 

 

「なぜ……あなたが」

 

 

 ナナセの口から漏れ出た疑問は、そのまま彼女たち三人の総意だ。

 なぜ、マグマ団ボスのお前がこんな場所に。その感情のベクトルこそ違えども、疑問は同じだ。

 命の危機に立たされているというのに、マツブサは顔色一つ変えることなく、泰然とした様子で口を開いた。

 

 

「状況が色々と変わったのでね。こうして私が一人出向いたのだ」

「状況、ですか?」

 

 

 この場で最も冷静を保ち、交渉を行うのに長けているナナセがその言葉に応じる。

 本来ならこういったことは東雲がやるべきなのだが、彼は今、顔を青くして冷や汗を流し、唇をわなわなと震わせている。どう考えてもまともな精神状態だとは言い難い。

 

 

「そうだ。単刀直入に言おう」

 

 

 そんな東雲を――あるいはその服装を――目にして、マツブサは渋い顔をしてから、三人に告げる。

 

 

「レインボーロケット団へ反旗を翻す。お前たちにも協力してほしい」

 

 

 ――絶大な衝撃を伴う一言を。

 

 

 

*1
ご存じ初代ポケットモンスターにおけるバグモンスター。







・小暮ナナセのアマルルガ
 化石ポケモンのため、アマルスやアマルルガといったポケモンはゲームにおいては野生の個体は存在しない。
 が、アニメ「XY&Z」の映画、「ボルケニオンと機巧のマギアナ」にて、ネーベル高原に野生のアマルスがいた。アニメにおいても同様の事例が散見される。
 そのため、本作ではこれに倣うかたちで化石ポケモンに関しては現実のシーラカンスなどと同じように、「古代から姿を変えずに現代まで生き残っている個体がいる」という扱い。

・けつばん
 現在12歳のユヅキは当然知らないが、ヒナヨから教えられて知っていた。
 アネ゙デパミ゙と並んで有名なバグポケモン。初代当時No.152のポケモンが存在しなかったため、けつばん→欠番として登場した姿。本作には登場しない。



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うらみを飲み込み糧として

 

 その提案は、この場にいる誰にとっても寝耳に水と言うべきものだった。

 レインボーロケット団の中核をなす、六人のうちの一人が反旗を翻すという。戦力比で見るなら、それは決して悪いことではない。

 しかし。

 

 

(都合が良すぎる……)

 

 

 ナナセは大きな疑念を抱いた。護衛無しの完全な丸腰など、正気の沙汰ではない。

 罠、ということであればむしろその方が自然で、納得はいく。

 だが――。

 

 

「信用できんか。なら、こうしよう」

「……なっ!?」

 

 

 マツブサは、自身のボールホルダーをそのまま、彼に向けて炎を放つ用意をしているばくさんへと手渡した。

 これには受け取ったばくさん自身も困惑しきりだ。目をぱちくりさせて状況を把握しようと努める彼の様子がおかしく映ったのか、マツブサは小さく笑った。

 

 

「……ばくさん」

「キュゥ……」

 

 

 情けない鳴き声を漏らしつつも、ばくさんはナナセにホルダーを投げ渡す。そこにグラードンが入っているマスターボールがマウントされているのを目にした時、ナナセは思わず卒倒しそうになった。

 

 

「こちらは本気だ。これで足りないと言うなら、上から順番に脱いでいこうか?」

「婦女子の前で何を言い出すのか貴様ァ!」

「し、東雲さん……?」

「……っ」

 

 

 常日頃なら冷静に窘めるだろう東雲の激しい怒りに、二人は唖然とした。

 彼も人間だ。当然、怒りを感じることだってある。しかしこれまで、自衛隊員として己を厳しく律してきた彼は、声を荒げることこそあれど、感情的になるようなことなどほとんど無かったのだ。それなりに衝撃は大きい。

 困惑する二人を置いて、東雲は怒りを湛えた表情のままにマツブサへと詰め寄る。

 

 

「デリカシーが欠けていたことは謝ろう、しかし」

「黙れ。問題はそこではない」

「では、何だ?」

「この服に見覚えは無いか」

 

 

 東雲は血を吐くような声音で、マツブサへ問いかけた。

 彼が示しているのは、己の着用している自衛隊の迷彩服だ。一般人が手にすることはまず無いだろうその服には、マツブサも当然ながら見覚えがある。

 彼は額から一筋、汗を流した。なぜなら、それは――――。

 

 

「お前が殺した人間たちを、覚えているか――――!!」

 

 

 ――彼自身がこの世界に来た時に、手にかけた者たちが身に着けていたものだったからだ。

 

 

「上官も同僚も……友人たちも、皆死んだ! お前が殺した!! それを信用しろなどと、何を……何を勝手なことを……!!」

「し、東雲さん……!」

 

 

 気付けば東雲は、怒りに任せて左手でマツブサの胸倉を掴みあげていた。

 この男は友人たちの仇なのだ。許せるはずがない。信じられるはずもない。握りしめた右手から血が滲む。

 その東雲の様子を目にしたマツブサは、ひどく苦々しげな表情を浮かべた。

 

 

「アレは……すまなかったと思っている。私も本意では――ぐっ!」

「しょーごさん!」

「ッ、すまなかったと! 本意ではないと……そんなことを言うくらいなら、初めからするな!」

 

 

 殴り倒されたマツブサは、鉄の味を感じた。

 反論したいこともあったが、今はそれをすべて血と一緒に喉の奥に飲み込んで、東雲たちへと向き直る。

 

 

「身勝手は承知している! ……だが、RR団(ヤツら)に対処するのに猶予はそれほど残されていない。まずは話を聞け」

「何を……ッ!!」

「東雲さん……!」

「しかし小暮さん!」

「気持ちは、分かります……私も、許せません。けど……今は、それどころではない、はずです。違いますか……?」

 

 

 アキラたちが次々と伝説のポケモンの助力を得られていることは、東雲たちも聞いている。

 しかし敵は未だ強大なままで、戦力に不足があることは否めない……というのがナナセの見立てだ。無論、戦えはするだろう。勝ち目も無いわけではない。その過程で出るだろう犠牲を完全に度外視すれば、だが。

 少しでも戦局を優位に導くためにも、少しでも情報が必要だった。

 

 

「……申し訳ありません。少し頭を冷やしてきます」

 

 

 押し殺した声でそう告げると、東雲は足早にその場を去っていった。

 少しして、彼の去っていった方向から鈍い音が届く。怒りを鎮めるために何か、木でも殴りつけているのだろうとナナセとユヅキは察した。その激憤ぶりは、察するに余りある。

 

 

「……話を、続けましょう」

 

 

 ナナセの声も冷えていた。彼女もレジスタンスに自ら加入するほどには義侠心を持ち合わせている。仲間の友人が殺されたと聞いて、穏やかでいられるわけもなかった。

 他方、ユヅキの方は、意外なことにそういった面ではあまり大きな反応を見せていない。人並みの義理や人情を持ち合わせていることは確かだが、明確に「正しさ」を追求し続ける姉と異なり、そのあたりのユヅキの感性はやや独特だ。

 彼女はメロの頭の上に腰掛けると、ぼんやりした瞳で二人のやり取りを眺めることにした。そもそも話に割り込めそうにないとも言う。

 友人(ヒナヨ)ならともかく、ユヅキは難しい話を聞いていると睡魔が大挙して押し寄せてくる。(メリープ)を数える必要すらないほどだった。

 

 

「ともかく……止めはしましたが……私としても、あなたたちのことを信用することは……できません」

「理解している。だからこそ、こちらもグラードンを預けたのだ」

「…………」

 

 

 ナナセはユヅキに視線を送る。

 彼女もアキラほどではないとはいえ、武術に優れており、気を扱う段階にまで到達している。波動使いのアキラとは異なり明確に理解できるわけではないが、人が嘘をついているかどうかを判別する程度のことはできた。

 その彼女が嘘ではない、と首を振る。ナナセも頷き、話を続けた。

 

 

「では……レインボーロケット団への反逆ということですが……それは、なぜ? ……どういうおつもりですか?」

「私は最初からレインボーロケット団に入りたくて入ったわけではない」

「え……?」

「異世界から連れてこられたということだ。帰る手段も無いままな。だから、いずれ機会さえあれば潰す心づもりでいた」

「……これだけ人を殺しておいて……ですか」

「返す言葉も無い。だが」

「――何かそうするだけの理由がある……ということですか」

「……そうだ」

 

 

 見るからに後悔を滲ませる彼の様子からも、それが「やるしかなかったこと」だということは、ナナセも読み取れた。

 

 

「……成果を示して、彼らの一員であると認められる必要があった、などでしょうか」

「半分は当たっている。より正しくは、侵略を進める(・・・・・・)ことが必要な条件だった。レインボーロケット団員全員をひとつの世界に釘付けにするためにな」

「……! 時空転移技術……ですか?」

「そうだ。レインボーロケット団はウルトラホールを介して、いざとなれば異世界へ逃げ込めるだけの技術を持っている。下っ端、幹部、そしてサカキ……奴らを一挙に撃滅できなければ、レインボーロケット団という総体はいずれまた息を吹き返す。そうなった時の被害は、今回の比ではないだろう」

 

 

 特にポケモンのいない世界を狙って襲えば、それこそ今回の四国襲撃とは比較にならないほどの大虐殺が起きてもおかしくはない。

 ヨウタがいたからこそ、今回の事件は寸でのところで滅亡を逃れることができているのだ。次に同じことをしろといわれてもできないことだろう。

 

 

「私は人間とポケモンを愛している。その可能性を信じている。だからこそグラードンの力で大地を(ひろ)げ、強引にでも世界を発展に導こうとしたのだ……それが虐殺などと! 冗談ではない!」

 

 

 マツブサもまた、激昂していた。不甲斐ない自分自身と、それを利用しているサカキに対してだ。

 怒りの炎は彼の奥底で燻り続けていたが――ここにきて、ようやく状況が変わる。

 

 

「つい先日、お前たちが伝説のポケモンを手中に収めたと報告があった。それも二匹だ。私は確信した。レインボーロケット団がこの世界に固執している今しか、奴らを本当の意味で倒すチャンスは無いと!」

 

 

 その「好機」こそ、マツブサが待ち続けてきたものだった。

 アキラがデオキシスを。そして朝木がキュレムを戦力に加えた。その報告を耳にした時、彼はこれしかないと確信する。

 ゲーチスの持つレシラムとゼクロムは、基本的にアキラたちを前にすると機能不全を起こすため、戦力にはなりえない。これを除けば、最大戦力とも言うべき伝説のポケモンは、レインボーロケット団側には九匹。マツブサが裏切れば、残りは八匹。更に、彼の推測ではここから更に一匹と、ともすれば更に二匹が離脱する可能性がある。

 そこまで至れば、「こちら側」の戦力は、レインボーロケット団と拮抗すると言えよう。

 

 

(乗らない理由はありません。ですが……)

 

 

 疑念は一向に尽きない。特に、ナナセの役割は「考える」ことだ。この場にヨウタやアキラがいれば意思決定は彼らに委ねることはできただろう。東雲が正常な状態でも同じことが言える。しかし、今この場にいるのはナナセとユヅキだけだ。

 ちらりとユヅキに視線を向けるが、彼女は疲れからか既にメロと一緒にスヤスヤと夢の中に旅立っていた。今頃は睡魔と百人組手でもしていることだろう。

 

 

「ロトムさん……は……」

「呼んだロト?」

「……はい」

 

 

 極小のウルトラホールの解析と、ほしぐもちゃんたちのモニタリングのためにブリガロン(ロン)やフォレトスといった護衛をつけてその場に待機していたロトムが、彼らを連れて戻ってくる。どうやらマツブサとの戦いになると踏んで隠れていたようだった。

 ほしぐもちゃんたちの表情が心なしか華やいでいるのを見て、ナナセは作戦が成功したことにわずかに安堵した。

 

 

「そいつらは……」

「……今は置いておいてください。それよりも、私だけでは判断が難しい部分がありますので……少し、ヨウタ君たちに、つなぎます」

 

 

 

 ○――○――○

 

 

 

 ナナセからの報告を受けたヨウタたちの様子は、まさしく三者三様と言った風だった。

 ヒナヨなどは、最初こそただの厄介なポケモンファンと化して「えっ!? 敵ボスと共闘!? 何その燃えるシチュエーションは!?」と言ってフンスフンスと息を荒げていたが、しばらくして冷静になったのか「え、罠?」と口にしてアキラとヨウタに白い目で見られていた。

 対するアキラは神妙な面持ちで言葉を口にする。

 

 

「正直、心情的には信用したくないです」

『でしょうね……』

 

 

 信用「できない」ではなく、「したくない」。その原因は、彼女が敬愛する祖母の住まう土地を蹂躙されたことに対する憎悪が多くを占めているだろう。

 しかし同時に、それはあくまで私怨だ。故に彼女はその大部分を切り離して思考する。

 

 

「けど、本当のことを言ってるんだとしたらそれは……いや、今はいい。とにかく、会えば分かります」

『分かりました……ヨウタ君は、いかがですか?』

「僕は、正直なんとも。倒せるときに倒しておかないと後が怖いっていうのはあるけど……」

『ヒナヨさんは……』

「ん~……所感でいい?」

『どうぞ』

「私個人は絶対罠よそれ! って言いたいんだけど、ゆずきちやアキラがそうじゃないって言うならそっち信じるわ」

 

 

 結果的に、三人共にやや消極的ではあるが、各々の気質や感情とは裏腹にヨウタは排除、アキラは対話、ヒナヨは中立という方向に分かれた。

 ではどうするか――と、ナナセが考えたところで、そういえば、とヒナヨが手を挙げる。

 

 

『……どうされましたか?』

「そこにいるの、マツブサなんですよね?」

『はい……そうなります』

「……だったらどうかしら。基準は第三世代のよね。けどレインボーロケット団に加入してる時のマツブサってかなり好戦的、いやでもあの時はアオギリがいたから、異世界であってもある程度は性質が似通ってるはずで、本編からはそう乖離してないだろうしあーでもポケスペの件が」

「ヒナ、一人の世界に入るな。つまりどういうことだ?」

「メンゴ。つまり、信用できる可能性は低くないってことよ」

「そうか……」

『……では、一度合流できませんか? 進展もあったようですし……』

「ですね。じゃあ朝木拾って……三十分くらいで行きます」

『え』

 

 

 そんな無茶な――というナナセの困惑の声が聞こえる前に通話は打ち切られ、アキラは二人へ向き直る。

 

 

「ヒナ、連絡頼む。場所を聞いてくれ。十分以内に合流する」

「分かったわ」

「アキラ、僕たちはどうする?」

「デオキシスに頼んで複製体(シャドー)でレジスタンスに報告お願いして、アイテム取りに来てもらう、かな……」

「そうなるよね……」

 

 

 アキラが奪取してきたアイテムは、質や種類はともかく、量が膨大だ。個人で運ぶことなどできるはずもない。デオキシスに頼むにしても負担は大きいため、手が空いている人間に頼むのが一番効率的だろう。

 しかし逆に言えば、それさえ終わればもうあとはやることが無い。多少時間を持て余しながらヒナヨの連絡を待ちながら準備を行えば、五分ほどで出発できるようになっていた。

 

 

「じゃあ、ここから観自在寺までRTAってわけね」

「あんま不謹慎なこと言うなよ」

「RTAって何?」

「ゲームの……あーいや……長くなるし、後で説明するから。それよりヒナ、ヨウタ、こっちに。デオキシス」

「△△」

 

 

 完全復活したデオキシスが、空間に黒い穴を穿つ。三人そろってそれを潜ると、次の瞬間にはもう朝木が身を潜めている建造物の中だった。

 彼はマニューラたちとうどんをすすっていた。

 

 

「今から行くって言ったよな。何のんきにメシ食ってんだよ……」

「い、いや、だってさぁ? 『今から行く』ってったらホラ、十分とか二十分とか普通かかるだろ? かからない? ね?」

「だからってその十分二十分の間にカップ麺作り始めるな! オラッ!」

「ああああああ俺の晩飯ィィ――――ッ!!」

 

 

 朝木のカップ麺はその場でアキラに奪い取られ、何を嗅ぎつけたかボールから出てきていたヒナヨのモノズの口の中に流し込まれていった。

 アツアツの麺、とは言ってもドラゴンポケモンである。口内も頑丈そのもので熱さにまるで堪えた様子も無かった。

 

 

「もにょ」

「うう……美味いか? 俺の晩飯は美味いか? そうかぁ」

「メシなら後でなんとかするからすぐ準備!」

「わ、分かったよ分かったよ! ……そんなすぐ行かなきゃいけないレベルのもん?」

「敵ボスが直に接触してきてんだぞ。そうじゃなくても人を待たせるのは礼を失した行為だ」

「……いや、敵に礼を尽くしてどうすんだよ」

「そうしないと獣以下になり果てるから礼儀を大事にするんだ。どれだけ嫌いな相手でもこいつと同レベルに落ちるよりマシだと思えば、頭くらいいくらでも下げられる……ってばーちゃんが言ってたぞ」

「……アキラって変なところで育ちが良いわよね」

「うん。僕もお箸の持ち方矯正されたよ」

 

 

 だったらもうちょっとお淑やかになってくれてもいいのに、と朝木は内心でボヤいた。

 とはいえそれが難しい、もっと言えば無理だということは、朝木もアキラを見てきたからこそ知っている。彼女は全て終わらせるまで、気を緩めることも自分を律することもやめはしないと。

 

 

「言い方、もうちょっと柔らかくしたら?」

「いいんだよ。引き締めるのがわたしの役割だ」

 

 

 まず朝木は論外としても、性格からして柔和なところがあるヨウタや物静かなナナセ、良くも悪くも身内贔屓なヒナヨに、朗らかさが勝ってしまうユヅキなど、挙げていけばいくほど場を引き締めるのに向いた者が少ない。必然的に、そういった役割は東雲が負うことが多く、アキラもまたそれを自らの役割と定めていた。そうすることで強い言葉をかけてしまい、嫌われることになっても仕方ない、とも。

 

 

「そんな風に強く言わなくたって、俺だっていざとなりゃあやれるんだぜ?」

「今がその『いざという時』だろ」

「はい」

 

 

 キュレムの件を引き合いに出そうとした朝木の心は即座に委縮した。

 氷点下にまで冷え切ってしまったアキラの声に頷く他無かったのだ。

 

 

「移動は直前までデオキシスのワープホールを使うけど、観自在寺には『テレポート』で到着したように見せる」

「……いざって時に情報が渡ってると怖いものね。分かったわ」

「ヒナヨも、ジガルデを表に出さないようにね」

「もち。そこまで迂闊じゃないわよ」

 

 

 言いつつ、アキラたちは観自在寺へ向けて移動を始めた。

 そうして数十秒後、彼らは当然のように観自在寺の境内に現れた。

 

 

「うおおっ!?」

「……お、お早い到着……ですね……」

 

 

 アキラがデオキシスを手持ちに加えたという事情に通じているとは言っても、それで驚かないかと言われればそういうわけでもない。通常、「テレポート」による移動はやはり短距離テレポートが主流だ。数十、場合によっては百キロを超える距離を行き来するというのは彼にとっても常識の範疇から外れていた。

 

 

「……桁外れだな」

「そうならざるを得なかったからな」

 

 

 マツブサに相対したアキラの態度は、一見普段とそう変わらないようではあったが、見る者が見れば感情を押し殺したものだということが分かる。

 アキラたちの前に出ようか出まいか悩みながら、しかし大人としての責務と捉えてゆっくり前進している朝木などは普段と比べてもやはりおかしな状態になっているのは明白だが。

 

 

「僕らとしては寝耳に水なんだ。どういうことか聞かせてほしい」

「いいだろう」

 

 

 ヨウタがそう切り出すと、マツブサは先にナナセたちに述べたものとほとんど変わらない動機を口にした。

 アキラが逐一波動を見ることで、その言葉に嘘などが無いかを確かめているが、彼女の表情は釈然としない気持ちに満ちていた。

 

 

「やっぱり嘘なわけ?」

「いや……全部、本心から(・・・・)話してる」

 

 

 だからこそ、アキラとしてはある意味で納得がいかないのだ。何で今更、あれだけのことをしておいて、と。

 とはいえそうは考えつつも、彼女は即座に考えを切り替えた。こうしてここに来ている以上、レインボーロケット団の側にも何らかの動きがあったはずなのだ。

 

 

「……だいたい動機は分かった。そういうことなら、ここから先共闘はできると思う」

「そうか、感謝する」

「けど、分かってるだろうな。裏切るつもりなら――」

「――後ろから撃ってもらって結構だ。その方が互いに心置きなく仕事ができる」

 

 

 互いに握手を交わすようなことは無い。「協力」という言葉を一切用いない通り、この関係はあくまで仮初の「共闘」関係だ。

 レインボーロケット団は、無数に存在する異次元の世界、その全てに対する脅威だ。彼らを除き、今後の憂いを断った上で元の世界に戻るというマツブサの目的が達せられるまで、アキラたちに余計な手出しはしない。そういう確約さえ得られれば、彼らとしても文句は無かった。

 

 

「……さて。じゃあ次の話だ。こんな話を持ってきたってことは、何か状況が動いたってことなんだな?」

「その通りだ」

 

 

 そう言うと、マツブサは軽く顎に手を当てた。

 考え込んだように、あるいは何か言いあぐねるように首をひねりながら、しかしそれでも言わなければ始まらない――と、彼は衝撃的な言葉を口にした。

 

 

「レインボーロケット団はシコクそのものを要塞化するつもりだ」

 

 

 ――と。

 

 





 いつも誤字報告ありがとうございます。非常に助かっております。
 手持ちポケモンの進化等についてはまた次回。



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英気をたくわえる静かな夜

 

 

 ――四国を要塞化する。

 その言葉を聞かされたアキラたちは、思っていたよりも衝撃を受けていない自分たちに気が付いた。

 驚きはある。ただ、ここまでの状況が状況だけに「まあ、そうなるか」という奇妙な納得を得てしまっているのだ。

 

 

「驚きは無いか」

「ま、ある程度は想定済みよ。それで? その過程で主要都市の人間皆殺しくらいはやるつもりなワケ?」

「そうだな、そのくらいはやるだろう。いくらこの島を改造(・・・・・・)するとしても……」

「ちょい待ち。なんて?」

「この島を改造と。奴らはシコクそのものを超巨大移動要塞(メガフロート)に改造するつもりだぞ」

 

 

 その常識外れのスケールに、今度こそ彼らは唖然とした。

 当然ながら、四国は海に浮かんでなどいない。それを改造するというのは、つまり地殻から四国をそのまま切り離すということを意味する。

 動機はともかくとして、どうやってどのようなことをするのか。脳がオーバーヒートしかける他の面々とは対照的に、ヨウタだけはすぐにその回答にたどり着いた。

 

 

「カイオーガとルギアの力を使うわけだね」

「そうだ。海流を操作して、意図的に浸食作用を起こす。土台を削れば島は切り離されるだろう。それと並行して工事も行うようだが……まあ、そういった話は後にしよう」

「いや狂ってんのか」

「あれだけのことをしでかしているレインボーロケット団という組織が狂っていないと言えるか?」

「ソッスネ」

 

 

 これまでの戦いの中で散々にレインボーロケット団の非道を目にしてきた以上、朝木に反論の術は無かった。

 タワーを作り上げた時のように、彼らは当然のように四国をメガフロート化してみせるのだろう。たぶん。

 

 

「レインボーロケット団の計画は五つのフェーズに分かれる。フェーズ1、人材の確保……これは我々のような人材を組織に組み込むことにあたる」

 

 

 マツブサはまず、指を一本折った。

 この段階では強さのみを重視し、組織への忠誠心などを問うことは無い。重要なのは、あくまで利害関係のみに留めておくことだ。そうすれば必要十分程度の結果を出したうえで、後々切り捨てるのに都合のいい手駒として扱える。

 

 

「フェーズ2、侵略。これは……そこの小僧に水際で阻止はされたが」

「……こっちの世界に逃げ込まれてちゃ意味無いよ」

「……悪かった。ともかく、この世界じゃあそれが果たされてしまっている。それから、フェーズ3だ。侵略した世界への定住、定着……支配と言い換えてもいい。主要四都市が陥落している時点で、それはなされたとみていいだろう」

 

 

 無論、レジスタンスやアキラたち反攻勢力は全滅したわけではない。

 しかしレインボーロケット団は、組織力という点において劣る彼らを、脅威でこそあってもいずれは討ち取ることができる程度の相手と認識しているフシがある。実際は着々と、反攻のために牙を研いでいるのだが。

 

 

「そしてフェーズ4が、この世界を基盤により多くの……質が良く、忠誠心が高い戦力を集めること」

「ファイナルフェーズが無数の異次元世界への侵略か」

「そうだ。フェーズ4が開始したばかりの今……戦力の拡充が終わっていない今でなければ、討ち取るチャンスは訪れない」

 

 

 ――具体的に言うと、このタイミングで止めなければ、四国はメガフロート・レインボーロケットランドと化してしまう。

 否応なく、最終決戦が近いことをアキラたちは悟らされた。

 

 

「……ロトム、ナナセさん、ほしぐもちゃんたちの様子はどう?」

「……表情自体は、明るくなっているようですが……」

「遺跡の時ほど急速にエネルギーが溜まってるわけじゃないけど、順調ではあるロト。ただ……」

 

 

 不安からか、最大戦力となりうる二匹の様子について聞くヨウタだが、その返答は想定の範疇から外れることは無かった。

 このままでは最終決戦には間に合わないことだろう。進化に導くには、それこそ何か劇的なきっかけが必要になる。その確信だけが、彼の脳に深く焼き付いた。

 

 

「マツブサ、この話を知っているのはあんた以外にどれだけいる?」

「私と幹部、ごく一部のマグマ団の(・・・・・)団員のみだ」

「……広範囲に情報を撒いてしまえば、それだけ露見する可能性は高くなります……今は、それでよいかと」

「レインボーロケット団の思想に感化される者が、思ったよりも多かったことが原因でもあるがな……」

 

 

 マグマ団は元の世界においては、いうなればエコテロリストというような評価を受けていた組織だ。

 マツブサ自身の理念がどうと言うよりも、外から見た時はそれによって引き起こされた弊害の方がより目につくことだろう。ただただ暴れたいというだけの人間が集うのも当たり前のことで、そういった人間がマグマ団よりもレインボーロケット団により魅力を感じたとしても、不自然なことではなかった。

 私の統制不足だ、と自嘲するマツブサをよそに、ナナセは続ける。

 

 

「では……私たちは一度、拠点に戻りますので……万が一のことも考え、可能な限り接触は、避けてください」

「承知している。我々が折角見逃している(・・・・・・)のだから、潰れてもらっては困る」

 

 

 言って、マツブサは唇の端を持ち上げた。

 

 

「なあ、よお。もしかして西条での戦いの時、やたら避難がスムーズにいったのって」

「どのようにでも解釈するがいい」

「うっわ」

 

 

 言葉にこそしなかったが、それ故に沈黙こそが肯定の証となった。

 戦うことも覚束なかった時期に果たせた功績ということで、朝木は密かに西条市での避難誘導の件を自慢に思っていたのだが、それすらも敵の掌の上だったのだ。ちっぽけとはいえ自尊心が傷ついたことが分かった。

 数秒後には「みんな助かったしまあいいか」と思い直したが。

 

 

「タワーに二人、トクシマとコウチに一人ずつ団員を潜り込ませている。攻め時が来たら連絡を入れよう」

「香川はどうした?」

「フラダリに二人粛清されて以降、危険性が高いと見て送り込んでいない」

「……そうなるか」

 

 

 流石にアキラもそれに否を突き付けるようなことはしなかった。

 直接相対したこともあって彼女はフラダリがそういうことをしかねない人間だということをよく理解していたからだ。下手なことをすればいたずらに死者を増やすだけの結果に終わってしまうだろう。

 その後は一言二言言葉を交わすのみに留め、その場は解散となった。

 単純にあまり長時間何もせずにいるとマツブサにレインボーロケット団からの疑いの目が向くという事情もあるが、あまり長く話していると、我慢の限界がきたアキラがうっかり手を出しかねないという事情もあった。

 

 そうこうして、マツブサが立ち去って数分ほど経った頃になって、ようやく東雲は戻ってきた。

 

 

「取り乱して申し訳……む、皆さん」

「あ、東雲さ――何その手!?」

 

 

 しかし、戻ってきた彼の手は無事とは言い難いほどにひどく腫れていた。

 部分的に傷つき、血も滴っている。何事かと驚きを露わにするヒナヨだが、そういった状態に見覚えのあったアキラは、軽く眉をひそめた。

 

 

「東雲さん、それ……何か硬いものでも殴った?」

「……分かるものか」

 

 

 理由が理由とはいえ、このような怪我を負ったこと自体は東雲にとって紛れもなく自業自得だ。彼は気まずそうに眼を逸らしたが、直後、アキラに背後に回り込まれ、ずいと朝木の目前にまで押し出されてしまった。

 

 

「任せた」

「あいよ」

 

 

 そうして行われる朝木の処置は、極めて正確だ。これまでの彼なら迷うような手つきを見せていたこともあるが、一連の旅の中で少なからず自信を身に着けたためか、その動きに淀みは無い。

 

 

「……申し訳ありません」

「いいって、東雲君がやってなきゃ多分他に誰かがやってたろ。アキラちゃんとか」

 

 

 ともすると失礼さすら漂う朝木の言葉に、アキラはあえて反論しなかった。

 事実というわけでもないが、それで変に話をこじらせると東雲が余計に落ち込むからだ。仲間を変に追い込むつもりは彼女には無い。

 

 

「じゃ、いったん久川町の方に戻ろう。色々と運び込まなきゃいけないものもあるし、そろそろ休みたいし」

「……俺は報告のために一度隊の方に戻ろうと思います」

「あー……んー……じゃあ俺もそれについていくわ」

「は。いえ、しかし朝木さんが来られても、申し上げづらいのですが……やることが」

「わーってるわーってる、けどよ……見ろよ」

「?」

 

 

 朝木が指差す先にいるのは、他の五人だ。

 ヨウタはまだ小学生と言ってもいい年齢だ。彼を除外して考えると、そこにいるのは女性四人。

 

 

「無理だろ」

「……了解しました」

 

 

 男女七歳にして席を同じゅうせず、とまでは言うまいが、朝木としてはそのあたりの区別ははっきりとつけておきたかった。

 と言うよりも、はっきりと区分けしておかなければならない。彼は既に三十を目前に控えた男性である。世間体が色々と危険だ。

 とする一方、そんな朝木に対してアキラが呼びかける。

 

 

「なんだよ、メシは?」

「流石にお呼ばれするのも悪ぃーよ」

「うどんくらいならばーちゃんに作ってもらうから持っていくよ。さっき急がせた礼」

「あ、お、おう。助かる」

 

 

 いつになく人当たりの良い彼女の態度に、朝木もわずかに面食らったようだった。

 しかしどうあれ、その気遣いがありがたくないはずも無い。久しぶりに、朝木は僅かに表情を緩めた。

 

 

「あの……私もそちらに行っても……」

「え、小暮ちゃんが……?」

「なぜでしょう。刀祢さんのお祖母様のお宅でもよろしいのでは……」

「あ、その……あまり大勢だとご迷惑かな、というのもありますし……趣味で……」

「趣味、とは……?」

「私、サバゲーをやっておりまして……自衛隊や、銃器に興味が……」

 

 

 ぽっ、とナナセは少しだけ顔を赤くした。女性的な趣味ではないことと、彼女の性格に合致していないこともあって、自分で言ってみて恥ずかしさが勝ったためだ。

 若干引く朝木やヒナヨとは対照的に、東雲やアキラは彼女の卓越した身体能力が何に由来しているのかを理解して感心していた。

 

 どうあれ合流に成功した七人だが、会話もそこそこにして一路、拠点となっている久川町へと「テレポート」した。精神的な疲労が限界に達していたのと、受け入れる側……アキラの祖母が寝てしまう前に到着しなければならないためだ。

 到着した町の様子は、ヨウタたちが最初に訪れた時と比べて随分と様変わりしていた。周辺に仮設住宅代わりのテントなどが立ち並び、あちこちで炊き出しが行われ――何より、ポケモンと人が共に行動している姿が見受けられる。アキラたちとしては小さくない違和感に満ちた光景である一方で、ヨウタにとっては見慣れた光景でもある。これだよこれ、と言わんばかりの彼の表情に、アキラとヒナヨは苦笑いを返した。一方で、起きてきたユヅキは特になんとも思っていない風だった。

 

 

「私たちには奇妙な光景に見えるんだけどね……」

「そうかな? 僕としてはなんだかやっとらしくなってきたなって感じだよ」

「そりゃヨウタはそうだろうが」

「あ、ねえねえ、今度映画やるよね。ウチCMで見たけど、将来はあんな感じになるんじゃない?」

「名探偵ピカチュウね。……ああああああ今頃はゆずきちと観てたはずなのに!」

「そういや公開直前に封鎖されたんだったな」

「何その……名探偵?」

「そういうゲームが映画になって……アキラは知ってる?」

「いや、悪いけど内容までは知らない」

「そ。じゃ、ネタバレはやめとくわ」

「ナっちゃんネタバレ嫌いだもんね~」

「万死に値するわ」

「そんなに」

 

 

 有体に言ってヒナヨは面倒くさいオタクだった。

 

 

「ちなみにヨウタくん、ポケモンが探偵することってあるの?」

「直接探偵業をするってことは……あんまり無いと思うけど」

「今『あんまり』っつった?」

「エスパーポケモンやゴーストポケモンが探偵さんのお手伝いはしてるよ。っていうか、そうするしかない部分もあるかな」

「ま、相手もポケモンいるものね」

 

 

 ポケモンの力を借りることで複雑化する犯罪に対抗するためには、同じくポケモンの力を借りる以外に手は無い。

 特に、エスパーポケモンの力を使った犯罪となると、その規模も実情も本質も、正確に推し測ることは困難だ。時によっては、そもそも人間が主導したことですらなくポケモンの単独犯ということもありうるのだから。

 

 そうこうと話しているうちに、アキラの祖母の居宅も近づいてくる。が、そうして見えてきた光景は、これもまたヨウタが訪れた時とはまた更に様変わりしていた。

 

 

「……なんか、ポケモン増えた?」

「増えたぞ」

「あ、ホントだ。いっぱいいる」

 

 

 その様相に驚きを見せたのは、最初にこの世界に来て以降アキラの祖母の家に戻る機会の無かったヨウタと、そもそも当初の家の姿を知らないヒナヨだ。

 ユヅキは時折戻る機会に恵まれていたし、アキラはつい先日戻ったばかりのため、既にそのことは知っていた。

 

 

「何、アキラのおばあちゃんって結構ポケモン好きな人?」

「ってワケでもないけど」

「生き物ならなんでも好きだよ、おばーちゃん」

「……本当に? あの……ほら、初日の……」

「……養鶏を〆るのと生き物の好き嫌いは別問題だ」

 

 

 ヨウタは思わず疑わしげにアキラを見た。

 初日の一件が未だに脳裏に焼き付いていたせいである。

 

 それはそれとして、とヨウタはそこにいるポケモンたちを眺める。

 家の周囲の柵の上に止まっているヨルノズクや複数のホーホーたちは血色も良く表情も悪くない。よく世話をされている証拠だ。それで彼もなんとか納得したようだった。

 

 

「他にどんな子がいるの? ねえねえねえ」

「おま……グイグイ来るな……」

「えーっとね、ヌオーにウパーにネイティオにネイティに、チルット、チェリンボ、ミミロップ、ミミロル……」

「おっほ」

「ヒナヨ……お前今ちょっと顔キモいぞ……」

「何でまたそんな数を……」

「色んな人がちょいちょいポケモンと仲良くなってくだろ。けど面倒見切れる人ばっかりじゃないらしくってな。で、ばーちゃんがそういうポケモン引き取ってる」

「へえ……」

 

 

 アキラもそういった面があるが、彼女らの祖母もまた面倒見は良い方だ。そもそも、事実上素性知れずの状態だった、記憶を無くしたばかりのアキラの面倒をしっかりと見ている時点でそういった点は間違いなく、ある意味で言うならポケモンがこちらの世界に来た時点でこれも時間の問題だったと言えよう。

 

 

「よっ」

「ホー」

「ただいまーおばーちゃーん!」

 

 

 気さくに手を挙げて挨拶するアキラにヨルノズクたちが小さく鳴いて返すと、ユヅキがまず率先して家の中へと駆けて行く。数秒後には、家の中からぱたぱたと歩いてくる音が三人にも聞こえてきた。

 

 

「おかえりなさいねえ、ユヅキ。アキラとヨウタ君も。あら、そっちの子は……?」

「あ、はじめまして……」

「友達のナっちゃん! 泊まってってもらってもいい?」

「ええ。じゃあ、ユヅキの部屋にお布団敷いてきましょうかねえ」

「手伝うよ」

「アキラはヨウタ君のお布団の準備してらっしゃいな。手を洗ってからね」

「分かった」

 

 

 至極ありふれた日常的な会話だ。だからこそと言うべきか、アキラの表情からはすっかり険が取れており、雰囲気も柔らかいものになっていた。

 以前の、それこそ日常から離れる前のアキラの姿を見たことがあるヨウタとしては一安心と言えるが、ヒナヨからすれば「何だこいつ」と言いたいくらいの変わりぶりである。思わず本当にアキラ? などと言って彼女から軽くチョップを受けていた。

 そうこうしているうちに準備も終わり、しばらく。広間で軽くくつろいでいたヒナヨはヌオーに迷惑そうな顔をされながらもそのぽてっとした腹に頬ずりしつつ、ユヅキに問いかける。

 

 

「そういえばゆずきち、見ない間にみんなのレベル上がった? メロが進化してたみたいだけど」

「うん。お参りしてる間に邪魔しに来るから、こっちに来るのひたすら倒してたら強くなったんだー」

「キューン……」

 

 

 どこか気楽に思わせるユヅキの言葉とは裏腹に、ここまでの道程を知るルルの顔はどこか苦労を滲ませている。少なくともポケモンたちが苦笑いしそうになるほどの死線を潜り抜けたことは明白だった。

 

 

「結構苦労したみたいだな。ごめんなユヅ、手伝えなくって」

「いーのいーの。お姉もなんか……色々……あったんでしょ?」

「いちいち言葉濁さなくていいわよ。無茶苦茶やってんのよこいつ」

「わたしのせいじゃない」

「まあ……そうだね……」

「……ねえ、ところでそのくぁわいい子は?」

「ふんわ」

「おいヒナ……お前さっきから顔が緩みっぱなしだぞ……」

「ユキハミのハミィだよ!」

「知らないポケモンだわ。知らないポケモンよね! うおっほ」

「あいすす……」

「ヒナ、ちょっと落ち着け。ハミィ怖がってる」

 

 

 その透明な氷のミノに包まれたもっちりした体に対し、ヒナヨはすっかり心を奪われていた。

 ウパーやヌオーも当然可愛いと感じているしいつまでも抱いたり撫でたり頬ずりしたりしていたい気持ちはある。表皮の毒の粘膜によってぴりぴりし始めた肌もむしろドンと来いというものだが、興味の矛先は今は何より新種のポケモンであるハミィだ。

 ヨウタは思わず話を逸らしたくなるほどドン引きした。

 

 

「ユキハミ自体はそこまで珍しいポケモンじゃないんだけどね……ガラル地方の北の方だと、よく見るポケモンだよ」

「まあ、氷タイプっぽいしな。寒いところじゃないとダメってことはあるか?」

「そういうことは無いと思うけど、寒いところの方が好きってくらいかな?」

「じゃあ……うーん……氷増産しとくか」

「そのくらいがいいだろうね。変に冷蔵庫の中入れたりすると、中の食べ物全部食べちゃうだろうし」

「は?」

「ユキハミって進化するまですごい量食べるんだよ。自分の体の三倍くらいは軽く」

「は……?」

 

 

 なんだその質量保存の法則を無視した現象は、とアキラは瞠目した。

 と同時に、しばらく考えた後、彼女は納得したように一人頷く。

 

 

「……蚕みたいなものか。蛾になったら食べ物食べなくなる代わりに、幼虫の時に食べまくるって言うしな」

「そういうもの?」

「まあ、推測だけどさ」

 

 

 無論、ポケモンの生態がそのまま「こちら」の世界の生物と合致するとは限らない。あくまで「それと似た」という方向性になるだろう。

 しかしどうあれ、それを聞いたヒナヨの行動は早い。

 

 

「ねえハミィちゃん、コレ食べる? 食べるわよね。ねっ」

「ふんわ……」

「いや食わすな」

「でもなんだかんだ食べてるね」

「まあ……進化にはエネルギーが必要だしね」

 

 

 ユキハミ自身も決してものを食べることが嫌いというわけでもないし、必要としているのも確かだ。

 

 もそもそとレタスを口にするハミィの表情は、彼女の押しの強さで困惑の色を濃くしつつも、どこか幸せそうでもあった。

 

 その後、四人はいつになく緩やかな時間を惜しむように、噛み締めるように――あるいは懐かしむように堪能した。

 決戦の時は近いということを理解しているからこそ、それを手放さないために。

 

 







・現在の手持ちポケモン
〇東雲ショウゴ
カメックス♂:Lv40
ワシボン♂:Lv39
フォレトス♀:Lv41
ヒードラン♂:Lv48
クレベース♂:Lv39
タイレーツ:Lv37

〇小暮ナナセ
あぶさん(アブソル♀):Lv44
しずさん(オニシズクモ♂):Lv45
ばくさん(バクフーン♂):Lv47
えるさん(エルフーン♀):Lv42
るーさん(レアコイル):Lv37
まるさん(アマルルガ♀):Lv43
えっさん(イエッサン♀):Lv41

〇刀祢ユヅキ
ルル(ヘルガー♀):Lv50
メロ(メタグロス):Lv48
ロン(ブリガロン♂):Lv48
ジャック(ジャラランガ♂):Lv49
ハミィ(ユキハミ♀):Lv25
ゴルムス(ゴルーグ):Lv51
コスモッグ:Lv10




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いびきをかくほど眠れない

 

 

 深夜も三時を回った頃、長時間の睡眠の中で喉の渇きを感じたヨウタは、布団から軽く身を起こした。

 六月も近いこの時期、気温は日ごとに高くなりつつある。ヨウタも長く旅をしてきて暑さとの付き合い方は理解しているつもりだが、だからと言って常に暑さを我慢できるかと言われればまた違う。喉の渇きそれ自体は体の水分が失われていることのバロメーターでもある。それをどうこうするというのは難しいというのが実情だ。

 

 彼が今いるのはアキラの部屋だ。彼女の性格を表したように内装は丁寧に整えられており、普通に過ごすには特に過不足無い程度のものはあるが、飾り気はまるで無く、どこか寒々しいものが感じられた。

 当然ながら、周囲に食べ物や飲み物などは無い。

 

 

「水、水……ぅぅぅ!?」

「あ」

 

 

 さて、どうするべきか――と周囲を見回したところで、ヨウタはアキラが窓際でくつろいでいる姿を見た。

 何やらジュースを片手に窓際に足をかけて外を眺めるその姿は、彼女の恵まれた容姿もあってどこか幻想的ではあるのだが――いったいこんな時間に何を、という気持ちも同時に湧いてくる。

 

 

「何やってんの……」

「……カッコつけてる」

「ええ……」

 

 

 格好がついているのは確かだが、こうも真正面から言われてしまっては毒気が抜けるというものだ。

 しかし同時に、ヨウタは彼女が嘘をついていることをその場で看破した。アキラは休憩中であろうとも無意味なことをするほど余裕のある人間ではない。

 

 

「下手な嘘はやめてくれるかな。こんな時にまで警戒?」

「仕方ないだろ。もう癖だ」

「ヨルノズクやホーホーも外に……いや何でそこにいるんだ」

「ホー」

 

 

 窓際には、先ほど庭先にいたホーホーが一匹止まってアキラに撫でられていた。

 夜行性のポケモンであるホーホーにとってはより過ごしやすい時間だろう。鳥類自体が人に慣れやすい動物ということもあってか、ホーホーは嫌がるそぶりの一つも見せていなかった。

 

 

「何かあれば分かるって、きっと」

「いや、これは……そういう問題じゃなくてだな……」

 

 

 答え辛そうに顔をしかめるアキラだが、変に言葉を濁したところでヨウタにはすぐに分かるだろうと察したらしく、小さく息をついて語り始める。

 

 

「正直言って、このあたりの立地は、あまり良くない」

「そう……なのかな」

「そうなんだよ。目の前は海、後ろは山……ただでさえ今ここに反攻勢力が集まってるんだ。これで海から津波の一つでも起こされたら……」

「……被害は馬鹿にならないってことか」

「マグマ団にしろロケット団にしろ黙って見てる保証は無いんだ。本当なら先手を打って徹底的に潰したいけど」

「おい」

「……やらないぞ」

 

 

 最近ヨウタの言動に遠慮の色が見えなくなってきている。それ自体に問題は無いのだが、時折アキラや朝木のそれに似た言葉遣いを見せることもあった。悪影響が出ていることを認識してアキラは小さくない後悔を感じた。

 

 

「実は黙っていたがわたしは内家拳の秘薬によってごく短時間の睡眠で問題なく動けるのだ」

「嘘つけ」

「ホントだぞ。見ろ、この秘薬赤べこ(レッド〇ル)によって目はすっきり頭の回転もギュルンギュルン……」

「没収!」

「ああっ」

 

 

 それらしいことを言っているが、要するにエナジードリンクで無理やり眠気を抑えているというだけのことだ。

 没収したエナジードリンクはそのままミミ子に横流ししたが、そのミミ子が七色に輝きながら頭を回している姿を見て流石のアキラも困惑した。

 単に普段飲み慣れない元気の出る飲み物を口にしてテンションが上がってエネルギーが漏れ出しただけだが、それはそれとして何か変なものが入ってやしないかとヨウタも少しばかり不安になった。もしや頭の回転がというのはこういうことだったのであろうか。

 

 

「頼むから寝てくれないかな。そうじゃないと僕はちょっと実力行使するか、庭先にいるヨルノズクに頼んで『さいみんじゅつ』してもらうことになる」

「わ、分かった、分かったよ!」

 

 

 ポケモンの技で眠らされてしまえば、どれほど気を張っていたとしても状況が変われば即応できなくなる可能性が高い。この脅しに限ってはアキラに対して効果はてきめんだった。

 それにしても、彼女はやはりまるで自分の身を顧みない。その危うさこそが状況を打開するきっかけになっているのも確かだが、ヨウタからしてみれば「信頼できるけど信用できない」という奇妙な相方と言えよう。

 そこでふとわいた疑問を、ヨウタは口にした。

 

 

「アキラってさ。自分のことはいつでも後回しだよね」

「優先順位つけてるだけだぞ。後回しにしてるのは、そうした方が結果的に生存に繋がるからだ」

「とてもそうは見えないくらい大怪我してるじゃ……ちょっと待って、じゃあ『大怪我止まりで済んだ』ってだけでそうじゃなかったら死んでたってこと?」

「可能性は高いんじゃないか」

 

 

 そうまで言われてしまえば、流石のヨウタも言葉を返す気が失せてしまった。

 あれはあくまで彼女なりに最善を尽くした結果なのだ。無論、肯定する気こそ無かったが、積極的に否定することも難しくなった。

 もっとも、アキラの場合はやはり、自分はいくら傷ついても周りの無力な人々が傷つかなければOKという思考を持っていそうなことには変わりないが。

 

 

「……寝不足だと普段通りの力が発揮できなくて、今度はいらない怪我することになるよ」

「はいおやすみー」

「あ、こら。僕喉渇いて目が覚めたんだけど!」

「台所行って飲んでこいよ……」

 

 

 その後は特に何か問題があるでもなく、喉を潤して就寝することとなった。

 数分ほど、寝たフリをしてアキラがそのまま寝入ったのを確認すると、そこでようやくヨウタも眠りについた。

 

 

 そして翌朝、当然のようにベッドにいないアキラのせいで、ヨウタは起き上がった勢いそのままに布団に頭から突っ込んだ。

 

 

「何やってんだアキラァァ――――!!」

 

 

 思わず、彼は仲間(グズマ)を倣ったような言葉を発していた。もっとも、責める対象が違うが。

 

 

「うるさいヨウタくん!」

「ごめんなさい!」

 

 

 もっとも、その音量は少なからず近所迷惑としか言いようのないものだった。

 

 

「なーにー朝から……」

「起きたらアキラがいなくなってた!」

「庭先にいるよ?」

「へ?」

 

 

 窓から顔を覗かせてみれば、確かにそこにはアキラがいた。

 が、彼女一人というわけではなく、そこには朝木や東雲もおり、雰囲気そのものも至極真面目だ。何かが起きたのだろうということを推測するのに時間はかからなかった。

 

 

「また何かあったのか……」

「襲撃未遂。裏手の山見てみなさい」

 

 

 言われてその通りに裏手の山に視線を向ければ、そこには非現実的な光景が広がっていた。

 液状化したように、波打つ山。それだけでも随分なことだというのに、より一層異様なのはそれらが押し寄せてくる寸前の状態で停止していることだ。

 山の周囲に立ち込める白い霧が、その場の気温がどれほどのものかということを物語る。

 

 

「うっわ……マジか」

 

 

 事態を未然に防ぐことができたという意味で、アキラの予想が当たったこと自体は悪くないが、レインボーロケット団が安易に襲撃という手を取ってきたことについて、ヨウタは強い不安を感じていた。

 

 

「あれ……キュレムが?」

「みたいだよ。なんかね、裏手の山でみずタイプのポケモンいっぱい出して土砂崩れ起こして、このあたり巻き込むつもりだったんだって」

「で、それをデオキシスがエスパー能力で止めて、その間に朝木さん呼んでキュレムで凍結して」

「強引だけど、それしかないか。ていうかアキラは何で気付いたんだろう」

「気配だよ」

「寝てるのに……?」

「寝てても気付けるよ。ウチも気付いたもん」

「あれ、ってことはユヅも行ったの?」

「うん。楽勝だったよ!」

 

 

 いつの間に、という思いと同時に、じゃあ寝てた方が良かったのではなかろうかとヨウタは感じざるを得なかったが、それはそれで感じ方が違うし、寝入っていたら判断力が鈍ってしまうということもあるのだろうと納得することにした。無理やり自分を納得させただけで本質的に納得できているとは言い辛かったが。

 

 

「みんなはなんて?」

「マツブサが誤魔化すのが限界にきてるんだろうって。今、早めに打って出ようどうしようかーって話してる。ヨウタくんはどう思う?」

「それは僕もそうした方がいいと思うけど。反対意見も出てる?」

「守りを疎かにした瞬間に来るだろうって」

「ああ……だろうね」

 

 

 戦力比そのものは埋まりつつあるが、数的不利は未だ歴然だ。数を頼みに攻められた場合、守り切れなくなる場所は必ず出てくる。

 現在はヨウタたち七人が単独で動いているからこそ、自衛隊やそれに協力するレジスタンスが防衛に集中できているという事情もあるのだ。安易に反攻に出た時、レインボーロケット団を撃滅はできるかもしれないが、この世界の被害もまた甚大なものになるだろう。それは誰にとっても本意では無かった。

 

 やがてヨウタたちが起きてきたことに気づいたらしい東雲たちが、気さくな様子で手を挙げて挨拶を向けてくる。

 一方で、アキラの顔は気まずそうだった。

 

 

「おはよう、皆。ゆっくり休めたか?」

「そこに休めてない人がいるけど――逃げるなアキラ」

「言われてんぞアキラちゃん」

「しょうがないだろ手打たなきゃここ全滅だぞ……」

「だったらだったで今休んでなきゃじゃないか」

 

 

 彼女の言わんとすることはヨウタも理解できるが、睡眠時間を削ることとは話が別だ。唇を尖らせて叱責する彼に、アキラも強く言葉を返せなかった。

 

 

「お姉、おばーちゃんち守らなきゃってすっごい気合入ってるから……」

「おばあちゃんっ子すぎるでしょ」

「それはともかく!」

「露骨に話題逸らしてる」

「ヒナうっさい!」

「で、それはともかく?」

「ああ、それはともかく。朝飯食ったら公民館の隊長さんとこに集合だからな」

 

 

 その提案に否定するべきものは、今のところ誰にも無かった。

 が、それはそれとしてこのままではいけないと断じてヨウタは近くにいたホーホーに「さいみんじゅつ」を使ってもらってアキラを即座に眠らせることにした。

 

 一時間ほどして、朝食を終えたヨウタたちは、「さいみんじゅつ」から目が覚めたアキラを伴って公民館に設置された臨時の対策本部へと赴いた。

 公民館の中には所狭しと資料が並べられており、現在の戦況やレインボーロケット団についての情報が記されている。

 室内には隊長――ヒナヨの父である奥更屋のみならず、愛媛・香川のレジスタンスを統括していた宇留賀もその場にいた。

 

 

「おはようございます、隊長さん。宇留賀さんたちも」

「おはよお父さん」

「ああ、おはようございます。ヒナヨもおはよう」

「おはよう」

 

 

 彼らの返す言葉は穏やかでありながらも、状況を反映してか僅かに緊張感をはらんだものだった。ヨウタやヒナヨ、ユヅキのようなある程度配慮すべき子供が混じっていなければ、場はより強い緊張感に包まれていたことだろう。

 

 

「奴らから情報は得られましたか?」

「ダメだ。知っていることばかりだな」

「下部構成員に無暗に情報を流さないのは鉄則ですからね」

 

 

 先に東雲たちが倒したレインボーロケット団員は全員捕縛したが、尋問の成果は芳しくなかったようだった。

 アキラたちは元々期待していなかったこともあり、そちらの話は適当に切り上げることとした。重要なのはそれよりも今後のことだ。

 

 

「二度目の襲撃はあると見ますか?」

「……まず、間違いなく」

「同じように土砂崩れを起こすか、もしくは津波でも起こすと思います」

「……空爆ということも、あるでしょうか」

 

 

 隊長の言葉に応じて、ナナセとアキラが今後ありうる事態への可能性を示す。

 無論、可能性を論じるだけならばどうとも言えよう。レインボーロケット団の構成員も無限というわけではないのだから、二度目はあっても三度目まで必ずあると言い難いのが実情だ。散発的な襲撃を嫌がるのは、何もレインボーロケット団側だけではない。

 

 

「今は山の整地に人員を割いている状況です。これでは何をしようにも難しい……」

「奥更屋隊長、どう攻勢に出る?」

「それは……どうしたものでしょうか。戦力が足りません」

「そっちは僕たちが行きます。伝説のポケモンたちは……すみません、他の人には制御できそうにないですから」

「……少数精鋭での奇襲からの、電撃戦……くらいしか、無いでしょうね」

「問題は倒さなきゃいけない相手……だよな」

「マツブサの言葉が確かなら、一人から二人ほど脱落させられる可能性はあるけど最大でフラダリとアカギ、アオギリ、ゲーチス、サカキの五人か」

「あとアルドスもね」

「ヨウタくんとお姉がタワーに行ってサカキ倒して、ウチらがボスにカチコミする?」

「いや流石にそれは危険すぎるでしょ……」

 

 

 タワーに常駐しているのはゲーチスとサカキの二名だ。その内、ゲーチスの無力化はそう難しくないものとしても、最も危険なのは二体のミュウツーを擁するサカキとなる。

 可能ならばダークトリニティがタワーにいないタイミングを狙って襲撃を行うべきだが、それが叶うタイミングもそうは無い。ほぼ確実に彼らと矛を交えることになると、アキラは覚悟していた。

 

 

「本音を言えば、民間人の君たちには戦ってほしくないが――」

「失礼します!」

「――何事か!」

 

 

 そうした折、突如として部屋の扉が開いて焦りを表情に映した自衛隊員が駆け込む。同時に、室内の空気が緊張の一色に染め上げられるのが誰からも感じ取れた。

 

 

「急報です! レインボーロケット団、徳島市にて蜂起! 徳島市残存レジスタンスより救援要請が!」

「「「!」」」

「マツブサからの連絡は?」

「……ありません。恐らく、命令系統から外されているのではないかと」

 

 

 その報告が駆け巡ると同時、自衛隊員とレジスタンスの面々が騒然とし始める。

 愛媛から見れば、正反対に位置する徳島での武力蜂起だ。「状況が動いた」と言うならこれ以上無いまでに状況は動いているが、事前に報告を行うとしていたマツブサからの連絡は無い。今まさに虐殺が起きようとしているというのに、そうするまでも無い――ということはありえないだろう。

 

 

「なあ。もしかして、ダークトリニティに……」

「ありえないことじゃないけど……」

「小暮さん、これ、罠ですよね」

「……恐らく。この場の守りを薄くしてから、再度の襲撃を行うのではないかと」

 

 

 顔を青くする朝木とは対照的に、アキラとナナセは至極冷静だ。最悪の状況を加味した上で、更にその上から最悪が覆ってくる可能性も捨てきれていない。

 こうなれば、超長距離を移動できるデオキシスでなければこの状況を覆すことは容易ではない。

 

 

「今すぐ向かえるのはわたしだけか。ヨウタ、守りは……」

「いや、待ちなさい。救援には我々自衛隊が向かおう」

 

 

 ――「普通」ならば。

 

 

「え……?」

 

 

 想定外のその提案に、アキラは首を傾げた。徳島までどれだけ頑張っても数時間は必要だ。ひこうタイプのポケモンを活用したとしても、上空で撃ち落とされる可能性を加味すればより危険性は増す。だというのに、なぜそのような提案を――そう思った彼女の疑問に応じるように、地図が広げられた。

 更に、宇留賀がそれに追随するようにずいと前にでる。

 

 

「――例の計画の成果を披露する時が来たようだ」

「え、え……?」

「全体出撃準備!」

「「「「「了解ッ!!」」」」」

「ちょ……お父さん?」

 

 

 娘の疑問にも安易に応じることなく、隊長は外に出ると地面を――ただの地面であるかのように巧妙にカモフラージュされたシートを引き剥がし、その下に隠された謎の扉を露わにした。

 公民館横の地面に何を作ってるんだこの人、と唖然とする面々をよそにして、隊長と宇留賀はそれを開いてずんずんとその奥へと進んでいく。

 かんかんと音を立てるのは、即席で設けられた金属板でできた階段だ。どうやら扉は地下に繋がっているらしかった。

 遅れまいとそれに追随した一同は、その先で驚くべきものを目にする。

 

 

「……ち……地下トンネル?」

 

 

 ――どこまでも続くかのように長く、そして広く掘られた地下トンネルである。

 

 

「君たちが出て行ってしばらく、ポケモンの力を借りて掘り進んでいたのです」

「外の公共交通機関は使えない。高速道路も、主要道路も含めてな。だから代替になる交通手段がどうしても必要だった――名付けてディグダXトンネル」

「エックスハイウェイのパクりです?」

「オマージュだ」

 

 

 四国の主要高速道路は、四国東部にてX字に交わり、各四県へと接続する特性を持つ。それを真似てディグダやダグトリオ、じめんタイプのポケモンたちの力を借りて作られたのが、このトンネルである。

 四国中央部で分岐し、主要四都市へと繋がる直通のトンネルだ。通常の道路を利用すれば数時間はかかる道のりであっても、直線距離でならばそう大したものではない。さえぎる物がないというのならなおさらだ。

 

 

「ディグダグダグ」

「ディグディグ」

「皆、ご苦労。よく休んでくれ」

 

 

 誇らしげな顔をしたディグダたちが顔を覗かせると、彼らを労わるように隊長はボールへと戻してやった。

 

 

「……な、なるほど……え、えっと、でも、距離とか」

「それなら問題ありません。総員、騎乗!!」

「「「「了解!!」」」」

 

 

 ヨウタの疑問ももっともなものだったが、隊長の回答はそれをより上回っていた。

 地下に降りてきた自衛隊員やレジスタンスの面々が次々と、ウインディやギャロップ、ドードリオ、ゴーゴートといった長距離移動に向いたポケモンたちを繰り出していく。

 唖然とする面々に、隊長はしてやったりとでも言わんばかりに皺だらけの顔に微笑を浮かべた。

 

 

「やるものでしょう、我々も」

 

 

 自衛隊にも意地がある。秩序を守らなければならない側として、いつまでも民間人に頼り続けるというのは矜持に反する事態だった。

 故に、必死でポケモンたちと鍛えなおした。元より、秩序を守らねばならない立場の組織として厳しい訓練が課せられるのが軍隊というものだ。より一層護国の意志を固めるのに、これほど適した環境も無い。

 無論、度重なる命懸けの実戦によって徹底的に鍛えられてしまったアキラたちと比べれば……という部分はあるものの、それでも一線級の実力を備えていることはヨウタの目からも明らかだった。アキラやユヅキが異常なだけだ。

 

 

「徳島の件はこちらが担当する。君たちは主力として町の防衛を頼みたい」

「分かりました……」

「東雲、貴官は引き続き彼らの護衛を遂行せよ」

「りょ、了解!」

「出撃! 総員、徳島市を奪還せよ!」

「「「おおおおおー!!」」」

 

 

 自らを鼓舞する雄々しい叫びと共に、自衛隊とレジスタンスの混成部隊は凄まじい勢いでトンネルを駆けて行った。

 距離にして一万キロを一昼夜で駆け抜けるウインディや、ポケモン世界の新幹線よりも速いとされるギャロップの力を借りた移動だ。当然、その速度は乗用車のそれよりも遥かに上回る。一時間か、もしかすると数十分もせずに彼らは徳島市までたどり着くだろう。

 アキラたちは未だ唖然としてはいるが、やがてその姿が見えなくなるとようやく落ち着きを取り戻して地上へと戻った。

 

 

「デオキシス、偵察を頼む」

「▼▼▼▼▼▼▼」

 

 

 デオキシスの数十体もの複製体(シャドー)が一斉に空に飛び立ち、周辺十数キロに渡って監視を始める。徳島市への襲撃が罠であると考えられる現状、何よりも時間が惜しかった。

 やがて数分もせず、デオキシスとアキラの目が見開かれる。表情の分かりづらいデオキシスと違ってアキラは強い焦りを表情に映している。何かを感じ取ったようだった。

 

 

「何があった?」

「――ッ戦闘準備!」

 

 

 アキラは即座に外に飛び出すと、公民館のある通りから更に外へ――海の方へと向かって駆けだしていく。

 その視線の先には海が――そして、その上空に立ち込める暗雲が映し出されていた。

 

 

「――――奴ら、カイオーガで(・・・・・・)ここを直接潰す気だ!!」

 

 



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(あお)きしおみずを凍てつかせ

 

 

 ――敵はカイオーガを含め数およそ二百。沿岸に向け津波と共に急速接近中。

 

 それが告げられたことで、一時周囲は騒然となった。

 明確な意志のもと、伝説のポケモンという最高戦力を用いて自然災害を起こし、本拠地を潰して反攻勢力を一網打尽にしようというのだ。防ぐ方法の少なさもさることながら、先に徳島市を襲撃することで防備を薄くしておくという周到さに、アキラは思わず舌打ちした。

 

 

「朝木、キュレムの戦闘準備を! ロトムはマツブサに連絡!」

「お、おう!」

「了解ロト!」

「……町の人たちの避難を、急ぎましょう」

「女性と子供、老人を優先して地下通路へ! 出入口を固めて浸水を防げば多少はもつはずです!」

「それはこちらで担当する! 配置につけ! 東雲、お前は敵の阻止に回れ!」

「了解!」

 

 

 アキラが背中を押して朝木やヨウタといった自分を含む主要な戦闘要員を外へ向かわせ、この場に残った自衛隊員が主導となって、事前に計画していた通りの避難誘導の配置につく。騒然となっていた現場の様子に比して、主体となって動くことのできる人間の存在もあって混乱そのものは最低限のものに抑えられていた。

 

 

「……っし!」

 

 

 この防衛線の中核になるのは、間違いなく朝木とキュレムだ。彼は強い重責を感じてビビり倒しながらも、それらを全て振り払うように自身の頬を張った。

 以前、マグマ団とビシャスに挟撃された際の臆病さと、しかしなけなしの勇気を振り絞って自分を助けに来てくれた時からの変わりようを目にしてか、アキラは彼に気付かれないようどこか感慨深げな眼で見ていた。

 そのせいか、その様子を横目に見ながら海岸へ急行するその途上、不意にヨウタは以前の――それこそ、マグマ団と矛を交えた時のことを思い出した。

 

 

(思えば、あの時マツブサは「自分はレインボーロケット団じゃない」って宣言してたっけ………………?)

 

 

 ――そこで、彼は脳裏に閃光が走るのを感じた。

 ごくわずかな違和感のもと、彼はその正体を脳内で探っていく。当時の戦いは激しかった。その原因は、間違いなくグラードンだ。絶望的なまでの体格差と規格外の攻撃力は、十数日を経てなおヨウタの頭にしっかり刻み込まれている。

 

 

(――何か、見落としている気がする)

 

 

 ヨウタは、ぞわぞわと虫が這うような奇妙な悪寒が背を伝うのを感じた。

 何か、致命的な見落としがある気がする(・・・・)。何か、気付かなければならないことがある気がする(・・・・)。茫漠とした不安感が胸でつかえて息が詰まる。波が荒れつつある海岸に到着したその時、俯いた彼の顔を目にしたアキラが軽く首を傾げた。

 

 

「何かあったか?」

「……何か嫌な予感がする。何とは言えないけど、何か……何かある気がする」

「何かって……っていうか、今そんなこと言われても」

 

 

 ヒナヨが唇を尖らせるのも当然だ。もう敵は間近に迫っていて、すぐにでも戦闘の準備を整えなければ機先を制されてそのまま町は海に沈む。

 言い出すべきかどうするべきか、うんうんと唸り声を上げかけたその時、アキラはあっけらかんとした様子で告げた。

 

 

「――ヨウタの勘ならわたしは信じるぞ」

 

 

 彼女はもはや、なぜ、とも何を根拠に、とも聞くことは無かった。この旅路の中でヨウタの実力と人格に全幅の信頼を置く彼女に、否やは無い。

 勘、と一口に言うが、更に突き詰めて言うなら、それは「未来のチャンピオン」と呼んで差し支えないほどに稀有な才能を持った少年が、膨大な戦闘経験と今日までの旅路の中から危機感を覚えるに値する「何か」を感じ取っているということだ。状況のせいで焦りが先に立ってしまうということもあるし、年齢のせいでそれをうまく言語化できないということもありうる。ただ向かうだけなら手間はそうかからないし、問題が起きたらそれはそれで解決するための道筋ができる。ここで乗らない理由は無かった。

 

 

「ロトム、マツブサへの連絡は?」

「ダメ、通じないロト」

「殺されてる可能性があるな」

 

 

 あまりにあっさりと口にしたその言葉に、朝木がギョッとして目を剥く。しかし否定できる要素も無く、もしそうだとすればグラードンを掌握されている可能性も高い。早急な対処を要するのは明白だった。

 

 

「あいつが今いるのは?」

「マツヤマ城ってお城みたいロト」

「いいご身分だなあんにゃろう」

「ユヅの手を借りる。いいか?」

「いいよ!」

「何でゆずきち?」

「……まあ、ちょっとした予感ってことで」

 

 

 本当のところを言えば、アキラのそれはより強い具体性を帯びた推測と呼ぶべきものだ。

 言葉にしかけたその時、しかし彼女は口を真一文字に結んだ。あくまで推測だ。確証は持てないし、そもそも彼女が関わった時点でなおのこと事態が悪化してる可能性だってある。そうではなくとも、ただ会議中ということで手が離せないだけということもありうる。何も無ければそれでいいだけだ、と心にもないことを呟くと、周囲の視線が「あーあこれ絶対何かあるぞ」と言いたげな生ぬるいものに変わった。アキラは泣きたくなった。

 

 

「小暮さん、指揮は任せます……」

「あ、はい……」

 

 

 見るからに意気消沈しているアキラがユヅキと共に駆けていくのを見送って、ナナセたちは再び海岸線に向き直る。

 ヨウタが提言する「嫌な予感」が的中し、アキラが関わって何やら状況が把握できないうちに問題が肥大化していたとしても、あの姉妹ならば解決に導くだろう。「トレーナー」と言うより「戦士」と呼ぶべきあの二人は、ともするとヨウタよりも戦力的には安定している。ナナセにとって、全幅の信頼を寄せて構わない稀有な人材と言えた。

 

 

「……さて……」

 

 

 それよりも、問題はカイオーガの接近に対応することになる自分たちだ。ナナセは軽く目を伏せて思考の海に入り込み――かけて、やめた。

 相手はまったく常識の埒外にいる存在だ。「あまごい」の効果範囲やその影響なども数少ない資料(まんが)や実験で理解しているが、カイオーガのそれは度を越して圧倒的だ。ただそこにいるというだけでバケツをひっくり返したような土砂降りを巻き起こすのだ。オマケに周囲の水を操り、津波までもを引き起こす始末。まさに「災害」そのものだ。誰の目も無ければ彼女はもうその辺に寝転んでがむしゃらに四肢をばたつかせてしまいたくなっていた。

 しかし、手はある。同じ伝説のポケモンならば、対抗はできる。

 

 ――もっとも、その味方の伝説のポケモンでさえ常識外れの能力を持っているだけに、どうにも作戦を考え辛い部分があるのだが。

 

 キュレムの凍結能力は他に類を見ないほどのものだろう――上限も下限も一切分からないが。

 ジガルデの生命調律能力はどの世界においても理外のものに違いない――この局面でどれほどの意味も無さそうだが。

 パーフェクトフォルムになれるだけの細胞体(ジガルデ・セル)がこの世界にあるかもいまいち分からないし、仮に存在してパーフェクトフォルムになれたとしても、パーフェクトフォルムになった後の能力を見たことがある人間が誰もいないため、おおよその戦力の試算もできない。

 現状、伝説のポケモンとして最も分かりやすいのはカプ・コケコくらいのものだろう。雷のエネルギーを司り、雷速で縦横無尽に駆け回る戦闘狂。そして胸焼けしそうなほどに分かりやすく制御不可能な暴威だ。とにかく安定しない戦力というのは、切り札にしてもあまり頼りたくないのがナナセの本音である。

 

 

「朝木さん、キュレムの凍結可能範囲は把握されてますか……?」

「昨晩のアレが全力じゃねえとは思う。マジでやったら町一つくらいは凍結できるんじゃねえかな」

「体力の消耗などは……」

「少なくとも深夜のじゃピンピンしてたけど……」

「……では、今すぐ。全力、全開で海を凍結させてください」

「マジか。えっ、どこまで?」

「一言で言うと、どこまでもです……」

「おっしゃどこまでも……どこまでもっつった?」

「海底に潜られたら……手の打ちようがありません。ですから、潜れないほど、深く。被害が町に及ばないほど、広く。接近する前に先手を打ちます……」

 

 

 その方針は極めて分かりやすい。が、同時に、分かりやすいがゆえに要求されるものがあまりにケタ外れだ。

 朝木は小さな逡巡の中でわずかに息が詰まるのを感じた。しかし直後に、彼は左拳を掌に打ち付けた。

 

 

 

「ムチャ振りだな……けど、よく考えたらアキラちゃんもこのくらいやってらぁな」

「無茶苦茶してるのはアキラ自身だけどね」

「ともかく、できるかどうかよりやってみなきゃ始まらねえってことだ!」

「随分思い切りが良くなりましたね」

「良くならなきゃ俺死んでたし……いや待てよそもそも思い切りが良くなきゃ死ぬってなんなんだこの戦いはよ……」

 

 

 そうだね、とヨウタはうんざりしたように苦笑いした。状況は常に最悪を更新し続けている。身命を賭してようやく敵が倒せるということもザラで、アキラが言うように重傷を負うほどのリスクを負わなければ逃げることさえ難しいということもしょっちゅうだ。卑屈で臆病な朝木ですら思い切りが良くなろうというものである。

 キュレムがボールから現れると同時に、周囲全てを凍てつかせるほどの冷気が足元を白く染め上げた。彼の視線はトレーナーの朝木――ではなく、むしろ周囲を囲む東雲やナナセに向けられている。未だ朝木に英雄の資質を感じていないことは明白だった。

 

 

「……私たちのポケモンは、海上での戦闘に向きません。お願いします」

「……『こごえるせかい』な。全力で頼むぜ」

「――――」

 

 

 やはりどこか意気消沈したような面持ちで指示を送る朝木だが、「そういうところだぞ」とばかりにキュレムは意気軒昂としたヨウタたちに一度視線を送ってから、再び海に向き直る。

 全身から立ち上る白い冷気が徐々にその形質を変え、空間そのものをクリスタルめいた氷の結晶へと変性させていく。凍てついた空間はやがて海水をも蝕み、見る間にその領域を拡大していく。

 凍てついた領域に最初に足を踏み出したのは、トレーナーであるがゆえに自分こそがやらなければならないと決意した朝木だ。海面はがん、と音をたてて彼の足を受け入れた。直後に滑って転びかけたが、彼はなけなしのプライドでもって、顔を真っ赤にしながらそれを押しとどめた。

 

 

「……おし、行けるぞ!」

「うん。行こう! ヒナヨ、出し惜しみは無しだ。僕らが最前線に出よう!」

「分かったわ! 朝木さんは?」

「……朝木さんには後詰についてもらいます。まだキュレムには役目がありますので……」

「あいよ。……あ、クソ寒いこれヤバくね?」

「我慢してください」

 

 

 既に防寒具は無い。五人は自然、体を震わせながらでも前に進むことを決めなければならなかった。

 条件は敵も同じだ。海中から現れる分、より寒いことだろう。

 ……と、そのようにでも考えなければ、彼らとしてはやっていられなかった。

 

 黒雲と瀑布を思わせるほどの雨は、間近に迫りつつあった。

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 大気から水分が失われてひび割れる音がするのを、アオギリは聞いた。

 空気が凍てつき、彼の視界の先の海が水晶のごとく変じていく。それは明確なまでの敵対宣言だった。

 

 

「よくやるものです。陽動は失敗と見ていいでしょうね、イズミさん」

「……はい。そうなります」

 

 

 カイオーガの背に乗って悠然と構えるアオギリの声に、アクア団女性幹部――イズミは感情のこもらない表情で頷いた。

 アオギリの表情は、常と変わらぬ自信に満ちたものだ。それが、イズミに強烈な違和感を催させる。

 

 アオギリは人道主義者とは言い難いが、しかしそれでも人間の命を軽く見ているわけではない。

 世界を海で満たした後の陸生生物の生き方を模索していた彼が、敵対勢力とはいえ民間人が大勢いるような場所へと今まさに攻め込もうという時になってまで、表情を変えないというのは、異常なことだ。まして笑顔など、ありえるない。

 

 

「正面からぶつかりましょう。なに、問題ありません。海に沈めてしまえば誰も抵抗などできはしない」

「はい……」

 

 

 その左手に握られているのは、深い海のような()色の宝玉(たま)

 一瞬、イズミは彼の手の甲に青い輝きが生じるのを見た。しかし彼女は、宝玉(たま)が光を放つが故の錯覚だろうと断じた。――そう考えなくては、彼女自身の精神が崩れかねないという事情もあった。

 

 

「全てを母なる海へ還しましょう。クク……クカカカ……」

 

 

 冷たい雨が、全身を叩く。

 響くアオギリの哄笑に、イズミは全身を震わせた。

 彼女はそれを、無理矢理に興奮と置き換えた。自分は武者震いをしているのだと言い聞かせた。

 

 ――それが生物の持つ根源的な恐怖だと気付くのは、まだ先のことになる。

 

 



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悪意の影にくらいつく

 

 

 伊予松山城。別名を金亀城、勝山城とも言い、愛媛県の主要な観光名所としても知られる。

 アキラにとっては地元の名城ということになるが、実のところ彼女は城についての知識はそれほど持ち合わせていないし、普段注目することもあまりない。変事があれば人並みに狼狽もするし、注目されればちょっと誇らしい、それこそ「地元の名所」というくらいの思い入れはあるのだが。

 

 ともあれ、そうした場所ということもあって、松山城を占拠しているマグマ団について、アキラは少なからず腹立たしい思いを抱えている。

 いずれは一人残らずこの城からも叩きだしてやる、と苛立たしげに本丸を見つめていたアキラは次の瞬間、城壁を破砕しながら文字通り外に叩きだされてくるマツブサの姿を見て目を見開いた。

 

 

「うぇ!?」

「――デオキシス!」

「▲▲▲▲▲▲……」

 

 

 転移直後であり、デオキシスがボールに戻る前であったことが功を奏した。死ぬほどの勢いで地面に叩きつけられるはずだったマツブサの体が激突の寸前に一瞬浮き上がり、緩やかに降ろされていく。彼が体を横たえる中、アキラとユヅキはその体に無数の切り傷と打撲痕が刻まれていることに気づいた。

 そこから読み取れるのは、この傷を刻み込んだ人間の――あるいはポケモンの――執拗さ、そして極めて正確に急所を打ち抜く卓越した技量、そして何よりも残忍さだ。

 

 傷跡に、躊躇いが一切見られない。アキラやユヅキも生き残るために、あるいは戦えない誰かを守るために敵を傷つけることを厭わないが、これはそういった躊躇の無さとは違う。ただただ冷酷に、そして確実に人間を殺すためだけに研ぎ澄まされた技だ。アキラはそれに、強い既視感を覚えた。

 

 

「ユヅ、上から来る!」

「分かった!」

 

 

 光を反射しない鈍い色の刃が飛来したのは、次の瞬間だった。

 デオキシスが瞬時にそれらを全て念力で弾き飛ばす。が、相手としてもアキラたちが突如として現れた以上、デオキシスがこの場にいること自体は織り込み済みだ。念力が放たれるその一瞬をこそ好機として、念力が通じない(・・・・・・・)ポケモンを盾に三対の影が壁面の穴から飛び出す。その姿を目にした時、アキラは思わずうんざりしたような声を上げた。

 

 

「――ダークトリニティ! またお前らか!」

「それはこちらの台詞だ、『白光』……!」

 

 

 降り立とうとしているのは、三つの黒い影とそれに付き従う黒と赤の鋼。デオキシスのみならず、多くのエスパータイプのポケモンにとって天敵と言えるあくタイプのポケモン――キリキザンだ。

 一糸乱れぬ動きを見せる彼らに驚きを浮かべることもなく、アキラはデオキシスを下げてチャムをボールから出す。予備動作も躊躇も見せずに放たれた爆炎を帯びた蹴撃によって、キリキザンたちは僅かにその身を焦がされるも、三匹という数の利で攻撃を無理やりにいなし、直撃を避けることには成功していた。

 

 

(……マツブサの波動が弱い。プルートを殺した例の即効性の毒か)

 

 

 横目に見るマツブサの顔色は、既に蒼白に変わりつつある。一連の戦いでダークトリニティの戦闘に対する姿勢を理解していたアキラは、万が一の備えとして携行していたモモンのみを握り潰して、果汁を傷口に振り撒いた。

 アキラもベトベトンという特級の毒物に汚染された経験があった。その際に受けた応急処置のことを覚えていたのが、功を奏したと言えるだろう。果汁が沁みたためかマツブサの呼吸は多少荒くなったものの、応急的にとはいえ解毒には成功したらしく、同時に波動が若干であれ強くなったことを感じ取って、アキラは心の中で胸をなでおろした。

 

 

「ジャック、やっちゃえ!」

「ジャァラララララァッ!!」

「!」

 

 

 他方、チャムの攻撃をいなした瞬間を狙うようにして、ジャックがその身を震わせる。ダークトリニティの面々が目にしたのは、目に見えて分かるほどに振動した空気が、指向性を持って飛来する様だ。「スケイルノイズ」――ジャラランガの持つ最大級の技だ。

 

 

(避け……否――――!)

 

 

 回避――できない。

 ただでさえ、着地直後にチャムの強襲を受けて体勢が崩れているのだ。ここで更に回避行動に移ることはできない。加えて「荷物」の存在もある。

 自然、その動きは一人を守るように布陣する構えとなる。抜群の戦闘勘を持つユヅキはそのことに気づくや否や、即座にロンを追加でその場に出す。

 

 

「お姉、あいつら何か守ってる! ロン、『ミサイルばり』!」

「ガロォ!」

「チィ!」

「チャム、やるぞ!」

「バシャッ!」

 

 

 妹の意を察したアキラは、ロンの放つ無数の針がダークトリニティたちをその場に釘付けにする中、即座にチャムをメガシンカへと導いた。

 彼らがこの場に現れてマツブサを襲撃し、「何か」を守りながら離脱しようとしている。その「何か」が何かまでは分からないが、疑問を差し挟む余地は無い。アキラは、ヨウタの漠然とした予感が当たっていたということを確信した。

 

 

「あ……『あいいろのたま』だ……!」

「!」

「む!」

「息が残っていたか……不覚!」

 

 

 アキラの確信を更に裏付けたのは、残った力を振り絞ったマツブサの言葉だ。

 あいいろのたま――マツブサのいる世界ではグラードンの能力抑制と制御に用いられたものだが、本来は「海」のエネルギーの集積体だ。その力を用いることで、カイオーガのゲンシカイキが可能となる。精神汚染の可能性が示唆されてはいるものの、戦力アップだけを望むなら、なるほど、これ以上に適したアイテムは無いだろう。

 

 

「だが……アオギリ、奴は――!」

「あの男が貴様の裏切りに呼応すると思ったか」

対策(・・)は先んじて打つものよ」

「そして我らはこの通り、彼奴の求めに応じてここにやってきた」

「ベラベラと随分余裕だな!」

「ぬっ!」

 

 

 刹那、ダークトリニティを掠めるようにしてキリキザンが吹き飛ぶ。全身を刃で覆われたポケモンが体を掠めたために多少ならず傷がつくが、アキラとチャムはそこで攻撃の手を緩めることは無かった。

 通常は推進力として用いるであろう片腕から噴き出す炎を、そのまま攻撃に転化した「かえんほうしゃ」。およそ躊躇や遠慮というものが無いその攻撃の矛先は、キリキザンと言うよりもその先にいるダークトリニティを狙ったものと言えようか。当然、ポケモンはトレーナーを守るためにも全力をもってこれに抗い――倒れる。

 

 

「要は、全員倒せばいいだけの話でしょ!」

「ジャァララ!」

「ブロォ!」

 

 

 また、残る二匹も的確にキリキザンへと拳を打ち込んでいた。押しも押されぬ、プラズマ団暗部の急先鋒……だというのに、ポケモンに触れてたかだか数週間も経っていない程度の小娘二人に押し込まれかけている。その事実に彼らは久方ぶりに焦燥感を抱いた。

 暗殺部隊、という役割上、ダークトリニティの戦闘経験そのものは豊富ではあるが、実際のところ相手の多くは彼らよりも遥かに戦闘力に劣る者である。格上や同格のトレーナーと戦った経験は少なく、その一点において明確にアキラたちとの差が生じてしまっていた。また、真正面から戦闘を行うのに向いているかと言えばそういうわけでもない。彼らの弱点が突かれているかたちになってしまっていた。

 

 

「致し方なし。任せるぞ」

「承知」

 

 

 そのような苦境と荒れた心理状態の中にあって、ダークトリニティは取り乱すことをしない。彼らはアイコンタクトで意思を交わすと、瞬時にその立ち位置を入れ替える。その表情は依然として変わりないが、彼らの姿勢からは残る一人――「あいいろのたま」を持つ一人を何としてでも死守するという意志が見て取れた。

 

 

「逃がすかッ!」

「いいや、逃がしてもらう……! いでよ、トルネロス! 『ぼうふう』!」

「トルォォォッ!!」

「!」

「ランドロス! 『じならし』!」

「グロロロロォォ!」

「何……ッ、がっ!」

「お姉!?」

 

 

 ランドロスが殴りつけたのは、地面――ではなく、大気の壁だ。「じならし」によって発生するはずの振動をそのまま空気の壁にぶつけた直後に、トルネロスの「ぼうふう」によって、それを更にかき乱す。直後、アキラの様子が激変した。

 彼女は五感にも優れるが、それ以上に信頼しているのは気の流れ――波動だ。

 波動は大気を通じて感じ取る必要がある。種族単位で波動の感知・操作に長けたルカリオと異なり人間でしかない彼女は、基本的に戦闘中は極度の集中(トランス)状態に入って五感を最大限に研ぎ澄ます。結果、波動の感知を乱された時、彼女を襲う負担は甚大なものになっていた。

 アキラの活躍した戦場というのは挙げればその数はそれなりのものになる。波動を使うという情報が漏れているというのも、致し方ないところであった。

 

 

「波動封じ……為った!」

「行け!」

「御免!」

「くっそ……ユヅ、追え!」

「……うん!」

 

 

 脂汗を浮かべてすらいるアキラの表情を見て一瞬は躊躇しかけたユヅキだが、彼女自身がそれを求めていることもあってすぐにその躊躇いは捨てた。ボルトロスの背に乗って飛び立とうとするその背を追うため、ロンとジャックの二匹をボールに戻した上で新たにメロをボールから出す。

 

 

「行くよ、メロ! メガシンカ!」

「グロロロォォォッ!!」

 

 

 直後、その体を虹色の光が包んだ。そして、膨大なまでのメガシンカエネルギーを受け、その体が変化――変形(・・)を遂げた。

 強靭な四本脚が全て前面へと移動し、背部に推進機(ブースター)を思わせるような四本の副脚が備わっていく。顔面を走るX状のラインが鋭さを増し、黄金に染まる。顎下からは威圧的なまでに鋭く大きな棘が突き出した。

 叫び声が低く響き、朱の眼光が尾を引いて、逃走を始めるボルトロスを猛追する。

 

 

(――(はや)い! まずい、この距離では!)

 

 

 メガメタグロス(メロ)の速度はボルトロスと比較してごく僅かに劣る。が、それが通用するのは本当の意味で「全くの同条件」で見た場合だ。

 トレーナーの鍛え方と経験によって、ポケモンの能力には個体差が生じる。それは速度も同じだ。姉と比べるとポケモンたち個々のパワーを重視してこそいるが、アキラからの影響を多分に受けていることもあって速度もまた優先的に鍛え上げている。数多くの激闘を経て、伝説のポケモンたるヒードランといったポケモンと日々研鑽を重ねるユヅキのポケモンたちが、たとえ伝説と言えども、戦闘経験というポケモンの成長において最重要と言えるファクターを得ていないダークトリニティのポケモンたちに後れを取ることは無い。

 

 

「ボルトロス、『でんげきは』だ! 小娘を狙え!」

 

 

 自然、狙いはユヅキ自身に絞られる。

 「でんげきは」という攻撃が必中であるという由縁は、雷が大気を伝う速度もそうだが、肝要なのはそれが「波」という形質を取っていることだ。全方位に撒き散らされるそれからトレーナーを守るためには、ポケモンが身を挺して守る他無い。

 

 ――ということは、ユヅキも把握している。

 

 

「ゴルムス!」

「ゴゴォ」

 

 

 メロに当たれば一時的にとはいえ停止は避けられない。なら、そもそも攻撃が通用しないポケモンを出せばいいだけのことだ。

 メガメタグロスよりも更に巨大な体躯を誇るゴルーグ(ゴルムス)を盾にするように前に出し、四本腕で押し出して突撃する。馬鹿か、とダークトリニティが困惑するほどの力技だが、その有効性は確かだ。結果的に、それによってゴルムスがボルトロスへと肉薄することに成功したのだから。

 

 

「叩き落とすよ! 『ヘビーボンバー』っ!!」

「ゴゴオオォ」

「ぬっ……おおおおおおおお!!」

「ボルルアァ!?」

 

 

 狙い過たず、ゴルムスの放ったダブルスレッジハンマー形式の「ヘビーボンバー」によって、ダークトリニティはボルトロスごとその身を地上へと叩き落とされた。

 その様子を横目に、アキラは脂汗を流しながら胸中で喝采を上げた。あとは自分が目の前の敵を打破するだけだと、ギルを新たにその場に呼び出しながら体勢を立て直す。

 

 

「これでとどめ! メロ、コメット――――」

「――かくなる上は貴様ごと!」

「え……!?」

 

 

 アキラたちにとって想定外の事態が起きたのは、その直後だ。

 その言葉から「じばく」か「だいばくはつ」かと身構えたユヅキだったが、熱も衝撃も一向に訪れることは無い。そして次にアキラが気付いた時には、ユヅキたちの姿はその場から忽然と消え失せていた。

 

 

「『テレポート』!?」

「そうだ、我らが勝つ必要は無い。組織が勝てばよいのだ」

「そして貴様は……ここで釘付けにさせてもらう! ランドロス、『じしん』!」

「な……くそっ、ギル、『まもる』!」

「ラァァァ、ドラァァァッ!!」

「グルルアアア……ッ!」

 

 

 飛び上がり、降下するその勢いのままランドロスが地面を叩かんとしたその時、ギルが滑り込みその剛腕を受け止める。

 ダークトリニティの狙いはアキラたちというわけではない。どちらかと言えば建造物――特に、松山城だ。

 崩落させればアキラやマツブサへ痛打を与える一因にもなり、文化財であるが故にアキラとしても可能な限り守らなければという意思が働いて、建物を守るために攻撃を受けざるを得ないし、時によってはアキラたちの側から攻撃することを躊躇する要因にもなり得る。

 そしてダークトリニティは正面からことを構える「トレーナー」ではない。それえが有効だと判断すれば、いかに人倫にもとる行動であっても活用するのが彼らであった。

 

 

「城を背に布陣せよ!」

「トルネロス、『ぼうふう』を巻き起こせ!」

「トルロロロォッ!!」

「うおっ!」

「こいつら……ッ! っ、マツブサ!」

 

 

 攻めあぐねるアキラを尻目に、伝説のポケモンとしての面目躍如とも言うべき圧倒的風量の「ぼうふう」が駆け抜ける。巨体を誇るギルの背後にいるというのに吹き飛びかけたマツブサだが、咄嗟にその手を取ったアキラのおかげで、きわどいところで最悪の状態だけは免れた。

 戦闘とは、極論を言えば「相手が嫌がること」の応酬だ。そういう意味で言うなら、ダークトリニティは優れた戦闘者である。腹立たしいし絶対に許す気も無いが、アキラはそうした強さを持ち続けていることにだけは感心した。

 

 

「くっ……」

「ぐっ、おっ……も……お、おい、マツブサ! あんたバクーダか何か出してキリキザン抑えられないのか!?」

「無理だ……! 開閉スイッチを壊されている!」

「ぬあああああ……ぎ、ギル! 『がんせきふうじ』!」

「ゴアアッ!」

 

 

 今のアキラにマツブサを支えきるだけの腕力は無い。そのため、アキラがギルに命じたのは、その場に岩を放り投げて「風よけ」を作り上げることだ。

 果たして、ギルの創り上げた巨岩は風を防ぐために一役買うこととなり、宙に浮きかけていた二人の体が地に落ちた。

 

 

「おい、どうする気だ。このままじゃジリ貧だろうが」

「戦力にならないあんたが言うな! ……言われなくたって別に勝とうと思えば勝てるんだよ」

「何? ……そうか、周辺被害を気にしなければ、か」

 

 

 アキラが攻めあぐねている原因は、松山城を破壊してしまうということともう一つ、この場所が市街地にあるということだ。

 周囲を見回せば一見すると森に囲まれているようだが、そこから少し外れればすぐに大通りが見えてくる。このような状況下で迂闊に攻めようとすれば、物的被害だけで済むということはまず無い。レインボーロケット団の支配に任せ、避難所へ行くことなく自宅にいるという人間だっている。

 よって重要なのは、迅速に、かつ被害を抑えて超短期決戦を行うことだ。

 しかし、アキラにとっての切り札であるデオキシスは、未だ倒し切れていないあくタイプのキリキザンに有効打を与えることはできない。加えて、ダークトリニティの手持ちにはコマタナが残っている。

 最も有効なのは、やはりギルがトルネロスとランドロスを打ち破り、チャムがキリキザンたちを打倒すること――だが。

 

 

(二匹同時にメガシンカなんて――――いや、待て)

 

 

 その考えに至った時、アキラははっとしたようにマツブサを見た。

 メガシンカは一人一匹が原則だが、それは根本的に、一人のトレーナーが一つしかキーストーンを所持していないことが原因だ。

 

 ――つまり。

 

 

「考えがある」

「何だ」

 

 

 

「――――そのメガバングルをこっちによこせ」

 

 

 



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ぼうふうの突破口

 

 

 アキラの言葉に、マツブサは承服しがたい思いを抱いた。

 戦況はともかく、超短期決戦を挑まなければならないというのは理解できる。アオギリに「あいいろのたま」が渡れば大変なことになるし、仮に渡らなくともカイオーガの接近に対応できる人材を減らしたままでいるわけにはいかない。

 ダークトリニティもデオキシスの脅威を理解しているため、たとえ戦力の逐次投入になろうとも後詰を残したままで戦っているのだ。ならばここで想定外かつ爆発力のある一手を……と思うのは当然のことではある。だが。

 

 

「ダメだ。何が起きるか分からんぞ!」

 

 

 ポケモン複数匹のメガシンカなど、ほとんど前例の無い事態だ。

 その前例にしても実在したかは疑わしく、実情に近しいとされるこの世界の資料(マンガ)も数少ない。レインボーロケット団員ではメガシンカできるほどポケモンと絆を紡いだ団員は限られるため実証はできないし、メガウェーブは全ての負担をポケモン側に強いることから例としてそもそも適さない。

 まず、仮に成功しても最低でも(・・・・)負担が倍増するであろう時点で、賭けになるかどうか。いくらアキラの身体能力が優れていると言っても、それだけで任せるわけにはいかなかった。

 

 

「勝とうと思えば勝てるだろう!?」

「ただ勝つだけならな! けど、ダークトリニティ(こいつら)を逃がすことになる。そうなったら次はもっと大きなことをして大勢を殺すだろうよ! だから今、確実にここで再起不能にしなきゃいけない!」

「しかしな……!」

「このまま真面目にやり合ってたらそのうち……ッ、あいつらあてずっぽうか! チャム、『かわらわり』! ……城もブッ壊されて大勢あんたの部下も死ぬぞ!」

 

 

 ランドロスが投げ飛ばして来る大岩を砕くよう指示を出しながらアキラが示したその可能性に、マツブサはハッとなって顔を上げた。

 マツブサのポケモンたちは戦列に加われない。ことここに至っては仕方ないと結論を出したのは、岩が砕ける音がしたその一瞬後のことだった。

 

 

「……使え!」

 

 

 マツブサがメガバングルを投げてよこせば、アキラはそれを見もせずに受け取ってみせた。

 淀みない動作で装着し、掲げた腕に虹色のメガシンカエネルギーが絡みつく。同時に、倍加――否。乗算(・・)されたのではないかと感じられるほどの負担がのしかかるが、彼女はそれに見ないふりをした。

 

 

「結び合え!」

「ギラァ……ガアアアアァァッ!!」

「くっ!」

「ドルラララ……!!」

 

 

 ギルが急速にその姿を変えていく。そのさなか、アキラは自身の心臓が早鐘を打つのを感じた。

 通常のメガシンカによってかかる負担は、ちょっとした激しい運動を終えた後の疲労が持続している感覚に似るが、現在のそれは言わば全力疾走の最中のそれだ。血流が巡り脈を打ち、全身が燃えるような熱を孕む。

 

 

「う――あっ」

 

 

 思わず、アキラはその場でたたらを踏んだ。

 酒など飲んだことは無いが、どこか酩酊した心地だった。目の前の「敵」ばかりが目に入り、判断力が減退し殺意ばかりが膨れ上がる。彼女はそれらを持ち前の精神力で振り払い、前を向いた。そこには、ギルがランドロスと殴り合い、どころか押し返している姿があった。

 

 

「二匹同時のメガシンカ……だと……!?」

「臆するな。囲めキリキザン!」

 

 

 ダークトリニティの新たに投げたボールは二つ。新たに二匹の――以前彼らが連れていたコマタナが進化したものだろう――キリキザンが戦列に加わり、アキラとマツブサを囲い始める。トレーナーであるダークトリニティの動きを模倣しているのか、その動作は極めて機敏だ。周囲を駆け回って包囲を敷く彼らの姿を実像として捉えられなくなるまで、マツブサは数秒と要することは無かった。

 

 

「どうするつもりだ!?」

「どうもこうも……チャム、ギル! トルネロスとランドロスを押さえてくれ! リュオン、チュリ!」

「リオッ」

「ヂヂ」

「そんなちっぽけなポケモンで……!」

「次わたしの相棒を貶したら二度とその口開けないようにしてやる……!」

 

 

 鋭い紅の眼光に混じった本気の怒気と殺気に、マツブサは閉口した。

 しかし、人間と比べてもそう変わりない――どころか、アキラよりも大きな体格のキリキザンに対し、掌に乗るほどの小ささのバチュルを見ては頼りないと感じざるを得ないというのが、彼の本心ではあった。

 

 

「頼んだ」

「ヂュィ」

 

 

 アキラの一言を受けたチュリは、我が意を得たりとばかりにひと鳴きすると、即座にリュオンの頭に飛び乗った。

 それを感じ取ったリュオンもまたアキラと視線を交わすと、包囲網を狭めつつあるキリキザンたちに向き直り、構える。

 

 

「事実上の一対四だと!? 死ぬぞ!」

「――リュオン、『インファイト』!」

「ルァァッ!!」

「その場しのぎ」

「――では、無いな。奴を侮るな」

「承知。キリキザン、囲み、四匹でヤツらに当たれ。確実に仕留めよ!」

 

 

 悲鳴めいたマツブサの声を背に、リュオンは包囲の一角を占めるキリキザンへと肉薄する。

 トレーナーにかかるプレッシャーを少しでも小さくすれば、それだけ戦況は好転するだろう。故に、包囲に穴をあけることが現状先決である――。

 

 

(貴様はそう(・・)するだろう、「白光」)

 

 

 ダークトリニティは、そうすることをこそ読んでいた。

 アキラと矛を交えたのは一度きり。しかしその後、彼らはアキラの能力を危険視し、逐一彼女の情報を収集していた。

 こうした状況に置かれた場合にアキラが取るであろう行動は三パターン。自分を囮に隙を作るか、脇目も振らず逃げるか、そうでなければ一点突破だ。マツブサを守る必要があり、かつ相性が最悪であるキリキザンたちに包囲されている現状、迂闊にデオキシスを出すことはできなかった。となればやれるのは最後の一つということになる。

 

 

「行け!」

 

 

 キリキザンたちは、即座にその矛先をリュオンたちへと向けた。盾となるポケモンを倒せばアキラたちは丸裸になる。優位に立っている今、わざわざアキラたちを無理に狙う必要は一つもありはしないのだ。

 

 

「チュリ!」

「ヂッ!」

 

 

 果たして、アキラはダークトリニティの思惑通り(・・・・)に、チュリへと指示を送った。

 ハンドサインによる完璧なまでの無声指示。仔細は知れないが、ダークトリニティにはその内容が即座に推察できた。

 

 ――「いとをはく」、または「クモのす」。

 

 往時の戦闘では、その素早さと身軽さ、そして体の小ささを活かした奇襲によってレインボーロケット団を翻弄していたが、これは正面からの直接戦闘だ。数的不利を覆す方法はごく限られる。つまり、粘性の糸で絡めとることで、同士討ちを誘うことだ

 通常なら行動を阻害するという程度のものだろう。しかし。

 

 

(――この娘はやる(・・)。確実に!)

 

 

 確信があった。常道で考えることは危険だ。

 アキラとそのポケモンたちの強さの根幹は、この戦いが始まって以降常に蓄積されていく濃密かつ膨大な戦闘経験、そして常識外れの鍛錬量に裏打ちされた単純な実力だが、たったそれだけであれほどの戦果は挙げられない。そんなものは大前提(・・・)に過ぎない。

 時間的な密度やその質の異常さこそあるが、一流と呼ばれるトレーナーたちは厳しいトレーニングでも息をするようにやってのける。彼女がその領域に上り詰めるために人並み外れた特訓は必須事項だった。そこから更に一歩前へ踏み込むことができたのは、類稀な戦闘勘を備えていることと、ポケモンと人間問わずその動作(アクション)ひとつひとつに対する造詣が深いことだ。攻撃と攻撃の「間」や意識の間隙のみならず、同体を連動させればどういう風に体が動くのか、という点を術理として捉えている。

 故に、神業じみた技量こそ必要となるが、やりようによっては糸を貼り付けるだけで敵のポケモンを操る(・・・・・・・・・)などという芸当すらやりかねない。

 

 彼らは、それを予期した。

 

 

「糸を断ち斬れ! 『つじぎり』!」

「!」

「キィァァァッ!」

 

 

 チュリの口元がごくわずかに蠢く。その一瞬を見逃すことなく、キリキザンたちは極細の糸を――断った。

 ――そして次の瞬間、キリキザンたちはその黒鉄の肉体から煙を噴き上げ、その場に倒れ伏した。

 

 

「なん……だと……!?」

「一手、見誤ったな」

 

 

 キリキザンたちが戦闘不能に陥った原因は、電撃だ。

 それも、ただの電撃ではない。紫電――常日頃からアキラの頭の上に居座ることで、彼女が電磁発勁をした際に生じた余剰電力を吸い続けた果ての果て。その全電力を賭した「エレキネット」だ。

 糸の罠を張っていたのは事実だ。それに引っかかることを期待していなかったと言えば、嘘になる。しかし、相手が相手だ。罠を食い破ってくるのはもはや前提でしかないと、彼女は捉えていたのだ。

 問題があるとするなら、触れただけでポケモンの意識を刈り取るほどの電力を注いだことで、溜めた電力も全て使い切ってしまったことか。これで少なくともここからの戦いで電撃を使うことはできなくなった。また、チュリ自身の負担も大きく、これ以上彼女を起点に策を弄することはできないだろう。

 

 アキラはボールを取り出し、送還用のレーザーポインターを照射した。それが、三つ目(・・・)の策を始動する合図となる。

 

 

「ルゥ……アアアッ!」

「ザァァァッ――!」

 

 

 まず一撃、リュオンの鋭い拳がキリキザンの顔面に突き刺さった。

 そして引いた拳の勢いをそのままに体を廻し、鞭のような尾の一撃を側頭部に見舞う。僅かに体勢が崩れたところへ、勢いを乗せた回し蹴りが叩きつけられ――ない。接触部を起点に更に回転するような動きで回り込み、互いの位置を入れ替える。そして直後、突き飛ばすような前蹴りがキリキザンの背に叩き込まれた。

 キリキザンの体は容易に吹き飛ばされ、先に意識を失わされていた三匹のもとへと投げ込まれるような形になる。

 

 

「いかん!」

 

 

 状況を俯瞰していたダークトリニティはその危険性にいち早く気づいたが、既に遅い。

 キリキザンたちはあくまで糸を「切断」しただけに過ぎない。吹き飛ばしたわけでも、まして燃やし尽くしたわけでもない。粘着質の糸は未だその場に残っているのだ。

 四匹のキリキザンがもつれて絡み合い、更にそこに糸が張り付いて、キリキザン同士がくっつきあって黒鉄の塊のように成り果てる。

 

 

「今だ!」

「リィ……オッ!!」

 

 

 リュオンはその塊を、思い切りダークトリニティへと向けて放り投げた。

 ポケモンの腕力を用い、合計280キロオーバーの鉄塊をそのまま投げつけるような蛮行だ。意図せずして体が強張ったが――そもそも、アキラの狙いはそこではない。

 

 

「ギラッ」

「ドロッ!?」

 

 

 直後、ギルは背後を見ずしてそれを片手で受け取った。

 未だランドロスとギルの力比べは続いているが、伝説のポケモンとしての意地か、メガシンカを果たしたというのにその趨勢は半ばランドロスの側に傾きつつあった。

 しかし、ここでギルは押し合いをしていたはずの腕をパッと放してのけた。前に向けていた腕力が行き場を失い、つんのめるようにしてランドロスが体勢を崩す。

 

 

「『なげつける』!!」

「ギィラアアアアアアアアアアァアッ!!」

「ドロオオオッ!!」

 

 

 そこに、天頂からギルの規格外の腕力を上乗せし、地を割り砕かんばかりの一撃が、ランドロスに叩き込まれた。

 戦闘不能に陥るのが早いか、アキラは即座にその場から駆け出し始める。想定外の連続によって幾度となく罠にかけられ、敗色濃厚となったことで既にダークトリニティはこの場に見切りをつけていると察したからだ。

 

 

「トルネロス、『そらをとぶ』!」

「またッ……逃がすかァッ!」

「追わせぬ! 『ぼうふう』で吹き飛ばせ!」

「――――!」

 

 

 今まさに飛び立たんとする刹那、トルネロスの目が光を放ちその身に纏う雲が絶大な威力の暴風を巻き起こす。

 同族を完膚なきまでに撃破された今、トルネロスは自らの後をアキラに絶対に追わせまいと意気込み、その技の威力を何割増しにも高めている。

 相手を風によってその場に釘付けにし、自らはその上空を行くことで絶対に後を追わせない逃げの技術だ。易々と破れるものではなかった。

 

 

「今は奴を撒くことを優先する! 何を置いてもまずゲーチス様にこの件を報こ」

「――――ようやく(・・・・)逃げの手を打った(・・・・・・・・)な」

「く、を」

 

 

 ――同じ、伝説のポケモンでもない限り。

 

 気付けば、ダークトリニティの眼前には朱と紺青の二色が躍り出ていた。

 それは彼らが最大限に警戒し、実際に対策の手を打ち、そうしてアキラのボールに封じたはずの一匹。

 キリキザンたちが全滅したことでその枷から解かれた最強の切り札――デオキシスである。

 

 

「『サイコキネシス』!」

 

 

 次の瞬間、風が止んだ。

 正逆にして全くの同質の力を空気に与えたことで、風の本質である「大気が動く」という現象が発生しなくなったためだ。

 

 

「チャム、『スカイアッパー』ァァァッ!!」

 

 

 ――そして、一撃。紅の閃光が天へと向かって駆けるのを、彼らは見た。

 

 

(完敗――か)

 

 

 初めて、ダークトリニティの胸に悔恨がよぎる。ゲーチスのため、そういう名前の道具であろうと捨てたはずの感情が、胸の内でじくじくと痛むのを彼らは感じた。

 落雷の如き白い稲光が、胸を衝く。文字通り全身を貫くような電撃を受けた彼らは、その意識と共に今まさに覚えた悔恨をそのまま手放した。

 

 

 







〇独自設定など
・同時メガシンカ
 「ポケットモンスターSPECIAL」のX・Y編にて、主人公のエックスが行った五匹同時メガシンカが実例となる。この際、目の前のジガルデ以外の何も見えなくなるほどの極端な集中(暴走?)状態に陥った。
 ゲーム等と異なり、「キーストーン一つにつき一匹のポケモンをメガシンカさせられる」というメガシンカ条件を採用。また、本作においては二匹同時以降のメガシンカは肉体的、精神的に激烈な負担が生じるものとしている。
 図鑑所有者になれるほどの才能を持ち、メガシンカに対して天性の適性を持ち、かつ手持ち全てのポケモンと絆を通わせる心身共に精強なトレーナーであって初めて五匹同時メガシンカという荒業を行える。アキラで現状三匹が限度。



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海原にこなゆきが舞う

 

 

 ダークトリニティを戦闘不能に追い込み、再び地上に降りたアキラは、滝のような汗を流していた。

 戦闘終了に伴ってメガシンカは解除されているが、アキラの脳に入っていたスイッチもそれと同時に切れ、噴き出す脳内物質のおかげで無視できていた疲労感が押し寄せる。

 自然と膝が崩れたことに、アキラは愕然とした。

 超常の身体能力は失っても、日々の鍛錬を欠かしたことは無く、デオキシスの「じゅうりょく」を用いたハードトレーニングすらこなしているため、アキラの体力は現在でもなお常軌を逸したものがある。体力だけなら間違いなく人一倍はあるというのに、それでもこの有様なのだ。二匹同時のメガシンカという荒業が人体にどれほどの負荷を与えるか、アキラはそれを文字通り身に染みるほど理解することになった。

 心配げに顔を覗き込むチャムを手で制し、アキラはどうにかこうにかといった風体で立ち上がった。

 

 

「急がないと……」

 

 

 デオキシスを残し、ポケモンたちをボールに戻す。そのさなか、疲労感で不意にアキラがボールを取り落とした。

 何をしているんだ、とやや呆れた面持ちだったマツブサは、そこで彼女の顔色が良くないことに気づく。

 アキラはその行動的な性格に反して肌に血色がなく、全体的にどこか不健康さを感じさせる青白さがある。今の彼女はその普段の様子を更に超えて顔を青くしている。無茶をした反動であるのは明らかだった。

 

 

頭領(ボス)!」

「ホムラか」

 

 

 そこへ、ホムラがオオスバメにつかまって城から降りてくる。

 彼はマツブサにとって懐刀と呼べる存在だとはいえ、アキラたちと比べるとひと回りほど実力的に劣る。伝説のポケモンとの激突に巻き込まれればまず確実に無事では済まないため、静観せざるを得なかったのだった。

 ホムラは、疲労困憊の状態にあるアキラへ僅かな敵愾心の込められた視線を向けた。

 彼もマツブサの理念を解しているとはいえ、アキラとは一度矛を交えた敵同士だ。以前の戦いではまだ明らかにホムラの方が実力で上回っていたというのに、ほんの数週間足らずで伝説のポケモンをも降すほどの力を手に入れているのだ。マグマ団として、トレーナーとして、頭で理解はしていても、納得しきれない部分はある。

 

 

「ちょうどいい、そいつをしばらく休ませてやれ」

「はぁ……? おい、何を勝手なことを……」

「孵りたてのオドシシのような足をしておいて何を言う」

 

 

 マツブサの指摘に、アキラは何も言い返すことはできなかった。

 内心(そういえば胎生じゃなかったな……)などと考える程度の余裕こそあるが、根本的なところで体力が足りないのだ。

 

 

「しかし頭領(ボス)

「既に奴らに見限られた以上しかしもヨワシもあるものか。この娘たちが勝てなければ私たちも例外なく死ぬだけだ。この有様で出て行かれても死ぬだけだがな」

 

 

 アキラはそれを聞きながら一つ舌打ちした。事実とはいえ、他人に、特に元は敵だった人間に指摘されるのは多少癇に障る。

 

 

「礼は言わないぞ」

「欲しくもない。くだらんことを言うくらいなら先に敵を潰してほしいものだ」

「言われるまでも無い」

 

 

 そのためには確かに、少なくともまともに動けるようになるまでは休息を取ることに専念すべきだろうと、緊迫した戦況を思って歯噛みしつつもアキラは納得した。

 

 

「……くそっ、速攻仕掛けるためにやったってのに」

「世の中そううまい話は無いということだろうな」

 

 

 露骨に不機嫌そうな顔をしてみせたアキラに、マツブサは苦笑した。

 ジロリと睨み返して来るが、どうせ彼女は動けないので大したものではない。敵意はあっても害意や殺意が無ければ、物騒なだけで見目の良い少女というだけだ。

 

 

「『白光』。もう一人の……『血判』は大丈夫なのか?」

「誰だそいつ」

「あの赤毛の」

「ああ……」

 

 

 アキラは基本的に自分の呼ばれ方について頓着はしていない。少なくとも自分の情報が漏れなければそれでいいと思っているが、そういったスタンスは妹も同じらしいということが分かった瞬間だった。

 

 

「妹だ。大丈夫だとわたしは信じてる」

「妹?」

「妹なのか……? 貴様とほとんど身長も変わらないじゃあないか。髪も目も違う」

「うるせえ」

 

 

 事実、ホムラの指摘ももっともなことである。髪は赤と白。瞳は茶と紅。外観だけではアキラとユヅキに血縁関係は無いように見えるのだ。

 アキラは手で軽く髪を持ち上げて縛ったように見せた。そうするとなるほど、顔型などはよく似ており、姉妹(きょうだい)であることがホムラにも見て取れる。

 

 

「相手はダークトリニティだぞ?」

「かもな。けど妹はわたしよりもセンスは上だ。負けはしない」

「貴様ら姉妹は何なんだ」

「ちょっと武術が得意なだけだ」

「ちょっとの基準がおかしいぞ」

「本物の超人や達人はもっと強い」

 

 

 半ば生返事に近い言葉をぶつけつつ、アキラは虚空に視線をさ迷わせる。

 思い浮かぶのは仲間たちのことばかりだ。ダークトリニティとの戦闘が始まってからというもの、連絡も取れていない。

 戦闘は既に始まっているだろう。アキラの現状は伝えるつもりではあるが、果たしてあちらにいる者が気付いてくれるかどうか。

 

 

(みんな……無事でいてくれるといいんだけど……)

 

 

 アキラは今すぐに駆けつけられない自分に強い苛立ちを覚えながらも、そう強く祈った。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 キュレム最大の凍結技、「こごえるせかい」。浸透するようなその一射が見渡す限りの海を凍らせたその時が、開戦の合図となった。

 視線を下ろせばすぐに海だ。凍らせているとはいえ、相手はカイオーガ。何が起きても対応できるようにと、ヨウタはラー子を、ヒナヨはペルルを、東雲はカメックス、ナナセはしずさんを……と、基本的に海がどうなったとしても、状況に対応できる面々が選ばれていた。

 対するアクア団の行動は早い。カイオーガを沖合に置いたまま他の団員はポケモンたちに命じるかたちで氷の大地と化した海に降り立つと、我先にと駆け出してヨウタたちのもとへと向かってくる。朝木は頭を抱えた。

 

 

「ちっくしょ……即対応してきやがる……!」

「キュレムがいるってバレてるならやるかもってくらいは思って当たり前よ」

「……ですが練度はそこまで高くないはずです。朝木さん、東雲さん、私たちで露払いをしましょう。ヒナヨさんとヨウタ君は……」

「うん。速攻で――」

「アオギリをぶちのめす! ペルル、スピード上げて!」

「ペル!」

「ラー子、僕らも!」

「フラッ!」

 

 

 ヨウタとヒナヨは、それぞれ自分のポケモンたちにしがみつく力をより強めた。そして次の瞬間、爆発的な加速による高負荷が二人を襲う。

 人間に耐えられるギリギリのところを攻めたような高機動だ。精鋭を揃えていたとしてもそれはあくまで「レインボーロケット団」においての話である。基本的にポケモンを鍛えたり心を通わせたりする手間を無駄だ思っている彼ら個々の実力は疑問符が浮かぶものである。瞬時に方向転換を行った二人を見失うのも、当然のことだった。

 

 

「このまま……挟み込んで……ッ!」

「やらせるものですか! シザリガー!」

「ッ! ペルル!」

「シャアアアアアァッ!」

「ルッタァァ!」

 

 

 その中にあって唯一、的確に反応を見せる者があった。最精鋭たるアクア団幹部のイズミである。

 這うようにして凄まじい勢いで迫りくるシザリガーのハサミを、ペルルは鋼のように鋭く硬質な翼で受け止めた。

 

 

「ヒナヨ!」

「何とかするわ! 行って!」

「……分かった!」

 

 

 本来目論んでいた挟撃も、こうなってしまえば不可能だ。ヒナヨはヨウタに頭を切り替えさせるべく、声を飛ばした。

 

 

「こっちはあんたらとジャレてる暇は無いのよ!」

「ツレないこと。遊んでくれたっていいじゃない。ルンパッパ!」

「ルルーッパッパッ!」

 

 

 イズミが追加で戦線に加えたのは、派手な体色と陽気な雰囲気を持ったポケモン、ルンパッパだ。

 進化前のハスボーが比較的ポピュラーなホウエン地方において、進化の速さや進化の石を使えばすぐに進化する点などもあって、アクア団の中でも広く親しまれているポケモンだが、イズミのそれは他とは鍛え方が違う。一歩足を踏み締めると共にめきりと音を立てる氷が、その実力をヒナヨに予感させた。

 ――だからこそ、彼女は全力で突破することを決めた。

 

 

「むーちゃん、出番よ!」

「むぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「――――え」

 

 

 対して、ヒナヨが出したのはマンムー(むーちゃん)。だが、それはただのマンムーではない。倍加、とすら表現していいほどに膨れ上がり、メガシンカを遂げたギルとほぼ変わらないほどの全高を持つ、規格外中の規格外の超巨大マンムーである。

 バキバキバキ、と、足場となっている氷が凄絶な音を立てる。質量差と体重の差こそあれ、そこから感じ取れる圧倒的なまでの単純明快な筋力は、思わずイズミを一歩退かせるほどの迫力を伴っていた。

 

 

「生憎だけど私、遊ぶつもりなんてカケラも無いの」

 

 

 ヒナヨは軽い身のこなしでむーちゃんの背に飛び乗ると、冷ややかな目でイズミを見下ろした。

 

 

「退かないなら押し通るだけよ。アンタごとカイオーガのどてっぱらに叩き込んであげる……! 『すてみタックル』!」

 

 

 ギルとほぼ同じ施術を受けたむーちゃんの膂力は、少なく見積もってもアキラと出会った当時のギルに比肩する。時間が経ってより精度が増したであろう現在は、それを更に超えると見ていいだろう。

 全身に生体エネルギーのオーラを纏ったむーちゃんが、一歩ごとに氷を砕き割りながらその身を突っ込ませる。次の瞬間の激突を予期したルンパッパは「ハイドロポンプ」によってその爆発的な突進を押しとどめようとするが――既に遅い。十全な助走距離を得たむーちゃんの突進を止めるのに水流ひとつでは力不足と表現するほかなく。

 ――次の瞬間には、ルンパッパはゴム毬のように勢いよく跳ね飛ばされることとなった。

 

 

 

 ヒナヨの戦いの様子を振り返ることなく、ヨウタたちは雨の中、全速力をもって沖合にいるカイオーガのもとへ向かう。

 ラー子が全力で飛行する中では、荒事に慣れた彼でも周囲を見回すのは難しい。背後を振り返る余裕は、ヨウタには無かった。

 

 

「アオギリ……ッ!!」

「ク……カカッ……来ましたか。アサリナ・ヨウタ……!」

 

 

 ふと、上空からアオギリの表情を目にしたヨウタは、強い違和感に苛まれた。以前、彼の姿を目にした時には無かったはずの狂気が感じ取れたからだ。

 もっとも、ヨウタにはその感覚が正しいものかどうかを判断できるほど、アオギリに対する知識は無い。特に彼は、ヨウタたちがいた世界の「アオギリ」とは別の可能性を辿った存在だ。理知的に「見える」、理性的に「見える」というだけで、実際にそうであるかはやや判断が難しいのだ。

 

 

(あの時のルザミーネさんみたいな何かを感じる……)

 

 

 それでも、共通項というものは思い浮かぶ。自らの娘をも顧みないほどの狂気に身を浸したある種極端な例を目にしていることもあってか、ヨウタはアオギリの瞳の奥のほのかな狂気に気付くことができていた。

 

 

(レインボーロケット団は、ウルトラビーストを手中に収めていたはず。まさかとは思うけど、あの人たちはウツロイドを……?)

 

 

 容易に想像のできることではあった。そしてそういうことであれば、マツブサの語っていた可能性が丸々外れたことにも納得がいく。

 そして同時に、その「対処法」は、即座にヨウタの頭の中に浮かび上がってきた。

 何よりもまず、敗北という強烈なショックで行動不能に陥らせること。

 ウツロイドの毒は、ちょっとやそっとでは抜けることは無い。長年毒に侵されてきたルザミーネほどではないだろうが、いずれにせよまず動きを止めて拘束しなければどうにもならないのだ。

 

「速攻で倒す! コケコ!!」

「コォッケエエエエエェェ――――――!!」

 

 

 咆哮と共に、雷光が空を駆ける。

 重力や慣性など知らないとばかりに自由自在に、そして到底人間に視認できない速度で駆け――そして、その拳をカイオーガの側面に叩きつけた。

 

 

「オオオ――――――ッ!」

 

 

 最高に高まった威力の「かみなりパンチ」の一撃に、カイオーガが悲鳴を上げる。大きさの差こそあれ、どちらも同じく神とすら称されるほどの能力を持つほどのポケモンだ。効果は極めて高い。

 ナナセから使いどころにはよく注意するよう言いつけられてはいたものの、こうなってしまえば出し惜しみなどしてはいられない。今ここでカプ・コケコの目が向くのは間違いなく、目の前にいるカイオーガだけだ。

 

 

「っ……なるほど、流石にやるようです……! ならば次はこちらから! 『ハイドロポンプ』!」

「コォォォォ――――――……」

 

 

 はたとヨウタが気付いた瞬間、カイオーガの周囲にあったはずの海水はごっそりと消え失せていた。

 特性「あめふらし」によって降る莫大な量の雨ですら供給がおいつかないほどの圧倒的な吸引力だ。ヨウタはすぐにラー子の翼を叩く。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 ――刹那、彼らが一瞬前までいた空間を、瀑布の如き一撃が貫いた。

 天に昇っていく滝、としか例えようのない規格外の水流に、その様子を遠方から見ていた朝木やアクア団の下っ端たちの思考が止まりかける。しかし他方、戦いの当事者たるヨウタとアオギリがそこで止まることは無かった。

 ヨウタの傍らから布の塊めいた何かが落下する。と同時にアオギリは氷の大地に向けボールを投げ放った。

 

 

「ミミ子、『ウッドハンマー』!!」

「サメハダー、『かみくだく』!」

 

 

 ミミ子の落下点付近に現れたサメハダーは、氷原を噛み砕くことで、さもそこが大海原であるかのように泳ぎ回る(・・・・)

 対するミミ子は一切臆することなく空中で姿勢を変え、その尻尾――状の木切れに、攻撃的なエネルギーを纏わせた。

 

 

「ギュギュギュィィィ!」

「シャアアァッ!」

 

 

 空中ではこれ以上動けまいとばかりに牙を剥き出しに飛び掛かるサメハダーに対し、ミミ子は生物らしからぬ叫びを上げながらも極めて冷静に、一度尾を「振る」ことで、更にその場から僅かな移動を可能とした。そしてサメハダーの牙が空を噛むと同時、ミミ子は尾を無防備な腹に向けて叩き込む。

 

 

「シャギャアアァッ!!」

 

 

 悲痛な叫びを上げ、サメハダーは氷原へと倒れ込んだ。ミミ子はそれに対して目もくれず、着地を決めたその勢いのままにカイオーガに向け走り出した。

 

 

「おやおや。流石にこれはまずい」

 

 

 アオギリはその状態にあって――不敵な笑みを浮かべるばかりだ。

 深海を覗き込んだかのような暗い眼光を携えたままに、彼は戦況の悪化を悟りながらも行動は起こさない。

 ヨウタはわずかに狼狽した。以前、マツブサと戦った時、彼は状況が悪くなるその一歩手前でバクーダをメガシンカさせるなどして、改善に努めていた。しかしアオギリにはそれが無い。個々人の性格の違いと言えるのかもしれないが、それでも違和感は拭えない。

 

 

(メガシンカしないのか……?)

 

 

 サメハダーと言えば、ヨウタの世界のアオギリも使用していたポケモンである。異世界のアオギリとはいえ、絆を結んでいないということは無いだろう。

 そして遠目に確認しただけではあるが、彼の腕には間違いなくキーストーンの輝きが見て取れる。マツブサと同じだけのことができるのは疑いようが無い。そのはずなのだが、彼は動かない。

 おかしい、と思った次の瞬間、アオギリはその右腕を掲げた。

 

 

 

 

「――では、そろそろ真の姿をお見せしましょう」

 

 

 

 ――奇怪な蒼い紋様(・・・・)が刻まれた右腕を。

 

 

 



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氷原にしおみずが満ちる

 

 

 カイオーガの巨体を、蒼い光が包み込む。

 メガシンカの光と似て非なる回帰(カイキ)の光だ。その発現を目にした瞬間、ヨウタは咄嗟に叫びを上げていた。

 

 

「コケコ! 『かみなり』ッ!!」

「コッコォォ――――!!」

 

 

 コケコの放つ雷が上空へと向かい、雨雲を通じて集約され絶大な威力となって蒼い「繭」へと降り注ぐ。その着弾を認めたヨウタは、しかし直後に小さくうめき声を上げた。

 光の繭がひび割れる。内から殻を突き破るようにして現れたのは、全身を透明な蒼に染め、海水を噴き出し荒れ狂う波を巻き起こす海の化身――ゲンシカイオーガだ。

 その姿を見せた瞬間、周囲の黒雲は更にその色を深めた。雨は激しさを増し、バケツをひっくりかえしたような……どころか、それこそ海をそのまま空から落としたような惨事となっていた。

 

 

「何だ、あれ……」

 

 

 ゲンシカイオーガは、どうやら殆どダメージを受けていない。しかしそれについて、ヨウタは頓着しなかった。どうせ相手は「伝説」だ。たった一撃で沈むなどとは欠片も考えていない。

 重要なのは、ゲンシカイキ直前に見たものだ。ヨウタは確かにアオギリの手が光っているのを見た。

 アキラの手が光っていてもまあいつものことかで済ませられるし、ヨウタの世界には念動力者(サイキッカー)も存在する。腕が光る程度なら非現実的とまで言える光景ではないが、アオギリにそんな芸当ができるという話を聞いたことは無い。

 加えて異様なのは、このゲンシカイキだ。彼はあいいろのたまを持っていない(・・・・・・)。トレーナーとしての直感で何かが起きるだろうと予期して行動はできたが、ゲンシカイキを成し遂げた理屈が一切見えてこない現状というのは、ヨウタにとって強く疑問を抱かせた――が。

 

 

(こういう時、アキラだったら「倒してから考えろ」って言う!)

 

 

 良くも悪くも、彼らは相互に影響を与え合う関係である。アキラの容赦の無さと躊躇いの無さもヨウタは学び取っていた。

 思考を無意味に割いて戦況を悪化させるのは最悪手だ。まずは目の前のことに対処しなければ生き延びることすらできない。

 

 

「コケコ、このまま攻撃を続けて! ミミ子、距離を取りすぎないで攻撃! ラー子、このまま肉薄しよう!」

「カカカカカ……クカカカカッ……! 安易に寄らせると思ったか! 『こんげんのはどう』!」

「!」

 

 

 アオギリの言葉の直後、カイオーガの周囲の雨水が空中で滞留を始めた。数にしておよそ数千。ヨウタとラー子、そしてカプ・コケコとミミ子を包囲したそれらが渦を巻いたのは、一瞬のことだった。

 しかしヨウタは「わざ」研究の第一人者たるククイ博士と長く接し、その薫陶を受けた人間だ。一瞬の間に、彼は状況を分析して見せた。

 

 

(データで見たことがある。あの技は言ってしまえば僕らを完全包囲して放つ水のレーザー! 回避……不可能! いや――――)

 

 

 次の瞬間、極めて正確にヨウタたちを狙った水流のレーザーが放たれる。その瞬間、ヨウタはラー子をボールへ戻した(・・・・・・・)

 

 

「コケコォッ!!」

「!」

 

 

 自然、ヨウタの体はその場から落下する。

 自由落下に任せた強引な回避だ。カイオーガの狙いは極めて正確だが、正確であるからこそ、想定外の回避方法には対応しきれない。

 腿を掠め、腕を抉り、服を貫くが、しかし、それらは本当の意味で直撃には至るものではない。血を流し苦痛に顔を歪めながらも、ヨウタは左腕を掲げた。

 同時、カプ・コケコがその全身を両腕の外殻で覆う。よもや安易な防御策か――と予期したアオギリだが、それを覆すようにして突如、地の底から黄金の光の柱が立ち上った。

 

 

「――『ガーディアン・デ・アローラ』ッ!!」

 

 

 カプ・コケコがその身を雷光の速度で天へと飛び立つ。「こんげんのはどう」による集中攻撃を一手に引き受け、空中で紙一重で躱したカプ・コケコは、それこそ雷が落ちるかのような勢いで光の柱へと飛び込んだ。

 そして、輝く柱がその姿を、黄金の光の巨人へと変えていく。ヨウタはその肩に乗るようにして着地した。ミミ子もまた、光の巨人の掌に包まれるようにして難を逃れていたようだった。

 

 

「むっ……!?」

「コオオオオオオオオオオ――――」

「ゴオオオオ……!」

 

 

 低く唸るような声と共に、守護神(カプ・コケコ)の剛腕が唸る。腹部を捉えた拳には莫大な量の電気が備わっている。海水のそれに近いゲンシカイオーガの体組織は全身に電気を伝え、痛烈なダメージを与えていく。

 全高(たかさ)に限ってはゲンシカイオーガの巨体と比べても遜色ないほどのものに至っている。その彼の一撃ともなれば、いかにゲンシカイオーガと言えども甚大なダメージは免れないようだった。

 

 

「ぐおっ……! なるほど、守護神(ガーディアン)……! 凄まじい力のようだが……」

「コケコ! このまま攻め続けて!」

「その力、いつまでもつ?」

「――――ッ」

 

 

 ゲンシカイオーガの放つ水流をものともせず片腕で薙ぎ払い、光の巨人が前に出る。腹部へと膝を入れ、そのままの勢いで天から落ちる雷の如きダブルスレッジハンマー。アオギリ自身は彼の手持ちポケモンであるペリッパーの足につかまってゲンシカイオーガの背から脱出していたようだが、驚異的なまでの電力によって多少の余波を受けたか、あるいは他の何らかの要因か、彼は強く顔をしかめていた。

 しかし、その口元には確かな笑みが浮かぶ。それは「ガーディアン・デ・アローラ」の制限時間がいずれやってくることを彼が察しているからに他ならない。

 

 

(流石に気付くか……!)

 

 

 「ガーディアン・デ・アローラ」は、あくまでZワザである。「技」でしかないという特性上、光の巨人を現出できる時間は――長くとも三分。明確な形を得るほどに強まったエネルギーは、長く維持できないのだ。

 

 

「――維持できるうちに倒すだけだ!」

 

 

 それでも、Zワザである以上その性能は相応のものだ。更なる巨体を得たことでやや鈍重になったカイオーガと比べ、本質的にエネルギー体であるが故に大きく行動を阻害されることが無い光の巨人の方が圧倒的に素早い。

 顎に蹴りを入れ、背から噴き出す「しおみず」をものともせず、遠心力を伴った腕を叩きつける。ゼンリョクバトルという祭事を通して、トレーナーとポケモンたちの技能の粋を直接目にして来たカプ・コケコの技術を費やした攻撃の数々は、確かにゲンシカイオーガをも打ち据え、その体力を奪っていた。

 

 これならば。ヨウタがそう思った、次の瞬間だった。

 

 

「――――――ォォォォ」

「!!」

 

 

 低く響く、得体のしれない音が周囲に響き渡った。

 まるで海の底から湧き出しているかのような、名状しがたいその「声」を耳にしたヨウタは、すぐさまカプ・コケコへと指示を送ろうとするも、その直前に彼らの立っていた氷原が、海中からひび割れ始める。

 

 

「オオオオオオオオオオオッッ!!」

 

 

 ――そして、黒い波動(オーラ)交じりの真空波が、光の巨人の左腕を貫いた。

 ヨウタと言えども、伏兵の存在を警戒していなかったわけではない。しかし状況が状況だ。視界のよく開けた海の上では、そう簡単に奇襲などできないだろうと高をくくっていたのも事実である。

 

 

(深海から……!?)

 

 

 想定外の一撃に、ヨウタは一瞬思考を手放しかけた。

 不可能、ではないのだ。指示を行う人間が水圧に耐えられないというだけで――それを克服する手段さえあるなら、ダークルギア(・・・・・・)の能力を用いた深海からの奇襲は確かに有効だ。

 だが、普通に考えればありえない。そのありえないという思考の隙を、彼らは突いた。

 浮上してくるダークルギアの背には、レインボーロケット団の技術の粋を集めた潜水服を装着したアルドスの姿がある。そこまでするか、とヨウタは歯噛みした。

 

 

「アサリナ・ヨウタ! 貴様はここで死ねッ! 『ダークブラスト』ォォ――!!」

「合わせてやろう。『こんげんのはどう』!」

 

 

 ヨウタたちの周囲を再び無数の水泡が包囲し、眼前でダークルギアがその肺一杯に瘴気と大気とを溜め込んでいく。

 今日までの快進撃も終わり。これまでだ――愉悦の表情を浮かべるアルドスだが、今にも「ダークブラスト」が放たれようかという時、不意に自分の体が動かしづらいことに気づく。

 急いで潜水服を脱ぎ捨てられたのは、目前に迫る脅威を予期できたおかげだろう。

 

 ――次の瞬間、彼らのいる空間の大気が音を立てて罅割れた。

 水泡が見る間に凍り付き、先ほどまでアルドスが着用していた潜水服が濡れた部分から氷の中へと閉ざされていく。

 

 

「この……」

「いかん、ダークルギア! 回避しろ!」

「クソッタレどもがぁぁぁぁ――――ッ!!」

 

 

 半ばヤケクソじみた激憤と共に、天から墜ちるものがあった。

 神の鉄槌を思わせるほどの超質量、直径にして百メートルを優に超える大氷塊である。

 

 

「コオォォォ――――」

 

 

 それを作り上げた怪物(キュレム)は、天から落ちる勢いそのままに、ダークルギアに向けて自らの体ごと突っ込んだ。

 背に乗った朝木は風圧と冷気で死にかけているが、キュレムとしては知ったことではない。彼は命じられたままに、氷塊を振り抜くだけだった。

 莫大な質量が規格外の速度をもってダークルギアの翼を掠める。体が底冷えするような凄まじい寒風が、アルドスの体を揺らす。ダークルギアの念動力によって背に固着していて、加えて回避そのものは成功したというのになおこれほどの衝撃を与えてくるほどの存在に、彼は戦慄した。

 

 伝説のポケモンの助力を得られたとはいえ、たかだか数日を経ただけでこれほどの力を得るとは――そう考えた矢先のことだった。

 

 

「『コア――パニッシャー』ァァァァ!!」

 

 

 裂帛の気合と共に、ゲンシカイオーガの巨体を「Z」の字を模したかのような巨大なエネルギー体が貫いた。

 

 

「何だと!?」

 

 

 突き上げるように放たれた一撃は、空を覆う暗雲さえも貫き、その跡に次元断層の虹色を曝け出していく。

 伝説のポケモンの特性をも抑制するジガルデの能力、その発露だった。明らかな大戦果と言っていいそれを成し遂げながら、しかし、そのばに落とされたのはやや不満げな声だった。

 

 

「……100%(パーフェクト)フォルムなら一撃で終わらせられなかった? ねえってば」

「………………」

 

 

 絶好の奇襲の機会をうかがっていたヒナヨだが、現在の状況は最良とまでは言えない。ジガルデがこの倍以上の能力をちゃんと発揮できていれば、あるいはゲンシカイオーガを戦闘不能に追い込むことすらできていた可能性も否定できないのだ。過ぎたことで半ば愚痴に近いとはいえ、ヒナヨがつんつんと頭を突いてくるのに対して、ジガルデは困ったように頭を下げることしかできなかった。

 単純に、パーフェクトフォルムになるためには細胞(セル)が足りないのだ。広範囲に散らばっているものを戦闘時に瞬時に集めることなど、できようはずもなかった。

 

 

「三体目……!!」

「形勢逆……ア゛ァッ寒゛! ……形勢逆転だぞオ゛ラコンチクショウ!」

「レイジさん、ヒナヨ……ごめん、助かった」

「いいってことよー」

 

 

 エネルギーが千々に散逸した「ガーディアン・デ・アローラ」は、時間制限もあってこれ以上維持はできない。ヨウタは光の巨人が消えるのに合わせてカプ・コケコに掴まり、急いで朝木とヒナヨの合流に向かった。

 どんな状況でもいまいち締まりきらない朝木とは異なり、ヒナヨは軽口を叩きつつも冷静に状況を俯瞰している。そして恐らく、アオギリの豹変や突然のゲンシカイキなどの状況をより正しく理解しているのも、彼女だった。

 

 

「ヨウタくん、多分アオギリ、『あいいろのたま』……に繋がってるカイオーガの意思……みたいなのに呑み込まれてる」

「……道理で」

 

 

 ここまでの戦いの中、アオギリは一切メガシンカを用いなかった。既に同レベルのマツブサと矛を交えた経験がある以上、彼と同じことができないわけがないことは、ヨウタも承知している。

 では、なぜしなかったか。ゲンシカイキとの併用が不可能ということでも、例えばアキラのように意図的に切り替えを行うことで疑似的な併用はなるはずだ。となれば、しなかったのではなく、「できなかった」と考えるのが自然だろう。宝珠(たま)に人格が取り込まれると共に、サメハダーとの絆の形もまた、変質してしまっているのだ。

 

 

「対処方法は?」

「『物理的に』つながりを断つこと。光ってる方の手にピンポイントで攻撃できれば分離する……はずよ」

 

 

 あるいは、アキラが普段やるように腕を物理的に断ち切ることでも成し遂げられるのかもしれないが、ヒナヨはその可能性を追求することはしないでおいた。手段が無いというのもあるが、やや残酷だ。それを容赦なくやってのけるには、アキラと同レベルに心が擦り切れていないと難しいだろう。

 いずれにしても、ゲンシカイオーガとダークルギアの二匹と直接相対することになるヒナヨやヨウタたちでは、激戦の中で狙う余裕は無いに等しい。

 ヒナヨは一つため息をついて、通話状態を維持しているスマホを取り出した。

 

 

「――ってことなんだけど、そっち終わりました? 狙えそう?」

『……こちらは、はい。おおむね追い散らしました。狙うのは……少し、難しい、かと思います』

『小暮さんのレアコイルはまだ「ロックオン」を覚えるまで育っていない』

「あちゃあ。じゃあ……そうなると」

「一度倒す方が手っ取り早いだろうね」

「アキラたちから連絡は?」

『アキラさんから、ダークトリニティを二人倒したようですが、そこで体力が尽きて休憩中……ユヅキさんが、逃げた一人と戦闘中……と』

「何が起きたんだよ……」

「……な、なんかヨウタくんの勘が当たったっぽいわね」

 

 

 幸いなことにと言うべきか、ヨウタたちとアオギリたちとの相性は極めて良い。

 カイオーガの「こんげんのはどう」はキュレムが凍結させることで封じ、特性に由来する豪雨もジガルデの「コアパニッシャー」によって封じられる。加えて、レインボーロケット団側は知らないが、ジガルデの能力によってダークルギアを元に戻す可能性すら浮上しているのだ。「ガーディアン・デ・アローラ」が時間切れを迎えたこと以上に、この加勢の影響は大きい。

 そして、詳しいことまでは分からないまでも、アキラがダークトリニティに勝利している。彼女の復帰まで時間を稼げば、状況はより優位に傾くことだろう。

 確実に二人を仕留め、勝つ。その決意を固めた瞬間だった。

 

 

「――――っ!?」

「――――着いたか!」

「!?」

「な……!?」

「!!」

 

 

 突如として、戦場の中央に現れる影があった。数にして六。ユヅキと、彼女のポケモンであるメロとゴルムス。そして、残る一人のダークトリニティと、彼のポケモンであるボルトロスとオーベム――「テレポート」を用い、この状況を作り出した張本人である。

 

 

「おお――おお!! ついに来たかッ!!」

 

 

 アオギリはその姿を目にすると、突如として興奮の声を上げた。

 その原因がどこにあるかを察したのは、ヨウタがダークトリニティの手元に先に目にした(あお)い輝きがあるのを見たからだ。

 

 

「ッ、ユヅ!! 止めろぉぉぉっ!!」

「っ! メロ! ゴルムス!」

「ぐっ、おおおおおおおおお!!」

 

 

 ――二つ目(・・・)の、「藍色の宝珠(たま)」。

 ユヅキはヨウタの言うことに一切聞き返すことをしなかった。信頼故というのもあるが、何より彼女の本能が強く警鐘を鳴らしているためだ。

 その存在は明らかに常軌を逸している。ヨウタは当初、アオギリに取り込まれたそれは、レインボーロケット団によって回収されたマツブサのものだとばかり思っていたのだ。その想定が覆された。

 

 

「――『二つ目』は絶対にマズい!! 何が起きるか、想定すらできない!!」

 

 

 絶叫めいたヨウタの言葉に、しかしユヅキは頷く暇すら無かった。

 全速力でポケモンたちと共に走り出す。滑りかねない氷原の中にあってなお彼女の速度は尋常なものではなかったが、それでもダークトリニティは対応して見せた。頭部を狙って繰り出される蹴りを片腕を圧し折ってなんとか乗り切り、メロとゴルムスの剛腕を、ボルトロスとオーベムが身を挺して守り抜く。

 その間に、アオギリが動いた。彼はまっすぐにダークトリニティのもとへと走っていく。何か異質なものを感じたらしいカプ・コケコの放つ雷撃すら意に介することなく、その狂気を爛々と目に宿したままに走り抜き――全身をズタボロに変えながらも、しっかりと二つ目の宝珠(たま)を、その手にした。

 

 

「カカ――カカカカ――クカカカカッ! グガカカッ!! これでカイオーガ(わたし)はッ! 回帰(カイキ)を超えた――その先へッ!!」

 

 

 次の瞬間、アオギリの全身に紋様が浮かぶ。蒼い輝きが脈動するようにゲンシカイオーガへも伝わり、その身が再び蒼い殻に包まれる。

 「α」を模したかのような光が走り、重なり、歪み、やがてその内から音が鳴り響く。

 ――それはもはや、声ではなく、ただの「音」でしかない。流れることによって生じる水音だ。

 

 愕然とする彼らの前で、再び構築された外殻が罅割れる。

 そして。

 

 

 

 ――「海の魔物」が、顕現した。

 

 

 

 







 合計100話到達しました。閲覧、感想、評価、誤字報告等いつもありがとうございます。



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海神の意思はのろいに似て

 

 

 時に。

 レインボーロケット団の中で最も特異な立ち位置にあるのは、いつでも切り捨てられる立ち位置にいるマグマ団とアクア団でも、タカ派最右翼のフレア団でも、唯一成功を収めることなく潰えた組織(・・・・・)の最高幹部であるアルドスでもなく、ギンガ団のアカギである。

 彼はサカキに忠誠を誓っているわけではなく、侵略に積極的な態度を示しているわけでもない。さりとて組織に多大な貢献をしているわけでもない。指示を出せば唯々諾々と従うだけの有体に言ってしまえば「ただいるだけ」というような異質さを堅持している。

 

 それは、彼らが元いた世界が失われ、既に「心の無い世界」と化しているため、これ以上行動する気力が失われているためか。

 あるいは、それこそが組織の性質であるが故か――いずれにせよ、レインボーロケット団の一員として見るなら、彼らは極めて異質な集団であると言えた。

 

 高知県高知市。現在、この街はギンガ団に実効支配されている。

 ――そのはずなのだが、そこに暮らす人々の営みは止まっていなかった。政治機能こそ麻痺し、緊急事態故に街の中に緊張感こそ漂っているが、彼らの日々の営みが止まることは無い。

 当初、ギンガ団の支配下に置かれた人々は、そういう見せかけなのだろうと感じた。

 しかし翌日、翌週、と時間が経っても依然として体制は変わらず、彼らは積極的かつ暴力的な支配を避けて、ある意味では非常に穏便な支配体制を敷いていた。

 あるいはそれは、より素早く効率的に支配を成し遂げるためのギンガ団の方策であったのかもしれない、とはいえ、いずれにせよ、そうして日々を過ごすごとに、人々は良くも悪くもこの支配体制に慣れていた。

 

 それだけの独立性を維持できているのは、ディアルガとパルキアという桁外れ、かつ今回の侵略において重要な役割を担っているポケモンたちを擁していることが一因として挙げられるだろう。

 ディアルガとパルキアを手中に収めているギンガ団、その首魁であるところのアカギは――平時のそれとは異なる格好で、飲食店にいた。

 黙々と鰹のたたきを口に運ぶ彼の姿に、妙な威圧感こそ覚えても「ギンガ団のアカギ」であると気付く者はいない。服装がその人物の帰属する集団を示す最も分かりやすい指標であるということもあるが、何より侵略者であるはずの彼が、このような場所で当然のように名産品に舌鼓を打っているなど、想像すらできないからだ。

 

 アカギは、かつて彼が不要と断じた人の「心」が色濃くうかがえる喧騒の中、静かに思索にふける。

 思い出されるのは、この戦いが始まるより前、アローラで彼がアサリナ・ヨウタと戦った時のことだ。

 

 

 ――ボクはヨウタをお助けするロト!

 

 

 それは、ポケモン図鑑の中に入り込んでいたロトムが語った言葉であったか。

 彼、あるいは彼女は、間違いなく自らの意思によってヨウタに寄り添い、その力となっていた。

 自由意志のもと、命令を拒絶する権利を持ちながら、その「心」によって人と共に歩むことを選んでいた。

 

 

(…………)

 

 

 アカギは、その姿をひどく眩しく感じた。

 かつてアカギが少年であった頃、失わされた(・・・)ものを、あの少年は無邪気に、そして大切に抱いている。その事実に、アカギは何か、胸の中でチリチリと燃え立つのを感じた。

 その燻りの名前は――嫉妬、あるいは羨望と言う。

 その事実に気づいた時、彼は柄にもなく笑った。自嘲だった。あれほど「心」の無い世界を求めていたというのに、たった一匹のポケモン、たった一人の少年にこれほど揺り動かされているじゃないか、と。

 

 

BOSS(ボス)

 

 

 その時、不意に近づく気配に、アカギは表情を消した。

 アカギと同じくギンガ団の特徴的な制服を脱ぎ、ごくありふれた服装をした線の細い男――サターンだ。

 もう初夏も間近だというのに長袖であるのは、先日タワーでの戦闘に巻き込まれた際にできた傷を隠すためだろう。実に不運な事故だった。

 サターンは他の客に気取られぬ程度の位置にある席につき、小声で報告を行い始めた。

 

 

「アオギリとカイオーガに異変が。宝珠(たま)を二つ取り込み、カイオーガも……映像が途切れて曖昧ですが、何か異様なものに変貌しました」

「そうか」

 

 

 ギンガ団はその技術力を用い、極めて遠距離からの操作が可能なドローンを製作、それらを四国中に放って独自に情報を収集している。

 今回の久川町襲撃に関してもモニタリングは逐一行われており、状況は彼らも把握していた。その精度はレインボーロケット団本隊から贈られたあるアイテム――あいいろのたまを手にしてアオギリが正気を失って以降、より高められてもいた。

 

 

「アオギリは当初反逆を企てていたはずですが」

「『宝珠(たま)』は超古代ポケモンとの精神的接続を確立し彼らを操る術を与えるが、ポケモンの側を縛る(・・)ことは一切しない。精神的に繋がっているということは、ポケモンの方からも人間に干渉できるようになっていると言えるだろう」

「……奴は主導権争いに負けたと」

「そうなるな」

 

 

 言いつつ、アカギの頭にはある種、それとは真逆の想定が浮かんだ。そもそも「争い」に発展することすら無かったのではないかとうことだ。

 アオギリの思想は、カイオーガの「海を増やす」という本能に対して相性が良すぎる。

 「べにいろのたま」では、目覚めさせ、人間にも制御できる程度にまで力を抑制することしかできなかったはずだ。それでも元の世界ではその状態でなお世界に海を増やすという大望を成し遂げているのだが、では、その力を増幅させ、あまつさえカイオーガの精神に触れることのできる「あいいろのたま」を得た時、彼はどう感じるだろうか。同志と――恐らくは一方的に――感じているカイオーガと真に互いを理解し合えるのではないかと、少なくともそう思ったことは間違いないはずだった。

 そして、高い同調率故に、アオギリという一個人の精神は、超古代の海神に呑まれ、塗りつぶされ、乗っ取られた。

 レインボーロケット団に協力しているのは、その本能を満たすために都合がいいからだろう。

 

 

「戦況はどう転ぶ?」

「所感でよろしければ」

「構わない」

「――誰が勝とうとも、その過程でこの島は確実に沈みます」

「それほどのものになったか」

「エネルギー総量は二乗(・・)。形質から考えるに、海に沈めば周辺の海水全てを飲み込んでより巨大化し、また、自ら海水を生み出し増殖することすらできると思われます。ここから外に逃せば、恐らくは地球そのものを沈めることすら可能かと……」

 

 

 大袈裟に聞こえる話だが、ギンガ団は表向きエネルギー事業を手掛けていた。恐らくレインボーロケット団における各組織のどこよりも、彼らはエネルギー分野に関しては詳しいだろう。加えてこの予測を立てたのは技術開発に精通するサターンだ。アカギはそれを確実に起こり得る事実と認めた。

 

 

「滅ぶな。全てが」

 

 

 この世界の人間たち、だけではない。レインボーロケット団も含めて文字通り「全て」が海の底に沈む。その確信を得たところで、アカギは箸を置いた。

 

 

「私自ら出る」

「助力は」

「ジュピターとマーズ、それから精鋭団員を数名連れていく。サターン、君にはモニタリングとデータ解析を任せたい」

「承りました。BOSS、ご武運を」

 

 

 アカギは返答代わりに立ち上がると、店員に会計を申し出て足早にその場から去っていった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ――「それ」が何か、ヨウタたちははじめまともに認識することすらできなかった。

 目に映るのは一面の透き通る蒼だ。一見すればそれは、ただ海の水が浮いているだけにも見えよう。

 しかし、それには確かな「形」がある。

 原始の姿に回帰(カイキ)した姿を超えた、その先の何か。母なる海そのものとも呼ぶべき、生物としての形を留めずして至った、究極のα(はじまり)の姿。

 

 それは、「海」そのものと化した、魔物(カイオーガ)だった。

 

 ぞわりと、その場にいた誰もが、肌が粟立つのを感じた。何が起きているかを認識する前に、何か常軌を逸した事態に直面しているという、本能から生じる焦燥と恐怖に苛まれている。

 明らかに尋常のものではない感覚に最初に反応できたのは、臆病であるが故に敏感に反応を示せた朝木だけだった。

 

 

「キュレェェェェム!!」

 

 

 反射に近かった。

 半ば恐慌状態に陥ったかのような彼に対し、依然としてキュレムはその体から放出する冷気のごとく、冷然としている。だがそれ故に、反応は早い。魔物がその身を蠢動させんとした――直後、キュレムはその体表面の大部分を凍結させていた。

 一拍遅れて、その脅威を知識として認識しているヒナヨと、本能よりも理性の方が上回ったヨウタが動き出す。

 

 

「戻れコケコ! みんな、迂闊に手を出すな! 退いて体勢を立て直す!」

「了解……!」

 

 

 流石にここで軽口を叩くことは、ヒナヨにも憚られた。

 もはや、あの魔物は「動く」という一動作のみで災厄を撒き散らす自然現象の化身と化している。幸いな――誰もそう捉えてはいないが――ことは、現在のカイオーガの体組織はゲンシカイオーガの「海水に近い」それと異なり、「海水そのもの」である点か。故に、ポケモンの状態だった時と比べて遥かに凍結させやすく、加えて、表面を凍結させてしまえばしばらく身動きが取れなくなっているようだった。

 カプ・コケコを下がらせたのは、消耗のせいもあるが、それ以上にこの凍結した部分を殴り壊してしまうのを避ける意味合いもあった。

 

 

「易々と逃すものかッ!」

 

 

 ――そしてこの機を逃さなかったのは、ヨウタたちだけではない。仔細は分からなくとも、何か味方がパワーアップしたらしいということは、アルドスにも察することはできている。

 とはいえ、なんとも知れぬ異質な存在に変異した魔物(モノ)を信用しきることはできない。彼は僅かにさ迷わせた視線をダークルギアに戻した。

 

 

「『ダークストーム』!!」

「んのっ……しつこいのよ! ゆずきち、合わせて!」

「ん! メロ、『サイコキネシス』!」

「ジガルデ、『サウザンアロー』!!」

 

 

 氷原に叩きつけるようにして、ダークルギアの両翼が嵐を巻き起こす。だが直後、ジガルデたちに届くより先に、「サイコキネシス」によって大気の動きそのものが強引に制限された。

 更に、ジガルデは全身から細胞体(セル)を一斉に剥離させ、その身を四足獣に模した高機動(10%)フォルムへと転じる。

 アルドスには、何事かと訝しむ暇すら与えられなかった。落剥した細胞体(セル)が瞬時に超硬質化し、ダークルギアに向けて凄まじい速度で突撃したからだ。

 本来風に飲まれるはずのそれらは、台風の目とも称するべき無風空間を通じ、ダークルギアへと殺到する。

 

 

「ぐおおおおっ!! このっ……!」

「今よ!」

 

 

 視界を蹂躙する深緑の色に弄ばれたのはほんの数秒足らずのことだ。それでもその間、確実にアルドスとダークルギアの視界は塞がれ、行動も抑制されることとなる。

 ヨウタたちはその間に合流し、それぞれのポケモンの力を借りて数百メートルほども離れた位置まで到達していた。

 やがて鮮烈な緑色の光条が、ジガルデの元へと還っていく。

 

 

「三体……いささか厳しいか……」

 

 

 アルドスは吐き捨てるようにつぶやいた。いかにダークルギアが強大なポケモンといえど、それと同格のポケモンを複数体相手取るにはやや厳しいものがある。

 

 ――では、そろそろあれ(・・)を解放するべきか?

 

 そう傾きかけた思考は、しかし直後に生じた本能的な恐怖によってせき止められた。そうした次の瞬間に、自分が死ぬ未来を幻視したためだ。

 何かがおかしい、と気付けたのはその時だった。

 

 ダークトリニティの姿が見えないことは、分かる。役割は終え、ポケモンたちは戦闘不能。そして彼自身も腕の骨を折っている。これ以上この場にいる必要も無いため、先の攻防に紛れて逃げ出したのだろう。

 では。

 

 

「アオギリはどこへ行った?」

 

 

 カイオーガが姿を変えてから姿を消したアオギリは、いったいどうしたのか。

 よもや宝珠(たま)の負荷に負けて消滅したわけでもあるまいが。そう考えカイオーガだったものを見上げると――彼は、「そこ」にいた。

 

 

「――――――」

 

 

 ――カイオーガの、()に。

 

 その選択も、ある意味当然のことではあるだろう。

 宝珠(たま)に秘められたエネルギーは膨大だが、それを活用するにはゲンシカイキの都度エネルギーを放出・吸収しなければならない。それは指揮者(トレーナー)が手綱を握ることができるようにするための最低限のセーフティと言えるのだが、今のカイオーガはそのあたりのタガが完全に外れている。肉体という枷も無い。それならば、自らの力の源泉を体内に……それこそ、トレーナーごと取り込んで外に出さないといいうのは、合理的な判断ではあった。

 海水に取り込まれてなお、アオギリは苦悶の表情一つ見せることなく、薄ら笑いすら浮かべている。死んでいるようにも見えない。

 その姿は、既に何かがヒトとして狂っていると、アルドスに確信させた。

 

 

「退くぞ」

 

 

 彼はダークルギアにそう呼びかけた。このような得体のしれないものに背中を預けることはできないと考えたためだ。

 ごく自然に、理性と本能とが同時に撤退を呼び掛けているほどの存在だ。味方というよりは第三勢力と考えるのがより正しい。

 ダークルギアがその黒い翼をはばたかせようとする――その時だった。

 

 バキ、と、魔物を戒めていた氷が音を立てて砕ける。水音と共に彼はその全てを解凍しながら呑み込んでいった。

 やはり、あれはカイオーガの形をしているだけの「海」そのものなのだと、そう感じ取ったアルドスは。

 

 

「――――ッ」

 

 

 直後、全身が総毛立つのを感じた。

 カイオーガは依然として正面、つまりヨウタたちが逃げ去った方を向いている。だがアレは確実にこちらを見ている(・・・・・・・・)と。

 そこで彼はようやく気付く。

 

 ――それも当然だ。アレには「眼」という機能もまた、海水に溶かしているのだから。

 

 つまり、あの魔物は全身で、そして自らが取り込む海水全てで、ものを見て、聴いて、感じている。そこに死角など、あろうはずもない。

 

 

「ダークルギア! 急い」

 

 

 その言葉は、最後まで続くことは無かった。

 直後、彼は海水に――魔物の放った「腕」とも呼ぶべき激流に身を絡め取られ、呑み込まれたからだ。

 

 



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肥大化する本能はおんねんのように

 

 

 アルドスが激流に呑まれる様を目にしたヨウタたちは、衝撃で言葉を発することができずにいた。

 味方に対する容赦の無さは元より、あの(・・)ダークルギアを歯牙にもかけないほどの水流の精度と物量、その脅威、危機感……アルドスへの僅かな憐憫も含め、様々な感情が一斉にあふれ出し、言葉としてまとめきる余裕が誰にも無かったのだった。

 かろうじて絞り出せたのは、どうしたらいい、という諦念にも似た疑問だった。

 逃げようなどとは、考えても口に出すことはできない。まだ逃げ遅れている住人がいるかもしれないし、そもそも逃げ場があるかも定かでない。「海」そのものを相手にどこまで逃げたらいいのかという疑問もある。

 

 ――だが、何より対処法が浮かばない。

 

 並外れた実力を持ち、「神」などと称されることすらある伝説のポケモンたちと言えど、彼らはやはりポケモンというひとつの命だ。

 対して、今、彼らが挑もうとしているのは、ポケモンという枠組みを破壊した、意思を持つ自然現象と呼ぶほかの無いものになり果てた怪物だ。そもそもの存在の規格が違う。

 宗教、ひいては信仰というもの興りは人知の及ばないものや、人の手ではどうしようもないものに「神」という上位存在を規定し原因を求めたという点も一因として挙げられる。現在のカイオーガは限りなくそうした視点でいう「神」に近しい能力を備えた、災厄の化身だと言えよう。

 海中に爆弾を投げ込んだとして、目の前の海水は飛び散るだろうが、「海」という総体には何ら影響を与えることはできないだろう。これはそういう次元の話だった。

 

 海の魔物は依然、不気味なまでに静かだ。しかしその威容は確実に、宙に浮いた状態のままに町へと近づきつつある。

 絶望感が苛み、今にも重圧に押し潰されそうになる中――ひとつの声が上がった。

 

 

「――凍った、よね」

 

 

 そう告げたユヅキの声は、どこか呆けたような調子だった。

 何を当たり前のことを、と言いかけたところで、ヒナヨは留まった。

 凍ったのだ。

 間違いなく、攻撃は通じている(・・・・・・・・)のだ。質量差が激しく、また、端から回復するため効果が見えないだけで。

 

 

「……攻撃が効くなら倒せるよ! どんなダムも蟻の一穴から、だよ!」

「言いたいことは分かるけどその例えを持ち出したのだけは最悪よゆずきち」

 

 

 よりにもよって相手は水の化身である。

 ――と、更に、朝木が思い出したように尋ねる。

 

 

「な、なあ、ヒナヨちゃん。あいつ、アレに似て……ってか、アレじゃねえか? ポケスペの」

「――海の魔物?」

「正式な名前まで知らねえけども」

「……その、魔物……というのは? 倒し方などは……」

「漫画に出てきたヤツ。ジラーチに願ったことで生まれた……何て言ったらいいのかな、海水で作ったカイオーガの偽物、みたいな。どうやって倒したかは……」

 

 

 倒し方は何か――それを考えたところで、彼女は腕を組んで軽く冷や汗をかいた。

 

 

「……フシギバナとメガニウム、ジュカインの草の究極技(ハードプラント)。リザードンとバクフーンとバシャーモの炎の究極技(ブラストバーン)、カメックスとオーダイルとラグラージの水の究極技(ハイドロカノン)とトリプル『ボルテッカー』を同時にぶつけて……」

「……ち、ちなみにそこにいた人たちの実力は?」

「十人いて全員図鑑所有者」

「ざけんな」

 

 

 ヨウタの目は死んだ。

 当然のことである。それは要するに、彼と同等の実力者をあと九人呼んでこい、ということに等しいのだから。

 現状、確実にヨウタと伍するものがあると見込んでいるのはアキラくらいのもので、そのアキラは過労で一時戦線離脱中。復帰まではまだしばらくかかるだろう。

 それに加え、この世界に出現した魔物(それ)はジラーチが作り出したものというわけではなく、カイオーガを核に成立した正真正銘の怪物だった。やってくるまでの数分、あるいは数十秒程度の間にレインボーロケット団が謎の心変わりを起こして全員協力してくれるようになったとでも言うような奇跡でも起きない限り不可能だろう。

 

 

「メタ・グラードンはどう倒したっけか」

「動き止めて『はめつのねがい』。ジラーチいないと無理ね」

「……ヨウタ君、残酷な話ですが、もしアオギリを殺害することで止める、と言ったら」

「それも選択肢だと思う。けど、魔物(アイツ)が体内に匿ってるから、正直難しいと思う」

「電撃ビリビリーって!」

「それは……拡散するだけ、でしょうね……いくら海水だからと言ってもあの質量では、霧散するだけです……」

 

 

 一つ意見を投じれば、すぐさまそれを否定する状況が見えてくる。その繰り返しだった。

 このままではただ気が滅入るだけで、やがて敵と対峙するだけの気力すら失われてしまう。

 危惧を抱きつつ、もし一旦逃げることを選べるなら――と思い、東雲は避難状況を確認するため無線を取り出した。

 

 

「こちら東雲。避難状況はいかがですか。どうぞ」

『こちら藤宮。怪我人と要介護者の搬送が間に合わない。どうぞ』

「了解」

 

 

 やはり、どれほど頑張っても、避難というものには長く時間がかかるものであった。

 呼吸器に慢性的な疾患を抱えている者は、携帯型の吸入器が必要になることもある。寝たきりの老人もいるだろうし、透析が必要なほど血糖の状態が良くないという者もいるだろう。あるいは場合によっては、家に愛着を持ちすぎてその場から離れたがらない住人がいてもおかしくはない。急かしたところで結果は得られないだろうと彼は断じて、口を開いた。

 

 

「皆、対策を練るのは、そろそろ限界だ。少しでもヤツの進行を遅らせなければ、俺たちの後ろにいる人たちは全員、死ぬ」

「現実逃避してぇ」

 

 

 言いつつも、朝木は新たにマニューラとブロスターをその場に出した。また、続いてナナセはまるさんをボールから出す。

 ユヅキもハミィを頭の上に乗せて出してみたが――。

 

 

「ちょっと難しいね……」

「ふわー……」

 

 

 出せるのは、せいぜいが「こなゆき」程度である。ハミィはユヅキの頭の上でもっちりと意気消沈した。

 

 

「……凍結技は、通用します。これで……時間を、稼ぎましょう。内側から破壊されるかもしれませんが、それでも動きはある程度まで止められます……」

 

 

 ナナセの言葉に頷きを返し、彼らは一斉に駆けだした。

 誰から言い出すでもなく、その進行方向と進行速度は不定だ。ヨウタは朝木と共にキュレムに乗って上空から強襲をかけ、東雲はカメックスやクレベースと共に正面に陣取った状態で迎え撃つ構えを取っている。ヒナヨはユヅキと共に側面へ向けて突撃し、ナナセはその逆サイドから、まるさんの進行速度に合わせつつ、あぶさんやしずさんと共に氷原を駆け抜ける

 魔物(カイオーガ)は分散した攻撃目標に対し、混乱を生じる――ことは無かった。今のカイオーガは全身が感覚器官そのもので、神経細胞そのものだ。肉体全ての機能を海水という機能に溶かした彼は、周囲の情報全てを同時・並行的に捉え、それら全てを同じように処理することができる。分散してくれるというのは、むしろ一つ一つに割く海水の容積が少なくて済むというだけのことだった。

 

 

「――――――」

「来たッ!」

 

 

 海の魔物の攻撃は、極めて単純だ。その規格外の質量をぶつける、ただそれだけ。

 ――たったそれだけの行動に「ハイドロポンプ」の数十倍の威力が備わり、ポケモンも人間も激流の中でもがくことしかできず、やがて溺死する。簡単なことだった。

 そうしてただ放出しただけの、しかし絶大な威力を伴った水流は――。

 

 

「「「『れいとうビーム』!!」」」

「『アイスボール』!!」

 

 

 瞬時に、凍結してその動きを止めた。

 海の魔物は複数の相手に対して、同時に対処を行える。当たり前に考えれば、その全てに対処しなければならないわけではない(・・・・・・)。戦術面から考えれば一人、あるいは一匹ずつ対処していくこともまた重要だが、海の魔物はカイオーガの本能のみが肥大化し、増幅し、抽出された存在である。それこそ、向かってくる者があるなら「本能的に」、戦術など考える間も無く、対処を行う。――してしまう。

 一か所のみに向かって放たれる水流と異なり、複数個所・複数人の相手に対して使用されるものは、分散し、どうしても一つ一つの水量は少ない。攻撃のためには、海の魔物を構成する海水を割り振らなければならないからだ。対してヨウタたちは正面から当たることを前提に攻撃を行う。

 とはいえ、水全てを凍てつかせるようなことは流石にできない。相対した者の大半が頭から海水を被るハメになってしまっていたが、それでも威力の大幅な減衰には成功しているようだった。

 

 

「氷は砕くかブッ飛ばすか、とにかく『海水』って形態から離せばあいつの影響下から逃れることができるはずよ!」

「うん、ゴルムス! やっちゃって!」

「ゴゴオオ」

 

 

 指示を受け、力自慢のゴルムスが勢いよく氷を山に向かって投げ飛ばす。こうしておけば、海の魔物は氷を回収して海水に還元、体積を元に戻すというプロセスを経ることができなくなるはずだ、とヒナヨたちは考えた。

 

 

「もういっちょ! 『こごえるせかい』!」

「ヒュラ――――」

 

 

 次いで、再び魔物の表面が完全に凍結した。数秒か、数十秒か、いずれにせよこれで僅かばかりでも時間を稼ぐことができるだろう。

 

 

「小暮ちゃん、こっからどうする!?」

「ほのおタイプを。ばくさん」

「バァック!」

「は!?」

「え、えーっと、ルル!」

「ヒードラン!」

 

 

 突拍子の無いナナセの言葉に、その場に現れたポケモンたち共々困惑を向ける。ポケモンとしての枠を超え、特性に使うべきエネルギーも全て体の維持、あるいは増加・増幅に利用していることから雨こそ降っていないものの、状況は雨が降っている以上に悪い。

 そもそもほのおタイプの技があの海の魔物に通用するのかという問題と、何より凍結状態を解除しかねないという懸念。ナナセへの信頼は強いものの、彼らにとってその指示は不可解に過ぎた……のだが、そこでもう一つ、声が上がった。

 

 

「『ねっとう』が来ます」

 

 

 次の瞬間、海の魔物が氷の内側からゴポリと音を立てる。驚きに声を上げる間もなく――氷の檻は、その内側(・・)から溶けてしまった。

 

 

「――なるほど」

 

 

 ヒナヨは納得したように小さく微笑んだ。

 いかに本能で動く、反射で動く、と言っても、それはそうすることが最善手の一つであるからだ。同じく本能のみで動いている単細胞生物であろうとも、行動の効率化、最適化というものは必ず行うだろう。

 故に、二度も氷漬けにされた上に、最適なはずの攻撃手段までもが凍結させられたというのなら、より効率的に相手を倒す手段を利用するのが当然と言える。

 あくまで海水の集合体である海の魔物は、既にカイオーガとして扱えるはずの技をいくつか使用できない。それでもなお、海水の肉体であるからこそ利用でき、かつ、即効性と確実性の高い技こそが――「ねっとう」だ。

 

 

「『ねっとう』ね。表面がグツグツ煮えたぎってるくらいの!」

「『海水としての形態から離す』か――そうだな。これだけ温度が上がれば、蒸発もさせやすい。ヒードラン、『かえんほうしゃ』!」

「ルル、『れんごく』!」

 

 

 氷の檻から逃れ出た海の魔物は、即座にその身を火炎地獄に晒すことになる。全身に(あぶく)が生じ、バシャバシャと水滴が弾けて飛ぶ。と同意に、体を構成する海水が蒸発して拡散した。

 

 

「こんだけやりゃどうだ、ヨウタ君! アオギリに攻撃が届くか!?」

「できたらやってる!」

 

 

 ヨウタのポケモンたちは現状、海の魔物に対して有効打を与えることのできるほのおタイプの技やこおりタイプの技を持たない。

 とはいえそれ以外の技は使えるし、依然として最高戦力となるのも間違いない。極めて分厚い水の鎧を強引にでも突破できる可能性を持つのは、やはり彼とそのポケモンだろう。

 ――しかし、それでもなお、突破するための手が浮かばない。

 

 

(――メガシンカとZワザの併用は最低条件だ。ワン太の「ラジアルエッジストーム」で表面を突破、メガシンカしたライ太の推進力で可能な限り突き進むとして、鋏の中にボールを隠せばそこからもう一匹(ひとり)くらいは出せるはず。けど、あそこから更にアオギリのところまで突き進めそうなコケコとモク太も、今のままじゃ途中で確実に力尽きる……ッ!)

 

 

 モク太は当然ながら水中での行動など視野に入れることのできない体のつくりをしているし、仮に強引に「ハードプラント」を放つにしても照準が定まらない。カプ・コケコの扱う雷のエネルギーは、莫大な量の海水があるせいでアオギリに到達する前に他所に逃がされ、拡散してしまうだろう。マリ子はみずタイプのポケモンだが単純に力量不足だ。

 ヨウタは誰よりも、それこそポケモンたち自身よりも彼らについて詳しい。――その上で、どれだけ限界を超えても(・・・・)なお、アオギリに攻撃を届かせられるビジョンが浮かばなかった。

 せめてあと少し、もう少しでも、体積が減ったならば……そう考えた時だった。

 

 

「――――え」

 

 

 ――突如、海の魔物が、その身を氷原に降ろし、叩きつけた。

 その沸騰した体を(・・・・・・)、だ。

 

 

「マズいッ!!」

 

 

 氷原が――()ける。

 それだけではない。固体である地面に叩きつけられた液体(カイオーガ)は瞬く間に弾け、周囲の氷を溶かし吸収しながらその体積を爆発的に増やし、絶大な質量の津波と化して瞬く間に地上にいた四人を呑み込んだのだ。

 

 

「みんなぁぁぁっ!!」

「ッ、やべえ、町が!」

「!!」

 

 

 当然、それは海上にのみ留まるようなものではない。全長にして数百メートルを優に超すほどの質量が、勢いをつけて落下したのだ。

 意思を持つ海として、己の領域を拡大せんとする本能のもと、魔物は陸地をそこに住まう人間たちごと貪らんと、更にその速度を増した。

 

 

「キュレム、アレを止めろぉ!」

「レイジさん! まだみんなが!」

「優先順位考えろ! ンな悠長なこと言ってる場合じゃねえんだよ!! みんなは自力で助かる可能性がある! けど戦う力の無い町の人たちは俺らがあの津波をなんとかできねえ限り可能性はゼロだ!! ちったぁあいつらを信頼しろ!!」

 

 

 朝木は激していた。ニューラとブロスターが引き留めていなければ、彼はたとえ相手がヨウタであろうとも胸倉を掴みあげていただろう。

 ヒナヨならルリちゃんの「テレポート」でできる可能性はあるし、ユヅキはその彼女の隣にいた。東雲もナナセも不測の事態に備えてみずタイプのポケモンを隣に立たせていたため、逃げ延びられる可能性は高い。しかし、町の人間はそうはいかない。この場を切り抜けられるポケモンを持っていないどころか、そもそも手持ちポケモンすら一匹もいないということすらありうるのだ。それどころか、大多数はそうだろう。

 

 ――頼むから誰も巻き込まれてくれるな!

 

 その祈りを込めて、キュレムの全身全霊で放たれた「こごえるせかい」は、確かに津波と化した海の魔物を凍てつかせた。

 だが――凍結速度が足りない。恐るべき速度で、かつ氷原に体から突っ込んで水温は落ちている。

 だが、海の魔物も本能を通じて学習している。凍結(これ)は己の使命を阻む鎖であると。だからこそ、彼はその一部を切り離した(・・・・・)

 

 切り離した分、海の魔物自身の意思が介在しないことでその勢いはやや弱まる。しかし、キュレムの放つ極低温の範囲から僅かに逃れたことで、その一部――と言うにはあまりに膨大過ぎる水量――が、流れ込もうと、恐るべき勢いで侵略する。

 

 

「っそだろオイ……! キュレム! マニューラ! ブロスター! 『れいとうビーム』だ急げ!」

「マニュ……」

「まだ分かんねえんだ! 届かせようとしなきゃ届くモンも届かない! 撃て! ……撃ってくれよぉ!!」

 

 

 マニューラは、気付いていた。上空からでは、数百メートルも遠く離れた目標に当てることはできないと。

 キュレムにしても、全力全開でその冷気を操った反動が生じている。ただでさえ、数百メートル以上はあろうかという海の魔物を何度も凍てつかせ、その上、それこそたった今、最初の状態よりも更に肥大化してしまった魔物を先の一撃でなんとかして瞬時に凍らせようと努力はした。結果、彼は今、満身創痍となっている。

 羽ばたいているのが精いっぱいで、これ以上まともに冷気を発しようがない。元々、キュレムは己の冷気で自分の肉体すら凍てつかせるポケモンだ。ここまでの規模で何度も能力を行使した以上、もう限界は近かった。

 

 

「止まれ! 止まれ……止まれ! 止まれぇぇぇぇぇッ!!」

 

 

 絶叫が、空を裂く。

 血を吐くほどに、喉が潰れるほどに、朝木は叫んだ。

 

 そしてその先で――――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――海水は、消失(・・)した。

 

 文字通り、大質量が消えて失せた。この光景には海の魔物のみならず、ヨウタや朝木、彼らのポケモンたちもまた動きを止めざるを得なかった。

 一拍遅れるように、静寂を切り裂いて高い声がヨウタの耳を打った。

 

 

「ヨウタ、電話ロト!」 

「な、何!? 今!?」

「今ロト! 繋ぐロ!」

 

 

 ヨウタたちは困惑せざるを得なかった。せめて空気とタイミングを読んでくれ。そう心で悲鳴を上げるその中で――静寂を割いたのは、彼らが恐らく最も信頼する人間の、ごく高いソプラノの声だった。

 

 

『状況がよく分からない。何が起きてるのか説明してくれないか』

「は、はっははは……やっべ……おい、ヨウタ君、これマジか」

「……マジ、みたいだね……」

『おい、ヨウタ?』

 

 

 この世界随一のトレーナー、刀祢アキラ。

 彼女が疲労困憊の状態から復帰し、何らかの手段をもって迫りくる海水を全て消滅させたのだ。

 思わず、二人の口元に笑みが漏れた。相手は最悪の理不尽とも形容すべき質量の塊だ。対してやってきたのは――――これまで幾度となくレインボーロケット団の最精鋭を磨り潰してきた不条理の化身である。

 

 

「――カイオーガがアオギリを核に『宝珠(たま)』を二つ吸収した。実体は失って海水になってる。大きさは目測で1km以上。町を海に沈めようとしてる」

『分かった』

 

 

 端的なその説明に、通話口の向こうでアキラが頷くのを二人は感じた。

 

 

『ここからは、わたしたちも出る』

 

 

 ――それと同時に、彼女が強い怒気と殺意を湛えていることも。

 

 

 



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こんげんのはどうが涸れ果てる刻

 

 

 アキラが海水を消失させるのに使った手は、なんということはない。デオキシス複製体(シャドー)を広範囲に大量に展開。迫ってくる水を全て「テレポート」によって山中などに飛ばした――という、力業である。

 複製体(シャドー)に割り振ったサイコパワーは、彼らがその役目を終えるとともに回収されている。デオキシス自身はほぼ万全の状態と言っていいだろう。

 疲労の極致から抜け出したとはいえ、未だ体には倦怠感が残っている。アキラは一つ窮地を脱したことに安心しながら、埠頭の先端で軽く息をついた。

 

 

「やれるか?」

「△△」

 

 

 アキラの問いかけに、デオキシスは得意げに――というのはアキラにしか感じ取れないが――応じる。

 そうして互いの腕を合わせて前に踏み出そうとした、その時だった。

 

 

「ぬあっ!」

「ぐええぇ!」

「ひゃああ!」

「…………」

「はい?」

 

 

 唐突に、背後――漁港の方から悲鳴と共に何やら複数の重量物が落ちてくる音がすることに気付く。訝しみながら視線を向ければ、そこには全身を水で濡らした東雲とヒナヨ、そしてユヅキとナナセが積み重なっていた。

 

 

「ぴゅい!」

「――、――」

 

 

 彼らの上には、どこか誇らしげに跳ねるコスモッグとほしぐもちゃんがいた。どうやら彼らが四人を回収したのだろうと推測できる。

 それに加えて周囲にはモンスターボールが散らばっている。これは彼らが回収した結果だ。朝木やヨウタがこの様子を目にすれば納得もいくが、いかんせんアキラは今まさにやってきてどうやらカイオーガが大変なことになったらしいということしか知らない立場だ。彼女は小首を傾げた。

 

 

「何してんだみんな……?」

「ゲェッホガッホウォェッ」

「あの……怪物の、起こした……波に……コホッ、飲まれて……」

「えふっ……た、助かったよぉぉ……ありがとうほしぐもちゃぁぁーん……」

「醜態だ……ッ、か、カメックスたちのボールは……!」

「……えー……と」

 

 

 アキラは、口々に思い思いの言葉を吐いたり咳をしたりといった四人に苦笑を向けた。いくら彼女でも四人の話を聞き分ける能力は無い。加えて思いもよらぬ事態に気が抜けかけている。およそ、会話をしている暇も無かった。

 

 

「もう行くけど」

「あ、ちょ、ちょ待ちヴォエ」

「引き留めるなら息整えてからにしろよ……」

「さ……策……策あんの……?」

 

 

 息も絶え絶えでありながら、ヒナヨの指摘にはアキラの側がやや苦い顔を返す。

 彼女の考えは基本的に、行き当たりばったりかつ捨て身で安全性にも難がある。成功率こそ高いが、ほぼ確実に何らかの被害も伴うことだろう。ヒナヨはそれを、レインボーロケットタワー襲撃の際に心底思い知っていた。息を整え、そのまま続ける。

 

 

「相手は、今までと格が違うのよ。付け焼刃の策じゃ逆に呑み込まれて終わりよ。私らみたいにね!」

「…………」

「ナっちゃん、ナナセさん落ち込んでる!」

「私らみたいに!!」

「こんな状況でちょっと楽しくなってんじゃねーよいいから話を続けろヒナ」

「あっはい。……あのね、もしやるなら、核になってるアオギリをどうにかするしかないと思うの。けどそれは正直難しい」

「だろうな」

 

 

 海の魔物は既に、凍結状態から抜け出しつつある。

 加えてその巨体は、軽く周囲を見回してもなお、その全容の半分ほども見えていない。あの質量を乗り越えてアオギリを撃ち抜くというのは、ほとんど不可能に近いだろう。

 だが、そうではあってもアキラにはこの状況からでもやれることはいくらか残っている。やらないわけにはいかなかった。

 

 

「あんたのやろうとしてることは分かるわ。けど、火力が足りないと思うの」

「中心部までたどり着けさえすれば、相手はただの人間だろ?」

 

 

 言って、鯉口を切る。

 屈強なだけの人間であれば、彼女はそれこそ一般人とそれほど変わらず対処できる。アオギリもそこそこの体格がある男だが、腕を斬るくらいは問題なくやれるはずだ。

 対して、ヒナヨはその驕りに対して首を振った。

 

 

「甘い。あいつは一つ取り込むだけでもポケモンを蹴散らせる衝撃波を発生させられる宝珠(たま)を二つも取り込んでるのよ。まともに当たったら負けるかもしれない」

 

 

 これには流石にアキラも言葉を返せなかった。一連の攻防もあって、より現実が見えているのはヒナヨの方だ。その上に、知識量も彼女の方が圧倒的に多い。

 ヒナヨは足元に落ちていたジガルデのボールを拾い上げた。

 

 

「三分……ううん、二分稼いで」

「二分か」

「二分でいいわ」

 

 

 告げて、現れるジガルデだが、その挙動はどこか困惑に満ちている。

 伝説のポケモンの威厳もあったものではないが、状況から考えれば致し方ない部分もあった。

 

 

「その二分でジガルデを100%(パーフェクト)フォルムにする」

「!?」

「できるのか?」

 

 

 この発言に一番驚いていたのは、当のジガルデである。

 (コア)から発する命令によって細胞体(セル)が動き、ジガルデのもとに集結するという事例はあるが、四国中に散らばっているものを集めようと思えば、距離の問題もあってどう頑張っても十分はかかるだろう。それを五分の一の時間でやるなど、正気の沙汰ではない。

 ジガルデは無理だと示すように体をうねらせたが、二人は無視して話を続けた。

 

 

複製体(シャドー)、五十体くらい動員できるわよね」

「――そういうことか。デオキシス、いけるな?」

「▽▽」

 

 

 瞬時に空に数十体の複製体(シャドー)が浮かび、それぞれ別の方向へ向かって飛翔していく。ジガルデは依然困惑しているが、いいから早く、という圧力を受けて(コア)からの命令を発しざるを得なくなっていた。

 

 

「そっちはそっちで頼む!」

「待ってくれアキラさん、加勢は――」

「時間を稼ぐだけならわたしたちだけでいい! それよりコイツを!」

「!?」

 

 

 アキラから受け取ったボールに目を向けたその瞬間、東雲の目が見開かれる。なんてものを! と非難の声を向けかけるが、もうその頃にはアキラたちは「テレポート」して東雲たちの前から消え失せていた。

 次に彼女らが姿を現したのは、キュレムが滞空している場所にほど近い空だった。眼下では海水がグツグツと音を立てて煮えており、先程と同じように自らの体を「ねっとう」に変えて海の魔物が凍結から脱していくのがうかがえる。

 アキラの姿を認め、朝木は半狂乱になって喚いた。

 

 

「遅いだろ! 思わせぶりに言っといて遅いだるォ!!」

「ヒナにつかまってたんだよ!」

「ヒナヨに!? みんなは大丈夫だった!?」

「平気だ。作戦も貰ってきた。――少し時間を稼ぐ。漁港で合流してくれ」

「――分かった」

 

 

 一人でやろうなんて無茶だ、と言葉をかけようとしていた朝木の口をふさぎつつ、ヨウタが代わりに応じる。キュレムは一度休ませなければ実力を発揮できない状態に陥っているし、ヨウタにしろ朝木にしろ、現状で海の魔物に有効打を与えられるような広範囲攻撃の手段に乏しい。有体に言って二人がお荷物であるということを、ヨウタは自覚していた。

 朝木に代行するような形でキュレムに地上へ降りるよう、ヨウタが指示を出す。それと同時に、デオキシスがその身を幾重にも複製し(わけ)た。

 

 

「そっちが海ならこっちは人()戦術ってワケだ」

▲▲▲▲▲▲▲▲(面白くない冗談だ)……」

「ほっとけ」

 

 

 どこか白けたようなデオキシスだが、指示や命令もなく、彼らは即座に、そして規則正しく煮えたぎった海へと飛び立つ。それに応じるように、海の魔物が再びその首をもたげた。

 海につかり、海水を支配下に置いた魔物は先程よりも更に巨大化している。全長にして先の倍、2kmは優に超す巨体を備えていた。

 規格外の質量には違いない、が――処理しなければならない情報が増え、その分動きは鈍重になる。当然、先手を取ったのはデオキシスの方だった。

 

 

「『サイコブースト』!」

 

 

 アタックフォルムへと変化(フォルムチェンジ)を遂げたデオキシスが、そのサイコパワーを薄く、そして鋭く引き伸ばし――鞭のようにして撃ち放つ。その一撃は海の魔物の腹部をなぞるようにして削り取り、か細く、しかし確実に直下の海に繋がっていた海水の供給ラインとも呼ぶべき数本の「線」を断ち斬ってのけた。

 

 

「仕上げだ」

 

 

 アキラが号令を発したその瞬間、複製体(シャドー)たちは一斉に「テレポート」を行った。

 転移先はいずれも、海の魔物に対して文字通り目と鼻の先ほどの距離だ。包囲するように陣を組んだ彼らは、即座にその掌を海の魔物へとかざし――隙間なく、そして一斉に「ひかりのかべ」と「リフレクター」を展開。その大質量は、空中で固定され一切の身動きが取れない状態にまで追い込まれていった。

 

 

「よし、狭めろ!」

「▽▽」

 

 

 次いで、全方向から加えられる念力により、海の魔物はカイオーガの姿を保ち切れずに球体の姿へと変貌していく。

 その途中、アキラは不意にその中にあってはならないものの姿を認めた。

 

 

(あれは……)

 

 

 ダークルギア。そして――もはや生きているとは思えないが――アルドスの着用していた衣服だ。

 消化(・・)されてしまったのか、あるいは衣服を身代わりに逃げ出したのかは知れないが、いずれにしてもこの場に取り残されてしまったダークルギアの姿に、アキラは僅かな憐憫を覚えた。

 

 ただ、それで手を緩めることは無い。

 ルギアはそもそもが深海に生息しているポケモンだ。今この状況でも生きてはいるし、この状況から脱してさえしまえば、ダークポケモンでなくすことも視野に入る。そして、その全ては勝利して初めて成し遂げられることであった。

 

 

「シャルト!」

「メェ~」

 

 

 そこでアキラが繰り出したのは、しかし、戦闘に向いているとは考え辛いドラメシヤ(シャルト)だった。

 シャルトに動揺は無い。幼い声音で、しかし強く海の魔物に向かって鳴くと、すぐに水の中へと向かって飛び込んでいく。

 ドラメシヤはかつて海に生息していたポケモンが幽霊に姿を変えたものだ。シャルトはその根底に染みついた水中への適性を確かめるようにほんの少しの間アキラの前で泳いでみせると、大丈夫だということを示すように、普段下に向けている手を上に向けて見せた。

 

 

「デオキシス、補助頼む! シャルト、『かげぶんしん』!」

「▽▽▽」

「メェ~!」

 

 

 そして、シャルトの姿が百にも分裂を遂げる。それは本来自然に覚えることは無く、人為的な介在があって初めて覚えるいわゆる「タマゴ技」である。野生であったシャルトが覚えるはずは無いのだが、デオキシスの補助によってそれも成し遂げられていた。

 そうして現れたそれらは全て、デオキシスの能力によって複製された言わばドラメシヤ・複製体(シャドー)だ。耐久力こそ紙のように脆いが、能力はシャルトに――ドラゴンとしての身体能力に準じている。

 

 

「『りんしょう』!」

「「「メェ~♪」」」

 

 

 ――そして、海の魔物の中央に位置取るアオギリを包囲したシャルトたちは、その脅威の肺活量をもって、常識外れの声量で鳴き声を上げた。

 全方位に向けて同時に放たれる音波が海水を凄まじい勢いで振動させていく。水中において、音波の電伝達速度は地上のそれよりも圧倒的に速くなるものだ。

 とはいえ、様々な要因もあって音波による攻撃というものは、地上でのそれと異なり直接的な破壊力を伴うとは言い難い。故に選択したのは――固有振動数を突くことによる固体の破砕。百体を超える分身をその場に作りだしたのは、「りんしょう」という技の性質をより高めるためのみならず、輪唱――つまり、一定の周期で音域を変化させることで、より的確に宝珠(たま)の、あるいはアオギリ自身の固有振動数を衝くことで、より確実にカイオーガとの分離を狙うかたちになる。

 そうしてしまえば、恐らくアオギリの命は無いだろう。が、それでもここでそうしなければ、まずはこの近辺……ひいては四国全域が海に沈む。そこで出る犠牲者の数は数千か数万か。殺さなくとも済む事態に対しては罪悪感と嫌悪感が勝る彼女だが、そうしなければならないという現状なら躊躇する気は無かった。

 水中を音が駆け回り、透明な壁に振動が振れる度に反響して更に増幅する。本来、こうした攻撃法を利用した場合内部にいるシャルトも危険ではあるのだが、彼女はゴーストタイプのポケモンだ。ノーマルタイプの「りんしょう」は効果が無く、物理現象である振動の影響も受けることはない。

 

 

「!」

 

 

 やがて、海の魔物の中心部にいるアオギリの片足が、音を立てて弾けた。

 現実味の無い光景だ。しかしそれは確実に海の魔物の怒りを買ったらしい。ただの水の球体と化し表情を作ることのできない魔物に代わり、その器と化したアオギリが表情を憤怒に歪ませる。それを目にしたアキラは、哀れみで僅かに目を伏せた。

 人間であれば、このような事態に陥れば苦痛を覚えるだろう。苦悶の方がより強く表出し、あるいは驚愕で目を見開くということもあるかもしれない。だが、今のアオギリからうかがえるのはただ、憤怒のみだった。あまりに「人間」の感情の動きからかけ離れたそれは、既にアオギリというひとつの人格が失われていることを否応なくアキラに確信させていた。

 

 

「……?」

 

 

 ――早急にこの狂気を終わらせなければならない。

 そう確信した彼女だったが、しかし直後、僅かな違和感を覚えた。

 人体という器の固有振動数を突いたというのに、破裂したのは足だけだ。皮膚や筋線維、骨といった個々の部位によって振動数の差はあるだろうが、だからと言って部位ごとに浸透する度合いが異なるということはまず無い。

 

 

「――戻れシャルト!」

 

 

 そうして即座に、彼女はシャルトをボールに戻した。それに合わせてデオキシスが補助して作り出していた複製体(シャドー)も姿を消すが、その寸前、海水がにわかに蠢き――複製体(シャドー)の一部が消失するより先に、握り潰された(・・・・・・)

 

 

(体内はどう動かすも自由自在というわけか……!)

 

 

 つまり、固有振動数による攻撃の仕組みを理解すると同時に、体内の海水を振動させることで相殺、あるいは振動そのものをかき乱すことで攻撃を防いだということだ。

 元が油断を突いての奇襲だ。アキラ自身は作戦失敗について何ら感情の動きを見せることは無かった。

 この作戦への対処を海の魔物が編み出しているその間に、ヒナヨが指定した二分というリミットはやってきていたのだから。

 

 

「デオキシス! やるぞ!」

「△△」

 

 

 直後、デオキシスはその姿をスピードフォルムへと変貌させて、アキラと共に飛翔した。

 瞬時に側面へ向かって回り込み、右腕を突き出して突撃を敢行する。その掌の先には――黒い靄(ワープゲート)が渦巻いていた。

 直撃すると同時に、瞬時に海の魔物の体を構成する海水を転移させ消し飛ばす応用技だ。肉体の半分を転移させ千切り飛ばすようなことをすれば、文字通りの一撃必殺となりうるような攻撃である。普通のポケモンに対しては過剰火力過ぎて用いることはできないが、相手が質量の怪物でありなおかつ多少肉体を損耗しようとも関係ない海の魔物ともなれば話は変わる。

 

 ――このまま行けば、存在の核(あいいろのたま)を抉り取られてしまう!

 

 球体の横腹に大穴を穿つその攻撃に強い脅威を感じた海の魔物は、そこで初めてアオギリという器を用いて恐怖の感情を示した。同時にこの状況に対処するための数少ない策を絞り出す。

 

 

「カァァァァッ!!」

 

 

 すなわち、「(アオギリ)」を通して宝珠(たま)の自然エネルギーを放出すること――「こんげんのはどう」の要領で、最接近するより先に純粋なエネルギーをアキラたちに向けて叩きつけることである。

 かくして、海の魔物は思惑通り(・・・・)に、「攻撃」という動作を通じて確実な隙をさらけ出す。その瞬間にアキラは叫んだ。

 

 

「『テレポート』!!」

 

 

 幻のように消え去る彼女を、海の魔物は茫然と見送った。

 多少身を捨てることを選べば確実に海の魔物の中からアオギリを排除できるはずだということもあり、本来ならありえないタイミングでの逃走だと言えた。だが、アキラたちの狙いはそこではない。

 

 

「オオオオオオオオオオオオォォォォ!!」

 

 

 刹那、咆哮が轟き、深緑の閃光が駆け抜ける。

 それが「コアパニッシャー」であると海の魔物が気付けたのは、先にゲンシカイオーガとしてその攻撃を身をもって受けたからだろう。しかし、絶大な熱量と理外のエネルギーは先の攻撃の比ではない。大雑把に見積もっても倍以上。ゲンシカイオーガをも揺るがしていた砲撃を更に研ぎ澄ましたその一撃が、デオキシスが作り出した大穴をめがけて飛び込んでくる。

 デオキシス・複製体(シャドー)を動員し、空に飛びだしたジガルデ・細胞体(セル)を回収、合体を遂げ100%(パーフェクト)フォルムと化したジガルデの放つ、乾坤一擲の狙撃だった。

 

 

「――――!!!!」

 

 

 海の魔物がそこで感じたのは、明確な存在の危機だ。「これ」を食らえばこの姿を維持できる保証はない。それどころか、果たして命すらあるかどうか。

 しかし、デオキシスは外壁に穴をあけただけで未だ透明な壁はある(・・・・・・・)のだ。逃げ場がどこにも無い!

 

 その事実を認めたその時――海の魔物は、「ポケモンとしての」能力を最大限に引き出した。

 自らの体を構成する海水を生体エネルギーを用いて変形、「こんげんのはどう」のそれを思わせる流れを用い、しかし包囲殲滅のために用いるのではなく、ただ一点に向かって幾千、幾万もの水流のレーザーを集約する。

 たとえ全ての力を解放したジガルデと言えど、ただ一度の砲撃によってこれを撃ち貫くことはできなかった。激突した莫大な水流と規格外の熱量は、その場に絶大なまでの水蒸気爆発を巻き起こし……海の魔物という総体にダメージを与えることに「のみ」、成功した。

 消耗はした。しかし、依然としてその存在は健在である。数百メートルほどにまで凝縮こそされてしまったが、それだけだ。消滅してなどいない。

 喝采を上げるように、低いさざ波が音を立てる。

 

 

「『ソーラービーム』ッッ!!」

 

 

 ――直後、その身にビルを蒸発させる(・・・・・・・・)ほどの熱量が迫った。

 天に日輪が輝いている。それはまさしく海の魔物の原型たるカイオーガと相反する存在、グラードンのもたらす「ひでり」がこの場に訪れていることを示していた。

 

 

「恨むぞ、俺にこいつを使わせたことだけは……」

 

 

 その胸部を解放し、余剰エネルギーを吐き出すジガルデの下。その全身で海の魔物への敵意を示すグラードンと共に立つ東雲は、苦々しい顔でそう呟いた。

 アキラが去る最後の最後で東雲が受け取ったマスターボール。それこそ、このグラードンが入っている――マツブサから受け渡された最後の切り札だった。

 同僚たちの仇を今度は自らの指揮下に置くことを苦々しく思いはするが、それでも有効な手であることには違いない。そして実際に、海の魔物は二度の波状攻撃を読み切れずにいた。

 

 

(――頼む、これで消えてくれ……!)

 

 

 表面的な言葉こそ違えど、この場にいる全員が同じことを考えた。

 しかし――その願いは、およそ最悪の形で裏切られることとなる。

 水蒸気爆発によって立ち込めていた霧が、次の瞬間、津波によって(・・・・・・)引き裂かれたからだ。

 

 

「馬鹿……な……!?」

 

 

 東雲は目を見開いた。

 確かに大質量の海水が空から落ちれば津波の一つも巻き起こる可能性はあるだろう。しかし、ただの海水ならデオキシスの能力で抑制は可能だ。アキラがそれを理解していて何もしないはずがない。

 つまり、これは海の魔物が引き起こしている現象ということになる。

 

 

「……ッッ、やられた!!」

「ナっちゃん、何が起きたの!?」

 

 

 その原因を、海を覗き込んだヒナヨは正確に、しかし事態が引き起こされるのに遅れて把握できた。

 

 

「――あいつ、取り込んだダークルギアのサイコパワーを利用してる……!!」

 

 

 ――ダークルギア。指示が無ければ(・・・・・・・)動くことの無い兵器。

 逆説的に、指示さえ出せば彼は動く。たとえそれが何者であろうとも、命令者がいなくなった現状、暫定的に命令を発する相手に盲目的に従うのだ。

 海の魔物は、元はカイオーガだ。故に、グラードンが現れれば即座にその存在を看破する。タイミングだけ言えばまず確実に攻撃は直撃しただろうが――そこで、魔物はポケモンのみならず、「人」の力を用いた。すなわち、器であるアオギリの力……声だ。

 音は水中において、大気中の数倍の速度で伝わる。外部からアオギリの体を強制的に動かすことでダークルギアに指示を発し、念力を用いて強引に「ソーラービーム」の軌道を逸らしたのだ。

 海の魔物は攻撃から逃れると、穴から這い出て眼下の海水に接続。その支配権を得て――津波を引き起こした。

 

 どこまで生き汚い、と血を吐くようなヒナヨの呻き声に、ユヅキはかける言葉が見つからなかった。

 どうすればここから逆転できる。どうすればこの津波を止められる――必死に思考を回すナナセだが、何一つとしてその答えは現れない。

 やがて、彼らの眼前に、高層ビルほどもある高さの津波が姿を現し……。

 

 

「『あくうせつだん』」

 

 

 ――――目の前の「海」が、消失した。

 

 突然の事態に誰もがその思考を止める。先のアキラの奇襲と異なり、その声は絶対にあってはならない、この場にいてはならない人物のものだった。

 消失した海の魔物の姿を探すよりも先に、その技の名を告げた者を捜す。と、さほど時間もかからず、特徴的な白い竜と、その背に乗る男の姿は見つかった。

 

 ギンガ団BOSS(ボス)、アカギ。

 警戒と敵意、そして殺意の渦の中で、彼は泰然自若としてその全てを受け止めていた。

 

 

「お前は――」

「まずは、場を移すとしよう」

 

 

 驚愕と共にヨウタが言葉を発しようとしたその時、アカギは機先を制するようにしてそう一言を発した。

 そして――次の瞬間、ヨウタたち七人とポケモンたちは、先の海の魔物と同じようにその場から消失(・・)した。

 

 



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その心象は既にこごえるせかいでなく

 

 

 

 まばゆい光が視界を覆ったその直後、アキラは自分が何処とも知れぬ霧の中にいることに気付いた。

 足元に目を向ける。一見何の変哲もないアスファルトのようだが、アキラにとってはよく見慣れた久川町のそれに間違いなかった。戦闘の跡などは随所にみられるものの、経年劣化で自然と生じたヒビなどは、少なくとも彼女の知っているそれと変わりない。

 

 

(――現実を模した空間を作り出したか、現実の空間を隔離したか)

 

 

 恐らく後者なのだろう、と彼女はアタリをつけた。

 空間の複製まで行ってしまえば、それはパルキアの能力とは別の、特にエスパーポケモンなどの領分になってしまうからだ。

 アキラは確かに、パルキアとその背に乗ってやってきたアカギを見た。しかし、この場に彼の姿は無いし、悪意の波動を感じ取ることもできない。このような状況に陥る直前に「場を移そう」と発言していたため、何らかのそうするに値する事情があったのだろうが。

 

 

「皆は……? いや、そもそも何で誰もいない……?」

 

 

 周囲に何らかの気配こそあるが、それが何かまでは掴むことができない。人間の姿もポケモンの姿も見えず、困惑で首を傾げる。

 アカギは、「まずは」場を移すと発言していた。海の魔物を消したこと自体がまず不可解であるし、加えて直接的に危害を加えてこないという現状から考えると、当然、何らかの意図があって然るべきなのだが、アキラはそれが何なのかを知る術を持っていなかった。

 何を考えるよりもまず先に、レインボーロケット団なのだからとりあえず一度拘束してから話を聞くべきでは、という思いが浮かぶ。全面協力を申し出たマツブサは稀有な例ではあるが、何よりギンガ団はそもそも何を考えているか分からないのが特徴である。媒体によって描かれ方も異なり、最終的目標として「心の無い世界を作る」ということを掲げていることこそ共通しているものの、アカギ本人は改心したり初志を貫徹したりと結末もまた違う。

 

 確実に分かるのは、「あの」アカギが世界の新生を成し遂げ静寂な世界を作り上げた後のアカギであるということだ。

 世界二つが併存しているかどうかも分からないし、何なら既存の世界が滅びて全人類が死に絶えたとしても、彼は新たな世界を作り上げようとしたのだ。その信念の強さは驚嘆に値するが、アキラからすれば元の世界の人間があまりに不憫でならないし、迂闊なことをすればこの世界も諸共消滅させられかねないという危惧がある。いっそ首を刎ねてでも止めようという決意があった。もっとも、相手がいなければその決意にも意味は無いが。

 

 

「デオキシス、体力は?」

「△△△▲▲」

「そうか……けど、大丈夫と思ってる時が一番危険だ。しばらくボールに戻って体力を――」

 

 

 戻した方がいい、そう言葉にしようとした時、彼女は突如として霧の中から湧き出す気配を感じた。

 突然の事態に、しかし彼女の体は半ば脊髄反射的にそれに対処するべく動いた。沈むように姿勢を低くすると同時に手を上手く使って氷の上にでもいるかのように地面を滑る(・・)。直後、一瞬前まで彼女のいた空間を巨大かつ膨大な量の触手が埋め尽くした。

 

 

「▼▼!?」

「――――!?」

 

 

 想定外だったのは、これにデオキシスが対応しきれず呑み込まれてしまったことだろう。彼自身もまた、目とコアを明滅させて驚愕を示した。

 

 

(「テレポート」ができない……!?)

 

 

 その異常を、アキラはデオキシスとの精神リンクによって察することができた。そしてその理由についてもすぐに当たりはつく。パルキアが"空間"転移(テレポート)を妨害しているのだ。

 そういうものだと理解できたなら話は早い。伝達された思考によって急速に冷静になったデオキシスは、瞬時にその身をディフェンスフォルムへと変身(フォルムチェンジ)させ、自身にまとわりつく触手を「壁」によって弾き飛ばして見せた。

 

 

「戻れデオキシス! ベノン!」

「ギギィ……!」

 

 

 多少「テレポート」や固有能力であるところのワープホールが封じられようとも、デオキシスの能力は依然として規格外のそれだ。しかし、ここに至るまでにどれだけ活躍してもらったことか。デオキシス自身は戦闘はできると口にしてはいるが、アキラはこれ以上の酷使を避けたいと考えていた。

 彼女の意を察したように、ベノンは奮起して周囲に一度毒液を散らした。

 

 

「『ヘドロウェーブ』!」

「ゴァッ!」

「――――『しぜんのちから』」

 

 

 そして次の瞬間、アキラとベノンを蒼い炎のエネルギーが囲った。ベノンの放った「ヘドロウェーブ」――毒液の波は抑えきられることとなる。

 ドラゴンタイプの技に特有の高エネルギー体だ。くさ・ドラゴンタイプのポケモンの存在をアローラにいるナッシー以外にアキラは知らない。ナッシーも「まとわりつく」のような技を覚えるには覚えるが、だからと言って成人男性ほどの大きさがあるデオキシスの体全てを覆い隠すほどのものは出せないだろう。自然、その正体には察しがつく。

 

 

「……モジャンボか」

「ボォッボ」

 

 

 言葉にすると共に、霧の中から湧き出すようにして、青黒く巨大なポケモンがその身を蠢かせ現れる。

 なんとも名状し難いその姿形に、アキラは知らず小さな悪寒を覚えた。ゲームの画面などで見られるデフォルメした姿ならばいざ知らず、現実となったモジャンボの姿は、人知から外れた神話的な何某かとしか言いようのない、極めて太い青緑の根のような蔦のような触手に覆われた存在だ。アキラ自身自覚もしてなかった思わぬ苦手なものが判明したが、だからと言って逃げるわけにはいかない。

 加えて、問題はそこではない。殺気も気配も波動も一切感じなかったというのに、このモジャンボは突如として湧き出すようにして現れた。しかし、それはモジャンボが生物(ポケモン)である以上絶対にありえないことだ。

 まず第一に疑われるべきは、パルキアの能力の介在だろう。状況が状況だけにアキラは極限まで気を張って襲撃に備えていたし、デオキシスは念力の網を張っていた。これを掻い潜ろうと思えば、それこそエスパータイプのポケモンの能力を一切用いず、目の前に突然その場に出現しなければならない。

 

 

「驚異的な対応力ね」

 

 

 ――と、推測を重ねたその直後、再び湧き出すようにして女の声がアキラの耳に届いた。

 ベノンの尾先が声のした方を向き、外殻が擦れ合い撃鉄を上げたかのような硬質な音が響く。

 姿を見せたのは、長身の女だ。体にフィットした白と黒の衣装は、アキラに数か月前に観た映画に登場した女スパイを想起させた。

 

 

「ギンガ団か」

「三幹部が一人、ジュピター……参考までに聞かせてほしいのだけど、さっきの奇襲、どうやって避けたの?」

「空気の流れを読んだ。あとは経験からの推測だ」

 

 

 奇襲というのはおおむね死角から行われるものだ。人間の視界の狭さを考えれば、背後か上下というのが定石と言えよう。そこまで分析できれば、閉塞した空間に風が流れ込むとい一つの要因で相手がどこからやってくるかを予測することができる。

 ――言葉にすれば簡単なようだが、常人にできていいことではない。人間の感覚器はごく僅かな空気の揺らぎを受容することは難しいし、仮に認識できたとしても意識を戦闘に切り替えるのはもっと難しい。それを「当然のこと」になるほどに練り上げるのに、果たしてどれほどの修羅場をくぐったのか。そうでなければ生粋の戦闘者という名の異常者に違いない。ジュピターは脳内で彼女をそう評した。

 

 ゆらりと、幽鬼のようにアキラの体が揺れる。それに合わせて揺れた白い髪の間から覗く紅の瞳が、煌々と殺意を燃やしていた。

 ジュピターには彼女が、得体の知れない怪物のように見えた。

 ――が、直後、アキラは僅かに逡巡を見せる。常なら敵と見ればまず叩き潰しにかかるはずの彼女らしからぬ迷いだった。意気込むベノンを手で制し、そのまま彼女はジュピターへ言葉を投げ掛ける。

 

 

「それで、どういうつもりだ?」

「倒すつもりだと言ったら?」

「そのつもりがあるなら、何でこの空間に取り込んでる? あのまま海の魔物(アレ)に呑ませた方がより確実にわたしたちを殺せたはずだ」

「フ……海に沈んだところで死ぬとは思えない、だから確実に始末しに来た……とは考えないの?」

「だったら何でわざわざあの津波を止めた? 散々民間人を虐殺しておいて今更人道に目覚めたなんて言い訳が通じるわけないぞ」

 

 

 この問いかけを聞いて、ジュピターは一瞬答えに詰まった。

 ディアルガとパルキアという、他の伝説のポケモンと比べても一つか二つ桁の違う能力を持ったポケモンがいるのだから、そもそも異空間に閉じ込めて奇襲して殺す、などという迂遠な真似は必要ない。次元の狭間に落として消滅させるか、さもなければ空間を圧縮してそのまま圧殺すればいいだけなのだから。

 そうしないということは、つまりそれだけの理由があるとアキラは推察した。わざわざ奇襲してくるというあたりが考察を多少難しくさせるが、それでも可能性はいくつかに絞られる。アキラは首をすくめた。

 

 

「大方、わたしがいると暴れ出して話にならないから遠ざけてくれ、ってところか……じゃなきゃ、実戦形式の訓練のつもりじゃないのか?」

「……まったく、可愛げのない子供ね」

「肯定と見做す」

「それで結構」

 

 

 そうして一つ息をつくと共に、二人の間に漂っていた張り詰めた空気が弛緩した。

 ベノンの周囲に散らばっていた毒液――「ベノムトラップ」が消滅し、モジャンボが伸ばしていた触手の塊が元に戻っていく。その様子にやはり小さな悪寒を覚えつつ、アキラは続ける。

 

 

「敵のお前たちが、どういうつもりだ?」

「敵……ね」

「そうじゃないとでも?」

「じゃあ逆に聞くけど、もしBOSS(ボス)がこの島に次元断層を張らなかったらどうなっていたと思う?」

 

 

 アキラは基本的に敵に対して極めて苛烈な人間だが、敵の発言を一切気に留めないというわけではない。むしろ波動によって正誤の判断がより正確になっている分、正しいと分かったことであれば判断基準の一つとして考慮くらいはする。

 その上で、彼女はジュピターの言葉は一考に値すると判断した。

 

 実際に、万が一次元断層が発生していないとしたらどうなるだろうか。まずポケモンたちは世界中にその生息域を広げ、その人知を超えた能力で各地に混乱を巻き起こすだろう。レインボーロケット団もまた、世界中に散らばってその暗躍の手を広げるはずだ。それに伴って伝説のポケモンたちも各地で猛威を振るうことになる。

 伝説のポケモンたちは、奇襲だったとはいえ一切の抵抗を許さず自衛隊駐屯地を壊滅させたほどの怪物だ。そう遠からず、各国は軍事力を行使することになる。その果ての果てに世界各地でキノコ雲が上がるのをアキラは幻視した。

 流石に人類がそこまで愚かではないと思いたいところだが、人は過ちを繰り返すとも言う。複数の人間の共通認識の中にその可能性が挙がってしまえば、それはもう十分にその「最悪」の可能性もありえることだと言えた。

 

 

(その可能性を摘むだけでも、次元断層(アレ)に意味はあったってことか……)

 

 

 もっとも、そのせいで閉じ込められた四国住民は地獄を見せられているため、じゃあ許す……などとは口が裂けても言えるわけがない。

 結局のところ、落としどころとしては「許さないし許されるつもりもないが、これ以上お互いに追求しない」というところに収まった。

 

 

「それで? お前たちは、わたしたちに何をさせたいんだ?」

 

 

 話が早い、と。しかしやはり、可愛げが無い、と言いたげにジュピターは小さく鼻を鳴らした。

 

 

「おまえたちには、これから究極技を習得してもらうわ」

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 時間は僅かにさかのぼる。

 アキラが町の道路に転送された一方、ヨウタたちは何処とも知れぬ山中にいた。

 これはいったいどういう状況なのか? 海の魔物は? アカギがいたはずでは? 胸中で無数の疑問が渦巻く一方、警戒心の強さから周囲を見回してまず初めに違和感に気付いたのは朝木だった。

 

 

「……アキラちゃんはどこ行った?」

 

 

 先程「テレポート」して合流したはずのアキラの姿が無い。

 分断されたのだろうということは容易に想像できるが、そもそも最大戦力のヨウタがいるのだから、彼女だけを分断したところで全く意味がない。

 そもそも、あのままいけば全員海の魔物に飲み込まれて死ぬはずだったというのに、わざわざ異空間に隔離する理由が分からないというのが全員にとっての正直なところだった。

 

 

「――さて」

「っ……!?」

「!」

 

 

 疑問に首を傾げるヨウタたちだったが、そんな彼らをよそに、凄まじい威圧感を伴う影が近づく。

 思わず、ヒナヨは息を呑んでいた。これまでに戦った敵に脅威を感じなかったわけではない。例えばサカキなどは、アキラと共にいて彼女に振り回されてなお、桁外れの闘気のせいで肌が粟立つほどの緊張感を覚えざるを得なかった。

 しかし、やってきた男――ギンガ団のトップであるアカギのそれは、それとはまた質が異なる。サカキの存在感が大地に根差した巨木のようだとするなら、アカギはさながら、天から落ちてくる巨大な岩塊だ。一切の敵意を放っていない中ですらこうなのだ。果たして本気で相対したらどうなることか。彼女は寒気を禁じえなかった。

 

 

「アサリナ・ヨウタ。お前とは、久方ぶりと言うべきか」

「アカギ……」

 

 

 その言葉に、当然ながらヨウタは訝しげな視線を向けた。久しぶりに会ったというのは事実だが、そもそも彼とアカギは敵同士であり、アローラの存亡をかけて矛を交えた仲だ。気軽に会話を交わすような間柄とは程遠い。

 しかしながら、アカギはそんなことは知らぬとばかりに一歩前に踏み出し、ヨウタたちとの距離を詰めた。

 

 

「何をしに来た?」

「何を……そうだな。助けに来た、と言って信じはしないだろうが」

「当たり前だ! 貴様はレインボーロケット団だろう!? この期に及んで、何を企んでいる!」

 

 

 声を荒げたのは東雲だ。グラードンを使役するという極大のストレスに晒されたこともあって非常に機嫌が悪く、衝動的に声を発してしまった形に近い。

 しかしながら、問いかけそのものは至極もっともな話である。彼らにとってギンガ団とはレインボーロケット団内の一組織という扱いでしかない。海の魔物を退けたことは間違いなくヨウタたちにとって利益となる行動ではあるのだが、だからこそ裏があると見るのは当然のことだった。

 アカギは東雲の発した激情を受け止めると、重々しく――本人はそうと意識していないが――頷いた。

 

 

「では、利害の話をしよう」

「……互いに、利のある話だと?」

「そうだ」

 

 

 ナナセは思わずユヅキに視線を送ったが、彼女は首を横に振った。

 嘘はない。その事実が逆に困惑を生む。

 

 

「あの怪物は未だに滅びていない。パルキアの能力で一時的に封印しただけだ」

「は? 封印って……どっかに飛ばしたとか、いっそ空間ごと消滅させるとか、できるんじゃないの?」

「今のパルキアに、空間をそのまま消滅させるほどの力は残っていない」

 

 

 その返答はある程度予測できていたことではある。ヨウタもまた、四国一帯を覆うほどの次元断層を作り出すなどという真似をした以上は、ディアルガとパルキアのエネルギーはそう多く残っていないのではないかと推測はしていた。

 

 

「そして、転移させることは悪手でしかない」

「どうして? 宇宙にでもポイしちゃえばいいのに。アニメでもよくやってるよ」

「それも一つの手だが――デオキシスのことは知っているな?」

「知ってるよ。けどそれが何……か……」

 

 

 素っ気ない返事を返そうとしたその直前、ヨウタの脳裏にデオキシスに関わるデータがよぎった。

 曰く、宇宙からやってきたポケモン。宇宙ウイルスが何らかの外的要因によって突然変異を起こして生まれたポケモン。

 ヨウタたちの世界でも、宇宙は未開のフロンティアと言って相違ないが、それはこの世界でも同様だ。デオキシスの「元」となった宇宙由来のウイルスが、この世界にも存在しないとは言い切れない。

 たとえそうでなくとも、ポケモンというものはその高い適応能力をもって、激変する地球環境を生き残ってきた。海の魔物もまた同様の形質を持つ可能性があるとすれば――あの規格外の質量が宇宙環境に適応し、やがては星を呑み込む怪物に「進化」する可能性すらありうる。

 同様の可能性に思い至ったためか、ヒナヨも頭を抱えた。

 

 

「つまり奴は今ここで倒さねばならない。敵も味方もなく、海に沈む前に」

「……だから、利害……ですか。私たちが戦力として有用であると……」

「だが、今のままでは足りない」

 

 

 言葉を返せる者はいなかった。

 ヨウタたちは自分たちにできる範囲で最善を尽くした。いざとなったら命を奪うということも考慮に入れて、それでもなお最終的に海の魔物が上回ったのだ。このまま戦っても大丈夫とは、誰も言えるわけがない。

 と、そこで痺れを切らしたように前に出てくる者がいた。朝木だ。

 臆病な彼にしては珍しいことで、ただそこにいるだけで強烈な威圧感を放ってくるアカギに対してすら、物怖じした様子はない。その額に浮かんだ青筋を見れば、更に珍しいことに彼が少なからず怒りに身を浸していることが見て取れた。

 

 

「御託はいいんだよ。それより先に俺らに言うべきことがあんだろーが」

「何のことだ?」

「ボケてんじゃねえ! アキラちゃんどこやったんだよテメェ! 仲間が今無事かどうかも分かんねえのに、黙って言いなりになれるわけねえだろ!」

 

 

 その剣幕は、先に海上でヨウタが見た時のもの以上だった。

 朝木レイジの以前の姿を知っている者ほど、その衝撃は大きい。彼は根本のところで利己的な自分を抑えきれず、臆病で余計なことを言いがちだ。そして恐らく六人の中で最もアキラのことを怖がっているはずだった。その彼が、アキラの姿が無いと知るや、圧倒的格上のはずのアカギにすら噛みついたのだから。

 唖然とする一向に対して、しかしアカギの対応は至極冷静なものだ。掴みかかってくる彼の腕を取って躱すと、背後から現れたパルキアに命じてその場の空間に別の空間の光景を投影した。

 

 

「彼女は少しの間、別の空間に隔離させてもらっている」

「何でそんなこと……」

「こうして言葉を交わす前に襲い掛かられるわけにいかないからだ」

 

 

 その主張を耳にすると、朝木はスンと気持ちを落ち着けた。普段のアキラの言行を見ていれば、一理ある。

 実際のアキラはそこまでの狂犬じみた行動を取ることは無いのだが、やはり敵と見ればまず斬りかかるという行動から入る姿をしょっちゅう目にしているだけに、否定することは難しい。納得しがたい表情をしているのはユヅキくらいのものだった。

 投影された空間に映し出されたアキラは、ジュピターと向かい合って何やら会話しているようだった。少なくとも今すぐに戦闘に発展するということは無いだろう。

 

 

「で……僕らに何をさせたいんだ?」

「究極技を習得しろ」

 

 

 これ以上無いまでに簡潔な回答だった。究極技は、以前ヒナヨから示されていた、海の魔物を倒した方法の一端である。習得することそのものに否やは無かった。

 だが、疑問は残る。

 

 

「……あなたは今の世界を作り直して、『心の無い世界』を作ることを目指してたはずだ。僕らを強くすることは、その邪魔になるんじゃないのか?」

「私の目的は、既に果たされている」

 

 

 アカギは、どこか悩ましげにそう呟いた。

 彼にとって理想の世界の構築は、既に終わったことでしかない。ディアルガとパルキアの力を用いて「心の無い世界」を作り出し――その直後に、あるいは直前に、何らかの干渉を受け、その果てにレインボーロケット団のもとに行きついた。

 

 

「レインボーロケット団での活動は元の世界に戻るためのものでしかない。その目的さえ果たせてしまえば、私はその――」

「?」

「――ロトムがいる世界に手を出すつもりは、無い」

 

 

 その言葉は皮肉なことに、彼のもっとも忌むはずの感情(こころ)が強く込められたものだった。

 

 



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つめとぎは再起のために

 ポケモンの技の中で、究極技というものはやや定義が面倒なものだ。

 「ハードプラント」、「ブラストバーン」、「ハイドロカノン」の三種が究極技であることは疑いようの無い事実だが、そこに「ボルテッカー」が加わるかどうかという点は度々議論の対象となる。人によってはそこに更に「りゅうせいぐん」もまた究極技の一種ではないかと提唱し、場合によっては更にエネルギーの放出によって一時的にポケモンが動けなくなるという特徴から「はかいこうせん」や「ギガインパクト」、「がんせきほう」などもそうではないかとする者までいる。

 そのため、学会でもこの手の議論はなかなかに紛糾しており、技研究の第一人者であるククイ博士も難儀している――。

 

 

「今大事なのは究極技の定義じゃなくてなぜ究極技が必要なのかだろ」

「お前たちは貴重な時間を何に使うつもりだ?」

 

 

 ――そんな議論に発展しかけたヨウタとヒナヨを引き戻したのは、アカギと、隔離された空間から彼が連れ戻したアキラの冷ややかな言葉だった。

 こいつら初対面のくせにやけに息が合うわねなどと内心で吐き出すヒナヨだが、その事実について触れると更に面倒なことになると思い口を噤んだ。

 思えば、彼らはストイックな面といい、無駄に生真面目で思い悩みがちな面といい、共通項そのものは少なくないのだ。本人たちに言っても否定されるだけだろうが。

 

 

「選択肢は多い方がいい。究極技だろうとそうじゃなくても、習得する価値のあるものは何でも積極的に取り込むべきだ。わたしたちの知らない技もあるみたいだしな」

「それもそうね。……聞くけど、海の魔物はいつまで封じ込めておけるの?」

「一時間だ」

「ダメじゃん!! 全ッ然間に合わないじゃん!!」

 

 

 ここまで、アキラが隔離された状態で数分ほどが説明に費やされている。それでも数十分ほどは時間があるが、それも雀の涙としか言いようが無いところだ。

 格別に才能に溢れた図鑑所有者のような人材であればそれでもやってのけるのだろうが、彼らの才能はそこまでには至らない。

 とはいえ、アカギもそれは理解している。今も悠長に会話に時間を使えているのは、まだ時間的に余裕があるということを知っているためだ。

 

 

「安心しろ。ディアルガの能力でこの空間の時間をコントロールしている。この空間で五分過ごしても、外では一秒しか経っていない」

「精神と時の部屋かよ」

「単純計算で……十二日ちょっと、ですか」

「長いな……」

 

 

 ここまで、彼らにそれほどの長期に渡って猶予が設けられたことは無い。自然と小さな困惑が生じたが、他方、期間の短さに眉根を寄せていたヨウタは他の面々との認識のギャップに混乱していた。

 

 

「みんなおかしいよ……修行って普通、もっと余裕を持ってやるものだよ……」

 

 

 連日連日の戦闘と、長くても数日程度も取れない休養期間のせいで誰もが感覚を狂わせているのをヨウタは感じ取った。

 そもそも、この世界にポケモン育成のセオリーというものは確立されていないも同然だ。頭の中茹だってるのかと言いたくなるような気の狂った手法で、ポケモン――と自分自身――を徹底的に鍛え上げているアキラは例外としても、他の五人のポケモンの能力には小さな問題がある。というのも、彼らは基礎的な能力を鍛え切れておらず、膨大な戦闘経験とのギャップが生じてしまっているのだ。頭の中で想定した動きができないというのは、戦闘においては間違いなく不利な要素のはずだ。ヨウタ個人としては、ここで基礎固めの時間を取りたいというのが正直なところだった。

 が、逆に考えればそれだけの期間を与えられているというのは、現状から考えれば破格なことだ、前向きに考えよう、とヨウタは気持ちを切り替えた。

 

 

「しかし、その究極技とやらはどう習得するものなんだ」

「わざわざウチらを連れてきたってことは、何か方法はあると思うけど……どうするんだろ?」

「これだ」

 

 

 その疑問に応じてアカギは懐から金属の輪を取り出した。異なる経緯で究極技を修めたヨウタは首を傾げるが、それに見覚えがあったヒナヨは小さく「あ」と声を上げた。

 

 

「技教えのリング……」

「知っているなら話が早い。使い方は分かるな?」

漫画(じょうほう)が正しいならね」

「あの、ヒナヨ、僕それ知らないんだけど何なのそれ……」

「? 究極技習得のためのリングでしょ?」

「ヨウタ君誰に教わったんだ?」

「ククイ博士。モク太と一緒に教えてもらった」

「ククイ博士が? あの人、技教えたりできんの?」

「忘れたの? あの人技の研究者よ」

「何でヒナヨが言うのさ」

 

 

 ヒナヨはオタク気質のポケモン廃人である。知識を深めることも好んでいるが、それ以上に彼女はひけらかしたがりでもあった。目の前に餌が放り込まれれば食いつくというものである。

 

 

「……で、まあ、僕のバトルの師匠」

「師匠……あれ? そんな関係性あったっけ?」

「確かククイ博士ってアローラリーグ設立のための根回しでカントーに度々足運んでたんでしょ? その関係でヨウタ君の両親? お母さん? と度々会ってて仲良くなったって話だしその縁で御三家(モク太)をもらったはずよ。カントーにいた時かアローラで島巡りしてた時に師事してたんじゃないかしらそうじゃないヨウタくん?」

「だいたい合ってるけど、話したこと無いはずだよね? 何で全部知ってるの? メチャクチャ怖いんだけど」

「ナっちゃんちょっと聞いたら何十パターンも考察しちゃうから……」

「考察どうこうでここまでクリティカルに当てられる?」

 

 

 ヨウタは小さくない恐怖を感じた。

 この世界では自分の旅路がなぜか知られているということそのものはともかくとしても、実際には細かな部分で違いが生じる。人間関係であったり、会話内容であったり、場合によっては人格であったりもそうだ。が、その場に居合わせていないと分からないような、より細かい部分まで言い当てられれば肝も冷えようというものである。およそ仲間に対して抱く感情とは言い難いが。

 

 

「……えっと、なんだ。つまり、究極技は『人間が教えられる』って見ていいんだよな?」

 

 

 習得の経路こそ複数あっていずれも難易度は低くないが、それでも結局のところ「人間が教える」という前提はそう変わらない。極端なことを言ってしまえば技の習得さえ成し遂げられてしまえば、老人に教わろうが子供に教わろうが構わないというのがヨウタの考えだ。

 と――そこまで考えて彼ははたと気付く。それこそ、技の習得ということならアキラが最適なのでは、と。

 

 戦闘力と気性の荒さが目立ってしまってそれ以外の面が隠れがちだが、そもそも彼女は優秀な波動使いであり、同時に拳法の達人でもある。

 生体エネルギーの流れについては人一倍造詣が深く、広範囲に破壊を及ぼさず敵の体内にのみ留まる形の「じしん」や、広範囲に分裂させて絨毯爆撃のように降り注ぐ「はどうだん」の開発など、技の応用に関しても才能を発揮している。ともすれば彼女なら、究極技の指導役を担うことができるのではないかと、ヨウタは思い至った。

 元々、「技教え」と呼ばれる専門職に就いている人間でなければポケモンに習得させられない技の数々も、原理を自ら紐解いていた彼女が、時に実演するなどしてポケモンたちに習得させていたのだ。実績を考えれば究極技も、と考えるのはある意味自然なことではある。

 負担の増加は当然懸念されるが、それは他の面々も同じことだ。猶予期間の短さを補うためにも、ヨウタは鬼になって全員に特訓を施すことを決意した。

 

 

「他の技も覚えたいな……ロトム、わたしたちの知らない技のデータ見せてくれ」

「お任せロト!」

「――少し、待て」

「……?」

 

 

 アキラが提案し、ロトムがぴょこりと立ち上がったその直後、アカギが不意にそのような言葉を投げ掛けた。

 本人もほとんど無意識的に発していたのだろう。彼自身もまた自分の発言に困惑を覚えた様子で、しかし吐き出した言葉はもはや呑み込めまいとして続ける。

 

 

「……技の選定は私も助力する」

 

 

 当然、訝しむ者は少なくないが、それでもアカギのトレーナーとしての手腕は極めて高い。彼の危険性と有益性とを秤にかけた結果、最悪の場合自力で「何とか」すればいいか、とアキラは彼に協力を要請することにした。

 

 

「アキラ、僕らは離れた所で特訓してるよ」

「ああ、うん。後で合流する」

「じゃあみんな、今回はちょっと加減しないよ」

「え、前もそんな加減はしてなかっ……」

 

 

 朝木の苦言は捨て置かれ、ヨウタたちはそのままポケモンたちを表に出した状態で開けた場所へと去っていった。

 それを見届ける……というような暇は無い。ロトムは即座にアキラの視界に合わせて近場の木のウロにハマりこむようにして腰掛けると、順次、「あちら」の世界において知られている中でアキラの知らない技の動画の再生を始めた。アカギは窮屈そうに身を屈めた。

 鋼タイプのエネルギーを限界以上に高めて放出する技、宇宙から降り注ぐエネルギーを集めて岩タイプのエネルギーと共に射出する技などは含まれるエネルギー量なども極めて高く、威力そのものも究極技のそれに近しい。「ブラストバーン」などが通じなかった場合、あるいは更なる一手が必要になる場合に有効となることは確かだった。

 

 

「この技、あんたのポケモンは使えるのか?」

「可能だ。ダイノーズ」

「ノノノォォォォ……」

 

 

 青と赤に彩られた岩塊に砂鉄を帯びた、鷹揚とした雰囲気の――そしてどことなく見覚えがあるそのポケモンは、出てくると同時にどこか嫌がるようなそぶりを見せた。

 猛烈に嫌がるという風ではなく、単純に面倒くさがっているというその雰囲気に、アキラは首を傾げた。

 

 

「どうしたんだ……?」

「……エネルギーの消耗が激しい技だからだろう」

「必要でもないのに使いたくないってことか」

 

 

 アキラからすると、一度エネルギーの流れを見てこそポケモンたちに理論立って教えることができるため必要なことではあるのだが、そのあたりの機微が分からなければ何でわざわざ、と考えるのも無理はないか、と思い至る。

 浮遊しているダイノーズとアキラの目線はほとんど同じ位置にある。彼女はゆっくりダイノーズに近づくと、普段のそれと明らかに異なる優しげな声音で呼びかける。

 

 

「ダイノーズ、確かに面倒かもしれないけど、必要なことなんだ。わたしは実際に見ればその技がどういうものかが分かる。一度でも見せてもらえればそれでいいんだよ」

「ノォー……」

「このままだと何度も同じ技見せなきゃいけなくなっちゃうぞ。その方が面倒くさいだろう? 一回だけ。な? それで他のポケモンたちに教えられるようになるから」

「ズズズッ……」

「よしっ、頼んだぞ」

 

 

 その説得によって、ダイノーズはなんとか納得した様子を見せた。

 アカギは一人と一匹(ふたり)の様子に僅かな驚きを感じたように、口を小さく開けた。

 

 

「何だよ」

「……感情(こころ)を納得させるか」

「納得してもらわなきゃ協力してくれないだろ」

「従わせる、という考え方もあるが」

「かもな」

「否定はしないのか?」

「……どうだろうな。正直に言えば、否定したい」

「ならば、なぜそうしない?」

「暴力で敵をぶちのめして他人を従わせてる人間(わたし)に、そうするだけの権利は無いと思う」

 

 

 アキラは曲がったことや間違ったことや悪事を嫌悪している。そして、暴力という「悪事」をはたらく自分自身をもまたそうした人間と同列に扱い、同様に嫌悪している。

 故に彼女は刀祢アキラという人間を、ただの暴力装置であると定義する。知識(きおく)の無い彼女は、自分を祖母によって教え込まれた「正しさ」を執行するだけの存在で充分であると考えていた。

 

 

感情(こころ)の――問題か」

「道理と倫理の問題だよ」

「そこに納得という感情が介在している以上、感情(こころ)の問題には違いないだろう」

「かもしれないけど」

「アカギさん、やけに心にこだわるロト?」

「拘りもする――私にとって、その『心』に由来する人間の不完全な在り方こそが、何よりも否定すべきものだからだ」

「………………」

 

 

 アキラは刀を抜きかけ――やめた。アカギに戦意は無い。時に戦意や殺意の介在が無いままに敵を攻撃するという離れ業ができる者もいるし、アカギもそういった人間である可能性が否定できないが、少なくとも今この場で彼女を害するという前兆があるわけではないからだ。

 その言葉は、あくまで彼のスタンスを示すものだろう。そしてそれを耳にしたアキラが、どういった反応を示すかを目にしようとしている。

 

 

「……わたしは、多分その思想自体は否定できない」

「なぜだ? また、道理か?」

「そうじゃない。ただ、あんたもそうだし、サカキもそうなんだけど……考えてることそのものは、決して否定されるべきものじゃないと思うんだ」

 

 

 サカキの思いは突き詰めてしまえば深すぎる親の情が暴走したようなものだ。マツブサとアオギリも、人類やポケモンのためを思っての行動でもある。

 フラダリはいずれ行き詰まるであろう世界を憂い、アカギもまた心の不安定さに由来する人間やポケモンの不完全性を嘆き――より良い世界にしようとはしていた。

 

 

「支配欲で行動してるゲーチスはアレだけど」

「…………」

 

 

 名指しで唯一の例外として否定されるゲーチスにアカギは小さな哀れみを覚えたが、それ以上にアキラの言に同意した。

 

 

「発端そのものは真摯な願いだったんじゃないかな。その思いだけは、わたしが否定していいことじゃない」

「……その割に、普段の戦闘時の言動は」

「自覚はある。というか、わたし自身もごく最近になってから考えるようになったことなんだよ……」

 

 

 どういうことだ、と無言の圧力でアカギは続きを促す。

 

 

「……わたしは記憶喪失だからな。そういうこと考えられるだけの経験も知識も足りないんだ」

知識(きおく)――か」

 

 

 人間の価値観や判断基準というものには、その人間の人生経験や教育というものが大いに反映されるものだ。それが丸ごと抜け落ちている人間というものを、アカギは物珍しい目で見た。

 アキラはその目線が示す意味を波動によってよく理解している。故に彼が何かを告げるよりも先に言葉をかけた。

 

 

「珍しいモノを見るような目で見るな。知識が無いせいで判断力が欠如してるってことなら、子供も同じだろ」

「子供も……」

「アカギさんにもそういう時期はあったロト?」

 

 

 ロトムのその問いに合わせて、アカギの表情に強い寂寥感が差した。

 アキラにはその理由に察しがつかなかったが、直後にアカギの表情がどことなく穏やかになったのを目にして、余計に首を傾げることとなった。

 

 

「……無かった、と言えば嘘になるのだろう。私にも乳児期というものはあった」

「いや、そのレベルの話じゃなくて……」

「私は、物心ついた頃には既に『心』というものの不完全さを嘆いていた。この価値観は、幼い頃に――そうだ。友と呼べる(ロトム)を失ってから、確立されたものだ」

「……ロト?」

 

 

 そこで初めて、彼女はアカギがロトムに対して見せている繊細で複雑な表情と感情の正体を知った。

 同時にその在り方が極めて歪で、あるいは早熟でありすぎたがために今もまだその根は子供の頃のまま(・・・・・・・)なのではないかとも、疑問を抱く。

 アカギという男は極めて優秀で、才能に溢れた人間である。故に(ロトム)を失ったという最初の経験以降は大した挫折を経験することなく、成長の機会もそのきっかけを与える人間との出会いも与えられないままに、最初に打ち立てた目的にだけ邁進し続けていたのではないか、と。

 

 

「心が無ければ人は他者を虐げることも無い。苦しむことも、悲しむこともだ」

「ケド、そうなったら嬉しいって気持ちも、楽しいって気持ちも無くなっちゃうロト」

「その気持ちこそが、人を苦しめることもある。お前は分かっているのではないか?」

「……そうだな。悪人は自分の『楽しさ』とか『嬉しさ』のために人を陥れる」

 

 

 その事実を、レインボーロケット団という形でアキラはこの旅を通して幾度となく目にしてきた。

 平然と他人を陥れ、傷つけ、場合によっては殺すことすら厭わない人間たちの姿は、彼女に強い殺意を宿らせるに足る醜さを孕んでいた。故に彼女はアカギの言葉を否定することができない。

 

 

「その曖昧で不完全な(もの)が、やがて美しい世界そのものをも蝕んで壊していくのではないか。私には、それが我慢ならなかった……」

「だから、心の無い世界を作りたかったのロト……?」

「……お前は私を否定するか?」

 

 

 アカギの眉間に刻まれた、年齢に不相応な皺が彼の強い苦悩を物語る。

 ロトムは言葉を返すことができなかった。否定することは簡単だ。しかし、小さくない同情がそれを拒む。

 対照的に、アキラは僅かに言い辛そうにしつつも、しかしはっきりと己の意思を示した。

 

 

「わたしは、間違ってると思う」

「それはなぜだ?」

「――あんたの理想のために、大勢が犠牲になってる。それこそ悪人が他人を陥れることの実例だろ。わたしはそれを看過できない」

 

 

 同情はする。

 しかし、それはそれとして糾弾もする。はっきりした語り口を、アカギはむしろ興味深いと感じた。

 

 

「アグノムとユクシー、エムリットはどうなった?」

「…………」

「ギンガ爆弾とやらを使った時、どれだけの衝撃があった? ポケモンたちはその時どれだけ犠牲になった? ギンガ団としての活動の中で何人始末した? ……犠牲は避けられなかったのか? そうじゃないだろ。あんたが性急に動かなければ、もっとやりようはあったはずだ」

 

 

 アキラは思想を否定しない。それが我欲に基づいたものでない限り、他人が否定する謂われは無いと理解したからだ。

 そしてだからこそ、彼女はその過程で生じた犠牲を悼み、悪を憎む。

 彼女が殺意を向けているのはアカギ個人ではなく――彼の犯した罪だ。

 続くようにして、ロトムも意を決して口を開いた。

 

 

「ボクは……アキラみたいにはっきり言えないケド」

「…………」

「ボク、色んな人を見てきたロト。ヨウタに、ククイ博士に、リーリエに、アキラたちも。みんなそれぞれの時間(いま)を生きてて、一人一人の感じる空間(せかい)は違ってるの。みんなそれぞれの幸せがあって、目標があって、夢があって……それを誰かが理不尽に奪っていいとは、思えないロト」

「そうか……」

 

 

 アカギは、ロトムの言葉を反芻するように目を伏せた。

 それと共に、彼が占拠した高知で生きていた人間たちの姿が目に浮かぶ。困惑しながら、怯えながら、しかし必死に生きてきた彼らの姿を、アカギは間近で見てきた。故に、ロトムの言葉は強く理解できる――できてしまう。

 心は不完全で醜いものだ。しかし、全ての人間がそうであるとは限らない。

 それを認めることは、彼の理想を打ち砕くことであるというのに。

 

 

「アサリナ・ヨウタも、別の方向性から私を打ちのめしていたが……」

 

 

 アカギは、不意にアローラでヨウタと戦った時のことを思い返した。

 彼は自らのポケモンたちと強く心を通わせ、心の繋がりを力に変えて、アカギを打倒して見せた。彼の優しさに報いようとポケモンたちが奮起し、たとえ倒れかけたとしても絶対に通さないと立ち塞がるポケモンたちがアカギを撃破したことそのものが、ポケモンを自らの力の一部と見做している彼を否定することに繋がっている。

 

 

「君たちともっと早く出会えていれば――何か、変わったのだろうか……」

 

 

 そして今、それとはまた異なる形で、アカギは自らの過ちを見せつけられることとなった。

 自嘲の溜息が漏れるのを、彼は感じた――が、そんな彼を引き起こすように、アキラから言葉が投げ掛けられる。

 

 

「まだ遅くないだろ」

「……な、に?」

「人間は強くなれる。どんなに弱くっても、臆病でも、目の前の誰かのために必死に堪えて立ち上がって強くなれた人を、わたしは知ってる」

「…………」

「だから『もっと早く』なんて仮定してないで、今変わろう。遅くなんてない。わたしが尊敬するその人は――あんたよりずっと弱いのに、立ち上がるのが遅かったのに、変わることができたんだから」

 

 

 そう告げると、あまり普段彼女が口にしないような類の言葉であったためか、アキラは恥ずかしそうに顔を背けてダイノーズの方に向き直ってしまった。

 どこか遠くからくしゃみのような音が響いてくる。

 アカギは、自らの胸の奥にほのかに暖かいものが灯るのを感じた。

 

 



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幕間①


 投稿すべきかどうか悩みましたが出来上がったので幕間として入れておきます。
 時間の狭間での修行や交流が主であまり本筋が進まない場合は、以降今回と同様「幕間」として投稿となります。だいたい飛ばしても大丈夫な感じのお話です。
 今回はアキラの人当たりがちょっと柔らかくなったよという程度のお話になります。



 

 アキラとチャムが究極技の習得を終えたのは、パルキアとディアルガが隔離した空間に突入して半日ほどが経過してからのことだった。

 指南役とも呼べる者がいない中、これだけの速度で技を習得したのは相当に異例なことである。

 とはいえ、だからと言って一度休む……というわけにもいかない。この後、まだいくつもやるべきことは残っている。

 

 

「ベノンとシャルトに『りゅうせいぐん』……リュオンに『てっていこうせん』と……『メテオビーム』は……誰が覚えるんだ……?」

 

 

 まず、究極技を覚えさせること。それと並行して、究極技以外の新しい技を全員のポケモンに習得させることだ。

 アキラたちが知らない……この世界ではまだ認知されていない技というものは、基本的にどのポケモンが習得できるのかを手探りで模索していく必要がある。

 いわタイプのギルが「メテオビーム」を習得できないのは誤算と言うほかなかったが、ほかに技が習得できないわけではない。選択肢を一つでも増やすために、悠長にしていられる時間は無かった。

 そして技を新しく覚えるということをしなくとも、単純に鍛えなければならないポケモンの数は少なくない。

 シャルトや、結局ヒナヨについてくることにしたモノズなどはまず進化までの筋道を立てなければならないし、そうでなくとも純粋に基礎能力に不安が残る者も少なくないため、できるだけ早くに訓練に取り掛かる必要がある。

 

 アキラの眉間に皺が寄る。雰囲気は殺気立ち、日頃の寝不足のせいで目の下にクマが浮いて目つきも非常に悪い。目の前に敵が二、三人でも現れようものなら即座に切り殺しそうな剣呑なオーラを放っている。その禍々しさは彼女の見目の良さで補い切れるほどのものではない。

 

 ――明らかに無理をしている。

 

 アカギは彼女の状態を見てそう感じ取った。口の端からブツブツと漏れ出る独り言は、思考に没頭しているからと言うよりも、言葉を口に出して眠気を飛ばそうとしているがためのものだ。

 マツブサ救援の折にアキラの体力は底をついたが、その後、少々の休憩を取ることで「とりあえず動ける」程度にまでは回復している。が、結局は海の魔物との連戦に挑まなければならなくなった挙句に、そのまま究極技の習得までもを強行している。疲れが無いということはまずありえないことだし、いっそ既に限界を迎えていてもおかしくはない。

 

 

「休むべきだ。何をそう急いている?」

 

 

 流石にアカギもこれを見過ごすことはできなかった。心配、というわけではない。単純に合理的な判断故のことだ。

 彼は心の全てを否定するところからは脱却したものの、効率主義的な面があることには変わりない。根は電子回路の精緻さに美を見出した時のままなのだから。

 よってアカギは、疲労したまま活動して能率を落とすという非効率を嫌う。過労などもってのほかだ。半ば限界を超えてなお動きに乱れが出ないことは驚嘆に値するが、それだけだ。彼は特にそのことに利点を感じない。

 対して、アキラはぼんやりとしながらそれに答えた。

 

 

「究極技に限った話じゃないけど、技ってのは習得する以上に『慣らす』ための時間が必要になる。感覚がうまく掴めてる今のうちに、みんなのポケモンにも究極技を習得させて、慣らしの時間を作っておきたい……」

 

 

 彼女の言い分にも少なくない理があった。海の魔物を倒さなければならない以上、技はただ「使う」だけでなく「使いこなす」必要がある。

 単純に技の反動や特性を把握しておくのは当然として、攻撃が通用しなかった場合に備えて次善の策を練っておくべきでもある。

 単純計算で三百時間と少しという猶予が与えられていても、特訓に費やせる時間はその中の半分あるかどうかというところだろう。睡眠や食事、人間としての生活を行い、ポケモンたちのケアも行わなければならない以上、時間はどうしても制限されてしまうのだから。

 とかく、アキラは自分のせいで全員の足並みが揃わなくなってしまうような事態を嫌った。その思いは半ば強迫観念じみており――。

 

 

「……あれ」

 

 

 それ故に、彼女はアカギの言う通り急いていた。急転する事態に対応しなければならないと、その心は急激に性急になり、やがてイベルタルに生命力を吸収される前と比べて自分の体力が落ちているということすら、頭の中から抜け落ちていた。

 突然視界がひっくり返り、全身が虚脱状態に陥る。アキラはその突如として高空から落下するような感覚に対応できなかった。

 ――が、そこで、自らボールから外に出てきたリュオンが彼女の体を抱きとめる。彼女と同行する機会が多く、乱れた波動を鋭敏に感じ取ることができたため、その内倒れかねないということが先読みできていたのだろう。その表情にはどこか呆れの色が混じっていた。

 

 

「お前の主人はいつもこうなのか?」

「リーオ」

 

 

 肯定の意を込めた鳴き声が漏れる。彼女は実際にいつも「こう」だ。無理と無茶は承知の上で、死なない範囲でならば何でもやる。たとえ自分の手持ちであろうと友人であろうと――あるいはそうであるからこそ、誰かが傷つくようなことを嫌い、そうなるくらいならと自ら傷付きに行く。とかく彼女は仲間、身内に対する情が深すぎるのだ。

 リュオンは「いのちのしずく」を用いてアキラの体力を僅かに回復させていく。とはいえ、本来外傷に対して用いられるものだけあって、効果は微弱なものだ。目が覚めたというのに、アキラは先程とそう変わらない顔色だった。

 

 

「……っ、お……っと、あ……ごめん、リュオン……」

「なぜそうまでする必要がある……」

 

 

 呆れ交じりにアカギは問いかけた。対するアキラにとって、その部分こそ言わば彼女の信念の根幹である。やや答え辛そうにしながらも、しかし自分自身の気持ちを確かめるようにして、彼女は応えた。

 

 

「……強さには、責任が伴うと思うんだ」

「どういうことだ?」

「わたしはほら……自分で言うのもなんだけど、普通の人と比べたら強いだろ」

「そうだな」

 

 

 その点に関して疑いようは無い。彼女は人外の腕力を失って以降も、人間としては破格の能力を持っている。複数の世界を見ても、比肩しうる人材は多くないだろう。

 

 

「あの異常な力のせいで、普通に生きてくことも難しくなった。あんなの要らないって思った。けど、そうじゃない。戦えない人を守るのに、わたしの力は……役に立ったんだ」

「…………」

「戦えない人たちを守るんだ。戦う力があるんだから、止まるわけにいかないんだ……『強い』ことには、それだけの責任がある……」

「度し難いな」

「……別に、あんたには理解できなくっても……」

「そういう意味ではない」

 

 

 元は悪人……というよりも、常人とは信念を違えるアカギだ。アキラの言について理解を示さないことも致し方ない――と考えたアキラだが、彼はどこか穏やかな雰囲気で、アキラの目線に合わせて彼女に語り掛けた。

 

 

「今のおまえは、私が小突けば倒れそうなほど『弱い』。自覚はあるか? 無いなら今刻め」

「よ……弱……」

 

 

 この言葉は強さをある種のアイデンティティと位置付けているアキラにはショックだった。普通の人間社会では爪弾きにされかねないほどの力があったからこそ、それを誇りにできるように祖母から教えられた考え方でもある。どこか足元がふわふわとした心地になったのは、疲労のためだけではないとアキラは自覚した。

 

 

「強いから弱者を守るために働く責務があると言うのなら、今の『弱い』お前にそれは無い。――いや、仮にそうでなくとも、より強い(・・・・)私に、より重くそれらがのしかかって然るべきだろう」

「あ、あれはわたしのばーちゃんが言ってたことで、他人に押し付ける気は」

「老人からの教訓には、長い人生に由来する深い含蓄がある。私も無下にはできん」

 

 

 良い祖母を持ったものだ、と手放しに褒められると、鬼か悪魔かと恐れられている彼女でも照れが勝るようで、青白い肌をわずかに紅潮させて目を背けた。

 アキラは自分自身が褒められようと大して心を動かさないが、その矛先が身内に向くと途端に誇らしくなる。それはどちらかと言えば他人を優先していると言うよりも、自分自身に対して極端に無関心なだけである。その歪みにまでアカギは気付かなかったが、いずれにしても、と彼は続けた。

 

 

「体力が戻らない限り私はおまえを弱き(たたかえない)者と見做すほかない」

 

 

 それが嫌なら休め、と言外に告げられたことで、頑なだったアキラもようやく息をついた。ほどなくして、普段の意図的に低くしてドスをきかせようとしている声音からは想像しがたい、穏やかな寝息が漏れる。極度の疲労に耐えきれなかったらしい彼女を、リュオンは静かに背負った。

 

 

「……似ているな。我々は」

 

 

 アカギはその強情さと、ともすると独善的なまでに抱え込みがちな気質を自らを重ね、そう評した。あるいは彼に兄弟や、場合によっては子供などがいた時こういった性格に育っていたのではないかとも思わされる。

 もっとも、彫りの深い顔立ちと落ち着いた物腰で誤解されがちだが、彼はそもそもが朝木と同年代だ。子供がいたら、という想定をすること自体がどこか間違っている。

 ともあれ、引き受けたからには本腰を入れなければ、という思いを抱く程度には、アカギもアキラに入れ込んでいたらしい。彼は数分後にはヨウタたちの特訓に混ざって、ギンガ団のトップとしての力を存分に見せつけることとなった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 半ば気絶するように寝入ったアキラが意識を取り戻したのは、たっぷり十時間ほどが経ってからのことだった。

 アキラは感覚的に「あ、これ寝すぎた」と確信した。

 久しぶりの感覚だった。それこそ、彼女は戦いが始まってからずっと、まともな睡眠もとれていなかったのだ。とはいえその原因がノイローゼにも近い精神状態であることもあって、疲れが取れた爽快感よりも寝過ごしてしまったという焦燥感の方が強い。しまった、と体を起こす――その直前、アキラは自分の腕にしがみついているものがあることに気付いた。

 見間違えようもない、他ならぬ、愛する実妹のユヅキである。彼女は普段もっそりと適当に結んでいるサイドテールを解いた状態で、ハミィと一緒にアキラの腕に抱き着いていた。

 更に他を見れば、ナナセがきっちりとした姿勢で毛布にくるまっており、ヒナヨは規格外の大きさのマンムー(むーちゃん)を枕代わり毛布代わりにして手持ちのポケモンたち全員と一緒に眠っている。しかしながらむーちゃんは元々がこおりタイプのポケモンで、オマケに異常な進化を経ているため能力の微細なコントロールもできない。ペンギン型(エンペルト)のペルルはともかく、他は全員どこかから流れてくる冷気に震えているようだった。

 

 かつて意図せずして手に入れた力に振り回され、他人とまともに関わることすらできなかったアキラとしては、むーちゃんの現状には少なからず思うところがあった。

 無条件で自分を受け入れてくれた祖母が彼女にとっての救いになったのと同じように、ヒナヨもむーちゃんを受け入れているのだろう――と、感動的なことを思いはするが、それはそれとして流石にアキラは祖母と寝床は離していた。寝ぼけて人外の膂力で祖母を傷つけてしまうという事態を避けるためだ。

 

 

(大丈夫か……?)

 

 

 心配して眺めるが、ヒナヨの寝顔はどこか恍惚としていた。

 アキラは、ヒナヨがベノンの毒を浴びても嫌がるどころか嬉々としていた異様な光景を思い出す。そういえばこいつはポケモンに対する愛情が深すぎるアブない女だった、と悪鬼羅刹扱いのやべーやつ(アキラ)は認識に補整をかけた。

 

 そんな折、ふと少し離れた場所から何やら良い香りが漂ってくる。誰か起き出してきたか、あるいはギンガ団が近くにいることを鑑みて交代で仮眠を取っているかということもありうる。仮にそうでなくとも、アカギの様子からして今のギンガ団は比較的安全なはずでもある。

 アキラは長時間の睡眠のせいで空になった腹を抱えて立ち上がろうとした。ユヅキが腕に抱き着いてはいるが、そこは達人である。ひねり、関節を回すなどの動きで腕を抜く――直後、ユヅキの手がその関節を極めに動いた。

 アキラは即座にユヅキの頭をチョップした。

 

 

「こら」

「あいたぁーっ」

「さては起きてたろ」

「う~そりゃ起きるよ、気配変わったもん。逆にお姉何でウチらが来たとき起きなかったの? (なま)った?」

「かもなー」

「あ、はぐらかした」

「すりすり」

「うりうり」

 

 

 白さに何やらシンパシーを感じたのか、すりすりとアキラの腕にすりつき始めたハミィの顔が、彼女の両手で撫で上げられる。ハミィ自身はどうやらご満悦の様子だった。

 次いで、アキラがチュリをモンスターボールから出すと、彼女はハミィの氷殻の上に登って新種のポケモンバチュハミと化した。小さな虫ポケモン同士、この二匹の仲は良い。

 

 

「お腹空いた。とりあえず、何か食べよう」

「うん、そだね」

 

 

 どうあれ起きてしまったものは仕方がない。アキラはユヅキたちと一緒に、匂いのする方へと向かった。

 ほどなくして見えてきたのは、何やら料理をしている朝木……ではなく、地面に突っ伏して泥のように眠る彼と、それに代わるようにして携帯コンロに乗った鍋をお玉でかき混ぜているマニューラの姿だった。

 マニューラのように器用なポケモンであれば、調理の補助くらいはできるだろう。時に人間よりも遥かに頭脳に優れたポケモンもいるため、料理をさせるということそのものは別段特殊なことではない。問題は、マニューラが料理などしたことがないという点だろう。火力は弱火で、何か材料を足したりしているような様子も無いことからただ焦げないようかき回しているだけだということははた目からでも見て取れたが。

 

 

「……代わろうか?」

「ニュラ……」

 

 

 一言そう問いかけると、マニューラはホッとしたようにアキラにお玉を手渡してそのまま寝入った。

 鍋の中身は、どうやらわかめと豆腐のごくシンプルな味噌汁のようだ。彼女は少しだけ顔をしかめた。

 

 

「どしたの? 変なものでも沈んでた?」

「や。ただちょっと心配っていうか」

 

 

 アキラは手近なところにあったスプーンで軽く味見をした。味そのものに特に問題は無く、そのことで余計に彼女は首を傾げる。

 

 

「普通にダシ使ってるな……らしくない」

「お姉レイジくんのことどんな目で見てるの?」

「もうちょっと大雑把かと」

 

 

 ユヅキがふと横に目を向けると、最初からダシが入ったタイプの味噌を目にした。首を傾げ続ける姉に教えるべきかユヅキは少し悩んだが、あえて何も言わないことにしておいた。朝木の株が上がればという思いも含んでいる。

 やがてアキラたちの気配を感じ取ったことと単純に寝苦しいこともあってか、パッと朝木が目を覚ました。

 

 

「ん……うぇ……ぶぇっぺっぺ! かはっ! 砂噛んだ……」

「あ、起きた」

「起きたな」

「んぁ……あ、アキラちゃん起きてる。ユヅキちゃんも。おいっす」

「おいっすー」

「ああ」

 

 

 軽く言葉を返しつつも、その中にあってアキラの返答はややぎこちない。本人も意図してのことではないとはいえ、前日の内に終わらせておくつもりだったことが結局何もできず、他の面々との訓練にも参加できずに自分だけ先に眠ってしまったのだ。有体に言ってしまえば、小さな後ろめたさがあった。

 そして彼女はその後ろめたさに押されるように、ほんの何気なく言葉を放った。

 

 

「……ごめん、昨日は結局、わたしだけ寝てしまって」

「へ?」

「は?」

「……え?」

「お姉そんなこと気にしてたの?」

「そ、そんなこと……」

「その程度のことで謝られる理由が分からねえ」

「そ、その……その程度……」

 

 

 この指摘はアキラにとってショックだった。

 これ自体はそれなりに彼女にとって深刻な問題だったのだが、認識に大きなギャップが生じてしまっている。

 対するユヅキたちにとってみれば、アキラの謝っている内容というのは本当に小さなことだった。本当に過労で体調を崩されてしまうよりも遥かに良い。

 

 ――が、同時に彼女はそのことについて自覚が無いのだろうと、朝木はこの旅の中で学んでいた。

 ユヅキは良くも悪くも、実家にいた頃のアキラを知っているがために、記憶という人生経験を失ったアキラのことを正確に把握しきれていない。認識にバイアスがかかり、多少美化された彼女を見ている。その点で言えば、むしろ朝木の方がアキラのことをより本質的に理解していると言えるだろう。

 

 

「……あのさ、アカギから聞いたんだけど、アキラちゃんだいぶ無理したんだって?」

「それは……そうだけど」

「それ、流石に今日はちょっと叱らせてくれねえか?」

「え……?」

「ストイックなのは分かるけどよ、アキラちゃんのそれは自分を捨ててるだけだぜ。自分のこと嫌うのも大概にしとけよ」

 

 

 諫めるように――というよりも、実際諫めているのだろう。その言葉にアキラは顔をしかめ、ユヅキは「ほぇ?」と間違いなく何を言っているのか分かっていない声を出した。そして脊髄反射に近い速度で、「どゆこと?」と続ける。

 

 

「アキラちゃんが他人以上に自分にクソ厳しいの、暴力振るってる悪い奴(じぶん)が何より嫌いだからなんじゃねえかな。なんつーかアキラちゃん自分の体使い捨てにしてんのかってくらい怪我してくるしな……自分を大事にしようって発想がまるでねえ。俺なら怖くて泣き叫んで自分だけ逃げるわ」

「おい」

「今大事な話っぽいからツッコむのやめよお姉」

「え? 今してんのわたしの内面に関わる話なのに当の本人がツッコんじゃいけないの……?」

 

 

 アキラは釈然としないながらも、一応は頷いた。

 彼女の頭の回転は遅くない。これまでも基本的にはぐらかされて終わってきたという状況を踏まえると、とりあえず先に決定的なものを突き付けないと彼女はいつまでも不要な傷を自分に刻み付けていくだけだろう。朝木はそう考えてはっきりとアキラに告げた。

 

 

「アキラちゃん、君はある種の自傷癖を持ってる」

「わたしが……自傷癖……?」

 

 

 思わず、アキラは自分の体を見た。当然ながらそこに、この旅が始まる前からの傷跡などは無い。無論、そうした経験も無い。だが朝木はそれを事実と確信した上で突き付ける。

 

 

「かなり迂遠な奴だよ。……たしかアキラちゃん、見た目が変わってたせいで親父さんとお袋さんに受け入れてもらえなかったんだったよな。そのせいで、『今』の見た目の変わった自分に、否定的な感情を持ったんじゃないか? その上、おばあちゃんから一般常識を叩き込まれた後……レインボーロケット団との戦いが始まってから、暴力ばっかりの自分のことが更に嫌いになって」

「お姉……中二の時にそういうの卒業したはずなのに……」

「え、初耳なんだが……」

「マジか。記憶無くしてるからノーカンだなそれ」

 

 

 過去がどうあれ、現在のアキラの心は間違いなくそうするべきではないところで立ち止まってしまっている。

 ユヅキの先入観はそういった、「過去のアキラ」にとらわれている部分もあるのだ。故に、この点に関しては部外者である朝木にしか指摘しようがない。

 

 

「つったって、自分で自分を傷つけるとか、周りに迷惑がかかることだろ。それは『間違って』る。だから無意識的に、『正しいこと』である人助けをする中で『親に認めてもらえなかった自分』を徹底的に否定する機会があったら、そこに飛び込んで行っちまったんだろうと思うんだ。……違うかな?」

 

 

 アキラは、否定の言葉を吐くことができなかった。朝木の指摘が見事なまでに彼女がこれまで「なんとなく」そう感じ、目を背けてきたことと合致していたためだ。

 心理学の先生っぽい、とキラキラした目を向けるユヅキに、彼は自分はあくまで元医者であるとはっきり訂正を入れた。

 

 

「……そっか、じゃあ、わたしはどうすればいい?」

 

 

 そこまで聞けば、アキラは声を荒げるような真似はしなかった。

 ここまで来るともはや彼の指摘は事実の羅列とそう変わりはしない。自分自身を疎み、嫌う感性そのものを、アキラは心の傷から生じたものであるだろうと認める。あとはそれを診断(・・)してもらうだけだった。

 

 

「そこんとこだが、根治は無理だ」

「ええ……」

「いや、だってよ? 親だぜ? その時、実質頭ん中四、五歳くらいだったんだろ? 俺なんかハタチ超えてんのに、親父に勘当されたとき二日寝込んだぞ」

「それはちょっと違う」

「お姉、かんどーって何?」

「え。ああ、えっと、怒って親子の縁切られたってことだよ」

「あっ、そうなんだ。泣いちゃう方の感動かと思った……」

「まあ泣いたし心動かしたって意味じゃ感動してんな」

 

 

 兄の一件を経て、朝木も自分の境遇を茶化すだけの余裕が生まれていた。

 仮に今後兄の件が取りざたされることとなっても、業界を騒がせたという事実があっては医者に戻ることも既に難しい。割り切ったと言うより開き直ったと言うべきだが、前に進む気力さえ無かったころと比べると雲泥の差ではある。

 

 

「兄貴にも殺されかけたし」

「それもちょっと違うだろ……」

「お兄ちゃんの風上にも置けないよね!」

「……とにかく家族ってやつは、子供にとってそれだけ重いもんなんだよ。他人がどうこう言って、トラウマを癒すなんて普通無理だ。ご両親が発言を撤回してアキラちゃん受け入れるか、君が今ここで成長して割り切るかくらいしかねえ」

「今ここでは難しいんじゃ……」

「そりゃそうだ」

 

 

 本来、精神的な問題に対しては気長に、そして根気強く付き合っていくべきだ。ごく短期で問題が解決するのは、それこそ心理的外傷(トラウマ)の原因が直接除かれるか、よっぽど性格が変わってしまうほどの衝撃が必要になる。

 前者のために使う時間は無いし、後者は良くも悪くも心が頑強すぎるアキラには向いていない。戦場にほど近いこの場所では、それこそ長期間付きっ切りになれるわけでもない。直に兄と対面して、トラウマになった事件の真相を知らされた上で乗り越えた朝木が希少なのだ。そこまでの事態を期待することはできなかった。

 

 ――しかしながら、そうは言っても対症療法というものは、ある。

 

 過去の研修医としての経験から、内心「俺精神科課程嫌い!」とわざわざ参考書を指差して宣言しかねない程度には苦い思いをしてはいるものの、アキラは大切な仲間で、本来は守られるべき子供だ。凄まじい勢いで頭の中の知識を紐解きながら、努めて穏やかに朝木は告げる。

 

 

「だから、少しだけ周りを見てくれ。『今の』アキラちゃんが傷ついたり、苦しんだり、悲しんだりしたら、ヨウタ君や東雲君や小暮ちゃんやヒナヨちゃん、もちろんユヅキちゃんだって辛くなるし、気に病むし――場合によっちゃあ、それ自体がトラウマにだってなりかねない」

「…………」

「アキラちゃん?」

「……あんたは……どうなんだよ

 

 

 普段の彼女からは想像できないほど小さく、か細い声で問いが漏れた。

 朝木が名を挙げたのは五人。そこに彼自身は含まれていない。自分があまり好かれている方ではないと認識している朝木は気を遣ったつもりだったのだが、なんということはない。アキラにとって、朝木レイジは既に「生理的に受け付けない意志薄弱者」でも、「守るべき弱者」でもなく互いに尊重すべき仲間なのだ。

 そのことを認めた朝木は、何やら胸の奥が熱くなるのを感じた。利害に基づく「信用」ではなく、人の情から来る「信頼」を、ああも頑なだった――今も鋼鉄か何かと思わされるほどだが――少女から注がれているのだ。奮起しないことが間違いだと、流れ出る感情のまま朝木は答える。

 

 

プルート()の時から、また傷付くかと思うと胸が張り裂けそうなくらい心配だよ。言って聞かせても怪我して帰ってくるし。……二度とあんな思いさせないでくれ。頼むよ」

 

 

 これだけ正直でまっすぐな言葉を彼からかけられるとは、アキラも内心では思っていなかったのだろう。彼女は困惑と共に照れで赤くした顔を背けた。

 

 

「……あ……あり、がと……

「お姉、元に戻れなかったらレイジ君おすすめだよ」

「おい縁起でもないこと言うな」

 

 

 直後にその顔色はユヅキに耳打ちされた言葉で元に戻る。

 まだ元に戻る希望がある以上そこまで開き直ることができないアキラであった。

 

 



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幕間②

 

 

 ポケモンがゲームでしかなかった頃、究極技というものは威力こそ高いがとかく使いにくい技の代名詞的存在であった。

 理由の一つは、技を使用した後の反動だ。ターン制のRPGであるポケモンにおいて、「1ターン動けなくなる」というデメリットの大きさは計り知れないものがある。

 加えて、同程度の威力を出せる技も、多くはないが存在している。「ハードプラント」に対しては、「リーフストーム」や状況によっては連発可能な「ソーラービーム」。「ブラストバーン」なら「ふんか」や「オーバーヒート」などがそれにあたるだろう。「ハイドロカノン」に並ぶ技はほとんど無いが、いずれにしてもこれらの技は共通して「2ターン使うなら別の技を二連発した方が強い」という欠点があることには変わりない。

 ともあれ、それは対戦に主眼を置いているゲームとして、ある程度ゲームバランスを保つために必要な措置ではあるのだ。

 

 ――では、現実世界であればどうなるか。

 

 

「『ブラストバーン』!」

「シャアアァァッ!!」

 

 

 ポケモンの技というものは、それぞれの個体に応じて発現方法が変わる。チャムの場合は、メガシンカに慣れたこととトレーナー(アキラ)の影響もあり、突き出した両腕から放つ形式のものだ。

 凝縮したエネルギーが炎に変換され、高すぎる温度によって周囲の空気までもがプラズマ化していく。

 そうして放たれた一撃は――山の一角を、文字通り焼失(・・)させた。

 射線上の物質が融解し、あるいは蒸発して消し飛ぶ。それは以前、彼らが目にしたグラードンの「ソーラービーム」を彷彿とさせるほどのものだ。

 

 ほどなくして、崩された地形が緩やかに音を立てて修復されていく。パルキアの能力によるものだった。

 その威力の高さもあって、究極技の特訓では周囲の被害は冗談では済まないほどのものになる。ヨウタたちの世界であれば広大な土地やバトル専用の闘技場(コロシアム)などがあるが、この世界においてはそうはいかない。こうして周囲の被害も気にせず特訓ができるというのは、彼らの立場からすると非常に助かることだった。

 

 

「どう思う?」

 

 

 ともあれ、これこそが海の魔物を攻略するカギになることは間違いない。先の破壊規模を踏まえても精神的衝撃は大きく、朝木や東雲、ナナセなどの大人は愕然とした感情を隠し切れずにいた。

 

 

「かめはめ波っぽい」

「かめはめ波だよね?」

「何? かめ……?」

「お願いだから別のところに着目してな?」

 

 

 対する年少組は直感的に見たままの印象の方が強かったらしく、着目したのは主にチャムの動作の方だった。威力が高いことは彼女らの中では前提でしかなく、あとは自分たちのポケモンがそれを習得できるか否かが重要であるらしい。

 

 

「事実上、グラードンの『ソーラービーム』と同じくらいの威力があるな……火力に限り、伝説のポケモンに匹敵するものが得られたと見ていいだろうか。朝木さんはいかがですか?」

「俺に聞かれてもつえーとかすげーとか言語野の衰退した言葉しか出せねえ」

「習得難易度はいかがですか……?」

「感想くらいのものでいいなら」

「お願いします」

 

 

 十二時間近く必死になって習得を目指して試行錯誤してきたアキラだ。半ば手探りだった分その手ごたえも確かに掴んでいる。彼女はそうした感覚を思い返しながら答えた。

 

 

「過程はともかく、最終的に重要になるのは、どれだけポケモンたちと心が通じ合えてるか。それによって習得の早さも変わるし、難易度って言うなら、人によってマチマチ……だと思う」

「つまり、なつき度(キズナ)ってわけね」

「……とも言う。撃った反動で数秒かそれ以上行動不能になるような技だし、場合によってはエネルギーの過剰な消費で気を失うこともある。そんな時、トレーナーはフォローしてくれるのか? 後を任せられるか? そういう信頼が求められる……と思う」

 

 

 無論、それだけの技を扱うためにはそれ相応の肉体的頑強さや器用さが要求されるが、それは全て技を習得するための「前提」として当然持っておくべきものだ。

 アキラの言う信頼とは技を習得するため、ポケモン側に踏ん切りをつけさせる――最後の最後に必要になるものだ、ということになる。あくまで彼女個人の意見であり、他にやりようはあるだろうとヨウタはそこに補足を入れた。

 

 

「できそうかな?」

「…………」

「なんなのレイジさんのイエスともノーとも言ってない感じの顔」

「ナっちゃんも同じ顔してる」

「…………」

「何だそのイエスともノーともあえて言わない感じの顔は」

 

 

 ポケモンたちにあまり敬われていない(とは言っても仲は徐々に良くなった)朝木が自信に欠けるのはともかくとしても、ポケモンに対する愛情については揺るがないヒナヨがこのような反応を見せるのは、やや意外なことであった。 

 

 

「ペルルって、そんなに気難しいやつだったっけ?」

「そうじゃないわ。あ、エンペルトって種族単位で見れば」

「蘊蓄は今はいいよ……」

「何よ語り足りないんだけど……まあ、今はいいわ。ホラ、私むーちゃん取り戻すためにいろいろやらされたじゃない。そんなのに付き合わされててるんだから、内心ヤな気持ちになっててもおかしくないんじゃないかって思うのよ」

「お姉、ど-思う?」

「自意識過剰」

「何でよぉぉぉ!?」

 

 

 横から割り込んできたやや冷たい言葉に、ヒナヨは涙目になった。

 

 

「うちのギルを見ろ。 わたしはあいつをボッコボコのめちゃくちゃにしたけど、今では普通にメガシンカできるくらいにお互い信頼できてるぞ」

「それって結局特殊な事情があったからじゃない」

「そうせざるを得ない事情があったっていうのは同じだろ? だったらお互いによく話し合って」

「いやアキラちゃんじゃないんだから『話し合う』のは無理だろ……」

「意思疎通はできるからヒナが思ってることちゃんと言おう」

「うん」

「あとは、真摯に向き合っていけばいい。ペルルはきっと結果で応えてくれる」

「そうね……うん、ありがとう」

 

 

 軽く笑みをこぼすアキラに、ヒナヨは例を言いつつも訝しげな表情を浮かべた。

 アキラがこのような気を抜いた表情でいること、その上に修行を目前にしてなお気を張り詰めてすらいないことが、ヒナヨからするとあまりに彼女らしくなく思えたのだ。何か雰囲気変わった? と問いかけるも、しかしアキラは首をかしげるばかりだ。自覚は無いようだった。

 

 

「……アキラさんの言うことももっともだ。人には誰しも後ろ暗い部分や負の面というようなものがある」

「あんまり後ろ暗いところが無さそうな人に言われても説得力無いんだけど」

「そういうこと言って腐すなよヒナ。わたしだってそういうことはある」

「後ろ暗い過去が丸ごと消えちゃってる人に言われても説得力無いんだけど」

 

 

 アキラと東雲は揃ってうなだれた。

 とかく、日々正しくあろう、人々の規範であろうという意識の強い二人にこの手の話は向かないようだ。不器用な二人を見てナナセは顔をしかめた。

 その上最も後ろ暗い経歴があろうという朝木はヒナヨと同じく自信のないグループである。仕方ない、とヨウタは自分の過去を思い返した。

 

 

「僕、五歳くらいの頃にライ太とバトルごっこしてたら知らない人んちの生垣切っちゃって、そのまま黙ってたことがある」

「……私、いまだに講義中に隠れて関係ない本読んでます」

「ウチ喧嘩した男の子の手足折っちゃった」

「一人だけやたらバイオレンスなんですけど!?」

「よく考えろ、悪人と見りゃとりあえず腕ぶった斬りにかかるアキラちゃんの妹だぜ……?」

「そうね」

「待ってくれ! 人を妖怪みたいに言うのはともかくユヅを悪く言うんじゃない!」

「そっち否定しないの?」

「まあ妖怪だよなぁ」

「妖怪よね」

「二人もノるんじゃないよ!」

 

 

 しかし有体に言って、風のように駆け抜けて腕や足を切り裂いていくその姿は、見る者が見れば妖怪・鎌鼬のそれと大差無い。

 そして実際、レインボーロケット団から見ればアキラはまさしく妖怪かないしは都市伝説の怪異そのものだった。見たら死ぬ類のそれである。

 

 

「というか話の趣旨が変わってるじゃないか! 悪いことくらい誰でもしたことあるから、これから償うなら深く気にしすぎると良くないってことだよね!?」

「おお」

「アキラがそんな納得しちゃうの!?」

「やっぱ雰囲気変わった?」

「変わったな……」

「お姉元はこんなだよ」

「そうかな……いや、そうだね……」

 

 

 この中で記憶を失う以前のアキラを知っているのはユヅキだけだが、記憶を失って以後、日常におけるアキラの様子を知っているのは彼女の祖母とヨウタくらいのものだ。

 そうして以前の彼女に照らし合わせると、そういった気質が無いとは言い切れない。激戦に対応するために、その精神が歪んでいたのは確かだ。

 アキラは半ば強引に話題を切り替えるように、「で」と強めの語気で注目を引いた。

 

 

「究極技の話だけど、たぶんこれだけじゃ決定打にはならないと思う」

「そうですね……伝説のポケモンの攻撃に匹敵するとは言っても、匹敵するまでです……。同等の威力がある『コアパニッシャー』と『ソーラービーム』を連発しても、なお倒しきれなかったことを考えると……」

「だからできるだけのことはやる。デオキシス」

「△△△△」

「おおっ」

 

 

 待機していたデオキシスが、その腕からオーロラのような幕を発生させる。そこに映し出されたのは単なる鮮やかな色彩ではなく、先にアキラたちが特訓を行っていた場面だった。

 まず最初に映し出されたのはリュオンだ。その突き出した腕から白銀の光が放たれ、進行方向に存在する全ての物質を消滅させる。「てっていこうせん」の習得を成し遂げたその瞬間の光景だ。

 次いで映し出されたのは、天から青白く燃える複数のエネルギー塊を落とす(・・・)ベノンの姿。地上に叩き付けられたそれはたった一撃でクレーターを穿ち、およそ人間の想像しうる範疇を超えた破壊を生み出していた。ヨウタは一目で、それがまさしく「りゅうせいぐん」であると見抜いた。

 

 

「最初の技は『てっていこうせん』、はがねタイプのポケモンが習得できる技だ」

「徹底抗戦……?」

「鉄蹄鋼線……?」

「鉄釘光線……?」

「すげえ、全員が全員ニュアンスの違うこと言ってる」

「そんなこと言ったら『りゅうせいぐん』だっていくつか意味(ミーニング)ある技よ」

 

 

 一般的に、「りゅうせいぐん」の語源は「流星群」であると言われるが、「流」の一字を「竜」に読み替えられるともされている。

 いずれにしても小難しいことはいい、とアキラはそれを切り捨てた。

 

 

「二つ目はみんな知ってるな、『りゅうせいぐん』。この二つもみんなのポケモンに覚えてもらう」

「前者ははがねタイプ、後者はドラゴンタイプの技だが……」

「並行してモノズの育成も進めなきゃいけないみたいね」

 

 

 現状、誰のパーティを見ても、最低限どちらかの技を習得できるポケモンはいる。成長段階の問題からモノズとシャルトはまずは進化を目指す必要こそあるが、今回の準備期間はそうした実力不足を埋めていくという側面もある。やるか。やろう。そういうことになった。

 

 さて、ポケモンの修行、ないしは特訓の手法は多岐に渡るが、共通して言えるのはどれもさしれ面白みや楽しさを感じられないということだ。

 致し方ないことではあるが、基礎的な能力を伸ばすにしても新しい技能を習得するにしても、最も重要なのは反復作業だ。

 理論として捉え、体に覚えこませ、実証し、有効性を身をもって実感する、ないしはさせる。――その繰り返し。

 ポケモンとしては、新しい技を覚えたらトレーナーにそれだけ褒めてもらえるということで多少はモチベーションも維持できるが、それも「多少」のことだ。感性そのものは人間に近いこともあり、長時間同じことを繰り返せばそれだけ「飽き」が来る。

 

 

「――しかし、あの三人のポケモンたちはよく訓練を続けるものだな……」

 

 

 そんな中、東雲は変に心を動かすことなく、ごく自然なことのように訓練を続けるアキラとユヅキ、ヨウタの三人を見て感心したように息をついた。

 自衛官である東雲は、訓練とそれに伴う痛苦をよく知っている。国防を担う以上、それは当然のことだと捉えている彼だが、だからこそ、過酷な訓練に普通の人間、あるいはポケモンが耐えられるということはなかなか無いということを理解している。

 

 時間的な余裕がなかったこれまでの戦況なら、目前に迫る死を何としてでも遠ざけるために、ポケモンもトレーナーも死に物狂いで修業ができていた。

 が、今は良くも悪くも、それなりの余裕が生まれてしまっている。そうなれば、心理的にはやはり「(ゆる)み」が生じやすいはずだった。

 実際に、東雲の手持ちポケモンたちは時折気を抜いてしまっているようで、数時間ほどが経ってなお、技の習得には至っていない。ああ、と納得したようにヨウタは苦笑いした。

 

 

「僕もアキラたちにやりようを教わっただけで、普段はここまで身が入ってないよ」

「参考までに、どういうことか聞いても?」

「摸擬戦を増やしたんだ。なんかさ、ポケモンたちも人間と同じなら、自分の実力を証明する場が欲しいだろーって」

「そういうものだろうか……」

「なぁーんかそれ分かるわ」

「朝木さ……どうされたのですか」

「疲れたらしくってのしかかってきやがる」

 

 

 そこに割り込んできたのは、のしかかってくるジャローダを背負ったまま向かってくる朝木だった。成人男性と同等の体重があるとはいえ、その程度ならば背負うのも無理というわけではないようだった。

 

 

「俺も昔、覚えた手技を試してぇーとか思ってたことあるんだよ。好奇心で。無い? 東雲君。銃撃ってみたいとか」

「俺はありませんでした」

「あ、そう……」

「……恥ずかしながら、装甲車は弄りたいとは思っていましたが」

「そういうのでいいんだよそういうので! そういう好奇心、ポケモンにもあるんだと思うぜ。だからこう、できることとかやれることが増えたり……増えそうだったりしたら、それ試したいっていう気持ちも増すんじゃね? たぶんアキラちゃんたち、そういうのつつくの上手いんじゃねえかな」

 

 

 アキラもユヅキも拳法家である。体術の習得のための練習、訓練といった事柄は長く経験しており、特にアキラは異常だった身体能力を制御するために、極めて密度の濃い二年を過ごしていた。そうした際の心理状態に詳しいだけに、それを制御する術にも長けているというところだろう。

 

 

「そういえば同期にもいましたね。銃を撃ちたいと言っていた…………」

「あー……っと、ショウゴさん、無理して言わなくていいよ」

「すまない」

 

 

 顔をうつむける東雲に対して、ヨウタは言葉をかけ辛そうに視線を背ける。そんな中、朝木はふと気になったことを聞くためにヨウタに軽く耳打ちした。

 

 

「……なあヨウタ君、こんだけ気に病んでる東雲君に、何でアキラちゃんはグラードン渡したんだ?」

「多分近くにいたからっていうすごい投げやりな理由だと思う……」

「何も考えてなかったのかよ」

「何ならナナセさんとかユヅとかに渡すと思ってたんじゃないかな」

 

 

 しかし結論から言えば、他の面々は色々とやらなければならないことがあったため、東雲にグラードンが渡るハメになったわけだが。

 やはりアキラは他人への配慮に欠けていると実感した二人だった。

 

 

「とりあえず、グラードンどうにか誰かに渡そう……」

「それはやめておけ」

「どわぁ!?」

「アカギさん!?」

 

 

 ともあれ、グラードンは他の面々の誰かに受け渡した方がいい――と考えていたヨウタたちのもとに、ぬるりとアカギが姿を現す。

 驚くヨウタたちを尻目に、彼は東雲を……というよりも、彼の腰に据えられたボールの中のグラードンに視線を送りながら続ける。

 

 

「ポケモンに寄り添おうとする者ほど、超古代ポケモンは精神を取り込もうとする。戦力不足の解消のために『べにいろのたま』を利用してゲンシカイキするところまで戦術として考慮するなら、むしろ憎しみを向けるほどでなければ、カイオーガの二の舞になるだけだ」

「そうだったのか!?」

「そうだったの!?」

「ヨウタ君知らないのかよ!?」

「あくまで状況証拠から来る推論だ。間違っている可能性もある」

「はあ……」

「ま、可能性高いだろうけどよ。となると、やっぱグラードンを制御できる候補はアキラちゃんか東雲君か、ってくらいか……」

 

 

 ちらりとヨウタは摸擬戦を続けるアキラとユヅキに視線を向けた。彼女たちはポケモンたちと一緒に縦横無尽にその場を駆け巡り、地形を破壊しながら壮絶な殴り合いを繰り広げている。これは本当に摸擬戦だろうか? 疑問こそ沸いたが、ヨウタはそれ以上追及することをしなかった。

 と、そんな折、アキラはヨウタたちが自分たちに意識を向けていることに気づいたようだった。彼女は中途で摸擬戦を一旦止めると、全身に流れる汗も止めないままに彼らのもとに着地した。

 

 

「わたしのこと話してたか?」

「ん、まあ話してたけど。アキラ、グラードン預かる気無い?」

「グラードンか……ちょっとそれは、ヒナと話させてほしい」

「どういうこと? やっぱり、手持ちのキャパの問題?」

「とは違くて。――と、ちょうどよかった。アカギ、あんたに頼みがある」

「何だ」

 

 

 怪訝な表情をする一同に向けて、アキラは予想外の一言を続けて放った。

 

 

「――ディアルガの力で過去に飛ぶってことはできないか?」

 

 



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過去に刻むドラゴンクロー

 

 

 時間遡行。それは多くの人類が夢見た超常現象の果てであり、現代では到達不可能な神の領域にある技術である。

 そうではあっても、時間そのものを司り操るという能力を持っており、その(アルセウス)の領域に最も近いところにいるディアルガにとってみれば、自分を過去に送ることも、他人を過去に送ることも決してできないことではない。実際にそれをしていた前例(アニメ)があるため、アキラやヒナヨも半ばそれができることを前提にしていたフシはあるが。

 

 ともあれ。

 

 

「ディアルガの力で過去に飛ぶってことはできないか?」

 

 

 アキラが告げたその言葉に、アカギは軽く顔をしかめた。過去に戻ることそのものはできるにしても、彼女の目的が分からなかったからだ。

 過去を変えるというのはそれだけ重大なことなのだ。ただの思い付きで言いだしていいことではない。無論、現行世界を消滅させようとしたアカギがそのような説教をしても説得力に欠けるが。

 ともあれ。

 

 

「なぜそのような必要が?」

「まさか記憶を取り戻そうと?」

「違う」

「サカキ暗殺でもすんのか?」

「違う」

「レインボーロケット団の先遣隊を潰す……?」

「それも違います」

「…………」

 

 

 ならばなぜ? と、三人は首を傾げた。

 

 他方、アカギが懸念しているのは過去を変えることの利点や弊害ではなく、アキラの「過去に飛ぶ」という事態に対する認識についてだ。

 過去を改変するということは、つまり連綿と続く「現在」を改変することにも繋がる。

 現在主流となっている理論としては、「過去を変えても、その過去から連続するパラレルワールドが発生するだけで、本来の時間軸の世界の出来事は変化しない」というものが挙げられる。親殺しのパラドクスといった時間的矛盾を解消するのに最も適した論と言えるだろう。

 しかし、ディアルガの力を用いた場合は、この論には当てはまらない。過去に起こした現象が現在に波及し、バタフライ効果によって、場合によってはより大きな異変までもが生じる。矛盾までもを内包した世界に「作り変える」。過去、多くの創作において取られた手法がそのまま通用するかたちだ。

 その際に生じるエネルギーはそれこそ天文学的な数値に達するため、ディアルガは常にその能力を用いて過去へと飛ばす人間を選別していた。「あかいくさり」によって現在能力を制限されたディアルガでは、それに耐えることができるかどうか怪しいところである。

 

 

「お前がしたいことは、過去を変えることか? それとも、過去を観測することか?」

 

 

 懸念を抱いたまま問いかけると、アキラは少しだけ呆けたような表情になった後、わずかに考え込むような仕草を取って答えた。

 

 

「まず、観測したい。それから考える。元々、それほど大きな影響が出るようなことじゃないと思うんだけど」

「それは何だ?」

「ヒナが言ってた*1んだけど、1970年代……だったかな、剣山で10メートルもある青黒い大蛇が発見されたらしいんだ」

「50年ほども前か……」

「待ってくれ、70年代って30年くらい前だろ?」

「何を仰っているんですか……?」

「俺の感覚だと10年代の出来事は二、三年前のことだし00年代は四、五年前のことだし90年代でようやく十年前なんだ」

「本当に何を仰っているんですか?」

「話逸れてんだが」

「悪い」

 

 

 朝木は意図せず自分の所感を述べて話を逸らす悪癖がある。今真面目な話をしているんだ、と軽い注意を向けたアキラから引き継ぐように、うんしょと身を乗り出してきたロトムが告げる。

 

 

「でも、10メートルもある……蛇みたいな長い体のポケモン、そんなに多くないロト。イワークにハガネール、パニックになって大きさを測り違えたとしても、長さからギャラドスとかミロカロスロト?」

「それにしたって、色を考えたらそう候補は多くねえぞ? やっぱイワークかハガネールなんじゃね?」

「しかし、そうなるともっと山が荒れていなければおかしいのでは?」

 

 

 イワークは時速数十キロで地面を掘り進んで餌を探すという生態をしているし、ハガネールなどは鉱物食性だ。より地中深くまで掘り進んでいく習性がある関係上、掘り進んだ跡は非常に大きな穴になって残るし、それが原因で地盤沈下などが引き起こされる可能性も高い。見つかれば大きなニュースになるべき事態のはずだ。しかし、現在、そのようなこと確認されていない。

 ならば何が――朝木たちがそう考えたところで、アキラは一つ指を立てた。

 

 

「だったら候補は更に絞られる。例えば――伝説のポケモン」

「……ギラティナやジガルデ?」

「可能性だけだけどな」

「ギラティナというのは?」

「……あ、あれ? アカギさん知らないの?」

「あ、そうじゃん。アカギってギラティナと遭遇する前に転移してる」

「えっと……ロトム、図鑑表示お願い」

「お任せロト~」

「ほう……」

 

 

 このアカギはその野望が成就する直前に世界を転移させられている。「ヨウタたちの世界で観測されたアカギ」とはまた別の可能性を辿っているということだ。

 ヨウタたちの世界でのアカギはギラティナによってその計画を阻止された後、「やぶれたせかい」と呼ばれた地で姿を消して行方不明になっている。彼と最後に決着をつけた図鑑所有者によってもたらされたデータは、彼らの目前のアカギにとって興味深いものであったらしく、彼は食い入るように図鑑を眺めていた。

 

 

「やぶれたせかいだか反転世界だか分からないけど、ともかく、ウルトラホールを抜けた後、この世界のそういう位置づけにある『裏側の世界』との狭間に入ろうとした瞬間があるはず」

「その瞬間ならオリジンフォルムになって……うん。大蛇みたいな姿になるね。それなら見間違えることもある、かな?」

「だからその辺の真相を確かめたいと思って」

「……なるほど、そういうことであれば可能性はあるか」

「じゃなくても、過去に飛べば接触できるかもしれないしな」

 

 

 無論、ただ接触しようとなれば、突然他の世界に訪れるハメになって気が立っているであろうことは容易に推測できるため、襲われる可能性が高くなる。そういった時に対処できるのはより実力の優れるヨウタかアキラだ。彼女がまずアカギに対して過去に飛べるか、と問いかけるのにも納得はいった。

 

 

「ならばまずは過去、何があったかを確かめるべきだろう」

「ディアルガはそれできる? アカギさん」

「過去を見る程度ならば、すぐにでも可能だろう。全員を集めてくるといい」

「やった」

 

 

 じゃあ、ということで意気揚々とユヅキや訓練を再開したヒナヨ、ナナセたちを呼びに向かったヨウタとアキラ見送りながら、朝木はアカギに呼び掛けた。

 

 

「なあ、アカギさんよ」

「何だ」

「ディアルガとパルキア、せっかく力貸してくれてるんだから、せめて世話くらいはさせてくれや」

「……奴らの力を使っているのは私だ。お前たちが気を揉むべきことではない」

「あー、いや、そういうんじゃなくって……」

「俺たちは、パルキアたちの能力によってあの危機から救われている。救われた人間として、救ってくれたポケモンへ謝意を示すものと捉えてほしい」

「――そんな感じ」

 

 

 東雲は思わず朝木を見た。

 言わんとすることはもう少し自分で言語化してもらえないだろうか。彼はチベットスナギツネのような目つきをしていた。

 

 

「そういうものか」

「……や、一概にそれだけじゃねえけど。ぶっちゃけ半分くらい、人間に良い印象持ってもらいてえっていう下心は割とあるよ」

「………………」

「そちらはわざわざ言葉にしないでください、朝木さん……」

「いーんだよ俺くらい嫌われても。多分アキラちゃんやヨウタ君はそういう下心抜きでまず体当たりしていくだろ?」

「ですが」

「かまーねーって。俺心の汚いとこ見透かされてるのかポケモンと初対面だとまず嫌われるし」

 

 

 それに、と言いかけるが、そこで朝木はやめた。

 普段ツンと澄ました表情で、物騒なことを言いつつ皆を引き締めるために自ら嫌われ役になっているアキラのことが、まず彼の中に浮かんだ。

 彼女が何かと無理をしているということを朝木は知っている。ただ怖がられたりするだけでは、やはり心はささくれ立つ。そう考えれば、どこかで誰かに明確な形で好かれる機会があった方がいいだろう――そう考えたが、わざわざ口に出すことでもないと考えたためだ。加えて言うなら、彼女に相談を受けた手前、ある種「患者」の情報を漏らすのは元医療従事者として憚られるのもあった。

 

 ほどなくして、訓練再開早々にまた中断させられてやや不機嫌になったヒナヨや首を傾げるナナセなどを連れ、ヨウタたちが戻ってくる。アカギはそれに合わせてディアルガをボールから出した。

 ディアルガの周囲では、赤い鎖が宙に浮くようにしてその体を――と言うよりは、ディアルガの「時を操る」能力そのものに干渉するように、円形に力場そのものに絡みついている。彼は不快そうに身を捩るが、その赤い瞳に怒りが宿っているというほどではない。アカギはその事実を訝しんだ。

 元々、強引な手法で自らの手中に収めたこともあり、ディアルガとパルキア、アカギの間柄は、単純に険悪という言葉では表せないほど冷えていたのだ。それがごくわずかとはいえ軟化したとあっては、流石のアカギも面食らうというものだった。

 

 頭上に疑問符が浮かぶ。そこに声をかけたのはユヅキだった。アカギのおじさん、と呼び掛けられると、それに連動して似た名前、同年代の朝木は何やら絶望と悲哀と苦悶がない交ぜになったかのような表情に変わった。三十路手前の男は、十二歳の少女にとっては「おじさん」にほど近いと理解させられるのは、アカギが老け顔であることを差し引いても精神的に深い傷を与えるに足る威力を持っていた。

 アカギは特に何も感じていないようで、彼は普通にユヅキにその先を促した。

 

 

「ディアルガもパルキアも伝説だけどポケモンだよ。頭ごなしに『命令』されるだけだったら機嫌も悪くなるけど、ちょっとでも向き合おうって気持ちがあったら、二匹(ふたり)もまあ話は聞いてやろうって気になってくれると思うの。おじさんが前よりもちょっと変わったってことが感じ取れたから、態度もちょっと変わったんじゃないかな」

「……そうか」

 

 

 言われて、アカギは再びディアルガを見上げた。

 やや煩わしげだが、それでもその瞳には、神の如き力を持っているが故の気位の高さこそあるが、確かな寛容さがあった。

 

 ともあれ、そうしているうちに全員が揃う。ディアルガの負担軽減の意図もあり、手法としてはデオキシスがテレパシーで内容を読み取り、オーロラのスクリーンで映し出すというものになった。

 ほどなく、場所と時間軸が特定できたことで、彼あの前に約50年前の光景が鮮明に映し出される。

 剣山の山中だ。鬱蒼と茂った木々が時折、視界を遮っていく。その都度視点が置き換わっていき、十数秒ほど。

 

 

「――来る」

 

 

 そのさ中、ヨウタは不意に何かを感じ取ってそう呟いた。そうした次の瞬間、突如として空間に穴が開いた。それなりの規模を誇るウルトラホールだ。

 そうして、そこから飛び出してくるのは黒く、節くれだった外殻と長大な肉体を持つ龍――。

 

 ――黒いレックウザ(・・・・・・・)だった。

 

 

「色レックウザじゃあねえか! 誰だギラティナっつったの!!」

「冷静に考えなさいよレックウザでも十二分でしょ!?」

「ていうか予想外したお姉顔真っ赤になってる! やめたげて!」

「うわこんな色のレックウザ見たこと無い……ロトム、写真!」

「もう動画で保存してるロト」

 

 

 想定外の事態に色めき立つ一方、冷静に映像を見続けていたアカギは何やら異質な音が響くのに気付いた。東雲もそれに続いて、ウルトラホールを見つめる。また、アキラは羞恥で顔を赤くしながら、ナナセと共に、現れたレックウザがどういうわけか傷だらけであることをまず気に掛けた。

 何か、異様な事態が起きているのではないだろうか? 騒ぐ四人を置いて事態は進行する。現在にまで伝わる通りに、山で作業を行っていた男がその姿を目にし、恐慌状態に陥ってそのまま走って山を降りていく。

 そうして数秒もせず――ミシリ、と。突如として、レックウザが現れたその先のウルトラホールをこじ開ける(・・・・・)ようにして、巨大な黒い腕が姿を現した。

 

 

「――――――あ」

 

 

 不意に、アキラは背筋に悪寒が走るのを感じた。

 普段あれほど運動をしていても乱れることの無かった息が乱れ、冷や汗が異常なほどに流れ出す。自分でもなぜそうなっているか理解できずに、視界が歪みかけるその中で――彼女は、その()を見た。

 ステンドグラスのそれに似た、内から滲み出すような原色の眼光。嘘でしょ、と呟くヒナヨの声を、彼女はどこか遠くで聞いていた。

 

 

「ネクロズマ……」

 

 

 呆然とした様子で放たれたその言葉と共に現れたのは、漆黒のウルトラビースト。

 その剛腕でウルトラホールをこじ開け、空間そのものを破壊して現れたその存在は、何一つ躊躇することなくレックウザへとその爪を振りかざした。

 

 

「ヤバっ……」

「お、おいおいおいおい……!」

 

 

 対するレックウザは、迫るネクロズマの腕を尾で叩き落す。直後、その全身のラインに虹色の光が走った。

 メキ、とレックウザの全身が、圧倒的な脅威に対応すべく変異せんと音を立てた。

 

 

「トレーナー無しにメガシンカ!?」

「そっか、レックウザは食べた隕石のエネルギーでメガシンカするから、無理すればメガシンカもできないことは――」

 

 

 ――と。その時だった。

 ネクロズマの両腕が再び天に掲げられ、膨大な黒いエネルギーが凝縮する。周囲の地形をも巻き込んでレックウザへと叩き付けられる。

 同時に、レックウザは自らのメガシンカを果たすために口腔からそのエネルギーを散らすための音波――「ハイパーボイス」を放った。

 ともすると、ここで二つの絶大な威力を持つ技同士が激突し、山が崩れてもおかしくはなかった。しかし、ここで異常な事態が起きる。レックウザの全身から流れ出ていたメガシンカのためのエネルギーが、光の粒となってネクロズマの放ったエネルギーにそのまま吸収されていったからだ。

 

 

「そんなことが……!?」

「まさか――まさか、『光』を食らうって……!」

 

 

 その性質に対して僅かなりにとも推論を組み立てられたのは、ポケモンの設定を読み込んで理解しているヒナヨ故のものだ。

 ネクロズマは今――メガシンカエネルギーを、「光エネルギーとして」、吸収したのだ。

 

 「ハイパーボイス」を耐えきったネクロズマが、その腕を振るいレックウザの甲殻へと「メタルクロー」を食い込ませていく。

 そして、更に驚異的な光景が繰り広げられる。ネクロズマの口蓋とも呼ぶべき部位が開き――その身を「光」へと変換し、食らい始めたのだ。

 

 

「ひっ」

「――――かっ、は」

「……アキラちゃん!? なっ……あ、過呼吸!? 何でいきなり……!?」

 

 

 更にその瞬間、ネクロズマの行動に応じて徐々に悪化し続けていたアキラの不調が、極限に達した。

 流石にここまで来れば、誰もが異常を察するというものだった。過呼吸と一口に言ってもその重症度は様々だ。これまでどれだけ元気な人間だったとしても、極めて大きなストレスに負けて呼吸を乱し、重篤な過呼吸を引き起こして窒息――ということすらありうる。一旦全員を置いて、朝木はまず処置に入った。

 ヨウタたちが心配そうに見つめるその脇で、スクリーンに映し出される映像は流れ続ける。

 

 やがてそれは、レックウザが限界まで開ききったウルトラホールの先に連れ去られ、光の粒子を残して消滅することで終わりを迎えた。

 

 

 

*1
「なまける術を知らぬ心」より



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過去時間軸のクロスブロッキング

 

 

 アキラの容態が落ち着くのには、数分ほどの時間を要した。

 唐突な出来事に驚きを向ける一同の中、唯一正確に彼女が恐慌状態に陥った原因を把握できているのは、ヨウタだけだった。

 

 

「ロトム、あれって」

「新種のウルトラビーストみたいロト。けど、あの目。アキラが前に言ってたことを考えると……」

「……アキラは、記憶を失う直前にあいつに接触してる」

 

 

 アキラの境遇を正確に把握しているのは、異変の以前から時折連絡を取っていたユヅキと、本格的に事態が悪化して語るどころではなくなるよりも前に本人から事情を耳にしていたヨウタだけだ。

 彼女の話では、ほとんどは消え去った中で唯一、ある記憶が焼き付いているという。黒い怪物と、ステンドグラスから差し込んでくるかのような原色の光、とアキラは語っていた。

 あいつだ、とヨウタは確信した。ヒナヨたちから「ネクロズマ」と呼称されていたことを思い出しながら、ヨウタは背中にじっとりと汗が流れるのを感じた。

 

 

(……強い、と言うより、怖い、だな)

 

 

 黒い怪物(ネクロズマ)の戦い方は、ヨウタが知るどのポケモンとも異なる。手負いとはいえレックウザを圧倒したパワーも驚異的だが、それ以上に特徴的なのはメガシンカエネルギーを光エネルギーに変換したこと、そして何より――生物そのものを光エネルギーに分解し、食った(・・・)ことだ。

 その要素が見えてくれば、自ずと推論の材料は整う。

 ならば、以前の「刀祢アキラ」は――――。

 

 

「なら、それは……もしかして、あのレックウザと同じように……」

 

 

 食われた(・・・・)のではないか、と。

 言葉にこそならなかったが、それを読み取った者は少なくない。東雲は露骨に顔をしかめ、ナナセは顔を俯け、ヒナヨはその悍ましさに思わず口元を手で覆っていた。

 と。

 

 

「そんなことはどうでもいい……!」

「おま」

 

 

 直後、話題にのぼった張本人がそこに現れ、未だ青い顔色ながらも明確に彼らの心配を切り捨ててのけた。

 これが以前の彼女ならばもっと無理をしているところだろうが、流石に彼女も懲りたのか、その足取りは朝木の肩を借りた緩やかなものだった。

 それはそれとして、協力せずに止めろよ、と言いたげな視線が朝木に突き刺さる。彼はそのまま目を逸らして無言で抵抗した。

 

 

「アキラさん、大丈夫なんですか……?」

「……なぜ連れ出したんですか、朝木さん」

「悪い、けど医者(オレ)の判断だ。アキラちゃんのアレ、ただの不調とはちょっと違う」

 

 

 詰め寄る東雲への返答は、毅然としたものだ。ただ流されてだけのものではなく、明確に理由がある。

 

 

「症状としては典型的な心的外傷(PTSD)だ。ただ、普通のと違うのは、アキラちゃん本人にその記憶が無いからマジで困惑してることと、過呼吸もやや軽微なことだな」

「……それだと、完全に無意識で過呼吸になるということになります。より悪いのでは……?」

「そうとも言える。けど、乱暴な言い方すると、PTSDって気の持ちようなんだよな……」

「本当に乱暴な言い方ですね」

「認知機能療法とか、認知処理療法ってのがあってな。PTSDの原因を分析したり、あえてそういうものと向き合うことで、恐怖を克服する手技なんだが――」

「△△△」

 

 

 と、その時、デオキシスが動いた。彼は腕からオーロラを出すと、そこに先程目にした黒い怪物……ネクロズマの投影を始める。

 止める間も無く行われる突拍子もない行動にギョッとする一同に対し、しかしそこで顔を上げたアキラの瞳には――極めて明確な殺意が宿っていた。

 

 

「でぃぃやぁっ!!」

「△▼▼」

 

 

 そうした瞬間、アキラは彼女を支えていた朝木の腕から抜け出して、デオキシスが作り出した虚像のネクロズマに電光交じりの飛び蹴りを叩き込んでいた。

 その鋭い動きに、先ほどまで人の手を借りなければ動けなかった少女の面影はない。焼き焦げた地面がはっきり「殺す」と伝えていた。

 

 

「……まあ、つまりは、こうなるわけだ」

「頑強すぎんでしょ」

「大丈夫そうですね……?」

 

 

 そもそも、アキラは目の前を人を殺されたり、心の故郷(しこく)を破壊されたり、記憶と体を失ったり、死にかけたり死にかけたり死にかけたりと、とにかく数多くの試練を経験している。ネクロズマにトラウマを刻まれるほどの「何か」をされていたと判明した程度のことなら、多少はショックではあるものの、むしろ自分自身の記憶の手掛かりに一歩近づくことにも繋がっている。

 ――結論を言えば、PTSDこそ発症したものの、考えを切り替えることで即座にそれを自力で治療した、ということになる。

 自分の問題については頓着しないアキラであった。

 

 ――ともあれ。

 

 

「……アキラが復活したし、作戦会議でも始めようか」

 

 

 ひきつった笑みを浮かべながらされたヨウタからの提案に頷き、一同は東雲のクレベースの背を円卓代わりに集合した。

 

 

「クレベース、もう少し……そうだ、よし、そこで止めてくれ」

「ベェェ」

 

 

 クレベースの平坦なはずの背中は今、氷結能力によって、剣山を模して変形している。即席の3Dマップだ。

 どうだすごいだろうと言わんばかりに誇らしげな表情をしてみせたクレベースを、ユヅキが偉い偉いと撫でまわしている中で、作戦が練られ始める。最初に発言したのはナナセだった。

 

 

「今回の作戦の主目的は……レックウザを救出することです。ネクロズマの捕獲は……」

「許可できん。奴は世界を渡る能力を持っている。あれより先の未来が無いであろうレックウザとは異なり、本来の時間軸で何らかの影響を与える者がいる可能性は――」

 

 

 言いつつ、アカギはアキラを一度見て、また視線を戻した。

 

 

非常に(・・・)高い」

「それが丸ごとなくなると、未来に良くない影響が出るってわけね」

「そうだ。ディアルガは可能な限り、時を操る能力を用いて辻褄を合わせようとするが、恐らくはそれにも限界はある」

「恐らく? 実証したわけではないのか?」

「我々ギンガ団が『エネルギー開発を専門とする企業として』出した結論だ」

「過去を変えすぎると、辻褄を合わせるために大量のエネルギーが必要になる……または発生する。結果、ディアルガに大きな負担がかかる……という認識で、よろしいですか?」

「それでいい」

 

 

 故に必要なのは、過去への干渉を最小限に留めること、過去の住人と接触することを避けることなどだろう。

 そうなると、相手が相手ということもあり、実際に過去へ行ける者は限られる。

 

 

「――では、ヨウタ君とアキラさんの二人で、作戦に当たっていただきます」

「分かったよ」

「了解です」

 

 

 単純な戦闘力に長け、ネクロズマを抑えこむ役割のヨウタと、隠密と隠蔽、探知に長けていて、レックウザを救出する役割のアキラ。申し分ないを超えてやや過剰にも思えるような布陣に、東雲は片眉を持ち上げた。ナナセはそれも予測していたように、続けて小銭をレックウザたちが出てきた地点に立てて置いて見せた。ウルトラホールを示しているようだ。

 

 

「……ここには最大規模のウルトラホールが開いています」

「――そうか、コスモッグ……!」

「……はい。ほしぐもちゃんたちを進化させる道筋が立ちます」

 

 

 これまで彼らが目にしてきたウルトラホールは、サカキがポケモンをこの世界に呼び込むために開いたものを除けば、ほとんどは1メートルあるかどうかという極めて小規模なものだった。それが今回は、レックウザの丸太のような胴を通してなお余裕があり、更にネクロズマによって押し広げられてさえいる。

 この好機を逃す手は無い。やや緊張した面持ちで、アキラは隣で立っているユヅキから二つのボールを受け取った。

 

 ――だがこの時、同時にアキラには確信していることがあった。

 これ、自分が関わってる以上はロクなことにならないのでは? と。予想外の事態が起きるのは、もはや規定事項だった。

 半目で朝木にサムズアップを送れば、彼は諦めたように医薬品とポケモンたちの準備に向かった。

 アキラも、とりあえずで自分の身を捨てるような真似は慎むようにしようとはしているが、相手はウルトラビーストの、それも「伝説」の一角であるネクロズマだ。イベルタルから予想外の反撃を受けてヨウタが重傷を負ったように、怪我を負うという可能性自体は消しようがない。そして僅かでも可能性があってしまえばアキラは大抵その小さな可能性に行き当たるのだ。彼女は苦々しい顔になった。

 

 

「……あそこに出てくるに至った経緯と、あのメガシンカを抑制した能力が、気にかかるところですが……」

「あの感じだと、おなかすいたからって風だ……よね? ナっちゃん?」

「そうね。物質っていうか、生物? を光に分解するなんて力があるなら、そういうことだと思う」

「あの能力は?」

「……イベルタルもそうだったけど、あれはそういう『生態』じゃないかな。光と密接に結びついたエネルギーを吸ってるんだ。見たところ、媒介になってる技は『チャージビーム』……だと思う」

「直訳すれば充電光線――か。確かに、他のポケモンが使う『チャージビーム』も、見た目こそ電撃を光線にしたようだが……あれも周辺から電気を吸収したことで、結果的にああいう見た目になっているだけだからな」*1

「あれってそうなんだ?」

「よく見ればポケモン側に吸収されていくのが分かる。機会があれば見てみるといい」

「あー、つまりあの光線が黒かったのって」

「周囲の光を吸収しているから、結果的に黒く……と言うよりも、暗くなっていたということだろう」

「興味深い話ですけど、それ後でいいですか?」

 

 

 学術的にはどうあれ、今必要なのは「だからどうするか」ということだ。アキラも話に興味が無いとは言わないが、現状での優先度は低い。

 

 

「……空腹で出てきたのなら、ここでお腹を満たしておかないと、別の世界でこれと同じ被害が出る、ということになります。その対策も……同時に、行う必要がありますね」

「分かりました」

「でもアキラ、どうする?」

「どうするもこうするも……エネルギーを食わせてやる、しか無い。『はかいこうせん』、『ソーラービーム』、『シグナルビーム』、『マジカルシャイン』……なんでもいい、光とエネルギーとが密接に結びついた技をぶち込み続ける」

「そうなるか……そうなるね……」

「東雲さん、強力な光源とか、用意できますか?」

「防衛用懐中電灯がある。渡しておこう」

 

 

 東雲がヨウタに自分の懐中電灯を渡す中、ナナセは羨ましそうに懐中電灯を見つめた。サバイバルゲームが趣味の彼女にとっては、軍用品というものに憧れがあるようだった。

 ともあれ、現状ではこれ以上ヨウタたちに渡すことができるものは無い。物資があればケミカルライトのように化学反応で発光したり、マグネシウムのように着火することで強烈な光を発する物品があれば……と東雲は考えたが、それも現状では手の施しようが無い。彼は一つ諦め混じりのため息をついた。

 

 そうこうしているうちに準備も終わり、アキラとヨウタの二人はディアルガの前に立った。

 ディアルガは先程よりも穏やかな表情で二人を見つめ、ほどなく、その身から発せられた光がヨウタたちを包み込む。

 やがて、目に映る光景が極彩色の線のように移り変わる。「時間を遡る」という異質な事態を視覚によって明確に感じさせられたその直後、彼らは木々の茂る山――その上空へと躍り出ていた。

 

 

「うわあぁぁぁぁっ! 何でぇぇぇぇえ!?」

「まあ、こうなるよな……」

 

 

 パニックに陥ったヨウタと対照的に、アキラは腕を組んだ状態で頭から落下しているというのに至極冷静だった。およそ想定内の事態である。彼女としては、地中に埋まっている可能性すら想定していたほどである。

 

 

「何でこんなことに!?」

「そりゃあ……地球って、公転軌道に乗ってるし自転もしてるだろ。座標を上手く合わせてある程度融通をきかせたとしても、多少ズレてもしょうがないんじゃないかな……って。むしろ位置的には正確で助かるよ」

「先に言えぇぇ!!」

「ベノン!」

 

 

 ヨウタの抗議に聞かないフリをして、アキラはベノンをボールから出すことで、ネクロズマとレックウザが戦闘を始めるであろう場所へ向かって二人揃って地上スレスレを飛び始めた。

 ベノンの目からは強い興奮からか、青白い光が漏れ出し弧を描いている。その異質な様子にヨウタは怪訝そうな表情をし、アキラは小さくため息をついた。

 

 

「ベノンはどうしたの!? 随分興奮してるみたいだけど!」

「分からん。さっきのネクロズマ見てから、ボールの中でもずっと興奮してる。っていうか、キレてる? ベノン、どう?」

「ゴァァァァァ――――」

「やっぱ怒ってはいるみたいだ」

「波動で言いたいこと分からないの!?」

「ごめん、ウルトラビーストはちょっと感じが違ってて分かりづらいんだ」

 

 

 故にこそ、異質な生体エネルギーを発するウルトラビーストが、カプの神によって明確な「外敵」と認定されていると言える。

 平時であればボディランゲージで意思疎通はできるのだが、こうしていざ緊急時となるとベノンの感情がニュアンス程度にしか読み取れないというのは不便なことだった。

 

 

「ベノン、今はダメだぞ!」

「グググッ……」

「何をそんなに怒ってるんだろう……」

「詮索は後だ、接敵する!」

「!」

 

 

 疑問を抱いている中、激突する黒い二つの巨躯が二人の視界に映る。ベノンがその瞳の輝きを更に強くしたが、アキラがその胴を叩くことでベノンは落ち着きを取り戻した。

 

 

「打ち合わせ通りに!」

「分かってる!」

 

 

 着地に合わせ、ヨウタとアキラはそれぞれ三つのボールを取り出した。現れるのはそれぞれヨウタがライ太、モク太、ラー子。アキラがデオキシスとチャム、そしてリュオンである。

 チャムとリュオンがその場でエネルギーをチャージし、デオキシスがスピードフォルムにフォルムチェンジ。瞬時にネクロズマに肉薄し、膨大なサイコパワーに任せてネクロズマを空中へと打ち上げた。

 

 

「『ブラストバーン』! 『てっていこうせん』!」

「シャアアアアアァッ!!」

「ルゥァアアアアアアッ!!」

「――――ッッ!?」

 

 

 ――そこへ、怒涛の勢いで二条の光線が突き刺さる。

 光そのものを放つ「てっていこうせん」と、超高温に達してプラズマ化した火炎というある種の光源である「ブラストバーン」だ。ネクロズマは半ば反射的にそれらを光エネルギーに転化し、吸収を始める。

 

 

(……やっぱりだ、想定通り!)

 

 

 ネクロズマは、「光」と深く結びついた技のエネルギーもまた吸収する。普通に戦う分には伝説のポケモンらしいあまりにも規格外で戦い辛い能力だが、羽ばたき一つで生命に死をもたらすイベルタルと比べればまだ大人しい能力だと言えよう。

 その対処法は簡単だ。つまるところ――。

 

 

「ライ太、『むしくい』!」

「サァァッ!!」

「リノ……!」

 

 

 ――ごく単純な物理攻撃。

 ガバリと開いたハサミがネクロズマの黒く硬質な外皮を捉え、削ぎ取るようにして挟み千切り取る。

 火花と共に凄絶なまでの金属音が周囲に響き渡る。ライ太は広げた翅を強く振動させ、その勢いのまま上空へと向かってネクロズマ諸共に飛び出した。

 また同時、ヨウタもラー子の背に乗ってモク太と共に上空へと向かう。1970年代という時代背景故に空撮技術が発達していないという事情があるからこそ使える、民間人と地形への影響を避けるための苦肉の策だった。

 

 

「ウルトラホールは……よし、開いてる! ほしぐもちゃん、コスモッグ!」

「――――」

「ぴゅい?」

 

 

 他方、アキラはその姿を見送りながら、ほしぐもちゃんとコスモッグをウルトラホールの目の前へと出してやった。

 見る間に二匹の表情が晴れやかになり、ウルトラホールの先から強いエネルギーを取り込んでいく。これまでに接触したどのウルトラホールよりも大きなエネルギー量にほっと一息をつくと、アキラは次いでレックウザへと視線を移し――敵意に満ちた(・・・・・・)その視線を間近で目にした。

 

 

「……まあ……そうなるよな」

 

 

 手負いの獣は、自らの身の安全を図るべく、まずは自らのテリトリーに踏み込んだ者を排除しにかかる。

 アキラもヨウタもそうだが、彼らにとって二人はあくまでネクロズマとレックウザとの生存競争に乱入してきた闖入者でしかない。少なくともそう認識しているレックウザが不用意に近づいてきたアキラに敵意を向けることも、至極当然のことであると言えた。

 がば、と開いた顎からドラゴンタイプ特有の青い火炎状のエネルギー体が覗く。それが「りゅうのはどう」であると気付くのに一瞬ほども要することは無かった。

 口が動く。指示が飛ぶ――それよりも遥かに早く、根底での結びつきのある一人と一匹(ふたり)は即座に行動を起こしていた。

 

 

▼△△△△(気をつけろ)

「悪い」

 

 

 吐き出される火炎は――その直後、「サイコキネシス」によって上空へと向かってその矛先を変えられた。

 こうなることも、考慮には入ることではある。そうあってほしくはなかったが、願っても願っても「そう」なる可能性からは逃れられない。そのことを自覚して、アキラはスイッチを戦闘のそれに切り替えた。

 全身から流れる血を止めないままに、レックウザがその首をもたげる。今にも空へと飛び立たんとするその姿には、痛々しさと共にある種の優美さがあった。

 

 

「デオキシス、悪いけど負担をかける」

▲△△△△(気にするな)

複製体(シャドー)をほしぐもちゃんたちの近辺に配置。『壁』技とオーロラであの子たちを守ってくれ。それから――『じゅうりょく』!」

「▲▲」

「リュリリィ――!!」

 

 

 突如として、レックウザの体を縛り付けるものがある。過剰な「じゅうりょく」――普段、アキラが特訓に用いているそれを更に強め、戦闘用に特化したそれだ。

 ダメージこそ無いが、こうなってしまえば空を飛ぶことはできない。上空へ向かえば向かうほどに強まる重力が肉体を締め上げ、血を「外側」へ向かって噴き出させる――自ずと、レックウザは地上戦を強いられることになる。

 戦闘を前にしているにも関わらず、アキラの瞳は常の戦闘時に比べるといくらか穏やかで、少なくとも殺意は映していない。それでも「伝説」であるレックウザを前にしては下手な加減はできようもない。

 自らの闘志を奮い立たせる意味も込めて、彼女はレックウザへ一言告げた。

 

 

「――悪いが、力づくででも大人しくしてもらうぞ」

 

 

 

*1
独自設定







・チャージビーム
 ネクロズマが使うと発現形態が異なる点と電気を吸収しているという点は独自設定。電撃の束を相手に発射するというのが原作「チャージビーム」だが、本作では「そういう風に見える」技。


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碧落のフラッシュライト

 

 

 ウルトラビースト・ネクロズマという未知の脅威を前にヨウタが選んだ戦術は、単純かつ単調とすら言えるものだ。

 継戦能力に優れるライ太が物理攻撃で牽制し、ラー子とモク太が間断なく光線技を浴びせ続けること。以上である。

 

 

「モク太、『ソーラービーム』! 照射五秒で止めて! ラー子はその直後に『はかいこうせん』!」

「クァァァァ――――!」

「フラァァァ……!」

「ノッ……グァ……カッ……!」

 

 

 ライ太に攻撃が当たらないよう空を駆け巡りながら光線を照射し続けることで、ネクロズマに吸収というプロセスを踏ませ続けて「放出」をさせない。

 ポケモンリーグチャンピオンという、一種のショービズの世界における頂点を目指す人間には似つかわしくない冷淡に過ぎる対応だが、同時にその有効性と実行するにあたっての難易度は非常に高い。相手の行動の機先を制し続け、技を放出するポケモンたちの限界を見極め続けなければならないのだ。一歩間違えれば最前線に立つライ太は元より、ヨウタやモク太たちもまとめて食い殺されかねない。今のヨウタの集中力は極限に達していた。

 

 

「右から来る! 『バレットパンチ』!」

「――――!」

「カッ……!」

 

 

 振り上げた巨腕の付け根に、銃弾の如き速度と威力の一撃が叩き付けられてネクロズマの腕の動きが止められる。直後、上体を反らしたライ太の体スレスレを掠めるようにして「ソーラービーム」がネクロズマの顔面に照射された。

 ダメージそのものは微々たるものだ。特性上、「ソーラービーム」のエネルギーの殆どは食われ続けているため、先にライ太が負わせた傷も見る間に癒えていく。

 

 

「嫌んなるなぁ……」

 

 

 ダメージを与えること自体は目的ではないとはいえ、こうも攻撃が無為に終わると焦燥感も抱くというものだ。どのくらいエネルギーを蓄積できているのか? それを掴むための指標すらも、ヨウタには与えられていないのだ。うんざりした思いを抱えながら、彼は大きなため息をついた。

 

 

「僕らの相手最近こんなのばっかりだ……!」

 

 

 イベルタル、海の魔物、そして今回のネクロズマ――総じて、一癖二癖もあるどころか、特異すぎて一例として挙げることすら憚られるような「伝説」ばかり、ヨウタは相手にしてきている。仲間たちの中でも最強であるヨウタのパーティが強敵を担当するというのは理にかなったことだが、こう何度も、そうした「強敵」の枠を飛び越えて「災害」とすら呼べる相手に立ち向かうのは、いくら彼でも堪えるものがあった。

 

 

(アキラは……!?)

 

 

 問題はアキラの方だ。彼女がレックウザを保護し、ほしぐもちゃんたちが進化に至りさえすればあとはネクロズマをウルトラホールに押し込んでしまうだけ――なのだが。

 

 

「またか!!」

 

 

 案の定、上空からは彼女が当然のようにレックウザに襲われているのが視認できた。

 彼女はポケモンたちからもやや好かれ辛い性質がある。チュリとリュオンは初対面で襲い掛かられたし、ギルは元々敵だった。やや特殊な出会い方をしたチャムとシャルトと、精神のリンクがあって互いに意思が通じ合っているデオキシスの三匹はともかくとしても、実質、初対面からアキラに対して友好的だったのはベノンだけだ。このザマでレックウザを保護してくるから待っていろ、と言われても、言い方は悪いが期待できるものではない。そもそもが不幸体質なのだ。友人として、仲間としてその手腕に信頼を寄せることはできるが、信用はできないのが彼女である。奇しくもその立ち位置は朝木に似ていた。

 

 

「リノ――――」

「!」

 

 

 と、そうして意識が散漫になった瞬間を狙いすましたかのように、ネクロズマの口元から光が漏れる。

 伝説のポケモンにとって、いわゆる「普通」のポケモンは本来大した脅威ではない。そもそもの身体能力がその「普通」のポケモンにすら劣る人間など猶更だ。

 文字通り、ネクロズマは一撃で十分なのだ。それだけで少なくともヨウタを殺しきることができるだけの威力を秘める攻撃は放つことができ――――。

 

 

「――だろうね!」

「フラァッ!」

 

 

 似たような流れの中、油断によって一度大怪我を負ったことのあるヨウタは「そう」なる可能性を誰よりも危惧し、想定して訓練を積んできた。

 ヨウタと、彼が乗るラー子を狙って放たれたのは、彼らを蒸発させてなお余りあるほどの熱量と規模を誇る原色の光線だ。ネクロズマの眼部に灯るプリズム体内部の乱反射によって増幅されたエネルギー。それを、ヨウタたちは進行方向に対して螺旋を描くような軌道のバレルロールによって回避してのけた。

 高速戦闘のさなか、急激に軌道を変えたことによってヨウタの身に強いGがのしかかるが、彼はそれを半ば強引に軽減しながら再びネクロズマを視界に収める。

 

 

(アキラの介入は期待できない! 僕たちだけでやる!)

 

 

 決意を固めたヨウタは、ラー子の胴を腿でしっかりと挟み込んで両腕をフリーにした。

 Zパワーリングとメガストーンが虹色の輝きを放ち、伸びていく。

 高速軌道の中、視認の難しい状態での行動だ。しかし、それでもネクロズマは見逃さなかった。

 

 

(当然、そうなる)

 

 

 そして、ヨウタはそれも織り込み済みだった。

 逆手に握った懐中電灯の強い光を直にネクロズマの顔面に浴びせることで一瞬、その意識を自身に向ける。

 ネクロズマは野生のポケモンだ。時にトレーナーがいないからこそ大胆な行動を取れることもあるが、伝説のポケモンとしての力を持つ――「外敵がいない」という特徴があるからこそ、その行動の多くは後先を考えない大雑把なものだ。

 故に、優先順位を誤る。自分の邪魔をする鬱陶しい人間が目の前で餌を持って手を振っているのだ。叩き落し、殺せばそれで済む。一瞬でもその思考に至ってしまえば、一度もヨウタの方に意識を向けないということはできなくなる。

 

 そして、その一瞬の隙を突いて――ライ太のメガシンカは完了した。

 

 

「ハァッ!!」

「クァァァッ!?」

 

 

 背部の翅の付け根から放出されるエネルギーを用いた急加速でネクロズマに肉薄し、変形した鋏を全力でネクロズマに打ち付けて、ヨウタへの攻撃を阻止する。

 目に見えてネクロズマの怒りのボルテージが上がっていく。黒い体色の内側から、警戒色にも似た眼部の赤い色彩が漏れていた。

 ――こういう場合は、大抵「良くないこと」が起きる。ヨウタは経験則でそう察していた。

 イベルタルの時もそうだ。確実に翻弄し、着実にダメージを与え続けていると思っている時ほど、ふとした拍子に盤面そのものをひっくり返される。

 

 

「くそっ、アキラは……ほしぐもちゃんはまだ!?」

 

 

 モク太がヨウタに代わってアキラのいる場所に視線を向けるが、すぐに首が横に振られる。

 思わずヨウタは舌打ちした。ほしぐもちゃんが参戦すればいいというものではないが、ウルトラホールから流れ込むエネルギーを吸収し続けている二匹がウルトラホールの前から退かない限り、ネクロズマをウルトラホールの向こう側に押し返すことはできないのだ。

 そして、ネクロズマをウルトラホールに放り込んだ後も、いつまでもウルトラホールを開きっぱなしにしておいていいわけではない。戻ってこれないように一度経路を塞ぐ必要がある。そうなれば、ほしぐもちゃんたちを進化させる千載一遇のチャンスは失われる。

 

 

(――コケコを出すべきか……!?)

 

 

 一瞬その考えに至りつつも、すぐにヨウタは首を振った。

 戦闘狂のカプ・コケコならば、時間を稼ぐ――というよりも、「楽しい戦い」を続けるためにあえて手を抜いたりして、戦いを続けようとすることもありうる。

 しかし、あまりに制御に難がある。その上、雷の力を司る能力は、それを発するのに「光」を伴うためネクロズマに対してとにかく相性が悪いのだ。迂闊にボールから出すわけにはいかなかった。

 エネルギーだけならば、そう遠からず「元の時間軸」のそれと同程度の量が吸収されていくことだろう。レックウザの内包するエネルギーは相当なものだろうが、メガシンカエネルギーはともかくとして肉体そのものを光に分解して吸収するという方式では、変換効率はそれほど良くないはずだった。

 それでも、精神を削り続けるばかりの持久戦は終わる兆しを見せない。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 「しんそく」の突進が山肌を削り、木々をなぎ倒す。

 吹き荒れる風が舞い散る葉や木片を巻き込み、レックウザと共に黒い烈風と化しその暴威を振るうべく、その矛先は「前方」へと向けられた。

 

 

「グルァァァァッ!!」

「クァァァァァッ!!」

 

 

 それを真正面から食い止めたのは、「伝説」に対抗できる数少ない実力者、規格外の膂力を備えたギルだ。

 特性「すなおこし」によって生じた砂塵が飛来する木片を削り落して防ぐが、レックウザ自身にダメージは無い。「エアロック」か、とアキラはギルの背後で呟いだ。

 特性「エアロック」は、天候を変える技や特性を無効化する。が、少なくとも今この場においては、それは気流を操る能力として表れていた。風によって雲を呼び日を陰らせ、風によって雨雲を散らす。

 その特性の果ての果てにある「乱気流を生む特性(デルタストリーム)」を知っていることもあって、アキラはその特性の表れ方を思ったよりもすんなりと受け入れていた。

 

 バチバチと、火花が散るような力比べは、そう長くは続かない。

 既にネクロズマと戦って傷を負い、メガシンカのためのエネルギーも吸収されているため、レックウザの方が長期戦を嫌がったためだ。

 押し合いのためにギルが押さえつけている頭を支点として、長大な体がうねり、しなる。鞭のような動きを見せたその時、尾先にエネルギーが集約しているのをアキラたちは見逃さなかった。

 

 

「『ドラゴンテール』が来る!」

 

 

 アキラの警告に瞬時に反応したのはリュオンだった。先の「てっていこうせん」の反動で体力こそ半減しているが、その身はドラゴンタイプの攻撃を軽減するはがねタイプの硬功(はどう)に覆われている。

 加えて、ただ振るわれただけの技ならば、その軌道は極めて直線的で流し(・・)やすい。

 

 

「ルオ――――」

 

 

 まっすぐに、しかし常軌を逸する速度で向かい来る尾をしっかりと見据えながら、リュオンはその姿勢を低くした。一歩進むごとに低く、もう一歩進めば更に低く。地を這うような位置で「ドラゴンテール」を掻い潜ったリュオンは、自身と尾の位置が重なったタイミングで上下を反転、側転のような形でレックウザの尾を蹴り上げる。

 アキラはそれに乗じて尾を潜ると、伸び切った胴に手をかけて跳躍――そのまま、レックウザの胴を駆け上がった。

 

 

「ギァァァァッ!?」

 

 

 当然、その不可解な行動にレックウザは驚きと不快感を露わにした。ギルも少々驚いているようだが、彼はまだ精神的に幼い。戦うとなるとそれ以外の思考が頭から抜け落ちてしまうのは自然なことで、アキラの行動の意図を理解できないのもまた当然のことだった。

 自身の頭の上によじ登った不埒者を噛み殺すべく、レックウザがその口を開き頭を揺らす。しかし彼女は意に介することなく、むしろどこか穏やかな様子で暴れ馬を乗りこなすようにして、器用に立ち回って躱していた。

 

 

「殺し合いをしたいわけじゃないんだ、大人しくしてくれ!」

 

 

 告げるも、大した反応は無い。難物だな、と呟くアキラの口元には、珍しく苦笑が浮かんでいた。

 彼女は基本、戦いの場で笑うことは無い。後ろに守るべき人間がおり、目の前に倒すべき敵がいる状況下で気を緩めることは、そのまま自分だけでなく守るべき人間の死に繋がるからだ。

 しかし今、この場ではそういったしがらみは無い。レックウザも「倒すべき敵」ではなく、「意」を発して相手を威圧する必要もない。何ならアキラの意向を理解してくれさえすれば戦う必要すら無いのだ。多少は弛緩もしようというものである。

 

 

「力尽くで抑え込むしかないか……? いや……」

 

 

 それ自体は何のことは無い、よくある話だ。アキラもある程度そうなることは覚悟しているが、しかし彼女は本能的な部分で「そうするだけではいけない」と感じ取っていた。

 力で抑え込むだけでは、心は遠ざかるばかりだ。レックウザは絆の有無に関わらず、食らった隕石に内包されたエネルギーを開放することでメガシンカできる特異な能力を持つ。なんとかしてそれを使ってもらうことができれば間違いなく今後のための戦力にはなろう。

 しかし、そのために押さえつけて自由意思を奪うというやり方を選んでしまえば、レインボーロケット団と同類にまで落ちるだけだ。

 

 ならばどうするか――となれば、やはり、説き伏せる必要がある。

 よりにもよって戦う以外に能のないわたしがか、と彼女は自嘲した。

 

 

「やるだけやるしかないか……!」

 

 

 それでも、ただ倒すだけの戦いではないと知るアキラの気分は、殺意に満ちて張りつめている常日頃と比べていくらか軽かった。

 

 





 野生の伝説相手の方がむしろ気楽に戦えるガール。


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裂空のプリズムレーザー

 

 

 レックウザの外皮は、その蛇のような外見とは裏腹に非常に硬質だ。

 そんなレックウザの頭にまたがっているアキラは、穿いている薄手のレギンスが擦り切れて腿が痛むのを感じた。

 体術で負担を軽減するにしても、限界はある。血が滲み始めるまではまだ遠いだろうが、そう遠くないうちにそうなる可能性は否定できない。

 

 

(――でも、感触の割に柔軟だな)

 

 

 レックウザの体はいくつかの「節」に分かれている。時に竹のようだとも例えられるその外見故に、アキラもその節ごとに硬質な外殻で体を覆っているものだと考えていたのだ。

 その考えはそう間違ったものでもなかったが、レックウザの動きを阻害することなく見た目が歪むようなこともないことから、任意で伸縮する特性も備えているのだと彼女は推測していた。

 

 

(もっとも、それが分かったところで「ドラゴンってすごいな」って話にしかなんないんだけどな……)

 

 

 その特徴にしても、伝説のポケモンだからか、それとも普通のポケモンもそうなのか……場合によってはポケモンが全般的に持つ特徴だったりもするかもしれない。

 そこまで考えて、アキラは今までの戦いよりもずっとどうでもいい思考に耽っているな、と少しだけ反省した。

 彼女の苦手分野は、対話と説得だ。不言実行を旨とするが故に口数は少なく、最近はやや緩和される傾向にあるが自分にも他人にも厳しい性格は未だ健在のため口調もキツく、オマケに人生経験の欠落から語彙も少なめだ。典型的な「拳で語る」タイプであるアキラにとって、話術を習得するのは喫緊の課題と言えた。

 

 

(どうする? 褒めるか? いや、タイミングが悪い、神経を逆撫でするだけだ)

 

 

 きみ、いいウロコしているね。うちのパーティにはいらないか。

 そんな文句が浮かんだが、アキラは即座に(かぶり)を振って追い出した。

 

 

(今まで通り、「知ったことか」で済ませていい相手じゃない。苦手だけど、相手の立場に立って考えろ――)

 

 

 アキラは基本、他人への共感性に欠けている。これも人生経験の欠落故のことだが、散々に指摘され責められれば気にもするというものだ。

 普段と異なる点があるとするなら、共感を向けなければならない相手が守るべき弱者であるのに対して、目の前にいるのが本物の、生粋の強者であるということだろう。

 ――だが、それ故にむしろその気持ちはアキラにより近い(・・)。先天的に得た能力かそうでないかという違いこそあれど、孤独な身の上で理解不能な状況に陥ったというそれは彼女と似通っており、その精神の動きもアキラ自身が経験したものに似る。

 尋常ではない攻撃性に、度を越えた視野狭窄。自分の場合はどうだっただろうかと考えて、アキラはまず――デオキシス以外のポケモンを全てボールに戻した(・・・・・・・・・)

 

 アキラを除く全員が、一律に虚を突かれたように一瞬動きを止める。「じゅうりょく」こそ止まっていないものの、驚きで体が硬直したレックウザには空を飛ぶという発想が失われていたようだった。跳躍して目の前に躍り出たアキラに、レックウザは面食らったように目を見開く。

 

 ――何もしない、と伝えるにしても、まずはこの状態から脱する必要がある。

 

 それは彼女自身が経験したことだ。

 アキラは記憶を失って少しして、混乱の極致に陥ったことで、自分の力に対する自覚も無いままに癇癪を起こしかけたことがある。それを行動一つで止めたのが、彼女の祖母だ。

 それもなんのことはない、ただアキラの前に身を晒した、それだけのこと。人知を遥かに超えた膂力の前では当然ながら、ただの人間では身が持たない。実際に腕や指の数本も折れて――そこで初めて、彼女は正気に戻れた。泣き、喚き、許しを請うた。祖母は何のことは無いという風に振る舞い、アキラを抱きしめて受け入れた。彼女が祖母のことを強く尊敬している原因となった一件だ。

 それに、倣う。

 無論、血縁という確かな繋がりがあったからこそ、正気に立ち返るほどの衝撃を受けたのだ。その手段をそのまま用いることはできない。

 

 ただ、それに相応する衝撃を与えることは、彼女にも可能だ。

 

 

「傷つける気も戦う気も無い。わたしはただ、おまえと話がしたいだけなんだ」

 

 

 拳をほどき、落ち着いた声音でしっかり、はっきりとその言葉をレックウザへと告げる。

 しかし、届きはしても――レックウザは受け入れない。無防備に、不快な気持ちにさせられる人間が目の前に躍り出たのだ。その矮躯を砕くべく尾が振るわれ――空を切った。

 

 レックウザの頭に疑問が満ちる。

 アキラは、目の前の少女は一歩たりとも動いてはいないはずなのだ。「じゅうりょく」を発し続けているデオキシスからも、サイコパワーの高まりは感じられず、介入は無い。

 ありうるとするならただ一つ。――流し(・・)たのだ。伝説のポケモンの攻撃を。

 確かに、レックウザも「このくらいで充分だろう」と高をくくって手加減をしていた部分はある。それ故に可能か不可能かで言えば、可能であったのだろう。どうやら指や手首に尋常ではない負荷がかかって砕けたという点を除けば。

 アキラは、脂汗を流しながら再びレックウザへと呼び掛けた。

 

 

「戦うつもりで来たわけじゃないんだ。話を……聞いてくれないか。頼むよ」

 

 

 不愛想な顔つきながらも、どこかハラハラした心境でデオキシスはその様子を見定めた。

 今の攻撃はどうあれ死ぬような強さのものではなかったし、アキラにも対抗手段があったから、見守るのに徹することはできていた。しかし二撃目となるとどうなるか分からないというのが実情だ。いつでも介入できるよう、ディフェンスフォルムに変身(フォルムチェンジ)したデオキシスは彼らの行動を待った。

 

 果たして――レックウザが選択したのは、「様子見」だった。

 心を打たれたのではない。単純に異様だったのだ。あの黒いナニカと(・・・・・・)同じにおい(・・・・・)がする少女が自身に危害を加えようとしないことが。

 

 アキラはその複雑な内心までは読み取れないながらも、いったん止まってくれたことに安堵の息を漏らした。

 同時に、戦いを終えたと認識したことで脳内物質が切れ、両腕が強い痛みを訴える。あらぬ方向にねじ曲がった指をもとの形に戻しながら、こりゃ帰ったら説教だなと彼女は小さく苦笑した。レックウザはその慣れっぷりに引いた。

 ――と、そんな折だ。

 

 

「ぴゅいー!」

「!」

 

 

 先ほどまでアキラたちがいた方角……ほしぐもちゃんたちにエネルギーを吸収してもらっていたウルトラホールの前から光が漏れた。進化のエネルギーに満ちた眩い光だ。

 

 

「まさか……」

 

 

 急いでそちらに足を向ければ、そこでは二匹のコスモウムが静かに地面の上に横たわっていた。

 どうやらユヅキのコスモッグが進化したらしいということが見て取れる。しかし――。

 

 

(……ど、どっちがどっちだ……?)

 

 

 喜ばしいことではあるのだが、いかんせん見分けがつきづらい。

 元々彼らがいた位置は覚えているし、微妙な外見的差異もある。しかし、ユヅキのコスモッグはやや活発な方だ。ウルトラホールの前にいるにしても少し目をはなせばそのあたりをぴょんぴょんと飛び回るため、位置は参考にできなかった。

 

 

「ほしぐもちゃん……?」

「――、――」

「あ、良かった。これで分かる」

 

 

 幸い、呼びかけさえすれば応じるようで、ほしぐもちゃんはアキラに自分の存在を示すように小さく思念を送ってきた。

 対するコスモウムはそういう遊びと勘違いしたのか、ぴゅいぴゅいとアキラへ思念を送って来る。やはりほしぐもちゃんと違って溌溂としていて分かりやすいため好都合だ。微笑ましく思いつつも、彼女は僅かに違和感を覚えた。

 

 

「ほしぐもちゃんには、進化の兆しは無いかな?」

「――、……――」

「ん……?」

 

 

 ウルトラビーストであるほしぐもちゃんの波動は読みづらいものの、それでもおおよそは理解できる。

 誘導に従って視線を横にすらせば、コスモウムとほしぐもちゃんとの間に細く、しかし確かなエネルギーのラインが形成されているのが確認できた。どうやら、これを利用してコスモウムにエネルギーを供給していることが、ほしぐもちゃんが未だ進化に至っていない原因であるようだった。

 

 

「なるほど、できるだけ一緒に進化するつもりなんだな」

「――――」

 

 

 ほしぐもちゃんとミュウツーの戦闘は痛み分けに終わっている。あの時以上の戦力が要求されるのは当然のことで、それをヨウタに次いで実感しているのは、あの時実際に最前線にいたほしぐもちゃん自身だ。

 だからこそ、可能ならば同時に進化を遂げることで、切磋琢磨して訓練を積み、互いに急成長を遂げるための時間を設ける……というのがほしぐもちゃんが理想として思い描いていたことでもある。既にエネルギーが臨界寸前に達していることから、実を言えばすぐにでも進化自体は可能だった。

 ――もっとも、状況がそれを許してくれるかは別問題であるが。

 

 上空の戦闘音が激しくなっていくのを耳にしたアキラは、悩まし気にしながらほしぐもちゃんに呼び掛けた。

 

 

「……ごめん、ほしぐもちゃん。そうしたいのはわたしたちもやまやまなんだけど、そろそろヨウタがヤバい」

「――――!」

 

 

 途端、その雰囲気が引き締まる。アキラは次いで背後のレックウザを肩越しに見据えながら軽く手を掲げて見せた。

 その口元には薄く、どこか妖しさを感じさせる笑みが浮かぶ。

 

 

「話をする前に一つ、聞きたいことがある」

「グゥゥ……」

「おまえを『そんな』にした相手に、リベンジしようっていう気はあるか? ――レックウザ」

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 常識外れの研鑽の果てに培われた紅の剛腕と、生来からそう生まれついただけの強者という理外の存在の巨腕が激突し、衝撃が大気を弾けさせる。

 かれこれメガシンカを果たしてから十数度の打ち合いを経て、ライ太の両鋏は既に大きく損傷している。

 対するネクロズマは、その体表に一切の傷が無い。一つ傷がついてもエネルギーを使うことでそのたびに修復しているからだ。

 

 

「モク太、ソーラー……ッ、いや、ダメか! だったらネクロズマの進路上に『ひかりのかべ』!」

「クルルゥ……!」

「ラー子、『シグナルビーム』!」

「フラァッ!」

「…………ッ」

 

 

 ここまでくると、ラー子たちに既に「はかいこうせん」や「ソーラービーム」を撃つだけのエネルギーは残っていない。完全にジリ貧だった。

 普通に戦おうと思えば、ともすると倒しきることは可能だろうか、とヨウタは考える。元からそうするわけにはいかないし、太陽光という無尽蔵のエネルギー源がある以上それも難しいかもしれないと考えて思考を打ち切る。

 いくらなんでも時間稼ぎをするにしても限界はある。何度目か知れない「まだか」という絶叫じみた思考が駆け抜けたその時、不意にヨウタの視界の端で光が弾けた。

 まるで、地上に太陽がもう一つあるかのような輝きに思わず目を奪われたのは、ネクロズマだけではない。ヨウタや彼のポケモンたちもまた、その光をよく知っていたことで一瞬、動きが止まる。

 

 

「ほしぐもちゃんが……進化を……!?」

「ギギッ……リリリァァァァ!!」

「!」

 

 

 と、その時だ。突如として、ネクロズマはその身を震わせ、全身からレーザーを放ちながら脇目も振らず地上へ――ほしぐもちゃんに向かって突撃した。

 尋常ではないその様子に一瞬面食らうも、ヨウタは即座に思考を切り替えてラー子の背を叩いた。

 ライ太とモク太もボールに戻し、ネクロズマの後を追って急降下する。全力の機動によって発生する風圧で身が軋むが、気にしてはいられなかった。

 

 そうして地上に転がり込むように降りたその時――ヨウタは、ネクロズマの体を貫く毒々しい紫の閃光を目にした。

 ちょうど、突撃するようにしてほしぐもちゃんに向かって飛び掛かったところに、無数の光線の間を縫ってカウンターを叩き込んだような形になる。

 それを成し遂げたのは、全身から蒸気のようにオーラを立ち昇らせたベノンである。先の接敵の時からネクロズマに対して剥き出しにしていた闘争心はより強くなっていた。その意を汲んだ形なのだろう、アキラが小さく苦笑しているのがヨウタからも見て取れる。

 

 

「アキラ! レックウザは!?」

「問題ない。それよりネクロズマをほしぐもちゃんに近づけさせるな! レシラムたちとキュレムみたいに吸収合体されるぞ!」

「なっ……それ先に言ってくれないかな!?」

 

 

 アキラたちにとっては周知の事実であるが故に、なんとなくで伝え漏れていたものだ。しまった、と彼女はばつが悪そうにして言葉を詰まらせた。

 そうした間にもほしぐもちゃんたちをボールに戻しておくというあたり、用意が良いのか悪いのか分からないな、とヨウタはため息をついた。

 

 

「リノ……!」

「絶好の寄生先がいなくなっておかんむりか? ――悪いが、こっちにもどうやらキレてるヤツがいるんでな」

「ゴオォォォゥ……!」

「合わせるよ」

「ああ。『りゅうせいぐん』!」

「『りゅうせいぐん』!」

 

 

 瞬間、天より無数の岩塊がネクロズマに向け高速で降り注ぐ。

 ラー子が体力の大半を消耗しているせいか、その精度はやや甘い。しかし甘いからこそ、ネクロズマ一匹に集約するような形ではなく、その周辺に絨毯爆撃を行うように細かな礫が叩き付けられる。

 回避は――できる。その効果範囲こそ広くとも、隕石はそう大きいものではなく、隕石同士の間隔もまばらだ。

 単に膨大な光エネルギーに任せて隕石を吹き飛ばすよりも、回避するほうがよほど効率的だろう。ネクロズマはそう考えたのだろう。実際、ネクロズマは肉体をわずかに変形させた上でステップを踏み、その攻撃全てを回避してのけた。

 

 

ここ(・・)だ――レックウザ!!」

「クゥアァアアアアアアアアアアアアァァァッ!!」

 

 

 ――それこそが狙いとも知らず。

 

 ラー子の攻撃は集約率が低くなっていたが、ベノンの攻撃はそうではない。先の攻撃の規模が拡散したのは、あえてそうしたからだ。

 即ち、わざと回避させるための「道」を作り出したのだ。――「逆鱗(・・)」に触れられた者のもとへ向かわせるための。

 

 

「ク、クアッ――カアアアアアアアァァァ!?」

 

 

 レックウザの顎がネクロズマの腕を噛み砕き、青い炎めいたドラゴンタイプ特有のオーラに覆われた両腕がその身を引き裂かんほどに強引に食い込む。

 ――「ここ」から「ここ」まで、ネクロズマを追い込んでくれ。手段は問わない。

 アキラからレックウザに告げられたのはそれだけだ。故にレックウザも手段を選ぶ気はない。

 「げきりん」に触れたネクロズマを「ドラゴンクロー」で引き裂き、断ち切り、ただ「しんそく」の速度で前に進むだけで生じる暴力的なまでの衝撃を叩き付ける。

 

 

「ここで決める……!」

 

 

 そこで、アキラは自身の持つ全てのボールを取り出した。

 ヨウタもまたそれに続いて、ボールを取り出し、投げる。

 

 

「ギリュィアアアァァァァッ!!」

 

 

 物理的な威力すら伴うレックウザの咆哮。ネクロズマはその勢いに押されようやくある場所へと辿り着く。それは、先に彼が姿を現したウルトラホール、その目前だ。

 レックウザの口元に膨大な黒いエネルギーが集約する。応じるように、ネクロズマも眼部の水晶体から莫大な光を眼前に投射。一定空間内を乱反射させることでその密度と熱量とを爆発的に増やしていく。

 二つの光線が放たれる――その瞬間、更に規格外のエネルギーが、レックウザの背後から撃ち放たれた。

 

 「ブラストバーン」、「てっていこうせん」、「ハイドロポンプ」、「かみなり」、「はかいこうせん」、「サイコブースト」、「ハードプラント」――彼らのポケモンが持ちうる全ての力を集約した力の塊そのものだ。多くは「光」を伴う技であるが故にネクロズマにとっては餌同然だが、衝撃そのものを消すことはできず、何よりそうでない(・・・・・)技もある以上、攻撃を無効化するには至らない。

 

 

「カ、カカカッ――ク、ア――――」

 

 

 渾身の「プリズムレーザー」もまた、その渦に飲み込まれ、消失する。

 「これではない」と、本能的に自らの求める光との違いを感じ取りながら、しかしネクロズマはそれに惹かれる心を止められなかった。

 腕が持ち上がり、光がエネルギーとして吸収されていく。その中で水流と急成長した蔦に押され、ネクロズマはウルトラホールへと押し込まれていく。

 

 本能が求める「何か」を探すように腕が掲げられたままに――されど、僅かに飢餓感が満たされた充足を感じながら。

 

 



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幕間③

 

 

 レックウザの説得が終わったのは、かれこれ一時間ほどが経過してのことだった。

 デオキシスたちが念力やくさタイプの技を用いて破壊された山をある程度元に戻すのを待っていたという事情もあるが、大きな理由は、波動でなんとか骨折した部位を治そうと悪あがきしていたアキラにちょっとずつ話を引き延ばされてしまったせいだ。

 叱られるのが嫌なのだろう。そうした人間的な感性をちゃんと持ち合わせていることに小さな安心感を覚えはするが、それはそれとしてちゃんと叱られろ、とヨウタは内心でツッコんだ。

 「てっていこうせん」を二度使ったリュオンは、現在いわゆる「ひんし」の状態だ。そんなリュオンに「いやしのはどう」を使ってくれ、などと申し出るわけにもいかない。アキラは苦笑いで沙汰を待つことしかできなくなっていた。

 

 

「わたしは最善策を考えてただけで」

「その言い訳はレイジさんの前でやってくれ」

「ぐう」

 

 

 そう一言うめくと、アキラは大人しくなった。

 こいつアホだな、とでも言いたげなレックウザの視線に顔をしかめつつ、彼女はそのままレックウザをボールに収める。抵抗は無かった。

 面白い女だとでも思っているのかは、定かではないが。

 

 ともあれ、全ての要件を終えた以上、もう彼らがこの場にいる意味は無い。ほどなくして浮遊感がヨウタたちを包み――次の瞬間には、過去へ旅立つ前とほとんど変わらない空間に戻っていた。

 驚いたようにナナセがびくりと肩を跳ねさせ、東雲が片眉を持ち上げる。思わずと言った様子でヒナヨが「早っ」と呟くのを聞いて、ヨウタは過去に戻ってからそれほど、それこそほとんど時間が経っていないことを察した。ディアルガが気を利かせたか、単にそうする方が面倒が無いのだろう。相互の時間の流れをわざわざ合わせておく必要も無いのだから、措置としては当然と言える。

 

 そうして帰還したということはつまり、アキラの腕の状態が白日の下に晒されるということでもある。目ざとくそれを見つけたのはユヅキだった。

 あ、と声を発した瞬間にはもうアキラは腕を背中に隠していたが、瞬時にユヅキも距離を詰めて腕を取る。折れた手指では流石にそれをどうこうすることはできなかったらしく、アキラが体術で負けるという極めて珍しい光景が繰り広げられた後で、取り押さえられた彼女は渋い顔をした。

 

 

「やっぱり怪我して帰ったんだな!?」

 

 

 次いでこれに反応したのは朝木だ。彼は35kg近くあるはずのブロスターを抱えつつ、鬼のような形相でアキラに近づいてブロスターを――正確にはその砲口を――向けた。

 

 

「わ、悪かったよ……でも、行く前にそうなる可能性は承知してくれてたと思」

「『いやしのはどう』!」

「ブロロロッ」

「ぷぇ」

「はうッ」

「ハウ?」

 

 

 アキラの全身を「いやしのはどう」の優しい光が包む――が、直後、勢い全部で走ってきた朝木の腰が限界を迎えカクンと彼はその場に膝をついた。ぎっくり腰である。

 

 

「……朝木、あんた……」

「言わないでくれ……」

 

 

 どれほど心が強くなろうとも、体の脆弱さまではどうにもならないのだ。

 ブロスターは半目になりながら、死に体の朝木の腕から這い出た。

 

 

「本当にわざとやったわけじゃないんだな?」

 

 

 朝木に代わり、東雲がその質問を投げかけた。

 対するアキラはそれにしっかりと頷く。

 

 

「はい。コレは本当に必要があっただけです。……あとまだ前の感覚引きずってて、このくらいなら行けるなって……」

「そうか……いや、あれだけの能力を失って数日で合わせろというのも難しいか」

 

 

 正直に言ってしまえば、アキラは「まあ多少なら受け流せるだろう」とタカを括っていたのだ。相手は伝説だ。それ故に、脆弱な人間を追い払うのにそう大きな力を使うことも無い。本気で殺しにかかるなんて流石に無いだろう――などと、頭の片隅で少しでも甘く見ていた。その結果がこのザマである。

 

 

「それで、理由とは?」

「レックウザと、グラードン、カイオーガたちの違いです」

「違い?」

「グラードンやカイオーガはゲンシカイキ。対してレックウザは『メガシンカ』、この差異に何か理由があるんじゃないかと思って」

「……なるほど、そういうことか」

 

 

 それにいち早く反応を示したのはアカギだ。彼は先にカイオーガのゲンシカイキについても推論を立てていたため、アキラがそうした理由についても推測を立てることができていた。

 

 

「グラードンやカイオーガは『宝珠(たま)』を通じてゲンシカイキを行う。これを本当の意味で成功させるためには、強い心を持って、取り込まれないように抵抗しなければならない」

「うん。対してレックウザは『メガシンカ』。やれば体内のエネルギーだけでできるみたいだけど、本当の力を発揮するのは絆を結んだトレーナーとキーストーンが揃ってから、だと思うんです」

「ポケモンの力を借りて『押さえつける』のは逆効果と見たか」

「そうか……それで自分を危険に晒してでもと」

 

 

 それもまた心か、とアカギは頭に刻み込むようにして小さく頷いた。

 

 

「……ヒナ、アカギってキャラだいぶ変わってない……?」

「……知的好奇心がそっち向いてるなら、無いことは無いと思うけど……違和感はあるけどそこはそれ、私ら先入観があるからこそ、でしょ」

 

 

 彼は過去に置き忘れてきた精神的な成長を、今この場で取り戻しているのだ。そう考えれば彼の変化も不自然なことではない。

 アキラが数時間アカギを見ておらず、一時的にその印象がややフラットなものに戻っていたということもある。よりギャップを感じていたのだろう、とヒナヨは推測した。

 どうあれこれでほとんどの問題が解決したわけだが、それにあたってふと、ナナセはあることを思い出した。

 

 

「……そういえば、ほしぐもちゃんは……どうなりましたか?」

「あ、うん。そうだ、紹介しとくよ」

 

 

 そう言って投げたヨウタのボールから、次の瞬間眼が眩むほどの強烈な光が発せられる。

 やがて眼を焼くほどの光が途絶え、その影が獅子の姿を形作り――吼える。

 

 

「ラリオーナッ!」

「おお……!」

「――――」

「ヒナお前……わたしが気付かない速度で写真を……」

「動画よ」

 

 

 姿を現したのは、進化を果たしたソルガレオ(ほしぐもちゃん)だ。派手であるのと同時にどこか神秘的な登場に、思わずヒナヨはアキラですら気付かないほどの速度で動画を撮影していた。

 まるでゲームのタイトル画面のようだとアキラも個人的に思っていたが、現実にそれが起きているとなるとファンとしての心が疼くようだった。それで達人である彼女に反応を許さないほどの速度を出せるのは、いささかという以上におかしなことだったが。加速した精神が肉体を強制的に追従させている。

 

 

「ほしぐもちゃーん!」

「あっ、こら! ユヅ!」

「クゥルルル……」

 

 

 次に、しばらく面倒を見ていたこともあって強く思い入れがあったユヅキが、感極まってほしぐもちゃんに抱き着きに行く。

 ほしぐもちゃんはそれに不快感は持たなかったようで、むしろ逆にユヅキに顔をすり寄せて応じた。大元の元が無邪気な性格をしていたほしぐもちゃんである。先の登場についてもむしろ意図してノリノリで演出していた部分がある。「伝説」だからと言って畏敬の念を持たれたり、それで距離を置かれたりするのは、彼自身としても望んでいないと言えよう。

 むしろこうして積極的に抱き着きにこられるのは望むところで、ほしぐもちゃんは自ら体を低く伏せて、機嫌が良さそうに小さく鳴き声を発した。

 

 

「いいのか……」

「ほしぐもちゃん、むしろそういうの大好きだよ」

「ほしぐもちゃあぁーんッッ!!」

「お前からは邪な波動を感じるからダメだ」

「なぁんでよおぉー!」

 

 

 対して、なんとなく邪な思いを感じるヒナヨはその場でアキラに封じられた。決して悪意は無いが、それはそれとしてだらしない顔で走り寄るのは教育に悪いとアキラに思われたからである。

 同じく、アキラも自分が向かうことは戒めた。戦い戦いまた戦いでささくれ立った自分が教育に良い存在とは思えなかったからだ――という以上に、妹の前ではしゃぐのがみっともない気がしたからだ。本心を言えば

 東雲はそんな彼女の心持ちを察したように、小さく息を吐いてアキラの肩に手を置いた。

 

 

「アキラさんたちも遠慮する必要は無いだろう」

「ヒナはもうちょっと落ち着いたらいいですけど、わたしはいいです。ユヅにだらしない姿見せられないんで」

「だらしないなどということは無い。ポケモンたちに愛情を注ぐというのは、素朴だが眩く、美しい行為だと思う。何も恥じることは無いじゃないか」

「東雲さんさぁ……割とクサいこと言うわよね」

「クサ……!?」

「飾り気が無いっていうか……言葉が素直? っていうのも違うか。熱血?」

「いや、やっぱクサいでしょ。悪いことじゃないけど」

「クサい……」

 

 

 人の心に直接的に訴える飾り気の無い言葉というものは、時に古臭く、そして格好をつけすぎているように感じることがある。

 無論、東雲に格好をつけたいという意図は無いし、彼は感じたままの言葉を告げただけなのだが、ヒナヨにはどうしてもそれがやはり、いわゆる「クサい言葉」に聞こえてしまうようだった。

 

 

「ていうか実際アキラもそんな遠慮しないでいいじゃないのよ」

「いいんだよ、ガラじゃない」

「ガラぁ? そーやってクールぶるからとっつき辛く見えるのよ」

「別にわたしはとっつき辛くたって」

「良くない! 友達がそんな風だと私が嫌なの!」

「なっ……待っ……」

 

 

 ちょっと待て、だとか、あるいはお前わたしと六つは歳違うだろ――などと様々な文句が出てきかけるが、寸前で彼女はそれを止めた。

 年齢というならヨウタもいるのだから今更だ。そもそもヒナヨのことを嫌っているわけでもない。ただ、友達と言われたことが嬉しくも気恥ずかしかっただけである。

 思わぬところから出た素朴な言葉というものは、飾り気が無い分ストレートに人の心に染み入るものだ。アキラは気恥ずかしそうにしながらも、小さく顔をほころばせる。ヒナヨに腕を引っ張られるまま、傍らにユヅキのコスモウムを加えて、彼女たちはほしぐもちゃんを囲む輪の中へと入っていった。

 

 

 



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幕間④

 

 

 穏やかな時間は、ほどなくして終わりを迎えた。外界と隔絶されているおかげで猶予こそあるが、危うい土台の上に成り立っている猶予であることに変わりはない。心が落ち着くとともに、一同は再び特訓に戻った。

 

 

「よし、そろそろ始めよう」

「オッケー」

「おっす!」

 

 

 他の四人が特訓を続けている場所から少し外れて、アキラとヒナヨ、ユヅキの三人は、それぞれシャルトとモノズ、ハミィをボールから出して向き合っていた。

 究極技の習得は無論のこと急務だが、それに並んで重要なのは、ポケモンたち全員の実力の向上だ。

 個々のトレーナーによって最前線に出る回数が違い、また、ポケモンたちが手持ちに加わったタイミングも異なるため、その成長具合にもバラつきが出る。可能な限り差を埋めるためにも、特にこの三匹は優先して成長に導く必要があった。

 戦いに身を投じるきっかけが復讐心なだけに、チャンスがあれば前に出ようとするシャルト。元々がゲーチスのポケモンであったため、ポテンシャルこそ高いが警戒のためになかなか外に出せなかった上にそもそも怠け者であるモノズ。そして、やる気にはあふれており、愛らしい姿で和やかな気持ちにさせてはくれるが、そもそも単純に実力が足りないハミィ。いずれも最前線に向かうのは危険な面々だ。

 性急な進化こそ望まないものの、ともすると死の危険があるとなれば致し方ない。アキラは一つ気持ちのスイッチを切り替えて、デオキシスをその場に呼び出した。

 

 

「これからみんなには、ディフェンスフォルムになったデオキシスを突破してもらう」

「ノノッ!?」

「メェ~!?」

「ふんわ」

 

 

 事前に内容を聞かされていなかったシャルトとモノズがおののき、ハミィがやる気を示すようにてしてしと氷殻を地面に打ち付ける。

 ディフェンスフォルムのデオキシスは、ポケモンの中でもトップクラスの防御力を誇る。ゲームにおいては数値上、より堅固な防御能力を備えたポケモンもいるが、今、この場においては――空間をねじれさせてそもそも攻撃が届かないようにできるパルキアを除けば――最硬の防御力を持つのは間違いなくデオキシスだ。

 

 その防御を崩せと言う。

 シャルトはゆっくり体を薄く透けさせていった。特性「すりぬけ」だ。……が、アキラはそれを見越していたらしく、即座にデオキシスに指示が発せられる。

 

 

「『スキルスワップ』」

「▲▲▲」

「メェ~……」

 

 

 (アキラ)に容赦などというものはない。これでシャルトが壁を特性で強引に突破するということはできなくなった。

 

 

「こんな、どっかのてごわいシミュレーションみたいなボスチク特訓、効果あるの?」

「進化できるかはともかく、技の出力は上がる……はず」

「はずって」

「拳強くするために拳腕立てするような感じだよね?」

「まあ、そうなるな」

「拳法家同士だけで通じ合うのやめなさいよ」

「これだけじゃないから大丈夫だって。多分な」

 

 

 ともあれ、デオキシスを相手にした三匹の組手はすぐに始まった。

 シャルトがデオキシスの発した「ひかりのかべ」と「リフレクター」の複合バリアに「まとわりつく」のと同時にモノズが「かみつく」。更にハミィが「むしのていこう」を繰り出すが、バリアはビクともしなかった。

 続いてモノズが「りゅうのいぶき」を、ハミィは「こなゆき」を降らせシャルトが大声で「おどろかす」。それでもバリアは揺るがない。

 

 

「これ本当に大丈夫なやつ? ぶっちゃけ今私、すっごい和んでるんだけど」

「みんな一生懸命頑張ってるのにひどいよー」

「私だって言いたくないってば……アキラ、シャルトちゃん結構戦ってたわよね? 進化の兆候とか無いの?」

「ん? んー……そろそろ、だと思うんだけど」

 

 

 アキラは今日にいたるまで数度、ポケモンたちの進化を目にしている。

 ポケモンが進化する際の気の流れ、波動の動きと言うものにも詳しいが、ではそうした兆候があればみんな進化できるかと言うとそうでもない。

 ほしぐもちゃんは先の例の通りウルトラホールという外部要因ありきでの進化だったし、そもそも明らかに進化できるにも関わらず進化したがらないチュリもいる。指標にこそなるが必ずしも正しいというわけではないのだ。

 特に、ドラメシヤ(シャルト)については、まだこの世界で知られていないポケモンのため、ヒナヨも含めその特徴は一切知らない。目安となる進化レベルも不明だ。

 とはいえ、数々の激戦を制したこともあり、流石にそろそろ進化してもいい頃だと、ヨウタやロトムも語ってはいた。

 

 

「それなりのきっかけが必要だろうな」

 

 

 言いつつ、アキラはデオキシスに意思を伝達する。

 ここまでの流れでは、ポケモンたちの攻撃は一切デオキシスに通用していない。ミュウツーの使ったバリアを模して、それに準ずるほどの強度を誇るものを展開しているのだから当然だ。

 が、それではやっていることは壁打ちと変わらない。技の完成度を確かめるには有用かもしれないが、「鍛錬」にはなりえないだろう。より重要なのは、試練を与えそれに打ち克つことだ。と彼女は考えた。

 

 

「みんな!」

「ノ?」

「メメェ~」

「あいっす」

「ここまでの攻撃で、みんながどのくらい攻撃できるかは分かった。これからデオキシスのバリアを、『頑張ったら壊せる』くらいに強度を落としてもらう。ここからが踏ん張りどころだぞ」

「メェ~!」

「モノノっ」

 

 

 発破をかけられたことで、三匹の攻撃が激化する。先程のそれよりも遥かに強力な攻撃の連打に、ようやくバリアがミシミシと音を立て始めた。

 

 

「ん、思ったより強いわね。それと、バリアが軋むのが早い。アキラ、これ強度設定問題ないの?」

「あれはデオキシスが面白がって内側から揺らしてるんだよ」

「子供かっ」

 

 

 普通のポケモンとは様々な部分が異なるデオキシスだが、彼は発生から数年と経っていない若いポケモンだ。

 精神がリンクしているアキラのおかげで落ち着いた風ではあるが、子供と言っても間違いではない年齢ではあるのだ。からかってみたり、ハメを外してみたりといった情緒は確かに持ち合わせている。

 

 

「お姉、どのくらい強い攻撃すればいいの?」

「限界をちょっと超えた先、くらい」

「……で、進化とかレベルアップを誘発させるわけね」

 

 

 加えて、そもそもデオキシスが音を立てて内側からバリアを揺らしていることは、何も単に遊んでいるだけではない。音を立てて「壊れるかもしれない」「もうちょっとで壊れそう」と誤認させて勢い任せに全力を超えた全力を出してもらおうという魂胆もあるのだ。

 人類は安易に限界を超えればそれだけで死に一歩近づきかねないが、ことポケモンに関しては、その常識外れの適応能力によって「限界を超えた先の状態こそが標準の状態である」、といった具合に肉体を適応させる。これによって技の出力が向上することもあるし、場合によっては進化に至ることもありうる。アキラたちの狙いはここだった。

 

 もうちょっと頑張れば行ける。もうちょっと頑張ればできる――そうした状態を維持し続けることは難しいが、こと訓練中の心理状態について、ユヅキとアキラは誰よりも詳しい。

 激励を交え、発破をかけ、時に休憩を加えて……しばらく。ばきり、とデオキシスのバリアが音を立てたところで、シャルトの全身が輝きだした。

 

 

「メェ~っっ!」

 

 

 同時に、シャルトの内に秘めたドラゴンタイプという種の莫大なエネルギーが弾ける。目が眩むような光の中、爆発じみた波動の放出を目にすることができたアキラからは、その先でエネルギーの大きさから極小のウルトラホールが強引に開かれるのが見て取れた。

 いったいどういうことか? そう疑問に思うのも束の間、その奥からやってきた小さな「何か」がシャルトと激突し、高出力の「りゅうのはどう」がデオキシスのバリアを破ったその直後、進化の光が収まり姿が露になる。

 三倍近くにも伸びた体躯、より深い色となった体色、巨大化した頭部と、そこに乗り込むかのようにして体を寄せる――ドラメシヤ。

 

 

「え?」

「は?」

「うん!?」

「ロロッチ!」

「メェ~」

「ええええ!?」

「何この……何?」

 

 

 世話役(せわやく)ポケモン、ドロンチ。ドラメシヤの進化系であるそのポケモンは――背に一匹のドラメシヤを背負っていた。

 え、何コレ、と彼女らが首を傾げるのも当然であろう。そもそもその場にはシャルトしかいなかったのだから。

 彼らが知る限り、複数匹のポケモンが一匹のポケモンとして成り立っている例はいくつかある。チェリンボやタマタマ、東雲が仲間に加えたタイレーツなどもそうだ。

 ……が、目の前で進化すると共に「そう」なるというのは想定外のことで、一同は思わず目を見開いていた。

 

 

「……シャルト?」

「ドロロ……」

「あ、ちゃんとそっちなんだな……ってことはこっちのドラメシヤはいったい……」

「メメメェ」

 

 

 アキラが頭を撫でてやると、ドラメシヤ――元のシャルトよりもだいぶ小さい――は、溌溂としているシャルトと異なるぼんやりとした目つきでそれを受け入れた。

 横目でちらとデオキシスに視線を向けるが、彼の体には傷一つ無い。「じこさいせい」したような痕跡も無いことから、素で「りゅうのはどう」を受けきったのだということが見て取れる。余裕綽々といった様子に、シャルトは少しだけむっとしたように目を細めた。

 

 

「シャルトは少し休憩だな。次はモノズだ」

「あ、そういえばナっちゃん、モノズ、ニックネームつけてあげないの?」

「ふふん、もう決めてるわよ。サザンドラになるからドララね」

「ドラえもんのミニドラみたい」

「うごっ」

「……ペルルと同じ命名法則だな」

「そうね! 先にそっちに着目してほしかったわ!」

 

 

 ポケモンたちの名前を基にそこそこ捻った名前を付ける刀祢姉妹は、仲間内では実のところマイノリティである。

 ヨウタもナナセもニックネームは極めてシンプルだし、朝木や東雲はそもそもニックネームはつけない方針だ。そもそもこの姉妹の名前も(アキラ)夕月(ユヅキ)で印象を揃えているあたり、刀祢家の血筋がそもそも詩的なネーミングを好むところがあると言えよう。

 なんかちょっと安直という理由で人のご家庭の問題に口を挟まないでほしいわ、と軽くヒナヨは愚痴を吐いた。

 

 

「モノノ……」

 

 

 そんな中、モノズは進化を果たしたシャルトを見て「むむむ」とでも言いたげに唸った。

 一方的な話であるが、モノズは進化が遅かったシャルトに少しだけ仲間意識を持っている。しかし今日、モノズは明確にシャルトに一歩先を行かれてしまった。元々戦闘経験から来る差というものはあったのだが、これになんとなく不愉快な思いを持った。

 モノズは元々ゲーチスのもとで生まれたポケモンである。食事は美味いし甘やかしてくれるし世話もトレーナー自身が見てくれる。頭ごなしに命令されるようなことも無ければ、周囲のポケモンとの関係も良好、ということで気分で寝返ってヒナヨの側についたわけだが、本質的なところでそのプライドは高い方と言えた。

 

 

「モーノッ!」

「ちょっ」

「うぇ」

「嘘ぉ!?」

 

 

 そしてその才覚は、あのゲーチスの肝入りということもあって生半可なものではない。

 グッと体に力を入れて内在エネルギーを爆発。バシン、と進化の光を発すると、もう次の瞬間には双頭の竜――乱暴(らんぼう)ポケモンジヘッドへと進化を終えていた。

 

 

「ジッ!」「ヘドッ!」

「お前マジか……」

「えっ、何が起きたのコレ……」

「お姉、もしかしてこの子アレだよね」

「あ、ああ……」

 

 

 波動や気をある程度感知できているアキラとユヅキには、モノズ――現ジヘッド――が行ったことの異常さがはっきりと見て取れる。

 つまりモノズはあの瞬間、シャルトの体内で起きたエネルギーの変動をそのまま見様見真似で再現してみせたのだと。

 

 ポケモンの存在が現実となったこの世界において、レベルというものは基本的に可視化されない。仮にされたとしても、それは機械で読み取った時点での状態を示しているだけであり、「おおむねこのくらい」ということを示しているに過ぎない。内在するエネルギーの多寡、その放出量の如何によっては容易に変動するものでしかないのだ。

 リュオンを例にとると、普段の日常を過ごしている際には波動を外に放出する必要が無いため、肉体的な頑強さのみで判定され、レベルとしては50あるかどうか、というところになるだろう。しかし、ひとたび戦闘となれば内包する波動の放出によって、機械的に判定すればレベルは10も20も上昇して見える。

 ルカリオ(リュオン)はある種極端な例ではあるものの、他のポケモンでもそれは可能だ。

 が、まさか生来波動に触れてきたルカリオのようなポケモンではなく、まるで正逆と言っていい性質を持ったモノズがそれを成し遂げるとは。アキラたちは驚きで口が開きっぱなしになっていた。

 

 

「天才ってやつか……」

「6Vかしら」

「そういうの関係ないとこでの天才だと思うよ……」

 

 

 現実に個体値という概念は無いが、個体()はある。三つの首それぞれが別の技を放てるサザンドラや、口から火を吹くよりも腕から放出した方が強いチャムなどが顕著な例だろう。

 このジヘッドは、そういった意味で言うなら「潜在能力が桁違い」と言ったところだろうか。単純ながら稀有な素質を有している。グッと力を入れるくらいでそれを引き出すことができるあたり、それこそ安易な言い方をすれば「天才」そのものだ。

 

 

(一気にサザンドラまで進化するのは不可能みたいだけど、この分じゃシャルトが次もうひとつでも進化したら「やり方分かった!」とばかりにホイホイ進化しそうだな……)

 

 

 あるいは、ゲームなどにおいて微妙に進化レベルに達していないはずのカイリューやサザンドラがいた理由は、ゲームバランスの調整という側面のみならずそうした事情があったのかもしれない。アキラは小さく苦笑した。

 

 

「ふわぁ……」

 

 

 ハミィは、進化した二匹を見て目を輝かせると、もちもちと体を伸ばしてみたりぺたりと脱力してみたりした。

 しかし何も起こらなかった。

 

 

「みぃ」

「う~ん……何が足りないんだろうね?」

「ひらひら……」

「ロトムは、絆が深まれば進化するって言ってたけど」

「そこは問題ないと思うが」

 

 

 ユヅキとポケモンたちの関係は極めて良好だ。絆と言うならそれこそ深いものがあると断言できる。

 やはりこれも何かのきっかけが必要なのか……という考えと同時、あるいは基礎的な能力が不足していて、進化に必要な下限に達していないということもありうるかもしれない。

 ポケモンの進化には、ゲームの知識だけでは分からない不思議なことが多いものだった。

 周囲の二匹が進化したことで少しばかり焦るかもしれないが、焦りは間違いなく逆効果になることだろう。きゅう、と小さな腹の音を鳴らしたハミィを、アキラは優しく掌の上に招き寄せた。

 

 

「シャルトもジヘッドも無事進化したことだし、一度休憩に入ろう。ドラメシヤのことも気になるし……進化にエネルギー使ってお腹がすいてるかもしれない」

「分かったわ。ヨウタくんたち呼んでくる?」

「シャルトたちのエネルギー補給だけだし、そこまではしなくて大丈夫だと思う」

 

 

 言ってしまえば、進化のお祝いのでおやつの時間にする、というところだ。本格的な食事の時間というわけでもないため、全員を集めるのは逆に手間だった。

 三匹に渡されるのは、作り置きしていたポフィンだ。機材を用意したのはギンガ団だったが、ポフレやポロックなどの選択肢もある中ポフィンを選んだあたりは地域性ね、などと感じてヒナヨは小さく笑った。

 

 

 



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幕間⑤

 

 

 ヨウタたちの世界におけるポフィンやポフレといった菓子類は、なにもポケモンしか食べられないわけではない。

 塩分や糖分、脂質を落として作る分、人間の口には合いにくいペット用のお菓子などがあるように、これらも基本的に人間の口にはなかなか合わないというだけで、食べられないわけではない。

 ポケモンの世界における菓子類は味のはっきりしている「きのみ」を混ぜて作るため、性質はこちらの世界におけるペット用のそれとむしろ真逆。苦かったり、酸っぱかったり、時には火を吹きそうなほど辛かったり……たとえ上手く作ったとしても、舌に合うとは限らないのだ。

 

 

「ベロと脳がびっくりする……!」

 

 

 そして案の定、ヒナヨはポフィンの洗礼を受けていた。

 クラボのみを使用して鮮やかに赤く染まったそのポフィンは、一見すると可愛らしい。しかしひとたび口に運べば、果実本来のピリッとした辛味が舌を刺す。

 マズいとは言わないが、しかしこちらの世界のマフィンを思い描いていた彼女は、見事にそのギャップに打ちのめされることとなっていた。

 どれ、と軽くつまんでみたアキラも少しだけ顔をしかめる。甘味が無いわけではないが、やはり特徴的なのはピリリと辛いクラボの果実だ。

 

 

「身の分厚い獅子唐みたいな感じだ。本来は香辛料として使われたりしてんのかな」

 

 

 使いようによっては人間用にしても美味しく仕上げることができるだろうが、料理人ではないアキラはそういった手法に詳しくなかった。

 ともあれトレーナーの方はあまり口に合わなかったわけだが、ジヘッドの方はそういうわけでもない。パクパクと、クラボのポフィンを二つの頭で特に抵抗感を持つことなく食べていた。

 食料が一つしかないと二つの頭同士で奪い合いになるのがジヘッドという種の特徴だが、それを解消する方法はごく簡単だ。同じ食べ物を二つ用意すればいい。野生の環境下、獲物が一つしかないという状況であるから問題なのであって、彼らをちゃんと統制できるトレーナーがいるならばそうした問題が起こることは稀であった。

 

 他方、二匹で一対というある意味似たような性質を持ち合わせているシャルトたちの食事は非常に穏やかだ。というのも、ドロンチが頭に乗ったドラメシヤを全力でお世話するという本能を持つためだ。求められれば自分のポフィンも分けてやり、優しげな目で食べ終えるまでを見守る。血縁こそ無いが、それはどことなく親子関係のようで、互いに食料を奪い合うような関係性からは程遠い。

 そして更に一方、ハミィは――ただ一心不乱に食べ進めていた。

 もそもそもきゅもきゅもぐもぐごくん。はむはむはぐはぐ。

 飲み込むために少しだけ止まる以外はほぼノンストップだ。その体格と比しても驚くほどの量を胃に収めている。

 それでもなお食欲が止まる気配は見えなかった。食べた端から消化しているとでも言うのだろうか。既にポフィンは四つ目に突入していた。

 

 

「はぐはぐはぐはぐ」

「もきゅもきゅもっきゅ」

「何を対抗してるんだお前たちは」

 

 

 そしてトレーナー(ユヅキ)の側も何を思ったか、それに対抗するように結構な勢いでポフィンを食べ進めていた。

 ほとんどが甘いポフィンであるのは、やはり辛味や苦味、渋味が強いポフィンでは人間の口に合わないためだろう。時折酸味の強いものに当たって舌を出して驚きを露にしているが、食べられないというようなものはそれほど無い。そこは色合いで見分けているのだろうとアキラは察した。

 

 

「ここしばらく甘いものとか食べらんなかったし、今を逃したらいつ食べられるのか分かんないもん」

「そうよねー。この中にいる間はまだ余裕あるけど」

 

 

 アキラの手掛けた地獄のような特訓さえ乗り切れば、それこそ今のようにお茶をして休む程度に時間的な余裕はある。

 が、ひとたび外に出れば、そこはもう真の意味での「地獄」だ。休む時間など、まして甘いものを食べるような時間もありはしない。

 しかしアキラは、「いや」と一つ指を立てた。

 

 

「この戦い、ここから出たら一日で終わらせるぞ」

 

 

 荒唐無稽な一言に、その場の全員が固まった。やや場違いな感のあるハミィの咀嚼音だけが、しばらく鳴り続ける。

 アキラはその反応を見て小さく息を吐いた。

 

 

海の魔物(あいつ)を倒したら即決戦に移る」

「……マジ?」

「大マジだ。一秒たりともレインボーロケット団に猶予を与えたくない。わたしたちが海の魔物を倒すことができるほどの戦力を持ったと認識されたら、その時点で逃げる準備をされてもおかしくないからな」

「それもそうね……」

「再度この空間を展開してもらって12秒(1時間)で回復を済ませる。そのまま『テレポート』で強襲して、サカキとゲーチス、フラダリを叩き潰して次元転移装置を破壊する」

「……うん、なるほど!」

「理解してないのに理解したフリするのやめなさいよゆずきち。で? その不可能ということに目をつむればカンペキな作戦はどう実行するの?」

「後で小暮さんと詰めるけど、まあ、多分なんとかなるだろうと思う。二人にはフラダリを倒してほしい」

「クッソ重大な責任押し付けにきたわね……」

「ジガルデいるから仕方ないよ」

 

 

 実情として、仮にでもこの特異個体のジガルデのトレーナーになったヒナヨでなければ、ゼルネアスとイベルタルの二匹を従えるフラダリに対抗することは不可能だ。

 そこに加えてユヅキも……とすると額面上は過剰戦力のように見えるが、相手はフラダリだけではない。幹部のほとんどは未だ健在であり、少なくとも四天王としての実力を備えるパキラもいる。それを踏まえた上で割り振るなら、この二人を、という判断になるのだった。

 

 

「お姉とか、みんなはどうするの?」

「ヨウタと朝木とで突入してサカキの野郎ブチのめす」

「ゲーチスは?」

「あんなのもののついでだついで」

 

 

 コレに付き合わされるレイジさんも大変ね、とヒナヨは引き攣った笑みを浮かべた。実際に付き合わされたヒナヨだからこそ分かる。タワー潜入の時でも死ぬかと思ったのは一度や二度では済まなかったのだ。そこに今度はオマケにヨウタまで入って来る。本当に死ぬんじゃなかろうかと彼女は不安を抱いた。

 確かにゲーチスは今、最大戦力のダークトリニティを失い、失敗を繰り返し危うい立場に置かれてはいる。それでもトレーナーとしては一流の部類に入り、頭脳が衰えたというわけでもない。今度は確実に殺そうとしてくるとなれば、油断できる相手ではない……はずなのだ。世界広しと言えども、彼を「ついで」扱いできるのはヨウタやアキラたちくらいのものだろう。

 

 

「ショウゴさんとナナセさんは?」

「小暮さんは司令塔。東雲さんは防衛。防衛をおろそかにしたらあいつら、絶対隙突いて街襲いにくるぞ」

 

 

 マグマ団とギンガ団が味方について、アクア団が実質的に壊滅した今、残るはレインボーロケット団本隊と、プラズマ団、フレア団の三組織のみとなる。

 逃走するという選択肢こそ残されてはいるが、それをさせないための奇襲だ。先んじて次元転移装置を破壊さえすれば、あとはレインボーロケット団に「戦う」以外の選択肢は残らなくなる。そうした場合の抵抗はこれまでの侵略の比にはならないほどのものが予想されるが、それを食い止めるのが東雲たちの役割となる。

 なんだかんだ、彼もヒードランを含め二匹もの伝説のポケモンを手持ちに加えているのだ。防衛に専念するなら、たとえヨウタであっても手こずることだろう。

 しかし。

 

 

「……なーんか、残党とか残りそうよね、それでも」

 

 

 計画そのものは順当なものだ。理解もできる。仮に成功すれば、レインボーロケット団は確実に壊滅に追い込めるだろう。

 ……が、彼女の頭に浮かぶのは、ゲームでもやたらとしぶとかったロケット団残党の姿だ。団そのものが敗北したなら、彼らは散り散りになって市井に身を潜め、雌伏の時に甘んじることだろう。やがて時が満ちれば再び暗躍を始め、新たにロケット団として復活を遂げるというのは想像に難くない。

 これは彼らの実態が、理想を掲げていたり、世界を変革したり、あるいは支配しようと考えているような組織ではない(・・・・)からこそ成り立つことだ。結局のところ、本質的にロケット団とはギャング、「犯罪組織」でしかない。彼らは楽に生きよう、そのために悪事をしようという以外に明確な目的が無く、保身のためならどこまででも妥協ができるのだった。

 加えて、そういった人間が一般市民を取り込み、もしくは既存の犯罪組織と合流して大きな力をつけるということもありうる。これはヨウタやユヅキでも予想できていることだ。

 しかし、アキラはそんな想像を払うように、軽く手を振った。

 

 

「浜の真砂(まさご)は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ……って話だろ。だったら芽が出た端から一つ残らず毟り取って磨り潰すだけだ」

「摘み取るとかじゃないのね……」

「んなお優しい人間に見えるかよわたしが」

「無いわ」

 

 

 正確な評価として受け入れるアキラだが、それはそれとして少しだけショックではあった。

 

 

「――ま、悪人は多少増えるし悪事も過激化するだろうけど、じゃあ警察や自衛隊が指咥えてみてるだけかって言うとそうじゃない。東雲さんの例も踏まえて、治安維持にポケモンの力を借りるようになるだろうし」

 

 

 加えて、一般市民もポケモンを持つようになれば、その分「善意の協力者」の数も増える。何ならヨウタのようにポケモンバトルに関わる仕事に就こうと徹底的にポケモンたちを鍛える人間も出てくるだろうし、犯罪者たちも迂闊に一般市民に危害を加えられなくなる。

 過渡期の混乱は避けられないだろうが、なんだかんだと最終的には元とそう変わらない程度の治安に落ち着くんじゃないか。アキラはそう考えていた。

 

 

「何ならわたしも警察になる」

「犯罪者が死んじゃうからやめなさいよ」

「て……手加減くらいできるわ!」

 

 

 手加減を「する」とは一言も言っていないことに気づいたのはユヅキだけだった。

 今の異常な腕力を失った状態なら加減を考える必要が無いというのもあるが、悪人に容赦する姉の姿が一切想像できなかったというのもある。いくら悪党と言えども無駄に怪我をさせてしまうようでは警察官として失格だ。

 正義感と能力はともかく、気質が向いてなさそうだなーと考えたユヅキは、後でそれとなくやめておくよう言おうと冷静に判断した。

 残ったポフィンの欠片を口に放り込む。と、彼女はふと、ハミィがうつらうつらとしていることに気が付いた。

 

 

「すみぃ……」

「ありゃりゃ」

 

 

 すぐに穏やかな寝息に変わり、机の上ですやすやと眠り始める。

 よく運動視、よく食べたとくればあとはよく眠る……というのが生物としてあるべき姿ではある。欲求に素直なその姿に苦笑しながら、ユヅキはハミィを自分の膝の上に乗せてやることにした。

 氷殻が痺れるほど冷たかったので直後に毛布を挟み込んだ。

 

 

「ハミィちゃん寝ちゃった?」

「みたい。う~、膝冷たぁい」

「じゃあ膝に乗せるよりは毛布にくるむだけにしといた方がいいんじゃ……」

「いーのっ。お姉だってビリビリするの分かってるけどチュリちゃんとお風呂入ったりするじゃん」

「それはちょっとニュアンスが違うんだが」

「Mなの?」

「それも違う」

 

 

 バチュルはふかふかの毛に覆われた蜘蛛型のポケモンだが、一般的に見られる蜘蛛と比べると(あし)が短いのが特徴だ。自分の体でも手が届かない部位があるため、例えば野生であれば親のデンチュラや兄弟姉妹のバチュルから手入れを受けることになる。

 が、今はそれもアキラの仕事だ。多少ビリビリしてもやる必要はあったし、そのことを気にするようなことも無かった。それもこれもポケモンたちへ向ける親愛の賜物だ。

 

 

「……それより、ハミィも寝ちゃったことだしな、特訓の方は――」

「ドロロ? ロロ?」

「ジヘッ」「ヘッ」

 

 

 シャルトやジヘッドがほんのわずかに期待の眼差しを送る。

 デオキシスのバリアを破るために消耗したエネルギーは少なくない。休憩続行? だよね? そう言わんばかりの二匹にアキラは微笑みかけた。

 

 

「じゃあ次は戦闘機動をするデオキシスのバリアを破ろう!」

「チー!」

「ヘァェ」「ェッド……」

 

 

 違う。そうじゃない。

 そんな感情が込められた二匹の声が虚しく響いた。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 東雲ショウゴは職務に対して忠実な自衛官である。真面目でよく働き、人を守るという意志のもと行動し続ける。

 一時迷走していた時期こそあったが、あの頃は精神状態もおよそまともではなかった。今となっては一刻も早く忘れたい黒歴史の類である。

 そんな彼は、自身を狂わせた元凶となったグラードンと対峙していた。

 

 

「カメックス、『ハイドロカノン』!!」

「カメェェェェッ!!」

「グルァ――――」

 

 

 カメックスの砲塔から、レーザーの如く圧縮・収束された莫大な量の水がグラードンへと放たれる。並みのポケモンならばまず確実に倒せるだろうという一撃だが、グラードンにとってそれは「特筆すべき脅威」というわけではなかった。

 「ソーラービーム」の驚異的な熱量が水を残らず蒸発させていく。東雲はその光景に落胆こそ覚えなかったが、小さな苛立ちに似た感情を覚えていた。

 

 

「……くっ」

 

 

 現状、東雲のポケモンたちはヒードランとグラードンを除けば平均的な能力がそれほど高くない。それは前線に出るよりも避難や防衛をこそ主題としていたこともあり、実戦経験に乏しくなってしまったという弊害のためだ。無論、重ねた訓練の数によって一般的なトレーナーと比べれば非常に高い実力を兼ね備えているが、実際のところジムリーダークラスの能力を持つ最高幹部には及ばない。首領格でさえ正面から降すことのできる実力を備えるようになったアキラたちを間近に見ている分、それは焦燥感という形で如実に表れる。

 今の技は、「ハイドロカノン」と言うにはやや及ばない。あえて表現するなら、強い「ハイドロポンプ」という程度のものだろう。

 

 

「東雲君、大丈夫かよ……」

「……え、ええ」

 

 

 そんな東雲に語り掛けたのは、全身汗だくで擦り傷だらけの朝木だった。彼のジャローダもまた究極技の習得に至らず、長時間続けての特訓を行っていたのだ。一人と一匹(ふたり)揃って彼らはその場に情けなくも倒れ伏している。

 基本的に、くさタイプの究極技の習得方法は、スパルタである。カメックスのように丁度いい相手――グラードンのように「打ち込みやすい相手」がいるならまだしも、そうでない場合は適切な相手、的というものが必要になる。

 そこで選ばれた手段というのが、「ハードプラント」の撃ち合いだ。死なないよう努力はしてくれるが、寸止めはしてくれない。必死になって撃ち返さなければ命の危険すらある。

 それ自体は朝木の選んだことであるため彼自身に文句は無いが、それはそれとして精神的・肉体的疲労感は半端なものではなかった。

 されどその中であっても、朝木は東雲の顔色を見て、問いかけるべき言葉を投げかける。

 

 

「やっぱ許せねえか、グラードン」

「……そうですね」

 

 

 グラードンを「的」として特訓を続けているのは、単にグラードンがそうするに都合が良い能力を持っているからというだけではない。東雲にしては珍しく、それは純然たる私怨から来る行動だった。

 無論、内心ではそれは違うだろうと訴えかける理性もある。あくまで命じた者の責任であろうと。しかしそれでもなお、止められなかった。

 

 

「グラードンは俺の同僚と、上官と、後輩と――親友を殺しました。あの時のことは、今でも夢に見ます」

「……だろーよな」

「おかげで昔、堅苦しい俺の態度を気にした親友のことを思い出し……あいつの口調や態度を真似するように」

「あの時の珍奇な態度それかよ」

 

 

 有体に言って当時の彼の精神状態は正常ではなかった。親友を亡くした喪失感から彼の生前の言葉を真に受けすぎ、下手な模倣までしてその死から目を背けようとしていたのだ。ある意味、東雲もアキラと同様PTSDに罹った人間であった。

 今は職務に就いているからこそ精神状態もなんとか安定しているように見えるが、実際のところ、この戦いが終わった後にどのような精神状態に陥るのかが読み切れない。朝木はそうした点で心配を抱いていた。

 

 

「まあ……友達亡くしたってのは……何か言えるこっちゃねえな、俺友達いなかったし……」

「絶妙に哀しいことを仰らないでいただけますか」

「いいんだって、今はみんなダチだろ? ……いやちょっと小暮ちゃんからは嫌われてそうだけど」

「それに関しては朝木さんが役割を果たそうとしないということがありましたので」

「あれは正直悪かったよ……」

 

 

 苦笑しながら、反省を示して言葉を返す朝木だが、東雲はなんだかんだとナナセたちが彼を見直しつつあるのを知っている。以前のこともあるので素直に評価することに抵抗があるだけだ。

 今となっては、必要も無いのにこうしてメンタルケアに気を割くほどの余裕すら生まれている。既にこのチームの中でも屋台骨と言って過言ではない。

 

 

「アキラちゃんの時もそうだったけどよ、急ぎすぎるのが一番良くねえぞ」

「理解はしていますが……」

「おう。んじゃちっと休むこった。俺らはもうちょっとやれ……」

「ジャロロロ……」

「あ、ない? 無理? そう……」

 

 

 言いつつ、朝木はジャローダを背負ってヨウタたちの元へ向かっていった。

 直後に代わるようにして、心配そうな顔をしたナナセが東雲に近づいてくる。彼女が手に持ったお弁当らしきものを目にした東雲は、自分も心配されているのか――という実感を得ながら、それに応対することにした。

 

 



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幕間⑥

 

 

 超古代ポケモンの制御の難しさは言うまでも無いことだが、中でもレックウザは格別だ。

 理由の一つに、対応する「宝珠(たま)」が存在しないというものがある。グラードンやカイオーガは対となる宝珠によって能力のスケールを落とし、素質に関わらずある程度までは制御しやすくすることができるが、レックウザにはそれが無い。

 レックウザを目覚めさせるための「もえぎいろのたま」というアイテムこそ存在するものの、それ単体でレックウザを制御することは不可能だ。純粋にトレーナーとしての技量だけで制御する必要があった。

 

 

「く、う――おおお……あぁ!」

 

 

 加えて、誇り高く気性の荒いレックウザは、容易なことでは他者を乗せたがらない。いかにじゃじゃ馬に慣れたアキラであると言っても、体力が全快に戻った今のレックウザの全力機動には相当に堪えるものだった。

 

 

(気を抜けばフッ飛ばされる! 耐えろ!)

 

 

 空を駆け回るレックウザの背で、外皮の凹凸を掴んでアキラは必死で襲い来る風圧と遠心力に耐える。ミシリと骨が音を立て、関節が外れかけ、絶叫がこぼれそうになる――が、そういうわけにはいかなかった。腕を噛んででも声を出すことだけは選ばない。

 アキラはレックウザが特にトレーナーを「試す」ポケモンであると解していた。まず自分が認めた者でなければ背中に乗るようなことさえ許さず、仮に乗せたとしてもそれなりにでも気に入った相手でなければ心を許すことすらしない。

 他の面々はある程度でも打ち解けることができはしたようだが、渦中のアキラはと言うとまるっきりダメだった。一度直接矛を交えたということもあり、どうしても心を通じ合わせてくれない。ともすると半ば殺しにかかってきているほどの有様である。

 

 

「グルルル……」

「うっ、だ、あぁっ!?」

 

 

 

 突如、レックウザが空中でバレルロールのような動きを見せる。当然、アキラは遠心力で吹き飛ばされかけるのだが、彼女はあえて振り落とされる――と言うより自ら「跳ぶ」ことでその回転から逃れた。

 器用に身をひねり、爪が割れ、あるいは剥がれるのも厭わず離れかけたレックウザの尾を掴む。前を見ればレックウザの黄金の瞳が、射貫くような強い感情をアキラに向けていた。

 「フン」と、一息。鼻を鳴らすようなその仕草に対し、アキラは指の激痛で脂汗を流しながらも、余裕を示すように微笑みを向けた。

 レックウザはキレた。

 

 

「コアアアアァァッ!!」

「なぁーんでぇー」

 

 

 半分は脅すつもりなのだろう。レックウザはその長大な体を振り回し、8の字を描くようにして己の尾にしがみつくアキラを追いかけ回す。

 遠心力に合わせて、割れたり剥がれたりした爪の先から血液が飛び散っていく。アキラの様子をハラハラして見守っていたところ、偶然にもその血液が足元に落ちてきた朝木は、状況を理解して瞬時に怒りのボルテージを上げた。

 

 

「クルァァそこの竹炭ドラゴン!! てめぇトレーナーにっていうかアキラちゃんに怪我させて平気な顔してんのはどういう了見だオラァァァ!!」

 

 

 睨まれようが以下腐れようが襲われようが知ったことではなかった。この場にあってはもはやキュレムの動員すら辞さないという覚悟すら彼の怒声からはうかがえた。

 対して、同じようにその様子を眺めるナナセは、内心「あの悲鳴ユヅみたいだな……」などと考えているヨウタに向けて、冷静にレックウザの様子を評する。

 

 

「……序列づけをしているようですね」

「って言うと?」

「犬……あ、いえ……狼のような。アキラさんは、同じ目線で話したがっているのですが……レックウザは……」

「自分の方が上だって示したがってるんだね」

 

 

 よくある話ではある。実際にそれと似たようなことをされ、オマケに負けた朝木としては身に覚えがありすぎた。

 しかし、では他人が自分と同じようなことをされて黙っていられるかと言うとまた別問題である。彼個人は少なからず自分に非があることを認めているため、ある程度どのような扱いを受けても仕方ないと感じられはするが、他人が同じ状況に陥るというのは我慢ならない。おいちょっと待てその子は俺よりよっぽどいい子だぞ――と叫びたくなる気持ちの方が大きくなるのだ。

 

 

「どっちが上もクソもねーだろうがよ……敵と命の削り合いしようかって時に味方にマウント取りに来てんじゃねーよ……」

「って言ってもね……レックウザは力が強すぎて、そんなこと気にするようなポケモンじゃないっていうか」

「……私たちが死んでも、レックウザは生き残れますからね……こちらの死生観に合わせることは難しいです」

 

 

 生きるか死ぬかの瀬戸際で戦い続けているヨウタたちに対して、レックウザはいつ死ぬということすらも知らず、種としての強靭さも並外れたものを持っている。

 無論、過去に飛んで救出しなければレックウザも死んでいたのだが、レックウザ自身がそんなことを知る由も無い。突然やってきて恩を売られたと解釈し、腹立たしく思っていることすらありうるのだ。と言うよりも実際にそう思っているからこそのあの態度であろう。

 人間である朝木たちは、勝ち負けが生死に直結するからこそそんな悠長なことをしている場合か、と感じる。対してレックウザは、戦いを経験してすらおらず、勝ち負けが生死に直結しているわけではないので、まず目の前の人間が気に食わないという感情を優先する。

 勝ちを見据えて何としてでも勝利を掴むべく足掻こうとするアキラに対して、勝敗も本質的にどうでもいいレックウザ。両者の間にギャップが生まれるのも当然だった。

 

 

「アキラちゃんは一回レックウザブチのめしていいと思う!」

「よくないよ……」

「ですが、一度でも自分の方が上だと示すのは重要では……?」

「逆ギレしそうだよ、レックウザ。っていうか、そもそもそういう方針じゃないんだから……」

「けどよぉ、アキラちゃんは大丈夫かよ」

「うーん……どうだろう。今はあれで済んでるけど、ポケモンと生身でやり合ったら当然……」

 

 

 ――当然、今彼女が陥っている状態のように、爪が割れ、皮が剥ける。

 いずれその傷は全身にまで波及し、血が足りなくなって動けなくなることだろう。そうなればもはや耐えるどころの話ではなく、レックウザから振り落とされて終わりだ。

 

 

「グゥァウ! アアガッ!!」

「っ、った、痛っ!」

 

 

 そしてまた、現にアキラは徐々にレックウザに追い詰められつつあった。

 背に爪が食い込み、足を噛まれ血が噴き出す。味方であることを前提に、殺しはせずとも重傷を負わせ心を折ろうという動きだった。同時に、伝説のポケモンという猛獣よりも圧倒的に力が強い存在であるが故にレックウザはまともに加減がきかない。口元からちろちろと漏れるエネルギーが「りゅうのはどう」の放出を予感させる。このままではアキラのことを殺しかねない上に、射角が地上に向いているだけにヨウタたちも無事では済まない――そう断じたヨウタが介入のためにボールを構えた、その時だった。

 

 

「がっ……アアアアアアア!! テメェこのッ、いい加減にしろォオオオオオッ!!」

「!!?」

「!?」

「!?」

「あーやっぱり」

 

 

 ついに、アキラがキレた。

 万が一自分にだけ牙を剥くのなら、まあそれは仕方ないとアキラは考えていた。しかし、このまま仲間たちに手を出すことも厭わない、あるいは気にしないとなれば話は別だ。

 彼女は短慮ではないが、短気である。自分の中で結論を即座に出せる程度に頭の回転が早いということもあるが、単純に考えるよりも行動する方がよほど話が早いということもある。

 全力で波動を循環させると共に、体表に紫電が迸る。レックウザはこれに脅威を感じない。当たり前だ。人間が出せる程度の力が、ポケモンにどれほど通用するというのか。

 ――結論から言えば、彼女の放った掌底はレックウザの脳を揺らし、その神経に激痛を与えることとなった。

 

 触れただけの一撃のはずだ。外皮に異常は無い。しかし現に痛みが伴っている。今のアキラは普通の人間だ。刀を持ってはいたが危険ということで今は地上に置いてきている。では、なぜ?

 レックウザは僅かに高度が落ちる中で考えを巡らせる。いったいどうしてこのようなことになったのか?

 それをなしたのは、波動――発勁だ。掌の先に乗せたエネルギーを遠隔で炸裂させることで、レックウザの体内に直接ダメージを与えたということになる。

 無論、それは常人……と言うよりも、達人でもできる者は稀だろう。リュオンと共に修行する中で波動の扱いに長けるようになった彼女だからできる技術と言える。

 

 

「▽▽▽▽▽」

 

 

 ポケモンやトレーナーたちが混乱に陥る中、最初に動いたのはあーあ、やっぱりなとでも言いたげなデオキシスである。瞬時にアキラのもとへ「テレポート」した彼は、その場で触腕を伸ばしてレックウザを縛り上げ――背負い投げのような要領で、地面に向かって投げつけた。

 

 

「グァアァッ!!」

「『ひかりのかべ』!」

 

 

 反撃に放たれる「はかいこうせん」を、ディフェンスフォルムにその身を変えたデオキシスが受ける。

 円形に展開された「ひかりのかべ」がエネルギーの奔流を受け流す。結果的にダメージの全てをそのまま流したデオキシスは、続いてアタックフォルムに変化して威嚇するかのように巨大な「シャドーボール」を自らの頭上に掲げる。

 

 

「そっちがその気なら徹底的にブチ折ってやらああああァァァッ!! ベノンッ! シャルトォッ!」

「こ、ゴアア……」

「チッチィ……」

 

 

 

 

 落下しながらだと言うのにまるで怯んだ様子の無いアキラに、レックウザは引いた。

 何なら今出したポケモンたちもまとめて引いたし、見ていただけのヨウタやナナセも引いた。唯一朝木はまずいことになったとばかりに天を仰いだ。二匹ものドラゴンポケモンを動員したとなれば、やることは決まっている。

 

 

「やべーな。逃げっぞ」

「ちょっと待って。レックウザが僕ら巻き込みかけたからアキラ怒ってるんだよね?」

「……アキラさんがこの辺りを巻き込みかねない攻撃をするということですか? ちょっと理屈が通らないのでは……」

「いやまあ、ンだけどよ。レックウザの攻撃だと逃げる間も無いだろ? けどアキラちゃんからの攻撃なら、ある程度タイミング測れるし、俺らが逃げる前提で攻撃することもできるわけで」

 

 

 それを仲間への信頼と言い換えていいのかどうかは甚だ疑問であるが、アキラが一対多が得意でかつ、その戦闘規模が他の面々と比べてもやや桁外れなことは周知の事実である。

 彼女がキレたとなれば巻き込まれないように一旦退避しておこう――と考えるのも普段の戦いの中では割といつものことで、戦いのスイッチが入ってしまっているアキラがその前提で動いてしまうのも、致し方ないことではあるのかもしれない。

 もっとも、その前提を押し付けられてしまう側のヨウタたちとしてはふざけるなと言いたいところだが。

 

 

「『りゅうせいぐん』!!」

「あのバカ!!」

 

 

 そして彼女が選択したのは、二重の「りゅうせいぐん」による絨毯爆撃。

 既にシャルトが究極技に相当するそれを習得していたのはヨウタにとっても驚くべきことだったが、じゃあ今喜べることかと言われるとそうでもない。角度くらいは考えてくれるだろうが、だとしても「多少」だろう。

 ――即座に逃げ出した彼らの背後で、幾条もの光球が天から降り注いだ。

 

 

 その後、結論から言えばアキラはレックウザとの和解に成功した。

 そのために周辺一帯が焦土と化すほどの被害が生じたが、それすら彼らにとっては古い漫画でよくある河原での殴り合いと似たようなものだったらしく、全てが終わった後は健闘を称え合うかのように揃って地面に寝転がっていた。

 互いに筋金入りの意地っ張りな性格故に、衝突して互いの実力を認めれば「戦友」にはなれるということであるらしい。

 

 なお、言うまでも無いことだが、現在彼らがいる空間はパルキアが作ったものである。

 利便性を保つため、修復こそされるものの、それにはパルキアのエネルギーが必要になってくる。しかし、レックウザとアキラの戦闘の跡となれば、それはもはや爆撃の跡か何かかと見紛うほどのものと化しており、修復のためのエネルギーは相当なものとなる。

 これには流石のアカギも、アキラを淡々と叱りつける程度には怒りを見せた。

 もっとも、方向性としては「貴重なパルキアのエネルギーを無駄にするな」と、ややズレた言葉ではあったが。

 アキラはこれも一種の愛情の形なのだろうかと、叱られながらわずかに感じたのだった。

 

 








 鬼ヶ島でお米作ったりしてて遅れました(小声)


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いつの間にかシャドーダイブ

 

 

 この戦いが終わったら云々という話をすると、近くその人間は死ぬ、という話がある。

 俗にいう死亡フラグである。

 希望に満ちた未来を予感させた上で、その人物に死という絶望を与えて叩き落す、言うなれば「落差」を一種のお約束として物語に取り入れたことで起こる現象だが、では果たして自分たちはどうか、と、食卓を囲む一同を見回して朝木は考えた。

 

 例えばこんなことを考える朝木自身は、そもそもこの戦いが終わった後就職先が無いし、そもそも職歴の空白期間もそこそこ長い。バイトこそしていたがそれだけで、正社員になれるものかどうか分からない。控えめにいっても先行き不透明だった。

 他の者はどうか、と言うとこちらは大した起伏が無い。東雲は自衛隊の通常業務に戻るだけだろうし、ナナセもユヅキもヒナヨも学生だ。ヨウタは元の世界に戻るだろう。

 アキラに関しては記憶を取り戻そうという目標以外が無い。こちらは朝木と似たような状況にあると言えるだろう。

 何か参考になるようなことは無いだろうか。そんな思いのもと、朝木は皆に向かって口を開いた。

 

 

「俺この戦いが終わったら職探すんだけどみんなは?」

「メシの時にそんな世知辛いことを言わないでくれよ……」

 

 

 最初にこの話に反応を示したのは、何だかんだ言って最もお先真っ暗、書類上高校中退、中卒無職のアキラである。

 特に将来のことを考えたくないのは彼女だ。一般常識は備えることができたが、別に学力が備わっているわけではない。残った知識の中にそれらしいものはあるものの、結局二年も前の記憶なので大学入試を受けるにはまるで不足している。

 

 

「まず勉強して高認受けて……ああ、でもポケモンいっからなぁ……どうなるんだろう、社会情勢」

「……ど、どうなるんでしょう……」

 

 

 次いで渋面を作ったのはナナセだ。彼女に関しては香川の大学に在籍こそしているものの、今後同じように講義が行われるとは限らない状態になっている。何せ香川周辺の死者は、四国全体の平均から見ても異常なほどに多い。中にはそれこそ、大学の教授などが含まれているようなこともあるだろう。組織の再編も行わなければならない。

 ナナセも年齢を見ればそろそろ卒業、そして就職が見えてくる頃合いだ。この時期に大学卒業ができるかどうかということになると、非常にまずい。

 

 

「「「職が……」」」

「……じ、自衛隊はいつでも候補生を募集しておりますが」

「三十路目前の俺にそこまでの体力を求めんな?」

「わたしもちょっとな……多分馴染めない……」

「考えておきますが……」

「自衛隊は人気が無いのだろうか……」

「人気が無いっていうか……ねえ?」

「キツいってイメージが強いよね」

「そうか……」

「あとアキラは単純に軍隊の規律とか向かなさそう」

「わかる」

「だからちょっとなっつってんだよ話聞いてる?」

 

 

 アキラも自覚はあった。と言うよりも、ここまでの戦いの中で自覚せざるを得なかった。

 彼女は基本的に単独行動で真価を発揮するタイプである。やや協調性に欠けるきらいがあるというのもあるが、ただただ単純に能力が高いせいで「これは自分一人でやった方が効率的なのでは?」と考えてしまうのも大きい。

 ヨウタはそんな三人の様子に苦笑いした。

 

 

「そこまで急ぐことかな……」

「急ぐことなんだよ! ヨウタ、今のわたしの状態を冷静に見てみろ」

「え、何さ」

「ばーちゃんの年金を食い潰してる中卒のニート」

「ダメだアキラちゃん冷静になるな!」

「落ち着いてください……二十歳手前ならまだ言い訳はききます……!」

「言い訳っつっちゃってんじゃん! 言い訳って言っちゃってんじゃんッ!」

 

 

 ヤダーッ! とアキラは小さな悲鳴を上げた。

 社会的評価がどう、というよりも彼女の場合は祖母に迷惑をかけ通しという点について気に病んでいる。言い訳をしたところで家計を圧迫している事実は変わらない。そこまで面の皮が厚くない彼女にとってこれはちょっとした死活問題だった。

 

 

「このままじゃ働き口が無いぃぃ」

「ポケモン関係の仕事就いたら?」

「ねえよこっちの世界に!」

「無いことも無いじゃない。ポケモンセンター」

「ポケモン(実物)関係じゃないじゃん……」

 

 

 残念なことに、この世界におけるポケモンセンターとは、基本的にポケモンのファングッズを販売している小売店のことを指す。これから新しく需要が生まれるであろうポケモン関係の職に就く、という着想自体は間違っていないのだが、いかんせんそこに至るまでのハードルが高い。

 新産業というものを根付かせるには、それなりの手順と手続きが必要になってくるものだ。野球を例にとっても、プロ野球を統括する日本野球機構という、政府所轄の法人が存在する。果たしてポケモンバトルがスポーツであるのか、動物愛護法や条例に抵触しないか、多角的な面から見て法整備も行わなければならないことを考えれば、数年、あるいは十年単位で見なければならない事業になってくるだろう。

 そして当然、頭は回るが学も学歴もましてや後ろ盾など何もないアキラがその中で立ち回れようはずもない。奇跡的にうまくことが運んだとしても、果たしてどれだけのことができるかは不明だ。展望が暗すぎてどうしようもなかった。

 

 

「もうちょっと明るい話にならないかしらコレ……?」

「復興の話とかさ……」

「復興……復興支援も必要だな……」

「ああっ今度はショウゴさんが大変な表情に」

 

 

 自衛隊員である東雲にとって、四国内の復興支援は目前に差し迫った課題である。天災と異なりある程度破壊行為も秩序立った範囲で行われているものの、無視していいものではない。建築物への被害はそれほど多くなくとも、道が水没したり液化したりマグマに沈んだりと、あちこちに戦闘の傷跡が見受けられる。

 オマケに剣山にはクソみてェな塔が屹立しているし、自衛隊駐屯地が壊滅していることもあってそもそも自衛隊そのものが復興を必要としているレベルである。この戦いを通して、組織全体でポケモンの力を借りることに対して抵抗が無くなりつつあるというある種の唯一性はあるものの、直近の状況はむしろ相当に暗い。

 

 

「ああっ!」

「今度は何よ!?」

「ウチ中間テスト受けてない……」

 

 

 ヒナヨは立ち上がりかけたそのままの勢いでズコーッと転がっていった。

 差し迫った問題ではあるが中間テストとは。いくらなんでも一気に話のスケールが小さくなりすぎている。

 

 

「別にいいでしょそのくらい……この事件巻き込まれてましたって言えば考慮してくれるんじゃないの?」

「いや、マズいぜヒナヨちゃん」

「え、何で?」

「ユヅキちゃんの学力は知らねえけど、俺の知る限り他の教科はともかく数学だけは中学で躓いたら高校、大学でも躓きっぱなしになる」

「ええ……?」

 

 

 話の中、ナナセはついとわずかに視線を逸らした。

 

 

「因数分解や図形の計算式が作れないとずーっと引っ張るんだアレは。知り合いがそうなってドロップアウトした」

「怖……」

「……そうそう使うものではありませんし……。ですよね、東雲さん……?」

「え。いえ、我々は弾道計算などでよく用いますが……」

 

 

 ナナセはついに肩を震わせた。

 彼女は生粋の文系である。苦手分野に対しては(別にいいか……)とできるだけ目を逸らしてきた。そして実際に朝木の言う通りの有様である。泣きそうだった。

 

 

「高校になる頃には色々と手遅れだ。今更中学の復習なんて……つって抵抗が生まれて結局何もしなくなる。そんで最終的に、苦手意識抱えたままになるんだ」

「レイジくん……勉強教えてぇぇ……」

「あ、そうなる……?」

「わたしも頼む」

「そうなる!?」

「私も」

「ちょっと遠慮とかしない?」

 

 

 こういう時、医者の道こそ途絶えたものの、医学部卒というステータスを持つ朝木は非常に頼りになる存在だ。

 ただ、はたから見れば一人教えるのも二人教えるのもそう変わらないように見えはするが、実際のところはそうでもない。それぞれの習熟度や物覚えの良し悪しによって教え方も考える必要があるし、アキラなどは一足飛びに高等学校卒業程度認定試験を受けられる程度の学力を備える必要が出てくるからだ。

 当然、そこそこ間近に迫った将来の不安を思えば遠慮などしている場合ではないし、加えて、朝木は基本的に自分から歩み寄ることをしない。遠慮などしていてはいつまでたっても学力の改善など望めないのだ。

 

 

「戦いが終わったらな……」

 

 

 とほほ、と言いつつも、なんだかんだ満更ではないようで朝木は頭を掻いた。

 見目麗しい少女三人に囲まれるという点については何ひとつ心配はしていなかった。むしろアキラの存在のおかげで、何か粗相をしてしまえば彼女の拳が飛んでくるだろうということが確信できるからだ。

 彼とて健全な男である。そういう展開を夢想しないわけではないが、自分の身の安全の方が大事だった。

 

 

 

 〇――〇――〇

 

 

 

 ディアルガとパルキアによって隔離されたこの空間に昼夜の概念は無い。

 それ故、基本的に疲労が極限に達して眠くなったら寝る……というのが修行の基本的な流れとなっている。先の食事を終えた後も、一同のほとんどはそのまま睡眠に移っていた。

 そうした中、睡眠中の五人から離れて、ヨウタとアキラの二人が木陰に隠れるようにして言葉を交わしていた。

 

 

「僕そろそろ寝たいんだけど」

「わたしだってそうだが、ちょっとだけ聞いてくれ」

 

 

 寝ぼけ眼を擦りながらやや不機嫌に告げるヨウタに、アキラは髪をかき上げながら応じる。

 眠いのは彼女も同じことだ。が、それでも先に言っておかなければならないことがあるのには変わりない。

 

 

「一匹、伝説……というか、『幻』の心当たりがある」

 

 

 これには流石のヨウタも眠気が吹き飛んだ。

 わずかに居心地が悪そうにしているアキラだが、そんな彼女の様子には気づかなかったのか、ヨウタは驚きのあまり彼女へと詰め寄った。

 

 

「ど、どど、どういうこと!?」

「落ち着け! ……あのな、正直わたしもあの、今更気付いて滅茶苦茶申し訳ないっていうかその、な」

「……?」

「――説明するより見た方が早いな」

 

 

 言って、彼女は靴先で自らの足元を――影を軽く叩く。

 すると次の瞬間、影の中から湧き出すようにして姿を現す者があった。

 体高にして約70cmほどの小さな人型の影。その姿を目にしたヨウタは、先の眠たげな様子が嘘のように目を見開いた。

 

 

「マー……!!?」

「おっと、静かに」

 

 

 アキラはそっと口元に手をやって、それ以上の発言を封じた。

 騒がしくすれば皆が起きてきかねず、休ませることができない――それは分かる。しかし、幻のポケモンとされるマーシャドーは、力を貸してくれるのなら相当な戦力になりうる。皆に知らせるべきだろう、とヨウタは内心の困惑をそのまま表情に出す。

 そもそもなぜこの場所にマーシャドーがいるのか? そもそもアキラはなぜマーシャドーがいることを知っていたのか? 先の困惑と共に様々な疑問が溢れ出していた。

 

 

「色々言いたいことはあるだろうけど、こっちだってついさっき知ったばっかりなんだ」

「いや、何でマーシャドーが……? いつから……?」

「何で、って言うならマーシャドーの生態のせいだな」

 

 

 軽く拳を握ってパシン、と空気を切る音を響かせる。直後、同じような動作でマーシャドーがパンチひとつで空気を弾けさせた。

 マーシャドーは拳法の達人の影に潜り込むことで、その動きをトレースし、自らのものにするという特性がある。そのためだろう、とヨウタはその動きを見て納得した。

 

 

「いつから、って言うなら多分最初から」

「最初?」

「ヨウタがうちに初めて来た晩。サカキがウルトラホールを開いたあれ……よりもまだ前かな? 飛び出そうとしてコケたことあったろ」

「え。ん? ……あ、あああ!」

「『あの時』のわたしなら、勢いあまってブッ飛んで行くことはあってもコケるようなミスはしない」

「言われてみれば! アキラがコケたの、あれから見たことない」

「それに、変な夢見てさ。今思い出してみるとあれ、映画でマーシャドーが見せてたそれに近くって」

「夢? マーシャドーってそんな能力あるの?」

「……え、知らない?」

「知らない知らない」

「まあそういう能力もあるみたいでさ」

 

 

 アキラの知るマーシャドーは、基本的に映画で登場した個体のみだ。描写だけ見ても相当に特異な個体であることは分かりやすいが、それ以外を知らないので他に言いようもない。

 この場では一旦話を置いて、ヨウタが続けて問う。

 

 

「でもなんで今になって出てきてくれたの?」

「それが……その、本当はもっと早く出てきてくれるつもりだったみたいなんだけど。なあ?」

「シャード……」

「うん。……イベルタルに『デスウイング』受けた時あったじゃん。あのせいで余波食らってつい最近まで寝込んでたんだと……」

「あ。ああ……あ、そうか、そうだね……」

 

 

 考えてもみればという話ではあるが、そもそもアキラがいくら一般人の倍以上の生命エネルギーを持っていたとしても、それはポケモンには及ばない。そしてポケモンが「デスウイング」を受けたとしても生命力を吸いつくされて石化する以上、彼女が一度「デスウイング」を受けてただ半分の生命エネルギーを持っていかれるだけで済む道理はない。ヨウタもその時点で疑うべきではあったのだ。

 ――ここで本来いるはずのないマーシャドーが関わってくることで、それらの疑問も解消される。幻のポケモンであるマーシャドーがエネルギー吸収の負担、その大半を肩代わりしたのだ。マーシャドー自身は影の中に身を潜めて体力を戻す必要こそ出てきたが、結果的にこれで両者共に石化するという事態は免れることとなった。

 

 

「でも、それならそれでみんなに知らせないと……」

「それなんだけど、今は黙っておきたい」

「何で!?」

 

 

 流石にこの判断にはヨウタもうろたえた。幻のポケモンがいてしかも協力的なら、ここはむしろ後々の連携のことも考えて早々に紹介しておくべきだと。

 アキラ個人も内心そうする必要があることは理解しているのだろう。故に話を切り出したときに言いづらそうな表情をしていたというのもあった。

 

 

「まあ、色々考えがあるんだ。ヨウタは聞かせても問題ないっていうか……逆に聞かせておかないとマズいっていうか」

「どういうこと?」

「今後の作戦に関わること。引き受けてくれるよな?」

 

 

 アキラの言葉には有無を言わせない力強さがあった。ヨウタが小さく息を吐きながら承諾の意を告げると、彼女は申し訳なさそうに目を伏せて、告げる。

 

 

「――ヨウタには一度元の世界に戻ってきてもらいたい」

 

 



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この盤面をひっくりかえす

 

 

 

 

 どれほど望まなくとも、時間というものは人間にとって平等に、そして無慈悲に訪れるものだ。

 

 

「――時間だ」

 

 

 それをはっきりと示したのは、他ならぬ「時」を支配しようとしたアカギであった。

 完璧な準備ができた、などと言うことはできない。しかしそれは、この戦いが始まってからというもの、ずっと同じことだ。

 

 ある者は怯えと緊張をそのまま顔に出しながら。ある者は毅然とした様子で。ある者は気負いなど無いかのような自然体で。またある者は全身から闘気を漲らせ、その宣言に応じる。

 いずれにせよ共通していたのは、彼らのうちのいずれも、逃げるつもりは毛頭ないということだ。

 ポケモンたちの気力も体力も万全だ。作戦も可能な限りの共有を終えている。とはいえ――。

 

 

「なあ本当に大丈夫かよ、あの海の魔物相手に『とりあえず真正面から殴りあう』とか」

 

 

 ――作戦と呼べるようなものは、この場では存在しなかった。

 レインボーロケット団ならば、策略が通じる余地がある。結局のところ戦う相手が「人間」だからだ。

 対して海の魔物と化したカイオーガはどうか。海そのものと化した言わば「災害」であるそれに対して、思考の隙を付いた細やかな策略など、組んだところで質量という純粋な暴力によって破られるだけだ。ならば最初から方針だけを決定しておくだけに留めておき、状況に応じて各人の判断で臨機応変に動く。それがナナセたちの立てた「方針」だった。

 

 

「大丈夫です。できます」

 

 

 応じたのは、その方針を立てた当のナナセだ。普段の静かな様子とはまた異なり、闘志を燃やして決然とその答えを返す。

 それはここまで、この異空間でポケモンたちの成長を目にしてきたからこその答えだ。経緯の違いこそあれ全員のポケモンが究極技とそれに連なる準究極技とも呼ぶべき技を覚え、可能な限り進化を果たしている。

 現在、この世界における最強の実力者であるヨウタも、これには太鼓判を押した。摸擬戦と言えど、伝説のポケモンに肉薄できるほどの実力をそれぞれが備えているのだ。ヨウタは続くようにして頷きを返した。

 

 

「というか、アレ力押し以外やりようあんの?」

 

 

 ヒナヨの指摘に朝木が押し黙る。実際に戦ったからこそ、その事実はよく理解できた。

 先の戦いでの敗因は、単純な地力の差だ。手を変え品を変え、あらゆる手段を尽くしてなお最後の最後で一手足りず、攻めきれなかったのだ。あとはもういかにその「一手」を捻出するかのみが問題となる。

 

 

「ぶっちゃけ消化試合だこんなもの。いかに綺麗に勝つかだけしか問題じゃない」

「ひでえ言い方!」

「でもお姉の言ってることも事実だよ。多分もう勝てるもん」

 

 

 やや楽観的なユヅキの言葉に、アキラは小さく頷いた。

 彼女のそれにしても多少希望的観測が混ざっているが、戦闘に関する勘は他の面々よりも優れている。そのアキラが言うならば、と朝木も多少なりとも気を鎮めた。

 

 

「方針は事前に確認した通り。出現と同時に全員で全火力をぶつけて、内部でエネルギーを炸裂。肉体を構成する海水を吹き飛ばす」

「――然る後にアオギリとダークルギアを回収します」

 

 

 敵の命までもを助けようというのは、一見すれば不合理極まりないことである。実際に当初、東雲やナナセはこれに反対した。優先すべきは市民と仲間たちの命だと。アカギをはじめとしたギンガ団の面々すらも納得を示した。

 元医師の観点から、アオギリとダークルギアもなんとか助けてやれないかな――と発案した朝木もこれには納得するほかなかったが、対してヨウタやユヅキといった面々は朝木の意見を支持した。基本的には感情論に根ざし、人道に基づいた意見ではあるのだが、それでは人を動かすにはいくらか足りない。そこでアキラとヒナヨが利を説いた。アオギリは味方に引き込める可能性がある、と。

 むしろ、元々はアオギリを味方につけること事態が既定路線だったのだ。市民を守るための戦力を増やすことを思えば、これも必要なことだ。今回の襲撃にしても原因は「あいいろのたま」の精神汚染だ。まだ情状酌量の余地はある。

 

 問題があるとすれば、アキラの言い方だろうか。曰く、今回の件はアオギリの手落ちであり、人間を滅ぼそうとしているわけでもない彼は多少なりとも罪悪感を抱くはずなのでそこにつけ込もう。どうせ元々敵なんだから目減りしない壁だと思えばいい。なんなら後ろから撃とう。正義というものの欠片も無い。

 ヒナヨは「サカキの息子」の記憶による悪影響を心配したが、そもそも彼女はその記憶が無くとも、「敵を軽く脅して情報を得よう」とか、「適当なことぶっこいてフレア団に嫌がらせしてから逃げよう」とか、聞けば人間としてどうかと思うような行動も平然と行っている。

 正しいことをしなさいという祖母の教えに基づいて行動「しようとしている」ということは、即ち今現在はそういう人間ではないということも示していた。

 ともあれ。

 

 

「状況から考えて、アカギ、というかギンガ団の介入は既にバレてるはずだ」

「だろうな」

「だからもういっそ開き直って、可能な限りレインボーロケット団からの横槍を防いでほしい。あっちはここで攻めきれれば、こっちの最高戦力を殲滅できる。外で一時間経ってる間にある程度は状況を把握して部隊を展開してるはず」

「そうだろうか? 奴らも巻き添えを食らうのは避けたいのでは……」

「畑からしたっぱが採れるんじゃねーかってレベルでガンガン出してくる連中だぜ。知ったこっちゃねえだろうよ」

「それで、任せてもいいのか?」

「何度目だその質問」

 

 

 うんざりしたように、アキラは小さく息を吐いた。

 アカギもある程度は理解している。ある意味持ちネタのようにこのようなことを告げているフシがあった。

 

 

「任せると言ったら任せる。何かあればわたしが全責任を取ってお前ら一人残らずぶちのめしにいく。それでいいだろ」

「…………」

「何だよヨウタその目は」

「何でも」

 

 

 ヨウタは確信していた。万が一、一人でも離反しようものなら間違いなくやる、と。なんなら彼女のそれはほとんど反射に近い自動的なもので、その気にならなくとも言葉にしなくともやりそうな「スゴ味」がある。無感情に一人残らず腕なり足なりを切り飛ばして再起不能にすることだろう。

 とりあえず誰一人離反者が出ないよう、ヨウタは強く(アルセウス)に願った。

 

 

「始めよう。アカギ、外に出してくれ」

「承った」

 

 

 アカギが手を掲げると同時に、パルキアとディアルガがそれに応じ空間に小さな穴が開く。

 それに伴い外部と内部との時間の流れの差が縮まり、やがて外部から強い風と雨が降り込む。よく嗅ぎ慣れた湿り気の強い潮のにおいに、アキラは小さく苦笑いした。

 空間の穴から外に出れば、ぬるい雨水が顔を叩く。全員が外に出たのを確認した直後、アキラは大きく声を張り上げた。

 

 

「位置につけ! アカギ、カイオーガを開放しろ!」

 

 

 それぞれがポケモンを出しながら、アキラとナナセが司令塔の役割を担うためその場に留まり、ヨウタとユヅキ、朝木が南東、東雲とヒナヨが南西へと向かって走る。

 デオキシスが周囲に「壁」を展開、海を閉鎖することで再度、海の魔物が海水を補充する手段を断つ。

 位置についたことをアカギが確認したタイミングで、先程と同様に空間に小さな穴が開いた。それは内側からひび割れるように広がり、やがて膨大な量の海水を吐き出し再び先の「海の魔物」を形作っていく。

 周囲に強い緊張感が漂う。一度は見事に「してやられた」手前、あのアキラでさえも殺気立って――殺意に満ちているのは普段通りではあるが――おり、彼女に近付くだけでもピリピリと肌に刺さるほどだ。

 

 

(しかし――)

 

 

 その中にあって、朝木は海の魔物に大きな脅威を感じなかった。

 それは単に、伝説のポケモンを見慣れてしまったからこその慣れとは異なるものだ。厳しい特訓を経たことで自信をつけたこと、特訓を経て強くなった仲間たちへの信頼といったものが、以前見た海の魔物と比べ、その姿を小さく見せていた。

 ほどなくして、海の魔物がその全容を見せる。そのタイミングでチャムとカメックスがメガシンカを遂げ――雨音に負けないよう、東雲が声を張り上げる。

 

 

「攻撃開始ッ!!」

 

 

 直後、三方向から海の魔物に向けて全身全霊の究極技が放たれた。

 もはや余力は残さぬとばかりに体内の全エネルギーを振り絞った一撃は、外界に再び現れたばかりの海の魔物に直撃し、体内でエネルギー同士の衝突が起きる。

 

 

「――――――!!」

 

 

 海の魔物の体表がゆらぎ、海水のさざめきと共に悲鳴にも似た音が周囲に響いた。

 炎、水、草のエネルギーは互いに影響し合う関係にある。同時に衝突した同量のエネルギーは勢いのまま海の魔物の中心部で混ざり合い、あるいは反発しあい――しかし、絶大な威力が消え去ることは無い。相互に影響し合ったエネルギーは見る間に増幅し、やがて海の魔物を内部から破裂させるようにして大爆発を起こした。

 

 

「うおっ!?」

「足りないか……」

 

 

 だが現状は、せいぜい外殻の一部が剥がれたという程度。海の魔物は先の戦いの最後、海水によって体積を元の数倍にまで増やしている。せいぜい二割でも削り取っていれば御の字というところだろう。少なくとも、この攻撃で倒れるということは誰一人として考えていない。

 

 

「じゃあ、次だ」

 

 

 故に、こうなることは既に織り込み済みだった。アキラが軽く手を挙げて合図をすると共に、幾百、幾千の光条が空を駆ける。

 それは、ベノンとシャルト、ラー子、ドララ、ガブリアス、ジャック――ほぼ全てのドラゴンポケモンを総動員して作り上げた、「りゅうせいぐん」の嵐だった。

 その光は一直線に海の魔物へと吸い込まれるように向かっていく。隕石の実物を媒介にしたわけではないが、そうであるが故にその光は一発一発が純粋なエネルギーとして海の魔物に突き刺さる。

 

 

「――――!! ――!!!!」

「まだまだぁーっ! みんな、撃てぇーっ!!」

 

 

 次いで、ユヅキの号令に合わせて、はがねタイプのポケモンたちが「てっていこうせん」を撃ち放つ。一見その攻撃は単純な光線のようだが、生体エネルギーのおよそ半分を費やした究極技にも匹敵する威力の光線だ。天から降り注ぐ「りゅうせいぐん」に対して挟み込むような形で激突したそれは、再び海の魔物の体内で炸裂し海水を弾き飛ばす。

 

 

(これではまだ……)

 

 

 状況を逐一確認しながら、ナナセは思案する。目標はアオギリとダークルギアの確保・救出……ひいてはカイオーガを元に戻すことになる。

 海水を削らなければ本質的なところで攻撃が届くことは無いが、しかし、海水を削りすぎれば今度はカイオーガ自身の命が危ぶまれる。適切なところで攻撃を一時的に止め、海の魔物の体内に突入しなければならないのだが、そのタイミングが難しい。

 海水が多ければ再度、先にされたようにダークルギアの能力を利用して攻撃を躱されるだろう。少なすぎれば攻撃の衝撃を殺しきれずにアオギリとダークルギアが死ぬ。瀬戸際のところでそうはならないように見極めるのが、今の所のナナセの役割だ。

 

 

「小暮さん!」

「!」

 

 

 と、そこで彼女の頬を高圧で発せられた水が掠めた。半ば悪あがきにも近いその攻撃を回避できたのは、アキラが周囲に目を光らせていたことでナナセを庇うことができたためだ。

 

 

「――まだですか!?」

「すみませんが、削ってください……まだ、もうちょっと……!」

「ヨウタぁぁっ!!」

 

 

 ――攻撃続行。

 それを示すように声を上げれば、ヨウタはその場で応じて、カプ・コケコとほしぐもちゃんをボールから出した。

 続いて東雲がヒードランとグラードンを出す。直後に一瞬、海の魔物が生じさせていた雨雲を割いて、「ひでり」によって雲間から陽が差す。

 

 

「ほしぐもちゃん、『ソーラービーム』! コケコは『かみなり』!」

「ヒードラン、グラードン、続いて『ソーラービーム』!」

 

 

 陽光を吸収するのは、その一瞬で充分だ。

 放たれた三本の光線はジリジリと海の魔物の体を焼き、蒸発させその体積を減らしていく。更にそこに一発、躊躇の無い雷撃が叩きつけられることで、蒸発した水分と急激な反応を起こし。水蒸気爆発が生じる。

 轟音と共に海水が弾けるのを感じつつ、その様相を目にしたナナセはアキラに向かってハンドサインを送った。それを確認したアキラが更にデオキシスへと自らの意思を伝達し、そこから朝木へと「作戦実行」がテレパシーによって伝えられる。

 

 

「キュレム、やれぇっ!!」

「コォォォォ――――……!!」

 

 

 ――「こごえるせかい」。

 海の魔物の体積が一定になった瞬間に固定し、活動を止める数少ない手段だ。

 規格外の冷却能力によって、数十メートルほどにまでそのサイズを縮めた海の魔物の表面が凍結する。

 無論、猶予はそれほど無い。海の魔物は自らの肉体となる海水を自由に操ることができ、内部から「ねっとう」とすることで数十秒足らずでその凍結状態から脱してしまうからだ。

 しかし、それでもその間は確実に動きを止めることができる。外からその様子を確かめたアキラは、最後の一手を打つべくレックウザのボールを手に取り――。

 

 

『そこまでだ』

 

 

 ――聞き覚えのある陰鬱な声が脳に直接響くと同時、アキラはその動きを止めた。

 彼女自身もデオキシスの手を借りて行ったことがあるのと同質の、テレパシーだ。それを発した主を探して視線を巡らせれば――彼女の背後数十メートルほど、漁港の建物の影から湧き出すようにして現れる影があった。

 

 ダークトリニティ、最後の一人。

 

 ――彼はその手に握った短刀を、アキラの祖母の首筋に突きつけていた。

 

 






 たいへんお待たせしております。
 そろそろ最終局面です。



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リベンジ・イン・ドーン

 

 

 思考の全てが空白になっていく感覚を、アキラは知った。

 元から血色の悪い顔から更に血の気が引いていく。彼女はボールを投げることもできないまま、青ざめた顔で固まるしかできなかった。

 尋常ではない彼女の様子に最初に気づいたのは、すぐ隣にいたナナセだ。アキラに続いて状況を把握すると、彼女はぎょっとして目を見開いた。

 

 ――言ってしまえば、こうなってしまったのはとにかくめぐり合わせが悪かったせいだ。

 アキラの祖母である刀祢ヨシテルは、孫にその力を活かすための指針を締めたように、善良な人格者だ。ヨウタからクマ子を預かっている――普通の人間よりも強い「力」を持っているからこその責任感もあり、避難誘導を行っている自衛隊員を手伝うためにも、土地勘を活かして周辺の家々を回って声をかけたりと精力的に活動していた。

 

 そこへやってきたのが、アオギリへ宝珠(たま)を届け終えた後、戦場から逃げ延びたダークトリニティだったのだ。

 彼はゲーチスのためにその身命を捧げる影の存在だ。誇りというものを全てゲーチスに委ねている彼にとって、卑怯、卑劣といった概念は無い。

 ここでヨウタたちが海の底に沈めば、ゲーチスが勝利する確率が跳ね上がる。そのためにダークトリニティは手近なところにいた老人を人質として選んだのだった。

 どんな人間を人質として選んだとしても、思考を硬直させるなどして一定の効果は得られる。ヨウタたちというのは、こういう場面で見捨てるということを選べない集団だ。たまたま選んだのがアキラにとっての急所だった、これはそういう話である。

 

 

「やめろ!」

 

 

 目に見えてアキラが狼狽している。そのことに、ナナセは不謹慎ながらもわずかな安心を覚えた。

 ちょっと神経質な部分こそあるが、戦場での彼女は一切の無駄を排した抜身の刃のようで、人間味がまるで感じられなかったからだ。ただ、だからと言って状況が好転するわけでもない。むしろ身内を大事に想っていればいるほど、状況は悪化していく。

 次いで、離れた位置に陣取っていたヨウタたち徐々に状況に気づき始める。が、手は出せない。東雲は砕けんばかりに歯噛みし、ヨウタは関係ない人間を巻き込むという手段を取ったダークトリニティにぞっとするような冷たい怒りを向ける。

 

 

(この状況……見捨てなければならない(・・・・・・・・)か……)

 

 

 無力感に苛まれながらも、東雲は頭のどこかで冷静にそう判断した。

 アキラとユヅキにとってはあまりに酷な話だが、ここで彼女らの祖母を優先するのは本末転倒だ。四国は沈み、何万、何十万という人命が失われる。

 いざとなれば自分が泥をかぶるしか無い。そんな覚悟を固め、いつでも攻撃に移れるように彼はカメックスへ小さくハンドサインを出した。

 

 

「死ぬ気か、お前……!?」

「我らの全てはゲーチス様のためにある。貴様らを道連れにできるのならば本望……!」

 

 

 ダークトリニティは自らの命を消耗品と捉えている。自分が死んだとしても、ゲーチスが勝利できるならそれは彼らにとっての「勝利」に他ならないのだ。自らの死によって状況が好転すると言うのなら、喜んで命を差し出すだろう。

 アキラたちの中の一人でも道連れにする。ないしは何らかの形で精神的に強烈なダメージを与えて戦闘不能に陥らせる。それさえできれば、レインボーロケット団にとってわずかでも有利になる。狂信と盲信が生んだ凶行だった。

 

 

(誰かぁー! 誰かこっちの援護してぇーっ!!)

 

 

 一方、キュレムに凍結を指示して逐一凍結状態を更新させ続けている朝木は、エラいことになっていた。

 ダークトリニティに気取られないようにキュレムに指示を出すにはキュレムに近付く他ない上に、その体は冷気を用いた攻撃を行えば行うほど体温が下がっていく。

 既に周辺気温は零下10度。髪には霜が降り、そろそろ目を開けていられない状態だった。当然、アキラたちの状況など見えるはずもない。

 こちらはこちらで修羅場だった。

 

 

(どうすればいい……? いや、というか……)

 

 

 ダークトリニティの持つ短刀には、濃縮された毒が染み込んでいる。かつてのアキラは強化された生命力でねじ伏せはしたが、体力の落ちた老人ではかすり傷であっても間違いなく命に関わる。既に短刀が首筋に添えられてしまっている今、それこそ時を止めるほどの摂理を無視した現象が起きなければ助け出すことは難しい。人間同士の諍いに対して力を貸してくれることなどありえないが、カプ・コケコが雷の速度を出しても、不可能だ。

 ではディアルガの力を使えばあるいはと考えたが、時間の流れが遅くなる空間を作り出してもらった直後で、体力の消耗が激しい。まだ再使用できるタイミングではないだろう。

 ――と、考察を並べる一方でヨウタは小さな違和感を覚える。

 

 

(……アキラってあんなに焦る方だっけ)

 

 

 アキラのあの焦り方だ。普段の彼女は、こうした非道を目にすれば怒りこそすれ、頭はむしろ冷酷なまでに冷ややかになる。口数も少なくなり、瞬時に最適解を選び取るまでに頭も研ぎ澄まされる。

 それが今や年頃の少女と同じように、この後に起きる惨劇に怯え、苦しんでいるようだ。無理からぬことではある。実の祖母が今にも殺されようという時に冷静でいられる人間など普通はいない。

 とはいえ、これまでのことを考えると、その態度も何か策があるからこそのものだと考えられた。

 そう、希望的観測を抱いていた。

 

 

「ッ――――」

 

 

 一秒にも満たない逡巡の後、アキラは何かを諦めたような面持ちで再び動き出し――ボールを投げた。

 

 

(まさか!)

 

 

 まさか。よりにもよって彼女が見捨てるのか。ヨウタは全身の血が沸騰するような感覚に見舞われた。

 一方的な期待ではある。アキラならもしかすると、という思いを否定しきれなかったのだ。失望の冷たい感覚が心の奥底から漏れてくる。

 ――この時、ヨウタがもっとまともな精神状態であったなら、隣に立っているユヅキの様子にも気づいただろう。彼女がこれから起きる惨劇を前に浮かべた表情は、怒るでも焦るでもなく、「あちゃあ」という小さな後悔か嘆き程度のものでしかなかった。

 

 

「馬鹿め」

 

 

 あまりに予想外だったアキラの判断に一瞬たじろぎながらも、ダークトリニティもはや邪魔にしかならない人質を始末するべく動いた。

 鮮血が舞う。赤黒い花弁が散るように血が吐き出され、崩れ落ちる。

 

 ――ダークトリニティが。

 

 

「……は、え?」

 

 

 ヨウタは思わずそんな季の抜けた声を上げていた。

 ちょっと待って今何が起きたの? 二度見しても現実は変わっていない。ダークトリニティは膝から崩れ落ちかけている。

 東雲はあんぐりと口が開いていて、ナナセは何やら瞳の中に宇宙を映している。ヒナヨはヨウタとダークトリニティとの間で何度も視線をさまよわせていた。

 

 

「――な」

 

 

 ダークトリニティは霞む視界の中、混乱に陥る頭に活を入れて半ば無理矢理に思考を回す。

 一体何が起きたのだ? 何か途轍もないことになっている気がする。何か正気を疑うような事態になっている気がする。少し頭を整理する時間が欲しい。一瞬の出来事なので分からないが、今恐らく自分は内臓に凄まじいダメージを受けている。……いや何で? この老婆に?

 思わず一瞬素に戻りかけた彼は、自身を見下す老人の目にあの少女(・・・・)と同質の、あるいはより洗練された「殺意」が満ちていることに気づいた。

 

 

「いつも自分を基準にして考えるのは、アキラの悪い癖だねぇ」

 

 

 ――更に次の瞬間、ダークトリニティは全身の関節が外れる音を聞いた。

 身動き一つできない。いや、それだけならばまだしも、この痺れるような感覚(・・・・・・・・)は一体何だ。

 

 

「悪因悪果……悪いことと理解して行動をおこせば、いつか必ず報いを受けるものだよ。誰だか知らないけれど、命を張るならその人の道を正すことに張るべきじゃないかねぇ……」

 

 

 パチリ、と指先で淡く白い電光を瞬かせて呟いた言葉は、雨に溶けるように消えて、誰の耳に届くことも無かった。

 

 一方その「惨劇」を目にしたヨウタは、二、三度目を擦ってユヅキに問いかけた。

 

 

「何あれ」

「お姉は言ってなかった? ウチらの師匠っておばーちゃんだよ」

「初耳だよゥッ!!」

 

 

 しかし、その前提条件があるとこれまでのことも概ね自然な反応に思えてくる。

 アキラが焦っていたのは祖母が殺されるからではなく、祖母が人殺しになりかねないから。実際のところ達人と言ってもいいアキラをほんの二年足らずであれだけの腕に育て上げた以上、手加減などできて当たり前だ。杞憂に過ぎないと言っていいだろう。

 もっと深いところに目を向ければ、なぜアキラが肉親の情という以上に最大限の敬意を持って接しているのか、なぜ姿形の変わったアキラが「刀祢アキラ」だと気づけたのか、なぜ常識外れの身体能力を暴走させていたアキラとごく普通に暮らすことができたのか……。結局のところその答えはただ一つ、彼女がアキラ以上に気の使い方に精通した達人の中の達人だからだ。

 ほんの僅かな気の緩みで人を、ものを壊しかねないキテルグマのクマ子が一度も「粗相」をしでかさなかったのは、その手腕によるところも大きいだろう。既にノウハウがある以上、対応するのは簡単だ。

 ヨウタはふと、顔も知らない刀祢家の両親の戦闘力が気にかかった。

 

 

「普通のサラリーマンだよう」

 

 

 何やら心を読まれたが、ユヅキも額面上普通の女子中学生であるのにあの戦闘力だ。説得力にまるで欠けていた。

 他方、もはや無事に済ますことを諦めていたアキラは、ことの顛末を見届けてほっと息をついた。いくら敵でも死なれると気分の良いものではないし、実の祖母が人殺しになるというのも避けたかった。

 仮に人質が祖母でなかったとしても、助け出す手段は少なくない。既にデオキシスがボールの外に出ている以上、念力で腕を無理やり動かすなどして短刀を刺すこと自体できなくしてしまえばいいだけのことだ。

 結局のところ、ダークトリニティは最初から詰んでいたのである。

 

 

「グゥゥ……」

 

 

 いつまで面倒なことをしているんだ、とばかりに唸り声を上げるレックウザに、アキラは仕方ないだろうと唇を尖らせた。

 超越者の視点からすればどうでもいいことになるのだろうが、人間としてはこうしたことが大事なものだ。

 

 

「行くぞ。小難しいことはいい。作戦は一つだけだ」

「クアゥ……!」

「――『しんそく』でぶち抜け」

 

 

 その言葉を耳にすると、レックウザは口元に笑みを浮かべるかのように、獰猛に牙を剥いた。

 アキラの言葉を聞きつけたデオキシスが、アキラに続いてレックウザの背に位置取る。わずかにレックウザが不快感を示したが、それを振り払うかのように気流がその全身に纏わり付く。

 続いてデオキシスのサイコパワーが、レックウザの前方に巨大な「手」、あるいは受け皿とも呼ぶべきフィールドを構築していく。それを待つことなくレックウザは動き出したが、フィールドの構築速度はそう遅いものではない。

 そして、およそ人間の認識の外にあるような速度をもって、レックウザは空を駆けた。

 巨大な氷塊となった海の魔物の外殻を砕き破る。念力によって強引に変えられそうになるのを、デオキシスが更に強引に念力によって軌道を修正。一瞬の後、レックウザの牙がダークルギアの翼を捉えた。

 

 

「グルルルァァァッ!!」

「――――」

 

 

 噛みつき、へし折り、引きずり出す。一瞬の攻防――と言うには長過ぎるやり取りの中、アキラもまた、目が霞むほどの衝撃の中で波動を通じてデオキシスに思考を伝える。

 念力の乱気流の中では、デオキシスはアオギリの位置を掴めない。そこで重要になるのが、アキラの目だ。彼女の視覚ならば波動を通じてアオギリの居場所――海の魔物の心臓部を正確に把握できる。どれほど位置が変わろうともだ。

 

 

「△△△」

 

 

 ここだ、とばかりに、デオキシスはその複腕を一つの「腕」にまとめ、形成した掌で空気を掴む動作をした。

 同時、アオギリの肉体が上下から挟み込むようにして拘束され、アキラたちが前進するその勢いのまま海の魔物の体内から引きずり出されていく。

 

 

「ぐぅ、うおおおおおおお!!」

 

 

 海の魔物の代弁の如く、アオギリの口から絶叫が漏れる。ここで彼を外に抜き出されてしまえば、もはやこの形態を保つことはできなくなる。

 絶対にそうはさせはしないと、彼の手が青く輝きかけ――直後、デオキシスの念動力によってそれは強引に捻じ曲げられた。

 

 

「絶対に逃がすな! 手足の一つ二つ潰していい! 何が何でも引きずり出せぇっ!!」

 

 

 治療はできるし、手段はある。とにかく今はアオギリの体を海の魔物の体内から抜き出さなければならなかった。腕があらぬ方に向けられたことで衝撃波もまた本来向かうべきではない方向へと飛んでいく。

 ――そして、アオギリとダークルギアの体は「しんそく」の突進その勢いのままに、先の激戦が嘘のように呆気なく外へと飛び出すことになった。

 

 

「ヒナァァッ!!」

「分かってる! ジガルデぇっ!!」

 

 

 そこに待ち構えているのは、100%(パーフェクト)フォルムのジガルデだ。しっかり、正確に向けられたその砲口から放出されたエネルギーは、念力から開放されたアオギリの肉体に叩きつけられ――彼の体内に滞留していた思念の一切を押し流し、消し飛ばした。

 

 

 

 ●――●――●

 

 

 

 レインボーロケットタワー、管制室。当然というべきか、「海の魔物」が現出してからというもの、この場所では逐次情報収集と監視が続けられていた。

 監視を行う責任者は、最高幹部のアポロだ。彼はドローンから送られてくる映像――海の魔物が破裂し、急速に萎んでいく姿――を前に、一つ部下に向かって指示を送った。

 

 

「例のものを投下しなさい」

「ハッ!」

 

 

 アキラたちは現在、海の魔物に勝利した直後ということで多少なりとも気が緩んでいる。

 本来ならば「例のもの」を用意し、そして運用するにはごくごくわずかな時間が不足していたが――それはダークトリニティによって稼がれた。

 彼の行動はアキラたちに対して大きな影響こそ及ぼさなかったものの、レインボーロケット団にとっては作戦遂行のための一要素として珠玉の働きをしてみせたのだ。

 映像に続けて映し出されているのは、大型の輸送機だった。そこから複数のボールが投下され、やがて空中でその中身を曝け出す。

 

 ――強制進化マシンによって即席で結成された、数百匹のマルマインによる絨毯爆撃である。

 

 

「弾着まで5,4,3,2……」

「起爆しました」

 

 

 観測員のカウントダウンに合わせて、およそ現実の光景とは思えないほどの火の花が咲いた。

 一匹あたり数十メートルほどにも渡る広範囲の爆発だ。当然、人間が生きていられるわけは無いしポケモンでも生存できるものか分からない。

 しかし、どこかアポロには予感があった。この程度では足りないのではないだろうか、と。

 

 

「続けて第二陣の投下急ぎなさい」

「ハッ! ……お待ち下さい。第二輸送機(ブラボー)に高熱源反応接近」

「!」

 

 

 そして、その予想は正しかった。

 瞬時に、マルマインの第二陣を用意していた輸送機の翼が溶断(・・)される。人死にを出さないように配慮こそされているが、これほどの熱量となれば間違いない。グラードンの「ソーラービーム」だ。

 

 

「やはりこの程度では効果がありませんか。周囲の状況は――」

「お待ち下さい。視界不良――開けました。……市街地に損傷無し!?」

 

 

 そして信じられないことに、市街地に損傷はない。となれば間違いない。デオキシスがその全力をもってバリアを展開、この窮地に対応したのだろう。

 だが、それで少なくともデオキシス自身のサイコパワーは尽きる。少なくとも、アポロはそう計算していた。

 しかし、そこで問題となるのは黒煙に紛れて敵トレーナーの姿がポケモン諸共に見えなくなってしまったことだ。アポロは一つ舌打ちして部下に指示を送る。

 

 

「敵トレーナーの位置把握急ぎなさい! 動員できる団員を総動員し包囲殲滅線に移ります!」

「捕捉を急いでいます!」

 

 

 ふと、そこでアポロは違和感を覚えた。

 

 ――「ソーラービーム」を撃った直後のグラードンは、いったいどこへ消えた?

 

 あるいは、黒煙の中に紛れるように動いている可能性も否定できない。

 が、だとしても「ソーラービーム」を撃ったその場には確実にいるはずだ。熱とそれに伴う風圧によって吹き飛ばされた黒煙の先、そこにいない、などということはありえないはず――。

 

 

「――エネルギーの探査範囲をタワー周辺まで拡大しなさい」

「は? なぜ……」

「いいから早く!!」

 

 

 重要なのは、ここで彼らの姿が捕捉できなくなったこと。

 つまり――あの白い悪魔(・・・・)を完全にフリーの状態にしてしまったことを意味する。

 彼女の行動は常に突拍子がなく、そして時によってはレインボーロケット団に対して極めて深刻な傷を与えてきた。

 何かやる。確信に近い予感のもと出した指示に、部下はやや反応が遅れながらも対応を見せる。

 

 

「は、はっ! ――――!? ね、熱源、タワーに最接近!!」

「場所は!?」

直下(・・)です!! 埋め立てたはずの地下に――!」

「ッ、総員退避ィィィィィ!!」

 

 

 ――直後。

 伝説のポケモンのメガシンカに伴う絶大なエネルギーを帯びた光が剣山の地下より噴出。

 レインボーロケットタワーは、天に駆け上がる龍の一撃によって崩壊を遂げた。

 

 





 ゥ!


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アサルト・トゥ・インファイト


 短めです。



 

 

 ――はっきりしたことを言ってしまうと、先の一連の奇襲はそれなりに有効な手段ではあった。

 幻のポケモンとはいえ、一匹のキャパシティを超えるほどの飽和攻撃というのは有効だ。本来ならばここで一同が総力を挙げて全身全霊で防がなければならない事態――だったのだが、アカギは律儀なことに、ここで「横槍を防ぐ」という指示を遂行するべく動いた。パルキアの「あくうせつだん」の一撃で空間の繋がりを断絶、爆発の衝撃を異空間に逃したのだ。

 余計な体力を使わせればそれだけ回復は遅れる。ディアルガの力を使って回復までの時間を稼ぐにしても、既に長時間能力を使っていた関係上、再使用にはどうしても制限が生じる。それ故の措置でもあった。

 

 その後の流れは単純だ。全員が集合したところで再度時間の流れが異なる空間を展開、ポケモンたちを回復させた後にデオキシスの黒い穴(ワープホール)によって、作戦通りに面々をそれぞれの目的地に送り出した――ということになる。

 その上で、アキラが選択したのは敵本拠地への強襲だ。それもただの強襲ではない。メガレックウザの力を借り、拠点そのものを壊滅させる一撃を叩き込むための全力の強襲だ。

 そしてその目論見は結実した。埋め戻された地下の土砂を予め転移させておき、黒い穴(ワープホール)によって開いた空間へ移動。そのままメガシンカを果たした後、超巨大隕石をも砕くほどの力を発揮するメガレックウザの「ガリョウテンセイ」が炸裂――。

 

 

「……当然、何の苦もなく通るとは思っちゃいなかったけどな……!」

 

 

 ――した直後、その一撃は半ばで止められ(・・・・)ていた。

 アキラたちの中では最高の威力を誇り、ともすれば究極技すらも凌駕するほどの威力を発揮するのが「ガリョウテンセイ」だ。それを止めたとなれば、相応の実力を有するポケモン以外ではありえない。

 

 

「フ……フフ……! 思い切りのいい奇襲だ。驚かされたぞ……!」

 

 

 即ち、同クラスの伝説のポケモン二匹による防御。

 中でもサカキは、ミュウツーのうち一匹をメガミュウツーYにメガシンカさせることでサイコパワーを増強、数十層にも渡る最高硬度の複合バリアを形成して「ガリョウテンセイ」を阻んだのだった。

 それでも殆どの防壁が薄布のように裂かれ、メガミュウツーYの腹部にメガレックウザの鋭い顎部が食い込んでいるのを見れば、いかにサカキと言えども冷や汗を禁じ得なかったが。

 アキラとしてはここで倒せるならばそれが最善ではあったが、そのような想定などはじめからしていない。

 

 

「――『はかいこうせん』!」

 

 

 続けざまに、黒い破壊エネルギーが帯となって放たれ光壁を完膚なきまでに破壊した。

 衝撃を和らげるためにメガシンカを行っていないミュウツーが防壁を張るものの、それでもなお威力に負けて押し返され距離が生じる。高揚を覚えたサカキは闘志を剥き出しにて口を開いた。

 

 

「随分な挨拶だ!」

「どの口が言う……!」

 

 

 もとを辿れば、「挨拶」と言うならばレインボーロケット団はその挨拶で四国全土を制圧してのけている。当然、アキラの返答は殺意のみだった。

 

 

「朝木!」

「お、おおお!!」

「む……!」

 

 

 そこで、サカキはレックウザの尾に一人の男がしがみついていることに気づく。存在感の小ささから気付けなかったが、彼は最初からこの戦場に割り込むために機を窺っていたのだ。

 何かはわからないが、何かまずい! 瞬時にそう判断を下すも先の攻撃で距離が生じていることもあって、即座に攻撃に移ることはできない。加えて、朝木はここに至るまでに既に一つ、指示を下していた。「ボールから出たら即座に攻撃しろ」と。

 

 

「ヒュラ――――」

 

 

 笛を吹くような、あるいは吹雪が吹き抜けるような声が響いた時にはもう、その攻撃は終わっていた。

 竜巻と化した冷気が地上に向かって叩きつけられ、崩壊していくタワーの瓦礫をも巻き込んでそこに新たな塔を形作る。この戦いに余計な横槍を入れさせないために雑兵を囚える氷の牢獄(こごえるせかい)だ。

 

 

「下は――ッ、回避!!」

「クアァッ!!」

 

 

 下は任せる。そう告げようとしたアキラたちの真横を掠めるように、凄まじい威力の雷撃が通り抜けた。

 外部電源を必要とするチュリでは及びもつかないほどの電力――どころか、ともするとカプ・コケコのそれを思い起こさせるほどのものだ。伝説のポケモンかそれと同クラスの技だと結論づけ、アキラは再び空を見上げる。

 そこには、巨大な空間の穴(ウルトラホール)があった。そこから姿を覗かせているのは、電飾にも似た姿の異形の獣(ウルトラビースト)――デンジュモク。

 3メートルを超える巨体が上から見下ろしてくるのを不遜とし、レックウザは強い怒りをもって吼え猛った。そして更に、続くように、あるいはサカキの盾になるように現れる人影にアキラも同じように強い闘志と深い殺意をもって睨む。

 

 

「ランス……ッ!! 邪魔だ!!」

「また――いえ、やはり(・・・)あなたですか……!!」

 

 

 互いに互いを苦手とする同士、緒戦で痛い目を見せられたことで二人の意志は奇しくも合致していた。

 

 

((こいつだけはここで倒す――!!))

 

 

 片や、敵の中核をなす最強の矛を封じるために。

 片や、策略の要である頭脳を斬り伏せるために。

 ――必滅、必殺の意志が衝突する。

 

 

「くっそ!」

 

 

 その瞬間に、再び上へと向かうよう朝木はキュレムへ指示を送った。狙いは当然、ランスの乱入によってフリーになってしまったサカキだ。

 アキラたちでなければ勝てると断言はできない。しかし――だからと言って戦わないという選択肢は取れない。彼とて、自分はアキラたちの仲間であるという矜持がある。既に朝木の中で、仲間の信頼に応えるというのは命をかけるに値することだった。

 肩越しに向けられる視線に、朝木は力強く返した。

 

 

「――俺が倒す!」

「できると思うのか、お前ごときが。このサカキに!」

「うるせェ!! やろうともしなきゃ最初から可能性はゼロだ!」

 

 

 恐怖に足が震え、脂汗が出てくるにも関わらず発した力強い啖呵を、サカキは笑って受け止めた。

 夢物語は描かれただけでは永遠に夢物語のままだ。だからこそ、行動しようと決めた……その結果がここにいるサカキでもある。

 朝木のその姿勢は紛れもなく、サカキにとって共感と評価に値するものだった。

 

 

「そうか……非礼を詫びよう。その心胆、このサカキが手ずから相手をするに相応しいと。全力で来い挑戦者(チャレンジャー)!」

「――ッ!!」

 

 

 油断しろや!

 朝木は胸中で悲鳴を上げた。

 

 明確な格上と戦うのはこれで何度目か。これまでの戦いにおいて彼は、必死にもがいて相手の油断を誘い、幸運も絡めてギリギリのところで戦略的勝利をもぎとってきた。しかし、個人単位での勝利は数えるほども無い。相手の油断を誘う事ができなければ、格上の敵を正面から敵を突破できないのが彼なのだ。

 朝木の強がりは、強がりであることをあえて見せることで敵の慢心を誘う戦術的な側面もある。彼にとっては現状は、手札の半分をもぎ取られたに等しい。

 

 

「――上等だァァ!! テメェそこから引きずり降ろしてやらあァァッ!!」

 

 

 それでも。

 男として大人として精一杯に意地を張って、朝木は自らを鼓舞するためにも声を張り上げた。

 

 

「キュレム!」

「ヒュララララ……」

 

 

 今、この場で戦うのは非常に難しい。朝木のポケモンで空中戦に対応できるのがクロバットとガブリアス、キュレムの三匹だからだ。

 対してサカキはミュウツーのみ。数の利に任せて押し切る戦法を取ることもできないではないが、基礎能力の差でミュウツーにはどうあっても勝てまい。

 故に、そこで思考を誘導する。朝木たちこちらの世界の住人にとって、戦闘と言えばルール無用の殺し合いを指す。しかしヨウタたちあちらの世界の住人となると、戦闘というのは「ポケモンバトル」を指すことが多いのだ。

 元、とはいえそこはサカキもジムリーダーだ。体に染み付いた習性というものはなかなか抜けない。加えて求道者気質――アキラはこれを武人気取りの狂人と吐き捨てたが――でもあるため、挑発を受けて場を整えられれば、サカキはまず応じる。そこで作り上げるのが、キュレムの能力による氷の闘技場だ。

 

 中央に向かって投げ込んだボールから現れたブロスターが、「みずのはどう」をサカキに向かって撃ち放つ。それが開戦の狼煙となった。

 

 

「…………!」

「今はいい」

 

 

 前に出ようとしたミュウツーを手で制し、サカキはボールを放る。そうして出てきたニドクインは――単純な腕力のみを用いて、「みずのはどう」を粉砕した。

 

 

「クイィィン!」

「……ッ」

 

 

 ふざけるな馬鹿野郎、と朝木は再び内心で叫ぶ。

 それなりの長期間修行に費やしたおかげで彼のポケモンたちも相当に鍛えられた。ヨウタにも認められるほどで、特に彼からは本気になったジムリーダー相手でもいい勝負ができるだろうと太鼓判を押されていた。

 それなのにまるで通用した様子がない。当然と言えば当然だ。ヨウタはあくまで「ジムリーダー」の範疇での話をしたのであって、チャンピオンを凌駕するほどの実力者を手にしてしまったサカキに敵うとはひとことも言っていない。

 

「ブロロロロロォッ!!」

 

 

 しかし、ブロスターはその力量差を理解してなお、強い意気込みのもと鋏を打ち鳴らした。

 だよな、と朝木は冷や汗を流しながらもその意志に応えて氷の闘技場へと降り立つ。ポケモンがやる気になっているのにトレーナーが逃げるわけにはいかない。

 そして何よりも……。

 

 

(旅を始めた頃のアキラちゃんは俺以上の絶望的な戦力差でも戦い抜いてた! それを一番近くで見てた俺が逃げたら……最低のクズだろうが!!)

 

 

 今、下で戦っている少女に格好の悪い姿を見せるわけにいかない。

 ごく単純で俗な行動原理に、朝木は軽く自嘲した。

 

 

 



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クラック・アンド・サイドチェンジ

 

 

 香川県高松市、高松城――その地下。フレア団が不法に占拠し、改造を行ったのがこの場所である。

 フレア団、ひいてはフラダリと彼が掌握するイベルタルとゼルネアスは、存在そのものが戦局を変えうる。

 言うなればある種の戦略兵器のようなものだ、とナナセは捉えており、これを排除……ないしは足止めすることこそが、一連の戦いにおける最重要目標になるのは明白だった。

 

 

「……ていうかあいつら、どいつもこいつも地下改造しすぎでしょどうやってんの!?」

「さあ?」

 

 

 そしてその作戦の要を任されたユヅキとヒナヨは、アキラたちと同様にデオキシスの手引きで黒い穴(ワープホール)を通ってその地下通路を走っていた。

 ここまでに何度も超技術によって造られたレインボーロケット団秘密基地を潰しはしてきたが、慣れたわけでは決して無い。むしろ、見れば見るほどなぜこのような意味の規模の基地を建築しているのか、更にそもそもを言えば地下をこんなに堀り抜いてこの後の四国各地はいったいどうなってしまうのか。そういうことを考えるような立場にはいないが、一般市民の目線でも気になることは気になるものだ。

 ユヅキは至極ドライに目の前のことだけ考えているから言葉少なめだし、ここにいるのが仮に彼女の姉でも似たような反応を示すだろう。ヨウタはある程度共感を示してくれるので話し相手として助かったものだった。

 ユヅキもアキラも、共通して戦闘となると自らの感情を抑圧し、徹底的に敵の排除を行う。平時であればノリも合わせられるしヒナヨも友人として好きなのだが、こういう時のユヅキたちのことは苦手だった。

 そんなヒナヨの内心を知ってか知らずか、ユヅキは緊張を孕みつつもどこかぼんやりした表情でぽつりと一つ呟いた。

 

 

「面倒だし壊して進んだ方が良くない?」

 

 

 指差しているのは、地下の空間と空間を隔てる壁だ。現代では見られない建築様式はまさしく異世界的で、材質はひと目見ただけではよく分からない。

 とはいえタワーで完膚なきまでに破壊していたことを考えれば、今のユヅキたちのポケモンでも難なく破壊できるだろうが。

 もっとも――。

 

 

「作戦通りにいかないでしょ、それじゃ」

 

 

 フレア団――正確にはフラダリを撃破する、というのはこの戦いにおいて絶対に必要なことだ。

 タワーの奇襲で混乱しているスキを突いてフレア団基地に侵入、アキラに次ぐ感知技能を持つユヅキが索敵を担当しつつ、なんとかしてフラダリに接近、可能なら闇討ち、または通常の戦闘で撃破することでイベルタルとゼルネアスを奪取……というのが作戦の大筋なのだが、ここで大きな騒ぎになれば当然、奇襲の優位は失われる。

 それは分かってるけど……と、ユヅキは唇を尖らせた。

 

 

「でも、多分もうバレてるよウチら」

「……おっゲェ」

 

 

 ヒナヨは吐きそうになった。

 作戦が既に破綻している。

 

 

「やだもぉぉ~……! こういうのアキラの領分じゃないのぉ!?」

「お姉のことなんだと思ってるの?」

(ダンス)ってる不運(バッドラック)を力技で叩き潰す系女子」

「う~ん……うう~ん……」

「不服そうな顔してもさぁ。今までの所業考えてよ。ていうか何でゆずきちそんなこと分かるの?」

「……勘?」

「あー……勘ね」

 

 

 こういう時の彼女の言う「勘」の信憑性は高い。彼女は単に、細かな違和感や見て聞いて感じ取った情報を具体的に言語化できていないだけなのだ。それらをひとくくりにしてとりあえず「勘」と表現しているだけのことで、しっかりと根拠はある。

 思えば周囲に人間はおらず、混乱の只中にあるはずだと言うのに騒ぎが起きているわけでもない。道すがら会戦ということにもなってない。何かがあるのでは、と思わせるには充分だ。

 

 

「やっちゃおうよ。ねっ?」

「う~ん……だね。やっちゃおっか」

 

 

 結論が出るのは早かった。

 ユヅキはゴルムスを、ヒナヨはむーちゃんをそれぞれその場に出し――むーちゃんが巨体のせいで通路の形に押し固められそうになる。

 

 

「じゃ、このまままっすぐで」

「行っちゃおう!」

 

 

 むーちゃんの筋肉が膨れ上がり、窮屈そうに縮めていた身を開放するように伸びをした。同時にその周囲の壁が音を立てて砕けていく。

 軽く空間ができた――というか強引に作り上げた――ことで、さて技を使って突き進もうとした、そのときだった。

 

 

「ちょ、ちょっと待つんだゾ!」

 

 

 ――不意に、ヒナヨたちの眼前に赤い服を着用したふくよかな男が躍り出る。

 フレア団大幹部、クセロシキ。その存在を認めた瞬間、ヒナヨの手は前方ではなく明確にクセロシキ自身を指し示していた。

 

 

「『こおりのつぶて』!」

「むぅぅぅ!!」

「うおおおおおおおおおお危なああい!!」

「チッ。仕留めきれなかったわ」

「ひ、人を見るなり命をとりにかかるんじゃないゾ!!」

「人の命奪い続けてるあんたらの言えたことか!」

 

 

 通路の脇に転がり込んでなんとか回避した彼の額には、大粒の汗が浮かぶ。ポケモンの攻撃など受ければ、腕の一、二本が折れるというどころではない。

 とはいえ当然の処置だ。ヒナヨは当然激しているが、対してユヅキの様子は静かで、じっとクセロシキの様子を見据えているのみった。

 

 

「ゆずきちも何か言ってやりなよ」

「戦う気が無いなら邪魔だからどいてほしいんだけど」

「いやそういうニュアンスじゃなくって。……戦う気無い?」

「そういうつもりは無いゾ」

「はああああ~?」

 

 

 まるきり意味の分からない状況だった。この局面、この状況で現れたフレア団大幹部――となれば目的は十中八九足止めのはずだ。

 ならば適当なことを言って混乱させようというのかと考えるが、それはクセロシキに対して殺気を向けないユヅキのことが気にかかった。彼女は戦いとなれば、アキラほどとは言わないまでも敵に容赦や遠慮をすることは無い性質だ。気を読むことにも長けているから敵意を感じれば即座に攻撃を仕掛けるし、何か企んでいようものなら躊躇はしない。その彼女が攻撃を命じていないとなれば、ヒナヨとしても続けて攻撃というのは気が引けた。

 

 

「クロキシのおじさんはなんのために来たの?」

「クセロシキね」

「クロレキシ」

「わざとやってない?」

「それでおじさん、何で?」

 

 

 問いかけるその瞳は、深淵を覗くかのような色味を含んでいた。

 歳にして二回りも離れた少女だというのに、そこから発せられる言いしれない威圧感はクセロシキをたじろがせる。

 不意に、彼はユヅキのその雰囲気の中に、自分たちを苦しめた白い少女の面影を見た。よく見れば輪郭などもよく似通っており、嫌でもタワーで目にした彼女の暴虐を思い起こさせる。

 

 

「……頼みがあって来たんだゾ」

 

 

 だからこそ、そこにクセロシキは強い可能性を見出した。

 

 

「フラダリ様を止めてほしいゾ」

「……はあ?」

 

 

 あまりに想定外の申し出に、ヒナヨは目を瞬かせた。

 無いでしょ、と頭のどこかで呆れが生じると共に、もしかすると、と原作(ゲーム)の知識を知っているが故の可能性にも思い至る。

 クセロシキは知的好奇心の塊だ。それ故に一度は実際に人の道を外れた研究も行ったが、ゲームにおいてはマチエールという少女との交流を通して、自ら国際警察に出頭するほどに倫理観を取り戻している。

 好奇心の虜である彼は、それが満たされさえすれば人並みの感性を持つこともできるのだ。特に、彼の大目的であった「最終兵器」がもたらす末路とイクスパンションスーツの運用を目にしたことで、ある程度落ち着いている可能性は高い。

 

 

「どういう風邪の引き始めなの?」

「風の吹き回し?」

「それ」

「……平易な言い方をすれば……怖くなったんだゾ」

「はあ?」

「おまえたちは、『最終兵器』を知っているか? ……だゾ」

「そりゃ……聞いたことくらいあるけど」

 

 

 あくまでそれはゲームや漫画における話だ。そうして描かれたものにしても威力が半端だったり情報が断片的だったりと、真に威力を発揮する場面を見たとは言えない。

 ユヅキなどは、そもそもが数年前にプレイしたきりのゲームだったため、完全に記憶の彼方だった。

 

 

「フラダリ様はあれでカロス地方の全てを吹き飛ばし……やがて全人類に矛先を向けるようになったゾ」

「……そう」

 

 

 様々な点でヒナヨの知識と食い違っているレインボーロケット団だが、これに関しても同じことが言えるようだった。

 彼女の知る限り、フレア団――正確にはフラダリ――は、「最終兵器」の作動直後、半ば拉致に似た形でレインボーロケット団に招集されていたはずだった。裏にシャドーが絡んでいたりしている時点で相違点が出るのは当然だとしても、ここまで明確にやりすぎた(・・・・・)状態というのは珍しい。

 

 

「やがて人類の半数を死滅させるに至り……」

「どっかの青ゴリラ(サノス)か何かかあんたら」

「茶々入れるのはやめてほしいゾ」

「茶々入れないと凄惨すぎてやってらんないのよ!」

子供(ウチ)らに言われてもねぇ」

「……とにかく、そういうことがあったんだゾ。しかし……フレア団の目的を知っているか?」

「人類とポケモン大虐殺」

「いや、そういう……ああいや……大筋で見れば間違ってないゾ。けどこれだけは覚えておいてほしい。我々は『争いをなくすため』にその手段を取ったんだゾ」

「ハッ、争いをこの世界に持ち込んでおいてよく言うわ!」

 

 

 ヒナヨは心底軽蔑し、吐き捨てるようにそうぼやいた。

 そして意外なことに、クセロシキはその言葉に小さく首肯した。

 

 

「そこなんだゾ」

「んぬぁ?」

「争いを無くしたいがためにフレア団を組織したはずのフラダリ様が、よその世界の新たな争いの火種となっている……! 人の道を外れてでも研究はしたかった、けど……それはあんな……何もかもが失われた世界を見るためじゃないんだゾ」

「虫のいいこと言うねおじさん。それなら最初からおじさんが止めなきゃ。やらないのは何で? できない理由があるの?」

「できないゾ。ゼルネアスとイベルタルがいるという以上に……フラダリ様の実力はただのトレーナーじゃ太刀打ちできないほど……」

「違うよ」

 

 

 否定の言葉が漏れた瞬間に、ユヅキは踏み込んでクセロシキの巨体の目の前に迫っていた。

 ひゅ、と驚きに息が漏れる。ユヅキはそんな彼の胸元を指差した。

 

 

「お姉が言ってた。『どんなに正しいことを考えていても、動かなければ考えてないのと同じ』だって。力が無いなんて言い訳にもならないよ。フラダリを止めるのが正しいと思ってるなら、頼むだけじゃなくて手伝って。心に従って行動をして」

 

 

 その言葉には、有無を言わせず従わせるだけの力が伴っている。

 クセロシキは思わず何度も頷きを返していた。この威圧感と言いしれない恐怖を与えてくる殺気は間違いなく、「あの」少女の関係者だ。

 だが、その力強さがあるからこそ、このまま彼女らに任せ、自分は身を隠すという選択肢はここで失われた。

 

 

「怖いゾこの子」

「怖くなんのよ。戦場だから。あんたらが戦場にしたからっつった方がいい?」

「すまんゾ」

「謝られても困るわ。……代わりに聞いていい? 何で私らの方ができるなんて思ったのよ。バトルはそっちのが大ベテランでしょ」

「……われわれには無い力が、おまえたちにはある」

 

 

 クセロシキはしみじみと、どこか遠くを見るようにして呟いた。

 

 

「――絆。絆だな。それは見ることも存在することもできない概念だが……私はそれを否定しない。ポケモンがおまえたちを思い、おまえたちがポケモンを思うことで、そこには強固な絆が生まれているゾ」

 

 

 その言葉に対し、ヒナヨは驚きにぽかんと口を開けた。

 クセロシキの語るそれは、ニュアンスやシチュエーションこそ異なるがたしかに彼女にとって覚えのあるものだったからだ。

 

 

「ポケモンたちは、おまえたちを守るためにごくわずかな時間しか与えられていないにも関わらず際限なく強くなっていく。それは絆があってこそだゾ。われわれにはそれほどのものは無い」

「……ふーん」

「何をニヤニヤしてるんだゾ?」

「別に。どっかで聞いたことある台詞だからつい」

 

 

 似合わない言葉につい笑ってしまったというのもあるが、絆というワードは、クセロシキが改心した時に初めて出てくる言葉だ。これなら邪魔に入ってくることは無いだろうと確信できた安心感もある。

 やる気が湧いてきたヒナヨは、不敵に笑ってクセロシキに指を突きつけた。

 

 

「安心しなさいよ。フラダリは私達がぶっ飛ばして止めるから」

「……頼んだゾ」

「そっちこそ、何か手伝いなさいよね!」

「何かって何だゾ!?」

「ごめんウチらそこまで考えるの苦手で」

「話してたらだいぶ時間経っちゃったしこっちはもうとっとと突入するから適当に考えて何かやって! むーちゃん、『ギガインパクト』!」

「むむむうううう!」

 

 

 そして、前に出てきたむーちゃんの全力が漲る生命エネルギーと共に開放される。

 その一撃は――文字通り、一直線に地下通路を破砕し、彼女らの前に道を作った。

 

 



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さいはいは計算のもとに

 

 

 フレア団は敵の到来を悠然と待ち構えていた。

 彼らにとって現地勢力の奇襲・強襲ははじめから予想されていたことだった。

 現在のレインボーロケット団の残存戦力は、おおむね三つの勢力に分けられる。旧ロケット団、プラズマ団、フレア団だ。いずれも異なるベクトルの脅威であり、たとえ代表であるサカキを倒したとしても、いずれかの組織の長が残っていれば、悪の組織の再建もありうる。

 やるならば、徹底的にだ。全員を倒してしまわなければこの先の未来に不穏分子を残すことになる。そうなることは、普通の人間は望むまい。

 故にフラダリはそれを読み切った。タワーの奇襲が行われた時点で自らの周囲の防備を固めることを決めたのだ。

 

 

(さすがはフラダリ様……そしてこの私の作戦も……完璧だ……!)

 

 

 見渡す限りにひしめく赤服とそのポケモンたちを眺めて、白服の幹部はひとり胸中でほくそ笑む。

 作戦の遂行にあたって、いくらフラダリが敵の到来を予感しても数百人もの人間を一斉にアジト最奥部の空間に布陣させることは不可能だ。どうしても時間を稼ぐ必要はある。

 そこで幹部が推薦したのが、クセロシキである。彼が近頃フレア団の活動(・・)に対してどこか懐疑的な思いを持っていたことを、幹部の男は知っている。あれほど研究に打ち込んでいた男がなんたるざまか、と思わないではないが、人の心は移ろうもの。恐らく、彼の心は既にフラダリから離れているだろう。

 そのような人間はもはやフレア団には必要無い。事実上捨て駒同然の時間稼ぎを任じられたクセロシキは、唯々諾々とそれを受け入れた。

 

 そうこうしているうちに数分。基地通路各所へのトラップの設置や団員の布陣も終わり、万全の体制が整っていた。

 ――この戦い、もはやフレア団が敗北することは無い。彼はそう確信し、陶酔するように天井を仰ぎ見た。

 

 

 そして彼はその二秒後、突如として壁を突き破って現れた規格外の巨体に轢き潰され、呆気なく意識を失った。

 

 

「むう?」

 

 

 何かあった? とばかりにむーちゃんは少しだけ視線を後ろへ向けようとして、やめた。どうせ有象無象の雑兵だ。大層なものでもない。

 

 

「むっむむううううう!」

「ぐぁああああ!」

「ひいいい!」

「ギャンッ! ギャアアッ!」

 

 

 更に一歩を踏み込む。前方の床を凍らせて滑走、ドリフト走行の要領で手当たりしだいにトレーナーとポケモンをなぎ倒していく。

 質量とは即ち力だ。海の魔物を間近で見てきたヒナヨはそのことをよく心に刻み込んでいた。この場において最大のポケモンは、通常の倍近い体格のむーちゃんであることは間違いない。一見ふわふわに見えるがその皮と脂肪の下は筋肉の塊で、少し鍛えた程度のポケモンや人間では到底太刀打ちできない。ただの突進によって蹂躙されるというのは、フレア団側にとっても恐ろしい事態だった。

 勢いに気圧され、多くの団員がたたらを踏む。その中にあって、例外的にただ二人、一切の気負いも無く悠然と立つ者があった。

 

 

「――来たか」

「ええ」

 

 

 フラダリ。そしてパキラ。

 サカキに次ぐ強者にして、ともすると世界にとってはサカキ以上の脅威となりうる――言わば、「最凶」の二人だ。

 やや遅れてやってきてゴルムスと共に団員を殴り倒しながら、ユヅキはアキラがフラダリに対して殺意を剝き出しにしていたことを思い出した。それほどまでに――彼は一種の「死臭」を漂わせていた。この男をここで放置してはいけないと、全身の感覚が訴えかけていた。

 

 

「パキラ! フラダリ!」

「ゴルムス、『シャドーパンチ』」

「ゴ」

「あっ、ちょっ」

 

 

 ユヅキに遠慮や容赦といったものは無い。悠然と歩み出てきてくれているなら、なおのこと結構だ。油断しているところに致命的な一撃を入れれば、それで勝ち。戦いは終わりだ。

 ゴルムスの両腕がうなりを上げて空を切る。その延長線上に生じた影がまっすぐにフラダリたちへと飛び――それらは直後、現れた二匹のポケモンによって吹き散らされた。

 

 

「ガアァゥッ!!」

「グルルルルゥ……」

 

 

 ♂と♀、それぞれ特徴的な鬣を備えた二匹のカエンジシである。

 ノーマルタイプを備えたこの二匹に対して、ゴーストタイプの技は効果が無い。それを目にして、しかしユヅキは何ひとつ反応を示さなかった。こうなって当然だろうと理解していたからだ。

 

 

「手荒い挨拶ね。親の躾はどうなってるのかしら」

「おばさんたちみたいな悪党は絶対に許さないように躾けられてるの、ウチ」

「――その憎まれ口に、顔も。あの子供にそっくりでまあ、憎らしいわ」

 

 

 パキラは先の戦いで、アキラに多少というどころではなくおちょくられている。監視者「Z」――ジガルデの存在を示唆されてあちこちをかけずり回され徒労を味わわされた挙げ句、そのジガルデは今やヒナヨがトレーナーとなって彼女らの前に立ち塞がっている。

嘘から出た真と言うべきか。皮肉な状況にパキラは舌打ちした。

 

 他方、ヒナヨは周囲――特に上に強い警戒を向けていた。

 ゼルネアスはこの際考慮に入れなくていい。が、イベルタルだけはなんとしてでも率先して戦闘不能にしなければならないのだ。

 数百人が戦闘を行っても問題無いほどに開かれた空間を設けたのは、部下を布陣するためだけではないと彼女は推測していた。吊り下げ式の照明こそ降りているが、それ故に照明よりの空間は暗く、何かが飛んでいたとしてもちゃんと視認できるとは限らない。自分ならまず確実にこれを利用してイベルタルを活かそうとするという確信があった。

 

 

「――――」

「!」

 

 

 その時、上方の空間に赤黒い光がわずかに見える。そうなればヒナヨの対応は決まっていた。ボールの開閉スイッチを押しこんでその場に叩きつけることだ。

 

 

「オオオオオオ!!」

 

 

 黒と翠の強い光。全身から覇気と闘気を放ち現れたのは、調停の巨神、ジガルデ。

 彼にとっては、まさしく本領発揮の瞬間だ。

 

 ――そして、その瞬間を待ちわびていたかのように、フラダリの口元が歪んだ。

 

 

「『ムーンフォース』――!」

 

 

 刹那、銀の光が何も無いはずの空間へと収束していく。

 ヒナヨの対応は、たしかに素早かった。トレーナーとして最大限の警戒を行い、確実になすべきことを為したと言っていい。

 しかし、それでも目に見えないもの(・・・・・・・・)まで警戒できるものではない。

 これは以前にも使用した手段。フレア団の技術の粋を集めた光学迷彩を利用した、完全不可視の奇襲だった。

 

 

「――――」

 

 

 いかにジガルデといえど、ポケモンとしてのタイプ法則から逃れることはできない。特性「フェアリーオーラ」の効果こそ減衰させられるが、伝説のポケモンとしても最上級の能力を持つゼルネアスに対して絶対優位というわけではなく、むしろフェアリータイプとドラゴンタイプという点で、普通に戦えばゼルネアスの方がやや優位に立ちかねない程度のパワーバランスとなっている。

 そのゼルネアスが放つ「ムーンフォース」となれば当然、ジガルデもただでは済まない。

 

 

かかったわね(・・・・・・)アホが!!」

 

 

 ――それを、ヒナヨはよく理解していた。

 そもそも彼女はかなりの長時間ポケモンというゲームをやり込んでいる。そののめり込みようはユヅキに廃人とまで称されるほどで、ポケモンのタイプ相性が頭に入っていないなどということは天地がひっくり返ってもありえないのだ。

 ゼルネアスの能力も把握しており、フレア団のできることもそれとなく理解している。あとは彼らのやり口を総合して考えれば、彼らのしてくることはもはや考慮というどころではなく前提条件でしかない。

 どうせ見えない場所に配置しているだろう。そして適当なところで奇襲をかける腹積もりだろう。確信に近い推測だ。

 

 

「ペルル! 『てっていこうせん』!」

「ルウルルルォットオオォ!!」

 

 

 最初から状況を想定していたヒナヨは、この場所に来るため壁を破壊する直前に、ペルルをボールから出して待機させていたのだ。そして、ジガルデはそのことを知っていた。

 イベルタルから放たれた紅の光が迫るのに合わせ、ジガルデが砲撃を放つ。そして、ゼルネアスが銀の光を前方に向かって撃つと同時に、むーちゃんが凍らせていた床を滑走することで高速で戦場に突入し、全身から漲るエネルギーを爆発させた。

 

 

「ぬぅ……!」

「――――」

 

 

 たとえ伝説であっても、ポケモンである限りその法則から逃れることはできない――それはジガルデもそうだが、ゼルネアスもまた同じこと。

 じめんタイプに対するでんきタイプの技や、ノーマルタイプに対するゴーストタイプの技といった例のように完全に無力化できるわけではないにせよ、ただ適当に撃つだけの技と比べれば圧倒的に有効だ。ましてそれが究極技に準じるものともなれば、いかにゼルネアスの技と言えど押し切ることはできない。

 

 

「ルゥゥゥ……!!」

「――――」

 

 

 暗い銀と燃えるような白。二つの光が激突し押し合い、周囲に衝撃を撒き散らす。

 やがて攻撃の趨勢は片一方へと傾くが、押し込んだのは伝説のポケモンですらないペルルの方だった。

 

 

「何!?」

 

 

 ポケモンの生体エネルギーの保有量は、種族やレベルによって大きく異る。ゼルネアスはポケモンの中でも――極めて特殊な例外を除けば――頂点に位置するだけのものを有している。当然ながらただのポケモンでは太刀打ちなどできるはずは無いものだ。それこそタイプ相性などものともしないはず。

 それがこうもたやすく押し返されるなど、ありえるのか――?

 

 

(……ゼルネアスに施した精神制御、あれか……!?)

 

 

 衝撃が響く中、フラダリは不意にその原因に思い至る。

 まともな精神状態であれば、ゼルネアスがフラダリの言うことなど聞くことは無い。故にダークポケモンやシャドウポケモンなどのデータを応用してゼルネアスの精神を制御し支配下に収めていたのだが、それがはっきりと裏目に出ているのだろうとフラダリは推測する。

 

 ――技の出力が上がらない。

 

 ゼルネアスの攻撃は、言わば広大なダムからホースを一本つないで水を出しているようなもの。対するペルルは、生命力こそゼルネアスと比較すれば子供用プールほどしか無いが、気力も何もかもを振り絞ってその水全てをぶちまけているようなもの。その差が如実に出ているのだ。

 伝説のポケモンに勝とうとトレーナーのために――クセロシキの言う「絆」を糧に、伝説のポケモンを打倒するべく必死に訓練を続けてきたペルルと、ただ道具や兵器としてのみ扱われたゼルネアスの差でもある。

 

 

「ルウウウウウ……トオオオオッ!!」

「――――ク、シッ――!」

 

 

 光がゼルネアスを貫いた。か細い悲鳴を上げその場に崩れ落ちるゼルネアスだが、ペルルもまた続くようにその場に膝をつく。

 限界以上の威力を秘めた「てっていこうせん」を撃った反動だ。ボールのセーフティが働きその姿がその場から消えていく。

 

 

「攻め急いだようだな……!」

「!」

 

 

 ――しかし、攻撃が直撃したはずのゼルネアスは、既に体勢を戻しつつあった。

 生命力を操る能力という都合上、ゼルネアスが本来得意とするのは長期戦だ。膨大な生体エネルギーにまかせて体力や傷を半自動的に回復し続ける。ほんの一撃攻撃を通したところで、それはわずかに時間を稼いだだけに過ぎない。

 無意味だったな、とフラダリは唇の端を持ち上げる。

 

 

「攻め急ぐ? バカね、計算に決まってるでしょ」

 

 

 ――その時、ヒナヨの指がくいと上に向けられた。

 無発声のハンドサイン。気付くと同時にジガルデが照射された「デスウイング」の紅の光の中を突っ切り、イベルタルへ向けて飛翔する。

 ある種の対抗存在(カウンター)であるジガルデに、生命力吸収能力は通じない。放出したドラゴンタイプのエネルギーを推進力に、地上の敵をついでとばかりに焼き払いイベルタルへ肉薄する。

 

 

「ク――――」

「ジッガアアァッ!!」

 

 

 反撃に出ようとしたイベルタルだが、直前にその首根を押さえられえ技の始動を潰される。ジガルデは直後、その勢いのままに反転した。その視線の先にあるのは――ゼルネアス。

 

 

「まさか――!」

「もう遅いってぇの! 『サウザンウェーブ』!!」

 

 

 流星のごとく、ジガルデはイベルタルを掴んだままにゼルネアスへと激突した。

 同時、イベルタルを拘束している側とは逆の腕に爆発的にエネルギーが収束する。

 

 

「ウオオオオオオオオオッッ!!」

 

 

 ――そして、一撃。

 衝撃が床を砕き、地面にまで到達する。伝播したエネルギーが地表を撓ませ、まるで波のように脈打ち、床材を破壊しながら周囲を巻き込んで突き抜けた。

 

 

「ゆずきち、合わせて!」

「!」

 

 

 傷つきながらも二匹のカエンジシを抑えていたユヅキとゴルムスは、その言葉に一も二もなくうなずいた。

 周囲全てが敵という状況、誰に遠慮することも無いという局面となれば、やることは決まっている。

 

 

「ジガルデ、『グランドフォース』! むーちゃん『じしん』!!」

「ゴルムス、『じしん』!!」

 

 

 ――この日。

 レインボーロケットタワーに続いて、フレア団基地最奥部とその周辺もまた、粉微塵になって消滅した。

 

 

 





フレア団諸氏「地下でこの攻撃とか狂ってんのかこの子供達」


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妄言(おしゃべり)拒否の戦陣

 

 

 高松市内、崩落した基地の跡地。ヒナヨは崩壊した天井から覗く太陽に目を細めた。

 青い空に、極彩色のオーロラ。以前なら忌々しさに舌打ちの一つでもしようものだが、あれがレインボーロケット団を逃さないための檻の役割を果たしていると理解すると単純に美しさを楽しむ心理的余裕も生じるものだ。もっとも、状況はそれを許してはくれないが。

 積み上がった瓦礫を粉砕し現れるのは、フラダリのコジョンドとパキラのシャンデラだ。続いて這い出てくる二人の姿に、ヒナヨは思わずため息をついた。ユヅキは何一つ感じるものが無いように、無感情な視線を向けるのみだ。あの程度で倒れるわけがないと理解しているためだろう。

 視界の端では、未だ暴れ続けるイベルタルを押さえつけるジガルデの姿が見られた。イベルタルが大人しくならない限り、戦線復帰というわけにはいかないだろう。

 

 

「――何故だ」

 

 

 今すぐにでも戦闘に発展しようかという緊張感の中、最初に口火を切ったのはフラダリだった。

 彼は心中の嘆きを隠すことなく顔を歪め、二人に向かって語りかけた。

 

 

「世界はやがて行き詰まる……全ての命は救えない。争わず奪い合わない美しい世界を作るには……命の数を減らすしか無い」

「…………」

「どの世界も同様だ。潜伏期間にこの世界を目にして……それをよく実感した。君たちは何を守ろうとしている? 今日よりも悪くなる未来をか?」

「ゆずきち、何か言ってやって」

「バカなこと言ってないで働きなよ」

 

 

 まるで世間話でもしているかのようにあっけらかんとした言葉に、ヒナヨは吹き出すのを堪えた。パキラの額に青筋が浮き、フラダリの口元に浮かんでいた笑みが消える。

 ユヅキは意に介した様子もなく、続けた。

 

 

「美しい世界なんてどこにも無いよ。『いつも現実は思い通りにいかない。だからどこかで折り合いをつけなきゃいけない』って、お姉もおばーちゃんも言ってた」

「それは倫理観に縛られた凡人の考え方だ。旧態依然とした唾棄すべき思考だ。そんな軟弱でくだらん考え方では、何も為すことはできない」

 

 

 ざわりと大気が揺らめいた。瞬間、ヤバい、とヒナヨは察した。

 刀祢姉妹は共通して「プッツン」するまでが長い。姉の方は一見常時キレているように見えるが、本気になるとあの比ではない――とヨウタから聞いている――ので、実のところ普段から殺意の波動(仮)を放出し続けてガス抜きができている部分はあるのだ。

 対して妹の方。普段から楽天的で怒り方も年相応――やることはえげつないが――で、姉に比べると比較的穏当。なように見える。しかし根本的なところで祖母の教えが根付いているためか思いの外似通っている部分は多い。

 共通して二人にとっての逆鱗と言えるのが、家族だ。中でも祖母を貶められた時には瞬間湯沸かし機もかくやという速度で「プッツン」する。オマケに性質(たち)の悪いことにどちらも怒りの質は冷たく静かだ。そういったところはびっくりするほどよく似ている。

 横から見ているだけだというのに寒気がするほどの闘気が噴出し、周囲の大気が10℃も20℃も低くなったような錯覚を覚えるほどだ。当然、その口から発せられる言葉も冷たく、鋭い。

 

 

「ふーん。それで何もかも切り捨ててやることが、無駄な努力(・・・・・)なんだ。ご苦労さま」

 

 

 ――対して。

 フラダリもまた、その物言いにキレた。

 

 

「新たな世界のための礎となった命を侮辱するか!?」

「くだらない妄想(・・)のために死んだ人たちが可哀想だとは思うよ。けど人間の数が減った程度で争いがなくなるわけないじゃん」

 

 

 燃えるような怒気が大気を焦がす。

 刀祢姉妹は揃ってある種の煽り屋だ。怒りが頂点に達するとまず端的に相手の急所を抉るような言葉を投げかける。単純にそう思っているというのもあるが、そうした方が怒らせやすいという理由もある。

 怒りを抱いた人間は、特殊な才覚が無い限りそれを力に変えるようなことはできない。ほとんどの場合で、力みを生じさせ、行動を直線的にする毒にしかならない。

 だからこそ彼女たちはそれを打ち込む。思想家であるフラダリにとって、自身の大望を愚弄されるというのは自分の全存在を否定されるにも等しかった。

 そして、ヒナヨはそこに更に揺さぶりをかける。

 

 

「ま、そうよね。独り善がりの妄想だわ。人間が増えたらまた皆殺しにするの? その時まであんた生きてるの?」

「……ゼルネアスの力があるなら、それも可能だ」

「あっそ。でもあんたたちみたいな連中を許さない人たちはいくらでも出てくる。私達みたいにね。それを全部皆殺しにしていくわけ。なるほど。あんたたちの言う美しい世界っていうのは、死体の山なワケね!」

「――それ以上の愚弄は許さないわ。シャンデラ!」

「ゴルムス!」

「シャーン……!」

「ゴ」

 

 

 シャンデラが極めて高密度の「シャドーボール」を放つのに対し、ゴルムスが前に出て「シャドーパンチ」を打ち込むことで威力を軽減、相殺する。

 戦闘再開――それを察したヒナヨは、瓦礫の下からのっそりと顔を出したむーちゃんをボールに戻すと代わりにマイちゃんを出し、勢いよく飛びかかってくるコジョンドに対応してもらう。

 

 

「愚弄?」

 

 

 そして。

 実のところ、より強い怒りを秘めているのは、ヒナヨだった。

 

 

「愚弄してるのはあんたたちでしょ。世界も、人間も、積み重ねてきた歴史も何もかも! 戦いってものが少しでも減るように作られた制度や仕組み、人の努力を踏み躙って唾吐きかけてるだけじゃない!!」

 

 

 奥更屋ヒナヨは、自衛官の娘だ。

 父親が家にいないというのは日常茶飯事で、そのことを気に病んでいた時期もあるし、今も完璧に割り切れているとは言い難い。

 ただ、それでも彼女は父親のことが好きだった。父は人を守るために仕事をしているのだと考えると、寂しさも我慢できた。

 

 彼らが日々鍛えているのは何者にも負けない力を備えるため。力を備えるのは、「この国に戦いを仕掛けよう」という人を一人でも減らすため。

 戦うために努力しているのではない。誰かが戦いを起こす気を無くさせるため――それは「争いを無くす」ための一つの手段だと、ヒナヨは父に語られていた。

 あくまでそれは彼女の父親の持論だが、彼女にとってそういう考え方ができる父親の存在は、誇りだった。

 だからこそ、安易な方法で争いを無くすことを訴えるフラダリを嫌悪する。人命を軽視する彼を軽蔑する。

 世の中には善人がいると同時に悪人がいるということも理解している。善良な人間ばかりであってほしいがそうでない世界の現実があることも理解している。

 それでも、その全員が生きてくために「争い」を減らそうと努力している人たちは確かにいるのだ。

 

 ――それを上から目線で嘲弄することは、絶対に許さない。

 

 

「世界のため人間のためなんて御為ごかしもいいところじゃない! 美しい世界がどうのこうのって、あんたの勝手な価値基準でを人に押し付けないで!」

「世界の流れを決めているのは、複雑に混ざりあった人間のエゴだ……! 価値観の押し付けなど、世界を作る上で誰もがやってきたこと!」

「過去の価値観に縛られるべきじゃないってほざいてる人が過去の価値観を盾にするんだ。こっすい大人だなぁ」

「あなたももう黙りなさい!! シャンデラ、『れんごく』!」

「『ゴーストダイブ』!」

 

 

 シャンデラの持つ紫色の火炎が突如として勢いを増し、凝縮された火球としてゴルムス――ひいてはその背後にいるユヅキへと向かう。

 フレア団などの組織にとって、敵トレーナーを狙うというのは至極普通で、当然のことだ。リーグ戦など、スタジアムのような場所で行う公式戦ならばいざしらず、影に隠れて攻撃を回避する「ゴーストダイブ」のような技を使えばトレーナーがまず先に攻撃を受けることになってしまう。パキラはそれを理解していた。

 しかし、対するユヅキがここまで経験してきた戦いとは、悪の組織に対するそれだけだ。相手が卑怯な手を打ってくるなど前提でしかなく、その多くは「ポケモントレーナーの」意表を突くことにのみ特化している。彼女らにとっては来ることが予測できている攻撃でしかないのだ。

 ――だが、パキラほどのトレーナーがそれを理解していないはずもなかった。

 

 

「シャンデラ!」

「シャァァァァン」

 

 

 シャンデラが体を揺らすと共に、火球がその矛先をヒナヨへと変える。

 戦うに際して、よりやりやすい(・・・・・)のは彼女だ。ユヅキほどの身体能力も無く、コジョンドに対応するために出したマイちゃん(アマージョ)もくさタイプ。これが通りさえすれば、確実にどちらかは仕留めきることができるはずだった。

 火球が迫るのを目にしたコジョンドが距離を取ると共に、マイちゃんはヒナヨに攻撃を受けさせまいと彼女の前に飛び出した。

 

 

「――マイちゃん、やるよ! 『なげつける』!」

「マァァ――ッ!!」

「!?」

 

 

 結果として「れんごく」が直撃する。が、その動きは一切止まらない。巻き添えを喰らわないために距離を取っていたコジョンドだが、それは同時に邪魔ができない程度に距離を置いてしまった、ということでもある。

 全身を焼きながらも投げられたそのアイテムは、矢のようにシャンデラを射抜くと、その場で弾けて強い衝撃を残した。

 

 

「何を……まさか!」

 

 

 シャンデラの動きが止まる。遠目には分かりづらいものの、たしかに今、間違いなくシャンデラは気絶した。

 パキラは元四天王だ。一瞬のことではあっても、アイテムさえ目にすればそれがどういうものかを把握することはできている。

 

 

(「おうじゃのしるし」!? まさかそんなバカなこと――)

 

 

 だからこそ、パキラにとってそれは小さくない衝撃だった。

 「くろいてっきゅう」や「どくバリ」といったアイテムなら使用例こそあるが、基本、使えばアイテムが必ず壊れる(・・・・・)「なげつける」という技で「おうじゃのしるし」という流通数が少なく、その上軽く小さなアイテムを使用した例はあまり無い。パキラでさえ、それと認識してよく思い返してみなければ記憶が出てこない程度には特異な事例だ。対処法はすぐには浮かばない。

 対するヒナヨは、ゲームにおけるポケモンの対戦環境において長い間しのぎを削ってきた身である。現存する技の特徴は常に頭に入っている。なにせこの世界のポケモンの技というのは、データ上でいくらでも検証が可能なのだ。この場において躊躇など微塵も無い。

 加えて、パキラにとって問題となったのがマイちゃんの存在そのものだ。嗜虐的でプライドが高いアマージョが身を挺してまでトレーナーを守る。ここまではまだいい。しかし勝利のためとはいえ自ら捨て石になるというのは、彼女にとって想定外の事態だったのだ。

 

 一瞬の間隙が生じたパキラだが、彼女の意識を引き戻したのは「ゴーストダイブ」によってシャンデラが戦闘不能になるその直前だった。

 

 

「よし!」

「シャンデラ!」

「シャァ…………アアン!」

「ン……ゴ……!?」

「!?」

 

 

 ――同時に、ゴルムスもその場に崩れ落ちる。

 戦闘不能になってボールに戻ると共に、彼の胸元から開放された極小の「シャドーボール」が天へと消えていった。たった一撃、それもあれほどの小ささで巨大なゴルムスが戦闘不能に追いやられたという事実に、小さな驚きを抱く。

 

 

「鍛え方は悪くないけれど、所詮は促成栽培……まぐれと作戦勝ちで調子に乗るのはやめなさい」

「……へー」

 

 

 パキラの実力というものを、ヒナヨは多少測りかねている部分があった。

 アニメではいまいちその実力を見ることができず、ゲームでは四天王の中でも戦いやすい部類と評価されている。一方で漫画においてはチャンピオンを手球に取り、半殺しにしてしまうほどの実力が示されたりもする。

 今現在、ポケモンを二匹沈めることができていることから考えても流石に絶対に勝てない相手(マスク・オブ・アイス)と言うほどではないにしろ、ポケモンたちの実力だけは相当なものだ。

 

 

「上ッ等じゃないのよ……!!」

 

 

 闘志を剥き出しに、ヒナヨは再びむーちゃんを、ユヅキはメロをボールから出し、備える。

 対するパキラが出すのはコータス。メロやむーちゃんが超質量・超重量を誇るのに対し、コータスは高さ50cm。一見すると頼りない風ではあるのだが、対峙する二匹は威圧感によってその三倍にも四倍にも大きく見えていた。

 

 

「――ゆずきち!」

「うん」

 

 

 姿を見せたコータスに対して、即座にヒナヨはユヅキに対して合図を出した。フラダリとパキラもそれに気付き、ぴくりと小さな反応を見せる。

 先の「じしん」が強く焼き付いた結果だ。どうあってもこれほどのポケモンが出たとなれば、連続での「じしん」に強い警戒を向けざるを得ない、というのはフラダリたちも理解している。

 故に、そこを突く。

 

 

「『すなじごく』!」

「む……!?」

 

 

 突如、地面がその形を失い、流砂と化す。

 足元から攻撃を行う、と見せかけて普通の攻撃を行う、と更に見せかけての足元。一瞬でも意識が逸れればそれで充分だった。

 

 

「メロ、『サイコキネシス』!」

「グロォォォ!」

 

 

 ばくり、と。突如として口を開けた流砂が、フラダリたちを飲み込んでいく。

 念動力で構築された砂の牢獄だ。これをそのまま絞めていけば、ポケモンはどもかくとしてトレーナーは耐えきれないだろう。

 しかし、どちらにしろこの程度で倒せるなどとは欠片も考えないのが彼女らである。

 

 

「このまま行く! むーちゃん、『ギガインパクト』!!」

「むぅぅぅぅ!!」

 

 

 徹底的に、叩き潰す。その意志のもと、むーちゃんの全身の筋肉が隆起し、剛力が足に込められ、山のような膨大な質量が全速力で吶喊する。

 刹那、爆発が起きたかの如く、大音響と衝撃とともに砂が周囲に撒き散らされ――。

 

 

「――今のは、想定よりも効いたぞ」

 

 

 ――現れるのは、全身をボロボロにしながらも健在なフラダリとパキラ。

 そして、未だ倒れぬコジョンドとコータスの姿だった。

 

 

「下がっ……」

「遅い! コジョンド、『とびひざげり』!」

「コータス、『ねっぷう』」

 

 

 フラダリが手ずから鍛え上げたコジョンドの渾身の一撃が、むーちゃんに突き刺さる。一拍遅れて氷に穴でも穿つかのような爆音が周囲に響き渡り……ボールのセーフティが起動。むーちゃんは再びボールの中に戻っていった。

 

 

「平気!?」

「うん、でもむーちゃんが……」

「いいのよ。ゆずきちたち守りきれたし、あっちもダメージ食らってる!」

「……分かった!」

 

 

 唯一の救いは、「ねっぷう」がむーちゃんの巨体で堰き止められ、メロに当たることが無かったことだろうか。

 ヒナヨの手持ちは既に残り二匹。小さく冷や汗が伝うのが分かりながらも、彼女は強気に唇の端を持ち上げる。

 確かに自分の手持ちポケモンたちは消耗が激しい。しかしその分ユヅキのポケモンたちは温存され、対するフラダリたちの手持ちも半分以上削っている。ここで引くわけにはいかなかった。

 

 

「さあ、て――――」

 

 

 問題は、残る二匹のうちの一匹、ドララが未だジヘッドの状態であることだ。

 天才性故にその能力は非常に高いが、果たして実戦でどれほど戦えるかというのは未知数な部分がある。

 メガシンカの使えるルリちゃんは、この状況下では紛れもない切り札だ。しかし、状況を考えれば有効に働く手はルリちゃんを出すということ――。

 どちらを出すにしても、メリットがありデメリットがある。そしてどちらも切り札になりうる能力を秘めている。

 

 一瞬の葛藤。その中で浮かんでくるのは、修行の時の光景とこれまでの戦いの道筋。そして、ある人物の言葉――。

 そしてヒナヨは、ある決断を下した。

 

 

「――――キミに決めた!」

 

 



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おいかぜは誰に吹く

「ルリちゃん!」

 

 

 選んだのは、ルリちゃんだった。メガシンカを含めて考えれば、ジガルデを除きヒナヨにとっては最高戦力と言えるポケモンだ。

 横目で彼女が視線を送ると、ユヅキはそれに腕を掲げて応じた。

 

 

「キーストーンよ!」

「お願い!」

 

 

 片や、謳い上げるように。片や、端的に信頼のみをその声に乗せて、光として放つ。

 それはポケモンたちの持つメガストーンと結びつくと、虹色の光となって彼らの全身を包み込み、見る間にその姿を変えさせた。

 

 

「淀みないメガシンカ……これほどの絆を紡ぐ人間を始末するのは、やはり……惜しい」

「ボス、それでも彼女らは理解を示さない獣同然の存在です」

「勿論、理解している。私は……もはや迷うこともできないのだと」

「自己陶酔浸ってんじゃねーわよ殺人鬼が……」

 

 

 半ばキレたような声音を出しつつも、ヒナヨは冷静に数歩下がる。

 ポケモンたちの能力上、ここまで一対一を二つ作るような状態が適してはいたが、最前線での殴り合いが得意なメガメタグロスと、優れた念動力による間接攻撃が得意なメガサーナイトが揃ったとなれば話も変わる。連携を重視し、前衛と後衛に役割を分担することでより効率的に戦闘を行える――はずだ。

 

 

「ルリちゃん、『サイコキネシス』!」

「サァァッ……!」

 

 

 ダメージがあるならこのまま押し切る。そう決めたところで、ルリちゃんはヒナヨの思考を読み、彼女の指示が発せられるよりも早く念動力の暴風を巻き起こす。

 簡単な小細工だ。パキラは小さく舌打ちをした。指示とタイミングをズラすことで、相手の防御、回避といった対処の手を更にズラす。単純であるが故に効果は高い。

 戦闘の技術といい、強く絆を紡いだメガサーナイトといい、パキラはヒナヨの在り方には自然とある存在を幻視させられる。彼女が元いた次元のチャンピオン――カルネだ。

 

 否応なく、強い殺意が引き出される。

 戦闘中であるが故にヒナヨに揺らいだ様子は見られないが、パキラはそれ故に更に苛立ちを感じさせられた。ボス(フラダリ)の傍らに立つ女を自称する彼女にとって、殺意で揺るがない人間というのはどうしてもプライドが刺激されるのだ。

 ヒナヨにとってみれば、殺意や殺気などアキラと一緒に戦っていれば嫌でも浴びせられてしまうもので、そう驚くようなものでもないのだが、だからこそそれが更に気に入らない。ヒナヨ本人が関与しない内に生じていた悪循環の中で向けられる視線は、それこそ射抜くような鋭いものだった。

 

 

「コータス、『オーバーヒート』!」

「コォォォォォ!」

 

 

 そうして反撃にと繰り出される一撃は、手負いにしてはあまりに高い火力を有していた。

 

 

(――お姉んとこのチャムより弱い!)

 

 

 ――が、壁のようにして迫る莫大な密度の火炎を目にして、ユヅキはそう判断する。

 それはあくまで、メガシンカを果たしたチャムの「ブラストバーン」よりマシ程度の評価だったが、特訓の中で幾度となく技の打ち合いをした以上恐れは皆無。

 対処法も、またシンプルだ。

 

 

「『てっていこうせん』!!」

 

 

 炎の壁を貫いたのは、鮮烈なまでに眩い光の束だ。

 単純なタイプ相性だけはゼルネアスの時と比べて真逆。しかし、今はルリちゃんの後押しもある。ペルルのように限界を超えるほどの出力ではないため突き抜けるまでは行かなかったものの、その光線は確かに「オーバーヒート」を相殺しきってのけた。

 

 

「コォォ――――!!」

 

 

 まだだ、と言わんばかりにそこへ飛び込んできたのはコジョンドだ。土煙を突き抜けて高速でやってくると共に、その脚に強烈な火炎を纏わせ振り上げる。

 思わず(「ブレイズキック」なんて覚えたっけ!?)と内心困惑するヒナヨだが、ユヅキは即座に指示を下した。

 

 

「『サイコカッター』!」

 

 

 メロの四本の腕の先に念動力の刃が伸びる。ブゥン、と調子を確かめるかのように空を斬ると、爆発的な推進力をもって即座に向かい来るコジョンドと交錯した。

 

 

「コジョ……!!」

「グゥォオオオオオ!!」

 

 

 コジョンドの「ブレイズキック」は、たしかにメロの顔面を捉え、砕いた。しかし同時に、彼はそれにも構わず四本の光の刃をコジョンドへと叩きつけ、完全に戦闘不能にまで追いやることに成功していた。

 

 

「ナっちゃん!」

「――!」

 

 

 ユヅキの声に応じてヒナヨは即座に思考を組み立てる。それを読み取ったルリちゃんは「サイコキネシス」による念動力の嵐を一部メロへと向けた。

 対するメロは背からわずかに念力を放出しそれを捉え――双方向の力が衝突したことにより、衝撃波が生じる。

 それはメロの背を押し更なる推進力として機能することとなり、瞬時にコータスへと肉薄することに成功した。が――。

 

 

「コォォォ!!」

「う……!?」

 

 

 最後の瞬間、甲羅から炎を吹き上げたコータスは、()()うの体とはいえメロを道連れにしてのけた。

 いちポケモンとしては天晴なことだが、彼、あるいは彼女はいずれ自分が始末されるだろうことを理解しているのかとヒナヨは小さな不安を抱いた。

 

 

(次は……!)

 

 

 フラダリとパキラ、残るポケモンは共に二匹。一匹が言わば切り札的な存在と言うなら、二人が次に出すポケモンは自ずと絞られる。

 ヒナヨは自身の知識を総動員して推測を固め、それをルリちゃん経由でユヅキへと無言で伝える。廃人故の無意味な情報量の多さにユヅキは一瞬目眩を覚えるが、なんとか情報を整理してロンのボールを投じる。

 

 

「ガロォォ……!」

「ドンカラス!」

「ファイアロー!」

「カァァ!」

「クェェェェェッ!!」

 

 

 対して、フラダリとパキラが選択したのは――ひこうタイプの二匹。

 くさ・かくとうタイプのロンは、みず・あくタイプに変化するメガギャラドスに対する最大のカウンターになりうるはずであった。が、特にほのお・ひこうタイプであるファイアローは相性が最悪、そして制空権を取られているとなれば状況はより悪化する。

 そしてこの状況は――――。

 

 

読み通り(・・・・)――――!!)

 

 

 ポケモンバトルではなく、本物の戦いを通してヒナヨが感じたのは、思ったよりもポケモンを交代する隙が無いということだ。

 いわゆる補助技にしても発動は数秒も必要無いし、その間にポケモンを戻し、ボールを投げるという一連の動作を終えることは難しい。ボールを投げた先に攻撃を入れられて終わりだろう。

 あちらの世界の住人にとってそれはごく自然のことで、戦術に組み入れていない例の方が珍しい。だからタイプ相性で劣るポケモンであっても、ある程度強引に押し込んでいく必要が出てくるのだ。

 そしてそれ故に、絶対的な相性の有利というのは小さな油断を生む。その一瞬の油断は、たとえ特性「はやてのつばさ」であっても届かない指示の遅れを生むのだ。

 

 

「――『ハードプラント』!!」

「ブロオオオォ!!」

 

 

 生命エネルギーを多量に含んだ拳を地面に叩きつけ、開放する。爆発的な勢いで木の根が伸長し、空を駆ける二匹を地に墜とさんと振るわれた。

 が。

 

 

「そんなもの……!」

 

 

 二匹のひこうタイプポケモンにとって、その速度はやや緩慢なものだった。

 急上昇と旋回、急下降。鳥ポケモン特有の高速機動を捉えきれず、植物はその成長を止めやがて動きが止まりかけていく。

 そこに待ったをかけるのが、ルリちゃんだ。念動力で木々を捻じ曲げ、追撃をかけたのだ。

 

 

「ドンカラス、切り刻め!」

「ファイアロー、燃やしなさい!」

 

 

 ムチのようにしなる巨木。だが、それはドンカラスの「つじぎり」によって切り刻まれ、ファイアローが全身から炎を発して「やきつくす」。

 いかに究極技と言えども、その性質は「木」のそれを大きく逸脱するほどではない。空を行く者に必ずしも届くわけではなく、仮に届いたとしても力が強ければ伐り倒されることもある。そしてエネルギーの相性の問題で、燃やされればどうしようもない。

 ――それ故に、フラダリは違和感を覚える。

 ヒナヨはここまで様々な策を弄してフレア団を翻弄してきた。戦術的な読みなら、ユヅキの野性的勘による修正を含めても二、三手は先を行かれていることは確かだ。俯瞰的にフラダリとフレア団を知っている彼女が、明らかな悪手となる仲間の一手を見逃すはずは無い。

 ならば。

 

 

「ドンカラス! 『あくのはどう』!」

「っ!」

 

 

 そこでフラダリは、巨木を駆け上がってくる影を見た。

 「ハードプラント」を撃ったのは、空を飛べないポケモンたちがひこうタイプのポケモンたちに肉薄するための「道」を作ることが最大の目的だったのだ。

 加えて、他の究極技とやや性質が異なり物質化した巨木を異常成長させる「ハードプラント」は、ある程度先にエネルギーを注入さえすれば一定のところまでは勝手に成長する。無論、反動を受けてロンは身動きが取れなくなっているが、だったらボールに戻せばいいだけのこと。ゲームじゃない(・・・・・・・)からこその強引な解法だ。

 

 代わって現れたのは、ジャック。奇襲のため可能な限り音を立てずに動いていた彼は、フラストレーションを開放するようにガァン! と鱗を打ち鳴らした。

 ドラゴンタイプのエネルギーを満載にした音波攻撃――「スケイルノイズ」だ。

 タイミングは、間違いなく完璧だった。しかし完璧であるが故に前もって二度、三度と奇襲を行っていたことでフラダリには予測されてしまっていたのだ。

 二つのエネルギーが空中で激突し、弾けて衝撃を撒き散らす。思わず、小さく舌打ちが漏れた。

 

 

「しぶっとい!」

「しぶとくもなる……! これまでに出た犠牲を無駄にしないためにも! 争いの無い美しい世界のためにも! 私は負けるわけにはいかんのだッ!!」

「腐臭塗れで綺麗事ばっかりほざいてんじゃないわよこの大量殺人鬼がぁっ!!」

 

 

 ヒナヨの叫びに合わせて、刹那の間に極めて細い銀色の光がドンカラスの翼を貫いた。

 「ムーンフォース」――それを目にしたフラダリは、その弱さ(・・)に顔をしかめる。

 ダメージは、小さい。視認性を低めたことで照射される範囲が狭まり、ただ単純に破壊力を低める結果になってしまったからだ。

 しかし、彼が目を疑ったのはその直後。ルリちゃんの掌の先に念力によって展開された、月の光の如き銀色の円盤から立て続けに数十発もの極小の光線が追撃に放たれた。

 

 

「サナァァァァッ……!」

「カアアアァァァ!?」

 

 

 次いでルリちゃんが行ったのは、腕を振ることで照射し続けている光線を用いてドンカラスを薙ぐことだ。エネルギーの抵抗によってその体は思い切りルリちゃんが腕を振った方へと押し出され、やがて大樹に激突する。

 しかし、それでも「ムーンフォース」の出力は落ちることなく、むしろより一層高まり、本来あるべき一本の光線へと変じドンカラスの体を横薙ぎしていった。

 

 

「フラダリ様! っ……『ブレイブバード』!」

「ジャック、『ソウルビート』! ――から、も一ぱあぁぁつ!!」

「ジャララアアァッァッ!」

「クワアアアァァアァッ!!」

 

 

  ジャラランガのみに許された、特殊な音波をもって自らの能力を引き上げる音色。それを打ち鳴らすことでジャックはわずかにその体力を削りつつも、上がった速力をもって強引にファイアローがルリちゃんへと攻撃を放つ直線上へと躍り出る。

 攻撃の相性は、有り体に言って最悪だ。かくとうタイプのジャックにとって、ひこうタイプの「ブレイブバード」は効果が抜群……一度でも受けてしまえばその時点で趨勢は決したも同然だ。

 だが、ジャックは全身全霊をもって、その一撃に耐えた。「ひんし」となりうる威力であったのは間違いではない。しかし同時に、信頼するトレーナーへの想いと強い精神力が一瞬肉体を凌駕し、ほんの一発、技を放つだけの猶予が生じた。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 

 ――「いわなだれ」。

 現出した岩を広範囲に渡って叩きつける一撃をもって、ジャックはドンカラスとファイアローをまとめて撃破してのけた。

 

 

「あと……」

「……一匹!」

 

 

 残るフラダリとパキラのボールは、あとひとつずつ。いずれも切り札だということは疑う余地も無いだろう。

 怒りを滾らせるパキラに対し、フラダリの表情は一見冷たいものが感じられる。しかし、パキラよりも更に強い感情を抱えているのは、間違いなくフラダリだ。

 もっとも、そのベクトルは怒りとはやや異なる。悲嘆と苦しみの入り混じったその強い感情は、まっすぐにヒナヨたちへと向けられていた。

 

 

「この世には救われるべき人間と同時に、救われてはならない(・・・・)人間もまた存在する……救いの手を必要とする者へ伸ばすためにも! 救われるべきものを救うためにも……! なぜそれが分からない……!!」

「分かるわけないでしょ!!」

「結局のところそれ、おじさんの胸三寸でしかないじゃん」

 

 

 対する二人の答えは、完全な拒絶。

 少なくとも彼女たちにとって、フラダリの言葉は戯言にしか捉えられなかった。

 

 

「上から目線で救うだの何だの、思い上がったことばっかり言うな!! 挙げ句救わないとか救えないとか!! 王族の血筋だか何だか知らないけど、あんたなんてただの狂った独裁者じゃない!! 美しい世界以外見たくなきゃ理想のために人殺す前に一人で勝手に死ね!!」

「ナっちゃん言い過ぎ」

「死ね!!!!!!」

「ナっちゃん」

「他に言いよう無いでしょ!? あいつの理想なんて世界のどこにもありゃしないわよ!!」

 

 

 ヒナヨは、それはもう怒りで荒ぶっていた。

 勝手な言い分に、人の命を軽んじている――と少なくとも彼女には感じられる――言動。最初から許す気は欠片も無かったが、だからと言って言葉も手も緩めてやれるわけもない。

 もっとも、ユヅキも似たようなことは考えている。姉と同じく、安易に人の生き死にを直接的に言葉に出したがらないだけで。

 

 

「そうじゃないわ……これから作るのだもの。あなた達のような子供では、未来のビジョンなど浮かべることなどできはしない……!」

「未来が見えてないのはそっちだよ、おばさん。いずれ切り捨てられる(・・・・・・・・・・)相手によくそこまで付き合ってられるね」

「……なんですって?」

「――邪魔者をこれだけ殺してる人が、邪魔になった味方を殺さないと思える? ちょっと自分と考え方が違うってだけの人を、あれだけ殺してそれを無茶苦茶な理論で正当化してる人が、たかが味方を粛清することを躊躇すると思うの?」

 

 

 ――ありえないよ。

 再びその場にロンを出しながら発したユヅキの冷たい言葉が、パキラの耳朶を打った。

 

 

「『美しい世界』に生きるべき人間を定めてるのは、そこのおじさんの独断と偏見だけ。ちょっと『救われるべきじゃない』人間として認定されればいつ死んだっておかしくない。もし自分がいつまでもフラダリの傍らに立つことができると思ってるなら……想像力が足りないよ」

「ゆずきち、それよその人の台詞」

「ごめん」

 

 

 それを聞いた瞬間のパキラの脳を埋め尽くしたのは、ユヅキに対する――以上に、自らに対する憤怒だった。

 一瞬でも、絶対の忠誠を誓っているはずのフラダリに対して疑いを抱いてしまったからだ。ただ単純にユヅキが相手の心を煽ることに長けていたというのもあったが、何よりもそれに揺れてしまった自分を恥じた。

 

 

「――ヘルガー」

「ギャラドス」

 

 

 これ以上の会話を必要としないと定めた彼女の返答は、無言で最後の切り札となるポケモンをその場に出すこと。

 フラダリも応じるように色違いの赤いギャラドスをボールから出し――同時にその腕を掲げた。

 

 

「「メガシンカ!!」」

 

 

 二匹のポケモンが、虹色の繭に包まれ姿を変える。

 最終、最後の本当の意味での切り札。ヒナヨにとってその紅の色彩は絶対に目にしたくなかったものの一つだが、大丈夫だと己の心を落ち着かせる。

 

 

「……これが最後よ、ゆずきち! ルリちゃん!」

「サナナッ……!」

「うん、わかってる。ロン!」

「ガロオォ!!」

 

 

 ロンが己の拳同士を打ち付け、ルリちゃんが全身から念動力を発する。

 

 残りは、たった一匹。

 ――されど、それは彼女たちが相対する中では確実に「最強」の一匹であることは間違いない。

 

 

 






○ フラダリの赤いギャラドス
 アニポケに登場。単騎でXY&Z時代のサトシさんの手持ちを4タテした。
 加えてあのサトシゲッコウガメガリザードンXを同時に相手にしてまともにやりあえる途轍もない戦闘力を持つ一匹。ヒナヨはこのことをよく知っているので青いギャラドスであるよう祈っていた。結果は案の定赤かった。
 流石にアニポケそのもののギャラドスではないが……?




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その鱗粉はふぶきに似て

 

 

「『はかいこうせん』ッ!」

 

 

 なんとしてでも先手を取る、その意志のもと下された指示に応じたルリちゃんが放ったのは、かつてミュウツーに向かって使われたそれよりも遥かに威力を増した、銀と薄桃で彩られた破壊エネルギーだった。

 

 

「――『はかいこうせん』」

 

 

 対するフラダリの指示も、同様の「はかいこうせん」。

 ルリちゃんと対照的に赤黒く染まったそれは一拍遅れてルリちゃんの攻撃と衝突するが、二つの光線はわずかな競り合いの後に中程で拮抗し、相殺された。

 

 

(……「フェアリースキン」ありの全力攻撃にタメ張るってどうなってんのよ!?)

 

 

 内心の困惑こそ表に出さないものの、言葉にせずともその異質さはユヅキにもすぐに伝わった。

 特性「フェアリースキン」によってフェアリータイプ技として最適化された「はかいこうせん」の威力は言うに及ばず、あくタイプに変化したメガギャラドスへの確かな優位性を備えた今の一撃を相殺するなど、まともな所業ではない。

 

 

「ロン、『ニードルガード』!」

「ヘルガー、『れんごく』!」

「ギャラドス、『はかいこうせん(・・・・・・・)』」

「!」

 

 

 違和感を覚えたユヅキが行った指示は、とにかく自身とルリちゃんを守ることだ。

 続けざまに放たれたフラダリの指示は再びの「はかいこうせん」。まさか、と思いつつも目を向ければ、ギャラドスは先の攻撃の反動など無いも同然のように二発目を放ってのけた。

 

 

「リガァァァァッ……!」

 

 

 エネルギーの盾を用い、を正面から受けるでも弾くでもなく、アキラやユヅキ譲りの巧みさでとにかく威力を「流す」防御法。しかし、それでも耐えきれずロンの外殻がジリジリと焼ける音が届く。

 

 

そういう(・・・・)ヤツなわけね……!」

 

 

 そこでヒナヨの脳裏に浮かんだのは、彼女が以前戦ったゲーチスのサザンドラだ。三つの首がそれぞれ別の技を使えるという特異な才能を有していたことで、ゲーチスにとってのエースの座に君臨し続けていたが、このギャラドスもその類型。単にゲーチスのサザンドラと比べ鍛え抜いているというのにも留まらず、「はかいこうせん」の反動を一切受けない……というように、地味ではあれど特異個体の一種ではあるのだろうと推測した。

 

 

「『はかいこうせん』!」

 

 

 二射、三射。――攻撃が途切れない。

 いかに防御能力に優れたブリガロンと言えど、何度も「はかいこうせん」を受け流し続けるのは至難の業だ。「ニードルガード」を警戒して近接戦闘を仕掛けてくることもない。

 だったらここで攻撃に出るほか無い、と考えたのは、ユヅキだった。

 

 

「殴りに行く。ナっちゃん、援護して」

「……わかった」

 

 

 寄ってこないなら、こちらから寄って行ってタコ殴り。

 実にシンプルで、しかし、敵の能力を思えば多少ならず躊躇が生じる選択だ。が、彼女は絶対にここで引くことが無い。ならば相方のヒナヨが躊躇するのは、作戦の成功率を著しく下げるだけに終わってしまう。迷いは一瞬にも満たない時間だけで終わった。

 

 

「ルリちゃん、壁お願い!」

「サナ!」

「ロン、全速前進! お姉んときの模擬戦と同じで!」

「ブロォ!」

 

 

 ひとつ指示を送ると、ロンは地面を拳で叩いて前方――「はかいこうせん」を撃ち続けるギャラドスを一瞬、見据えた。

 ――次の瞬間、緑色の防御エネルギーの残光のみをその場に落とし、ロンの姿がかき消えた。

 

 

「!」

「ギャラ……!」

 

 

 トレーナーの指示を適切に受けるため、普段無意識的にかけているリミッターを外した、真の全力機動。ポケモンであるギャラドスはともかく、フラダリがそれを視認することはできなかった。

 対して、ユヅキははじめからその戦法を前提とし、「気」によって道筋を把握している。

 ギャラドスの顔面横へと到達したロンの腕が深緑に輝く。事前に贈っていた指示は一つ。あの物理的にデカい顔面(ツラ)したギャラドスに一撃(ウッドハンマー)をお見舞いすることだ。

 

 

「リッガアアァァァァッ!!」

 

 

 充分に鍛え上げられたくさタイプであるロンの放つその一撃の威力は、爆風と音響によってより明確に表された。

 普通のポケモンならまともに当てれば確実にノックアウトするだろうという一撃だ。

 だが――倒れない。

 揺るぎはした。頭蓋が軋むほどの威力は発揮した。だが、一瞬で切り返すことで即座に体勢が戻り、まるでダメージを感じさせないままその牙に冷気を纏わせる。

 

 

「――やれてない! ロン!!」

「ッ、ガアアアアアアアアア!!」

「ゴオアアアアアアアアアッッ!!」

 

 

 ギャラドスの牙が眼前に迫る。その刹那に彼は「ばかぢから」で顎自体を閉じられないよう拳を叩きつけるが――ギャラドスは、それを一切意に介さず、噛み砕いた。

 ばきん、と凄絶な音が響き渡り、ロンの外殻が圧潰する。ボールの保護機能が働かなければ確実に命が奪われていただろう一撃に、わずかに背筋が凍る。

 

 

(こいつ……!!)

 

 

 同時に、そこでヒナヨは先の推論が誤っていることを悟る。

 はっきり言ってしまえば、あれはただ「はかいこうせん」の反動を意に介する必要が無いほど単に肉体的に頑丈なだけ(・・)なのだと。

 筋力と常識はずれの骨密度でもって、本来ならポケモンに一身にかかる反動を完全に制御し、抑え込む。たったそれだけのこと。極めてシンプルに「強い」からこそ、可能な芸当だ。

 才能と言うのなら、あのギャラドスに備わった才能は即ち肉体的強さそのもの。その在り方は、伝説のポケモンのそれに似る。

 

 

「あいつ、気がおかしい。まさか……!」

「気付くか。……そうだ。このギャラドスには、生命エネルギーを極限まで注入している。ゼルネアスを使ってな」

 

 

 あの少女はいいヒントを与えてくれたよ、とフラダリは皮肉げに小さく笑った。

 普通の人間と比べて数倍以上の生命エネルギーを秘めていたことで、人間離れした身体能力を有していたアキラは、生命力をオーバーフローさせることによってどうなるかというモデルケースとして最適だった。

 

 

「けど、同じことは何度もできなかった。違う?」

「…………」

 

 

 ヒナヨの指摘に、フラダリは沈黙で返した。しかしその沈黙こそが雄弁な回答となる。

 人間程度の生命力ならともかく、ポケモン、それもいち組織のボスの切り札ともなれば元々の生命力が桁違いだ。試しにとやってみてその有用性についても実証はできたのだが、そこでゼルネアスのエネルギーが尽きて一度休ませる必要が出てきた。結果、二度目、三度目の試験は行うことができずに現在に至る……という状況なのだろう。

 そう考えるとなるほど、準備期間を置かず速攻で勝負をつけようとしたアキラの判断がここで更に活きてくる。本人の意図したところとはやや違うとはいえ。

 

 

「じゃ、やっぱここを乗り切れば終わりってことだよね。ルル!」

「ガルルルルァッ!!」

 

 

 次いで、ボールに戻ったロンの代わりに出てきたのはルル。出現と共にメガシンカの光がその身を包み、溶解していた角と千切れた尾を補うようにして火炎がそれらを形作る。

 この日、戦闘中二度目のメガシンカ。小さくない負担が襲い脂汗が浮くが、その負担もユヅキは無視した。アキラが以前行使した同時メガシンカという理外の負担にまでは及ばないものの、それでもそれなりの負荷にはなる。

 とはいえ、それで何かが変わるというわけではない。実のところ、ユヅキもヒナヨも残るポケモンはそれぞれ最終進化を迎えていないドララ、ハミィ、そしてコスモウムのみ。追い込まれたのはどちらも同じ。かつ、タイプ相性もそれほど良くはない。

 

 

(かくとうタイプ技ならどっちにも効果抜群、だけどルルは覚えないしルリちゃんが覚えてるのは『きあいだま』一つ、単体相手にしか撃てない以上……どっちにしたって今やるべきことは一つ!)

 

 

 ヒナヨは親指と中指を立ててハンドサインを示す。それを目にしたルリちゃんが動き出し、ユヅキはルルと共に前に向かって駆け出した。

 

 

「トレーナーが前に――ヘルガー!」

「グラァァアッ!!」

「ギャラドス!」

「ギャアアアアァアッッ!!」

 

 

 トレーナーが前に出る――それは既に以前、アキラがやってみせたことだ。

 実際にそれを目にしているパキラやフラダリにとって、そうした意表を突く形での奇襲など予想できている。そして、ポケモンたちがいるなら、人間の突撃などまるで意味をなさないというのが実情である。

 ――本来なら。

 

 

「焼け死になさい! 『ねっぷう』!」

「『ストーンエッジ』!」

「ルリちゃん!」

「サナッ!」

 

 

 地面から生じる棘のような水晶体。そして、迫りくる火炎混じりの風。ルルはそれを目にしてなお、一瞬たりとも足を止める様子を見せはしなかった。

 当然、それらを食い止めなければルルはともかく生身のユヅキはまず間違いなく死ぬ。それを知っているが故の、「サイコキネシス」。エスパータイプの技では効果が無いルルではなく、その下の地面を足場として浮かすことで「ストーンエッジ」を躱し、前方に岩を隆起させることで盾にした極めて強引な突撃だ。

 こじ開けられた空間へと分け入ったそのタイミングで、ルルは全力で咆哮(「バークアウト」)した。

 

 

「ガアオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

「ぐっ!」

「うっ……」

 

 

 物理的威力を伴う咆哮。それはトレーナーを守りに入ったヘルガーとギャラドスに僅かなダメージを負わせることそのものには成功した。

 だが、現状はそこまで。同じあくタイプの二匹には当然ながら大きなダメージにはなりえず、トレーナー自身へのダメージは絶無。

 それでも、「バークアウト」の衝撃は前方にのみならず、側方……ユヅキがしがみついていた側にも、ごく小さなものが発生した。しっかりとそれを宙で蹴ったユヅキは勢いのままに加速。人間になしうる限界ギリギリの速度でパキラへと肉薄する。

 

 

「ッ」

「卑怯とは言わないよね」

 

 

 ぱし、という軽い音の直後、一拍遅れてパキラの顎が右にブレる。その一見ごく弱い一撃で、彼女の意識は断ち切られた。

 

 

「ゼルネアス! ……ゼルネアス! 何故回復しない!?」

「生命力をいくら回復したところで、脳からの信号が断ち切られれば意識なんて戻らないでしょ」

 

 

 それは、アキラが実際にフレア団と戦った経験からユヅキに伝えたある種の対策だった。

 彼女が以前フレア団と戦った際は、なんとしてでもイベルタルをボールに戻してもらわなければならなかったため、フラダリの意識を留めた上で脅すという形を取らなければならなかった。しかしジガルデが押さえている現在はその心配も無く、意識を断っても何ら問題はないのだ。

 どれだけ意志が強かろうとも、脳を揺らされれば生物として意識を保つことは不可能だ。ダメージの蓄積によって長時間昏睡状態に陥ったアキラの例からも分かるように、生命力をどれほど高めようが、意識が戻るのは自然の成り行きに任せねばならない。

 

 

「グルル、ガァァッ!!?」

「ガオアア、グアアアアアァァゥ!!」

 

 

 そして、パキラの意識が落ちるのと共にヘルガーのメガシンカも解除される。

 すかさずルルはその喉元に噛みつき、なんとしてでも戦闘不能に追い込まんとする。

 

 

「――『アクアテール』」

「!」

 

 

 そこへ、叩き込まれる一撃があった。

 まずい、と思った時には既に遅い。味方であるはずのヘルガーをも巻き込んだ一撃がルルを捉え、空中で二度も三度も回転するほどのダメージを与えてボールへと強制送還した。

 

 

「『はかいこうせん』っ!!」

「サナァァッ!!」

 

 

 そして結果的にではあるが、ギャラドスはその瞬間に大きな隙を見せることとなる。

 ルルが戦闘不能となったことで状況こそ悪化しはしたが、これこそが最大の好機だ。特性による最適化と練度によって高まった威力で、周囲の瓦礫をも含めまとめて消し飛ばすほどの威力を見せたそれは、(しか)とギャラドスの横腹に叩き込まれた。

 

 

「これなら……っ!」

 

 

 「フェアリースキン」を上乗せしたメガサーナイトの「はかいこうせん」の威力は、ゲームにおけるポケモンの歴史を紐解いても有数の威力を誇る。いかに生命力の極まったメガギャラドスと言えど無事では済むまい。

 

 

「ナッ……!!?」

 

 

 ――しかし、その希望は次の瞬間、土煙の向こうから放たれた赤と黒の光線に撃ち抜かれたルリちゃんを目にすることで、無情にも打ち砕かれることとなる。

 無意味ではない。無意味ではないが……戦闘不能には陥っていない。今にも倒れそうなほどにふらついてこそいるが、それでもなお倒れる様子が無い。加えて未だ「はかいこうせん」の威力に減衰するような様子が無いというのも問題だ。

 

 

(あとは……もう、これしかない、か)

 

 

 諦念に似た感情の中、ヒナヨはユヅキと共に前方に向かってボールを投げた。

 現れたのはドララと――ハミィ。既にこの二匹しか残っていないという状況にあってなお戦意が衰えていない二人に、フラダリは表情を歪めた。

 ここまで来てしまったのなら、もはや無駄に苦しむだけではないか。なぜそこまで。そう考える彼に、ヒナヨはひとつ指を突きつける。

 

 

「言っとくけど、私らにとってこの子たちが本当の意味で最後の切り札(・・・・・・)。出すって決めた時点であんたの負けは決まったも同然だから」

「大きく出たものだ」

 

 

 何もヒナヨと言えど、何の根拠も無しにこうした言葉を口にするわけではない。

 ドララの才覚は、以前ちょっとシャルトの進化を目にした程度でそれを模倣し、自らも進化して見せることではっきりと示された。あれからしばらく特訓も行い、最終進化を行える最低限のレベルには達しているだろう。あとは他のポケモンの進化を目にすればまず間違いなく進化できる。

 そして、ヒナヨがロトムから聞いて把握している限り、ハミィは既に進化条件を(・・・・・)満たしている(・・・・・・)

 

 その上で進化していないのは、ひとえにユヅキとハミィのわがままではあるのだが――進化させることを避けたいという気持ちは、ヒナヨにも理解できる。

 ユキハミというポケモンは大量の食料を必要とする。それは単に食べるのが好きだから大食いだというだけではなく、それ以上に成長のためのエネルギーを欲しているからだ。そしてユキハミの食性は蚕のそれと似て、成虫になった際にはほとんど食料を必要としなくなる。

 食べないわけではないが、それこそスプーン一匙程度食料だけで十分。カイコガと同じように一週間で死に至るようなことは無いだろうが――進化すれば寿命を縮めるのは間違いない。

 だから、ハミィを進化させる気は、彼女には本来、毛頭無かった。いつか平和になった時、姉や仲間やポケモンたちを含めたみんなでいろいろなものを食べよう、と決めていたのだ。

 けれど、もはやそんなことを言っていられる状況ではない。

 そんな状況に追い込んだフラダリに、ユヅキは強烈な怒りを抱いた。

 

 ――そして彼女は、姉と同様強い感情を力に変えられる才能を有した稀有な人種である。

 

 

「――行くよ、ハミィ」

「ふわっ、ふわわわわ……!」

 

 

 次の瞬間、ハミィの体が進化の光に包まれる。

 それを片側の頭で捉えたドララは、肌で覚えたその感触を一つ残さず再現し――己の体をもまた、進化の光で包んだ

 

 

「何!?」

 

 

 その光景に対して、フラダリは強い驚きを示した。

 あまりにも稀有な才能と言うほか無い。たったひと目見ただけで進化の感覚を掴み、それを自ら再現するなど正気の沙汰ですらない。

 現れたのは、途方も無いオーラと冷気を撒き散らすサザンドラ、そしてユキハミの進化系である――モスノウ。

 くるるる、とハミィの声が鳴る。それが戦闘再開の合図となった。

 

 

「『むしのさざめき』!!」

「スゥゥゥ!!」

「グゥギャアアアァッ!!」

「ぬうっ!!」

 

 

 前方、ギャラドスとフラダリを含む広範囲を対象とした音波攻撃。むしタイプのエネルギーが込められた音波はギャラドスの体に引き裂くようなダメージを与えた。

 進化した直後でこの威力――ギャラドスの体力が尽きかけているというのもあるが、それ以上にただ強い。進化の際に生じる余剰エネルギーを全力で全身に回すことができている今でしかできない全力全開。鍛え続けることでいずれこの位階に辿り着くこともありうるだろうか。言わば後に辿り着く能力の先取り――仮に狙ってやっているのだとすれば、大したものである。

 

 

「ドララ、やれるわよね!?」

「ドラァァッ!」

 

 

 進化したドララを目にして、きっとやれる(・・・・・・)のだろう、とヒナヨは確信していた。

 なぜなら実際に「それ」を目にしている。戦っている。血を引いている。そして何より鮮烈なまでの才能がある。

 躊躇うこと無く、彼女は指示を送った。

 

 

「――『シグナルビーム』、『チャージビーム』、『きあいだま』ァ!!」

「ドォラアァアッ!!」

「何っ!?」

 

 

 ドララが放ったのは、三つ(・・)の技。全くの同時に射出されたそれが寸分狂わずギャラドスがさらけ出した横腹に突き刺さると、三種類のエネルギーが相互に作用しあい大爆発を起こした。

 三つ首という特徴を最初に昇華して見せたのは、ゲーチスのサザンドラだ。そしてそれを成し遂げたポケモンの血を引いているとなれば、ドララにもそれが模倣できない理由はない。はずだ。

 そうして推論を組み立てたところ、実際にそれができた。一発一発の威力はやや低いが、それでも成功はした。ならば戦術の組み立ても容易になる。

 

 

「くっ、ギャラドス、『はかい――」

「『ふぶき』!」

「グアアアッ!!」

「ぬっ、ぐう!!」

 

 

 もうコレ以上攻撃はさせない!

 未だギャラドスの攻撃能力は減衰しておらず、今のハミィやドララでは一発受けただけでも戦闘不能になりかねない。ユヅキは確固たる意志のもと、最適のタイミングで指示を投げる。

 暴風と冷気、そして大気中の水分が凍結した雪が襲いかかることでフラダリの視界が閉ざされる。まずい、と思ったのは一瞬のこと。直後、彼の顔面を強い衝撃が襲い、強く地面に頭を打つ。

 

 

「がはっ!!?」

 

 

 ――衝撃!? 痛み……攻撃!? これは!

 

 困惑が脳内を占めていく。まさかと思い目を見開いたフラダリが目にしたのは、全身を「ふぶき」に晒しながらも猛然とフラダリへと駆けるユヅキの姿だ。

 味方の攻撃さえも利用して、自らが傷つくことすら厭わず、烈火の如き怒りを拳に込める。その在り方はやはり、一度はフラダリを追い詰めかけた白い少女(アキラ)のそれに似る。

 そして、その行動もまた同じく。

 

 

「くおおっ!」

 

 

 ここで自分もパキラと同じように意識を落とされてはならない! その一心でフラダリは腕を顔の前で固めた。

 しかしユヅキは、そうすることをこそ待っていた。意識を刈り取ることができるならそれで十分。だからこそ、それだけは避けようとするというのは容易に予測できる。

 故に彼女の狙いは、はじめから腕……もっと言うなら、指。そこに嵌められたキーストーンだ。

 

 

「獲ったよ」

「がぁっ!!」

 

 

 わずかに開いている指の隙間をこじ開け、逆向きにヘシ折って強引にキーストーンの指輪を奪取。直後、ギャラドスの姿がキーストーンとの繋がりを断ち切られ元に戻る。

 待っていましたとばかりに、ヒナヨは声を張り上げた。

 

 

「ドララ! 『チャージビーム』、撃ちまくって!」

「ドラララララララララァッ!!」

「グギャッ、ガアアアアアアッ!!」

「っ、ギャ、ラドス!! まだだ! 撃てェッ!!」

「ゴアアアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 雨のように降り注ぐ「チャージビーム」の中、それでも瀬戸際で倒れないギャラドスは、己の意地を示すように全力の一撃を放った。

 血を吐くような色合いと、そして凄まじい威力の「はかいこうせん」。命を削るかのような一撃だ。攻撃中であることで回避もできないドララだが、その前方に躍り出る白い影がある。

 ――ハミィだ。羽を拡げ、大きくなったその体格を存分に活かして「はかいこうせん」を受け止める。しかしギャラドスの攻撃は生半可なものではない。このままドララごと押し切れるとフラダリは確信していた。

 

 

「スノッ、スォオオオオオ……!!」

 

 

 ハミィは、それを覆して見せた。

 全推力で「はかいこうせん」に抗い、理外の威力を秘めているはずのそれを逆に押し返す。

 ありえない光景だった。計算の上では、どう考えてもこのポケモンがそれを為すことができると思えない。

 と、その時。不意にフラダリの目にハミィの羽からこぼれる白い鱗粉が目に映る。

 

 

「――――『こおりのりんぷん』だと!?」

 

 

 特性、「こおりのりんぷん」。常時撒き散らされる鱗粉によって特殊攻撃を減衰する、ユキハミ・モスノウ固有の特性だ。

 これにより、本来耐えられるはずのなかったハミィはごくわずかに体力を残すことに成功してみせた。更に、ユヅキはそこへ最後の指示を送る。

 

 

「『ミラーコート』!」

「スゥゥ!!」

 

 

 瞬間、ハミィの全身が輝きに包まれる。氷によって形作られた鑑によって光線が反射し、ハミィの放つ冷気と混合し更に倍の威力となりギャラドスへと帰っていく。

 ――それだけではない。上空を見れば、無数の流星。ただ一点、ギャラドスに向かって墜ちるその一撃(りゅうせいぐん)は、紛れもなくドララにとって最大最強の攻撃である。

 

 

「これで……」

「とどめぇぇぇっ!!」

 

 

 そして、閃光と爆音が、ギャラドスを包み込んだ。

 

 



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罪過きりさく悪の刃

 

 

 天から降り注ぐ流星が止み、砂埃が晴れた時、その中心にいたギャラドスは地に体を横たえていた。

 最高威力の攻撃を間断なく浴びせた結果だ。これで倒れる気配すら見せないとなれば、まだ神経を削り続ける綱渡りじみた戦闘を継続しなければならないのだ。倒れる姿が見えると、ようやく息もつける。

 

 

「倒した……よ、ね?」

「わかんない」

「うぐうっ!!」

 

 

 余計なことを言わないようにとフラダリの指をもう一本折るユヅキだが、その瞳はギャラドスの元に緩やかに集いつつある何らかの「気」を捉えていた。

 その発生源はゼルネアス。やろうとしていることを把握した時点で、ユヅキの額に冷や汗が浮かんだ。

 

 

「ナっちゃん! ゼルネアスがまだ!!」

「まだやる気!? もういい加減にしてよぉ!!」

 

 

 もうこれ以上戦いたくないしポケモンたちにも戦わせたくない。悲鳴を上げる彼女に、フラダリは脂汗を流しながらもほくそ笑んだ。

 

 

「ゼルネアスには……戦闘不能になろうとも……ギャラドスへ生命エネルギーを送り続けるよう命じている……!」

 

 

 それはある意味、やって当然と言うべき措置ではあった。

 最後の最後の保険。正真正銘の切り札であるからこそ、なんとしてでもこの場に留めんという強烈な執念だ。

 ――しかし、そのエネルギーの流れは、途中で打ち切られる。

 

 

「……何? 何故……何故だ!? 何が起きた!?」

「ジガルデ……」

「……ジガッ」

「じゃないわね……となると……」

 

 

 ゼルネアスとイベルタルを押さえつけているジガルデは、片方の翼を横に振って自分ではないと示した。

 ならば誰が――となれば、もう決まっている。

 

 

「クセロシキのおじさんかな」

「……クセロシキが、だと? 馬鹿な!」

「別に、馬鹿なことじゃないと思うよ」

 

 

 崩落したのは基地最奥部だ。それ以外の場所は未だ原型を留めており、基地各所の研究施設はそのまま利用できる。ゼルネアスの洗脳に使ったのだろう設備も同様だ。

 何でもいいからなんとかしろこの野郎、という曖昧にも程があるヒナヨの言葉に、彼は見事に応じてのけたのだった。

 それによってゼルネアスは自我を取り戻し、ジガルデに押さえつけられるまでもなく、目に見えて大人しくなっている。

 

 

「あなたともう話したくないし、そろそろ黙って」

「モ――――」

「がはっ!!」

 

 

 ユヅキはコスモウムをボールから出してフラダリの頭に叩きつけた。

 10cmという小ささに対して、999kg以上(カンスト)という極まった超質量。人間相手に叩きつけるにはいささか過剰すぎるためユヅキも加減はするが、それはそれとして今すぐ意識を断ち切ってしまいたい意図もあったため、血が流れようともお構いなしである。

 ヒナヨは引いた。

 

 

「ゆずきち……やるならやるでもーちょい穏当にできなかった?」

「ヤだ」

 

 

 単純故に根深い嫌悪を滲ませてユヅキはそう答えた。

 

 

「無理とかじゃなくてやだって」

「ウチあの人嫌いだもん」

 

 

 大量殺人犯という時点で、ユヅキの中ではフラダリの評価は底値を割っている。ユヅキの方がやや子供っぽい反抗心の発露だが、この点は姉妹して共通した考え方をしていると言えるだろう。

 

 

「んでもなー……私は、なんて言うのかな。もしかしたら、出会いに恵まれればもっと違う道もあったのかなって」

「そう? ウチはあんまり思わないかな」

「なんでよ」

「お姉が記憶無くす前に言ってたんだけど、過激なこと言い出す人は特別な経験があってそういう考えに行き着くんじゃなくて、最初からそういう考えの人なんだって」

「ふむ?」

「いろいろ理屈こねくり回してるように見えても、それに論理的な筋道つけようとしてるだけで考えを改める気は無いから、いつか必ずその考えに行き着くし変わらないだろう、って」

「人によるんじゃないの? そんなの。私結構人に流されて意見コロコロ変えるわよ」

「そうかなー」

 

 

 一見和やかにも思えるような言葉を掛け合いながらも、そこに油断の色は無い。まだフラダリとパキラを倒しただけなのだ。

 持ってきておいた頑丈な糸で彼らを拘束。「げんきのかたまり」を使って一時的に体力を取り戻したルリちゃんに下っ端を含めた全員を固めた後は、ドララがそれを見張る役についた。

 

 

「おっ」

 

 

 そんな折のこと。不意にユヅキが抱いていたコスモウムが発光を始めた。

 ――進化の光だ。

 

 

 ○――○――○

 

 

 

 降りかかる雷の雨の中を、黒龍(レックウザ)が縦横無尽に駆ける。

 メガシンカを一時的に解除した彼の目に浮かぶ感情は、憤怒。ただ自分に土をつけたUB(モノ)と同じにおいがするというだけではない。このデンジュモクと呼ばれた不埒者は空という我ら(・・)の領域を侵している。

 「ほうでん」し集中的に撃ち込まれる電撃を「しんそく」で躱し、ヒモ上の肉体全てをまとめて切り裂くかのような威力の「ドラゴンクロー」を叩きつける――。

 その姿を横目で捉えながら、アキラは氷の闘技場――朝木が気を利かせてついでに作ってもらった――の上でランスを睨みつけた。

 

 

「そこを退け」

「断る。これでも責任のある立場でしてね」

 

 

 漆黒の殺意への返答はまた、混じりけなしの拒絶感と嫌悪、そして殺意だった。

 牽制するように一歩踏み出すアキラに対し、ランスもまた一歩、横に踏み出して遠ざかる。理解しているのだ。この少女に近づかれれば終わりだと。敵なら立ち塞がらなくとも地の果てまで追い詰めて斬り殴り擦り潰す。あれはそういう怪異だとランスは認識している。

 また、そのことはアキラも把握している。故の牽制だ。やがてどちらからともなく氷の闘技場の外周を駆け始め、ほぼ同時に中心に向かってボールを投じた。

 

 

「リュオン!」

「クロバット!」

 

 

 地に足がついていたのは、ボールから出たその一瞬のみ。踏み込みと共に二匹のポケモンは急速に距離をゼロに近づけ、翼と拳とを交錯させた。

 「つばめがえし」、そして「かみなりパンチ」。

 これ以上悲劇を生み出さないためにと、トレーナーと共に狂気じみた執念をもってトレーニングを行っていたリュオンの拳は、重い。わずかに掠めただけだというのにクロバットの体は強烈な痛みを訴えていた。

 

 

「……!」

 

 

 対して、リュオンの側もクロバットの練度に驚きを見せる。

 海の魔物より前、最後に戦ったのはダークトリニティだったが、恐らくこのクロバットは彼らのポケモンよりも強い。

 ダークトリニティは戦闘要員として破格の能力を持つが、やはり彼らの本領は影での戦いだ。トレーナーを始末することが選択肢の第一候補として挙がることも多く、必ずしもポケモンバトルで勝つ必要すら無い。その鍛え方も文字通り「対人」に特化している。

 対して、ランスのクロバットは違う。対ポケモンを念頭に置いて鍛え上げた、純粋な戦士のそれだ。

 そう評価したリュオンはギアをトップに上げた。一匹(ひとり)で全員を倒すつもりで全力の八割程度の力で当たっていたが、消耗を気にしていては勝つものも勝てない。

 全開にした波動が暴風のように、周囲の冷気を吹き散らす。

 

 

「加減は期待できそうにないですねぇ……」

 

 

 アキラにとっての本命はサカキであって、それ以外は前座。ランス程度に苦戦してなどいられない――彼女はそう考えるだろうと推測していたのはランス自身だったが、そうではないことはこの一手で知れた。

 やると決めたら徹底的に目の前の敵を鏖殺する。それが彼女だ。最初の戦いでもその次の戦いでもそうだ。真に脅威なのは身体能力ではなく、その意志。独善的にすら取れる、ある意味ではランスたち悪党と似たドス黒い色味を帯びた感情の発露である。

 なまじよく知る性質だからこそ、ランスにとっては想像が至ってしまって恐ろしい。それを彼は思い出した。そしてだからこそ、それを踏み越えるべく手を尽くしてきたということも。

 

 

「クロバット、一度引きなさい!」

「距離を取らせるな!」

 

 

 クロバットが本来得意とするのは接近戦。しかし、特殊攻撃のレパートリーそのものは豊富で、制空権を取られればそれが一気にリュオンへと牙を剥く。

 しかし対するリュオンも百戦錬磨。クロバットならば朝木との模擬戦で幾度となく矛を合わせており、その行動ならばすぐに把握できる範囲のものだ。

 リュオンは地を蹴って跳ぶと、空中で波動を放出して更にもう一度、クロバットの直上へと跳び上がる。そして――直下へ向けて「はっけい」を放った。

 

 

「キィィィィ!!」

 

 

 体重の軽いクロバットはその衝撃と共に氷の床に叩きつけられ、体が跳ねた。

 

 

「『はどうだん』!」

「!? ……『ねっぷう』!」

 

 

 ランスとしては、こうした失敗は既に織り込み済みではあった。

 アキラは本人に天性の戦闘センスと経験、波動使いという特別な素養が備わっている。ポケモンバトルにもそれを応用しており、単純な読み合いの能力ならば歴戦のチャンピオンと比較しても遜色ないほどのものがあると言えよう。だからこそ、競り負けることそのものは予測の範疇でしかない。

 故に、取るべき戦術はとにかくここで何を置いてでも即座に切り返すこと。攻め急いだせいか、アキラの発する指示はクロバットに効果の薄い「はどうだん」。しめた、とランスは唇を持ち上げた。

 口から放出される熱気を巻き込んで、クロバットの羽ばたきが火炎混じりの熱風を巻き起こす――。

 

 

「ルッオオオオオオオォォォッ!!」

 

 

 ――されど、熱気を帯びた()は波動の()によって消し飛ばされる。

 身の丈を遥かに超える大きさに形作られた波動の玉が分裂し、拡散し、その数を数百、数千にまで増やし風を呑み込み強引に捻じ伏せた。

 攻め急いだのではない。その必要すら無い(・・・・・・・・)のだ。徹底的に鍛えに鍛え抜いた基礎能力を最大限に発揮できる技こそが「はどうだん」。この技こそがリュオンの起点なのだ。

 足から波動を放出し、足場とすることで「しんそく」でクロバットへと肉薄。氷の床についたところで展開された「ストーンエッジ」がクロバットを貫く。

 そして、これでもまだ終わらない。

 

 

「『サイコキネシス』……!」

「くっ!?」

 

 

 念動力の網でクロバットを捉えるや、リュオンは勢いよくクロバットの体を振り回す。叩きつけるようにして狙うのは、ランス自身だ。

 殺す、と明確に刻まれた一撃を辛うじて躱すが、そこに生まれた一瞬の隙にアキラは切り込んだ。

 一瞬の踏み込みと波動の放出と特殊な歩法、三種の相乗効果により彼女の姿を見失ったランスは、狼狽によってその場で動きを止めた。

 

 

「――――――」

「う、おおおおおおおぁぁぁっ!!」

 

 

 髪の一房が断ち切られる。

 一瞬の殺意の発露を感じ取り、瀬戸際のところで回避が間に合った形だ。四肢を叩き斬り、相手を徹底的に傷つけ心をへし折り破壊してでも殺さず(・・・)仕留める。彼女の基本にして必殺の戦術である。だからこそ躱せた――と同時に、それが何故躱されたのか、アキラには一瞬分からなかった。

 

 

(……今のは人間の挙動じゃない!)

 

 

 それを把握した時、彼女の頭に浮かんだのは少し前の自分自身、そしてこの世界の人間でありながらレインボーロケット団についた裏切り者。文字通り人間離れしたその動きには、それこそ確かに戦った覚えがあった。

 困惑は一瞬、その一瞬の間にランスはそれこそアキラが対応できないほどの挙動で肉薄した。

 

 

「イクスパンション――――」

「その……通りですよ!」

 

 

 有用性は既に実証された。しかし同時に、ただ単純にイクスパンションスーツを着用しているだけの人間では、体術の関係上絶対にアキラには勝てないことも実証された。

 だからこそここまで、ランスは一度たりともイクスパンションスーツを着用していることを悟らせないための動きをしてきた。全てはただ、近づいてきたアキラを確実に仕留めるためだ。

 かつてのアキラと同等にまで強化され速度を上げた拳が、迫る。

 

 

(――素人の大振りだ! 避けろ! 躱せる!! 躱せ!!)

 

 

 脳内物質が噴出し、思考が加速する。

 こんなところで無意味に攻撃を受けて、よりにもよって最高戦力の一人であるアキラが戦闘不能になるなどあってはならないことだ。

 自身の身体に檄を飛ばし、全力で身体を反らす。

 

 ――直後、顔半分の感覚が消えた。

 

 

「あ゛ッ……ッづう、があああっ!!」

「くおおおおおおっ!!」

 

 

 血飛沫が飛ぶ。

 思わず溢れた悲鳴をかき消すように振るった刀を、ランスは転がって倒れ込むようにして回避した。

 脳内物質が噴出して痛みを覆い隠してこそいるが、掠めた一撃が顔面半分を叩き潰している。左目の視界が完全に消失していることから、血で目が塞がっているというレベルの状態ではないことは確かだった。

 

 

「リオッ!」

「ぬぅ……!」

 

 

 そこで異常を察して割り込むことができたのは、クロバットを先に倒すことができていたおかげだろう。

 腕を振るい床に叩きつけることで氷を散らし、波動を噴出してエネルギーの障壁を作り出す。ランスは大きく後ろに飛び退きながらボールを放り、二匹目のポケモンをその場に呼び出した。

 

 

「マッタドガァァァス」

 

 

 現れたのは、通常種のマタドガス。

 以前、「みちづれ」によってやられたことを思い出したためか、リュオンはわずかに顔を歪めた。

 

 

「狙ってたな、てめぇ……」

「狙っていたに決まっている。他の人間はともかく、あなただけはなんとしてでも仕留めなければならない! そのためなら小細工でもなんでも弄しますとも……!」

「…………く、そッ」

「くそ、というのはこちらの台詞ですよ……」

 

 

 アキラ相手でさえなければイクスパンションスーツの性能頼りに蹂躙できていたのだ。この場で彼女が来たことで方針変更を余儀なくされたランスの側も相当に焦らされていた。

 ここでアキラを殺せなかったのは間違いなくランスの失策だ。目の前にやってきたところを確実に殺すところまでが最大の目標だったのだが、獣じみた反射とランスの体術の拙さのせいでその目論見は潰えることとなった。

 彼女を相手にして殺せなかったというのはそれだけで致命的だ。

 片目を潰した? その程度(・・・・)のことで立ち上がらないわけがない。幻のポケモンの「だいばくはつ」を受け四肢を砕かれてなお不屈の闘志で勝利したような怪物だ。

 

 

「……あの時とは立場が逆転したようなものですね。同じだけの力を持ってみて、振るってみたいという欲が出るのを抑えられませんでしたよ」

「そうかよ……」

「あなたもそうではないのですか? 思えばずっとあなたは我々に憎悪を向け、怒りのまま力を振るってきた。平和な世界ではさぞ力を持て余していたことでしょう」

 

 

 これは推測と言うよりも、むしろ挑発の色合いの方が強い。

 正しいことのために戦っているというのが、彼女にとってのアイデンティティだ。ここまでの彼女の戦闘の記録を紐解けば、そこを突かれた場合には頻繁に怒りを見せている。故に、ここで怒らせれば接近してくるのではないかと考えていたのだ。

 

 

「あなたの負の感情は強すぎる。一般人よりも、むしろ我々と近いところがあるのではないですかねえ?」

「かもしれないな」

 

 

 しかし、アキラが怒りを見せることは無かった。

 自嘲するように、あるいはダメージの深さを示すように深く息をつく。

 

 

「本質的に、わたしは……悪人に近いと思う。暴力的だし、キレっぽいしな。必要なら他人も簡単に傷つけられる」

 

 

 彼女の情動は一般人のそれよりも更にもう少し幼い。その上、レインボーロケット団がやってきてからと言うもの常に不機嫌だ。一時期は思いつめて人を殺すところにまで至りかけた。

 だが、人を殺していないからと言っても、傷つけていることは事実だ。それに罪悪感を抱いていないわけではないが、だからと言ってそれで躊躇することも無い。およそ人道的には善人とは言い難いだろう。

 

 

「……だったら、その中でできることをするだけだ。わたしは犯した罪に怒りを向ける。――(おまえたち)を憎む」

 

 

 だが、それも正しい方へ向けることはできる。

 抜身の刃のような性質しか持ち得ないアキラであっても、平和のために道を切り開くことはできる。本当の意味で「正しい」人間のための礎になることができるのだ。

 

 

「お前達全員を地獄の果まで追い詰めて、一人残らずこの世界から叩き出す。そのためなら悪にでも何にでもなってやる」

「……そうですか」

 

 

 この少女は、揺るがない。

 そんなことははじめから分かっていた。ランスとしても揺るがせることができれば儲けという程度の認識でしかなかったのだ。

 彼女とは決して相容れない。そして悪意を内に秘めてこそいても、悪の側になびくことは絶対に無い。

 殺すか、斬られるか。結末はその二つに一つだ。

 アキラは顔面左側から流れ出る血を拭い、再び構えを取った。

 

 

「――まずはお前からだ」

「いいでしょう。来なさい……!」

 

 



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霧中(ミストフィールド)の烈戦

 

 

 ここで確実に(たお)す。

 その意志を胸に、アキラとランスは再び駆け出した。

 痛みで力が入り、血が噴き出す。リュオンが気にしたように一瞬背後を向き、「いやしのはどう」を発動しかけたが、当のアキラがそれを許さない。

 彼女はリュオンと同様、波動によって周囲を感知することができる。所詮片目が潰れた程度(・・)のことだ。確実に状況を把握し指示を出し、相手の攻撃を躱せるならば目でも腕でも潰れたままで構わない。

 要は勝てるかどうか。それだけだ。

 

 

「『どくガス』!」

「こっち狙いか! 『サイコキネシス』!」

 

 

 マタドガスの体から勢いよく吹き出す毒ガスだが、それらはまとめて波動を利用したリュオンの「サイコキネシス」によって叩き返されていく。

 狙いは間違いなく、傷を負ったアキラへの直接攻撃だ。マタドガスの毒が傷口に入り込みでもすれば、今のアキラではそう遠からず戦闘どころか命が危うい状態に追い込まれることになるだろう。

 

 

「焦りましたね! ――『かえんほうしゃ』!」

「!」

 

 

 しかしそれ故に、予測されている、ないしは対策を立てられているという事実を予測しやすい。

 放った毒ガスそのものははがねタイプのリュオンに一切効果がない。だからトレーナーに攻撃する……という先入観を布石にした、可燃性ガス(・・・・・)の大量噴出。

 肉体そのものがガスタンクとなっているマタドガスの繊細なガス操作により自らは被害を受けない中、徹底的にリュオンだけに狙いを定め着火、起爆する。

 

 

()った!」

 

 

 超広範囲に及ぶ、焼夷弾じみた可燃性ガスの延焼。敵のポケモンを倒すのに威力ばかりを重視した一点突破は必要ない。全身が炎に包まれればそう遠からずセーフティが働いて勝手にボールへ戻る。

 

 ――だが、彼女たちはその思惑すらも殺す(・・)

 

 

「『みずのはどう』」

「!」

 

 

 ランスのマタドガスの技が最適なら、リュオンのそれは最速。ダメージを最低限に抑え突き破る、ただそれだけの攻撃だった。

 広範囲に向け攻撃が行わているということは一か所あたりの密度はそれほどでもないということだ。一瞬の放出で炎の壁には穴が穿たれ、リュオンがその中心に飛び込み突き破る。

 流星のように駆け抜け、(コメットパンチ)が放たれる――。

 

 

「ドッ……ガァァァ!」

 

 

 ――直後、これが自分の意地だと言わんばかりに、マタドガスは「だいばくはつ」を起こした。

 

 

「くっ!?」

「ぬう……!」

 

 

 ランスの指揮を介さず自らの意思で行われた自爆。以前にアキラが見たものがよりにもよって死亡前提の「だいばくはつ」であったため身構えてしまうが、これは体力が最大限残っている中での、ポケモンの技としての「だいばくはつ」である。場違いにも、彼女は僅かな安心を抱いた。

 しかし、どちらにせよ奇襲であることは間違いない。爆風が周囲に広がり、アキラどころかランスまでもを巻き込んで吹き飛ばしていく。イクスパンションスーツの性能頼りで体術の素養に乏しいランスが転がっていくのに対して、アキラは即座に体勢を立て直した。リュオンがボールに戻ったことで戦闘不能に陥ったことを把握。切り返すべくボールを握る……が。

 

 

「こふっ……!」

 

 

 そこで、彼女は急激な呼吸困難に陥った。

 血を吐くほどのものではない。しかしこれは――。

 

 

(無色透明の毒性ガス!)

 

 

 マタドガスが「だいばくはつ」を起こしたのはただリュオンへの反撃のためだけではない。自らの内に溜め込んだ混合ガスを、アキラへ吹きかけるためだったのだ。

 高い即効性があるためか、既に彼女の体は末端から痺れが生じていた。

 その場で即座に思考を回し、二重、三重の罠を張る。ランスが四国襲撃の立役者であることなどはアキラが知る由も無いにしろ、彼の頭が異様に回ることは改めて理解できた。だからこいつとは戦いたくなかったんだ、と苦しげな息が漏れる。

 対するランスの内心はと言えば、疲労困憊。彼も間違いなく妙手を打ち続けアキラへダメージを与え続けられているのだが、むしろ精神は常に削られ続けている。

 そもそもどんな手を打っても二度、三度程度なら真正面から粉砕するほどの地力があるのだ。戦術も戦略もあったものではない。常に成長肥大化し続ける戦略兵器とでも戦っているような気分になる。こんなものと戦ってもどうすればいいのだというのが本音だ。

 しかし他の幹部と当たればまず確実に、丁寧に擦り潰されるだけで終わりだ。大した痛痒も与えられまい。故に自分がやらなければならないのだろうと、ランスは冷や汗を垂らした。

 

 

(私が二体目のマタドガスを持っていることは知れている。定石を考えれば彼女が次に出してくるのはガスに対処できるポケモン……そのはずだが……)

 

 

 それは「はず」でしかないのだ。

 彼女は定石を知っているからこそそれを破ることにも何ら躊躇しない。逆に必要なら定石通りの手を打つことにも躊躇は無い。どちらがより効果的か、一瞬で判断して確実に敵を殺しに来る。そういうトレーナーだ。

 では対策が意味をなさないかと言われると、今こうして咳き込んで苦しんでいるあたり、そうではない。正面から叩き潰すことのできる作戦は多くとも数個。対応力の更に上を行くことができれば、あるいはこのようにダメージを与え、ポケモンを倒すこともできるかもしれない。

 

 

「行きなさい!」

「……頼む!」

 

 

 ここでランスが選択したポケモンは――やはり、マタドガス。

 フェアリータイプであるリージョンフォームのマタドガスは、アキラのポケモンの多くに対して相性が良い。

 ――問題は、対峙する相手が規格外そのものの存在であったことだろう。

 

 

「バァァァァン」

「ド、ドガッ……!」

 

 

 強靭、巨躯。

 ただ巨大というだけでなく、弛まぬ鍛錬によってその戦闘力を伝説の域にまで高めた切り札――ギルだ。

 マタドガスは高さ3メートルという巨体を誇るが、ギルはそれよりも更に巨大だ。威圧的に唸り声を上げる彼に萎縮しつつも、マタドガスは逆に威嚇するように煙を吹き出した。

 

 

「――『ミストフィールド』!」

「『ストーンエッジ』!」

 

 

 まるきり躊躇のない破滅的な突撃を前に、マタドガスはまず噴出孔から莫大な量の蒸気をその場に撒き散らした。

 ギルが現れたことで、周囲には薄く砂塵が舞っている。アキラの手持ちの内、レックウザを含め三匹がドラゴンタイプ。そう考えれば布石という意味合いもあるだろうが――。

 

 

(視界を塞ぎに来たか……)

 

 

 もっとも、アキラに対して影響は無い。波動によって周囲の状況が把握できているからだ。

 しかし一方で、ギルはそうした素養がない。基本的に視覚に頼って戦う以上、彼の攻撃の精度はどうしても落ちる。結果、「ストーンエッジ」の一撃は、氷の闘技場を砕くのみに終わった。

 直後、マタドガスがガスの噴出を推進力としてギルの懐へと飛び込んでいく。

 

 

「ここです、『ワンダースチーム』!」

「ギル!」

「ドゴガガァアアア……アア!?」

「ギラッ!」

「なっ……!?」

 

 

 その瞬間を待っていたかのように、カウンターのようにギルの足が正面に向けて勢いよく伸ばされた。

 ただの蹴り……であるかのように見えるが、実際のところは、ギルの筋力によって技にまで昇華された事実上の「メガトンキック」。反動によって跳ね飛ばされたマタドガスは闘技場の床に叩きつけられ攻撃の機を逃してしまった。

 

 

「『はかいこうせん』!」

「グルァァッ!!」

 

 

 ――そこへ叩きつけられるのは、一条の光線。

 黒と紅に彩られた一撃によってマタドガスを巻き込んで床が崩壊していく。しまった、とランスは自身の失策を悟った。

 肉弾戦を主体とする……という印象が強いアキラのポケモンへの対策として、いざとなれば敵の目の前で「だいばくはつ」をするよう言いつけているが、距離を離されてしまえば「だいばくはつ」も何も無い!

 ならば「みちづれ」を。そう思考しようとした時、彼は既にマタドガスがボールに戻っていることに気がついた。

 

 

(間接攻撃が比較的苦手なはずのバンギラスの攻撃で一撃か……!)

 

 

 ギルは一つ息をつくと、その場で即座に体勢を立て直した。

 まともに反動を受けてすらいない。あまりに肉体的に頑強すぎるためだ。これではまずいのではないか、とその威容に対して辟易とするランスに対して、アキラは深く息を吐いた。

 切り札(ギル)を出したのは早期決着のためだ。こいつなら確実に「アレ」を倒せると、信頼しているためだ。早めに決着をつけ、自身の体力の消耗を抑えるためでもある。

 だからこそ、彼女は軽く手をかざし、指をくいと曲げて挑発した。

 

 

「出せよランス。ウルトラビーストを」

「……何です?」

「出せっつってんだよ。デンジュモクだけじゃないだろ」

 

 

 確信があった。

 アキラがこれまで戦った裏切り者の現地人がウルトラビーストを所持していたことを考えれば、その上役についたランスがウルトラビーストを持っていると考えることが自然なことだ。

 マッシブーン、テッカグヤ、ズガドーン、そしてフェローチェ。完全に足止めとして起用されているらしいデンジュモクはともかくとして、アキラには心当たりがあるポケモンがそれら以外に一匹いた。

 

 

「――持ってるんだろう。アクジキングを」

「…………」

 

 

 その想像は、的中していた。

 明かしてすらいないような情報を看破されたというのは、ランスにとって望ましくない事態だ。表情に出しはしなくとも、その波動の揺らぎはアキラにも如実に感じ取れる。

 アクジキング。その能力は以前彼女が実際に戦って身に沁みて理解している。どれほど攻撃を加えてもヨウタがやって来るまで倒し切ることもできなかったのだ。攻撃能力も極めて高く、当時のギルを一撃で倒しきることができるほどの能力を秘めていた。ポケモンたちをしっかりと鍛え続けているらしい今のランスの手持ちとなっているとなれば、その実力は更に上昇していることだろう。

 だからこそ(・・・・・)今ここで倒す。

 万が一にも他の面々と戦わせるわけにはいかないのだ。

 

 

「後悔しますよ」

「お前がか?」

「減らず口を……」

 

 

 同時に、互いの腕が掲げられる。

 片やボール、片やメガリングという差異はあるものの、そこからポケモンが現れるのと光がギルに結びつくのはほぼ同時だ。

 眩い光が周囲を包み込み、刹那の間隙が生じる。そして次の瞬間、闘技場の中央で組み合う巨躯が二つ、現出した。

 

 

「ギィィィアアアアアアァァァッ……!!」

「ドォォグイィィィィ……!!」

 

 

 押し合いは――互角。

 ギルとアクジキングの間に、今となっては力の差はほとんど存在しない。

 「10まんばりき」の圧力とただただ鍛えに鍛えた「ばかぢから」。ただの押し合いであろうというのにそれだけで死人が出かねないほどの力場が生じる。

 

 

(どれだけ鍛えたのか……! メガバンギラスになると力は互角……ですか……!)

(確実に倒せるまで計算して鍛えたつもりでもこれか……! 悪党の癖にどれだけ鍛えてんだクソッタレ……!!)

 

 

 アキラは、卑怯な手段を用いる人間というのは正面からの戦闘力に乏しいからこそ、そうした手段を用いるのだと認識している。実情を考えてもそれは正確な話で、少なくともこれまでのランスは単純な「力」をそれほど必要としていなかった。

 それでも、必死になって鍛えた理由があるとするなら、それは単純な「力」をもってでしか倒せないと感じた相手がいると理解したからだ。

 発破をかけたのは自分自身だ。そのことを認めた彼女は、小さく舌打ちをした。

 

 

「アクジキング! 『はかいこうせん』!!」

「ギル! ……いや、やれるな!?」

「グァァァァアゥ!!」

「ジッ、グォォォォォォォォオオオオオオ……!!」

 

 

 アクジキングの攻撃の射出口は自由自在に変えられる。力比べのために両方の触腕が塞がっているというならそれで構わない。腹部がガバリと開き、中空に浮かぶ黒点のように集約された破壊エネルギーが重力を崩壊させるかのように空間を歪ませる。

 直後、空間そのものを裂くようにして漆黒の光線が放たれた。

 当たれば当然ただでは済まないことだろう。理解している。だからこそ距離を取る……少なくともそれが普通の選択だ。しかし、ギルはその中で更に前に出る(・・・・)

 光線が体を掠め、表面組織の一部が剥離し消滅する。しかしギルはその巨体に似合わない身軽さで、滑るようにアクジキングの目前、腹部の口の目前にまで躍り出た。

 

 

「ガアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

「グガアアッ!!」

 

 

 側面から叩きつける、全力の「アイアンテール」。アクジキングの身がたわみ、横に「く」の字に折れ曲がりかける。

 

 

「距離を……いえ、打ち合いのつもりなら応じましょう! 『アームハンマー』ッ!!」

「お前……ッ!」

 

 

 普通ならここで距離を取る。しかし、ランスもまた安全策を捨てた。以前目にした通り、アクジキングの「アームハンマー」の破壊力は、僅かな予備動作こそ必要になるものの、それこそ空間を削るほどの威力を誇る。

 真正面からの打ち合いを望むなら、そうするまでだ。殺気に満ちたランスの目はそう訴えていた。

 同時に、アキラへ向けられるもうひとつの目は確かに訴えかけている。「俺ならやれる」と。

 故に彼女は、自らの相棒に向け絶対の信頼を載せて指示を発した。

 

 

「勝てギル!! 『ストーンエッジ』ィッ!!」

「グルルアアアアアアアアアアアアッッ!!」

 

 

 アクジキングの右触腕とギルの水晶体が放たれるのはほぼ同時。半ばクロスカウンターめいた、そして普通のポケモンに直撃しようものなら確実に一撃で沈んでいるだろう一撃が互いの頭部に突き刺さる。

 そこで先んじて体勢を戻したのはギルだ。

 アクジキングに足りない絶対的な「格上」との戦闘経験の差によって、彼は己のダメージがどれほどのものになるかを把握していた。心が決まっていて、体の方が折れてさえいなければ、対処はできずとも身構えることはできる。

 心で負けることだけは、絶対にしない。そう決めていた彼は、続けざまに右拳を中空に向けて振り下ろした。

 視界が狭まったことで攻撃を外したか――そうランスが思った直後のこと。アクジキングの上空から無数の巨岩が落下する。「いわなだれ」だ。

 

 

「ここだ! 『じしん』!!」

 

 

 落下した岩によってアクジキングの姿勢が下がる。それを蹴りつけ、あるいは踏みつけるようにしてギルが攻撃を叩き込んだ。

 「じしん」の超振動を直接相手に向けて打ち込む高等技術だ。全身が沸騰するように震え、振動を殺しきれず宙に浮き右へ左へ上へ下へ、炸裂した衝撃がアクジキングを幾度も打ち上げる。

 

 

「グッ、ガアッ、グアアアアアアアアッ!!」

 

 

 衝撃が駆け抜ける。駆け抜ける。駆け抜ける。

 全身を引きちぎられるような力が直接注ぎ込まれたことでアクジキングはボロ布のように地に落ちた。ミシミシと骨が悲鳴を上げ、断裂した組織の間から体液が漏れる。

 その中で――なお、アクジキングは、再び立ち上がった。

 

 

「……まだですよ」

「だろうな……」

 

 

 半ば、確信はしていた。実際に以前、似たような攻撃をしてなお、アクジキングは立ち上がってきたのだ。最後の最後に決着を突けたのはヨウタのラー子が使った「りゅうせいぐん」だ。それだけしなければ、できなければ倒すには至らない。

 だから。

 

 

「――今度は、わたしたちだけで仕留める。だろ、ギル」

「グウウウゥ……!!」

 

 

 ――絶対の殺意をもって、自分たちだけで再びその身を地に沈めよう。

 

 



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天空に弾く閃光(スパーク)

 

 

 空間そのものを爆砕しようかとういうほどに破滅的な攻撃の応酬が続く。

 「ストーンエッジ」、「ボディプレス」、「かみくだく」、「しっぺがえし」、「ジャイロボール」、「ゆきなだれ」。

 手数や巧みさという点で数々の戦闘経験を有するギルの方が一見押してはいるものの、アクジキングの体力は未だ底すら見えはしない。まさしく異次元の頑強さだった。

 

 

(――あと何発打てばいい!? ギルはその間もつのか!?)

(――あと何発耐えればいい……!? アクジキングも不死身ではないのですが……!)

 

 

 互いに焦りが頭をよぎる。即座にそれは戦闘のための思考に戻るが、しかし結局のところ重要なのはそこだ。最終的に勝つのは体力が残っている側である。

 ギルの攻撃は強力だが、アクジキングの弱点を突ける攻撃というのはあまりない。「ばかぢから」は強力無比だが少なくないリスクが生じる攻撃でもある。使うならば詰めの一撃だ。「げきりん」はミストフィールドによって威力が減衰させられるため事実上使用は不可。崩れ始めればそのまま押し切れるが、その兆候はまだ見えない。

 対するアクジキングも幾度か攻撃を当てることができているが、防御能力が格段に上昇しているメガバンギラスでは倒し切ることはできず、未だ手が緩む気配は無い。攻撃は依然苛烈だ。

 

 

(一手、進めますか)

 

 

 ランスはボールを手に取った。意識を割く対象が増えることは望ましくないが、膠着状態を破るには手を増やす他無い。

 

 

「ジバコイル!」

「!」

 

 

 ほんの一瞬の間隙の中、ギルの体を「ラスターカノン」が貫いた。

 超重量級のポケモン同士による激突の最中という極限の緊張下でありながら一瞬でも意識を他所に飛ばした代償は小さくない。指示を受けられなかったアクジキングの体には「ストーンエッジ」が直撃している。ダメージは決して小さくなかった。しかし同時に、ギルの目は「ラスターカノン」の光によって(くら)み、僅かな隙が生じてしまっている。

 

 

「グゥィィィイイイイイイイ」

 

 

 思い切り反動をつけて放たれる、両の触腕の「アームハンマー」。その一撃はギルの体を大きく吹き飛ばし、氷の床を砕き地面を滑る。

 

 

「そこです! やりなさいアクジキング!」

「チッ……!」

 

 

 そこでアクジキングが跳躍する。短い脚をいっぱいに使い、持ち前の筋力によって空高くまで踏み込んだ。

 「ヘビーボンバー」、その威力はゲームとは異なり単純に使用者の重量によって決まるものだ。アクジキングの体重はおよそ900kg。考えうる限り最大級の威力を誇るその技が生み出すエネルギーは、空間を歪めるほどの威力を生じさせていた。

 その中でアキラは――動かない。なぜなら、もう既に手は打っている(・・・・・・・)からだ。

 

 

「ヂュイ」

「!!?」

「グィィギィィイイイイ……!?」

 

 

 その姿が見えたのは、ランスの視界の端。極めて小さな黄色の影。

 これまで、彼女が戦力としてあまり用いることこそ無かったが、しかし戦術の裏で文字通り糸を引いていた世界最小級の虫ポケモン、バチュル(チュリ)

 

 

(――どういうことです……!? まさか、いや、バカな、これは……!?)

 

 

 直接的な戦闘力には乏しい、少なくともそういう認識はあった。そしてそれ自体は事実だ。

 電気を自ら作り出すことはできない。エネルギーの総量も大きくない。

 だが、糸。その一点に限って言うなら、チュリのそれは数トン以上の衝撃であろうとも受け止めて絡め取ることができる。

 単純な能力だけならデオキシスやチャムの方が余程早いだろう。しかし、小さいというのはそれだけで小回りが効き、視認性も落ちる。トレーナーから指示を受けるために普段かけているリミッターを外せばただの人間の目には黄色い線にしか映らないことだろう。

 そうして張られた「クモのす」は、確かにアクジキングの落下を食い止めた。

 

 トレーナーに愛情を注がれたポケモンは強い。人道に反する行為でも平然と行えるランスであっても、そうした「愛」というファクターがポケモンに与える影響というものは理解していた。

 世界にはそれこそ、たった一匹のピカチュウが伝説のポケモンを倒したとか、ウリムーただ一匹で挑戦者をまとめて倒してのけたとかいう事例もあるのだ。

 とはいえそれは長い経験からくる努力の産物だ。……少なくともこの光景を見るまではそう思っていた。

 チュリはその領域に既に片足を踏み入れている。事実上、ランスに発破をかけてしまい彼を強くしたのがアキラであるとするなら、アキラを強くしたのは地獄のような四国の環境、ひいてはそれを作り出したランスということになる。皮肉なことだが、互いに互いを高め合う結果となっていた。

 

 

「怪物が……!!」

「怪物だって」

「ヂーヂッヂ」

 

 

 ――こんなちっぽけなポケモンを怪物と呼ぶか。

 おかしそうに、チュリはアキラの頭の上で小さく鳴いた。

 やがてぶちりぶちりと少しずつ糸が音を立て千切れ始める。アクジキングが暴れ始めたためだ。だが、既にここまでで数秒は時間をかせぐことができている。

 それはつまり、ギルが体勢を元に戻すには充分ということだ。

 

 

「ギル、やれ!」

「ギッガ、アアアアアアアァァッ!!」

「グアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 先の「アームハンマー」による強烈なダメージで血を吐きながらも、ギルはアクジキングの足先に手をかけた。

 糸が千切れかけている。ならばそれで構わない。どうせ近づいてからがギルにとっての本領だ。

 氷の床に叩きつけるようにして、引きずり「落とす」。こいつだけは必ず倒す――その意志のもと、その胸の奥に押し込めた凶暴性を全てこの一瞬に解き放つ。

 ――「ばかぢから」。

 

 

「ギイィィィラアアアアアアアァァアッッ!!」

 

 

 叩き潰し、押し込み、打ち砕く。

 闘技場そのものまでもを破砕し、徹底的に押し込むことで埋めるを通り越し――自滅覚悟で地上へと叩き落とす。

 

 

「『じしん』ッ!!」

「グァッ……!?」

「グウゥゥゥァアァアアァァァァッ!!」

 

 

 そして、地上に到達すると同時に、落下の勢いをそのまま上乗せした「じしん」の威力がアクジキングの全身を貫く。

 やがてアクジキングの姿が、ボールのセーフティ機能によってその場から消える。同時に、ギルの受ける反動も決して生半可なものではない。全身の外殻に罅が入り、メガシンカが解除されその場に倒れ込む。ほどなく、ギル自身もボールへと送還された。

 

 

「ま、さか」

 

 

 連戦と奇襲で体力も消耗しているだろうに、宣言通りに彼女らは単独でウルトラビーストを仕留めてのけた。その事実にランスは目を見開いた。

 強い強いとは感じていたが、ここまでのものとくればもはや規格外。

 

 

(――やはり、この少女だけは……サカキ様のもとへ行かせる前に消耗させるべきだ……!)

 

 

 理想は殺し切ること。しかし当初の奇襲ではそれが叶わなかった以上、なんとしてでも彼女を消耗させなければならない。

 ガスにしろ何にしろ、全てはアキラがサカキと戦う前に彼女を消耗させるためだ。しかし、消耗しているにも関わらず、その瞳は地獄の炎を映しているかのように紅に揺らめき、ランスを射抜いている。

 よもや、この一連の攻防は彼女を手負いの獣に変えてしまっただけではないのか。そうした思いがよぎるものの、ここで方針を変えるわけにはいかなかった。

 

 

「まだです……! ジバコイル! 『ほうでん』!」

「バリバリィ」

 

 

 ジバコイルは既にボールの外に出ている。アキラもチュリを出してはいるが、それは先の搦め手のための起用。ギルのように巨体で攻撃を防ぐことはできない。ならば「ほうでん」のような全方位攻撃を放てば、その威力を直接受けることになる。

 

 

「う、あぁっ!!」

 

 

 果たして、アキラはその一撃を受けてしまった。

 ランスとの接触を回避するためにも全力で駆け続けている疲労と元から受けていた傷によって体力を奪われたことで、「ほうでん」の僅かな余波を受けた程度のものではある。しかし普通の人間はたった0.1A(アンペア)の電流が流れた程度のことで死ぬ。身体能力が強化されていない状態の彼女にとって、これは致命傷と言っていい。

 勝った。その確信が脳裏によぎった時――――。

 

 

「パァァァァッッ!!」

「何っ!?」

「コイッ!!?」

 

 

 ジバコイルの全身を炎が包んだ。

 「かえんほうしゃ」、あるいは「だいもんじ」……いずれにせよその威力はジバコイルを一撃で沈めるほどのもの。

 どこから、という疑問が湧き出すと共にどうやって、という疑問が同時に吹き出す。

 全身を電撃に晒しておいて何とも無いなどということはありえないはずだ。――はずだったのだ。

 

 

「……侮った……な……」

 

 

 わずかに視線をずらせば、そこにはアキラが落としたらしきボール、それも既に開かれたものがあった。

 彼女自身も片膝をつき、片目の眼窩から煙が上がっている。しかし確かに生きている。しかしそれはおかしな話なのだ。文字通り地に足のついていない今の彼女が電気を流す先が無いのだから。

 

 

「どうやって……!?」

「……電気なら……食ってくれるからな……」

「ヂィ……」

「っ!」

 

 

 そんな中で示したのは、やはりこれもチュリだった。

 普段チュリがアキラの頭の上にいるのは、居心地もあるがそれ以上に彼女が電磁発勁をするのに際して出る余剰電力を食べるためでもある。元々、体内の気を操作して電気を操ることができるアキラだ。ある程度までならば肉体を通すことでチュリを言わばアース代わりとして電気を逃がすことができる。

 とはいえ、やはり電気を体の中に通していることからダメージは大きい。全身の筋肉が痙攣しているし、本来投げるべきボールも取り落とすような格好になってしまった。どちらにせよ外の状況を把握していたポケモン側――シャルトがそれを察して自ら外に飛び出たことで、カウンターに成功した。

 ジバコイルが受けたのは「だいもんじ」。特性「すりぬけ」によって砕けた床を潜航することで攻撃を的中させたのだった。

 

 

「ドラパルト……だと……!?」

 

 

 そして、それを為したシャルトは、彼らの知る姿から更に変じていた。

 ほんの少し前まで、それこそ海の魔物と戦うまでのことは、ランスも情報を収集して理解している。つまりシャルトは、その戦いを経てドロンチからドラパルトへと進化を遂げたということだ。

 

 

「……だが、私とて意地がある! 行きなさい、フーディン!」

「フゥゥ……!!」

 

 

 タイプ相性を考えても圧倒的不利な戦況だ。しかしランスが選んだのは抵抗だった。

 最後の最後で逃げの一手を打つために残していたフーディンも、攻撃のために運用する。全てはロケット団の勝利のために。

 

 

「狙いはヤツだけでいい! これで殺せ! 『サイコキネシス』ゥ!!」

「フッ! ――――ゥゥウウ!?」

 

 

 その時、フーディンの動きが突如として停止させられ(・・・・)た。

 ――タイムリミットだ。

 彼の頭にそんな声が響く。念動力の防壁すら突き破り直に届くほどのテレパシー、そのような強力な念力を扱えるポケモンなどただ一匹。

 

 

「デオキシス!」

▼△△△△(待たせたな)

「まったくだよ……」

 

 

 地上でタワー崩壊に合わせ、ロケット団員の拘束を行っていたデオキシスが仕事を終えてやってきたのだ。

 その瞳は無機質でありながらどこか腹立たしさを滲ませている。アキラと心が繋がっているデオキシスは、彼女が受けた苦痛を多少なりともフィードバックしてしまう。不快感は相当なものだった。

 

 

「だけど、これで……わたしたちの……勝ちだ」

 

 

 同時、レックウザがデンジュモクの巨体を引っ張って闘技場へと降り立つ。そのままべしりと床に叩きつけられたデンジュモクは力なく倒れ込み、ランスのボールへと戻っていった。

 どうだ、と言わんばかりにレックウザはアキラへ自慢げなかおをして見せたが、本人はそれどころではない。

 

 

「チュリ、デオキシス、拘束頼んだ……」

「ヂィ」

「▲△△」

 

 

 疲労と痛みでへたりこみながらそう指示し、ランスたちを念力で動けなくした後に糸で雁字搦めにする。そこでようやく彼女は緊張を解いた。

 疲れた。痛い。一眠りしたい。頭によぎる弱音を強引に捻じ伏せ、素肌が氷の床に貼り付いてしまう前にデオキシスの手を借りながら立ち上がる。

 

 

「……勝者の貴女がそのような格好で、私が事実上無傷ですか。まるで真逆ですね」

「わたしは……お前らを倒しに来たんだ。殺しに来たんじゃない」

「どちらにせよ同じことでしょう。この国の基準に照らし合わせても我々のしたことはテロリズム。死刑が妥当なところだ。死なせるために殺さないなど……」

「やかましい。わたしの勝手で殺せば……それはお前らと同じだ。お前たちは私怨で殺しはしない。法のもとで裁かれて――罪を償え」

「なんとまあ、甘いことを……」

「……だろうな。けど」

 

 

 だとしても、強くなったのはそのためだ。

 実力が拮抗していれば、ともすれば殺すしかない、死ぬしかないという状況に陥ることもありうる。

 だから「殺さない」ということを選択肢に上げるために、徹底的に鍛える。今アキラにできることが暴力であるからこそ、それを徹底的に突き詰める。自分以外の誰かが、更に新たな選択肢を上げてくれることも信じて。

 それは自分自身、人殺しになることを厭うということもあるが――そうなろうとした時に仲間たちが引き止めてくれたことを理解しているからだ。

 

 

「その甘い自分の方がいいって人たちがいるんだ。なら、わたしはこの自分を貫くだけだ」

 

 



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