空と海と最後のブルー (suzu.)
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第一部『黄昏の空』
00.リストラはいつも突然に


 

 オレンジの灯火が円卓の上に影を踊らせていた。

 仄暗い部屋には五つで一揃いの椅子と円卓。その上にゆらめく蝋燭の灯火が、ジジと音を立てて白い蝋を溶かした。

 部屋をぐるりと囲んだ20枚もの肖像画が、薄暗い闇の向こうから一様にこちらを見下ろしている。彼らは私を責めたりしなかった。当たり前だ、彼らが口を開くことなどないし、息遣いさえ立てることもできやしない。

 その静寂に耐え切れず思わずふるりと体を震わせると、金属の擦れる小さな音が部屋に響いた。意識をすると途端に手首に重さを感じる。冷たい。なんて無機質なのだろう。零れそうになる溜息を飲み込んで、視線を正面へと据えた。

 正面の円卓を囲む五つの黒影は身動きもせず、こちらを見ようともしない。いい度胸だ。そう心中でひっそりと零し、淡々と口上を述べる。

「テミス、只今参上しました」

 コツン。床を叩く鋭い音。老齢の男性が手に持つ杖。

「弁解があるなら聞こう」

「なにも」

 即答すると、皺のだらけの老人の顔に増える線。それを無感情な瞳の奥で、こっそり愉悦を浮かべて楽しむ。ざまあ。

「それは、罪を認めるということだな」

「おっしゃる意味が分かりません。私は何か罪を犯しましたか?」

「牢に繋いでおいた甲斐がなかったかの」

「ならばこれも外して頂きたいですね」

 そう言って、手を目線の高さまで掲げて見せる。ジャラリ、と鎖が音を立てて主張した。両手の自由を拘束する冷たい金属。そんな物に意味がないことは彼らも分かっているだろうけど、体裁は大切だから仕方ない。

 ジャラジャラと存在を主張する鎖を見せびらかすが、誰もぴくりとも反応しない。いつもながら冗談の通じない人たちだ。

 肩を竦めて大人しく手を降ろすと、奥に座る大振りの刀を持った老人が「テミス――」と、私の名を呼んだ。

「昨日のことだ。海賊王の処刑が行われたのは」

「へぇ、そうですか……」

 とっくに分かっていた結果、動揺を表に出すようなヘマはしない。ただ少し、胸の奥のどこかが痛むような気がした。そう、それだけ。

「で――、私の処遇はどのようになさるおつもりで?」

「フム、あくまであの男の死に感情は無いと言い張るのだな」

「珍しいこともあるものですね。私を前に感情という次元の話を持ち出すなんて。ふふ、なんて珍妙なことでしょうか」

 笑みも浮かべず笑ってみせる。張りつめた場を切り裂く声色は柔らかく、けれど温かみの欠片もなければ、嘲りも侮蔑も孕んではいない。ただ無機質にしんと空気にとけてゆく。

 

 いくばくかの沈黙が続いた後、よかろう――と首に傷のある男が静かに口を開いた。

「お前のこれまでの功績に敬意を払い、今回の件を罪に問うことはしないでおこう」

「ありがたきお言葉」優雅に一礼。 

「ただし、役目を疎かにした責任からは逃れられん」頭上に降り注ぐ力強い声。

 ゆっくりと半ばまで面を上げ、下から男の眼を射抜く。

 

 ととん。

 男の指が円卓の上を叩く音。

 下される審判。

 逃れられない業。

 

「政府官僚の身でありながら、海賊王に接触しつつも、捕らえることもまた海軍に報告することもせず黙認した行為。そして、あまつさえそれを是とし、海賊王の船に居座り続けた行為。これらは明らかに義務違反である」

 淡々と告げられる事実。弁解などあるはずがない。この行為を何と呼ぶかなんて自分が一番よく分かっている。

「よって、称号を剥奪したうえで、無期限の謹慎処分とする」

「……謹んで、お受けいたしましょう」

 深く、深く頭を下げそっと瞼を閉じる。

 粛然と下された制裁。応じた声が震えなかったのは意地かプライドか。いや、そんなものは生憎持ち合わせてなどいない。俯いた頬に髪がすべり落ちるのを感じながら、歯をギリとかみ締める。

 

 

『――お前に存在意義をやろう』

 

 

 頭に懐かしい声が響いた気がした。それは決して色褪せることのない大切な記録だったが、今この瞬間にとっては地獄の使者の呼び声よりも恐ろしく、肉体の芯までぞっと凍えさせた。

 

 顔は上げられなかった。

 正面にいる暖かな肉体を纏った老人たちのためではない。そのさらに奥。20枚の肖像画――その始まりの1枚である男の視線に堪えられなかったからだ。彼は私を責めたりはしなかった。その代わりただ黙って見下してくる。それだけでさえ身体を奥から燻り焼かれるような苦痛だった。

 私は自分の行為を何と呼ぶのか知っている。裏切りよりもなお業の深い行為だ。罪よりもなお救いようのない行為ともいえる。

 

 

 そう――、不忠だ。

 

 

 



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01.今日からニート、いいえ産休です

 

 遥か頭上でカモメが鳴いている。

 ちゃぷ、ちゃぷ、と一定のリズムで波止場に寄せる波が白い飛沫となって飛び散る。その度に潮の香りが胸を擽った。

 

 空はどこまでも澄んでいて、海はどこまでも深い。

 

 そんな普遍的ともいえる青色の中にさえ、様々な色が混じり合い、その色合いは刻一刻と姿を変えていく。

 今見る景色はこの瞬間だけのもので、この先どんなに同じ処で待っていても、二度と同じ景色を見ることはできやしない。そう言ったのは、どこの誰だったか。

 退役し老いた軍人の言葉だった気もするし、どこぞの寂れた酒場で、ゲロ吐き散らしていた酔っ払いの言葉だったかもしれない。

 どこの誰が言った言葉でも、結局は同じことだ。忘れてしまえば全てが無意味だし、逆に内容さえ覚えていれば好きなように解釈できる。

 要は、その言葉を聞いた時の私は、何も考えずに聞き流しただけなのだ。そんな言葉が吐けるのは、老い先短い人間の特権だと思っていた。人生は一度きりなんて、そんな当たり前のことを振りかざして、まだ見ぬ世界の果てに夢を追い求める馬鹿の言葉だと、そう思っていた。

 だから……。だから、どうってことも無いのだけれど。

 

 ぱしゃり、と白い飛沫を上げる波を蹴とばす。

 たくし上げたズボンの裾が濡れるのも構わず、二度三度続けて水音を立てた。素足に掛かる海の水は冷たく心地よかった。

 いっそのこと、着の身着のままで、海の中へ飛び込んでしまいたいぐらいだ。そのまま海流に身を任せて、どこまでも流されてしまおうか。なんて、冗談みたいなただの気の迷いだけど。

 そんな限りなく本気に近い雑念を巡らせながら、幼い子どものような仕草で海上をぼんやりと眺めていると、ふと日が陰っているのに気が付いた。いや、日を遮っている影が私の上に落ちていた。

 呆然と見上げると、逆光の中の黒い影が私に声を落とす。

「ずいぶん不機嫌そうだな」

「ほっとけ」

 海に視線を戻して、そっけなく答える。

 私の軽口に安心したのか、相手は僅かに苦笑すると、何も言わずにどかりと私の横に座り込んだ。

 私よりずっと大きな体が並ぶ。

 袖を通さず羽織っただけの白いコートの裾が、海風にパタパタとそよいでいるのを視界の端に捉えながら、私は先に口を開いた。

「よくここが分かったな、ガープ」

 海軍本部中将――モンキー・D・ガープ。

 もう十分いい歳したオッサンの癖に、やることなすこと自由奔放で破天荒な海軍のエース。

 役所違いもいいとこなのに、ひょんなことで知り合ってから何かと腐れ縁が続いている既知だ。

 思っていたよりも、普段通りの声が出たことにほっとしていると、隣に座ったガープが私と同じように海を眺めたまま憮然とした口調で言った。

「何かある度に、お前がここで海を眺めとることくらい知っとるわ」

「え……、マジ?」

 思わずばっと横を振り向いて見上げる。

「マジじゃ」

 息が止まるかと思った。

 じゃあ、今までのアレやコレや、あんなみっともない姿なんかも、実は全てお見通しで、そっと背後から暖かく見守られていたというのか……。

 

 何それ、死にたい。

 

「お前がそういう反応すると思ったから黙っとったんじゃ」

 地を這うようなうめき声を上げながら、頭を抱えて悶える姿をそっと横目で見下ろして、ガープは言った。

「なまぬるっ! 生ぬるいんだよあんたの視線は! あたしはあんたの娘じゃねぇッつーの」

「んなこと知らんわ!」

 今まで晒していた醜態を思うと、いたたまれなさで死にたくなるが、よく考えたら今更だった気もする。それに、先ほどまでの陰鬱とした気分が和らいでいるのに気付いた。敵わないなと思うのはこういう時だ。

「……取り乱して悪かった」

 それこそ今更じゃろと笑われたが、悔しかったので聞かなかったことにする。

 素足のまま投げ出した足で胡坐を組むと、今度は手を後ろについて空を見上げた。

 クー、と遠くでカモメが鳴いている。気持ちよさそうに風を切っていた。

「センゴクから聞いた。無期限の謹慎だそうだな」

 水平線の向こうを見据えたままのガープが静かに言った。

 回りくどいのは似合わない男だ。しかし人一倍、情に厚い男であることも知っている。私のところなんかに来ている場合ではないだろうとは思うが、それがお節介でないのが少し悔しい。

「聞いたとおりだよ。無期限の謹慎だなんて要は懲戒免職という名のリストラ。いや、リストラより性質が悪いな」

 目の届くところに置いておきたいから謹慎。いざという時は謹慎を解いて都合の良いように使うだけ。手放すには惜しいってことか。

 そこは誇るべきか、憤るべきか……。

「いっそのこと、インペルダウンに送られた方がマシだったな」

「馬鹿なことを言うな。お前は何も罪など犯しとらん」

「でも、裏切り者だ」

 軽く言った私の言葉にガープの纏う空気が凍るのを感じた。

 それに構わず私は続ける。何となく、言葉を続けたくなった。

「あんたは英雄だけど、私は裏切り者なんだよ」

 言ってから、少しだけ後悔した。

 少しだけして、それだけだった。

 自分で思っている以上に堪えていたらしい。許されると分かっているからこその、意地の悪い言葉。これくらいの甘えは笑って飛ばされると思っていたのに。

「悪い。ンな顔すんなよな、ちょっと八つ当たりしただけだ」

 見なくとも分かる。眉間に皺を寄せて堪えるようにかみ締めている顔を、振り向くことはできなかった。

 よりにもよって、英雄の称号を引き合いに出すなんて、私もどうかしてる。それがこの男にとって、決して誇るべきことでないのは、分かっていたはずなのに。

 バツの悪さを抱えて、重くなった空気に自然と視線が落ちる。

「これから、どうするつもりだ?」

 ガープの固い声が沈黙を破る。

「考えてない」

 ぽつりと呟いた言葉は、どこへも届かず目の前の海に落ちていった。

 それが無性に閉塞感を生み、どこまでも続くはずの海と空を前にして、私の矮小さをさらけ出しているようだった。

 謹慎つーってもさぁ、と何でもないように紡いだ言葉は思ったよりも気だるげで、それでも話し出した言葉を止める訳にもいかず、私は吐き出すしかなかった。

「年に一回、定期報告に行かなきゃなんないけど、別に監視がある訳じゃないし、好きにできるといえば好きにできるよ」

 淡々と紡ぐ言葉は、隣の男にはどう捉えられているのだろう。

「だけど、私はどこへも行けない」

 あっさりと断言した言葉は、やはりどこへも響かなかった。

「私は海を渡るための翼を持たないから。籠の中でしか生きられないから」

 遠くでカモメの声が聞こえる。

 見上げれば小さくも白い姿。あの空の青にも海の青にも、決して染まらない孤独を抱えながらも、何物にも染まらない白さが眩しかった。

「あんたのように渡り鳥にはなれないよ。小鳥は加護がなければ生きられない」

「お前はそんな貧弱じゃなかろうが」

 ガープのくぐもった声がこぼれた。

 それがどうにも可笑しくて、くくく、と咽喉を鳴らして笑った。笑ってから、さっぱりとした空しさが押し寄せてきた。

「弱いさ。過去がなければ生きられない。意味を……、意義を与えられなければ私は存在する価値がないんだよ」

 分かっていたことだった。とうに認めたことだった。私は人とは違うのだと。

「あんたにはきっと分かんないよ」

 生きてる世界が違うから。そう言って静かに嗤うと、

「分かるわけないじゃろッ!」

 と、ガープが急に色を変えた。

「お前はいつもそうじゃ。何も言わんと黙ったまま勝手に抱え込んで、全部終わった後に自分はこうだからと碌に笑えもせんくせに、嗤ってみせる!」

「ッ――!! ンな勝手なこと!!」

 思わず立ち上がって、ガープの胸ぐらを引き寄せるように掴む。

 そんなことで、海軍のエースたる男の巨体が、揺らぐことなどありえなかったが、それでもそうせずにはいられなかった。なのに、言葉の続きは出てこなかった。

 ほら見たことか、とでも言いたげなガープの眼を睨みあげると、出てこない言葉の代わりにギリッと奥歯でかみ締める。

「何が勝手だ、その通りじゃろうが! あの男のようにお前を分かってやれるものなど、この世にふたりとしておらん。そしてあの男も死んだ。お前はまたそうやって次を待っとるだけか!」

「…………」

 憤りを隠そうともしないガープの気迫は、凄まじかった。

 返す言葉はなかったが、自分から視線を外すことは負けを認めるようでできなかった。私が掴んだ手もそのままで、それ以上の言葉失くして互いに睨み合う。

 言わなければ分からないと言ったのは、誰だったか。言わなければ伝わらないと聞いたのは、いつのことだったか。結局覚えていないのは聞き流していたからか。記憶と記録がごっちゃになって、過去の輪郭が曖昧に滲んでいる。忘れるはずなんてないのに、どんどん大切なことが抜け落ちていくような気がする。

 もし、もしも、あの方の言葉さえ忘れてしまったら、私はどうなってしまうのだろう。

「次なんて知らない……。そんなこと、どうだって良いんだ。次なんて不確定な未来に興味はないんだよ。私にとって大切なのは過去だ。それの……、何がいけないっていうんだよ」

 絞り出した声は震えていた。みっともなく震えていた。

 どうしてこんなに、私は弱くなってしまったのだろう。

 昔はたった一つ信じていれば、それだけで何を失っても気にも留めなかったのに。そう、たった一つさえ。

 

『――お前に存在意義をやろう』

 頭に響く、何よりも大切な私の始まりの記憶。

 今はまだ鮮やかに覚えている。決して色褪せることなどないと、そう信じている。だけど、それも今では、どうして永遠を信じ続けることなどできるだろうか。

 

「過去に縋って生きて……、何になる。たとえ全て失ったとしても、未来が残っとるじゃろうが。不確定なんぞ言い換えれば可能性になる」

 掴まれた胸元を振り払いもせず、怒りを湛えた静かな眼で私を見下ろす。

 同じように、静かな声で私も言い返した。

「未来なんてパンドラの箱と同じだよ。絶望も希望も何もかも一緒に入ってる。それに縋って開けるのは愚かな人間のすることだ」

「それでも希望は残されとる」

「希望に終わりはあるが、絶望に終わりはない。終わりを持つ者が希望を語るなッ!」

「…………」

 今度はガープが黙る番だった。

 しかし、視線を先に外したのは私だった。

「もう、やめよう」

 掴んでいた手も離し、すとんと元のように座り込む。足は波止場の縁に投げ出して飛沫を上げる海の中へ放り込む。じゃぽんと軽快な音を立てる波柱を上げたのを見て、そのまま子どものようにじゃぱじゃぱ足をバタつかせた。

「わしでは、何を言っても無駄なようじゃな」

 皺になった胸元を直すと、ガープも海の方へと視線を戻した。

 その視線の先はいつも水平線の向こうだ。目の前の海を見ているようで、その海のずっと先を見ている。これだから船乗りは、と苦々しく思う。

 

 海は嫌いだ。

 空も嫌いだ。

 

 どちらも私を拒むものでしかない。なのに、この世界は海と空ばかり。

 たった一つ、赤い土でできた大陸は、己の尾を飲み込む蛇のごとく輪を描いてはいるが、それも険しい山に阻まれ、自由に行き来することは難しい。世界のなんと狭いことか。

 だからこそ、海へ、その先へと、帆を張り風を味方につけ、意気揚々と青い世界へと出ていく男たちの気持ちが分からないわけではない。

 私だって本当は、世界がもっと広いことを知っている。私だって見たかったのだ。世界の果てを。

 でも私は白服じゃない。黒服だ。

 それこそ、アイツの船にでも乗らなければ、私は碌に海を渡ることもできなかった。

「なぁ、ガープ。どこへも行けないと言ったけど、本当はどこへだって行けることはもう教えられたんだ。だから、もうそれで十分なんだよ。もう、どこにも行かない」

 白波を足でかき消しながらそう言った。

 昏い靑を湛える海の底を覗き込んではいけない。

 ゆっくりと瞼を閉じ、その裏に燦々とした太陽の光を感じると、私は深く、深く息をはいてぽつりと呟く。

「もう満足しちゃった」

「嘘じゃ」

「嘘じゃねーよ」

 まるで予め決められていたセリフのように、リズミカルに言い合うと、くすくすと笑ってみせる。それから、なぁ、とようやく私は粛として尋ねた。

「アイツ、どんな最期だった?」

「最悪の一言に尽きる」

 ガープはげっそりとした溜息をつきながら迷わず言い捨てた。

「世界中を掻き回していきよったわ」

 一瞬、言われた意味が分からなくてきょとんとする。

 それからあの男の顔を思いだし、何となく予想がついてしまった。そしてその予想は、大して外れてはいなかった。

「あッははは! あの野郎マジ張ったおすッ!」

「笑いごとじゃありゃせんわ!」

 爆笑する私に怒鳴るガープ。

 予想が外れていなかったとしたら、あの男がどんな爆弾発言をかましてこの世を去ったのか、実に気になるところだ。

 あの男が残した言葉だ。きっとどんな言葉であっても、これからの時代は荒れることになるだろう。

 ああ、本当に何て奴! 私の役目を一体なんだと思っていたのだろうか。

「あはッ! もーマジ死ねばいいと思う!」

「笑いながらキレるな。器用すぎて不気味でしかないぞ」

 だんだんガープの視線が冷たくなってきたので、なんとかひーひー言いながらも息を整える。

 眼尻に涙が浮かんでいたのを指で拭って、視界をクリアにすると、ガープのこめかみに青筋がひとつ浮いているのが見えた。

 少し笑いすぎたかもしれない。

「ま、まぁ。アイツらしいっていやアイツらしいケドさ、人の仕事増やすとかホントあり得ないよね~。って、あたし今職なしだったわ。がんばってねガープ中将!」

 なんとかフォローしようとしたのだが、どうにもフォローになっていなかったらしい。青筋がふたつに増えてしまった。

 これ以上無駄口を叩くのはやめておこう。身の危険を感じる。

 無理やり押し黙った私に、ガープが平常を装った声で言った。

「テミス。ロジャーからお前に伝言をあずかっとる」

「伝言……?」

 ぞわりと肌が粟立ち、のどの奥がヒクついた。

 あの男からの伝言。この世の全てを見に行った、悪名高き海賊からの伝言――。

 それは私にとって歴史に残されたどんな言葉よりも最悪の一言に尽き、世界中を掻き回すよりもなお性質悪く、私の過去も未来もひとつに繋いで振り回した言葉。もとい最後の爆弾投下だった。

 

「俺のガキを頼む。だ、そうだ」

「…………は?」

 

 今度こそ思考停止。

 頭の中でERRORの文字が踊っている。

 

「お前が守れ、とも言っとったぞ」

「は、はぁああああ?!」

 顎が外れるかと思うくらい、ぽっかりと口を開けて、ガープの顔を見上げる。

 そんな私の顔を見たガープが、先ほどの私のように腹を抱えて笑い出した。

「ぶわっはっはっはっ! お前もあの男に振り回されりゃいいんじゃ! お前だけ好きに隠居などさせんぞ! 堕ちる時は一緒だ! わっはっはっはっ!」

「えぇええ? ちょっと、何言っちゃってんのぉおガープさん!」

 クソッ、このおっさん大人げねぇ! 知ってたけどなッ!!

 地団駄を踏んで盛大なツッコミを入れるけれど、こうなったガープは誰も止められない。

 豪快に爆笑してくれるおっさんを前に、はやくも諦めの境地が訪れそうになったが、ここで粘らねば何かを失いそうだ。

「いや、ていうかさ。アイツにガキなんていたの? え、ドッキリじゃなくって?」

「残念じゃがな。今その子どもを探している。お前が育てろ」

 ひくり、と頬が痙攣するのを感じた。

「む……、」

「む?」

 歪んだ口端から、零れ落ちた言葉をガープが拾い上げると、引き攣ったままの顔で泣きの入った絶叫を迸らせた。

 

「無茶ゆーなばかぁああ!!」

 

 心なしか、波に反響して海の向こうまで飛んでいった気がするが、勿論ただの気のせいで、実際にははた迷惑な喚き声でしかなかった。

 遥か頭上では、クー、クカー、と平和そうな鳴き声が聞こえる。波止場に寄せるさざ波が余韻に静けさを添えていた。

 空に海に叫んだまま、得も言わぬ虚しさをかみ締めて立ち尽くしていると、ばさばさと羽音をさせて一羽のカモメが降りて私の肩に止まった。カモメはクカーとひと鳴きするやいなや、私の頭を小突きだした。

「あだっ、あだだだっ。ちょ、やめてマジで。すんません、うるさくしてすんませんッ」

 手を振り回しながらカモメと格闘する私を、ガープは生暖かい眼差しで見守っていた。

「ちょ、ヤメ! その眼ムカつく! つーか、助けて下さい中将ぉおお!」

 そこでようやく、ガープがしっしと片手でカモメを追い払った。

 突然の来襲から解放された私は、上体から崩れ落ちるように地面に膝と手をついて項垂れる。

 ちくしょー、あのカモメいつか焼き鳥にして喰ってやる。

 どうでもいい報復を心に誓って、はたと本題を思いだして青ざめた。思い出したところで、すかさずガープが止めを刺す。

「お前に拒否権はないぞ。断るなら重りをつけたままグランドラインのど真ん中に沈めて、お前のアレやコレや、あんなみっともないことを全部暴露してやるから覚悟せい」

「ナニそれ鬼畜! ってか犯罪だから! 後半特にやっちゃらめぇええ!!」

 涙目で頭を抱えて叫哭する私をよそに、ガープは大変イイ笑顔で輝いていた。

 なんだか視界が遠くてぼやけている。

 そうだ、インペルダウンに行こう。

 ピクニックに行くかのような軽さで、完全に現実逃避としか言いようのない逃亡を思い立つが、沈められる場所が海か牢かに代わったところで、そんな些細な問題は気にせずにガープは嬉々として赤裸々に、私のアレやコレやあんなみっともない姿を酒の肴にしてみせるだろう。

 いや、今でも十分醜態を晒しているのだけれど。

 

 というか子ども。よりにもよって子育てときたものだ。

 ここまで明らかな人選ミスもない。自分だって向いてないことぐらい分かる。

 いや、別に子ども嫌いという訳ではない。しかし、これは子どもがどうという問題ではないのだ。子どもではなく子犬だとしても同じ。つまりは、

「こ、子どもどころか子犬、いや小鳥にさえ懐かれたことがないってのにぃい」

「相変わらず、不憫な人生を送っとるな」

 だと思うのなら、巻き込まないでくださいと言う気力は残されていなかった。

 そりゃ、これから自由に動こうと思えば自由に動ける。監視もないのだから、犯罪に手を染めようが何しようが、バレなければ問題ない。

 それは勿論、バレなければというのが前提の話であり、もしバレれば今度こそ酌量の余地はない。

 くらり、と今度は視界が歪んだ。

「が、ガープ……、あんたそれ本気で言ってるんだよな。どういう意味か分かってるんだよな」

「本気も本気、大真面目じゃ」

 歴戦の英雄の眼は、波紋ひとつ立たず静かだった。

 先ほどまでの言動に反し、あまりにも静かで、それが確かに覚悟を決めて、私の元を訪れたのだということを如実に表していた。

 どうしてあんたが。そう戦慄さえ覚えるほど、ガープの決意は崩れそうにはなかった。

 私に譲れないものがあるように、この男にも信念があるのだということを思い知らされる。私の掲げる正義と、この男の掲げる正義は、どうしてこうも違うのだろうか、と。

 それは決して白服と黒服という違いだからではない。それこそ、生きている世界が違うのだと囁かれているようだった。

「生き残れると思ってるのか?」

「そのために守るんじゃろうが。お前と、わしで」

 あ、そこは手伝ってくれるんだ。と思ったが、そんな一筋の光明はこの際あまり意味がないことに気付く。

 待て私、騙されるな。

「お前は1年以上拘束されとったから知らんかもしれんが、ロジャーは一味を解散してから南の海(サウスブルー)のバテリラという街で女と暮らしとる姿を目撃されとる」

「へ、へぇー。あの男がねぇ……」

 思いもよらない事実に、衝撃というより呆然としてしまう。どこか感慨深くさえもある。

 所詮は人の子。海賊王という烙印を押されたとはいえ、人並みの幸せを求めなかった訳ではなかったのか。そう思うと、あの男が何を感じ、何を望んで最期を迎えたのか、余計に分からなくなってしまう。

 何だか狐につままれた気分だ。

「この情報はまだ上にはいっとらんが、それも時間の問題だ。今政府はロジャー海賊団に関わる者全員を犯罪者として捕えようと動いておる」

 先回りして、その女と子どもを見つけなければ手が出せなくなる、ということか。

 無茶ぶりも良いところだ。たとえ無事に見つけ出し、表の世に隠し育てることができたとしても、大人になったその子どもをどうするというのだ。市井に紛れて暮らさせ一生を終えさせるのか。それこそあの男の血を受け継ぐ子どもなぞ、何をしでかすか分かったものではないのに。

 なにより、そんな血を受け継いだ子どもを、私に、この私に教育させようだなんて狂気の沙汰としか思えない。政府の黒犬たるこの私に、だ。

「言っておくが、私は私でしか成りえないぞ。それでも私に赤子を育てろというのか」

「ロジャーがお前に託すと言うんだ。それで間違いはないんじゃろ」

 当然のごとく紡がれた言葉に絶句する。

 

 ああ、――どうして。

 

 あの男に出遭ったのは、偶然と言う名の事故だと思っていた。

 記憶を抹消したいほど不本意な事故の結果だ。なのにどうして、こいつらは同じことを言うのだろう。当たり前の顔をして「間違いはない」なんて言ってのけるのだろうか。

 なんてひどい。身もふたもなく喚いて泣き出してしまいたい衝動に駆られるほど、本当にひどい言葉だと思った。

 だけど、いくらごまかしても、確かに私は自分で道を選んだのだから、彼らをなじるのはお門違いだ。そう、私はいつだって差し出された手を自分の意思で掴んだのだ。全て自業自得。これも求めたものに対する報いなのかもしれない。

 

『生きるも死ぬも、すべては己の望むまま』

 パキン、と何かが割れる音がした。

(あ……、)

 脳裏に横切った記憶には覚えがなかった。でも、その声は私のよく知る人の声だった。

『過去はいつでもお前を見ている。いつだって振り返ればお前の歩んだ道がある』

 パキ、パキン。と殻が剥がれ、ほんの少しだけ中身を覗かせる。しかしそれで十分だった。とん、と背中を押された気がした。と同時に、ふっと肩の力が抜ける。

 

 なんだ。答えは始めから私の中にあったのか。

「――分かった。その伝言、受けるよ」

 気が付けば言葉はするりと口をついて出ていた。

 こんなに自分の中が、波紋ひとつ立たずに澄んでいるなんて、ずいぶん久しぶりだった。鏡面のようにしんと静まり返っている。そのくせあと一滴でも落とされれば、溢れ出してしまいそうだった。

 いいだろう、我々は共犯者だ。

 乗りかかった船には沈むまで付き合うだけ。どこへ向かって進路を取っているかは風だけが知っている。それでいい、舵なんて必要ないから。

「何だガープ、意外そうな顔だな」

 静かに笑ってみせた私の言葉に、何とも言えない顔でガープは固まっている。

「いや、正直お前は子どものことなど切り捨てると思っとった。どこへも行かないと言うお前に、この伝言を聞かせても決心は揺らがんだろうとな」

 あんたが無理にでも言わせたんだろうが、とは内心思ったが、苦笑を零すだけにしておく。

 きっと、この伝言があの男からでなければ、私は子どものことなど気にも留めなかった。

 私にとって大切なことは一つだけだ。たった一人だけだった。でも、二人目を見つけてしまったのだから、大切なことが二つに増えても仕方ない。たとえそれらが、決して相容れないものだとしても、手放すことは出来なかった。

「きっと私はいつまでも未来に夢見る人間にはなれない。これからも過去に縋って生きていくんだろうさ」

 誰がなんと言おうと、臆病に嗤って、卑屈に哂ってやる。

 そうやって今まで歩んできた。矛盾と言うバグを抱えながら生きてきたんだ。今更そのバグが、一つ二つ増えたところで変わらない。

 吹っ切れたように、けらけらと笑ってみせると、

「おいていかれるのは慣れている」と、

 そう言って、淡い微笑はそのままにひしと男の眼を見据えた。

 

 老いて、逝かれるのは。

 

「テミス、」男の静かな声が響いた。

 その声色はまるで悼むように聞こえた。私は黙って首をふる。

「誰も死ぬまでは幸福でない」

 だが、人は言う。生きる限り希望を持つことができると。

「今日この日を忘れるなガープ、我々は共犯者であって共謀者ではない」

 そう、我々三人、立場は違えど、一つの未来を求めた共犯者だ。

「――賽は投げられた」

 流されるわけじゃない。約束した、ただ歴史に流されるのはもうやめにすると。だから、後は覚悟を決めるだけで良かったのだ。全てを失う覚悟を。

 私の告白を、そして懺悔を黙って聞いていたガープは、首を振るようにして重い息をはきだすと、苦々しく呟いた。

「わしはお前に取り返しのつかないことをしたのかもしれん」

「そんなの、今更だろ」

 へらり、と笑って強がってみせる。

 怖い訳じゃない、誰だって何かを失うのは怖い。

 いつか時が来たとき、私は耐えられるだろうか。全てを失って私は私でいられるだろうか。分からない。分からないけれど、始まってもいないことを恐れるのはもうやめよう。終わりがこないのなら、いつまでも足掻くしかないのだから。

 重苦しい空気を払拭するように、手足を思いっきり伸ばし気持ちよく伸びをすると、ぱたりと大の字に寝っ転がった。

 なんだか今日はこんな空気の繰り返しばかりだ。とてもじゃないが似合わない。よりにもよって相手があのガープなんだから。慣れないことをして疲れた。

 空にはカモメが浮いている。

 美味しそうだと思った私は、決して悪くないはずだ。

「あー、そうそう。どこへも行きたくないことは事実だけどね。あんたも私の体質は知ってるだろ?」

 体質というか、この場合、性質に近いのだけれど。

 行儀悪く寝たまま、視線だけでガープを見上げると、逆光が眩しかった。

 暗に子育てはしても良いが、再び船に乗り続ける気はないと告げると、ガープはしれっと肯定した。

「不幸体質のことならよく分かっとる」

「その言い方はヤメロ!」

 思わず叫ぶと、やや呆れた声が降ってくる。

「似たようなものだろうが」

 どこが! とは思うものの、全く身に覚えがないとは言えないので、うぐぐと声にならない主張を洩らす。

 そうこうしているうちに、ガープは悪びれもせずに、身に覚えの数々を並べたてだした。

「海を渡れば十中八九の割合で乗っている船が沈没し、海を泳げば泳げるのに溺れ、山を歩けば遭難する。生物という生物には嫌われ襲われ、あげくの果てには、何もない所で転ぶのが趣味ときたもんじゃ」

「趣味じゃねぇよ! 不可抗力だ!」

 バシバシと地面を叩いて抗議する。それも最後の部分だけしか訂正できないのが悲しい事実だ。

 いつだったか誰かに、呪われた不幸体質と揶揄された覚えがある。もちろん爆笑というオマケ付きで。

「よくそれで役人なんぞやってられるな」

「外に出なけりゃ被害は少ないから良いんだよ!」

「なるほど、それでいつもは引きこもっとるのか。お前の周りに及ぼす被害は天災と変わらんからな」

「もうマジで、ほっとけよぉッ!」

 いい加減、コンプレックスを刺激するのはやめてほしい。涙腺が緩んできた。

 しかし大人げない男は、容赦という言葉を知らなかった。

「子どもが無事に育つといいな」

「それこそあたしが知るかっ!」

 だから最初から言ってるじゃん。人選ミスだって……。

 いい加減もう憤る気力もないが、いつまでも生ぬるい表情で地面に懐いている訳にはいかない。ふふ、と虚ろに嗤い声を洩らしてゆらりと立ち上がる。

 こうなったら、何がなんでも立派に育てて、見返してやろうじゃないか。

 

 リストラされて、晴れてニート。

 なので、ちょっと子育てしようと思います。

 

「あ、あは、あははっ……。産休だと思ってやんよッ」

 今にも溢れそうな涙もそのままに、仁王立ちして天に向かってポーズを決める私は、さぞかし頭の痛い子だろう。

 こういうことをするから、ガープに恥ずかしい話のネタが増えていくのだとは分かっていても、やらずにはいられなかった。

 今夜はヤケ酒しよう。酒と焼き鳥があれば満足だ。いつもは私の酒に付き合うのを嫌がるガープも、今日ばかりは逃がさん。

 はた迷惑な決意を終えると、私はがしりとガープの足元をホールドした。ぬるい笑みを浮かべて見上げる。今自分がどんな顔をしているかは考えたくない。

 何を感じたのか、ガープが私を引きはがそうと仰け反る。

 だが、そうやすやすと逃がしてたまるものか。堕ちる時は一緒、そう言ったのはこの男だ。

 冷や汗さえ浮かべて青くなるガープをうっすらと嗤いながら、私は地を這うような声色で言った。

「つーかなぁ、あたしを外に連れ出すならあんたの船に乗っけろよ」

 英雄が絶句した。

 こいつ馬鹿だろ。馬鹿なんだな。

「ふ、ふははは。南の海に着くまでに生き残れると良いなぁ。あんたもあんたの大事な部隊もな!」

「ちょ、ちょっと待てテミス。お前は政府専用の船で……」

「英雄の船に乗れるなんて感激だなぁ、ふははは! 後で酒に付き合えよガープ!」

「待て、待たんかテミスー!」

 悪役もかくや、という見事な高笑いを上げながら裸足で走り去る私に、港のカモメたちが群がって来たのは、一体何がいけなかったのか。

 必死でカモメを振り切ったころには、背後に受けていたガープの声は聞こえなくなっていた。

 

 

 

 再びこの街を、《聖地》マリージョアを出る時が来た。

 これもあんたの思惑通りだったんだろうか。

 今やいくら問いかけても、応えが返ってくることはない。あの男は死んだのだ。

「やっと見つけたと思ったのに。お前で二人目だったんだ。あたしの声を聞くことができたのは……。そうだろ、――ゴール・D・ロジャー」

 もう二度と会うこともなければ、共に語り合うこともない。

 だけど、彼が残した『今』はずっと先まで続いている。

 

 さぁ――、未来を見に行こうか。

 

 

 

 



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02.この世で最も偉大なのは母ちゃんだ

 

 空は美しい夕焼け色に染まり、街にひしめく白い建物を色鮮やかに照らしていた。

 大通りを道行く人々の顔でさえ斜陽が赤く差し、その陰影を深く浮彫にしている。その顔にはどれも緊張に疲れ果てたような、怯えることに諦めたような、そんなくたびれた色を濃く滲ませていた。

 人通りは多くない。むしろ閑散としている。

 口を固く閉ざし足早に過ぎ去る住人達。誰とも目を合わそうとしない。夕暮れ時だというのに家へ帰るはずんだ子供の声もなければ、酒場へ繰り出す算段をつける大人たちのにぎわいも、郷愁をさそうカラスの鳴き声ひとつない。

 赤く染まった街と、虚ろな表情の住人。まるでよくできた絵画を覗き込んでいるようであった。

 鮮烈なのに、どこか現実味に欠けた、寂しげな空虚を漂わせて……。

 

 大通りへと通じる路地裏を歩きながら、私は微かな足音を聞き分ける。

 大通りを颯爽と歩く人間たち。硬いブーツをこすり付けるように歩く特徴的な音。6人、いや8人もいる。そこの角を曲がった先から歩いてくる。

 さっと頭から被っているフードを目深く引き下げ、くるりとUターンすると目先の脇道にごく自然な動作で入った。そのまま住宅の並ぶ細い裏道を、足取り迷うことなくクネクネと曲がり続け、ようやく街の外れまで来た頃には夕焼けは半分以上沈み、鮮烈な赤い光はやわいオレンジへと色を変えていた。

 誰に見られることもないように注意しながら、街を抜け出しそのまま入り江へと向かう。

 小さな入り江には船艦の姿もなく、ただポツリと沈みゆく太陽に照らされて、ヤシの木が細長い影を伸ばしている。その影に寄り添うようにして、その家はあった。

 一階建ての平屋であるそれは、なんてことのない平凡な造りだ。

 入口の扉を開き、猫のようにするりと入る。すると、奥まで見通せる何も遮る物のない部屋は、窓から差し込む夕日に赤く染まっていて、部屋の奥のベッドの上で女性が一人、上体を起こして窓の外を静かに眺めていた。

 美しい髪の女性だ。あわいオレンジに染まった髪はろうそくの灯火のように揺れ、健康的に日焼けした肌はこの島の住人であることを表していた。

 しかし、その顔色は青褪めて健康とは言い難い。

「ルージュ、寝てろって言っただろ」

「あらテミス。帰って来てたの。あなたいい加減、音もさせずに入ってくる癖直しなさいよ」

「えー、仕方ないだろ~。職業病だよ、しょくぎょーびょー。それより体調は良いのか?」

「ええ、いつもこの時間帯は何だか調子が良いの。きっとこの子の機嫌が良いのね。夕日が好きなのかしら?」

 そう言って、ルージュは自分のお腹にそっと触れた。

 そこは大きく膨らみ、その中にもう一つの命が宿っていることを如実に表している。

 あと数週間もしないうちに、生まれてきてもおかしくないほどの膨らみではあるが、その予測は全く当てにならないだろう。なぜなら、彼女はもうすでに、三ヶ月も前からこの状態だからだ。

「無茶だけはするなよ。そろそろお前の体も限界なんだからな」

「分かっているわ。でも、大丈夫。私もこの子も、決して負けたりはしないもの」

 その窪んだ目に力強さを宿して、ルージュは笑った。

 そんな彼女の様子に感心しながらも、事態は差し迫った状況にあるため、その言葉に安心などしていられなかった。

「まだ街には海兵がいる。『子ども狩り』はまだ終わってない」

 ルージュが妊婦であることは、すでに海兵に知られている。数日おきに調べに来る海兵たちの眼を誤魔化すにもそろそろ限界があった。

「なにせよ、その大きさでまだ五ヶ月目だって言い張るのも無理があるよな。旦那が体の大きい人だから、子どもも大きく生まれるんだ。とか、これ以上デカくなるつもりかよ、つー話だよな」

 ルージュは子どもの父親について、他の街から来た商船の船乗りだと説明している。今は長旅に出ていないが、子どもが生まれる頃には戻ってきて一緒にこの島で暮らす約束をしている、ということになっているのだ。

 もちろんデタラメだが、それを聞いた海兵たちは無事に生まれると良いな、とだけ言って疑う様子はなかったらしい。

 もちろん父親の素性については事細かく聞かれたらしいが、あらかじめ私が伝えておいた人物像を自分の恋人のように説明させた。

 父親の身元は調べられても良いように、きちんと身元の明らかな実在する男だ。五ヶ月前にこの島を訪れた商船のクルーで、大柄な体格の独り身の男。そして、すでに行方が分からなくなっている幽霊船の一員。

 死人に口なしとはこの事だ。

 最初の調査では「早く男が戻ると良いな」なんて気さくな言葉をかけていた若い海兵も、男がすでに帰る見込みのないことを知るや、次からは言葉少なめにルージュの様子を観察するだけだ。

 海兵がルージュに何も言わないことからも、帰らない子どもの父親を待つ憐れな妊婦とでも思われているのだろう。父親は死んだと伝えないあたりに、海兵たちも既にこの『子ども狩り』に成果を期待していないことがうかがえる。

 当たり前か、もうあの男が死んで一年以上経った。

 人の子は十月十日で生まれるとされているが、実際は九ヶ月と二十日ほど。普通に考えれば、これから生まれてくる子どもに、血の繋がりはありえない。

(それが、ありえちゃってるんだけどな……)

 母親の執念とは恐ろしいものだ。

「つーか、これ以上デカくなったら、風船みたいに弾けるんじゃないかと心配だ……」

 ぼそりと呟いたその言葉を拾ったルージュがくすくすとおかしそうに笑った。

「女の身体はそんなに脆くないわ」

「えーそうかぁ? 人間なんてみんな簡単に死んじゃうんだよ」

「それでもよ」

「それでも?」

「人でも動物でも、どんな種族であろうとそんなの関係ないわ。この世で一番強いのは、母親という生物よ」

「ふーん……」

 その理屈がよく分からなくて、とりあえず生返事をしておく。

 今だって自分の子どもに殺されかけているのに、どうしてそんな言葉が出てくるのか本気で分からなかった。

「貴女もいつかきっと分かる日が来るわ」

 ルージュはそう言った。

 しかし、そんな日はきっと来ないだろうと思った。自分には彼女を理解できる日は来ないだろうと。それでも仕方がない。だって私は私でしかないのだから。母親じゃないから仕方ない。私はそれでいい。

 でも、子どもはそれで良いのだろうか?

「なぁ、ルージュ。お前はこれで本当に良かったと断言できるのか? 無事に生まれても、その子どもが幸せに生きれるような世界じゃないぞ。そいつ、生まれてきたくないかもしれねぇんだぞ」

 母親は自分の意思で子どもを産むのだ。それで良いだろう。でも子どもの意思は? そこに子どもの意思は一欠けらもない。子どもは生まれてくることを享受するだろうか。後悔したり、恨んだりしないだろうか。

 心配になって尋ねると、ルージュは一瞬きょとんとした顔をしてから、朗らかな声で笑い飛ばした。

「誰だって、そうよ。幸せになれるかなんて、そんなの誰にも分からない」

 貴女も、私もそう――。

 そう言ってルージュは私を正面から見つめた。

 その眼が、あまりにも力強く澄んでいるものだから、私は知らず知らず息を詰めて見つめ返していた。

 今まで見た中でも、一等きれいな眼だった。

 彼女は私に言い聞かせるように、優しく言った。

「生まれてくるだけで、幸せが保障されてる世界なんて面白くないでしょう。私がこの子にできるのは、無事に生んであげることだけ。それ以上のことは、きっと私には何もできない。この子の未来はこの子が自分で選ぶものよ。誰にもその邪魔はさせないわ」

 彼女は言う。生きるも死ぬも、全ては子どもが決めることだと。自分に出来るのは、最初の選択肢をあげることだけだと。そのためだけに全てを失ったとしても。

 なんて分の悪い条件だろう。なんて、途方もないことなんだろう。分からない。私にはそれを許容してしまう心理が、そしてそれが当たり前だという母親という存在が分からない。 

「生きることさえ、赦されないとしても?」

「この子の生きる場所がないというのなら、私の場所を譲るわ。人一人分の居場所を。私が生きているこの小さな場所じゃ、ダメかしら?」

 世界中の誰もが赦さなくても、彼女だけは赦すだろう。そして、全てを譲り渡すつもりなのだ。

 それが、生まれてくる罪に対する対価。

 彼女の存在の重みでは、生まれてくる子どもの重みとは、到底釣り合うとは思わなかったけど(なにせ、子どもはあの男の血を引くのだから)、今はもうリストラされた身なので、重さの計算はしなくてもいいのだ。

 だからあえて私は、笑って彼女にこう言った。

「さあね、神様に聞いてみなよ」

「そうね、じゃあもし逢えたら聞いてみるわ」

 そう言って、彼女も笑った。

 

 三ヶ月後、一人の女が息を引き取るのと同時に、一人の赤ん坊が生まれた。

 名前はエース。母親によく似た面影を持つ子ども。

「人間ってこんな重かったんだな」

 ――知らなかったよ。そう呟いて、私は窓の外を見上げた。

 きれいな夕日だった。沈みゆく夕日の先には、この子どものまだ見ぬ世界が広がっている。

 この子は望むだろうか、その先を。この子は行くのだろうか、全てを見に。

 子どもは答えない。今はただ、静かに眠りについていた。もう目覚めることのない母親の傍で。

 凪いだ海風は涼やかで、潮の香りが強く胸をくすぐった。

 

 

 



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03.お母さん始めました

 

 逆転の発想だ。私はそう考えることにした。

 繰り返される終わりのないルーチンワークから抜け出し、ゆったりとした自分のための時間を持てる。都会の喧騒を忘れ、自然豊かな田舎でのびのびとした人生をおくれる。

 そう、私は憧れの田舎暮らしを手に入れたのだ。

 しかし田舎には田舎のルールがある。それを守らなければ、住民として認めてもらえず、つま弾きにされてしまいかねない。

 共同作業は当り前。定期的にある草刈りや掃除、イベントの打合せなど。そうした当番をこなすことが、田舎暮らしに失敗しないための最低条件だ。

 そして、その当番をこなすために、私は山道の傍で息をひそめていた。

 この山を越えるためには、必ずこの道を通らなければならない。

 与えられたチャンスは一度きり。この機を逃せば隣人として認めてもらえない。

 茂みの中に身をひそめ、幾日も辛抱強く待ち続け、この日にようやく変化が訪れた。人がやって来たのだ。茂みの中からでは姿は見えないが、どうやら一人だけのようでゆったりと歩いて来る。地面を踏みしめるどっしりした音と、時折高い位置にある枝葉が擦れる音から、大柄な男であることがうかがえた。

 じっと滲む汗を、手の中にあるものと一緒に握りしめる。視界を閉ざして息を止め、跳ねる心臓も宥めて完全に気配を殺す。男が近づいてくるのを音だけで聞き分けてタイミングを見計らう。3、2、1!

 ――私は男の前に飛び出し、木の棒を振り上げてこう叫んだ。

「命が惜しけりゃ金目のモノを全部置いてきなぁあああッ!!」

 そうやって飛び出した私は見た。とても見覚えのありすぎる英雄さまの青筋の浮いた顔と、大きく振り上げられた鉄拳が視界を埋め尽くしていくのを。――暗転。

 

 

     ***

 

 

「という訳で、山ガール始めました」

「この大馬鹿モンがぁあッ!!」

 ガツン、と鈍い音がしてまたコブが増える。思わず頭を抱えてうずくまった。目の前にチカチカと星が瞬いている。

 なぜまた殴られなければならないのか、解せん。

 あの後、意識を取り戻すとダダン一家のアジトまで戻っていた私は、これまでの経緯をガープに説明した。青筋を増やしながら黙って聞いていたガープは、話が終わったとたん拳を振りおろしてきたのだ。

 全く、私の苦労を全然分かっていないのだから。

 若い女が一人、赤子を抱えて田舎に引っ越してくるなんて格好の噂の的だし、ママ友の会にも入れてもらえず避けられているし、仕事だってこんな山の中じゃ見つからない。

 地域に馴染もうとする私の努力を、返り討ちにするとは!

「山ガールっティか、ただの女山賊のことじゃニーか」

 小柄な体躯のドグラが、私の背後で呆れたようにつぶやいた。

 物は言いようだと誰かが言っていた。山ガールも、森ガールも、雪ガールも全部似たようなものだろう。『ガール』を『女』の文字にすると、とたんに面妖な雰囲気になるのはご愛嬌として。

「お前、自分の立場分かってんのか!?」

 ガープが再び声を荒げ、私も顔をあげて負けずと叫んだ。

「産休中!」

「謹慎中だ!!」

 ドゴンと、今度は床が悲鳴をあげる。

「お前が山賊の真似してどうする!」

「山賊じゃないもん山ガールだもん。私、ダダンみたいな立派な山ガールになる!」

「「ヤメロッ!!」」

 かぶる二人の声。

 今度は少し離れた場所で、私たちの様子を見ていたダダンも声をあげた。

「ガープ!!……さん、頼むからこの小娘を連れてってくれ! 赤ん坊を育てることは受け入れられても、こいつの面倒まではみられねェよ!! 掃除も洗濯も雑用も、ロクにできやしないどころか、すぐに問題を引っ提げてくる! こいつが来てから、あたしらは災難続きだ。あんたが言ってた不幸体質ってのにも限界がある! 何がどうなってんのかわからねェが、こっちの命がいくつあっても足りゃしねェ!!」

「あぁ、こいつの不幸体質は、……まぁどうにかしろ」

「できるか!!」

 ダダンが憤慨して叫ぶ。

 コルボ山を根城にする山賊ダダン一家の棟梁は、女とは思えぬほどいかつい強面だ。

 そしてヒステリックなほど口うるさい。

 こうなるとぐるりとひと回りして、なんだか肝っ玉母ちゃんに思えてくる。保身というか心配というか、自分ひとりではなく、自分たち一家全員の身を守ることを第一に考えているからこそ、子分たちも彼女を慕っているのだろう。

 悪党だけど堕ちていない。そういうのも分かっていて、ガープは私と赤ん坊をここに預けたんじゃないかと思っている。

 しかし、誰がどう言おうと、私のこの体質はどうにもならない。私自身それをよく理解しているので、できるだけ大人しくしているつもりなのだが、アジトに引きこもっているだけでは、どうにもならない時がある。

 森の中から熊などの猛獣がアジトを襲撃してきたり、雷が私めがけて落ちてきたり、時季外れのタイフーンが異常発生して山を滅茶苦茶にしていったり、私ひとりいるだけで天変地異には事欠かない。

 それを荒事に慣れている山賊たちとはいえ、どうにかできるようなものでもないだろう。

「山の中に捨て……迷子になっても、いつの間にか生きて戻ってくるし、弱いくせに意外としぶとい。いくら何でも、この厄災娘の傍にいるくらいなら監獄の方がマシだ!」

「まーまー、お頭」

 大柄だが落ち着いた性格のマグラが、頭であるダダンを宥める。

 マグラはよく私を庇ってくれるので、ダダンが怒鳴りだしたら、マグラの大きな身体の後ろに隠れることにしている。そうするといつも「まーまー」と間延びした声でダダンを落ち着かせてくれるのだ。

 私が赤ん坊と一緒に、コルボ山に連れて来られた時も、ガープに脅され押しつけられ驚くばかりだった一家の中で、唯一私を気遣ってくれたのがマグラだった。

 もっとも、私をガープの娘と勘違いして「こんな山の中に赤ん坊と一緒に放り込むなんて、あんたも酷い親だなぁ」と発言した彼は、ガープに「誰が誰の親だ!!」と、鉄拳制裁を喰らっていたのは、仕方がないこととして。

「でもガープさん。ありじゃ育ティるどころか赤ん坊も巻き込まりて死んディまうっすよ」

 独特な訛りのある話し方をするドグラが、ガープに必死で訴えた。

 ドグラもマグラと一緒になって、ダダンから庇ってくれるのだが、その対象は私ではなく赤ん坊のみである。意外とシビアな男だ。

「それを何とかするのがお前らの役目じゃろが」

「そんニ無茶苦茶だ……」

「で、そのエースはどこじゃ」

 がっくりと肩を落とすドグラを尻目に、そう言ってガープは窓の向こうを見やるように首を伸ばした。

 ちょうどその時、部屋の仕切りにかけられている布の間から、赤ん坊が「あーあー」と、拙い声を張り上げながら這って出てきた。

「待ちやがれエース!!」

「エースちゃーん!! ガープおじさんでちよー!」

「あ! ガープさん帰って来てたのか!?」

 赤ん坊の後ろから、子守を任されていた手下の一人が追ってくるが、その腕につかまる前に、ガープがでかい顔であやしだした。

 キャッキャッと機嫌よく笑う赤ん坊。

 反対にドン引きする周りの面々。

 いつも思うが、あの世にも恐ろしい顔のどこが赤ん坊に受けるのか。

「エースはいい子じゃのー」

 そう言って赤ん坊を抱いて、嬉しそうに笑うガープ。

 何も知らない人にとっては、孫を抱いて喜ぶ好々爺の姿に見えるのだが、ガープを昔から知っている私にとっては、違和感の塊にしか映らない。視界の暴力だ。

「ほれテミス、お前も抱いてやらんか。お前がエースの母親代わりなんじゃぞ」

「う……。お、おいで~」

「ギャァアアアアンン!!」

 ガープに言われるまま、必死に笑顔を浮かべながら手を差し出してみるが、そのとたん赤ん坊は死ぬほど泣き出した。ガン泣きである。

 くそう、なぜガープにできて、私にできないのか。

 ガープの何とも言えない目線が、うっとうしい。

「なんじゃい、あれから少しは親代わりらしくなったかと思えば……。何も変わっとらんのか」

「まぁ……。こ、これからだよ、これから」

 この山に身を潜めて、既に三ヶ月。

 それ以前の航海にかかった期間を含めても、赤ん坊はまったく私に懐く様子を見せなかった。それどころか、まだ人見知りも始まらない時期のはずなのに、抱くどころか近づくだけで火がついたように大泣きされ、目すら合わせてくれない。

 子育てをするどころか、しっかり警戒されている始末である。

 どんな無力な存在でも、防衛本能だけはしっかり備わっているという。生き物の本能は誤魔化せない。人間の赤ん坊だけでなく、動物もそうだ。本能的な存在にこそ、避けられ警戒されることが多い。

「相変わらず不憫な人生を送っとるな」

 深いため息をついて、ガープが苦々しく呟いた。

 最近、私の前では口癖のようになってきたフレーズだ。何をいまさらと思わなくもないが、結局ガープもことの重さを理解しきれていなかっただけなのだ。

「まーね……。でも、昔はこんな体質じゃなかったんだ……」

 仕方ない、これは対価だから。

 そう心の中で言い聞かせ続けてきた。でも赤ん坊の泣き声を聞くたびに、胸のあたりが重くなる。

 泣かせたい訳ではないのに、どう笑わせたらいいのか分からない。もうずっと、自分がどう笑えばいいのかわからなかった。

 泣き止まない赤ん坊の声に慌てふためいている周りに、後はよろしくねと告げ、ガープにはひらひらと手を振って外へ出た。

 外は天気が良く、抜けるような青い空の下で、干した洗濯物がひらひらと風に吹かれてなびいている。

 目の前に広がる緑の樹海に足を踏み入れると、森がざわりと揺らめいた。声なき声が慄いている。遠くから近くから、天の明るい方からも地の暗い方からも、からみあい、こだましあって、それ自体が大きな一つの意志のようにうねる。ぉおおん、ぅおおおん。地の底から響く声。時折つんざくような高音が、光のような速さで私を貫いていく。

 それらの声に私は耳を塞ぎ、山道を歩き始めた。

 空は相変わらず一点の曇りもない、神様の贈り物のようなブルーが広がっている。

 この世界に私の居場所はない。

 

 

      ***

 

 

 テミスの出て行った後は白々しい空気がアジトの中を漂っていた。

 よしよしとエースをあやし終えたガープだけが、ダダンの手下に茶を要求し、くつろいだようにエースを抱えている。

 エースもまた、周囲の様子などお構いなしに「あー」だの「うー」だの、何やら話しかけるように声を発していた。

「お頭、今日のはちょっと言い過ぎたんじゃねぇか」

 マグラが眉をハの字にして、弱り切った声を出した。

 しかしダダンは目を吊り上げて、マグラの方を見もせずに声を張り上げた。

「情けない声出してんじゃねェよ! そんなことはあたしの知ったことじゃないね!!」

「でもお頭……」

 ほとほと困ったように頭をかくマグラを手で制して、熱い茶を受け取ったガープがのんきに啜りながら言った。

「テミスのあれは呪いだ」

「はぁ? 何だいそれは?」

 呆気にとられた声をあげたダダンは、思わず何の冗談を言い出したのかと、ガープを怪訝そうに見やった。

 しかしガープは恐ろしく真剣な顔つきだった。

 黒い影がガープの表情を無機質に見せ、ダダンはぞっと恐怖が身体の真ん中を駆け抜けていくのを感じた。

 冗談ではないということがどういう意味なのか。たとえ学はなくとも、それが分からないほど、ダダンは頭の回転が遅い人間ではなかった。

 世界に数多ある、伝説や伝承。

 その中には、神の怒りをかって滅ぼされた国や街の話もある。

 呪いなんて不確かなものを信じるダダンではなかったが、この数ヶ月で体感した災難を、偶然で済ますことができるとは思っていなかった。

「じゃあ何だい、あの厄災を呼ぶ娘は神の怒りでもかったっていうのかい?」

 吐き捨てるように、ダダンはガープに詰め寄った。

 しかしガープは静かに首を振って言った。

「神の怒りをかったのではない。世界の怒りをかったんじゃ」

 それは、世界中の海賊に悪魔と呼ばれた男とは思えないほどの、神妙な顔つきだった。

「あいつは世界に呪われておる」

 そうガープは言って、考えあぐねるように目をつむり、それ以上は誰に聞かれても、何も言わなかった。

 ただエースだけが、丸い目をじっと見開いて、声一つあげずにガープを見上げていた。

 

 

      ***

 

 

 ガープが山を下りた数日後、ダダン一家は突如騒がしくなった。

 私は数人の手下たちと一緒に水汲みに行っていて、なぜか川に誤って落ち、数百メートル流されつつも、なんとか自力で岸に這い上がったのだが、もちろん誰も助けに来てくれなかったので、一人だけ森ではぐれてしまい、帰って来た時にはすでに、皆が慌ただしく動き回っているところだった。

「あのクソガキ、勝手に歩きやがって! クソッ、どこ行きやがった!? お前ら北側と南側に分かれて森も探せ!!」

「へいッ!!」

 どうやら赤ん坊が行方不明のようだ。

 こんな山賊のアジトで人さらいもないだろうから、十中八九自分で這って出て行ったのだろう。普段からよく動き回る赤ん坊だとは思っていたが、まさか森の中にまで入っていくとは。

 さすが、あの男の子供といったところか。逞しいことこの上ない。

「じゃぁ私も、」

「小娘ェ!! おめェは動くんじゃねェよ! 邪魔だ中にいな!!」

「えー、はぁい」

 火を噴く勢いのダダンに睨まれ、私はしぶしぶアジトの中に入った。

 私がいなくなっても、誰も知らん顔で何日も過ごすくせに、赤ん坊がちょっといなくなっただけでこの騒ぎようだ。

 子供の影響力というのは、人殺しの悪党たちまでも、ここまで慌てふためくほどのものなのか。もちろん、何かあってはガープが恐ろしいという保身もあったかもしれないが。

 正直のところ、私はこの時点では、そこまで大事だとは思っていなかった。

 どれだけ元気がよかろうが、所詮は赤ん坊が這って動く程度。すぐに森の傍で見つかるだろうと思っていたし、人の出入りが激しいこのアジトの近くなら、獣が少ないことも分かっていた。

 自分自身という不確定要素さえなければ、大丈夫だと。

 しかし、陽が西に傾きはじめてしばらく経っても、赤ん坊は見つからなかった。

 さすがに焦りが見え始めたダダンたちの目を掻い潜って、私はひっそりとアジトから抜け出した。

 森は相変わらず唸り声をあげて私を追い出そうとする。

 ひしめき叢がる樹木の間を駆け抜け、転がり、私は走りに走った。方向は分からなかった。しかし私は森の声だけを聞き分けて走った。

 彼らの声の多くは私に向けられたものだが、中にはそれ以外の声が混じっていることを知っていた。私はあの男のようにはっきりと声を聞くことはできないが、それがどんな意志を持っているのかを聞き分けることはできた。だから私は、ただ耳を澄まして森を転がり走った。

 今まで重く溜まっていたものが、ふつふつと胸を圧迫して苦しく責め立てる。これは何だろう。分からない。分からないが、今は走るしかなかった。

 やがて、木漏れ日に朱色が混じりだした頃、数知れない小鳥のさえずりが、切り立った岩稜の方から嵐のように吹き込んできた。頭上を黒い影が通り過ぎ、樹木の間へ千々に分かれていく。

 その鳥の群れの流れに逆らうようにして、岩稜の麓を目指した。

 嫌な予感はしていた。

 以前マグラが言っていたのだ。大きな人食い虎が、あの岩稜の辺り一帯に住み着いているから、近づくなと。だがアジトからは遠く、見張り台から望むことができる程度だからと、気に留めてはいなかった。

 森を抜けると、大小さまざまな岩が点々と転がり、その先には錐のように切り立った岩稜がある。夕日に照らされた岩々は赤く火照り、その影は黒く長く伸びていた。その麓の点々とした岩の間を、赤ん坊は無邪気に這い進んでいた。

「マジでこんなところにいたよッ!!」

 どうやってここまで来たのかは後で考えるとして、足を緩める間もなく私は赤ん坊に向かって走り続けた。

 あと少しというところで、ぞわりと背筋に冷たいものが奔る。

 岩稜の中腹、錐のようにするどい岩の上に、それはいた。

 滑らかな毛並みを夕日に反射させ、赤く色づいた虎は、私が知っている虎より2倍も3倍も大きかった。

 目元の影が深くてよく見えなかった。なのに目線が合った気がした。鋭利で容赦のない獣の眼だった。私を見てにやりと笑った。そして、頭を伏せて構えたかと思うと、身体を波のようにうねらせ、獣は天高く飛び上がった。

「エースゥッツ!!!!」

 どこから出てくるのかと自分でも思えるほど、腹の底から叫んだ。

 夕闇が迫る赤黒い岩肌の上を、閃光が駆け下りる。

 大地を足が千切れるほど蹴りつけ、何とか先に飛びかかるようにして、小さな身体を抱え込み転がり起き上がると、山の端に沈む夕焼けがまばゆく輝いていた。そして瞬きをする暇もないほど一瞬のうちに、その美しい獣は私の目の前に現れ、びっしりと生えそろった牙が視界を掠めていった時にはもう岩の上に叩き付けられた後だった。

「ぐッ――――!!」

 思わず左手で右肩を抑えると、ぐしゃりと嫌な感覚がした。酸化した鉄の匂いが鼻につく。右肩の肉をごっそりと抉り取られた。激痛に遠のく意識を叱咤し、私は腕の中の赤ん坊を抱えなおした。

 私が触れているにも関わらず、赤ん坊は泣きわめかなかった。大物だなぁ、と頭の隅で呑気に思考する自分を可笑しく思いながらも、ゆらりと立ち上がると、わき目もふらずに走り出した。

 森に駆け込み、木の根に足を取られながらも走る。しかし、背後の気配が遠のくことはなかった。一定の距離をあけながらも、息遣いが聞こえるほどのすぐ後ろを、獣はついて来た。

 獣が嗤った。

 樹々も、鳥も、虫も、草木も、森の全てがあざ笑うかのように、ざわめいた。

 どうあろうと逃げるしかなかった。

 そもそも私は戦闘向きじゃないのだ。ここまで走って来ただけでも、死にそうなくらい息が苦しい。虎だろうが熊だろうが、獣相手に立ち向かえるようなスペックはない。

「あぅッ!!」

 ついに根に足を取られて盛大に転んだ。

 それでも、腕の中の赤ん坊を押しつぶさないように、仰向けに転んだ私を褒めてほしい。

 盛大に腰を打ったが、痛くはなかった。ただ熱かった。熱い、抉られた肩が強烈に熱かった。それと同時に手足がぞっと冷たくて、微かに震え始めていた。肩も腕も胸までもが血でぐっしょりと濡れて、張り付いた衣服が気持ち悪い。

(あぁ、ヤバいなこれ)

 こんなところで何をやっているのかと呆れる。ついてないなぁとも。

 こんなことなら、副官長に罵られながら執務机に縛りつけられて、繰り返される終わりのないルーチンワークをこなしていた方がよかった。まぁ、これも何千回と繰り返した後悔なのだけれど。

 くすりと哂ったつもりが、ひゅぅひゅぅと気管が変な音を立てる。

 事務仕事のツケが、こんなところに回ってきた。運動不足とかまじか。

 パキ、と小枝を踏む音がして、顔を上げると獣がそこにいた。

 樹々の間から差し込む、鮮烈さがやわらいだ夕日の残光に、その毛並みの色が確かに黄色なのだと見てとれた。均整のとれた肉体が美しい。

 獣はゆっくりと近づいて来る。

 残念なことに、運動不足の元事務員の足は、既に死んでいる。さっきから冗談じゃないほど力を振り絞っているのに、膝も足も震えるばかりで、上体を起こすのが精一杯という情けない有様だ。山ガールへの道のりはまだまだ遠い。

 ゆっくり、ゆっくりと近づいて来る。もういっそ一思いにやれと叫んでしまいそうなほど、獣はこの狩りを楽しんでいた。

 それでも、こんな時にどんな顔をすればいいのか分からない私は、ただ獣の眼を見つめて哂うだけだ。

 殺せるものなら殺してみろ。心の底から美しい獣をあざ哂う。

 声なき声など、聞いてやるものか。

 その時、「あ~」と赤ん坊の声がした。

 今まで声一つあげずにいたことが奇跡なのだが、この状況でも赤ん坊は泣き出さなかった。ただ私の顔を見上げて、何かをつかむように手を伸ばしていた。小さな豆粒みたいな指は、土まみれで赤く擦り切れていて、空をつかむばかりで何も触れなかった。

 それでも、その小さな赤い手は、私のほんのすぐ前にあって、確かに私に向かって伸ばされていた。

『この子の未来はこの子が自分で選ぶものよ。誰にもその邪魔はさせないわ』

 突然あの時の、ルージュの声が耳元で聞こえた気がした。まだ一年も経ってないのに、十数年も昔に聞いたような気がした。

「この子は、私が預かった……大事な子だ……」

 掠れた声が、ひゅぅと鳴る喉から零れ落ちた。

 なぁ、ルージュ――心の中で彼女に話しかける。やっぱり私は母親という存在が分からないよ。でも、この胸を刺す苦しみは何なのか、ようやく分かったよ。

 獣はゆっくりと構えた。

 ああ、来るなぁと思った。ただそれだけだった。獣に対する恐怖も嘲りもなかった。ただ胸の内にあったのは、今までずっと抱えていた想いだ。抱え込みすぎて随分重くなった心だ。

 そう、それは、――世界に対する『怒り』。

 

「邪魔をするなァア!!」

 

 そうして、声なき声が消えた。

 森が静まりかえり、空も大地も風も夕日も、すべてが無になった。

 やがて一陣の風が吹き抜け、目の前の虎がゆっくりと倒れた。

 どすんと地面が音を立て、その口の間から泡を吹いているのを見つめながら、私はしばらくぼんやりと座り込んでいた。

 

 

      ***

 

 

 気が付くと夜の気配が忍び寄っていた。

 西の空は僅かに白く光り、かすかな黄色を残して、淡いブルーのグラデーションが頭上を覆い、東の空には星が瞬いていた。群青色の夜がやってくる。

 森の奥から声が聞こえた。人の声だ。ダダンの声もする。

 私は「おーい」と弱弱しい声をあげた。なんとか届いたようで「どこだ小娘!! 無事かぁあ!?」とすぐに返ってきた返事に安堵する。

「無事じゃないけど、とりあえず大丈夫ぅ~」

 そう答えて、私は腕の中の赤ん坊を覗き込んだ。

 赤ん坊は「あー」と声をあげながら、手を伸ばしていた。掴み取ろうとするように、夢中で傷ついた小さな手を伸ばす。

 血の気を透かしたようなまろい手が、赤く汚れていた。脇に手を入れて抱き上げると、膝もやはり擦れて血がにじんでいた。

 本当にこの距離を、自力で這ってきたのだなと驚くばかりだ。傷の痛みを感じていないのかと、心配してしまうほど、赤ん坊は自分の身体に無頓着だった。やっぱり大物になるなぁと思う。

 抱き上げられても赤ん坊は手を伸ばし続ける。その手はやはり、私に向かって伸ばされていた。

「なんだ、お前。私がいても良いのか?」

 答えはない。ただ「あーあー」と繰り返されるだけだ。

 それは、声なき声とは全く違うものだった。人ではないモノとは異なるものだ。

「お前は私に、一緒にいて欲しいのか?」

 首をかしげる私の真似をするように、赤ん坊も首をかしげてみせた。そのまま見つめ合っていると、やがてキャッキャッと笑い出した。

「そっか……」

 私は深く息を吐くように呟いた。

「こんな私を、必要としてくれるのか……」

 突然、悪夢から目醒めたような心地だった。

 あんなに重苦しかった胸の奥に、ぽっと火が灯ったようだった。あんなに熱かった肩も、冷たかった手足も、何も感じなかった。ただ午後の木漏れ日のように、温かかった。

 ふふふと声が零れて、気が付いたら笑いが止まらなかった。

「よろしくな、エース」

 そう言って私は笑い、エースを抱えたまま後ろに倒れ込んだ。

 

 

 

 全てを失う覚悟をした。

 そうしなければ、前に進めないと思ったから。なのに……。

 なぁロジャー、そうじゃなかったのか? お前は私に一体何をさせたいんだ? まだ何も分からない。この世界は分からないことだらけだ。でも一つ、確かなことがある。

 この日、私は母親になった。

 

 

 

 



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04.これくらいが一番かわいい時期

 

 おれは捨て子だ。

 子どもはみんな親に一度は「あんたは拾ってきたのよ」と言われるものらしいが、おれの場合は本当にそうなのだからたちが悪い。

 

 第一、おれの母ちゃんは若い。

 おれはあまり村に行ったことはないが、フーシャ村にだってあんな若い母親はいなかった。同じぐらいのとしの女はいたけど、なんだか大人という感じはあまりしなかった。だからおれの母ちゃんも、まだ大人じゃないのだ。

 その証拠に、ダダンは母ちゃんのことを「小娘」って呼ぶ。母ちゃんも自分のとしを「永遠の17歳!」という。だから母ちゃんは、おれの本当の母ちゃんじゃない。

 第二に、おれの家族は山賊だ。

 山賊っていうのは山奥にかくれて住んでいて、ときどき村や旅人をおそって金や物をうばっていくやつらのことだ。

 母ちゃんは「ダダンは山賊じゃないよ山姥だよ」と言って、ダダンにしこたま殴られていたが、(ついでに、母ちゃんは自分のことを山ガールだって言ってるけど、山ガールが何なのかはよくわからない)みんながおれと母ちゃんが寝ている間に、悪いことを話し合っているのを聞いたことがある。おれは悪党に拾われてしまったのだ。

 そして最後に、「おれの父ちゃんは?」と聞いた時の、みんなの反応があやしい。

 あのダダンでさえ、ギョっとした顔をして、ちゃんとした言葉が出てこないみたいだった。他のみんなはいくら聞いても青ざめた顔で首を横にふるだけだ。

 母ちゃんだけが平然とした顔で「海賊王!」と言って、ぜんぜん取り合ってくれない。だいたい何で山賊の父親が海賊なのだ。うそをつくなら、もっと子どもにばれないようにするべきだと思う。

 ときどき山にやってくるガープじいちゃんだけが、おれの話をまじめに聞いてくれる。でも、じいちゃんも結局「エースがもう少し大きくなったらちゃんと話してやる」とだけ言って、おれが欲しい答えはくれないのだ。

 大人っていうのは、子どもにかくしていることが多すぎる。

 

 

 ここで、おれの母ちゃんについて、もう少し説明しておくことにする。

 おれの母ちゃんはどんくさい。すっげーどんくさい。どれくらいどんくさいかっていうと、子どものおれに助けられるくらいどんくさい。母ちゃんは自分のことを「ドジっ子」だっていうけど、絶対あれはそんなんじゃない。

 母ちゃんはみんなに内緒で、おれを連れて山の奥へと入っていくことがある。母ちゃんはおれを強い男にしたいらしく、ときどきそんな変なことをする。

 このあいだも、山の東にある谷へ行って、おれを突き落とそうとした。

 そうして訳知り顔で言うのだ。

「獅子は子を千尋の谷へ突き落すという。という訳で私も――ギャァアア!!」

「母ちゃーん!!」

 そのまま母ちゃんは足をすべらせて、暗い谷の底へ自分が落ちてしまった。おれがどれだけ呼んでも、こだまが返ってくるだけで、母ちゃんの声は聞こえなかった。

 仕方がないから、おれは谷の周りを歩いて崖が急じゃないところを探し、岩にしがみついて深い谷を降りていった。

 途中で足場がくずれて落っこちそうになったけど、おれは泣かなかった。後で母ちゃんに泣いたことがばれたら「そんな簡単に泣くな!」って怒られるからだ。

 谷の底について母ちゃんを探すと、母ちゃんは岩によりかかって寝ていた。おれが近づくと、母ちゃんは目をさまして「おー、待ってたよエース」と、さも来るのが当然というような顔をする。

 でも、その足や腕は変な方向に折れ曲がっていて、服には赤い色がにじんで変なにおいがした。

 こんな時の母ちゃんは、自分で動くことができないので、おれは母ちゃんの体を引きずるようにして背負う。

 今度はそのまま降りてきた崖を登るのだ。

 

 またこんなこともあった。

 みんなに内緒で、ヒョウの住む辺りにまでおれを連れていって、訳知り顔で言うのだ。

「世の中は弱肉強食だ。弱い者は肉を食べられない!」

 そうして、母ちゃんは後ろにいるヒョウにも気付かず、かぷりと首根っこを咥えられてしまった。

「弱い物は強い者に食べられる。あれ? ぁあアこんな感じでぇええ!!」

「母ちゃーん!!」

 そのまま母ちゃんは、ヒョウの保存食となるため連れていかれてしまった。

 仕方がないから、おれはヒョウの後を必死で追いかけた。でもあいつらは足が速いから、おれの足じゃ追い付けなくって、すぐに見失ってしまった。おれは森の中で母ちゃんを探し回った。でも森には、他にもたくさんのけものがいるから、おれは木の棒をにぎりしめて、おそるおそる探し回った。

 日が落ちかけても母ちゃんは見つからなくて、もしかしたらもう母ちゃんの腕や足はつまみ食いされて無くなっているかもしれないと思うと、おれはちょっと泣いてしまった。でも半分ぐらいだ。

 そんなとき、名前を呼ばれた気がした。

 どこから呼ばれたのか分からなかったけれど、おれは何となく、どっちから聞こえたのか分かった。ときどき他にも、ざわざわした声が聞こえた。でも全部無視した。それらは、母ちゃんとおれを引き離したい何かだって知っていたから。

 そしてだいぶ歩いた森の奥で、なぜか母ちゃんは木の上で寝ていた。母ちゃんを連れ去ったヒョウも一緒に寝ていた。

 おれはヒョウを起こさないように、そっと木によじ登って、まずは母ちゃんを棒でつついて起こそうとした。母ちゃんはちょっとかじられた痕はあったけれど、ちゃんと手足がついていた。

 おれは心底ほっとした。

 母ちゃんは、おれがいくら棒でつついても起きなかった。たまにあるのだ。仕方がないから、そうっと母ちゃんを引っ張ったけど、不安定な木の上じゃ母ちゃんを支えきれなくて、おれも母ちゃんも木の上からどすんと落ちた。

 その音で、木の上で寝ていたヒョウも起きてしまった。ヒョウは自分の保存食を勝手にとられたことに怒って、おれの前に飛び降りてきた。

 おれは木の棒を構えた。木の棒じゃ勝てる気はしなかった。こういうときに大人たちが持っている剣があったらなと思う。そうすれば山のけものたちにも余裕で勝てるのに。でも、おれにはまだ重くて持ちあげることができないから使えない。はやく大人になりたい。

 ヒョウはおれに向かって飛びかかってきた。

 そのするどい爪と牙をギリギリでよけたけれど、腕が爪に引っかかれてしまった。

 すっげー痛い。死ぬほど痛い。ガープじいちゃんのげんこつより痛い。母ちゃんみたいに赤い色がにじんできた。何で母ちゃんはこんなに痛いのに、いつも笑っているんだろうか。

 おれはすぐに起き上がって、そのまま背後のヒョウに飛びかかった。ヒョウは体の半分だけをこっちに向けていて、おれはその鼻づらを木の棒で思いっきり叩いてやった。

 ヒョウはギャンと高い悲鳴をあげたけれど、そのままギロリとおれをにらみつけた。その眼が「子どもだと思って手加減してたのに、なめたマネしやがって」と語っていた。

 絶体絶命のピンチだ。いちげきで倒せなければ、おれに勝ち目はない。

 その時、とつぜん母ちゃんがおれの名前を呼んだ。小さな声だった。

 どうやら、ようやく起きたらしい。

 おれとにらみ合っていたヒョウの視線が通り過ぎて、背後にいる母ちゃんの方を見た。

 その瞬間、ヒョウはビクリと体をふるわせ、さッとおれから距離をとってさがった。ヒョウの体中の毛という毛がぶわりと逆立ち、大きく見開いた目が真っ赤にそまっていた。

 母ちゃんが起きあがる気配がした。

 でもおれは、ヒョウから目をそらすことができなくて、後ろは見なかった。ヒョウは変な声を出したかと思うと、しっぽを丸めていちもくさんに森の奥へ走り去ってしまった。

 おれはすぐさま木の棒をほうり出して母ちゃんにかけよった。

 そうして、母ちゃんは笑って言うのだ。「エース、待ってたよ」って。

 

 他にも母ちゃんの変な話はいっぱいあるけど、あんまり他の人に話すと、母ちゃんは「お願いだからホントやめて!」と言いながら、地面を転げまわってはずかしがる。

 はずかしいなら最初からしなければいいのに、母ちゃんは学習しない。

 正直、子どものおれには母ちゃんのドジに巻き込まれるのは大変だ。でも、他の大人たちに頼んでも、誰も母ちゃんを助けようとはしてくれない。みんないつものことだから放っておけって言う。

 だから母ちゃんには、おれしかいないのだ。おれが助けに行かないと、母ちゃんはいつまでも赤いままで転がっているのだから。

 それにおれが助けに行くと、母ちゃんは決まって嬉しそうにおれの名前を呼んで笑う。普段からあまり母親らしくない母ちゃんだけど、そんな時だけはおれのことを「さすが私の息子だ!」と言ってほめてくれる。

 おれは母ちゃんがおれの本当の母ちゃんじゃないのを知っているけど、それを口にすると母ちゃんに悪い気がするから、おれは今日も大人たちが隠していることを知らないふりをする。

 まったく、手のかかる母親だ。

 

 

      ***

 

 

 その日、おれが朝起きたら、母ちゃんはもうどこにもいなかった。

 周りの大人たちに聞いたらしばらく留守にするという。

 そういえば前の年も、その前の年も、母ちゃんがずっといない日があった。母ちゃんがおれに何も言わないで行ってしまったことに、みんなは呆れていた。

 信じられないけれど、そういう人なんだ。おれに一言いうのがスジだっていうのが分からないんだ。

 何だがむしゃくしゃした。母ちゃんはいつも自分勝手だ。都合のいい時だけおれを待っていて、それ以外のときは、おれのことなんて全然気にしない。

 すぐに母ちゃんがどこに行ったのか、みんなに聞いた。でも遠い場所だとしか教えてくれなかった。どんな場所かと聞いたら、みんなも行ったことがないから知らないらしかった。

 おれも行きたいと言ったら、ダダンに「馬鹿なこと言うんじゃねェよ!! 船もないのにどうやって海を渡るっていうんだ!? おとなしくしときな!!」と怒鳴られた。

 ダダンはいつもこうだ。おれが何を言ってもだいたい怒る。ここの大人は誰もおれの話をまじめに聞いてくれない。

 仕方がないから、おれは一人で母ちゃんを追うことにした。ダダンが言うには、母ちゃんは船に乗って行ったみたいだ。

 まずは旅に出る準備から始めた。

 旅には袋が必要だ。ガープじいちゃんも山に帰ってくるときはよく袋を一つ持っている。おれはあちこち探し回って小さな袋を見つけた。大人たちがよく腰に身につけている道具入れだ。古くなって誰も使わないものが、見張り台のすみに置きっぱなしになっていた。

 その袋の中にまず干肉を入れた。それから以前大人たちからこっそりかっぱらった小さなナイフを布に包んで入れた。あと海では水が大切だとガープじいちゃんが言っていたのを思い出して、ダダンの空になった酒瓶に水を入れた。

 これでいつでも旅に出られる。

 船に乗るには山をおりて、海があるところに行かなきゃならない。おれはまずフーシャ村へ行くことにした。あそこは海のすぐそばにある村だ。きっと船もあるだろう。

 フーシャ村は、母ちゃんやガープじいちゃんに連れられて行ったことがすこしだけあるし、途中からは山道に沿って行けばいいので、おれ一人でも十分だった。

 

 村に近づくと、畑の横で座り込んで休んでいた大人たちが、おれのことを驚いた顔で見て、「うちの村の子じゃないぞ」と言い合った。そして慌てて寄って来て「ボウズ、どこから来たんだ?」っておれに聞いた。

 おれは家族が山賊なのを知っているから、ばれたらだめだと思った。だから、何も言わずに走って逃げた。でも村の中に入っても、みんなおれのことを見て首をかしげた。おれはさっさと村を横切って、海があるところまで行った。

 海を見るのは初めてじゃないけど、近くまで来たのは初めてだった。すげぇ広かった。空も海も青くて母ちゃんみたいだと思った。

 船を探したけれど見つからなかった。でも海の上にぽつぽつと船らしきものが浮かんでいるのが見えた。ぜんぶ海へ出てしまったんだろうか。あの船はいつ帰ってくるんだろうか。

 おれが海を見ながら悩んでいると、ガープじいちゃんよりも年寄りのじいちゃんが、慌てたように走ってやってきた。その後ろには、さっき村の入り口にいた大人も一緒で、「村長、あの子です」と言っておれを指さした。

 なんだか面倒なことになりそうな気がしたが、おれは船に乗せてもらえるように頼むことにした。どうせ誰かに頼まなきゃいけないんだし。

「お前、どっから来たんじゃ?」

 やって来たじいちゃんが言った。

 おれはどう答えたらいいのか分からなかった。だから代わりに「船に乗せてくれよ」とだけ言った。じいちゃんは驚いて「船!? 船なんて乗ってどうする?」と聞いた。おれはそれだけで話が分かる大人だと思った。

「海へ出るんだ」

「海だとッ!? 何でまた!?」

「母ちゃんを追っかけんだ。朝起きたらどこにもいなかったから」

 じいちゃんは目を白黒させて驚いていたが、しばらく考え込んでこう言った。

「お前は……もしかしてエースか?」

「おれのこと知ってんのか?」

 おれは名前を呼ばれてびっくりした。家族のことがばれたのかと思って、急に不安になった。捕まえられたらどうしよう。でもじいちゃんはそんなつもりがないみたいだった。

「ガープから聞いとる。もうこんなに大きくなっておったのか。確かに、お前の母親なら今朝早くに迎えの船に乗って出港したが、戻ってくるのに二ヶ月ぐらいはかかるぞ。去年もそうじゃったろう」

 二ヶ月? 前はもっと長かった気がする。

 そうだ、あの時も母ちゃんは、おれに何も言わないでどっか行っちまったんだ。帰って来てからおれは母ちゃんにすっげー怒ったのに、なのに母ちゃんはまたおれに何にも言わないで置いて行った。こんなことってあるか!

「悪いことは言わん。送ってやるから早く山へ帰るんじゃ」

「嫌だ。行く!」

 じいちゃんは困ったように大きなため息をつくと、あごをなでながらちょっと考えていた。それから、「この村の船じゃ無理じゃ。追いかけるにも、政府専用の特別な船でなければまっすぐ行くことはできん。普通の船で行くより帰ってくるのを待ったほうが早い」とすこし小さな声で言った。

 おれは何か言おうとしたけど、何も言えなかった。

 じいちゃんの話は難しくてよくわからなかったが、おれにすまないと思っているのはわかったからだ。どうやら大人でも、母ちゃんの後を船で追うのはできないみたいだ。じゃあ、どうすればいい? 

 おれが何も言わないでじっと考え込んでいると、じいちゃんがまたため息をついて、「日が暮れるまでに山に帰るんじゃぞ」とだけ言い、どこかへ行ってしまった。

 おれはひとりで母ちゃんの後を追う方法を考えないといけなかった。

 それからおれは海を見ながら考えていた。頭の上にあった太陽が海の中に入ってしまいそうになるまでじっと考えていた。それでもいい考えは浮かんでこなかった。

 そのうちに海の上に浮かんでいた船が村に帰ってきた。魚をたくさん乗せた船で、近くで見ると思っていたのよりも小さかった。あの船じゃだめなんだろう。おれは赤くなった海を前に、さっきのじいちゃんみたいなため息をついた。

 村の方からは家に帰る人たちの声が聞こえてきた。どっかの家からはうまそうな匂いがして、おれの腹がぎゅうぎゅう鳴った。そういえば朝から何も食べていなかったことを思い出して、旅の袋から干肉を取り出してかじった。

 その後ろを、おれよりもいくつか年上の子どもが数人、さわぎながら通り過ぎていった。向こうから来た大人の女が「もう晩ゴハンよ、早く帰ってらっしゃい!」と大きな声で呼ぶと、「はーい!!」と子どものひとりが返事をして別れを告げながら走っていった。他のやつらもそれぞれ別れて走って帰っていく。

 ああいう大人の女を母親っていうんだな、とおれは思った。

 

 普通の母親ってどんなのだろう。

 おれの母ちゃんは料理は作れないし、掃除も洗濯もじゃまになるだけだし、他に仕事とかもしてないし、それにすぐに山で迷子になる。ダダンにはしょっちゅう出ていけって怒鳴られていて、実際に追い出されそうになっていることもある。母ちゃんは山賊としても母親としても、ぜんぜん役に立たない。

 ときどき母ちゃんって何でここにいるんだろうって思う。

 母ちゃんがおれに何かしてくれることなんてない。だけど、母ちゃんにはおれしかいないから、おれはそれでいいって思っている。

 でも、本当にそうなんだろうか?

 だってそうだろ。おれしかいないなら、勝手にどっかに行ったりしないはずだ。おれが必要だなんて、母ちゃんは一度も言ってない。「待ってた」とだけしか言ったことがない。もしかしたら、母ちゃんが必要とするやつは他にいて、そいつのところに行っているんだとしたら、おれじゃなくてもべつにいいんだ!

 おれは何だか急に悔しくなって、すっげー悔しくて、涙が出てきて止まらなかった。

 こんなの母ちゃんに見られたら怒られるって思ったけど、どうせ何日もいないんだと思ったら、声まで出てきた。泣き声なんてみっともないから歯をくいしばったけど、今度は息がくるしくて、しゃっくりみたいになった。くそ、かっこ悪りぃ。

 

 空が暗くなりだした頃に、また村のじいちゃんがやってきた。

 じいちゃんは何も言わず夜道用の明かりを片手におれの手をひいて、山の家まで送ってくれた。

 ダダンに怒鳴られた。勝手に干肉をとっていったことを怒っていた。

 じいちゃんはフーシャ村の村長だったらしく、「あまり村におりてきてはいかんぞ」とだけ言って帰ってしまった。そりゃ山賊の子どもが村に来るのはいやだよな、と思った。

 だからおれは次の日から、フーシャ村の近くの高台へ行った。そこで海を見張ることにした。ここなら母ちゃんが帰ってきたらすぐにわかるし、母ちゃんが帰ってくる時ぐらいなら、村に入っても平気だろうと思った。

 次の日も、その次の日も、おれは毎日のように高台へ海を見に行った。

 自分でも不思議だが、ぜんぜんつまらなくなかった。それどころか、海を見ていると何だかわくわくしてくる。波の動きも、雲が流れていくのも、空と海の色が変わるのも、見ていて飽きなかった。

 案外おれは山賊より、海賊のほうが向いているのかもしれない。

 

 

 結局、母ちゃんが帰ってきたのは、それから63日後の昼過ぎだった。

 フーシャ村で待っていたおれを見て、母ちゃんは「あれ? エース、こんなとこで何やってんの?」と、とぼけた顔で言った。おれは母ちゃんのすねを思いっきり蹴ってやった。そして、もう母ちゃんのことは絶対に待たないって決心した。

 全く! おれの母ちゃんはッ!!

 

 

 



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05.最近息子が反抗期なんだが

 

 息子が激怒した。

 これがかの反抗期とか思春期とか呼ばれる子育ての山場なのかと思うと、息子の成長を実感して感慨深くなった。赤飯食べたい、私が。

「お前はおれの母親じゃねぇんだろッ!!」

「うん、そうだね。違うよ」

 すでに疑問ですらないエースの怒声を、私は間髪入れずに肯定した。

「あたしはエースを産んだお母ちゃんじゃないよ」

 水気の多い粥を啜りながら、今日は具なしかと残念に思う。それから、お椀から顔をあげて「それがどうかしたの?」と訊いた。

 くしゃりと何かを耐えるようにつぶれた顔をして、エースは火にかけられた鍋を蹴り飛ばして出て行った。

 無残にも粥が飛び散っている。ああ、まだ残っていたのにもったいない。食べられるだろうか、無理か。灰と混じった白粥を眺めながら考えていると、ダダンが唸るような低い声で言った。

「おめェ、もうちょっと言い方ってもんがあるだろが」

「言い方って? 私はダダンみたいに口汚くないんだけど」

「ウルセェ!! あたしのことはどうでもいいんだ! 気を使ってやれって言ってんだよ」

「まさか、ダダンに気を使えと言われるなんて……。私の女子力はダダン以下、だと……?」

「もういい、おめェに言ったあたしが馬鹿だった」

 虫けらを見るような目をして、ダダンは私から視線を外した。周りのみんなも、私を見ないようにしながら、黙々と食べている。私も何も言わずに食事を続けることにした。

 そもそも私は、息子に「破れた服は脱いでそこ置いといて」と言っただけだ。

 そして、冒頭へ戻って突然の激昂ですよ。

 反抗期怖ぇ、行動が読めなくて怖ぇ。一体どういうことなの。

 もしかしたらこの前、服を繕おうとして右袖も縫い付けちゃったことを根に持っているのかもしれない。あの服お気に入りだったし……。

 ちゃんと元に戻そうと思って糸をほどいてたら、弱った生地も一緒に引き裂いてしまった。さすがにもう服とはいえなくなって、「ごめんテヘペロ」と言って謝ったけれど、やっぱり駄目だったのかもしれない。

 それとも、エースが初めて捕まえてきたイノシシを料理しようとして、消し炭にしたことだろうか。あと掃除していた時に、エースの私物らしき紙くず(なんか汚い字が書いてあった。エースって字書けたっけ?)を捨てていいのか分からなかったから、まとめて部屋の真ん中に置いといた時も、なんか怒鳴られた。

 こうなると、最近始めた母親修行がすべて裏目に出ているような気がする。が、気にしすぎても仕方がないので、気にしないことにした。

 反抗期はあった方がいいからね。

 おめでとう息子よ、これで一歩大人に近づいたな。赤飯はないけど。

 

 その後、エースが自分の母親について、話題を口にしたのが初めてだと思い至ったのは、寝床を整えている時だった。

「……まァ、いっか」

 その日は朝までぐっすり寝た。起きてもエースは帰っていなかったが、最近はよくあることなので気にしなかった。

 7歳児にして夜遊びとは、アイツやりおる。

 

 

      ***

 

 

「最近、エースがずいぶん荒れとるらしいな」

 森も眠りについた夜半の闇の下、ガープが杯を傾けながら言った。

「普通じゃね?」

 ちびちびと杯の水面を舐めるように飲みながら、私は答える。

「町の不良共が子供に殺されかけたと騒ぎになったらしいじゃないか」

 まだ幼いのにようやるわ、そう言ってガープはかかと笑った。まぁな私の息子だからなと便乗すれば、どの口が言うかと一蹴される。

 エースは一年ほど前に、父親の名前を私から聞き出すと、なにやら一人で町へ通うようになった。

 世の治安は、大航海時代が始まってから悪化していく一方だ。その元凶が父親であると知っても、まだ聞かずにはいられないのだろう。もちろん、いい評判などある筈もないのに。

 そして大体暴れて帰ってくるのだ。

「私も若い頃は荒れてたしなぁ」

「お前の若い頃なんぞ知らんが……。まぁ、確かに少し前まで不良みたいなもんだったな」

 納得したようにガープが頷く。

 おいおい、少し前まで不良と思われていたのか私。不本意すぎる。

 しょっぱい気持ちで、静かな夜の海を眺めていると、同じように視線を前に向けたままのガープが低い声で言った。

「何故、父親の名を教えたんじゃ」

「いいじゃん別に、いずれ知ることなんだし。思い知るのは早い方がいい」

 きっと嫌でも思い知る。この世に逃げ場などないことを。普通の人生など望めないことを。己という存在が、どれほどの危険性をはらんでいるのかを。

 しばらく黙っていたガープは、重い息を吐き出して言った。

「お前はお前で考えているんじゃろうが、わしにはお前がわざと母親らしくないよう振る舞っているように思える」

「さぁてねー。私はそんな器用じゃないけど」

「確かに、お前に嘘をつけるような器用さはない。でも、それ以外のことは……意外と器用じゃろ?」

「何が言いたいかはっきり言えよ、ガープ」

 空になった杯を手の中で持て余す。酒は酔えないから好きじゃない。

 ガープは少しだけ纏う空気を硬くした。

「今はまだ、エースはお前のことを母親として慕っている。だがそれもいつお前を見限るかわからん。あいつが独りにならんように心を繋ぎとめておく存在が必要だ」

 そして普段よりもずっと平坦な声で、「エースの味方になってやれ」と言った。

 ことりと地面に杯を置き、私は大きなため息をついた。

 まったく、はっきり言えって言っているのに。この男が回りくどい言い方をするなんて珍しい。

「私たちがあの子の味方になってどうすんだよ」

 ぶっきらぼうな、ともすれば冷淡な声で私は言った。

 海はさざ波ひとつ立てずに鎮まり、とろりとした闇をゆっくりかき混ぜていた。まるで世界が終わった日のようだった。

「軍人と役人の私たちがあの子の味方になって、それでどうするの?」

 隣に座る男の顔を覗き込んでにやりと笑うと、男は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「エースを海軍に入れて、自分の手元に置いておきたいアンタの気持ちは分かるけど、それを選ぶかはエースが自分で決めることだ」

 いずれエースにもわかる日が来る。この先、どの道を選んだとしても、運命という重みを背負って歩き続けねばならないことを。そして、彼はきっと最も険しい道を進むだろう。私にはそんな予感があった。

「ヒヒヒ、心配すんな!! 引き受けたからには責任もって私が最期まで面倒をみるさ!」

「犬の世話ではないんじゃぞ……」

「分かってるよ」

 何とも言えない顔でこちらを見下ろすガープに笑って見せる。

 もう私は覚悟を決めたというのに、まだこの共犯者は甘い考えを捨てきれていないのだ。

 杯を手に取って差し出すと、ガープが無言で注ぐ。表面いっぱいに張り詰めて、波紋ひとつ立てられそうになかった。

「だからその時が来たら、私が……」

 その言葉の先を心の中だけで呟いて、私はくいっと杯を飲み干した。

 今でもまだ、酒の味はわからない。

 

 

      ***

 

 

 いい天気だった。

 空と海はどこまでも青くて、風は清流のようにさらさらと吹き抜け、水平線の向こうへ白い雲を運んでゆく。

 岬の先に座ってぼんやりとしていると、後ろから小さな足音が近づいて来た。

 視線だけで振り返ると、驚いたことにそこにいたのはエースだった。自分から私の傍に寄ってくることはずいぶん長い間なかった気がする。

 エースは何も言わずに少し離れて座った。

 私のことを一切見ないのが可笑しくて笑いそうになったがぐっとこらえる。よく見るとエースは怪我が増えていた。唇は切れて血を滲ませているし、顔だけじゃなく体中に殴られたあとがある。服もぼろぼろになっていた。また縫わなければ。

「ずいぶん派手にケンカしたなぁ。勝ったか?」

「おれが負けるか!」

「それもそうだな」

 さすが私の息子だ、と最近は言わずにいるけど、そう思っていることが伝わるように弾んだ声で肯定してやる。ふふふと笑いがもれたが、楽しいので気にしない。

「お前は……」

「なぁに?」

「……怒らないんだな。町で暴れても」

「何で怒るの? 息子がケンカで勝ったんだ。私は嬉しいけど」

 私がそう答えると、エースは眉をしかめて険しい顔をした。そしてそのまま地面を親の仇のように睨みつけて、黙り込んでしまった。

 ざざん、と波が控えめな音を繰り返している。海は陽の光を受けて白く輝き、それがあまりにも眩しいものだから私は目を細めた。

「おれは生まれてきてもよかったのかな」

 ぽつりと、小さな声でエースは尋ねた。

 それはささやかな風にかき消されてしまいそうなほどか細い声だったけれど、私には泣き叫びたいのを必死に抑え込んでいるように聞こえた。

「さぁね。いくら私でもそれは分からないよ」

 のんきな声で私は答えた。

 かみ締めた唇から、滲み出したひとしずくの血が地面を濡らす。握ったままの拳が白くなっていた。

 エースが本当に訊きたかったことが、それだったのかはわからない。でも、きっとこれからも、本当の親について私に尋ねることはないだろう。他の誰から話を聞いたとしても決して私からは。

 こんなになってもまだ、私を母親として扱う息子を嬉しく思うと同時に、恐ろしくも思う。

「重いよなぁー……」

 私は間延びした声で言った。

「重いとさぁ、どこにも行けないって思っちゃう」

 風がふわりと髪の毛をなびかせ、岬をすべり落ちるように海へ去ってゆく。

 エースは何も言わなかった。

 広い海を前にして、頑なに足元を睨みつけるその姿が、私自身を見ているようだった。

 どこにも行けないと意地になって、自分の存在価値を見失って、人に意味を与えられなければ存在することもできないのに、まだ過去に縋って生き続けている。

 そうやって歩んできた自分を否定はしないし、今はそれが自分だと笑って言える。でもそれは知ったからだ。どこへでも行けることを教えられたから。

『人はみな、生まれながらに自由だ!』

 そう言った男がいた。かつて世界の全てを見た男は私にそう言った。この世界の誰よりも自由に生きて、そして死んでいった男の言葉。

 知っていたつもりだった。なのに、いつの間にか自由という言葉の意味をはき違えていた。秩序と自由は対義ではないということを。

「確かに、人は生まれながらに背負っているモノの重さが違う。でも、人の価値はどんな人生を歩んだかで決まる」

 私はさっぱりとした声で言った。

「今のお前に価値なんてこれっぽっちもないよ。漬物石より役に立たないだけ」

「ッ――! 価値があればいいのかよ! おれに価値があれば望まれるのか!? 生きてもいいって、言ってもらえるのかよッ!!」

 それはあたかも、決壊した濁流のような叫びだった。

 荒々しい息遣いで立ち上がったエースが、私を見下ろした。

 私はぼんやりと海を眺めたまま言った。

「どうだろー。私もそんなこと言ってもらったことないから分かんないなぁ」

「じゃぁ――」

 エースが言いかけた言葉を遮る。

「まぁ、『価値だとか重さだとか、そんなもの俺はどうだっていい』って言いきったやつもいたけどね」

 ひゅ、とエースが息をのむ音がした。

 私はゆっくりとエースを見上げて笑った。

 難儀なものを背負ってしまったなぁ、お前も私も。だからきっとこれくらいは許される。そうだろ? ロジャー……。

「『自分の存在を人に決められて、お前はそれで満足なのか?』」

 この世に存在する全てのモノに意味はあると、そう信じていたこともあった。でもこの世界は、そんなスッキリとした計算でできてはいない。足したり引いたり、余ったり足りなかったり。

 仕方ないよなぁ、わりと適当だったもんなぁ、と苦笑する。私も実は計算苦手なんだ、学ないから。だから、ごめんなと心の中で謝る。

 価値も意味も、生きる場所も。――欲しいものは全部、自分の力で手に入れてください。

「エースはさぁ、どんな生き方をしたらいいと思う?」

「……分かんねぇよ」と、エースは力のない声で言った。

「だよねぇ」と、私はケタケタと笑いながら頷いた。

 私にもまだ分からない。

 答えに辿りつくのは、私よりエースの方が早いだろう。

「その答えはきっと死ぬときに分かるんだろうね。――自分が満足か否か」

 エースは何も言わなかった。私もそれ以上何も言わなかった。

 立ち上がったまま海の向こうを睨みつけるその眼は、瞬きもせずナイフのように鋭かった。

 私はその横顔を覚えておこうと思った。もう決して、私の前で涙を見せなくなった幼い泣き顔の代わりに。

 海は相変わらずゆらゆらと白い光を揺らして、白い雲が海と空の真ん中に吸い込まれていく。

 私は眼を閉じて、通り過ぎていく風を感じた。

 

 

 

 



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06.知人の子は大きくなるのが早い

 

 誰かに会いたいと想う夜がある。そんな時は一人で酒場へ行く。

 会いたいと思うのに、誰に会いたいのかは分からないから、誰かを誘ったりはしない。誰でもいい訳じゃないのに、誰にも会えない。……そんな夜が私にもある。

 あまり込み合わないが、雑音と音楽がほど良く混じり合った薄暗い店を好んだ。上質な酒を出す店ならなお良い。酔えなくても旨いものは旨いだろうというのが持論だ。例え味がわからなくても。

 カラリ。涼やかな音と共に硝子杯(グラス)を傾けると、音に反するように喉が熱くなった。強い酒だ。少なくとも一気に飲み干すような楽しみ方をするものではない。だが熱は身体を巡ることなく、すっと波を引くように霧散してゆく。

 さらに杯を重ねようとして、目の前のボトルをかすめ取られる。伸ばした手がテーブルの上を彷徨った。

「そんな時化た顔で飲んでたんじゃあ、せっかくの上物が台無しだ」

 軽やかだが場にそぐわない陽気な声が降ってくる。

 その白々さが癪に障った。一人の静寂を破られた苛立ちが沸きあがる。

「酒は好きじゃないんだ」

「それは、知らなかったな」

 意外だとでも言いたげな言葉に、ようやく私は顔を上げて、背後に立つ男を振り返った。

 赤い髪に麦わら帽子。夜中の酒場に不釣合いなその帽子には、嫌というほど見覚えがあった。

「ずいぶん探しましたよ」

「……もしかして、シャンクスか」

「お久しぶりです、姐さん」

 そう言って帽子を取り、にんまりと笑った男の顔は、記憶の中にある少年の面影をはっきりと残していた。顔に残る三本の傷跡以外は。

「お前、ずいぶん男前になったな」

 揶揄い半分に指摘してやると、シャンクスは頭を掻きながら口ごもった。どうやらあまり触れてほしくない話題らしい。代わりにこちらをじっと見つめながら言った。

「テミスの姐さんはホント変わってねぇな」

「まぁね」そう言って苦笑する。

 テーブルの向かいに席を勧め、硝子杯を一つ追加し、改めて再会に乾杯をした。こうやって酒を酌み交わすことになるとは、時間というものは恐ろしく偉大だ。

「で、何か用?」

 カラカラと硝子杯の氷を弄びながら気だるげに問いかけた。

「赤髪海賊団の船長ともあろう者が、こんな東の果てで人探しだなんて」

 私を探してたんだろうと笑いかけると、シャンクスは生真面目に頷いてみせた。

貴女(アンタ)がマリージョアを去ったと聞いたので」

「謹慎中なんだ」

「まだ、ですか」

「そう、まだ」

 じっと此方を観察する眼に、彼がもうあの頃の子どもではないことを思い知る。

 溶けた氷が音を立てて二人の間に響いた。

「フーシャ村にいるらしいな」と私は言った。

「知ってたなら会いに来てくれよ。こっちはずっと探してたっていうのに」

「冗談」

 そう言って、ふふと笑う。

 実際、ずいぶん探したのだろう。この国だけではなく、東の海のあちこちでシャンクスの一味が現れたことは話に聞いていた。コルボ山にも何人か来ていたらしい。だが山賊の縄張りをむやみに荒らすことを嫌ったのか、ダダン一家のアジトまでは来なかった。さすがに山賊一家に世話になっているとは、思いもよらなかったに違いない。こちらも言うつもりはないが。

「まぁ、時間はかかったが思わぬ出会いもあったしな」

「いい女でもいたのか?」

 女でも作っていたら笑ってやろうと思ったのだが、シャンクスは酷く大人びた顔でこう言った。

「面白いガキがいるんだよ」

「どこに?」

「フーシャ村に」

 一瞬にしてフーシャ村の全村人の顔が頭をよぎる。

 もともと小さい村だが、その中の子どもといったら数人しかいない。そしてシャンクスに『面白い』などと形容されそうな子どもの心当たりは、一人しかいなかった。

「おい、それってガープの……。お前、ガープに殺されるぞ」

「それはやべぇな」

 シャンクスも知ってはいるのか、悪戯がばれた子どものような、それでいてばれるのを待っていたような、恐怖と期待の入り混じった器用な顔をしてみせた。

 一体何をしたのか。私とて、あえて一切接触しなかったというのに。

「あ。なんか、今。すごく嫌な予感がした」

「女の勘ってやつか」

「いや、ただの経験則」

 ぐいと一気に杯の中の酒を呷る。ぺろりと口の周りを舐めとって、酔えないなぁと栓なきことを思う。空になった杯にシャンクスが酒を注いだ。向こうの杯はちっとも減っていない。仕方なくもう一度杯を持ち上げたところで、姐さんと少し乾いた声で呼ばれた。

「俺の船に乗らないか」

「ぷっ」と声が漏れた。「あはははは……!!」

 思いがけず酒場に響いた笑い声に、周りの客の視線が集まる。片手をあげて謝罪すれば、特に興味も持たれずすぐに視線は散った。

「魅力的なお誘いだけど」

「そりゃあ残念だな」とシャンクスは言った。そして、「貴女には海が似合うのに」と女に甘い言葉を囁く貴族のようにほほ笑んでみせた。

「……言うようになったねえ」と私は言った。

 シャンクスは間をおいて、私をじっと見た。

 私は黙っていた。

「貴女の記録を見た」

 記録とは政府に保管されているもののことだろう。海賊の癖に何をやっているのかと呆れると同時に、たかが海賊が手出しするには度が過ぎる所業にいっそ感心すらした。まったく立派に育ったものだ。

「手に入れるのにずいぶん苦労したぜ」

 何を、どこまで知られたのか。たった一部でも政府は動くだろう。もとより見られて本気で困るような記録など、残してはいないのだとしても。

「貴女が政府の狗であり続ける限り――」

「だから、味方に引き入れて目の届くところに置いておきたい、と」

 相手の言葉を奪うように結論だけを言うと、シャンクスは黙ったままこくりと頷いた。そのどこかぎこちなくも幼い仕草に、同じ船に乗っていたあの頃の面影を強く感じた。

 彼は船員たちの中でも一層若かった。同じ年頃の赤い鼻の子とよくケンカしていた。一方的に向こうが怒鳴って、彼はいつも飄々としていたけれど、実は張り合っていたのを知っている。

 直面する困難の数々に感嘆の声をあげながら、必死に大人たちを追いかけていた姿を知っている。あの輝いたまなざしを、夢を語っていた力強い声を、別れた仲間に流した涙を、私は全部知っている。

 あれからもう12年だ。強い意志を秘めた眼は少しも変わっていないのに、笑い方だけが大人になった。今の彼は何のために海へ出るのだろうか。きっとあの頃とは、何もかもが違うのだろう。

「今、貴女を殺せば、世界は変わるんだろうな」

 そう言って、シャンクスは麦わら帽子を深くかぶり直した。隠された視線からピリピリとした殺気が伝わってくる。

 私は思わず、うふふと笑った。

「殺せるものなら殺してみなよ」

「……そういうところも、相変わらずだ」

「そうかなあ」

 そう言って、さも可笑しそうに笑いながらシャンクスを眺めた。懐かしい麦わら帽子の下で歪められているだろう顔を想像し、柄にもなく感傷的になった。笑うのをぴたりとやめて天井を振り仰ぐ。

「そろそろ帰るよ。子どもに怒られる」

「子ども?」シャンクスが顔をあげて訊ねた。

「子育て中なんだ」と私は事もなげに言った。

「……!? 姐さん、が……!?」

 シャンクスは絶句した。きっといろんな意味で言葉を失った。

 その顔を見ながら、こいつもなかなか失礼な奴だったよなあ、と昔を振り返る。

「言いたいことは分かるが事実だ。安心して、私一人で育てている訳じゃないし、私が産んだ訳でもない」

「どっかで拾ったのか」

 訝しげな声で訊くシャンクス。

 どうにも腑に落ちないと顔に書いてある。それはそうだろう。自分でも未だにどうしてこうなったのか分からないのだから、私の意図を探ろうとしたって無意味だ。

「いや、押し付けられた。遺言だよ、あの男の」

「まさか……」

 とある可能性を察したのだろうシャンクスが、それを即座に否定しようとして驚きに見開かれた眼で私を見つめる。私はそれで合っていると肩を竦めて笑ってみせた。

「笑えないだろう」

 シャンクスは何も言わなかった。ただ酷く真剣な顔でじっと此方を見ていた。

 そんな顔をされるとは思ってもいなかった。

「今ちょっとばかり反抗期でさ。この前も料理を作ってたら、そんなものが食えるかって飛び蹴りしてきてね。洗濯物持って行こうとしたら投げ飛ばされるし、掃除しようとしたら首絞められるし、山菜取りに行こうとしたら木に縛られるし……。ちょっと乱暴な子だけど、素直で人の話をよく聞くいい子だよ。父親と違って」

 最後を強調すると、シャンクスは微妙に引きつった顔をした。

 私はくすくすと笑った。

「そういう訳で、今この地を離れる予定は全くないんだ」

「変わったんだな……」

 ぽつりと呟くようにシャンクスは言った。

「変わるさ。私だって変わる。何もかもが変わっていくんだから。人も街も国も世界も、――神でさえもね」

 そう言って私は手の中にある硝子杯に視線を落した。琥珀色の液体が万華鏡のように反射していた。僅かばかりの明かりと表面についた水滴がきらきらと輝いている。

「変わらないものは過去だけだよ。……それだけは、どうしたって変えられない」

 残った酒を一気に煽る。そして帰るよと呟いて、私は金を置いて席を立った。

 去り際にシャンクスがもう一度私を呼んだ。私は振り返って言った。

「心配することなんて何一つない。何をしたって世界は変わる。私がいようがいまいが同じことだ」

 シャンクスはゆっくりとひとつ頷いた。

「でも、時代を変えるのは私の仕事じゃない。……いつだってね」

 私は少しだけ笑ってみせ、それからするりと酒場を出た。

 今度こそ呼び止められなかった。

 外に出ると、夜も更けた中心街は酷く静かだった。端町にほど近いとはいえ、酒を飲んで騒ぐ者がいない程度には上品な区域だ。

 私はしっかりとした足取りで外に通じる門へと急ぐ。大門が開く明け方にはまだ早かったが、今はすぐにでも帰りたかった。外に出る手段などいくらでもある。私はズボンのポケットに手を入れて、暗い空を見上げた。

 月のない夜だった。

 

 

 

 



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07.気がついたら息子が増えてた

 

「今日からこいつがお前の母親だ」

 そう言ってガープは、子どもを私の目の前に引っ張り出した。

 見上げる眼はビー玉のように丸く黒々としていた。さっきまで喚いて暴れていたのが嘘のように、閉じることを忘れた口をぽかんと開けて此方をじっと見上げている。

 その子どもは阿呆そうだった。顔は何となく知ってはいたが、こうして会うのは初めてで、鼻たれたガキというのが第一印象だ。実際、年齢の割に大人びていたエースと比べると、年の差はあれど一目瞭然だった。

 何の反応もなく固まってしまった子どもに、ガープは「おい、ルフィ」と声をかけた。

 しかし、その言葉も耳に届かない。頭が足りていないのか、よほどのショックだったのか、呆けたままだ。

 目の前の大口があんまりにも見事だったので、舌を引っ張り出してやろうかと考えながら、子どもの前に顔を近づける。すると、

「すげーなぁ!! 空と海みたいだ!!」と、子どもは唐突に叫んだ。

 子どもの眼は、いつの間にかキラキラとしていた。

 私は思わず真顔のまま顔をしかめた。

 自分の色を空と海に例える者は多いが、ここまであからさまに手放しで感動されたのは初めてだ。たかが、髪と眼の色である。

「おい、ルフィ。もう一度言うが、今日からこいつがお前の母親だ」

 ガープは疲れた声で言った。

 子どもは目をぱちぱちさせて、背後のガープを見上げた。そして、

「えぇええええッ!!」と、心底驚いたような声で叫んだ。

 今更だ。タイミングがずいぶんズレていた。

 どうやら、最初の説明は耳に入っていなかったようで、ようやくガープの言葉を理解したらしい。

「おれ、かあちゃんいたのか!? 知らなかった!!」

「今日からと言ってるじゃろうが! 人の話を聞けっ!!」

 ごつん、とガープが鉄拳を振り下ろした。

 ぎゃあぎゃあと目の前で騒ぐガープと子ども。どう見ても、この祖父にして、この孫ありといったところである。

 正直、何もかもが面倒くさい。

「何じゃつまらん。もっと反応するかと思えば、真面目な顔で黙りこくりよって」

 孫を黙らせたガープが私に言った。

「おいガープ。冗談はよせ、笑えない」

 ようやく私は口を開いた。

「冗談でお前にこんなことを言ったりせんわ」

「そうか、ついにボケたか。そこそこ長い付き合いだったな、ガープ。退役はセンゴクに言っておいてやるから、老後はゆっくり孫と過ごせや」

「まだバリバリの現役じゃい」

 このジジイ、まだ海に出るつもりのようである。

「だいたい今更、一人が二人に増えてもそう変わらんじゃろ」

「……それもそうか」

「いや、変わるだろ! あんたら、人間を何だと思ってるんだ!!」

 私が納得しかけたところで、第三者の声が割り込んできた。ダダンである。

「何じゃ、お前らおったのか」

「最初からいるよ!!」

 すっかり空気となっていたが、最初から私の横にいたのだ。後ろにはマグラとドグラもいて、微妙な顔で成り行きを見守っている。

「そもそも誰が世話すると思ってんだい! まず最初にあたしに話をつけるのがスジってもんだろう!! だいたい、あんたの孫って……。小娘一人で参ってんのに、これ以上増やしてエースの機嫌を損ねるのは御免だね」

「こいつよりは手が掛からんし、あいつも子ども同士でどうにかするじゃろう」

「本当だろうね!? むしろその孫を引き取る代わりに小娘を持って帰ってくれりゃ、こっちは万々歳だよ!」

 今まで苛立ち交じりに黙っていた分、ここぞとばかりに文句を言うダダン。しかし基準がエースとはどういうことなのか。私としては大変不本意である。

「おい!! 誰だお前!!」

 突然ガープの孫が怒鳴った。

 腹を立てている子どもの視線を追うと、そこには自分より十倍以上も大きい野牛の上に座り、こちらをじっと険しい眼で眺めているエースがいた。

「お帰りエース」と私は声をかけた。

 エースは一瞬チラリと私を見たが、すぐに無言で視線をそらした。

 今日も安定の反抗期である。しかし、どうやらいつもより機嫌が悪い。

「あいつがエースじゃ。歳はお前より三つ上。今日からこいつらと一緒に暮らすんじゃ。仲良うせい」と孫に言うガープ。

 当の本人はそれどころじゃないようで、憤慨しながらエースを威嚇している。

 エースは見慣れぬ子どもを一瞥しただけで、すぐに興味を失ったようだ。何も無かったかのように、すたすたとアジトの中へ入っていく。

 ガープも「じゃあ後は頼んだぞテミス」と言い残し、孫を置き去りにしてさっさと帰ってしまった。

「あ、ていうか決定なんだ」

 私はぽつりと呟いた。

 どうやら本当に息子が二人になるようだ。あまり実感がわかないが、何とかなるだろう。今までも何とかなったのだから。

 その考えが甘かったことを、私はそう遠くない内に知ることとなる。

 

 

      ***

 

 

 アジトの中にはおいしそうな匂いが充満していた。

 それなりに広い室内には、数十人もの人間が囲炉裏を囲うように座している。その中心には棟梁のダダン、その隣にガープの孫、そして私とエースの四人が座っていた。

 今日の昼食は野牛の香草焼きと、きのこと根菜の牛骨スープ。それから、野草の御浸しの三品である。

 メイン料理はパリっと香ばしく焼けた肉の表面が艶々と輝き、スパイシーな匂いが食欲をかきたてる。普通に丸焼きにしただけでは、このようにならないことぐらい、私でも知っている。

 今や劇的に改善されたダダン一家の食事事情は、もちろん私の家事スキルが向上したためではない。自分で言うのも何だが、それだけは絶対にありえない。

 ならば、誰が一家全員の胃を掴んでいるのかというと、僅か十歳のエースである。

 ここ数年で家事の鬼と化したエースの手際の良さは、まさに魔法のようだ。肉を焼くにしろ、スープを作るにしろ、囲炉裏一つしかないこの空間を最大限に活用して同時進行で食事を作っていく。流れるような手さばきを見て、あのダダンでさえ唸ったほどだ。

 調味料にしても、この山にあるものだけでエースは味付けする。バリエーション豊富で食欲を刺激する味付けは、一体どこで覚えて来るのだろうか。

 料理を皿に取り分けているエースの横から、手伝おうと手を伸ばすが無言ではたかれてしまった。地味にショックである。諦めておとなしく座っていることにした。

 取り分けられていく料理の数々を目の前にして、ガープの孫は感嘆の声をあげた。

「すっげえ……! うまそう!!」

「そうだろう、そうだろう」と私が応える。

「何でお前が偉そうなんだい」

 ダダンが呆れたように私をジトリと見た。

 エースがいなきゃ、お前に食べさせるメシは米一粒もない。とはダダンがいつも私に言うお決まりの言葉である。いつの間にか自慢の息子の存在は私の食生活を握っていた。

 全員に行き渡ったのかダダンが食べ始める。それを見て周りも手を合わせて食べ始めた。しかし子どもが「おれの分がねぇぞ!?」と騒ぎ立てる。

「おめェの分はこっちだよ」

 ごとりとダダンが子どもの前に置いたのは、一杯のご飯と水だった。

 わぁ、質素を通り過ぎて虐待だよそれ。とは自分が対象になりたくないので口を噤んでおく。私だって美味しいものを前にしたら自己保身に走るもの。

「えーー!? これだけ!?」

「あたり前だ。働かざる者食うべからず。山賊界は不況なのさ。役に立たねえクソガキを置いとけるほどウチは潤ってないんだよ」

 そう言いながら、ダダンはチラリと視線を私に向けて戻し、「明日からおめェ死ぬ気で働いて貰うぞ」と吐き捨てるように言った。

「おかわりッ!!」

「話聞いてなかったんかいッ!!」

 いつの間にか空になっているお椀を突き出し、子どもは元気よく飯を要求する。

 青筋の浮かんだ額を手で抑えたダダンが、歯を食いしばるようにして私を睨みつけてくる。そんな顔をされても、今回ばかりは私の所為ではないというのに。

「おれも肉食いてェ!!」

 ぐぎゅるると腹の音を鳴らしながら、子どもは羨ましそうな目でエースを見た。

 そんな子どもの視線など気にもかけずに、エースは黙々と食事をしている。

 視線を落したまま背筋を伸ばして、淡々と食べる姿は妙に大人っぽいのだが、やっていることは年相応である。可愛げがあるのか、ないのか。

「仕様がないなぁ。私のを分けてあげるよ」

 ひょいとメインの肉の皿を子どもの前に置いてやる。

 とたんに子どもの眼は輝き、皿と私を交互に見比べた。エースがぴくりと動きを止めたのが私の視界の端に映った。

「本当か!! お前いいやつだな」

「まあね」

「おれ、山賊は大っ嫌いだけど、お前は嫌いじゃねぇぞ」

 ニコニコと素直な笑顔を向けてくる子どもに、思わず私は眼を細めた。

 お安く買える好意である。いくらなんでも純粋過ぎではなかろうか。ここまで真っ直ぐだと、確かにガープが心配するのも分かる気がする。

 あのガープを悩ませる存在がいたという事実に苦笑が漏れる。あいつも歳だなぁ、なんて少し感慨深くなったりして。

 突然、――ガンッ!! と音がして、私は振り返った。

 そこには怖い顔をしたエースがいた。

 場がしんと静まり返った中で、エースは私をひと睨みすると、床に叩き付けた空の皿をごろんと放り出し、無言のまま席を立った。

「いってら~」

 のんびりと後姿に声をかけるが、エースは振り返りも応えもせずに、そのまま外へ出て行った。

「何だ? あいつ突然」

 エースがいなくなって緊張が解けた部屋で、子どもがぽつりと呟いた。

 しかしその言葉を拾う者はいない。各々自分の食事に戻って、誰も口を開こうとしなかった。

「どこ行くんだろ?」

 首をひねりながら子どもはそう言った。それから、慌てて野牛の肉を丸ごと口の中に詰め込むと、口を押えながら立ち上がった。

「おめェがどこ行くんだよっ!!」

 ダダンが止めるのも聞かずに、子どもはそのまま出て行ってしまった。エースの後を追ったのだろう。

 エースは間違いなく山の中へ入っていったに違いない。この山を誰よりも自分の庭のように熟知しているのはエースだ。

「本当に誰かに似て話を聞かねぇガキだな! この山の獣に食われて死んでも知らねぇからな!!」

「大丈夫だって。あのガープの孫だよ」

 残った部屋で、憤慨するダダンに私は言った。

 いくらフーシャ村でぬくぬくと育ったといっても、あのガープがまったく何もせずに可愛がっていただけとは考えられない。多少自分の身を守ることくらいはできるはずだ。山の獣に勝てるとは思わないが、身の危険を感じればエースに助けを求めるか、すぐに逃げ帰って来るかぐらいはするだろう。

 しかし、ダダンはギロリと私を睨んで言った。

「だったら、死んだらお前がガープに事故だって報告するんだよ!」

「えー、それはちょっとぉ……」

 ダダンの剣幕に、私は思わず言葉を濁した。

「ほらみろ! あたしだって、死んだら死んだで構わねぇんだ」

「いやいや、そんなこと言って、本当は心配なくせに」

「お前が代わりに野垂れ死んでくれりゃ最高だよ」

「残念! それは無理な相談だね」

 きっぱりとおどけたように言い、私はまだ十分に温かいスープを啜った。

 スープは濃厚なのに癖がなくてさっぱりしている。牛骨だけでなく、きのこや根菜の旨味もよく出ていて、どこか優しい味がした。

 ふふふと笑いが漏れる。良い子に育ったなぁ。

「何でお前が未だに母親やってんのか理解に苦しむよ」

 ダダンは苦い顔をして言った。エースもこんな奴さっさと見捨てればいいのに、と此方に聞こえるように悪態をついてくる。

「そんなの単純明快じゃないか」

 私はダダンの顔を見ながら、にやにやと笑って言った。

「私が愛されてるからさ」

「うるせぇ!!」

 思いっきりキレたダダンに殴られた。解せん。

 

 

 

 その後、ガープの孫がボロボロの姿で帰ってきたのは一週間も経った後だった。

 どうやら山の中に置き去りにされ、山の獣に追い回されていたらしい。それでも生きて帰って来たのだから、さすがガープの孫というべきか。やっぱり逞しかった。

 だが赤ん坊の頃からこの山を歩き回っていたエースに比べると、危なっかしいのも確かだ。歩み寄りをみせる様子もないエースに、このまま二人を放置しておくのも不安が残る。

 ぱっと見ただけなら、お兄ちゃんに構ってほしい弟とそれが鬱陶しい兄の図なんだが、エースは徹底的にガープの孫をいない存在として扱っている。

 誰に似たのか、頑固で融通が利かず、身内以外には排他的な一面があるエースだ。自分からは何が何でも打ち解けようとしないだろう。

「どうしたもんかなぁ……」

 水色の空に広がる薄く引き伸ばした白い雲を見上げて、私はぽつりと呟いた。

 

 

 

 



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08.兄弟喧嘩は外でやれ

 

 しとしとと鬱陶しい雨がようやく止んだ。

 久しぶりに拝んだ晴れ間に、一家総出で洗濯をすることにした。ウチは大所帯だが、男手ばかりでロクな家事もできねェ奴らがごろごろいる。

 男だけじゃない。預かっている小娘なんかは、家事どころか何もさせることができないほどだ。正直、ガープからの預かりものじゃなければ、早々に簀巻きにして海に投げ捨てていた。

 今日も今日とて、いつの間にか洗濯物を干している手下たちに紛れ込んでいた。洗い終わった布団のシーツを手に取って、一歩踏み出した瞬間にシーツの端を踏んづけてすっ転んでいる。また洗いなおしだ。

 近くにいた手下たちが、二度手間だから手を出すなと厳しく言い聞かせているが、これもいつものことで、何度言っても聞きやしない。

 ふと見ると、エースの後について森へ入ろうとするガキの姿があった。生傷だらけの身体をものともせずに駆けていく。

 それに気づいた周りの手下たちが慌てて声をかけた。

「おい、ルフィ! おミーいい加減にエースの後追っかけるの諦ミろ。死んだら元も子もニーぞ」

「いやだ!! おれは海賊王になる男だぞ! こんな山なんともねぇ!!」

 ドグラが相変わらずの訛った言葉で止めるが、ルフィの奴は意地になっているのか言うことを聞かない。こういう所は血も繋がってないのに小娘と同じで、はた迷惑なことこの上ない。

「はぁ……、どうしようもねぇクソガキだな」

 思わずため息と一緒に悪態も出た。もはや怒鳴るのも面倒くさい。

 確かにテミスの体質に比べれば断然手はかからないが、あれはあれでゴキブリより生き汚くてしぶといので命の心配は必要ない。それに帰らない時はエースが迎えに行くので、預かっているという点では管理がしやすいのだ。

 だがルフィは、ちょろちょろと森へ入っては数日間帰ってこず、生きているのか死んでいるのかも分からない。

 エースが適当に連れ帰ってさえくれれば、後はどうだってなるのに。

「ったく。おいエース、一応お前が兄なんだから面倒をみてやりな」

 見かねてそう声をかけると、エースはキッと険しい顔で振り返り、あたしに怒鳴り返してきた。

「俺に弟なんかいねぇ!!」

「ああそうかい。じゃあ小娘、母親なんだからお前が何とかしな」

 予想した通りの反応を受け流し、今度は転んで座り込んだままのテミスに声をかける。しかし、こちらを見上げるように目を細めたテミスは「そうだねぇ」と、さらりと同意してみせた。

 あたしは唖然とした。

 ぴたりと、洗濯をしていた周囲の手下たちが動きを止める。エースも僅かに目を見開いてテミスを凝視していた。

 まさか、あれほど子どもに無関心だった小娘が、母親としての責任を感じているだと……!

 固まっている周囲の反応などお構いなしに、テミスは立ち上がると、「んじゃまぁ。とりあえず、ついて行くかな」と言って、何も分かっていなさそうにポカンとしているルフィの傍に行こうとする。

 しかしその足元に、ガッと石が投げつけられた。

「おふくろは来んな!!」

 怒ったような、それでいてヒドク焦った顔で怒鳴ったエースは、そのままくるりと身体を翻し、森の中へさっと消えて行った。

「あ! 待てよエース!!」

 慌ててその後を追って駆けだしたルフィが森に消える。

 その場にぽつんと残されたテミスが、こちらを振り返って笑ってみせた。

「ねぇ、ダダン。エースのああいうところ、すっごく素敵だと思わない?」

「ひねくれ過ぎてて、見てるこっちがハラハラするよ」

 うんざりして、あたしはそう吐き捨てた。

 

 

      ***

 

 

 結局、その日のうちにルフィは帰って来ず、三日後に生傷を増やして一人で帰って来た。

 今回はよほど怖い目に遭ったのか、先ほどから部屋の隅にうずくまって、ぐずぐずとべそをかいている。

 もうとっくに夕食も済んで、全員が思い思いにくつろいでいる時間だ。酒を飲むような蓄えはないが、カード遊びをしたり雑談をしたり武器の手入れをしたりと、それなりにゆったりと過ごしている。少し離れた所では、壁の方を向いて横になっているエースもいた。

 そんな賑やかな男共の声に紛れるように、ガキの泣き声がぐずぐずと絶えず聞こえてくる。いい加減、鬱陶しい。

 イライラして怒鳴り散らしたくなるのを押え、さっさと泣き止ませろとばかりにテミスを睨みつけた。

 テミスは床に包帯や消毒液などを広げて、ルフィの傷の手当てをしている。自分も怪我が絶えない所為か、手当だけは意外と上手い。

「もう泣き止みなよ。痛いぐらいどうってことないだろう? 死ぬ訳じゃあないんだから」

 消毒液を吹きかけながらテミスは平然と言った。

「イダイもんばイダイんだッ!!」

 液が傷に沁みたのか、びくりと身体を震わせてルフィが叫ぶ。

「そんなことで泣いてたら、海賊王なんて到底なれないね」

「う……!! だっで……」

「言い訳すんな」

 ぴしゃりと、テミスが口を閉じさせる。

 こうしているとそれなりに親らしくみえる。やろうと思えばできるんじゃねぇか。実際はあたしの睨みに屈しただけだろうが。

 唇を噛み締めて嗚咽を堪えようとするルフィに構わず、消毒を終えたテミスはするすると手際よく包帯を巻いていく。ルフィも傷が見えなくなってようやく落ち着いたようだ。

「何でおどなはみんな泣がねぇんだ?」

 まだ鼻をぐすぐすいわせながらルフィは訊いた。それをテミスはぼんやりとしたうわの空で「んー?」と返事をしておいて、しばらくしてから答えた。

「いや、泣くよ。誰だって泣く時ぐらいあるさ」

「なんだよ!! やっぱり泣ぐんじゃねぇが……!」

 それを聞いてぽこぽこと怒り出すルフィ。

 また騒ぎ出しやがったなと呆れていると、テミスが額にデコピンをして黙らせた。

「怪我が痛くてピーピー泣いてるガキと一緒にするんじゃない。ちょっと目を洗うだけだ」

 ぱちくりと目を見開いてから、ルフィは天啓を受けたように叫んだ。

「そうか! 目っでそうやっで洗うのか!! じらながった!」

「「いやいや違うだろッ!!」」

 素直に感心するルフィに、二人の会話を聞いていた周りが思わず突っ込みを入れた。

 もしかして小娘の奴、ルフィで遊んでいるんじゃないだろうね。振り回されるこっちは堪ったもんじゃない。

「何だ。違うのか」

 首を傾げて不思議そうにテミスを見上げるルフィ。

 その黒々とした丸い目を見下ろして、テミスは口の端を僅かに上げて笑った。

「違わない。洗うんだよ。泣くと、濁っていたものが落ちて、よーく見えるようになる。知らない間に目先ってのは曇るもんだ。だから、時には洗わないといけないんだよ。覚えておくといい」

「? わがっだ!!」

 絶対に分かっていない顔をして、返事だけは威勢よくルフィは応えた。

 時折、テミスはこんな風に、こちらが思わず考えてしまうようなことをいう時があった。いつもはふわふわとした笑みを浮かべて、適当なことしか言わないようなダメ人間の癖に、訊かれたことに関しては存外真面目に答えるのだった。

 だが、小娘の言うことをいちいち真に受けていても、こっちが疲れるだけだ。現に周りはもう誰もテミスとルフィのことなんて気にしていない。いや、一人いた。エースだけが、顔をこわばらせて背中越しにテミスをじっと横目で見ていた。

 

 

 タン、タン、と天井から音がした。

 その音は次第に短い間隔となり、音も激しくなっていく。どうやら雨が降り始めたらしい。

 カタカタと音を立てる戸口に嵐の予感がして、素早く周りの奴らに雨戸や外回りの指示を出す。

 にわかにアジトの中は慌ただしくなった。

 寝ころんでいたエースもむくりと起きて戸口へと向かう。家事の全てを掌握しているのはエースなので、運び入れた荷物などで部屋の中を荒らされることを嫌ったのだろう。無駄に細かな自分ルールがあるエースは、神経質なほど指示も細かい。

 動き回る周りを気にも留めず、手当てが終わったルフィはごろりと床に大の字に寝ころぶ。医薬箱をもとの棚に戻そうと立ち上がったテミスに、ルフィが寝ころんだまま声をかけた。

「なー、()()()()()。腹へったぁー」

 ルフィを見下ろしたテミスは、一瞬何を言われたのか分からないという顔をした。

 マズい。咄嗟にあたしはそう思った。

「――ッ!! いい加減にしろよッ!!」

 激しい雨音すらかき消すほどの声で怒鳴ったかと思うと、エースがルフィに殴りかかった。

「何すんだ!!」

 突然の暴力に抵抗しようともがくルフィ。

 しかし、寝ころんでいたのが災いして、馬乗りになったエースにされるがまま殴られている。この頃の三歳差は大きい。完全に力負けしているルフィだが、悪魔の実を食ったゴム人間ということもあり、そこまでダメージはないようだった。

 今まで何だかんだ邪険にしながらも、エースがルフィに手を挙げたことはなかった。それなのに、ここにきてエースに限界がくるとは思わなかった。いや、よく考えなくてもエースはもとから短気で喧嘩っぱやかった。最近大人しくしていたから忘れてしまっていただけだ。

 下から逃げ出したルフィとエースが、掴み合ったまま転げまわり、部屋はドスンバタンと音を立てた。

 周りの手下たちが尋常ではない様子に駆け集まり、やめろと叫ぶが耳に入らないようだ。

 ガシャンと棚から落ちた皿が割れて部屋に散らばった。

 もつれ合った二人は棚に当たったことさえも気づかず、部屋の中をめちゃくちゃに壊していく。

 机を吹っ飛ばし、隅に積んでいた洗濯物の山を引っかけてぐちゃぐちゃにし、囲炉裏の鍋をひっくり返して灰がもうもうと部屋に立ち込めた。

 目の前の光景に、カッと頭の毛先まで血が上ったように熱くなった。こんな馬鹿なことがあるものか!

「やめなぁあ二人ともッ!!!」

 これ以上アジトの中を破壊されては堪らないと、雷鳴を落す如く怒鳴りつけるが、飛びあがったのは周りの手下共だけで、クソガキ二人は止まらない。

 ランプが落ちて割れた。ふっと明かりが消える。急に真っ暗になった部屋に目が慣れず、視界は闇に閉ざされる。星月の明かりさえ届かない嵐の中で、激しい破壊音ばかりが聞こえてくる。

 こんな時に小娘は何を黙って見てるんだ、と怒りの矛先を変えて真っ暗になった部屋に視線を走らせる。ちょうどその時だった。

 

「――やめろ」

 

 たった一声。

 決して大きな声ではなかったのに、不思議とその声は部屋の隅々までよく響いた。

 時が止まったかのように、ぴたりと破壊音が止む。

 誰もが声が響いた方向を振り返った。

 ぼんやりと慣れてきた目に黒いシルエットが映る。月も星もない薄暗い部屋の片隅に、テミスはぽつんと立っていた。

 静寂が支配する部屋の中で、ざぁざぁと降る雨の音だけが場違いによく響いていた。ゴロゴロと低く唸る空。一瞬だけ、光を迸らせる雷がその横顔を見せた。

 テミスの白い横顔には、表情という表情がなかった。

「…………ッ!!」

 ぶわりと体中の毛という毛が逆立った。背筋を流れ落ちる冷たい汗にぞくりとする。

 これは誰だ? コイツはこんな人間だったのか?

 声にならない声をあげたのは誰だったのか。エースだったかもしれないし、ルフィだったかもしれない。もしかしたら、あたし自身だったかもしれない。もうそんなことさえも分からないほど、この場には息苦しいほどの重圧が満ちていた。

 テミスがこちらを振り返った。

 薄暗い部屋にぼんやりと白い顔の輪郭が浮かんでいる。その中で深い海の底のような暗い眼だけが、ちろちろと埋もれ火のように、此方を射抜いていた。

 今更ながらに、その容姿が他に類を見ないものであったことを思い出す。

 あたしは声をかけようとし、何と言うべきか言葉が見つからないまま、口を開けたり閉めたりした。

 そうこうするうちに、テミスの視線が私を通り過ぎ、平坦な声でテミスは言った。

「ドグラ、マグラ。二人を外の木に吊るしといて。……朝までそのままでいいから」

 ちょうどあたしの後ろにいた二人が、こくこくと無言で頷くのが気配で分かった。

 それを合図に、周りもそろりそろりと動き出す。

 壊れたランプの代わりに蝋燭を立てると、部屋の中にぼんやりとした明るさが戻る。誰も一言も声を発することなく片付けを始めた。

 ドグラとマグラの二人にロープでぐるぐる巻きにされている間、エースは手負いの獣のように、今にも飛び掛かりそうな形相でテミスを睨みつけていたが、抵抗は一切しなかった。青ざめて震える唇を、血がにじむほどに噛みしめている。

 対してルフィは拘束が終わった後、ようやく硬直が解けてじたばたと暴れ出した。

「おれ、わるぐねぇ!! 向こうが殴ってきたんだ!!」

 この状況で喚く元気があるとはこのクソガキは間違いなく大物だ。

 テミスが一歩一歩と近づき、座り込む二人を見下ろした。その冷ややかな視線に耐え切れず、ルフィは悲鳴のような息をのみ込んで黙った。

「ルフィ。エースが何で怒ったか分かる?」

「…………わがんねぇ」

「そう。じゃあ、よく考えてみることね」

 普段と違って、今のテミスには何を言っても無駄だと分かったのか、ルフィはくしゃりと顔を歪めた。目に涙が溜まっている。やがてひぐひぐとすすり泣きが口から零れ落ちた。

「エースは自分で分かるね」

「…………」

 顔を逸らすことなく無言で睨みつけるエースにも、テミスは一切動じることなく冷たかった。

「いいよ。連れてって」

 ドグラとマグラに声をかけて、テミスは奥の寝室にふらりと消えて行った。姿が見えなくなると同時に、部屋の空気が少し軽くなった気がする。

 知らず知らずのうちに詰めていた息を、あたしはゆっくりと吐き出した。

 いつの間にか嵐は過ぎ去っていて、雨脚も弱まっていた。

 エースとルフィは木の下に吊るされたことだし、この様子だと雨にはあまり濡れないだろう。ドグラとマグラは獣が来ても問題のない高さに吊っていた。

 テミスの白い顔が、ちらちらと脳裏から離れない。

 どうして忘れていたのだろうか。ガープが連れてきた娘は、あれで政府の役人だという話ではなかったのか。あの娘の体質とは呪いなのではなかったのか。

 いつも此方を馬鹿にしているのかと思えるほど、へらへらと笑いながら、はた迷惑な不幸体質で問題をまき散らしているあの駄目人間代表のような娘は、本当は一体何者なのであろうか?

 いつも周りから叱られながらも、ふわふわと気ままに生きていた小娘が、あのような感情を見せたことなどかつて一度もなかった。いや、今まで見てきたものは、感情などではなかったのかも知れない。

 どんなに酷い怪我を負っても、どんな罵声を浴びせられても、テミスはそういう時ほど完璧に笑ってみせた。――でも、あの笑みは全部偽物なのだろう。

 

 あの娘はきっとロクな笑い方も知らない。

 

 

 

 



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09.気がついたらまた息子が増えてた

 

 温かくも冷たくもない透明なブルー。

 それが却って、この女性(ヒト)の寂しさを、よく表しているようだった。

 

 

 ポルシェーミの一件で、海賊と諍いを起こした俺たちは、今までのようにゴミ山には住めなくなった。そのため俺は、エースやルフィが暮らしているダダン一家の世話になることにした。

 この時になって初めて俺は、二人の『母親』の存在を知った。

 その女性(ヒト)は不思議な人だった。

 まるで、空を切り取ったかのような淡い瑠璃の髪。海の水を凝縮して嵌め込んだような深い紺碧の瞳。その人は、俺が今まで見たことのない色彩を持っていた。少なくともこの東の海(イーストブルー)では見ることのない色だ。きっと他の海から来たんだろう。

 じっと眼を覗き込むと、こちらの心まで覗き込まれているような気がした。伸ばした自分の手が見えなくなるような、そんな深い底に落ちたような心地になる。どこか浮世離れした静邃を湛えた眼だった。きっと表情がなければ恐ろしいと感じてしまっていたに違いない。

 着ている服は白いワイシャツに黒いスラックス。上質なものではないが、シンプルでほどよく清潔感のある服装は、およそ山賊には似つかわしくなかった。むしろ、時折ゴミ山を監視に来る役人に、雰囲気がよく似ている気がした。

 そして何故か、白い服のあちこちから包帯が覗いていた。ところどころ赤黒く血が滲んでいるそれは、清潔感のある服装とは全く合っていないのに、異様なほど違和感なくその人に馴染んでいた。

 こんな人だったのか、と俺は思った。

 想像していた人物像とは全く違っていた。

 とはいっても、エースは今まで自分の母親の話は全くしなかったので、俺が想像するだけの情報もなかった。母親がいたということさえ、ルフィが口にするまで知らなかったほどだ。

 だから、ルフィの話とエースの態度から、漠然としたイメージを持っていたに過ぎない。

「君がサボ?」

 その人が静かに自分を見下ろして口を開いた。

 一瞬、話しかけられたのが自分だということに気がつかなかった。

 凪いだ海のような瞳が、俺を映していた。

 俺は狼狽えた自分を隠すように、わざとゆっくりとした動作で頷いて言った。

「あんたがエースとルフィの母親か。話は聞いてるよ」

「私も君の噂は聞いてるよ。エースといいコンビなんだってね」

 驚いた。俺のことを知っているのか。

 確かにあそこでは、エースとセットで俺の名前も知れ渡っている。しかしそれは悪名だ。でもこの人からは何の嫌悪感も感じ取れなかった。ゴミ山の孤児なんて、汚らしくないのだろうか。

「これからもよろしく頼むよ」

 そう言って、エースの母親は帽子の上から俺の頭を軽く撫でた。

 人に頭を撫でられるなんていつ以来だろうか。俺には覚えがない。何だか照れくさくなって、口の端が上がるのを隠すために帽子を引っ張った。

「なんだエース。お前の母親、いい人じゃないか」

「別に……」

 こそっと隣のエースに囁やくと、エースはむすっとした顔で呟いた。こんな様子のエースを俺は初めて見た。

 ダダン一家の世話になると決めた時にエースが渋い顔をするので、どんなに酷い環境なのかと思えば、こういう理由だったのかと合点がいった。

 エースが母親の存在を隠していたことに関しては、自分も人のことは言えないので追及はしない。でも、俺は断然この人に興味がわいてきた。

 こうして、俺はエースの母親を観察することにした。

 

 

 次の日から、さっそく俺は観察を始めた。

 それで分かったのが、エースの母親は本当に何もできない人だということだ。

 料理をすれば、食材を丸焦げにするか包丁で傷を増やしていた。そのため、一瞬たりとも手を触れさせまいと、エースが目を光らせている。

 掃除をすれば、アジトの中の物を破壊していた。見つけたエースにアジトから追い出され、しばらく入れてもらえずに外で蹲っていた。その間にエースが修理したり片づけたりする。

 洗濯をすれば、たらいをひっくり返し泥だらけになっていた。その後、エースにそのまま服ごとたらいに漬け込まれていた。

 全身泡だらけで、気持ちよさそうにシャボン玉を飛ばしているのを見て、ルフィもたらいに飛び込んで一緒になって遊んでいた。その間に俺とエースは残りの洗濯物を川で洗った。

 俺が「たらいじゃなくて、川に入れた方が早かったんじゃないか」と言うと、エースは「無理、流されるから」と答えた。俺はなるほどなと思った。

 他にもたくさんある。

 裁縫をすれば服を破くので、エースが丁寧に縫い合わせていた。森の中の山菜を取りに行けば獣に喰われかけるというので、アジトを一歩出たところでエースが意識を刈とっていた。勝手に街へ買い物に出かければ、エースが物凄い勢いで回収に行っていた。庭の薬草に水をやれば枯らすので、エースが『おふくろ禁止』の札を立てていた。

 何をするにもエースがフォローしていて、母親が一人で何かしないか目を光らせている。特に山には絶対に入れさせないという。

 俺が過保護すぎやしねぇかとエースに言うと、「おふくろのアレはざわざわ煩い奴らの所為だから仕方ねぇんだよ」と不思議なことを答えた。

「煩い奴らって?」

「知るか。昔は煩かったけど、今は俺にも聞こえねぇ」

 結局、エース自身もよく分かっていないようだった。

 エースについても、新しく分かったことがある。それは家事が得意だってことだ。

 俺だってゴミ山で暮らしてきたのだから、一人で生きていけるだけの生活力はあると思っていた。しかし、エースのそれは次元が違っていた。

 実のところ俺は、相棒の知らなかった一面に、母親のドジっぷりより衝撃を受けていた。

 特に料理だ。

 ゴミ山で暮らしていた時も、二人で飯を食うことはよくあったが、街で食い逃げをしたり、山で捕まえた獲物を丸焼きにしたりするだけで、エースは俺の前で料理という料理を作ったことがなかった。しかし、このアジトでは街で店でも開けそうな凝った料理を作る。

「何で今まで作ってくれなかったんだ」と文句を言うと、

「何でお前に作んねぇといけねぇんだ」と真剣に疑問で返された。

 どうやらコイツは無自覚でやってるらしい。

 もう一つ、食事に関して気がついたことがある。

 前々から、山賊一家で育ったわりにエースの食べ方がきれいだとは思っていた。ゴミ山の連中とはもちろん、高町の連中のもったいぶった食べ方とも違う。何と言うか、背筋がすっと伸びていて、静かに食べる。僅かに俯いた顔なんて同じ十歳とは思えない。

 それと同じ食べ方をするのがエースの母親だ。やはり何だかんだ言って、エースの母親はこの人なのだと実感させられた。

 そして、意外なことに、エースの母親は物知りだった。

 貴族の家庭教師なんかよりも、ずっと外の世界のことを知っていた。地理、天体、気象、航海術まで。聞けば立て水を流すかのように、俺の知りたかったことを余すことなく満たしてくれる。これには俺は狂喜乱舞した。

 ゴミ山で自由に生きるだけでは、決して手に入らない知識がここにある。それはいつか海へ出るためには必要なことだ。

 俺はエースたちと山へ行く時以外は、母親の後ろをついてまわっては知識を強請った。

 母親は何を聞いても答えてくれた。しかしこちらから聞かない限り、何も教えてくれない人だった。聞かれたこと以外は答えない。だから俺は質問を吟味して、母親の知っていることを全て引き出そうと躍起になった。

 だが、どれだけ質問を重ねても底は見えず、俺は世界の広さを垣間見た。

 やがて、昼下がりの窓辺に机を置いて、母親と話をするのが習慣になった。俺は分厚い帳本にペンを走らせながら母親の話を書き取った。すぐにエースもムキになって付き合うようになった。

 二人並んで机の前に座ると、また一つ気がついたことがあった。

「エース、お前って字が上手いんだな」

 島特有の気候について、その種類や特性を書き連ねたエースの文字を見ながら俺は言った。

「はぁ? お前だって上手いじゃねぇか、サボ」

「いや、だって俺は……。いや何でもない」

 まだ見たことがないが、きっと母親の字はエースに似ているのだろう。

 自分の生まれを誇ったことなど一度もないが、俺が受け取ってきたものと、エースが受け取ってきたものの一体何が違うのだろうか。もし俺の母親がこの人だったなら、……いや俺は孤児だ。両親なんていない。忘れよう……。

 

 しばらく時が過ぎ、俺とエースとルフィは杯を交わした。

 その間にもいろんなことがあった。ルフィのじいちゃんが来て、修行という名目でぼこぼこにされたこともあったし、三人で山を駆け回ることも増えた。街で食い逃げをすることもあったし、ダダンを怒らせてアジトから放り出されたこともあった。

 ある時、帰りの遅い俺たちを心配した母親が山に入り、アジトに戻ってこないことがあった。

 入れ違いで帰ってきて、それを知ったエースは、血相を変えて飛び出していった。俺やルフィも探しに行こうとしたが、ダダンたちに止められた。エースが探しに行くのが、一番早く見つかるのだという。

 その日、夜も更けないうちにエースは母親を背負って帰って来た。

 固い表情のエースとは違って、母親はへらへらと笑っていた。

 俺とルフィはすぐに近寄ろうとしたが、一歩踏み出したところで気がついてしまった。着ているシャツがどす黒くなるほど赤く染まっていることに。

 よく見たら足はぷらぷらと変に揺れているし、ぽたぽたと床に血だまりを作っている。

 怪我には慣れているつもりだったし、人間の死体もゴミ山で見たことがある。でも、こんな大怪我をしている人間が、平気な顔で笑っているのを見るのは、初めてだった。

 俺はどう反応してよいか分からずに、立ち尽くしてしまった。

 そうしているうちに、母親の怪我に気がついたルフィが、あまりの怪我の酷さにビビって泣きだした。

 しかし、俺たち以外の奴らは平気な顔をしていた。

 またかとダダンは母親を叱りつけるし、周りの手下たちも慣れたようすで怪我の心配すらしていない。手当ても母親はエースに手伝ってもらいながら自分でしていた。

 俺はただ、それを見ていることしかできなかった。

 

 また別の日のことだ。

 この日は天気が良くて、布団のシーツを洗っていた。

 母親が洗おうとするものを俺とエースで奪い取っていく。その手さばきも、遊んでいるルフィの方へさりげなく誘導するやり方も、エースに倣い俺もずいぶん慣れてきた。

「かあちゃん、でかいのできた」

 シャボン玉を作って遊んでいるルフィが、得意げに声をあげた。

 虹色に輝くシャボン玉が太陽に反射して輝いている。ふわふわと空中を漂うそれを眩しそうに見上げた母親が、「おお、でかいな」と言って目を細めた。

「かあちゃんもやってみろよ」

 ストローと洗剤液の入ったコップを差し出しながらルフィが言う。

「んー。わかった」

 少々、面倒くさそうにしながらも、ルフィの相手をしてやるつもりらしい母親がそれを受け取る。

 口にストローを銜えた時、俺はふと思ったままの懸念を口にした。

「間違っても吸い込まねぇでくれよ、母さん」

 ストローを口にしたまま吐き出しもせずに、母親は俺を見たまま動かなくなった。

 何やってるんだと思ったが、真横からも視線を感じて振り返ると、同じような顔でエースも俺を凝視していた。

 そうして俺はやっと、先ほどの自分の発言を思い出して、気まずくなった。

 ただ一人、ルフィだけが何も分かっていない顔をして、突然動きを止めた俺たち三人を、不思議そうに見まわしている。

「別に……、ずっと前からそう呼ぼうと決めてたんだ。ただ呼んでいいかなんて聞くのも変だから、今までタイミングが掴めなかっただけで……」

 言い訳がましく俺がそう言うと、エースが口を開こうと息をのみ、そのまま呑み込んでしまった。しかし、俺にはエースが何を言いたいのか何となく分かった。だから俺は必死になって言葉を続けた。

「だって、俺とエースとルフィは兄弟なんだぞ。なら、そのエースとルフィの母親なら、俺の母親でもあるじゃねぇか」

「……!? そう、なのか……?」

 俺の言葉に混乱したエースが、訊き返してきた。

 いい加減なことを言って煙に撒こうとしただけで、それに対して説明を求められても困る。でもここで言い包めておかないと、しばらくエースとの関係がギクシャクしそうな気がした。

 俺が何を言おうか考えあぐねている間に、母親が……ああもう、母さんでいいや。母さんが感心したように言った。

「わぁ、三段論法ときたかぁ」

「さんだんろんぽー?」エースが訊き返す。

「つまりな。AはBでBはCだから、AはCだっていう推論の型式だよ」

「????」

 余計混乱したエースは、眼を見開いたまま固まってしまっていた。

 自分で言ってなんだが、俺だってそんなこと知らなかった。

「まぁ、サボは賢いってことだね」

 母さんがさらりと言う。

 今更そんなこと知らないとは言えなくて、むっとしているエースの隣で俺は気まずい思いで黙ることしかできなかった。

 その後、母さんの言葉に思うところがあったのか、エースは街で本なんて買ってきて読みだすものだから、俺も知識では負けたくなくて競うように本を貪った。

 街で買ったどの本にも三段論法なんて書いてなかったが、母さんは俺とエースに質問攻めにされることが減ってにんまり笑っていた。くそッ、やられた!

 

 

 こうして俺たちは、長兄二人弟一人それから母親一人になった。

 それは俺が今まで経験したことのないほど、自由で温かな場所だった。こういう場所を『家族』と呼ぶのだと俺は思う。

 母さんは俺が知っているどんな母親とも違っていたし、頼りなくて危なっかしくて自由気ままで、子供みたいなところもあれば、老人みたいなところもある、母親らしくない人だ。でも、そんなことは重要じゃない。

 俺にとって母さんは母さんで、弟と一緒に守るべき家族だ。

 そして、いつもへらりへらりと笑っているのに本当は笑っていない、どこか寂しげな人。それが俺が息子になったテミスという人だった。

 

 

 

 



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10.カラスが鳴いたら帰りましょ

 

 神経がキリリと痛む。

 痛みを誤魔化すため、スラックスのポケットからライターと煙草の箱を取り出し、おもむろに口に一本くわえた。

 ダダンから掠め取った安物の煙草だ。銘柄は東の海では一般的なやつ。

 古びたライターは若干錆ついていて、いつ誰にもらったのかも忘れた。それでも無理やりフリントを回せば小さな炎を灯す。ゆらゆらと揺れる炎は今の空によく似ていた。

 (くゆ)る煙草の烟を深く吸い込むと同時に、盛大にむせる。

 白状しよう。実は、ろくに吸えない。

 こんな苦い煙の何が美味いのか、いつまでたっても理解できなかった。酒の味が分からないのと同じだ。それでも口寂しさに煙草を咥え、唇で転がして(もてあそ)ぶ。立ちのぼる紫煙をぼんやりと目で追いながら、肌を撫でる香りを感じた。

 崖の上から見下ろす世界はあかく染まっている。空も海も血を混ぜたようにあかくて、紫煙に混じる香りにさえ、鉄錆臭く感じそうだった。

 海は凪ぎ、世界は停滞している。紫煙の向こうに(かげ)ろう斜陽だけが、じわりじわりと落ちて時を刻む。歪み滲んだ夕日が、世界を闇に落としていく。

 夜明けを待っている。

 ずっとずっと、沈みゆく燃えるような太陽ばかりを見てきた気がする。私は夜明けを待っているのに。

 いつか見た夜明けの、あまりに清廉であまりに荘厳な生に、私は世界をみた。

 希望でもなく、絶望でもなく、ただ怒涛のように押し寄せる生への渇望。それは命を永らえさせることへの渇望ではなく、ただひたすらに今を生きていることへの渇望だった。

 何もかもが煤けた赤黒い大地の上で、私はただ渇いていた。

 夜が明ければ、今度は何が残っているのだろうか。きっと、そこに私はいない。今度こそ、私はいない。それでも私は夜明けを待っている。ただ、夜明けを待っている。

 あの日の夜明けは、(かな)しいほど美しかった。

 

 どこかでカラスが甲高く一声鳴いた。

 

 夕闇に冷えた空気がそっと頬を凪いでいくのを感じて、私は背を預けていた岩から僅かに身じろいだ。

 遠くから風に乗って、息子たちの声がかすかに聞こえてくる。

 自分を呼ぶ声。迎えが来たようだ。

「見つけた、母さん」

 サボが岩の反対から覗き込むようにして、声をかけてくる。それと同時に、「あーあ、またか」と呆れたようにぼやいた。

「かーちゃーん!! こんなところで何してんだー!?」

 元気よく転がり込んできたのはルフィだ。ルフィもまた私を見つけると同時に、「ウヘェ!」と顔をしかめた。

 二人とも以前は、私の怪我を見るたびに、青い顔をしてオロオロしていたのに、今ではずいぶん慣れたものだ。慣れ過ぎてしまい母は若干悲しい。心配してくれていた頃が華というかなんというか。

「全く……、少しは気を付けようとかないのか?」

「善処はしてます……」

「嘘つけ」

「嘘はついてない」

「なら、余計たちが悪いわ」

 サボは小言を言いながらも、持参して来た包帯でぎゅうぎゅうと傷口を締めつけていく。もうちょっと優しく手当てをしてほしいのだけれど、それを言うと自分でやれと包帯を投げつけられるので黙っていた。

 エースの姿がないのは夕飯を作っているからだろう。最近は私を探すのもサボとルフィの二人に任せることが多くなってきた。というのも、サボの探索能力がメキメキと上がっているからだ。何でもかんでも負けず嫌いの二人である。それからルフィが山歩きできるようになったことも大きいだろう。

「よし、続きは帰ってからな」

「帰るぞー、母ちゃん」

 そう言って、サボが私を背負って歩き出す。

 小さな背中はすっぽりと胸の中に収まってしまうくらいに頼りないが、それでも足取りは揺るぎなく、小さな肩に覆いかぶさるようにして掴まる。

「なぁ、母ちゃん。今日の晩メシはなー、ワニなんだ。オレとエースとサボの三人で狩ったんだ」

「ルフィは喰われただけだろ」

「サボ!」

 余計なことまで告げ口したサボに、ルフィはおかんむりだ。

 私はサボの小さな背に揺られながら、顔だけルフィの方へ向けて報告に応えてやる。正直、息を吸うのもツライのだが、そんなことを息子たちに微塵も感じさせたくなかった。

「そっかー、喰われたのかルフィ。どこも齧られなくてよかったなぁー」

「丸呑みだったおかげだな」

 サボがにやにやしながらルフィを横目に見下ろす。

 ルフィはそのからかう視線を受け、うぐっと腐ったものを呑み込んだかのような顔をした。そして、心底嫌そうに言った。

「腹ン中、ドロドロして臭かった。あんなのもう二度とごめんだ」

「あー、分かる分かる。生暖かいのも気持ち悪いよな」

「……分かるのかよ」

 サボが呆れたようにつぶやく。

 狭くて身動きどころか、息もろくにできないしなぁ。ずるんって、腹の中まで滑り込まれるんだよ。そう私が語ると、「知りたくもねぇよ、その知識。なんでそんなことだけ多弁なんだか」とサボは遠い目をしながらぼやいた。

 森の中は相変わらず、声なき声がうるさかった。それでも息子たちの声を聞きわけながら耳を傾ける。もう慣れた行為なのに、なんだか今日は頭の中でも甲高い音が響いていて集中できない。

 私の意識がそぞろになってきたのに気づいたのか、サボが私の代わりにルフィに返事をしていた。

「なぁ、母ちゃん。今日はでっかいやつの話をしてくれよ」

「巨人の決闘の話だろ。もう何回目だよ。俺は別のがいい。なんか納得できねぇし」

「なんでだよ! かっこいいじゃねぇか!」

「だって決闘の理由がくだらなさすぎる」

「サボは分かんねぇ奴だなー! 決闘は男のロマンだろ!?」

「まぁ、そうっちゃそうなんだけど……。いや、いいや。俺はそういうのは遠慮しておく」

「じゃあ、サボは何の話が好きなんだよ」

「赤い月の話かな」

「えぇー!? 何でそれなんだよ~」

 私は黙ったまま、二人の話にぼんやりと耳を傾けていた。

 あまり揺れないように、ゆっくりと進むサボの足取りに合わせて呼吸を繰り返す。しかし、森へと分け入るにつれ、ぐわんぐわんと響き重なる声なき声がいよいよと増幅して、二人の声が遠ざかっていった。

 何だか今日はいつもよりヒドイなぁ、と頭の片隅で考えるが、それさえも響く声にかき消されてしまう。

「なら、……の尾をくわ……の蛇が……で、……の上に……た話も……」

「そ……。オレも……あかい……たい……」

 もうほとんど息子たちの声が聞き取れない。

 何の話をしているんだっけか? ……ああそうだ、寝物語に聞かせてやっている話のことだ。この世界の……、だめだ、思考がまとまらない。何でこんな……、何が……。

 

 カァ、とカラスが一声鳴いた。

 

 バサリと羽音がすぐ耳元ではっきりと聞こえ、はっと振り返ったがそこには森の木々が鬱蒼(うっそう)と続くだけで何もいなかった。

「空の上にいるびっくり鳥人間にも会ってみてぇなー」

「いや、いないから。人間に翼は生えないから」

 ふいに、息子たちの声が聞こえてきて、私は頭の中でガンガン響いていた声が消えていることに気がついた。

 声なき声は相変わらず平常通りだが、心なしか息がしやすい。

「どうかしたか、母さん?」

「うん。いや、……何でもないよ」

 私の様子に気がついたサボが声をかけてくるが、私はあいまいに返事をした。

 どうやらサボもルフィも、あのカラスの存在には気づいていないようだ。さもありなん。こんなところで子ども相手に気づかれるような奴ではないだろう。

 何だ、そうか、そういうことか。

 忘れていた訳じゃないけど、考えないようにはしていた。というのは言い訳にもならないか。私は声もなく口を歪めて笑った。

「それで母ちゃん。今日はどんな話をしてくれるんだ?」

 ルフィが黒い目を丸めて見上げてくる。

 私は目を細めて見返し、すぐには答えなかった。

 そんな私に、ルフィは首をかしげている。

 初めにルフィがねだって話すようになった寝物語も、もう両手の数では足りないほど話した。普段、兄たちばかりが私と勉強の話をしているのが気に入らなかったのだろう。「何かおもしろい話をしてくれよ」と頼まれても口から何も出てこなくて困ったものだ。自分から話をするというのがこんなにも難しいとは知らなかった。

「……んじゃまぁ、今夜は妖精の話でもするかな」

「よーせい?」

「なんか、今度はえらくメルヘンチックだな」

 サボが戸惑ったように口を挟み、私はそれもそうだと苦笑した。

「なぁ、よーせいって誰だ? 強ぇのか?」

 好奇心を抑えられない慌ただしさをもって、ルフィが無邪気に質問をたたみかけてくる。

「人間の前には姿を現さない、小さな生き物だよ。……小さいけど、とても強くて優しい」

「へぇー、小さいのに強ぇってすげぇな」

「続きは後でね」

「わかった!」

 そう言って、ルフィが素直に頷いた。

 ルフィぐらいの齢には、エースはもう反抗期で私の話などロクに聞かなかったけれど、ルフィはいつまで経っても素直で純粋だ。人の話を聞かないのは同じだが。

 エースなんて、私が四苦八苦つっかえながら寝物語を聞かせてやっても、「それより、おふくろの航海の話をしてくれよ」とか言って、ふてぶてしく寝転がりながら覚めた目で見てくる。

 時折、どうしてこんな現実主義者(リアリスト)に育ってしまったのかと首をかしげるが、よくよく考えると、夢や希望を語っているエースの記憶がなかったからそんなものかもしれない。

 結局私は「自分の眼で見に行け」と言って、エースが望むような話はしてやらないのだ。

 やがて、踏み慣らされた道に出た。

 ここまで来ればアジトはもう目と鼻の先だ。

 夕闇が迫る淡い色をした星空を背景に、樹々の上から立ち上る煙がゆっくりと揺れている。ふわりと舞い起こった風につられて、ルフィが歓声をあげた。

「肉だ! ワニ肉の匂いだ!!」

「お、本当だ。今日は肉の丸焼きとスープかな」

 サボも確認するように鼻を上げて、ルフィに同意する。

「うぉおお!待ってろよ肉ぅう!!」

「お前が待てルフィ!!」

 突然走り出したルフィは、サボの制止も聞こえていないようで、そのまま道の向こうへ姿を消してしまった。

 まぁ、もうすぐ森も抜けるので、一人で行かせても危険はないだろう。

 サボもそう判断したのか、ため息だけ吐いて、急ぐことはせずにゆったりとしたペースのまま歩き続ける。

「ルフィのやつ、帰ったらエースに小言くらってるな」

「そうだねぇ」

 迎えに行ったサボと私を置いて、一人で先に帰って来たのをエースが見たら、それはもうネチネチとお説教をするだろう。

 きっと、私とサボがアジトのドアをくぐったら、囲炉裏の傍で正座をさせられ、目の前にある夕飯に意識を持っていかれながら、お小言を聞き流しているルフィがいて、そんなルフィに声を荒げるエースがいるのだろう。まるで目に浮かぶように想像できる。私とサボはくすくすと同時に笑った。

 不意に、唐突に。

 私は幸せというものが形をもってそこに存在しているように思えた。それが何だか耐え難くて、私は笑い声をあげたその口で、息を殺して空を見上げる。

 どうしてか、夕飯の匂いは私には分からない。

 先ほど見上げた時よりも深くなった星空を、流れる川のように白い煙がうっすらと立ち昇ってゆく。あの煙の下にエースもルフィも、ダダンも他のみんなもいる。

 帰らなきゃなぁと思う。

 私の居場所なんてどこにもないけれど、それでも、待っていてくれる人がいる場所が、私の帰る場所なのだと思う。だから、ちゃんと帰んなきゃ。

 

 この日、私は時間が残り少ないことを知った。

 

 

 

 



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11.息子ってのは実家に寄り付かない

 

 南から吹き込んでくる風が、窓枠のカーテンを泳がせている。

 窓の向こうには干した大量の洗濯物。朝早くに片っ端から洗った戦果だ。ここ数日は小雨が続いていたから、今日ようやく片付いてスカッとした。

 まだ太陽は昇り始めたばかり。昼時には早く、街に出かけるには中途半端な時間。

 こんなことなら、トラを探しに岩場まで出かけたルフィとサボについて行くんだった。

 あの辺りを縄張りにしている古参のトラは、この山の中でも一等デカくて強いが、なぜか絶対に人を襲わない。それをいいことに、ルフィはあのトラがお気に入りで、勝手に自分の仲間だと言い張って、構ってもらいに行くのだ。

 トラはいつも迷惑そうに逃げていくが、それを追いかけるのがルフィは楽しいらしく、放っておくと一日中トラを追い回して遊んでいる。

 普段はこの山の動物なんぞ食料程度にしか思っていない俺でも、散々追い回された挙句、ルフィに背中に乗られてぐったりしている姿を見た時は、動物虐待という言葉が頭に浮かんだほどだった。

 今から岩場まで行こうかどうか考え込んでいると、部屋の真ん中で煙草を吸いながら新聞を広げていたダダンが声をあげた。

「ドグラ、マグラ! ゴアってのは……どこだ?」

 突然名前を呼ばれた二人は、目を白黒させながらダダンを振り返った。

「一応このコルボ山もゴミ山もフーシャ村も、ゴア王国の領土ディすけど?」

「だよねぇ~」

 ドグラの答えが腑に落ちないような顔で頷くダダン。

「まーまーお頭。珍しく新聞なんか読んで。今日は槍でも降りますかねぇ」

 余計なことを言ったマグラをひと睨みしたダダンは、読んでいた新聞をバサバサと折りたたみながら言った。

「この王国に客が来るって、なんだかデカいニュースになってるが。何の騒ぎだ? そんな偉い奴なのか? その『天竜人』ってのは」

「天竜人?」

 ダダンの言葉に俺は聞き返す。

「あたしも知りゃしないよ。小娘に聞いてみな」

 そう言ってダダンは、たたんだ新聞をぽいっと投げて寄越した。

 受け取った新聞を広げると、そこには大きな見出しで天竜人来訪と書かれ、世界政府の視察団が東の海を回っていること、その船に天竜人の何某様が乗っていること、このゴア王国にも来ること、その日時などが大層な言葉でつらつらと書かれていた。

 何だコレは、と俺は半目になって新聞の文字を睨む。

 最近は街で捨てられている新聞などを読むこともあるが、こんなただ事ではなさそうな記事は初めて目にする。

 新聞から顔を上げて母を探すと、窓際に座り込んで空を見上げていた。

 母は最近、ぼんやりしていることが目に見えて多くなった。ダダンたちは母が大人しくなって、厄介ごとが減ったと喜んでいるが、黙りこんでいる母の横顔を見ているとなんだか不安になる。

 窓際まで近づきながら母に呼びかけると、俺は新聞の一面を突き出した。

「おふくろ、天竜人ってのは何だ?」

 ゆるりとした動きで振り返り、新聞の一面へと視線を下ろした母は、しみじみとした口調で言った。

「エースは新聞まで読むようになったのかぁ…。ゆくゆくはインテリ山賊だね」

「俺は山賊になんてなんねぇよ」

 海賊になるんだとは胸の裡でだけ答え、はぁ、とため息を吐く。言葉の陰に隠れた後ろめたさに、呆れたふりをして誤魔化した。

 きっと母だってとっくに気づいている。いつか俺もサボもルフィも、母をこの山において海に出て行くことを。

「そんなことより、この天りゅ――」

「エース」

 名前を呼ばれて俺は息をのんだ。

 新聞を見つめたままの母は、やけに平坦な声でゆっくりと言った。

「しばらく、街に行ってはいけないよ」

 驚きすぎて固まった俺を気にも留めず、母は窓枠をひらりと乗り越えて、すたすたと森に入っていく。

「あっ! おい、勝手に森に――ッ!」

 ひらひらと手であしらう母の後姿に、俺は言葉を途中で失う。

 母はそのまま森に消えてしまった。

「なんだい、今日は本当に槍でも降んのかい? 小娘が自分からエースに口を出すなんて、初めてのことじゃないか?」

「まーまー。あの子も母親らしくなったってことですかね」

「いや、そんなはずニーよ」

 部屋の中にいたダダンたちが呑気に言い合っている。

 俺はじんわりと汗をかいていることに気づいた。身体がやけに冷えている。

 母が俺の話を遮ったことも、俺の顔を一度も見ないことも、名前を呼んだ声に何の感情もなかったことも、何もかもが違和感の塊でしかない。

 母が消えた森の入り口を呆然と見つめながら、俺はカーテンの揺れる窓辺でただ立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

      ***

 

 

「最近のおふくろはおかしい」

「ああ、間違いなく様子が変だな」

「うん、ヘンだ」

 俺の言葉に頷きながら同意するサボとルフィ。

 ゴミ山の廃材に座り、囲むように顔を寄せ合いながら、俺たちは兄弟会議なるものをしていた。

 今日は風が弱く、ゴミの中から立ち昇る煙は緩やかに辺りに立ち込めている。見通しが悪いから、堂々と話し合いをしていても見つからないだろう。

 今朝の出来事をサボとルフィに語って聞かせ、俺は感じていたことを話した。

「街に行くなってのも、今まで何も言わなかったってのに突然言いだすなんて変だ」

「しばらくって言ったんだよな? 街で何かあるのか?」

「ああ、これを見ろ」

 今朝ダダンが見ていた新聞をサボの前に広げた。

「これは……、世界政府の視察団だって?」

 サボは俺から新聞を受け取り、記事を読み始めた。

 ルフィも横から必死に覗き込みながら「何て書いてあるんだ?」とサボに聞くが、サボは真剣な顔で新聞の字面を追い始め、ルフィの声は耳に入っていないようだった。

「そうか、そうだったのか……」

 しばらくして、納得が言ったとばかりにサボが呟く。

 サボの考えが俺と同じところにたどり着いたことを感じ、俺は頷いて言った。

「これを見せた時、おふくろは街に行くなって言ったんだ」

「確か母さんは世界政府の……」

「ああ、役人って話だ。普段の姿からじゃ想像もつかねぇが」

 母は仕事の話を一切したことがない。それでもジジイから聖地と呼ばれる場所で働いていたって聞いたことがあるし、今でも年に一回はそこへ定期連絡に行く。

 仕事を完全に辞めたわけじゃないらしいから、今回のことは母にとって何か思うところがあるのかもしれない。

「この天竜人ってのが偉いってのは何となくわかるが、問題はどのくらい偉いかだな」

 新聞の記事からだいたい想像はできるが、どの程度の権力を持っている奴なのか、母の仕事とどんな関わりがあるのかが分からない。

 俺がサボの手元にある新聞を睨みつけながら言うと、サボが顔をあげて言った。

「一番だよ。世界で一番偉い。世界政府よりな」

「……知ってんのか!?」

「この前、歴史の本で読んだ」

 何気なく言ったサボに、俺は呆気にとられた。

 サボは幅広く本を読むので、俺より知識が広い。航海に必要な本ばかりを読み漁っていたツケのような気がして、俺は歴史の本も読もうと密かに決意した。

 サボは天竜人が聖地と呼ばれる場所の住人で、800年前に世界政府を作り上げた創造主と称される20人の王たちの末裔であることをかいつまんで語った。

「……そうか、何となくだが状況はわかった」

 俺は頭を抱えながら言った。

 結局、母の働いていた場所で一番偉い奴ということ以上に、母との関係は分からないが、自分の仕事の話は一切しない母だ。俺たちが関われるような問題ではない。

 ふいに不自然な沈黙が落ちる。

 俺とサボは黙ったまま、最近の母の変化について考え込んだ。

 俺たちは母が仕事をしている姿なんて見たこともないし、何をしていたのかも知らない。今更だが、俺は母のことを知ろうともしなかったことに気づいた。

 話についていけずにそわそわしていたルフィが、俺とサボの話が止まったのを見て、ふてくされた顔で聞いた。

「なぁ、母ちゃん何で元気ないんだ?」

 俺とサボは顔を見合わせて途方に暮れた。

「……分かんねぇよ」

 自分で思っていたよりも低い声が出て、しまったと思った時にはルフィがびくりと肩を震わせた。サボが俺を咎めるように睨みつけ、俺はバツが悪くなって俯く。

 サボが場を取りなすように明るい声で言った。

「母さんのことはしばらくそっとしとこう。天竜人がいなくなれば、またもとに戻るだろ」

「そうだといいが……」

 俺が呟いたその瞬間、サボの隣にいたルフィが吹っ飛ばされた。

「「!!?」」

 反射的に横にある鉄棒をつかんだ俺も蹴り飛ばされ、派手にゴミの上を転がりながら必死で頭を守る。状況を正しく理解できないまま、起き上がって俺を蹴り飛ばした男を睨みつける。

 男の腕の中でサボが苦しげな顔で逃れようと足掻いていた。なんでブルージャムが。

 そこでようやく俺は、周りに立ち込めている煙が仇になったことに気がついた。

 チクショウ、と吐き捨てて相手を睨むも、うかつに手出しできるような相手じゃないことは分かっている。男はこのグレイ・ターミナルで幅をきかせている海賊団の船長。そこらのチンピラとはわけが違う本物の海賊だ。

 先ほどまで、迂闊に話し合いをしていた自分たちを殴り飛ばしてやりたい。

 ギリリと歯を食いしばり、いつでも飛び出せる体勢で下から男を睨め付ける。ブルージャムは暴れるサボを太い腕の一本で悠々と締め上げている。人質か、何の目的だ、と熱くなった頭の冷静な部分を必死に回転させる。

「いっでー! 何すんだおまえ!!」

 先に吹っ飛ばされたルフィが俺の後ろで吠える。

 今にも食ってかかりそうなルフィを、俺は手で制した。

 多数の人間が近づく気配に煙が動いて晴れていく。しかし、男の後ろから現れたのはブルージャムの手下だけではなく、予想だにしない者だった。

「お父さん!? どうしてここに!」

 サボが愕然と叫んだ。

 姿を現したのは以前街で見かけたサボの父親という男。サボが自らの出生の秘密を語るきっかけになった男だ。その後ろにはマスクを被った兵士やブルージャムの手下たちが銃を抱えて取り囲んでいる。

「ダンナ、おたくの坊ちゃんはきっちり保護しましたよ」

「よくやった海賊。そのまま捕まえておきたまえ」

 ブルージャムがしたり顔で恭しく報告するも、サボの父親はちらりとサボの姿を確認するとそのまま、「さっさと戻るぞ。このままでは肺が腐ってしまう」と言って歩き出した。

 そのあとを追おうとブルージャムが背を向けた時、咄嗟に反応したのはルフィだった。

「サボを返せよブルージャム!」

 蹴り飛ばされた衝撃でまだふらふらするのか、ルフィは地面に這いつくばったままブルージャムに向かって叫ぶ。

 だが、ブルージャムはにやにやと笑っているだけで答えない。

「返せとは意味の分からないことを」

 帰ろうとしていたサボの父親がルフィの声に反応した。俺たちなど一度も視界に入れなかったのにコツコツと近づいてくる。その顔には苛立ちが浮かんでいた。

「サボはウチの子だ! 子供が生んで貰った親の言いなりに生きるのは当然の義務。よくも貴様らサボをそそのかし家出させたな! ゴミクズ共め、ウチの財産でも狙ってるのか!?」

「何だとッ!?」

 頭にカッと血が上るのが自分でも分かった。

 考えるより先に体が動いて、サボの父親に飛び掛かろうと足が地を蹴った瞬間、頭を横からぶん殴られて、あまりの痛みに気が遠くなりかけた。

 べしゃりと受身もとれずに地面に沈んで身動きがとれない。鉄棒も手から離れてしまった。

 当たり所が悪かったのか、どくどくと頭が心臓になったみたいに耳元がうるさくて、ああこれは結構血が出てんなと、物理的に血の気が引いた頭の隅で思う。

「コラ海賊! 子供を殴るにも気をつけたまえ! ゴミ山の子供の血がついてしまった。汚らわしい。消毒せねば」

 頭上から降ってくる言葉に顔をしかめる。

 馬鹿じゃねえのこのオヤジ。俺もサボも同じ兄弟なのに。それを、何も分かってないんだ。

「違う……」

 絞り出すようなその声に、俺ははっと顔をあげる。

 ブルージャムに捕らわれたままのサボだった。サボの声は俺が聞いたこともないぐらい低くて、そして僅かに震えていた。

「俺はそそのかされてなんかいねぇ!! 自分の意思で家を出たんだッ!!」

「お前は黙っていろ!!」

 サボの父親も感情的に声を荒げた。だが、サボは止まらない。

「俺の親は母さんだけだ! お前なんか知らない!! 俺の家族は母さんとエースとルフィの四人だ!!」

「何をふざけたことを言っている!! せっかく生んでやったのに!」

 サボの父親は拳を容赦なく振るった。何度も、何度も。

「サボに何すんだー!」

「やめろルフィ!」

 ルフィが走り出すが、止める間もなくブルージャムに横から腹を蹴り上げられて、小柄な体が宙を舞う。

 ぼやけた視界の中で必死に地を蹴りルフィを受け止めるが、その衝撃で俺の体から力がふっと抜ける。血を流し過ぎたらしい。

 やがて拳の音が止み。サボの荒い息遣いだけが場に響いた。

 サボの父親は手についた血をハンカチで拭うと、ここぞとばかりに猫なで声で「ほら、母様もお前を家で待っているよ。早く帰ろう」とサボに言った。その口調は優しげなはずなのに、苛立ちが全く隠しきれていなかった。

「後は頼んだぞ、海賊共」

「勿論だダンナ、もう代金は貰ってるんでね。この二人が二度と坊ちゃんに近づけねぇように始末しときます」

 その言葉にぎくりと体が強張る。今の状態じゃルフィを連れて逃げられない。

 俺とルフィを捕まえようと、ブルージャムの手下が手を伸ばしてきた。

 咄嗟にその手に噛みついて退かせようとするが、逆上した手下に踏みつけられる。

「ぐはッ!!」

「エース!!」

 口から内臓が出そうな衝撃に、ルフィの声さえ遠くなる。

 俺を踏みつけている足をどかそうとルフィが齧りつき、殴られても離そうとしない。やめろ、にげろルフィ…! そう言いたいのに空気の抜けきった肺では声にならない。

「やめろッ! やめてくれ……!!」

 場を切り裂くような悲鳴をあげたのは俺じゃなくて、サボだった。

「もういい、……わかったよお父さん」

「何がわかったんだサボ」

 いやに冷ややかな声で、サボの父親は問いただした。

 しばらくの沈黙の後、サボはうめくような声で、まるで自分に言い聞かせるように言った。

「何でも言う通りにするよ……!! 言う通りに生きるから……、この二人を傷つけるのだけは、やめてくれ!!」

 倒れ込んだまま視線だけを彷徨わせる。

 かすむ視界の中で、サボがブルージャムの腕から解放され、よろりと父親の前に身体を投げ出すのが見えた。

「お願いします……。大切な、兄弟なんだ……!!」

 サボは土下座していた。

 自分の父親に跪いて、地面を頭に擦りつけて、くぐもった絞り出すような声で、兄弟の命乞いをしていた。

「ふん。まぁいいだろう……。さっさと行くぞ。時間を無駄にした」

 サボの父親は不愉快そうに顔をしかめて、高慢な態度で吐き捨てた。

 男たちがぞろぞろと引き上げていく。サボは俯いたまま動かなかった。

 俺は自分が致命的な失敗をしでかしたような気がして、ぽつりとサボの名を呼んだ。しかし、サボは俺の声には反応しなかった。俺の声が聞こえていないのか、じっと地面に額を擦りつけて俯いている。サボがどんな表情で何を考えているのか分からなくて、俺はかける言葉を呑み込んだ。

 やがて、サボはふらりと立ち上がると、俺たちの方を見ずにそのまま背を向けた。

「おい、サボ……!?」

 もう一度、サボの名前を呼ぶ。今度は僅かにうわずって震えていた。

 サボがゆらりと歩き出す。

「――行くなよッ!!」

 今度ははっきりとサボに届くように叫んだ。

 それでも、サボは一度も振り返らなかった。俯いたまま父親の後ろをよろよろとついて歩き、そしてそのまま煙の向こうに消えていった。

 俺はその姿を呆然と見送ることしかできなかった。

 そんな、まさか。という思いが浮かんでくる。まさか、諦めたわけじゃないだろうな。そんな、はずがない。サボに限って。あんなのは、あんな言葉はただのフリで、俺たちを逃がすための芝居にすぎなくて、明日の朝にでもひょっこり帰って来て、「夜のうちに窓から抜け出して来たんだ」とか言って、それで今度は見つからないように何か対策を三人で考えて――、

(でも、母親が家で待ってるって……)

 そんなわけない。どうせ母親もロクな奴じゃないんだ。じゃなきゃ、サボはゴミ山になんて来なかった。

 そう分かっていても、なぜか、街の大通りに面した小奇麗な家々と、そこに住まう家族の何気ない平凡な会話が頭をかすめる。だって、本当は、サボはあの世界の住人なのだ。

 その後、俺とルフィはブルージャムの手下に引きずられ、奴らのアジトまで連れてこられた。そこで俺とルフィは簡単に止血の手当てを受け、ブルージャムの仕事を手伝わされることになった。

 本当はやりたくなどなかったが、ここで嫌だと言えば殺されるかもしれないし、何より、サボが戻ってこないままコルボ山の家に帰るのが嫌だった。

 何度も取り戻しに行こうと喚くルフィを宥めながら、俺は口先で、アイツにとって何が幸せなのか分からない、様子をみよう、嫌ならまた必ず戻ってくるさ、と言い聞かせた。

 そうやって俺は、サボはもう戻ってこないという予感を、必死で誤魔化すしかなかった。

 

 

 

 



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12.仕事と家庭どっちが大事なの

 

 嫌な予感がする時は何か悪いことが起こる前兆だ。

 それを虫の知らせと言う奴もいれば、第六感や経験則だと言うやつもいる。どれにしろ、人生そこそこ生きてりゃ一度や二度はそんなことがある。ましてや山賊なんて薄汚れた仕事ならば、それに命を助けられることもある。

 朝からどうにも落ち着かなくて、口に銜えていた煙草を灰皿に力任せに押し付けた。まだ長さが残っていたそれは燻ったまま吸い殻の山の一部となった。それでも苛立ちは抑えられない。

「チッ、ガキ共はまだ帰ってこねェのかい」

 機嫌の悪さを隠しもせずに声を荒立て、昨日の昼から姿を見せない居候の所在を問いかける。

 近くにいたマグラが部屋の煙たさに手で掻き払いながら弱った声で言った。

「お頭、出て行って一晩ですぜ。二、三日帰ってこないこともよくあるじゃないですか」

「んなことは分かってんだよ」

 問いかけにまともな答えが返ってくることなんて期待していないが、そんな当たり前のことにさえ苛立たしい。

「小娘はどうしてんだい」

 今度は朝から姿を見かけない居候の所在を問いかける。

「見張り台にいますぜ。今日は風が強いってんのに座り込んで動かねぇ」

 そう言ってマグラは呆れた顔で窓辺へと視線をやった。

 風で揺れる戸が忙しなく音を立てている。洗濯物を干したら間違いなく飛んでいきそうな強風が薄白く霞んだ青空を駆け抜けていた。森は風が吹き荒んで騒がしいのに、獣一匹虫一匹姿を現さない。嫌な風だ。

 小さくため息を吐いて煙草を取り出すと、紙箱の中はそれが最後の一本だった。それにまた苛立ちが増す。空になった箱を握りつぶして床に放り投げると、買い置きしている残りの箱数を頭の中で数えながら口に銜えた一本に火をつけた。

 風はきっと明日まで吹き荒れるだろう。

 

 

      ***

 

 

 夕暮れになって風は益々強まった。

 西日で赤く染まった丘の上に立つと、体を押し上げるように風が吹き抜けていく。煙草の煙がかき消され、紫煙の匂いさえも残らない。目で追えるほど速い雲の動きを眺めていると、突如背後から声が聞こえた。

「私にも一本ちょーだい」

 振り返るといつの間にかテミスが立っていた。こういう時には相変わらず足音も気配も何もない。黒いスーツを着て、まるで初めからそこに在ったかのように立っていた。

 ――全く、あたしの勘は外れやしない。

「おめェが勝手にちょろまかしてんの知ってんだからな」

「あははー、バレてるー」

 あたしの隣まで来て片手を伸ばすので、仕方なしに一本弾き飛ばしてやる。それをテミスが口に銜えるのを横目にライターを取り出そうとすると、テミスはひらひらと手であたしを制した。

「あァ? 火は?」

「いらない。好きじゃないし」

「ッざけんな!! じゃあ何で吸ってんだよ!」

「背伸びしたいお年頃なんですぅー」

「くたばれッ!!」

 くすくすと笑いながらテミスは煙草を唇で転がして遊んでいる。

 口寂しいならキャンディーでも銜えていりゃいいのにと腹立たしく思いながら、無意識に噛み締めていた煙草を銜えなおして殊更ゆっくりとそれを吸う。

 そうして夕暮れの空を眺めたまま、隣に気取られないよう紫煙と共に身体の力も吐き出していく。

「それで?」あたしが問いただすと、

「何が?」とテミスは問い返した。

「どうしたんだって聞いてんだよ。その恰好」

 苛立ちが滲んだ声で再び問うと、あたしと同じように夕暮れの空を眺めていたテミスは「ああ、」と自分の姿を目線だけで見下ろした。黒いスーツに黒いネクタイ。見たことはないが知識としては知っている小娘の仕事の正装(、、、、、)

 テミスは銜えていた煙草を指で挟み取ると、「謹慎が終わったのさ」とこともなげに答えた。それから唇の端を吊り上げて、「ついに職場復帰できるんだよ」と滑稽なほど愉快気に言葉をつけ足した。

 職場復帰どころか社会復帰だってままならないだろうに、この小娘は何を言っているのか。

 あたしが胡乱な目をしたのが分かったのか、不満げな声でテミスは言った。

「ちょっと、今すごく失礼なこと考えただろ」

「まァ、粗大ゴミ(おめェ)が片づくとなりゃ、こっちは嬉しくて涙が出るけどね。復職おめでとうよ」

「ありがとう……?」

 私の誤魔化しに対し、苦虫を噛み潰したような顔で礼を言うテミス。

 馬鹿にされていることは分かっているだろうに、こんなところばかり律儀に返しやがる。

「で、ガキ共はどうすんだい」

「お別れだね」

 さらりとした声でテミスは言う。

「お別れ? 何言ってんだ、そんな簡単な話じゃ――」

「家族ごっこはもうお終いだって言ってんの」

 (とつ)として冷水を浴びせるような声でテミスは言った。

 すぐには反応できなかったあたしは目線だけで隣を見た。

 テミスはいつものように笑っていた。笑い方もロクに知らない癖にそれらしい顔で目を細めて笑っていた。

「何を考えてんだ」

 咄嗟にあたしはそう問いかけた。だがテミスは答えない。

 もとより何を考えているのか読めない奴だったが、今もやはり読めなかった。まるで空を掴むような、あるいは水を掴むような心地がした。そこに確かに存在するのにどう認識したらよいか分からない。

 それでもあたしは腹の底から唸るように言葉を絞り出すしかなかった。

「おめェはどう逆立ちしたって母親らしくはなかったが……、それでも途中でガキ共を放り出すような奴じゃなかったはずだ」

 テミスは夕闇が迫る空を眺めたまま黙っている。

「それともあたしの勘違いか」

 そう言って、あたしも黙った。

 強い風だけがあたしらの間をすり抜けていく。

 幾ばくかの時を空けて、おもむろにテミスは口を開いた。

「まぁ、私もあの子たちは嫌いじゃないけどね」

 そこで言葉を探すように切ったテミスは、先ほどよりも低く擦れた声でそっと続けた。

「……だからといって、いつまでも仲良く一緒にいられるって訳じゃない」

 そう言ったテミスは夕闇を眺めているようで何も見ていなかった。ただ淡々と沈む日を眺めていた。

「おめェの言い分はわかった」

 あたしは静かに頷いて、テミスに向き直った。

「だけどねェ、それとこれとは、話が別だッ!」

 言葉尻を叩き付けるようなあたしの言葉に、テミスは微かに反応した。

 だがそれに構わずあたしは利き腕を振りかぶり、「歯ァ喰いしばりなッ!!」そう叫んで、爪が食い込むほど握りしめた拳をテミスの横っ面に叩き込んだ。

 鈍い音が弾け、腕全体に衝撃が走る。

 振り抜いた拳ごとテミスは受け身もとらずに吹っ飛んで、丘の上を無様に転がった。

「ッたァア――!! 本気でなんて聞いてない!!」

 がばりと上体だけを起こしながらテミスは叫んだ。

 手で押さえた頬はみるみる赤く腫れあがり、口元には血が滲んでいる。これで叫べる元気があるならあと四、五発ほど入れようか、と拳を握りしめたままにじり寄るとテミスは青ざめた顔で黙った。

 あたしはため息を吐いて頭を軽く振ると、いつの間にか短くなった煙草を手の内で握りつぶした。そして懐から煙草の箱を取り出しながら投げやりに言った。

「本気でやらなきゃ、後であたしがエースに殺されちまうよ」

「あ。やっぱバレてる?」

 私があの子たちに会わないつもりなの、とテミスはへらりと笑って言った。

「おめェの行動パターンなんていつも同じじゃねェか」

 立ち上がるつもりはないのか、テミスは胡坐をかき、衝撃で落した火のついていない煙草を銜えなおした。そして転がった拍子に黒いスーツについた草の切れ端や土をはたき落としながら心底嫌そうな声で言った。

「苦手なんだよ。見送るのも、見送られるのも」

「安心しな。あたしは見送ってなんざやらねェから」

 取り出した新しい煙草を銜え、火をつけながら応えてやる。

 するとテミスはからからと高らかに笑い声をあげた。それから、ようやくあたしの眼を真っ直ぐに見上げた。

「私、ダダンのことも嫌いじゃないよ」

「そうかい。あたしゃ、おめェが大っ嫌いだよ」

 吐き捨てるように言うと、またテミスが笑った。

「素直じゃないねぇー」

 よっ、と立ち上がったテミスは「ねぇ、ダダン」とあたしを呼んだ。だがその瞬間にカラスの鋭い鳴き声が遮り、それが思いのほか近く聞こえたものだからその方向に気を取られた。

「あの子たちのこと、よろしくね」

 テミスの声がして視線を戻すと、もうテミスの姿形はどこにもなかった。

 ただ、夕暮れに赤く染まった丘の上を風が力強く通り抜け、耳元で風がうねる音だけがいつまでも続く。

 それだけだ。それ以外に何もなかった。

 何の気配もない丘の上をしばし眺めて、あたしは肺の中の空気を全部出し尽くす勢いでため息を吐いた。

「……結局、あたしが全部責任もってガキ共を育てねェといけねェんじゃねーか」

 そう一人呟いて、何もかもを押し付けた海軍の男の顔を思い浮かべながら、知り得る限りの暴言を浴びせた。

 ガキ共に何て説明するかなんて今は考えたくもない。ただ確実に被るエースの怒りの余波を思うと、やはりもう七、八発ぐらい殴っておくんだったと後悔した。

 いつかこうなる日が来る気はしていた。

 それでも、その日はもっと後でもいいと思っていた。そのために災厄(テミス)を置いておくぐらいどうってことなかった。口では散々言っていたが、ガキ共にとって小娘がいるのといないのでは確実に何かが違うのだと理解していた。

「さてと、まだ残ってる厄介ごとも何とかしねェとな」

 小さく呟きながら、煙草を銜えなおす。

 最後に耳に残ったテミスの声は少し寂し気で、それでもどこか暖かい声だった。

 頼まれてしまったからには行かねばなるまい。残念ながら、朝からひしひしと押し寄せる悪い予感はまだ終わってはいないのだ。一度アジトに戻って手下共から情報を集めなければ。全くもってやってられない。

 夕闇の空を振り返ると日はもう沈んでいた。

 残り火のような赤い空までもがどこか忌々しく感じられる。これもそれも全部あの小娘と海軍の男の所為である。あの二人が何をしたいのかは知らないし、勝手にやってくれと思うが、こっちまで巻き込まれては堪らない。

 踵を返してあたしはやっとの思いで歩き出した。

 

 

 

 



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13.父の存在は忘れられがち

 

「やぁ、久しぶりだねぇ。ドラゴン」

 音もなく背後に立った男に、私は後ろを振り向きもせずに声をかけた。

「相変わらずだな、テミス」

「まぁね」

 男は静かな声で私の名を呼んだ。

 私は屋上の縁に腰かけたまま、軽い声で応える。

 夜なのに生暖かい風が髪を躍らせている。何となく片手で髪を押さえながら、風の匂いに顔を顰めそうになるのを耐えた。

 今夜は月なんて見えない。ちっとも好い夜じゃないが、こうして端町にまで繰り出すぐらいには私も落ち着かないのだろうと心の裡で一人勝手に呆れてしまう。

「お前、ここで何をしている」と、男は問うた。

「何って、見てのとおりだけど」と、私は答えた。

 だが男は私の答えがお気に召さなかったようで、俄に苛立ちを募らせたのが感じられた。

 これがダダンだったら間違いなく舌打ちをしていただろう。この男ならきっと眉間に皺を寄せて険しい顔をしているに違いない。そう背後の男の表情を想像して、こっそりと忍び笑う。

 風が吹く。焼け焦げた匂いが風に乗ってここまで届いてくる。何もかもを焼き尽し、あらゆるモノが入り混じった強烈な異臭だ。うち捨てられたゴミが、腐ったナマモノが、生きているヒトが、そして大地が焼き尽くされ、気化されていく。

 端町を囲む高い壁の向こうは朱く染まり、天まで焼き尽くさんと猛火を轟かせていた。そこから黒々とうねる様に立ち昇る噴煙。そして、焦げた匂いと共に微かに届く断末魔。あの壁一枚向こうに地獄はある。

 男は問いかける。

「助けようとは思わないのか」

「助ける? なぜ?」

 私は後ろを仰ぐようにして男を見上げ、答えた。

「だって、これはこの国の決定だよ」

 黒い影が揺れた。煌々と燃え盛る炎が二人の足元に闇を忍ばせる。

 しばらくの静寂の後に、猶も男は問う。

「世界政府は何をしている」

政府(うち)は一国の内政にまでいちいち口を出したりしないよ」

 皮肉めいた言葉にこちらも同じく皮肉を返す。

 男はその言葉を鼻で笑った。ローブの下から黒い目がこちらを見下ろしている。私も口の片端をあげて笑ってみせた。

 互いに視線を外すこともなく、壁の向こう側の喧騒と風の音が私たちの沈黙を埋めていた。

 牽制あるいは挑発なのかもしれない。それだけの敵意がお互いの間にあった。男はそれを隠そうともしなかったし、私もそれに真っ向から応じてみせた。

 先に口を開いたのは、やはり男だった。

「……この十数年で世界は変わった。各地で綻びが出始めている」

 私の様子を窺うような慎重な言葉だった。

 まどろっこしいのは嫌いだ。こういう言い回しを聞くと、あのジジイと似たもの親子だったんだなと思い知らされる。

 そしてまた、共犯者二人のうち別の男も思い起こしながら、しみじみと私は答えた。

「まぁ、アイツが死んで海が荒れたしねぇ」

「違う。ロジャーの死より前だ」

 低く力強い声で男は断言した。そして、小さく唸るように、その言葉を口にする。

「お前がマリージョアを離れた時から、この世界は少しずつ均衡を失っている」

 私は軽く肩をすくめ、男の言葉に沈黙をもって応えた。

「お前は一体、何がしたい」

「別にぃ~」

 私はへらりと笑ってはぐらかした。

 男のすっぽりと頭から身体を覆ったローブの裾が風にはためいている。

 私は腰かけている屋上の縁から足をぶらぶらと揺らした。それから首をもたげ、もう一度男の顔を覗き込んだ。

 眉間の皺をさらに深くし、先ほどまでよりも険の増した目つきで男は言った。

「お前はこの世界を壊したいのか」

 その問いが思いがけないものであったから、私は言葉を詰まらせた。

 そして、数瞬おいて腹の底から大笑いした。身体を折り曲げて転げ回りたいのを耐え、それでも笑い声は押さえきれずに周囲に響き、朱色の夜空にかき消された。

「アハハハ!! アンタ、笑いのセンスあるよ。あのジジイよりよっぽど!」

「ならば何故、何もしない」

「なんかさぁー、勘違いしてるんじゃない?」

 男を見上げながら、私は口の端を上げて言った。

「『私』とはそういうものだよ」

 男の眼が揺れたのを見つけて、うっそりと嗤う。

 そうやって夜空へと伸びる猛火が、男の陰影を浮かび上がらせているのを黙って眺めていた。

 やがて男は静かな声で言った。

「それが世界の正義か、テミス」

「正義? 正義だって……? 馬鹿だなぁ。そんなもの世界のどこにも存在しないのに」

「お前がそれを言うのか」

「私はそういうのじゃないよ」

 きっぱりと否定する。やる瀬ない気持ちが心の裡に去来した。

「正義なんてものはさ、政府にも権力にも、ましてや私の手の内にもありはしない。この世のどこを探したって、そんなものは見つかりやしないんだよ」

 そして私はささやくように言った。

「それはきっと、自分の中にしかないもので。大切なのは、己の正義を裏切らないことじゃないかな」

 男は目を細めた。そして、何かを言いあぐねるように微かに唇を震わせ、すぐに口元を引き結んだ。男は複雑そうな面持ちでしばらく思案し、それからかぶりを振って口を開いた。

「質問を変える」

 そう言って、男はまだ私に問う。

 眉を顰めながらも私はこくりと頷いてみせた。

「お前は何を待っている」

「夜明けだよ」

「夜明けだと?」

「そうだよ。夜明けを待ってるんだ」

「それこそ馬鹿げている」

 私の言葉に男は静かに言った。

「夜明けが見たいなら東へ行けばいい。お前がやっているのは西へと夕日を追いかけ続けているようなものだ」

 私は絶句した。

 どこまでも露骨な男の言葉に私は驚き、呆気にとられ、それから動揺したことを必死に隠した。隠さねばならなかった。

「……わぁーお。ご忠告どーも」

 私はほほ笑んだ。どうにか、笑みを浮かべた。

 その笑みを見た男はとうとう諦めた表情でため息を吐き、私を見据えながら言った。

「なるほどな。よく、わかった……。世界政府というものが何なのか」

 冷たく突き放すような声で男は言う。

 私は何か言おうと口を開いたが、何も言葉を紡ぐことはなかった。うっすらと開いた口をゆっくりと閉じて、笑ったまま男の言葉を受け入れた。

「お前がいなくならない限り、世界は何も変わらない」

 そう言って、男は静かに私の言葉を待った。

 私はすぐに反駁しなかった。しばらく黙ったまま、うっすらとほほ笑んでいた。それからふぅと小さなため息を吐いて、何となしに屋上の縁をカリカリと指でひっかきながら壁向こうの燎原の火に視線を向ける。赤々とした夜空が眩しくて、目を細めた。

「……無駄だよ。私がいてもいなくても関係ない」

 そう私は応えた。

「大体、権力を持っているのは天竜人だし、実権を握っているのは五老星だ。私なんて、ただのしがない中間管理職だって」

「俺にはお前がわざとそうなるように仕向けているように見える。世界の目を、不満を、憎しみを、恨みを、悪意を……。そんな矢印をいくつも書き加えて、一定の方向へと流している。そうやって世界をコントロールし続けているんだろう」

 そうだろう、と訊ねている口調なのに、確信を滲ませたその声は反論を認める気などさらさらなかった。

 私はその言葉に応えなかった。それが肯定として男に捉えられただろうことは分かっていたが、そんなことは構いやしないとさえ思っていた。

 男は私を見据えながら淡々と言葉を続ける。

「そのお前が、世界のコントロールを手放した」

「謹慎中なんだって」

「それも全部、仕組んだことだろう?」

「まさか。まるで何もかもが私の掌の上みたいな言い方をするんだな」

「違うとでも」

「違うに決まってるだろ」

 私はきっぱりと否定して、「そんなの、カミサマにだってできやしないよ」と吐き捨てた。

 全く以って、そうなのだ。何一つ思い通りになんてなりやしない。そもそも一番上のボタンを掛け違えてしまったのだから、何をどう足掻いても私が最初に願ったようにはならないし、もはやその願いさえ既に願いと呼べるものではなくなってしまった。

 誰もみな総じて、思い通りに世界は動かない。どうして男はそんな簡単なことが分からないのか。

 私は知らず知らずのうちに苛立っていた。理解されたいなんて思ったことはないけど、理解してくれた人を知っているから、だから余計に何故こんな不毛な会話をしなければならないのかと思う。

 私はどうにも投げやりな心持ちになって、激しく燃え盛る壁の向こうをちらりと見やって男に問いかけた。

「行かなくていいの?」

「行かせてくれるのか」

「今はね」

「そうか」

 お互いにそう言い合いながら分かっていた。次に会う時は敵同士だと。

 吹き荒れる風は相変わらず生ぬるくて嫌な匂いがする。この夜が終われば朝はちゃんと来るのだろうか。こんなに炎が燃え盛っていては、夜が煮詰まってしまうのではないか。そして、何もかもが鎮まり還り、とろりとした闇がゆっくりとかき混ざりながら世界は終わっていくのだ。

 男は顔を歪め、「テミス」と私の名を呼んで言った。

「お前は、この世の病根そのものだ」

 私はその言葉にとびっきりの笑顔で答えた。

「そうかもね」

 さしもの男も一瞬、返す言葉を失った。

 そして男は、それ以上の言葉が無意味だと悟ったのか、一度すっと息を吸い込み、それから静かに深い息を吐いた。それはある種の決意に満ちた行為だった。その仕草に私はどこか懐かしさを感じた。

 男はゆっくりと壁の向こうを見上げ、自分に厳しく言い聞かせるような声で言った。

「いつの日か、俺は必ずこの世界を変えてみせる。お前がこの国を見捨てたように、世界もまたそうなるだろう。その前に、変えなければならない。お前を必要としない世界に」

 男は至極静かで落ち着いていた。その眼は朱色の夜空を射抜いている。恐らく、いや間違いなく一から十まで本気で言っているのだろう。生半可なことを口にする男でないことは私も承知している。

 だからこそ私も静かに目を伏せて男の言葉に聴き入った。少しも聞き漏らさないように。

「話は終わりだ」

 男は案外と拘りもなさそうな声でそう言った。もはや私を見ようとはしなかった。私も目を伏せたまま小さく頷いた。

「じゃあな、テミス」

「じゃあね、ドラゴン」

 そして、私たちは短い別れの言葉を口にし、男はローブを翻して去り、私はその場で腰かけたまま男を見送った。

 呆気ない別れだった。概ね人との別れなんてそんなものだ。湿っぽいより断然こっちの方が私の性に合っている。それが殺伐とした別れであったとしても。

 何だか今夜は無性に渇いていた。こんな時は喉を焼くような強い酒が飲みたい。それか煙草でも構わない。そうやって紛らわすことを覚えたのはいつの頃だったか。

 それでも、いつまで経っても私は忘れることなどできないのだ。煤けた赤黒い大地の上でただ渇いてゆく苦しみを、臓腑に灼熱を落とし込んだかのような苦しみを、(くゆ)る紫煙のあの薫りを、私はまだ覚えている。

 もう一度壁の向こうを見上げると、夜空を朱く染める劫火は夕焼けの空のように見えた。

 鮮烈な紅。沈みゆく太陽の最後の色。でも今夜は沈まない。きっと一晩中、紅蓮が空を彩るのだろう。

 私は夜明けを待っているのに、夕闇でさえ上手く終わらせることができないのだ。

 風は炎を巻き上げ、炎は風を呼び込む。互いを喰らい合うように勢いを増していくばかりの灼熱は、もはや人の手に負えるものではなかった。周囲の全てを焼き尽くし、燃やせるモノが無くなるまでただ待つしかない。

 私はゆらりと立ち上がった。

 屋上の縁に立つと、吹き荒れる熱風に煽られて少しくらりとする。一度眼を閉じて呼吸を落ち着け、それから静かに夜空を見上げた。

 立ち昇る黒い煙はうねりながら天へと続く。途切れることなく空を覆い尽くさんばかりに。

 あぁ、あの黒煙はまるで邪悪な者が焼かれた時の煙のようじゃないか。ならばあの煙は、世々限りなく立ち昇ることだろう。灰になった者が赦されるいつかその日(ラクリモーサ)まで。

 

 

 

 



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14.いつまでもあると思うな親と職

 

 目の前に聳え立つ石壁は、こんなにも高かっただろうか。

 よろよろと大門に近づくたびに、吹き抜けていく強風は熱くなっていく。

 いつも開け放たれていた大門は、ぴたりと隙間なく閉じられ、辺りに濛々と立ち込める黒い煙が、風に煽られ生き物のように地面を這いずり回っている。熱された空気にじわりと汗が噴き出して、俺は額から流れてくる血と一緒に乱暴に拭った。

 

 高町から逃げ出してきた俺はすでに疲れ果てていた。

 警官は驚くほど執拗に追いかけてきて、ただ子どもを捜索し保護するためという理由ではあり得なかった。きっと父親の権力や情報漏洩の危惧など、様々な思惑があったのだろう。

 高町から出るのに無茶をしたせいで、あちこちに血が滲み、服もボロボロになっている。

 もう一度額を拭って、俺は石壁を見上げた。

 壁の上から真っ赤に染まった空が覗いている。今にも壁を越えて押し寄せてきそうなほど荒れ狂った炎の気流。この壁の向こうは一体どれほどの灼熱地獄なのか。

 何かが焼ける嫌な臭いがする。ゴミ山でさえ嗅いだことのないほどの悪臭。恐らくそれはゴミが焼ける臭いだけではない。想像するにもおぞましい臭いだ。

 もし、この向こうにあの二人がいたら。

 そう思うと居ても立っても居られず、俺は喉が枯れんばかりに叫んだ。

「エース! ルフィ! 逃げろー!!」

 せめてこの声が届けば。いや、もはや声が届く範囲にいるようでは何もかもが遅い。それでも叫ばずにはいられなかった。炎の中へ二人を探しに行くどころか、固く閉ざされたあの門をくぐり抜けることさえできそうにもない。俺は無力だった。

 その時、門の傍にいた兵士たちが俺を見て囁くのが聞こえた。

「おい、あのガキ、ゴミ山の『悪童』の一人じゃないか?」

「ちっ、町中にいたなんて運がいいな」

 はっとして、俺は視線を上にやったまま息をひそめた。向こうと俺との距離はそれなりにある。兵士たちは俺に聞かれたとは微塵も思っていないようだった。俺は聞こえたことを知られてはマズいと思った。

 兵士たちは声を潜めて話し合う。

「邪魔だな。どうする? 放り出すか?」

「……いや、命令は全部(、、)だ。誰にも見つからないように処理するぞ。明日、外で他と一緒にしてしまえばいい」

 何だって? 何を言っているんだ?

 俺が聞こえた声に呆然としている間に、兵士たちは俺に歩み寄っていた。その顔は頭上からすっぽりと覆ったマスクで何も見えない。何の表情も窺うことができなかった。

 兵士たちは俺に近づきながら無機質な声で言った。

「君、ここは危ないから避難するんだ。我々が君を安全な場所まで連れていこう」

「さあ、来るんだ」

 そう言って兵士は、俺に向かって手を伸ばした。

 その手がひどく不気味に見えた。捕まればどうなるのか、何をされるのか、明日には他と一緒に俺はどのような状態になってしまっているのか。そんな疑念が恐怖に変わるのは一瞬だった。

「う、うわぁあ!!」

「あ、くそッ!! 追え!」

 目の前に迫るその手に、思わず声を上げて逃げ出した。

 兵士の焦った声を背後にして必死に駆ける。

 

 走る。走る。走る。

 町の景色と人だかりを置き去りにして。

 ゴミ山の火事騒動で外に出てきていた町の住人たちは、必死の形相で走り抜ける俺と、追いかける兵士を見て驚愕していたが、子どもを追いかける兵士を訝しむ人間は誰もいなかった。

 そりゃそうだ。だって俺はこの端町ではゴミ山の子どもとして有名だった。今回の騒動に俺が関わっているから兵士に追われていると思われたのかもしれない。

 俺たちを呼び止める人間は誰もいなかった。助けてくれる人間も。

 荒い呼吸と心臓の音がうるさい。すでに体力の限界は超えていた。それでも気力を振り絞って足と腕を動かし、無我夢中で町の通りを駆け抜ける。

 火事に集まった人たちの間をすり抜け、気がついたら人気のない細い裏道を駆けていて、自分が今どこを走っているのかさえ考えることもできなくなっていた。

 これまで何度もエースたちと走り抜けた端町が、まるで知らない場所のように俺を呑み込む。いつもなら複雑なルートを考えながら、簡単に撒けるのに、別の事ばかりが頭を埋め尽くしていく。

(どうして、どうしてこんなことができるんだ? どうして、平然と人が殺せる?)

 高町の人間や国軍の兵士たちの姿が、脳裏を駆けめぐる。

 頭の中のどこか深い奥で、そいつらの声が耳鳴りのように、ぐわんぐわんと響いては消え、もはや何を言っているのか判別がつかない。ただ、反響して増幅するその声は、大きな黒い渦のようで酷く恐ろしかった。

 時折、ぽしゅんぽしゅんと気の抜けた音が響いて、腕や足に銃弾がかすっていく。腕や足のあちこちがじんじんと痛みを訴えたが、掠り傷に構っている余裕はなかった。

 洗濯物ロープの下を潜り抜け、空き瓶を蹴り飛ばし、木箱の上を飛び越え、どんどん町の奥へと吸い込まれていく。

 もはやどこへ行けばよいのかだとか、そんな思考すら放棄していた。ただ町に誘い込まれるままにひた走る。

 足を止めればそこで終わりだと、それだけは、はっきり理解していた。

「はぁッ! はぁッ! はぁッ!」

 息が苦しい。上手く空気が吸えなくて、まるで火の中にいるみたいに全身が熱い。

 嫌な臭いがする。火の手が上がる壁からはずいぶん離れた筈なのに、嫌な臭いが呼吸を奪っていく。

 いいや、違う。これは火事の臭いじゃない、この町の臭いだ。この町の中心から強烈に腐った臭いがする。腐った人間の臭いが充満している。この町で俺は、満足に息さえできないのだ。

 俺は無様に呼吸をくり返しながら、細い裏通りの石畳を蹴りつけた。

 自分と兵士たちの足音が、薄暗い壁に反響する。赤い空が光源となり不規則な明暗が視界の端を高速で過ぎていく。建物の輪郭だけを認識して俺は走り抜けた。

 はっと気がついた時には、目前に迫る交差の死角から人の気配があった。

(ぶつかる!)

 慌てて回避しようと身体を捻る。

 角から飛び出してきた俺に、向こうの奴も寸前で足を止めた。

 なんとか全面衝突を免れるも、俺はスピードを殺しきれず相手の懐に飛び込むように体がつんのめる。一瞬のうちに視界が黒で覆われ、反射的に少し高い位置にある相手の顔をパっと見上げた。

「母さん……」

「……サボ」

 目と鼻の先で、お互いの顔を突き合わせ、俺たちは呆然と呟いた。

 そこにいたのは、紛れもなくコルボ山にいるはずの、母だった。

 驚いた顔で青い眼を見開きぽかんとしている。そして、その眼の中に映る俺も同じような顔をしていた。

 どうして母がこんな場所にいるのか。どうやって町まで来たのか。いや、それよりも、どうしてそんな黒いスーツを着ているのか。

 瞬時に嫌な疑念が頭の中を駆け巡る。だが、その思考は致命的な間だった。

 気がついた時には背後に兵士たちが追い付いていた。

「いたぞあそこだ! 撃て!!」

「しまっ……!!」

 銃口越しに数人の兵士たちの姿が目に映った。何本もの銃身が伸びていて、それが一斉に火を噴いた。避けきれないと思った。その次に母さんにも当たると思った。

 突き飛ばさないと、そう考えるよりずっと先に、俺の腕は母に向かって伸びていた。だが、俺の腕が母を突き飛ばすことはなかった。

 いつの間にか母は飛び出していた。

 四つ角の真ん中、俺の前に。

 

 そこからは、まるで時間がゆっくりと動いているかのように、俺の視界には全てが克明に映っていた。俺を手繰り寄せる母の細い手も、抱き込まれた胸元の黒い服の皺も、肩越しに見えた赤く明るい夜の空も、その空を切り取るように囲む黒い輪郭だけの建物も。

 はっとした時にはキーンとした耳鳴りがして、銃弾の残響が耳に残っていた。耳元を掠っていったのか。一拍遅れて左肩に焼けるような痛みを感じた。こっちは被弾している。最後に地面に落ちた衝撃が背中から伝わった。

「かあ、さん……?」

 そしてようやく、自分の上に覆いかぶさっているのが母であることに気がついた。

 抱きこまれた体勢のままで、母の顔は見えなかった。

 そろりと肩越しに手を回すと、母の背中はぐっしょりと濡れていた。指を擦るとぬるりとした感触がする。それが血であることに気付くのに、しばしの時間がかかった。

 ぐったりと動かない母を抱えて、位置を入れ替えると、母は目を閉じたまま細く短い息をしていた。口からごぽりと血が溢れる。母を抱えた腕をすり抜けて血が滔々と零れ、薄暗い石畳にドス黒い血だまりが、みるみる広がっていった。

「あ……、」

 ただ茫然と、言葉にならない衝撃をぽつりと零した。

 母が酷い怪我で転がっているのは見慣れていた。血まみれの姿も。

 でも、こんなぐったりとして目を閉じている姿は初めてだった。母はいつも笑っていたからだ。どんな酷い怪我でも平気で笑っていた。なのに、どうして。

「か、母さん、母さん……! しっかりしてくれ!!」

 ようやく言葉になった呼びかけは、みっともなく震えていた。

 なんとか零れる血を止めようと、背中に手を押し当てるが、その手の隙間からまた零れてくる。息がひゅぅひゅぅと可笑しな音を立てている。時折、血を吐き出す。

「くそっ! 民間人を撃っちまった!!」

「こうなりゃ両方とも処理するしかないだろ!」

 いつの間にか兵士たちは、俺と母を包囲していた。

 一番背の高い兵士が、焦ったように吐き捨て、俺に銃口を向けた。

 母を連れては動けない。撃たれると思った時、別の兵士がはっとして声を上げた。

「お、おい、待てよ!? この女が着ているスーツ……」

 一瞬、声を詰まらせる。そして、にわかに声を荒げて叫んだ。

「せっ、世界政府の役人じゃないのか!?」

 その悲鳴じみた声に、他の兵士たちもばっと母を見下ろした。

 咄嗟に母をその視線から隠そうと抱きよせる。

「まさか!? こんな所にいるはずが! だ、だいたい視察団が来るのは明後日だぞ!」

 震えを隠せていない声で背の高い兵士が叫ぶ。だがそれに答えられる者はいない。

 騒然とした空気が場を包んで、俺はどうすればいいのか分からず息を潜めたまま身を固くしていた。母の身分を話せばすぐにでも治療してもらえるのか、それともこのまま俺共々闇に葬られるのか、その判断がつき難かった。

 俺が何か声をあげようとしたその時、くぐもった声が俺たちの耳に聞こえた。

「あーごほっ、あーうん、」

 俺のでも兵士たちの声でもない。喉の奥が詰まって上手く声が出ないような、喉の調子を確かめるために声を出したような、そんな間の抜けた声だった。

 まさかという思いで、全員の視線が横たわる母へと注がれる。

 むくり、と。抱えていた母が起き上がった。ぼんやりとした眼はまるで寝起きのようで、どことも見てはいない。がしがしと頭を掻きながら、少し濁った声で「あー、大丈夫、大丈夫。少し驚いただけで問題ない」と言った。

 呆気にとられたのは、俺も兵士たちも同じだった。

 まだ血は流れ続けているし、呼吸だって浅く変な音がしている。決して大丈夫だなんて一言で表していい状態ではない。それでも母は何事もなかったかのように起き上がった。

 咄嗟に引き止めようとした俺の手はさり気なく振り払われ、俺は呆然として血だまりに座り込んだまま母を見上げた。

 母は無表情で立っていた。

 この世のものとは思えない静邃を湛えた眼が茫洋とくすんでいて、まるで一枚薄い皮の向こうにいるように存在が遠かった。

 手を伸ばしても空を切りそうな違和感と、僅かばかりの疑念。それらが母に生きていることを感じさせない。そして、それがたまらなく恐ろしく感じられた。

 いまだ戸惑う俺たちを前に、母は淡々と口を開く。

「あと別に私は使節団の先遣隊とかじゃないから。合流する手はずにはなってるけど、今はまぁ、ただの通りすがり」

「そ、それではやはり」

 兵士たちは、母が役人だったことに声を詰まらせていた。

 自分たちの処分が恐ろしいのだろう。それほどまでに世界政府とは権力があるのか。それとも、この時期だからこそ問題を起こしたことに責任があるのか。俺には判断がつかなかった。

 そんな様子の兵士たちを見て首をかしげた母は、「ああ、」と思い至ったように声をあげて「私を撃ったことは報告しなくていい」と言った。

「え……!?」

「い、いえ、ですが、」

「私はここに居なかった。その言葉の意味が分かるね」

 いつもより低い母の声が耳を打つ。

「「「は、はい!!」」」

「うん。それでいい」

 兵士たちの委縮した返事に対して母は無機質に応えた。その声が静かに裏通りに響く。

 この場を支配しているのは紛れもなく母であった。

 見たことのない母の姿に、俺はじっと息を潜めて母を見上げた。

 薄暗がりの中に、母の輪郭がぼんやりと浮かんでいた。薄明るい赤色の空が、母の青髪を万華鏡のように不思議な色彩に咲かせ、それ以外の全身が赤黒く暗がりに滲み、どうにもアンバランスな輪郭であった。

 座り込んだままの俺を、兵士の一人が見下ろして言った。

「それで、その子どもは……」

 俺はぎくりと身を強ばらせ母を注視した。

 母は問うた兵士を横目に、当然の理を述べるように答えた。

「ああ、この子はこの国の貴族のお子さんで、現在捜索願が出ている。知らなかったのか?」

 母のその言葉に、俺は目を見開いた。

「貴族の……!? 申し訳ございません!!」

「ですが、その、貴女を母親と呼んでおりましたが」

 背の高い兵士がどこか胡乱げな声で問いかけた。

 母は一瞬俺を見下ろしたかと思うと、すぐにふいっと視線を逸らして言った。

「人違いでしょ」

 ひくり、と呼気が喉に詰まった。

「ぁ、かぁ、……!!」

 世界がぐらぐら揺れ、耳元で鼓動がうるさい。

 呼びたいのに声が出ない。息が上手く吸えなくて、今になって全力疾走した全身が震える。鼓動が鳴り響いてうるさいのに、耳はしっかりと母の会話を拾う。

「第一、私が母親って(とし)に見える?」

「い、いえ、失礼いたしました」

 爪が掌に食い込むが、痛みすら感じる余裕はない。

 俺はいつのまにか石畳に広がる赤い染みを見つめていた。噎せかえるような血のにおいがする。

 コツリと靴音を鳴らして、母は踵を返した。

 兵士たちが慌てて敬礼して見送る。それを横目に、片手をひらひらと振りながら「じゃ、」と声をかけ、母は俺たちの横を通り過ぎた。

 そして、去り際に言った。

 

ゴミ処理(、、、、)お疲れ様」

 

 俺は恐ろしい勢いで背後を振り返った。

 夜の町に消えようとするその後ろ姿が誰か知らない人間のようだった。

「ぇ……?」

 ようやく、呆然とした声が俺の口から零れ落ちた。

 頭の中が真っ白になる。母の後ろ姿から目が離せない。

 まるで現実味のない、けれど耳元で鳴り続ける自分の鼓動はあまりにもリアルで、これが今本当に目の前で起こっている事なのだと、嫌でも思い知らされる。

 母の言葉の意味が、分からなかった。

 それは、どういう意味だ。ゴミ処理って何のことだ。この火事のことなのか。なんでそのことを母が……。

(全部、知っていたのか……) 

 言葉で表現しようのない想いが胸を押しつぶす。

 はは、と口から息が漏れた。どうやら俺は笑ったらしい。

 よろり、と俺は立ち上がった。

 力がうまく入らなくて、何か声を上げようとしてふっと息が抜ける。身体が芯まで冷えている気がした。呼吸が苦しい。疾走している時よりずっと。限界なんてとっくに超えた身体がもう駄目だと悲鳴を上げている。

 一歩、足を前に踏み出す。ぐらりと傾いた重心を戻して、もう一歩。進むたびに母の後ろ姿は遠ざかってゆく。

 ぎゅっと胸元の服を掴んで、青い髪をなびかせた小さな後ろ姿を見据えた。そして、深く息を吸い込み、獣の咆哮のように俺は叫んだ。

「――行かないでくれ母さんッ!!」

 悲痛な声が裏路地に響き渡る。

 だが、母は振り返ることも足を止めることもせず、その姿は小さくなるばかり。

「母さんッ!! かあッ……!!」

「おい! どこに行く気だ!」

 走りだそうと前に沈めた体勢のまま、後ろから兵士に取り押さえられる。自分でもどこに残っていたのかという程の力で暴れるが、押えられる腕が増えて振り払いきれない。

 もがきながら擦れた声で叫んだ。喉が引き攣って血の味がしても。

「かあさッ……!!」

 それでも母は一度も振り返らず、そのまま薄暗い路地の向こうに消えていった。

 は、は、と呼吸の音が聞こえる。兵士たちの拘束からもがくのを止め、俺は立ち尽くした。

 どれだけ霞む視界を凝らして待っても、薄暗い路地の向こうには闇があるばかりで、母の姿は戻ってこなかった。

 

 

 その後、俺は兵士たちに引きずるようにして連行され、左肩など傷の手当てと撃たれたことを口止めされた。そして夜明け前には家に戻された。

 寝ていたところを起こされた父は大層不機嫌で、殴られ、怒鳴られ、また殴られ、そのまま物置部屋に俺を監禁した。

 小さな部屋は少し埃っぽく、箱や物がごちゃごちゃしていたが、ゴミ山で暮らしていた俺には部屋の状態なんて少しも気にならなかった。天井近くにある小さな明かり取りの窓から見える空は、まだうっすらと赤い夜の色をしていた。

 俺は部屋の隅に座り込み、母のことを考えた。

 どうして母は知っていたのに、何もしなかったのか。あの姿はまるで高町の人間たちのようだった。それが仕事だからだろうか。腐った奴らに従うことが仕事なのだろうか。それが母にとって人の命よりも大切なことなのだろうか。

 どれだけ考えても分からない。分からないことだらけで、何を考えればよいのかもわからなかった。ただ延々と同じ問いを繰り返し続ける。答えなんて見つかる訳がない、欲しくもないと、心のどこかで思いながらも問い続ける。

 時間を経るごとに、もやもやとした問いは膨れ上がる。やがて俺はその問いの根本が何か気がついた。これは俺自身の感情だ。自分でも意外なことに、それは怒りでも悲しみでもなく、ただの恐怖だった。

 俺は、人の命を命とも思わない異常な周囲が恐ろしいのだ。周囲が当然のようにその考えを振りかざしているのが恐ろしい。周囲と違うことがまるで悪であるかのように言われることが恐ろしい。そして、この国に飲まれて俺という人間を変えられることが恐ろしい。でも、何よりも恐ろしいのは、母を信じられなくなることだった。

 きっと母はこの国を出ていく。俺たちを置いて行ってしまう。

 今すぐ母に全てを問いただしたかったが、きっと何も答えてくれないだろう。普段は何でも教えてくれるのに、本当に大切なことは何も教えてくれない人だった。それだけは「自分で答えを出せ」と言って笑っていた。

 でも、考えても答えが出ない時はどうすればいいのだろう。

「母さん……」

 ぽつりと零れた声が小さな部屋に響いた。

 身体がぶるりと震える。一人であることを自覚すると急に寒さが襲ってきた。手足を抱えるように縮こまり唇を噛みしめる。

 今頃、エースとルフィはどうしているだろうか。無事に、あの火事から逃げられただろうか。ブルージャムとはどうなっただろう。何事もなく無事でいてくれと願うことしかできない。

 すぐにでも二人のところに帰りたかった。でも、自分はもうコルボ山に帰ることはできない。父親との約束の為だけではない。俺は二人の顔をまともに見られるとは到底思えなかった。

(ごめん。ごめんな、エース、ルフィ……)

 母の遠い後姿が瞼の裏に焼き付いて離れない。二人に合わす顔がなかった。

 どうしてこんな事になったのだろう。一昨日までは何でもない毎日が続いていたのに、一体どこから狂いだしたのだろうか。どうして、こんなにも分からないことばかりなのか。

 見上げると、窓から差し込む光は薄明るくなっていた。

 あの不気味な赤い色ではなく、やわらかな光を湛えている。夜明けだ。

 俺はゆっくりと息を吐き出した。強張った身体をゆっくりと動かし、痛みの残る腕や足をそっとさする。そうしてしばらく目を閉じた。すると、ふいに暗闇の中で母の声が脳裏をよぎった。

『自分の眼で見に行け』

 それはいつだったか、母がエースに言った言葉。

 はっとして俺は目を見開いた。

 そうだ分からないことばかりなのは当然じゃないか。今までだって知らないことばかりだった。俺はまだ海にも出たことがない、その向こうの広い世界も知らない子どもだ。だから自由を求めた。冒険の本を書く夢を叶えるために。

 じっとして居られなくなって俺は立ち上がった。

(行こう! 知るために、確かめるために、海へ……!)

 母を信じられなくなるぐらいなら、俺は自分の眼で世界を見に行く。今世界で何が起きているのかを知るのだ。

 そして、何が正しいのか、その答えを自分で出す。

 この国で俺が腐ってしまう前に。

 

 

 

 



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15.可愛い子には旅させよ

 

 サボが死んだ。

 嘘か冗談みたいな話を信じるなんて到底できなかったが、ドグラの目は戸惑いを浮かべながらも真剣で、それがドグラの嘘でも冗談でも無いことを認めるしかなかった。

「あいつが幸せだったなら、海へ出る事があったろうか。海賊旗を一人掲げて海へ出る事があったろうか」

 ドグラはそう言った。その気持ちが分かると。

 俺はサボを奪い返しに行かなかったことを悔やんだ。何が「様子をみよう、嫌ならまた必ず戻ってくるさ」だ。唯の嫉妬だった。本当の家族が居ることに嫉妬して、俺は口先で自分を誤魔化して助けに行かなかった。そんな自分を殺したくて仕方がなかったが、自分の父親に頭を下げてまで俺とルフィの命乞いをしたサボの姿が浮かんでどうしようもなかった。

 せめてサボを殺した奴を殺しに行こうとした。絶対に仇を取らなきゃなんねぇと思った。だが、ダダンに床に叩き付けられて、「死んで明日には忘れられる。それくらいの人間だ、お前はまだ」と言われた。そして街へ行かないように木に縛り付けられた。

 

 サボが一体何に殺されたのか分からない。

 ダダンはサボを殺したのはこの国であり世界だと言った。国って誰だ、世界って誰だ。この国に来た天竜人って奴なのか、それとも世界政府それ自体なのか。結局サボは何に殺されたのか。どうしてサボが死ななければならなかったのか……。

 いや、人が死ぬのに大した理由なんて無いことを俺は知っていた。ゴミ山の住人たちがそこで生きているというだけで殺されること。ゴミ狩り部隊の兵士たちがそこで生きているというだけで殺すこと。それがあそこでは当然のルールだった。

 だから俺達は細心の注意を払って生きる必要があった。

 ゴミ狩り部隊が門の外から出てくる日には山の中に身を隠すこと。ブルージャムの一味には手を出さないこと。高町には足を踏み入れないこと。他にもたくさんある。そういった注意すべき事は俺達だけじゃなく皆知っていた。誰かが教えてくれた事もあるし、暗黙の了解みたいなのもあって、それは肌で感じ取って知った。

 そうやって、今まで生きてきた。誰かに理不尽に殺されるかもしれない。そんな恐怖を力で捻じ伏せて、生きていくために強くなりたかった。

 力があれば生きていけると、そう思っていた。

 

 木に縛りつけられ身動きの取れないまま夜が明けた。

 ルフィは一晩中泣いていた。

 泣き止ませるのは、おふくろかサボの役目だった。

 

 その日の朝、サボから手紙が届いた。

 出航する前に手紙を出していたのだろう。俺は縄を解いてもらって手紙を受け取り、一人になれる場所を探して歩いた。皆の前で読む気にはなれなかった。紙を広げるとそこには見慣れたサボの字が並んでいた。

 手紙は俺とルフィの二人に宛てたものだった。

 

 

『 エース ルフィ

 父親の事で二人には迷惑をかけた。あの後、ブルージャムに酷くされなかったか? あの火事で怪我をしていないか? 心配だけど無事だと信じている。

 俺はもう帰れない。お前達には悪いけれど、二人が手紙を読む頃には俺はもう、海の上にいる。色々あって一足先に出航する事にした。俺は世界を見に行く。何が本当なのか、自分の眼で確かめに行くんだ。行先はこの国じゃないどこかだ。そこで俺は強くなって海賊になり俺の冒険を始める。誰よりも自由な海賊になって。

 なぁ、勝手な話だけど、俺をまだ兄弟だと思ってくれるだろうか。もし、まだそう思ってくれているのなら、また兄弟3人どこかで会おう。広くて自由な海のどこかでいつか必ず。

 それからエース、俺とお前はどっちが兄貴かな。長男二人、弟一人、母親一人。変だけどこの家族の絆は俺の宝だ。ルフィの奴はまだまだ弱くて泣き虫だけど俺達の弟だ。よろしく頼む。

 

 追伸

 エース、どうか母さんを許してやってほしい。』

 

 

 手紙を読んでしまうと俺は海へ出た。すがすがしい程に青くて広い海だった。

 サボはこの海のどこかに居る。誰もサボの遺体を引き上げようともしなかったらしい。今更、俺が海を潜っても遅い。せめて服の切れ端一枚でも浜に流れ着いてくれれば、俺はサボの死を実感できるのかも知れない。

 なんにせよ、一つだけ確かなことがある。

 サボは、おふくろがもう帰ってこない事を知っていたのだ。

 

 

 

 おふくろは不思議な人だった。

 何をやらせても状況悪化しかさせないある種の特別な才能を持ち、物心つく前の俺がどうやってこの人のもとで生き抜くことができたのか疑問に思う程には酷かった。(勿論その答えは山賊たちにある)。

 母親としては無能どころの話ではなかったが、あの山賊アジトの中でおふくろの存在は妙に馴染んで受け入れられていた。その存在に疑問を持つこともあったが、おふくろが居る事が俺にとっての当たり前だったから、アジトの中で唯一おふくろだけが俺だけの母親だった。

 しかし、大勢の中で暮らしてきた為か、おふくろと俺との距離は物理的にも精神的にもどこか離れていた。おふくろが俺の本当の母親じゃないと知った時は、この距離感は俺が本当の子どもじゃない所為だと思った。今よりもガキだった頃の俺はそれが許せなくて、必要以上に乱暴に当たったり、気を遣ったり、無視したり、おふくろの気を引こうと躍起になった。

 後になって気づいた事だったが、実際のところ、その距離感は俺だけじゃなかった。おふくろは誰に対しても壁を作っていた。そして、それを悟らせないようにするのが非常に上手かった。

 結局、俺が何をやってもその距離は埋まらなかったし、それがこの人なのだと納得する事で折り合いをつけるしかなかった。

 そんな人ではあったが、おふくろの愛情を感じなかった訳じゃない。

 ルフィやサボが上手いことおふくろに甘えているのを見て、俺もああすれば良かったのかと自分の不器用さを悔しく思ったこともあったが、兄弟が増えておふくろからの愛情が三分の一になると危惧したのは杞憂でしかなく、おふくろの愛情が三倍になっただけだった。あの人は、俺もルフィもサボも平等に愛してくれていた。

 愛情深い人ではないのは確かだ。でも薄情な人でもない。母親らしい人ではないが家族だ。すぐに怪我をする人だが弱い人ではない。軽薄な態度の人だが嘘をついたことはない。感情の読めない笑みを浮かべているが人間味のない人ではない。

 どんなに蔑まれても罵られても傷つけられても、いつも何でもない事の様に笑っていた。まるで流れる水や雲の様な、掴みどころのない人だった。俺にはそれが自由な生き方に思えた。

 だからだろうか、おふくろが俺達を捨てたことについて、俺は奇妙なほど淡々と納得した。怒りも悲しみもあったが、それ以上に事実をすんなりと受け入れてしまった。サボの死の衝撃の方がよっぽど受け入れられなかったからかも知れない。

 結局、俺は心のどこかで、いつかおふくろとの別れが来ることをずっと知っていたのだ。知っていながら気づかない振りをしていただけ。それは、俺がおふくろを捨てるのが先か、おふくろが俺を捨てるのが先か、どちらかが先に裏切るかの問題でしかなかった。

 そしておふくろは俺を裏切った。最も残酷な方法で。

 

 

 

「おふくろは聖地に行ったんだな」

 青い海を眺めながら俺はそう口にした。

 俺の後ろには様子を見に来たダダンが立っていた。

「ああ、復職するんだとさ」

「まともに働けるものか」

「それにはあたしも同意するよ」

 海はいつも通りの穏やかさでそこに在った。空も浮かぶ雲もそよぐ潮風も、物心ついた時から毎日のように見てきた景色と何も変わらないのに、どうして、こんなにも虚しく見えるのか。

 手紙を握りしめる指にはもう力はない。俺はゆっくりと腕を持ちあげて掌で自らの目元を覆った。陽の光が瞼の裏側まで貫いて赤い残像が目を刺す。それを暗闇の中でなぞるように追いかける。

「意外だねェ」

「何が」

 唐突に、本当にそう思っているのが分かる声でダダンが言うので、俺は何が言いたいのか意図が見えなくて後ろを振り向いて訊ねた。

「手が付けられねぇくらい暴れるかと思ってたんだが」

「別に……」

 俺が言葉を濁すと、ダダンは少し考えてから訊いた。

「気づいてたのか?」

「まぁな」

「ふん、子どもってのは大人が思ってるよりも見てるもんだね」

 俺は何を言えばいいのか分からなくなって黙った。

 気づいていたのは本当だ。おふくろの様子が変だった時からこうなるかも知れないと心のどこかで思っていた。でも何もできなかった。おふくろを引き留めることなんて俺にはできなかった。引き留める機会さえ与えられなかった。

「あたしは自分の分しか殴ってないよ」

「自分の分?」俺は聞き返した。

「そうさ、一発だけしかあの小娘をぶん殴ってない。それはあたしの分。だから、おめェの分はおめェで殴りに行きな」

 きっとその一発をおふくろは真面目に殴られたのだろうと思った。弱いくせにそういう律儀な面があることを俺は知っていた。それが別れ際の筋を通さないおふくろなりの筋の通し方なのだと。

「殴んねぇよ」

「あぁん?」

 ダダンは眉を顰めると、目を細めて俺を見下ろした。

「父親ならともかく母親相手に手を挙げたりしねぇよ、俺は」

「いや、おめェ、いっつも小娘を乱暴に扱ってたじゃねェか」

「蹴ったり投げたりすることはあっても殴ってはいない」

「ふぅん。まぁいいさ。どうせ全部あの小娘の自業自得だったしね」

 ダダンはそう言って頷いた。

 暴力息子の疑惑は晴れていないけれどもダダンの中ではそれで問題ないらしい。あまり良い気持ちはしないが、もうそれでいいことにした。

「見送られるのが苦手なんだと」とダダンは言った。

「いつもそうだった」と俺は答えた。

 おふくろはいつも何も言わずに行く。昔からそうだった。それに憤って追いかけようとした頃もあったが、そんな事は無意味で不可能だと理解するのにそう時間はかからなかった。なぜなら、おふくろの中では俺達の事と仕事の事は全く別の世界に分かれていて、同じ視点で考えられるものじゃないからだ。

「本当は知ってたんだ。おふくろは何処にでも行けるって」

 言い訳を言うように、小さな声で俺は言葉を続けた。

「いつも怪我ばかりで、この山だってロクに出歩けないけど、行こうと思えば自分一人で何処にでも行けたんだ。それを知っていて俺は何処にも行かせないようにしていた。足手まといだからとか、怪我で帰って来られないのが面倒だからとか、そんな心配する振りをして何処にも行かせないようにしていた」

 そこでふっと息を吐いた。ダダンの足元の小さな草が風に震えている。少しの間を空けて、俺は絞り出すように言った。

「おふくろが本気で行ってしまったら、今の俺には追いつけないのを知ってたからな」

 乾いた唇を引き締める。俺は奥から漏れ出そうな何かを抑え込んで、憮然とした表情を作って顔を上げた。

 ダダンは鋭い眼つきで俺の事を見つめていた。そして腕組みした指をトントンと二回叩いて言った。

「マグラの話じゃ、小娘は式典にいたそうだ。とは言っても、王族貴族に混じって出席していた訳でも、市民に混じって歓待に参加していた訳でもなく、ただじっと裏通りから眺めていただけだから、姿を見つけられたのは奇跡みたいなもんだって言ってたな。それでもあの髪色はテミスに違いないだと」

「そうかよ」

 俺はそれだけ答えた。それから、できるだけ平坦な声で言った。

「マグラが見てたんだ。おふくろも見てたんだろうな。サボが殺されるところを」

 ダダンは答えなかった。

「サボが手紙でおふくろを許せって書いてたんだ」

 くしゃり、と手の中でサボの手紙が音を立てる。

 俺はゆっくりと息を吸い込んだ。深く、深く、吸い込んでゆっくりと吐き出す。それから震えそうになる唇をそっと開いた。

「でも、俺は何を許したらいいのか分かんねぇ。だって俺はおふくろに対して何一つ怒ってないんだからよ。許すも何もハナっから許せる事なんて何もねぇんだ」

「エース、おめェ……」

 ダダンが擦れた声で呟いて息を呑んだ。俺はそれに構わず言った。

「サボは国に殺された。世界に殺された。俺はそれが何を意味するのか分かんねぇ。サボが一体何に殺されたのか分かんねぇんだ。俺はサボみたいに頭がよくないから……」

 微笑もうとして口元がぐにゃりと歪む。

 一体、俺は何を許せばいいんだろうか。サボを殺したのはきっと自由とは反対の何かで、それは俺が思っている以上にいつも身近に付き纏っている。サボはそれに捕まってしまったのだ。

 俺はダダンを見上げて言った。

「俺は思いのままに生きる。誰よりも自由に。サボが掴めなかった自由を俺は絶対に掴んでやる。そして、何一つ悔いのない様に生きるんだ」

「おめェにその覚悟があるのか?」

「あるさ」と俺は言った。「それが色んな奴らを敵に回すことだって分かっている。きっと、ジジイも、――おふくろも」

 その言葉はするりと口をついて出ていた。

 こんな風に、自分の中が波紋ひとつたてずに澄んでいるなんて初めてで、鏡面のようにしんと静まり返っている。それなのに、あと一滴でも落とされれば、何もかもが溢れ出してしまいそうだった。

「それでいいんだね」

「ああ」

 静かに笑ってみせた俺の言葉に、何とも言えない顔でダダンは吐き捨てた。

「そういうところ、あの小娘にそっくりだよ」

 俺は声をあげて笑った。

 ダダンはますます形容し難い顔をして重い息を吐き出すと、「エース」と俺の名を呼んだ。その声はまるで悼むような響きだった。

「死ぬんじゃないよ」

 俺はその言葉に黙って頷いた。

 今はまだ、俺は自由に届かない。だから強くなる。国にも世界にも何にも負けないくらい強くなって、そして海へ出る。きっとその長い航海の先に、おふくろはいるのだろう。いつか追いつくことができたら、俺はおふくろを――。

「俺は絶対に死なない。死ぬものか」

 自分だけに届いたその言葉は風に乗って消えていった。

 

 

 

 



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16.モンペですがなにか

 

 電伝虫が鳴いている。

 ぼんやりと霞がかった頭の隅でそんな事を思った。重い瞼をゆっくりと開ければ、あまりの眩しさに頭の奥がずきりと痛み、ぼんやりと白い光が眼を焼く。パチパチと何度か瞬きをしているうちに焦点が合い始め、白い光は砂であることに気付いた。

 砂? では自分が今、頬をつけて横たわっているのは砂の上なのか。そう認識した途端、五感の機能が正常に働き出す。潮の匂い、太陽の熱、それから波の音と――プルプルプルプルプル。やはり電伝虫が鳴いている。

 顔を上げると白い砂浜と海が視界に入る。なるほど、私は波に打ち上げられたのか。陸に戻って来られてほっとする。プルプルプルプルプル――意識を音に引き戻す。ご丁寧にも手を伸ばせば届く距離に電伝虫はいた。その隣には何故か新聞が添えてある。

 震える腕を何とか伸ばし、がちゃりと受話器を引き寄せ口にあてる。しかし、咽喉が干乾びているのか第一声が出ない。はくはくと無駄に息を吐き出して、それからようやく声帯を振動させることに成功した。

「……、メ、メーデ……」

 やっと出た言葉は潰れた蛙のようだった。

「ようやく起きたか、テミス」

 電伝虫の口から聞こえてきたのは嫌に落ち着いた初老の男の声だった。それが助けを求めている者に対する返答か、と思うが憤りを覚える気力もない。

「メーデー……、メーデー……」

「新聞は見たか」

 合わせて三回。きっちり救援を求めるが、男の声は構わず続ける。

 おかしいな、言葉が通じないのだろうか。世界共通の符号語の筈なのだが設定に組み込まれていなかったのかも知れない。仕様書とかそんなものは無いので確かめようがないけれど。

「み、みず……」

「ひと月前の新聞だ」

 人の話を聞けよこのクソジジイ。そう心の中で悪態を吐いても実際に声には出さない。出せないじゃなくて出さない。ようやく復職したのに、またクビにはなりたくない。

「手土産にしては派手にやったな。おかげで後始末に追われたぞ。お主のいない一ヶ月の間にな」

 人の心を読んだかのような嫌味をサラリと吐かれる。ああ、嫌だ嫌だ。これだから妖怪ジジイは。それよりもっとこう、仕事の成果を褒めるとか、他に言うことがあるだろうが。私すごく働いたよ。数十年ぶりにめちゃくちゃ仕事した。実際には何もしてないけど。なんかこう、念とか送った気がする。

「早急に帰還しろ。迎えの船は夕方までには着く。以上だ」

 がちゃ、と受話器を置く音がして、電伝虫は黙ってしまった。

 その電伝虫の死んだように生気のない眼を見つめながら、しばらく無意味に応答を待ってみたが、私と電伝虫君の間に沈黙が落ちるだけだった。通話機能以外に自律的にお話できる電伝虫とかいないのだろうか。いたら私専用にするのに。上司の愚痴とか聞いて貰えそう。

「はぁ、……ひどぃ」

 溜息を吐いてがっくりと項垂れる。

 全く、なんて上司だ。パワハラだ。訴える部署が無い。職場の福利厚生はどうなっているのだ。この政府は汚職に塗れている。世直しするしかない。革命だ。討て討て。主にジジイ共を。

 どうにもこうにも益体のない思考を飛ばしながら、私はヒドク重い身体を起こして改めて周囲を確認した。

 海と白い砂浜が続いているだけの単調な景色。陸に上がればすぐに森。当然ながら知らない場所。来たことはあるかも知れないが、こんな何の特徴もない海岸なぞ覚えていないので知らない場所。人は居ない。いや、居たかもしれないが今は周囲に居ない。森を歩きまわる体力はない。傍には電伝虫しかいない。つまり迎えの船が来る夕方まで放置。

 どう考えても可笑しいって、この状況。

 そもそも、ご丁寧に私が倒れている横に電伝虫と新聞が置いて在ったのだ。新聞は百歩譲ってニュースクーの仕業としても電伝虫はない。どう考えても副官長の仕業だ。ここまで来たなら私を介抱していけよ。ただの嫌がらせだろ、何してんのさ。いやまぁ、嫌がらせとしては最高品質だけどね、上司の仕事の電話で瀕死から目覚めるなんて悪夢でしかない。迎えが来るまでに逃げたくなるだろ、逃げられないけど。副官長もっと上官を労わろうぜ。何なの、そんなに日頃の鬱憤が溜まっていたの。同類なのかな、私はジジイ共と同類なのかな。

 何となく正座とかしてみる。白い砂浜で電伝虫と見つめ合って二人(?)きり。波の音がいい感じ。お互い迎えが来るまで暇ですね。ちょっとお話でもしませんか、って駄目だ。電伝虫君寝た。日差しが気持ちよさそうに寝ている。

 仕方がないので電伝虫の隣に置いてある新聞を手に取る。一か月前の新聞とかジジイが言っていたけど、そもそも今日が何日なのかも分からない。現在進行形で遭難中の私には今日が何日かなんてあまり意味はないので、帰還してから正確な日付は確認しよう。

 潮風でよれよれになった紙面をバサバサと広げてみる。新聞の一面見出しには、『海難事故で天竜人死亡』と大きな文字で書かれていた。

 

 

『超大型艦沈没。ジャルマック聖を含む総勢2551名、生存者なし。

 偉大なる航海(グランドライン)でさえ悠々と海を渡る政府専用の巨大艦。それが最も穏やかな海といわれる東の海(イーストブルー)で沈んだ。乗艦者は、天竜人であるジャルマック聖を始め、世界政府の役人や海軍の軍人だけでなく、多数の賓客が乗っており、乗船名簿によるとその犠牲者の数たるや2551名。未だ一人も生存者は発見されていない。

 沈没した艦は世界政府の視察団で東の海を公務の為に巡っていた。世界平和のための抑止力の象徴ともいえる世界政府の視察団。何より天竜人であるジャルマック聖も同乗なさっていた。

 世界政府史上最悪の事故といっても過言ではないこの事態を重くみた五老星は、事故の翌日には世界各国に声明を出し、事態の収拾と原因、そして対策を講じた。しかしながらジャルマック聖を事故で亡くした失態は大きく、この件について世界貴族の間では政府機関の怠慢だとの声が挙がっており、政府も対応に追われている。

 そもそも、政府の視察団は定期的に四海を巡っているが、未だかつて事故に遭ったことは一度もなかった。いかなる悪天候の中でも、巨大な海獣が現れても、凶悪な海賊に襲われても、一切航海に影響を与えないだけの最高水準の対策が施されている。その上、今回は天竜人であるジャルマック聖も乗艦なさっていたのだから、殊更その安全水準は高かった筈である。それは役人と軍人の乗艦人数からも見て取れる。それがよもや東の海で沈むなど誰が思うだろうか。

 通信が途切れる数十分間にも渡る通信記録から、この件は海難事故であることが判明している。では事故の原因は一体何だったのか? それは、突発的な時化、複数の巨大な竜巻、激しい雨と落雷、行く手を遮る濃霧と叢氷、巨大海獣および巨大海鳥の群れの襲撃、隕石群の落下とそれに伴う衝撃波、――それら全てとの同時遭遇(、、、、、、、、)である。

 東の海でこんな現象が起こり得るのか。高名な気象学者達は揃えて頭を抱え、政府お抱えの熟練航海士達も揃って蒼白な顔で首を横に振る。まさに不運の言葉では表現しがたい史上最悪の天災(、、、、、、、)である。

 事故当時、通信記録から読み取れる艦内の混乱の様子は凄惨を極めており、小型の救命潜水艦などでの脱出は悉く失敗していたようである。むしろ沈没する艦から脱出したことで、より早く命を落としていた人の割合の方が高いのではないかと事故調査委員会では推測している。これらのことから沈没する艦では脱出の手がなかったことがうかがえる。また、通信記録からは......』

 

 

 途中まで読んで面倒になり、ぽいと新聞を投げ捨てる。

 新聞の情報なんてあてにならないのはよく知っているし、そもそも生存者なしという事はない。なにせ私が一ヶ月前まで乗っていた艦である。生存者1名だ。ざまぁ。

 しかし、さすがに今回は規模が規模だけにジジイ共も下手に隠さなかったか。それで慌ただしく東奔西走してくれたのなら願ったり叶ったりではあるけれど、これ以降の事後処理は全部私に回ってくるのだった。それについて今は考えない。書類の山とか絶対に考えない。

 せめてジジイ共は聖地での教育を徹底してほしい。そうすれば私の仕事の半分くらいは減ると思う。そう、ちゃんと認識して貰わなければ。『外は野蛮で穢らわしい』ってこと。それに、『天災は時に天竜人も殺す』ってことも。

 勝手に出歩かれちゃ困るんだよね。井の中で満足して貰わなきゃ。そうじゃなきゃ、殉葬して貰った人たちが報われない。何のための私の性質の使い道か分からない。

 こんな面倒な方法でしか制御(コントロール)できない存在なんて、鬱陶しくて邪魔でしかないけれど、私にしかできない方法だからこそ必要な存在でもある。

 彼らは私の存在を知らない。

 彼らが暮らしている聖地の中に、私が入り込んでいることを知らない。彼らに私の存在を知られてはいけない。

 必要な数だけ生かして、増えれば減らす。秤がどちらかに傾いてしまわない様に。単純な均衡遊戯(バランスゲーム)。でもこれが結構難しい。なにせ私は学が無いので計算が苦手なのだ。綿密な重さの計算なんて本当に面倒くさい。

 人間一人分の重さはころころと変わる。存在の重みは他者評価も付与されるからだ。でもそんな細かいところまで計算していられないからこそ、生まれ持った絶対評価がある。人間は産まれた瞬間に階級によって重さが決まる。

 難しい計算式は知らない。与えられた計算式に放り込んで、後は足し引きを繰り返すだけ。

 つまんない事務仕事(デスクワーク)

 重いようで軽い。そんな彼らの血は濃くなっていくばかりで、ここ数十年はまともな精神状態の者が産まれる事の方が少ない。精神異常ならいくらでも世間に取り繕えるから構わないが、異形の場合は産まれた瞬間に処分されて親にも秘匿される。

 それでも彼らはこの状態を改善しようとはしない。否、改善しなければいけない問題だと私たちは認識させてはいけない。聖地という名の井の中で、何一つ不自由することなく幸せに生きていて貰わなければならないのだから。何一つ、気づくことなく。

「かわいそーな、おおさまたち」

 ふふ、と思わず笑いが零れる。

 私は砂浜に座り込んだまま波の音に身をゆだね、この一ヶ月の漂流の末に辿り着いた景色を眺めた。青い空と海、白い雲と砂浜、緑あふれる豊かな島。リゾートの広告にありそうな何の変哲もない光景だ。

 沖には船一艘もなく、ただ波間に反射する光がキラキラと揺れている。空には海鳥一羽もなく、静かに雲が流れていく。どこまでも穏やかな海と空。まるで、一ヶ月前の光景が嘘のような。

「ふふふ、」

 どうしてだか、笑いが零れる。

 こんなに楽しい気持ちになるのはいつ振りだろう。いっそこのまま海の中へ飛び込んで、海流に身を任せてどこまでも流されてしまおうか。なんて、既にひと月も経験しているのだけれど。

 

 海は嫌いだ。

 空も嫌いだ。

 

 でも今はそれほど嫌いじゃない気がした。

 この世界は海と空ばかりだけど、それが全てではない。赤い大地の上にも、海の中にも空の中にも、人々は生きている。人は産まれながらにして自由で何処までも行ける。水平線のその先、世界の果ても、更にその向こうも。私もいつかいけるだろうか。みんなと同じように。

 青い海と青い空の狭間。水平線のその彼方を見つめて私は呟いた。

「仇は討ったよ、サボ」

 

 

 

  第一部『黄昏の空』 完

 

 

 

 



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第二部『沈黙の海』
00.子は親に似る


 

 この世界に神様はいない。

 誰もそれを疑わず、存在の有無を議論することなどない。名は残れど神話はない。漠然とした神という存在に祈ることはあれど信じてはいない。どうか上手くいきますように、なんて子どものおまじないと一緒。

 信仰なくば宗教もまたない。宗教なくば聖戦もまたない。

 なんて平和な世界。それが幸せなのかは分からないけれど。

 

 

 円卓の上に密やかに影を踊らせるオレンジの灯火が、冷たい匂いのする部屋で僅かな温かみを与えている。仄暗い部屋の壁には円卓の上と同じく踊る私の影。五つで一揃いの椅子に座る老人の姿はなく、私一人がこの冷たい部屋で呼吸をしている。

 部屋をぐるりと囲んだ20枚の肖像画。その始まりの一枚の男の前に立ち、私はひっそりと笑った。ゆらゆらと揺れる灯りが男の顔を浮かび上がらせている。やはり全然似てないな、なんて仕方のない話だけれども。

 私の遠い記憶を辿り画家に描かせた肖像画は男の容姿を大いに美化していた。もはや肖像画というより想像画、いや創作画だろうか。そもそも王なんて柄じゃなかった。

 何だってよかったのだ。ただ、男の存在を覚えていられるのなら。あの日、男に与えられた使命を忘れずにいられるのなら、何でもよかった。

 忠誠なんて誓うつもりはなかったし、男もそんなもの鼻で笑って踏みにじっただろう。それでも私には縋る何かが必要だった。神様のいないこの世界で、祈るものを持たない私の精一杯の抵抗。それが、忠誠を捧げること。

 神樣、かみさま、カミサマ……。言葉の定義とはなんと不確かなものか。何度口の中でまろく転がしてもするりと消えてしまう。

 

 

      ***

 

 

『神の存在を、消さなければならない』

 男はそう言った。

 それは全ての科学と神話を灰塵に還す作業。

『神という概念が残るのは構わない。神の力が形を変えて顕在するのも構わない。しかし、歴史の流れにその色を残してはいけない』

 炎が燻っていた。男の瞳の奥には黒い炎が煌々と燃えている。

(全てを焼き尽くす炎は南からやってくる。そして天地を滅亡させる)

 いつか男が諳んじた一節を思い出す。

『もし、この世界にたった一つ残すなら何が必要だと思う?』

 男は問いかけた。

 私はほんの僅か考えてから答えた。

『……みず』

 この世で貴重なもの。それが無ければどのような生物であっても生きることは叶わない。形無きその不可思議な存在を巡って、戦争がどれほどの長き間に渡って続いてきたのか。争いの火種ではあれど必要だから生きるものは争うのだ。私だって、それを奪うために何でもした。必死になって求めた。だからきっと、無くなってしまったら全てが息絶える。

『はは、お前は莫迦だが頭は悪くねぇな』

 男は軽く笑った。

 そして、この時の私の姿を何と解したのか、静かな声で淡々と言った。

『俺は(ことわり)だと思う。秩序、公式、規則、掟、何に言い換えたってもいい。世界ってのは理不尽だ。でもそこに一定の理がなきゃいけねぇ。罪だとか、正義だとか、そんなものはどうでもいい。それは死と生が違うものだとか、光があれば闇があるだとか、夜の後には朝がくるとか、そういうもののことだ』

 男の話は私には理解し難かった。

 生きるために必要な物だけを追い求めていた私には、男の話はヒドク抽象的で、それこそ水のように掴めないものであった。決して届かぬ世界の存在だと感じた。私はそういうモノが存在するのだと知っていた。男と私の生きる世界が違うように。

 私は何かに願ったことも、祈ったこともなかった。この何かを神と言い換えても構わない。とにかく、決して届かぬ世界が在る様に、私にとっては決して届かぬ願いも祈りも思考の浪費でしかなかった。

 夥しい死の進行が常に私のすぐ後ろまで迫り、背後を振り返る刹那の時間さえなかった。僅かにでも思考を止めてしまえば、あっという間に死に呑まれて、あの夥しい死の一つになってしまう。

『お前に存在意義をやろう』

 不遜に笑った男の声が、私の中を激しく揺らした。

 私は何も反応することができないまま佇んでいた。

『名が必要だな』

 男が私を見下ろす眼は酷く静かだった。何もかもを決めてしまった眼だった。男が持つ煙草の灯がぼんやりと明滅している。くすんだ赤黒いそれは、いつか見た、燃え尽きて堕ちてゆく太陽のようだった。

『名は(うつわ)であり、存在の性質(たち)を決める。神話の神から一人だけ選ぶとしたら、――テミス。その名しかあるまい』

 テミス。私はその音を舌の上で小さく転がした。

 不思議な感覚だった。それがどういうことか分からなかったのは、生まれ持ったヒトとしての器以外に、私にとって初めて他者から与えられたモノだったからだ。

 もう一度、テミス、と確かめるようにつぶやいた。

 いつか男が話した古い神話の中に出てくる掟の女神の名。それが今、私の名になるのか。

 私は男を見上げて、かみしめるように尋ねた。

『わたしは、なにを、すればいい?』

『生きろ』

 男はさも簡単に言ってのけた。

 たったそれだけがどれだけ難しいことか、私はこれまでの生でよくよく知っていた。しかし、それとは違うのだと本能的に理解した。そして、恐怖した。

 全身がさっと冷えて手先の感覚が曖昧になっていく。そうか、これが恐ろしいという感覚か。なんて、なんて、冷たいのだろう。死よりもなお一層、冷たく暗くがらんどうのように生はそこに横たわっていた。

 神を喰い殺してまで不死を得ようとした私が、生きることを前に畏れを覚えた。それは私が紛れもなくヒトであった証しなのだろう。

 それでも、心の奥底から暴れ出しそうな何かを押えこんで唇をかみしめた。そうしなければ、訳も分からず叫んでしまいそうだった。

 男はそんな私をなおも変わらず静かな眼で、されど逃げることは許さないとばかりにじっとこちらを見下ろしていた。男は言う。

『ただ世界に存在し続ける。それだけがお前の使命だ』

 私は震えて叫びそうになる唇を必死に宥めながら口を開いた。

『いつ、まで……?』

『さぁな。世界が安定するまでか、世界が滅ぶまでか、俺にも分からん』

 男はどこまでも無造作だった。実際、男にとって、もはやどうでもよいことだったのかもしれない。滅びゆく世界も、新たに生まれくる世界も、男にとっては関係のないことだったのだ。

 男は高慢だった。全てを自分勝手に決めた。私になんの了承もなく、何も憐れまず、何も気負わず、何も畏れず、世界の全てを私の前に放り出した。

 それでも、あの男の誠実を私が一番よく知っている。

『世界だって、死んでは生まれてくる。次々と』

 男は咥えたままの煙草をくるくると唇で転がして弄びながら、にやっと笑って、私を指さした。

『どうせなら笑って生きろ、世界の理(テミス)

 私はぐっと言葉を飲み込んだ。臓腑に灼熱を落とし込んだかのような苦しみだった。ゆらゆらと立ちのぼる煙草の紫煙が私の頬をかすめていく。その薫りを忘れたくなくて、私は深く肺の奥まで息を吸い込んだ。絶対に、忘れてなどやるものかと思った。

 そんな私を、男はやはり静かな眼で見下ろしていた。

 

 

 いつだったか、男は空が見たいとぼやいた。

 空なんて見上げればいくらでも広がっているのに。しかし、男曰く、それは空ではないらしい。どす黒い分厚い雲に覆われた空は、空とは言わないのだと。なんでも数千年前までは確かな空だったという。男の記憶の中だけにある空を私は識らない。

 いつだったか、男は海が見たいとぼやいた。

 海なんてそこかしこにいくらでも広がっているのに。しかし、男曰く、それは海ではないらしい。涸れてひび割れた黒い大地が続く海は、海とは言わないのだと。なんでも数千年前までは確かな海だったという。男の記憶の中だけにある海を私は識らない。

『……青だな』

 男は私を見上げてそう呟いた。

『あお?』私は囁き返すように問うた。

『本当の空と、本当の海の色だ』

 男は擦れて空気が通り抜けていくような声で答え、『お前が、最後の……』そう言って男は途中で言葉を止めた。

 見開かれたままの眼だけがいつまでも私を見つめ続けていた。私は黙って言葉の続きを待っていた。しかし男は二度と口を開かなかった。しばらくして、私は男が死んだのだと気がついた。それでも、男が死んだということが信じられずに、ずいぶん長い間、傍らで男を眺め続けていた。

 どのくらい時間が経ったのかもわからなくなった頃、(なにせ、一日の終わりも始まりも、この世界にはないからだ。)やがて、ぽつりぽつりと死の雨が降り注ぎ、男の眼を、髪を、鼻を、唇を、黒く染めていった。どす黒く乾いた地面を這いずり回るように、流れた雨が染み込む場所を求めて彷徨っている。

 そこでようやく私は、この男でも死ぬことがあるのかと思った。この男にもちゃんと、死というものが存在したのだと……。

 

 

      ***

 

 

 蝋燭の灯火が、ジジと音を立てて白い蝋を溶かした。

 蝋の甘い匂いが微かに漂い仄暗い部屋を満たしてゆく。私は男の肖像画をじっと見上げた。壁にかけられた肖像画は20枚。しかし本当は19枚で事足りる。最初の一枚はただの偽造(ダミー)。誰でもよかったのだ。私の代わりとしてそこに飾られてくれるならば。単に私が忘れたくなかっただけ。祈るものを持たない私の、たった一つの想い。

 あの日、私よりもずっとずっと長い時を生き続けた男が死んだ。

 それは一つの世界の終焉だった。男とともに世界も死んだのだ。世界を時代と言い換えるには、あまりにも長すぎる時間を男は生きていた。こうやって世界が死んでいくのだと私は識った。

 

 

 男は、最後のかみさまだった。

 

 

 

 



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17.正しい休暇の取り方

 

 海は、仮に隠れて見えなくとも、奇妙に人の感覚に迫ってくる。

 潮の香りを運ぶ海風が吹き抜けずとも、寄せ返す波音が届かずとも、海は常に私の傍に在った。それは、手の届かない空とはまた違った在り方である。

 晴れならば晴れなりの、曇りならば曇りなりの、雨ならば雨なりの、夜ならば夜なりの、その時々の空の色を海は映す。一瞬たりとも同じではない世界。それら数え切れぬほどの光景が、私の身体に深く刻まれている。

 一歩、一歩、数えるように白い階段を登りながら、私は東の海(イーストブルー)を思い出していた。

 あれから十年。まだ私はあの海の光景を忘れられずにいる。

 

 

 どれほど登っただろうか。私はぴたりと足を止め、おもむろに後ろを振り返った。

 眼下には、巨大な根の上を這って一直線にすうっと伸びる白い階段。視線を上げれば、白く霞む空気を背景に、樹々の間から差し込む細い光の筋。その幾筋もの光の間をゆっくりと空へ昇るシャボン玉の数々。そして咽喉を晒すごとく天を仰げば、空をすっぽりと覆い隠す深緑の樹葉が己の頭上より遥か高くに存在し、まるで小さな妖精になったように思える。

 しっとりとした空気が辺りを包み込んでいて、私は思わず深く息を吸い込んだ。土の匂いはしない。しんと静まり返った空気は独特の樹の匂いに満ちていた。一息吐いて気を取り直し、疲れた足を引きずる様に持ち上げ、再び階段を登り始める。

 ようやく白い階段を登りきると、そこには島特有の丸い形を取り入れた建物がぽつんと建っていた。酒場(バー)としては、ずいぶんと攻めた店名の看板が掛けられている。

 店の扉を開けるとカランカランと小さなドアベルが鳴った。

「いらっしゃ――、」

 カウンターにいた女性が振り返ると同時に、目を見開いて言葉を失う。その姿に苦笑しながら、私は「やあ」と手を挙げて軽い挨拶をした。

「貴女は、テミス……」

「久しぶりだね、シャッキー」

 名前を覚えていてくれた事に安堵を覚えながら、私はこの酒場の店主である彼女を迷わず愛称で呼んだ。

 シャッキーはすぐに衝撃から立ち直ると、まるで旧友が訪ねて来たかのように、にこやかに応えてみせた。そこに警戒する素振りを欠片も見せないのは流石としか言えない。

「ええ、何十年ぶりかしら。貴女って本当に変わらないのね」

「それシャッキーに言われたくないなぁ」

 そう言いながら私は店の奥まで進み、カウンターの椅子を引いて座った。

 店内には他に客もおらず静かだった。吹き抜けの天井扇(シーリングファン)がゆっくりと回転する音が途切れることなく微かに聞こえてくる。

「何にする?」

 カウンター越しに立ち、シャッキーは訊ねた。

 彼女の背後に並ぶ大小さまざまな酒瓶を一瞥して私は訊ね返す。

「ぼったくらない?」

「ぼったくるわ」

「じゃあ水で」

「水もぼったくるわ」

「じゃあウイスキーで」

「了解」

 そう言ってシャッキーは、くるりと私に背を向けると、迷う事無く棚の中から黒いラベルの酒瓶と硝子杯を手に取り、「ロック? ストレート?」と訊ねた。私は「ロック」と答え、氷を取り出したシャッキーの鮮やかな手際をカウンター越しに黙って眺める。

 アイスピックが氷を削る音を店に響かせながら、シャッキーは言った。

「何しに来たの、って聞くまでもないわね。残念だけど、今はレイさんいないわよ」

「待ってたら帰ってくる感じ?」

 目的の人物が店の中にいないことは入店する前から気づいていた。しかし、シャッキーの言葉にはそれ以上の意味が含まれているような気配があった。

「一度出て行くとしばらくは帰ってこないわ。今回はもう半年近くなるし」

「ああ、成程。ギャンブルか」

 私が呆れて呟くと、シャッキーは肩を竦めてそれに応えた。

「レイリーが戻るまで待つ訳にもいかないし。うーん、どうしようかなぁ」

 当てが外れたことに残念がるほどの事でもないし、そうかと言ってすぐに帰るには面白味がない。

 カランと硝子杯の中に氷塊を入れる音がしてウイスキーが注がれる。カラカラと音を立てて杯をまわしてから、硝子杯をカウンターに置いてシャッキーは言った。

「彼、この諸島から出たりはしないから、賭博場か酒場を回れば見つかるかもしれないわよ」

「いや、まず無理だと思う」

 私は硝子杯を受け取りながらそう応えた。

「どうしてそう思うの?」

 シャッキーが首を傾げて訊ねる。

「お互い運が悪いから、こういう時はとことん噛み合わない。無駄骨に終わるだけだよ」

「なるほど」

 可笑しそうに笑いながらシャッキーは頷いた。

 硝子杯にそっと口づけて、僅かばかりの酒を口に含む。これ一杯でどれだけの値段なんだろうなと思いながら飲む酒は、味の良し悪しが分からない私でも美味しく思えてくるから不思議だ。美味い酒が飲みたい時はシャッキーのお店が一番なのかもしれない。

 私が舐める様にちびちびと酒を飲んでいるさまを眺めながら、「ところで、」とシャッキーは言った。

「貴女、こんな所にいて良いの?」

「バレなきゃ問題ない。バレなきゃ」

 私は反射的に目をそらして答えた。

 息抜きという名の人権が私にも必要だと思うんだ。大丈夫、メモは残して来たから。多分、きっと大丈夫、じゃないが大丈夫と思い込むしかない。まぁ、帰ったら間違いなく副官長に監禁される。書類の山が乱立する執務室に。つまるところ今の私は脱走犯。

 シャッキーは呆れた目で私を見た。

「十年ほど前に、貴女がマリージョアに戻ったという話は聞いていたけど」

「ちょっと、それどこ情報? どこ情報なのさ」

 思いがけず大きくなった声で私は言った。

「ひみつよ」

 そう言ってシャッキーは笑った。

 私は硝子杯に浮かんだ水滴に頬ずりするようにしがみつき、深いため息を吐いた。

 実は情報屋をやっている、と言われても信じる程度には彼女の情報ルートは読めない。政府の諜報員でも十分やっていけそうである。しかし潜入には向いてないかもしれない。どうにも目立つ女性であるし。

 項垂れる私を見下ろしながらシャッキーはなおも問いかける。

「謹慎中はどこで何をしてたの?」

「やだぁ、どうせそれも知ってる癖にぃー」

 だらだらと上体だけ寝転がりながら間延びした声で私がそうはぐらかす。

 すると、「ふふふ」とシャッキーは意味深に笑った。

「え、いやマジで? 本当に知ってるの?」

 勢いよく起き上がりシャッキーに詰め寄った。シャッキーは私を見ながら笑っているだけで何も答えない。冷や汗が背をつたって落ちていく感覚にぞっとする。

 むしろ今更なのかもしれない。どこから漏れてもおかしくなかった。特に最初の息子が海で名をあげるようになってからは。

政府(うち)にリークとかしないでね……」

「気を付けるわ」

 シャッキーはやはり笑いながら、それだけを答えた。再びぐでんとカウンターと仲良くなった私を見るシャッキーの目には複雑な色が浮かんでいた。

「それで、どうするの? レイさんに何か伝言があるなら聞くけど」

 シャッキーの言葉を私は首を横に振って答えた。

「いや、別にそれほどの事でもないよ。会えなかったら会えなかったで構わないと思っていたし、話さなければならない内容でもない。ただちょっと、仕事の愚痴とか聞いてもらいたかっただけ」

「代わりに聞いてあげようか?」

「情報絞り取られそうだから遠慮しておく」

「残念ね」

 軽い口調で言うシャッキーに私は苦笑を返し、それから少し思案した。

「そうだな。代わりにこれを置いて行くよ」

 そう言って私は、スラックスのポケットから折り畳んだ手配書を三枚出してカウンターの上に開いて置いた。

「あら、これって……」

 手配書の顔と名前を見たシャッキーが目を見開く。

 じっと三枚の写真を見つめる彼女の視線に、私は急に居た堪れない心地になり、常より小さな声で言った。

「うん。レイリーが戻ってきたら見せておいて」

「分かったわ」

 シャッキーは大切なものを受け取ったとでも言うように、神妙な面持ちで頷いてみせた。私は軽く肩を竦め、それから手にある硝子杯をじっと見つめた。杯の表面に付いた水滴がつぅと伝い落ちる。

「不思議な感覚だなぁ」と、私は呟いた。

 その言葉にシャッキーが私を注視したのが気配で分かった。

「なんかさ、何十年も前のことが昨日のような気もするし、遥か昔のことだったような気もする」

「そうね。時間の感覚がどんどん曖昧になっていくような、そんな感覚は私にも分かるわ」

 私の言葉にシャッキーは静かな声で同意した。

 シャッキーと私は殊更交流があった訳ではない。それこそレイリーを介しての知人程度の認識であれば上等な方で、良くて他人、悪くて敵、そんな関係でしかなかったのに、今まさに二人だけで会話している状態がとても不思議だった。

「懐かしい、ていうのとは少し違うんだけど。何なんだろうねぇ」

 時々、自分が自分でない何者かになったような、そんな錯覚に陥る。まるで夢を見ているような、そんなふわふわとした気持ちになることもあれば、今までの全てが夢だったような、そんな抗いがたい絶望感にも襲われる。

「困るんだよな」

 そう言って、私は手の中にある硝子杯をぐっと呷った。カランと飲み干した杯の中で残った氷が音を立てて揺れる。私はそれ以上何も言わずに黙り込んだ。

 シャッキーはそんな私を何も言わずに見ていた。

「そろそろ行くね」

「ええ」

 しばらくの沈黙の後、私はシャッキーに告げた。

 空になった硝子杯をカウンターに置いたまま立ち上がる。ぎょっとするほど高額だった支払いを終えて(この時ほど職場に感謝したことはない)、店の扉に手をかけたところで背に声をかけられる。

「貴女の幸運を祈るわ」シャッキーは言った。

「それは無駄じゃない?」私は笑って応えた。

 カランとドアベルの音をひとつ響かせて閉まった扉に、次にこの店を訪れるのは何時になるだろうかと考える。これが最初で最後かもしれない。出会いと別れを何度もくり返してきたけれど、きっと慣れることはついぞないだろうな。そう思いながら白い階段を淡々と降りていく。

 

 さて、この後は何処へ行こうか。

 せっかく未来の自分の自由を犠牲に脱走してきたのだから、しばらく現実逃避という名の休暇を楽しみたい。このシャボンディ諸島を観光するのもいいけれど、ここは聖地に近すぎる。どうせならもう少し足を延ばしてプッチとかサン・ファルドに行ってみようか。

 そんな風に、今後の予定を考えながらヤルキマン・マングローブの巨大な根の上をのんびりと歩いていた。それを油断していたと言われればそれまでなのだけれど、いつの間にか後をつけられていた。

 店を出た時にはいなかった。ならばシャッキーと会っていたのは見られていないはずだ。追手にしては副官長じゃない時点で違うとしても嫌なタイミングだった。

 撒けるかどうか考えながら早足でいくつかの浮島を越えて、人気のない根の上で立ち止まる。それを合図に、黒いフードを被った三人が樹の陰から現れた。

 正面に一人と斜め後ろに一人ずつ。囲まれている。殺気立っている様子ではないが、慎重にこちらを伺う様子は随分と警戒されているようだった。顔が見えないようにフードを深く被っている姿は単なる賊には見えない、となると。

「革命軍か」ぼそりと私は呟いた。

 全く、なんて間が悪いんだか。なにも脱走して一人でいるところを狙わなくたっていいじゃないか。いつもはちゃんと働いてんだから。今回はたまたまだから。

「世界政府特殊顧問のテミスだな」

 正面にいる者が問いかけてくる。樹々の間に響いたのは若い青年の声だった。

 私は毅然とした声で言った。

「違います」

「嘘つけ!」

 普通に怒られた。他人のふりして見逃してもらう作戦は失敗だったようだ。何故ばれたし。

 今の私は世界政府役人の目印でもある黒いスーツを脱いで普通の格好をしている。顔が広く知れ渡っている訳ではないから、きっと背格好や目と髪の色で私と判断されたのだろう。知り合いが革命軍のリーダーだと要らない苦労が増える。

「お前には迂闊に手を出すなと言われてはいるが、マリージョアから出てこない最重要人物がこんな所をほっつき歩いてる千載一遇の機会を逃すわけにはいかんのでな」

 今度は右斜め後ろにいる体格の大きい者が言った。こちらは大人の男の声。

 残る一人は身体をすっぽりと覆った服装で分かりにくいが、恐らく体格的に女性だと思われる。そうなると、この三人は諜報班か工作班か。どちらにしても腕に覚えがないということはないだろう。なにせ政府のお膝元で活動しているぐらいなのだから。

 嫌だなぁ、と表面上は平静を装いながらも内心嘆く。私は内勤が主で、戦闘向けじゃないんだ。本当に勘弁してほしい。

 私の心情なんてお構いなしに、正面の青年が冷徹な声で言う。

「アンタに恨みはないが、政府を、この世界を変えるために、」

 そう言って、青年は頭に被ったローブをぱさりと脱ぎ落とした。鋭い視線が私を貫く。彼の瞳はどこまでも真っ直ぐだった。

 その視線に私は思わず目を見開いた。ぐらりと世界が揺れる。

「――死んでもらうぜ」

 そこに居たのは、成長した息子の一人だった。

 

 

 

 



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