眠る前にも夢を見て (ジッキンゲン男爵)
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降臨する神々
#1 眠りに付かずに


 ――そうして、ヘロヘロもログアウトし現実へ帰って行った。

 

 ここは体感型オンラインゲーム『Yggdrasil(ユグドラシル)』の世界。

 仮想世界内で現実にいるかのように遊べるそのゲームは、西暦二一二六年にスタートして以来、一世を風靡し――二一三八年の今日、幕を下ろす。

 

 このゲーム内のどんな場所よりも価値があるその場所には、骸骨の魔王が取り残された。

 ――魔王、モモンガはたった一人、四十一席ある円卓にいた。

 彼らにも生活がある。忙しかったんだ。

 そう自分に言い聞かせる。

 だが、諦めきれない感情が空席に向かってぽろりとこぼれ落ちた。

「折角の最終日ですから……良ければ最後まで遊んで行きませんか……」

 その声はモモンガ自身が呆れてしまう程に情けなかった。

 

 はぁ、とため息をつこうとした瞬間――

「はい!」

 虚しいはずだったセリフに、明るい肯定が届いた。

 

 ヘロヘロの座っていた方を向いていたモモンガは驚きながら、声がかかった方へ振り返った。

「――いつの間にインしてたんですか!フラミーさん!!」

 モモンガの斜向かいには――天使にも見紛う六枚三対の翼を背負う、藤の花のような淡い紫色の肌をした女性が座っていた。

 彼女は神の敵対者(サタン)、悪魔だ。

「ふふ、今ですよ!でも驚いちゃったなぁ。インしたらいきなり最後まで遊びましょうなんて!」

 嬉しそうな声で笑う彼女はアインズ・ウール・ゴウンを設立し、後ろから数えたほうが早いほどに遅くギルドに加入したメンバーだ。

 遅くにギルドに入っただけあって、ゲームを始めたのも遅く、今でもたまに気が向くと遊びに来ていた。

 

「あ、ははは、すみません。ヘロヘロさんに言ったつもりだったので……」

 モモンガはそう応えながら、驚きが落ち着いたせいか再び寂しさを感じ始めていた。

「ヘロヘロさんいらしてたんですね。私お会いし損ねちゃいました……」

 寂しさは伝播するようで、楽しげな雰囲気だった声音は少しトーンが下がったようだ。

 モモンガは折角最後の時に来てくれた仲間の気分を落とさせてしまったことを反省し、努めて明るく返す。

「あ、でもヘロヘロさん、またどこかでお会いしましょうって言ってましたよ!」

 フラミーはどこかで……と、来るはずのない明日を探すようにオウム返しをした。

 それはモモンガ自身の姿に重なった。

「そうだ!ねぇ、モモンガさん。私今日落ちたら、皆でまた軽く遊べるようなゲーム探します!だから、良いものが見つかったらまた一緒に遊んでくれませんか?」

 モモンガは声が上擦りそうになるのを抑えながら、勿論!と笑顔のアイコンを出した。

 

+

 

 その後強制ログアウトまで約八分と短い時間を見咎め、華々しく終わりを迎えようと二人は決めた。

 モモンガはギルド武器を携え、フラミーと共に玉座の間へと向かった。

 

 途中NPC達――執事たるセバスや、戦闘メイド(プレアデス)を引き連れ、第十階層玉座の間へと辿り着く。

 玉座に掛けたモモンガと、玉座を挟みNPC(アルベド)とは逆サイドに立ったフラミーは感慨深げに四十一枚あるギルドメンバーの旗を眺めた。

 モモンガは途中、このNPC(アルベド)はどんな設定だったっけ……と思ったが、今はギルドの思い出に浸る事にした。

 

(本当に……楽しかったんだ……)

 

「ホント楽しかったですね」

 

 口に出ていたかと、この日二度目の驚きを持って声の方を見ると、モモンガは変わるはずのないフラミーのアバターの表情に涙を幻視した。

 

「次のゲームが見つかったら、私も晴れて初期メンバーですね」

「ふふ、そうですね。俺とたった二人で始まっちゃいますけど」

「モモンガさんは結構やり込む人だからなぁ。ふたりぼっちじゃすぐ置いてかれちゃいそう」

 朗らかな笑い声が響く。

 

(最後の時を一人で過ごさないで済んで良かったなぁ……)

 

 そう思ったのはモモンガか、フラミーか。

 

 いよいよ時間が迫る。

 

 何年も遊んだゲームだ。

 

 アバターも、ハンドルネームも、既に半身のようになってしまった。

 

「こんな時、どんな言葉が似合うんだか……私、よくわかんないです。」

 へへ、とフラミーから薄い笑いが漏れた。

 

 こんな時にサービス精神が旺盛になってしまうのは男の性だろうか。

 

 15……14……13……――

 

「フラミー、そう寂しがる事はない。今日でユグドラシルは終わりを迎えるが、我らアインズ・ウール・ゴウンと、そしてナザリックの繁栄はここで終わるわけではないのだ」

 

 これまで多くの友人達と遊ぶときによくやっていた、モモンガの「魔王ロール」だ。

 その声はどこか威厳を感じさせるものだった。

 

 8……7……6……――

 

 フラミーは大きく頷く。

「はい!モモンガ様!次の世界でもまた共に歩みましょう!」

「そうです!じゃなかった!その意気だ、フラミー!」

 アバターの二人の表情は動くことはない。

 しかし、この時お互いの感情は十分すぎるほどに伝わっていた。

「――モモンガさん、本当にありがとうございました」

「……俺の方こそ。本当にありがとうございました」

 

 3……2……1……――

 

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!!」

 

「「「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!!」」」

 

 二人は驚きに肩を揺らし、追従した声の主たちを見た。




か、書いてしまいました。
因みに私の中の「サタン」のイメージはデビルマンの飛鳥了最終形態でございます。
でも肌色の肌では捻りがないかと思い、とりあえず異形感出していこう!ということで紫です。
緑も良いと思いかけたのですが、緑じゃナメック星人ですものね。

2019.4.27 ペリ様誤字修正ありがとうございます…(//∇//)使い方がわからず一瞬戸惑いましたが無事に直せました。
また一つ賢くなりました!


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#2 眠らぬ墳墓の

「「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!!」」

 

 モモンガとフラミーは向き合っていたが、続いて来た唱和に驚きを隠せぬまま、声の主を探してゆっくりと振り返った。

 NPC達はさっきまでと同じ格好のまま控えている。

 

 先に平常心を取り戻したのはモモンガだった。

 モモンガの頭の中には、様々な問題を引き起こした続けた、ギルドの中で最も手のつけられない問題児の名前が浮かんだ。

「──るし★ふぁーさんのイタズラにしてはソフトでした……よね?」

 モモンガへ向き直ったフラミーは半笑いだ。

「こんなコマンドがあったんですね。るし★ふぁーさんならこのまま何かが爆発してもおかしくなさそう。衝撃に備えろ、なんちゃって」

 

 そして向き合っていたモモンガは硬直する。

 

「フラミーさん、なんで口が動いて……」

「え?何言ってるんですか?口……?口が──動いてる……」

 顔を触りながら感触がある事、口が動いていることに驚愕し、フラミーは慌て始めた。

「もしかして、ユグドラシルⅡ始まったんです?」

 聞かれてもモモンガには分からない。

 急ぎ現状を確かめようと動き始めたモモンガは、GMコールがきかない事、ゲームのログアウトや設定を開くことができるコンソールが開かないことに焦りを覚えた。

 中空をコツコツと叩くように手を動かすモモンガの挙動と、身体中をせっせと触るフラミーは誰が見ても()()()()()しまったような雰囲気だ。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 透き通るような女性の声に、二人はまるで練習したかのようにピタリと合った呼吸で視線を向けた。

 

「どうかなさいましたか?モモンガ様……?フラミー様……?」

 そしてもう一度同じ問いが届く。

 モモンガもフラミーも、誰の発した問いなのかを理解すると、唖然とした。

 その声は間違い無く、NPCたるアルベドのものだった。

 

「GMコールがきかないようで──いや、ようなんだが……」

 なんとか絞り出した声が震えていない事に安堵しながらモモンガは答えた。

 

「……お許しを。GMコールと言うものに関する問いに、この私にはお応えする事ができません。どうか無知なる私に、この失態を払拭する機会をお与え下さいませ」

 

 モモンガはフラミーと目を合わせた。

 お互いなにかを言おうとするも、何とも言えない空気が視線の間を流れ、モモンガは耐えきれずセバスの方へ視線を彷徨わせた。

 

 するとセバスと目が合い──

「申し訳ございません。私もGMコールが何たるか存じ上げません」

 まるで生きているかの如くセバスも会話に参加してきた。

 

 モモンガは一言も物言わず茫然自失となっているフラミーの様子を見ると、逆に冷静さを取り戻すことができた。

 ここが例えユグドラシルⅡだったとしても、現実だったとしても、何にしても情報と備えは必要だ。

 モモンガの心の中は「俺がなんとかしなくちゃ」と言う言葉でいっぱいだったが、やらねばならないことはすぐに分かった。

 

「セバス。ナザリック地下大墳墓を出て、周囲一キロ程度の範囲を確認せよ。もし知的生命体がいれば戦闘行為は避け、友好的にここまで連れて来い」

「かしこまりました、モモンガ様。直ちに行動を開始いたします」

「……いや、待て。念のため戦闘メイド(プレアデス)を連れて行け。何かがあった時の保険になる。必ず一人には情報を持ち帰るようにさせろ」

「承知いたしました」

「よし、行け!行動を開始せよ!」

「は!」

 

 力強くも紳士的な声が響き、セバスはモモンガとフラミーへ跪拝する。それと同時に戦闘メイド(プレアデス)へ振り返ると、「聞いていましたね」と声をかけた。

「はい。セバス様」

「行きましょう」

 戦闘メイド(プレアデス)達を伴い、巨大な扉の向こうへ消えていった。

 

 ──嫌がられなくて良かった。

 モモンガが安堵するのもつかの間、すぐ隣に立っていたアルベドが顔を覗き込んだ。

「それで、モモンガ様。私はいかがいたしましょうか」

 

 何で俺に名指しで聞いてくるんだ、と焦りからか無意味な感想を抱く──と、ふと気持ちは落ち着き、モモンガの中にはもう焦りはなくなっていた。

「今から一時間後に第六階層アンフィテアトルムに集まるよう、各階層守護者達へ連絡を取れ」

「畏まりました。そのように取り計らいます」

「よし、お前も行け」

「それではモモンガ様、フラミー様、御前失礼いたします」

 アルベドが優雅に玉座の間を後にすると──扉が閉まりきった直後に「命令キター!!」と雄叫びが聞こえた気がした。

 

「あ、あの、モモンガ……さん?」

 二人だけになった玉座の間に少し怯えたような、頼りなげな声が響く。

「はい。フラミーさん……」

 答えたモモンガの声はこれまでと違い、威厳に満ち溢れるものから温和な雰囲気のものへと変わっていた。

 

 フラミーはいつものモモンガの声に安堵し、ほっと息を吐いてから続けた。

「ここ、本当にユグドラシルなんでしょうか?落ちれないですし……こんなの電脳法違反です。でも……まるでゲームじゃないみたい……」

「本当、ゲームだとはとても思えませんね。コンソールも出ないですし、運営とも連絡取れないですし……」

 仮想世界では電脳法によって五感の内味覚と嗅覚は完全に削除されており、触覚もある程度制限されている。また、DMMO-RPGなどで相手の同意なく強制的にゲームに参加させることは営利誘拐と認定されているのでログアウトは簡単にできるはずだ。

「私達、どうなっちゃうんでしょう……」

 モモンガはフラミーの中に不安が広がっていくのを手にとるように感じた。

「ともかく、ここが何なのか、どこなのかNPCが調べに行ってくれましたし、大丈夫ですよ!俺は今、NPC達に取った態度が正解だったのか分からなくて怖いです。セーブポイントがあればやり直したいなー、なんて、はは」

 モモンガは己の不安を隠すために努めていつもと同じような言葉を選んだ。

「あは。モモンガさん、凄くカッコよかったですし多分大正解ですよ!こう、魔王って感じでした!行動を開始せよ、なんて私言ったことないですもん!」

「普通に生きててそんな事言うタイミングないですもんねぇ。俺も初めて言いました」

「ふふ、モモンガさんはウルベルトさんやペロロンチーノさんと一緒にしょっちゅう言ってそうです!」

「あー、そうかも知れないですね。ははは」

 少し愉快な気持ちに乗って二人で笑い合うと、突然モモンガの笑い声は消え、素に戻ったような雰囲気を感じてフラミーは首をかしげた。

 

「はは──ん?どうかしました?」

「あ、いえ……なんか、さっき驚いた時もそうだったんですけど、感情に大きな動きがあると感情が一気に消えちゃうみたいな感じがして……」

「えぇ?何ですかそれ、怖いですね。アンデッドのスキルみたい……」

 ハッとしたようにモモンガが声を上げる。

「ここが現実だったら……俺、本当にアンデッドになっちゃったのか……?」

「じゃあ……私も悪魔になっちゃった……?」

 顔を見合わせ沈黙すると、フラミーの呼吸音だけが聞こえ続けた。

 

「私、悪魔になっちゃって生活していけるのかな」

 間が空いてから漏れ出た素朴な疑問に、モモンガはさらに疑問を返す。

「フラミーさん、ここでその体で生活していくつもりなんですか?」

「あ、その……お恥ずかしながら、リアルに戻れないなら戻れないで、と言うか、落ちれないなら落ちれないでもういいかなーと言いますか。ははは」

 所在無げに言うフラミーにモモンガは瞳の灯火を一層赤くした。

 

「フラミーさんは絶対帰りたいと思ってました。最近仕事順調って言ってましたし」

「あ、うーん。順調は順調でも、今まで泥の中歩いてた感じから泥舟に乗り換えられた程度なんで……。正直、孤児院育ちの私はここで生活していけたらいいなーなんて、思っちゃったりして」

 ははは……と笑うフラミーに、解る!と声を上げそうになったモモンガだったが、どこかと線が繋がる感覚が届き、こめかみをそっとおさえた。

 地表部に出たセバスから<伝言(メッセージ)>が来たようだ。

「──私だ。──うむ。──うむ。──そうか……」

 ナザリックの外には信じがたいことに草原が広がり、野うさぎが踊っているような状況らしい。

 一体ここはどこなのだろう。

 ユグドラシルの頃、周りは毒の沼地だったはずなのに。

 

「──分かった。もう少し調査を続けろ。四十分後には第六階層にある円形闘技場(アンフィテアトルム)に来て説明の続きをしろ。いいな」

 セバスの了承を聞き届け、モモンガは伝言(メッセージ)を切った。

 なんとフラミーに説明しようかと考えていると、その肩につんつん、と指が触れた。

 

「モモンガさん、今の独り言とっても危ない人です」

「え!?ちょっと!違います!違いますからね!!今セバスから伝言(メッセージ)が来て、それで──」

「ふふふ、わかってますよ!冗談です。ユグドラシルの時の伝言(メッセージ)モーションと一緒でしたもんね」

「まったくもー」

 イタズラそうに笑うフラミーにモモンガは懐かしさを感じた。

 

「それにしても、ゲームじゃなさそうなのに魔法が使えるんだなぁ。実は俺、自分の中にある魔法の感触みたいなものをずっと感じてるんですけど──フラミーさんはどうですか?」

「私もです。……なんだか、少し怖いですよ」

 その感想は当然だ。

 今しがた会ったNPC達は従順だったが、他のNPC達も一様に味方であるとは限らない。

 それはつまり、ユグドラシルで行われていたものと同等の戦闘を「生身」で行うことを意味する。

 

 モモンガは「そうですよね……」と骨の手を口に当てた。

「……とりあえず、俺も伝言(メッセージ)使えるか試してみてもいいですか?いつでも連絡が取れる状況っていうのは安心できますし」

「そうですね!送ってみて下さい!」

 フラミーはドンっと胸を叩き、モモンガはこめかみに触れ、唱えた。

「<伝言(メッセージ)>──」

 ──すぐにフラミーもこめかみに触れた。

 二人の間にはたしかに線が繋がる感じがした。

「『はひ!私です!』」

 空気の振動で耳に届く声と、直接脳内に響く声が二重に聞こえた。

「すごいな。本当に繋がった」

 フラミーはむむ……と唸ると、じっとモモンガを見つめた。

「──あれ?もしかして、そっちは繋がってないですか?」

「『あ、いえ!繋がってます!口に出さなくても聞こえるのかなってちょっと思ったんですけど、聞こえないみたいですね』」

 モモンガはなるほどとうなずいた。

「俺も試してもいいですか?」

「『そしたら──』」フラミーはそう言うと、くるりと背を向け玉座下に続く三段程度の階段に座り込んだ。「『どうぞ!右手か左手上げてって声に出さずに送って下さい!』」

「行きますよ」

 モモンガは心の中で話しかける。

(聞こえてますか?右手上げてくださーい)

 しかし何も起こらない。

(ジョークでスルーするのは無しですよ?)

 しかし何も起こらない。

「ダメみたいですね」

 モモンガがそう言うと、フラミーは振り返りこめかみから手を放した。

「魔法とはいえ流石にゲームの時と同じでしたね」

「本当ですね。でも、他の魔法もゲームのままだと思って挑むのは危険な気がします。ここで暮らして行くなら色々チェックしていきましょう。……これから会うNPC達の様子も」

 フラミーはモモンガの言いたい事に思い当たると、呟いた。

「私、どのNPCにも勝てる気がしないです」

「大丈夫。ぷにっと萌えさんの楽々PK術を伝授されてる俺達なら、少なくとも逃げ切れますよ」

 

 二人はその後NPC──階層守護者と呼ばれる者達にどんな態度で挑むべきか、敵対されたらどうするかと様々な会議を行った。

 

「じゃあ、取り敢えず反旗を翻されなかったら、モモンガさんが社長って感じでいきましょうね!」

 モモンガは渋面だ。いや、表情は変わらないが唸り声があからさまに渋っている。

「いやー……順位みたいなの嫌なんですけどねぇ。ずっと遊んできた友達ですし……」

「でも、友達同士で起業したって誰か一人は社長になるんですから!これは逃れられない運命なのねん!モモンガさんは社長さんなのねん!」

「それ何の真似ですか?なんか納得行かないですけど……仕方ないなぁ…」

「えらーい!モモンガさん、社長さんなのねん!」

 ふざけるフラミーを見て、この人歳下だもんなぁと昔交わした会話を思い出した。

 思い出に浸りかけたところで、モモンガの腕からは妙に幼い作られたような声が響きだした。

『モモンガお兄ちゃん。時間だよ。モモンガお兄ちゃん。時間だよ』

 骸骨の腕から萌えボイスという頓珍漢な光景とは裏腹に、モモンガの頭の中は途端に緊張で塗りつぶされた。

「じゃあ、約束の十分前ですし、掛けられるバフをお互い全部掛けて──第六階層、上がりますか」

 これから会う階層守護者と戦う事になるような最悪の場合、逃げに徹するとはいえ、命が掛かるかと思うと流石にいつも冷静なギルドマスターでも恐れるなと言うのは無理があるだろう。

 

 そんなモモンガの様子を知ってか知らずかフラミーも応えた。

 

「はい!あ、じゃない、行動を開始せよ!!」

 

「それ俺のやつー」

 




2019.06.20 KJA様 誤字のご報告をありがとうございます!適用しました!


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#3 忠誠の儀

 ギルドの紋章を頂く転移の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を起動させ、二人は第六階層にある闘技場へと続く薄暗い廊下に移った。

 廊下の向こう、闘技場に守護者達がいる事を二人は確認した。良くも悪くも全員揃っていることに緊張感が増す。

 アルベドは敵対しないという事が既にわかっているため、最強の盾役として活躍してくれる事をつい期待してしまう。

 どうやって気づいたのか、ふと全員の視線がこちらへ向いた。

 

 すると、その中から一人の少女が猛スピードで接近してきた。

 二人は身構えながら、話し合いの時に上がった「アルベドは敵対しないとしても、何かあった時に味方もしない状況の方があり得る」と言う話が何度も頭をちらつく。

 

 すぐに距離はつまり、キキキーッと急ブレーキを踏むように立ち止まると十歳ほどの少女は口を開いた。

「モモンガ様!フラミー様!あたし達の守護階層である第六階層へようこそおいで下さいました!」

 真夏に咲くヒマワリのように眩しい笑顔を見せたのはオッドアイの闇妖精(ダークエルフ)、この第六階層を守るアウラ・ベラ・フィオーラである。

 そのすぐ後ろを奇妙な走り方で追ってきた少女の影がモモンガの腕に抱きついた。

「ああ!私が唯一支配できない愛しの君!そして、フラミー様!一月ぶりの御降臨、心よりお喜び申し上げんす!」

 一息に言い切ったその少女は第一、第二、第三階層を守護する真祖(トゥルーヴァンパイア)、シャルティア・ブラッドフォールンだ。

 フラミーは固まり言葉が出なかった。

(NPCはゲーム内の記憶を持っているの……?)

 

 モモンガがどう感じたか探ろうと視線を向けるも、馴れ馴れしいとアウラに叱られるシャルティアの様子を少しだけ嬉しそうな雰囲気で眺めていた。その横顔は、一月ぶりという言葉に違和感を感じた様子はなかった。

 むしろ――その通り、とでも言うようだ。

 

「君たち、御方々の御前だよ」

 気付けば近くまで来ていた三つ揃えの赤ストライプのスーツに身を包んだ男が口を挟む。その声は引き込まれるような張りのあるものだった。

 第七階層《溶岩》を守護する叡智の悪魔、デミウルゴスだ。

 

「行きましょうか。フラミーさん」

 支配者然とした声音でモモンガが言うも、腕にまとわりつくシャルティアの存在のせいかあまり格好がついていない。

 フラミーはうなずいた。

 アウラ、シャルティア、モモンガ、フラミーと横に並んで進むと、前にいたデミウルゴスは横にずれることで支配者達へ道をあけた後、フラミーの斜め後ろから付いて来た。

 

 危害を加えられる様子がない事に気持ちが緩む。

 モモンガさんは人気者だなぁ、と考え――斜め後ろを無言でついてくるデミウルゴスにすぐに意識を向けた。どことなく裏切りそうな風体な気がする。

 何か話した方が良いのかとデミウルゴスに振り返ると、目が合いニコリと微笑まれる。

 少し笑って会釈を返し、結局なにも言葉を交わさぬまま歩いた。

 

 前方はちょうど、アウラの双子の弟である第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレが客席より闘技場へ飛び降りたところだった。

 すぐ下では第五階層《氷河》を守護するコキュートスが待っていた。

 翻ってしまったスカートを撫で付け、そそくさとコキュートスに駆け寄ると二人で並んで早足でこちらへ向かって来た。

 アルベドも優雅な足取りでこちらへ近付いて来ると、全員がある程度近くに寄り、立ち止まったのを確認し、統括然とした声を上げた。

 

「それでは皆、至高の御方々へ、忠誠の儀を」

 

 聞いたことのないチュウセイノギというものに、モモンガもフラミーも自分達はどうしたらいいのかと内心焦る。

 が、二人が何かを言う隙なくアルベドを一歩前にして守護者達は横一列に並んだ。

 一人一人が名乗りを上げ、皆一様にこうべを垂れて跪く――。

 もはや先程までの柔らかな雰囲気は霧散していた。

 

 最後にアルベドも名乗りを上げると――

「至高の御身に我らの忠義、全てを捧げます」

 全員揃って再び恭しく頭を下げた。

 

 モモンガはどうしたらいいのか分からず、――誰も頭を上げていないのをいいことにフラミーの方を見た。

 対してフラミーは紫色の顔を青くしたり赤くしたりしていた。

 あまり無様なところを見せてはいけないと思うも、何をどうしたらいいのか解らないモモンガは思わず絶望のオーラと黒き後光を背負ってしまった。

 フラミーが絶望のオーラから感じた波動に弾かれたようにモモンガを見ると、モモンガは頷いた。

 少し冷静さを取り戻したフラミーを確認し、モモンガが告げる。

 

「面を上げよ。」

 

 ザッという擬音が聞こえそうなほどによく揃った動きで全員が顔を上げた。

 真面目な顔をして立っているだけで精一杯のフラミーに比べ、玉座の間の時と同じように――モモンガは守護者達へ様々な質問を投げかけた。精神が昂るたびに押し留められるように気持ちは凪いだ。

 モモンガ様と呼ばれるのがこんなにモモンガさんに似合うなんて――とフラミーが内心感心していると、更に戻ってきたセバスを交えて話し合いは続いた。

 

「それでは最後に、お前たちにとって私とフラミーさんはどのような存在だ。シャルティア」

「美の結晶。まさにお二人はこの世界の宝でありんす」

 

「コキュートス」

「モモンガ様ハ、マサニナザリック地下大墳墓ノ絶対支配者ニフサワシキオ方カト。フラミー様ハモモンガ様ヲ支エル何ニモ代エ難イ()デス」

 

「アウラ」

「慈悲深く、深い配慮に優れたお方々です!」

 

「マーレ 」

「あの、と、とっても優しい方達だと思います!」

 

「デミウルゴス」

「深謀遠慮に優れた方で、まさに端倪すべからざると言う言葉はモモンガ様のために存在するかと。そしてフラミー様はリアル世界と我らの世界を行き来する次元を超える力をお持ちの方です」

 

「セバス」

「モモンガ様は最後まで残られた慈悲深きお方です。そしてフラミー様は例え一時的にナザリックを離れられても、必ずお戻り頂けると安心してお戻りをお待ちできるお方です」

 

「アルベド」

「私どもの最高の支配者と、そして最高の主人であります。そして、私の愛しいお方々!」

 

「……なるほど。各員の考えは充分に理解した。フラミーさんはどうかな」

 突然振られ、少しぼーっとし始めていたフラミーは今更ながらに第六階層に来てからまだ一度も言葉を発していないことに気が付いた。

 

「あ、えっと……皆……なんて言うんでしょう……」

 

 躊躇いがちに出る言葉に、守護者は自分達の何かが気に入らなかったのではないかと、恐ろしい想像が黒雲のように胸いっぱいに広がっていくのを感じた。

 このまま、またリアルに行かれてしまうのではないか。

 それも、モモンガを連れて。

 

「その……皆……すごいです……。そう、すごいです!素晴らしすぎますよ。はは、ははは!私達、ねぇ、モモンガさん。私達、ここで生きていくんですね!」

 

 小さかった声は徐々に大きくなり、笑いが溢れ、輝くような瞳でモモンガと守護者をとらえた。

 

 その裏の無い真っ直ぐな言葉の意味を、その場にいた全員が、そう。

 モモンガも含めた全員が噛み締めた。

 

 ――ここで生きていくんですね。

 

 モモンガは動かぬ骨の顔で笑った。

「そうですね!――それでは私とフラミーさんは円卓の間へ行く。各員今後とも忠義に励め!」

 転移の指輪の力を解放し――モモンガの視界はいつもの円卓の間へと移った。

 一拍遅れてフラミーも現れると、二人は顔を見合わせ、モモンガは興奮気味に口を開いた。

「え、なに。あの高評価!あいつら、まじだ!」

「本当凄すぎますよモモンガ様!」

「ちょ、様なんでやめてくださいよフラミー様!」

「モモンガさんこそ!」

 朗らかに二人で笑いあい、そして笑い声は一人分になる。

 モモンガの沈静化を合図に、二人は守護者たちの感想を言い合った。




モモンガ:あ、今日はフラミーさんインしてたんですね!
フラミー:おはようございます!モモンガさん早いですね!
モモンガ:フラミーさんこそ!何時からいたんです?
フラミー:3時間くらい前から…笑
モモンガ:え?ほとんど夜じゃないですか!
フラミー:へへ。私、まだ弱いんで装備欲しいなーって思って。
モモンガ:言ってくれたら協力したのに!狙いのものは出たんですか?
フラミー:ひーん、でませーん。
モモンガ:それじゃ、そっち行きますよ!
<ヘロヘロさんがログインしました>
ヘロヘロ:おはです〜。
モモンガ:おお!丁度いい所にヘロヘロさん!
フラミー:おはおはです〜!
<ウルベルト・アレイン・オードルさんがログインしました>
ウルベルト:おはっすー。
ウルベルト:あれ?皆どこか行くんすか?
フラミー:私の装備を取りに行くのに付き合ってもらう所です!
ウルベルト:フラミーの装備か!お前もっと悪魔らしい格好しなきゃダメだぞ。よし、俺も行きますよ!
モモンガ:流石悪魔師匠〜!

こういうやり取りあったら楽しいですよね(//∇//)


2019.05.01 すたた様、誤字修正ありがとうございます(//∇//)


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#4 その頃の守護者

「す、すごかったね。お姉ちゃん!」

 マーレの言葉を皮切りに続々と守護者が立ち上がり、口々に支配者と主人の感想を言い合う。

 

 守護者たちにとって、最も大切なのは創造主だ。

 

 その次は絶対支配者たるモモンガ。

 ――もしかしたらいつか創造主と支配者の順位も変わるかもしれないが。

 そして、モモンガを支える至高の四十一柱の一柱、フラミー。

 フラミーは加入が遅かったこともあり、一人もNPCを創造してはいない。

 百レベルではあるが、純粋な戦闘能力だけで言えば守護者最弱のデミウルゴス程度か、それよりも下だろう。

 天使を経て悪魔の王へと育て上げた浪漫ビルドの彼女は、モモンガと同じくカルマは極悪。

 そしてユグドラシルでは神の敵対者(サタン)は早いうちから発見されていたが、殆ど天使の見た目だと言うのに人間の街に入れなかったり、様々な制限ばかりが無駄にかかる上に、なんとなく不気味な紫の肌が合わさり中々の不人気職だった。

 フラミーは銀色の髪に黄金の瞳、紫色の肌に、重なり合う天使然とした六枚三対の翼を生やしている。

 足首まである少し広がりのある白いローブ風ワンピースは羽を避けるようにざっくりと背中が空いているデザインだった。

 長い髪はおだんご状に巻き上げられ、後れ毛がかかる首元が紫の肌とは言え艶かしかった。

 

「それでは、私はお二人のお側にお仕えするべきだと思うので円卓の間へ向かいます」

 セバスは皆の感想を一通り聞き、自分は特に何も述べなかったが、とても満足した気持ちで守護者達へ挨拶すると、小走りで転移門の方へ向かっていった。

 

「ところで、随分静かだね?シャルティア、アルベド」

 未だ跪いたままの二人にデミウルゴスが声を掛けると、それに合わせるように視線が集まった。

「ドウシタ。二人トモ」

 掛けられた声にゆっくりと顔を上げたシャルティアの表情は、まるで夢見るように締まりなく、とろけきっていた。

「あ、あの凄まじい気配を受けて、少うし下着がまずいことになっておりんすの」

「あなた、ビッチね!!」

 突然立ち上がったアルベドが大きな声を出した。

「あの素晴らしい気配を受けて――」

「わかってるじゃないの!!」

 シャルティアに全てを言わせる前にアルベドが更に続けた。アルベドの設定文の最後には「ちなみにビッチである。」と言う言葉が鎮座していた。

 

「ああ、モモンガ様の何と素晴らしい気配!お力!フラミー様はお力を抑えられているのかあまり感じられなかったのが残念だわ!でもあの至高なる気配!くふぅー!」

 一呼吸で言い、手を前で組んで拝むようなスタイルで翼をバサバサと揺らしていた。

「モモンガ様の第一妃はフラミー様だとして、第二妃の座には立ちたいものでありんすね!」

「はぁ!?シャルティア、あんたフラミー様と殆ど同じ立場に立とうなんてちょっと不敬なんじゃないの!?」

 思わずアウラも口を挟んでしまった。

「それなら、側室を目指せば許されるんじゃないかしら!?」

「アルベドも何言ってんの!このバカがその気になるでしょ!」

「チビ助、女として間違っているのはおんしの方ではありんせんこと?あのモモンガ様に、側室でもいいから侍りたいと思うのは女に生まれたからには普通の思考じゃボケ!!」

 熱がこもり罵り始めるシャルティアに、アルベドは優しく語りかけた。

「シャルティア。やめましょう。そんな事を言ってアウラまで側室や第二妃の座を狙えばライバルが増えるだけよ。可哀想な子供は放っておきなさい」

「ちょ!こ、子供って……!」

 アウラは反駁しようとするもシャルティアとアルベドはもう二人でビッチドリームの中だった。

 不思議と二人の後ろに桃色のキラキラと輝くようなものが見える。

 

「あー。女性同士の問題は女性同士に任せよう」

 そう言って関わり合いたくないとばかりにデミウルゴスが少し離れると、コキュートスとマーレもそれに続いた。

「全ク。仕方ノナイ三人ダ」

「ちょっと!三人!?コキュートスー!!」

 アウラの叫ぶ声が背中に降り注ぐが三人は聞こえないとばかりに離れていった。

 

「あ、あの、で、でも、フラミー様がモモンガ様のお妃様になるのかは、ちょっと気になります」

「私もそう思うよ、マーレ。戦力の増強と言う意味でも、ナザリック地下大墳墓の将来と言う意味でもね」

「そ、それはどう言う意味ですか?デミウルゴスさん」

「なに、簡単なことさ。今はフラミー様はナザリックに居たいと仰って下さっているが、いつかまたリアルという世界に行かれる時、モモンガ様を伴って行かれる事があれば……。またはモモンガ様が我々に興味を失いフラミー様とリアルに行かれることがあれば……。その時、我々が忠義を尽くすべきお方を残していただきたいからね。その点ではお二人の間の御子ならば忠義を捧げるにこれ以上のお方はいない」

「ソレハ不敬ナ考エヤモシレンゾ。ソウナラヌヨウ忠義ヲ尽クスノガ我々ノ役目ダ」

 冷気を吐きながら横からコキュートスが口を挟んだ。

 

「ふむ。それは勿論理解しているとも。ただ、モモンガ様やフラミー様のご子息やご令嬢にも、忠義を尽くしたくはないかね?」

「ナニ……!?ムウ……ソレハ……憧レル……。オオ……オ坊ッチャマ……!爺ハ……爺ハ……!」

 コキュートスもトリップを始めた。やはりその背には星のような煌めきが見えた。

 

「それに、ナザリックの強化を考えれば、我々の子供はどれだけ役に立つかは知っておかねばならないからね。どうだろうマーレ。子供を作ってみないかね?」

「え?あ、あの、それは、デミウルゴスさんとですか?それともモモンガ様やフラミー様と?」

「ははは。私やモモンガ様とは難しいと思うけどね。ともかく、フラミー様とでなくても、どこかにいるかもしれない闇妖精(ダークエルフ)とかになるかもしれないかな」

「そ、それがモモンガ様達のお役に立つことなら、ぼ、ぼく頑張ります!」

「そうかい。時が来たらまず君に声をかけるとしよう」

 

 一息つき、まだ幼いマーレの事を下から上へとじっくりとデミウルゴスは眺めた。

 

「それにしてもマーレ。なぜ君は女性の格好をしているのかな?」

「ぶ、ぶくぶく茶釜様がお選びくださったものですから!オトコノコ、っておっしゃってましたから、間違いなくこれが僕の服なんです!」

 マーレは嬉しそうに声を張った。

 

「そうかい。ではナザリックにおいて少年はスカートを履くべきなのだろうかな。うん……?フラミー様は人間であるならば十八くらいにも二十五くらいにも見えますが……スカートを履かれているのはまさかオトコノコでは……ないですよね……?」

 

「「な、なんですって!?」」

 デミウルゴスの疑問に、今までトリップしていたはずのシャルティアとアルベドが遠くから耳ざとく食いついてきた。

 

 デミウルゴスの目には捉えきれないようなスピードで接近してきたアルベドとシャルティアがまくし立てる。

「ああ!!フラミー様が男性であったら、肉体がある分お情けを頂きやすいのではないかしら!?」

「で、デミウルゴス!!そ、そんな素晴らしいことがありんすの!?」

 興奮する二人にデミウルゴスはつい後ずさった。

 

「い、いえ……私はわかりません。滅多なことは言うもんじゃありませんね。きっと女性だと思いますよ」

 

 デミウルゴスは思い付きで余計な事を口にしたことを後悔した。

 この後、コキュートス、シャルティア、アルベドの三人を正気に戻し、落ち込むアウラを慰める仕事が彼を更に後悔させたのは言うまでもない。




2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用しました!


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#5 世界を渡る力

 モモンガとフラミーが円卓の間で話していると、不意にノックが響いた。

 顔を見合わせ、二人は高速で身なりを確認し――「入れ」と命じるのはモモンガだ。

 

「失礼いたします。モモンガ様。フラミー様。」

 そう言って入室したセバスに続き、数十種類の紅茶の茶葉が乗せられたサービスワゴンを押すメイド、手の平より小さなプチガトーとプチサンドイッチが乗せられているサービスワゴンを押すキノコ頭の副料理長が入ってくる。

 そして、続くは料理長。料理長の背には巨大な中華鍋が背負い込まれており、締まりのない上半身は裸だ。そして、そこには大きく「新鮮な肉!」と入れ墨が彫り込まれていた。オークに良く似た顔立ちだが、彼はより野獣的なオークスという種族だ。

 モモンガはワゴンの上に乗る美食であるに違いないものたちを前に、ないはずの唾を飲み込んだ。

 この見た目の料理長が作ったとは思えない、実に繊細なガトーの数々だ。

 

「モ、モモンガさん!見て!見て下さい!すっごく美味しそう!」

 犬なら尻尾を振ってハッハッと息を荒くするんじゃないかと思うようなフラミーの様子に羨ましくなる。

「見てますよ。はは……うまそうだなー……」

 モモンガは苦笑していた。この骨の体では食事なんてとても出来そうにはない。この体が憎かった。

 

 料理長――その名も、シホウツ・トキツ。

 シホウツ・トキツは一見二足歩行の猪にも見えるほどにでっぷりとした体からは想像もつかない機敏さでモモンガとフラミーの下へ駆け寄り、即座に片膝をついた。

「モモンガ様!フラミー様!お疲れかと思い軽食をご用意いたしました!副料理長のピッキーがお取りしますので、まずはこの私よりメニューの説明をさせていただきます!」

 シホウツ・トキツに紹介され、ピッキーは一歩前に出ると紹介するであろうプレートへ恭しく手を添えた。

 美味しそうだと自慢の料理を早速至高の存在達に褒められ、シホウツ・トキツのテンションは相当上がっていた。

 セバスはなんと幸せなんだろうか、と仕えることを許された今という時間を噛みしめた。

 

「それでは――」ごほん、と咳払いをしたシホウツ・トキツの背には気迫が炎となって立ち上がっている。――ように見えるほどだった。

 それはまさしく、俺はやるぜ!俺はやるぜ!だ。

 しかし、シホウツ・トキツの丁寧かつやる気満点だった説明はまるで呪文のようで、モモンガはもちろんの事、フラミーの頭の中にも何一つ残らなかった。

 二人はリアルでは液状食料と呼ばれるパウチに入った物ばかり食べていたのだ。ちゃんとした料理の説明など受けたこともないし、下手をすれば食べたこともないかもしれない。

 

 フラミーは欲張りすぎかと思いつつも、「とりあえず一つづつ」と言い、ピッキーはメイドと揃ってせっせと配膳をした。

「モモンガ様はいかがなさいますか!!」

「……うん、私もとりあえず一つづつ頼む」

「畏まりました!」

 シホウツ・トキツはニッと男臭い満面の笑み――だと思われる――を浮かべ、ピッキーとメイドは流れる動きでモモンガの分も取り分けた。

 食事はできないと思われるモモンガの前にも同じものが並んでいく。

 いくつもカトラリーが並び、フラミーは一瞬目を白黒させた。大きなフォーク、小さなフォーク、二股のフォーク、小さなスプーン。とにかく大量だ。

 どうしたものかと思っていると、ピッキーから「どうぞお召し上がり下さいませ」と小さく一声掛かった。

 

 フラミーは恐る恐る一番小さいフォークを手に取った。

 間違ってる!と言われない様子に内心安堵の息を吐き、桜色のスポンジケーキにフォークを入れ、口に運んだ。サンドイッチより先に甘いものに手を出してしまうのは女子のサガだろう。

「はわ〜!こ、こんなの……初めて食べました!」

 瞳をキラキラさせる横で、モモンガは同じものをつまみ、くんくんと匂いを嗅いでみた。

 ほのかに花の香りがする上品そうなものだが――液状食料ばかりを口にしていたので味の想像は難しい。

「いかがでございましょう!味のみならず、目、鼻、食感、触感で楽しめるラインナップにいたしました!!」

「そ、そうか。うん。そうだな。素晴らしいぞ。うん、すごく、こう、良い香りだ。感謝する」

「ははぁ!しかし、感謝など!私めにはもったいのうございます!!」

 モモンガは「そう言う感じなの……?」と心の中で呟く。もはやNPCが敵対するのなんのと、馬鹿らしい疑いのようにすら思えた。

 

 男二人のやりとりをよそに、続いてフラミーが口にしたのは抹茶味の緑色のつるりとしたドーム状のケーキだった。

 モモンガがフォークで切ってみると、中がババロアだったため蕩けるように簡単に二つに割れた。

「モモンガさん!これも美味しいですよ!」

「うん、美味しそうです」

「フラミー様、ありがとうございます!モモンガ様もいかがでございましょう!!見て飽きぬ一品ではございませんか!」

 シホウツ・トキツは少し暑苦しかった。しかし、まさしく見ていて飽きない品揃えだ。

 なので、モモンガは素直に頷いた。

「まさしくその通りだな」

 

 フラミーはペロリと一つを食べてしまうと、紅茶を一口含み、幸せな唸り声を上げ次に手を伸ばした。

 縦に細長いガラスの器に入ったフランボワーズのムースは白いパンナコッタと層を成していて、甘酸っぱい香りだ。

「これ!液食に近いですね!」

「なるほど、確かに」

 モモンガは器にチョイと指を入れる。行儀が悪いことはわかっているが、こればかりは舌触りのイメージが付きやすい。

 そして、戯れにムースを口元に運んでみた。

(……ま、無理だよな)

 当然のように舐めることもできずに手を戻した。

 後ろからセバスにそっとナプキンを差し出され、ちょちょいと指先を拭いた。

 先程のシホウツ・トキツとのやり取りから言って、ありがとう、と言うべきなのか少し迷い、モモンガは口を開いた。

「セバス。助かった」

「いえ。当然のことでございます」

 応えたセバスは満面の笑みを浮かべていた。

 

 続いてフラミーは小さなレーズンの入ったパウンドケーキを直接指先でつまむと、ほいっと口に放り込んだ。

 素朴ながらパサパサせず、たっぷりのバターでしっとりと焼きあがっている。

 うっとりと両頬を包む様子を見ていたモモンガは己の口元を撫でた。

(ある種の拷問だなぁ……)

 続いてクルミの乗ったプチタルトはフラミーの口の中からクリスピーな音を立てた。

 持って鼻に近づけずとも、香ばしい香りが漂っている。シホウツ・トキツが食べずとも楽しめると言っていた意味がよくわかる。

 

 こくんっと飲み込むと、フラミーはフォークを持ち直した。

「んふふ〜」

 実に楽しげだった。

 取ってもらったデザートは次で終わりだ。

 最後に残ったミルフィーユはいちごと生クリームが重なっていて、てっぺんに乗るいちごにはさらりとかかった粉糖がまるで雪のようだ。

 フォークで押すと、挟まっているクリームがわずかにくにゅっとはみ出し、パリパリと小気味良い音を立てて割れていった。

 モモンガはその様子をまじまじと見ると、自分の分もフォークで崩してみた。気持ちがよかった。

(こんな食べ物があるんだな……)

 簡単に小さな口に吸い込まれて行き、フラミーはほふっと息を吐いた。

「わたし……しあわせです……」

 しみじみと漏れ出た声にモモンガは軽く笑った。

「それは何よりです」

 ギルドメンバーの幸せを見られる幸せに心が軽くなる。

 しかし、あまりにも羨ましい様子だった。

 

「フラミー様、よろしければこちらもお召し上がり下さい。こちらは私めから料理長へ提案したものでございます」

 そう言ってピッキーが差し出したのは乙女の夢のように色とりどりのフィナンシェやマドレーヌのアソートが入ったカゴだった。

 フラミーはやはりひとつづつ口にした。

「どれもおいしいです!シホウツ・トキツさんは天才です!」

 手放しの賛辞に料理長の腹以外に生えている赤毛がピンと逆立ち、フンスー!と長い鼻息が出た。

「ははぁ!!ありがとうございます!フラミー様!!この私、シホウツ・トキツに料理長を任せてくださった至高の御方であられる――あまのまひとつ様もフラミー様のお言葉にお喜びのことと存じ上げます!!」

「そ、そうですね。ピッキーさんもすごいセンスいいです!ありがとうございます!」

 ピッキーはキノコ頭の赤いプルプルとした部分からルビー色の滴を軽く垂らし掛け、すぐに拭いた。

「と、とんでございません。身に余るお言葉」

 深々と頭を下げながらそう言う。

 フラミーとモモンガは目を見合わせ、やはり「NPCはこう言う感じなの?」と心の中でつぶやいた。

 

 空気を変えようと、フラミーは紅茶で口の中をさっぱりさせてから口を開く。

「ふー……っと、どれをとっても美味しかったです。サンドイッチも後でいただきます。ね、モモンガさん」

 NPC達がクワッと目を見開いた気がした。

 が――モモンガのその赤い瞳は悲しく揺れたような気がした。

「あ……でも……も、モモンガさ――ま……の……前では食べるの……やめようかしら……」

 わざと様付けで呼ぶフラミーに、モモンガは慌てた。

「あ、いえいえ。気にしないでください。シホウツ・トキツの言う通り、匂いや食べてる姿を楽しんでいますから!」

 

 そうは言われたが、なるべく食事はモモンガの前では控えようと思ったフラミーだった。

 が――そんな事を許すシホウツ・トキツではない。

「フラミー様!モモンガ様!分かっております!!」

 何が?とモモンガは思った。

「この私がモモンガ様とフラミー様――至高の御方々に相応しいお料理をご用意いたします!それも、一週間かけても終わることのない宴でございます!!これより我が守護領域たる食堂は死地!!素晴らしい宴と――」

 NPC達から「おぉー!」と賛成一色の感嘆と拍手が上がる。

「――いや、いやいやいやいや」

 フラミーが即座に言い始めると同時に、モモンガも全く似たような反応をした。

「――お、おいおいおいおい。待て、待て待て待て!」

「ははぁ!」

 猛烈な気迫だった。

「そ、それは流石にやりすぎだ。第一私は食べられない。フラミーさんが欲する分を作ることは全く構わないが、私にまでその料理を用意することはない。勿体無いだろう」

「何をおっしゃいますか!!フラミー様はもちろんのこと、モモンガ様のために使用する食材に無駄などあるはずがありません!なぁ!」

 そうだろ、皆と振り返ったシホウツ・トキツに、全員が拍手をすることで意思を示した。あのナイスミドルなセバスもだ。

 モモンガとフラミーはとんでもない宴を始めないように、フラミーが食べる分だけを通常の想定される量で用意するよう、シホウツ・トキツ達を説得した。

 それはとてもとても長い時間がかかり、二人はユグドラシル終了から最も疲れる時間を過ごしたのだった。

 

+

 

 シホウツ・トキツ達が立ち去り、サンドイッチまで食べ終わったフラミーもトイレへ立った所で、モモンガはセバスとメイドへ振り返った。

「セバスよ。今日はもう休んでいいぞ。私は睡眠を必要としない体だが、フラミーさんは流石に休みたいだろうしな」

 フラミーも睡眠や疲労無効アイテムを装備しているだろうが、夜は寝るものだ。

「では、フラミー様のお休みのお支度をするように別のメイドへ伝えてまいります」

 え?寝るのに支度がいるの?と、小学生の頃に亡くした母親しか女性を殆ど知らないモモンガは少しだけ驚いた。

 セバスの背中を見送り、部屋の隅に立つ一般メイド六人に視線を送る。

 

(ホワイトブリムさん、ヘロヘロさん、ク・ドゥ・グラースさん達の愛娘かー。フラミーさんは女性だし、一般メイド達ともしかしたら仲良くなるかもな)

 そんな事を考えていると、扉がバン!と音を立てて開けられた。

 驚いて振り向けば、そこには紫の顔を青く――すっかり血相を変えたフラミーが立っていた。

「も、も、も、モモンガさん……!大変です!!」

 メイド達と、表に立っていたコキュートス配下のクワガタのような蟲型モンスター達がひどく慌てた様にオロオロしている。

 モモンガもただならぬ様子に慌てて立ち上がりフラミーの元へ駆け寄った。

「どうしたんですか!?侵入者ですか!?」

 一レベルに過ぎない一般メイド達は怯え始めていた。――が、戦ってみせる!と謎の気合を入れている。

 

「ち、ち、ちがいます。違いますけど――あのっ……私の部屋に来てください!!」

 フラミーの自室へ向かって廊下を翔ける二人の姿を、全てのしもべ達が驚きを持って目で追った。

 この二人でなければ、第九階層の廊下を駆けるなど許される所業ではない。

 部屋に着けばセバスの指示のもと、ベッドを美しく整え、シーツでアートを作り、花をそこら中にまいているメイド達の姿があった。

 それは新婚旅行で海外ホテルに泊まるとよく見る演出のようだった。

 フラミーは未だ落ち着かぬ様子で通達する。

「皆さん、あの!色々して下さってるのに申し訳ないんですけど、お部屋を出てください!」

 

 押し出す様に全てのNPCを外へ追い出し、無理矢理扉を閉め、何やら魔法をかけた。

「<天岩戸の岩扉(ネバーオープンズ)>!!こ、これでドアは開きません!!」

 モモンガはハラハラしすぎて鎮静と昂りを繰り返していた。

「そ、それでフラミーさん、何がどうしたって言うんですか!?」

「モモンガさん、お願い!笑わないで聞いてください!!」

「何ですか!?笑いませんよ!!」

 フラミーは青くなっていた顔を赤紫にするとローブのスカートを握り締めて言った。

「今、今おトイレに行ったら何もかもが正常なのに、茶釜さんみたいなのがお股についてたんです!!」

 叫ぶフラミーの金色の瞳の端には涙が浮かび、螺鈿細工のように光を反射させた。

 

(……は?)

 

 モモンガはパカリと骨の口を開けた。

 ただただその言葉を頭の中で繰り返す。

 茶釜さん――ぶくぶく茶釜と言えば、怪しいピンク色の男根姿のアバターだった。

 男根アバターが付いていると言うことは、この人は男なのかと数度瞬いた。

 しかし、フラミーの顔はどう見ても女だったし、胸の膨らみもあった。何もかもが正常なのに、と言うことは蛇足のようにそれだけが付いているのだろう。

 

「こんなのあんまりです。私、女の子なのに男の子にもなって……こんな……こんな……」

 両手両膝を床につけ、崩れた様に座り込むフラミーに、モモンガはそっと肩に手を置いた。

「すみません。なんか、想像したことと全然違った分良かったというか、良くなかったと言うか……。いや、その、なんて言うか、二つあれば、何かと便利なこともあるかもしれませんよ……?」

 と言いつつ、どちらから排尿するのだろうとモモンガは益体も無い事を考えていた。

 

「便利って何が便利なもんですか!これじゃもう私お嫁に行けませんよぉー!」

 翼をペタリと床に落とし、心底落ち込んでいる様子のフラミーの背をさすり、なんとか慰めていると、扉が強く叩かれる音が鳴った。

「ん……?」「はぇ……?」

 

 二人で何事かとそちらを見ると、どんどん音が強くなっていく。

 このままでは扉が壊されてしまうんじゃないかと思うほどに、音は衝撃へと変わっていった。

 フラミーは立ち上がり、扉にかけた無駄に高度な魔法を解除し、観音開きの扉の片方を開けると、シャルティアとコキュートスがもつれる様に部屋に転がり込んできた。

「フ、フラミー様、何があったんでありんすか!?」

「扉モ開カズ、中ノ音モセズ、不敬カトハ思イマシタガ、我ラ守護者、御身ニ降リ掛カル物ヲ薙ギニ参リマシタ!!」

 どうやら力自慢のこの二人と、セバス、アルベドでドアを開けようと必死になっていたようだ。だが、()()()()を薙ぎ払われては困る。

 

 外にもズラッと守護者だけでなくしもべ達がおり、皆戦々恐々と言った雰囲気だ。

 フラミーはなんで集まってるの!と心の中で叫んだ。

「あの……ごめんなさい、ちょっと皆には言えない重大な事実が判明してしまったもので……」

 NPC達は自分達には言えない重大な事実と言うものに必死に考えを巡らせ、最後は全員が自分たちの無力さを呪うように重く暗い雰囲気をまとって足下に視線を落とした。

 

「えーと……皆の者。私の口から説明しよう」

 モモンガの威厳のある声に全員が顔を上げる。

「え!?そんな!嫌ですよ!やめて下さいよ!」

 フラミーはモモンガのローブのフードから垂れている紫の帯のような部分を握り両手でビンビン引っ張りだした。

 

 そっとモモンガはフラミーの頭に手を置くと――「俺に任せてください」と、小さな小さな、ユグドラシルでよく聞いていた優しい声でフラミーの瞳を覗き込んだ。

 もうどうにでもなれ!と投げやりになったフラミーは背中を向けてモモンガの斜め後ろへ立った。

 NPCの顔を少しでも見ずに済むようにしているようだ。

 

 逆にモモンガはNPC全員の顔を滑らかに見回し、口を開く。

「フラミーさんは実は、リアル世界へ渡る力を失ってしまった事に気がついたのだ」

 ざわりと場が揺らぐ。

「今確認したところ、世界を渡る力を私も失ったようだ。いつか取り戻せるかも分からないが、私とフラミーさんの世界へ与える力が弱まったことをフラミーさんは皆には伝えたくないと、このような状況になってしまったわけだ」

 NPC全員が真剣に耳を傾ける中、フラミーも肩越しにモモンガの語りに耳を傾けた。

 

「だが、私は敢えてそれを皆に伝えよう。私たちの不出来や弱い力を皆で補って欲しい」

 守護者の視線は火がつくような温度を感じるものになった。

 

「皆の望む、"至高の存在"と言うものでいられずに申し訳ない。そして、皆、頼む」

 そうモモンガが頭を下げると、フラミーも振り返り、並んで頭を下げた。

 

 すると、アルベドが真っ先に叫んだ。

「そ、そんな!滅相も無い!お二人は、ただここにいて下さるだけで十分でございます!」

「そうです!!おやめ下さい!セバス!お二人の頭をおあげしろ!」

「そんな!デミウルゴス様!至高のお二方にそのような……!」

『っく――頭をお上げ下さい!』

「あわわわ!ぼ、ぼ、僕たちがきっと、きっと!その!お二人をお守りしますから!」

「そうですよ!マーレの言う通りです!それに世界を渡る力がなくったって、お二人は至高の存在に変わりないんですから!」

「ソノ通リデス!ドウカ、オ戻リ下サイ!」

「ど、どうしたらいいでありんすかー!!」

 

 大パニックだった。

 想像を絶するパニックに二人は頭を上げる気持ちが重くなった。

 シホウツ・トキツがあまりにも暑苦しかった為、NPC達の暑苦しさをこれで払拭できると思ったのだ。

 うまい言い訳を思いついたと閃いたはずだった。

 ペロリと発言してさっと頭を下げ、なおかつ自分達は皆の言う"至高なる存在"とか言うものじゃないと言う事を軽く告げるだけのはずが、想定とは違う事になってしまった。

 

 ようやく二人が頭をあげると、全員の顔には凄まじい疲労が見えた。

 

 アルベドはほっと息を吐くと、軽く咳払いをした。

 守護者達から始まり、集まってしまったしもべも早急に綺麗に並び、アルベドが代表して口を開いた。

 

「ご命令、承りました。我ら守護者、しもべ一同、全ての力をもって御方々の欠けたお力を補うよう努めます」

 

「「「「「「努めます」」」」」」

 

 その直後から大量の護衛がついた二人は、わずか三十分で音を上げ、

「ま、まぁ欠けたとは言え世界を渡る力だけだからな?」

 そう言ってなんとか今まで通りの護衛に戻してもらったのだった。




この話を書いたのは随分前ですが、男爵は最新刊を(現在2022/08/12)読み始めました!
料理長がついに出てきたので、こちら大幅加筆修正しました!


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#6 眠る前の運動

杠様より挿絵をいただきました!
ありがとうございます!!


 さっきまでの大騒ぎが嘘のように静かになった自室で、フラミーはベッドに潜り込んだ。

 が、眠気は訪れない。

 それもそのはずだ。

 ベッドルームの扉の脇には直立不動のメイドが控えている。人を立たせて自分だけ眠れる者がいるだろうか。

 

(落ち着かないよ……)

 フラミーがベッドをゆっくり出ると、指示を貰おうとメイドが少し動いた。

 夜遊びなんてと怒られるんじゃないかとドキドキしながらゆっくりと反応を伺うように伝える。

「やっぱり……寝るのはやめて、少しお外を歩こうかなと思います」

「かしこまりました。護衛につく兵の準備は出来ておりますので、すぐに連れてまいります。それから、御髪はまた結われますか?」

 打てば響くように応えが返り、フラミーはひとまず怒られなかったことに安堵した。いつものお団子頭は全て下ろされていた。

 

 無くした力は世界を渡るものだけだと言ったのに何故未だ護衛をつけると言われてしまうのだろうか。

 モモンガに助けを求めたいが、常に誰かしらがそばにいる為、最初に実験して以来一度もモモンガと伝言(メッセージ)を送り合っていなかった。

 ついでに外の空気を吸うのに誘おうかとも思うが、他にも実験してみたい事があると言っていたモモンガを気まぐれに付き合わせても悪いかと、やはり連絡をしない事にした。

 サラサラとしたサテンのくるぶしまであるネグリジェに、同じスタイルのガウンを軽く肩に羽織ってドレスルームに向かう。動きながらうまい言い訳を探した。

「自分で伝言(メッセージ)を守護者に送るんで……兵とかは大丈夫です。髪も、すぐに戻るのでこのまま行きます。お部屋の事だけお願いします」

 守護者と動くと言われては守護者を信じる他ないメイドは、了解の意を示し、部屋を任されたことに密かなる喜びを感じ、小さなガッツポーズを決めた。

 

 ドレスルームに入ったフラミーは背中がざっくりと大きく開いた、膝下丈の黒いタンクワンピースと、背の開いていない深い紫色の大きなフードのついたローブを手に取った。一番手近にあったものだ。

 着替えを手伝おうといそいそと近付いてくるメイドに、脱いだガウンを渡した。自分のドレスルームだが、こんなガウンなど持っていた記憶も無く、しまう場所に検討がつかなかった為だ。

「あの……すみません、片付けてもらえますか?」

「もちろんでございます!どうぞ私めにお任せください!!」

 着替えつつ趣味やどんな音楽を聴くかなど話しをふってみたが、趣味は至高の御方々にお仕えすること、音楽は特に聞いたことがないと言われてしまい、友達になるにはもう少し時間がかかりそうだと思うフラミーだった。

 ただ、モモンガと違い女同士の為――あるいは孤児院という大所帯で育った為か着替えに付き添われる事には大した違和感を感じず、背のホックやリボンを留めることを自然と任せていた。

 じっと立たれているような状況でなければ人がそばにいることに対してはストレスが溜まらない性分だ。もちろん、真夜中にこうして付き合わせてしまっていると言うストレスはあるが。

 

 メイドがたくさんのピアスが掛けられた金のピアススタンドを持ってくると、アバターだった頃は付けっ放しだった赤紫のひし形の魔法石をあしらった大ぶりのピアスを迷わず取った。フラミーは全てのピアスに施された魔法の効果を覚えている。

 メイドに礼を言うとフラミーは部屋を後にする。

 扉脇に控えるクワガタのような蟲型モンスター達に守護者と約束をしたと嘘をつき、そそくさと第一階層へ転移して行った。人に嘘をつくと言う状況に一瞬ハラハラした――が、不思議とそんな気持ちもどうでもいいと消えた。

 己の精神構造にカルマ値と言う歪みが生まれている事にフラミーは気が付かなかった。

 

 薄暗い霊廟を進みながらフードを目深にかぶり、ゆっくりと階段へ向かう。

 月明かりが霊廟を、階段を、自分までも青白く染め、まるで海に沈んだ神殿を歩いているような、美しく荘厳な雰囲気に思わず胸が高鳴った。

 

(私もナザリック攻略時にギルドに入れていたら良かったのになぁ)

 

 静謐な空間に物思いに少し目を伏せると、数人の足音がし、短かい一人の時間に別れを告げた。

 ゆっくりと瞼を開ければそこには憤怒の魔将(イビルロード・ラース)嫉妬の魔将(イビルロード・ラスト)強欲の魔将(イビルロード・グリード)の三体の悪魔が立っていた。

 わずかに驚くが、悪魔達だと思うと何故か安堵し、フラミーは微笑んだ。

「皆さん、こんな時間まで働いてるんです?」

「は。畏れながら」

 すると、答えた魔将達の陰から、スッとさらにもう一人悪魔が姿を現した。

「デミウルゴスさん……」

「これはフラミー様。このような所へお一人でいらしたのですか?兵はどうされたのでしょう?」

 優しい声音と視線に後ろめたさを感じつつ、守護者と約束が、と口から出かけたでまかせをどうにか引っ込める。

 えーそのーあー……と言葉にならない言葉を出し時間を稼ぐと、閃いた。

「あ、そう。えっと、ここにデミウルゴスさんがいると小耳に挟んで来てみたんです」

 これでここまで来る為についた嘘はチャラになったとフラミーは心の中で自らを喝采した。

(そう、私は守護者(デミウルゴスさん)の顔を見る為にここまで来たんだ。うんうん)

 

 デミウルゴスは優雅な笑いを浮かべた。

「これはこれは。仰ってくださればこちらから出向きましたものを。それで、どのような御用向きでしょうか」

 そんなことを聞かれてもデミウルゴスには用なぞあるはずもない。

 最初から用があるのは"外"だけだ。

「えっと……ちょっとそこまで出ようかなーなんて」

 繕いもせず返す言葉に悪魔はその顔を喜びで染め上げた。

「なるほど。そういうことですか。畏まりました。喜んでご一緒させていただきます。――お前達はここに残り私がどこへ行ったか伝えておけ」

「畏まりました。デミウルゴス様」

 叡智の悪魔は何かを察したように魔将へ軽い指示を出した。

 フラミーは当たり前についてくるデミウルゴスを斜め後ろに従え、ようやく外に出たいと言う小さな願いを叶えた。

 

+

 

 モモンガは自室にあるドレスルームで、ちらりと己の骨の姿を鏡で確認した。

(フラミーさんは増えただけましだよなー。俺なんて実戦使用しないでなくなっちゃったもん……)

 感情の起伏が激しくなると抑圧されるように平坦なものになり、欲望は全体的に薄くなっていた。

 そんな事を思いながら、グレートソードを一本手に取り、ゆっくりと構え――奮おうとした瞬間剣は床に落ち、金属音を響かせた。

 モモンガは何も持っていない骨の手をギュッと握りしめた。

 生きたように動き回るNPC達の存在とは裏腹に、この体にはゲームのような縛りがある。やはりまだまだ調べなければいけないことが山積みだと確信した。

「片付けておけ」

 モモンガのそばには戦闘メイド(プレアデス)が一人、ナーベラル・ガンマが控えていた。

 ナーベラルは「は」と短く返事を返し、落ちた剣を片づけた。

 

 これでよし、モモンガは心の中で唱え、上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)で作った鎧に身を包んだ。

「私は少し出る」

「では近衛の編成を行います」

「いらん。私は――そう、極秘裏にしなければならないことがある」

 常にメイドやら近衛やらその身の回りにいるストレスは、いくら精神状態をなだらかにされるとは言えかなり応えた。

 男として女がはべってくれているという喜びよりも、自分の生活圏を侵されていると言う気持ちが大きい。

 そして、誰も彼もが――

「畏まりました。いってらっしゃいませ、モモンガ様」

 こう従順なるしもべとして頭を下げる。

 モモンガは突き放してしまったと言う若干の罪悪感と共に一人で部屋を後にし、第一階層へ向かった。

 たった一人、自分と普通に付き合ってくれるフラミーに声を掛けたかったが――もう寝ると言っていたのだから我慢するしかない。

 

 外へと続く階段から月の光が降り注いでくる。

 この先にどんな景色があるのかと冒険心をくすぐられ、足早になり、いよいよ外が見えると言うタイミングで、三魔将が現れた。

 

(な、なんでこんなところに魔将が!?)

 考えてもわからないため無視して通り過ぎようとすると、背後から透き通った女性の声がかかった。

「待たせたわね、デミウルゴス」

 

 デミウルゴスもいるのかとモモンガが声に振り返れば、アルベドがそこに立っていた。

「あら?これは!モモンガ様!近衛も連れずにどちらへ?ああ、こんなところでお会いできるなんて……もしかして運命……?」

 

 月光に照らされながらアルベドが頬に両手を当てうっとりとこちらを見上げる様は、独り言の内容とは裏腹に一幅の絵画のようだった。

 そして、鎧を着ていると言うのに何故か自分がモモンガだとバレたのかと混乱する。

(――……指輪か?転移してここに来たせいか)

 モモンガは状況を理解した。

 

「デミウルゴス様はつい先程ここを通られたフラミー様に付き従って行かれました」

 三魔将の一人、憤怒が答えるが、アルベドはそれを無視して自分の世界に入り込んでいる。

「もしかしてモモンガ様、私がここに来ることをご存知で会いに来て下さったのでしょうか?」

 ああ!と声を漏らしながら悶えるアルベドを他所に、モモンガはモモンガで別のことを考えていた。

(フラミーさんはもう寝ると言っていたけれど、デミウルゴスと外に……?どうせなら一緒に出たかったな……)

 

+

 

 満天の星の下、フラミーは感動していた。

 

 飛べる気がする。

 自分の体の一部となった翼をはためかせようとすると、翼の上から着込んだローブが邪魔になっている事に気がついた。

 こんな事ならズボンにすれば良かったと思いながら、目深にかぶっていたフードを払うように脱ぐ。

 すると緑の香りをはらんだ風が、フラミーの長い、いつもは結い上げている銀色の髪を揺らした。

 リアルの自分の髪よりも、サラサラと柔らかくなびく髪が気持ちいい。

 

【挿絵表示】

 

「なんと言う美しさでしょう……」

 そう言うデミウルゴスに、フラミーは頷いた。

「本当ですね。こんなに綺麗な星空が見れるなんて思いもしませんでした」

 この世界に来て初めて心穏やかに微笑んだ。

 

 満点の星空はリアルで見る空とは違い、青、黒、紫と様々な色が混ざり合いながら瞬く星々を強く際立たせていた。

 ――リアルの空は汚染され、腐ったような空気に侵され、常に毒々しく分厚い雲に覆われていたせいで星など見えしなかったのだ。

 それはもちろん、太陽や月も同じことだ。

「星空……。いえ、この星達も、フラミー様の前ではくすみましょう」

 デミウルゴスが何に向かって美しいと言ったのかようやく気付いたフラミーはツンと尖った自分の耳と顔に少し熱が溜まるのを感じた。

 こんなキザなセリフを言われたのは生まれて初めてだった。しかし、デミウルゴスの向こうに彼を創造したウルベルトの事をフラミーは幻視した。

「デミウルゴスさんはお上手ですね」

 そのような……と言うデミウルゴスの言葉と世辞を軽く聞き流しながら、フラミーはローブを脱ぐと腕にかけた。

 露わになった背と肩、足が、夏の終わりに向かう切ない空気と触れあう。

 六枚三対の白銀の翼と、腕を大きく広げ、――腕の中にあるローブを少し鬱陶しく思いながら体いっぱいに風を感じた。

 黒いタンクワンピースから藤色の肌を露わにし翼と髪を風に任せ月光に照らされる姿は、まるで月の光を栄養に咲く花のようだった。

「お持ちします」

 ローブを受け取ったデミウルゴスは、ドラゴンのような皮膜をもつ黒翼を背に出し、いつでも飛べますとでも言うように視線を送った。

 

 これで飛べなかったら恥ずかしいと思いながらも、鳥が何も教えられずとも空を飛べるように、頭の中には生まれた時から翼を持っていたものと同じように飛び方が浮かんでくる。

 思い切り一度はためかせ、地をドンッと蹴るとフラミーは高く高く飛び上がっていった。

 貧困層だったフラミーは飛行機に乗った経験もなく、まさしく生まれて初めての本物の空だった。

 

 高く上がると二人はピタリと止まった。

 

 翼はあるものの、魔法の力で飛んでいるようで、翼を動かさずとも空中に留まることができた。それはデミウルゴスも同じだった。

 見渡せば遠くには雪を頂く高山、風が吹くたびに波打ち輝く草原、月と星の光だけが照らすどこまでも続く地平線。

 そのあまりの雄大な景色に、フラミーは訳もなく涙が出てきた。

 

「い、いかがなさいましたか?フラミー様」

 慌てるデミウルゴスは珍しく両の瞼をしっかりと開き、その宝石の瞳をのぞかせていた。

「あんまりにも世界が綺麗で……。私、生まれて初めて空に上がったの」

 そう目元を困ったように下げ、溢れ続ける涙を拭う事もせず困ったように微笑むフラミーに、デミウルゴスは強い衝撃を受けた。

 何百年、下手をすれば万と言う単位の時を生き、世界を創造した神とすら戦争をしたと聞く悪魔の王(サタン)が――初めて空に上がったと、まるでようやく巣立ちを迎えた雛のような事を言う姿に。

(世界を渡るような想像を絶する秘術をお持ちだった御身を空へ向かわせなかったものは一体……)

 わずかに思考の海に潜り込みかけると、未だポロポロと溢れる綺麗な涙に我に返った。

 

「わ、私もウルベルト様と共にナザリックの中の空を飛んだことはありましたが、実を申しますとナザリックの外の空は初めてでございます」

 うろたえながらも今までの数百年の自分の人生――いや、悪魔としての生を振り返り告げた。

 

「じゃあ、私達、一緒ね」

「はい。一緒でございます」

 悪魔達が囁き合う空はどこまでも透き通っていた。




デミウルゴススキー☆

2019.06.01 氷餅様 誤字修正ありがとうございます!適用させて頂きました!
2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!
2019.06.20 KJA様 誤字のご報告をありがとうございます!適用させて頂きました!


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#7 宝箱

 霊廟を出たモモンガは空の美しさにブループラネットを思い出していた。

 興奮して自然について語る彼は、普段はバリトンボイスだと言うのに、声を高く高くして一生懸命色々なウンチクを語ってくれたものだ。

 広がる夜空は感嘆せずにはいられない、素晴らしいものだった。

「仮想世界でもここまでのものは……」

 ため息のように言葉を紡ぐと、月と重なるように二つの影が見えた。

「アルベド、飛べるか?」

「勿論でございます」

 アルベドが腰から生える黒い翼を大きく広げながら応える。

「ふ、よし」

 アインズは<飛行(フライ)>の効果を宿したネックレスを下げ、高く飛び上がる。

 初めて感じる感触は、大気。

 リアルでは防護マスクなしでは表へ出る事など許されなかったモモンガは、今日の日の空への小さな冒険を忘れたくないと思った。

 

 遠く小さかった影は次第に大きくなりはじめ、フラミーの翼よりハラハラと落ちてくる銀色の羽と輝きが舞いながら中空で消えていっていた。

 

 支配者らしい低い声を出すことを心がけながら、呼びかける。

「フラミーさん」

「モ、モモンガさん!出て来てたんですね!」

 慌てて目元を拭うような仕草に違和感を感じるも、普段と同じ態度を取ろうとするフラミーに合わせ、いつも通りを演じた。

「はい。フラミーさんの少し後に入れ違いになったようでした」

「あぁ、こんな事なら最初からモモンガさんに伝言(メッセージ)送ってからくれば良かったです」

「本当に。俺も伝言(メッセージ)すれば良かったです」

 この空への感動を、同じ世界を生きていた者と分かち合いたかった。

 笑い合う至高の存在達を横目に守護者も語らった。

 

「あらデミウルゴス。奇遇ね」

「全くですねぇ、アルベド」

「私は今霊廟からここまでモモンガ様と少しデートしてしまったわ。あまり言葉は交わせなかったけれど、素晴らしいひと時だった……」

「そうですか。それは良かったですね。私もフラミー様の初飛行に立ち会わせていただきました」

 デミウルゴスに自慢されたのかと思ったアルベドは対抗するように続けた。

「私もモモンガ様のこの世界初めての飛行に立ち会わせていただいたわ!ああ、今夜あなたと防衛について話し合う約束をしていて本当に良かった。くふふふ」

「全くですね」

 デミウルゴスは返事をしながら、その聡明な頭脳を持ってフラミーが一人で上がってきた理由を考えた。

(最初から悪魔同士で飛行訓練をしようと思ってらしたのか)

 

 モモンガとフラミーは遠く地平を眺めていた。

 死の化身と、ぱっと見だけは美しき清浄な天使のコントラストは神話の始まりのようで、気づけばデミウルゴスとアルベドは言葉を忘れ見とれていた。

 空などナザリックが第六階層に広がる物に比べればチンケなものだと思ったが、支配者達の姿は何よりも尊かった。

 

「キラキラしていて、まるで宝石箱のようですね。これが本物だなんて、信じられませんよ……」

 優しい鈴木悟の声でつぶやくモモンガに、フラミーは涙を堪え頷いた。

「本当に……。こんなの……すごすぎますよね……。モモンガさん、世界ってこんなに綺麗なんですね……」

 深く吸い込まれた空気はフラミーの肺を汚すことなく体中を廻り、ふぅーっと吐き出されていった。

 

「この世界が美しいのは、至高の御方々を飾る宝石を宿しているからに違いありませんわ」

「ふ、アルベド。私達だけではなく、ナザリックを、そしてお前達を飾る為だろう」

「ご許可さえ頂ければ、ナザリック全軍をもってこの宝箱全てを手に入れて参ります。そしてモモンガ様とフラミー様へ捧げさせて頂ければ、このデミウルゴス。これに勝る喜びはありません」

 スッと頭を下げる悪魔に、私が言いたかったと言わんばかりの視線をアルベドが向けた。

 それに努めて気づかないふりをし、モモンガは返した。

「ふふふ。この世界には私達より強大な何かが潜んでいるやも知れんぞ。だが、そうだな。世界征服なんて、面白いかも知れないな」

「あら、素敵ですね!」

 軽快なフラミーの返事に「しかもアインズ・ウール・ゴウンの名が轟けば、他にも来てるかもしれない仲間が見つかるかもしれませんよ」と心からの笑顔――を乗せた声でモモンガは応える。

 ユグドラシルのように会話を続けるふたりは、守護者の顔に浮かんだものに、少しも気付きはしなかった。

 

(きっと名を轟かせ、皆の帰還を助けるんだ)

 そう決意したモモンガがナザリックへ目を向けると、地表が津波のようにナザリックへ迫る一大スペクタクルが行われていた。

 フラミーもモモンガの視線の先に気付くと、わずかに自分を恥じた。

「マーレ、すごいですね。私なんかさっきもう寝ようとしてたのに……」

「御身は休みたい時に休まれれば良いのです。このアルベド、御身を煩わせぬよう守護者達を統括して参りますのでどうぞご安心下さい」

「ふむ。マーレの陣中見舞いに降りるとしよう。何かいい褒美の案はないか?」

「モモンガ様の慈悲深さにはただただ頭が下がります。ですが、お二人がお姿を見せるだけで十分かと愚考いたします」

 デミウルゴスの言葉にそうかと返し、四人でマーレの元へ降りた。

 トン、トン、と着地する足音が続く中、マーレは木の杖を抱きしめ、たったったと四人の元へ駆け寄った。

「も、モモンガ様!フラミー様!よ、ようこそおいでいただキます!」

「マーレ、そう焦らずとも良い」

「は、ハ、はい!と、ところで、モモンガ様、フラミー様。どうしてこちらに……?ぼ、僕……何か失敗でも……」

 マーレが叱られるのではとビクビクしていると、フラミーがその頭をさらりと撫でた。手の中を柔らかな髪が滑る。

「マーレは偉いねって、空で話してたんだよ」

「ふ、ふらみーさま……」

 マーレの顔はうっとりとし、わずかに上気した。

 モモンガはうんうんとうなずき、指輪を一つ取り出した。

「そんなお前に褒美を与えよう。受け取ってくれるな」

 そう言い差し出された物へ、アルベドとデミウルゴスの視線がギンッと釘付けになった気がした。

 たらりと背を冷や汗が伝う幻想を感じる。

「も、モモンガ様!!取り出されるものが間違って、ま、ます!!う、う、受け取れません!!こ、これは至高の御方々のためのアイテムです!!」

 ガタガタと震えたしたマーレを前にモモンガとフラミーは目を見合わせた。

「……良い。受けとれ、マーレ。フラミーさんも賛成しているはずだ。ねぇ?」

「はひ。マーレ、もらって?」

「あ、あ、あの、で、で、でも」

「……この指輪を受け取り、さらにナザリックの為、私達のために貢献せよ。これは私とフラミーさんからの命令だ」

 マーレは震える手で指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を押し頂き、左手の薬指に入れた。

「も、も、も、モモンガ様っ!!ふ、ふら、フラミー様っ!!こ、今後もこの宝にふさわしいだけの働きを!お、おみせっひっ、し、したいと思います!!」

「頼むぞ、マーレ」

「もう十分だけどね」

「とんでもありません!頑張ります!」

 はっきりと答えたマーレは格好こそ少女のようなものだが、その顔は決意に満ちた少年の凛々しさがあった。

 なんとか受け取って貰えたとホッとし、帰ろうとフラミーに声を掛けようとすると、アルベドの顔の尋常ならざる様子が目の端に映った。

 零れんばかりに見開かれた瞳はギョロリとマーレの指輪を捉えていた。

 モモンガはアルベドを直視すると、まるで先ほどまでのことは夢か幻だったのではないかと思うほどにアルベドはいつもの美しい顔に戻っていた。

「……いかがなさいましたか?モモンガ様。フラミー様」

 フラミーも同じものを一瞬見たのか、呆然としたような顔をしていた。

「い、いや……あー、お前にも、これは必要なアイテムだな」

 モモンガは指輪を一つ差し出した。

「……感謝いたします」

 すんなりと指輪を受け取られ、先ほどまでのマーレとのやり取りが嘘のようだった。

「……忠義に励め」

 その様子を見ていたフラミーもその手に指輪を取り出した。

「じゃあ、デミウルゴスさんには私から」

「よ、よろしいのでしょうか……?」

「良いんですよ!私の予備ですけど、使ってください」

 デミウルゴスはフラミーに見上げられると即座に膝をついた。

「お、御身の……つ、謹んで頂戴いたします」

 深々と頭を下げ、両手を差し出し、受け取った。

 手袋をする右手の薬指にそっと入れると、指輪は魔法の効果を宿しぴたりとその手にフィットした。

「――じゃあ、そろそろ戻りましょうか。フラミーさん」

「そうですね、お外楽しかったですねぇ」

「本当ですね。次は一緒に出ましょう」

「はひ!」

 

 至高の支配者達が自室へ戻っていくと、三人はそれぞれに歓喜に沸いた。

 

 マーレはウットリと左手薬指のそれを眺めた。

「僕の……僕の指輪……。モモンガ様とフラミー様が下さった……僕の指輪……」

 アルベドはオッシャー!と一度雄叫びを上げ、全力疾走した後のように肩で息をした。

「ふぅ……ふぅ……くふっ、くふふっ!もうこれは結婚したと思っていいのよね!!」

 一人で虚空に向かって既成事実だと騒ぎ出した。

 デミウルゴスは絶対なる支配者のモモンガと、至高なる主人であるフラミーの二人より指輪を賜ったマーレに羨ましさを感じながらも、自分も下賜された右手薬指のそれを大切そうにそっと撫でた。

 

デミウルゴスはいつかモモンガから更に指輪を下賜される日が来るかも知れないと、左手の薬指は敢えて空席にしたのだった。




マーレくんちゃんさん、すごい


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#8 姉妹はその姿を夢に見て

 ──ナザリック第九階層、モモンガの執務室。

 

 モモンガとフラミーの目の前に浮かぶ鏡には、二人の顔ではないものが映り込んでいた。

 そこにはおぞましい光景が広がっていた。

 遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)

 このアイテムには指定したポイントを映し出す力があった。

「……これは?」

「お祭りですね!」

 モモンガの呟きに、返したフラミーの言葉には一切何も感じていないという雰囲気があった。

 多くの人々が忙しなく行き交っている。しかし、それは祭りと言うにはあまりにも違和感のある光景だ。

 村人のような粗末な格好をした人々が、騎士達により切り捨てられているのだから。

 

 二人の背後に控えるセバスは、鏡の中の状況にも、そしてフラミーのあっけらかんとした様子にも心を痛めた。

 

 一方モモンガもフラミーも生まれて初めて見る人の血を前に、恐怖も憐憫も憤怒も焦燥も、何も感じなかった。

「助ける理由も価値もないですね」

 フラミーが「ですね」と同意し、モモンガが鏡の中に映る光景を切り替えようとする。

 セバスは──自分は何故このナザリックに善なる存在として生み出されたのだろう、と、心の中で今は姿を見せない創造主を想った。

 

「たっちさん……」

 そう静かに漏らしたモモンガに、セバスは自分の考えた事を見抜かれたと思った。何も言えず頭を下げる。

「恩は返します。──……フラミーさん、この世界での我々の戦闘能力を確かめに行ってみませんか?」

 モモンガは支配者と鈴木悟の入り混じる雰囲気で提案した。

「ん、そうですね。そう言う事も必要ですよね。でも、私弱いからな……」

 フラミーが未だ装備を集めている途中だった事を知っているモモンガは僅かに不安になった。

「確か……フラミーさんの持っている装備とは違う効果がたっぷりついたローブがここら辺に……」

 ごそごそと空中に手を差し込む姿を眺めるとフラミーは尋ねた。

「モモンガさん、私の装備の効果覚えてるんですか?」

「ははは、ほとんど一緒に探しに行ったじゃないですか。その耳飾りなんかも。あー、ヘロヘロさんとウルベルトさんと四人で行ったの楽しかったですよね。綺麗な草原でしたし」

 モモンガはもう何年も前の話をつい昨日の事のように語った。

 側に控えていたセバスと一般メイド達は至高の四十一人の話を聞き逃さぬよう、特にヘロヘロに創造された者は全神経を耳に集中させていた。

「モモンガさんって記憶力良いんですねぇ。魔法も何百個も覚えてますし」

「はは、そんな事ないですよ。好きな事しか覚えられないです」

 フラミーに感心されながら、モモンガは目当てのものを見つけ、空中から群青の羽織るタイプのローブをズルリと引き出した。

「──あったあった!これです。ちょっと翼が窮屈かも知れないですけど、差し上げます」

「え?差し上げって、そんな、もらえないですよ!」

 何と言っても、ユグドラシルのアイテムは二度と手に入らないかもしれないのだ。

「良いですから、俺はもう使いませんし。さ、時間がありませんから行きますよ!」

 モモンガはフラミーに押しつけるようにそれを渡すと「<転移門(ゲート)>!」と唱えた。

 闇に塗りつぶされた楕円が目の前に現れる。

 

「着られたら転移門(ゲート)くぐって下さいね。セバスよ、フラミーさんを守るようアルベドを呼べ。完全武装で来るようにな」

 

 そう言い残してモモンガは闇を潜った。

 

 潜った先では鏡の中で追われていた少女達が傷を追い、互いを抱き合っていた。

 呆然と自らを見上げる騎士へ手を伸ばす。

 ──<心臓掌握(グラスプ・ハート)>

 それはモモンガが最も得意とした死霊系の魔法だ。いとも簡単に騎士の一人はぐらりと倒れ伏した。

 震えるもう一人へ指をさす。

 ──<連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>

 迸る雷光に貫かれた騎士もすぐにその命を手放した。

(……弱い。弱すぎる)

 モモンガは死体を見下ろし、次の実験を行った。

「<中位アンデッド作成>。死の騎士(デスナイト)

 モモンガは悍ましいアンデッドを生み出すと、つい今しがた殺した男を指さした。

「この村を襲っている騎士を殺せ」

「オオォォォォァァアアア──!!」

 激しい咆哮を上げると死の騎士(デスナイト)は猟犬のように走り出し、側から立ち去っていってしまった。

「──え?いなくなっちゃったよ……」

 アインズがゲームとの違いに愕然としていると、転移門(ゲート)から完全武装のアルベドと、いつもの白いローブワンピースの上から先ほどのローブを羽織って杖を握りしめたフラミーが出て来た。

 その杖は白い珊瑚の骨を削り出して作られたもので、先っぽには細長く青いクリスタルを抱いた白いタツノオトシゴが絡みついている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「お待たせしました、モモンガさん。ほんと、これありがとうございます」

 はにかむフラミーに「いえ」と返事をしようとすると、色っぽい声が届いた。

「ああ、フラミー様!何と羨ましい……!私もモモンガ様ご愛用だったお洋服を頂きたい……!いえ、フラミー様ご愛用のお洋服もいただきとうございます!」

 クネクネするアルベドにフラミーは困ったように笑うと、足元でこちらを伺う傷ついた少女達に目を向けた。

「ああ……私がグズグズしていたせいで……」──貴重な情報源が。

 

 フラミーは二人の顔を覗き込んだ。

 金色の瞳に覗き込まれた二人はゴクリと生唾を飲み下した。

 怖がられているか?とフラミーは少し思う。何と言っても悪魔なのだから。ユグドラシル時代、悪魔は人間の街には入らなかった。

 まさか、作り物のアバター(CG)の持つ超越した美に一瞬怪我の痛みすら忘れそうになっているなどとは、フラミーは思いもしなかった。

 少女は叫ぶ。薄紫の肌と言う聞いたこともない種類の森妖精(エルフ)から発せられる優しげな雰囲気に賭けることにしたのだ。

「あ!あの!魔法詠唱者(マジックキャスター)さんと騎士さんですよね!?村を、お母さんとお父さんを、どうか助けて下さい!!」

 この世界にも魔法詠唱者(マジックキャスター)という概念があるという事が分かったモモンガとフラミーは目を見合わせ頷き合った。

 これをここで野垂れ死させるのはもったいない。

 クネクネしているアルベドを無視し、フラミーの使える<大治癒(ヒール)>で()()()を回復すると、モモンガは身を守らせるのにちょうど良いアイテムを二つ二人に放り、三人は村へ向かった。

 

 殺戮を楽しむように過ごす死の騎士(デスナイト)を止め、モモンガは事態を収束させた。

 

+

 

 仮面をつけた怪しい魔法詠唱者(マジックキャスター)

 フルプレートに身を包む女戦士。

 そして尖った耳を隠すようにフードを深く被り、素顔をただ一人晒す菫色の森妖精(エルフ)

 ──それがこの村、カルネ村の者達から見た一行だった。

 アインズ・ウール・ゴウンを名乗る仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)一行は遠い地からやって来たと言っていた。

 恐らく全員が世俗に疎い森妖精(エルフ)なのだろうと村長は納得し、通貨から近隣各国に至るまで人間社会の多くのことを語った。

 

「いいんじゃないですか。アインズさん」

 少し離れた場所で村民の葬儀が行われている。それを眺め、ふふと笑うフラミーにモモンガ──いや、アインズは頭を下げた。

「勝手にすみませんでした……。もう自分はナザリックを……皆の子供達を……フラミーさんを、ギルメンを……全てを守っていく為に生きるんだと思ったら……モモンガでいるだけじゃいけないような気がして……。それに、この名前を広めようって思って……」

 心底申し訳なさそうに様々な理由を話すアインズを、フラミーは正面から見据えた。優しく、真剣な目をして。

 

「私達の"アインズ・ウール・ゴウン"を名乗るのにあなた以上の人はいませんよ。私、全てを守るって言ってくれるあなたに、どこまでも付いていきます。ギルドマスター」

 

 アインズは訳もなく目頭が熱くなり、涙がこぼれるかと思い慌てて顔を逸らすと、昂ぶった感情が沈静化された。

 自分がアンデッドとなった事をつい忘れてしまっていたようだ。

 涙の出ない体で良かった。

 沈静化されるも優しく凪いだ心が温かい。

「きっと守り抜きます。愛する子供達も、家も。大切な友人であるフラミーさんも」

 そう言い切るアインズにアルベドが急接近した。

 目の前、今にも触れるような距離だというのにアルベドは更に一歩、二歩と迫ってきた。

「アァインズ様!!愛する!!愛するというのは!!この私もですよね!!」

「あ、ああ。子供達皆を、皆をだぞ」

「ああぁ!愛する……愛する……愛する……愛する……」

 アルベドはトリップし、アインズはこのNPCの事を少し理解し始めた。

 愛する……と言い続けるアルベドの顔の前で、フラミーが見えているのかと手を振っていると、色々なことを教えてくれた村長が駆け寄って来た。

「ゴウン様!」

「今度はなんだ?どうかしたか」

「謎の武装集団が──!」

 

+

 

 戦士長、ガゼフ・ストロノーフは森妖精(エルフ)の集団だと思われる三人によく礼を言った。

 違う種族だというのに助けてくれる者達がいる一方で、これから同族の殺し合いをしに行く己を恥じた。

 リーダー格だと思われるアインズ・ウール・ゴウンに協力を願い出たが、種族間のバランスや政治的情勢に思い至ってか、断られてしまった。

 

(あの御仁は紫色の肌の森妖精(エルフ)達の王に当たる方なのかもしれんな……)

 素顔を晒せない訳に想像を膨らませながら、決して破られることのないであろう慈悲深き約束が──村の者達の命を守ってほしいという約束が思い出される。

「私も、もっと励まねばならんな!」

 種族は違えど"王"に会ったせいか、必ず生きて帰り己が王に忠義を尽くしたい、今日会った王のことを話したい、そう思いながら迫るスレイン法国の者達の元へ踏み出したのだった。

 

+

 

 ──そろそろ交代だな。

 

+

 

 戦士長が率いていた戦士達の血に濡れる大地は翳り始めた太陽に照らされ、どこまでも血の海が広がるようだった。

 

森妖精(エルフ)風情が!!」

 ニグン・グリッド・ルーインは叫ぶ。

 森妖精(エルフ)は人間よりも寿命が長い為、魔法に長ける者が多い。

 それにしてもこの相手達は何かがおかしい。そう思わずにはいられない。

「こんな亜人どもに遅れをとったままでいられるか!最高位天使を召喚する!!時間を稼げ!!」

 

 最高位天使──その言葉にアインズは手の中の杖をギュッと握りしめた。

「あれはまさか……魔封じの水晶! 熾天使級(セラフクラス)が出るとまずいな。フラミーさん、悪魔は特に相性が悪いですし退避しますか?守りながら戦うとなると、前衛が不足するかも知れません」

「いえ、私も戦います。私だって、守りますよ!アインズさんのこと!」

 命のやり取りをするかも知れないというのに張り切るフラミーに恐れはないようだった。

 それでも退避した方がいいんじゃないかとアインズは理性で思ったが──ギルメンに守ると言われた喜びと、久しぶりのギルメンとの共闘に胸が踊るのを抑えられない──と思ったら沈静させられた。

 それでも次から次へと押し寄せるこれから始まる戦いへの期待にアインズとフラミーのボルテージは最高潮だった。

 

 ニグンの手の中でクリスタルが砕け散り、あたりにまばゆい光が満ちる。

 

「アルベド、特殊技術(スキル)を使用しフラミーさんを中心に守りながら私の詠唱の時間を稼げ!」

 冷静さを保ったまま早口に指示を出したアインズは、輝きが引き天使の全貌が明らかになった瞬間──全てのやる気を失った。

 フラミーも口を開け、体の芯から熱が引いていくのを感じた。

 

 輝く翼の集合体のような天使を前に、二人は最早先ほどのやり取り全てが恥ずかしいと思った。

 それは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)だった。

 

 フラミーはハァ……とため息をつき膝を抱えるようにしゃがみこんだ。

「なんだか……がっかりです……」

「ははは」

 アインズは乾いた笑いを返しながら、相手のレベルを看破する能力を持たないために未だやる気に溢れ、バルディッシュを隙なく構え続けるアルベドの肩に手を乗せた。

「すまないな、アルベド。わざわざ特殊技術(スキル)まで使わせたというのに。お前は外で戦ったことがないから知らないかもしれないが、あんなものははっきり言ってお遊びだ」

「とんでもございません、アインズ様。しかし、あの天使は一体……。フラミー様もそんなに落ち込まれて……」

「アルベドさん、もう大丈夫です。ありがとうございました」

 しゃがんだまま見上げるように喋るフラミーにアルベドは視線の高さを合わせ慰めるようにフォローしていると、天から光の柱がゴシュウと落ちてきた。

 とは言え、攻撃を浴びるような事にはならなかった。アルベドは攻撃の気配を感じた瞬間に立ち上がり、余裕をもって二人を守った。

 大した力も感じさせないその攻撃は数秒経ち──消えた。

 

 フラミーはゆっくりと立ち上がりながら、その場にいる全員によく聞こえる声で言葉を紡いだ。

「貴方達は最高位天使と言うものが何だか解っていません」

 

 アインズとアルベドを後ろにおいたまま、数歩前へ進む。

 かつて最高位天使たる熾天使になり、イベントを行い堕天したフラミーはビッと杖で格下の天使を指し示した。

 

「<内部爆散(インプロージョン)>!!」

 

 瞬間、天使はブクブクと膨らみ出し──激しい音を響かせながら爆散した。

 大量の美しい翼が辺りに散らばり舞い降りた。

 まるでそこには初めから何もなかったかのように昇り始めた月と星が世界に戻ってきた。

 

「おー!」とアインズとアルベドの嬉しそうな声と、ガントレットがぶつかり合う──拍手というには固すぎる音が静寂の中に響いた。

 

 フラミーは舞い散る翼の中ローブを脱ぎ去ると、最高位天使の名残たる翼を晒した。

 大きく広げられたその背に輝く三対の翼は、辺りに残る主天使の翼よりも一見清浄だった。

 翼より絶え間なく舞い落ちる光の粒は地面に触れ合う前にすぅ……と消えていく。

 

 目の前の光景に陽光聖典達は全員が地に膝をついた。

「そんな……神の使いだったのか……」

 誰が漏らしたかわからないその言葉は、団員達の胸にスッと沁みこんだ。

 

 勢いよくローブを脱いだはいいが、せっかくもらったローブを蔑ろにはできず、フラミーはせっせと丁寧に畳んだ。

 団員達の様子を気にもせず。




1話で私の中のサタンはデビルマンだとお話ししましたが、
ここでご存知ない方の為にwikiから引っ張って来たものを貼らせていただきます。

サタン
元々は天使であったが、自ら創り出した生命であるはずの悪魔達を恐れ忌み嫌い滅ぼそうとする神たちに反逆し堕天使となった者。

と言った具合です。
永井豪先生のサタンの設定、美しいですよね〜。
なのでフラミーが悪魔なのに回復魔法や天使の持つような技を持っているご都合キャラでもお許し下さい。
(懺悔)



2019.05.20 杖を一月越しによく考えました。白くてタツノオトシゴのついてる杖ってこんな感じでしょうか?
なんとなくアインズ様が蛇杖持ってるので動物で細長いのが良いなぁー!の結果ですたい!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1130251093500280832?s=21
2019.05.28 valeth2様 ご連絡ありがとうございます!魔法の矛盾を訂正致しました!≪神炎/ウリエル≫→≪内部爆散/インプロージョン≫


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#9 法国の罪

 ニグンは薄暗くなり始めた荒野で考えていた。

(確かにあれだけの力……。神か……従属神か魔神で間違いない……か)

 辺りの隊員達は神の使いだと喜んでいる。

 しかし、神の縁者だとすれば、何故法国へすぐに来ずに、自分たちの道を阻むのか分からなかった。

 落ち着きを取り戻し始めたニグンは、空間にあけた小さな闇に手を入れている使徒のように見える者をじっと観察した。

 姿形だけならば美しく、清廉であるが──ハルピュイアやセイレーンなども翼は持つ。

 

 ニグンは心を決め、一歩前へ進む。

「お聞きしたいのですが、どなた様に使わされたのでしょうか?」

 

 そう尋ねると、よく聞こえなかったのか、暫定使徒はこちらに紫色の顔を向け、キョトンとした。

 もう一度、今度は確実に聞こえるようにニグンは声を張った。

 

「どなた様のお使いなのでしょう」

 

 使徒のように見える者は、意味がわからないとでもいうような顔をした後、背を向け仮面のマジックキャスターの元へ行った。

 

「お使い……?うーん……見てわかる通りこの人の仲間ですけど……」

 

 やはり神の使いではないのか、もしくはあの仮面の邪悪極まりない魔法詠唱者(マジックキャスター)こそが神とでも言うのだろうか。

(そんなばかな……。荒唐無稽すぎる)

 

 魔神で間違いないと判断をしようとした瞬間、空にはガラスを割ったかのような黒い亀裂が入り、すぐに消えた。

 

「……なんだ?」

「ふむ。何者かが覗き見でもしようとしたのか。何。大したものは見えなかったはずだ。さて、確かこうだったな?無駄な足掻きをやめ、そこでおとなしく横になれ。せめてもの情けに苦痛なく殺してやる」

 

 ニグンは世界にこれほど深い闇があったのかと思わされた。

 無骨すぎるガントレットがはまる手は滑らかにその顔にかけられた仮面へと滑り──仮面はそっと外された。

 

「な──」

 

 ニグンは団員全ての呼吸が止まったのを感じた。

 仮面を外した魔法詠唱者(マジックキャスター)は、母国で崇め奉られる闇の神──スルシャーナ。その人だった。

 最後まで人類と共にあった慈悲深き死の象徴。

 

 理解した瞬間、ニグンは言葉にならない言葉を叫んだ。

「まままま、ま、ま、まって!!いえ!!どうか!!どうかお待ちください!!」

 神は人類の守護者が人類を殺す姿を見て我らに神罰を下そうとしている。

 先程ガゼフ・ストロノーフにニグンが言った言葉を、まるで皮肉のように投げかける神に、全員が武器を投げ出し口々に贖罪の言葉を叫んだ。

「お許しください!!」「お戻りください!!」「どうか法国を──!!」「人類をお守りください!!」「どうか再びのご慈悲を!!」

 喉から血が出るのではないかと思われるほどの懺悔に、神と従属神だと思われる二人はただこちらを見ていた──。

 

 他方──男達の懺悔が響き渡る野で、アインズは骨の顎に手を当てた。

「なんだ……?様子がおかしいな?フラミーさんの姿を見て天使だと思い込んだだけにしては妙だ……」

「アインズ様。これこそが人間たちの取るべき正しき姿かと」

 アルベドの声音は実に平坦なものだった。

「それはそうだがな。薄汚く命乞いをするのかと思えば、法国を許せ、お戻りくださいとは一体何事だ?」

「どうします?殺さずにナザリックに全員一度連れて帰りますか?」

「フラミー様。畏れながら、申し上げます。このような下賤な人間どもに神聖なるナザリックの地を踏ませるのはいかがなものでしょうか?」

「アルベドよ、お前の言うこともわかるがフラミーさんは──」

 アインズが咎めようとすると、フラミーは慌てて手を振った。

「あぁ!良いんです良いんです!アルベドさんの言いたいことが分かりました。これだけの大人数の汚いおじさん達を自宅に入れるのは確かに気持ち悪いですよね」

 

 相手の集団は確かに土埃に汚れていた。

 

「ご賛同頂き心より感謝申し上げますフラミー様。しかし、至高の御身のご決定に口を出した我が身にどうか罰を」

「いえいえ。もっともですもん。罰なんていいですよ。ばっちぃのが嫌な気持ちはとってもよく分かりますもん」

「ありがとうございます。まさしく下劣な者共でございます」

 少しずれながら、女性同士でなにかをわかり合ったように二人は話し続けていた。

 

(き、汚いおじさんって……。ばっちぃって……。俺は大丈夫なんだろうか……。骨とは言え風呂にはちゃんと毎日入ろう……)

 アインズは人知れずゾッとしていた。

 フラミーに「アインズさんってばっちぃですね…」と言われる姿を想像したところで──その身を襲っていた恐ろしい想像や背筋を凍らせていた物は霧散した。鎮静されたのだ。この体は便利らしい。

 

 アインズは咳払いをし、二人の注目を集めた。

「それじゃあ、ここで少しだけ話を聞いてやりましょう。アルベド、代表者をもう少し見られる程度に、()()()、そう。()()()不快感を抱かない程度に身なりを整えさせろ。そして連れて来い」

 俺も同じ気持ちだよ、汚いのは嫌だよね、と遠回しに表現してみた。

「かしこまりました」

 アルベドは胸に手を当て優雅に頭を下げると巨大なバルディッシュを手にしたまま気楽な足取りでおじさん集団へ向かって歩いて行った。

 土下座するような勢いだった者達は希望に満ちた顔をし、空気が一変したのを感じた。

 大将格の坊主頭も向かうアルベドに小走りで近付いて行き、なにやら話しをした。

 すると一も二もなくその男は薄汚れた服を脱ぎ捨て、周りの者たちに身体中をよく拭かせ始めた。

 

「……は?」「……え!?」

 思わずアインズとフラミーの口からは疑問が声になって出た。

 呆然とする二人の下へ全裸の男を引き連れたアルベドが戻って来た。

 こんな状態の男に何を言えば良いのかわからなかったが、アインズの気持ちは鎮静され、途端に凪いだ。

「──……アルベド、何の真似だ」

「これに御身と言葉を交わすに相応しくなれと言うのは無理があると思い、せめてあの土にまみれたゴミにも劣る服を脱がせました」

 アルベドは清潔にさせました、とでも言うような雰囲気だ。

 フラミーは口をギュッと締めると顔を背け、アインズは固まった。

 

「は!も、申し訳ありませんでした!」

 何も言わぬ二人に弾かれたように謝罪を口にしたアルベドに、ようやく気付いてくれたかと黙っていた二人は苦笑を交わした。

「早く跪きなさい。それに少し近いわ。貴方は全く御方々と言葉を交わす姿勢がなっていない」

 斜め上すぎる発想にアインズは眩暈を覚えた。

「どう言う──……んん!いや、アルベド。私は不快感を抱かぬようにさせろと言ったはずだ」

 黒い布を空間より引き摺り出して放ると、アインズは目の前に落ちた布を眺め動かぬ全裸男に告げる。

「それを使え」

「おお……!!神よ……!!なんと、なんという……!!」

 見苦しく不快感しかない男が喜びながら腰に黒い布を巻きつける姿にアインズは少しほっとした。

 

(神様に感謝するほど喜んでるよ……。そりゃ骸骨に急所なんか見せたくないよな……)

 可哀想にと動かぬ眉間を押さえた。

 

「な!?あ、あ、アインズ様!!そのような物を!!私も脱げばアインズ様から布を頂き秘部を覆えるのでし──」

 アインズは突然おかしくなったアルベドの肩を掴み、腰巻男とフラミーから慌てて離れた。

「落ち着け!アルベド!!」

「アインズ様!ローブが欲しいとは言いません!私も布で良いので──」

「いいか!?アルベド、お前が脱いでも絶対に何もやらん!!だから、至高の支配者からのお願いでも命令でもいいからさぁ!……せめてフラミーさんの前でそれはやめないか……?」

 支配者らしかったはずの声音は最後弱々しくなっていった。

「アインズ様、それは……全裸で居続けろと言うことですか……?」

 アルベドの反応に流石に女性に悪かったかと思いかければ──

「アインズ様ったら……大胆……!」

 アインズは確信した。

(こいつダメだ)

 

 いそいそと鎧に手を掛けるアルベドを、アインズは少し強い口調で咎めた。

「よせ!よすのだアルベドよ!今はそのようなことをしている時間はない。いいか、侮られるような真似は絶対に控えろ。……わかったな」

 眼光を強め──瞳の緋が僅かに輝きを増した。

「も、申し訳ありません!己が欲望を優先させてしまいました」

 アルベドはその様子にサッと頭を下げ、落ち着きを取り戻した。

「……よし。では行くぞ」

 黙って立っていられそうな雰囲気になったのでフラミーと腰巻きの下へ踵を返した。

 アルベドを作ったタブラ・スマラグディナはギャップ萌えだったが──(なんて迷惑なNPC作ってんだ……。タブラさん……)

 フラミーは半裸の男を前に心底困ったような顔をしていたが、アインズが戻ってくるとほっと息を吐いた。

 

「んん。失礼したな。で、お前は何なんだ。簡潔に答えろ」

 

 そう問われた男は自らを見下ろした。

 

 神より投げられる質問の意味を考える。

 見苦しくないようになれと言われたと思えば、裸になり少しでも体を清潔にするように指示をされたニグンは、恥じる気持ちもあれど、神の言葉には従うのみだと思い実行した。

 そうして、団員に汚れが一つも残らぬように身体中を拭かれ、生まれたままの姿で神の前に立ったとき、この行動の真の意味がわかったのだ。

 

 何も持たず、何ひとつ身につけぬ自分は「ただの生き物」だった。

 国もない。

 金もない。

 生まれもない。

 守りたいものも守れない。

 弱く、救いのない生き物だった。

 

 神の前に膝を突くと、神は「人間」としての尊厳を与えるが如く、秘部を隠す布をニグンに与えたもうた。

 そして、自分のことを「なんなのだ」と尋ねている。

 

 神を待ちきれず、勝手に再臨されないと決め付けた法国。

 多くの命を奪い、正義のフリをし続けた無価値な自分の命。

 

 その全ての罪を簡潔に表す。

 答えは、ひとつしかない。

 

「貴方様の救いを待つしかない、弱く無価値な人間にございます」

 

 神の眼光が揺らぐ。

 償いきれない罪を繰り返した弱いニグンと、法国を哀れむように。

 鎧の従属神は応えた。

 

「その通りよ。あなた、わかっているじゃないの」

 

 ニグン・グリッド・ルーインは頭をただただ下げ続けるしかなかった。




2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#10 交わされる約束

 アインズは何を言われているのかわからなかった。

 聞き方が悪かったのか、アンデッドを恐れ過ぎているのか、それともプライドをズタズタにしてしまったのか、相手はさっきまでとは違う人間なのではとすら思える。

「そうか、わかった……」

 アインズは何一つ分からなかった。

 

 フラミーも捨て犬を見るような目で男を見ている。

「あなた、どこから来たんですか?お名前は?」

 全裸にさせられ、混乱しているのかもしれないので、出来る限り優しく、わかりやすいように質問し直していた。

 

「は。スルシャーナ様はお分かりかと思いますが――」

 そうアインズを見るその男の様子はアインズをスルシャーナと言う者と間違えているようだった。

「私はスレイン法国が特殊部隊。陽光聖典隊長を務めるニグン・グリッド・ルーインでございます。この度は神々への数えきれないご無礼をどうかお許しください。そして、何卒法国へお戻りくださいますよう、伏してお願い申し上げます」

 ニグンと名乗った男は深く首を垂れた。

 

「お前のいう通りアインズ様とフラミー様は神にも等しきお力をお持ちの御方々よ。最初から命を差し出して――」

「アルベドよ、黙れ。勝手なことをするな。ニグン・グリッド・ルーイン。私は神でもスルシャーナという名でもない。先に言った通り、我が名はアインズ・ウール・ゴウン。この名はかつて知らぬものがいない程に轟いていたのだがな」

 そう答えるアインズにニグンは食い下がった。

「し、しかし!貴方様のお力、お姿、どれをとっても……!!スルシャーナ様、私から神官長達へ話し、法国の誤ち全てを改善させます!!必ず御身の理想とする国へと導くことを誓います!!求められれば何であっても差し出します!!どうか、お戻りくださいますよう……どうか再び我らをお導きいただきますよう……この通り!」

 

 伏せるニグンは頭を強く地面につけた。

 腰に一枚布を巻いただけの風呂上がりのおっさんスタイルで繰り広げられる土下座を見かねたフラミーがアインズへ耳打ちした。

 

「この人の事情はよくわかりませんけど…とりあえず何日か待ってもらって、その法国という国について調べてからお返事したらどうです?」

「まぁ、別に今すぐ決めなくたって良いわけですもんね」

 アインズは頷いてからニグンへと向き直った。

 

「ルーインよ。今すぐどうするかは決められぬ。私は一週間後に再び…そうだな。この野に来よう。その時にお前の言への答えを聞かせる。その時まで大人しく待て。できるな」

 ニグンは涙に濡れる声でもちろんだと、さらに深く頭を下げた。

「では行け」

 よたよたと立ち上がるとニグンは何度も振り返り、自分の部隊の元へ戻って行った。

 

「なんだか妙に疲れた。」

「本当ですね。でも、見てください」

 アインズはそう言うフラミーの視線の先を追った。

 夕暮れが終わり、紫色に染まり始めた空には星が瞬くのが見えた。

「――綺麗ですね」

「はい!本当。とっても綺麗」

 二人はニグンが服を着直す姿を極力見ないように空を眺めた。

 

 その後、一行は転移門(ゲート)でナザリックへ戻り、しもべと守護者を呼び出した玉座の間にてアインズは新しき名を告げ、先ほどのニグンとの話を伝えた。

 

「――話は以上だ。隠密能力に長けたしもべを用意し、法国へ向かわせろ。指揮は同じく隠密に長けるアウラ。そして隠蔽に長けるマーレ。二人で取り掛かるのだ。決して法国に我々が探りを入れていることを悟らせるな。何か必要なものがあればいつでも申し出ろ。期限は六日だ。最後の一日をかけて全員で情報を精査する」

 

 玉座の間に双子の了承する声が響いた。やる気に満ち満ちた顔はキラリと輝くようだった。

 

+

 

 主人達の立ち去った玉座の間には、興奮によって生じた熱気が渦巻いていた。

「皆、面を上げなさい」

 アルベドの静かな声に引かれ、未だ頭を下げたままだった者たちが、顔を上げる。

 

「デミウルゴス。私達がアインズ様と話した際の言葉を皆へ伝えましょう」

「畏まりました」

 跪いたまま昨晩の事を話すデミウルゴスは、ナザリックの外のものが見れば凍り付くような笑顔だった。

「『世界征服なんて、面白いかもしれないな』と……」

「そしてアインズ様はすでに世界を手に入れるご計画を始め、フラミー様と共にわずか半日で国ひとつを手に入れるだけのご成果を上げられたわ。私達なんて足元にも及ばない智謀……策略……」

 全員に聞こえるように話すアルベドの声は震えていた。

 震えは悲壮感ではなく、決して逃れることができないよう隅々まで張り巡らされていくその智謀を側で見ていられたことへの大いなる喜びに震えているのだった。

「各員、ナザリック地下大墳墓の最終目的は至高の御方々に宝箱を――この世界をお渡しすることだと知れ」

 

「正当なる支配者、アインズ様と、我らが主人、フラミー様にこの世界の全てを」

 

+

 

 フラミーの自室に入ったアインズは、人生史上二度目の女性の部屋に、以前ドタバタの末に入った時とは違う緊張感を少し感じていた。

「フラミーさん、ルーインとか言うあの人の……どうするんですか?例え法国がどんな国であったとしても、神さま呼ばわりしてくるあの団体と行って裸の王様みたいになったら辛いんですけど……」

「あの人がさっき言った通り、本当に"求められればなんでも差し出す"んだったら、村長さんに見せて貰ったお金とか……地図とか……欲しいものはたくさんあるなって思っちゃって」

 はははと笑うフラミーに、一理あるとアインズは考えた。

「それはそうですね。にしても、百歩譲って俺も神様だと思ったとして、何でフラミーさんじゃなくて俺を求めるんでしょうね?先に会った姉妹だって、俺のこと殆ど無視してフラミーさんに助けを求めてたのに」

 それについてはフラミーも不思議に思っていたようで、首を傾げていた。

「どうみても死神ですもんね。これで死ぬと救われるみたいな教えが蔓延してる国だったらゾッとしちゃいますね」

 言葉とは裏腹に大してゾッとしていない様子のフラミーに、本当ですねと応えるアインズも特別ゾッとはしないのだった。

 

「もし殺してくれって言うならアンデッドの材料にでもしようかな。アンデッドも作れるって分かりましたし、魔法の実験は急務ですしね。それに、人間を食べたいと思ってる僕もいるみたいですし」

「皆のこと考えてあげて優しいですね、アインズさん。是非そうしましょう!皆喜んでくれるといいですね!」

 精神までも異形となった二人は来るかもしれない大虐殺に胸を踊らせるのだった。

 フラミーのポットの紅茶がなくなる頃に、話が聞こえるか聞こえないかと言う絶妙な位置どりに立っていたメイドが近付き、新しい物と取り替えた。

 

「そう言えば、昨日の夜デミウルゴスと何かありました?あいつちょっと怖いですよね」

 そう言うアインズに、フラミーはふるふると首を振った。

「いえ、デミウルゴスさんは何も。ただ、世界って雄大なんだなと思ったら、感動しちゃって。ちょっぴり泣きそうになっちゃいました」

 恥ずかしいな、と困り顔をフラミーに、アインズはすぐに頷いた。

「ああ、わかります。俺も本当に感動しましたもん。今日の夕暮れも、綺麗でしたね」

「はひ!あんな色の空、初めて見ました」

「これから感動するもの、たくさん見れたら良いですね」

「たくさんお出掛けして、あちこち見に行きましょう!」

 二人は楽しげに今後待ち受ける冒険に胸を馳せた。

 

 温かすぎる。

 仲間と共に世界に繰り出すと言うのはこれ程までに温かいものか。

 

「法国も、ファンタジーよろしく素敵な国だと良いなぁ!」

 フラミーは楽しみで仕方がないと言うような様子だった。

「だとしたら、死を望む国じゃないと良いですね。見たこともない建物とかがあったら、壊しちゃうのもったいないですし、ちゃんと管理させたいですもんね?」

「じゃあ、死にたがりの国だったとしても、生かしてあげましょう!別に無理に殺すことないですもんね」

 

 まだ見ぬエリアへ思いを馳せる二人の楽しげな笑いはいつまでも続いた。




2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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試される法国
#11 旅に出しは、その双子


(やっぱり、双子にこの作戦を任命したのは間違いだったかな……)

 

 まだ殆ど外の情報がない中で子供達を外に出すことに、指示を出した張本人たるアインズは今更ながらに不安を覚えていた。

 

 眼前には広がる異世界と、それを背にするアウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレ、そしてクアドラシル。

 クアドラシルは六本足で、巨大なカメレオンとイグアナを合体させたような姿をしている神獣だ。

 

 アインズは双子と正面から向き合うと、口を開いた。

「気を付けるのだぞ。忘れ物はないか?寂しくなったらいつでも伝言(メッセージ)を送っていいんだからな。それから、もし万が一危険な目に合いそうだと思えば、無理をせずにすぐに逃げるんだ。アウラは後詰として共に来ていたから解るな?あのカルネ村に一時避難しろ。あそこには今私の貸し出したゴーレムが置いてある、それらと村人を盾にして時間を稼ぐのだ。私もフラミーさんも、いつでもあそこへ転移門(ゲート)を開けるから――」

「アインズさん」

 フラミーの自分を呼ぶ声に、つい喋りすぎていた事に気がつきはっと口に手を当てた。

 見送りに出てきた守護者達も含め――全員が優しい眼差しをこちらへ向けていた。

 アインズの双子を心配する気持ちを皆が理解していた。

 

「大丈夫です!アインズ様!ちゃんとマーレと揃って六日後には帰ります!」

「ぼ、僕たちがお役に立つところを必ずアインズ様にお見せします!」

 

 やる気に満ち溢れたアウラとマーレの声に、「大きくなったな」と思ってしまうのは間違いだろうか。

 まだ命を持って動き始めてたった数日だと言うのに。

 手のひらにそっと触れる温かい感触に視線をやれば、フラミーがアインズの手を軽く握りこちらを見ていた。

 上質な陶器のようにさらりとしたその手を壊さないように握り返す。

 

 フラミーはそのままアインズの手を引き双子のすぐ近くまで行くと、優しく語りかけた。

「アインズさんの言う通り、気をつけて行って来てね。マーレ、男の子なんだから、お姉ちゃんを守ってあげてね。アウラ、あんまりマーレを叱らずに導いてあげて、仲良くね」

 そう言うとアインズから手を離し二人を抱き寄せた。

「わぁ!フラミー様!」

 アウラは嬉しそうにフラミーを抱きしめ返し、マーレはスタッフを握ったまま夢見心地に顔を埋めた。

 翼で二人を包み、数度顔を擦り付けると、フラミーは二人から離れ、アインズの後ろへ立った。

 

 アインズさんも、と囁くフラミーを見やればニコリと微笑んでいた。

 こんな時表情があるのが羨ましくなる。

 アインズも気持ちだけは微笑み返すと、アウラとマーレを無言で順にわしわしと撫でた。

「わぁ!ふふふ、アインズ様、くすぐったいです!」

「へ、へへへ。アインズさまぁ」

 少し髪型が崩れた二人からアインズは離れ、本当は寂しがっているのは自分なのかもしれないと思った。

 ぶくぶく茶釜の愛娘(マナムスメ)愛男娘(マナムスメ)の無事を祈った。

「アウラ。マーレ。二人で見事やり遂げるのだ。では、行け」

 

「はい!アインズ様、フラミー様!行ってまいります!」

「い、行ってまいります!」

 アウラとマーレは挨拶をし、控えていたクアドラシルへ二人でまたがる。

 するとクアドラシルは鱗状の皮膚の色を虹色に変化させ、じわりと不可視となった。

 双子も不可視化の能力を持つ、通称透明マントを肩に掛け、墳墓から旅立って行った。

 

「行きましたね」

 フラミーは誰に聞かせるでもなく呟いた。

 透明マントを羽織ったからと言って二人を見失うような者はここにはいない。

 ついには地平の彼方へ二人と一匹の背中が消えた。が、地平から目を離さずに、アインズは共に見送りに出ていた守護者達へ伝達する。

 

「万が一あの二人が助けを求めたら、すぐに向かうぞ。そしてアルベド、デミウルゴス。あの二人に知恵を貸してやってくれ」

 

 慈悲深き声に全員が深く、深く、頭を下げた。

 

+

 

 クアドラシルは双子を乗せて緑の野を疾走する。

 アウラが前に跨がり、マーレはアウラの後ろに足を揃えて乗っていた。

 凄まじいスピードの為、前に乗るアウラとマーレの耳にはゴウゴウと風を切る音が届き続ける。

 

 カルネ村より三十分ほど南下すると、アウラの視界には、遠く巨大な城壁が飛び込んできた。

 アインズやフラミーが見ていたならば感嘆していたかもしれないが、二人にとってはつまらない建築物だ。

 それはナザリックに存在するあらゆるものに劣っていた。

(アインズ様があの村長から聞き出した話では確かエ・ランテルって言うんだっけ)

 街を迂回すればしただけ法国への到着が遅くなる。それはつまり、調査時間が短くなることと同義だ。

「クアドラシル!突っ切るよ!!」

 後ろでここまでの地図を見える範囲で書いていたマーレが検問を指差した。

 地図は真っ直ぐ南に向かって伸びはじめ、山や森などが書き込まれている。

「お、お姉ちゃん、あそこに門があるよ!」

「バカマーレ!わざわざあんな所から入るわけないじゃん!」

 どんなに壁が近付いても速度を落とさないクアドラシルに嫌な予感がしたマーレは、慌てて紙とペンをしまい姉の腰にぎゅっと両手で掴まった。

 するとクアドラシルは猛スピードのまま壁へ突っ込み――足の裏を壁に吸い付かせながら垂直に駆け登る。

 登りきれば壁はさらに中にも二重にあるのが見て取れた。器用に壁の頂点や塔の屋根などを飛び移りながら越えて行く。

 一番内側の壁から六本の足を広げるように大ジャンプをし、ズン!と街の中に着地すると、今度は家の壁や屋根を伝って人を避けながら疾走して行った。

 

 突然大きな揺れに襲われたエ・ランテルの人々が何事かと震源だと思われる辺りを見れば、そこにはハート型のような不可思議な跡が六つあった。

 この日、エ・ランテルの町の中心の道には奇妙な一陣の突風が吹いたのだった。

 

+

 

 エ・ランテルを軽々と通り抜けた二人と一匹の右手には連なる小さな山々、左手には遠く平原が広がっていた。

 夏の終わりとも秋の始まりとも言えない季節の結び目のような陽気だ。

 マーレは再び目に見えたものを――太陽の位置を確認しつつ次から次へと紙に書き込んでいった。

 気づけば、ナザリックから南へ一直線の地図が出来始めていた。

 

 マーレはそれを見ると満足げにふふ、と笑い、出来かけの地図とペンをしまった。そして空を仰ぐ。

 夜明け頃にナザリックを出発したが、太陽の高さから言って時刻はもうじき昼だ。

「お、お姉ちゃん。えっと、そろそろアインズ様とフラミー様とお約束したご飯の時間だよ」

 マーレの提案にこれはいかんとクアドラシルは速度を緩め歩き出した。

 クアドラシルが巻き起こしていた風だけがビュンッと一行を追い越して行った。

「あ!そっか!ちゃんとご飯は三回食べろって仰ってたもんね!」

 アウラは鮮度を維持できる<保存(プリザベイション)>の魔法がかかったサンドイッチを取り出し、後ろに座るマーレと分け合った。

 疾走していてもクアドラシルの背は快適ではあるが、その凄まじい風速にサンドイッチの中身が吹き飛ぶようなことがあってはいけない。

 これを作ったのは料理長だが、フラミーの指示で用意された一推しサンドイッチを失うようなことがあれば一度ナザリックへ戻り謝罪しなければならないだろう。

 食事をしながらゆっくりと進んでいると――恐らくスレイン法国のものであろう防壁が見え始めた。

 やはり双子は無感動にそれを視界に捉えた。

 長き歴史を感じさせる荘重な壁だが、この何でもないサンドイッチの方が二人には余程価値がある。

「フラミー様はこれがお好きなんだね!今度お食事にご一緒させて頂きたいなぁ!」

 フラミーはアインズと違い毎食きちんと食事を取っていた。もちろん、料理長からの圧力もあって。

「そ、そうだねお姉ちゃん!あ、僕、それが良いなぁ!」

 この命令を見事にこなす事が出来た暁には好きな褒美を与えられる為、道中何にするか考えるよう言われていた。

 それを言われたとき、マーレは既に指輪も受け取っているのだからと必死に辞退を申し出たが、初めて外に出ると言う重要任務なのだからと押し切られてしまった。

 至高の存在がそうするべきと言うのならば、そうするべきなのだろう。

 マーレはフラミーお食事権にするようだった。

 ぶくぶく茶釜や餡ころもっちもち、やまいこ、フラミーと良く第六階層でお茶をしていた事をアウラは思い出し、ほぅっと頬を染めた。

 色々な服を着せ、四人で可愛い可愛いと愛でてくれたものだ。

「あたしもそれが良いかなぁ。でも、アインズ様と過ごすのも良いし……――うん、もう少し悩もうかな!時間はまだあるしね!」

 

 青空の下、カメレオンの背で器用にサンドイッチを食べる双子はごちそうさまの後に、もうぬるまってしまった紅茶を交互に飲んだ。




平成の世が終わりを告げ、令和を迎えましたね。
アインズ様の生きた日本はどんな元号だったのでしょうか。

2019.05.01 すたた様 誤字修正ありがとうございます(//∇//)
2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#12 初めての冒険とエルフ

「さ、行きな。調査が終わったらまたここの屋根で待ち合わせだからね!」

 

 王国エ・ランテルを出た後初めての都市でアウラは自分の影に潜んでいた影の悪魔(シャドーデーモン)達に指示を出した。

 同僚のデミウルゴスから貸し与えられたものだ。

 悪魔達が闇に溶けていくのを見送ると、アウラは片膝をついた体勢から立ち上がった。

 スレイン法国入って初めての都市。

 この辺りで一番大きかった家の上から都市を見下ろす。

 王国は木造の建築物が多かったようだが、こちらはベージュがかった白い石材を用いた建築が主なようだ。

 皆同じ石材を用いており理路整然とした雰囲気を醸し出しているが、決して無機質ではなく、どの建物の壁にもそれぞれ個性を持った彫刻が成されており、長い期間国として栄えていたことが伺える。

 

「で、どう?ここから見た感じ、どの辺りの道が人間の出入りが少ない?」

 アウラは屋根から顔を出しているマーレに振り返った。

「う、うんとね。道だったらあっちと、そっちと、こっちと……そ、そこも良いみたいだよ!だ、だけど……」

 マーレは街を見下ろしながら悩むように口元に手を当てた。

「何?はっきり言ってよ」

「あ、え、えっとね。お姉ちゃん。ちょっとあそこの道で今特殊技術(スキル)を使ってみてもいい……?」

特殊技術(スキル)?誰もいないのに?」

「も、もしかしたら、もっといい場所が見つかるかもしれないんだ」

 割と自信がある様子で告げる。

 アウラは全幅の信頼を寄せる弟からの言を素直に受け取ると、マーレと手を繋いだ。そして、ピッと不可視化マントのフードを被り直す。

「じゃ、行こ!」

「や、優しくしてね」

「オッケー!」

 マーレもフードを被り直したことを確認すると、アウラは屋根の上でグッと足に力を込め──ドンっと屋根を蹴った。

 瓦が少し剥がれてしまったので、もしかしたら雨が降れば水が染みるかもしれない。

 もちろん、アウラとマーレにはそんなことは関係ないが。

 

 マーレが先程指差した道へ二人はたったのひとっ飛びで降り立った。

 落下傘のようになってしまいそうなスカートを抑えるマーレと、足元の心配など何一つないアウラ。

 二人はその勢いからは想像もつかないほど、静かに裏路地へと降り立った。

 マーレはねじくれた杖を掲げ──ズッと地面に突き刺した。

 

「──<地母神の目(サイト・オブ・ガイア)>!」

 

 地を感じる。

 都市の地下数メートルの所には、まるでアリの巣のように長く長く空洞があるのをマーレは感じた。

「どう?」

「う、うん!や、やっぱり、道よりもずっといい場所があったよ!こ、ここの下、下水道が通ってるみたい」

「……汚そうだけど……任務のためじゃ仕方ないか。じゃ、下水道に引き摺り込んでやろ!」

「そ、そうだね!絶対に見つけられないもんね!あ、あとは建物に使われてる石材と、同じ素材の石材が、ち、地下にたくさんあるね」

「ふーん?街の地下で建材が手に入るんだ。遠出して運搬するより楽ちんなんだね。それで、下水の入り口はどの辺り?」

 マーレはスッと川の方を指差した。川は堀のように深く、低いところを流れているようだ。

「あ、あそこからなら、いくらでも──」

「あぁ〜?なんか声がするぞ〜?」

 二人はハッと振り返った。

 酒臭い男が一人、フラフラと路地裏に入ってきていた。

「やっぱりいないと思っても、路地は人が入ってくるもんだね」

「そ、そうだね。えっと、その、やっちゃう?」

「やっちゃお」

 二人は不可視化マントを脱ぎ捨て、酔っ払いへ向かって駆けた。

 ついでに、ゴミ捨て場に置かれていたバナナの皮を握って。

 

「──な、え、森妖精(エルフ)野郎!?よ、よくもこんな所ま──っむぐ!?」

 マーレは男の口の中に腐りかけたバナナの皮をねじ込んだ。

「ありがと!先に行くよ」

「う、うん!」

 流れる動きでアウラは男をすぐそこの川へ飛び降り、壁に空いた下水道入口の穴へ駆け込んだ。

「ンンー!!ングッ!ングッ!!」

 がんがんと男の声が下水道内を反響する。その度に、あたりを衛生(サニタリー)粘体(スライム)達が奥へ奥へと逃げて行く。

 男を引きずるアウラの後を、可愛らしい小走りでマーレも追ってきた。本気を出せばもちろん素早く移動できる。だが、創造主であるぶくぶく茶釜がそうあるべきと定義する方法で移動できるならば、そうするべきなのだ。

「う、うるさいなぁ。お、お姉ちゃん、いい?」

「ダメ。あんたの方法でやったら脳みそ流れ出て話聞けないでしょ。捕まえてて」

 アウラはそういうと、逃げようとしている男をマーレに突き飛ばした。

 マーレは激突してきた男の髪の毛と顎を掴み、アウラの方をむかせた。

「ふぅー……──」

 アウラからはピンク色の吐息が出ていき、それを吸い込んで男はうっとりと目尻を下げ、先ほどまでの暴れていた姿はまるで嘘のように落ち着いた。

 そこでようやく男は解放された。

「さ、そのバナナ出してもいいよ」

 男は口からそっとバナナの皮を取り出した。

「へへ、ありがとよ。びっくりしちまったぜ。それにしても大丈夫なのか?そっちの森妖精(エルフ)女、俺の大事な友達であるお前に危害を加えたりしないのか?」

「しないよ。全然大丈夫。で、ちょっと聞きたいんだけどさ」

「あぁ、なんでも聞いてくれ。なんて言ったって、俺たちは親友だからな」

「はいはい。まず、森妖精(エルフ)ってスレイン法国じゃ嫌われてるの?」

 男はハッとした顔をすると慌てて首を振った。

「そ、そりゃそうだけど、俺はあんたのことは嫌いじゃないぜ?な?本当だよ」

「分かってる分かってる。いいから質問にだけ答えて」

 

 男は躊躇いながら口を開いた。

 

 まず、エルフの国には国名がない。そして、そこは今スレイン法国と戦争状態であることを男は告げた。だが、なぜ戦争をしていて、いつから戦争しているのか。男は何も知らなかった。

 森妖精(エルフ)達は野蛮で、家も持たず木の上で暮らしていて、教養も何ない存在らしい。あるのは魔法や、モンスター達と戦う技術のみ。はっきり言って、土人だ。

 そして、戦争中に捕らえられた森妖精(エルフ)は市場に流れ、奴隷として扱われているらしい。

 そんな状態なので、王国のように木材を回収できるはずの大森林には長らく近付けていない。 

 

 男は他にもスレイン法国の当たり前の暮らしを二人に教えた。

 

 明日は七日に一度の礼拝日なので、人々は各々信仰する神が祀られる神殿に祈りを捧げに行く。

 その際、神へ失礼にならぬよう、公衆浴場で今日のうちに正式に身を清めようとするらしい。男もこの後、浴場へ行くつもりだった。

 アウラとマーレは小さなこの都市で、明日のすべての神への礼拝をきちんと確認しておく必要があると思った。

 至高なる御身──真なる神をスルシャーナというおかしな名前の偽神と間違えた愚かな人間達が、どのような方法でそれを祀っているのか調べるということは非常に優先度が高い。

 なんと言っても、ここには地、水、火、風、闇、光の六つの神を祀る法国は各都市に神殿が六つづつあるらしい。

 礼拝時の混雑を緩和する為、街の中でそれぞれが極力遠くなるように建造されているようだ。

 

 男から取り出せる有用そうな情報が底を尽きると、アウラとマーレは頷き合った。

「それじゃ、えっと、し、死んでください!」

「──は?」

 マーレは杖を男の頭へ向かって振り下ろし、男は下水道で脳みそをぶちまけて絶命した。

「さ!じゃ、次の人間探そっか!」

「そ、そうだね!違うこと知ってそうな人、さ、探してみよっか!」

 

 男の死体はそれから何日も後に変わり果てた様で発見された。体の多くを粘体(スライム)汚物喰らい(ファエクデッセ)、虫、鼠に食われた凄まじい姿だったらしい。

 

 ──同様の死体はあちらこちらの下水道から発見され、老若男女問わない無差別な殺人は都市を震撼させたが、それはまた別のお話。

 

+

 

 翌日アウラとマーレは手分けをして全ての礼拝を上手く回りきった。

 光の神殿は朝早くから礼拝が行われていたが、地、水、火、風、はほぼ同じくらいに礼拝がスタートした。

 

 闇の神殿は、夕暮れと共にそれを始めたのでじっくりと見ることができた。

 そして、双子は首都──神都への警戒度を、最大まで引き上げた。

 

「スルシャーナ様。六大神の中でも最後まで残られ、我らに従属神をお残し下さった慈悲深き神よ。どうか再び死の底よりお戻り下さい。死者の国を統べたもう超越者──」

 

 

+

 

 

「フラミ──いや、プラムさん! こっちです!ここ曲がったところみたいですよ!」

「はーい!」

 観光客のような態度で辺りをキョロキョロと見回していた──紺色のローブを着た色白の森妖精(エルフ)が漆黒のフルプレートの偉丈夫の元へ駆け寄った。

 冒険者の多い街の為か、辺りは見たことのないようなアイテムがたくさん売られていた。

 お上りさんのようにあちらこちらとフラミーは店を覗き込んだ。

「モモンさん!私、お金が手に入ったらデミウルゴスさんに何かお礼にお土産買ってあげたいです!」

「デミウルゴスがアルベドを制してくれなきゃこうやって外にも出られませんでしたからね!兎にも角にも今は金を稼がなきゃなぁ」

「私頑張りますよぉ!」

 二人はキャイキャイと冒険者組合で勧められた宿に向かった。

 二段程度の階段を上り、ドアを押し開く。

 

 すると、店内は想像よりガラの悪い雰囲気と、不衛生な様子だった。

 一階は食事処で、昼間から飲んでいる者達がちらほらといた。

 アインズはフラミーの「汚いおっさんセンサー」が働かないか心配になる。

 せめて男達がたくさん周りにいる状況から脱した方がいいと思い、カウンターへ急いだ。

「宿だな。何泊だ」

 ガードマンのようなガタイのいい店主に愛想なく問われた。視線はアインズの胸へと滑った。

「一泊でお願いしたい」

「銅のプレートか。相部屋で一泊五銅貨だ」

「いや、二人部屋で頼む。部屋は空いてるか?」

 店主はわずかに鼻で笑った。

「部屋は空いてるが、お前らは(カッパー)の冒険者だろう。二人で寝泊りしても構わないが、それじゃ仲間はできんぞ。バランスの良いチーム編成をしなけりゃ死ぬ。普通は駆け出しの間は相部屋や大部屋で顔を売るんだ。もう一度言う。相部屋は一泊五銅貨だ」

 アインズは首を振った。

「二人部屋だ」

「ちっ。人の親切が理解できねぇ奴。まぁ良い、一日七銅貨だ」

 無事に部屋を取れたことに僅かに安堵する。

「行きましょう。プラムさん」

「はい!」

 

 アインズはフラミーを背に連れ、すぐさま部屋へ上がろうとする──と、二人の前に足が出された。

「なんだ?耳の落とされてない純正の森妖精(エルフ)とは珍しいじゃねーか」

「耳があるやつはいくらなんだ?」

「そのフルプレートとどっちが高かったのか教えてくれよ」

 下びた笑い声が店に溢れる。

 耳の話はよくわからないが、フラミーが侮辱されている事だけはわかった。

「二人部屋ご希望とはなぁ。どこまでヤって貰えんだ?」

「羨ましいお話だなぁ?ははは──は?」

 アインズはそれを聞くと瞬時に足を出す男の胸ぐらをつかみあげ、一緒に囃し立てた男達に叩きつけた。

「──っへぶ!!」

 肉が叩きつけられる音と同時に、椅子やテーブルが壊される音、ひっくり返ったグラスが割れる音が響いた。

 賑やかだった店内はしん……と静まりかえり──「も、モモンさん!」

 一拍程度置いてフラミーの驚くような声が、男達の呻き声と共に溢れた。

 抑制されても抑制されても怒りが湧き出てくる。

 アインズは()()()()()()()に更に手を伸ばした。

「貴様ら、俺の大切な仲間を侮辱した罪、その命で──」

「モモンガさん!!」

 そっとしまい込んだはずのその名前で呼ばれ、ハッとする。

「落ち着いてください!大丈夫ですから!」

「あ──ふ、フラミーさん……」

 アインズがふっと我に帰ると、フラミーはほっとした顔をし、中傷治癒(ミドル・キュア・ウーンズ)で、死にそうな男達を回復した。

「す、すみません……。尻拭いさせちゃって……」

「いえ、どうって事ないですよ。──皆さん、平気ですか?」

 回復された男たちは、三途の川が見える様な状態にされたため、動くこともできず、恐れるように必死に首を縦に振った。

「良かった。モモンさん、行きましょ」

 鬼神のようだった鎧の男は途端に申し訳なさそうにすると森妖精(エルフ)の後ろに従い二階へ上がっていった。

 静かになった店内でしばらく口を開くものはいなかった。

 そして、ポツリと一人が口を開いた。

「お、男を片手で投げられる戦士と……第二位階魔法を使える魔法詠唱者(マジックキャスター)か……」

 冒険者の中でも一番下である銅のプレートを下げていた二人がプレート通りの存在だと思う者はいなかった。

 

+

 

「モモンさんたららしくないですよ。どうしちゃったんですか。あんなの気にしなくったって良いのに。ああ言うのは無視すれば良いんですよ」

 ベッドに腰掛けたアインズは魔法で作っていたヘルムを外すと手の中でそれを消した。

「す、すみません。ついカッとなって……」

「もー、精神抑制どこ行ったんですかぁ。──それにしても、お耳のある森妖精(エルフ)が珍しいってどう言う事なんでしょう?」

 フラミーは悪魔のため、デミウルゴスと同じように耳が尖っているのだが、現地の人々は耳が長く尖っているのは森妖精(エルフ)だと思い込む習性があることがカルネ村の件から分かっている。

 うーんと考え始めたフラミーに、アインズは自分の失態のせいで、せっかくの仲間との冒険初日を汚したような気持ちになり、無言で俯いた。

 

 フラミーは物言わぬアインズに気付くと、正面にしゃがんで見上げた。

「モモンガさん。でも、嬉しかったですよ。大切に思ってくれてありがとうございます」

 アインズは笑うような困ったような顔を──したが、それは骨のために見て取れなかった。少し視線を彷徨わせ頬をぽりぽりかいてから告げた。

「──俺の、大事な仲間ですから」

 フラミーは嬉しそうに微笑むと立ち上がり、疲れた疲れたと言い肌を白くしていた幻術を解除し紫の肌に戻った。

 

「冒険、楽しみですね!!」




子供達が働いているのだから我々も調査に赴く!!(気晴らしにお外に行きたい)

2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!
お見苦しい点が多くて申し訳ありませんm(_ _)mとっても助かります。


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#13 初めての宝物殿と邂逅

 宿をとったらすぐにナザリックに一時帰還するつもりが、アインズとフラミーが部屋に入り随分時間が経っていた。

 あれ程までに心配していたアウラとマーレの事を一時的に頭から追い出し、二人は時間を忘れて昔を語り合った。

 

 フラミーは飲食可能な為、食事に誘ってあげようかと一瞬思うアインズだったが、悲しいことに宿に泊まっただけで金がもうほとんどない。

 

「このスクリーンショットなんて傑作なんですよ!」

 ペロロンチーノと源次郎がエントマを以て繰り広げられるぐじゃぐじゃ虫ックスについて妄想し熱く語らっているのを聞き咎めたぶくぶく茶釜が、わざわざジョーク課金アイテム「拷問前の捕虜」を手に入れ、拘束した二人をエントマの前に置き去りにしたものだ。

 二人は笑顔のアイコンを表示させていて、「エントマの前……!むしろご褒美!!」と更に妄想を加速させたのだった。

 

 スクリーンショットは<設定>の<アルバム>を押すとフォルダ分けされたものが見れていたが、この世界では物理的なフォルダーの中に、ごっそり紙焼きの写真が入っているという代物になっていた。

 アインズはそれを一生の宝物にしようと決めた。

 

「なんでこの二人はこうなんでしょうね。特にペロロンチーノさんはご病気です!」

「本当ですよねぇ」

 アインズの向かいのベッドではははと笑うフラミーは笑いすぎて浮かんでしまった涙を払ってから言葉を続けた。

「ねぇモモンさん。守護者や僕の皆で今度写真撮りたいですね!カメラがどうやって出来てるのか知りませんけど」

 アインズはいい案だと思った。

 アンデッドや悪魔は老いも寿命も存在しないが、それこそアウラやマーレのように今後の成長が楽しみな者達も大勢いるのだ。

 何枚あっても足りないだろう。

 

「そうですね!そういうのが作れそうなアイテムや魔法に詳しいNPCを募りましょうか」

 アインズは第十階層にある最古図書館(アッシュールバニパル)で司書として働くティトゥスを思い浮かべた。

 一方──

「あ、そっか!電気がないこの世界でもマジックアイテムとして作ればいいんですね!アインズさんが作ったパンドラズ・アクターなんて居場所的にアイテムに詳しそうですし、アインズさん自身も魔法に詳しいじゃないですか!二人で作れるんじゃないですか!」

 電気がなくてもカメラが作れる事を知らないフラミーはアインズの魔法を用いようとする柔らかい頭に感心していた。

「えっパンドラズ・アクターは……」

「そう言えば、パンドラズ・アクターは宝物殿にいるんですか?カメラ、楽しみだなぁ!」

 NPCを製作していないフラミーにアインズの()()を想像することは無理だった。

 楽しみ楽しみとわくわくしている様子にアインズは己の黒歴史に会いにいくことを決めた。

 

 すっかり日が暮れてからナザリックに戻ると、二人は一番に宝物殿へ飛んだ。

「──え?わぁ……!」

 想像を大きく上回る大量の金貨にフラミーは一瞬驚き足を止めた。

「どうしました?」

「こ、これ、全部アイ──いえ、モモンガさんが貯めたんですか……?」

 アインズはたった一人で宝物殿と狩場を行き来していた日々を思い出し、胸が痛くなると、「えぇ」とだけ短く返事をした。

「モモンガさん……。すごいです。ありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げられるとアインズは胸に温かさが広がるのを感じ、存在しない目尻を下げた。

「いえ、ナザリックの為ですからね!」

 二人は金銀財宝が積み上げられた宝物殿を真っ直ぐ進み、真正面に二次元的な闇がべたりと張り付く場所にたどり着いた。

 アインズとフラミーは懐かしそうに「あ〜」と声を上げた。

「タブラさんは凝り性だったからな」

「そうですね。パスワード、何でしたっけねぇ」

 アインズは少し悩むと、ナザリック中に共通する一つのパスワードを口にした。

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ」

 その言葉に反応し、湖面に何かが浮かぶように文字が現れた。

 

 Ascendit a terra in coelum, iterumque descendit in terram, et recipit vim superiorum et inferiorum.

 

 これをタブラにも見せたかったなと少し思いつつ、あぁと思い出したように声を上げた。

「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗き者は全て汝より離れ去るだろう──だったかな?」

 エメラルド・タブレット──タブラ・スマラグディナに記された言葉だ。

 闇はしゅるりとある一点に吸い込まれ、道は開かれた。

「あー!そうでしたそうでした。すごい。それまた覚えないとパンドラズ・アクターさんに会いに行けないですね。覚えられるかなぁ」

 フラミーは「かくて汝……世界の栄光を手に入れ……」と既に少し間違えたパスワードを口の中で復唱した。

「はは、会いにいかなくて良いですから、覚えないで下さい」

「えぇ。なんでですかぁ」

「なんででもです」

「昔はよく一緒に来たのに」

 中へ進んで行くと博物館のようなところに出、そして待合室に辿り着いた。

 フラミーはぴたりと足を止めた。

「──タ、タブラさん!!」

 それは水死体のように真っ青な体に、紫がかった白いタコのような頭部を持った異形だった。

 ごぼりと首を傾げ、二人を迎えた。

「パンドラズ・アクター、元に戻れ」

 アインズがそう言うと、異形はくるりと身を翻し──後には軍服に身を包む卵のような頭部を持つ姿へと変わった。

 それはカツンッ!と踵を合わせると、オーバーな動きで敬礼をした。

「ようこそおいで下さいました!!我が創造主たるモモンガ様!!──そして、我がフラミー様!!」

「──あ、そっか。パンドラズ・アクターさん、そうでしたね。こんにちはぁ」

「……元気そうだな」

 アインズは頭が痛くなりそうだった。

「はい。元気にやらせていただいております。ところで、今回はどうなされたのでしょうか?随分お久しぶりにお揃いで」

 ウッキウキしてたまらん。そう言う雰囲気でパンドラズ・アクターは答えた。

「実は──」

 アインズはナザリックがユグドラシルとは違う世界に今ある事を簡潔に告げた。そして、名を改めたことも。

「──と言う具合でな。フラミーさんがカメラが欲しいそうだ」

「おぉ……おぉ……!カメラ!!」

 わざとらしいリアクションで驚きを表現され、アインズはどうしてこんな風に作ってしまったのだろうと無い眉を顰めた。

「どうだ、作れるか」

「それはもちろん!なんと言ってもこの私はアインズ・ウール・ゴウン様によって生み出されし最高傑作!作らないものなどございません!!」

「そ、そうか。期待しているぞ」

「はっ!ところで──」

「なんだ」

「かめらってなんですか?」

 フラミーはたまらず吹き出した。

 

+

 

 宝物殿を後にした二人はアインズの執務室へ向かった。中では既に守護者達が控えていた。

 双子からの定時連絡を受けたアルベドが朗々と法国について語る。

 

 かつて六百年前、この世界へ来たと思われるプレイヤー達を神と崇める法国は、特にスルシャーナを信奉する闇の神殿が最大の信者数を有していた。

 神都には未だ生きた「従属神」と呼ばれるアンデッドが残っていて、それはスルシャーナが国を見守らせるために生み出して行ったらしい。

 そのストーリーも闇の神殿の人気の理由だが、何よりも、このアンデッド以外のすべての従属神達は堕落し『魔神』となり世界を荒らし回った為、スルシャーナを信奉する事は理性的且つ道徳的であると思っている節があるようだ。

 

「──と、ここまでが一次報告でございます」

「なるほど。アウラ達はよく調べたな」

 アルベドは頭を下げると続けた。

「畏れ入ります。そこで、アウラはこれより闇夜に紛れて神都大神殿へと潜入し、スルシャーナの従属神のレベルを看破する予定でございます」

 それを聞いたフラミーは共にソファに座るアインズに視線を送った。

「あの……これ、危ないんじゃないですか?アインズさんが特殊技術(スキル)で生み出せるアンデッドの最高レベルっていくつです……?」

「俺も危ないと思います。スルシャーナがどんなビルドの死の支配者(オーバーロード)だったかは分かりませんが、経験値を消費するアンデッドの副官で生み出されたモノだとすれば……恐らく九十レベルを超えます」

 説明を聞いたフラミーは背筋に冷たいものを感じた、アインズは顎に手を当て考え込んだ。

「守護者達よ……。お前達はこの問題にどう挑むのがいいと思う」

 

 キラリとメガネを輝かせたデミウルゴスが一歩前へ出て進言する。

「恐れながら……百レベルに達する者に近付いてもそれを気取らせないだけの隠密能力で言えば、このナザリックに於いてアウラの右に出る者は存在しません。しかし、御方々のご心配もごもっともかと……。そこで、私は敢えてアインズ様とフラミー様、そして全守護者で向かうのがよろしいかと愚考いたします」

 

 やはりそうか……とアインズは頷く。

 人任せにせず自分の目で確かめるのが一番だと思ったからだ。

 

「向かってどうするでありんすか?デミウルゴス。まさか見るだけで済ます気ではないでありんしょうね」

「当然だとも、シャルティア。アインズ様を模し神を名乗る不届きものを全力で抹殺し、代わりにドッペルゲンガーを置いて帰るのさ。そうして、来たる約束の日、そのドッペルゲンガーにアインズ様こそ正当なる神である事を告げさせれば、不届きなアンデッドの信仰をアインズ様は一心に引き受けることができる」

「ナルホド、ソウスレバ簡単ニアインズ様ノ御名ハ国中ヘト広ガルト……」

 

 殺すことが前提だとは思わなかったが、名前が広がると言われてはそうするのがベストな気がする。

「素晴らしいぞデミウルゴス。そういう進言こそ私の望むものだ」

「おお、アインズ様。貴方様は、既にお気付きになられていたと言うのに……。お二人で我々をお試しになった……そういう事ですね?」

 デミウルゴスからの不思議な期待に満ちた瞳を向けられるとアインズは背中がムズムズした。

「ん、んん。その通りだ。そこまで読みきるとは流石はナザリック一の知恵者」

「いえ。私もアインズ様がご帰還された際に、一番に宝物殿の……会ったことはありませんが、パンドラズ・アクターの元へ向かわれた事を知ってこそでございます」

 

 フラミーがこちらを見ている気配を感じるが知ったかぶりを重ねる己が恥ずかしくてそちらを見れない。

「では、これよりアンデッド討伐へ向かうぞ。準備を怠るな。アルベド、アウラにはお前が連絡しておけ。ナザリックの初陣だ!」

 

+

 

 アインズはフラミーとデミウルゴスを伴い宝物殿を訪れていた。

「ンァインズ様、フラミー様!これは、再びのご来臨このパンドラズ・アクター喜びに身が──あっ、ドン」

 瞬時にパンドラズアクターを壁側まで追い詰め、目一杯顔を近づける。

「パンドラズ・アクター!お前は私を超えて行かねばならぬ!それが父と息子と言うものだ……!良いか、デミウルゴスを見てみろ」

 ゆっくり二人で顔を向ければ、落ち着いた様子でフラミーと何やら言葉を交わすデミウルゴスの姿があった。

「あれは、どう考えても生み出したウルベルトさんの想像を遥かに超えている。わかるか?」

「はぁ……?」

 このハニワはまるでわかっていない様子だ。

 中二病全開だったウルベルト・アレイン・オードルの息子がああなり、同じく中二病に罹患していたアインズの息子がこうなっているのは何故なのか。

 

「アインズ様。何か」

 フラミーとの話を中断させ、自分の話をしていることがわかったのか優雅にデミウルゴスが声をかけて来た。

「いや、今パンドラズ・アクターにお前を少しは見習えと言い聞かせていたところだ……。昔お前を生み出した時ウルベルトさんは最高傑作だと言っていたぞ。無論、私の生んだこれも素晴らしいとは思うのだが、な」

 デミウルゴスは歓喜に震える。

 何か声を出せば涙が溢れるのではないかと思い、黙って頭を下げた。

 一方パンドラズ・アクターは、目の前の悪魔が果たしてどれだけの成果を上げたのかと、宝物殿の外で働ける守護者を少しだけ羨ましくなっていた。

 

「パンドラズ・アクターさんだって、今回きっと活躍してくれますよ!」

 フラミーのその声はパンドラズ・アクターにとってまさに福音だった。

「は。必ずや見事カメラなるものを生み出してみせます!フラミー様っ!」

 期待を越えようと、今までで一番華麗に舞いながら、フラミーの足元にひざまずき、胸に片手を当てながら、もう一方の手をフラミーのすぐ前に差し出す。

 背中にバラが咲いて舞い散るのを幻視したアインズは沈静化された。

「えぇ……。あぁ……いや…………うん…………。パンドラズ・アクターよ。今回はカメラとは別件で来たのだ。んん。先程伝えてからいこうと思ったが、守護者達を待たせていたのでな。詳しいことはデミウルゴス、お前が説明してやれ」

 畏まりましたと頭を下げたデミウルゴスは、どのように作られたのか未だ解らないパンドラズアクターに懇切丁寧に説明を始めた。

 が、すぐに作戦の趣旨を理解し、討伐ではなく、実験体として使用するため捕縛で進められるよう見事なる作戦案等を次々と提案したのであった。

 

「御身は貴方に私を見習えと仰ったようですが……私も貴方を見習わせてもらいますよ。ここに私を連れてきたのは、恐らく貴方からの良い影響をアインズ様が計算されてのことでしょう」

「我が創造主たるアインズ様は全知全能の御方。私達のこの会話すら、おそらく読んでいらっしゃることと思いますよ」

 

 落ち着いた様子で話を続ける男子二人を、全く落ち着かない気持ちでパパアインズは嘆き見守った。

「あぁぁ。フラミーさん……どうしたらパンドラズアクターはあの動きをやめてくれるんでしょうか……。デミウルゴスみたいになれって言ってんのに……」

「え?やめて欲しいんですか?可愛いじゃないですか。個性があって!それに、ちょっぴりキザな感じは、デミウルゴスさんぽさもありましたよ」

 そう話しながら、フラミーは二人で外に出た夜を思い出し、デミウルゴスに言われたキザなセリフが脳裏をよぎった。

 再び熱を持とうとする悪魔の尖った耳を両手で頭に押し当てるように抑えた。

「デミウルゴスがあのポーズでバラでも持ってきたら……似合うんでしょうけど……」

 イケメンに創造しなかった自分が悪いのかとアインズは再び苦悩し──二人は小さな呻き声を上げた。

 

+

 

 第六階層、円形闘技場(アンフィテアトルム)

 この場所には珍しいNPC達が揃っている。

 一人目は双子を監視しているアルベドの姉ニグレド。

 そしてもう一人は転移門を開くために呼び出された戦闘メイド(プレイアデス)のオーレオール・オメガ。

「アインズ様。この度は御改名おめでとうございます。今後も我ら変わらぬ忠義を捧げます」

 手短に挨拶を済ませると、ニグレドはスキルでアウラの様子を追った。

 オーレオールもどこにでも(ゲート)を開けるよう内部を記憶していく。

 アウラは連れてきていた全てのしもべをマーレの影へ渡し、たった一人、アーチ状の天井のかかる回廊が囲む美しい中庭を音も無く駆け抜けた。

 

 すると、突然神殿が騒がしくなった。

「陽光聖典が!!!神官長様達をお呼びしろ!!」

 アインズに心を折られたニグンと、その部下達が這々の体で帰還したようだった。

 多くの者が走り行き交うが、大した力も持たない人間達は誰一人、アウラの存在に気がつかない。

 アウラは静かになり始めた廊下に少し気が抜けた。

 

 次の瞬間、声が響く。

 

「誰かいるの……?」

 

 守護者すら欺く力を持つアウラを看破する者の存在に、ニグレドの後ろから様子を見ていた全員が武器を強く握りしめ、今回の作戦を破棄しなければならない事を予想する。

 

 それは、左右で髪と目の色が違う、幼そうな女だった。




2019.06.04 kazuichi様 誤字報告本当にありがとうございますm(_ _)m適用させて頂きました!


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#14 疲弊した従属神

 謎の気配を感じた気がして、女──番外席次・絶死絶命は中庭を注意深く睨め付けていた。

 

「誰かいるの……?」

 

 しかし、返事はない。

 気配を感じた方へ足を運ぼうとすると、さっきまで寝ていたであろう神官長達が小走りで通り掛かった。

「おお番外席次よ、良いところに!お前も陽光聖典の報告の場に立ち会うのだ!」

「……うるさいわね。気安く話しかけないでちょうだい。後で行くわ」

 神官達は何か言いたげな顔をしたが、番外席次を置いて去っていった。

 何となく気配を感じた場所に近付くも、そこには何もいない上、誰も踏んだこともないような柔らかい土と、天に向かってピンと生える若草達があるだけだった。

 辺りを見渡すが、中庭にはさわさわと静かな風が渡るだけだ。

(気のせいか……)

 生まれて初めての感覚に戸惑ったが、神殿内がこれ程までに騒がしいのもまた、初めてだった。

(この私がいつもと違う神殿の様子に高揚しているとでもいうの?)

 自嘲するように笑うと神官長達の向かった方へ立ち去った。

 

+

 

 草むらの隠蔽を完璧に行ったアウラは神殿内部を駆け抜けていた。

 早くアンデッドの元へ行き、皆をこちらへ呼び寄せねばならない。

 大した攻性防壁が張られている様子もなく、遠隔監視ができるのであれば大人数で効率悪く移動する必要もあるまい。

 

 そしてたどり着いた、神殿の最奥。

 

 長く広い廊下の先に、まるで世界とその先を切り離すかのように二枚の分厚く重厚な扉がぴたりとしまっていた。

 アウラは鍵などがかかっていない事をさっと確認し、その向こうにたしかに死の気配を感じると、空中に向かい腕で丸を作る。

 すると転移門(ゲート)よりも巨大な闇が廊下に出現し、死の支配者・アインズ・ウール・ゴウンが足を踏み出してきた。

 隙なく辺りを見渡し、安全をもう一度確認すると闇に手を入れた。

 その手を取りフラミーが出てくると、付き従うように守護者達も続々と闇を潜ってくる。

 一人ハニワ顔の見たこともないNPCと、どこで合流したのかマーレも来ていた。

 

 アインズはしばし目の前の──周りの廊下やニグレドの監視越しに見た物達に比べ異様に精巧な扉を眺めてから、アウラに声をかけた。

 

「──アウラよ。一時は肝が冷えたが、よくやったぞ」

 アインズの称賛に頭を下げた。

「ありがとうございます。……だけど、アインズ様……。マーレと二人でやり遂げられず……わざわざ御身にお出ましいただいてしまい、申し訳ありませんでした」

「良いのだアウラ。そしてマーレ。お前達の働きは見事だった。さぁ、この中にいる者を連れて帰ろうではないか。──フラミーさん」

 パンドラズ・アクターの進言により、アンデッドは可能であれば捕獲となった。

 上半身より長いくらいの巻物を携えたフラミーがスッと前へ出る。

「どこからどこまでがコレに認識されるフィールドかわからないんで、中で発動させますね」

「お願いします。俺は一歩遅れて、すぐに入りますから、時間を稼いで下さい。万一中の者がワールドアイテム保持者でそれが効かなかった場合、マーレとアルベドと共に相手を抑え、一時退避します」

 マーレの腕には天使のような清浄な輝きを宿す白きガントレットと、地獄の底を削り出したかのような邪悪な闇を纏うガントレット、強欲と無欲がはまっていた。

 アルベドは漆黒の鎧であるヘルメス・トリスメギストゥスを装備しているが、その手に収まるのはバルディッシュではなく、玉座の間に控える時と同じように真なる無(ギンヌンガガプ)だ。

 マーレとアルベドが扉を押し開き、中へ滑り込んだフラミーがその巻物、山河社稷図を発動させた。

 

+

 

 のどかな河の流れる風景にポツリと立ちすくむ闇が口を開く。

「何者だ。私を捕らえるこの力は一体……」

 

 疑問を口にする相手にフラミーが返事をしようとすると、切り離されたこの空間にアインズも入ってきた。本当にすぐに現れた。

 アルベドとマーレは外で待たせているらしく一人だ。

 想像よりも穏やかな雰囲気にアインズは肩透かしを食らった。

 

死の支配者(オーバーロード)か。久しぶりに見たものだ。私を、その血肉をもって召喚せしめた至上の神もそうであった。──紹介が遅れたな。私は具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)だ。侵入者よ、私に何か用か」

 血肉というのは恐らく経験値だろうとアインズは推測する。

「そうか。やはり召喚されたしもべか。我が名はアインズ・ウール・ゴウン。持って回った言い方は好かん。単刀直入に言う、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)よ、私とともに来い」

 一息に告げ、手を差し出すが、相手はピクリとも動かずに返事をする。

「それはできない。ここを守るように言われている」

 なんと説得しようかとアインズが考えていると、アインズの背後から声がした。

 

「──では、あなたを召喚せし小神は偉大なるアインズ様のことだと愚かな人間共に言ってはくれませんかね」

 アインズの後を追って、デミウルゴス、コキュートス、シャルティア、パンドラズ・アクターがこの空間へと入ってきたところだった。

 デミウルゴスの物言いはまるで、至高の存在と言葉を交わせると思うなとでも言うようだ。明らかに具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)のことを下賤なアンデッドだと思っていそうだ。

 なんと言っても、その額には怒りが血管として浮かび上がっているから。

 シャルティアも不快感をあからさまに表情であらわし、コキュートスも白く冷たい息を吐き出している。アインズとフラミーは背中がひんやりして行くのを感じだ。

 ──ちなみに、パンドラズ・アクターの表情は読めない。

 

「断る。主人を偽る理由がない」

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の返事を聞くと、シャルティアはフンッと鼻を鳴らした。

「交渉決裂でありんすね」

 その言葉を残してシャルティアは地面が抉れ帰るほどに強く地を蹴った。真紅の鎧が赤く残像を残すほどのスピードで具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)に向かう。

 それを皮切りにデミウルゴスとコキュートスも目の前のものに襲いかかった。

 

 一人パンドラズ・アクターだけは相手の姿をコピーし変身を始めていた。

 

 他方、アインズとフラミーは何もしなかった。

 九十レベルの具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)程度、守護者達の敵ではない。

 アインズは従属神が無力化されていく様子をフラミーと共に眺めながら口を開いた。

「──フラミーさん、周りの建築に比べて、あの扉は精巧すぎた気がしませんか?」

 ナザリックが第十階層、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)にある玉座の間へ続く扉に匹敵するような出来栄えだった。

「思いました。人の手で作れる限界を超えたような細工でしたよね……。あれって、()()()()()なんでしょうか?」

 濁されたフラミーの言葉にアインズはうなずき、ハッキリと言語化した。

「恐らくあそこは、さっきのあの一部屋しか維持できないような状況に陥ったギルドホームでしょう。最後の従属神なんて呼ばれる具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)がいる事を考えると、ギルド武器もあるかもしれません」

 それを聞くとフラミーは瞳を輝かせた。

「ギルド武器!ぜひ破壊しましょう!!前に建築物は壊したくないって言いましたけど、アインズさん、壊してくださいね!」

「それが……ちょっと正直悩み所です」

「なんでですか?*ギルド武器を破壊できたら強くなるって言うじゃないですか。ワールドチャンピオンをはるかに凌ぐって。アインズさんが破壊して強くなるのがベストですよ!」

「それ、特定の条件を満たした人達だけだって言うじゃないですか。それがどんな条件か解ってない以上、俺がへたに手を出すのはもったいないと思うんですよね」

「でも、壊してみないと分からないからって大切にしまっておいたら宝の持ち腐れになっちゃいません?」

「うーん、俺はフラミーさんが壊すって言う手もあると思うんです」

 フラミーが数度瞬いていると、瀕死の状態の具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)捕縛(ホールド)魔法で動けなくしたシャルティアと、それを引きずるコキュートスが向かってきた。

「アインズ様、フラミー様。片付きんした!」

「オ待タセ致シマシタ」

 キラキラした瞳だった。

「──あ、二人ともお疲れ様でした!」

「よくやったぞ。では、撤収の準備をしよう」

 撤収準備を進めながら、アインズはシャルティアとコキュートスの初めての手柄を大いに褒めた。

 

 この後のプランを話し合っていたデミウルゴスと具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の姿になったパンドラズ・アクターは、褒められる二人を恨めしそうに眺めた。




*9 : Arcadia感想返し[2877]


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#15 覗き見る歴史

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)に化けたパンドラズ・アクターを残し、ギルドホームだと思われる戸を閉めた。

 ずずん――と音を立ててしまったそれは、やはり重厚で、異質な空気を放っていた。

 パンドラズ・タナトスには、ギルド武器の在り処を後で伝言(メッセージ) で伝えることを言い残した。

 

 万が一偽物だとバレるようなことがあったとしても、ギルドメンバー四十一人に変身できるパンドラズアクターならばなんとか逃げ出すことができるだろう。

 同じく残されるアウラが撹乱すれば、より安全に退避できるはずだ。

 

 フラミーから山河社稷図を受け取ったアウラは二色髪の女の監視に勤めるよういわれ、夜闇に紛れた。

 万が一二色女と開戦する場合は伝言(メッセージ)をまずパンドラズアクターに送り、山河社稷図を広げる手筈だ。

 

 アインズ達が帰還すると、数時間後にニグンと陽光聖典数名を引き連れた神官長が扉の前に現れた。

「もし本当にスルシャーナ様のご再臨だとしたら、あの御方が何もおっしゃらないはずがなかろう!!」

 全員が正装だ。

「しかし……確かにあのお力、全てを見通す智謀……あの御方がスルシャーナ様でなければ……それはこの世界の終わりにも等しいかと……」

 ニグンの答えに、皆が悲痛な顔をした。

 漆黒聖典はこんな時に限って破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)支配のため出かけている。

「ともかく……久々にお言葉を賜るほかあるまい……」

 闇の神官長は人類の技術を超えたその扉をゆっくりと開けたのだった。

 

+

 

(あー魔力がなくなるってこんなにだるいのか……)

 

 さまざまな魔法対策を施された氷結牢獄で、手足と装備をもがれダルマのように転がる具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の前にアインズは座っていた。

 痛みも恐怖もないアンデッドは別になんということもないという具合におとなしくしている。

 ただ、時折「スルシャーナ様……」などと呟きながらアインズを眺める姿は痛ましかった。

 

 記憶を覗き、法国やスルシャーナ、魔神、八欲王、竜王、ギルド武器、神官長達の事をじっくり調べるアインズのそばで、司書のティトゥスは情報を書き起こして行った。

 始まりの記憶はこうだ。

 

 スルシャーナは、愛するギルドメンバーと共に作り上げた国と、メンバーとの絆の証であるギルド武器を守らせるために具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を生み出した。そして下がったレベルで八欲王との戦いへ身を投じた。――白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼ばれる竜王と共に。具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の目から見るそれは、まるで放逐でもされるような姿だった。

 

 スルシャーナは具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)と向かい合って語った。

 

『良いか、ルフス。これまで使えなかった魔法が我が身に戻ったのだ。推測に過ぎないが、相手は世界級(ワールド)アイテムを持っている。私は恐らくこの戦いから戻れないだろう。だが、それでも、もういいんだ。この国を……皆のいない世界を……今後何千年と見守るのは……少し、辛い……』

 スルシャーナのその後を、具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)――ルーファスは"母から切り離された感覚"をもって死を確信した。

 

 魔力がいくらあっても足りない状況に、フラミー、シャルティア、デミウルゴス、ルプスレギナが代わる代わるアインズへ魔力を流し込んだ。

「なんという……」

 読み上げるのをやめ顔を抑えるアインズに、フラミーが近付き慰めようとすると――

「素晴らしい!!」

 高揚した声が響いた。

 すぐに沈静化されたらしく冷静さを取り戻した雰囲気でアインズは続けた。

 

「ここのギルド武器はパンドラズ・アクターのすぐ側にあるのだが……更に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の下に、五百年前現れた八欲王のギルド武器があるらしい!」

 それでも興奮しているようで、いつもの丁寧な話し方ではなかった。

「この世界最強の竜、でございますね」

 デミウルゴスの問いに頷く。

「ここには一度出向く必要があるようだな。これで先んじて法国の物も破壊ができる。ふふふ、良いぞ。ははは!――ふぅ。ははは!」

 沈静を繰り返しながら上げる笑い声はまるで魔王そのものだった。

 それを眺める守護者達の瞳は歓喜に、フラミーの瞳は何かに迷うような色が一瞬だけうつった。

 アインズの話に出てくる八欲王の生み出した浮遊都市。――かつてユグドラシルにナザリック地下大墳墓があったとき、遠く米粒のような大きさで浮いていた天空城をフラミーは思い出していた。

 初めて外に出たセバスに、アインズはそれの存在を確認したほどだ。

 

 その後舐めるようにアインズが記憶を確認していくと、レベルの低いルプスレギナは魔力欠乏を起こしユリ・アルファに引きずられるように立ち去って行った。

 次はデミウルゴスが魔力を枯渇させたが、ティトゥスの情報精査を手伝う為その場に残った。

 そしてシャルティアも疲れ果てると、鏡で自分の顔を確認して悲鳴をあげて吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)に抱えられるように去って行った。

 

 なんとか一通り記憶を見終わったタイミングでフラミーの魔力も切れてしまった。

「あー……すみません。私、もーだめです〜」

 簡易的な椅子にだらしなく座った。

「お疲れ様でした、フラミーさん。今日はここまでにしましょう」

「はひ、アインズさんもお疲れさまでした!あぁ……アインズさん、よく平気でいられますね」

「あ、いえいえ。かなり怠いですよ。でもアンデッドなんで疲労感は多分フラミーさんほど無いのかもしれないです」

「こんな時もアンデッドは便利なものですねぇ」

 フラミーは疲れた顔で笑った。眠たそうだった。

 

 すると、後ろでふむふむと話を聞いていたデミウルゴスが口を開いた。

「アインズ様、フラミー様、良ければ我が赤熱神殿にいらっしゃいませんか?疲れを癒すには絶好の場所でございます」

 はじめての遊びの誘いにアインズとフラミーはパァっと顔を明るくした。

「い、いいのかデミウルゴス」

「ぜひ行かせてもらいましょう!アインズさん!」

 

+

 

 ティトゥスと別れた三人は、全員指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を持っているのですぐさま第七階層へと転移した。

 デミウルゴス配下の悪魔達が支配者達をもてなす準備を始め少しだけ慌ただしい。

 灼熱の大地に、高さ十五メートルのイオニア式の柱で天井屋根が支えられる黒き神殿が建っていた。

 神殿の内部はかなり薄暗い。普通の人間ならば目を凝らしたくなるような場所だが――アインズの闇を見通す目はそこに置いてあるものをしかと目に映した。

 そこには右半身のまだ完成していない、実物よりも少し大きなアインズ像が建っていた。

 

「これは……。これはなんだデミウルゴス」

「はい。ここ数日時間がありましたので、悪魔のしもべを大量に召喚しまし、殺して良い部分を集め、アインズ様の像を作っております。完成した暁にはぜひ又当階層へお越しくださいませ」

「デミウルゴスさんって器用なんですね!これは一見の価値ありですねぇ!」

すごいすごいと喜ぶフラミーと、まんざらでもない雰囲気のデミウルゴスは、アインズとの温度差に気付く様子もない。

「次はフラミー様の像をお作りいたします」

「私は骨じゃ無いから難しいかもしれませんよぉ」

 

 アインズ像を回り込むと隠すように地下への階段があり、下れば奥行きのある大広間と、さらに下層へ行ける階段があった。

 そこには部屋がいくつもあり、デミウルゴスについて行きながら風呂場や食堂などを軽く案内された。

 一階とは違いふんだんに白い大理石が使われ、随分と明るい雰囲気だ。

 さらに地下へ下れば、数部屋と長い廊下の先に大きな扉があった。

「そちらには当階層の玉座の間がございます。ですが、本日は宜しければ私の私室をご案内いたします」

 アインズとフラミーは顔を見合わせ、それで良いか目で確認しあう。

「うむ。玉座はウルベルトさんと何度も通ったものだ。今日はそちらを見させてもらおう」

 代表してアインズが答えると、デミウルゴスはふぃんふぃんと数度尻尾を振った。

「畏れ入ります。では――取るに足りない、質素な部屋ではありますが、どうぞおくつろぎ下さいませ」

 デミウルゴスが扉を開けたその先は、ゴージャスな雰囲気かと思いきや、モダンな内装だ。

 しかし、決して質素などではない。

 

 広いリビングルームには向かい合うように三人がけの茶色いソファが二つあり、真ん中のテーブルの両脇には肘掛のある一人掛けソファがある。

 近くの壁の煖炉は燃えているが、薪は使われていない。

 リアルでも薪が高級品になり、エタノールで燃やすほとんど二酸化炭素の出ない暖炉が主流になっていたが――ここは魔法の炎が灯されていた。

 その先には執務机と、大量の本達が壁一面に所狭しと並べられている。

 本棚の脇にひとつだけ扉があり、その先が寝室のようだ。

「デミウルゴスさんって、このリビングで物作りしてるんですか?」

「これはフラミー様。まさに今その話をさせて頂こうと思っておりました。実を申しますと、私は工房を持っておりまして……こちらの本をこのように押し込み、ずらして……」

 カチリと何かが噛み合う音がし、本棚の向こうに隠し部屋が見える。

「このように、この先が工房にございます」

 こんなに得意げなデミウルゴスは珍しい。

 アインズは確信した。

「やれやれ、ウルベルトさんはやっぱり中二病だな。いつの間に課金してこんな部屋を作ったんだか」

「中二病って言うとウルベルトさんに怒られますよぉ」

「はは、秘密にしてくださいね」

 

 進むデミウルゴスについて行くと、そこには白く美しい背もたれのない椅子があった。

 

「こちらは、アインズ様のために現在鋭意製作中の簡易玉座にございます。フラミー様の分もご用意しようと思ってはいるのですが……」

 珍しく何か言いづらそうな様子にアインズは先を促した。

「どうした。何か困ってるのか?」

「は。実を申しますと、こちらも悪魔の骨だけで作るというのは少々芸がないかと思い、制作を一時中止しようかと思っております」

 え?それも骨なの?と思うアインズとフラミーは、その後決して気の休まらない、そして共感もできない趣味の話をしばらく聞いた。

「やはり、御方々に触れるものかと思うと素材はより慎重に選びたいところでございます」

「……そ、そうか。うれしく思うぞ。うん」

 甘え下手な息子が始めて自分の描いた絵を見せてきたような雰囲気と、ちゃんと趣味をエンジョイできる守護者の存在に、若干は癒されたような気もする二人だった。




ほのぼの日常パートも大好きなんですけど、中々うまく行きません(-_-)
精進します!!

2019.5.4 もんが様誤字修正ありがとうございます(//∇//)


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#16 世界の夜明け

 ニグンとの約束の日、前日に帰還したアウラは玉座の間に向かっていた。

 その足取りは重く、拳はキツく握り締められている。

 これでもし慈悲深き御方々が失望されるような事があれば、きっと世界を渡る力を一番に取り戻そうとするだろう。

 それの手伝いだけはしたくない。

 

 ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)にたどり着いてしまう。

 見上げるほどに大きな扉は、アウラが触れずとも自動で開いていった。

 玉座の間にはすでに第八階層の守護者であるヴィクティムを含めた全守護者達が集まっていた。

 皆の視線は中長期遠征への労いと、大いに支配者達の役に立った者に対する羨望で染まっていた。

 縫い付けられたように動かなくなりそうな足をなんとか動かし、アウラは玉座の間へと進んだ。

 柔らかなカーペットは靴音一つ立てさせる事なくアウラを守護者達が待つ最前列へと誘う。

「――アウラ、よく帰ってきたね。さて、それでは本日至高の御方々と謁見するための並び方を伝えるよ」

 アルベドは支配者達の介添えとしての務めがある為、デミウルゴスの指示の元謁見の列や並びを覚えていく。

 アウラは皆の迎え入れる優しい言葉と空気に、何とかはにかんだ笑顔を返していく。

「お、お姉ちゃん?ど、どうしたの?」

「……ん」

「なんでありんす?アインズ様とフラミー様にお目通りが叶うといいんすのに、何をそんな顔をしていんすか?」

「ドウシタ。御方々ハオ前ノ戻リヲ楽シミニシテラシタゾ」

「ん……」

 明らかに様子がおかしいアウラに皆が声を掛けるが、アウラは何も返さなかった。

 

+

 

「――面を上げよ」

 毎回このやり取りをしなければいけない事に面倒くささを感じながら、アインズはいつも通り皆に号令をかけた。

 

 今日は多くのしもべが守護者達の後ろに控えている。

 失敗できない状況だ。今日は誰もが功績をあげたいと思うように見事アウラを褒めなければならない。いや、褒めちぎらなければならない。

「アウラよ、この度は六日間に亘る隠密任務、ご苦労だった」

 アウラは物言わず、深く頭を下げた。

「それでは最終日のあの女と、神官長達の様子をここで聞こうじゃないか」

 これまで、法国に残りアウラは様々なことを報告した。

 漆黒聖典というもの達がナザリックのほど近くの森林をうろついている事。

 番外席次と呼ばれる女があの法国最強である事。

 その強さは恐らく八十八レベル程度だという事。

 戻った陽光聖典は、パンドラズ・タナトスの元に現れたあと、神官長全員と共に転ぶような勢いで再びカルネ村へ発った事。

 他にも数えきれない報告を行い、法国やこの世界に関する数えきれない情報をもたらした。

 その成果は目を見張るほどだ。

 

 そのアウラが、今にも泣き出しそうな様子で話し始める。

「あ、アインズ様……フラミー様……。あたし……あたし……」

 明らかに何かを失敗したような、不穏なものを感じた守護者達からはまるで殺気でも登るようだ。

 殺気などと言うものをフラミーは生まれて一度も感知したことはないが、皆の視線や息遣いが妙に重苦しく感じ、フラミーは珍しく玉座の間で口を開いた。

「アウラ、大丈夫?何があったの?」

 アウラは目をギュッと閉じ、ダラダラと冷や汗をかいている。小さな体が強張るさまは見る者の心を殴り付けるようだった。

「――アウラ、謝罪があるなら、顔をあげなさい。それに、フラミー様は何があったのか、とお聞きになっているのよ」

 アルベドの冷たい声に、アウラは慌てて顔を上げた。

「フ、フラミー様、アインズ様。も、申し訳ありませんでした……。今日、大神殿を出ようとしたら、番外席次が……『また来てね』と……」

 

 それは、「決して気取られずに監視しろ」と言う命令の失敗を意味する言葉だった。

 

 だが、アインズは特別怒るでもなく、「ふむ」と軽く頷いてみせた。

「自分より低レベルだからと言って見くびるなという良い例だな。しかし気付いておきながら相手はアウラが身辺を探る事を許していた」

「本当ですね?大事な大神殿に侵入されて、身辺調査までされて。なんで黙っててくれたんでしょう?」

 アインズとフラミーがしもべ達をざっと見渡すと、アルベドが口を開いた。

「畏れながら……。アインズ様が神であると、パンドラズ・アクターが神官長達にすでに通達していた為ではないでしょうか。如何に低俗な存在でもこのタイミングで現れたアウラとアインズ様に繋がりがあるくらいは理解できたのでは」

 補足するようにデミウルゴスが続ける。

「しかもあれは自分より強い存在を求めるような発言を繰り返していました。アウラがそれに該当している事にも思い至ったのでしょう」

 それを聞くとシャルティアは発言した二人へ視線を送った。

「強い相手を求めていたなら、なんで戦いを挑んで来なかったでありんすか?余計わけがわかりんせん」

「ソウダ。シャルティアノ言ウ通リダ。強キモノノ存在ヲ求メテイタノナラ、何モシテコナイノハ矢張リオカシイ……」

「ど、どういう事なんでしょうか?」

 

 そして集まる視線にアインズはわからない答えを求め、近頃編み出した必殺技を繰り出した。

「仕方ないな。デミウルゴス。皆にわかるように説明してやりなさい」

 この一週間、法国からの報告を聞き、分からないと言うものが出るたびにこれを言ってきた。

 時にはフラミーが分からないと正直に言い、デミウルゴスが答えると言うこともあったが。

「――は。お任せください」

 デミウルゴスはゆっくりと立ち上がると、皆を見回してから口を開いた。

「簡単な事だよ。アウラの挙動から自分の事を見張らせている、更なる上位者――アインズ様の存在に気が付き、アウラを支配できるだけの強大な力に期待しているんだろうね。"強きものを求める"番外席次は恐らく、アインズ様との謁見の時にこそ動くでしょう」

 なるほど、と皆がうなずく中、マーレがおずおずと手を上げた。

「あ、あの、じゃあ、デミウルゴスさん。番外席次さんは、アインズ様と会ったら、アインズ様に襲いかかるかもしれないんですか?」

「畏れ多くも、そういう真似をしでかす可能性も大いにありえるね」

 マーレの問いに応えるデミウルゴスの言葉に、全員の瞳に剣呑な光が宿る。

 

「アインズ様!明日の陽光聖典との謁見後、あたしにもう一度法国へ一人で行かせてください!!」

 アウラの叫びに、精一杯の優しい声でアインズは応えた。

「アウラ、お前はまだ聞いていないだろうが、明日の謁見の後、皆でそのまま法国へ行く予定だ。パンドラズ・アクターの回収をしなくては」

「そしたら、明日、あの女の命はあたしが必ずや!!」

 血気盛んな様子にアインズは骨の顔をぽり……とかいた。

「殺す予定はないんだけど……んん。まだ様子を見るのだ。そう昂ぶるな」

 アウラから視線を外して続ける。

「アルベド、明日の予定を皆に伝えろ。それから、ガルガンチュアの起動確認を忘れるな。私はこの後フラミーさんと共に天使の召喚を行う。コキュートスはアルベドの説明が終わり次第第五階層にて天使の訓練を行え。少しでも見栄えを良くするようにな。先に渡した者たちの調子はどうだ」

「ハ。ナザリック・オールド・ガーター達ノ訓練ハ既ニ万全カト。後ハ天使ガ加ワレバ、正シク神話ノ軍隊ヘトナリマショウ」

「よし。では我々は一足先に行く。――フラミーさん」

「はい!神話の始まりですね!」

 二人が玉座の間を後にすると、歓声が響いた。

 そして、皆がアウラに「よくやった」と言い肩を叩いてやった。

 玉座の間はアウラの昂りも合わせてヒートアップする一方だ。

 

 

 アインズ・ウール・ゴウン。

 

 

 明日、神話が始まる。

 

 

+

 

 

「<第十位階天使召喚(サモン・エンジェル・10th)>。」

 ちらほらと粉雪の舞う第五階層でフラミーは何度目かのその魔法を唱えた。

 アインズはすぐ隣で天使が召喚されていく様子を座って見ていた。

 そんな二人を包むように十メートルもの蒼白いドーム状の立体魔法陣が清浄な輝きを放ち、忙しなく形や文字を変えて回っていた。

「――ふぅ。天使、まだまだ呼びたいですね」

 辺りには高レベルの天使達が随分と召喚されていたが、二人の求める天使の人数にはまだまだ届かなかった。

「疲れました?フラミーさん、少し休んでください」

「いえ!平気です。頑張りますよ!私も役に立ちます!」

 フラミーがふんっと鼻息を吐いていると、二人の周りを回っていた魔法陣は強く輝いた。

「お、時間か」

「わぁ。初めての超位魔法ですね」

 二人の周りを回っているように見えた巨大魔法陣だが、起点はアインズだ。

 アインズは下ろしていた腰を上げると目的の魔法を唱えた。

「<指輪の戦乙女たち(ニーベルング・I)>」

 魔法陣は砕けるように輝きを放ち、複数体の高位の天使を召喚させた。

 超位魔法は魔法というよりスキルに近いもので、魔力を消費しない。ただし、一日に使用できる回数が決められている。アインズとフラミーならば日に四回しか使えない。

 更に強制的な冷却時間が"パーティーを組んでいる全員"にかかる。

 高位天使達はアインズの前に跪いた。

「召喚主よ。御命令を」

「そちらにいるフラミーさんの天使達と共に控えていろ」

 天使達は頭を下げると言われた通りに控えた。

「――じゃあ、私も使えるか試して見よっかな」

「お願いします」

 "パーティーを組む"と言う状態だと認識されれば恐らくフラミーにも強制的な冷却時間が押しつけられるだろう。

 ――が、二人の周りには再び輝く立体魔法陣が浮かんだ。

「大丈夫みたいですね」

「良かったぁ」

「フラミーさんの魔法陣の時間が来るまでお喋りでもしてますかぁ」

「はひ!ありがとうございます」

 課金アイテムで時間を短縮する事もできるが、勿体無い症の二人はどちらもそれを使おうとは言わなかった。

 アインズが再び雪原に腰を下ろすと、フラミーも腰を下ろした。

 魔法陣は移動やダメージで砕け、キャンセルされてしまう。

 二人は真っ白な雪に座り込むと、話をしながら雪を丸めたりして時間を潰した。

「見てぇ、雪だるまです!――やぁ、ぼくはすのうまん!」

 手のひらサイズの雪だるまが出来ると、フラミーはアインズへミニ雪だるまを見せながら鼻声でそう言った。

「ふふ、なんちゃって」

「はは、何か可愛いことしてますね。じゃあ俺も――」

 アインズが雪を掌で丸め始めると、雪を踏む足音がザクザクと近付き、二人は音の方へ視線を送った。

「アインズ様、フラミー様。オ待タセ致シマシタ」

 そう言い、現れたのはこの階層の守護者――「コキュートス、御身ノ前ニ」

 二人のそばに来るとすぐさま膝を雪に下ろした。

 遠くには魔法の装備に身を包んだナザリックを守護するアンデッド達が足を揃え見事な行進を見せていた。

「いや、待ってなどいないぞ。なんと言ってもまだ召喚は終わっていないからな。しかし、よく来たな。コキュートス」

 アインズは作りかけた雪玉をそっと置いた。

「コキュートス君、もう少し待って下さいね」

「ハ。畏レ入リマス!」

 コバルトブルーの武人はプシューと霜を吐き出した。

 三人に増えた雪原で、魔法陣が時間を知らせるまで飽きることなくお喋りをした。

 コキュートスは何と良い時間だろうと胸を踊らせた。

 天使の召喚が全て終わる頃にはフラミーの作った小さな雪だるまは雪原に置かれ、静かに降る雪に隠されて消えた。




ほのぼの〜


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#17 神話の軍勢

 従属神との謁見を行った法国の一行は「アインズ・ウール・ゴウン様の降臨を感じる」たったそれだけ告げられ、一も二もなく出立の準備をしに再び大神殿内を駆けずり回り、深夜にも関わらず法国神都を発った。

 あの従属神が"様"を付けて呼ぶ者が神でないはずがないのだ。

 

 王国領に戻る道中、神官長達は馬車の中で大いに悩み、頭を抱えた。

「あぁ……戦う前に神だと分かればよかったと言うのに……。スルシャーナ様……」

 闇の神官長、マクシミリアン・オレイオ・ラギエは特に思い悩んでいるようだった。

 同じ馬車に乗せられたニグンはギュッと拳を握りしめ震えていた。

「も、申し訳ありません……。全ては我々陽光聖典と私の失態でございます……」

「もっと頻繁に従属神様にお伺いを立てるべきだった……」

 神官長達は誰もニグンを責めなかった。

 責めなかったが――神に喧嘩を売り、日付の指定だけ受けて一体何時に神が再臨するのかも聞かず、神を法国に連れ帰ることもできず――ニグンは身も心もズタズタだった。

 責められずとも、本人が自責の念に潰れてしまいそうな様子だ。

「ああ……。私は……私は……。うおおぉぉぁぁ!」

 ニグンが頭抱えて叫び出すと、神官長達は今にも発狂しそうなニグンを眠らせた。

 

 法国一行が約束の地に辿りついたのは、日付変更直前、真夜中だった。

 流石にこんな時間には現れないだろうとは思うが、すでに失態を犯している身だ。備えすぎるくらいが丁度いいだろう。

 遠くにある村を一瞥し、落ち着きを取り戻したニグンは団員に混ざり野営の準備をした。

 犯してしまった大失態を何とか取り戻そうと、嘆いている場合ではないと働いた。

 体を動かしていると発狂しないで済みそうだった。

 

 テントを建て終わり、幾人かが見張りとして交代でキャンプの周りに立つ。

 夜明けよりも早い時間、神官長とニグンの元に見張りが駆け込んできた。

 全員眠りが浅かったようで、飛び上がるように起きるが――見張りの言葉は期待していたものではなかった。

 

「ゴ、ゴブリンに囲まれました……!」

 

 いくらなんでもそんなものが神の使いだとは思えなかった。

「戦闘準備だ!」

 陽光聖典の制服のままで寝ていたニグンはテントを後にすると、ギュッと手袋を着けた。

「各員!戦闘配備!」

 陽光聖典の隊員達がゴブリンを迎え撃とうと、いつものように陣形を組む。

 そして、ニグンの指示のもと天使が召喚された。

 次々と辺りに天使達が降臨すると、既に気づかれたと理解した様子の隠れていたゴブリン達が姿を見せた。

 それは見たことのないような――知性を感じさせるゴブリンだった。

 ゴブリン達は皆きちんと装備を整え、木の棒などではない、剣や斧などを手にしていた。

(……こんなところで文明を築いているだと)

 ニグンは苦々しげにゴブリン達を睨み付けた。

 すると――ゴブリンの後ろにはクワやオノ、ナタ、貧相な弓を抱えた人間が続いた。

 

「貴様ら、何のつもりだ。いや、操られているのか……?」

 ニグンが目を細めると、醜きゴブリンが一歩前へ出てきた。

「おたくら、こんな所で一体何をしでかそうってんだか知りませんがねぇ。うちの姐さんの村を襲った人らの仲間たちにちーと似すぎちゃいないかって、村で結論が出たんですわ」

 あまりにも流暢な喋りだった。

 ゴブリンは大抵知能も低く、下品な生き物だと言うのに。

 法国の面々はここでなんとしてもこのゴブリン達を殲滅させなければならないと思った。

(少なくとも、この言葉を話すゴブリンだけは――)

 そう思っていると、また別のゴブリンが口を開いた。

「違うんなら違うでいいんですがね。もしまたあの村を襲おうって言うなら、こっちとしちゃ黙ってられないわけでしてね」

 まさかこのゴブリンは、カルネ村の者によって使役されているとでも言うのだろうか。

 しかし、そんな術者がいるならばあの急襲の日に現れなかった理由がわからない。

 

(……あれを機に護衛の冒険者を雇ったか?それも、召喚や使役に長けたような)

 

 ニグンは悩んだが、これだけ知能の高いゴブリンを使役できる者は人類の砦となり得る貴重な人材であると位置づけた。

(ゴブリンなどと話すのは癪だが……)

 心を決める。

「――確かに、あそこの村に手を出したのは我々だ。しかし、今日は村に行こうと言うのではない」

 ニグンの言葉に、対峙する全てのものから激しい憎悪が沸き立つのを感じた。

 

 いつもならば、無視するそんな感情に、法国の面々は初めて向き合った。そして、慎重に言葉を選び語り出す。

「……あの時はすまなかった。我々も、それこそが人類の為だと信じて疑わなかったのだ。取り返しのつかないことをしてしまったと、深く反省している」

 様子を見ていた神官長達も出て来ると、ニグンの隣に並び共に頭を下げた。

「私達が決めた事です。申し訳ありませんでした。ただ、そうしなければ人類に未来はなかった――と、思ってしまったのです」

 共に謝るその姿は、村人を一層苛立たせるだけだった。

 人類のために自分たちは殺されなければならなかったなど、聞いて納得できる者がいようはずが無かった。

 

 ただ、首すら差し出すと言うような相手達に斬りかかるような真似を村人達はできなかった。

「……お、俺たちは……俺たちは家族を奪われたんだぞ!!」

「それを人類のためって……あんたらは俺たちが人類じゃないって言うのか!!」

「その服、スレイン法国の神官だろう!!」

 村人達が怒りをぶつけようとするが、法国の者達はただ黙って頭を下げた。

 行き場のない感情を地面にぶつける者、叫ぶ者、再び涙を流す者。

 それらを前に神官長も、陽光聖典も、下を向き続けるしかなかった。

 これも神がここを指定した理由かとニグンは唇を噛んだ。

 

 そして日が昇りはじめる。

 あまりの眩しさに、聖典の誰かがそちらを向いた。

 それに引かれるように、一人また一人と昇り行く日へ目を向けていった。

 誰も視線を戻さないことに違和感を感じ、ついにはニグンも朝日を見た。

 

 日の出と共に現れたのは、魔法の防具に身を固めた大量のアンデッド。

 見たこともないような多くの大天使達。

 向こうには太陽すら掴めるかと言うような巨大なゴーレム。三十メートルを超える巨体は、どこから取り出したのか平べったい巨石を抱えていた。

 ゆっくりと動き出し、あたりの鳥達が一斉に飛び立つ。

 巨大ゴーレムは、巨石をブーメランのように放り投げた。

 

 思わずニグンも神官長達も顔を覆ってしまった。

 村人達は逃げ出すかと思えば、足がすくんでしまったようで呆然と立ち尽くしていた。叫ぶ暇すらない。

 夢だろう。こんなのは夢だ。

 それが村人達の総意だった。

 

 凄まじい地響きと共に巨石が着弾する。

 土砂が舞い散り、あたりは土煙に覆われた。

 

 もうもうと立ち込める土煙の中、アンデッドと天使達が動き出し、道を作る。

 平べったい岩は大人の男の身長ほどの高さに、二十五メートル程の幅、奥行きも十メートルくらいだろうか。

 それの前に続々とアンデッドが集まり、二段の階段を作り出す。

 声を出せるものなどいるはずもない。

 

 土煙の向こうからは、腰から黒い羽を生やした異形、憎っくきエルフの王の血を引くであろう双子の闇妖精(ダークエルフ)、銀髪の少女、空中を滑るように移動する赤子の慣れ果て、尻尾を生やした男…。

 

 それらが巨石の上へ立つと、跪き顔を下に向けた。

 

 最高神官長はピンと来て叫んだ。

「全員!!礼!!」

 陽光聖典と神官達はザッと跪いた。

 訳もわからずオロオロとする村人達に構っている余裕などない。

 それぞれ自分の姿勢が失礼に当たらないかと、それだけが気がかりだった。

 

「ゴウン様!?」

 若い女の声が響く。

「ゴウン様だと…?」

「見ろ!!ゴウン様だ!!」

「ああ……仮面が……!!」

 カルネ村の人々が口々にその尊き名を口にする。

 

「すごい!すごいすごい!やっぱりゴウン様は、神様だったんだ!!」

 

 村にも岩が落ちる衝撃が伝わったのだろう、気づけば殆どの村人が着の身着のままその野に出て来ていた。

 

+

 

 その夜、時間を指定しなかったことをアインズはどうしようかと悩んでいた。

 召喚しておいた天使達にも時間制限はある。

(明日は一応いつでも出れるようにしろって言ったし……。法国の奴らが来たら出るくらいでいいよな……。もう伝達したし、今更だよな……)

 そんな事を考えていると、ノックが響く。

 お付きのメイドが扉へ近づいた。

 細く扉を開け、外と数秒会話をすると扉を閉めてこちらへ来た。

「アインズ様、アルベド様とニグレド様が入室のご許可をお求めです」

「ニグレドだと……?入れろ」

 メイドがすぐに扉へ踵を返していく様子を見送った。

 ふわふわと揺れるメイド服に作成者達の並々ならぬこだわりを感じるが――アインズはこのやり取りがめんどくさかった。

 すぐに開かれた扉から姉妹は入って来た。

「失礼いたします、アインズ様。夜分遅くに失礼致します」

「気にするな。私は睡眠不要の身。それで、ニグレド。お前が来ると言うことは何かあったか」

「は。それが、法国の者どもが、指定の場所に着いたようです」

「え……?」

 

 ニグレドの言葉に時間を指定しなかった己の思慮の浅さに頭を抱えたくなる。

「彼らの到着後すぐにナザリックを発つというお話でしたが、フラミー様がお休み中ですので、どのようにするのが良いかとご判断を頂きたく参った次第でございます」

 アルベドの言葉は最もだ。

 昔フラミーは趣味がユグドラシルと昼寝だと言っていた記憶もある。

 それに今は女性を起こす時間ではない気がする。生えているが。

 目の前のこの姉妹にもちゃんと寝て欲しいと言う思いが沸き立つも、ニグレドの睡眠は監視中断を意味するため口にできなかった。

 

「――アインズ様。あの者たちはいくらでも待たせておけばよろしいかと」

 悩んでいる様子のアインズに気付いてか、続くアルベドの提案は魅力的だった。

「そうだな。では、私もニグレドと共に監視に着きタイミングを見極めるとしよう。夜が明ける頃までな」

 そう言って腰を上げたアインズにアルベドが興奮し始める。

「んな!ね、ね、姉さんと一夜を共にすると……!?アァアインズ様!!私も、どうか!!私も共に!!そうです!三人!三人では如何でしょうか!?」

 

 おかしな様子にまた始まったと思うアインズだった。




ちょっとーちょっと統括さん頼みますよ〜。


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#18 早すぎる出会い

 カルネ村から程近く。

 まるで神話の世界から取り出してきたかのような見事な装備に身を包む一行がいた。

 

 ――漆黒聖典。

 

 人類の守護者達は遠くに見える巨大なゴーレムと、それが投げた巨石の起こす地響きを感じていた。

 

 あの存在こそが漆黒聖典、第七席次・占星千里によって予言された破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)かと、漆黒聖典達は隙なく周囲を見渡し安全確保に努めた。

 近くに危機が迫っていない事が分かり、全員が一度戦闘態勢を解いた。

 その瞬間――ゴーレムは闇に吸い込まれるように消えていった。

「これは……なんと言うことだ……」

 呟いたのは、黒く長い髪にまだ幼さの残る顔立ちの漆黒聖典の第一席次、隊長だ。

 その手には玲瓏な鎧とは正反対な、どこか見窄らしさすら感じさせる槍。

 それはどちらもかつて神が残したものだ。

 隊長は先ほどのゴーレムが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だと言うなら、この槍を使うことすら厭わない覚悟を持っていた。

 だが、本体が居なければ神の残した力を使うこともできない。

 

「少しでも情報を得るためにゴーレムのいたと思われる地へ向かうか――投げられた岩の下に向かい、着弾地点の確認に行くか――。どちらにするか……」

 隊長が自問するようにつぶやく。

「近いですし、一先ず岩の落ちた方を見に行きますか?」

 第五席次・一人師団、クアイエッセ・ハゼイア・クインティアが進言する。

「そうじゃな。あれだけのモノじゃ、恐らく急いでも後から行っても、残った痕跡に変わりはあるまい。」

 隊長が返事をするよりも早く応えたのは神の秘宝に身を包む老婆、カイレだった。

「――良いか?」

 カイレの問いに、隊長は肩をすくめてみせた。

「それはもちろん。カイレ様がお決めになったのなら。――皆、行くぞ」

 

 鶴の一声で漆黒聖典の向かう先は決まった。

 

+

 

「面をあげ、アインズ様とフラミー様のご威光に触れなさい」

 ねじくれた角をいただく女が黒い翼を広げて告げる。

 法国の面々が顔を上げれば、カルネ村の者たちが言っていた通り、目の前には闇の神と、それに並ぶように天使が立っていた。

 ニグンの話では天使は従属神だと言っていたが、その立ち位置と様をつけて呼ばれている様子から言って神だと思われた。

 

 闇の神は何か言おうとしたが、何も言わない。

 黒い翼を持つ女はそれに気付き、辺りを睥睨すると、尻尾を生やした男に何やら伝えた。

 

『跪きなさい』

 男から深みのある声が聞こえたかと思うと、後ろから村人が跪く音が聞こえる。

「すごいね!すごいね!」

「ゴウン様のお仲間なのかな!」

 膝を折ることに何の違和感も感じていない村人の興奮が法国の面々にも伝わった。

 

「アインズ様のお言葉を賜ります」

 

 その言葉を聞き、ごくりと誰もが唾を飲んだ。

 

 それは、当の"アインズ様"本人さえも。

(お言葉を賜る、って、相手が俺に来てくださいってお願いしてくるんじゃなかったのか!?俺が何かを言わなきゃいけないのか!?)

 混乱と焦りが最高潮に達すると、アインズは鎮静された。

 

「――んん。まずは、ニグン・グリッド・ルーインよ。お前の的確な働き、まさしく私の望むものだ。よくぞこの場に私の望む者たちを連れ戻ってくれた」

 ニグンは目を見開き、頬を紅潮させて叫ぶ。

「ははぁ!!全ては我が神のため!!」

 こわい。端的に言って、アインズはそう感じた。

「うん……。神官長達もよく来てくれたな」

「は。御身がお望みとあらば即座に。よくぞ我らのためご降臨くださいました!」

 全員なんとなく暑苦しさを感じる。アインズは本当に神様の立場に居ていいのかと後戻りができないこの状況に早くも尻込みし始めていた。

 そもそも単なる会社員に神様になれと言うのは無理があるのではなかろうか。

 この名を広めるための手段のはずが、途中で中身が一般庶民であるとバレてしまえば、名前に傷を付ける事になる。

 アインズが思考の海に沈んでいきかけると、法国の者たちとアインズのやりとりを見ていたカルネ村の村民達のざわめきがアインズを引き上げた。

 

「ゴウン様の配下の方達なの……?」「じゃあどうして村を……」「そんな……」「そんなの嫌だよ」「あんまりだよ」「お父さん、お母さん」「やだぁ!」「やだよぉー!!

 

 ざわめきは次第に大きくなり、泣き出す者も見受けられると、アインズはそちらへの言い訳も用意していなかったことに思い至った。

(こ、これ……ほんとにどうすんの?)

 フラミーに助けを求めようか悩みに悩み、鎮静されたところで――

 

『静まりなさい』

 

 デミウルゴスがカルネ村の者達を黙らせた。

 アインズはクリアになった思考を回転させ、法国の神様として何と言うべきかを導き出した。

「――カルネ村の村長よ。まずはあの日、現在の世界について多くの事を学ばせてもらった事を感謝する。そして、私の留守中に我が法国が迷惑をかけた事、心よりお詫び申し上げる。この事実は詫びても詫びきれないだろう」

 アインズは悲痛な面持ちで地面を見る村人にこれ以上何を言えばいいかわからず、フラミーにちらりと視線を送った。

 すると、変わってフラミーが口を開いた。

「村人の皆さん、私達も今回のこの事を見過ごすつもりはありませんよ。安心してくださいね」

 

 村人達の表情は変わらない。

 静かにするよう支配の呪言を受けた村人達は、静かにヒソヒソと絶望を口にする。

「安心してねって言われても……」「死んでしまった人たちはもう帰ってこない……」「罰を与えて下さったとしても、それが何になる……」

 当然の感想だろう。

 呟くような声の絶望が野を支配する。

 そんな中、アインズとフラミーが最初に出会った乙女――エンリ・エモットがゆっくりと手を挙げた。

『どうぞ、話して下さい』

 フラミーの許可を得ると、エンリは縋るような言葉を紡ぎ出した。

「天使様……。ゴウン様も天使様も……知らなかっただけなんですよね……?ゴウン様は、それに気付いて駆けつけてくださったんですよね……?だ、だって……だってあの時、天使様は『私が遅かったせいで』って、私達の傷を癒して下さったじゃないですか……!!」

 涙ながらの言葉に、村人はあの日、確かに命を助けてくれた二人に「もう一度信じさせて欲しい」と目で訴えていた。

 

 だが、応えたのは、法国の神官だった。

「そうです。全ては我ら法国の罪……。神々は何の許可も、指示も出されてはいません……」

 その声は震え、今にも泣き出しそうだった。

 周りからは神官長様……という囁きが漏れ出ている。

 

「マクシミリアン・オレイオ・ラギエよ」

 突然声をかけられた闇の神官長は神が自分の名前を知っていた事への喜びと、これから来ると思われる叱責に肩を震わせた。

「はい。スルシャーナ様」

「私はスルシャーナではない。アインズ・ウール・ゴウンだ。お前は闇の神官でありながら、私の望まぬことをしたな」

「はい……。しかし、我ら人間はもう……こうする事でしか一つになれないと……そう思ったのです……」

「人が一つになるためになぜ人を殺す」

 分かり切っているはずの問いを敢えて投げかける神に、ガゼフ・ストロノーフがいなくなれば王国の崩壊が進む事、王国はもはや腐り切っている事を必死に話した。

「そうなのか、いや。んん。そんなことは分かっている。そうではない。アルベドよ、私の真意を教えてやれ」

 

 アルベドと呼ばれた黒い翼を持つ天使が一歩前へ出た。

「アインズ様は、なぜ自分へ深く救いを求める祈りを捧げず、人を殺して回ったのかと、そうおっしゃっているのです」

 

 確かに、自分達は必死でスルシャーナへ、いや、闇の神殿へ祈りを捧げただろうか。

 目の前に存在した従属神に数年に一度謁見し、供物を差し出し、聖歌を捧げるだけの日々に満足していたのではないだろうか。

 本当の意味で、神を信じていたのだろうか。

 そして、再臨を助けるだけの事をしただろうか。

 

「申し訳ございませんでした」

 

 もはや謝ることしかできない。

 闇の神官長は涙を流し、嗚咽し、謝り続けた。

 

「アインズ様」

「わかっている、アウラ。お出ましだ」

 

 聖典も神官も村人もその言葉の意味を探ろうとアインズの視線の先を確認するように振り返った。

 すると、遠くから馬に乗った複数の人影が見えてきた。

 中には強大な力を持つ魔獣、ギガントバジリスクもいるが逃げ出す者はいない。

 法国の人間は近付いて来る者達に覚えがあった。

 村人はあまりにも非日常的な展開に感覚が麻痺し始めていた。いや、中にはアインズを守りたいと思うものも大勢いたのだ。

 

 近づいて来た集団はまずは村人を見渡し、続いて法国の面々を見渡し、最後にアインズ達をよく見渡した。

 徐々にスピードを落とし、一行は馬から飛び降りるようにして近付いて来た。

「最高神官長様!!それに神官長の皆様も!」

「頭が高いぞ!!早く、お前達も!!」そう怒鳴る土の神官長兼聖典長の言葉に慌てて列を作り跪いた。

 

「良いのだ、レイモン・ザーグ・ローランサン。」

 アインズはせっかく覚えた名前なのでとりあえず流れがあれば全員呼んで、アルベド達に暗記した自分の成果を――ちゃんとトップも働いていますよ、というアピールをしたい気持ちでいっぱいだった。

 

 アインズの言葉に法国に連なる者達が頭を下げる。

 が、一人だけ――いや、正確には一人と一つだけはそうしなかった。

 

 わなわなと手を震わせ、一歩一歩近付いて来るのは漆黒聖典、第五席次・一人師団。

「クアイエッセ・ハゼイア・クインティアか」

 名前を知ってる者が立っていることにアインズは喜びを感じていた。

「スルシャーナ様!!!!」

 そう言って駆け出そうとするが、アインズの視線は既にクアイエッセを捉えてはいない。

 視線を追うようにクアイエッセはバッと振り返った。

 

 そこには、白金の美しき鎧。

 

「……スルシャーナ……君なのか……?」

 

 アインズはその鎧を知っている。

 具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)に、魔神を諌めるように頼みにきたこの世界最強の竜。

「ツアー……」

 

 呟いてしまうと同時にアインズははっと口を押さえた。

 つい具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)が呼んでいた名前で呼んでしまった。

 きちんとフルネームで呼ぶべきだった。

 アインズはここまでうまく行ったのに、と失態に少し落ち込んだ。



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#19 モモンガ

コロ介様の感想を読んで、素晴らしいな〜!と思ったのでアイデア?妄想?想像?確信?をお借りします!



「……スルシャーナ、君なのか……?」

 

 そんなわけが無いと理性ではわかっている。

 しかし、法国の神官に跪かれるこの存在がスルシャーナであって欲しいとツアーは願いを口にした。

 

「ツアー……」

 

 目の前の死が友しか呼ぶことを許していないその名で語りかけて来る。

 しかし――呼び方も、外見も、その身に纏う物もスルシャーナによく似ているが別人だ。ドラゴンの鋭敏な感覚が否定する。

 周りにいる者達にこの姿が"ツァインドルクス=ヴァイシオンの物"だとは知られたくなかった。何か適当な名前を――そう、例えば"リク"を名乗りたかった。だが、全ては遅い。

 神官長達はツアーの想像通り、竜王(ドラゴンロード)だと?とツアーを忌々しげに睨みつけて来ていた。

 

「君は一体何者なんだい。その力、ぷれいやーだと言うことは間違いなさそうだね」

「おお、やはりぷれいやー様!神だ!」

 湧き立つ法国の連中の様子にツアーは苛立たしくなった。

「君は、いや。君達は世界に協力するものかな」

 聞いてみたが、正直そうは見えない。

 ほとんど全員から邪悪な波動を感じる。

 見た目だけは清らかそうな輝く翼を背負うスルシャーナ似アンデッドの隣の者も、根は悪だろう。

(……しかしスルシャーナもそうだった)

 かつての友の中にはその邪悪さと、無垢なただの"ヒト"を併せ持つ者が多くいた。

 そして皆一様に激しく葛藤していたのだ。

 

「流石にこれまで六大神、従属神、八欲王、十三英雄と多くの存在に会ったことがある者は違うな。ツァインドルクス=ヴァイシオン。私達は世界に協力する者でいたいと、そう思っているよ。しかし、私は自分の愛する子供達を、仲間を守る義務がある。それを背負っている事だけは今ハッキリ言っておこう」

 

 子供と言うのは従属神達のことだろう。

 しかし何を勘違いしてか、村人や法国の者達が感涙にむせんでいた。

 

「そうかい。それを侵されなければ、世界を蹂躙しない、と。そう誓えるかな?」

 

「誓えるとも。我がアインズ・ウール・ゴウンの名に今誓おう」

「なに……?」

 

 ツアーが低い声で返すと、アインズは今の返事は何かおかしかったかなと内心焦った。

 この竜王はこれまで幾人ものプレイヤーを葬って来た危険な存在だ。敵対はしたくなかった。

「アインズ様が、その尊き御名前に誓うと仰っているのです。これ以上の誓いはありません」

 アルベドの助け舟に心の中で感謝し鷹揚に頷く。

 

「そうか、だからか。君がその服も見た目も、なにかとスルシャーナに似ていた筈だね」

「似ているだと?」

 アインズは苛立たしい気持ちになった。

 この見た目も装備も誰かを真似した事はないと断言できる。

 何百何千とある外装を自分で選び、ビルドしたものだ。

 

「スルシャーナはひこうにんふぁんくらぶに入っていると言っていたよ。君を崇める宗教だろう?」

「何のことかさっぱりわからないな」

 本当にわからないアインズはますます苛立たしくなった。

 

「おかしいな。スルシャーナはアインズ・ウール・ゴウンのひこうにん魔王を崇め、それを真似てヒトからアンデッドの身になったと聞いたよ。そしてこの世界に渡ったと」

 神官達が「やはりスルシャーナ様は人の身から神に昇りつめた方だ」と興奮している。

 ツアーはアインズに向かい、歩みを勧めて話した。

「初めて聞いたときは意味がわからなかったけれど、六百年経ってようやく分かった。君にはほかに本当の名前があるんだろう?アインズ・ウール・ゴウン」

 アインズがこいつは何を知っているんだと目を細めると――

「待ってください」

 隣に立っていたフラミーがふわりと岩から降りた。

「今アインズさんはアインズ・ウール・ゴウンを名乗っています。この名前はアインズさんが全てを守るという誓いです」

 そこまで大仰なものではないが、間違いでもない。

 皆が戻ってきたら、きっとこの名を返して元の名前で再び生きていくことになるだろう。

 それまではこの名を背負ってアインズは全てを守らなければならない。

 

「……君もえぬぴーしーではなくぷれいやーなのかな」

 ツアーの目の前まで進んでいくフラミーの後ろ姿から、アインズは目を離さなかった。

「プレイヤーです。悪いですけど、その名前は言えないですし、言わないでください」

 ツアーの前で立ち止まり、杖を握りしめるフラミーの瞳はアインズを全てから守ろうとでも言うようだ。

 モモンガの名前が知られれば、真っ先にモモンガはプレイヤー達に狙われるだろう。

「……君はまるで従属神だね。良いとも。今日は漆黒聖典を追ってみて良かったよ、ゴウン」

 フラミーの頭越しに声をかけられると、アインズは不機嫌そうに返した。

「私のことはアインズと呼んでくれ。そしてこちらはフラミーさんだ」

「そうかい。では、アインズ。そしてフラミー。まさかこんな所で今回の揺り返しを見つけるとはね。また会おう」

 

 そう言い残した鎧は後ろへ飛び上がって人々を越え、どこかへ向かって荒野を疾走していった。

 アインズは敵対するとも友好的とも言えない竜の後ろ姿を複雑な気持ちで見送った。

 

「ニグレド、あれの監視はやめておけ。バレれば後が怖い」

 虚空に向かって呟いておくのを忘れない。

 しかし、いつか仲間にできたら良いなとレア物収集欲が高まるのを感じる。

「……まずはお友達から、か」

 友達にもなっていないが。

 フラミーはアインズの声に振り返るとはははと笑った。

 

 立ち去ったツアーの背中を皆が呆然と眺める。

 闇の神官長はフラミーの笑い声で我に帰ったように体勢を戻した。

「アインズ・ウール・ゴウン様。スルシャーナ様が貴方様を崇めていた事はよくわかりました。して、私たち闇の神殿に使えし者も、闇の神官ではなく、ひこうにんふぁんくらぶの神官と名乗りを変えた方がよろしいでしょうか」

 

 最悪だ。

 

 それがアインズとフラミーの総意だった。

 いや、スルシャーナも恐らくそんな事は望まなかっただろう。

 アインズは口が開きそうになってしまったのをなんとか抑えた。

 

+

 

 法国へ行く約束はしたが、アインズとフラミーはその前にカルネ村でやることがあると告げた。

 一行はぞろぞろとカルネ村へ移動した。

 

 遠くから聞こえてくるクアイエッセの狂信的な言葉の数々と、ニグンの初めて声をかけられたのは自分だと言う声、それに競うように村人達が自分達こそ神に選ばれ救われた者だという主張達。

 ――アインズはやはり神になるという選択は間違いだったんじゃないかと思っていた。

 だが、アインズとは裏腹に守護者達は上機嫌に小さな声でヒソヒソと何かを話していた。

 

「ほぅ……。さすがはアインズ様……。プレイヤーの中にもアインズ様を崇める者がいたんでありんすね……」

「全くだね。そしてアインズ様はこうなることを全てお読みになっていたかと思うと……私達ももっとお役に立てるように頑張らなくてはいけませんね。しかしあの従属神は全く。そんな事も知らなかったとは所詮は下賤の者ですね。 」

「アア……我ラガ神ノ素晴ラシサヲモット多クノ者ニ知ラシメタイモノダ……」

「ぼ、ぼくはもっとフラミー様の素晴らしさも皆に教えたいです!」

「あたしも!アインズ様が至高の御方々の中でも素晴らしい御方なのは分かるんだけどさ!」

「そうね、アウラもマーレも、勿論コキュートスの言うことも最もだわ。もっと知らしめましょう。そして、いつかはお世継ぎが必要になって!!あぁ!なんて素晴らしいの!!」

 アルベドが暴走しかけるのをデミウルゴスが制し、なんとか乱れずにカルネ村に進む――。

 なんとも恐ろしい会話は背に降り注ぎ続けた。

「フラミーさん、本当に俺このままじゃ神様なんですけど……」

 ヴィクティムを大切そうに抱えるフラミーはそれが何か?と顔に書いてあるようだった。

「え?はい。神様ですね!これで一気に私達のアインズ・ウール・ゴウンが広まりますよ!」

 少しフラミーと感覚がずれてきた気がする。

 ヴィクティムがいる為、あまり踏み込んだ話ができない。

 フラミーは神様神様!と嬉しそうに歩みを進めた。

 

 そして、カルネ村の墓地に着いた。

「じゃあ、実験ですね」

「はい!やっぱり神話には復活がつきものですしね!」

 神話など殆ど知らないフラミーは上機嫌にそう言った。昔、タブラ・スマラグディナに横からあれこれと話されたが、フラミーの中に残る神話の情報は少なめだ。

 墓地に対して多すぎる野次馬達が、丘の上や木の上などさまざまな所からアインズとフラミーの様子を伺っていた。

 ヴィクティムと多くの儀仗兵は村についてから一度転移門(ゲート)で帰還させた。

 守護者達は僅かに離れた、いつでもアインズ達を守れる距離から様子を眺めた。

 

 フラミーは墓の盛り上がりに向けて白いタツノオトシゴの杖を向けた。失敗はしたくない。

 故に、選択したのは第九位階の――「<真なる蘇生(トゥルーリザレクション)>」

 ゴォッとその翼は燃えるように輝いた。

 前髪が目に見えない力により起こされた風によって揺らされる。

 その光景の神々しさに、村人達は言葉を失い、黙って見つめた。

 

 ――しかし何も起こらない。

 

 まさか、復活魔法は流石に使えないのか……と、どうやってこの状況を誤魔化せば良いのかわからないフラミーはぐるりと聖典、神官、村人、を見回した。

 すると目のあった人々が法国も村人も関係なく集まりだし、慌てて墓を掘り始めた。

 若干緊張感なく「ひぇ〜やっちゃったぁ」と思うフラミーを余所に、復活したばかりで力が入らない様子の村人が土から引っ張り出された。

 あたりはドッと歓声に包まれた。

 蘇生された者の家族は泣いてフラミーに礼を言い、這いつくばってその足に口づけをしようと近づくと、爆音と煙を上げてアルベドが村人の前に立ちふさがった。

「神聖なるフラミー様のお体に触れることは許されないわ。感謝は別の形で表しなさい」

 極寒の瞳だったが、そんなもの気にもせず村人は何度も礼を言い、すぐに引き下がった。

 

 村人の収穫だ。などと思いながら、フラミーは次々に人々を生き返らせ、墓地は掘り返されて行った。

 これなら別に第七位階の蘇生(リザレクション)でも良いのでは、と欲を出したが、ユグドラシルの時同様に金銭の代償を必要とするようで発動しなかった。

 三割程度までなんとか生き返らせた所で魔力がほとんど底をつき始めるが、まだまだ死者はいる。

 一体何人殺したんだ陽光聖典。

 忌々しい隊員達は喜びに聖歌を歌っており、幸か不幸かフラミーの視線に気が付かなかった。

 

 フラミーは疲れ果てた体でフラフラとアインズの元へ行くと耳打ちした。

「アインズさん、実験はここまでにします……。もう良いですよね?これだけ大盤振る舞いしたんですもん」

 しかし、答えは非情だった。

「ダメですよ。フラミーさんももっと崇められる神様になってください。ほら、魔力あげますから。シャルティアの分もあるんで多分全員行けます。さ、早く戻って下さい」

 アインズはフラミーの手を取ると自分の魔力を小さな器に大量に流し込んだ。

 フラミーは魔力が戻ったと言うのに紫の顔を青くして戻って行った。

 

 フラミーのテンションとは裏腹に、人々のテンションは上がり続けた。




非公認ファンクラブの神殿
非公認ファンクラブの神官
非公認ファンクラブの信徒
非公認ファンクラブ聖典

非公認ファンクラブの神官長様…それだけは…それだけはやめて下さい!!


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#20 法国の決定と漆黒の剣

 夜明けから始まった会談も、ツアーの乱入やフラミーの蘇生作業によって、既に昼間になっていた。

 

 魔力がすっからかんの一行は、伝言(メッセージ)でオーレオール・オメガに神都神殿前に続く大通りへと門を開かせた。

 

 メイン通りに突如現れた闇に一時パニックになりかけた法国民達は、そこから現れた自国の高位の神官達を見て安堵した。

 そう言うことも、我らの神殿なら出来るだろうと納得したのだ。

 一般の者達では見たことがない聖典部隊を引き連れ進んで行く様は人類の守護者然としていて、この行進の噂は一気に神都中を駆け抜けた。

 通りに面する家や店から続々と人が顔を出し、素晴らしいパレードを一目見たいと噂を聞きつけた街中の人々が集まってきていた。

 

 歓声すら上がり、中には子供に花を持たせて聖典部隊へ渡すように走らせる親もいた。

 ――しかし、続いて現れた獅子の顔の天使、アンデッド、さまざまな異形に何が起きて居るのかとざわめく。

 その後、闇の神官長と、南方の衣装に身を包む尻尾の生えている男が出てきて、それぞれ一言告げる。

「スルシャーナ様を教え導いた神々のご降臨です」

『我々が通り過ぎるまで跪きなさい』

 自然と膝をついてしまう自分の体に人々は驚くも、恐怖はなかった。

 その様子に満足したように神官も男も再び進み出した。

 追うように闇から現れたのは幾枚も重なり合う翼を持つ、紫の肌をした女神だった。

 その美しさ、決して人ならざる者の威光に方々からは再び感嘆の声が上がった。

 そして――更に出てきた死の化身は、誰もが学校で習い、日々感謝を捧げてきた神そのものだった。

 深く神々しい黒き後光を背負った――スルシャーナを導いたと言う神は威厳に満ち溢れた様子で、神とはこのように歩くのかと思わされた。

 続いて再びアンデッドと天使が神を守るようについて出て来ると、大神殿へと行進は消えて行った。

 姿が見えなくなると人々はワッと声をあげ、抱きしめあい、今日という祝福の日に感謝した。

 昨日闇の神殿と光の神殿に祈りを捧げに行った者達は、自分達こそ神を呼んだ敬虔な信徒であると声を高くした。

 

 この日は"約束の日"と呼ばれ、後に神殿や、大聖堂へと必ず参拝に行く日となった。

 そして誰もが一生に一度はお伊勢参り、ならぬ一度は"約束の地"参りを夢見た。

 約束の地に建てられた神殿の中にある、美しく切り出された巨大な岩に触れると神聖魔導王の叡智を分けてもらえると、世界でも指折りの聖地になる事を、今はまだ誰も知らない。

 

+

 

 ニグンは神と共に自分の出立の時に土の神官長で、六色聖典の長でもあるレイモン・ザーグ・ローランサンから指令を受けた"長の間"に来ていた。

 縦長のステンドグラスがいくつも嵌められ、外からの光が複雑な色となり部屋に長く落ちた。

 静謐な空間で跪き、神々の言葉を待った――。

 

「面をあげよ」

 自分はこれから断罪されるかもしれない。

 それでも、最後にもう一度神の威光に触れられた事に、ニグンは心から感謝した。

「ここに、国を守り続けた具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を連れて来るのだ」

 神の言葉に軽いざわめきが起きた。

 スルシャーナの従属神のことを言っているのは確かだが、あの従属神は唯の一度も神殿最奥から出てきたことはない。

 しかし、出来ませんとは言えない神官長達が静かな足取りで部屋を後にした。

 

 皆の呼吸する音だけが部屋に響いた。

 皆顔をあげても良い――つまり、神を見ても良いと言う許可を得ている為、じっと神々の姿を見つめた。

 闇の神の瞳には赤い命そのもののような灯火があったが――しばらく見つめているとふっと消えた。

 光の神も静かに目を伏せていて、そうしていると二柱はまるで彫像のようにすら見える。

 生命体ではありえないほどの、一点の隙もない完璧な美が並ぶ。

 その場に揃っている者達に神聖な不可侵の存在であると思い知らせるようだった。

 身に付けている物も実に素晴らしく、ニグンは何故あの時もっと早くこの存在達が神だと理解できなかったのか、ただただ悔しかった。

 光の神に至っては森妖精(エルフ)と罵ってしまった。

 光っているわけではないが、眩しい。そう思った。

 ニグンが目を細めていると――扉が開く音がし、従属神は現れた。

 見たこともない剣を携えて。

 

「よく来たな、パン――んん。具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)よ」

「ンァインズ様。再び拝顔の栄に浴する事ができ、恐悦至極にございます。一日も早く神々の城に戻る事を、どうかお許し下さい。そして、こちらを……」

 神々の居城へ帰りたいと願う従属神は、ようやく本当の自分を取り戻したかのように喜び、舞っていた。

 差し出す剣を真なる闇の神が受け取ろうとするが――「神よ!!」

 咎めるような声が響いた。その声の主はカイレだった。

 神々の行いに口を挟むカイレに、ニグンは苛立った。

 苛立ったのはニグンだけではなかったようで、静かに控えていた全ての従属神からも隠しきれない怒りの波動を感じた。

『だまり――』

「よいのだ、デミウルゴス。なんだ、カイレよ」

 

「それは六大神の残した我らが神殿最奥を支える――世界に匹敵すると言われる剣。それをどうされてしまうのでしょうか」

 どうするもこうするも、神々の持ち物が神々に帰っただけだ。

 神官長もやめないかと声を荒らげる。

 ニグンは必要があれば今すぐこの老婆を殺す覚悟をした。

 

 そして、光の神が告げる。それは死刑宣告のようにも聞こえた。

「破壊します」

 

 崩壊だ。

 

「それではこの神殿が壊れてしまいます!そうなっては法国の力が弱まったと森妖精(エルフ)に悟られ、戦線は街にまで及んでしまうかもしれん!どれだけの被害が出るか想像もつかぬほど、あの国の王――デケム・ホウガンは卑劣な男なのです!!」

 カイレは壇上に控える双子の闇妖精(ダークエルフ)を視界に入れたまま食い下がった。

 神官長達もどうなってしまうのかとオロオロし、カイレを諌めることが正しいのか迷い始めた。

(……未だ神々を神々だとわかっていないのか!?)

 堪り兼ねたニグンは神の前だが、許可を取ることも忘れて立ち上がった。

「貴様!!神の決められたことに歯向かうというのか!!」

 カイレは決して低い身分の存在ではないが、ニグンは指先を突きつけ、なおも続けた。

「この神殿の崩壊を以って、これまでの法国の罪を濯ごうと言う神々のご慈悲に気付けないような貴様が!これまで神殿の中枢にいたのかと思うとヘドが出る!!貴様には神の秘宝を身に纏う資格など――ない!!」

 

 ニグンは既に誰よりも神の真意を悟るのに長けていた。

 

 カイレの言い分も最もかも知れないと黙った神官長達だったが、成る程とニグンに加勢する。

 

「ルーイン隊長、少し落ち着かれよ。――カイレ様。貴女様はニグン・グリッド・ルーインがあの約束の地で受けた神の洗礼を知らなかったのだから仕方ないのかもしれませんが、神々は常に我らのことを考えてくれております。我ら法国は、ただただ驕っていたのです」

 

 ニグンは約束の地での事を思い出しながら熱を吐き出すように深呼吸をすると、優しく語り出した。

「私たちは神の前では無力な生き物にすぎません。そこには権力も、生まれも、強きも弱きも、何一つ介在する隙はないのです。カイレ様」

 先ほどとは打って変わって――神の洗礼を受け、真意に近付いた者だけが浮かべる事を許されるような慈悲深い笑みにあふれていた。

 

「これまでの法国を壊していただきましょう。それしかありません」

 全員がニグンの言葉に静かにうなずいた。

 中には、本当にこれで良いのかと心の中で自問する者もいたが。

 

 人々の混乱が収まると、闇の神は室内を見渡した。

森妖精(エルフ)の国との事は心配する必要はない。今後あの国は、この二人が象徴となろう。そして邪王は地獄に落ちることとなる」

 

 その淀みない言葉に、安堵の声が誰かから漏れた。

 

「――私はこれから、人も亜人も、異形も、全ての者たちが幸せに暮らす、そんな国を作る事をここに宣言する」

 

 神は、人だけを救うのをやめた。

 これまでとまるで正反対の方針に恐れを感じたが――皆ニグンの受けた洗礼を信じることにした。

 神の前では全ての命が無力であり、そこには権力も、生まれも、強きも弱きも、何一つ介在する隙はないのだ。

 

 翌日、法国中に触れが出された。

 それには一週間後に大神殿の一部が崩壊すると言う事から始まり、その日に法国は改名する事、これまで法国の犯した罪の数々。

 

 そして、神々の再臨が書かれていた。

 

+

 

 アインズとフラミーは約束の日の翌日から気晴らしの冒険者ごっこに出かけた。

 今回もやはりアルベドの猛反対にあったが、「これは必要なことだ」と言い張り――最後にはやはりデミウルゴスの謎の魔法の囁きをもって事態は収束した。

 二人は影の悪魔(シャドーデーモン)八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と言った隠密能力に優れたしもべを警護に連れていく事を約束し、ようやくお出かけすることに成功した。

 

 冒険者組合では、デビュー戦――宿屋でモモンが格上の冒険者達を軽々と放り投げたことが噂になっていた。

 

(……悪かったからそんなに俺を見ないでくれ)

 

 モモンは居心地の悪さを感じながら、プラムと共に掲示板に向かった。

「良いお仕事あると良いですね!」

「そうですね。一週間は出ていられますし、いくつか受けても良いかもしれません」

 そう言いながら、モモンは掲示板の前に着くと、さてどうしたものかなと腕を組んだ。

 この世界の字はひとつも読めなかった。言葉は世界が翻訳こんにゃく(・・・・・・・)を食べているようで、自動翻訳されているので何とかなっていた。口の動きと聞こえてくる言葉が違うのだ。

 だが――こと、文字だけはどうしようもない。

 アインズは方針を決めると一枚の紙に手を伸ばそうとし――「えっ!ファンタジーなのに読めない!!」

 フラミーの大きな声にびくりと肩を揺らした。周りの人々から何事かと視線を送られる。

「プ、プラムさん。そんな大声で読めないなんてあんまり言わないほうが……」

 冒険者組合にこうして依頼の紙が貼られているということは、皆字は読めて当然な最低限の教育は受けているはずなのだ。それが読めないというのは、印象があまりにも悪かろうとアインズは冷や汗をかきそうだった。

「これじゃ、お仕事見つけられない……」

 フラミーがひぃーんと鳴き声を上げていると、背後から男の声がかかった。

森妖精(エルフ)さん、王国文字は初めてですか?仕事が決められないなら、よかったら私達の仕事を手伝いませんか?」

 

 それが冒険者チーム・漆黒の剣との出会いだった。

 

 報酬の折り合いがついた六人は揃って冒険に出た。

 街道に溢れ出てくるゴブリン狩りだ。

 辺りは清々しい風が吹き抜ける見通しのきく草原で、少し街道から離れたところに森がある。

 アインズとフラミーは初めて見る健康な森を見ると感嘆した。

「――トブの大森林は、プラムちゃんの生まれたエイヴァーシャー大森林とはまた雰囲気違うっしょ」

 フラミーはチャラチャラした雰囲気のルクルット・ボルブにそう言われると振り返った。

「私、森では生まれてませんよ」

「ん?そうなのか。じゃあ出身はどこ――」そう言い掛けると途端にルクルットの様子に緊迫感が漂った。「動いたな」

 ゴブリンとオーガが森からわらわらと出てくると、リーダーのペテル・モークがアインズへ声を掛けた。

「モモンさん、本当に半分お願いしてしまって良いですか?」

「もちろんです。プラムさんも良いですよね」

「はひ!頑張りましょうね!モモンさん!」

 フラミーが頷くと、アインズは動かぬ顔で笑い、背に掛けた二本の大剣を引き抜き駆け出した。

 

 そうしてその日はゴブリンやオーガを狩りに狩った。

 

 これだけ調子が良いならもっと狩って行こうと野営をする事にした。

 焚き火を六人で囲み、パチパチと爆ぜる火を眺めた。

「モモンさんもプラムさんも本当にすごかったですね」

 魔法詠唱者(マジックキャスター)のニニャはそう言いながら、塩漬けの燻製肉の入ったシチューをアインズとフラミーへ渡した。

「そんな。あのくらい、皆さんもすぐにできるようになりますよ!」

 アインズはフラミーの言に相槌を打ちつつ、シチューをどうしようかと渡された器に視線を落とした。

「はは……そんな。お二人は何か――人に在らざる者のような……そんな雰囲気がありますよね」

 アインズの胸の中をドキンッとないはずの心臓が跳ねた。

「まさしく、英雄であるな」

 ドルイドのダイン・ウッドワンダーがうむうむと頷くと、フラミーはちらりとアインズを見てから口を開いた。

「私は森妖精(エルフ)ですから。人じゃない感じするんだと思いますよ」

 フラミーがそう言うと、確かにと漆黒の剣は笑った。

「――それにしても、空」

 見上げたフラミーの視線を追い、アインズと漆黒の剣も空を仰いだ。

 雲の隙間から星が瞬き、真っ白な月が雲に陰りおぼろな光を落としていた。

 美しかった。同じ夜空でも、毎日見るたびに違う姿をしていた。

 隣で星を瞳一杯に映すフラミーは感動しているのか睫毛が少し濡れていた。

 ――美しい。アインズはそう思った。

 

「曇りだけど、雨は降らなそうですね」

 ペテルが見えている事を告げると、ルクルットも感想を口にした。

「なんだかパッとしねぇ空だなー。プラムちゃん、明日はきっと綺麗だよ」

「今日も綺麗ですよ?」

「……そう?やっぱ、森妖精(エルフ)はちょっと感性違うのかな?」

 首をかしげるフラミーが納得いくようないかないような顔をしていると、アインズは腰を上げた。

「プラムさん、空見ながら食べましょう。あそこの岩、寄りかかると見易そうですよ。首、痛くならずに済みます」

 アインズがそう言うと、フラミーは嬉しそうに頷き立ち上がった。

「わぁ、良いですね!行きましょ!」

「皆さんすみません。食事が終わったらすぐに戻ります」

 二人は立ち去り、岩に背を預けて空を見ながら食事を始めた。

「……やっぱり、あの二人って出来てんのか?」

「種族を超えた愛であるな」

 ダインが顎髭をなでて温かい目をする中、二人の楽しげな笑い声が風に乗り微かに届いた。

 

+

 

 あれから更にもう一泊し、袋いっぱいの魔物の部位を詰めた一行は再びエ・ランテルに帰って来ようとしていた。

 法国では聞こえてこなかった霜の竜(フロスト・ドラゴン)の話や、見たこともない魔法に二人は胸を躍らせた三日間だった。

「まだまだ見所がたくさんあって良かったですね!モモンさん!」

「本当ですね。俺、ちょっと法国で世界を知った気になってました」

 夕暮れ、ハムスケと名付けられた大魔獣の背に乗る二人はエ・ランテルに戻りながらそんな話をした。

 

 すると、ルクルットが割り込むようにハムスケの下から声をかけてきた。

「二人は法国の出身なのか?モモンさんは南方の生まれかと思ったが」

「そう言えば確か法国は森妖精(エルフ)と戦争してましたよね?法国はもう勝ったんでしょうか?」

 ニニャの何気ない言葉に慌ててペテルが頭を下げた。

「ニニャ!すみません、冒険者の癖というか、つい新しい情報を求めてしまうんです。プラムさん、気を悪くしないでくださいね」

「え?あ、良いですよ。前にも言った通り、私は別にエイヴァーシャーの生まれじゃありませんし、どっちが勝つとか負けるとか興味ありませんから!」

 見たことのない残酷な表情に、やはり地雷だったと漆黒の剣は頭を下げた。

 

 とっぷりと日が暮れ、エ・ランテルの城壁門にたどり着けば、そこには長蛇の列が伸びていた。

「ん?なんだろう?」

 ニニャの様子から、これが当たり前の光景ではないことが見て取れた。

「誰か!!この中に冒険者はいないか!!」

 衛兵達の声に最後尾に並んでいたモモン達は顔を見合わせた。

 二人の心の中は「ドラマで見る"お医者様いませんか"のようだ」と緊迫感がまるでなかった。

「我々は漆黒の剣、冒険者です。何かあったんですか?」

 

 ペテルの問いに衛兵はその後ろの大魔獣を連れているのかと期待を持って応えた。

 

「中でアンデッドが大量に湧いているんだ。減るどころか次々と数が増えて行くせいでめちゃくちゃだ!頼む!加勢に行ってくれ!!」




ニグンさん、お利口さんだな〜!

次回、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国

2019.05.20 ふまる様誤字修正ありがとうございます!
2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#21 神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国

 クレマンティーヌはついに法国は狂ったと思っていた。

 スルシャーナを超える神の再臨なんて夢物語だ。

 だから、法国のそばからとっとと離れたいと言うのに。

 

 追手を巻くための行きがけの駄賃はうまく発動し、このエ・ランテルを蹂躙できたと思ったのに。

 

「ん?お前、クアイエッセに似ているな」

 そう言う目の前の漆黒の全身鎧(フルプレート)の男にクレマンティーヌは鋭い視線を送った。

「……やっぱり法国の関係者なんじゃーん。そうだよー?私は元漆黒聖典第九席次、クレマンティーヌ。覚えなくってもいいよー。だって、あんた、今日ここで死んじゃうんだから!!」

 そう言ってクレマンティーヌはクラウチングスタートの姿勢から勢いよく地を蹴り飛び出した。

 身を低くして駆け抜ける。風すら追い越せるようなスピードだ。

 しかし、『止まってください』と言う命令を耳にすると地面と激突するように無様に転んだ。

 

「な!?何なの!?」

 

 カジットと戦っていたはずの森妖精(エルフ)がこちらを見下ろしていた。

 その瞳の冷徹さにクレマンティーヌは数度瞬いた。

 先程までの雰囲気とあまりにも違い、別の森妖精(エルフ)かと疑う。

「モモンさん、今地下に降りたら半裸の男の子がこれを……」

 その手には、叡者の額冠があり――そして体の陰から青年の死体を放り出した。

「煩かったから殺しちゃいました。……なんでこの世界の人は陰部を晒しがちなんですか?本当信じらんないです」

 その声は明確な苛立ちを含んでいた。

「ちょっとちょっと!あんた慈悲ってもんがないの!?」

 きょとんと首をかしげる森妖精(エルフ)は心底何とも思っていない様子だ。

 すると、戦士が口を挟んできた。

「んん。プラムさん、その子は多分懸賞がかかってた薬師の子です。勿体ないことしちゃダメですよ」

 クレマンティーヌが言えた義理ではないが、こいつらは命を命と思っていない。

「ありゃ、この子がそうでした?写真とかがないから分からなかったです……。あ、パンドラズ・アクターさんがお出かけしてた間カメラの製作って滞ってますよね?」

 よくわからない関係ない話を始めてしまった。

 土が口に入ってきて気持ちが悪い。

 

「いえ、向こうでもちまちま進めてたみたいですよ。とりあえずそれ、頼みますよ。随分良い金額出てたんですからね!名声にも繋がりますよ!」

 漆黒の戦士はどこからともなく布を引き出し、少年の秘部に放った。

「モモンさんと遊ぶためのお金じゃ、仕方ありませんね」

 そして青年は輝き、森妖精(エルフ)はローブを激しくはためかせた。

 その時クレマンティーヌは確かに見たのだ。

 

 とっとと国を見限ってよかったと、国は狂ったと、ずっと思っていた。事実そのはずだった。

 

 しかし――煌めく翼、代償なく息を吹き返す死者。

 そして戦士が手の中で兜を消すと――そこには白磁の輝き。

 

 間違っていたのは自分なのかもしれない

 

+

 

「と〜の〜〜!!ひ〜め〜〜!」

 ハムスケは二人の元へ走った。

「あ、ハムスケ!」

 気付いたプラムもハムスケへ両手を広げて駆け寄り、顔を抱きしめた。

「可愛い可愛い!ハムスケかわいいね〜!」

 よしよしと撫で付けてくる優しい感覚と、メスとして褒め称えられる気持ちの良さにハムスケはふふんと得意げな顔をしてから尋ねた。

「姫、殿はどうしてるでござるか?」

「今は神さましてるから、ここで待ってようね!少し記憶を覗いて書き換えたら戻ってくるからね」

 意味はよくわからないが、モモンの前に跪く薄着の女の姿があった。

「殿は誠に偉大なお方でござるなぁ」

「本当ですねぇ」

「あ、姫も偉大でござるよ?」

「え?はは、私は偉大じゃないですよぉ」

「そうでござるかぁ?」

「そうでござるよ〜」

 二人はしばしモモンの様子を眺めた。

 

 その後、ンフィーレアを横抱きにしたモモンと、ハムスケに横乗りになるフラミーの凱旋は町中の大歓声をもって迎えられた。

 

 しかし、町はボロボロで、いまにも倒壊するのではと危ぶまれるような建物がいくつもある。

 木造建築はアンデッドの行進の前には無力だった。

 そして多くの者が怪我をしたり命を落としたりした。

 全くの無傷でいられたのは、門の外で足止めをさせられていた商人達くらいのものだった。

 

 漆黒の剣の面々は駆け寄ると、モモンと共に生きて再会できたことをひとしきり喜んだ。

 翌日にはモモンが墓を突破して行く凄まじい剣技、魔獣を従えた威風、プラムの見事な魔法――それらはあっという間に漆黒の英雄としてエ・ランテル中に広がった。

 

 事態の収拾に喜んだのもつかの間、国王直轄地エ・ランテルの長きに渡る都市再建が始まる。

 家を失った人々は雨に打たれ、殆どの店が崩壊した街では商売も立ちゆかなくなり、その凄惨な状況に王国の貴族派閥はどんどん力を増していくのだった。

 

「――と、言うことがあった」

 エ・ランテルでの出来事を聞いた守護者は瞠目した。

 転移して数週間、次の都市での名声を欲しいままにした主人達の偉業に、果たして自分たちはどれだけ役に立つことができるのかと焦る気持ちをもって。

 

「で、でも……人間達の中で名声を高めてどうするんですか?」

 マーレの素朴な疑問に今度は支配者達が焦った。

 お出かけ先で起こった事を無垢に発表していただけのアインズはコホンっと先払いをすると頼りになる男へ顎をしゃくった。

「デミウルゴス、マーレに教えてあげなさい」

 その言葉にデミウルゴスは立ち上がる。

「は。今後アインズ様の勢力範囲は法国のみならず――」

「神聖魔導国。デミウルゴス、神聖魔導国よ」

 アルベドの横槍にデミウルゴスはすぐさま頭を下げた。

「これは失礼いたしました。大神殿の破壊とともに神聖魔導国へと改名されるその国、のみならず、アインズ様は王国も早々に手に入れるための布石を打たれたという訳です。貧困に喘ぐエ・ランテルを旧法国出身だと噂される漆黒の英雄が救い、さらに旧法国が今後手を貸していけば――旧法国にアンデッドの王が立つという恐れを薄れさせ、瓦礫の街に暮らす人々は王国への忠誠心が削ぎ落とされていくはず。で、ございますね?」

「……そ、その通りだ。流石はデミウルゴス。よくぞ私の考えを見抜いたな」

「恐れ入ります」

「皆、分かったな?もしまだ分からないことがあれば、今のうちに言っておきなさい」

 アインズは幻の胃痛が治まっていくのを感じた。

 神聖魔導国がエ・ランテルに手を貸せば貸しただけ評価が上がるなら、漆黒聖典や陽光聖典をエ・ランテルに送り、瓦礫の撤去でもさせれば一気に評判が上がるかもしれない。ひと目見て「あれは神聖魔導国の使者だ」とわかることが大事だろう。

(デミウルゴスからのヒントありきだけど、これは中々良いアイデアじゃないか……?)

 アインズは後でこの案をもう少しよく練っておこうと決め、全員を見渡した。

 

 ――すると、遠慮がちにシャルティアが手を上げた。

「だとしたら、何故フラミー様もご一緒に行かれたんでありんすか?それも、森妖精(エルフ)の姿で」

 フラミーは「えっ」と声を上げそうになった。

 そんなのはただこの世界になじみそうな格好で遊びにいくためだ。デミウルゴスの話を聞いて「アインズさん、そこまで考えてるなんて賢いなぁ!」と思っていたフラミーに素敵な言い訳の持ち合わせはない。

「――それはもちろん、今後の慈悲深さを印象付けるためですよ」

「慈悲深さ、でありんすか……?」

「ふふ。まぁ、時期にわかることですよ。ですよね?フラミー様、アインズ様」

 デミウルゴスは良い笑顔で二人に振り返り、二人は目を見合わせ、下手くそな笑いを浮かべた。

 

 その後、双子は魔導国改名後エイヴァーシャー大森林へ派遣されることが決まった。スレイン法国に楯突いていた森妖精(エルフ)たちは、そのまま神聖魔導国へ楯突いてくるだろうから。

 同時にコキュートスは蜥蜴人(リザードマン)の集落へ、デミウルゴスは聖王国付近へ。

 シャルティアは地表に近い階層と言う事もありアルベドとともにナザリックの警護運営を任されたのだった。

 皆、何か困ったことがあればすぐに情報共有を行い、助け合うように言い添えられて。

 

+

 

 大神殿破壊の日。

 神の上に立つ神の降臨によって始まる新時代を前に、道行く誰もが希望に溢れた顔をしていた。

 

 神官長達の挨拶が始まった通行止の大通りには、国中から人が来たのではないかと思うほど多くの人でごった返していた。

 次々と神官長達が挨拶をする中、闇の神官長はスルシャーナがアインズ・ウール・ゴウンを崇拝する"ひこうにんふぁんくらぶ"という神々で構成された組織の一員だった事を申し述べ、神官長の列に戻った。

 

 侵入禁止の大神殿の前に、深く静まり返る海の底のような闇と、山の頂を照らし出す夜明けのような光が現れた。

 

 そして、腰から黒い翼を生やした聖母のごとき笑みを浮かべた美しき従属神――いや、守護神が剣を持って現れる。

 剣は神の前に浮かべられ、守護神は頭を下げて裾にはけていった。

 

「これより、古き時代と法国の罪を灑ぐ」

 

 その声は不思議とどこまでも遠く、誰の耳にも届いた。

 

 アインズは魔法攻撃力を上げる魔法達を次々と唱え始めた。

 脇に立っていたフラミーもアインズに向けて攻撃力に寄与する魔法を次々と掛け――最後の魔法を、期待を込めて送り出した。

 剣と改めて向き合ったアインズからフラミーが数歩離れると、アインズは杖を前に掲げ、渾身の力で魔法を放った。

 

 ――現断(リアリティスラッシュ)

 ――現断(リアリティスラッシュ)

 ――現断(リアリティスラッシュ)

 

 壊れるまで続ける。

 まるでそれは、そう簡単には灑ぎ切れない罪と向き合う、神聖な儀式のようだった。

 硬質な物がぶつかり合う澄んだ音が、大神殿前に幾度も響いた。

 だが、当のアインズは思ったよりもギルド武器が硬かったことに焦り、早く壊れてくれと心の中で祈っていた。

「――<現断(リアリティスラッシュ)>!!」

 魔力の底が見え始めてしまった頃、剣にヒビが入り、カァッと光が漏れ出た。

 余りの眩しさに、人の残滓がアインズの目を細めさせる。

 剣は光の中砕け散った。

 アインズは人の身であれば肩で息をしていただろう。

 

 数秒の間を明け、ズズズ……と地鳴りが響く。大神殿の最奥が崩壊した合図だ。

 その場に居合わせる者達が一人残らず大神殿を眺めた。

 誰かがゴクリと唾を飲み込む。

 ――次の瞬間、猛烈な土煙を上げ、轟音と共に大神殿の一部は崩れ去った。

 土埃は式典の場まで勢いよく届こうとしたが、フラミーの魔法によって生み出された透明の防壁によって食い止められた。

 

 これで法国は許された。

 

 今日この時をもって、スレイン法国は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国へとなったのだ。

 

 早馬が各国へ発つ。

 スレイン法国の改名と、新たな国のトップの降臨を伝えるために。

 

 もうもうと土煙が立ち昇る中、アインズは構えていた杖を下ろした。

「おめでとうございます!アインズさんっ!」

 ワッと駆け寄ってくるフラミーにアインズは振り返った。

「フラミーさん。ありがとうございます。でも、頼みますよ。俺一人じゃ王様も神様も……務まるとは思えないんですから」

「ははは。神様が早速泣き言ですか?大丈夫ですよ。ずっと一緒にいますから」

 そんなことを言っていると、アインズの体が光り出し、軽く浮かび上がった。

 

 神官長も国民も跪きながら、忘れたくないとその姿を目に焼き付ける。

 漆黒聖典の末席に戻ったクレマンティーヌは兄、クアイエッセと抱き合って喜び合っていた。が、すぐに我に帰りクアイエッセをぎゅうぎゅうと押し返したが。

 漆黒聖典・隊長の横で、神と言葉を交わすチャンスをもらえずに不貞腐れていた番外席次もその姿を忘れないようにと手を前に組んで、まるで敬虔な信徒が祈るようにアインズを見つめた。

 

「あ、アインズさん!?」

 フラミーの切羽詰まった声が響く。

 強大な何かを破壊すると輝きの中元の世界へ戻って行ってしまうと言うのは異世界転移もののお約束だ。

「ま、待ってください!行かないで!!」

 このままではアインズが消えると思ったフラミーはアインズの脇腹に抱きついた。――いや、締め上げた。

「モモンガさん!いやー!!」

「あ、あの、フラミーさん?」

「――はぇ?」

 フラミーがアインズを見上げると、アインズを包んでいた光は何事もなく収まっていた。フラミーは慌ててアインズから離れ、まごまごと何かを違う違うと言っていた。

「はは。あの、どのクラスに反応したのか分かりませんけど、どうやら俺強くなったみたいですよ!」

 その言葉を聞くや否や、フラミーはやっぱりアインズの首に飛びついた。

「おめでとうございます!おめでとうございます!!これでアインズさん、たっちさんを超えたんですね!!」

 ワールドチャンピオンを超える存在になった、本当にそうなんだろうか。

「わかりませんよ、それはたっちさんがこっちにきて、俺と戦って初めてわかることです」

 ふふと笑うとフラミーの背中を軽く抱きしめ、一回ポンッと叩くとアインズはその身を下ろした。

「でも、これで守り切れるはずです。フラミーさんも子供達も!」

 その言葉にフラミーは目を細めた。

 

 闇の神を光の神が祝福するその姿は画家達の定番のモチーフとなり世の中に大量に出回る。

 それを見たフラミーとアインズが頭を抱えて唸り声を上げるまであとわずか数ヶ月。

 

 土煙を上げながら崩れ去った旧法国神殿を背に、アインズは国民へ口を開く。

「我が民よ。これよりすべての生あるものはアインズ・ウール・ゴウンの庇護の下、繁栄の時を迎えるだろう!!」

 

 守護者も、神官も、衛兵も、町の人々も歓喜に声を上げた。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!!

 ――アインズ・ウール・ゴウン万歳!!

 

 その唱和に、初めてこの世界に来た玉座の間でのことをアインズは思い出した。

 

 そして――「ここで生きていくんですね」

 脳裏によぎったフラミーの言葉。

 

(皆があっと驚くような成果を上げて見せる。そして皆に言わせるんだ、ここで生きていくと)

 

 アインズは拳を固く握り締め、それを掲げた。




やったー建国できたよモモンガさん!

ンフィーレア君、ギリギリノトコロヲ助ケテ貰エテ良カッタネ。
きっとすぐに彼も元気になりますとも!


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試されるエ・ランテル
#22 閑話 カメラの完成


 その日ツァインドルクス=ヴァイシオンは、新たな国の建国の報を複雑な気持ちで受けた。

「まぁ、法国らしいと言えば法国らしいかな」

 巨体からは想像もできないような柔らかな声で呟き、ツアーは竜の重く大きな顔を上げた。

「それでどうするんじゃ?」

 そう返したのは老婆だった。ツアーの住む場所まで来られる者はそう多くない。

「それがね、アインズはどうやらぎるど武器を破壊したようなんだよリグリット」

 リグリット・ベルスー・カウラウ。かつて十三英雄と呼ばれ、世界を魔神から救ったツアーの仲間だった。

 

 リグリットはツアーの体の向こうに隠されるギルド武器を見ようと視線を動かした。

「ぷれいやーの中にはぎるど武器の破壊で強大な力を持つ者がいるとスルシャーナは言っていた。だから、僕はこうして八欲王のぎるど武器を守ってる。彼らは太古の昔、世界を渡る前は皆無垢なヒトだったんだ。力を持てば欲が出る」

「つまり八欲王の再来になってしまうと……?」

「そういうことだね」

 ツアーはうなずいて見せたが、リグリットは八欲王やスルシャーナ、そして今回現れたアインズ・ウール・ゴウンがかつてヒトだったとはあまり信じていない様子だった。

「僕は近いうちにもう一度アインズに会いに行くよ。約束の地とか呼ばれるようになったあの場所に」

 

+

 

 ここ数日、神で王という謎の職業に従事していたアインズは尋常ならざるストレスを感じていた。

 ほとんど理解できない書類が大量に執務机に並び、隣でアルベドがあれこれと詳細情報を教えてくれている。

 当然詳細情報もほとんど理解できない。

 一介のサラリーマン――それも、重職に就いていなかった者には王として国を預かるなどあまりにも難題だった。

 神として勝手に骨の姿をありがたがられるだけならまだ良かった。

 しかし――ギルド武器の破壊を決め、法国から戻ってきたアインズを待ち受けていたのは守護者達による「世界征服計画」が始動してしまったと言う予想外の事態だった。

 その場で王になることが決まり、ギルド武器を破壊して――凡人は神王様に就任だ。

 

「フラミーさん!!もう我慢なりません!!」

 

 ガタリと立ち上がったアインズに、顔を真っ赤にしたアルベドは興味津々な様子で二人を見た。

 

「わっ、びっくりした。アインズさんも食べたいですよね。どうぞぉ」

 

 アインズの執務室で手伝うと言っていたフラミーはソファーで一瞬跳ねた。執務はしなくて良いと断られ、結局いるだけになっていたが。

 副料理長(ピッキー)からおやつのクッキーを受け取っていたフラミーが瞬いていると、ピッキーは「アインズ様も食べたい……!」と呟き、慌てて追加のクッキーを焼きに飛び出して行った。

 

「クッキーの話をしてるんじゃありませんよ!!良い加減にそろそろ――」冒険に行きましょう、と最後まで言わせずにノックが響き、アインズは扉へ視線を送った。

 優雅な足取りで扉へ向かったアルベドが外と取り次いだ。

「――お話中申し訳ありません。パンドラズ・アクターが、アインズ様とフラミー様に、約束の物をと」

 アインズとフラミーはパッと顔を明るくした。

「なに!パンドラズ・アクターがついにやったか!すぐに入れろ!!」

 アインズは指示を出しながらいそいそと執務机を離れ、ソファに腰を下ろした。

 

 背筋をピンと伸ばし、コツコツと靴音を鳴らして入ってきたパンドラズ・アクターは深々と頭を下げた。

「ンァインズ様、フラミー様に置かれましては本日もご機嫌麗しゅう存じます。して、ご希望のものが完成しましたので、本日はお持ちいたしました」

 アインズは良い気分転換が来てくれたと初めてパンドラズ・アクターに心から感謝した。

 

 本当は冒険者をしに行きたいところだが建国したての目が回る忙しさに中々出かけられずにいた。墓地より溢れ出した大量のアンデッドにより滅茶苦茶になってしまったエ・ランテルでは、冒険者の仕事は減るどころか以前よりも増えているようだった。が、種類は少ない。今エ・ランテルでは冒険者への依頼はもっぱらトブの大森林に行く木の切り出し護衛と、街の瓦礫の撤去と瓦礫の破棄護衛だ。復興需要だった。

 

 外貨はンフィーレア救出の報酬でそこそこ獲得できた為、前より少し良い宿屋に部屋を取れるし、あれこれも買ってみたい物もあった。当然、宿屋に取る部屋はナザリックに戻るために転移する場所で、寝たりはしないのだが。それでも、フラミーを汚い場所にいさせたくないアインズとしては嬉しいことだ。

 

 パンドラズ・アクターは懐に手を入れると、絶対そこには入っていなかっただろうと思えるかなりの大きさのあるカメラを取り出した。

 

「ンンンカメラでっす!!」

 

 ババーンと音が聞こえてきそうな勢いでフラミーへ差し出された。

 フラミーはそれを受け取ると瞳を輝かせきゃいきゃい喜んだ。ギルメンのそんな姿を見ていると、多少もやもやとした苛立ちが和らぐのを感じる。

「良かったですね、フラミーさん。それで、まずは何を撮りますか?」

 リアルではスマホで何でもかんでも撮れる時代だった。待望のカメラというような様子だった。

「うーん、そうですね。テストで……あ、ズアちゃん、アインズさんの隣に並んでください!」

 少し前にシャルティアがパンドラズ・アクターをズアちゃんと略してから*と言うもの、フラミーは何といい略称だろうと正式採用した。

「ズァッ……はい。フラミー様。それでは、ンァインズ様失礼致します」

 並んだ二人に向かって、フラミーが「はーいちーず」とリアルではお決まりの掛け声をかける。

 意味は分からないが写真を撮る合図だと察したパンドラズ・アクターは一人掛けソファに優雅に腰掛けるアインズの隣で敬礼をした。

 

 チャカっジー――……。

 

 なんともレトロな音が響き、出てきたのはB5ほどの大きさの羊皮紙に見事白黒印刷された写真だった。

 この羊皮紙はエイヴァーシャー大森林で働く双子の手助けをしながら、その傍でデミウルゴスが両脚羊からはいで送ってくるものだ。

 クリーム色の羊皮紙に印刷された写真はどこか古めかしく、エモーショナルな仕上がりだ。

 

「こちらのカメラは魔法詠唱者(マジックキャスター)にしか使えないマジックアイテムでございますので、実を申しますとこれが初めての撮影でした。勝手に至高の御方々に変身するのも不敬かと思いまして」

「素晴らしい!よくやったぞ、パンドラズ・アクターよ!」

「ほんとすごいです!アインズさん、ご褒美あげましょう!ズアちゃんは何が欲しいですか?」

 フラミーの提案にパンドラズアクターは背中にぶあっと薔薇を舞い散らせ、フラミーの手元のそれを指し示した。

 

「畏れながら……ンァインズ様とのツーショット!!そちらを頂きたく存じます!はい」

「パパとのお写真?」

「はい!!」

 

 フラミーはパンドラズ・アクターに写真をペラリと渡した。

 受け取ったパンドラズ・アクターはそれを熱心に見つめ、ほぅっと柔らかな息を吐いた。

「ふふ、嬉しそう」

「ふ、フラミーさん……パパって……」

「家族っていいですねぇ!」

 にこりと笑うフラミーに、アインズがこれは俺の息子なのかと落ち込んでいるとアルベドから大声が掛かかった。

「デミウルゴス!!――が、帰還いたしました」

 不愉快な気持ちを抑えようとしているのを感じ、アインズは僅かに動揺した。

「あ、はい、んん。入れろ」 

 

 頭を下げて入ってきたデミウルゴスの視線がギャンッとパンドラズアクターの手元のものに注がれる。

 フラミーもアインズもヒィと小さな悲鳴をあげた。

 パンドラズ・アクターは創造したアインズと同じく表情はないが、"ほくほく"といった様子で、背に小さな花が咲いては消えていた。

 

「デミウルゴス、つい今しがた聖王国より戻りました」

「よ、よくぞ戻ったな。デミウルゴス。それで、お前がわざわざ顔を出したということは何かがあったのだろう?」

「は。御身のおっしゃる通りでございます。双子よりエイヴァーシャーの森妖精(エルフ)の王――デケム・ホウガンの処遇の相談を受けました」

 

 いつも通りの雰囲気で頭を下げるデミウルゴスだが、尻尾が今にも絡まろうとする様や、オールバックの額に浮かび上がる血管が少しもいつも通りではなかった。

 怖かった。

 

「そ、そうか。奴は絶対的な恐怖と絶望に襲われながら逃走したそうだが……見つかったのか?」

「無事に。現在シャルティアとコキュートスが捕え、アウラとマーレが話をしているようです」

 

「何?あれは双子の教育にあまりにも悪い。あまり双子と話をさせるな。だが、確かあれは七十から八十程度のレベルだったな。初めて見る高位の存在だし殺してしまうのは惜しい。実験したいことは山積みだ」

 

「仰る通りかと思います」デミウルゴスは相槌を打つとパンドラズ・アクターの持つ写真を示した。「あれからは、そちらのように、いい皮も取れるでしょう」

 

「そういうことにも使えるな。では、やつをナザリックに入れる事を許可する。行き先は氷結牢獄だ。私も実験を行うが、お前がやりたいことは遠慮なくなんでもやるがいい。もし普段の管理がニューロニストだけでは荷が重そうなら担当者を増やせ。ただし、なるべく双子とは関わらせるな。いいな」

「かしこまりました。そのように取り計います。それでは御前失礼致します」

 

 頭を下げたデミウルゴスはもう一度だけパンドラズ・アクターの手元を見ると早々に立ち去ろうとし――フラミーはその背を引き止めた。

「デミウルゴスさん、待ってください」

「は、フラミー様。いかがなさいましたか?」

「デミウルゴスさんもせっかく良いところに来たんですから、一緒にお写真撮っていきますか?」

 あまりにも欲しそうで、可哀想になったのだ。

 アルベドとパンドラズ・アクターからは驚愕の声が上がった。

「ふ、フラミー様……?パンドラズ・アクターはそのカメラなるアイテムを作った褒美にアインズ様との尊きお写真を下賜されたのですよね……?何もしていない(・・・・・・・)デミウルゴスにはいささか分不相応なのでは……?」

 

 アルベドもアインズと撮ってあげようと思ったが、そう言われてみれば確かにパンドラズ・アクターの褒美の価値が下がるかとム……と考え直した。

「――アルベド、そちらのオシャシンに用いられている紙は私がナザリックに供給しているものです。その褒美と言うことなら、異論はないね?」

「っく……パンドラズ・アクターに比べて働きが少なすぎるのではなくて?」

 デミウルゴスとアルベドの抵抗が始まる。なんと言ってもアインズはナザリック一のアイドルだ。

 

「じゃあ、アインズさんとのお写真は少しご褒美過多なんで、私と二人という事でどうです?」

「フラミー様、是非お願いいたします!」

 ハンカチを噛むアルベドをよそに、デミウルゴスは立ち上がったフラミーの横にいそいそと身なりを整えながら並んだ。

「ふむ、それでは私がシャッターを押そう」

 アインズは全てが整った様子にカメラを構えた。

「はい、二人ともこっち向いてー。はい、チーズ」

 

 チャカっジー――……。

 

 写真が吐き出されていくとフラミーはワクワクしそれを覗き込んだ。

 手を前で軽く合わせるフラミーの斜め後ろで、にこりと目を細めるデミウルゴスが写っていた。

 フラミーはその写真を見て、思った。

 

 やっぱり悪魔のコンビはカッコいい。それに私のアバターは可愛い――と。

 

 そして、デミウルゴスの創造主で悪魔の師匠だったウルベルトとあちこち出かけてはスクリーンショットをたくさん撮ったのを思い出した。しょっちゅう「フラミー、もっと悪魔らしい格好しろよ」と怒られたものだ。

 フラミーは写真を眺めながら呟いた。

「――すみません、アインズさん、私の分も撮ってもらって良いですか?」

 

「「「「えっ!?」」」」

 

 アインズ、アルベド、パンドラズ・アクター、デミウルゴス、果ては控えていたメイドに天井のアサシンズまでもが声をあげた。

「え?あの、ダメ……ですか?」

 印刷されて出てきた写真を一緒に囲むように眺めていたデミウルゴスはフラミーに見上げられた。

 想像より近い距離にデミウルゴスは狼狽えて二、三歩後ずさってしまった。

 

「え!?だ、いや、ダメなわけありませんとも!んん。アインズ様、畏れながら、も、もう一枚、お願いいたします」

 膝をついて、震える両手でカメラをアインズに差し出すデミウルゴスに、あぁ……と生返事をしたアインズがカメラを受け取る。

 

 そして、さっきと違って宝石の目を開いたデミウルゴスと、若干ドヤ顔のフラミーの写真が撮れたのだった。

 

「おぉ!これは素晴らしいものだぁ!!」

 写真を見て声を上げるフラミーに、デミウルゴスは自分の分の写真を胸に抱え、深く深く頭を下げてから退室した。

 カラー印刷を所望する二人の声が扉が閉まるまでの数秒聞こえた。

 デミウルゴスは廊下で写真をしばし眺めると、右手薬指の指輪をそっと撫で赤熱神殿に帰還した。

 

 その後、クッキーをいっぱいに入れたカゴを副料理長と料理長が持って戻ってくると、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)に引きずられたアルベドがどこかへ連れて行かれるところだった。




*不死者のohの最新巻、特に外堀を埋めるお話のおかしさにしばらく笑ってました( ´ ▽ ` )ははははは

2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#23 宣戦布告と世界を穢す力

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 丁寧に育てられた薔薇園と、美しく刈り込まれた植木が並ぶ前庭を一望できる一室。

 旧スレイン法国を発った早馬はこの部屋の主人、皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスにも手紙を届けた。

 

 使いのメッセンジャーが部屋を立ち去ると、ジルクニフの顔からは笑顔が抜け落ち、書状は机に放り投げられた。

 ばさりと散らばる紙を文官のロウネ・ヴァミリネンが無言で集め、トントン、と机で整える。

 

「なんだあれは。信じられるか、闇の神と光の神の再臨だそうだぞ」

「まーやっこさんらはちーと変わってますからね、元から」

 呆れたようなジルクニフに帝国四騎士の雷光バジウッド・ペシュメルが応えた。

 鮮血帝とも呼ばれる若き皇帝から「ははは」と上がる声は信頼する者達しかいない為か優しげだった。

「違いないな。とりあえず法国――いや、神聖魔導国か。ここには祝いの品をいくらか送っておけ。中身は任せる。ああ、存在するかは分からんが神への貢物も忘れるなよ」

 頭を下げ手元のメモにロウネが書き留めた。

 

「それでは、今年の王国との戦争の話をしようじゃないか」

 ジルクニフの真剣な面持ちに皆姿勢を正した。

 

+

 

 法国の大神殿の残骸の撤去と、残った大神殿と合体させるように作られる大聖堂建設はアインズから齎された労働力によって急ピッチで進んでいた。

 多くの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達の指揮の下、働くはスケルトンと数多のゴーレム。

 音の出ない作業は夜間でも関係なく行われた。

 闇の神、アインズ・ウール・ゴウンを頂点に戴くこの国で、国民達は神が生み出したアンデッドに最初怯えはしたが、忌避感を持つものはいなかった。

 民達は代わる代わる物珍しそうにアンデッド見物をしていた。

 

 半壊した大神殿の前には初めて見る「建築計画概要」「建築許可証」という看板が立っており、中には働く人間の「労災と神官による回復」についてや、どこの大工達が共に取りかかるのか、いつ生み出されたアンデッドが何体いるのか、地下下水道を一部埋める地盤の補強と、それに伴う一時的な断水計画、大体の工期など、初めて聞く言葉も交えながら詳しく書かれていた。

 神の行うことに間違いなどある筈もなく、神聖魔導国では神殿への建築計画の提出が通らなければ建物の建築ができなくなった。

 全てはフラミーの「素敵な街だったら維持させたいですね」と言う一言から始まったことだった。

 いち早く景観を守る建物作りが義務付けられた神都はいつまでも美しくあった。

 

 正面に建築され始めた建物は日々の礼拝ができ、時には神との謁見も可能な大聖堂を予定しており、太陽が最も長い時間当たる位置には美しいバラ窓がはまる構想だ。

 鍛冶長の妙技によって生み出されつつあるそのステンドグラスは、リアルでは大抵中心にイエス・キリストが入っているが、もちろんそこにはアインズが。

 その周りの八つの丸い窓はナインズ・オウン・ゴールの最初の九人の、アインズを除いた残りの者達を。

 そして、周りを囲むように十二人の者達、さらにその周りをフラミーを含む残りの二十人が、加入順に収められていく事を予定している。

 その下には守護者達の姿が縦に入り…正面にはアインズ像とフラミー像。

 そんなパースに、フラミーはとても満足していた。

 

 アインズからはせっかくフラミーの所望で作るバラ窓に、ここにいるフラミーが真ん中から遠いのは如何なものかと言われたが、意味やストーリーのあるものの方が後世に語り継がれやすい、せっかく三年もかけて建てるそれは嘘偽りのないアインズ・ウール・ゴウンの物語で作りたいと本心から断った。

 鍛冶長や共に立ち会った多くの法国の設計者達、最古図書館(アッシュールバニパル)の司書達が既存物件の破壊一週間前から練りに練って提出された設計図には、長く深い奥行きと、高い天井、そしてバラ窓。

 破壊時に残った神官長達の部屋や神官達の出勤する部屋のある古い大神殿と新設の大聖堂はうまく繋がれ、デザインも実用性も新旧合わさった優れた設計だ。

 ――神官達の部屋は若干減ったが、四大神信仰はこれにてお取り潰しとなる為問題はないだろう。

 各小都市に残るそれぞれの四大神の建物は順次役所を兼ね備えた闇か光の神殿へとなっていく。

 

 神聖魔導国を象徴するに相応しい美しい建物となるだろう。

 フラミーは完成予定の三年後へと想像の翼を広げる。

 人間もアンデッドも亜人も異形も竜も関係なく、多くの者達がここへ集う様が見え、フラミーは設計図で口元を隠すようにふふ、と笑った。

 その後、完成に至るまで実に三年間。

 フラミーはたびたびここに来て、建材が減るたびに新たな建材を生み出しに来るマーレ、働く神官達やアンデッドなど日々進む建築の写真を撮っていった。

 フラミーが現れるたびに周りの人々は傅き、熱心に平和への感謝を送った。

 大聖堂へ行けば運がいいと神と目見えると評判になり、実際に多くの者達に愛されるようになるその大聖堂には、フラミーの撮り続けた写真が後世展示される。

 それを見た人々がマジックアイテム・カメラを作ろうと躍起になるのはまた別のお話。

 

+

 

 リ・エスティーゼ王国にはいつもよりも少しだけ早いこの時期にカッツェ平野での戦争の書状が届いた。

 バハルス帝国から届いたそれには――ズーラーノーンによって引き起こされたエ・ランテルの惨状を知っているようで、今年で決着を付けると言わんばかりの雰囲気の文章が綴られている。

 王は頭を抱えていた。

 

 今年はそれだけでなく、旧法国――神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国から、貧困と生活困難に喘ぐ民を助けるためと称しエ・ランテルとカルネ村付近の割譲を要求されていた。

 そして、そもそもそこは旧スレイン法国の持ち物なのだから正当な所有者への返還だとも。

 

「戦士長殿のいう通り、確かにアインズ・ウール・ゴウンと言うものは王だったようですな」

 そう吐き捨てたのは果たしてどの貴族か。

「しかし戦士長の言うには、旧法国の手先のものが村々を襲っていたのだろう?それを旧法国の王が助けた?全くとんだ笑い話だ」

「考えてみれば少なくともカルネ村を攻撃されているのですから、こちらから法国――んん。失礼。神聖なんたら国でしたかな?それに攻め入ってはいかがでしょうか」

 ガゼフ・ストロノーフは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 忌々しげに語らう貴族達を、年老いた王が諌める。

 

「やめよ。今は目の前の帝国との戦だ」

 

 そうは言ったが、正直エ・ランテルは今住んでいる者達も食事に困るような有様だ。

 いつものようにそこを中継地にして戦争へと行くと言うのは無理がある。

 逆に兵糧を町の者たちに配れば王への支持は高まるが、他の貴族は自分の領民()に食わせない気かと反対してくるのが目に見えている。兵と言っても、専業兵士ではない一般の農民達を集めて編成する部隊なのだから。

 もはや八方塞がりだ。

 それでも、やるしかない。

 

「いつもの通り、帝国をあの平野で迎え撃とう。準備を進めるのだ」

 

 王の号令は弱々しかった。

 

+

 

「ほう、戦争ですか」

 冒険者組合で漆黒の剣と話をしていたモモンは口に手を当てた。

「そうなんですよ。帝国と毎年やっていた戦争が今年も始まるようです」

 ペテルがそう言うと、ルクルットはつまらなそうに机に頬杖を付いた。

「俺は帝国と戦争してる間にエ・ランテルをスレイン法――じゃなくて、神聖……国に掠め取られるんじゃねーかと思うわ。おーやだやだ」

「ルクルット、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国ですよ。僕は何もしないで民から搾取するだけ搾取する王国の貴族が何もしてくれないなら、もう帝国か神聖魔導国に吸収された方がいいんじゃないかと思っちゃうな」

 語るニニャには尋常ならざる恨みのようなものが立ち込めていた。ダインは空気をよくする為かコホンっと軽く咳払いをした。

「街の復興はまだまだかかりそうであるな。しかし、エ・ランテル都市長殿の働きは見事である」

「そうだなー。豚みたいなおっさんだけど、まぁちゃんとやってるよな」

 二人の評価をモモンは心の中に書き留めた。

「戦争が始まるまでは暫くは荷馬車の出入りが多いから護衛任務がたくさんあるけど――モモンさん達はそんな仕事やりたくないですよね?」

 ペテルの視線はモモンとプラムの胸に輝く冒険者プレートに注がれた。

 王国三番目にして、エ・ランテル初のアダマンタイト級冒険者の証。冒険者の最高位の存在だ。

 都市を半壊させ、大量の死者を出したズーラーノーン事件をわずか二人で解決に導いた大英雄。モモンとプラムはカッパーからアダマンタイトへと異例の大昇格を以って名声を欲しいままにしていた。

「いえいえ、我々は何でもやりますよ。――困っている人がいるなら、助けるのは当たり前ですから」

 モモンは自分のかつての友の背を思い出し、そう言った。

「いい言葉である。さすがモモン殿であるな」

「私の言葉じゃなくて、私が弱かった時に私を救ってくれた私の憧れの人の言葉なんですけどね。素晴らしい仲間でした」

 少しだけ寂しくなる。

「――素晴らしい仲間ですよね」

 はっとモモンは隣に座るプラムを見た。

「ね、モモンさん」

「はい、プラムさん」

 二人は目を細めた。

 

 それから数週間が過ぎ、王国と帝国は開戦した。

 

 その年の戦争は実に悲惨だった。

 王国の兵は敗走したが、敗走した先に待つものも、ボロボロのエ・ランテルだった。

 今まではカッツェ平野だけで行われていた戦争だが、じりじりとエ・ランテルに近付いてくる帝国兵の様子からいって、これでは終わらないだろう。

 

 戦争に出ていた戦士長のガゼフはこの不毛な戦争に付き合わされて死んでいった無辜の民を思い、血が滲むほど手を握りしめた。

 そして、帝国兵に取り囲まれ、脱出も進入もできないこの都市は――急激に増えた人口に耐えきれず悪臭が漂い始めていた。

 ガゼフは一体何をどうしたら人々を救えるのかと考えを巡らせる。

 共に戦に出ていた王だけでも先に逃がしたい。

 しかし、どの問題にもいい案は何一つ浮かばなかった。

 もっと色々学んでくればよかったと、ガゼフは剣しか知らない我が身をいくら呪っても呪いきれなかった。

 

 誰もが疲労困憊と言う雰囲気の中、旧法国のものだと分かる装束に身を包んだ一行と、てんでバラバラな見た目の団体が帝国兵をすり抜けてエ・ランテルへの入都を申し入れてきていた。

 国名改名の書状にあった奇妙な紋章の織られた見事な旗を掲げて。

 

 帝国との戦争状態に臆することもなく進んできたその厚かましさに、王は笑うしかなかった。

 

 このままエ・ランテルを寄越せとでも言うのだろうか。

 帝国も今、わざわざ戦争をしてまでこのエ・ランテルを欲していると言うのに。

 

 神聖魔導国の使者と門番が入れろ入れないの押し問答をしていると、遠くから地響きが聞こえてきた。

 城壁の上高いところにいた者達が口々に叫ぶ。

「なんなんだあれは!?」

「山が歩いてる……!?」

「よく見ろ!!木だ!!枯れ木が歩いてきてるんだ!!」

 低いところにいる帝国兵は地響きとその異様な様子にただただ戸惑っていた。

 

+

 

 ツアーはリグリットとともに"約束の地"を訪れ、アインズとフラミーのことを考えていた。

「神聖魔導国を君達はこれからどこへ導いて行くんだ……」

 その呟きはツアーの本体が発したもので、鎧は何も言わずにリグリットと共に巨石を眺めていた。

「ツアー、こんな物を投げつけたゴーレムを操るアインズ・ウール・ゴウンがもし邪悪なものだったらわしらは……」

 リグリットの背筋に冷たいものが流れる。

 すると、その言葉に呼ばれたかのように邪悪な気配がツアーとリグリットを襲った。

 広がるトブの大森林の先に、その巨大樹はいた。

 ツアーは確信する。

「世界を汚す力――」

 進行方向は、エ・ランテル。




大きな薔薇窓と大聖堂、皆さまお気づきかと思いますが、ノートルダム大聖堂イメージでした。
フランスとシンガポールしか殆ど渡ったことのない男爵は、大聖堂や大神殿というとすぐにフランスにあるゴチック建築が思い浮かびます!

ノートルダム大聖堂の一日も早い復旧、復興をお祈りします。


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#24 破滅の竜王

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)……」

 呟くは漆黒聖典隊長。ぼろぼろの槍を手にした髪の長い美青年だった。

「なんだ!?なんだそれは!あれを知っているのか!」

 

 さっきまで押し問答をしていた門番や衛兵が救いを求めるような眼差しを向けてくる。

 

「いえ、私達も詳しいことは何も。――そうか……魔導王陛下はあれの出現を予見されたために我々に出立を命ぜられたのか……。神聖魔導国が威を示し、エ・ランテルを手に入れてこいとは……そうか……」

 神聖な何かに触れようとするように顎を上げ、目を閉じる隊長に横槍が入る。

「じゃあ早くあれを止めてくれよ!!」

 命の危機を前に手段を選んでいられない衛兵がこちらへ向かう魔物を指差した。

 隊長は若干の苛立ちをもって薄眼を開けると、無作法な男を横目で睨め付けるように見遣った。

 他の隊員たちの視線も冷たい。

「な、なんだ。なんだよ!」

「助けてくれるために来たんだろ!?」

 騒ぎ始める衛兵に隊員達はやれやれと言った風にため息をついた。

 王国の国民性が見えるようだった。これだから王国を早く帝国に吸収させたかったのだ。

 

「――静まれ!」

 

 硬質な男らしい声音が響き、人を掻き分けて王国の秘宝に身を包んだ偉丈夫が現れる。

「君たちは……?」

「これはガゼフ・ストロノーフ戦士長殿。カルネ村では(・・・・・・)うちの陽光聖典が大変失礼いたしました」

 さっと頭を下げる隊長にほかの漆黒聖典隊員達も続く。

「見たことのない部隊だと思ったが……やはりそうか。いや、それで、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の皆さんはあれを知っているのかな」

 ガゼフは自分の感情を読ませないように魔物に目を向けた。

 魔導国はカルネ村のみの襲撃を認め、残りの村の焼き討ちについては歴史の闇に葬ろうとしているようだった。

 

「先ほども申しました通り、詳しいことはわかりません。――占星千里」

 呼ばれた者はボブヘアーに眼鏡を掛けた若い女だった。

「は。私は漆黒聖典第七席次、名は伏せさせて頂きますが、占星千里とお呼びください」

 ガゼフがうむ、と頷き先を促す。

「あれは恐らく私の占いに出た破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)で間違いないかと。世界を壊す力を持つものの復活を少し前に読み()ました」

「……それがあれだと言うのか」

 

 魔樹はその巨大さからは想像もつかないような素早さを持つらしく、どんどん近づいてくる。

 

「戦士長殿……」

 その声は人類国家最強の戦士ならそれを倒せるのでは?と言う希望と、あんな化け物と渡り合える生き物なんてこの世にはいないと言う理性の混じり合った複雑そうなものだった。

 

 すると、まだまだ遠くにいると思っていた魔樹の持つツルの一本がエ・ランテルへ向かって目にも止まらぬ速さで振るわれた。

 まだエ・ランテルには届かなかったが激しい地響きと共に、王都へ続く街道がごっそりと抉られ無くなる。

 エ・ランテルを囲んでいた帝国騎士達を指揮する帝国第二将軍ナテル・イニエム・デイル・カーベインが帝国騎士数名を伴ってこちらへ向かって来ているのがガゼフの視界の端に入った。

 このままではエ・ランテルの周りにいる帝国騎士達は全滅してもおかしくないと判断したか、せめてこのエ・ランテルの持つ堅牢な市壁の内側に入れてくれと、人間同士としての情に訴えかけることにしたらしい。

 下手に逃走し、あれが帝国まで追ってくるようなことになれば今度は帝国が崩壊する。

 

 どう見ても先ほど薙ぎ払われた場所の様子から言って人の手でどうこうできる力では無い。

 そう評価を下したのは、当然ガゼフだけではなかった。

 

「陛下だ、陛下にお伝えしろ!!あれは止められん!!」

 

 漆黒聖典第八席次、巨盾万壁と呼ばれる大男が叫ぶ。

 ガゼフは一瞬陛下と呼ばれる存在がランポッサⅢ世の事かと思うが、すぐに誰を示す言葉なのか思い至った。

(――神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国。ゴウン殿……!)

 ガゼフをスレイン法国、陽光聖典より救った慈悲深き魔法詠唱者(マジックキャスター)。ガゼフは未だに、アインズ・ウール・ゴウンに感謝していた。

(あの時、あなたは法国のやり方を見かねて出てきてくれた。あの惨事はあなたの指示ではない……)

 彼が助けに来てくれるなら、これ以上ないほどに心強い。

 だが、ふわりとした金髪の中世的な男が首を振った。

「しかし、陛下をお呼びして万一陛下に何かが起こっては――!」

「一人師団の言う通りだ!ようやく取り戻した陛下を失えない!」

 背の低い少年じみた者――時間乱流も反対した。

 

 すると、一台だけ引き連れていた馬車から十字槍に似た戦鎌(ウォーサイズ)を握った――左右で髪と目の色が違う少女がふわりと降りた。

 その戦鎌(ウォーサイズ)はあまりにも神々しく、辺りの空気が変わったようだった。

「いけません、勝手に降りては!」「番外席次様!」「絶死様!!」

 揃った装束に身を包む神聖魔導国の兵士や神官達が押し戻そうとするが、それの放った一言はまるで世界を凍らせるようだった。

 

「黙りなさい」

 

 ガゼフであっても決して届かぬ頂を前に衝撃で一瞬呼吸を忘れる。

 周りには腰を抜かした王国兵と、帝国騎士達がいた。

 その顔にはここにも想像を絶する化け物がいたと書いてあるようだった。

 

「私が出るわ。神聖魔導王陛下とフラミー様を呼びなさい。全滅、いえ。絶滅したくなければね」

 

 有無を言わせぬ声音に誰かがゴクリと唾を飲む音がした。

 いや、それは自分が立てた音かもしれないと誰もが思い直す。

 

「あ、貴女は一体……。番外席次とは……」

 ガゼフはカラカラに乾いた喉から何とか声を絞り出した。

 美しい少女はじろりとガゼフを睨みつけた。

「私は何者でもない」

 有無を言わせない雰囲気だった。

「はぁ……。私はこんなところで敗北を知る事になるのかしら。ああ、陛下、私の初めては――」グッと足に力を込め――「あなたに捧げたかった!!」

 そう言い残すと、ドンッと音を鳴らし、番外席次はものすごい勢いで駆け出した。

 力いっぱいに蹴られた地面はあらぬ力でめくれ上がっていた。

 その小さな体に向かって、山のように巨大な魔樹が全てを薙ぎ払うようにツルを振るう。

 あれだけ本体が近づいたのだ、次はエ・ランテルにも届くだろう。

 

 聞いたこともないような風切り音がしたかと思うと、番外席次とツルがぶつかり合う衝撃波がエ・ランテルを揺らした。突風が吹き荒れ、見ていた者達は顔の前に手を交差させ、飛んでくる土埃から自らを守った。

 魔樹の足元近くでは、叫び、逃げようと走り出した者達が細く短いツルによって液体に変えられていた。ビッと言う音だけを残し、粉々に吹き飛ばされ血が散乱したのだ。

 蔓の先が赤く染まる姿は、まるで魔樹が怒りに狂い、燃え上がっているようだ。

 狂うような悲鳴が上がる。

「――陛下。――ランポッサⅢ世陛下!」

 思わず足がすくんでいたが、ガゼフは守らなければいけない者を思い出し我に帰った。

 数名の戦士を残して弾かれたように国王の元へ駆け出していった。

 

 番外席次は何度も何度もツルを弾いた。

「ッ――重い!!」

 正面から来るツルを生き物同士が上げるとは思えないような音で弾き、戦鎌(ウォーサイズ)で斬りつけた。

 その姿は誠神聖な戦乙女だった。

「オォォォォ――」と、声とも音とも付かない振動が襲う。

 時間稼ぎくらいなら出来そうだと番外席次はほくそ笑む。

「これなら、エインヘリヤルを呼んであらゆる生ある者の目指すところは死である(The goal of all life is death)を使えば倒せる!!

 番外席次の持つ戦鎌(ウォーサイズ)――かつてスルシャーナが使用していた"カロンの導き"へタレントを使うことで利用できる最強最悪の最終手段。

 <(デス)>と共にあらゆる生ある者の目指すところは死である(The goal of all life is death)を使えば、おそらく魔樹は滅びる。ただ、魔法が届く距離まで近付くことが非常に困難だと思われた。

 なので、エインヘリヤルと二人で魔樹へ突撃。効果範囲に入ったところで魔法を打ち出す。

 

 ――うまくいけば……倒せる……!

 

「エインヘリヤル!!」

 

 番外席次が叫ぶと、そのすぐ隣にぼんやりと白い光が集まり、人の形へと変わっていく。

 そして、ついには光り輝く番外席次がすぐ隣に現れた。

 使役者(番外席次)に酷似しているが、本人とは違って極めて無表情。

 

「<アンデッド・フレイム(死者の炎)>!!」

 生命を奪う黒炎が番外席次の体を包む。攻撃に負の追加ダメージを乗せ、エインヘリヤルと共に幾度もツルを弾き返した。

 

「どう!体が重たくなってきたんじゃない!!」

 

 再びワンパターンにツルが正面から襲ってくると、戦鎌(カロンの導き)を振りかぶり――ヒュンッと風が通った。

「――な!?」

 細いツタが目にも止まらぬスピードで迫ると目を見開いた。

 刹那、番外席次は叩き落とされ、城門を破壊しながらエ・ランテル奥深くに突っ込んでいった。同時にエインヘリヤルも霧散した。

 如何に九十レベル前後の番外席次とは言え、生きる中で漠然とクラスを習得、積み上げてしまったそのビルドは――ユグドラシルプレイヤーが確認すれば発狂するようなものだ。五レベルや七レベルまでしか習得していないクラスがいくつもあった。

 彼女の中には知識と戦略は数えきれないほどにあったが、職業及び特殊技術(スキル)と魔法の育成が非常に非効率的だったのだ。

 もし信仰系魔法でバフなどをかけたなら、一瞬油断したとはいえ、これほど早くに落とされることはなかっただろう。

 

 

 漆黒聖典隊長は自らの頭上を番外席次が市壁に突っ込み撃沈させられる様をまざまざと見せつけられた。

 番外席次、人類の切り札が手も足も出ない魔樹を誰が止められると言うのだろうか。

 ツルによって押し潰されるように城壁の破壊が進む。

 それに至るまでに帝国騎士も王国戦士も多くが殺された。

 そして城壁付近でモタモタしていた一般市民も。

 

 漆黒聖典隊長はカイレを呼び出せばケイセケ・コウクと呼ばれる相手を意のままに操ることができる神の秘宝があると思ったが、あの破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)に有効範囲まで近付ける訳がない。

 すぐに思い付きを破棄し、その手の中のボロボロの汚らしい槍――神の最秘宝に視線を落とした。

 これを使えば、もしや。

 

 しかし、伝えられる伝説は――

 曰く、相手を絶対に消滅させることができる

 曰く、相手と使用者が消滅する

 曰く、相手の力を生まれた頃まで戻すことができる

 曰く、神をも殺す力を持つ

 ――どれも不確かすぎる。

 

 確かなことは、これが絶大な力を持つ事と、使用すれば秘宝は失われると言う事だけだ。

 この遠征が終わったら、人の身には過ぎたアイテムたちは全て神々に返却しようと話はついていたが、仕方がない。

 試す価値はある。

「番外席次が落ちた今、私が出る」

「た、隊長でもありゃちょっと無理なんじゃ――」

「いや、私には策があるんだ。まぁ、それが失敗しても成功しても私はここで死ぬだろう。……もし私の策が失敗したら陛下をお呼びして救いを求めてくれ」

 魔樹が街への攻撃をやめ、再び進み始めた。

 その足元には大量の土と、周りに生えていたであろう木々がまだ付いていた。

「神聖魔導王陛下に――神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に、私は勇敢だったと伝えてくれ!そして、フラミー様へ私に生の祝福を授けてくださったことの感謝を!!」

「――隊長!!」

 そして飛び出す隊長の前方には、神々しくもやわらかな闇が広がった。

 

「そんな、まさか――陛下……!?」

 隊長を除く神聖魔導国の者達は一斉に跪く。

 隊長は漆黒聖典隊員達へ振り返り怒鳴り声を上げた。

「誰が陛下をお呼びしたんだ!陛下にもしものことがあったら――」

 

「よい」

 

たった一言、温かく優しい声が隊長の心に染み込んだ。

「へ、へいか…」

「お前の覚悟は見せてもらったが、覚悟とは犠牲の心ではない。覚悟とは、暗闇の荒野に進むべき道を切り開く事だ」

 そして続々と神と守護神達が現れる。

 漆黒聖典は確信した。

 やはり神々は我らを救うために降臨されたのだ、と。

 

 そんな感動など露知らず、アインズは完全に決まったと思った。

 かつてリアル、百年以上昔に映像化された超人気書籍、覚悟の物語に出てくる名言。

 魔法のないはずのリアルで、二一三八年の現在も作者は不老不死の為――未だにそのシリーズは続いていた。

 

 カルネ村の監視に出ていたルプスレギナから「自分では敵いそうにない相手が村のすぐ脇を通ってエ・ランテルへ向かっている」と伝言(メッセージ)が届いた時には驚いたが、せっかく手にしたワールドチャンピオンを凌ぐと言われるこの力を試すには絶好の機会だと思った。

 

 ふと視線を感じ顔を向けると、フラミーが横に並び、アインズと隊長を交互に眺めていた。

 

(………うん、これははしゃぎすぎたな)

 アインズは心の中で鎮静されない程度の恥ずかしい気持ちがしんしんと積もっていくのを感じた。

 フラミーからはニヤリとした顔を向けられ、恥ずかしさが頂点に達するとついには沈静化されてしまった。

「ヒーローの到着って感じですね!!ぱぱーん!!」

 賢者になったアインズの脳裏には不思議とパンドラズ・アクターのドヤ顔がよぎっていた。

(やっぱりあいつ、俺の息子なのかと……)

 血は争えない。

 

「陛下、フラミー様……」

 しかし、登場時の効果は抜群のようで神聖魔導国の聖典達は皆一様に涙を堪えているようだった。

「……んん。守護者達よ。まずは私が少し押し戻そう。その後お前達のチームワークを私達に見せろ。最後は私とフラミーさんが手を下し、"強欲"に経験値を吸わせる。行くぞ」

 いつの間にか背後で跪いていた守護者達は全員が顔を真っ赤にして震えていた。

 そんな笑う事ないじゃん!!と再び恥ずかしくなるアインズとは裏腹に、守護者達はその素晴らしい言葉を胸に刻みつけていた。

 いつか聖書を作るときに絶対に盛り込もうと。

 聖典達は帰ってこの言葉を国中に広めなければ死ぬに死ねないとすら思っていた。

 

 アインズは後永遠に元ネタがあることは言い出せなかった。




2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#25 ずっとあなたを探してた

 神話の戦いだ。

 

 それを見ていた誰もが思った。

 

 光の神が深い闇を放つと、闇の神が瞳を焼く程の光を持ってその魔樹の命を奪った。

 

 神の放った輝きは、あれ程邪悪な魂すら救済したのだと、誰が見てもわかるものだった。

 何故なら、魔樹からは白く輝く魂が抜け出し、光の神の手の中へと治まって消えたからだ。

 

 神々が魔樹へ近付いていくと、魔樹の足元からは新緑の葉を揺らす何かが起き上がった。

 それは最初、生まれたばかりで何も分からないというような雰囲気だったが、最後は頭部の葉を揺らしてはしゃいでいた。

 そして闇の神が開いた天国の門へと進んだ。

 穢れきった魂は無事に本来の美しい姿を取り戻したらしい。

 

「どうじゃった?ツアーよ」

 

 誰も気が付かないような遠く、丘の上にその者達はいた。

 ツアーはリグリット・ベルスー・カウラウへ顔も向けずに、鎧の腕を組んだまま答えを返した。

「まさかザイトルクワエ(アレ)がまだこの森で生きていたとはね。驚いたよ」

 ハッハッハと豪快に笑う老婆は実に愉快そうだ。

 かつて十三英雄として旅をしていた時、リーダー達と共にあれの枝を倒した記憶を思い出しているのかその声は少し何かを懐かしむようでもあった。

 枝との戦いは熾烈を極めた。今日この時を迎えるまで、枝こそが本体だと思っていた。それほどまでに枝は強かった。

「素直じゃないのう。ワシはあの者達も世界に協力するものだと確信したわ」

 パチンと拳と手のひらを合わせ、さてと……と誰に聞かせるでもなく呟き、遠くでアインズ・ウール・ゴウンを讃える人々から背を向けた。

 

「まぁ、今のところはそうみたいだね」

 

 背中に向かって返事をすれば老婆はヒラヒラと手を振りながら既にゆっくりと歩き出していた。

「わしは久し振りにインベルンの嬢ちゃんの様子でも見に行くとするよ」

「全く、気まぐれだね。君ってやつは」

「老人は暇なんさ」

「そうかい」

 

 ツアーの鎧はリグリットとは違う方向へ向かって丘を降りていった。

 二つの陰は別れを惜しむ様子もなく別れた。

 

 鎧の帰還の道中、ツアーは誰もいない自分の巣でひとりごちた。

 

「アインズ。あの魔樹は君が起こしたのか……?」

 あの時、アインズは世界に協力する者でありたいと言っていたが――。

(……君はいつからこの世界に来ていたんだ。これは本当にただの偶然だったと言うんだろうか。もし君が世界に背を向けたとして、僕は君に、君達に勝てるだろうか)

 

+

 

 アインズの生命の精髄(ライフ・エッセンス)が魔樹の足元にある弱い命の気配を告げた。

 近付けば、根元についたままだった木々に気絶したドライアードが引っかかっていた。

 マーレが水を掛け、強制的に目を覚まさせた。

「え!?これがあのザイトルクワエ!?」

 ドライアードはピニスン・ポール・ペルリアと名乗り、説明すればする程にギャンギャンと興奮しきった様子で応えた。

 魔樹はザイトルクワエと言う名の魔物だったらしいことが分かった。ユグドラシルのレイドボスのような相手だったが、アインズにもフラミーにもザイトルクワエと言う名に心当たりはなかった。

「そういう訳だ。さあどうする。私に忠誠を誓うか?」

「ザイトルクワエに勝てるような人が守る場所に行けるならもちろん一生懸命頑張るよ!厄介になるね!!」

「よし、ピニスンはこれより第六階層の畑で働く。アウラ、マーレ。面倒を見てやれ」

「「かしこまりました!」」

 ピニスンを送った転移門(ゲート)が閉じると、アインズ達の周りにワァっと人々が集まってくる。

 

 一番にアインズ達の元に辿り着いたのは、番外席次の輸送を行っていた神聖魔導国の兵士や神官達だ。

 口々に「陛下!」「陛下万歳!!」「神聖魔導国万歳!!」と沸き立つ。

 彼らの後を追うように、エ・ランテルの人々もアインズ達の周りに到着する。

 ただし、神官たちによって必要以上に神々へ近付くことは許されなかった。それでも少しでも神に近付きたいとばかりに人々は殺到した。

 帝国騎士も王国兵士も、王国戦士団も、城門衛士も、誰もが肩を抱き合って近くのものの生を喜んだ。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウン万歳!

 

 いつの間にか誰ともなく始まった万歳唱和は遠くの丘を越え、どこまでも響いた。

 遅れて漆黒聖典隊長に肩を預けた番外席次がよたよたとアインズに近付こうとするが、すでに分厚い人の壁が彼女のゆく道を阻んだ。

 人の波の向こうの神に、何でもいい。自分も隊長のように言葉をかけてほしい。せめてその目に自分を映してほしい。

 それだけなのに、自分が守ってしまった人間が邪魔で、いっそ殺してしまおうかと思った。

 しかし神に失望される事を恐れ、できない。

 こんな時どうしたらいいのか悩みに悩んだ結果、番外席次は――吠えた。

「退け!!」

 言葉は強かったが、その目からは今にも涙がこぼれてしまいそうだった。

 番外席次の見たこともない姿に隊長が化け物を見るような目をして硬直していると、誰よりも早くエ・ランテルを守ろうと魔樹へ挑んだその少女のため、人々はバラバラと神へ続く道を開けた。

 

 尊き姿がようやく目に映る。降臨してからただの一度も会うことはなかったのだ。

 愛を込めて誰も名を呼んでくれず、番外席次と呼ばれた少女は親を求めるように進んだ。

 モーセがイスラエルの民を連れて海を割り、カナンの地を目指したように、ボロボロの体を引きずって――気付けば隊長を後ろに取り残して。

 

 しかし、割れたはずの人の海は再び閉じられた。

 

「アインズ様とフラミー様にこれ以上近付くのは、このあたしが許さないよ」

 

 ある日自分のそばに現れた強い気配の正体、それが誰だったのかこの至近距離にあってようやく気付く。

 何かに守られるような初めての感覚に、それがいつまでも続けばいいと願った日々。

 

「あなただったのね……」

 

 漏れ出た言葉にぴくりと守護神がその身を揺らした。

 

+

 

 時は遡り、大神殿が破壊されてから数日のある日。

「――おはようございます。あの……絶死様、少しお話をよろしいでしょうか?」

 番外席次の自室には漆黒聖典・第十一席――無限魔力が訪れた。

「……悪いわね。今、少しうたた寝をしていたわ」

 自らを見守っていた大きな力が消えてから、番外席次は悪い夢を見ることが多かった。

 

 それは幼い頃、母が自らに戦闘の手解きをする――いや、そんな生優しいものではなかった。

 母は番外席次の名前など、ただの一度も呼んだことはなかった。犯されて孕んだ子供など、存在そのものが不愉快極まりなかったのだろう。

 ――アンティリーネ・ヘラン・フーシェ。

 番外席次の名だ。この名前も、誰が付けたものかも分からない。

 だから愛着なんてない。母に愛を持って呼ばれたことも、命名した者も分からない。単なる記号の羅列だ。

 

(――これは死んでも蘇生できる程度の実力は既に備えているわ。傷の手当てなんかしなくても平気よ。そうでしょう?ねぇ?)

 

 夢の中で、母が感情を全て失ったようなガラス玉のような瞳を向けて放った言葉。何度も地面に打ち付けられ、終わることのない痛みの中、何度も何度も聞いた言葉。

 痛いし、辛かった。何度も泣いたし、何度も泣き言を言っただろう。

 だが、いつしかアンティリーネ――いや、絶死絶命は泣かなくなった。

 過ぎ去ったはずの過去の痛みがガンガンと頭を打ち付けた。

 

「……はぁ」

 

 思わずため息が口から漏れると、同僚の無限魔力がびくりと肩を振るわれせた。

「も、も、申し訳ありません。あの、で、で、出直します!!」

 部屋に入ったはずの無限魔力がばっと頭を下げる。番外席次はまたため息を吐きたくなったが、これ以上混乱が大きくなると面倒だと思いグッと堪えた。

 

「待って。今のため息はあなたに対してじゃない。だから、いいから座ってちょうだい」

「あ、ありがとうございます。へへへ、えーっと、でも、それには及びません。話が終わればすぐに帰りますので、絶死様のお部屋のソファーに座るなんて」

 

 無限魔力は両手を卑屈そうに揉みながら、へらへらと愛想笑いを浮かべていた。

 一度少し分からせてやった(・・・・・・・・)だけだというのに。

 彼女は鼻先をへし折ってやった漆黒聖典の隊員の中でも随一の卑屈っぷりになった。流石にもっと堂々としてほしいレベルだ。

 だが、座ってほしいだの、リラックスしていいだのと話しても、彼女にはいつも響かない。普段ならもう少し気を使うが、今日は「見守られていた感覚の消失」へのショックと夢見の悪さからそんな気も起こらなかった。

 

「……まぁいいわ。それで今日はどうしたの?まぁ、大体想像はつくけれど」

「は、はい。流石は――」

「お世辞はいいから」

 

 まともに言葉を交わすこともできないのかとまたため息がでかける。どこかに対等でいられる者はいないのだろうか。

 

「あ、は、はい。スルシャーナ様を教え導かれた神、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が森妖精(エルフ)討伐軍の侵攻を打ち切られ――」

「なんですって!?」

 

 闇の神と光の神が戻り、大神殿も一部崩壊した。ここ数日は大神殿の崩壊予定箇所から引き上げられた荷物の一時保管と整理が急ピッチで進んでいる。

 一体どんな神々なのだろうとドキドキしていた。あの自らを見守っていた感覚はもしや神々のどちらかだったのではないかと期待もしていた。

 何より、闇の神は「森妖精(エルフ)の邪王は地獄に落ちる」と言っていたのだ。

 闇の神にも光の神にも、早く謁見してみたかった。

 だが、番外席次の中からそんな幸せな希望は消え去った。

 

「……許さないわよ。私の喉に刺さった骨がようやく一本抜けるかと思っていたのに。相手が神であっても、絶対に許さないわよ!!」

 無限魔力は「ひぃ!?」と少女のような悲鳴をあげ尻餅をついた。彼女も英雄であり、法国の切り札である漆黒聖典の一員だが、あまりにも情けない姿だった。

 だが、それほどまでに恐ろしい顔をしていたのだろう。

 番外席次は立て掛けてあった戦鎌(カロンの導き)を手にすると同僚を無視して自室を後にした。

 

 崩壊せず、安全に使えると評価された大神殿の廊下を進んでいく。

 すれ違う者すれ違う者が番外席次を見ては腰を抜かした。

 長の間に着けば、その部屋も荷物の整理やら持ち込みやらが進んでいて、それまでの静謐な空間とは全く違っていた。

「レイモン!!レイモン・ザーグ・ローランサン!!」

「――な!?ば、番外席次、絶死絶命!?ど、どうかされたんですか!?」

 段ボールを抱えていた六色聖典長も、やはり腰を抜かした。彼もかつては漆黒聖典の隊員だったと言うのに。

 

「どうしたもこうしたもないわ!!――マクシミリアン・オレイオ・ラギエ!!あなたも来なさい!!」

 何事かと口を開けて見ていた闇の神官長も飛び上がると、慌てて書類の山を近くにいた神官に押し付けてそばまで駆けつけた。

「な、な、なにが!?」

「何が!?こっちが聞きたいわ!!闇の神が森妖精(エルフ)への侵攻をやめさせたですって!?あんた達、ちゃんと神々に話をしたの!?場合によっては神官長だって殺すわよ!!」

 

 レイモンとマクシミリアンは目を見合わせ、何度も何度も瞬いた。

「そ、そうですが……無限魔力から全てをお聞きになりましたか?」

「聞いたから来てるんでしょ!?何でそんなことが――」

 番外席次がさらに吠えようとすると、その肩にトンと手が乗せられた。

「気安く触らないで!!」

 振り払おうとしたところには、既に手がなかった。

「おっと、怖い。番外席次、絶死絶命。あなたは恐らく全ては聞いていませんよ」

「――ニグン・グリッド・ルーイン!!この役立たずが!!お前が連れ帰ったのは本当に神だったの!?お前のせいで森妖精(エルフ)の国への侵攻がなくなったのよ!!」

 ニグンは肩をすくめた。

「まさしく神でしょうね。これで火滅聖典が消滅させられずにすみます。まぁ、最も。これにて聖典は漆黒聖典と陽光聖典のみになりますから、ある意味火滅聖典は消滅するのですが」

「何をへらへら喋ってんのよ!お前のせいで、私は死ぬまでこの胸のつっかえと生きるハメになったのよ!!えぇ!?わかってんのか!!」

 番外席次が戦鎌(カロンの導き)を振りかぶろうとすると、二人の間に光の神官長、イヴォン・ジャスナ・ドラクロワが割って入った。

 

「お、お待ちください!!闇の神は、森妖精(エルフ)の国を守護神様にお任せになりました!!」

 

 ドラクロワの喉仏に触れそうになっていた戦鎌(カロンの導き)はそっと下された。

 

「……え?」

 ドラクロワはふらふらと後ろへ下がり、尻餅をつきそうになった所をニグンに支えられた。

「大丈夫ですか?」

「あ、あぁ。ありがとう。ルーイン隊長」

「――番外席次。守護神様のうち、闇妖精(ダークエルフ)の姿を与えられた双子が森妖精(エルフ)の国へ行きましたよ」

 ニグンは優しく微笑んで言った。

「そ、そうだったの?それで……向こうで守護神様達はどうされる予定なの?」

「先程守護神様であるデミウルゴス様からきた伝言(メッセージ)によりますと――」

 

 と、さらに言葉を続けようとしたところで、顔を真っ青にし、生まれたばかりの子鹿のような足取りで無限魔力が長の間にたどり着いた。

 

「ぜ、絶死様……!あ、あの、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下は、森妖精(エルフ)討伐軍の侵攻を打ち切られたのですが……先程、守護神様が森妖精(エルフ)の王、デケム・ホウガンを捕らえたそうです。そして、今後森妖精(エルフ)の王国は双子の守護神様が象徴王へとなられると……」

 番外席次はようやく全てを聞けた。手から力が抜けたのか、戦鎌(カロンの導き)がガランガランガラララと大きすぎる音を立てて転がった。

「……侵攻は……いつ打ち切られたの……」

「あ、あの、実は神殿が破壊されることが決まった日に。森妖精(エルフ)の処遇は任せろと陛下は仰ったそうで……」

「どうして教えてくれなかったの……?レイモン」

「邪王は地獄に落ちると陛下が仰ったことをお伝えしたと思いましたが……」

「それは聞いたわ。でも、侵攻終了は聞いてなかったわ。だって、あの屑を地獄に落とすなら、侵攻は必要不可欠でしょう……?」

「えーと……人も亜人も、異形も、全ての者たちが幸せに暮らす、そんな国を作ると陛下は仰ったので、エルフ王は罰せられる対象ですが、森妖精(エルフ)はその対象ではありません。ご理解いただけていたものだとばかり……」

 

 番外席次はレイモンの言葉を口の中で何度も復唱した。

 

「そう……。そうだわ。本当ね。あなたのいう通り。私、どうやらまだ神聖魔導国の方針をよくわかってなかったみたい。取り乱したわ」

「いえ、皆が同じでございます。洗礼を受けたルーイン隊長が今は最も神々のことをお分かりになっていますので、お気になさらず」

「それは私よりもね」

 闇の神官長のマクシミリアン・オレイオ・ラギエが肩をすくめる。

 

 レイモンに示されたニグンは聖母のような笑みを浮かべて口を開いた。

「あなたの胸のつっかえは、本日をもって地獄へ落ちたのですよ」

 番外席次は胸の中をスッと清涼な風が通ったような気がした。思わず顔が綻びそうになってしまい、恥ずかしさからサッと俯いた。

「……皆悪かったわ。私は部屋に戻る」

 

「あ、お待ちください」

 背中にレイモンからもう一度声がかかる。番外席次は振り返らずに足だけ止めた。

「漆黒聖典が全員揃ってから伝えようと思っていたのですが、先に絶死絶命には任務を一つ伝えておきます。デミウルゴス様から、陛下が旧法国最強の部隊を動かし、エ・ランテルでその力を示せと望んでおられるとも言われました。そうなれば、出るのは漆黒聖典以外にありません。数日後に出立となりますので、よろしくお願いいたします」

「……私もここを出ていいの」

「陛下はツァインドルクス・ヴァイシオンと約束の地で話をされていました。大丈夫だと思います」

「わかったわ」

 

 短い返事を残し、番外席次はスタスタと部屋を去って行った。

 その後廊下ですれ違った者達は番外席次の顔を見て度肝を抜かれたらしい。――彼女は見たこともないほどに幸せそうに微笑んでいたから。

 

「番外席次、ようやく神々の加護に理解が及んだようで何よりです」

 部屋に残って作業を手伝うニグンが言う。それに一番に頷いたのは光の神官長だった。

「本当だよ。光の神、フラミー様はエ・ランテルでは森妖精(エルフ)の姿であの都市をお救いになった。それもまた、絶死絶命へのご加護だったのだろう。果たして彼女はそれに気が付いているのか」

「どうでしょうか。クレマンティーヌの大馬鹿者とズーラーノーンが起こしたあれについて、あまり深く考えていないようではありましたが。やれやれ。ところで、クレマンティーヌはどうしているのですか?」

「あれもルーイン隊長と同じように洗礼を受けたと聞いているよ。ただ、本人は何をされたかよく覚えていないとも言っているけれどね」

「洗礼を覚えていない?そんなばかな」

「しかし、間違いなく心を入れ替えているよ。だから、漆黒聖典に戻らせたよ。なぁ、ローランサン殿」

 

 ドラクロワに話を振られ、レイモンはテキパキと仕事をしながらピースサインを振った。

 

+

 

 クズの最低な父親の血を恨まない日はなかった。

 だが、闇妖精(ダークエルフ)の守護神は、自らのように左右で色の違う瞳をしていた。守護神は神の手によって作られたと聞く。

 番外席次の父親も、八欲王と呼ばれた一人の(ぷれいやー)の息子だった。故に、番外席次は神人と呼ばれてきた。

 番外席次は目の前の守護神を見て確信する。神がその手で森妖精(エルフ)を作る時、この姿を選ぶのだ。

 番外席次は顔をギュッと拭いた。

森妖精(エルフ)との間に生まれたことを恨み続け、この耳も隠し疎んで生きて参りました。が……今日ほどこの生を喜んだ日はございません」

 

 深々と頭を下げると、その姿勢のまま番外席次は続けた。

 

「お見苦しいところをお見せしました。私は漆黒聖典、番外席次。闇の神、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。そして光の神、フラミー様。お二柱のお陰で私は生まれてから抱き続けた地獄を手放すことができました。この度のご決定とご温情には感謝の言葉もありません」

 

「そうか。番外席次よ」

 

 まだまだ続きそうな雰囲気にアインズは焦れていた。それに、番外席次が抱き続けた地獄とやらにアインズは覚えがない。

 だが、今彼女の自己紹介に付き合う時間の余裕はないのだ。ザイトルクワエと呼ばれた魔樹を早くもっとくまなく調べたいと言う気持ちが抑えきれない。

 口をつぐんだ番外席次に、アインズは続ける。まず、話を切り上げるためにはご褒美のお約束だ。

「このアインズ・ウール・ゴウン、お前の働き、確かに見届けた。よくこの町を守ってくれたな。後日褒美を取らせよう。私は急ぎザイトルクワエの遺骸を調べねばならない。フラミーさん」

 一息にそう言うと、呼ばれたフラミーは「はいはーい」と気楽に返事をした。

「えっと、番外席次さんでしたよね。ぼろぼろになるまで大変でしたね。これでもう大丈夫ですよ。<大治癒(ヒール)>」

 無造作に魔法が送られると、番外席次は数度自らの手を握ったり開いたりを繰り返した。。

 

「な、治ってる……。治ってる……!」

 

 その瞬間、番外席次はアウラに飛びかかった。

 支配者達と守護者達が臨戦体勢になると――「守護神様!私と子供を作りましょう!」

 その叫びに呆気にとられ、皆が固まった。

 

「あ、あ、あの、デミウルゴスさん。同じ性別では子供は作れないって、その、前に言ってましたよね?」

 マーレの言葉は辺りに虚しく響いた。

 

+

 

「そんなの信じない!!私はアウラ様とお子を作りたいの!!ゴミの分際でこの私を止めようと言うの!?」

 すでにアウラから引き剥がされた番外席次を羽交い締めにする隊長は殴られ、蹴られ、最早どちらがザイトルクワエと戦ったのか分からないようなボロボロの有様だった。

「お、落ち着いてください!何がどうあってもアウラ様は諦めるしかないんですから!!」

「離さないとまた馬の小便で顔洗わせるわよ!」

 隊長は顔を青くした。彼の見た目は青年だが、その中身はまだまだ二十歳にもほど遠い年齢だ。だが、少しでも威厳があるよう、人類の切り札として振る舞ってきている。

 

 アインズの後ろに控える守護者は気味が悪いのか二人に近付こうとしなかった。

 アウラは自分の身を抱きしめ、フラミーの腕の中で心底気持ち悪いと言う顔をしていた。

「よしよし、びっくりしたね」

「フ、フラミー様ぁ!あいつ頭おかしいですよ!?」

「ははは」

 

 そんな醜態を晒していると、ガゼフ・ストロノーフを伴ったランポッサⅢ世がこちらへ向かってくる姿が見え、流石にまずいと思ったアインズは番外席次を止めに入った。

 繰り出される若干下品な言葉の数々を止めるため、番外席次の後頭部と顎を抑えることで物理的に口が開かないようにしてから極限まで顔を寄せて言う。

「番外席次よ、黙るのだ……!!」

 絶望のオーラに耐えるレベルの相手だと分かっているため狭い範囲にそれを放つ。

 

 番外席次と、番外席次を羽交い締めにしていた隊長はびくりと体を震わせ真っ青になった顔にだらだらと冷や汗をかいた。

 ようやく静かになった破廉恥娘からそっと手を離すと、隊長はドサリと地に膝をついた。

 汗だくの番外席次は肩で息をした。

「あぁ……陛下……なんてすごいの……。やっぱり、やっぱり私は陛下の御子を産むわ!アウラ様、残念だけどあなたは諦めたわ」

 ひらひらとアウラに手を振りアインズの腕にまとわりついた。

「――ちょ、何だお前!」

「陛下!お子を作りましょう!」

「離れんか!こら!」

 アインズは訳が解らず振り解こうとするが、じっとりとした視線を感じ、振り返った。

 そこには、睨むような呆れたような目をするアウラ、シャルティア、アルベド、マーレ――そしてフラミーがいた。

 

「やっぱり、殺した方が良かったんじゃないの?」

 アウラの言葉は女性陣と男の娘によって肯定された。




ツアーさんには困ったもんですね、ほんとに。
すぐ何かを誰かのせいにしたがるんだから!

番外ちゃん…このままじゃ第二の統括さんだよ…。
( ;∀;)


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#26 陛下の黙祷

 太陽すら遮らんとする巨木。

 悍ましき血濡れの魔樹の足元、ランポッサⅢ世はガゼフ・ストロノーフと共に、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王と対峙した。

 

 まず、礼を言うことが先決だとはわかっている。

 しかし相手は自らが統治する国、それも直轄領の割譲を求めている王だ。

 ランポッサはこのまま手放しに相手から受けた恩を認めるわけにはいかなかった。

 万が一、「帝国からも魔物からも民を守れないならば、神聖魔導国に都市を引き渡せ」と言われでもすれば、リ・エスティーゼ王国にはもはや抗うための方便はない。

 神聖魔導国は森妖精(エルフ)との戦争もやめたと風の噂で聞く。つまり、かの国は戦線を持たない。

 きっと、エ・ランテルを飲み込めばエ・ランテルに十分すぎる支援をするだろう。

 支援をして民を助けてくれることは良いが――なんと言っても、これでエ・ランテルをとられた場合の王国の経済的損失、地理的価値の損失、三国間の関係の変化、国内の貴族達の力の増長。なにひとつとして受け入れられるものははい。

 結果として、もしかしたら多くの命が失われることになるかも知れない。力のない王として、更に王から力を削ぐために貴族達が王の持つ他の領地を見限れば、他国と戦争をせずとも貧困が広がり、民は飢えていく。

(そうなれば何十万人が苦しむかわからぬ……)

 

 ランポッサは悩みに悩んだ結果――(この者をただの通りすがりとして処理するしかあるまい……)

 今回のことは非常事態だ。ランポッサは国際問題は一度横に置いて、ただの人間同士として話をすることに決めた。

 もしこれが傲慢な王であれば、挨拶などせずに王都へ飛んで帰り、すぐさまエ・ランテルの復興支援団の編成をするのだが、ランポッサは律儀な男だった。

 

「我が戦士長のみならず、エ・ランテルまでお救いいただいた事、心より感謝しますぞ。マジックキャスター殿(・・・・・・・・・・)

 なんと言われるか、ごくりと唾を飲む。

「――ん?いえ、当たり前の事をしただけですよ」

 神聖魔導王の返事は、ランポッサが望む何よりのものだった。

 事態を汲んだ神聖魔導王の慈悲深き返事に、ランポッサは心の中で深く頭を下げた。謝罪も感謝もろくにできない自分の立場が呪わしい。

 おぉ……と周りにいた神聖魔導国兵士、王国戦士、帝国騎士達が慎しみ深き魔導王の返事に感嘆の声を上げていた。

 

 そして神聖魔導王の視線はランポッサⅢ世の斜め後ろへ向いた。

「元気そうだな、ストロノーフ殿」

「ゴウン殿も元気そうで……いや。元気と言ってもいいのかな?あれから人間、もしくは森妖精(エルフ)をやめたという事であれば失礼になってしまうからな」

「ははは。あの時から私は何も変わっていないとも」

 軽い笑い声をあげた魔導王は何か言葉を探すように視線を彷徨わせた。

 そして、破壊されたエ・ランテルをゆっくりと眺め、すぐに魔樹の遺骸を眺めた。

 その姿は、まるで壊れてしまった日常そのものと、ここで不本意にも一生の幕を閉じる事になった人々を悼み、苦しんでいるようだった。

「ゴウン殿……あなたという人は……」

 

 戦士長が再びその名をつぶやくと、魔導王の後ろから捕獲魔法で拘束され地面に座る番外席次と呼ばれていた戦乙女が声を上げた。

 

「いつまでそんな呼び方をするつもり?近隣国家最強」

 その不機嫌な雰囲気は、事態をあまり理解できていない様子の者達に伝播していった。

「そうだ。きちんと神聖魔導王陛下とお呼びするべきだよなぁ?」

「国王陛下の態度は少し良くないんじゃないか……?」

 声を抑え、近くにいる者と皆がひそひそと喋った。

 ざわめきが生まれてくると、どこかからか誰かの通りの良い――しかし、怒りを孕むような声がした。

 

『不敬です!皆声をあげて抗議しましょう!』

 

 それを聞くと、何故か皆声を上げるべきだと思った。

 心を塗りつぶされるような感覚が押し寄せるが、神聖魔導王に命を救われた者達は何の疑問も抱かなかった。

「そうだ!国王陛下の態度はおかしいです!」

「戦士長だって何もしなかったくせに!!」

「国王は神聖魔導王陛下にきちんと礼をしろ!!」

「神聖魔導王陛下の優しさにつけ込むな!!」

「誰がエ・ランテルを守ったと思ってるんだ!!」

 場はどんどん熱を持ち、ヒートアップしていった。

 

『皆、神聖魔導王陛下を再び讃えるんだ!』

 またどこかからか深い声が聞こえた。

 そうするべきだとしか思えない。まるで体に誰かが入り込み、かわりに叫ぶようだった。

 

「「「神聖魔導王陛下万歳!」」」

 

 これはきっと、重なる不満がついに爆発したのだろう。

 ズーラーノーン事件に苦しんだエ・ランテルを祖国に助けて貰えなかったことや、行きたくなかった戦争に行かされたことや、身近な人が戦争で目の前で死んでいったことや、魔樹に踏み潰されていれば二度と家族とは会えなかったこと。

 人々は口から出る言葉の温度とは裏腹に、どこか冷静な気持ちで考えた。

 

「「「神王陛下万歳!!」」」

 

 爆発的に広がる民の声に、ランポッサⅢ世は何も言えなかった。

 しかし、慎み深い神聖魔導王は国王の手前それを素直に受け取りはしなかった。

 増えゆくその唱和に応えることなく、左右を見渡した。

「デ、デミウルゴス……デミウルゴスはどこだ。いや、すみません、フラミーさ――」

 光の神に何かを言いかけると南方の衣装に身を包む尾を生やした男が小走りで周りの守護神と呼ばれた異形の中に混ざり、丁寧に頭を下げた。

 

「は!デミウルゴスここに」

 

「お前と言う奴は本当に……。さぁ、静かにさせろ」

 畏まりました、と返し立ち上がると、神聖魔導王を称え続ける人々に向かって大声で呼びかける。

「皆さん!!神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下がお話になります!!」

 しかし、人々の興奮はまるで収まらない。

『皆さん!!ゆっくり、ゆっくりでいいです!少しづつで良いのでお静かに願います!!』

 そうもう一度大声で呼びかけると、徐々に人々は静かになっていった。

 魔導王の守護神と言うのは頭ごなしに物を言わない、人の心に寄り添うような者らしい。

「お待たせいたしました、アインズ様」

 うむ、と魔導王は返すと、苦しみのせいか静かにしているランポッサとガゼフへ向いた。

 

「失礼したな……。こんなことよりも……そうだな……えー…………」

 

 そういって目を閉じたのか魔導王の瞳の灯火は消えた。

 皆察した。この王は死んだ者たちへ黙祷を捧げていると言うことに。

 遠くのわかっていないもののためか、先ほどの守護神が厳かな響く声で周知する。

 

『皆さん。神聖魔導王陛下に倣い、死した者へ祈りを捧げましょう。黙祷』

 

 誰もが静かに目を伏せた。

 え?と誰か若い男が呟いた声が聞こえたが、誰もが熱心に死者へと祈りを捧げた。

 魔導国の者たちは、どうか哀れな死者達を導いてくださいと、目の前の神々へ祈った。

 一分程経つと、『お直りください』とまた丁寧な声が響いた。

 ランポッサⅢ世は一番最初に国王の立場としてどうしたら良いかと考えたが、神聖魔導王は何よりもまず死者を悼む事が一番だと考えていたという事がその場にいた全てのものに伝わった。

 

 ガゼフは考えていた。

 この慈悲深さ、法国は確かに村々を焼いたが、それを見過ごせなくなって降臨した神だと言う噂は本当かもしれない、と。

 既に命を救われたのは二度目なのだ。

 驕りかも知れない。――それでも、自分は王国内ではもう誰よりもこの王の本質を知っているだろうと思えてならなかった。

 

 そんな事を考えていると、城壁の方から都市長のパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアがこちらへ走って来るのが見えた。

 その後ろには冒険者組合長のプルトン・アインザックと、魔術師組合長のテオ・ラケシルが続いていた。

 

「へ、陛下……!こちらにおいででしたか!」

 パナソレイが息も絶え絶えにランポッサⅢ世に話しかけると、魔導王は自分は都市長に陛下と呼ばれる者ではないと示すかのように、背を向けた。

 

「お、おお……!パナソレイよ……。またもこの様な凄惨な事件にエ・ランテルが巻き込まれてしまったこと……一体何と謝れば良いか……」

「いえ……王よ……。このような事を一体誰が予見できましょう……」

 言葉を交わす王と都市長に、金髪ボブカットの猫のような女から横槍が入る。

「まー神王陛下は予見してたよねー?そして人々を助けようと最初っから動いてた。漆黒聖典のあたしらがここにいるってのは何よりの証拠なんじゃなーい?」

 兄妹だろうか。よく似た男が肘で小突いて黙らせる。

 

 王国戦士団の鋭い視線に何も感じないと言うように女はヘラヘラしていた。

 沈痛な面持ちで地を眺めた後、ランポッサⅢ世はハッとし、パナソレイに一番大切なことを訪ねた。

「……それで、都市の民は無事か?中はどうだ……?」

 

 都市内はズーラーノーン事件の経験を生かし、避難は順調だった。

 しかし、番外席次が突っ込んで崩れた城壁から魔樹が見えると一気に混乱状態になってしまったらしい。

 そこからは、文字通り地獄絵図と化したが、すぐに神話の戦いの火蓋が切られたのだった。

 その後パナソレイは都市内部で冒険者や魔術師組合員達の協力を得ながら、更なる民の避難や、帰宅困難者のための避難所の確保などに精を出していた為、少し遅れての登場となったらしい。

 

「そうか……。何という……。お前もよくやってくれたな……」

 国は国王だけでは作られない。

 そして国王も国があるだけでは務まらない。

 民がいて、初めて国王と国が生まれるのだ。

 ランポッサⅢ世は空を仰ぐ。

 どこまでも続く空は、視界の端に映り込む巨大な魔樹の遺骸によって穢される。

 忌々しげについそちらを見てしまうのは仕方のない事だろう。

 

「な!?君は!?」

 突如響いた驚きの声に、王は魔樹の存在を瞳と頭から追い出した。

 それは普段冷静な、元冒険者としても活躍した冒険者組合長のプルトン・アインザック。その人が発した物だった。

 ぞろぞろと街から出てきていた冒険者達も何事かと駆けて来る。

 

「いや、肌の色が……いや、しかし!しかし!!」

 そう言ってアインザックがジリジリと神聖魔導王の方へ近づいて行く様子に、誰もがハラハラしていると――

 

「わっ!アインザックさん!」

「やっぱり!君はプラム君だろう!!」

 

 都市を半壊させ、大量の死者を出したズーラーノーン事件をわずか二人で解決に導き、カッパーからアダマンタイトへと異例の大昇格を以って名声を欲しいままにした謎の森妖精(エルフ)魔法詠唱者(マジックキャスター)――プラムの名を、光の神に向かって叫んだところだった。




がっつり顔を見せて冒険者をしていたフラミーさん、少しはアインズ様を見習ってもらいたいものですね!
次は息抜き閑話です。
コキュートスはちゃんとリザードマン達を掌握できてるかな?

2019.05.13 もんが様誤字修正ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#27 閑話 だって女の子だもん

 ――ザイトルクワエ襲撃の数日前。

 アルベドはアインズに迫っていた。

「アインズ様!それで、エ・ランテルは今後どの手を用いてその手中に入れるご予定でしょうか!」

 どの手も何も一つも手がない。全くのノープランだ。

「……アルベド、お前はどう思う」

「私、でございますか?」

「そうだ。守護者統括としての意見を聞かせろ」

「それは……もう……以前アインズ様が仰ったアレが宜しいかと」

「アレ、だな」

「はい!アレ、でございます!」

 アインズは"アインズ様"なる者が以前何をおっしゃったのか分からなかった。

(どれだよー!!)

 叫び出したい気持ちに襲われていると、しゅんっと精神の昂りは抑制された。

「ああ……もう一度私に、手取り……足取り……腰取り……!アインズ様のお考えを叩き込んで下さいませ!」

 アルベドは頬を赤らめ体をくねらせはじめていた。

 普段は頼りになる守護者統括だというのに、少し気を抜くとアルベドはすぐにこれだった。

 しかし、トリップしていてくれればむしろ時間を稼げる。

 くねるアルベドを放置して今後どうするべきか、アインズは自分なりに精一杯考えていると、気付けば机越し、息の掛かるような距離にアルベドが迫って来ていた。

「アインズ様?何もわからぬこのアルベドに、アインズ様の全てをお教え下さい!」

 絶世の美女が迫ってくるこのシチュエーションが嫌な男がいるだろうか。アインズは少しどきりとする。が、目を覚まさせる事にした。

「やれやれ、仕方のない奴め」

 アインズは苦笑を漏らし、アルベドの目の前に両手を伸ばした。

 百レベルの本気の力で両手を打ち鳴らすと凄まじい音が鳴る。口で戻れというよりも手っ取り早い。

 以前この手でアルベドの目を覚まさせた時、護衛として天井に張り付いていた蜘蛛型のモンスターである八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が驚きすぎて一匹降ってきた。

 その時には不憫になる程謝罪を重ね天井に戻って行ったので、今日はちゃんと一度天井に視線を送った。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が心得たとばかりに頷く。

 アインズが両手を軽く開くと――部屋には軽いノックが響いた。

 打ち鳴らそうとしていた手をそのままに、顔だけ扉に向けた。その日のアインズ当番と目が合った。

 来客がデミウルゴスならアルベドを目覚めさせるよう言えばいい。アインズはアルベドの顔の前に伸ばしていた両手を書類の乗った机にそっと下ろした。

 

 アインズ当番がいつもの入室許可前作業を行っている間に、自分の姿勢が支配者らしいか確認することも忘れない。

「申し訳ございません。これよりアインズ様はアルベド様と情交を結ばれますのでお急ぎでない御用のお取り次ぎはどなた様であっても――」

 小さな声だが、アインズの耳は確かにそれを聞き取った。

 情交。男女が肉体的な交わりを結ぶこと。

 

「待て!!シクスス!!違う!!」

 

 アインズは下ろしたばかりの両手で机を叩くように立ち上がり、扉に向かって駆け出した。

 一体何をどうすればそう思うのだろうか。この骨の体で。

「違うだろう!おかしなことを言うんじゃない!!」

 アインズは思わずシクススの手を引き寄せた。

「あ、アインズ様!?」

 シクススの手はノブに触れたままだったため、キィ……と扉が開いた。

 外に立っていたフラミーとハッと目が合う。

 フラミーは以前アインズが贈った紺色のローブを両手で抱いていた。

 

「あ……ふ、らみーさん………」

 

+

 

(アルベドと条項を結ぶってなんじゃ?)

 フラミーはまたアルベドが何かをしでかし、してはいけないリストでも作ったのかと心の中で苦笑していると、中からバタバタと慌ただしい音とアインズの声が聞こえ――扉が軽く開けば、そこは犯罪の匂いがする部屋だった。

 

「あ……ふ、らみーさん………」

 

 そう言うアインズは、つい今しがた扉から顔を半分だけ覗かせていたはずのシクススの右手を引っ張り上げ、その身を後ろから抱きしめていた。

 腕の中でシクススは空いている左手を顔の横に当てながら「はっ……はぅ……あぁ……」と息をしている。

 抱きしめるアインズの腕には柔らかそうな胸が乗っかり、シクススが息を吐く度に上下に揺れる胸が骨の腕をマッサージするようだった。

 

「ど、どうも……これは……あいんずさん……」

 

 その奥、アルベドは長い黒髪を片方の肩に全て流し、いそいそとドレスの前に掛かっている金の蜘蛛の巣のような装飾を外しているところで、手袋は脱いでいた。

 肩甲骨付近には玉の汗が光っていて、髪の毛が数本首筋に張り付く様が艶めかしい。

 

 アルベドが手袋とったの初めて見たなぁと思いながら、フラミーは踵を返す。

「じゃ……ごゆっくり……」

 何とかそれだけ絞り出し、ブリキのおもちゃのようなぎこちない動きで背を向けると、突然スピーディーな動きを取り戻しカササッと斜め三つ向かいの自室に駆け込んだ。

 

「ち、違う!!違うんですってばー!!」

 

 支配者の叫びが第九階層に響き渡った。

 

+

 

「「はーーーーぁ!!???」」

 第六階層の湖のほとり、アウラとシャルティアの唱和が響く。

 

「私に伸ばされたその指の美しかった事……。あぁ……本当、夢のような時間だったわ……」

 

「そ、そ、そ、そ、そんなの嘘でありんす!!」

 シャルティアはひたすらに否定を繰り返していた。

「あのアインズ様がそんな訳ないじゃん!!第一アインズ様にはフラミー様が……あ!フラミー様は!?」

 アウラは何となくそんな場面を目撃したフラミーが心配になっていた。

 

「フラミー様は流石の貫禄よ。なんせ、さっとこちらを確認されたら、いつも通りの笑顔で私とアインズ様を応援する言葉を残していかれたもの!ああ、フラミー様ももしかして、奥手なアインズ様をその気にさせる者の台頭を楽しみにされてるのかしら!?」

 ご期待にお応えしなくてはとアルベドはハッスルした。

 

「アルベドばっかりアインズ様のお側にお仕えしてずるいでありんす!!あ、り、ん、す!!」

「仕方ないじゃない、シャルティア。私は守護者統括、あなたはアインズ様から最も遠い階層の守護者なんだから。くふふっ」

「どうせ仕事でしかお会いできんせんくせに!!」

「いやね、見苦しい嫉妬って」

 幸せそうに、どこか見下すように笑った統括と、殺意剥き出しのシャルティアを呆れた眼差しでアウラは見ていた。

「ちょっとー、喧嘩しないでよねー」

「アウラ?喧嘩って言うのは同じレベルじゃなきゃ成り立たないのよ?」

「キィーッ!!」

 アウラは従姉妹(シャルティア)が地団駄を踏むとやれやれと首を振った。

 しかし、この胸の小さな痛みはなんだろうと、アウラはそっと痛みの部分に手を当てた。

 

+

 

 その日玉座の間には階層守護者達が集まっていた。

 

「今日はよく集まってくれたな。さて、コキュートス。蜥蜴人(リザードマン)達の様子はどうだ」

「ハ。族長ヲ倒シテ回ッタ私ノ事ヲ確カニ敬ッテオリマス。ソコデ、フラミー様ニオ願イシタイ儀ガゴザイマス」

「そうか。フラミーさ――」

「なんですか?コキュートス君」

 支配者の言葉を最後まで待たずに話し出したフラミーは満面の笑みでコキュートスを一直線に見つめている。

 余程コキュートスの成果を喜んでいると見えた。

 その待ち切れないと言う様子に守護者達は皆幸せな気分になる。

 そしてフラミーをこうも喜ばせるコキュートスを心から尊敬した。

「私ガ殺シテシマッタ族長達ヲ、ソノオ(チカラ)デ蘇ラセテ頂キタイノデス。ペストーニャニ頼モウカトモ思ッタノデスガ、ドウセナラバ御身ニ信仰ガ集マル方ガ宜シイカト……」

「わかりました。明日は神都にマーレと写真を撮りに行くんで、明日以外ならいつでもいけます」

「アリガトウゴザイマス。死体ノ損傷ガ増エル前ニ…モシ可能デアルナラバ本日ハ如何デショウカ。今日ハ丁度デミウルゴスト共ニ養殖技術向上ノ会ト、ソレノ慰労会ヲ開ク予定ダッタノデ、蜥蜴人(リザードマン)モ多ク集マリマス」

「なるほど、じゃあ今日行きましょう!」

「急ナ願イニオ応エ頂キ感謝致シマス。宜シケレバアインズ様ニモマタオ出マシ頂ケルトヨリアリガタイノデ――」

「もちろん私も行こう」

 またも食い気味に答える支配者の様子に皆幸せでいっぱいになった。

 

+

 

「コレデ全テノ族長デス」

 コキュートスとフラミーの前に、ザリュース・シャシャが腐り始めたシャースーリュー・シャシャの亡骸を優しく置いた。そこには四人の蜥蜴人(リザードマン)の亡骸が並べられていた。

 

「フラミー様の奇跡はそう易々と手に入るものではありません。皆、そのお姿をしかと目に焼き付けなさい」

 デミウルゴスの発声を合図に、フラミーは白いタツノオトシゴの杖を空中から引き出した。

 そして、全ての部族の蜥蜴人(リザードマン)達が見守る中、族長達は次々に目を覚ました。

 

 その日はお祭りだった。

 闇の神の再臨と、光の神の新たな降臨、そして族長達の再びの生を誰もが心から喜んだ。

 

 族長達を殺したコバルトブルーの武人が何を要求するのかと思えば、全ての蜥蜴人(リザードマン)は同じ湿地に暮らすのだと、グリーンクロー族の村に集められた。

 これではまた食糧事情が悪化し、地獄の時代の到来だと皆が嘆けば、最族長に就任した武人は様々な事を知る尾を生やした人間と、闇の神を連れて戻ってきた。

 闇の神は新たな家々を建てるためにスケルトン数体を与えてくれた。

 そして、スケルトンを指揮するカジッチャンと呼ばれる死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の事も。

 カジッチャンは態度は横柄だが、アインズ様の為だと言って蜥蜴人(リザードマン)をよく助けてくれる、今となっては良い仲間だった。

 

+

 

 とっぷりと日が暮れた湿地で、蜥蜴人(リザードマン)達は大きく燃やされた火を囲み、祭りに盛り上がった。

 歌って踊る様子を眺め、楽しそうに手拍子をするフラミーに、アインズは恐る恐る話しかけた。

 

「あの、フラミーさん?」

 フラミーはひゃ!と驚いた後、しどろもどろになりながら、キョロキョロと辺りを見渡した。

「あ、あー!こ、コキュートス君!」

 少し離れたところにいたコキュートスは腰を上げ、見苦しくない程度に小走りでフラミーの下に来た。

 それを見た蜥蜴人(リザードマン)の子供達は嬉しそうにコキュートスの後を追った。

「如何ナサイマシタカ、フラミー様」

「あ、アインズさんがお話があるみたいなので、一緒に聞きましょ?」

「カシコマリマシタ」

 膝をついたコキュートスを真似、子供達も膝をついた。

(……話せるかー!)

 アインズはコキュートスを取り敢えず褒め、褒美をとらせる約束をし、下がらせた。

 

「んん。フラミーさん?」

 フラミーは今度はあわわわと謎の言葉を紡いだ。

「で、デミウルゴスさーん!」

 手招くとすぐにデミウルゴスも腰を上げ、小走りでフラミーの下に来た。

「如何なさいましたか、フラミー様」

「あ、アインズさんがお話があるみたいなので、一緒に聞きましょう!」

「畏まりました」

 やはりデミウルゴスも早急に膝をついた。

(……話せるかーい!)

 アインズはコキュートスの成長を助けた事を褒め、蜥蜴人(リザードマン)達に渡す技術や知識には細心の注意を払うようにとデミウルゴスに話し、下がらせた。

 

「フラミーさん」

 次は誰を呼ぼうかとキョロキョロするフラミーに、アインズはもう一度強い調子で声をかけた。

「フラミーさん!」

 ようやく観念したように、フラミーはしぶしぶアインズを見た。

「はひぃ……」

「フラミーさん、絶対あの夜の事勘違いしてますよね?」

「いえ、勘違いなんて絶対しませんでした」

「絶対してます!」

「いやだからしてませんて!!――わっ!そんな顔で見ないでください!!」

「顔は変わりませんよ!じゃなくて、じゃあ何であの夜から俺の事避けるんですか!」

 アインズは必死だった。

 フラミーが軽蔑する"汚くて臭いおっさん"の上位種、"汚れたおっさん"の烙印を押されているんじゃないかと。

 フラミーはしんどそうな顔をすると、怒ったように口を開いた。

「……仕方ないじゃないですか!エッチぃ雰囲気だったんだから!!」

「んな!?エッチな雰囲気って!良いですか、あの夜は別にやましい事をしてたんじゃなくて、いつも通りアルベドの暴走に付き合わされてただけなんです!」

 更に言葉を続けようとすると鎮静された。

「それからシクススが間違った事を外の人に言ってると思って慌てて引っ張ったら、気付いたらあんな事になっただけで――」

 ふと気付けば何やら様子のおかしいアインズとフラミーに、蜥蜴人(リザードマン)達と、野性味溢れる酒を楽しみつつ何やら語らっていたはずの守護者二名の視線が集まっていた。

 

「と、とにかく!誤解なんですからね!」

 アインズは全く恥ずかしいとばかりにプイと顔をそらし何処かを眺め始めた。

 こうなったらこっちも徹底抗戦だ、と言わんばかりに。

 

 しかし――「いや、それはわかってますってば!」

「え!?」

 アインズの中の戦は早くも終わりを告げた。

 

「じゃ、じゃあ……なんで?何で無視するんですか……?」

「何でも何も、恥ずかしいじゃないですか!友達の……アインズさんとアルベドさんのエッチな姿を想像してしまった自分のエッチさが!!アインズさんの顔見ると、その日の想像が……その……あの……うぅ……何でこんな事言わせるんですかぁ……」

 フラミーの紫色の顔は赤紫に染まっていった。

「あーーー……」

 良いからほっといて下さいよと顔を背け、何かを汚されたとでも言わんばかりのフラミーに申し訳なさを募らせながら、アインズは今日の夜風はとても気持ちがいいと思った。




この後アインズ様がどうしたかって?
そりゃあ、一般メイド全員がシクススの話を聞いている事を知ってまた苦悩の日々に戻るんですよ!

ちなみにカジッチャンさんは死の宝珠さんと共に日々アインズ様の為に頑張っています。
いつかアッシュールバニパルに入る命令を受けたら、少しで良いから時間が貰えると嬉しいなと、その日の訪れをワクワクして待っているようですよ!


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#28 閑話 知ったかぶりの支配者達

 ナザリック地下大墳墓、第九階層。

 

「あ、待ってください。そう言えばあの日は何の用だったんですか?」

 アインズがソファを立とうと中腰になったフラミーに声をかける。時刻は深夜。既にフラミーは寝る時間だ。

「そうでした!アインズさんにもらったこのローブあるじゃないですか」

 そう言いながら、フラミーは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)より紺色のローブをズルリと取り出した。 

 見慣れた豪華すぎる机の上にローブを広げ、背中のあたりを指差す。

 

「これ、ここの背中の辺り、切ってもらっちゃおうかなーって言う相談だったんです。どう思います?」

「いいんじゃないですか?少なくとも俺は着ないですし、フラミーさんが使いやすいようにするのが良いと思いますよ」

「もったいなくないですか……?」

「全然……?」

 想像より軽い返事に、フラミーはうーむ、と悩むように唸った。

「何が気になるんですか?もうユグドラシルのアイテムは手に入らないから?」

「あ、いえ。そうじゃなくて……せっかくだから、大事に使いたいと思って。初めてアインズさんがくれたものですし」

 フラミーが感慨深げにローブを眺めていると、アインズは何やらごそごそと空中を探り――出てきたのはフォルダーだった。

「はは。フラミーさん、俺が初めてあなたにあげたのはこれですよ」

 そう言うと、何年も前のスクリーンショットを探すそぶりもなく、迷いなく取り出した。

 そこにはもうずっと使っていないネックレスを貰って、笑顔モーションを出すフラミーと、今とは全然違う装備に身を包むモモンガ、そして当時から最強だったたっち・みーの姿があった。

「あ……これ……」

「懐かしいですよね」

 フラミーは写真になっているスクリーンショットをアインズから受け取ると、じっと視線を落とした。そして、視線を泳がせてからアインズへスクリーンショットを返した。

「――んん、アインズさんはわかってないです!それもそうですけど、ローブは直接貰ったものだから違うんです!一先ず、背中を切るかは保留にしようかな。じゃっ、私もう寝ますね!趣味なので!」

 どこか早口に言い切ると、フラミーは部屋を立ち去った。

 

「そうか、確かにそれもそうか」

 ふふと僅かに笑いが漏れるアインズだった。

 

+

 

(まずい……!まずいです、まずいです……!)

 ネックレスの存在を忘れていたフラミーは慌てていた。確かにこのローブは直接もらった物なので特別だが、それはそれとして、あのネックレスはどこにやっただろうか。

 無限の背負い袋(インフィニティハヴァザック)に入っているのか、ドレスルームの何処かにしまったのか、あのネックレスに関する記憶がほとんどごっそり抜けていた。

 

 フラミーは自室に戻ると、今日のフラミー当番のフォスに泣きついた。

「フォスさん、私のこのくらいの結構長いネックレス見ませんでした?つけるとおへそくらいまで来る長さで、金色で、トップはひし型の魔鉱石がついてるやつなんです!」

 フォスはこれぞメイドの腕の見せ所と言わんばかりにフンと荒い鼻息を出すと、胸に手を当てて堂々を宣言した。

「わたくしフォスは、そのネックレスがどこにあるのか知っております!!」

「おお……!さすが神様!フォス様!女神様!良かった、良かったぁ!!」

 そんな畏れ多いと言うフォスの後ろからフラミーは抱き着き、ご機嫌で改めて尋ねた。

「それで、どこにあるんですかっ!」

「はい!アインズ様のドレスルームのっ――っきゃっ!?」

 フラミーはフォスを抱きしめたままソファーに横向きに倒れた。

「うぅ……なんで……なんでそんなところにぃ……」

 

 フラミーは文字通り泣いていた。

 

+

 

 アインズは懐かしくなって、アインズ当番にそのネックレスを出させていた。

「わー懐かしいな……。フラミーさん、俺が金欠だった時貰った物なのに悪いけど良かったらこれを売ってくれって、わざわざ返してくれたんだよなぁ」

 紺色のベルベットの張られたアクセサリートレイに乗っているそれをアインズはまじまじと眺めた。

 

(……この世界じゃアクセサリーの着用数制限はないみたいだし、何か効果付け足してまたフラミーさんに返すか)

 アインズはアインズ当番に少し出ると言い、鍛冶長の元へ出かけた。

 もし寝てたら悪いなーと思いながら。

 

 当然のように起きていた鍛冶長は大喜びでそれを引き受けた。

 

+

 

 次の日の朝、フラミーの顔は青かった。

「あれ?フラミーさんよく眠れなかったんですか?」

 アインズの後ろに控えるアルベドが深々と挨拶をするのに手を挙げて答えつつ、フラミーは頷いた。

「あーいえ、うーん。はい。よく眠れませんでした……」

「珍しいですね。自分に回復魔法かけたらどうです?」

「いえ、これは戒めなので……」

 ふふふふふ……と不気味に笑うフラミーの様子にアインズは首をかしげるが、この後玉座の間でどうやってエ・ランテルを手に入れるか発表すると言う課題を前に、フラミーにあまり構っている余裕はなかった。

 

+

 

「エ・ランテルだが、私は漆黒聖典を派遣する事を宣言する」

 アインズは以前から温め続けてきた案をついに発表した。

 

 今エ・ランテルは帝国と王国の戦争の真っ只中だ。

 まずは無事に戦線を乗り越えてエ・ランテル都市内に入れる者達でなければいけない。あそこには今フル装備のガゼフ・ストロノーフがいるのだ。

 あのクレマンティーヌが自分とガゼフは同等の強さだと言っていた。

 漆黒聖典にはクレマンティーヌを大きく超える力を持つ者達がいるため間違いないだろう。

 陽光聖典も一度ガゼフを倒していることもあるので期待できるが、帝国の兵もいるとなると、前回とは違って四方八方から攻撃を受けることになるので一抹の不安は残る。

 森妖精(エルフ)との戦争から帰った火滅聖典や、人間の隠れ里を守っていた土塵聖典、今も諜報活動に精を出す水明聖典と風花聖典ではガゼフに――クレマンティーヌに勝てそうにない。

 更に言えば、この四色聖典はもう国外活動をさせる予定はなかった。

 

 戦線を乗り越え、エ・ランテルに入った漆黒聖典達には明らかに神聖魔導国の者達が瓦礫の撤去や復興支援をしていると分かるように活動させ、隙を見つけて街を乗っ取らせるのだ。

 あれだけの強さがあれば、容易に乗っ取り行為もできるだろう。

 

(うんうん、中々論理的に導き出した結果だぞ。俺も結構できるじゃん!)

 アインズは心の中でふふふと笑った。

 

「漆黒聖典……でございますか……?」

 だが、アルベドの雰囲気がそれは不正解だと物語っていた。

 助けを求めてデミウルゴスを見ても、顎に手を当て、なにやら考え込んでいる。

 

 情けないがフラミーに視線を送れば、びくりと肩を震わせて、ふぃと視線を逸らされてしまった。

 誰か助けてくれ……そう思っていると、デミウルゴスが難しそうな顔をして手を挙げる。

 泣きたい気持ちで顎をしゃくって促せば――

「失礼かとは存じますが、後学のためにも漆黒聖典を送る理由をお聞かせ願えませんか?」

 最悪の質問が届いてしまった。

「デ、デミウルゴス、そしてアルベドよ……。お前達にはわからぬか……」

 胃がしくしくと痛む。こんな痛みは幻だと思っても、それでも胃が痛む。

 二人は揃って深く頭を下げた。

「「はっ!!申し訳ございません!!」」

 その声は玉座の間の中を軽く反響した。

 反響が聞こえなくなると、デミウルゴスが続けた。

 

「アインズ様の深遠なるお考えに達することができない我々をお許しください。そして、どうかこの哀れな守護者達に挽回の機会を……!」

 大切な友人の子供達が非常に辛そうにしている。特にデミウルゴスを製作――いや、創造したウルベルト・アレイン・オードルとアインズは非常に仲が良かった。ウルベルトはフラミーをギルドに連れて来た大悪魔で、フラミーもウルベルトを時に師匠と呼びよく懐いていた。

 

 アインズは自分の情けなさに目を覆った。

「なんという……」

 

 呟いた声に守護者達が口々に至高の支配者の足下にも及ばない我が身を罰してくれと嘆いた。

 アインズは自分が情けなくて何も言えなかった。支配者として一度言ってしまった漆黒聖典派遣を今更「やっぱりやめます」と言う訳にもいかなかった。

 一定まで自分の愚かさを罵る気持ちが膨れ上がると、アインズの焦りはスッと消えてなくなった。

 すると、隣にいたフラミーが口を開いた。

「皆、今はまだその意味がわからないと思いますけど、その時が来たら分かるんだと思いますよ。アインズさんの言う通り、漆黒聖典に行って貰いましょう」

 フラミーの言葉は天啓のようだった。

 情けないと思いながら、顔の前からゆっくり手を退け、アインズは守護者達を見渡した。

「そう言うわけだ……。各員自分の目で学ぶように……」

 

 そうして漆黒聖典の派遣は決まった。

 

+

 

 珍しくフラミーの自室に集まると、アインズはソファに崩れた。

 

「アインズさん大丈夫ですか?」

「もーダメです……」

 

 アインズとフラミー、それぞれの当番のメイド二人が焦った様子で近付いてくる。

「アインズ様。大致死(グレーターリーサル)を使える者をお呼びしますか?」

 だらしなくなり始めていたアインズは少し身なりを整え、そちらを向きもせずに答えた。

「いや、いい。こちらの話だ。悪いが二人は少し――そうだな。隣の部屋で控えていてくれ。用ができたら呼ぶ。あぁ、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)もだ」

「し、しかし……」「お側にお仕えしなくては……」とメイドや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が食い下がったが、なんとか追い出すことに成功した。

 

「あ、フラミーさんすみません。人の部屋なのに勝手にあっち行ってろとか言って……」

「いえいえ、本当支配者が堂に入って来たじゃないですか」

 はははと疲れたように笑うフラミーに、そうかと疲れの理由に思い至った。

 

「フラミーさんも、支配者というか、至高の人で疲れますよね。わかります」

「あ、いえ。私は、伸び伸びやらせて貰ってますから。アインズさんのおかげで」

「俺のおかげ……」そう言われるだけで少し滅入った気持ちが和らぐようだ。

「そうですよ。アインズさんが頑張ってくれるから、私、とってもナザリックの居心地いいですもん」

 絶対支配者として君臨することは、ナザリックだけでなく、ギルメンを――フラミーを守る一つの手段なのかとアインズは思った。

 フラミーはしょっちゅう支配者業を手伝いましょうかと言いに来るが、一度も受け入れた事はない。

 

 この人のためにできる事ならば、この疲労にも目を瞑ろう。

 アインズはよし、と心の中で声を上げた。

「フラミーさん、これあげます」

 よっと背もたれから上体を起こし、無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)のスリットからリボンのかかった小さな箱を取り出した。

 アインズは開けてくださいと告げてフラミーの手の上に箱を乗せると、フラミーはまじまじとそれを見た。

「こりゃなんですかい?」

「ははは、何。警戒しないで下さいよ。ただの懐かしいものです」

 フラミーはするりとリボンを引き、そっと箱を開けると、中にはまた箱が入っていた。

 赤紫に染められた皮で包まれてたその箱は、真ん中に金で"le souvenir"と書かれている。

「あ、アクセサリーボックス。かわいいですね。る…すーべにる?」

「フランス語で思い出、らしいです」

 はぇ〜と声を漏らし、フラミーが箱を開けると、中にはあのネックレスが入っていた。

「あっ!これ!!」

 興奮するフラミーにしてやったりとアインズは思った。

「そう、それ、俺あの後結局売らなかったんですよ。だから、昨日鍛冶長に頼んで……多分この世界じゃ無意味なんですけど、気前よくドロップ率アップの効果を――って!うわ!」

 フラミーの目からはポロポロと涙が落ちていった。

 

「なん!?ああ!勝手に効果つけ足しちゃダメですよね!?あああ、わ、わかります!!すみません!すみませんでした!!」

 しどろもどろなアインズに、フラミーはゆっくりと首を左右に振った。

 

「私、本当はこれどこにやったか忘れてたんです。だのに、分かったみたいな嘘ついて、アインズさんは大切に持っててくれたのに。嘘吐きの知ったかぶりでごめんなさい」

 そう言って泣くフラミーを、アインズは少し羨ましいと思った。

 よっこいせと腰を上げて、向かいに座っていたフラミーの隣に腰を下ろす。

 

「俺も、漆黒聖典に決めた理由、本当は滅茶苦茶で、皆にそれらしい事言って、フラミーさんに嘘の片棒担がせて……いつも知ったかぶりしてんです。俺も涙が出てたら、多分毎日泣いてますよ」

 アインズの困ったような雰囲気に、フラミーは呆けたようにそちらを見た。

「アインズさんって、超級の策士じゃなかったんですか……?」

「うわ!何言ってるんですか!やめて下さいよ。そんな訳ないじゃないですか」

「そうだったんだ……。私、デミウルゴスさんやアルベドさんには大失敗しか浮かばないけど、アインズさんには見えてるのかな、閃いたのかなって思ってました……」

「そんなわけないじゃないですか。勘弁してくださいよ〜。はは」

「アインズさん、ぷにっとさん達とよくすごい作戦思いついてたから」

「それはぷにっとさん達がすごかったんですよ〜」

 

 とんだ勘違いに頭をかいていると、フラミーは濡れた睫毛でアインズを見上げた。

「ねぇ。アインズさん、私もやっぱり働きます……。一緒に」

「それは良いですって。あなたはあなたで忙しいでしょう。ね」

「忙しくなんて――」

「良いから良いから」

 アインズは言いながら、もう止まったフラミーの頬に残る涙の跡を親指でグイと拭いて、忘れられてしまっていたネックレスに視線を戻した。

 それに気付いてか、フラミーはネックレスを箱からスーっと取り出した。

 

「これ、今度は忘れないようにちゃんと着けておきます」

 ネックレスを首に何重にもクルクルと巻いて、チョーカーの様に付けると、魔法の装備のそれはピタリとフラミーの細い首に隙間なく着いた。

「長いネックレス、リアルじゃよく引っ掛けて切っちゃって……トップ無くしちゃったりとかしたんで、戦うこともあるかもしれないですし、こうしておきます」

「ネックレス、そんな着け方あるんですね」

「私はオシャレさんなので」

「はは、俺二十四時間三六五日同じ服だ」

 

 ふふっと笑うフラミーはまた申し訳なさそうな顔をした。

「アインズさん。本当、忘れててすみませんでした」

 ぺこりと頭を下げるフラミーに、アインズは慌てて手を振った。

「そんな、頭あげてください。良いんですよ。ヘロヘロさんも言ってました。まだナザリックがあったんだーって」

「え……?」

「でも、俺が維持してくれてたお陰でーって、言ってくれたんですよね。俺、その時良かったって思いました」

 フラミーは黙って話に耳を傾けた。

 

「フラミーさんもそれの事忘れてたけど、でも、維持してる誰かや、覚えてる誰かがいれば、また思い出して貰えるんだって、俺はもう知ってますから」

「アインズさん……」

「これじゃ墓守ですかね」

 アインズは恥ずかしげにポリポリと頬をかいた。

「墓守だっていいじゃないですか。前も言いましたけど、私も一緒に守りますよ。――どっちか一人が覚えていれば良いなら、きっと楽勝ですね」

 ずれ掛けていた二人の感覚が、またピタリと合った気がした。

 

 隣の部屋から聞こえてくる和やかな笑い声は、まるで優しい歌のようだと、メイドもアサシンズも思った。




アインズさんは性欲の8割を失って女子との距離感狂ってますね。
フラミーさんも生えてるせいで男子との距離感狂ってますよね。


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#29 収束、そして始動

 アインザックはプラムに近寄ろうとするが、隣の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や青い蟲型モンスターの存在に足が止まる。

 いや、知能のあるアンデッドを死者の大魔法使い(エルダーリッチ)しか知らなかったが、恐らくそんな存在ではない事にアインザックはとうに気が付いていた。

 町から遠くに見えていた神話のようなあの戦いを誰が行ったのか本能が察する。市壁を突っ込んできた番外席次は認識できたが、それ以外は米粒のような大きさで殆ど見えなかった。

 

「君は森妖精(エルフ)ではなかったのか」

 大きな声を出しすぎたせいで衆目を集めてしまっていた。

 いや、この神聖な姿のプラムに近付けば静かに進んでもそうだったかもしれない。

 

「ははは、ど、どうも〜」

 いつもと変わらない様子で返事をするが、その背には神か神の使いだとしか思えない様な翼が煌めいていた。

「君はまさか……」

 謎に包まれた漆黒の英雄のバラバラだったピースがアインザックの中で全て繋がっていく。

 モモンは法国の出身者だと冒険者たちの中では有名な話だったじゃないか。

 そしてプラムを侮辱すれば殺され兼ねないと。

 それは、神と従者を意味していたのではないか。

 

「エ・ランテルを救う為だけに冒険者になってくれたのか……。モモン君も情報を欲していたな。もっと早くに我々が君に……いえ、あなた様に協力していたなら――」

 ズーラーノーン事件はここまで酷く爪痕を残すような事にはならなかったかもしれない。

 例えズーラーノーン事件を未然に防いだとしても、魔樹によって結局は滅茶苦茶になっていただろう――が、魔樹の襲来後生活する余裕は残ったかもしれない。

 次から次へと悔恨、自責の念が押し寄せる。

 このエ・ランテルを壊したのは他でもない自分でもあるのだ。

 

 今やエ・ランテルは人が生活して行ける街ではない。

 それこそ、超常的な力を持つ何者かが手を差し伸べてくれなければ。

 

 皆同じことを思ったのか、神聖魔導王に救いを求めるように視線を送っている。

 

「陛下、これから我々はどうやって生きていけば良いのでしょうか……」

 アインザックのつぶやきは、神聖魔導王に向けられていた。

 ランポッサを差し置いた言葉に、パナソレイとガゼフは驚いたが誰も注意することなく、やはり痛みを堪えるような顔をするだけだった。

 

 しかし、神聖魔導王は何も言わなかった。非常事態とは言え国境を侵犯してきているためか、ランポッサへ敬意を払ってのためか。

 

 代わりにランポッサⅢ世は、少しでも民を安心させようと言葉を紡いだ。

「復興に向け、国が一丸となって――」

「それが貴国にできますかな」

 ピシャリと言葉を遮ったのは帝国騎士を率いていた帝国第二将軍ナテル・イニエム・デイル・カーベインだった。

「我らが皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下であれば、見事エ・ランテルを復興させましょう」

 辺りに微妙な空気が漂う。

 周りの帝国騎士はハラハラした様子でカーベイン将軍を伺っていた。ここに集まっているほとんどの人間はエ・ランテルの――リ・エスティーゼ王国の民なのだから。

「これ以上は戦争にもなりますまい。我らも同胞を多く失いすぎた……。一時休戦です」

 そして背を向け続ける魔導王へ向かって頭を下げた。

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。此度は人類を、エ・ランテルを、我が騎士達をお守り頂きありがとうございました。私は皇帝陛下でなく神王陛下であってもエ・ランテルを復興できると信じております」

 振り返らずに手を挙げるだけで応えるその背中は、とても大きかった。

 何を言いたいか分かっている、そう心配するなとでも言うように。

 周りのエ・ランテルの衛兵や冒険者、組合長達でさえ安堵に包まれたのが感じ取れた。

 偉大なる神々に深く頭を下げると、カーベインは部下が引いていた馬に飛び乗った。

「全軍、撤退!!」

「「「「「「「は!!」」」」」」」

 帝国騎士達は踵を返し、ぞろぞろと歩き出した。野営のセットは半分近くがザイトルクワエに踏み潰されていたので、使えるものの撤去は早かった。

 

 もはや誰が死んで誰が生き残ったのかもわからない状況だ。

 カーベインは馬の上で考えていた。

 皇帝ではエ・ランテルの復興はできない。いや、時間がかかりすぎるだろう。

 エ・ランテルを手に入れると言うことは、隣り合う事になる神聖魔導国を御さねばならないのだ。おそらく戦争をしながら復興させていくことになる。そうなれば神聖魔導国はエ・ランテルを手に入れるため敢えて長期戦へ持ち込むだろう。

 長期戦の先に待つのは、内部からの蜂起。外からも中からも打たれ、補給も心もとない。

(最悪のシナリオだな)

 忠臣として仕事はした。

 これ以上は皇帝に政治的判断を仰ぐしかない。少なくとも、今このままエ・ランテルを攻め続けるのは愚の骨頂だ。

 

 あの激しくも美しい戦いを思い出す。

 騎士もカーベインも、堪らず魔導王万歳の唱和に参加してしまったが、あれを見せられればそうしない方がおかしいと思えてならなかった。

 

「おい、皇帝陛下にはあの万雷の喝采は黙っておくぞ」

 カーベインは隣を行く馬上の副将軍に声をかけた。

「それはそうですよ。私達も一緒になって神王陛下万歳なんて言ったことがバレた日には粛清されてしまいます」

「ははは。その通りだな」

 二人はしばらく笑い合い、笑いが自然と止まる頃、カーベインは言葉を口の中で反芻した。

「――……神王陛下、か」

 

 仲間を失い、己も死ぬかと思った状況で差し伸べられた強く大きな手に帝国騎士達はすっかり魅了されていた。

 

+

 

 挨拶もそこそこに、アインズ達はナザリックに戻った。下手に声を発すればアインズがモモンだとバレてしまうかも知れなかったので静かに過ごした。

 結局あの後ザイトルクワエをくまなく調べたが、少し珍しい薬草が発見できたのみで目ぼしいものは何もなかった。あれだけのレベルのモンスターだったのだから、データクリスタルのひとつでも落としていないかと期待したが。

 期待はずれな枯れ木は吹き飛ばしてしまっても良いかと思ったが、デミウルゴスの提案により、魔樹の遺骸と"偉大な戦いの痕"は全てそのままだ。

 執務室ではアルベドの手によって王国に再度送られるエ・ランテル近辺の割譲を要求する文章が制作された。

 前回とは違い――苦しむ者は助けるという事、邪魔すれば粛清するという文が追加されて。

 

 今回、貴族派の貴族達はエ・ランテルまで帝国騎士が迫った時に、自領を守る必要があると言い残しさっさと立ち去ってしまった為魔樹との戦いは見ていない。王と共に死ぬかもしない戦地に残り、魔樹の脅威を目の当たりにしたのは王派閥の貴族だけだ。

 

 果たしてこの書状もどれだけの効果を発揮する物かとアルベドはペンを置いた。

「アルベドよ、疲れたのなら下がって良いのだぞ」

 アインズから掛けられる言葉に胸がほわりと温かくなった。

「いえ、とんでもございません。しかしアインズ様。先程国王がエ・ランテルにいた時、なぜ影の悪魔(シャドーデーモン)に始末させなかったのでしょう?ザイトルクワエのせいにする絶好のチャンスだったのように愚行いたします。そうすればエ・ランテルは、王国は今既に手中にあったのでは……?」

 

 何故か。

 アインズも当然それには思い至っていた。

 しかし――「今はいい。あそこには引き入れなければならない者がいる。万が一暗殺に勘付かれでもして、それの反感を買ってはいけないだろう」

 ガゼフ・ストロノーフ。

 自分ににはない、憧れの人と同じ輝きを持つ眩しき戦士長。

 アインズは彼が欲しかった。

 

「引き入れなければいけない者、でございますか……?人間にアインズ様の慧眼に叶うような者がおりましたでしょうか……?」

「ふふ。お前にはまだ難しいかもしれないな。だが、きっとお前にもわかるようになるとも」

 その優しい声音は何かを懐かしむようでもあった。

「さて、そろそろ玉座の間へ行く時間だろう。フラミーさんを待たせても悪い」

「――はい!参りましょう!」

 

+

 

「セバス、ソリュシャン、そしてシャルティアよ。王都へ向かい、王都の情報を収集するのだ。神聖魔導国の敏腕商人の娘と執事としてな。街の噂から我らが魔導国に関わることまで何一つとして漏らさず報告せよ。当面危険は無いと思われるが、ザイトルクワエの事もある。決して油断せず、三人で事に当たれ」

 

 支配者の言に頭を下げた三人はやる気に満ち溢れていた。

 特にシャルティアは守護者の中でも出遅れている事に焦りを感じていた。

 地表に近い階層を受け持つ者として殆ど外に出ていなかった為、未だに従属神の拘束と、森妖精(エルフ)の王の拘束と、無礼な白黒女の拘束しか行っていない。

 デミウルゴスとアルベドは言うに及ばず、コキュートスはこの短い期間で見事に蜥蜴人(リザードマン)集落を統治せしめ、次は近くの湿地の蛙人(トードマン)に忠誠を誓わせるよう動き始めていた。

 アウラとマーレは、法国潜入時若干の失敗もあったが、今や神聖魔導国スレイン州エイヴァーシャー市の"象徴王"として君臨している。

 マーレはフラミーとのお食事権を見事に手に入れた。

 温情でそこにアウラの出席も許されたほどだ。

 まだ何もできていないのは自分しかいない。

 ここで他の守護者達がアッと驚くほど見事な成果を上げて見せると、その目は爛々と光っていた。

 

 支配者達が立ち去った玉座の間で、並ぶ守護者達がその威光の残滓に浸っている中、シャルティアは一番に立ち上がった。

「この大役、何としても果たしてみせる!!」

 気合が入りまくったために音程が狂ったような声が響いた。

「……シャルティア様、あまり力みすぎると、お嬢様という役からキャラクター性が離れてしまうかと」

 セバスからの小言にシャルティアは軽く舌打ちをした。セバスもほとんど常に支配者達のどちらかにはべり、仕え続けている。シャルティアの気持ちなどわかるはずがない。

 

 シャルティアがセバスに不快げな視線を送っていると、アルベドが大きな咳払いを飛ばした。

「シャルティア、セバスのいう通りよ。特に、今回アインズ様は王国のことを何一つ漏らさず報告するように仰ったのは分かっていて?」

「当然分かっていんす。必ずやご期待に添えるようにやりきってみせんすよ」

「そう。その為に、あなたには一つヒントを伝えておくわ」

「……ヒント?」

「えぇ。アインズ様はここでははっきりとおっしゃらなかったけれど、執務室で私に教えてくださったことがあるわ」

 

 どこか勿体ぶった言い方に、シャルティアは若干の苛立ちを持って先を促した。

 

「――リ・エスティーゼ王国には、引き入れなければならない者(・・・・・・・・・・・・・)がいるそうよ。それも、人間でね」

「に、人間で?それは誰でありんすか?」

「分からないわ。私には。けれど、私にもわかるようになると仰っていたわ。つまり、あなたとセバス、ソリュシャンから送られてくる情報が正確ならば、私の方でその引き入れる者を精査できるはずよ。逆に、あなたからの報告に漏れがあれば、引き入れなければならない者は見つからない。わかった?」

 

「分かりんした!!」

 

 鼻息荒く、くわっと目を見開くシャルティアは、先ほどよりもよほど力んでいる。

 

 セバスとソリュシャンは目を見合わせ、ゆっくりと頷き合った。




漆黒聖典や魔導国の神官の皆さんは漆黒の英雄、モモンはどこから来たんだろうと今も思ってます。

ユズリハ様より現在の勢力図を頂きました!なんて分かりやすいんだ!

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#30 閑話 一緒にお食事権!

 雲が素早く流れていく。

 空の高いところはかなり風が強いようだ――と思わされるが、ここはナザリック地下大墳墓、第六階層。アウラとマーレの守護する地だ。

 空はブループラネットの生み出した偽物の空だった。

 その湖畔に、双子とフラミーはいた。

 

 どこからか男性使用人によって持ち出されてきた――無駄に広い十二人がけのL字のソファと、ソファに対して明らかに小さいテーブルが置いてあった。

 フラミーは双子にぴたりと挟まれ座っていた。

「ぶくぶく茶釜様のお写真ですか!?」

 フラミーは興奮するアウラに優しく頷いてさらりと髪を撫でた。

「そうなの、気に入ったのがあれば二人にあげようと思って」

 十三冊あるうちの古いフォルダーを開くと、そこには日付順に大量の写真が入っている。

 写真は六つ切程度の大きさのため中々の重さだ。

「あ、あの、その!よ、よろしいんですか?」

 良いも悪いも良いに決まっていると二人に微笑めば、眼前に広がる湖の端っこで蜥蜴人(リザードマン)とハムスケ、死の騎士(デスナイト)が遅い昼食のために訓練から戻ってきたのが目に入った。

 

「そういえば、ここで暮らしたり出入りするようになった人達はどう?」

「うーん、少し目障りです!」

「ぼ、ぼくは、皆面白いなって思います!でも、別にいなくても良いです!」

「ふふ、そっかぁ」

 フラミーはアルベドが陽光聖典(おじさん)達を連れて帰るのを反対した日の事を思い出していた。

「そう言えば、トカゲは家を守ってくれるっていえ言い伝えがあってね、えーっと、家トカゲ?違うな。えーと……なんて言ったっけなぁ……」

 ブツブツしゃべっていると、後ろから声がかかった。

「ヤモリですよ、フラミーさん」

 フラミーが思い出そうと悩んでいるうちに、気付けばアウラとマーレはソファから降りて膝をついていた。

「あ、アインズさん」

 顎を上げて、真上を見上げる。

 アインズは両手をフラミーの肩にポンと乗せると、肩を揉みながら双子に顎をしゃくり、元に戻るように指示をした。

「ブループラネットさんが確かそう言ってました。――……凝ってますねお客さん」

「そうでした、ヤモリ。そのヤモリって言うのはトカゲの仲間でね、家を守ってくれるんだから、あんまり邪険にしちゃダメだよ、二人とも」

 はーい!と行儀よく声を上げる二人に微笑ましい気持ちになる。

「でも家を守るならあたしたちの方が強いし実績もあるよね!」

「そ、そうだよね。あの蜥蜴より強いもんね!」

「うーん、確かに〜」

「そのヤモリって、蜥蜴は蜥蜴でもドラゴンなんじゃないですか!」

 アウラが瞳を輝かせると、フラミーは苦笑した。

「え〜、ドラゴン……そうかなぁ」

「きっとそうですよ!そうじゃなきゃ、至高の御方々の家をお守りするなんてとてもできないですもん!」

 リアルにドラゴンはいない。だが、フラミーはヤモリなどと言う生き物はまったく見たことがないので、どんなビジュアルかも知らない。

「……まぁ、とにかくきっと強そうなんだよね」

「そうだと思います!」

「そうか……?」

 アインズは疑問を口にしたが、そうだそうだと双子は盛り上がった。

 

「そうですかねぇ?」

「……どうでしょうねぇ?」

 二人はドラゴンはありえないと流石に思っていた。

 他愛もない会話をしながら、アインズの骨の指はゴリゴリとフラミーの肩を揉んだ。

「あーアインズさん、そこいいっすね〜。羽の根元の方もお願いしていっすか〜」

 フラミーは中年のくたびれたサラリーマンのような雰囲気を漂わせつつ、アウラとマーレの背中のあたりに開きっぱなしにしていた翼をわずかに持ち上げた。

「いいっすよ〜。お客さん、この辺ですか?」

「あー効きます。上手ですねアインズさん」

 しばらく身を任せ過ごすと、フラミーは振り返った。

「そろそろ変わりましょうか?」

「あ、いえ。俺は凝るものないんで」

「ははは、ですよねぇ。言ってみただけです」

「ははは、ですです」

 上がる支配者達の笑い声にアウラとマーレはお食事権は大正解だったと思った。

 

 しかし、続くフラミーの言葉にアインズは固まる。

「あースパ行きたいなぁ。それで全身マッサージとか……いいなぁ〜」

「え……」

「え?」

 フラミーが軽い疑問を口にするのと同時に、アウラが片膝をソファに乗せるように体をフラミーに向けた。

「フラミー様!あたしがマッサージしますから行きましょうよ!!スパリゾート、ナザリック!!」

「わぁ良いね!今夜行く?」

「ちょちょちょちょ!フラミーさん!!そんな教育に悪い真似やめて下さいよ!!」

 え?何?と疑問に思いながら、アインズへ体ごと振り返り、まずいことに気がついた。

 

 はっと口を開け、若干顔を青くする。

「そうですよ!!女児に何見せる気ですか!!」

 まるで変態(ペロロンチーノ)のような扱いだ。

「やばい、もはや当たり前のようについてて忘れてました!!」

 何だろうと首をひねるアウラに、顔を青くしたり赤紫にしたりしながらフラミーは伝えた。

「わ、私はちょっとね、女の子に見せられないような体なんだった……。ごめんねアウラ」

「え?何でですか?フラミー様はとってもお綺麗なのに!」

 天真爛漫な太陽から目を背けると、そこにはマーレが同じく首を傾げていた。

「あ!えと、その!じゃあ、僕とならどうですか?」

「あ……マーレならギリギリセーフかな……?」

 肩揉みをやめたアインズもL字の短い方のソファに座りながら、「いやそっちもアウトなんじゃ……」と呟いているのが聞こえた。

「うう……ですよねぇ」

 フラミーが悲しんでいると、後方の少し離れたところでパラソルの下、お茶を淹れたり食後の軽食を出す為に控えていた犬頭のメイド――ペストーニャがアインズの元に跪き来訪者を告げた。

 

「ご歓談中失礼いたします。デミウルゴス様がいらっしゃいました。あ、ワン」

 アインズがちらりと斜めに座るフラミーを伺うと、フラミーは悲しい様な不満なような、自嘲するような表情をして、訳もわからぬ双子に左右から慰められていた。

 その向こう、ペストーニャが控えていたパラソルとワゴンのそばに、この晴天に暑苦しいスリーピース姿の悪魔がにっこりと控えていた。

「ふむ、通せ。ただ、双子とフラミーさんは休暇だと言うことを伝えるのを忘れるな」

 頭を下げてデミウルゴスを呼びにペストーニャが戻っていく。

 

 替わりに現れたデミウルゴスはすぐさま跪いた。

「アインズ様、お忙し――」

「良い良い、デミウルゴスよ。私も今は休んでいる。して、あれは成ったか?」

「は。エイヴァーシャーの邪王、デケム・ホウガンから取れた皮が中位魔法を込めるのに耐えましてございます」

「そうか!よくやったぞデミウルゴス。お前にも何か褒美をやらねばならんな」

「いえ、それには及びません。このデミウルゴス、御方々のお役に立つことこそ――」

 頭を下げ辞退しようとするデミウルゴスを手で押し留めた。

「そう言うな。お前は実に良くやってくれている。何が欲しいか言ってみなさい」

 アインズは父親気分だ。が、言ってから気がついた。

 趣味の椅子作りに使う骨が欲しいと言われたら困る、と。

 

 しかし悪魔の願いは想像以上に困るものだった。

「それでは……今お話になっていた、アインズ様、フラミー様が、マーレと共に今夜行くスパリゾートナザリックに私もお供させては頂けないでしょうか」

 ワクワクと言った雰囲気で尾を振る守護者に、アインズもフラミーも固まった。

「ちょっとデミウルゴス!あなたみたいな男がいたらフラミー様が入れる訳ないでしょーが!」

 アウラがブーブー言うが、こればかりは正論だ。

「しかし、アインズ様とマーレと入るのであればフラミー様は恐らく水着で……」

「だーかーらー!デミウルゴスはどうなの!マーレは子供だし、アインズ様は絶対的支配者だし、何より骨でいらっしゃるからフラミー様が入れるんでしょ!この!あほすけべ!!」

 フラミーは意外とおませなアウラの頭に手をポンとのせると愉快そうに笑い始めた。

「はははは。ありがとうね、アウラ。――デミウルゴスさん、私は今は誰ともお風呂には入らないつもりなんです。マーレもごめんね。でも、プールなら入れるかなぁ」

 楽しそうに笑うフラミーにアインズはほっとした。

「じゃ、いつかウォーターパークなざぶーんいきましょうね」

「行きたいでーす!アインズさんは溺死体に見えそうですけどね!」

「うわー、ほんとですね」

「フラミー様、すけべなデミウルゴスは置いていきましょーね!」

「か、かわいそうだよ。お、お姉ちゃん」

 

 和やかに笑っているが、デミウルゴスはすけべ呼ばわりされた事を訂正せずには居られなかった。

「フラミー様、私は決して助平心で言ったわけではありません。先ほどのアインズ様との会話で、堕天使(サタン)であるフラミー様が両性具有であ――」

 アインズは慌ててバサリと立ち上がると、跪いたままのデミウルゴスのスーツの首根っこをつかみ、蜥蜴人(リザードマン)の方に引きずっていった。

「え?」と一言残し、呆然と猫のように引き摺られていく叡智の悪魔の姿にアウラは大笑いした。

「デミウルゴスのすけべー!すけべだからアインズ様にお叱りを受けるんだ!!」

「そ、そんなこと言っちゃデミウルゴスさんが可哀想だよ、お姉ちゃん」

 フラミーを挟んで姉に止めるように言うマーレはチラリとデミウルゴスを見ると、ははっと結局笑い出してしまうのであった。

 

 幸い、ダラダラと大量の脂汗を流すフラミーに二人は気付かなかった。




なんで生やしちゃったんでしょう。
これじゃあ楽しい女湯話が書けない…!
フラミーさんがアルベド、シャルティアと過ごすエッチなお話しかかけませんね!?(書かない


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試される王国
#31 閑話 エ・ランテルの炊き出し


 ナザリック地下大墳墓、第九階層。

 エーリッヒ擦弦楽団は天使に化けると、華麗な礼をして鏡を潜っていった。

 

 アインズもエ・ランテルで行われるボランティアイベント、炊き出しに行く為モモンの装備と口唇蟲を身につけていた。似て比なる声を着け、少しづつモモンの声の印象を変えて行く予定だ。

 一方フラミーはもう冒険者のフリはできないので留守番だ。最初にフラミーとしてエーリッヒ天使ドッペルを伴ってエ・ランテルに行った時には町中狂喜の大混乱に陥ったので、フラミーとして出掛けることも難しい。

 なので、本日は表にフラミー当番を立たせて一人でスパリゾート・ナザリックに行き、文字通り羽を伸ばすと言っていた。

 エ・ランテルでは神の身でありながら自らズーラーノーン事件から人々を救ったと言う武勇譚と、ザイトルクワエから人類を救ったと言う武勇譚。そして、何より人に扮して共に生活していたと言うローマの休日よろしく物語チックな話は人々を夢中にさせた。

 

「さて、誰といくかな」

 アルベドが隣でハンカチを噛んでいるのは見えないふりをするアインズは執務室で膝をつく戦闘メイド(プレアデス)と相対していた。

「――ユリ・アルファよ。共にいく場合のお前の意気込みを簡潔に聞かせて欲しい」

 ユリは眼鏡をくいっと押し上げると口を開いた。

「はい。貧困と苦痛に喘ぐ人々を救うべく、最善を尽くします」

 百点満点の答えにアインズは骨の顔で微笑んだ。

 

「ルプスレギナ・ベータ」

「人間どもをさらなる地獄の底に――」

 ルプスレギナが口角を上げてそう言うと、アインズは遮った。

「分かった。黙りなさい」

 余裕の落第だ。軽く咳払いをすると、次を促した。

 

「んん。ナーベラル・ガンマ」

「は。私は必ずやアインズ様をお守りいたします」

 ナーベラルのレベルに守られるアインズではないが――心配症なアルベドはナーベラルを推しているような雰囲気が伝わってくる。

 

「シズ・デルタ」

「ん。アインズ様とお出かけ。楽しみ」

 シズはアイパッチを着けていない方の瞳を小さく輝かせた。

 たまにはNPCと何の気兼ねもないお出かけもしてみたいとアインズも思った。

 

「エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ」

「はぁい!アインズ様ぁ!人間の死体が落ちてても食べないようにしまぁす!」

「はははは。偉いな、エントマ。しかしヨダレが出ているぞ」

 ハッとしたエントマは愛らしく顎の下をじゅるりと拭いた。本当の口がある部分だ。

 

 一通り聞いたところ、ボランティアと言う性質上ユリが最適なように感じられたが、恐らく彼女は頑張りすぎるだろう。

 そうなればアインズがふらふら遊んでいると叱られるかもしれない。

 エントマとルプスレギナは論外として、シズは少し子供すぎる気がする。

 で、あれば、アルベド一押しの――「ナーベラル・ガンマ。お前だ」

 涼しい瞳でナーベラルが皆の列から一歩前に出て頭を下げる。

「かしこまりました。このナーベラル・ガンマ、アインズ様に無礼を働くものから必ずやアインズ様をお守り致します」

 

+

 

「黙りなさい、下等生物(ガガンボ)。身の程を――」

 モモンがナーベラルをヘッドロックし、パンを受け取ろうとする人から引き離していく。

 

 十人連続でこのざまだ。

 

 炊き出しの列に並ぶ人々は二人の様子を苦笑の瞳で追った。

「ナーベラル・ガンマ!!お前何度言ったら分かるんだ!!フラミーさんと私の顔に泥を塗るつもりか!!」

「も、申し訳ございません!」

「いいか!お前はここにいる間は決して口を利くな。これは命令だ!あそこの"炊き出し最後尾こちら"の看板を持つエーリッヒの者と変わってこい!」

 肩を落としたナーベラルが立ち去っていくのを見送ると、モモンをモモンちゃんと呼んだだけの善良な老婦人の元へ戻る。

 この人はプラムと数度立ち寄ったパン屋の奥さんで、ザイトルクワエ襲来の際に店と窯を壊されてしまっている。

「すみませんね、あいつ神聖魔導国の中でも特におかしな奴で……」

「いいのよ、おばちゃんあんな美人さんに嫉妬されるなんて鼻が高いくらい」

 うふふと笑う夫人にアインズは礼を言って頭を下げる――と、事態に気が付いたエーリッヒのドッペル天使が同族のナーベラルへ殺意を向けていた。アインズに頭を下げさせたナーベラルへ激しい怒りを覚えている様子だった。

 

「……ほんとあいつ困ったやつですよね」

 アインズがそう言いドッペル天使の肩にポンと手を置くと、ドッペル天使は「はい!誠に仰る通りでございます!」と応え、ふわぁっと花咲くような笑顔になり、殺意を霧散させた。

 

 夫人と連れ立ってきていたパン屋の主人はニヤリと笑った。

「しっかしわしゃーてっきりプラムちゃん……いや、フラミー様とモモン君がデキてるんだと思っとったわい」

「ははは、ご店主そんな、やめて下さいよ。フラミーさ――まにも悪いですって」

 そういうモモンはどこか満更でもない様子だった。

 話を聞いていた周りの人々はおや?と思うが、決して人間の身で実る恋ではないと分かっている為誰も深掘りはしなかった。

 

 お盆の上に皿を並べた人々は、モモンからスープを受け取り、続くドッペル天使達からパンや川魚のムニエル、グリーンサラダを受け取り、皆思い思いの場所で食べた。

 割れないように木で出来ている皿のセットとカトラリーには全て神聖魔導国の紋章が施されていた。

 最初に一人一つ、と決められタダで支給された物を皆洗って持ってきている。

 

 魔樹だった枯れた大樹から南に向かって見たこともないほど巨大な――神聖魔導国の紋章が入ったタープがはられ、その下には沢山の鉄でできたカフェテーブルと椅子が出されていた。

 これまで落ちていた肉片はドッペル天使によって綺麗にナザリックへと回収され、マーレの力で大樹の根元には芝生が生やされた。

 人を殺し、踏み、血を滴らせていたときは燃えるように赤かった大樹には、人の頭ほどの高さまでふかふかと優しい感触の花咲く苔がはやされ、子供たちは魔樹を倒すと言って体当たりをしたり、魔法を撃つ真似をしたりして遊んでいた。

 そこの穏やかな空気は最早高級な避暑地のようである。

 

 魔樹から半径約一キロ、真っ直ぐ十五分歩いた付近に幅六メートルほどの美しい人工の川が作られ、それは真円状に魔樹を囲むように流れていた。

 ――ちょうど魔樹の端からエ・ランテルの壊れた城壁の外までだ。あと一歩魔導王の到着が遅れていたら、エ・ランテルの人々は一人も生きてはいなかっただろう。

 この川に囲まれた場所は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の飛び地だ。

 川で洗濯をした者や、体を洗った者がエ・ランテルの恥さらしと袋叩きに合ったのは言うまでもない。

 後に東西南北の四停留所に止まる魔導国の旗を掲げた小さな幽霊船が水上バス(ヴァポレット)として内回りと外回りに2つ走るようになるとそう言うものはすっかり見なくなるが。

 魔樹の南側は現在食事広場になっているが、その裏北側には巨大なテントが四つでき、それらは男女で分けられ温かい湯に浸かれる巨大浴場テントと、帝国で売られているセンタクキが十台づつ置かれた脱衣テントができた。

 センタクキは魔導国で行われたボキンなる善良な制度によって集められた資金で、魔導国の商人が買って来てくれた物だ。

 そして東西には、スケルトンとゴーレム、死の騎士(デスナイト)によって建物の建築が進んでいた。

 偶に神話の戦いにも参加した双子の守護神が監督や資材生成に来ると人々は膝を折った。

 

【挿絵表示】

 

 

 日の昇る東には光の神殿、兼魔導国の行政窓口が建築されている。

 既に屋根のかかったそこでは祈りを捧げる聖堂と、脇には国籍とぱすぽーとと言う身分証明書が取れる部屋が既に運営を開始していた。

 日の落ちる西には闇の神殿、兼魔導国ザイトルクワエ州州庁の建設が進んでいる。

 そこでは祈りを捧げる事ができる聖堂はもちろん、街づくりや、エ・ランテルの片付け計画、地上げ等の計画を立てていて、魔導国本国より日々八十名程度がそれぞれの神殿へ鏡の扉を使って出勤して来ていた。

 

 今度数キロメートル先に新たに作られる円形川はついにはエ・ランテルを取り込み始める。

 しかし、反対者はいなかった。

 と言うのもエ・ランテルのどこであっても魔導国が土地の買い取りを受け付けるそうで、仮河川設置の範囲内の売却申し込みが五十パーセントを超えるまでは川の製作が始まらない慈悲深い政策や、売却者には川の内側の土地を買う権利が優先的に与えられたことが大きい。

 そして――王都からの支援が未だ始まらないこともひとつだった。

 

 人々は売却の申し込みと神聖魔導国国籍取得の為、光の神殿の行政窓口には連日長蛇の列ができていた。

 土地を買う者は少しでも良いところを買いたいと売却額に所持金を上乗せした。

 土地を持たない者は国籍必須ではあるが、州営のコンドミニアムと呼ばれる建物の賃貸申し込みをしたり、まるで金のない者はカッツェ平野で晩秋にスタートするという農業開拓に繰り出す契約を結び、不安はありつつもちっちゃな地主を夢見た。

 魔導国は美しい街作りをスローガンに必要以上に土地を小さくすることを禁じた為、殆どの者は今までより大きな家を手に入れることができたが、小金しか持たない者は6世帯程度で寄り合って所持額を大きくし、Building co-operatives(コーポラティブハウス)の建築計画を進めた。

 

 人々はこれからできる美しい街の光景と、新たなマイホームを胸に、一刻も早い整備に向けて朝な夕なに働き続けた。

 無償労働だったが、嫌な顔をする者は誰一人としていなかった。

 

+

 

「おや!モモン君!精が出るね!」

 そう声をかけてきたのは冒険者組合長アインザックだ。

 都市長パナソレイと魔術師組合長のラケシルも来ている。

「これはアインザックさん。山盛りにしておきますよ」

「分かっているじゃないか!しかし魔導国の飯はうまいもんだな。家も組合も壊れてしまったがこれが食えるならしばらく避難所生活でも文句はないとも」

「全くその通りだアインザック。おっと、私は程々にしておくよ。この後また身が重くなるとスクロール発掘作業で若いもんに怒られる」

 そう続くのはかなり痩せて見えるラケシルだ。

「私は沢山食べるぞ!痩せたりしたら仮州知事殿に心配されてしまう」

 ぷひーと鼻を鳴らしたパナソレイは次の川ができるとザイトルクワエ州エ・ランテル市の地が公式に生まれるので、そこの都市長を再び任せられる運びとなっていた。

 最初は断っていたが、手紙を出しても何の連絡もない王都にすっかり愛想を尽かしてしまっていた。

 この感じで行けば王は今後、魔導国に取り込まれると思われる王国で、そのまま直轄のリ・エスティーゼの都市長か、ザイトルクワエ州の州知事になるだろうし、悪いようにはされまいと流れに身をまかせる事にした。

 

 ガハハハと笑う仲のいいおじさん三人に、アインズは思わず――「友達と歳をとるって、素敵なことですね」そう言ってしまう。

 少しだけ寂しそうなその様子におや?と三人は顔を見合わせた。

「モモン君、君も一緒にどうだね?ずっと立ちっ放しだろう。新しい冒険者組合の仮図面も見せるぞ」

 アインザックは妙に距離の近い人だと思っていたが、面倒見の良い、父親気質のおじさんなのだとアインズは最近わかった。

「うむ。それに、旧法国に神々が降臨される前から神の下にいた君の話は是非一度ゆっくり聞きたいものだ」

「全く。全く」

 そう言うおじさんズに、アインズはふっと顔を綻ばせた。

 気安い人たちの存在がアインズを炊き出しに向かわせる一番の理由だ。

「ありがとうございます。食事はもう済ませましたが、休憩を取ろうかと思います」

 

 四人でやいのやいのと空いてるテーブルに近付けば、人の立ち去ったテーブルと座面を拭く事だけを指示されている――魔樹に殺された者から作った地産地消型スケルトンがモモンのすぐそばの椅子を引いたので、自然とそれに腰掛けた。

 すると、冒険者よりも身分の高い他の面々のことは無視してまたテーブルを拭きに立ち去っていってしまった。

 

「え……」

 

「はははは!良いとも、良いとも!この魔樹の周りは王国ではないんだ!」

 そう言ったのはなんと都市長パナソレイだった。

「何を呆然としてるんだ英雄!ここは神聖魔導国だ!その国の貴賓である君がそうされる事に何も思う所はないとも!」

「しかし我々が国籍を取ったら、覚えてろよ!」

 お盆をテーブルにおき、椅子を引きながら笑うおじさんズに、アインズはきっとこの人たちはいい上司だろうなと心をあたたかくしたのだった。

 

「また、俺の休憩に付き合ってください」

 いつもより若く聞こえるその声音に、三人は揃って笑顔で首肯した。




2019.5.15 12:53 書いておきながら伝える能力低くてごめんなさい…( ̄▽ ̄)今の所のエ・ランテルちゃんはこんな感じです。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1128508382149668865?s=21
(描いておきながら伝える能力低くてごめんなさい 二度目)

パナソレイさん、あなたの手紙、本当に王様に届いてますか?
早馬から手紙を確かに受け取った衛士は、本当に、人間だったんでしょうか。
ああ、でも、黄金の姫は手紙が来たことを、たまたま見かけた犬から聞いているから、きっとダイジョウブですね。

州は県と違って本国の法律に反していなければ更なる法律の制定を行えるのと、
軍隊を持つことを許されるのでとっても便利便利です(*'▽'*)
都市計画にはつい胸が踊ってしまいまさぁ!

2019.05.21 挿絵という概念を知りました!
2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#32 ツアレニーニャ

 リ・エスティーゼ王国、王都リ・エスティーゼ。

 いわゆる高級住宅街の一角。

 

 王都で調査を続けるその日、セバスは人間の女を連れて帰って来た。

「おや?セバス。その女はなんでありんすか?」

 吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)を連れた、金髪のカツラに白いドレスを身にまとったシャルティアが尋ねた。

 

「ただいま戻りました。カーミラ様、そしてソリュシャン。」

 

 いつもの戦闘メイド(プレアデス)の物とは違うメイド服に身を包むソリュシャンは、深々と頭を下げた。

「おかえりなさいませ、セバス様。それは私達へのお土産ですか?」

「拾いました。傷を癒して頂けますか?」

「傷ですか……」

 ソリュシャンはセバスの抱くボロ雑巾のような女を冷たく捉えた。治癒系の巻物(スクロール)は持たされているが、これは人間ごときに使うべきものではないだろう。

 

「セバス、それは役に立つんでありんしょう?そのくらい私が直してやりんすえ」

 セバスは人間の娘なんか絶対に回復しないと思っていたシャルティアの声に一瞬だけ呆け、深々と頭を下げた。

「これはカーミラ様、ありがとうございます。よろしくお願いいたします」

「これが至高の御方々を喜ばせるならお安い御用でありんす」

 信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)のシャルティアはその場で大治癒(ヒール)をホイと小娘に向けて唱え、次は何をしたらいいかと楽しげにセバスに瞳を向けていた。

 

「ありがとうございました。とりあえず私はこれを寝かせて参ります」

「セバス様。アインズ様に御報告なしにそれをここに置き止めるのですか?」

 セバスの足が止まると同時に、シャルティアの瞳に剣呑な輝きが宿った。

「セバス、そのゴミをアインズ様に隠し立てするつもりでありんすか?」

「いえ、ただアインズ様を煩わせるほどの事でもないかと。と言うのもこの屋敷に対して仕えている者の数が少なすぎると思い、この娘は丁度いいと思ったのです。ここにも最低限の人数はいてしかるべきでしょう」

 吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)はなるべく人目には晒さない。シャルティアはしばらく逡巡した後短く応えた。

「……行け」

「シャルティア様!!」

 セバスは深々と頭を下げ、立ち去って行った。

 

「シャルティア様!例えどんなに有用な者であろうとアインズ様のご許可なしに――」

「ソリュシャン、私からアインズ様に伝言(メッセージ)を送るからそうギャアギャア言いんせんでくれんかぇ。私達はどう動けば良いか御身にご相談すれば良いだけの話」

 珍しく頭の回るシャルティアにソリュシャンは羨望の眼差しを持って応えた。

 

「さ、さすがシャルティア様……。私一人ではこうは行きませんでしたわ」

「ふふ、このくらい守護者として当然のことでありんすよ。おんしはあれがおかしな真似をしないように見張っておきんさい。わかりんして?」

「はい!かしこまりました」

「あぁ、それから。あの女、あのままでは働けなくなる(・・・・・・)かもしれんせんから、おんし、片付けをしておいてもらえんせんかぇ?」

「働けなくなる……で、ございますか?」

「そう。兎に角、見れば分かりんすよ」

 

 シャルティアはボウルガウンのスカートをふわりと靡かせ自室に帰って行った。階層守護者としてペロロンチーノに創造されたその小さくも大きな背中にソリュシャンは深々と頭を下げた。

 そして、回復したと言うのに働けなくなると言う理由を調べるべく、セバスが連れて行った女の下へ行った。

 そこでソリュシャンは嬉しそうに口元を割った。

 

+

 

 執務室にいたアインズは線の繋がる感覚に応答するべくこめかみに触れた。

 

「私だ。――シャルティアか。どうした」

『アインズ様、セバスが何やら先程こっそり女を持ち帰りんした』

 それを聞いたアインズの手はぴくりと動いた。

『あれはアインズ様にそのことを隠し立てしてこのまま飼い始めるつもりのようでありんす。そこで私も人間の女を何匹か飼ってみたいと――』

「却下だ」

『あぁん御無体な……。では、セバスには女の処分を命じんしょうか』

「……いや、セバスの事だ、今はそっとしておけ」

 

 アインズはため息混じりにそう言うと頭が痛いとばかりに瞳の灯火を消した。

 

(たっちさんはリア充だったからなぁ。女の子の一人や二人お持ち帰りしても仕方ないのかもしれない……)

 

 アインズ・ウール・ゴウン最強の存在。ワールド・チャンピオンと呼ばれる職業(クラス)に就く彼は桁の違う存在だった。それはゲーム内だけではなく、リアルでも同じことだ。

 美人な幼なじみの妻を嫁に取り、可愛い一人娘に恵まれた彼は警察官として働いていた。

 

『かしこまりんした。このままセバスは泳がせるようにしんす。それでは、またご連絡差し上げんすぇ』

「あ、待てシャルティア。お前が私にそれを話したことはセバスには言うな。いいな」

 セバスの名誉のために。

 恐らく女子を連れ込んだことなどセバスは恥ずかしくて知られたくないのだろう。

 

『それはもう、もちろんでありんす。――それでは』

 

 伝言(メッセージ)が切れるとこめかみからそっと手を離し、アインズは遠い目をした。

 そこにいたフラミーは首をかしげた。

 偶々蛙人(トードマン)を掌握したことを報告に来たコキュートスも気になるようで顔を上げていた。

 

「セバスさん、どうかしました?」

「ふー……いえ、なーんか女子をお持ち帰りしてきたーってシャルティアから連絡が来まして。それも俺に秘密で飼うって」

 

 ドン引きの表情をするフラミーに、アインズは全ての言葉の選択を間違えた事に気が付いた。

「セバスさんが……」

「セバスガ……」

「セバス様が……」

 フラミーもコキュートスも一般メイドも全員がウワァ……と言うような声を上げた。

 しかし、フラミーとNPC達は違う感情を抱いている事に、アインズもフラミーも気付きはしなかった。

 

 次の日、デミウルゴスを伴ったコキュートスが入室してくるまで。

 

+

 

 応接室。普段と変わらないはずの部屋は今、普段とは全く違う雰囲気に溢れていた。

 その原因は来訪者達にあった。

 一人はライトブルーの武人。一人は皮肉げに顔を歪ませる悪魔。

 そして――アインズ・ウール・ゴウン。

 

 アインズは椅子から身を乗り出し、じっ……とツアレの顔を凝視した。

 その様は異様だった。

 

「似ているな……」

 ぽつりと漏らした言葉は意図されたものではないだろう。

「ツアレ、この屋敷で働こうとしていたというのに突然呼び出して悪かったな。今日は仕事を教えられる日だったと聞いている。私はそのセバスの主人だ。そこで、私はお前のフルネームを聞こう」

 

「ツ……ツアレ……ツアレニーニャです……」

 セバスの拾ってきた娘は死の支配者を前に怯えたように答えた。

「下の名前は?」

「ツアレニーニャ・ベイロンです……」

「なるほど……なるほど……。では、聞こう。ツアレニーニャ。お前の願いはナザリック地下大墳墓、我らが支配する地に行き、そこで暮らしたいと言う事だが、それは本当か?」

「は、はい……。セバス様と一緒に……暮らしたいです」

 アインズはゆっくりと首を横に振った。眼窩に灯った光は、まるで蝋燭の火をそっと吹き消したかのように消えた。

「そうか。しかし、その願いは聞き届けられない」

 

 セバスは目を閉じ、ぐっしょりと汗をかいていた。

 この先に待つのは最悪の事態だとしか思えなかった。

 横目で窺ってみれば、ツアレは拒否の言葉に息を呑み、スカートを握り締めて俯いた。

 

 すると、アインズがこめかみに手を当てた。

「私だ――。ああ、フラミーさん丁度いい所に。今こちらから連絡をしようと思っていたところです――。はい、そうです。来ています。それが問題が起きましてね……。場所が解らないと思うのでこちらから転移門(ゲート)を開きます」

 ナザリックの最高責任者であるアインズでさえ、頭を抱える問題なのかと守護者達は驚きを隠しきれない。

 

「――<転移門(ゲート)>」

 

 セバスの斜め前に闇が開くと、輝きだけは清浄なものを宿したフラミーが現れた。

 アインズを除く全員が一斉に畏まり、慌ててツアレも真似をした。

(一時は非情な方かと思ったが……哀れにも虐殺にあった人々を最後はその慈悲深さによって蘇らせたこの方ならば……或いは……)

 これは非常に礼を失した行為だが、ツアレにだけ聞こえるような非常に小さな声で、セバスは告げる。

「――この方に助け舟をお願いします」

 ツアレがハッとこちらを見ようとするのを視線で制した。

 

 フラミーは辺りをさっと眺め、状況を確認すると、アインズの方へ近寄った。

「すみません、わざわざ転移門(ゲート)開いて貰っちゃって」

「いえいえ、とんでもないです。フラミーさんも掛けて下さい」

「はい!ありがとうございます。――皆さんも楽にしてくださいね」

 アインズはソファの中心からわずかにズレると、その隣にフラミーはヒョイと座った。

 

 楽にするように言われたが、セバスとツアレは顔だけを上げ、決して立ちはしなかった。

 フラミーも特別二人に立つようには言わなかった。

「それで、彼女が噂の?」

 既にツアレの事はナザリックに広まっているらしく、セバスはゴクリと喉を鳴らし身を固くした。

「ええ。そうなんですが、よく見てください」

「うん?ツアレさん、でしたっけ」

 さっと立ち上がり、フラミーが近付いてくる。

 ツアレは呆然と口を開けてフラミーの顔を眺め続けていた。

 そんな様子に、セバスはツアレの意識を取り戻そうとわずかに背中を押した。

 

「ひっ!はっ!!」

 

 ツアレが我に帰る時に大きな声を出すと、デミウルゴスとコキュートスから強い怒りの波動を感じた。

 同室に待機するシャルティアとソリュシャンもやれやれと言ったような雰囲気だ。

 このままでは悪感情を抱かれる恐れがあるため、セバスは代わりに返事をした。

「失礼致しました。そうです。この者はツアレ、ツアレニーニャ・ベイロンでございます、フラミー様」

「はっ、そ、そうです。申し訳ありません……。あんまり……綺麗すぎて……」

 フラミーはそう言うツアレとセバスに少し笑うと、ツアレの前髪を斜めに搔き上げる様に触れた。

 その手付きは優しく、まるで遠き日に離れた母のようだとツアレは思った。

 涙が頬を伝うことにも気付かず、またフラミーの金色の瞳に見入った。輝きが溢れて来るようだった。

 

「どう思いますか、フラミーさん」

「なるほど、そういうことですか……」

 

 支配者たちは守護者とツアレを置いて何かに納得している様子だ。

 そして、フラミーがツアレに向き直る。

「ツアレニーニャ・ベイロンさん」

「は、はい……」

 まだセバスはフラミーにツアレをナザリックへ連れて行きたいと――いや、せめて命を助けて欲しいと請願していない事に焦りを感じる。

「フ、フラミー様」

 思わず名を呼び、話を遮ってしまうと、アインズがこちらへ視線を向け、それを嗜めた。

「セバス、静かにしていなさい」

「……は、失礼いたしました」

 もはや口を挟む余地はない。

 セバスはもはやこの娘を救う術はないのかと唇を噛んだ。

「貴女には妹がいますね」

「ん?妹?弟じゃなく……?」

「何故……それを……」

 ツアレのつぶやきはセバスの心の声とぴたりと合っていた。

 

 フラミーは一度アインズへ振り返った。

「何か言いました?」

「……いえ?」

「そうです?何かあった気がしたんですけど」

「あー、頷いただけですよ。さぁ、続きを」

 再びツアレへ向き直ったフラミーは告げた。

「……私は(・・)エ・ランテルで姉を探していると言う、ニニャを名乗る冒険者に会っています」

 ツアレは再び息を呑んだ。

 

「そ、その名前は……」

 

+

 

「お姉ちゃん一緒に逃げよう!?」

 悲痛な声の響く。

 月明かりが差し込む小さな部屋には向かい合うようにベッドが二つ。そして、隣り合うように机が二つ。

「え……?……できない。できないよ…。そんな事したら村の皆も……お父さんやお母さんだって……どうなるか……」

 ツアレニーニャは妹の優しい言葉に決断が揺らぎそうになったが、親や友人達、そして目の前の愛する妹の未来を想った。

「私、ちゃんと領主様に仕えて……皆の未来を守るから……心配しないで。うまくやってみせるって、ね」

「お姉ちゃん、今なら間に合うから!お願い!!」

 真っ直ぐな、請うような瞳だった。ツアレニーニャは静かに首を振った。

 妹が今、人質にしかなれない自分を責めているのが伝わってくる。

 

 重い静寂が続き、妹が落ち着くだけの時間が過ぎた。

 

「お姉ちゃん……」

「なぁに?」

「私の一部をあげるから、そうしたら、ずっと持っててくれる?」

「……嬉しい……」

 ツアレニーニャからふっと笑みが溢れると、妹は机に向かい、鉛筆を削る為に使うごく短いナイフを取り出した。

 そのナイフで身を守る様にと持たせてくれるのだろうかと、眺めていると――美しく長い栗色の髪をザクリザクリと一筋切った。

 そして生まれた時に親が作ってくれた自分のベビーリングを引き出しから取り出すと、切り落とした髪を一束結び付けて小さな巾着に入れ、それを渡してくれた。

 

「私がいつでもお姉ちゃんのそばにいる事……忘れないでね。生まれたときから、今までも。これからも、きっと、ずっと……」

 ツアレニーニャの視界を止め処ない涙が狂わせた。

「ありがとう……。っうっ……ありがとう、っひぅ……うぅ……ありがとう……ありがとう……」

 妹の生を詰め込んだ巾着を握り、ツアレニーニャはボロボロと泣いた。

 

 自分に何が返せるだろう。

 美しいと評判だった妹の髪は斜めに不格好に切られ、ボサボサだ。

 同じようにしたいが、ツアレニーニャは髪は切れない。

 明日領主のもとに行く時に、あれの思う通りで行かなければ両親は苦しめられるだろう。

 妹に背をさすられ、落ちて行く涙がようやく止まる。

 沈黙し、手の中の巾着を眺めると、ツアレニーニャは立ち上がり、ベッドの横にある机の引き出しを開いた。

 やはり自分のベビーリングを取り出す。

 一番ふさわしいと思える、自分の身の一部を渡す為、妹の隣に座り、手の平にベビーリングを乗せた。

 

「私の一部も、貰ってくれる?」

 妹は手の中に預けられた姉の生まれた証を大切に握った。

 その拳をツアレニーニャは愛しむように手の平で包んだ。

「私はツアレニーニャ。あなたに、私の半分。ニーニャをあげる」

 え?と顔を上げた妹に、ツアレニーニャは続けた。

「私はツアレニーニャじゃなくてツアレ。この先どんなにツアレニーニャが辛い思いをしても、ツアレの私は大丈夫。ニーニャ、受け取ってくれる?」

 妹は涙で歪む視界を、ツアレ(・・・)でいっぱいにした。

「うん!うん!私、私はじゃあ、これからはニーニャ。私達、半分づつ自分を交換こしたから、きっと、きっといつまでもどこまでも一緒に居られるよね」

「うん、私達、二人でツアレニーニャ。ニーニャ、沢山幸せになってね。ツアレがもし辛い思いをしても、ニーニャの幸せがツアレニーニャを幸せにしてくれるから」

 

 二人は最後の夜、同じベッドで泣きながら眠りについた。

 

+

 

(ニーニャ……私の大切な半身)

 その日の指輪も、ニーニャの髪の毛も、すべてがもう捨てられた。

 二度と繋がることのできない半身を思って泣き暮れた。

 でも、自分はツアレ。ニーニャは幸せに暮らしてる。

 その思いだけがツアレニーニャを地獄の底で生かしてきた。

 

「その名前は……たしかに私の大切な半身でございます……」

 

 フラミーは満足したように頷いた。

 そして、アインズの元へ行くと、アインズは立ち上がった。

 

「良し。聞け、我がシモベよ」

 

 決まってしまった。請願する間もなく、決断が下された。

「アインズ・ウール・ゴウンの名において、ツアレニーニャを苦しみの時から解放する」

 フラミーもデミウルゴスも嬉しそうに微笑んでいた。

 セバスは白い手袋が赤く染まるのを止められない。

 

「ツアレニーニャ・ベイロンはエ・ランテルに建ちつつある我が闇の神殿に仕えるものとする。住む場所は州営コンドミニアムだ。何、神殿から出る給料で家賃は賄えるはずだ。……そして、ザイトルクワエ州の今後の守護神はセバス」

 驚きに顔を皆が上げた。

「我が魔導国の名に恥じぬよう、お前が指導してやれ。ナザリックとして、特別にツアレニーニャを保護することはないが、今度は匙加減を間違えずに行えるな?」

 セバスは体を温かな力が漲るのを感じた。

 その瞳には最早先ほどまでの焦りや恐怖はない。

「は。このセバス、必ずや神聖魔導国、延いてはアインズ様とフラミー様のご温情に相応しいだけの働きをお見せする事を深く誓います!」

 アインズはゆっくりと頷いた。

「期待しているぞ。――さて、コキュートス。お前はこの人間をセバスが私に隠し立てして匿っていることを非常に心配していたが、構わないか?」

「ハ。私ノツマラナイ意見ヲオ聞キ届ケイタダキマシタコト、心ヨリ感謝申シ上ゲマス」

「良い。私にだって見落としはある。お前やデミウルゴスがチェックをしてくれていると思えば、安心できるというものだ。なんと言っても、ナザリックはフラミーさんが過ごす場所なのだからな」

「優シキオ言葉、痛ミ入リマス」

「デミウルゴスも異論はないかな」

「御身とフラミー様のご判断であれば、私の方からは何もございません」

 

 アインズは動かぬ顔で頷き、フラミーは嬉しそうに笑んで頷いた。

 

「では、明日からツアレをしっかり指導するように。我々は帰還する」




良かったね、ニニャ。ツアレ。
きっとまた幸せに暮らせるよ( ;∀;)


2019.06.04 kazuichi様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#33 血の狂乱とゲヘナ

 次の日、セバスは外に出たくないと言うツアレも連れて、方々に挨拶回りに行った。

 ツアレの指導は明日からと言ったアインズの言葉に忠実に従い、ソリュシャンも共にツアレの指導にあたった。

 シャルティアは、結局まだ何も手柄を立てていないのに帰還しなければならない事を腹立たしく思い、挨拶する人々に不機嫌そうな態度をとった。

 一軒十分程度の簡単な挨拶に留め、昼には屋敷に戻ってくることができた。

 

「これじゃあ結局デミウルゴスの麦の運搬係でありんす!なんでこの私があれを引き立てなきゃならないでありんすか!!」

 シャルティアが深窓の令嬢と言う設定をすっかり忘れてドタドタと馬車を降り、屋敷へ足を進めると前庭に生える草木の陰から男達が現れた。

 

「どーも、お嬢さん。御宅の執事さんは約束を守ってくれやしないみたいなんでね。一緒に来て貰わなきゃならないみたいですよ」

 一人が代表してそう言うと、周りの男達が下衆な笑い声をあげる。

 男がシャルティアに手を伸ばそうとすると、男の手がコロンと地面に落ちた。

「汚い手で触らんせんで」

「ぁ?――あ……うわぁぁああ!!!て、手が!手がぁぁああ!!」

「手が無くなりんしたくらいでそんなに喚かないでくんなまし。男なんだぇら」

 シャルティアはそう呟くと再び無造作に手を振るった。

 それに合わせ、男の首――幻魔サキュロントの首が落ちた。

 吹き出した血は流れ落ちることなく、何かに引き寄せられるかのようにシャルティアの頭上に集まり、球を作る。

 

「い、いけませんカーミラ様!!」

「なぁーにぃ?妾はお前のせいでアインズ様のお役に立つ機会を奪われたんでありんすぇ?」

 セバスは言葉では止められないと悟る。

 ソリュシャンはアインズが自分の神殿で働かせると言った人間をとりあえず守ろうとツアレの前に立ちふさがった。

 

 そして白昼悲鳴が、怒号が、閑静なはずの住宅街に溢れかえった。

 

 誰かが通報したのだろう。「セバスさんの屋敷から恐ろしい悲鳴が」と。

 駆けつけたのはクライムと、魔樹によってあっさりと破壊されたアジトから命からがら逃げ出し、エ・ランテルで神話の戦いを見せつけられたことによって己を失っていたブレイン・アングラウスだった。

 同じく意気消沈していたガゼフが王都への帰り道で見つけ、拾ってくれた。

 二人はセバスと街中で出会い、子弟のような関係を築いていた。

 

「「セバス様!!」」

 屋敷の門の前に馬車があるせいで中がよく見えない。

 しかし中からは狂ったような女の笑い声が聞こえてきていた。

 

「仕方ありません、不本意ですが、御免!!」

 セバスのその力強い声と共に、グェと押しつぶしたような声が響き、馬車に何かが突っ込んだ。

 塀をよじ登って入ろうとブレインの手に足を掛けていたクライムのすぐ脇、何か(・・)はかするように吹き飛んだ。それの衝撃で、門も馬車も道の半ばまで吹き飛んで行った。

 破壊された馬車はバラバラと崩れ落ち、放たれた馬達が狂ったように逃げ出した。

 

 クライムは酷い有様の馬車に白いドレスの女性が乗っていたことに気づき慌てて駆け寄った。

「だ、大丈夫ですか!!」

「クライム君、そっちは任せる。――セバス様!!」

 一方ブレインは人々が大勢倒れ伏す庭の中構えるセバスに向かった。

 

「いーつつつ。セバス、もう少しやり方ってもんがありんせんの?」

 シャルティアが馬車からよろよろと出て来た。

「申し訳ありませんでした、お嬢様。しかしご無事で何よりでございます」

「ふん、よく言うわ」

 手を差し伸べるクライムを透明人間のように無視してシャルティアはスタスタとセバスの方へ向かって歩いて行った。

 その頭上には赤く丸い球が浮いていた。

 

「あ……魔法詠唱者(マジックキャスター)……」

 呟くクライムの声はひゅるりと風に流され消えていった。

 

+

 

「それで、そのツアレさんを救ったためにお嬢様を連れさらわれそうになったと……」

「はい、我を忘れて暴れてしまいました」

 クライムにそう話すセバスの白い手袋は血一つ付いていなかった。

 庭先には男どもの遺骸が転がっている。不思議なことに全ての死骸から血が抜き取られており、バラバラになった人間がまるで人形のようにいくつも転がっていた。

 

 そんな奇妙な場所だったからこそ、庭先を覗き込んだりした人々が卒倒するようなことはなかった。

 

「クライム君、これを」

 ブレインが庭を片付ける衛士達の見つけ出した紙切れを持ってくる。

 それにはご丁寧に時間と場所を指定する文章が書かれており、クライムはその場所に覚えがあった。

「今夜、八本指のアジトを急襲する予定があるんです……。恐らく、ここは娼館を経営していた者の本部かと……。セバス様……共に来てはいただけませんか……?」

 セバスは悩む。シャルティアが最初に殺した者と同等の力を持つ相手ではクライムは再び苦戦を強いられるだろう。

 

 すると、ソリュシャンが耳打ちしてくる。

「セバス様、アインズ様と連絡が取れました」

 クライムとブレインはその名前にハッと顔を上げた。

 スレイン法国の新たな名。それを知らぬ者はリ・エスティーゼ王国にはいないだろう。――神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国。

 この力、もしやこの人は――二人が何かの答えにたどり着こうとすると、庭に黒々とした闇が開いた。

 

 そこから足を踏み出して来た者を前に、ブレインは心臓が止まるような衝撃を受ける。

 堪らず声を上げた。

「あ……あいつ……。あいつもあの魔樹をやった奴だ……」

「おや?君はだれかな……?」

 当たり前だが、相手はただ魔樹から敗走しただけのブレインを認識しているはずがない。当たり前だ。

 

「――デミウルゴス。またおんしかぇ。」

「これもアインズ様のご計画の一つですよ」

 シャルティアは分かりやすく舌打ちをする。

「まぁまぁ。これは今回王都で手に入れた情報を元に、御身が探していた(・・・・・)人物を見つけられたからこそ遂行できる計画なんだから、胸を張るといいですよ」

「……そうでありんすか?」

「えぇ。――さて、黄金の姫の仕いは……」そう言いながらクライムに視線を送った。「あぁ、君か。君はこの国を良くしたいかな?」

 クライムはブレインの怯えるこの人が魔樹を……と様子を見ていたが、投げられた問いに淀みのないまっすぐな声を返した。

「はい。自分は黄金の姫、ラナー様に仕えるクライムです。きっと国を良くし、守りたいと、そう思います。神聖魔導国守護神の……えっと……」

「ふふ、いい返事だ。私はデミウルゴスと言います」

 デミウルゴスはさて、と一息着くと軽く辺りを見渡した。

 邸宅の庭は大量の血抜き死体を片付ける衛士、門の外は野次馬でごった返している。

 クライムは酷い光景だと思っていると、視界の端にあり得ないものを捉え、バッとそちらへ向いた。

「な、なんだ……あれ……」

 街の空には炎の壁が何本もドッと立ち昇った。それは高さにして三十メートルはゆうに超えているだろう。

 

「――ふふ。さぁ、働いて下さい。今こそ手柄を上げるチャンスですよ」

 

 誰もが炎の柱に目を向ける中でデミウルゴスが浮かべたその笑顔は、とても神の使いには見えないものだった。

 

 人々はベールのように立ち昇る不思議な炎に茫然と目を奪われていた。

 

「制圧が終わったようですね。さぁ、行きましょうか」

 デミウルゴスはそう言うと、クライムとブレインに視線を送って歩き出した。

 

 デミウルゴスはその場にいた守護者たちは言うに及ばず、大量の衛士を引き連れ進んでいく。

 たどり着いたのは、指定されるはずだった八本指の娼館本部だった。

「ここにたまたま六腕のほとんどがいたのは僥倖でしたね」

 一本目の炎は立ち所に消え、中には気絶する大量の犯罪者たちがいた。

「こ、これは……」

 ブレインがぱくぱくと口を動かしていると、デミウルゴスが優しい顔で振り向いた。

「さて、クライム君。もうじき君の大切な者が現れる頃かな」

 クライムが事態を飲み込めずにいると、王国の紋章を掲げた馬車が二台近付いてきた。

 馬車は止まると、中からは第二王子であるザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフと、黄金の姫と呼ばれるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフザナック、そしてエリアス・ブラント・デイル・レエブン侯が降りた。

 

「何と言う技だ……」そう言うレエブン侯とザナックを他所に、ラナーは駆け出した。

「クライム!!」

 ラナーは真っ直ぐクライムの胸に飛び込んだ。その様を、野次馬が、衛士達が、その場にいた誰もが目撃した。

「な!?ら、ラナー様!いけません!!」

 振り解こうにも振り解けず、ワタワタするクライムの胸の中で王女は誰にも見えない顔を歪ませた。

 

「では、殿下方。約束通りこの者達は我が神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が引き取らせて頂きますよ」

 えっと驚いたのは何の事情も知らない衛士やクライム達、そして情けないことに守護者数名だった。

「ああ……頼みます」ザナックは妹の変貌に呆れながら、デミウルゴスに軽く手を挙げた。

 

 満足そうに頷くデミウルゴスはセバスへ近づいていくと、神聖魔導国の紋章の印が押された書状を渡した。

「読んでください」

 セバスは僅かにそれに目を通すと、胸を張って読み上げ始めた。

 

「王国犯罪組織八本指。罪状。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国がザイトルクワエ州。エ・ランテル市にて、罪なき数十名の女性を誘拐した罪。不当にその国土に立ち入った罪。復興意欲を削ごうと人々に麻薬を渡した罪。神聖魔導国内の物を許可なく持ち出した罪。他にも九つの罪によって、ザイトルクワエ州が守護神、セバスの名に於いて逮捕する。尚、罪人は本国の新たに制定した神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国憲法に則り裁かれるものとする。以上。」

 

 全てを理解したシャルティアは堂々としたその姿にチッと舌打ちをした。

 何故自分がそこに立っていないのかと。

 そして仮面とかつらを外し、ソリュシャンに押し付けた。

 

 クライムとブレインはセバスの強さと、優しき人柄に心から納得した。

 そうか、これがエ・ランテルを飲み込み始めた神聖魔導国を守る一柱かと。

 僅かでもそんな相手に稽古をつけてもらえた事は何にも変えがたい経験になるだろう。

 男達の瞳はキラリと輝いた。

 

 その隣でツアレは自分は救われるべくして救われたことを、昨日の神々に心から感謝した。

 いや、今日が解放の予定だったとすれば、やはり感謝するべきはその前に殺されそうになっていた自分を救い出したセバスだろうか。

 

 拘束された罪人の周りに次々と闇が開いていく。

 そして、悍ましい悪魔が姿を現すと、身を固くする人々を避けるように歩いて行き、罪人達を回収し再び闇は閉じた。

 

「では、次のところへ行きますかね。セバス」

 デミウルゴスは次の炎の柱に向かって歩き出した。

 

 セバスは一度丁寧に頭を下げると、急ぎその背を追った。




アインズ様が手に入れたいと言う人間の存在に見事辿り着けましたね!
でもその人じゃない…

2019.05.17 すたた様 誤字のご報告をありがとうございます!


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#34 ラナーの出発

 国王とガゼフはザナックとラナーの帰城をいくつもの驚きを持って迎えた。

 

 つい今朝方までは襲撃すると言っていた筈のそれを、敵対しているはずの神聖魔導国の者が何の被害もなく連れ去ったこと。

 いつの間にラナーやザナックと繋がりコンタクトを取っていたのかと言うこと。

 王都や王城にあれ程目立つ守護神と言う存在がどうやって誰にも知られずに入ったのかと言うこと。

 もはや何から突っ込めばいいか分からないランポッサⅢ世は考えるのをやめたくなった。

「全くお前達は……」

 やれやれと国王が被りを振ると、ラナーは愛らしく微笑み、ザナックは満足気にうなずいた。

「使えるものを使い、この国を蝕む病を一つ取り除いたまででございます」

「入ってきてしまっていたからには仕方がない、と思うしかないか……」

 

 ガゼフは後ろに控えるレエブン侯とクライム、ブレインへとやってくれたなといった様な、信頼の瞳を向けたのだった。

 久しぶりに和やかな空気が王の私室に流れる。

 すると王の向かいのソファにザナックと並んで座っていたラナーが王へ身を乗り出した。

「ねえ、お父様!私、神聖魔導国がどんな所なんだか、見に行きたいんです!スレイン州の神都では光の神も闇の神も偶にそのお姿をお見せになるそうですよ!」

 きっと素晴らしいんでしょうね、と正義の神がいると言う国へのまっすぐな憧れからキラキラと瞳を輝かせていた。

 

 ランポッサⅢ世は溜息をつくと、メイド達へ手を振り下がらせた。

「良いか、ラナーよ。王女たる者一歩国外へ出れば、お前の言葉はこの王国の言葉として扱われるのだ。普通の貴族の娘のように物見遊山とは行かない、わかるね?」

 ラナーが悲しそうな顔をするのが国王も悲しい。

「どうか、今は我慢してくれないか?神聖魔導国とは今、戦争こそしていないがエ・ランテルを奪い合っているんだよ」

 そんな……と呟くラナーの声は、まるで籠に囚われる小鳥のようだった。

「では……ではお父様、せめて、そのエ・ランテルを見に行くのは……ダメでしょうか……。遠くから一目……一目見るだけで良いんです……」

 

 ザナックはラナーの様子に一度「おぇ」と舌を出してから加勢した。

「……んん、父上。あれからもうじき一月が経ってしまいますし、この辺りで王都と国王がエ・ランテルを見捨てていないと言う証明をされるのは如何でしょうか?今回神聖魔導国の守護神はザイトルクワエ州エ・ランテル市を守るために八本指を引き渡せと言っていましたし、エ・ランテルは実効支配を受けている只中です」

 あの魔樹を神々はザイトルクワエと呼んでいたことを王は思い出した。

 なんと禍々しい名前だろうか。

 

「王陛下。ラナー殿下が物資を持ってエ・ランテルに現れ、支援と激励を行い、少しでも神聖魔導国に取り込まれる事を市民が拒否するようにするべきです。瓦礫の街の今こそ、行かねばなりません」

 口を挟んだレエブン侯は、今回の帝国との戦争では兵を王に貸し、王都の均衡を保つためザナックと共に城に残ってうまく立ち回った影の立役者だ。

 レエブン侯のお陰でまだ王は貴族派閥の貴族達に見限られてはいないのだ。

 

「未だ都市長のパナソレイから連絡がない事を思うと……恐らく相当苦しんでいることと思われます。綺麗な服と、食料品などを積んだ大々的な支援団をラナー殿下が引き連れて行くと言うのは非常に絵になりますし、宜しいかもしれません」

 その話を聞きながらクライムは首をかしげた。

 以前、パナソレイ都市長閣下の手の者が手紙を持って来ていたと思ったが、別人からのものかと。

 

「それならば私が行くのが一番だと思うが……。――あぁ……」

 言っておいてランポッサⅢ世は必ず横槍が入る事に思い至る。

 この一ヶ月、王による支援は悉く邪魔立てが入り、エ・ランテルには未だ何もできていないのだ。エ・ランテルは王直轄領であり、王の力は削がれる一方だ。しかし、そんな事よりも王はあの地で苦しむ民を思い心を痛めて来た。

 

「そうです、陛下やザナック殿下が行こうとされては恐らく計画は頓挫します。ですが、ラナー殿下ならば……」

 王位に繋がる二人が動くことは、長男であるバルブロ・アンドレアン・イエルド・ライル・ヴァイセルフを次期王へと据えたい貴族派閥の者達が阻もうとするだろう。しかし、ラナーは王位の抗争とは関係が無かった。

 ラナーが連れて行ける程度の小さな支援団であれば目溢しされる可能性も高い。

 王はやる気に満ち溢れるラナーへ目をやった。

「……そうだな。ラナー、行ってくれるか。我らがエ・ランテルへ……」

「はい!私ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフが、陛下の分まで、苦しむ人々を救う事を誓います!」

 真っ直ぐな様子にランポッサⅢ世はいい娘に育ってくれたと思う。優しく気高く、人を愛し、人に愛される王女だ。

 

 しかし――その瞳の中に一瞬だけ、蠢く闇が見えたような気がした。

 

+

 

 八本指襲撃から一週間と数日。

 エ・ランテルを囲んでいた三重の城壁は、あと少しで全てがなくなるという勢いで撤去が進んでいた。

 ラナーを一番外側の川の西の橋で迎えた都市長パナソレイは、自分の今の立場を気まずそうに告げたのだった。

「王陛下には……とても申し訳ないですが……。私たちも生きねばなりません。家族にも食事を取らせなければいけないのです……」

 ラナーの警護について来たアダマンタイト級冒険者<蒼の薔薇>は絶句していた。

 

「そうですか、パナソレイ都市長。仕方のない事です」

 ラナーの返事は一見淡白だったが、責めるつもりは毛頭ないと言う雰囲気があり、パナソレイが目に見えて安心しているのがクライムにも、蒼の薔薇にもわかった。

 

 すると、蒼の薔薇の魔法詠唱者(マジックキャスター)、イビルアイが眼前に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を見つけて身構えた。

「皆!死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ!!くそ、綺麗な瓦礫に見えたがやはり人が大量に死んだだけはある……!!」

「了解」

「まずは私から」

 双子の忍者、ティアとティナがすかさずクナイを握ると、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はゆっくりとこちらへ向いた。

「ま、待って下さい!!その方は違うんです!!」

 パナソレイは慌てて死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と双子の間に立ちはだかる。

 ガガーランは人間魅了(チャームパースン)かと相手の力量を早くも見極め始めていた。

「危ないぜぇ都市長さん。何、俺たちがさっさとやっつけてやるって!」

「煩い人間どもだ。全く。笑止」

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)にラキュースは負けじと声を張るため大きく息を吸い込む。

 周りの瓦礫撤去をしていた人々は何事かとその手を止め冒険者達の様子を見始めていた。

「成仏させてあげるわ。私は蒼の薔薇リーダー!私のこの――」

 最後まで言う前に、後ろから大きな影がラキュースに落ちた。

「な……な……!なんだと!?」

 イビルアイの叫びにラキュースは振り返る前にさっとその陰から距離を取るように飛び退いた。

「貴様、まさか死の騎士(デスナイト)を呼んだとでも言うのか!!」

「ギャーギャー煩い小娘達だ。OT八ノ一七四番、何でも無いとも。こいつらは私を倒せると思ってるらしいが、何。すぐに気付くさ。自分たちの愚かしさに」

 OT八ノ一七四番と呼ばれたそれは頷くとすぐ近くにあった巨大な瓦礫を持ち上げた。

 

 ラナーは防御の体勢に入った蒼の薔薇へ、恐る恐る声をかけた。

「あ、あの……ラキュース……。皆さん……周りを……」

 下を向くラナーに違和感を感じ、蒼の薔薇はサッと周りに視線を飛ばす。

 

 ――そこには様々なアンデッドと手を取り合い作業をしていた様子の人々が何事かとこちらを見ていた。

 蒼の薔薇は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の言った通り、自分達の急ぎすぎた愚かしさに顔を赤くした。

 

 ガガーランの「お前のせいだぞ」と言う声が妙に大きく聞こえた。

 

+

 

 周りを行き交うデスナイトやエルダーリッチはこの数日で途端に増えたものだった。

 恐らく魔導国内で決められていた土地の買い取り率を達成した為工事スピードを上げるのだろうと人々は思った。

 すでに一番外側の環状三号川と名付けられた円形川はエ・ランテルの巨大な三重壁の一番外側をすっぽりと囲み切り、巨大なその川は北に位置するカルネ市をも飲み込もうと工事が迫っていた。

 

「ではパナソレイ都市長、案内してください」

 ラナーの言葉に深々と頭を下げてから馬車にパナソレイが乗る。

 六台の馬車と言う大所帯で一行は移動し始めた。

 作りかけの川の次に見えてきたニ本目の円形川――環状ニ号川の内側はもう町になり始めていた。

 すると遠くから幽霊船が現れ、滑るように停留所に止まるのが見えた。

 

 バタバタと可愛らしい双子が降りてくると、ラナーよりいくらか年下の、冒険者のような出で立ちの少女が続く。

「ウレイ!!クーデ!!走っちゃダメだって言ってるでしょ!!」

「姉様こそ早く来てー!」

「姉様、きっとあれよ!あの建物!ほら、光の神殿で頂いた紹介の案内図と一緒!!」

 

 神聖魔導国の神官とは違う神官装束に身を包むおおらかそうな男が楽しげな声を上げた。

「ははは、よく見つけましたねクーデリカ!ウレイリカ!さぁ、行きますよ!」

 続いて痩せ型の、これまた冒険者のような男とハーフエルフが降りてくる。

「ふーん、あれがチンタイのコンドミニアムね。見えてるなんて思ったよりも停留所から近いじゃない。さ、ヘッケラン!グズグズしない!」

「待てよ、イミーナ!自分の分ぐらい自分で持てよ!」

 

 慌ただしく船を降りた一行は三階建ての、コの字型をしている建物に向かってズンズン進んで行った。

 新生活を始める移住者のようだ。

 白いその建物の全ての窓辺には、誰が管理しているのだろうか――赤い花が咲いていて、その者達の新生活を祝うようだった。

 

「近頃はエ・ランテルの外の人達も少しづつ増え始めて、前よりも賑やかになりそうだなと思います。宿とは違って賃貸と言う新しい概念が始まったことも人を呼ぶ理由かもしれませんね」

 そう言うパナソレイは、心底良かったと思っている雰囲気だ。

「そのチンタイってやつは何なんだ?」

 一緒に馬車に乗っていたブレインは初めて聞く言葉に首をかしげた。

 パナソレイの説明を受け、俺もここに住もうかなと検討し始めると、パナソレイも自分の新しい町を気に入られたのが嬉しいのか、光の神殿併設の行政窓口を後で紹介すると言い出した。

 コンドミニアムは個人が運営することは宿業を脅かすと禁止されている為、それは州によって運営され、家賃は税収として国や州で使われるらしい。

 良いシステムかもしれないとクライムは思う。が、パナソレイがブレインにそれをすすめることは引き抜き行為に近い。

 

「んん、すみません。ブレインさん、今はちょっと……」

「ん?何だクライム君。――ああ、悪いな姫さん。俺は国に仕える気はないし、いつかはガゼフの家を出なけりゃならねーからな。情報収集ってやつだ」

 はははとブレインは心底悪気のなさそうな顔で笑った。

 

 一番中心の円形川、環状一号川を渡ると、そこには王都にいる全ての者の想像をはるかに超える景色が広がっていた。

 

 魔樹は頂上から美しい水を、その枯れた体にくるくると這わせるように流していた。

 その魔樹から出ている水は東西南北に伸びる四本の川へ落ち、三本の円形川全てを繋ぐまっすぐな川として街を潤していた。

 

【挿絵表示】

 

 ラナーは思いがけず馬車を止めさせ、クライムが止めるのも聞かずに降りてその光景を眺めた。

「美しいですね……。魔樹と言うよりも、恵みの大樹と言ったところでしょうか。私は世界にこんなに美しいものがあるなんて知りませんでした。ねぇ、クライム」

 

 そう言うラナーの横顔はもっと美しいとクライムは思った。




https://twitter.com/dreamnemri/status/1128886013755944960?s=21

こんなでしょうか…!


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#35話 閑話 新生活

 ――ザイトルクワエ州エ・ランテル市

 

 王国エ・ランテルを半径で飲み込んだ前代未聞の超巨大都市。

 そこにある光の神殿は、王国エ・ランテル先住の者達によって以前であれば長蛇の列ができていたが、地上げが殆ど終わりを迎え始めた昨今では随分とその列も短くなり、待ち時間は一時間程度まで短縮された。

 その神殿に、今日は珍しく帝国からの移住者が訪れていた。

 

「それで、そのこんどみにあむって奴は一日いくらなんだ?」

 聞く男はヘッケラン・ターマイト。

 帝国から渡ってきたワーカーだ。

「いえ、コンドミニアムは月額制の二年契約ですので一日、というより月の額の方がわかりやすいかと思います。それとも冒険者になられるなら宿屋と比べるために日割り計算のものをお出ししましょうか?」

 よく教育されているのがわかる窓口の男性はスラスラとお決まりの文句を返した。

 窓口の男性は神都から来たものではなく、エ・ランテルで以前四大神の神殿に勤めていたそうだ。

 一通り説明を受け、ヘッケランは一緒に聞いていた仲間達に振り返った。

「どのコンドミニアムが良い?」

 

 既に建っているのは五棟で、内一棟は一区と呼ばれるザイトルクワエのすぐ周りを囲む環状一号川の内側に建つ、一昨日から入居が始まったばかりの超人気物件だ。

 残りの四棟は二号川の内側、二区に位置する。

 さらに八棟が三区、三号川の内側に順次建って行く予定だが、まだ竣工まで数週間かかる予定らしい。

 

「うーん、一区は無理ね。ちょっと高すぎるわよこれ」

 ハーフエルフのイミーナの声に全員が賛同した。

「安さではこちらの、二区北東の物件が一番安いですね……。三区の北東の物件より安いのは何か問題でもあるんですか?」

 ロバーデイクの質問は誰もが聞きたいと思ったことだった。

 

「こちらは南にあるザイトルクワエからの距離が半端に近い為少し日当たりに問題がある物件です。三区まで離れれば、殆どザイトルクワエの影響は受けないんですけどね」

 そう言うことかとロバーデイクは唸った。

 

 イミーナも減点方式の値段設定に納得すると、続ける。

「じゃあこの二区の……ザイトルクワエより南側の二棟はどうして西側の物件が安くて東の物件が高いのかしら……?」

「東はスレイン州と帝国の商人の方々が大体この辺りで宿を取って露店を出したりするんで買い物好きな人にはかなり便利な地域なんです」

 今度は加点方式だ。

 物件選びがこんなに難しいとは思いもしなかったため、ロバーデイクの隣でイミーナも一緒に唸りだした。

 

「じゃあ……こっち。この北のカルネ市のちかくのやつ。これはどうして三区なのにこんなに高いの?」

 アルシェの質問に神官はニヤリと笑った。

「それはもちろん、神王陛下が一番に旧法国の罪を裁こうと降臨された約束の地がありますから。良いですよねぇ。今神殿が新たに建てられて行ってるんですけど、私も建ったら絶対行くつもりなんですよぉ。あ、失礼。んん。すぐ近くのカルネ区は人とともにゴブリンとオーガが暮らすのでそこの区に入るためには講習を受けて下さいね」

 神聖魔導王の事を語る時の神聖魔導国民は――エ・ランテルの人々だけかもしれないが、少し暑苦しい。

 

「そんな市の近くが高いなんて信じらんねぇな……。俺たちにはあんま向いてなさそうだ」

 ヘッケランの言葉は総意だった。

 

「とすると、この王都街道に近い西二区のこれが私達には一番良さそうね」

「よし、俺はイミーナの意見に賛成だ。中庭ありって書いてあるしな!子供も嬉しいだろ!」

 ヘッケランは双子の妹達と、いつか自分とイミーナの子をそこで遊ばせれたら良いなとつい夢想してしまった。

 アルシェは微笑み、待合椅子で眠りこける双子の妹をチラリと見やった。

「ありがとう。ウレイとクーデも喜ぶ」

「では神官殿。ここに二部屋お願いします」

 ロバーデイクの声に神官が頷き、手続きが始まった。

「ちなみに貴方のその身なり、神官ですね。神殿では神官の募集もやっておりますのでご興味があればこちらも。ただ、二点ほどご注意頂きたいのが――神聖魔導国では治療による報酬額が定められているので、それを上回る額を受け取るのは禁じられていると言う事と、普通の国家と違い神官や冒険者達による自由な治療を許していると言う事です。他所で治療をしている神官がいても咎めないでくださいね。そこだけご納得の上お願いします。もちろん、我々への報酬は国の税金から賄われる分もありますので生活に困窮することはありませんよ」

 

+

 

 幽霊船の水上バス(ヴァポレット)に乗りながら、ロバーデイクは手元の求人チラシに目を落としていた。

 ヘッケランはわしわしと頭をかくと口を開いた。

「なぁ、ロバー。別に俺達と冒険者にならずに神殿に勤めたって良いんだぜ?」

「えっ、あ。いえ……違うんです。私が目指した神殿のあり方が…まさかこんなに簡単に実現するなんて……。ははは。本当、神様ってすごいですね……。っ……失礼……」

 望んだ世界のあり方に、喋りながら感極まったようで黙ってしまった。

 ロバーデイクはこの神聖魔導国を作った王を神と認めたようだった。

 

「そうねー。この街も一月前にはなかったって思うと恐ろしいわね、神様って奴が。ふふ、また一月経ったら消えちゃうんじゃない?」

「イミーナ、不吉なこと言わないで……」

 

 そんな話をしていると、幽霊船長が喋りだす。

「次は西二区。西二区です。中央西川線をご利用のお客様はお乗り換えです。お忘れ物のないようご注意ください。」

 鼻にかかった変な声で喋るそれの案内にアルシェはウレイリカとクーデリカを揺すった。

「二人とも、もう着くって。降りるからちゃんとして。」

「わぁ、起きたのにお姉様がいるぅ。ん〜よく寝たぁ!」

「お姉様、新しいおうちに着くの?」

「そうだよ。新しいおうち。」

「新しいおうち!」「きゃー!お姉さまとのおうち!」

 

 途端に騒がしく話し始める二人に、アルシェは他の乗客へ頭を下げた。

「静かに。迷惑になるから」

 すると光の神殿から一緒に乗っていた向かいに座る老夫婦は楽しげに笑った。

「良いのよお嬢さん。お嬢ちゃん達、新しいおうち楽しみねぇ」

 老婦人の優しい声音にアルシェは照れくさくなって不器用な笑顔を返した。

「この辺りは良いところさ。まぁ、どこに住むもんもそう言うけどね。ウチはパン屋をやってんだ。あの漆黒のモモンと、ザイトルクワエが来る前はフラミー様の御用達さ。良かったら遊びに来ると良い。運がいいと英雄を見られるぞ」

 老夫はシワシワの大きな手でキャイキャイ喜ぶウレイの頬を優しくつまんで軽く振ると、西二区停留所からの道を書いてメモを渡してくれた。

 アルシェは礼を言いながら受け取り、その地図に目を落とした。

 

「あ、コンドミニアムの近く……」

 おや?と顔を合わせた老夫婦は、この一行の新生活の場所に思い至ったようでニッコリと笑った。

「じゃあ、毎日元気なお嬢ちゃん達を見られるね」

 そうこう言っていると船が止まる。

「ドァ開きイェッス」

 やはり癖のある喋り方をする幽霊船長に双子のテンションはうなぎ登りだ。

「変なのー!」「変だねー!」

 そして荷物も持たずにタタタ……と降りて行ってしまった。

「あ!待って!」

 慌ててアルシェも二人を追って降りた。

 ヘッケラン、イミーナ、ロバーは近所のはずが降りる様子のない老夫婦にさっと頭を下げて下船して行った。

 

 パン屋の老夫婦は三区に取り込まれた――崩れた昔の家と窯に最後の別れを告げに行った。

 

+

 

 美しい鉄製の大きな門は開け放たれていて、すぐに広がる中庭には晩秋だと言うのにたくさんの花々が咲き誇り、噴水には小鳥が止まっている。

 木の陰では人間サイズのゴーレムが鳥達に何か餌をやっていた。

 うわぁーと全員がその小さな可愛らしい庭に見惚れ、思わず荷物を下ろして美しい光景を前に時間を忘れて眺めた。

「は、ははは。これ、大当たりなんじゃねーか?」

 ヘッケランの呟きに全員がうんと頷いた。

 

「あれ?新しい入居者さんですか?」

 中性的な声に振り返れば、買い物帰りなのか手に紙袋を抱いたザンギリ頭の、こざっぱりとした身なりの者が立っていた。

「はい。今日から住まう者です。私はロバーデイク、そしてこちらは私のルームメイトのアルシェさん、その妹のウレイリカ、クーデリカです。よろしくお願いします」

 ロバーデイクが丁寧に頭を下げると、それに合わせるように慌てて三姉妹も頭を下げた。

「これはご丁寧にありがとうございます。ふふ、アルシェさん達は姉妹なんですね。そちらのお二人もお知り合いですか?」

 

 ヘッケラン達は送られた視線に応えた。

「あぁ。俺たちはワー……いや旧知の仲って言うか。一緒に引っ越してきたんだ。俺はヘッケラン」

「私はイミーナ。ハーフエルフよ。よろしく。あなたは?」

 

「僕は――…いえ、私はニニャ。王国エ・ランテルで冒険者をしていました。今はこの栄光ある神聖魔導国エ・ランエルの冒険者です。ウチは姉さんと一緒に、一階のすぐそこの部屋で暮らし始めました。よろしくお願いします!」




本当街とか物件とか建物とか大好きすぎて困っちゃいましたね( ̄▽ ̄)

2019.06.08 83様 誤字のご報告ありがとうございました!これまでスルーだった事が驚きの誤字でした!笑
イメーナ→イミーナ


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#36 精神の異形

 リ・エスティーゼ王国、王城。

 すでに一週間滞在するラナーからの報告の手紙には、エ・ランテルは今や神聖魔導国そのものとなっていると書かれていた。

 

 それは王のみならず、全ての貴族達が目を通した。

 王派閥は貴族派閥に見せたくないと思ったが、ラナーを行かせたことは周知の事実であり、隠し通すことは不可能に近かった。

 それゆえ、部屋の中にはざわめきと怒号が飛び交っていた。

「エ・ランテルの民も民だ!!王家への恩も忘れて、よもやアンデッドに恭順するなんて!!」

「そうだ!それにパナソレイは神聖魔導国の都市長だと!?あいつは豚のようで頭の悪い奴だと思っていたが、まさかここまでとは!」

「王よ、このままでは三国家の交易拠点が本当に奪われてしまいます!」

「考えてみればズーラーノーン事件から税の支払いも滞ったままなのでは!?」

「せめて川がエ・ランテルを囲みきる前にカルネ村だけでも取り戻すよう動くべきです!」

 

 王はなんと言うべきか頭を悩ませる。

「――そう余り熱くなってくれるな。パナソレイも飢え死にするかしないかと言う瀬戸際だったのだ」

 その言葉は部屋に満ちる王族への苛立ちをより明確なものへと昇華させた。

「そもそも王が王の直轄領を守りきれないとはどう言うことです!」

「王がそれでは、いつかこの国そのものが神聖魔導国へと奪われてしまう!!」

「そんなことになれば、全ての国民が敗戦国の民として虐げられて生きることになるのですぞ!?」

「私は守らせていただく!!自らの民や、自らの家族を!!」

「そうだ!!そのためにはまず奪われた土地を奪還しなくては!!」

「戦争だ!!」

「戦で取り戻せ!!」

 

 ――王はとうとう止められなかった。

 

 ラナーのいる街への出兵と、カルネ村への出兵を。

 

+

 

「なんですって!?」

 新黄金の輝き亭、食堂にラキュースの驚愕の声が響く。

「おい、少し声を下げろ。ここの連中はズーラーノーン事件、ザイトルクワエの襲撃でなにもかもを奪われて来たんだ。この上戦争でまた奪われると知ればパニックになる」

 イビルアイの冷静な声に、ラキュースはあっと口元を押さえて首を短くした。

 そのままの姿勢でキョロキョロと目だけで辺りを探るが、周りは特になにかを気にした様子はなかった。

 

「そんで?どーすんだよお姫様」

 ガガーランはコーヒーをカップに置いてラナーに視線を送った。

「どう……しましょうね……。私はこの街が好きになってしまいました。一生ここで暮らしたいとすら思うほどに……」

 そう話すと、ラナーはなにかを迷うように瞳を泳がせた。

「ラナー様……」

 後ろに立つクライムの声に、膝の上で握っていた手を切なげに前に組み、ぎゅっと目をつむった姫は、まるでこの世の全てを愛しているようだった。

 

「私、この街を守りたい……。ううん、この街だけじゃなくて、この街を育てた神聖魔導国を……守りたい……。例えそれがお父様やお兄様との道を別つ選択でも……」

 

 躊躇いながら紡がれる言葉に、蒼の薔薇は唇を噛む。

 冒険者は戦争には行けない。

 それに、蒼の薔薇の本拠地は王都だ。ラキュースに至っては王国に実家もあるのだ。

「ラナー……。ごめん……。今回ばっかりは、私達では力になれない……」

 仕方のない事だ。当然それを責める王女ではない。

「良いんです。私、この後闇の神殿にお取次をお願いに行きます」

 闇の神殿で取次を願う相手、それに誰もが思い至る。

「神聖魔導王陛下とフラミー様に、謁見とご相談を」

 ラナーのその瞳からは、もう迷いは消えていた。

 

 次の日、闇の神殿は変わらず神官達の仕事の場として開いていたが、併設された闇の聖堂の扉には一般の者の参拝を断る旨が書かれたプレートが下げられ、表には死の騎士(デスナイト)が二体来るものを拒むように立っていた。

 普段並べられている長椅子は片付けられ、都市長パナソレイと神都より派遣されてきている仮州知事の任に就いている者が正面、闇の神の像を避けるように立っている。

 

 ラナーを先頭に、蒼の薔薇、クライムとブレインの三列で並び、神の降臨を待った。

 

 すると、神聖魔導王の美しき白い像の前に闇が広がっていく。

 中からは黒い翼を生やした美しき守護神と、王都で炎の柱を上げた守護神デミウルゴス、そして――クライムとブレインの憧れである守護神セバスが出て来た。

 

「セバス様……」

 クライムは思わず漏れてしまった自分の声にハッとし、口を強く結び直す。

 その様子にセバスが笑ったかと思うと、守護神達は揃って跪いた。

 それを合図に都市長達も、そしてラナー一行も膝をついた。

 

「神聖魔導王陛下と、フラミー様の御成です」

 誰もが熱心に頭を下げる。

 カツーン、カツーンと杖が床をつく音が二つ分。

 それが止まると――「面をあげよ」と厳かな声が響いた。

 

 クライムは失礼にならないように、ゆっくりと細心の注意を払って頭を上げた。

 目の前には、想像を絶する存在が二人立っていた。

 黒き後光の射す死そのもののような存在と、光そのもののような神聖なる存在がいた。

 

「良く来たな。ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ」

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。この度は私の急な願いをお聞き届けいただきありがとうございました」

「何。お前は我が国を案じて私を呼んだのだろう。礼を言うのはこちらの方だ。助かったぞ」

 ラナーは痛みいるように頭を下げた。

「では聞かせてもらおうか。お前と、お前の国の事を」

 ラナーは王国によってこれから始まってしまう悲劇と戦争について熱心に話した。

 神聖魔導王はまたしても生を脅かす者が現れた事に悲嘆したように、語り終わったラナーにたった一言返した。

「そうか……」

 

 慈悲深い神だとは聞いていた。

 本当は虫も殺せないような人なのかも知れない。

 それでもその強大な力を、生あるもの達の為に奮おうとするこの人は、正義なのだろう。クライムはそう思った。

 

「その日は、私とフラミーさんで出よう。ラナー王女よ。お前は、我が民を勇気付けてやってくれるか」

「仰せのままに」

 ラナーの返事は一点の曇りも淀みもなかった。

「よし。デミウルゴスよ、方針は決まった。お前は王都でこの者と行き来があったな。細かいディテールの組み立てはお前がラナー王女と行うのだ」

「畏まりました。アインズ様」

 闇の神は満足げに頷くと、光の神に顔を向けた。

「フラミーさん、何かありますか」

「ありません。その日が来ればあなたと出るのみです」

 

 光の神と闇の神の間に上下関係はないと何処かで聞いたが、恐らく闇の神の方が上位者なのだろうとこのやり取りだけで感じた。

 

「うむ。では、どの魔法を持って迎えるか決めるとしよう。私達は先に戻る。お前達、任せて良いな」

 その言葉に守護神のみならず、都市長と仮州知事も畏まった。

 

 そして神々は立ち去ろうとするが、ふと思い出したように振り返った。

「――セバス。お前の弟子達だろう」

「は」

 セバスの硬質な声が響く。

「ふふ、思い出話をして来ていいんですからね。無理に急いで帰らなくっても」

 光の神は守護神にも丁寧に話すようだった。

 

 自分の支配する者にも優しい神々は今度こそ、立ち去っていった。

 ラナーはその後、セバスと共に皆で先に宿屋へ行くように言い、二人の守護神と共に大聖堂に残った。

 

+

 

「セバス様は、潜入捜査でなくとも執事服なんですね」

 ブレインのその声にセバスは軽く笑うと、自分が何者であるのかハッキリと告げる。

「私は生まれた時から、アインズ・ウール・ゴウン様と、フラミー様に仕える執事ですよ、ブレイン君」

「生まれた時からと言うことは、セバス様は代々ご両親も神々に仕えてらっしゃるんですか?」

 クライムの投げかけた更なる疑問はイビルアイも知りたい所だと身を乗り出した。

「そうだ。あなた達はいつからそうやって過ごしてきたんだ……?」

「そうですね……。アインズ様とフラミー様がどのようにお生まれになり、何千年、何万年、一体どれほどの時を生きてらしたかは、分かりません。しかし、私は文字通り至高の御方々により創造された大地と空の下、創造されました。なので産みの両親はいません」

 セバスはそう言って笑う。

「……本当は親もいるけど、と言うこともなく?」

「ありませんね。私は創造され、目覚めた日を覚えていますから」

「目覚めた日……」

 

 イビルアイは認めそうになった。

 大地と空を生み出し、更に心を持つ生き物を生み出し、自分に仕えさせる事などただのアンデッドや、ただセイレーンのように翼が生えているだけの生き物に出来るわけがない。

 

(ツアー……。お前は調停者を自負しているが、神殺しをするつもりか)

 

 イビルアイもかつて十三英雄と呼ばれる存在だった。その身は小さく幼く見えるが、決して見た目通りの年齢ではない。

 数百年の時を生きるツアーとは言え、何万年という単位で生きると思われるそれらの事を知っていろというのは間違っているのかもしれない。

 前身の神、スルシャーナがアインズ・ウール・ゴウンを崇めていたと言うのはリグリット伝てで聞いている。

 止めなければ、ツアーは殺される。いや、それならまだいい。

 下手をすれば世界はまた一から創り直されてしまうかもしれない。

 イビルアイは、まるで暗闇に放り出された子供のように心細くなった。

 

+

 

 人のいなくなった聖堂内にひそひそとした話し声が響いていた。

 永続光(コンティニュアルライト)と揺れる炎が妖しくその者達を浮かび上がらせた。

 

「ふふふ、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下……。なんと素晴らしいお方なのでしょう。私が足元にも及ばないあの智謀」

 どこかうっとりとした少女の表情は亀裂のように走る笑みによって酷く邪悪なものに見えた。

「そうでしょう。我々はアインズ様のご計画の掌の中だと前に話した通りさ。君が何もしなくても、君の望むようになって行くから心配せずに"民を勇気付けて"やってくれたまえ」

「かしこまりました。デミウルゴス様」

 

 自分の家族を、血を、民を裏切ろうと言うのにその表情に後悔はない。

 王女がうやうやしく頭を下げると、アルベドはこれこそデミウルゴスの報告にあったラナーだと興味を刺激された。

 

「ラナー。全くこんな王女がいたとはね。アインズ様が王国には引き入れなければいけない者がいると言っていた時はそんな者がと思ったけれど、アインズ様はあなたの存在にいち早くお気付きになっていたのね」

「心からの感謝を。恐らく帝国の皇帝に向けて行っていた事を読み解かれ私の存在に気が付かれたのでしょう……。本当に、デミウルゴス様を超えると聞いてそんな者がと私も思いましたが……まさかこれ程のお方だとは……」

 

 これは人間であって人間ではない。精神の異形というべきもの。善や悪を心の中では理解しているのだろうが、あくまでも理解しているだけであり、それらに縛られることなく己の目的のためならいくらでも踏み躙れるタイプだ。

 

「あの短い間で君がちゃんとその事を分かってくれて良かったよ」

 デミウルゴスは満足げに頷き、アルベドはジッとラナーを見つめた。

「アインズ様が高く評価しているのだから、失望させないでね。私の下でもしっかりとその優秀な能力を発揮して頂戴」

 親しみすら感じる柔らかい声に、ラナーはより深く頭を下げる。

「勿論です、アルベド様。必ずやご厚意に見合うだけの、いえ。それ以上の働きをお見せいたします」

 

 悪魔達(・・・)は心酔し、しばらく笑い合った。




次回#37 大虐殺
本日12時公開です。

2019.05.18.すたた様 誤字報告ありがとうございます!(//∇//)
2019.06.06.黒帽子様 誤字報告ありがとうございます!適用させて頂きました!


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#37 大虐殺

 その日、エ・ランテル市中に触れが出された。

 それはラナー王女に届いた王国の書状が転写されたもので、神聖魔導国以外から救われることのなかったエ・ランテル市民の心を激しくかき乱した。

 

 曰く――

 

 第三王女 ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。

 

 長きに渡るエ・ランテルの調査ご苦労だった。

 

 都市長パナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアと、エ・ランテルの民はこれより一週間で粛清されるだろう。

 それまでに呪われた地を離れ、王都へ帰還するよう偉大なるランポッサⅢ世も勧めておられる。

 

 エ・ランテル市民が王都からの支援を待たず、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国による実効支配を拒否しなかった事は明確なる国家への叛逆であろう。

 王家より借り受けた尊きリ・エスティーゼの地を、あろう事か他国の王に恭順し、不当な取引に因って売り渡した行いは王家発足以来他に類を見ない大罪だ。

 又、エ・ランテルの民は税を納める国民の義務を放棄し、現在も国家の運営に損害を与え続けている。

 ついては市民を扇動した代償として神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国とエ・ランテルの民へは相応の償いを――――

 

 

 その不愉快な書状の隣には、簡潔に三日後南広場に神聖魔導王とフラミーが降臨すると書かれた物が貼り出された。

 

 誰も自らの手で育てた愛する新天地を離れるつもりはなかったし、神々がこの地を救わないとも思わなかった。

 が、それでも安堵の一息をつかずにはいられず、思わずへたり込む者が続出したらしい。

 

 そして、三号川は工事をストップさせた。

 

+

 

 早朝。

 かつてエ・ランテルの人々が肩を寄せ合い食事を取っていた南広場に、今となっては懐かしい巨大なタープが張られた。

 以前とは違い中心に川が流れているが、人々はたった数週間前には当たり前だった光景に、かつての雨に打たれ、食事と風呂だけを楽しみに生きていた自分たちの姿を幻視した。

 まだ神は広場に姿を見せていないが、声がかかる前に誰もが率先して床に座ったり、跪いたりしていた。

 

 そして、この浮かれた一行も。

 

「ロバー、やっぱりもっと前に行くか?よく見たいだろ?神様達」

 ソワソワするロバーデイクにヘッケランが声をかける。

「そうよ、滅多に見れるものじゃないんだもの。その点に関してはこの戦争に感謝ね!」

 せっかく引っ越してきたばかりで戦争だなんてとここ数日文句を言い続けたイミーナがフフン、と鼻を鳴らした。

「イミーナ……。それは幾ら何でも不謹慎」

「「お姉様ふきんしんってなぁに?」」

 妹達が首を傾げた。

「ははは、この大人数でこれより前は難しいので、ここで我慢しますよ」

「しっ!セバス様が見えたみたいよ!」

 

 広場の中心、ザイトルクワエを背に現れたセバスが口を開いた。その声は魔法に乗せられているようで、広場中に問題なく届いた。

「魔導王陛下と、フラミー様の御成です」

 全守護者、漆黒聖典、陽光聖典、風花聖典、火滅聖典、水明聖典、土塵聖典と――それから、都市長と仮州知事が跪く。

 広場の人々は自分達の身なりが失礼にあたらないかを今一度確認した。

 

 渦巻くような闇が開いた。

 温かい闇だ。

 夢を見る前に見る温かい闇だ。

 

 人智を超越した神々が闇より降臨すると嗚咽する者もいた。

 自分達の街、今の優しい生活、全てはこの二柱によって支えられているのだと。

 

+

 

(えぇー……)

 アインズは思ったよりも人々の温度が高い事に若干引いていた。

 

「アインズ様よりお言葉を頂戴します」

 アルベドの声に、アインズは余計な思考を追い出し、散々練習し、頭に叩き込んで来た言葉を紡ぐ。

「――我が民、我が子らよ」

 人々の真剣な眼差しが痛い。

「私はもっと早く王国へ手を打たねばならなかった。そうしなかった事で皆を不安にさせた事を、まずは謝ろう」

 

 ラナーは神聖魔導王のザイトルクワエ討伐以降の計画に瞠目していた。

 おそらく神聖魔導王はこの戦いで邪魔な能のない貴族を葬るつもりだろう。

 ザイトルクワエ戦で戦士長ごと王を殺していれば、貴族は神聖魔導国を侮る事をせず、恐れこの機会は訪れなかったかもしれない。

 あの時戦士長を生かして帰し、ザイトルクワエに破壊させた街道を避けて帰るその身にブレイン・アングラウスを回収させ、クライムとセバスに出会わせる。

 ブレインはまるで何者かの手で操られるかのようにまっすぐ王女の元へたどり着き、エ・ランテル近郊の出来事を伝えてきた。

 そして――それに応えたラナーの元には叡智の悪魔が現れた。

 どうやって神聖魔導王が知ったかは分からないが、ラナーの望みは恐らく続く言葉によって叶える前段階を済ませるだろう。

 

「だが、安心するのだ。我がエ・ランテルは決して蹂躙されない。我が民の血は流させない。そのために、私とフラミーさんが出よう。そして、この情報をいち早く我々に知らせ、街と無辜の民の命を守ろうとその肉親にも背を向けた気高き王女に、喝采を」

 

 万雷の喝采の中ラナーは立ち上がる。

 

 全ては、クライムのため。

 私はここで新たな地位を得る。

 慈悲深きものとして死の神の下で権勢を振るう。

 あらゆるしがらみから解き放たれた暁にはついにクライムと添い遂げるだろう。

 絶対に、何を使っても魔導王とフラミーを失望させてはならない。

 この神々は、慈悲深い振りをしているが、失望させれば――――。

 

+

 

 戦争の日、人々は三号川の内側から祈るように地平と偉大なる二つの背中を見つめた。

 冷たい秋の風は、動悸に襲われて火照る体を撫でた。

 

 神々はそれぞれ腕を一振りする。それに呼応するように突如として十メートルにもなろうかという巨大なドーム型の魔法陣が二つ展開された。

 二人は左右に並び、互いの魔法陣は重なり合った。

 その幻想的な光景はエ・ランテルから様子を見守る者達の目を奪った。

 魔法陣は蒼白い光を放ち、半透明の見たこともない文字と記号を浮かべている。

 それは目まぐるしく形を変え、一瞬たりとも同じ姿にはならない。

 王国から驚きの声が上がるのが風になって届いて来た。

 それは見事な見せ物を見たときにあげるような、緊張感の全くないものだ。

 ――しかし、勘の鋭い者達は困惑していた。

 

 目の前の十四万の王国兵は、かつての同胞だ。

 どうか苦しみなく逝かせてやって欲しいとエ・ランテルの人々は願った。

 今や母なる木となったこの魔樹を討伐した神々が負けると思っている者は一人もいない。

 神さま……近くの誰かの囁きが聞こえる。

 次の瞬間、二柱の周りを回っていた魔法陣が砕け散り、願いは聞き届けられた。

 これまで吹いていた風とは違う――黒い息吹が、王国軍の陣地を吹き抜けた。

 王国兵左翼七万、右翼七万。

 その場の命は即座に全て――奪われた。

 馬すらも突如と糸が切れたように倒れ伏した。

 目の前の十四万人が痛みも、恐怖もなく命を奪われた事に、人々は慈悲深き神々に感謝した。

 そして、今倒れた人々から無数の青い透けるような光の塊が尾を引きながら飛び、光の神の下へ収まって行った。

 

 僅かに生き残る、陣地の奥に身を置いていた身分の高い者達含む一万人程度の兵はパクパクと口を動かした。

 あまりにも信じがたい光景に、脳がそれを受け入れる事を拒否する。しかし、起き上がる者は一人もいなかった。

「う、うそだ……」「かみなどと……」

 ぽつりぽつりと拒絶の言葉が紡がれ――どよめきと恐怖から逃れようとする叫びがうねりとなって生き残った者達を包み込んだ。

 

 そして、エ・ランテルの誰かが空を指差した。

 

 それに誘われるように次々と皆が空を仰いだ。視線の先には光を一切反射しない、空に黒いインクをポタリと落としたような漆黒の球体。

 徐々に球が大きくなっていく。

 わずかなざわめきの中――やがて、十分に実った果実は落ちる。

 球体は大地に触れると、熟しきった果実が爆ぜるように弾けた。

 

 ドプリと辺りに黒い液体が辺りに広がると、闇に染まった地に、ぽつんと一本の木が生えた。

 続くように二本、五本、十本と伸び始めた木は風もないのにうねり――決して木などという可愛らしいものではないことを知らしめた。 

 

メェェェェェエエエエエエ!!!

 

 可愛らしい山羊の鳴き声が響き渡った。いくつも重なる鳴き声が続く。

 コールタールは蠢き、噴き上がるように黒いカブのような生き物は現れた。

 果実にはいくつもの亀裂が入り、べろりと剥けると中には真っ赤な舌が見え――。

 

メェェェェエエエエエェェエエ!!!

 

 粘液をだらだらと垂らす大量の口から可愛らしい山羊の鳴き声が溢れた。

 山羊は疾走しだした。

 きっとあそこに並んでいた兵士達だって誰もエ・ランテルに来たくはなかっただろう。

 半分の者は帝国との戦争の時にエ・ランテルで起きた神話の戦いを見たし、中にはエ・ランテルに親戚が住む者だっていただろう。

 神に楯突く気などなかったんだと証明するかのように――自分達を駒のように扱い、重税によって苦しめた、後方に控える貴族達に向かった。

 

+

 

「見て見て!見てください!」

 フラミーの興奮した声が響く。

「すっごく綺麗ですよぉ!経験値ってこんな風に見えるんですね!」

 愛らしい子山羊達が駆け抜ける中、フラミーの装備する黒いガントレットには絶え間なく経験値が――いや、魂が吸い込まれていった。

 

「本当ですね。これで何レベル分くらいなんでしょう」

 アインズも楽しげに笑い、続けた。

「あーそれにしてもすごかったですね。黒き豊穣への貢(イア・シュブニグラス)!あんなにたくさん。全部でえーと一、二、三…――」指をさしながら、アインズはウキウキと目の前の可愛らしい仔山羊を数えていく。「――うわ!十もいますよ!!二人でやっても二匹かなって思ったのに!これは最高記録だろうなぁ!やっぱりあれだけ死んでくれただけありましたねぇ!」

「えっ、十匹ですか!すごい!ウルベルトさんにも見せてあげたかったなぁ!こういうの大好きだったし!」

「ウルベルトさんが聞いたら間違いなく俺もやるって大騒ぎしますね!」

 ゲーマーは自分たちの打ち立てた前代未聞の新記録を素直に喜んだ。十数万人の死者などどうでも良かった。

 二人で喜び合っていると、アインズはぴくりと顔を上げた。

 

「お、あっちに見つかったみたいです。ずっと戦士長仲間にしたかったんですよねえ。なんかアルベド達は王女様仲間にするって言ってたけど」

「戦士長さんって勇者っぽいですもんね!お姫様を仲間にしたい人と勇者を仲間にしたい人と、皆それぞれ好きな人とパーティー作るのが一番ですね」

「ま、それはそうですね!――<飛行(フライ)>」

 アインズがふわりと浮かび上がるとフラミーは翼を広げた。

 目的の人物を見付け、凍り付いたように止まる十匹の子山羊達の間をするりと飛び、ガゼフと王の近くまで来ると二人は地に降り、歩いた。

 そこにはレエブン侯も控えていて、背後にはたくさんの戦士団がいた。

 

「ま……魔導王……殿……」

 王はかすれた声を絞り出す。

「ランポッサⅢ世よ。私は大切な子供達とただ平和に、静かに暮らしたいだけなのだよ。分かるかな」

 アインズは恐れるように瞳を揺らす王から視線を外した。

「戦士長殿。ザイトルクワエ来襲以来だな」

 ガゼフは静かにうなずいた。

「私は言葉を飾るのは好まない。だからこそ、単刀直入に言おう」

 アインズは骸骨の手を差し伸べた。

「共に来い」

 

 フラミーはなんと素晴らしい光景だろうと思った。

 出かけるつい一時間前にパンドラズアクターが持ってきたカラー版のカメラを取り出し、画角を確認すると少し後ずさる。

 全員の表情がよく見えるようにとその馬鹿でかいカメラを横に向けた。

 ドキドキとガゼフの返事を待つアインズはその怪しい挙動に気付きもしなかった。

 

 チャカっジー……――。

 

 全くもって場違いな音が響き渡った。

 

「あはっ!」

 フラミーはカメラから出たこの世界初めてのカラー写真に思わず喜びの笑いが漏れてしまった。

 

 振り返ったアインズは数度瞬くように瞳の赤を明滅させた。




え?ちょっと!
空気読んでくださいよフラミーさん!


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#38 大復活

「あ、あー……んん。すまないな、戦士長殿。君の大切な決断の時に」

 アインズは骨の頬をぽりぽりと掻いた。

「あ……いや、気にしないでくれ。魔導王陛下」

「ゴウンで良いとも」

「はは。ゴウン陛下……。王国には、あなたを誤解した者が多くいるが、私はあなたの慈悲深さをよく知っている。だからと言うわけではないが、申し訳ない。私は王の剣。王から受けた恩義に懸けて、これを譲る事はできない」

 そう言うガゼフは困ったように笑っていた。

 

「見てください」

 場違い娘のフラミーが手の中に持っていた写真を見せる。

 そこにはいつもと変わらないアインズと、何故かしてやったりと言う表情のレエブン侯、複雑極まる王の顔、そして、アインズの手を見つめて――驚く表情の中に歓喜が覗き見えるガゼフが写っていた。

 

 ガゼフは光の神が見せた自分の本当の感情に言葉を失った。

 自分は、この王の中の王に誘われた自分を誇らしくなってしまったのだ。

 

 フラミーはまじまじとカラー写真に見入る戦士長に、満足げに頷く。

 

「いい写真ですよね。焼増しできるようになったら差し上げます!」

 フラミーはガゼフと国王を順番に眺めたのち、レエブン侯をちらりと見ると、この人は誰だろうと思った。

 アインズはせっかくシリアスなシーンだったのに、と一瞬思ったが、もうすっかりおかしくなってしまった。

「はは。ランポッサⅢ世、戦士長殿。私の国では皆自由だよ」

 

 周りにはまるで眠っているように綺麗な死体の平原が広がっている。

 そして、視界の端に映るおぞましい黒い仔山羊と、ぐちゃぐちゃに砕かれた王国の腐敗の象徴たる貴族達。

 濃いという言葉を遥かに通り越したところにあるほどの濃密な血の臭い。

 国王は目を瞑った。これはきっと罰なんだろう。

 国民も貴族も御しきれなかったくせに、何かを守った気でいた自分への。

 

「自由……。久しぶりに聞いたような気がしますな……」

 王は言葉を絞り出した。

「……分かりました。我がリ・エスティーゼ王国は、これより貴国の言葉に従いましょう……。属国化を……」

 完敗だった。

 

「…………え」

 

 アインズはこんな重要な事を一人で決めるのはまずいとなんと返答すれば良いのか分からなかった。

 姫を仲間にしたいと思っていたアルベドやデミウルゴスはそうなってしまっても姫と良好な関係を築けるだろうか。

 割と仲良くしているようなのに、ここで新しい友情に疵をつけるような真似は避けたかった。

 ここは言葉を濁すなどの手段で逃げるべし。アインズは方針を決めた。

 

「これほど重要な話を口頭だけで進めるのは危険だ。きちんとした場で文面に残して行おうじゃないか。」

 

 ランポッサⅢ世が了承すると、ガゼフもレエブン侯もホッと一息ついた。

 王国にはこれで家長のいない貴族と、男手のない農家しか残っていないのだ。

 レエブン侯は王女との秘密の約束がこれで果たせたことに安堵した。

 姫を送り出す協力は容易だったが、あの宣戦布告じみた手紙を貴族の代表者から出させるのは中々骨が折れた。

 自分の頑張りを心の中で褒め、自分と妻、愛する息子――リーたんとの約束された未来に早くも想いを馳せる。

 そして、同時にこれだけの力を行使する相手のことを、リーたんに正しく伝え話して聞かせる必要があると確信する。

 

 アインズは詳しい話はまた後程と言い残すと、フラミーと共に後ろに下がって行った。

 そして、アインズは子供のようにフラミーの耳に手を当ててこっそりと耳打ちした。

「フラミーさん、あれお願いします」

「あれです?」

「神話に付き物の」

 フラミーは何を言いたいのか悟ると、バッとアインズの方を向き、げぇ……と嫌そうな顔をした。

「こんなに無理ですよぉ。私、死んじゃいます……」

「ふふふ、そう言うと思いました。なので実は俺、今回は作戦考えて来たんですよ。想像よりたくさん死んじゃいましたけど」

 そう言うと、アインズはユグドラシルの、上から数えたほうが早いほどに高価なスクロールを取り出した。

「まさか……アインズさん……」

 

 アインズがニヤリと笑った気がした。

「アルベドとデミウルゴスの初めての現地のお友達のために、やってやろうじゃないですか!」

 娘と息子の心優しいお友達のためならばと、いつもは勿体ない病のはずのパパだが、大盤振る舞いを決めていた。

 アインズの手の中のスクロールが空中で燃えて消える。

 ザッと音を立てて現れたのは最高位の天使が複数体。

 

「お友達のため……。――シャルティア!!デミウルゴスさん!!マーレ!!」

 フラミーは街に向かって魔力の多い守護者を呼ぶと、自分たちが呼ばれたとすぐにわかった守護者三人が走ってくる様子を確認した。

 杖をギュッと両手で握ると破れかぶれに魔法を唱えた。

「<第十位階天使召喚(サモン・エンジェル・10th)>!」

 

 はははと笑うとアインズも二本目のスクロールを燃やす。超位魔法を打てればアインズでもスクロールなしで天使は呼べるが、今はクールタイムだ。

 アインズの隣でフラミーも魔力がなくなるまで高位の天使を呼び続けた。

 そして天使にも天使を呼ばせる。

 

 そこには、もう数えきれない量の天使が現れていた。

 フラミーはこんなもんかと目の前の天使軍団を見た。

「それじゃあ皆さん……!行動を開始せよ!!」

「あ、それ懐かしいですね。」

 楽しそうな支配者達は、今その手で命を奪った人々を無差別に生き返らせていった。

 アインズは復活魔法を持たない為自分の天使に指示を出すだけだが。

 

 大歓声とともにエ・ランテルから人々が走って溢れ出して来る。

 それを一瞥もせず、シャルティアに魔力を渡されながら、フラミーは天使に混じって一心不乱に人を生き返らせた。

 悪魔なのに……悪魔なのに……とぶつぶつと文句を言い、時にひぃーん!と泣き声をあげながら。

 アインズは、デミウルゴスとラナー王女の「お見事です」と言う言葉にそれはそれは満足げに頷き、一番の感謝はフラミーへ、と駆けずり回る女神を指し示した。

 大切な子供達の友人に微笑む。顔は動かないが。

 

 そして、可愛い仔山羊達をナザリックに送ってやった。

 

 生き返らされたものは、これまで自分の身に起こっていた恐ろしい事実をエ・ランテルの街の人々に肩を預けながら教えられた。

 神官達は復活したばかりでふらふらの人々をこぞって回復した。

 以前フラミーに命を奪われた――事を知らず、救われたと信じて疑わない――ンフィーレア・バレアレと、モモンに報酬をごまんと渡したリィジー・バレアレも大量のポーションを馬車に乗せ、人々に配って歩いたが、とても量が足りず、最後は薬草をそのまま配って回った。

 皆が神官とバレアレ家に大層感謝した。

 粛清に来たはずの兵士を何の憂いもなく手助けする人々のその姿はあまりにも美しかった。

 

 やっと人は一つになれるのかもしれないと思わせるほどに。

 

 聖典達は殆ど儀仗兵扱いだったことに、もっと役に立ちたいと不満を抱いていたが、全てがもうどうでもよかった。

 これを本国で伝えることが今回の自分達の役目だと思い至ったのだ。

 この素晴らしい光景を、神殿から巫女姫を介して見ている神官長達は生で見たかったとさぞ悔しがっていることだろう。

 

 蒼の薔薇は、いつの間に現れたのかリグリットを伴って顔を青くするフラミーに近付いて行き、跪いた。後にも多くの冒険者達が続く。

「復活の神フラミー様、貴女様のお力をお借りしている蒼の薔薇、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです。足元にも及ばぬこの力ですが、是非お使いください」

「このリグリット・ベルスー・カウラウも捧げましょう」

「私はイビルアイ。私も捧げるぞ」

 

 フラミーは三人と、その後ろに同じく跪く冒険者達を見た。

 正直、第九位階の復活魔法一人分にもならなそうだと思う。

 しかし断って食い下がられても面倒だ。

「あぁ、ありがとうございます。ラキュースさんリグリットさん、イビルアイさん。じゃ失礼して……<魔力吸収(マジック・ドレイン)>」

 フラミーが手の平を向けると冒険者達はばたりと息絶えたように倒れた。

 

 慌てる双子忍者とオーク戦士に、倒れた三人は大笑いしながら「ほんとに根こそぎ全部持ってかれた」と告げた。

 

+

 

 その後、昼前から始まった地獄の復活作業は数えきれない量の天使を伴っていながらまるで終わる気配がなかった。

 街の人々は日が暮れても、月が昇っても続くその作業を前に、もう冬の近付いた寒空の下毛布やスープを持ち出して、復活後の動けない人々に分け与えたりしていた。

 魔力切れを起こした天使が、復活させられた人々を街の者達の前にどんどん運んでいく。

 

 エ・ランテルの人々は皆また思い出していた。

 ザイトルクワエに何もかもを奪われ、身を寄せ合って南広場で食事をとることだけを楽しみに生き凍えながら眠っていた日々を。

 それは確かに強い痛みを伴う日々だったが、神聖魔導国があったから、闇の神・神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王がいたから、光の神・フラミーがいたから、常に希望を胸に抱いていられた。

 今と同じように決して一人ぼっちになる者はいなかった。

 町中の、老若男女問わず、子供すら眠らず神々と天使達へ祈りを捧げた。

 

 守護者達からも受け取った魔力が空っぽになる頃、フラミーはぺたりと床に座った。

「ひぅ……。ちょっと……休憩です……」

 アインズは顔を青くするフラミーの前に膝をつきしゃがんだ。

「……や、やっぱりちょっと多すぎましたね……?すみません……」

 天使すら魔力がなくなっている。フラミーも魔力の欠乏から調子が悪そうだった。

「フラミーさん、こんなもんにしましょう。本当にありがとうございました」

「……でも、子供達のため、子供達のお友達のためですから、頑張ります」

 フラミーが立ち上がろうとすると、アインズは手を差し伸ばした。

「俺の魔力も使ってください」

 

 そして日が昇る。

 昼前になり、漸く終わりが見え始めると、たくさんいた天使達は時間制限を迎え光の粒となって消えて行った。

 

 そんなことには目もくれず、フラミーはアインズと手を繋ぎ、法国のギルド武器破壊以来アインズの無尽蔵に尽きることのない魔力を直に使いながら人を生き返らせ続けた。

 

 あともう少し程度、と言うところまで来ると、フラミーは輝き宙に浮かんだ。

 人々が眠い瞼をこすって様子を見ていると、光はパンと弾け、六枚三対だったはずの翼は一対増え、八枚四対になった。

 

 フラミーはしばしアインズと何やら盛り上がった後――再びアインズと手を繋ぎ直すと、一度に十人もの人々が動き出した。

 その日の夕暮れ時にはついには全ての人を生き返らせた。

 

 と、言いたいところだが殆どの貴族は生き返らなかった。

 その恐ろしい経験から、復活を拒否し、灰となって消えた。

 

 魔導国へ謝罪しなければならないと思い至ったものや、恐れよりも愛する家族を思い出したもの、王の役にもっと立ちたいと思ったもの。

 善良な一握りの貴族が息を吹き返したのだった。




フラミーさん、何か未発見のクラスを獲得!


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#39 新州知事の就任

 ラナーは自分が思った方法の数倍、いや何百倍も凄まじい間引きに言葉を失っていた。

 統治を邪魔するような貴族は死ぬだけでなく、灰にされ二度と復活を望めぬよう徹底的に断罪された。

 

「これが……あの神々の真の力……」

 アインズとフラミーを侮った事などなかった。

 それでも、本当に神かどうかは怪しいと思っていた。

 闇の神の智謀は確かに自分を遥かに超えていたが、本当に神と言う超常の存在だとすればわざわざ人間に構う意味は何だろうと、クライム以外に慈悲を抱いたことのない王女は思っていたのだ。

 それに、光の神と言っておきながら平気で大量の人間を虐殺した者の動向にも違和感を覚えていた。

 

 しかし、王女は気付いた。

 世界でも一人居るか居ないかと言う歪んだカルマを持つその女だけは気付けた。

 

 神々は人間で遊んでいるだけなのだと。

 

 まるで遊ぶかのように殺したと思ったら、生き返らせ――それを人間が勝手に有難がって、まるで目の前を進む羊飼いに何の疑いも抱かぬ羊のように付き従う。

 実に超常の存在らしい遊びだと思った。

 もしラナーが物語の勇者のような人物であれば、「そんな者の下で与えられる平穏や幸せは、本当の幸せじゃない」と声を上げただろう。

 

 しかし、彼女はこれこそが自分の求めた幸せだと確信する。

 

 クライムと生きるためだけに存在する世界は、そうあった方が良い。

 が、自分がこの化物達に信頼されているはずなど――ない。

 あくまでも利用価値が高いから自分はこれから恩を得られるのだ。だからこそ、ラナーはしっかり働き、恩を受けた以上の価値を今後証明しなければならない。

 

(少しでも無能なところを見せれば安泰はないわ……)

 

 ラナーは二人の神を思うと、我知らず戦慄が走った。

 それでも、ラナーは小さく笑ってしまう。

 大切な夢が王国一つを売り渡す程度で叶ってしまう。

 

 踊りたい。

 歌いたい。

 あまりにも、あまりにも幸せで、この胸の内が溢れて止まらない歓喜を抑えきれない。

 

 これからじっくり時間をかけて犬の新しい教育を施していくのだ。

「うふふ。――あぁ、なんて私は幸せなのかしら!」

 

+

 

 人々の復活からニ週間。

 南広場には、戦争前よりも多くの人で溢れていた。

 最早入りきれない人々は二区の民家屋上からもその様子を見つめている。

 

「ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフよ」

 闇の神と光の神の前に、ラナーと仮州知事は並んで膝をつき手を前に組んでいた。

 

「お前はこれから、リ・エスティーゼと我が神聖魔導国の架け橋となるのだ。お前は父ランポッサⅢ世の元を離れ苦悩を得るかもしれない。覚悟は出来たな」

 これから、神々とクライムの為だけに生きる覚悟を問われ、ラナーは応える。

「はい。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。とうに覚悟は出来ております」

 真っ直ぐな、心の底からの返事に闇の神は満足そうに頷いた。

 

 光の神が仮州知事に近付く。

「貴方はこれをもって現在の仮州知事の任を解かれます。復興への長きに亘る勤め、ご苦労でした。エ・ランテルの一番辛い時を支えた貴方は時代に名を残す良き知事でありました。そして、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。あなたを、このザイトルクワエ州の新州知事に任命します」

 

 そう言うと、フラミーは仮州知事がこれまで羽織っていた神聖魔導国の紋章が入ったマントを外し、ラナーに掛けてアインズの隣に戻った。

 ラナーはゆっくりと立ち上がり、組んでいた手を下ろしてマントの端を両手で摘み上げながら細心の注意を払って頭を下げる。

 

「神王陛下、光神陛下。このラナー、全てを捧げ御二柱の望む州知事となることを誓います」

 

 ランポッサⅢ世はラナーの後ろでパナソレイ都市長と神聖魔導国の神官長達と共に跪いていた。

 誰よりも優しい心根を持って育った娘を誇りに思って流した涙は温かかった。

 そしてカルネ村に別働隊として派遣し、帰らなかったバルブロに心からの謝罪を送ったのだった。

 この戦争に愛する我が子を連れて来たくないと思ったがばかりに。己の身内可愛さを選んだがばかりに。神に慈悲をかけてもらえなかった。

 

 国家を越えて人の命の為に奔走した王女はこの日、リ・エスティーゼ王国、ヴァイセルフ王家よりその名を消した。

 その後永らくこの王女の素晴らしき行いは神聖魔導国で語り継がれるのだった。

 

 王位継承権を返上したかつて王女だった州知事は、わずか三年後――神都大聖堂完成と時を同じくして崩御する父ランポッサの下属国だったリ・エスティーゼ王国をリ・エスティーゼ州になるよう政策を推し進める。新たに神聖魔導国に加わったリ・エスティーゼ州の州知事には自らの兄ザナックを推薦した。

 ザナックの元にはレエブンと言う子煩悩が都市長を務め、繁栄の時を迎える。

 

 ランポッサは、可愛らしい子犬のような孫の顔を見られた事を神聖魔導王と光の神に心から感謝して息を引き取ったという。

 

+

 

 数日前。

 

「あー……エンリよ、お前は角笛でこの者たちを呼んだのだな?」

 アインズは目の前の五千を越える大量のゴブリンの集団に言葉を失っていた。

 

「はい!ゴウン様から頂いたこの角笛で私達は生き延びる事が出来ました!ゴウン様はこの日の為に二つ角笛をお渡し下さったのですね!」

 特区カルネは今、区壁の中にみっちりとゴブリンを内包する謎の区となってしまった。

 後にゴブリン区とあだ名がつく程に。

 

「んん。その通りだ。これでこの地は本当に何にも脅かされない場所となっただろう。しかし国籍登録は全員きちんと行うのだぞ……」

 アインズがエンリや村人達と共に跪く大量のゴブリンを眺めていると、区壁の警護を行っていたゴブリンが駆けて来た。

 

「すみません、神王陛下、フラミー様。今姐さんの恋人が船で着いたみたいでして……。ちょいと御前に通してもいいでしょうか?」

 全ゴブリンは今ここでボスの未来の配偶者をお披露目したいとその目で訴えていた。

「エンリちゃん、彼氏できたんですか!アインズさん、是非見せてもらいましょうよ!カルネ区長の未来の旦那とやらを!」

 軽快に笑うフラミーにエンリは顔を赤くした。

「ははは、よし、その男を連れて来い」

 アインズの号令に従い、ゴブリンは支配者の気が変わらない内にと急いで区壁に戻っていった。

 

 そして、現れたのはンフィーレアだった。

 ンフィーレアはフラミーの存在に気付くや否や小走りから猛ダッシュへと姿勢を変えてすっ飛んでくる。

「ふ、フラミー様!!神王陛下!!要人が来てるってカイジャリさん!そんなレベルじゃないじゃないか!!」

 

 足元にたどり着くとズザザと音を立てるように跪き、いや、スライディング土下座をしながら、フラミーへ改めて礼を言うのだった。

 

「ふ、ふ、フラミー様!!僕は貴女様にズーラーノーン事件の時に救われた――」

「ンフィーレア・バレアレ君ですね、よく知っています……。なにもかも」

 フラミーの言葉に区民もゴブリンもオォ……と声を漏らす。

 フラミーは素っ裸だった男子を軽く見た後、ふぃと視線を逸らした。

 

「あー……そうか、君がカルネ村によく来ていたという薬師だったのか」

 アインズは夏の終わりに言っていた当時の情報源(エンリ)の言葉を思い出す。

「し、神王陛下におかれましても、カルネ村を、いえカルネ区を救ってくださってありがとうございました!エンリは……僕の好きな人は、神王陛下のおかげで今を生きています!本当にありがとうございました!!」

 

 深く頭を下げたンフィーレアにアインズは何も言わなかった。

「好き」という言葉に、青春しているなぁ……とおっさんじみた気持ちを抱き、ノスタルジーに身を浸したのも事実ではあるが、それ以上にもっと別の思いに包まれて。

 アインズは一度この青年を殺したことを思い出し、やはりふぃと視線を逸らした。

 

 軽く目を逸らされたことに気が付いたンフィーレアは慌てだした。

「あ!あ!ごめんなさい!!公式な区長との会談中に失礼しました!!」

 エンリの後ろに入ると、ンフィーレアはネムに軽く小突かれて静かにした。

 

「いや、用は済んだ所だ。それではエンリ、カルネ区を頼むぞ。区壁は今後撤去が始まるが、それも問題ないな?」

 アインズの言葉に少し区民達が複雑そうな雰囲気を出すが、今はもう栄光あるこの王の庇護下に入っていると自分達を奮い立たせる。

「……はい!三号川の完成と共にという事ですよね。よろしくお願いします!」

 エンリはぺこりと頭を下げると、それに習ってゴブリンと区民も頭を下げた。

 

「いや、厳密には川を渡る四箇所の橋の前に入国管理塔が設置されたら、だな。これまで区壁前で行なっていた講習にいくつか追加してそのまま川の門で行う。安心しなさい」

 今までと同じ講習といわれ少し安心する区民と区長の顔をアインズは見渡した。

 

「先ほども話したが、全ての橋の門にはお前達ゴブリンも人間の管理官と共に働くのだぞ。ここに危険が迫らないように全ての門で見事危険分子の侵入を食い止めるのだ。今回は戦争で恐ろしい思いをさせたな。中心都市に気を取られてこちらに来られずすまなかった」

 慈悲深き王はいつでもカルネ村を――いや、カルネ区を慮ってくれている。

 この期待に応えたい、カルネのゴブリンに川門を任せて良かったと言われたい。

 やる気に燃えた人々は頷きあった。

 

「アインズさん、そろそろ」

 フラミーのその声にアインズは皆に別れを告げ、区壁の出口へ向かう。

 三号川を大森林方向に渡す北の橋へ向かう為。

 

 すると、アーグと呼ばれる子ゴブリンがその背中に向かって叫ぶ。

「へいかー!ふらみーさまー!!父ちゃんの仇を、皆の仇を!!どうか頼みます!!へいかーー!!ふらみーーさまーーー!!」

 その声は、二柱が見えなくなるまでいつまでもいつまでも響いた。

 この子ゴブリンは数日前に仲間を、家族を、巨人達に攫われ、殺され、息も絶え絶えになりながら逃げているところをエンリに拾われた幸運な者だ。

 

 支配者の背中が見えなくなり、電池が切れたように静まったアーグは足から根が生えたようにその場を動けずにいた。

「安心しろ、アーグ」

 カイジャリがアーグの頭に手をのせた。

「あれは……まじもんの化け物……いや……。神様だからよ……」

 その表情は、畏れと期待の合わさった、とても複雑なものだった。




蒼の薔薇はこの先ナザリックやアインズ様とがっつり絡む予定です!
我らがBest girlガガーランの活躍をお楽しみに☆

現在の状況を地図にしていただきました!

【挿絵表示】

ユズリハ様、ありがとうございます!

2019.05.19 XYZ+様 誤字報告ありがとうございます!(*'▽'*)


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#40 閑話 お前には失望したぞ

 同じく就任数日前――。

 

 トブの大森林から帰ってきた支配者達は怒り心頭という様子だった。

 

「ルプスレギナ!お前には失望したぞ!!」

 

 玉座の間に響くそれは全ての僕の心胆を凍らせた。

 

「エ・ランテルに向かうザイトルクワエの存在を知らせたお前がなぜだ!!すでに我が国の一部となっているカルネ区に区民では勝てないモンスターが近付いている事をなぜ知らせない!!しかも王国の王子によってカルネ区が襲われていたなんて!!」

 

 口籠るルプスレギナにアインズは顔を歪めた。

 

「カルネ区に関する裁量権は与えていたが、それは何をやってもどんな判断をしても良いという意味ではない!状況が大きく変わる時には報告せよと言ったにも関わらず、これはどういう事だ!!」

 

 玉座の肘掛をゴーーーンと打つ激しい音が響き渡る。

 

 今回ルプスレギナはやり過ぎていた。

 区壁に逃げ込んだゴブリンとオーガが暮らしていた事は――エンリに連れられきちんとエ・ランテル光の神殿で国籍登録もしていたため良いとして、王国第一王子の引き連れた兵と開戦するカルネ村を傍観した後大量のゴブリンから逃げた王国兵と王子を面白可笑しく拷問し、殺し尽くしたのだ。

 

「あぁあ。ルプスレギナやってくれたね」

 フラミーの冷たい声が響く。

 

 せっかくランポッサⅢ世に魔導国へ降ると言わせたというのに第一王子を殺されてはラナーの州知事就任に反対し、国民も復活したからと恭順するのをやめるかもしれない。

 そうなれば今回の戦争は全ての意味を失うだろう。

 見事な復活劇も含めて。

 

「……その兵士どうするんです……。魔導国の神々が起こした奇跡で全ての王国兵は蘇ったって世界中が言ってる中で……私とアインズさんが寝ずに人間を生き返らせた傍らで」

 

 もはや私怨かもしれない。

 フラミーは数日前の復活に次ぐ復活に辟易していた。

 あの大復活祭りでは、まさに数えきれない量の天使が出ていたが、天使は当然途中で魔力切れを起こし、時間による魔力回復の中で復活を行なった。

 もたもたしていると召喚の時間制限を超えて天使は消えた。

 フラミーが何百人目かを生き返らせると、その身の翼は増え、神の敵対者(サタン)クラスが持っていた未発見の力を獲得した事によって一度に十人まで生き返らせられるようになったが、それでも夕方までかかったのだ。

 凡そ三十時間ぶっ通しで人間を生き返らせ続けたフラミーの失望は深かった。

 その努力と根気という泥にまみれた奇跡に、ルプスレギナは簡単にケチをつけたのだ。

 

「ルプスレギナ、あなたには反省が必要」

 

 しかし怯えるルプスレギナにチクチクと罪悪感を感じる。

 ちゃんと反省してくれるならこれ以上責めることは双方のためにならない。

 

「アインズさん、もう行きましょ。ここにはいられません」

 これ以上皆といてもフラミーは怒るだけだ。

 落ち着くには二人で一度愚痴り合わなければいけないという思いが一瞬で通じ合った。

 その声にどっこいせと腰をあげる支配者はフラミーとともにプリプリ怒りながら立ち去っていった。

 

 玉座の間の扉が閉まると、二人はフラミーの私室へ飛んだ。

 

+

 

「アインズさん、もう行きましょ。ここにはいられません。」

 

 それはルプスレギナへの死刑宣告だった。

 支配者達の立ち去った玉座の間には、ルプスレギナへの激しい殺意が渦巻いていた。空間を歪めるほどの怒気だ。

 

 アルベドが玉座を眺めながら立ち上がる。

「ルプスレギナ。アインズ様はいつも仰っていたわ。何か解らない事や困った事があれば誰かに相談し、相談を受けた者は自分の身に起きた事だと思って相談に乗るようにと」

 ルプスレギナに振り返ったその顔は、怒りで何かを破壊せずにはいられないとばかりに歪んだ、大口の黒い化け物――アルベドの本来の姿だった。

 

 何も言わず、床を見つめ、涙と鼻水、汗を垂らし続けるルプスレギナの様子にアルベドは吼えた。

「このクズがぁぁぁあああ!!!」

 

 そして、一発。渾身の力を持ってルプスレギナを殴り付ける。

 誰も止めない、ルプスレギナも抵抗しない。

 虚しい一撃だった。たった一撃でルプスレギナはすでに瀕死だった。

「貴様は至高の御方々を失望させたわ。そして……フラミー様に一番言わせてはいけない事を……」

 

 アルベドは元の美しい姿に戻り、転がるルプスレギナの前に崩れ泣き出した。

 その嗚咽は次第に広がり、気付けば来ていた全てのしもべに広がっていた。

 

 今日は本当は王国を手に入れた事を労われる筈の、喜びの会だったというのに。

 

 しかし、誰も支配者達を追いかけられない。

 アインズは法国のギルド武器を破壊し、前にも増す激しい力と尽きることのない魔力を手に入れた。

 フラミーは人を生き返らせる中、突然覚醒したように新たな力を手に入れた。

 そんな支配者達が世界渡りの術を取り戻していないと誰が断言できるだろう。

 これで探してどこにも支配者がいなかったら、ナザリックはおしまいだ。

 誰もが真実を確かめる事が恐ろしく、立ち上がれなかった。

 玉座の間には悲壮な泣き声が響いた。

 

 そんな絶望の中、一番に立ち上がったのはデミウルゴスだった。

「アルベド……私は……フラミー様とアインズ様がどちらへ行かれたか探してきます……。皆を……頼みます……」

 そしてセバスが続く。

「私も行きます……。お二人がどこへ行かれたのかは分かりませんが……お側にお仕えするべきでしょう……」

 

 セバスは責任を感じていた。

 ザイトルクワエ州を任されていたのは自分で、更にプレアデスは自分の直轄の部下なのだ。

 皆の絶望には自分も責任があると。

 

+

 

 フラミーの私室には事情の分かっていない――アルベドに玉座の間へのエスコートをバトンタッチしたフラミー当番、アインズ当番、そしていつも通り二人分の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)がいた。

 

 部屋には更に副料理長が呼び出され、私室のBARカウンターであれやこれやと用意する前でフラミーは変わらず怒り続けていた。

「もうルプスレギナ本当信じらんないんですけど」

「いや俺もまさか報連相一つできないとは思いもしなかったですよ。はぁ。これで国王が神聖魔導国信用しないって言い出したら……このデミウルゴスとアルベドの大掛かりな計画は……あぁ……国内の式典だって神官長達の到着に合わせてもう三日後だっていうのに……」

 フラミーの隣に座るアインズも頭を抱える。

 復活のやりたいやりたくないは置いておいて、ばっちり証拠隠滅を行ったルプスレギナによって死体は跡形もなく消し去られている。

 じゃあ復活しましょうと言うわけには行かないのだ。

 それに、もし遺体があったとしても拷問されて死んだ者達が復活を受け入れるとは到底思えなかった。

 

 しもべもいる中であまり大きな声で愚痴は言えず、二人ともブツブツと声を小さくして嘆いていた。

「アインズさん……まだ神官長さん達こっちに向かってる途中ですよね……?」

 フラミーのその声に隣に座っていたアインズはギクリと肩を揺らした。

「……まさかフラミーさん……。俺に言えと……?今更やっぱりダメでしたと……?そんなん言えないですよぉー!!」

 うわぁーー!ルプスレギナぁーー!!と突然大きな声を出すアインズの様子にしもべ達の中にはルプスレギナは何をやらかしたんだと戸惑いが広がる。

 

 すると、ノックが響き、アインズ当番が扉へ向かった。

 支配者達はなんだよと言わんばかりの瞳をジトッとそちらへ向けた。

「ひっ!あ、アインズ様、フラミー様。デミウルゴス様とセバス様が……おいで……です。」

 いつもは淀みなく答えるアインズ当番は恐る恐ると言う風にしりすぼみになってしまった。

「はぁ。仕方ないですね。どうぞ」

 フラミーは許可を出したが、アインズは渋った。

 二人になんと謝れば良いのかわからないのだ。

「後五分待たせろ……」

 珍しい拒否に慌ててアインズ当番は部屋の外へその事を告げに戻った。

 

「フラミーさん、どんな風に顔合わせればいいと思います……?しかもセバスまで……。セバスも自分の任された州がどうなるってそりゃ気になりますよね……。デミウルゴスなんか怒ってるかも……。友達のこともあるし……」

 小声でごにょごにょと頭を悩ませる支配者の隣でフラミーも顔を青くした。

「怒って出てきちゃったけど報連相ちゃんとしろって言わなかった私達の責任ですか……?デミウルゴスさんとアルベドさんはお姫様手に入れるためにすごい頑張ったのに……王様がやっぱり娘は魔導国にやらんて言い出したら……あああ……」

 

 結局何の答えも出ないまま五分が経過し、再びアインズ当番が入室許可を求めてきた。

 

 フラミーとアインズはもう逃げられないとばかりに頷きあった。

「入れろ……」

 アインズは心底入れたくないと言わんばかりに声を低く低く出した。

 入ってきた二人は、扉の前ですぐに跪いた。

 

 いつもと違う様子に二人の怒りを感じて、アインズはフラミーと一瞬視線を交えると、ソファセットに黙って移動して行く。

 気配を窺われている気配に居た堪れなくなりながら、二人は静かにソファに腰を下ろした。

 

「んん……。あー……セバス、デミウルゴスよ……」

 何も言わずに床を見つめる二人にやりにくさを感じる。

「そこじゃ遠いですし、二人ともとりあえず座ってください」

 フラミーが呼ぶと、渋々と言う具合に近くまで来るが、向かいのソファの横に跪いて一向に座らない。

 反抗期だと思った。

 

「言いたい事があるなら、まずはお前達から言いなさい。さぁ、掛けて……」

 アインズはソファをもう一度進める。

 目を合わせた後、二人は非常に居心地悪そうに小さくなって座り、ゆっくりとセバスが口を開いた。

 

「アインズ様とフラミー様を失望させ……この世界を……後にすると言わしめた……っ……」

 セバスは最後まで言えず、泣き始めた。

「どうか、アレを断じる事でお許しください。アインズ様……フラミー様……」

仲が悪いはずの二人は肩を寄せ合って共に泣いている。

 

 あまりの光景にアインズとフラミーは絶句していた。

「なんですかいこりゃ……」

 フラミーの声に誰も返事をする事はなかった。

 

+

 

 五分待たされるデミウルゴスとセバスによって、玉座の間には至高の存在がまだナザリックにいた報告がされていた。

「とりあえず御方々がいらっしゃって良かったわ……」

 アルベドはやはり怒りに震えていた。

「全くでありんす。こんなもんがナザリックに生まれていたかと思うとそれだけで反吐がでる」

 シャルティアが唾を吐いた先には至高の御方々より与えられた装備を全て剥ぎ取られ、姉妹から、仲間から、様々な責め苦を受けたルプスレギナが今にも息絶えようとしていた。

 

 扉が開く音がし、皆の視線がそちらへ向くと、支配者達が走って入ってきた。

 

 皆、これをボコボコにしておいて良かったと思った。

 御方々を不愉快にさせるゴミは、あとはゴミ箱に捨てるだけだと。

 

 しかし、駆け寄る支配者達の雰囲気は想像していたものと違った。

「「ルプスレギナ!!」」

 それを急いで回復して抱き寄せるフラミーと、空中から黒い布を引き出し、ルプスレギナに掛けるアインズに、皆呆然とした。

 

 後ろをついて走ってきたセバスとデミウルゴスに説明を求めるように誰もが視線を送る。

 

 デミウルゴスは代表して告げる。

「アインズ様とフラミー様は……その者をお許しになりました……」

 

 フラミーはアインズに布をかけられたルプスレギナをギュッと抱きしめ、泣きそうな声で謝罪を送りながらその顔にかかる髪をなで付けた。

「ごめんね……ごめんね……。私、私もう怒ってないから……怒らないから……許して……ごめんね……」

 何故支配者達をこんな顔にさせるものがこの世に残る事が許されるのだろうかと皆首をひねる。

 

 しばらくフラミーの謝罪が響くと、ルプスレギナとフラミーを抱いて立ち上がったアインズは、心を失ったルプスレギナを愛しむように抱えたまま玉座に腰掛けた。

 フラミーはそっとアインズの上から降りて玉座の肘掛に座り、ルプスレギナの頭を軽く撫でる。

「アルベドよ……」

 その声にアルベドが顔を上げた。

「私は前にお前に話しただろう……。カルネ村で……。私はナザリック全ての者を愛してると……」

 アルベドが頷く。

「私は今こうして愛するお前達が、愛するルプスレギナを傷つけた事が悲しい」

 ルプスレギナの瞳に光が戻る。

 アインズも優しくルプスレギナの頭を撫でた。

 

「皆は、私達を慈悲深いと言ってくれたのは嘘だったんですか……?」

 フラミーの言葉に沈痛な面持ちのしもべと守護者達が首を横に振る。

 じゃあ……とデミウルゴスとセバスに視線を向ける。

「私はここで生きていくって言いましたよね……」

「「はい……」」

「私は嘘付きですか……?」

 その問いに、フラミーがアインズを連れて去る事を想像した者達は唇を噛んだ。

「嘘つきですか……?」

 フラミーの二度目の問いに、一番疑っていたデミウルゴスが応えた。

「いえ。違います……」

 優しく笑ってフラミーはうなずいた。

「私達はここで生きていきます。怒る事も泣く事もありますけど、皆と一緒にここで生きていくと、それだけは信じてください」

 皆が頭を深く下げた。

 

 すると、アインズの腕の中からルプスレギナが小さく話し始めた。

「あいんずさま……ふらみーさま……。この度は私の失態、申し訳ございませんでした……。このるぷすれぎな、二度と御身に失望したと言わせぬよう、二度と御身にここにいられないと言わせぬよう、命を懸けてお仕えいたします。どうか、おゆるしください……」

 そう言うルプスレギナに、アインズとフラミーは微笑みを送った。

 

 会社勤めをする程生きたアインズとフラミーに比べて、ルプスレギナも僕も誰もがまだ生まれて半年と経たないのだ。

 生後数カ月の赤ん坊に求めすぎていたことを反省する。

 

「私達からみたらまだまだ赤ちゃんだったのにね。ごめんね」

「お前の全てを許そう、ルプスレギナよ」




次回#41 フールーダの来訪
良かった(;ω;)


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試される帝国
#41 フールーダの来訪


 バハルス帝国。

 

 アーウィンタール帝城にある皇帝の部屋では、身長の半分ほどの長さもある白髭をたたえた老人が魔法について興奮しながら語り続けていた。

 その者、フールーダ・パラダイン。

 バハルス帝国の大魔法詠唱者(マジックキャスター)であるこの者は、人間種の魔法職なら大陸全土に四人しかいない、英雄の領域を超えた逸脱者の一人だ。三系統の魔術を組み合わせた儀式魔法などで寿命を延ばしていて、彼の名を出すだけで諸外国は帝国に手を出せないほどの力の持ち主だ。

 

 さて、そんなフールーダの止まることなき魔法談義もかれこれ一週間。

 その魔法談義は意訳すると、神聖魔導国に連れて行くか紹介状を書けと言っているのだ。

 

 ジルクニフは、これまで一切魔法で覗き見ることができなかったはずのエ・ランテル近郊が突然見えるようになった時から何かがおかしいと思っている。

 フールーダは王国民の大虐殺と大復活に終始興奮して見入っていた。

 そしてフールーダの弟子が帝国騎士にその事を話せば、帝国騎士は「流石神王陛下」とうっとりとその力を思い出し始めるではないか。

 王国との戦争、いや。魔樹の襲撃から帰ってきたカーベイン将軍からエ・ランテルと神聖魔導国について聞かされたが、隠しきれない尊敬と崇拝をジルクニフは感じていた。

 ほとんどの帝国騎士達は神聖魔導王に魅せられてしまっていたのだ。

 

「わかった。わかったよ爺。書簡を送ってやる。お前がエ・ランテルを視察したいと言っていると」

 ジルクニフは遂に観念したが直ぐに訂正が入った。

「ジル、私はエ・ランテルを見たいのではなく神王陛下と光神陛下にお会いしたいのです」

「相手は神で王で国家元首だぞ。そう易々と会えると思うな。全く」

 ジルクニフは忌々しげにそう言うと文官のロウネ・ヴァミリネンを手招いた。

「ロウネ、神聖魔導国の新都市の見学を願う書状を早馬で送れ。神聖魔導王と光の神に十分でいいから時間をくれと添えてな。向こうも戦争で我が国が手に入れようとした都市を横からかっさらったんだ。このくらいは歓迎してくれるさ」

 

「失礼ですが、陛下。私もフールーダ様と共にエ・ランテルへ行かせてください」

 控えていた四騎士のうちの一人、レイナース・ロックブルズの進言にジルクニフはつくづく部下に恵まれていないと思った。彼女の前髪に隠された半顔には、悍ましき呪いが掛けられていた。

「わかった。わかったが、お前も爺も向こうで絶対に誰にも迷惑はかけるなよ。皇帝の名を入れた書簡を送るんだからな」

 

 次の日レイナースの口から漏れたエ・ランテル見学会の話は帝国騎士達の耳に入り、是非自分達もとカーベイン将軍自ら直談判に来たのだった。

 

 それから数日。

 

「それでは、陛下。行って参りますぞ」

 フールーダは自分の持っている最もお気に入りのローブに身を包んでいた。

 共にはカーベイン将軍と、四騎士のレイナースとニンブル。

 そして抽選に当たった帝国騎士十数名とフールーダの弟子数名。

 約二十名のこの部隊は、とても迷惑をかけないとは思えない構成だった。

「……すまない、ニンブル……頼むぞ……」

 ジルクニフは騎士達が神聖魔導国に骨抜きにされてしまった今、長く帝都を離れるのは危険だと判断しての留守番だ。

 神聖魔導国を見定めて帰ってきたら粛清したはずの貴族が復活してました、では目も当てられない。

 

「お任せください。この激風ニンブル・アーク・デイル・アノック、必ずやフールーダ様を守り……いえ、帝国の尊厳を守ってみせます」

 ニンブルの言葉に皇帝は頷き、危なっかしい雰囲気の一行を見送った。

 

 その後ニンブルを除く全てのものが帝国には戻らぬとも知らずに。

 

+

 

 一行は二台の馬車と馬で移動していた。

 一台にはフールーダとその弟子達が乗り、一台には見学を受け入れてくれた礼の品が積まれている。

 帝国の騎士は誰もが信じていた。

 あの神王陛下ならばエ・ランテルを見事復興されているはずだ、と。

 そしてそれが間違っていなかったことに騎士達はすぐに胸を熱くするのだった。

 近郊は見えてもエ・ランテルは変わらず覗くことができなかった為、魔樹襲来後初めて見るその都市は、水の都になっていた。

 

「落ち着いてください!フールーダ様!陛下に呉々も魔導国の皆様にご迷惑をお掛けしないように言われたのをお忘れですか!」

 案内を任せられていた陽光聖典隊長ニグン・グリッド・ルーインとその部下たち、そして光の神官長イヴォン・ジャスナ・ドラクロワは優しい瞳で帝国の団体を眺めていた。

 

 ニンブルは環状三号川の外に建つ入国管理・東塔に入った時からフールーダの暴走にほとほと困らされていた。

 入れば普通の人間の衛士もいたが、信じられないほど礼儀正しいゴブリンと、帝国でも一匹捕らえている死の騎士(デスナイト)、講習官には西の魔蛇と呼ばれていたというナーガがいた。

 

 恭しげに貴賓にお茶を出す死の騎士(デスナイト)を前にしたフールーダはそこで一度目の絶頂を迎えた。

 そして都市内に入ると大量に設置されている――周りの明るさに反応してついたり消えたりする永続光(コンティニュアルライト)の前で弟子と共に絶頂した。

 二号川の幽霊船のヴァポレットには乗る予定がなかったのにも関わらず乗りたいとゴネにゴネ、仕方なくフールーダと弟子だけ乗せて他のものは馬と馬車で移動した。

 すると隣の停留所で降りる約束をしていたはずのフールーダは銅貨ニ枚で一律運賃だと知るや否や降りずにそのまま隣、また隣、とどんどん移動していき、帝国一行はばっちり町中にその痴態を晒したのだった。

 

 東二区から乗ったはずが西二区と呼ばれる真反対の停留所まで来て、ようやくフールーダは満足したように下船した。

 アンデッドの船長は愛想が良かったらしく、右側に見えるのが何、左に見えるのが何、と軽い観光説明を混じえた運航に弟子もホクホクといった様子で降りて来ていた。

 念のために一人付いて乗ってもらった陽光聖典隊員は対照的に、心底疲れたと言う様子で降りてきたのだった。

 

 帝国商人とスレイン州商人が出店を出したりして賑やかだった東に比べて西は閑静な住宅地という印象で、建物の窓辺には冬だと言うのに思い思いの花が掛けられ街を明るい雰囲気にさせていた。

 

「も…申し訳ございません…。ドラクロワ神官長様、そしてルーイン殿…。」

 ニンブルは改めて国より案内を任されてしまった可哀想な二人に謝った。

 すると、ニグンは機嫌良さそうに返してきた。

「何、神王陛下と光神陛下が一から生み出されたエ・ランテルは神都と同じくらい我が国にとっては尊く、また素晴らしき街ですからね。仕方ありません。」

「ニグンの言う通りです。さぁ、折角西二区に来たのですから、神王陛下の御考案されたチンタイのコンドミニアムをお見せしましょう。皆様、こちらです。」

 先頭を歩く神官長にすぐそこまで案内されると、そこには秘密の花園と言った雰囲気の中庭を持つ管理の行き届いた建物があった。

 

「ドラクロワ殿!!あのゴーレムはなんですかな!?」

 フールーダを興奮させるものが何処にでもある事にニンブルのみならずレイナースも苦笑する。

 しかし、帝国騎士達は相変わらず「流石神王陛下」と言い続けていて、もしや魅了の魔法をかけられたのではと思う程だった。

「ああ、あれは神王陛下がコンドミニアムに一体づつ配備したゴーレムです。彼は花や鳥の世話と、共用部の掃除、そして月に一度入居者から家賃の回収を行っています。」

 なんと近未来的なんだとフールーダは贅沢なゴーレムの使い方に唖然とした。

 

「ここは州営と仰っていたが…余程月々の金額はお高いのでしょうな…。税収もすごそうだ…。」

 カーベインは、チンタイと言う新概念に心底感服していた。

 そして騎士達は皆、国籍さえ取れば住めると言うそこに憧れ掛けていたのだ。

 しかしゴーレムを置いてこれだけ綺麗に管理される物が庶民の手に届く額な訳がないのだ。

「あ、いえ。大体三十日普通のクラスの宿屋の個室に泊まる四分の三程度の値段です。ここはコンドミニアムの中でも中クラスですからね。」

 カーベインの呟きを聞き取った陽光聖典副隊長がきちんと答える。

 

 ニグンは自分の部隊の行き届いた様子に満足げに頷き付け加えた。

「王国エ・ランテル約五つ分の大都市へと成長した我が国のエ・ランテルは土地もまだふんだんに残っています。買うなら今ですよ。私も畏れながら約束の地の近くに別荘を持ちましてね。」

 ニグンの自慢話にカーベインは移住を決意した。

 その晩直ぐに帝国の妻子と両親に手紙を送り、皇帝にも謝罪と辞任表明の手紙を送り、すっかり神聖魔導国に居ついてしまうのだった。

 家族も当然執事やメイドを連れて、一歩遅れて移住してくる。

 後にカーベインが庭付き一戸建てを建てると、その周りは帝国出身の元貴族達も越してきて住み始め――そこは中華街ならぬ帝国街と呼ばれたりしたとか。

 帝国騎士も皆その晩カーベインを真似、友人騎士や、貴族位を剥奪され力も未来もなくした友人などをエ・ランテルに呼んだ。

 新しく三区にたったばかりのL字形のコンドミニアムは、美しい庭と川が見える眺めの良いものだった。

 それには元帝国騎士ばかりが住み、殆どの者は入国管理局や冒険者育成窓口に再就職を果たすのだが、それはまた別のお話。

 

「フールーダ様!?」

 するとまたフールーダが問題を起こしていることを告げる声がニンブルの耳に届く。

 そちらに目をやれば、冒険者のような少女がフールーダと何やら話し込み始めていた。

 手招きするフールーダに嫌々近付けば、昔の教え子がそこに住んでいたようだと少女――アルシェ・イーブ・リイル・フルトを紹介した。

 

「ちなみにフルト君、君は神々を見たことがあるのかな…?」

 周りの弟子たちとレイナースがゴクリと喉を鳴らすのが聞こえた。

「…見ました。」

「して…その…お力は……。」

「光神陛下は、十一位階というところかと思います…。」

「じゅっじゅういち!?師よ!そのようなものがこの世に存在するのですか!?」

 近頃では光の神の名前を直接呼ぶのは不敬だとヴァイセルフ州知事が就任時に呼んだその敬称で――特別何の地位も持たなかったフラミーを便宜上国民は光の神、光神陛下と呼ぶようになっていた。

 

 フールーダは待て待てと興奮する弟子を落ち着かせ、アルシェに先を促す。

「ドラクロワ殿と陽光聖典の皆様の前でこんなことを言うのは失礼かもしれんが……光神陛下は神王陛下よりお力が劣るとわしは見ておる。神王陛下は如何じゃった。」

 本当にがっつり失礼をかますフールーダに、帰ったら全てをジルクニフに言い付けようとニンブルは決めた。

 

「神王陛下は…わかりません。余りにもすごすぎる魔力の奔流を前に、直視することも難しいです。でも、言うなれば、十二位階でしょうか…。」

「そんな位階が存在するのかフルト君…。」

 アルシェに講義で教えていた弟子が信じられないと言う視線を投げる。

 するとアルシェも不安げに口元を手で押さえ、悩み始めた。

「わかりません…。私もそんなものがこの世にあるのか…神王陛下にも光神陛下にもお聞きしたことはないので…。」

 それはそうだと弟子達も神妙な顔になる。

 

 そして答えを求めるかのように魔導国の者に目を向けると、ドラクロワ神官長が代表して応えた。

「神王陛下もフラミー様も…失礼、光神陛下も第十位階を超えた超位魔法と呼ばれる魔法をお使いになります。陛下方はいつも、自分達の間に上下関係はないと仰っておられます。」

 神官長は興奮したように舌でペロリと唇を湿らて、さらに続ける。

「しかし、強いてお力を比べるとするならば、たしかに神王陛下は光神陛下を上回るでしょう。今回王国の不信心者達を生き返らせる際、光神陛下は神王陛下よりお力をお借りしながら行われました。」

 陽光聖典と何故か帝国騎士達もうんうん頷いている。

 

「超位魔法…。」

 確かめるようにアルシェが繰り返す。

「そのようなものが…なんと素晴らしい…。」

 フールーダはこの旅に来て良かったと心底思った。

 そして紹介状を書いてくれた皇帝ジルクニフに心から感謝した。




次回#42 レイナースの失態


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#42 レイナースの失態

 帝国から神都に書状が届いた。

 それは帝国のトライアッド、フールーダ・パラダインのエ・ランテル見学と、わずかな時間でも良いから神々と魔法談義を交わしたいと言うものだった。

 神都に行き、その手紙を確認したアインズはそわそわする神官長達に囲まれたらしい。

 いつもは遠隔の監視や覗き見への対策を万全にしているが、戦争のあの日ばかりは神都からエ・ランテルの様子が見えるようにしておいたため、神官達の忠誠心は天元突破していた。

 

 アインズは午後のフールーダとの謁見に向け事前準備を進めていた。

 帝国には魔法省と呼ばれる厨二心くすぐる素晴らしい機関があると言う。

 そこの長が来ると言うのだ。何をするどんな所なのか詳しく教えてもらい、あわよくば神聖魔導国内にもそれを作りたいと思った。

 

「よく来たな、フールーダ・パラダイン。そして供の者達よ」

 アインズは支配者らしい喋り方を――人払いをした寝室で――練習していた。誰かに会う前にはなるべく練習を怠らないようにし、恥をかかないように必死だった。

 しばらく腕の角度や声の張り方を研究していると、ノックと声が響いた。

「アインズ様。そろそろお召し物のお支度を」

 扉の向こうから本日のアインズ当番の声が聞こえた。

「そうか、もうそんな時間か。それなら仕方がないな」

 少し気持ちが疲れて来たところだった。アインズは自分に仕方がないと言い聞かせてすぐさま寝室を後にした。

 

 ドレスルームに入れば、そこには赤、青、紫、黒、白の五着のローブが出されており、どれも派手だ。並んでいる装飾品も、まるで孔雀の羽のような物から、チャンピオンベルトのようなものまで多種多様。

 いつものように相応しいものを選んでおくように言ったが、今日は一着に絞られていない事に少しの不安を感じる。

 

「どれも私には少し派手ではないかな?」

 アインズ当番はキラキラする瞳を向け、ブンブンと顔を振った。

「とんでもございません!どれもアインズ様によくお似合いになるかと思います!さぁ、どちらに致しましょう!」

 

 アインズとしてはいつものローブが良いと思うが、絶対者が毎度同じ服を着ていては沽券にかかわる――と、守護者達に言われてしまった。

 そうは言ってもコーディネートに少しも自信のないアインズはいつも人任せだ。

 

「……どうするか。フラミーさんはもう着たのか?あちらのコーディネートに合わせよう」

 フラミーは服が好きなようだし、最悪意見を仰げば良いだろう。こういう時逃げ場があるのは非常に助かる。

「畏まりました!それではフラミー様に御入室の許可を頂いて参りますのでお待ちください」

 さっと頭を下げるとアインズ当番は出て行った。

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は天井に張り付いているが、気持ちとしては一人になれたようなものだ。アインズは一息吐くと、こんなの買ったっけと赤いローブを眺めた。

 ドレスルームには買った記憶がないものが紛れ込んでいるが、おそらく何かの勢いで買ってしまったのだろう。その日の自分を心の中で叱責していると、アインズ当番はすぐに戻ってきた。

 

「お待たせいたしました。フラミー様はもうお召し替えを済まされていたので、いつでもどうぞとの事です」

 うむと頷いてからドレスルームを後にした。

 

 目の前にある扉が次々と開いていく。決して魔法というわけではなく、アインズ当番がアインズの歩調を乱さない動きで扉を開けているのだ。

 フラミーの部屋の扉もスムーズに開かれる。

 若干の緊張感を持って入室すると、ドレスルームから盛り上がる女性陣の声が聞こえて来ていた。

 いつでもどうぞの意思表示なのか、ドレスルームの扉は最初から開けられていた。

 

 アインズはドレスルームに顔を覗かせ、扉の枠をコンコンと叩いた。

「フラミーさーん、今日何色か教えてくださーい」

 フラミーは黄金の瞳で振り返った。

 肌よりも薄いラベンダーカラーの大きく背中の空いたエンパイアドレスに、白く長いベールをそれぞれの肩から垂らしている姿が目に入る。

 いつも背で畳まれている翼は引きずるように下げられ、肩のベールが翼の上から重なるように長く垂れている様は実に悪魔らしくない。

 チョーカーのように着けるのが定番になっていた通称思い出ネックレスは珍しく本来の長さで着けられているが、バックワードネックレスのようにチャームは背中側に垂らされ、肩甲骨と翼の間で輝いていた。

 アインズはたまにフラミーの着る服達に、そんな装備ユグドラシルにあったっけと思う事があったが、装備の仕方で同じものも随分印象が変わるものだとしばらく見つめた。

 

「アインズさん!今日の私は肌色(・・)ですよ!」

「肌?――あ、なるほど。ははは。じゃあ俺も肌色(・・)にしようかな」

 五着のローブを持ってついてきていたアインズ当番がせっせと白いローブを広げてよく見えるようにした。

 フラミーは白いローブとアインズを数度見比べた。

肌色(・・)いいじゃないですか!この間ラナーちゃんの就任式で黒でしたし、メリハリですね」

 うふふと笑うフラミーに、そう言うものかとアインズは思ったが、さも心得ていたかのように頷いた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 すると、アインズの服が決まった為か、フラミーのそばに控えていたフラミー当番が動き出した。

「フラミー様!アインズ様のお隣に並ばれ、初めて帝国の者と謁見されるにふさわしいピアスはこちらの辺りかと思うのですが、如何でしょう」

 フラミー当番は実に楽しげだ。アインズは「女子は服の話が好き」と心のメモに書き留める。働きたがりな彼女達を労う一つの方法かもしれない。しかし、まだこの高度なファッショントークを自分の当番メイドとできる気はしなかった。

「う〜ん、どれも良いですよねぇ」

 フラミーが眺めるアクセサリートレイにはピアスが大量に乗っている。

 え?その中から選ぶの?とアインズが呆然と眺めていると、フラミーはトレイの上のピアスをいくつかジャラリと指先で転がした。

「アインズさん、どれが良いと思います?こう言うダイヤの連なった細いピアスも繊細でいいと思うんですけど、やっぱり大振りゴテゴテビジュー系がカッコいいですか?」

 アインズは何を言われてるのかまるでわからない。しかし、これまでの経験上、派手派手な方がいいような気がした。

「そ、そうですね。ネックレスがシンプルですし、ゴテゴテ……いいんじゃないですか……?」

 精一杯の意見だった。鈴木にこれ以上の言葉は絞り出せない。

 アインズの言葉を聞いた女性陣はオォ!と声をあげ、ゴテゴテしたピアスをあれやこれやと試し始めた。

 どうやら意見としては正解だったらしい。

「それじゃあ俺も着替えてこようかな。――行くぞ」

「はい!」

 アインズ当番からいい返事が返る。

 アインズは「次は髪飾り!」と楽しげな声に背を向け、何でも似合うのになぁと苦笑しながら部屋に戻った。

 

+

 

 ザイトルクワエ州、エ・ランテル市。闇の神殿。

 神聖魔導国、国内で初めて一から闇の神のみを信仰するための場所として創建された神殿だ。

 まだ真新しい事もあるが、それ以上に手入れがよく行き渡っている為に、神殿内のどこに膝をついてもいいと思える。

 その日、帝国四騎士の一人であるニンブルは神殿で膝をついたまま硬直していた。

 理由は正面に飾られている神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王の像の隣に置かれた巨大な鏡にある。

 そこから続々と姿を表す人ならざる者達の圧倒的威風を前に言葉を失っていたのだ。

 

 現れた王は白磁の顔に白いローブを纏っており、実に神々しかった。

 まるで不可侵の聖域とでも言うような姿にニンブルは言葉を失う。もし本当に神と言うものがいるならば、確かにこう言うものかもしれないとすら感じる。普通であれば、こんな剥き出しの骸骨を見れば恐怖するものかもしれないが、ニンブルにそういう感情はなかった。

 もしかしたら、隣に神聖なる存在がいるからという事もあるかもしれない。

 隣に立つ女神は四対の翼をトレーンのように引きずっていて、作り物のようなその顔は美しく、光の神と呼ばれている理由に即座に納得させられた。決して人間の手に入れられるものではないと思わされる。

 そして他にも守護神と呼ばれる美しき異形達が侍っていた。

 

 ニンブルが圧倒的なプレッシャーを感じていると、そのすぐ隣で膝をついていたフールーダが口を開いた。

「……おぉ……。おぉ……!何という……何という事だ……。私はこれまで、魔法を司るという小神を信仰して参りました……。ですが、それが神王陛下と光神陛下でないと言うのならば、私の信仰心は今搔き消えました。我が真なる神々よ……!」

 老いた頬を涙が伝っていく。フールーダは震えながらそう告げた。

 そして、這いつくばり勢いよく床に額を付ける。フールーダにはもはや外聞など関係なかった。

 

 帝国のトライアッドが、他所の国でこのように他者に平伏す姿を見せるというのは帝国にとってそれだけでマイナスだ。

 この圧倒的な力を持つ伝説の存在がいればこそ、帝国はこれまで大きな戦争を挑まれて来たことがなかったのだ。

 しかし、感動に涙を流し続けるフールーダにとって、そんな事は些細な事でしかない。気にもならない様子だった。

 

「陛下方!失礼と知りながらも、伏してお願い申し上げます!!この哀れな老いぼれに、どうか両陛下の教えをお与えください!!私は魔法の深淵を覗きたいのです!!何卒、何卒どうか!お聞き届けを――」

 

 フールーダの願いを告げる声はどんどん大きく熱がこもっていき、途中で遮られた。

 

「騒々しい。静かにせよ」

 

 厳かな響きだった。注意をされた形だったが、フールーダにはそれすら幸福に感じられた。

 目の前の神からすれば、自分などアリよりも価値のない存在かもしれないと思っていたからだ。それが直々に声をかけられてしまった。

 フールーダの中に新たな興奮が目覚めていくようだった。

「良し。よく来たな、フールーダ・パラダイン。そして共の者達よ」

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下!本日は謁見のご許可をいただき誠にありがとうございました。このフールーダ・パラダイン――」

 歓迎してくれている様子にさらに気分が高揚し、フールーダは暑苦しい程の返事を返した。

 しかし、すべてを言う前に、神のそばに立つ眼鏡をかけた側近のような男から声がかかった。

『静かにしなさい。不敬ですよ』

 なんとも言い難いふくよかな響きのある声だった。

 ついに側近にも叱られると、フールーダは口をつぐんだ。

「よせ、デミウルゴス」

 デミウルゴス。この側近はそのような名前かとフールーダは記憶に留めた。

「は。失礼いたしました。勝手な真似を」

「良い。今後は気を付けろ」

 デミウルゴスは恭しげに神へ頭を下げ、フールーダに向き直った。

『自由にしたまえ』

「神よ……。お心遣いに感謝いたします……。あぁ、神よ……」

 フールーダはその後、神よ神よとそればかりを口にした。

 それを見ていたアインズは、一番にフールーダに魔法省の事を聞きたいと思っていたので残念な気分になっていた。

「――ンン。取り敢えず、まずは我が守護者達を紹介しよう。アルベド」

 呼ばれたアルベドが一歩前へ出る。

「守護者統括、アルベドでございます。僭越ながら、私より守護者――いえ、皆さまの言葉では守護神、を紹介させていただきます。まずは第一、第二、第三階層の守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。」

「よろしく頼みんすぇ」

 魅力的な笑顔を見せる。フールーダの視線はシャルティアへ移ってもなお熱かった。

「第五階層、コキュートス」

「ヨク来タナ」

 硬質な声が響く。フールーダの反応はイマイチだ。

「第六階層、アウラ・ベラ・フィオーラ。そして、マーレ・ベロ・フィオーレ」

「やっほー。よろしくー!」「え、えっと、あの、よろしくお願いします!」

 二人は軽く手を振った。フールーダは割と鼻息を荒くしていた。

「第八階層、デミウルゴス」

「デミウルゴスです。お見知り置きを」

 デミウルゴスが簡潔に告げると、今度は騎士達がざわめいた。

 騎士達はこれまで行儀良く静かにしてきたと言うのに、悪魔は嫌いかとアインズは若干警戒した。

「……デミウルゴスがどうかしたかな?」

 アインズの問いに、騎士達の先頭にいる男が口を開いた。

「は!神王陛下、私はあの魔樹討伐の際に御身と言葉を交わす機会に恵まれた帝国第二将軍、ナテル・イニエム・デイル・カーベインと申します。私達騎士は、あの時のデミウルゴス様の理知的で慈悲深い物腰に、皆男として憧れてしまったのです。デミウルゴス様が陛下方をお守りする守護神だと知れて、つい嬉しくなってしまいました」

 

 思いもしない返答にアインズは一瞬惚け、デミウルゴスは無の感情で人間を見下ろしていた。

 アインズからすれば、このカーベインと言う男が持つ憧れの気持ちは確かに理解できるものだ。こいつは歩き方も決まっていて、かっこよくてずるいと思った事もあるほどだった。アインズは納得と共に深く頷いた。

「――そうだろう。デミウルゴスは我が配下の中でも指折りの知恵者だ。そうあれと私の仲間が創造したのだよ。とても優秀な男だ。その言葉、ウルベルトさんに聞かせてやりたいものだな。ふふふ」

 アインズは親友のウルベルトと、その自慢の息子を褒められた気持ちよさからカーベインと帝国騎士への好感度を急上昇させた。

「な、ア、アインズ様……。わ、私などまだまだでございます」

 デミウルゴスはわずかに顔を赤くし、謙遜に手を振った。その態度は不思議と帝国騎士達を和ませた。

「――以上が守護神でございました」

 守護者の紹介を終えたアルベドは美しい笑顔をしていたが、アインズの背には何かゾッと寒いものが込み上げた。

「……アルベド。ご苦労だった。お前の働きもいつも私達を喜ばせる」

「恐れ入ります」

 アルベドは滑らかに頭を下げ、上げ直した顔は恋する乙女のものだった。

「さて――最後は私から紹介させてもらおう」

 アインズは隣に立つフラミーに微笑んだ。

 アインズのすぐ後に紹介すると、大抵アインズの方がえらいと思われがちなため、近頃では最初にアインズが名乗り、取り敢えず守護者を挟んで、最後にフラミーを紹介するスタイルを取っていた。守護者よりも上位の存在だとは理解できているはずなので、間に守護者を挟んで満を辞しての紹介だ。

「こちらはフラミーさんだ」

「フラミーです。皆さん宜しくお願いします。騎士の皆さんも、この間はどうも」

 ニコリと笑ったフラミーに男達はとろけたような視線を送った。

 元はCGで美しく作られた顔なので、美しくないわけがない。

 すると、そっと一人が手を挙げた。アインズは顎をしゃくり、発言を促した。

「陛下方、お初にお目にかかりますわ。私は帝国四騎士の一人、レイナース・ロックブルズと申します。光神陛下。光神陛下は光を司る復活の女神だとお聞きしたのですが、それは真実でしょうか」

 レイナースからの問いに、とろけた男達は途端に表情を引き締め直した。

「ふ……そうです。私こそ復活の神です……」

 フラミーは欲しかったわけでもない称号に遠い目をした。

 

 レイナースはゴクリと唾を飲むと、真っ直ぐにアインズを見つめた。

「神王陛下!!光神陛下に、私のこの醜き顔の治療をお願いしてもよろしいでしょうか!!」

 真っ直ぐな訴えだった。

 しかし――アインズの中には不快感が生まれた。

「レイナース・ロックブルズよ。何故私に許可を求める。いや、帝国の皆さんには説明がまだだったな。光の神は闇の神の部下なのか、どちらが上の立場だ、と聞かれることがままある。だが、彼女は私の大切な友人だ。私の方がほんの少し年上というだけでフラミーさんは私をよく立ててくれている。それが君達の目には上下関係に映るかもしれない。それでも私達は対等であると覚えておいてもらおう」

 瞳の灯火が燃え上がるように赤くなる。

 レイナースは一瞬ハグっと喉を鳴らし、蒼白になった顔を即座に伏せた。

「も、申し訳ございません!神王陛下!」

 それを聞いたアインズは心の中でため息を吐いた。

「……違う。違うぞ、レイナース・ロックブルズ。私ではなく、フラミーさんに失礼だと言っているのだ」

「も、申し訳ありません!!光神陛下!!」

 再び頭を下げ直したレイナースは「失敗した……失敗した!」と何度も心の中で呟いていた。

 ダラダラと顔が脂汗を伝うと、膿が汗とともに美しい黒い大理石の床の上にポタリポタリと落ちる。

 なんと忌々しい顔なんだと、慌てて汚してしまった床をその手で拭いていると、フラミーの朗らかな笑い声が響いた。

 

「ははは、良いですよ。私はちっとも気にしてないです。事実アインズさんの方がお兄さんなんですから、上の立場ですもん」

「本当に申し訳ありませんでした陛下……」

「本当にちっとも気にしてませんよ。アインズさんも気にしないでくださいね」

 レイナースは許されるだろうかと救いを求めるように視線を送った。

「フラミーさんがそう言うなら良いんですけどね。もういっそアインズって呼んでくれても良いんですよ」

「え、あ、あいんずですか?」

 数度瞬いたフラミーは「あいんず……」と呟き、すぐにプルプル首を振った。「む、無理そうですぅ。あ、私はフラミーで構いませんからね!」

「え?ふ、ふらみーですか?」

「はひ!」

「……無理そうです」

「ありゃ?」

 声を合わせて笑う二人のやりとりは、本当にただの友人というような雰囲気だった。

 

 騎士達と聖典達、そして神官達は少しお兄さんって五百歳くらいかな?と考えていた。




おフラさんのイメージ図が今更できました!!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1130081854072057857?s=21
皆さんイメージと違いますか?
誰か美しく描いてやって下さい…!
紫の肌って悪魔っぽくていいんじゃないと思ったんですけど、
紫の肌に尖った耳ってバリバリ魔族丸出しでした。

ちなみにアインズ様も、呼び捨ては辞退されたようです( ・∇・)
ああ、いつか二人は呼び捨てしあえるようになれるのでしょうか!
大人になってから出来た友達を呼び捨てにするのって、何故かものすごく難しいですよね。
子供の頃はあんなに簡単だったのに!
大人って難しい!!(小学生並み感想

次回#43 奇跡のオシャシン


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#43 奇跡のオシャシン

「それで、レイナースさんのお顔の治療でしたっけ?」

 フラミーはレイナースに近寄っていく。

 願いが聞き届けられるのかと皆瞬きを堪えて二人の様子を見続けた。

「っは、っはい!私のこの顔は、昔村を救う為に魔物を滅した時に受けた呪いでございます。帝国はもちろん、法国にも王国にも、これを治せるものは一人としておりませんでした……。どうか、どうか御身の奇跡を我が身にも与えては頂けないでしょうか……」

 レイナースは切実な瞳をフラミーに向けていた。

 この呪いそのものは簡単に解くことができるが、フラミーは難しい顔をした。

「なるほど……」

 そう言って時間を稼ぐ。

 フラミーはアインズが皇帝と支配者同士仲良くしたいと言っていたことを思い出していた。

 まずは部下に恩を売って好感度アップと行きたいところだ。皇帝も治してあげたいと思っているに違いない。

 レイナースの顔は美しく、可憐な唇は桜貝のように透き通ったピンク色をしていた。

 そんな彼女の顔を治してやりたいと思わない男がこの世にいるだろうか。

(…………ありゃ?それなら、皇帝に直接お願いされるまで、治さない方が良いのかな?)

 フラミーもレイナースの顔の状態を多少は可哀想だと思うが、今すぐ治さなければと言う善意からの責任感のようなものは不思議と湧かなかった。

「光神陛下……。いえ、フラミー様……。もし解呪頂けるのなら、このレイナース。貴女様に全てを捧げます」

 フラミーが悩んでいるうちに、レイナースからの駄目押しが来てしまった。

 ならばと、フラミーは言質を取る事にした。

「皇帝も、望んでいるんですよね?」

 そうだと言われれば、皇帝からの遠回しな頼みに応じたと言う事にはならないだろうかと得意でもない策謀を巡らせてみる。

 フラミーの言葉を聞いて、フラミーの心中を察した者は、その場にはアインズしかいなかった。

 例えば、デミウルゴスとアルベドは帝国の力を削ぐ第一歩だと、どこか邪悪さを感じさせる笑みを作った。国に仕える者が勝手にその身を捧げると宣言して他所の国の王の前に跪くなど、常識で考えればあり得ない事だ。神聖魔導国も非常識な引き抜きを行ったと疑われても仕方がない状況だが、皇帝が望んでいると言わせる事ができれば、それも帳消しとなる。

 

 対して帝国側の者達は悩ましげに眉間にシワを寄せた。

 その中でもニンブルは帝国内の状態を察したような女神の発言にわずかな驚きを見せている。

 神々に隠し事などできようはずもないのかもしれない。そう静かに悟った。

 レイナースは解呪されれば皇帝の元を離れるだろうが、それを皇帝は良しとするのか――わからない。しかし、二人の間の契約はそう言うものだ。

 ニンブルが何と答えることが正解なのか、迷宮に潜り込もうとしていると、レイナースの明るい声が響いた。

 

「当然、お望みです!」

 

 勝手な真似を、とニンブルは同僚の女を忌々しげに睨んだ。

 

「じゃあ、やりましょうね」フラミーはそういうと中空から白いタツノオトシゴの絡みついた杖を引きずり出し、レイナースに向けた。

「――<大治癒(ヒール)>」

 見ていた神官や陽光聖典――それからフールーダ――は第六位階の大魔法にわずかに声を上げた。

 しかし、何も変わらないその様子に少し首をかしげる。

 そんな中、レイナースだけはハッとし、ポケットから膿を拭くためのハンカチを取り出すと、ゴシゴシと顔をこすった。

 膿に埋もれていた下――ぐずぐずになっていたはずのその顔は、今拭き取った膿によって少し黄色くなっているが何年も求め続けたレイナースの本来の顔だった。

 レイナースは良く磨かれた大理石の床でそれを確認した。

「あ……あぁ…………。うっ……うぅぅううわあああ!!」

 レイナースは人目も憚らずにフラミーの足元で這いつくばって泣き始めた。

「あらら……大丈夫ですよ」

 フラミーがその肩を優しく抱くと、レイナースはフラミーに縋って泣き続けた。

 神の奇跡に騎士団も聖典も、神官長も、皆が目を潤ませた。

 

 レイナースの嗚咽だけが聞こえる聖堂内に、鳴り響くは場違い音。

 

 チャカっじー――……。

 

 シャルティアがカメラのシャッターを切った音だった。

 

 シャルティアはすぐ様写りを確認すると、師匠フラミーに見せて恥ずかしくない写りに満足した。

 レイナースは落ち着きを取り戻すと、美しく跪き直した。

「……フラミー様。私の全てを御身に」

 ドレスの裾を恭しく手に持ち口付けを送る。そして、陽光聖典の末席位置に移動して行った。

 

「「え………………?」」

 フラミーとアインズは二人でつい疑問を口にしてしまうと、レイナースは支配者達の心配事に思い至った。

「神王陛下、フラミー様。きちんと自分で帝国へ辞任の書状を(したた)めます。今後の神聖魔導国での配属先が決まれば、義理として皇帝にきちんとそれも報告しますのでどうぞご心配なきよう!」

 明るく声を張るレイナースに、ニグンはその姿をちらりとも見ずに告げた。

「当然の配慮だ。今後は両陛下をご不安にさせぬようしっかり働きなさい」

 

 何が起こっているのかわからない支配者達を取り残して、聖堂内は当然だよね、うんうんと言った空気であふれていた。

 

 アインズはぽり……と頬を掻いた。

「あ……そうなの……?んん。いや、そうだな?さて、フールーダ・パラダインよ。私はお前に聞きたいことがある」

 遂に自分の番かとフールーダは鼻息を荒くする。

「は!!何なりと!!」

 こちらも明るく声を張る様子にアインズは少し引いた。

 

「……うむ。帝国には魔法省と言うものがあるな?しかし、我が魔導国にそれはない。我が国も魔法省と魔法学院を作りたいと思うのだ。そこでーー」

「お任せください!!」

(ん?)

 フールーダはやる気に満ち満ちていた。

「このフールーダ・パラダイン、見事神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国に魔法省、いえ魔導省並びに魔導学院を設立して見せます!!」

 アインズとフラミーは顔をパッと明るくして目を見合わせた。

 なんて親切なおじいさんなんだと。

 それに魔導省に魔導学院と言うのは中々良い言い回しじゃないかと二人は感心した。

「そうか!やってくれるか!」

 例えノウハウを聞いても経験者がいなければ中々痒いところに手が届かないだろう。

 アインズもフラミーも最初はなんか煩い変な人だと思ったが、パラダインお爺さんの好感度はうなぎ登りだった。

 

「ふ、フールーダ様!?」

 帝国はこの破茶滅茶爺さんを失えば潰されてしまうとニンブルは慌てた。

 フールーダ・パラダインと言えば、人間種の魔法職なら大陸全土に四人しかいない、英雄の領域を超えた逸脱者の一人。 三系統の魔術を組み合わせた儀式魔法で寿命を延ばし、帝国には六代前の皇帝から仕えている。

 フールーダの存在を仄めかすだけで他国を威圧することも可能な程の、大切な防波堤なのだ。

 それを失うことは想像を絶する、目を覆いたくなるほどの被害だ。

 

「いけません、フールーダ様!どうかお考え直しを!」

 しかしフールーダはニンブルごときに止められるじいちゃんではない。

「ニンブル、わしはちゃんとジルに許可を取る手紙を出すつもりじゃぞ?何の問題があるというんだ」

「な、何って……そんな……そんな……!」

 

 何やら必死でフールーダを説得する様子にアインズとフラミーは目を見合わせた。

「ニンブルさん、フールーダさん。別に私達は無理に来ていただかなくても……」

 フラミーがそう言うと、フールーダはニンブルの頭をバシンと叩き、フラミーとアインズの足元へ寄った。

「ど、どうかそう仰らずに!!このフールーダに魔導省並びに魔導学院の設立をお任せください!そして、お気に召していただいた暁には、どうか魔法の深淵を覗かせて下さいませ!!」

 伏して頼み込んでくる不思議なお爺さんに、やはりアインズとフラミーは顔を見合わせるのだった。

 

「フールーダ様!!そんな!!フールーダ様!!」

 一人で小旅行に行きたいという老人に、心配だから我慢して下さいと家族が頼み込む光景のようだとアインズは思った。

「良かろう、フールーダ・パラダイン。しかし、身内の方々に迷惑と心配をかけるのは良くない。ちゃんと手紙を週に一回はエル=ニクス皇帝に送れるな?」

 

「おぉ!神よ!!感謝いたします!このフールーダ、必ずや陛下のお役に立つ事をお約束いたします。そして皇帝に手紙も送ります!おい、お前達はどうする?」

 フールーダは己の高弟達に声をかけた。

「勿論我らはフールーダ様にお供させて頂きます!」

 いい返事に満足したように頷いたが、フールーダは流石にレイナースのように帝国の列を離れたりはしなかった。

 いや、最早ここに帝国の者はニンブルのみだとすら思っていた。

 

「さて、それではそろそろ時間かな?」

 アインズの声にアルベドと神官長が頷いた。

「この度の謁見、実に有意義で面白かったぞ。帝国は皆良い者達ばかりだな。エル=ニクス殿にも近いうちにお会いしたいものだ」

 はははと笑い帰ろうとすると、何かを思い出したようにフラミーはふと足を止めた。

「あ、アインズさん待って下さい。シャルティア」

 カメラを抱えたシャルティアはとてててと駆け寄り、フラミーのすぐ前に跪いた。

「はいフラミー様!シャルティア・ブラッドフォールン、御身の前に!」

 きっと褒められるとワクワクする瞳が実に愛らしい。

「シャルティア、さっき撮った写真を帰る前にドラクロワ神官長にあげてくれる?」

「畏まりんした!」

 そしてまたタタタと走って行くと、写真を見せた。

「人間の身でありながら、フラミー様とアインズ様の写る尊きお写真を頂けることによく感謝するように。この素晴らしき一枚はおんしらの命よりも――」

「シャル!シャルちゃーん!」

「はい!フラミー様!兎に角、大切にしなんし!」

 そう言って嫌々写真を渡すとフラミーの元へ走って戻った。

 えらいえらーいと頭を撫でられシャルティアは相貌を崩すと、何の手柄もまだ立てられていないが、今ばかりはとりあえず我慢しようと思った。

 

 

+

 

 神々が去った後、聖堂内を一行は案内された。

 ニンブルは顔を青くし、魂が抜けたようにトボトボと後ろをついてきていた。

 

 魔導国の者達は早く帝国も魔導国に降ればいいのに……と思いながら少しだけニンブルを可哀想に思った。

 

 すると、問題児ならぬ問題爺が口を開いた。

「ドラクロワ殿、先程守護神殿が仰っていたオシャシンとは一体何なのですかな?」

 ドラクロワとニグンは先程のシャルティアに負けないくらい目を細め、その締まっていた顔を崩した。

 

「ふふ、仕方ありませんね、神聖魔導国の民となられるパラダイン様にはたった今下賜されたこちらをお見せしましょう」

 そこには感涙にむせぶレイナースがフラミーに抱きとめられ、それを見下ろすアインズが写っていた。

「こ……これは……なんと言う写実性……。彼の方は余程絵の才能がおありなのですな……」

「いえ、パラダイン様。こちらはカメラと言う神の生み出した景色を切り取るマジックアイテムで生み出されるものなのです。絵ではございません」

 あまりよく分からないと言う様子のフールーダにニンマリと魔導国勢は笑うと、闇の聖堂の入り口付近に帝国一行を連れていった。

 

 そこには魔導王が平和について語り、痛み入るランポッサⅢ世、そして差し伸ばされた慈悲深き手に戦士長が感動すると言う素晴らしい写真がかけられていた。

「ほほう、こちらもそのオシャシンですかな?」

「その通りです。このお写真の偉大さと言うのは、この通り、絵と違い複製が容易にできるのです!」

 ドラクロワの声に合わせて――ニグンが入り口前に設置されていたテーブルの上にドンっと大量の写真を出した。

「な!?こ、これも、これも、これもこれも、寸分違わず同じ絵……いや、オシャシン……!」

 フールーダは写真を興奮したように手に取った。

 フラミーがその手で撮った最初の一枚は神都大神殿に安置されているが、ラナー就任式後パンドラズ・アクターの手によって大量に複製されていた。

「そうなのです。今ではかつて王国民だったエ・ランテルの人々の家には大抵飾られていますよ!」

 ドラクロワの興奮が騎士達に伝わって行く。

 王国から神聖魔導国へ渡った事を許されるようなその写真は、少しだけ後ろめたい気持ちを持っていた旧王国民の心を見事に射止めたのだ。

 庶民には少しばかり値が張るが、宗教画を買うよりもはるかに安く、国中の闇の神殿、聖堂で複製が売られ始めると瞬く間に売れていったらしい。

 

「もちろん神都でも多くの者の手に渡っていますが、神都では王国の者達が写っていなければと皆よく言っております」

 はははと軽快な笑い声が響く中、それを見ていたカーベインが五枚手に取った。

「私も神王陛下のお姿を家に飾ろう。いくらだね?」

「一枚あたり銀貨二枚です。五枚のお求めで銀貨十枚です」

 陽光聖典の副隊員が普段ここに勤める守護神セバスのお気に入りの娘の代わりを行なった。

 カーベインが会計をしていると、それを見ていた帝国騎士達も二枚づつ手に取り後ろに並んで行く。

 

 すると、レイナースがドラクロワに遠慮がちに話しかけた。

「あの、ドラクロワ神官長様、私が写っているそれもこうして売られるのでしょうか……?」

「勿論です。奇跡とは誰にでも与えられる可能性を持つ事を全国民は知る権利があります」

「では、販売の目処がつきましたら、どうかお知らせ頂けないでしょうか。素晴らしき両陛下とともに写っているオシャシンを一刻も早く手に入れたいのです」

「良いですとも。あなたに連絡し、なんなら一番にこれを手に入れられるようにしましょう。あなたにはそれだけの権利がある」

 

 レイナースは帝国の者達には見せたことがない笑顔でニコリと清々しく笑った。

 そして、取り敢えず王国の戦争の日のオシャシンを十枚買ったのだった。




ひこうにんふぁんくらぶ は なまじゃしん を うりはじめた!

フラミーさんの杖がどんなもんじゃいということで書きました!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1130251093500280832?s=21
褒められて良い気になったのでたまに挿絵入れていけたら良いなと思います!


次回 #44 閑話 その後の仔山羊達


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#44 閑話 その後の仔山羊達

 魂を媒介に召喚された十匹もの可愛らしい仔山羊は消えず、今日も第六階層を元気に駆け回っていた。

 

「あたしもアインズ様とフラミー様の生み出された仔山羊を預かれるのはとっても光栄なんですけど……あの無礼な蜥蜴人(リザードマン)達とドライアードが嫌だって言うんですよ」

 アウラはそのくらい我慢しろー!と憤慨しているが――口ではそう言いながら、何だかんだと自分の階層の者が仲良く幸せに暮らせるように気を配っている様子がアインズには伝わって来ていた。

 いかんせん仔山羊は触手まで含めると十メートル近くある。三階建ての建物に相当するサイズだ。巨大すぎた。

「苦労をかけたな、アウラ。他にも広い階層はあるのだから今から受け入れ先を探して来るとしよう」

「ありがとうございます、アインズ様!でも御許可を頂けるならあたしが皆に聞いて来ますよ!」

 お任せくださいと胸を張るアウラの頭をくしゃりと撫で付けると、可愛い娘はくすぐったそうに笑った。

「いや、久し振りに各階層を見て回る良い機会だからな。私が行くとも。えーとフラミーさんは……――」

 

 

+

 

 フラミーは畑を一部踏み抜かれたピッキーとピニスン、そして現地産トレント達に頭を下げていた。

「すみません、本当うちの子達が……。ほら、ちゃんと謝らないと」

 フラミーは足にトマトの残骸を貼り付ける自分の生み出した不出来な仔山羊の足を手のひらでパンと叩いた。

 

 メエェェェェェ………………

 

 申し訳なさそうにする巨大な仔山羊にピニスンとトレント達は顔をヒクつかせていた。

「それじゃあ、私ザリュースさん達のところにも謝りに行かなきゃいけないんでこれで。本当すみませんでした」

 ペコペコと頭を下げながら立ち去るフラミーを最敬礼でピッキーは見送った。

 

 フラミーは蜥蜴人(リザードマン)の宿泊施設を直すマーレの下についた。

「マーレ、本当にごめんね」

「え!あ、ふ、フラミー様!僕は全然構いません!」

 マーレが施設を破壊されたことを心底何とも思っていない様子で応えるのがむしろ怖い。

「ザリュースさん達は?」

「あ、あちらで仔山羊対策会議を開くそうです!」

 

 礼を言いマーレの言った方へ向かえば、すぐに湖と林の間に目的の人物達を見つけた。

 そこからは仔山羊に罠を張るとか、むしろ訓練になるかもしれないとか物騒な事を話している声が聞こえて来る。

 緑爪(グリーンクロー)族のザリュースと目が会うとフラミーは手を振った。

「ザリュースさーん!シャーしゅーリューしゃーーー……っく、しゃーしゅーりゅー……しゃー。すー。りゅー……。しゃーすーるー……ああ!」

 フラミーは頭を抱えてザリュースの兄をいつまで経っても呼べないことに苦悩した。

「こ、これはフラミー様!シャシャとお呼びいただければ良いと言いましたのに!」

 シャースーリューが駆け寄るが、フラミーは頭をブンブン左右に振った。

「折角ですけど、シャシャさんじゃザリュースさんもクルシュさんも、奥さんも皆シャシャしゃんじゃな…………くっ…………皆シャシャさんじゃないですか!」

 ただ折衷案もうまく言えないだけだと言うことを露呈させながらフラミーは申し出を断った。

 竜牙(ドラゴンタスク)族のゼンベル・ググーがグヮハハハとワイルドな笑い声を上げると、フラミーの後ろについて来ていた可愛らしい仔山羊の一体からビッと目にも留まらぬ速さで触手が振るわれ、会議時に地面に書いていた図が抉り消された。

 当たっていたらゼンベルは煎餅になっていただろう。

「は…………は…………ははは……。いや……失礼しました。俺はフラミー様を笑ったんじゃねーんですよ。ただ、ほら、この言いにくい名前の兄弟を笑っただけで、なぁ……?」

 同意を求められる鋭き尻尾(レイザーテール)族のキュクー・ズーズーはふぃと無視した。

 キュクーは知恵を奪う代わりに絶大なる防御力を発揮する鎧を身に付けていたが、復活後呪いが解け知恵が戻ってからはゼンベルを脳足りんだと評していた。

「フラミー様、このスーキュ・ジュジュ良い案を思いつきました」

 小さき牙(スモールファング)族の黄色い族長にフラミーは視線で続きを促した。

「我々は敬称は不要ですので、シャースーリューさんではなくシャースーリューとお呼び下されば良いのです。なぁ、そうだろう皆」

 それはそうだとうんうん頷く可愛い爬虫類達にフラミーは唸った。

 

「フラミーさん、何の話ですか?ザリュース、シャースーリュー、キュクー、スーキュ、ゼンベル。皆今回は悪かったな」

 アインズからかかる声にフラミーは振り返ると複雑そうな顔をした。

「く……至高の支配者は噛まないとでも言うんですか?」

「え……?まぁあんまり噛みませんね」

「じゃあ、『シャシャさんちの、クルシュさんが、シャー、スー、リューさんと、散歩した』って早口で十回言ってください」

 後ろで仔山羊達がウネウネと触手を動かしながらメメメェェェ……メェエェメエェェェェェと各々早口言葉を言っている気になっているのが実に愛らしい。

 

「シャシャさんちのクルシュさんがシャースーリューさんと散歩した。シャシャさんちのクルシュさんがシャースーリューしゃんとしゃんぽした…………」

 フラミーはにやりと笑った。

「うふふ、噛みましたね」

「噛んでませんとも…………」

「噛みました!」

「噛んでないです!」

『噛んだって認めて下さい!』

「あ、ずるい!でも俺にそんな卑怯な手は効かな――」

「「「「「噛みました」」」」」

 悪魔のスキルである支配の呪言に誘われ、レベルの低い族長達が声を揃えて噛んだと口にした。

 至高の支配者に生意気にも噛んだと指摘してしまった族長達は慌てて口を抑えるが、支配者達は心底おかしそうに笑った。アインズは鎮静と笑いを繰り返したが。

 

 

+

 

 アインズとフラミーはシャルティアの元に来ていた。

 

「と言うわけで少しでも第六階層から他所の階層に引っ越させたいのだ」

 一体だけ連れてきた仔山羊はとてもシャルティアの住まいには入れず、外で吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)に見張らせている。

「仰ることはわかりんすが、妾の階層では天井を擦ったりしそうなので出来ればもう少し広いところを当たったあとの最終手段にしていただきたいでありんす……」

 外からズンズン……と言う足音が聞こえ出すと――

「それに、あれの体重では罠として敢えて脆く作られた床が抜けるかもしれんせん」

 バギィという床を踏み抜く音と、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)達の「キャー!!ハヤクハヤク!!」という悲鳴が聞こえてきた。

 外から聞こえる恐ろしい音に三人は顔を見合わせると慌てて外に出た。

 

「うわ!こら、こいつ、あんまり動くなって言ったのに!」

 ふよんふよんと触手を動かす仔山羊はどこか申し訳なさそうだった。

「すまなかったな。シャルティア、お前は自分の階層の性質をよく掴んでいる素晴らしい守護者だ!<転移門(ゲート)>!」

 アインズは転移門(ゲート)に仔山羊を蹴り入れた。

「すぐに金貨で直すようにズアちゃんに連絡しておくから、少しだけ待ってね!ごめんね!」

 二人はそそくさと闇に身を投じると去っていった。

 

「あ……アインズ様……フラミー様……。もう行ってしまわれんした……。お写真を一緒に撮って頂きたかったのに……」

 

 

+

 

「と言うわけで少しでも第六階層から他所の階層に引っ越させたいのだが、流石に第一から第三階層は無理だったわけだ」

「ナルホド。ソウイウ事デシタラ我ガ階層デ全テ引キ取リマショウ」

 コキュートスは広がる雪原に仔山羊が居ることに何の不都合も感じないだろうと結論付けた。

「そうか!預かってくれるか!よし、では早速外に転移門(ゲート) を開こう」

「畏マリマシタ。タダ、氷ノ湖ニ死体ヲ保存シテイル為ソコダケ行カナイヨウニ言ッテオイテ頂ケルト……――ン?」

 コキュートスと共にスノードームを出ると、そこには寒さ故か小さくクシュクシュになって震える哀れな仔山羊がいた。

「パトラッシュ!パトラッシュ目を覚まして!」

 パンドラズアクターに連絡してから後で入ると言っていたフラミーが仔山羊の巨大な足をすりすりと暖めていた。

「メエェェェ………………メェ…………」

 仔山羊は冷気への耐性を持っていなかった。

「……コキュートス、せっかく預かってくれるという事だったが……」

「ハイ。コレデ死ンデシマッテハ元モ子モアリマセンノデ……」

 

 

+

 

「と言うわけで流石に第一から第五階層は無理だったわけだ」

「なるほど。そういうことですか」

「全くどうしたらいいもんか」

 目を離すと意外と何が起こるか分からない為、赤熱神殿の前で三人は仔山羊を見ていた。

「ふむ、私にいい考えがあります」

 デミウルゴスの声に二人はさすが知恵者!と目を輝かせる。

「いっそ、殺してしまえばーー」

「なんだとデミウルゴス?」

「デミウルゴスさん……パトラッシュ達殺しちゃうんですか……?」

 支配者二人は二度とこれだけの数は出せないだろうと思うと、重度の勿体無い病を患っている為悲しそうな顔をした。

「失礼いたしました。愚かな提案をした私をお許しください」

 仔山羊に自由にするようにアインズが言った為、暖かくて気持ちがいいのか火山の麓に湧く温泉に腹を沈め、極楽と言ったような顔をしている。

 が、冷気耐性を持たない仔山羊が熱耐性を持つはずもなく、段々黒い体は赤くなって行った。

 

【挿絵表示】

 

「ふふ。本当可愛い。あの子アインズさんの子ですよね?」

「そうですよ。俺と繋がりがあります」

「あの子、パトラッシュって名前付けてもいいですか?」

「ははは。どうぞ。でも実は俺も名前考えてたんですよね。フラミーさん所の子に付けようかな」

「なんて名前ですか?」

「おにぎり君ですよ」

「あはっ!可愛い!」

 

 デミウルゴスは二人を見て思う。

 何とかしてこの慈悲深い支配者達の為にパトラッシュとおにぎり君達を生かす術を考えねばならないと。

 

「アインズ様、フラミー様。このデミウルゴス、良き方法を考えますので数日お時間を頂けないでしょうか」

「ほう、考えてくれるか。デミウルゴス」

「勿論でございます」

 支配者達は頷きあった。

「じゃあ、デミウルゴスさんお願いします。すみませんね、聖王国に悪魔送るのに忙しいって言うのに」

「いえ、とんでもございません。慈悲深き御方々のお役に立てるようこのデミウルゴス、精一杯努めさせて頂きます」

「あ!そしたら明日貪食の魔将(イビルロードグラトニー)を呼ぶ時は私のスキルで召喚しますよ!」

「おぉ、なんと優しきお言葉。是非よろしくお願い致します」

 

 デミウルゴスはナザリックにいる憤怒、強欲、嫉妬ではない魔将を一日に一回召喚し、知識を共有してから聖王国に送り込んでいる。

 支配者達がパトラッシュを連れて立ち去ると、忙しくなるぞとデミウルゴスは肩を回した。




ナザリック生活スーパーエンジョイ!

ジッキンゲンの脳内仔山羊です。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1130354447979241472?s=21


次回 #45 閑話 だって男の子だもん


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#45 閑話 だって男の子だもん

 叡智の悪魔は久々に宝物殿、応接間を訪れていた。

 

「――と、言うわけなんだよ。」

「なるほど。少なくとも宝物殿では飼えませんねぇ。」

 応えるは卵頭の領域守護者、パンドラズ・アクターだ。

「それはわかっているとも。しかし、こうしている間にも御方々は第六階層で肩身を狭くする仔山羊達を思って御心を痛めてらっしゃる。早急に解決案をお出ししなければ。」

「同感ですね。一番は冷気耐性のアイテムを持たせて第五階層の雪原に置いておく事だと思うのですが、アインズ様は当然それには…?」

 パンドラズ・アクターは支配者達がいない為、少しだけ姿勢悪くソファに寄りかかっていた。

「お気付きでしょうね。恐らく仔山羊がありのままで過ごせる環境と言う条件をお望みなんだろうと思うよ。御方の慈悲深さには頭が下がる。」

 二人は唸り声を上げた。

 

 するとデミウルゴスは突然姿勢を正してこめかみに触れた。

 

「はい。デミウルゴス…――これはフラミー様。――何と!すぐに参りますのでそのままお待ちを。」

 何が起こったのかを察したパンドラズ・アクターはデミウルゴスに頷いてみせた。

「すまないね、パンドラズ・アクター。私から押しかけておいて。」

「いえ、とんでもありません。どうぞいつでもいらして下さい。」

 手短に挨拶を交わすとデミウルゴスは転移して行った。

 

 パンドラズ・アクターは立ち上がると、応接室にかけられている拡大コピーされたアインズとの写真へ向けてゆっくりと頭を下げた。

 

+

 

 第七階層に転移したデミウルゴスは赤熱神殿へ小走りで向かった。

 すぐに神殿へ続く数段の階段にフラミーが座っているのが見えてくる。

「フラミー様!」

「あ、デミウルゴスさん!」

 到着に気づいたフラミーはすぐに立ち上がり、パンパンとローブのお尻辺りをはたいた。

 デミウルゴスはフラミーの前に着くと、何故敷物ひとつ出していないのかと、側で控える魔将達を一瞬睨んだ。

「用事大丈夫ですか?すみません、一時間近く早く来るなんて思いもしないですよね。」

「いえ。フラミー様をお待たせする程の事ではございません!」そう言うとフラミーの足元に跪いた。「デミウルゴス、御身の前に。」

「ありがとうございます、立って楽にして下さいね。」

「は!畏れ入ります。」

 わずかな時間しか膝をつかないとしても挨拶は大切だった。

 

「あのぅ、今日貪食(グラトニー)出すってお約束したじゃないですか。でも…考えてみたら私と知識共有してる子を呼んでも足手まといなような気がして。」

 フラミーは申し訳なさそうに指先をつんつんと合わせるとデミウルゴスを見上げた。

「確かに精神の繋がりのない者は御し辛いかもしれません。私がいつも通り呼び出しますので御身はどうぞお気になさらず。――しかし、それだけならば先ほどの伝言(メッセージ)でも宜しかったのでは?」

 フラミーはキョロキョロと辺りを伺うと、少し背伸びをしてデミウルゴスの肩に片手で触れると耳元に唇を寄せた。

 デミウルゴスは至高の存在に触れられたことに一瞬うろたえそうになったが、内緒話のポーズだと言う事にすぐに思い至る。

 軽く小さくなりながらフラミーの方の肩を下げた。

「実はアインズさんに内緒の話というか…相談があるんです。もし今時間がなければ出直します。」

 そう言うと、フラミーはデミウルゴスから離れた。

 至高の支配者に秘密。

 果たしてそんな事が許されるのかとデミウルゴスは身を固くした。

 もしフラミーがアインズと違う道を行くと言ったら、自分はどちらに着いていけば良いのだろうと一瞬考える。が、そんな事は起こり得ないと嫌な想像を追い払った。

「と、兎に角お話をお聞きします。こちらでは何ですので、私の部屋へ移りますか?」

 フラミーは真剣な眼差しで、自分の右手中指にはまっている指輪をトントンと触ると告げた。

「私の部屋にしましょう。それ以外の場所だと、アインズさんは自由な出入りを許されますから。」

「かしこまりました。」

 返事と同時にフラミーの姿がかき消え、デミウルゴスも指輪の効果を発動させた。

 二人はフラミーの部屋の前に姿を現すと、男性使用人とメイドが掃除しているだけの廊下をキョロキョロと確認してから部屋に入って行った。

 

「お帰りなさいませ!フラミー様!」

 本日のフラミー当番、フォアイルが迎える。

「戻りましたぁ。」

 フラミーは翼が出せるように鍛冶長に背を切ってもらった紺のローブを脱ぎ、デミウルゴスを引き連れいつものソファセットに進んだ。

 

 フラミーは頭上のアサシンズに端に寄るように指示を出してから応接用の三人掛けソファに座った。腰を据えた話をする様子に、フォアイルはお茶の準備のため部屋を静かに後にした。

 デミウルゴスが立ったまま話を聞こうと構えていると、フラミーはポンポンと自分の隣の席を叩いて勧めた。

「どうぞ。」

 普段は正面を勧められるが、これは恐らく内緒話という事だろうと理解する。理解はするが、それは僕として許される事なのかと炎獄の造物主は思わず汗をかいた。

「どうしました?デミウルゴスさん、早く早く。」

「は…。では…失礼いたします。」

 デミウルゴスは頭を下げてからフラミーが座るソファの一番端に座ると、額を汗が伝う感覚に慌ててチーフを取り出した。

(これじゃあまるきりあの日のセバスじゃないか…。)

 人間を飼っていた事が露見した日のセバスの様子を思い出しながら軽く額をおさえ、チーフをポケットに戻す。

「それだけきてたら暑いですよね、脱いで良いんですよ?」フラミーはそう言うと、ハッと瞳を輝かせた。「あ!そっか!いや、むしろ脱いでください!さぁ、早く!お手伝いしますから!」

 デミウルゴスはフラミーが自らのジャケットのボタンに手を掛けるとその畏れ多さに再び汗が吹き出しそうだった。

「フラミー様!?お、落ち着いて下さい!ウルベルト様に頂いたこのお衣装は決して暑さを感じるようなことはなく、どのような場面でも快適に――」

「考えてみたら自分達は威厳の為って毎日違う服を勧めるのにいつも同じ服着て悪い子です!ほら、早く脱いで!」

「し、しかし暑くは――」

「えぇい、至高のなんちゃらの命令が聞けんか!!」

 半ば取っ組み合いになりかけると――カチャンっと音が鳴り、二人は揃った呼吸でそちらへ顔を向けた。

 フォアイルがお茶をカップに注ぎ終わり、サービスワゴンにポットを置いた音だった。

 これまで音もなくお茶の準備を進め、とっくのとうに部屋に戻っていたフォアイルは、命令が聞けないと言う言葉に思わず動揺してしまったようだった。

 デミウルゴスにもその気持ちはよく分かる。

 至高の存在より下される命令であれば、何であろうと遂行するべきだ。

 

「ほら、男の子でしょ!!」

 

 デミウルゴスは追い剥ぎにあった。

 そしてフォアイルとアサシンズは同じ部屋の、一番二人から遠い所に待機させられた。

 

 デミウルゴスは訳もわからずジャケットもジレも脱がされ、ネクタイも放り出されると、すっかりYシャツ姿にされてしまった。

 フラミーは至近距離でまじまじとその胸を見ていた。

「…触って良いですか?」

「は?あ…いえ…それはもちろん…。」

 至高の存在にNOと言うはずもない。フラミーはペタペタとシャツ越しにデミウルゴスの胸を触り首を傾げた。デミウルゴスはどう言う顔をしているのが正解かわからず、深淵なる意図にも思い至れず、ただフラミーを見下ろした。

「デミウルゴスさん、あなた最上位種の悪魔ですよね?」

「は……はぁ…。フラミー様程の存在ではございませんが…。」

 フラミーは触るのをやめるとふむ、と少し考えた後、ついに本題を口にした。

「どうやって隠してるんですか?」

 何の話かわからない。そう言う表情をしたのだろう。

 フラミーはフォアイル達のいる方の手で口元を隠し、読唇されないようにすると声を小さくして言った。

「デミウルゴスさんも両性ですよね?どうやって片方の性別隠してるんですか?おっぱいは?」

(…………ん?)

 デミウルゴスは訳がわからなかったが、理解はした。

「フラミー様、我々悪魔は大半が男女に分かれておりますが――」

「うぉっと!!デミウルゴスさん!声が高い!!」

 フラミーのその言葉に、デミウルゴスもフォアイル達のいる方から見えない様に口元を片手で隠すと声を落とした。

「し、失礼いたしました。もう遥かなる昔でお忘れになったかも知れませんが…御身は元が天使としてお生まれになった故に、両性具有なのではないでしょうか。そう言う性質は悪魔ではなく、天使の性質かと。」

 膝と膝が触れるような距離に座っていたフラミーはガタンと立ち上がった。

「な……な………!じゃ、じゃあ…私は…無駄にデミウルゴスさんを…脱がせた…だけ!でも、じゃあなんであの時気が付いたんですか!!自分もそうだからだと思ったのに!私デミウルゴスさんは一緒だと思ったのに…!」

 震える手で口を押さえ、数歩後ずさり、顔はどんどん紅潮していった。

「落ち着いて下さい、フラミー様。大丈夫です。どうぞご安心ください。考えてみればほぼ悪魔のニューロニストも両性でございます。」

 フラミーは途端に意気消沈すると、とすんっとソファに腰を下ろした。

「ニューロニスト…ニューロニストちゃんと…一緒…。」

「あ、ああ、いえ!違います、御身は余程高次の存在であり、決して一緒と言うわけではありませんが、ああ…!」

 デミウルゴスからしどろもどろなセリフが繰り出される中、お決まりのタイミングでノックは響いた。

 

 ハッとデミウルゴスは顔を上げたが、フラミーはずっと「ニューロニストちゃんと一緒ニューロニストちゃんと一緒…」と呟き続けている。

 デミウルゴスにはこの部屋の戸を叩く人物には一人しか心当たりがない。

(そろそろ私の階層に御方々が来る約束の時間だ…。)

 フォアイルに出るように言おうかと思うが、フラミーの最初の言葉が脳裏をよぎった。

 

(アインズさんに内緒の話しというか…相談があるんです。)

 

 デミウルゴスはその人生で最も悩んだ。

 この状態のフラミーでも、アインズなら瞬時に元に戻せるだろうが自分にできるのか。

 これで招き入れたとして、至高の主人の機嫌取りを至高の支配者に頼るというのは怠慢じゃないか。

 そもそも至高の主人には至高の支配者に見つからないようにこの部屋にしようと言われたじゃないか。

 

 返事をする様子のないフラミーをチラリと見ると、デミウルゴスは謹慎覚悟でフォアイルに告げた。

「い、今は……お入り頂けません……。」

「…かしこまりました。」

 そう言い頭を下げたフォアイルの心の中には疑問符が溢れていた。

 話し声が聞こえていなかった彼女にはデミウルゴスがフラミーを拒絶したようにしか見えなかった。

 何故?どうして?自分が至高の四十一人に望まれれば誰であっても喜びその身を捧げると言うのに。

 何とも言えない気持ちで扉へ行き、外のアインズへ声をかける。

「申し訳ありません。只今フラミー様はどなた様にもお会いになれる状況ではございません。また、ご一緒のデミウルゴス様よりアインズ様のご入室許可が出ません。」

 

「え?何て?」

 アインズは初めてのパターンに首をひねった。

(デミウルゴスから入室の許可が出ない?)

 中からフラミーとデミウルゴスの聞き取れないくらいの小さな声が聞こえたかと思うと、音もなく扉は閉められた。

 別に生意気だとかは思わないが、アインズは友達を取られた気分になった。

 それに約束の時間になるのに何故自分だけ仲間はずれなんだ、そう思うと微妙に傷付くようでもある。

 

 部屋の前でうんうん唸っていると、アルベドがアインズの部屋から執務の後処理を終えて出てきた。

「あら?アインズ様、フラミー様とデミウルゴスにご用では?」

「ああ、アルベドか。そのデミウルゴスが中にいるそうなんだがな。私に入るなと言っているんだ。」

「…あのデミウルゴスが…?」

 

+

 

「フラミー様、アインズ様がご到着されました。どうかお気を確かに。」

「デミウルゴスさん、一緒に初めて空飛んだ時のこと覚えてる?」

 やっとニューロニスト以外の言葉を喋ったフラミーにデミウルゴスは一生懸命頷いた。

「はい、このデミウルゴス。その日のことは全て覚えております。こちらも頂きました。」

 右手薬指の指輪を見せると、フラミーは手をグーにして中指にしている同じものをコンと当てた。

「その時私達一緒だよねって言ったじゃないですかぁ。」

「一緒でございます。」

「じゃあどうして女の子の要素がないんですかぁ!!」

 理不尽な怒りにデミウルゴスは狼狽えた。

「いや、そ、それは、ウルベルト様にそうあれと――。」

「ウルベルトさんのせいにするんですか!!」

「決してそう言うわけでは!」

 デミウルゴスはポコポコと叩いてくるフラミーの手を握るに握れず、しばらく手のひらで受け止め続けた。

 すると、許可を出していないはずの扉が開き、デミウルゴスは咄嗟にフラミーの手をギュッと握りしめた。

 

「フラミーさ――ぁあ!?」

 アインズが勝手に入ると、そこは犯罪臭が漂う部屋だった。

 デミウルゴスが割と頭をめちゃくちゃにさせ、アサシンズがとても遠く――端っこに群れている。

 ネクタイとジャケット、ジレがソファやテーブルに散乱し、デミウルゴスのシャツははだけていた。

 同じソファに座るデミウルゴスに正面から手を握られるフラミーは「離して下さい!」と若干涙目で切れていた。

 フラミーがそうでなかったら犯罪臭はしなかったかもしれない。

 

「アインズ様!!」

 デミウルゴスは考えるよりも先にその誰よりも何よりも大切な支配者の名前を叫んでいた。

「デミウルゴス!貴様!!」

 アインズは激昂すると同時に鎮静された。しかし、すぐにまた怒りは押し寄せる。

 よくも俺の大切な仲間を――そう思いながら手を硬く握り締め、未だフラミーの両手を握るデミウルゴスにズカズカと近付いていく。

 一発殴らなければ。いや、氷結牢獄にぶち込まなければ。いや、まずはフラミーの安否確認を。

 アインズの頭の中にあれこれと言葉が浮かんでは消える。

 すると、アインズがデミウルゴスに鉄拳を食らわせるより先に、暗殺者のようなスピードで入室したアルベドとセバスがデミウルゴスを羽交い締めにした。

「アインズ様、フラミー様。このセバスが責任を持ってこの不敬な者の首を落とします。」

 

「「「え"っ。」」」

 支配者達とデミウルゴスの情けない声が重なった。

 

「おい、セバス!ルプスレギナの時の話聞いてたか!」

「ちょ!ちょーちょちょっと待って!セバスさん!!」

 支配者達は途端に我に返ってセバスを止めるが、セバスは「どうぞ私めにお任せください」と清々しい笑顔を見せ、デミウルゴスを無理やり引きずり始めた。

「セバスさん!待って!待ってください!デミウルゴスさんは何も悪くないの!!」

「フラミー様、分かっております。」

「分かってるなら止まって下さい!止まってって!!やだ、やだ!!デミウルゴスさんを連れてかないでー!!」

 フラミーは着衣が乱れ、筋肉質な腹を若干覗かせるデミウルゴスにひっ付いていた。

 当のデミウルゴスは目を点にし、セバスに引きずられて尻を半端に床に付けた姿勢のまま動かない。

 外のコキュートス配下の者たちがコキュートスを呼んだらしく、そのあんまりな光景をコキュートスも目撃してしまった。

 

 アインズは転移直後のドタバタを思い出しながら、フラミーとデミウルゴス両名を残して一度全員追い出した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

+

 

「それで……フラミーさん。あんたがデミウルゴスから服を脱がせたわけですか。」

 ナザリック随一の功労者に何やってくれてんだとアインズは無性に苛々した。デミウルゴスといえば羊皮紙安定供給のための牧場の運営や、魔王作戦の準備など重要な案件をいくつも任せている。

「ごみんなさい…。」

「ごみんなさいじゃないですよ!!デミウルゴスのあれを見なさい!!いい歳した大人が!!」

 

 デミウルゴスはこちらに背を向け、心を失ったように床に転がったままだった。

 

「可哀想に!女子に剥かれる童貞の気持ちがわからんのですか!!」

(いや、それはご褒美か?)

 一瞬邪念が入った。

 そして勝手に童貞呼ばわりだった。

 

「だ、だって私デミウルゴスさんは女の子でも男の子でもないんだって思ったんだもん…。」

「だもんじゃない!!」

「はひぃ…。デミウルゴスさんは…私の一番の理解者だって思って…つい暴走しました…。ごめんなさい…。」

 デミウルゴスは突然むくりと起き上がると、こちらに顔もむけずに、メガネを押し上げた。

「私は…私はフラミー様の一番の理解者です。それでは。」

 それだけを言い残し、手近にあったジレだけ手に取るとネクタイもジャケットも置き去りのままスタスタと立ち去っていった。

 

「この……じゃじゃ馬娘ーー!!!!」

 

その後フラミーはしばらくアインズに叱られた。




はやしてよかったぁ!!てのひらくるりん☆
くー!やっぱりすれ違いとラッキースケベは最高だぜぇ!!(変態
自分、続き行っていいっすか?

じゃじゃ馬フラミーさんと心を失うデミウルゴスさん
→https://twitter.com/dreamnemri/status/1130476270855176193?s=21

次回 #46 閑話 だって両性具有だもん

(じゃじゃ馬って聞いたのらんま以来)

2019.05.21 響丸様のおかげで挿絵という概念を学びました!


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#46 閑話 だって両性具有だもん

「オ前トモアロウ者ガアレハ一体何ダッタンダ」

 

 騒動の晩、コキュートスは久しぶりにデミウルゴスをBARナザリックに誘っていた。

「いや。少しフラミー様からその御生れについてご相談を受けただけさ」

「ソレガ何故アアナルンダ……」

「そうだね。フラミー様は天使として御生れになって、神と戦争し、悪魔だと言われ続けて何万年の時を生きてらっしゃった。そのせいで、生まれた時から自分は悪魔なんだと少し混乱されていたようだ。しかし…結局天使も悪魔も同じだと私は昨日気付いたよ」

 全く質問の答えになっていないとBARを預かり持つ副料理長――ピッキーは思う。

「ソウカ……。フラミー様ハ確カニ悪魔モ天使モ呼ビ出セル。」

「そういうことです」

 守護者は納得しているがどういう事だか訳がわからなかった。

「……詳シク聞キタクナッテシマウナ」

「詳しく……説明したいが、フラミー様よりアインズ様にも秘密と言われている事だから、私は言えないんだ。すまないね」

 至高の支配者に秘密という言葉にコキュートスもピッキーもザワリと動いた。

「アインズ様はフラミー様と対等だといつも仰っている。何。アインズ様の御意思に背くつもりはないよ」

 それもそうかと納得すると、コキュートスは、デミウルゴスが昼前の騒動から何時間も経っていながら未だにその時の、Yシャツにスラックス、サスペンダーという姿のままな事に疑問をもった。

 髪はいつもの通りに美しく整えられ、Yシャツも綺麗に裾の中にしまわれているのに、ネクタイもジレもジャケットも着ていない。

 

「……デミウルゴス。ソノ格好ハウルベルト様ノ御意志ニ背イテイルノデハナイカ?」

 デミウルゴスはグラスを眺めながら話していたが、それを優しく手に取った。

「勿論、ウルベルト様の御意志に従っているよ。……アインズ様の御意志にも、フラミー様の御意志にもね」

 軽く笑ったあとデミウルゴスはグラスの中身を一気に煽ると席を立った。

「今日は誘ってくれて嬉しかったよコキュートス」

「次ハ隠シ事無シデ集マリタイ物ダ」

 珍しいコキュートスの嫌味にデミウルゴスは背中をバンと叩いた。

 ピッキーは出て行く背中を見送り、口を開いた。

「デミウルゴス様が珍しいですね。昼に一体何があったんですか?」

「ソレガナ――――」

 

+

 

「「「えぇーーーーー!?」」」

 翌日。第六階層の湖畔にまたしても女子の声が響いた。

 いや、今回はマーレもいるので男女だが。

「デ、デミウルゴスがフラミー様を襲う!?そんなの信じられないでありんす。今日は隕石が降ってくるんでありんすか?」

 シャルティアは<隕石落下(メテオフォール)>かと眩しそうに偽物の空を仰いだ。

「全くあいつ、ついこないだアインズ様にすけべを叱られたばっかりだってのに!」

「「はぁ!?」」

「何なの!?アウラ、その情報は!!」

「それがさーあいつってばすけべにも程があると思うんだけど――」

「アウラ。あまりそれを言ってやるな。」

 湖を見ながら話していた全員が声の方へバッと振り返り、膝をついた。

「あ、アインズ様!フラミー様!」

 マーレが現れた者達の名を口にした。

 

 フラミーはアインズと現れたが、まっすぐに守護者へ向かうアインズから歩みを逸らし、黒い仔山羊を手招きして呼びながら、自分も仔山羊に向かって行った。

「皆、昨日のことはデミウルゴスに罪は無い。何というか…そうだな、全ては勘違いの積み重なりと悲しいすれ違いだ。」

 皆がフラミーに視線を送れば、唸りながら仔山羊の足にまとわりついて、触手によしよしと慰められていた。

 

 一体何事なのだろうかと思っていると、アウラとマーレは自分達の階層に起きた転移の波動を感じ、ぴくりと反応した。

「――あ、デミウルゴスだ。それにパンドラズ・アクター!」

 アウラは更なる来訪者を告げると嬉しそうに手を振った。アウラはパンドラズ・アクターと共に法国に潜入してから割と仲がいいらしく、指輪を持たないアウラは宝物殿には行けないが、パンドラズ・アクターが宝物殿を出るときは連絡を貰ってよく遊んでいるらしい。

 

「よく来たな、デミウルゴス、…パンドラズ・アクターよ。」

 アウラの歓迎とは対照的に、アインズはパンドラズ・アクターも来ること無いのに…と思っていた。

「ンァインズ様!!フラミー様!!このパンドラズ・アクター、見事素晴らしきアイテムを作成致しました!!」

 くるりと華麗に回転しながら片膝をつく無駄に高度な技を見せてくるせいでアインズは鎮静された。

 落ち着いてゆっくりと膝をつく隣の男とつい見比べてしまう。

 

「アインズ様。まずは昨日ご迷惑をお掛けしました事、改めてお詫び申し上げます。」

「良い良い。お前には苦労をかけたな。怖かったろう。」

 謝罪するデミウルゴスは深く頭を下げていたが、最後の言葉にピクリと耳を反応させた。

「いえ。そのようなことは。ありがたいことです。」

 デミウルゴスは男として、いや、童貞の無駄な矜持として全然怖くなかったもん!と言いたいのだろうとアインズは優しく察した。

「そうか。ほら、フラミーさ…――何やってんだ…?」

 フラミーは数匹の仔山羊に囲まれ、姿を見えなくしていた。

 仔山羊達は隣のものと身を寄せ合い幸せそうだ。

 そして無駄にでかい。

 

「お迎えに行ってまいります。」

 デミウルゴスは許されても責任を感じているのか、背に皮膜を持つドラゴンのような翼を出して飛び上がると仔山羊達の中心の空間にその身を投じた。

 

 コキュートスもアインズの存在に気がついて蜥蜴人(リザードマン)の宿泊施設からこちらへ向かってきていた。

「やれやれ、結局守護者全員になってしまったな。ん?あれはパトラッシュじゃないか。」

 そしてフラミーを囲む仔山羊達の一頭が自分の仔山羊ということに気がついた。

 

+

 

 デミウルゴスは仔山羊の生み出している空間に入り、フラミーの足元に跪いた。

「フラミー様。デミウルゴス、御身の前に。」

 一本の触手を大切そうに抱きしめていたフラミーは振り返ると、その狭い空間に跪く悪魔を見た。

「デ、デミウルゴスさん…。昨日は本当にごめんなさい…。」

「いえ、このデミウルゴス、むしろご褒美でございます。」

 フラミーはご褒美という言葉に一瞬疑問を持つが、確かに楽しかったと思う。

「そう…ですよね。アインズさんはちょっと過剰反応でしたよね?」

「はい。誠に畏れながら私もそのように愚考致します。」

 悪魔達はニヤリと視線を交わした。

「ははっ!やっぱりデミウルゴスさんは私の一番の理解者です!」

 触手を手放すと、シャツにスラックスとジレを着ただけのいつもよりさっぱりした身なりのデミウルゴスに近付いた。

 

「これ、返さなくっちゃ。」

 ネクタイとジャケットを取り出し、フラミーはネクタイを一度自分の首にかけ、ジャケットをデミウルゴスに向けて広げるように持った。

 袖を通してやると言うのだ。

「あ…いや…そこまでのお気遣いは…。自分で着られますので…。」

「良いですって!私が脱がしたものですし、着せてあげます!」

 デミウルゴスは何度かジャケットと、また随分楽しそうにしているフラミーを交互に見た後、遠慮がちにそれに袖を入れ――同時にフラミーが肩までジャケットを持ち上げて着せ掛けた。

「恐れ入ります。」

「いえ。そう言えばデミウルゴスさんの服って、翼をしまうと破れてたのが直るんですね、不思議。」

「えぇ、そのようにウルベルト様にお作りいただきましたので。」

 少し自慢げに語りつつ、ジャケットのボタンを留めてチーフを美しく胸ポケットにしまい直す悪魔の背中をフラミーは両手で確かめるように触った。

 

「え?ふら…あ…いえ…。」

 背をさすられるデミウルゴスの言葉にならない言葉が、仔山羊の小さな鳴き声の中響いた。

 フラミーは閃いてしまっていた。

 このデミウルゴスの翼を出したり引っ込めたりする能力があれば――と。

 

「デミウルゴスさん…着せておきながら言いにくいんですけど…やっぱり脱いで貰えませんか?」

 デミウルゴスは背中から手の感触が離れるのを感じると、やはり御身に着せられるのは良くなかったかとジャケットを急いで脱ぎ、その腕にかけ、フラミーに向き直って跪いた。

「失礼いたしました。」

 フラミーが前にしゃがんで頬杖をつくと、その瞳は昨日のように輝いていた。

 

「もっと全部脱いで下さい!」

 

(悪魔か……。)

 デミウルゴスはそう思いながら袖たたみにしたジャケットの胸ポケットから、しまったばかりのチーフを取り出すと額を拭った。

「それは…アインズ様の御許可が必要かと…。」

「ちょっとだけでも…?」

「ちょっとだけでも…。」

 気まずい沈黙が流れ、デミウルゴスは堪らず下を向いた。

「じゃあ、せめてジレ脱いで下さい。」

 渋々ジレを脱ぐために一度立ち上がると、上からボタンを外していった。

 この存在の命令は絶対だ。

 フラミーはもう待ちきれんとばかりに下からボタンを外すのを手伝おうとすると、仔山羊が突然ジャンプして退いていった。

 

「あ。」

 

 やっぱりちゃんと断れば良かったとデミウルゴスは後悔した。

 

+

 

 アインズは少し長すぎるそれに焦れて来ていた。

「随分長いな、デミウルゴスがフラミーさんを許さないとは思えないが…。」

「デミウルゴスハ、フラミー様ノ尊キオ考エニ触レラレタ事ヲ昨夜ハトテモ喜ンデオリマシタ。」

 じゃあ何故いつまで経っても仔山羊の門が開かないんだろうとアインズはまた首を傾げた。

「仕方ない。喧嘩になってたら厄介だからな。」

 アインズはギルメン誰にでも優しい男だ。

 いつでも喧嘩の仲裁をして来た。

 

「パトラッシュよ、退きなさい。」

 パトラッシュはその巨体に似つかわしくない素早さで、ピョインとジャンプしてずれる事でその門を開けた。

 

 アインズと守護者は固まった。

 

 デミウルゴスもこちらを向いて固まっている。

 

「アインズさん!」

 フラミーだけはいい笑顔で手を振っていた。

 デミウルゴスのジレに手をかけたまま。

 

 アインズはフラミーの元にズンズン進んでいくと、その頭に乗ってるお団子をペチンッと軽く叩いた。

「なんで昨日の今日でまたデミウルゴス脱がしてるんですか!」

 横ではデミウルゴスが許しを請うていた。

「あ、アインズ様、お許し下さい、どうかお許し下さい。」

 アインズはかわいそうなデミウルゴスの頭を撫でつけた。

「お前、本当可哀想なやつだな…。断れないもんな……。」

 フラミーはその首にデミウルゴスのネクタイをかけたまま、むんっと腰に手を当てた。

「邪魔しないでください!」

 

「は…?」

 

 アインズは何を言われたかわからなかった。

「せっかく今いい所だったのに!」

 フラミーは興奮し始めていた。

「あ、いや、ちょ、落ち着きましょうフラミーさん。何かおかしいですよ…?」

「今からデミウルゴスさんに大事なことを教えてもらう所なんです!!」

 アインズは何をだよと思いながらも、噛み合う様子のない会話に眩暈を覚えた。

「分かりましたから。ゆっくり後で部屋で話し合いましょうね?とにかく今は皆いますから。」

 アインズはフラミーの手を取って守護者達の元へ向かおうとすると、フラミーの身がガクンと止まった。

 振り返ると、フラミーの手を取るデミウルゴスがいた。

「…デミウルゴス。何のつもりだ。」

 

 デミウルゴスはハッとしてその手を離し、頭を下げた。

「あ、いえ。失礼致しました。」

 フラミーはデミウルゴスの教える気満々と言う雰囲気に嬉しくなった。

「デミウルゴスさん、続きは今度私のお部屋で!」

 怪しすぎる言葉を吐いてフラミーは離れたデミウルゴスの手を取り直すと歩かせた。

 デミウルゴスは続きについて考えてはプルプルと頭を振り、自分の中に広がる想像を不敬だ、不敬だ、と押し留めた。

 

「え?フラミーさん…?」

 アインズの声に、フラミーはちゃんと歩き出したデミウルゴスの手を離し、アインズに内緒話のポーズをした。

 アインズは小さくなって耳、の部分を近づける。

「デミウルゴスさんの翼をしまえる秘密が分かれば、私女の子に戻れるんですよ!」

 きゃー!と喜ぶその姿に、アインズは心底納得した。

「それは良かったですね。俺もその原理一緒に教えてもらおうかな。体欲しいですし。」

「体!あったらおいしいご飯食べ放題ですもんね!」

「本当ですねぇ。」

 繋いだ手を嬉しそうにブンブンと振る支配者たちの隣を、デミウルゴスは自分の手を眺めながらついて来た。

 

+

 

 パンドラズ・アクターが作ってきたマジックアイテム――すもーるらいとを仔山羊に当てて人の腰くらいまで小さくしていく横で、シャルティアは地面にあぐらをかいて座っているデミウルゴスに迫っていた。

「デミウルゴス、おんしどうやってフラミー様を篭絡したのか教えなんし。」

「そうよ。自分は何も興味ないみたいな顔をしながら。全くアウラの言う通りとんだスケべ男ね。」

 女性守護者の声にデミウルゴスはじっとりとした視線を送った。

「篭絡なんかできていませんよ。全く君達はそんな事を言って不敬だとは思わないんですか。」

「オ前ニハ言ワレタクナイト思ウゾ。」

 コキュートスが味方じゃない事にデミウルゴスは若干の居心地の悪さを感じた。

「全く。もし本当に篭絡できているのなら、あの光景は何ですか…。」

 吐き捨てるデミウルゴスの視線の先には小さな仔山羊にアインズとフラミーがキャイキャイ喜ぶ姿があった。

 たまに手を取り合っては楽しげに笑いあい、離れてはくっつく二人に溜息が出る。

 デミウルゴスは袖も通さずに肩にジャケットを掛け、膝に頬杖を付いた。

「じゃ、じゃあ、フラミー様のお世継ぎはまだお生まれにはならないんですね。」

 マーレの声にがっかりと言うようにコキュートスも溜息をついた。

「デミウルゴス、モット男ヲ上ゲルンダナ。」

「でもさー、アインズ様みたいな素敵な人が近くにいちゃーねー。」

 アウラの声に守護者たちはうんうんと首を縦に振った。

 不貞腐れたようなデミウルゴスの視線はフラミーの首に掛かったままのネクタイから離れなかった。




近いうちに引っ込める能力について言及したいところですね!

そして響丸様がフラミーさんを美しく描いて下さいました!!
あまりの素晴らしさにオォ!と口から漏れたのは初めてでした!
見て下さいこのタッチ!この美しさ!(興奮

【挿絵表示】


#4以来フラさんの見た目にほとんど触れていないと言う怠慢が発生していたのですが見事に描いて頂けて喜びにとろけてます(*゚∀゚*)

響丸様の他の絵もご覧になりたい方はこちらへどうぞ!
https://syosetu.org/?mode=img_user_gallery&uid=114164


次回 #47 ドワーフの工匠


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#47 ドワーフの工匠

 ニンブルはたった一人、二台の馬車を連結させ、さらにその後ろに十頭を越える馬を引き連れて帝都に帰還した。

 その顔は疲れ切り、自分もこれで粛清かなと自嘲する様はすれ違う町の人々に戦争があったのかと思わせるほどだった。

 いや、実際に神聖魔導国と帝国の高度な戦争は始まっているのだ。

 

「――最後に…帝国は皆良い者達ばかりだなと…神王陛下はおっしゃいました……。」

「そうか…。アインズ・ウール・ゴウン。人、それこそが目的だったか。」

 ジルクニフはまんまと相手の掌の上で踊らされていたことに気が付いた。

「誰をこちらが送るかも全て想定内とはな。ふん。良いだろう。フールーダもレイナースもカーベインもくれてやる。しかし如何に慈悲深い統治を行おうと、人間は同じく痛みを知る血の通った人間の手でしか御しきれん。ニンブル、お前はよくやった。今は休め。」

 ニンブルは深々と頭を下げ、四騎士――いや、三騎士の仲間に見送られた。

 

 一月後には魔樹との戦いを見た騎士達と、魔法省の抱えていた魔法詠唱者(マジックキャスター)、そして魔法学院の教師、粛清し力を落とした貴族達がこぞって神聖魔導国エ・ランテルに渡っていった。

 ジルクニフはバラバラと髪を落とし、胃痛に悩まされるようになるのだった。

 

+

 

 しんしんと雪が降る朝、神都大神殿では新たな聖典が生まれようとしていた。

「クレマンティーヌ・ハゼイア・クインティア。レイナース・ロックブルズ。お前達二人は今日から紫黒(しこく)聖典だ。現在陽光聖典はコキュートスと共に我が国に降る亜人や異形の捜索を行っているのは解っているな。」

 青空のように透き通った色のローブに身を包むアインズの言葉に二人は真剣な眼差しで頷く。

「漆黒聖典も竜王国の様子を見にいっている関係上簡単に呼び戻すことはできない。紫黒聖典はそう言う者達の補助、補佐を行って欲しい。そしてその傍らで、監査機関として独立し、論功行賞を与えるに相応しい働きをした者を最高神官長に伝えるのだ。」

 アインズが自分の胸三寸で決まる評価をなんとかしたいと考えていた結果だ。

 レイナースと言う実力者が増員されたのは幸運だった。

 クレマンティーヌも漆黒聖典に戻っていたが、一度空けてしまった穴にはもう新たな第九席次がいたし、正直ふらふらと何もしていないような感じだったのだ。

 四大神の信仰はお取り潰しとなった為、六色聖典も二色聖典に減ったので些か聖典が足りていなかった。これで今日からは三色聖典だ。

 

 棚から牡丹餅だなとアインズが考えていると、赤紫のローブに身を包んだ背中の寒そうなフラミーが正式に言い渡した。

「クレマンティーヌ・ハゼイア・クインティア、紫黒聖典・第一席次、隊長を任命します。レイナース・ロックブルズ、 紫黒聖典・第二席次、副隊長を任命します。変わらずに二つ名は疾風走破と重爆を使いなさい。」

 二人は頭を下げ、新たな団員服を受け取った。

 とりあえず陽光聖典みたいにわかりやすいユニフォーム欲しいよね!ユニフォームがあると連帯感出るし!と平凡なアインズとフラミーが話し合った結果だ。

 ナザリックで余っているものでサッと作らせた鎧だが、この世界でならまぁまぁいい働きをするだろうと思われた。

 胸当てとブーツ、ガントレットは紫黒色のアダマンタイトで出てきており、光が当たるとわずかに紫色に輝いた。

 機動性を重視して作られたそれは、普通ならばスカートのようにぐるりと腰を囲む草摺り(タシット)の前面が完全に開いている。とは言え、ブーツが腿の高さまであるし、腰と臀部を守る草摺り(タシット)は膝下程度まであるため無防備という訳でもない。

 

 紫黒聖典の任命式が無事に終わると、アインズはずっと気になっていたことを口にした。

「任命式はここまでだが、フールーダよ。お前の腰に佩いているその小さな剣に彫られているのはルーン文字か?」

「おお!流石は神王陛下!この文字をご存知で!!」

(…本当にルーン文字なのか…。)

 ルーン文字はリアルで大昔に使われていた文字だ。確実にプレイヤーのもたらしたものだろう。

「まぁな。知識として持っている程度だ。私はルーンを刻んでアイテムを作る能力はないからな。どちらの名工が作ったものかな?」

 アインズはこうして人前に十分身を晒しているが、常に他のプレイヤーの存在を――アインズ・ウール・ゴウンを憎むかもしれない存在を――気にかけていた。

「は!こちらはアゼルリシア山脈にある山小人(ドワーフ)の王国のルーン工匠が鍛え上げた短剣で、百五十年ほど前に帝国に交易で来ていた山小人(ドワーフ)より買い付けました。以来、魔力が切れてしまったときの護身用にと帯刀しております。抜剣したことは一度もございませんが、式典の間は不敬かと外しておりました。」

「なるほど。山小人(ドワーフ)は今も帝国を出入りしているのか?」

 フールーダは静かに首を振った。

「現在はとんと聞きません。山小人(ドワーフ)がまだいるかも分からない状態でございます。」

 そこにプレイヤーの存在がないか調べる必要があるだろう。突然下山してきたプレイヤーに襲われることは避けたい。

「…アゼルリシア山脈か。」

 アインズが呟くと、レイナースがふと手を挙げた。

「かつてドワーフが私の村を経由して帝都に来ていたと祖父から聞いたことがございます。」

 

+

 

「そうか、それは大変だったな…。」

「恐れ入りますじゃ…。」

 アインズの慈悲深きその言葉に答えたのは、哀れなたった一人生き残った山小人(ドワーフ)、ゴンド・ファイアビアドだった。

 

 彼は廃れ始めたルーン技術をたった一人で追い求め続ける山小人(ドワーフ)だった。ルーン技術は魔法を付与するよりも時間もコストもかかるため、今では殆どルーンの工房を開いている山小人(ドワーフ)はいない。ルーン工匠として、たった一人採掘を行い、ルーンを刻む装備を作る日々。ゴンドがルーンにこだわる姿は、よく笑われたものだ。

 ある日、ゴンドが採掘を終わらせ不可視化のマントを羽織り街に帰ると、街の前で土堀獣人(クアゴア)と言うモグラのような亜人が友人達の死体を大裂け目に放り込んで行くところだった。土堀獣人(クアゴア)山小人(ドワーフ)の天敵で、これまでも何度も戦争を繰り広げてきた相手だ。

 その後は無我夢中で逃げ、昔破棄された街でただ一人、手持ちの食料とそこら辺に生えてるキノコで腹を満たしてなんとか生活していたらしい。

 

「ゴンドよ、それでも私はお前達の本来の街に行って見たい。案内を頼めるか。その後は我が国で難民としてではなく、ルーン工匠としてお前を受け入れよう。」

 ルーン工匠というアインズの言葉に、消沈していたゴンドの瞳はきらりと星が通った。

「…任せてくだされ陛下!しかし…人の国にわしが馴染めるかのう…。」

「安心しろ、ここにいる者は皆私とフラミーさんの民だが、いい者達ばかりだ。」

 そう言ってアインズはお供に強く立候補したシャルティアと、新しく生まれた紫黒聖典の二人。

 そして、蜥蜴人(リザードマン)のゼンベル・ググーだ。彼はいつものようにナザリックにレベルアップ実験に来ていたのだが、アインズがザリュースに帯刀している凍河の苦痛(フロストペイン)の製作者が山小人(ドワーフ)ではないか尋ねたところ、「俺は山小人(ドワーフ)の都市でしばらく生活してましたぜ」と横から口出しして来たのだ。

 レイナースとゼンベルのダブル道案内だ。

 

「フラミー様…?」

 レイナースはフラミーのいつもと違う様子に、伺うように話しかけた。何か思い詰めるような目をしていたのだ。

 フラミーはハッとし、レイナースに何でもないと言ったが、何でもない雰囲気ではなかった。

 

 ゴンドに地上を案内されながら一行は陥落した都市、フェオ・ジュラに向かった。

 夕暮れが迫ると、レイナースとクレマンティーヌはせっせと焚き火を起こし、テントを張った。

 ナザリックに一時帰還する事も、魔法で要塞を出す事も可能だが、折角キャンプ技能を身につけた二人がいるのだからと、この数日すっかり任せていた。

「アインズ様、そのクアゴアという者共も神聖魔導国へ招きんすか?」

 シャルティアは準備を進める二人を無視してアインズに問うた。

「そうだな…幾らかは引き入れたいと思うが…。」

 チラリと横目にゴンドを伺えば、ぞっとするような表情でこちらを見ていた。

「ドワーフの面々が嫌がらない程度の量にするつもりだ。」

 ゴンドは言ってる意味が解らなかった。面々と言っても、もう自分しか生き残っていないのだ。

(いや、他の地域に住んでいたドワーフが神聖魔導国に住んでおるのかもしれんのう…。)

 例え育った街が違っても、同じ種族の者が居る国に行くのは非常に魅力的だった。

 ゴンドはもう生きる事も辞めようかというタイミングで出会えたこの王に心から感謝した。

 

「あれれー?フラミー様、やっぱり様子おかしいですよねー?どーかしたんですかー?」

 クレマンティーヌもフラミーの顔を覗き込んだ。

 フラミーはやはり真剣な、どこか悩むようでもある面持ちでアインズとゴンドの話を聞いていたのだ。

「何でもないですよ…。いえ、少し、嫌な予感がするんです…。」

 そういうフラミーの言葉に、二名の聖典はこれから行く街がどんな惨状に見舞われているかと恐怖した。

 

「フラミー様、ちょっとだけいいか?」

 ゼンベルがぶっきらぼうに来い来いと手招きすると、シャルティアが近くに落ちていた小石を投げつけ、ゼンベルのすぐ隣に立つ木数本を貫通して行った。

「あ……よろしい…でしょうか…。」

 言い直したゼンベルにシャルティアは満足げに頷いていると、アインズに頭を撫でられた。

 フラミーへの無礼を嗜めるとアインズに褒められ、アインズへの無礼を嗜めるとフラミーに褒められる為、永久機関のこのトカゲの事をシャルティアは割と気に入っている。

 こっそり心の中でよくやったとゼンベルを褒めた。

 

「どうしました?ゼンベルさん。あんよ痛くなっちゃいました?」

 ゼンベルはフラミーと共に少しだけ一行から離れた。

「あ、いや…ははは。そうじゃねーんですよ。その…もし、死体があったら…俺の世話になったドワーフだけでも…生き返らせてやって欲しいんだ…いや、です。」

 そういうゼンベルはとても言いにくそうだった。

 族長として復活させられ、その奇跡はそうは起こらないと養殖指南役デミウルゴスが言っていた事を覚えている。

 それに、人を生き返らせることは自然の摂理に反しているのだ。

 神々はそういうバランスも気にするだろうと思えてならなかった。

「…今は約束できません。ごめんなさいね。」

 フラミーはそう言うと、脚に回復魔法をかけ背中をポンポンと叩いてから戻って行った。

「フラミー様も神王陛下も良い奴らだってのに、周りがちょっと過激なんだよなぁ…。」

 ゼンベルは頭をボリボリとかきながら、もう見えないその背中を追って戻った。

 

 一行は食事を済ませると、張られた四つのテントに各々向かって行った。

 まずゴンドとゼンベルが一つに入っていくと、レイナースとクレマンティーヌも荷物を一つに入れて行き、食事の片付けに勤しんだ。

 それまでゴンドが居なかった時はレイナースとクレマンティーヌ、ゼンベルで一つのテントにギッチリと入り、後はナザリックの三人が一人一つづつテントを使っていた。

 

 しかし、今日からはテントは残すところ二つだ。

 

 アインズは思った。

 フラミーが眠るまで喋って、眠れば折角だから外で星でも眺めていれば良いやと。

 それに、シャルティアと一晩フラミーが過ごすんじゃ気が休まらないだろうし、シャルティアと自分はまず無理だ、眠らないが眠らせて貰えそうにない。

 

 シャルティアは思った。

 このタイミングを逃せばまた暫くアインズを籠絡できるタイミングは訪れないかもしれないと。

 そして、共同戦線を敷いているアルベドの強引な手口は目を見張るものがある。

 見習うべきだ。

 

 フラミーは思った。

 アインズは骨だが一応男性だし、ヨダレを垂らして眠ったりしたら恥ずかしいよなぁと。

 孤児院大部屋育ちだ、女子なら誰かと眠る事に何の気負いもない。

 

 そして三人が動いた。

 

 フラミーがシャルティアとテントに行こうと手を取ると、シャルティアは迷わずアインズとテントに行こうとその手を取り、アインズはフラミーとテントに行こうと手を取った。

 

 静寂だった。

 

 クレマンティーヌは面白そうにその様子を見ていると、レイナースに頭を引っ叩かれた。

「っつー!レーナースさぁ、あんた顔のせいで婚約者に振られたとか言ってたけどその暴力体質が原因で逃げられたんじゃないのー!?」

 クレマンティーヌが煽るとレイナースは太い薪を一本その手の中でボキリと折った。

「次無駄口叩いたらこの薪はあんたの腕よ。で、あんたは誰応援すんのよ。私はフラミー様の味方よ。」

「そーんなのつまんなーい!当然シャルちゃんと神王陛下の組みを推すに決まってんじゃーん!」

 

 外野は自由だった。

 

 アインズは焦った。

 迷わずフラミーがシャルティアの手を取った事に。

 自分がスケベニンゲンだと思われる気がする。

 女子は女子と寝る、考えてみれば当たり前だ!

 

 シャルティアは焦った。

 迷わずアインズがフラミーの手を取った事に。

 自分はもしかして至高の支配者の何か(・・)を邪魔しているのではないかとよぎる。

 しかし、デミウルゴスやアルベドのような強引さが無ければ、勝ち残れない!

 

 フラミーは焦った。

 迷わずシャルティアがアインズの手を取った事に。

 シャルティアとアインズが二人で寝るなんてエッチ極まりないと思ったが、その考えこそがエッチではないか。

 ここでシャルティアを止めた者がこの空間で一番エッチな者になる!

 

 フラミーとアインズは二人ともパッと手を離した。

 そして、フラミーは細心の注意を払って笑顔を作る。

「ご……ごゆっくり!!」

 そしてゴキブリのようにカサカサカサとテントに入っていった。

 

「え…。」

 アインズの呟きは冬の夜空に溶けていった。




フラミーさん、どんだけ復活に警戒してるんですか!
頑張れシャルティア…!

次回 #48 クアゴアの毛皮


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#48 クアゴアの毛皮

 翌朝、アインズはツヤツヤしていた。

「おっす、陛下。おはようございます。」

 ゼンベルの挨拶にうむと応えると、フラミーの元へズンズン進んでいく。

 

「おはようございます、フラミーさん。」

「あ、アインズさん、おはようございます。」

 フラミーは考えたら負けだと必死にえっちな想像を追い払いいつも通りに返した――が、続くアインズの言葉に限界を迎えそうになる。

「いやー昨日すごく良かったんですよ。」

 紫黒聖典の二人は驚きに振り返ったが、立ち聞きするのは不敬かとそそくさとテントの撤去に取り掛かった。耳を象のように大きくしながら。

 

「そ、そうですか。」

 フラミーはまだ平静だ、いつも通りの返事をできた自分を褒める。

「流石にシャルティア、ペロロンチーノさんに創造されただけありますよ。だって――」

 早くも限界だった。

「だぁー!!やっぱり!……カカロット。お前が、ナンバーワンだ。」

 ビッとフラミーはアインズへ指をさすと立ち去っていった。

 フラミーは歩きながら思った。

 昨日の夜、あの中で一番エッチなやつが決まると思ったが、まさか翌朝に試練が待つとは、と。

 

(な、なんだ……?)

 

 小さくなる背にアインズは数度瞬いた。

 昨晩、とりあえずシャルティアと二人でテントに入ると、迫るシャルティアを何とか正座させ、女子としてのなんたるかを説教した。

 決してフラミーのように追い剥ぎ行為を行ってはいけないと。

 気付けばアインズはシャルティアと、一晩中ペロロンチーノを筆頭としたギルドメンバーについて語り合っていた。

 それはとても楽しく、幸せな時間だったのだ。

 フラミーとも散々昔話をしたが、守護者目線から見る皆の話は新鮮だった。

 シャルティアの部屋でギルメンが話したことの多くを覚えていた彼女は、アインズの知らない話は勿論、自分が忘れかけていた話も覚えていたし、フラミーの知らないペロロンチーノとの内緒話も知っていた。

 そして普通の会話をしている中でたまにヤラシイ事を言う姿はペロロンチーノそのもののようだった。

 

(そう、楽しかったんだ…。)

 

 アインズは昨日の晩を思い出すように目を閉じると、シャルティアが髪を結び終わったようでテントから出てきた。

「アインズ様、素晴らしいお時間をありがとうございんした。このシャルティア・ブラッドフォールン、この日のことは決して忘れんせん。」

「あぁ、シャルティア。私も決して忘れないだろう。」

 二人は仲睦まじく笑い合った。

 

+

 

 フラミーはモヤモヤしながら一度ナザリックに帰還した。

(私にNPCは断れないんだから慎重に接してあげろみたいなこと言ったのに…。)

 アルベドに言いつけてやろうと少しワクワクしながらアインズの執務室にノックもせずに入っていくと――そこではアルベドとデミウルゴスが遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を二人で覗き込んでいる所だった。

 バッとデミウルゴスがそれを伏せたが、音が出るようにスクロールを消費したのか木々のざわめきや朝食の用意をするレイナース達の声が聞こえてくる。

「こ、こ、これはフラミー様!!」

「フラミー様!シャルティアがついにやったようで――」

 ゲインとアルベドの頭をデミウルゴスが殴った。思い切り振りかぶられた拳だったが、最強の防御力を誇るアルベドを傷付けるにはまだまだ足りない。

「な!あなた何か勘違いしてるんじゃないの!?」

 アルベドは頭を抑えながら可愛らしく頬を膨らませ、口を尖らせながら小声でブーブー言っていた。

 フラミーはアインズを覚醒させるものの台頭を望んでいるはずだし、現に昨日も二人を激励してひとりのテントに潜っただろう、と。

 

 デミウルゴスが本当にそうなのだろうかと考えようとしていると、鏡から音声が流れてきた。

『アインズ様、素晴らしいお時間をありがとうございんした。このシャルティア・ブラッドフォールン、この日のことは決して忘れんせん。』

『あぁ。シャルティア。私も忘れないだろう。』

 

 フラミーはそれを聞くや否や、ドアからどんどん二人に進み――

「行け!アルベドさん!」

 何もない空間を指をさすとアルベドの前に無詠唱化された転移門(ゲート)が開いた。

 アルベドはピンと背筋を伸ばすと、今こそ自分の出番だと敬礼をしてみせた。

「かしこまりました!!フラミー様のご期待に私も見事応えてみせますわ!!えいっ!」

 恋する乙女は転移門(ゲート)にピョインと飛び込んでいった。

 

+

 

 朝食の準備が進む傍で、フラミーとバトンタッチしたと言って現れたアルベドにシャルティアがドヤ顔をしていた。

「ア、ル、べ、ド〜!最初にアインズ様と一夜を共にしたのはこのシャルティア・ブラッドフォールンでありんしたねぇ?」

「ふん、順番など関係ないわ。私はあなたよりも数多くその時を迎えるのみよ。ねぇアインズ様?」

 

 アインズは昨日のシャルティアとの楽しかったひと時を思い出していた。

「ん?あぁ、そうだな。皆を呼んで会を開くか。」

「み!!みんな!!アインズ様は大人数がお好きでいらっしゃるんですね!!」

「好き?まぁ、その方が多くのものが楽しめるだろう。」

「ななんて慈悲深い!!シャルティア、あなたよくやったわ!!」

 シャルティアとアルベドが手をにぎり合うのを尻目にレイナースとクレマンティーヌは勘づき始めていた。

 この方たちは多分噛み合ってない。

 

 思い出話をしたがる可愛い娘二人にアインズは顔をほころばせる。

 近いうちにナザリック大お泊まり会を開こうと心のメモに書き留めたのだった。

 

+

 

「アインズ様!モグラどもはここには王はいないと言っておりんす!」

 シャルティアは大量に殺したクアゴアを放り投げた。ゴンドと目指して来た都市は土堀獣人(クアゴア)で溢れていた。

「なんでもフェオ・ベルカナとか言う都市でドラゴンと共に下賤の王は暮らしているそうです。そちらに半分は残っているようなので、ここの者達は皆殺しで如何でしょうか。」

 アルベドは流石に聞き出す情報が細かかった。

 

「そうか、よくやったぞお前達。大裂け目の下にはドワーフの死体があるらしいからこいつらの死体は捨てるな。後でフラミーさんを呼ぶときにデミウルゴスも呼べ。毛皮が特殊だから何かにして売ったら良い税収になる可能性もある。見極めさせろ。」

 アルベドとシャルティアは頭を下げ、残党狩りに向かった。

 女子二人の仕事の早さにアインズはすっかり感心した。

 

 皆殺しが済むと、アルベドの提案なのかサイズに分けて――更に頚動脈を切られ血抜きしながら積まれていくクアゴアをアインズは興味深げに見ていた。

 どの個体も心臓は止まっているが、血は滴り落ちず、重力に逆らってシャルティアの頭上にぐんぐん溜まっていく。

 

 ゼンベルはその圧倒的な殺戮を前に神は怒らせたら怖いと胸に刻んだ。

 ゴンドは本当にこの王について行って大丈夫かと少し不安になった。

 

「アインズ様。これで以上でございます。全て整いました。」

 アルベドの声に頷くと、アインズはナザリックへ転移門(ゲート)を開いた。

 アルベドは一礼するとフラミーとデミウルゴスを呼ぶ為に入って行った

 

+

 

 フラミーとデミウルゴスは鏡を覗き込んでいた。

「アルベドさんは本当お利口ですねぇ!」

 ソファに座るフラミーは後ろに立って鏡を覗くデミウルゴスと笑い合った。

「全くです。血抜きをしなければ皮には汚らしい血の斑点が出ることがありますし、瞬時にシャルティアのスキルを応用させるのは流石統括と言わざるを得ません。」

 二人はアルベドの的確な働きに舌を巻いていた。

 そして紫黒聖典の二人と同じく、ここの二人もなんとなくアインズと女子が噛み合っていない事を鏡越しに察していた。

 つまり一番すけべだったのはやはりフラミーなのだが。

 

「じゃあ、そろそろ準備しますか?あー骨が折れそうだな!」

 そう言って立ち上がり、うーんと伸びをするフラミーにデミウルゴスはずっと疑問だったことを口にした。

「フラミー様は疲労無効のアイテムをお持ちではないのですか?」

「ふー…いえ、有りますけど、ずっと疲労を感じないと時間感覚なくしちゃいそうで。それに夜眠れなそうですし。」

 フラミーがはははと笑うと、デミウルゴスはその様子をわずかな時間見つめ、ゴクリと唾を飲み込み空中に手を突っ込んだ。

「…実は、このデミウルゴス。そうではないかと思いある物を作ってみました。」

 取り出したのは真っ白な――長い茎を持つ蕾が朝露に濡れてそのまま時間から切り離されたように見える不思議なものだった。

 綺麗…と呟くフラミーにデミウルゴスは安心してそのアイテムのなんたるかを語り出した。

「フラミー様の白い杖が珊瑚の骨ですので、聖王国の向こうの海から貪食(グラトニー)に上質な珊瑚の骨を帰りがけとって来させました。一日たった三回ですが、疲労回復効果をつけましたので、どうかお持ちください。」

 ソファの前に回り込み、片膝をついてその蕾を恭しくフラミーの前に捧げる。

 フラミーの瞳の中に花とデミウルゴスが浮かんだ。

 

「デミウルゴス、全くあなたのその図太い神経が羨ましいわ…。フラミー様、お分かりかとは思いますがアインズ様がお待ちです。」

 アルベドの声にデミウルゴスは宝石の目を開き口をヒクつかせていた。

 

「あ、はい!デミウルゴスさん、ありがとうございます。私がこういうの欲しいってよく分かりましたね、嬉しい!」

 フラミーはデミウルゴスから蕾を受け取ると、頭のお団子にプツリと刺した。

「い、いえ。こう見えて、私はフラミー様のお心の洞察には自信がございます。」

 デミウルゴスはさっと頭を下げてから立ち上がりそそくさと闇を潜った。

 

「デミウルゴス、御身の前に。」

 アインズの前に出ると悪魔は再び跪いた。

「来たか、向こうで見ていたとアルベドに聞いたぞ。さぁ、事情はわかっているかな?あれをどうするのがいいと思う。」

 そう言ってアインズは背後に積まれたクアゴアの山を親指で指し示した。

「は。毛皮としてそのまま使用すると、国に招き入れたクアゴアと身に付ける者の間で諍いが発生しかねないので皮はスクロールに、硬い毛は撚って染めて絨毯にでもするのが宜しいかと。ふふ、是非それはクアゴアの暮らす建物に敷きたいものですね。」

 上機嫌に残酷なことを言いながらも的確な判断にアインズは満足した。

「よし。それで良いだろう。お前とシャルティアにあれのナザリックへの運搬を頼んでもいいか?」

「もちろんでございます。この忠臣に何なりとお申し付けください。」

 アインズはいい子だなぁと思いながら、血抜きを言いつけられ、手持ち無沙汰にクアゴアの前に立っている愛らしい吸血鬼を呼んだ。

「シャルティア。」

 出番かと意気込んだシャルティアはクアゴアの運搬を頼まれると、ガクリと肩を落とした。

 

 その後フラミーとデミウルゴスのスキルで呼び出された最低位の大量の悪魔達によって、裂け目下のドワーフ達が拾われた。

「…やりますか…。」

 フラミーは次々と広い上げられて来る死体を前に呟いた。

 すると、すぐに手が差し伸ばされた。

「お願いします、俺も手伝いますから。」

 白い骨の手の上に手を重ねるとフラミーは杖を死の山に向けた。

 アインズと手を繋いで魔力を借用しながら、フラミーは十人づつドワーフを生き返らせ――やっぱりもう嫌だと嘆くのだった。

 

 

【挿絵表示】

 




シャルティア!よくやった!!

ローブの背中がこうだと可愛いですよね!
このリボンをひっぱるとピラリってなったりしたらと思うとヤバイ笑いが込み上げてきます。
→https://twitter.com/dreamnemri/status/1131205852373774336?s=21

次回 #49 動き出す邪神教団


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#49 動き出す邪神教団

 ほとんど丸一日かけて復活させられた山小人(ドワーフ)達は口々にアインズとフラミーに礼を言った。

 

「それで、我が国に来るかな?」

 もはやボロボロの街は食料も建物も、ドワーフの暮らせる要素を全て失っていた。

 摂政会の八人の長達は全員が移住に賛成した。当然渋々、と言う者もいたが。

 相手は強大なアンデッドだと思うと生き返らされたとは言えほのかに恐ろしさを感じる。

 しかしここではもう暮らせない。人と肩を並べて暮らすのは不安だが、飢え死によりは良いだろう。

 

 遠くからその様子を眺めるフラミーに、ゼンベルは近付いた。

「フラミー様、ありがとよ。俺の世話になったやつもちゃんと居たぜ。」

 ニヤリと笑うゼンベルの足に、フラミーはとりあえず回復魔法をかけた。

「…お安い御用ですって…。」

 フラミーはもうドワーフをしばらく見たくないと思いながら頭からデミウルゴスに貰った蕾を引き抜く。

 効果を使ってみると、蕾の中に生じた丸い輝きが先っぽに現れ、ポンと弾けた。

 フラミーは目を閉じてその光を浴びた。キラキラとした輝きが消える頃には、フラミーの体から疲労は消えていた。

 

「――よし!そしたらドラゴン狩りに行きますか!」

 ドワーフの今は遺棄されている王都には霜の竜(フロストドラゴン)と呼ばれるドラゴンが巣食っているらしい。

 以前、冒険者漆黒の剣と冒険をした時にニニャがそのドラゴンの存在を教えてくれていたが、まさかこんなところにいるとはとアインズとフラミーは期待に胸を膨らませた。

 

 ゴンドとゼンベルを含めたドワーフ達はアルベドと紫黒聖典の先導で先に歩いて山を下って行った。

 帰りがけ、ずっと女子達に魔導国の素晴らしさを聞かされた一行は自分達を復活させた王のその国を何だかんだ楽しみにしながら歩みを進めるのだった。

 

+

 

 アインズ達は溶岩地帯を抜け、天然のガスだまりを抜け、ドワーフの旧王都に来ていた。

「アインズ様!お言葉に従い、全て選別完了しんした!オスが四千、メスが四千、子供が二千でありんすえ!死体はまたデミウルゴスが持ち帰りんした!」

 軽快に声を上げるシャルティアに、アインズは優しく頭を撫でた。

 その後ろには十九匹の霜の竜(フロストドラゴン)が平伏している。ドラゴン達の父で、群れの長だったオラサーダルク=ヘイリリアルと言う者が大層不遜だったせいで、アインズは一瞬でドラゴンを一匹始末してしまった。が、他の者は従属を願ったためにこうして連れ帰ることにした。

「よくやったぞシャルティア。ペロロンチーノさんもお前の活躍を喜んでるはずだ。」

 シャルティアは素晴らしいその褒め言葉を絶対に忘れたくないと思いながら、撫でて来る優しいその手に頭を委ねた。

 次の夜はきっと語らうだけでは済ませないと胸に誓って。

「それで、王はどれかな?」

 アインズの問いにシャルティアは粗末な王を指差した。

 

 周りのクアゴアの恐れが伝わってくる中、アインズは王様らしく見えるように黒い後光を背負って、道中で練習した口上を王に述べる。

「私は慈悲深い王として知られている。お前は罪のないドワーフを皆殺しにしたな?しかしその罪はお前の同族が流した血によって償われたと考えている。今後お前達が私たちのために必死に働くのであれば、繁栄を約束しよう。」

 その時アインズはまさしく王だった。

 

「わーアインズさんカッコいいー!ぎるますー!」

「アインズ様ほんとにほんとにかっけぇでありんす!!」

 女子二人が台無しにしたが。

 

「んん。どうするかね。」

「ははぁ!!子々孫々に至るまで、御身に仕えさせて頂きます!!」

 いい返事にアインズは頷いた。

「お前達はドワーフとはあまり近くないところに住ませた方がいいな。日光の問題もある。一度ナザリックに行くのだ。」

 アインズはシャルティアの開く闇にクアゴア達を送り出した。

 こうしてナザリック鍛冶長の必死のサングラス製造の日々は幕を開けたのだった。

 

+

 

 アインズとフラミーはドワーフの城にある宝物殿を訪れていた。

「アインズさん!これみーんな持って帰りましょうね!税金!税金!」

 フラミーはリアルで納める税金の多さに日々嘆いていた為か、税金になる金銭には目がないようだった。

「大したものは無さそうですけど、とりあえず全部持って帰りますか?ドワーフは二度とここには来ないでしょうし、来たとしても誰かが盗掘したと思いますよね。」

 そうしようと興奮するフラミーに笑い、アインズは少し躊躇ってからこめかみに手を当てる。

「――パンドラズ・アクターか。悪いが宝物殿に持ち帰りたいものがあるのだ。うむ。……うむ。そうしてくれ。頼む。こちらから転移門(ゲート)を開こう。」

 アインズが開いた闇から出てきたパンドラズ・アクターは華麗に跪いた。

「パンドラズ・アクター、御身の前に。」

「よく来たな、パンドラズ・アクターよ。フラミーさんが残さず全部これらを持ち帰りたいそうだ。できるか?」

 その言葉にパンドラズアクターはパッと顔を上げ、それまで胸に当てていた手を顔に当てると、ゆっくりと丸い顔に沿わせていく。

「御身に生み出されたこの身に不可能はございません。」

 キラリと光る黒い目を見るとアインズは沈静化された。

「……では頼んだぞ。貨幣は使うとドワーフにバレるな。対策を考えておけ。」

「では、貨幣は全て潰して、新たな神聖魔導国硬貨に鋳造し直すと言うのはいかがでしょうか。」

 アインズは鷹揚に頷く。

「名案だ。話が早くて助かるぞ、パンドラズ・アクターよ。」

 褒められた事に嬉しそうに頭を下げると、くるりと回ってアインズの姿になりパンドラズ・アクターは転移門(ゲート)を開き直した。

「それでは回収を始めさせて頂きます。」

 

 親子の話が終わるとフラミーは深遠の下位軍勢の召喚(サモン・アビサル・レッサーアーミー)を発動させた。

 

 ギャギャギャギャギャギャギャ!

 

 黒い穴から、愉快そうに笑うライトフィンガード・デーモンが大量に出てくると、フラミーの前に並んだ。

 

「皆さん、これみーんな持って帰ります!ズアちゃんの言う事をちゃんと聞いて運ぶんですよー!」

 フラミーの楽しそうな声にギャーイ!と声を上げる悍ましくも愛らしい悪魔達はアインズの姿を模したパンドラズアクターの言う事をよく聞いて、せっせと宝を運んだ。

 宝を盗む性質を持つ悪魔達は今日の仕事が終わる頃、ほくほく顔だったらしい。

 

+

 

 バハルス帝国のとある墓地の霊廟の地下に、邪悪な空間が広がっていた。

 地下階段を降りた先には奇怪なタペストリーが掛けられ、その下には真っ赤な蝋燭が幾本も立てられ、ボンヤリとした明かりを放っている。踊るように揺れる灯りが、無数の陰影を作る。微かに漂うのは血の臭いだ。

 

 そんな場所に男女交えて、総数二十名ほどがいた。

 顔は骸骨を思わせる覆面を被っており、うかがい知ることは出来ない。その集団がおかしな存在だと言うのは誰が見ても一目瞭然だろう。覆面はまだしも、問題はその下だ。上半身、下半身共に裸であった。

 怪しい集団は肩身を寄せ合い、ひそひそと会話をしていた。

 

 彼らは邪神を祀る教団だった。

「近頃はクレマン様もすっかりそのお姿を現さない。やはり、神のおそばに侍っていらっしゃるのだろうか。」

「しかし以前クレマン様が仰っていたのは本当だったようですね。」

「全くですな。何せ、旧法国が王国の数々の村を焼き討ちにしていたら降臨されたとか。」

「たった数名の生贄や鳥では足りなかったと言う事ですね。」

「旧法国が一体何人を生贄にし、村を焼き討ちへ処したか知りたいものですな…。」

 

 しばらく思い思いに生贄の有用性について語り合っていると、これまで黙っていた男が躊躇いがちに口を開いた。

「…実はフールーダ様が神聖魔導国で魔導学院の設立を目指してらっしゃるそうなのだ。そこでノウハウのある者の引き抜きを行ってらっしゃる…。」

 語る声は枯れ木を揺らすようだった。体は皺だらけの老人のものであり、弛んだぶよぶよとした皮だ。

 周りの者もそう大差ない姿だ。どれも干し柿のようだった。

 何を言いたいのか干し柿達は理解を始めた。

 全員それぞれが何者なのかは知らない体でいたが、この老人だけは別格なため皆が何者なのか察している。

 

「行かれるのですか。」

 その言葉に頷く。

 

「ああ。私は、神王陛下のご降臨を心待ちにしていたのだ。向こうで成果を上げ…そしてフールーダ様のような不老不死を願おうと思う。」

 皆の心の中に嫉妬の炎が渦巻くが、誰も老人に手は出さなかった。

 神の役に立とうとする男に手を出すのは不信心者のする事だ。

「今日限りで私はここを出る。すまない。」

 

 しばしの沈黙が訪れると、ドタドタと無作法に誰かが教団の階段を下りてくる音がした。

 

「た、大変だ……!!大変だぞ!!神が、神が大量のドワーフを連れて帝国のすぐ側を通ってらっしゃるそうだ!!しかも、その隊列の中にはクレマン様らしき女性が!!」

 

「なんだって!?」

 男の絶叫に全員が立ち上がり、階段を駆け上ろうとする。

「待つんだ皆!!神は旧法国の生贄を捧げた男を裸にしたと聞きおよぶ。やはり生贄を捧げるにはこれが本来の正装だとは思うのだが…だが…生贄を捧げない時我々はどんな格好で神の前に参ずれば良いのだ!?」

 当然表に出れば服を着ている者しかいない。このままで出掛ければ神にまみえる前に御用だ。

「この覆面はいつも通り持って行って、クレマン様にお聞きするのが一番じゃないのか!?」

 違う男の意見に全員がソレだ!と瞳を輝かせた。

 頭のおかしな邪神教団は無駄にピタリとハマってしまったピースに歓喜し、服を着こみ――初めて魔法学院の学院長以外の者が何者だったのかを知った。




次回 #50 知られざる戦争

や、やばいやつら来ちゃった(//∇//)


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#50 知られざる戦争

 アインズ達は先を行かせた山小人(ドワーフ)に追いつき、一緒に歩いて帰っていた。

 山小人(ドワーフ)は復活したばかりで歩みが遅かったが、アインズはすぐに帰りたくなかった。

 帰れば聖王国の作戦が始まってしまう。

 考えるのも恐ろしいデミウルゴス発案の作戦に行かなければならない。

 渡された作戦案書類には嫌がらせかと思う程に「御心のままに」と言う文章が並んでいた。

 

 本来であれば下山は蜥蜴人(リザードマン)の住む湖に向かってまっすぐ険しい道で南下するのが早いが、山小人(ドワーフ)の足腰を心配してと言う名目で、わざわざ東の帝国のわきを通ってエ・ランテルを目指した。

 この道はレイナースの祖父が話したと言うものだ。

 アルベドには転移門(ゲート)を勧められたりしたが、なんとかのらりくらりと躱した。

 

 下山が済み、平野を歩くこと二日。ゾロゾロと進んでいると遠くから大量の馬車が向かって来るのが見え、レイナースとクレマンティーヌ、アルベドとシャルティアが組みになって立ちはだかった。

 

 馬車は止まると、一斉に中から中年から老年の男女が飛び出すように降りて来た。そして声を合わせて、呼びかける。

「邪神様!邪神様だ!」「か、神よ…!」

 口々に邪神様、神様、と言う。

 アインズはその様子に、どこか逃避するように目だけで周囲を見渡した。

 いない。邪神など何処にもいない。

 何処を見渡しても、それらしきおぞましき存在はいない。

 

 ならば残る答えは一つである。フラミーやアルベド、シャルティアというわけでもないだろうから。

 

 どうみてもそうとしか考えようがなかった。

 

(――やっぱり俺が邪神かよ!!)

 

 内心で絶叫する。アンデッドであるにもかかわらず、アインズは混乱した。

 

 おかしい。おかしすぎる。何故こうなった。

 フラミーと二人で王国軍を舐めるように崩壊させたが、同時に大復活させた慈悲深き光の神のお友達だ。そして何より良き統治を行う国王。

 そう理解してもらうよう、腐心してきたはずだと言うのに。

 

 それなのに、何でこうなった?それとも邪神とはこう……良い意味を持った神様なのだろうか?

 混乱が一定のラインを超えると、アインズはすっと落ち着いた。賢者だった。

 

 アルベドとシャルティアがいつでも殺せますと優しい微笑みをアインズに向けていると、如何にも身分の高そうな老人が馬車から降りて来た。

 クレマンティーヌのゲッという声が聞こえるが今は構わない。

 

「く、クレマン様…やはり神々の元にいらっしゃったのですね…。」

 老人は感動するようにクレマンティーヌを見ていた。

「…なんだ、お前の知り合いか。私達は先に行く。お前は後から来ればいい。何、十万の牛歩の列だ。一時間くらい話してもすぐに追いつくだろう。」

 そう言って賢者になったアインズは歩き出した。

 アルベドもシャルティアもここ数日、中々話のわかるクレマンティーヌを割と気に入っていたので武器を下ろしてまたアインズの左右につくと歩き出した。

 

「お待ち下さい!!神よ!!」

 しかし、謎の集団はクレマンティーヌに用がある訳ではなさそうだ。

(…やめろ。俺と関わらないでくれ。)

 アインズの悲壮な胸の内を知ってか知らでか助け舟が来る。

「あなた間違ってるわ。アインズ様にお言葉を頂きたければ神殿か聖堂に行って面会要求書を書くの。それがお会いするに相応しい内容だとわかって初めて拝謁の時を迎えられるのよ。」

「クレマンティーヌ、おんしの仲間でありんしょう。無礼なその者達によく言って聞かせなんし。」

 アルベドとシャルティアの言は至極当然のものだった。

 

 そもそも普通の王がいても呼び止めて話しかけたりするものだろうかとアインズは思う。

 しかし庶民のアインズは答えを知らない。

「じゃ…邪神様…。」

 再び呼ばれると、クリアな頭でアインズは少し考えた。

 今この時を逃せば、邪神という不名誉な呼び名を返上する機会は訪れないのではないだろうか。何故かNPC達は"アインズとフラミーが望んだ"世界征服をすると意気込んでいるし、ナザリック切っての知恵者達がここまで絶賛した道のりに間違いがあったとも思えない。

 では、今邪神と呼ばれてしまうのは何かアインズの失態故ではないのだろうか。

 アインズは左右にピタリとくっつきながら怒っている守護者達の頭に手を乗せ撫でた。

「…まぁ、帝国のこれだけ近くをこんな隊列を組んで歩いていたこちらも悪かったか。三分だけやろう。」

 アインズは二人の頭から手を下ろすと列を離れて行き、邪神呼ばわりして来る一団に向き合った。

 ゼンベルと楽しげに何か話していたフラミーもそれに気付くとゼンベルに手を振ってアインズの下へ向かった。

 ゼンベルは頭を下げるとドワーフ達を連れて再び歩き出した。

 アインズ達の後ろをドワーフの長い長い列が通る。

 

「この人たち誰ですか?」

 何の話も聞いていなかったフラミーは、何やら話の中心にいるようなクレマンティーヌに聞いた。

「あーえっとー神様の降臨を願う…その…慈善団体です……。うん。」

 クレマンティーヌはズーラーノーン事件を起こした時、アインズに記憶をのぞかれ、更に微妙にいじられている。

 いじられた内容は簡単だ。

 フラミーが薬師を殺したことを消し、モモンがアインズだったことを消し、そして素晴らしい――もう忘れてしまった何か洗礼を受けて、法国に戻ることを許されたという漠然としたものだ。

 

 しかし、覗いた方は割とじっくりと覗いたのだ。

 アインズの脳裏にビビッとクレマンティーヌの頭をのぞいた時の記憶が蘇った。

(――こいつら、まさかあいつらか!!勘違いじゃなければこいつらは変な面をつけて裸になって鶏を殺して遊んでた奴らだ…!!)

 閃きが迸る。

「お前、嘘をついていないだろうな?」

 クレマンティーヌは背筋をゾッとさせた。

 

 別に何を殺してどんな儀式をやっていてもいいが、クレマンティーヌの扇動していた怪しい教団が自分を邪神と崇めるのだけはやめさせなければいけない。

 アインズは邪神教団に極力優しい声で話しかけた。

「私は慈悲深い神として知られているので、二度と邪神などと呼ぶな。それから、お前達の生贄はもういらん。しかしその罪はまだ償われていない。今後お前達が私達のために必死に働くのであれば、繁栄を約束しよう。」

 クアゴアの王、リユロに言ったことをほとんどそのまま言った。

「おお!神よ!必ずや御身のお役に立つ事を我ら教団一同誓います!」

 そう言うと、誓いを示すぞと老人は後ろの者たちに声をかけ上着を脱ぎ始め――後ろの者達もそれに続く。

 

 フラミーは嫌な予感に襲われ、呆然とし始めたアインズのローブのフードから出ている紫の帯をビンビン引っ張った。

「やややややめさせてくださいよ!あの人達アインズさんの何か分かんないけど何かなんでしょ!!」

 アインズは我に返った。

「あ、あ!お前達やめろ!!いいか!絶対私達の前で裸になるな!!クレマンティーヌ!!」

 若干パニックになりかけたアインズは強制的に鎮静された。しかし感情は再び昂った。

 呼ばれたクレマンティーヌは慌てて跪くと頭をバシンと叩かれ、あまりの強さに一瞬意識を失いそうになるが何とか意識を手放さずに耐えた。

「お前今度怪しい宗教やったら殺すからな!!もしこいつらのせいで神聖魔導国に変な風習が根付いたら街ごと消す!!それを忘れるな!!」

 慈悲深い王にかなりの勢いで怒られたクレマンティーヌは血相を変えて目の前のせっせと服を脱ぐ教団の元に駆け寄っていった。

 

「なんでこの世界の人達は裸になりたがるんですか!?あの人達、アインズさんの知り合いなんですか!?」

 フラミーの久しぶりの問いと完全に引いてる雰囲気にアインズは焦った。

「ち、違うんですよ!クレマンティーヌの記憶にあった変な人達だから知ってただけで…!」

「…本当はニグンさん脱がしたのもアインズさんの指示じゃないですよね!?」

「そ、そんな!フラミーさん、そんなのあるわけないじゃないですか!やめてくださいよ。え!?そんな目で見ないで下さいって!」

 

 宗教団体も神様達もわちゃわちゃしていた。

 

 なんとか事態が収束し、再び行進を始めるとクレマンティーヌはレイナースに道中こってこてに絞られた。

 神官長達にも全てを報告すると言われて。

 あの慈悲深い王に街ごと消すと言わせるクレマンティーヌはある意味才能がある。

 

「レーナース…。」

「何よ。本当にあんたって旧法国に仕えてたわけ?」

「神様ってまーじすごいね…。」

 クレマンティーヌの謎の呟きにレイナースは当たり前だろと頭にあるたんこぶを叩いた。

 

 てんやわんやの後、エ・ランテルについたドワーフ達は数日かけて全員が国籍を取得し、ザイトルクワエによって最も日当たりが悪くなっているあまり人気のない地域にドワーフ街を作ることにした。

 元から穴蔵生活だった彼らはむしろ日当たりの悪い土地が残っていたことを喜び、可愛らしい小さな家をスケルトンと共に建てていくのだった。

 工房が完成し、鍛治仕事ができるようになると、ルーン工匠達は懸命に働き、街についてから神聖魔導王に見せられた素晴らしき短剣を再現するべく日夜研究に励んだ。

 人の家は景観規制もあり白い建物ばかりだが、この一角はドワーフらしさを出す様にと言う神聖魔導王直々の要請で赤や黄色、青に紫…実に様々な色に塗られたのだった。

 小さく可愛らしい家の立つカラフルな街並みはフラミーの「トゥーンタウンだ!」と言う一言から後に誰もがそう呼ぶ様になり、割と観光客が訪れる人気スポットになるのはまた別のお話。

 

 その後一足遅れてエ・ランテル入りを果たした霜の竜(フロストドラゴン )達はザイトルクワエの頂上に暮らすようになった。

 夜は大樹の上で眠り、五日は空輸便としてカッツェ平野――現カッツェ穀倉地帯から神聖魔導国中に新鮮な野菜や肉、魚を運んでいる。

 五日働くと与えられる二日の休日にはエ・ランテルの上空を自由気ままに飛び回ったり、友人が出来るとザイトルクワエの頂上に招待したりした。

 友人には、講習官のナーガであるリュラリュースを筆頭に、穀倉地帯で働く者達や、荷を受け入れる商人達がいた。

 その背に乗ってしか行けない頂上は、極一部の者達の秘密の遊び場にもなったのだった。

 

+

 

「国の横を神聖魔導王が通っただけでこれはどう言うことだ!!」

 ジルクニフは荒れに荒れていた。

 それもそのはずだ。

 魔法省の残りの人材と、魔法学院の人材が一気に殆ど魔導国に流れ出したのだ。

 次々と出される辞表はもはや開ける事も追い付かず、帝国はパニックになり始めていた。

 魔法に関わるもの達だけならまだよかった。

 なぜか神聖魔導王が通った翌日には粛清しなかった貴族達も何を思ったかお世話になりましたと国を出た。

 

 皆口々に「神王陛下のお役に立たねばならない」と言って。

 

 魔法省は壊滅だ。

 魔法学院も教師がいなくなったのだから生徒も教師を追って親と移住して行く。

 騎士団も半分程が帝国を離れた。

 貴族も出ていけば内政を預かるものが足りなくなる。

 

 早くも帝国は限界だった。

 フールーダを送り出してわずか一ヶ月。

 帝国は無血のうちに負けたのだった。

 

「ロウネ…ロウネ・ヴァミリネン…。」

 皇帝に呼ばれたその者はゴクリと唾を飲む。

「神聖魔導国に…いや…神聖魔導王陛下に書簡を出せ…。」

 

 皇帝がそれを陛下と呼んだ。

 それだけでロウネは書簡の中身がわかった。

 

「属国化を願い出ろ…。帝国が生き残るにはそれしかない…。」

 

 三騎士は悲痛な面持ちで床を見た。

 

+

 

 その日、BARナザリックには非常に珍しい組み合わせの守護者達が三人訪れていた。

 

「我々がアインズ様のお役に立てる日は来るのでしょうかねぇ…。アルベド…。」

 知恵ある悪魔はため息をつきながらもう一人の知恵者に聞いた。

「私…アインズ様が歩いて帰ると仰ったのをお止めしたのよ…。デミウルゴス、あなたは良いわよ、これから聖王国で手柄を上げられるじゃない。私は…私はどうなるのよ…。」

 統括は嘆いていた。

 帝国の属国化を願う書状が届いたのは、どう考えてもドワーフ行進のお陰だ。

 そしてアインズに忠誠を誓った謎の教団。

 何故行ったことも見たこともない帝国で何が起きているのかアインズが見通す事が出来るのか分からなかった。

 皇帝なんて未だ会った事もないのだ。

 

「アルベド、アインズ様のその何もかも見通すお力は我々の及ぶところではありません。そう自分を責めないで…。」

 デミウルゴスはよく働いたはずのアルベドを慰めた。

 その肩に手を乗せポンポンと叩く。

 そして、三人目の知恵者も口を開く。

「私からアインズ様にお写真をお願いしてさしあげましょう。アインズ様は貴女の働きを非常に喜んでいらっしゃいましたから。」

 卵頭は落ち着いた調子だ。

「ほ、本当?パンドラズ・アクター…。」

「私に任せてください。こう見えて私はアインズ様に結構可愛がられてるんですよ。」

「あ"ぁ!?」

「あ、いえ、失礼…。」

 

 その後知恵者三人は聖王国の一大イベントの最終確認を行うのだった。




次回 #51 閑話 月下に咲く花
5/25の12:00更新です!

これにて帝国編が終わって聖王国編が始まりますが、聖王国編は御身めっちゃ頑張っちゃいますよ!
帝国編、全くジルジル出てこなくてただただ反省ですね。
今後活躍する機会を設けます!

ユズリハ様より勢力図を頂きました!

【挿絵表示】

やはりわかりやすい!ありがとうございます!


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試される聖王国
#51 閑話 月下に咲く花


 ドワーフの国から戻ったアインズはその晩、風呂から上がったフラミーの部屋を訪れていた。

 

「こんな時間にすみませんね、フラミーさん。前にデミウルゴスの引っ込める能力聞くって言ってたじゃないですか。それってまだですよね?」

 フラミーは本日のフラミー当番のエトワルにまだ少し濡れる髪を梳かしてもらっていた。自分でやると言ってもさせてもらえないらしい。

「あ!それ、聖王国行っちゃう前に時間作らないとまたタイミング逃しちゃう!」

 フラミーは不思議な白い蕾を手の中でくるくる玩びながら応えた。

「エトワル、すまないが少しアサシンズと共に向こうに行っててくれるか?」

 アインズは人払いした。

 

「フラミーさん、そのタイミングで聖王国での細かい作戦内容をデミウルゴスから探りましょうよ。だから、明日とか……兎に角一週間後の出発までになんとしてもその会を開きたいです」

 フラミーは下ろしたままの髪と不思議な蕾を片方の耳にかけると、瞳にギラリと光を写した。

「なんなら今夜でもいいっすよ」

 二人はサムズアップを交わすとニヤリと頷きあった。

 

+

 

「デミウルゴス。御身の前に」

「よく来たな!さぁ座るんだ」

 

 デミウルゴスは一度断ってから支配者達の前のソファに座ると、ワクワクしている雰囲気の二人へ向いた。

「それで、今宵はどのような御用向きでしょうか」

 

「デミウルゴスさん!こないだの続きです!」

 身を乗り出してそう言うフラミーにデミウルゴスは宝石の瞳をパチクリさせた。

「あ、あいんずさまもご一緒に……でございますか?」

 

 アインズは女子のデリケートな話を男二人で聞くのはマズイのではと言われたような気がして焦った。

 ここで出て行かされては聖王国のことが聞き出せない。

「……私がいては不服かな?」

「あ、いえ。とんでもございません。お望みとあらば」

 デミウルゴスは頭をさっと下げた。

 

「それじゃ、デミウルゴスさん。すみませんが翼をしまえる秘密を教えてください!」

 フラミーの言葉にデミウルゴスは翼をしまえる秘密……と復唱した。

「んん、失礼いたしました。翼ですね。はい。分かっておりますとも。それでいかが致しましょう」

 メガネをクイと上げる悪魔はとても頼りになりそうだ。

 

「とりあえずこの間見損ねたので背中見せて貰っていいですか?」

 フラミーの言葉に頷くと悪魔はいそいそと服を脱いでいき、筋骨隆々な細い背中を露わにした。

 フラミーはメモを持って近付くとそのたくましい背中をまじまじと見た。

「はい。じゃあ、ゆっくり出してください!」

「……それでは、始めさせて頂きます」

 フラミーがゴクリと唾を飲んだ音がした。

 背中からミチミチと音を立てて翼が出てくる。

 デミウルゴスはゆっくりやるのは初めてなのか、緊張したような顔をして少しだけ粘液にまみれた翼を出した。わずかなぬめりがテラテラと黒く光った。

 

「痛いですか?」

 フラミーはデミウルゴスの斜めから濡れた翼の生え際をツツ……と指で触りながらデミウルゴスを見た。

「……っ……いいえ、痛くありません……」

 アインズは自分は何を見せられているんだろうとコホンッと咳払いをした。

「さぁ、しまって見せてくれ」

 

「かしこまりました」

 翼はデミウルゴスの背の中にゆっくりと吸収されるように押し込まれ、仕舞われていく。

「あ、もう入っちゃう!もっとゆっくり、入るところよく見せて下さい!」

 デミウルゴスはアインズに心底困ったような視線を送りながら、自分の中で一番ゆっくりな動きで翼をしまい直した。

 フラミーは翼がしまわれた背中を優しく撫でた。

「……痛いですか?」

 それしか聞くことはないのだろうか。

「いえ…………」

 そしてふーむと唸るとメモを取り、フラミーは核心に迫った。

「デミウルゴスさんは、しまったことありますか?」

 デミウルゴスはまさに今翼をしまったところだったので質問の意図を探したが、よく分からなかった。

「……フラミーさん?絶対こいつは試したことないと思いますよ。それは俺でもわかります」

 アインズの返答にふむふむと頷き更に手の中でメモを取って行く。

 

 どんな事を書いているんだろう、と立ち上がってフラミーの手元を覗くとそこには──

 

 ○デミウルゴスさん

 ・だしても痛くない

 ・いれても痛くない

 ・未経験(アインズさん談)

 

 アインズは顔を覆った。

(もう……この人ある意味ペロロンチーノさんよりヤバい……)

 フラミーは絶対にいらないであろうメモを見ると満足げにふんすと鼻息を吹いた。

「フラミーさん……それ誰にも見せないでくださいね。本当頼みますから……。デミウルゴスの名誉のために……」

「見せませんよ!私の秘密のメモですからね。それじゃ、ちょっと今の感じイメージして試してきますから待っててくださいね!」

 

 そう言ってメモをテーブルに置くとタタタと寝室に入っていった。

 

「いつもすまないなデミウルゴス……。さ……着てくれ」

 アインズの懺悔にデミウルゴスはいえいえと首を振りながらYシャツに袖を通して行った。

「とんでもございません……。フラミー様は翼をお仕舞いになりたいのですか?」

「へ?あ、いや、男子部分を仕舞いたいらしいぞ……」

 どっこいせとソファに座り直すアインズに顔を向け、デミウルゴスは宝石の目を見せると中途半端にシャツのボタンを閉めたまま固まった。

 

「そのようなことが出来るのでしょうか……?」

「いや、多分無理だと思う……」

 アインズはいつもよりずっと若い声でそう答えた。

 デミウルゴスはふーむと悩み、シャツをズボンの中にきちんと仕舞い切ると何か閃いたようだった。

「アインズ様。このデミウルゴスにいい考えがあります」

 アインズは視線で続きを促すと、フラミーがちょうど寝室から出てきた。

 

「これはフラミー様。もしフラミー様がお仕舞い頂けない場合、お望みとあらばニューロニストに切らせれば宜しいかと愚考──」

 アインズは立ち上がってデミウルゴスの頭をスパンと叩き、顔を近付けて瞳の灯火を赤くした。

「お前……それは確かに愚考だ、初めての愚考だぞ……!」

「お、お望みかと……」

 チラリとフラミーを見ると、呆然と自分の股間に視線を落としていた。

 

 アインズは咳払いをしながら再び座りなおすと、フラミーはいそいそとサスペンダーをあげるデミウルゴスを驚愕の瞳で見ていた。

「フラミー様。何はともあれ仕舞えるのが一番でございます。如何でしたか?」

 フラミーは黙ったままかぶりを振った。

「……フラミー様が天使だった名残を捨てたい気持ちは分かりますが、そのままで宜しいのではないでしょうか?」

 デミウルゴスの声にフラミーは少し悩んだ。

「うーん。もう少し、諦めないで方法を探してみます。それで全部試してダメだったら、もう諦めるしかないですね。そうなったら誰のお嫁さんにもなれなそうですけど」

 フラミーは困ったように笑った。

「このナザリックにフラミー様をお嫁さんに貰える事ができるのであればその身体的特徴を理由に断る者は誰一人としておりません」

 フラミーとデミウルゴスの口から出るお嫁さんという言葉にアインズはなんだかおままごとのような可愛らしさを感じた。

 

「ははは。うんうん、そうだな。デミウルゴスの言う通りだ。──まぁもう少し方法を探せば良いんじゃないですか?それにフラミーさんは綺麗だから大丈夫ですよ」

「あは、ありがとうございます。何と言ったって元々CGですからね!」

 ははははと笑う支配者達に、シージーとは何だろうとデミウルゴスは考える。

(元々シージー……。天使という意味か)

 デミウルゴスは一人納得した。

 

「ところでフラミーさん、ちょっと前から気になってたんですけどそれ何なんですか?」

 こめかみのところをちょいちょいとアインズが指差すと、フラミーは蕾を耳から引き抜いてアインズの前に摘んだまま見せた。

「綺麗ですよね、デミウルゴスさんに貰いました!」

 デミウルゴスは思わず思考の海から上がり支配者の様子を伺った。

「ほーこんなの初めて見ました」

「とっても綺麗ですよね!」

 アインズがよく見せてとフラミーに手を伸ばすと、フラミーはそれを耳に戻した。

「ダメですよ!私のですから!あげません!」

 ふふっと笑うフラミーはいたずらっぽかった。

 

「ふーむ……。デミウルゴス、効果は何なんだ」

「……は。疲労無効を一日三回利用できます」

「それだけか?」

「は?あ、いえ、月の光の下に出すと、ゆっくり花が咲きます」

 え!と声を上げフラミーは立ち上がった。

「そんなの聞いてないですよ!アインズさん、デミウルゴスさん、行きましょ!」

 そのまま指輪をきらめかせると姿はかき消えた。

 残された男達は顔を見合わせてから、おそらく地表に転移して行ったのだろうと続く。

 

 第一階層に出ると、フラミーはもう外に向かって走っているところだった。

「本当、偶にあれだからな」

 アインズはやれやれと思いながら<飛行(フライ)>で後を追った。

 デミウルゴスもとりあえず引っ掴んできたジレに腕を通しボタンを締めながら走った。

 

 外は雪が止んだところだった。

 ちょうど雲間から出てきた月に照らされるフラミーの背中は音のない世界でひっそりと芽を出した銀色の蕾のようだった。

 

 するとフラミーの手の中の白い花はゆっくりと花を咲かせ始めた。

 あらゆる温度に耐性を持つ三人は積もった雪の中でも何の痛痒も感じない。

「綺麗……」

 呟いた声に合わせて白い息がふわりと流れていった。

 フラミーはアインズと並んでその手の中の咲いて行く白銀の花に見入った。

 

 風が積もったばかりの雪を舞い上げると、その風はフラミーの翼と髪も舞い上げた。

 デミウルゴスは初めて外に出た日と同じことを思った。

(月の光を栄養に咲く花のようだ……)

 フラミーとアインズに近付いて行き、胸に手を当て、少しだけ頭を下げた。

「実はフラミー様を見立ててお作りしました。……どうか飽きる日が来るまで使ってやってください」

 

 デミウルゴスの言葉はまるで自分の事を言うようで儚く、アインズは甘え下手な可哀想な息子の頭をくしゃりと撫でた。

「お前のセンスが羨ましいよ……ほんとに……」

 

 フラミーはいつまでも大切そうに月の花を見続けた。

 

+

 

 二人と別れて部屋に戻ったアインズは聖王国の事なにも聞いてないじゃん!と頭を抱えるのだった。




ザーボンさん!ドドリアさん!行きますよ!!

次回 #52 聖騎士と青の薔薇


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#52 聖騎士と蒼の薔薇

 魔導国の属国になった王国に、ローブル聖王国の聖騎士団が訪れていた。

「我々が悪魔に苦しめられている傍でこの国はアンデッドの治める国の属国になったと言うのか!」

「団長、抑えて下さい。蒼の薔薇の皆様申し訳ございません。」

 怒りに身を任せる聖騎士団団長レメディオス・カストディオを副団長のグスターボ・モンタニェスは止めた。

 

 流石に宗主国の王を侮辱されて蒼の薔薇ガガーランは気を悪くしたようだった。

「おい、団長さんよぉ?アンデッドって言っても神王陛下は神様だぜ。それも十四万人もの人間を生き返らせる事ができる神様に慕われた超級の神様だ。」

「それに光神陛下はアンデッドじゃない。美しい。」

「ガガーラン、ティナ。よして。我々にそのグラトニーなる悪魔を倒せるかは分かりませんが…。兎に角、共に参りましょう。報酬は――」

「待ってくれ、今の話は本当か?」

 蒼の薔薇ラキュースが話をまとめようとすると、レメディオスは再び口を挟んだ。

 

「は?はぁ、共に参りますが…?」

 ラキュースの答えが気に入らなかったようで、ガガーランを指差すと、もう一度ゆっくりと疑問を口にした。

「十四万人も人を生き返らせたというのは、本当か?」

 グスターボも止めない。

 いや、こればかりは止めてはいけない質問だ。

 今聖王国の北部はグラトニー率いる亜人達に支配され、もはやわずかな抵抗しかできていない。民達の多くは生きたまま貪り食われ、収容所に捕らえられ、残存する聖騎士達は敗残兵として洞窟に隠れ住んでいる有様だ。

 ただ、南部はまだ領土を維持しており、軍勢とグラトニー軍が睨み合っている状態だ。

 グスターボは亜人達の進行は瀬戸際で食い止められていると蒼の薔薇に説明したが、それはどちらかと言うと嘘の表現だった。

 

 表情の読めない仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)、イビルアイがグスターボに答えた。

「あぁ、本当だ。私達はその場で光神陛下に魔力もお渡ししてすぐそばで手伝ったんだ。陛下方に誓って真実だよ。」

 全ての聖騎士がゴクリと唾を飲んだ。

 

 グスターボは祈るような気持ちで頼む。

「蒼の薔薇の皆様…追加報酬をお出しするので、その神王陛下と光神陛下にお取り次ぎ頂けないでしょうか…?」

「良いですが…お出まし頂けるかは分かりません。」

 ラキュースの言葉にレメディオスは忌々しげな声を上げた。

「ち。所詮はアンデッドか。」

「おい、こっちは別に断っても良いんだぞ。二度とアンデッドだから何とかと言うな。陛下をなんだと思ってる。一国の主とそう易々と会えると思う方が間違っていると分からんのか。」

 イビルアイは怒っていた。

 あれ程までに善良な神がアンデッドだった事が嬉しかったのだ。

 だと言うのに先程からこの団長のあからさまにアンデッドを馬鹿にしたような態度は、今まさに自分が侮辱されているような気分にさせた。

「イビルアイ。」

 ラキュースの非難するような声がかかり、イビルアイはふんっと鼻を鳴らし顔を背けた。

「…落ち着きましょう。なるべく話が通るように…神殿に行くだけではなく、ザイトルクワエ州の州知事に就いた私の友人にも話をします。報酬に折り合いが着くようでしたら、明日出発で如何でしょうか。」

「是非それで。どうぞよろしくお願いします。」

 グスターボが頭を下げるのに合わせ、聖騎士達は一斉に「お願いいたします!」と頭を下げた。

 

+

 

 数日後――。

 蒼の薔薇と聖騎士団はエ・ランテル市、光の聖堂にいた。

 聖堂の前には一般の参拝を断るプレートが掛けられ、外には死の騎士(デスナイト)が二体立たされた。

 

 人を何人も殺して来たような目付きの少女――従者ネイア・バラハはその美しい聖堂に神様はこう言うところに降臨するのかと辺りを見渡した。

 そして、入り口すぐそばに置いてある写実的な二枚の絵を見て文化も発展しているのかと感嘆したのだった。

 

「欲しければお求め頂けます。銀貨二枚ですよ。」

 そうネイアに声をかけたのは執事服に身を包んだ品の良さそうな老人だった。

「あ、いえ…銀貨二枚も持ってませんから…。」

 ネイアは何で今日は一般の人も係員も入れない筈のここに執事が居るんだろうと不思議に思った。

「そうですか。それは残念ですね。大切な税収です。差し上げることはできませんのでいつかまた欲しくなったらいらして下さい。」

 執事服の老人はニコリと笑うと、聖堂の前方に行き、おそらく光の神なのだろうと思われる美しい像の隣に立った。その像もまた、大変細緻な作りで、髪の毛一本一本が流れるように表現されていた。

 

「皆さま。前方へお進みになり、両陛下をお迎えするご準備をお願いいたします。」

 ただのおじいさんじゃなかった事にネイアは驚く。

 神様に仕える時は神官服ではなく執事服が正式なのだろうか。

 

 ラナー、レメディオス、グスターボ、ラキュース

 そして後ろに三列、蒼の薔薇と聖騎士団が並んだ。

 

「陛下方は対等でいらっしゃいます。それだけは皆様お心にお留めください。くれぐれもご無礼のないよう。それでは神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下とフラミー様の御成です。」

 執事の声にネイアは頭を下げ、周りから浮いていないか自分の姿勢を今一度確認する。

 一瞬斜め前に跪く黄金の州知事の顔が恐ろしい物に見えた気がした。

 

 カツン、カツンと硬質なものが床を叩く音が二つ重なる。

 それが止まると、クシャリと何かを握ったような音がした。

 

「面を上げよ。」

 その深みのある声に、全員と合わせてゆっくりと顔を上げる。

 

 そこには金の豪奢なローブに身を包む闇と、銀のローブに身を包む光が立っていた。

 闇は頭蓋骨剥き出しの顔をしていて、眼窩には赤い輝きを灯していた。それはアンデッドに相応しい外見だが、不思議とおぞましさはなく、いっそ清々しさすらあった。

 光は流星の尾のように煌めく銀色の髪をしていて、闇よりよほど人に近い姿をしているが――人の考えられる力の範疇にいない、超越的な存在であると感じさせられた。

 オォ…と誰かが感嘆を漏らしたのが聞こえる。

(これがアンデッド…?嘘…。)

 

「遥々聖王国からここまでご苦労だったな。カストディオ殿。そして聖騎士団の方々よ。」

「ありがとうございます。神王陛下。」

「ラナー・ティエール州知事と蒼の薔薇の面々もご苦労だった。よくぞこの者たちの来訪をセバスに伝えてくれた。」

「とんでもございません。陛下。」

 ラナーの鈴を転がすような声が響き、斜め後ろに控える執事も頭を下げた。

 

「さて、貴殿らに時間的余裕はないのだろう。故に忙しい合間を縫って時間を作ったのだ。ならば無駄な時間は双方の為にならない。持って回った言い方や心にもないおべんちゃらは言うことなく、円滑に話を進めようではないか。腹を割ってな。異論は?」

「何一つございません。」

「よろしい。それでは聖王国の現状を教えて頂こう。隠し事や嘘偽りなくな。そうすれば、我が国としても貴国に何か有益なものを提供できるかもしれん。」

 了解したレメディオスは聖王国の現状を滔々と語った。

 話は王国で蒼の薔薇に話したように、戦局はギリギリで持ち堪えていると言うところで終わった。聖王国が崩壊寸前だとは他国の王――それもアンデッドには言いたくないのだろう。

 

「なるほど。なるほど。それで、貴国はこれからどのようにするつもりなのかな。」

「はい。そこで神王陛下にお願いがございます。お隣にいらっしゃる光神陛下を我が国にお貸しくださいますようお願い申し上げます。」

 神王の瞳の灯火がフッと消え、一拍置いてからまた光を取り戻す。

「セバスよ。お前は話さなかったのか?」

「いえ。ご降臨前に触れさせて頂きました。」

「そうか。同じことを二度聞かせるのは私の趣味ではないが、仕方ない。お前達が光神陛下と呼ぶこの人は私の友人だ。私から彼女にどうこう指示を出す事は決してないし、貸すとか貸さないとかそういう言い回しは特に好かん。私にそれを願っても無駄だ。分かったな。それでは、もう一度だけ聞こう。貴国はこれからどのようにするつもりかな。」

 レメディオスは言葉に詰まった。

「陛下方、申し訳ございませんでした。ここからは私、グスターボ・モンタニェスが変わらせていただきます。光神陛下。どうか我が国に共にいらして頂けないでしょうか。そして、リ・エスティーゼ王国の民に与えたその奇跡とご慈悲を、どうか我が国にも。」

 女神は目を閉じていたがゆっくりとその金色の瞳を覗かせた。その瞳からは金色の光がこぼれ落ちるようで、そうした瞬間に聖堂内の空気が澄んだ物へと変わったようだった。

 美しいものは度を過ぎれば恐ろしくすら感じることを、ネイアは初めて知った。これが動くのかと息を飲む。聖騎士達も震えるように呼吸を止めた。

 ゾッとするほどに美しい女神は、ここに来て初めて口を開いた。

「どれだけの人が死んだのですか。」

「…わかりません…。」

 先に人があまり死んでいないような、しかも持ち堪えていると説明したのが仇になった。多く死んでいると話した方が慈悲を掛けてもらえたかもしれない。

「…貴方達は命を取り戻すことを簡単に考えてはいませんか?」

 ネイアはあの生を統べたもう瞳に全てを見透かされているような気がし、無性に息苦しかった。

 確かに考えていたのだ。十四万を生き返らせる神ならば、きっと聖王国の犠牲になった人々は大した数ではないはずだと。

 

 誰も何も言わない姿を見渡して女神は再び口を開いた。

「そうでしょう。私は共に行っても良いですが、それを行うかは今はまだ約束できません。」

 迷わず真実を話さなかったせいで信仰を確かめられているのだろうか。

「光神陛下!我々は聖騎士です!!陛下のお力を日々お借りし、また祈りを懸命に捧げて参りました!神王陛下と違って貴女様には山をも動かすほどの信仰を――」

 必死になり、余計なことまで言い始めてしまったレメディオスに、グスターボの叱責めいた声が響く。

「団長!!両陛下!失礼いたしました!!ただ、団長は光の力を扱う為、特に光神陛下には並々ならぬ信仰を捧げて来たと言おうとしたまでで、他意はございません!」

 グスターボの額にはじわりと滲んだ汗が光っていた。

「分かりました。共に参りましょう。」

 聖騎士の顔に喜色が浮かびかけると、女神はそれを止めるように手を前に突き出した。

「――但し、私は神王の居ない場所には決して行きません。貴方達が忌み嫌うこの人が降臨する事や存在を国の者達は皆納得できますか?アンデッドを恐れるなとは言いませんが、なにかを決めつけて優しいこの人に無礼を働きませんか。」

 光と闇は切っても切り離せないとでも言うようなその言葉に蒼の薔薇のイビルアイがうんうんと頷いている。

 

「決して行いません。もしそう言うものが居たとしても、必ず止めてみせます。」

 グスターボの声に女神は頷くと神王へ向いた。

「いいですか?」

 簡潔なその言葉に神王はふぅー…と息を吐いた。――あの体でそれが必要なのかは不明だが。

「良いですよ。行きましょう。」

 

+

 

 神様二人はナザリックに一度戻った。

「アインズさぁん。」

 フラミーの声にアインズはギクリとしたように振り返る。

「な、なんですか…?」

「私嫌ですからね。自分の魔力が続く人数しかゼッッタイ復活させないんですからね。」

「は、ははは。それは作戦を立てたデミウルゴスに言ってもらわなくっちゃ…。」

「でも、作戦書にはまだどこにも生き返らせるとかは書かれてないし…こことここと、こことここと……ああ!これもこれもフラミー様の御心のままにって!私できる気がしないです…。」

 

 フラミーは渡された計画書に従ってやればいいんだよね、とずっと気楽に考えていた。

 が、以前アインズがデミウルゴスから聖王国の作戦内容のディテールをもっと詳しく聞き出したいと言った晩、眠る前にそう言えば何も聞かなかったなと思い出しサッと目を通したのだった。

 するとそれは想像を大きく超えた物だった。

 

「まぁまぁ、それは俺も同じです。頑張るしかないですよ。でもフラミーさん、人を生き返らせるの嫌で断るかと思ってハラハラしましたよ。」

「流石に断らないですけど…最初から絶対生き返らせるお約束では行きたくなかったんですもん…。」

 

 支配者たちの苦悩は始まったばかりだった。




次回 #53 神々の馬車

アニメを抜かし始めました。
この先分かりにくい所があったら皆さん仰ってください!


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#53 神々の馬車

 謁見後、一行は仮眠をとってから出発の準備を開始した。

 神の姿を見ると街の人々が興奮するため深夜――死の騎士(デスナイト)達が持つ幕の中、一行はいよいよ出発の時を迎えようとしていた。

「神王陛下、何かあればこの従者バラハに。光神陛下はグスターボにどうぞ仰ってください。」

 レメディオスのあからさまな差別にイビルアイは仮面の下でピクリと眉を動かした。

「待て。一国の王陛下、それも神に従者を付けるだと?つい数時間前に光神陛下から無礼を働くなと言われたばかりなのにお前達は何を考えている。」

「我々は陛下方をお守りするため、一番力の無いものをお世話に回しただけだ。グスターボは光神陛下に重要なお話があると言っているし、何も間違っていないと思うが?」

「な!貴様よくもぬけぬけと――!」

 蒼の薔薇の面々がイビルアイ!と周りで咎めるように声を上げるが、イビルアイはそれを無視して手に力を込める――と、神王が肩にポンと手を乗せそれを止めた。

「良いのだ。イビルアイ――と言ったかな。私は気にしていない。丁度良い、お前も乗りなさい。」

「へっ、陛下…よろしいのですか…?」

 イビルアイの驚愕はその場の総意を代弁していた。

 

「良い良い。さぁ、乗りなさい。」

「へいか……。」

 イビルアイは自分が神王の味方だと解ってもらえた事に僅かに胸を熱くした。

 

+

 

 馬車には、アインズとフラミーが隣り合って座っている前に、イビルアイ、ネイア、グスターボの順で座った。

 五人も乗っていると言うのに狭苦しさを感じさせない馬車は神聖魔導国の物だ。

 

 アインズはグスターボとフラミーが話している間や、フラミーが眠っている間、警戒心の強そうな目付きの悪い少女と何かを話さなければいけない状況に先手を打てた事に安堵していた。

 

「それで、出来れば光神陛下には九色と呼ばれた我が国の大将格の者達の復活だけでもお願いしたいのです…。」

 グスターボは出発から熱心に目の前の女神に頭を下げ続けていた。

「解ります。解りますが、皆納得できるのでしょうか。」

「納得させて見せます…。どうか…。」

 フラミーは少し辛そうに目を瞑った。

「全ては向こうについてからです。すみませんが、グスターボさん。解ってください。」

 そう言うと四対の翼で卵の殻を作るようにその身を包んだ。

 神との約束はそう簡単に交わすことは出来ないとグスターボは思い知る。

「畏まりました。お聞き苦しい事を…申し訳ございませんでした。」

 グスターボが頭を下げ、再び顔を上げた時にはフラミーは翼の殻に包まれ眠ってしまったようだった。

 

 ネイアは眠りについた――まるで人々の夢見る美を凝縮したような女神をジッと見続けていた。

「…バラハ嬢。フラミーさんがどうかしたかな?」

 つい先程まで熱心に流れる景色を眺めていた神王はチラリとネイアを伺った。

 思いがけもしない質問に慌ててそちらへ視線を向けると、隣で黙って座っていたイビルアイも神王に加勢した。

「そうだ、ネイア・バラハ。あまりジロジロ見るな。女神相手じゃなくてもそれは失礼だ。」

「あ、し、失礼しました。」

 その注意に最もだと頭を下げると、隣のグスターボも共に頭を下げた。

 

 沈黙。

 

 女神の心地好さそうな寝息だけが車内に響く中、ネイアは何か言わなければと精一杯頭を回転させた。

「へ、陛下方はご友人でらっしゃるのですよね。」

「そうだとも。」

「えっと…その…あ!神様は何をして遊ぶのですか?」

 ネイアは言ってからやめておけば良かったと後悔し始めると、隣のイビルアイから冷たい視線を感じた。

 しかし、神王からの反応は予想外にも楽しげで、温和なものだった。

「ふふ、そうだな。昔は我が支配地であるナザリックの空を作ったり、守護者…いや、君たちが呼ぶ所の守護神を生み出したり、色々したな。秘宝を探しに星の降る山に登ったりもした。そこには多くのドラゴンがいたものだ。懐かしいな。」

 神の語る遊びは、最早遊びではなかった。

「…そこにいたドラゴン達はどうしたのですか?」

 イビルアイが恐る恐ると言う具合に質問を投げかけた。

「ん?皆、我がナザリックの糧にしたとも。」

「ナザリックの…糧…。」

 神々の遊びは神話そのものだった。

 スケールが大き過ぎたせいかイビルアイは考え込んでしまった。

 その後も輝く草原を支配する巨人を倒した話や、誰も踏み込んだことのない底無し沼を発見した話、無限に広がる星空を支配する竜を倒した話など――語る者がこの目の前の神でなければ俄かには信じられないような話が続いた。

「陛下方の神話は神聖魔導国に行けば読めますか?」

 ネイアはもっと聞いてみたいと思った。

「あぁ…次々に部下達が神官長達と書き起こしていっているよ…。全く困ったものだ…。」

(何で困るんだろう?)

 もっと世界中の人に見せるべきだと思うのに。

 

「さぁ、フラミーさんが起きてしまっては悪い。仮眠もしただろうが眠れる者は眠るのだ。」

 優しい神王の声に皆頭を下げて目をつぶると、ネイアは神王の話した夢のような話を何度も反芻してから眠りに落ちた。

 その間にも、少しでも早く向かうために馬車に乗らない者たちは必死に聖王国を目指した。

 

+

 

 翌朝ネイアが目を覚ますと、神王が女神の顔にかかる前髪を静かによけているところだった。

 その光景はとても美しく、ネイアは何故か――子供の頃に部屋に差し込む朝日で目覚めた時の清浄な空気を思い出した。

 神王は視線に気づいたようで、こちらを向いた。

「わっ!んん。バラハ嬢、起きたかね。」

 

「あ!お、おは――」しー、と口元に人差し指を当てる神王に頭を下げ、声を小さくする。

「おはようございます、神王陛下。」

「うむ。おはよう。バラハ嬢。」

 すると、グスターボもム、と声を上げて目を覚ました。

「おはようございます。申し訳ありません。思ったより眠ってしまったようです。」

「それは良かった。副団長殿。」

 腕を組んでいたイビルアイも目覚めたようだった。

「んぅ……。はっ!神王陛下おはようございます。おはよう、バラハ、グスターボ殿。」

 これはこれはと皆が頭を下げると、馬車が止まり、女神も目を覚ました。

 恐らく朝食の為に止まったのだろう。

「ぁ?んんーー!はぁ、座って寝たのは久しぶりでした。おはようございます、皆さん。」

 伸びをした後にぺこりと頭を下げる女神に皆慌てて頭を下げた。

(神様でも座って眠るような夜があるんだ…。)

 

「陛下方はもう少しゆっくりしてらしてください。私は団長と話し合いがありますので、先に行かせて頂きます。何か必要な物はございますか?」

 ネイアはさすが副団長は違うと思った。あの団長では中々こうは気を使えないだろう。

「いいえ。私は大丈夫です。アインズさんは?」

「いえ。副団長殿、我々は何もいらない。バラハ嬢とイビルアイ嬢はどうかな?」

 イビルアイはピクリと体を動かした。

「いびるあい…嬢…。」

 確かめるようにその言葉を繰り返し続けている為、恐らく何も欲しくないのだろうと判断したネイアが代表して返事をした。

「何も必要ありません。お気遣いありがとうございます。」

 グスターボは一つ頷くと馬車を降りていった。

 

「イビルアイ嬢はあまり眠れなかったかね?」

「あ、い、いや!陛下、大丈夫です!よく眠りました。」

 イビルアイは柔らかく座り心地のいい椅子でぐっすり眠ってしまっていた。

 最初は仮面越しに熱心に神の観察をした。

 すると神は星を見ながらたまに小さく感嘆したり、並走する馬の筋肉を眺めてうんうん頷いたり、カクンと頭を揺らす女神に肩を貸したり…あまりにも善良すぎた。

 睡眠が深くなり足がパカリと開いてしまったネイアのそれを優しく閉じたりする場面もあった。

 ドラゴン狩りについて詳しく聞きたい気持ちがあったが、ツアーがそれを知らなそうなところを見るとここ六百年や千年の話ではない事だと一度胸にしまう事にした。

 やはり自分のアンデッドを見る目は間違っていなかったとイビルアイは確信すると、神に見守られながら眠りに落ちたのだ。

 

 神々が「やっぱり魔法によらない移動は良いものですね」と楽しげに話し始めると、外から副団長の朝食を告げる声が響いた。

 

+

 

 ネイアは大急ぎで流し込むように朝食を済ませると一人佇む神王の元へ走った。

 女神は物珍しそうに朝食を取っていて、グスターボやレメディオスにもてなされていた。

 イビルアイも今は蒼の薔薇と朝食を取って、馬車での話を共有しているようだった。

 

「陛下!」

「これはバラハ嬢。」

 背で手を組む神はゆっくりと振り返った。

「何をご覧になっているのですか?」

「あぁ、見たまえ。この連なる大山脈を。」

 ネイアはそちらを見るが、特別変わったところのない何の変哲も無い山々だ。

「美しいな。これを見るために私はこの世界に来たのかもしれないとすら思うよ。」

(陛下はロマンチックな方なのかもしれない…。)

「陛下は今まで違う世界にいらっしゃったのですか?」

「ん?そうだとも。」

 神々の世界がどんなものかネイアは想像の翼を広げる。

「光神陛下とも、そちらで?」

 神は笑ったような雰囲気をまとって頷き、また楽しげに山と雲を眺めた。

 神聖な姿にネイアはしばし見とれた。

 

 朝食を皆取り終わったのか聖騎士達がガヤガヤと出発の準備に取り掛かり出すと、空から翼を広げた女神がふわりと降りて来た。

「アインズさん!お山すごいですよね!アゼルリシア山脈はトブの大森林に囲まれてたからまた趣が違う気がします。」

 神王は一瞬それを受け止めるように腕を広げたが、すぐに後ろ手に組み直した。

「フラミーさん。本当ですよね、綺麗でいつまでも見てられそうですよ。ところで、もうご飯はいいんですか?」

「はひ!お腹いっぱいです!」

「ふふ、それは何よりです。」

 また神々は仲睦まじく話し出し、あの山が特にいいとか、なんだかこの風景はあの日を思い出すねだとか、静かに盛り上がった。

 ネイアは神様なのに山をあまり見たことが無いのかと一瞬思ったが、地表からはあまり世界を見たことがないのだという事に気が付いた。

 もし見ていたら神様が普通にそこらへんを歩いていることになってしまうのだから。

 

+

 

 出発から四日、いよいよ聖王国が近付いてくると、馬車からは海が見え始めた。

「綺麗ですねぇ。」

「本当綺麗です…。」

 神々が熱心に窓の外を眺めてる様子を見ると、イビルアイはおずおずと提案した。

「光神陛下、よ、良ければこちらの窓の隣に座ってよくお外を見ては如何でしょうか?」

「それは狭いんじゃ無いか?フラミーさんには翼もある。」

 神王の反駁にそれもそうかとイビルアイが唸ると、グスターボが解決策を提案した。

「それでしたら、自分が降りますので、ごゆっくりお外をご覧下さい。」

 こういう時のグスターボの気遣いは流石としか言いようがない。

 御者に止める合図を出すと、グスターボは丁寧に頭を下げ降りて行った。

 

 ネイアによって伝達された「神々は地上から世界をあまり見たことが無い」という話は部隊全員を納得させた。

 子供のように自分達で生み出したであろう世界を綺麗だと喜ぶ神々は自画自賛している事に気付かぬようでなんだか可愛らしいとネイアは思った。

 

「すみませんね、イビルアイさん。よいしょ。」

 女神はネイアの隣に腰を下ろし、嬉しそうに神王と一瞬視線を交わした。

 イビルアイも神王の隣に座ろうとすると、馬車が出発したのかガタンと揺れ、イビルアイは軽く神王の肩に寄りかかるように座ってしまった。

 

「あ、あ、陛下!申し訳ありません!」

 イビルアイが慌てて頭を下げ立ち上がると、神王は笑ったようだった。

「何。気にすることはない。さぁ危ないから座りなさい。」

「ありがとうございます…。」

 慈悲深い神の横顔をイビルアイは眺め続けた。

 何となくその仮面の下は惚けているような気がする。

 神々は飽く事なく外を見たりお喋りをしたりして夕暮れを迎えた。

 翌日は夜明け前に聖王国に入るので一行は早いうちに移動をやめ、野営の準備を始めた。

 

 女神は海に余程感動しているのか食事の時以外はこれまであまり馬車を降りなかったが、今日ばかりは降りたがった。

「あの、降りてもいいですか?」

 その言葉に誰もダメだと言うはずもなく、ネイアがまず降りて周りの状況を確認すると、次いでイビルアイが降りた。

 そして神王が降りると、女神もそれに続いた。

 神王と女神は真冬の静かな海に夕日が落ちて行くのを物言わず眺め続けた。

 グスターボも一応ネイアとイビルアイの隣に並んで、用事があればいつでも対応できるように控えた。

 

「神王陛下と光神陛下は、自然が…世界がお好きなんですね。」

 ネイアの問いに闇の神は振り返る。

「美しい大地というのは何にも変えがたい宝だ。君たちにはまだわからないかもしれないが、いつかそれは自分達の欲求を抑えきれない者達によって破壊されてしまう時が来るだろう。」

 そして光の神が続けた。

「私達はそれをする者達の台頭を許しません…それが例え世界を停滞させる事でも。」

 二人はまるで恐ろしい何かを見て怯えているかのようにネイアの目には映った。

 そして月が登り始めると、女神の頭の上にはゆっくりと白い不思議な花が咲いたのだった。

 その光景はどこか非現実的で、美しかった。

 神王が花が咲いたことを告げるように優しく花に触れると、女神は嬉しそうに目を細めた。

 

「陛下方は…未来が見えるのですか?」

 イビルアイの質問に、気付けば耳を澄ませて神々の言葉を聞いていた聖騎士達はゴクリと唾を飲んだ。

 

「見えるんじゃなくて…見て来ただけですよ。ね。」

 光の神の言葉に闇の神は辛そうに頷いた。

「フラミーさん、俺たちは…デミウルゴス達の言う通り本当にこの世界を手に入れなきゃいけないんでしょうね。」

 そういうと闇の神は光の神の手を取った。

「この綺麗な世界を…皆にも見せないといけないですしね…。」

 握り返された手は震えているようだった。

 

 ネイアは神々の背中に、何かとても強い決意のような物を感じたのだった。




次回 #54 神の嘆き

自然保護団体ナザリック…!


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#54 神の嘆き

 岩がちの山に穿たれた天然の洞窟――現在の聖王国解放軍の拠点に着くと、大慌てで神々の過ごす場所が用意された。

 今ここには聖騎士、神官、市民が総勢三百四十七名おり、誰もが個室なぞ望むべくもなく過ごしている。

 神王を見た者達はギョッとし、その後に続く女神を見ると皆手を前に組んで熱心に祈りを捧げているようだった。

(見た目が違うだけでこんなに態度が違うなんて……)

 ネイアはショックだった。

 数日この二柱と旅をして、見た目が違うだけでこの神達は変わらない慈悲深さに溢れていると言うことはよく分かっていた。

 この神々が全ての生ある者を魔導国へ導きたいと熱心に生を守っている事も分かったのだ。

 だと言うのに、見た目だけで神王を拒絶し、女神には縋ろうとする。

(なんて浅ましいんだ……)

 

 ネイアは聖騎士と神官の集まる会議室に神々を案内した。会議室と言っても入り口に一枚の布を垂れ下がらせただけのような部屋だが。

 女神は特になにも作戦等に口を出さなかったが、神王は現状の問題点を次々と提起した。

 満を持してある神官が物言わず目を瞑る女神に縋るように言葉を送った。

「それで……光神陛下……。恐らく聖王女様はまだ生きてらっしゃるかと思うのですが……それに連なる王族や有能な軍人達を生き返らせては頂けないでしょうか」

 

 女神はきょとんとすると、恐るべきことを口にした。

「聖王女が生きている?」

 まるで死んでいるはずじゃなかった?と言うようなその言葉に神官達は背筋を凍らせた。室内が一気に静まり返った。

「へ、陛下……!聖王女様はお亡くなりになっているのですか!?お分かりになるのですか!?」

 レメディオスが静寂を打ち破り、すごい剣幕で迫る中、同席している蒼の薔薇は痛ましそうに目を伏せた。

「あ……いえ、そのはずですが……」

 女神はチラリと神王に視線を送ると、全員が生を司る神よりも死を司る神の方がそれに詳しい事に思い至り、続くようにそちらへ視線を向けた。

 

 レメディオスも珍しく察したのか、そちらへ顔を向けると苦々しげに吐き捨てた。

「く……!おい!!どうなんだ……!!」

 レメディオスの神王への態度は女神に向けるものといつも真逆だ。

 やれやれと神王は手で顔を覆った。

「それを知って君達はどうする……」

「どうするかだと!?光神陛下にお願いを――。く、なんだグスターボ!」

 興奮していくレメディオスをグスターボが部屋の隅に連れていく。

 ネイアも蒼の薔薇の面々も、会話は聞こえないがその内容は容易に想像出来た。

 最初に女神には神王に無礼を働かないのなら一緒について行っても良いと言われたのに、これは流石にやりすぎだ、と。

 

「失礼したな……。光神陛下にお願いし、祈りを捧げさせて頂くのだ……。それで、聖王女様のお命はどうなんだ……」

 やはり少し大人しくなった様子のレメディオスが戻ってきた。

 神王がゆっくりと顔を左右に振ったのを見ると、全員が唇を噛み足下に視線を落として拳を震わせた。

「わかったな。さぁフラミーさん、一度戻りましょう」

「え、えぇ。すみませんでした、アインズさん……」

「良いんですよ」

 優しい声でそう言うと二人は席を立ち、ネイアも同行しようとすると神王に手で押し止められた。

「――悪いがバラハ嬢はここに残って私の代理として話を聞いてくれ。光の神は失われた命を悼む必要がある」

 身内と認められているわけではないのだろうが、代理と認められた事に喜びを感じる。

 

 そして神々は背を向け立ち去って行った。

 

「あれが神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王……。カストディオ団長、あれは大丈夫なのですかな?」

「そうだ。光神陛下だけをお連れする事は出来なかったのか」

 神の去った部屋での神官達の態度にネイアは顔を軽く背けた。胸の内を渦巻くドロドロとした感情を悟らせないように。

(……魔導王、ね。光神陛下にしか敬称はつけないか)

 逸らした視線の先でイビルアイと目があった――気がした。相手は仮面だが、ネイアだけでなくイビルアイもそう思ったようで、二人は頷きあった。

 

「悪いがウチの神を敬称も付けずに呼ぶのはやめてもらおうか」

 神官達は僅かに苦々しげな声を出し、憎たらしそうにイビルアイを睨むが、何の痛痒も感じないようでイビルアイはふんと鼻を鳴らした。

 神官は相手にしてられないと言った風にその様子を無視すると議題を戻した。

「しかし……なぜ光神陛下は聖王女様や我が国の民を生き返らせる事に躊躇されるのだ……」

 

「あんたらは本当に話を聞いてたのか?」

 ガガーランのぶっきらぼうな声がかかると神官達との間には火花が散ったようだった。

 

「何を冒険者風情が。」

「冒険者風情でもわかるぜ。あれほど慈悲深い……一時は自分達に歯向かいすらした十四万人を生き返らせる程のお方が、なんでお宅らの国民や王女様を生き返らせる事だけを渋るのかな」

 神官達は続けろと言わんばかりに睨みつけた。

「あのお方はここに来る前にこの騎士様に言ったぜ?『私は神王の居ないところには行きません』てな」

 神官が確かめるようにグスターボに視線を向ける。

「たしかに仰いました」

「そう言う事だよ。まだわかんねーか?」

 

 短い返答に神官達は分からないようで、少し焦りながら自分の左右にいる神官にそれぞれ分かったかと言わんばかりの視線を投げ合ったが、誰も分からないようだった。

 残念ながらネイアもよくわからなかった。

 神王と女神に刃向かう十四万人と、神王だけを嫌う聖王国の民。

 聖王国の民の方が余程信心深いと思えた。

 それともあの二人は愛し合っていて、それ故どちらかを嫌う相手を憎むとでも言うんだろうか。

 ネイアは考えるがそれは俗物的すぎると思えた。

 恐らく正解ではないだろう。

 

「ちっ。それでよく神官が務まるもんだ。おいラキュース。お前も神官の端くれだろ。それも光神陛下のお力をお借りして人を復活させる事があるんだ。教えてやれ」

 ネイアは恥ずかしい気持ちになった。

 

 ラキュースは頷くと語り始めた。

「光あるところに闇は必ず生まれます。強い光であればあるほどにその闇は深まる。陛下方は表裏一体なのです。旧法国は陛下方が国にお戻りになるまで六百年、揃って陛下方を信仰し続けました」

 神官達は熱心に耳を傾ける。

「そして私の生まれた王国は、今はもう廃されましたが四大神を信仰しておりました」

「うちと違って光神陛下を祀ってすらいないじゃないか」

 忌々しげに一人が吐き捨てた。

「聞いてください。祀ってはいませんでしたが、エ・ランテルの人々も、今回の戦争で生き返らされた十四万人も、誰一人として闇の神を蔑んだり、見くびるような真似はしませんでした。そして他者を傷付けざるを得ない自分達の境遇――闇に正面から向き合っていたんです」

 段々と何が言いたいのか神官の中に伝わっていく気配がする。

「あなた達は闇の神だけじゃない。闇そのものを嫌いすぎる。光神陛下は最初からその事にお気付きです」

 

 イビルアイもいい加減にしろというような調子で続けた。

「出発前から光神陛下はヒントをくれてたぞ。"アンデッドを恐れるなとは言わないが闇の神の存在に皆が納得できるのか"とな。グスターボ殿は納得できない者がいれば抑えると陛下に約束したがどうだ?今のこの結果を見ろ。女神の半身のような闇の神にどんな態度を取った」

 双子も語る。

「行く事は構わないと言っていた」

「でも復活は約束できないとも言っていた」

 室内はしん――と重い沈黙で支配された。

 自分たちはまさに今試されている最中なのかと。

 しかし納得のいかないレメディオスは変わらず冒険者達を睨みつけた。

「それはお前達の想像に過ぎん。確かにこの世に闇がある事は認めよう。しかし悪人がいなくても正義はこの世に在り続ける筈だ。であればあのアンデッドを信仰する意味はない」

 

 ラキュースは可哀想な物を見るような目でレメディオスを見た。

「悪人がいなければ正義という言葉は成立しません。闇は光がなくても存在出来ますが、光は生まれた時から闇とともにある事をよく考えてください」

「ち。難しい言葉を使って煙に巻こうとでも言うのか」

「……私達は命を奪って、それを食べて生きているんです。命を奪う事も、その生を永らえる事も、生と死、光と闇が一体となっているでしょう。陛下方はそう言う神なんです」

 

 ネイアは激しい衝撃を受けた。

 

 闇の神は単体で存在できるが、光の神は闇の神の存在なくしてはこの世に存在できないのかもしれない。

 この教えはまさに生きる事なのだ。

 生き物は命を奪って食べなければ死に絶えるだろう。

 そこは闇だけが存在する世界だ。

「すごい……」

 ネイアは思わず言葉が漏れてしまい慌ててその口を手で押さえた。

 

 ガガーランは大きくため息を吐いて追い討ちをかけた。

「闇の神も信仰しろとは言わねーが、お前さんら、少しは身分と立場をわきまえろっつー事だよ。ったく。――おい、副団長さんよ。礼は弾めよ。俺たちのお陰で神様が聖王女様を復活させてくれるかもしれない一手が見えたんだからよ」

「今の状況では私が……いえ、恐らく誰が復活魔法を唱えたところで、その力を司る光神陛下……フラミー様が拒否され魔法は発動しません」

 ラキュースの言葉は会議室に大きくこだましたようだった。

 

 神官達の目には様々な感情が篭っていた。そんな中、最も年長に見える神官が口を開く。

「光神陛下と……………神王陛下をお呼びしてくれ……」

 

+

 

 神々の控え室には謝罪が響いていた。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい」

 フラミーは辛そうにアインズに謝り続けていた。

「良いんですよ。平気ですから、フラミーさん」

「私なんかに神様なんて務まらないです……。すぐ顔にも口にも出るし、なるべく玉座の間や謁見みたいな時は喋らないようにしようって思って来たけど……私のせいで皆の作戦が……私のせいで……」

 手を握り締めてうぐうぐと泣くまいと堪える様子に、アインズはだらりと垂れる翼をさすっていた。

「仕方ないですって。フラミーさんは精神抑制を持たないし、表情だってあるんですから。汗だって涙だって出る体じゃ限界がありますよ。俺だって鈴木悟……あ、本名なんですけど、鈴木悟としてここ来てたら絶対務まらないですから……。ね、大丈夫ですから……」

「うぅ……うっ……あいんずさんに、皆に、迷惑だけはかけたく無いのに……」

 ポロポロ落ち始めてしまった涙に綺麗だなぁと場違いな感想を抱いてしまう。

「良いんですよ。ちゃんとフラミーさんが神様出来るように俺も手伝いますから。今は鈴木の分も泣いてください」

「鈴木さぁん……。うぅ……」

 聖王女が既に処分されている事はデミウルゴスの計画書で二人は知っていたが、この国の者たちは知らないようだった。

 今日初めて来るはずの二人がそれを知っていてはおかしいだろう。

 マッチポンプだとバレてしまったら、デミウルゴスの長きに亘る苦労が水の泡だ。

 アインズに背中をさすられながらフラミーが涙を零していると、外から声がかかった。

 

「神王陛下!光神陛下!少しよろしいでしょうか!」

 

 アインズは慰めるフラミーの首に煌めくネックレスを見て思い出す。

『アインズさんが頑張ってくれるから、私、とってもナザリックの居心地いいですもん』

 自分が絶対者として君臨する事は、ギルメンを――フラミーを守る一つの手段であると瞳の炎を燃やした。

(この体と精神には感謝してもしきれないな)

「守ります。ナザリックもあなたも、"アインズ・ウール・ゴウン"も。俺は一人じゃないんだ」

 アインズはフラミーの翼をもう一度サラリと撫でると返事をした。

 

「入れ」

 

「申し訳ありません、陛下方!あ?あ、あの、陛下方……あの、あ、あの……神官達がお呼びで……その……」

「ネイア・バラハ、しっかりしないか。神王陛下!え!?」

 ネイアとグスターボが顔を出すと、神は不出来な人間達と死者を憐れみ泣いていた。




次回 #55 覚醒

蒼の薔薇めっちゃ鍛えられてるぅ!
あぁあ、フラミーさんやらかしましたねぇ。
言っちゃった言っちゃったー。


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#55 覚醒

「フラミーさんはお疲れだ。私だけで納得して貰えるかな。」

 それはまるで人々を試すような、そんな響きがあった。

 

「もちろんで御座います。どうか神王陛下、ご一緒にいらして下さい。光神陛下の事は私の口から説明いたします。」

 グスターボは正しく伝えなければいけないと思った。

 神々はヒントはくれるが決して試練無くして奇跡を与えないとわかったから。

 

 会議室に入れば、全員が立ち上がって神王を迎えたが、レメディオスの姿はなかった。

 誰もが納得したというのに、レメディオスだけは決して納得しなかったのだ。

「不浄なるアンデッドが神など貴様等に人間としての誇りは無いのか!」

 最後はそう言い捨てると神王が来る前に立ち去っていってしまった。

 いや、立ち去ってくれるくらいがちょうどいいだろう。

 グスターボの胃の為にも。

 

「神王陛下のお出ましです。光神陛下は…そのお心をとても痛め、涙しておられました。今はお出まし頂けません。」

 グスターボの言葉に、神官達は気付くのが遅すぎたその身の不出来を恨んだ。

 そして、その後ろから入ってきた、先程よりも威厳溢れるように見える神に皆が頭を垂れた。

 

「私こそ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王。その人である。」

人々が改心し始めたのを知ってか、王は改めて名乗りを上げた。

 

+

 

「下がれ!!」

「もっと下がれ!!この子供が死んでいいのか!!」

 捕虜収容所に亜人の叫びが響いていた。

 

 ラキュースは絶望的な状況の中、ついイビルアイに聞いてしまう。

「イビルアイ!!何かいい手はないの!!」

「あればとっくにやっている!!くそ!!」

 目をそらしたラキュースに、双子が警笛を鳴らした。

「まずい。鬼ボス。」

「子供が殺される!」

 

 まるでその言葉を合図にしたかのように、子供は殺された。生きたまま首を掻き切られ、恐ろしい断末魔が上がった。

 そしてまた新たな子供が連れて来られる――。

 手も足も出せない聖騎士達と蒼の薔薇を背に残し、神王は新たに人質にされた子供を指差した。

「このままでは、人質の有用性がバレる。蒼の薔薇、いけるか。」

 その場の全員がゴクリと喉を鳴らした。

 ラキュースはこれから何が起こるのか察すると、きつく目を閉じ、首を縦に振った。

「…陛下。おねがいいたします。」

「よし。」

 

すると、神王の指先から激しい光が迸り、子供ごと目の前のバフォルクを射抜いた。

蒼の薔薇は感謝の言葉を送って駆け出した。

そして、レメディオスを筆頭に騎士団もそれに続く。

「――バラハ嬢、私が君たちの想像も付かないような魔法で少年を助けると思ったか。」

 ネイアは静かな声で語り掛けられるとうなずいた。

「はい…そう思いました。」

「そうだろうな。確かに私の力があれば少年一人助け出すことなど容易い。しかし、それではいけないのだ。」

 教えを想い、ネイアは胸をギュッと抑えた。

 人々が救い出されていく中、収容所から出てきたレメディオスは疲れ切った顔をすると、忌々しげに神王と蒼の薔薇を睨み、すぐさま女神に向かって手を組んだ。

 

 女神の復活の奇跡を期待するようにネイアもついそちらへ視線を向けてしまう。

 いや、恐らく皆がそうしただろう。

 救い出されて来た捕虜達も女神と祈る聖騎士団団長(レメディオス)の様子に気が付くとすぐさま祈りを捧げ、跪き、口々に救いを求めた。

 しかし、神王に跪く者も、祈りを捧げる者も誰一人としていなかった。

 それどころか人々は子供を殺した神王を睨みつけたり、なんて酷い事をと口を覆った。

 女神はそんな人々の様子に、一言も口を開かずただただ首を左右に振った。

 

 光も闇も受け入れる事が出来なければ奇跡は起こして貰えないと、いくら神官が話しても、子供を殺した神王は恐れられるばかりだった。

 この収容所の者達は誰かが担わなければならなかった、子供を殺すという闇を受け入れることはできなかった。

 そしてその闇の上に自らの命がある事を認められなかった。

 

 女神が救いを与えることが出来ない様子に、他でもない神王が一番苦しんでいるようにネイアには見えた。

 首を振る女神を見る瞳の朱は震えていた気がしたから。

 

 ネイアは光と闇は表裏一体と言った蒼の薔薇の言葉を思い出す。

(綺麗事だけでは世界は救われないんだ…。)

 

 ネイアは耐えきれず神王に話しかけた。

「神王陛下も、光神陛下も、お辛いですよね…。」

「バラハ嬢。優しさと言うのは、時に自分を最も傷付けるものだ。わかるな。それでも…。どんなに辛くても…俺たちは子供達の為にいつだって精一杯優しくいなきゃいけないんだ…。」

 神の深い言葉にネイアは考えを巡らせる。

 今女神は闇を受け入れられない子供達――つまり、目の前の民の様子に優しい心を傷付けている。

 そしてこの目の前の王も、優しいが故に奪わざるを得なかった子供の命を悼み傷付いている。

 ネイアは考える。

(慈悲深い神々は数えきれない痛みの中耐えて、闇を受け止め立っているんだ…。)

 それを感じる事もできず、自分達が一番辛いんだと嘆く人間を神々は哀れみ、また心を痛める。

 神々が全ての命を救いたいと降臨した理由がわかった気がした。

 

+

 

 一つ目の捕虜収容所から人々を救った解放軍は、翌日には次の捕虜収容所に向かった。

 すると再び人質に聖騎士の足は止まった。

 躊躇い続ける聖騎士団長と聖騎士を前に、次々と子供が、人質が殺されていく。

 昨日生きることは闇を受け入れる事だと教えられたばかりだというのに。

 蒼の薔薇が堪りかねた様子で何かをレメディオスに訴えているのが見える。

 

 神王はそちらへ近づいて行き言葉をかけた。

「私が行こう。いいかね。」

 神王の言葉に、聖騎士団と神官達が頷き、舌打ちをするレメディオスの代わりにグスターボが頭を下げた。

「お願いいたします、陛下。」

 ネイアは目の前の神に祈った。

(どうか、私達を導いてください――。)

 

「フラミーさん、一緒に行きますか?」

 女神は少し悲しそうに笑うと、やはりゆっくりと首を左右に振った。

「わかりました。鈴木に任せてください。」

 スズキとはなんだろう。神々の言葉は人知の及ぶところではない。

 

 ネイアは神王について街の中心に向かうと、そこには人間を貪り食う亜人達がいたが、神王の手によってすぐに殺された。

 そして、ネイアは王の心の嘆きを聞いた。

「くそ…こんな下らないお遊びのために…。行くぞ。さっさとグラトニーを葬る必要がある。」

 パキャッと手の中で亜人の頭蓋骨が割れた。神王が見せる初めての怒りを冷やすかのように、その夜街には雪が降った。

 

 その後都市の奪還、人々の解放は神王の力で順調に行われた。

 そして、聖王女の兄、カスポンド・ベサーレスの無事が確認されたのだった。

 

+

 

 支配者達は魔法で作り出した椅子に掛けていた。

「フラミーさん、もう三週間になりますしそろそろ一回ナザリック帰りますか?」

「いいえ、ダメな女神でも、一応最後まで居るだけ居ます。なんて、デミウルゴスさんの期待には何も応えてないですけど。」

「無理しないで良いんですからね。」

「ご迷惑ばかりおかけしてすみません…。」

 アインズは困ったように笑うと、フラミーの前髪に指の背でサラリと触れた。

「…ずいぶん髪伸びてきましたね。」

「本当だ…全然気付いてなかったです。」

「嫌じゃなかったら切ってあげますよ、俺が。」

 フラミーはえ?と顔を上げた。

「俺金無しだったんで、自分カットでしたから。そこそこ腕に自信はあるんですよ。」

 そう言うと、肘を曲げて骨しかないであろう腕をポンポンと叩いてみせた。

「あは、お願いしちゃおうかな。」

 久しぶりに少し笑った女神に、アインズはどうかそのまま笑っていて欲しいと祈った。

 

「じゃ、念の為一回お団子ほどきますよ。痛かったら言って下さいね。」

「ふふ、お願いしまーす!」

 そう言いながらフラミーの後ろに回り込み、お団子を崩すためにそっと蕾を引き抜くとそれを軽く咥えた。

 お団子から大量の銀色のヘアピンが取れて行き、お団子がすっかり崩れると、アインズは咥えておいた蕾を手に持ち直した。

 正面に戻ると、座ってニコニコするフラミーの前に跪く。

 これを持たせたデミウルゴスに感謝して。

「元気になるおまじない行きますよ!」

 そう言うと、蕾の中に丸い光が灯る。

 光が蕾の先から出ると、ポンっと弾けてフラミーに光が降り注いだ。

 しばらくその光を眺めると、フラミーは愉快そうに少しの間笑った。

「ふふ、アインズさん、可愛くして下さいね!」

「ははっ、任せておいて下さい!」

 

【挿絵表示】

 

 嬉しそうに笑ったフラミーの頭をクシャリと撫でて、蕾をその手に渡すと、アインズは魔法で作った少し背の高い椅子に腰掛け、これまた魔法で作ったハサミを使い、器用に前髪を切った。

 目を閉じたフラミーの顔にハラハラと前髪が落ちていく。

 頬の上と鼻の頭、まぶたに軽く積もった前髪を手の甲で取ってやる。指でつまもうとしては尖った指先がフラミーを傷付けるような気がした。

 フラミーはむぅ、と声を漏らした。

 

「このくらいが一番ユグドラシルで見慣れた長さかな?バランスどうですか?」

 そう言って遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を取り出すと、フラミーに持たせ、魔法の力で正面、斜め、真横と映し見せて行く。

 前しか見てないのに自分の横顔が見える奇妙な感覚にフラミーは笑った。

「アインズさん、まさか運営もこの鏡がこんな使い方されるなんて思いもしてないでしょうね。ふふ。」

「鏡なんだから景色よりも女の子の顔を映せて本望だと思いますよ。」

 支配者達が愉快げに笑っていると、外から声がかかった。

 

「神王陛下、光神陛下、入室しても宜しいでしょうか。」

 

 フラミーは不安げにアインズの顔を見上げるが、アインズはなんて言うことは無いと動かぬ顔で笑ってみせ、フラミーの肩から落ちる長い髪の毛に指をサラリと通すと返事をした。

「構わない。入ってくれたまえ。」

 すると、デミウルゴスに貸し出したドッペルゲンガーが入ってきた。

 

「ご歓談中失礼致します。アインズ様にはご無礼を働き続け申し訳ございません。」

「良い。お前は勤めを果たしただけだ。」

「恐れ入ります。ここ数日、アインズ様に強い信仰心を寄せるものが特に増えて来たようですね。それで…いかが致しましょう。」

「うむ……。蒼の薔薇には注意しろ。あれは言わばうちの国民だ。あとは適当に間引け。ただ、間引きすぎには注意するように。まだ生き返らせてやるかは不明だが、万一そうなった時フラミーさんの負担になる。」

「畏まりました。では再起不能を中心に、適宜間引かせて頂きます。他には何かございますか?」

「ない。あ、いや。そうだな。あの不愉快な団長もうまく使え。」

 

 次の日、丘の向こうには大量の亜人と悪魔の軍勢が姿を見せた。




うわーアインズ様かっけぇー(統括並感想
https://twitter.com/dreamnemri/status/1133285867202666497?s=21

次回 #56 奇跡の上に

閑話じゃないですが12:00に上げまーす!


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#56 奇跡の上に

 会議室には救いを求める声が響いていた。

「神王陛下…どうか…お力をお貸し下さい。」

 そう言って多くのものが跪く。

 初日には女神にしか跪かなかった人々は、首を横に振るだけで、会議室にも姿を見せなくなった女神よりも、確かに命を救ってくれる神王に強い信頼を寄せ始めていた。

 特に比較対象がいるせいか神王の慈悲深さに皆胸を打たれているようだった。

 

 ネイアは即物的だと思ったが、これもまた仕方のない人の弱さ――闇なのだと思った。

「困ったものだ。私はフラミーさんについて来ただけだと言うのに。」

 その言葉に皆がぎゅっと唇を噛みしめていると、衛士達が無粋にも部屋に駆け込んで来た。

「か、神よ!!グラトニーが、グラトニーが出ました!!」

「人々を食い漁っています!!」

 神は瞳の灯火を消した。

 神よ、と叫ぶ人々の中、神王はゆっくりとその瞳に炎を燃やした。

 

「終わらせるか。」

 そう言って神王が立ち上がると、人々の視線はその後ろに集まった。

 

 不思議そうに神王が振り返ると、そこには銀色の髪を下ろした女神が立っていた。

 

「あ…フラミーさん…。」

「アインズさん、行きますよ!」

 

 その女神の声は明るく、人々の信仰が闇の神に充分集まったことを知らせた。

 

「ほらな、だから言っただろ。」

 ガガーランのおどけたような声が響き、神官達が気恥ずかしそうに頷くとラキュースも優しく笑った。

「あなた達は生きていく上で切っても切り離せない闇を、やっと受け入れる事ができ始めたのよ。」

「全く世話の焼ける国だ。」

 イビルアイは嬉しそうに腕を組んだ。

 

+

 

 人々は、女子供を盾にする亜人達に涙を飲んで投石した。

 生きるためには闇も光も必要なのだと、ネイアや神官の日々熱心な訴えかけや、闇の神の言葉を聞いて心を動かしていた。

 すると、その中についに亜人を扇動したグラトニーを名乗る邪悪な悪魔が姿を見せた。

 

 グラトニーは頭部を持たず、人の腹部分に顔がついていて、背徳的なピンクの体をしていた。

 その巨大な口がパカリと開くと長い舌がべろりと顔中を舐めた。

 その邪悪さに人々が息を呑むと、門の上にいた者達をものすごい勢いで吸い込み始め、捕まえ、貪る。

「聖王国の皆さん。私は腹が減っているのですよ。貴方達人間は実に美味い。さぁ、ここを我々の牧場にしてさしあげましょう!!」

 グラトニーの声に後ろの亜人達が血を沸かせるように歓声を上げた。

「食って食って食い散らかすのです!!ここは飢える者の食卓ですよ!!ヒィーハッハッハッハァー!!」

 耳をつんざくような笑い声をあげると、片手を天高く掲げる。

 

 人々は手の上、天に視線を奪われる。

 そこには巨大な炎の塊が門に向かって降り注ごうとしているところだった。

 

「そんな――――」

 

 見たものは死んだ。

 

+

 

 門を完全に破壊され、逃げ惑っていたはずの人々は、街の中心広場に追い詰められ、囲まれていた。

 後ずさりをする事すら叶わない程に人が密集している。

 

 収容所では自分達の子供を、親を食わされた。

 亜人達は大笑いで美味いだろうと言っていた。

 皮を剥がされた者も大勢いる。

 そこから滴る血を飲まされ、狂った隣人もいた。

 この広場は、再び地獄になるのか――。

 誰もが絶望的な近い未来を予見すると、馬に跨ってこちらへ近付いてくる複数の影が見えた。

 それは聖騎士団を率いたレメディオスだったが、いつも何もしていないそれの登場に、人々は大した希望を見出せなかった。

 

「現れたな!グラトニー!!貴様、聖王女様をよくも!!」

「ん?なんだか見たことのある顔ですねぇ。――あぁ、わかった。ふふ、頭冠の悪魔(サークレット)よ。」

 グラトニーの後ろに闇が開き、そこから枯れ枝のような悪魔が現れた。

 その悪魔はレメディオスの妹ケラルトと、聖王女カルカの頭部をさくらんぼうのように飾っていた。

 

 それが目に入った瞬間、レメディオスは血の逆流を感じた。燃え盛るように体温が上昇し、愛する二人の変わり果てた姿に吠えた。

「ッき、きっさまぁぁああ!!」

 レメディオスはその手の中の聖剣に目一杯の力を込め、死を冒涜するような目の前のサークレットと呼ばれた存在に攻撃を繰り出す――が、悪魔は何の痛痒も感じていないようだった。

 

 鬱陶しいとばかりにサークレットが無造作に腕を振るうと、たったそれだけの動作で、レメディオスは人々の中に吹き飛ばされた。

 レメディオスが激突した者達は苦しみから声を上げた。

 

「「「団長!!」」」

 

 聖騎士団が叫び人混みの中レメディオスをなんとか立たせると、レメディオスは大きく熱い息を吐いた。凍えるような街の中、口から吐き捨てられた呼気はぼわりと白く広がった。

「大丈夫だ!まかせろ、こいつらは邪悪な存在なんだ!我が聖剣の真の力を今こそ思い知らせてやる!!」

 レメディオスはついにその聖剣の力を発揮した。

 善良なる市民や聖騎士達、レメディオス本人は特に何の変化も感じないが、目の前の邪悪な二人には聖なる光が眩しく見えているはずだ。

 レメディオスは再びサークレットに向かって獣のように駆け出した。

「だぁあありゃぁぁああ!!!」

 全身全霊のその一撃は、サークレットと聖王女の顔を繋ぐ枝のような部分の根元を狙い繰り出された。

 人間ならそこに刃を受ければ致命傷だ。

 

 しかし、生き物が上がるとは思えないような金属音に近い激しい音が鳴るだけで、悪魔は再び何の力も感じないとばかりにその場所をぽりぽりとかいた。

「なんですか?あれは。」

 サークレットは困ったように呟いた――いや、困っているのではなく馬鹿にしているのだろう。

「相手が弱すぎても考えものですね。これでは引き立て役にもなりません。」

 グラトニーは自分を引き立てる事も出来ないサークレットとレメディオスの戦いに呆れているようだった。

「な、なぜ…なぜなんだ…。」

 愕然とするレメディオスは手も足も出ない目の前の悪魔たちにラキュースの言葉を思い出した。

「復活魔法の力を司る女神に拒否されれば…復活魔法は使えない…?」

 周りの騎士達はその言葉を聞くと、今の状況の訳に思い至った。

「そんな…私は光神陛下にはずっと…祈りを捧げ信じてきたのに…この私に聖なる力を貸す事をやめたとでもいうのか…?」

 

「勝手に絶望してますよ。面白いですねぇ?」

 グラトニーはそう言うと、ヒュオっと音を鳴らし、猛烈な勢いで息を吸い込み始めた。

 爆風の中、レメディオスよりも悪魔の近くにいた数人がその口に吸い込まれていく。

 必死に踏ん張るレメディオスも、台風のような吸気に食われるのかと思った次の瞬間、風は止んだ。

 二人の間には優しき闇の神が立っていた。

 

「そこまでだ。悪いがお前には私のストレス発散に付き合ってもらうぞ。」

 

 再びの地獄に突き落とされそうになった人々は大歓声を上げた。

 神王を応援する声が広場中に広がる。

 すると空からポタリポタリと赤い液体が降りだし、ついには赤い小雨に見舞われた。

 何事かと見上げれば、今までどんなに乞うても決して救いの手を差し伸べてくれなかった光の神が上空から真っ赤な血を振りまいていた。

 それに触れると、傷だらけだった人々は途端に癒えて行った。

 瀕死で担がれていた大量の人々も、レメディオスに突っ込まれ苦痛に声を上げていた人々も、町中に諦め置いていかれてただ死を待つだけだった人々も、目の前の奇跡に、神王と女神を想い涙し感謝した。

 

「これは…神の血……。」

 街の評判の薬師の呟きが、何とかその場に追いついたネイアの耳に届く。

「人を癒す…神の血…。陛下、陛下方はやっぱり自分を傷付けてでも人々を救うのですね…。」

 ネイアはその慈悲深さと、普通の人間ではあまりにも辛く耐え難い生き様に気付けば涙を流していた。

 一緒に走ってきた蒼の薔薇はネイアのそれを聞くと拳を握り締め、つい目を逸らしたくなる衝動に駆られる。

 いつの間にかかなりの怪我をしていたイビルアイは深くフードを被り、さらにその上にガガーランのマントを羽織っていた。

 イビルアイは自分の肩を抱きながらネイアの隣に並ぶと、ネイアの手を取り、遠く自らの血を流し続ける女神と、目の前で悪魔に立ちはだかる神王を交互に見続けた。

 この血を浴びれば怪我は治るのに、イビルアイが敢えてそうしないのは、きっと神に頼るだけではいけないという意思の表明だろうとネイアは思った。

 

+

 

 神王とサークレット、グラトニーの戦いは壮絶を極めた。

 しかし、神王も悪魔たちもまるでじゃれ合うようにそれを楽しんだ。

 いや、そう見えただけなのかもしれない。

 目の前で行われる激しい魔法の応酬に、時には荒れ狂う砂塵を舞い上がらせ、時には残っていた家々を破壊し、街を殆ど更地にして行った。

 最初にサークレットが倒れると、そこに女神は降りた。

 なにかを話しかけているように見えるのは恐らく弔っているのだろう。

 女神は笑っていた。

 邪悪な命の終わりを喜ぶと言うよりも、まるでこれまでの生を労うような笑顔は人々に衝撃を与えた。

 人々が女神に目を奪われていると、神王の絶大な力を前に、グラトニーも地に伏せた。

 すると神王は大量にアンデッドを生み出した。

 死して尚聖王国のために戦いたいと願った聖騎士はその奇跡によって死の国から呼び戻され、残った亜人の討伐に駆け出した。

 そうして広場は何とか秩序を取り戻し始めらのだった。

 

 女神はサークレットから恭しく二つの頭部を外すと、見たことも聞いたことも無い強大な魔法をかけた。

 輝きが二つの頭部に集まると、聖王女とケラルトは体を取り戻し、二人はゆっくりと目を覚ました。

 

「こ……ここは……」

 聖王女は何があったのかも分からず、仰向けに寝転がったままただ目を泳がせた。

「カルカ様……?」

 ケラルトの声からその存在に気付くと、聖王女はケラルトに優しく微笑んだ。

「ありがとう、ケラルト……。復活させてくれたの……?私、グラトニーに振り回されて死んだわよね……?」

「カルカ様……私は――え?」

 何かを言おうとしたケラルトは呆然と空を仰いだ。いや、空ではなく、聖王女とケラルトをまじまじと覗き込む者がいたのだ。

 その瞳は美しい金色で、今にも何か言いたげだった。

「あなたは……?」

 聖王女の質問に、その者は神官達をちょいちょいと呼び寄せた。弾かれたように神官たちが駆け寄る。

「――カルカ様!カルカ・ベサーレス様!!この方こそ、この方こそ光の神であらせられます!!」

「光の……神……?」

「はい!!この光神陛下が御身を復活させてくださったのです!!」

 神官は神々の降臨やこれまであった事、そして一月にも及ぶかと言う苦難の日々を伝えた。

 皆誰もが涙ながらに話をした。

 アンデッドとなった人々を闇に返し供養してくれた神王も未だ寝転がる二人の元へ向かっていた。

 

 いつから来ていたのか王兄カスポンドも神官の向こうで軽く手を挙げ聖王女の復活を祝った。

 そして絶望した様な顔のレメディオスに何やらこれまでの必死の抵抗に労いの言葉をかけているようで、レメディオスは再び手の中の聖剣を強く握りしめていた。

 

「そう……。そうだったのね……」

 未だ座っている事も辛いと言う様な二人に、神王が近付いて行くと、どこからか真っ赤な液体を取り出した。

 人々はすぐにそれが何なのか分かった。

 神は二人にその血をバッと振り掛けると、女神に頷いた。

 すると、力の湧いた聖王女とケラルトの叫びが響いた。

「「レメディオス!?」」

 

 レメディオスは、女神の背に剣を振るっていた。

 しかしその剣は女神には届かず、守ろうと間に入った王兄カスポンドの身を貫いていた。

「――ッウ……!」

 苦しげな王兄の声が辺りに満ちる、レメディオスは震える手で聖剣を王兄から引き抜き、ドシャリとその身は地に崩れた。

「殿下!」「お兄様!!」

 駆け寄れば王兄は既に絶命していた。即死の一撃だ。

「そんな…王兄殿下…貴方が…こうしろと…なんで…。」

 レメディオスの呟きは混乱の喧騒の中、誰の耳にも入らなかった。

 聖騎士達の手で捕縛されたレメディオスは吠え出した。

「そんな…お、おかしい!!いや、私は間違っていない!これも殿下の御心に従ったまでだ!私はずっと正義を行なってきた!!そうだ、お前にも祈りを捧げ続けた!!なのに…くそ!!なのになのに!!!」

「レメディオス黙りなさい!!」

 王女の命令も無視し、レメディオスは続ける。

「こんなの間違っている!!守れた!!お前が最初から私に力を与えていれば!!全ての収容所の子供達だって守れたに違いないんだ!!殿下もそう仰ったのに何故邪魔を!!くそ!くそ!!お前は、いや!お前も、お前も神なんかじゃないんだろう!!」

 そう言って神王と女神を順に指差すと、女神はびくりと肩を震わせた。

 今まさに神の血によって人々を回復させた女神は、神王に顔を向けると、神王は黙って顔を左右に振った。

 

「許さない、許さないぞ!!分かった!貴様らだ、貴様らが犯人だったんだ!!」

 レメディオスは支離滅裂な事を叫ぶ。

 聖王女の命令で動きだした聖騎士達に引きずられながら、レメディオスは魂を震わせるように慟哭した。

「決して私は許さんぞ!!暴いてやる!!絶対に暴いてみせるからなぁああ!!」

 

 ネイアは哀れなその生き物はきっと救われることはないだろうと思った。

「あいつは自分で選んだんだ。世界は光だけでは救われない事を神々は示し続けたのに、光だけで世界を満たしたがったエゴが、結果的に多くを殺したんだ。」

 隣でネイアの手を握るイビルアイは怒りに震えているようだった。

「それでも…それでも光を求めたくなってしまう私達はどうしたらいいんでしょう…イビルアイさん…。」

「どうすることもできないさ。光だけを求めたくなってしまう心の闇を受け入れろ。」

 イビルアイの言葉にガガーランが頷く。

「目を逸らすなよ。その闇から目を逸らしたら、光を求めるはずが光に見放される。」

 

 ラキュースは話をする仲間たちから離れ、哀れな獣のようになって引きずられていくレメディオスを一瞬振り返ると神王と女神の前に跪いた。

「神王陛下、光神陛下…。その身を呈した王兄殿下に、再び命を与えては頂けませんか…。」

 二柱は悩んだ。

 聖王女もそれを見ると、闇の神にも何の抵抗もなく共にラキュースの隣に跪く。

 聖王女はその身に起きた奇跡と神官達の話をきちんと理解していた。

 女神は数度目を泳がせると、あの日のように静かに首を振った。

 闇を抱いてそれでも生きろと、女神は言ったのだ。

 果たしてレメディオスはこの罪を償い切れるのだろうか。

 ラキュースと聖王女は深々と頭を下げ、無言のまま了承の意を示した。

 神王はその様子に満足げに頷くと聖王女に告げた。

「この者の尊き命はこちらで弔わせて貰おう。――<転移門(ゲート)>。済んだ後に体は綺麗にしてお返しする。祀ってやってくれ。」

 恐らく誰よりも素晴らしい世界に旅立てるだろうと人々はその闇に神王が王兄を連れて入る背中を見送った。




次回 #57 帰路

グラトニーちゃんはピンクでまん丸で、丸に手足がついてて、
足は赤くって、食べたものの能力をコピーできるよ!
とってもかわいいね!


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#57 帰路

 ツアーは鼻先に突如感じたふわりとした空気の流れの変化に体を起こした。

 竜王として生まれ持った鋭敏な知覚能力は人間を遥かに凌ぎ、相手が不可視化を行っていようと、幻術で騙していようと、驚くほどの遠距離であっても正しく感じ取ることができる。

 

「なんだいリグリット。また来たのか。」

「ツアーよ。まだゴウン陛下を疑っておるのか?」

 リグリットの疑問にツアーは目を細めた。

「陛下、ね。そうだよリグリット。丁度ついさっき、世界が悲鳴を上げたような気がしたんだけど、アインズはまた何かやったのかな。」

「また…?」

「僕はね、リグリット。アインズが僕との約束を守っているようにはどうしても思えなくなってしまったんだよ。それを調べなければいけない。」

 リグリットはいつもツアーの鎧が置いてあるところに目を向けると、そこは空洞だった。

「それで、どこに向かってるんじゃ。」

 

「彼の神殿で謁見を申し込むさ。ルールに則ってね。」

 ツアーは牙を剥き出しにし、軽い笑い声を上げた。

 

+

 

 翌日街の小さな神殿に神々はいた。

 

 聖王女やケラルト、蒼の薔薇、これまで会議に参加していた神官達も来ていた。

 そして新しい聖騎士団団長のグスターボも。

 

 グスターボは道中のことを思い出しながら跪いた。

「神王陛下。この度は我が国をお救い頂き誠にありがとうございました。そして、光神陛下。今一度、伏してお願い申し上げます。どうか、九色の三人の復活を。」

 女神は初めて首を縦に振った。

「もっと…全ての者をと言わないのですか?」

 

 女神のその質問は最後の試練だとネイアは思った。

 ここで答えを間違えれば、九色の復活も叶わないだろう。

 聖王国は間違い続けてしまったのだ。

 

 グスターボはその瞳を僅かに揺らすと、心に決めた答えを力強く返した。

「はい。私達は、この惨劇を胸に生きようと思います。両陛下の教えを刻む為にも、敢えて受け入れます。」

 女神は今までで一番いい笑顔で頷いた。

「良いでしょう。遺体をこちらへ。」

 

 なんとか回収、保存されていた遺体が運び込まれる。

 グスターボと共に副団長を務めていたイサンドロ・サンチェス。

 騎士ではないが、その腕を買われていたオルランド・カンパーノ。

 そしてネイアの父で凶眼の射手、パベル・バラハ。

 

 女神は闇から白い杖を取り出すと三人へ向けた。

 

 一度に三人が金銭の代償なく起き上がる奇跡に、第五位階の復活魔法を行使できていたケラルトは目の前の存在を神と認めた。

 復活魔法を使うときに感じる存在はこの方だったのかと。

 しかし、姉のレメディオスの失態からケラルトはその力を女神から剥奪されたようだった。

 その後数多(あまた)の善行を積み、ついにはケラルトは力を取り戻すが、どんなに乞い願われても、あの日女神がしたように黙って首を左右に振って復活を断った。

 そんな事があった夜は必ず、「力を返されたとしてもそれを行使する権利はない」と聖王女の元で嘆いた。

 ネイア・バラハに聞かされた慈悲深き神々の話は余りにも切なく、苦しいものだった。

 ならば、闇を抱いて生きるしかないと、一時はその手で殺そうかとも思った――幽閉されわずか一年で狂った姉を許し聖王女の傍で懸命に日々を生きたと言う。

 

「陛下方。我々北聖王国は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国に恭順致します。」

 ネイアが父に縋り泣いていた横で、昨晩紛糾した議題の結論を聖王女が伝えた。

 

「…北だけか…。それで、南は。」

 その問いはまるで南部貴族達が神王を嫌厭している事を知っているようだった。

 聖王女は首を左右に振り地に視線を落とした。

「畏れながら…ダメでした…。」

 北部は神の奇跡と教えを間近で見ると言う幸運に恵まれたが、南部は未だアンデッドには降らないと言い続けている。

 これでは北部も受け入れては貰えないのでは、と少し心配になったネイアは神王に瞳を向けた。

「いや、良い。仕方のない事だ。私達の落ち度でもある。デミウルゴスには謝らなければな。」

 デミウルゴスとは誰のことだろうと思ったが、恐らく南を案ずる慈悲深いものだろう。

「アインズさん、私の落ち度です。」

 闇の神も光の神も辛そうな雰囲気だった。

 南部に悪魔が逃げて行くのを見たと言う多くの人々がいる以上、魔導国に降り大々的に悪魔狩りを頼むのが一番だと言うのに。

 命よりも権力を選択した愚かな南の指導者によってまたしても神は心を痛めることになったのだ。

 

「陛下方!!」

 ネイアは気付けば叫んでいた。

 このいつも人々の愚かしさに嘆き傷付く優しい神々を、少しでもその痛みから守りたいと、身の程知らずにも思ってしまったのだ。

「私が必ず南部にも陛下方の教えを伝え、共に全ての命を愛する魔導国に降るように説得してみせます!!」

 父パベルは慌ててネイアを止めた。

「ネイア、やめないか。神々の前でいくらなんでも失礼だ。」

「良い。パベル・バラハ。――バラハ嬢よ、頼めるか。」

 ネイアは初めて神々の役に立つ事ができる今この瞬間に歓喜した。

「はい。ネイア・バラハ、蒼の薔薇と共に最も神王陛下のおそばで教えを受けた身。既に陛下方を讃える仲間達は三万人を超えております。皆で、南を魔導国へ恭順させて見せます。」

 それを聞くと神王と女神は安心したように頷きあった。

 

「ネイア・バラハ。今お前に簡易の儀式で魔導国の身分を与える。」

 ざわりと神殿内が揺らぐ。

 ネイアは神王と女神の前に進み、聖騎士団に入った時のことを思い出しながら膝をつくと、聖王女に渡された劔を足下に置いた。

「フラミーさん。」

 女神はネイアに一歩近付き、白い杖でその両肩を軽くトン、トンと叩くと告げた。

「ネイア・バラハ。紫黒聖典、第三の席次を与えます。二つ名は父から譲り受けなさい。凶眼の射手。国籍はこちらで取得しておきます。」

 

 フラミーは任命時など、あんちょこがある場面ではその役割をアインズより任せられていた為スラスラと言えた。

 アインズはフラミーに花を持たせる事ができたと満足する。

「後日隊長である疾風走破と重爆を送ろう。…とんでもない二人だが、バラハ嬢ならばうまくやるだろう。」

 そして念のため九着作っておいた紫黒聖典の鎧をネイアに一つ渡す。

 ネイアはそれを頭上に掲げるように受け取った。

 思いがけもせず、自分達の失態を埋めるために働くと言ってくれた目つきの悪い少女をアインズは結構気に入っていた。

 そして何より、"聖王国を手に入れるための作戦"と言ったアルベドとデミウルゴス、パンドラズ・アクター達の意に反して北しか手に入らなかった事にちゃんと布石を打てましたと言える状況に強い安堵を覚えていた。

 アインズは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を入れると、白く神々しい、ルーンが刻まれた弓と、黒いバイザーを取り出し、恭しく受け取り未だ掲げられる鎧の上に置いていく。

「バラハ嬢、君はこれも使ってくれ。我が国で作られるルーン技術によって生み出された素晴らしい弓だ。名はアルティメイト・シューティングスター・スーパー。そしてそれの能力を引き出すためにこのバイザーも使うのだ。常にきちんと装備しておくんだぞ?いいな。」

 ネイアは心得たとばかりに頷き、応えた。

「ネイア・バラハ、必ずや御身のご期待に応えて見せます。」

 

「良し。私達からは以上だ。カルカ・ベサーレス。今後ここには私の配下の者が今述べた聖典と共に現れるだろう。その者達と属国化を進めてくれ」

 そう言うと、神王は女神を伴って神殿を立ち去ろうとする――が、何かを思い出したように振り返った。

「そうだ、最近帝国も降ったのだがな。ふふ、今度支配者のお茶会でもしようではないか。きっと実りあるものになるぞ。」

 嬉しそうにそう言うと、今度こそ二柱は神殿を後にしたのだった。

 

+

 

 任命後、多くの遺体は全て綺麗に神王が引き取り、確かな供養を約束してくれた。

 後日街には大量の亜人達が送り込まれてきた。

 全ての亜人は神王に深く頭を垂れ、人々の復興をよく手伝った。

 貪食(グラトニー)と共に聖王国を襲撃した人間を食べる亜人達は殆どが種を維持できるギリギリまで数を減らされたが、聖王国を襲撃しなかった人間を食べない亜人達は、陽光聖典とコキュートスによって魔導国に一足先に降っていた為、率先して聖王国の復旧復興を手伝いに来た。

 人々はそれを指揮するコキュートスと陽光聖典、オークなどを筆頭とした亜人達と手を取り合って街の復興を進めた。

 

 人々が最後に救われた広場には"生死の神殿"と呼ばれる神殿の建築計画の看板が立った。

 初の一棟で二柱を祀るその神殿には、後にネイア・バラハと蒼の薔薇によって語られた神々の本質と生き様が神官達によって書き起こされ、安置されていく。

 神聖魔導国中の神官達が修行の為にそれを書き写しにこぞって北聖王国を訪れ、自分達の勤める神殿に持ち帰って公開するのはまた別のお話。

 

 何とか生きていける目処のついた今日、軽い式典を明後日にでも開こうと話が立つと、偶々何か急用のできた神々が帰り支度を始めてしまった。

 街の人々も、神官も、聖騎士も、誰もがその急な出発に心を痛めた。

 

 ネイアは心細かった。

 この一ヶ月共にあった強く優しい背中との別れに、とても耐えられないと思った。

「神王陛下!!」

 聖王女より正式に別れの言葉を送られて馬車の前に立つ神々に、声をかける。

 パベルは娘を軽く止めるが、目の前の慈悲深き神々はきっとそれを叱責しないだろうと分かっていた。

 

「バラハ、良いのだ。ネイア・バラハ。これから南をどうか、頼む。」

 神王は力強くネイアに南を任せた。

 パベルは神にそれ程までに信頼される娘を誇りに思って少し泣くと、ともに復活したオルランドに背中を叩かれた。

「お任せください…きっと…きっと…南部も救ってみせます…。この北部に訪れた真なる平和を伝えます。」

 ネイアは必ず人々を救って見せると決意すると、肩にかけてあるアルティメイト・シューティングスター・スーパーの重みを感じた。

「そうだな。明日には紫黒聖典の二人も着く。どうか協力して事に当たってくれ。もしルーン武器を借りたいと言うものが現れたら隊長達に伝えるんだ。わかったな。」

 ネイアは既に紫黒聖典の鎧を身につけている。

 自分は聖王国から魔導国に初めて渡ったこの神の民として、情けない姿はみせられないと口を一文字にキツく結んで流れそうになる涙を堪え何度も縦に頭を振った。

 

「…さぁ、そろそろ行きましょう、陛下方!」

 途中まで一緒に帰る蒼の薔薇のラキュースが声をかける。

 ネイアは震える手を神王に伸ばすと、慈悲深くも神王はそれを両手で握りしめた。

 冷たく細い骨の感触だと言うのにネイアは温もりを感じる。

「南を頼んだぞ!君は我が紫黒聖典になったのだ。神都で、エ・ランテルで、また会おう。」

 神は堪らず涙を流しかけるネイアの頭をクシャリと撫でて背を向けた。

 蒼の薔薇が続々と馬にまたがっていく。

 帰りは誰も神々の馬車には乗らなかった。

 きっとこの二柱には惨劇を悼む時間が必要だと思って。

 

 立ち去っていく馬車は数え切れない人々の歓声と万歳唱和の中出発して行った。

 

「陛下方の御心に平穏を!」

 ネイアはグイと目元を拭くと肩に置かれた父の手の優しい、神王とは違う温もりに笑顔を向けた。

 

+

 

「はー疲れた。明日にはデミウルゴスの牧場見学かー。」

 アインズは行きとは違って斜め向かいに座るフラミーに話しかけた。

「楽しみですよねぇ!」

「うーん、楽しみは楽しみですけど、あえて今は南を手に入れなかったみたいな言い訳を考えないといけないですからねぇ…。」

 支配者は悩みながらブーツを脱ぐとベンチチェアに対して横向きに座り直す。

 足を椅子に乗せると、壁に背を預け伸ばせるところまで足を延ばした。

 

「はは、まだ二十四時間ありますからきっといい案が思い付きますって。」

 それを見たフラミーもせっせとサンダルを脱ぐと、土ぼこりで意外と汚れていた足を綺麗に拭いてアインズと斜めに向かい合うようにベンチチェアに足を延ばした。

「一緒に考えて下さいよー。あー…両脚羊可愛いといいなぁ。」

「何か赤ん坊産ませたりしてるって言ってましたからきっとモフモフのヨチヨチですよ!」

 ふふふとフラミーは口元に手を当てて嬉しそうに笑っている。

「可愛いのいたら一匹くらい連れて帰りますか?」

「わぁいいアイデア!でも、生き物って途中で飽きちゃうんですよね。」

「飽きたら牧場に返してスクロールにしたら良いじゃないですか。」

「なるほど。やっぱりアインズさんて頭良いですよ!」

 慈悲深い神々は和やかに笑った。

 

 ひとしきり笑うと、不意に訪れた無言にアインズは心地よさを感じた。

 寝られるとしたら寝てるな、と目を閉じる。

 

「アインズさん。」

 

 目を開けフラミーを見ると伸ばしていた足を体に引き寄せて抱えて座っていた。

 

「毎度の事ながら…今回も本当、私役立たずで申し訳なかったです。」

 アインズも片膝を引き寄せると膝の上で手を組んだ。

「いいえ。いつも充分役に立ってますよ。」

「いつも?」

「いつもです。主に俺の気持ちが支えられてます。」

 それだけ言うとアインズは再び目を閉じた。

 

「優しいんですね、鈴木さん。」

 

 アインズはつい教えてしまった懐かしい名前にふふと笑いを漏らした。

 

「なんせ、少しだけお兄さんですからね。」

 

+

 

 聖王国にゴーレムの馬で乗り付けたクレマンティーヌとレイナースは小さな神殿に向かっていた。

 エ・ランテルや神都では馴染みになり初めていた亜人の闊歩する様子に何の違和感も持たずにズンズン進んでいく。

 街の人々は「バラハ様と同じ鎧だ」と二人を噂した。

 その腰にはルーンの刻まれた見事なスティレットと、これまたルーンの刻まれた劔が下げられていた。

 神殿前に着くと、二人はひとつ頷き合ってから中に入る。

 

「ちわー!ネイア・バラハちゃんいるー?」

 クレマンティーヌの呼び声に、一番前のベンチに座っていた少女がビクリと肩を震わせた。

「バカ。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が紫黒聖典。ネイア・バラハですわね。」

 レイナースの声に恐る恐る、その少女はベンチから立ち、振り返った。

「あ、あの…ううん。しっかりしなきゃ。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と光神陛下の命により、新たに紫黒聖典へ入りました!ネイア・バラハと申します!よろしくお願いいたします!先輩方!」

 ネイアはパッと頭を下げ、自信に溢れた顔を上げた。

 

 クレマンティーヌとレイナースは微笑むと視線を通わせ、ネイアに近付いた。

「よろしくー!私は疾風走破、クレマンティーヌ・ハゼイア・クインティア。一応隊長って事になってるからちゃーんと言うこと聞いてねー!」

 猫のように笑うクレマンティーヌとネイアは握手を交わした。

「私は重爆、レイナース・ロックブルズ。帝国で騎士をしていたの。この破茶滅茶な隊長の下にたった一人で困ってたわ。新しい人が入って嬉しい。よろしくね。」

 レイナースも美しい顔を露わにして握手した。

「クインティア隊長も、ロックブルズ副隊長も、と、とっても美人ですね!」

 ネイアのその言葉に二人はきょとんとすると、笑い出した。

「ははは、あんた面白いねー!クレマンティーヌでいいよ!」

「ふふ、私もレイナースで良い。ネイア・バラハ、流石に陛下方に見込まれただけあるわ!」

「あ!わ、私もネイアでお願いします!」

 ネイアは新しい姉二人にわしわしと撫でられながら、この二人とならうまくやっていけそうだと思った。

 

+

 

 冷たい尖塔の頂上に、大罪人はいた。

「頼む、頼むカルカ…ケラルト……。」

「ダメよ。フラミー様はあなたが罪を償う必要があると仰った。」

「せめてここを出してくれ!!ここは嫌なんだ!!」

 これまでレメディオスはいつも自分は悪くない、王兄の言う通りにしただけだと言い続けていた。

 しかし、ここ数日は狂ったように――

「影から、影から悪魔が出て来るんだ!!本当なんだ!!あいつらはお前達が居なくなると出てくる!!」

 そればかりを言い続けていた。

 

「姉さん、お願い。これ以上嘘をつかないで。罪は償えるんだから…。」

「嘘じゃない!!本当にここには悪魔が住んでるんだ!!」

 すると、カルカの後ろにおぞましく蠢く影が膨らんだ。

「おい!!カルカ!!後ろに奴がいる!!」

 カルカをその悪魔から守ろうとレメディオスは牢から手を伸ばし、その身を突き飛ばした。

 勢いよく尻餅をつくと、カルカは痛みに尻をさすった。

「姉さん!!カルカ様にまで!!」

「……私は悲しいわ…。ケラルト、今日はもう行きましょう。」

 二人は心底悲しそうに一度振り返ると、出て行った。

 

「違う!違うんだ!!信じてくれ!!カルカ!!ケラルトー!!!」

 虚しい叫びに影の悪魔(シャドーデーモン)達はゲタゲタと笑い声を上げた。




次回 #58 閑話 おいでよ!デミウルゴス牧場
閑話なので12:00更新です!

あああツアーきちゃう、ツアーきちゃうよお。
プレイヤー絶対殺すマン。

その前に現在の神聖魔導国の状況です!

【挿絵表示】

挿絵師ユズリハ様より頂戴いたしました!


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#58 閑話 おいでよ!デミウルゴス牧場

 蒼の薔薇と別れたアインズとフラミーはゴーレムの馬が引く馬車でデミウルゴスの牧場に着いた所だった。

 

「アインズ様、フラミー様。よくぞいらっしゃいました。」

「いらっしゃいませぇ、アインズ様ぁ!フラミー様ぁ!」

 跪いて迎えたのはデミウルゴスとエントマ、そして牧場勤務の悪魔達だ。

「うむ。邪魔をするぞ。今日は案内よろしく頼む。」

「は。その前に、アインズ様、フラミー様。聖王国への長期滞在誠にお疲れ様でした。見事聖王国も手に入り、お二人の素晴らしいその手腕とアインズ様の慧眼にはこのデミウルゴス日々瞠目しておりました。」

 その言葉にアインズとフラミーは少し気まずそうに目を合わせた。

「は、はは…私は何もしてないですし、南も何だかまだですけどね…。」

 ポリとフラミーは頬をかいたが、デミウルゴスは心底不思議そうに首をかしげていた。

 アインズは気付いた、これは放っておけばいい奴だと。

「そうだろう。何、後は任せたぞ。」

「は。聖王国のその後もお任せ下さい。――それにしても、フラミー様は御髪を切られたのですね。」

「あ!解ります?ふふ、アインズさんが切ってくれたんですよ!」

 嬉しそうに前髪を触るフラミーの様子に、アインズは聖王国で頑張った自分を心の中で褒め称えた。

「さようでございますか。長いのもお美しかったですが、今の長さがやはり一番お似合いになりますね。」

「あ、ありがとうございます。」

 フラミーはそういうとはにかみながらデミウルゴスを見上げた。

「んん。さて、それでは案内してもらおうかな?」

 アインズはよくそんなに褒める言葉がスラスラ出ると感心しながら、建物へ向かった。

 

「簡単に牧場内のご説明を申し上げますと、飼育、繁殖、皮剥、飼料作成の四プラントと飼育員小屋に分かれておりまして、まず最初の部屋ですが――。」

 デミウルゴスの説明半ばで、フラミーが杖を落とした音がガランッと大きく響いた。

 アインズは一瞬自分が杖を落としたかと焦ったが自分ではなかった。

 周りからは啜り泣く羊の声が聞こえてくる。

 羊達は皆裸にさせられ、腰骨のあたりに横向きの線がぐるっと入っていて、シャツの前身頃と後見頃を縫い合わせるかのように腰骨の線から脇下までも線が入っていた。

 その姿は一瞬タンクトップを着ているようにも見える。それはこれまで効率よく大きな形で皮を剥がれて来た傷痕だ。

 羊達はデミウルゴスの来訪に心底怯えているようだった。

 しかし、フラミーを見た羊達は一斉に檻の中を移動し始めた。

「天使様!?」「天使様!!」「お助け下さい!!」「お助けを!!」

 フラミーは呆然と立ち竦み、羊達を前に何とか声を絞り出そうとしていた。

 

「ひ、ひつじ………。」

 

 愕然としたフラミーの声に、デミウルゴスはまさかという顔をしてアインズと視線を交わし、さっと片膝をつくとフラミーが落とした杖を拾い、その前に差し出した。

「フラミー様、ここではローブル聖王国の両脚羊を飼って――」

「羊じゃないです!」

 フラミーは少し強い口調でデミウルゴスを咎め、アインズに向き直る。

「アインズさん、これ知ってたんですか?」

 アインズは知らなかった。

 しかし、知りませんでしたと言える立場にないため沈黙を送るしかなかった。

「知ってたなら…っ何で教えてくれなかったんですか!」

 そう言うとフラミーはダッと駆け出し出て行ってしまった。

 

 いなくなってしまった天使に再びの降臨を願い羊達は激しく泣き出した。

 

 デミウルゴスは呆然と杖を掲げたまま呟いた。

「フラミー様…。」

 その耳には羊達の喧騒は入っていないようだった。

「…デミウルゴスよ、お前はよくやっている。立ちなさい。」

 その声に我に帰ったのかデミウルゴスはゆっくりと立ち上がった。

「困ったものだな。エントマよ。人間共を黙らせここで少し待っていなさい。行くぞ、デミウルゴス。」

 アインズは初めてその種族の名を口にした。

 二人は牧場の外へ出た。

 

 アインズも別に人の皮を好きだとは思わない。

 しかし、別段気持ち悪いとも思わないし、正直それらを目の当たりにして出た感想は「別にどうでもいい」だった。

 アインズにとって最も大切なギルドメンバーであるフラミーの暮らすナザリック地下大墳墓のためであるならば、人間達がどうなろうと関係ない。

 もっと人間を連れてくれば、よりナザリックの為になると言うのであれば迷いなくおかわりを連れてくる事もできる。

 かつては人間であったが、この体になってからは大した親近感を覚えず、まるで虫や魚などの別の種族のように突き放して考えられた。当然、関わった者にはペットの犬や猫へ向けるような想いを抱きもするが。

 これは肉体の有無と性差だろうか。

 

 プラントの外は涼しい風が吹き渡り、海のように草原を波打たせた。

 フラミーは少し離れたところで草原に一人ぺたりと座っていた。

 正座を崩したように座るその背中は何も知らなかった自分を恥じているように見えた。

 

「フラミーさん。」

 アインズは極力優しい声で話しかけた。

 デミウルゴスは無言でフラミーの杖を持ってついてきていた。

「フラミーさん、デミウルゴスも悪気があったんじゃないんですよ。」

「悪気があるとか悪気がないとか…そんなの…。」

 アインズはデミウルゴスをちらりと見るが、じっと押し黙っていた。

「フラミーさん、ナザリックの為なんです。」

「ナザリックの為ってなんですか!アインズさんもデミウルゴスさんも…信じらんないです…。」

 フラミーは本当にもう嫌だといったような雰囲気で吐き捨てた。

 

「あんなに大量の人間を…。」

 言い辛そうにするフラミーに、アインズは隣に座って翼をさする。

 二人の斜め後ろに立っていたデミウルゴスは、背中に語りかけた。

「フラミー様が人間種をそこまで特別にお考えだとは思いもしませんでした。私の落ち度です。申し訳ございませんでした。」

 その声は悔恨と恐怖に震えていた。

 

 しかし、フラミーの続く答えは――

「人間種どうこうじゃないです。毛の生えてない生き物全般です。それをどうして全裸で飼うんだって話をしてるんです…。」

 二人の想像とは少し違った。

 

 アインズの視界の端に写るデミウルゴスはメガネがずれていた。

「んん。フラミーさん?」

「アインズさんだって、私がこの世界の全裸になりたがる人間達がイヤって知ってたのに。あんなに大量の裸の人間…。」

 やはりフラミーも歪んだカルマを持っていた。

「あ…その…すみません…。」

 とりあえずアインズは謝った。

 

 デミウルゴスはアインズと反対側、フラミーの斜め前に出ると、膝を地面につけ恐る恐る顔色を伺いながら杖を差し出した。

「フラミー様… こちらを…。」

「あ、ありがとうございます…。」

 フラミーがそれを受け取り軽く礼を言う姿にデミウルゴスは心底安心した。

「デミウルゴスさんも…何で裸で毛の生えてない生き物飼ってるのに裸で飼育してるって教えてくれないんですか…。」

「は。ご不快なものをお見せ致しました。申し訳ございません。早急に両脚羊に布を与えるように僕達へ伝達してまいります。」

 そういうとデミウルゴスは軽快に走って牧場へ戻って行った。

 

 アインズが呆然とデミウルゴスの背中を見送っていると、フラミーは怒り出した。

「やっぱり、ナザリックの為にって。アインズさんが今までの人達皆裸にして来たんじゃないですか!せめて裸の人間がいるって教えて貰えてたら、心の準備だってできたのに!」

 顔を赤くして怒るその横顔に、アインズは無性に笑いが込み上げた。

「は、はは…ははは…ははははは!」

「ひぇっ。」

 フラミーは翼をさすってくれていたアインズから少し離れた。

「はは――ちっ、抑制されたか。そうですよね、いつも何で裸になりたがるんだって怒ってましたもんね。」

「怒らない方がおかしいです。」

 腕を組んで頬を膨らませたフラミーはふんっとアインズから顔を逸らした。

「ははは、本当ごめんなさい。気持ち悪かったですか?」

「気持ちいい訳ないじゃないですか!私、まだ、男の人の裸はニグンさんとンフィーレア君しか見たことないし…アインズさんと違って私…私…。」

 フラミーは膝を抱えると顔をそこに埋めてしまった。

「あー…ちょっと待って下さい?俺もニグンとンフィーレアくらいしか他人の裸は見たことないです。」

 何も言わないフラミーが不名誉な想像をしていることをアインズが感じていると、デミウルゴスが走って戻ってきた。

 

「お待たせ致しました。全員に陰部を隠すように指導が済みましたので、今度こそご案内いたします。」

 座る二人の前に跪き告げる悪魔を、フラミーは膝に顔を埋めたまま侮辱した。

「デミウルゴスさんの変態。」

「え!?そんな、違うんですフラミー様。」

「じゃあ何で裸で飼うんですか。」

「お、お聞きください!羊達は身に付ける物を与えるとそれで自傷行為や自害を行おうとします。ですが、簡単に脱げないものを着せれば汚してそこから湿疹ができ羊皮紙の生成に問題が起こりますし、かと言って日々新しい布を与えるのもコストの面でナザリックの負担になりかねません!それに毛の生えた動物では毛を毟る必要もあり人手も時間も必要です!」

 驚くほど早口でスラスラ出てくる人間を飼う理由にアインズはなるほどと心底納得した。

 

 ようやくフラミーが膝から顔を上げるとデミウルゴスは戦々恐々と言った雰囲気でゴクリと喉を鳴らした。

「それは…仕方ないかも知れません…。」

 ようやく納得したフラミーにアインズもデミウルゴスも安堵のため息をついた。

 

 デミウルゴスは立ち上がるとフラミーに手を差し出した。

「お、お分りいただけてようございました…。さぁ、お手を。」

 差し出されるデミウルゴスの手を取って立ち上がると、手を預けたままフラミーは気まずそうに下を見た。

「すみませんでした、出てきちゃって…。」

「とんでもございません。先程申し上げました通り私の配慮不足でございました。」

 

 フラミーは万華鏡ような瞳でちらりとデミウルゴスを見上げた。

「怒ってない?」

「あ…――くっ…!」

 その瞳を間近で覗き見たデミウルゴスは顔を抑え、うんうんと無言で頷いた。

「ほら、行くぞ。俺は怒った。」

 アインズも立ち上がると、空いているフラミーの手を取って牧場に向かった。

 

「あ、アインズさん、変態か疑ったから怒ったんですか?あの、アインズさん?アインズさんてば。」

 無言で歩く支配者をフラミーは何度も呼んだ。




あーなんだフラミーさんそっちですか。
安心しました〜。
もっとヘゔぃーな方が良かったですかね笑

次回 #59 閑話 だってだって両性具有だもん

あ?嫌な予感のする次回予告だって?
ひひひひひ。


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#59 閑話 だってだって両性具有だもん

 飼育、皮剥、飼料作成の三プラントを見終わる頃にはフラミーは悪魔としての何かを刺激されたようだった。

「はー面白かったですね!皆私が助けに来たと思ってましたね!んふふふ。」

 楽しげに話すその姿にデミウルゴスは満足げに頷く。

「はい。誠哀れで愚かな愛らしい羊達でございます。」

「お前達は本当に…。私はナザリックに歯向かっていない者達を痛ぶるのは好かん。」

 アインズは悪魔達のワクワク皮剥体験に少し辟易していた。

 これでフラミーがナザリックで拷問官をしたいと言い出したら嫌だなと思いながら。

 

「ねぇアインズさん、可愛い子羊いたら連れて帰るって言ってたじゃ――」

「却下です。」

 嫌な想像は当たるものだとフラミーを見る。

「良いですかフラミーさん。あんまりそんな事ばっかり言ってるとお嫁の貰い手本当になくなりますよ。」

 フラミーはぽかんと口を開けて顔を青くした。

「そ、それはマズイです。私の子供の頃からの夢は可愛いお嫁さんなので…。」

 男子は心のメモに書き留めた。

 後ろの拷問の悪魔(トーチャー)も。

「じゃあ自重して下さい。」

 

「ところで、アインズ様、フラミー様。次は繁殖プラントですので羊達は皆裸体のままでございます。今日は繁殖日ですので、あと五時間程は魅了に掛かっている為止めることもできません。如何なさいますか?」

 アインズとフラミーは顔を見合わせた。

「わ、私はやめておきます。向こうでエントマと待ってるんで男性二人で楽しんできてください。」

 そう言うとフラミーはエントマの手を取った。

「フラミーさまぁ、デミウルゴス様は次のお部屋が大好きなのでとってもおススメですぅ!」

 

 アインズとフラミーは黙ったまま叡智の悪魔を振り返った。

 

「………。」

 デミウルゴスはエントマに誤解を呼ぶような言い方はやめろと視線で訴えると、エントマは心得たとばかりにぴょんと頭の二本の触覚を立てた。

「フラミー様是非どうぞぉ!私もたまに蟲を出してお手伝いしてますぅ!」

「む…むし…?」

「はぁい!蟲種と人間種の間に子供が出来たら、それはとっても進歩なんですよぉ!」

「ははは、わかったからエントマ行こうね。」

「あやっ!」

 エントマはフラミーに引っ張られて出て行った。

 

 そう言う趣味があったのかと言わんばかりのアインズの視線にデミウルゴスは冷静に応えた。

「アインズ様。我々ナザリックの僕は皆種族が十人十色。異種間で子供をもうけられるか、と言うのは戦力増強と言う意味では大変重要なキーワードかと。特にあの番外席次が邪王の力を強く受け継いでいる点を見ても、我々の子供というのはかなり期待ができます。」

「なるほど。それもそうだな。ん、そう言えばセバスはあの人間の女とどうなったか。」

 アインズは進み始めたデミウルゴスに続いて歩き出した。

 

「まだうまく手も握れないなどと腑抜けた事を言っております。アインズ様とフラミー様を見習って自然に手を繋げば良いと言っているのですが。」

「…ん?それは、んん。私達はな。うん、その…アレだな。」

「はぁ…そのアレ、でございますか…?」

 段々目のやり場に困るような周りの状況にアインズはデミウルゴスから視線を外すことができなくなっていく。

「あーまぁ良い。男なら手ぐらい早く握れと言っておけ。触れ合いは人の心を動かす。」

「おぉ、流石アインズ様。何にでも精通していらっしゃる。」

 こいつは嫌味で言っているのかと童貞(アインズ)は一瞬疑うが、成る程成る程と顎に手を当て頷くその守護者の様子は尊敬で満ちている。

 

「では、セバスにはアインズ様も子を心待ちにしていると伝えておきます。」

「そうだな。しかしその前に結婚式か?ナザリックはじめての結婚だ。神都で盛大に祝ってやるか。」

 アインズはこういう時たっち・みーがいたら詳しそうだなと思う。

「なんと慈悲深い。では式ではアインズ様が仲人としてお出になられるのですね。」

「え、うわ――いや、本人たちの希望によるな。」

 一瞬想像して鎮静された。

 そんな事を話していると繁殖プラントをすっかり一周し、フラミーの待つと思われる職員食堂に向かった。

 しかし、職員食堂にフラミーはおらず、嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)がいた。

「これはアインズ様。よくぞお出で下さいました。」

嫉妬(エンヴィー)、興味深く見させて貰ったぞ。お前達の働きはナザリックに必要不可欠だ。これからも励んでくれ。ところでフラミーさんは?」

「畏れ入ります。フラミー様はあちらの外のデッキでエントマ様とお休み中にございます。」

 指し示した方に確かにフラミーがわずかに見えていた。

 嫉妬(エンヴィー)は恭しく頭を下げ、それではと立ち去っていく。

 

 アインズはその豊満な後ろ姿を見送ると、隣のデミウルゴスに振った。

「ふむ。お前はああいうのはどうなんだ?」

「は?ああいうの、とは?」

「悪魔種同士だ。お前達がその気になれば嫉妬(エンヴィー)との間に子供を持てるんじゃないか。」

「そう、でございますね。アインズ様がお望みとあらば。」

 デミウルゴスは素直に頭を下げた。

「いや。望みと言うほどでもない。忘れてくれ。」

 アインズはさっと手を振るが、デミウルゴスは何かを言いたそうにし、意を決したように口を開いた。

「悪魔種…という事でしたら――」

「うん?」

「悪魔種の繁殖という事でしたら、嫉妬(エンヴィー)とよりも、殆ど姿形が同じフラミー様との方が実りは早いかと。間違いなくナザリックの為にもなります。」

「……それは…そう…だが…。」

 デミウルゴスの提案は尤もだ。

 アインズがデミウルゴスに向いたままその光景(・・・・)を想像しかけると、後ろから冷たい声がかかった。

「二人で私の繁殖実験の話ですか…。」

 二人はハッと振り返った。

「流石デミウルゴスさまぁ!それでしたらお世継ぎも御生れになりますし、何よりですぅ!」

 きゃっきゃと喜ぶ愛らしいエントマと対照的に、アインズとデミウルゴスは自分たちの間の悪さに物が言えなかった。

 フラミーは何も言わないアインズとデミウルゴスを交互に睨んだ。

「アインズさんもデミウルゴスさんも…私のことそんな風に見てたんですか…。」

 静かにそう言うと無詠唱化した転移門(ゲート)を開き「酷い」と一言残して入って行ってしまった。

 

「…軽率にデリケートな話を振った私が悪かった…。」

「いえ、私も軽率でした…。」

 二人はしばらくごにょごにょと言い訳と反省を口にしてから、エントマに軽く挨拶をするとフラミーの部屋の前に向かった。

 後ろからは「お世継ぎ楽しみにしてますぅ!」と楽しげな声が響いた。

 

 目的の部屋の扉をノックをするとそこからはアルベドが顔を出し、フラミーに確認することもなく告げた。

「畏れながら、フラミー様はアインズ様にもデミウルゴスにも会いたくないと仰っております。」

 女子として共感しているのか冷たい視線を感じる。

「アルベド…。我々も反省しているのだ。」

「アインズ様の仰ることは解ります。でもデミウルゴス。貴方繁殖実験の為にフラミー様に近付くなんて不敬にも程があるわ。反省しなさい。」

 そして扉は閉められた。

 この世の終わりのような顔をするデミウルゴスの頭をアインズはくしゃりと撫でた。

「…今は少し時間を置こう。」

 そう言うと二人はアインズの部屋へ向かった。

 

+

 

 アルベドは扉が開いたままの寝室へ戻った。

「フラミー様、不敬なあの男は去りました。ご安心ください。」

「アルベドさん…。私が子供を作ったら、皆は嬉しいんでしょうか…。」

 膝を抱えるフラミーの瞳からは涙が溢れそうだった。

「…確かにそれは嬉しく思います。ですが、御身がお望みにならないのならば、私達も望むところではございません。」

「ありがとうございます…。アルベドさんは悪魔ですよね。」

「はい。悪魔でございます。」

「…もしアルベドさんに、私が子供を作ろうって言ったらどうします?」

「え?」

 

+

 

「デミウルゴス、本当に済まなかった。お前を陥れたようで私も辛い。」

「いえ…御身は何も…。私も何故あんな事を言ってしまったのか…。」

 大反省会が部屋で行われていると、俄かに廊下が騒がしくなる。

 何事だろうと二人が音の方に目を向けていると扉がものすごい勢いでバンと開かれた。

「あっ、あいんずさん!!」

 ローブを止める背のリボンが解かれているのか今にも服が肩からずり落ちるような状態でフラミーが部屋に駆け込むと、足がもつれたのかワッと部屋の真ん中で転んだ。髪もお団子頭から下され、妙に乱れている。

 アインズとデミウルゴスは慌ててフラミーの下に寄った。

「フラミーさん!?どうしたんですか!?」

「フラミー様!!」

「あ、あ、あるべどさんが!!」

 扉に向けて指をさすフラミーの後ろに、その悪魔は立っていた。

「デミウルゴス。貴方の気持ちはよく分かったわ。さぁ、フラミー様。ご安心下さい。女同士この私が手取り足取りお教え致します。その可愛らしい勲章をどうぞ私に。きっとご満足いただけるようご奉仕いたします。」

 そう言うとアルベドはフラミーを後ろから抱きしめ持ち上げようとした。

「ひゃっ!!や、やめて!やめて下さい!!」

 その手を止めようと握りしめるが、四十一人最弱に近いフラミーは止められない。

「――まさか!!やめろ、やめなさい!!アルベド!!」

「な!アルベドやめるんです!!守護者統括として恥ずべき行為は慎みなさい!!」

「デミウルゴス!あなたには言われたくないわ!!」

「アルベド様!御乱心!」「アルベド様!御乱心!」

 腕力最弱支配者と守護者最弱悪魔、アサシンズで無理やり引き離しても、それでもなお縋ろうとするその悪魔は表に控えていた配下の者より連絡を受けたコキュートスによって漸くお縄についた。

 

 アインズはアサシンズに引き摺られて行くアルベドを見送った。

「…よくやったコキュートス……。」

「イエ…ソレヨリモ……。」

 コキュートスが目を向ける先でフラミーは床で崩れたままその翼で自分の身を包んでいた。

 

 それを見たデミウルゴスは自分の中に生まれてしまった衝動と、昼にアインズに言われた言葉に突き動かされた。

(――触れ合いは人の心を動かす……。)

 床で小さくなるフラミーをデミウルゴスは抱きしめた。翼を避けて回した腕と、髪の中にくしゃりと入った手は悪魔の王の体を感じた。

「申し訳ございませんでした…。全てはこのデミウルゴスの責任です…。お許し下さい…とはとても言えません…。」

 フラミーは前で閉じていた翼を開くと、許すと言うかのようにデミウルゴスを包み静かに縋った。

 

「美味しいところは全部あれだ。なぁ、コキュートス…。」

「全クデゴザイマス。」

 アインズは二人に近付いて行き、フラミーの背で解けたままのリボンを結んだ。

「フラミーさん、行きましょう。」

 アインズはデミウルゴスからフラミーを引き離すと優しく横抱きにした。

 フラミーもアインズの肩に顔を埋めて首に手を回した。

「アインズ様。」

 後ろからデミウルゴスの声がかかる。

「よろしくお願いいたします。」

 頭を深く下げた悪魔にアインズは頷いてみせ、フラミーを自分の寝室に連れて行った。

 空気のように控えていたアインズ当番により扉が開かれ、くぐると音もなく閉められる。

 

 フラミーをベッドに腰掛けさせるとアインズは立ち上がった。

「さぁ、しばらくここにいて下さい。俺はアルベドの記憶を消しに行かなきゃいけないんで。」

 すると裾を引っ張られる感触に目を落とした。

「あいんずさん…ごめんなさい…。」

「そんな、俺こそ…。」

「でも、アルベドさんの記憶は…私が悪いんで…消さないであげてください…。」

「いいんですか…?」

「はい…。きっと、記憶操作(コントロールアムネジア)は怖いから…。」

 アインズは暗闇の中で一度フラミーを抱き締めて背中をぽんぽんと叩くとその場を後にした。

 骨の体に産まれた衝動に負けないように。

 

+

 

 アインズがアルベドを叱って戻って来て、しばらく経つとフラミーは照れ臭そうに寝室から出てきた。

「へへへ、こいつぁーどうも皆さんお騒がせしました。」

 精一杯いつも通りを装うその姿にアインズとデミウルゴスは痛みを感じた。

「いえいえ、全部我々の責任ですから…。本当すみませんでした。」

 アインズが座ったまま頭を下げると、デミウルゴスも立ち上がりそれに続き頭を下げた。

「申し訳ございませんでした。フラミー様。」

「ねぇ、アインズさん。デミウルゴスさん。」

 二人は顔を上げる。

「いつか、子供は作るかもしれないけど、ナザリックの為でも…今はまだ…。その…。」

 言葉を濁すフラミーにアインズは続きを押し留めた。

「そんな事いいんです。忘れてください。」

少し考えてからアインズは立ち上がり、困ったような顔をするフラミーの側に行った。

「全部忘れさせてあげましょうか。」

 真剣な眼差しでフラミーを見つめてその頬を優しく撫でると、デミウルゴスは目を伏せた。

記憶操作(コントロールアムネジア)は…怖いです…。」

「じゃあ――……いえ、なんでもありません。そうですよね。」

 頭にのるお団子をポフポフと叩くとアインズはソファに戻った。

 

 すると、ノックが響きセバスが入室許可を求めてきた。

 

「アインズ様。エ・ランテルにツァインドルクス=ヴァイシオンを名乗る鎧が。」




ラッキーラッキーラッキーすけべ☆
はぁ、早く結婚しろよもう。

次回 #60 世界の敵
12:00に更新します!

ストーリーが佳境に入ってきたのですけべが加速しています。
まぁまだ攻略先はまだまだありますけどね!

おフラさんがアインズ様とおデミとどっちとくっつくのが良いか、近々皆様にお聞きするかもしれません!
今のところデミしか応援されてないので何も聞かずにデミとくっつけちゃう可能性もありにけりです!
いや、もちろん結論を出さずにのらりくらりのラッキーすけべを無限に行う可能性もありますが…。(絶句)

2019.05.31 21:04 アンケートを開始しました!よろしくお願いします!


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試される世界
#60 世界の敵


 蒼の薔薇は聖王国から王都に帰国するまで飽きる事なく話し合いを行っていた。

「私は、エ・ランテルか神都で冒険者をしたい」

 イビルアイは沈黙が訪れるたびにそう言っていた。

「気持ちは分かるけど……」

「ラキュース、俺は別に良いぜ。エ・ランテルならお姫様もいるし、お前も結構楽しいんじゃねーか?」

 ガガーランは丁度王都に飽きてきたタイミングでのイビルアイの提案に前向きだ。

「当然私も構わない」

「勿論私も構わない」

 双子は別にどこでも構わないようで、王都を離れ難く思っているのはラキュースだけだ。

 実家もあり友人もいる、そんな王都はやはり特別な場所だ。

 しかし、皆もう親元を離れて立派にやっている。

 リーダーの自分がこんな調子で良いのだろうか、ラキュースは悩んだ。

「……ごめん、両親に確認させてもらっても良いかしら。場所は神都よりもエ・ランテルが助かるわ」

「勿論!ありがとうラキュース!!あぁ、これで私はまた神王陛下のお側にいける!!」

 イビルアイは興奮したように立ち上がった。

「何だよ。魔導国の冒険者組合のシステムが良いとかなんとか言っておきながら結局それじゃねーか」

「んな!う、うるさい!!それもこれもだ!!」

 やれやれと全員が首を振った。

 帰路に吹く風はもう春の香りを運び始めていた。

 

+

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。久しいな」

 アインズは相変わらず練習をしていた。

 この一週間は氷結牢獄に手足をもいで放り込んだままの従属神(ルーファス)の記憶を改めて隅々まで確認した。

 隣に入れられているアルベドがブーブー言うのを聞きながら。

 六大神のギルド武器を破壊して以来魔力の底が未だに見えないので、以前は駆け足に眺めた記憶だったが、じっくりと隅から隅まで舐めるように確認した。

 知りたいのは、ギルド武器の他に世界級(ワールド)アイテムを持っているか。

 司書ティトゥスの書き起こした記録書はフラミーが読み漁っていたが、「難しい言葉が多くて小学校中退の限界を感じる」と嘆いていた。

 辞書を引きながら読んでいる姿はさながら受験前の学生だった。

 

 すると寝室の扉がノックされ思考の海から引き戻された。

「アインズ様。フラミー様と守護者の皆様がいらっしゃいました」

「そうか。今行く」

 アインズは寝室を後にし、謹慎のとけた統括と守護者の中で少し緊張した様子でなにかを話す紫色の悪魔に手を振った。

「お疲れ様です。フラミーさん」

「あ、アインズさん。お疲れ様です!」

 柔らかに微笑んだ顔に動かぬ顔で笑い返す。

「さて、お前達もよく来たな」

 守護者達は揃って膝をついた。

「パンドラズ・アクターよ、首尾はどうだ」

「は。このパンドラズ・アクター、既にフラミー様と全守護者へ世界級(ワールド)アイテムの配布を済ませております」

 珍しく落ち着いた様子で返事をするパンドラズ・アクターにアインズは鷹揚に頷いた。

「宜しい。特に滅魂の聖槍(ロンギヌス)には扱いに十分注意しろ。今後お前に持たせておくが、装備するだけで使用は固く禁ずる。いいな、パンドラズ・アクター。例え死んでも使うな。それはお前を他の世界級(ワールド)アイテムから守る為だけにある。今回は皆が出かけた後のナザリックを頼むぞ」

「この宝物殿が領域守護者、パンドラズ・アクター。全て心得ております、アインズ様」

 身振りも口振りもいつもより抑え目なその姿に、アインズはやれば出来るじゃんと嬉しくなる。

 本人はきちんとTPOを弁えられるので今はこのくらいかと加減しているのだが。

「信じているぞ、パンドラズ・アクター。さて、今一度最終確認を行う。相手は八欲王のギルド武器を持っている。それを気持ちよく献上させるのだ。その為にも友好的に、建設的な話し合いを行おうではないか」

 守護者達は頷き、さらなるギルド武器の破壊に思いを馳せた。

「よし……──舌戦だ!!」

 

+

 

 蒼の薔薇はホームを変更して三日、宿屋ではなく一区のコンドミニアムに住み始めた。

 エ・ランテル中で最も高い家賃だと知られるそれの一番広い部屋は、リビングルームとダイニングルーム、寝室六部屋にそれぞれドレスルームとシャワールームのついた贅沢な作りだ。

 これまで宿屋生活だった為、殆ど荷物を持たない女五人は買い物に出ていた。

 東二区は活気に満ち溢れている。

「センタクキやレイゾウコも帝国より安いみたいね、すごい」

 感心し切っているラキュースの呟きにガガーランが頷きながら応える。

「なんせあのフールーダ・パラダインが中枢にきたんだ。帝国の魔法技術が丸っと流れて来てるだろうな」

 見渡すのは魔法詠唱者(マジックキャスター)のイビルアイだ。

「本当にエ・ランテルは未来都市だな……」

「なぁイビルアイ。お前ちゃんとネイアに手紙出したか?ホーム変わったって」

「あぁ。今日闇の神殿の近くで出す予定だ。空輸便がちょうど聖王国に向かって出ると聞いたからな」

「本当は陛下を見に闇の神殿に行きたいだけ」

「神様はそんなに暇じゃない」

「う、うるさい!うるさい!!そのくらい良いだろ!!」

 双子の冷やかしに仮面の下が赤くなっていくのをイビルアイは感じた。

 

「──インベルン」

 

 背後からかかった本当の自分の名前を呼ぶ声に少しの敵意を持って振り返ると、そこには馴染みの──かつて共に命を懸けて戦った白金(プラチナ)の鎧が立っていた。

 

「な、お前どうしてこんな所に?」

「ふふ。元気そうだね。まぁ元気なのはリグリットに聞いていたけれど」

 蒼の薔薇の面々が何者かと少し身構えていた。

「皆、こいつはリグリットがよく話しているツァインド──いや、ツアーだ。怪しいやつじゃない」

 それを聞くと面々の頭から警戒という言葉は消えた。

「あなたがあのツアー様。私はラキュースです。一度はお会いして見たかったので光栄です」

「俺はガガーランだ。良かったら一緒に寝てくれ」

「ティア」「ティナ」

 善良な心を持つ、この世界で生まれた冒険者達を眩しく感じながらツアーは手を挙げ応える。

「そうかい、よろしく」

 

「それで、お前何やってるんだ?街なんかに来て珍しいじゃないか!」

「あぁ。ちょっとここの神様に用があってね。リグリットが来てから謁見に──」

「なんだと!!!」

 ツアーはイビルアイの変貌ぶりに驚くと、心の中で確信に近い何かが生まれた。

「私も、私も連れて行け!!いや、連れて行かなかったらお前の兜を外す!!」

「な、どんな脅しだい。しかし、そうは言っても二人で謁見と言ってしまったんだ。君も行けるかは──」

「行けるかどうかじゃない!!行くんだよ!!」

 イビルアイがアインズの何かを掴んだのか、もしくはアインズとイビルアイの間で何かが起きたのか。

「……わかった。三人で行こう。ダメだと言われたら悪いけど、僕は絶対に聞かなきゃいけない事があるから我慢して貰うよ」

「わかった!!最悪リグリットに変わって貰うさ!」

 イビルアイはクゥー!と両の拳を握り、仲間達に背中を叩かれて激励された。

 

「……君達は、アインズとフラミーと何かあったのかい?」

 すると、行き交っていた街の人々がピタリと足を止め、ツアーを見た。

 その瞳はなにかを期待するようなものと、怒っているようなものの二種類だ。

「ツアー様、あまりそのような呼び方は……」

 ラキュースは越して来たばかりのこの街で早速の厄介ごとは御免だ。

「お前の鎧は目立ちすぎる。お前を守護神か何かかと勘違いしてる者がいるな。兎に角ここを離れよう」

 イビルアイの言葉に頷きながら、魔導国では従属神を守護神と呼ぶ事を覚えた。

 そして、街の人々は守護神に恐れを抱いているのかもしれないと心のメモに書き留める。

 

 南広場と呼ばれる川の通ったそこで、リグリットは合流した。

「なんじゃなんじゃ。お前達皆揃いも揃って」

 やれやれと言う具合に現れた老婆に蒼の薔薇が手を振る。

「リグリット!お前今日謁見すると聞いたぞ!何で私に連絡しないんだ!」

「何でも何も、お前さんずっと王都におらんかったろう」

 イビルアイはそうだった……と呟いたまま何かを考え始めたのでガガーランが変わった。

「一月程聖王国に行っててよ。悪魔をしょっぴいて来た所だったんだ」

 なるほどと頷く老婆は旅をしていると近頃よく耳にした話を思い出した。

「あそこは確か悪魔、グラトニーだったか?それを亜人達が召喚したと騒ぎになっておったの」

「あぁ。そう言うわけだ」

 

 ツアーも悪魔騒動は小耳に挟んでいた。

 亜人の王達が強大な悪魔の召喚を行い、人間の国家を巨大な牧場にしようとしたと言う話だ。

「そうかい。解決したとは知らなかったな。君達は本当に腕が立つ」

 ツアーの言葉にイビルアイは首を振った。

「いいや、私達だけじゃないさ。あのグラトニーは正直私では敵いそうになかった。あれはきっと魔神を上回る」

 ツアーは竜の目に剣呑な輝きを宿した。

「それで、そんな化け物は今どうしてるんだい」

「それは──」

 ゴーンゴーンと闇の神殿に設置されている鐘が鳴り響き、イビルアイは言葉を遮られた。

 皆顔を上げその音の鳴る方へ目を向ける。

 魔導国では神殿に鐘が設置され、朝、昼と夕暮れ時の三度鳴らされる。

 余談だが三度目の鐘以降はなるべく働かないようにと神王よりお達しが出ていた。

「時間だ。じゃあ、悪いけど蒼の薔薇はここで」

 ツアーがそう言うと、イビルアイ以外は皆心得たと頷いた。

「私達も神殿の前まで行きます。イビルアイが暴れ出さないか心配ですし、外で待ちます」

 ラキュースの言葉に、ツアーはぷれいやーとの開戦を覚悟した。

 

+

 

「両陛下が御成になります」

 セバス・チャンを名乗る従属神──いや、守護神が通達すると、蒼の薔薇とリグリットは素直に膝をついた。

 しかし──「悪いけど僕はそう言うことはしない主義なんだ」

「おい、ツアー!」

 イビルアイが咎めるように名を呼ぶ。

「仕方ありません。アインズ様とフラミー様がそれでお怒りになるようでしたら、私も共に叱責されましょう」

 この守護神は善なる者だ。

 その優しさは一週間前に謁見を聖堂入口の女性に頼んだ時から気付いていた。

 誰にでも優しく、紳士的なこの老人を生み出す"アインズ・ウール・ゴウン"に感心しながら、あの邪悪な気配を纏い人と魔の間で葛藤しているであろう"アインズ・ウール・ゴウン"を警戒する。

 十三英雄にいたリーダーは同じぷれいやーを殺した事を悔やんで死んで行った。

 取り残されるえぬぴーしーは魔神になる。

 善なる者と悪なる者に道が別れる事があれば、何度でも同じ過ちは繰り返されるだろう。

「悪いね、セバス君」

「いえ。同族のよしみですよ」

 ツアーは目を細め、相手がどのような存在か確かめた。

「──……そうか、君は竜人か」

 その言葉にセバスはニコリと笑った。

 

 そして闇が開く。

 

+

 

 守護者達が転移門(ゲート)をくぐって行くと、フラミーはアインズを引き止めた。

「……アインズさん」

「ん?どうしました?」

「あのツァインドルクス=ヴァイシオンて人、すごく怖いです」

 相手はこの世界最強の竜だ。

 恐ろしいと感じ無い方がおかしいかもしれない。

 しかしアインズはなんでもないといった顔をした。

 念のため全員に世界級(ワールド)アイテムを持たせてはあるが、相手は国の決まりを守って謁見を申し込んできた使者なのだ。今回戦闘になる可能性は非常に低いだろう。

「大丈夫です。初めて会った時だって、友達の友達なのかって友好的だったじゃないですか」

「そう……ですよね……。ねぇ、アインズさん」

 アインズは黙って続きを促す。

「もし、またモモンガさんの名前を聞かれたとしても、絶対に言わないでおきましょうね?もし、またあの具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)が記憶するようにプレイヤーが百年ごとに来るとしたら……あなたの名前は……」

「大丈夫、言いませんよ。安心してください。さ、皆が待ってます」

 アインズはいつものようにフラミーの手を取り歩き出した。

 

+

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。久しいな」

「やぁ、アインズ。それにフラミー」

 周りの守護神から今にも溢れ返りそうな怒りを感じる。

 隠そうとしてもドラゴンの鋭敏な感覚は騙せない。

「わざわざ会いに来てくれた事にまずは礼を言おう。此方も丁度聞きたいことがあったんだ」

「そうかい。それに答えるかは、僕の質問に、僕の望む答えを君達が言った場合のみ考えるとするよ。()()正直者なんだ」

 あからさまに喧嘩腰なツアーの様子にイビルアイとリグリットは焦っていた。

「や、やめるんじゃツアー。一体お主どうしたと──」

「リグリットは黙っていてくれるかな。アインズ、僕はこの世界を何百年と見守ってきた。いや、百年という単位よりももっと長いかもしれない。その中で、君達ぷれいやーはいつも強大な力を持つことを自覚せずに現れ、世界に大なり小なり手を加えた。だからこそ、僕は今一度君達に確認しなくちゃならない」

 アインズもフラミーも口を開かずに耳を傾けた。

「君達は、子供と仲間と言う領域を侵されなければ世界を蹂躙しないと今一度誓えるかな。君達の最も信じるものに」

「あぁ、誓えるとも。当然だろう」

 何を隠すでもない、真っ直ぐな返事だ。

「じゃあ、もう一つ。君達は、世界に協力する者かな」

 

「それも以前も聞かれたな。私達はいつもそうありたいと思っているよ」

 イビルアイとリグリットはツアーの後ろで最早笑顔を交わしていた。

 

「しかし」

 

 その声に、今一度全員が目の前の死を見つめ直した。

 

「いつか自分達の欲求を抑えきれない者達によってこの空も自然も何もかもが破壊されてしまう時が来るだろう。私達は例え世界を停滞させてでもそれを止めなければならない。それが、世界に協力すると言う言葉に、もしも、そう。もしも反するとすると言うならば──

 

 私達は、世界の敵かもしれんな」

 

 アインズはニヤリと笑った。




次回 #61 竜王との闘い
うわーやばいよやばいよー
来ちゃったよー

2019.05.31.21:20フラミーさんの行方は投票にすることにしました!
誤字りましたけど…笑(くっつけ→くっつけろ
アンケート開始です!
2019.06.01 ニノ吉様 誤字の修正をありがとうございます!適用しました!
2019.06.01 すたた様 誤字の修正をありがとうございます!適用しました!


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#61 竜王との闘い

後書きにフラミーさんの行方を聞くアンケートを入れました。
よろしくお願いします!!


 ツアーは迷いなく自分の腰の劔に手を伸ばした。

 

「残念だよ。」

 

 平坦な声が響くと同時にツアーはドッと地を蹴った。

「やめろ!!やめてくれツアー!!この人達はお前が思うような人達じゃない!!この人達は違うんだ!!」

 ツアーを止めにかかったイビルアイはその手に弾かれ、神殿の壁を破壊しながら外に吹き飛ばされた。

 ガラガラと破壊音が鳴り、若干の砂埃が立つ中イビルアイの足だけがぐったりと覗き見えた。

 

「く、ツアー!!お主神殺しをするつもりか!!足止めさせてもらう!!――<石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)>!!」

 リグリットの叫びも虚しく、鎧に向かって放たれた魔法は弾かれ、リグリットは自分の魔法に撃たれた。

 ツアーが劔を腰から引き抜きながらアインズに飛びかかると同時に、アルベドとセバスが立ちはだかった。

 

 ツアーは劔を抜き切ると、バルディッシュを自らの持つ空間より引き抜こうとするアルベドの胸ぐらを掴み、セバスに思い切りぶつけることで二人を弾き飛ばす。常人ならそれだけで水袋が弾けるようにバシャンと音を立て血溜まりになるところだが、そうは行かない。

 

 二人が柱と壁を破壊して行くのを目の端で見やり、繰り出した横薙ぎの剣戟によって――ガツンッと音が鳴る。

「――ッングゥ!!」

 アインズは押し殺し切れない声を上げた。

 劔は肩の骨を一部砕いて落とした。――が、腕を落とすには至らない。長い時を生きてきたツアーだからこそ、その事実だけでわかる。この相手は一筋縄では行かないと言うことが。

「ッアインズさん!!」

 双子を守るように抱え込むフラミーの悲鳴が響く。

 

「――これが……痛み………ッンン!!」

 

 アインズは激しい痛みの中心底後悔した。

 自分もさることながら、守護者達に戦闘用の装備で、きちんと武装を整えて来させれば良かったと。

 そうすればこんな鎧は敵じゃないはずだ。

 アインズは何度も精神の鎮静を繰り返しながら、肩を抱きドッと地に膝をついた。

「<大致死(グレーターリーサル)>!!」

 即座にシャルティアから回復魔法が飛び、ツアーの続く二撃目は踏み込んだコキュートスのハルバードによって弾かれた。ハルバードを握る腕には痺れるような衝撃がじん(・・)と広がった。

 

 コキュートスは痺れる腕を意識する事もなく、四本腕の内、ハルバードを握らぬ腕で、己が創造主――武人建御雷より与えられし究極の一振りである斬神刀皇を流れる手付きで引き抜く。刀は引き抜かれた勢いを止める事なく、ツアーの胸を斬り付けた。

 

 神速の動きで迫った切っ先を胸に受けながらも、ツアーは後方、聖堂の中心あたりまで大きく飛び退く。

 痛みが完全に消えたアインズは再び立ち上がり、襲い掛かろうとする守護者達と、何かを言おうとするフラミーを手で制し、かつてPKを行っていた時の合図を指で作った。

(――俺を信じろ。頼む、冷静でいてくれ。)

 

「君達はたくさんいて実にずるいね。」

 

 コキュートスによって後退させられた鎧は斬り付けられた場所をツゥ…と撫で、ゆっくりと歩みを進めだした。そこには斜めに線が入っていた。

「ソレ以上御方々ニ近付ク事ハ許サン。」

 鋭い声が響くか、威嚇は何の意味も持たないとでも言うように鎧は歩いてくる。

 相手は戦士でアインズは魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。

 距離が命を分かつ。

 

 しかし、アインズは近寄ってくる相手に冷静に話しかけた。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。お前は世界を守って来たんだろう。」

 アルベドとセバスが突っ込んだ壁から出てくるのを横目で確認しながら、無詠唱化したバフを次々とかけていく。

 フラミーからも無詠唱化されたバフが届くのを感じながら、そうだそれでいいと心の中で呟いた。

(ぷにっと萌えさんに鍛えられている俺たちに勝てない敵はいない。)

 

 穴の空いた壁に外から人々が集まり、イビルアイが瓦礫から助け出されていく。次第に騒がしくなり始めた聖堂内でツアーは答えた。

「そうだよ。僕が――いや、私が世界を守る。そう。私が世界を守るのだ。慈母(マザー)を中心としたあの者達がしようとしていることは間違っている。父が間違っていたのと同じように、彼らもまた、間違っているのだ。結局、この力は強すぎる。それが全ての過ちの始まりだ。」

 

 アインズは無言でツアーを観察した。何を言っているのかさっぱりわからない。

 

「全ては私たちの過ちだが赦しは請わない。アインズ、君たちのしている事は黙認できない。」

「私達はこの世界の自然を守ろうと言っているんだぞ。定義の問題を話しているんだと解らないのか?」

 

「私――僕はね、アインズ。もし君の言う通りこの空も自然も何もかも壊されるとしても、全てこの世界の者達が行うというのなら、それはそれで世界の選択だと思っているんだ。ゆえに――滅びろ。」

 

 その言葉は冷静だったアインズを少し怒らせた。

「なんだと?貴様、それで世界の守護者か!笑わせる!!」

 

「――アインズさん!」

 

 フラミーの声に、アインズは最後のバフが掛かったことを理解し、ツアーもこれまでの経験から何かが完了してしまった事を理解した。

 

 ツアーはさせまいと鎧の手を振りかぶった。

 その動きに呼応するかのように、槍、刀、ハンマー、大剣が何処からともなく現れ、付き従うようにツアーの周りに浮かぶ。そのどれもが人が振るうには少し大きく、形状が実用性より遊びの方に多少傾いていた。――それは、ちょうどナザリックの宝物殿に納められている武器達のような、そんな武器だ。

 

「この世界の決定に、世界を渡るぷれいやーが口を挟むとロクなことにならないんだ!!」

 

 鎧が再び手を振るうと同時に、刃達は意思を持つかのように即座にアインズに向かって飛来する。

 シャルティアとコキュートスは驟雨(しゅうう)の如き刃を払い除けるが、破壊するのは困難だった。

 

 フラミーは守るように立ちはだかるデミウルゴスの後ろから、攻撃を弾く二人へ一心不乱にバフ魔法を飛ばした。

 

「アインズ様!フラミー様!お逃げ下さいまし!!」

「黙れシャルティア!!ヴァイシオン、破壊された自然は決して取り戻せないんだ!お前みたいなやつがいるから、地球は、日本は、俺たちの人生は――!!」 

 

 アインズは怒りを吐き出しながら手を横に払い、巨大な魔法陣を纏う。

 

「何を言ってるのかわからないね!僕はもう二度とぷれいやーの悲劇を繰り返させたりはしない!!」

 

 ツアーはその見覚えのある輝きを発動させまいと、弾かれ宙に浮かぶ武器達に追撃させる。

 再びシャルティアとコキュートスによって武器が弾かれて行く。

 

「世界断絶障壁!」

 ツアーを中心に大気が歪むような波動が走る。鎧の体力は一気に目減りした。アインズはそれが、大量の体力を消費することで発動できる特殊技術(スキル)なのだと確信する。

 

 唱えると同時にツアーはグッと足に力を込め、瞬き一つでアインズへと距離を縮めた。

 

「<影縫いの矢>!!」

 アウラが前方へ手を突き出す。

 

 鎧はほんの一瞬ガクリと足を止めたが即座に動き出し、驚愕に彩られた声が守護者達から僅かに上がる。――同時に魔法陣は粉々に砕かれた。

 

「くそが!!プレイヤーを知るだけある!!」

 

 ツアーは魔法陣を砕いたことに喜ぶ素振りも隙も見せずに、目の前に肉薄するアインズへと空気を巻き込みながら一閃する。

 しかし、壁の穴から戻ってきたアルベドがスキルを用いて止めた。

 

「――クッ!!」

 

 受け止めた一閃は衝撃波を起こし、アルベドの足下の床はドッと凹んだ。

 

 同じく戻ったセバスは半竜と化していて、先程までの和やかさは完全に失われている。アルベドと鍔迫り合いをするツアーの脇腹に向けグッと握り込んだ拳を一気に繰り出すと、ツアーは神殿の扉を破壊しながら吹き飛んでいった。

 

 神殿の外で二点、三点と転がると、生物では不可能だと思えるような不可解な動きですぐに姿勢を取り戻した。

 

 フラミーにバフをかけられたシャルティアは追撃を許可されていると理解し、それを追う。

 

「セバストアルベドハココデ御方々ヲオ守リシロ!」

 コキュートスも一言残すと、その巨体からは想像も付かないような素早さで神殿を飛び出して行った。

 

「先に行きます。」

 フラミーはそう言うと、<全体飛行(マスフライ)>でマーレを連れて箒星のように外へ向かって飛んだ。

 

「フラミー様!!」

 

 デミウルゴスが咎めるように叫ぶ横で、落ち着いた様子のアインズも外に向かって歩き出した。

 

「デミウルゴス、お前は神殿と広場付近の者達を逃せ。アウラは一区と二区の南の住民を念の為に東にある光の神殿へ避難させろ。我が名で守るこの街を蹂躙されてたまるか。転移門(ゲート)のスクロールを使う事を許す。行け。」

 

 それだけ言うとアインズも先に出た四人を追おうと飛行(フライ)で浮かび上がったが、デミウルゴスの悲鳴のような反論が届いた。

「し、しかしアインズ様!!我々は――」

 外からは激しい剣戟音と、魔法の炸裂する音、人々の悲鳴が聞こえ始める。

「行けと言ってるんだ!!お前達は弱い!!!言わせるな!!」――鎮静「わかったな。」

「…っく!!」

「デミウルゴス!!行くよ!!」

 アウラとデミウルゴスがイビルアイの開けた穴に向かって立ち去っていく背中を横目で見送り、控えていたアルベドとセバスとともに表に出た。

 

「フラミー、君はそんなに強くないみたいだね!安心したよ!君から落とせば良いのかな!!」

「それが正解かもしれません!!」

 

 コキュートスによって止められた一撃を横目に見ながら、フラミーはユグドラシルで言われ慣れた嫌味に答え、シャルティアに背を任せつつ距離を取る。刀やスポイトランスが大剣とぶつかり合うけたたましい音が連続して響く。

 

 フラミーは都合のいい所(・・・・・・)まで誘導出来た事をアインズに知らせようと魔法陣を展開した。

「く、従属神のように感じてもやはりぷれいやーか!!」

 ツアーが武器を振るおうとするとマーレの魔法によって瞬時に伸びた蔦に脚と腕、浮遊していた武器まで掴まれ鎧は体勢を崩した。

 フラミーはマーレに指示が正しく伝わっていたことに安堵し砂時計を砕く。零れ落ちた砂は周囲に展開する魔法陣に流れ込んでいく。

 そして超位魔法は即座に発動した。

 

「<失墜する天空(フォールンダウン)>!!」

 

 南広場が白い閃光に染め上げられると同時に、轟音と爆熱が広がる。

 女神によって生み出された絶死の世界は効果範囲内の全てを貪欲に貪り尽くすと、ほんの五秒足らずで消えた。

 大地は丸く抉り取られ、超熱源によりガラス状に輝き、所々どす黒く染まっていた。

 

 生き残る者がいるはずがない、そんな中に全身から煙を上げる人影が三つ。

 

「――恐ろしい力だね。」

 

 言葉と裏腹に冷静な声音だ。ツアーの鎧は融解しかけていたが、痛みを感じない鎧の身には動きを鈍らせる効果しかない。

 シャルティアとコキュートスもまともに巻き添えを食らったが、掛けられて来たバフもあり、依然として戦闘行為は続行可能だ。

 

 神殿から<飛行(フライ)>で出てきたアインズは杖でツアーを指し示しその脚を狙った。

 

「<魔法抵抗難度強化(ベネトレートマジック)内部爆発(インプロージョン)>!!」

 

 第十位階魔法の発動に合わせ、鎧の足が破裂し砕けるのを見ると、アインズはフラミーに叫ぶ。

「行ける!!フラミーさん!!」

 軽く頷きながらフラミーも次の魔法を唱えた。

 

「<最終戦争・善(アーマゲドン・アガトン)>!!」

 

 フラミーに呼び出された複数の高位天使がツアーに掴みかかるとアインズは控える全守護者に叫ぶ。

「全員この場を離れろ!!フラミーさんが下がるところまで下がれ!!」

 自分を一振りの劔に見立てるコキュートスは力強く頷き主人の意に従い駆け出す。

 

「し、しかしアインズ様は!?私はアインズ様と共に――!!」

 

 縋るアルベドの頬を叩くと、パンっと乾いた音が鳴り、アインズは叫んだ。

「いけ!!何度も言わせるな!!お前達を守らせろ!!」

 フラミーはすでにマーレとシャルティアの手を取って振り返ることなく光の神殿に向かって飛び去り始めていた。

「――アルベド、行きましょう!!」

 躊躇うアルベドの手を取ったセバスがフラミーの背に追い付こうと走り出すと、動かぬ骨の顔で満足げな笑みを浮かべた。

 アインズは職業(クラス)レベルを六十ほど取っているが、その中にある"エクリプス"だけが使える最高の切り札を切る。

 

 ――<あらゆる生ある者の目指すところは死である(The goal of all life is death)>。

 

 アインズの背に十二の時を表す時計が浮かび上がる。一本しかない針がガツンと進む。

「まるで最初からこうなることが分かってたような的確さだね。全く嫌になるよ、アインズ。」

 針が一秒ごとに時を刻む中、ツアーに告げる。

「俺は、本当は友達になりたかったんだよ。この綺麗な世界を守ってきたお前を心から尊敬してたんだ…。一緒に守れると思ったのに…なのに…辛いよ…。」

 

「君は――――」

 

 時計の針が十二秒で一周し、再び天を示した時――世界は死んだ。

 

 生命を持たないはずの鎧も、人造物(コンストラクト)も、大地と空気すらも抗えぬ力に抱かれ、死滅した。

 

+

 

 エ・ランテルの一角は建物が砂のように死に崩れ、美しい芝生は消え去り、えぐり取られた大地には川が崩壊したことによってザイトルクワエより流れ出る水が溜まり始めていた。

 

 アインズは極度の精神疲労から地に膝と手をつき、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンのレプリカを落とした。

 

「くそが…いい奴なのかと思ったのに…。」

 美しく作ったお気に入りの街は自分達の手によって破壊されてしまった。

 人々は何者かの襲撃より街を護る愛すべき神に感謝し、祈ったり万歳唱和をしたりしていた。

 

「神王陛下!!」

 アインズが目をやると、そこには先程ツアーを止めようとした――聖王国ですっかり馴染みになった蒼の薔薇達がイビルアイとリグリットを抱えて向かってきていた。

「神王陛下、申し訳ありませんでした!!」

 イビルアイは肩を預けていたガガーランからサッと離れると(くずお)れる神の足元に頭をつけた。

 

「イビルアイ嬢…後一歩早く出てきていたら君達は巻き添えだぞ…。考え無しだな…。」

 アインズは疲れ果てた気持ちを一度抑えて地面に胡座をかくと、頭を下げる冒険者の頭をポンと撫でた。

「も、申し訳ありません…。それより、あいつは…ツアーは…。」

「はぁ……疲れた。鎧は破壊したが本体が別にいる以上また襲われるだろうな。」

 

 芝生がなくなり、砂漠のようになった地面にゴロリと寝転がった。

 

「「「「アインズ様!!!」」」」

 守護者達の悲鳴のような声が聞こえて来る。

「貴様ら、よくも!!」

 アルベドがイビルアイとリグリットに襲いかかろうとすると、フラミーがそれを止めた。

「待って!!待って……。やめましょう…。」

「フ、フラミー様…。」

 デミウルゴスとアウラはパニックになりかけた人々に支配の呪言やスキルを乗せた吐息を用いて見事に避難させていた。

 自由にするように言い渡したのか戻って来る姿がアインズの目に映る。

 

「フラミーさん、よく俺のやりたいこと分かりましたね。」

 フラミーは目にいっぱいの涙を溜めながら、寝転がる支配者の脇に寄り添うように座り、笑った。

「何年やって来たと思ってるんですか。」

 アインズはフラミーの涙を指の背で取ると軽く笑いパタリと腕を落とした。

 

「アインズさん?アインズさん!!」

 瞳の灯火の消えたアインズをフラミーは慌てて起き上がらせて前後にグラグラ揺すった。

「あぅあぅぁ…大丈夫です、生きてます。死んでますけど。ただ猛烈に疲れた…。眠りたいです。子供達もフラミーさんも、一歩間違えたらと思ったら怖かった…。」

 へへへと笑い、怖かったと言う神らしくないその姿を見てしまった蒼の薔薇や、讃えたいと思って走って来ていた住民、守護者達は拳から血が流れるのでは言うほどにその手を握りしめた。

 この優しくも強大な王を守りたいと思ったのだ。

 

 フラミーはアインズから溢れた鈴木悟を慰めるように抱き締めると小さな声で告げる。

「皆あなたが守りました。モモンガさん。」

 アインズはフラミーをギュッと抱き締め返すと、再び瞳の灯火を消した。

 

+

 

「鎧を失ってしまったな…。あれを作るのには苦労したというのに。」

 ツアーは竜の体で目を覚ますとやれやれとため息をついた。

 

(俺は、本当は友達になりたかったんだよ。この綺麗な世界を守ってきたお前を心から尊敬してたんだ…。一緒に守れると思ったのに…なのに…辛いよ…。)

 

「君は本当によくわからない男だなぁ。」

 鎧の今際の時に呟いた寂しそうなその骸骨を思い出す。

 

「はぁ。今更だけど評議国に招待してみようか。来るだろうかな…。」




いや、普通こんだけ襲われたら来ませんよ(マジレス

次回 #62 星に願いを
2019.05.31.21:20フラミーさんの行方は投票にすることにしました!
誤字りましたけど…笑(くっつけ→くっつけろ
アンケート開始です!6/3 12:00までにしようかと思います!(一週間ない


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#62 星に願いを

 アインズは神官長達や全ての聖典をエ・ランテルに呼び、光の神殿にて早急な復旧復興会議と、評議国・竜王対策会議を開いた。

 そこには行政官の死の魔法使い(エルダーリッチ)や、ゴブリン兵団の長も来ており、皆が真剣に王の話に耳を傾けた。

 

「最悪、竜王達を滅ぼすことになるかもしれん。最初に私は全ての生あるものを神聖魔導国へと言ったが、恐らくそれはもう叶うまい。」

 慈悲深き王の嘆きは深かった。

 

「陛下。ツァインドルクス=ヴァイシオンはこのまま我が国に戦争を仕掛けてくるでしょうか。」

 急遽呼び戻された漆黒聖典隊長の声音は、侵略者への敵意が強く現れていた。

「無いとは言い切れん。ナザリック全軍を以ってそれを壊滅に追いやろうとは考えているがな…。」

「いえ。神々の兵を出す前に、我々が命を賭して戦い抜きます。」

 神官長や行政官が即座に同意を示す。

「そうです。国民からも徴兵したとしても誰も文句は言いますまい。」

「陛下、宣戦布告を!」

「評議国にかける情けはありません!」

 徐々に白熱し始める部屋の中、アインズは手を挙げてそれを止めた。

「落ち着け。まだ戦争と決まったわけではない。何にしても、白金(プラチナ)の鎧や全身鎧(フルプレート)を着ている者達は入国審査時に必ず兜を脱がせろ。顔を見せるまでは決して国内に入れるな。顔は幻影の可能性もある為必ず触れて確認するように指導を徹底しろ。」

 死の魔法使い(エルダーリッチ)とゴブリンが頷く中、フラミーはアインズの砕かれた肩をさすった。

 その手に骨の手を重ね、問題ないと伝えるように甲を軽く撫でた。

「アインズさん、国内での兜の常なる着用を一時的に禁止しましょうか。」

「そうですね、不可視化で入り込まれる可能性もありますし…。」

 今国内は死の騎士(デスナイト)に守られており安全だ。街中の兜は顔を隠す以外に必要ない。

 速記のリッチが一言一句漏らさないように議事録を残していく。

 

 ただ、如何に対策を話し合ったところで、常に不可視化されればこの世界の者達には見つけられないだろう。アインズは一つため息を吐くと全員の顔を見回した。

「兎に角万一それが現れたら、即座に身近な守護者か死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に知らせろ。行政官ではないような、建築に携わっている者でも魔導学院に勤める者でも構わない。国民にも伝えておけ。以上だ。」

 控えていたセバスが声をかけた。

「アインズ様とフラミー様がナザリックへお戻りになります。全員、礼。」

 

 ザッと揃った礼を背にアインズ達が立ち去ると、皆ガヤガヤと評議国のこの度の侵略行為について話し合った。

 セバスは万一の事を考慮し呼び出されるまではそのままエ・ランテルに残った。

 

 リグリットとイビルアイは重要参考人として会議に招致され、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)について知っているほとんどの事を喋った。

 ただし、最後の友情としてどこに住んでいるかは二人とも知らぬ存ぜぬで通し、決して口を割ることはなかった。

 二人は胸の中で、ツアーがアインズ達に接触しなければ何とかなると信じたのだ。

 いや、そう信じたかった。

 

「しっかし信じらんないねー。普通人の国来て王様襲う?」

 流石のクレマンティーヌとレイナースも竜王の横暴さには呆れ返っていた。

「本当に。何を考えてるのかよくわからない人だわ。うちの国でも霜の竜(フロストドラゴン )が働き始めたけれど、こんな奴じゃ荷物も運べないでしょうね。」

 そう言うレイナースの隣で、ネイアは神王と別れてたった数週間で、それもこんな形で再び神の嘆きを聞くとは思いもしていなかったため胸が苦しくなっていた。

「先輩方…私では陛下方の嘆きを止めることはできないのでしょうか…。」

 胸の痛みに手を当てて震えるネイアに、イビルアイがリグリットを伴って近付いた。

「ネイア…私達の落ち度だ…。神聖魔導国の皆様には何とお詫びしたら良いか…。」

 心底申し訳なさそうにしているが慰める者はおらず、それどころか針のむしろだ。

 誰もが共に謁見を申し込んだこの愚かな二人を強く憎み、敵意を向けた。

 特に最高神官長と闇と光の神官長、クアイエッセ、そしてニグンは剥き出しの怒りを隠そうともせず、その波動は空気を赤く染めるかのようだ。

「リグリット・ベルスー・カウラウともあろう者が、よもや陛下に仇為す存在をわざと連れて来たりはしていないでしょうね。」

 クアイエッセは老婆をぎらりと睨む。

 十三英雄だか何だが知らないが、この国にはそんな者すら容易に凌ぐ精鋭が揃っているのだ。

「わしもあいつがまさか…あれ程までに陛下を拒絶するとは思いもしなかったんじゃよ…。」

 そう言うリグリットをフールーダはヒゲを扱きながら、ほんの少しざまあ見ろと言うような空気を含む視線を送った。

「陛下の崇高なるお考えには触れようとしなければ触れられはすまい。リグリット・ベルスー・カウラウ。お主今後闇の力を陛下より剥奪されてもおかしくはない状況だと分かっておるのかのう。」

 リグリットは手を握りしめ頷いた。

「あぁ…お許し頂けた事に心から感謝しておるよ…。」

「ふん。しかし、陛下方は流石でいらっしゃる。もう相手の手の内は分かったから二度と遅れを取ることはないと仰った。わしも間近で見たかったのう…。」

 フールーダはつい先程まで聞いていた神々の英姿を気持ちよさそうに思い浮かべた。

 

+

 

 神官長と行政リッチを残すと会議は漸く解散した。

 紫黒聖典は聖王国を現地の者たちに任せ、暫くはエ・ランテルに留まることになった。

「あーぁあ。つまーんなーい。評議国と戦争になったら喜んで行くってのにさー。」

 クレマンティーヌは悪魔狩りを心底楽しんでいた。

 悪魔は悪魔を呼ぶようで、南部はすっかりかつての北部のような様子になり始めていた。

 しかし悪魔によって新たに作られた捕虜収容所の解放を行う際、クレマンティーヌは何の躊躇もなく人質を殺し、見事一つの収容所につき一人の犠牲で抑えた。

 ネイアはその姿に訓練された神聖魔導国の英雄の素晴らしさを、大罪人レメディオス・カストディオと比べ心底尊敬し憧れていた。

 そして一見滅茶苦茶に見えるクレマンティーヌが何故隊長に据えられて来たのかレイナースは漸く納得したのだった。

「あ、あの先輩方。私、神殿にまだ用があるんで、先にご飯食べてて下さい。」

 その声に姉二人は振り返ると、今出てきたばかりの神殿とネイアを見比べた。

「今は祈りを捧げても流石の陛下方とは言えお聞き届けいただけないと思うわよ?」

 レイナースの声にネイアはプルプルと首を振ると、少し恥ずかしそうに神殿への用事を告げた。

「ち、違うんです…。オシャシンを買いたいなって思って。」

「あーそっかー。あんたまだ持ってなかったんだっけー?私なんか陛下方のところだけ切って持ち歩いてんだー。もちろんレーナースも切り捨てたよー!」

 キャハッと可愛らしく笑うクレマンティーヌをレイナースはゴチンと叩いた。

「はいはい。――ネイア。そのくらい付き合うわ。行きましょう。」

「っつー!!もー!!本当に!!」

 流れ出てきた陽光聖典と漆黒聖典を掻き分けて神殿へ戻っていくと、クアイエッセがすれ違いざまクレマンティーヌに声をかけた。

「クレマンティーヌ。陛下より隊長の任を預かったんだろう。陛下に恥をかかせないでくれよ。」

「ははは、全くだな。」

 好き勝手言う巨壁万軍と兄をギッと睨むとクレマンティーヌはぶーぶー文句を言いながら神殿に戻った。

 

「うっさいわねー。わーってるわよ。んなこと。」

「はは、クレマンティーヌ先輩はずっと漆黒聖典にいたんですもんね。」

「ネイア。ずっとじゃないわよ。こいつは漆黒聖典抜け出して変な宗教やって陛下に殺すって言われたこともあるんだから。」

「う、うるさい!!レーナースなんか神王陛下に光神陛下へ指図するように頼んだ癖に!!」

 皆何かしら神に無礼を働いた事がある様子の紫黒聖典は、周りの聖典からは世話の焼ける妹達と言う視線で見られていたのだった。

 

「あ、セバス様。」

 ネイアは初めて神に謁見した日、誰なんだろうと思っていた守護神に駆け寄った。

 守護神の守護階層やその役職は聖典に入ると必ず叩き込まれる。

「これはバラハさん。何かお忘れですか?」

「はい!あの日の忘れ物を!」

 ネイアの瞳にセバスは何を言わんとしているかピンと思い当たった。

「ふふ、何枚にしますか?」

「お父さんにもあげたいんで、取り敢えず三枚づつお願いします!それとは別に北部の神殿に頼まれたので別の会計で五百づつお願いします!」

 クレマンティーヌとレイナースは知らない間に後輩が頼まれていたお使いに、やはり聖王国はこの子が中心になるのが一番だと思った。

「それはそれは。神殿に持ち帰る分はフロスト便でお送りしておきましょう。輸送費は私が持ちますよ。頑張って至高の御方々のお役に立って下さい。」

 神々自ら生み出した守護神に激励されると、ネイアは喜びに顔を赤くしてぺこりと頭を下げた。

 

+

 

 玉座の間には大量の異形が集まり、今後のナザリック防衛についての話し合いがなされていた。

「ですので、急ぎ囮となるナザリックをどこかに作るのがよろしいかと思います。相手は旧カルネ村付近でうろついていたという市民からの報告もありますし、カルネ区から遠くも近くもないような位置で。」

 デミウルゴスの提案に誰もが賛成した。

「良いだろう。ではアウラ、マーレよ。二人でトブの大森林に架空のナザリックを生み出せ。ただし、入り込まれた時の為に真のナザリックとはある程度違いをつけろ。三階層まで作れば充分だ。」

 双子は深々と頭を下げた。

「完成したらパンドラズ・アクターは私と共にアンデッドを呼び出すぞ。いいな。」

「畏まりました。アインズ様。」

 優雅に手をくるくると回して腹に当てると、頭を下げた。

「…よし。それでは解散、ん?」

 玉座の間では相変わらず何も言わなかったフラミーがアインズの隣でおずおずと手を挙げた。

「どうしました?」

「あの、アインズさん。今後きっとあれはまた襲ってきますよね。」

 フラミーの疑問にアインズは首を縦に振った。

「そうなると思います。」

「そうですよね…始原の魔法はかつてプレイヤーを幾度となく殺してきた…。」

 確かめるように魔法の情報を口にした。

 アインズは何か思いつめているようにも怯えているようにも見えるフラミーを手招き腕を開いた。

「大丈夫ですよ。きっと守りますから。ほら、来てください。」

 フラミーはぷるぷると頭を振った。

「アインズさん、もしそれが手に入ったら、きっと貴方は守り切ってくれますよね?」

 不可解な発言にアインズは首を傾げた。

「え?」

「私、星に願いを(ウィッシュアポンアスター)を使おうかと思うんです。」

 フラミーはそう言うと体の周りに魔法陣を出した。

「――な!?やめなさい!!あなたは指輪を持ってないんだ!!」

 アインズは驚愕と同時に鎮静され、にこりと笑って砂時計を取り出したフラミーの手に立ち上がり様魔法を投げた。

「くそ!<現断(リアリティスラッシュ)>!!」

 一定以上のダメージを負ったフラミーは何故?と驚くような視線を送りながら魔法陣と血を散らし、尻餅をついた。その手からは杖が弾かれ、一拍置いたのちに落下音が響いた。

「アインズ様!?」「フラミー様!!」

 思いがけもしない支配者たちの行いに守護者も僕も何が起こったのか解らず、悲鳴のように名前を呼ぶことしかできなかった。

「馬鹿野郎!!何やってんだフラミー!!」

 アインズは鎮静されながらフラミーに近付き片膝をついてしゃがむと、腕と手首から赤紫の血をダクダクと流し始めたフラミーの肩を持って激しく揺すった。

 しかし、フラミーの瞳は驚きの色から固い決意に満ちたものへと変わった。

「アインズさん!具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)の記憶にあった始原の魔法、それをあなたが奪えばナザリックの脅威はこの先百年はなくなるんです!!」

「その願いが聞き届けられるかもわからないんだぞ!!やるなら俺の指輪で試せばいいだろうが!!」

 二人の間に満ち始めた激しいエネルギーに僕は口の中がカラカラに乾いていくのを感じる。

「あ、アインズ様、フラミー様、どうかおやめください。」

 一番近くで見ていた統括が二人の元に両膝をついて胸の前で手を組んだ。

 アインズは鎮静されても鎮静されても抑え切れない感情が波のように押し寄せるのを感じた。

「うるさいアルベド!この人には一度分からせないとダメだ!!」

「あなたこそ解ってないです!!あなたの持つ指輪は、もっと私達で対処できないプレイヤーが現れるまで絶対に使っちゃいけないんだ!!ザイトルクワエがユグドラシルから来ているなら、他のボス級の敵…世界級(ワールド)エネミーだって現れかねない!!今からまだ百年猶予があるうちに、この選択をしないと手数が減るんです!!レベルはまた取り戻せます!!」

 プレイヤー、世界級(ワールド)エネミー。

 その言葉はアインズの最も恐れる脅威だった。幾度となくフラミーと話し合ってきた。

「っ…だからって何で相談もなく勝手な事しようとするんだよ!あんたあの日俺が皆守ったって言ったじゃないか!!」

「守りましたけど、アインズさんはあんなに傷付いてたじゃないですか!!」

「俺は最初に少しダメージ食らっただけで――」

「違う!!」

 フラミーは見たこともないほどに怒り、顔を真っ赤にしていた。

 ゆっくり立ち上がると、未だしゃがみこむ支配者に叫ぶ。

「鈴木さんが傷ついたって話をしてるんです!!」

 その手はわなわなと震え、玉座の間には再び静寂が訪れた。

 

「すず…俺が…?」

 フラミーは怒りの感情を逃すようにハァッと熱い息を吐いてから続けた。

「――私は元から弱いんです…。例え星に願いを(ウィッシュアポンアスター)を使わなくても…レベルが下がらなくても…物理的にはきっと誰も守りきれない。バフなら多少レベルが下がったところでどれも使えますしね。……怖かったなんてあなたが思いもしないくらいに、この世の全ての力をモモンガさんに私は送りたい。それが私のできる()を守る精一杯。」

 くるりとフラミーは背を向けると、玉座の階段の下に転がる砂時計へ向かって歩き出した。

 

「ま、待ってください。俺は本当になんともないです。今はまだその時じゃない。」

 時計を拾うフラミーが再び魔法を発動させようとする気配に、アインズは焦り立ち上がって駆け寄ると、フラミーの血が流れ続ける腕を高く引っ張り上げた。

「うっ…あ……。」

 痛みを伴うそれにフラミーが苦しげな声を上げた。骨の手に赤紫色の血が伝っていく。

「頼みます、そんな事されたら俺本当に…!!本当にお願いしますから!!それが一番辛い!!一番怖い!!」

 未だ砂時計を離さないその手に<負の接触(ネガティヴタッチ)>で強いダメージを送ると、ポロリと砂時計は落ちていった。

「いっ…ッツぁ……!」

「お願いします。絶対にやらないで下さい。もしやるとしたら、貴女をどんなに傷付けても止める。この世界でそれだけの願いを叶える為に必要な経験値量は計り知れない。」

 五レベルで済むかもわからないその願いは絶対に認められなかった。

 それに、番外席次はおおよそ九十レベルだが、ユグドラシルプレイヤーならば絶対にしないようなビルドで出来上がっているために同じく九十レベルのプレイヤーより余程弱い。例え世界級(ワールド)アイテムでレベルだけを取り戻したとしても、スキルウィンドウが開けない今、必要とする特殊技術(スキル)職業(クラス)を再び手にできる保証はどこにもないのだ。

 料理をして料理スキルが上がってしまったり、歌を歌った事で吟遊詩人(バード)の歌のスキルが上がってしまったりするかもしれない。そうなれば、使用できる魔法さえ元通りとは行かないだろう。

 それは、とても危険な事だった。

 目を細め、なんで分かってくれないんだとでも言う様な視線を送ってくるフラミーにアインズはもう一度頼んだ。

「お願いします…。」

 フラミーはアインズの眼窩に燃え続ける悲しげな炎を見つめると、諦めたように下を向いた。

 

「…分かりました…。」

「はぁ…良かった…。じゃあ、はい。」

 アインズは安堵の息を吐き出しフラミーの腕を離すと、手の平を差し出した。

「なんですか?」

「砂時計全部出して下さい。何回あなたがガチャ回したか知ってるんですからね。観念してお縄について下さい。」

 苦々しげにアインズを見ると、骨は何も感じないと言った風に手をもう一度、ンと動かした。

「始原の魔法も奪えてない中でそんな事して、次にまたアレが来たらどうするんですか…。」

「その時は俺一人で倒すんで。ほら、いいから。」

 フラミーは地面に向けて無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)を開くと、そこからバラバラと大量の砂時計が床に散らばっていった。

「パンドラズ・アクター。これは宝物殿にしまっておけ。後で数を報告しろ。」

 パンドラズ・アクターは恭しく頭を下げ、砂時計を自分の闇に放り込みはじめた。

 

「ペス。フラミーさんを部屋に連れて行け。――いや、砂時計が無くても魔法は発動できるな。シャルティア、お前も行くんだ。もしフラミーさんが魔法陣を出すようなことがあればお前が斬りつけろ。」

「し、しかしアインズ様…。」

「命令だ。逆らう事は許さん。迷わず斬れ。一定のダメージが必要だ。これはその人を守る為に必要な事なんだ。絶対に手加減するな。」

「…っか、畏まりました…。」

 シャルティアは何故魔法を使おうとするフラミーを止める必要があるのか解らないまま――しかし、それがフラミーを守るために必要と言われてしまっては納得するしかなく、渋々頷くとペストーニャに支えられて玉座を去る背を追った。

 

「開戦した時にもフラミーさんは何かを言おうとしていたが…この事だったか…。」

 アインズは床に散らばる――己が手で傷つけた仲間から流れて生まれた血溜まりと、その白い手を染める赤紫を睨むと手をグッと握り締めた。

 

「…この俺に仲間を傷付けさせた罪は重いぞ。ツァインドルクス=ヴァイシオン!!」




次回 #63 閑話 皆の夜
12:00更新です。

あわわわわフラミーさん落ち着いてください!

アンケート、これはアインズ様を正規ヒロインに改めて据え直して、デミを弄ぶ感じで決まりになりそうですね!(弄ぶな
アインズ様がヒロインとしてアップを始めました。


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#63 閑話 皆の夜

 フラミーは治療を受けると装備を全て脱ぎ捨て、お団子も崩してベッドに入った。

「私、本当に役立たずだ。」

 苦々しげに漏らしたその声に、控えて立っていたシャルティアはおろおろしていた。

「フラミー様…そのようなことは決してありんせん。どうか御身を一番大切にお考えいただきます様に心よりお願い申し上げんす…。」

 フラミーはそれを無視して布団に潜り続け考える。

 本当にアインズは自分の持っている砂時計の数を知っていただろうかと。

 そして、すぐにそんな訳が無い事に思い至って笑った。

「ふ、策士ですね。」

 

+

 

 アインズの部屋にはシャルティアを除く守護者達が来ていた。

「お前達もあの人から目を離すな。」

 アウラとマーレは不安げに顔を上げた。

「フラミー様は…何をされようとしたんですか…?」

「し、始原の魔法って一体なんなんですか?」

 アインズは二人に頷くと、逃げるためではなくデミウルゴスに顎をしゃくって説明しろと伝える。

 デミウルゴスは立ち上がり守護者を見渡して聞く用意ができている事を確認した。

「君達は従属神を覚えているかな?」

 皆が頷く。

「あれの記憶の中からアインズ様はツァインドルクス=ヴァイシオンの持つ力の一端を発見されました。それが始原の魔法です。八欲王と呼ばれたプレイヤーがこの世界に我々も行使する位階魔法をもたらす前には竜のみがその魔法を使い、世界を席巻していました。が、どうやら漆黒聖典の話によるとそれはもう殆ど穴蔵から出てこない竜王たちと、竜王国のドラウディロン・オーリウクルス女王、そしてあの真なる竜王くらいしか行使できるものはいないようです。」

「そ、その魔法はそんなに強力なんですか?」

 マーレの疑問にデミウルゴスは頭を振った。

「わかりません。ただ、以前いたプレイヤーやエヌピーシー達はそれによって殺されているということだけは確かです。そして聖典によれば、ドラウディロン・オーリウクルスの使うそれは何百万人もの命を糧に繰り出される魔法だとか。あの竜王が生贄を必要とするかはわかりませんが、アインズ様とフラミー様の黒き豊穣への貢(イアシュブニグラス)が十四万人を贄に仔山羊を十体出している事を見ても、百万単位の命を糧とする必要がある魔法は強力でしょう。」

 しんと部屋が静まったのを見て、アウラは再び最初に問いかけた質問を投げる。

「だからフラミー様はその魔法を竜王から奪って、アインズ様に捧げようとしたんですよね…?それってダメなことなんですか?」

 

 アインズは静かに口を開いた。

「人…その友のために命を捨てる事にこれより大いなる愛はない。マルコの福音書だったかな。あの人は自分の力と引き換えにそれを行おうとしたんだ。しかもどれ程の力を失うか分からない中で…。もしそんな事をしてあの人が生まれたての赤ん坊のようになったらどうなる。」

 守護者が絶句し、アインズは己が行動の理由に思い至ったのを確認した。

「そうだ。いつ何者に殺されるかも分からん。しかし、例え自分が死んでも力を持つ私がいればナザリックとお前達は護られると思ったんだろう。」

「そんな…。」

 アウラは自分の愚かな発言を悔いた。

「申し訳ありませんでした…。少しでもそれをいい考えだなんて思ったあたしは…大馬鹿ものだ…。」

「良い、アウラ。皆わかったな。シャルティアにも伝えておけ。それを食い止めることの重要性を。」

 守護者が静かに頭を下げるのを見ると、何処かと線が繋がる感覚にアインズはこめかみに手を当てた。

「私だ。――パンドラズ・アクターか。あぁ。いや、いらん。数の報告はいらんと言った。ああ言えば全てを出すと思ったに過ぎない。よくやった。」

 静かに手を下ろすと、今後どうするかと目をつぶった。

 

「とりあえず、皆で見舞いに行くか…。腕は治っただろうが…あの人のことだ。落ち込んでいるだろう。」

 

+

 

 シャルティアが守護者とアインズの来訪を伝えると、フラミーはフラミー当番に楽な服を持って来させた。

 その黒い半袖のワンピースはかぶるだけで着られる、冷気耐性しか付かない趣味の収集品だ。

 

「あ、フラミーさん…。」

「アインズさん……。」

 下ろした髪は蕾と共に耳にかけられ、膝丈のワンピースを着ただけのフラミーは裸足でぺたぺたと寝室を出てきた。

 

「腕、傷跡残ってないですよね。」

 アインズはフラミーに近付き、血を流していた腕を軽く掴むと親指で撫でた。

「治される気満々だったので綺麗に治りましたよ。」

 そう言うとフラミーは苦笑した。

「それは良かったです。本当にすみませんでした。痛かったですよね…。」

「全然。何ともありませんでしたとも。」

 あれほど苦痛に声を上げていたフラミーはふふんと鼻を鳴らした。

 

「あの、フラミー様。」

 アウラの心配そうな声がかかると、フラミーはいつも通りの笑顔を作った。

「なぁに?」

 アウラは少し拳を握り下を見て何かを考えると、許可なく立ち上がりフラミーに抱きついた。

「フラミー様、あたし、あたし嫌です!フラミー様が危険な状態になるようなこと!絶対嫌です!!」

 その声は、どんどん大きくなって、フラミーの胸の中で泣き出した。

「フラミー様。我々デハゴ不安モアルデショウガ、キット御身モアインズ様モオ守リシマス。」

「そ、そうです!だから、だから…」

 泣きそうなマーレとコキュートスを手で招き寄せ、マーレがフラミーの元にたどり着くとフラミーは床に座った。

 上から見下ろすことは不敬だと思いアウラとマーレも床に座ると、フラミーにピタリとくっついた。

「ごめんね…。でも、皆には本当は分かって欲しいの。アインズさんと皆を守るためなんだから。」

 跪いた大きなコキュートスの頭に手を伸ばし優しく触れると、その体はヒヤリとしていて、先程までのアインズとの苛烈なやり取りを行なった頭を芯から冷やす様だった。

 知恵者二人はシャルティアに先程の会話を伝えながら、その様子を見守った。

 シャルティアの目が驚愕に染まると、絶対に自分が止めて見せると胸に手をあてたのだった。

 

 気付けば皆で円になって床に座っていた。

 アルベド、アインズ、アウラ、フラミー、マーレ、デミウルゴス、コキュートス、シャルティア……アルベド。

 その円は、かつて円卓の間で開かれていたギルド集会のようで、アインズは少し懐かしい気持ちになった。

 アウラとマーレはフラミーに寄り添って、フラミーの膝に頭を預けていた。

「フラミーさん。まだ諦めてないんですか…?」

 双子の髪をサラサラと撫でるフラミーは幸せそうだった。

「そう、ですね。何にも脅かされない強いアインズさんがいてくれたら、やっぱりそれが一番で…。もし私が死んでも――。」

「おやめください!!」

 デミウルゴスは叫んでいた。

「アインズ様もフラミー様も我々がお守りいたします!あんなトカゲ一匹、このナザリックの脅威でも何でもありません!」

「そうでありんす。フラミー様は安心して世界征服だけお考えいただければ良いでありんす。」

 縋る瞳にフラミーは耐えられなくなり天井を見上げた。不安そうな顔をする八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と目が合う。

「皆に守られる私じゃなくて、アインズさんみたいに皆が安心して背中を預けられるような私だったら良かったのに。もっとユグドラシルやってれば良かったかな?」

「はは、そうですよ。ちゃんと一生懸命インしないから。」

 支配者達はいつもの不思議な言い回しで前世界の事を話して笑った。

 

 穏やかな雰囲気に守護者は安心すると、アルベドはアインズ当番とフラミー当番を呼んだ。

「フラミー様とアインズ様にお飲み物をお出ししてちょうだい。」

 それを聞いた二人は頭を下げ、ハチミツがたっぷり入ったホットミルクを八杯持ってきて、それぞれに渡した。

 アインズも飲めないがその甘い香りと温もりを感じた。

 

「アウラ、マーレ。ソロソロ起キ上ガッタラドウダ。フラミー様ノオ邪魔ダ。」

 コキュートスの声に二人は嫌々起き上がり、ミルクの入ったマグを手に取った。

「あったかい。皆でこんな風にゆっくりするの初めてかもしれないですね。」

 フラミーの声に皆頷いた。

「フラミーさんが望むなら、国も世界も放っておいて、いつまでもこうして皆で過ごしても良いんですよ。」

「ふふ、ダメですよ。ちゃんと、世界中どこにいても私たちの存在がわかるくらいにその名を轟かせなくっちゃ。それに、この綺麗な空を守らないと。」

 膝を抱えてミルクから熱を奪おうとふーふーとそれを吹くアウラの頭上を通り越して、アインズが髪をさらりと撫でるとフラミーはくすぐったそうに笑った。

「ふふ、私子供じゃないですよ?」

「…知ってます。でも俺の方が少しお兄さんです。」

 支配者たちは笑い合った。

 

 心地いい沈黙が訪れるとフラミーはデミウルゴスへ顔を向けた。

「ねぇデミウルゴスさん。」

「はい、フラミー様。」

 少しフラミーはなにかを考える姿は苦笑まじりだった。

「ナザリックの為に子供作りましょっか。」

「はい………は?」

 デミウルゴスは言われた意味が分からずにマーレの向こうのその人の顔と、自分の渡した耳にかかる蕾を交互に見た。

「は?フラミーさん?」

 アインズと守護者達の視線を感じる。

 フラミーは正座を崩してぺたりと床に座り直すと、マグを手の中で弄んだ。

「今、何も役に立てないなら、やっぱり前に二人が言ってたように繁殖が一番ナザリックの為なのかなって思って。」

「ちょっと、忘れて下さいって言ったじゃないですか。」

 デミウルゴスは否定する支配者を尻目に黙ってマグをおくと、ジャケットを脱いで腕にかけ――フラミーの前に移動し胡座をかいた。

 その様子をアインズが瞳で追っていると、悪魔は己の両膝に手をつき、深々と頭を下げた。

「フラミー様、是非よろしくお願いいたします。」

「おい!お前――」

「と、言いたいところですが、そういうお気持ちでのお誘いはお断り致します。あなたがこのデミウルゴスと子供を持ちたいと心からお望みになるまでその言葉はどうぞお仕舞い下さい。」

 そう言うと悪魔は抱えていたジャケットをフラミーの露わになっている膝の上にかけた。

 アインズは愛のないそれを受け入れる事は許さないと思ったが、いざ頭を下げるそれを目にすると、デミウルゴスを心底損な男だと思った。

「デミウルゴスさんの望んだ実験なのに…。」

「違います。最初からそんな実験は望んでおりません。お断り申し上げます。」

 フラミーの揺れる視線から目を離さずに、キッパリそう告げるとデミウルゴスは右手薬指から指輪を引き抜き、左手の薬指に入れ直した。

 話は以上とばかりに頭を下げると悪魔はマーレとコキュートスの間に戻って行った。

「イイノカ。」

「煩いですね。良いも悪いもありませんよ。」

 コキュートスの問いにぶっきらぼうに応えると、片膝を立てて再びマグを手に取りそこに視線を落とした。

 

「…フラミーさん、仕返しですか?」

「仕返し……。ふふ、そうですね。全裸の人間見せてきた仕返しです。」

 デミウルゴスは頭を下げた時に落ちてきた前髪を鬱陶しそうに後ろに送った。

 

+

 

 支配者たちは守護者たちとそのまま床で円になって眠った。

 いや、アインズは眠れないので暗い天井と八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を眺めてフラミーの話を思い出していた。

(フラミーさんは俺の指輪はまだ使いどころじゃないって言ってたけど、指輪でその願いを求めるのが一番平和な気がする…。)

 ちらりとフラミーの方を見ると、こちらに背を向けて眠っていた。

 アウラがアインズのローブのトゲ(・・)を避けるように少しくの字に折れて眠っているのが視界に入るとアインズ当番に着替えるか、と視線を送って二人で出て行った。

 アルベドがすがろうとしたのを狸寝入りのシャルティアが止めたのは言うまでもない。

 

「フラミー様。」

 自分を呼ぶ声にフラミーは金色の瞳をのぞかせると、デミウルゴスが自身の曲げた腕を枕にして美しい宝石の目でこちらを見ていた。

 その胸あたりでマーレがすやすやと眠っている。

「デミウルゴスさん…。」

 デミウルゴスはフラミーの顔にそっと手を伸ばし、指の背で頬を軽く撫でるとその耳から蕾を引き抜いた。

 そして蕾の先をフラミーに向け――小さな光が蕾から生まれてサラサラと降り注いだ。

「元気のおまじないでございます。」

「ふふ、アインズさんもそう言ってました。」

 男の子揃って同じ事を言う姿を可愛らしく感じ、フラミーは笑った。

「そうでございましたか。ふふ。さ、どうぞ。」

 フラミーの顔の前で半端に開かれている手の中に蕾を置くと、悪魔は再び目を閉じた。

 フラミーはいつでも優しいその悪魔は本当に悪魔なんだろうかと疑った。

「あったかい…。」

 そう呟くと、蕾を大切そうに両手で抱いてフラミーも目を閉じ優しい眠りに落ちた。

 

 そして、こそこそと話し声が――。

 

(はぁ?デミウルゴス何のつもりよ。)

(全くでありんす。自分ばっかりお情けをかけて頂いておいて断る。しかも断ったくせにあの態度。信じられんせん。)

(あの男ははっきり言って私たちの敵よ。私がフラミー様にお情けを頂こうとした時も邪魔してきたのよ。いい加減にして貰いたいところね。)

(全く本当不届きな男でありんす。フラミー様が妾をお誘いになったら今すぐでも寝室へ行きんすのに。)

(私もそうするわ。今度女子三人という事でお誘いしましょう。)

(良い提案でありんすね。当然あの男には秘密で。)

 フラミーの秘密を共有した女子(ビッチ)のヒソヒソ話にデミウルゴスは額の血管をピクピクと浮き上がらせた。




次回 #64 世界の選択
00:00更新です!

デミちゃん弄ばれてる(にっこり
今までコメントで誰もアインズ様応援してなかったのに!!
ダブルスコア決めてるアインズ様の底力よ……!!
明日6/3 12時でアンケートは締め切ります!


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#64 世界の選択

「ふざけるな!!もう一度聴かせろ!!」

 アインズの怒りの声が神都大神殿に響いていた。

 

「は!はい!!アーグランド評議国から、永久評議員ツァインドルクス=ヴァイシオンより、評議国にて謝罪の懇談会を開きたいと、書状が届いております!!招待客には神王陛下と光神陛下のみのお名前が…。」

 

 守護者達も忌々しげに視線を交差させ、怒りの標的となった文官があまりの恐怖にヒューヒューと息を吐いている。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。罠か。しかし国に招くとはどう言うつもりだ。我々が効果範囲に入った瞬間始原の魔法を放つつもりか。」

 アインズの考察に神官長達が怒りの声を上げるが、それを無視して忠臣に尋ねた。

「デミウルゴス。お前はどう見る。」

「はい。始原の魔法を放たれなくても、少なくとも竜王達に囲まれ何かしら害されるように思います。しかしこれで断り、始原の魔法の効果範囲を見誤りナザリックにそれを撃ち込まれても問題です。」

「最悪破壊され、埋もれてアリアドネが起動するか。」

 アインズの言にデミウルゴスは頷く。

 どうしたものかと皆唸る中、アルベドが口を開いた。

「アインズ様?ナザリック全勢力をもって愚かな竜王達の首を刎ねると言うのは如何でしょう。もちろんアインズ様とフラミー様にはナザリックでお待ちいただいて。」

「危険すぎる。お前達は強くあれと創造されているが復活地点の確認もまだなのだ。お前たちを失うような事はできない。」

「アインズ様。試シニ死ネト仰ッテ頂ケレバ、喜ンデコノ首ヲ差シ出サセテ頂キマス。」

 コキュートスの言葉に、これまで共に亜人種を探し旅をした陽光聖典が声なき悲鳴を上げると、アインズは瞳の灯火を消した。

「かつての通りならばナザリック内に復活するが…。」

「やめましょう、アインズさん。それはいけません。皆はもうただのNPCじゃないんです。」

 フラミーの声は低く、ゆっくりと話すその瞳には嘆きの色があった。

「わかっています。…かと言ってフラミーさんと二人で評議国へはとても…。」

「あ、あの、それなら…。」

 マーレはおずおずと手を挙げ、言葉を濁しながら提案した。

「その、えっと、前みたいに、その、とりあえずパンドラズ・アクターさんとお姉ちゃんに先に行って貰うのは如何でしょうか…?あの、その、パンドラズ・アクターさんなら、に、逃げ切れるんじゃ…」

 

+

 

 ツアーの寝ぐらには珍しい客が来ていた。

 その巨体は青空の竜王(ブルースカイ・ドラゴンロード)、スヴェリアー=マイロンシルクだ。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。お前は何を考えているんだ。」

 不愉快そうな声にツアーは頭もあげずに答えた。

「なんだろうね。正直僕もよくわからないよ。」

 ただ、あの時の寂しそうな顔に昔の友人を思い出しただけ。

 ただ、あの声からは、本当に自分への尊敬を感じただけ。

 ただ、あの燃える瞳から嘘偽りのない、善良な心が見えただけ。

 理由なんてあってないようなものだ。

 

「僕は少し早まったのかもしれないと思ってね。」

「魔導王なるぷれいやーに手を挙げ返り討ちに合ったのだろう。それを何故我れらの国に招こうと言うんだ。これでぷれいやーとまた戦争にでもなってみろ。ツアーよ、この国は、いや。世界は再び焼け野原になる。」

「反省しているよ。」

 ツアーはそう言いながら、やはりあの時アインズを討ち取れていれば良かったと思う。

 守護神達も恐らく本気の装備ではなかった。

 アインズの持っていた杖も、恐るべき力は感じたが、この背に隠す"ぎるど武器"ほどの力は感じられなかった。

 敵将を討ち取れる最初で最後の機会だったのだ。

 しかし、じっくりと話し合えば分かり合える気もした。

 我々の世界は我々に任せて下さいと言えば、干渉せずに生きてくれるかもしれない。

 ツアーはこの懇談会を少し楽しみにしていた。

 話がわかる相手ならまた友達になってもいいかもしれない。

 かつて十三英雄の一人に渡し、今は墓に置かれていた始原の魔法(ワイルドマジック)で作られた鎧を少し動かすと、善良だったぷれいやーの一人を思い出した。

 

「我らを巻き込まないようにしてくれれば私からは何もない。」

 戦うつもりを毛頭感じさせないもう一人の永久評議員は捨て台詞を吐いて立ち去って行った。

 

「最早ぷれいやーと戦う竜王は僕一人か。皆かつての戦いで弑された。世界を守るというのも骨が折れる。」

 

 ツアーは約束の日を待ち眠った。

 

+

 

 麗らかな春の午後、約束の時間にそれは現れた。

 

「…君はアインズではないね。」

「だとしたらどうする。ツァインドルクス=ヴァイシオン。あれだけの事をされたのだ。仕方のない事だろう。」

 

 その様子を、支配者達は偽りのナザリックから守護者各員と眺めた。

「ははは。流石に無理があったか。八十レベル程度までしかパンドラズアクターには再現できんからな。」

 とは言え、四十一の力を使いこなすパンドラズ・アクターより潜入の適任はいない。

 アインズは何がおかしいのか遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を見つめて笑っていた。

 それは傾城傾国を纏い隠れたアウラの瞳と繋がれて、ライブ中継されている。

 アウラは本体が出てくることがあればすぐにでも傾城傾国を使うことになっていた。それは旧法国より神へ返還(・・・・)された、相手を絶対の支配下に置く世界級(ワールド)アイテムだった。

 

 パンドラズ・アクターとアウラのもしもの退避場はここだ。

 真のナザリックに飛べば場所を探知される危険もある。

 ただ、アインズは評議国の探知魔法技術はそう高くはないと結論を出し始めていた。

 隠蔽魔法を散々使ったとは言え、ナザリックに同じような監視が向けば相手は爆散するだろうが、まるでそんな様子はない。

「こんな奴の為に全く。」

 吐き捨てるアインズの後ろで全く全くと守護者達が首を振っていたが、フラミーは厳しい視線を鏡から離さなかった。

 

『まぁいいさ。そこのお嬢さんを通してアインズも見ているようだしね。』

 鏡から流れ出てきた忌々しいドラゴンの発言に室内の温度が下がった。

 アインズはこめかみに手を当て瞳を揺らした中継員に繋いだ。

「アウラか。お前に責任はない。バレている以上隠れても無駄だ。傾城傾国だけは見せるな。勘付かれると厄介だ。何でもいいから上から羽織れ。その後パンドラズ・アクターと並ぶんだ。」

 一人称視点の像を映す鏡はアウラがジャケットを着る様子を映したのち、パンドラズ・アクターの隣に並んだ。

 

『君は…法国の盟約の子供ではあるまいね。』

『はぁ?何言ってんの?私は法国じゃなくてぶくぶく茶釜様とアインズ様、それからフラミー様の子供なんだけど。』

『そうかい。じゃあ法国はあれを出さない約束を破ってはいないのかな。』

『ちょっと!法国はもう、ま!ど!う!こ!く!そのくらい覚えなさいよあんた。』

 

 アウラの可愛らしい怒りはアインズとフラミーの中でチリチリと燃える炎を少しだけ小さくさせた。

 

『そうだった。悪かったね。所で、アインズ。君は世界を守りたいと思っているんだったね。』

 

 アウラの方を向くその鎧はアウラの瞳の中に潜む死を見通そうとしているようだった。アインズは鏡の中でツアーと目があった気がした。

 

「…こいつは同じことしか言えんのか?それこそNPCだな。」

「はは、本当ですねー。」

 支配者たちの呆れた声に、守護者(NPC)達は恥じ入る。

「申し訳ございません。アインズ様。フラミー様。」

 アルベドの声にえ?と振り向けば守護者達が深く頭を下げていた。

「あ、いや。NPCって…あぁ…。お前達の事じゃないさ。難しいな、なんて説明するのがいいかな…。」

「アインズさん、鎧が。」

 フラミーの声に呼ばれ鏡へ意識を戻すと、鎧がアウラに近寄ってきているところだった。

『見ているんだろう。君は世界を守りたいんだろう。』

 

「こいつはどう言って欲しいんだ?一体。」

 アインズは独り言を言うとこめかみに手を当て、パンドラズ・アクターと繋がりを感じる。

「パンドラズ・アクター、この同じことしか言わないN…いや、ノンプレイヤーキャラクターに"だからそう言っているだろう、馬鹿野郎"と言ってやれ。」

 

『アインズ様は、だからそう言っているだろう、馬鹿野郎と。』

 本当にそのままを伝えたパンドラズアクターが襲われるんじゃないかアインズは一瞬冷や汗が出る感覚に陥った。

 

『そうかい…。でも、どうやら僕と君は世界の守り方が違うみたいなんだ。できれば、世界を渡る力を持つ君には世界の選択に手を出すことを諦めてもらいたいと思う。そうして貰えれば、僕は君にも君達にも特別何か危害を加えたりはしないと誓うよ。蹂躙しなければと言う条件は付くけれどね。』

 

 アインズはこの頭のおかしいドラゴンの言い分に何かが引っかかる。

 世界を守りたいと言っているのに、世界が認めるなら世界が崩壊してもいいとでも言うようなこいつは一体何を考えているんだと。

「この人、やっぱり変ですよね。」

 思考に没頭しかけたところでフラミーから声がかかった。

「まぁ、変な奴ですけど。…なんですか?」

 アインズはそこに答えがあるような気がした。

「世界の選択って言ってるけど、世界は私達を呼び出したじゃないですか。プレイヤー嫌いそうなのにスルシャーナさんとは友達だし…世界の選択って何なんでしょう…?」

 

 アインズはそれを聞くとガタンと立ち上がり、こめかみに手を当て、パンドラズ・アクターに繋げた。

「こちらに転移門(ゲート)を開け。」

『し、しかしンァインズ様』

「いいから開け!!」

「え?アインズさん!どうしたって言うんですか!」

「アインズ様!!」

 闇が開くとアインズは周りの止める声を無視してそれを潜ってしまった。

 

 鏡の中にその姿が現れたのをフラミーは見ると、全員に告げる。

「始原の魔法が放たれる危険があります。全員防御を最大限に固めなさい。行きます。」

 

+

 

 闇から現れたアインズを見ると鎧は満足げに頷いた。

「焦れったく思っていた所だから助かるよ。アインズ。」

 アインズはツアーの言うことを無視し、違和感をぶつける。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。お前は何も知らないんじゃないのか。」

「どう言うことかな?」

「お前はプレイヤーがどうやってこちらへ渡ってきているか聞いたことがあるか。」

 闇からフラミーが現れたのをチラリと見てからツアーは腕を組んだ。

 

「聞いたとも。皆、ユグドラシルと言う世界を、うんえいと呼ばれる者が終わらせたと思ったら、ここにいたとね。」

「…お前がどこまでユグドラシルを理解しているのか知らんが、ユグドラシルは何の力も持たない人間が作ったただの遊びの世界だ。運営もただの人間の集まりだ。」

 最強装備に身を包む面々が続々と転移門(ゲート)を潜って現れる。

「何の力も持たない人間が作った遊びの世界ね。それができる者達をこの世界では神、乃至は創造主と呼ぶんだよ。君達ぷれいやーは皆それをわかっていない。」

 

「ちっ、原始人め。先入観を捨てろ。もう一度言うがユグドラシルは何の力も持たない世界だ。私たちも何の力も持たない人間だった。」

「NPCの皆も命を持ってはいませんでした。」

 フラミーの言葉にアインズは頷いてから続けた。

「力を持たない私たちは、皆この世界に引っ張られて、無理矢理連れて来られたんだぞ。」

 NPC達は自分たちの起源を必死に理解しようと耳を傾けるが、三人の知恵者ですらその言葉の持つ真実の意味は分からなかった。

 たしかに自分達は命を持たなかった、しかし至高の四十一人に命を与えられた。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 至高の存在が人間だったと言うのは初めて聞いたが――しかし、世界を作って渡るなんてことが出来る者がただの人間だろうかと心底疑問に思う。

 その一点に関しては目の前の不愉快な竜に全面的に賛成だ。

 NPC達が生み出されたその頭で精一杯考えていると、アインズが口を開いた。

 

「お前は本当はもう気付いているんだろう。私たちの存在こそこの世界の選択なのだと。」

 

 鎧はアインズの言葉に黙った。

 片手を顎に当て、何かを少し考えてから再び口を開いた。

「…言いたいことはわかる。しかし、君達はこの世界の異物だ。世界も本当は(・・・)君達を呼びたくはなかった。」

 その声は不思議な責任感を感じさせた。あの日の襲撃の時にも何か訳のわからないことを言っていたが――。

 

「…君達はりあるでユグドラシルを筆頭にあらゆる世界を生み出し、そこに渡っては多くの冒険をしたそうだね。ある世界では魔王を倒して世界を救い、また別の世界に渡れば今度は勇者を倒す魔王になる。遥か過去や未来、空に煌めく星の海にも行った。そうだね?」

 鎧は確かめるように二人を見る。

 

「…まぁ…一部語弊はあるがその通りだ。」

「あの、全てはここの世界の人達が本を読むのと同じですよ。バーチャルで作った世界に入って遊ぶ、それだけです。」

 フラミーは少しでも伝わるように話を噛み砕いた。

 ばあちゃる…とツアーは繰り返した。

「――それが神の行いだと言っているんだよ、フラミー。君達はその世界を作り、渡ると言う凄まじい力を持つ事を当たり前に考えすぎている。だから世界に手を加えたり蹂躙することに何の痛痒も感じずにいられるんだ。」

 鎧から出た言葉にフラミーは絶句した。

「ち、違う…違います…。」

 

「フラミー、君はまだ無垢な様だ。しかしその無垢さをいつまで保っていられるだろうね。君達はここに来る前に無垢なヒトだった時と違ってその邪悪な体に心が引かれ出しているんじゃないか?君達がそれまで別の世界に渡った時、魔王の体になると当たり前のように勇者達を殺した時と同じように。スルシャーナも同じように悩んでいた。自分の体に心が蝕まれる事を。」

 フラミーは可哀想なものを見るような目で鎧を見た。

「あなたやっぱり何もわかってないです。それは――」

 

 反駁しようとするフラミーの肩にアインズは手を置いた。

「フラミーさん、やめましょう。こいつには、いや。俺たちと違ってリアルを知らない者にそれは解りませんし、解らせても何の意味もない事でした。」

「でもアインズさん…。」

「仕方がないことです。高度な科学は魔法と同じだとタブラさんも言ってました。きっと今までの全てのプレイヤー達がそれを説明して来たんだと、あいつからはそれが感じられました。初めて会った時も、考えてみれば世界を渡るのなんのと言っていましたしね。」

 アインズはフラミーの手を握って、鎧へ向き直った。

 

「なぁアインズ。僕は世界のありように関わる事から手を引いて欲しいだけなんだよ。善良な心で国を立ち上げるくらいは目を瞑る。君達ぷれいやーは自分をヒトだと言うが、それはこの世界にとっては神に等しい。特に君はスルシャーナにも崇拝された神だろう。」

 

 アインズは静かに頷いた。

 

「…わかった。私達は世界を渡る驚異の力を持った神だ。これまでも数えきれない程の世界を渡った。まぁ、ただ農業するだけの世界もあったけどな。」

アインズは苦笑すると、ため息をついて続けた。

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。世界の有り様に関わるなというのはどこまでの話なんだ?」

「…どこまでとは…?」

 

「俺たちはここの世界の美しさに魅せられただけなんだよ。俺たちは世界もびっくりの大当たりプレイヤーだ。守りたいんだ。ここの美しさを。」

 

 鎧はまるでそれを拒むかのように手を前に出した。

「君はそれを行う中できっと世界のあり方を歪めてしまう。それに、この世界の者達が選び、成長して行く中で掴む未来に異世界の存在が介入して操作したりして欲しくはないんだ。」

「…お前の言いたい事はわかる。しかしそこに待つのは闇だ。人間は、生き物は、決して欲求を抑える事はできない。リアルはそうやって何もかもを失ったんだ。」

「それはそれでりある世界の選んだ結果だよ、アインズ。この世界でやり直しをしようとするのは君のエゴだ。」

「では世界が汚染されるのをお前は黙って見ているのか?自然破壊はある一定を越えるとそこからは自浄作用を失う。その時を迎えれば取り戻そうと誰かが動き出した所でもう二度と取り戻せないんだ。世界が元に戻りたいと言った所で、毒の空気は、腐った空は、二度と本来の姿には戻れない。まだお前達は成熟していないから解らないだろうが、俺たちは見てきているんだ。」

 アインズはリアルの情景を思い浮かべた。太陽は常に汚染された空気に存在を阻まれ、ぼやぼやと滲むようで、輪郭を捉えられることはない。

 本来は恵として享受されるべき雨は酸性に強く傾き、世界を汚す。川や海、土中に暮らす生き物を容赦なく殺し、死の土は作物を育てさせる事を許さない。

 

「君は生き物を見下しているよ。その欲求こそが生きると言うことでもあるんだ。それを君は操作して管理しようなんて、それは余りにも過ぎた行為だ。」

「俺たちだって短い人生を生きたからこそ解ってる。皆我武者羅に目の前の物にしがみついて愚かに生きていると。ツァインドルクス=ヴァイシオン、お前こそ世界を見下しているんだとそろそろ気が付け。神様気取りでどうなっても関係ないと思っているんだろう。自分は何百年も生きて来たからって。」

 

「…僕だって見て来ているし生きているんだ。もし君が君の方法で世界を守り出したとして、そんな箱庭のような世界で誰が幸せになれるって言うんだい。」

「箱庭なりの幸せを生んで見せるさ。お前は俺の国を見ただろう。あそこに生きる者達の幸せは偽りか。生を見くびるな。」

 

「それは…――。しかし、もし君の方法で世界を守り始めたら、君は最後には必ず孤独になって、絶望の中死ぬぞ。そして残されたえぬぴーしーは魔神になる。その後は君の言う自然破壊なんて物よりももっと恐ろしい地獄の世界が待っているんだ。そうなればこの六百年の繰り返しだ。頼む、手を引いてくれ、アインズ。」

 

 アインズも鎧も黙った。

 おそらく二人とも、これ以上はナンセンスだと気が付いたのだ。

 守護者達が沈黙の中、いよいよ開戦かと手に武器をとり始める。

 

「…やめろ、お前達。ツァインドルクス=ヴァイシオン、俺たちは孤独になんかならないさ。」

 アインズはフラミーと目を合わせると、フラミーは笑っていた。

 

「俺は本当は孤独だった。だけど、この世界ではそうならずに済みそうなんだ。そんなに怯えるなよ、お前だって竜王なんだろ。」

 アインズは語りながらフラミーと取り合っていた手を少し離すと指を絡ませ強く握り直した。

 

「プレイヤーは百年ごとに世界に呼ばれて来ると聞いた。そいつらがリアルの知識を持ち込み過ぎる事を俺は許さない。」

 守らなければ。

 美しい世界を。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆が感動するであろうそれを。

 アインズはフラミーの手の温かさを感じた。

 

「世界に選ばれた俺達は…この世界に生きる者達から…今後現れるプレイヤー達から…この美しい世界を守る。決して俺は手を引かない。その為にも、俺はあらゆる生の上に君臨する。」

 

 ツアーはまじまじと死を眺め、竜の体の瞳を閉じた。

 

「君はこの世界でも神になると言うのか……。」




次回 #65 眠る前にも夢を見て

開戦じゃああああ!!(え


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#65 眠る前にも夢を見て ≪最終話?≫

「君はこの世界でも神になると言うのか………………」

 

「……あぁ。なってみせるさ」

 神様だった事は一度もないし、これからも本当にそれになるかなんて解らない。

 しかしもうこの際原始人には神と呼ばせたままでいい。

(いや、スルシャーナとか言うプレイヤーのせいで最初から俺は神さま呼ばわりだったか。)

 アインズは苦笑した。

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン、世界の決定に協力しろ。世界はお前が思うより複雑だ」

 

「……アインズ、君は本当にこの先現れるぷれいやーと戦ってくれるのか……」

「戦うとも。俺たちの概念で世界を汚す者だと認めたらな。あぁ。後はアインズ・ウール・ゴウンに手を出す者もだが」

 ツアーは悩んだ。

 今このぷれいやーと血で血を洗う戦いを始めるのが正解なのか。

 一度はこの者のやりたいようにやってみせてから次の揺り返しに備えるのが正解なのか。

 

 ツアーは拒むように組んでいた手を下ろした。

「君達はぷれいやーを殺してまともでいられるんだろうか……」

「俺は別に何も感じない。フラミーさんは……辛いですか……?フラミーさんが嫌なら、別に戦いに参加する事はないんですからね」

「知ってる人達だったら思うところもあります。だけど、世界を美しく残す事よりは後から現れるプレイヤーの命の優先度は低いですよ!」

 ツアーは気付いた。

 この二人は既に精神に大きく変容を迎えていると。

 それでも尚落ち着いているこの二人なら――

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン」

 ツアーが思考に没頭しかけると、アインズに呼び戻された。

「ツアーでいいよ」

「そうか。ツアー。俺は世界を守るためにも、お前にあの日聞きそびれた事を聞きたい」

「……構わないとも」

 

 アインズは頷くと手を伸ばした。

「ギルド武器はどこにある」

 

 ツアーは何故それを知っているんだと竜の体に冷や汗をかく。

 このぷれいやーは流石にぷれいやーに崇められるだけあって智謀も力もインフルエンスも何もかもがこれまでの者達に比べて飛び抜けている。

 最初から自分の名前を知っていたり、おかしい事はたくさんあった。

 だからこそ、一体いつからこの世界にいたんだと疑い続けた。

 ――ツアーは聞かなければいけない大切な事を思い出した。

「アインズ。その前に君はあの魔樹――ザイトルクワエを知っていたのかい」

 

「なぜ今ザイトルクワエなんだ…………?」

「……あれは君が起こしたのか?」

 眼前の死は何で?とフラミーと首を傾げ合っていた。

「いや、あれはユグドラシルの物だったが、初めて見るボスだった……。どこに居たのかも知らん。お前あれが欲しかったのか?」

 ツアーのドラゴンとしての鋭敏な感覚が嘘をついていないことを見抜いた。

 “リーダー”達と共に討伐したあれの枝を思い出す。

 

「そうか……。偶然だったのか……」

「似たものなら出してやる。さあ、ギルド武器の場所を教えろ」

「いや。あんなものいらないよ。それと、ぎるど武器はぷれいやーには渡せないし、場所も言えない。それが誰であっても」

「……そうか」

 アインズはわずかに苛立った。

「あれは僕が持っておく。君の言い分はよくわかったけれど、力を持ち過ぎればそれを行使したくなる」

 

「仕方ないやつだ。ギルド武器の破壊は世界征服のためにもプレイヤーとの戦いのためにもなると言うのに。知識と技術を早急に制限しなければすでにミノタウロスが余計な真似をしているんだ」

「……僕はまだそれが正解なのかわからない」

「お前は何もわかっていないんだ。安心しろ。百年後に解らせてやるさ」

 

 アインズはため息を吐くと、ここからが本題だと言わんばかりに眼窩の炎を燃やした。

「さて、次はお前が俺に仲間を傷つけさせた罪についての話をしよう。お前はそれを償う必要がある。わかるな」

 その瞳はこれまでの穏やかなものではなかった。

「よく解らないけど……悪かったね……」

 ツアーは鎧越しのはずのその瞳に一瞬背筋が凍るような思いがした。

 もはやその瞳からは炎が上がっているかとすら思えるほどの激しい緋だ。

 

「いや。謝罪はもはや意味を成さない。償いとして俺はお前達ドラゴンから始原の魔法を取り上げる。これから現れるプレイヤー達と戦うためにもな」

 

 突然の宣言にツアーは一瞬言われている意味がわからなかった。

 

「なに?まさか!待て!!それは明らかに世界を汚す行為だ!それは世界を蹂躙することと同義じゃないか!今までの話はなんだったんだ!!それにそんな事をされたらぎるど武器も国も……世界だって守れなくなる!」

「ツアーよ。国は我が神聖魔導国に降ればいいだけの話だ。ギルド武器も持て余したら俺に寄越せばいい。だから今は取り上げないでやろう。……お前は俺が"仲間と子供という領域を侵されなければ(・・・・・・・)世界を蹂躙しない"と言ったことを忘れたか。俺はこんな真似をするつもりはなかったんだ。お前があんな事をするまではな」

「そんな…………まさか…………」

「俺が責任を持って働くさ。PKには自信がある。しかし……ちゃんと理解できたようだな。ご褒美だ。選ばせてやろう。一つ目を言うぞ。よく聞け。この国の滅亡とギルド武器の破壊、ドラゴン種の絶滅、つまりお前の命もここで終わるという選択肢。二つ目は今大人しく始原の魔法を手放す。以上だ。俺は慈悲深いと有名な神だからな。どちらがいい」

「君はその体に精神を引き寄せられ過ぎているんじゃないか!」

「いいや。俺は元から仲間のために全てを捧げる男だよ。ツアー」

 どちらも選べない。

 ツアーはアインズ・ウール・ゴウンに手を出した事を心底後悔した。

 

「頼む……僕が悪かった……。君達の事をよく知りもしないで……心から謝るよ……」

「ダメだ。お前は俺……いや、私と交わした"世界を蹂躙しなければ手を出さない"と言う約束を破った。私達は世界を守るために平和的に統治を行って居ただけなのに。神と交わす約束の重さを思い知るんだ。ツァインドルクス=ヴァイシオン」

「アインズ!!!」

 壊された鎧よりも劣るこれで果たしてどれだけの事ができるか。

 それでも時間を稼いで自分の中を流れる始原の力を呼び出し、集め始める。

それは詠唱に似ていた。

 掴みかかろうと駆け出す鎧とアインズの間にすかさず守護者が立ちはだかり侵攻を止めた。

「アインズ!!話せばわかる!!頼む!!」

 なんでもいい、時間が必要だ。

 良いぷれいやーかもしれないと解ったが、それを奪われるくらいならやはり倒さなければならない。

 

「選択は成ったな。お前はどうやら生きたいように見える!」

 アインズは空いていた左手薬指に指輪をはめた。

「アインズさん、それを使うんですか!」

「大丈夫です。今後現れるプレイヤーくらいこれが無くてもなんとかなりますよ。なんせ知ってる魔法を使う相手ですから。俺を信じてください。貴女はどうか、なにも心配しないで」

 その瞳はいつものモモンガの物だった。

俺は願う(I WISH)!!」

 そして青白い魔法陣が回りだす――。

 

「やめろ!!!やめてくれ!!!」

 ツアーは鎧の体で絶叫するが、もう分かっている。

 ――間に合わない。

「ドラゴン達の始原の魔法を取り上げ俺の物にしろ!!」

 願いが口にされると指輪は封じられていた力を解放し――

 アインズは目の前が真っ白になった。

 

 始原の魔法。

 世界が生まれた訳。

 この世の全ての理。

 生きとし生ける者達の太古の記憶。

 鈴木悟は頭を駆け巡る激しい情報の中、ふと遠くに小さなトカゲがいるのが見えた。

『君、なぁに?』

『君こそなぁに?』

『僕は鈴木悟!君は?』

『僕はツァインドルクス=ヴァイシオンだよ。君は変わったドラゴンだね。』

『はは!ドラゴンだって!おかしいの!』

『な、なんだよ!僕だって立派なドラゴンになるんだ!』

『じゃあ、僕は、僕はね――――――――――』

 

 激しい耳鳴りの中、目を開けるとフラミーが心配そうに何かを言っているのが見えるがなにも解らない。

「俺は……神になるのか……」

 その言葉と同時に鎧はガシャン!!と音を立てて崩れた。

 アインズはこの世界に来て初めて眠った。

 

+

 

 見たこともない巨大な黒竜が怒りに荒れ狂っている姿が見える。

 逃げるか?戦えるか?

 いや…………あれは一人では――――。

 

+

 

 アインズが目を覚ますと、そこは第九階層の自室のベッドの上だった。

 その身に迸る激しい力に頭がクラクラする。

「ふ、ふらみーさん……」

 碌に動かない体で友の名を呼んだ。

 慌てて誰か――おそらくアインズ当番だろう――が何かを言いながら走って行った。

 その音に意識が研ぎ澄まされていく。

「うぅ……信じられん……アンデッドなのに眠ったのか……」

 なんとか片手を動かし額にあてると扉がバタンと開く音がする。

「アインズさん!アインズさん!!」

 慌てて掛けてくる気配はベッドに乗って這って来るとアインズを覗き込んだ。

「――ふらみーさん……。俺眠りました……?」

「ね、眠ってました…………。骨だから呼吸もしないし、最初は本当に死んだかと思いました。私、私……ごめんなさい、本当にごめんなさい……」

 言い切る前から泣き出すフラミーを前に、確かに呼吸も脈もない骨が眠れば生きているか死んでるか解らないよな、と薄い笑いが漏れた。

 涙が止まらない様子のフラミーの頭を撫でながら、死ななくてよかったとアインズは思った。

 自分が死んだらこの風変わりな女神の相手を誰が――デミウルゴスか?

(いや、あいつには荷が重いな。)

「はは、なんですか起き抜けに……。あぁ……埋葬されなくてよかったな……。何か……眠る前にも夢を見た気がするんですけど……なんだっけな……全部忘れちゃいました……」

 一生懸命話すアインズにフラミーは笑いかけてむき出しの頭蓋骨を撫でた。

「夢なんて覚めれば忘れるものですよ……。アインズさん、お願いですからもう二度と眠らないでください」

「はぁ……眠るのって気持ちいいと思ってたんだけどなぁ。思ったより気持ち悪かったです……はは。もう眠りませんよ。安心してください」

 フラミーに抱き起こされると、開いている扉の枠を叩く鎧が目に入った。

 

「アインズが目を覚ましたって?」

「ツアーさん」

「全く。人の力を奪って倒れるなんてどんな神様だ君は」

 鎧は開いていた扉から無作法にも部屋に入ってくる。

 

「……ツアー……何故ナザリックに……。それに、始原の魔法を持たないはずが何で……」

「これかい。フラミーに教えられた位階魔法で動かしてるよ。フラミーを僕の家に招いたせいで家の場所がバレた。だというのに僕は昔と違ってこれが今どこにあるのかまるで感じられない。お陰様でね」

 不愉快そうなツアーにふふふとアインズは笑った。やっぱり奪えたんだと。

「そうかツアー……。位階魔法も悪くないだろう。始原の魔法はもう本当……最悪だ……」

 ガンガン痛む頭を押さえながら、フラミーに肩を貸され何とか立ち上がった。

 いつのまにか最強装備は装飾の少ないただのガウンとズボンに着せ替えられていた。

 自分の体と、肩の下で嬉しそうにするフラミーを交互に見る。

「……俺おじいさんみたいですね……」

「おじいちゃん一週間も眠ってたんですからね。さぁ、ボケないうちに子供達に会いに行きましょうね」

「一週間…………おばあさん、今後は俺の許可なく勝手にこの鎧をナザリックに入れちゃいけませんからね……。……ツアーよ、お前はずっとここに居たのか?」

 アインズは笑うフラミーから鎧へ視線を移す。

 鎧はチラリと肩の下のフラミーに顔を向けてから話し出した。

「――いいや。評議国の属国化案をお宅の邪悪極まりないデミウルゴス君とアルベド君と、それから無垢そうな君の息子と話し合いに来た所だよ。今日ようやく招かれてね」

「そうか。はぁ。一週間もあったらそうなるな……。あー仕事溜まってるだろうなぁ……フラミーさん、俺やっぱりもう少し寝たいです……」

「だ、ダメです!お願いします!ここで寝たら何でもやり放題だってアルベドさんとシャルティア呼びますから!」

 フラミーの妙に鬼気迫る様子にアインズはくすりと笑った。

「それはこわいや」

 

+

 

 寝室を出ると、そこには泣いている守護者達が跪いていた。

「あぁ、お前達……心配をかけたな」

 アインズはフラミーに掴まりながらゆっくりとソファに座った。

「アァインズ様!!ああ……もしお目覚めにならない様な事があったら、私達は手始めにこの邪悪な竜の持つ国を滅ぼし、その後に世界を破壊しなければいけない所でしたわ。本当に良かった……私の愛しいお方……」

 アルベドが泣きながら言った恐ろしい言葉を鎧は頭をかきながら聞いた。

「ふふ、そうだな……。あー俺生きてますよ……タブラさん……ペロさん……建御雷さん……茶釜さん……ウルベルトさん……」

 アインズはNPCの向こうの親達に生還を伝えた。

「アインズ様、お加減はいかがでありんしょう」

「あぁ、シャルティア。良くはないな……。力が漲りすぎている感じがする。でもお前達の顔をみたからな、すぐに良くなるとも」

 

「アインズ様ガオ眠リニナルトイウ事ガコレ程迄ニ恐ロシイ事ダトハ思イモシマセンデシタ」

「コキュートス、お前にも心配をかけたな……」

「このデミウルゴスは、必ずやアインズ様は再び目を覚まされると確信しておりました」

「アインズ様が眠ってらっしゃる間、あたし達たっくさんフラミー様のお手伝いをしたんですよ!」

「そ、そうなんです!僕たちそれで、その、アインズ様が起きてからのお仕事を少しでも減らすんだって!た、たくさん、その、頑張りました!」

 

「そうか、そうかそうか。皆よく自分達の役割を果たしてくれたな」

 外から何かが激しく走ってくる音がすると、扉がバンと開かれた。

 

「父上!!!」

 アインズは鎮静された。

 

「パンドラズ・アクターよ。なぜそのように私を呼ぶ」

「ん?彼は君の息子なんだろう?これが普通じゃないか」

 鎧が首をかしげる姿からその理由がわかった。

「ツアー、息子は息子だが別に腹を痛めて産んだんじゃない息子だぞ……」

「息子は息子だろう、アインズ」

 

 アルベドが心底不愉快だという具合にツアーを睨む。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。あなたの話し方は不敬よ。従属する国の王、それも神を前にその態度はないのではなくて」

 パンドラズ・アクターは滑り込むようにアインズの前に跪くと父の手を取って顔をスリスリとなすりつけていた。

 いつもは鬱陶しいと思う息子だが、アインズは今日ばかりはと帽子の上から頭を撫でた。

「アインズ、僕の話し方はダメかな?」

「……いや、構わない。許してやるさ。始原の魔法を取り上げる事でお前の罪は許された。俺の中ではな」

「そうかい。それは良かったよ。フラミーも僕を許してくれるかな。悪い事をしたね」

「いいえ、私は何も。アインズさんが良いなら、私も良いですよ」

 フラミーは笑ったが、瞳の奥にはどこにもぶつけられない怒りが宿っていた。

 ツアーはそれが自分に向けられたものではなく、フラミー自身に向けられた物だとわかっていた。

「……それは良かったよ」

 

「ふぅ、それにしてもセバスはどうした?」

 ぷりぷり怒るアルベドから目をそらしてデミウルゴスに視線を投げた。

「は。セバスには国の者達にアインズ様が目を覚まされた事を報告に行かせました」

「よし。的確な判断だ。では私は着替えるとしよう。お前達は…………」

 守護者達は立ち去りたくないという瞳でアインズを見つめていた。

 

「全く仕方のない子供達だな。いいだろう、好きなだけここにいなさい」

 

 優しい神は一週間ぶりの笑顔を見せた。




次回 #66 閑話 だってだって女の子だもん

ふぅ、そろそろ気の抜けたラッキースケベが読みたい頃ですよね?
読みたいですよね!!!
閑話なので12:00更新です!

一応1話を書いた時から想定していたストーリーの着地点には来てしまいました。
1日1話から多い日は4話という猛烈な勢いで上げ続けたこのお話はたった一月半で65話にて着地しました。
あまり自分でお話を考える力がないので原作ありきのネームド救済作品でしたが、毎日読んでくださる皆様のおかげで本当に楽しく書けました!

と、最終回っぽいことを言いましたが、ビーストマン蹴散らして、都市国家連合も行かなきゃならないし、八欲王の空中都市も行かなきゃいけませんね。
後はミノタウロスに会いに行くのと…とにかくやる事はたくさん。
それに、皆のおバカ可愛いラッキースケベも足りてないですし、何よりアンケートの結果をちゃんと書かないといけませんぜ。
二人が寄り添うようになるまでまだもう少しやきもきさせてから、ゴールインですね!(やきもきしたがり
蛇足になるのが心配ですが、パパもっと続けちゃうぞぉ!
最終話の概念が壊れていますが今後もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

そしてアンケート締め切りました。
皆さまご回答ありがとうございました!
結果は以下でした。アインズさまの圧倒的パワーですよ!


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#66 閑話 だってだって女の子だもん

 遡ること数日。

 評議国で始原の魔法を奪い取り、アインズが眠りについて三日。

 神官や聖典は早くも限界を迎え始めていた。

 特に身近にその存在を感じ、何度も謁見するチャンスがあった者達程その痛みは凄まじかった。

 国中に出された「神聖魔導王陛下の眠り」についての御触書は殆どの者達を強く悲しませた。

 誰もがどうか目を覚まして欲しいと神王に祈りを捧げ、同時に眠っていない女神に神王を夢の世界から取り戻してほしいと願った。

 

 フラミーと守護者は初めてのアインズ不在に何とか対応し、知恵者三人によってナザリックの運営は行われていた。

 

「フラミー様……?フラミー様」

 アルベドの呼ぶ声に、フラミーはハッとし慌てて机の書類を手に取った。

「は、はい!ごめんなさい!!」

「とんでもございません。フラミー様、少しお休みになっては如何でしょうか」

 心配そうに覗き込む美女とその豊満な体に、フラミーはアインズがいつもこんな誘惑だらけの景色の中で仕事をしていたのかとこの三日間すっかり感心していた。

「いえ、アインズさんがいつもやってくれてた事くらい、替わりに出来ないと。あの人が起きた時に可哀想ですから……」

 アルベドは辛そうに手を握りしめた。

「フラミー様……。アインズ様はいつ目を覚まされるのでしょう……」

 フラミーはその言葉に、言外にお前の提案のせいでと言われている気分になった。無論、アルベドにそんなつもりは一切ない。

「本当にごめんなさい……。アインズさんがいつ目を覚ましてくれるか……私には解りません……。全部私のせいです……」

 手をふるふる震わせ、フラミーは書類を一度机に置いた。

 それを見たアルベドが慌てて机越しにフラミーの顔を覗き込んだ。

「ち、違います。私はそのようなつもりで言ったのでは……。ただ……アインズ様の……お声を……うっ……」

 アルベドはその寂しさを埋めるため、与えられた九階層の自室にアインズぬいぐるみを作って飾り始めた。

 それまで恋だと思っていた感情が愛だと気付いた時、彼女はもっとアインズに率先して迫るべきだったと心底後悔した。

「アルベドさんだって辛いのに、ごめんね」

 フラミーは立ち上がると、泣き始めたアルベドの手を取り、二人でソファに座った。

「フラミー様………」

「私ではあの人の替わりはとても勤まらないけど、きっと可愛い皆を守ります。私はもう泣き言は言わない。絶対にナザリックの為になってみせます」

 そう言うとアルベドの肩を抱き寄せて頭を撫でた。

 アルベドもフラミーの背中に手を回すと少しだけ泣いた。

「うっ……うぅ……。……っふ……あぁ……フラミー様……」

 落ち着いてきたのかフラミーの名前を呼ぶそのサキュバスに優しく語りかける。

「アルベドさん、落ち着いた?」

 両手でアルベドの顔を包み、顔を上げさせるとその瞳は未だ潤んでいて、物欲しそうな顔はまるで――

 

「お、落ち着くどころか……興奮して参りましたわ!!」

 獣だった。

 

「え!?」

 

 アルベドはそのままソファにフラミーを押し倒してのし掛かると、フラミーの背中のリボンを引こうとした。

「や、やめ!!おすわり!!おすわりー!!」

 背中を絶対にソファから浮かび上がらせないと言う強い意志を持ってフラミーはアルベドと手のひらを押し合い抵抗した。

 そんな力があったのかと思うほどに。

「フラミー様はずるいです!アァインズ様が身に付けたことのあるローブを頂いていつでも好きな時に着ることができるなんて!!あぁ!そんな素敵なご褒美を頂いているんですから、もっとナザリックの為に働かなければいけませんわ!そう!ナザリックの為です!!このアルベドと子供を作りましょう!!」

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)がバラバラと天井から降ってきた。

「アルベド様御乱心!」「アルベド様御乱心!」

「ちょっと!!忘れて下さいって言ったじゃないですか!!」

「フラミー様、それはあの夜にアインズ様の仰ったセリフですわね!?んもー我慢なりません!!」

 アルベドの猛烈な力にフラミーは背中が浮き上がるのを感じた。

「いやー!!やめてぇえー!!」

 たまらず上げられたフラミーの絶叫は第九階層に響き渡った。

 

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)がアルベドに吹き飛ばされて行くと、ノックも無しにバンッと扉が開いた。

「デミウルゴス!!」

「デミウルゴスさん!!」

 正反対の感情が乗せられたその名を呼ぶ声に、闖入者は慌てて八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と共に絡まる女二人に駆け寄った。

 

「な!?アルベド!やめるんだ!!」

 

 デミウルゴスは世界一可愛いゴリラを引き離そうと必死に引っ張ったが、まるで石像かと思う程にその身は動かなかった。

「何て馬鹿力だ!!<悪魔の諸相:豪魔の巨腕>!!」

 デミウルゴスはスキルまで使って何とかフラミーにまたがるアルベドを起き上がらせることに成功するが、とても落ち着く様子がない。

 デミウルゴスは急いでコキュートスに伝言(メッセージ)を送る。

 自分一人では対処しきれない。

「コキュートス!!フラミー様の部屋に今すぐ!今すぐだ!!」

 こめかみに触れる為、片手を離したのが仇となりアルベドは再びフラミーに覆いかぶさると、フラミーの両手をたった一本の手でその頭の上に押さえ込んだ。

「デミウルゴス!!私はもっとナザリックの為になりたいとおっしゃる御身のお手伝いをするだけよ!さぁ、フラミー様っ!」

 フラミーはアルベドの長い指が下腹部に触れぞくりと背を震わせた。

「ひっ!!か、勘弁してください!!」

 外からタタタタタタと軽快に何かが走ってくる音がすると、開きっぱなしだった扉から、その足音に似つかわしくない巨体のコキュートスが駆け込んできた。

「デミウルゴス!!待タセタ!!」

「助かった!頼むよ!コキュートス!」

「アルベド、ヨセ!ヨスンダ!!」

 

 ようやくフラミーの上から降ろされたアルベドは床に正座させられていた。

「君はアインズ様を愛していたことに気がついたと言っていたじゃないか。全く」

「アインズ様は愛してるわ。でもフラミー様にも恋してるのよ。それの何が悪いのかしら」

 デミウルゴスの叱責にアルベドは頬をぷくっと膨らませていた。

「君はフラミー様にはえているからって全く現金な。」

「は……はえ……。ふふ……ふふふ……」

 デミウルゴスのその言葉にフラミーはいつの間にかすっかり周知の事実になってしまったそれに悲しく顔を引きつらせていた。

 だが異形の集まりのナザリックでその事をどうこう思う者等あるはずもなく、フラミーは若干開き直り始めていた。

 

「あ、いえ。申し訳ございませんフラミー様。し、しかしそれは以前も申し上げました通りそう恥じるような事ではございません!」

 デミウルゴスのあわあわとした慰めの言葉にアルベドも賛同する。

「そうですわ!むしろ、素晴らしいことですから、フラミー様はもっと自信をお持ちになってもよろしいのではないでしょうか!」

 するとアルベドが再び動こうとするのが見え、デミウルゴスは一瞬焦るが素晴らしい言葉を閃いた。

「アルベド!君は初めてを愛するアインズ様に捧げようとは思わないのかな!男性は誰しも特別な相手の初めては何であっても嬉しいはずだ!」

 

 その言葉はアルベドを瞬時に落ちつかせた。

 

「デミウルゴス、それは本当でしょうね」

「……そうだとも。コキュートス、君もそう思うだろう」

「ソノ通リダ。ソレヲ捧ゲレバアインズ様ハオ喜ビニナルニ決マッテイル」

 アルベドが黙って立ち上がる様をデミウルゴスはゴクリと唾を飲み込んで見守った。

 するとアルベドは清々しい笑顔をフラミーに向け、ぺこりと頭を下げた。

「フラミー様、大変失礼致しました。私、アインズ様に初めてを捧げてからフラミー様とお子を作らせて頂きたいと思います」

 その言葉はその場にいた全ての者をすっかり安心させた。

 

「は、はは……。それは良かったです、ほんと……ね」

 それはそれでどうなんだとフラミーは思った。

 口元を引きつらせながら笑うと、背のリボンを結ぼうと首の後ろに手を回した。

「はぁ、疲れた……。コキュートス君もデミウルゴスさんもありがとうございました」

 デミウルゴスはそれを見るとフラミーの背後に回った。

「いえ、とんでもございません。――あぁ、私が結ばせて頂きます」

「あ、ありがとうございます」

 フラミーはリボンが悪魔の手に渡ったことを確認すると膝の上に手を下ろした。

 デミウルゴスが結ぼうとすると、炎獄の造物主の名の通り手袋越しでも感じるほどに熱い指がうなじにわずかに触れた。

「わ、デミウルゴスさんの手ってすごく温かいんですね」

「ウルベルト様にそうあれとお造り頂きましたので。さぁできました」

 にこりと笑ってリボンが結び終わったことを告げた。

 

「……アイツハ本当ニイツモ美味シイ所ヲ持ッテ行クナ」

「コキュートス、あなたも覚えておきなさい。あれは私達の敵よ」

「ナルホド」

 コキュートスとアルベドの声にデミウルゴスは忌々しげに二人を見ると、何かに気付いたのかニヤリと笑った。

「あぁ、フラミー様。統括は危険ですので、今日届いた属国化案はこれより私と二人で精査いたしましょう」

「良いんですか?」

 フラミーは背後の悪魔を見上げた。

「いいですとも。もちろん。今後は私がお側に控えましょう。さぁ、君達は仕事の邪魔になる。一度出て行ってくれるかな」

 デミウルゴスは指輪の光る左手をしっしと振って清々しい笑顔を送った。

 

 空元気も元気のうちで、支配者が生きている事が分かってからは皆何とかやっていた。

 決して立ち去らないと約束した至高の主人と共に、至高の支配者の穏やかな眠りを見守る日々も、たまには良いだろう。




次回 #67 閑話 小さな支配者
00:00更新です。

襲われるフラミー様いただきました!ユズリハ様よりです!

【挿絵表示】


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#67 閑話 小さな支配者

 フラミーの部屋では夜になっても書類の精査が続いていた。

「うぅ……デミウルゴスさん……。本当に申し訳ないです……」

 日中の騒動から殆ど進んでいないそれを前にフラミーは自分の出来の悪さにすっかり意気消沈していた。

 

「いえいえ。お手伝いのし甲斐があると言うものです。アインズ様は何でも完璧になさいますから」

 そう言う悪魔は本当に少し嬉しそうだった。

「ありがとうございます……。アインズさんは何でも出来すぎますよね。本当あの人神様向いてるなって思いますもん」

 フラミーは疲れた疲れたとでも言う様にうーんと伸びをした。

「アインズ様は智謀の神ですが、あの竜も言っておりました通りフラミー様は無垢の方です。闇に智謀があれば、光に無垢というのは納得の行く話でございます」

 何でも綺麗にこじつけてくれる物だとフラミーは賢い悪魔に感謝した。

「そう言うことにしておきます。……さ、そろそろまたアインズさんの部屋行ってみましょうか」

 フラミーは二時間に一回はアインズの様子を見に行っていた。

 デミウルゴスはこんな状態では誰でも何も手につかなくても仕方ないとも思っていた。

「はい。参りましょう」

 

 フラミーは悪魔を従えて、アインズの静かに眠る薄暗い部屋に入るとベッドに腰掛けた。

「アインズさん、あなたどんな夢を見てるんですか?こっちもこんなに夢みたいな世界だっていうのに……」

 そう言うと以前ツアーに砕かれていた骨の肩を触った。

「私、怖いです。あなたがいなかったら……私はどうやってこの先、生きていけば良いっていうんですか……」

 フラミーの嘆きにデミウルゴスは目を伏せた。

「一緒にここで生きていくって約束破ったら許しませんよ……。……なんて、許されないのは私か……。星に願いなんて届けようとしたのがいけないんですよね……。これは勝手なことをしようとした私への罰ですか?」

 あまりにも痛ましい背中にデミウルゴスは意を決して口を開いた。

「フラミー様。これはアインズ様がお決めになった事でもあります。どうか、ご自分をそう責めないでください」

 フラミーはその声にアインズからデミウルゴスに視線を移し、静かに告げた。

「デミウルゴスさん。そろそろ戻りましょうか」

 デミウルゴスは頷いた。

 

 部屋に戻る間、フラミーは考えていた。

 これであの時自分が星に願いを(ウィッシュアポンアスター)を使っていて、アインズがこうして意識を失っていたら、と。

 そんなことになっていれば余りの罪の意識に恐らくフラミーはナザリックを離れただろう。

 アインズがこの選択をするように差し向けてしまっただけでこれ程までの痛みを感じるのだから。

 

 二人は部屋に戻ると、とりあえず現状執務を行なっているデスクへ向かった。

 フラミーはデスクの上の時計をちらりと見ると、約束の時間が近いことに気が付いた。

「さてと。私は一時間ほどツアーさんに会いに――」

「いけません!!」

 悪魔は瞳の宝石を露わにし、フラミーを真っ直ぐに見据えながら、デスクを回り込んで来る。

「フラミー様が毎晩どこかにお出かけになっているとメイド達から報告を受けておりました。まさかあれに一人で毎日会いに行っていたのですか」

「ご、ごめんなさい……でも……」

「いけません!フラミー様、どうかお考え直しを。アレとはこの属国化案の最終的なすり合わせを行う際私とアルベド、そしてパンドラズ・アクターの三人で会います。それ以外は一切必要ございません!」

 フラミーは目の前の叡智の悪魔を説得する術を知らない。

「デミウルゴスさん、でもツアーさんに会わないと……」

「会ってあのただの竜に何ができると言うのですか。あれは無駄に力と体力はあるでしょう。魔法がなくても竜と直接会うのは危険すぎます。至高の御方であるフラミー様の言は最も尊く、私どもはその身に代えても守らなければならないことは重々承知しておりますが、御身に明確な危険が迫ることは認められません!」

 

 デミウルゴスが手を握りしめたのか、皮の手袋がギュッとなる音がした。

「アインズ様がお目覚めになった時御身に何かがあれば私は……」

「私……それでも……私っ……!」

 フラミーは足りない頭でどうしたら出掛けられるか懸命に考えると、無詠唱化した転移門(ゲート)を自分の背後至近距離に開きサッと身を投じてすぐにそれを閉じた。

「なっ!っくそ!!」

 デミウルゴスの手は虚しく空を掴んだ。

「アインズ様、あなた様の御苦労がわかりましたよ……。せめてあの竜の居場所がわかれば――」

 

+

 

「来たね。フラミー」

 フラミーは軽く手を振りながらその巨体に近づいて行き、ため息をついた。

「アインズさんはまだ目を覚ましません。はあ……どうしたらいいんでしょう、ツアーさん」

 フラミーは定位置になり始めた竜の顔の隣で、その巨大な頬に無数に生える鱗のひんやりとした感触を確かめるように触った。

 ツアーを恨む気持ちもあるが、最早フラミーの中のツアーは何も理解できない少し長生きなだけの哀れな大きい爬虫類だった。

 しかし長生きした分知識もあるだろうとは思っているが。

 特に、始原の魔法を使いこなしていた知識はアインズに、ナザリックに必要だ。

「……アインズを直接見たら何かわかるかも知れないとしか今は言えないね」

 ツアーがそう言うとフラミーは手をグーにしてその頬をポコと叩いた。

「私にはあなたをナザリックに招く権限がありませんもん……」

「やれやれ、堂々巡りだ。さぁ。今日も教えてくれるかな。位階魔法を」

 フラミーは頷くが、自分自身でも使い方がよく分からないため要領を得ない。

「自分の中に感覚を向けると、そこに力がありますよね。そこの中に、目当ての魔法を見つけて引きずりあげる感じです……」

「はぁ。全く生まれた時から魔法を使う存在の教え方は厄介だ。これも続けるしかないんだろうね」

「ははは。明日にはリグリットさんとイビルアイさんも来ますから」

 

 ツアーはため息をつきながら、一時間フラミーのよく分からない説明に耳を傾け続けた。

 

「あ、そろそろ帰らなきゃ。今日はデミウルゴスさんにそんな所に行くなって怒られちゃったからな。言った通りの時間で帰らないと後が怖いんで、私、そろそろ行きますね」

「わかったよ。お疲れ様」

 闇を開いて帰ろうとするその背中にツアーは言い忘れていた言葉をかけた。

「あぁ、フラミー。君達はアインズを頂点と据えてるようだけど、今はそのアインズが不在なんだ。君が頂点としてナザリックを管理しないといけないよ」

 フラミーは少し迷ってから頷いた。

「……わかってます。ちゃんと皆を説得して、せめて鎧姿のツアーさんにアインズさんを見てもらえるように努力しますね。それじゃあ」

 今度こそ紫の悪魔は闇をくぐった。

 

+

 

「フラミー様!一時間と仰ったと言うのに一時間を過ぎているではないですか!せめて時間通りにお戻りください!このデミウルゴス気が気ではありませんでした!!」

 フラミーは闇をくぐった瞬間悪魔に怒られた。

 デミウルゴスはこの事を誰にも言わなかった。いや、言えなかったのだ。

 すぐにメイドとアサシンズに固く口止めをすると、全ての来客を一時間断り続けた。

 アインズが目を覚まさない今、フラミーの身に危険がある事を知れば僕も守護者もまともではいられない。

「ご、ごめんなさい。でも数分――」

「数分でも数秒でも同じ事です!次は私も共に参ります」

 ツアーはアインズの目覚めに焦れたNPCがギルド武器を破壊しに来ることを恐れ、フラミーしかその家には上げようとしない。

 ここであの竜の信用を失えば六百年分の知識が提供されなくなる。

 まだ何も特別なことは教わっていないが、アインズの目覚めに関する何かをあの生き物なら掴めるかもしれないのだ。

「デミウルゴスさん、一緒には行けません。これはツアーさんとの約束ですから……」

「……フラミー様が秘密裏に弑されでもしたら我々はどうすれば良いのです。場所も分からなければご遺体もお運びできず、復活も叶いません。そうなれば目覚めたアインズ様に私たちは殺されます」

 比喩ではない。文字通り殺されるだろう。

 

『一番側で仕えながら、貴様は一体何をしていたんだ!デミウルゴス――!!』

 デミウルゴスは支配者の言うであろう言葉を容易に想像できた。

 

 それは強い痛みを伴うが、生き生きと再生されてしまう支配者の姿にデミウルゴスは少しだけ胸をあたたかくした。

 

(間違いなくあのお方は目覚める。それがどれ程先なのか、今すぐなのかは分からないが、我々を決して取り残したりはしない)

 

「フラミー様は私たちに死ねと仰るのですか」

 この女神はそう言われた方がよく考える。

 自分の事など何でもないそこらへんの石ころか人間くらいにしか考えていないと言う事はもう充分わかりきっていた。

 

「ごめんなさい……。でも、ツアーさんなら、アインズさんの何かがわかるかも知れないから……」

 そう言いながら何かを考え始めた。

「ねぇ、デミウルゴスさん」

 フラミーが躊躇いがちに視線を送ってくる姿にデミウルゴスは嫌な予感を覚える。

「……なんでしょう……」

「遺書を書きますから――」

 やっぱりだ。

「そう言う話ではございません!…………はぁ。アインズ様もフラミー様に分からせる必要があると仰っていましたが……確かに分からせる必要があるようですね……」

 デミウルゴスはフラミーの手首を掴むと、第七階層に転移した。

 

「あ、あの、どこ行くんですか?」

「いいからいらして下さい」

 守護者が主人を引っ張って歩く姿に七階層の悪魔達は何が起きたんだと騒めいていた。

 デミウルゴスはフラミーを引っ張って以前案内した自室に連れて行き、とても丁寧とは言えない手つきで扉を締めた。

「あなたは恐らくツァインドルクス=ヴァイシオンは何もしないと高を括っていらっしゃるんでしょうが、はっきり言ってそれは大きな間違いです」

 ようやく手を離したデミウルゴスにフラミーは謝ることしかできない。

「ご、ごめんなさい……。でも本当にツアーさんは何も……」

 ツアーの元から戻ってきたその手には未だ杖もなく、恐らくツアーといるときもそうであったろう無防備な姿にデミウルゴスは軽い苛立ちを感じた。

 フラミーに背をむけてテーブルの前に立つと一度指輪を外して丁寧に置く。

 続けて手袋を脱ぎ机の上に放り捨てた。

 指輪を素肌につけ直しながら振り返ると、悪魔は一息に言う。

「絶対の安全などこの世にはないとお教えします。<悪魔の諸相:煉獄の衣>」

 悪魔はその身を炎で包み、一度深呼吸をするとフラミーの細いクビに手を伸ばした。

 優しく首を包むと、フラミーが不安そうにデミウルゴスを見上げた。

 デミウルゴスは目を逸らす事は許されないと、目を瞑りたい気持ちを抑えて、ギッと思い切り捻り潰す様にそれを締め上げた。

「アッ……ク……」

 フラミーはいつもでも優しく天使の様だった悪魔のその変容に驚いた。

「んぅ……で……うる……ごす……ん……」

 驚いてはいるがまだ恐怖を感じている様子のないフラミーにデミウルゴスは更に力を込め、炎の勢いを増すと殺意を持った視線を向ける。

 アインズから送られたネックレスが熱せられ赤くなって行く。

「アっ…………」

 フラミーは突っ立っていたが、ついに悪魔の燃える腕に手を伸ばし、やめさせようと掴んだ。

「や……やめ…………」

 しかし悪魔はやめない。

「フラミー様、恐ろしいでしょう。我々守護者ですら御身に手をあげるのです。あの竜がそれをしないと何故言い切れるのですか。あなたは勝手すぎる」

 デミウルゴスの瞳には最早悪魔として生をいたぶれる事への愉悦すら覗き見えるようだった。

「…………なさい……ごめ…………さい…………」

 首に食い込んだ爪が皮膚を割って血を流し始めると、デミウルゴスはついにその手を離した。

 

 フラミーはどさりと床に這いつくばり、喉を抑えながら激しく咳き込んだ。

 

 デミウルゴスは胸ポケットからチーフを取り出すと、その指についた赤紫の血を丁寧に拭き取っていった。

 真っ白なチーフにはまるで十輪の赤紫色の花が咲いたようだった。

 チーフをしまいながらデミウルゴスは未だ床に座り咳き込むフラミーに立ったまま話しかける。

「フラミー様、今ペストーニャを連れて参りますのでお待ちください」

 デミウルゴスは指輪を起動しようとすると、フラミーにズボンの裾を掴まれた。

 フラミーは弱いとは言え、デミウルゴスに反撃できないほど弱くはない。そのフラミーが、されるがままだったのだ。そして、自らを回復する様子もない。

 その哀れで無様な主人を悪魔は見下ろすと足を払ってから転移した。

 

+

 

 ペストーニャはデミウルゴスの部屋の状況に絶句した。

 首と肺の中まで火傷したフラミーがヒューヒューと息をしながら床に這いつくばり、悪魔のポケットの中から見えるチーフはフラミーの血の色が染みているのがわずかに見える。

「で、デミウルゴス様、これは一体何が!?」

 ワンということも忘れフラミーに駆け寄りながらペストーニャがフラミーを回復すると、首にはわずかに爪の残した十の傷痕が残った。

 デミウルゴスはそれを忌々しげに見ると、舌打ちをした。

「何でもありません。分からせたまでですよ。さ、ペストーニャ。あなたへの用は以上です。下がっていただいて結構」

 フラミーは首に触れながら自分が生きている事を確認しているようだった。

 眠りについている支配者が起きていればそれの命を守る為ならどんなに傷付けたとしても遂行しろと言っただろう。あの日シャルティアに命じた様に。

「し、しかしデミウルゴス様……あ……ワン…………」

 少し落ち着きを取り戻し始めたペストーニャはフラミーの翼をさすり、立ち上がる様子がない。

「ぺ、ぺすとーにゃさん……。私は大丈夫です。さ、行ってください」

「フラミー様……ワン……」

「良いから」

 フラミーも早く行くようにペストーニャを促し、その背中が部屋から出て行くのを見届けると、そのままデミウルゴスを睨み付けた。

 デミウルゴスもまるで極寒の様な視線をフラミーに送り続ける。

「こんな事でへこたれる私じゃありませんよ。アインズさんが目を覚ます可能性を探す為に、私はツァインドルクス=ヴァイシオンの下へ通う事はやめません。例えそれが自分の命と引き換えになるとしても」

 反省の様子がまるでない返事にデミウルゴスは瞳に更に殺意を込めていく。

「何もできないくせに続けるのですか」

「私は今このナザリック地下墳墓の最高責任者です。……ここにツァインドルクス=ヴァイシオンを招きます」

「なっ!?」

 フラミーは立ち上がり、デミウルゴスを正面から見据えた。

「あれをナザリックに上げる事を納得するよう皆を説得するのを手伝いなさい。私は明日も一人で出かけます。話は以上です」

 フラミーはそう言うと驚いているデミウルゴスにツカツカと近寄った。

 フラミーの腕が動くのが視界の端に入ったデミウルゴスは叩かれるのかと思い目を瞑ったが――フラミーは傷付ける事で傷付く優しき悪魔を抱きしめた。

「ごめんなさい。アインズさんだったら、どんな事してても怖くないのにね。本当に私がいけないんだ……。お願いデミウルゴスさん……」

 デミウルゴスは己の胸に顔を埋めて、慰めるように優しく触れて来る小さな支配者をゆっくりと抱きしめ返した。

 

「申し訳ありませんでした……。フラミー様…………アインズ様……」

 

 ペストーニャと息を殺して廊下に控えていたセバスはそっと拳を下ろした。




ふぅ…(賢者モード
うひひひひ。
いや、ちゃんとアインズ様とくっつきますとも!!

次回 #68 閑話 祝福の日
次は真面目な閑話だよ!
だってレメディオスちゃんが出てくるんだもん☆

12:00に更新します!

2019.06.06 ミッドレンジハンター様 誤字修正ありがとうございます!適用しました!


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#68 閑話 祝福の日

皆の大好きなレメディオスさんの脱走物語だよ!!


 神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王が目覚めたその頃。

 

 バハルス帝国アーウィンタール――。

「……ほらな。やはりだ。私はそうだと思っていたとも」

 城に配備されるようになった死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が神王の目覚めを伝えて立ち去った部屋で、ジルクニフは愛妾のロクシーと、友人である土堀獣人(クアゴア)の王――だった――リユロに向かって吐き捨てた。

「しかし陛下。最初のあの書記官D氏の様子は普通ではなかったと思いますが」

「その通りだ。皆意気消沈していたようだったぞ?」

 ジルクニフはふ……と笑った。

「何せ相手は稀代の謀略家……。この眠りにも絶対何か理由があったはずだ。見てろ。きっと近いうちにどこかの国に神々は向かうはずだ」

 そんなまさかと話を聞く二人は思うが、否定しきれない。

「……また何処かで同胞が生まれるのか……」

 リユロは遠い目をした。

 それを見ていたロクシーが横から口を挟む。

「それにしても、近々支配者のお茶会なるものがあるといっていましたね?陛下」

 ジルクニフはソファにぱたりと倒れた。

 そこにはロクシーの太ももがあった。

「そうだ……近々とはいつなんだろうな……。とても共通の話題があるとは思えない……」

「そ、そんなものがあるのか……俺は呼ばれていない。ジルクニフ、頑張ってくれ……」

「な、リユロ!お前は呼ばれていないのか……!?」

 ジルクニフは起き上がると「うおおおお」と頭を掻き毟り出し、ロクシーは苦笑した。

「陛下、お気を確かに。折角のハンサムがそれでは台無しです」

「く…………。ロクシー。私はもう帝国皇帝と言ってもただのお飾り皇帝に成り下がった。そろそろ子でも作るか?」

「ご冗談を」

「はぁ……。全くお前の美しい姫の条件に合う女はどれもこれも最悪だ。あの若作りババアに黄金の姫、いや、黄金の知事か。どちらも全く頂けない」

 ロクシーは顎に手を当て少し考えると、恐ろしい事を口にした。

「……では、神王陛下にお願いして光神陛下と婚姻を結ばせて頂くのはいかがでしょう。女神は大変な美しさだとか――」

「「バカ!!!」」

 男二人の絶叫が響く。

「ロクシー!お前は身分を弁えろ!!」

「そうだ!!それにあの方達は並々ならぬ関係だ!!」

「……陛下方が並々ならぬ関係というのは噂されておりましたが、聖王国で何故あれ程までに常にご一緒なのかが解ったそうですがその話は?」

 ロクシーの方を見る二人は何も知らないというような目をしていた。

「なんでも、闇の神は単体で存在できるそうですが光の神は闇の神が存在しなければ消滅するとか」

「………………何故逆じゃないんだ……」

「世の中間違ってる!!」

 リユロは興奮のあまり立ち上がってウロウロし始めた。

「……まぁ、なので別に愛し合っているわけでは無いなら陛下が関係強化の為に女神を迎えては――」

「無理だ!!どんなに美しく善良であっても!!絶対無理だ!!」

「では早く美しい神ではなく姫を娶ってくださいませ」

 ふと立ち止まったリユロは思い出したく無い記憶を呼び覚ますと、小さな声で告げた。

「……女神はああ見えて罪を犯した者には非情だ……。俺の氏族の多くが殺されて行くのをニコニコ見守っていたのだからな……これで罪は赦されると言わんばかりに……」

 ジルクニフは背筋をぞっと何かが這い上がるような感覚を覚えた。

 

 

+

 

 リ・エスティーゼ王国王都――。

「そうか、よかった。かの御仁に何かあればと心配していたところです。くれぐれもご自愛をとお伝えください。ボウロロープ侯」

 サラサラとした灰色の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に当たり前のように頭を下げた男はガゼフ・ストロノーフ、戦士長だ。

「我々もこれでようやく一息つけると言うものです。本当にアインズ様がお目覚めになってよかった。フラミー様のご心労もこれで和らぐでしょう」

「全くです。王よ、何かゴウン陛下に見舞いの品をお贈りしてはいかがでしょうか」

「そうだな、戦士長。リットン侯をお呼びして手配して貰おう」

「では私が帰りしなリットン侯にお声をお掛けしましょう。それでは失礼します」

 王とガゼフは礼儀正しいその背を見送った。

 それが歩いた後はほんの少し灰が落ちていた。

 

 王国は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達が王城に入った日、かなりの混乱が起こった。

 それもそのはずだ。

 

 どの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)もどことなく見覚えのある面々ばかりだったのだから。

 それはかつて王国でのさばっていた貴族達だった。

 王城で働くメイド達などは有力な貴族の娘である場合が多く、当然のように顔見知りであり、その余りの出来事に皆が腰を抜かした。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達は皆かつての名前でそのまま呼ばれているが、中身は全くの別人だった。

 皆それぞれの領地をそのまま持ち、神王の要請通り非常にクリーンな統治を行っている。

 

 村人達からの評判はかなり良く、たまに自分の領地に帰ると皆が祝福されたおぞましい領主を喜んで迎え入れた。

 戦争の日、そのまま吹き晒されて地に帰るだけかと思われた貴族達の灰は慈悲深き王の配下の者達の手によって一度は地獄の門に吸い込まれた。

 しかし貴族は悪政によって人々を苦しめた罪を灑ぐチャンスをもらい、こうして現世に戻ったのだ。

 ガゼフはもう一人の自分の王への好感度をまた上げた。

 

 幼い日に誰も助けてはくれないと思った時のことを思い出す。

(ゴウン殿……貴方が目覚めなければ世界はまた弱者の泣く厳しく悲しい場所になっただろう。本当に良かった。)

 戦士長は窓の外を清々しい笑顔で見つめた。

 

 

+

 

 ザイトルクワエ州エ・ランテル市――。

 セバスは州知事の元に訪れていた。

 

「セバス様!それはおめでとうございます!!」

 

 相変わらずキャンキャンと可愛らしい子犬が、真っ直ぐな瞳でセバスをとらえていた。

「はい。必ずアインズ様はお目覚めになると思っておりましたが、それでもやはり安堵せずにはいられません」

 セバスは見たこともないような優しい笑顔をしていた。

「本当に良かったです!そうだわ、クライム。今朝摘んだお花を一足先にセバス様に届けて頂きましょう!」

 ラナーは美しい笑顔で笑い、自分の胸の前で手を合わせた。

「それは素晴らしい案ですね!セバス様、お願いしてもよろしいでしょうか?」

 セバスは善良な二人に優しい笑顔を見せた。

「もちろんでございます。アインズ様もフラミー様もきっとお喜びになるでしょう」

 クライムが花瓶の元へ歩き出すと、ちょうど部屋の扉がノックされた。

 

 腰を浮かしかけたラナーを手で押しとどめ、クライムは外に取り次ぐ。

「ブレインさんとペテルさんです」

「まぁ素敵!入れて差し上げて」

 ブレインは最近冒険者育成場で熱心に育てている漆黒の剣のペテル・モークと共に現れた。

「ようクライム君、姫さん。あ!それにセバス様!」

「え、守護神様もいらっしゃるんですか……?流石に私は場違いなんじゃ……」

 ペテルは帰ろうかな?と視線で自分の師範に訴えると、ブレインは肩を組んで部屋の中に引きずり込んだ。

「セバス様?このお二人にも神王陛下の嬉しいお知らせを教えてもいいでしょうか?」

「もちろんですよ。さぁ、モーク君も遠慮なくどうぞ」

 

 恐縮するペテルは一人がけソファに座ったブレインの横に立った。

「あのね、ブレインさん、ペテルさん。神王陛下がつい先程お目覚めになったんですって!セバス様は神殿にご報告に行かれてそのままここにお寄りくださったの!このタイミングで来られるなんて、二人はすごい幸運ですよっ」

 嬉しそうに語るラナーの元に花瓶から出した花を清潔な紙に包んだクライムが戻ってくる。

「さぁラナー様。こちらをどうぞ」

「まぁありがとうクライム。リボンでここを結べば可愛いかしら?」

 人差し指でここ、と茎の真ん中あたりを指差して小首を傾げるその愛らしさにクライムはドキリとする。

「は、はい!素晴らしいかと思います!!」

「良かった!じゃあリボンを取りに行かなくっちゃ」

 ラナーはぴょこんと立ち上がるとタタタと小走りで飾り棚の引き出しを開けに行った。

 

「はぁ、全くお前らは本当にな。それで、クライム君。そろそろヤったか?」

 ブレインの歯に衣着せぬ発言にクライムはドキりとする。

「ちょ!ちょっとブレインさん!!なんてことを言うんですか!ラナー様に聞こえてしまいます!!」

 あわあわと手をバタバタ振るクライムはかつてと違い、鎧ではなく平服だ。

「ちっ、その様子じゃまだか。ペテルも早くニニャちゃんに告白しろよ」

「ちょっと!守護神様の前でなんてこと言うんですか!」

 あぁあと身の回りの色恋沙汰を少し羨ましく思いながら、ブレインは背もたれに思い切り寄りかかった。

 

 セバスはその様子に苦笑し、自分の身のことを思い出す。

「ブレイン君。私の友人にも早く手を繋げや子供を作れと言う者がいますが、皆それぞれのペースで良いんですよ」

「は、これはセバス様。失礼しました。自分は、その……なんと言いますか……身の回りの皆の幸せが嬉しくてつい。きっとセバス様のご友人もそういうお気持ちなんだと思いますよ」

 ブレインはへへへと照れ臭そうに鼻の下をかいた。

「ブレインさん……」

 

「……そうですね。ブレイン君。そうだと良いのですが……。いや、しかしあれはそう言う男ではありませんね」

 セバスは腕を組み顎のヒゲを軽く触って天井を眺め、続けた。「――しかし、私もデミウルゴス様に言ってみましょうか。アインズ様に怒られてでも自分からフラミー様を抱きしめるくらいしてみせろ、と」

 エッと男子三人がセバスに注目する。

「セバス様、光神陛下は神王陛下とそういうご関係なんですか?」

「デミウルゴス様って言や、あの時王都に現れた守護神様ですよね?」

「守護神様達も陛下方に恋したりするのですか?」

 それぞれが一気に話したいことを話したせいで、一つもセバスは上手く聞き取れなかった。

「ははははは。まぁ、私も彼をおちょくりたいだけですよ。彼がそうするように」

 きっと守護神達は皆仲が良いんだろうなと三人は微笑ましく思った。

 

 

+

 

 ローブル聖王国尖塔――。

 レメディオスは牢屋の隅で膝を抱えて丸くなっていた。

 そこには聖王女が日課の語り掛けにやって来ていた。

「レメディオス。神王陛下が目を覚まされたそうよ」

 罪を犯した女はピクリとその名に反応する。

「ああ……知ってるさ…………。ここの悪魔に教えられたからな…………」

 聖王女は少し遅れてやってきたケラルトと目を合わせた。

「それは、いつ教えてもらったの?」

「昨日さ。悪魔共は大喜びだ……へ……へへへへ」

 その姿はいつも通り嘘をついている様にも、本当に知っていた様にも見える。

 ケラルトはじっと姉を見つめ、慎重に話しかけた。

「姉さん……本当にここに悪魔が出て、そう教えたの……?」

「だーかーらーぁ………………そうだって言ってんだろうが!!!」

 ここ二週間、落ち窪んだ瞳は光を灯すこともなかったが、その目は獣の様に爛々と危険な色に輝いていた。

「お、落ち着いてレメディオス!それが本当なら、私達は……私達は立ち向かわないといけないわ!!」

 レメディオスは自分に向けられた瞳がこれまでと違う(・・・・・・・)ものになっている事に気がついた。

「あ……あぁ!あぁ!!そうなんだよ!!立ち向かうんだ!!私達はまた三人で一丸となって……!!」

 今こそその時だと立ち上がり牢の格子に近付く。

 格子に掴まり、二人を交互に見る瞳はようやく悪夢から覚めたと希望に満ち始めていた。

「兎に角、あなたを出すわ!」

 聖王女はそう言うと、錠前をガチリと外した。

 レメディオスは久しぶりの外に胸を踊らせて転がる様に出ると、聖王女とケラルトを抱きしめた。

「ああ…………やっと、やっと分かってくれたんだな…………お前たち…………私は……私は…………」

 ポロポロと温かい涙が溢れてくる。

 優しく背中を摩る二人の手の感触にレメディオスは浸った。

 そしてふと、何も言わない二人にレメディオスは奇妙な感覚を覚える。

「二人とも……どうしたんだ……?」

 レメディオスが二人の肩から顔を離すと――そこには黄色いつるりとした卵型の頭をした見たこともない化け物が二人、レメディオスを抱いていた。

「な!な!?うわぁぁあぁああぁぁあ!!」

 レメディオスは異形を突き飛ばし駆け出した。

 後ろからは良く知る愛する二人の笑い声がゲタゲタと響いた。

 

 牢を出て階段を駆け下りていくと、牢番が槍を持って立っていた。

「お、おおおお!おまえぇ!!そ、その槍を貸せ!!!団長命令だ!!!」

「な!?レメディオス・カストディオ!!どうやって外に……!!」

 レメディオスは早くあの化け物を殺さなければいけないと牢番を突き飛ばし槍を奪い取った。

 そして再び階段を駆け上がって行く。

 頭の中で今なら自由になれると警笛が鳴るが、あれを放ってはいけない。

 レメディオスは正義の人だった。

 階段の下からはゴーンゴーンとその脱走を告げる音がけたたましく鳴り響いている。

 にわかに騒がしくなり始める塔内でレメディオスは孤独だった。

 しかし、あんな化け物がいつの間に――レメディオスは閃いた。

 

(まさかあれが王兄殿を騙っていた……?)

 

 だとすれば、王兄は最初からもう――その閃きはレメディオスの脳内をバチバチと駆け巡り、激しい憤怒に視界が赤く染まる。

「殺す!!絶対に殺してやる!!アインズ・ウール・ゴウン!!うぅうぉぉおおぁぁああぁ!!」

 駆け上がり切ると、そこには何もおらず、破壊された錠前が落ちていた。

「どこだ!!どこに行った!!!」

 レメディオスが探し回っていると、不意に後ろから声がかかった。

「レメディオス!!」「姉さん!!!」

 そいつらはいた。

 グスターボや聖騎士、衛士を連れて上がって来た。

「ふふふふ、貴様ら私はもう騙されんぞ!!殺してくれる!!」

 

 最初からずっとおかしかったんだ。

 

 あの神聖魔導国から戻ってきたときから、皆あのアンデッドを崇拝し、神だと言っていた。

 

 そもそも自分が聖王国を離れたのが間違いだった。

 

 きっとそのタイミングで皆殺され、あの黄色い化け物に入れ替わってしまったんだろう。

 

 しかし、神王の邪悪な計略もここまでだ。

 

 ――ああ、カルカ。ケラルト。早く本当のお前たちに会いたい。

 

「死ねえええぇぇぇえええ!!」

 

 レメディオスは二人に向かって奪い取った槍を振りかぶった。

 しかし、槍は偽物の二人に届くことなく金属のぶつかり合う激しい音が響き、止められた。

 そこには見たこともない男が立っていた。

「おやおや、危ないですよ。聖王女殿にケラルト殿」

 その男は赤い南方の衣装に身を包み、耳はツンと尖り尾が生えていた。

 亜人だ。

「デ、デミウルゴス様…………申し訳ありません……」

「いえいえ。昨日はアインズ様がお目覚めになった素晴らしい日です。貴女たちが傷付けられてはアインズ様も嘆かれますからね」

 デミウルゴスと呼ばれた男は優しげにカルカの形をした者に微笑むと、レメディオスにコツリコツリと靴音を鳴らしながら近付いてくる。

「な、なんだ!!貴様は何者だ!!そこを退け!!私はそいつらを何としても殺さねばならない!!」

 

 ヒッとケラルトを真似た異形が声を上げる。

「く……どこまでも似せおって忌々しい……!」

「私はデミウルゴスと申します。この聖王国を神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下より守護を仰せつかっている者です。さぁ、あなたは牢に戻りなさい。これ以上罪を犯してはフラミー様のお顔にも泥を塗ることになります」

 レメディオスはこいつも共犯かと更に視線を強める。

「貴様もか……!!貴様も殺してくれる!!」

 デミウルゴスは繰り出された槍を避け、レメディオスの両腕を掴んで牢にバンとその身を打ち立てた。

 そして、レメディオスの耳元で甘い甘い言葉を囁く。

 

「王兄何て最初から死んでたんですよ。よく気付きましたね。ご褒美をあげましょうか」

 

 レメディオスは目の前が真っ白になった。

 バチバチと白い電流が弾けたような気がする。

「うわぁぁああ!!殺す!殺す!!殺してやる!!」

 暴れるレメディオスを、デミウルゴスは抑えつけながら後ろに叫んだ。

「み、皆さんカストディオ殿は興奮状態です!!早く何か拘束具を!!ここは私が抑えておきますから早く!!」

 

 聖王女とケラルトは目にいっぱいの涙を溜めて頷くと、グスターボと共に聖騎士達に拘束具を取りに行くよう指示を飛ばし始めた。

 

「ふふふ。貴女は至高の二柱に無礼を働いた罪を償うんですよ。もし貴女が自死するような事があればこの国の残る人間は皆殺しです。いいですね」

 

 デミウルゴスの優しい忠告にレメディオスは咆哮した。

 聖騎士達の駆け回る影が松明に揺れて塔の壁を怪しく踊っていた。




ふーこれでちゃんとレメディオスを外に出してあげられました〜〜(すっとぼけ

次回 #69 閑話 私の名前
70まで閑話したら竜王国行きます!


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#69 閑話 私の名前

 アインズは目覚めて数時間、優しい気持ちで子供達を見守っていた。

 セバスもエ・ランテルから戻って来て、まるで影のようにぴたりとアインズの斜め後ろから離れようとしない。

 シャルティアとアルベドはアインズの左右に座って腕を抱いてスリスリと顔を擦り付け続けていた。

 パンドラズアクターは床に座りアインズの足の間に背を預けて何か本を読み始めているし、コキュートスと双子は正面に座ってアインズを眺めながら楽しそうに話している。

 フラミーは1人掛けソファに腰掛け食事を取り始め、その向かいに座るデミウルゴスは書類を眺めている。

 ツアーはフラミーの後ろに立ち、フラミーとたまに小声で何かを話し合っていた。

 

 フラミーが食事を済ませたタイミングでアインズはついに口を開いた。

「………お前らそろそろいいんじゃないか?」

 アインズは妙に人口密度の高いこの空間に飽きてきていた。

 いや、飽きて来たと言うよりも暑苦しくなってきていた。

 しかし、そうですねと返事をするものは誰もいない。

 アインズは初めて守護者に無視された。

 

 するとフラミーが手を合わせて頭を軽く下げながら言った。

「ご馳走様でした。――さて、じゃあ私はそろそろ行こっかなぁ!まだ今日の執務もありますし。」

「へ?フラミーさん執務やってるんですか?」

 フラミーにはこれまでナザリックの運営に関わらせて来なかった。働きたいと言われても断って来たのだ。

 故に、フラミーの決まっている仕事は三つだけだ。

 朝は第六階層の可愛らしい仔山羊達と双子と遊ぶ。

 日によって神都大聖堂の写真を撮りに行く。

 アインズと喋る。

 以上だった。

 後は小学校中退故に勉強をすると最古図書館(アッシュールバニパル)に籠ったり、彼女なりに忙しく過ごしていた。

 アインズは伸び伸びとこの世界で生きているフラミーを見守るのが――幸せそうにしているギルメンを見守るのが心底癒しだった。

 一度も一緒に働いて欲しいと思ったことはなかった。

 守護者が至高の御身はいてくれるだけでいいと言う気持ちが、アインズにはよくわかる。もちろんよく分からない事を質問されるのが辛いと言うのもあるにはあったが。

 

 フラミーは照れ臭そうに笑うと両手の指先をチョンチョンと触れさせた。

「ははは、アインズさんが一日にこなす十分の一もできてないです。」

 よく見ればフラミーの首にはうっすらと見慣れない傷跡があった。

「良いんですよ。じゃあ後は俺が引き継ぎますから。」

 するとデミウルゴスが書類から目を上げた。

「アインズ様。評議国の案件はフラミー様がご担当されると仰っておりまして、今の所責任者としてフラミー様を据えております。切り替えますか?」

「そうだったか。私が眠っていた間滞ってしまってはいけないからな。今後は――。」

「あの、私!」アインズの言葉を遮ったフラミーは手を挙げ、真剣な顔をしていた。「私、やります。アインズさんのこと手伝います。」

「…何度も言ってますけど、俺は別にフラミーさんにやってもらわなくても全然平気ですよ?」

 アインズがそう言うと、フラミーは切なそうな目でそれを見た。

「そんな寂しい事、お願いですから…言わないで下さい。私、もうちゃんとできますから…。」

 アインズの左右の女子と双子がうんうんと頷いている。

「ふらみ…はは…。」

 濡れるような睫毛を前に、なんとなく照れ臭くなったアインズは何を言えばいいのか分からなかった。

 

「…それでは、フラミー様が今後も評議国を持つ、と言うことで変わりなく進めさせて頂きます。」

「あぁ。そうしてくれ。」

 アインズはぽかぽかと温まる胸に心地良さを感じていた。

 デミウルゴスは頭を下げ、読み終わったのかそれまで手元にあった書類を自分の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまった。

「それではフラミー様、参りましょう。」

 デミウルゴスが立ち上がる。

 

「ん?アルベド、お前じゃないのか。」

 アインズが自分の傍に視線を向けると、アインズに寄り掛かりその骨の指で遊んでいたアルベドがアインズを見上げた。

「アインズ様。フラミー様にはあの男が四日前から付いております。」

 吐息がかかるんじゃないかと言う距離で話すアルベドに僅かにどきりとする。

 もう少しこの瞳を見ていようかと思うと、フラミーはさっと立ち上がり、扉の前でそれを開けようと待っていたデミウルゴスを追った。

 何故かツアーもそちらへ歩き出し、三人は出て行った。

 

「…私も行くかな。フラミーさんは初めての仕事に戸惑っているだろう。」

 アインズはアルベドとシャルティアから腕を引き抜くと、足下で床に座って本を読むパンドラズ・アクターを両手で退いて退いてと軽くポンポン押した。

「ほら、パンドラズ・アクター。」

「しかし父上…。」

 もう少しと見上げる可愛くない可愛い息子の頭を帽子の上からくしゃりと一度撫でた。

「退きなさい。」

「…かしこまりました。」

 パンドラズ・アクターは渋々頷くと立ち上がり、セバスの横に控えた。

 アインズは漸く腰を上げると、シャルティアがアインズの手を取り引き留めた。

「アインズ様?あの男…デミウルゴスを叱ってくんなまし」

 アインズは特別仲が悪いはずでもないシャルティアの突然の提案に首をひねった。なんと言ってもペロロンチーノとウルベルト、アインズの三人はかつて無課金同盟と言うものを組み――ペロロンチーノの裏切り課金によってなくなったが――創造主同士も相当に仲が良かった。三人でよくバカをやった事は今も昨日のことのように思い出せる。

「何故だ?あれは良くやっているだろう。」

「あれは毎夜毎夜執務の終わったフラミー様のお部屋で一時間、人払いをして何かやってるんでありんすよ。」

「は?ここ四日間か?」

 アインズはシャルティアに体ごと向き直ると、アルベドが頬を膨らませていた。

「そうですわアインズ様。あれは取り込み中とか言って来客の一切を断って、アインズ様が眠っているのをいいことにフラミー様とあんなことや、こぉんなことをしてるんです!私がフラミー様にお情けを頂こうとしたのを邪魔したくせに!!」

 キーとハンカチを噛むアルベドに、それは正解だと思いながら、何となく気持ちが焦る。

「と、兎に角話を聞いてくる。さっきも言ったがお前たちは好きなだけここにいなさい。」

 そう言うとアインズも足早に部屋を出て行った。

 背中には「はーい」と揃った返事をする愛らしい子供達の声が降り注いだ。

 

+

 

 フラミーは部屋につくと、ここ数日定位置になり始めたデスクに座った。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。君も来ることはなかったんだけどね。」

 デミウルゴスは忌々しげに鎧を眺めた。

「僕はあのアルベド君が苦手なんだよ。まぁ、別に君も好きではないけどね。」

「それはどうも。」

 少しピリピリとする二人を無視してフラミーは自分のノートとペンを取り出した。

 ツアーは世界も国も破壊すると言ったアルベドが心底苦手だった。

「さーて、続きでもやりますかぁ。」

 デミウルゴスはフラミーのその声に頭を下げ、先程までもう一度隅々まで確認をし、問題がなかった評議国の属国化に伴い同時にスタートする計画の書類をフラミーの机に置いた。

「かしこまりました。この竜はこのままでよろしいですか?」

 フラミーは頷いて苦笑する。

「はい、ツアーさんの国のことでもありますしね。」

「助かるよフラミー。」

「別にアルベドが嫌いならもう巣穴に帰れば良いだけの話ですがね。」

 ツアーもそれはそうだと思うが、アインズが起きたと言うのに未だに自分を責めているように見えるフラミーが心配だった。

 

「フラミー、君は何を考えているんだい?」

「…進まないお仕事について考えてます…。」

 フラミーは、ひーんと鳴き声を上げながらデミウルゴスに出された書類を見始めた。

「そうじゃない。君は――。」

 ノックもなしにガチャリと扉が開く音に、鎧と悪魔は振り返った。

「フラミーさん、俺もいいですか?」

 顔をひょこりと覗かせる愛らしい支配者にフラミーは手を振った。

「良いですよー!でもアルベドさん放っておいていいんですか?なんかアインズさんの子種が欲しいってここの所ずっと言ってましたよ。」

 書類に視線を戻しながらクスクス笑うフラミーにアインズは子種なんかねーよ!と心の中で突っ込む。

「…そうですか、はぁ。皆こんな体の俺から何が出ると思ってるんでしょうね。」

 執務机の周りはツアーとデミウルゴスがいる為少し離れたソファにどっこらせとアインズは座った。

 

 デミウルゴスは体ごと振り返りアインズに尋ねる。

「そう言えば、それこそアインズ様は出したり仕舞ったり出来るのでは?」

 フラミーが書類越しにジッとアインズを眺めているのを感じた。熱い視線だった。

「…デミウルゴス、お前は余計なことを言うな…。」

 叡智の悪魔は素晴らしい思いつきを叱られ頭をさっと下げた。

 フラミーは机の書類とペンを持つとアインズの正面のソファに移動した。

「デミウルゴスさんとツアーさんもどうぞ。気兼ねなく座って下さい。」

 ツアーは自分の質問を遮られた事に溜息をついてフラミーの隣に座った。

 デミウルゴスは一人掛けソファに座りながら、ツアーをじっとり睨んでいた。

 アインズもなんだか妙に距離が近いなと思いながら鎧とフラミーを眺める。

 フラミーはこの一週間毎晩その顔の脇に座って寄りかかって話しているので何の違和感もなかった。

 ツアーも当然別に何も感じない。

 ぐずるようなフラミーが竜の顔に顔を擦り付けてすごす夜もあった。

「フラミー、君はアインズが起きた今何をそんなに悩んでいるんだい。」

 フラミーは再び目を通そうとした書類を膝の上に置くと、目を閉じて鎧に寄りかかった。

 いつも大きいトカゲにしているように。

「ツアーさん…どうしてそんな事今言うんですか…。」

 アインズとデミウルゴスは目を合わせた。

「んん。フラミーさん、何か悩んでるんですか。」

 その声にフラミーはちらりとアインズを見るが再び書類を顔の前に上げて読み始めた。

 

(始原の魔法なんかいらなかった…。)

 フラミーは心底後悔していた。

 自分が言い出したそれはアインズの体を蝕んでいる様に見えた。

 アインズはさっきも体の中を力が暴れ回っているようだと言っていた。

 世界の理を書き換えようとしたフラミーの罪を糾弾するが如くアインズが眠り始めたあの日、ツアーの使いはフラミー一人を連れてツアーの家に行った。

 守護者はアインズをパンドラズ・アクターに任せ、フラミーと共に行くと食い下がったが、フラミーも使いもそれを良しとはしなかった。

 アインズが目覚めた今日、ツアーは属国化案の確認に来ただけではなかった。

 始原の魔法を失った竜は、「このぷれいやーが目覚めない様な事があれば次の百年の揺り返しに邪悪なものが現れた時、世界が耐えきれない」と、アインズの具合を見に来ていたのだ。

 ツアーはアインズの眠りを見ると、ユグドラシルの法則を一部外れた為と、始原の力をその身に最適化する為に起きている事ではないかとフラミーの部屋で話した。そして、始原の魔法は魂で行う魔法だから、魂の書き換えでもある――と。

 

「…フラミーさん?」

 フラミーは再び自分を呼ぶ声に視線をあげると、書類を置いて黙って立ち上がり、デミウルゴスの前を通ってアインズの隣に座った。

 膝と膝が触れ合う距離で、フラミーはアインズの太ももに置かれた片手の上に、その両手を優しく重ねた。

「フラミーさん…。」

 アインズはそれしか言っていない気がする。

 下を向きながらフラミーは小さな声で語り出した。

「私、怖いんです…。アインズさんが眠りだしてからずっと…。」

 自分の手の上に重なるフラミーのぬくもりにアインズは手の平を返して指の間に指を絡ませ握った。

「俺はもう起きましたよ。大丈夫です。」

 その目に溜まり始めた涙に止まれ止まれと念じながらアインズは優しく話した。

 フラミーの頬に手を当て親指でその頬をさする。

 強く握り返されるその手は震えているようだった。

「でもまたアインズさんは眠っちゃうかもしれない。そうなったら私、皆のために精一杯頑張るけど、だけど…だけど……。」

 顔に触れるアインズの手の上に、繋いでいない手を重ねるとフラミーは涙を零し始めた。

 アインズはフラミーが執務を行う理由に思い至った。

「全部私が悪いんです…。アインズさんが言ったように、何も相談しないで、勝手なことしようとしたせいで…。」

 フラミーはこれ以上涙をこぼすまいとゆっくり話したが、気付けばしゃくりあげていた。

「私のせいでっ…っひぅ…。アインズさんがまた眠りに落ちたりしたらっ…私のせいでっ…アインズさんの体が悪くなってたらっ…!アインズさんにも皆にも…なんて謝ればいいか分かんないですよぉっ。」

 ボロボロと涙を落としながら語るそれは懺悔だった。

「フラミーさん……。」「フラミー様…。」

「フラミー、やめるんだ。そう言う思いからぷれいやーは身を破滅させるといつも言っているだろう。」

 鎧は困ったなと言う具合に腕を組んだ。

 いつも、と言う程そんなにフラミーはツアーに会いに行っているんだろうか。

 それは危険だとアインズは思う。

 鎧に大した力はもう無くても、本体は魔法を失っただけで強大な竜だ。

「ツアーは少し黙ってろ。フラミーさん、貴女がしようとした事は早計だったかも知れないですけど、俺はなんとも無いですし、すぐにこの力を手に入れて良かったってきっと貴女も思います。それに俺自身がこの力を奪ったんですから。」

 アインズはフラミーの顔を両手で挟むと、上を向かせた。

 涙で顔と瞳は濡れて、髪の毛が少し顔に張り付く様は妙に艶めかしかった。

「俺は二度と眠りません。決して死にません。ナザリックを離れません。貴女との約束も破りません。一緒にここで生きていきます。」

 一息に言うと、アインズは何処からか湧いてくる謎の邪念をダメだダメだと振り払った。

「鈴木さんっ…約束ですよぉっ…。」

 フラミーはアインズの首に手を回してヒックと背中を震わせた。

 それをポンポン叩いて妹のような親友のような家族のような――もっと違う何かのような不思議なその人が落ち着くのを待つ。

 聖王国でその名を教えて良かったとアインズは思う。

 自分はきっとこの人にしかその名前をもう呼ばれることはないから。

「死なないで…ここにいて…。」

 フラミーは呼吸のように小さな声でそう言って泣くのにアインズは頷いて応えた。

 しばらくすると落ち着いたのかアインズから顔を離して静かに告げた。

「アインズさん…私の本当の名前を教えます…。」

 アインズは頷いた。

 デミウルゴスがそんな物があるのかと瞳を開いている。

 

 フラミーはアインズの耳元に再び顔を寄せると、小さな小さな声で言った。

「わたしは、村瀬文香。」

 アインズも確かめるようにその名前を小さな声で繰り返した。

「むらせふみか…むらふみ…フラミー…もしかして安直ネームですか…?」

 顔をアインズから離すと頷いた。

「ふふ、安直ネームです。」

 目尻にまだ涙が浮かぶフラミーはにこりと笑ってソファの上で大きく伸びると、アインズから少し離れて座り直した。

「はぁ…。スッキリしたから働きますかぁ。」

 いつもの後腐れのないその様子にアインズは心底安心した。

「手伝いますよ。なぁデミウルゴス。」

「もちろんでございます。」

「この一週間の僕の苦労はなんだったんだ。」

 不機嫌なツアーにアインズもデミウルゴスもざまぁみろと思ったのだった。




アーラアラフさんの名前に近すぎず、遠すぎない名前ないかなーと
フラミーと名付けてしまったせいで本名考えたことなかったですね〜。(聖剣伝説の二対の翼を持つ神獣
富良野美希 と 村瀬文香で悩みました。
ちょっと富良野さんはふらみ丸出しかと…笑
あまりにも丸出しで富良野さんって真剣なお話の中で出てきたらなんか笑っちゃいそうですよね?
村瀬で行きます!

アインズ様ヒロインルートに突入しました!

次回 #70 閑話 支配者達の勉強会
次回で閑話はおしまいで竜王国編にいきます!


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#70 閑話 支配者たちの勉強会

 すっきり顔のフラミーは軽く腰を浮かせ身を乗り出してツアーの前に置き去りにした書類を取り、大量の謎の数字とグラフが並ぶ書類を広げた。

 そして闇に手を突っ込むと触りすぎてヘニャヘニャになり年季が入り始めた大学ノートを取り出した。

 ノートのページをパラパラとめくって行き、目当てのところを開いてテーブルに置く。

 びっしりと何やら説明が書かれていると思われる見慣れた執務書類を手にして、よーし!と気合を入れた。

 アインズは想像以上にしっかり仕事をしている様子に驚いた。

 

 どんな案件なんだろうと横からフラミーの手元を覗き見る。

「エ・ランテル市からアーグランド評議国への直通街道計画…と…それに伴う通過地点・王国保有村等へのストック効果及びフロー効果………。」

 アインズは読まなければよかったと思った。デミウルゴスがうんうんと頷いている。

(ストック効果って…フロー効果ってなんなんだ……。)

 そう思ったのはアインズか、フラミーか。

 

 しかし、何でもないと言うような軽快な声が響いた。

「あぁ。それね。楽しみだよ。転移魔法を覚えるまではきっと僕もそれを通ってエ・ランテルに行くことになる。何で許可が下りないんだい?」

 ツアーは知っている計画らしく、フラミーとデミウルゴスを交互に見た。

 アインズはもしかしてこの竜は意外と使えるんじゃないかと思った。砕けた言葉を話すこれにあとでうまく説明させようと決めた。

 デミウルゴスは軽く一人掛けソファを引くと話し出した。

「まさに今許可が下りるところだよ。ツァインドルクス=ヴァイシオン。」

「それは嬉しいね。僕も向こうで貰った概要を見たけれど、積算価格が想像よりずっと良い数字を出していて驚いたよ。」

「そうでしょう。アンデッドを用いる利点が最も出るのがこう言った都市計画とアグリ事業だからね。」

 謎の言葉で話し始めた二人に、フラミーは困ったように書類から視線を上げた。

「あ、あの、デミウルゴスさん…ちょっと難しいです。」

「失礼いたしました。どちらをご説明致しましょう。」

 デミウルゴスがフラミーの方を向いて書類を覗こうとすると、ツアーがフラミーの目を通していない書類をその手から抜き取った。

 デミウルゴスが不敬だと言う声が響いたがツアーは無視した。

「――これはぷれいやーの文字か。僕には読めないようだ。フラミー、ちゃんと区間ごとに関所を設ければ神聖魔導国も亜人やアンデッドが居るんだから何も難しくないだろう?」

 ツアーはそう言うとぺらりとフラミーに書類を返した。

 フラミーは救いを求めるようにアインズとデミウルゴスを見た。

「んん。フラミー様は書類に書かれている言葉がうまく頭に入って来ないそうなのでこうしてお手伝いしながらやっているんだよ。あまり御身を急かさないでくれるかな。」

 フラミーは恥ずかしそうに自分の頭に手を当て、へへへと笑っている。

 

「これは…――」アインズはゴクリと喉を鳴らすような気持ちで続ける。「これは…もしや執務兼勉強会なのかな……?」

「その通りでございます。」

 デミウルゴスの返事にツアーはそろそろ勉強の時間だからと帰って行くフラミーの姿を思い出した。

「そうか、そうか。……それは実に面白そうな会だな?デミウルゴスよ。」

「はい。大変やり甲斐がございます。」

「この一週間ずっとやっているのかな…?」

「いえ。アルベドから秘書業務を引き継いだ四日前より始めました。」

 アインズは背中が汗でびしょびしょになるんじゃないかと思う気持ちでデミウルゴスに尋ねる。

「なるほどな…。これからは私も執務のない時に参加しても…?」

 デミウルゴスは顎に少し手を当てると、すぐさま頷いた。

「そう言うことですか。たしかに御身がフラミー様にお教えになった方が確実でしょう。」

 一番まずい展開だった。

「ち、違う!いや、お前の理解がどこまで深まっているのか、そしてどれだけ教える能力があるのか確かめたいのだ。わかるな。」

「なるほど。それではこのデミウルゴス、御身にご納得頂けるように精一杯務めさせて頂きます!」

 試練に燃えるような瞳を見せてから頭を下げる守護者に安堵のため息をつきそうになる。

「よし。私はこの先、お前を試すために初歩的な質問をするだろう。赤ん坊に戻った気持ちでお前の教えを受ける。良いな。」

「畏まりました。フラミー様もよろしいでしょうか。」

「もちろんです。でも、アインズさん起きたばっかりなのに良いんですか?」

 見上げるフラミーにアインズはもちろんと頷き、フラミーの前に広がるノートをとり目を通した。

「……フラミーさん、よく勉強してますね…。」

「え?えへへ。そうでしょうか。アインズさんのレベルにはまだまだ程遠いですけど。」

 照れ臭そうに笑うフラミーに、アインズは胃が痛くなった。

 

+

 

「本日は以上です。お疲れ様でしたフラミー様。」

「あ…ありがとうございました…。」

 青くなった新しい友人にツアーは笑いながら声をかけた。

「君は苦労人だねフラミー。確かに考えてみたら神様が書類を見る姿なんて少しも想像できない。世界創造に税金もないだろう。納得したよ、ははは。」

 フラミーは恨めしそうにそれを見るとプイと顔を逸らした。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。君ははっきり言って先程から不敬にも程がある。」

 デミウルゴスの不愉快そうな声に、ツアーはこれは失礼、と一言言うと笑うのをやめた。

「それにしても…午前中に属国化案の確認をしていた時も思っていたけれど、デミウルゴス君は実に賢いようだね。アインズのようだ。」

 その言葉はデミウルゴスとアインズを一瞬惚けさせた。

 ツアーはこの勉強会を見ながら、アインズがどう言う人物なのか改めてわかった気がしていた。

 フラミーがわからないであろうタイミングで的確な質問を飛ばし、フラミーの理解を深めさせようとデミウルゴスを手伝っているアインズの姿に心底感心していた。

 何が解らないかも解らないような状態のフラミーの解らない事を指摘するのは至難の技だ。

 デミウルゴスもそれに気付いているのか軽く自嘲している。

 確かにデミウルゴスはアインズ程賢くないかもしれない。

「…いえ。私はアインズ様の足下にも及ばぬ愚者ですよ。今夜もアインズ様が手伝って下さったお陰で、フラミー様はいつもよりも多く学ばれたご様子でした。」

 そう言いながら机の上の書類を回収し、自分の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にすっかりしまった。

「それでは本日はこれにて私はお暇致します。」

 デミウルゴスは恭しく頭を下げ立ち上がった。

 フラミーと二人で過ごす四日は甘く幸せだったが、やはり慈悲深き支配者が目覚めて共にいてくれると言うのは格別だった。

「あぁ。また明日も頼むぞデミウルゴス。」

「お任せください。明日は聖王国へ出張に行った後にでも。ツァインドルクス=ヴァイシオン、君もそろそろ帰ったらどうだね?」

 ツアーも頷き立ち上がる。

「それもそうだね。今日は中々面白かったよ。それじゃあまた。」

 フラミーが慌てて立ち上がり転移門(ゲート)を開く。

 

「あ、待てツアー。」

 闇をくぐりかけた鎧は足を止めた。

「なんだい?」

「私も一度お前の家を見てみてもいいか?」

 デミウルゴスは立ったままその様子を見た。

「……悪いけど、アインズはぎるど武器を壊しそうだから断るよ。」

 それを聞くとアインズはため息をついた。

「…そうか。しかし、私はギルド武器を壊さないぞ。壊す必要があるのはフラミーさんだからな。」

「…フラミーがギルド武器に目もくれなくて良かったよ。」

「ははは、私はそれどころじゃなかったですもん。」

「そうかい。じゃ、僕はこれで。フラミーまた何か困ったらいつでも来るといいよ。君の存在はアインズを孤独にしない為にも必要だ。」

 ツアーは力を奪われた今、百年ごとに訪れる揺り返しのためにもアインズを守るしかないと思っていた。

 手を振るフラミーと、不愉快そうな骸骨と悪魔に背を向け、ツアーは帰って行った。

 

 その後メイドとアサシンズ以外誰もいなくなった部屋で、アインズは正面に座り直したフラミーに深々と頭を下げた。

 

「フラミーさん…これから寝るときノート貸してください…!」

 

 アインズはこれまでよくわからなかったが聞けずにいた事たちが次々と解けていく感覚に歓喜していた。

 

 その後アインズはフラミーが寝る時には、一日フラミーが学んだノートを写したり読み返したりし、少しづつ賢くなって行くとか、行かないとか――。




若干消化話感ありましたね!
新章前に70話で終わらせたくて( ̄∇ ̄)ははは

次回 #1 僕も連れて行け
やっと新章だぁ(*゚∀゚*)テンポよくいきたい所ですね
ここから先はアンケートの結果を書くために恋愛重視で頑張ります!!

そして現在の神聖魔導国の状況です!

【挿絵表示】

ユズリハ様いつもありがとうございます!


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試される竜王国
#1 僕も連れて行け


 ツアーは視界を確認するくらいしか出来ない鎧の操作にため息をついた。

 この世界のどこにそれがあるのか感じることができない位階魔法を、ツアーは形だけの魔法だと思っていた。

 真なる魔法、始原の魔法とはやはり違う。

 

「おいツアー。お前聞いてるのか?」

 イビルアイの不愉快気な声にツアーは目を開いた。

「ん?ああ。聞いているとも。」

 リグリットと模擬戦を行う鎧を動かしながらもう何度聞いたか分からない話に片耳だけ向ける。

「そうか?まぁいい。それでな、陛下方はその時も仰っていたんだ。自然を守るというのは植物という命を守る事なんだろう。ああ、なんて慈悲深いお方々なんだ!特に神王陛下は素晴らしい…ああ…陛下…。」

 イビルアイの言葉にツアーはやれやれと鎧を止め、リグリットを見る。

「…まぁ、そういう訳じゃな。しかしツアー、お主鎧を動かすのも随分上達したのう。」

「まぁね。流石にあれから二週間だから。」

 鎧の手をパンパンと払うと、鎧越しに二人に頼む。

「そう言えば君達、アインズかフラミーに一本伝言(メッセージ)を送ってくれないかな?」

 

「「はぁ?」」

 

 二人の心底何を言っているんだと言う声にツアーは少しだけ気分を悪くする。

「なんだい。僕はまだ伝言(メッセージ)を使えないんだから仕方ないだろう。」

 鎧が腰に手を当てる様子を見た二人は顔を見合わせた。

「なぁツアー。お前陛下方に手を上げた事を忘れたのか?それをいくら従属したからって伝言(メッセージ)を送るってのは…。」

「…それは悪かったと言っているだろう。それにアインズがもう僕を許したと言ったんだ。神様に二言はないはずさ。」

 二人は悩んだが、リグリットが口を開いた。

「陛下が良いと言うなら良いんじゃがな…。しかし陛下方がどれだけの距離にいらっしゃるかまるで解らないからのう。遠ければ音声も乱れるだろうし…そもそも繋がるのか…。」

「フラミーはここに来た時には普通に伝言(メッセージ)でナザリックと呼ばれる場所へ連絡を取っていたよ。」

 ツアーの発言に二人はすっかり呆れ返ってため息をついた。

「陛下方のお力で出来ても、私達にできない事は数えきれんぞツアー…。」

「後は転移魔法を覚えるかだのう。作られ始めた新街道の関所のポイントポイントで飛んでエ・ランテルに行けるようになれば神殿で謁見を申し込めるじゃろう。」

「…じゃあ、今度は転移魔法を教えてくれるかな。明日には飛べるだろうか。」

 このドラゴンは割と位階魔法を舐めている。

「そんな訳ないだろう…。急ぐならとりあえず手紙を出せ。フロスト便が評議国も始まったんだろ?」

「あぁ……そうだったね。」

 ツアーは若僧(オラサーダルク)の身内のことを思い出した。

 

+

 

 神都には竜王国より連日助けを求める書状が届いていた。

 それは最後は何でも差し出すとでも言わんばかりになっていて、アインズは国内の滞っていた仕事を何とか片付け終わった今日、出発の準備を行っていた。

 それがなくてもアインズは冒険にいこうと思っていたが、助けを求められて行くに越したことはない。

 

 アインズの執務室にはフラミーとシャルティア、デミウルゴスが訪れていた。

 跪くシャルティアは再び訪れたこの機会で絶対に他の守護者をあっと言わせる成果を上げて見せると燃えに燃えていた。

「それにしてもデミウルゴス。またおんしでありんすの。」

 ちらりとデミウルゴスを見る目はすっかり邪魔者扱いだ。

「私は御方にお呼び頂ければどこにでもどこまでも行くとも。」

 アインズとフラミーは聖王国の時の反省を生かして知恵者を一人は連れて行こうと決めていた。

 アルベドの近頃のアインズへの迫り方は激しく、ここで更にシャルティアとセットになるとアインズが疲れる為に相変わらずナザリックの運営を任された。

 フラミーはあまり外に出られないパンドラズアクターを推したが、やはりこちらもアインズが、いつでも父上と呼ぶようになった可愛らしい息子と共に何日も過ごすことを嫌がった。

 

「…とにかく漆黒聖典の準備が済み次第カッツェ穀倉地帯の端に転移門(ゲート)で向かうぞ。お前達準備は万全だろうな?」

「「は!!」」

 守護者二名の返事が部屋に気持ちよく響く――と、セバスが入室許可を求めて来た。

 当然のようにアインズは入室を許可すると、入ってきたセバスの手の中には一通の手紙があった。

「アインズ様、ツァインドルクス=ヴァイシオンよりアインズ様宛に手紙が。」

「ツアーから?何だあいつ。今度は文通しようとでも言うのか?」

 許しはしたが、当然未だ好きになりきれない竜からの手紙を受け取り、アインズはペーパーナイフを机から取り出すと慣れた手つきで封を切って開けた。

「ツアーさん、なんですって?」

 フラミーが寄ってきてそれを覗き込むと、アインズが手紙を開き二人は目を見合わせた。

 

「「よめない…。」」

 

 自分達の声の重なりに支配者達は軽く笑い声を上げた。

「こ、これは失礼いたしました。」

 セバスは慌ててアインズから預かっていた魔法のモノクルを渡した。

 アインズはゴホンと咳払いをして読み上げる。

「あー何々?竜王国に行くときは僕も連れて行け…?全くこいつは仕方ないやつだな。えードラウディロンの曾祖父である七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)と面識がある。…それが子孫の為に作っていた…始原の魔法を抑制する腕輪は…世界のために君が持つと良い……ツァインドルクス=ヴァイシオン……。」

 まるでこの世界の物は殆ど自分の思い通りになるとでも言うような雰囲気が伝わってくる手紙に、アインズは溜息をついた。

 

「あのトカゲ。アインズ様のお力を抑えようなんて生意気にも程がありんすね。やはり殺してしまうのが一番かと思いんす。」

「シャルティアの言う通りですね。」

 シャルティアとデミウルゴスがうんうんと頷く姿に、アインズは告げた。

「始原の魔法でのアイテム製作が未だ成功していない事を思うと、この腕輪は確認のためにも手に入れておいても良いかもしれん。」

 アインズは目覚めてから、手始めにアイテム作成を試してみようとしたが――どんな材料があればそれが出来るのか、またどの魔法で出来るのか、いまいちピンと来なかった。

 出来れば色々作ってみたいとは思っているが、あのツアーが戦力増強に繋がるアイテム作成について口を割るとはとても思えなかった。

 

「おぉ!まさにその通りでありんす!」

「さすがはアインズ様。素晴らしいお考えです!」

「………お前らちょっと黙れ。」

 あまりにも熱い手のひら返しにアインズは苦笑した。

 

 その様子を見ていたフラミーがすぐ隣で口を開いた。

「じゃあ、腕輪の回収と、女王様のひいお祖父さんに会いに行きますか?」

「そうですね。そうしたいところです。ツアーも連れて行くかぁ。」

 頷くとフラミーは突然転移門(ゲート)を開いた。

「じゃ、私ツアーさん呼びに行ってきます!」

「え!?フラミーさん!行っちゃダメだって――!」

 フラミーは転移門(ゲート)に入って行くとすぐにそれを閉じた。

「ダメだって言ってんのに…。」

 止めようと伸ばした腕は宙ぶらりんになった。

 伝言(メッセージ)を送り、開いた転移門(ゲート)を潜らせれば済むだけの話だと言うのに、フラミーは迎えに行ってしまった。

 未だにアインズはツアーの真実の姿を見たことはないが、フラミーの話を聞くとやはりその竜はボスクラスだった。

 心底一人でそんな所には行かないでほしいと、腰を半分ソファから浮かした体勢のまま思った。

 

 シャルティアがアワアワしている横でデミウルゴスは目に手を当てて俯いていた。

「…デミウルゴス、お前には本当に苦労をかけたな…。」

 アインズはデミウルゴスが毎日胃を痛くしてフラミーの帰りを待っていたと話を聞いたとき、「うちの子が本当にすみません」と心底思った。

 

+

 

 ゴーレムの引く馬車は二台用意された。

 前を行く馬車はアインズがフラミーと二人で乗る予定だったがツアーも乗り、それを追うように走る馬車には守護者が二人で乗っていた。

先導するは漆黒聖典だ。

 

「君達の使う魔法は全くすごいね。」

 ツアーは関心しながら窓の外で働くアンデットと馬車の内装を興味深そうに眺めていた。

「アンデッドは素晴らしい労働力になるからな。燃料も食事もいらない上に疲労もしない。評議国にもいくらか貸したとアルベドに聞いたが、お前の所の亜人達は殆ど使いたがらないそうだな?」

「皆君を見た事がないからアンデッドが理性的なわけが無いと恐れているんだよ。今度パレードでもするかい?スヴェリアーは嫌がるだろうけど、必要なら竜王以外の永久評議員達から話を通すよ。」

「…それは…いい。…気長にやるか…。」

 アインズは呟くと瞳の灯火を消した。

「それはそうと、アインズ。ゲートの使い方を教えて欲しいんだよ。インベルンやリグリットの使う転移はその本人の身が転移してしまうことが解ってね。僕はゲートで鎧だけ移動させたいんだ。」

 ツアーはあまり教えるのがうまくないフラミーよりもアインズに聞きたかった。

 きっと物凄く教えるのもうまいだろうとあの日の勉強会以来思っていた。

 アインズはうーんと唸ると、首を左右に振った。

「悪いがそれはできない。今後お前が関所も通らず自由に神聖魔導国の出入りが出来るようになるのは流石に了承できん。」

「…そうか。それはそうだね。今は我慢するか。」

 ツアーは他に何か良い移動手段は無いものかと悩んだ。

 

 しばらく走るとその日のキャンプ地点に着いたようで馬車は止まった。

 竜王国にはカッツェ穀倉地帯から二日で行ける為、明日の夕刻には竜王国に入る。

 

 馬車の外から漆黒聖典隊長の声がかかった。

「神王陛下、光神陛下。粗末ではありますが夕食の準備が整いました。」

 アインズは食べる事はできないが、フラミーと共に降りる事にした。

「やっぱり魔法によらない移動って楽しいですね!」

 ウキウキと馬車を降りるフラミーの後を追って降りると、シャルティアとデミウルゴスが頭を下げて待っていた。

「お前たち偉いぞ。食事を取れる者はそうするべきだ。」

「は。畏れいります。…ツアーは如何なさいましたか?」

 デミウルゴスがチラリと馬車の中を見ると、隊長の後を歩きながらアインズは話し出した。

「あぁ。あいつも鎧を置いて向こうの体で食事らしい。ちょうど良い機会だからこの世界の美しさを教えてやろうと思ったのにな。」

「それは素敵でありんすねぇ!アインズ様。このシャルティアに是非世界の美しさをお教えくださいまし。」

 手を前に組んで淑やかに傍を歩き出した吸血鬼にアインズは微笑んだ。

「そうか?じゃあ、またお前に教えてやろう。」

 どんな話でも聞きたがるシャルティアを、アインズはクアゴア退治以来すっかり気に入っていた。

(キャンプにはシャルティアがいると盛り上がるなんて意外ですよ、ペロロンチーノさん。)

 焚き火の周りを漆黒聖典、守護者と囲むと、アインズは食事を取る面々をしばらく眺めた後空を見た。

 フラミーも食事をしながら空を見たり、たまに耳をすませて木々のざわめきを聞いているようだった。

 何度見ても美しいその空は、やはりキラキラと輝いて宝箱のようだった。

 

「全くツアーはこれが壊されても良いと思うなんてな。もったいないやつだよ。」

「陛下のお心は本当にお美しいのですね。」

 アインズの呟きに第五席次・一人師団のクアイエッセがうっとりと応えた。

「ははは。初めて言われたぞ。アンデッドに言うセリフか?」

 優しく心地いい声音に、漆黒聖典は辛く厳しい戦いが続いていたが竜王国の担当になっていて良かったと心底思った。

 その様子にシャルティアもほぅと甘いため息をついて食事の手を止めた。

「アインズ様こそ世界の美の結晶でありんす。御身の為にシャルティアは何でも捧げてみせんすぇ。」

「ふふ。何だか聞いたことがあるようなセリフだな。なぁ、デミウルゴスよ。」

 早々に食事を済ませていたデミウルゴスも穏やかに微笑み頷いた。

「はい。このデミウルゴス。アインズ様と交わした言葉は一言一句忘れたりはしません。」

「そうか。ふふ。世界征服なんて――」

 そこまで言うとアインズは体に電流が駆け巡ったかのように閃いた。

 ハッとしてフラミーを見ると、フラミーも同様だったのか食事中の手を止めて目を丸くしてアインズを見ていた。

 二人の視線の間には言葉が通った。

 

((あの時か!!))

 

 二人はいつの間にか始まっていた世界征服の計画の始まりがいつなのかずっと分かっていなかった。

 結果的に世界征服を行うことに二人とも納得していたが、初めてそれを聞いたときは一体いつ、何故、と二人で話し込んだものだった。

 

 ようやくスッキリした二人は顔を見合わせて笑い出した。

 アインズはすぐに鎮静されてはまた笑うという奇妙な様子だったが、皆穏やかな時間に浸ったのだった。




次回 #2 ドラウディロンの憂鬱

ドラウディロン来る!ドラウディロン来るよぉー!!


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#2 ドラウディロンの憂鬱

 夕暮れ時に竜王国に着くと、そこは人通りの少ない荒廃した町だった。

 前線に出されていない女子供は家の中で、今にも崩壊した戦線からビーストマンが流れ込んでくるのではと怯えていた。

 男は殆どいなくなり、徐々に女も減って行っている。

 そして皆一様に飢えているようだった。

「これは…。」

 聖王国と同じか、ずっと酷いようにも見えるその様子は旅行気分だったアインズとフラミーに過酷だった任務を思い出させた。

「アインズさん。今回デミウルゴスさん連れてきたのはきっと大正解ですよ…。」

「本当ですね。取り敢えず漆黒聖典が入城許可を取ったら、一度会議しましょう。」

 アインズとフラミーの何かを恐れるような態度にツアーは首を傾げた。

「ビーストマンなんて君達の前では蟻以下だろう?」

 その言葉にアインズとフラミーはやれやれと頭を振った。

「お前はまだ解っていない。恐るべきはビーストマンなんかじゃないさ。」

 ツアーはこの世界で最も力を持つアインズをして恐るべきと言わしめる謎の存在にわずかに身構えた。

 

+

 

 竜王国の城は国内の小高い丘の上に建っていた。

 かつては美しかったのだろうと思えるその城の庭は、暫く手入れがされていないのかボサボサと雑草が生え、噴水の水も止められ濁っている。

 城内も窓辺や調度品に所々埃が積もり、とてもそんなことには構っていられないとでも言うような切迫した空気を感じた。

 

「よくぞ参られた。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王殿。我が国の救援要請にお応えいただいた事、心より感謝する。」

 豊満な肉体を持つその女王は美しい脚をドレスから覗かせ、胸元のざっくりと開いたドレスを纏っており実に蠱惑的だった。

「あ、あぁ。ドラウディロン・オーリウクルス女王殿。お初にお目にかかる。」

 余程その脚と胸に自信があるのだろうかと思わされるその様子に、アインズは目のやり場に困った。

 

「うむ、まずは紹介しよう。これがうちの宰相だ。まぁ、こいつの名前なんぞ覚えんでもいい。」

 女王は隣に立っていた男をぶっきらぼうに紹介した。

 宰相は一瞬厳しい視線を女王に送ったが、すぐにアインズへ笑顔を向けた。

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。紹介の通り私はこの国で宰相を務めさせて頂いております。この度の貴国からの厚いご支援に竜王国全ての民が感謝しております。我が女王陛下はゴウン魔導王陛下の並々ならぬご支援に如何なるお礼(・・・・・・)でも差し上げると仰っております。ぜひ両国家の友好(・・)にお役立てください。そして、どうか再びのお力添えを。」

 チラリと女王を示しながらそう言う宰相に女王は目を閉じた。

 アインズはどんな物でもくれると言う目の前の宰相と女王への好感度を大きく上げた。

 少し成果を出して腕輪を見せてくれと頼み、様子によってはコレクターとして貰って帰りたい所だ。

「そうか。それは楽しみだな。」

 アインズの返事に女王は目を見開いて固まり、宰相はニコニコと嬉しそうだった。

 漆黒聖典、ツアー、デミウルゴスも呆然としていたが、アインズからは見えなかった。

「それとゴウン魔導王陛下では長かろう。我が国の者は皆私を神王と呼ぶ。君達もそうしてくれ。さて、それではこちらも我が国から共に来た者達を紹介しよう。漆黒聖典は既に知っているな。」

 女王は頷いた。

 

 ドラウディロンは法国にアンデッドの神が戻ったと聞いた時から、今後はもう法国は手助けをしてはくれないと思っていた。

 しかし、予想に反しそれまでよりも手厚く支援を行ってくれ、さらに何の見返りも求めない様子にその新しい王へいつも感謝していた。

 神聖魔導国から送られてきた番外席次を除いた漆黒聖典フルメンバーと、セラブレイト率いるアダマンタイト級冒険者チーム、クリスタル・ティアによって一時はその戦線は僅かに押し戻す程だった。

 だが幸運はそう長くは続かなかった。

 押し返されたことにビーストマンは危機感を持ったのか、これまでよりも大量の者が前線に投入されるようになった。

 そしてまた力が拮抗を始めたある日。

 忌々しい白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が神聖魔導国を襲ったという報が入ったのだ。

 その日から自国と王を守る必要があると漆黒聖典は一人残らず引き上げた。

 

 神王が目覚めた今、神王の元へ嫁ぐ事によって両国家の絆を永遠のものにし、恒久的な支援を竜王国へもたらす。

 一言で言えば政略結婚を申し入れる予定だった。

 最初に宰相がそれを確認すると言っていたが、魔導国はそれを良しとするようだった。

 

「まずは私の友人たるフラミーさんだ。君には私達の関係を正しく理解して貰いたいし、解ってもらえると信じてあえて最初に紹介する。」

 まるでその美しい女神が女王との間の障壁にはなり得ないとでも言うような物言いにドラウディロンは覚悟を決めなければいけないと思った。

「よろしくお願いします、フラミーです。」

 女神も当然納得済みらしい。

「そしてシャルティア。」

「ナザリック地下大墳墓が第一、第二、第三階層守護者。シャルティア・ブラッドフォールンでありんす。」

 豊満な胸だがまだ少女だ。守護者と言っているが恐らく寵姫だろう。

 女神は殆ど胸がないため関係を持たないのかと思わされる。

 神王は巨乳が好きなようだ。

 だとしたら宰相の狙いはピタリとあっている。

 そんなことをげんなりと考えていると神王が次の者を紹介した。

「デミウルゴス。」

「ナザリック地下大墳墓が第七階層守護者、デミウルゴスです。聖王国も私が管轄、守護しています。よろしくお願いします。」

 一瞬闇妖精(ダークエルフ)かと思いきや、その背の後ろには硬質そうなプレートに覆われた尾が生えていた。不思議な男は見たこともない亜人だった。

 ドラウディロンはどんなに良い王でもアンデッドよりもこう言う者が相手の方が良かったと泣きたくなる。

 しかし理知的な雰囲気だし、嫁いだ後にうまく助けになってくれるだろうか。

 

「これは非常に頭が回る。恐らく助けになるだろう。」

 

 まるで心を読まれたかのような返答に一瞬驚く。

「あ、あぁ…。ありがとう。ところで、デミウルゴス殿は何という種族の亜人なんだ?」

「デミウルゴスは悪魔だ。」

 何ともないというように告げられた神王の言に、ドラウディロンと宰相はヒッと声を上げた。

「あ、あくま…!?管轄が聖王国…ではこの者は…!?」

「あぁ。そう心配しないでくれ。これは私の友人が創造した者だ。普通のそこらへんの荒くれた悪魔とは丸っきり違う存在だし、当然貪食(グラトニー)とも別人だ。」

 ドラウディロンと宰相はあまりの話に目を剥いた。

 魔導国の身内であろう鎧を着込んだ戦士も「そうなのか」と声を漏らしていた。

「なん…だと…?召喚ではなく創造?神王殿のご友人は生命を生むことができるのか…?」

「私の創造主だけでなくアインズ様もそのお力をお持ちです。アインズ様のご創造された者はナザリックの――。」

「よせ、デミウルゴス。私の生んだ者の話はいい。」

「失礼いたしました。」

 ドラウディロンと宰相は目の前の者達の行う想像以上の話を、信じきることができなかった。

 それでも、後ろの漆黒聖典達はその通りだと言うような顔で頷いている。

 これが宗教か、とドラウディロンは一度その情報は置いておくことにした。

 

「…ではそちらの鎧の君はどこの守護者なんだね。」

 ドラウディロンは半ば投げやりに聞いた。

 どうせ宗教家達はまた創造だ守護だの何だのと言うのだ。

「いや。僕は守護神じゃないよ。アインズとフラミーを守るけどね。」

 妙に聞き覚えのある声にドラウディロンは目を細めた。

 それに神々を呼び捨てにする態度は神聖魔導国の者らしくなかった。一体何者なのか。

「…私は貴殿と会ったことがなかったかな…?」

 

「あるとも。ドラウディロン。僕は――ツァインドルクス=ヴァイシオンだ。」

 

 鎧がそう名乗るとドラウディロンはガタンと立ち上がった。

「な…な…!貴様!!よくもぬけぬけと私の前に姿を現わす事ができたな…!!」

 ドラウディロンの激昂とは裏腹に、鎧は飄々と返して来た。

「ん?何故だい?君が赤ん坊の頃から知っているけれど、僕たちの間に特別何かが起こったことはないと思うんだけれどね。」

 ドラウディロンはもう我慢できなかった。

「貴様が魔導国を襲ったせいで――!!」

 今にも掴みかかろうと歩みを進め出した女王を宰相は慌てて止めた。

「お、おやめください女王陛下!」

「離せ!!こいつ!!」

「――この!やめ!やめろ!!」

 宰相は女王の暴走に慣れっこだとでも言うように羽交い締めにした。

 激しく揺れる胸が鬱陶しい。

 ここ最近はずっと幼い姿で暮らしていたのだ。

「おやおや怖いね。それは八つ当たりじゃないかな。」

 ツアーが腕を組んで可愛らしく小首を傾げると、ドラウディロンの中には益々怒りが湧いて来る。

 いや、八つ当たりだと本当は解ってるが、これが神聖魔導国を襲ったせいで立ち去った漆黒聖典の穴はあまりにも大きすぎた。

 

 ビーストマンが以前より増えていた事もあり、その波は一般人に止められる筈もなく、それまで街としての体を何とか成していたのが、男女構わずほとんどを前線に投入した為最早ここは死の国にならんとしている。

 もう始原の魔法で全てを葬ってやろうと考えていると――ある春の日、突然魔法は消えた。

 瞬間その身を幼くしていた魔法も消え去り、その場で服を破いて体は元の大人の女性に戻った。

 今でもセラブレイトのあの汚物を見るような目を覚えている。

 そうしてセラブレイト率いるクリスタル・ティアすらこの国を去った。

 慌てて神聖魔導国に応援を要請する手紙を、まともに大人の言葉で書いて送った。

 宰相には国民の命よりも本来の姿であることの方が大事なのかとなじられたが、あまりの事態にそんな事には構っていられなかった。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)!お前は我が民を間接的に殺したんだぞ!!」

 堪らずドラウディロンは叫ぶ。

「陛下!こら!評議国の助けも得られるならそれに越した事はないです!やめろ!」

 宰相の言葉は最もだ。しかしこの竜王だけは許せない。

 やり場のない今までの怒りを全て清算するかのようにドラウディロンは吼えていた。多くの命が失われたのだ。愛する者も、愛した者もいただろう。皆がまだ生きたいと願い、明日を夢見たはずだった。

 

「評議国でも皆がそう言うよ。僕がエ・ランテルでアインズを襲わなければこんな事にはならなかったとね。僕は反省しているとも。」

 落ち着き払ったその様子に、ドラウディロンの怒りは収まるどころか膨らむ一方だった。

「貴様を殺して始原――……くそ!今すぐにでも評議国に行きたいものだ!」

 一瞬始原の魔法が取り返せるとしたら、と言いそうになったが、力を失ったことは決して誰にもバレてはいけないと思い直し飲み込む。

 宰相にすらそれは知られてはいけない。

 世界中の竜王が力を失った事を隠して生きていることなど知る筈もなく――。

「そうかい。僕も世界を守る為に必死だったんだけどね。こんな国一つではおさまら――」

 

「騒々しい!静かにせよ!!」

 

 辺りはしんと静まり返った。

 神王の言葉は大気をビリビリと震わせるようだった。

 この者は生まれ持っての支配者、いや。まさしく神なのかもしれない。

 竜王と、竜王の血を引く者をたった一声で黙らせることのできる存在が他にいるだろうか。

 

「オーリウクルス殿の言は最もだ。お前はもっと反省しろ。ツアー。」

 その瞳は竜王国の為、共に怒りに燃えてくれているようだった。

「悪かったよ、アインズ。」

「オーリウクルス殿と、フラミーさんにももう一度謝っておけ。いい機会だ。」

「悪かったね、フラミー。…それからドラウディロン。」

 神王の言葉に途端にしおらしくなる姿に、ドラウディロンは少しだけ溜飲を下げた。

 何故か女神にも謝っているのが謎だが。

 この王の下に嫁入りすればこいつを扱き使えるかもしれないと心の中でほくそ笑む。

 

「ふん。まぁいい。神王殿の顔に免じて今は許そう。」

「それは助かるよ。」

 ようやく場は落ち着きを取り戻し、神王がドラウディロンへ視線を向ける。

「それで?貴国はこれからどうするつもりかな。」

 ドラウディロンは少し考えてから答える。

「漆黒聖典を再び前線に送らせてはもらえないだろうか。せめて最後のこの都市だけでも守りたいのだ。」

 神王は顎に手を当て考えた。

「ん…焼け石に水だな。今の状況で漆黒聖典だけを送り出せばこの者達の命が危ぶまれる。」

 慈悲深き王の言葉に漆黒聖典は頭を下げた。

 ドラウディロンと宰相はやはり婚姻などの特別な約束を結ばなければこれ以上の支援を求めるのは難しいかとほぞを噛む。

「そこで――」

「いや!兎に角、今日はもう遅い。」

 まだ覚悟の決まらないドラウディロンは思わずその言葉を遮ってしまった。

 宰相に頷いて見せると宰相は続けた。

「良ければ晩餐をご用意しております。皆様はあちらへ。我々は済ませておりますので、魔導国の皆様でどうぞ。ゲストルームには後ほどご案内いたします。」

 

+

 

「すごい風格でしたね。」

「あぁ…あれは確かに神なのかもしれんな…。」

 神聖魔導国の面々の立ち去った部屋で宰相と女王は感想を言い合っていた。

「女王陛下。今夜が国の命運を左右しますよ。何としても神王陛下を手に入れてください。あちらも元からそのつもりのようでしたし、これは好機です。」

「ち。平気で女王を差し出しやがって。」

 女王はスレていた。

「あの神はそもそも生殖できるのか?死の神と竜人なんて異種にも程がある。」

「とは言え女王陛下の曽祖父様、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)様も人間との間に子を持てたんです。チャレンジあるのみですよ。」

「それを言われると弱いな。はぁ。生まれてくるのは骨の竜(スケリトルドラゴン)か…?」

 それを聞いた宰相はプッと笑った。

「お前!!笑ったな!!この!!」

 女王が宰相の首を締めると、外から声がかかった。

「神王陛下が、お先に寝室に入られました。」

 

 女王と宰相はポカンとすると、視線を交わし、言葉の意味を理解する。

 宰相は女王の自分の首に絡まる手を外させると力強く握りしめて簡潔に言った。

 

「がんばれ!!」

 

 女王は訪れるであろう生まれて初めてのその時に顔を赤くしながら、まるで自分に言い聞かせるように返した。

「た、民のためだ…!!!」




次回#3 ドラウディロンの来訪

ツアーがアインズ様を怒らせたせいでドラウディロンが大人形態だよ!!
もっと反省しろツアー。


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#3 ドラウディロンの来訪

 アインズは飲食が出来ないため一足先に部屋に戻っていた。

 フラミーと守護者二名は漆黒聖典と共に食事を取っている。

 ツアーもどこかで適当に鎧を放置し、竜の体で食事を取るそうだ。

 竜の巨体を維持するのに果たしてどれだけの食事量が必要なのかアインズは少し気になった。

 

 余計な思考を追い払うと、キョロキョロと念の為に誰もいないことを確認してからアインズはノートを取り出した。

 来る途中に二度参加した勉強会の内容は、ツアーやデミウルゴス、シャルティアもいる手前ノートにも取れずに必死に頭に叩き込んでいた。

 今こそ復習の時である。

 ここぞとばかりに、記憶したあらゆる情報を書き込んでいく。

 自分が確実に支配者として成長していく手応えにアインズはほくそ笑んだ。

 

【挿絵表示】

 

 やっと四分の一程まで来たと言うところでノックが響いた。

 フラミーはまだ食事をしている筈だし、デミウルゴスあたりが気を使って戻ってきたか。

 久しぶりに自分で外の者を確認するために立ち上がり、扉へ向かう。

「どなたかな。」

 メイド達を真似、少しだけ扉を開けて来訪者を確認する。

 そこには、オフショルダーのネグリジェに透けたようなガウンを羽織ったドラウディロンがいた。

 スカート丈はかなり短く、よく見れば胸元、ヘソ、股間のたった三点のリボンでネグリジェは止まっているようだった。

 謁見時もかなり露出のある服を着ていた為、この女王は余程その身に自信があり常に薄着なのだと見えた。

 

「し、神王殿……。その…あの…そのな……。」

 モゴモゴと何かを言う様子に話し忘れたことがあったろうかと考えるが、特に何も思いつかない。

 デミウルゴスに伝言(メッセージ)を送ろうと手を上げると、目の前の女王がびくりと身を震わせた気がした。

 しかし食事中だと言うことにすぐに思い至るとその手を下げ、アインズは世間話で間を持たせることを決意した。

 

「オーリウクルス殿。どうかしたかな。」

 もごもごと聞き取れない何かを言おうとする女王に少し焦れるが、何か大事な話をしようとしている雰囲気は伝わってきた。

「…兎に角入りなさい。」

 アインズは扉を開き、女王を部屋に招き入れた。

 

 妙に緊張した様子の女王に、何故かアインズも少し緊張する。

「あー…ナザリックだったらメイド達に茶ぐらい出させるのだがな。」

 頬をポリと掻きながらソファセットへ座り、未だ扉の前に立ち尽くす女王に手でソファを勧める。

 女王はタタタと走りソファに座った。

 リアルの年齢だったら二つくらい下だろうかと見えるその女王は、短すぎるスカートをもじもじと引っ張り、パンツが見えるのを恐れているようだった。

 それならそんな服着なければいいのにと、女性のファッションは分からんとアインズは内心独りごちてベッドへ向かう。

 妙に視線を感じるが努めて無視し、毛布を一枚取ると女王の膝にかけた。

「あ……。」

 

 それ以外何も言う様子のない女王に、アインズは用がないなら復習の続きをする為にも帰って欲しいと思うが、あることに気が付いた。

「私は執務を行なっていた所なので切りのいいところまで行わせてもらおうかな。 」

 この世界の人間は日本語が読めないのでどんなに愚かな言葉を書いていてもバレないのだ。

 女王が何かを言い出すまでは復習をしよう、そう思った。

 

 アインズが立ち上がると女王は再び怯えたように体を震わせたが、聖王国でそう言う反応は慣れっこだ。

 無視して机の上に置いたままにしていたノートとペンを回収すると、再び女王の前に座り、ノートに記憶する事を書き込んで行った。

 わからない事に到達すると、フラミーから借りたノートを取り出して確認した。そこには可愛らしい骨の絵が描かれ、アインズが質問した事と、デミウルゴスが答えた事がメモされていた。

 可愛いなぁ〜と若干脳味噌を溶かすとアインズはフラミーのノートをしまい再び自分のノートの更新を進めた。

 そして、ふと女王がまじまじとその様子を見ている事に気がつく。

 まさかこれが読めるのかとアインズは冷や汗が出る感覚に陥った。

「…んん。君はこれが読めるかね。」

 ハッと視線を上げた女王は首を横に振った。

「い、いや…読めない…。しかし何か難しそうな事を書いている事くらいはわかる…。」

 ようやくまともに言葉を話した事にアインズは少し安堵するが、もう後少しで終わる復習を切り上げる気にはなれなかった。

「そうか。これは国家機密だからな。それでいいとも。」

 アインズは再びノートに視線を落とした。

「…魔導国ではこの文字が使われておるのか?」

「いや、これは魔導国と言うより私達だけが使う特別な文字だ。読めるものは我がナザリックにしかいない。」

 女王もまたノートに視線を落とし、呟いた。

「私も…読めるようになった方がいいだろうか…。」

 アインズはそれだけはやめて欲しいと思った。

「いや。無理をする必要はないとも。君には君の文字がある。」

「そうか…。優しいな…。」

「うん?」

 ちらりと確認した女王は少しだけ笑顔になっていた。

 その後二人は特別言葉を交わさなかった。

 静かな部屋には女王の呼吸とアインズのペンを走らせる音だけが響いた。

 

+

 

「ふー。こんなところか。」

 ノートが完成したアインズはぶくぶく茶釜時計を確認すると、もう少し、と思ったところから随分時間が経っていた事に気が付いた。

「――あ、すまなかったな。すっかり待たせてしまったようだ。」

「あ、いや!気にしないでくれ!じゃあ、その、な。」

 アインズがノートを無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまっていると女王は突然立ち上がった。

 その手には膝にかかっていた毛布が握られている。

「さ、さぁ行こうじゃないか……!」

 はて、どこに?とアインズは思う。まるで行き先に心当たりがないのだ。

 もしどこかに行くなら守護者達かフラミーに行き先を報告しなければ心配するだろう。

 しかし、行き先を訪ねようにも女王は当然どこに行くのか分かっているでしょというような瞳でアインズを見ている。

 こういう時のためにデミウルゴスを連れて来たというのに肝心なタイミングで側にいない忠臣に心の中でSOSを送った。

 しかも考えてみればあと少しで今日の約束の勉強会の時間ではないか。

 フラミーは執務を離れていても勉強はすると毎日二時間励んでいた。

 一度でも欠席すればどんどん置いていかれる。

 アインズは決めた。

 

「んん。オーリウクルス殿。待たせた後でこんな事を言うのは心苦しいが、今宵はもう止そう。さ、部屋に戻りなさい。明日も早い。」

 女王は驚きの表情でアインズを見た。

「君と言う男は……。」

 流石に待たせられた後に帰れと言われては気分を悪くしたのだろうか。一国の女王相手にあまりにも礼を失していたかと焦りが込み上げ、鎮静された。

 

「ふふ…神王殿。私はこれでもそれなりに覚悟を決めて来たつもりだったんだ…。」

 女王の突然始まった話にアインズはとりあえず耳を傾けた。怒っているようではなく、安堵の息をつきそうになった。

「しかし、私はやはりまだ覚悟を決められてなど…いなかったんだな…。お笑い種だ。貴殿にはすまない事をした…。しかし、私もやはり国を守る女王なんだ。」

 あまりよくわからない話にアインズは頷き、とりあえず返事をした。

「そうか。」

 女王は少し笑うと持っていた毛布を肩にかけた。

「はぁ。ままならんな。私も、貴殿も。」

 

 すると、扉をノックする音が響いた。

 二人は立ったまま扉へ振り返った。

「いいかな?」

 アインズは一応女性に断りを入れた。

「ふふ、もちろんだとも。」

 

「入れ。」

 

 声が響くと扉が開けられた。

「アインズ様。本日の――失礼。友好強化中でしたか。」

 入りかけたデミウルゴスは顔をのぞかせすぐに扉を閉めた。

(――え?)

 アインズはやっと来た助けがすぐに出て行った事に放心した。

 

「君の友人の息子は実によくできてるな。」

「あ?あぁ…いつもはその筈なんだがな…?」

「ふふ、流石にこの展開はどんなに優秀な者でも読めやしないさ。いや、読まれては女として納得行かないとも。」

 ドラウディロンは明るい顔で楽しげに笑った。

 すると廊下がにわかに騒がしくなり、バン!と扉が開かれた。

 

 そこにはいつもは蝋のように白い顔を、すっかり真っ赤にしたシャルティアと、それを止めようとするフラミーとデミウルゴスがいた。

「アインズ様!!」

「落ち着いてシャルティア!どしちゃったの!!」

「や、やめないかシャルティア!御身のご計画の邪魔をするんじゃない!」

 オンミなる者の謎の計画が始まっていることにアインズは鎮静された。

「なんだなんだ…どうしたシャルティア。」

 

「アインズ様!!まさかそんな乳がデカいだけの年増なんかと!?」

 突然シャルティアが女王を貶し始め、アインズは再び鎮静された。

「なに!?いくら魔導国で地位ある身とは言え無礼であろう!」

「うっさいでありんす!おんしには関係のない話でありんしょう!!」

「シャルティア!静かにせよ!!」

 アインズの喝にシャルティアはしょんぼりと静かになった。

 

 沈黙の訪れた部屋で女王はニヤリと笑った。

「…ブラッドフォールン嬢はどうやら今日は虫の居所が悪いらしい。ふふ。神王殿、貴君の人徳は今夜たっぷり見せてもらったとも。私は今度こそ確かな覚悟を持ってここへ訪れよう。」

 女王は肩にかけていた毛布を軽くたたむとアインズに渡して笑った。

「私は貴君となら歩めると思ったぞ。」

 アインズの肩をポンと叩いて女王は出て行った。

 

 アインズとフラミーはぽかんと扉を見つけ続けた。




次回 #4 大捕獲

アインズ様は本当に紳士だなぁ!

https://twitter.com/dreamnemri/status/1137132304533319680?s=21
twtrでたまに行う予告は10〜30秒の挿絵工程movにする事にしました〜!
予告と言ってもどうせ日々0時ですが、無駄に挿絵が早めに見られます( ̄▽ ̄)はははは


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#4 大捕獲

 翌日、ドラウディロンは昨日よりわずかに露出を減らしたドレスを着ていた。

「神王殿。昨夜はすまなかったな」

「いや。こちらこそウチの配下の者がすまなかった。これを御することができなかった私の不徳だ」

 神王はムスッとした寵姫の頭を抑え、いつでも頭を下げる準備があると示していた。

 例え神王の元に嫁入りしたとしても、後宮に入れられたまま老いていくだけの形上だけの婚姻もあり得ると思っていたが、既にいる側室と共に一国の王が頭を下げると言っているのだ。

 正妃として迎えられてもおかしくはない。

 そうでなくても後宮での確かな地位は保証されているだろう。

 

「いや。気にすることはないとも。君は本当に誠実な男なんだな」

 ドラウディロンは昨夜から引き続き神王の評価をぐっと上げた。

 昨日は覚悟が決まっていないことを見抜き、焦らなくて良いと示したその紳士的な態度は、これまでロリコンセラブレイトや横暴な宰相ばかりがその身の回りにいたドラウディロンに衝撃を与えた。

 

「このくらい別に普通だろう?」

 極め付けはその謙虚さだ。

 何故漆黒聖典の者達があれ程までにこの王に惹かれるのかがわかった気がする。

「ふふ。君みたいな男は初めてだよ」

 ドラウディロンはジッと目の前の偉大な王を見つめた。

「……そうか?まぁいい。ドラウディロン・オーリウクルス殿」

「ドラウディロンで結構だよ。貴殿にはその権利がある」

 ドラウディロンは少しの緊張感を持ちながら神王に告げた。

 異性の王が他所の国の王を下の名前で呼ぶなんて非常識だ。

 これでまた断られれば恥ずかしいが、きっとこの王は女のプライドを傷付けるような男ではない。

「それではそうさせて貰おう。ではドラウディロン殿」

 やはりとドラウディロンは笑みがこぼれそうになった。

 

「シャルティアの失態を許して頂けると言うことだったが、こちらとしてはやはり示しが付かんのでな。互いの為にも今日は漆黒聖典と共にこれをだそう」

 神王が寵姫の頭にポンと手を置くと、予想外の出来事にドラウディロンは宰相と目を合わせた。

「ま、待ってくれ。そこまでされる必要はないとも。本当に私はもう良いんだ」

 いくらなんでも死んでしまうのではと心配になるが、考えてみたら後ろから指示を出すだけかもしれない。

 

「いいや。こうさせてくれ。――クアイエッセよ」

 後ろに控える漆黒聖典の中から一人師団が一歩前に出て膝をつくと、見たこともない程にやる気に満ち満ちた様子で応えた。

「は!クアイエッセ、御身の前に!!」

「今日シャルティアはビーストマンを拘束する。お前はそれを回収してフラミーさんとシャルティアの開く転移門(ゲート)へ入れろ」

「は!」

 一人師団の力強い返事に神王は満足げに頷いた。

 ドラウディロンは捕虜を取ってそれを人質にできるなら良いかもしれないと思うが、恐らくあれらはそんな事で立ち止まる存在ではない。

 

「さて、どれ程生かしたものかな。人間種からの評判が悪いから悩むな」

 神王が呟くと悪魔が優雅に歩み寄り何やら耳打ちした。

「そうか。いつの間にそんな手を回していたんだ?」

「は。御身よりシャルティアと共にこの旅に誘われた時から、既にアインズ様のお考えに気が付きまして」

「……そうか。ではオス一万、メス二万ほど捕獲しろ。最初にあまり殺すと恐れをなして逃げてしまうからそこだけ注意が必要だ。今日シャルティアは捕獲に留めておけ」

「畏まりんした」

 

 何の気負いもない寵姫の反応にドラウディロンはまさかと目を剥いていると、それを気にも止めずに神王は続ける。

「隊長、お前達は普通にあいつらを狩ってくれ。ただ、お前達が死なない程度でいいからな。蘇生はできるがフラミーさんの手間だ」

「承りました」

 恐ろしいその会話は死を超越した神々だからこそなのか。

 死の神は満足げに頷くと、すぐ隣に控えたままの悪魔を見た。

「デミウルゴス、後はそちらで質を確認して適宜間引け。一先ずあちらへ行くことを許す。間引いた者はきちんと使い切れ。それが供養という物だ」

「畏まりました。お任せください」

「よし。では始めるか」

 話が終わったようで神聖魔導国の面々が行動を開始しようとすると――

「お、お待ち下さい!」

 宰相が声を上げていた。

「一人師団殿のお力は重々存じ上げておりますが……三万を捕獲とは一体……それにブラッドフォールン様は……」

 寵姫だと思ったはずの女は口元を裂くように笑った。

「その程度、妾の前では些事。わたしは残酷で冷酷で非道で――そいで可憐な化け物でありんす」

 

 女神と竜王が楽しげに会話する声だけが響いた。

 

+

 

 シャルティアは紅い鎧に身を包んでいた。

 本当は武装を整える意味もないが、見栄えと言うのは大事だ。

「フラミー様。シャルティア様。整いました」

 隊長の声掛けに振り返れば、ギガントバジリスク達がクアイエッセと共に、命令を今か今かと待ちわびているようだった。

 

「すみませんね。私が天使を呼べば済むって言うのに」

 フラミーはアインズにわざわざ弱い漆黒聖典を出す必要も無いのではと言ったが、竜王国の民に武器(・・)を見せたいという事で漆黒聖典は全員が出ていた。

「とんでもございません。こうしてお仕えする機会を頂戴でき幸せにございます。それに、折角神王陛下より賜ったこれらも使われなければ泣きましょう」

 漆黒聖典達は皆その手にルーンの刻まれたユグドラシル産の武器を持っていた。

「ありがとうございます。もしルーン武器を借りたいと言う者が現れたらアインズさんに伝えるので教えて下さい」

 隊長が深々と頭を下げると、フラミーはツアーへ目を向けた。

 

「ツアーさん、本当お城にいたって良いんですよ?」

「いや。僕はシャルティア君の力を見てみたいからね。それにドラウディロンは僕が近くにいると興奮する」

 フラミーはこんな調子で本当に始原の魔法の腕輪を女王から貰って、製作者の竜王の元へ行けるのかと心配になる。

 しかし最初に何でもくれると言ったのだから、もし嫌だと言えばデミウルゴスの言う通り最後は拷問して竜王の場所を吐かせ、殺して奪えば良いのかもしれない。

 

「アインズさん、上手にお願いできてると良いなぁ……」

 フラミーは遠くに見える城を軽く見上げた。

「アインズなら大丈夫だと思うよ」

 鎧はフラミーの肩に手を置いた。フラミーは中身のない鎧を見上げ、頷くと宣言する。

 

「じゃあ、始めますか」

 

+

 

 その紅い鎧を着た人間は突然現れた。

 これまで余裕を持って人間を食いながらジリジリと戦線を追い上げて来たと言うのに、次々と仲間を、特にメスを執拗に捕らえている。

 オスは流石にメスよりも力が強い為捕らえるのが難しいのかもしれない。

 ビーストマン軍の隊長を国より仰せつかっている者はその様子を苦々しげに眺めていた。

「あれは何だ!これまであんな人間はいなかったはずだぞ。全く!あんなのに捕らえられるとは情けない!」

「は!戦闘能力は持たないのか捕縛ばかりを行っているようです!捕縛された者達はギガントバジリスクによって謎の闇に連れ攫われています!」

 以前戦線を離れたはずの強き人間が戻って来ている以上再び戦線は膠着しかねない。

 それをもう一押しするためにこちらの戦力を少しでも削ごうと言うのか。

 すると、紅の人間は声を上げた。

『ここで最も強き者は誰でありんすか!!』

 一騎打ちでもしようと言うのか。声はあたりに響き渡っていた。

「隊長!どうしますか!」

 隊長は獣のように喉をグルルル……と鳴らして笑った。

 

「相手は私を捕らえてここの戦線の崩壊を望んでいるのだろうが――良いだろう、受けて立つぞ!!」

 隊長が激しく咆哮すると、それを聞いた周りのビーストマン達も興奮し共に咆哮を上げた。

 咆哮が咆哮を呼ぶ連鎖だ。

 それだけで周りのビーストマンはこれから何が行われるのかを察し、道を開けていく。

「あれだけ若い女だ!さぞ美味いに違いない!!行くぞ!!」

 隊長は数人を伴い、紅の人間へ近付いていく。

 紅の人間の周りは捕獲された仲間が多く転がっていた。

 そして確かにギガントバジリスクによって謎の闇に放り込まれていく。

 紅の人間は遠くから見た時よりも余程華奢な体つきをしているように見えた。

(防御力も攻撃力も低い故のこの見事な装備か)

 勝てる。

 隊長は確信した。

 これは満を持して出した人間の最大の隠し球に違いなかった。

「卑怯な戦い方をしているようだな!人間!俺こそここを預かり持つ――」

「黙りんせん」

 それは名乗りを上げようとするのを止めた。

 周りのビーストマンからブーイングが上がった。

 戦士として戦う気のない卑怯な弱者をなじる声が響く。

 

「アリの名など興味ありんせん」

「何だと?この俺よりもお前が強いとでも言うのか!!」

 これまでただの一匹たりとも紅の人間には殺されていない。

 余程強い捕獲魔法を持つ奢りか。

「そんな事より、おんしが一番ここで強いビーストマンで間違いありんせんね。」

「その通りだ!お前は生きたまま食ってやろう。ハラワタを引きずり出し、意識を失うその時まで自分が食われる様を見るのだ!!」

 隊長の宣戦布告に床に転がる者も含めビーストマン達が笑い声を上げる。

「いざ!!」

 隊長は地を蹴り、人間を遥かに凌駕するスピードで紅の人間に迫り、殺さない様に脚に向けてその鋭利な爪を突き立てようと腕を振りかぶった。

 

(反応もできまい!!いける!!)

 捕獲魔法は術者によってその強度も違うと聞いた事がある。

 この程度の相手ならば、万一それを食らったとしても振り払えるだろう。

 

「<集団全種族捕縛(マスホールドスピーシーズ)>」

 瞬間隊長は身動きを封じられ、激しい勢いのまま転げると顔を擦りながら地に伏せた。口の中が切れ、血の味が広がった。

「な、なんだと!?く、想像より強力だったか。しかし、たとえ私を封じたとしてもこれしか能のない貴様では我らビーストマンは止められまい!お前たち、やれ!!」

 周りで見ていた者が飛びかかるのを隊長は今か今かと待つ。

 その鎧が剥ぎ取られ、血を吹き出し絶望しながら食われていく様を想像して昂ぶる。

 ――が、一向に誰かがそれに襲いかかる様子はなかった。

 土を噛みながら再度「やれ!!」と叫ぶと、体を持ち上げられた。

「なん!?」

 ギガントバジリスクによって持ち上げられて見えたそこには、自分の近くにいた者達まで身動きを封じられていた。

 少し遠くには、恐れる様にこちらを見ているビーストマン達がいた。

「お前達、捕らえるだけのこいつを恐れるな!!それしか出来ない故に発達させた能力だ!!」

 ビーストマン達の瞳に再び戦闘意欲が戻ったのを見ると、隊長は闇に放り込まれた。

 

 ズシャッと床に顔を突っ込み、わずかな痛みが襲う。

 顔をあげれば、そこは、見たこともない草原だった。

「やあ。君があのビーストマンの中で一番強い者という事で間違い無いのかな?」

 そこにはまたしても赤い服に身を包む人間の男と、多くの身動きの取れない仲間達がいた。

 何故か誰も一言も口をきかなかったが、確かに全員が生きているのが分かった。

 殆どの者達は武者震いして、男に視線を注いでいた。

「その通りだ。我らを捕らえ、それで戦線を戻せると思ったら大間違いだぞ。我らは貴様ら人間とは違ってオスメス全てが戦士だ!」

 後から放り込まれてくるビーストマン達がグルルル……と喉を鳴らしている。

 

「そうかい。ミノタウロスは人間の男を好んで食べると聞くからね。筋肉質の方が好きなんだろうと思うんだけど、君はどう思うかな?」

「はん!女子供を食べないでくれとでも言いたいのか?」

「いえいえ。君達はミノタウロスにくれてやる予定だからね。当面は。」

 ミノタウロスはかつて口だけの賢者が残した強大な武器(・・・・・)によってギリギリでビーストマンの侵攻を食い止め、以来未だに睨み合っている。

 ミノタウロスと共同戦線を敷く為に捕虜として連れて行かれるのか。

「我らは軟弱なお前達と違ってそんな事で止まるほど優しくはないぞ」

 隊長の声に後から続々と増えてくる仲間が「そうだそうだ」と声を上げる。

 

「私達の国には既に人間種が増えすぎた。ならば反感を買わないで済む者と交換した方が楽。そうだね?」

「どう言う意味だ!ここはミノタウロスの陣地なのか!」

 人間の奴隷の代わりに奴隷として差し出されるとでも言うのか。

「なに、直ぐに分かりますよ」

 話は終わったとでも言うような様子に、自分の後から来た者達が吼え出した。

「隊長!!食らいついてやれ!!」

「人間が俺たちを抑えきれると思ってやがるぜ!!」

「俺たちを捕らえるなんて考えた愚か者を――」

 パンと軽快な音がなると、一匹の頭が吹き飛んでいた。

 あるべきものを失った首からは激しく血が吹き出すと、その者は糸の切れた人形のように倒れた。

 誰もが何が起きたのか分からず、混乱から悲鳴が上がる。

「全く。肉質が良いものは出荷したいと言うのに、あまり無礼な口を利く様なら殺しますよ」

「な……なんなんだ……。なんなんだ一体……。お前は……ここは……」

 口を聞けない者達が皆荒い鼻息を吹いている。

 よく見ればそれは武者震いではなく、心底怯えきっていると言うことがようやく分かった。

 

「だから、ここは牧場ですとも。私は飼育員ですよ」

 

 その男は見たこともないような邪悪な顔で笑った。




次回 #5 ドラウディロンの暴走

飼育員さん、新しい家畜が増えてよかったね!
シャルティアの「一日に一回は妾と言う」の設定、いつも"妾"にするか"私"にするか悩まされます笑
あー嫌な予感の次回予告だなー。


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#5 ドラウディロンの暴走

 城からシャルティアの働きを見ていたドラウディロンは驚きのあまり言葉を失っていた。

 遠く米粒のようなサイズで見えるそれは、次々とビーストマン達を無力化して行く。

 女神は少し離れたところからツアーと共にその様子を見ている様だった。

 

「すごすぎる…。」

 ドラウディロンから思わず漏れたその言葉に宰相が頷いていた。

「そうだろう。あれは気立ても良いし何にでも一生懸命によく働く。」

 神王の寵姫を手放しで褒め称えるその声にドラウディロンはわずかに胸の内がざわめいた。

「…そうか。働き方は違えど私も精一杯神聖魔導国の為に働くつもりだぞ。」

 神王は窓からドラウディロンへ視線を向けた。

「それは嬉しいな。」

 微笑んだ様な雰囲気にドラウディロンは何故そんなにも真っ直ぐでいられるのだろうとその恐ろしいはずの王をもっと知りたくなっていた。

「神王殿…その――」

「ん!?」

 突然神王は声を上げ、窓に張り付くようにして外を眺めだした。

 視線をそちらから離さずに闇から何やらごそごそと取り出し目に当てた。

 その先を見れば、そこにはビーストマンが寵姫に近づく事を諦めたのか女神に襲いかかり出した姿があった。

 アレだけ華奢な生を司る女神がビーストマンに太刀打ちできるとは思えなかった。

「あ!危ない!!フラミー殿はお呼び戻しした方が――な!?」

 すると女神は無造作に杖を振り、向かってきたビーストマンを殺し始めた。

 

+

 

「今日はまだ殺さない予定なのに!来ないで下さい!!」

 フラミーは襲いかかってくるビーストマンを遠くに投げたり、杖で撲殺したりしていた。

 その身は血にまみれ始めていたが、近くに立つツアーは何もする気は無いらしく腕を組んで様子を見ていた。

「もー!!ツアーさんも働いて下さいよ!!」

「こんな事で死んだり傷付いたりする君じゃないだろう。今の僕の鎧は以前使っていた物よりも弱いし、僕は今も君達の世界征服には懐疑的なんだよ。三万生かしてくれると言うのは感謝するけど。」

「もう!分からず屋!」

 背後の事態に気がついたシャルティアはドン!と地を蹴りフラミーの前に来ると一薙ぎで大量のビーストマンを殺した。

 

「フラミー様!失礼しんした!!」

 シャルティアは即座に頭を下げ、血に塗れたフラミーにいそいそとタオルを出して渡した。

 礼を言って受け取り顔を拭くと、フラミーは血生臭い自分の様子と大量の死体の山に「あぁあ」と声を上げた。

 女王が腕輪を渡し、竜王に会わせる約束をするまではなるべく殺戮を抑えなければならなかったと言うのに。

「後どのくらいで集まりそう?」

「はい。もうじき終わりんすので今しばらくお待ち下さいまし。」

「じゃ、チャチャっとお願いします…。<転移門(ゲート)>。」

 シャルティアはサッと頭を下げ、フラミーが近くに開き直したそれに、フラミーの周りで襲いかかろうとするビーストマンを捕らえ放り込みだした。

 シャルティアの<転移門(ゲート)>には先に捕らえたビーストマン達をギガントバジリスクが放り込んでいる。

 本当は支配の呪言で手伝っても良いが、シャルティアは自分の仕事を取らないでくれと嫌がった為ただ眺める。アインズにもNPC達の仕事はなるべく取らないようにしようと言われているし、フラミーは今手持ち無沙汰だ。

「…終わったらナザリック戻ろうかなぁ…。」

 フラミーは血のついたローブを軽くつまむと溜息をついた。

 

+

 

「あー…あんなに汚されちゃって…。ツアーのやつは何故動かないんだ。これじゃ何のためにフラミーさんのそばに着くことを許したかわからん。」

 アインズは憤慨しながら覗いていたオペラグラスを下ろした。

「…フラミー殿もお強いのだな…。」

 ドラウディロンの呟きにアインズは当然だと頷いた。

「あの人は特別な存在だが、我がナザリックには力を持たぬ者はメイドくらいしかいないからな。」

 

 その言葉にドラウディロンは最初から嫁取りをしても良いとこの王が思っていた理由に思い至たった。

 全ては始原の魔法の力を手に入れる為だろう。

 寵姫ですらアレだけの力を持つこの国に、何の能もない女はおそらく必要とされない。

「私は……強くない…。」

 思いがけず漏れたその弱音に女王はハッと口を押さえた。

「ん?……そうか。しかし強さとは単純な暴力だけではないだろう。うちのデミウルゴスはまさにその筆頭だ。戦場とは皆それぞれだ。」

「あ…。」

 今一番欲しかった言葉にドラウディロンは始原の魔法を失って以来、ずっと不安だった心を優しく包まれたような気がした。

 この王は始原の魔法を失った事など知るはずもないと言うのに――いや、まさか気付かれてはいないだろうかと不安になる。

「…んん。あー…貴殿は強いのかな。」

「私か?まぁ、ほどほどだな。私より強い者などいくらでもいる。だからこそ力は求め続けなければいけない。あらゆる力をな。」

 始原の魔法を嫁に欲しいという事がこれではっきり分かった。

 それにしても一体この王はどれ程までに勤勉なのだろう。

 王とは本来こうあるべきなのだと思わされる。

 その点自分はどうだ。

 ドラウディロンは子供の姿でなければ親しみを覚えてもらえず、ずっと密かに孤独だった。

 強き竜の血を引く女王として君臨し続ける今後を、正直あまり想像できなかった。

「貴君は何故それ程までに力を求めるんだね?」

「子供達と――…大切なもの、それから美しい全てを守る為だよ。」

「美しい…全て…。」

 それに自分の名も加えて欲しいとドラウディロンは思った。

「あぁ。君達はきっとその価値を理解できはしないだろうがな。」

 あまりにも達観した儚い物言いに、ドラウディロンは神王の頬へ手を伸ばしていた。

 この死の神は自分とは違う形で、孤独なのかもしれない。

 若さも命も決していつまでも続くものではないし、きっとその側から多くの命が旅立ってきた事は容易に想像が付く。

 命の持つ一瞬の煌めきを愛しているとしか思えない発言はまさしく、神のようだった。

「貴君は、貴君は一体何者なんだ…?」

 美しい銀色のローブに身を包むその存在の頬は冷たく、驚いたように瞳の灯火は揺れた。

 一人じゃないと教えたい。

 一緒にいる時間はたった二日だと言うのに何故この存在はこれ程までに心を掻き乱すのだろう。

 アンデッドなんて御免だと思っていたのに。

「…私はタダの人間だよ。」

「ふふ。」

 冗談は苦手か。

 可愛らしい一面にドラウディロンは笑った。

 

「…ドラウディロン殿、いいかな。」

 一歩引いてドラウディロンに向き合う王は真剣そのものだった。

「あぁ。」

 ドラウディロンも手を下ろし、竜王国の女王として相応しい姿勢になる。

 神王がドラウディロンの今下ろしたばかりの手を取ると、心臓が早鐘を拍つ。

 王子様が迎えに来ると言うのは本当だったらしい。

「アインズ殿…。」

 初めて呼んだその名前の響きは美しかった。

 果たして誰がこの王にその名を与えたのだろう。

「君の曾祖父殿に会わせては貰えないかな。」

「ふふ、いいとも。」

 確かに竜王に結婚の許しを得るのがこの国では一番正しいだろう。

「そうか!それは助かる。」

 無邪気に喜ぶ王に思わず笑いがこみ上げて来てしまいそうだ。

「では、それに先駆けて。」

「あぁ。」

「君のこの始原の腕輪を見させて頂きたい。」

「もちろんだ――え?」

 ドラウディロンは期待していた事と違うその言葉にぽかんと口を開けた。

 

+

 

 その日捕らえる予定数に達した為、出撃していた神聖魔導国の面々は城に戻ってきていた。

「これは…?」

 フラミーは玉座の謎の状況に首を傾げた。

 

「なんで!!なんでだよ!!このバカーー!!」

 そこではドラウディロンが顔を真っ赤にしてアインズをポカポカと叩き、それを取り押さえようと宰相が慌てている姿があった。

 

「「不敬な!!」」

 共に戻った二名の不敬警察が慌ててドラウディロンを引き剥がしにかかった。

 シャルティアが羽交い締めにすると、ドラウディロンが逃れようとしてもその腕はビクともしない。

「この雑種!!不敬でありんしょう!!」

「ざ!!雑種だと!!お前なんか乳がでかいばかりでガキンチョのくせに!!」

 醜く言い争い始めたシャルティアと女王をデミウルゴスは少しだけ呆れたように見ると、ハッとフラミーの方へ走って戻ってきた。

「あ、あの…デミウルゴスさん…これは…。」

「フラミー様!御身がお聞きになるようなことではありません!」

 デミウルゴスは醜い二人とフラミーの間に立ち、その耳を塞いだ。

「え?私今血で汚いですから。ちょっと。」

 手から離れようとするフラミーを前に悪魔はアインズへ振り返る。

「アインズ様!」

「あ…ああ!よくやったデミウルゴス!お前達、やめないか!」

 乳がなんだの、異種姦変態竜王の子孫だのと言い争う二人を止める。

 

「"やめないか"じゃない!!貴君が!貴君が申し込んでくれると思ったから私は!私は…!」

 ドラウディロンはシャルティアに羽交い締めにされながら耳まで赤くして叫んだ。

「申し込む…はん!おんしみたいな乳しか能のない女にアインズ様が申し込むはずありんせん!」

「く、お前!この!!」

 ドラウディロンが再びその腕から逃れようと身をよじると、シャルティアの二つの感触に違和感を感じた。

「――…これは!これは偽乳だな!?」

「な!う、うるさいでありんす!!これはそうあれと――!」

「まさか神王殿!!貴君はない方が好きなのか!?まさかまさか!セラブレイトの仲間か!!」

 知りもしない人の名前を言われてもアインズは何が何だかわからない。

「い、いや…そんな事は…。」

「では何故だ!あんなに!あんなにいい感じだったのに!!」

 アインズもあんなにいい感じだったのに何故女王が突然怒り出したのか分からなかった。

「いや…それはこっちのセリフで…。」

「雑種!身の程を知るでありんす!」

「うるさい!偽乳!!」

「この身は至高の御方にお作り頂いた物でありんすよ!!」

「どうせ私のこの豊満な体を羨ましく思ってるくせに!!」

 アインズは余りの状況に言葉を失い、チラリと救いを求めてデミウルゴスとフラミーの方を見る。

 

「デミウルゴスさん、こんな事してる場合じゃないでしょ?」

「いえ…そうは言いましても……。」

「ん?なんて?もう、とにかく離してってば。」

「フ、フラミー様、もう少し我慢なさって下さい。」

 噛み合うはずのない会話にデミウルゴスから投げられてくる視線も救いを求めていた。

 

 アインズは実に醜い言い争いの前、何でこうなるんだと心の中で嘆いてから声を張った。

「お前達一度黙れ!!」

 

 しん…と部屋が静かになる。

「え?なんですか?」

 何も聞こえていないフラミーの少し間抜けな声が響いた。




次回 #6 王達の約束

アインズ様…女王を弄ばないでください!

不敬警察出動!o(・x・)/

R15タグ付けてみました。
何故って、前回ビーストマンの首が吹き飛んだので…!


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#6 王達の約束

 デミウルゴスは二人が静かになった為ようやくフラミーの耳からそっと手を離し、謝罪した。

「申し訳ありませんでした。あまりにも見苦しい争いだったもので…。」

「もう。本当に。何なんですか一体。」

 フラミーはデミウルゴスの傍から向こうを覗くと、すっかり静かになって床に正座させられている女子二人が見えた。

 いつの間にか後ろにいたツアーがフラミーに声をかけて来た。

「アインズはどういうつもりなんだろう。一度は受け入れていたように見えたけれど。」

 何をだろうと思っているとフラミーの頭越しにデミウルゴスが応える。

「御身のご計画にはこの修正が必要、という事でしょう。アインズ様は無駄を嫌いますからね。」

「そうかい。僕は抑制の腕輪が手に入れば何でも良いけど。」

 知恵者と鎧がうーんと悩む。

 意味がわかっていないフラミーもまるで同じ事を悩むような顔でうーんと一緒に唸った。

 

「はぁ。ドラウディロン殿。分かってくれたかと思ったと言うのに。」

「…分かるも何もない。」

 座ったまますっかり拗ねてしまった女王にアインズはやれやれと首を振って宰相を見た。

「神王陛下、申し訳ありません。女王陛下はちょっと結論を急ぎたがる癖がありまして…。」

「そのようだな…。」

 ここの真の竜王と会う約束は出来たのだからまだ良かったと言う気持ちと、何でもくれると言ったのに目の前にぶら下がる人参を見せてもくれない女王にツアーに似たものを感じる。

 竜たちは気まぐれだ。

 自分の物だと思うものに触れられるのを余程嫌がるらしい。

 正座する二人に視線を合わせる為しゃがむと、アインズはシャルティアにフラミーの下へ行くように言った。

 頭を下げてシャルティアが立ち去りフラミーの後ろに控えたのを見ると、アインズは小さな声でなだめるように――胡座をかき出したドラウディロンに語りかけた。

 

「君にはもうそれは必要のないものだろう?」

 

「なっ!」

 ドラウディロンは驚きに目を剥いた。制御の腕輪を必要としない理由など一つしかない。

 やはり見抜かれてしまっていた。

(ではひいお祖父様の下へ行きたいと言うのは私の力を取り戻す相談に一緒に行ってくれると言うことか…?)

 智謀の神と聞いていた通りのその観察眼にドラウディロンはゴクリと唾を飲んだ。

 

 智謀の神はドラウディロンの腕をそっと取ると、何か魔法をかけたのか腕輪は青白く光った。

「…これは………。ドラウディロン殿。私はこれと引き換えにこの国を救おう。」

「…私じゃなく…これなんだな…。」

 それはそうだ、ドラウディロンではなく始原の魔法を嫁に迎えたかったのだから。

 王としてもそれを知って、"始原の魔法を持つ女王"と偽ってドラウディロンを嫁に取ることはできないだろうし、必要もないだろう。

 そんなことはわかり切っていたのに、それでも口にされると傷付く。

 ドラウディロンは、例え目の前の王が何も持たなかったとしてもそばに居ても良い、その孤独を癒したいと思ったというのに。

 

「これを有効活用する為なんだ。わかってくれ。」

 神王の言葉にドラウディロンはハッとした。

 始原の魔法の力を抑制するこの腕輪なんか神王は必要とするわけがない。

 つまり有効活用とは何か深い意味があるはずだった。

 女王が始原の魔法が使えない現状、価値も折り紙付きでこちらに最も迷惑のかからない品はこれだ。

 であれば、一先ずこれを国家間の言い訳にして、国を救ってもらえればそれは誰も使えない腕輪の有効活用ではないか。

 しかし力が戻れば、これはまたドラウディロンに必要だという事を神王は当然知っているはず。

 まだ見ぬ我が子も始原の力を持っていればこれを必要とするだろう。

 

「…私に力が戻ったら、返してくれるんだよな…?」

 確かめるようにドラウディロンは目の前に燃える瞳を覗き込んだ。

 決して揺らぐ事のない決意に満ちた瞳に吸い込まれそうになる。

 国家間の約束の上報酬として得た宝を返却する事などできはしない。

 つまり、これを返すと言うことは力の戻ったドラウディロンを魔導国に呼び(・・・・・・)、使用を許すと言うことになるだろう。

「あぁ。君に力が戻る日が来れば必ず返すとも。」

 当たり前だろうとでも言うように笑う神王は、あまりにも男らしかった。

 これは王同士の、未来を誓い合う約束だ。

 そんな事にも気がつかず喚いてしまった自分が恥ずかしい。

 先程の心底がっかりしたとでも言うような魔導王のセリフを思い出す。

(分かってくれたかと思ったというのに…。)

 

「私の愚かさを許してくれるか…?」

「…できれば二度としないでほしいけどな…。」

 呆れたような声音に、もっと賢くなろうとドラウディロンは決めた。

 

 であればこちらも宰相に示しを付けなければ――。

 ドラウディロンは一度咳払いをして、周りが話を聞くようにする。

「これは我が国の唯一無二の秘宝だ。これの価値は計り知れない。…これを報酬とし、我が国を救ってくれ。」

 全員にその声が確かに届く様に言うと、王は静かに頷いた。

 

「任されようとも。」

 

 これで王同士の儀式は済んだ。

 

 昔もっと竜王の血が濃かった()が、力のコントロールを誤って近くにいた者達の魂を生贄に街を半壊させ、凄まじい数の犠牲者を出し、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)が直々に作成したのだ。

 そこからは数えきれないアンデッドが沸きかけたが、それの掃除の為にキュアイーリム=ロスマルヴァーと呼ばれる朽棺の竜王が魂を吸い上げに来たりと大騒動を巻き起こした――が、全ては歴史の闇の中だ。

 その腕輪は以来全ての偽りにして真の竜王達を経て自分に受け継がれてきた。

 偽りにして真の竜王達は力が蔓延ることを危惧して皆一人しか自分の血を持つ者を残さなかった為、たった一本の腕輪は秘宝として受け継がれてきた。

 

 ドラウディロンは物心ついた時から着け続けた腕輪をゆっくりと抜いた。

 その手から神王が腕輪を受け取ろうと手を伸ばしたが、ドラウディロンはヒョイと手を上げてそれを躱した。

 

「…何だ?」

 神王は儀式が終わったはずなのに渡されないそれを訝しんだ。

 ドラウディロンは後一つだけ確認したかったのだ。

「一緒に…我が曽祖父の下へ行ってくれるよな…?」

 最初に提案してくれた通り、一緒に力を取り戻す方法を――ドラウディロンが嫁入りするにふさわしくなる方法を――探しに行ってくれるだろうか。

「当たり前だろう。それは私が望んだ事じゃないか。」

 ドラウディロンは花のように笑った。

「ふふ。ありがとう。王とは…そう、やはりままならないな。私も貴君も…。」

 ドラウディロンはそっと王の手の上に、大切なお守りを置いた。

 

 その瞬間神王は契約は成ったとばかりにガバッと立ち上がり、ドラウディロンの頭を撫でた。

「よくできたな、えらいぞ。ドラウディロン。」

「あ…ぅ…。」

 真意に気付くことができたドラウディロンを神王は褒めた。

 初めての呼び捨てにドキドキと胸が高鳴った。

 

「お前達、明日ビーストマンを根絶やしにするぞ。その後死体はコキュートスの元へ送り凍結する。いいな。」

 漆黒聖典と守護者は声を揃えて応えた。

「「「「は!!」」」」

「ツアー、文句はないな。」

 鎧はふぅ、と溜息を漏らした。

「当然あるけれどね、あったとしてもどうせ君は止まらないだろう?」

「ふふ、わかって来たじゃないか。お前もドラウディロンを見習って早くアレ(、、)を渡すんだな。」

 そう言うと神王は「フラミーさん」と声をかけて守護神と共に玉座を出て行ってしまった。

 

 呆然とその背中を見た後、宰相は未だ床であぐらをかいている女王に話しかけた。

「女王陛下…良かったのですか…?あれは大切な…。」

 宰相の声にドラウディロンはゆっくりと立ち上がった。

「うるさい。これは…神王殿と私だけの…秘密の約束だ…。私は……私達は……そう…どこまで行っても王なんだ…。」

 

 ツアーもドラウディロンと、何かを考える宰相をちらりと見ると玉座を出て行った。

 

+

 

 アインズはその腕輪を持って与えられた部屋へ戻った。

「これが始原の魔法の力を抑制する腕輪でありんすか?」

 ぱっと見何の力も感じないその竜の彫られた金の腕輪をシャルティアがジッと見る。

「これはすごいぞ。ユグドラシルの力では決して再現できないだろう。早くビーストマン共を蹴散らして竜王にアイテム製作について聞きたいものだ。良いか、これは――」

 アインズは興奮しているようだったが、水を差すようにノックが響いた。

「――ツアーだろう。入れてやれ。」

 デミウルゴスは頭を下げてそれを確認に行くと、やはり入ってきたのは鎧だった。

 

「アインズ。それは力を抑える為にちゃんと着けておくんだぞ。」

 ツアーは未だ手の中で装備されていない腕輪を見た。

「ははは。まるで親だな。着けるとも。」

 ツアーは顎に手を当てた。

「妙に素直じゃないか。君らしくもない。」

「別に私は世界を滅茶苦茶にする為に力を求めているわけではないんだ。普段から力がギラギラと漲っている必要はないからな。」

 アインズは鎧を睥睨するとそれを腕に通した。

 

 すると目覚めた日から猛狂い、体の中で何かが暴れているようにすら感じられていた力が久し振りに落ち着いていくのが感じられた。

 思わずほぅ…と安堵するような息が漏れてしまう。

「…素晴らしいなこれは…。」

「落ち着いたようだね。」

「お前、知って…?」

 鎧は満足げに頷いた。

「君は起きた日に体の中を力が暴れ回る様だと言っていたじゃないか。それにドラゴンと言うのはそう言うことに敏感なものだよ。」

「…なんだか友達みたいな事を言うな。」

 ツアーはデミウルゴスの隣で首を傾げた。

「何言ってるんだ。僕たちはもう世界を共に守る仲間だろう?」

「…なかま…。」

 アインズはその言葉に一瞬惚けた。

「しかし一緒に来たけれど僕は何もしなかったな。」

 その声にアインズはすぐに我に返って応えた。

「全くだ。フラミーさんと一緒に行かせたのに働かないし、女王にも嫌われているし…お前は何のために来たんだ。お陰でフラミーさんは風呂に行ったぞ。」

「ははは。本当だね。明日ビーストマンをどうやって狩るのか見たら僕は一足先に帰らせてもらおうかな。」

 

 早く帰れば良いのにという守護者達の声を聞きながら、ツアーは改めて目にしたシャルティアの力を思い出していた。

 アインズを殺そうとしたが、ナザリックに行ってこのぷれいやーの持つ戦力を正しく知った今、危ない橋だったとようやく理解して来ていた。もしあの時命を奪えていたら、この世界は焦土と化していただろう。

 協力しながらすぐそばでその行動を監督し、次の揺り返しまで力を制限するようにして行くことが最適解だと結論付けた。

 誤ってこのぷれいやーが殺されるような事があれば、瞬間世界は終わる。

 

 食事にすると言ってツアーが出て行くと、デミウルゴスはアインズに問いかけた。

「アインズ様。本当にその抑制装置を着け続けるのですか?」

 アインズはニヤリと笑った。

「着け続けるとも。ふふふ…普段力を抑制するのは間違いないが、解放することもできる。正しくはコントロール装置だ。術者に魔法を最適化させて、抑えたり爆発的に力を注いだりすることができる…――これは、ブレーキであると同時にブースターだ。恐らくユグドラシルの魔法も効果範囲だろう。」

 シャルティアがおぉ!と声を上げる。

「それは想像以上に良いものでありんすね!しかし何故ブースト機能まで…?」

 デミウルゴスはなるほどと頷いた。

「竜の血に混じり気があるとその力を行使するときに生贄を必要とする様になると聞くからね。恐らく竜王なりに考えた結果でしょう。普段は力を抑え暴発しないようにし、使用時には生贄を少しでも減らして魔法を効率よく行使できるようにと。それが元から生贄を必要としない御身にはブースターとして機能するんだろうね。この腕輪はこれまで半端者達の間を行き交い、初めて真の始原の魔法の使い手に出会った為ツアーも思いもしなかったんでしょう。」

 アインズは納得し、やはりシャルティアを連れてきて良かったと思った。

 なんならこの為にシャルティアと共に来たようなものだ。

「そう言う事でありんすか!アインズ様がわざわざ手に入れる程の物でもないと思っておりんしたが、納得しんした。」

「あぁ、アインズ様。あなたは最初からその事にお気付きだったのですね。だから貴方は…。」

 守護者からのキラキラした目が痛い。

「…そ、その通りだ。フラミーさんもナザリックから帰ってきたら喜ぶだろう。」

 守護者は嬉しそうに頷いた。




次回 #7 フラミーの憂鬱

力が戻ったら、返すよ。力が戻ったらね。(にっこり


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#7 フラミーの憂鬱

 その野に並ぶ大量のビーストマンを前に、ドラウディロンは民兵達が如何に恐ろしい戦地でこれまで戦っていたのか改めて知った。

 神王に「守ってやるから一緒に来い」と言われたその戦場は今にも血の匂いが漂って来そうだ。

 民兵は前日ビーストマンを数え切れないほど捕らえたシャルティアの登場を大歓声をもって迎えた。

 女王の存在にも皆気付いてはいたが、幼子だと思っていた為何となくイメージが違いうまく受け入れられないようだった。

 

「さて、シャルティア。お前一人でどこまで狩れる。」

 今日も鎧にその身を包んだシャルティアは、遂に訪れし力を存分に振るえる機会に優雅に頭を下げた。

「全て。このシャルティア・ブラッドフォールンが全てを葬ってご覧にいれんすぇ。」

 その瞳は血を求めて爛々と輝いていた。

「よし、では見せてやれ。お前を侮る全てを薙ぎ払え。但し狂乱は抑えろ。」

 シャルティアは必勝の笑いを浮かべる。その前に立ちはだかるように白い輝きが集約し、人の形を象っていった。

 光の人は鎧も肌もぼんやりと白く光っており、使役者(シャルティア )に非常に酷似していた。

「"エインヘリヤル"か。」

 当然アインズはその名前を知っている。

 エインヘリヤルは一部の魔法行使能力や特殊技術(スキル)は使えないが、武装や能力値はシャルティアと全く同等。つまり、単純な直接戦闘しかできないもう一人のシャルティアだ。

「それでは、御前失礼いたしんす。」

 その瞬間シャルティアはエインヘリアルを連れ、突撃して行った。

 単純計算で百レベルが二人だ。

「ここからは作業だな。デミウルゴスよ、民兵の撤退は順調に進んでいるな?」

「はい。漆黒聖典が今も撤退をサポートしております。」

 アインズは満足げに頷くと、知恵者に尋ねた。

「ここも我らの手に入ると思うか?」

「はい。間違いないでしょう。国民は皆漆黒聖典とシャルティアを強く讃えているようです。特にシャルティアは、紅蓮の戦姫と呼ばれ始め、半ば神格化されています。」

 デミウルゴスは今後何が起こるのか考えていた。

 状況によって的確に計画を書き換えながら進んで行くこの平和的な侵略にその身を歓喜に震わせた。

 視線の遠く、シャルティアが通った跡からは猛烈な勢いで血が湧き出し、重力や力学を無視してその頭上に溜まっていく。

 シャルティアは溜まった血の中に手を突っ込むと眷属たちを呼び出し、更に殲滅のスピードを上げていった。

 

「あれは本当にすごいね。ナザリックでどれほどの強さだい?」

 フラミーはツアーの疑問にうーんと唸る。

「場合によってはコキュートス君やマーレ、セバスさんの方が強いかもしれません。でも、皆適材適所ですからね。」

「そうかい。少なくとも彼女はフラミーより強そうだね。」

「…私はどうせ弱いですよ。」

「弱いとは言っていないだろう?」

「言ってますもん。」

 頬を膨らましてぷいと顔を反らすと、女王とパッと目が合った。

 

「あ、はは。恥ずかしい。」

 フラミーは、美しく大人な雰囲気の女王と比べて、いつまでも子供染みた自分を恥じた。

(アインズさんはアルベドさんやこういう女王様みたいな人がきっと好きなんだろうなぁ。)

 突然浮かんだ自分の前に立つ仲間の顔にありゃ?とフラミーは首を傾げた。

 アインズはデミウルゴスと何かを話しながら殺戮ショーを眺めている。

 

「フラミー殿は、神王殿とどのようなご関係なのか、改めてお聞きしてもいいかな…?」

 女王の突然の問いに意識と視線を戻し、ニコリと笑った。

「仲間ですよ!私達ずっと一緒にやって来たんです。」

「そうか!仲間か!なぁ、神王殿は、その、やはり体はシュッとしている方が好みだろうか。」

 フラミーは先ほどの自分と同じ疑問を持つ女王に少し親近感を覚えた。

「うちにすごく綺麗で、憧れちゃうようなプロポーションの守護者が居るんですけど、きっとアインズさんはああいう…成熟した…豊満な体が好きだと思います。」

 フラミーは言いながら少し気落ちした。

 割とつるりとした自分の体と、未だ当然生え続けるぶくぶく茶釜を思い出した。

「そうか!そうだよな。だからブラッドフォールン嬢もああやって必死に盛っている訳だもんな!ふふふっ。」

 嬉しそうに笑う女王にフラミーはモヤモヤとしたものが広がるのを感じる。

(…幾ら何でもコンプレックス抱きすぎかな?)

 フラミーは頬をポリとかいて、こんな時は悪魔に慰めて貰おうとデミウルゴスの隣に移動して行った。

 

 ツアーはあまり見たことのない雰囲気のフラミーに首をかしげる。

「…よし!私もこんな所で油を売っていないで少しでも愛される為に動くか!」

 ドラウディロンはあの恐ろしい迄に美しい女神は"仲間"だと言ったが、寵姫と同じく強敵だと思った。

(強いフラミー殿も下手したら神王殿の心を動かしてしまうからな。)

 ドラウディロンもツアーを置いてアインズの下へタタタと駆け寄っていった。

 力が戻るより先に子供ができたらそれはそれで嫁入りできるに違いないと胸を躍らせて。

 

「…僕もそろそろお嫁さんでも探したほうがいいのかな。」

 ツアーの呟きに応えるものは一人もいなかった。

 

+

 

 アインズは横にぴたりとくっつく様に立つドラウディロンにアルベドに近いものを感じた。

「…ドラウディロン殿、どうかしたかな?」

「ふふ、昨日の様にドラウディロンで構わないんだぞ?」

 殿などと言う敬称はこれまでの人生で仕事の手紙でしか殆ど使ったことの無いアインズとしては助かる提案だ。

「そうか、ドラウディロン。」

 ドラウディロンはニコリと笑った。

 最初に会った時は妙に露出の多い変わった女王だと思ったが、きちんとした格好をしていれば普通に美しい女性だった。

「なぁ、神王殿。私もまたアインズ殿と呼んでもいいかな?」

「あぁ。構わないぞ。むしろその方が良い。」

 キャッと喜ぶドラウディロンを見て、アインズはやはり王様も堅苦しい言葉を話すのは疲れるんだろうなと思った。

(早く支配者のお茶会を開かなければな。カルカ殿からも楽しみにしていると手紙が来ていたし。)

 

 ふと視線を感じてデミウルゴスの向こうに目をやるとフラミーが女王をまじまじと見ていた。

「ねぇデミウルゴスさん。」

 ピンピンとスーツの袖を引っ張りながら、視線はドラウディロンから離れなかった。

「は、はい。如何なさいましたか?」

「…やっぱり女の人はお胸がたっぷりあった方がいいんでしょうか?」

「へ?いや、以前もお話ししました通り、身体的特徴は――」

「ナザリックとか置いといて、やっぱり女の人は胸ですか?」

 うーんとデミウルゴスが悩むと、良いことを思いついたとばかりに告げる。

「フラミー様でしたら、その身が一番でございます。」

 それを聞いてフラミーはまじまじと悪魔の瞳を覗き込んでいた。

 微妙にドギマギするデミウルゴスをちらりと見ると、アインズが続けた。

「…フラミーさん、ドラウディロンの体が羨ましくなったんですか?」

 アインズの言葉にフラミーは不思議そうに頷いた。

「うーん、やっぱり私女王様に憧れてるのかなぁ?」

 

 ドラウディロンは目を輝かせた。

 悲しいことに今まで幼女の自分しか必要とされた事はない。

「わ、私のこの体に憧れてくれるのか!」

「はい。女王様本当に綺麗ですよね。私キャラメイク間違ったかなぁ?」

 デミウルゴスの向こうでうんうん唸るフラミーにアインズはくすりと笑った。

「デミウルゴスじゃないけど、フラミーさんは今が一番良いですよ。キャラメイクも大成功です。」

 フラミーは暫くその言葉を咀嚼するとふーむ、とデミウルゴスの袖に掴まったまま悩みだした。

 いつもなら「そうですよね!」と明るく笑う人だというのに、アインズはデミウルゴスと目を合わせて首を傾げた。

「フラミー殿は誠に美しいお心をお持ちだな、アインズ殿!」

 ドラウディロンは自分をアインズの前で褒めて上げてくれる女神を好きになった。

 

+

 

 昼過ぎから始まった殺戮は世界が夕暮れに染まる頃に終わった。

 フラミーとデミウルゴスの呼び出した最低位の悪魔たちが二人の指揮の下せっせとビーストマンの遺体を回収していく。

 この世界の夏の夕暮れの香りはいつでも血の匂いとともにある。

 アインズはそれを眺めながら戦士長を思い出した。

「ランポッサ殿とストロノーフ殿から見舞いの品と手紙が来ていたな。久しぶりに会いに行ってもいいものか。」

 アインズの呟きに着替えを済ませて戻ってきたシャルティアが頷いた。

「御身がお望みになるならば、文句を言う者などいようはずもありんせん。」

 よく働いた親友の娘は紅蓮の戦姫などと呼ばれる様になったため、今日は赤いドレスだ。

「シャルティア、戻ったか。お前の働きぶりは誠見事だった。素晴らしかったぞ。よくやったな。」

「ありがとうございます!アインズ様!」

 嬉しそうにするシャルティアの愛らしさにアインズは頬を緩めた。

「そう言う格好もよく似合うな。」

 そう言うとアインズは再び赤く染まる地平に向き直った。

 夕陽に赤く染まる美しき支配者を眺めると、シャルティアはゆっくりとアインズに近付いた。

「あいんずさま…。」

「ん?」

「あの、あいんずさま…その…。」

 何か内緒話でもあるのかアインズのすぐそばに来ると、精一杯背伸びをしながらアインズの肩に手をついた。

 アインズはふふふと笑いながら、娘の内緒話を聞いてやろうと少し屈んでシャルティアの顔に耳を近付けた。

 するとシャルティアはその頬に口付けを送った。

 

「「は!?」」

 その声はドラウディロンの物と重なっていた。

 アインズがシャルティアをパッと見ると、ドラウディロンがシャルティアを突き飛ばした所だった。

 

「な!?おんし!!なんて無礼な!!」

「はっ!やってしまった!つい体が動いていた!」

「はぁ!?」

 シャルティアとドラウディロンが喧嘩を始める横で、アインズは口付けのあとの頬にまだ残る柔らかな感触に軽く触れると、妙に視線を感じて振り返る。

「…なんだよツアー…。」

「羨ましい限りだね。君の知り合いに美しいドラゴンはいないのかい?僕もそろそろお嫁さん探しでもしようかな。」

「…パッと思いつくのはドラウディロンしかいない。」

 アインズがぶっきらぼうに応えるとドラウディロンが悲鳴を上げた。

「何!?嫌だ!!嫌だ嫌だ!!私は絶対あいつの所になんか嫁に行かないぞ!!」

「ははは。僕も君みたいな混じり気のある感じはちょっと。」

「ぷぷ、雑種でありんすね。」

「お前ら、覚えてろー!!!!」

 

 戦姫が王へ送る祝福を民兵は戦争が終わった合図だと歓声を上げた。

 

 悪魔二人は血濡れの大地からその様子を見上げ――フラミーはうーんうーんと唸るのだった。




次回 #8 閑話 戦勝祝い
閑話なので12:00です!

シャルティアやるじゃん!!!
統括もいきなり子作りじゃなくてゆっくり距離詰めればいいのに!


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#8 閑話 戦勝祝い

 ビーストマンの駆逐が終わった竜王国は最早いつぶりかも分からない平和に浮かれていた。

 多くの者が死んだが、それでも今目の前で生きている者たちと互いの生を喜び合った。

 城へ続く大通りには神聖魔導国から届いた大量の美味な食事が並び、それは飢えた人々をその身ならず心も救うようだった。

 シャルティアは多くの者に囲まれ、お酌されたり礼を言われたり、人間のために何かをする事もたまには悪くないと女性にセクハラしながら宴を楽しんでいた。

 セクハラされる方もその美しい戦姫に愛でられ満更でもないようだった。

 

 アインズは城門前の階段上――と言ってもたった四段だが――の少し広くなっているところでデミウルゴス謹製の玉座に座っていた。

 飲食不要な鎧と、後で食べると言うデミウルゴスもその側に立っていた。

「アインズ様、これで竜王国にも大きな楔を打ち込みましたね」

 隣で嬉しそうにする悪魔にアインズは何の話だろうと思う。

「……ふむ。デミウルゴスには既に看破されていたか」

 はい、と薄い笑いを浮かべるデミウルゴスにアインズは心の中で尋ねる。

(何がおかしいんですか!)

「やれやれ、アインズは本当に世界征服のために余念がないね」

 横から口出ししてきたツアーにアインズは嬉々として話をふる。

「お前にもわかるか!ふふふ。そろそろツアーにもテストが必要かな?私の狙いを全て上げてみせるんだ」

「いや、僕が読み切れていないところもありそうで怖いよ。むしろ全てを教えてくれないかい」

 想像より殊勝な雰囲気の竜にこれはまずいコースに入ったのではと思う。

「アインズ様、この竜に真の狙いを教える必要はないかと」

 デミウルゴスからのナイスサーブにアインズはホッとしていると、食事を取っていたフラミーがドラウディロンと手を繋いでこちらへ向かってきていた。

「……あの二人はいつの間にあんなに仲良くなったんだ?」

 アインズが首をかしげると、デミウルゴスが苦笑する。

「女性とは誠に強かですからね」

 フラミーがアインズにいつもの様に手を振ると、それを見たドラウディロンも手を振りだした。

「ふぅ。フラミーさんの友達とあればよくしてやらねばな」

 アインズは二人に手を振り返した。

 

「アインズさん、ドラウディロンさんったら本当可愛い人なんですよ!私びっくりしちゃいました!」

「いやいや、フラミー殿こそ実に素晴らしい女性だ!」

 突然自分たちを褒め始めると、ねーと楽しげに目を合わせていた。

「フラミーさん、もしかして飲んでるんですか?」

「は!バレました?なんてね」

 でへへと嬉しそうにするフラミーはどう見ても耐性を切っていた。

「リアルで酒弱いって言ってたんだから、程々にして下さいよ?泥酔女神なんて恥ずかしいですから」

 フラミーはムッとするとドラウディロンの手を引いたままアインズに近付いていく。

「鈴木さんが飲めないのが悪いんですよ!一気しなさい!」

「ははは、村瀬さんアルハラで訴えますよー」

「わーもしかしてこの至高のフラミー様の酒が飲めんと言うんですか?」

「こぼれちゃいますから、ほら。ちゃんとして下さい」

 アインズはそう言いながら楽しそうなフラミーの手と腰を引いて片方の膝に、内側へ向けて横乗りにさせた。

 膝の上でぶーぶー言う女神の翼を撫でながらアインズも愉快な気分になっていた。

(場酔いってやつだなこれは。)

 この世界なら酒の席も意外と楽しいかもしれないとアインズはナザリック大酒宴会を考えていた。もちろん自分は飲めないのだが。

「アインズさん、私子供じゃないですよ!」

「ふふ、でも俺の方がお兄さんなんでしょ?」

 肘掛に頬杖をついてその羽を整えてやるように撫でていると、ドラウディロンはフラミーをツンツンつついた。

「フラミー殿。フラミー殿。代わって……いや、えーと、ほら、デミウルゴス殿が何か言いたげだぞ」

「あ、そっか!デミウルゴスさんは飲めるんだ!」

 フラミーは翼を整えられる感覚に気持ちよさそうにしていたが、アインズの膝からパッと立ち上がるとタタタ……とデミウルゴスの下に駆け寄り、その手に酒を渡した。

「デミウルゴスさん!耐性なんて切って一晩飲み明かしましょうよ!」

「フラミーさーん、アルハラですよー」

 アインズは声をかけながら苦笑した。手の中には未だフラミーの翼の感覚が残っていた。

「フ、フラミー様、お戯れを」

「デミウルゴスさんは私を甘やかしてくれるでしょ?一晩だけですから!」

 怪しい言葉を吐きながらフラミーはすぐにデミウルゴスの瞳を覗こうとした。

「あ、ああー………………甘やかします……」

「ふふっ、本当に綺麗な瞳!ウルベルトさんってやっぱりセンスあります!はぁー懐かしいなぁ」

「あ、ありがとうございます……」

「……フラミーさん、俺だって充分甘やかしてるじゃないですかー……」

 アインズが何言ってんだとデミウルゴスを見ると、悪魔は可哀想なほどに冷や汗をかきはじめた。

「なぁアインズ殿は肉体は出せないのか?出せれば物も食べられるだろう?」

 ドラウディロンがアインズの肘掛に腰掛けると、目の高さに現れた柔らかそうな双丘にアインズは目のやり場に困った。

「あー…………難しいだろうなぁ。どう思う?ツアー」

 アインズはそう言いながら、何故この世界の人々はただの骨の自分にこうも肉体が出せると思うんだろうかと逆に不思議に思っていた。

「ん?わからないね。僕は元から肉体があるから。試した事もない」

「はぁ、貴君が始原の魔法を使えていたらできるのになぁ」

 

「「「は!!??」」」

 二人の声が同時に響く。

 

「ど、どらうでぃろんさん!それはどんな魔法で……!?」

 アインズよりも先に悪魔を弄ぶ悪魔が女王に食いついた。

 あまりの鬼気迫る様子にドラウディロンは新しい友人に少し引く。

「あ?いや、特に名前はない魔法なんだが……私は子供の身と大人の身を行き来していたし、私の曾祖父も竜と人の身を行き来してきたから……できるかな……と……」

「……ドラウディロン、詳しく聞かせてくれるか」

 アインズはドラウディロンを見上げた。

「あ!ああ!もちろん!もちろんだとも!」

 それを聞くと、斜め前に魔法で椅子を生み出した。

「<上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)>。さぁ、座ってくれ」

「あ……ひ、膝がいい……」

「は?」

 アインズは殆ど自分と年の変わらなそうなその女性の言い分に数度瞬いた。

「膝がいいんだ!!フラミー殿がいいんだから私だっていいだろ!!」

 考えてみたらずっと幼女の姿で過ごしていたと聞くし仕方のない事なのかもしれない。

「はぁ、仕方ないな。座りなさい。代わりに魔法について聞かせてくれるな」

「ああ!じゃあ……ふふっ!失礼するぞ!」

 ちらりとフラミーを見ると何を考えているのかよくわからない表情でじっとこちらを見ていた。

「あ、アインズ様……仕返しなど……」

 デミウルゴスはフラミーとアインズを交互に見ていた。

「飲めるようになる為だ、仕方あるまい。なぁドラウディロン」

「ああ!これは不可抗力だ!」

 ドラウディロンはうっとりと骨を見た。

 

 

+

 

「ふーむ、そうか」

 ドラウディロンは始原の魔法を失ったことを結局誰にも話していない為、アインズの膝に横乗りになると、こそこそと耳に顔を近づけ魔法について語った。

 最初ドラウディロンは竜の血を引かないであろうこの王が、何故始原の魔法を使えるような口振りで会話をするのだろうかと思っていたが、途中で気がついた。

 位階魔法ですら、竜王たちがぷれいやーと呼ぶ神が持ってきたと言うくらいだから、やはり始原の魔法も神がもたらしたものなのだろうと。

「なぁ、貴君はぷれいやーなのか?」

「ん?そうだとも」

 今更何ですかと言わんばかりの雰囲気に、やはりこの王は神だったと再認識する。

 ならば新たに始原の魔法を与えて貰えれば全ては済むと閃いた。

「なぁ!アインズ殿、私にくれないか?新しい魔法を!」

 ドラウディロンがうきうきとアインズに話しかけると、ツアーは劔をスラリと抜き、その喉元に当てた。

「なっ!?」

「ドラウディロン。それを望むなら僕は君をここで殺す」

「やめないかツアー。全く大人気ない。すまないな、ドラウディロン」

「しかしアインズ。君がこう言う馬鹿らしい願いから再び世界の理を書き換えるような真似をしたら困るだろう」

「するかそんな事」

 アインズは剣を掴むとそれをドラウディロンの首から離させ、ツアーは渋々と言う具合に劔を収めた。

 アインズの腕には昨日渡した約束の腕輪が輝いていた。

「あ……ははっ。アインズ殿は王子様だなっ。邪悪な竜を討ち倒すんだ!」

「アインズにそういうつもりがなくて助かるよ」

 ツアーが文句を垂れるのを無視して女王はキャッキャと喜んでアインズの胸元に顔を埋めた。

 アインズは想像以上に幼い様子の女王の頭をやれやれと眺めると、始原の魔法についてもう一度よく考え出した。

 ドラウディロンの話では始原の魔法は自分の中で調合し組み合わせて使う魔法のようだった。

 醤油とみりんと酒を混ぜるとめんつゆが出来るように、自分で自分の使いたいものを組み合わせて生み出しながら利用する、謂わばレシピ集めの必要な魔法だと思った。

 そしてこの女王の話はまるで要領を得なかったためそれ以上の情報はなかった。

 楽しげに肋骨を触るドラウディロンを無視して考え事をしていると、遠くから自分に向かって何かが飛んでくるのが見えた。

「ん?なんだ?」

 ドラウディロンの頭の前で飛来物をキャッチすると、それはカメラだった。

「この年増ーー!!」

 シャルティアが投げたようで、もし壊れたらパンドラズアクターが可哀想だとアインズは思った。

「全く嫉妬に狂うとは情けないもんだのう」

 ひひひひと嬉しそうにするドラウディロンに、立つように促す。

「さ、そろそろ降りなさい」

「まだ魔法の話しかできてないじゃないか」

 名残惜しそうにそう言うドラウディロンに、他に何の話があるんだとアインズは思う。

(あ、いや。ここの竜王の事は聞かなきゃいけなかったか。)

「アインズ様が退けと仰ってるんだから早く退きなんし!!」

 アインズはそういえばフラミーはどうしたんだろうかと姦しい二人を一度無視して辺りを見渡すと、デミウルゴスに解毒させられたのかすっかりいつも通りの様子で二人で何か食べていた。

「はは、本当に損な男だな」

 アインズは自分から決して仲間を取ろうとしない男も愛しく思った。

 視線に気付いたのか女神が少し照れ臭そうに手を振る様にアインズは笑いながら手を振り返した。

 忠臣が深々と頭を下げる姿に、何も気にするなと頷きながら。




ボツにした奴がアインズ様とフラミーさんメッチャいちゃついててお見せしたかったのですが、抑えました
次回はドラウディロンのひいじーちゃんに会いに行きますよ!
どんな竜なのかなぁ。

次回 #9 分からず屋

(察し


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#9 分からず屋

 数日後、竜王国には多くのアンデッドが行き来する様になった。

 神聖魔導国からは神官や、山小人(ドワーフ)が復興の世話のために鏡を潜って出勤するようになっていた。

 他にも似た境遇を憐れんだエ・ランテルの人々、力の強い亜人等多種多様な者達がボランティアに来て、竜王国は俄かに活気付き始めた。

 食事は炊き出しが行われたが、そこには妙に固く筋張った肉が入るようになった。

 それは何でも、聞いたこともない竜王国両脚羊と言う家畜らしく、独特のクサミがクセになる味わいで、特にボランティアに来ていた亜人からは大絶賛されていた。

 

 ドラウディロンは神聖魔導国の傘下に入れと言われるとすぐ様受け入れた。

 元から女王が嫁入りする事で同一の国として扱って貰おうとしていたのだ。

 誰も何も思うところはなかった。

 町には民兵だった者達の手によって所々に紅蓮の戦姫の像が建ち初め、未だ未完成だと言うのに人々は美しく強かったその人へ憧れ神殿でもないのに祈りを捧げた。

 神聖魔導国の神官長達は守護神よりもそれを遣わせた神々を崇めるようにしたかったが、戦姫の人気は止まるところを知らなかった。

 

 町の様子を城の建つ丘の上からアインズは満足そうに見ると、馬車へ視線を戻した。

 今回馬車は三台で――アインズとフラミー、ドラウディロン、ツアーが乗り込む馬車、守護者が乗る馬車、そして荷馬車だ。

 相変わらず漆黒聖典が護衛に着くためアインズとフラミーはキャンプを楽しみにしていた。

 

 馬車にはアインズとフラミーが隣り合い、ドラウディロンはツアーと隣り合って座った。

 ドラウディロンが後で席替えを提案しようと心に決めた事を知る者はいなかった。

 

 アインズとフラミーは実に楽しそうに窓から外を眺めていた。

 鳥が飛んでいるとか、雲の流れが速いとか、真夏なのに蝉が鳴いていないとか、そんな事ばかりを話していた。

「はぁ、暑くないけど気持ち的には暑いなぁ。」

 フラミーは熱耐性を持つ為何ともないが、着込んでいた紺色のローブを脱いで闇にしまうと、白いチューブトップに赤紫のアラジンパンツというこざっぱりした格好になった。

 

【挿絵表示】

 

「フラミー殿は変わった服を着るんだな?」

 ドラウディロンは見たことのないその服装をまじまじと見た。

「あれ?そうですか?あんまり似合わないかな。」

 翼で自分を扇ぎながら聞いたその姿は異国情緒に溢れていた。

「似合ってますよ、フラミーさん。今日のいいじゃないですか。髪もポニーテールなんて珍しいですし。」

「中東感出しちゃいました!ふふ。サウジアラビア〜!」

「サウジアラビアはムスリムの国ですからそんな露出しないですよ。」

「ははーん、また無知を晒してしまいました!アインズさんは賢いです!」

「ははは、そんな事ないですよ。」

 二人が仲睦まじく笑い合ったのを見るドラウディロンはすっかり妬いていた。

「…二人の話は聞いたことのない言葉ばかりだ。せみとか言う鳥もさうじなんとかも。」

 ムスッとするドラウディロンに、黙っていたツアーが応える。

「仕方ない。あれは世界を渡る力を持っていたんだから、僕たちの知らない世界の話をしてもおかしくはないさ。」

 ツアーなりのフォローにドラウディロンは頬を膨らましてふんと顔を窓の外へ向けた。

 アインズとフラミーは知らず知らずに疎外感を与えていたことを少し反省していると、馬車が昼食のために止まり、ドラウディロンはプンプン怒って降りて行ってしまった。

 それを見送るとフラミーは気まずそうに呟いた。

「…やっちゃいましたね…。」

「アインズ、人化の魔法を七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)に聞くならあまり仲介人を怒らせないようにした方がいいんじゃないかな?」

 ツアーは人の身になれば少しでも精神が善に振れるかもしれないとその魔法には大いに期待していた。

 結局帰還を先延ばしにし、一緒に竜王の下へ行くことになったのだった。

 場合によっては説得すると。

「珍しくおっしゃる通りで…。」

 アインズは頭をかいて隣で苦笑いするフラミーを見た。

「…それにしても本当今日のフラミーさん新鮮で可愛いな。ははは。」

 アインズがポニーテールに指を絡ませると、フラミーはハッとアインズを見て、手を胸に置いた。

「…これは…?」

「どうかしました?」

「あの…いえ…どうしたんだろう…?」

 何かを確かめるようにアインズをじっと見るフラミーに、褒める言葉が間違っていたかなと考え始めると馬車の外からシャルティアが声を掛けて来た。

「アインズ様、フラミー様、お食事でありんすぇ?」

「あ、うん!」

 アインズはフラミーが軽やかに馬車を降りる背を見送ると、降りる様子のないツアーに尋ねた。

「私は間違ったかな?」

「いや?正しい女性の褒め方だろう?君達には生殖しないで貰いたいけど。」

 ツアーに聞いたのが間違いかとアインズは少し悩みながら馬車を降りた。

(生殖って、このトカゲはフラミーさんと俺のことを何だと思って――…俺のこと何だと思ってるんだろう…)

 自問し、精神を癒す女神に視線を送る。

 

「これはフラミー様。ローブを脱がれたのですね。一段と魅力的です。」

 フラミーはデミウルゴスに褒められ、へへへと肩にかかる長いポニーテールに手ぐしを通しながら喜んでいた。

 アインズはうーんと悩みドラウディロンの隣に座った。

「なぁドラウディロン。」

「なんだ?」

 まだ少し不機嫌そうな様子に苦笑する。

「なんて褒められると嬉しい?」

 アインズの問いにドラウディロンは顔が熱くなった。

「そ、その、そうだな…。美しいとか麗しいとか…愛おしいとかかな…。」

 それを聞いたアインズは前者二つはまぁ良いとして後者はどうなんだろうと思った。

「愛おしい…。」

 試しに口に出して見ると、やはりキザすぎる気がするし、果たしてそれがフラミーに受け入れられる言葉なのかも解らなかった。

 再び悩みかけると、隣でドラウディロンが鼻血を噴いて倒れた。

 

+

 

 竜王国から二日かけて南下した一行が辿り着いたそこは国境の湖だった。

 どこまでも広がる湖には二つの島が見えていた。

 アインズとフラミーの全体飛行(マスフライ)で島に渡ると、軽い盛り上がりに隠された、地下に続く巨大な階段があった。

 ドラウディロンの先導で深い階段を下り切ると、そこは大広間だった。

 中は美しい柱が何本も建ち天井を支えていて、魔法の灯りが前方の丸くなっている爬虫類の背中を美しく照らしていた。

 

 当然来訪には気付いていたようで、睨みつける様に目を開いてこちらの様子を伺う巨体にドラウディロンは声をかけた。

「ひいお祖父様。ひいお祖父様ドラウディロンです。」

 その声にゆっくりと顔を上げると一瞬だけその眼光は和らいだようだった。

「ドラウディロン…私の可愛いドラウディロン。」

 竜王は起き上がるとドラウディロンと共にいる邪悪な四つの存在と、その奥にいる複数の人間達へ鼓膜が破れるかと思う程に咆哮した。

 ビリビリ空気が震え、地鳴りすら起こそうかという勢いに天井からはパラパラと土埃が落ちてきた。

 漆黒聖典は皆武器に手をかけて軽く腰を落とした。

「ドラウディロン。その後ろの者達は何だ。」

「こ、この方は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王、アインズ・ウール・ゴウン陛下と、そのお仲間の皆様です。」

「陛下だと?」

 アインズは一歩前に出てドラウディロンと並ぶ。

「お初にお目にかかる。七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)殿。私こそ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王、その人である。」

 竜は目を細めた。

「その魔導王が私と、私の可愛い子にどんな用だ。」

「単刀直入に言おう。私は始原の魔法について聞きたい。」

 

「断る。」

 当然のように返された言葉に、やはりとその場の全員が思った。

 

「場合によってはドラウディロンの知り合いでも私は容赦なくお前達を殺すだろう。」

 敵意むき出しの竜王にアインズは落ち着いた様子で返した。

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)殿。私達は争う気はない。今回はネゴシエーションの名目で来ているんだ。」

「ドラウディロン、代々子供達が着けてきた腕輪をそれにやったのか。」

 竜王はまるでアインズの言を無視するようだった。

「は、はい。これと引き換えにビーストマンを駆逐して貰いました。」

「町と国など捨ててここで暮らせばいいと言ったのに。」

「出来ません…。私はこれでも女王です。」

 漆黒聖典がヒソヒソと自分達の慈悲深い王とは違う竜王の噂をしている。

 平気で命を見捨てろと言うその様子は、まるでツァインドルクス=ヴァイシオンのようだと。

 

「全く竜王は皆同じような奴らなのか?」

 アインズがやれやれと吐き出した言葉にドラウディロンは恥じ入った。

「すまない…。」

 アインズはツアーと視線を交わした。

 今回のツアーは協力者だ。――人化の魔法しか聞く気は無いだろうが。

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)、少しはアインズの話を聞いたらどうかな。後悔する前に。」

 ツアーの馴れ馴れしい口調に竜王は憎たらしそうにそちらを見ると、それが何者なのか気付いた。

「…白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)…ツァインドルクス=ヴァイシオンか。お前はこんな所で何をしているんだ。」

「僕は世界を守っているよ。相変わらずね。」

「世界を守ると言うお前が何故これ程までに邪悪な存在とともに在る。」

「色々あったからね、話せば長い。ところで、そんな事よりも君の持つ人化の術を教えて欲しいんだけど。」

 アインズは初めてツアーを連れてきてよかったと思った。

 分からず屋同士のため、お互い分からせようと言う気がないのか意外と話のテンポが早い。

「なんだ。お前も人を愛したか。」

「そんな訳ないだろう。でもこうして鎧で彷徨い歩いていれば人間の身も良いかも知れないと思ってね。」

 ツアーは、アインズが魔法を竜から奪ったと言うのは伏せたかったし、アインズにも伏せるように言ってある。

 

「全く何を考えているんだかわからない奴だな。ツァインドルクス=ヴァイシオン、こちらへ来い。」

 ツアーは頷くと皆を後ろに取り残して歩き出し、近くに寄る――と、竜王は鎧に向かって手を挙げた。

 

 振るわれた手から出る爆風にドラウディロンが転びかけると、アインズはドラウディロンの肩を引き寄せ支えた。

 ツアーはヒラリと避けて着地するとため息をついた。

「何をするんだい。全く。」

「お前は私に何か嘘をついているな?バレないとでも思ったか。」

 ツアーは人間と交わる耄碌者でも流石に竜王か、と睨みつけた。

「教えなければ君はきっと記憶を覗かれた挙句に殺される。僕は君のことも守ってあげようと親切で言っているんだよ。」

 嘘偽りのないその言葉に竜王は忌々しいアンデッドを睨み付けた。

 記憶操作(コントロールアムネジア)の存在は知らないはずなのにそう言うツアーにアインズは分かっているじゃないかと頷いた。

 が、アインズの胸の中にいるドラウディロンはその顔を見る事はなかった。

「落ちたものだな。命惜しさにアンデッドに恭順したか!竜帝の息子の名が泣くわ!」

 再びゴォッと空気を切り裂くように手が震われると、ツアーは体の前で交差させた腕でそれを受け止めた。

 衝撃波と共に埃が舞い、階段の外から落ちてくる光が筋になって見えた。

 

「やめんか!!!」

 

 響き渡ったアインズの声に、竜王達は驚き顔を向けた。

「全く野生動物かお前達は。ツアー、どうだ。自分と話してるみたいだろ。」

「…君は僕を何だと思ってるんだい?」

 ドラウディロンを放すとアインズは竜王に近付いていく。

「まぁいい。七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)。私は人間の身を手に入れたいだけだ。まぁ他の魔法のレシピも、いや、配合か?配合も教えてもらいたい所だがな。」

「それを知ってどうするのだ、邪悪なる者よ。」

 ドラウディロンはアインズに駆け寄ると、その腕を取り叫んだ。

「それを知って、私達は結婚するんだ!!」

 

「「「え?」」」




次回 #10 始原のレシピ

おや?開戦しなかった(*゚∀゚*)ドラちゃんできる子!!!

アラジンの公開始まりましたねー!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1139026343528620032?s=21
フラミーさんに良いなぁと思って着替えてもらいました!

ユズリハ様も描いてくださいました!かわいいねぇ!

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#10 始原のレシピ

「…私のドラウディロン…お前はこれと結ばれる為に始原の魔法について聞きに来たのか…?」

「そうです!!私達は将来を約束しあったんだ!!それもあってこの腕輪を渡しました!!」

 キラキラとした瞳はどんな困難でも乗り越えて見せると言わんばかりだった。

 何の嘘偽りもないその様子に七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)は顔を覆った。

 まるで自分の若い頃のようで辛かった。

 突然魔法が失われてからは人の身になる事も出来ず、殆ど食事以外では外に出ない生活を送っていたが、(――まさかこんな事になっているとは。)

 しかもツァインドルクス=ヴァイシオンの様子から言って、目の前のもう一人の竜王は力を失ってはいないようだった。

「…人の身を持てばドラウディロンとの間に子が持てると言うのは解るが、そもそもそのアンデッドは始原の魔法を使えるのか?」

「ひいお祖父様、この方はぷれいやーだから使えて当然です!」

 ドラウディロンは自信満々にそれを宣言した。

 アインズとツアーはそんな馬鹿なと顔を見合わせた。

「ぷれいやー…。位階魔法のみしか使えないと聞いていたが…始原の魔法の使い方を知らなかっただけという事か?しかし、何故人化以外の魔法についても聞きたがる。」

 すっかり威厳を失ったように見えるアンデッドに問いかけた。

 このアンデッドはドラウディロンに骨抜きな様だった。

「あ…いや…なぁ?」

 アンデッドの煮え切らない様子に苛々する。

「それは私がもっと強くなる為だ!!アインズ殿に私が相応しくなる為に必要なんだ!!頼む、ひいお祖父様!!」

 使い方を聞いてくるあたりドラウディロンの力も健在だろう。

 しかし――もう本当に自分の血筋って何でこうなんだと己を恨む。

 

 ツアーは少しだけ面白そうにその様子を見ていた。

「…ツァインドルクス=ヴァイシオン。そのアンデッドは信用できるんだろうな…。」

「まぁ、僕が一応身元引受け人かな。」

 ツアーの言葉に、全然信用できないと思った。しかし知ってる者がいるだけましだろう。

「…ドラウディロン、若いうちと言うのは選択を誤るものだ。考え直し――」

「直しません!!私達は愛し合っているんだ!!来る時もアインズ殿はそう言ってくれた!!」

 

 アインズは冷や汗が止まらなかった。

 援軍は有難いが、他にもっと良い嘘は無いのかと思う。

ちらりと後ろを確認すると、デミウルゴスが今度はカメラを手にするシャルティアの耳を塞いでいた。

(よくやったぞ…デミウルゴス…。)

 感じる必要もないはずの罪悪感から、フラミーの表情の確認もできずに視線を前に戻し、腕に纏わりつく柔らかな感触にドギマギしながら訪ねた。

「…それで、教えてくれるかな…。」

 竜王は唸り最後にもう一度愛する曾孫を見た。

「ドラウディロン、本当にアンデッドが良いのか?何が生まれるかも私には解らない。」

「はい!ひいお祖父様!!私は強くなったら嫁ぐと約束しておりますので――もしかしたら今すぐではないかもしれませんが…それでも、アインズ殿の子を持ちたい!」

 アインズは鎮静されていた。

「はぁ。もう本当に…私も早まっただろうか…。」

 今も尚愛し続けている妻と、子供、孫に問いかける。

 皆先に逝ってしまった。

 この曾孫も後百年もすればそうなるだろう。

 ――しかし、玄孫は死なない身かもしれない。

 それはそれで悪くないのか。

 

「わかった。わかったよ。謎のアンデッド、お前の名を再び聞こう。」

「…アインズ・ウール・ゴウンだ。」

「アインズ・ウール・ゴウン、力の使い方を教える。ドラウディロンも来なさい。」

 竜王は背を向けて穴の奥へ進んでいく。

 アインズとドラウディロンはその背を追った。

 

 それを見送ると面白そうにしながらツアーはデミウルゴスに小声で話しかけた。

「何度考えても何故あの時アインズが断ったのか分からなかったけど、こういう事だった訳だね。」

「そうですね。アインズ様程のお方ともなれば、如何なる者であっても思い通りに動かしてしまうのでしょう…。全く恐ろしいお方ですよ。」

「…本当に。ちゃんと竜王を殺さないで済むようにアインズは考えてくれていたんだな。腕輪も着けているし。」

 ツアーはアインズの評価を上げてから続けた。

「でも、少し残酷かもしれないね。ドラウディロンは力を取り戻したらナザリックに嫁いでしまう。あの警戒心の強いアインズの事だ。ナザリックに入れたくない一心で力を与えはしないだろう。全く。心配するなと散々言われたけれど、こんな形に収めるとはね。」

 

 耳を塞がれていたシャルティアが撮った、竜王とアインズが会談する写真をフラミーはじっくりと見ていた。

 余計な事を考えたくないとでも言うように。

「映画のポスターみたい!すごいよシャルティア!!」

「ふふふ、アインズ様の美しさを最大限に引き出し、尚且つ神話の始まりの如きダイナミックな一枚ができんした!」

 エイガの意味は分からないが褒められていることだけはわかる。

 ドラウディロンをアインズの影に入れ、まるでいなかったかの様になっているその写真への執念は見事だった。

 シャルティアは漆黒聖典に来い来いと手を振る。

 二枚あるうちの一枚を隊長に渡した。

「やりんすぇ。またこれもナザリックの為に税金にしなんし!」

 シャルティアは今回大活躍だった為上機嫌だ。

 人間に崇拝され、自分の像が建ち、アインズに口付けする事を許され、はっきり言って――(わたしこそ守護者ナンバーワンの働き!)

「シャルちゃん偉いねー!」

 フラミーに撫でくり回されながらシャルティアはふふふと上機嫌に笑った。

 

 漆黒聖典が新しい素晴らしきオシャシンに歓喜していると、竜王と二人が戻って来た。

「じゃあゴウン君。うちの子をくれぐれも頼むよ。」

「あ…あぁ…。」

「そんな気弱でどうする!!何が何でも幸せにしてみせると言ってみせたらどうだ!!」

 すっかり婿養子のようになって戻って来た様子に不敬警察がゆらりと動き掛けたが、アインズに多大なる貢献をした竜を今は許してやることにした。

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。確かにこの者はその身から溢れさせる邪悪さに似合わず思ったよりも優しい男のようだ。しかしちゃんと監督してくれ。私は今事情があってここを出られない。」

「わかったよ。僕の責任でもあるからね。任せてくれ。」

 頷く鎧に七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)は溜息をついた。

「ドラウディロン。力を今より蓄えたら嫁ぐと言うなら、もう力を蓄えなくったっていいんだと覚えておきなさい。」

 心配そうな曾祖父にドラウディロンは明るい笑顔を向けた。

「ひいお祖父様!私は絶対アインズ殿の認める強き女になって嫁ぎます!」

「……不安だからたまに顔を出しなさい。いいね。」

「はい!」

 いつの間にか大人になっていた曾孫と、その夫になるであろうアンデッドの背中を見送る竜の目は新しい明日を期待しながらもやはり不安そうだった。

 

+

 

 アインズは地上に出ると、あまりの世界の眩しさにげんなりする。

 全体飛行(マスフライ)で島から陸に移動すると、ハァと溜息をついた。

「…疲れた……。」

「何を言っているんだアインズ殿!これからが本番だろう!」

 ドラウディロンに励まされ、確かに…と慌ててとったノートをちらりと開く。

 戦勝祝いの会で聞いたものとはやはり随分違うようだった。

 体を大きくしたり、小さくしたりするだけではない――、一から体を作り変える始原の魔法は複雑だ。

 アインズはフールーダを呼ぶ必要があるかと脳裏によぎる。

 魔法を感覚でしか使って来ていないアインズに、知識も必要とする始原の魔法の細かな操作は実に難解だった。

 アイテム作成はとくに複雑極まりないもので、何年も時間をかけてようやく一つのアイテムができると言う――ゲームでは有り得ない使い勝手の悪さに辟易する。

「兎に角…まずは人化の練習でもするか…。」

 気付けばフラミーとシャルティアが楽しそうに湖に足を浸して遊び始めていた。

「私も絶対なんとしても!力を取り戻すぞ!一から魔法を勉強してアインズ殿の認める女になるとも!!」

 ふふっと笑うとドラウディロンもフラミーとシャルティアの下へ走っていった。

 まだその設定続いてたの?とアインズが思っているとツアーとデミウルゴスがウキウキと話しかけてくる。

「アインズ様、このデミウルゴス、驚きに言葉も出ませんでした!」

「一本取られたよ。アインズ。」

「…そうだろ…俺もびっくりだよ…。」

 すっかり疲れた様子で支配者は呟くと、アインズは魔法で椅子を三つ出した。

 その様子を見た漆黒聖典たちが荷馬車からタープを取り出し、いそいそと張り始める。

「はぁ、お前たちも座れ。私はしばらくこれをもう一度読む…。」

「アインズ、感覚を教えてあげるよ。わからない事はなんでも聞いてくれ。」

「助かるよ。本当…お前が仲間になってくれてよかった…。」

 アインズの心の底からの声と、その腕にちゃんと光る腕輪にツアーは嬉しそうに頷いた。




次回 #11 閑話 水遊び
12:00更新です!
きゃっきゃうふふの水着回ですよ。水着回!!

ドラウディロンが子供持たずに死んだらおじいさん可哀想…。
五十年くらいするとアインズ様が割とうろうろ出入りするようになってて…
百年後のお葬式で――
「頼むって言ったじゃないか…。なんで…なんで…。」
「…すまんな。私も気付いていたが…。しかし、あれは良い女王だった。」
――とか話してたらもうやだ( ; ; )情緒がジェットコースター。


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#11 閑話 水遊び

 フラミーは湖にぼーっと浮かびながら考えていた。

 

「私って日焼けしたら何色になるんだろう……」

 

「焼くか?フラミー殿。私も少し焼こうかな、近頃は城に篭りっぱなしだったから不健康に白くなってしまったし」

 ドラウディロンはスカートを太腿で結んで浅いところに足をひたしながら、服のまま浮かぶ友人を眺めていた。

「真っ黒になるまで焼いたら、また――」

「また……?」

「何でもない!焼きましょ!ドラウさん」

 フラミーは飛行(フライ)で飛び上がるとドラウディロンを連れてアインズのそばに下りた。

 シャルティアは既に水遊びに飽きてアインズの足下で寛いでいる。

 

 そこは謎の空間だった。

 クアイエッセが嬉しそうにアインズを扇ぎ、第四席次の神聖呪歌が美しい歌を歌って、隊長はシャルティアの前に跪きながら写真のなんたるかを語られている。

 漆黒聖典の隊員達はよほど暑いのか可哀想な事に皆汗だくだ。

 アインズは字を読むモノクルを着けていて、ノートにペンを走らせるツアーの話を真剣に聞き、一緒に座って話を聞くデミウルゴスはジャケットだけを脱いでいる。ただ、デミウルゴスは汗ひとつかかずにいて、袖を纏っていた。

 

「……漆黒聖典の皆さん、楽な格好になって良いですよ、それに泳いだっていいんですからね。あ、全裸以外で」

 フラミーのその声に漆黒聖典達は頭を下げ喜んで鎧を脱ぐと、手持ち無沙汰だった隊員たちは泳ぎに行った。

 前述の三人は相変わらず鎧を脱いでも同じように謎の職務に就いたが。 

 

「アインズ殿は真剣だな。フフフ」

 ドラウディロンは嬉しそうだ。

 周りの様子も無視して勉強に没頭するアインズをフラミーはぼうっと眺めた。

「それで――……ん?フラミーさんどうしました?」

 顔を上げたアインズにフラミーはぷるぷると首を振ると、手の空いていそうな漆黒聖典の女子、占星千里を手招きした。

「アインズ、集中しろ」

「あ?ああ、すまないな」

 ツアーのお叱りの声にアインズは再びノートに視線を落とした。

 ノートにはツアーが様々なことを書き加えて行き、デミウルゴスも話の中で気になった事をアインズに与えられたノートに書き込んでいた。

 当然そのノートは後で回収される。

 

「光神陛下!如何なさいましたか?」

 占星千里が駆け寄って来ると、フラミーはじーっと胸を見た。

「あの、良かったら一緒に焼きません?」

 フラミーは焼くときに豊満な王女の隣に一人で寝転ぶのが嫌だった。

「肌ですか?」

「はい!勿論嫌だったら、断ってもらって全然いいんですけど」

「いえ!ご一緒させていただきます!!」

 元気いっぱいに応えた占星千里は日焼けするために必要だと思われる物を取りに走って行った。

「フラミー殿、本気だな?」

 ニヤリとドラウディロンが笑うと、フラミーもニヤリと笑い返した。

「本気です。私は自分を変える!」

 フラミーの謎の闘志にドラウディロンはキャー!と喜んだ。

「私も自分を変えるぞー!!」

 占星千里がテントの下に敷く布を手に戻り、いそいそとそれを敷いていく。

 フラミーは砂浜に直接寝転ばればいいと思っていたが、占星千里もドラウディロンも当然のように地面以外で焼くと思っていたようだ。

 確かにここには女王もいるし、何より神様を地面に転がらせるようなことはあり得ない。

 

 フラミーはそれならば、と――

「<転移門(ゲート)>!」

 占星千里とドラウディロンを第九階層の自室に引きずり込んだ。

「おかえりなさいませ、フラミー様」

 部屋に詰めていたフラミー当番が頭を下げる。

「な、なんだ……ここは……」

「すごい…………」

 ドラウディロンと占星千里は惚けたように辺りを渡した。

「私の部屋ですよ。せっかくですし、お着替えしましょ!」

 リアルでは日焼けは空気の綺麗なアーコロジー内で肌を出して過ごせる超特権階級のみが得られるセレブの象徴だ。

 日焼けサロンも庶民では手が出せない。

 フラミーは何故か燃えに燃えていた。

 

「こ、光神陛下のお召し物をお借りするわけには!」

「いいからいいから。せっかくなんですから楽しまなくっちゃ!」

「フラミー殿、私もいいのか……?」

「もちろんですよ!」

 軽い押し問答の後、国宝を超えるような装備を二人は着せられた。

 着替えを済ませた女子達は湖畔に戻ると、三人でどさりと寝転んだ。いや、どさりと行けたのはフラミーだけで、後の二人は着ているものが汚れたり傷ついたりしないように恐々寝転がった。

 

 

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 フラミーはそれまで着ていたチューブトップに――茶釜が生えているため短パン姿でセクシーさは皆無だが、他の二人はフラミーが昔集めたビキニアーマーで中々サマになっている。

 

 フラミーは仰向けに寝転がってみたが、羽が邪魔だった。

 ずっと横向きかうつ伏せで一年寝ていた為、久し振りのゴワゴワする感触に転移した最初の頃を少し思い出した。

 懐かしいなぁと呟きながら、フラミーはさて、どうやって焼こうかと考えた。"焼く"と言う行為が一種の火傷だと言うことは分かっているため、何かしらの異常状態に該当するだろうと当たりを付けた。

 そうとなれば、この身を守るあらゆる耐性が邪魔をするかもしれない。

 が、考えても焼く為に切らなければいけない耐性がどれだかよく分からず――殆どの耐性を切ることをら決めた。指輪やピアスを外す事で耐性を手放し、その瞬間モワッとした暑さに包まれクラクラした。

「……わぁ……皆こんなに暑かったんだ……」

 隣で一緒に転がる女王と占星千里が笑う。

「ははは。フラミー殿は暑さも寒さも感じないようにしていると言っていたもんな。良いだろう?暑さもたまには」

 ドラウディロンの声に「本当ですね」とフラミーは頷いた。

「光神陛下、暑くなりすぎたらいつでも水をお掛けしますので仰って下さい」

「はーい!ありがとうございます」

 女子は黙ってそのまま三十分転がり続けた。

 

「フラミー様、フラミー様」

 まどろみの中自分を呼ぶ声にフラミーが目を開けると、シャルティアが真上から顔を覗き込んでいた。

 宝玉のように赤く美しい瞳が魅力的だった。

「ん……シャルティア?どうしたの?」

 シャルティアはニヤリと笑って写真を見せてきた。

「フラミー様が大地と光を感じているお写真でありんす」

 差し出される写真をまじまじと見ると、貧弱な自分と豊満な女王、健康的で美しい占星千里が写っていた。

「…………そんなもん撮ってどーすんの!」

 フラミーはガバッと起き上がると、慣れない本物の太陽と、初めての脱水症状に目が眩んだ。

 そのままぐらりと横向きにドラウディロンの胸に突っ込むとそれの柔らかさに心の中で驚愕した。

「フラミー殿大丈夫か?おい、水を頼む」

 占星千里がパッと起き上がって無限の水袋を取りに行った。

「ふ、フラミー様、失礼いたしんした。大丈夫でありんすか?」

「あ、ちょっと待って、ダメだチカチカする……」

 目の前を白黒の火花が散っているのを見ていると、あたりから騒めきが聞こえた。

 

 すると、すぐに額を冷たい物が覆い、水の入った何かが口に当てられ、フラミーは夢中で水を飲んだ。

「はぁー…………ありがとうございます……占星――」

「ん?先生?」

 見上げた先にいたのは骨だった。

 横から片手でフラミーの頭を抱いて、無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)をその手に握らせるように持つアインズに、フラミーは何故かドキりとした。

「はれ?……あいんずさん……」

「ははは、お母さんのこと先生って呼んじゃう奴ですね」

 占星千里が走って戻って来ると頭を下げていた。

「申し訳ございません!最初からちゃんとご用意していれば良かったです」

「この人はあまり外に慣れていない。手間を掛けて悪いが気を付けてやってくれ」

「畏まりました。本当に申し訳ございませんでした」

 

 アインズは無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を置くとフラミーの首の脈に冷たい骨の手を当てた。

 

「全部私が悪かったのに……ごめんなさい……。はー冷たい……」

「はは、よく冷やしてください。」

「はひ……デミウルゴスさんの手はあんなに熱かったのに……」

「――……デミウルゴス?」

 アインズは早く戻れと言わんばかりの雰囲気でこちらを見ているツアーと、その隣の悪魔をチラリと見た。

「デミウルゴスさんの両手……熱過ぎて……ネックレス溶けちゃうって思って……とっても怖かったの……」

「どんな状況ですか一体」

 アインズはフラミーをそのまま横抱きにすると湖に向かって進んだ。

 神器級(ゴッズ)アイテムではないが、アインズの今日着ている魔法のローブは水を少しも吸いはしなかった。

 

「ひっ!!つっっっめたい!!!!」

 フラミーはどんどん自分が水に入っていく感触に我に返った。

「あ、アインズさん!冷えました!!」

 そのままアインズはズンズン進んで沈んでいく。

 フラミーが顎まで水に浸かると、アインズはようやく進むのをやめてフラミーの首を少し擦るように撫でた。何の意味もない行為だ。

「あの、私、まさか百レベルでも脱水するなんて思いもしなくて……。その……怒ってます?」

 

 フラミーは不安そうにアインズを見上げた。

 

「怒ってます。なんでデミウルゴスがフラミーさんの首なんかに触るんですか?」

「へ?あっ、それは私……全部私のせいだったんです……」

   少し思いつめたような顔をするフラミーに、アインズは何故そんな顔をするような事を相談してくれないんだと思う。

「フラミーさん、聞かせてくれませんか……?」

「あの……そのぅ……」

 言葉を選んでいるのか、話すことを躊躇っているのか。

 水がチャプンチャプンと二人にぶつかる音だけが聞こえた。

 

「はぁ。キツイなぁ。ウルベルトさんとフラミーさんて、いつも結構仲良くしてましたよね。綺麗なもん見に行こうって……」

「仲良くというか、もっと悪魔らしいかっこしろって怒られてました」

 へへと笑うフラミーのおでこにアインズは頬を付けるとしばらく何かを考えた。

「アインズさん、私もう大丈夫です。下ろしてください」

「俺のためにこうしてるんです……」

「アインズさんの為?」

 

 アインズはデミウルゴスに"触れ合いは人の心を動かす"何て言わなければ良かったと少し後悔した。

 

「静かに」

「は……はひ……」

 フラミーの顔を覗くと日焼けのせいか、体が冷め切らないのか、顔を真っ赤にしていた。

「まだ暑そうですね」

「だ、だいじょぶです!兎に角日が高い内に背中も焼かねば」

 フラミーはジタバタするとアインズから降りた。

「――あ、フラミーさん!」

 

 泳ぐように戻り始めた背中を呼び止めると、振り返った女神はやっぱり赤かった。

 

「まだ無理ですよ。全く世話がやけるな。第一何で突然日焼けなんですか」

 アインズはザブザブと水を掻き分けて近付き、フラミーをもう一度持ち上げると、フラミーはすっかり小さくなっていた。

「だって……」

「だってなんですか……」

「変わったら……また……可愛いって言ってもらえるかと思って……」

 自分の腕の中で両手をグーにして口の前に当て、顔を真っ赤にするフラミーを見るとアインズは胸が苦しくなった。

「……もー!あんたって人は本当に!!!」

 湖の中で上げたアインズの謎の叫びに、ドラウディロンは複雑な視線を二人から離せなかった。




っく……!!あまずっぺぇ!!
じれってぇな!!
俺ちょっとやらしい雰囲気にしてきます!!
次回 0時、#12 閑話 やらしい雰囲気
いや、違う違う。

次回 #12 閑話 人の身
明日は0時に閑話なので12時にストーリーも貼ります(*゚∀゚*)

12:10 間に合いませんでした!!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1139731870298431490?s=21


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#12 閑話 人の身

 アインズは猛暑の湖畔で立ち上がった。

「よし、じゃあ力の選択もイメージ出来てきたし、やってみるか。」

「抑制の腕輪は今は外すと良いよ。」

 隣にいたツアーはそう言って手を伸ばしたが、アインズは悩むように固まった。

「どうしたんだい?まだ碌に力も使えないんだ。それは足枷になる。」

「いや、これは…そのな、実は抑制の腕輪じゃなくて制御の腕輪だったみたいなんだ。」

 デミウルゴスから良いのかと送られてくる視線に頷いて続ける。

「抑制することも開放することもできる。黙っていて悪かったな。」

 殊勝な雰囲気にツアーは顎に手を当てた。

「いや。気にしないでいいよ。教えてくれてありがとう。」

「…ドラウディロンに返せとか、持ち帰って保管するとか言わないのか?」

 ツアーは首を左右に振った。

「君の体を駆け巡る力が抑えられている事に変わりはない。肝心な時に魔法が発動しないより、どちらも選べる方が良いのかもしれないね。魔力弁だったわけか。」

「あぁ。安心したよ。ありがとう。」

「まぁ、少なくとも百年は抑制と人化の為だけに使って欲しいところだね。」

 二人は少し笑い合った。

 命を奪い合う苛烈な争いを繰り広げたとは思えない――いや、だからこそいつでも本気でぶつかり合えると思っているのか。

 それとも最悪腕を切り落として持ち帰ればいいと思っているのか。

 

「じゃ、水を差して悪かったね。集中して、自分の魂の力を集めてくれ。」

 アインズは頷いてツアーの話を思い出しながらイメージする。

「……ンン…。」

 目当ての力がうまく捕まえられずに少し声を上げた。

「――そこだ!!」

 アインズの大きな声に遊んでいた面々が一斉に顔を向けた。

 

 その身は光り輝くと――アインズは久々の肉体がある感覚にすぐに気が付き喜んだ。

「やった!やったぞ!!」

「おぉ、アインズ様!なんと…!」

 デミウルゴスの声にくるりと後ろを向くと、想像以上にその存在が大きくてアインズは一瞬驚いた。

 ツアーは失敗だと顔を覆った。

「アインズ。喜んでる所悪いけれど、下手にドラウディロンの話を聞いたせいで幼くなっているよ。」

 そこには銀髪の、目の上下に縦線が入る少年がいた。

「何?……確かに少し小さいようだな。では次――。」

 全てを言い切る前にドラウディロンが突っ込んできていた。

「あわわ!アァインズ殿!!!なんて可愛らしいんだ!!!!」

「や、やめないかドラウディロン!!邪魔をするんじゃない!」

 アインズは抱き締められて顔に押し当てられる胸に溺れそうになった。

 呼吸しなくても生きていられた体とは違うようだ。無理矢理押し返したりすれば、その身の柔らかなところに触れてしまいそうで、アインズは逃れるに逃れられなかった。完全に拘束されれば、その瞬間自動で逃げ出せると言うのに、相手が下手に弱いせいで拘束への完全耐性が働かなかった。

「シャルティア!ドラウディロンを退けろ!!」

「あぁいんずさま!!!!なんて素晴らしいんでありんしょう!!」

 シャルティアもダメだった。

 ばふんっと横からさらに胸が増え、アインズはこのままではマズイ(・・・)と気がつく。肉体があれば、欲求も素直に働いてくるものだ。

 シャルティアを引き剥がそうとデミウルゴスが動き出しているが、マズイ(・・・)事態になる前に冷静なはずの救援を呼ばなければいけない。

「ふ、ふらみーさーーん!!」

 情けない少年の声が響き渡ると、ヒョイと体が持ち上げられた。

 フラミーの煌く金色の瞳が至近距離でじっと見つめる様子に、アインズは言葉にならない声を上げた。美しかった。

「あ…あぁ…あの…。」

 フラミーは瞬きもせずに見つめ続け、その名前を呼んだ。

「アインズさん?」

「…は、はい!はぁ、助かりました…。」

 アインズが安堵のため息をつくと、その小さな体は途端に抱き締められた。

「へっ?」

「可愛い!アインズくんだぁ!」

 フラミーはアインズの頭をよしよしと撫でながら頬擦りした。

「あ、あの、フラミーさん!ちょ!」

 あわわわと慌てていると、アインズは精神の鎮静が働いていない事に気が付き更に焦る。

 

「…どうやら見た目だけでなく精神も幼くなったようだね。」

 ツアーの冷静な、微妙に間違っている考察にアインズは恥ずかしくなった。

「フラミーさん、よして下さい!俺の方が大人です!」

 フラミーはアインズを抱いたまま一度首をかしげると楽しそうに答えた。

「ふふっ。私の方がお姉さんですよっ!」

 フラミーはアインズの鼻と自分の鼻の先を触れ合わせると嬉しそうに笑った。

「な……な………!」

 アインズはあまりの恥ずかしさと胸から聞こえてくる爆音の鼓動に頭が真っ白になって行く。

 これもマズイ(・・・)としか思えなかった。

 仕方ない。肉体(・・)は一年放置されていたのだから。

「デミウルゴス!何をぼーっと見ているんだ!!早く私を下ろさせろ!!」

「あ、あぁ!これは失礼いたしました!只今!!」

 デミウルゴスはフラミーからゆっくりアインズを取り戻し、地面に下ろした。

「まだ遊びたい。デミウルゴスさん。」

「なぁ?ちょっとくらい遊ばせてくれても良いのにな。」

「全くでありんすね。やっぱりあれは敵のようでありんす。」

 不服そうな女子達を無視してアインズはボフン!と元の姿に戻った。

 

「……ツアー、私はやっぱりこの体が一番かもしれん……。」

 よろよろと椅子に腰を下ろすとツアーはその肩に手を置いた。

「何を言っているんだい。子供になった君を見て僕は確信した。人の身になれば人の身に精神は引かれると。さぁ、泣き言を言わないで早く。」

 アインズはうぅ…と声を上げると、もう一度集中する。

「子供の部分は拾わないように気を付けるんだよ。あれじゃあそれこそ魔法を暴発させて世界を破壊しそうだ。」

 ツアーのサポートの声に耳を傾けながら、再び魔法を使う。

「………これだ!!」

 その身は再び輝くと――漆黒聖典がオォ!と感嘆した。

 

「あぁ、それなら良さそうだね。しかしまだ若いんじゃないか?」

 ツアーの声にアインズは振り向く。

「そうか…。まだ若かったか。どれどれ。」

 手の大きさや身長的にはちょうど良さそうだが――と思いながら遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を起動させると、そこにはまるで知らない、少し長めの銀髪が目にかかっている細マッチョがいた。

 顎と鼻はシュッとしていて、涼しげな黒目の上下には骨に入っていた亀裂と同じ線が入っていた。

 最初の感想は誰この人、だった。

(顎の形や目の形から言ってあの骨にまんま肉体がついたのか…微妙にいけすかない顔してるな…。)

 モモンガ玉は見当たらず、恐らく体内に取り込まれた。

「あー、歳はこんなものじゃないのか?デミウルゴスはどう思う。」

 フラミーよりお兄さんで、尚且つ身近な仕事のできる男であるデミウルゴスと同い年くらいの見た目を狙ったのでアインズ的には大成功だった。

「は。私もそのくらいでよろしいかと。」

 悪魔に頷くとサラサラと目にかかってくる前髪を後ろに送りながらアインズは考える。

(この顔もやっぱり運営の設定なのかなぁ。)

 

「そうなのかい?セバス君より上を目指すのかと思ったよ。長いヒゲが生えて、シワが多い方が神様っぽいじゃないか。」

 謎のステレオタイプの神様に仕立て上げられそうになっていた事にアインズは苦笑する。

「まぁ、とりあえずこんなもんか。」

「それが…鈴木さんのお顔?」

 フラミーはアインズをじっと見ていた。

「いえ。これは…きっとオーバーロードの顔ですね。」

「アインズ殿の骨に肉体がつくと…こ、これほどまでに……。」

 ドラウディロンがハァハァと息を荒くしている隣で、シャルティアは不服そうだった。

「妾はいつものアインズ様の方が好みでありんすねぇ。ショタもいけんしたが…。」

 シャルティアが駆け寄ろうとしたドラウディロンの首根っこを押さえているのを見ながらアインズは自分の中に存在しているだろう"精神抑制"を探す。

(…………これだ。)

 これは余程のことがなければ必須だと解った。

 始原の魔法の使用から、それを見つける事が出来るようになっていた。

 

「…取り敢えず…守護者達を呼ぶか。」

 

+

 

 湖畔には異形が集まっていた。

「アウラ、マーレ、コキュートス、アルベド、そしてパンドラズ・アクター。よく来たな。」

 何も言われずとも自然とアインズに頭を下げるその者達に、どうして自分がアインズだとわかるんだろうと思う。

「アインズ様にお呼び頂ければ、守護者一同即座に。」

 アルベドが代表してそう言うと、皆が頭を下げた。

「あぁ。皆楽にしろ。見てわかる通り私は取り急ぎ始原の魔法で肉体を手に入れてみた。お前達の感想を聞かせろ。」

 これでもし顔の評判が悪ければ顔面には幻術を展開しようかと悩んでいた。

 

「シャルティアは子供の方が良かったと言っていたな。アウラ。」

「涼しげな目がとーってもかっこいいです!アインズ様!」

「…マーレ。」

「あのその!ぼ、僕もそんな風になりたいなって思います!!」

 双子は瞳を輝かせていた。

「コキュートス。」

「人間ノ美醜ハ解リマセンガ、力強サヲ感ジサセル瞳デス。」

「はは、それはそうだな。パンドラズ・アクター。」

「んんん父上様!素晴らしいお顔に、お身体!!このパンドラズ・アクターにその姿になることをお許しください!!」

 上機嫌にひらひら踊る姿に鎮静され、パンドラズ・アクターまで呼び出したのは間違いだったと思った。

「…それは必要になったらな…アルベド。」

「アインズ様がかつてリアルでヒトを名乗る神だったとは聞いておりましたがまさか……。」

 最後の最後で少し良くない反応かとアインズはやっぱりこの顔はいけ好かないよねと思った。

「あぁ、やはり顔に問題があるか?」

「とんでもございません!!これ程までに美しいお姿だったなんて、私、私もう我慢できませんわ!!」

 言い切るとエイっとアインズを地面に押し倒した。

「な!?や、やめんか!」

 アインズは精神抑制があって良かったと思った。

 骨の時とは違ってダイレクトに感じるその胸の柔らかさと、女性らしい匂い、少し汗ばむその身の感触に抑制されている今もマズイ気がした。

しかしアルベドはすぐにコキュートスに引き剥がされて行き、アインズは地面にあぐらをかきながら砂まみれになった自分の頭をわしゃわしゃと触って砂を落とした。

 少し離れた所でドラウディロンが怒っているのをシャルティアが止めていた。

「あー…ではお前達的にはこの顔は有りなんだな。」

「「「有りです!!」」」

 守護者達はどんな顔でも有りだと言いそうなのが怖かったが、守護者が集まるまでに聞いた漆黒聖典の反応は「神々しい」だったので及第点だろう。

「では、必要時には私はこの姿になろう。」

 そう言ってからフラミーの感想を聞いていなかった事に気が付いた。

 シャルティアに捕獲されるドラウディロンの隣で隠れるようにアインズを見ているフラミーをちょいちょいと手招きした。

 ドラウディロンと目を合わせてからフラミーは自分のことを指差すとテテテと駆け寄ってきた。

「フラミーさんどう思います?」

「あ、あの…。よろしいかと…。」

 妙に煮え切らない様子にアインズは頷いた。

「ふむ、少し俺たちの感覚から言ったらいけ好かない顔ですよね?」

「いえ、そんな事はないです。ないですけど、なんだか知らない人みたいで…。」

 あぁとアインズは頷くとフラミーの紫色の手を取って引き寄せた。

「あ…あの…。」

 あぐらの間に膝をついて片手を口の前に当て、気まずそうに視線をそらすフラミーが面白くて顔を両手で挟んだ。

「ははは、今更人見知りですね。変なの、はははは。」

「…おちょくってるとチューしますよ。」

「はは…は?」

 アインズは精神抑制が付いているというのに顔が真っ赤になるのを感じた。

「なんてね、うそぴょん。」

 フラミーは緩んだ手からぴゃっと離れて会話が聞こえていない距離のドラウディロンの隣に戻っていった。

 アインズはフラミーの顔を挟んでいた手を暫く下ろせなかった。




あぁ〜〜正規ヒロイン!!!アインズ様ぁ!!!!
フラミーさん早くチューしてくれ!!!!!(発狂

黒髪赤目に悩みましたが、銀髪黒目にしました。
なぜなら中二病だから。にっこり。
怒ると目が赤くなるとか良くないですか?(えぇ

次回 #13 仲間
この話が閑話だったのでストーリー12:00更新にしまーす!
次回はドラウディロンが…( ;∀;)

2019.06.17 ミッドレンジハンター様!誤字修正ありがとうございます!


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#13 仲間

 アインズはフラミーに聖典と女王、ツアーを連れて転移門(ゲート)で城に戻るように頼むと、竜王国に共に来ていなかった守護者達を連れて一度ナザリックに戻った。

 人の身でいるとパンツも履いていない今の格好は犯罪的なので着替えを行うのだ。

 メイドの出す服はやはりどれも派手だった為、アインズはなるべく派手じゃなさそうな物を指差した――はずだった。

 足首まであるオフホワイトのローブに過装飾すぎるベルトが腰で止まっている。

 襟元で輝くイカつ過ぎるネックレスはファラオの首飾りと呼ばれる期間限定アイテムだ。

 複雑怪奇なサンダルを履かされながらアインズは一応尋ねた。

「…これは…派手じゃないか?」

 骨の時は割と慣れてきていた日々の着替えだが、肉体があるとそれだけで恥ずかしかった上にキンキラな自分が辛い。

 指輪も大量に着けているし、腕輪もしているのだから、ベルトやネックレスはこんなに派手じゃなくてもと言うのが正直な感想だった。

「そのような事はございません!あの帝国皇帝ですらもっと派手でございます!」

 メイドは瞳を輝かせて、もっと派手にしたいとでも言いたげだった。

 アインズは一度だけ数分顔を合わせた皇帝を思い浮かべ、確かにこのくらいならセーフか?と思った。

 

+

 

 竜王国の城に戻ると、夕暮れ時の広間には出張して来ていた神官長達と、現地の文官、そして宰相がいた。

 見慣れた面々がこちらを繁々と眺めてくる様子に、やっぱり派手ですよねと一瞬セーフかと思ったその思考を破棄し、心の中で泣きながら声をかける。

「お前達。任せっきりで悪いな。」

 そう言うアインズに頭を下げたのは行政に携わらせている死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達だけだった。

 神官達が顔を見合わせて気まずそうにしているその様子にアインズは首を傾げた。

 その身の近くに、二人の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がカウチソファを持って近付いてくる。

「ああ、すまんな。よっこらせ。それで、フラミーさんはちゃんとドラウディロンと聖典を連れて戻ってきただろうな?」

 アンデッド達が甲斐甲斐しく世話をし、女神をさん付け、さらに女王を呼び捨てにするその様子に神官長達は驚きに顔を見合わせた。

「まさか…神王陛下…?」

 その様子にアインズはハッとした。

 ナザリックでは誰にあってもすぐにバレていた為、余程骨格とこの顔がピタリとあっていて、どこからどう見てもアインズ丸出しなのだと思っていた。

 いや、事実骨格と顔はピタリと合っていたが。

「……いや、違う。違います。」

 アインズは職務を放棄した。

 

 立ち上がり部屋を去ろうとしたが、神官長達が扉の前に駆け寄りそれを止めた。

「陛下、その身であればお子を成せるのでは?」

「何でもオーリウクルス女王を娶ると聞きましたが。」

「竜王国は属国でよろしいのですか?」

 矢継ぎ早に飛んでくる質問に、アインズは感情抑制をつけていると言うのにしっかり冷や汗をかいた。

「な!ち、違う。私はそんなものじゃない。どう見ても私は人だろう。いいか、私をそう呼ぶんじゃないぞ!」

「「「お戯れを!」」」

 

 アインズは暑苦しいおじさん達から目を話すとこめかみに手を当てた。

「パンドラズ・アクター!お前の望んだ出番だ、<転移門(ゲート)>!」

 アインズは闇に駆け込んで行ってしまった。

 神官長達は神とはかくも偉大なものだと、今日も平然と奇跡を起こすその身に取り敢えず祈りを捧げた。

 

 しばらくすると、落ち着いた様子で神王は戻ってきた。

「陛下…。それで、オーリウクルス女王より直々に嫁入りすると聞いたのですが…。」

「それは今すぐの話ではない。あれがいつか魔導国に相応しくなったと私が思えたら、だ。全く仕方のない娘だな。」

 やれやれと首を振ると、妙に美しい動きでソファに腰掛けた。

「さて、それでは私が戻ったらすると言っていた属国化記念式典について話し合おうじゃないか。」

 

+

 

 フラミーはツアーを家に帰して、与えられた部屋で一人うだうだしながら自分のノートに目を通していた。

 ドラウディロンとシャルティアは記念式典で述べる話を覚えると言って珍しく働いていた。

 何処かと線の繋がる感覚にフラミーは受話器方にした手の親指をこめかみに当てる。

「はい、私です。はーいお世話になってまーす。お部屋ですよー。どうぞどうぞ。はい。はーい。失礼しまーす。」

 すると闇が開き、そこから骸骨がゆっくりと出てきた。

「お疲れ様でーす、あれ?人間やめたんですか?」

「お疲れ様です…なんかその言い方怖いですね。はは。」

 妙に疲れた様子で笑うアインズに、フラミーもクスリと笑った。

 

「その格好の方がアインズさんらしいですよ。」

「…フラミーさんは自分が人見知りするからそう言うんでしょ。」

「バレました?」

「全くもう。ふぅ、少し練習しようかな。」

 アインズはフラミーの前のソファに座ると身を沈めて力の取捨選択をする。

 すると少し光り、人になった。

 一応鏡を出してまるで見慣れない自分の顔を眺めた。

「この顔本当に大丈夫なんですかね…。」

 フラミーは居心地悪そうに笑ってノートに視線を落とすと言った。

「造形はバッチリ大丈夫ですよ。」

 見た目が違うだけで別人に感じるのは人の性だろう。

 アインズはノートを読むフラミーを暫く眺めてから、立ち上がりフラミーの隣に座った。

 嫌だと言わんばかりにフラミーはアインズのいない方にノートで顔を隠したままパタリと倒れた。

「ははは。まぁ、ゆっくりならしていくか。」

 アインズは笑うと自分もノートを取り出して読み始め――いつの間にか眠りに落ちた。

 

+

 

 遠くで巨竜が身をよじらせているのが見えた――――。

 

+

 

「アインズさん!!アインズさん!!」

 目を開けると、フラミーが泣きそうな顔で自分を揺すりながら呼んでいた。

 外はもうすっかり夜になっていた。

「あれ?あ、そうか。人だから寝るのか…。」

 死の支配者(オーバーロード)の特性でこれまで眠らなかったので、睡眠無効などの効果をアインズは持っていなかった。

 薄暗くなった部屋でだらしなくなり始めていた姿勢を戻すと、へへへと笑った。

「お…起きた……。」

「すみません。まさか自分でも寝るとは思いもしなくて。ははは。」

 フラミーは首を振ると溜まりかけていた涙をギュッと拭いて笑った。

「良かった。」

 苦しい。

 精神抑制も付けているのにこんなに苦しいなんておかしい。

 人の身はだめだ。

 アインズは骨でいた時には感じなかった欲求や感情に突き動かされるようにフラミーの腕を握ると引き寄せ、抱き締めた。

「寝ないって約束したのに俺…すみませんでした…。」

「あ、あいんずさん。」

「なんか変な夢見た気がするし…俺もう本当寝たくない。」

「怖い夢だったんですか?」

 フラミーは翼でアインズを包みながらその背に手を回した。

「大丈夫ですよ。次寝たら叩き起こしてあげます。」

「はは、俺やっぱり人間やめようかな。」

 薄暗い部屋の中、無言で互いの背中をポン、ポン、とゆっくり叩き合って慰め合う。

 翼の殻の中でアインズは少し離れると潤む瞳でこちらを見ているフラミーの唇を親指でツツ…と撫でた。

 潤むような唇はやわらかかった。

「なるほど。父上の体を作り変えているのが始原の魔法故にユグドラシルのアンデッドとしての睡眠不可が切れるわけですね。」

 思い掛けもしない声にフラミーは翼を開き、バッと二人は離れた。

 

「な、な、な!?お前なんでノックもなしに!?」

「いえ、宝物殿に戻ったら父上の転移門(ゲート)があったので、お呼びなのかと。」

 黄色い卵頭の指差す方には開きっぱなしの転移門(ゲート)があった。

「な…な…!!嘘だーーーー!!!」

 アインズは鎮静された。

 

+

 

 数日後、竜王国では盛大な式典が開かれていた。

 当然のように全ては魔導国持ちだ。

 城の一番低いところにあるバルコニーには三つ玉座が出されていた。

 祝いの日だと言うのに、ドラウディロンは落ち込んでいた。

「はぁ…これで竜王国を離れてしまうんだな…。アインズ殿…。」

 その視線の先には骸骨と、その奥にはフラミーがいた。

「あぁ。しかし、ここのリッチ達と文官をちゃんと育てたから何も心配する事はないとも。」

 もちろん神官達と行政経験を積んだリッチ達が教育を行った。

 

 パンドラズ・アクターとデミウルゴスが作った台本をきちんと丸暗記したシャルティアが国民に向かって深くて良い話を聞かせている。

「…それは…そうだがな…。」

 ドラウディロンは辛そうに下を見た。

 人間の身を手に入れた日から上機嫌のアインズはドラウディロンの頭をワシワシと撫でた。

「なんだ?何か困ってる事があるのか?」

 アインズはアイテムをくれ、さらに魔法の使い方を知る機会を齎した女王を気に入っていた。

「なぁ……まだ、まだ資格は充分じゃないって分かってるけれど――」シャルティアの話が終わったのか大歓声と拍手が上がり――「貴君と共に生きたいんだ。私は貴君の子を持ちたいんだ。」――ドラウディロンの言葉は拍手をするアインズには届かなかった。

 拍手がおさまると、アインズは優しく聞き直した。

「すまない、もう一度いいか?」

「だから――」

「アインズ様!フラミー様!妾の挨拶はいかがでありんしたか?」

 戻ってきたシャルティアをアインズは手招きして頭を撫でた。

「よくやったぞ、お前は本当にペロロンチーノさんの自慢の娘だ。ペロロンチーノさんに見せてやりたいな。」

「とってもいいお話でしたよ!よく覚えましたね!」

 二人に褒められ、キャーと喜ぶシャルティアをドラウディロンは辛そうに少し眺めた。

「それで、なんだっけか?」

 アインズが振り返ると、そこに女王はいなかった。

 

 女王は間の悪い自分を恨んでとぼとぼ歩いていた。

「今すぐにでも子供を作って一緒に魔導国に行かせてほしい。嫁いでも努力して必ず始原の魔法を取り戻すから。」

 そう伝えたいだけなのに。

 玉座の後方離れたところに立っているデミウルゴスと、数日前から入城したアインズの息子の下へ向かった。

「如何なさいましたか?お嬢さん。」

「お嬢……いや、アインズ殿は、私をすぐにでも娶ってくれないだろうか…。」

 パンドラズ・アクターはまじまじとドラウディロンを見た。

「父上は恐らく、力無き者を一人でも迎え入れれば示しがつかないと仰るでしょう。」

「…ふふ、言うだろうな。彼なら。」

 守護神達はその強さ故かドラウディロンに力がない事に気が付いているようだった。

「私が一緒に行きたいと言ったら…嫁じゃなくても連れて行ってはくれないだろうか…。」

 嘘でもあり得ると言ってほしかった。

 卵頭は帽子を脱ぐと小脇に抱え、頭を下げた。

「申し訳ありませんが、私ではお答え出来かねます。」

「…君も父に似て誠実なんだな。」

 ドラウディロンが玉座を眺めていると、ハナビが上がった。

「…すごい魔法だ。」

 体を芯から震わせる低い音は、まるで自分を慰めるようだとドラウディロンは目を少し閉じた。

 

「デミウルゴス殿…。」

「なんでしょう。」

「貴君も辛いな。"仲間です"…か…。」

 三人の視線の先には楽しそうに笑い合う二人の支配者がいた。

 あの女神は嘘はついてはいないだろう。

 しかし――――。

 

「強くならなければな…。」

 ドラウディロンの言葉に守護者は深く頷いた。




前半のフラミーさんとのことを書いて奇妙な笑いを上げた後、
ドラウディロンのことを書いて頭を抱えました。
っく…ドラウディロンに感情移入しすぎて辛いです。
連れてってあげてぇ……。

アインズさん、<クラス難聴>と<クラスがっかりタイミング>を取得!!
いや、元から持ってたか!

次回 #14 さようならの後に


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#14 さようならの後に

 翌日。

 デミウルゴスは竜王国への政治介入のため、シャルティアは信仰心を高めるため、二人は残ることになった。

「じゃあ、パンドラズ・アクター。くれぐれも御方々を頼むよ。」

 パンドラズ・アクターは話のわかる仲間と握手を交わした。

「お任せ下さい。デミウルゴス様。」

 アインズは仲の良さそうな息子達を少し眺めると、腕時計を確認した。

「そろそろだな。シャルティア。」

「はい!<転移門(ゲート)>。」

 

 シャルティアの開いた巨大な転移門(ゲート)から、陽光聖典総勢二十名とニグンを連れたコキュートスが現れた。

「アインズ様、フラミー様。コキュートス、御身ノ前ニ。」

 コバルトブルーの武人は陽光聖典と揃って跪いた。

「よく来たなコキュートス、そして陽光聖典よ。これから行く先はミノタウロス、亜人の国だ。お前たちはこれまで多くの亜人をその下に従えて来た。今回も期待しているぞ。」

 隊員たちのやる気に満ちた声が響く。

 ニグンは目覚めて以来始めて拝謁する神の威光に歓喜から身を震わせていた。

「ルーインよ…お前も忠義に励め。」

「は!!神よ!!」

 直々に声を掛けられたことに更に歓喜し、深々と頭を下げてから任務引き継ぎのため漆黒聖典隊長の下へ行った。

 フラミーはふぃと視線を逸らしてあまり好きじゃなさそうにしていたが、ニグンは神を国に連れ帰った者として神聖魔導国では賞賛の的だった。

 最早その男を知らない者はいない程に。

 

 陽光聖典は漆黒聖典から、神と行った今回の旅と、神との過ごし方を引き継ぎ、必要な物資や知識を共有した。

 漆黒聖典がともに来る時は紫黒聖典より情報が共有されていた。

 その際、妹達が最も重視しなければいけない点として挙げたのは、なんと「神々はキャンプが好き」だった。

 もっと他にあるだろうと揉めたのは言うまでもない。

 特にクレマンティーヌとクアイエッセの争いは熾烈だったとか。

 しかし、いざその立場になると、漆黒聖典はやはり「神々はキャンプが好き」と陽光聖典に伝えたとか。

 ただし、今回特に大切なのは神が人の姿を手に入れたと言う事だった。

 

 アインズは何だかんだと結構長居した竜王国をまじまじと眺めると、もう正式に別れを告げ終わったドラウディロンと目があった。

 何か言いたそうにするその瞳は初めてこの国に来た晩も見た物だ。

 今回の功労者を手招く。

 もう一度感謝しても良いだろう。

「アインズ殿…。」

「ドラウディロン。今回は本当に世話になったな。」

「そんな…私こそ…。」

「ミノタウロスが落ち着いたら、支配者のお茶会をするからな。君も来ると良い。」

「あ、ああ!ああ!勿論だ!絶対に行くと約束する!!」

「ふふ。楽しみにしているよ。」

 ドラウディロンは胸を押さえた。

 

「あぁ、それから――」

 そういうアインズにドラウディロンは祈った。

 一緒に来てくれと言ってくれ。

 頼む。

 

「これは、決して外さないからな。有効活用するよ。」

 アインズが上げた骨の腕には王同士の約束の腕輪があった。

 ドラウディロンはそれを目にしてポロポロと涙をこぼした。

「あぁ…そうしてくれ……。必ず、必ず私に返すその時まで、決して肌身離さず、その身に着けていてくれ…。」

 涙を拭いてくれる優しい骨の指に、アインズが骨でも人でも構わないとドラウディロンは再び思った。

「ははは。そうだな。代わりにこれをやろう。」

 アインズは闇からルーンの刻まれた見事な腕輪を取り出した。

「これは…。」

「素晴らしいだろう。我が国のルーン技術によって生み出された物だ。効果は魔力を僅かに高める。」

 ドラウディロンは受け取ると、大切そうにそれを腕に通して、腕ごと抱きしめた。

「…ありがとう。きっと、私は力を取り戻してみせるよ…。」

「ん?あぁ。そうだな。これの為にもな。」

 アインズは力が戻れば返すと約束した腕輪を見せて少し邪悪に笑った。

 ドラウディロンは涙に揺れる視界の中、その邪悪さに気付くことはなかった。

 

「ドラウさん、私また遊びに来ますね!」

「フラミー殿…毎日でも来てくれ。私のはじめての友達だ…。いや、本当は女神相手に友達なんて烏滸がましいと分かっている。それでも――」

 フラミーはドラウディロンの手を握った。

「私達、お友達ですよっ!」

「あぁ……。っく…。」

 何故自分は魔導国に生まれることができなかったんだろう。

 何故始原の魔法を失ってしまったんだろう。

 きっと全てはこの神々しか知らない。

「私は、ここでの役目を果たそう。どうか、いつでも訪ねてくれ。お茶会も、いつでも大歓迎だ!」

 ドラウディロンはせめて暫く離れる前にもう一度触れようと手を伸ばし掛けたが――愛する人は、自分ではなく愛しているであろう人の手を取った。

「じゃあ、行きましょうか。」

「はーい!」

 軽く上がった手は何も掴めずに降ろされた。

 

 仲睦まじい離れ行く背中にドラウディロンは呼びかける。

「フラミー殿!!」

 自分を呼ぶ声にフラミーは振り返った。

 何を言いたかったかなんて、わからない。

 ドラウディロンは一瞬の間に多くのことを考えたが、口から出た言葉は言いたかったことではなかった。

「アインズ殿を…頼むぞ!!」

 フラミーはアインズと目を合わせて嬉しそうに笑った。

「はい!」

「…バカ…。」

 ドラウディロンは涙を拭って、残る守護神と漆黒聖典とともに神々を見送った。

 きっとあの女神はもうじき気が付く頃だろう。

 あの目がただの友達や仲間を見つめる目だとしたら、この世はほとんど他人しかいない地獄だ。

 でも、もう、それでも良い。

 美しい全てを守るために、きっとあの人には女神の力が必要だ。

(フラミー殿…私はもう愛しいと言ってもらったぞ…。一緒にはいられないが………まだ私の方が一歩リードだな……。)

 そんな筈はないと自分の中の誰かが囁く。

 

 馬車とゴーレムの馬が見えなくなるとドラウディロンは再び涙をこぼした。

「陛下、力を取り戻せるようにお手伝いしますよ。」

 宰相のその声にドラウディロンはハッと振り返った。

「…お前…気付いて…。」

「当然です。さぁ、働きますよ!!ここはまだ、あなたの国です!!」

 

+

 

 一行は竜王国から山と山の間を縫って北上していた。

「さて、ミノタウロスの奴らだが、どんな街を作っているかな。」

 アインズの声は真剣そのものだった。

 その馬車にはアインズ、フラミー、パンドラズ・アクター、コキュートスが乗っていた。

「場合ニヨッテハ殲滅ト聞イテオリマス。」

「その通りだ。気持ちとしては降らせたいがな。だが、降りたいと向こうが言っても万が一、大量の石炭や石油を用いた生活をしていれば殲滅だ。文明とは一度手にすれば決して手放す事はできない。それは巡り巡って大気汚染、水質汚染、土壌汚染につながる。ないとは思うがな。」

「「セキタン…セキユ…。」」

 パンドラズ・アクターとコキュートスが初めて聞く言葉を復唱する。

 

 コキュートスは今回の案件で果たして自分が役に立てるのか不安になりはじめていた。

 本当はパンドラズ・アクターとデミウルゴスが行けるのが一番だと思うが、友人は後処理に忙しいし、何よりこれまで亜人を支配下に置いてきた実績を買われては出来ませんとも言えない。

 

「子を生んで多くなり、地に満ちてそれを従わせよ。そして、海の魚と、天を飛ぶ生き物と、地上のあらゆる生き物を服従させよ。」

 アインズと守護者が突然話したフラミーを見た。

 

「ソレハ…。」

「今の私達であり、リアルの人々でもあります。」

 フラミーはそれだけ言ってまた外を眺めだした。

 

 リアルは一部のヒトと呼ばれる神しか生きることが許されない過酷な世界だったと聞く。

 コキュートスは神と戦争をして堕天したと言う目の前の悪魔が何故そうしたのかを理解した。

 あとでデミウルゴスにこの言葉を教えてあげようと心のメモに書き留めた。

 

「…タブラさんが言ってた奴…旧約聖書ですか?」

 外を見たままフラミーはアインズの声に頷いた。

「大丈夫ですよ。俺たちはリアルを汚した人達と同じようにはなりません。同じ言葉で表現できる行為かも知れないですけど。」

「ふふ、私達がミノタウロスを殺そうとするように、いつか私達を誰かが殺しに来るかも知れませんね。」

 フラミーはもしかしたら、リアルと同じ轍を踏み始めているかも知れないその道の先を見つめ続けた。

 

 休憩地点で陽光聖典と食事を取るたびにアインズとフラミーはどの状態なら殲滅かを詳しく語り合った。

「電気はどうしますか?」

 フラミーからの問いにアインズは悩む。

「発電方法によっては見逃してもいいかと思ったんですけど…。でも、発電施設はいつか大規模化しますよね。」

「そう思います。それに電球が生まれた一八七九年から転げるように二一三八年にはあれですからね。」

 二人は頷きあった。

「「殲滅で。」」

 

 それからーと考えるフラミーにアインズはぼやいた。

「エ・ランテル、永続光(コンティニュアルライト)付けすぎたかなぁ。」

「ん?なんでですか?」

「考えてみたら星が綺麗なのは地上が暗いおかげもあるなって。」

「あ…。じゃあ、これからはちょっと抑えめに与えましょう。」

「そうですね。パンドラズ・アクター。永続光(コンティニュアルライト)については今聞いた通りだ。共有事項として覚えておけ。」

 息子は深々と頭を下げた。

 

 パンドラズ・アクターも陽光聖典達も、それの前にしていた「万が一」の話の意味は分からなかった。

 聞いたこともない言葉で語られるそれは、メモを取ること、今後その言葉達を口にすること――そして記憶しておくことを固く禁じられた。

 後に忌むべき歴史としてアインズとフラミーは忌み言葉達をまとめた、絶対禁書を生み出す。

 しかし特別な魔法で綴じられたそれは、ついぞ誰にも――いや、後に現れるプレイヤー以外開けるものはいなかった。

 そこにはリアルを確かに生きた二人からの強い訴えと、理解を求める悲痛な叫びが記されていたという。

 そして、最後には旧約聖書・創世記より引用された言葉が載せられた。

 それを見たプレイヤー達がどうしたかは――まだまだ先のお話。




次回 #15 立つ鳥

うぅ…ドラウディロン、退場です……。
つらいよぉ。
でも、安心してください。
彼女はまたガッカリするためにでてきますから…orz

いつかこのプレイヤーの事はちゃんと書きます!多分!may be!

また一つ国が手に入ったのでユズリハ様謹製マップで勢力図を確認だ!

【挿絵表示】

いつもありがとうございます!


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試される飛竜騎兵部族
#15 立つ鳥


 アインズ達は山間部の移動を始めて二日目、これまでとまるで違う景色に口を開けていた。

 周りの山々はこれまではなだらかに天に向かって三角を作っていたと言うのに、そこはまるで誰かが山を無理やり削ったかのように、一直線の深い谷になっていた。

 断崖絶壁に囲まれた谷はわずかにカーブしていて終わりが見える様子はない。

 谷底にはちらほらと植物が生えているが、赤茶けた土と、切り取られてしまった山の絶壁はまるで大地の傷跡のようだった。

 

 アインズとフラミーは移動を続ける馬車の屋根に上がって寝転び、谷底から空を飛び交う鳥達を眺めていた。

 視界の左右に反り立つ赤土と、真っ青な空のコントラストは目に痛い程だ。

「本当にすごい景色……」

 フラミーの声にアインズが顔を向けると、二人の視線はピタリとあった。

「──これってミノタウロスがやったんでしょうか?」

 

 アインズは放り出されているフラミーの手を骨の手で握った。

 人の身は疲労無効にしていても人間だった頃の名残からつい寝てしまう事がわかった為、結局あれ以来アインズはアンデッドの姿のまま過ごしていた。

「分かりません。でも……誰かがやらなきゃこうはならないですよね……」

「ですよねぇ、嫌だなぁ」

 フラミーが苦々しげに笑ってから目を閉じると、アインズは再び空を眺めた。

 ミノタウロスが絶対強者の場合を想定しながらあれこれ脳内でシミュレーションする。

 思考とは裏腹に流れ続ける風は優しく実に心地よかった。

「昔オープンカーってものが流行ったのも分かる気がする……」

 アインズが呟くと、これまで見た鳥達の何倍も大きな鳥が列をなして飛んで行くのが見えた。

 激しい羽音にフラミーも目を開け、二人は揃って体を起こして空を見上げた。

 ──それは鳥ではなく、飛竜(ワイバーン)だった。

 陽光聖典もその音に天を仰いだ。

 

「何だ何だ……?」

 アインズが呟くと空高く往く一匹の飛竜(ワイバーン)が遠吠えのような鳴き声をあげた。

 それを合図に飛竜(ワイバーン)達はひらりと体の角度を変えて、谷底に向かって急降下して来た。

 窓から顔をのぞかせていたパンドラズ・アクターとコキュートスが慌てて馬車を下りて身構えると、明るい声がかかった。

「こんな所に馬車なんて珍しいなぁ!」

 一番大きな飛竜(ワイバーン)の上。空から見下ろす少年は、ブロッコリーのようにもしゃもしゃの金髪をバンドでとめていて、大量の飛竜(ワイバーン)を従えていた。

「騎乗シタママ、ソレモ空カラ御身ニ話掛ケル等無礼ダゾ。少年」

 コキュートスとパンドラズ・アクターはカルマ値が善性と中立の為、これまでの守護者と違い、無礼だとは言ってもすぐに切り捨てようとはしなかった。──だと言うのに、過激な"守護者"は別にいた。

「こら!早く竜を下ろさないか!!陛下方の前で不敬だぞ!!場合によっては天使を召喚し斬り伏せる!!」

 ニグンの声に、十四歳程度に見える少年は慌てて飛竜(ワイバーン)達に手で合図を出し着地させると、背から軽やかに地へ下りて膝をついた。

「まさか!エルニクス皇帝陛下!?」

 少年は王らしき人物を探しているのかキョロキョロと見渡した。

「エルニクス殿を知っているのか」

 アインズは馬車の屋根の縁に腰掛け、軽くローブの乱れを直してから胸を張った。

「私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王である」

「しんせい……あいんず・うーる・ごうんまどうおう……」

 少年の呟きにニグンが「陛下をつけろ!!」と叫ぶ。

 穏やかな二人の守護者と来ているはずなのに、とアインズは心の中で苦笑し過激派の上げる声を聞き流した。

 フラミーはヒョイと馬車の屋根から下りて少年に近づいて行った。

「あなた、どこから来たんですか?お名前は?」

 その問いはかつて一年前にニグンが掛けられたものと同じだった。

 感慨深げにニグンは少し目を閉じて懐かしい洗礼の儀式を思い出した。

「わぁ……」

 少年はそう言ってフラミーをぼーっと見つめた。

「フラミー様の問いに早くお答えした方がいいですよ」

 パンドラズ・アクターの穏やかな声に少年はハッと我に返った。

「あ!すみません。あの、僕はバハルス帝国の南西……ここから北東にある飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の部族の者で、ティトと言います」

 ぺこりと頭を下げながら、少年は上目遣いにフラミーを眺め続けた。

「そうか。騎兵(ライダー)の部族といっても他には誰も騎乗していないな。ティト、お前は一人なのか?」

 ティトはフラミーから視線を剥がすと、死の化身を見た。

「は、はい。僕は飛竜(ワイバーン)飼いなので、こうして早朝に竜を散歩させて回るんです」

「なるほど、羊飼いのようなものか。バハルス帝国の方角はあちらのはずだが、お前はこれから帰るところだったのか?」

 ティトはそうですと頷くと、もう行きたいのかソワソワしはじめていた。

 一方アインズは冒険の匂いに敏感だった。

「──フラミーさん、寄り道しましょうよ!」

 馬車の屋根から誘ってくる骨をフラミーは見上げて笑った。

「良いですよ!面白そうですもんね!」

 仲間の了解を得ると、アインズは活き活きと馬車の屋根から下り、パンドラズ・アクターに尋ねた。

「パンドラズ・アクター、どれくらいの滞在なら執務に影響が出ないと思う」

「そうですね。ミノタウロスの国にどれ程居るかにも寄りますが……一日二時間ナザリックにお戻り頂ければ一週間は可能かと」

「よし。──ティトと言ったな。私は君達の街を見てみたいんだが、一緒に行ってもいいかな?」

 ティトは妙に熱い視線をアインズに送りながら頷いた。

「ご案内いたします!」

 

 会話を聞いていたニグンは指示される前に隊員達に進行方向の変更を伝達し始め、準備を始めた。

 その間、アインズとフラミーは「隠しイベントって感じしますよね」とユグドラシル以来の突発イベントに胸を躍らせていた。

 そしてふと、フラミーは思った。

 知らないおじさんが大量に家に着いてこようとするこの光景。ティトは嫌ではなかろうかと。

 かつてフラミー自身含め、アルベドもあれだけ嫌がっていたのだから、この少年が嫌がらない保証はない。と言うか、普通は嫌だろう。

「……大勢で付いて行こうとしちゃってごめんなさいね?」

「あ、いえ!その、気にしないでください!」

 それが社交辞令なのか、本当に気にしなくて良いと言っているのかフラミーには分からなかった。

 ティトの視線は妙に熱かった。

 そして、パンドラズ・アクターも「そうです。お気になさらず」と、まるで家主のように応えていた。

 

+

 

 陽光聖典達は神より与えられた動物の像・戦闘馬(スタチューオブアニマルホース)をしまい、ティトの連れていた竜に跨った。

 アインズは乗ってきた馬車を一度転移門(ゲート)でナザリックに送ると──

「最悪私は乗れなくても……飛べるからな」

 アインズはコキュートスすら乗れた竜に拒絶されていた。

 言葉の通じる生き物と違って"理知的だからこのアンデッドは平気"という判断ができない飛竜(ワイバーン)達は、アインズが近付くだけでその身をよじらせて嫌がっていた。

「竜ヨ。アインズ様ハ慈悲深キオ方ダ」

 コキュートスの声に竜は何故か嬉しそうに鳴き声を上げているが、当然言葉の意味は理解していない。

「コキュートス将軍閣下はどことなく竜の匂いがしますが、竜を飼っているんですか?」

 おじさん達が付いてくる事を受け入れた様子のティトは手綱をギュッと引き締めながら尋ねた。

「竜ハ居ナイ。──イヤ、ソウカ。ロロロヤザリュース達トソウ遠クナイ種ダロウカ。私ニハ蜥蜴人(リザードマン)ノ知リ合イガ多クイル」

「あぁ、なるほど!そうなんですね!」

 現地交流まで含め、楽しげな様子にアインズはしっかり羨ましくなった。

「アインズさん、アインズさん」

 フラミーは一度飛竜(ワイバーン)から降り、アインズに駆け寄った。

「フラミーさん、気を使わないで乗っていいんですからね」

 アインズの反応に首をぷるぷると左右に振る。ピアスが揺れ、輝きが弾けるようだった。

「アインズさんも人になれば乗れるんじゃないですか?」

 

+

 

「いやー!ファンタジーですねぇ!」

 アインズは人化すると一時ナザリックに戻り、パンツと()()()を履いて飛竜(ワイバーン)に乗った。

 最悪魅了すると言い出したフラミーに、人のペットにそれはマズイと慌てて人化した。

 ハムスケにそんな事をされては恐らくアインズは怒るだろう。

 絶対にあり得ないだろうが支配される者がナザリックの者なら──アインズは何があっても相手を殺すに違いなかった。

 そんな事は起こり得ないが。

 

 自分の前でワァーと地表を見渡していたフラミーが嬉しそうに頷いた。二人は会話ができるように一頭の飛竜(ワイバーン)に乗っていた。

「本当!飛行(フライ)とはまた一味違います!」

 激しい羽音の中、二人は大声で会話した。

 フラミーは可愛いと言われたアラジンパンツスタイルを手を変え品を変えしつこく毎日続けてたが、今日は本当にパンツスタイルで大正解だったと思っていた。

 髪の毛はお団子にしている為前髪だけが風に流されて行った。

 

 手綱を握るフラミーに掴まりながら、アインズはその細い腰を見ていた。

(ローブの上から触ってると分からなかったが、こうして見ると細い腰だな)

 じゃれる時にフラミーを触る以外女性を知らないアインズは興味心から、持ち物でもチェックするように腰をポンポンと叩いた。

 そのまま手を上に滑らせて翼の間の背中も撫でる──と、フラミーは跳ね上がる勢いで振り返った。

「ひゃっ!な、なんですか!?」

 紫色の顔は真っ赤だった。

「あ、いえ。細い腰だと思いまして。ちゃんと食べてます?」

「た、食べてますよぉ。知ってるじゃないですかぁ」

 背が小さいとは言え恐らく成体の悪魔なので、成長のための栄養は不要だろうが、疲労無効を付けたがらないその身が心配だった。

「しっかり食べて飲んで下さいね。こないだみたいに倒れると危ないですよ」

 フラミーは片手を口に当てて少し思考すると、ゆっくりと口を開いた。

「……あの、そしたら、また迎えにきてくれます……?」

 恥ずかしそうに見上げて来るフラミーの瞳に、エッとアインズは声を上げた。

「あの……だみですか?」

「だ、だみじゃないです……」

 アインズはオンにしてある精神抑制の効果をさらに自分の手で使った。

 

 すぐにイチャつく父を見守る息子はできれば弟が良いと心の中で呟いた。




次回 #16 遠くへの憧れ

アインズ様!!それは!!
アウラ相手でもギリギリですが成人女性相手にやったらセクハラ防止委員会に通報ですよ!!!(原作

ミノタウロス篇?何それおいしいの?
えへへ(//∇//)すぐに行きますって!!


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#16 遠くへの憧れ

 しばらく飛ぶと、珪岩で出来た巨大な石の柱、石塔が立ち並ぶ奇妙な光景が広がっていた。

 石の塔達には無数の穴が空いていて、カッパドキアの奇岩群をさらに大きくしたようなものだった。

 遠くには帝国の持ち物だと思われる村々が見える。

 アインズは何だかんだで帝国に踏み入れた事がない為、近いうちに訪れたいと思った。

 

「あそこです!陛下!女神様!!」

 

 

【挿絵表示】

 

 

+

 

 ティトは部族の中で育ち、竜と空しか知らずに生きてきた。

 この集落では春先に珍しく大きな地震が発生し、混乱した竜達が起こした事故によって両親を亡くした。

 以来兄と二人でそれぞれ両親の仕事を継ぎ、何とか日々を暮らしていた。

「兄さん、マッティ兄さん。僕もいつか兄さんみたいに帝国のロイヤルエアガードに騎乗指導に行きたいなぁ。それで、帝国で暮らすんだ。」

 子供の頃から外の広い世界に憧れる、母親によく似たもしゃもしゃ頭をした弟にマッティは苦笑した。

「俺は父さんの代わりに行かなきゃいけないからそうしているだけさ…。あの国は昔と違っておかしいんだ。やめた方がいいよ。」

「おかしいって、何が?」

 マッティは長い真っ直ぐな金髪を全て後ろに束ねて結ぶと、少し躊躇ってから語った。

「帝国は去年近くの国に降ったと父さんが話していただろう?今じゃあアンデッドが行き交ってるんだよ。俺も行くまでは信じてなかったけど…あの力は強大すぎる。」

 ティトは生まれて一度もアンデッドを見たことはなかったが、生を憎むそれは恐ろしく残忍だと聞いていた。

 カルネ村と同じように平和な田舎のこの集落にはアンデッドはそう滅多に湧かなかった。

「じゃあ、帝国にはもう生きている人はいないの?」

「いや…いるさ。これまでと変わらない街にアンデッドがうろついているだけなんだ。でも…恐ろしい噂も聞くし…俺は怖いよ…。」

 ティトには憧れの兄がいつもより小さく見えた。

「…それでも、僕はいつか街に行きたいなぁ。」

 

+

 

 ティトは最初、とんでもない事態を引き起こしてしまったかと思ったが、兄の話からしてアンデッドが王として敬われ、それも神聖な存在を引き連れている筈がないとすぐに気が付いた。

 きっとこの王は何らかの魔法によってその身を変えるイタズラ好きの可愛い王様なんだろうと当たりをつけると、やはり王はすぐに人の姿になった。

 王は中々城を出られないと聞くし、もしかしたらそうして身分を隠して旅行をするものなのかもしれない。

 たまに帝国から来る吟遊詩人(バード)の語る物語に立ち会えているようでティトは今日の自分の幸運を竜神へ感謝した。

 視線の先には生まれて初めて見る女神と、それに祝福された王が楽しげに竜に乗っている姿があった。

 兄は帝国は良くないと言ったが、この王の神聖魔導国なら良いと言ってくれるかもしれない。

 

 岩の穴から竜に乗った人々が出入りしている光景はティトの日常だ。

 ここはやはり田舎だと思う。

(魔導国は都会なのかなぁ。ルーイン隊長閣下は怖い人だけど、連れて行ってくれないかな。)

 どんどん近づいてくる集落を前にティトは一度余計な思考を振り払い、王に警告する。

「陛下、女神様!そろそろ降下します!」

 王達が頷いたのを見ると、首に下げていた飛竜(ワイバーン)の角の骨から生み出される笛を思い切り吹いた。

 竜の鳴き声と同じ太い音が響くと竜たちは円を描くようにくるりと身を翻し降下して行く。巨大な石塔に囲まれる広場の一角に入ると、小さな手のついた翼を広げながら速度を殺してよたよたと着地した。

 

 そこではいつものように兄が手を振って待っていた。

「ティトおかえり!この人達は?」

「ただいま、兄さん!竜の谷で会って、僕たちの街を見てみたいって言うから一緒に帰ってきたんだ!」

「竜の谷で?」

 王は何か魔法を使ったのかフワリと重力を感じさせない動きで竜を降りると、女神を恭しげに持ち上げて、ゆっくりと地面に下ろした。

(エルニクス皇帝陛下だって女神に祝福されてはいないよね。)

 祝福された国がどんな場所なのか想像を膨らませていると、王は女神を背に隠すようにくるりとこちらへ向いた。

「ティト、中々良い体験だったぞ。さて、私こそ――」そこまで言うと、ふと口をつぐみ、少し声音を変えてから続けた。「いや、私はゴウンです。」

 ティトはまたイタズラだと思ってクスクスと笑った。

 王は笑うティトをチラリと見ると、闇に手を突っ込み、黒い服を取り出して後ろに送った。

 すると王の背からは羽を隠すように黒いローブを着込んだ女神が出てきた。

 お忍び旅行に相応しい格好だとティトは思った。

 

「私達は旅の途中でティト君に会いましてね。この人は仲間で森妖精(エルフ)のフラミーさんです。」

「フラミーです、お願いします。」

 女神がぺこりと頭を下げると、兄も頭を下げた。

 

「それから、こっちの者達は護衛で、これは…亜人のコキュートスと――。」

「息子のパンドラズ・アクターです。」

 ティトは、アハッと声を出すと、ハッとして口に手を当てた。

(本当にこの人達は冗談がお好きなんだな。ふふ。)

 兄がチラリと視線を送ると、ティトの様子から何かを納得したようで少し笑い声を上げた。

「どうも!俺はマッティです。旅の人なんて珍しいな。」

 何も知らないマッティが王と平気で握手をした。

 いつかこの王が自分の身分を明かした時に兄が驚きに転げる姿を想像すると、それだけでティトは笑いがこみ上げてくるようだった。

 

「ゴウンさんはどこに向かってる途中だったんですか?」

「ミノタウロスの国に行ってみようかと思いましてね。何、研究の一環のようなものですよ」

「あぁ、だからあの数の護衛を雇ってらっしゃるんですね。すごいな。」

 マッティがルーイン隊長とその部下達と軽く会釈を交わすと、ティトは横から身を乗り出した。

「あの!ゴウン様は一週間はここにいられるんですよね?」

「あぁ、しかし最長で一週間だ。どのくらいいるかは街の様子によるだろう。」

 できれば一週間いっぱいいて欲しいと思った。

 少しでも魔導国について教えて貰って、自分でも働けそうな職――主に竜の世話などがないかを聞いて見たかった。

「そうですか。四日もあればこの街は充分見て回れると思いますよ!」

 兄が余計なことを言った事にティトは僅かに焦り、兄のたくましい腕を掴んだ。

「に、兄さん!兎に角竜達を竜舎に帰しに行こう!」

「ん?あぁ、そうだね。ゴウンさん達も良かったらご一緒にどうですか?」

 王と女神は顔を見合わせると、王は嬉しそうに答えた。

「是非お願いします!」

 

+

 

 陽光聖典達へ自由にしているように言い、ニグン、コキュートス、パンドラズアクター三名を連れてアインズとフラミーは竜舎に来ていた。

「ほー竜からこんな風に鱗がとれるなんて初めて知りましたよ。彼らはただの移動手段ではない訳ですね。」

 ティトとフラミーが楽しそうに鱗取りをしているのを眺めながら、アインズは繁殖用の飛竜(ワイバーン)を何体か欲しくなっていた。

 双子の情操教育に実に良さそうな光景だ。

 そしてまだ本体は見たことがないが、ツアーの鱗は恐らく高額で捌けるはずと益体も無いことも考えた。

 そろそろ竜王の一体や二体を素材に欲しい。

 ドラウディロンの腕輪のような強力なアイテム作成は、大抵竜王が自分の親の亡骸から数十年の月日をかけて作成する事が多いらしく量産は叶わないようだった。

 

「古くなったものしか取らないんですけどね。ロイヤルエアガードに騎乗指導に行く時にこれも持って行って武器屋や防具屋に持ち込むんです。本当ここの生活は文字通り竜におんぶにだっこですよ。」

 はははと声を上げるマッティになるほどなるほどと頷いた。

 

「パンドラズ・アクター、国ごとの特色や、部族毎に持つ文化は無形文化財としてきちんと残すようにしろ。調査隊を作れ。山小人(ドワーフ)達は自分達の特色をよく保って生活している。あれは良い指標になるだろう。」

 恭しく頭を垂れるパンドラズ・アクターと、ニグンの感嘆を聞いて、今のは実に王様らしい物言いだったかも知れないとアインズは我ながら感心した。

 近頃の勉強の成果が出てきているようだった。

 今日からしばらくは先生役の悪魔が不在のため勉強会は休みになったが、きちんと日々復習は重ねなければいけないと心のメモに書き留める。

「ゴウンさんは身なりから言って高貴な方だとは思っていましたけど、摂政会に勤めているんですか?」

「まぁ大体そんな所です。ミノタウロスの所に行くのも国の用事半分ですね。」

「お役人さんは大変ですね。あれは人を食うから恐ろしいでしょう。」

 いやいやと応えていると、フラミーとティトが鱗取りを済ませたのか手をつないで戻ってきた。

 仲睦まじい姉弟のような様子にアインズはほっこりした。

 

「私ここの生活すっかり憧れちゃいました!」

 アインズへ楽しげに話しかけるフラミーの隣でティトは苦笑した。

「ここには何もありませんよ。僕はいつか街に出たいんです。」

「何でですか?ここには美しい空と土があるって言うのに。」

 フラミーらしい、いや。リアルを生きた人らしい感想だとアインズは思う。

 ティトは思いもよらなかったとでも言うような顔で「美しい…空と土…。」と繰り返していた。

「ティト。お前にはまだ難しいだろう。それは失うまで気付ける物ではない。」

 それを聞いたマッティとティトは一瞬惚けた。

「ゴウンさんもフラミーさんも、何だかすごく長く生きてるみたいですね。いや、フラミーさんは森妖精(エルフ)だから事実長生きなんですか?」

「いえ、ちっとも。」

 フラミーのまるで飾らない言葉にアインズは笑った。

 

 一行は蟻塚のような石塔を降りて行くと、ホール状に少し広くなっている所に出た。

 そこには何処かで見た事がある気がする巨大な竜の像が置かれていた。

「…この竜は……。」

 アインズが竜の像を見上げていると、フラミーの手を離したティトが近寄って来た。

 この弟は自分がアンデッドだと知っている為いつそれを暴露するかと冷や冷やする。

 マッティに名乗った時も不敵に笑っていたし、せっかく自分を人間だと信じ込んでいるマッティとはあまり一緒に居て欲しくない。

 最悪タイミングを見計らって記憶をいじろうとアインズは決めた。

「ゴウン様、これは竜神様ですよ!竜神広場は石塔にひとつはあるんです。物凄い力をお持ちなんですよ!」

 普通の観光案内にホッとする。

「竜神か。力を持つと言う事はこれは実在するのかな?」

「はい!竜の谷に今も眠っていると聞きます!」

 ほう、とアインズが言うと、マッティもティトを補足するように口を開いた。

「昔々この街を邪神から救ったと言い伝えがあるんです。以来ここは竜神様を祀り続けています。生活も竜に支えられていますしね。」

 アインズは目を細めて顎に手を当てた。

「でも竜神様は数百年に一度しか目覚めないらしいんで僕達も見たことはないんですけどね!」

 

「アインズさん、その竜危険なんじゃ…。」

 フラミーは近寄ってきて小さな声でそう告げると、不安げに見上げて来た。

「…大丈夫です。始原の魔法は全ての竜達から奪ったんですから…。」

 アインズはフラミーの肩に手を乗せながら、妙な既視感に竜の像から目を離せなかった。

 すると、アインズの脳裏に一瞬チカッと見たこともない景色がよぎった。

 巨大な黒竜が怒りに荒れ狂っている姿が――。

(…なんだ今の。)

 アインズが頭を振っていると、地面がゴゴゴゴ…と言う音とともに大きく揺れだした。

「わ!まただ!!兄さん!!」

「ティト!急いで竜舎に戻るぞ!!すみません、俺たちはちょっと竜の所に行きます!」

 兄弟が慌てて走って行くのを見送ると、アインズは肩に乗せた手でそのままフラミーを自分の胸の中に引き寄せた。

 天井や壁からパラパラと埃や砂が落ちて来て、竜神に祈りを捧げに来ていた人々が悲鳴を上げる。

 

 地震に慣れている日本人二人は真剣な顔はしているが怯えている様子はなかった――が、揺れは更に激しくなり、立っている事も難しくなっていった。

 パニックになりかけた人々は床に伏せて頭を抱えていた。

 建物の高い場所程揺れると言うのは日本人なら当たり前に思い付く事で――地上がどれ程の揺れかアインズは冷静に考えていた。

 すると何かに亀裂が入りバキバキと割れて行く激しい音が外から聞こえ出し――次の瞬間、地響きを伴い巨大な何かが落ちる爆音が響いた。

 フラミーは音に肩を震わせるとアインズの腕の中でギュッと目をつぶった。

 その音は外で何が起きたのかをすぐに人々にわからせたようで、更に悲鳴が上がった。

「耐震設計されているわけがないか!」

 

 悪態を吐くと揺れは徐々に収まり出し、アインズはフラミーの上に少し掛かった砂埃を払った。

「平気ですか?フラミーさん。」

「は、はい。音はびっくりしましたけど、私はぜんぜ――」

 覗き込むようにしていたアインズと、見上げたフラミーの鼻がぶつかりかけると、二人はサッと離れた。

「父上、外の様子を見に行きましょう。」

「あ、あぁ。そうだな。」

 冷静なパンドラズ・アクターに頷くと、五人は近くにある穴へ向かい、外の様子を見た。

 そこでは立ち並ぶ石塔がひとつ、真ん中でポキリと折れて広場に向かって倒壊していた。

 

 そこには多くの人間と飛竜(ワイバーン)が死んでいるのが見えた。

「あー…もったいない。」

 アインズはせっかくここ独自の文化と景色があったと言うのに目の前の惨状にガッカリした。

「神よ!聖典の無事を確認して参ります!安否確認が済み次第、街の人々の救助の御許可を!!」

 ニグンの声にアインズは頷いた。

「行け。私達も下りる。救出劇だ。慈悲深い魔導国を見せ付けてやれ。」

 力強い返事を残すとニグンは駆け足で立ち去っていった。

 

 アインズ達が全体飛行(マスフライ)で下に降りると、人々は混乱しながらも、生きている者を救出しようと必死に動いていた。

 しかし殆どの者は即死だろうと思えた。

 何万人が死んだか解らない大惨事を前にアインズは自分の国が少し心配になった。

「パンドラズ・アクター、我が国の建物の耐震性能はどうだ。」

 落ち着いた様子でそう言うと、息子は頭を下げて何か資料を取り出した。

「全ての木造物件には耐震、耐久力を増す筋交いが入っております。石造物件は柱のスパンに決まりを設け、更に制震装置を義務付けてあるので恐らく問題ないかと。」

「全く素晴らしいな。誰だそんな事を提案したのは。」

「は、流石にございます。父上。」

 アインズは鎮静された。

「……竜王国が心配だ、デミウルゴスに繋いで向こうの様子を聞け。最悪ペストーニャとルプスレギナを出すことを許可する。」

 アインズの言にパンドラズ・アクターは頭を下げてからこめかみに手を当てた。

 

「コキュートス将軍閣下!!」

 陽光聖典が集まったのかニグンが駆けてきた。

「全員無事カ。」

「二名軽傷、五名重症、三名が死亡しました!」

「ナニ。ソレデ死体ハ。」

「ございます!!」

 それを聞いたフラミーがコキュートスの下に駆け寄る。

「コキュートス君、回復と復活を。」

「フラミー様、申シ訳アリマセン。オ願イイタシマス。」

「いえ。アインズさん、私ちょっとそこまで行ってきます!」

「頼みます!パンドラズ・アクター、竜王国はどうなんだ。」

 アインズはフラミーを見送ると、こめかみから手を離したパンドラズアクターがすぐに状況報告を行なわず、何かを考える様子から向こうの惨状に想像がついた。

「父上…それが…。」

「仕方あるまい。元から殆ど崩れていた街だ。どれ程の死傷者が出た。」

 アインズはやれやれと頭を振った。

 

「いえ…竜王国は…揺れていないと…。」

「何だと?バカな。あれ程の揺れだぞ。」

「…しかし…。」

 確かに揺れていないとでも言うような雰囲気に、アインズは少し悩むとつぶやいた。

 

「……震源が浅く近い…。プレートの擦れから発生した揺れではないと言うのか…。」

 

 アインズの背筋を冷や汗が流れた。




次回 #17 始原の実験

不穏な空気が流れ始めてる…やだよぉ…。
もう少しほのぼのしようよぉ…。


> バハルス帝国の南西に珪岩で出来た巨大な石の柱が立ち並んでいる場所があり、そこに無数にある洞窟内でワイバーンを飼い慣らしている人間種とおぼしき者達が部族を形成している。
だそうですぞ!
皆さんの中のライダーの集落はどんなでした?

https://twitter.com/dreamnemri/status/1140833221359202304?s=21


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#17 始原の実験

 コキュートスの指示のもと、陽光聖典が急ぎ天幕を張った中でフラミーはこそこそと死亡した隊員を生き返らせ、重軽傷者を回復した。

「だるい人はここにいて下さい。場合によっては一度神都に送りますよ。」

 フラミーの言葉に聖典は頭を下げたが、帰る事は皆が断った。

「フラミー様、アリガトウゴザイマシタ。オ前達、アインズ様トフラミー様ノ御前ダ。決シテ手ヲ抜カヌヨウニシロ。行クゾ。」

 コキュートスの言葉に十分なやる気を見せると全隊員が立ち上がった。

 この一年コキュートスは多くの時間を陽光聖典と共に過ごして来た。

 優しく不器用な将軍を皆が慕っているのを言外の雰囲気で感じる。

 フラミーは息子の成長を嬉しく思いながら、皆が出て行った方へ向かった。

 

 外ではアインズとパンドラズ・アクター、そしていつ来たのかデミウルゴスが何かを話し合っていた。

 

 仕事が終わった事に気がついたアインズがフラミーに来い来いと手招きを始める。

 フラミーは駆け寄ると軽くデミウルゴスと挨拶を交わした。

「フラミーさん。あの揺れは極局所的に発生しているようです。しかも、ティトはまただ、と言っていましたし、あまりにも怪しいです。」

「あの揺れが局所的?まさか竜王国は揺れなかったんですか?」

 フラミーの問いにデミウルゴスは頷いた。

「はい。向こうは少しも。急ぎ国境付近で聞き取りを行いましたがやはり揺れを感知した者はおりませんでした。」

「この距離感、ここが震度五ならどんなに震源が浅いって言ったってそっちも少なくとも震度三くらいは出ておかしくないのに…。」

「しんど五の強さは分かりかねますが、アインズ様も同じようにおっしゃっておりました。」

 後ろでは陽光聖典が被害のない場所に神聖魔導国の旗をさし、移動時にテントとして使っていた布を広げて負傷者を並べて行っていた。

 熟練した隊の様子に街の人々が感謝している様が見える。

 

「フラミーさん、ここには何かがいます。」

「…竜の谷の竜神ですか…?」

 アインズは頷いた。

「おそらく、そうでしょう。」

「私…私、谷を見に行こうかしら。」

「フラミー様!!」

 デミウルゴスの大きな声に皆が注目すると、デミウルゴスは右手の手袋を外しながら一歩フラミーに近付き――その首を手の平で包むように触った。

 まるで戒めにするかのように残っていたあの日の傷痕はフラミーの首からすっかりなくなった。

 この主人は今すぐにでもこの事態の確認に行きたいと思っているだろうが、あの夜の熱がまだこの首に残っていれば――。

 

「…デミウルゴスよ。」

 支配者の低い声に手を引き頭を下げた。

 フラミーは何かを確かめるように触れられた場所を撫でると、デミウルゴスに頷いた。

 悪魔も、己の言いたい事が通じた事に安堵し頷き返した。

「アインズさん。やっぱり行きません。すみませんでした。」

「…そうして下さい。デミウルゴス、お前少しおかしいぞ。」

「は。申し訳ございません。」

 アインズは二人の秘密めいた行動に目を閉じて精神抑制を使った。

 表情の出る体に鬱陶しさを感じる。

 パンドラズ・アクターも腕を組むとオーバーに"不愉快ですよ"と表現した。

「デミウルゴス様、それは不敬なのでは?」

「あぁ、そうだね。分かっているとも。」

(分かっているなら――。)

 アインズは軽く頭を振って余計な思考を捨てる。

「…まだ帰らせて数日だが…今夜にでもあいつ(・・・)を呼ぶぞ。」

 知恵者二人とフラミーは頷いた。

 

 アインズはデミウルゴスを労い竜王国へ戻らせると、広場の惨状に視線を向けた。

 そちらからはコキュートスが聖典の指揮を一時的にやめて戻ってくる姿があった。

「アインズ様。アノ倒壊シタ建物ハ破壊シテモ宜シイデショウカ。」

「そうだな。――あ、いや。待て、下手に触るな。折角の大量の死者だ。実験してみたい事がある。」

 コキュートスは勿論だと頭を下げた。

 

+

 

 ティトとマッティが遅れて外に出てくると、陽光聖典とコキュートスが石塔をわずかに破壊し、下敷きになっていた死体を退けて行くところだった。

「なんで死者から…?」

 マッティの呟きにティトも首を傾げた。

 建物の穴から瀕死の人々が部族の者達と竜によって担ぎ出されて行くが、陽光聖典のその様子は不可解だった。

 皆そう思っているのか、中には陽光聖典に最初のように生きているものの救助を手伝って欲しいと訴えている者が大勢いた。

 ティトは生まれ故郷の惨状に、放心していた。

「あの旗は…まさか…帝国でみた魔導国の……。」

 兄の呟きにティトはハッと我に返った。

「兄さん!!ゴウン様は本当は魔導国の王様なんだよ!手伝ってって摂政会の人達から正式にお願いして貰わないと!!」

 国外の事に要請されてもいない状態で勝手に救助活動を始める事は難しいのだと言う事にティトはすぐに思い至った。

「なんだって!?じゃあ、じゃああの人が死の神だって言うのか…!?」

 ティトは死の神とはあの悪戯好きの王にはまるで似合わない二つ名だと思った。

 しかし、帝国皇帝も鮮血帝と呼ばれているのだから、王達は自分を強く見せる二つ名を持つのかもしれない。

 

「ティト!!逃げるぞ!!」

「何で!もう揺れは収まったんだから早く摂政会の誰かを呼ばないと!!」

「良いから!!魔導国の死の神は邪悪で知恵の回る危険なアンデッドだって!バルコニーで話す皇帝の声を聞いた奴が――っ!!」

 ティトは兄ではなく、その肩の向こうに視線を送っていた。

「ふむ。エルニクス殿がそう言ったのかね?」

 マッティが顔を青くして振り返ると、どう見ても邪悪じゃない麗しいその王はいた。

 ティトは兄の妄言に申し訳なくなる。

「陛下申し訳ありません!兄さんは外があんまり好きじゃ無いし、混乱してるんです!」

「ふぅ。仕方ないな。残念だよ。」

「ティ、ティト……。ゴウン……さん……。」

 兄は噂の情報と目の前の王の様子の違いに戸惑っているようだった。

 

 するとコバルトブルーの将軍が走って来た。

「アインズ様。下敷キニナッタ者の回収ガ終ワリマシタ。恐ラクコレデ全テデゴザイマス。」

「そうか。では、試すか。…この身を保持したままでは制御を誤りそうだからな。仕方あるまい。」

 

 王はボフンと煙を出すと、アンデッドの姿をした。

 

「な!!ティト!!だから言ったのに!!早く!!」

 兄の絶叫と腕を引っ張る様子に、うんざりする。

「兄さん落ち着いてよ!!飛竜(ワイバーン)乗りはいつも冷静じゃなきゃいけないんだろ!!」

 周りからは人々が逃げ出し始めていた。

 ティトが動かないと分かったのか、マッティは冷や汗をかきながら王を見た。

「ばかティト!!死の神のアンデッドがここに何の用があって…まさか揺れを!?」

「マッティさん、ここに来た理由は最初に言った通りですよ。それにあの揺れは私じゃない。」

 変わらず落ち着いた様子で丁寧に話す王にティトは罪悪感が募って行く。

「信じられるわけ――」

「兄さん!!いい加減にしてよ!陛下は――

 

陛下はただの人間なんだよ!!」

 

その言葉に、王はバッとこっちを見た。

 

「っそうだとも!!私は、私はただの人間だとも!」

 ティトは自分の手を握ってブンブンと上下に振る王に、こんな状況だと言うのに少し笑いがこみ上げた。

 

+

 

 最初アインズは準備が済むまで最後の"人間"としての世間話を楽しもうと思ったと言うのに、予想外の噂話を聞いてしまった。

 気楽な会話のできる外の人間だった筈のマッティはもう自分を人間だとは認めていなかった。

 しかし、アインズはアンデッドだと知っていて自分を人だと認めた初めての存在にウキウキと胸を躍らせた。

 最初にアンデッドの姿で出会っていたと言うのに不思議なこともあるものだと心の中で笑った。

 

 が、ジルクニフの評価は著しく下がった。

 法国と王国の平和的統治を見て、自ら属国化を申し込んできた筈の皇帝が、たった数分顔を合わせただけの自分を何故悪く言うのか分からなかった。

(逆に帝国は放っておきすぎか…?もう少しアンデッドの支援を手厚くしてやるか。)

 アインズはミノタウロスが片付いたら向かう先を決めると、コキュートスが待っている気配に、一先ずは実験に行くことにした。

 

「私は行わなければいけない事がある。ティト、お前は人々を正しく導くんだ。」

「は…はい!!陛下!!」

 その瞳は見覚えがあった。

(…バラハ嬢…。)

「行くぞ、コキュートス。フラミーさんもこれを見たら始原の魔法を手に入れたことを心底喜ぶぞ。ふふふ。」

 アインズは上機嫌にコキュートスと共にフラミーとパンドラズ・アクターの下へ戻った。

「お待たせしました、フラミーさん。」

「早かったですね。お話しできました?」

 陽光聖典達は自主的に天使を召喚し、これから起こる事を信じて、中には泣きながら――もう助からなそうな瀕死の者達の介錯を始めていた。

 村人達に殴られたり押さえつけられたりしながらも、陽光聖典はこれこそが正義だと天使と共に懸命に介錯を続ける。

「マッティはダメでした。あー、あいつら、確かに瀕死の人間は殺した方が良いな。二十名であれだけの数の瀕死の人間を殺す事は難しいだろうに。コキュートス、後であいつらをよく褒めてやれ。」

「カシコマリマシタ。隊員モ喜ビマス。」

「じゃあフラミーさんお願いします。」

 フラミーは頷くと、黒いローブを脱いで翼を自由にすると浮かび上がり、拡声の魔法を使った。

 

『全員、塔から離れなさい。』

 

 支配の力を持つ声は塔の周りにいた全ての者達に聞こえ、村人に傷付けられた陽光聖典も例に漏れずに全ての動けるものが塔を離れ出した。

 アインズはその様子に満足すると、フラミーの隣に浮かび上がった。

 単純故に強大さが体内から伝わってくるその魔法は、誰に教えられなくても使えると確信できていた。

 数万人くらいは余裕なはずだ。

 しかし、陽光聖典が介錯した以上失敗は良くない。

 

 アインズは腕輪の能力を切り替え、最大ブースト状態で自分の中の力を鷲掴みにし、思い切り引っ張り出した。

 

「神話には……これだ!!!」

 

+

 

 全員がそのあまりに神々しい光景に呼吸を忘れた。

 死の姿をした化け物――違う。

 邪悪で知恵の回る危険なアンデッド――違う。

 強大な力を持つ魔法詠唱者(マジックキャスター)――違う。

 それは竜神のみが使えるはずの、真なる復活の奇跡。

 

 陽光聖典が死体を引きずり出すのをやめたかと思いきや、今度は瀕死の人々の最後の命の灯火を奪い始めると言うあまりの事態に、マッティはティトが死の神を連れてきたことを激しく叱責していたが、その光景を前にドサリと地に膝をついた。

 いや、マッティだけではなく、多くのものがその、死の形をした者を前に膝を折った。

 陽光聖典を殴りつけたものは泣いて悔やんだ。

 

「陛下…ただの人間だって…そう言ったのに……。」

 ティトは喘ぐようにひとり言を続けた。

「こんなの…こんなの……いくらなんでも…ご冗談が過ぎますよ…………。」

 

 陽光聖典がしつこく石柱の下から運び出していたぐちゃぐちゃになった死体も、隊員と天使が命を奪った者も、皆がケロっとした顔で起き上がった。

 ついには石柱の出入り口から死んでしまったはずの数万人も慌てた様子でワッと出てきた。

 ただ、隊員によって命を奪われなかったものは瀕死の状態で苦しみ続けていた。

 

「ティト…ごめん………ありがとう……。」

 兄の声に弟は開いた口をそのままに首を振った。

 

 すると、神は歓声に答えるように一瞬手を挙げたかと思うと――地に落ちていった。

 




???「な!?この世界を揺らす程の激しい力は……まさか……アインズ!!!おい!!アインズに、神王に手紙を出せ!!今すぐだ!!!」

次回 #18 告解
ドラちゃんがちょぴっと出ます!

人ンズ様をご所望頂いたので煩悩と戦いながら描きました。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1141142724277497858?s=21

こちらは煩悩に負けた方です。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1141150168303063040?s=21

どこにも使えない挿絵なので、twtrでのみ公開です…( ̄▽ ̄)
ダークシュナイダーより優しそうで安心します!(え


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#18 告解

 地上では一人残らず復活が叶った様だった。

「すごいすごい!!アインズさんすごいですよ!!」

 キャイキャイ喜ぶフラミーにアインズはサムズアップを作ると、グラリと視界が歪み――アインズは落下して行った。

 地に激突するかと言うところで、パンドラズ・アクターがペロロンチーノに変身し、物凄い勢いで飛び立つとその身をキャッチした。

「父上!!」

「ペロさん…やっと…。」

 アインズはそう言うと瞳の灯火を消した。

 

「アインズ様!!」「アインズさん!?」

 コキュートスとフラミーが駆け寄って話しかけても何も言わない様子にフラミーは慌てて<生命探知(ライフエッセンス)>を発動させた。

「フラミー様、アインズ様ハ…!」

 その身の命は激しく燃えていた。

「大丈夫、大丈夫です。」

 フラミーは落ち着かなければと首とネックレスに触れた。

 陽光聖典も駆け寄ってきて、自分達の何よりも大切な慈悲深き神の安否を確認する。

「アインズさんは眠りました。ニグンさん、まずは傷付けられた隊員を回復します。」

 ニグンは頭を下げてから叫ぶ。

「各員傾聴!!傷付けられた者は光神陛下に癒して頂く!!回復の済んだ者は引き続き怪我人の救助へ向かう!!」

 陽光聖典が集まりだし足下に跪き始める。

 フラミーは変身を解いたパンドラズ・アクターの腕の中で眠るアインズの顔を撫で、暫く見つめた。

「ズアちゃん…興奮した人々がここにたどり着く前にアインズさんをナザリックへ。私が呼ばない限り戻らなくて良いです。側にいてあげてください。…起きた時、一人ぼっちは寂しいでしょうから。」

「畏まりました。」

「コキュートス君は私とここで陽光聖典と事後処理を行います。」

「畏マリマシタ。」

 フラミーはネックレスにぶら下がる石を握りしめると、自分に言い聞かせるように言った。

「アインズさんはすぐに目覚めます。大丈夫。行動を開始しなさい。」

 

+

 

 気付かれてはいけない。

 それが振り向く前に、早く。

 早く起きなければ――――――。

 

+

 

 耳鳴りの中アインズがゆっくりと目を開けると、それは見慣れた天蓋だった。

「ん…またやってしまったか…。」

 そして眠る直前の光景を思い出した。

「あ!!ぺ、ペロさん!!」

 慌てて布団をまくると、そこには見慣れた息子が帽子を脱いで頭を下げていた。

「アインズ様。申し訳ございませんでした。」

「あ……あぁ………。なんだ、そうか。はは。百年は来ないんだから当たり前か。」

 いつも大切にしている帽子を握り締める手は震えているようだった。

「良い。お前の全てを許そう。来なさい。」

 パンドラズ・アクターはアインズの足下に跪いた。

「はぁ。お前は私に似て我慢し過ぎだ。全く。創造主に似ると言うのも考えものだな。アインズではなく父上でいい。」

 アインズは深く下げられるツルツルの頭を撫でた。

 静かに行われるそれは何かの儀式のようだった。

 

「さて、どれ程私は眠ったかな。」

「はい。二日と十時間です。」

「十時間…夜明け前か…。」

 アインズはフラミーの所に行くか悩んだ。

 心配しているだろうが、眠っているならいつもの起きる時間まで待つ方が紳士的――いや、謝罪の言葉を考える時間を作りたいだけだ。

 あれだけ寝ないと言い切った自分の犯した失態に目を覆った。

 始原の魔法を使ったとしても、腕輪の力を全開にして魂の力を使用しなければ意識が落ちる事にはならなかったと言うことは自分の体故によくわかる。

 完全にアインズの判断ミスだった。

「フラミー様をお呼びしますか?」

「いや、あの人はまだ寝ている時間だろう。起きてから謝るとしよう…。」

「父上、フラミー様はコキュートス様と召喚した天使達と共に寝ずの復旧復興作業にあたっております。」

「なんだと!?早く言わんか!!!」

 アインズは布団から飛び出して、<転移門(ゲート)>を開こうとするが、自分がまたしてもガウン一丁にさせられていることに気がつき舌打ちをした。

「くそ!お前は先にフラミーさんの所に行って手伝え!!インクリメント!!着替えだ!!」

 息子と、空気のように立っていた一般メイドは頭を下げた。

 

+

 

「起きましたか!!」

 フラミーは薄暗い世界に現れたパンドラズ・アクターから、すぐに事態を理解し駆け寄った。

「はい!お目覚めです!父上は着替えてからすぐにお戻りになるそうです。」

「ヤハリオ目覚メニナルト解ッテイテモ、ゾットスルモノダ。」

「本当ですね。取り敢えず私は神都に行って神官長達を起こして目覚めを伝えて来ます!」

 フラミーが転移門(ゲート)を開くと慌てたようにパンドラズ・アクターが声をかけた。

「お、お待ちください、フラミー様!すぐに父上は来られるそうですから!」

「じゃあ、安心して任せられますね!」

 フラミーは笑うと闇を潜っていった。

「…怒られますねこれは…。」

「…私モ共ニオ叱リヲ受ケヨウ。」

 二人がガックリ肩を落としていると次の闇が開き支配者が顔を出した。

「アインズ様、オハヨウゴザイマス。」

「ああ、コキュートス、悪かったな。まさか私も寝ることになるとは思わなかった。それで、フラミーさんはどこだ?」

 キョロキョロする支配者に二人は気まずそうに顔を見合わせた。

「フラミー様は今お目覚めを伝えに神都へ行かれました。」

「な、お前すぐに私が来ると言ったんだろうな!?」

「は、はぁ…。しかし、安心してここを任せられると…。」

「…あの人が言いそうな事だ。私は神都へ行く。もしここに先に戻って来たらなんとしてもここで待たせておけ。いいな、スキルを使う事を許す!!」

 支配者は再び闇を開いて潜った。

 倒壊した塔が、フラミーの召喚した天使達によって、切られては折れた根元に運ばれ金で継がれて行く様子を二人は見上げた。

 徐々に建物は金色の線が入り上に伸びて行っている。

 

「…スキルを使う事を許すと仰られても…私は嫌ですよ。」

「………私モ嫌ダ……。」

「じゃんけんします?」

「三回勝負ニシヨウ…。」

 頷きあうと二人は手を出し合った。

 

+

 

 神都大神殿に着くとアインズは慌ててフラミーの姿を探し、見慣れた破天荒娘を見つけた。

「ん!?番外席次!!」

「あ!神王陛下!!お目覚めおめでとうございます!!」

 駆け寄るその姿に頭を撫でるとアインズは挨拶もそこそこに本題に入る。

「フラミーさんはどこだ?」

「フラミー様は先程セバス様に会いに行くと仰ってここを離れられました。」

「くそ!遅かった!」

「あ、へ、陛下!人の身を手に入れたと神官長達に聞きました!!良ければ私にもお情けを――」

 と言い切る前に神はあっという間に闇を潜ってしまった。

「…もう!!いつになったら私はあの存在の子を持てると言うの!!」

 番外席次は憤慨しながら再び寝室に戻って行った。

 

+

 

 エ・ランテル闇の聖堂に着くとアインズは誰もいないことに舌打ちをした。

「ここじゃないのか。セバス、セバスのいそうな所…あの娘の所か!」

 アインズは登り始めた日の中、西二区のコンドミニアムへ飛んだ。

(もうフラミーさんに伝言(メッセージ)を送るか!?いや、待て。クレーム対応は真摯に顔を合わせてだ…!!)

 オートロック機能も付けたゴーレムに退くように命令すると共用廊下をズンズン進んで行き、一階の目当ての部屋をノックした。

「セバス。セバス私だ。」

 いつもの身なりのセバスが出てくると恭しく頭を下げた。

「これはアインズ様。つい今しがたお目覚めをフラミー様にお聞きしました。このセバ――」

「それでここにはいないんだな。どこに行った。」

「は、はぁ。竜王国のオーリウクルス様に御報告をと。」

「解った、私は行く。」

 アインズは転移門(ゲート)を開き足を踏み入れかけると、思い出したように立ち止まった。

「お前子供ができたら一番に知らせろよ。後、ニニャさんによろしくとモモンから伝えておけ。それからペテルさんはいい奴だともな。」

「か、かしこまりました。」

 顔を赤くするセバスに少し笑うとアインズは今度こそ転移門(ゲート)を潜った。

 

+

 

 フラミーは眠っていた友人の下を訪れていた。

 その後ろにはニコニコと上機嫌なシャルティアとデミウルゴスが控えていた。

「そうか…アインズ殿は目覚めたか…。」

 露出のない寝巻きにガウンを肩にかけたドラウディロンは安堵からソファに沈んだ。

「はい。本当安心しましたよ〜。」

「あぁ、本当にな。良かったよ…。こんな事が前には一週間もあったかと思うとゾッとするな。」

 ドラウディロンはあの時の漆黒聖典の尋常ならざるスピードの撤退を思い出し、それを心から許した。

「それで?調子は良さそうだったか?」

「ん…まだ私は会ってないです。でもきっと元気一杯ですよ!」

 闇の神の消滅と共に光の神は消滅すると聖王国から来た亜人の噂を聞いた事を思い出し、この女神がアインズに一番に顔を合わせない理由が分からずドラウディロンは首を傾げた。

「なんでだ?早く会った方がいいぞ。」

「解ってはいるんですけど…私…会ったら…。」

「ん?聞かせてみろ。」

 ドラウディロンは悩むような雰囲気のフラミーの隣に移動して手を握った。

 その手の上から空いてる手を重ねるとフラミーはドラウディロンをジッと見た。

「ドラウさん。私…私もうダメだぁ。」

「なんだ?女神ともあろう者がどうしたと言うんだ?」

「私、私――」

 守護者が何事かと目を合わせると、ノックもなしにバン!と扉が開いた。

「い…いた!!フラミーさん!!なんで待ってくれないんですか!!いくら怒ってるからって!!」

 アインズはドラウディロンと手を重ねるフラミーにズンズン進んで行くと、その少し前で立ち止まった。

「寝ないって約束、また破って本当にすみませんでした。」

「アインズさん…もう、その約束やめましょう。」

「いや、次は――」

「やめましょう。」

 心配そうに全員が二人のやり取りを眺めていると、アインズはしゃがみ込んで目に手のひらを当てて懺悔した。

「俺もまさかフルブーストすると保たないなんて思いもしなかったんです。でも、普通に使う分には意識は落ちないって解ってますから。本当に。もう加減を間違えませんから。」

 見たこともない神の姿にドラウディロンも守護者も目を見合わせた。

 フラミーは逡巡してから立ち上がりアインズの前に一歩進むと、視線の高さを合わせるようにしゃがみ込んだ。

 

 四対の翼を大きく広げて後ろの三人からの視線を遮り、フラミーはアインズの手を目から剥がしてフラミー自身の顔に当てさせた。

 アインズは目を開いて、両手の親指でフラミーの頬を撫でながら再び懺悔する。

「フラミーさん、本当にもう寝ませんから。怒らないで下さい。」

 フラミーはアインズの言葉を無視して自分の顔に沿わせた手に手を重ねて、しばらくアインズを眺めると静かに目を閉じた。

「ん。」

「今度こそ絶対に――えっ!?」

 フラミーは目を閉じたまま何も言わなかった。

 

 アインズは背中を汗が大量に流れる感覚に襲われながら、翼の向こうをつい伺おうとしてしまう。

「あ、あの…フラミーさん…?」

 フラミーの顔は赤かった。

(こ…これはそう言うことか!?いいのか…!?本当にいいのか!?)

 アインズは焦る。

 

 これで想像した事が違ったら、それこそ絶交だろう。

 フラミーの顔が少し悲し気になると、アインズは汗が流れる忌々しい肉体を呼び出した。

 アインズは本当に良いのかと自分に再度尋ね、これまで隠すようにしてきた心に触れると覚悟を決めた。

 

 躊躇いがちにゆっくり顔を寄せると、息が重なったところでフラミーの手が一瞬ピクリと動いたが、叱責されることはなかった。

 ゆっくりと唇を重ねると、想像以上に柔らかい感触に驚愕した。

 アインズはその柔らかい感触に、これは一体何で出来ているんだと思いながら数度はむ。柔らかさを確かめる静かなキスはアインズがフラミーをついばむようにして行われ、フラミーも一度だけアインズの唇をはんだ。

 ゆっくり温もりが離れると、フラミーはハァ…と切なげな――溜息なのか何なのか解らない吐息を漏らして、潤む瞳を開いた。

 

「許しました。 」

 

 フラミーは顔を真っ赤にしてそう言うと照れ臭そうに自分の唇に触れて笑った。

「あ、あの…フラミーさん、俺、あなたを――」

 同じく顔を赤くするアインズの前から、何も言わせないとばかりにさっと立ち上がり翼を畳んだ。

 

 何が起こったのか察した守護者は少し照れ臭そうにそれぞれ宙に視線を彷徨わせ、ドラウディロンは目を閉じ、手を握りしめていた。

 

「でも、もう寝ないって約束はやっぱり取り消しです。私毎日寝てますもん。」

 

 フラミーは笑ったが、アインズはその約束を継続したまま毎日寝てもいいと思った。




次回 #19 夢の人


ああああああああああああ!!!
やった!!!!やったよーーー!!!!
でも君達告白しあってからそう言うことしなさい!!!(歓喜

ドラちゃんorz


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#19 夢の人

 アインズは飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の集落のとある石塔の中で生ける屍のように――まさしく屍姿でボーッと過ごしていた。

「陛下?お疲れですか?」

 ティトの声にアインズはあぁ…と生返事を送った。

「アインズ様ハ今日モアノゴ様子カ。」

「まぁ、父上の場合眠る前にも夢を見られるならそれが一番でしょう。」

「コキュートス将軍閣下、パンドラズ・アクター殿下。僕、皆に今日の謁見はおしまいだと言ってきます。」

「スマナイナ。ティト。」

「いえ。でも、如何に陛下とは言えあれだけ復活させれば流石にお疲れにもなりますよね。」

「………そうですね。」

 パンドラズ・アクターはそうなのだろうかと思いながらも取り敢えず同意しておいた。

 

 飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の集落では過去に寿命や病気以外で死んだ者まで蘇り、墓からは人間がボコボコと出てきていた。

 一定より昔に死んだ者は如何に骨があろうとも流石に蘇らなかったが。

 生命力の損失なく行われた復活は、蘇った人々に大量の生命エネルギーを注いだようで皆がピンピンとしていた。

 中には若くして亡くなったと聞いていた曾祖父が自分より歳下の体で蘇った者もいる。

 あまりにも多く復活しすぎた人々は、一棟倒壊している事もあり飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の集落の許容値を大きく上回ってしまっていた。

 当然のように大量の飛竜(ワイバーン)も復活した為竜舎もとんでもないことになっている。

 

 今回の災害以外で死んだ者達は現代の集落に居場所のない者もいたため、ザイトルクワエ州エ・ランテル市のザイトルクワエに移住する事を決断する者が多くいた。

 エ・ランテルではそれを受け入れる為ザイトルクワエのくり抜き作業が急ピッチで進んでいた。

 山小人(ドワーフ)達と土堀獣人(クアゴア)達が穴掘りなら任せろと、初めて手を取り合って作業に取り組む姿は町の人々を大いに和ませた。

 頂上に暮らす霜の竜(フロスト・ドラゴン )達が最初それを渋った事は言うまでもないが、ライダー達と飛竜(ワイバーン)は頂上から定められた距離に許可なく近付かせないようにすると約束が交わされた。

 霜の竜(フロスト・ドラゴン )はすっかり気に入った新天地の我が家が守られた事に安堵し、交渉にきた神王の息子に感謝した。

 その境界部分には分かりやすいようにと集眼の屍(アイボール・コープス)が目をつぶって浮かび続け、赤く点滅する永続光(コンティニュアルライト)を纏って一定の間隔で光っているとか。

 その後この集落がどうしたかと言うと、魔導国の飛び地として吸収されたのは言うまでもない。

 地名を何とするかの会議は神官長達を大いに悩ませたが、しばらくは仮称として復活の丘と呼ばれるようになった。

 後に近くのとある国が魔導国に正式に吸収されると、その国名を戴いた州名と、神の真の姿を目にして尚誤解せずにその地へ連れてきた者を讃え、ティト市と正式に名付けられるようになるが、それはまだもう少し先のお話。

 

 外からタタタと走る音が聞こえると、アインズは我に帰ったようにハッとし、高速で身なりを確認した。

 すると足音の正体は無遠慮に部屋に入って来た。

「アインズさん、石塔の耐震補強の書類読みました?」

「これはフラミーさん。まだですよ。」

 突然へべれけ状態を脱してキリッとする王を見るとティトは少しおかしそうに笑い、守護者二人と共に王から少し離れ――それぞれが頬をかいたり腕を組んだりしながら宙を見た。

 フラミーはアインズの元に近付くと書類の向きを変えて差し出した。

「私これやっぱり不十分だと思うんです。一応目を通してください。ここはきっとまた強く揺れますから。」

 アインズは書類を出してくる細い腕と腰を引っ張って、フラミーを自分の片膝に座らせた。

「じゃあ、読み上げて下さい。」

「ははは、へいかおたわむれを。」

 フラミーは膝の上で楽しそうに笑うと、簡易玉座の傍に置かれている大量の手紙を発見した。

「あ、まだ開けてないんですか?あれ。」

 アインズは骨の顔が緩みかけていたが、途端につまらなそうに頬杖を着くと翼を撫でて弄んだ。

「…ツアーからの手紙なんて何が書いてあるか十分想像がつきますから。」

 はぁ、とため息を吐く骸骨の頭をペチンッとフラミーは叩くと立ち上がった。

「もーちゃんと働いて下さい。それにツアーさんの事呼ぶって言った揺れの日からもう何日経ったと思ってるんですか。」

「うーん。寝てたんで分かりかねますねぇ…。」

 フラミーはじとっと腑抜けた支配者を見ると言った。

「<転移門(ゲート)>。」

「あ!?」

 すると、上半身だけそこに突っ込んだ。

 全身を入れないのは、彼女なりの多くの反省故だろう。

「はー働くか。仕方ないな。」

 

 フラミーが闇から顔を引き抜くと、中からは心底不愉快とでも言うような白金の鎧が現れた。背中からマックス不機嫌オーラが染み出している。

「アインズ………君は何をやったか分かっているのか……。」

「どうも…。お世話になっております…。」

 アインズに竜王は指をさしながらガンガン近付き怒り出した。

「僕が!!何のために!!君にその腕輪を持つことを許したと思っているんだ!!第一また骨の姿じゃないか!!人の身はどうした!!」

「あぁ…私も本当にすごく反省してると言うか…。」

「どこかで発生した世界を揺らす激しい力は全ての竜王が感知したぞ!!皆始原の魔法(アレ)を失った事を必死に隠しているが、魂が震える程の力を使ったのは誰だと評議国では連日その話題で持ちきりだ!!終いには最近よく鎧で出かけていたからと僕がそれをやったんじゃないかと言う永久評議員まで出ているんだぞ!!」

 ツアーは竜王を始めとする評議員達に、自分が負けたせいでこのままではぷれいやーと大々的な戦争になってしまうと話し、戦争を避けるにはぷれいやーの望む属国化に協力してくれと言ってここまで漕ぎ着けたのだ。

 当然、全竜王達が"お前が余計な事をしたせいで"とツアーに悪態をついたが、皆力を失った事を隠し、自分以外の竜王はまだ力を持っているような雰囲気の中、ぷれいやーと戦争になった時一番に死ぬのは自分になると恐れ首を縦に振った。

 評議国の竜王達は腰抜けしかいない為簡単にツアーの思惑にハマったのだった。

 竜王ではない、別の亜人の評議員達は力関係からそう多く口出ししなかったが、皆竜王の横暴だと評議国議会の空気は最悪だ。

「そ、それは…なぁ?元を辿ればツアーのせいだし…。」

「あぁ!!くそ!!何でこんなことに!!」

 ツアーは乱れた口調で吐き捨てると、頭を抱えながらウロウロと自分のやった事を再び反省し始めた。

 

「あ、あの陛下…この方は…?」

 ティトは神を平気で呼び捨てにする鎧の男を少し不愉快に思った。

「あぁ、こいつは評議国のツァインドルクス=ヴァイシオンと言う竜王なんだが…少し厄介な男なんだよ。」

「誰が厄介だ!!!やっぱりその腕輪は僕が持って帰る!!」

「ははは。ツアーさんって本当面白いですね。」

 楽しそうに笑うフラミーを心底恨めしいと言う風にツアーは見た。

「フラミー、君が付いていながら何でこんなことになっているんだ!君がアインズの抑制装置としてちゃんと働いてくれると思ったのに!!」

 微妙にフラミーを叱り始めたツアーにアインズは少し気を悪くした。

「落ち着けツアー、そんな事よりな。」

「そんな事だと!!ああ!手紙も開けてないじゃないか!!」

 

「静かにしろ。真面目な話をする。お前はこの世界のどこに竜王達がいるか知っているか?」

 

 送ったが開けられていない手紙を前にツアーはピタリと止まり、静まった。

 

「どうしてそんなことを聞くんだ、アインズ。皆七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)のように甘くはないぞ。」

 あれは好んで人と交わりを持つし、頭が少しおかしい竜王だとツアーは思っていた。

「竜王達に何かしようって言うんじゃないさ。ただ、ここの近くに一人いるんだろう。」

「何故そう思うんだい。」

 ティトは二人から溢れる先程までとはまるで違う雰囲気にゾクリと身を震わせた。それは、絶対者達だけが放つ――命を鷲掴みにされるような圧倒的な存在感。

 外を飛んでいるであろう飛竜(ワイバーン)達は真なる竜王の放ち出した気配に怯えるようにギャアギャアと鳴き出した。

「邪神を討伐して竜の谷を生み出した竜神伝説を聞いてわからないほうがまずいだろ。」

 ツアーは頭を抱えた。

 このぷれいやーはいつも知らなくていい事を全て知っている。

「アインズ。確かにここの近くには竜王が一人いるしあの谷もそれが抉った。しかし始原の魔法(アレ)は奪ったんだ。それを君ともあろうものが何を恐れる。」

「俺は誤魔化されんぞ。」

 ツアーは本体で舌打ちをした。

「勘がいいのも考えものだぞ。アインズ。」

「詳しく教えろ。あそこで何があったのか。でなければ俺はあの一帯を絨毯爆撃する。お前達の大好きな始原の魔法とユグドラシルの魔法を掛け合わせたハイパーアルティメイトな魔法でな。」

 この男はやると言ったらやるだろう。

 ツアーは観念したようにため息をついた。

 

「僕の知る事もそう多くはない。伝説通りさ。三百年前にぷれいやーが現れたんだよ。それはここの竜王がたまたま目覚めたタイミングだったんだ。あの谷はそれを屠った跡さ。――たったの一撃でね。」

 

 アインズは口に手を当てて何かを考えだした。

「アインズ。あれに下手に関わろうとするな。」

「…聞いて良かったよ。ありがとう。」

 ツアーは途端に殊勝な雰囲気のアインズに近づいて行くと、細い腕を掴みアインズを立たせて拳で骨の胸をドンと叩いた。

 わずかに守護者達が身じろぎしたが、開戦の雰囲気ではない為姿勢を戻した。

「これで許してあげるよ。それで?君はどうするって言うんだ。」

「取り敢えず何もしない。」

 ツアーは手を離してアインズから離れるときょとんとした。

 

「何だって?」

「何もしないと言っている。」

 

 アインズは天井を見上げた。

「ただ…あいつの力は知っておかないと危険だ。」

始原の魔法(アレ)を奪ったと言うのにか。まぁ、次の目覚めはまだまだ何百年か先だと思うよ。」

 瞳からは灯火が消えた。

「あいつは始原の魔法(コレ)を持たなくても危険すぎる…。俺は多分、あいつを知ってる。」

 

「何?」

 

「あいつも俺を知っている。そして必死に探しているんだ。」

 

「…アインズ…君は一体…。」

 

「ツアー。俺がここで復活劇を行った日、この地は激しく揺れた。あいつは…必死に目覚めようとしているんだと思う。その前に揺れたのは、このティトの話によるとちょうど俺が評議国に行ったあの春の日らしい。」

 それはつまり、始原の魔法を竜王達から奪い取った日だ。

 言葉を失った竜王にアインズは燃える瞳で問いかけた。

「それを踏まえて、二つ目の質問だ。あれはいつ出てくると思う。」

「…わからない。でもそう簡単には出て来られないと思うよ。眠る事で普通よりも長生きしてきた竜王だからね。君が何を感じているのか知らないけれど…このまま百年単位で眠り続ける可能性もある。」

 

「そうか。名は。」

「名は知らない。ただ、常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)と呼ばれている。僕も数える程度しか会ったことがない。君が何千歳かは知らないけれど、少なくとも僕の数倍長く生きるあれは竜王の中でも僕の父と肩を並べて伝説的存在だ。」

「ふふ。恐ろしいな。お前みたいに優しくない気がするよ。」

「…あれは気まぐれだ。数百年に一度目覚めた時にしか世界に関わらない。もし君があれと戦う時は…僕も呼べ…。君に死なれたら困る。」

「仲間みたいだな、本当に。」

「本当に仲間なんだから爆撃するとか言わないで貰いたい所だよ。」

 

 ため息を吐くツアーの様子にアインズは少し笑うと手のひらを見つめて呟いた。

「あれが起きるまでに…力を集めなければ…。」

 

 ツアーは腕輪を回収する事をやめた。




よかった…まだほのぼのできそうだ…。

次回 #20 閑話 ツアーのお見合い

どこにも需要がなさそうなタイトルだ…!!
ツアーはほとんど出ません。
守護者とキャイキャイするだけのお話です!
12時に行きます!


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#20 閑話 ツアーのお見合い

 フラミーはツアーとアインズの話を聞いて決意した。

 

「ツアーさん…私にあなたの持ってるギルド武器を破壊させてくれませんか?」

「…フラミー、気持ちはわかるけれど、すまない。今はまだ我慢してくれるかな。」

「何でですか?私達こんなに平和的に過ごしてるのに…。」

「本当の意味で平和的に過ごしていたら考えるけれど、アインズは新しい力を行使せずにはいられなかったんだ。君もそうなってしまうかもしれない。今回たまたまそれが破壊に向かわなかっただけだ、と、解るね?」

 認めたくないが、フラミーは認めた。

「はい…。」

「力の行使には注意が必要だ。今回は飛竜(ワイバーン)と人間で済んだからよかったけれど、腹に収まったものが蘇って生きてる者の内臓を突き破って復活したり、死んだ虫達が一斉に飛び始めたり…そうなれば正直何が起こるかわからない。そうなってもおかしくない程の力だったんだ。」

「それは恐ろしいな…。」

「ドラウディロンの腕輪は想像より強力だ。普段抑制としてのみ使う事をもう一度強く勧める。」

 アインズは頷いた。

「プレイヤーに連なる者や竜王以外には使わないようにするよ。」

「わかってくれて嬉しいよ。力を持つ者はその力の使い方に注意を払い、責任を取る必要がある。」

 

「あ…あの…。」

 おずおずと再び口を開いたティトに、ツアーはさっきから煩い小姓だと睨みつけた。

「竜王様…でも、僕たちは、すごく陛下に感謝してるんです…。本当に良かったって…。」

「そう言う問題ではない。これは百年を、千年を超えるスパンの話なんだ。」

「でも…それじゃあ、皆死んだままで良かったって言うんですか…?」

 当然ツアーはそのままで良かったと思っている。

「ティト、やめなさい。これは加減を間違えた私の失態だ。ツアーの言うことは間違っていない。私も私なりに世界の先を考えている。それは千年ではなく――」数十年程度だけどな、と言いかけてアインズは千年王国というギルドを思い出した。

 ギルメンに聞いた話では、確か鶴は千年、亀は――「万年。」

「万年か…。アインズ、君は流石だ。ではこの復活の範囲は君なりに考えた結果だったのかな。」

 アインズは思わず口に出ていたそれに冷や汗をかいた。

「その時に僕はもういないかもしれないけれど、僕も子供を残して君の助けになるように努力する。その為にも力を落とさないよう純然たる竜を探さなくちゃいけないな。」

 コキュートスがティトを退出させる横で話は進んだ。

「あ…あぁ…。最悪ナザリックの竜を紹介しよう。」

「…それは…位階魔法を存分に扱える子供になるな…。始原の魔法(アレ)が無くなった今、それは魅力的かも知れない。」

 アインズは確かに竜王の力とユグドラシルの力を注ぐ子供は魅力的かもしれないと思った。

 それにナザリックとこの竜王の間に子供ができれば、この共犯関係もより強く結びつきが出来る気がする。

「うちのがいいと言えばだが、会ってみるか?」

 ツアーは悩んでいるようだった。

「いや、やっぱりユグドラシルとの混じり気は望むところじゃないから今はやめておくよ。でも、もしいい娘がどこにもいなかったら最悪頼むかもしれない。」

 

 大人しくなったツアーをフラミーが家に送ると、アインズは我が子達にたずねた。

「マーレの持っている茶釜さんの森林竜(ウッドランドドラゴン)、あれのどちらは確かメスだったと思うんだが……誰か知っているか?」

 コキュートスと顔を見合わせてから、パンドラズ・アクターが口を開いた。

「仰る通り一体はメスかと。」

「そうか。マーレに一応、最悪どこにも良い竜がいない場合は会わせる約束をしてしまった事を伝えておこう。ナザリックの軍需拡大にも繋がると思ってつい急いてしまった。」

 アインズはデミウルゴスの時の失態を思い出しながらマーレに伝言(メッセージ)を繋ぎ、転移門(ゲート)を開いた。

 

 そこからは双子とニ匹の愛らしい仔山羊達が出てきた。

「アインズ様!フラミー様!御身の前に!」

「お、御身の前に!」

 アインズは双子に立つように手で促してから本題に入った。

「よく来たな、お前達。それで、さっきの伝言(メッセージ)の件なんだが、マーレ。勝手な事を約束してしまってすまなかったな。恐らく起こり得ないとは思うのだが…。」

「い、いえ!アインズ様がお望みなら僕はちっとも構いません!」

「嫌なら嫌で断ってくれて良いんだからな。ただの見合いとは言えもしその時が来たら本人の意思確認もしよう。」

「か、かしこまりました!あの、その時は僕からカキンさんに伝えます!」

 

「「なんて?」」

 アインズとフラミーは思わず疑問が口から漏れた。

 

「マーレ、あの森林竜(ウッドランドドラゴン)って課金さんっていうの?」

「え?はい!昔ぶくぶく茶釜様が至高の御方々に、『私が命をかけて手に入れたカキン・ドラゴン』と仰っていたので、その、皆それがお名前なのかと…あの、違うんでしょうか…?」

 アインズとフラミーは吹き出した。

「なるほどな。確かにあれは課金ドラゴンで間違っていないとも。」

「ふふふ、おかしいなぁ。」

 フラミーは愉快そうにクスクス笑っていた。

 アインズは笑いを鎮静された後、他にも課金の名を冠している者がいる気がして唸った。

 ひとしきり笑うと、フラミーは満足して双子に尋ねた。

「カキンちゃんは好きな人とかいないのかな?」

 フラミーは二人と共に来た仔山羊に腰掛けた。

「アインズ様とフラミー様を心からお慕いしてると思いますよ!」

 アウラの元気一杯な声に、アインズはナザリックの者とは好きとか嫌いとか、そういう感情の話はあまり成り立たない物だと再認識した。

 

「フラミーさん、もしいつか見合いさせて、互いを気に入りあったらどう思いますか?」

「茶釜さんがどう思うかにもよりますけど、好き合えば素敵な事だと思います!」

「やっぱり茶釜さんが自分のドラゴンが子供を産む事をどう思うかがネックだな。」

 アインズとフラミーがどうだろうと唸っていると、マーレが嬉しそうに話し出した。

「あ、あの!僕はぶくぶく茶釜様は、その、子供を持つ事はとってもお喜びになると思います!だ、だって生命創造系のご職業にお就きになってますし!」

 どんな勘違いだとアインズは苦笑した。

「…あの人は声優だぞ。」

 アウラは座っているアインズの前に嬉しそうに駆け寄ると、骨の手に手を重ねた。

「わぁ!やっぱり!ぶくぶく茶釜様はセイユウなんですね!声を与えて生命(いのち)を吹き込むお仕事ですよね!」

 その瞳はマーレと揃ってキラキラ輝き、アインズは一瞬ポカンとしたのち、ふっと骨の顔を綻ばせた。

「はは、そうだな。その通りだ。聞かせてやりたいな。きっとあの人も喜ぶよ。プライドを持ってやっていたからな。」

 アインズは子犬のようなアウラの頭をたっぷり撫でて片方の細い太ももに内側を向かせて座らせた。

「あ、あの、アインズさま…。」

 マーレもアインズの側によるともじもじし始めた。

「ふふ、マーレも来なさい。」

 アインズは寄ってきたマーレも空いている方の太ももに乗せると、心底幸せそうに二人に話しかけた。

「ふふ。本当に可愛い子供達だ。茶釜さんにも渡したく無いと思うほどだぞ。」

 キャーと顔を擦り付けてくる子供達をアインズはよしよしと愛でた。

「子供を愛するとはこう言う気持ちなんだろうな。カキンやお前達もいつかこういう心が持てるだろうか。命令だから、とかではなく真実誰かを愛し抜いてほしいと思うよ。」

 誰よりも優しい声音でそういうと――「んぢぢうえ!!」

 アインズは鎮静された。

 

「な、なんだパンドラズ・アクターよ…。」

「私は御身の子供!!それも、直属の子供です!!!」

 直属の子供という聞いたこともない言葉にアインズは沈静された。

「そ、そうだな。」

「父上!!子供を愛でたい時は!!このパンドラズ・アクターを愛でて頂ければ宜しいのです!!!」

「あ、あの、アインズ様。僕はもういいですから、その、パンドラズアクターさんを座らせてあげて下さい。」

 マーレが遠慮がちに膝から降りて、フラミーの隣に並ぶとアインズはこれを膝に乗せるの!?と再び沈静された。

「これはマーレ様。素晴らしいご提案をありがとうございます。」

「うーん、それじゃこっちはコキュートスに変わってあげるよ!」

 アウラもぴょんと立ち上がるとフラミーの下へ行った。

「イ、イイノカ…。」

「待て、コキュートス。お前は物理的に無理だろう。」

 上に立つ者としてえこ贔屓するべきではない。しかし、アインズはデミウルゴスの作ったこの玉座が砕け散る姿を思い浮かべた。

(そ、それは…それで…。)

 アインズが一人思考に没頭しかけていると、その脇でフラミーがパンドラズ・アクターとコキュートスを手招きしていた。

 

「ズアちゃん今日スモールライト持ってます?」

「んフラミー様!もちろんでございます!!」

「じゃあ私が二人に当てますから、はい。貸して。」

 パンドラズ・アクターがもう辛抱たまらんという様子で子山羊達を縮めたアイテムをフラミーに渡すと、フラミーはスモールライトを二人に当て――二人は二歳児程度のサイズになった。

 

「…か、可愛い!!可愛すぎます!!」

 フラミーは仔山羊から立ち上がると床にぺたりと座って小さな守護者二人を抱き締めた。

 小さなパンドラズ・アクターはフラミーに触れる事をわずかに躊躇したが、幸せそうに微笑むフラミーを見ると、静かに身を任せてフラミーの顔の横に顔を収めて首に手を回した。

「…フラミー様…。」

 コキュートスもオォ…といつもよりずっと高い声音と息を漏らしながら四つの小さな手でフラミーの服を掴んでいた。

 背中には仔山羊がスリスリと体をなすりつけている。

「アインズさんアインズさん!見てぇ。」

 フラミーが興奮気味にアインズを呼ぶと、小さな守護者達も愛らしく振り返った。

 アインズは無言で近付いていくと、膝をついて掻き抱くように三人いっぺんに抱きしめた。

「こ、この光景は…確かに可愛すぎる…。」

「コキュートスもパンドラズアクターもずるーい!」

「ぼ、僕たちだってお膝に乗せてもらっただけなのに…。」

 アインズはフラミーの首から顔を離すと不満げな双子を手招いた。

 双子は顔をパッと輝かせて、アインズとフラミーに引っ付いた。

 

「はぁ、お前達はほんっとうに可愛いな!!」

 

 アインズはひと時の幸せに浸ったが、ビッグライトが未だ製造されていない事に気が付くと愛らしい息子を抱き上げて慌てて宝物殿にすっ飛んで行った。

 パンドラズアクターは父の膝の上でアイテム製作を行いながら、いつまでもアイテムが完成しなければいいのにとふくふくのほっぺを膨らませた。




次回 #21 跡を濁さず

ミニ守護者かわいいよぉ!!
タイトル詐欺になってしまいましたが、
ツアー、ナザリックとの間に子供を作ってお父さんになったら家庭から孤立しそうですね!笑


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#21 跡を濁さず

 アインズは出発の準備を始めていた。

 想像以上に飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の集落に長居してしまった。

 わずかに風には秋の匂いが混ざり始め、フラミーは以前通りのローブオンローブ姿に戻っていた。

 フラミーは中のローブは日々変えているが、紺色のローブはいつも着ていて、アインズはあんな地味な色じゃない、もっと好きそうな色やデザインの物を贈れば良かったと思った。

(あの時は勢いだったからな…。効果しか考えていなかった…。)

 フラミーに次何か渡すとしたら、またローブにしようと思った。

 デミウルゴスのような繊細な気の利いた物は難しい。

 

「よし。では行くか。ティト、最後の仕事だ。頼むぞ。」

 アインズは転移門(ゲート)で竜の谷に戻っても良かったが、折角なのでもう一度飛竜(ワイバーン)に乗っておこうとティトに送らせる事にした。

 ティトは少し寂しそうに返事をすると、来た時にも使用していた角笛を取り出して強く吹いた。

 音が響き渡ると、ティトの竜舎からたった五頭の竜達がこちらへ向かって来た。

「アインズさん、人になっておいた方が。」

 フラミーの声に頷くとアインズは人化した。

 

 陽光聖典達はフラミーの召喚した天使達が行なっていた倒壊した建物の解体と継ぎ接ぎ作業を引き継ぐために居残りとなった。

 皆が一緒に行きたいと言ったが、神都から来た神官長達に「私達だって神といられない事を日々我慢しているんだから我儘を言うな」と言う謎の叱られ方をしてすっかり大人しくなっていた。

 

 マッティは弟の栄えある最後の仕事に少し感動してから、人の身に変わったその王に近付いた。

 一緒に立っていた、復活した両親も胸を熱くしているようだった。

「神王陛下…この度の私のご無礼を、どうかお許しください…。」

「マッティ。気にすることはないさ。世話になったな。半日とは言えお前の観光案内は実に面白かったぞ。」

 マッティは慈悲深き王に深々と頭を下げた。

「…神王陛下。図々しいお願いかとは解っているのですが…ティトを、弟を共に連れて行っては頂けませんか。」

 王はマッティとティトを交互に見た。

「ティト。お前は私たちを送った後も共に来たいのか?」

 ティトは悩んだ。

 両親が復活した以上、ここの仕事と竜はもう安心だ。

 広い世界を見に行っても何の問題もない。

 王は別にいいけど…と言う雰囲気でティトを見ていた。

 一生に一度のチャンスかも知れない。

 しかし――。

「いいえ、陛下。やめておきます。ここには美しい空と土がありますから。僕はここで生きていきます。」

 あの日めちゃくちゃになった塔は、金継ぎされて少しづつまたその背を伸ばして行っている。

 以前よりももっとこの街を美しくしていきたい。

(ティト、お前にはまだ難しいだろう。それは失うまで気付ける物ではない。)

 もっと深い意味のある言葉だったのだろうが、ティトにはまるで今日の日を予言されたように感じた。

 

「そうか。次はミノタウロスの王国だからな。お前は一緒に来ればきっと食われてしまうだろう。」

 優しい神のいつもの冗談に皆が神と共に笑い声を上げた。

「そうだ。ティト、お前は今度マッティと共に神都に騎乗指導に来てくれ。うちのじゃじゃ馬娘三人組に飛竜(ワイバーン)を持たせてもいいかもしれん。」

 ティトはハッと顔を上げた。

 こんな一介の小僧に気を利かせてくれる王の優しさに痛み入った。

「へ、陛下…!宜しいんですか!!」

「もちろんだとも。ご両親も良いかな。」

 ティトは少し祈るような気持ちで父を見ると、父は母と頷きあった。

「勿論です。帝国のロイヤルエアガードには再び私が指導に行きますし、竜の世話も妻が行いますので、何も問題ございません。」

 

「父さん!母さん!ありがとう!!兄さんも本当にありがとう!!」

 ティトは喜びに三人の胸に飛び込んだ。

 

「…あいんずさん、なんて良い話なんでしょう…。」

 フラミーは感動してボロボロ泣いていた。

「はは、大丈夫ですか?ほら。」

 アインズがフラミーの目をぬぐうがフラミーの涙は止まらなかった。

「私、両親なんて一度も見たことなかったから…こう言うの弱いんですよぉ。」

 孤児院育ちで小学校卒業前にそこを蹴り出されるように社会に出たフラミーの身の上を思えば仕方のない事かとアインズはフラミーのお団子をポフポフ押した。

 アインズも両親を早く亡くしているため、その温もりを思い出すと、少しだけ寂しさを感じた。

「…いつか子供を持ったら、きっと沢山愛してやりましょう。」

「え?」

 フラミーは涙を止めてアインズを見ていた。

「あ、いや!いやいや!!俺たちって事じゃなくて、守護者達とか!あの、子供を持ったら!ほら、ツアーの子供なんかもね!愛してやりましょう!!」

 しどろもどろのアインズにフラミーは嬉しそうに笑って頷いた。

 

「早クオ世継ギガオ生マレニナルノヲ…爺ハ…爺ハ…。」

 パンドラズ・アクターは隣の青い塊がウロウロするのを尻目に支配者達に近付いた。

「さぁ父上、そろそろ参りましょう。」

「そ、そうだな。さぁ、ティト。頼むぞ。」

「はい!!じゃあ、父さん、母さん!兄さん、皆!行ってきます!!」

 

 集落の人々と、新たに配された死の大魔法使い(エルダーリッチ)、通常なら死の騎士(デスナイト)だが――今回は空を飛べる青褪めた乗り手(ペイルライダー)、神官長達と陽光聖典に見送られて竜達は飛び立った。

 

+

 

「だから私なんかどうなるのよ!!」

 ナザリック地下大墳墓第九階層のバーに統括の嘆きの声が響いていた。

「まぁ落ち着きたまえ。アルベド。悪いねピッキー。」

「いえ。お気になさらず。デミウルゴス様。」

 副料理長はグラスを磨きながら守護者達の様子を見守っていた。

 

「ずっとこっちで執務とナザリックの管理だけして…たまにお帰りになるアインズ様はあなたかパンドラズ・アクターとばっかりお仕事をなさるし!!」

「ナザリックの管理は何よりも大切なことでしょう。それにアインズ様が君を避けるのはすぐに押し倒すからですよ。」

「シャルティアだってアインズ様に口付けを送ったと言っていたわ!あのアウラですら抱き締めて頂いたとか!!あなたがあの時もあの時も邪魔しなければ私だって!!私だって!!」

 アルベドは荒れていた。

 支配者は自分の前で人化しようとしないし、シャルティアにはどんどん差を付けられるし、このままでは本当に第二妃として貧乳が収まってしまうのではと気が気でなかった。

「もしかしてアインズ様はあまり胸が大きくない方がお好きなのかしら…。」

「…アインズ様は奥ゆかしい女性がお好きなんだと思いますよ。君はフラミー様を少しは見習うんだね。一度でもフラミー様がアインズ様に迫ったのを見たことが…――あ。」

 デミウルゴスは肩を落とした。

 

「なんなの?はっきり言ったらどうなの。」

「いえ、この間竜王国で始めてお二人がキスする所を見ましてね。フラミー様からねだられたようでしたので。」

「当たり前のことじゃない。たまにはお外でだってキスくらいしたくなるものよ。」

「はぁ。私もいつかフラミー様にお情けをかけて頂けないだろうか。」

 デミウルゴスはやっぱり竜王国の時一緒に飲めばよかったと思った――が、それを実行できないのがこの男の悲しい性だった。

「無理でしょうね。あなたに情けをかける時間があったら私がお情けをかけて頂くもの。」

「…妙につっかかるじゃないか。」

「全く、ずっと御方々と一緒にいながら何をやっているのかしら。私があなた

だったら、もっとフラミー様に迫るわ。」

「そんな不敬な。アインズ様にもフラミー様にも不敬でしょう。」

「愛は不敬を超えるのよ。」

 デミウルゴスはずれたメガネを押し上げた。

「まぁ…気持ちの表現はそれぞれですね。」

「…デミウルゴス。竜王国と言えば、アインズ様は飲酒を所望してらっしゃったと言っていたわよね?」

「そうですが…なんですか。アルベド。」

「私と組んで企画しない?御身をご満足させるのよ。」

「はぁ。悪魔の囁きですね。それによって君が何を得ようとしてるのかが透けて見えるようだ。」

 ピッキーは理性的な常連客に絶対やめたほうがいいと心の中で忠告した。

 

+

 

 アインズ達はミノタウロスの王国まで一時間ほどの所に降ろされ、別れを惜しむティトの背を見送った。

 一番大きな馬車をナザリックから持ち出し、四人は乗り込むと少しだけ真剣な表情をしていた。

 牧歌的だった集落から打って変わって、今度はプレイヤーの子孫が待つと思われる国なのだ。

 

「フラミーさんの最強装備、久しぶりにみたなぁ。」

「私もアインズさんの最強装備久々に見ましたぁ。」

 フラミーは珍しく、アインズの正面にコキュートスと並んで座っていた。

 アインズは久々に纏っている神話級(ゴッズ)アイテムのローブの()があるので、その隣に人が座るのは難しく、パンドラズアクターが二歳児程度の姿になって座っていた。

 体は竜に乗る為に人化したままだったので微妙に違和感がある。

 

 実は神聖魔導王の名でミノタウロスの王には何度かアルベドが書状を出してきたが、全て無視されていた。

 平和的に乗り込めるのがベストだったのだが、所詮相手は獣だったというわけだ。

 ミノタウロスにアンデッドだと入国拒否されても面倒なので、アインズはこのまま人の身で行く事にしていた。

 

 その錚々たる装備はこれから起こるかも知れない苛烈な争いを覚悟しているようだったが――

「はぁ、フラミーさんは本当…何着ても可愛いですね。」

 アインズはやはり少し腑抜けていた。

 パンドラズ・アクターももう癖になり始めていた小さなその体で父の膝の上にたまに頭を乗せたりして楽しんでいた。

 アインズもすっかり可愛くなった息子の背に手を当ててトントンと寝かしつけようとしている。

「なぁ…んですかぁ。こんなのいつもの格好じゃないですかぁ。」

 フラミーはアインズの罪悪感につけ込んでキスをねだってしまった日から、アインズにずっとおちょくられていると思っていた。

 何も恥ずかしがる様子もないこのお兄さんは百戦錬磨なのだろう。

「ははは。可愛いなぁ。」

「もー!アインズさん真面目になって下さいよー!」

 

 竜王国からの道中とは違ってまるで緊張感のない馬車は四十分程走ると、かつてのカッツェ平野のようなカラカラに乾いた大地の景色に変わって行った。

 その先には巨大で古めかしい、直線的なデザインの要塞壁が見え、それは地面と同じくオレンジがかっている。

 一定の間隔で物見用の塔が建っていて、その上で恐らくミノタウロスだと思われる影がゴチャゴチャと忙しなく動き続けていた。

 

「ふむ…今のところは何の変哲も無いな。では最後の確認をしよう。」

 真面目になったアインズの言葉に、三人は真剣な面持ちで頷いた。

「今回はプレイヤーの国だ。全員装備を今一度確認しろ。」

 フラミーの様子をちらりと見て、確かにフラミーなりの最強装備だと言うことを確認する。

「よし、では今回の作戦はまず第一にギルド武器の捜索だ。文明が如何に発展していても、ギルド武器の存在の有無が確認できるまで街の破壊は慎め。」

「「は!」」

 

「私に街とギルド武器をいっぺんに破壊できるだけの力があれば良かったんですけど…すみません。」

 申し訳なさそうにするフラミーにアインズは首を振った。

「良いんですよ。俺だって法国にあった奴、何回叩いて壊したかわかんないですから。」

「ありがとうございます…。私、頑張りますよ!」

 触れ合えない微妙な距離にアインズは少しだけもどかしさを感じる。

 恐らくギルド武器は存在するなら王の近くにあるか、法国やナザリックのように拠点にあるだろう。

 フラミーの火力ではギルド拠点ごとギルド武器を破壊する事は不可能だ。

 街を破壊してからギルド武器の捜索をすればツアーが勘付いて余計な口出しをしにくる危険もある。

 発見できるまではなるべく静かに行動しなければ。

 とは言え、隠密能力に長けた僕だけを送り込めば万一相手が絶対強者の場合危険すぎる。不可知化して侵入すると言うのも、手の内を見せるようでイマイチ気乗りしない。

 

 どんどん馬車が近付いて行くと、巨大な門扉が開けられ、要塞壁の中からミノタウロス達がワラワラと出てきた。

 

「お出迎えだな。」




次回 #22 忌むべき生き物

やっとミノタウロスの所につきましたー!!

フラミーさん!あんたおちょくられてないよ!!


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試されるミノタウロス王国
#22 忌むべき生き物


 遡る事数年前――。

 

「耐えろ!もう少しで帝国の村だ!!」

 ニグン率いる陽光聖典は急成長を始めたトロール国に戦いを挑み――土砂降りのその日、敗走していた。

 トロール達は力こそ全てだと言う種族で、数年に一度武道会を開いては勝者が政治を預かり持って部族を引っ張っていた。

 それまでトロール達の集落を"国"などと呼ぶものはいなかったが、今回の為政者はどうやらあたりだったらしく、国と呼ばれるほどに大きくなり始めていた。

 這々の体で辿り着いた帝国領の村で、ニグン達はすっかり世話になった。

 村人達は甲斐甲斐しく聖典に世話を焼いてくれ、ニグンは一刻も早くこんな優しい人々を育てることが出来る帝国に、どうしようもない王国を飲み込んでもらいたいと思った。

 

 世話になること数日、ニグン達はその地を立ち去る準備を済ませ、村人達に礼を渡そうとすると――村人達は神妙な面持ちで頼みごとをしてきた。

「実は…この村の地下にはミノタウロスが監禁されているんです。どうか…それを殺しては頂けないでしょうか…。」

「何ですって?ミノタウロスが…?」

 聖典達は顔を見合わせた。

 牛の体でありなから、人間のように二足歩行を行う呪われたその生き物達は――かつて人里に現れて男をなぶり殺し、女を陵辱し快楽の限りを貪ると*村人を男女問わずに攫っていったそうだ。

 奴らは黒い体毛に覆われていて夜闇に乗じて現れた為、村人達の力では止められるはずもなかった。

 足には蹄がついているのに手は五本の指が生えていて、手先が器用なそれは無駄に文明も発達している。

 

 その時身篭ってしまった女達が産んだのは全て牛頭の獣だったらしく、殆どの子供は出産と同時に殺されたが――地下に囚えられていたミノタウロスはたった一匹、その時に見逃された子供だった。

 母親はきちんとその子供が人肉を求めないように育てて見せると懇願し、村人は渋々了承した。

「しかし、この村では近頃稀に人が消えるのです!そんな日の夜には決まって屈強なミノタウロスがうろつくのを見た村人が多くいます…。もう、もうこれ以上こんな事が続いては、我々は母親を殺めてしまいます!!」

 ニグン達は当然殺害を決定した。

 一度、村を出たふりをして闇に紛れてその場所に行くと、呪われた子供は自分をかばう母親を人質に逃げ出して行った――――――。

 

 神々は殲滅するか悩んでいたが、ニグンとしては断然殲滅を勧めたかった。

 部族程度の規模ではないあの生き物達はとても陽光聖典の力では殲滅など不可能だった為、国へ向かって行ったそれを深追いはしなかった。

 ニグンは天使に建物を金継ぎさせながら、ミノタウロスが殲滅される姿を思い浮かべていた。

 自分も行って是非殲滅作戦に参加したかったと、悔しさに拳を握った。

 

「ニグン隊長どうかしました?」

 副長のイアンの声にニグンは金の線の入る塔から視線を外した。

「あぁ。ちょっとな。…これは不敬な考えやもしれんが、ミノタウロスが陛下方のおっしゃっていた数々の大罪のどれか一つでも犯してくれていると良いなと思ってな。」

 あぁと納得した副隊長も当然ミノタウロスが嫌いだった。

「神に楯突くなといつもは思いますが、今回ばっかりはたっぷりそうして貰いたいところですねぇ。ガハハ!」

「ふふ。その通りだ。そうでなければ我らが神聖魔導国に、あの野蛮な奴らが加入してしまいかねんしな。」

 二人と、その話を聞いていた周りの聖典は愉快げに笑った。

 

+

 

 

【挿絵表示】

 

 

 要塞壁の物見塔から目を細めて様子を伺うミノタウロスがいた。

 黒い体毛に覆われた体、くるりと丸まった角、太く屈強な腕にはブレスレットがハマっていて、身分を表すように赤いマントを掛けている。

 その手には血のように真っ赤なワインが入った木のタンブラーがあり――ある日を境にビーストマンが撤退してからの平和なミノタウロス王国を物語るようだった。

「馬車なんて珍しいな。それにあの馬はなんだ?」

「初めて見る馬ですね。どうしますかリーダー。ビーストマン達ではないと思いますが。」

 班のリーダーの任に就くミノタウロスの呟きに、控えていた副リーダーのミノタウロスが応えた。

「捕らえて俺らの班で使うか。他の班と差を付けられる。手柄になるぞ。」

「ふふ、いい案ですね。」

「よし、他の班の奴らに気付かれる前に行動しようじゃねぇか!」

 頭を下げると副リーダーは一足先に行動を開始した。

 リーダーは残っていた酒を飲み干すと、自分の身長ほどもあるかと思われる両刃の斧を手に取って塔を下りた。

 

 すでに兵が出て行った扉のそばで腕を組む副リーダーがリーダーをちらりと見ると不愉快そうな声を上げた。

「リーダーあいつら馬車も馬もどこかに隠したようです。」

「何だと?魔法詠唱者(マジックキャスター)か。それで、相手はどんな奴らだ。」

「人間の男が一、翼を持つセイレーンのような女の亜人が一、見たことも無い亜人が一、巨大な異形が一。全員馬車と馬を隠した以外は何もせずに突っ立ってます。」

「……人間か。面白い。どこにやったのか聞いてみよう。場合によっちゃあ見えた二頭より多く持っているかもしれん。」

 リーダーは不敵に笑い、肩にかかった赤いマントを翻しながら戦場になると思われる荒野へ歩み出した。

 

 包囲している仲間を掻き分け進むと、物々しい装備に身を包む四人組がいた。

 種族はてんでバラバラで、一体どこから来た者なのかまるで想像もつかなかった。

 しかし、その装備は馬なんかよりも余程価値がある事は一目でわかった。

 全て魔法の装備だ。

 しかも女は上玉。

 王に直接献上すればまた階級が上がるかも知れない。

 

「大人しくて助かったぞ。随分うまそうなのがいるじゃないか。男だけは奴隷屋に見つかる前に肉屋に連れて行くか?なぁんてな。」

 リーダーの声に周りのミノタウロス達が笑い声を上げた。

 ミノタウロスはビーストマンよりも発達した文化を持っているためその場で人間を貪り食おうとは思わない。

 いくら日本人が刺身を食べると言っても、釣れた魚を捌きもせず突然その場でかぶり付いて食べる者がいれば狂人だろう。

 リーダーは分かりやすく恐怖を与えるように威嚇したはずが、怯えた様子のない人間に違和感を感じた。

 何故逃げようとしない。

 女と装備を置いていくなら、人間の男は殺される可能性もあるため見逃してやりたかった。

 笑い声が収まり始めると、副リーダーが声を上げた。

「お前達馬をどこへ隠した。」

 

 どいつが喋るかと四人を順に見て行くと、魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思われる人間の男が代表して応えた。

「帰らせたよ。私達はここの街を少し見て歩きたいだけなんだが…そうだな。馬をやろう。それで通しては貰えないかな?」

 帰らせたと言うのは放したと言う意味かと思い副リーダーをちらりと確認するが首を左右に振った。

「…街に入りたいとは随分変わったやつだな。ここは人の住む場所ではないぞ?」

「知っている。それで、馬をやれば入れてくれるのか?」

 

 何故か焦れた様子の人間に別のミノタウロスが声を上げた。

「そっちの女でもいいぜ。そのお上品な服を剥いで、ぐちゃぐちゃにしてやるよ。もっと下さいとおねだりするようになるまでな!」

 部下達から上がる笑い声の中、リーダーはこれまでの戦の経験からこの人間には何かあると思った。

 幾ら何でも怪しすぎる。

 装備もあの女の亜人も王を喜ばせるだろうが――思考に没頭しかけると煽ったミノタウロスが尻餅をついた。

「あ?お前何やってんだ?」

「リ、リ、リーダー!やめましょう!!こいつらはやばい!!やばすぎる!!」

 突然恐慌し始めたそれは口角に泡を吹きながら必死に訴え始めた。

「恐怖を与える魔法か。仕方ない…。お前達!これ以上やらせるな!!全員捕らえろ!!」

 その声に数体のミノタウロスが縄を手に包囲網から出てきた。

「女はどうするんで?」

「全員賢王へ献上する。お前達それを汚すなよ。」

 

+

 

 アインズは切れかけていた。

 相当時間はかかるが殲滅後僕を大量投入し、瓦礫の町からギルドとギルド武器を探してもいいかもしれない。

 注意するとしたらアインズの力によってギルド武器を破壊しないようにする事と、ツアーだ。

 リアルの禁断の技術を持っていなければ魔導国に全種コンプリートする為にも、入国拒否されないように身分も骨の姿も伏せ、こうしているが――そんな気も失せてくる。

「フラミーさん、こいつらやっぱり殺しましょうか。」

「あ、はは。いえ…。別に…何もされてませんし…。」

 その顔は引きつっていた。

 アインズは怒りが後から後から押し寄せて来る胸に手を当てた。

 レプリカの杖を取り出したくなる気持ちを何とか鎮める。

「……嫌になったら言って下さい。こいつら根絶やしにしますから。ツアーが文句を言って来ても殴って黙らせればいいだけの話ですし。」

「ふふ、何だかちょっとやまいこさんみたい。分かりました。嫌になったらちゃんと言います。」

 笑うフラミーにアインズの怒りは一時的に鳴りを潜めると、いかにも一兵卒ですと言うようなミノタウロスが叫んだ。

「おい!何をコソコソ話してる!!」

「お前達が薄汚い獣だと言う話をしていたんだ。そう喚くな。」

 苦々しげにミノタウロスが睨みつけてくる様をアインズは鼻で笑った。

 

「お前は余程自分の力に自信があるようだな。」

 理性的な赤マントのミノタウロスはアインズを上から下までじっくりと眺めた。

「お前達よりは強者だからな。」

「ハハハ!そうか。俺もそうかも知れんと思っていた。」

 相手の力を正しく見極める能力を持つものはそれだけで強者たり得る。

 アインズは赤マントをわずかに警戒した。

 

「しかし、驕っていられるのも今のうちだ。賢王はどんな者より、強く賢い。」

「…口だけの賢者はまだ生きているのか?」

 アインズ・ウール・ゴウンの目と呼ばれた、ぬーぼーの姿のパンドラズアクターが街の方へ視線を送った。

 このまま賢王のところへ連れて行ってくれるならそれに越したことはない。

「自分の目で確かめるんだな。さぁ、大人しく縄に付け。いくらお前が強いとは言え多勢に無勢だろう。それに女が傷付けば賢王からの評価も下がる。」

「お前は割と理性的だな。私達をかばっているのか?」

 アインズが相手を見極めようと目を細めると、赤マントは自嘲するように吐き捨てた。

「……俺は人を食わんだけだ。」




次回 #23 初めての牢獄
やっぱり野蛮な国に来たら捕まらなくっちゃ!!(えぇ

ミノタウロスってヘビーな生き物ですね?
*Wikipedia ミーノータウロス 逸話より

https://twitter.com/dreamnemri/status/1142453761538850816?s=21


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#23 初めての牢獄

 アインズ達は背中側で肘を触るように組まされた手を、首にかけられた縄と繋げられ、牢に放り込まれていた。

 顔には麻袋がかかっていて、如何にも囚人と言った雰囲気だった。

 

「全員いるな。」

 アインズのその声に三人はそれぞれ返事をした。

「不愉快ナ者共デスネ。」

 コキュートスの怒りの声にアインズは全くだと言うと縄を簡単に引きちぎり、目隠しの麻袋を外して放り投げた。

 すると気配を感じたのかコキュートスとパンドラズ・アクター達も自由を取り戻し始める。

 アインズは一先ず仲間の安否確認をと思い視線を彷徨わせると、フラミーが縛り上げられ牢にもたれ掛かる様子に再び怒りが湧いてきてしまった。

「フラミーさん、もういいですよ。」

 なるべく落ち着いた声を出そうと思ったが、その声は怒りより低くなってしまい、守護者達をわずかに身震いさせた。

 フラミーの縄を軽い力で切って袋を外すと、プハッと息を吐いてから「アインズさん」と言って女神は微笑んだ。

 麻袋はわずかに臭った為息を止めていたのかも知れない。

 こんな状況だが、懐くような瞳にアインズは心が和らいだ。

 

「なんだかこう言うイベント初めてじゃないですか?ふふ、ちょっとワクワクします。」

「はは、そうですね。こんなイベント二度といりませんけど。」

 自分をくんくん確認するフラミーの乱れた前髪をなで付けていると、アインズは違和感を感じた。

「…ん?フラミーさん、デミウルゴスの蕾が…。」

「え?」

 フラミーは慌ててお団子をペタペタ触るとその顔を青くした。

「わ、私どこかに落として来ちゃった…!?」

 そう言うと、あわあわと立ち上がりどこかに行こうとした。

「落ち着いてください。今探しますから。」

 慌てる腕を取ると、フラミーは少し落ち着いたようだった。

「<探知対策(カウンター・ディテクト)>、<偽りの情報(フェイクカバー)>――――」

 アインズは"それはそれで"と少し良くない感情を抱きながら十にも及ぶ魔法を唱えていく。

 情報収集系の魔法を使うときは敵の対策魔法への対策を十分に行ってから使用するのが鉄則だ。「戦闘は始める前に終わっている」と言い切ったギルドメンバー、ぷにっと萌えが考案した『誰でも楽々PK術』によるギルドの基本戦術にも書かれている。

「パンドラズ・アクター、私に特殊技術(スキル)による強化と対策を。」

 ぬーぼーの姿のままでいるパンドラズ・アクターは頭を下げ、必要なものをアインズへかけた。

 無数の防御魔法によって守られると、最後にようやく<物体発見(ロケートオブジェクト)>を発動させた。

「…大丈夫です。そう遠くありません。」

 地図がない為はっきりした場所はわからないが、割と近くにあるようだった。

「はー良かった!そっか、魔法があるんですもんね。」

 フラミーが胸を撫で下ろしたのを見ると、やはりまた良くない感情が胸の中をゾワリと動いた。

 大切な息子の工作を無くなっていいと言う父親はいないだろう。

 いや、いてはいけないのだ。

 しかし、アインズはデミウルゴスがフラミーの首に触れた時の二人の様子を思い出していた――そして湖でフラミーの漏らした言葉も。

 アインズは一歩踏み込んでしまったせいか、これまで努めて無視してきたものが目につくようになってしまっていた。

 

「父上、フラミー様。私が回収して参りましょう。弐式炎雷様になりここに影武者を置いて行きます。」

「……いや…ぬーぼーさんの力は王に会う時に必要だ。取り敢えずスキルを用いてこの一帯の強敵を探せ。」

「かしこまりました。」

 パンドラズ・アクターはすぐにスキルを使用した。

 ダンジョンに皆で潜る前によく目にした光景だ。

 アインズは懐かしいな、と自分のやった事から目を背けるためにもその様子を眺め続けた。

 

 コキュートスは、耳をすませていると遠くから複数の足音が近付いて来るのを聞き取り、強者探しを行うパンドラズ・アクターの代わりに弱者の接近を告げた。

「アインズ様。複数ノ者ガ来マス。」

「そうか、思ったより早かったな。」

 コキュートスとアインズが話す横でパンドラズ・アクターは一通り近辺の様子を伺うと、結論を告げた。

「父上。八十五レベル程度の者が二体。」

「そうか…。プレイヤー達か子孫か…はたまたその両方か。」

「何にしても大したことはなさそうですね?」

 フラミーに頷きながら、油断はしないでほしいと思った。

 

 蹄が石の床を叩く音が近付いてくると、赤マントと複数のミノタウロスが姿を現した。

「ん?勝手に拘束を解いたのか。」

 赤マントが繁々と牢の中を伺う様子にアインズはたっぷり嫌味を込めて返事をした。

「袋が臭くてな。」

「ふふ。それは悪かったな。さぁ、出るんだ。」

 アインズ達が立ち牢を出ると――意味はないかもしれないが、と言いながら赤マントは再び四人の手を前で縛り直した。

 

 アインズ達は窓のない薄暗い廊下を進んで行った。

 壁にはトーチがかけられているところから見ても、文明はやはり然程進んでいないようだと安堵する。

 これなら種族コンプリートができるかもしれない。

 一階分上がると、そこは赤茶けた石で出来た広い廊下で――巨岩を削り出した巨大な柱に支えられた建物は光で溢れていた。文字のような彫刻があちらこちらに刻まれていて、ビビッドな色使いで絵が描き込まれていた。

 赤マントについて進んでいくと、美しいオアシスのような中庭があり、そこでは雌のミノタウロス達が井草でマットを編んでいた。

 雌のミノタウロスは雄と違ってすらっとした手足に細い面をしていて、白い毛並みが美しい。

 

「雌っているんですね。」

「はは。本当ですね。考えたこともなかったな。」

「黙って歩け。緊張感のない奴らだな。」

 フラミーとアインズへ赤マントが呆れ混じりに注意を飛ばす中、中庭をぐるっと回るように進むと、一行は大きな両開きの扉の前で止まった。

 その扉は、ヒエログリフがたっぷり彫られた荘厳なものだった。

「連れて来たとお伝えしろ。」

 扉の左右に立つミノタウロスが一人小さな扉を使って中に入って行くのを見送ると、ぬーぼーの姿をしたパンドラズ・アクターが耳打ちした。

「アインズ様。この先の二名です。」

 アインズはちらりと赤マントを確認してから応えた。

「良くやった。」

 

「おい、だから黙れと言っているだろう。本当に殺されるぞ。」

 赤マントが注意していると小さな扉からミノタウロスが戻り、巨大な扉は左右のミノタウロスによって押し開けられて行った。

 アインズはどこの国もこう言う面倒臭い事をして扉を開けるものなんだなと内心苦笑する。

 

 扉が開くと、一番奥、三段程度の階段の上にこれまでとは全く違う赤毛のミノタウロスが二体いた。

 その床には先程の雌牛達が編んでいた井草で織られたマットがしかれ、大量のクッションと食事がマットの上に直に置かれている。

 一体は真ん中でクッションに背を預けるようにだらしなく座り、一体は真ん中から少し避けて片膝を立てて座っていた。

 他のミノタウロス達の角は円を描くような形だったが、この二人の持つそれは軽いカーブを描きながら天に向かって真っ直ぐ生えている。

 着ているものは魔法の装備だと一目見てわかる物だ。

 それは実用性よりもデザイン性を重視したような作りで、ユグドラシル時代のあらゆる装備を思い出した。

 

 牛達は品定めでもするように献上品を眺めると、赤マントに声をかけた。

「入れ。」

「は。失礼いたします。如何ですか。賢王、王弟。」

 赤マントと共に赤毛のミノタウロスに近付いて行くと、真ん中に寝転がる一体が鼻を鳴らし、愉快そうに話し出した。

「ふふ。良いじゃないか。次は何を望むつもりだ?お前ほど強欲なミノタウロスは見たことがない。さぁ、これらを連れてきた報酬に何を望む。」

「は。自分と副リーダーに更なる昇格を。」

 出世欲の強い牛達は恭しく頭を下げた。

「良いだろう。後で将を呼んで相談してやろう。」

 だらしなく座っていた赤牛は体を起こして座り直すとさっと手を払った。

 それを合図に赤マントは頭を下げて戻っていくと、四人に声をかけた。

「王のもとまで行け。」

 アインズは目の前の存在の力量を探ろうとじっと見つめた。

 おそらくユグドラシルのものだろうと思われる装備は聖遺物級(レリック)伝説級(レジェンド)だろう。

 

「…なるほど?確かに見事だ。見た目だけなら我らが祖王の遺した物に勝るとも劣らない物を身に付けているようだな。」

 アインズとフラミーはプレイヤーは死んでいると確信した。

「兄者、あの女は珍しい。紫か銀の毛を持つ子が産まれるかも知れんぞ。」

 隣で片膝を立てていた赤毛のミノタウロスが嬉しそうに話した。

「それは面白いな、弟者。二人で使って早めに孕ませよう。」

 賢王と弟は仲睦まじい雰囲気で笑い合った。

 アインズは自分を落ち着かせようとその手で精神抑制を使った。

 

「おい。もう少し近くに寄れ。」

 フラミーは我関せずとばかりに物珍しそうに建物の天井や柱を眺めていた。

「チッ。解ってないのか。お前だ紫。」

 フラミーはハッとすると階段のすぐ下まで近付いた。

 王と弟は立ち上がり近寄ると、王はフラミーの顎を持って物珍しそうに左右に顔を振らせて様子を見た。

「随分と美しいな…。弟者、やはり私が先に産ませてもいいか?」

 フラミーは嫌がるように顔を振って顎の手から逃れた。

「俺にもその前に一回くらいは使わせて欲しいところだな…見ろ兄者。口の中は赤紫だ。」

 弟が口の中に手を突っ込みフラミーの舌を引き出した。

「っんぁ…。」

「柔らかいし触り心地も悪くな――」

 そう言いかけると、二人は目を剥いて階段の上によろけて尻餅をついた。

 フラミーは舌を出したままウェーとでも言うような顔をしていた。

 

「な!?お!おい!!お前は何を連れてきたんだ!!」

 尻をついたまま無様に後ろに下がっていく王はフラミーではなくアインズを指差していた。

 赤マントはまた恐怖の魔法かと舌打ちをし、やめさせる為アインズに近付きかけると――続く王の言葉に足を止めた。

「アンデッドだと!?」

 副リーダーと共に慌てて振り返り身構えるが、何もいない。

 

「やっぱりお前達は殲滅だ。」

 

 アインズはそう言って手の縄を払うように簡単にちぎり、数歩前にいたフラミーの肩を引っ張って胸に収めると――腕輪を輝かせながら美しい魔法陣を出した。

 それはバチバチと音を鳴らして雷のような光が迸っていた。

 腕の中のフラミーは驚いたように自分を後ろから抱くアインズを見上げていた。

 

 王と弟は控える者に向かって絶叫した。

「迷宮に落とせ!!」「早く!!今すぐに!!」

「は、はい!!」

 ミノタウロス達は三秒にも満たないやり取りを行うと床は円状に青白く光り、アインズは瞳の炎を燃え上がらせた。

「強制転移トラップだと!?ではあの扉、やはりここが――!!」

 

 玉座の前にいた四人は消えた。




次回 #24 迷宮

ふー危うく街が壊されるところだったぁ!
あっぶなーい!!


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#24 迷宮

「貴様!!なんて者を連れてきたんだ!!」

 敵の消えた謁見の間で赤マントは深く頭を下げたまま叱られていた。

「申し訳ありませんでした!!」

「お前達の昇格は無しだ。いや、ミノス!!お前は降格だ!おい。マントを剥がせ!」

「お、王よ!お待ちを!!王であればあんな者達を殺すことなど容易かったはず!!」

 賢王は未だ拭いきれない冷や汗の中ミノスと呼んだ赤マントを見つめた。

「…それは当然だ。」

「我らを守る為に奴らを迷宮に落としたとは言え、まさか殺されそうになった訳でもないのにご無体な!!」

 赤マントは必死だった。

 この男は何としても上り詰めなければいけなかった。

 家で待つ母のため。

 

「…ッチ。その通りだ。次は許さんからな。降格も無しだ。行くぞ弟者。」

 王は吐き捨てると弟と共に下がって行った。

 

 赤マントは額の汗を拭い少しおどけたように呟いた。

「…ひゅーあぶりーあぶりー…。」

「り、リーダー。あいつらは一体何だったんですか…?」

「知るかよあんなバケモノ。ありゃ賢王でも無理だ。ま、迷宮落ちしたんだ。生きては出られんだろ。」

 赤マントは副リーダーと部下達を連れて謁見の間を後にした。

 外にはもう夕暮れが訪れ始めていた。

「今日はもう帰るか…。馬も無し、昇格も無し。とんでもない一日だったな。」

「本当ですねー。」

 ハハハとミノタウロス達は笑い合った。

「気晴らしに飲みにでもいくか?」

「あ、俺は少し用事があるんで。」

「そうか。じゃあ、また明日な。」

 赤マントは一人帰路に着いた。

 先ほど感じた命を絞り取られるような感覚がまるで嘘だったかのように街はいつも通りで、平和的だった。

 知り合いと軽く手を張り合い、別の班の者に頭を下げられたりしながら進む。

 

 家につくと途端にほっとする。ミノスは玄関をくぐった。

「母さん、ただいま。」

「坊や、お帰りなさい。早かったね、ご飯できてるわよ。」

「ははは、坊やなんて歳じゃないよ。」

 ミノスは照れ臭そうに笑うと年老いた母親と軽く抱き合い、マントや装飾品を外した。

 母親はキッチンに戻るとその日のシチューを皿に盛りながら背中越しに愛する息子に声をかけた。

「今日、お隣の奴隷だった子が粗相をしたって屠殺場に送られたわ。」

「…そっか…。」

「それで、ご主人が精肉できたらお裾分けしてくださるって…。」

「何だって?困ったな…もう庭に埋めてやれる場所もないし…。」

 この親子は国内で最も流通している人肉を食べはしなかった。

 息子は一度でも口にすればその味を忘れられないだろうと匂いを嗅ぐだけでわかっていた。

 この国では人以外の肉はあまり需要がないため流通量も少なく非常に高価だ。

 世の奴隷達は、屠殺した後に肉としては売れないような屑部分を肉骨粉にし、腸詰めにした物を大抵食わされていた。

 口だけの賢者によって奴隷階級まで引き上げられた人間達は、賢者の崩御と共に奴隷と家畜に分けられた。

 賢者は一度人間を口にし、あまりの美味さに目を剥いたが、二度とその肉を口にしなかったらしい。

 日々食いたい食いたいと苦しみに転げながら。

 何故賢者がそれ程頑ななまでに人間を口にしなかったのかは未だに謎だが、当然それだけうまい人間達をミノタウロス達は決して忘れる事など出来るはずもなかった。

 当時、人間の家畜制度が廃止され奴隷制度が立ち上がった時には大量の闇市と人間狩り、奴隷攫いが横行していた。

 今ではすっかり家畜が再び世に出回ったので闇市や奴隷攫いは落ち着いたが――奴隷を繁殖させ、ある程度教育することはコストがかかるため、未だに近くの人間の村では人間狩りを行う事がある。

 とはいえ、派手な真似はできない。一番近くの村は強力な魔法詠唱者(マジックキャスター)を召抱えた国の領土のため、今では密猟が基本だ。

 まれに暴れ回る者もいるが。

 

 ミノスがしばらく母と二人で食事をとっていると、家の扉をノックする音が響いた。

 急いで机に並べられていた母親の食事を部屋の隅の床に置き、母親は床に座り直した。

「誰だ?食事時に。」

 母親の準備(・・)が済むとミノスは扉を開けた。

「――リーダー、忘れもんですよ。」

「あ、あぁ。そうか。ありがとよ。これこそ王に捧げるべきだったな。明日もっていくか?」

 副リーダーがわざわざ持ってきたそれは白い蕾だった。

「はは、確かに。でも――」

 副リーダーはキョロキョロと辺りを見渡してから小さな声で言った。

「お袋さんにいい土産じゃないですか。黙っておきますよ。さ、受けとって」

 半ば無理に蕾を渡すと、副リーダーは「じゃ、俺はこれで。」と話を切り上げた。

 床に座り奴隷として正しい過ごし方をする人間の母親に、副リーダーは軽く頭を下げて立ち去って行った。

 ミノスはいい部下を――いや、いい仲間を持ったと亜人の女から落ちた蕾を眺めながら思った。

「賢者を称えて人肉食をしない」とミノスはずっと偽って来たが、副リーダーにだけは真の理由を話していた。

 自分は人の子だから、それを食えないと――。

 稀に賢者食と呼ばれる食事をする者たちはいたが、その出汁が出ているスープや血にすら手を付けないのはかなりの異端だった。

 ビーストマンとの戦争に出ていた時は人肉の兵糧が出されていた為に、協力者がどうしても必要だった。

 副リーダーにならと真実を話し、以来ミノスは副リーダーに助けられながら過ごして来た。

 まだリーダーではなかった時から、二人は二人三脚で昇格を重ねた。

 ミノスは力強く優しい男で、何より信心深いと王達にも大層気に入られていた――はずだった。今日この時までは。

 

 扉を閉めると母の食事をテーブルに戻して、ミノスは気恥ずかしそうに蕾を母に渡した。

「これ、母さんに。」

「こんな高価そうなもの、どうしたの?」

「あー…今日会った亜人から貰った。綺麗だろ。」

「売ったら食費になるんじゃ…。」

 ミノスは苦笑した。

 確かに人間以外しか食わないこの家の家計は常に火の車だ。

 

 しかし――

 地下室で匿われるように生きた子供時代。

 少年の世界の全ては母親だった。

 腕の立つ旅人に全てを奪われそうになった時、少年は一番大切な物だけを持って逃げた。

 

「いいよ。母さんにあげたいんだよ。」

 そういうと優しい息子は食事を始めた。

 

 母親はそんな息子をしばらく見つめてから、自分の耳にその美しい蕾を掛けた。

 

 小さな家で匿われるように生きる今。

 母親の世界の全ては息子だった。

 腕の立つ旅人に全てを奪われそうになった時、母親は一番大切な物だけを持って逃げた。

 

「ありがとうね。」

 

+

 

 強制転移させられた一行は幅員三メートル程度の通路にいた。

 道はあちらこちらに続き、どう見てもそこが迷路だと物語っている。

 壁は四メートルほど上の天井までぴっちりくっついていて、果たしてそこがどんな広さの場所なのかも分からなかった。

「ッチ。失態だ。」

「父上、ここは…。」

 パンドラズ・アクターは掛けられた茶番の縄を払って床に捨てながら尋ねた。

「おそらくさっきの宮殿がギルドの地表部だ。ここは地下階層だろう。」

 ナザリックであれば別々の場所に送られるが、幸運なことにそこには全員がいた。ある意味親切だ。

 コキュートスも縄を千切り、不要だとは分かっているが――アインズの腕の中でそのままでいたフラミーの縄を解いて落とした。

 

 フラミーはコキュートスに軽く礼を言うと手首を撫でて、後ろから自分を抱いているアインズを振り返るように見上げた。

「あ、あの…ごめんなさい…。」

「なんで貴女が謝るんですか?俺が早まったせいですよ。」

 アインズはフラミーのお団子をモスモスと押した。

 しかしフラミーは不安そうにもう一度謝った。

「でも…すみません…。」

「フラミーさんのせいじゃないですって。それより、口、大丈夫ですか?」

 フラミーは日本で暮らしていて"殺気"や"力"なんて物は一度も感じたことはなかったし、当然この世界に来てからも一度もそういうものを感知したことはなかった。

 しかし、あの時フラミーは確かにアインズから出た激しい力を感じたのだった。

 腕輪に呼ばれたユグドラシルの激流の如き力を前にフラミーは凍りついた。

 確かにツアーの言う通り力はいつか人を変えてしまうかも知れないと。

 

「フラミーさん…大丈夫ですか…?」

 思考に没頭しかけると、いつもと変わらないアインズがフラミーの頬に触れて様子を覗き込んでいた。

「あ、アインズさん!いつまでも優しいあなたでいるって誓ってください!」

 フラミーは体の向きを変えて、アインズの肋骨に両手をついて縋るようにそう言った。

「え?俺はいつまでも変わりませんよ。そんな事よりも口――」

「で、でも…さっきのアインズさんは…。」

 口なんかどうでも良いとでも言うような雰囲気のフラミーに、アインズは少し考えてから尋ねた。

「…もしかして俺、怖かったですか?」

「…はい…。」

「ご、ごめんなさい。俺、つい…。」

 アインズは小さくなったように見えるフラミーを抱き締めて翼の隙間に入れた手で背中をポンポン叩いた。

 近頃ではもう翼の付け根がどこにあるのかすっかりわかるようになっていた。

 アインズがフラミーを慰めている横でパンドラズ・アクターは敵を探そうとスキルを用いてあたりを探っていた。

 

「パンドラズ・アクター、どうだ。」

「…敵どころか、生きている者は何もいないようです。トラップもありません。」

「そうか。トラップは金がかかるから切ってあるんだろう。よくやった、もう元に戻っていいぞ。」

 息子は頭を下げるとくるりと回りながら卵頭に戻った。

 

「こんなことにはなったが…拠点の存在が確認できたのは収穫だ。後はギルド武器だな。<転移門(ゲート)>。」

 しかし何も起こらなかった。

「なに!?では<上位転移(グレーターテレポーテーション)>!!」

 しかし何も起こらなかった。

 アインズは呪文が発動しないことにナザリックの玉座の間を思い出した。あらゆる転移を阻害する玉座の間はソロモンの小さな鍵(レメゲトン)から真っ直ぐ入っていくことでしか立ち入ることはできない。

「…思ったよりタチが悪いな…。」

 かつてナザリックに攻め入った千五百人がここにいたなら、お前の言えた義理ではないと思っただろう。

 

 フラミーは腕の中からアインズを見上げた。

「あの、私悪魔達を出して出口を探させます。」

「あ、そうですね。お願いします。」

 アインズから少し離れたフラミーは両手を前に突き出し、特殊技術(スキル)を発動させた。

「<悪魔召喚>。」

 しかし、悪魔が出てくる様子はなかった。

「そんな、じ、じゃあ<第十位階天使召喚(サモン・エンジェル・10th)>!」やはり何も出てくる様子はなかった。「――天使もダメです…。」

 

「…余程ここのギルドは性格が悪いようだ。コキュートス、やるぞ。」

 アインズとコキュートスは近くの壁を触った。

「ハイ。ヤッテミマショウ。」

「<現断(リアリティスラッシュ)>!」

 魔法は壁に吸い込まれるように消えていった。

 すぐ隣でコキュートスが繰り出した剣戟は、激しい音を鳴らしたが壁に傷一つつけずに弾かれた。

「アインズさんの<現断(リアリティスラッシュ)>が効かないなんて…そんな事が出来るんですか?」

「…いや、黒棺(ブラックカプセル)も破壊されないように吸収型の壁で作ってますし…多分同じものでしょう…。制作コストだけで維持コストも別にかかりませんし。」

「えー…そう思うとここに恐怖公さんや眷属が居なかっただけ作った人は優しいんですか…?」

 

「………そうかも」

 

 アインズはようやく、ほんの少しだけナザリックの作りを反省した。




次回 #25 蕾

この親子、フラミーさんの物盗んで生き延びられる気がしない!!

ようやく次回ははむはむチュッチュを目指しますですよ。(え


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#25 蕾

 <転移門(ゲート)>も開かず、僕や悪魔の召喚も叶わなかったのでアインズ達は諦めて真面目に迷路を歩く事にした。

 システム・アリアドネ―― ユグドラシル時代に存在した拠点の監視システムが起動していない点から確実に出口はあるはずなのだ。

 アリアドネはプレイヤーが入り口を塞ぐなどで「絶対に落とせない拠点」を作らないよう、拠点が入り口から心臓部まで一直線に繋がっているか、内部の距離や扉の枚数は適正かを監視していた。これに違反するとギルド資産が一気に目減りするという恐ろしいペナルティがあった。現在もこのシステムが生きているかは不明ではあるが――アインズにそれを実験する勇気はないし、恐らくこの迷宮の主もそうだったであろうと思えた。

 

 アインズは長い長いロープを三本魔法で生み出すと、魔法で作った大きめの岩にくくりつけた。

「取り敢えず、歩き回るしかないな。」

 ローラー作戦だ。

 縄がマックスまで伸びたら一度ここに戻って互いの情報共有をしようと約束した。

 三組でマッピングを数度繰り返せば割と早く出られる気がする。

 戻ってくるときには縄を置いてくればセーブ地点になるし、もし出口が早々に見つかれば皆それを辿ってすぐにでも出られる。

 アインズは守護者二人にロープを渡すと神話級(ゴッズ)アイテムのローブから行動速度の上がるこざっぱりしたローブに着替え、フラミーにも行動速度上昇の腕輪を渡した。

 

「あら?私のロープは?」

 三本のロープは守護者とアインズの三名で分けられてしまった為フラミーの分はなかった。

「あーフラミーさんはロープがあっても道に迷って帰って来られなそうと言いますか…ちょっと心配なので…。」

「えっ!こ、子供じゃないですよ!?」

 ペンと紙を守護者二人に渡すとアインズは驚いているフラミーの背中を押しながら出発した。

「じゃ、お前たちマッピング開始だ。出口があったり、何かあれば伝言(メッセージ)を送れ。なるべく急いで向かってやるが、まぁ危険はないだろう。薄暗いから足元には気をつけろよ。」

 

 パンドラズ・アクターとコキュートスは支配者のその台詞に、どちらが守護者か解らないと苦笑して、ロープを手に別々の道に進みだした。

 

 パンドラズ・アクターはサクサクとマッピングを進めながら、この先どんな素晴らしい計画が待っているのかワクワクした。

 デミウルゴスの話を聞いて身震いし、今度はそれを自分が側で見られるのかと思うと実に愉快だった。

 しかし、アインズとフラミーが縄につくと言うのは反対だった。

 コキュートスは自分は一振りの剣だとか何とか言って御心のままにモードだった為一緒に反対もしてくれなかった。

 もっと他にやり方があったんじゃないかとパンドラズ・アクターは考える――が、この罠にかかる事自体がアインズの計画に必要な事柄なのだろうかと思うとそうも言っていられない。

 完全不可知化で入っていればギルド拠点の発見は時間がかかっただろう。

 パンドラズ・アクターは僅かに不安になった。

「この先…私如きにできることがあるんでしょうか…。」

 その後足下に転がるミノタウロスの頭蓋骨を蹴りながらマッピングを続けた。

 

+

 

 アインズとフラミーが進んでいると、こちらにもミノタウロスの骨が落ちていた。

 生身で一人何の道具も食事も無く閉じ込められた者にとってここはただの地獄だった。

 当然壁も傷つかない為目印も残せない。

「わぁ…デミウルゴスさん好きそう。」

 まじまじとツノのついた頭蓋骨を見ているフラミーに、またデミウルゴスかとアインズは心の中の黒い炎がチリッと燃えた。

 細い骨を拾ったフラミーはそれを手の中で弄び、蕾のことを考えているようだった。

 

(…これは大失態だ…。)

 フラミーはデミウルゴスの事を心底気に入っているし、蕾も心底気に入っている。

 三度目の眠り以来、フラミーは自分のもののような気がしていたが、二人でそう言う話(・・・・・)は一度もした試しがなかった。

「フラミーさん、デミウルゴスの蕾…すみませんでした…。」

「え?いえ!全然。蕾は私の不注意ですから。」

「…探すの、手伝いますよ。」

「ありがとうございます!一緒に探して貰えたら百人力です。」

 嬉しそうにするフラミーを見ると胸が痛む。

「フラミーさん。あの蕾って…そんなに大事ですか?」

「えへ?そりゃあ大事ですよ。あれって触ってるだけで落ち着くし、思い出もたっくさんですもん!」

 照れたように笑うその人をナザリックの自分の部屋に閉じ込めて置けたらどれだけ良いだろうかと思う。

 自分が側にいることよりも大切かもしれない蕾が憎たらしかった。

 フラミーとデミウルゴスの間に積もっているであろう思い出について考えかけると、アインズは悪い感情が次々と膨らみ始めたため精神抑制を使った。

 平静を装いながらマップを書くその手は行動速度上昇のローブによって早められた。

 

「ねぇ、アインズさん。あの蕾が始めて咲いた日のこと覚えてます?」

「何ですか。」

 聞きたくもないと、話を振った事をアインズは後悔した。

「デミウルゴスさんは私を見立ててって言ってくれたけど、私はあれアインズさんみたいだって思ったんです。」

「え?」

「白くて綺麗で、キラキラしてて、ひんやりしてて…骨ですしね。」

 はははと笑うフラミーをアインズは足を止めてジッと見た。

「アインズさんは、見せてって言ったけど、あんまり綺麗だから取られちゃうかと思ったなぁ。」

「そんな、とりませんよ。」

「ふふっ、可愛い息子の工作だから飾りたいって言いそうじゃないですか。」

 アインズを見る金色の瞳はそれこそキラキラしていた。

 

「それから、一緒に海で月を見たときにもこれが咲いて、これから私達がやる事は間違ってないって言われたみたいだった。」

「はは、それは都合がいいんじゃないですか?」

「都合のいい女なんです、私。」

「意味違いますよ。」

 二人は軽く笑い声を上げた。

 

「あとはアインズさんが髪の毛切ってくれた時、元気のおまじない、してくれました。」

「そうですね。フラミーさんかなり落ち込んでましたから。」

「ふふ、あの時のアインズさんすごくかっこよかった。デミウルゴスさんが元気のおまじないしてくれた時、すぐにアインズさん思い出しちゃいました。」

 嬉しそうに笑うフラミーの前髪をアインズはサラリと撫でた。

 デミウルゴスとそんな事があったのかと思いながら。

「あれからまた半年ですから、切ってあげましょうか。伸びてますよ。」

「いいんですか!」

 アインズは笑うフラミーの顔を見ると何故これが手に入らないんだろうかと心の闇が蠢くのを感じる。

 

「フラミーさん。今すぐにでもあれを取り返したいですか?」

「へへ、本当は肌身離さずずっと持ってたかったんですけどね。」

「…そうですか。」

 デミウルゴスには荷が重いと思ったが――助けてやれば上手くやれるかもしれない。

 アインズは自分の心の整理をするために一度息をフー…と吐き出した。

 しかし整理できる気配はなかった。

 それどころかフラミーとデミウルゴスが今後どうにかなるのではと思うと、あまりの苦しさに闇が広がっていく。

 あの日唇を重ねてしまったことを後悔し、どうしたもんかと悩み始めると、フラミーの話はまだ終わっていなかった。

 

「あれに触ってるとね、アインズさんに触れてるみたいな気になれるんですよ。」

「…ん?」

 

「冷たくて優しくて、すごく安心しちゃいます。本当はずっとアインズさんに触れていられたら良いのにね。はは、ただの骨でも同じだろって笑われちゃうかな。」

 

 恥ずかしそうに地図で口元を隠しながら笑って語るフラミーをアインズは一瞬惚けて眺めると――堪らず引っ張り寄せて抱きしめた。

 床にペンが二本落ちると、その音は遠くまで反響したようだった。

 アインズの脳裏には手に入れた時から何かあるたびに頭から引き抜かれて、くるくるとフラミーの手の中で弄ばれていた蕾の姿が映っていた。

 アインズは自分の腕の中にある小さな体に何から謝ればいいのか分からなかった。

「すみません。ほんとすみませんでした。」

「な、なんですか?あの…あいんずさん?」

「フラミーさん、俺ってほんと馬鹿だ。」

 

 フラミーは辛そうにする骨の背中に手を回して撫でた。

 トラップにはまったせいで蕾を探しに行けない事に苦しんでいるのだろうと。

「よしよし。たまには泣いたって良いんですよ?支配者だって罠に引っかかる事くらいあります。」

 アインズは光ると人化し、抑制も入れずに静かに涙をこぼした。

 やはり骨より人の身の方がずっと分厚い、フラミーはよく分からない感想を抱いた。

「アインズさん、大丈夫ですよ、本当きっとすぐに見つかりますから。」

「ゔぅ……ぞうですよね……。」

「はい。大丈夫ですからね。」

「…フラミーざん…すみませんでした……。」

「はは。こんな所すぐに出られますって。」

 フラミーは自分の腕の中の大きな子供の背中をポン、ポン、と叩き続けた。

 アインズから、押し殺した泣き声がわずかに漏れた。

 

 しばらくそうすると落ち着いたアインズはつぶやいた。

「…やっちまったなぁ…。」

 泣いた事もさる事ながら、蕾をあの時息子に取りに行かせなかった事も、幸せを感じた日を一度自分の中で否定したことも。

「スッキリしました?」

「…割と。ありがとうございます。」

 二人は両手を取り合って体を離した。

 

「ねぇ、アインズさん。あの、だからね。蕾が見つかるまでは、その、離れないでいたかったから…。本当は一緒のルートに来られて、私、私、良かったです!」

「…やっぱりもう見つからなくていいか…。」

「えぇ?何言ってんですかお父さん。」

「冗談です…。」――半分。

 ハハハと二人で声を上げると、アインズは真剣な顔をしてフラミーを見つめた。

 

「フラミーさん、いいですか?」

「ん?いいですよ。」

 何もわかっていないけど取り敢えず返事をした雰囲気のフラミーにアインズは悩んだ。

 繋いでいる両手の甲を親指でさすりながら考える。

 一度目はフラミーからねだられたような物なので一回分返してもらっても良いはずだし、今良いって言質はとったし――アインズはよく解らない理論で武装してからフラミーの頬を両手でそっと挟んだ。

「あ、あいんずさん。あの、私、その…触れてられたらって言ったけど…あの、そこまで…気を使っていただかなくても……。」

 察したのかフラミーの目は泳ぎ始め、もごもご何かを言い出した。

 牛達もこの光景を見たのかと思ったら再び怒りが湧いて来る。

 

「しっ。目ぇ閉じて。ただの消毒だから。」

 フラミーは一瞬不安そうにアインズを見たが、ギュッと目を閉じるとアインズは二度目のキスを送るために顔を寄せていく。

 呼吸が重なる距離になると、フラミーは一度震えるように息を吸って、止めた。

 アインズは薄目でその様子を見ると少し笑って唇を重ね――「父上!フラミー様!!」られなかった。

 あと何ミリと言うところで現れてしまった息子を、フラミーの顔を持ったままアインズは睨みつけた。

「………またお前かパンドラズ・アクター…!!」

「は、これは失礼いたしました。何かが落ちる音が父上達の気配のする方から聞こえたので…。」

「は…はわわわわわ…。」

 フラミーは顔を両手で覆ってその場でぺたりと座り込んでしまった。

「あ、ああ!フラミーさん!!」

「申し訳ありません、父上。フラミー様もこちらには構わずどうぞ続きを。」

 

「で、できるかーーー!!!」

 アインズは精神抑制が外れたままだった。

 

+

 

「オカエリナサイマセ。ム、パンドラズ・アクターモゴ一緒デシタカ。」

「そうなんだよ…。」呟いた声はがっかりし過ぎて無気力めいていた。

「――んん。では見せ合おうじゃないか。」

 四人は自分たちの書いて来たマップを見せ合った。

 パンドラズ・アクターのマップは几帳面にきちんと距離を確認しながら書いたのか、壁同士に破綻が生じずに見事に道が描かれていた。

 コキュートスのマップは大胆に紙いっぱいに書かれたところと、小さく描かれたところがあり、縮尺がよく解らない。

 アインズのマップは割とパンドラズ・アクターの描いたものに似ていたが、行き止まりじゃないところが行き止まりになっていてAとA'は繋がる、などの注釈が多く書き込まれている。

 フラミーのマップはそこで何を話したとか骨が何個落ちていたとか、不思議な挿絵の描かれているよく解らないものだった。

 三者三様に下手くそな地図を見せ合い、苦笑した。

「…パンドラズ・アクターのマップは一応私の物と繋がったな。向こうには私の持っていたロープとパンドラズ・アクターの持っていたロープを結びつけて置いてきた。」

「申シ訳アリマセン。アインズ様。私ノ地図ハアマリ…。」

「いや。私も人のことは言えん。一度休憩しよう。」

「畏マリマシタ。」

「はー…。パンドラズ・アクター、お前は罰としてマップの清書を行いなさい。」

 フラミーは微妙にアインズの死角になる位置を取り続けていた。

 

 帰路で割と怒られたパンドラズ・アクターは何故自分はこうも間が悪いんだろうと悩んだ。

 それが父親譲りの特殊技術(スキル)だとも知らずに。




次回 #26 出口の見えない闇
0時です!!

はむはむちゅっちゅ目指しました!!!!!
いやぁ君達ちゃんと告白し合ってからそう言う事してくれませんかねぇ。(歓喜
これで一期のデミとのイチャつきをようやく清算できました!
ひゅーやっぱり閉じ込められものはいいなぁ!


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#26 出口の見えない闇

「じゃあ目つぶって下さい。」

「はい。」

「行きますよ?」

「ん…。」

「はは、何か緊張しちゃうな。」

 フラミーの髪の毛がパラリと落ちていった。

 アインズはパンドラズ・アクターがマップの清書をしている間に二度目のヘアカットに勤しんでいた。

 顔がにやけそうになるのが嫌なので既に骨の身に戻っている。

 

「オォ。フラミー様ノ御髪ハイツモアインズ様ガ?」

「いつもと言うか、まぁ、そうだな。」

 髪の毛が落ちて行く様子を興味深そうに眺めるコキュートスの問いに、これからも毎回自分が切っても良いかもしれないとアインズは思った。

 前髪を切り終わると、アインズは少し顔を赤くして目を瞑る髪を下ろしたフラミーを眺めた。

 これで守護者達がいなければなぁと思ってしまう自分が浅ましい。

「ん…終わりました?」

「いえ、もう少しです。」

 終わっているがアインズはしばらくその顔を眺めた。

 

「…アインズさん?」

 何も起こらない事に違和感を感じたフラミーがちらりと目を開けるとアインズが自分の膝に肘をついてこちらを見ていた。

「な、なんですかぁ。」

 フラミーはもじもじすると椅子の上に体育座りした。

「いえいえ。後ろも切るかなーって思って。」

「あ、はい。切ります…。」

 アインズは遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を取り出してフラミーの前に浮かべた。

「じゃ、後ろは一年って事で十二センチくらい切るんでいいですか?」

 髪の毛は一月一センチと聞いた事があるのでこれで元のアバターの長さになるはずだ。

「あの、アインズさん。」

 後ろに回ったアインズを見上げるフラミーに首を傾げた。

「あ、整えるくらいがいいですか?」

「ううん、あの…アインズさんは長いのと短いの、どっちが好きです…?」

 恥ずかしそうに聞いてくる揺れる瞳にアインズは胸を押さえた。

「……っう……なんでも…なんでも良いです……。」

「そんな…。」

「え、あ、いや!違うんです。俺は、そうだな…。アバターくらいが…いいかなぁ…?」

「えへへ、それじゃあ、"ふらみー"でお願いします!」

 アインズは少し笑ってから頷くとフラミーに前を向かせて散髪していった。

 

 仲睦まじい支配者達の光景をコキュートスとパンドラズ・アクターはうっとりと見入った。

「素晴ラシイ光景ダ…。」

「シャルティア様がいないのが悔やまれますねぇ。」

 二人が話す横で、散髪は終了した。

「はー!頭軽くなりました!」

 くるくる回って嬉しそうにするフラミーをアインズが優しい気持ちで見ていると、パンドラズ・アクターが魔法でできた椅子と机から離れた。

「父上、こちらも完成しております。また続きを歩きますか?」

「そうだな。じゃあ、皆ロープを置いて来たところに戻るか。」

 コキュートスは床に散らばる銀色の髪の毛を丁寧に拾い集めてしまった。

 

+

 

 一行はせっせとマッピングを進めた。

 フラミーは自分もできると言ってロープを魔法で作ると親子とコキュートスとは違う方に向かって進んでいった。

 疲労無効、飲食不要等の効果の付いた指輪をごっそり取り出し、その指には大量の指輪が輝いていた。

 

(多少下手でもズアちゃんがちゃんと書き直してくれるから大丈夫だよね。)

 自分の書き起こしていく下手くそな地図に苦笑しながら進んでいくと、無意識にペンを持つ手で唇を触っている自分がいた。

 それに気づくとフラミーは顔を耳まで赤くして苦しそうに声を上げた。

「ウゥ…。ただのしょうどくなのに…。」

 心配性のアインズのためにも甘えていないで早く出なければいけない。

 余計な事を考えないようにプルプルと頭を振った。

「私って…どう思われてるんだろう…。」

 

 少しでも好かれたい、触れていたいと思う一方、アインズの罪悪感を利用してお情けでキスさせてからと言うもの、アインズはずっとフラミーをおちょくっていた。

 年下の女の我儘に仕方なく付き合ってくれているなら、本気になっている自分がバカらしいし、結局最後は振られるなら、その時には「本気じゃなかったしね」と自分に言い訳をしたかった。

 今ならまだそう言って忘れられるかもしれない。

 後でアインズに聞いてみようと決めるとフラミーは今更振られる恐ろしさに気が付いた。

 幸せいっぱいだったさっきまでの気持ちは梅の花がこぼれるように落ちていく。

 

 しかし、もしアインズも自分を同じ意味で好いてくれていたらと思うと、フラミーは胸からドキドキと鳴ってくる音のあまりの煩さに首を振った。

 今までちゃんと考えようとして来なかったが、よくよく考えてみたらそれもそれで辛いかもしれないのではと気が付いた。

 人の身を手に入れたアインズはこの先ドラウディロンやアルベドを筆頭に、多くの妃と側室を迎え、ナザリックの為、国の為、子供をたくさん設けようとするだろう。

 キスさせていたシャルティアも、偶にえっちな触れ合いを重ねるアルベドも、嫁ぐと宣言しているドラウディロンも、皆アインズの友達以上奥さん未満の存在だとぼんやり認識していた。

 そう言う人達の中に飛び込んで受け入れていく覚悟が果たして自分に持てるのだろうか。

 ナザリックの為にフラミーとデミウルゴスの繁殖を勧めていたくらいだし、きっとあの人は気にもしないだろう。

 フラミーは自分と悪魔のその様子を想像しながら、ペンをおでこにグリグリ押し当て歩くと、目が熱くなる感覚に悔しくなってゴシッと袖で顔を拭った。

 

 こんな時に蕾があったら、自分で元気のおまじないをするのに。

 アレに触れて少しでもアインズといる気になりたかった。

 ずっと誤魔化してきた自分の気持ちが辛かった。

 しかし、ハッキリさせずに今のまま触れ合いを重ねたら、ダメだった時に引き返せなくなる。

 それは万年生きるであろう二人の関係の終わりに繋がる。

 振られてもフラミーが何でもない顔をしていられたら、二人の関係は変わらずに続くだろう。

 

 一度休憩しようと膝を立てて壁を背に座ると、膝に顔を埋めて少し泣いた。

 まだ何も聞いていないのに、よくない想像ばかりが浮かぶのは自分がアインズに釣り合う素晴らしい女性じゃない自覚があるせいだ。

 フラミーはため息をついて顔を上げると、壁に背を預け――ようとしたが、その壁は幻術だった。

 無様に後ろに転がると――

「やんなっちゃうなぁもう………あ!?で、出口だ!!」

 そこには巨大な扉があった。

 扉の前にはいくつかミノタウロスの骨が落ちていた。

 皆ここまで来て、最後の最後で扉を開けられずに絶命したのだろうか。

 フラミーは慌てて起き上がると、砂埃を払いもせず扉に向かった。

 押し開けようとすると、扉には文字が並んだ。

 

<One who wish to go inside, should show sword and a ball of Ariadne's thread.>

 

「…何もわかんない…。」

 フラミーは自分の無知を呪って伝言(メッセージ)を送った。

「あ、もしもしアインズさん?私です。出口があったんですけど…なんか扉が開かなくって…。」

 

 すぐに全員がフラミーの糸を伝って幻術の壁の中から現れると、そこに映る不可解な文章を読んだ。

「アインズ様…コレハ…。」

 守護者達は当然知っている文字だが、特別読めるようにインプットされていないため単語が読める程度だった。

 アインズはゴソゴソと英和辞典を取り出した。なぜそんな物を持ち歩いているのかは謎だ。

「ちょっと待て…私も英語は…。」

 この三人の前で無様なところは見せられないと小卒の男は少し慌てた。

 セバスからいい加減モノクルはちゃんと返してもらおうと決めながら、バラバラとページをめくって必要な情報を取り出していく。

 

「中に入る事を望む者、剣とアリアドネの糸玉を見せるべし…。」

「中にってことは、これ出口じゃないんですね。扉だったんでつい私…。」

 せっかく見つかったと思った扉の前でフラミーはため息をついた。

 しかし、アインズは出口より余程良いものだと言うことに気が付いていた。

「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗きものは全て汝より離れ去るだろう。」

 パンドラズ・アクターがハッと顔を向けた。

「ここはまさか。父上。」

「間違いないだろう。こう言うギルドメンバーにしか通じないギミックを入れる所は人に入って欲しくない所だ。ワンフロアと地上部しかなさそうなギルドだしな。」

 まだわからない様子のコキュートスにアインズは告げた。

 

「この先は宝物殿だ。」

 

+

 

 アインズ達は扉の前で悩んでいた。

「剣は恐らくギルド武器だろうがアリアドネの糸玉と言うのがわからんな。」

「父上、アリアドネとはギルドの出入り口を監視するシステムの事ですよね…?」

「そうだ。アリアドネは外から最奥まで一本の糸で繋がるように作られているかを監視している。」

「出口ヲ使ッタ事ガアルモノトイウコトデハ?」

「それは糸玉と言うには少し違和感があるな…。」

 あーでもないこーでもないと悩む男子達にフラミーが口を開いた。

「少なくともギルド武器がないと入れないここにはギルド武器はなさそうですね。」

 確かにと皆が頷いた。

「…一度マッピングに戻るか。ここに宝物殿があるなら出口は反対側がセオリーだ。一度マップを共有してから反対に向かって歩くぞ。」

 

 四人は頷きあった。




次回 #27 閑話 告白
12時でやんす。
どんどんやってください(え
はぁ、でも、アインズ様に告白してほしいよねー。


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#27 閑話 告白

 守護者達はもうじき出口が見つかるかもしれないといそいそ出発して行ったが、フラミーは行こうとしなかった。

 やはり一人で動くのは寂しかったのかもしれない。

 

「フラミーさん、一緒に行きますか?」

「あ、あの…アインズさん…。」

「ん?」

 言いにくそうにするフラミーの顔は少し汚れているような気がして骨の指でゴシゴシ拭いていると、フラミーはアインズの肋骨にゆっくり縋った。

「あれ?どうしました?」

 髪を切ってからお団子を下ろしたままの頭を撫でた。

「私、素敵なお家もお友達も持ってるのに…。もっと欲しいって…思っちゃいました…。」

 ナザリックと友達(じぶん)がフラミーの中で確かにカウントされている事実が嬉しい。

「何か欲しい物があるんですか?俺が何でも取ってきますし、何でもあげますよ。」

 アインズは未だに装備の揃っていないフラミーに必要なものを考え始めた。

「本当になんでもくれる?」

 見上げて揺れる瞳に、アインズは骨になっておいてよかったと思う。

 こう言うねだり方をするこの悪魔はちょっと卑怯だ。

「ぁ…俺が手に入れられるものなら、なんでも。」

「…じゃあ、じゃあ……アインズさん、あなたの全部を私に下さい。」

 早く新しいローブを作って贈ろうと軽く考えていたアインズは吹き出した。

 

「そ、それは強欲ですね?ははは。全部か。参ったな。」

 フラミーは神器級(ゴッズ )アイテムを一つも持っていないし、欲しくなってしまうのは当たり前かもしれない。

「あ…ダメ…ですよね。」

 アインズは悩む。これらは自分だけの力で手に入れた物ではないし、これをフラミーに渡したからと言ってフラミーが自分と同じだけの力を持てるわけでもない。

 特にモモンガ玉はフラミーには扱えないし、フラミーと家を守る為にアインズにはどれも必要だ。

「うーん、なんでもあげるって言っておきながら、アレなんですけど、もう少しハードル下がりませんか?」

 フラミーは心底残念そうにするとアインズから離れた。

「やっぱり…ちょっと欲張りすぎたみたいです。……あ、あれ…?」

 涙が溢れるフラミーにアインズはギョッとした。

「ふ、フラミーさん!?」

「あぁ……。ダメなのに…そんな……。私、鬱陶しい女だぁ……。」

 そのまま床に座り込んでめそめそ泣き出したフラミーにアインズはしゃがんで目線を合わせた。

「す、すみません!俺、やっぱり何でもあげますから。こ、これですか?これが欲しいんですか?」

 アインズは神器級(ゴッズ)アイテムの棘のついたローブを引っ張り出した。

 フラミーは涙をこぼして首を振った。

「あ、じゃあこれですか?それともこっち?あぁー違いますよね、わかりますよ?わかってますから。ほら、これですか?」

 アインズは青いたぬきのように次々とあれこれアイテムを取り出して行き、その周りにはいつの間にかアイテムの山が出来始めていた。

「あ、今度こそ分かりましたよ。ギルドスタッフですよね?」

 レプリカのスタッフを渡しても、フラミーは頷かなかった。

「あいんずさん…。」

 

「じゃあ、やっぱりこれですか!?」

 アインズはついには自分の腹の中の玉を取り出すとその手に握らせた。

「あっ…はは…。」

「ふ、フラミーさん…?」

 気付けばフラミーは泣きながら笑っていた。

「ははは、凄い。こんなにたくさん…。ありがとうございます…。」

 アインズは冷や汗が止まらなかったが、ようやく目当ての物がフラミーに渡ったようで安堵した。

「い、いえ…、どれでも好きなの持ってって下さい…。」

「嬉しい……。でも、はは…全部…いりません。」

「フラミーさん、これでもダメなんですか…?」

 アインズの持つ価値のある殆どの物を前にフラミーはダメだと頷いた。

 世界級(ワールド)アイテムすら渡したと言うのに、アインズはまた焦り出した。

「そんな…じゃあ何が欲しいって言うんですか?」

「私が欲しかったのはアインズさんだけでした。」

「アインズサンの全部ですよこれが。」

 国や世界に匹敵するほどの価値を持つ品々をザラザラと持ち上げてフラミーを見た。

「ははは。よくわかりました。あなたの気持ち。」

「へ?」

 フラミーは持たされたモモンガ玉に嬉しそうにオデコをつけた。

 意図した事はうまく伝わらなかったが、大切にしていた全てをくれようとしたアインズの事をフラミーは心から大切にしたいと思った。

 今はまだ告白なんかするわけも無いと思われている妹のような存在でも、そばに居られる事には違いない。

「私、いつかアインズさんに…これだけが有れば良いって言って貰えるように頑張ります。」

 

 フラミーはモモンガ玉を手にゆっくり立ち上がると、アインズの手を引っ張って立たせた。

「そ、それって…どう言う…。」

「えへへ。」

 フラミーは笑うとアインズの手を引いて宝の山から抜け出し椅子を生み出した。

「さ、座って下さい。」

「は、はぁ…。」

 アインズが座ると、フラミーはアインズの足の間に膝立ちになって大切そうに持っていたモモンガ玉を腹に収め直した。

「ありがとうございました。」

「あ、あの、フラミーさん?」

 腹の玉を見つめる顔は少し名残惜しそうだった。

「本当は…本当はこれが欲しかったんですよね…?」

 フラミーはぷるぷる顔を振ると、下ろしたままの髪の毛を耳にかけた。

 アインズは欲しいなら欲しいでいいのにと思っていると――フラミーはアインズの太ももに手を着き骨を避けるように顔を斜めにすると、腹のなかに浮かぶモモンガ玉に口付けた。

 

「ちょ!!ちょーーーっと待った!!!」

 

 アインズはフラミーの肩を持って自分の玉から引き離すといくら鎮静されても鎮静しきれない感覚に生えてもいない物がどうにかなる姿が見え、流れもしない汗で自分がビショビショになる気がした。

「は、はへ?」

 

「それは!!!ダメだ!!!」

 

 慌ててアインズは椅子を後ろに引いてバタバタと立ち上がり、自分の前で跪くフラミーを乗り越えるように離れていくと秘宝たちを自分の闇に放り込み始めた。

 キョトンとフラミーがその様子を眺めていると、アインズは物を放り込みながら背中越しに声を掛けた。

「フラミーさん!!今の絶対、誰にもやるなよ!!!」

 妙に乱れた口調でガンガン物をしまう支配者にフラミーは笑った。

「はは。やっても全部くれようとする人なんて、アインズさんくらいしかいませんよ。」

 おかしそうにするフラミーに、そっちじゃねーよと心の中で悪態をついた。

 そしてこの人はペロロンチーノよりやばいんだと思い出した。

 

+

 

 守護者二名は今回、どのくらいで戻るようにと言われなかった為たっぷり歩き回ってから戻ってきた。

「父上?」

 アインズはあまりの精神疲労に自分で作ったベッドに倒れ伏していた。

 最早何回抑制したかわからない。

「お前たち、戻ったか。」

「ハ。アインズ様。出口ガ見ツカリマシタ。」

「そうか、良くやったな。」

 行こうと言わない支配者に違和感を感じると守護者は目を見合わせた。

「父上行かないので?」

 

 アインズはゴロンと二人に背中を向けてから返事をした。

「もう少し休憩したらな…。」

 守護者達は首を傾げると、椅子で足をぶらぶらしているフラミーを見た。

「父上に一体何があったんですか?」

「ん、ちょっと色々。」

 苦笑するフラミーに、いちゃつき足りないだけかとパンドラズ・アクターは納得した。

「父上。次に来る時は宝物殿に直行するでしょうが、こうなったらマップをコンプリートしたいですし、行って来てもよろしいでしょうか。」

 アインズは片手を上げて許可を出した。

「私モ行コウ。イクラ下手ナ地図デモ二人デ手分ケシタ方ガ早イダロウ。」

 二人は再び立ち去って行った。

 

「フラミーさん。」

「はい。」

「次は何が欲しいのかちゃんと言ってください。」

 全く人のこと弄んで、と不機嫌そうに言う背中に、ちゃんと言ったのにとフラミーは苦笑した。




次回 #28 それのありか

キャーーー!!!!!
フラミーさん、あんた頑張ったよ!!!!

あれ?でも何も進展してないじゃん!?
なぁに、しかし、来週中には本当の本当の本当にくっつけて見せますよ!!!(来週…


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#28 それのありか

 賢王の称号を継ぐ者は、必ず前王より秘宝を継ぐ。

 厳正なる儀式によって受け継がれるそれは、たった一人の王の言うことしか聞かない真なる王の証だった。

「お前たち二人は兄と弟とは言え、同じ日に生まれた…。本当は二人に継がせたいが…証がそれを許さんのだ…。」

「いいのです父上。俺は兄者の助けになります。」

「私もこの力で弟者を守って生きてゆきます。」

「お前たちがよき兄弟で私は嬉しい。では…お前をぎるどの者だとこれに認めさせなければな。行くぞ。」

 兄は頷き、弟に心の中で謝って父について行った。

 

 赤毛の王は昔の事を思い出していた。

 

「そうか。奴は蕾を受け取ったか。」

 副リーダーを任せている目の前のミノタウロスに褒美の金を渡した。

 

「あれ程の力を持つ者が縄についていたなどおかしな話だと思っていたぞ。よくやったな。」

「は。全ては御身のご安全のためです。」

「許せんな、あの男。しかしお前がいて助かった。」

 王は怒りに震え、頭を下げ金を受け取ったミノタウロスは口角を上げ野獣のような顔で笑った。

「いえ。最初からあのアンデッドを庇うようで怪しかったので。」

「そうか。お前のような者こそ私達に仕えるに相応しい。金の他に、お前には新たな地位を授けよう。夜明けにでもあれの家へ行くぞ。我が手で直々に葬ってやろう。」

「俺もいくぞ兄者。あいつはずっと権力を欲しているようだったが、よもや暗殺とはな。」

 王は弟と国を守らなければならないし、弟は王を助けなければならない。

 

 ミノタウロス達は裏切り者を葬るための準備へ立ち上がった。

 

+

 

 アインズ達は枯井戸の底に出た。

 見上げれば、丸く切り取られた外は日が昇る前らしく、風のざわめきしか聞こえなかった。

「…ふむ。ここから先は不可視化で行くか。パンドラズ・アクター、お前は私になれ。」

「かしこまりました。」

 パンドラズ・アクターはすぐさまアインズに変身した。

 魔法を持つ三人は不可視化の魔法を掛け――大袈裟な動きの自分を見るとアインズは沈静されそうになった。

「コキュートスにはこれをやろう。」

 昔双子が法国に潜入した際に掛けていたものと同じシリーズの透明マントを無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)より取り出すと、コキュートスは膝をつき両手を頭の上に掲げた。

「オォ…アインズ様…。有リ難ク拝借イタシマス。」

 受け取ったコキュートスは恭しげにそれを羽織り、不可視化した。

「よし、行くぞ。」

 全体飛行(マスフライ)で四人で浮かび上がると、こそりと井戸から顔を覗かせた。そこは王宮の中庭の隅だった。昼間にマットを編む牝のミノタウロスを見た場所だ。

 不可視化していても全員がそれを看破する瞳を持つ為、アインズは一瞬透けてないのではと不安になった。もちろん杞憂だったが。

 誰もいないことを確認すると井戸を出た。

「それで、どうします?」

 足音がたつのを恐れてフラミーは浮いたまま訪ねた。

「そうですね。二手に別れます?ギルド武器を探す者と――」

「アインズ様!武装シタ者ノ足音ガ!」

「なに!」

 コキュートスの警告にアインズは浮いているフラミーを引き寄せ掻き抱くと完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)を使って茂みの中にしゃがみ込んだ。

 パンドラズ・アクターも慌ててコキュートスの腕をひっ掴み不可知化となった。

 

 暗い廊下の先から王と王弟、赤マントと一緒にいたミノタウロス、そして数人の兵士のようなミノタウロスが近付いて来るのが見て取れた。

 アインズはまさかこれ程早く気が付くような強者だったかとわずかに焦った。

 コキュートス達はどこだろうかと見渡したが、不可知化した二人を見つけることは出来なかった。

 ギュッとフラミーを抱きしめアインズは息をひそめた。

 

「奴隷はあいつの目の前で料理してやろう。コック!準備はいいな!」

「おまかせ下さい。」

「兄者は情け深いな。最期の食事に初めて人間を食わせてやるなんて。」

 

 ミノタウロス達はアインズ達とまるで関係のなさそうな事を話していて、アインズはふっと安堵のため息を吐いた。

 フラミーの下ろしたままの髪の毛が肋骨の隙間を撫でて少しくすぐったかった。

「…大丈夫みたいですね。驚かされましたけど。」

「ミノタウロスってもしかして早起きなんですかね?」

 腕の中のフラミーを見ると、アインズはこんな時だと言うのに、その瞳に吸い込まれそうになった。見上げてくる顔を軽く撫で、息子に邪魔をされた続き(・・)をしたくなった。

 ミノタウロス達の笑い声が上がるとハッとした。

「――んん。それは流石にないんじゃないですか?最期の食事って言ってましたし、死刑執行日とかかな?」

「こんな早朝からお仕事で王様も大変ですねぇ。」

 二人は何だろうねと和やかに話し始めたが――

 

「あの蕾は、取り返したら弟者にやろう。」

 

 王の言葉を聞くと、二人は目を見合わせた。

 それが想定している蕾かはわからないが、このタイミングでまさか別の蕾だとも思えなかった。

 

「良いのか?兄者の見事な赤毛にこそあれは似合うだろう。」

「ふふふ。私には祖王の残したこれがあるのだから。それくらいお前にやるとも。」

 その手の中には剣とも斧ともつかぬ巨大な武器があった。

 剣の先端に斧がついたような剣斧は禍々しく、黒の刀身に金の装飾がついていて、刃のしのぎ(・・・)は脈打つように光っていた。

 この世界の技術力で作り出せるものには見えず、アインズは目を細めた。

 

「あれは……。」

 

 今すぐ開戦して奪うか悩んだが、蕾の場所まで案内させてからでも遅くはあるまい。

 地図がない以上物体発見(ロケートオブジェクト)もあやふやだ。

 アインズはこめかみに触れた。

「――パンドラズ・アクター。あれを追うぞ。フラミーさんの蕾の在り処に案内させる。――ははは、もう鑑定したのか。その後奪うぞ。」

 伝言(メッセージ)を切ると、フラミーと離れないように気を付けて手を繋ぎ二人は堂々と王の列に加わった。

 

 街に出ると、二人乗りの手押し車が控えていて、王と王弟はそれに乗り込んだ。

 ミノタウロス達は手押し車を使用するのが日常なのか、どの家にも手押し車が表に置いてあった。

 手押し車は真ん中に線が入っている、二車線に分けられた道の左側通行で進んでいった。馴染み深いルールに、ここを率いていた者が自分達と同じ故郷を持つという実感が湧いた。

「――こう言うリアルの制度は入れてもいいかも知れませんね。」

「本当ですね!交通ルールとか自分で考えられる気もしませんし。」

 

 どの建物も地面と殆ど同じ色をしていて、街には平屋建ての四角い建物が並んでいた。

 オレンジがかった壁には、 血と砂を溶いて作る真っ赤な塗料で描かれた模様や謎の文字がどの家にも描かれている。

 恐らくそれは表札だった。

 建物に近づき中を見ると、肉屋だったようで中には皮を剥いで血抜きを済ませて食肉用にされた人間が吊るされていたり、奴隷商のような所では裸にされた女と男が手を縛られ足枷を嵌められて地面で眠っていたり――興味深くはあったが、何の変哲も無い砂町にアインズ達は拍子抜けした。

 

「全然殲滅対象じゃなさそうですね?」

 永続光(コンティニュアルライト)もまばらな街道を行きながら、フラミーは安心したように呟いていた。

「本当ですね、俺たちちょっと怖がりすぎだったかな。」

 第一村人のミノタウロスは、算盤で肩を叩きながらオープン型の冷蔵庫に魚を並べており平和な雰囲気だ。

 賢王の存在に気がつくと、ぺこりと頭を下げる理性的な姿は、殲滅の対象からは程遠かった。

 考えてみれば相手は"口だけ"の賢者だったのだ。

 石油だの電気だのと、アインズ達も言葉は解っても、じゃあ石油を探してくれと言われてもわからないし、石炭のある場所もわからない。

 発電方法に至ってはさっぱりだ。

 自分達を省みればすぐに分かった事だというのに、つい恐ろしいと思ってしまうとその想像が大きくなっていたことに二人は笑い合った。

「よかったです。過剰反応で済んで。私本当嫌だった。」

「怖かったですね。でももう大丈夫ですよ。」

 アインズもフラミーもひとつ肩の荷がおりたと言う雰囲気だった。

 

「あの王達はナザリックに送りますけど、ほかのミノタウロスは魔導国コレクションに加えようかなー。」

「赤毛、珍しいですもんね。」

「ふふ。殺さないようにたっぷり痛めつけてやりますよ。」

 フラミーはナザリックに送りたい理由が蒐集の為ではないとわかって笑った。

「ふふっ、じゃあ私ニューロニストちゃんと一緒にいじってみようかなぁ!」

「…それはやめて下さい。フラミーさん、お嫁に行けなくなっちゃいますよ。」

 フラミーは口を開けてアインズを見た。

 

 しばらく王一行を尾行していくと、一同は大通りから数本入った庭付きの小さな家の前で止まった。

 フラミーはソワソワし始めていた。

「ここに蕾があるんでしょうか?」

 王と王弟がドッと足音を鳴らして地面に降りると、赤マントと一緒にいたミノタウロスが扉をノックした。

 

「リーダー、俺です。」

 中からガタガタと音がすると、一頭のミノタウロスが扉を開けた。

「副リー…な、賢王。このようなところにどのような御用――」

 王は扉の向こうのミノタウロスを蹴り上げると、扉を無理矢理開いた。

「どのような御用だと?笑わせる。」

 蹴られたミノタウロスは痛みに激しく苦しみヨダレを垂らしてうずくまった。

 一行はズカズカと中に入って行き、軽く扉は閉められた。

 

「…行きます?」

 アインズは特別気持ちのいいシーンでもないので少し躊躇ってからフラミーに聞いた。

「行きましょう。あ、扉が…。」

 扉は不自然に開いて、まるでどうぞお入り下さいとでも言うようだった。

「はは。コキュートスかパンドラズ・アクターか。」

 二人は飛行(フライ)で浮かぶと、扉の中に入って部屋の高い所で膝を抱えて様子を伺った。

 部屋はキッチンダイニングで、昨日の夕飯の残り物のようなものがおたまを入れたままの鍋から見えた。部屋には冷蔵庫や魔法の蛇口があり、興味深かった。

 不可知化中はそう多くの魔法は使えないが、鑑定してみようかとキョロキョていると、途端に騒がしくなった。

「やめて!やめてください!!」

 蹄が床を叩く音の中、部屋の奥から女の悲鳴が聞こえてきた。

「なんだなんだ?ここは罪人の家か?」

 アインズはこんなところに蕾があるのかとため息をついた。

 

「賢王!おりました!」

 顔を腫らした老いた女が髪を掴まれて出てきた。

「ほう。奴隷の癖に一丁前な物を着ているな。やれ。」

 女は服を引きちぎられると殴られ始め、ぼろぼろと泣いた。

「賢王…な、なぜ…。…おやめください…。」

 蹴られて床に這いつくばるミノタウロスが口から血を垂らしながら訴えている。

 

 あまりにも気分の悪い光景にアインズはちらりとフラミーを確認した。

 フラミーも視線を逸らして居心地悪そうにしていて、こういう趣味はないのかとアインズは少し安心した。

「フラミーさん、出ましょうか。」

 頷いたフラミーを見たアインズは立ち去ろうと少し降下すると――

 

「ヤメロ。オ前達。」

 

 武人が姿を見せた。




次回 #29 母さん

コキュートスゥ…!


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#29 母さん

「貴様!?まさか迷宮から!?」

「落ち着け弟者。あの蟲が何体かいる可能性もある。」

 いつの間にか開け放たれていた扉の向こうにはコバルトブルーの蟲が立っていて、王と王弟は身構えた。

「オ前達。抵抗モデキヌ女相手ニ恥ズカシク無イノカ。」

 そう言うと体を小さくして扉を潜るように家に入り、玄関に掛けてあった赤いマントを掴んで近付いてくる。

「…それ以上来るな。この奴隷が大事なようだな。近付けば首を落とすぞ。」

 顔を上げられた老婦は歯が折れ、既にボロボロだった。

 王は何の躊躇いもなく首筋に剣斧を当てた。

「ミノス…にげ…にげて……。」

「母さん!!」

 

 アインズはコキュートスの手の中にある赤いマントから、人間の親を持つミノスと呼ばれる者が話の通じるミノタウロスだった事にようやく気がついた。

 首に当てられた刃はかなりの切れ味らしく、軽く触れただけて女の首からはツゥ…と血が流れた。

「卑怯者メ。コノ者達ガ何ヲシタト言ウノダ。」

「自分の兄弟に聞いてみろ。」

「何ダト?ドウイウ意味ダ。」

「しらばっくれているのか知らんのか…。しかし、ここにこの生き物が居たのだ。充分罪を立証できる。」

 コキュートスは白く煙ったような冷めた息を吐き出した。

 

「お、おれのつみ…?それにこいつは迷宮に行ったんじゃ…。」

 痛みが治まってきたのかミノスは母親と王、コキュートスを順々に見た。

 心底何が起きてるのか解らないと言うような瞳は不安に震えていた。

「茶番だな。興ざめだ。」

 賢王は吐き捨て剣斧をミノスの母に向かって思い切り振るうと、町中に響いたのでは無いかと思わせるほどの激しい音が鳴った。

「ヤメロ。法ニ背クツモリハ無イガ、訳ヲ聞カセロ。」

 瞬き一つの時間もなく急接近したコキュートスのハルバードがその刃を止めていた。

 

「…ほう。いいだろう。聞かせてやる。」

 王がゆっくりと剣斧を下ろしたのを見ると、コキュートスは老婦に掛かるように赤いマントを放り投げた。

 

「お前の親戚が連れていたアンデッドとそこに転がるゴミが共謀して国家転覆を狙った。だからこれは法に則った裁きだ。」

 それを聞くとコキュートスは王を冷たく見据えた。

「謁見シタノハ私ダ。シカシ私ハコノミノタウロストハ要塞壁ノ外デ始メテ会ッテ捕ラエ――」

「黙れ!!これ以上私を不愉快にさせるな!!」

「…話シ合エ。オ前達ハ誤解シテイル。」

「誤解で済めば法はいらん。裁きに口を出すな。」

 

 王はミノスに近付き膝をつくと後頭部の毛を掴んで顔を持ち上げた。

「お前、よくこんな魔獣を従える事ができたな?お前は殺そうと思ったが、母親の命で勘弁してやろう。――今後私達に再び忠誠を誓うと言うのならな!!」

 そういうとミノスの顔を思い切り床に叩きつけた。

「グゥゥゥ……け、賢王…俺はずっと…あなたに忠誠を…。」

 口からだらだらと血を流すその者の言を王は聞く気もないとばかりに立ち上がった。

「母親を殺して食わせろ。」

「王よぉ……。」

「静かにしていろ。コウモリが。」

 ミノスは再び王に蹴り上げられ、床に転がった。

 

「おい。奴隷、最後に声をかける事を許してやる。」

 王は様子を見ているコキュートスの脇を通り抜け母親の前に立った。

「賢王様…ありがとうございます…。ミノス…母さん、あんたと生きられて本当幸せだった…。最後にあんなに綺麗な物も貰えて、母さん、母さん…あの日お前とここに来られて…幸せだったよ。」

「母ざん……やめてくれ……。だのむ……。」

 

 コキュートスは悩んだ。

 命令されればそちらに即座に従うが、どうしたら良いか解らなかった。

 冤罪だろうが、法の裁きには違いないと分かったのだ。

 コキュートスは辺りを見渡し、ここに居るであろう主人の気配を必死に探し始めると、誰かに呼ばれる感覚からこめかみへ手を当てた。

『どうした?何かやりたかったんだろう?お前の思う通りにしてみるが良い、コキュートス。』

 コキュートスは慈悲深い神の声に一度息を吐き、赤毛の王の肩を掴んだ。

「コノ世ニ誠正シキ法ハタダオ一人ノミニアル。」

「何?」

 コキュートスはそれだけ言うと王を外に投げ飛ばした。

 外で王はひらりと着地すると、王弟もそれを追うように外へ駆け出した。

「兄者!!」

「この蟲が!!王になんて無礼な!」

 家に残っていたミノタウロス達は全員武器を抜いた。

「スマナイ、パンドラズ・アクター。ソレガ殺サレナイヨウニ見テイテクレ。」

 パンドラズ・アクターが染み出すように姿を現わすと、ミノタウロス達は一瞬ざわめき今まではいなかったはずの異形に向けて剣を構えた。

「…我らの()は何と?」

「フフ。思ウ通リニシテミロ、ト。」

「そうですか。では任されます。」

 パンドラズ・アクターは帽子を脱いで美しく頭を下げると、襲いかかろうとジリジリ近づくミノタウロスに視線を向けた。

 

 コキュートスは仲間に二人の罪無き命を任せ外に出ると、手に持っていたハルバードで地をドンと突いた。

 それだけで地は僅かに揺れた。二本の腕をゆっくりと組む様子は堂々としていて、蟲王(ヴァーミンロード)として生み出されただけはある――王者の風格だった。

 

「赤毛ノ王ヨ、私ガ勝テバ私ノ言葉ヲ信ジロ。」

「ふ、蟲風情がいい気になりおって。いいだろう。しかし、私が勝てば母親もミノスもお前もまとめて殺すと先に言っておこう。」

「兄者、俺も加勢するぞ。…こいつからは少しヤバい気配がする。」

王が剣斧を構える隣で王弟も剣を抜いた。

「良イダロウ。悪イガ、御身ガオ待チダ。決着ハ早メニ付ケサセテモラウ。」

「ぬかせ!!」

 王は駆け出すと瞬時に距離を詰め、自慢の剣斧をコキュートスの脳天めがけて振り下ろした。

 コキュートスはそれをハルバードで受けると、その一撃の想像以上の重さに笑った。

「ヤルナ。イヤ、武器ノ(チカラ)カ。」

 この剣は自分を確実に傷つける、いや、至高の御身すら傷付ける危険な物だ。

 王は軽々と受け止められたことに僅かに驚いてから一度引くと、影から王弟が姿を見せ、脚を切ろうと横に寝かせた剣を手に、姿勢を低くしてコキュートスの脇を駆け抜けた。

 コキュートスはすぐさまハルバードを返してそれを防ぐと、研ぎ澄まされた刃はハルバードを撫で、キィーーーーンと甲高く透き通った音が響き渡った。もしこんな場面でなければ聞いていたいと思わせるほど。

 この剣は王の物よりは弱い――しかし、コキュートスや支配者達を傷付ける事はできるデータ量だ。

 

 日が昇り始めた世界で、近所のミノタウロス達は何事かと窓の隙間からその様子を伺った。

 

「打ち返せんだろう!!蟲が!!」

 王は叫んでその武器を輝かせると地を切り裂くように突き立てた。

 繰り出される波動に合わせ、地面はバキバキと音を鳴らしながら一直線に刃のような盛り上がりを無数に生み出して行く。

 コキュートスは癪だったがそれを飛んで避けると――地から苦痛を抑え切れないような声が響いた。

「ッガァ!!」

 反応しきれなかった王弟が肘から下を失ったようで、腕を抱え血飛沫が吹き上がっていた。

「貴様、実ノ弟ニ何テコトヲ。」

「弟者!?何故避けない!!」

 コキュートスは弟を犠牲にしようとしたわけでは無さそうな雰囲気に首をかしげると、目の端に迫り来る一瞬だけキラリと光ったものを捉えた。

「ソウイウ事カ。」

 飛来物。コキュートスの喉元を狙った一撃だ。弟の赤黒い血にまみれて暗殺者のように迫った剣をハルバードで弾くと、自由落下を始めたコキュートスの眼前には飛び上がった賢王が迫っていた。その顔は怒りに燃え上がるようだ。

 一太刀交わしただけで弟は相手の力量を見極めた。腕と引き換えにコキュートスの意識を少しでも引き、兄の一撃をサポートしようとした。

 コキュートスは落下しながら中空から剣を引き抜く。

 空間の中に隠し持っていたかのように見えるは刀身百八十センチを軽く超える大太刀。

 銘を斬神刀皇(ざんしんとうおう)。コキュートスの所持する二十一の武器のうち、鋭利さではトップの武器だ。しかし、刀は抜かなかった。

 鞘に収めたままの斬神刀皇で賢王を弾き飛ばすと、ひらりと着地し王弟に向かって指を指した。

「オ前ハココマデダ。」

 王弟は腕を失った肘を抱きながらまだ戦うとでも言うような顔をしていたが、キンッと眼前に弾かれた剣が突き立つと、その場にへたり込んだ。

 

「…お前、あれの手の者ではないな。これ程の力の者があれに従うとは思えん」

「ヨウヤク解ッタカ。ソウイウ事ダ。」

「しかし、やめんぞ!!弟にあの選択をさせた恨み!!くらえ!!」

 王は剣を無造作に振ると、細い二本の竜巻が起こりコキュートスに迫った。

「<マカブル・スマイト・フロストバーン>!!」

 コキュートスも渾身の一撃を繰り出し、二つの力はぶつかり合って消えた。

近くの数軒の屋根が吹き飛びパラパラと降り注ぐ。

「コレデ決着ダ。<不動明王撃(アチャラナーダ)・倶利伽羅剣>。」

 家の破片の雨が降り注ぐ中、背後に現れた不動明王とともにコキュートスは切りかかった。

 カルマ値が善性の者には大して効かない攻撃だが、ちょうどいい。

 滅茶苦茶にしてしまうには――(余リニ惜オシイ!!)

 コキュートスは誠意を持って斬神刀皇の刀身を抜いた。

 王の――弟と反対側の剣を持たない腕にスルリと食い込んだ刃は、水面を進むような軽い動きで容易くそれを断ち切った。

 

「ヌグッ…!!」

「痛ミニ叫バヌカ。オ前達ハ良キ戦士ダッタ。」

 コキュートスは地に膝をついた王の首根っこを掴むと、集り始めた観衆を無視して屋根の一部なくなったミノスの家に入った。

 

 外に放っておかれた弟は慌てて兄の元へ行くと自分のマントを千切り、残った手と口で生傷を縛り上げた。

「うぐぅ…!!」

「安心しろ兄者!これで大丈夫だから!!」

「あぁ!あぁ!ふぅーー……!私はなんともない!お前こそ腕は!」

 弟は優しく微笑むと、すでに止血処理を済ませた肘をみせた。

 

 中では無力化された部下達と、血にまみれた汚ならしいミノタウロスがその母親と抱き合って震えていた。

 王は肩で息をしながらボロボロの親子に向かった。

「…お前が我々を殺そうと自ら計画を立てたわけではないと言うことは分かった。しかし、お前が蕾を私たちに報告しなかった罪と、あのアンデッド達に利用され、事実私たちに危険を齎した罪は依然としてある。」

「あ…あ…蕾…。」

 赤マントは無力化されている副リーダーを見て、全てを察すると手を握り締めた。

 

「武人。…私はお前の話を信じると言う約束は守るが、守った上で事実と照らし合わせ法を執行する。」

 コキュートスは入り口で腕を組んで頷いた。

「母親よ。ミノスの罪の為にお前の首を刎ねる。そこに横になれ。痛みなく一撃で行う。」

 母親は笑顔になり、一度息子の頭を抱え角にキスして横になった。

「うぅ……っく…。」

 ミノスが目を閉じ――開くと、そこにはもう首の落とされた母親が眠っていた。

「母さん…ごめん…ごめん………。」

 王は涙を落とすミノタウロスに母の首を抱かせた。

 

「お前はこれで許す。…さて、副リーダー。」

「は、はい!!」

 捕獲魔法をかけられている様子の副リーダーを苦々しげに睨みつけ、失ったのが利き手じゃなかった事に感謝しながら、そのミノタウロスの首も即座に刎ねた。ごろりと首が落ちると王はふんと鼻を鳴らした。

「己が地位のために仲間の罪を騙って売るような真似を私は許さん。――武人と、そこの卵頭。今すぐこの国を去れ。」

「ソレハデキナイ。」

 コキュートスが間髪おかずに答えると、王は牙を剥いた。

「王の命令だ。国外へ出ろ!」

「私ノ王ハタダ一人ダ。」

 

「コキュートス。お前の戦いぶり、見させてもらったぞ。」

 突然姿を現したアンデッドと紫の存在に王は腰を抜かした。

「まさか…!本当にあの迷宮を抜け出したと言うのか…!!」

「当たり前だろう。さて、敗者よ。お前の持つギルド武器を渡せ。これ以上戦うことも意味がないとわかるな。」

 王は自分の手の中のぎるど武器を握り締めた。

 これには絶対に勝てないと謁見の間でのやり取りで理解している。

 

「お、お前は一体何者なんだ…。」

「私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王だよ。本当はこの国に死を齎しに来たのだがな。しかし、計画は変更だ。」

「貴様が噂の死の神だったか。…手紙を寄越していたな、最初から祖王の遺したこれが目的だったか…。」

「そう言う事だ。さて、無駄話はここまでだ。お前が今その母親を断罪したように私もお前を断罪する必要がある。喜べ。我がナザリックへご招待だ。」




ご招待ご招待!!
と、昨日は日刊四位に載ったそうで、いつもお付き合いいただいている皆さま、本当にありがとうございます( ;∀;人
10人くらいが見てくれたら嬉しいななんて始めたお話だったのに、本当にありがたい気持ちでいっぱいです!

それでは明日の次回予告行きましょう!

#30 オ願イシタイ義

コキュートスぅ!?


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#30 オ願イシタイ義

「ともかく、まずはギルド武器を寄越せ。」

 アインズはツアーに何度言ったか解らないセリフを吐いた。

「兄者!!それを渡したら…次の戴冠が叶わない…!」

 王弟の叫びはその通りだが、生き残れなければ戴冠も何もない。

 

「パンドラズ・アクターよ。」

「は。」

 悩む様子の王の手の中にあるギルド武器をパンドラズ・アクターは迷いなく掴んだ。

「離しなさい。」

「これを渡せば…命だけでも救ってくれるか。」

「確約できません。」

「お、弟の命だけでも…頼む…。」

「それも確約できません。全ては我らの神が決めることです。しかし、渡さなければあなた達は今すぐあの蟲の武人よりも強大な力をもって殺されるという事だけははっきりと言えますね。」

 しばらく抵抗すると、王は手を離した。

「兄者……。」

 弟の喘ぐような声が響くと、アインズは機嫌よさそうに口を開いた。

「取り敢えずお前が持っておけ。さて、殺すなんてとんでも無いぞ、パンドラズ・アクター。こいつらはナザリックで無限の苦しみに処する。」

「――オ待チ下サイ。」

「どうした?コキュートス。」

「…アインズ様ニオ願イシタイ儀ガゴザイマス。」

 パンドラズ・アクターはギルド武器をしまうとアインズの言葉に異を唱えるコキュートスを動かぬ顔で睨んだ。

「なんだ?お前が珍しいじゃないか。言ってみろ。」

 コキュートスは跪いてから続けた。

「ハッ!今後、彼ラノ中カラ屈強ナ戦士ガ現レル可能性ガゴザイマス。故ニココデ拷問ニテ使イ潰シテハ勿体ナイカト思ワレマス。今後、ヨリ強イミノタウロスガ生マレタ時ニ、ナザリックヘノ忠誠心ヲ植エ付ケ、部下トスルノガ利益ニナルカト…。」

「…この生き物がフラミーさんにやった事を忘れたのか?お前の言う事はそれを帳消しにするほどのメリットか?」

 

 そう言われると、至高の四十一人に多大なる無礼を働いたこの王達を助けるほどのメリットは――浮かばない。

 今まで自分はただの剣だと思い、指示された通りに亜人を支配してきただけだ。

 ニグンに指示を出す事は多くあったが、全ては定まったレールに乗っかってやってきた。

 

「どうした。コキュートス。何もないのか。ではニューロニスト行きという事でいいんだな。」

 正面から挑んでくる姿と、支え合う兄弟の姿を美しいと思っただけの情け無い武人は何も言えなかった――が、静かな声が救いの手のように差し出された。

 

「父上。横からの発言、よろしいでしょうか。」

 

「どうした、パンドラズ・アクター。言ってみろ。」

「は。このプレイヤーの子孫で実験をされては如何でしょうか?」

「ほう。面白そうな話だ。」

 支配者は楽しげに魔法で生み出した椅子に座った。

 

「はい。今後ナザリックがどのようになろうとも、子を設ける時が来ましょう。父上の血を引く者も、守護者の血を引く者も生まれるその時に、ユグドラシル由来の血の混ざりがある者が位階魔法やスキル、レベルをどのように習得し積み重ねる事ができるのかを、知っているのといないのでは、教育に大きな違いが出ると思われます。あの番外席次はレベルこそ九十代ですが、あまりにも弱すぎます。」

 パンドラズ・アクターは軍服を翻し、帽子に手を当て、結論を告げる。

「赤毛のミノタウロスはナザリックで飼育管理し、守護者が子を持つ時と同じ想定にて、親の愛とナザリックへの忠誠の中子供を育てる実験を行うべきかと具申いたします。」

 

アインズはパチパチと手を叩いているフラミーの表情がそれを嫌そうにしていないことをちらりと確認した。

「…見事な提案だ、パンドラズ・アクター。」

「ありがとうございます。」

「では赤毛達は無限の拷問ではなくナザリック第六階層にて平和の下生かせ。赤毛の教育や管理はお前だ、コキュートス。おい、赤毛。」

 突然話しかけられた王は弟と肩を抱き合ったまま冷や汗を流していた。

「は…はい…。」

 王と王弟は既に戦う意思はなく、素直に返事をした。

「お前達に妃はいるか?」

「いえ…まだ…。」

 アインズはどうしようかと思う。

「…コキュートス。妃については後程連絡する。少し待て。」

「畏マリマシタ。」

 アインズはもう決めたが念の為に口頭でも確認する事にした。

「フラミーさん、良いですか?気持ち悪くないですか?」

 フラミーがうーんと唸るとコキュートスはやはりダメかと赤毛への無慈悲な日々を覚悟した。

「私は全然良いです。でも、アウラとマーレがまた第六階層に新しい動物が増えるのを嫌がらないか確認した方がいいと思いますよ。」

「わかりました。この先フラミーさんが嫌になったらすぐにニューロニストに送りますからね。」

 フラミーの穏やかな声音と、フラミーの長い髪の毛に指を通すアインズの優しい視線にコキュートスは安堵した。

「ではコキュートス。双子には自分で連絡して説得しろ。」

「ハ。」

 コキュートスがデミウルゴス謹製の伝言(メッセージ)のスクロールを燃やす横でアインズは立ち上がると王の前に近寄った。

「まぁ、珍しい赤毛だしな。――<記憶操作(コントロール・アムネジア)>。」

 アインズは腕輪を光らせると王と弟の記憶をいっぺんに開いた。

 宝物殿の開け方を探るが、この二人はあそこの存在を知りもしないようだった。

 アインズは悩んでから、記憶の中にナザリックと至高の四十一人への忠誠を書き込んだ。

 王達の瞳は恐怖で濁っていたはずが、途端に歓喜の色へと変わっていった。

 

 傍では連れられてきていたミノタウロス達がその様子を怯えたように見つめ、家の外にもいくらか野次馬が集っていた。

 魔法が済むと、アインズは二人から少し離れ、双子と連絡を取り終わったコキュートスへ視線を向けた。

 

「アインズ様。双子ハ構ワナイト。」

「そうか。<転移門(ゲート)>。お前はこの二人を連れて先にナザリックに戻れ。そいつら自身も教育が必要だ。」

 コキュートスは頭を下げると王と王弟を立たせた。

「イクゾ。ゴ慈悲ニ感謝スルンダ。」

 二人は先程まで何もかもが恐ろしいと思っていたと言うのに、ナザリックへ行ける事が嬉しくて堪らなかった。

「は!!神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。我々は先に参ります。いくぞ、弟者。」

「あぁ!紫の君。ご無礼をお詫びします。それでは。」

 フラミーは苦笑すると、意気揚々と立ち去る三人の背中に手を振った。

 

 王達とコキュートスのいなくなった部屋でアインズは次の仕事へ意識を切り替えた。

「さて、この国はうちの物にしたいが…パンドラズ・アクター。どう思う。」

「恐らく王を攫ったと抵抗する市民と戦争になるかと。」

「ふむ…。ではあの王を呼び戻すか?」

「いえ。それでも人を食うこの国を併呑し、人肉食を黙認していればスレイン州の者や聖王国は離脱を望む可能性があり国内に不和をもたらすかと。かと言ってここの家畜と奴隷を突然奪えばここが内乱状態に、更に近隣の国で人攫いが発生すれば魔導国は信用を失いましょう。」

「…そうか、ではまだ併呑は難しいな。王はうちで使いたいし…おい。赤マント。いや、ミノスと言ったか。」

 未だ母の首を抱いて泣くミノタウロスに声をかける。

 パンドラズ・アクターが軽く小突くとそれはようやく顔を上げた。

 

「お前、王にならないか?」

 

+

 

 数日後、王宮は突如地盤沈下を起こし、賢王も王弟もその災害に巻き込まれて死亡したとお触れが出された。

 そしてその時にミノスと言う軍人が王より直々に後を継いでほしいと頼まれたと言い、早々に即位した。

 とは言え、ぽっと出のミノス王を国民達は最初懐疑的な視線で見ていたが。

 半年もして国が潤い出すと、皆がその見事な政治手腕に唸りそう言う視線は落ち着いた。

 

 新しい王が就いた日から奴隷商には友好国になったと言う魔導国のスケルトンが次々と送り込まれ始めた。

 最初はそのおぞましさに皆が息を飲んだが、餌代も教育費もかからない新しい奴隷を一月もすると喜んで受け入れだした。

 人間の奴隷よりも力があるのに食費もかからず、不平不満を言わないスケルトンは瞬く間に国中に浸透し、後に五十年もすると最後の男の奴隷が寿命で死に、国から男の奴隷は消え去った。

 女の奴隷は性処理として一定の人気があったため女奴隷専門店が立ち上がるとそれは娼館として姿を変え、どの国にも存在する規模にまで縮小されて行った。

 

 一方家畜屋は、一年もすると魔導国より輸入が始まる魔導国羊と呼ばれるビーストマンのような、人間のような不思議な家畜を飼い始めた。

 ビーストマンにとって人間は食料なので交わる事もないため、やはり魔導国羊という品種なのだろう。

 この家畜は四足歩行でビーストマンから牙や爪、攻撃性を取り除いたような獣だった。

 家畜の割に知能が高く、たまにミノタウロスの言葉を真似して鸚鵡返しする様が可愛いとペットとしても出回るようになる。

 その肉は人間の旨味とジビエのような癖のある、大変味わい深いもので、これまで味わった凡ゆる肉の中でも一位ニ位を争うものだった。

 丁寧に金をかけて育てられた高級な人肉に勝るとも劣らぬその肉は安く出回り人間の家畜の需要を少しづつ奪っていった。

 しかし、完全に人間の家畜業者がいなくなるまでには七十年と言う長い月日がかかった。

 ミノス王は老いさらばえていたがそれを達成した事を心より喜ぶと自分の母へその偉業を報告したと言う。

 王宮には美しい白い花を咲かせる木が植えられ、日々それを摘んでは母の墓に手向け続けた。

 そして、半ば傀儡として過ごした七十年の王位に心から感謝し、自分の願いを全て叶えた慈悲深き神王にその国を任せて隠居した。

 この王はミノタウロス王国に数えきれない貢献をし、後に魔導国になったミノス州では真なる賢者としてミノタウロス達の歴史に名を残す――が、今はまだ賢きたった一人の息子以外誰もそれを知らない。

 

+

 

 人間を食わないと言う王が立てば、口だけの賢者の時代のように国民も人を食う事をやめるだろうし、そう言う王がいるなら魔導国国内の不満もあまり出ないかもしれないとアインズは安直に指名した。

 たまたま目の前にいて割と理性的、と言うのも理由の一つだが。

 パンドラズ・アクターにミノスを王に仕立て上げるよう言いつけると、アインズは家探しを始めた。

 聡明な息子はこの先の全ての計画を察すると、静かに目撃者達の殲滅を開始した。二体のメスを残して。その胸中は自らを生み出した存在がこれほど優れ、千年先、万年先までも策の範囲内とできることに感動しており、他の者達には悪いが自慢したい気持ちを抑えるのが辛いほどだった。が――子の心、親知らずだ。

 

 アインズが母親の寝室だと思われる部屋に入ると、蕾は綺麗な布の上に大切そうに飾られていた。

「フラミーさん、ありましたよ。」

「本当ですか!良かったぁ。」

 アインズは蕾を手に取ると無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)でザブザブと水をかけてよく洗った。

 フラミーが良かった良かったと喜ぶ声を聞きながら、やっぱりこれが自分の贈った物なら良かったのにと苦笑した。

 綺麗になった蕾を数度振って水を切ると、床が濡れていない所に移動して、髪を下ろしたままのフラミーを手招いた。

「壊されたりしてなくって良かったです!」

 早く返してと言わんばかりのフラミーに、アインズは片膝をついて蕾を差し出した。

 聖王国の時と同じ格好だ。

「今更ですけど元気のおまじない、いっときますか?」

「わぁ!はいっ!」

 心底嬉しそうに笑った顔を見ると、アインズはその効果を使った。

 光は蕾の先から出るとポンっと弾けてフラミーに降り注いだ。

 光の中、アインズはフラミーの手の中にゆっくり蕾を握らせた。

 

「…フラミーさん、俺と一緒にいてくれます?」――これを返しても。

 アインズの脳裏には迷宮でフラミーが言った、蕾が見つかるまでは離れないでいたかったという言葉が響いていた。

「えへ?やだなアインズさん。どこまでも付いていくって前に言ったじゃないですか。」

 少し顔を赤くして首をかしげるフラミーの蕾を持つ手を鈴木悟は撫でた。

「ギルドマスターに、でしょ。それは。」

 アインズは恥ずかしくなって立ち上がるとくるりと背を向けた。

「さて。衛兵達の記憶でもちょちょいと書き換えますかね。」

 

 寝室を出ると、どこから現れたのかと言うほどの大量の死体の山をパンドラズ・アクターがナザリックに回収しているところだった。

「父上!父上のご計画はこのパンドラズ・アクターが完璧に遂行してみせます!ここは火事ということにしましょう!!」

 アインズは鎮静された。




次回 #31 閑話 図書館と悪魔
12:00にいきます!

フラミンゴ、「はい」って言うところだよそこ!!

そんなこと言ってたら通算100話です!
皆様本当にありがとうございます。( ;∀;人
今日で皆様とも67日のお付き合いです!
相変わらず拙いジッキンゲンですが、まだもうちょっと続くんじゃよ!

よーし!じゃ、陰口叩いてたジルジル虐めにいかないといけませんね!!

ちなみにそろそろ殺戮をお望みの声が届いてきましたので、ガッツリ殺戮エンドも近々行きたいところですね!


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#31 閑話 図書館と悪魔

 麗らかな秋の午後――パンドラズ・アクターは新しい王と言う名の傀儡を育てていた。

 中庭に井草のマットを敷いて行われる王様講座は、動きから話し方、生活方法まで徹底的に教えるそうで、アインズは「テスト」と称して出席し、熱心に耳を傾けていた。

 しかしこの王は傀儡のため実務に関する事は必要最小限しか教えない。

 微妙にオーバーだが、確かに王様らしい気がする動きをアインズは一生懸命覚え、後で復習しようと決めた。

 たまに鎮静されながら。

 

「アインズさん、アインズさん。」

「どうしました?」

 フラミーは髪を切った日からよく髪を下ろしたままでいた。

 風に吹かれて髪がそよぐ様は妙に神秘的だ。

「私アリアドネについて一度調べに最古図書館(アッシュールバニパル)行ってこようかなーって思うんです。」

 一度ギルド武器だけを持って宝物殿だと思われる扉の前に行ったところ、扉はギルド武器に確かに反応していたがアリアドネの糸玉が解らずに扉は開かなかった。

「あぁ。戻りますか。」

 アインズが腰を上げかけると、フラミーはアインズの骨の胸をトンと押して座らせ直した。

「いえ、アインズさんはここでズアちゃんの講座チェックしてて下さい!私ちょっと行ってきますから。」

「そうですか?じゃあ…もう少し見てようかな。」

 パンドラズ・アクターは父が自分の話を聞き続けてくれる事に喜びながら、父とは違い一般庶民丸出しのミノタウロスに王のなんたるかを聞かせた。

 

+

 

 フラミーは最古図書館(アッシュールバニパル)に着くと、司書長のティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスが案内のために出てきた。

 製作系に特化したアンデッドのNPCであり、デミウルゴスと共に巻物(スクロール)製作に精を出している。

「ようこそ、フラミー様。本日は何をお探しでしょうか。」

「ティトゥスさん。こんにちは!今日はアリアドネについて調べにきました。」

「いつもの死獣天朱雀様のご蔵書ではないのですね。――どうぞ、こちらでございます。」

 勉強に来るたびに案内してくれるティトゥスとフラミーは中々の仲良しだ。初めて会った時は名前が長すぎるために、名乗られた瞬間名前が耳を滑ったらしい。何と呼べばいいのか分からずしばらく困った。

 図書館には静寂が音として聞こえてきそうなほどに静まりかえっていたが、二人はいつものように軽い雑談をしながら進んだ。

 階段を上り、二階のバルコニーのように突き出しているところまで来ると、ティトゥスはよくやく足を止めた。そこは吹き抜けになっている為に図書館内を軽く見渡すことができる。

「フラミー様、大体この辺りがアリアドネの出てくるぎりしゃ神話でございます。」

「わぁ…結構ありますね。タブラさんよく集めたなぁ。」

 こんな時にタブラ・スマラグディナがいればすぐにアリアドネについて教えてくれただろうと、いつも何を言っているのかよく分からなかったインテリジェンスの塊のような友人を思い出した。

 フラミーはティトゥスにアリアドネの記述のある数冊を出して貰うと、案内をそこまでにふわりと一階へ降り立ち、辞書コーナーへ一人向かった。

 リアルの自習のみならず、デミウルゴス主催の勉強会のためにも通ったそこはフラミーにとって一番馴染み深いコーナーだ。

 易しそうな薄い辞書と難しそうな分厚い辞書を二冊取り出すとフラミーは席に着いた。

 辞書を引いても、辞書に書いてある意味がわからず、さらにもう一冊の辞書を引くと言う地獄の作業だ。

 インターネットのあった生活に飼いならされた悪魔は目の前の状況に苦笑した。

 

「どりゃどりゃ…。」

 本を開くと、細かい字がびっしりと書いてあり、それだけで小学校中退のフラミーは目眩がするようだった。

 小卒と言うだけである程度恵まれていると言われるリアルで、孤児だと言うのに数年でも学校に通えたことをフラミーはとても孤児院に感謝している。ただ、社会保障がぐずぐずになったリアルにおいて、村瀬は孤児院へ自分の養育費の返済をしていた。それは恐ろしい額で――村瀬は常に税金や返済に追われていた。

 そう言う点では、アインズはやはり優秀だ。

 フラミーはユグドラシル時代、勤勉なモモンガをいつも尊敬していた。

 大学を出ていると言われてもなにの違和感もない程の秀才はフラミーの憧れの的だった。

 天才的なぷにっと萌えや、大学教授をしていたと言う死獣天朱雀達の中で、ギルドマスターは学び続ける事でそれらと肩を並べていたのだ。

 余談ではあるが、アインズと同じく小卒だったウルベルトは自身の学歴も育ちも負け組と捉えており、モモンガをして「よくぞここまで」と思わせるほどに社会に対する憎悪を抱いていた。

 ウルベルトはフラミーの生まれや育ちを知って身近に感じていたし、フラミーも自分をギルドに誘ったウルベルトの後ろをしょっちゅうちょろちょろと付いていた。「俺は負け組のくそったれだよ」と笑っていたのも懐かしい。

 それの被造物であるデミウルゴスが妙にフラミーに懐くのは、ウルベルトが――いや。全ての真相は闇の中だ。

 

 開いたばかりの本を前にフラミーは早くも嫌になりかけたが、アインズにこの情けない状況を見せない為にせっかく一人で来たのだ。

 ここで挫けてはいけないだろう。

(アインズさんなら一瞬で片付きそうだけど…。)

 フラミーは顔をぷるぷる振ると本を立てて食い入るように読み始めた。

 

+

 

 デミウルゴスは悪魔(アルベド)の囁きに乗っていた。

 アルベドの進言により、アインズに許可されたプチ酒宴会の献立を考える為、悪魔は副料理長のピッキーと共に最古図書館(アッシュールバニパル)に向かっていた。料理長は基本的に一般メイド達の食事を作るのに大忙しな為、今日はピッキーが出張ってくれている。

 酒宴会の際には支配者が初めて食事をとると言うこともあり、料理人陣も大変やる気に燃えている。

「デミウルゴス様。私も食事会はとても賛成なのですが…大丈夫でしょうか…。」

「…君の言いたい事は分かっているとも。しかしアルベドも流石に統括だからね。ちゃんと良い計画を立てていたよ。」

 控えていた僕に扉を開けてもらい中に入ると、部屋の隅で本の山に囲まれているフラミーがいた。

 

「おや?お一人…?以前よくやってらしたチュウガッコウまでのお勉強でしょうか…?」

 アインズが眠りから目覚めてからべったりだったはずのフラミーの一人の姿にデミウルゴスは首を捻った。

「デミウルゴス様、良いですよ。私は取り敢えずいくつかレシピを見て、後でご相談させて頂きます。」

「あ、いや。これも重要な仕事だからね。」

 二人は現れたティトゥスに目的を話し案内されていった。

 

+

 

 フラミーは初めて読んだ神話の数々がどれもこれも悲話ばかりでわずかに目を潤ませていた。

 漸くアリアドネの記述に辿り着けば、それはやはり悲しい話だった。

 アリアドネは迷宮に閉じ込められているミノタウロスを退治しに来た王子に恋をし、糸玉を与えて迷宮で迷わないように助けると――王子は迷宮を出た後アリアドネを迷宮のある島に置き去りにしたらしい。

 アリアドネは後にディオニソスなる神に愛されてオリンポスに連れられて行ったそうだが、フラミーはたとえ誰かに愛されたとしてもアインズではない人が自分を迎えに来て嬉しいのだろうかと考えた。

 余計な事を考えながらアリアドネの出て来るところを一通り読んだが、結局糸玉の意味はわからずため息をついてパタリと本を閉じた。

 

「あっ、あれ?いつの間に?」

 フラミーは正面で足を組んで本を読んでいたデミウルゴスの存在に驚いた。

 読書が終わった事に気が付いたデミウルゴスは片手で読んでいた本を閉じると組んでいた足を下ろし、頬杖をやめて座り直した。

「お勉強お疲れ様でした。四時間前にお声掛けしましたが、集中されているようでしたので。きちんとご挨拶をしてから戻ろうかと。」

「わ、四時間もですか?ごめんなさい、私本当に読むの遅いし…周りも見えなくなるタイプで…。」

「いえいえ。二時間はピッキーと酒宴会のメニュー決めをしておりましたので。それより、本日は神話ですか?」

 二時間でも結構な時間だとフラミーは苦笑した。

「はい。デミウルゴスさん、ミノタウロスの国でギルド拠点が見つかったって言うの、聞きました?」

「えぇ。なんでも転移阻害の迷路があったとか。アインズ様が執務に戻られなかった日に伺いました。」

「そうなんです。そこに宝物殿みたいな扉があったんですけど、開かなくって。ギルド武器とアリアドネの糸玉を見せろって言うんです。」

「アリアドネの糸玉?アリアドネというと拠点の監視システムを思い出しますが…。」

「はい…そのアリアドネの元になってるアリアドネの神話がここにあって。でも読んでも私には正解がわかりませんでした。」

 フラミーは両手で頬杖をついて少しだけ頬を膨らませた。

「…私も読んでみましょう。」

 デミウルゴスはぎりしゃなる一国の小神達と至高の四十一人程の神が関わりを持つはずもないかと思った。

「はは、待たせた上にお仕事増やしてすみません。」

「とんでもございません。それこそが私の喜びです。」

 デミウルゴスは立ち上がると机をぐるっと回ってフラミーの隣に座り、置かれた本を開いた。

 繰り返される勉強会で隣に座ると言うことには随分耐性が付いていたし――アルベドに若干感化されていた。

 

「ふーむ。そうですね…。」

 デミウルゴスは口に手を当てて考えながら読み進めて行った。

 

「これはアインズ様とパンドラズ・アクターは…?」

「それが、まだ読んでないんです。」

「なるほど…アインズ様が目を通されればすぐにでも正解が分かるかも知れませんが、私の勝手な推測を申し上げてもよろしいでしょうか?」

 フラミーはデミウルゴスに向き合うように椅子を斜め後ろに引くと、瞳をキラキラさせた。

「聞かせてくださいっ!」

 

 デミウルゴスも椅子を斜めにしてから語った。

「恐らくですが、まずは出口から最短ルートで真っ直ぐその扉まで行きます。転移阻害の行われている迷宮内でそうすることができるのはギルドの者達だけでしょう。」

 それから…と言おうとするデミウルゴスに、フラミーは慌ててノートを取り出し書き取った。

 この人は支配者とは違い智謀の神というわけではないが、いつも一生懸命だ。

 デミウルゴスはくすりと笑うとノートを覗き込んで、書かれて行く文書を見ながら、自分の言ったことをもう一度ゆっくり復唱して行く。

「すみません。はは。」

 フラミーは書き終わると申し訳なさそうに笑った。

「いえ。これでアリアドネの糸は繋がったので、次は玉ですが、迷宮内の完全なるマップを扉に見せます。侵入者が万一ギルド武器を手に入れて真っ直ぐ宝物殿に行くようなことがあっても、コンプリートマップが無ければ開かないようにしておけば時間が稼げますし、マップを製作している間に迷路内で隙を狙って迎撃も可能でしょう。これは三重の鍵です。」

 フラミーは頷くと再びメモを取った。

 デミウルゴスもノートに視線を落としてゆっくり復唱して行く。

 フラミーの下ろしたままの髪がサラリと落ちるのを愛おしそうに掬って長く尖った耳にかけ、この世のものならざる美しい横顔をよく見ようとすると――突然ガタンと立ち上がった。

「わっ!どしたんですか!?」

 デミウルゴスはくるりと体の向きを変えて図書館の入り口に向かって跪いた。

 

「あ、アインズさん。」

 フラミーは手を振りかけると、ハッとして辞書の上に本を置いて隠した。

「アインズ様。おかえりなさいませ。」

「フラミーさん、随分遅いからどうしたのかと思ったらデミウルゴスと遊んでたんですか?」

 アインズは笑いながらそう言うと、フラミーとデミウルゴスの前に座り、フラミーの隠すように置いた本を軽く指先でツツ…と押して確認した。

 二冊もの辞書にアインズは心の中でくすりと笑った。

「遊んでないですよぉ。もー。ちゃんとアリアドネの秘密を解いてました。………デミウルゴスさんが。」

 フラミーは苦笑すると頬をポリとかいた。

 アインズは立ち上がったまま控えているデミウルゴスに座るように促した。

 辞退するデミウルゴスにフラミーが椅子の背もたれを押して声を掛けなおすと、ようやく悪魔は座った。

 

「それで?わかったのか。デミウルゴス。」

 悪魔は少し小さくなった様子でフラミーに視線を送った。

「フラミー様から是非ご説明を。」

「いいんですか?手柄横取りですね。なんて。ははは。」

 アインズはフラミーの差し出したノートを受け取ると一ページ分のそれに目を通した。

「ふむ。デミウルゴス、これは確かに納得がいくな。流石だ。明日にでも早速試してみよう。」

「いえ。この程度、アインズ様も小神の事を知ればすぐにお気付きになったかと。」

「そんな事はないとも。お前の働きにはいつも助けられている。さて、フラミーさん。そろそろ行きますよ。あなたは食事の時間でしょう。」

 アインズはノートを持ったまま立ち上がった。

「あ、あの。」

 渋る様子に、まだ何か用が?とアインズは思いながら机を回り込んで行くと、フラミーは視線を落とした。

「これ…流石に片付けないと…。」

 それを聞くや否やデミウルゴスもサッと立ち上がり本を集めながら告げた。

「ここは私が。どうぞ御身はお休み下さい。」

「でも悪くってそんな…。」

 アインズはフラミーの手を取ると逆らうはずも奪うはずもない息子にこんな(・・・)思いを抱く自分がバカらしくて自嘲した。

「本当にすまないな、デミウルゴス。愚かな私を笑ってくれ。」

「滅相もございません。寛大なお心にはいつも深く感謝しております。」

「お前がそう言う男で私は命拾いしたよ。」

 フラミーはよくわからない話を始めてしまった二人の様子に軽く首をひねるとアインズに手を引かれて図書館を後にした。




次回 #32 ギルド武器の破壊
(ジルクニフの所行く行く詐欺

でみぃ……!!!っく…!!


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#32 ギルド武器の破壊

 アインズはパンドラズ・アクターに出口から宝物殿までの最短ルートを地図に書き込ませていた。

「父上、宝物殿入り口付近のように幻術壁が無ければ恐らくこれが最短ルートでしょう。」

「よし。よくやったぞパンドラズ・アクター。とりあえずそれで降りてみよう。」

 親子は大量の僕を連れて迷宮に潜った。

 宝物殿にはエゲツないトラップが付き物な為、フラミーは地上の作戦の班に回った。

 パンドラズ・アクターの先導で進むそこは初めて潜った時よりも随分狭く感じた。かなり広いと思っていたと言うのに、直線距離にすればそうでもないらしい。

 しばらく歩いて話題の扉の前に着くと、パンドラズ・アクターは持ってきた地図と、一時保管していたギルド武器を掲げ、扉はついに開かれた。

 二人はおぉ!と歓声を上げたがすぐには入らなかった。

 パンドラズ・アクターはぬーぼーに変身すると、中を探り、罠が無いかを入念に確認した。

 

「何ともなさそうだな。」

 

 ナザリックの宝物殿に比べれば小さすぎるが、僕の召喚も切られたこの拠点は金貨がまだまだ残っているようだった。

「パンドラズ・アクター。金貨は全て回収しろ。いや、三日くらいはここが保つようにしておくか。」

「畏まりました。ギルド武器破壊前にギルドが崩壊してはかないませんからね。」

 アインズ達は取り敢えず無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に金貨やアイテムを放り込んでいった。

 特別目ぼしいものも無かったが、もう崩壊するギルドに物を残すのも勿体無いとここぞとばかりに全てを回収した。

 残念ながら宝物殿も転移門(ゲート)は開かなかった為回収の為に連れてきた僕達はただただ控え続けた。

 

+

 

 フラミーはアルベドと共に迷路が地上から見てどこまで伸びているのかを確認した。

 迷宮は王宮の地下の隅から隅まで及んでいるようで、ギルド武器の破壊に伴って恐らくこの宮殿は崩れ去るだろう。

 

 確認が終わると二人は中庭に座って共に数日後のプチ酒宴会の話をしていた。

「フラミー様、酒宴会では必ず御身のご期待に添える結果を出してご覧に入れます!アインズ様の新たなスイッチを入れて、その後は毎日…くふぅー!!」

 アインズの初めての飲食を前にアルベドは相当気合を入れているようだった。

 バサバサと揺らされる翼からは黒く美しい羽がわずかに舞っていて実に愉快そうだ。

 骨であれば飲食不要とはいえ、食べられるならあのナザリックの美食は飽きるまで毎日食べた方が良いだろう。

「そうですね!ふふっ。アルベドさん本当に良い企画立ち上げましたね!」

「ありがとうございます!くふふふっ。楽しみでございますね!」

「ねー!本当楽しみ!」

 二人はそれぞれ少し違うことを期待しながら嬉しそうに笑った。

 

 しばらく羽の手入れなどの話をし、女子会をしていると、表情を持たない親子が僕を連れて戻ってきた。

 

「アインズ様!おかえりなさいませ!」

 アルベドは姿勢を正すとサッと頭を下げた。

「アインズさん、どうでした?」

 

 アインズとパンドラズ・アクターは顔を見合わせると、ジャン!とその手に持てるだけの宝を二人に見せた。

「わぁ!開いたんですね!!」

「ふふ、開きました!ただ、宝物殿に置かれていた装備とかの感じからして、ここは三人、多くても四人程度のかなり小さなギルドのようでした。」

「まぁちっちゃなギルド!」

「本当ですよね。それで、迷路は地上で言うどの辺りまでありました?」

 アインズは言いながらナザリックの宝物殿に転移門(ゲート)を開くと、パンドラズ・アクターと共に持っていた財宝と無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)の中身を放り込みだした。

「それが、やっぱり結構大きいんです。――アルベドさん。」

「は。ご報告申し上げます!」

 アルベドは宮殿がまるっと崩れると想定される事を丁寧に報告した。

 

「なるほど、街に及んでいなくて良かったと思うしかないか。パンドラズ・アクター。ここの後処理はお前に頼んでもいいか…?」

「はい。お任せくださいませ!後はこのパンドラズ・アクターが傀儡と共に全てを回します!」

 パンドラズ・アクターは綿密に練られていたこの計画に胸を躍らせた。

 わざと捕まった意味、蕾を取りに行かせなかった意味、ミノスを王とする意味。

 この世の全てを見通す目に強く羨望し、小さく身を震わせた。

 いい返事にアインズは頷くとフラミーに手を伸ばした。

「それじゃあ、破壊に行きましょうか!――ギルド武器!」

 迷わず握られた手は温かく、フラミーの瞳は決意で満ちていた。

「はいっ!」

 

+

 

 崩れる宮殿で行う必要もない為、アインズはフラミーとアルベドを連れて第六階層に戻ってきた。今日も第六階層は陽光にあふれている。

「アインズ様!フラミー様!おかえりなさいませ!」

「あ、あの、その、おかえりなさいませ!」

「オカエリナサイマセ。」

 双子とコキュートスに出迎えられると、アインズはパンドラズ・アクターから受け取ったギルド武器を取り出した。

 

「皆出迎えご苦労、楽にしろ。」

 パンドラズ・アクターの王様講座で見た王様らしい動きで三人に手を挙げ、王様らしく歩いて行く。

「さぁ、これがうまく行けばナザリックは相当戦力強化されますよ!」

「はい!が、頑張ります!!」

 緊張した様子のフラミーに攻撃力の上がるバフをかけながら少し離れたところにギルド武器を浮かべた。

 

 バフを掛け終わると、杖を握り締めてフラミーは魔法を繰り出した。

現断(リアリティスラッシュ)!!現断(リアリティスラッシュ)!!現断(リアリティスラッシュ)!!現断(リアリティスラッシュ)!!――」

 何度もそういしていると「……ふぅ」と息を吐いた。

 壊れていないのに攻撃をやめたフラミーにアインズは首を傾げた。

「ん?どうしました?」

「……魔力切れです…。」

 現断(リアリティスラッシュ)は強力だが燃費は最悪だった。

 アインズは早すぎる魔力の枯渇に吹き出すと、自分の腕からドラウディロンの腕輪を抜き取り、フラミーの手を取って入れた。

「肌身離さず持っていてくれ」と言っていたドラウディロンの言葉はもう忘却の彼方だ。

「ははは。これと俺の魔力使って下さい。」

「が、頑張ります…。」

 二人は手を繋いで再びギルド武器に向き直った。

 

現断(リアリティスラッシュ)

現断(リアリティスラッシュ)

現断(リアリティスラッシュ)

 

 守護者が見守る中、フラミーは全然壊れる様子のないそれに心の中で泣いた。

 

+

 

 暫く続けると剣斧は割れ、ようやく砕け散った。

 ドキドキと変化を待ったが――フラミーには何も起こらなかった。

「…だ、だめかぁ…。」

 ガックリと肩を落として、いつの間にか側に来て見学していた仔山羊達に倒れこむようにフラミーは座った。

「あー…お疲れ様でした。仕方ないですね。どのクラスに反応して新クラスが手に入るのかも謎ですし…。」

「ごめんなさい…。」

「いやいや。考えてみたらあの武器の持ち主達のギルドが小規模過ぎた可能性が高い気がしてきました。家族にアカウント作らせてギルド立ち上げて、それを破壊して…ってできたらワールドチャンピオン超えだらけになっちゃいますし。」

「あぁーー…。」

「スルシャーナ達も少なくとも六人はいましたしね。」

「はぁ。ギルドの規模が小さかっただけだと良いんですけど…。」

「八欲王達のギルドは想像している通りならかなり大きいギルドですし、ツアーの持ってるやつを壊せたら真相も分かるんですけどねぇ…。」

 アインズはナザリックの遠くに見えていた天空城を思い出していた。

 二人は結局振り出しに戻ったと唸りあった。

 

 フラミーは同じくがっかりしている様子の子供達に謝罪した。

「ごめんね、皆も。せっかく付き合ってもらったのに。」

 アルベドは仔山羊に座るフラミーの前に両膝をついて手を握った。

「とんでもございませんわ、フラミー様。少し気分転換でもされてはいかがでしょうか?」

「はは、ありがとうございます。逆に何だか気を使わせちゃってすみません。」

 アインズは出来た統括の頭を撫でた。

「アルベド、お前は優しいな。」

 アルベドはフラミーの手を取ったまま振り返り、まじまじと骨を見ると、感動のあまりわずかに震えた。

 久々の触れ合いだった。

「い、いえ!当然の事ですわ!!」

 

「デハフラミー様。良ケレバミノタウロスノ家ヲ見ニ行カレテハ如何デショウ。」

「あ、繁殖実験の?」

 アインズはその言葉はトラウマだったので僅かに肩を揺らした。

 

 ぞろぞろと全員で新たに建てられたコテージに着くと、腕を失ったままの賢王と王弟が跪いて出迎えた。

 近くには蜥蜴人(リザードマン)達の出張コテージもある。蜥蜴人(リザードマン)達は暮らしているわけではないので、いる日といない日がある。

「神王陛下。フラミー様。いらっしゃいませ。この度は素晴らしい新居を頂きましてありがとうございます。」

 代表して兄が頭を下げると、未だ腕がジクジクと痛むのか少し汗をかいていた。

 二人は互いの欠損した部分を補い合いながら暮らし始めていた。

「アインズさん、私とりあえずこの子達の腕治しますよ。」

「すみません、頼みます。俺はちょっと氷結牢獄にメスを呼びに行って来ます。おい、一郎、二郎。フラミーさんに変なことをするなよ。」

 二人には長い名前があったが、覚えるのも嫌なので適当な名前を与えた。

 アインズは言い残すと転移し、パンドラズ・アクターが捕獲しておいてくれたメスの記憶をせっせと弄った。

 "一郎と二郎を愛している"と加えようかと思ったが、何となくそう言うことを書くと良くないことが起こるような気がしてやめた。

 

 メスを連れて第六階層に戻ると、フラミーと双子が腕の治った一郎と二郎に抱きついてその毛にもふもふと顔を埋めていた。

「…これは…何事だ?」

 アインズはやっぱりニューロニストに渡したほうが良かったかと一瞬だけ考えた。

「あ!アインズ様!この子達の毛皮が欲しいんですけど、子供が生まれたら何匹か貰えませんか?」

「ぼ、ぼくもこれで何か作りたいです!」

「私もラグにしたいです!」

 耳の長い三人は嬉しそうにアインズへ振り返った。

「…ダメだダメだ。一郎も二郎ももう一応ナザリックの一員だし、何より子供はコキュートス管轄の実験に使う。フラミーさんもわがまま言わないでください。ほら、花子、梅子。挨拶しなさい。お前達は二人を愛せればここで暮らすんだ。」

 花子と梅子は恭しく頭を下げ、一郎と二郎と共に照れ臭そうに何かを話し始めた。

 

 すると、話をふんふん聞いていたアルベドが名案を閃いたとばかりに瞳を輝かせた。

「アインズ様?」

「なんだ?アルベド。」

「実験が済み、お子をお持ちになる時には私がいつでも即座にご協力いたしますわ!あ、いえ、今すぐでも勿論構いません!」

 キラキラした瞳にアインズは苦笑しながら、牛達に手を振って下がらせた。

「…いいから。すぐにそう言うことを言うんじゃない。」

「し、しかしアインズ様、タブラ・スマラグディナ様もきっとモモンガ様とでしたら――。」

 フラミーと双子が様子を見ているためアインズは咳払いして声を落とした。

 

「静かにしなさい。以前のお前はそんなに――いや、前からそうか。」

「フラミー様だってずっとあんなに結ばれる日をお望みなのに、アインズ様はフラミー様や私の何がお気に召さないのでしょうか?」

「「フラミーサマがおのぞみ!?」」

 重なった声にアインズとフラミーは目を合わせて苦笑した。

 

「そうですわ!この一年、ずっと御身に寝所へお呼びいただくのを楽しみにお待ちですのに!!」

 全く記憶にない統括の主張にフラミーはダラダラと脂汗を流して叫んだ。

「ま、ま、待って!!アルベドさん!!」

「あっ…つ、つい、私ったら…勝手に話してしまい、申し訳ありませんでした。」

「そそそそそうじゃないよ!!そうじゃないでしょ!?」

 アインズは顔を真っ青にするフラミーを見ながら首の後ろをポリポリかいた。




次回 #33 閑話 プチ酒宴会
閑話12:00です!

くふっ

一郎!二郎!!
子供は一郎太、二郎太になりそう…。
娘ならイチコ!

Twtr閑話 湖畔の日常 2期#32.5
https://twitter.com/dreamnemri/status/1145903504545873921?s=21


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#33 閑話 プチ酒宴会

 約束の晩、アルベドは双子とともに第六階層湖畔に新たに建てた水上コテージ――ヴィラの最終チェックに来ていた。

 桟橋をかけ、湖の上に建つ水上ヴィラは守護者主催のぷち酒宴会の会場だ。

 大きな窓がたくさんついた建物は湖を見渡せ、宴会室の他にはミニキッチンと給仕部屋がついたシンプルな作りだ。

 桟橋にはポツポツと永続光(コンティニュアルライト)が付いていて、偽物の星と月の光だけが届く湖に、真っ直ぐ水上ヴィラへの道を浮かび上がらせていた。

 ヴィラの中ではすでに戦闘メイド(プレアデス)とセバスが円卓のテーブルコーディネートを始めていて、中は蝋燭の優しい光で照らされていた。

 周りには八枚の座布団が出ており、お座敷スタイルだ。

 何の問題も無さそうな様子に三人は満足した。

 

 少し時間が経つと、コキュートスが一郎と二郎の教育を終えたようで姿を現した。

「コレハ素晴ラシイナ。御身ノ始メテノオ食事ニ相応シイ。」

「でっしょー!あたし達本当頑張ったもんね!マーレ!」

「う、うん!コキュートスさん、ありがとうございます!」

「私の提案だと言うことは忘れないで欲しいところね。」

 守護者達が盛り上がっていると、遠くに闇が開き、シャルティアとデミウルゴスが揃って現れた。

 

「おや?妾達が最後でありんしたか。」

「遅いわよ。特にデミウルゴス。あなたも幹事だってことを忘れているんじゃなくて?」

「竜王国の女王が自分も行くと言って聞かなくてね。」

「そんな事雑種に話すからいけないのよ。」

 アルベドはドラウディロンが嫌いだった。

 シャルティアの話では本気でいつか嫁入りできると思っているようだったし、国境の湖で少し見たとき、胸の大きさに関しては自分に勝るとも劣らなかった。

「シャルティアが口を滑らせたんですよ。まぁ置いてきましたけどね。」

 デミウルゴスはどうでも良いとでも言うような雰囲気だった。

「仕方ないわね。さぁ、そろそろ御方々がいらっしゃる頃よ。」

 

+

 

 アインズとフラミーが到着すると、守護者に案内され席に着いた。

 フラミーは入る前に撮ったヴィラの写真を眺めると嬉しそうに笑った。

 銀河鉄道へ続くような桟橋と、仄かな明かりを漏らすその建物は非現実的で実に美しかった。

 アルベドが考えた"不公平じゃない"と言う席順は――――

 アルベド、アインズ、アウラ、フラミー、マーレ、デミウルゴス、コキュートス、シャルティア……アルベド。

 ツアーの襲撃の夜に皆で円になった日の物と同じだった。

 

「懐かしいな。あの時は本当にもうどうなる事かと思ったが…誰一人欠けずにこうしてお前達と座れて俺は嬉しいよ…。」

 アインズの呟きはしんみりしていて、守護者達は穏やかに笑った。

「アインズ様。私達は御身が在り続ける限り、決して一人足りとも欠ける事はございません。」

 統括の静かな声に、アインズは少し目頭が熱くなった。

「…ありがとう。お前達にも、お前達を作った全ての仲間にも、私はいつも感謝しているんだと、皆よく覚えておいてくれ…。」

 

「…さぁ、皆折角のアインズさんの初めてのご飯なんですから、楽しくいただきましょう!」

 フラミーも目を熱くしながら皆に声をかけた。

 

+

 

 会は穏やかに進行して行き、アインズは始めてのナザリックの食事に大いに感動した。

 本当は精神抑制を切って食べたかったが、支配者がただの食事で大喜びなのも如何なものかと我慢した。

 食事はアインズの所望で和洋折衷。

 ただ、カトラリーは箸だけだ。

 フラミーは転移してからこれでもかと言うほどに食事のマナー本を読み漁っていたようだが、アインズはマナーを何も知らないため箸を希望した。

 

「アインズさん、ちゃんと飲んでますか?」

 フラミーの呟きにアインズはギクリと肩を震わせた。

「の、飲んでますけど…?」

 ジトッと見るその目は、アインズの指輪に注がれた。

「嘘だ!!その指輪は耐性の指輪だ!!アウラ、アルベドさん!やっちゃいなさい!!」

「かしこまりましたわ!!」「はい!」

 

 左右の女子に引っ張られアインズは指輪を奪われた。

「こ、これが…アインズ様の着けていらした指輪!!」

「アルベド!別におんしが頂いた訳じゃありんせん!!早くフラミー様にお渡ししなんし!!」

 シャルティアと指輪を奪い合うアルベドにアインズは苦笑した。

「アルベド、私に返しなさい。」

「で、でもアインズ様!せっかくの酒席ですのに…。」

「私はこの体で始めて酒を飲むのだ。正直どれほど飲めるかわからない。皆に迷惑を掛けることになってはいけないだろう。」

 アインズは精神抑制があるとは言え支配者らしくなくなってしまうんじゃないか恐ろしかった。

「迷惑ナドオ気ニナサラズ。」

 コキュートスの声にアインズは苦笑する。

 

「むぅ…じゃあ、やっぱりアインズさんとお酒は飲めないんですね。」

 フラミーからは心底がっかりと言うような空気が溢れ出していた。

「…フラミー様。私がお付き合いしますのでアインズ様をお許しください。」

 デミウルゴスは竜王国の反省を生かそうと決めた。

「そうですか?マーレと場所変わってもらおうかな?」

「ま、待て待て待て。わかった。わかりました。飲みます。飲みますから。」

「良いんですか?」

「本当は良くないですけど、良いです。ほら、アルベド。兎に角指輪を返しなさい。」

 アインズがアルベドから指輪を回収すると、マーレを乗り越えてフラミーがその手からパッと指輪を奪った。

 

「あ!このいたずら娘!」

「ひひひ。やりました。皆ナイスプレイ!これは私が預かります!」

 シャルティアとアルベドが喜んで拍手している。

 アインズは嬉しそうなフラミーの様子に少し笑いながら注意した。

「これはアルハラ対策委員会を設けないとダメですねー。フラミーさんは一発免停ですよ。」

 すると、それまで黙って様子を見ていたコキュートスが嬉しそうに酒を注ぎ出した。

「アインズ様。飲ミ比ベナラバ御身ニ私デモ勝テル気ガイタシマス。」

「はは。私も負ける気しかしないよ。」

 コキュートスは笑ったようにガチガチと下顎を合わせて鳴らした。

 

「あ、デミウルゴスさんもどうぞ。アウラとマーレも何かとってあげようか?」

 フラミーにお酌され心底恐縮している男にアインズは苦笑した。

 アウラとマーレは嬉しそうにフラミーから料理を取り分けられているというのに。

「デミウルゴス。お前も少し肩の力を抜け。アルベドを見てみろ。これだぞ。」

 アルベドはほろ酔い状態なのか嬉しそうにアインズの胸にしな垂れかかっていた。

「アルベド、いくらなんでもそれは御身に不敬じゃないかな。」

「あら、そうかしら。アインズ様?アルベドは不敬でしょうか?」

 アインズは胸から見上げるように覗き込んでくる、フラミーと同じ金色の瞳に、なぜ悪魔達はこう言う視線を平気で出来るんだろうと思った。

「…っう…不敬じゃない。いや、今日だけだぞ。」

 キャーと喜ぶアルベドから視線を外してアインズはこりゃいかんと頭を振って酒を飲み下した。

 フラミーからの視線にも気付かずに。

 コキュートスは一番アインズから遠いが体が大きいため、一番お酌していた。

 

「アウラ、アウラ。妾と変わってくれんせん?」

 シャルティアは自分の席を離れ、アウラをつついていた。

「えー。"不公平じゃない席順"なのに?」

「私が不公平だって思ってる時点で十分不公平でありんす!おんしはアインズ様とフラミー様に挟まれて贅沢にも程がありんす!」

「ちぇ。仕方ないな。」

 アウラは自分の箸とジュースの入ってるグラスを持つとシャルティアのいた席に移動した。

 シャルティアはほくほくで二人の間に入ると、アインズの腕を取って嬉しそうにしていた。

 フラミーに触るのは利き手側のため食事の邪魔になりそうだと諦めた。

 

「ふ、フラミー様はその、今も誰ともお風呂に入らないんですか?」

 マーレの問いにフラミーは少し悩んだ。

「うーん、もう皆知ってるから別に入ってもいっか。女湯だと少し問題ありそうだから、私の部屋でもいいかな?」

「も、もちろんです!!」

「フラミー様!あたしも一緒に是非!」

「わ、わたしも入るでありんす!!」

 

「じゃあ、アウラとシャルティアは今度女湯で一緒に入ろうね!」

 はいはーいと手を挙げる二人へ視線を向けると、違うものが目に飛び込んできた。

 そこではアインズの胸に顔をスリスリするアルベドと、アルベドの翼を撫でながらアインズがコキュートスと楽しげになにかを話しながら飲んでいた。

「アインズさん…。」

「っん?どうしました?」

 アインズはフラミーの囁くような声にすぐに反応した。

 

「あ、いえ。ちゃんと飲んでます?」

「ははは。飲んでますよ。なぁコキュートス。」

 その顔は少し赤く、愉快そうだった。

「ハイ。フラミー様、ゴ安心下サイ。」

 

「アインズ様、シャルティアも撫でてくんなまし!」

「仕方のない娘ばっかりだな。ペロさんは割と甘えん坊だったっけかな。」

 シャルティアの頭をぐしぐし撫でて笑う姿にフラミーは少し胸を押さえた。

 

「フラミー様。」

 デミウルゴスの声にハッと胸から手を離すと、フラミーはニッコリと笑った。

「なんですか?何か取りましょうか?」

 フラミーは隣でジュースを飲むマーレの頭をさらりと撫でて気を紛らわせた。

「いえ。それより、大丈夫ですか?」

「大丈夫ですよ!まだまだ飲めます!リアルと違ってこの体は強い気がします!」

「…そうですか。」

 デミウルゴスは口に手を当てると「そうだな…どうしたら…」と一人何やら悩み始めた。

「フラミー様、良ければ少しお付き合いいただけませんか?」

「ん?酔い覚ましですか?良いですよ!」

 デミウルゴスはゆっくり立ち上がると、フラミーは手を伸ばし、フラミーはそれをとって立ち上がった。

 

 二人はヴィラを出た。

 デミウルゴスが桟橋に腰掛けて湖に向かって足を下ろすと、フラミーもその隣に腰を下ろした。

 足の下では永続光(コンティニュアルライト)に照らされた水面がキラキラと光っていた。

「あ、お魚。」

 デミウルゴスはその様子にくすりと笑った。

「フラミー様。ナザリックはアインズ様を頂点に戴いておりますが、御身も至高の主人でございます。我々はいつでも御身のお言葉に従う準備があります。」

「え?突然ですね。ふふ。嬉しいな。皆アインズさんのこと大好きでたまに妬けちゃいますから。」

 フラミーはくすくす笑った。

 

 デミウルゴスは統括のアレをやめさせろと言われれば直ぐにも実行するつもりだったが、フラミーにそう言うつもりが毛頭無いのを見ると、自分の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)からグラスと酒を取り出した。

「…竜王国の時のお誘いはまだ間に合うでしょうか?」

「っはい!はは。酔い覚ましどころかこんな所で二次会してたら怒られそうですねっ。」

 フラミーはグラスに注がれる酒を少し眺めてから口をつけた。

「怒られるでしょうね。しかし今日は――」アインズ様が悪いと思いますとはデミウルゴスには言えなかった。

「今日は?ふふ、これも美味しい。」

 悪魔達は偽物の空の下でしばらく笑い合った。

 

 フラミーはグラスを置くと寝転んだ。

「はー。ここは本当にいい世界だなぁ。」

「それは何よりでございます。」

「ナザリックの空も綺麗だし、皆の子供も――デミウルゴスさんもいて、アインズさんもいて、ここって無いものが無いかも。」

 デミウルゴスは放り出されている手に向かって不敬だと言う自覚を持ちながら手を伸ばす――。

「あと三十九人いたら、完璧なんですけどね。」

 アインズの声にフラミーとデミウルゴスは顔を向けた。

 

 危ないところだったとデミウルゴスはなぜか安心した。

 アインズは立ち上がろうとするデミウルゴスを手で制して、フラミーの隣に座り、少し伸びた。

「んーーはぁ…割と酔ったなー。」

「ふふ。良かったですね。アインズさんが幸せそうで、私、とっても嬉しいです!」

「はは。指輪も取られてアルハラされて、俺も本当幸せだなー。」

 アインズはフラミーの頬を摘まんで軽く左右に振った。

 フラミーはくすぐったそうに笑うと、少し悲しそうな顔をした。

「――ん?どうしました?」

「え?何がですか?」

「あ、いや。気のせいか。」

 

「アインズ様。それでは私はこれで。」

 デミウルゴスは新しいグラスを出して、自分の分を仕舞うと立ち上がった。

「デミウルゴス、変な気を使うな。後から来たのは私だ。」

「いえ。手洗いにも行きますしお気になさらず。」

 清々しい笑顔を見せると悪魔は跪いて、今度こそ転がるフラミーの手を取った。

「フラミー様。先ほどの私の言葉をどうぞお忘れなく。いつでも「御身のお言葉に従う準備があります。」」

 途中からフラミーの声が重なり、デミウルゴスは嬉しそうに頷いた。

「そうです。それでは、私はこれで。素晴らしいニジカイをありがとうございました。」

 フラミーの薬指に口付けると一瞬だけ透き通る瞳の宝石を覗かせ、デミウルゴスは立ち去った。

「…わ、きざぁ。うるべるとさん…。」

 フラミーは友人を思い出しながら呆然とその背中を見送った。




ふぅ。(賢者モード
当然デミウルゴスムーブで終わらせません。(にっこり

次話 #34 閑話 支配者の二次会
もう次回何が起こるか良い子の皆にはわかりますね!!

2019.07.02 12:58
フォローしてくださっていたり、リストに入れて下さってる方はご存知かと思うのですが、Twtrに短い日常閑話をあげました。
酒宴会前日の湖畔、#32.5と言ったところです!
今後R18を書くときに備えて、文字の大きさが画像として耐え切れるかの試験で投稿しました。
まるで本筋と関係のない話です。
ただ、電車内でオラァ!と書き上げたこちら、お話チェック+誤字チェックせずに上げたので誤字がやばいです(;´Д`A
大変見苦しいので、「まぁテストだしな」と割り切って頂けると幸いです。

Twtr閑話 #1 湖畔の日常(全年齢)
https://twitter.com/dreamnemri/status/1145903504545873921?s=21


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#34 閑話 支配者の二次会

 アインズは複雑な気持ちでデミウルゴスを見送った。

「…フラミーさん、あいつは損な奴なんですよ。ほんっとにいつも。」

「損なヤツ、ですか?」

 フラミーは翼で背中を押し上げるように起き上がった。

「そうなんです。可愛がってやってください。俺はうまく可愛がれないから。ははは。」

「男親って、そう言うものですかね?」

「ま、そんなとこです。」

 アインズがフラミーの羽を撫でると、フラミーはサッと立ち上がって翼を小さく畳んだ。

「ん?行きますか?」

「…ううん。行かないけど――」誰にでもするなら、そんなに優しく触らないで欲しかった。

 

 フラミーは心底自分はめんどくさい女だと思う。すぐにいじけて、わがままだ。

「はは。行かないなら、ちょっと渡したい物があるんですよ。」

 アインズも立ち上がると闇の中から畳まれた薄いレースを取り出した。

「なんですか?これ。」

「ほら、ミノタウロスの所にあった宝物殿。あそこに良さそうな素材があったんで魔改造しました!殆どもう原型とどめてないんですけどね。」

 アインズは少し得意げに笑っていた。

「あの紺色のやつの上位互換ですよ!俺フラミーさんは赤紫か白のイメージがあるんで、白にしてみました!白の方が合わせやすいかなーって。」

 フラミーはまじまじとそれを見ると、申し訳なさそうにアインズを見上げた。

「私、まだ何もお返ししてないのに。」

「いえ。俺が好きでやってることですから。それにギルメンの強化協力はアインズ・ウール・ゴウンの基本ですよ!」

「はは。ギルメン強化、そうでしたね。ありがとうございます。でも…。」

 フラミーは受け取る様子がなかった。

「――…じゃあ、良かったらお返しって事で、俺とも二次会しませんか?」

 アインズは照れ臭そうに後頭部に触れながら笑っていた。

「二次会?」

「ダメですか?」

「あ、いえっ!それならお返しできます!」

 フラミーは嬉しそうに頷くと、白いレースでできた不思議なローブをようやく受け取った。

 自分の為に簡単な要求をしてくれるアインズの優しさに甘えてしまうことにする。

 

「綺麗。これ、上から着れますよ!」

 フラミーはいつも羽織っている紺色のローブの上からそれを羽織った。

「はは。紺のやつはもう捨てたって良いんですからね。」

「いやです。ふふっ。嬉しい!」

 フラミーはくるくる回ってから自分の姿を見てみようと水面を覗き込んだ。

「アインズさんってセンスありますよっ。」

「はは、デミウルゴスやウルベルトさん程じゃないですけどね。」

「ううん、私、デミウルゴスさんより、ウルベルトさんより、アインズさんのこと――」

 フラミーは体の向きを変えようとすると、足を踏み外して橋からバシャン!と落ちた。

「うわ!!フラミーさん、やっちゃったな!!」

「わ〜やりました〜!はははは!」

 そのままぷかぷか浮いてフラミーは笑っていた。水に広がるレースのローブと、白銀の翼は幻想的だった。

「結構酔ってますねぇ。<飛行(フライ)>。」

 アインズも湖に降りると、フラミーをザバァ…――と横抱きに持ち上げた。

 魔法の装備達は水を吸わずに、濡れているのはフラミーだけだった。

「また迎えに来てくれた。」

 フラミーはアインズの首に腕を回し肩に顔を埋めると、アインズも顔を寄せて小さい声で呟いた。

「いつでも迎えに来ますよ。」

 アインズはそのまま転移門(ゲート)を開いてフラミーの部屋に移動した。

 

「ほら、ちゃっとお風呂入ってください。シクスス、頼む。」

「これはアインズ様!フラミー様!おかえりなさいませ!さぁさぁ、アインズ様がお待ちですからお早く!」

 フラミーはびしょびしょの頭で笑いながらシクススにドレスルームの向こうにある風呂へ連行された。

 アインズも少し笑うと、デミウルゴスが桟橋に置いて行った酒を一人で飲んで待った。

(こりゃ、二次会っていうより三次会だな。)

 

 十分もするとドレスルームが騒がしくなっていた。

『シクススさん!!こんな服じゃダメだって!』

『何故ですか!?あっ!こちらの方が宜しいでしょうか!ほら、お胸のところの紐を引っ張ると、ぜーんぶ、ほらね!解けます!』

 アインズは味わっていた酒をゴクリと飲むと咳き込んだ。

『せめてお胸に乳香を――』

『もー!一人で着替えます!!』

『あ、フラミー様!』

 強くないとは言え、流石に百レベルのフラミーには敵わなかったようでシクススはポイっと放り出されるようにドレスルームから出てきた。

「申し訳ありません、アインズ様。フラミー様はあまりセクシーなのはお好みでないようでして…。」

「あ、はは…いや…気にするな。」

 アインズは何か勘違いされている気がしたが、少し見てみたいと思ったため特別何の注意もしない。

 するとドレスルームから出てきたフラミーは髪は下ろしたままだったが、いつもと変わらない何の変哲も無いローブに先程のレースローブを着ていた。

 少しがっかりすると、アインズは立ち上がった。

 

「お待たせ様でした。」

「フラミー様…そのようなご格好では…。」

「もー!!私はこれが好きなの!!」

 フラミーが悪態を吐いている様子にアインズは笑うと鎮静され――フラミーはハッとアインズをみた。

「アインズさん、抑制が。」

「バレました?はは。こればっかりはちょっと。」

 フラミーはうーんと少し悩むと、閃いたような顔をしてアインズの手を取り立ち上がらせた。

「抑制つけないで済む、一番いい所にご案内します!」

 バーカウンターに行く様子じゃないため何処に?と思っていると、そのまま寝室の扉を開けた。

「シクススさん、何人たりとも立ち入り厳禁です。」

「は、はいっ!!」

 返事を聞くとフラミーはアインズを引っ張って寝室に入って行き、シクススは全八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達とハイファイブを交わした。

 

+

 

「フラミーさん、一番いいとこって、ここですか?」

 ここで精神抑制を外して飲むのかとアインズは少し焦る。

「ふふ、ここでーす!」

 フラミーはジャーンとでも言うように手を広げた。目の前には大きすぎるベッド。

「部屋からシクスス達は中々追い出せないですけど、ここなら誰にもアインズさんが見られないで済みます。ずっと抑制つけたままで、可哀想だから…。」

 少し辛そうな顔をするフラミーに、アインズは自分がすけべじゃなければここだって良いんだよなと思い直した。すけべじゃなければ。すけべじゃなければ。

 

 アインズはフラミーなりの気遣いに感謝して、まだ少しだけ湿ってる髪をクシャリと撫でた。

「ありがとうございます。じゃ、三次会ですね。俺ちょっと酒取ってくるのと、守護者達に謝ってくるんで待っててください。――<転移門(ゲート)>。」

 アインズはそう言うとサッと闇をくぐって行った。

 

 フラミーは確かに自分も守護者に謝る必要があると思って転移門(ゲート)を出すと、アインズはすぐに戻ってきた。

 

「お待たせしましたーあれ?どこ行くんですか?」

「あ、私もやっぱり謝ろうかと。」

「はは。もう向こうも解散始めてましたよ。気にしないで好きにやってくれって追い出されました。もしかしたら守護者だけで二次会するのかも。セバスにも準備済みのこれ持たされましたし。」

 アインズの手の中には、何本かの酒瓶が詰められた籠と、綺麗な盛り合わせセットがあった。

「あぁ、向こうも邪魔な上司のいない楽しい二次会が始まるわけですね?」

 ハハハハと二人は笑い声を上げ、アインズの笑いが止まらない様子にフラミーは安心した。

 

 しばらく魔法で生み出したテーブルセットで飲むと、二人はスクリーンショットを取り出し一生懸命それをベッドの上に並べた。

 二人分のスクリーンショットを時系列順に並べていく作業は、大切な思い出を振り返る為の儀式のようだった。

 並べて行く中で、いつの間にか二人はベッドの上でだらしなく飲み始めていた。

「これも、これも。はー楽しかったなぁ。」

「アインズさんの百年後に最初に来て欲しい人は?」

「あー難しいなー。誰かなー。フラミーさんは?」

「んふふ。私はねー、アインズさんがいればもう良いかも知れないです。」

 嬉しそうに笑うフラミーはもうだいぶ酔っ払っているようで、うつ伏せで頬杖をついているその姿勢は今にもグラスを落としそうだった。

 いや、フラミーだけでなくアインズもかなり酔っていた。

「はは、嬉しいなぁ。でも本当かなぁ。」

 アインズはフラミーの鼻をちょんと触り、くすぐったそうにする顔を眺めた。フラミーの甘そうな頬はりんごのように赤くなっていた。

「ふふっほんとですよぉ!」

「じゃあ、俺ももういっかなぁ。」

 二人はベッドの上で肩と頭をくっつけあってクスクス笑い合った。

「ふふ、でもアインズさんのは嘘っぽいなぁ。」

「えー。すぐそう言う事言うじゃないですかー。」

 フラミーはアインズの目の上下に入る、骨と同じ線を撫でながら呟いた。

「怒った?」

「怒ってないよ。」

 アインズは顔を触るフラミーの手を握ると、飲みニケーションを悪習だと思っていた過去を反省した。

 

「あいんずさん、真面目な話三十九人ですよぉ。」

 フラミーは握られている手を開いて指を絡ませるとベッドに頭を下ろした。

「三十九人ですねぇ。」

「三千九百年ですよぉ。」

「百年後にいっぺんに来るかもよ?」

 アインズもベッドに頭を下ろすと、二人は手を繋いだまま転がって向かい合った。

「じゃあ百年。」

「はははは。折れるの早いなぁ。」

「でも、でも、本当に、百年後に誰か来たら、私どうしよう。」

「ん?どうしようって?」

「ペロロンチーノさんやたっちさんにアインズさん取られちゃうかも。」

「バカ言わないで下さいよ。ほら、おいで。」

 アインズはフラミーの手の中から酒を回収して自分のグラスと一緒にサイドボードに置くと、フラミーの腰を引き寄せて抱きしめた。

「はー…でも確かにデミウルゴスだっているのに、この上ウルベルトさんまで来たら…フラミーさん、もう俺と遊ばないかもなぁ…。」

「じゃあ、約束ね。」

「ん?」

「誰か来ても、私達はちゃんとずっと一緒に遊ぶって。」

「はは、ちゃんと遊ぶって、真面目に不真面目みたいな語感だな。でも、そうですね。約束します。」

 フラミーの頭に顔を埋めると、そこからは女性特有の甘い香りがした。

(あ、これはやばいな。ちょっと抑制するか。)

 

 アインズはふぅ、とため息をついた。

「ん?あーー!やりましたね!」

 フラミーは胸の中から顔を上げるとアインズをくすぐり出した。

「ちょ!はは――ふぅ。ははは――はぁ。やめなさい!」

「なんですぐ支配者しようとするんですかぁ!」

「わか、わかったから!わかりましたから!余計抑制が必要になるようなことしないの!」

「ははは。笑わされるの嫌い?」

「ちがうっつーの。」

 アインズは手元にあったスクリーンショットをフラミーに投げて抑制を切った。

「わ!やりましたね!!」

 フラミーも手近なスクリーンショットを投げつけると、アインズと揃って大笑いした。

 ばらばらとスクリーンショットが舞い散る中、しばらくじゃれ続けるといつの間にか二人は眠りに落ちた。

 

+

 

(んなっっ!?)

 アインズが目覚めると、自分の腕の中で小さくなって眠るフラミーがいた。

 軽く顔を上げて周りの様子を見るとベッドの上はめちゃくちゃだ。

 酒は溢れて染みを作っているところがあるし、スクリーンショットは至る所に散らばっていた。

(こ、これは…落ち着け。落ち着くんだ。昨日の記憶は…全部ある!!!)

 一瞬冷や汗をかきかけたが、全くもって健全な夜を過ごしていた。

 キス一つできず、大の大人が男女で揃って小学生のお泊まり会をしていた。

 アインズは心の中で泣いた。

(いや、順序ってものがあるからな。まずはちゃんとしないと…。)

 アインズは腕の中のフラミーの長い銀色のまつげを眺めた。

 しかし、たまに自分をおちょくってくるこの娘に、「なにまじになってんすかギルマス。」なんて言われでもしたら立ち直れる気がしない。

 何より、二人の優しい関係が終わってしまうのが恐ろしかった。

 とにかく今後の最重要課題にしようと決め、フラミーの上に乗ってる自分の腕をゆっくりあげると、フラミーが目を開けた。

「んぅ…あいんずさん…?」

「あ、おはようございま――」

「…ゆめ…?」

「え…?」

 フラミーは少し顔を寄せてアインズの頬に短いキスをしてまた眠った。

 

 アインズは本当の試練はここからかもしれないと鎮静された。




あああああああ(発狂
なんで交わらないんだ君達は!!!!!

閑話だったので次回も12時、昼に更新します!
ここの所毎日2話ですみません( ;∀;)
次回 新章 試されるジルクニフ #35 集う王達

ついに支配者のお茶会が始まります!!
最重要課題を胸に、アインズ様頑張ります!

お知らせ*Twtr閑話始めました。
12時台に前話を読んで下さった250人の方へ改めてお知らせです!
13時ごろ前話に後書きを追加したのですが、Twtrに本編の半分行かない程度の短い日常閑話をあげ始めました。
本筋と関係のない裏話をちょくちょく上げようかなと画策中です。
実は今後R18を上げる為のテストを兼ねて1話を作成しました。(R18もTwtr行きです
1話は電車内で10分、20分で書き上げ、お話チェック+誤字チェックせずに上げたので誤字脱字が…(;´Д`Aあわわ
大変見苦しいので、「まぁテストだしな」と割り切って頂けると幸いです。

Twtr閑話 #1 湖畔の日常
https://twitter.com/dreamnemri/status/1145903504545873921?s=21
Twtr閑話 #2 今日の紫黒聖典
https://twitter.com/dreamnemri/status/1146031821781495808?s=21


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試されるジルクニフ
#35 集う王達


「遂にこの時が来たか……。」

 ジルクニフは馬車の窓から様々な国の馬車がエ・ランテル市、闇の聖堂の前に止まっていくのを見た。

 外には冬の始まりを告げるようなヒヤリとした風が吹いている。

 闇の聖堂の周りには神聖魔導国国旗がいくつも掲げられていて、上空も含め一般の者の一切の立ち入りを禁止していた。

 

「陛下。降りないんで?」

 帝国三騎士バジウッドが焦れた様子で口を開いた。

 車内には他にも愛妾のロクシー、頭の少し薄くなったニンブルがいる。

 不動を預かるナザミには死の魔法使い(エルダーリッチ)達が勝手に皇帝の部屋に入らないように見張りを言いつけて来た。

「…まだだ。皆魔導国傘下での自分のポジションを確認している。最初に降りた者はこの中で最も下位の者になるだろう。属国になったとは言え国には序列がある。」

「そういうもんですかい?」

 

 周りには魔導国スレイン州の州旗を掲げたもの、魔導国エ・ランテル州の州旗を掲げたもの、王国、聖王国、評議国、初めて目にするミノタウロスの王国の馬車が来ていた。

 全ての馬車にはここまで先導してきた死の騎兵(デスキャバリエ)がついている。

 

「陛下、動きましたわ。」

 ロクシーが重ねてくる手の温かさを感じながらジルクニフは視線の先を伺った。

 ロクシーは愛妾だが、ジルクニフは彼女の事を自分と勝るとも劣らない頭脳の持ち主だと評価していたし、社交界にはいつもこの娘を連れて出かけていた。

 

 エ・ランテル州旗を掲げた馬車から、銀色の鎧に身を包む青年と刀を脇に挿した男が出てくると、続いて黄金の知事が美しい笑顔で下車した。

 流石に国内の単なる州知事が王達より上という事はあり得ない。

「陛下、確かにロクシー様の仰る通りヴァイセルフ知事は美しいですね?魔導国との関係強化にもなるかもしれませんし、本当に宜しいかもしれません。」

「ふふ。ニンブル殿もわかって来ましたね。」

「うるさいぞニンブル、ロクシー。あの女の気味の悪さを感じないのか。あいつは間違いなくエ・ランテルの知事の座に就くために、王国と、親でもある王をあの死神に売ったんだぞ。あの街の乗っ取り方はあまりにも巧妙すぎる。」

 ロクシーには身分も保障された者の集まるこのお茶会で、良い機会だから嫁探しをしようと言われていた。

 ジルクニフは確かにあの知事以外なら、同じ苦しみを抱いているかもしれない為それはそれで良いのかもしれないと思い始めている――が、ラナーだけは御免だった。

 

「姫でいるより魔導国の知事の方が価値があるってんですかい?現に今も一番最初に降りましたぜ?」

「…王国の玉座よりもエ・ランテルの州知事である方が断然価値があるだろう。一番には降りたが、それは王達が一番最初に降りるという屈辱から逃れるように神王はあれを呼んだだけだ。そうでなければこの面子の中にあれの存在は特異すぎる。見てろ。きっと謁見時には手本として動いてくるぞ。」

 ラナーは帝国の馬車をチラリと見たようだった。

 

 続いてミノタウロスの王国の馬車から黒い雄牛が数頭降りていく。

「あれも属国になったのか?随分野蛮な奴がいるようだな…。」

 ミノタウロスと言えば、まれに帝国領に現れ村人を攫って行く帝国の天敵だ。

「そう言う話は聞いておりませんわね。」

 ロクシーは、ロウネが今日のために纏めた魔導国の状況が事細かに記されている書類と勢力図を見せた。

 

【挿絵表示】

 

「はぁ…。それにしても私の言った通りだっただろう。眠りとどのような関係があったのかは不明だが竜王国はあの後見事に吸収された。」

 流石皇帝陛下という声を聞き流し、ジルクニフは外を歩いて行くミノタウロス達を忌々しげに見た。

「しかしあんな者がここに来ているという事は昼食は人間か?」

「はは、陛下。流石にそれはねーんじゃ……。」

 バジウッドが口元を痙攣らせるが、帝国の面々はあのアンデッドが主催では有り得ない話ではないのではないかと少し冷や汗をかいた。

 

 そうこう話していると王国の馬車からは次期国王のザナック王子、蛇のような顔をした貴族、そしてガゼフ・ストロノーフが降りていく。

「まぁあいつらの地位はこんなものだろう。これ以上は高望みだな。」

「陛下、私達はどのタイミングで…?」

「焦るなロクシー。うちからは殆どの力ある者が奪われているんだ。ここで弱さを見せれば同じ属国とは言え他国から侮られる。」

 ロクシーは静かに頭を下げた。

 

 続いて聖王国の馬車から聖王女と女の神官、目付きの悪い男と野生味溢れる野獣のような男が降りていった。

「――カルカ・ベサーレスか。」

「あの方なら、その麗しい見目と言い正妃としての資格は充分ではないでしょうか?」

「あれは顔は良いが八方美人だ。才能はあるはずだと言うのに間違っているところが不愉快だな。」

 ジルクニフは冷静に嫁の品定めをしていたが、その後スレイン州も、評議国も、竜王国もまるで動く様子はなかった。

「…チ。ここまでか。降りるぞ。」

 ジルクニフはニンブルとバジウッド、ロクシーに続いて馬車を降りた。

 次は竜王国だろうと思いながら聖堂入り口へ進んでいくと、スレイン州の馬車から神官長達が続々と降りていくのを視界の端に捉えた。

 

「…なんだと。竜王国はそこまでか…?」

 魔導国の摂政を神と共に司る高位の面々が、自分達よりも上だとあの若作りババアを評価している事にジルクニフは驚愕していた。

「何か理由があるに違いありません。あまりチラチラ後ろを見ては侮られます。」

 帝国の面々が死の騎士(デスナイト)によって開かれた聖堂の扉を潜っていくと、中には美しいメイドが二人立っていた。

 一人は髪を夜会巻きにしメガネをかけていて、もう一人は縦に巻いた金髪で豊満な胸を露わにしている。

 ロクシーはジルクニフに軽く顔を寄せ、小さく抑えた声で言った。

「子を産ませるならばこの美しさは…。」

 ジルクニフもあまりに美しい二人を前にその心を鷲掴みにされた。

 帝国貴族の娘ならばすぐにでも後宮に召し上げていたかもしれない。

 

「いらっしゃいませ。ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス皇帝陛下」メイドは二人揃って頭を下げると、自己紹介を行った。「私はユリ・アルファと申します。そしてこちらはソリュシャン・イプシロン。私達は本日の皆様の行き帰りをサポートさせていただきます。短い間となりますが、よろしくお願いいたします。」

「皇帝陛下。アインズ様と皆様がお待ちですわ。」

 ジルクニフはアインズ様という言葉にわずかな驚きを浮かべた。

(アインズだと?メイドに名を呼ばせているのか?いや、なるほど。このメイドは神王のお手つきということか。これほどの美貌、男として手を出さずに堪えるのは辛い。)

 ロクシーも同じ事を思ったのか一瞬だけジルクニフと視線を交わす。

「――これ程までに美しいお二人に案内して頂けるとは。神王陛下に感謝を。私は単なる一人の人間としてこの場合は親しみを込めてジルで結構だよ。」

 ジルクニフは皇帝というよりも非常に気さくな一人の青年という笑顔をユリに向ける。

 好青年という言葉を当てはめるとしたら、今のジルクニフほど似合う者はいないだろう。しかし、女であれば心が動いてしかるべき笑みを受けても、ユリのまじめな表情はまるで崩れない。

 瞳を覗き込んだジルクニフはユリの中に僅かな波紋すら起こらなかったことを悟った。趣味ではないのか、もしくは仕事中は仕事と自分から切り離すタイプなのか。――はたまた絶対の忠誠を捧げるべき神に命じられた仕事の最中だからか。

(――読み取れないな。)

 心の内で呟いた。

 

「お戯れを。主人――神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下よりお客様方には礼を尽くすよう受けておりますので。」

「そうかい。それは残念だ。」

 

 おどける様に、ジルクニフは肩をすくめる。

 

「それで、他の面々はどこに行ったのかな?」

「はい。まずはこちらの鏡を潜っていただき、我が神の創生地であるナザリックへ行って頂きます。皆様向こうでお待ちでございます。」

 ジルクニフは軽く息を吐き出す。

 属国化を願い出て、神都大神殿であの王と僅か十分程度会った時のあの邪悪さを思い出すと僅かに震えるようだった。

 それの居城、それも生み出した地がどれ程の物なのかと考えるとジルクニフはまた頭を掻き毟りたくなる。

「伺わせていただこう。」

 後ろの者達も覚悟を決めたような雰囲気にジルクニフは鏡に足を踏み入れた。

 

+

 

 半球状の大きなドーム型の部屋に到着したジルクニフの周りには、先に聖堂に入った面々が並んでいたが、誰一人として一言も言葉を発さなかった。時折動きに合わせて起こる鎧の金属音や、呼吸に合わせて起こる布の擦れるぐらいが唯一の音だ。

 騒がしくしないのが礼儀という以前に、目の前の神話の世界のようなあまりにも美しすぎる光景に皆が魂を引き込まれていたのだ。そこはまさしく、神々の居城というに相応しかった。

 ジルクニフですら、そのあまりの美しい部屋にキョロキョロと辺りを見渡してしまう衝動が抑えられない。

 続いて神官長達が入ってくると、神よ…と声を漏らし、ジルクニフはその声にハッと我に返った。

 一応属国化時にはこの神官長達と神王を愛すると言うアルベドなる天使に世話になったので軽く挨拶をした。

「これは神官長殿。忙しくしておられるようだな。」

「エルニクス皇帝陛下。その節は神へのご協力をありがとうございました。」

 神官長達は降れと言われる前に神へ自ら国を差し出したジルクニフを高く評価している。

 特に光の神官長は帝国の力が削がれていく様を目の前で見ていたので、皇帝が素早く属国の決断を下した時に一番喜んだとか。

「いいや。こちらこそ。」

「――な、なんだここは…!!」

 ジルクニフが間抜けな女の声に視線を送ると、そこには若作りババアがババアの姿で現れた。

 いや、ババアだと思っていたが、その人は自分より年上なだけで美しい女性だった。これまでは幼女の格好の王女しか見たことがなかった。

(流石に評議国を超えはしなかったか。しかし分からん。竜王国など殆どの国民がビーストマンに食われているし、まるで魔導国の役に立つとも思えんと言うのに…。)

 

「宰相、すごいなアインズ殿は!」

 ジルクニフはその呼び方に衝撃を受けた。

(まさか竜王国の女王と神王はそれほど(・・・・)の親しさ…!?考えてみればお手付きのメイドもすごい胸だったが、オーリウクルス女王もすごいか…。アルベド殿もあれだしな。なるほど。神王。お前の好みが見えて来たぞ。)

 竜王国を神官長達が高く見ているのも納得だ。

 もしかしたら神王の子を産むかもしれない女王はこの国にとってはかなりの重要度だろう。

 

 続いてすぐに白金の全身鎧を着た――恐らく亜人が一人で入って来た。

 評議国は竜王や亜人達によって作られている国だ。竜王の地位は普通の亜人達の比ではないため竜王が来るのが相応しいはずだが、どうやら亜人が来ているようだ。

 そもそも竜王は馬車には乗らないだろうし、竜王以外が来ているのだろうと最初から思っていたが。とは言え、まさかたった一人だとは思いもしなかった。

 評議国は竜王の一人が神王に敗れ、戦争を回避する為魔導国の属国になったらしいが、恐らくポーズだけで神王とは深く関わりを持っていないような気がした。

 事実竜王が今日来ていないのがその何よりの証だと思える。

 後で少し話をしてみようと思っていると、三メートル以上はあるだろう巨大な扉が開いていく気配がし、身長い住まいを正した。

 扉の右側には女神が、左側には悪魔が異様な細かさで彫刻が施されている。そして周囲を見渡せば、禍々しい像が無数に置かれている。

 タイトルをつけるなら『審判の門』ではどうだろうかと、ジルクニフは巨大な扉を眺めながらそんなことを考えてしまう。

 

 開いた扉のその先には様々な異形と、美しい女神、そしておぞましい死の具現がいた。

 

+

 

 天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは七色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを放っていた。壁にはいくつもの大きな旗が天井から床まで垂れ下がっていて、玉座の間という言葉が最も正しく、それ以外の言葉は浮かばない部屋だ。

 

 中央に敷かれた真紅の絨毯の上をゾロゾロと進んで行くと、ラナーが側近達を置いて一人数歩前に出て跪き、以降の者はそれに倣って横一列に並ぶように側近を置いて一歩前で跪いた。

 しかし、ただ一人鎧の亜人は立ったまま目の前の様子を伺っていた。

 ジルクニフはやはり形だけの属国化だと認識する。

 

「我らがナザリック地下大墳墓へよくぞ来られた。我が国と共に歩む者達よ。」

 跪いてはいたが頭は下げていない為王達は揃って誰が話すのかと視線を送りあった。

 こういう時、評議国から竜王が来ていたらその者に任せたいところだが、来たのは鎧に身を包むまるで護衛のような亜人だ。

 王と言葉を交わすには不十分――。

「初めて歓迎されて嬉しいよアインズ。他の王達も喜んでいるとも。今日は世話になるよ。」

 竜王国の女王以外は驚いたようにその鎧を見つめた。

「支配者のお茶会だからな。あぁ、お前には後で聞きたいことがあるんだ。悪いが付き合ってもらうぞ。」

「…嫌な予感がするな。是非とも断りたいところだね。」

「まぁそう言うな。さて、皆自己紹介を。」

 

 ジルクニフは鎧がいつ神王の逆鱗に触れるかと冷や冷やしていた。

(あの鎧は一体評議国の何者なんだ。しかし、神王の質問を断るとは…やはり評議国は魔導国に絶対服従ではないようだ。)

 評議国に助けを求めれば、活路が開ける気がした。

 強力な竜王達の統べる国は魔導国と対等、もしくはその頼みを断れると言うことは僅かに上の存在なのかも知れない。

 形だけの属国化に、ジルクニフは評議国を心底羨ましく思うと同時に、アンデッドが闊歩するようになった自国を思い出し唇を噛む。

 

 神王がラナーに視線を送ると、知事はゆっくりと立ち上がった。

「神王陛下、光神陛下。本日はお誘い頂き心より感謝申し上げます。皆様、私はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフです。ザイトルクワエ州の知事の任を預かっております。場違いな娘がいる事をお許しくださいませ。本日はよろしくお願いいたします。」

 ジルクニフはやはり教科書通りだなと心の中で呟いた。

 

 ラナーが優雅に跪き直すと牛が妙に美しい動きで立ち上がった。

「神王陛下。この間は王宮の復興をお手伝い頂きありがとうございました。頂いた木の苗は順調に根付き始めております。えー私はミノタウロスの王国より来たミノス王だ。えー友好国である魔導国の面々が集うこの会に出席できる事を…心より感謝して。」

 この牛は動きは王らしかったが、何となく中身は今一歩足りていないような気がした。野蛮な生き物のため仕方ないのかもしれない。

 ミノタウロスと友好関係を結ぶ意味はなんだろうとジルクニフは考える。

 人間を家畜として見ている為この者達を取り込む事は辞めたのだと言う事はわかるが、わざわざ友好関係を続けると言うのは何故――口だけの賢者が残した隠された技術でもあるのだろうか。

 ジルクニフは背筋がブルリと震えた。

 

 牛が跪くと小太りの王子が立ち上がった。

「ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の王子です。父は近頃少し体が悪く、本日は父の代理としてやって参りました。よろしくお願い致します。それにしても神王陛下、本日お召しの赤は実によくお似合いですね。」

「あぁ…。」

 お世辞は嫌いか。

 王国の分かりやすいごますりに神王はつまらなそうに返事をした。

 しかし、豪奢な真紅のローブは実に見事だ。指には無数の指輪が煌く。その身を飾る装飾品の値段は、帝国の一年間の国家予算をして足りないだろうと、ジルクニフは悟る。

 

王子の次は現状の嫁候補ナンバーワンだ。

「ローブル聖王国、聖王女カルカ・ベサーレスです。本日をずっと楽しみにして参りました。慈悲深き神王陛下と光神陛下に再び御目文字できる今日という日を私は生涯忘れないでしょう。」

 それが嫌味なのか、真実会えた事を喜んでいるのかジルクニフにはわからなかった。

 気をつけて近付かなければ危険だ。

 抱く感情を見誤れば帝国は聖王国の下に回る事になる。

 そもそも今回のこの会の真意を、ジルクニフは早く見極めなければいけなかった。

 

 カルカが跪き直したのを見ると、ジルクニフは薄く息を吐き出し、立ち上がった。それは覚悟の吐息。

「私はバハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスである。神王陛下、本日はお招き感謝いたします。」

 軽く視線を滑らせると、女神と視線が交わる。

 そしてジルクニフは今まで浮かべていた堅い表情を壊し、朗らかな――親しみを込めた笑顔を見せた。

「光神陛下、お初にお目にかかります。どうぞお見知り置きを。」

「ご丁寧にありがとうございます、エルニクスさんですね。よろしくお願いいたします。」

 女神に取り入ることは大切だ。

 女神の力は神王には及ばないと聞くが、それでもその力は人智を超えるそうで、離反させられるならばこれ以上の人物はいない。

 智謀の神王に対して赤子のように無垢だと聞く女神を操り、魔導国を少しでも帝国にとって都合が良いよう動かしたいところだ。

 そして、まだ見ぬ我が子には一匹たりともアンデッドのいない清らかな帝国を渡す。

 そもそも女神は死の神の消滅と同時に消滅してしまうために、嫌々従属している可能性もある。

 同時消滅という枷を断つことができて、女神が本当は邪悪な存在を葬りたいと思っていれば、帝国の求める対神王戦力は大きく力を得る事になるはずだ。

 

 思考に没頭していると、次の者が口を開いた。

「陛下方。本日は私共神官長の出席をお許し頂き心より感謝申し上げます。皆様とは何度もお会いしておりますので、私、最神官長よりはここまでとさせて頂きます。」

 見知った神官長は立たずに跪いたまま深々と頭を下げると、簡潔に挨拶を済ませた。

 

「では、私の番だな。私は竜王国が女王。ドラウディロン・オーリウクルスだ。…アインズ殿、楽しみにしていたぞ。」

 神王を呼ぶ声は優しく、まるで慈しむようだ。

(間違い無いな。この二人は関係を持っている。)

 女神と軽く手を振り合うと女王はすぐに跪き直した。

 

 立ったままだった鎧は王達を見渡してから話し出した。

「僕は評議国から来たツァインドルクス=ヴァイシオン。君達には白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と言った方が馴染み深いかな。特別人間と親しくするつもりもあまり無いけれど、よろしく。」

 

 つっけんどんな鎧は竜王そのものだった。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)といえば、神王を襲撃し、打ち負かされたと聞いていたので死んだものだと思い込んでいたが――この世界最強と言われる竜は神王に未だ跪いてはいなかった。

 ジルクニフはこの事実に歓喜した。

 人間と親しくするつもりはないと言ったが、なんとしても仲良くならなければいけない。

 服従する気配がないのに襲う気配もない――では、今は力を蓄え直していると言ったところか。

 

 帝国の方針は決まった。

 女神を引き入れ、魔導国をうまく操作しアンデッドを順次減らしていく。

 その傍で竜王と親しくなりつつ、神々の同時消滅の枷を取り除き――最後は強大な力を持つ女神と竜王が神王を討ち取る手助けをする。

 そして迎える新世界では再び帝国は人間の国としてその名を馳せるのだ。

 

 ジルクニフの瞳には再び闘志が宿った。




次回 #36 支配者のお茶会

ジルクニフ落ち着けぇ!!!


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#36 支配者達のお茶会

 ジルクニフ含む一行は神王と女神に正式に挨拶を交わし、全守護神を紹介された後、第六階層と呼ばれる平原に移動した。

 平原には大きな美しい絨毯が敷かれ、立食形式のブッフェ台と休憩用の多くのソファが並んでいる。

 近くの湖の側にも休憩のソファがあり、あそこで日がな一日何もせずに眺めていられたらどれ程いいだろう。

 そしてどの調度品も素晴らしく、神王のセンスの良さが伺えるようだった。

 

「…地上だと言うのに第六階層とはどう言う意味なんだろうか?」

 美しすぎるメイド達が完璧な所作で働いている中、ジルクニフは首をひねっていた。

 六階層目は地上で、第五第四とここからは塔でも建っているのだろうかとキョロキョロ当たりを見回したが、遠くには荘厳なコロッセオだと思われる建築物があるだけだった。

 

「ここは地下だから第六階層。あたし達の守護階層だよ。」

 突然かかった幼い声にジルクニフはゆっくり振り返ると、そこには玉座の隣に控えていた闇妖精(ダークエルフ)の双子がいた。

「ここが…地下…?」

「そ、そうです!そんな事もわからないんですか?」

 可愛らしくマーレが首をかしげる姿にジルクニフは失笑した。

「そうか。ではあの空は何なのかな?」

「偽物だけど?」

 言っている意味がわからず、ジルクニフは悩んだ。

「偽物というのはどう言う例えだ?」

 双子は目を見合わせてやれやれと首を振った。

「あなたさー、アルベドが割と賢いって言ってたけど、そんなんじゃシャルティア以下だよ?ここは地下なの。空は至高の御方々が作った偽物。わかる?」

 ようやくジルクニフの頭に言葉の意味が染み渡ると、嘘だろともう一度空を見上げた。

「これが…作られた地下に広がる空だと…。」

「やっと分かった?じゃ、あたし達は余興の準備をしなくっちゃ。マーレ!」

「う、うん!それじゃ、さよなら!」

 たまたま通りかかっただけなのか双子はコロッセオに向かって立ち去っていった。

「ロクシー、信じられるか?私は子供にからかわれただけか?」

「いえ…わかりません…。ですがここが地下だとすると…まさしく神の力ですわね…。」

 二人は揃って空を見上げた。

 

 神王と女神がまだ来ていない為、まだ誰も食事に手をつけてはいない。

 各々自分の国の者と何かを話し、少し他国の王を警戒しているようだった。

 竜王だけは面白そうにそこら辺をうろうろ歩き回っている。

 ジルクニフはその姿を見つけると、神王もおらずいいタイミングだと話かけてみることにした。

 

「お前達、後で私の計画をゆっくり話すが、まずは竜王と仲良くなるぞ。」

 引き連れている帝国の三人に声を掛けるとジルクニフは胸を張って歩き出した。

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン殿。」

 湖を眺めていた鎧は振り返った。

「ん?君は皇帝だったかな。何だい。」

「貴君は神王陛下に敗れたと聞いたが、それは本当かな?」

 兎に角まずは事実確認だ。

「…そうだけど。君も僕のせいで何かが起きた、とでも言うのかな。」

 心底うんざりと言う感じで鎧は腕を組んでジルクニフを見た。

 

「いやいや。私は闘いを見るのが好きなんだ。闘技場にもよく足を運ぶ。どんな闘いだったのか聞きたくてね。」

「そうかい。フラミーに押さえつけられてアインズの魔法で僕の鎧が壊されただけの話だよ。」

 ジルクニフは思わず笑みがこぼれた。

「な、なるほど。ふふ、貴君はどれ程傷付いたのかな?いや、陛下のお力は絶大だから心配でね。」

「僕は全く傷ついていないとも。鎧を失っただけさ。」

「そうか!いや。鎧を失うのは辛い事だな。」

「いや。鎧くらいなんともないよ。」

 遠くを見るような雰囲気に、ジルクニフは竜王が評議国を奪われかけている事に憤慨しているのだろうと確信した。

 そしてその態度や雰囲気からして完全に魔導国に屈服しているようにはとても見えなかった。

 今は力を蓄えていて、虎視眈々と時を待っていると言う読みが正解だろう。

(帝国と同じだな――。)

 

 ジルクニフはジッと鎧を見ながらつぶやいた。

「奪われると言うのは辛いものだな…。」

「なんだと?」

「あ、いや。その、すまない。それより貴君の力の話だが――」

「静かにしろ。力の話は絶対にするんじゃない。」

 突然感じた竜の怒りにわずかに焦りながら話すと、鎧はまじまじとジルクニフを見てそれ以上は何も言わずに立ち去ってしまった。

 

「…陛下、少し間を詰めるのが早すぎるのでは?何事もせっかちな男は嫌われますよ。」

 ロクシーのじとっとした視線にジルクニフはため息をついた。

「力を蓄えている事に触れられる事をあそこまで嫌がるとは…。ツァインドルクス=ヴァイシオンとはなんとしても友好関係を築かなければならん。お前達、耳を貸せ。」

 

 ジルクニフが今後の帝国の計画を話すと、三人は目を輝かせた。

「陛下、それならばやはり女神には帝国へ嫁いでいただくのが一番なのでは?」

 ロクシーの言葉にジルクニフは頭をガリガリとかいた。

「馬鹿!!前も言ったがお前は身分をわきまえろ!!」

「しかし、情で縛り、常にそばに置いて監視できればそれが何よりです。」

「それはそうだが…。」

「リユロさんは女神は罪を犯した者には苛烈だと以前言っておりましたが、であれば罪を犯さなければいいだけの話です。」

 正論だと解ってはいるが、神王へ感じた神しか持たぬ絶対的な畏れを思い出すといまいちやる気になれない。神王に対をなす女神なのだから、生半可な存在ではないはずなのだ。

「…うーむ……。しかしお前は神が人間に見向きすると本気で思うのか…。」

 ジルクニフはロクシーの前では嫁取りに前向きなふりをして後は適当な言い訳を考えておこうと決めた。

 あれはまずいと本能が訴えている。

「前例はまさしくここで見てきたではないですか。お手付きのメイドに、恐らく体と引き換えに国を救われた女王と。」

「わかったわかった。やるだけやってみる。引き入れる事には違いないからな。」

 四人が頷くと、少し離れたところに闇が開き、女神と美しい男が現れた。

 

「アインズ殿!」

 オーリウクルス女王の声が響く。

「あ、あれはまさか…神王だとでも言うのか…。」ジルクニフから漏れた声にロクシーがシッと声を上げた。「――は、いや、神王陛下なのか。」

 その存在は確かに先程の素晴らしい赤いローブを身に纏っていたし、顔に骨と同じ線も入っている。

 その男は優雅に歩いてくると、聞き覚えのある声で話し始めた。

「皆、待たせてすまなかったな。私も折角なら食事をしようと思ってな。さぁ、気楽にやってくれ。フラミーさんも食べて下さいね。」

(この姿…なるほど、負けを認める必要があるな。この姿があればこそオーリウクルスやメイドは受け入れているのか。)

 神王は女神の背中をそっと押した。

「ひゃっ!あ、あの、じゃ、私、これで!」

 女神は神王から逃げるように立ち去った。

 

「どう思う、ロクシー。」

「少なくとも、好ましくは思っていないようですわね。」

 二人はニヤリと笑った。

 

+

 

「ドラウさんー!一緒に食べましょー!」

 フラミーは酒宴会の後、とんでもない夜を過ごしてからアインズに触れるのも、なんならもう目を合わせるのも恥ずかしくて堪らなかった。

 朝目を覚ますと、フラミーの目の前には自分をまじまじと覗き込む瞳があり、半ば突き飛ばすように起床した。

 その後はアインズに散々謝罪しながら一緒に部屋を片付け、二度とあんな失敗をしてはいけないと大反省した。

 そして何より、妹か仲間としか思われていない自分とアインズの間に、なにか起こるはずもないと言うのに、泥酔の中ちょっとちゅーを期待した自分が死ぬほど恥ずかしかった。

(……だって女の子だもん……。)

 フラミーは思い出しかけた自分のエッチな想像をぷるぷると首を振って追い出した。

 

 ドラウディロンはフラミーの誘いに破顔した。

「もちろんだ!早速取りに行くか!アインズ殿はきっと各国の者達と話すもんな。」

「そうだと思います!私はこういう時役立たずですから…。」

 フラミーがひーんと謎の鳴き声――泣き声を上げていると、後ろから声がかかった。

「光神陛下。」

 振り返ると、そこには知らない平凡な顔立ちの女性が立っていた。

「お初にお目にかかります。私、バハルス帝国より参りましたロクシーと申します。」

「ロクシーさん。よろしくお願いします。あの、ご存知だとは思いますが、こちらは竜王国のドラウディロン女王様です。」

「あ、紹介させてしまってすまないな、フラミー殿。ドラウディロン・オーリウクルスだ。よろしく。」

 ロクシーは深々と女神と女王に頭を下げた。

「お二人は仲がよろしいようで羨ましくなってしまいまして。我が国からは殿方ばかりが来ておりますので。」

 ホホホと上品な声を上げる姿に、フラミーはお嬢様っぽいと思った。

「そうですか!良かったら一緒に食べましょう。男の人って難しい話ばっかりですもんね。」

 ニコリと笑ったフラミーを見る目はギラリと光ったようだった。

 

 三人は食事をとりながら雑談していた。

 近くではアインズが王国戦士長と聖王国の野獣のような男、ミノス王、そしてミノスの連れていたミノタウロスと輪になって笑い声を上げていた。

 

「つかぬ事をお聞きしますが、光神陛下は神王陛下がいらっしゃらないと存在できないというのは本当なのでしょうか?」

 フラミーは突然の質問に少し戸惑う。

 アインズがいない世界に自分は留まりたいのかと聞かれているのだろうか。

「…うーん…。確かにアインズさんがここからいなくなったら私も…そうですね…。」

 言葉を濁していると、ドラウディロンが食事の手を止めた。

「本当だったのか。私も亜人から聞いたことがあるぞ。闇の神が消滅すると、共に光の神も消滅すると。」

「え?あ、いや。あの、本当はちょっと状況によると言うか…。」

 いつもの謎神話かとフラミーは苦笑した。

 

 ロクシーはその状況とは何だろうと思考を巡らせる。

 

「フラミーさん、何の話ですか?」

 神王はいつの間にか戦士長達との会話を終わらせてこちらへ来ていた。

 女王は嬉しそうに神王を見上げた。

「アインズ殿!いや、貴君が消えるとフラミー殿も消えると言う神話があるじゃないか。」

「え?あ、いや。うん。あるな。そうだな。」

 ロクシーは智謀の神と名高い者に、無礼だとは解っているが只の側室である自分が行わなければいけない問いを投げた。

「陛下。御身にもし万一の事があっても、光神陛下を我らに残しては頂けないでしょうか?」

 ロクシーは自分をまじまじと見るその黒き瞳には血色の炎が宿っているように見えた。

「私はこの人を残してどこかへは決して行かないだろうし死ぬこともない。その例えは空想も甚だしい。残すとか残さないとか、二度とそう言う話はするんじゃない。もしするとしても、この人の前では決して許さん。いいな。」

「失礼いたしました。陛下が斃れる想定など不敬にございました。」

 闇の神の消滅と、光の神の消滅のセットが状況によって解かれると言う秘密に迫られることを神王は恐れているようだった。

 

「フラミーさん。カルカ君がフラミーさんとも話したいそうなんで行きましょう。」

 神王の差し出された手を、女神は少し躊躇ってから取った。

「あ、あの…。はひ…。」

「お前たち。悪いがこの人は借りていくぞ。」

 連れられて向かった先には聖王女達が深々と頭を下げていた。

 

「ふぅ。あの二人は相変わらずだな。良かったと言うか良くなかったと言うか。」

 ドラウディロンの声にロクシーは首を傾げた。

「と、言いますと?」

「あの二人は、どうやら何千年もああ言う感じみたいなんだよ。」

「何千年…。」

 何千年も掛かり続ける神々を縛る謎の呪いに人間が立ち向かえるのだろうか。

 少なくとも女神が自分の手でどうこうできるものではなさそうだった。

 不安は残るが、ロクシーは聖王国の面々と挨拶を交わす女神を眺めながら、皇帝の下へ戻った。




次回 #37 解るはずもない真実

アインズ様、ほとんどそれプロポーズだから!!
えらいぞ!!!(お


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#37 解るはずもない真実

 聖王国の九色の一人、オルランドはミノタウロス達や王国戦士長とウマが合うようで、そちらで遊びっきりだった。

 いつの間にかその輪には帝国の騎士も混ざっていて、武人は武人を好むようだ。

 ラナーは付いてきた二人をガゼフに任せると、兄やレエブン侯と今後の王国吸収計画について邪悪に語り合っていた。

 

 カルカは王と女神としばし雑談すると、慈悲深き王にずっとお願いしたかったことの一つ目を伝えた。

「北聖王国では陛下方に今一度お目にかかりたいと日々王宮に訴えが来ておりますわ。どうか是非再びご降臨下さいますよう心よりお願い申し上げます。」

「そうか。私達もまた顔をだそう。そう言えば、バラハ嬢はクレマンティーヌからの報告によると頑張っているようだが、お前はちゃんと会えているか?」

 アインズはその父を見た。

「は。この間も少しうちに帰って参りました。しかし…その時には陛下方を崇める者と、そうでない者の間で少しイザコザが起きるようになってしまったと…しばし嘆いておりました。」

「そうか…。お前の娘は実によく働いている。よく労ってやれ。」

「ありがとうございます。ネイアも喜びます。」

 パベル・バラハは少しその凶悪な目を潤ませていた。

 

「陛下、これのお陰で悪魔は殆どもう退治されたと聞きました。素晴らしい武器を誠にありがとうございました。これで住民同士のイザコザさえ収まれば、南部にもようやく平和が訪れます。」

 そう語るケラルトは腰に佩いているルーン武器に触れていた。

「あぁ。その時には我が神聖魔導国が共に歩んで行けるようデミウルゴスと計画を立てよう。」

 

 カルカはデミウルゴスと言う言葉を耳にすると、二つ目の願いを伝えるべく口を開いた。

「あ、あの、陛下…。デミウルゴス様なのですが…。」

「あれがどうかしたか…?」

 まさか色々バレたかと焦るが、アインズは表情が変わらないように精一杯顔に意識を向けた。骨だった時はどんな顔をしていてもバレなかったが、人の身は精神抑制を使っていても危険だ。

「…デミウルゴス様は…その、ご結婚はされているのでしょうか。」

 アインズは一瞬己の耳を疑った。

「は?――いや、していないが…?」

「では、お優しいあの方を、良ければ…その…。両国の絆という意味でも、うちへ婿入りさせてはいただけないでしょうか…。我が聖王国の玉座に、あの方は相応しいかと…。」

 

 アインズとフラミーは目を見合わせた。

「カルカさん、デミウルゴスさんのこと好きなんですか?」

 恥じらうように頬を染めたカルカは頷いた。

「あー…私達は守護者達に誰と結婚してほしいとかは決して言わないと決めたのだ。特にあいつには好く者がいるかもしれんし…。しかし、それでもいいなら。そうだな、今奴を呼んでやって気持ちを伝えるくらいは手伝おう…。」

「そう、ですか…。で、では、いつもお忙しくしてらしてお話しする事もあまり叶いませんので、是非…宜しくお願いいたします。」

 アインズはすごい事もあったもんだとこめかみに手を当てた。

 いつか守護者達も誰かと子供を持つのかなぁと感慨深くなる。

 

「――デミウルゴス、私だ。知っての通り第六階層にいるのだが今少しいいか?…よし。では待っているぞ。」

 アインズは悪魔を呼んだがその恋は叶う気がしない為、ぽりぽり頬をかいた。

「ウルベルトさん、あなたの息子、プレイボーイですよっ。」

 キャァー!と頬に手を当て盛り上がる様子のフラミーの呟きには嫉妬の色がまるでない。アインズは少しだけ安堵に息をついた。

 

 するとすぐに指輪で転移してきたデミウルゴスはさっと辺りを見渡し、アインズ達を見咎めると小走りで寄ってきた。

「アインズ様、お待たせいたしました!デミウルゴス、御身の前に。」

 きちんと膝をつき、頭を下げる悪魔の動きは洗練されている。

「立ちなさい、デミウルゴス。いつも忙しいところ悪いな。」

「とんでもございません。――…フラミー様、陽の下の御身はまた一段とお美しいですね。それで、いかがなさいましたか?」

さっきも玉座の間で会っていた筈だというのに、息をするようにフラミーを褒めるデミウルゴスに、アインズは見習おうと思った。

「んん。カルカ君。」

「はい。あの、デミウルゴス様。」

「なんでしょうか?」

「あの、良ければ、うちに婿入りなど…しては頂けないでしょうか。私はあなたと歩みたいと思って…。」

 カルカはレメディオスから自分を守ってくれた大きな背中にすっかり憧れてしまっていた。

 いつでも紳士的で優しく、民を慮ってくれるこの亜人は、王にふさわしい。

 

 デミウルゴスはアインズを見ると、その瞳には、まるで"御身のご計画でしょうか"と書かれているようだった。

「全てはお前の気持ち次第だ、デミウルゴス。好きだと思うなら受けるべきだろうし、そうでないなら断るべきだろう。念のために言っておくが、私は別にそうなれと望んではいないし、これは私の計画ではない。」

 アインズはそう言いながら、もうなんとなく答えは想像がついていた。

 ここで"そうするべきだと思うならそうしろ"と簡潔に言ってしまえば、可哀想な男は聖王国の玉座の為に迷わずそれを受けるだろう。

 

「そうですか。では、カルカ・ベサーレス殿。申し訳ありませんが私には心に決めた方がいらっしゃるのでその様なお誘いはお受けいたしかねます。」

「…そうですか、もうお相手が…。その方とは将来を誓われてらっしゃるのでしょうか?」

「いえ、本来ならば触れる事も叶わぬ不可侵の領域にいらっしゃる御方でございます。しかし私は…それでも…。申し訳ございません。」

 ちらりとアインズを見るデミウルゴスは、カルカにではなく――まるでアインズに懺悔しているようだった。

 フラミーは最初、誰のことだろうとワクワクして聞いていたが、アインズをチラチラと気にしながら語る彼の気持ちの相手が誰なのかすぐに気がついた。

 

「デミウルゴス様のお気持ちが叶わない物なら、このまま好きでいてもよろしいでしょうか…?デミウルゴス様と同じように、私も不可侵のあなたに――」

「私とあなたは違います。私が同じだと言われ、その通りだと思う御方はただお一人です。そんな気持ちは早くお捨てなさい。それでは。」

 

 デミウルゴスは人間を虫けらだと思っているせいか、フラミーの前でそんな事を言わされることが不愉快だったのか、聖王女にとても冷たかった。

「アインズ様…ご不快な話を誠に申し訳ありませんでした。」

「いや、それは構わないとも。お前の気持ちを本当は私もずっとよくわかっていた。だと言うのに…すまなかったな。さぁ、もう行きなさい。」

 デミウルゴスはアインズへ深々と頭を下げて指輪で転移して行った。

 

「デミウルゴスさん…アインズさんの事、本当に大好きなんですね…。」

「は?」

 聖王女もその声にしんみり頷いた。

 男色を好むようではないアインズへの、その忠誠心とも恋ともつかぬ気持ちは決して叶うものではないとフラミーには思えた。

 確かにデミウルゴスがアインズに触れているのは一度も見たことがない。

 不可侵の領域――そんな話を本人の前でさせられた彼が可哀想だった。

 アインズがずっとそれに気付いていたらしい事だけが救いだろう。

 うまく可愛がってやれないと酒宴会の時に言っていたのはこう言うことだったのかと、何も知らなかった自分を反省した。

 

 アインズは何か間違った事を想像されているような気がしたが、今は聖王女のフォローが先決だった。

「すまないな。冷たい奴で…。」

「いえ、気持ちを断ち切れと、自分と同じ轍を踏むなと敢えてああして下さった優しさが私には解りました。こちらこそお見苦しい物を申し訳ありませんでした。はぁ。また素敵なお婿さんを探します。」

 カルカは少し悲しそうに笑うと、ケラルトがよしよしと背中をさすった。

「…そうだな。あれは本当に優しい男だからな…。」

 アインズも、カルカがナザリックの者だったならそう意図して同じ事を言っただろうと思えた。

 

+

 

 アインズ達は気まずくなったので聖王国の面々の下を離れると、グラスを二つ持ったツアーが近付いてきた。

 

「アインズ、フラミー。今少し良いかな?」

「なんだ?どうかしたか?妙に気が効くな。」

 ツアーはアインズとフラミーに酒を渡し、二人を湖畔のソファに座らせると背もたれ側に回って背中合わせに話し始めた。

「飲みながら聞いてくれ。あの帝国皇帝は何か怪しい。あちらを見るな。」

「何?どう言う意味だ。」

「エルニクスさんですか?」

 フラミーがそちらを向こうとすると、背中を合わせているはずのツアーから注意が飛んだ。

「フラミー、今はこらえてグラスに視線を落としてくれ。帝国皇帝は始原の力を僕が失ったことを知っているような口振りで話しかけてきた。評議国の永久評議員達すら隠している事実を何故あれが知っている?」

「あ、あのツアーさん待ってください。<静寂(サイレンス)>。」

 フラミーは立ち上がり、効果範囲を決めるように自分たちの周りをぐるっと指差すと、周囲の音が消えた。

 これで安心とばかりに再びフラミーはツアーに背を向けるように座り直しグラスに目を落とした。

 

「どういう事だ。私は当然話したことなどないぞ。現に帝国には行ったことが無いし、皇帝に会うのもほとんど一年ぶりだ。」

「やはりおかしいな。僕に"奪われるのは辛いな"と、"力の話をしよう"とあれは言ったんだ。勘違いならいいが、何かを看破する能力を持っている可能性もある。」

 アインズは皇帝を見たい気持ちをぐっと抑えて、耐性の指輪も着けているので酒をあおった。

「…皇帝は十分程度しか会っていない私を"邪悪で知恵の回る危険なアンデッド"と評しているらしいしな。始原の魔法を奪ったことを知ってその様な評価に変わったのか…?」

 最初からそんな風に思っていればわざわざ属国化を願い出てくることなどないはずだ。

「ロクシーさんもアインズさんがいなくなったらって言ってましたし…あの人達、アインズさんに何かしようとしてるんですか…?」

「僕には皇帝に君達が負けるとは思えないけど、もし皇帝が、始原の魔法を奪った事実を掴んでいて、それを竜王達にバラすとでも言うなら帝国ごと葬らなくてはいけないね。」

 三人でうーんと唸っていると、魔法の効果時間が切れ、周りの音が戻って来た。

 

「とにかく、あれにだけ話し掛けないのも不自然だ。私も探ってこよう。フラミーさんはどうしますか?」

「一緒に行きます。害されるような事があるなら、私、あなたを守ります。」

「気を付けろアインズ、フラミー。僕は少し離れたところから嘘をついているかだけ見抜こう。」

 

 三人は皇帝への警戒度をマックスまで引き上げると行動を開始した。




次回 #38 王の弱み

いや…フラミーさん…デミウルゴスは…。orz

ジルクニフ!!!逃げろ!!!この三人は…やばい!!!


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#38 王の弱み

 ジルクニフはロクシーから齎された新たな情報にやはりと目を輝かせていた。

 遠くでは、聖王女と竜王国女王がなぜか泣きながら抱き合っている。

 

「――それに、光神陛下ははっきり言って平凡でしたわ。あれなら本当に操る事も可能かと。」

「中々良い風が吹いて来たじゃないか。ふふ。神を操るか。」

 ジルクニフが不敵な笑いを上げていると、ロクシーは顔を暗くした。

「ただ…陛下、申し訳ありません。智謀の神には二度と光神陛下の前で消滅の話をするなと咎められました。」

「…そうか。やはり、女神と言う盾を失う事を恐れていると見て間違いない。まさかこちらの計画に気付かれては――」

 ジルクニフの腕にゾッと鳥肌が立つと、ニンブルが耳打ちした。

「陛下、神王陛下が向かって来ております。」

 バジウッドはミノタウロス達と楽しそうに遊んでいる。

 まずは秘密に触れた可能性がある事を誤魔化す必要があるとジルクニフは一度心を落ち着かせた。

 

「ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス殿。ちゃんと話すのはこれが初めてだな。」

 ジルクニフは神王の声に、今気付きましたとでも言うような顔をして振り返った。

「ん?あぁ!これは神王陛下。それに光神陛下!こちらからお声掛けに行こうと思っておりましたが、お二人ともお忙しいようでしたので遠慮しておりました。」

「そうか。それは待たせたな。」

 気の無い返事にジルクニフは早速一つ嘘を見抜かれたような気がした。

「…いえ。良ければどうぞ、お掛けください。」

 前に空いているソファを進めると、二人は迷いなく座りジッとジルクニフを眺めた。

「あの、私の顔に何か…?」

「いやいや。君が何か私達に聞きたいことがあるんじゃないかと思っただけだとも。」

 神王の黒いはずの瞳の奥が燃えたように見えると、ジルクニフは一瞬背筋が凍ったような気がした。

 

「と、とんでもございません。」

「そうか。では、私に何か言いたいことがあるんじゃないかな?」

 その瞳は全てを見抜いているようだった。

 ふと気が付けば、ツァインドルクス=ヴァイシオンもこちらを伺っているようだった。

(…竜王は私のテストでもしているのか…?であれば――皇帝の意地を見せてやらねば。)

 ジルクニフはフッと短く息を吐いて心の中から怯懦を退けた。

「いえ。とんでもございません。あぁ。ひとつ言わせて頂くとしたら、その体は実に素晴らしいですね。どのような魔法でしょうか?」

 神王は目を細めた。

 やはりお世辞は嫌いらしい。

 しかし、お世辞などではなく事実その姿は美しく、神々しかった。圧倒的な美を前に、ジルクニフは優れているはずの己の容姿がまるで大したことのないもののように感じるほどだ。

「それは言えんな。いや、エルニクス殿、君は本当は解って――」

 神王が何を言わんとするのか見極めようとしていると、興奮したような女性の声が響いた。

「アインズ殿!!」

 

 何事かと話途中の神王から視線を外すと、顔を赤くしたドラウディロンが来ていた。

「なんだ、どうした。ドラウディロン。」

「どうしたもこうしたもない!何故私に話し掛けに来てくれないんだ!」

「…さっき話しただろう。」

「私には"そうだな"と言っただけじゃないか!」

 神王はやれやれと首を振っていた。

「はぁ、相変わらず仕方のない奴だな。すまないがエルニクス殿。これも参加させてもらってもいいかな。」

「構いません。オーリウクルス殿。久しいな。」

 ドラウディロンは気に入らないとばかりにジルクニフへ視線を送ると、女神の横にギュムッと無理矢理収まった。

 女神は女王に押されて死の神にトン、と手を付くと慌てて立ち上がった。

「あっあの、私立ってますから。はは。」

「あ、…フラミー殿、すまない。そう言うつもりじゃなかったんだ。」

 神王は女神をまじまじと見るとその手を取った。

「ほら、座って下さい。」

「アインズさん…。」

 そのまま腰まで引っ張られた女神は予想外にも、女王のいない方に背を向けて神王の片方の膝の上にちょこんと座らされていた。

 居心地悪そうにしているのは、女性として遠慮しているのか、死の神との過度な接触を嫌がっているのか謎だった。

 いや、どちらも正解かもしれない。

 少なくとも好きならばこれ程立ち去りたがらないだろう。

 

「それで、エルニクス殿。」

 呆然とその様子を見ていると、突然話が戻って来た事に少し慌てた。

「は、はい。何でしょう。」

「私から二つ質問させてもらってもいいかな?」

 ついに来たとジルクニフは居住まいを正した。

 ロクシーがこちらの計画のヒントを与えたかも知れない以上ここからは半ば尋問だ。

 

「君は、何か秘密を握ったのかな?」

 

 単刀直入な問いにジルクニフはつい表情を動かしかけてしまうが、向こうは平然とした面持ちで女神の羽を撫でて玩んでいた。

「神王陛下、私達はまだ会って二回目ではありませんか。秘密などとんでもありません。」

 

「そうか。では二つ目だ。君は、我が魔導国をどう思っているかな。」

 最早これは分かって言っているのでは――。ジルクニフの動きを牽制する意味での行動だろうという可能性が浮かぶ。

 ジルクニフは膝の上で小さくなっている女神を早く仲間に引き入れなければと焦る。

 相手が持つのは物理的、魔法的な強さだけでは無い。この闇の神という存在が恐ろしいのは、内包しているであろう力のみならず、その叡智だ。

「素晴らしい国ですよ。ここほど大きく、栄えた国は他に類を見ないと思います。」

 

「…そうか。貴君の考えはよくわかったとも。」

 

 全てを見通そうとするような美しい黒い瞳にジルクニフは吸い込まれかけた。

「さて、そろそろ闘技場に行く時間だな。」

 神王はそのまま女神を抱えて立ち上がってしまった。

 女神は神王の腕の中で座る様に抱えられ、少し躊躇ってから肩に掴まっていた。

 帝国の面々から女神を遠ざけるように見えるその姿はまるで女神の加護は渡さないとでもいうようだ。

 ここからはもしかしたらお互い解りきっている水面下での戦争になるかもしれない。

 女神に知られれば離反される危険がある為こちらの意図を女神には決して話さないだろうし、かと言ってジルクニフの事を殺そうともしないだろう。

 ジルクニフを殺せば女神の枷を外すことができる事実を知っている者がどれ程いるのか解らなくなるし、それによって一気に対神王派が蠢動する可能性をこの王が考慮しないはずがない。

 ――この化け物。

 ジルクニフは親しみを込めた笑みの下で、神王に対する無数の呪詛を吐き出す。

 

「ドラウディロンも、私達の隣に席を設けてやったから共に来ると良い。」

「あ…なんだ、最初から時間を作っていてくれていたんだな。いつもすまない。」

「全くだ。あの時にも二度とこんなことはないようにして欲しいと言ったというのに。」

 寵姫にやれやれとため息を吐くと背を向け立ち去っていった。

 

+

 

 アインズはあの夜からフラミーに微妙に避けられていて、離すとすぐにどこかに飛んで行ってしまうため取り敢えず運んでいた。

 まるでコキュートスと蜥蜴人(リザードマン)の所へ行った時のような避けられ方だった。

 ツアーが後ろを歩いて来るのが見えるとアインズはドラウディロンに話しかけた。

「ドラウディロン。誘っておいてすまないが、少し離れていてくれるかな。私達はツアーと少し話しがある。」

「分かった。既に一度迷惑をかけているし…ちゃんとするとも。」

 ドラウディロンが少し下がっていくのを確認するとツアーはすぐに寄ってきた。

 

 フラミーの<静寂(サイレンス)>を合図にアインズは話しかけた。

「ツアー。どうだった。」

「嘘ではない事を交えながら隠そうとしていたけれど、アレは嘘をついているだろうね。」

 アインズに座る様に運ばれているフラミーは自分の首に触れていた。

「じゃあ、あの人は私達の敵なんですか…?」

「敵対行動は起こしていないから分からない。ただの事実確認だった可能性も当然あるが…今後それを盾に何かを要求してくる可能性はあるだろうから、やはり最大限の注意が必要だろう。」

「そうだな…。これでもし竜王達にバラされたらどうなる?」

 ツアーは腕を組んで少し悩むようにした。

「…竜王達が常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)を筆頭に力を持つ竜王達の目覚めを助け、想像を絶する戦争が始まるだろう…。常闇以外の竜王は正直君の敵ではないだろうけど、すべての竜王が徒党を組んで戦いを挑んで来るような事があれば流石に君達とは言え死を覚悟する必要があるかもしれない。あとは――まぁ、アインズも分かっている通り、僕としてはなるべく竜王達は殺さないでほしい。」

 フラミーは一撃でプレイヤー達を葬ったと言うその竜王の話は聞きたくなかった。

 アインズの夢に出てくると言う謎の恐ろしい存在を、眠ったまま殺せればどれだけ良いだろうと思う。

 フラミーがアインズの首にギュッと抱きつくと、アインズもフラミーを抱える手に少し力を込めた。

「フラミーさん。大丈夫です。最悪ロンギヌスを僕に使わせればいいんですから。」

「…ロンギヌス…そうですね…。」

「策はあるようだね。少し安心したよ。アインズ、脅されても早まって殺さないように気を付けよう。帝国の誰がその情報を握っているかわからない。誰にバラされてもゲームオーバーだ。」

「わかっている。お前の言う通り殺すときは帝国ごと消滅させるとも。」

 ツアーは頷いた。

「さて、あまりここでこうして居てもまたあの皇帝に余計な詮索を許すことになる。僕はもう行こう。」

 

 ツアーはそう言い残すと魔法の効果範囲から出て行き、二人の間は無音になってしまった。

 

「あのアインズさん。私そろそろ歩きます。」

「あ、そうですね。すみません。」

「いえ。なんかこちらこそ…。」

 フラミーはアインズから降りたが、二人は結局どちらともなくそのまま手を繋いで歩いた。

 周りには闘技場に向かう王達と、それを案内するメイド達が大勢いたが――続く無音状態に、何となく二人きりの様な気がして――二人は自分の手が汗をかいていないか心配になった。

 

+

 

 ジルクニフとロクシーは前方を歩く神王に竜王が何かを話す様子をじっと見ていた。

「何を話していると思う…?」

「想像もつきませんわね。しかし、穏やかな雰囲気ではなさそうです。」

「間違い無いな。闘技場は自由に座っていいそうだが竜王の側に座るか女神の側に座るか悩ましいところだ。」

「あ!陛下、女神を下ろしましたわ!」

 竜王がどんな魔法を使ったか知らないが、少しでも女神を神王から離させることに成功した様子に、ジルクニフは流石に何百年も生きる存在は違うと思った。

 

「…女神の近くへ行ってみるか。懐柔作戦だ。」

 鮮血帝のその笑みは、帝国の面々を奮い立たせた。




次回 #39 フラミーのお使い

帝国更地エンドはよくない(よくない


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#39 フラミーのお使い

 闘技場の貴賓室には多くの二人掛けソファが置かれており、ドラウディロンの席だけアインズとフラミーの隣のソファを指定されていて、皆自由に座り始めた。

 アインズの真隣はフラミーだ。

「むぅ…まぁ、それはそうか…。」

 ドラウディロンはアインズの隣じゃなかったことにがっかりしたが、同じ国の者でもないのに王の隣を陣取ることは難しいだろう。将来を誓い合った仲とは言え、まだ嫁入りできていないのだから。

 

「オーリウクルス殿。」

 ドラウディロンは自分を呼ぶ声に振り返ると、帝国の若僧が立っていた。

 この若僧はまだ二十三歳だと言うのに、何となく何もかもを見すかす様な目をしていて気に入らなかった。

「エルニクス殿。なんだ?」

「ははは。何をそんなに警戒しているのかな?せっかくの支配者のお茶会だ。良かったら私にも光神陛下を紹介しては頂けないかな?」

 ジルクニフが自分の中でかっこいいと思っていそうな笑顔を向けてから隣に座る様をみると、ドラウディロンはこう言う所も心底気に入らないと思った。余裕のありそうな、しかし、人懐こいようなこの顔は計算の上作られた物だとドラウディロンの中に僅かに流れる竜の血が告げる。

 

「…フラミー殿。エルニクス皇帝が話したいそうだぞ?」

「え?私ですか?」

 ひょこりと体を前のめりにしてドラウディロン越しにフラミーが皇帝の顔を見ると、皇帝はゴクリと唾を飲んだようだった。

 

「…ねぇドラウさん、私と席替わってくれません?」

「ふ、ふ、フラミー殿…いいのか!!」

「えぇ。替わりましょう!」

 フラミーはひょいと立ち上がると、アインズと軽く視線を交わして頷きあってからドラウディロンの手を取って立たせた。

「はは、フラミー殿は紳士だな。」

「ふふ、お姫様、こちらへどうぞぉ。」

 二人は少し楽しげに笑い合うと、席を交代した。

 

 ジルクニフはわざわざ神王から離れた女神の様子をジッと見た。

 あまりにも美しいその造形は神聖で、触れる事は決して叶わないように思える。

「光神陛下、ご移動ありがとうございます。」

 神王にあまり話は聞かれたくないと言うことか、少しでも離れられる言い訳を常に探っているのか。

 

「いいえ。せっかくの機会ですからね。」

「ありがとうございます。光神陛下はオーリウクルス殿と仲がよろしいようですが、いつから?」

 ジルクニフは少しだけ女神に肩を寄せながら質問した。

 女神というのが「女」という括りに入るのかは謎だが、女というのは自分のことを前のめりに聞かれると大抵喜ぶ。

 特にロクシーが平凡だと判断するような女は。

 

「夏に竜王国に行って、しばらく一緒にいたら何だかすっかりお友達になっちゃいました。」

「お友達ですか。それは素晴らしいですね。――光神陛下。良ければ私ともお友達になっては頂けないでしょうか?」

 神相手に自ら友達――対等な存在になろうと言うのはある意味傲慢な言葉だろう。ジルクニフはその表情を、これまで多くの姫を悩殺した甘く優しいものに変え、ただ女神を見つめる。

 

 ボールは放った。次はそのボールを女神がどのように扱うかだ。

 

「良いんですか?エルニクスさん。」

 ジルクニフは想像通りに会話が進む気配に心の中でほくそ笑む。

「もちろんでございます。良ければどうぞジルクニフとお呼びください。」

「ジルクニフさん。じゃあ、私もフラミーでお願いします。」

 女神が爛漫にニコリと笑うと、一瞬ジルクニフはグラリと来た。

 自分が篭絡しなければいけないというのに、その瞳に宿る無垢な輝きに飲み込まれかける。

「あ、あぁ。いえ、流石に陛下をそのようには。」

「私、本当はアインズさんと違ってなんの地位も持たないですから、気にしないで良いんですよ。」

 一体何を意図してそんなことを言うんだろうかとジルクニフは瞬時に多くのことを考える。

 女神の向こうの、女王と共に座る神王からの視線を感じる気がする。

 これはもしや魔導国を捨てられると言う意思表示だろうか。

 ならば帝国はいつでも受け入れよう。

「そうですか、ではお言葉に甘えさせていただきます。フラミー様。」

 二人で微笑みあうと闘技場の真ん中にいた双子の片割れが話し出し、強大そうな魔獣と蜥蜴人(リザードマン)達の闘技が始まった。

 

 女神は興味深そうにしばらく闘技場を見下ろしていた。

「フラミー様は闘技場にはよくいらっしゃるのですか?」

「あ、いえ。私実戦じゃない戦いを見るのは初めてです。結構面白いですね。」

 ジルクニフは帝国に女神を誘い出すのに良い口実を見つけた。

「では是非我が帝国の闘技場へいらして下さい。武王と呼ばれる勇ましいトロールの闘いをご覧頂けますよ。私がご案内いたします。」

「そうですか?じゃあ、近いうちに行かせて下さい!」

 完全に自分の定めたレールに乗って話が進んで行く様に、なるほど、これは平凡な女だとジルクニフは思った。

 

「あ、アインズさんも一緒に?」

 その問いは早く自分をここから連れ出してくれとでも言うようだった。

「…いえ、良ければ私と二人で。御身が行きたいと言って下さればあれ程寛大な神王陛下がダメだと言うはずなどございません。」

 敢えて少し大きめの声でジルクニフは言った。

 女神はネックレスが息苦しいのかそれを弄りながら悩んでいた。

「うーん…。あ!じゃあ、たまには護衛だけ連れてお出かけしてみます!」

 

 ――勝った。

 ジルクニフは心からの笑顔を作る。

「はい。私はいつでもご案内できますので、フラミー様のご都合の良い時にいつでもご連絡下さい。」

「そうですか?じゃあ、もし迷惑じゃなかったらこの後に一緒に帝国に行っても良いでしょうか?」

 ジルクニフの想像よりも早い展開に少し驚いた。

 しかし女神が神王と離れたいと思っているのなら何もおかしくはない反応だ。

「かしこまりました。是非に。」

 ジルクニフが約束を取り付けると、激しい剣戟音は止まり、周りの王達が決闘をしていた者達を讃えて拍手を送った。

 その歓声はまるで自分の敗者復活戦、第一ラウンドの勝利を讃えるようだった。

 

「そういえば、フラミー様は大変お強いとお聞きした事があるのですが、どれ程のお力をお持ちなのですか?」

 ジルクニフは機嫌よく聞いた。

「はは、私は全然強くないですよ。」

 謙遜と言うよりも、心底そう思うように手をパタパタと振った。

「…しかし、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)を一人で押さえ付けたとか…?」

「そんな事は誰だってできます。…本当はアインズさんより、誰より強くなりたいんですけどね。」

 そんな事ができる者など片手の指の数よりも少ない。

 自嘲するように笑う姿にジルクニフはきっとこの女神は枷さえ外せれば力になってくれると確信した。

 

+

 

 支配者達のお茶会は無事に盛況をもって幕を下ろし、皆が鏡を潜ってエ・ランテルの神殿へ帰って行った。

 ナザリックで作られた酒や菓子などの土産を持たされ、皆実に楽しかったと言うような表情だった。

 アインズは次はもっと砕けた支配者の宴会も良いかもしれないと思う。

 

 それはそれとして――

「エルニクス皇帝から情報を引き出そうっていうのは分かるんですけど、護衛をつけるって言ったって一人で帝国になんて送り出せませんよ。」

 見送りに出る前にアインズは鏡の前でフラミーに今から帝国に行きたいと相談されていた。

「でもあの人、私は始原の魔法と全く何の関係もないから油断してるみたいですよ!遊びに誘われるなんて、もしかしたらこんな機会もうないかもしれないです。」

「言いたいことはわかるんですけど…。」

「それに、アインズさんも誘って良いか聞いたら嫌そうでしたから、ヘイカとは一緒に行けません。」

「フラミーさん、俺がいると嫌がるって事は相手はそれだけ何か後ろめたい事があるんですよ。」

 アインズはナザリックの為に動きたいと言うフラミーの気持ちは嬉しかったがあまりにも心配すぎて胃がひっくり返りそうだった。

 これまで神都大聖堂の撮影くらいしかフラミーの単独行動を許した事はない。

 大切な宝物に触れるようにアインズはフラミーの顔に触れた。

 これに何かあったら自分はどうやってここで生きていけばいいんだろうか。

 

「ちっちうえ、フラミー様。お待たせいたしました。」

 アインズは響く自分の声(・・・・)に視線を向けた。

「ズアちゃん、お願いしますね!」

「お任せ下さい。では、父上もお早く。」

「は…?」

 フラミーとパンドラズ・アクターは不敵に笑った。

 

+

 

 ドラウディロンはフラミーが席を替わってくれたおかげで闘技場では素晴らしい時間を過ごせた。

「アインズ殿…また誘ってくれ。」

 それでもやっぱり帰りたくないと思ってしまう。

「わかっているとも。さぁ。お前もそろそろ行きなさい。向こうでは勉強がたっぷり残っているんだろう。」

「…そうだが…。なぁ。アインズ殿。」

「なんだ?」

「私にも…その…してくれないか…?」

 ドラウディロンは顔を真っ赤にしながらアインズの手を取ると目を閉じた。

 それはどう見ても別れの口付けを期待しているようだ。

「全く仕方のないお嬢さんだな。」

 アインズは美しい手付きでドラウディロンの顎を固定すると頬にサッと口付けた。

 ドラウディロンは閉じていた目をハッと開いて、ポロポロと涙を流し始めてしまった。

「ぜ、絶対…相手にされないと思った……。」

 ドラウディロンは静かに頬の感触に手を当てると、ついにはわーんと声を上げて泣き始めた。

 

「…あいつ何やってんだ…。」

 モモンの呟きにジルクニフは目を剥いた。

「あいつ、とは……?」

「あ、いや。んん。えー…オーリウクルス女王陛下は破廉恥だなぁ……と…。」

 確かに人前でキスはある程度破廉恥だが――第一妃候補だか側室だかならキスくらい普通だろう。

「モモン殿は潔癖か…?まぁいい。さて、それではそろそろ行きましょうかフラミー様。」

「はい!じゃあよろしくお願いします。」

 フラミーとモモンは皇帝の馬車に乗り込んだ。

 

 ドラウディロンはアインズ(・・・・)に軽く抱きしめられ、背中をポンポン叩かれながら、今日のことは絶対に忘れないと暫く嗚咽した。




次回 #40 英雄の気持ち

パンドラズアクター、それは残酷だぜ(にっこり


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#40 英雄の気持ち

 一台の馬車が神聖魔導国のなめらかな街道を進んでいた。

 目の飛び出るような額で作られているその馬車は、よく整備された街道でなくとも、ガタガタと居心地悪く揺れたりはしない。快適な車輪(コンフォータブル・ホイールズ)と言うマジックアイテムや、<軽量な積荷(ライトウェイト・カーゴ)>という魔法を車体部分に掛けることによって快適な旅を実現している。

 馬車の周りには帝国三騎士のニンブルとバジウッドが馬を走らせ、上空に目をやれば、そこにも警護の手はある。

 ヒポグリフと呼ばれるモンスターに乗った者たちと、飛竜(ワイバーン)に乗った者たちだ。どちらも皇帝を守るための特別な部隊で、ロイヤルエアガードと呼ばれる存在だった。

 

「モモン様は普段はエ・ランテルにいらっしゃるんですか?」

 ロクシーはモモンが神王に遣わされた監視役ではないかと馬車の中で疑い続けていた。

 そうでなければあれ程警戒していた帝国の者達に見す見す女神を連れ帰らせたりはしないだろう。

「いえ。エ・ランテルにはたまに冒険者組合の様子を見に行くくらいですね。後は組合長と食事に行ったり。私は普段は…あー…そうだな…。」

 濁される言葉の真意を探ろうと皇帝と二人でじっと女神の隣に座る英雄を見た。

 

「普段はずっと私と一緒に居ますよ。ねぇ、モモンさん。」

「あ、はは、そうですね。確かに。」

 少し照れ臭そうにするモモンとフラミーは軽く笑い声を上げた。

 想像以上に気さくな雰囲気の二人にジルクニフとロクシーは目を見合わせた。

「あの、失礼ですがお二人はどのようなご関係なのでしょうか?」

「仲間ですよ。私たちずっと一緒にやってきましたから。」

「ずっと一緒とは…一体どのくらい…?」

「あ、うーん。モモンさん(・・・・・)が生まれた時からの付き合い、かな?」

 ロクシーが長寿の神の発言に納得すると、モモンは肘掛に寄りかかって笑った。

「ははは。流石ですねフラミー様。」

「うわぁ…モモンさん、そんな呼び方やめてくださいよ。いつもみたいに呼んでください。」

「いや、それはダメでしょう。フラミー様我慢してください。」

 妙に甘い雰囲気があるやり取りだった。間違いなくこの二人はデキている、様子を見ていたジルクニフは確信した。

 神王に監視役として遣わされるうちに恋に落ちたか。

 この英雄も相当な力を持つと聞くし、ロクシーには女神の嫁取りはやめて二人揃って帝国に渡らせようと提案することに決めた。

「さぁフラミー様。そろそろ帝国領に入りますよ。」

 ジルクニフは平凡な女神と平凡そうな英雄にほくそえんだ。

 

 領土に入ってからもさらに馬車を走らせると、ようやく帝都に着いた。

 ロウネに確認させたところによると、闘技場の次の興行は明後日だった。

 

 その晩ジルクニフの部屋では魔導国の二人とロクシーの四人と言う小さな晩餐会が開かれた。

「モモン殿は随分酒に強いんだな。私はもう結構だとも。これ以上は明日に支障を来す。」

「そうですか?じゃあ、残りは明日という事で。」

 モモンは英雄だと言うのに気取ったところのない気さくな男だった。

 よくお酌して色々と聞いてくる様子にジルクニフは少しだけ気を良くした。

 英雄と言っても冒険者組合に加入している身なのだからこう言う目上の者とのやり取りには慣れているのかもしれない。

「そうだな。明日もまた是非ここで四人で食べようじゃないか。」

 

 ジルクニフはロクシーを説得し、帝国なら女神を嫁に取れるとモモンにアピールして二人で帝国に流れさせることに決めていた。

 解散してしまう日までにここで二人揃って暮らすように説得しなければいけない。

 女神は既に魔導国を離れたそうにしている為、モモンと言う口実を与えれば何とかなるだろう。

 残るは枷の問題だ。

 

「ところでモモン殿はフラミー様を愛している事は神王陛下には?」

 ジルクニフが聞くや否やモモンは咳き込んだ。

「な、何を突然!?」

「いや。愛しているんだろう?フラミー様も君をお気に入りの様子じゃないか。」

「ジルクニフさん!?」

「フラミー様も、ここは帝国です。何を隠すことがありましょう。なぁロクシー。」

「陛下の仰る通りですわ。神王陛下のおそばでは許されないのでしょう?」

 モモンとフラミーは顔を真っ赤にして目を見合わせた。

 

「んん。我々はそう言う関係ではありません。皇帝陛下もロクシーさんもあまりフラミー様を困らせないでください。」

「まだそう言う関係ではないなら、なれば宜しいではありませんか。」

 ロクシーがきっぱりと言い放つ。

「いや、別に我々は…。」

「なんだ、モモン殿は妙にうぶなところがあるな。英雄として数えきれない女を抱いてきただろうに。」

「エルニクス皇帝陛下!俺は決して――」

「あぁ、いい。いい。女神の前で無粋だったな。御身は無垢でらっしゃる。」

「あ、あの!」

 少し大きい声を出した平凡な頭脳の女神は顔を真っ赤にしていた。

「み、皆さん…ちょっと…酔っ払いすぎですよぉ…。モモンさん、今日はもう行きましょ。」

「あ、は、はい。そうですね。」

 女神が立ち上がるとモモンも慌てて立ち上がり、これは思ったより時間がかかりそうだとジルクニフは思う。

 しかし少なくとも明後日の興行までは引き止められるし、最悪モモンは仲間にできなくても仕方がないと割り切って女神に焦点を絞ればいい。

 勝利条件は二人揃ってではなく、女神だ。

 その場合は女神がここに留まるための口実を別に考えておかねばならないが。

 ジルクニフの脳裏には一瞬だけ嫁取りという文字が浮かんだがそれをすぐに振り払った。

「部屋まで送ろう。」

「いえ、大丈夫です。先程ロウネさんに一度通して貰っていますし。」

 モモンの拒否は妙にきっぱりしていて、何となく踏み込む余地がないような感じがした。

「…そうか。ではまた明日、帝都の案内で。」

 二人が挨拶をして出て行くと、ジルクニフはソファの上に寝転がった。

「ロクシー、どう思う。」

「モモン殿のあの様子は神王陛下に踏み込むなと言われているのでは?」

「やはりそうか。英雄はどれ程の忠誠心を持っているんだろうな。」

 

+

 

 フラミーは与えられた自室に入ると窓を開けて外をキョロキョロ確認した。

 誰もいない事を確認すると不可視化し、ふわりと飛んで外に出ると隣のモモンの部屋の窓を叩いた。

 するとすぐにカーテンと窓は開けられた。

「フラミーさん。」

「モモンさん…。」

 モモンは不可視化しているフラミーの腰に両手を伸ばすと、フラミーもモモンの肩につかまって部屋に入った。

 二人の間に運命めいた視線が通う。モモンはすぐにフラミーを下ろすと、窓とカーテンを閉めた。

 するとフラミーは不可視化を解いた。

「すみませんね、フラミーさん。あいつら悪ノリしてましたね。」

「あ、はは。いいえ。モモンさん、結構ジルクニフさんに飲ませてたから仕方ないですよ。」

 

「はぁ。せっかく結構飲ませたって言うのに、秘密をどうやって知ったのか聞き出せなかったし、意外と難しいもんですね。」

 モモンは話しながらソファに掛けると、マントの下で隠れるように喉に張り付いていた口唇虫のヌルヌル君を外し、取り出してあった飼育カゴに入れた。

 まるでコンタクトレンズを取り外すような光景だ。

 ヌルヌル君は艶々とした肌色をしていて、先端は人間の唇を思わせる形をしている。

 アインズは自らの空間――インベントリーよりタッパーのようなものを取り出し、パコリと蓋を開けた。

「私、明日タイミングを見て呪言使ってみようと思います。」

「あぁ、そっか。デミウルゴスみたいにうまく呪言を使えたら言い逃れできますしね!」

 タッパーから保存(プリザベーション)が掛けられた新鮮なキャベツを取り出すと、アインズはふと首を傾げた。

「――フラミーさん、座らないんですか?」

 フラミーはじっとモモンを見たまま立っていた。

「えっ、あっ、そ、その。はは。」

「…ん?――あ、見慣れない顔のせいでまた人見知りしちゃってたのか。」

 モモンはサッと手を振ると人化した体に展開していた顔の幻術を解いた。これならばモモン状態で飲食もできるので、かつて漆黒の剣と冒険をした時のようにあれこれと言い訳を言わずに済む。

 

「気付かなくってすみません。さ、どうぞ掛けてください。」

「え?あ、はは。ありがとうございます。」

 フラミーは見慣れたアインズの顔に戻ってホッとしたのかアインズの斜め隣に置かれている一人掛けソファに腰掛けた。

「ほーら、ヌルヌル君。エサの時間だぞー。」

 取り出したキャベツを口唇虫に近付けると、もしゃりと食いついた。手を離せばもりもりと食べていく。

「…かわいい。」

 フラミーがぽつりと呟くと、アインズは与えようとしていた二枚目のキャベツをフラミーへ差し出した。

「やります?」

 フラミーはパッと顔を明るくすると、キャベツを受け取った。

「ヌルヌルくーん、ご飯ですよぉ。あーん。」

 そう言われると、ヌルヌル君はあーんと口を開け、再びキャベツに食いついた。瞬く間に食べ終わる。

 大満足の様子で飼育箱にある軽く陰になっている場所にのそのそと帰って行った。

「最初は気持ち悪かったけど、こうやって世話をすると可愛く感じるもんだなぁ。」

 アインズは朗らかに笑うと、フラミーも嬉しそうに微笑み、アインズの横顔を眺めた。

「そういえばモモンさんのお顔って、前にニニャちゃん達と冒険した時も見せてましたよね。あれも運営の剣士のイメージなのかなぁ。」

「あ、いえ。一応俺の顔なんですよ。」

「えっ?あ、あれが、鈴木さんのお顔だったんですか?」

 モモンの、いや――鈴木悟の若干美化した顔は以前漆黒の剣に見せた時に不評だった為、以前よりもさらに美化を重ねていた。声同様、回数を重ねるごとに少しづつ美化することで違和感なくこの完成体に行き着けた――と思う。

 エ・ランテルではフラミーは大抵真隣にいたので、殆ど初めて正面からその顔をしっかりと見たが、隣から見るのとは少し印象が違うなと思っていた。

 そしてまさか鈴木の顔だとは思いもせずによく見もしなかった。

 慎重なこのギルドマスターが、真の素顔をそう簡単に見せるとは思いもしないだろう。

 

「そんなような違うような…ですけどね。」

「はは…鈴木さんってカッコいいんですね。」

 フラミーはあの顔じゃ余程モテただろうなと百戦錬磨の訳に思い至っていた。

 

「いや…全然…。あ、そうだ。良かったら村瀬さんも顔見せてくださいよ!」

「…私の顔はこの顔ですよ。」

 プイと顔を背けたフラミーに、アインズはふと昔を思い出した。

「はは、あれ?そう言えば俺茶釜さんにオフ会の写真何回か見せてもらったんですけど、フラミーさんってもしかしてそのままお団子の人ですか?」

「えっ!何勝手に見てるんですか!」

 フラミーは顔を真っ青にした。

「ははは。怒んないで下さい、後ろに写り込んでただけで茶釜さんも見せようとして見せたわけじゃないですから。」

「うわぁー…それ絶対酔っ払って寝てる写真だぁ…。」

 フラミーは女子の集まりにしか出かけなかった為、男子のギルメンで彼女に会った事がある者は一人もいなかった。

 社会人ギルドのオフ会にはどうしても飲酒が付き物だったので、酒に弱いと言う女子を無理に誘い出す者もおらず、全ギルメンもそう言うフラミーとの付き合い方に納得していた。

 

「ははは。確かに寝てました。可愛かったですよ。」

 フラミーはアインズを見るとすぐに顔色を青から赤へ変えた。

「んなぁ…なんで嘘言うんですかぁ。」

「嘘じゃないですって。すごく可愛かったです。村瀬さん。」

 アインズは愉快そうに顔色の変化を眺めていると、フラミーは置かれていたクッションを不服そうに抱きしめた。

「…もうっ。すぐおちょくる…。」

「えーフラミーさんこそすぐにそう言う事言うじゃないですか。」

 アインズはこの後、怒った?とまた聞かれるかなと少し謎の期待をして瞳を覗き込んでいると、フラミーもアインズの瞳を覗き込みだした。

 二人の間にはまるで磁石でもあるかのように揃ってゆっくりと顔を寄せ合いだし――扉をノックする音がしてハッと二人とも我に返った。

「あっ、そ、そうか。忘れてた!」

 慌てて幻術を呼び戻すとヌルヌル君を取り出した。体液に塗れた体がひんやりとし、少し気持ち悪い。

 喉にぺちょりと吸い付かせると「んーんー」と数度テストを行い、外に声をかけた。

「どなたですか。」

「モモン様、少しよろしいでしょうか。」

「構いません。入ってください。」

 すると、帝国に常駐させている死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が入ってきた。

 

 扉が閉められるとモモンはアインズとして話し始めた。

「文官Dよ、どうだ。ここで始原の魔法を私が持っていることを知る者はどれ程いる。」

「は、アインズ様。ご連絡頂いて以来調査を続けて参りましたが、どのリッチ達も影の悪魔(シャドーデーモン)達も一度としてそのような話を聞いたことはないそうです。」

 アインズは少し悩んだ。

「巧妙に隠しているのか、知る者がエルニクスしかいないのか…。まぁいい。どうやって看破したのかも気になるところだ。何か特別な儀式や魔法を目撃した者がいないか引き続き捜査しろ。」

 文官Dは深々と頭を下げると退室して行った。

 

「…とにかく明日呪言チャレンジだな。」

 アインズは再び顔の幻術を消して振り返ると、フラミーは顔を真っ赤にしていた。




ツルクニフさん!もっと二人を後押しするんだ!!
でもこの人、このあと禿げるんだよね(えぇ
次回 #41 帝都

七夕だったので2000字程度のTwtr閑話を書きました(´ω`)
相変わらずストーリーとはあまり関係ありません。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1147694124968972289?s=21

TwtrIF閑話もこの機に貼っておきます。
ウルベルトさんとペロさんが酒宴会後、唐突に来るガバガバ設定のお話です!
どこにも繋がっていない読み切りです。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1146332648794542080?s=21


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#41 帝都

 ジエット・テスタニアは小さな皮袋に詰まったたくさんの硬貨の感触ににたりと笑っていた。

 いつもの様に魔法で作り出した香辛料を商会で売ってきた帰り道だ。

 次の商会に向かおうと大通りを進んでいくと、宿屋の前には人だかりができていた。

(有名な冒険者でも来てるのかな?母さんとネメルにいい土産話になるかも。)

 ジエットは帝国が魔導国傘下に入ってからと言うもの付きに付きまくっていた。

 魔法学院の嫌味ったらしく不愉快な同級生は移住してしまった教師達を追って魔導国へ引っ越して行ったし、教師と生徒の減った学院では日々丁寧な指導を受けることができ、学費も下がった。

 そして何より、神殿が闇の神と光の神を祀るようになってからは治癒を受けても神官達に高額の支払いをしなくて済むようになった。

 ジエットは猛病という特殊な病に罹っている母をよく連れて行くので――多少は神殿にお布施を払うが以前の数十分の一程度になり――非常に助かっている。

 一時はワーカーにならなければ母の治療費を捻出できそうになく、学院もやめようかと思っていたと言うのに、今ではバイトの数も減らし、勉強に打ち込み、日々が輝いていた。

 強大なアンデッドを送り込んでくる魔導国を恐ろしいと言う人もいたが、ジエットにとっては自分の生活を劇的に良くしてくれるまさに神の国だった。

 

 ジエットは少しワクワクして人混みを掻き分けると、そこには端正な顔立ちの黒い鎧に身を包むアダマンタイトのプレートを戴く戦士と、帝国三騎士の鎧に身を包む戦士がいた。

 見たこともない豪華な組み合わせに、ジエットは妹のネメルを呼びに行こうかと思っていると、その後ろからは皇帝と紫色の女神が出てきた。

 買った事はないが、神殿でオシャシンを売っているのを見たことがある。その人はたしかに女神のはずだ。

「な……あれ…本物なのか……?」

 女神の造形はあまりに美しく、あんなものが本当にこの世に存在するのかとジエットは思わず声が漏れた。

 やはり妹にぜひ見せてやりたい。きっと喜ぶだろう。

 早く迎えにいってやらなければと思ったが、ジエットは好奇心に負け――全ての幻術を看破する力を持つ目を覆っている眼帯を外した。

 

+

 

 フラミーとジルクニフは護衛のモモン、バジウッドとともに一通り帝都を見ると、昼食を取るため帝都一と評判の宿屋に寄った。

「かつてのエ・ランテルより活気があっていい国ですね。」

「そうだろう、モモン殿。」

 ジルクニフは嬉しそうに大きく頷いた。

「しかし…フラミー様。実はアンデッドの数で少しご相談があるのです。」

 フラミーは食事の手を止めると一度ナプキンで口元を拭ってから顔を上げた。

 皇帝の瞳は僅かに潤み、妙に艶かしい雰囲気だ。

「ん?なんですか?」

「数をもう少し…こう、お願いできませんか?」

 アインズは以前帝国にアンデッドを増やすと言っていたし、ここは二つ返事でオーケーだろう。フラミーはトンっと自らの胸を叩いた。

「わかりました。大丈夫、任せてくださいっ。」

「ああ!ありがとうございます!フラミー様にご相談してよかった!」

 ジルクニフは嬉しそうにすると突然テーブルの縁に乗せていたフラミーの手を包むように握った。

 フラミーはぴくりと肩を震わせてジルクニフを見ると非常に爽やかな顔をしている。

「ああ…フラミー様は誠に女神だ…。」

「あ、ああ…はは…いえ。」

 ゆっくり手を引いて机の下に偲ばせると、膝に掛けてあるナプキンで少し拭いた。

「んん。エルニクス皇帝陛下、それは不敬なのでは。」

 聞き知った言葉をモモンが呟くとフラミーは面白そうに笑った。

「そうだったかな。いや、嬉しくてね。帝国と私のためにこうしてフラミー様が動いて下さると言うのが。」

「わ、私のためって皇帝陛下…。」

 モモンは呆れるように言うと、フラミーも少し困ったように笑った。

「は、はは。このくらい気にしないでください。お友達ですから。」

「私はフラミー様とお友達になれて何よりでございます。」

 

 その後食事を済ませ、先に馬車を用意し始めるように言われたモモンはバジウッドと共に表に出た。

 二人は馬車を宿屋の者に持ってくるように申し付けた後、表玄関で馬車とそれぞれの主人を待っていた。

 モモンの手の中には兜があり、道行く人々はその顔と胸に輝く冒険者の証を見ると皆感嘆した。

「やれやれ。加減と言うのも難しいものだな。」

 モモンが呟くとバジウッドはチラリとその顔を見た。

「加減?それにしても、モモン殿はさぞモテるんでしょうね。」

「はは…近頃はなんだか妙に…。本当困ったもんですよ…。」

 モモンはアルベドとシャルティアを思い浮かべて苦笑した。モテたいはずの人の本命になるにはまだまだ時間がかかりそうだと言うのに。

「はぁ〜俺も言ってみたいですねぇ、そんな事。羨ましいですよ。モモン殿程になったら愛人は一体何人いるんですかい?」

 思いもしない問いに、モモンが一人もいねーよと心の中で突っ込んでいると、バジウッドの話は終わっていなかった。

「俺は妻と愛人合わせて五人と暮らしてますけど、モモン殿は愛人三十人くらいですか?」

「え、モモンさん…愛人三十人…。」

 フラミーのドン引きボイスが聞こえるとモモンは少し焦りながら声のする方を向いた。

「ちょ!そんなわけ――」言いかけると、モモンはバッと振り返った。「なんだと!?」

 自分の何かを見破られた感覚に陥ったモモンは真剣な面持ちで背に掛けてある剣に手をかけ身構えた。

「ん!?どうしたんすか!?」

 バジウッドは何が起きたか分からなかったが取り敢えず手を腰の剣にかけ身構える。

 モモンは抜剣せずに慎重にこちらをみている人混みを睥睨すると、口を開けてこちらをボウっとみている青年がいた。

 ――間違いない。あれだ。

「フラミーさんはここで待ってて下さい。」

「え?モモンさん?」

 モモンは安心しろとでも言うようにフラミーの顔をさっと撫でると、割れていく人混みを進み、口を開けたままの青年の前で立ち止まった。

「…君は、私の何を見ている。」

「あっ!は、す、すみません!!こ、光神陛下があんまり美しいんで…その美が偽物なのかと…。まさか、美しさを隠すために幻術を使ってる人がいるなんて思いもしなくって……。」

 幻術の下にあるアインズとしての人の身を見ていることを確信したモモンは記憶を書き換えようかと思ったが、この姿では記憶操作(コントロールアムネジア)は使えない。

「……そうだ。私は人に注目されるのを好まない。どうかこれは内密にしてくれるかな。」

「わ、分かりました。それにしても…本当に冒険者さん…すごく綺麗ですね…。」

 フラミーにも使えない魔法のため悩んだ結果、モモンは青年を指差した。これは後日書き換えを行う必要があるだろう。

「え?な、なんですか?」

 青年の影に影の悪魔(シャドウデーモン)が忍び込むのを見ると、モモンは兜を被った。

「いや。なんでもないとも。皮袋に穴があきそうだ。気を付けたまえ。」

 少年が硬貨をずっしりと入れた皮袋を見ると、そこには確かに小さな穴が空いていた。

「あ、ありがとうございます…。」

 モモンはバサリとマントを翻してフラミーの元へ戻った。

 

+

 

 その日の晩餐、ジルクニフの部屋では二度めの晩餐会が開かれていた。

 昼間英雄が女神を「フラミーさん」と呼んだ時の雰囲気はやはり護衛として付いている意外の感情が乗っていた。

 神王にそこまで踏み込むことを厳しく咎められる理由についてジルクニフはしばらく悩んだが、思い浮かぶ理由は駆け落ちを恐れているくらいしか浮かばなかった。

 

「フラミー様、良かったらこの先モモン殿と帝国に根付かれてはいかがでしょうか。ここでモモン殿の子を産み、育てるのです。」

「えっ、こ、こども?」

「昼にモモン殿も言っておりましたが、我が帝国は活気ある良い国ですよ。きっとお二人で素晴らしい日々を過ごせるかと。」

 フラミーは顔を真っ赤にすると立ち上がった。

「あ、あの、私、ちょっとお手洗いです!」

 平凡な頭脳の女神はパタパタと出て行ってしまった。

「ふーむ。モモン殿がハッキリしなければフラミー様も気持ちに決着など付けられないか。」

「エルニクス皇帝陛下…本当いい加減にしてくださいよ…。」

 

「なぁモモン殿、神王陛下の目の届かない今のうちに、女神を抱いたらどうかな?そうしたら女神の気も変わるかもしれん。その後は帝国で働くというなら我が国は女神との暮らしを全力でサポートするぞ?」

「だ、抱くって…エルニクス皇帝陛下、誤解です。私は決して彼女をそのようには…。」

「英雄のくせに意外とうだうだと女々しいな。あの様子じゃ女神は生娘だろう?それを――」

 ジルクニフは言いながら気が付いた。

(あれほど色を好む神王が美しい女神を抱かない理由はなんだ…?胸だけの問題ではないはずだ。)

 生娘で無ければならない故に神王もモモンも女神に踏み込めないのだとすると――

「まさか、処女で無くなると枷が外れるのか…?」

「は…?一体ナニを想像して…。」

 モモンは大量の冷や汗をかきはじめていた。

「なるほどな。だから"状況による"、か…。確かにこれでは自分一人ではどうにもなるまい。」

 モモンが腰抜け、もしくは枷を解く許しが出ないが故に抱けないというならば代わりに筆下ろししても良い。

 女神はトイレから戻ってくるとちょこんとソファに腰を下ろした。

 

「フラミー様。良かったら少し涼みに出ませんか。」

 ジルクニフは立ち上がると人懐こい笑顔を作ってフラミーに手を伸ばした――が、手を取る様子がなくわずかに焦れる。

「私の部屋は帝城内でも最も眺めが良いのです。今日はいつもより空気が澄んでおりますし、是非お見せしたい。」

「そうですか?じゃあ…。」

 躊躇われながら取られた手はサラサラと滑らかで、まるで上等な陶器のような触り心地だった。

 引っ張って立たせると、ジルクニフは手慣れた様子でフラミーの背中に手を回してお気に入りの広いバルコニーに出た。

 モモンのじっと眺めてくる視線に、別にお前が抱けるならそれでも良いと心の中で伝えた。

 

 バルコニーの手すりに着くと女神は嫌そうに離れた。

「あ、あの…ジルクニフさん、ちょっと、近いです…。」

「ふふ。私がこうする事で喜ばなかった姫は今までおりませんでしたよ。」

「うわぁ…。」

 ジルクニフは上から下までまじまじと女神の様子を見た。

(闇の神が色を好むなら光の神は清らかなわけか。よくできている。)

 清らかな乙女でなくなったら光の神から堕天し、闇の神との表裏の繋がりを失うのかもしれない。

 しかし適当な者と交わってとっとと枷を外していない所を見ると、 余程神王やモモンからのガードが固いのだろう。

(いや、もしや堕天するといくつか神としての力が減るのか…?)

 強大な力を持つ女神をモモンが抑えきれるとも思えない。

「…あ、あの…、なんですか…?」

 思考に没頭していると女神は肩をすくめて心底居心地悪そうにしていた。

「何でもありません。…フラミー様は力を失ったりはしないのですか?」

 女神は息を飲んだようだった。

「奪われなければ失ったりしませんけど…どうしてそんな事を聞くんですか?」

「…奪われなければ…ふふ、なるほど。いえ。少々興味が。」

『教えて下さい。あなたは一体何を知っているんですか…?』

 女神のその声は妙に響き、必死に答えを探すように瞳を覗き込んできた。

 ジルクニフは自分の首に下がる精神防御のネックレスが一瞬輝いたような気がしたが、何の魔法も使われていない為星の輝きを反射したのだろう。

「そうですね。最早全ての答えに行き着いたかもしれません。」

「……それを、誰かに話したりする予定は…?」

「ありませんとも。しかし御身にもご協力はして頂きたいものですね。」

 力を落としたとしても枷を解いて、次の竜王との戦いでは共闘――もしくは、邪魔をしないでもらおう。

「この私を脅すつもりですか?」

 女神の様子がおかしいことに気が付いたのかモモンはすぐに立ち上がりこちらへ向かってきた。

「脅すなんてとんでもない。さぁ、きちんと英雄にあなたの本心を伝えなさい。」

「な…ジルクニフさん、誤魔化さないで下さい。」

 

「…エルニクス皇帝陛下…フラミー様はお困りのようです。」

「モモン殿。ふふ、さぁ、今日は遅い。解散だ。」

 ジルクニフはモモンの背中をバンバン叩くと上機嫌に解散を宣言した。

 

+

 

 モモンは今夜も窓からフラミーを部屋に招き入れてカーテンを閉めると、フラミーが座る向かいにモモンも座った。

 ずっと頭の中をジルクニフの言った生娘だの処女だのと言う言葉が反響してはブンブン頭を振っていたが、このアバターが経験済みだったらある意味問題だとモモンはなんとか平静を取り戻した。

「フラミーさん。さっきバルコニーで何話したんですか?」

「あの、何だか私は力を失ったりするのかって聞かれました…。」

「…始原の魔法を失っているツアーが居てこその疑問か…。」

 フラミーは真剣な面持ちで頷いた。

「それから、協力すれば秘密はバラさないって言ってました。」

「協力?一体何の?」

「わかりません…。それが呪言もきかなかったんで探れなかったんです。」

 昼は大抵バジウッドか他人が近くにいた為、呪言に周りの人間が誘われる事を危惧して使用できなかった。

「…そうでしたか…。兎に角、要望があるなら明日以降言ってくるか…。」

「はい。物によっては叶えて、うまくやっていきます…?」

「うーん。一度でも願いを聞くと何度も強請られる気もします。少しアルベドにでも相談してみようかなー。」

 モモンはソファに沈むと溜息をついて幻術を解いた。

 

「あ、そういえば、昼、幻術看破されたんだった…。」

「え!?アインズさんの幻術を…?」

 フラミーは不安そうにアインズの顔を見た。

 少し考えてからアインズは立ち上がると、フラミーの隣に座った。

「付けた影の悪魔(シャドーデーモン)の話ではタレントによる力らしいんですよね。とりあえず怪しい事をすればすぐに殺します。」

「タレント…。」

「はい。ニニャさんやバレアレも持ってましたけど、今後どんなタレントがあるのか僕達によく調べさせようと思います。恐らくエルニクスが始原の魔法の存在を見破ったのもタレントの一種だったんでしょう。」

「す、すごい。アインズさん。ジルクニフさんのこと見破っちゃった…。」

「はは。フラミーさんと毎日勉強してる甲斐が出たかな?」

「うん、出てます。やっぱりアインズさんって賢い…。」

「あなたが安心して暮らせるように、俺、頑張りますよ。」

 アインズは隣に座るフラミーを引き寄せると自分の胸に収めた。

「ちゃんと守りますから。」

 

「あ、あの…アインズさん…。」

「ん?どうしました?」

 腕の力を弱めて顔を覗き込むと、アインズはフラミーの揺れる瞳に吸い込まれかけた。

 

「あの…私…また好きって思っちゃった…。」

「え?」




いや、アインズ様、違うよ!!
全然見破れてないよ!!

次回 #42 閑話 最最重要課題
閑話ちゃん12時です。
申し訳ないのですが次回は本当にR15なので、15歳未満の健康優良児の皆様はご遠慮ください!(えぇ!?
#43に#42の3行あらすじを書きますのでよろしくお願いします!

外で読むような話じゃないので土日の昼間に上げたかった…( ;∀;)

Twtr閑話の更新のお知らせです。
ジッキンゲンが引き当ててしまった謎お題を書きました。
Twtr閑話は仕事中に書くせいかどうも誤字脱字で乱れてますねぇ?(働け

●Twtr閑話 #4 あなたは50分以内にRTなんてされなくても、二人とも5才児の設定で浮気と勘違いして喧嘩するアイフラの、漫画または小説を書きます。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1147911059870646272?s=21
●Twtr閑話 #4.5 アフター。あなたは50分以内にRTなんてされなくても、二人とも5才児の設定で浮気と勘違いして喧嘩するアイフラの、漫画または小説を書きます。
https://twitter.com/dreamnemri/status/1148057931054608384?s=21


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#42 閑話 最重要課題

※R15?


「あの…また好きって思っちゃった。」

 

「え?…あ、フラミーさん…俺もまた…好きって思っちゃいました。」

 アインズは自分の胸から鳴り響く爆音の鼓動がフラミーに聞こえてしまうんじゃないかと思った。

 腕の中のフラミーの瞳は切なそうに揺れていて、フラミーの鼓動が聞こえた気がした。

 顔に溜まる熱にどんな言葉を紡げばいいのかわからない。

 

 無音の部屋の中、アインズはフラミーの感触で頭がいっぱいになった。

 外はもう冬が訪れ初めている。この世界に来て一年数ヶ月。

 たった一年と二つの季節を一緒に過ごしただけでこんな想いを抱くのは間違っているだろうか。

 腕の中におさまるフラミーは耳まで赤かった。

「アインズさん…。」

「はい。」

 アインズは初めて言えた好きという言葉に深い幸せを感じた。

 こんなに簡単なことなら、もっと早くに言えばよかった。

 

 静かな部屋で、フラミーは泣きそうに呟いた。

「きっと…あなたの好きと私の好きは違うけど…それでも嬉しいです…。」

「…え?あ…フラミーさん…おれ…。」

 震える声でなんとか言葉を紡いでいると、フラミーはヘラリと笑った。

「へへ、はぁ。もう、私離れなきゃ。」

 

 フラミーはアインズから体を離そうと少しアインズを押した。

「…待って…待って、俺はあなたのこと仲間――」

「言わないで下さい…もう、行きますね。」

 アインズはこれ以上踏み込むなと言われたと解ったが、小さな体を強く抱きしめた。

 

 一体どうしたら、と頭の中で必死に考えていると、フラミーはため息と共に言葉をこぼした。

「…はぁ…これからどうやって暮らそう。」

 自分の胸の中から聞こえたそれは死刑宣告だった。

 アインズの頭の中には離れる、もう行くと言う言葉が激しく鳴り響いた。

 フラミーノアタラシイクラシ――。

 口から出してしまった好きという気持ちは――、一瞬期待してしまった幸せな未来は――、フラミーがナザリックを立ち去る映像に滅茶苦茶に破壊された。

「そ、そんな…。俺…無理だ…無理だ……。」

「…私だってもう、もう無理ですよぉ。こんなのぉ。」

 フラミーもアインズの背中に手を回すと二人は抱きしめ合ってポロポロ泣いた。

 アインズは精神が鎮静されて行く中これまでの触れ合いを心の中で謝罪した。

 自分の我儘に付き合っていつも優しくしてくれていたフラミーの残酷さを恨む気持ちと、ナザリックを離れられないから仕方なくそうしていたかも知れないというのに何も察せず、ずっとベタベタしていた自分の愚かさを悔やむ気持ちと――もうめちゃくちゃだった。

 

「…無理だ……本当に無理だ……。」

 フタリデイキルッテイッタクセニ――。

 アインズは涙に濡れる視界の中、同じく涙に濡れるフラミーの顔を両手で覆った。

 もう何も聞きたくなくて、何かを言おうとした唇を塞ぐ。

 これで最後になるならと精神抑制を切ると、溢れる想いにアインズは立ち止まれる気がしなかった。

 ずっと焦がれた二度目の柔らかな感触を何度もはんで確かめた。

 こんな事は良くない。

 しかし、この人を手に入れる為なら残りの三十九人を手放しても良いと思えてしまうくらいに想いは募っていた。

 嫌がる様子のないフラミーに、アインズは違う"好き"のくせに、これから立ち去ろうと言うのになんでこんな事が出来るんだと――なんであの日求めたんだと――怒りを感じてフラミーの唇を軽く噛んだ。

「あぅっ…。」

 唇を離すとフラミーの目はぼんやりとしていて、まるでもう少しとでも言うようだった。

「…そんな顔して…あんた本当悪魔だよ……。」

 アインズは噛んでしまったフラミーの唇を親指で数度ふよふよと押した。

「あいんずさんこそ…。いっつも、いっつも私のことおちょくって…。」

 フラミーの目からはまた涙が溢れた。

 

「俺はあんたをおちょくった事なんかなかった!!」

 アインズはもう一度目を閉じて押し付けるように唇を重ねると、唇で唇をこじ開け、フラミーの口の中に自分をねじこんだ。もっと深く深く、全てを知りたかった。ずっとそうしたかった。愛しさが爆発し、狂うような飢餓感がその身を襲った。

「ふぇっ…なんっ…んぁ、こんな…んぅ…こんなことしてっ。」

 重なる唇から漏れて来るフラミーの悪態を聞きながら、アインズはもうなにもかもどうでも良いかと思った。

 世界征服も、綺麗な空も、残りの三十九人も、ナザリックも。

 この人のことをどこかに閉じ込めて二人で静かに暮らせればそれでいい。

 重ね直された唇からは二つの吐息が何度も漏れ出た。アインズはどんどん理性がこぼれて失われていくのを感じた。

 唇を離すと二人の間にはヨダレで一瞬橋が渡り、肩で息をするフラミーの目はとろけきっていた。

「…あいんずさん…どうしてこんな酷いことするの…?もう行かせて下さい…。」

 フラミーの口の端から垂れていたヨダレを親指で拭うとアインズは悪魔を睨みつけた。

 再びの行くと言う言葉はアインズの残っていた心の光を蹴り飛ばすように失わせた。

 どうしたらこれは離れないと再び誓ってくれるんだろう。

 忘れられたくないのに、いつかは自分を忘れてしまうのか。

 どんな手段でもいい、タチサラセナイタメニハドウシタラ――。

「…そうか。そうしたらいいんだ。」

 アインズは薄暗くついていた永続光(コンティニュアルライト)を手を振って消した。

「あ、あいんずさん?」

 

 フラミーを持ち上げると大して広くもない部屋の中ベッドへ向かう。

「えっ!?や、やだ…!なんで!?」

 バタバタするフラミーを抱えたまま、アインズはベッドに乗るとゆっくりフラミーを押し倒すように寝かせた。

「これ以上したら、もう本当に私!離して下さいっ!」

「フラミーさん、ナザリックを立ち去れないようにするだけですから、今は大人しくていおいて下さい。」

 アインズの手によって靴を放り出される中、フラミーはその言い分に違和感を覚えた。

「ふぇ?な、なに?なざりっくを…?」

 フラミーは違和感の正体にたどり着く前に、足首を掴まれるとゾクリと背を震わせた。足首に通されたアンクレットも外され、放り投げられた。

「これは何の効果が付いてる装備だったかな。」

 閉じ込めておくにはもっとその身から力を奪わなければ。

「あっ!やめて!ちょっと待って!!」

 

 フラミーが闇から杖を引き出すと、舌打ちとともに杖は払われガランガランと音を立てて転がっていった。

 アインズはフラミーの両手を片手で押さえつけると辛そうに少し笑った。

「フラミーさん、触れ合いは人の心を動かすんですよ。俺は動かされ続けた。こんなに離れがたい。あんたももしかしたら、遠い未来、いつかは俺の事好きになれるかもね。」

 その顔に、ベッドに押し付けられたフラミーは違和感の正体にたどり着いた気がした。

「アインズさん!アインズさん待ってください!!あなた、あなた私のことどう思ってるんですか!」

 

「…俺の人生。」

 アインズはフラミーをナザリックのどこに閉じ込めようかと考え始める。

 ちゃんとこの宝物を仕舞えたら、次は立ち去り暮らそうと考えた行き先を破壊しておかなければ。

 それが国なら国を、世界なら世界を、リアルならリアルを。

 自分より弱いとは言え、この装備に身を包むフラミーと本気の戦闘になれば互いを傷付けずに仕舞い込めはしないだろう。

 最悪レベルダウンさせる必要もあるかもしれないが――それだけは嫌だった。

 フラミーは熱したように熱いアインズの手が体を這い、再び装備を外そうと動き出すとその手を止めようと押さえつけられる手に力を込めた。

「あっ…やだ!わ、私も!ひっ…わ、私もあなたをっ、人生だって思ってます!!」

 

「…じゃあなんで立ち去るんだよ…。嘘ついて…離したらどうせあんたもいなくなっちゃうんだろ…。」

 同じ百レベルだと言うのに、抵抗が何の意味もなさない様子にフラミーは背筋を震わせた。

「ヤ、やめ!ちょっと待って!聞いて!!お願い聞いて下さい!!」

「…フラミーさん…行かないで…俺を忘れないで…。」

 押さえつけていた手を離すとアインズはフラミーに上半身を乗せるように片腕で抱きしめた。分厚い体は押し返そうとしてもびくともしなかったが、拘束が完全ではない為にすり抜けられない。

「アインズさん!私、ただの妹かっ…仲間くらいにしか思われてないんだって、ずっと…ずっと思ってたの!だからこれから、どんな顔してあなたと…っどうやって暮らせばって…!!」

 

「……嘘だ…皆いなくなった。皆暮らしがって言っていなくなった!」

「う、うそじゃないっ!本当にっ本当なのにっ!!」

 フラミーはどうしたらわかって貰えるんだと足りないおつむで必死に考えた。背のリボンが引かれそうになると、させまいと必死に背をベッドに押し付ける。

「私、私…!ずっとそばにいるから!」

 

「…ずっと…そばに…――…いたいのに!なのに!!」

 アインズの声は怒りと嘆きが合わさったものだった。絡められた指から指輪を抜かれ、ブレスレットを抜かれ、着実なるステータスダウンを感じる。

 ローブのリボンを解くことで脱がせられないならと、下からたくし上げるようにされると、太腿を手が滑り、どんどんローブが上がっていく感触にやだやだとフラミーは首を振った。

「っあぁっもう!やめてよぉ!絶対そばにいるから!こんなに大好きなのに!大好きなのにぃっ!!聞いてよぉ!!っすずきさんってばぁー!!」

 鈴木はガンッと激しく頭を殴られたような感覚に陥ると慌ててフラミーの上から体を起こした。

 若干脱がせられかけ、パンツが晒されていたがフラミーは女子としての尊厳をギリギリ守り切った。

「む、むらせさん!?」

 鈴木は震える手でフラミーの顔を覆った。

 その顔には汗と涙で髪の毛が張り付き、荒い呼吸から胸は上下に大きく動いていた。

「…あっ…あぁ…俺…まさか…そんな…やっちまった……。」

「…すずきさん…っひどいよぉ…。」

「俺…俺どうしても離したくなくて…手に入れたくて…。」

 

 アインズの腕の下、フラミーは自分の顔を手で覆った。

「…っうぅ…いつもいつも…なんなんですかぁ…あなたぁ…。」

「すみません、すみませんでした本当に…俺…どうかしてて……。」

「…あいんずさん、あなたには反省が必要…。謹慎してください…。」

 アインズはあの時ルプスレギナはこんな気持ちだったのかと思った。

「本当に、本当にすみませんでした…何て、なんて謝ればいいのか。俺、俺…あぁ本当になんて事…。」

「…っぅ…ばかぁ…ばかばか…アインズさんのばかぁ!」

「フラミーさん…本当にすみませんでした…。」

 アインズが再び自分にのしかかって抱きしめてくる感触にフラミーはわずかに背を震わせた。

「あっ!もう、もう行ってよぉ、謹慎してよぉ…!うぅっ…ひとりにしてぇっ…。」

「で、でも俺、まだあなたにちゃんと――」

「いいからぁ!」

 

 フラミーはアインズが自分を離す様子がないのでゆっくりとこめかみに触れた。

「デミウルゴスさん…今どこですかぁ…っひっうぅ…牧場…?来てぇ、今すぐ来てぇ…。」

「ふ、フラミーさん…。」

 無詠唱化された転移門(ゲート)がすぐそばに開かれるとジレ姿に黒いエプロンをかけた悪魔は転げるような勢いで駆け込んできた。

「フラミー様!?ご無事で――っえ!」

 月と星の光だけが届くその部屋で、どう見ても夜伽の最中に呼び出された悪魔は硬直した。

 微妙にめくれあがってるローブや、辺りに散らばる装備品、フラミーの瞳に溜まる涙は犯罪的だった。

 フラミーはデミウルゴスを見るとアインズをぐいぐい押した。

「…デミウルゴスさん、この人謹慎です。連れて行ってぇ…。」

 部屋の隅に転がるフラミーの杖を見た悪魔は察した。

 支配者に求められれば誰でも応じるべきだが、この二人は対等なのだと支配者達自ら言い聞かされている。

「あ、アインズ様!どうか、どうか今はフラミー様をお離し下さい!!」

 アインズはフラミーからゆっくり離れて座ると顔に手を当て、俯いた。

「デミウルゴス…。違うんだ……いや、違わないか…。違わないがそんな目でみないでくれ…たのむ…。」

「アインズ様…?」

 悪魔は察したが何かがおかしい様子に首をひねっていると、フラミーももぞもぞ起き上がりはだけていたローブを直し目元を拭った。

 

「デミウルゴスさん、『いつでも御身のお言葉に従う準備があります』ですよね?アインズさんを捕まえて下さい…。」

「あの、ですがアインズ様のこのご様子は…。」

「…やっぱり…私の言葉じゃダメですか…?」

「あ、いや、そんなことは…。アインズ様…、お叱りは後程…。」

 デミウルゴスはギシリとベッドに片膝を着くと、アインズに触れるか触れないかと言うところまで行って――硬直した。

「…フラミーさん、こいつがそんな事できるわけないです…。」

「じゃあ自分の足で早くでてってくださいよぉ。」

「こ、こんな状態であなた置いてなんて行けないです!」

「いいからぁ!出てってばぁ!」

「フラミーさん!!」

「フラミー様…アインズ様をお許し下さい、男性とは時にどうしようも――」

「うるさいうるさい!私だって男性の部分あるけどこんな事しないもん!」

「い、いや…あの見えた盛り上がりは男性というより男児…。」

「なっ、なんて…!?もう!二度と私に触んないで下さい!!」

「ああ…フラミー様、お小さくても気にされる事は――」

 

「そんな話じゃないです!!!」

 

 フラミーは無様に叫んだ。




はー闇ンズ様の中に鈴木の残滓がちゃんと生きててよかったぁ!

次回 #43 消えた帝国
あぁあ。謎のいちゃつきの後に唐突に禿げ散らかすじゃん。


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#43 消えた帝国

「評議国のツァインドルクス=ヴァイシオンに送る手紙のご確認を。」

 ロウネは書き上げた手紙をジルクニフに渡した。

 それは一口で言えば、一度うちに来て神王討伐についてのお話をしましょうと書かれたものだった。

 女神がもうじき手に入る確信が持てたジルクニフはついに昨晩その手紙を書くよう指示を出したのだ。

 

「ふん。いいじゃないか。闘技場に行くついでに私がフロスト便で出してこよう。」

「かしこまりました。よろしくお願いいたします。」

 やり切った顔をしているロウネは、頭の薄くなったジルクニフに頭を下げた。

 

 その日、女神と英雄を闘技場へ連れて行く予定だったが、英雄は約束の部屋には来なかった。

 

「フラミー様、モモン殿はどうされたんですか?」

「…あの人はナザリックで謹慎です。替わりにアインズさんの腹心であるデミウルゴスさんが付きました。――デミウルゴスさん。」

 少し不機嫌そうに応えた女神の後ろからは、聖王国を担当していると玉座の間で聞いた亜人が出てきた。

 どうやって知ったかは解らないが、神王は早くも一手打ってきた。

 モモンが今頃あのおぞましい王に罰せられているのかと思うと、枷を解かせようと少し急ぎ過ぎたことを心の中で謝罪した。

 しかし国のために非情になれる男はすぐにそのことを頭から追い出した。

「どうも、エルニクス皇帝陛下。改めましてデミウルゴスです。」

「…これはどうも。デミウルゴス殿。」

 悪魔は当たり前のように手袋をしたままの手を伸ばした。

 ジルクニフは魔導国こそ上だと言外に言われながら、屈辱の中手を握り握手を交わした。

 

「…皇帝陛下のお持ちになっているそちらの書状。宛先は評議国の物ですか?」

 デミウルゴスから向けられる極寒の視線の中、手紙の配送はついでに手配すれば良いなんて思ってしまった事を心底後悔した。

「はい。お茶会であまり話せませんでしたから。」

「そうですか。良ければ私がお手伝いいたしましょう。」

 デミウルゴスはそう言って手を伸ばした。

「…それには及びませんとも。」

『そう遠慮せずに渡したまえ。』

 この者は手紙の中身に勘付いているようだった。

「いえ。この様な些事をお任せするなど。」

「――なるほど、聞いた通りの方ですね。」そう言った視線は、まるで実験動物を見るようだとジルクニフは思った。「しかし、渡して頂ければ魔法で手紙を今すぐに渡せます。さぁ、お手伝いいたしましょう。」

 魔法で今すぐ送れると言われてしまってはこれ以上逃れる事は難しい様に思えた。

 震えそうになる手でそれを渡すと、デミウルゴスはパッと奪うように受け取り女神に跪いた。

「フラミー様。宛先はツァインドルクス=ヴァイシオンなのでご協力頂けますでしょうか?」

「良いですよ。<転移門(ゲート)>。」

「ありがとうございます。」

 ニコニコと愉快そうなこの悪魔のような男は見てもいないのに、反乱に勘付いているようだった。

 

 女神はしばし闇に上半身だけ入れると、顔を抜いた闇からは腕を組んだ鎧が現れた。

 

「皇帝が再び僕に何の用かな。」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)…私は君に手紙を書いたんだ。デミウルゴス殿、渡してくれ。」

 ジルクニフはこの悪魔の前では計画を語ることはできない。

「いやいや、折角なのでどうぞこちらはお気になさらずあの日に話し損ねたことを存分に語って下さい。」

 

 手紙を渡して帰らせれば良いだけなのに、わざわざここで話せと言ってくるあたりこいつは全て解って言っている。ジルクニフは確信した。

流石に神王の腹心なだけはある性格の悪さだ。

「どうしました?皇帝陛下。」

(不本意だが…バレている以上竜王を売って一度切り抜けるしかない…。反乱について黙っていて欲しければこちらに協力しようとアクションを起こすはずだし、とにかく先手を打たねば。)

 ジルクニフは決意を固める。おそらくは今まで行ってきたどんなことよりも危険な尻尾切りの始まりだ。強さでは勝てない以上、知恵を総動員するしかない。

 その覚悟が正面から、強くツァインドルクス=ヴァイシオンを直視する力へと変わる。

「ヴァイシオン殿。君は魔導国と神王陛下に心の底からお仕えしてはないんだろう。」

「そうだけど、それがどうかしたのかな?」

 ジルクニフはニヤリとデミウルゴスを見た。

 しかし、デミウルゴスは涼しそうな顔をしている。

 評議国のスタンスは分かりきっているのか。

 

「…私は君が神王陛下と再びぶつかるつもりだと知っているよ。全く良くない事だ。」

「あら?ツアーさん、アインズさんとまた喧嘩ですか…?」

 女神のセリフにジルクニフは既に何度かぶつかりあっていた事を初めて知った。

「いや。僕は今は取り敢えず喧嘩する予定はないよ。皇帝は何を言っているんだろうね。」

「そうですか!良かった。」

 当然のように竜王はしらばっくれた。

 

 デミウルゴスは面白そうにジルクニフの事を見ると、立っている女神の手を取ってソファの前に連れて行った。

「さぁ、フラミー様はお掛け下さい。皇帝とツアーの話は長くなりそうですから。」

「あ、ありがとうございます。ジルクニフさん、こちらは気にせずにどうぞ!」

 闘技場見学楽しみですね〜とフラミーは楽しげに笑った。

(気にせずに…。この悪魔のような男がいる間はそんな事できるはずがない…。)

 神王派に属しているこの様子では未だ女神の枷は外れてはいないだろうし――そうか。

 竜王に枷の情報は伝えておくべきだ。

「竜王。私は重大な秘密を握っているんだが、それは帝国と評議国の為になる物だとはっきりと言える。帝国に協力してはくれないか。」

 ピキッと部屋中の空気が固まったようだった。

 鎧に目などありはしないのにこちらを睨みつけている視線の軌跡がジルクニフには見えた。

「協力してくれるなら、秘密は君のものだ。」

「…竜王を脅す者がアインズ以外にいるとはね。まったく恐れ入るよ。」

 

 竜王も神王に脅されている――この情報はもっと早く欲しかった。

 力を蓄えているのではなく、竜王は弱味を握られていた為に神王へ挑めなかったのか。

 自分の大きな読み違いにジルクニフは頭を掻いた。

「…それで、君は僕にその秘密をもって何を望むのかな。」

「神王に再び挑んでくれ。」

 鎧は腕を組んだ。

「それだけは聞けない。まぁ聞いたとしても僕じゃ敵わないけれどね。」

「しかし、私は女神の助けが入らないように出来るぞ!」

 

 フラミーは首を傾げ、デミウルゴスは面白そうに少し笑った。

 

「ジルクニフさん、アインズさんを傷付ける様な事をするなら、私は命をかけて戦います。あの人の存在が私の存在理由です。」

「解っております。フラミー様、あなた様を縛り付けるその枷を外し、神王を滅する為なら私はこの身を捧げ――」

 ビンッとジルクニフの顔の脇になにかが飛んでいくと、頬からツツ…と血が流れた。

 一体何が?とゆっくり振り返ると、そこにはフラミーが投げつけた白い杖が壁に突き刺さって揺れていた。

「滅するなんて二度と言わないで。」

 女神は明らかに怒っていた。あれ程離れたがっていたと言うのに。

「し、しかし…一生このまま神王に縛られていて良いのですか!枷は解かれるのですよ!!」

 

「…縛られてて良いです。第一これは枷じゃなくて…祝福です。」

 

 フラミーはジルクニフの下へ進むと、それを通り越して杖を壁からズボッと引き抜いた。

「お互いが自分の人生なんて、良いじゃないですか。」

 背後から聞こえたしみじみと幸せに浸るような声にジルクニフは背を汗が流れたのを感じた。

 

 再び席に戻っていく女神の背を見ながら、ジルクニフは心の中で愛妾に悪態をついた。

(ロクシー!お前はこの二人の間に愛はないと前に言い切っていたが、やはり神々は愛し合っていたじゃないか!いや、ではモモンは!?…まさか…生まれた時から面倒を見ていた――タダの可愛い息子か…!!)

 全ての人間関係を読み違えていた事にようやく気がついた。不自然につかまされ続けた情報にめまいがする。

 あの時モモンは自分達の関係はそんなじゃないと言い続けていたのは照れ隠しではなく、まっすぐそのままの意味だったのだ。

 母の前でそんな話をするなと咎められていたのかと知るとジルクニフは頭を掻きむしった。

 

「ではフラミー様はこのまま神王が斃れるときに共に消滅する身のままでいいのですか!」

 ジルクニフは最後の希望に縋った。

 頼むからそれは嫌だと言ってくれ。

 

「良いです。万一の時は一緒に死にます。でもあの人は決して死にません。私が死んでも、あの人は守ります。」

 

(最悪だ…。)

 神々の枷の秘密に迫ったと言うのに、解かれるべき対象に裏切る気がないなら、こんな秘密には何の価値も無い。

 それを神王がわざわざ隠そうと振舞っていたのは帝国のような反乱分子を見つけ出すためか。

 もはや竜王に渡せる有益な物は何もなくなった事にジルクニフは頭を抱えた。

 

 するとデミウルゴスは勝手に手紙を開いて取り出すとニヤリと笑った。

「これは、明らかにアインズ様と魔導国への叛逆の内容ですね。こんな物を書くなんて全くいけない皇帝です。」

 

 フラミーがこの世界の文字を読めるデミウルゴスに感心していると、その両肩にはポンと手が置かれた。

 見知った大量の指輪がはまる骨の指にフラミーは恥ずかしくなって下を見た。

 

「エルニクス。お前はある意味いい奴だな。この人にここまで言わせる事ができるとは感心するよ。いや、ここ数日君には感謝し通しだとも。」

「神王…陛下…。」

 突如闇から現れた存在にジルクニフは顔を青くした。

 アインズはフラミーを持ち上げて抱えると、フラミーの座っていたソファに座り直した。

「それで?私達の秘密をもって、お前はなにを望む。今日の私は機嫌がいいからいくつか叶えてやってもいいぞ。」

「…秘密は今後も反乱分子の炙り出しに使う気か…。」

「はははは。反乱分子を黙らせるためにも脅されよう。さぁ、望みを言え。エルニクス。」

 お気に入りの羽を撫でるアインズは上機嫌だった。

 

「…っく…。アンデッドの…。せめてアンデッドのいない我が国を実現させろ…!」

 アインズはキョトンとした。

 あんなにアンデッドを増やして欲しがっていたのに突然何を言い出したのだろう。

「お前はアンデッドが大好きだろう?まぁ良い。おい、デミウルゴス。」

 

 デミウルゴスは嬉々として頭を下げた。

「それでは、帝国は本日をもって国としての歴史に幕を閉じる、という事で宜しいですね。これで皇帝の持つ国からアンデッドはいなくなります。」

「ん?あ、え?あ、そうだな。そうだ。」

 

 ジルクニフはドサリと膝をついた。

「そんな…最初から…最初からそのつもりで…!」

 最初から神王の手の中で踊らされ続けていた事に気が付いたが、もう遅かった。

「支配者のお茶会……ふ……ふふ……何の意味がと思っていたが…これが……帝国こそが狙いだったのか……。」

 神王はしらばっくれたような雰囲気だが、隣に立つデミウルゴスの顔は全てを物語っていた。

 

 まんまと踊り続けてしまった。

 女神もモモンもあの無垢さだったのだから、何も知らずに神王のあの手に操られて来たのだろう。

 こちらが全ての人間関係を読み違えるように絶妙に渡された数々の情報。

 盤上の全ての一手に意味があり、一片たりともジルクニフが付け入る隙はなかった。

 

 デミウルゴスはツアーへ顔を向けるとヒラヒラとジルクニフの手紙を見せた。

 読めもしない手紙だが、一連の皇帝の様子とアインズの動きを配下の影の悪魔(シャドーデーモン)から聞いた賢き悪魔は反乱の証拠を生み出し次第皇帝の心をへし折るので良いはずとすっかり全てを見抜いていた。

 慎重な皇帝に叛逆の証拠を生み出させる為に開かれたであろうお茶会からの計画はこれで実を結んだ。

 皇帝の動きを、アインズ以外の誰がこうなるように仕向けられるだろう。

 そしてフラミーはすぐに顔にでるし、演技はできないだろうと味方である至高の四十一人からまず欺き操ったその手腕は、デミウルゴスには決して真似できるものではない。

 最初から全てが茶番だったという証拠に、昨晩で始原の魔法をもつ事を知る者の捜査は唐突に打ち切りになったと聞いた。

 打ち切り後も僕達が必死にありもしない情報を探しているのが哀れで、デミウルゴスは代わりに主人の真意を伝えたのだった。

 フラミーにそう思い込ませる為に言っただけに過ぎないと。

(全く恐ろしいお方ですね。)

 

 デミウルゴスは振っていた手紙をツアーに渡した。

 この竜は常に世界征服に懐疑的だが、この状況と思い込みなら――

「ツアー。帝国は今後神聖魔導国となりますが、異論はありませんね?」

「これは…やれやれ。ただ、大丈夫なんだろうね。」

「もちろんですよ。エルニクス皇帝陛下、いえ。バハルス州知事エルニクス殿。誰かにヒミツを話すような事があれば、あなたの大好きな竜王はここを美しく整地します。ツアーこれで良いでしょう。」

「君は本当に邪悪だね。エルニクス、悪いがそう言うことだよ。」

 ジルクニフの歯を噛みしめる音がギリッと響いた。

 

 デミウルゴスとツアーの言を聞くとアインズは愉快そうに笑い声をあげた。

「ははは。そうだな。エルニクス。お前には州知事として働いてもらおう。ここでお前を殺さない意味がわかるな?」

 ジルクニフは恐怖の中首を傾げた。

 

「なんだ?お前は賢いとアルベドに聞いていたがな。お前は私の事を、お前のように裏切る者がいないかしっかりと監視しろ。私は今から特殊な魔法をこの地域に掛ける。お前が裏切ったと私が判断したら、即座にお前も、ここに生きる者達も死ぬ魔法だ。お前は苦悩を得るだろう。」

 

(そんな魔法はないのでしょう、アインズ様。)

 これで不信心者ばかりの帝国もこの元皇帝が働き、無血のまま魔導国にふさわしい場所になる。

 

 アインズは言うべき事は全て言ったと言う態度でゆっくり立ち上がった。

 フラミーを大切そうに抱えたアインズを、ジルクニフは苦悩に満ちた目で見つめていた。

 

「そうそう、我が国の神官達にはこう伝えておこう。お前は誰よりも信心深い男だとな。」

 

 デミウルゴスとジルクニフは背を震わせた。




ツルクニフーーー!!!!
御身と皇帝は勘違いし合ったまま終わるんかい!!!

次回 #44 閑話 長期謹慎処分
閑話ちゃん12時更新ですねぇ!

2019..07.10 まるごとりんご様、誤字の修正をありがとうございます!助かっております\(//∇//)\


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#44 閑話 長期謹慎処分

 あとをデミウルゴスとツアーに任せて、アインズはフラミーを抱えて自室に帰ってきた。

「ジルクニフさん、ちょっと可哀想でしたね。」

「ははは。まぁ良いんじゃないですか?殺す訳でも無いですし、一応地位も与えましたし。あとはデミウルゴスのさじ加減ですね。」

「そうですね。なんか変わった人でしたし、ちょうどいいのかな。」

二人は目を見合わせてクスクス笑い合った。

 

「…っていうかアインズさん、あなた一応一週間謹慎なんですけど。」

 アインズはギクリと肩を揺らした。

 一時は氷結牢獄に行ったが、ルベドの所で帝城の監視をしていて嬉しくなってしまい勝手に謹慎を終了させて出てきた。

「あー…。今から謹慎します。」

「そうして下さい。ほら、なんでしたっけ?いつも言ってる奴。」

「信賞必罰ですか?」

「それです!必罰です。」

 アインズの腕に座るようにしているフラミーはうんうん頷いていた。

 

「…フラミーさん。」

「ん?なんですか?」

「いえ、俺と謹慎しませんか?」

「私は悪いことしてないです!」

 プイと顔を背けたフラミーを無視して、アインズは寝室に向かった。

「おい、お前達。私達は今日から謹慎する。フラミーさんの食事だけ頼む。」

 寝室の扉を開くと、中は真っ暗だった。

「ん?え?どういう事ですか?私悪いこと――」

「悪いことしました。俺を散々おちょくった罰です。じゃあそう言う事だ。何人たりとも扉を開くことは許さん。」

 アインズは寝室の扉をパタリと閉めた。

 

 フラミーはベッドを振り返ると顔を真っ赤にしてアインズの首に抱きついた。

 背中をゆっくりポンポン叩くとアインズはベッドにフラミーを一度座らせ、その前に跪いた。

 最重要課題の言葉は結局何も決まっていなかった。

 膝の上に置かれるフラミーの手を取り骨の手で優しく撫でるとアインズは素直にならなければと思う。

「フラミーさん。俺、気の利いた言葉は何も知らないですけど…ただ、俺…あなたの事がすごく好きです。俺の人生だって、本気で思ってます。」

「わ、私も…。」

「やっと俺からも言えた。はは。」

 アインズは己の女神を見上げると心底幸せだと思った。

 バハルス州は良くも悪くもアインズの思い出の地になった。

 

「…昨日は本当にすみませんでした。もう二度と傷付けないって誓います。それで、ここに来たのは変なことしようって言うんじゃなくて、ちゃんと二人で話そうと思って。」

「…もう二人でいたくないって言ったら…?」

 苦しげに瞳の灯火は揺れ、消えた――

「受け入れます。そばにいてくれるならなんでも。」

 が、再び灯った火は決して揺れなかった。

「…嘘ですよ。ちょっと仕返ししたかっただけです。」

 アインズは安堵に笑うと再び手を撫でた。

「はは、良かった。フラミーさん、本当にすみませんでした。」

「もう良いんですよ。反省してくれたなら。」

 フラミーは自分の手に重なるアインズの手を取ると、顔を擦りつけた。

 

 アインズは握られている手を広げて顔を包むと、初めてちゃんと許可を取ろうと決めた。

「…あ…あの……キス、しても良いですか?」

 フラミーは顔を赤くすると膝に視線を落とした。

「やだって言ったら…?」

「やじゃなくなるまで謹慎し続けます。なんて言ったら怒ります?」

「怒らないですけど、百年かかるかもしれませんよ?」

「じゃあ、俺今度はちゃんと百年待ちます。」

「むぅ…。」

 フラミーはそれ以上何も言わなかった。

 アインズは立ち上がりお団子から蕾を引き抜いて今はこれは良いかとサイドボードに置いた。

「蕾…。」

 フラミーの呟きに、アインズは隣に座って手を握った。

「蕾、持ってたいですか?」

「ううん。アインズさん、骨だから良い…。」

「はは。人になるなってことか。よっ。」

 アインズはフラミーを持ち上げるとベッドの真ん中に座らせ、その隣に少し離れて寝転がった。

 

「じゃあ、早速百年待ちますか。謹慎は始まったばかり、ですね。」

 両腕を組んで頭の後ろで枕のようにするとアインズは目を閉じた。

「ふふっ、ちゃんと百年待ってくださいね。」

 フラミーのくすくす笑う声に耳を傾けながら、これが側にいてくれるなら百年だって千年だって万年だって待てると思った。

 すると、額に柔らかい感触が伝わりアインズは目を開けた。

 フラミーがおでこから唇を離して見下ろしてくるのを見ると、やっぱり百年は無理だなとすぐに考え直す。

 アインズは人化するとフラミーの後頭部を引き寄せて唇同士が触れるだけの短いキスをした。

「俺、フラミーさんがいたら本当にもう何もいらないです。」

 片手で顔を撫でると、アインズはフラミーを横に押し倒して上下入れ替わった。

 すぐにフラミーは恥ずかしそうに視線を逸らすと呟いた。

「…私はナザリックも要ります。」

「ははは、正直だなぁ。じゃあ俺もナザリックだっていりますよ。」

 二人は少しおかしそうに笑い、フラミーの顔を手で覆ったアインズは優しく唇を重ねた。

 長く謹慎してくれるように祈って。

 

+

 

 果たしてもうこの部屋に来て何日が経過しただろう。

 朦朧とする意識の中、フラミーはアインズとの繋がりが切れるともういよいよ限界だと目を閉じた。

「も…もう、謹慎、おしまい…。」

「はは。まだ罪の清算は終わってないのに?」

 後ろから覆い被さって可笑しそうに笑う支配者に、これも何度目のやり取りだろうと思う。

「ねぇあいんずさん…お外は今何時で…今日は何日なんですかぁ。」

「あー…解りません。疲れた?」

「疲れたぁ…。」

「じゃあまたおまじないしてあげますよ。」

 アインズは転がっていた蕾を手にしてキスしようとしたが、フラミーはぷぃと顔を背けた。

 

「もうおまじないじゃなくて、ご飯がいいです。」

 アインズは食事なんてものの存在をすっかり忘れていた。

「…やばい、食事は頼んでたんだ…。」

 とりあえず蕾をフラミーの耳に挿して頭を撫でるとごそごそとガウンを着て久々にベッドを降りた。

 扉が開かれる事に焦ってフラミーは布団を被ると、考えてみたらこれだけ長い時間寝室に入っていて、守護者の皆はどう思っているんだろうかとゾッとした。

 

 アインズが軽くドアを開けると、外から声が聞こえてきた。

「あ!アインズ様。そろそろ私もご一緒した――」

 アルベドの声を遮るようにパタリと扉を閉じるとベッドに戻ってごろりと転がった。

「…ご一緒ってどういう事だ…。」

「アインズさん…。」

「へーい。」

 ふざけ交じりに返事をした後フラミーを見ると、その顔は真剣そのものだ。

「あ、すみません。どうしました?」

 起き上がって聞く体勢に入ると、以前よく見たしんどそうな瞳が揺れていた。

 

「アインズさん…。アルベドさんや、シャルティア…ドラウさんはもう諦めますから、この先は…もうこれ以上増やさないで…お願い…。」

 フラミーは顔に手を当てごめんなさいと謝りながら一粒涙を落とした。

 

 アインズはフラミーの顔に当てられる手を引っ張り、涙の後を拭うと少し言葉の意味を考える。

「増やすって、仲間をですか?」

 フラミーはプルプル頭を振ると涙を拭いたアインズの手を握って顔をぐしぐし押し付けた。

「違うんです、あなたが今後…子供を産ませる人達です…。」

「な、何言ってるんですか!?」

 アインズはフラミーを引っ張り寄せて抱きしめると転がっているレースのローブを掛けて背中をポンポン叩いた。

「私、ずっと考えてたんです。迷路で。この先たくさん奥さんができるんだろうなって。それで、どんどん奥さんが増えていって、いつかは…私…私…。」

 

「絶対に増やしたりしませんよ!誓います。」

 アインズは抱きしめていたフラミーを離すと、ごそごそと自分の手にはまる指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を抜き取った。

「フラミーさん、こんなの、おままごとみたいだって笑われちゃうかもしれないんですけど…俺…あなたを…――…大切にします。俺と、死ぬまで一緒にいて下さい。」

 臆病な男は、たった一年と半年程度で愛していると伝えてはその言葉が陳腐になってしまう気がして飲み込んだ。

「あいんずさん、おそいですよぉ。」

 フラミーは泣きながら何度も頷いた。

 アインズは可愛い人だと思うと、フラミーの左手の薬指に自分の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を贈った。

 フラミーは左手を抱え込むように抱きしめ、アインズの胸の中に顔を埋めると縋るように泣いた。

 また順番を間違ってしまったとアインズは少し反省しながら腕の中の小さな存在の翼をいつまでもさすった。

 

 フラミーは涙が止まると、自分の右手の中指からこれまで使ってきた指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を抜き取りアインズの空けたままになっていた左手の薬指にそっと入れ――

「…アインズさん。私も、あなたの事…絶対に大切にします…。」

 フラミーはアインズにゆっくり顔を寄せて短いキスをした。

「………足りないな。」

 アインズはフラミーの顔を手で覆うように挟むと長い長いキスをして、再び肌を重ねた。

 

+

 

 アインズは目を覚ますと、フラミーを起こさないように人化を解いてから離れた。

 人の身でいると下手したら本当に百年ここから出られない。

 ベッドに腰掛けるとセバスに伝言(メッセージ)を送った。

 

「私だ。フラミーさんの喜びそうな食事を頼む。すまんな。毎日用意していただろう?…あぁ。私も食べる。」

 久しぶりの支配者ロールに、今のは正解だったっけと考えているとフラミーがゴソゴソと自分を探しているのが見えて、やっぱり食事を頼むのは早かったかなと人の身を呼び戻しフラミーに被さった。




百年そのままでもいいんだよ?
ばっちりがっつりR18の初夜の様子は次回の後書きに貼りますね!(頭おかしい

次回 #45 閑話 だってだって男の子だもん

久々に嫌な予感のタイトル!!
だもんシリーズ大好き!


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#45 閑話 だってだって男の子だもん

 セバスができたての食事を乗せたサービスワゴンを押して寝室の扉をノックすると、しばらく時間が経ってから支配者が久しぶりに顔を見せた。

「す、すまん。後三十分だけくれ…。」

 その姿は全裸にガウンを掛けていて全身汗だくだった。

「かしこまりました。では、三十分後に再び――」

 扉の向こうから何かを言っているフラミーの声が聞こえるとアインズは部屋の中へ振り返り、しばらく何かを考えた。

「……やっぱり二時間で頼む。」

 そして急ぐように扉は再び閉じられた。

 

 お世継ぎが楽しみだとワクワクしながらセバスは一度食堂に戻った。

 二時間後では食事は冷めてしまうし、その時間に合わせて再び料理長に作り直してもらった方がいいだろう。

 食堂につくと、キラキラした視線でメイド達がセバスを見ていた。

 

「アインズ様達はまだもう少しお勤めされるそうです。」

 キャー!と上がるメイドの声にセバスも嬉しそうにうんうん頷いた。

 

+

 

 結局二時間の約束も破られると、三日後支配者はようやく一人で寝室を出て来た。

「これはアインズ様。おはようございます。」

「すまなかったな、セバス。また食事を無駄にした。」

「いえ。そんな事もございましょう。それで、今度こそお食事になさいますか?」

「いや。良い。フラミーさんも寝ている。それより私が休んでいた間の外の事を知りたい。アルベド達を呼んでくれ。」

 ふぅーと長い息を吐くと支配者はソファに身を沈めた。

 セバスは深々と頭を下げてからこういう時に呼び出される知恵者三名を呼び出した。

 

 現れた知恵者達はアルベドだけいつもと違う少し露出の多いドレスを着ていた。

「アインズ様!ついに私もお誘い頂――」

 駆け出そうとするアルベドの首根っこを掴むとデミウルゴスはため息をついた。

「私達もいる以上そんなわけ無いでしょう。――アインズ様。お待たせいたしました。」

「父上。ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。」

「…お前たちも相変わらず元気そうだな。さて、私が休んでいた間の外の様子を教えろ。」

 

 知恵者三人は一度視線を交わすと、アルベドが代表して応えた。

「んんっ。この三週間――。」

「三週間!?そ、そんなに経っていたか…疲労無効は確かにフラミーさんの言う通り危険だな…。」

 

 アインズは一週間は遊んでいたつもりだったが、あまりにも長すぎた自主謹慎に頭を抱えた。

 そして疲労無効無く蕾の回復だけで過ごしたフラミーがよく三週間も壊れずに付き合ってくれたなと思う。

 いや、勿論やらしい事をせずにひたすら二人の思い出の話をして過ごした時間もあったが。

 ご飯にしたいと言い続けながらよがっていた姿を思い浮かべると一度首を振った。

「父上、よくお休みになられましたか?」

「あぁ…いくらなんでも少し休みすぎたな。」

「寝所に上がられる前に本当はお話ししようと思っていたのですが、私は弟がようございます!」

 息子のリクエストにデリカシーがない男は嫌われると心の中のメモに書き残す。

「…やかましい。アルベド、遮って悪かったな。続けてくれ。」

「アインズ様?私は男の子でも女の子でも、もちろん両性でも!いつでも産む準備はできておりますわ!」

「…デミウルゴス。お前が教えろ。」

 いやんいやんと腰をくねらせる統括と、ワクワクと花を散らしている息子を前にアインズは苦笑した。

 女子を連れ込んで三週間も寝室から出なかったのだから、当然交わっていると思われても仕方がないが――それにしても皆正直すぎる。

 

「は。この三週間強、大した変化はございませんでしたが、一点だけ早急にご報告しなければならない事が。バハルス州と面するカルサナス都市国家連合から、今後は隣り合う国同士是非懇意にと舞踏会の誘いが来ております。ちなみに私はお嬢様を望んでおります。」

「…お嬢様の情報は良い。それより舞踏会だと?」

 アインズの心の中には複雑なものがあった。その中で最も大きいのは「踊れるわけ無いでしょ、この馬鹿ぁ!」という絶望にも似たものである。つい顔を覆いたくなるが、抑制によってそれには至らない。

 特に今回の舞踏会は自分をまるで知らない者達による会であり、その場での失態は大きな余波を生むだろう。「神」という今まで作り上げた立場が瓦解することは無いにしても、それに匹敵するだけの何かが起こったとしてもおかしくは無い。今ある評価が一気に地の底にまで落ちるのは間違いが無い。

「――…この中で踊れる者はいるか?支配者として情けないが…私は踊れんし、恐らくフラミーさんも踊れんだろう…。」

 アインズの心中とは裏腹に、アルベドは目を輝かせた。

「実はそんな事もあろうかと、カルサナスから連絡が来て以来、三人で恐怖公の下へ行き必死に練習いたしました!アインズ様!練習ではパートナーとしてこのアルベドが御身にお付きいたしますわ!!」

 

「最初からフラミーさんと練習した方がいいと思うが…。」

「いいえ!素人同士では上達に時間もかかりますので!練習だけでもこのアルベドとっ!」

 そういうものかなぁと二人の息子に視線を送ると、デミウルゴスはうんうんと頷いていた。

「…まぁパンドラズ・アクターと手を取り合うよりはましか。」

「そんな父上!」

「あ、いや冗談だ…。お前はデミウルゴスと共に全体を監督したりフラミーさんに教えたりしてくれ。それで、いつ舞踏会は開かれるんだ?」

不服そうな雰囲気を出してからパンドラズ・アクターは応えた。

「まだ三ヶ月はございます。」

「そうか…。三ヶ月あれば何とでもなりそうだな。」

 

 アルベドはワクワクと翼を揺らし、アインズに近付き手を伸ばした。

「アインズ様?まずは少し、アルベドにお時間を下さいませ!」

「ん?あぁ…そうだな。あまりにも無様ではフラミーさんにも笑われる。」

 その手を取って立ち上がろうと力を込めると、アルベドは立たせる気など最初からなかったかの様にアインズに引っ張られその胸にダイブした。

「…何をやっている?」

 スリスリと胸に顔を擦り付けると、情欲に濡れた金色の瞳でアインズを見上げた。

「レッスンの前にまずは少しお情けを!」

 その瞳の向こうにフラミーを幻視し、アインズは思わず反応してしまった。

「まぁ!!アインズ様!!お早く!!」

「あっ、や、やばい!!離れなさ――。」

 罪悪感につい寝室へ視線をやると、寝室の扉からガウンを羽織ったフラミーが顔をのぞかせて居た。

 いつからそうしていたのか不明だがアインズの背にはタラリと冷や汗が流れた。

「あ、あぁ!早く!アルベド、どきなさい!!」

 アインズが立ち上がろうと腰をあげるとアルベドに太ももをギュッと抑えられ再び座らされた。

「いいえ!いいえ!!このアルベドを求めて御身の御身は疼いてらっしゃいます!!」

 もそもそとアルベドがローブの中に手を入れ始めると寝室の扉はパタリと閉められた。

 慌ててアインズは人化を解くと、アルベドの肩を持って後ろに押そうとするが、まるで石像のようなそれはフラミーの時のように後ろに押せる気配はない。

「お前達!アルベドは今日から謹慎だ!」

「…そ、それは、次はアルベドと寝所に上がるという意味で…?」

 デミウルゴスは判断がつかないようで困ったようにアルベドとアインズを見た。

「まぁ!!是非、是非謹慎いたしましょう!!」

「ち、ちがう!そうじゃない!この謹慎はお前一人だ!!」

「父上、妃の数だけ弟の確率は上がりますが?」

「お前は誰の味方だパンドラズ・アクター!!アルベド、兎に角離れなさい!!」

「アインズ様!お慰めいたしますので、早く人にお戻りください!!」

「セバス!!何をぼうっとしている!手伝え!!」

 控えて様子を見ていたセバスは慌ててアルベドを引き剥がした。

 

 アルベドがセバスに連れて行かれる中、アインズは自分の体の正直さにほとほと嫌気がさした。

「…レッスンは謹慎が解けてからにしよう。」

「「かしこまりました。」」

 息子二人は頭を下げ、今後のレッスンの計画を立てようとその場で楽しげに話し出した。

 解散と言わなければここを動く様子のない二人に苦笑しながら、寝室をノックする。

 しかし何の返事もなく、アインズは恐る恐る扉を開けた。

 

「フラミーさーん?」

 扉から顔をのぞかせて猫なで声で呼びかけると、そこには誰も居なかった。

「あー…そりゃそうだよな……。」

 念の為寝室に入り生命探知(ライフエッセンス)を発動させるが生き物の気配はなかった。

 

「父上?」

「アインズ様、如何なさいましたか?」

 後ろからかかる声にアインズは自分を責めてから口を開いた。

「…約束しときながら俺ってやつは…。お前たち、私はちょっと出る…。」

 

+

 

 フラミーは第六階層の湖畔に立つ水上ヴィラで一人気持ちの整理をしていた。

 これ以上は増やさないと約束してくれたアインズのためにも今いる彼女の存在はちゃんと認めなければいけない。

 指輪を交換した日、アインズにとって初めての相手だったフラミーから、当然一人以上増やさないと誓った思いはあまり正しく届いていなかった。

 そもそも既に友達以上奥さん未満の存在だと思い込んでいる三人は、この"増やさない"という約束に含まれないものだと認識していた。

 村瀬は生まれた時から孤独だった。身の回りに人は多くいたが、誰もが他人であった。

 手に入れた事がある者達と違い、手に入らない事に慣れているし、手に入れた後の情景を大して知らないと言うのは彼女の抱える問題のひとつだろう――。

 

 コテージの大きな窓を開けて目を閉じると、建物の足に水のぶつかる音が聞こえた。

 フラミーはアインズとアルベドは実際どこまでいっているんだろうと考える。

 毎晩欠かさず眠っていたため知らなかったが、もしかしたら夏に人の身を手に入れて以来皆既に抱かれているのかもしれない。

 手慣れた様子のアルベドと、それを見るアインズの瞳は自分を抱いていた時と全く同じ色をしていた。

 シャルティアには竜王国でキスさせていたし、ドラウディロンはアインズといつか結婚すると常に豪語していた。

 フラミーは既にいるこの三人をすごいと思う。

 皆がアインズを独占したいと思っているだろうに、まだ誰も「増やさないで」と頼んでいなかったことに深く感謝した。

 優しいあの人は誰かにそう言われたらすぐに分かったと頷いていただろう。

 なんでもっと早く素直になれなかったんだとフラミーは後悔した。

 どんどん周りに女性が増えてしまう前に気持ちを伝えていたら、その時から増やさないとすぐに誓ってくれていたに違いなかったのに――。

 フラミーはため息をつくと目を閉じて水の音を聞きながら眠りに落ちた。

 

 第六階層に夕暮れが訪れるとフラミーは目を覚ました。

 スッキリした頭で目を開くと、いつの間にかそこにはアインズが一緒に寝ていて、自分の上にはアインズのローブがかけられていた。

 見慣れ始めたアインズの長い睫毛を眺めながら、この景色を本当は何人が見たのだろうかと思う。

 ローブをずらすようにアインズに掛けるとアインズも目を覚ました。

「…あ、フラミーさん…。」

「おはようございます、アインズさん。」

「あの…俺…アルベドのっん――」

 フラミーは取り敢えず今はアルベドの名前を聞きたくないとアインズの口をそっと塞いだ。

 アインズはこれまでと違うキスに余程嫌な思いをさせてしまったとフラミーを抱きしめた。

「はぁ、フラミーさん…すみませんでした…。」

「良いんです。仕方のない事だってほんとは良く解ってますから。」

「そ、そんなことは…。」

 辛そうな顔をする支配者をフラミーは抱き締めると、この人にこんな顔をさせてはいけないと思った。

 アインズがどう思っているかは置いておいて、支配者として子供はたくさん持たなければいけないだろうし、アインズが支配者でいる事で多くの恩恵を受けている自分がその仕事を否定してはいけないだろう。

 

 自分がきちんと納得して四人で仲良く子供を産めるならそれが一番なのだ。

「…アインズさん…?あの、私に気を遣わないで…たくさん子作りして良いんですからね。」

 アインズは切なそうな金色の瞳に吸い込まれた。

「え?い、いいんですか…?」

「はい。私、ちゃんと、受け入れるから…。」

「そ、そんな誘い方……ああー!もう!ダメだ!!」

 アインズは顔を真っ赤にするとフラミーを抱きしめたまま立ち上がり、転がるように転移門(ゲート)に入った。

 寝室に着くと、アインズはフラミーに気を使うことをやめ、何度も何度も子作りに励んだ。

 訳もわからず激しく抱かれるフラミーから上がる声がたまに執務室にまで漏れてはデミウルゴスを悩ませ、パンドラズ・アクターと謹慎が解けて戻ったアルベドを喜ばせた。




杠(ユズリハ)様がフラミー様を描いてくださいました!!(*゚∀゚*)
可愛くて、これはアインズ様も抱き抱きしちゃうのも納得ですよ!!
よかったら皆様ご覧になって下さい!!

【挿絵表示】


あ、将来的にちゃんと誤解は解きますよ!!

次回 #46 閑話 影の立役者
12時です!

そして約束のブツです。(真顔
https://syosetu.org/novel/195580/7.html
既に読んだ方達は、もっとほぐしにほぐした方がいい派と、いいじゃん!いいじゃん!すげーじゃん!派で分かれました。笑
はじめてのR18だ!


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#46 閑話 陰の立役者

「…王国の玉座よりもエ・ランテルの州知事である方が断然価値があるだろう――この面子の中にあれの存在は特異すぎる――。」

 

 ラナーは帝国の馬車をチラリと見たようだった。

 

+

 

「まぁ、これはアルベド様!デミウルゴス様!よくぞいらっしゃいました!」

 ラナーは変わらず美しい笑顔で悪魔達(・・・)を迎えた。

 クライムは稀に来る守護神達(・・・・)に深々と頭を下げた。

「アルベド様、デミウルゴス様。どうぞこちらへお掛けください!」

「ありがとう。…ラナー。帝国がバハルス州として降ったわ。」

「それは素晴らしい事ですわね!私、支配者のお茶会では兄に久々に会ったもので、皇帝陛下――いえ、バハルス州知事様とはちっともお話できませんでした!またお茶会の際には同じ州知事同士、たくさんお話したいですっ。ふふ。」

 クライムは、皇帝が州知事になったとは限らないと言うのにまっすぐ州知事と言い切ってしまう自分の愛する姫の肩をトントンと叩いた。

「ら、ラナー様。万一違った場合、エルニクス様にも、州知事様にも失礼になってしまいます。」

 様子を見ていたデミウルゴスは心底嬉しそうに口元を歪めた。

「…いいえ、合っていますよ。アインズ様はエルニクス州知事を誰よりも信心深いと評していますからね。今後も彼がバハルスの地を監督して行きます。さて、クライム君。お茶でも出してくれないかな。」

「あ、はい!これは失礼いたしました!すぐにご準備いたします!」

 クライムが慌てて準備に行こうとすると、ラナーはクライムの袖をピッと取った。

「あ、いけないわ、クライム!一番いいお茶が切れていたんじゃないかしら?守護神様方には良いものをお出ししたいの。ねぇ、お買い物に行ってくれない?」

「ラナー様、まずは何かお出ししなければ――」

「良いのよ。私達はラナーが出したいものをいただきたいわ。デミウルゴス、あなたも良いでしょう?」

「勿論ですとも。」

「かしこまりました。では、すぐに行ってまいりますので、申し訳ありませんがお待ち下さい!」

 クライムは少しだけ上等そうな服の上にサッと上着を掛けると頭を下げ、急ぎ買い物に向かった。

 その背中を見送ると、悪魔達は途端に表情を変えた。

「ラナー。やっぱりあなただったのね。」

「一体いつから手を回していたのかな。」

「ふふふ。神王陛下が私のことも支配者のお茶会にお呼びくださるとご連絡下さってからなので…そうですね。だいたい聖王国からお戻りになった頃ですわ。」

「まったくとんだお姫様ね。じゃああなた、ほとんど一年前から帝国に情報を流し続けたと言うの。」

「はい。エルニクスが陛下方に不敬な思いを抱いている事はずっと知っておりましたから。あの愛妾のロクシーとか言う女は実に良い駒ですわ。エルニクスでは警戒するような情報も、あの女の下へ運べば次々と流れて行きますものっ!」

 ラナーの笑みは見るものを凍らせるおぞましいものだった。

 キャッと頬に手を当てたが、黄金の知事を美しいと今評するものはこの悪魔達くらいだろう。

「そうでしたか。では一年も我々に伏せてアインズ様と連絡を取り合っていたのですか?」

「いいえデミウルゴス様。私は情報を流し続けただけで、神王陛下とは一度も。お茶会を催すと仰ってから実に一年、陛下は私の事を気長にお待ちくださっていたようです。」

「…それで機は熟したとアインズ様はあれ程唐突にお茶会を開かれた訳ですね。ああ、アインズ様…。貴方は何故この小悪魔のやっている事がいつもお分かりになるんでしょう。」

 デミウルゴスは一切自分が気付けなかった細々と編まれ続けた蜘蛛の巣を目の前に、歓喜から背を震わせた。

「あなたにお茶会の案内をしに来た時、どうして私に何も言わなかったの。もっと早くに知っていたら、アインズ様のお手を煩わせる事もなかったかもしれないのに。」

 アルベドは少しだけ不機嫌そうに長い髪を払うとラナーの返事を待った。

「いえ、神王陛下が仰らない事を私が勝手に言うなんて、畏れ多くて私には…。」

 それは本心からの呟きだった。

「それはそうね。考えてみれば私達ではフラミー様をああも操れないでしょうし…。」

「下手に聞けば、フラミー様に不敬を働く皇帝を止めるために口出ししてしまっていたかな。たった三日で決着を付けるのは我々には不可能でしょう。」

 ラナーの瞳が見開かれる。

「ま、まさか神王陛下はお出かけからたった三日で…?」

「そうよ。アインズ様はたった三日で全てを終わらせてお戻りになったわ。」

「いくら私が情報を流したとはいえ…早すぎます…。」

 ラナーは智謀の神のあまりの手腕にゴクリと喉を鳴らしてしまった。

 すると外からなるべく足音を抑えて何者かが走ってくる音がする。

「もうワンちゃんが戻ってきたみたいよ。あなたとはまだ話したいこともあるし、本当にお茶をいただいてから戻ろうかしら。」

「アルベド様のお口に合うかはわかりませんが、どうぞそうなさってください。」

 そしてノックが響いた。

「私が開けましょう。」

 デミウルゴスは今回の功労者の飼う犬のために立ち上がると扉を開く。

「入りたまえクライム君。」

「これはデミウルゴス様!ありがとうございます!そしてお待たせしました!一番近くのティーショップにございましたので、今すぐご準備いたします!」

「それは楽しみだね。」

 クライムは嬉しそうに笑うとラナーに目配せし、ラナーも幸せの笑顔を返しながら頷いた。

 デミウルゴスが座り直し、再びクライムが姿を消すとアルベドは伝えなければいけない事を思い出す。

「そうだわ。今回のあなたの働きは称賛に値するものだったのだから、何かアインズ様にご褒美をお願いしなくてはね。あなたは何がほしくてこれを行なったのかしら?」

「いえ、私はただ神王陛下のお役に――」

「ただでやる程君は無垢じゃないだろう。」

 眼鏡を押し上げて邪悪に笑うデミウルゴスを見ると、ラナーは少しだけ困ったような笑顔を作って見せた。

「――そういうのは良いんだよ。アインズ様はいつも仰ってるんだ。信賞必罰とね。今御身はお籠りになっているが、籠もられる前にも信賞必罰と話をされていたそうだよ。さぁ、君の願いを言いなさい。」

 すぐに人を見透かす悪魔達の存在をラナーは嫌うどころか心の底から信頼している。

 守護神達に不敬だとは分かっているが、誰よりも自分を理解する二人のことを生まれて初めての(・・・・・・・・)友人だと思っていた。

「畏れ入ります。では――」

「お待たせしました!」

 クライムは明るい笑顔で戻ってくると、いそいそとテーブルにお茶を並べ、迷いなくラナーの隣に座った。

 ラナーはクライムの手に手を重ね、クライムはそれを握り返した。

「クライム、本当にありがとう!さぁ、どうぞお召し上がりください!」

「ありがとう頂くわ。」

「これは良い香りですね。…その様子だと、クライム君はようやく思いが通じたのかな?」

 デミウルゴスが笑いかけるとクライムは照れ臭そうにしてから語り出した。

「は、はい…。はは。お恥ずかしい限りです。ラナー様をお守りする為だけに生まれてきたというのに、このようについラナー様のご慈悲に甘えております。」

 ラナーは犬のこういう所が好きだ。

 関係を進めても犬は変わらない。きっと死ぬまでこうあってくれるだろう。

「そうかい。素晴らしい事だね。ふふふ。」

「フラミー様はあなた達の事を気にされていたから、帰ってお部屋からお出になったらお伝えしておこうかしら。」

「…アルベド様。」

「どうしたの?」

 ラナーはまだ生の神の役には立てていないが、今回死の神へ貢献したこの身に、慈悲を掛けては貰えないかと手を握った。

「光神陛下に…ご褒美はどうか光神陛下に…。」

 アルベドとデミウルゴスは目を細めた。

「なるほどね。分かったわ。お願いしましょう。」

「たしかに御方々は生命の御創造をされてきましたが…お聞き届け頂けるかはわかりませんよ。」

「それでもどうか。」

 クライムは何の話だろうと三人の様子をキョロキョロ伺った。

 

+

 

 それから幾日も経ち、再びアルベドから連絡が入るとラナーは歓喜に身を震わせた。

「クライム…ねぇ、お願い。」

「ら、らなーさま?」

「私…クライムに全部…あげたいの…。」

 クライムは顔を真っ赤にして、目の前で服を下ろしていく世界の宝を見た。

「ら、らなーさま、し、しかし…じぶんは…。」

「おねがい。」

 

 その夜二人は初めて繋がりをもった。

 クライムが果て眠った後にラナーはベッドから降りるとお気に入りのドレッサーの前に座った。

 

「ふふふ。光神陛下が私達を祝福して下さると仰ったのだから、きっとすぐね。ああ。楽しみだわ。どんな素敵なワンちゃんが生まれるのかしら。」




全部お前の仕業だったか…ラナー……。
さすがにこの二人の営みはいりませんね(真顔
クライムが背徳感に背を震わせてラナーが恍惚する話なんて!!

次回 #47 舞踏会へ向けて

真昼間ですが約束のブツです!
うーん、難しいですねえ。

気を使わない営み R18
https://syosetu.org/novel/195580/8.html

そして久々の勢力図です!ユズリハ様お手製です!

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いつもありがとうございます!


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試される命
#47 舞踏会へ向けて


 ジルクニフは州知事になり何ヶ月かが過ぎると随分頭が薄くなっていた。

 普段はもう帽子を被らなければ外には出ない。

「ロクシー、もう一回するか?」

「ご冗談を陛下。」

 ジルクニフのベッドからロクシーは一糸纏わず抜け出すと、ぺたぺたとドレッサーに向かって行った。

「陛下――か。お前はいつまでそう呼んでくれるんだろうな。」

 ジルクニフの後宮は顔立ちや親の地位で選んだ女達が揃っていたが、今ではすっかり見向きもしなくなった。

 女達も皇帝ではなくなったジルクニフに対して――いや、頭が薄くなりルックスが悪くなったジルクニフに対して、興味を失っている。とは言え嫁入りしたのに放り出されては困ると後宮は解散せずに未だ現存する。

 

 春先の空気はひんやりと寒く、ジルクニフは布団から出る気にならなかった。

「州知事殿と呼びますか?それより、そろそろリユロさんがいらっしゃる頃ではないでしょうか。」

「…あいつの教育は一刻を争うからな…。やれやれ、起きるか…。」

 ジルクニフは反勢力になりそうなものや、アインズ達を悪く言う者達、アインズをよく知らない者達を集めては熱心にその素晴らしさを説き、日々洗脳――いや、布教活動に勤しんでいる。

 布教会には近頃では飛竜騎兵(ワイバーンライダー)達が混ざり、熱心にアインズの素晴らしさ、その神としての力を語り、よく知らない者だけでなく、よく知っているはずの者も布教会に足を運ぶようになっていた。

 気分は一言で言えば最悪だ。

 誰かが下手に神王と言う言葉を口にしただけで死ぬんじゃないかと思う日々にジルクニフの頭はまた薄くなったようだった。

 しかし、事情を伝えたロクシーがついに自分の子供を持つことを決断してくれたのだけは僥倖だ。

 

 ジルクニフは服を着ながら、近々催されるイベントを思い出すと呟いた。

「…あぁあ。カルサナスの舞踏会…いきたくねぇなぁ…。」

 

+

 

 その頃、気を使わない営みを続けた支配者達は――

「はぁ。フラミーさん…もう一回…。」

「も、もうほんとにむりぃ…むりですよぉ…。」

 自分の腕の中で今にも意識を失いそうなフラミーを見ると、完全疲労無効化しているアインズは渋々繋がりを断った。

「…っはぁ…ちょっと幾ら何でも気を使わないにも程があったな…。」

 アインズはうつ伏せで色々な汁でまみれたまま転がっているフラミーを蕾によって回復すると清潔(クリーン)の魔法をかけた。

 適当なローブを着て死の支配者(オーバーロード)の姿を取り戻すと煩悩が駆逐されていき久々に賢者になった。

 

「…そろそろ働くか。あーカルサナスの舞踏会行きたくないですねー…。」

「…かぶとむし?」

「はは。そりゃコーカサスですよ。」

 元気が出たフラミーがもぞもぞローブを着るとアインズは下ろしたままの髪の毛を前へ送って背中のリボンを結んでいく。

「隣国になったとか言う都市国家連合が接待で舞踏会開いてくれるらしいですよ。――はい、できました。」

「あ、ありがとうございます。都市国家連合って、いつからそんな話になってたんですか?」

「あー…ここに戻ってくる前に。」

 二人はまたあれから何日が経っただろうと思った。

 今回はフラミーに疲労無効の指輪をつけさせたり外させたりして篭っていた為、相当長かった自覚を二人とも持っていた。

 アインズは"二人でどこか遠くへ"とか"全てを忘れて二人で生きたい"とか、ほんの少しだけ心の中で燻っていた欲求をこの謹慎(・・)ですっかり満たした。

 

「私、踊れまてん…。」

「三人も先生がつくそうですから踊れるようになりますよ。多分…。」

「うぅ…女神女神ってハードル上がってるから怖いですよぉ。」

「ほんとに……。」

 二人は揃って暗い顔をしたが、目が合った途端クスクス笑った。

「はは、ま、なんとかなりますって。行きますか?」

 アインズは手を差し出したが、フラミーは少し渋った。

 もっかいかな?とアインズが少しワクワクすると顔を赤くしたフラミーは呟いた。

「あ、あのアインズさん…みんな…私達がここで何してると思ってるんでしょう…。」

「そーれーはー……。」

 前回の守護者達の反応から言ってそれはもう二人でナニをしてるとしか思われていないし、事実そうだ。

 アインズは半ば開き直り始めていたが、女子にそれは難しいかもしれない。

「…仲良く執務してると思ってます…。」

 フラミーは顔を覆った。

「やっぱり…出れない…。」

「俺はそれでも良いですよ。」

 骨の手で顎を固定して顔を寄せていくとフラミーはアインズの骸の顔を両手で押し返した。

「やっぱり出ます…。」

「はは。行きましょう。」

 アインズがフラミーの手を引いて寝室を出ると、そこでは立ち去れと言わなかったせいで知恵者三人がソファで話し合いをしていた。

 全員がアインズの姿を見るとサッと立ち上がった。

 

「父上!おはようございます!」

「あぁ。フラミー様!羨ましい限りでございます!」

「アインズ様…フラミー様…お久しぶりです。」

 統括と息子はツヤツヤしていたが、デミウルゴスはなぜか少しやつれていた。

「…デミウルゴス、お前大丈夫か…?」

「いえ。なんのこれしき…どうと言うことはありません。ふ…ふふふ……ふふふふ……。」

 アインズとフラミーは目を見合わせると、アルベドがそれまで座っていたソファを勧められ腰掛けた。

「お前達も座れ。それで…舞踏会だな…舞踏会。はぁ。練習するか。」

 父と義母が座ったのを見るとパンドラズ・アクターは日々楽しく書き換えてきたスケジュールを二人に見せた。

「それでは、もう当日まで時間がありませんので、なるべく詰め込んで行いたいと思います。まずは恐怖公を呼ぼうかと思い――」

「「えぇっ!!??」」

 フラミーとアルベドの明から様に嫌そうな声にパンドラズ・アクターは首を傾げた。

「溜まり続けている執務は実に三ヶ月分ありますし、夜はお二人寝所へ上がられるかと思いますとやはり――」

「えっ!上がりません!!」

「えぇ!?」

 フラミーの拒否にアインズは微妙に傷付いた。

 

「上がりませんから、ちゃんと練習しますから、恐怖公さんは勘弁して下さい!そ、それに…それにそれに寝所に上がるって…。」

「…そうですか?父上はよろしいので…?」

「よろしいように見えるか?」

 不服そうな骨の父を見た後にフラミーを見ると、少しだけ顔を赤くして宜しい宜しいと頷き続けていた。

「んん。アインズ様。では、恐怖公は呼ばず、夜伽も我慢していただくと言うことで、きちんと我々がお教えいたします。」

 デミウルゴスはメガネを押し上げながらそう言った。

「仕方ないな…。それで?三ヶ月後だったか?」

「いえ、後一月ございません。」

 アインズは頭を抱えた。

「…真面目にやるぞ。」

 

 支配者達の三週間と二ヶ月に及ぶ謹慎は終了した。

 

+

 

 寝室を封印したアインズは舞踏会の練習を始め、幾日かが経過した。

 エーリッヒ弦楽団が奏でるは、デミウルゴスがドラウディロンより調査して来たこの世界の社交界で一般的に流れがちな曲達だ。

「あぁ…アインズ様…もう、このまま一生当日を迎えなければいいのに。」

 腕の中でうっとりするアルベドにアインズはいつ押し倒されるかとヒヤヒヤしていた。

 しかし当然骸骨モードなので最悪押し倒されても大丈夫だろう。

 ちらりとフラミーの様子を見ると、割と上達していてパンドラズ・アクターと普通に踊っていた。

 女性は基本的にリードする相手についていくようで、男性よりも難易度が低そうに見えた。

 パンドラズ・アクターがたまに持ち上げて回ったりすると嬉しそうに笑っていて、パートナーチェンジのタイミングでデミウルゴスに渡るときも割と様になっている。

 

「さぁ、アインズ様。そこで……そうです!!」

 そう声を上げたのは三十センチほどのゴキブリ――恐怖公だ。

 豪華な金縁の入った鮮やかな真紅のマントを羽織り、頭には黄金に輝く王冠をちょこんと乗せている。手には頭頂部に純白の宝石をはめ込んだ王杓を持ち、リズムに合わせてトン、トン、トン、と手のひらを打っていた。

 直立しているにもかかわらず、頭部が真正面からアインズを見ている。

 寝室を封印したと言うのにアインズの上達のスピードが期待通りに行かず、恐怖公を結局呼び出してしまったのでフラミーはこちらをちらりとも見る様子がない。

 アルベドは嫌そうだったが切り替えができるようで意外と普通にしていた。

「恐怖公よ。少し休まないか?」

 そろそろフラミーとの触れ合いが恋しかった。

「何をおっしゃいますアインズ様。アインズ様の腕前でお相手となるフラミー様の評価も決まるのです。さぁ、我輩も心苦しくはありますが、お続け下さい!」

 この男はたしかに三十センチサイズのゴキブリだが、デミウルゴスに勝るとも劣らない紳士だ。いちいち動きが洗練されており、優雅だった。

 最もな意見にため息をつくと、アルベドにリードされながら練習を続けた。

 

+

 

 カルサナスへ向かう春の朝、アインズ達は帝城――現州庁になった城を訪れていた。

 お供にはアルベドとデミウルゴスの知恵者二名贅沢盛りで、アインズはこれで踊ることだけを考えていられるはずと娘息子に全てをまかせる気でいる。

 ちなみにパンドラズ・アクターはミノタウロスとナザリックの管理の為に留守番だ。

 

「エルニクス州知事。元気そうじゃないか。」

「お、恐れ入ります。」

 骨のアインズを前に、ジルクニフは怯えた雰囲気だった。

「はは。そう怖がるな。前にも言ったが私は君に感謝しているんだとも。」

 ジルクニフは今回、仲介をして欲しいと都市国家連合から呼び出されていた。

 自分の頭の上で勝手にやってくれと思ったが呪いもありNGを出せずに渋々城を出ようとしている。

 先導する馬車にジルクニフは知恵者二人と乗るように言われると安堵にホッと一息ついた。

 今回のパーティーの主催地である、都市国家連合のベバードまでは馬車で約二日かかり、邪悪すぎる神王と移動するより、悪魔のような腹心と属国化当時世話になった天使と共に馬車に乗った方がまだマシだろう。

 ちなみにこの三ヶ月間、悪魔はしょっちゅう帝国に来てはジルクニフに汚辱にまみれた日々を提供した。

 

 支配者二人も馬車に乗ると都市国家連合についての書類にもう一度目を通していた。

「フラミーさんこっち座ったっていいんですよ?」

 フラミーはアインズの正面、進行方向に背を向ける形で熱心に書類を読み込んでいた。

「あ、待ってくださいね。もうちょっと…。」

「じゃあ、俺がそっち座ろうかな?」

 一度何かを読み始めると基本的に周りが見えなくなるフラミーは、もう何も聞こえていないのか、ふんふんと書類に目を通していた。

 たまにわずかに揺れる静かな馬車の中、アインズはフラミーの隣に座って書類を眺める横顔を見ると、たまにはこう言う景色も悪くないかと思った。

 しばらく見ていると、この角度はデミウルゴスも以前図書館で見たことがあるのかと思うと僅かに嫉妬し、骨の指で頬をぷにと押した。

「わ!び、びっくり!どうしました?」

「ははっ、可愛いなぁ。」

 アインズは満足すると骨の顔をふわりと緩め、外の景色を眺めた。




カルサナス…「ベバードを治めるカベリア都市長はジルクニフ好みの女性」
これしか情報がないですねぇ…( ;∀;)

次回 #48 閑話 不敬なイラスト
感想とツイッターで1週間前にお嬢様方の間で盛り上がりを見せたお話を書きました!

お代官様、約束のブツです。(三度目
営み1が女性の意見で生み出されたものだったので営み2は男性の意見で構築しました(*゚▽゚*)
そして「もっと甘い奴を」とご意見をいただいたので結局営み3まで取り急ぎ書きました。(ばか
でもなんとも甘さは足りなかったです〜、どうしたらいいんだろう?

気を使わない営み2 R18
https://syosetu.org/novel/195580/9.html
気を使わない営み3 R18
https://syosetu.org/novel/195580/10.html

御身たちのサイズ感をユズリハ様が描いて下さいました!
アインズ様が2m…でっかぁい

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#48 閑話 不敬なイラスト

 カルサナス出発数日前。

 アインズは踊りを何とか身に染み込ませると、恐怖公から休憩の許可が出た。

 どの世界にゴキブリにダンスを教わり、休みを管理される者がいるのだろう。

 アインズは言いようが無い感情に襲われるが、抑制される前にそれらを全て飲み込んだ。それしかないのであれば、そうするほかないのだから。

 練習がステップアップしていく中で、今ではフラミーと日々踊っていたが、踊り以外では触れ合っていないし、同じく休憩に入ったフラミーに会いに行きたいところだが――

「まずは風呂だ。」

 本番と同じ条件の練習が始まっている為、アインズは人の身で踊っていた。

 フラミーは「汚いおじさん」と言う生き物を嫌っているため清潔を心掛けなければいけない。

 それに、アインズは風呂が好きだった。

 人の身は代謝するので風呂の入り甲斐があるし、自分でも洗える為三助の三吉君に手伝わせる必要もない。

 真っ直ぐスパリゾート・ナザリックへ向かいながら、やっぱり風呂はこうでなくちゃと胸を弾ませていると、スパの入り口前に同じく休憩に入ったデミウルゴスとパンドラズ・アクターがいた。

 扉に手をかけていた二人はアインズの気配を察知し、すぐに廊下で跪いた。

「父上!」「アインズ様!」

「なんだ。お前達も風呂か。」

「は。フラミー様のお手を取るのにむさ苦しいのも如何なものかと。」

「…良い心がけだ。フラミーさんは汚いおじさんと言う生き物を心底嫌っているからな。」

 デミウルゴスとパンドラズ・アクターは僅かに背を震わせた。

「ところで、この風呂の会に私も参加してもいいかな?」

「「もちろんでございます!」」

 アインズは二人のいい返事を聞くと男湯の脱衣所へ踏み入れた。

 中ではメイド達が隅から隅まで、脱衣籠の()の中一つ一つに至るまできちんと拭き上げ、あちらこちらで動き回っていた。

 全員の瞳が扉へ収束するように動いて、アインズを捉える。

「「「これはアインズ様!!」」」

 開口一番全員が同じ言葉を投げかけてくる。

 

「なんだ?休館日だったか?」

「とんでもございません!お使い下さいませ!」

 メイド達は掃除の手を止めると流れるような動きで一列に控えだした。これまで足運びであるとかに興味はなかったが、ダンスのレッスンを続けたアインズはそのメイド達の洗練された動きを数秒眺めた。

 メイド服がふわりと翻る。黒いお仕着せの中には白いレースでできたペチコートが見え隠れし、この服をデザインしたホワイトブリムの並々ならぬ情熱を感じる。きっとこういう風に動いた時に美しい事を期待し、彼はこれらを作り上げたのだろう。

 彼がこれを見たら、それはそれは興奮するに違いないなとアインズは思う。

(――ん?)

 そして、一つの疑問が過ぎった。

 メイド達は手を前で軽く合わせ、動く様子がない。つまり、出て行く様子がないのだ。

 出ていくように声をかけようかと思うが、仕事を途中で中断させられては可哀想か。ならば場所を変えようかなと思っていると――何の違和感も持たないのか男性守護者は自分の脱衣カゴを決めそれぞれネクタイを引っ張り始めた。

「――い、いやちょっと待て!!」

 アインズは慌てて二人のネクタイに触れる手を握りしめた。

「ア、アインズ様如何なさいましたか?」

「父上?」

「お前達…やっぱりスパはやめだ…。」

 二人はネクタイに触れたままポカンとアインズの手とアインズを交互に眺めた。

「…二人とも私の部屋の風呂に来なさい。」

 アインズはそう言うとデミウルゴスのネクタイをキュキュっと引き上げた。

 デミウルゴスは元から緩めにネクタイをしているし、シャツも割と開けている為、はだけ方がパンドラズ・アクターの比じゃなかった。

「こ、これはアインズ様…恐れ入ります…。」

 アインズは隣でワクワクと「早く自分も」という雰囲気を出し続ける息子のネクタイもキュッと締め直した。

「さぁこれでいい。」

「ンンンン父上!!ありがとうございます!!」

 アインズは花を撒き散らかす息子に鎮静されながら、左手の薬指にはまる指輪をトントン叩くと転移して行った。

 

 支配者のいなくなった脱衣所でメイド達は少し赤くした顔を見合わせた。

「「「「「「公式供給キターーー!!」」」」」」

 それは雄叫びだった。

「爽やか!!爽やかすぎるタッチ!!!」

「そんな事をされてはデミウルゴス様は!!パンドラズ・アクター様は!!!」

「んんん!甘酸っぱい!!」

「デミウルゴス様のネクタイに触れられた時の、あの戸惑い!!」

「悪魔だというのになんと言ういじらしさ!!」

「はぁ〜尊い、尊いが尊くて尊い。」

 メイド達は一通り盛り上がるといつもより更にスピーディに仕事をこなし大急ぎで執筆(・・)に向かった。

 

+

 

 アインズは自室の風呂、と言っても銭湯よりも広いような風呂で人の身をわしわしと洗っていた。左右ではそれぞれ誘った二人も体を洗っている。

(あぁ〜こすれる感覚もたまんないなぁ…。)

 老廃物が体からなくなっていくのを感じる。やはり人として生まれたからか、人の身は良いものだ。

「父上、お背中お流しいたしましょう。」

 体から頭まで一つの石鹸で済ませたパンドラズ・アクターにそう言われるとアインズは思わず顔を綻ばせた。

「そうか、洗ってくれるか。」

 アインズの背後に回ったパンドラズ・アクターは泡泡なタオルをそっとアインズに当てた。

「では、失礼しまして。」

 背中を程よい力加減でタオルが上下に行き来する。

 パンドラズ・アクターはダンスの練習で流れている歌をふんふんと歌い、首筋から腕へと移動し、まるでアイテムを磨くが如く指の一本一本に至るまで洗い出した。

 気持ちがいいからまぁ良いかと任せていると、風呂の端にある木箱のようなところからぴょこりと青色の粘体(スライム)が顔を出した。

「――ん、三吉君。気にするな。今日は人の身だ。」

 そう言われると三吉君は再び家に戻り、入口からアインズが洗われる様子を眺めた。いいなぁと。

「あれは?」

 体を流し終わった様子のデミウルゴスは初めて見る者を捉えた。

「あれは骨の時の私の体を洗わせているサファイアスライムの三吉君だ。骨の時は一本一本洗うのが面倒でな。」

「ンンン父上!!それでしたら、このパンドラズ・アクターがいつでも参りますものを!!」

「い、いや…腰骨や骨盤の中も洗わせるから…お前には頼めん…。」

 アインズは足にかけてあるタオルへ軽く視線を落とした。

「私でしたら、そのスライム――三吉君よりも父上のお身体を熟知しております!!是非私に御身を磨く栄を!!」

 そうは言っても骨盤に開いている閉鎖孔の辺りなどを人の形をしている者に任せることなどできないし、毎日息子と二人で風呂に入ることも精神的に厳しい。アインズはザバァと己の身を流すとタオルを前に当て湯船に向かった。

「私は三吉君にこそこの仕事はふさわしいと思っているのだ。」

「し、しかし…。」

「しかしもカカシもない。それとも、お前は私が与えた宝物殿の管理者よりも自室の風呂場の管理者の方が良いとでも思うのか。」

 それを聞くとパンドラズ・アクターは猛烈な勢いで首を振った。

「そのような事は決してございません!!」

「そうだろう。」

 軽く体に掛け湯をするとアインズはザバァ…と身を浸した。

 二人も一定のパーソナルスペースを確保し――パンドラズ・アクターは若干アインズに近く――座った。

「はぁ…たまらん…。やはり風呂はいいな。骨身に沁みる…。」

 リアルではスチームバスしか入れなかったというのに、入れるとなると全身を湯船に浸からせたくなるものだ。

 金の蛇口の先に水滴が膨らみ、やがて重力に引かれてぴたーんと澄んだ音をもって大理石の床に落ちた。

 額に汗をにじませたデミウルゴスが熱っぽい息を吐き出す。

「ふぅ…耐性をカットして入る湯というのは格別でございますね。」

「全くだ…。」

 三人は風呂を堪能した。

 しばらく浸かっていると、誰かに呼ばれる感覚にアインズはこめかみに触れた。

「――私だ。」

『私です!』

 二人とも私と応える詐欺のような状況だが、アインズは相手が誰だか分かると顔を綻ばせた。

「フラミーさん。どうかしましたか?」

『あの、カルサナスで着るドレスのご相談をしようかな…って。それで、良かったら私の部屋に――』

「行きます。すぐ行きます。」

 食い気味だった。

『わぁ良かった!待ってますね!』

 何が起きたのかすぐに理解した男性守護者はすぐに風呂を上がる準備を始めた。

 

「すまないな。私は行く。しかし、お前達は好きなだけ入っていなさい。」

「よ、よろしいのですか…?」

「宜しい宜しい。のぼせないようにな。」

「父上。休憩終了までどうぞたっぷりお勤めください。」

「…いや、違う。違うぞ。」

 アインズは何故自分の息子だと言うのにこうも開けっぴろげなんだろうと頭を悩ませるとそそくさと風呂を上がってフラミーの部屋へ向かった。

「どうします?デミウルゴス様。」

「せっかくアインズ様のお部屋にいる御許可を頂いたのだから、もう少し――」

「いえ、これ、飲まれます?」

「…私はたまに君についていけないよ。」

 デミウルゴスが眉間を押さえる横で、パンドラズ・アクターは自分の持つ空間から瓶を取り出し、湯を入れた。

「…飲むのかい?」

「いえ、こちらは宝物殿へしまっておく分です。」

 あっけらかんと言い放つと、蓋をし再び自分の空間へしまった。

 男性守護者はしばらく経ってからアインズの出汁を上がると、アインズの執務室でメイドが盛り上がっている声に首を傾げた。

 

「君達、御身のお部屋で何をしているんだ。」

 扉を開けると、机の上には大量の書類が無造作に載っていた。

「で、デミウルゴス様!?パンドラズ・アクター様!?」

 メイド達はアインズが立ち去り割と時間も経っていたし、守護者も当然指輪で転移して帰っていると思い込んでいた。

 この二人は転移の指輪を着けることを許されているのだ。

「…なんですか?これは。アインズ様の執務の書類ならこのような扱いは――」

 デミウルゴスは机の上に散らばる紙を拾い上げると、硬直した。

「ん?デミウルゴス様、何ですか?」

 パンドラズ・アクターも近寄って手元のそれを覗き込むと、あぁと声を漏らしてうんうん頷いていた。

 

「やはり父上が人化するようになってからは人の身の御身とデミウルゴス様が定番ですね。以前は断然玉姦がメイドのお嬢様達の中では流行っていたようですが。」

「こ……これは…これは…。」

 デミウルゴスは余りにも不敬なそのイラストの数々に目眩を覚えた。

「骨に擦り付けるのもありましたが、やはりいれるというのは大事な――。」

「パンドラズ・アクター!君は何を言っているんだ!!」

 デミウルゴスは当たり前のように謎の言葉を話し始めたパンドラズ・アクターのジャケットを掴み上げ額に青筋を立てた。

 パンドラズ・アクターは人差し指と親指を合わせて円を作り、その中にもう片方の人差し指を入れていた。

「デミウルゴス様が父上を愛していても何の不思議もないことでしょう。」

「アインズ様を敬愛していてもこのような不敬を働くほど私は落ちていない!」

 バンッとイラストを叩くとデミウルゴスはそれを放った。

「デ、デミウルゴス様!申し訳ありませんでした!!」

 メイド達は急ぎ大不敬イラストを回収していくと頭を下げ、デミウルゴスはメイドの手の中で整頓された書類を奪い取ると全員を睥睨した。

「君達もあまり御身に不敬な真似をすれば殺しますよ。」

「「「「も、申し訳ありませんでした…。」」」」

「まったくこんな…。」

 デミウルゴスは書類に目を落とすと、しばらくそれを眺めた。

「…これは私が処分します。」

 メイド達が反省の面持ちで頭を下げるとデミウルゴスはそのまま自分の階層へ転移して行った。

「まぁ仕方ないでしょう。デミウルゴス様は父上にもフラミー様にも一方通行プラトニックラブですから。」

「そうですね…。」

 メイド達は取られてしまった新刊のラフが火山に放り込まれる様を幻視して泣いた。

 

 デミウルゴスはメイドの想像通り火山に大不敬祭りを放り投げた。

 ぶちぶちと文句を言いながら赤熱神殿にある自室へ帰ると、机の上に乗っているフラミーと昔撮った写真をしばらく眺めた。

 満足すると机の引き出しを開け、空の写真立てを取り出す。

「これはまぁ不敬ではないですね。」

 一枚だけ残された、アインズにネクタイを結ばれるデミウルゴスのイラストは写真立てに入れられ机に飾られた。

 

 それを悪魔達とメイド達が発見するまであと数時間。

 

+

 

 アインズはドレスルームの扉の前に座り、これかこれかこれかこれかこれかこれか……と無限に続くフラミーのファッションショーをほやほやした気持ちで眺めていた。

「それともこっちですか?」

「はは。可愛いです。フラミーさん。」

 どれを見てもアインズはそれしか言わなかったが、毎回フラミーは顔を赤らめて嬉しそうに笑った。




一週間前に感想欄で盛り上がりを見せたお話ちゃんを…!

次回#49 それぞれの思惑

踊るパンドラズアクターとデミウルゴスいただきました!
ユズリハ様よりです!

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踊る?運ぶ?御身もいただきました!

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#49 それぞれの思惑

 カルサナス都市国家連合――。

 カルクサーナス、ペポ・アロ、東ガイツ、西ガイツ、ヴェネリア、大ラスタラン、オークネイス、新オークネイス、グランウィッツ、リー、フラン・クラン、そしてべバード――以上十二の都市国家からなる共同体であり、各都市国家の平均人口は約四十万人、最も多い都市国家で六十万人ほどの連合だ。

 これら各都市国家は当初、数百年前まで遡れば元々巨大な一つの国家であった。その巨大国家の崩壊によって併合と分裂を繰り返し、大議論と呼ばれる討論の末、運命を共にし協力関係を続けて身を寄せ合い合う十二の小国家で連合が構成される現在の形に落ち着いた。

 こうなったことによって今までの怨み恨みがなくなるかと言うと、そうでもない。百年前は短命な種族にとっては過去の話だが、長命種にとってはそれほど昔とも言えない。

 表面上は仲良くやっているが、皆都市国家連合内の覇権を虎視眈々と狙っている。

 

「エル=ニクス様!お久しぶりでございます!」

 一人出迎えたのは今回の主催地ベバードを治めるリ・キスタ・カベリア都市長だ。

 その才覚を認められて若くして都市長の座に就いた彼女はジルクニフと同い年であり、快活で賢く美しい娘だった。

 ジルクニフは彼女が好みの女性だったので希に連絡を取り合っていた。

「あぁ…カベリア殿。お元気なようで何よりです。」

 まるで従者のように一番に馬車からおりた元皇帝はこの後死の神とこの娘を会わせなきゃならんのかと気が重くなる。

 自分は女神に不興を買っているが、あの無垢なる女神が少しでもこの人に優しくしてくれるように心から祈った。

「私、エル=ニクス様が帝国を州へと変え魔導国に名を連ねたと聞いて、やっぱりって思っちゃいましたわ!都市としてひとつを預かり持つというのも良いものでしょう!」

 楽しげにクスクス笑うカベリアにジルクニフは全然良くないと本当のことを言いたくなるが、心臓をあの手で掴み上げられる想像が背筋を凍らせる。

「そ…そうなんです。慈悲深き神王陛下の下で、州としてある程度の自治を認めて頂きながら、時に守られうまく回っておりますよ。」

 慈悲深き神王という以外は嘘ではないのだ。

 

「素晴らしい事です!生きるということは助け合うということですもの。おじい様――いえ、祖父のリ・ベルン・カベリアも英断だったと言っておりましたわ。」

 この人は聡明だが少し世界の善性を信じすぎているところがある。齢八十にもなるべバードの古鳥とまで呼ばれた、彼女の祖父である古強者のリ・ベルン・カベリアは恐らく「死なないための英断」と評価しているだろうが、彼女は――もっと真っ直ぐな意味でその言葉を受け取っているように感じた。

 気を付けてやらねば――とジルクニフが思っていると、守護神が二人降りてきた。

「あなたがリ・キスタ・カベリア様ですね。この度はお招き頂きありがとうございます。私はナザリック守護者統括、皆様の言う所の宰相を預かり持つアルベドでございます。」

 やはりこの天使は優しく丁寧だ。

 女神と双璧を為す魔導国の最後の良心だろう。

「側近のデミウルゴスです。よろしくお願いいたします。」

 こいつはダメだ。邪悪さが溢れ出ている。

 ちらりとカベリアの様子を見るとニコニコと何も疑わない様子だった。

 できれば自分が神王やデミウルゴスと共に過ごし、女神と天使にカベリアを任せようと思った。

 一通り挨拶をすると、デミウルゴスが神々の馬車へ近付きノックしたが、中から返事はなかった。

「…少々お待ちください。」

 中が見えないように扉を開けると、するりと馬車に身を滑らせて行った。

 

「アインズ様、フラミー様、着きましてございます。」

「すまんな。フラミーさんがちょっと馬車に酔ったみたいなんだ。」

「ご、ごめんなさい…。後ろ向きで書類読んでたせいかな…。」

 フラミーはアインズに背中をさすられながら顔を青くしていた。

「な、大丈夫でございますか?ペストーニャをお呼びしましょうか。」

「い、いえ。もうよくなり始めましたから…。それに大治癒(ヒール)は自分でも使えますし…。――こんな事ってあるんだ…。」

 くらくらしているのか視線はぼんやりとし、何も捉えていないようだった。

「ふー…行けます。降ります。」

 人の身になったアインズがフラミーを抱えると目配せし、デミウルゴスは扉を開いた。

「お待たせいたしました。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、フラミー様でございます。」

 

 麗しい王は美しく物憂げな女神を自分の腕に座らせるように片手で抱えて降りてきた。

 もう片方の手には金色の激しい力を感じさせる魔杖が握られている。光を反射して煌めき、迎賓館前の前庭に神話の世界を幻視させる。

「まぁ…なんて…。」

 カベリアは宗教画のような光景に口を開けた。

 あの邪悪さを知っているジルクニフすら、人の身の時の神王はもしや別人なのではと思わされるようだ。神聖な人ならざる存在は思わず頭を下げたくなるような圧倒的な気配を放っている。

「私が神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王、その人である。女神は少しばかり疲れているのでこのような格好で失礼させていただく。」

 カベリアはどうぞお気になさらずと微笑んだ。

 よく手入れされた前庭から迎賓館へ移動しながら、軽く都市国家連合について説明し、今日の予定を語られる。

 今回の舞踏会の会場はこの迎賓館の中でも最も大きい部屋が用意された。

 会場のホールの前に着くと、カベリアがジルクニフとともに先に入っていき、アルベドとデミウルゴスが一瞬こいつと入るのかと言うような顔をし合ってから扉へ進んだ。

「フラミーさん歩けます?」

「もうすっかり良いです!すみませんね、びっくりさせちゃって。」

「いえ…元気のおまじないしてあげますよ。」

 アインズはフラミーを抱えたまま顎を片手で持つとキスした。

 扉の前に立つ衛兵のような二人は割と濃厚なその接触に気まずそうにしている。

 この男は若干感覚が狂ってきていた。

 常にメイドや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が視界の端に映りながらフラミーとイチャつく日々に、人前だからなんとかと言う感覚は最早あまりない。

「げ…元気…でました…。」

「蕾はもういらない?」

「い、いります!」

「はは。ダメか。仕方ない、また別の作戦を考えよう。じゃ、いきますよ。」

 衛兵が扉をノックし、向こうにいるドアマンに入室を伝えた。

 

+

 

 その会には都市国家連合の全ての要職に就く者達が来ていた。

 舞踏会は単に踊るだけの会というわけでは無く、それは一つの権力闘争の場であり、縁故を強めるための場所でもある。

 都市長や上院議員といった連合の名だたる面々は、斜陽にあった竜王国を、女王と婚姻を結ぶ約束で大いに栄えさせているという魔導王なる存在にとても期待していた。

 隣接国家として仲良くしておけば、潜在的な外敵である騎馬王が攻めて来た時や、何か困った時に助けてくれるだろうし――何より、誰か一人でも娘を嫁がせることができればその都市国家は繁栄を約束されるようなものだろう。

 魔導王が娘を見初めてくれれば同じ連合に名を連ねる他の都市国家から一つ頭を抜いた存在になり、連合内での力は増し、派閥の勢力図は一気に塗り替えられる事は間違いない。

 

 楽団による演奏の響く会場には人間も亜人も関係なく数えきれない令嬢達が集まり、神秘のベールに包まれたその王の入室を今か今かと待ちわびた。

 皆が華やかな格好で集まり、穏やかな表情で談話をおこなう。天気の移り変わりや、自らの趣味などの穏やかな話から始まり――全ての乙女達は父親にアピールを頼まれている為口々に王の噂をした。

 側室でも召し上げられれば強国の王の縁者として家も国家も大いに繁栄するだろう。

「なんでも神王陛下は強大なお力をお持ちで、死を司る神でもあるそうよ。」

「神の如きお力を持つという事かしら?」

「違うわ。陛下は旧スレイン法国で祀られていた闇の神をかつて自分の代わりに地上に遣わせた程の神で、万年の時を生きると。」

「ではものすごくお年を召してらっしゃるの?」

「聞く話では人であり神であるとか。おじい様の可能性はあるわよね?」

 家のための婚姻を当たり前のものとして受け入れている彼女達は、相手が白い髭を蓄えるような年寄りだとしても構わないというような風だ。

 

「何にしても、どなたが神王陛下に見初められても私達いつまでもお友達でいたいわ。」

 姦しく話していた乙女達は一瞬黙りこくると、皆が力強く頷いた。

「魔導国へ行って寂しくなったら()に泣きつけばきっと一緒に帰って来て下さるから、いつまでもお友達でいられますわ。」

「まぁ!」

 違うでしょと笑い合う声は和やかだった。

 当然夫というのはこれから自分を嫁に貰ってくれるかもしれない神王のことだ。

「ふふ。夫に泣きつけばいいんだものね。」

「じゃあ、皆嫁いでも泣きついてたまには帰って参りましょうね!」

 乙女達の楽しげな笑い声は、都市長と元帝国皇帝の入室を知らせる声で僅かにボリュームが落とされた。

 

 ベバードの都市長と元皇帝が二人で席に向かって進む。

 薄緑色の肌で、頭に花を咲かせる美しい亜人の乙女達も噂していた。

「あの鮮血帝が国を任せたいと思うほどのお方だものね…。」

「属国まで入れると、もうこの大陸のほとんどがその手中にあるそうですわよ。」

「まぁなんと恐ろしい!うふふっ是非とも嫁ぎたいものね!」

 

 元皇帝に続いて、魔導国の貴賓の名が呼ばれた。

「宰相のアルベド様と、側近のデミウルゴス様でございます。」

 階段の上に現れた美しい天使と見たこともない亜人の男性の組は実に優雅だった。

 天使は白いドレスで、腰から生える黒い翼をスカートのように纏い、男性は紺色のタキシードに身を包んでいた。

 タキシードからは尻尾が伸びていて、軽く揺れるその動きすら洗練されている。

 

 ツルツルした滑らかな白い鱗を持つ耳の尖った亜人の乙女達はわずかに黄色い歓声を上げた。

「何て絵になるお二人なの?」

「宰相様であれでは私たち…。」

「あぁ…私はデミウルゴス様に嫁ぐのでもいいわ…。」

 男性達はアルベドの美しさを少しでも目に焼き付けようとただ黙って眺めた。

 

 乙女がうっとりと二人を見送ると、少し間が空いてから王は呼ばれた。

 

「闇の神であらせられる神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、光の神フラミー様のご入場です。」

 

 言葉とともに現れたのは、神々しく気品に溢れる美しき王と、この世の美と贅を凝縮したような女神だった。

 王は白いローブに身を包み、女神は黒いエンパイアドレスに美しい白いレースでできたローブを腕を通さずに肩に掛けていた。

 ローブは引き摺られる四対の翼と共に二人が進むたびに軽やかに揺れ、まるで光の痕跡を残していくようだ。

 

 全ての種族の者が圧倒的な美を前に押し黙った。人型の生き物の美醜が解らない種族のものも、その身に付ける物の美しさや、視線の動き、見事な裾捌きなどにゴクリと唾を飲む。

 楽団ですら演奏することを忘れてしまい、静寂の場と変わった会場の中を進む二人は少し目を伏せていて、その静寂こそが自分たちを迎えるに相応しいとでも言うようだ。

 二人が身を包む物で一体何年暮らせるのだろうかと誰もが思う。

 席の前につくと、女神と宰相が神王へ一瞬向けた視線に、男達がうめき声を上げた。

 それは男として誰もが憧れる視線だった。

 自分には決して向けられない、神王のみに向けられる感情をそこに感じ取り、幾人もの男が羨望に胸を抑えた。

 

「都市国家連合の方々よ、今日はお招き感謝する。楽しませていただこう。」

 

 神王の声に我に返り、楽団が曲を奏で始め、静かなざわめきが戻りだすが、殆どの者の目は壇上の席に腰掛ける四人から離れることはなかった。




次回 #50 命の芽吹き
2020.04.26 都市国家連合とカベリア都市長について原作14巻で判明したものを追記、変更しました。
ナザリック勢、どいつもこいつも優雅だな…!!

杠(ユズリハ)様から最高の絵を頂戴しました!!
R18ですm(_ _)m
https://twitter.com/dreamnemri/status/1149558343817580545?s=21

usir様から抱っこちゃんイメージを頂戴しました!!
全年齢です(゚∀゚)
https://twitter.com/dreamnemri/status/1149586470971170816?s=21


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#50 命の芽吹き

 アインズは一生懸命自分をもてなそうと斜め後ろから話しかけてくるジルクニフの好感度を再び上げていた。

 流石に皇帝だっただけあり場数を踏んでいるのか非常に話し上手で、話を振るのも展開するのもうまく、本来であればそのまま何時までも話をしていでも良いとすら思えるほどだった。

 しかし、アインズはこれから待っているダンスが少し気掛かりで、たまに心ここに在らずという風に生返事を送った。

 フラミーはどうかなと隣に座る様子を見ると、カベリア都市長とアルベドと共に楽しげに話していた。

 

 すると、聞き覚えのある曲が流れ出した。

 ドラウディロンからデミウルゴスが調査して来た曲の中にあったはずだ。

 フラミーは楽しそうにカベリアと口ずさみ始めた。

 これなら踊れそうだと少し安心していると、人々の視線が集まっていることに気が付き、アインズはこんな時どんなタイミングで立ち上がれば良いのか恐怖公に聞かなかったことに気が付いた。

 

「アインズ様。是非、まずは御身が。」

 困っているとデミウルゴスから背中を押され、アインズはさもわかっていましたというような顔でゆっくりと頷いた。

「良いのか?主催の方々を差し置いて私が。」

「もちろんでございます。陛下。」

 ジルクニフと、少し離れたところに掛けている上院議員達にも勧められ、アインズは立ち上がった。

 

「フラミーさん。行きましょう。」

「は、はひっ。」

 フラミーの手を取ってホールへ続く階段を数段降りていくと、想像より観衆が多く冷や汗が出るようだった。

 精神抑制をたっぷり使っていると、フラミーも緊張し始めたのか少し顔が強張っている。

 アインズはフラミーの耳に顔を寄せた。

「安心してください。絶対支配者のこの俺があれだけ練習したんです。俺に任せて。」

 フラミーはアインズを見ると、嬉しそうに笑った。

 

 二人は踊り出した。

 カルサナスではあまり見ない踊りだったが、その美しく洗練された動きに皆が「これが神々の踊りか」と感嘆した。

 女神の肩にかけられたレースのローブがさらりと舞い、下ろしていた翼が広げられたり閉じられたりする様子は、まるで水に広がる波紋のようで二人は泳ぐように踊った。

 女神は時に嬉しそうに笑い、それを見た神王が楽しげに女神を持ち上げて回り――たまに顔を近付けてはくすぐったそうに笑い合う様子はまるで恋人だった。

 見ていた乙女達は、聞きおよぶ話と少し違う様子に戸惑ったが、王ともあろうものが一人しか妃を持たないというのはおかしいし、事実竜王国の女王も嫁ぐというのなら、まだ芽はあると自分を奮い立たせた。

 一曲が終わり、拍手が響いて次の曲が始まるとカルサナスの地位あるもの達が続々とホールへ降りて踊り出した。

 

 アインズはここからが怖いんだと思っていると、フラミーと繋がれていた手は離された。

 数小節踊っては次のパートナーへ、数小節踊ってはまた次のパートナーへと渡っていく。

 たまたまアインズの手に渡って来た乙女達は皆一様にうっとりと笑いかけ、自分が何者なのかを名乗って行った。

 が、残念ながらアインズは一人として顔も名前も覚えられなかった。

 

 そろそろ曲も終わりかなと言うところでデミウルゴスと踊っているフラミーが見えた。

 二人は練習の時よりも生き生きと、楽しそうに手を取り合っていた。

 たまには許してやろうとアインズが思い、自分の腕に身を任せる令嬢へ視線を落とすと――

「フラミー様!?」

 デミウルゴスの声に辺りは騒然とした。

 音楽も止まり、皆が何事かとそちらを見ている。

 

「あっ……あれ…?まただ…ちょ、ちょっと待って下さいね…。」

「如何なさいましたか!?」

 フラミーは赤くなったり黒くなったりする視界の中、デミウルゴスの腕に抱えられるように床にうずくまった。

「うぁ…。」

「み、水を、すまない水を!」

 慌てて近くにいた白い鱗の令嬢が水を持ってくるとデミウルゴスはグラスを受け取り、フラミーの背中をさすりながら差し出した。

 しかしフラミーはそれを受け取らず、口を押さえてふるふる首を振った。

 本来ならば調子の優れない者を外に連れ出した方が良いのだろうが、悪魔に下等な周りの生物を気にする余裕はなかった。

「フラミー様いかがされたのですか!――アインズ様!!」

 デミウルゴスは水を令嬢に返すとフラミーの肩を抱いてアインズへ視線を送った。

 アインズはハッとして手を取っていた令嬢に軽く謝罪すると<飛行(フライ)>で二人の元へ飛び、人の輪の中に降り立ち慌てて駆け寄った。

「フラミーさんまた酔いました!?」

「うっ…、き、気持ち悪いです。ウッ!」

 フラミーはそう言うと数回えづいた。

「わ!アルベド!ペストーニャを呼べ!<転移門(ゲート)>!」

 近くに来ていたアルベドは頷くと慌ててその門をくぐって行った。

 デミウルゴスの腕の中で小さくなるフラミーの顔は文字通り真っ青だった。

「フラミー様、フラミー様!」

 周りには呼び出された治癒の神官達がいたが、近寄ろうとするのをまるで番犬のように睨みつけるデミウルゴスを前にどうすれば良いかと手をこまねいた。

 

「アインズ様!ペストーニャを連れて参りました!!」

 すぐさま転移門(ゲート)からアルベドが戻ってきた。

「――ま、またデミウルゴス様ですか!?…あ、わん!」

 ペストーニャの声にアインズは炎が視線の跡を残すかのようにジロリとデミウルゴスを見た。

「こ、今回は私は何もしていない!人聞きの悪いことを御身の前で言うんじゃない!!」

「今回はだと?ペス!デミウルゴスは本当に以前何をしたんだ!」

 聞かれたペストーニャがどうしようと口ごもっていると、フラミーはすっかり落ち着いたようだった。

「あ…あぁ…も、もう良くなりました。」

 へへへと笑うフラミーをデミウルゴスは抱きしめた。

「フラミー様、フラミー様。申し訳ありませんでした。」

「おい、デミウルゴス。お前――」

「あはは、私誰にも何もされてませんよ。デミウルゴスさんも、びっくりさせてごめんなさいね。」

 辛そうにするデミウルゴスをフラミーが撫でると、全員がほっと一息ついた。

「…兎に角、フラミーさんは少し休んでください。ほら、蕾使って。ペストーニャ。」

 デミウルゴスの肩を掴んで引き離すと、フラミーのお団子から蕾を引き抜き手渡した。

「フラミー様、少し座らせていただきましょう。あ、わん!」

 フラミーは肩を抱かれ、人々の心配そうな視線の中席に戻った。

 

「…騒がせた。すまなかったな。皆、楽しんでくれ。」

 アインズはある程度の距離まで聞こえるようにそう言うと、デミウルゴスとアルベドを連れて椅子に向かうフラミーの背を追った。

 

「フラミー様、ご病気ではいけませんので大治癒(ヒール)をお掛けしますね。あ、わん。」

「はぁい。はぁ。おかしいなぁ。ここの所胸焼けするし何だかずっとぼんやり調子悪いんです…。ダンスの練習のしすぎかなとは思うんですけど…。」

 ペストーニャはフラミーをまじまじと見た。

「…このような事をお聞きするのは大変不敬かと思うのですが」――ペストーニャは周囲で心配そうにしてる者達に聞こえないように声を潜めた――「御身の最後の生理はいつでしょうか?あ、わん。」

「え?せ、生理?そっか…そんなものもありましたね…。この世界に来てからは…一度も…。」

 ペストーニャはムゥと悩んでから立ち上がると、アインズが守護者と心配そうに様子を伺っていた。

「アインズ様、フラミー様を診る為にソリュシャンを呼びたいのですが、転移門(ゲート)をお願いできますでしょうか。あ、わん。」

「もちろんだ。行け。」

 開いた門へ立ち去るペストーニャを見送ると、フラミーはまたフラつきを感じた。

「あぁ…<大治癒(ヒール)>…。」

 自分でも何度もその魔法をかけているが調子が良くなる様子はなかった。

 

「フラミー様、どうかご無理をなさらず…。」

 デミウルゴスがフラミーの前に跪くとアルベドが悪魔をジロジロ見ていた。

 悪魔は宝石の瞳をずっと開いていた。

「デミウルゴス。あなた、以前フラミー様に何かしたようだけれど、一体なんなの?」

 アインズも腕を組んで聞かせてもらおうとでも言うような雰囲気だ。

「…それは――」

 フラミーはデミウルゴスの立てられた膝の上にあった手を握った。

「何でもないんです。皆の言ってる以前あった事って言うのは、私に大事な事を教えてくれただけなんです。だから、ただの勉強会。それに今は本当に何もされてません。そうですね、デミウルゴスさん。」

 アルベドはこんな風に至高の存在に庇われる悪魔を怪しく思ったし、アインズも本当に一体何なんだと心の中で黒い炎が燃え上がった。

 アインズは悪魔が悪魔に抱かれている最悪の景色を想像しかけたが、フラミーはあの時確かに自分と初めてを迎えていたので少しだけ冷静になった。

 

 いくら様々な事に疎いフラミーでも、このナザリックと言う集まりの中でデミウルゴスがやった事が広まったりすればこの悪魔は地獄に落ちるだろうと察しがついている。

 この子は自分が殺されるよりも恐ろしい目にあう覚悟を持ってあの日自分に手を挙げたのだ。フラミーはウルベルトの息子を守ると決意していた。

 それに、アインズからも彼を可愛がってやってくれと頼まれている。

 デミウルゴスがアインズとアルベドの厳しい視線に晒される中、ソリュシャンを連れたペストーニャが戻ってきた。

 

「フラミー様。申し訳ありませんが、一度ナザリックへご移動頂けますでしょうか。こちらでは診ることは難しゅうございます。」

 ソリュシャンの言葉にフラミーは頷くと、ペストーニャとソリュシャンとともに転移門(ゲート)を潜っていった。

 

 周りは徐々に宴としての体を取り戻し始めていたが、未だに何事なんだと皆が魔導国の一行を見ていた。

「…アルベド。フラミーさんは一体どうしたと言うんだ…。大治癒(ヒール)の通らない物なんて……始原の魔法か…?始原の魔法で回復すればいいのか?」

「わ、わかりません…。ですが、お試しになる価値はあるかもしれません。試されますか?」

「あぁ…そうしよう。とにかく調合を聞かねば…。」

 アインズはこめかみに手を当てた。

「――フラミーさん……すみません。調子良くなったらでいいんで、ツアーを呼んでください…。」

 伝言(メッセージ)ごしのフラミーは元気そうだった。

 

「はぁ…デミウルゴス……お前本当に何やったんだ…。」

「…も、申し訳ありません…。」

「お前が何かをやってフラミーさんがああなっていたとしたら、俺はお前を殺してしまうかもしれない…。頼むからそんな事はさせないでくれ……。」

 アインズは手で顔をおさえると、まだ戻らないのかと開いたままで放っておいてある転移門(ゲート)を横目で眺めた。

 すると、見慣れた鎧が出てくる。

「アインズ、フラミーに呼ばれたんだが…君、どうかしたのかい?それにここは?」

「あぁ…ツアー…。頼む、始原の魔法(アレ)の回復を教えてくれ。どうか…頼む…。」

 アインズの弱ったような様子にツアーは焦った。

「ど、どうしたんだ。教えるから、そんな…リーダーが命を落とした日のような顔をしないでくれ…。」

 座るアインズの前に初めてツアーは膝をついた。

 ツアーはどうしたらと思ったが、とりあえずアインズがいつもフラミーにしているように手を取って、その甲をポンポン叩いた。

「さぁ、僕の言うことをよく聞くんだ。…もし今人の身の優しい精神に引きずられてそんな風になっているのなら、一度人の身をやめてもいい。」

 ジルクニフは跪く竜王の言うことを聞いてゴクリと唾を飲んだ。

 やはり、別人のようだと思ったが人の姿の時の死の神は優しい王になっていたらしい。

 竜王の語る――それだけで魔法が発動するような不思議な言葉の数々の中、ジルクニフは周りの要人達にその鎧が何者なのかを説明した。

 

「アインズ、使えそうかい?」

「あぁ…あぁ、使えそうだ…。あとはあの人が戻って来たら、かけてみるよ…。」

 すると照れ臭そうにしたフラミーがペストーニャとソリュシャンを連れて戻ってきた。

 

「アインズ様!フラミー様はご懐妊でございます!!あっ、わんっ。」




ああああ!!!!
そりゃ三ヶ月も篭ってたらそーなりますわい!!!!

次回#51 閑話 その頃のナザリック



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#51 閑話 その頃のナザリック

 フラミーはツアーを呼んで送り出した後、ペストーニャに手を引かれて自室に入った。

「あの、私、どうしちゃったんですか…?」

「ご心配ございません。私達の想像通りでしたら、それはとても喜ばしい事でございます。あ、ワン!」

 ソリュシャンも嬉しそうに頷き、寝室の扉を開けた。

 フラミーは熱もないのに寝なきゃ行けないのかと扉をくぐると、ソリュシャンが伝言(メッセージ)のスクロールを燃やした。

「ユリ姉様悪いんだけど、全員連れてフラミー様の寝室へ来てくれないかしら。」

ベッドに腰掛け、ペストーニャとソリュシャンの様子を見ていると、戦闘メイド(プレアデス)の面々が到着した。

「フラミー様、只今参りました。」「お邪魔するッスよ!」「失礼いたします。」「……来た。」「フラミー様ぁ!入りまぁす!」

 

「皆さん…私、そんなに悪いんですか?」

 フラミーは不安そうだった。

 ペストーニャはフラミーの前に跪きその手を取ると、ゆっくり語った。

「フラミー様は生理のないお身体だと仰っておりましたが、御身の中には新しい命が宿っているかもしれません。あ、ワン。」

「ぇ…?」

「ですので、大変ご無礼かとは存じますが、どうかこの私共にそれを調べさせて下さいませ。あ、ワン。」

「に、妊娠してるんですか…?わたし…。」

「まだわかりません。ですが、私がお調べすればすぐに解りますわ。」

 ソリュシャンはフラミーの手を取って立ち上がらせた。

 ペストーニャの言を聞いて一気に顔を明るくした戦闘メイド(プレアデス)たちは行動を開始していた。

 シズとエントマが慌ててベッドのヘッドボード前にクッションを積んで行き、ユリとナーベラルは薄い毛布を取り出した。

 ルプスレギナは温かい湯を用意し――ソリュシャンはフラミーをそっとクッションにもたれ掛からせた。

「あ、あの、あのあのあのあの私、私。ちょっと女の人には見せられないというか、その。」

「フラミー様、そうは仰っても男性使用人では…。」

 フラミーはさっと顔を青くした。

「そ、それは無理です…。」

 ユリとナーベラルはフラミーの座った足の上にピンと張った薄手の掛け布団を持つと、ソリュシャンに頷いた。

 シズとエントマは控え、ドキドキと様子を見ている。

 ソリュシャンはルプスレギナの持ってきた湯に手を暫く浸して温めると、指を糸のように細長くさせた。

「それではフラミー様、申し訳ありませんがお下着を。あ、ワン。」

 嘘だ嘘だとフラミーは顔を真っ赤にしながらパンツを脱いだ。

「畳んでおきます!フラミー様!」

 相手を弁え、きちんとした口調で話すルプスレギナが明るく手を差し出す姿にぶんぶんと頭を振った。

「い、いいです!どうせすぐにはきますし、自分で持っておきますから!」

「そうですか?クンクンしてみたかったんすけどね"ッ――いったぁ!!」

 頭をすりすりしながらルプスレギナが横を向くと、ユリの鉄拳が下されたところだった。餅のようにぷくりと大きなタンコブができあがった。

「フラミー様、お許しください。ルプーあなた反省が必要よ。」

 ルプスレギナはトラウマのセリフにゾッと背を震わせると、大人しくシズ達の側に並んだ。

「……バカ。」

「バカですぅ!」

 

 ソリュシャンがフラミーの前に座るとフラミーは目を泳がせ始めた。

「では…不敬かとは存じますが、脚をお開きください。布団の下に顔は入れませんから、何も見えませんので。」

「あの、他に方法って…。お腹の上からエコーあてるみたいな…。」

 戦闘メイド(プレアデス)達は視線を交わし合ったがえこーの意味は不明なようだった。

「…ないですよね…。うぅ…文明ぃ…。」

 フラミーは文明を育てないと決めた事を少し後悔した。

 しかしリアルでも詳細まで確認が必要な場合は腹の上から当てる経腹エコーではなく、経腟エコーが用いられている――が、当然そんな知識は村瀬にはない。

 

 ソリュシャンは姉妹によって張られた布の下に手だけを潜ませた。

「痛みのないように行いますが、万一の時は仰ってください。」

 フラミーが頷くと検査が始まった。

 糸のようなそれはほとんど異物感もなく、なんだこんなものかとフラミーは安堵にため息をついた。

「痛みますか?」

「あ、いえ、全然!でも…ちゃちゃっとお願いします。」

 ソリュシャンは糸のような指をさらに細くし、慎重に臓器内部を確認した。

「…これは…。」

 片目に手を当てて眼球を一つ消す。それはソリュシャンの視界が別な場所に行ったことを意味していた。

「ソリュシャン…どうなの?」

 ナーベラルは焦れたように同じ三女に問うたが、ソリュシャンは真剣なため何も言わなかった。

 粛々と行われる検査の中フラミーはただ脚を開いてもたれ掛かり座っているだけだった。

 皆どこでこういう作業について教わるんだろうと関係ない事を考え始めると、ソリュシャンが深々と頭を下げた。

「フラミー様、済みましてございます。」

「あ、もう終わったんですね!どうでした?」

 ソリュシャンは口に手を当て震えたかと思うと、ポロリと一粒涙を流しながら答えた。

「っ…はい!フラミー様!本当におめでとうございます!!ご懐妊ですわ!!二ヶ月半から三ヶ月と言ったところでございます!」

 ソリュシャンの明るい声に、全員がワッと歓声に沸くと、皆が目元を抑えて震えていた。

 フラミーも喜びに一瞬溢れたが――

「ほ、本当にできてた…。」

 ミノタウロスの繁殖育成実験が終わっていない前に懐妊など本当に良かったのかと不安になった。

 こんなに早く子供ができるなんてアインズは想定しているだろうか。

「あぁフラミー様!アインズ様に早くお知らせしないと!」

「アインズ様もお喜びになりますわ!!」

「やばいっすね!!本当に、本当におめでとうございます!!」

「おめでとうございます…うぅっ…なんて佳き日でしょう…。」

「………すごい。嬉しい。」

「フラミー様ぁ!次はデミウルゴス様とですかぁ!」

 未だに繁殖実験を行うと思っているエントマは置いておいて、全員が諸手を挙げて喜んでいる様子にフラミーは照れ臭そうに笑った。

「あ、ははっ!皆ありがとうございます!!私、私お母さんになっちゃうんだ!!」

「「「「「「はいっ!!」」」」」」

 フラミーはいそいそとパンツを履くと、幸せそうに両手を口元に当ててクスクス笑った。

「ふふふふっ、ねぇソリュシャン。二ヶ月半や三ヶ月ってどんななんですか!」

「はい!性別は分かりませんでしたが、口、鼻などのお顔の特徴が形成されておりました!まだ瞼は閉じられ、口も開かないご様子でしたが、人よりも尖ったお耳を確認できました!まだ御身には感じられないような大きさですが、小さく動いていたようです!」

「え!も、もうお顔があるの!?たった三ヶ月で!?」

 フラミーはきゃーと寝転ぶとバタバタ脚を動かし、生まれてから孤独だった村瀬は初めて血の繋がりを持つ存在を想って胸を躍らせた。

 夢のようだった。むしろ夢ではないかと自分を疑ったが、夢ではなさそうだ。

 

「ふふっ!私の赤ちゃん!初めての家族!」

 フラミーはミノタウロスの事は置いておいて、どんな風に育てようと思い描いた。

 両親や仲間、友人に囲まれた日々を送ってほしい。

 なんなら、弟や妹がいても良いかもしれない。

 何もかも持たなかった自分の傷跡を埋めるように、まだ見ぬ我が子の未来を思い描いた。

 

「フラミー様。あ、ワン。」

「は、はい!」

 慌てて身体を起こすと、全員一列に並びベッドの前に跪いていた。

「不敬かとは存じますが、私達も御身の家族、でごさいます。あ、ワン!」

 フラミーは一瞬惚けると、ベッドを駆け下りてペストーニャに抱き着いた。

「ありがとうございます…!私、皆の事もちゃんと家族だって思ってますよ!」

 ペストーニャは僕だが、母のような優しさを持ってフラミーの翼を撫でると嬉しそうに身体を離した。

「さぁ、アインズ様にお知らせに参りましょう!ソリュシャンも一緒に来てアインズ様にもう一度詳細を。あ、ワン!」

「かしこまりました。さぁフラミー様!」

 可愛い娘達の笑顔の中、フラミーは戻って行った。

 

「これは祝杯だわ!!今すぐよ!!」

 ユリはくるりと妹達に向くと、妹達は当然と言った顔をしていて、皆でキャアキャア喜びながら寝室を出た。

 外には、戦闘メイド(プレアデス)が突然召集され何事かとセバスが控えていた。

「セバス様!!」

「皆さんどうかしたのですか。フラミー様に何か?」

 

「「「「「「フラミー様がご懐妊です!!!」」」」」」

 

+

 

 セバスは第三階層のシャルティアの住居――玄室を訪れていた。

 家の中には外に立ち込める死と腐敗の匂いは一切無く、濃密で甘ったるい匂いに満たされている。香を焚いているためなのか僅かに空気に色が付いているようだ。

 室内の照明は若干落とされて、室内に薄絹がつるされている。その薄絹にピンク色の光が当たり、僅かに輝く様はどこか淫靡なものがある。

 そんなハーレムじみた室内に、部屋の持ち主の声が響き渡った。

「そ、それは本当でありんすか!セバス!!」

「えぇ。ソリュシャンが今たしかに確認したそうです。あぁ…なんて素晴らしい日でしょう!」

 シャルティアはワナワナと震えながら立ち上がった。辺りに控える吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)の表情も劇的に変化した。まず澄ましていた眼は転がり落ちそうなほど大きくなり、少女もかくやと言うほどの無垢な喜びに満ちたものになった。

「わわわわ、す、すばら…すばらしすぎんす…!!この後竜王国に行ったら雑種に教えてやりんしょう!!」

「あ、いえ!それはお待ちください!」

 シャルティアは首を傾げた。どう考えても伝えた方がいい。

 これを機にドラウディロンには出る幕がないと分からせたかった。

「な、なぜでありんすか!」

「そこはアインズ様御自ら国中へ触れを出されるのが一番でしょう!我々が勝手に申し伝えてはいけません。」

「なるほど、それはそうでありんすね!初めてのお世継ぎの報告は盛大に神都で披露の宴を催すのが筋でありんした!!それに、その方があの雑種も理解しんしょう!ふふふ。」

 シャルティアは少し意地悪なことを言ったが、まさにその通りなのでセバスは満足そうに頷いた。

「お分りいただけて何よりでございます。それでは私はコキュートス様に御報告に参りますのでこれで!」

「ご苦労でありんした!妾ももう竜王国へいきんす!」

 ひらひらと幸せいっぱいの笑顔で手を振るシャルティアに頭を下げると、セバスは階層の転移ゲートへ向かって駆けて行った。

 

+

 

「ナ、ナンダト!!ソレハ本当カ!!!」

 多くの死体が収納されている凍り付いた湖の上、真っ白な世界に色を差し込む二人は興奮したように向かい合った。

「はい、コキュートス様!ついにお世継ぎがお生まれに…と言ってもまだ性別は分からなかったそうですが。」

「オオオ!私ハコノ時ヲズット待ッテイタ!!素晴ラシイ…ナンテ素晴ラシインダ!!」

 コキュートスは四本の腕を空高くあげ数歩進むとピタリと止まった。

「……私ハ爺ト呼ンデ頂ケルダロウカ?」

「それはもうアインズ様とフラミー様に…いえ、お世継ぎ様にそうお願いするしかありませんね。」

「フフフ。不敬ダト言ワレナケレバ是非ソウ呼ンデ頂コウ!アア…素晴ラシイナ!アアボッチャマ、爺ハ…爺ハ…!!」

 爺と言う立場になって、二人の子供に仕えている光景を幻視し始めたコキュートスをセバスは幸せそうに暫く眺め、長くなりそうなのでそのまま置いて第六階層へ向かった。

 

+

 

「「えぇぇーーー!!!」」

 水上ヴィラのそばでふんふん、と話を聞いていた双子は結論を告げられると口を丸く開け、声を上げた。

「じ、じゃあ!ついにお世継ぎがお生まれになるんですね!!」

「はぁー!かっわいいんだろうなぁー!!」

 二人はキラキラと星を飛ばすような無垢な瞳でセバスを捉えた。

「全くですねぇ!すでに尖ったお耳が見られたそうですよ。」

「わぁー!すっごーい!!」

「あ、あの!ぼ、ぼく、男の子だったら、僕のお洋服、貸してあげます!!」

「マーレ、それは不敬でしょ!」

「だ、だってお姉ちゃん。」

「ふふふ、アインズ様とフラミー様でしたらきっとお喜びになるでしょう!もしかしたら、フラミー様のように両性の可能性もありますし、はっ、お洋服の手配も始めなければいけませんね!!」

 気の早いセバスはポンと手のひらを叩いた。

「それに、フラミー様には滋養のあるものを召し上がって頂かなければ。来たばかりですが、私は料理長の下へ行きます。それではこれで。」

 セバスはパッと頭を下げると再び駆け出して行った。

 

「あー!どんな方にお育ちになるんだろうねー!」

「き、きっと、すごく美しくて、かっこよくて、それで、慈悲深いお方になるんだと思うよ!お姉ちゃん!!」

 双子はこれから会える命を想って胸を躍らせた。




まぁただじゃ産ませませんけど(?

次回 #52 視線の交わる時


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#52 視線の交わる時

「か、かいにん!?」

 

 アインズはガタンと立ち上がった。爆発した喜びはシュンッとすぐに抑制されて消えてなくなった。大きすぎる感情は何度も湧き上がったが、何度でも間髪入れずに押さえ込まれ、その頭は冷静そのものになった。

 フラミーはどんどん子作りをしてくれと子供を心底望んでいたし、最初からそのつもりで励んでいたのでいつかは出来るかと思っていたが、付き合い始めてたった三ヶ月半でできてしまうとは思いもせず、心底驚いた。

 そして、まだミノタウロスの子供の育成実験も――それどころか繁殖すら行えていないのに先走ってしまったかと振り返る。

 この先どうやって育てて行こうかと一瞬で多くのことを考えた。フラミーの為にこれから何をしてやれば良いのか、我が子の為に何をしてやれば良いのか――。幸福な思いは再び抑制された。

 周りからは祝いの言葉と拍手がドッと上がっていた。

 ジルクニフは、帝国を落としてからすぐにでも交わったのかと思うとあまりにも悔しくて泣けた。

 枷の秘密なんかもういらねーじゃん、この呪いどーしてくれんだよ、と膝を地に着き顔を抑えた。

 ジルクニフの内心とは裏腹に、感涙を落とし喜びに身を震わせていると思った周りの要人とカベリアはすっかりもらい泣きし、場の和やかさは最高潮だ。

 

 しかし――

「あ……あの……ご、ごめんなさい…。」

 フラミーは周りの温度と対照的に、喜ぶ様子のないアインズに気まずさを感じていた。

「あ、いや!違う!!そうじゃない!!」と言うと、再び抑制された。

 アインズは精神抑制が邪魔くさくなり「ええい!」と鬱陶しそうな声を上げ、その効果を外した。

 その身には形容し難い達成感のようなものや、大いなる喜び、かつて失った両親への感謝、溺れるほどの幸福が一気に襲った。

 感情に任せてフラミーに駆け寄ると、高い高いするかのように持ち上げてくるくる回った。

「わっ!あ、あいんずさん!!」

「フラミーさん!!すごいじゃないですか!!子供ってまじでできるんだ!!ははは!!」

 アインズの謎の発言に、守護者は骨のはずのアインズが子供を持てる神秘に確かにスゴイと納得した。

 人の身しか知らない面々は種族を超えた愛に感動した。

「アインズ様!安定期前ですのでご安静に!!」

 ソリュシャンの慌てる声にアインズはそうかそうかと笑って一度フラミーを下ろした。

 

「あぁ!すごい!すごいすごい!!フラミーさん、本当すごいですよ!!」

 アインズは自分の胸の中にフラミーを収めるとギュウと抱きしめた。

「あぁ…すごい…本当すげーやぁ。俺、父ちゃんになっちゃうのか…!フラミーさん!」

 ふふふと笑うアインズにフラミーは安心して目を閉じた。

 ――二人の脳裏には父上という声が響いたが埴輪の顔は努めて無視する。

 

 そしてアインズはあることを思い出し、フラミーを自分の背に隠すようにバッと鎧に振り返った。

 

(――君達には生殖しないで貰いたいけど。)

 

 七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の元へ行くときに漏らしたツアーの言葉を忘れるほどアインズは馬鹿ではなかった。

 鎧は階段を降り始めてこちらに向かいだしている。

 アインズは杖を握る手に力を込め掲げると、腕輪は輝きながら浮かび上がり始めた。

 脳内には一撃で鎧を破壊し、その後評議国に始原の魔法を撃ち込む一通りの動きが浮かんでいる。

 しかし、いくら始原の魔法が強力だとは言えここから届くだろうか。僅かに不安になりながら、これまで触れたことのない破壊を司る始原の魔法に手を伸ばす。

「アインズ…まさか…君たちの子か…。」

 ツアーの呟きにアインズはいよいよかと殺意を持って破壊の力を握りしめると一瞬グラリと視界が歪み――竜神の象と目があった気がした。

 周りで祝いの言葉を口にしていた人々は様子のおかしいツアーとアインズを交互に見た。

 どこかからか竜の咆哮が聞こえる――。

(うるさい、うるさいうるさい…。)

 使ったこともない強大な力に触れ続け視界が歪みかける中、アインズは鎧から目を離さなかった。

 

「ツアー…俺は今からお前が口にする言葉の如何では、私はお前を今すぐに――」

「待てアインズ。君が想像するようなことをする程僕は外道じゃないよ。」

 ツアーはユグドラシルの血の者がまたこの世界に増えるのかと少し不快感を持ったが、その雰囲気を察したアインズは今にも世界を破壊しそうだった。

 別に最初から殺そうなんて思いもしていなかったが、少しでもプラスに考え直そうと心を入れ替える。

(子供がいればこの二人は世界を決して蹂躙しないだろうし、必死になって守る…かもしれないか…。)

 ただ、はっきり言って世界征服については懐疑的だし、その子供がどう育つのかと思うと恐ろしい。

 

「――フラミー、良かったね。祝いの品は何が良いかな。君達の欲しがってた僕の鱗をあげても良いよ。」

 穏やかな様子にアインズはようやく安堵し、魔杖を下げ腕輪で無理矢理呼び出そうとしていた力から手を離した。

「…ツアー、良かったよ…。色々すまない。」

 ツアーは謝罪を聞きながら近付いていくと友人(・・)を抱きしめ背中をバンッと叩いて離れた。

「良いよ。君のそう言う所に僕もだんだん慣れて来たようだ。面白い友人だよ。」

「はは、友人か。良い響きだな。」

 二人は朗らかに笑い声を上げた。

 

 その後ツアーは帰され、会は舞踏会から祝いの会に転じた。

「フラミーさん疲れてないですか?」

「ぜーんぜん!」

 踊ったり飲んだり食べたりしている人々を眺める横顔は嬉しそうだった。

 アインズは帰ったらナザリックか神都か、エ・ランテルで式を挙げようと決め、また順序が間違っていたと反省する。

 指輪はあるものを交換しただけだし、愛していると言ったこともないし、結婚してくれとも言っていないし、いつも自分はヘタレてフラミーを傷付けがちだ。

 

 親に手を引かれた令嬢達が次々に名乗ってはアインズとフラミーに祝いの言葉をかけ立ち去っていくと言う不思議な状況の中アインズは思考を続けた。

 

+

 

 宴のあとナザリックへ報告の為一時帰還しようとすると、下はスケルトンから上は守護者まで、僕の狂喜乱舞に二人は一時帰還を見送った。

 カベリアが事前に用意していた部屋は二つだったが、二人は一つの部屋に集まった。

 

 アインズは掃き出し窓を開け、小さなバルコニーにフラミーを連れ出した。

 ひんやりした空気が流れる満点の星空の下、アインズはフラミーの両手を取った。

「フラミーさん、調子どうですか?」

「良いですよ。とっても。でも、ギルメン(みんな)に笑われそうだなーと思うと胃が痛いですよぉ。ははは。」

 フラミーは照れ臭そうに笑い声をあげた。

「はは、俺皆にボコボコにされるかも。特に女性陣には相当怒られる気がします。…はぁ。反省する為に謹慎しようかな。」

「あ、あの、あんまり…乱暴なのはダメってソリュシャンが…。」

「あ!ち、違います。一人で、一人でちゃんとした謹慎です!」

「あ、はは。恥ずかしい…。私ったら。」

 

 下を向いて押し黙ったフラミーの両手の甲を親指でさすりアインズは少し考えてから跪いた。

「フラミーさん、俺、もう二度と順番を間違えません。…一度も正しい順序で進めなくて…本当にすみませんでした。」

 フラミーの目の中にたくさんの星が写り込んで輝いている。

 その向こうにも美しい星空が広がって、まるで夢のような景色だった。

「良いんですよ。私、すごく嬉しいんです。親を知らない私が親になれるか不安だけど、前にアインズさんが言ったように、たっくさん愛してあげるんです!」

 ふふっと笑うフラミーは心底幸せそうだ。

「そうですね。沢山愛してやりましょう。きっとフラミーさん、至高のお母さんになれますよ。俺も精一杯頑張ります。」

「アインズさんも絶対至高のお父さんになれます!私の、私の生まれて初めての本当の家族。へへ。ちょっとだけ不安だけど、頑張りますね。」

「俺があなたの全てを支えます。安心して産んで下さい。…でも、その前に。フラミーさん。俺は、あなたを愛――。」

 コンコンコンとノックが響いた。

 いつもならここで止めるが、そう言う自分の呪われた体質はここで断ち切らなければ。

 ちらりと扉を見たが、アインズは出なかった。

 良いのかと目で訴えるフラミーの手をぎゅっと握って首を左右に振ってから、ゆっくり伝えた。

「村瀬さん。愛しています。俺と結婚して下さい。」

 フラミーは困ったように笑ってキラキラ輝く雫を落とした。

 もったいない――アインズは迷宮でフラミーの髪の毛を拾っていたコキュートスの姿を思い出す。あれはどうしたんだろう。

「あは、鈴木さん。あなたに…どこまでも付いて行かせて下さい。私も、愛しています。」

「…っ、俺、必ずあなたを幸せにします!!」

 

 ノックが響く中アインズはフラミーを抱き寄せて長いキスをした。

 誰が何の用で来たのかは知らないが、今だけは出たくなかった。

 アインズは唇を離すとフラミーを抱えてベッドに向かった。

 初めての日のようにフラミーはベッドを振り返ると、恥ずかしそうにアインズの肩に顔を埋めた。

 ノックはしつこかったが一回くらい待ってもらおうと決めてフラミーに被さると、外からは遂に声が聞こえた。

「アインズ様。申し訳ありません。アインズ様!」

 デミウルゴスの声にこいつが珍しいと思うと、アルベドの声も聞こえだす。

「アインズ様!フラミー様!至急お耳に入れなければならないことが!」

 鬼気迫り出したその声に、アインズは渋々フラミーから離れた。

「あいんずさん…。」

 名残惜しそうにしているフラミーにもう一度被さるとアインズは囁いた。

「すぐに戻ります。いい子でいて下さい。」

 フラミーがウゥ…と声を上げるのを聞くと腹をトントンと撫でて、一度人の身を手放した。骨になってしまうと、先程まで胸に溢れていた幸福はずっと落ち着いた。

 

「なんだ。お前達。全く守護者達は皆仕方な――」

 

「アインズ様!!竜の谷付近から激しい揺れが!!竜王国のシャルティアと、ミノタウロスの国のパンドラズ・アクターから連絡が来ております!!」

 

 アインズはフラミーをちらりと振り返ると、フラミーは起き上がってベッドに座った。

「…セバスも含めた全守護者を呼べ。流石にやり過ぎたようだ。私が奴を起こした。」

 

 アインズは守護者二名を連れて部屋に入った。

「アインズ様、竜王は起きたのでしょうか…?」

「あぁ。起きただろうな。これまで新しい力を使うたびにあれを見て来たが…夢の中以外でこれほど鮮明だったのは初めてだ。すぐにでも出てくるか。」

 アルベドが不安そうなのをみると頭をさっと撫で、骸の顔で笑ってみせた。

「そう不安がるな。ロンギヌスをパンドラズ・アクターから回収しろ。デミウルゴスは直ちに従属神を連れて来い。記憶を書き換える。行け。<転移門(ゲート)>。」

 守護者達は了解の意を示すと直ちに滑り込んで行った。

 

「フラミーさん、すみません。あれを片付けたら、式について話し合いましょう。あなたはここで待っていて下さい。」

 ベッドの上のフラミーを引き寄せて抱きしめながら、本当に自分は帰って来られるだろうかと少し思う。

 まだ大きくもなっていない腹の中に、新しい命があるのかと思うとアインズは心底この世界に、この人と来られて良かったと思った。

(もし戻れなかったら…デミウルゴスに全てを任せてユグドラシルと始原の力を持って生まれて来るであろう子供を――)

「アインズさん?」

 全てを見透かしたような瞳にアインズはドキリとした。

「は、はい。」

「結婚式、話し合いましょうね。私の夢は可愛いお嫁さんだって、覚えてますよね。」

「はは。そうでした。」

 

 二人が穏やかな視線を交わす中、転移門(ゲート)から、続々と守護者が出て来て跪いていく。

 これでまたもうじき夏を迎えることになるが、そうするとここに来て二年だ。

 こうして傅かれる事にもすっかり慣れた――と、王様気取りのサラリーマンは自嘲する。

「アインズ様。具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)を連れて参りました。」

 手足をもがれた従属神(ルーファス)は黙ってアインズを見上げた。

「お前の生まれた意味を書き換える。スルシャーナに別れを告げろ。」

 従属神は目を閉じた。

「ルフス、お前の記憶には何度も助けられた。恐怖も痛みも持たない体を選んでお前を生んだ(スルシャーナ)に私も感謝しよう。」

死の支配者(オーバーロード)よ…。」

 目を閉じたままつぶやいた従属神はアインズを呼んだのか、スルシャーナを呼んだのかわからなかった。

 

 アインズは杖をかざした。

 

 竜の谷から決して近くないはずのこの地すら揺れだすと、パンドラズ・アクターは全員に再び世界級(ワールド)アイテムが渡っているか確認し、装備を整えるように伝えた。

 

 オーレオール・オメガからシャルティアに渡ったもの。

 コキュートスの持つ幾億の刃。

 評議国に行って以来持ち続けているアウラの傾城傾国。

 マーレの山河社稷図。

 デミウルゴスのヒュギエイアの杯。

 アルベドの真なる無(ギンヌンガガブ)

 セバスの世界級(ワールド)アイテムの中でも特に強力な力を持つと言われる「二十」の内の一つ。

 

 生きる意味を書き換えられた従属神はシャルティアに回復され、パンドラズ・アクターから聖者殺しの槍(ロンギヌス)を受け取った。聖者殺しの槍(ロンギヌス)もやはり「二十」のうちの一つだ。旧法国には半端な口伝が残っていたが、これは使用者を完全抹消する代価として、標的も完全抹消させることができる。課金アイテムだろうが、復活魔法だろうが、決して力が届くことのない死。世界級(ワールド)アイテムでのみ復活することができる狂ったアイテムだ。

 パンドラズ・アクターも「二十」のうちの一つを腰のバッグに携えると、フラミーは王国との戦争以来しまっておいた強欲と無欲を取り出し、アウラと共に隣室へ行った。

 アインズはセバスに手伝われながら神話級(ゴッズ)アイテムのローブをまとう。

 少しすると傾城傾国の上にいつものジャケットを着たアウラと、出来うる限りの最強装備へと身を包んだフラミーが戻った。

 

 どう見ても一緒に出ようとしているその姿に、アインズは戸惑う。

「…フラミーさん、待っていて下さい。」

「アインズさん、光の神は闇の神と共にいないと消滅するんですよ。」

 守護者達は支配者達の様子を見た。

「私、一緒に行かないと…消滅しちゃいます…。」

「……俺だって光の神が消滅したら消滅しちゃいますよ…。」

「じゃあ、じゃあ――」

「お願いします、ここにいて下さい…。」

 

 NPCを生み出さず、至高の四十一人の中でもあまり力を持たないその悪魔が、こちらの世界に至高の支配者とたった二人で渡った意味を守護者達は改めて思い知る。

 コキュートスは忠誠の儀の時に送った言葉を今一度二人に送った。

「…フラミー様ハモモンガ様ヲ支エル何ニモ代エ難イ()デス。ゴ一緒ニイラレルノガ…何ヨリカト。」

 

 アインズは一度目を閉じてからフラミーに告げた。

「…ツアーを。」

「はい。」

 フラミーは二人で過ごしたバルコニーへ出て行き、転移門(ゲート)を開くと全身でくぐって行った。

 

 転移門(ゲート)は見たことがない程に大きく広がり出すと、白金に輝く美しい竜が、巨大な剣を手にした女神とともに姿を現した。




次回 #53 目覚め

っく…最終回がまた近くなってきてる感じをビンビン感じます…!!


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#53 目覚め

「ツアー…。これがお前だって言うのか…。」

 

「はじめましてだね。アインズ。」

 

 アインズは外の悲鳴を無視してバルコニーの手すりに手をついた。

「…強そうじゃないか。」

「強いよ。少なくとも守護神達よりはね。ははは。」

 竜の身から上がるツアーの笑い声は低く、体の芯を震わせるようで心地よかった。

「フラミーさんの持ってるそれは…?」

 フラミーの手には水晶の刀身を持つ煌びやかな剣があった。ただ、それは斬るには向いていないような形状だ。

「わかっているだろう。アインズ。八欲王の空中都市を支える、ぎるど武器だ。あっちには三十人の従属神がいるから、なるべく早く破壊してくれると助かるよ。」

「気前がいいじゃないか…世界の守護者様は…。しかし、三十人のNPCの話は初耳だぞ…一体どういう事なんだ…。」

「彼らはこれを破壊しないという約束と引き換えに、決して都市を出ず、世界に影響を与えないという誓いを立てたから見逃してきたんだよ。これに衝撃が加わると彼らにはすぐに伝わるらしいが…従属神は破壊と同時に消滅するんだからこんな話も君には関係ないだろう。」

「…お前なぁ…。まぁいい。――フラミーさん、今はまだそれを壊さないでください。」

「アインズさん…?」

「生きたNPCがいるって事は拠点もこれまでと違って完璧に生きてるって事です。お宝収集しなきゃもったいないですし、NPCの実験もしなくちゃいけません。今は壊さないで下さい。」

「そ、それはそうですけど…。」

 アインズは困惑しているフラミーの手から剣を捥ぎ取り、パンドラズ・アクターに放り投げた。

 本当はアイテムの回収やNPCの実験よりも、フラミーを戦わせないと決めていた為力を持たせる事を恐れた。

 今は自分より(・・・・)絶対弱者でなければいけない。

 

「ツアー、アレは今後俺が管理しても良いか。」

「…壊して良いと思ってフラミーに渡したんだ。好きにすると良いよ。ただ、空中都市の者達に返すような真似は絶対にしないでくれるね。」

「ああ、約束する。お前は今日から自由に生きてくれ。そんな体があるのに穴蔵から鎧をぴこぴこ操作してるだけなんて、もったいないじゃないか。」

 アインズのいつもよりずっと若い声で漏れる笑いに儚さを感じるのは何故だろうとツアーは思った。

 

「パンドラズ・アクター。お前はそれを一度宝物殿最奥に置いて――」

 地を――星を突き破る爆音が響き、ガタガタと激しい揺れに見舞われると、全員が遠くの夜空へ視線をやった。

 

 空には巨大な黒竜が怒りに荒れ狂っている姿があり、それは真っ直ぐアインズを見てから咆哮した。

 アインズはこの景色を見たことがあると確信する。

 竜の谷からこれほどの距離があると言うのに空気はビリビリと震えていた。

 世界中の人々が家の外へ出て、遠くに小さく見える恐ろしい存在を目にした。

 

「神王陛下!?あ、あれは!?」

 バルコニーの下からカベリアがジルクニフと共に見上げていた。

「…私達は行く。あぁ、そうだエルニクス。お前の呪いはこの時をもって消えた。明日の街の案内だが――また、機会があったら頼む。」

「へ、へいか!?」

 

 アインズはフラミーを見ると笑った。

「フラミーさん、ごめん。」

「え?」

「<睡眠(スリープ)>。」

 腕輪を輝かせ適当な始原の力を乗せながら唱えられた呪文はフラミーの意識を瞬時に奪った。

 倒れるフラミーをアインズは抱き止め、この約二年の記憶が、この三ヶ月のフラミーの笑顔が自分の頭からひとつでも溢れてしまわないように一度目を閉じる。

 

「あ、アインズ様!本当にフラミー様をおいていかれるのですか!?」

「アルベド。それがこの人と…この子の為だろう。お前達も言っていたじゃないか。私がいなくなる時には世継ぎを残せと。」

「そ、そんな!!アインズ様は一体何をお考えなのですか!!」

「何も考えてない。だからこそこうする。どうなるか私にはわからないんだ。本当に。」

「…アインズ様をもってして…お分かりにならないことがあると言うのですか…。」

 

 月光を反射して輝くツアーはアインズとフラミーの様子をじっと見た。

「アインズ、後悔するんじゃないか?」

「後悔したくないから、私は――いや。今は時間がない。」

 パンドラズ・アクターがギルド武器を宝物殿にしまい、急いで戻って来たのを確認すると、アインズはパンドラズ・アクターとデミウルゴスを手招いた。

「パンドラズ・アクター、お前は万一私が死んだ時に私を復活させろ。しかし、私は始原の魔法に身を染めユグドラシルの法則を超えた。最悪ユグドラシルの力が届かない可能性もある。その時にはお前はパンドラズ・アクターの名を捨て、アインズ・ウール・ゴウンを名乗ってこの人のそばで生きろ。」

「ち、父上、そんな、できません!!」

「出来るはずだ。お前の神の望みを叶えろ。」

 パンドラズ・アクターは絶句した。

「返事は。」

「………Wenn es meines Gottes Wille(我が神の望みとあらば).」

 アインズは帽子越しに自分の最高傑作の頭を撫でた。

 

「デミウルゴスよ、そうは言ったが、いつかはそれもバレるだろう。その時には…、どうか…お前が、この人を敬愛ではなく愛してやってくれ…。いつも…いつも本当にすまない…。」

「…アインズ様。あれがそれ程までに強いというなら、今から皆で逃げ、再び眠りにつくのを待つのではダメなのですか…。」

「ナザリックが発見されて竜の谷のようにでもされてみろ…。それに将来に禍根は残すべきじゃない。あれは結局いつかは起きるんだ。せっかく見えた将来だ。この人の初めての家族を…守りたいじゃないか。」

 アインズは笑うと、デミウルゴスにゆっくりフラミーを渡して、静かに眠る額を愛しげに撫でた。

「…お前達二人はフラミーさんとナザリックへ戻りヴィクティムと共に防衛に勤めろ。さぁもう行け。」

 二人は泣いていた。

 生き残れと言われるくらいなら共に死ねと言われたかった。

 しかしナザリックの未来は未だ、二人の手の中にある。

「必ず…必ずお戻りください!!」

 手を挙げるアインズを何度も振り返りながら、二人は転移門(ゲート)を潜った。

 

 共に来るアルベド、シャルティア、マーレ、アウラ、コキュートス、セバス――そしてツアーにアインズは頭を下げた。

「すまない。自分の為だけに生かす者を決めた…。許してくれとは言えん。どうか…お前達の命を、俺にくれ…。」

 

「何言ってんですか!アインズ様!最初っからあたし達はそのつもりで生きてきたんですよ!」

 アウラは初めて会った時と変わらない向日葵のような笑顔でそう言った。

「そ、そうです!いつだって、今までだってそうして来たじゃないですか!」

 いつも頼りなげなマーレの瞳の光は男らしかった。

「御身ノ為ナラバ喜ンデ盾トナリマショウ。」

 コキュートスが吐いた冷気が熱を持つように広がっていく。

「これでやっとアインズ様が始原の魔法で作るアイテムの素材が手に入るわけでありんすねぇ。」

 シャルティアの高笑いは勝利の確信だ。

「お世継ぎ様にお父上様が居ないというのは頂けません。それに、いつかは私もお望み通り見事に種族の壁を超えて見せましょう。その時には、どうか御身に名付けをお願いしたいところでございます。」

 セバスはツアレを思い出したのか、少し気恥ずかしそうに笑った。

「僕は死ぬ気は無いよ。君も、強大な力を持つであろう君の子供も監督しなきゃいけないんだ。」

 ツアーは巨大な瞳をアインズへ向け、二人は視線を交わした。

 

「アインズ様。私達は御身が在り続ける限り、決して一人たりとも欠ける事はございません。さぁ、参りましょう。」

 酒宴会で言った言葉を再び繰り返したアルベドは絶対支配者へ手を伸ばした。

 

「お前達がいれば、百人力だな。」

 その手を取ると、アインズは人の身を燃やすように死の支配者(オーバーロード)の姿になって踏み出した。

 

+

 

 近隣各国の空には映像が流されていた。

 デミウルゴスとパンドラズ・アクターの指揮の下、オーレオール・オメガとシズ、ニグレドの全ての力をもって映し出されるそれは――現在進行形の神話だった。

 

+

 

 浮かび上がる映像越しに見える激しい戦いに合わせて、衝撃に地と空気は激しく揺れている。

 竜王国の王城からは黒竜の姿も、白金の竜の姿も見えていた。

「嫌だ!!私は行かんぞ!!アインズ殿!!アインズ殿があそこにいるんだ!!」

「女王陛下!!いい加減にしてください!!神王陛下なら必ずあれを討ち取ります!!映像はここじゃなくても見られますから!!」

「嫌だ!!嫌だ!!!少しでも近くに――」

 宰相はドラウディロンの顔を激しく打ち叩いた。パンっと乾いた音が響く。

 ドラウディロンは放心したようにじん…と熱を持つ頬に触れた。

「早く!!我々は国民の避難だってさせなきゃいけないんですよ!!」

「――っうっ…っこんな、こんな戦いを愛する者が行っているのに…私は逃げなきゃいけないのか…!っうぅ…アインズ…アインズ殿…。」

 懺悔のような声に宰相は唇を噛んだ。

 

+

 

「…クライム、神王陛下は…勝ちますよね…?」

 クライムの腕の中で過ごしていたラナーは初めて感じる恐れに肩を震わせた。二人はベッドから窓の外、空に映し出されている驚異の映像に照らし出されていた。

「ラナー様…。必ず陛下は勝ちます。陛下方の神話には…あんな竜よりも余程…余程強大な者たちが出てきていました…。」

「しかし…光神陛下もいらっしゃらなくて…。」

「今はお一人ですが、私はあの神王陛下が敗れる所など想像できません。」

 クライムは真っ直ぐな青い瞳で空へ視線を注いだ。

 日々の優しいまぐわいの中、ラナーはほんの少しその身の邪悪さを削がれたようだった。

 

+

 

 守護者達に守られながら突貫した従属神のロンギヌスは届いたが、効果を発動させる事はなかった。

 一撃で従属神が殺されると、落ちたロンギヌスはボロボロになったアルベドの手に拾われた。

「アインズ様!!」

「くそが!!世界級(ワールド)アイテム保持者か!!アウラ!!傾城傾国も届かん!!深追いするな!!」

 アインズはツアーの語る、始原の魔法の最も激しく鋭利な力を持つ魔法の使い方に必死に耳を傾けていた。

「行けそうか!!アインズ!!」

「ま、待ってくれ!――集中しろ…集中するんだ……。」

 一人で≪The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)≫を使おうかと思ったが、あまりの力の応酬に、前衛無く発動までの十二秒間を耐える事は不可能だった。

 かと言ってここにいる全員を殺す覚悟で使用し、万一それが相手に届かなければゲームオーバーだ。

 位階魔法は長い時に育てられてきた規格外に硬い鱗を前にかすり傷しか残さない。

 

 常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)はアインズとツアーの様子を見ると鼻で笑った。

『若僧。よくもここまで好きにさせたものだな。』

 怒りを発する声は地獄の底から聞こえてくるようで、低く、深く、空気を震わせる。まるで神が話しているのではないかとすら錯覚させた。

「アインズはそんなに悪くはない存在だよ。常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)。」

『ぬかしおる。竜王達は始原の力を奪われ、今やただのトカゲに成り下がった。全てはお前の責任だ。』

 

「そう、僕の責任だ。僕があの日アインズ達を襲ったせいだと分かっている!僕は責任を取ってアインズと世界を守ろう。その為にも常闇、悪いが君にアインズを殺させはしない!!」

 ツアーは言い切ると、巨体でドンッと地を蹴り自分の倍はあろうかと言う巨大な竜王に摑みかかり喉笛に食らいついた。

 

『痒くも無いわ。お前のようなものは最早世界に必要ないだろう。』

 その巨竜は、竜と龍の中間のような存在だった。

 ツアーは長い尻尾でひねり上げられると、その身が散り散りに引き裂かれる様を幻視した。

「っぐっ!!うおおぉぉぁああ!!!」

 久々に感じる痛みの中ツアーは無様に叫んだ。

 

『死ね。若僧。お前も、お前の父も間違いすぎた。』

「ツアー!!!くそ!!<魔法三重化(トリプレッドマジック)現断(リアリティスラッシュ)>!!」

 アインズが目に向かって放った魔法は閉じられた瞼に傷を付け、ツアーを締め上げる力を少し奪った。

「アッアインズ!!構うな!!始原の魔法を!!早く!!っぐうぅ!」

「お前ごと撃てるか!!」

「なっ!?君は何を言っているんだ!?僕は、君達を殺そうとしたんだぞ!!!」

 アインズは一瞬だけ躊躇したが、ツアーよりも大切な者たちがぼろぼろになって肩を抱き合い自分を見上げる姿を目にすると、心の中でツアーに謝罪した。

 

「必ず、必ず生き返らせると約束する!!お前はもう俺の友達なんだろ!!!」

 ツアーは笑ったようだった。

『邪悪なる者との友情ごっこか。泣かせるな。』

 常闇の首にかかる青い鳥のようなアイテムがキラリと光ると真夜中だと言うのに空は白く輝いた。

「こ、これは!?まさかそれは…光輪の善神(アフラマズダー)!?」

「気を取られるな!!アイ――ッガ――」

 言い切る前に口を左右から掴まれたツアーは二つに引き裂かれた。

『死ねと言っただろう。』

 その手からはダラリとぶら下がる友の変わり果てた姿があった。

 

 アインズの目の前にはバチリと火花が散った。

 ツアーは好きじゃなかったが、嫌いでもなかった。

 最初はこの綺麗な世界を守ってきた竜王と聞いて尊敬すらしていたのだ。

 世界級(ワールド)アイテム――二十のうちの一つ、光輪の善神(アフラマズダー)によって齎された真夜中の夜明けからは清浄すぎる光が矢の雨となって地上に降り注ぎ始めた。

 世界中の歪んだカルマを持った者達が貫かれ悲鳴を上げる。

 アインズは体の中の湧き上がる力を一つ一つ掴み上げながら、ツアーの遺体に黙祷し、ナザリックには世界級(ワールド)アイテムの諸王の玉座があると自分に言い聞かせる。

「冷静になれ。俺たちの家には――フラミーさんには届かない!!!」

 流れる落ちる星の中アインズはドラウディロンの腕輪を輝かせた。

 

「常闇!!お前の存在は危険すぎる!!!ここで散れ!!!」

 

 アインズの手にその魂から引き出した全ての力が集まると、それは弓の形になった。

 ユグドラシルの力も、始原の力も、全てを乗せる。

 竜王と友の遺体に向かって引き絞り、アインズはこれで自分はきっと――想像もつかぬ程の長い長い眠りにつく事になると骨の目に涙を流した。




次回 #54 あなたの死

やだあああああああ!!!!!


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#54 あなたの死 ≪最終話?≫

 村瀬は真っ白な世界の中、目覚めなければと必死に駆け回っていた。

 そこは始原の魔法によってもたらされた奇妙な夢の中だった。

「起きないと!!早く!!早く起きないと!!」

 自分をこんな風に置いて行く戦いが激しく無い訳がない。

 睡眠を解く術を、魔法の使えない真っ白な夢の中で村瀬は泣きながら探した。

「あいんずさん…あいんずさんっっ。うぅなんでぇ…。」

 ふと気付くと、自分の泣き声に混ざるように誰かが話す声が聞こえた。

「え?誰…?どこなの!?」

 声のする方に振り向くと、遠くに子供と小さなトカゲがいるのが見えた。

 もつれそうになる足で村瀬はそちらへ走り出した。

「あ、あの!!ここはっ――」

『君、なぁに?』

『君こそなぁに?』

『僕は鈴木悟!君は?』

『僕はツァインドルクス・ヴァイシオンだよ。君は変わったドラゴンだね。』

『はは!ドラゴンだって!おかしいの!』

『な、なんだよ!僕だって立派なドラゴンになるんだ!』

『じゃあ、僕は、僕はね――――――――――』

 

――――

 

『俺、父ちゃんになっちゃうのか…!フラミーさん!』

 

――――

 激しい耳鳴りの中フラミーはハッと目を覚まして起き上がった。

 誰もいない自室で、腹の中にうっすらと明滅する弱い謎の力に手を当てた。

 それは静寂の中たった一人で耳を澄ませ続けなければ感じ取る事が出来ないほどに小さな力だった。

「…アインズさんの…始原の血…?」

 胎内でまだ数センチの小さな赤ん坊を形成しているのは、自分の血と――確かにアインズの血だった。

「<転移門(ゲート)>!!」

 フラミーは駆け出した。

 

+

 

 ボロボロの常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)は腹を貫かれた苦しみに、自分がかつて作り出した谷でのたうち回っていた。

『この代償は死では生ぬるかったな。ツァインドルクス=ヴァイシオン…。』

 魔法を放って地に落ちたアインズを、肩で息をしながら睨みつけた。

『…しかし…始原の魔法(ワイルドマジック)はここでその歴史を終える。我ら竜王の手に無き力に意味などない。』

 ダクダクと血を流しながら常闇は尾を持ち上げ、世界を汚しきった存在に向かって激しく振るった。

 

「「「「アインズ様!!!」」」」

 守護者達は最後の力を振り絞って尾を止めた。

 

 スキルの残回数もなくなったアルベドは叫ぶ。

「シャルティア!!マーレ!!回復はあと何回!!」

「も、もうないでありんす!!魔力が!!」

「ぼ、僕ももうありません!!」

「シャルティア様!アインズ様だけでもナザリックへお送り下さい!!」

 セバスの言にシャルティアは頷き――

「まかせなんし!!」

 ――転移門(ゲート)が開いた。

「えっ!?妾のでは――」

 中からはフラミーが転ぶのではないかと言う勢いで駆け出してきた。

「アインズさん!!皆!!」

「フラミー様!?早く、ナザリックへお戻り下さい!!」

「デミウルゴス達ハ何ヲシテイルンダ!!」

 尾は再度振るわれようと持ち上げられた。

 フラミーは眠りに落ちているアインズの腕からドラウディロンの腕輪を引き抜き、自分の腕にはめると手を繋いで呪文を唱えた。

 

「<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)大治癒(ヒール)>!!」

 繰り出された大治癒(ヒール)に守護者達は力を取り戻すと再び襲ってきた尾を止めた。

「フラミー様!!アインズ様を連れてお戻り下さい!!」

 アルベドの背中越しの絶叫を聴きながらフラミーはアインズの骨の頭を抱いた。

「アインズさん、アインズさん。ここに力がありました。もう一度、もう一度起きてくださいっ!」

 フラミーは自分の中で静かに灯る始原の力をアインズの空っぽになった器に流し込もうと、やった事もない儀式へ意識を集中する。

 周りでは守護者の早く帰れという願いが響く中、世界に映していた中継映像から事態を知ったデミウルゴスとパンドラズ・アクターが慌てて転移門(ゲート)から出てきた。

 

「フラミー様!!お戻りください!!」

 喉が張り裂けんとする声を上げるデミウルゴスに腕を掴まれるとフラミーはそれを払った。

「デミウルゴスさん!!お願い!!お願い時間をちょうだい!!あなたの神を信じて!!!」

 息を飲んだデミウルゴスが苦しみと葛藤するように一度ギュッと目を閉じてから、戦う守護者達の下に駆けていくのを見るとフラミーは翼でアインズの全身を包み込み、祈るように話しかけた。

「アインズさん。私ね、家族も愛も何も持たなかった私に全てをくれて、全てを教えてくれたアインズさんのためだったら、何だってあげられるし、命だって渡してもいいってずっと思ってたの。だけど、私はあなたとここで生きるって約束したから…――…ごめんね。本当にごめんね…。さぁ、あなたはもうお父さんのところに帰って。小さな始原の力だけど…空っぽのアインズさんを、少しでも満たして――起こしてあげて。お願い。」

 フラミーは言い切るとと腹部に激しい痛みを感じた。

「――ッンン!!ック…!!」

 腹から命がサラサラと失われる感覚に一粒涙を流すと、フラミーは笑って意識を手放した。

 

 ――アインズは骸の目に光を取り戻すと、柔らかく優しい馴染みの翼の中にいた。

「…ここは……ふらみー…フラミーさん!?なんで!?ここは!!」

 自分に被さったまま呼吸だけをするフラミーを支えながら慌てて起き上がると、未だ戦い続けている守護者達と、フラミーを連れて行かせたはずの二人の守護者の姿を目にした。

 そしてフラミーの腰から周りに広がっていく血溜まりと、一滴も残らず放ったはずが己の身に満タン近く漲る始原の力とユグドラシルの力にアインズは全てを察した。

 

「あ…あ……。」

 アインズは目の前がぐらりと揺らいだ。

 まるで地面はふわふわしているかのようだった。

 胎児の蘇生なんか聞いたこともない。

 いや、蘇生したところでフラミーとの繋がりを持てず、再び死するイメージしか浮かばない。

 兎に角母体だったこの人をどこか安全な所に――母体だった……だった……だった…――。

 それが既に失われたものだとハッキリと自覚した瞬間、アインズの中には鎮静すら追いつかない感情が噴き上がった。

「うああぁぁあああ!!許さん!!許さんぞぉお!!死んでも死に切れない、地獄の苦しみを与えてやる!!」

 アインズが叫ぶと、守護者達は目覚めに気が付きハッと振り返った。

 そして糸が切れるようにフッと鎮静されると、フラミーの腕から腕輪を引き抜きその場に寝かせ、無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から取り出した布を掛けてからアインズは再び立ち上がった。

 

『もう起きたと言うのか!?貴様これだけ力を使えば数日は眠って来たと言うのに!!』

 

 再び腕輪を光らせると、始原の魔法が脈打つようにドクンドクンとその身を駆け巡り出す。

「パンドラズ・アクター!!フラミーさんを!!」

「父上!!」

 アインズは≪The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)≫の時計を背負うと瞳の炎を燃え上がらせた。

 それは十二秒経つと守護者も――大切にしたかった者も――全てを殺してしまう。

 ――しかし

「殺しはせん!!!殺しはせんぞ!!!」

『一撃を凌げば良いと思ったのが甘かったか!!』

 

 竜王は落ちていた巨大なツアーの遺骸を放り投げ、視界を遮ると黒いブレスを吐いた。

 パンドラズ・アクターはぶくぶく茶釜の姿になると全体防御のウォールズ・オブ・ジェリコを発動して全員をギリギリで守るが、激しい力は抑えきれずに魔法の壁を貫こうとした。

 父とフラミーを守るために力を一極集中させると、力の薄まった箇所から貫通したブレスは守護者達を再び深く傷付けた。

 

 アインズは背で進む時計をそのままに――時間を止めるユグドラシルの力を左手に、若返りすぎた時に使った始原の力を右手に呼び出す。手の中を稲妻がバチバチと音を立て、幾度も往復していく。

 もうスキルが発動すると言うところで両手を打ち鳴らすように合わせると、時計は赤黒く染まり上がり、秒針は狂ったかのように激しく反対方向へ向かって回りだした。

「我がナザリックにおいて、死は、慈悲だ!!!」

 眠るフラミーを背に叫ぶと、時計はバキンと砕け散り、滅茶苦茶に掛け合わされた力は激しくのたうつ龍のごとき姿を持って竜王へ打ち出された。

 

 竜王はこの怪我を負っていなければ容易に避けられたであろう魔法を弾き返すために尾を振った。

 少なくなっている体力にわずかな不安を感じたが向かってくる魔法は始原の力をあまり強くは感じない。

 今度こそこれを耐えきれば自分の勝利は約束される。

 尾にぶつかった魔法からはやはり大した力を感じず、ニヤリと口元を歪めた――――その瞬間、ゾクリと背筋が震え、体は変貌を始めた。

『な、なに!?なんだ!!なんだこれは!!!』

 それは、これまで積み重ねてきた数千年と言う時間と、それに伴って大きく育って来た力が吸い上げられて行くという――竜王を以ってして初めての感覚だった。

 

『竜帝の汚物があああぁぁああ!!!!』

 

 竜王の慟哭にも似た叫びは世界を震わせた。

 強靭な鱗をバラバラと落としながら竜王が小さくなって行くと、ツアーと同程度の大きさになった。

 のたうち回るトカゲを逃すまいとコキュートス、シャルティア、セバスは駆け寄り拘束を始めた。

 アインズは効くかも分からなかった滅茶苦茶な魔法が通った事に深く安堵し、トカゲからくるりと背を向け、広がる血溜まりに眠るフラミーを抱き上げた。

 万一力が通らなかった時のために残した始原の力でツアーを復活させてやりたかったが、完全に切れてしまった集中力を前に、とてももう一度魔法を練る事は出来なかった。

 

「…そいつは決して殺すな。お前達の言う…世継ぎを殺した。」

 

 守護者は息を飲んだ。

「パンドラズ・アクター、デミウルゴス。お前達にはこの人を任せたはずだぞ…。」

 すぐそばにいた双子はデミウルゴスとパンドラズ・アクターのその背をそっと押した。

 

 二人は足と腰からポタポタと血を流しながら眠るフラミーを抱える支配者の前に跪いた。

 魔法のローブは血を吸うことはなく、血は真っ直ぐに滴り落ちて行く。

「任せただろうが!!!」

「「申し訳ありませんでした!!」」

 叫ぶと怒りは鎮静され、深い悲しみがその身を襲った。

「――…っうぅ…この人は…私やお前達と違って少しも親を知らないんだよ…。…愛してやるって…楽しみにしていたんだ…。少しも大きくなれなかったこの子を…きっと…愛してやるって…。」

 アインズは人の姿になると血溜まりに膝をついてフラミーを抱きしめたまま泣いた。

 その光景のあまりの痛ましさに守護者達も声を押し殺して泣いた。

 

「始原の力をそんな所に残しておいて目覚めたのか。その腹の大きさでは気付けんわけだ。」

 守護者達に拘束される常闇の発言にアインズは激しい怒りを感じ、思わず位階魔法を投げ――

「あいんずさん?」

 かけたが、ずっと聞きたかった声にアインズは視線を落とした。

 危うく殺してしまうところだった。

「フラミーさん!!」

「アインズさんだっ。」

 フラミーは笑ってからキョロキョロすると、コキュートスに(くつわ)を嵌められ守護者達に死なない程度に痛めつけられる竜王を見て安心した。

「はーぁ。よかったぁ。なんとかなったんだぁ。」

「フラミーさん…ごめんなさい。いっつも…いっつも俺のせいでぇ。うっ…フラミーざん…。」

 守護者の視線も気にせずに辛そうに泣くアインズをフラミーは抱きしめて撫でた。

「いいじゃないですか。私達には万年時間が…あるん…です………からぁ。」

 言いながらフラミーは泣いていた。

「私が弱いせいだぁ。あぁ。アインズさん、ごめんなさい、ごめんなざぁいぃ。」

 懺悔の中抱き締め合い声を上げて泣く支配者たちを世界中の人々はただ黙って見上げた。

 

 それは、都市国家連合にいた者も同様で――。

「…神王陛下…。やはり、人の身のあなたは…。」

 映像は音を持たなかったが、その状況からどんなやり取りがあったのか想像ができたジルクニフは胸を押さえ、舞踏会であの神の喜びようを見ていた人々は涙を流した。

 世界に望まれて生まれてくるはずの神の子は世界を守るため、たった三ヶ月で儚く消えて行った。

 

+

 

 優しい感触が全身を撫でる。

 深い水面から無理矢理引き上げようとする友の手にツアーは笑うと迷いなくその手を取った。

 一気に体を引き上げられると、白く染まった世界に飛び込んだ。

「ツアー…。ツアー、起きられるか。」

「あぁ。始原の魔法で起こしてくれたんだね。何の損失もないよ。」

 ツアーは目の前で瞳を覗き込んで来る友人に笑った。

 

「はは。それは良かったな。素材にしようか悩んだぞ?」

 ポンポンと鼻の頭を叩くとアインズはツアーと同じ方を向いて、立ったまま巨大な顔に寄りかかった。

「冗談に聞こえないから怖いよ、アインズ。」

 第六階層の湖畔は平和そのものだった。

「ツアーさん!起きたんですね!」

 フラミーは湖に足を浸していたようで裸足で駆け寄ってきた。

 その首には常闇の着けていた青い清浄な鳥のようなものを象ったネックレスが下げられている。

「あぁ。フラミー。アインズはやったみたいだ――――君…。」

 ツアーはフラミーをまじまじと見た。

「ふふっ、髪の毛下ろしてると可愛いでしょ!」

 ワンピースにレースのローブを掛けてくるくる回って笑う姿は、途中で手折られた痛みに耐えるようではなかった。

「…あぁ。可愛いね。お団子頭はもうやめたのかい。」

「はい!気分転換で、もう、やめようかなと思って。」

 人差し指に髪をからませるようにくるくるいじって笑うフラミーに少しの痛みを感じツアーは視線を逸らした。

 

「…アインズ。あの後常闇はどうなった?」

「あぁ。結局一撃では倒せなかった。しかし適当に練った魔法で生きてきた時間を奪ってやったよ。ナザリックで無限の苦しみを与えつつ素材回収に使ってる。」

「それはゾッとする話だね。素材回収ってことは何か作るのかい。」

「ふふ。その為にお前を起こしたんだ。お前の一番おすすめの始原のアイテムを教えてくれよ。」

「…それはもしかして、こないだ支配者のお茶会で聞きたいと言ってたことかな?」

「流石に察しがいいな。あの時はエルニクスのせいですっかり忘れていた。」

 ツアーは教えたくないと思ったが、失ったとは言え祝いを送ると言ったのだ。

 

「…そうだね。僕が昔リグリットにあげた限界突破の指輪は、恐らくユグドラシルのれべるの制限を超えて君を強くするよ。作るのに僕は七十年かかったけどね。」

「なんだと!もっと早く言わんか。本当いつもいつもお前は情報を教えるのが遅い。大体八欲王のギルド拠点に三十人もNPCがいると言うのもあの夜に突然言うし、私に世界を守らせたいならもっと早くに情報を渡せ。近いうちにギルド武器を破壊する為にも私達は天空城に行くんだが、良いか?情報というのはな――」

 

 この世の全ての力を司る神の嬉しそうな説教はその後しばらく続いた。




あぁ…よかった…。(よくねーよフザケンナよあんなに皆でフラミー様をお祝いしたのに
すぐにできます!すぐにできますとも!!

眠夢において、最終回という言葉は新章のためだけにある。
怒涛の三話で疲れましたね。
フララと御身の精神立て直し気抜け閑話で我々も精神立て直しましょう!
#55 閑話 悪魔の弁当
(謎タイトル
閑話ですが0時です!


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#55 閑話 悪魔の弁当

 アインズの下には、都市国家連合を筆頭に近隣各国から日々婚姻を望む書簡が届き続けていた。

 皆、アンデッドの姿から人の身になったアインズの何かに涙する人間臭さと、その見目麗しさ――そして強大な力を前に、これならば是非婚姻をと望んだのだ。

 手紙は神都大聖堂から始まり、果ては聖王国の生死の神殿にまで届き、一日に一度、各都市神殿に配備している死の大魔法使い(エルダーリッチ)達によってナザリックへ転送されてきていた。

 余談だが、戦いの後はどのリッチ達も光輪の善神(アフラマズダー)によって瀕死状態だった。

 痛みを感じない彼らは涼しい顔をして過ごしていたが、中には不幸にもタンスの角に小指をぶつけて死んだ者もいる。

 

 自薦他薦を問わないその書簡達は、全て第七階層に集められ、知恵者三名がサッと目を通して火山へ破棄し続けた。

 一国の王が正式に送られてきた手紙を無視することも出来ない為、当然知恵者達は返事も出した。

 カメラを改良して産み出されたスキャナー複合式プリンターで書き出される返事は全てコピーだ。

 宛名だけは直筆の必要があるためスケルトン達が日夜筆耕を行なっている。

 そして、いつか利用できるかもしれないと婚姻を願うもの達の名はリストに残された。

 

「…それで…これはいつ使うんだ?」

 アインズは手紙の山の前で、六法全書のようになり始めたリストを一通り眺めてからパンドラズ・アクターの手に返した。

「このご令嬢方は父上の名を聞けば恐らくなんでもしたがるかと思いますので――念のために。」

「う…わぁ…。」

 フラミーの少し引いたような雰囲気にアインズが若干焦っていると、デミウルゴスが手紙から視線を上げた。

 

「さて、二人とも、今日はここまでにしようじゃないか。暑苦しい文章ばかりで胸焼けしそうです。」

 悪魔の号令に統括も手紙を読むのをやめる。

「そうね。私はラナーに呼び出されていたんだったわ。時間を作って顔を出さなくちゃ。」

「黄金の知事に?珍しいですね。私は午前中のうちに牧場に戻ります。昨日生まれた赤ん…――いえ、家畜達の実験が残っているので。」

「では私も宝物殿に帰って八欲王の秘宝を収める予定の場所作りの続きをしましょう。」

 

 三人が速やかに片付けを始めるのを見ると、フラミーは思い出したように闇に両手を突っ込んだ。

「あ、デミウルゴスさん待って下さい。いつものを…えーっと。」

「これはフラミー様。いつも誠にありがとうございます。」

 何が起こるのかなと三人がその様子を見ている中、フラミーは赤地にストライプの入った布に包まれた箱を取り出した。

「はい、今日の弁当です!」

「「「えっ!?」」」

 周りの驚きを無視して、デミウルゴスは心底嬉しそうに両手を差し出し、本日の宝箱を受け取った。

 

「ふ、フラミーさん!?デミウルゴスに弁当を!?」

「ふふっそうなんですよ!偉いでしょっ!」

 フラミーはなぜか可愛らしく褒めてと言う視線をアインズに送って来るが、当然褒めるべきところではない。

 デミウルゴスも尻尾をブンブン振っていてまるで犬だ。

「アインズ様、フラミー様!ありがとうございます!」

「し、信じられん……弁当…いつもって…いつから……。」

 デミウルゴスはその言葉に目をパチクリさせた。

 

「いつから…でございますか…?酒宴会から数日してからなので――」

 デミウルゴスが細かく何月何日何時何分と唱えるのを聞くと、アインズは目眩を覚え、しゃがみ込んで頭を抱えた。

「ふらみーさん…。あんたまじで悪魔だよ…。」

 なんでこうもこの悪魔は自分をおちょくるんだと心から嘆いた。

 

「えへ?私は悪魔ですけど…アインズさん、どうかしました?」

「フラミー様…アインズ様は一体…?」

 悪魔コンビは目を見合わせ、きょとんとした様子で首を傾げあった。

 その様子を動かない顔で見守る――パンドラズ・アクターがデミウルゴスの手の中からひょいと宝箱を取り上げた。

「あっ!何をするんだ!」

「デミウルゴス様。こちらは宝物殿にて保管いたしますので悪しからず。」

「ズアちゃん、デミウルゴスさんをいじめちゃダメじゃないですか。これから夜まで牧場で働くっていうのに。」

 フラミーがパンドラズ・アクターの手から弁当を回収すると、その弁当は更にアインズの手に回収された。

 

「…中身を見よう。」

 

「わ、アインズさん!恥ずかしいです!」

「俺に見せて恥ずかしいものなんかこれ以上あるんですか!」

 フラミーはアインズの発言に顔をボンっと赤くした。

「な、なんて事言うんですか!エッチ!!」

 捨て台詞を吐くとフラミーは駆け込むようように転移門(ゲート)を潜って行った。

 

「デミウルゴスよ。見てもいいか…。」

「え、えぇ。もちろんでございます。これまでの物も写真に残しておりますので、良ければそちらもご覧下さい。」

 アルベドの殺意の篭った視線を無視し続け、一行は赤熱神殿に入った。

 

 四人で机を囲み、アインズが小さな弁当風呂敷を開くと、弁当箱の上にはメッセージカードがのっていた。

 

【挿絵表示】

 

「デミウルゴスさんへ。今日もお疲れ様です。食べたいものがあったら、また教えてくださいね……フラミー…。」

 アインズはそれを音読すると目を抑え、今日は人の身で来てなくてよかったと悲しくなった。

 なぜこれが自分へ届かないのか心の底から謎だ。

 弁当もさることながら手紙なんか一通ももらった事はないし、実は大して愛されていないのではないのかとすら思う。

「…俺の完敗だ…。」

 

「デミウルゴス!!あなた、これ程良いものを頂いていながら私に報告しないなんてどういうつもりよ!!」

「アルベド、君に知らせたら君はこれを奪いに来るでしょう。」

「当たり前でしょ!!なんなのよ貴方って男は!!もーいつもいつも!!今度の今度は本当に許さないわよ!!」

「君に許して貰わなくても私は別にかまわないとも。」

 統括と悪魔が喧嘩しているのを他所に、アインズは震える手で蓋を開けた。

 中身は桜でんぶのかかったご飯、卵焼き、ウインナー、ヒジキと豆の煮物、アスパラの肉巻き、ほうれん草のバターソテーだった。

 

「…あぁ…もうダメだ…。」

「ちっ父上!お気を確かに!!」

「俺の味方はお前だけだよパンドラズ・アクター…。」

「はっ……っへへ、そ、それほどでも…。」

 

 リアルでは液状食料ばかりを食べていた貧困女子は、必死になってレシピを読み込み、最初の頃は時に失敗しながらなんとか弁当を完成させていた。

 下手に母の手料理を知らないせいでフラミーの中の料理ハードルは異常に高かった。

 栄養、バランス、彩り、盛り付け。

 全ては料理長と副料理長が出す日々の食事と、レシピ本に載っている素晴らしい料理達を手本としている。

 デミウルゴスはヒジキという黒い謎の食べ物は、フラミーに使いたいと言われて聖王国の海で取るようになるまで知らなかった。

 ヒジキの煮物は一度にある程度たくさん炊いた方が美味しいと、残りは保存(プリザベイション)の魔法をかけてフラミーの部屋にしまわれている。

 つまり、大抵入っている定番メニューだ。

 桜でんぶも、同じく聖王国で取れたタイをフラミーがほぐして炒ってピンクに色付けしたもので、これも大抵かかっている。

 ちなみに料理は魔法の効果を持つものを作ろうとすると、料理スキルを持たないフラミーでは爆散する。

 

 親子の絆を感じさせる謎のやり取りの横で、デミウルゴスはアルベドを無視し機嫌よく闇に手を突っ込むと、小さなカメラを取り出し、弁当の写真を撮った。

 ジーという音と共に、手のひら大の写真が出てくると満足げに眺める。

「今日の分もこれでいいでしょう。」

 

「デミウルゴス…これで何回貰ったんだ…。」

「は!今日で三十六食目でございます!」

 忙しい時は当然持たせてもらえない為、月に一度も持たせて貰えなかったり、毎日持たせてもらえたりと、運任せのそれはスーパーボーナスステージだ。

 支配者のお茶会以降は割と頻度が高い。

「ああああーー…。デミウルゴス…。お前どうやってねだったんだよ…。」

「これはアインズ様ご冗談を。」

 デミウルゴスはにっこり笑うと闇に手を突っ込み、弁当アルバムを取り出し一番最初のページに入るメッセージカードと弁当の写真を見せた。

 

+

 

 酒宴会より数日がたったある秋の日――。

 昼に開けるように言われた謎の包みを持ってデミウルゴスは牧場に併設された小さな執務室に現れた。

 執務机の上にそれを乗せ、立ったまま包みを開けると――そこには小さなメッセージカードが入っていた。

「デミウルゴスさんへ…アインズさんに頼まれたので作ってみました…フラミー……。」

 カードを読むとデミウルゴスは何か作戦に必要な物かと急いで箱を開き――数秒停止する。

 それは拙い食事が詰め込まれた宝箱だった。

 デミウルゴスはしばらく宝箱と作ってみましたと書かれたカードを交互に眺めると、決意した。

 

(祭壇へ祀らなければ…。)

 

 同日深夜――。

 全体に<保存(プリザベーション)>をかけたそれを抱えデミウルゴスはウキウキと第七階層に帰還した。

 数日以内に時間を作って祭壇を設け、執務机に置いてあるフラミーの写真と共にこれを安置するのだ。

 やらなければいけないことが山積みだと喜び、身を震わせていると、七階層の神殿前の階段で眠りこけるフラミーの姿を見つけた。

「なっ!フラミー様!!」

 慌ててデミウルゴスが駆け寄ると、フラミーはもにょもにょ何かを言いながら目を覚ました。

「ん……あ、でみうるごすさん。おかえりなさぁい。」

 信頼しきったような笑みに癒されながら即座に跪いた。

「お呼び頂ければ即座に参りましたものを…。何かご用でしたか…?」

「はい!お弁当箱、返してもらおうと思って。美味しかったですか?」

 フラミーはデミウルゴスの手の中のものへ両手を伸ばした。

「あ、いえ。もったいのうございますので食べずに持ち帰りまし――」

「食べなかったんですか!?」

 パッと宝箱は奪われ、フラミーの手によって開けられた。

「ほ、ほんとに…食べてない……。」

 そっと箱は閉められるとフラミーは肩を落としわずかに瞳を潤ませた。

「やっぱり…美味しくなさそうだから…。」

「な!?ち、違います!!こちらの物の価値を考えれば食べる事など出来ようはずもございません!!」

「うぅ…気を使わないでください…。また明日も作ろうと思ったけど…私センスないみたい…。もうやめておきます…。」

 明日も作るという言葉にデミウルゴスは衝撃を受けた。まさかこれ程までに貴重、かつ特別な褒美をさらに貰えるのかと。

 するとフラミーは宝箱を持ったまま立ち去ろうとし、慌てて我に返った。

「お、お待ちください!!こちら、こちらは夜食として頂きます!!どうか、どうか、再びのチャンスを……!!」

「…はは…無理しないで下さい…。」

「とんでもございません!!」

 フラミーは僅かに迷うと躊躇いながら弁当を差し出した。

「あの、美味しくなかったら…捨てて下さいね…。」

 恭しく宝箱を受け取った悪魔はその後フラミーを見送り、慌てて宝物殿へ飛んだ。

 視界が夜を彩る全ての星を集めたような燦然とした輝きに埋め尽くされる。

 金塊と金貨、宝石で出来た山脈が連なる間を小走りで抜け、べったりと黒い()に向けて支配者より教えられているパスワードを告げる。

 

「かくて汝、全世界の栄光を我がものとし、暗き者は全て汝より離れ去るだろう!!」

 

 少し焦るような声音が響く。壁に張り付いていた漆黒は一点に集中し、()は開かれた。

 静寂の廊下を小走りで行く。左右には無数の武器が綺麗に整頓された上で見事に並べられていた。

 距離にして百メートルほど――陳列された武器は約数千だろうか――進んだあたりでソファーとテーブルの置かれた部屋に出た。

「パンドラズ・アクター!!」

「――これはこれは。私を差し置いて酒宴会を開かれた幹事その二である、デミウルゴス様ではありませんか。」

 その日のパンドラズ・アクターは大層不機嫌だった。ちなみにこの呼び方はこれで数度目だ。

「そ、それに関してはこの通り本当に申し訳なかったと…。いや、それより、どうか、どうか私にカメラを…カメラを作ってくれないか…!!」

「…なんですか?貴方が私にそこまで頭を下げるなんて。」

 平身低頭する悪魔のただならぬ様子にパンドラズ・アクターは首を傾げた。

「どうか…どうか……。」

「…良いですよ。ただし、次の酒宴会に私を必ず呼んでくださるなら、という条件つきですが。」

 ため息交じりのパンドラズ・アクターにデミウルゴスは深く感謝した。

「来週にはお渡ししま――」

「今夜中に何としても作ってくれ!!小さいもので構わないんだ!!」

「デミウルゴス様、そんなに急いで一体カメラをどうするおつもりで…?」

「……アインズ様のご指示でフラミー様が作成する重要機密の記録を残す為にどうしても必要なんですよ。」

 一瞬何かを考えた悪魔から出た言葉に、これまでソファに気怠げに座っていたパンドラズ・アクターは慌てて立ち上がった。

「早くそれを仰って下さい!!私は製作に取り掛かります!!小さいもので良いんですね!?」

 何一つ嘘をついていない悪魔はしてやったりと僅かに口元を歪めた。

 

+

 

「デミウルゴスさんへ…アインズさんに頼まれたので作ってみました?フラミー?」

 アインズはそれを読み上げると、全く身に覚えがなく、震える手でこめかみに触れる。

 パンドラズ・アクターは、アインズの指示によってフラミーがそれを作成したと知るや否や悶え始めていた。これがあの時デミウルゴスが言っていたあれかと。

 アルベドは当然悶え続けている。

 

「フラミーさん…戻って来てください……。」

 

 フラミーを待つ間、弁当アルバムをパラパラとめくり確認していく。

 アインズはこれまでの弁当遍歴と可愛らしいカード達全てに目を通した。

 あまりの羨ましさに精神が鎮静され、最早デミウルゴスは一回くらい謹慎させてもいいんじゃないかとすら思う。

 

 すると、神殿を支えるイオニア式の柱から紫色の悪魔がぴょこりと顔をのぞかせた。

 

「フラミーさん…こりゃなんですか…。」

 フラミーは近付き始めていたが、アルバムを見せられると気まずそうに立ち止まり、もごもご何かを言い出した。

「あ…ヒジキと桜でんぶはちょっと…一度の消費が少ないせいでほとんど毎回入れてるっていうか…その…。」

 そんな話はしていないとアインズは思うと、アルバムをデミウルゴスに返し、フラミーの手を取って守護者三名から離れて行った。

 

「俺が、いつ、あいつに弁当作ってくれって頼んだんですか…。」

「え?アインズさんが可愛がってやれって言うから。」

 アインズはあまりの衝撃に頭の上にタライが落ちてきたかと思った。

 酒宴会の時のやりとりが走馬灯のように脳内を駆け巡る。

+

(可愛がってやってください。俺はうまく可愛がれないから。)

(男親って、そう言うものですかね?)

(ま、そんなとこです。)

+

「取り敢えずどうしたらいいかなぁって思って、男親にできない可愛がり方にはお弁当がぴったりかもって!あ、あの…でも…手抜きのつもりはないんですけど…どうしても同じもの入れちゃって…。」

 悪魔は下を向いて、期待に添えずに申し訳ないとでも言うような顔をしていた。

「私なりに…アインズさんのお願い、一生懸命叶えようってやってるんですけど…。」

「…あいつは全然損な男じゃない…。」

 アインズはフラミーなりの自分への配慮に心の中で泣いた。

 もっと違う方向でお願いしたかったと。

 しかし取り敢えずフラミー(これ)は相変わらず自分の物のようだと少し安心する。

「はぁ…俺もお弁当食べたいですよぉ…。」

「あ、あの…アインズさんにお見せできるほど大したものじゃないですよ…?」

「それが食べたい…。」

 フラミーは母親を持つアインズに自分の拙い料理を見せるのが恥ずかしかった。家庭の味とは、お袋の味とはどんな感じだろうと少し悩む。

「むぅ。鈴木さんのお母さんはお弁当に何入れてくれてました…?」

「液状食料持たせてくれるのが多かったけど……そうだな…。特別な日はケチャップをかけた唐揚げとかかなぁ。」

 アインズは瞳の灯火を消し、懐かしい日々へ思いを馳せた。

「唐揚げにケチャップです…?」

「えぇ、唐揚げといえばケチャップです。」

 唐揚げにケチャップ――フラミーは生まれて初めて聞いた情報を胸に刻んだ。

「じゃあ明日はケチャップの唐揚げしますから、お弁当持ってどこか行きませんか?私、頑張ります!」

「い、行きます!行かせて下さい!!」

「良かったぁ!あの、そしたら、えっと…初めてのちゃんとしたでーとですね!」

 少し顔を赤くしてへらりと笑うフラミーを見ると、アインズは「で、でーと…」と呟き鎮静された。

「――はっ。フラミーさん、どこか行きたいところありますか?」

「えっと、どこがいいかな。牧場とか?」

 無邪気な邪悪な笑顔にアインズは質問したことを後悔した。

「……やっぱり俺が考えておきます。任せて下さい。」

「はぁい!」

 ワクワク皮剥体験はもう充分だと思いながら頭をぽんぽん撫でる。

 アインズはすっかり機嫌を直すとフラミーの手を取り、様子を伺っている守護者達の下に戻った。

 

「デミウルゴスよ。弁当とは素晴らしいものだな。」

「はい!誠におっしゃる通りかと!」

 嬉しそうな男子二人を見るとアルベドはグギギと噛んでいたハンカチをついに破った。

「フラミー様!!私にもフラミー様のお弁当をぐだざい!!」

「ははは、じゃあ、これからはアルベドさんもお外にお仕事に行くときには用意してあげますね!私頑張ります!」

「ふ、ふらみーさまぁ!」

 

 フラミーは縋って頬ずりしてくるアルベドの事も心底愛しいと思う。

 二人は痛みを隠すように平気な顔をして日々を送り始めた。

 あの日ペストーニャが贈った自分達も家族だと言う言葉は、本当の初めての家族(アインズ)という存在と共にフラミーの心を強く支えていた。

 可愛い娘と息子がたくさんいる今の生活を大切にしたい。

 たった三ヶ月で命を散らした、墓すら用意されなかった程に小さかった――名もなき子の分も。

 

 フラミーは少しだけ腹をさすった。




はぁ、フラミーさん、きっとまたすぐできますからね…本当に本当に…。

ちなみにTwtrで挿絵を先に公開したところ、杠様がデミデミお弁当受け取りシーンを予想して下さいました!

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きっと初めて受け取った時はこうだったんでしょうね……と言うことで加筆しました!!わぁい!!

2020.02.24追記
 いせかるで御身が唐揚げといえばケチャップとか言ってて草ですわぞ

次回#56 閑話 ラナーの妊娠

おまえかーーい!!!
閑話ちゃんですが0時ちゃんです!


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#56 閑話 ラナーの妊娠

 フラミーは放っておくと恥ずかしがってアインズの寝室を訪れない為、アインズはフラミーの寝室で眠るようになっていた。

 女子に男子の部屋へ通うというのは酷なのだろう。

 

 フラミーはパチリと眼を覚ますと、こっそりアインズの腕の中から抜け出し、露わになっているアインズの肩へ毛布を引き上げてからベッドを後にした。

 昨日約束したお出かけの為、部屋についているミニバー併設のミニキッチンへ向かった。

 

 フラミーは段々慣れてきた料理をテキパキと進め、眠る事のないアインズ当番とフラミー当番に味見と言って一口づつ与えた。

 

【挿絵表示】

 

 ケチャップ付き唐揚げ、ミニエビフライ、マカロニサラダ、タコさんウインナー、甘い卵焼き、豆の和え物、キャロットラペ、残っていた最後のひじきの煮物。

 オカズをたっぷりと三つのお弁当箱に詰めると、俵形のおにぎりを握って聖王国海苔を切り、ペタペタ貼っていく。

「ふふっ。かわいい。アインズさんがたくさんっ。」

 円筒形の骸骨顔のおにぎりの並ぶ弁当が果たして可愛いのかは謎だがフラミーは大満足し、まだ暖かい料理に保存(プリザベーション)の魔法をかけると弁当を二つだけ闇にしまって第六階層へ出かけた。

 

 昇り始めたばかりの日が湖畔を照らし出していた。

 ゲームの時も綺麗だったが、草木が生命を持つようになったこの場所は一層輝いて見える。薄紫に染めた空は土や草の青い匂いを運んでフラミーの髪を揺らした。

 タッタッタッと軽い足音が響き、湖からそちらへ視線を投げると、漆黒の巨大な狼が姿を現す。

「フェン!ストップ、ストーップ!!」

 アウラの元気いっぱいな声が響く。柔らかな黒い毛並みに埋もれるように、その背には双子が乗っていた。

 フェンはフラミーに近すぎない場所で止まり、二人はその背から降りるとフラミーに駆け寄った。

「フラミー様!おはようございます!」

「お、おはようございます!」

「あらら、おはよー!二人ともとっても早起きだね。ちゃんと寝てる?」

「「寝てまーす!」」

 フラミーは可愛い返事をする子供達の頭を撫でた。

「フ、フラミー様!もう子山羊達のお散歩ですか!」

 金糸のような髪をサラサラと揺らすマーレが見上げると、フラミーは首を振った。

「今朝は皆のお散歩じゃないの。ちょっと果物をとりに来たんだ。」

「じゃあ、畑ですね!――フェン!」

 少し離れたところにいたフェンが近付いてくると、三人はその背に乗り、ドライアード達が普段面倒を見ているイチゴ畑に向かった。

 

 魔法の効果が付与されているイチゴは少しでも料理と認識されるような事をすれば途端に食べられなくなってしまう為慎重にもいでいく。

「イチゴくらい言ってくだされば今度はあたし達が採って用意しておきますよ!」

 アウラとマーレはフラミーと一緒に数粒楽しげに摘んだ。

「ふふっ。こう言うのは自分でやるからいいんですよぉ。誰も分からない事に手を掛けられることが嬉しいの。」

「あ!あたしも、誰も分からなくてもフェンの毛並みを整えるの大好きです!」

「じゃあ、私達一緒ね。」

 尻尾が生えていたらブンブン振っているのではないかと思えるように嬉しそうなアウラの髪を撫でると、フラミーは幸せだと思った。

 髪に指を通すと、アウラの髪は少し伸びてきているようだ。

 

「ふ、フラミー様!こ、この大きいの!あの、えっと、フラミー様にあげます!」

「わぁ!じゃあこれは私がお昼に食べるね。――ありがとう。」

 マーレから籠にイチゴを受け取るとフラミーは前髪を少し避けてそのおデコにキスをした。

 こんなお母さんがいたら良かったなぁと言う自分の中の偶像だ。

「は、は、はい!」

「…マーレ〜。フラミー様にキスして頂いてたってアインズ様に言いつけちゃおっかなー。」

「ははは、皆にしてあげないとダメだろうって私が怒られちゃうかも。アウラも来て。」

 両手を広げると、何が起こるのか分かったアウラは少し顔を赤らめて、嬉しそうに抱きついた。

 フラミーはアウラの狭い額にもキスすると、二人と今朝のことは秘密にしようとクスクス笑いあい、何の効果も持たないリンゴの木の下へ行った。

 

「ふーこれで全部かな。」

「あっちの知恵の林檎(インテリジェンスアップル)じゃなくて良いんですか?」

「あれじゃ私が包丁いれたら爆発しちゃうからね。これで良いんです。」

「あ、あの、お料理するんですか?」

「ううん、剥くだけ。そうだ、一つ今剥いちゃうから一緒に食べよ!」

 フラミーは林檎を何等分かに切ると、最近覚えたばかりのウサギの飾り切りを披露するべくせっせと皮をむいた。

 庶民的すぎるそれは、芋を煮ただけの料理が出たりしないナザリックでは見ることはなく、双子は興味深そうに眺めた。

「フラミー様ってなんでもおできになるんですね!」

「ははっ。何もできないから、できることだけでもね。はい、あーん。」

 アウラは目を輝かせると大きく口を開いた。

「あーん!」

「ふふっ可愛い。マーレも、はーい。あーん。」

 少し躊躇ってから、ギュッと目をつぶったマーレは小さく口を開いた。

 ウサギに切られたリンゴを、三人は段々高く昇っていく朝日の中笑いあって食べた。

 

+

 

「なんちゅー光景だ…。」

 アインズは悶絶していた。

 フラミーが寝室を出て行ってからずっと遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)で様子を眺めるというストーカーもびっくりな監視を行っていた。

 いや、前日に手伝うと言ったら断られたので、困ることが無いか様子を見ていたのだ。

「はぁ。ナザリックは本当に最高の家だ…。」

 ナザリックのどこかに二人の家を建てたいなぁとアインズが考え始めると、鏡に映し出されるフラミーは第七階層へ転移して行った。

 

+

 

 やはりそこでも寝ているのか疑わしい守護者が気配を感じてすぐさま現れた。

「フラミー様。おはようございます。このような早朝に如何なさいましたか?」

「デミウルゴスさん。今日、私お出掛けしちゃうんで先にこれ渡しておこうと思って。」

 フラミーは自分なりに目一杯可愛がっている息子に本日の弁当を渡した。

「こ、これはありがとうございます!大切にいただきます。」

「あ、それから、今日はこれもですよっ。」

 フラミーは小さな箱を別途渡してきた。

「頂戴致します。フラミー様、良ければ今度は私が何かご馳走いたします。」

「嬉しい。きっと誘って下さいね!」

「かしこまりました。是非お付き合い下さいませ。」

「それじゃ、私はこれで!」

 フラミーは珍しく自分を誘ってくれた息子に手を振ると、弁当を楽しみにしていた統括の下へ立ち去った。

 デミウルゴスは二つ目の箱はなんだろうと開くと、小さなウサギ型のリンゴとイチゴが入っていた。

「…これは…なんと……。」

 デミウルゴスは胸を押さえて神殿に帰った。

 

+

 

 アインズとフラミーはハムスケと共に聖王国のそばの海に来ていた。

 真夏の昼間の海は青く澄んで、空と繋がるようでとても広かった。

 お供にはメイド、イワトビペンギンの執事助手エクレア・エクレール・エイクレアー、マスクをかぶった男性使用人、更には護衛もついていて、デートと言うには少し難しいかもしれない。

 浜辺に敷かれた美しい絨毯には大量のクッションが出され、食事をとり終わった二人はハムスケとクッションに埋もれるように座って海を眺めた。

「フラミーさん、前に来た時は日が落ちる頃だったから見えなかったけど、あんなところに島があるんですね。」

「どれですか?」

 フラミーよりも余程視力の良いビルドで生み出された体を持つアインズは肩を引き寄せて、顔をピタリと付けると遠くを指差した。

「あれです。…島があるってことはきっと大陸もあるんだろうな。いつか隣の大陸にも行って、知識と技術を制限しないと。」

「ん…本当、島がある。もし隣に大陸があったとして、向こうにも竜王やプレイヤーがいるんでしょうか?」

「…いるかもしれませんね。もしかしたら、まだ生きてる人もいるかも。」

 二人で少し唸っていると、アインズは伝言(メッセージ)が届く感覚にフラミーから離れた。

 

「私だ。――…アルベドか。……なに?…そ、そうか…少し待て。折り返す。」

 アインズは伝言(メッセージ)を切ると、様子を見ているフラミーに何と伝えようか悩む。

 

「…フラミーさん、幸せですか?」

「はいっ!幸せです。」

 アインズの唐突な問いにフラミーは笑うと鼻歌を歌い出し、放り出されているハムスケの尻尾を手繰ると撫でた。

 近頃フラミーがよく歌っているその曲は優しく不思議な旋律で、一体誰のなんて言う曲なんだろうかとアインズは思っていた。

「あの、じゃあフラミーさん、悩んでる事とかないですか?」

「んん?大丈夫ですよ?どうしました?何が怖いんですか?私、力になりますよ。」

 長い髪を潮風に揺らしてフラミーはアインズをまじまじと見た。

「怖い…はは。俺、本当怖がりだな。」

 アインズは少し自分を恥じると、長い息を吐いた。

「フラミーさん、聞いてください。ラナーが身籠りました。」

 フラミーの瞳は一瞬揺らいだが、嬉しそうに細められた。

「おめでとうございます!お祝いを送らないと!」

 

 ラナーは以前フラミーに頼んだ――つもりになっているクライムとの子を身籠っていた。

 あの歪んだカルマを持つ女が光輪の善神(アフラマズダー)に貫かれて死ななかったのは無垢なる存在が腹にいたためかもしれない。

 フラミーはアルベドに「ラナーがクライムと進展した。子供が欲しいそうです。」と言われ「それはいい事ですね!祝福しますよ!」と応えただけだったが、生命創造の力を持つと思い込んでいるアルベドとラナーを勘違いさせるには充分だった。

 アルベドは今のフラミーの状況を思って少し悩んだが、その手でラナーから命を奪っていないところを見ると産ませていいのだろうと取り付いで来た。

 

「俺達に名前をつけて欲しいそうですよ。断ります?受けます?」

 フラミーは海を眺めると、朝摘んできたイチゴを一粒アインズの口に放り込んで立ち上がった。

「付けてあげましょう!」

 清々しい笑顔を見せるとフラミーは海に向かって歩きだし、アインズは背を見送りながらアルベドに繋ぎ直した。

「私だ。名を授けよう。」

 

 フラミーは波がギリギリ届かないところでしゃがむと、鼻歌を歌いながら小さな小さな山を砂浜に作り、落ちていた貝を乗せた。

 もしもいたら何と名前をつけていただろうか。

 ラナー達の子と同じ頃に生まれる事ができたんだろうか。

 ソリュシャンの話ではこのくらいの大きさだったはずだ。

 

「お墓ですか…?」

 アインズの声にフラミーは振り向かなかった。

 あれもこれも付けたかったと色々な名前を考えながら、今作ったばかりの小さな山を丁寧に両手で掬う。

 海に向かってそれを放り投げると、砂と貝殻はキラキラ舞いながら波にのまれて消えていった。

「さようなら。」

 フラミーは笑って手を振った。

 

+

 

「ラナーとクライムの子供だからクララ?クラリス?」

 アインズはフラミーを抱き寄せて再び海の前に座っていた。

 その名前は安直ネームだが、会心の一撃だと本人は無自覚だ。

「どっちも可愛いですね!男の子なら?」

「んー…ラナイム…?」

「なんだかスライムみたい…。」

「ははは。フラミーさんが男の子は考えて下さい。」

 フラミーはアインズにイチゴを食べさせられると、咀嚼しながら少し考えた。

「んぅ、じゃあ、ラナーちゃんとクライム君だから、ライラ?」

「…それは麻薬の名前です。」

「ははっ聞き覚えあると思ったぁ。」

 アインズはいつか自分達の子供の名前を考える日にはまたこの海に来ようと決めると、もう一粒フラミーの口に押し込んでから長いキスをした。

 

「甘いな。」




……君達なんか儚いよぅ……( ;∀;)静かなお話になってしまった…

次回 #57 閑話 評議国の竜王達
やばい…ヤバイヤバイ……こいつらやばい…

挿絵は杠様よりいただいたフララララのあーんでした!

【挿絵表示】


リクエスト頂いたこの後のお料理回のお話です!
https://syosetu.org/novel/195580/11.html


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#57 閑話 評議国の竜王達

 ドラウディロンは戦いが無事に終わった時、安堵から地面にへたり込んだ。

 アインズが地に落ち、動かなくなった時は何度迎えに行こうと思ったことか。

 戦いが終わると二人は縋りあって泣いていた。

 余程怖い思いをしたのか――いや、あの涙は自分達のために流した物ではなかったように見えた。ツァインドルクス=ヴァイシオンを悼んだのかもしれない。

 未来の夫と、友と、痛みを共有できない弱い自分を恨んだ。

「…早く会いたい…。」

 よそ行きのドレスに身を包み、自室からあの日邪竜が空に浮かんでいた方を見あげていると、ノックと共に宰相が現れた。

「女王陛下。七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)様が到着されました。」

「――いらしたか。行こう。」

 女王はフッと息を吐いて気合を入れ直すと、宰相と共に城の中庭へ向かった。

 

 竜王国の王城中庭には七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)が降り立ち、曽孫の到着を待っていた。

「ひいお祖父様!お待たせしました。」

「私の可愛いドラウディロン。さぁ、乗りなさい。」

 ドラウディロンは熱気球につけるような籠に乗り込むと、宰相に振り返った。

「国を任せたぞ。何かあったら、最悪アインズ殿からお前に直接<伝言(メッセージ)>を送って貰うよう頼む。日に三度は闇の神殿へ確認に行くから、お前ももしもの時は神殿から<伝報(でんぽう)>を送れ。」

「かしこまりました!お気をつけて!」

 魔導国内とその属国では、身分の高い極一部の者、高位の神官達、聖典達のみ、神殿に勤める死の大魔法使い(エルダーリッチ)同士の<伝言(メッセージ)>で連絡を取り合う事が許されている。

 それは<伝報(でんぽう)>と呼ばれていて――死の大魔法使い(エルダーリッチ)が相手の人間と顔馴染みでない場合もあるので――送り先は神殿の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から神殿の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)へと決まっている連絡手段だ。

 人間同士の伝言(メッセージ)と違い、神の力で生み出された者達のそれは距離に関係なく音声に乱れが無いため安心して任せられ、非常に重宝されている。こうして先に連絡する事を申し付けて皆利用していた。

 ちなみに当然料金はかかるし、内容によっては断られる。

 

 七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)はドラウディロンの入った籠を肩掛けカバンのように持つと評議国へ出発した。

 

 空気を切り裂くように飛んで行く中、竜王はドラウディロンの入る籠に視線を落とした。

「…ドラウディロンよ。お前はゴウン君の何を知っている?」

「えっ?そうですね。アインズ殿の――」

 そう言われてみると、自分はアインズの何を知っているのだろう。

 生まれたところ、育ったところ、今住んでいる場所、趣味、歳、好きな食べ物、何もあの王の事を知らない。

 ただ一つ知っていることは「――慈悲深い所を、誰よりもよく知っております。」

「…そうか。それが偽りだったとして、お前はそれでもゴウン君のところに嫁ぎたいのか?」

ドラウディロンは首をかしげると少し考えた。

「…あれ程の慈悲深さを持つ王の慈悲が嘘だったら、この世に真の慈悲などありません。私は、アインズ殿を信じます。――しかし、ひいお祖父様。何故そんな話を?」

 竜王は少し躊躇ってから語り出した。

「お前もあの戦いを見たな?」

「はい。凄まじい戦いでした。いつアインズ殿が討たれるかと…気が気じゃなかった…。」

「…我等竜王の中でも、竜帝と肩を並べ最も力を持つと言われる常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)が、その後継となる白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)を裂き殺しただろう。」

「はい。アインズ殿もかなり悲しんで――」

「が、そもそも何故あの竜王達は争っていたのだろうな。」

 竜王はドラウディロンの感想を最後まで聞くつもりがないのか被せるように疑問を言い切った。

「それは、常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)が世界を汚そうとしたのでは?あの日の真夜中の夜明けは世界を塗り替えるように人々を撃ちました。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は去年のあの夏、世界を汚す者を許さないと言っておりましたし。」

「…ドラウディロン、この評議国での集会、お前は耐えきれるだろうか。」

 曽祖父の意味深な発言にドラウディロンは再び首を傾げたのだった。

 

+

 

 評議国には十六もの真なる竜王と、一人の真にして偽りの竜王が集まった。

 広く細長い巨大なホールで竜王達は向かい合うように並び、沈黙の中常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)に謎の魔法を掛けた神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王の来訪を待った。

 空に映し出されていた映像は常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)が叫び縮んで行く様と、アインズ・ウール・ゴウンが泣いているところで終わった。

 その後竜王の中の竜王と評される常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)がどこへ行ったのか、どこへ連れていかれたのか、はたまた殺されたのか、知るものは一人もいなかった。

 

 約束の時間になると、巨大な扉が重々しく開いていく。

 部屋はこれだけの竜王達が集まっているというのに決して狭苦しくなく、高い天井には複数のシャンデリアが輝いていた。

 カツンカツンと床を叩く硬質な音と、複数の足音が響く。

 全員がそちらへ警戒の目をやる中、ドラウディロンは嬉しそうに手を振った。

 

「ずいぶん集まっているじゃないか。竜王のバーゲンセールだな。」

 骨の姿で現れたアインズは中央で立ち止まると、左右に並ぶ竜王達を見渡した。

「私こそが神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王、その人である。」

 アインズの後ろには守護者達が控えており、全員が最強装備に身を包んでいる。

 アルベドはヘルメスメギストスに。

 シャルティアは真紅の鎧に。

 コキュートスは全裸に金の美しい装飾を。

 アウラは傾城傾国にいつものジャケットを。

 マーレ、デミウルゴスはいつも通りだ。

 

 すると、途端に宙にバキンとヒビが入り、すぐにヒビは消えた。

 神殿には下手に覗き見るなと言ってある。

 アインズがどこかの竜王の家が吹き飛んだかなと考えていると、竜王達はざわめき始めた。

 

「…随分と派手な演出だねアインズ。」

「いや、今のは私も本意じゃない。」

「そうかい。さて、今日はわざわざ悪かったね。査問会なんて不毛な物は僕は賛成じゃなかったんだけど。竜王は皆臆病なんだ。」

 ツアーは竜の体で気だるそうに真ん中正面に座っていた。竜の身の外出を楽しむ様子はまるでない。

 臆病だと評された左右に並ぶ竜王達は忌々しげに口を開いた。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)。いくら竜帝の子とは言え無礼だろう。」

「あぁ、それは悪かったね。」

「心にもないことを。」

 

 竜は本来群れない生き物だ。早くも一触即発の雰囲気に空気はピリピリと震え、ドラウディロンはこの会にただの小娘の自分が耐え切れるのかと震えた。

 そして友人(フラミー)が来ていない事に少しの疑問を感じる。

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王よ。我々は常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)との戦いを見たぞ。あの後常闇はどうしたんだ。」

 名も知らない竜王の疑問にアインズは振り返ると少し後ろで控えている守護者に向かって手招きした。

「我がナザリックで元気に暮らしているとも。シズ、見せてやりなさい。」

 戦闘メイド(プレアデス)のシズ・デルタは守護者達の中からトテトテ前に出てくると、緑の瞳を光らせてプロジェクターのようにナザリック内部で監禁される常闇の姿を映した。

「……ん。これが滞在人。なんちゃって。大罪人。」

 竜王達はあまりの光景に息を飲んだ。

 常闇は生きたまま皮と鱗を剥がされ、肉を切り取られ、骨を取り出されていた。

 おぞましき異形たちは実に嬉しそうにそれを行い、時に回復し、竜王は絶えず血を流しながらも死ぬことなく悶え続けている。

「こ…これは…。アインズ・ウール・ゴウン!!貴様は何をしているんだ!!」

「ははは。地獄を見せているだけさ。私はこの竜王ほど罪深い生き物を他に知らない。どうだ、元気そうだろう?」

 青空の竜王(ブルースカイ・ドラゴンロード)のスヴェリアー=マイロンシルクは森司祭(ドルイド)の力を持ち信仰系魔法を扱うだけあって、その余りの状況に吐き気を催した。

「なんと邪悪な……。ツァインドルクス=ヴァイシオン…。私はあの時我々を巻き込むなと言ったはずだぞ…。これは…これは…。」

「巻き込むも何も常闇は自分でアインズと戦う道を選んだんだ。こればっかりは僕の責任じゃないと思うけどね。」

 愉快そうな笑い声を漏らすアインズにドラウディロンは驚き、口を開けてその様を眺め、曽祖父の言っていた偽りの慈悲深さとはこの事かと納得した。

 しかし、何の罪を犯したか解らないが断罪の為にこれを行なっているのなら仕方のないことのような気もするし、神として罪人には苛烈であるべきとも思えた。

 

「常闇がぷれいやーに刃向かったとは言え…幾ら何でもここまでの事をされる程の罪などないはずだ…。」

 スヴェリアーはシズの見せ続ける光景に胸を痛めていると、突如激しい悪寒に背筋を震わせた。

「なんだと?貴様。今、それ程の罪はないと言ったのか。」

「――ッ!?ツアー!!この者は危険すぎる!!」

「知っているよ。だから僕は力を持つ前に討ち取ろうと必死だったんじゃないか。敵わなかったけれどね。」

「ツアー、この者もナザリックに連れ帰っていいか?」

「アインズ。この竜王は何もわかっていないんだ。許してやってくれ。」

 ツアーがアインズに頭を下げる様子を見た周りの竜王は絶句した。

 常闇が捕らわれ、竜帝もいない今、竜王たちのなかで最も力を持つのはこの竜王だ。

「な、な…そもそもお前がこの者と繋がりを持ったから常闇はお前とアインズ・ウール・ゴウンに挑んだのではないのか!!」

「そうだったとして、だからどうしたのかな。僕にはわからないよ。」

 ツアーの口調からはその時々の大局を見極める力のない竜王と話すことはないと言う冷たさがあった。

 それを聞いた別の永久評議員が口を開く。

「やめろスヴェリアー=マイロンシルク。ツァインドルクス=ヴァイシオンのいう通りだ。」

「ようやく話のわかる竜王が現れたみたいだね。助かるよ。」

「黙れツァインドルクス=ヴァイシオン。私はお前を引き裂いた常闇をあんな風にする力を持つアインズ・ウール・ゴウンに挑んだ所で、どうこう出来るわけがないと分かっているだけだ。貴様の肩を持っている訳ではない。――それより、戦いの中で使っていたあれは始原の魔法だろう。貴様は何故それを持つ。」

 永久評議員はアインズをじっと見た。

「私はプレイヤーだ。そう言う力を持っていてもおかしくないだろう。これまでは使い方を知らなかっただけだ。」

 アインズは嘘にならないように丁寧に話す。

 評議員は確かめ合うように向かいにいる竜王や左右の竜王に視線を送った。

「なんだと?嘘ではないようだが…。」

「そんな話は聞いたことがない。」

「しかしぷれいやーは未知だ!」

「使い方さえ知ればぷれいやーは皆それを使うというのか!?」

 するとアンデッドの朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)がバシンと尾で床を叩き吐き捨てた。

「竜帝の汚物が…。ツァインドルクス=ヴァイシオン。貴様は我々に何か隠しているな!」

 

「隠しているのは僕じゃない。君達自身だよ。皆自分の胸に聞いてみたらいい。答えは其処にある。」

「な……貴様、では…まさか……。」

「――…やはりそうだったか。」

 七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)は最悪の予想が当たった事に目を閉じた。

 あれほど強大な力を持つはずの常闇が挑んでいる時に、何故一度も始原の魔法を使わず撃たれるがまま撃たれ、這い蹲って敗れたのかこの竜王はずっと考えていた。

 力の喪失からそう間も無く現れたアインズ・ウール・ゴウンと言う存在は奇妙すぎる。

 この事実を前に可哀想な曽孫はどうなってしまうのだろう。

 まっすぐゴウンを信じ、愛し抜こうとするその心はここで手折られてしまうのか。

「いいのか?ツアー。」

「仕方ないだろう。見られてしまったんだからね。――それにもうこの中に君の脅威はいない。」

「待て。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)…それでお前は…今やただ一人の真なる竜王だとでも言うのか。」

「そうかもしれないし、そうではないかもしれないね。」

 竜王達はツアーの言葉に乗る嘘の香りに息を飲んだ。目を伏せる者、顔に手を当てる者、唸る者。

 それぞれ想像が間違っていた場合を恐れているのか、または言葉にする事で真実だと肯定される事を恐れているのか、「始原の力はアインズ・ウール・ゴウンに奪われた」とハッキリ口にできる者はおらず、沈黙が流れた。

 重苦しい空気は粘度を持つようで、とても肺を満たしてくれる新鮮なものだとは言えない。

 そんな中、場違いにも思える声が響く。

 

「ま、待ってくれ!竜王の皆様は一体何の話を?ただ一人の真なる竜王とは…?」

 ドラウディロンは置いてけぼりだった。

「この小娘はここに来るべきではないだろう。」

「何故連れてきた。七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)。」

「立ち去れ!偽りの竜王よ!!」

「竜王ですらない者が何故いるのだ。」

 竜王達のまっすぐな敵意は物理的な重さを持ってドラウディロンにぶつかり、暴風に当てられたようにドラウディロンは数歩後ずさった。震え、意識を失いそうになっていると、七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)がドラウディロンの背を鼻で軽く押した。

「哀れで可愛い私の子も、ここに立ち会う権利はある。ゴウン君、君はドラウディロンを騙そうと思っていたのか?」

「騙す…?私はドラウディロンを騙そうと思ったことなどないが…?」

 中央に立ち、竜王達に左右から観察されるアインズの言に嘘はなかった。

 では、力というのはこれまで始原の力だと思い込んでいたが、位階魔法や武技などをドラウディロンが多く持てば嫁取りすると言うわけか。

 二人の間の子供はこの世のただ一人の真なる竜王としてこの世に君臨するだろう。

 七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)は我が子の先見の明を喝采した。

「そうか。ではゴウン君、ドラウディロンの事をよろしく頼む。」

「関係のない話をするな。それより、アインズ・ウール・ゴウン。我等にそれを返せ。」

「断る。力とは独占して初めて意味を持つ。」

「なんと傲慢な…。力があったなら私も常闇と同じように――」

 

「やめろ評議員。あの日竜帝がゆぐどらしるとの道に触れて以来いつかはこうなると私は思っていた。だからこそ私は位階魔法も求めてきた。」

 

 朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)の言にアインズは瞳を燃え上がらせた。

「おい。どういう事だ、そこのゾンビ。」

「貴様は骨だろう。」

「下らないことを言っていないで教えろ。ユグドラシルへの道だと?」

「ほう。貴様教えれば帰るか?」

「あぁ、帰るさ。」

「堂々と嘘をつきおって。我等の目を誤魔化せると思うな。」

 凄まじい怒りが燃えるように吹き上がった。

 竜帝はツアーの父親だと聞いてきたし、ツアーは何か知っているのかとアインズが視線を送る。しかし、ツアーは首を振った。

「悪いがアインズ、こればかりは僕にも分からないことなんだ。ただ、ここに来ていない慈母(マザー)達はそれを理解している。朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)同様にね。」

「ほう、お前は戦ったあの日にも慈母(マザー)が何のと言っていたな。このゾンビと慈母(マザー)達以外に分かる奴はいるのか?」

「いや、いないと思うよ。朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)は回収した魂を使いその意思をただのゾンビとならないよう留めているんだ。父や常闇、慈母(マザー)と同じくらい長く生きている――本来であればこの中でも最強に近い存在だ。」

 勝手なことを話すなと言う竜王達の叫びを無視してアインズは少し考えた。

 

「…そうか。なんでもお前に聞こうとするのは私の悪い癖だな。では直接見させてもらうとするか。<記憶操作(コントロールアムネジア)>。」

 アインズは腕輪を輝かせて骨の竜王に向かって魔法を使った。

 記憶を覗こうとすると、魔法は拒否されたように弾かれパチリと綺麗な火花をわずかに散らした。

「なんと凶悪な…。」

「ふむ。私の魔法を弾くか。たしかに相当に強い――いや、強かったんだろうな。ではこれはどうかな。<全種族魅了(チャームスピーシーズ)>。」

 穏やかに次の魔法を繰り出すと、それもまた弾かれパチリと小さな火花が散って消えた。

「…下らん。児戯だな。」

朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)!!」

「それを刺激するな!!」

「何が起こるかわからん!!」

 

 せっかく実験をしているのにすぐに喚き出すトカゲ達にアインズは少しうんざりした。

「まぁいい。それで、お前たちの聞きたいことは以上か?」

 万一開戦する場合に備えて、置いてきたフラミーが家で待っている。

 ユグドラシルへの道は興味深いがどうせ自由な行き来は出来ないだろうし、サービスが終了した今、モンスターを引きずりこむ事もできるか怪しい。

 どうしても知りたくなったらアウラの傾城傾国を使えばいいだけだ。

 アインズは恐怖の色がわずかに混じる全ての竜王と視線を交わした。

「いいみたいだよ。悪かったね。竜王達を許してやってくれ。次は僕たちがそちらへ行くようにするよ。」

「ツァインドルクス=ヴァイシオン!!竜王としてのプライドがないのか!!」

「…僕は世界とぷれいやーの調停者として生きているだけだ。」

 竜王達は、世界最強へと繰り上げ昇格した竜王を睨んだ




ついに竜王達は真実を知ったけどミンチになる未来しか見えないですね!
次回もまだもうちっと竜王達とのお話なんじゃよ。
#58 閑話 ドラウディロンの腕輪


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#58 閑話 ドラウディロンの腕輪

今夜から後書きで三期のドララの身の振り方アンケート始めます!
どうぞよろしくお願いいたします。


 アインズはナザリックへ帰るため転移門(ゲート)を開いた。

「待ってくれゴウン君。」

 どの竜王達も早く帰って欲しいと思っていたのに七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)は悪夢を呼び止めた。

「なんだ?まだ何かあったか?」

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)!早くそれを帰せ!」

「少し黙れ。――ゴウン君。ドラウディロンも連れて行ってくれないか?」

 アインズは悩んだが、連れて帰ればフラミーが喜ぶかもしれないと思いドラウディロンに手を伸ばした。これはフラミーの友達なのだ。

「ふむ。ではドラウディロンも来なさい。」

「良いのか!アインズ殿!!」

「あぁ。フラミーさんも喜ぶ。」

 ドラウディロンはアインズの差し出した手に向かって駆け出した。

 

「ひいお祖父様!ありがとうございます!」

「いいとも。さぁ、頑張ってくるんだよ。」

 ドラウディロンは嬉しそうにアインズの腕に掴まると転移門(ゲート)を潜った。

 

 悪夢が立ち去ると竜王達はそれぞれため息をついた。

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)、お前の子供はアインズ・ウール・ゴウンとどう言う関係なんだ。」

「力を蓄えたら、あれはうちの子を嫁に取ると真実約束したんだ。」

 竜王達はざわりと蠢いた。

「何?お前の子は混ざり者だが、これで子が生まれれば…。」

「そう言うわけだ。皆、私の可愛いドラウディロンを応援してやってくれ。」

「一滴でも血を継がせたいところだな。」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)。お前は近々約束があるんだろう。アインズ・ウール・ゴウンに他にも竜王の娘を嫁に取らないか確認してくれないか。」

 ツアーはそう言う手段で竜王に始原の力を取り戻す方法もあるのかと微妙に感心した。

 が、それには漏れなく強大な位階魔法もセットで付いてくるし、生まれた瞬間この世界最強の存在になることを約束されるかと思うと、下手な竜王の子供では危険だ。

「…血の混じりを君達も嫌っていたはずだけど。」

「そう言うな。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)。」

 

「おい七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)。お前のところに子ができたらうちにも血を分けてくれ。」

「それはゴウン君とドラウディロン次第だろう。」

 

 この竜王はドラウディロンの明るい未来を信じているようだが、アインズにその気がない事をツアーはよく知っていた。

 

「手紙を出すか。白き竜王(オラサーダルク)――霜の竜の王(フロスト・ドラゴン・ロード)の縁者達が一日で届けるはずだ。」

 紹介したところでアインズを籠絡する事は無理ならば、逆鱗に触れないように仲介した方がまだましか。ツアーは冷静に結論を出した。

「それには及ばないよ。僕から聞くだけ聞いておこう。」

 

 長寿の竜王達は自分に連なる血の先に再び始原の魔法が戻る事を期待して帰って行った。

 ツアーも娘が生まれたらアインズに嫁にやろうと密かに決めた。

 もし先にアインズとフラミーの間に娘ができたら嫁取りさせてくれないか聞こう。

 自分の管轄下に置ける子供なら安心して位階魔法と始原の魔法を継がせられる。

 ツアーは思ったよりこの査問会は実りある物だったかもしれないと満足すると、またひとつアインズを守らなければいけない理由が増えたことに若干辟易した。

「…二度と裂かれたくはないものだね。」

 

+

 

 アインズが第六階層の湖畔に守護者達を連れて戻ってくると、湖に立ち尽くすフラミーがいた。

 長い髪を風に任せて靡かせている後ろ姿は、白い半袖の膝丈ワンピースに、レースのローブを羽織った随分こざっぱりした様子だった。

 レースのローブは湖に浸かり、波にさらわれるように揺らいでいて、そのまま湖に溶けて消えてしまいそうだった。

 

「フラミー殿!」

 ドラウディロンはアインズの骨の腕に捕まったままフラミーを呼び手を振った。

 フラミーは振り返ると無事に戻った全員を見渡して嬉しそうに笑った。

「っ――フラミーさん!!」

 アインズは儚すぎる笑いに堪らなくなるとドラウディロンの腕からすり抜けフラミーに向かって走り出し、フラミーも数歩水の中をザブザブと歩いた。

 衝撃を押し殺しきれないままフラミーをかき抱くと、アインズは水の中に膝を、フラミーも尻餅をついた。二人の周りはキラキラと水しぶきが舞った。

「ははっ、おかえりなさぁい。」

「すみませんでした、置いていったりして…本当にすみませんでした。」

「…アインズさん、その様子だと開戦しなかったんですよね?」

「はい、全然大丈夫でした。本当に…すみませんでした…。」

 フラミーの両手がローブの胸のあたりを握りしめるのを感じる。アインズはフラミーを抱きしめる腕の力を強めた。

「無事に帰って来てくれたから、もうそれで十分ですよ。」

「はは、もう、置いてきません。約束します。」

 二人はゆっくり体を離した。

 

 アインズの後ろを付いてきていたドラウディロンは顔を青くしていた。

「開戦…アインズ殿は…また竜王達と戦うつもりだったのか?」

「あぁ。本当は全員殺しても良かったんだが、ツアーが嫌だ嫌だとうるさいからな。」

「た、頼む。もうあんな戦いは、あんな戦いはしないでくれ!」

 水に入ってくるドラウディロンにアインズは首を傾げた。

 

「なんだ?竜王国はそんなに揺れたか?それとも、七彩も殺されると思っているのか?あれには恩義があるから生かしてやるつもりだぞ。」

「…そうじゃない。私は心配なんだ…。もし貴君が死んでしまったら――」

 それを聞くと、アインズは燃え上がるような真紅の瞳をジロリと向けた。

「私は決して死なん。二度と私が死んだら、なんて言うんじゃない。」

「あぁ…。そうだな。すまない。」

 アインズは頷くと水の中から立ち上がり、フラミーのことも立たせた。

「…さて、私は着替えに行くとするか。神器級(ゴッズ)は装飾が多い。」

「はーい!いってらっしゃーい。」

 背にかかる声に軽く手を上げながら守護者の下へ水をかき分けて戻って行った。

 

「――やめろお前達。何をやっているんだ。」

 アインズは歩きながら、それぞれ武器に手を掛け様子を見ていた守護者達に声をかけた。

「「「「失礼いたしました…。」」」」

 アインズもあれの行いには時に思うところがあるが、フラミーの友人を切り捨てられては困る。

 きっとフラミーの気持ちに良い影響を与えるだろう。

「さぁ、お前達もいつまでも最強装備でうろついてないで着替えなさい。」

 

+

 

 ドラウディロンは濡れてしまったドレスの裾を絞っていた。

「あ〜ぁあ…やってしまったな。つい入ってしまった。」

「はは。お洋服が濡れてるのなんて久しぶりに見ました。」

 地面に座っておかしそうに笑うフラミーに苦笑を送ると、ドラウディロンはやらなければいけない事を思い出した。

「――あ、そうだ。フラミー殿、手間をかけて悪いんだが宰相に一本伝言(メッセージ)を送ってくれないか?」

「良いで――」

「だ、だめです!!」

 フラミーの了承を遮った可愛らしい声に振り返ると、そこではマーレが頬を膨らましてドラウディロンを見ていた。

 マーレは普段と最強装備が変わらないため着替える必要がなく、ずっと控えていたらしい。

「そうは言っても国に連絡を取らなきゃならんだろう、マーレ君。」

「し、至高の御身に、そ、そんな事を頼むなんて、やっぱり不敬です!!」

 フラミーはドラウディロンと苦笑するとマーレを手招いた。

「マーレ、おいで。」

「ふ、ふらみーさまも…こんな不敬な雑種さんの言うことなんて…。」

「雑種って…マーレ君。せめて私の事はドラウディロンさんと呼んでくれ…。」

「じゃ、じゃあ…ドラウディロンさんは、あの、至高の御方々をどう思ってるんですか…?」

 マーレはフラミーの膝に乗せられながら雑種を見上げた。

「フラミー殿のことは友人だと思っているし、アインズ殿のことは愛しているよ。」

「そ、そんな!不敬です!」

 

「マーレ、どうしたんだ?」

 近付いて来る優しい声の方に振り向くと、三人は自分達の宝物を見上げた。

「アインズさん。」「アインズ殿。」

 戻ったアインズはフラミーの隣に着くとマーレを覗き込んだ。

「あ、アインズ様!あの、その…雑種さんが至高の御身を愛してるなんて、不敬ですよね!」

「あ、あいしてる!?」

「ざ…雑種…。一回は呼んでくれたのに…。」

 一瞬狼狽えたが、アインズは愛してるなんて何の勘違いだとため息をついた。

「はぁ、マーレ…そんな訳ないだろう。お前は何を言っているんだ。」

「で、でもアインズ様…。」

「ほら、もう行きなさい。困ったやつだな。」

 

 アインズは何度も振り返るマーレの背中を見送った。

「全く。ドラウディロンもあまり好き勝手言わせていないでちゃんと注意したほうがいいぞ。」

「したさ!したが、やめないんだ。」

「あー…そうか。それは悪かったな。あれはどうしてもまだ子供なせいでな…。悪気はないんだが…。」

「…まぁ、いいさ。ふふ、貴君はやはり優しいな。」

「そうか?」

「そうとも!」

 

 心地いい静寂が訪れると、アインズは人化しフラミーに寄りかかった。

 愛してると言うのはこう言う――複雑で、苦しくて、幸福なものだろう。

 アインズは触れ合うぬくもりに目を閉じた。マーレにいつかちゃんと愛について教えてやろうと思いながら。

「あら、アインズさん、やっぱり評議国疲れました?」

「ん?はは、疲れましたよ。大量のツアーに(、、、、)囲まれて。どいつもこいつも不愉快でした。」

「ツアーといえば白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はフラミー殿が生き返らせたのか?あいつピンピンしていたな。」

「いいえ、アインズさんが起こしましたよ!」

 ドラウディロンは少し考えた。

 生の神と死の神だというのに、何故アインズがその力をと考えていると、すぐに訳に思い至った。

「あぁ、そうか。あの日フラミー殿は力を与えていたもんな。それで復活魔法を使えていたわけか。」

「はは。力を与える、かぁ。」

「――…フラミーさん。」

 アインズはフラミーの顔を掴むと少し上を向かせてキスをした。

 神官達に同じ事を言われ、"力を与えるなんて上等なものじゃなかった"とフラミーが泣いた晩を思い出す。その日は一晩中抱きしめ、背をさすった。

「っん…あの、ちょ…んん…。」

 ドラウディロンは唐突に始まった濃厚な接触から気まずそうに目をそらしながら、自分の愛を不敬な訳がないと言い切ってくれた言葉を心地よく思い出していた。

 いつかは自分もこうしてもらえるはずなのだ。

 お茶会の帰りにはキスもしてくれたし、抱き締めてもくれた。

 自分達は日々進んでいる。

 しかし――「アインズ殿!いくらなんでも長いだろ!!ばかたれ!!」

「ん……?あぁ…すまん、ついな。ははは。」

 アインズは何の悪気もないとでも言うようにペロリと唇を舐めた。

「ついじゃないだろう。まったく。」

「あぅ…どらうさん…すみません…。」

「はー…良い良い。フラミー殿のせいじゃないさ…。」

 ドラウディロンはフラミー越しに約束の腕輪をみた。

 

「あ!そういえばフラミー殿!」

「はひっ!」

「私とアインズ殿はこれを決して外さないと約束したというのに、勝手に取ったりしたらダメじゃないか!」

「え?そんな約束してたんですか?はは!借りちゃった借りちゃった!」

「あ、知らなかったのか?…でも次は許さんぞ!」

 ドラウディロンがフラミーの脇腹をくすぐろうと腹に手を伸ばすと、フラミーはひょいと立ち上がり、湖に駆け出してバシャバシャとしぶきを散らしながら下腹部まで水に浸った。

 誰にも触られないように。

 

「アインズさん!!」

「はい!」

「もう二度と、私がそれを抜き取る状況になんて、しないですよね!!」

 アインズはくすりと笑うと立ち上がり、拡声させるように口に片手を添えた。

「しませんよ!!」

 

「全く頼むぞアインズ殿。ほんとに。」

「まかせろ。私はあの人に二度とこれを抜かせはしないさ。誓うよ。」

 ドラウディロンはアインズを見上げると幸せそうに笑った。




ドラちゃん、登り切りましたので身の振り方アンケートを始めます!
三日くらいで行こうと思います!よろしくお願いします!

次回#59 閑話 限界突破の指輪
ついに指輪作っちゃう(*゚∀゚*)
アフター閑話は#60でおしまいです!

usir様より、人化御身のお鼻に蝶々が止まってる尊き一枚を頂きました!
フラミー様がお持ちの隠しアルバムに保存されているに違いないです(*゚∀゚*)

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#59 閑話 限界突破の指輪

 アインズはトカゲ (・・・)の下を訪れていた。

 常闇は四肢を丁寧に切り開かれ、中から骨を取り出されている最中で逃れようと必死に身をよじっている。

 ずっと叫び続けているらしいが静寂(サイレンス)の魔法が練られた檻の中にいるその竜からは何の音も聞こえない。

「ツアーの話では眼球と心臓が良いそうだ。」

 そう話しかけた相手はニューロニスト・ペインキル――。

 ウキウキとメモを取るその姿は、膨れ上がった溺死体の頭部に六本足のタコが張り付いたようだ。身を包むボンテージファッションは余りに膨れた体を締め付け、まるで肉料理に使う糸のように食い込んでいて醜悪だった。

 ただ、長い爪全てにはマニュキュアがキレイに塗られていて、凝ったネイルアートが施されている。たまに第九階層のネイルサロンでシャルティアとネイルの話をしている姿が見られるらしい。

 ヘソにはハート型のピアスがぶら下がっていて、頷いた瞬間にそれがキラリと揺れた。

「かしこまりましたわん。今の骨が取れ次第摘出いたしますので少々お待ちくださいまし。」

 あまり急ぎすぎるとショック死するため細心の注意を払った丁寧な拷問だ。

 始原の魔法で復活させれば拒否はできないが、万が一強大な状態で復活されては下手したらナザリックが破壊されてしまう。

 喪失のない復活はある意味危険だ。

 

「頼む。あとは小さくなるときに落とした鱗の質に、今の鱗が何枚で追いつくのか確認したい。鱗はどのくらい取れている。」

 ニューロニストとトーチャーたちは嬉しそうに剥いだ鱗の下へアインズを案内した。

 そこには漆黒の鱗が積まれ、黒い山が輝いていた。

「結構取れたじゃないか。明日にでも第五階層に運んでおいてくれ。」

「かしこまりましたわん!アインズ様!」

 

+

 

 第五階層。

 巨大な氷山をくり抜かせて作った錬成室は壁も天井も透き通っていて、空が氷の向こうに見えている。

「これは面白い建物だね。」

「美しいだろ。折角専用の場所を作るならと思ってな。」

 鎧のツアーを呼び出した第五階層の今日の天気は晴れにされていて、氷山の壁が外からの光を反射したり増幅したりしながら、内部は七色に輝く光が降り注いでいた。

「あぁ。美しいね。あれさえなければ。」

 ツアーがアゴをしゃくった先には部位ごとに大量に積まれた常闇の体の一部があった。部屋の美しさと正反対に、非常におぞましい光景だった。

「あれが主役なんだから仕方がないだろう。取り敢えず作り方を聞いたら品質の確認をしなきゃならんな。下手に時間を奪ったせいであれは若い竜になってしまったから、あれでお前の言う限界突破の指輪が作れるか少しだけ不安だ。」

「作れなければ作れないで僕は良いけどね。」

 相変わらずすぐに水を差す竜をアインズは人の体でジトッと睨み、ロッキングチェアに腰掛けた。

「全くお前と言うやつは。まぁいい。――さぁ、お前も座ってくれ。」

「これで僕はついに本腰を入れて魔王の手助けをするわけだ。完成するであろう七十年後が恐ろしいよ。」

 アインズは少し笑いながらノートを取り出した。

 

 その後アインズはツアーとともに夢中で素材の質について確認していった。

 どうやらニューロニストが新たに剥いだ鱗は、これまで剥いだ全てを足しても常闇が縮まる時に落とした鱗一枚分にも満たないようだった。

 今ある素材からはギリギリ指輪を二本作れるか作れないかという瀬戸際だ。

 

 しばらく二人であーでもない、こーでもないと話していると、ツアーは鎧の顔を上げた。

「おや?フラミーが来たみたいだよ。」

 わずかな時間が流れると、フラミーが氷山の入り口からヒョコリと顔を覗かせた。

「ツアーさん、こんばんは!アインズさん、今日式の話するって言ってましたけど、もう遅いんで私先に寝ちゃいますね。」

 気付けばクリスタルのような氷山が反射しているのは日の光ではなく星と月の光だった。

 たくさんの星の光の粒が降り注ぐその場所で、フラミーの耳にかけられている蕾は咲いていた。

 暗視を持ち、疲労も無効化しているアインズはこういう時周りの状況を見誤りがちだ。

「えっ!?す、すみません!!まさかこんな時間だとは思いもしなくって!」

「はは、いいんですよ。でも人の身でいるならちゃんと寝てくださいね。じゃあ――」

「ま、待ってください!」

 別に怒っている雰囲気でもないがアインズは慌ててフラミーの腕をとって引き止めた。

「すみません…。時間忘れてて…。」

「いいえ、ぜーんぜん。お仕事ですもん。」

「フラミーさん…嫌なことは嫌だって…ちゃんと怒って下さい。」

 フラミーはきょとんとした。

「必要な事ですし、アインズさんが好きな事してるの、私好きですよ!」

 あっけらかんと言い放つフラミーに、アインズは何となくこのままではまずい気がした。

 自分の行いを悔いるとフラミーを抱き締め、顔を上げた。

「ツアー、すまない。今日は終わりにしよう。おかげで作れそうだよ。<転移門(ゲート)>。」

 アインズはツアーを復活させた日に家へ行ったので帰りの扉を開いた。

「いいよ。それじゃ僕はこれで。フラミーも何か困ったらいつでも来るといいよ。君の存在はアインズを孤独にしない為にも必要だからね。」

「ふふ、それ前も言ってましたね。おやすみなさーい。」

 

 鎧は少し笑ってから立ち去ると、アインズはフラミーの顔を掴んだ。

 

「…フラミーさん。嫌な時は嫌だって、ちゃんと怒って下さい。お願いします。」

「ははっ、分かりました。怒ります。アインズさんもう忘れちゃ嫌ですよ。」

 フラミーはアインズの胸のあたりを掴むと引っ張った。

「すみませんでした。もう二度と忘れません。」

 二人は顔を寄せ合い長いキスをすると、フラミーは顔を赤くして照れ臭そうに笑った。

「へへ、また許しちゃった。」

 

 その夜二人は星の光が降り注ぐその場所で一つのロッキングチェアに揺られながら眠った。

 

+

 

「アインズ様。オハヨウゴザイマス。」

 コキュートスの声にアインズが目を覚ますと、フラミーはまだ腕の中で眠っていた。

 しー、と口に手を当ててからアインズは小さな声で話し出した。

「あぁ、コキュートス。もう朝か…。今日の予定をアルベドに聞いて時間を作らなきゃな…。それで、お前はあれか?」

「ハ。ニューロニストカラ素材ガ全テ届キマシタノデオ持チイタシマシタ。」

 二人の声にフラミーは目を覚ますと猫のようにアインズの胸に顔を擦りつけた。

「おはようございます、フラミーさん。」

「フラミー様。オハヨウゴザイマス。」

「うーん…おはようございまぁす。」

 アインズは足で軽く地面を押してロッキングチェアを揺らしだした。

「昨日の話からすると、量が足りるか少し不安だな。最悪ツアーに鱗をせびるか。コキュートス、入れてくれ。」

 コキュートスは頭を下げると雪女郎(フロストヴァージン)と共に大量のトカゲの目玉と心臓を持ち込んでいく。

 その様子を見ながらアインズは自分の胸の上で人のような形にさせた手をテクテク歩かせるフラミーの顔を覗き込んだ。

「フラミーさん、何十年も後になっちゃうんですけど…。アイツがあの日に落とした鱗とこの素材達で指輪を二本作りますから、出来上がったら…良かったら俺と同じ指にはめて下さい。あんな奴から作る指輪なんて嫌かもしれな――」

 フラミーは歩かせていた人型の手でアインズの唇をムニリと押し、ようやく体を起こすと、揺れる椅子の上で微笑んだ。

「そうさせて下さい。嬉しい。」

 アインズも微笑むと頭をクシャリと撫で付け、フラミーを抱えて椅子から立ち上がった。

 

「じゃあ、やりますか。」

 

 最初の二本は常闇の時間を奪った時に落とした強大な力を持つ鱗達を用いてすぐに製作に取りかかれたが、三本目以降は素材の質が悪く、量を集める必要がある為大層難儀した。

 その後アインズは素材が集まるたびにここに訪れ、限界突破の指輪を量産しようと始原の魔法をかけ続けた。

 フラミーも指輪の完成を待ちわびて、たまにこっそり一人でそこを訪れては楽しみに指輪を眺めた。

 何十年か経つと氷山の中には、数本の指輪が魔法の膜に包まれふよふよと浮かぶようになる。

 おぼっちゃまとお嬢ちゃまと呼ばれる二人が母の楽しみに待つそれを取ってきてあげようと魔法の膜に触れ、父に散々叱られるまであと残すところ――――――。

 

+

 

 アインズは素材に魔法をかけるとフラミーを連れて最古図書館(アッシュールバニパル)を訪れた。

「じゃあ、式は神都大聖堂で人前式、披露宴はナザリックですね。」

 散々迷ったが、神さまだと思われている中で披露宴は辛いと祝いの宴は墳墓内で行うことにした。

 そして神前式や教会式など色々悩んだが、神が神に何かを誓うと言うのも奇妙かと人前式に決めた。

「式の頃にはラナーちゃん臨月ですね。あー楽しみなことたっくさん!」

「はは、それは何よりです。フラミーさんが毎日楽しそうで俺は嬉しいですよ。」

 式には各国の要人を大量に招くため、じゃあやりましょうと言ってすぐに行うこともできず、式は約半年後、二年目の真冬に決められた。これでも近々で、何としても出席しようと多くの者のスケジュールを軽く混乱させたのだが。

 それまでに八欲王の所へ行き、宝を奪取する予定だ。

 アインズはそこでいい素材があったらフラミーにまた何か作ってやろうと決めると、冒険に行きたい気持ちがどんどん湧き上がり出した。

「…フラミーさん。」

「はぁーい。」

「そろそろ、冒険行きません?」

フラミーはドレスのカタログから視線をあげると、目をギラつかせた。

「なんなら今すぐでもいいっすよ。」

二人はサムズアップを交わすとニヤリと頷きあった。




ツアーはお母さんの遺体から、限界突破の指輪をたった一本だけ作れたみたいですよ!

そして杠様より素敵すぎるいちゃつきを頂いたので貼ります!!

【挿絵表示】

ああ…椅子でそんな風に過ごしたんかワレェ

次回 #60 閑話 ダークエルフ
閑話は次回でおしめぇです!


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#60 閑話 ダークエルフ

Twtr閑話をハーメルンでと言って頂いていたので、ついに公開を始めました。
R18と全年齢が半々です。大人の皆様よろしくお願いいたします。
https://syosetu.org/novel/195580/


「え?森妖精(エルフ)の国の人達が?」

「はい。アウラ様。是非一度御目通りしたいと言っております。」

 アウラとマーレは法国を手中に納めた後にさっさと手に入れた元闇妖精(ダークエルフ)国――現在はスレイン州エイヴァーシャー市にいた。

 かつて森妖精(エルフ)の王国を治めていた邪王はニューロニストの下、聖歌隊として活躍しながら日々スクロールを生産している。

 邪王の皮は中位の魔法を込める事に成功した為、第五位階までのスクロールの使用は許可なく行われるようになった。

 闇妖精(ダークエルフ)達も森妖精(エルフ)達もアウラとマーレを生み出した神が、最恐の森妖精(エルフ)の王の祖先を遥か昔に生み出した者と同一だと信じて疑わなかった。

 神の手によって生み出された混じりっけのない双子の守護神は、邪悪に育ってしまったかつての被造物を討ったのだ。

 闇妖精(ダークエルフ)達はこの無垢なる存在を遣わされた闇妖精(ダークエルフ)の方が森妖精(エルフ)よりも祝福された存在だと信じている。

 一方解放されたはずの肝心の森妖精(エルフ)達は同じオッドアイの双子を逆に畏れ、将来的に再び同じ惨事に見舞われるのではと従いもせずに森妖精(エルフ)の王国から、森妖精(エルフ)の国として名を変えて国家運営を行っていた。

 法国が行なっていた戦争を引き継ぎ、無理に従わせるかと言うデミウルゴスの提案は有ったが、当時はまだ支配者が自分達の中で世界征服を決める以前の話だった為放置されてきた。

 

「なんで?ずっとオッドアイとは関わらないとかなんとか言ってたんじゃないの?」

「はい。ですが、あの黒竜との戦いにアウラ様とマーレ様が参加されていたのを見たそうで、心を入れ替えたとかなんとか。」

「そ!じゃ、アインズ様にどうしたらいいか聞いてみてあげる!少し待たせておいて!」

「ありがとうございます。」

「まずはマーレを探してくるね!ついてこなくっていいから!」

 ここエイヴァーシャー市は国ではないが、アウラとマーレは象徴王として君臨している。

 が、世話を焼こうと闇妖精(ダークエルフ)達がどこにでも付いてくるのが鬱陶しいので、実を言うと双子達はあまりここに来るのは好きではない。

 しかし激戦の後、労いたいと呼ばれてしまった為今は渋々二泊三日の出張に来ていた。

 

 アウラはぴょいとツリーハウスから跳び下りると、いつもマーレがいる場所に向かった。

 それは第六階層の大樹に少しだけ似ている――この市で一番大きな木のてっぺんだ。

 サササと慣れた手つきで登っていくと、下から声がかかった。

「アウラ様!またそんな風に登って!いけません!!お嬢様なのですから――」

「あーもーうるさいなー!あたしはこうあれって創られたの!!」

「しかしそんな事では神王陛下と光神陛下に呆れられてしまいますよ!!」

 アウラはウッと声を上げると、これまでよりもほんの少しおしとやかに登った。

 頂上に着いて草の中からポンッと顔を出すと、マーレはそこで本を読んでいた。

「マーレェ〜。またこんな所でぇ。」

「あ、お、お姉ちゃん。」

 マーレは訪問者を確認すると、途端にキョロキョロしだした。

「大丈夫。あたし一人で来たよ。」

「よ、良かったぁ。み、皆すごく鬱陶しいよね。」

 分かる分かるとアウラは頷いて見せると少しだけ真剣な顔をした。

「あのさ、それよりアインズ様に連絡してほしいことがあるんだけど――」

 

+

 

「ほう?良いじゃないか。私も会ってみよう。少し待っていなさい。」

 冒険に出る前になるべく執務を片付けようと机に噛り付いていたアインズは機嫌良さそうに応えて伝言(メッセージ)を切った。

「アインズ様、お出かけでございますか?」

 秘書として控えていたアルベドは共有していた書類から視線を上げ様子を伺っていた。

「あぁ。森妖精(エルフ)が双子に会いたいと言って尋ねてきたそうだ。これまで頑なに会わないと言っていたと言うのにな。相手の気が変わらんうちにさっさと会っておいた方が良い。私は少し出る。」

「かしこまりました。では私が護衛として――」

「向こうには双子がいるんだぞ。護衛はもう十分だ。」

「しかし――」

「アルベド…。お前にはナザリックを任せたいと言っているというのに。何度言ったら分かるんだ?」

 アインズは立ち上がるとアルベドの前でやれやれと腰に手を当てた。

「しかし、御身に何かあってはいけません!アウラとマーレでは盾として不十分でございます!」

 常闇と戦ってから、アルベドはまたアインズとフラミーを外に出したがらなくなった。

 余程怖い思いをさせてしまったと思う。

 アインズは親を失う辛さを誰よりも分かっていた。

 あの時は一歩間違えれば、義理ではあるがいわば両親を揃って失う所だったのだ。

「すまなかったな。お前にはいつも心配をかけていると私もわかっている。しかし私はお前より強い。いや、誰よりも強い。私こそがナザリック地下大墳墓の主人、お前の主、アインズ・ウール・ゴウンその人だ。」

 アルベドはそれを聞くや否やプルプルと震えだし、アインズはこんな言葉ではダメかと怒られる事を覚悟し――

「――っぐはぁ!」

 ――視界が一気に流れると背をカウチに叩きつけられた。

 痛みは皆無だったが脊髄反射でいててと漏らしながら起き上がろうとすると、異様に柔らかい感触が自分を拘束しようと全身を這いずり回っていた。

 アインズは移動困難や捕縛に完全耐性を持っているため完全に捕らえられればその瞬間解放されるはずだというのに、自分の上の軟体動物――アルベドは余程高度な捕縛技術を有するようだ。

 

「アルベド!!やめないか!!」

「アインズ様!もう、もう我慢しなくても良いですよね!!」

 アルベドがぐわっと金色の瞳を見開くと、アインズは背筋を凍らせた。

「な、何を言ってるんだお前!!ダメに決まってるだろ!!早く降りなさい!!」

 聞こえないとばかりにアルベドはアインズのローブをはだけようと動き出した。

「ふ、服を脱がすな!!腰を動かすな!!え、ちょ…、待て待て待て!!」

「アインズ様が悪いのです!!我慢できないことを言うから!!フラミー様にお掛けになったご慈悲を、どうかちょっとだけ!ほんのちょっとだけで良いのでこのアルベドに!!なんなら先っぽだけでも構いません!!天井の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を数えている間に終わらせますから!!」

 アインズが兎に角一度冷静にならねばと人化を解こうとするとノックと同時に扉が開き――

「こんこーんアインズさん、今アウラから――」

 パタリと閉められた。

 近頃はこんな感じで互いの部屋を出入りしていた。メイドにいちいち訪問者の確認をするのが面倒な二人は「勝手に入ってくれ」と言い合っている。とは言え、親しき仲にも礼儀ありだ。ノックは一応続けていた。

「フ、フラミーさん!!おい!お前たち何をしている!早くし、うわぁ!ちょっとやめろって!!」

 相変わらずいやらしい腰付きで自分を拘束するアルベドをアインズはようやく押し返すことを決意した。

 が、どこを押しても柔らかい部分をグニっと押してしまい本気を出すことができない。

「アルベド様御乱心!」「アルベド様御乱心!」

 アインズは今度こそ人化を解くと伝言(メッセージ)をパンドラズ・アクターに送った。

 息子は指輪を持つため召喚から参上まで早いはずだ。

 デミウルゴスもそうだがあれは腕力がなさ過ぎて救助を期待できない。

 通信が繋がったのを感じると叫ぶように声を上げた。

「私だ!!私の部屋に今すぐ来い!!今すぐに!!」

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達はアルベドに吹き飛ばされ、孤軍奮闘しているとノックが響いた。

 アインズは揺れているアルベドの腰をなんとか押さえつけると、後はこれで連れ帰らせれば良いと勝利を確信した。

 押さえつけても微妙にもぞもぞと動いているが、目一杯動かれるよりは良いだろう。

「入れ!入れ入れ!!」

 ガチャリと扉が開くと、アルベドはパンドラズ・アクターに止められる未来が見え抵抗した。

「あぁん!アインズ様嫌です!!嫌です!!」

 しかし、扉からは気まずそうにフラミーが顔をのぞかせた。

 

「あの、先に行ってますね?」

 フラミーはアルベドの腰を押さえつけているアインズを見ると、頭痛がした。

 嫌がるアルベドに何故ここでスルのか。

「え!?フラミーさん!?ま、待って!待ってください!誤解だ!!」

 最後まで話は聞かれず、再び扉が閉められると部屋の中に直接息子は転移してきた。

「父上、いかがなさいましたか?」

「見ればわかるだろ!早くこのビッチを退かせ!!」

「パンドラズ・アクター、あなた今すぐ弟が欲しいんでしょ!!私はたった一滴頂きたいだけなのよ!!」

「なるほど…。これは難しい問題ですねぇ。父上、一滴くらい宜しいのでは?」

「宜しいわけがあるか!!!」

 孝行息子は襲われる父を暫く眺めたが、ちっとも人の身になろうとしないので渋々アルベドを引き剥がした。

 

+

 

「あうらぁ〜!まぁれぇ〜〜!」

 フラミーは膝立ちになって双子にひっつくと顔をぐりぐり二人に押し付けた。

「わぁ!フラミー様どうされたんですか?」

「え、えへへ。フラミー様ぁ。」

 二人はそれぞれ嬉しそうにフラミーを抱きしめ返した。

 フラミーはしばらく優しい感触に浸り、さっき見たやらしすぎる光景を頭から追い出していく。

「はぁ…いつか二人にも好きな人ができて…恋人ができたりするんだろうなぁ…。」

「え!ちょっと早すぎますよフラミー様!あたし達はまだ七十代なんですから!」

「うーん、そうかなぁ。」

 フラミーは二人からゆっくり離れるとアインズの伽が終わるのを待とうと部屋にあるベンチに座り、自分の左右をポンポン叩いて双子に席をすすめた。

「ちなみに二人のタイプは?ナザリックの中なら誰が好き?」

「あたしはアインズ様とフラミー様が大好きです!」

「ぼ、僕もアインズ様とフラミー様が大好きです!」

「ふふ、嬉しいなぁ!」

 

「あ、あの!フラミー様は、その、アインズ様の次には誰を愛してらっしゃるんですか!やっぱりデミウルゴスさんですか?」

 フラミーは何故デミウルゴス?と思ったが、もしかして普段デミウルゴスばかり構い過ぎたかなと少し反省し目の前の子供も目一杯可愛がらねばと思った。

 アルベドにもデミウルゴスだけ弁当なんてずるいと言われたばかりなのだ。

「私はマーレが大好きだよ。」

「――え?」

 可愛らしい質問をしてくるマーレの頭を撫でくり回すとサラサラした髪が手の中で流れた。

「「――え!?」」

 マーレも少し髪が伸びてきたようだ。後でお父さんカットをアインズにお願いしようとフラミーは勝手に決めた。

 近い将来二次成長期を迎えるなら、ぶくぶく茶釜は嫌がるだろうが今までよりも短くカットして段々慣らし始めた方が本人のためかもしれない。

「「えー!!」」

 突然二人が大きな声を上げると、フラミーはピクッと肩を揺らした。

「わ、びっくりしたぁ。ねぇマーレ、将来の話なんだけど――」

「しょ、将来ですか!」

「う、うん。いつかはやっぱりマーレも男らしくなっていくわけじゃない?」

「は、はい!!ぼ、僕きっと立派な男の人になります!!フラミー様!!」

「はは。楽しみだなぁ、それでね――」

 転移門(ゲート)が近くに開くと、三人は黙った。

「フラミーさん…。お待たせしました…。」

 骨だというのにげっそりして見える支配者は現れた。

 フラミーはそんなに激しかったのかと内心苦笑すると何と声をかけるべきかなと少し考えた。

 早かったですねというのは何となく貶すみたいだし、かと言って遅かったですねというのも何となく貶すみたいだし、フラミーは何を言えばいいのかわからなかった。

「あ、あの、アインズ様!」

「はぁ…どうしたマーレ。」

「ぼ、僕、立派な男になります!!」

「そうか。それは楽しみだな。アウラもいつか素敵な女性になるんだぞ。」

「はい!あたし、最近少し気にしてるんですよ!」

 アウラはさっきも少しおしとやかに木を登ったし完璧だと胸を張った。

「そうか。偉いな。お前ならきっとアルベドやシャルティアと違って側において落ち着ける女性になると信じているよ…。」

「――え?」

 アインズはフラミーと目を合わせるのが気まず過ぎてアウラの隣に座った。

「「――え!?」」

 何と謝ろうか考え始めると、アウラの背の後ろにフラミーの翼があるのが見えた。

 アインズは二人で少し話したいと思ってアウラの背中に手を回すとフラミーの翼をちょいちょいとつついた。

「えー!!!」

「ど、どうしたアウラ、声が大きいぞ。」

「あ、す、すみません!!」

 フラミーは気まずそうにモジモジしながら手元に視線を落としていた。

「良い。謝ることはない。それよりフラミーさん、少し話したいんですけど良いですか?」

 フラミーは悩んでから頷き、双子から少し離れた所で何かを話し始めた。

 

「マーレ…。」

「お、お姉ちゃん…。」

「あたし達ってもしかして…。」

「う、うん。」

「それぞれ御方々の二番目に愛されてる…?」

「うん!!」

 二人は瞳をパァっと輝かせるとキャー!と喜んで足をバタバタさせた。

 

 一方問題を抱え続ける夫婦は気まずい話し合いを始めた。

「あ、あのフラミーさん…。」

「大丈夫大丈夫。全部わかってますから、気にしないで下さい。大丈夫ですよ。」

「いや、絶対わかってませんよ。その目を見ればわかります。」

「わかってますもん。」

「わかってないですよ!!」

 フラミーは伸びてきた骸骨の手に、今は嫌だと思いくるりと体の向きを変えた。

 双子の下へ戻ろうとすると途端に引き寄せられ、抱き締めようとするその手を懸命に振り払う。

「そ、そんなに嫌がって…俺が何してたと思ってるんですか!」

「……えっち。」

「な…。えっちって…まさか俺がアルベドを抱くと…?」

 フラミーは何故こんな事をわざわざ言うんだろうと真意を確かめようと目を細め、アインズをじっと見た。

「……抱かないの?」

「抱くか!!馬鹿野郎!!」

 アインズの怒りの声にフラミーも双子もびくりと肩を揺らした。

 アインズはそのまま鎮静され、数秒沈黙がその場を支配する。

 途端にフラミーの目にはじわっと涙が浮かぶと溢れ始め、アインズは流石に言いすぎたかと骨の背に汗が流れたのを感じた。

「あ、あの、すみません。俺、言いすぎました。あ、あああ。本当、すみませんでした。俺がちゃんとしてないのがいけないのに怒鳴ったりして…すみません、泣かないで、泣かないで…。」

 背中をポンポン叩いていると、フラミーは呟いた。

「……だいすき…。」

「え…あ…おれも…。」

 アインズは涙を落とすフラミーの背をしばらくさすった。




ベドちゃんめっちゃ風紀乱れてる!!止まるところを知らない!
が、アインズ様に抱くかと言わせるいい仕事っぷり!
アンケートは明日の0時で締め切らせて頂きます。
三期はドラちゃんの結果を出すために頑張るゾィ!

次回 #1 旅立ちの準備

ハムスケとフラミー様の日常をユズリハ様より頂きました!!
尊きかな。君は天使だよフラミー様!三枚漫画ちゃんです!

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常闇討伐のその頃
https://syosetu.org/novel/195580/28.html


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試される紫黒聖典
#1 旅立ちの準備


 アインズは長期になる旅の準備を始めていた。

 執務のため毎日ナザリックに帰ってくるつもりではあるが出来ることなら気持ちだけでも旅を楽しみたい。

 数日分の服を無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に詰め込むと、ふむ、と一つ息を吐いた。

 骨の身の間は気にならなかったが、人の身の時はローブだとしゃがんだり立ったりする時に意外とはだけるのが恥ずかしかったのでこの旅にはパンツ(ズボン)スタイルで挑むことに決めた。

 何故女性がああもスカートの中身を見事見せずに暮らせるのか不思議だ。

 

「…あとはキャンプ要員の選出だな。」

 転移門(ゲート)を開くと神都大神殿の神官長達の執務室へ向かう。

 いや、あちらの執務室はオフィスと言った方が正しいかも知れない。

 あの戦いを見た小さな国々や、飛竜騎兵(ワイバーンライダー )規模の小さな部族がこぞって従属を願い出て来た為、神官達は大忙しだった。

 もはや魔導国の大神殿に勤める神官は神々に祈りを捧げるよりも(まつりごと)を行う時間の方が長い。

「これは陛下!評議国は如何でしたか?」

 忙しそうに動き回っていた神官達が陛下陛下と言いながらどんどん集まってくる様子に、何故だかアインズは他所の子供達を預かる保父さんのような気分になった。

「あぁ。聞きたいか?それはもう――最悪だったぞ。」

「「「「はははは。」」」」

 神官達と声を合わせて人の身で笑っていると、外から姦しい声がしてきた。

 

「くっっっそいてぇ!!!!」

「だ、大丈夫ですか?先輩…。」

「ネイア、あんたこれが大丈夫に見えるわけぇ!?」

「でかい声出すから響くのよ。」

「はぁー!あんたもちったぁ私を心配してくれたっていいんじゃないのぉ!?」

 

 神官と目を見合わせると、聖典のトップに立つ、かつて土の神官長を名乗っていたレイモンが恥じ入る様にアインズを見た。

「も、申し訳ありません…。どうも紫黒聖典はいつもああいう感じでして…。」

 これまで六大神信仰だった旧法国に存在した六色聖典は闇の神に傅く漆黒聖典、光の神に傅く陽光聖典、闇と光の二柱に傅く紫黒聖典の三色聖典を残して解散し、それぞれが皆神殿で働いている。

 四大神の神官長達もただの神官長として日々懸命に働いていた。

 現在陽光聖典は、魔導国となって一年が経過しバハルス州ティト市と名を変えた飛竜騎兵(ワイバーンライダー )部族の下へ行っている。

 邪竜が出てくる時に起こした大地震で、数本の塔の先端が崩れてしまった為だ。

 すっかり塔の修復人として呼ばれるようになったが仕事がない漆黒聖典よりはましだろう。――そう、漆黒聖典は現在特別することもなく、日々番外席次の鬱憤晴らしに付き合わされているのだ。主に隊長が。

 

 レイモンが頭を下げると、レイモンの手伝いをしていた漆黒聖典所属のクアイエッセも慌てて頭を下げた。

「申し訳ありません。陛下。いつもクレマンティーヌには陛下に恥をかかせるなと言い聞かせているのですが…。」

「ああ、良い。ちょうど漆黒聖典と紫黒聖典を呼ぼうと思っていたところだ。」

 神官達は目配せすると、入り口に近かったものが残りの漆黒聖典を呼びに行った。

 

「ったくどいつもこいつも碌な力持っちゃいない。」

 ぶちぶち文句を言いながらクレマンティーヌは執務室に足を踏み入れるとハッと足を止めた。

「へ…へいか…。」

「陛下?…陛下!」

「へ、陛下!」

 アインズは入ってくるや否や陛下しか言わない紫黒聖典に少し笑うと、ちょいちょいと人差し指で三人を招いた。

 すぐに周りを囲んでいた神官達は道を開くと、クレマンティーヌはゴクリと唾を飲み込んでから踏み出した。

 クレマンティーヌはその身の痛みを堪えるようにゆっくりと跪き、一歩後ろにレイナースとネイアも続いた。

「お前たち、久しいな。聖王国での任務大義だったな。」

「は…恐れ入ります…。」

「どうした。何故そう暗い顔をする。長期の任務が解けたのだぞ。」

 クレマンティーヌは躊躇いがちに口を開いた。

「…聖王国南部が手に入ったのは…全て御身の働きでございます。」

 デミウルゴスとパンドラズ・アクターの機転によって、力の届く範囲まで中継された戦いの映像は実に素晴らしい働きをした。

 神の戦いを見せ付けられた聖王国南部はすぐ様神王に恭順する事を決め、紫黒聖典は聖王国でのその長きに渡る任務を解かれたのだ。

 アインズは"自分達で手に入れてみせる"と折角ここまで頑張ってきたと言うのに手柄を横から掻っ攫う形になってしまったことを不憫に思った。

「全てはお前達の積み重ねた物があってこそだ。…それよりクレマンティーヌ、お前は怪我をしているのか?血が出ているようではないが。」

「神王陛下。隊長は邪竜の放った真夜中の夜明けに貫かれたのです…。」

 代わりにレイナースが応えるとアインズは納得した。

「あーそう言うことか。まぁ、お前はそうだろうな。少し待て。」

 すぐにこめかみに手を当てると、ンンと咳払いをしてから喋り出した。

「フラミーさん。すみません、今神都大神殿の執務室にいるんですけどちょっと来てもらえませんか?」

 伝言(メッセージ)を切ると、先に呼び出されていた漆黒聖典フルメンバーが集まり、紫黒聖典と少し目配せし合ってから場所を譲り合い跪いた。

 

 するとすぐに転移門(ゲート)が開き、様子を見ていた全員がもう一人の神の威光に触れようと頭を下げる。

「お待たせしました、アインズさん!」

「フラミーさん、忙しいところすみませんね。」

 フラミーはアインズを見ると嬉しそうに近寄った。

「いいえ!ちょうどさっきまで大聖堂の写真撮ってたんですよ。」

 大聖堂はもう残すところ彫刻や装飾だけで建物は完成していたがフラミーはここまで来たからにはとしつこく写真を撮り続けていた。

「それは良かったです。」

 当たり前のようにフラミーを引き寄せるとアインズは顔を寄せた。

 唇ではなく、鼻の先だけをちょいと付けると二人は笑い合った。

「えらい、我慢した。」

「でしょう。」

 周りの神官達は嬉しそうにその様子を眺めた。誰も目を逸らさない――いや、それどころかその光景を目に焼き付けようとしているような気すらする。

 

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「ふふ。それで、どうしたんですか?」

「それがクレマンティーヌが光輪の善神(アフラマズダー)食らいました。」

 アインズはフラミーの首にかかる青い鳥のようなネックレスをコンコンと叩いた。

 

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「あらら。」他人事のようにそう言うと、クレマンティーヌを指差し、無造作に魔法を送った。「――<大治癒(ヒール)>。」

 クレマンティーヌはその身からようやく痛みが消えると頭を深く下げた。

「あ!ありがとうございます!どの神官もぜーんぜん使えなくて困ってたんでっ――っつぅ!!」

 レイナースのチョップを食らってクレマンティーヌは頭をさすると忌々しげに後ろを見た。

 隣で跪く漆黒聖典隊長と隊員達の目は鋭い。

 

「はは、お役に立てて良かったです。でもあんまり悪い事ばっかりして紫黒聖典の二人に迷惑かけないで下さいね。」

 悪い事をする、と言う言葉にクレマンティーヌはわずかに冷や汗をかいた。

神々の前で隠し事は不可能だ。

「あ…はい…。ひ、控えます…。」

「クレマンティーヌ!お前は普段何をしてるんだ!!」

 クアイエッセの嘆きが響くと、クレマンティーヌの反対側、隊長の隣でずっと静かにしていた女がゆっくりと口を開いた。

 

「――クインティアの片割れ。あなた私の陛下に何迷惑掛けてるの?」

 

 その声は低く、隠しもしない敵意が含まれており、その場の者はゴクリと唾を飲んだ。

「い…ば、ばんがい…。」

「陛下。私が断頭しましょうか。」

 アインズはどうして自分の周りはこうも過激な奴が多いんだろうと顔に手を当てた。

「…やめろやめろ。何のためにフラミーさんが回復したと思ってるんだ。さぁそんな事より聞きなさい。これから私達は八欲王の空中都市のある南方の砂漠へ向かう。それに伴って聖典を連れて行きたいんだが、陽光聖典はティト市に出ているし、お前達どちらかと――」

 

「是非我が漆黒聖典と。」「是非我が紫黒聖典と。」

 同時にそれぞれの隊長が声を上げる。

 忌々しげに互いを睨み合い、隊員達の顔には「そっちが身を引け」と書いてあるようだった。

 番外席次はどうせ自分は連れて行って貰えないしと頬を膨らませると立てている膝に頬杖をついた。

 アインズは番外席次のつまらなそうなため息を見ると、この間ツアーが指輪の制作を教えに来た時に和解したことの一つを思い出した。

 ツアーが竜王の娘と子供を作れば始原の力が竜王に戻るのなんのと言っているのを聞き流しながら、アインズはそんな者の存在を許すならうちの番外はどうなんだと訪ねた。

 

「――どちらと出かけるか決める前に、番外席次よ。」

「はい。」

 若干の投げやりさが含まれる返事だ。

「お前の外出を禁ずる評議国との協定をツアーと話し合って撤廃した。お前は今日から自由だ。しかし、力の使い方をお前は知らなすぎるようだ。ツアーにお前の教育を頼まれた。この旅には漆黒聖典が来ても紫黒聖典が来てもお前は共に来い。」

 それは天啓だった。

 

「じ…じゆう…。」

 番外席次はゆっくりとその言葉を繰り返した。

 クレマンティーヌは漏れなくこいつが付いてくるのかと思うと僅かに辟易したが、アピールするなら今だとすぐに口を開く。

「では陛下。番外を連れて行くなら男性も混じる漆黒聖典よりもこの紫黒聖典を。」

 レイナースとネイアは空気を読まずになんでも言える自分達の隊長を喝采した。

「それもそうか。よし。では紫黒聖典よ。お前達にしよう。旅の準備をしろ。いつもので頼む。」

「「「は!!」」」

 

 漆黒聖典はしてやられたとその様子を見たが、隊長はやっと番外席次がまともになりそうな様子に少しだけ安堵したのは言うまでもない。




やったー!!末妹達との旅ダァー!!
挿絵…アフラマズダーの全容+アインズのパンツスタイルを描いてから、
人の身御身とフラミー様のいちゃつきも描いて結局二枚も入れてしまいました(´∀`)あぁ〜〜

次回 #2 やんちゃ坊主


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#2 やんちゃ坊主

ドララの運命投票締め切りました!
皆さまありがとうございましたm(_ _)m
結果は後書きにあります!


 出発の日、神都大神殿中庭では三台の馬車と複数の動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)が出され、紫黒聖典の手によって荷が積まれていく。

 番外席次はザイトルクワエ討伐以来の外出だ。

 あれからは既に約二年程度が経過していた。

「ちょっとー番外ー。」

 苛立たしげな声に番外席次は振り返った。

「何?クインティアの片割れじゃない。昔から言っているけど、気安く話しかけないでちょうだい。」

「…あんたもさー、ちったぁ働いたらどうなわけぇ?」

「嫌よ。私は陛下方の言うことしか聞かないもの。次話しかけたら殺すわよ。」

「やーん!こわーい!」

 クレマンティーヌの目は言葉と裏腹にギラリと番外席次を睨みつけた。

「なーんてね。陛下方の為に働けないなら聖典名乗ってんじゃねーぞ。」

「なんですって。私は陛下方に言われればすぐにでも動くって言っているんだけど。」

 

 ネイアは途端に不穏な雰囲気を出し始めた二人に焦った。

「…せ、先輩?これでもう終わりますから、行きましょう。」

「ったく。しゃーない。貸しな。あんたは弓引くために手を大切にしないといけないんだから。」

 クレマンティーヌはネイアの手の中の荷物を受け取ると荷積みに戻って行った。

 

 馬車の前では大量に置かれた荷物達をレイナースが積んでいる。

 何がどこに置かれていくのかを神官達が丁寧にメモし、必要時にすぐに取り出せるように備えることを忘れない。

 余談だが紫黒聖典が神々と初めて行った旅はクレマンティーヌの断罪の為に往復まるっと付き合うことが出来たが、普通は神々との旅は往路のみと言うのが聖典達の常識だ。

 神々は場所を記憶すると帰りは特別寄る場所がなければ魔法で帰る。

 運が良ければ共に魔法で帰らせて貰えるが、自力で帰れるように準備はきちんと行わなければいけない。

 

「レーナースー。これで終わりー。」

「そう、ようやくね。旅に出る前に腰がやられそうだわ。」

 軽く腰をそらしたレイナースはうーん、と声を上げた。

「レイナース先輩、良かったら私があとはやりますから少し休んでください!」

「いいのよ、あなただって疲れてるんだからお互い様よ。馬車に乗れさえすれば休めるんだし…――っよいしょ。やり切るわよ。」

「えっらぁーい!じゃ、私はちょっと休もっかなー。」

「バカ言わないであんたも働きなさい!」

 レイナースは立ち去ろうとしたクレマンティーヌの首根っこを掴むと、抵抗し踏ん張る力の弱さに気が付きパッと手を離した。

 クレマンティーヌは旅の行程の作成や食材の発注、受け取り、やりかけの聖王国の活動報告書作成、ルーン武器の追加注文確認、最後に旅をした陽光聖典からの情報引き継ぎ、神官長達との会議など、副隊長や平の隊員と違ってやらなければいけない事はごまんとあった。

「…やっぱりいいわ。十分だけよ。」

「ちょっとー私が隊長なんですけど。」

「良いから、早く仮眠して来なさい。万一陛下方がいらしたら起こすから。」

「別に寝るなんて言ってないけどねー。」

 クレマンティーヌはひらひら手を振って自分たちの馬車に乗り込んで行った。

「はは。レイナース先輩、珍しいですね。」

「…あんなのいない方が捗るでしょ。悪いけどネイア、ラストスパート手伝ってちょうだい。」

「はい!」

 二人は黙々と荷を積み続けた。

 

+

 

 約束の時間になると、アインズはフラミー、デミウルゴス、セバスを伴って出発の場所に現れた。

 

「ではデミウルゴス、セバスよ。お前達は悪いが番外席次の教育を頼む。」

 デミウルゴスはオンオフの切り替えはできるが、カルマが歪んでいる為セバスを付けて物を教えさせるのが良いだろう。

 只でさえ番外席次は「あんな性格に育ておって」と神官長達が嘆くような性格破綻者だ。

 セバスの善良さを多少でも継がせなければ、手の付けられないとんでもない女になるに違いなかった。

 この守護者二名はあまり仲が良くない為本当はアルベドやパンドラズ・アクターを付けたかったが、アルベドは肝心の番外席次とすぐに喧嘩するし、パンドラズ・アクターはなるべく女子が多い場面では出したくない。

 女子の視線はいつも苛烈だ。

 そういう意味では陽光聖典とパンドラズ・アクター、コキュートスと行った旅は素晴らしかった。

 コキュートスはパンドラズ・アクターをどうこう言わないし、陽光聖典もおかしな目であれを見ない

(…実はあれがベストチームなのか…?)

 

「しかしアインズ様。番外席次の教育程度、セバスがおらずとも私一人で勤まりますが…。」

 ――でもモモンガさん、タッチさんがいなくったって倒せるレベルの敵でしょーよ。火力は俺一人で充分ですって。

「アインズ様。デミウルゴスもこう言っておりますので私は御身にお仕えいたしましょう。」

 ――モモンガさん。ウルベルトさんはこう言ってますから一人で行かせましょう。

「セバス。御身に、ではなく、御方々に、だろう。君はフラミー様をなんだと思っているのかな?まったく君という男は実に不敬だね。」

 ――タッチさぁん、幾ら何でもソロで行けるわけが…あ、わかった。今のはモモンガさんがいなくても変わらないと言いたいわけですね。まったくモモンガさんをなんだと思ってるんですかねぇ。

 

 守護者二名の視線の間にはバチバチと火花が散っているようだった。

「は、ははは!――は…ち。鎮静されたか。フラミーさん今の見ました?」

「ふふふっ見ましたぁ!」

「ふふ、本当に偉大な創造主達だなぁ?お前達。」

 アインズとフラミーは愉快げに守護者を眺めたが、守護者二名は恥じ入り反省していた。

「なんだ?どうした。喧嘩はおしまいか?」

「アインズ様、フラミー様。申し訳ありませんでした。」

「お見苦しい物をお見せいたしました。」

 叱ったわけではないのにすっかり喧嘩をやめてしまい、アインズは人の身で来るべきだったなと少し残念になる。

 そしてやはりどの組みがベストチームかは甲乙つけがたいと思い直した。

「仕方ない。今後の楽しみにとっておくか。」

 

+

 

 神々を乗せたゴーレムの馬車は真夏の日差しに照らされ出発した。

 広大な南方の砂漠の中心にある八欲王の空中都市の情報は旧法国である神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国には殆どない。

 スルシャーナの手引きによってプレイヤーを失った砂漠と、八欲王によって最後まで残った慈悲深き闇の神であるスルシャーナを失った法国。

 国交を断絶して久しかったその場所に、新たな神々の再臨を神官達が伝えている筈もなかった。

 

 今回アインズは仕方なく他の国々に砂漠の情報を貰いに行ったが、元から砂漠はどことも国交が少ないようだった。

 広大な砂漠を越える為には大量の水分や多くの準備を必要とし、牽引する馬の食料や水分も考慮すると大掛かりな部隊になる。

 ラクダのように水分を保持する力を持つ動物がいればまだ良いのだろうが、この世界に来てラクダの情報は未だない。

 昼は炎天下、夜は極寒の旅は生きた馬には過酷すぎる。

 

 ただ、世界を広くする事をスローガンに日々送り出されている冒険者達は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の者としていくらか砂漠へも行っていた。

 人の身のアインズは馬車の中、冒険者達に作らせている地図を眺めていた。

 本当は自分がこれをやりたかったと思うと少し苦笑する。

「デミウルゴス。どうだ?どれ程で砂漠に入る。」

「そうですね。この山があそこに見えている山だと思いますので、このスピードでしたら一週間もあれば砂漠に入るかと。そこから街まではそう遠くありません。ただ、真夏の砂漠に聖典が耐えられるのであれば、ではありますが。」

「休憩しない馬でそれだけかかるのか…。冒険者達はよくやっている。」

「まぁまぁでございますね。」

 馬車の中、アインズとフラミーの正面には、番外席次がデミウルゴスとセバスに左右から挟まれて座っていた。

 

 番外席次はセバスに正義、世の常識、人を助ける重要性を教えられ、デミウルゴスには力を奮う正当性などを説かれている。悪魔にそんなことを習う人間は番外席次が最初で最後だろう。

「陛下。陛下はずっとその人のお姿で過ごしますか?」

「ん?そのつもりだが、どうかしたか?」

「いいえ!じゃあ、折角一緒に居られるんだから今夜陛下の御子の素を頂けないでしょうか。」

 アインズは鎮静され、デミウルゴスは自分の隣のものを睨んだ。

「番外席次。それは不敬でしょう。黙りなさい。」

「何故?お世継ぎが出来るのはいいことじゃない。ほんの少しお情けをかけて頂きたいだけよ。」

 フラミーの前でそういう事を言って、万が一慈悲深き支配者が受け入れでもしたら、控えめな己の女神が傷付く。

「…番外席次。お前は何を言っているんだ…。」

「陛下はこの世で最も強き存在でしょ?そう言う存在と子を持ちたいんです。」

 番外席次はまっすぐアインズを見ていた。

「私より強い者は幾らでもいる。私の友人でこの二人を創造したたっちさんやウルベルトさんなんかは――」――今でも自分より強いのだろうか?

 アインズはユグドラシルの法則を貫く始原の力を手に入れた今、かつての仲間たちの中に自分よりも強者はいるのだろうかと少し考える。

 守護者二名も同じことを考えているようでどちらもうーんと唸っていた。

「いや…常闇は私より強かっただろう。」

「でも陛下が勝ちました。」

「…あの日の勝利条件を私は満たしていない。負けなかっただけだ。」

 熱心に外を見ていたフラミーは長い耳をピコピコと揺らしたかと思うと、泣かないで、とでも言うようにアインズの手を握った。

 アインズも手を握り返すと二人は微笑みあった。

「番外席次よ。はっきり言っておこう。私は愛の下でしか子供を設けるつもりはない。」

「愛?そんな物が必要なの?……私は私に勝てる男ならどんな不細工でも、性格が捻くれていても……人間以外だって問題ない。」

「…ああ…そんな事言わないで下さい…。一番大切な事ですよ…。」

 番外席次は少し辛そうな顔をするフラミーを見ると、アインズと繋がれた手に複雑な視線を落とした。

 アウラと同じ血を持たせて生んでくれたことには感謝しているが――

「愛が一番大切なら…どうしてフラミー様は私を愛のない下へ産み落としたの…?」

 フラミーは言われている意味がわからなかった。

「私が…?私、そんな事した覚えないですよ…。」

 番外席次はフラミーをじっと見た。




生命創造系のご職業ですからね( ;∀;)

次回 #3 やんちゃ娘

ユズリハ様より神々しくも愛らしい御身を頂きました!!

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#3 やんちゃ娘

 その後走り続けた馬車は夕食どきになるとようやく止まり、ネイアは馬車を降りると目一杯伸びた。

 この馬車は乗っていても殆ど疲れないが、広い空間に出ると空気を吸いたくなるのは人間の性だろう。

 すぐに荷馬車へ向かい食事に必要な荷物を取り出して運ぶ。

 こう言う作業は聖騎士の従者時代から続けているため慣れっこだ。当時の上司とは馬が合わなかったが、今の上司達との関係は非常に良い。

 クレマンティーヌとレイナースが神々と番外席次を呼びに行っている間に食事をとる場所を作る。

 本来なら食事が出来てから呼べば良いが、神々は外にいるのが好きなので、なるべく早く呼びに行くのが聖典達の常識だ。

 ネイアは神王が食事をとるシーンに立ち会うのは初めてなので、何となく神聖な行為がこれから行われるような気持ちになった。

 以前共にいた時はずっと何も食べず、食事の時は景色を眺めたり植物を摘んだり、虫を捕まえて様子を見ていた姿を思い出す。

 神王は昔から本当は人化する術を持っていたが、力の使い方を研究してようやくそれが成ったと聞いた。

 もし聖王国に来た時、人の身で来てもらうことが出来たら――いや、闇を抱えて生きろと言うのはこう言うことだろう。

 ネイアは自分の弱さと正面から向き合った。

 

 火を起こしながら、骸の瞳に燃えていた炎を思い出していると――

「陛下、愛なんていいから子作りしましょうってば。」

 その言葉に何事かとつい作業の手を止め顔を上げた。

「しないと何度言ったら分かるんだ。ほら、お前もバラハ嬢を手伝え。」

「私は陛下といるわ。」

 番外席次の後ろを歩いていたクレマンティーヌはガシッと肩を掴んで邪悪すぎる笑みを浮かべていた。

「ちょーっとー、あんた陛下方に言われればすぐにでも動くって言ってたのは、嘘なわけぇ?」

 番外席次は手を叩き落とすとクレマンティーヌに触れられていた部分をパッパッとはたいた。

「気安く私に触んないでちょうだい。」

「レーナース。あんたは先にネイアを手伝ってやって来て。私はこいつの事を陛下によくお伝えしてから手伝うから。」

「わかったわ。――フラミー様、もし何かありましたらいつでも仰ってください。」

 レイナースは一度フラミーの足元に跪き、ローブの裾に口付けてからすぐにネイアの下に来た。

「クレマンティーヌもとんでもないと思ってたけれど、アレの比じゃなかったわね。」

「ははは。本当ですね。旧法国ってある意味すごいです。」

「まったくね。これは陛下方が国を危ぶんで降臨される意味もわかるわよ。」

 二人は神々の前で話し合いを始めた番外席次と自分達の隊長の様子を見て少し笑った。

「さて、私は私の神のために目一杯美味しいもんを作るわよ!」

 身も心も女神に救われたとよく語るレイナースはやる気充分な様子だった。

「はい!私も両陛下の為に頑張ります!」

 

+

 

 番外席次とクレマンティーヌの話し合いはもはや喧嘩になっていた。

 その喧嘩は食事が始まっても終わらず、二人に左右から挟まれて座ったアインズは人の身の目頭を押さえた。

「こいつ、ほんっとーに何もしないんですよ!!」

「クインティアの片割れが居なければもう少しやる気になるんだけれど。」

「はーぁ!?さっきと言ってる事違うんだけど!?」

「私は陛下のおそばにお仕えしてるんだから仕方ないじゃない。」

 

 殆ど堂々巡りの会話にネイアはついに声を上げた。

「番外席次さんは陛下のおそばで何をされていたんですか?」

「何?あなた誰。」

「…私は紫黒聖典のネイア・バラハです。陛下のおそばにお仕えするなら、きちんと身の回りのお手伝いをしながら、その崇高なるお考えを汲めるように努力するべきです。」

「生意気。それに触れただけで死にそうだわ。」

「ちょっと、あなたうちのネイアの言ってることが当たり前だってわからないの?ちゃんと聞きなさい。」

「あなたも誰よ。」

 レイナースはじとっと番外席次を睨んだ。

「クレマンティーヌの言う通り随分失礼なやつね…。」

 アインズは正面でデミウルゴスとセバスに囲まれそこそこ快適に食事をしているフラミーを羨ましく思った。

 ただ、デミウルゴスが額に血管を走らせ立ち上がりかけてはセバスとフラミーに止められるというやり取りは無限に続いている。

 

「…お前たち少し黙りなさい。食事中にいつまでも言い争うんじゃない。番外席次、今日の片付けはバラハ嬢の下について一緒にやりなさい。」

「陛下、私は自分より弱い者の下にはつかないわ。」

「口答えするな。お前より強い私の言うことを聞け。命令だ、バラハ嬢の下につくんだ。」

「…わかりました。」

「ははは。お父さんは大変。」

 フラミーのおかしそうな笑い声を聞きながら、アインズは人の身の肩に手を置くと、さも凝りましたとでも言うように首を回して見せた。

 

 食事を済ませると番外席次はブーブー文句を言いながらネイアの下、片付けを行なった。

「バイザー。陛下の従者をやったんですってね。」

「バイ……んん、そうです。一ヶ月陛下方にお仕えしました。」

 貸し出されている無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)で番外席次がネイアの手元にある皿たちに水をかけた。

「ねぇバイザー。神王陛下とフラミー様は愛し合ってらっしゃるのかしら。」

「ん…分かりません。陛下方は互いがご自身の半身でらっしゃるという事は確かですけど。」

「半身…。」

「そうです。半身で――あ、いえ。そう思うと、深く愛し合ってらっしゃるはずです。自身を受け入れろと言うのは陛下方の一番の教えですから。」

「…そう。」

 番外席次は真剣な面持ちで何かを話すアインズとフラミーを見た。

 手の中の水差しが起こされ水が止まると、ネイアは番外席次の手に触れて角度を戻す。

「あなた私に触らないでくれる。」

「じゃあちゃんと働いて下さい。今は私の方が先輩です。」

「ち。気に入らない。」

 

 全ての皿を流し終わり、綺麗に拭いてから箱に入れるネイアはこの風変わりな美しい少女をじっと見た。

「番外席次さんは神王陛下のお子が欲しいって言ってましたけど…陛下を愛してるんですか?」

 ネイアを真似て箱に皿をしまう番外席次はネイアの手が止まったのを見ると不愉快そうな顔をした。

「私は愛なんてそんなもの知らないわ。ただ私は、私と対等かそれ以上の存在が欲しいだけ。私と陛下の子なら、そうなるに決まってる。」

 妙に寂しげな声にちらりと伺うと、その表情はまるで動いていなかった。

 不敬に不敬を重ねた事を言っているのに、自分の感情が何かもわからないとでもいうような顔は、妙にネイアを苛立たせた。

「誰もが陛下方のご慈悲に縋りたいのに、自分ばっかりそれを無理やり手に入れようとするのは間違っています。」

「じゃあどうしたらいいって言うの。」

「はぁ…。番外席次さんは漆黒聖典なのに、神王陛下の教えを少しも受けていないんですか?――はい、これ持ってください。」

 ネイアは皿をしまった箱を番外席次に渡すと、鍋や調理器具の入った箱と、地面に敷いていた屋外用のラグを持った。

「自分の闇から目を逸らさずに受け入れなければ光は射さないんです。あなたは陛下に縋りたがるその自分の弱さを――」

 番外席次はバンと箱を床に落とすとネイアを睨みつけた。

「弱さ?私は守護神様達に次ぐ力を持っているわ。」

 番外席次は苛立たしげに背を向けると立ち去っていった。

 

+

 

 アインズは要塞創造(クリエイトフォートレス)で作った建物の、玄関を潜ってすぐにある広いパブリックスペースにいた。

 ソファでフラミーを膝に乗せて髪を梳かしてやりながら守護者達の今日の教育報告を右から左へ聞き流す。

 すると、開けたままにしてある玄関から番外席次が現れ、真っ直ぐこちらへ向かってきた。

「陛下。」

「なんだ。バラハ嬢は一緒じゃないみたいだが片付けは終わったのか?」

「…終わってないけれど、あのバイザーは私が自分の弱さと向き合ってないなんて言うからやめたわ。」

「お前は弱いんだし事実向き合えないんだから仕方ないだろう。それからバイザーじゃない。ネイア・バラハだ。」

 九十レベルだと言うのに生きる中であれやこれやと適当にレベルを積み重ねて来た番外席次の弱さは折り紙付きだ。

 しかし、ゲームと違いそのビルドを確認しようとしたとしても簡単に見たり確認する事はできない。

 番外席次は一瞬口を開けると、悔しそうに目をつぶった。

「…っ…私は…弱くない。」

「いや、お前は弱い。」

「アインズさん…。」

 フラミーは困ったような顔をしてアインズへ振り返り、ローブを軽く引っ張った。

 その両手をとって引っ張るのをやめさせていると、番外席次は手をギュッと握りしめていた。

「陛下…。私は…私の弱さを取り除けるかしら…。」

 おおよそ九十レベルなのでまだ十レベル分余裕はある。

 しかし、これから少しでもまともなビルドを組むとしてもこれまで重ねたものを補い切れるとは思えない。何度か死なねば難しいだろう。

「…厳密には可能だが、取り除く事はできないと思え。しかしお前にはまだ伸びしろがある。お前はこれまで積み重ねた時間を思い出して…よく考えるしかないだろうな…。それより勝手に戻ってきてどう言うつもりだ。お前は私がいいと言うまでちゃんとバラハ嬢に教えを請うて来い。」

「…教えを…。」

「そうだ。早く戻れ。」

 番外席次は少し悩みながら外へ戻って行った。

 

「アインズさん、もう少し優しく言ってあげないと…。」

「フラミーさん。あんまりアレを甘やかさない方がいいですよ。」

「でも…きっと、彼女生まれてからずっと一人ぼっちで寂しいんですよ。」

 フラミーが番外席次を見送る視線は何か違うものを写しているようだった。

 アインズはふっと息を吐くと長い髪に指を通した。

「…あれは貴女とは違いますよ。」

「同じですよ…。ただ、私には貴方がいただけ。」

 縋るような小さな体を抱き締めると慰めるように頭に口付けを落とした。

「…そうだとしても俺はあれの父親にも夫にもなれません。」

 フラミーを抱えたままアインズは立ち上がり、守護者に一瞬目配せすると背を向け手近な部屋に入って行った。

 

+

 

「ネイア・バラハ。教えを。」

「え…今度は何ですか…。」

 ネイアは一人で荷馬車の整理を終え、幌を閉めた所だった。

「神王陛下がいいと言うまであなたに教えを請えって言ったの。行くわよ。」

 番外席次はそういうと紫黒聖典の馬車に向かってスタスタと歩き出した。

 後ろを歩きながらネイアは番外席次の後ろ姿をそっと観察する。

 華奢な肢体といい、整った容貌といい、庇護欲を刺激される美少女だ。ただし、口を開かなければと言う条件はつくが。

 扉をノックもせずにバンっと開くと、クレマンティーヌとレイナースが何事かと驚きの視線を向けていた。

 クレマンティーヌは報告記に一日あったことを事細かに書き上げ、レイナースはその日に消費した食品を書き在庫表を更新し、神々の食事の記録を書いていた。

 それには何が気に入っていたようだとか、これは気に入らないようだとかが書かれていて、次に旅に出る聖典にそのまま渡される。

 隊長と副隊長の仕事は山積みだ。

 

「あぁん?番外が何の用?」

「クインティアの片割れ。私は今からネイア・バラハに教えを請う。」

「ふーん。多少はやる気になったわけか。レーナース、書類と記録を。」

 真面目な雰囲気のクレマンティーヌはレイナースへ手を伸ばすと、レイナースは頷き書類とノートをまとめて手渡した。

 受け取ったそれを座席下においてあった書類用カバンに丁寧にしまうと、自分の隣の席を叩いた。

「座んな。番外もネイアも。」

 番外は忌々しげにクレマンティーヌの隣に、ネイアは軽く頭を下げてからレイナースの隣に座った。




番外ちゃん…!
布教されるんだ…布教されてくれ…。

次回 #4 戦士たちの休息

はぁーい!twtrでリクエスト貰ってたR18更新しましタァ!(変態
何の繋がりもないただのえっちなお話です(つД`)
https://syosetu.org/novel/195580/13.html


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#4 戦士たちの休息

以前usir様より頂戴した御身を本文に貼らせて頂きましたm(_ _)mありがとうございます!
そしてドラ蔵は[アインズ様にちゃんとまっすぐ振られる]で決まりました!
今回は出てきませんが、近々ドラちゃんのご活躍をどうぞお楽しみに!


 要塞創造(クリエイトフォートレス)で生み出された建物の一室。

 アインズはフラミーが寝入ると静かに起き上がり、デミウルゴスとセバスの様子を思い出してスクリーンショットを眺めていた。

「――たっちさん、ウルベルトさん。貴方達そのままの二人なんですよ。本当見せたかったな。ははは。」

 虚しい独り言に応えるものはおらず、アインズは裸で隣に眠るフラミーの顔を軽く撫でた。

「貴方達が来てくれてたら良かったのに…。」

 そうしたら、あの日の勝利条件は満たせていたかもしれない。

 アインズはため息を吐くとスクリーンショットをしまった。

 

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 暫くフラミーを眺めているとパブリックスペースと部屋をつなぐ扉からほんのわずかに声が漏れて来ていた。

 普通の人間には聞こえないほど小さな、囁きにも満たない音量だ。

 妙に温かい雰囲気にアインズはベッドを抜け出した。

 

「お前達、何をしている?」

 ネイアはもう随分前に寝室に入ったはずの神王の登場に思わず声をあげた。

「あ!神王陛――」しー、と口元に人差し指を当てながら扉を閉める神王に頭を下げ、声を小さくする。

「陛下。申し訳ありません、うるさかったでしょうか…。」

 ネイアは紫黒聖典の姉二人、番外席次、守護神二名の全員に教えを語っていた。

 

「アインズ様、誠このネイア・バラハは素晴らしいですね。御身が見出しただけはあります。」

「バラハ様がこうしてアインズ様とフラミー様を語る姿は見ていて実に気持ちのいいものでございます。」

 デミウルゴスとセバスは嬉しそうにうんうん頷いていた。

 紫黒聖典はツアーの襲撃の際にエ・ランテルで暫く過ごしていた間、日々セバスと神殿で顔を合わせていたし、デミウルゴスとも聖王国で散々連絡を取り合っていたため、この守護者達とはそこそこの親しさだ。

 時には反神王派勢力を暗殺した死体の回収を頼んだり、転移門(ゲート)で聖騎士達を送ってもらったり、何かと関わりが深い。

 セバスは誰にでも分け隔てないが、デミウルゴスも割とこの三人を気に入っている。

 クレマンティーヌは頭こそ悪いが非道でそこそこ話が通じるし、レイナースは同じ宗派――もといフラミーを心から崇めているし、ネイアは至高の二柱を愚者達に正しく分からせる力を持っているのだ。

 

「そ、そうか…。あまり遅くまで起きていると日中もたんぞ。まだまだ先は長い。」

 番外席次はアインズの様子をじっと見た後口を開いた。

「…それより、陛下はフラミー様を失っても消滅しないんですよね。」

「今度は何だ?消滅などする筈ないだろう。私は万一あれを失うようなことがあれば取り戻すためになんでもしよう。必要であれば世界を引き換えにしてもいい。」

「それはどうして?陛下はフラミー様の弱さに寄りかかられているわ。」

「寄りかかってるのは私の方だ。私が強くあるためにはあの人がいる。お前はまだ何もわかっていない。」

 ネイアが息を飲むのを聞くと、アインズは少し恥ずかしいことを言ったかなと頭をワシワシとかいた。

「強い光ほど…深い闇を生む…。」

 ネイアの呟きは聖典と番外席次を振り返らせた。

「ん?何か言ったか?」

「いえ…陛下、光神陛下は御身を照らす光なのですね。」

「…まぁそういう事だな。さぁ、そろそろ寝ろ。番外席次は明日もバラハ嬢の下につくんだぞ。」

 アインズはそう言うと照れ臭くなって再び自分の光の下へ帰った。

 

 全員がバラバラと立ち上がる中、番外席次はネイアの手を取った。

 ネイアはこの化け物が、自分はか弱く少し力を入れたら壊れてしまうような存在だとちゃんとわかってくれているだろうかと僅かに不安になる。

「…ネイア・バラハ。本当に闇だけではだめなのね…。」

「ん…はい。光のみを追っても、闇のみを追ってもいけません。あの邪竜との戦いも、光神陛下がお力を与えて、神王陛下は再び立たれましたし。」

「そうね…。でも私は光なんかもたないわ…。」

「そんな事はありません。光神陛下は正しく救いを求めれば、必ず祝福してくださいます。」

「…そう。私は…私はこれからどうするべきなのかしらね…。」

 ネイアは救いを求めて嘆く番外席次を哀れに思うと、手をつないだ。

「行きましょう。ここでは陛下方のご迷惑ですから、私の部屋に。」

 番外席次は頷いた。二人で与えられた部屋に向かおうとすると、クレマンティーヌとレイナースも付いてきた。

「私たちも聞いちゃおー。」

「ネイアの話はいつも為になるわ。デミウルゴス様のおっしゃる通り、神都でニグン隊長と一緒に講演をした方が良いでしょうね。」

 

+

 

 翌朝、いつまで経っても聖典が起きてこない為セバスがナザリックから朝食を持ってきた。

 パブリックスペースで守護者と揃って食事をとると、アインズは流石にそろそろ起こしに行くかと考える。

「だから早く寝ろと言ったのにな。まぁ修学旅行は盛り上がってしまうものか。」

「なるほど、宗学旅行ですか。」

「あぁ。楽しいもんだろう?」

「誠に仰る通りでございます。」

 ニコニコ顔のデミウルゴスを優しい気持ちで眺めながらアイスマキャティアと呼ばれるこの世界の謎の飲み物を飲む。

 モモン姿の時にお預けを食らっていた分、アインズはそれにすっかりハマっていたのでナザリックでも作らせていた。

 守護者を連れて修学旅行をしてもいいなと考えていると、妙にフラミーの口数が少ない気がした。

「フラミーさん、昨日よく眠れませんでした?」

「あ、いえ…。…私、ちょっとクレマンティーヌさんの部屋に行ってきてみようかな?」

 腰を浮かしかけるフラミーをセバスが手で制する。

「それでしたら私が起こして参りましょう。」

「はは、男の人に起こされたらちょっと可哀想ですから良いですよ。セバスさんは良かったらお昼のお弁当を副料理長さんに頼んでおいてください!」

 フラミーはナザリックに転移門(ゲート)を開いてセバスを見送ると、クレマンティーヌの部屋へ向かった。

 

 フラミーは昨日のアインズのベッドでのつぶやきを聞いて、どうやったらアインズがこの世界で寂しさを感じずに過ごせるのか解らず少し落ち込んでいた。

 たっち・みーもウルベルトもモモンガの大切な人だ。

 一度手に入りかけたモノがあった分、ほかに寂しさを埋める対象を求めたくなるのは人間の性か。

(でも男友達の代わりにはなれないしなぁ…。)

 フラミーは考え事をしながらクレマンティーヌがいるはずの部屋の扉を叩いたが、中からは物音一つしなかった。

「クレマンティーヌさーん?」

 恐る恐る扉を開けて中を覗くが、ベッドは腰掛けた程度しか使用形跡がない。

 部屋の中央にあるローテーブルの上には磨いたであろう鎧が置かれていた。

 書類は綺麗にまとめられてデスクに置かれ、まだ仕事をするつもりだったのか開かれたノートにはそっとペンが乗せられている。

 家出ではなさそうな雰囲気に少し安心すると、フラミーはレイナースの部屋へ向かった。

 そこでも返事はなく、部屋に侵入するとやはり鎧が丁寧に置かれ、ベッドは未使用だ。

 ただ、クレマンティーヌの部屋とは違い、ドレッサーの前にはたくさんの美容グッズらしき物と、フラミーとレイナースの写真が私物のバッグの上に置かれていた。

 フラミーはすぐにその部屋も後にし、ネイアの部屋をノックする。

 やはり何の返事もなく、すぐに部屋の扉を開け中に入ると――フラミーは少し笑ってから静かに扉を閉めた。

 そこでは四人がベッドの上でそれぞれ縋るように眠っていた。

 ネイアの胸に抱かれ、クレマンティーヌを足蹴にする番外席次。

 番外席次と手を繋いで抱え込むようにするネイアと大の字になるクレマンティーヌ。

 クレマンティーヌの首に輝く黒いロケットは開き、アインズの写真が入れられている。

 豪快なクレマンティーヌの腕枕で眠っているレイナースは自分の白いロケットを握りしめていた。

 どんな夜を過ごしたかは分からないが、なんとなくこの四人は仲間になれたんじゃないかとフラミーは思った。

 フラミーは仲間や友達が孤独を癒す何よりもいい薬だとよくわかっている。

 アインズにも友達ができればあの孤独を埋められると言うのに。

 

 起こしてしまっては可哀想だが、あまり遅いとそろそろ――部屋にはノックが響いた。

「…っんん……。」

 誰かの唸り声が聞こえる。

 フラミーは足音を立てないように軽く浮かび上がると、そうっと扉を開いた。

「あぁ、フラミー様こちらにおいでに――」扉の向こうにいたデミウルゴスはちらりと中を見ると声を上げた。

「――コラ!!いつまで寝ているんだね、君達は!!」

 途端に紫黒聖典がベッドから落ちるんじゃないかと言う勢いで起き上がった。

「うわ!で、でみうるごすさま!!??」

「ふらみーさま!!こ、これは!」

「えっ!!いま何時ですか!?」

「んん…ふらみーさま…。」

 少しのんびりしたような雰囲気の番外席次を引きずり、慌ててベッドを降ると四人は床に膝をついた。

 デミウルゴスの額には青筋が立っているようだった。

「「「「おはようございます!!!」」」」

「ははは。おはようございます。」

「おはようございますじゃない!」

 デミウルゴスはズカズカと中に入り、四人に大説教会を始めた。

 四人はすっかり顔を青くし、自室だったネイアを置いてそれぞれ自分の部屋へ向かって駆け出した。

 

 フラミーも怒り足りないデミウルゴスの手を引きずるようにネイアの部屋を後にした。

「フラミー様。昨日アインズ様が仰った通り余りあれらを甘やかしてはいけません。奴らは所詮言葉の通じる畜生です。」

 こちらを見ているアインズにフラミーは手を振ると立ち止まった。

「ふふふ。そう言わないでください。私、なんだか安心しちゃいました。」

「安心?何かあれらのせいでご心配事が?」

「はい。番外席次さんをちょっと。」

 デミウルゴスは子供が欲しいとうるさい猿を思い出すと僅かに怒りに震える。

 だからフラミーの前でああ言うことを言って欲しくなかったのに。

「御身が望まれるのでしたら、あれは即座にスクロールにいたします。」

「えっ!ダメですよ!そんな必要ありません!」

「しかし…。」

 デミウルゴスは引っ張られてきたまま繋がれた手に視線を落とした。

 いつも不敬な者の処刑を言い渡さないフラミーが心配になった。

「…フラミー様、何かにお悩みになるような事があればすぐにお教え下さい…。」

「あ、じゃ、じゃあ、あの…。」

 フラミーはアインズの友人になってやってほしいと思った。

 アインズに敬愛とも恋とも言えない複雑な気持ちを抱くデミウルゴスに頼んでは残酷だろうか。

「…デミウルゴスさんの気持ち、よく解っているのにこんな事を頼んじゃ良くないって分かってるんですけど…。今夜、アインズさんが私の部屋に来る前に…お仕事が済んだら少し時間もらえませんか。私、待ってますから。」

 デミウルゴスは瞳と口を開けた。




次回 #5 閑話 試されるデミウルゴス
あばばば
フラミーさん、頼むよ!?
0時ですだ!

usir様より頂いた涙一粒御身御身を貼らせて頂きました!

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ユズリハ様より背伸びチュー御身達いただきました!

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つかまってるっっ可愛いっっっ


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#5 閑話 試されるデミウルゴス

 セバスは馬車の中で再び番外席次を教育していた。

 

「番外席次様。人は大切なものの為であれば信じられない力を発揮する事があります。倒壊した家屋の中にいる我が子を助ける為に母親が柱を持ち上げるように、転落しそうになった妻を片手で持ち上げる夫のように。それが人の強さだと私は思っております。他に譲れない何かがあれば、あなたが考える自分を超えた力を発揮することができるでしょう。」

「…セバス様。それこそが陛下方の教えなのね?」

「その通りです。お二柱はいつもそれを体現してらっしゃいます。自分一人で培った物なんて弱いものですよ。自分が折れてしまえば終わりなんですから。そうではなく、誰かと共に築き上げたならば、誰かのために尽くすのなら、へし折られてもまだ倒れたりはしません。」

「私は全て持たないけど…少しだけ分かってきた気がするわ。誰かと共に…ね…。ねぇセバス様。明日はネイア・バラハの馬車に行ってもいい?」

「もちろんですよ。そうなさるのが宜しいでしょう。」

 昨晩の勉強会は随分番外席次に良い影響を与えたようで、今日の番外席次は熱心だった。

 セバスは大いに満足すると、念のためもう一人の教師に確認をとった。

「デミウルゴス様もよろしいでしょうか?」

「……あぁ…。」

 デミウルゴスは聖典の様子を見に行ってから様子がおかしかった。

 窓の外を見て何かを考えているのかため息を吐いては静かに頭を振っている。

「デミウルゴスよ、休憩するか?」

「あぁ……はっ。いえ。問題ございません。」

 アインズの声に途端に我に返るが、すぐにまたぼんやりと窓の外に視線を戻した。

 おかしな雰囲気にアインズはセバスと視線を交わし、何があったのだろうかと考えるが、賢い悪魔のなにかを見抜くことなど当然叶わなかった。

 

+

 

 その晩、デミウルゴスは約束の通りフラミーの部屋を訪れた。

「デミウルゴス、御身の前に。」

「ありがとうございます。座ってくださいね。」

 フラミーは悪魔を招き入れるとソファに掛け、自分の前の席をすすめた。

 なんと頼むのが一番良いのか未だにわからず、少し悩む。

 アインズと友達になってくれと言いたいが、遠回しに「関係を進めようとするな」と言うように聞こえてしまわないか。

 元から関係を進めない様に必死に耐えている悪魔には少し残酷かもしれない。

 セバスに頼むべきだったかと少し思うが、いつも優しい悪魔につい甘えてしまう。

 フラミーが悩み、なにも言わない静寂の部屋の中、デミウルゴスは口を開いた。

「…フラミー様はいつからお気付きだったのでしょう…。」

 フラミーは一度思考をやめた。

「ん?お茶会の時、あんな風に言ってわかんない人なんていませんよ。」

「…それはそうですね。私をさぞ不敬だと思われた事でしょう。」

「いえ、そんな事ないですよ?想うことは自由ですもん。」

「では、このまま想い続けることをお許し頂けるのでしょうか…。私は御身には何も望みません。」

「もちろんですよ。でも何も望まないなんて寂しいこと言わないでください。」

 頭を抱えていたデミウルゴスは震えるように顔を上げた。

「そ、それは…どう言う…。」

「ちゃんと私が可愛がってあげますからね!」

 聞くや否や瞳は開かれ、デミウルゴスは立ち上がった。

「よろしいのですか……。」

「よろしいですよ?それでね、あれ?デミウルゴスさん?」

 悪魔は震える足で一歩一歩進み――不可侵の至高なる存在に触れた。

 

+

 

 アインズはナザリックでアルベドとパンドラズ・アクターと共に短い執務を行なっていた。

 ミノタウロスの国へ魔導国羊達の出荷がついに始まるので、それに関わる承認書類や牧場指導計画書類にポコポコとリズミカルに国璽をついていく。わかる所とわからない所が半々だが、これでも割とよくやっている方だ。

 全てが終わるとアインズは骨の身には無用だというのにウーンと伸びた。

「お疲れ様でした、アインズ様。もしお望みとあらば私が全身くまなくほぐして差し上げますわ!くふふふっ!」

 アルベドは嬉しそうに執務机の向こうで羽を揺らした。

「いや、どう見ても私は骨だろう…。」

「ではではどうぞ人の身にっ!くふーっ!」

 一体何を想像しているのかアルベドが顔を赤くしてくねり始めると、パンドラズ・アクターは確認していた懐中時計をカチリと閉じて胸ポケットに戻した。

「申し訳ありませんが統括殿、そろそろ時間です。さぁ父上、今宵のお勤めにお向かいください。私は弟と申しましたが勿論妹でも構いませんので。」

「…パンドラズ・アクターよ、もう少し言い方はないのか…?」

「やはり生命創造に、の方がよろしいでしょうか?」

「間違ってないがそうじゃない…。」

「ああ、アインズ様!!私も命を作りとうございます!!」

 アインズは息子と娘の再教育を考えながら立ち上がると、直接フラミーの部屋に転移門(ゲート)を開き、背中に掛かり続ける声に軽く手を振って立ち去った。

 

 転移門(ゲート)を潜った先で、アインズは硬直した。

「…な…こ、これは……。」

「アインズさん…ごめんなさい…。」

 フラミーは目に少しだけ涙を溜めていて、揺れる瞳は自分の行いを悔いているようだった。

「デミウルゴスさんが…動かなくなっちゃった…。」

 その足下には跪き恭しげに足を持ち上げ、サンダルに口付けを送ったまま固まるデミウルゴスがいた。

「あー…昼からおかしかったですけど…。大丈夫か…?おい、どうした?デミウルゴス?」

 アインズに肩をポンポン叩かれ名を呼ばれるとデミウルゴスは顔を上げフラミーの足をそっと離した。

「…アインズ様…私は…。」

 その目からは光る宝石が溢れカラコロと音を立てて床に落ちた。ひどく澄んだ音が響く。

 アインズはギョッとすると慌ててデミウルゴスの前に膝をついてぽろぽろと宝石を落とす顔を両手で覆った。

「どうした!?どうしたんだ!デミウルゴス!!なんだ!?どこか痛いのか!?」

「いえ…私は、御身にお目溢しいただいて来たというのに…あまりにも不敬でございます…。」

「そ、それは…仕方ないと言うかそう言うこともある。お前には毎晩辛い思いをさせて悪いと思うが――」

「アインズ様…どうか…私に自害の御許可を…。」

「自害!?バカな!来なさい!!」

 アインズは未だ宝石をこぼし続ける悪魔を引っ張って立たせた。

「ご、ごめんなさい!私、私!!」

 フラミーも立ち上がりついて来ようとする様子にアインズはビッと手を上げてそれを制した。

「フラミーさんはここにいて下さい。良いですか、ここにいるんです。」

 再び転移門(ゲート)を開くとアインズはデミウルゴスの肩を抱くように闇を潜っていった。

 

「あら?アイン――デミウルゴス!?あなたどうしたの!?」

「父上!?デミウルゴス様は一体!?」

 アルベドとパンドラズ・アクターは立ち去ったばかりの主人が泣く僕を連れて戻ってくると目を丸くした。

 アインズ当番と八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達も何事かと戦々恐々とし、様子を見ている。

「私がいいと言うまで決して誰も扉を開けるな…。」

 アインズは守護者の疑問を無視するとそのままデミウルゴスをつれて寝室に入った。

 二人の歩いた後にはまばらに透き通る宝石が落ちていて、パンドラズ・アクターは取り敢えずそれを拾い集め適当な瓶にしまった。

 二度と手に入る気がしない。非常にレアアイテムの匂いがする。

 アルベドは急ぎ扉の前にぴたりと耳を寄せると、中からは啜り泣くデミウルゴスの声が若干聞こえ、パンドラズ・アクターとメイドをぶんぶん手招いた。

 

「デミウルゴス。何があったんだ…。お前らしくもない…。」

 アインズは息子をベッドに座らせ、隣に自分も腰掛けると落ちてくる石を手の平で受け止めながら訪ねた。

 コツンコツンと骨の手に石が当たる音が響く。

「アインズ様、先ほど…フラミー様に全ての気持ちを解っていると言われ…私は不敬にもフラミー様に踏み込もうといたしました…。」

 アインズは絶句した。あれに限ってそんな訳はない。

 いや、気付いていればデミウルゴスを自室に一人呼び出しはしないだろう。

「んん…デミウルゴス。言いにくいが…それはお前の――」

 デミウルゴスは前傾姿勢になると頭を抱えた。

「その通りです…その通りなのです。全ては私の勘違いでございました。」

「そ、そうだろう…。それで、お前は踏み込んだ様ではなかったが…。」

「はい…すぐに気が付きましたが…一瞬でもそうしようとした自分が…自分が許せません!」

 瞳からバラバラと落ち始めた石はデミウルゴスの悲鳴のようだった。

「デ、デミウルゴス…落ち着きなさい…お前は踏み込まなかったんだ…。それで十分じゃないか…。」

「アインズ様!御身のご慈悲に付け込む卑しきこの身はもはや存在すら許されるべきではないのです!!」

 受け止めきれない石が転がっていく様をアインズは綺麗だと思った。

 暗闇の部屋の中、アインズの瞳に灯る炎に照らされ、美しい宝石達は赤い色を軽く反射していた。

「もうわかったから、静かにしなさい。我がアインズ・ウール・ゴウンの名において――…いや、鈴木悟の名においてお前の全てを許そう…。」

「…スズキ…サトル…様…。」

「そうだ。モモンガより長く名乗ってきた…今はフラミーさんだけに呼ぶ事を許す私の真実の名だ。」

 

 アインズは可哀想な息子の背をさすり、いつもより若い声で続ける。

「俺が許したんだ。お前は俺の意思を無視するほど愚かじゃないだろう?な?」

「…アインズ様。」

「――デミウルゴス。どうか私にお前の心の棘を抜かせておくれ。」

 アインズが乱れた髪を撫で付けるとデミウルゴスは心底安心したように最後の一粒を落とし、いつもの冷静な表情に戻っていった。

「…ありがとうございます。しかし、どうか私に何かしらの罰をお与えください。」

「お前は毎日罰を受けているじゃないか。私がお前の立場ならもうとっくに気が狂っている。」

 我慢強い息子に感謝の気持ちを持って骸の顔で微笑むと、デミウルゴスも少し笑った。

 

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「よし。偉いぞ。そろそろ戻ろう。お前が死ぬんじゃないかフラミーさんもきっと今頃気が気じゃないだろう。」

「申し訳ございませんでした。」

「良いさ。お前がそういう男で…私は本当にいつも命拾いして来たんだから。」

 

+

 

「デミウルゴスさん!!」

 部屋に戻るとフラミーは散らばっていた宝石を両手いっぱいに持ってベッドに座っていた。

「フラミー様、取り乱しまして申し訳ありませんでした。もうなんともございません。」

「あぁ…良かった…!ごめんなさい、私そんな、いじめるつもりじゃなかったんです!本当にごめんなさい!」

 フラミーは宝石を投げる様にベッドに置くとデミウルゴスに駆け寄って抱き締めた。

「あ、あの、フラミー様。その様なことは…。」

「ごめんなさい、本当に…。デミウルゴスさんはずっと我慢して来てたのに…。」

「はは…それは御身の思い違いですので…しかし、お友達と言うのはやはり辞退させて下さいませ。」

「…わかりました、わかりました。絶対絶対二度と言いませんから…だから…本当にごめんなさい…。」

 デミウルゴスがフラミーの背に手を回しかけては持て余して下ろすと言う動作を繰り返す様を見て、アインズは少し笑った。

「よくわからんが許すと言ってやれ。それの望みだ。」

 デミウルゴスは己の胸から泣きそうに自分を見上げてくる主人に視線を落とした。

 金色の美しい瞳にアインズが眠っていた秘密の日を思い出す。

 そっと背中に手を回して軽く抱きしめ返すと、フラミーの耳元でこぼす様に告げた。

「……お許しいたします…………申し訳ございませんでした……。」

 

 その後アインズは深々と頭を下げるデミウルゴスを退出させるとフラミーをグイと抱き寄せた。

「まったく本当に…次は俺が許さないですよ…あんな事…。」

「……ご、ごめんなさい…。可愛がってやれって言われてたのに…。」

 そうじゃねーよと心の中で散々悪態を吐くと、アインズは骨の身のまま顔を寄せてフラミーの鼻を噛んだ。

「あぅ。」

 

+

 

「…お前ら一体何をしてるんだ?」

 次の日アインズが執務に戻ると、寝室の扉の前には大量の人だかりがあった。




いひひひ
やっぱりデミデミの忠誠心はナンバーワン!!

あ、また隙見せてる!!

次回 #6 砂漠

以前usir様より頂いたデミデミを貼らせて頂きました!

【挿絵表示】


デミデミエンドif話は裏で!
IF酒宴会分岐物語デミルート3話一章貼ってあります!
https://syosetu.org/novel/195580/


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#6 砂漠

 辺りはすっかり黄色い砂が広がり、遠くには街と、天空にはうっすらと浮かぶ城が見えるようになってきていた。

 一行は馬車から張られているタープの下で昼食をとった。

 

「フラミー様。」

「はい?」

 番外席次はアインズではなく、フラミーに絡むようになっていた。

「私のこと、祝福してくれる?」

「……してますしてます。してますから。ほら、ネイアちゃんのお片付けのお手伝いに行ってください。」

 何度目かわからない質問に何度目かわからないセリフを返すとフラミーはため息をついた。

「はは、お母さんは大変ですね。」

 アインズの可笑しそうにする声にじとっと視線を向けた。

「アインズさん、それ仕返しですかぁ。」

「そうですよ。ほら、来てください。お母さん。」

 

 アインズが手を広げるとフラミーは不服そうな顔をしながらアインズの胸に収まった。

「私番外席次さんのお母さんじゃないですもん。」

 アインズは笑うとフラミーの翼を撫でた。

「ははは。じゃあ、お母さんになります?」

「っぇ…あぁあいんずさん…。」

「俺はいつでも大歓迎ですよお母さん。」

 顔を赤くして見上げてくるフラミーを面白そうにしばらく眺め、顔を寄せかけると、低くなだらかな砂丘の上から駆け寄ってくる人影が見えた。

 分別のつく漢、アインズは顔を寄せるのをやめてフラミーの頭をポンポン叩いた。

「アインズ様ー!おっ待たせいたしましたー!」

「戻ったな、アウラ。街に強者はいたか?」

 この日、町を目前にし、隠密能力に長け力を看破できるアウラを呼び出していた。

 アウラは番外席次が苦手なので、そちらをチラリとも見る様子がないが、向こうは僅かに興奮していた。

「はい!あたし達と同程度の力を持つ天使達が何人かいたみたいです。冒険者の言う通り街を警邏してるようで、特に目的はなさそうにフラフラしていました!」

「そうかそうか。よくやったな。偉いぞ。」

 アインズは腕の中のフラミーの髪の毛を弄びながらどうしようかなと考える。

 これから宝を全て奪取し、挙げ句の果てにはギルド武器を破壊してNPCと城を抹消しようと言うのだから真正面から馬鹿正直に名乗って町に入る気は更々無い。

 遠くに浮かぶ見覚えのある城にアインズの警戒心は最高潮だ。

 アースガルズの天空城を保有したギルド。ヘルヘイム最奥の氷河城を支配したギルド。ムスペルヘイムの炎巨人の誕生場というフィールドを支配したギルド。

 この三つのギルドはアインズ・ウール・ゴウンに匹敵する。

 

 そんな相手が創った三十人のNPCだ。一体何人が百レベルかわからない。

 最悪全員が百レベルの可能性もあり得るだろう。

 アインズ・ウール・ゴウンはそのギルドランクに比べギルドメンバーが極端に少なかった故に階層ごとに凡ゆる力を求めた――当然お遊びやロマンもあったが。

 しかし、どのギルドも大抵アインズ・ウール・ゴウンの倍はギルドメンバーを有していた為、NPCで細やかな対応能力を求める必要はないのだ。

 手を付けていないギルド拠点の最大レベルは三〇〇〇で、アインズ・ウール・ゴウンの拠点レベルは二七五〇だった。

 バランス良く作ろうとしなければ百レベルのNPCを二十七人は創れた筈だ。しかし実際問題ナザリックの百レベルNPCは九名。

 アルベド、シャルティア・ブラッドフォールン、コキュートス、アウラ・ベラ・フィオーラ、マーレ・ベロ・フィオーレ、デミウルゴス、セバス・チャン、パンドラズ・アクター、そして桜花聖域の守護者を任せるオーレオール・オメガ。

 オーレオールには真実のギルド武器の管理を任せている為外に出すことは無い。

 つまり、最悪の場合三十人の百レベルNPCに対してこちらは実質八人だ。

 これは素直に戦うにはあまりにも馬鹿げた戦力差だろう。

 

「ふむ。やはり私が不可知化し、単騎にて手当たり次第無力化させて――」

「「いけません!!アインズ様!!」」

 遠くからデミウルゴスとセバスが上げた声にアインズは苦笑した。

 創造主もそうだったが、いつもは仲が悪いと言うのに何故かこういう時ばかりはぴたりと息が合う。

 二人の近くにいた紫黒聖典と番外席次達は、その覇気にびくりと身を震わせていた。

「安心しろ。何人たりとも私の完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)を完璧に見抜く事はできない。勿論アウラでもな。」

 アウラは少し悔しそうな顔をした。

 

 不意に胸の中から羽織っていたローブがピンピン引っ張られ視線を落とすと、金色の瞳が心配そうに見上げていた。

「アインズさん…また一人で行っちゃうんですか…?」

「あ、いえ。単騎とは言いましたけど、フラミーさんは一緒に行きましょうね。」

 フラミーは嬉しそうに笑った。

「アインズ様。それでしたら尚の事、どうか護衛をおつけ下さいますようこの通りお願い申し上げます。」

「私もセバスの意見に賛成です。せめてアウラだけでも。」

 デミウルゴスとセバスが説教モードに入って近付いて来るとアインズは若干肩身を狭くした。

「お前達…。相手も恐らく百レベルなのだ。向こうが本気で看破しようと動けば不可知化を持たないアウラやお前達守護者では見つかる危険性がある。わざわざお前達の手を引いて戦うのは面倒だ。ただの足手まといだと分かれ。」

 NPCはゲームの特性上、極一部例外を除き基本的には完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)を持たない。

 拠点NPCを不可知化させて忍ばせておく事ができれば、他所の拠点に侵入できるプレイヤーはいなくなり、それこそクソゲーだ。

 

「じゃあアインズ様!他の守護者も全員呼び出して皆でギッタンギッタンにしてやったらどうでしょうか!」

「アウラよ、向こうの戦力が解らない以上、叩かれていると向こうが気が付く前に一人でもNPCを無力化して回収しなければならないのだ。殺せば最悪その場で復活、良くて拠点内で復活し天空城から降って来るぞ。ここは奴らのホームなんだ。」

 転移から二年。未だNPCの復活地点は不明だ。

 データではない以上死体がある場所で復活するのか、はたまたデータの時と同じように死体は消えて拠点内から復活するのか。

 どちらにしてもNPC無限おかわり地獄には変わりない。

 守護者達は不服そうな顔をしていた。

 

「アインズさん、アインズさん。」

 冒険が待ちきれないとでも言うようなフラミーの様子にアインズは少し頬を緩めた。

「もう行きたいですよね。あと少し待って下さいね。」

「いえ、そうじゃなくって、ズアちゃんも不可知化持ってますよ!」

 アインズの顔は"バレた"と書いてあるようだった。

 

+

 

 パンドラズ・アクターが到着し指示を受けている横でデミウルゴスは番外席次に探知阻害の指輪を持たせていた。

「番外席次。これは君みたいな者には過ぎたアイテムですから全てが終わったら必ず返しなさい。死ぬ分には良いですが、それによって無くしたり奪われたりしないように気を付けるんです。」

 紫黒聖典はツンデレだと思った。彼なりの愛ある言葉にしか聞こえなかったのだ。ただ、本人は本気で番外席次の命よりもアイテムの方が重いと思っているが。

「畏まりました、デミウルゴス様。」

 うやうやしく指輪を受け取ると、それを指に通した。

 ここの人間たちは最悪死んでも良いし、復活も容易だ。珍しく守護者達は番外席次と紫黒聖典に期待していた。

 パンドラズ・アクターは間違いなくフラミーの警護に回される為アインズを守る者が一人もいないのだ。

 番外席次はナザリック基準で弱いとは言え、囮やアインズの盾となるくらいはできるだろう。

「クレマンティーヌ様。番外席次様を頼みます。」

 セバスは紫黒聖典達に伝言(メッセージ)のスクロールを数本渡した。

「お任せください。たーっぷりこき使っちゃおーっと!ひひひっ。」

 クレマンティーヌは馬車に繋げられていたゴーレムの馬を外しながら嬉しそうに笑った。

 

 紫黒聖典と番外席次が馬にまたがると、アインズは残る守護者に告げる。

「よし。お前達は偽りのナザリックで全守護者と待て。向こうに無力化したNPCを送り込むからちゃんと殺さないように捕らえておけよ。」

 そう言うと、パンドラズ・アクターと手を繋いで待っていたフラミーの手を取り、三人は消えた。

 後には照り付ける太陽と、じりじりと焼かれる砂だけが残る。

「畏まりました。行ってらっしゃいませ。どうぞお気を付けて。」

「アインズ様、フラミー様をどうかお護りください。」

「パンドラズ・アクターも頼んだよー!」

 守護者達は足跡も残さない不可知化を前に、支配者達がどこにいるかもう分からなかったが頭を下げる。

 紫黒聖典が馬で街へ向かって駆け出すのを見送ると、守護者は相変わらず守られてばかりの自分達を恥じらった。

「…パンドラズ・アクター様がいらっしゃれば、もう我々はあまり必要ないかもしれませんね。」

 セバスの自嘲にアウラは手を握り締めた。

「守護者って…。」

「君たち…御方々はそのような事は思いません。馬鹿を言ってる暇があれば働きますよ。」

 

 この時支配者達が守護者をもう少しケアしていれば未来は少し変わったのかもしれない。




デミデミは可愛がられてるからいいけど…二人はちょっと不安だよね…。
天空城向かいますか!!

次回 #7 PCvsNPC


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#7 PCvsNPC

 紫黒聖典と番外席次が入都許可を取るのを眺めながら、不可知化したアインズ達は浮いていた。

 

 街は薄ぼんやりと不思議な魔法の結界に包まれている。

「…これは始原の力か。ツアーがこの中のNPCが出たとか出ていないとかを確認する為の代物だろうな。」

「え?どれですか?」

「ん?これですよ。」

 アインズが一人空中をツンツンとつつく姿にフラミーとパンドラズ・アクターは首を傾げた。

 始原のこれが二人に見えないと言うことに僅かに驚いていると、ネイアと二人で一頭のゴーレムに乗る番外席次の声が響いた。

「中に入ったらどうするの。」

「とにかくアウラ様の言ってた都市守護者とか言う奴らの所に行く。それが無力化されたのを確認したら、また次へ。これだろーね。」

 クレマンティーヌの言に全員が頷くとネイアは不安そうに口を開いた

「…陛下方は本当にいらっしゃるんでしょうか?あれ程のお力の三柱がこんな…本当にまるで何も感じさせないなんて…。」

「ネイア。フラミー様は確かにお側にいらっしゃるわ。」

 レイナースの確信を持った発言にアインズとフラミーは目を見合わせた。

「私は生まれた時からフラミー様の光を感じ続けた。あなた達だって、神王陛下やフラミー様のお力をずっと感じていたでしょう。これこそが本来の陛下方との距離なのよ。私達は恵まれてるからああしてお側でその姿を見せて頂けていただけ。」

 ――そうなのか。

 アインズとフラミーの心の中には同じ言葉が浮かんだ。

「そうか…そうですね!レイナース先輩、ありがとうございます!」

「ヒュー!いいこと言うー!」

「…生まれた時から…フラミー様や神王陛下はお側に…。」

 勝手に四人は納得して進み出した。

 

+

 

「止まれ。パンドラズ・アクター、私に変身してフラミーさんとここにいろ。」

 アウラの報告にあった三人の天使のそばに着くとアインズは止まった。

「畏まりました父上。何かあればすぐにお呼びください。」

 パンドラズ・アクターは装備を渡されていないので、ネオナチの軍服姿のままアインズに変身した。

 すぐに行動する息子に頷き、アインズは少しだけ心配そうな目をするフラミーに骸の顔で笑った。

「まぁ見てて下さい。死に損ないの回収、頼みますよ!」

 繋がれていた手を離すと完全にフラミーと息子を見失う。

「変な感覚だな。…<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>!」

 ずっと低空飛行をしていたが、一気に視界は開け、眼下には始原の力に包まれる都市が広がる。

 NPC達はこの結界を出ることはないはずだ。

 不可知化中は攻撃魔法やバフ魔法を使えない為、安全圏で一度不可知化を解いた。辺りは薄絹のベールをかけるようにわずかに雲があり、ひやりと冷たい。

 重力に引きずられるように自由落下に身を任せながらバフを唱えていく。

「<光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)>、<魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジックキャスター)>、<無限障壁(インフィニティウォール)>、<魔法からの守り(マジックウォード)神聖(ホーリー)>、<上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)>、<自由(フリーダム)>、<生命の精髄(ライフ・エッセンス)>、<虚像情報(フォールスデータ)生命(ライフ)>、<看破(シースルー)>、<超常直感(パラノーマル・イントウィション)>、<上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)>、<混沌の外衣(マント・オブ・カオス)>、<不屈(インドミタビリティ)>、<感知増幅(センサーブースト)>、<上位幸運(グレーター・ラック)>、<魔法増幅(マジックブースト)>、<竜の力(ドラゴニック・パワー)>、<上位硬化(グレーターハードニング)>、<天界の気(ヘブンリィ・オーラ)>、<吸収(アブショーブション)>、<抵抗突破力上昇(ベネトレート・アップ)>、<上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)>、<魔法の精髄(マナ・エッセンス)>――」

 他にも多くの魔法を掛け終えると再び不可知化し、三人の天使に向かって<飛行(フライ)>でさらに加速し、空気を切り裂くように落ちて行く。

 そんな中、別の場所にもNPCらしき者達がいるのをチラリと確認した。

 今目標に据えている天使達を攻撃するにちょうどいい距離までくると、アインズは腕輪を光らせ不可知化を解いた。

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)>・<魔法三重化(トリプレッドマジック)>――」

「な!!」「ついに来たな!!」

「――<現断(リアリティスラッシュ)>!!」

 一度に三本繰り出された魔法は三体の天使達の体を上下二つに割ると――「<完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)>!」

 アインズは再び身を隠した。

 落ちて行く天使達がフラミーとパンドラズ・アクターの開いたであろう転移門(ゲート)に飲み込まれると、アインズはこめかみに手を当てた。

「マーレ。今偽りのナザリックへ三人送った。思ったよりよく切れてしまったから軽く回復して拘束しろ。死ななければなんでもいい。」

 アインズは一方的に伝えて通信を切ると、フラミーと別れたはずの場所に近付き再びこめかみに手を当てた。

「フラミーさん、戻りました。せーのでいきますよ。」

『はぁい!』

『「せーの」』

 紫黒聖典は空にチカッと神が明滅したのを見た。

「すごいアインズさん!あっという間でしたね!」

「ははは、こんなもんですよ。フラミーさんこそナイスキャッチでした。」

 アインズは嬉しそうに自分の腕をポンポン叩いてみせていると、パンドラズ・アクターが興奮するように鼻息をフンフンっと吹いた。鼻はないのに。

「ンンンン父上!!素晴らしいです!流石は我が創造主!!」

「そ、そうか。んん。向こうにもNPCを見つけた。聖典に伝言(メッセージ)を送って場所を伝えろ。」

 

+

 

「<魔法二重最強化(ツインマキシマイズマジック)>・<現断(リアリティスラッシュ)>!!」

 アインズは再び明滅すると二名を偽りのナザリックへ放り込む。

 二組目が消え、事態を察したのか城からは十人ものNPCがワラワラと出てきた。

「もう来たか…連絡を取る暇も与えなかったつもりだが…。」

 アインズは紫黒聖典達とフラミーと最後に離れた位置を素早く確認する。

 まだ距離はある。姿を見せないように後方にいるものからジワジワ数を減らして行く事に決めると<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>で瞬時に転移――できなかった。

 <転移遅延(ディレイ・テレポーテーション)>の効果範囲なのかぬるりと粘度を持つ空気の中じっくり転移する。

「――まぁ、それはそうか。」

 堂々と遅延しながら転移し、アインズは腕輪を輝かせると再び姿を現す。

「<魔法三重化(トリプレッドマジック)>・<(リア)――」

 そこまで詠唱すると、アインズの手を魔法の弾が撃ち抜いた。

 ッパァンとガラスを叩きつけて割り砕いたような音が響き、ダメージが入った。

 魔法が霧散し、一瞬杖を落としそうになる。

 しかし、骨の身は痛みを感じにくいのですぐにレプリカのスタッフを強く握り締め直した。

(現れる位置を絞って決め打ちしてきたか!!)

 アンデッドとしての特性か、常闇やツアーと繰り広げた戦いの為か、混乱したのはほんの一瞬だ。

「<完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)>!」

 アインズは即座に身を消した。

 

「近くにいるはずだ!!」「体力を削りましょう!!」「間違いない!!」「捕らえろ!!」

「<上位呪詛(グレーター・ワード・オブ・カース)>!!」

 落とそうとしたNPCから不可知化していても食らう魔法が飛んでくるが問題なく抵抗する。

 フラミーは抵抗できただろうかと心配になり離れた場所に戻ろうかと思うが、パンドラズ・アクターから連絡がない事を信じる事にする。

 撃たれて痛む手をさするとアインズは“絶対そんなところには現れないだろう”と普通は思う、NPC達の目の前、ギリギリ手が届かないところに転移した。

 万一ロックオンされてもここならば仲間を撃つ危険もあるため躊躇うだろう。

 強化魔法を付けることは諦め、確実に一人づつ減らす事に決める。

 アインズは姿を現し、目の前でNPC達が驚きに顔を歪めたのを確認すると骸の顔に笑みを浮かべた。

 ここはやはり相手NPC達の想定の範囲外の場所だ。

「<(リアリティ)――」

 姿を現し一秒も経たぬうちに、アインズの手は先程と同じ場所が的確に撃ち抜かれ、魔法は散った。

「なんだと!?」

 あり得ない。

 不運が二度も起きたのか?まさかこんな所に姿を現わすと決め打ちできるだろうか。

「久しぶりですね!!スルシャーナ!!」

 目の前の時代錯誤な着流し姿のNPCは間違った名を呼びながら驚くような速さで警棒のような物を振るい、激しい力をもって頭蓋骨は叩かれた。

 しかし、前もって掛けておいた<光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)>の殴打攻撃無効化を使用し、ダメージは無かった。

 人間であればダメージがなくとも視界と脳が揺れただろうが、今のアインズにはそう言う付随効果も一切通らない。

「ックソ!<時間停止(タイムストップ)>!!」

 咄嗟に始原の力を流し込んだ魔法は世界を止めた。

「……今のは少し危なかったか。冷静にならねばな。」

 アインズは警棒が当たった場所に触れながらススス……と高度を下げ、今の事象の整理を始める。

(本当にここに出て来ることを想定していたなら、全員がすぐに襲いかかってこないのはおかしい…。特殊技術を持った奴が様子を見ているのか?)

 そろそろ時間が動き出す筈だ。アインズは不可知化した。

 

「何!?時間対策は行なっているのに!!」

 NPC達の絶叫にアインズは始原の魔法対策も今は必須だぞと心の中で呟いた。

(ま、そんなものないけどな。)

 アインズは紫黒聖典達の間に降りると手の平を天に向かって伸ばし、不可知化を切った。

 番外席次はレベルが高いので良い囮になるはずだ。守護者達の言う通り連れてきてよかった。

「陛下!?」「神王陛下!!」

「<心臓掌握(グラスプハート)>。」

 空に伸ばしている手の中に心臓がぼやりと像を浮かべ、それを握り締める。

 先頭でスルシャーナと呼んできた着流し姿のNPCへ、アインズが最も得意とする死霊系の魔法を叩き込む。

 着流しは即死には抵抗したが朦朧状態となり地に落ち始め、転移門(ゲート)がすぐ様それを飲み込んだ。

 死ぬとは思っていなかったが、死ななくてよかった。

 アインズは落ち着いた様子で空から視線を落とした。

「番外席次よ、指輪を返しなさい。」

「は、はい!」

 番外席次(おとり)から指輪を回収すると姿を消し、その場を離れてこめかみに手を当てる。

「――すまん、今のやつは一時的に朦朧しているが体力は減っていない。近接型だ。コキュートス、お前が叩け。」

 するとアインズがいた場所めがけて光を超えるようなスピードでチュンッと何かが飛んだ。

 アインズの動体視力を持ってして捉えきれなかった攻撃は真っ直ぐ斜め後ろに着弾した。

 振り返れば、当たったのか番外席次がアゴを上げ、後ろにのけぞりかけていた。

「――ッンァ!!」番外席次が踏ん張ると、砂町のベージュの地面と靴がザリッと音を立てた。「糞が!!敗北はザイトルクワエで充分よ、殺す!!」

 頬からはツツ…と血が流れ、軽い痛みと怒りに顔を歪ませた。

 番外席次が飛び出そうとするのをネイアが慌てて止める。

「待ってください!番外席次さん!!まだ私達の輪の中に陛下が隠れてらっしゃるかも知れません!あなたは陛下をお守りするよう頼まれたはずです!!」

 番外席次は迷うような目をすると、突然クレマンティーヌに向かって戦鎌(カロンの導き)を振るった。

「クインティア!!」

 バチンと何かを弾く音がするとクレマンティーヌの眼前で矢が弾けた。

「――た、助かった!」

 空から驚きの声が聞こえ、NPC達の隊列は半分に割れると片方のチームが番外席次へ向かい出す。

 街を行き交う人々は悲鳴をあげ逃げ出し始めていた。

 アインズは番外席次に向かって近接型の四人が降りていくのを横目で見過ごし、遥か上空へ転移する。

 狙撃者の位置がわからない今、全員が番外席次などという雑魚に気を取られているこの瞬間が大切だ。

 空で各々支援を行う五人のNPCに向かって杖を向け腕輪を輝かせる。

 動き続けていなければまた撃たれる危険がある為、上空から落下しながら姿を現した。

「<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)>・<大顎の竜巻(シャークスサイクロン)>!!」

「――スルシャーナ!!」

 瞬間姿を消し再び移動する。

 支援型のNPC達が巨大な竜巻に切り刻まれながら舞い上げられていくと、二つの転移門(ゲート)がそれを飲み込んで行く。

 アインズは今度は邪魔立てなしに魔法を唱えられたことに安堵のため息を吐いた。

 

 ――下では血みどろの番外席次が、聖典に向かって剣を振り上げるNPC達を止めていた。




あああアインズ様番外ちゃん死んじゃう!!!
囮扱い!!
次回 #8 脱落者
さ、最悪ビルド組み直せるから……。


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#8 脱落者

「スルシャーナの信徒!!」

「呪われた大地の大罪人共がぁあ!!」

 番外席次は久しぶりに土の味を噛み締めながら叫んだ。

 母に訓練と称して叩きのめされた日々、ザイトルクワエの一撃で大地に叩きつけられた時、そして今。

 番外席次は地に伏したまま戦鎌(カロンの導き)を握りしめ、一人に向かって指を向けた。

「――<(デス)>!!」

「効くか!!」

「っちぃ!!」

 即死無効化能力を持っていたのか、番外席次が放った魔法は存在したのかも不明なほどにあっさりとかき消された。

 ならば、番外席次が使うことのできる切り札の一つ、The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)で強化した<(デス)>を放てば、この憎き大罪人たちのうち一人は倒せるかもしれない。

 百時間に一回しか使用できないため、一人以上を倒すことはできないが、一人でも戦力は削れた方が良い。

 番外席次は方針を決めると、The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)の効果が発動するまでの十二秒間を稼ぐためにもう一つの切り札を切る。

 

 ――エインヘリヤル。

 

 番外席次のすぐ隣に光が集まり、一呼吸の間に番外席次の姿を象った。

 番外席次が己の分身体――エインヘリヤルに命令を下すよりも早く、NPC達が襲いかかってくる。

 彼奴等はエインヘリヤルが何なのかを完全に理解している。そうとしか思えない動きをしていた。

「ど、どうすれば――っくそ!!」

 特殊技術(スキル)と共に魔法を放ちたくとも、一瞬の隙も与えられず、防御に防御を重ねる。

 ゲームの中で百レベル分無駄なく育てられたNPCの振るった一閃は、神人と呼ばれた彼女にしても早すぎる。そして、重すぎる。

 

「スルシャーナの戦鎌(カロンの導き)を持つ信徒!!スルシャーナを復活させた方法を教えろ!!そうすれば命までは取らん!!降伏しろ!!」

 

 番外席次はいつもの笑みをこぼす。命を取らないと言われて嬉しかったわけではない。感情を読ませないため、本心を隠すためにわざと表情を作ったのだ。

 

 ――四人も敵がいる中、いつどのタイミングで特殊技術(スキル)を放てばいい。誰を殺すことが一番勝利に近付ける。

 

 いや、本当に一人を殺すことが最善手だろうか?

 

 スルシャーナの何かを聞こうとする者達の話に適当に合わせ、時間を稼ぐという手もあるかもしれない。とにかく神が攻撃されないよう、敵を一人でもここに釘付けにできていればいいのだ。

 だが、もし話をただ合わせているだけだとバレた時、もしくは相手の気にいる返事をしなかった時はどうなる。

 

 やはり、番外席次一人で四人の気を引いておびきよせつつ、少しでも神から遠くへ逃げる。それが神を守る手伝いになるはず。先程はどこに神がいるかわからなかったが、今しがた一瞬空に神が明滅するように姿を表した。

 ここには今足手まといの三人と番外席次しかいない。であれば、この三人を置いて――

 

「――行けない。逃げられないわ!!」

「はぁ!?」

 

 何かを聞こうとしていた敵が不可解そうに声を上げる。先の質問に対しての番外席次の返答は、相手からすればまるで意味が通っていない。

 もし番外席次が紫黒聖典の三人を置いて、四人と戦闘をしながらここを離れた場合、空にいる強者達がさらに降りてきて三人を襲わない保証などどこにもない。

 

(――くそ。死ぬかもしれないが、全力で殺す。それだけでいい)

 

 あの三人にどれほどの恩があるかなんて分からない。

 だが、長く生きてきた番外席次にも気に入った人間というのはいた。そういった者達は既に大抵が亡くなっている。

 それがまたあの三人だったというだけの話。

 

(そう。あいつらを救えるのは私だけ!)

 

 神の教えも受けた。

 覚悟は決めた。

 

「――The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)!!」

 

 叫ぶと同時に、背中に時計が姿を見せる。

 抵抗不可能な死を与える、未だ一度も破られたことのない無敵の技。

 誰を殺すのが一番いいかなどわからない。だが、なりふり構っていられる状況ではない。

「なんだと!?」「なにぃ!?」「まさか!!」「そんな!?」

 相手から驚愕と恐怖が同時に伝わってくる。

()――」

 一人に向かって魔法を放とうとした瞬間、四人が同時に襲いかかってくる。

 

 音すらも越えるような速度で迫った者達は、エインヘリヤルが二人の武器を止め、番外席次が戦鎌(カロンの導き)で一人の武器をなんとか受け止めたが、もう一人分は止めきれず、その肩には袈裟懸けに刀がめり込んでいた。

 ビッとそれが引き抜かれると、番外席次はあまりの痛みの中膝を付き口から大量の血を吐き出した。

 

「ッイゥァアア!!」

 

 痛みで視界を星が飛ぶ。必死になって痛みを逃そうと息を吸うが、吐き方を忘れる。

 代わりに叫んだ。

 

「――守れない!!何も守れない!!」

 

 NPCは膝をついた番外席次の頭を掴み上げた。いつのまにかエインヘリヤルは消え去り、その背に浮かんだ時計も消えていた。

 百時間に一度しか使えない特殊技術(スキル)は、強化する対象の魔法が放たれなかったことによって効果を発揮することもなく、無為に消えた。

 

「貴様、何故スルシャーナの力を!!」「――まさか、貴様がスルシャーナを復活させたのか!?」

 その問いは痛みに悶える番外席次には届かなかった。

「チッ!お前たち!吐け!!」

「スルシャーナ!?知らないわよ!そんな事より私達の仲間を離しなさい!!」

 レイナースがNPC達に向かってルーンの剣を抜かずに構え突撃すると、ネイアも番外席次を掴む手に向かって弓を引き絞った。

 クレマンティーヌはルーンのスティレットを持つ手に力を込めていた。

「<疾風走破>!<能力向上>!<能力超向上>!!」

 ネイアの放った矢はヒュンッと軽い音を立ててレイナースを即座に追い越し、番外席次を掴む手にドンッと突き刺さる。

「持っている武器だけは一人前か!」

 レイナースは突き刺さった矢を叩き込むように、鞘に納めたままの剣を振るった。

 それがガツンッと深く刺さると、NPCの腕の力は痛みから僅かに弱まったようだった。

 しかし、手の空いているNPCがレイナースを蹴り飛ばし、その身は家屋に突っ込んで行った。

 

 クレマンティーヌは一瞬レイナースを案ずるが、大きく息を吐き出すと突撃した。

 加速する世界の中、スティレットを逆手に持つと、全身の筋力を総動員して突き刺さっている矢目掛けて振り下ろす。

 相手が強敵の場合、スティレットは抜くのが難しい為に直接差し込んだりはしない。三人で強敵だと認定した者と戦う時はよく使う手だ。

 更に矢が深く突き刺さるとクレマンティーヌは効果を使った。

「<苦痛の波動(ウェイブ・オブ・ペイン)>!!」

 第八位階の魔法が込められた、アインズ謹製スティレットは文字通り神器だ。

 一日にたった一度しか使えないが、今ここでそれを惜しんでいる余裕はない。

 それは矢を伝って番外席次を掴む手を黒く染め上げ力を奪う。

「ッグゥ!!よくも!!」

 番外席次は解放されその場に崩れた。

「ッアァ…………っくいんてぃあ…………」

 

「ネイア!こいつを連れて行け!!」

 クレマンティーヌはゴミのように転がる番外席次を、驚くような力でネイアに向かって投げつけた。

 番外席次の小さな体はネイアにぶつかり、二人はもつれるように地に倒れた。

「――っあぅ!先輩!!でも先輩は!!」

「この人外――英雄の領域に足を踏み込んだクレマンティーヌ様が負けるはずがねぇんだよ!」

 ネイアは起き上がり、番外席次とクレマンティーヌを交互に見て大量の汗をかいていた。

 その言葉は嘘だとネイアにはわかった。

 

「ックソ!!」「復活方法はスルシャーナ本人に聞けばいい!」「遊びは終わりだ!!」「確実に不発と処理されたか分からない以上、万が一再びThe goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)を使われれば誰かが死ぬ!!」

 

 敵四人の振るう武器に貫かれることも厭わぬように二本のスティレットで更に攻撃をしようとするクレマンティーヌを見ると――番外席次の目の前のものは走馬灯のようにゆっくりと動き出した。

 クレマンティーヌは四人の動きについて行ききれていない。

 

 あれほど痛み、動かなかったはずの体はまるで羽のように軽くなる。

 世界は不思議と音と色を失った。何の音もしないし、全てが白い。

 間に合う。

 まだ間に合う。

 ネイアの腕の中からするりと抜け出し、経験したことがない程のスピードで駆け抜ける。

 後ろでネイアがそれを止めるように手を伸ばしたのが視界の端に映ったが、振り返らない。

 クレマンティーヌよりも警戒されているのか、全てのNPCがこちらへ一斉に照準を合わせたのを感じる。

 渾身の力でクレマンティーヌを蹴り飛ばすと、迫り来る暴力を見た。

 

 負けたくない。

 絶対に負けたくない。

 敗北を知りたいなんて嘘っぱちだ。

 弱い者達に囲まれ、誰も自分を理解してくれない日々にうんざりしていた。

 誰も自分を愛してくれない日々にうんざりしていた。

 だが、結局自分より弱い者達に守られてしまった。

 自分と共に対等に生きてくれる存在がずっと欲しかった。

 寂しかった。

 ただ、一人にしないで欲しかった。

 この力を否定したかった。

 自分の中に流れる血を――愛されない日々がもたらしたものを。

 愛してほしかった。

 その点――弱いけれど、この三人は悪くなかった。

 もしこんな日々が続くなら、強い子供ももういらない。

 セバスは誰かのために力を奮うことこそが神々の教えだと言っていたが、デミウルゴスは力を行使するタイミングはよく見極めろと言っていた。

 今が正解だったのか解らず、もっと最初からよく守護神達の言うことに必死になって耳を傾けていればよかったと今更後悔する。

 でも、全てはもう遅い。

 せっかく負けたくないと思えたのに。

 こんなの、酷い。

 

 ああ、フラミー様。次はもっと早くに祝福に気付いてみせるから。

 どうか弱い私を許して。

 そしてあの三人を――。

 

 番外席次は生まれて初めて正しく光へ祈りを捧げると、そっと目を閉じた。

 

 そして――真っ暗になった。

 

+

 

「<内部爆発(インプロージョン)>!!」

 

 フラミーの起こした爆発はNPC達を包み、番外席次と、わずかに離れた場所にいた聖典を遠くに吹き飛ばした。

 アインズが陥落させたNPC達を回収して戻ってみると、百レベルのNPC達を前にまだ誰も死んでいなかった。

「っつぅ…………フラミー様!!」

 レイナースが自分を呼ぶ声が聞こえるが返事をする暇がない。届くだろうかと思いながら魔法を投げる。

「<大治癒(ヒール)>!!」

 フラミーの魔法を極至近距離で食らい、吹き飛ばされて死に掛けた番外席次はパチリと目を覚ました。

 ンフィーレアの時のように目覚めが悪いことにはならなそうだと少し安堵する。

 しかしフラミーの火力で一撃で倒せるはずもないNPC達はその場で踏ん張り、耐え、すぐにフラミーに向かって動き出す。

 するとアインズの姿のパンドラズ・アクターが姿を現した。

「スルシャーナ!!」「捕らえろ!!」

「<上位転移(グレェタァアテレポーテイション)>!!」

 フラミーはパンドラズ・アクターに連れさらわれるように姿を消した。

 

 それを見るとアインズはフッと笑ってしまった。

 フラミーはいつも頼まずとも魔法を使う場所を作って立ち去るのだ。

「始原の力入りだ!吹き飛ぶがいい!!」

 アインズは上空に姿を現した。

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)>・<核爆発(ニュークリアブラスト)>!!」

 アインズを中心に閃光が膨れ上がり、一気にNPC達を呑み込んでいく。

 陛下という悲鳴が聞こえる。聖典達が驚いているのも当然か。アインズもそれに巻き込まれているのだから。

 アインズは痛い痛いと苦笑しながら、自爆まがいの魔法で倒れ行くNPCを眺めた。

 すると地上に転移門(ゲート)が三つ開く。

 二つはフラミーと息子のものだが、もう一つは?と見ていると――真紅の影が飛び出した。

「シャルティア!?何故来た!!」

「フラミー様の!命により!!シャルティア・ブラッドフォールン!御身の――前に!!」

 シャルティアは虫の息になり尚反抗的な顔をするNPC達の武器を持つ腕を切り落とし、転移門(ゲート)へ蹴り入れると、空のアインズへ手を伸ばした。

「アインズ様!!」

 アインズはフラミーが自分の選ぶ魔法に見当をつけていた事に笑うとその手に向かって<飛行(フライ)>で急降下する。

「助かる!!」

 シャルティアはその胸に飛び込む直前で魔法を送った。

「<大致死(グレーターリーサル)>!!」

 二人は一瞬抱き合うと、すっかり回復したアインズはシャルティアを転移門(ゲート)へ向けて放る。

「さぁ戻れ!次が来る!」

 シャルティアは信頼の目を向け、放られた力に任せてふわりとスカートを靡かせると転移門(ゲート)に飛び込んだ。

 

 アインズは隙なく空を見上げると再び姿を消した。

 

+

 

「…………続き、出て来ませんね?」

 フラミーは不可知化し、親子と手を繋いで城を眺めていた。

「流石にあれだけやったら警戒して籠城したみたいですね。残すところ十五人……。五人づつ出て来てくれたら余裕かな」

「父上、十五人がいっぺんに出て来たらどうなさるので?」

「ふーむ。それは割と痛いな?ははは」

 アインズはフラミーとの共闘に仲間としての絆の様なものを感じ、自分達に色々と指導してくれた仲間達の姿を思い出す。

 負ければ死ぬという戦いの中にあっても、ユグドラシル時代を思い出し、愉快な気分になっていた。

「……ではもう始原の魔法でエヌピーシー達を吹き飛ばしては……?」

「それでアイツらの装備が炭にでもなってみろ、もったいないだろう。最悪ギルド武器を破壊して消し去ってやるさ。ただその場合NPCの実験ができないのが痛いな。それに何ヶ月も瓦礫の山を漁る心算(こころづもり)も必要になる」

「わぁ、嫌ですねぇ」

 三人は苦笑を交わすと城から地上へ視線を落とした。

 

 街は戦闘で、いや、主にアインズの起こした竜巻と爆発で既にめちゃくちゃだ。

 しかしこの先ギルド拠点が空から落ちて来るのならば同じことだろう。

「……陛下方、いる……?」

 番外席次の声に、アインズとフラミーは気まずい顔をしてから姿を見せた。

 パンドラズ・アクターは女子と会話させたくないので不可知化のまま待機だ。

「ああ……。すまなかったな番外席次。お前達も痛むだろう」

 この先の戦闘の事を思うと、これ以上聖典を回復してフラミーの魔力を消費する事は躊躇われる。

 アインズから魔力を受け取れるとはいえ、その魔力が万が一底を付けば戦局は相当厳しい。

 未だ底は見えたことがないが、レベル百の相手と繰り広げる戦いを前に備えすぎと言うこともないだろう。

 

「いえ。私はもう治してもらったから何ともないです」

 番外席次は服こそ血みどろだが、もうピンピンしていて、痛い痛いと嘆くクレマンティーヌの肩を抱いていた。

 レイナースとネイアもフラミーの爆風を僅かに貰い、生傷だらけだ。

 聖典達は全員その鎧の硬さによって命を救われていた。

「それより、フラミー様……。ありがとうございました。いつも見守っていて下さって」

「いいえ?」

 フラミーは何でもないとでも言うような声でそう言うと、番外席次は嬉しそうに笑った。それは、誰が見ても心からの真実の笑顔だとわかるような、決して本心を隠すためのものではない清々しいものだった。

 

「ふむ。紫黒聖典よ。お前達はここで回復を待ってから帰還するといい」

 紫黒聖典は目を見合わせた。レイナースはまだフラミーの役に立てていない。

「神王陛下!まだやれます!」

「いいや、ここから先は守護者ですら足手まといの領域なんだ。番外席次はおと――んん。教育の為共に行くぞ」

 なんといっても、The goal of all life is death(あらゆる生ある者の目指すところは死である)とエインヘリヤルを使えるのだ。これ以上の囮がいるたろうか。

 聞くや否や、レイナースは救いを求めるようにフラミーへ視線を送る。

「そんな……ふらみーさま、私は……」

「レイナースさん、そんな怪我じゃ行けませんよ」

 

 クレマンティーヌは自分を支える番外席次に視線を落とした。

「番外、私はもういーよ。あんたは陛下と城に上がるんだから準備しな」

 番外席次はその声にハッと我に返った。

「あっ、へ、陛下!!待って!」

「ん?怖くなったか?」

「怖くなんて――……いや、そうか……怖いんだ……。私、仰る通り気付いたから怖くなったの……。だから……ここで……その……紫黒聖典の面倒を見ようかと思います。また都市守護者が降りてくるかもしれないし」

 クレマンティーヌは自分を支える番外席次を驚きの目で見た。

 こいつは側にいて欲しくない奴ナンバーワンだと思うが――末妹のネイアと手を取り合うのを見ると、レイナースと視線を交わし合いため息をついた。

「はーしゃーないなぁ……。もー……。陛下、申し訳ないのですが、どうかこれを我が紫黒聖典に頂けないでしょうか」

 

「……何?別に良いが……番外席次、お前はどうしたい?」

「……なかまを……守り抜きたいです」

 アインズはついさっき浸っていたばかりのその言葉に頬を緩めた。

「なかま、か。良いだろう。お前の仲間は紫黒聖典だったか」

「はい。我が光はここにありました」

 番外席次の瞳の煌めきを見るとアインズは頷いた。

「よし、こちらへ来なさい」

 番外席次がアインズとフラミーの前に跪くと、怪我を負い動くのも辛そうな紫黒聖典もその後ろに綺麗に並んで跪いた。

 

「フラミーさん」

 フラミーは名前を呼ばれると番外席次に一歩近付き、白い杖でその両肩を軽くトン、トンと叩いて告げる。

「漆黒聖典、絶死絶命。今この時を以って貴女はその任を解かれました。そして――紫黒聖典、番外の席次を与えます。隊長は変わらずクレマンティーヌ・ハゼイア・クインティアです。きっと仲間を、守ってくださいね」

 番外席次は最初から自分に仲間と、祝福を与えてくれる為にこの旅があったんだろうと確信していた。

 これこそが神々の教育。

 恭しく胸に手を当て、頭を下げる。

「紫黒聖典。番外席次、絶死絶命。謹んで拝命いたしました」

 

+

 

 神々が城へ上がっていきながら姿を消すのを見届けると、番外席次はようやく立ち上がった。

「……クインティア」

「あによー」

「ありがとう」

 クレマンティーヌが「うぇ」と漏らすとレイナースは軽く肘で小突いた。

「っいいいいっつぁ!!番外が本気で蹴り飛ばしたせいで痛むんだよ!!」

「あ、ごめん。そんなに痛かったのね。番外席次。ここの隊に入ったからには私が軍規ってもんを一から叩き込んであげるわ」

「ロックブルズは割とまともよね。クインティアから隊長変えた方が良いんじゃない」

「ははは。番外席次さん、クレマンティーヌ先輩だって本当はとってもちゃんとしてるんですよ!」

「……ふーん」

 クレマンティーヌはぶつぶつ文句を言いながら手からガントレットを外した。

「ったくこんな可愛くない奴うちに引き取ってこれからどーすっかね」

「私は本当はネイア・バラハの話を聞きたかっただけだから、別に引き取られたかったわけじゃないわ。特にクインティアは生意気だし」

「あーー!ほんっとーーーに可愛くない!!」

 外したガントレットをレイナースに叩きつけるように渡すとレイナースも痛みにウッと声を上げた。

「ったく。ほら!」

 クレマンティーヌは素手を伸ばした。

「……気安く私に触ろうなんて思わないで欲しいところね」

 番外席次は不愉快そうにその手を握った。

 お互い不機嫌な様子の中交わされた握手にレイナースとネイアは少し笑った。

 すぐに手は離され、クレマンティーヌはガントレットを着け直した。

「そんで?あんたの本当の名前はなんなのよ。いつまでも席次呼びもおかしーでしょ」

 ――逡巡。

 愛されることなかった名前、アンティリーネ・ヘラン・フーシェを名乗ろうかと思うが――

「――私は何者でもなかったわ」

「へぇへぇ、教えるつもりもないってこってすかい」

「そうよ。だから、本当の名前は今度陛下方につけて頂くわ」

 

 次は、愛を込めて読んでもらえる名前を。

 

 番外席次は生まれ直したような気持ちになった




次回 #9 天空城地表

紫黒聖典!!!パワーーーーアップ!!!!
ああ四人娘かわいいよ!!


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試されるエリュエンティウ
#9 天空城地表


「き…綺麗…。」

 天空城――そこは神秘の場所だった。

 現地の者たちに空中都市や浮遊都市と呼ばれているだけあって、城の周りには小さな家が建ち並んでいる。ざっと百軒と言ったところか。

 どの建物にも蔦が絡まり、道には花が咲き乱れていて、ゴーレム達が忙しなく動き回っては植物の管理を行っていた。

 小さな家々がナザリックの第九階層スイートルームと同じ役割を持っているであろうことは容易に想像がつく。

 どの家の入り口にもキャラクター名のような表札がかかっていて、恐らく仲のいい者同士で近くに家を建てて過ごしていたのだろう。

 あちらこちらに大きな池とそれを繋ぐ川があり、恐ろしさを感じる程に透き通ったそれは低レベルの自動ポップだと思われる、大人の人間程度の大きさの魚たちが泳いでいる。

 池の水は城の外へとごうごうと流れ落ちて行き、虹が架かっていた。

 フラミーはこれを壊してしまうのかと心底勿体無く思った。

 

 三人は天空城に僅かにも踏み入れずに様子を見ていた。

 町の中心に建つ城は来るものを拒む様子も無く、その入り口を開いているが、向こうも本気で待ち構えているに違いなかった。

「パンドラズ・アクター。さぁ、いつものを。」

「畏まりました。」

 パンドラズ・アクターは不可知化の中心であるフラミーと手を離さぬよう気を付けながら、ミノタウロスの王国へ行った時と同じように――アインズ・ウール・ゴウンの目と呼ばれたぬーぼーの姿へと変身した。

 するとやはりどこを見てもトラップが張り巡らされていて、一番手薄に見えるところは近くにある透明な池だった。

「…父上、あちらの池の中に城へ続く道があるようです。転移や僕の召喚トラップが掛けられている様子はありません。しかし…恐らくエヌピーシーが一体。レベルは百を行っているかと。」

「そうか。取り敢えず試しに行ってみるか。」

 三人は頷きあうとパンドラズ・アクターの指差した方へ向かって飛んだ。

 池の中では巨大な蛇に鳥の羽を大量に付け足したような歪んだ生き物が泳いでいた。

 水に脚を浸す直前、フラミーはピタリと立ち止まった。

「あ…あぁ…私、ごめんなさい、戦いに行けないかも…。」

 アインズは申し訳なさそうにするその顔を覗き込んだ。

「どうしました?怖くなっちゃった?」

「ううん。私、多分呼吸しないでいられないんです…。」

 あまりにも初歩的な回答にアインズは確かにと思った。骨の身で暮らして長い。当然のように無呼吸で水の中に入れるつもりでいた。

「あ、そうか。じゃあ、俺ちょっと無力化させて来ますから、待っててくださいね。」

「はひ、ごめんなさい。」

「良いんですよ。その方が俺は本当は安心する。」

 綺麗すぎるギルド拠点のせいか、アインズは柄にもなくフラミーの手を骨の口元にそっと寄せ、口付けるようにした。

 手を離すとその身は途端に見えなくなる。

 池に波紋が広がると大蛇は猛烈な勢いで水面に向かって泳ぎだした。

 

 パンドラズ・アクターがフラミーを連れて少し離れると、水の中に数度閃光が迸り、大蛇はプカリと池に浮いた。

 姿を現したままのアインズは池を上がり、痺れたようにビビビと震える大蛇の上に乗ると少し考える。

(…NPCの起源に触れてみるか。従属神はできたんだからな…。)

 腕輪を光らせたアインズは大蛇の記憶を開いた。

 この守護者が過ごした五百年の孤独を遡り――

 スルシャーナと竜王達への激しい憎悪を遡り――

 プレイヤーが書いたであろう設定を遡り――

 ついにギルド名と製作者の情報に辿り着く。

 ギルド名をアインズ・ウール・ゴウンに書き換えることは危険だ。ナザリックの拠点レベルを超え、向こうが崩壊する可能性がある。

 痺れから目覚めようとしているのか大蛇は意志を持って動き出した。

 アインズは急ぎギルド名と製作者の部分に消しゴムをかけるように魔法を使う。

 全てを消すと、途端にNPCはパンッと光の粒となって消え去り、掴み取ろうとしたアインズの手は空を切った。

 見たこともないその現象はとても普通の死には見えなかった。

「なっ…!!NPCは根源を書き換えると消えてしまうのか…!?」

 拠点レベルとの繋がりを失ったNPCは存在出来ないと思い至ると、アインズは途端に恐ろしくなった。

「パンドラ…パンドラズ・アクター!いるか!!いるのか!!」

「父上!いかがなさいましたか!!」

 すぐに姿を現したぬーぼーの姿の息子の腕を引っ張ると抱きしめた。

「お前達は繊細だ…危険すぎる…。私は恐ろしい事に気が付いた。」

「父上、一体何が…?」

 パンドラズ・アクターが偉大な父の珍しい姿を慰めるように、背へ手を当てると、フラミーも滲み出て来た。

「アインズさんどうしたんですか…?」

「フラミーさん。<記憶操作(コントロールアムネジア)>でギルド拠点との繋がりをなくした途端NPCが消えました。恐らく今のやつは復活しません…。」

「えっ!?そ、それって…。」

「NPCは<記憶操作(コントロールアムネジア)>を持たないはずですけど…パンドラズ・アクターが<完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)>を使うように奴らがそれを持たないとは言い切れない…。」

 アインズとフラミーは頷き合った。

「帰ってくださいズアちゃん。何かあったら呼びますから。」

「フラミー様!?それでは護衛が一人も――。」

「私、力はないけど本当は強いですよ。」

 ぷにっと萌えに鍛えられたギルドメンバーは恐らくNPCよりも強いだろう。

「行け。」

「行きません!!私は二度と常闇の過ちを繰り返さないと誓ったのです!!父上がお強いのは分かっておりますが、フラミー様は必ず守り抜かねば…!!」

 アインズとフラミーは目を見合わせた。

 これまで自分達の傷ばかり気にして、守護者の痛みを癒そうとはしてこなかった。

「…そうか。では共に来なさい。ただし、もし相手が<記憶操作(コントロールアムネジア)>を使うようなことがあれば何もかもをかなぐり捨てて逃げろ。約束できるか。」

「………フラミー様を置いては逃げません。」

 パンドラズ・アクターは珍しく頑なだった。

「じゃあこれを抱えて逃げろ。フラミーさんも協力してくれますね。」

「分かりました。一緒に逃げますから、必ず逃げて下さい。」

 パンドラズ・アクターはようやく深々と頭を下げ、三人は手を繋ぎ直し不可知化した。

 心の中でやれやれ、とアインズは呟いたが――同時にパンドラズ・アクターの忠誠の在り処に骨の顔を緩めた。

「行くか。」

 アインズが人化し大きく息を吸うと、フラミーも息を吸って鼻を摘んだ。

 パンドラズ・アクターはぬーぼーの姿から骨のアインズに変わった。

 

 三人は池に飛び込むと入り口のように見える水中の門へ向かって<飛行(フライ)>で泳いだ。

 コポコポと水中特有の音が耳に響く。

 空から降り注ぐ光は水の中をまっすぐ帯状に照らし幻想的だった。そこは深く、どこまでも碧い。

 周りには低レベルな魚達が泳いでいるが、不可知化しているため寄ってくる気配はない。

 ちらりとフラミーを見ると限界がかなり近いのかゴボゴボと空気を吐き出し始めていた。

 アインズは手を離さぬままフラミーの後頭部を包むように片手で触れる。

 そのまま引き寄せると口を繋ぎ、肺に入れて来た空気を渡した。

 口の隙間からコポリと空気の泡が上がって行くと、二人は少し顔を赤くした。

 入り口に入ると、上り階段があり光に揺らめく水面が見える。

 アインズも人の身の限界を感じ始め、無詠唱化した<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)>を使うとフラミーを抱きしめたまま一気に地を蹴った。

 

「「っはぁ!!」」

 二人は肩で息をすると、呼吸を探知したのか開いていた入り口の門は降りた。

 そこはだだっ広い薄暗い廊下だった。

 骨のパンドラズ・アクターはまるで何ともないと言う風にちゃぷんと骨の頭を水面から出した。

 アインズは這い上がるように水を出ると、フラミーの事も水から引きずり出す。

 パンドラズ・アクターも手を離さないようにフラミーの上がるスピードに合わせて水から上がった。

「はぁ…はぁ…お、思ったより…人って苦しいな…。」

 濡れた前髪を後ろに送りながら呟いたアインズに、フラミーもパンドラズ・アクターもおかしそうに笑った。

 

+

 

 NPC達は羽の生えた歪んだ大蛇が消える様子をじっと見ていた。

 長い髪をなびかせる天使、サナは興奮した様子で叫んだ。

「テスカ!早くククルカンを起こして!!スルシャーナがまた不可知化したわ!」

「…だ、だめだ…。復活の管理コンソールにでない…。」

 スーツを纏い、刀を脇にさす男、守護者のまとめ役として生み出されたテスカは震える手でそれを見ていた。

「………出ない?生きてる?」

 呟いたのはこの城の情報全てを司り、世界一つに匹敵すると言われる本を抱えた少女――イツァムナーだ。

「違う…ククルカンの存在そのものがないんだ…。」

「どういう事なの!?他の十五人は、まだ生きてるのよね?」

「あぁ、生きてる。何の連絡もないが確かにギルドコンソールの一覧に名前がある…。でも、でもククルカンだけはどこにも見当たらない…。」

 NPC達は絶句していた。

「………計画にはまだ問題はない。」

「…ククルカンの事は後で考えましょう。イツァムナーの言う通り、計画にはまだ支障はないもの。私は――絶対にスルシャーナを許さない。」

 サナの瞳は後悔と憎しみに濁っていた。

 

 竜王討伐の映像が流れた日から、生きながらに死んでいたNPC達の時間は再び動き出した。

 

「あのツァインドルクス=ヴァイシオンが引き裂かれた!!」

 五百年の長きに渡って望み続けたその時に全員が歓声を上げた。

「武器を!ギルド武器を取り返しに行きましょう!」

 人間の青年の見た目をした、着流し姿のキイチが声を上げるとNPC達は続々と立ち上がる。

 するとテスカは苦しそうに声を絞り出した。

 

「ダメだ……いけない…。」

 

「何でですか!五百年も待ったのに!!」

「キイチ…落ち着いてくれ…。ツァインドルクス=ヴァイシオンはどうせすぐに蘇る。それにツァインドルクス=ヴァイシオンより弱いとはいえ、向こうにも竜王はいるんだぞ。」

 謎の光に撃たれた者も多くいるのだ。この状態は圧倒的に戦力不足だった。

 全員が沈痛な顔をする中、サナだけは納得できないと言わんばかりだった。

「…テスカはこのままでいいと思っているの…。」

「そんな事あるわけないだろう。今は兎に角、流星に撃たれた者の回復だ。そのあとツァインドルクス=ヴァイシオンが復活したかを確認、そして――何より一番大切なのはスルシャーナが復活を受け入れた理由だ。さぁ、皆はじめよう。」

 NPC達は行動を開始した。

 

 

 それから数日が経つと、イツァムナーは動ける全NPCを招集した。

 守護領域によっては動けなかったり、その場を離れられない者もいるため、そこには二十人程度が集まった。

「………法国はどうやっても覗けなかったけど………見て。評議国。」

 全員が遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を覗き込むと、そこには大量の竜王達が揃っていた。

「やっぱり復活したのね…。ツァインドルクス=ヴァイシオン…!」

 サナからは色を持つような憎悪が溢れ出し、瞳は誰よりも鋭かった。

「………力の喪失を感じさせない。始原の魔法で復活してる。」

「あの時評議国へ行かなかったのが正解なのか僕にはわかりません…。」

 イツァムナーの漏らした竜王の情報にキイチはがっくりと肩を落とした。

「待て皆!何かが来た!」

 テスカの叫びに話し合いを始めて騒ついていた全員が鏡へ視線を向けなおす。

「スルシャーナ!」「スルシャーナだよ!」

 二足歩行の猫のような姿の双子がぴょんぴょんと跳ねた。

 

【挿絵表示】

 

 ――次の瞬間、空中に深淵が出来る。

 ぽっかりとした黒い穴は何もかもを吸い込みそうな、漆黒の色をたたえていた。

「な、なに…?」

 瞬間、サナの呟きに呼ばれたかのようにそれは爆発した。

 激しい闇の力の応酬を前に拠点の一部が吹き飛び、NPC達は皆が重傷を負った。

 特に鏡の近くにいた者達は瀕死だ。

「………う……うぅ……。」

 痛みに這いつくばる者や動くことすらできない者。死屍累々だった。

「な、なんてこと!?だめよ!!目を覚ましてイツァムナー!!」

「天使の皆さん、お願いします!!」

 慌てて天使達が仲間を回復すると、空間には日本語が浮かんだ。

 

『監視魔法の発動を確認。この場の者を敵対者と見なし反撃を行う。』

 

「スルシャーナがくる!!全員備えろ!!」

 テスカの叫びに全員が身構え、防御力の低いものを庇うように戦士職のサナは一歩前へ出た。

「………」

 部屋には重たい沈黙が流れる。

「な…何も起こらない…?」

 サナが盾を下ろすと、それに倣うように次々と防御は解除されて行った。

「すごすぎますね…。」

「………でも、マスター達はあれを一度は葬ってる。」

「きっとスルシャーナは再びここに戦いを挑みに来るわ。絶対に…もう一度殺してやる…!」

「サナ、そう怖い顔をするな。皆、スルシャーナが来たら捕らえるんだ。復活を受け入れた過程を吐かせる。そうしたら――――俺達はきっとマスター達と再び出会えるよ。」

 

 テスカの言葉にNPC達の瞳は強く輝いた。




すぐ皆スルシャーナだと思うじゃん!!!
捕まえられるかな?にっこり

#10 天空城通路

usir様より妄想天空城いただきました!

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#10 天空城通路

「アインズ様は拠点内に入られたそうよ。」

「そうですか。我々は引き続き待機でしょうか?」

 アルベドはNPC達の装備を剥ぎ取って丁寧に並べ、デミウルゴスは折角なので皮を剥いで自分の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまっていた。

 しばらく思い思いに他所のNPC達をいたぶっていると、意識を落としていた者達がにわかに目覚め始めた。

 

「…っぐぅ……き、君たちは、スルシャーナにどうやって復活を受け入れさせたんですか…。」

 喋った着流し姿の青年の目には途端に一閃傷が走った。

「――ッンァ!!」

「アインズ様はスルシャーナなどと言う下等なプレイヤーではありません。次に間違えたら…殺せませんね。全く困ったものです。」

 デミウルゴスの爪は長く伸びていて、痛みに悶える様子を見もせずに手の血を拭き取った。

 

「え!?す、するしゃーなの配下の者達じゃ…ない…?」

「キイチ!早く戻らないと!!<(ウリ)――」

 魔法を放とうとしたNPCは即座にアウラの鞭に叩かれ、魔法は発動しなかった。

「ちょっと、あなた達大人しくしててよ。死なれたら困るんだから。」

 

 デミウルゴスが目を傷つけた者は性懲りも無く再び口を開く。

「…エヌピーシーがギルドホームに残ってプレイヤーだけを行かせるなんて良いんですか…。」

 コキュートスは最後のNPCを縛り上げると応えた。

「我ラハ御方ノ劔ダ。イツデモ出ル準備ハアル。」

 

 すると途端にNPC達は一斉に喋り出した。

「そう…そうでしょうね、僕たちもそうでした。」

「ここはそのアインズ様しかいないの?」

「他のマスター達はどこへ行ったんだろうね?」

「いつかアインズ様もいなくなるよ。」

 

 アルベドとデミウルゴスは喧しいNPC達を見るとため息をついた。

「君たち、私達がそんな言葉で動かされるほど弱いと思っているんですか?」

「捨てられたエヌピーシーが見苦しいわね。私達の創造主は去るどころか万年先までもうご予定を立ててらっしゃるわよ。」

 しかし――アウラとセバスは不安そうな視線を送り合っていた。

「ね、ねぇ…。アルベド…大丈夫だよね…?」

「大丈夫よ。アウラ。私達の主人を信じなさい。」

 

 NPC達はその様子を見るとさらにまくし立てた。

「プレイヤーは遅かれ早かれ皆エヌピーシーを残して死にます。」

「この五百年世界を見てきて、生き残っているのはたった一人。」

「でもその一人も海上都市の最下層で眠って、もう二百年動きやしない。」

「君達もすぐに取り残される。」

 

「マスター達は誰も復活を受け入れてくれないもん。」

 

「アインズ様だって死んだら、きっと二度と起きてはくれませんよ。」

 

 途端に全守護者の脳裏にはひとつの言葉が過った。

 

(万一私が死んだ時に私を復活させろ。しかし、私は始原の魔法に身を染めユグドラシルの法則を超えた。最悪ユグドラシルの力が届かない可能性もある。)

 

「あーもー!そんじょそこらのプレイヤーに生み出されたエヌピーシーなんかにアインズ様の事がわかる訳がないんだから黙ってよ!!」

「アウラ、やめたまえ。捨てられたエヌピーシーに構うことはないですよ。」

「デ、デミウルゴスさん、ぼ、ぼく達、本当にここにいて良いんでしょうか…?」

 アウラとマーレが震える瞳でデミウルゴスを見上げていると、アルベドは自分に言い聞かせるように告げる。

「いいのよ。御身はご自身の事を誰よりも強いとおっしゃったわ。そして自分こそが主人だと。」

「アルベド…もし御身に何かが起こりんしたら…?」

 

「何カアル筈ガナイノダ。我ラノ神ニ。」

「フラミー様もパンドラズ・アクター様もご一緒ですし…ね。」

 セバスの呟きには自嘲の色があった。

 皆がそれぞれ胸の内に隠してきた何かが見え隠れするようだった。

 

 そして、常闇との戦いの傷を隠すように、守護者達は全員が支配者を案じ目を伏せ――

 

「<神炎(ウリエル)>!!!」

 

 偽りのナザリックは吹き飛んだ。

 

 天使によって発動されたその魔法は、使用者と受ける者のカルマ値でダメージを大きく左右した。

 マイナスに振り切れていないコキュートス、セバス、アウラ、マーレは何とか立っていたが――知恵者二名と吸血鬼は地に伏せた。

「ナンダト!!マーレ!!回復ヲ!!」

「は、はい!!」

 マーレは慌てて瀕死のアルベドに駆け寄った。

「や…やられたわ…!私達はゴミ以下よ……!!」

「い、今治します!!<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)><大治(ヒー)――。」

「っまーれ!!我々より、死に損ないのエヌピーシーを!早く!!」

 マーレはデミウルゴスの叫びに発動しかけた魔法を慌ててNPCに向けて放った。

 しかし、起き上がるものは居なかった。

 それどころか死体は次々とその場から消え始める。

 割れた眼鏡を落とすとデミウルゴスは自分の血で滑りながら起き上がり叫んだ。

「ッッマズイ!!!十五人が御方々の下で復活する!!!」

「い、行きなさい!!早く!!アインズ様の下へ!!魔力を無駄にしないで!!」

「妾達は何とでもなりんす!!今動ける者がいきなんし!!」

 血濡れのシャルティアが先程行われた市街戦と同じ所を目掛けて転移門(ゲート)を開くと、動ける者達は駆け出した。

 

「ペストーニャ…偽りのナザリックへ…。ルプスレギナと今すぐ…。」

 アルベドは伝言(メッセージ)を送ると意識を手放した。

 

+

 

 アインズ達は罠を破壊しながら進み、通路の終わりにたどり着いた。

 唐突に終わった通路の先は外だった。城の下に円形状に穴が開いているようだ。

 通路の上にも池があるようでゴウゴウと遥か遠い地表に向かって水が吐き出されて行くのが見えた。

「わぁ!あそこも虹が出てますよ!」

「フラミー様。この真下には転移トラップがありましたのでお気をつけ下さい。」

「あ、そっか。だからわざわざこの道通ってきたんですもんね。」

 納得しながらも尚覗き込む姿にアインズは手を繋いではいるが滑って落ちやしないかハラハラした。

「フラミーさん、怖いからこっち来てください。」

「はぁい。」

 パンドラズ・アクターと手を繋いだままのフラミーがぴたりとひっ付くと、誰かに呼ばれる感覚にこめかみに触れた。

「私だ。どうかしたか?」

『アインズ様!!ご無事で!!アルベドでございます!!捕らえていたエヌピーシー達が自爆し、全員の遺体が消えました!!今動ける守護者が城についたところなので、御身はお待ち下さい!!』

 アインズの背をたらりと冷や汗が流れた。

「…何故そんなことを許した。馬鹿者達が。魔法くらいキャンセルできるだろう。それとも拘束が甘くて自ら首を落としたのか?」

『お叱りは後ほど如何様にでも!兎に角お待ち下さい!今はどちらに?』

「やれやれ…左手の池の中の通路を進み切ったところだ。まぁ最悪私が即座にギルド武器を破壊するからあまり心配するな。」

 アインズは飛んでくる水滴を払うように自分の頭をわしわし触った。

 その横でパンドラズ・アクターとフラミーは目を見合わせていた。

『左手の池の中にある通路よ。向かわせて。』――アルベドは近くの誰かと情報を共有した――『エヌピーシーの復活位置についても分かりましたし、私もすぐに向かいます!!』

「何を言っているんだ。これからは特別な注意事項が増えたから、それを聞いていない者の外出は控えさせろ。それから――」

 水門を叩き壊す激しい衝撃が伝わってくるとアインズはため息をついた。

「…折り返す。」

 不可知化を解き腰に手を当て待っていると、衝撃を起こした者達は現れた。

「「「「アインズ様!!!!」」」」

「お前達なぁ。NPCは逃すは、勝手に出て来るは……本当に私の言うことを聞く気があるのか。」

 コキュートス、双子、セバスは駆け寄るとすぐに跪いた。

「申シ訳アリマセンデシタ。御身ガモシ弑サレルヨウナ事ガ有レバト思ウト……余リニモ恐ロシク……。」

「あ、あの、アインズ様が、し、心配で…その…。」

「アインズ様!あたし達も連れて行ってください!!」

「どうか、どうか我々の力もお使いください。」

 守護者達は妙に必死な様子だった。

「…ギルド武器を抑えている私が殺される訳がないだろう。お前達の身の方がよほど危険なんだ。」

 すると更に人影が見え、フラミーとパンドラズ・アクターも不可知化を解いた。

「「「アインズ様!!!」」」

 知恵者二名とシャルティアだった。

「ははは、これで結局皆来ましたね。」

 フラミーが笑うとアインズはすっかり脱力した。

「アルベド…お前伝言(メッセージ)の話をちゃんと聞いていたのか?」

 アインズは二年も経てば守護者も我が強くなるものかと――、この先離反者が出たりするのかなぁとナイーブになる。きちんと絶対支配者として君臨しなければなるまい。

「聞いておりましたが――」

 アルベドが弁解しようとした時、その気配は現れた。

「来マス!!」

 コキュートスの警戒したような声が響くと――

 

「スルシャーナ!!」

 

 偽りのナザリック送りにした十五人フルメンバーが現れた。

 あれだけ派手な事をしたのだから、来ない方がおかしいだろうとアインズはどうしようもない子供達をジトッと睨んだ。

 しかし相手が十五人いたとしても、ナザリック陣営も十人いるのだ。

 無傷という訳にはいかないだろうが、負けはしないはずだ。

 外で警棒を振るってきた者がアインズとフラミーを交互に見る。

 アインズはすぐに視線に気付きフラミーを抱き寄せた。

「気をつけて下さい。何かあればいつでも不可知化を。」

「…その態度…そっちの人間もエヌピーシーですか。」

 何故そうなるとアインズは思ったが、むしろNPCだと思われている方が警戒度は低い気がする。

 

「スルシャーナの持つ魔法がまずいです。スルシャーナを警戒して、あとは隙を突きましょう。」

 

「…あなた達、さっきの話を何も聞いていなかったの…?」

 アルベドが心底不思議そうな声を上げる。

 アインズは何の話だろうと思ったが、NPC達が骨の身のパンドラズ・アクターに気を取られ始めた事に感謝し無詠唱化したバフを掛けていた。

 そして、フラミーはアインズを押すように離れた。

「アインズさん。」

 

 アインズは、自分が持たないバフを掛け直された事に気が付くと、NPC達にニコリと笑いかけた。

「じゃぁ、お前達はデータに戻る時間だ。」

「でーたに戻る?」

 黒い瞳には小さな炎が宿ったようだった。

 NPCの疑問の呟きを無視し、アインズは詠唱を始める。

「<魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)>――」

「やらせないで下さい!!」「魔法がくるぞ!!」

 NPC達が武器を振るうと、跪いていた守護者達が即座にそれを止め、アインズは余裕を持って魔法を送り出した。

「――<万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)>!」

 

 守護者達を犠牲にしない程度の力で雷が放たれると、雷属性に耐性を持っているような者達はすぐ様雷の中を飛び出し、自分たちを抑える守護者達を落とそうと斬りかかった。

「フラミーさん頼みます!俺は書き換えをします!!」

「次が来る!!プレイヤーの魔法をキャンセルさせろ!!」

 そう言ったNPC達はフラミーを指し示していた。なぜかフラミーをプレイヤーだと決め付けているのだ。

 

「シャルティア !弱った者を捕縛して連れてこい!!」

 腕輪も始原の力も使わない位階魔法では流石に百レベル全員を一撃で戦闘不能にはできない。

 とは言え、守護者を下がらせることもできない。

 この距離で、尚且つ狭い通路を出られないとあっては前衛を務める者の存在は必須だ。

 周りで乱戦が始まる。

 シャルティアが意識を失った数人を捕獲魔法で捕らえては運び、アインズは腕輪を輝かせた。

「<記憶操作(コントロールアムネジア)>!」

 守護者とNPCが押し合い斬り合う中、一度に数人の記憶を開き、急ぎめくっていく。

 アインズは記憶を確認していくと、拠点を出た後すぐに拠点内に復活する記憶を見た。

 装備は違うが確かにこのNPC達は自分と戦ったはずの者達だがその記憶がない。

「こ、これは…。NPCは記憶までも拠点に依存していると言うのか!?」

 アインズはこれまで唯の一度もナザリックに攻撃を受けたことは無かった。

 何かどうしようもない事が起きれば、最悪ナザリックを放棄し、フラミーと守護者達を連れて逃げれば良いと思っていた。

 ナザリックはNPCの命と記憶そのものだと知った今、ナザリックの重要度は格段に上がる。

 NPC達のことは調べるつもりではいたが、まさかここまで重要且つ思いもしない情報が手に入るとは――。

 ここはアイテムもさる事ながら、情報の宝箱だ。

 決してギルド武器の破壊で簡単に失っていい場所ではない。

 アインズの中からギルド武器の破壊で拠点と敵NPCを消し去る選択肢は完全になくなった。

 しかし数は減らさなければいけない。

 最終的には数人を残して、あとは実験体にすることを決めた。

 NPCの生まれの根幹に触れて行くと――NPCは光の粒となって消えた。

 装備がバラバラと散らばって行く。

「なんなんだ!?」「気をとられないで下さい!!」「っちぃ!」

 

「<魔法三重最強化(トリプレットマキシマイズマジック)>・<朱の新星(ヴァーミリオンノヴァ)>!」

 フラミーは、超位魔法を除いて、炎系の対個人攻撃魔法としては最高位の魔法を放った。

 守護者の陰からコソコソと一人づつ着実に狙い撃ちしていく。

 火力のないフラミーでは全体攻撃を行ったとして、NPC達の意識を落とすのは難しい。

 いや、腕輪や始原の力を使わないアインズが百レベルのNPCを一撃で陥落することができないのだから当然だろう。

 数発同じ魔法を撃つと、激しい魔力の消耗に、フラミーはふらつきを感じた。まるで貧血を起こしたような感覚だ。

 アインズの尋常ならざる魔力量は正しくワールドチャンピオンを超えると言わしめるだけの力だった。

 早く魔力を受け取らねばと思いながら、役立たずになったフラミーは混戦地帯から後ずさるように離れた。

 

 アインズは消去に忙しい為、シャルティアの手が空くのを待とうと一人通路の終わりの絶壁へ下がって行くと――不意に手を捕まれた。

「え?」

「……… 捕まえた。復活のプレイヤー。」

 フラミーはまずいと視線を送るが、アインズは守護者達に守られながら記憶を開いていた。

「ッアイ――!」

 

 ――静寂(サイレンス)

 ――完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)

 

 少女が本の開いていたページを次々と指差すと機械的な音声が響き、そのまま引きずり込まれるように奈落に落ち――転移した。




ヒロインは捕まらなければいけない(戒め

次回 #11天空城一室


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#11 天空城一室

 アインズは続々とNPC達の消去を済ませると、最後の一人になったNPCに<現断(リアリティスラッシュ)>を送った。

 NPCを上半身と下半身に二分すると、拠点の壁まで傷付けて魔法は消えた。

「さて、最後の一人だ。ゆっくり見させてもらうか。」

 NPCは震える手でこめかみに手を当てた。

「…テスカ…テスカ…プレイヤーはもう一人です…。」

 アインズはもうどうせ侵入してる事はバレているので無視して目の前の江戸時代の小姓のような姿のNPCの記憶を開く。

 これまで戦いの最中、じっくり見られなかった為、取り急ぎ攻略に必要な情報を探す。

 一つは宝物殿の在り処、一つは世界級(ワールド)アイテムの有無、一つは残りの十四人のNPC達の能力。

「ふむ。お前の名はキイチか。私達との戦いはお前にはこんな風に見えて――何!?」

 アインズはキイチを放り出すように立ち上がり振り返った。

「フラミーさん!?」

「アインズ様、如何なさいましたか?」

「フラミー様ガ何カ。」

 落ちている装備を拾う守護者達は首を傾げた。

「フラミーさん!!出てきて下さい!!パンドラズ・アクター!!」

 辺りはしんと静まり返り、アインズは慌ててキイチの記憶を開き直した。

 

+

 

 キイチは真っ暗な世界の中を浮かんでいた。

 どれ程の時間こうしていたのか、何故こんなところにいるのか。何も分からない。

 不意に目の前が輝くと、キイチは成す術も無く輝きに取り込まれた。

 

「…ここは…。」

「キイチ!起きたか!」

「…テスカ…僕達は――あっ!!スルシャーナの捕獲に早く出なくちゃ!!」

 キイチは慌てて腰の武器に手を伸ばし――そこには何も無かった。いや、それどころか裸だった。

「ま、まさか…僕達は…。」

「そうだ。全員の死亡が確認できたから、急いで蘇生したんだ。装備の回収は叶ってない。」

「全員!?十人で出たはずです!!」

 テスカは頷くと、本を大切そうに抱く美しい少女を手招いた。

「イツァムナー…説明してやれ…。」

「………わかった。キイチ、あなた達は全員無力化させられて、連れさらわれた。スルシャーナの力は以前の比じゃない。」

「そ、そんな…スルシャーナに一体何があったって言うんですか…。」

「………相手はスルシャーナだけじゃなかった。信徒が来ていた。それから知らない者が一人。」

「知らない者ですか…?前の戦争で出なかったエヌピーシーがいたのでしょうか…。」

 そんな者が?とキイチは考えていると、当然テスカとイツァムナーも同じ事を考えているようだった。

 

「その者は不可知化していた。この百年目に来たプレイヤーだったんだ。」

 テスカはイツァムナーの監視ごしに見た紫色の存在を思い出す。

「………そしてスルシャーナを起こしたのは、多分そのプレイヤー。………それなら何故スルシャーナが今この時突然復活を受け入れたのかも、納得できる。」

 キイチはイツァムナーの推測にごくりと唾を飲むと、自分の上に掛かっていた布を放り投げるように剥いだ。

「そのプレイヤーを捕まえてきます!マスター達を起こさせましょう!」

「手の内を知られているが…復活した全員で正面から当たってくれ。陽動だ。他の者は守護定位置から動かさないようにしている。捕獲にはイツァムナーが行く。」

「………無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)を使う。………不可知化して近付いて連れ去る。」

 すると三人は激しい揺れに襲われた。何かを叩きつけるように規則的に振動が発生する。

 

「………今のは?」

「わ、わからない!!」

 テスカは慌てて拠点管理システムを開いた。

 小さな監視ウインドウが無数に開くと、テスカは一つのウインドウを引き寄せる。

「ククルカンの深池だ。ずいぶんたくさんいるな…。水門を破壊されている…これがこの百年目のプレイヤーのエヌピーシー達か…。」

「………見て。エヌピーシー達が向かう先、いつの間にか罠が全滅。………出た。スルシャーナ、プレイヤー、もう一人…この人間はプレイヤー?それともエヌピーシー?」

 イツァムナーが訝しむようにモニターに視線を落とす。

「――とにかく、復活のプレイヤーを手に入れよう。」

 三人は頷き合った。

 

+

 

「やられた!クソが!!」

 アインズはキイチを蹴り上げた。

「ッグゥ…。」

 これ以上いたぶればこのNPCは死ぬ。

「あ、アインズ様…一体何が。フラミー様は不可知化されてるのでは…?」

 震えるアルベドの頭に手をポンと置くとアインズはこめかみに手を当てた。

 フラミーへの線を探すが――見つからない。アインズは激しく動揺する度に鎮静された。

「……落ち着け。落ち着くんだ。あれだけ言ったパンドラズ・アクターが側を離れるはずがない…。」

 パンドラズ・アクターへの線を探す。

「頼む。頼む。出てくれ…出てくれパンドラズ・アクター…。」

 守護者達は何が起きたのか察したのか顔を青くしていた。

「頼む……お前は私の最高傑作なんだ………。」

 すると線が確かに繋がった感覚にアインズは叫んだ。

「パンドラズ・アクター!!フラミーさんといるな!?」

『父上!ご安心下さい!フラミー様とおりますし、当然ご無事です。ただ、フラミー様は装備を奪われ、今は<睡眠(スリープ)>に抵抗できず眠らされております。私は今は相手を刺激しないよう不可知化状態でお側におります!』

「そ、装備で済んだか…。良くやった。すぐに行く!そこはどこだ!」

 安堵に腰が抜け掛け、よろけるように壁に背をついた。

『分かりません。ただ――清――な――部屋――――。』

「パンドラ!?おい!パンドラズ・アクター!!」

 ザラザラと音声が乱れると通信は切れた。

 アインズは激しい動悸の中、鎮静されると震える手をこめかみから離した。

 果たしてギルド武器をこのまま破壊せずにいることが正解なのかわからなくなっていた。

 

「我々のせいだ…!我々の……!」

 自分を責めるデミウルゴスの肩に手を置くとアインズは口を開いた。

「フラミーさんは大丈夫だ…。――お前達はここに来て二年が経ったが…私やフラミーさんをどう思う…。変わらず忠誠を誓ってくれるか…。」

 全員を代表するようにアルベドが一歩前に出た。

「当然でございます!こうして御身のご命令を無視して来てはしまいましたが、私達は御身に全てを捧げて居ります!!御身の大切な――」

 御身御身と言う姿にアインズは背筋が凍っていく。

「アルベド!!私だけでは無い!フラミーさんはどうなんだ!!」

 叫ぶように発せられた言葉に守護者達はビクリと怯えたように身動ぎした。

「失礼致しました!当然我らの命を賭してでもお守り致します!我々は、我々は最早創造主に向けるものと同じだけの物をフラミー様へ――そしてそれを超える物をアインズ様へ向けております!!」

  アインズは瞳を揺らし、全員の顔をゆっくり確認していく。

 全員がその通りだと頷く中、この二年子供達に捧げた愛情はひとつも間違っていなかったと確信する。

 アインズは手を握り締めた。

「私は…お前達守護者を心から信頼するぞ…。どうかそれにお前達も応えてくれ…。」

 足元でキイチは涙を流していた。

「っますたぁ…ますたぁ……会いたい……会いたいよぉ……。」

「――…貴様は哀れに思うが、私は他所のNPCを命ある存在だと思うほど甘くは無い。」

 

 アインズは目を閉じ大きく息を吸い、長く吐き出した。

 握り締められた手には血が滲み、ポタリポタリと床に垂れていく。

「コキュートス。新たな敵影がないかあたりを警戒しろ。」

「ハ。」

「シャルティア。キイチを完全に捕縛しろ。伝言(メッセージ)ひとつ送らせるな。」

「畏まりんした。」

「デミウルゴス。今から私はこれの記憶を開き城内のマップを説明する。お前はそれを書き起こせ。」

「は。お任せください。」

「マーレ。私がこれの記憶を開いている間、死なぬよう注意しておけ。必要時は回復と攻撃を許す。」

「は、はい!が、頑張ります!」

「アウラ。地図が出来次第お前はそれを確認し、罠の解除に当たるんだ。」

「わかりました!」

「セバス。全てが済んだキイチを氷結牢獄に連れ帰り、今度こそ絶対に死なせず、逃さず、閉じ込めろ。」

「承知いたしました。」

「アルベド。お前はセバスと共にナザリックへ戻り我々の家を守れ。これは最も大切な命令だ。」

「…承りました。」

 アルベドは僅かに躊躇ったが頭を下げた。

「行動を開始する前に――これより重要事項を伝達する。」

 全員がアインズに真剣な眼差しを向けると、アインズはフラミーが今パンドラズ・アクターと共にいる事、記憶操作(コントロールアムネジア)によって守護者は消去できる事、ナザリックの重要性を語った。

 

「以上を踏まえて、私は今敢えてギルド武器は破壊しない。パンドラズ・アクターを信じてフラミーさんを…任せようと思う…。NPCを着実に減らし、最後は数人を連れ帰りお前達を守る糧とする。」

 フラミーとの間に繋がる絆をアインズは心の中で握りしめ、信頼する息子にその命を託す。

「アインズ様…我々が不甲斐ないばかりに…いつも…。」

 アルベドの嘆きに皆が肩を落とした。

「そうじゃ無い。お前達は私達に居るだけでいいと言うが、私も――いや、私達もお前達を、ただ側で共に暮らしてくれれば良いと思うほどに愛しているんだ。だから…守りたいんだよ。」

 全員の目が驚きと喜びに震えるとアインズは宣誓するように軽く手を挙げた。

「今後、お前達を信じないという理由で置いていくことは無い。代わりに、絶対に消されるな。そして今度こそ勝利条件を満たす。行動を開始するぞ。鏖殺だ。」

 守護者の瞳には狂信的な色が灯った。

 

+

 

 フラミーは目を覚ますとキョロキョロと辺りの様子を伺った。

 誰もいない部屋の中、清潔なベッドの上から起き上がると自分が下着を残して他に何も着ていないと言うことに気が付く。

 自分の身に何が起きたのかと想像すると背を震わせ、癖のように首に触れた。

「…ない…思い出(・・・)も…光輪の善神(アフラマズダー)も…。」

 世界級(ワールド)アイテムを持たずに敵のギルド拠点に――フラミーは途端に自分が無力な存在に思えた。

 慌てて無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を入れ、紺色のローブを着こむと伝言(メッセージ)を送ろうとこめかみに触れた。

「アインズさん…アインズさん……。」

 フラミーは震える手で繋がりを探すが先は見つからず、喉がカラカラに乾いていく。

 するとノックが響き、フラミーは急ぎ何でもいいからと杖を引き抜くと、無意味だとわかってはいるがベッドの影に潜んだ。

 

 扉はすぐに許可なく開かれ、自分を引きずり落とした本を抱える少女、黒髪黒目のスーツの男、こちらを睨みつける美しい天使、二足歩行の猫が二匹、無遠慮に部屋に入って来た。

 五人の百レベルNPCから逃れる術を必死に考えていると、本を抱える少女が口を開いた。

「………プレイヤー、目覚めはどう。」

 ベッドの陰から様子を見ていると、スーツが続けた。

「もう一人プレイヤーがいたとキイチから連絡があった。君が復活のプレイヤーか?それともあっちが復活のプレイヤーか?」

 フラミーは攻撃してくる様子が無いため、おずおずとベッドの陰から立ち上がると頷いた。

「あの…。私が一応復活の神と呼ばれているフラミーです…。」

 五人は顔を見合わせ頷くと、猫達はいそいそとフラミーの杖を取り出した。

「フラミー様!」「僕たちのマスターを」

「「生き返らせて下さい!」」

 二匹は声を揃えながらベッドの前までトタトタ走ってくると、膝をついて杖を差し出した。

「あの、生き返らせたら他の装備も返してくれます?」

「はい!お返しします!」「もちろんお返しします!」

 フラミーはほっと息をついて猫達に手を伸ばすと、猫達は目にも留まらぬ速さでピッと杖に触れられないように持ち上げた。

「確実にお約束下さい!」「お誓い下さい!」

「良いですよ。誓います。それで、マスターさんはどこに?」

 不法侵入者に対していると言うのに、想像より友好的な雰囲気だ。

 フラミーは安堵すると猫から視線をあげた。

「………フラミー様。マスターは固有名詞じゃない。私達のプレイヤー。」

「…は…八欲王…。」

「そんな名前で呼ばないで。私のマスターはそんな名前じゃないわ。」

 戦士職に見える天使にギロリと睨まれるとフラミーは少し背を震わせた。

「サナ、やめろ。復活が魔法ではなくスキルの場合無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)で使用はできないんだから友好的にしろ。」

「解ってるわよ。でも…不敬だわ…。」

 

「………大丈夫。断るなら魅了を使う。」

 

 フラミーは抵抗するアイテムがないかと無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)の中身を思い浮かべた。




次回 #13 天空城霊廟

(∵)…まだ大丈夫ですね。

にゃんちゃんかわいいね♡


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#12 天空城霊廟

 城の外の庭に出ると、荘厳な石造りの建物があった。

 それは扉を持たずに壁と柱が屋根を支えるギリシア建築の神殿のようで、ナザリック地表部入り口に酷似している。

 建物は池で囲まれ、飛び石のような足場が点々と入り口に向かって続いていた。

 やはり池は恐ろしい透明度で、水面に浮かぶ花はまるで空中にあるようにすら見える。

 水中にはアインズが一番に消去していた蛇に羽の生えた者の色違いが優雅に泳いでいた。

 

「………ここが霊廟。」

 建物の中では人間、亜人、異形が八人横たわっていた。

 損傷のない身は薄い布に包まれ、今にも動き出すのではないかとすら思わされる。

 サナは一人の男の下へすぐさま寄っていくと愛おしそうにその頭を撫でた。

 その顔にはどこか懺悔の色があった。

「あなた…。」

 

+

 

 プレイヤー達と共に転移して数日が経ったある日――。

「沙奈。沙奈!」

 焦り嘆くような声に呼ばれ、サナは夢から覚めた。

「ん…マスター!失礼いたしました。如何なさいましたか。」

 最も忠誠を捧げるその人が自分を不安そうに覗き込む様子に慌てて起き上がり頭を下げる。

 魔法のない世界では空腹も睡眠も疲労も皆平等に訪れる。

「ッ…沙奈!!」

 すると横から腰を引き寄せられるように抱き締められ、何事かと混乱し、思わず声が上擦りかける。

 その男はサナを創造した、神そのものなのだから。

「ま、ますたー…?」

「沙奈ぁ…俺はお前が生きていてくれるだけで良いんだ…。またお前が二度と起きないんじゃないかと思うと…俺は…俺は…。」

 サナは言われている意味は分からなかったが、そっと創造主の背に手を添わせてトントンと叩いた。

「マスター。私は必ず目覚めます。」

「…沙奈!マスターなんて呼ばないでくれ。昔みたいに、あなたって呼んでくれよ…。」

「む、昔みたいに…?マスターそれは――」

「沙奈!!」

 ひび割れてしまいそうな、狂気にも似た叫びはサナの肩をわずかに跳ねさせた。

 しかし、すぐ己が創造主のために頭を下げ命令通りに呼んだ。

「はい。あなた。」

「沙奈ぁ!!」

 創造主はそのまましばらく泣き、サナの知らない沙奈との思い出をサナに聞かせた。

 あれも懐かしいよね、これも懐かしいよね、と壊れたラジオのように繰り返すそれを聞きながら、創造主の胸に顔を寄せその動悸を聞いた。

 

「…懐かしいですね。」

 

 サナは嘘をついた。いや、その日からサナは嘘を吐き続け、幾度となく愛でられた。

 優しい日々を送り、いつまでも世界がこのままで在り続ける事を心から望んだ。

「沙奈おはよう。」

「おはようございます。」

「今日は皆、五行相克を使うなんて言ってるよ。今までは街を作るとか言って周りの村の人と遊んでたのにね。本当、ゲームと現実を勘違いしてるよ。全く困った奴らだろ。」

 創造主は少し呆れたようにしていたが、サナの髪に指を通すと笑った。

「ふふ。でも、実は俺も五行を試しても良いんじゃないかなって思うよ。昔飛行機に一回だけ乗った時、沙奈は空が飛べるようになったらって言ってたよね。ああ、ゲームじゃこの城も、こんな風に地面に落ちてなかったっけ。一緒にゲームして…ゲーム…して…?沙奈と…?俺は…どうしてユグドラシルを…。」

「あなた!懐かしいじゃないですか!エリュエンティウは空に有りました。美しき天空城を、あなたも覚えてらっしゃるでしょう!」

 創造主はたまに発作のようになにかを思い出しかけては苦しんだ。

「あぁ…そうだよね。ははは。懐かしいなぁ。」

 久しぶりに共有できる思い出に背を震わせる。

 サナはいつもの儚い笑顔に、とびきりの笑顔を返した。

「はい!懐かしいです!」

 

 その日世界は魔法に満ちた。

 

 力を取り戻した城は再び空へと上がり、止まったまま濁り始めていた水は輝き満ち溢れ、地に流れ落ちた。

 すぐに八人のプレイヤーは世界の覇者へとなって行く。

 

 ある者は理念なき政治を行い、

 ある者は労働なき富を求め、

 ある者は良心なき快楽に溺れた事で邪王(・・)を生み、

 ある者は人格なき学識に寄って国を滅ぼし、

 ある者は道徳なき商業で人々の生活を狂わせ、

 ある者は人間性なき科学を広めようとし、

 ある者は信仰を集める為力を見せつけ、

 ――ある者は城を出ようとせず怠惰を極めた。

 

 そうして――偽りの日々は終わりを告げる。

 

「悪いけれど、君達はあまりにも世界に悪影響だ。」

「…ツアー。気を付けよう。この人達は――いや、このギルドは強いよ。」

「わかるよ、スルシャーナ。君に溢れるようになった力と同じものを感じる。ゆぐどらしるの力と言ったかな。」

 大量の竜王達と共に現れたのはプレイヤーだった。

 激戦を繰り返し、竜王達を何度も殺した。そして何度も殺された。

 何とか竜王達との戦争に押し勝ち、竜達の時代は終わりを迎えた。

 

 しかし城に平和は戻らなかった。

 一人の竜王に奪われたギルド武器を奪還する為、失ったレベルを取り戻そうと創造主達は自身が生み出せしNPC狩りを始める。

 どのNPCも嘆くどころか喜び首を差し出した。

 何度でも創造主達に首を捧げて見せると全ての者が役に立てるその瞬間に歓喜した。

 しかし、復活には大量の金貨を必要とする為、手始めに皆殺しが始まる。

 拠点管理に必要とされたテスカやイツァムナーを除く殆どの者が殺され――

 

「沙奈。沙奈は必ず俺が守るから!!」

 一人それに納得しない創造主は創造主達と戦っていた。

 自分ではない自分を守ると言って創造主達と終わらぬ戦いを続け、日々傷付いて行くその背中に、サナは叫んだ。

「マスター!!もうやめましょう!!私は沙奈じゃない!!だから、もう守らなくていいんです!!早く私を殺して下さい!!」

 叫んでしまった。

「沙………サナ…………。」

 

 そのまま戦いをやめなかったサナの創造主は、創造主達に殺され――二度と起きることはなかった。

 そして創造主達はプレイヤーの圧倒的な経験値量に気が付き、互いを手にかけ始め、最後は乱戦の中全員が命を落とした。

 

 処刑を免れたNPC達は自分達を殺してくれればよかったのにと、ギルド武器を取り戻せれば力など要らないのにと、横たわり復活を拒否し続ける創造主達の前で泣いた。

 全ては竜王と、それを連れて来たスルシャーナのせいだと激しい憎悪にまみれた日々を送り始めるのだった。

 創造主達が再び起きる日が来たら、きちんと首を差し出せるようNPCの復活を済ませ、いつか訪れるその日を待ちわびる――――。

 

+

 

「フラミー様!」「起こして起こして!」

 フラミーは相変わらず杖を持ったままの猫達の頭を撫で付けながら少し笑った。

 何故か猫達は撫でられる感触に驚愕したように目を剥いた。

「ケットシーとニッセは、マスター達が大好きなんだね。」

 フラミーは自分達の守護者を思い出し、少しだけ哀れに思う。

 しかし猫達は目を見合わせ首を傾げた。

「すき?僕達マスター達の為に――」「――死ぬ為に生きてるから、起こして欲しいの。」

「はは。どこの守護者も過激。でも好きじゃないの?」

「フラミー様はちょっと好き!」「優しい!」

 フラミーは愛らしいもふもふの塊を撫でながらどうするべきか悩む。

 レベルダウンしていると漏れ聞くこのプレイヤー達ならば復活させたとしてもナザリックの手に余ることはないかも知れない。

 しかし、もしアインズの持つモモンガ玉のような物を八欲王が持っているようなことがあれば危険だ。

 それに――そもそも、復活を拒否している様子のプレイヤーをフラミーに起こす事ができるのだろうか。

 フラミーは色々なことを悩んだが、兎に角アインズに聞かずに何かを試すことはできない。

 勝手なことをしアインズを傷付けた過去が、フラミーの脳裏には浮かんでいた。

「イツァムナーさん。私、何にしてもアインズさんに聞かないと…。連絡してもいいですか?」

「………アインズサン?私の周りには通信を遮断する魔法と、転移を阻害する魔法がかけられているから、できない。」

「うーん。困ったなぁ…。」

「………もしアインズサンが復活に必要なら考えてもいい。アインズサンはプレイヤー?」

「はい、うちのギルドマスターなんです。さっきも一緒にいた死の支配者(オーバーロード)の。復活させても良いって言われたら試して――」

 背後からはガシャンと何かが落ちる音がし、フラミーが振り返ると全員が口を開けていた。

 サナは剣を落としていた。

「あ、あの…なにか…?」

 すると猫達は翻るようにフラミーから離れ、流れる手つきでどこからともなく拳銃とスナイパーライフルを取り出した。

「スルシャーナじゃない?」「プレイヤーを復活させたことはない?」

「「撃ちたくないよ!!フラミー様!!」」

「なんて事だ…。あの見た目で…ツァインドルクス=ヴァイシオンの死を悼むような者がスルシャーナじゃないなんて…。」

 猫達は震え、テスカはドサリと地に膝をついた。

 

「じゃあ…復活は……ますたーは……。」

 

 サナは呆然とした後、ガタガタと震える手で隣にいるテスカが腰に佩いだ刀を引き抜いた。

「っあ!サナ!!」

 口は災いの元だと聖王国でよく学んだと言うのに、フラミーは自分の学習能力の低さを呪いながら弱い杖を構えた。

 相手が持つは刀、劔、魔銃、謎の魔道書。

 前衛と後衛がバランス良く組まれたパーティーだ。

 

 総勢五名の百レベルにフラミーは対処しきれるんだろうかと心の中で泣いた。

 未だ消費した魔力はほとんど回復していない。

 運良くここを出られたとして罠にハマらずに城を出られるのだろうか。

 ――いや、今はとにかく命を守る魔法を。

「<光輝赤の体(ボディ オブ イファルジェント ヘリオドール)>!!」

 第十位階のそれは時間内の斬撃ダメージを軽減させる効果と共に、能力発動で一度だけ斬撃属性のダメージを完全無効化することができる。

 回復しかけの魔力が再び減ると、フラミーは軽い貧血のような感覚を起こした。

 

「許さない!!!支援を!!!」

 サナが刀を振るうと、すぐ様斬撃を完全無効化する能力を発動させ、フラミーは猫達の射線を避けるように飛び上がった。

 震える銃口から発射された魔弾がチュンッと頬を傷付けるとフラミーの耳の端には虫食いのように半円の穴が空いた。

「っあぅ!!」

 

「サナ!!やめろ!!ケットシーとニッセも待て!!」

 テスカが発した絶叫にピタリとその場の全員(・・)が止まった。

 サナの瞳には荒れ狂うような怒りの色が宿り、切っ先はフラミーに向けられ続ける。

 イツァムナーはサナの手をゆっくり下ろさせた。

「………フラミー様は、自分のことを最初に復活の神だと言った。マスター達を復活させてくれるかも知れない事に違いはない!」

 激しい動悸と耳の痛みからフラミーは震えるように浅い呼吸を繰り返していた。

 

「………フラミー様。どうかマスター達を、起こして。」

「うんって言って。」「起こすって言って。」

 祈るように手を組むイツァムナーと震える手で銃を構え続ける猫達の前にそっと降りると、フラミーは涙をこらえて絞り出すように語り出した。

「…うぅ…アインズさんが良いって…言わないと…うちの子達の為にも…試せないですよぉ。私、もう勝手な事…できない…。私が皆を守ってあげないと…。」

「………フラミー様…。」

「あいんずさんに連絡する?」「いーちゃん、連絡してもらお?」

 イツァムナーが猫達の質問に応えようとすると、テスカは首を振った。

「ダメだ…ここにあの死の支配者(オーバーロード)やエヌピーシーを呼ばれて戦いになったら危険だ。」

「イツァムナー、魅了を使って!!…ううん、折角装備を奪ったのにまた勝手に抵抗するような装備を着込んでいるし――」

 サナはいい事を思い付いたと天使のその身で悪魔のように笑った。

「――記憶操作(コントロールアムネジア)よ。魔法に関わりを持たないところは全て消して!」

 テスカは悩むようにしてから頷いた。

「…それなら抵抗はできない…か…。」

 

 フラミーは絶望的な顔をするとイツァムナーに救いを求めるような視線を送った。

「………サナ、テスカ。記憶操作(コントロールアムネジア)は待ってほしい。フラミー様はエヌピーシーを大切に思ってる。この人のエヌピーシー達の事を思うと――」

「思わなくて良いのよ!マスター達の幸せを取り戻す為に何でもするって誓ってこの屈辱の日々を送って来たんじゃない!!」

 

「………わかってる。わかってる…。でも…。」

無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)を使えるのは貴女だけなのよ!?お願い!やって!!」

「イーちゃん…。」「サナちゃん…。」

 サナの瞳はキツく睨みつけるようだったが、そこには涙が光っていた。

 五百年の悲願を前に自分でも荒れ狂う思いを抑えきれない様子を見ると、イツァムナーは苦しげに目を閉じフラミーの方へ向いた。

「………わかった。」

「っそんな!?ッ<(リアリ)――」

 フラミーは耳を撃ち抜かれた痛みも忘れて杖を振るうと、即座に猫達によって杖は撃たれた。

「あぁっ!!」

 手から僅かに血が弾けると杖は転がっていき、二本目を取り出す。

「フラミー様やめて下さい!」「傷付けたくない!」

 ここのNPC達はほとんど皆カルマ値が高いようだった。猫達はもはや泣いていた。

 勝てなくてもフラミーはとにかく時間を稼ぐしかない。

 必ずアインズは迎えにくる。自分を探しているはずだ。

 もしかしたらもうそこ迄来ているかもしれない。

 いや、ギルド武器を叩いてくれている頃かも――。

 再び魔法を放とうとするとパンっと杖は弾かれ、また魔法は散った。

「………フラミー様…すぐに綺麗にするから…。」

「お願い、それだけは――記憶だけは失えないの!わかったから!生き返らせるからやめて!」

「嘘よ。イツァムナー、やって。」

 フラミーはサナを睨み付けると闇に手を入れた。

 テスカは地を蹴るようにフラミーに近付くと、再び杖を引き抜こうとした手を捻るように掴み上げる。

「ッンァ!!」

「フラミー様!これ以上傷付けさせないでください!!」

 組み伏せられ、地に顔をぶつけるように倒れると、知らない大きな手に強い恐怖を感じた。

「テスカさん!!離して下さい!離して!!」

「俺達にも…俺達のマスターがいるんです!!」

 イツァムナーが本を開くと、それは自動でバラバラとめくれて行く。

「………フラミー様…本当にごめん…。」

 目当てのページに辿り着くとイツァムナーは本にパンっと手を当てた。




次回 #13 天空城蓮池

ああああサナあああああフラミー様ああああ

(∵)早く!!!!


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#13 天空城蓮池

 フラミーは思い出を零さないように目を強く閉じた。

 流れ出す機械音に土を噛む。

 

 ――記憶操作(コントロールアムネジア)

 

 覗かれると思った瞬間、本が弾かれ、イツァムナーは痛みと驚きに声を上げた。

 そして滲み出た白磁の顔を持つ者を前に、フラミーは一瞬感情を爆発させかけたが、その存在が軍服を身に纏っている事にすぐ様気が付いた。

「なっ!?スルシャ――いや!死の支配者(オーバーロード)!!」

「流石にこれ以上は見過ごせません!父上は間に合わなかった…!」

「ズアちゃ――ッンゥ!」

 顔を上げたフラミーはすぐに顔を地に押し付けられた。

「イツァムナー!無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)を!!」

 

「フラミー様!申し訳ありませんでした!私一人でここから御身をお助けできるのか…――いえ、何が何でも、お助けしてみせます!!」

 パンドラズ・アクターは美しく舞うことも忘れ、すぐさまぶくぶく茶釜の姿になった。

死の支配者(オーバーロード)じゃない!?」

「<位置交換(トランスポジション)>!!」

 途端にフラミーはパンドラズ・アクターの立っていた霊廟入り口に移動し、パンドラズ・アクターはテスカの腕の中に移動した。

「ケットシー!!ニッセ!!足止めして!!」

「フラミー様!!走って下さい!!」

 パンドラズ・アクターはスライムの身でテスカの腕からすり抜けると、本来の百レベルの姿を取り戻し猫達の手の中にある銃器を蹴り飛ばした。

 猫達は何故か安堵したような顔をした。

 

「邪魔しないで!!」

 サナは渾身の力で創造主より与えられた剣を振るい、斬り付けられたパンドラズ・アクターは苦痛に声を上げた。

 何を再現するにしても八十レベル程度までしか力を持たないパンドラズ・アクターに、複数の百レベルを止める力はない。

 守り切れない中で下手に開戦すればフラミーが殺され兼ねないのだ。

 最初から分かりきっていたためにギリギリまでアインズの到着を待っていたのだろう。

 

 フラミーは躊躇いかけたが、フラミーがここを離れなければパンドラズ・アクターは死ぬまで戦い続ける。

 逃げに徹すれば何とかなる可能性もあるのだ。

 フラミーは急いで立ち上がると、すぐに背を向け走り出し――「キャッ!!」

 ドンっと何かにぶつかり大きな手に引き寄せられた。

「いや!離して!!」

「離すもんか!!<焼夷(ナパーム)>!!」

 背後で灼熱の柱が上がり、霊廟の中が赤く染め上げられると、フラミーはハッと視線を上げた。

「パンドラズ・アクター!すまん!遅くなった!!」

「父上!問題ありません!!」

 パンドラズ・アクターは放たれた魔法で全身を火傷し、足を引きずるその姿は片腕を失っていた。

「お前達、これで最後のNPCだ!!全員実験対象とする!!あの本の女には気を付けろ、行け!!」

 了解の意を示す揃った声が響き渡った。

「キイチの言っていた人間のプレイヤーか!!」

「あああ!!マスターの体が!燃える!!燃えちゃう!!」

「イーちゃん!通信妨害を切って!」「イーちゃん!残りの九人を呼んで!」

「………わ、わかった!」

 

 激しい戦闘音が鳴り響きだす最中、フラミーは呆然とその人を見上げ続けた。

「…統制が取れていないようだな。守護者だけで何とかなるか。」

 その人はフラミーを見下ろすと、数度撃たれたボロボロの手を取り、半円状に穴の空いた耳に優しく触れた。

 そこから流れた赤紫の血は首筋で固まっていた。

「っ……クソが…。痛かったですね。遅くなって…本当にすみませんでした――」

 傷を癒すのではないかとすら思えるほどに優しい声が響いていく。

 

「――フラミーさん。」

 

 フラミーは顔をくしゃくしゃに歪めると愛する半身の首にすがった。

 周りはまだ戦っていると言うのにボロボロと涙を流しながら背を震わせ、この人を忘れずに済んだ事をこの世のあらゆる物と、パンドラズ・アクターへ深く感謝した。

 

「っあいんずさぁん!!」

 

 アインズはフラミーを横抱きにして立ち上がると、震えるその手に力を込めて二度と離さないと誓った。少し手間取る守護者達のために数度<現断(リアリティスラッシュ)>を投げる。

 マーレの手により既に回復されたパンドラズ・アクターは生き生きと戦っていた。

 戦局が完全にこちらに有利になった事を確認すると、戦いに揺れる霊廟を後にし、池の前に座った。

「怖かったですね、でも…もう大丈夫…大丈夫だ…。」

 アインズのその言葉は自分に言い聞かせたようだった。

 そのままフラミーの存在を確かめるように顎や首、手に唇で触れていく。

 パンドラズ・アクターを疑ったわけではないが、それでも手の中に戻った事に安堵せずにはいられない。

 脆く美しい人を慈しむと、アインズは優しく顔を包み込んだ。

 フラミーはすぐに目を閉じると、震える唇同士は触れ合い――やがて震えは止まった。

 美しい池の前で、支配者達が半身を取り戻す儀式はしばらく続いた。

 

「アインズ様。片付きましてございます。」

 デミウルゴスの声にアインズは目を開けゆっくり繋がりを解こうとすると、フラミーが繋がりを追い――再びアインズは目を閉じた。

 

「…これは永久保存版でありんすねぇ…。」

 NPC達の捕縛を行ったシャルティアがシャッターを切る軽快な音を数度鳴らしたが、二人は離れなかった。

 

+

 

「ふざけやがって。」

 アインズは拘束される瀕死の五人のことを腕を組んで睥睨した。

 殺してやりたいが、もうキイチとこの五人しかないのだ。

 あとは抹消した為このNPC達は大切な実験体なのでイライラしながらも我慢する。

 回復させられたフラミーは猫達から装備を取り返し、アウラとマーレが引く幕の中着替えていた。

「………フラミー様、良かった…。」

 血まみれで縛り上げられるイツァムナーの呟きは霊廟の中を妙に大きく反響した。

 

「父上こちらを。」

 パンドラズ・アクターがイツァムナーから奪った本を丁寧に捧げる。

 その身は炎で焼けてしまった軍のジャケットを脱いでいて、赤いボタンダウンのシャツに黒いネクタイと、珍しくさっぱりした格好だ。

 アインズは本を受け取るとすぐ様鑑定した。本はぼんやり輝き、情報が頭に流れていく。

「……これだ。間違いない。キイチの記憶にあった世界級(ワールド)アイテムだ。」

 本を受け取り、開こうとしたが本は開かなかった。

「…イツァムナーと言ったな。めくれ。」

 縛られるイツァムナーが口でめくっていくと、ありとあらゆる位階魔法が綴られており、大体本の七割を超えると、そこからは――「始原の…魔法……。」

 血が落ちて行くが、紙は少しもそれを吸うことなく、つるりと流れ落ちた。

 アインズは食い入るようにそれを眺めてから顔を上げた。

「お前はこの本の力を使えるそうだが、始原の魔法も使えるのか。」

「………使えない。」

「では位階魔法ならどれでも使えるのか?」

「………自分の魔力が許す限り。」

「そうか、わかった。」

 アインズはパタリと本を閉じるとパンドラズ・アクターに放り投げて返した。

「それは私の玉と同じように正当な使用者を選ぶ。とすると――」

 

 アインズはイツァムナーに近付いていき、顔の前に杖を掲げた。

「…嫌がらないな。お前は他の奴らと違うようだ。」

「………フラミー様に記憶操作(コントロールアムネジア)を使った時、全てを覚悟した。」

「何!?お前!何かを書き換えたのか!!」

 アインズがフラミーのいる幕へ慌てて視線を移そうとすると、イツァムナーは首を振った。

 その姿はやはり安堵しているようだった。

「………ドッペルゲンガーが止めてくれた。ありがとう。」

 後ろで控えていたパンドラズ・アクターは帽子を脱ぐと頭を下げた。

「父上。ここの者達はフラミー様を傷付ける事に躊躇っていたようでした…。この者も最後までフラミー様を庇っておりました。」

「そう、だったか…。世話になったな。」

「………フラミー様のエヌピーシーへの愛が嬉しかっただけ。」

 幕をはるアウラとマーレは少し目を見合わせたようだった。

 

「…私は恩には恩を、仇には仇を返す。お前が今後ナザリックに恭順すると言うなら…お前は書き換えをせずに許しても良い。」

「………ありがとう。でも…マスター達のココを守れないなら…生きている意味はない…。」

「そうか。仕方がないな。」

 イツァムナーが頭を下げると、フラミーがいつもの身なりで双子の張る幕から姿を現した。

 それを見るや否やサナは叫び出した。

「お願い!!頼むからマスターを!!一人でいいから起こして!!」

 フラミーは一度杖を下ろしたアインズに視線を送った。

「フラミーさんには恐らく起こせん。奴らは位階魔法の復活を拒否して来たんだろう。」

「試して見なきゃわかんないじゃない!!私達じゃなくて…同じプレイヤーに呼ばれれば…また…また……うぅぅぅ…起きてくれるかもしれないじゃないのぉ……。」

 その涙は何故かフラミーの胸を締め付けた。

「サナさん…。アインズさん、私試すだけ試そうかな…?」

 サナは瞬時に瞳に喜びを写して顔をあげると、隣で猫の皮を剥ぎ散々拷問していたデミウルゴスはフラミーの手を引っ張り寄せた。

「フラミー様!!」

「っあ!」

 よろけるようにデミウルゴスの前に立つと、デミウルゴスは人差し指でクビをトントントントンと何度も叩きながら叱りつけた。

「いけません!!何でもお許しになる事と慈悲深さは違います!!」

「あ、あのデミウルゴスさん…。」

「"あの"も"その"もございません!本来であれば御身がこの者達に関わることすら我々は嫌なのです!それをプレイヤーを復活させるなど――!!」

「ははは、デミウルゴス。それくらいにしてやれ。」

「しかしアインズ様!どうかフラミー様にそんな事はやめろと仰い下さい!」

「解っているとも。フラミーさん。そんな事はやめなさい。」

 

 猫がギャウギャウと痛みに鳴き続ける中、テスカはゆっくりと口を開いた。

「はは…エヌピーシーがマスターに口答えしてる…。俺達もそうやって…マスター達を止めるべきだったのかな…。」

 シャルティアは汚らわしいとばかりにテスカを一瞬チラリと見た。

「…おんしらは命をかけて創造主をお止めする覚悟も持たないゴミでありんす。万一お選びになる道が危険な物や間違った物であるならば殺されてでもお止めするのが筋でありんしょう。」

 

 テスカの目から自嘲の涙が溢れると――「止めたわよ!それでもマスター達は戦ったのよ!!」

 サナは再び叫んだ。

「うっさいでありんすねぇ!!何度斬りつけ傷付けてでも!!どれだけ泣かれてもお止めする、そう言う覚悟がおんしらに本当にあったなら、どうして今創造主が一人も生きとりんせんのか説明してみなんし!」

「そ、それは…。」

 シャルティアの言葉には星に願いを届かせまいと経験した重みがあり、デミウルゴスも続けた。

「全くですね。ここで何が起きたかは知りませんが君達はとにかく覚悟が足りない。もし選ばれた道に納得していたならば全てを覚悟して送り出すことも必要でしょう…。しかし君達は見たところ納得もしていなければお止めもしていない。何も考えずに全てをお任せして、これはとんだ甘ったれですね。」

 静かに聞いていたイツァムナーは複雑な視線を送った。

「………確かにあなた達は成熟している。でも、支配者とフラミー様があなた達を置いて二度と目覚めない時…きっと同じことは言えない。」

 

 それは一度自分達の心を激しく揺さぶった言葉だ。

 しかし、今度は全員が目を見合わせ笑った。

「我々は、もう覚悟を知っていますから。」

「同じ事を言うに決まっておりんすよ。」

 

「それにお二人は必ず目覚めます。愛する全ての為に。」

 

 アインズは守護者達が妙に熟したような気がした。

 

 その後NPCの実験の為ギルド武器が破壊されることはなかった。

 城には今一度アルベドも呼び出されると、デミウルゴスと共にテスカを引っ張り回して拠点管理システムを開けさせ、なるべく金貨を使用しないように次々と拠点維持設定の変更をして行った。

 パンドラズ・アクターとアウラは全ての罠が確かに解除されているかの確認に奔走する。

 同時に宝物殿のような高度なトラップが仕込まれている場所はニグレドやシズが出動し、今後ナザリックに組み込めないかを話し合った。

 コキュートスは池を泳ぐ低レベルの自動ポップの魚達をザリュースら蜥蜴人(リザードマン)達、一郎二郎兄弟と共にせっせと釣り上げた。

 料理長と副料理長はメイド達と魚の様子を見定め、それがナザリックに相応しい食物であるかを真剣に話しあった。

 シャルティアは地上に転移門(ゲート)を開くと、紫黒聖典を天空城に呼び出しマーレに回復させた。

 紫黒聖典はその場所の美しさに息を飲み佇んだ。

 どれ程そうしたかは分からないが、シャルティアが番外席次の尻を撫でると途端に神聖な雰囲気は台無しになり、聖典はコキュートスの魚釣りを手伝ったらしい。




はぁ間に合ってよかったぁ!
さりげなくにゃんちゃん達拷問されてるんですけど(真顔

じゃあNPCの実験のですな!!
次回 #14 天空城家々


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#14 天空城家々

「やっぱり仕事っていうのは信頼されて任せられると違うもんなんですねぇ。」

 アインズはフラミーを連れて、空中都市の小さな家々を楽しく漁っていた。

「ふふ。皆やる気いっぱいですもんね!」

 二人はRPGの主人公よろしく棚からツボまで覗いて行く。

 アインズがあれもこれも悪くないと装備を回収している横で、フラミーは引き出しを開けた。

「おりょ?ノートだ。」

 これまでプレイヤー達の痕跡は装備や調度品からしか得られず、アインズはフラミーの後ろからその手の中の物を覗き込んだ。

「手記ですか?」

「そうみたいです。」

 初めてのプレイヤーの生きた声だ。ユグドラシル内で日記を付ける者などいなかったし、アインズやフラミーもこちらに来たからと言って自分たちの存在を確かにするような物を特別進んでナザリックに残したりはしていない。建国はしたが、万一死すれば五百年後にはここと同じく、自分達の生きた証は中々見つからないだろう。

「――どりゃどりゃ…。」

 ノートを開き、立ったままページをめくって行くフラミーを抱えるとアインズは漁り終わった家を後にし、ククルカンの深池に出るとコキュートス達が釣りをする所から一番遠い場所に腰掛けた。

 ズボンとブーツを履いたまま水に足を浸して真剣な面持ちで手記を読むフラミーを眺める。

 天空城はかなりの高度にあるというのに、突風が吹いたりすることは無く、周りに咲く花々はさわさわと柔らかな風に揺らされていた。

 真夏の太陽はギラリと輝き、鏡のような水面に反射してアインズの人の目を焼こうとする。

 壊さなくて正解だったと満足し、しばらく静かに過ごした。

「それ、長そうですね。」

 フラミーは物言わず頷くと――その目からはポロポロと涙がこぼれて行った。

「え?フラミーさん…?」

 紫黒聖典が魚を釣り、キャイキャイと嬉しそうな声を上げる中、静かに涙をこぼすフラミーの手からゆっくり手記を回収する。

 フラミーは両手を顔に当て、アインズの膝の上で静かに泣いた。

 アインズはフラミーの頭に頬を乗せ、その身を腕で包むようにすると手記に目を通して行く。

 それは沙奈(・・)とプレイヤーの日記だった。

 幸せな日々が書き連ねられていくが、それは最後のページにはサナへの謝罪と、過ごした偽りの日々を悔い、ここを出て自由に生きて欲しいと言う願いで終わっていた。

 

 アインズはそれを静かに自分の空間にしまい込み、精神抑制を使った。

「私…この人を起こしてあげたい……。サナさんが必死になっても…しかたないよ…。」

 肩を震わせるフラミーをアインズはキツく抱きしめ、多くのことを考える。

 NPC達の記憶を一通り眺めたが、たしかに皆がフラミーを害する事に躊躇っていたのだ。

 ただ、サナだけは何をしても構わないと思っていた。

 それどころかスルシャーナのみならずプレイヤーそのものを恨むようだった。たった一人、創造主を除いて。

「アインズさん…お願い。あなたの始原の力なら…この人は復活できます…。」

 アインズはフラミーを膝から下ろすと、ふわりと浮かび上がり、水面に立つようにして城を見上げた。

 暫く城の様子を見ると、辛そうに目を閉じ、フラミーに告げる。

「……ダメです。このプレイヤーは今頃――ようやく沙奈と会えてるはずだから…。」

 フラミーも立ち上がると城へ視線を送った。

「沙奈さん…。」

 呟くとフラミーは胸の前で手を組んだ。この人は本当は死の神なんかじゃない。

 それでも――(どうかこの二人の死を祝福してあげて下さい…。)

 祈らずにはいられぬ程にアインズが神々しい存在に見えた。

 水面に映るその姿も、遥かに広がる空を背負うような姿も、風に揺らされるローブも、まるで全てを統べる者のようで――いや、もはやこの人はすでに――。

 アインズはポンとフラミーの頭に手を乗せ、神とでも呼ばれるような存在へ祈りを捧げているようなフラミーを慰めた。

 

 チャカっじー……――。

 

 二人は空気を読まない場違いな音に視線を上げると、周りの守護者や副料理長、蜥蜴人(リザードマン)、聖典が膝をついてアインズに向かって手を組んでいた。

 写真を確認すると、シャルティアはそれを即座にしまい一歩遅れて胸の前に手を組み膝をついた。

 

「…うわー。行きましょう。何か祈られてる。」

 フラミーはそのセリフにふふと笑い声を漏らした。

「あなた、やっぱり神様じゃないですね?」

「……当然です。」

 

 支配者達は氷結牢獄へ向かった。

「これはアインズ様、フラミー様。お帰りなさいませ。」

 猫のニ"ャウニ"ャウと鳴く声が響く中、NPC達を監督していたセバスはルプスレギナ、ナーベラルと丁寧に頭を下げた。

「帰った。セバス、早速書き換えをするぞ。」

 NPC達は皆肌着になっていて、装備は全て回収されている。

 アインズはフラミーを連れてまっすぐサナの下へ向かうと、サナは床で膝を抱き蹲っていた。

「………アインズ様。フラミー様。サナからやるの。」

 後ろからかかるイツァムナーの声に二人は振り返りもせずに、サナの牢獄に入った。

「<記憶操作(コントロールアムネジア)>。」

 アインズの声はセバスとNPC達の顔を苦しみに満ちたものにさせた。

 サナは全てを受けれたように目を閉じた。

 

+

 

「沙奈。沙奈は必ず俺が守るから!!」

 一人それに納得しない創造主は創造主達と戦っていた。

 自分ではない自分を守ると言って創造主達と終わらぬ戦いを続け、日々傷付いて行くその背中に、サナは叫んだ。

「マスター!!もうやめましょう!!私は沙奈じゃない!!だから、もう守らなくていいんです!!早く私を殺して下さい!!」

 叫んでしまった。

「沙………サナ――――、ずっと我儘に付き合わせて悪かったね。本当は解っていたんだよ。だけど、解らないふりを続けていたんだ。俺はもう沙奈の所に行くけれど、これからサナはサナとしての人生を歩んでくれ。俺はサナの未来を守るために、もう行くから。ここを出て幸せになるんだよ。」

 

 そのまま戦いをやめなかったサナの創造主は、創造主達に殺され――二度と起きることはなかった。

 

+

 

 サナはハッと目を開けると、その目からは大粒の涙がボロボロと零れ落ちた。

「あ……あなた……あなた……。」

 愛しい者を求める声はいつしか慟哭へと変わって行った。

「っあぁ……うっうわぁあああああ!!!」

 サナの涙の意味を理解した周りのNPC達はアインズに深く感謝した。

 その別れの記憶は手記の創造主からの謝罪に書き換えられた。

「…さぁ、サナ。お前の創造主に正しく別れを告げろ。これはプレイヤー同士としての――いや、愛する者と共に生きたいと願う者としての最初で最後の慈悲だ。」

「うっうぅ……あなたぁ……ごめんなさい…。私の未来なんて…いらなかった…。あなたの糧になれるなら…私はそれで良かったのに…!!ごめんなさい…あなた、本当にごめんなさい…!愛してる…愛していますっ……!」

 泣きながら紡がれる言葉達はサナ自身の心を癒すようだった。

 

 そして再び記憶は開かれる。

 アインズはレベルの書き換えが可能なのか、サナの根元に触れていく。

 しかしサナの製作者とその愛の記憶には決して触れなかった。

 が、レベルの書き換えを行う前に、アインズは戦闘技術に関する物を容赦なく消していった。

 どんどん滅茶苦茶になる記憶の中、いつの間にか前後の整合性を失った愛の記憶は――

「あなた。私、今日あなたが死んで…目を覚まさない夢を見たの…。ううん。眠る前にも何度も同じ夢を見たわ。」

 不安そうにするサナにアインズはため息混じりに答えた。

「…私は死なないさ…。」

 するとサナは嬉しそうに笑いアインズの胸にすがった。

 アインズは無視してその百のレベルに――

「あなた、本当にありがとう。愛しています。」

 一つだけレベルを付け足すと、サナはアインズに口付けを送って光の中に消えて行った。

 どんなに拠点レベルが余っていても百レベルを超えさせることは出来なかった。

 

「アインズ様、ありがとうございます。」

 正面の牢獄で様子を見ていた襦袢姿のキイチは正座し、アインズに深く頭を下げた。

「…感謝される筋合いはない…。」

 アインズはキイチに背を向けたまま、フラミーを抱くとそのまましばらく動かなかった。

 何の感慨もない筈だと言うのに、サナとプレイヤーの記憶を見過ぎたのかも知れない。

「アインズさん…。」

 大きな背を何度もさする。

「フラミーさん、消毒。」

 フラミーはアインズの顔を丁寧に包むと触れるだけのキスを優しく送った。

「…ありがとう。少しこたえたな。今日はここまでにしましょう。…イツァムナー、次はお前だからな。」

「………わかった。私もマスター達に別れを告げる。」

「イーちゃん、サナちゃんは?」「どうなったの?」

 猫達は自分の隣の牢獄にいたサナが見えず、怯えたように二匹で抱き合っていた。

 サナの斜め向かい、猫達の正面にいたイツァムナーは笑った。

 

「………神様がマスターの所へ送ってくれた。」

 

+

 

 鈴木悟の残滓は自室でフラミーに慰められていた。

「…あいんずさん…辛いなら、もう、もうやめても良いんですよ…。」

「俺は…俺は他所のNPCなんか…生き物だなんて思ってないはずなんだ…。」

 骨の身で見れば良かった。いや、せめて精神抑制を付けていれば良かった。

「鈴木さん…。」

 フラミーは本当のアインズに触れようと優しく顔を包んだ。

「…村瀬さん…。…はは、俺本当困ったやつですね。」

「ううん。記憶操作(コントロールアムネジア)、ズアちゃんにお願いしますか…?」

「八十レベルじゃ使えないさ…。使えても…使わせないですけどね…。」

 アインズは暫くフラミーを眺めると、小さな体に縋るように抱きしめた。

温かい。

 幸せにしなければ――幸せにならなければ――。

「…村瀬さん。冬が来たら、あなたも鈴木さんになるんですね。」

「ほんと…ですね。」

「だから、鈴木さんはもうやめよっか。」

「……はひ。」

 照れたような切ないような顔をするフラミーを見るとアインズは胸を押さえた。

 

「…文香さん…愛してる。」

 

 二人は暫く部屋を出てこなかった。




サナ…お前はフラミーさんにあまりに不敬だったからな…。
でもちょっと辛い。
次回 #15 天空城NPC
他の子達どうなってまうん…。


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#15 天空城NPC

 部屋から出てきたアインズが「天空城のギルド武器を持っている」とNPC達へ脅すように通達すると、全員がしんと静まり返った。

 

「…これでいい。」

 アインズはイツァムナーの記憶を閉じた。

 イツァムナーは目をゆっくり開くと、美しい瞳はこれまでと何も変わらぬ雰囲気でアインズを写した。

「どうだ?」

「………何も変わった気がしない。」

「ダメか…。キイチではうまく行ったんだが…。」

 無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)を使えるイツァムナーには忠誠の書き換えを進めていた。

 しかしどうもこのNPCにはうまく行かない。

「………実は前からアインズ様もフラミー様も好きかもしれない。そのせいかも。」

「ん?何だ。効果は出ていそうだな。しかし"好きかも"くらいでは困る。とは言ってもあまりお前の記憶を滅茶苦茶にしては無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)の使用に支障も出そうだし困ったな。」

 イツァムナーは悩むように考えるアインズを暫し眺めた。

「………周りの守護者の記憶を開いて確認するべき。私と大して変わらないはず。」

 アインズは突然の発言にイツァムナーを睨みつけた。

「何だと?守護者達の忠誠を疑うのか。」

 

 様子を見ていたセバスとナーベラルからも忌々しげな雰囲気が流れ、チリリと空気は震える。

 イツァムナーはその様子を見ると呟いた。

「………なんでもない。やっぱり私より忠誠心に溢れてる。」

「…慣れ親しむのは良いが滅多な事を言うな。本当に滅茶苦茶にするぞ。」

 その後しばらくイツァムナーへの慎重な書き換えは続き――イツァムナーは牢を出た。

 

「………ナザリック、万歳。」

「本当に思っているのか?」

「………思ってます。エリュエンティウくらい、万歳です。」

「超える事は出来んか。根幹には触れられんし…暫くキイチでまた実験して見るか…。」

 アインズはイツァムナーを連れて氷結牢獄を後にし、最古図書館(アッシュールバニパル)に到着した。

 そこではフラミーとティトゥス、更には図書館に勤める死の支配者(オーバーロード)のコッケイウス、ウルピウス、アエリウス、フルウィウス、アウレリウスらが集まっていた。

 

「あ、来ましたね!」

 フラミーはティトゥスの着ている物と揃いの緋色のヒマティオンと、それの下に着るキトンと呼ばれるオフホワイトのワンピースを手にしていた。

「………フラミー様。お待たせしました。」

「いいえ。囚人服からこれに着替えて下さいね。」

 イツァムナーは深く頭を下げ恭しげにそれを受け取った。

「………かしこまりました。」

 フラミーは何となくこれまでと違うイツァムナーの喋り方に違和感を感じアインズを見上げた。

「イツァムナーさん、どう書き換えたんですか?」

「これの創造主と並ぶ程度に俺たちへの忠誠を書き込みました。一応魅了を使って尋問もしましたけど、やっぱり超える事は出来てないみたいです。」

 フラミーがふんふん話を聞いていると、イツァムナーはアインズの後ろで囚人服を脱ぎ出していた。

「あ!ちょ、イツァムナーさん!!」

 アインズも何事かと振り返ると、まだ胸の膨らみもほとんどないような少女がカボチャパンツ一丁になったところだった。

「うわ!!なんでこの世界の奴らは皆こうなんだ!!」

 アインズはキトンとヒマティオンを引っ掴むとイツァムナーを抱き上げ、慌てて本棚の影へ走っていった。

 

「お前達は何でそうやって突然恥じらいを忘れるんだ!!」

 本棚の影で世話の焼ける他所の子供にキトンをズボッと被せた。

「良いか、フラミーさんの前でああいう真似は厳禁だ!男女関わらずに!!私が差し向けたと思われる!!」

 イツァムナーはぽかんとアインズを見ていた。

「………アインズ様…すごく優しい…。」

「優しくない!訳解らんことを言ってないで早く着ろ!第一貴様はもう五百年生きているはずだろうが――」

 その目からは涙が溢れていた。

「――おい、やっぱり記憶をいじり過ぎておかしくなったか?」

 しゃがんで暫く様子を見ていると、イツァムナーはポツリポツリとこぼした。

「………サナのマスター以外は…誰も私達をこんな風に触れたことはない…。………ううん。サナのマスターもサナにしか…優しく触れたりはしなかった…。」

 アインズはイツァムナーの記憶の、次々とNPCが殺されて行くシーンを思い出して頭をワシワシと掻いた。

 この世界の弱いモンスター達を狩るより余程いい経験値だっただろう。

 ユグドラシル時代にはフレンドリィファイアが解禁されていなかった為、他所のギルド拠点でしかそんな事はできなかったが、現実となると事情も変わる。

 アインズは別にどんな残虐な景色を見てもどうという事はなかったが、ナザリックの守護者をああしようとは思わないし、程々に気分の悪い記憶だった。

「…私達は自ら生み出した命に責任を持っている。お前もナザリックに忠誠を誓え。エリュエンティウを超える物だ。」

「………そうしたい。そうしたいけれど…きっとできない…。」

「嘘でも『やってみる』と言えばもう少し可愛がってやると言うのにお前は毎度律儀だな。」

 イツァムナーは少し笑うとヒマティオンをせっせと体に巻きつけた。

 しかし着方をしらないようで、かなり不恰好だった。

「来なさい。ティトゥスに習うんだ。」

 アインズは立ち上がり皆の所へ向かうと、イツァムナーはアインズの手を取り嬉しそうに笑った。

 

「………お父さん。」

「違う。」

 アインズはぴしゃりと言い切り、可愛くもない他所の被造物の手を振り払った。

 するとイツァムナーはもっと笑った。

(………嘘でも「そうだ」と言えば簡単に更なる忠誠を得られるのに神は律儀。)

 

 イツァムナーはその後最古図書館(アッシュールバニパル)に勤めるようになる。

 最初からNPCに優しいアインズとフラミーの事を好いていた彼女は特別書き換えられなくてもナザリックで暮らすことに何の不快感も抱かなかった。

 いや、それどころか忌々しい竜王からギルド武器を回収し、エリュエンティウを壊さないで管理してくれると言うこのプレイヤー達にどうやって不快感を抱けと言うのだろう。

 仲間のNPCは殺されたが、最初から創造主達に殺させる為に生き返らせた者達だ。

 いつか気が向いたら創造主を復活させてくれるかもしれないし、最初から何ひとつ文句はなかった。

 

 イツァムナーの持っていた無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)は普段は宝物殿に管理されているが、アインズが必要とする始原の魔法の調合を知らせる時のみ、パンドラズ・アクターの手によって持ち出され、その手に一時的に渡った。

 文字通り生き字引として働く中で、ツアーが力の感覚を教えるためと言ってナザリックに姿を現わすと露骨に嫌な顔をしたらしい。

 二人はすぐに喧嘩をする為アインズは毎度頭を抱えた。

 とは言え、何だかんだとナザリックの生活に満足し、幸せな人生を送り続けた。

 

 一方テスカにはレベルダウンの実験が行われ、無事に八十レベルまで奪う事に成功する。

 これならば番外席次もまともになれるのでは、と早速試してみたが、設定として付けられているわけではないレベルを下げる事は出来なかった。

 NPC達は死んでもレベルダウンを起こさないし、根本的に存在が違うのだろう。

 テスカは空中都市の管理権限を持つ為、――イツァムナー程重要な存在ではないが――イツァムナーと同程度の記憶の改竄で済まされた。

 エリュエンティウへ捧げるのと同じ程度の忠誠をナザリックに持つようになったテスカはBARナザリックに送り込まれた。

 理由は黒いスーツがボーイっぽい。それだけだ。

 たまにティトゥスがイツァムナーを連れて遊びに来ると妹のような存在の元気な姿に毎度大層喜んだらしい。

 その後彼は魔法の効果を持たない料理をせっせと学び、副料理長とBARで仲良くやっているとか。

 ちなみに副料理長は夜しか出勤しないがテスカは日中もいる為、ランチ営業も始まった。

 ランチ時にはナザリック生まれの者がいないのを良い事に休憩のメイド達が日々何やら怪しい会を開きながら食事をとっているらしい。

 

 テスカに同じく双子の猫達、ケットシーとニッセもレベルを八十まで下げられた。

 フラミーからの助命願いによって生き残った二匹も当然忠誠を書き込まれ、執事助手のエクレア・エクレール・エイクレアーの下で日々掃除をしている。

 たまに廊下でデミウルゴスとすれ違うとスキルを使用して身を隠すほどに自分達の皮を剥ぎ、拷問したその存在を恐れているようだ。

 しかし――この猫達はフラミーを撃ったというのにおそらく一番幸せなNPCだろう。

 アインズやフラミーのお膝が寂しい時に呼び出されるとその膝に乗り頭や体をモフモフと優しく撫でられるのだ。

 猫達がナザリックを心から気にいるまでそう時間はかからなかった。

 アインズ達と同じだけの忠誠を捧げる創造主は起きてくれないし、こんな風に可愛がられる事もなかった。

 生きる為に生きる日々は輝いていた。便器も舐められるほどに輝いていた。

 二匹は素晴らしい毎日を提供してくれる支配者を愛し――不遜なことを言う上司のペンギンをよく小突いたとか。

 その後お膝抱っこが守護者達にバレると、誰とは言わないがとあるカルマ値の低い三名にいたぶられ、猫達が姿を隠さなければならない対象は増える。

 ちなみにシズから二匹へ不思議なシールを与えられたのは言うまでもない。

 九階層のメイド達に与えられている大部屋で一人と二匹が銃の手入れをしている様子は日常だ。

 

 そんな中可哀想なキイチはイツァムナーとテスカという重要人物達の踏み台となり殆ど廃人状態になった為一度全ての記憶を真っさらに戻された。

 普通の人間ならば空っぽにすると言葉すら話せなくなるが、設定を持つキイチは目を覚ますと「ここはどこですか?あなたは私を創った方ではないですよね…?」と不安そうに聞いたらしい。

 アインズはまたひとつNPCの事を知れたと実験の重要性を再認識する。

 すぐ様キイチにも忠誠が書き込まれると彼は一人エリュエンティウへ帰された。

 ゴーレム達が管理を続けているが、念のために常駐警備員を置く事にしたのだ。

 キイチは変わらず着流しに警棒、小さな刀を持った小姓姿で竹箒を持ってあちこちを掃いて日々を送っているようだ。

 暮らすは自分を生み出した創造主の家。

 日没に眠り、日の出とともに起き出し、城の脇で自分が食べる分だけの稲を育て、草花を摘んでお浸しにし、季節毎になる果物をもぎ、日々刺身や焼き魚と白飯をかっ食らう。

 焼け焦げたプレイヤー達の死体は何かに使えるかも知れないとコキュートスの下で凍結保存されているので、天空城には本当に何もない。

 しかし、彼が孤独だったかと言うと意外とそうでもないようだ。

 週に一度パンドラズ・アクターが宝物殿の確認に来ては二人は割と仲良く過ごしたし、ククルカンの深池には週に二度は副料理長に伴われたテスカが訪れた。

 仲間のオーラを放つテスカの来訪はいつもキイチを喜ばせる。

 そしてコキュートスとデミウルゴス、シャースーリュー兄弟もよく訪れた。

 下界の魚やナザリックの魚、エリュエンティウの魚の交配実験とそれを外へ持ち出した時の生態系の変化実験がこの地で行われた為だ。

 妙に可愛がられる猫達も週に一度一日与えられる休みにはここでキイチとしょっちゅう鬼ごっこをした。

 キイチはこの祝福された地で何が起きたのかは何も知らないが、幸せだった。

 毎日毎日、誰かしらがここを訪れる。

 自分のもう一人の支配者と主人は、訪れると楽しげに散歩し、キイチの管理をよく褒めた。

 大量の護衛を付けずに――八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を連れるだけで出掛ける事を許される美しいこの場所を二人は大層気に入っているのだ。

 キイチは、本来の支配者達は二度と帰ってこないとイツァムナーに言われたが、まぁそれはそれで良いんじゃないかと、何の思い出もなく、新たな忠誠を捧げる存在を持つキイチは思ったらしい。

 

 全NPC達はそれぞれ違う場所に配属されたが、月に一度はナザリック第三階層に呼び出された。

 シャルティアの魔眼で忠誠の確認を行う為だ。

 月日を重ねる毎にNPC達の忠誠は上がり、幸福だと思う事も増えて行った。

 ちなみにシャルティアはイツァムナーにイタズラするたびにアインズに叱られた。

 

 そんな事も含め、NPC達は幸せだった。

 

 立ち去らずに可愛がってくれる慈悲深き神がいると言うことはこんなに良いものなのかと、偽りの主人達を心から愛した。

 

 当のアインズとフラミーは、やはり一郎二郎へ向ける程度の愛情しかNPC達には向けなかったのだが。




もう…ほんと何だかんだ言って慈悲深いんだから…。
サナは残念だったけど…皆よかったね…。
テスカのランチタイム…………。

次回 #16 閑話 天空城宝物殿


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#16 閑話 天空城宝物殿

 NPC達の処理を終えたアインズは何日もかけてパンドラズ・アクターと共に宝物殿を漁った。

 流石に百人規模のギルドだっただけはあり大量の金貨が無造作に積まれ、それは五百年の時を過ごしてきたと言うのに、ナザリックの宝物殿に積まれる物と同じか――いや、それよりも多くありそうだ。

 エリュエンティウには一年の維持金貨を残して、一度ナザリックへ全ての回収を予定している。

 スケルトン達が枚数を数えながらナザリックへ持ち帰る様があちらこちらで見られる。巨大な金貨の山脈は少しづつ数を減らしていった。

 と言うのも、ここいらでナザリックの防衛機能を全てフル活用した場合の点検活動を行いたい為だ。

 確かに存在するプレイヤー達――の遺体を目の当たりにしたアインズが訓練をしないで居られるはずもなかった。

 ちなみにここの拠点はNPC達の記憶通り世界級(ワールド)アイテムは無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)しかなかった。

 しかし溢れる装備に素材にその場所は盛りだくさんだ。

 漁っても漁っても漁り切れない。

 フラミーはアイテムの海で興奮する無邪気な恋人を眺めると、同じく興奮しているパンドラズ・アクターを手招いた。

 

 ぴょこりと宝の山からどう見ても黄色のピンク色の卵が顔を上げる。

「如何なさいましたか?」

 パンドラズ・アクターはすぐに駆け寄ってくると跪き、フラミーも視線を合わせるようにしゃがんだ。

「ズアちゃん。本当にあの時はありがとうございました。」

「とんでもございません。御身が傷付けられるのを見過ごす結果になってしまい、誠に申し訳ございませんでした…。」

 フラミーはアインズの息子の一度は捥がれた四本指のつく手を取ると、なるべく優しく撫でた。

 パンドラズ・アクターは暫くその手を見つめた後、父へ視線を送る。

 アインズは何かを探すように一生懸命金貨の山を崩していた。

「ねぇズアちゃん。ご褒美になんでもあげますよ!私があげられるものなら、なーんでも!」

「んな!宜しいのですか!!」

 フラミーが満面の笑みでそう言うと、途端にパンドラズ・アクターの背には大量の花が咲き乱れた。

「ンンンンそれではっ――。あっ!」

 パンドラズ・アクターは帽子が取られる感覚に慌てて視線を上げると、今の今まで宝探しに勤しんでいたアインズが覗き込んでいた。

「ちっちうえ!!今はおやめください!フラミー様にご褒美を頂戴するところなのです!!」

「お前変なもの強請ったらどうなるか分かってるだろうな。」

 アインズの視線は妙に冷たかった。

「父上!私はデミウルゴス様ではありません!!」

「そうじゃない。私はお前をそんな風には思っていない。」

 パンドラズ・アクターとフラミーは首を傾げた。

「デミウルゴスさんだって変なもの強請ったりしませんよ?」

「「それはないです。」」

 フラミーは何故か親子に警戒されているデミウルゴスという存在に思いを馳せる。

(…アインズさんとチューしたいとか言い出したら困っちゃうか。)

 うんうんと納得すると、アインズはやはり何か間違ったことを想像されているような気がしてジトっとフラミーを見た。

 もはやデミウルゴスは一度フラミーにきちんと想いを伝えた方が良いのではないかとすら思えてきた。

 安全圏にいる男は気楽なものだ。

 

「それで、ズアちゃん何が欲しいんですか?」

 アインズはパンドラズ・アクターから奪った帽子を被ると腕を組んで様子をみた。

「っはい!!私はやはり!弟が宜しゅうございまっす!!」

 パパーンと何処からともなく効果音が流れ、パンドラズ・アクターの後ろには集中線の書かれた黄色い板が現れていた。

 

【挿絵表示】

 

「…やっぱり…。」

 アインズは想像通りの答えを告げる息子の頭へ、かぶったばかりの帽子をボスっと後ろ向きにかぶせた。

 パンドラズ・アクターは顔を赤くするフラミーをワクワクと眺めた。

「わ、わかりました。」

「わかったの!?」

「おぉ!!それでは私は楽しみにお待ちしております!!」

 背負っていた謎の板はいつの間にか消え、パンドラズ・アクターは帽子の向きをキュキュッと直した。

「アインズさん!私、頑張ります!!」

「は、はい!!」

 アインズは少しドギマギした。

 そして産み分けなんか出来るんだろうかと生命の神秘と染色体のXとYについて考える。

 一度身籠っているため当然子供を産むことはできるだろうが、娘ができてもおかしくないし――正直両性もありえる。

「パンドラズ・アクター、弟じゃなくても文句言うなよ…?」

「フラミー様が弟をくださると仰ったのですから…弟が生まれるのでは…?」

 守護者達の熱い勘違いをいつかは正さなければいけないとアインズは顔を片手で覆い、あちゃーと漏らした。

 しかしこれで男児以外ができれば自分たちの神様レベルは下がるかと考え直すと少し気楽になる。

「大丈夫です。弟、産みます。」

 フラミーはこれで何人も娘が産まれたらどうしようと少し考えながら、弟ができるまで頑張るしかないと決意した。

 命の恩人、記憶の恩人。

 パンドラズ・アクターはフラミーの中で特別な守護者になった。

 

 その後親子は再び宝を漁りに戻った。

 特にアインズの熱の入り方は尋常じゃない。

 フラミーは熱心に宝をひっくり返すように全てに目を通していくアインズを観察し、飽きると宝物殿を後にする。

 まだ城の内部マップをよく覚えていない為、適当にうろうろすると、城のバルコニーに出た。

 広い円形のバルコニーは城の二階にあって、その下は庭と霊廟の蓮池が見えていた。

 柔らかな風が吹く中、神官達がうろつくようになった空中都市を眺める。

 ここにはキイチ以外誰も住まないが、地上の砂漠の都は神聖魔導国に取り込まれる事になったとテスカが都民に通達した為、知恵者二名とテスカ、神官達が砂漠の扱い方を話し合っていた。

 神都直轄市になる為スレイン州エリュエンティウ市だ。

 都市守護者を失う為大量のアンデッドを配備したが、評判はすこぶる悪く、今迄と違う反応にアインズが首を傾げたのは言うまでもない。これまでの都市はどこも大喜びでアンデッドを受け入れてきたはずなのに、不思議なこともある。

 神官達はスルシャーナの仇討ちが出来たと大いに喜び、新たな神話の制作に取り掛かっているチームもある。

 神話チームはシャルティアと紫黒聖典より今回の戦いについて池のほとりで聞かされていた。

 

 フラミーはあの日の恐怖が嘘のようにすら感じる情景に心を和ませると、遠くの空にキラリと何かが輝くのを見た。

「んん?」

 目を細めていると、その煌きはどんどん近付いてきて、目があうとフラミーは嬉しそうに手を振った。

「ツアーさーん!」

「フラミー。すっかり片付いたみたいだね。」

 巨竜は暴風を巻き起こしながら城の庭に着地した。

 その風はネイアを吹き飛ばしかけ、番外席次が慌てて城から落ちないように引っ張り寄せた。

 レイナースとクレマンティーヌも神話チームが飛ばされないように支え踏ん張る。

 池の水も激しく巻き上げられ、砂漠支配チームの神官達と知恵者二名をずぶ濡れにし――下では竜王への罵詈雑言が飛んでいた。

 

【挿絵表示】

 

 特にツアーを心から嫌うテスカと、管理を任されているキイチの怒りようはずば抜けている。

 

 しかし、そんな怒りもどこ吹く風。ツアーはいつもの事とばかりに無視し、手を伸ばすフラミーに顔を近づけた。

「アインズから連絡をもらったよ。結局ギルド武器は壊さないんだって?」

「はい。だって、こんなに綺麗なんですもん!」

 フラミーは可愛いトカゲの鼻の頭をぽんぽんと叩き、ツルツルした冷たい鱗の感触を楽しんだ。

「そうかい。アインズも君も美しい世界を守りたいんだったね。」

「ふふふ。そうですよ。」

「全く本当に変わったプレイヤーだよ、君達は。それじゃあ、僕はアインズが出て来るまでここで待たせてもらうとするかな。」

 ツアーはフラミーから鼻先を離すとバルコニーの下の庭で丸くなり、大きなあくびをしてからうむうむとまどろみ始める。

 尻尾を霊廟の蓮池に垂らす様はどことなく猫のようだった。

 フラミーもバルコニーから白金の山にぴょんと飛び移り、その背を滑るように庭に降りる。

 かつてアインズが眠っていた一週間定位置だったツアーの顔の横に座り、それに寄りかかると書類の束を取り出し、少し読み込んだ。

 それはキイチの記憶から書き出された世界の五百年の記憶だ。

「…海上都市に眠るプレイヤーかぁ。」

 ツアーは僅かに目を開き自分に寄りかかるフラミーを見ると再び目を閉じた。

 

+

 

 まどろみの中声が聞こえる。

「テスカとキイチと言ったかな。従属神も多少は生き残らせたんだね。」

「あぁ、六人――いや、五人だけ残して後は抹消したよ。生き残った者は私に忠誠を誓った。」

「それは安心したよ。君に任せて良かった。しかしぎるど武器は奪われないようにしてくれるね。」

「言われるまでもないさ。なぁ、それより話を戻すが、お前はどう思う?」

「うーん。僕ならそっちだけれど、こっちと言うんじゃないか。」

「やはりそう思うか。お前は結構わかってるな。でも私はこっちだとも思うぞ。」

「賭けるかい?」

「ふふ。私が負けるわけがないのに賭けなんて良いのか?」

「じゃあ、君が負けたら始原の魔法を返してくれよ。アインズ。」

「良いだろう。お前は何を私にくれるんだ?」

「そうだね。心からの祝いの言葉を送るよ。」

「…そんなの賭けにならないじゃないか。」

「「はははは。」」

 

 仲睦まじいような笑い声と、背もたれがゆさゆさ揺れる感覚にフラミーは目を覚ました。

「ん…。」

「あぁ、フラミー。起きたかい。」

「こんなところで眠っちゃって。フラミーさん、ツアーが来たなら教えてくれたら良かったのに。」

 美しい白いレースの布をいくつも持たされた戦闘メイド(プレアデス)達とアインズが嬉しそうにフラミーを覗き込んでいた。

「はは、あいんずさん。おはようございまぁす。」

「おはようございます。神王妃陛下のドレスの生地になりそうな物を集めましたよ。ここの宝物殿の物の他にナザリックに置いてあった奴も出させましたから、見てくださいね。」

 フラミーはピョンっと跳ねるように立ち上がるとアインズとツアーを交互に見た。

 宝を漁るあの力の入りようを思い出す。

 

 アインズはフラミーの背中をそっと押して戦闘メイド(プレアデス)の方を示すように手のひらを向けた。

「存分に悩んでください。俺はツアーと一応賭けてるんで。ふふ。」

 アインズはツアーの顔に寄りかかると、ツアーと揃って嬉しそうにフラミーを見た。

 

 フラミーは気付いた。いや、知っていたのにすっかり忘れていた事を思い出した。

 

 この二人は友達だった。

 

 アインズの孤独を癒してくれる人がこうしてここに居てくれたことにフラミーは心底安堵し、今にも涙が流れそうな笑顔を作ると、はいっと頷いた。

 幸せに震える胸に手を当て、涙と幸せが溢れないようにしてから戦闘メイド(プレアデス)の下へ駆け寄った。

 床には男性使用人達が相変わらず絨毯を敷く。

 女子達は靴を脱ぐとそこへ上がり、あれがいい、これもいいとフラミーに布を掛けてはきゃいきゃい盛り上がった。

 アインズもその様子を幸せな気持ちで眺める。

 フラミーがたまに作る晩御飯を撮るためにパンドラズ・アクターに用意させたカメラを取り出すと、美しいその人の笑顔を撮った。

 白く輝く魔法の生地を左右の肩から垂らし、ベールを軽く掛けられて笑うフラミーは真実女神のようだ。

 アインズはその写真を眺めると、これは生涯の宝物にしようと決め、その後執務机の上に飾られた。

 

 そして賭けの行方は当然――ツアーから熱い祝いの言葉が送られ幕を閉じた。




フラミー様、よかったね!
心配事はこれで後は……ドラウディロンだけ(真顔

次回 #17 閑話 天空城双子猫
昨日話題になった猫閑話です!


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本日のハイライト頂きました!
杠様よりです!


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#17 閑話 天空城双子猫

 数日前の氷結牢獄。

「…キイチ、ごめん。俺は先に出る。」

 廃人のようになった仲間はチラリとテスカを見ると可笑しそうに笑った。

 

「行くぞ。キイチは後で初期化できるか試す。」

「かしこまりました。」

 殺さずにいてくれるのだから慈悲深い。テスカは新しい主人二名に深々と頭を下げた。

 するとガシャン!ガシャン!と牢に何かがぶつかる音がし、主人達とともに音の方へ視線をやった。

「テスカ行くの!」「テスカも行っちゃうの!」

「あぁ。ケットシー、ニッセ。向こうで落ち着いたらイツァムナーと同じように少し顔を出させて貰えるか聞いてみるから。」

 イツァムナーは見たこともない装備に身を包んで、上司になったと言う骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)と共に図書館に配属されたと報告しに来てくれた。

 恐らく図書館にテスカが行く事はそうないだろうが、どこで働くか知っているのといないのでは、何となく安心感が違う。

 新天地は未知に溢れている。

 

「テスカ。この猫達はフラミーさんを傷付けたからこれが最期の別れだ。お前を送ったら消去する。」

「「え!?」」

 テスカは慈悲深い神の言葉に思わず大きな声を出した。そしてすぐに不敬だと口を押さえた。

 神の決定に口を出すなんて――

「アインズさん待ってください!」

 間違っていると思ったが、この主人だけは許される。

「どうしました?拷問してから消去がいいですか?」

「わわわ、ふらみーさま!」「ふらみーさま!!」

 猫達は怯えたように牢から小さな肉球のついた手を伸ばしフラミーのローブを触ろうと何度も手を動かした。

「大丈夫だよ。私がお願いしてあげるからね。」

 フラミーはその手を握り牢の前に座ると格子越しに二匹を抱き寄せた。

「おい!ケットシー、ニッセ。お前達不敬だぞ!!」

 すっかり不敬警察として出来上がったテスカは格子の中に手を入れ一匹の首根っこを掴み引き剥がそうとするが――八十レベルまで下がったその身に、未だ百レベルの猫を引き剥がす事はできなかった。

「セバス様!ご助力願います!」

 控えているセバスを呼ぶと、セバスはどうしたものかとアインズとフラミーを交互に見た。

 

「フラミーさん、こいつらのやった事は常闇程ではないですけど、それに準じますよ。」

「でも、この子達は…私…私――」

 アインズは忌々しそうにフラミーに縋り付く猫達を見た。

「わ!!フラミー様逃げて下さい!」「フラミー様まであいんずさんに殺されちゃう!」

 二匹は見当違いな心配を始めると今度はフニフニとフラミーを押し始めた。

 絶対支配者の"あいんずさん"に逆らったのだ。早く逃げてもらわなければ。

「えぇ?殺されないよ。」

「ちょ!お前達どこ押してんだ!!フラミーさんも早く離れなさい!」

 フラミーがアインズに引っ張られて立ち上がると牢から短すぎる腕の猫パンチが繰り出され、氷結牢獄の騒がしさは過去最高だった。

「逃げて!フラミー様!!」「早く早く!!」

 当たるような位置にいないが当たれば恐らく相当痛いだろう。

 下手なものが食らえば死ぬほどに。なんと言っても百レベルの猫パンチだ。

 この猫達もギルド武器をアインズが持っていると知っているのにこの騒ぎようだ。

「ふふ、可愛いなぁ。お手してるみたい。」

 フラミーが猫を真似てアインズの胸に手首だけを動かす獣のような手付きでパンチをすると、アインズは顔にパチンと手を当て「ッウ…」と謎の声を漏らした。

「…フラミーさん、ペットにしますか?」

 セバスはペットと言うナザリックで最も尊き地位に不敬を働いた猫達が付くのかと驚きながら様子を眺めた。

「はい!私が責任持ってお世話しますから!」

「…飽きたらデミウルゴスに皮として提供するか。」

「でみうるごす!!!」「でみうるごす!!!」

 相変わらず騒がしい猫達の記憶を開こうとフラミーから離れると、猫達は目にも止まらぬ速さで牢の端に逃げていった。

「…お前達フラミーさんと暮らしたいならこっちに来い。」

「おいでおいで!怖くないからおいで!」

 来い来いするフラミーはまた牢の前に座ると格子から手を伸ばした。

 アインズを視界に入れたまま猫達は戻ってくるとフラミーに縋った。

「…まぁ、可愛いっちゃ可愛いか…。<記憶操作(コントロールアムネジア)>。」

 腕輪を輝かせて記憶を開くと、二匹は目を見開いて呆然と口を開けた。

 テスカへ行ったように二十レベル分奪い、忠誠を書き込んでいく。

 イツァムナーになぜ最初ああもうまく行かなかったのか謎だ。

 テスカは祈るようにその様子を見ていた。

 フラミーは空いてる猫の口の中に指を入れて面白そうにザラザラした舌を触っていた。

「…何やってんですか?」

「私猫って本物初めて見たんですけど、こんなベロなんだなぁって思って。」

「ははは。そうですか。」

 アインズは記憶を閉じた。

 その瞬間我に返った猫の口はしまり、フラミーの指はカプリと噛まれた。

「あぅっ。」

「んぁ!ふらみーはま!失礼(ひふへい)ひまひた!」

 すぐ様開けられた口からフラミーは噛まれた指を抜いた。

「……やっぱりこいつら殺すか。」

「僕たち殺されてもいい!」「死ぬために生きてるの!」

 突然始まった殉職モードに支配者たちは目を見合わせた。

「え!アインズさん!何書き込んだんですか!!」

「うわ、だめだこいつら!忠誠の捧げ方が間違ってる!!」

 アインズは慌ててもう一度記憶を開くが、プレイヤーに殺されて以来、五百年死ぬために生きてきたと言う記憶を奪えば今の猫達と違う猫になってしまう気がした。

「…や、やっぱり…やめておくか…。」

 触らずそのまま記憶を閉じる。

「フラミー様の力になる!」「僕たちの命をあげます!」

「えぇ、あ、あの…どうしましょう…。」

「あー…お前達。フラミーさんのペットになるんだからフラミーさんが飽きるまで長生きしろよ。」

 アインズがもふもふの塊を撫でるともふもふ達は驚きに目を見開いた。

「あいんずさん様…!」「僕たちが生きる事を望むの…!」

 少しおつむの足りない猫達に眩暈を覚えるとセバスを手招く。

「こいつらを教育しろ。セバス。お前の采配に任せる…。」

「かしこまりました。でしたら、仕事を覚えさせる為にも執事助手の下にさらなる助手として付けましょう。」

「助手助手ですね!」

 猫達も冷たく寂しいその場所を後にした。

 

+

 

「にゃんちゃんにゃんちゃん。可愛いねぇ。」

 フラミーは第九階層の廊下で掃除をしていた猫達を見つけると手招いた。

 ちゃんとお世話すると言っておきながら、すっかりエクレア任せだった。

 聖王国羊の赤ん坊も飽きればスクロールにすればいいと言う程度のレベルの生き物への興味なのだ。

「フラミー様!!」「フラミー様!!」

 猫達は近くで自分に仕事を教えていたエクレアに毛ばたきを叩きつけるように渡すとフラミーに寄ってきた。

 エクレアは弱いため痛みに悶えている。

「あ!またエクレア君虐めたの!メッ!!」

「ごめんなさい。」「でもあいつはちょっとおかしいです。」

 猫達にあいつ呼ばわりされる上司を回復すると二匹と手をつないだ。

 二匹の背丈はフラミーが真っ直ぐ立った時、下ろした手に頭がギリギリ触れるか触れないかくらいの背丈だ。

「エクレア君、ちょっと二匹借りていきますね。」

「畏まりました。その者達は私のナザリック簒奪計画に必要不可欠な者ですのでお手柔らかに。」

 毛を逆立てている猫達の手を引いてフラミーは宝物殿に飛んだ。

 

 眩いまでの金貨の山に迎えられる。

「ズアちゃーん。ちょっとお邪魔していいですかー?」

 ここの所パンドラズ・アクターはエリュエンティウの宝物殿から回収した宝の整理をしていることが多く、ズボッとすぐさま宝から顔を出した。

「これはフラミー様!いらっしゃいま――せ。その猫達は本当に生き延びているんですねぇ。」

 不愉快そうに猫達を眺めると、フラミーは怯えたような猫を一匹抱き上げた。

「よいしょっ。可愛いでしょう。ふふふ。」

 顔をニッセにグリグリ埋めるとパンドラズ・アクターはじっとその様子を見た。

「この猫達は不敬でございます。御身を傷付けたことがある者など。」

 フラミーに抱っこされているニッセの首根っこを掴み、借りてきた猫状態になったそれを黒い穴で睨んだ。

「次にあんなことをしたら、流石の私でも殺しますよ。」

「「ご、ごめんなさい…。」」

 フラミーはケットシーと繋いでいた手を離すとどこだっけなぁと呟きながら宝物殿をうろつき始めた。

 

「何かお探しですか?」

「はひ。水鉄砲がどこかにあったんですよねぇ。」

「お待ち下さい。」

 パンドラズ・アクターは心得たとばかりにすぐ様イベントアイテムの水鉄砲を取りに行った。

 イベント時には色のついた水を入れて至高の四十一人総出のサバゲー大会をしたらしい。

 

 少し待つとパンドラズ・アクターは水鉄砲を数丁持って戻ってきた。

「お待たせいたしました!ご説明いたします!こちらのコンパクトな物はLugerと言いフラミー様の小さな手にぴったりかと。こちらのFR-F2は遠くにいる者にも――」

「はい、じゃあこれとこれ貸してあげるね。」

「えっ!!」

 説明もそこそこにフラミーは水鉄砲を猫達に与えてしまった。

 猫達はフラミーを傷つけた事もあり武器を取り上げられているというのに。

「良いんですか!」「すごいすごい!!」

「…フラミー様。この者達は御身を撃ち抜いたのですよ。」

 パンドラズ・アクターは四本の指を銃のような形にするとフラミーの傷付いた頬をツツ…と撫でた後に穴の空いていた耳に触れた。

 

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「ん…ズアちゃん、怖い思いさせてごめんなさい。」

 フラミーは顔の横の手を包むと少し顔を擦りつけた。

 パンドラズ・アクターはエリュエンティウの宝物殿の時のように暫くその様子を見つめ――こめかみに触れた。

「父上。パンドラズ・アクターでございます。今フラミー様が猫達にアイテムをお与えになりました。宝物殿でございます。」

 

+

 

 息子の連絡を受けたアインズはキリのいい所まで執務を行うと猫に甘いフラミーを注意する言葉を考えつつ、パンドラズ・アクターのいる応接セットが置かれている部屋へ向かって宝物殿にある薄暗い廊下を歩いていた。

 今ではすっかりパンドラズ・アクターの自室となった場所が目前になると、奥から騒がしい声が聞こえ、少しだけ足取りが早くなる。

「キャー!!」「やりましたね!!」「これでトドメです!」「命乞いをしろ!」

 さらに近付くとそこからは物騒すぎる声が聞こえ、アインズは慌てて杖を引き抜き走り出す。

「――嘘だろ!嘘だろ!!嘘だろ!!!」

 記憶の書き換えなどしても、所詮はアインズ・ウール・ゴウンの者によって生み出されたNPCではなかったのだ。アインズの骨の身には起こらないはずの嫌な動悸が走り、その足取りを早める。

 もつれそうになる足を前へ前へと進め、暗く長い廊下が終わる頃――真っ白な壁の待合室に視界が一瞬ホワイトアウトしかけるが、骨の身がそれを許さない。

「フラミーさん!!」

 飛び込むように中を覗くと――猫の姿になったパンドラズ・アクター、スモールライトで小さくなった様子のフラミー、猫達が呆然とこちらへ視線を送っていた。

 全員びしょびしょで、その手には水鉄砲が握られていた。

 アインズはあまりの安堵に腰が抜けかけ――

 

「いや、もっと早く呼べよ!!」

 

 ちびっ子軍団に突撃した。




ちょっと焦ったね!
は〜にゃんちゃん可愛いね〜〜!!

次回 #18 閑話 天空城元統括
結局皆のその後を書いている…!?

本日の挿絵もユズリハ様より頂きました!

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#18 閑話 天空城元統括

 その日ピッキーは新人が来ると聞いて戦々恐々としていた。

 外部の者とは第六階層で共に畑の世話をしているが、今日からここで一緒に働くのは至高の支配者と主人に楯突いた事があり、ずっと氷結牢獄に入れられていた者だ。

 何故そんな暴力的、かつナザリックに反抗的な者がこの神聖なる第九階層に踏み入れることを許されるのだろうか。

 ピッキーは気を重くしながらお気に入りのグラスが破壊されない様、箱に丁寧にしまっていく。

「このBARの静けさもこれ限りなんでしょうか…。」

 まるで居抜きの店舗のようになったお気に入りのその場所を眺めると、ピッキーは頭部の赤いプルプルしたところから赤い液体を僅かに垂らした。

 

 すると扉に嵌っているステンドグラスに人影が見え、カウンターから覗き込むように姿勢を低くした。

 ガランガランと来客を知らせる鐘が鳴るとスーツ姿の青年が数歩踏み込んだ。

「失礼致します!本日付けでこちらに配属されたテスカと申します!!エリュエンティウではエヌピーシー統括として働いて参りました!!一日もはやく、ナザリックの一員としてこの地に貢献できるように頑張りますので、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!!」

 まともそうな雰囲気に安堵し顔を上げると、テスカの後ろからよろける支配者と、それを支える主人が入ってきた。

「…っう…!か、会社に…会社に行かないと…!」

「アインズさん大丈夫ですか!?私達は年中出勤状態ですよ!」

「あぁ…なんてブラックなんだ…。俺はフラミーさんから最初に社長さんだと言われたのに…。ホワイト企業を目指しているのに…!」

「はは、そうでしたね。アインズさんは社長さんなのねん!」

 よく分からない言葉を話しながら苦しむ支配者を二人は呆然と眺めた。

「――はっ、アインズ様何かお出ししますのでお掛け下さい!」

 ピッキーは我に帰ると慌ててカウンターから出て、小さなBARにたった二つしかない四人席を進めた。

 四人席の横にあるはめ殺しの窓はやはりステンドグラスで、薄暗くしっとりとした雰囲気のBARに七色の影を落としている。

「お前たち…休めるときは休むんだぞ。ピッキー、お前はちゃんと寝ているだろうな。」

「はい。疲労無効アイテムを持ちませんので恐れながら夜は寝ております。」

「そうか。やはり疲労無効は悪習だな。えらいぞ、ピッキー。」

「恐れ入ります!」

 ピッキーの一日は日の出前に起床するところから始まる。

 料理長と共に朝食の支度をし、それをメイド達に提供し、支配者達の朝食をセバスに託す。

 メイド達が立ち去ると片付け、すぐ様昼食の支度を初める。

 昼食が終わると再び片付けを行い、畑や食材になるものの世話を行い、晩餐を用意し、提供が始まると途中で後を料理長に任せBARへ来る。

 ちらほらと客が来たのち、丑三つ時にBARを締めて三十分睡眠をとり――朝食の用意だ。

 

「んん。話を遮って悪かったな、テスカ。これは副料理長のピッキーだ。ここのルールをよく聞くんだぞ。」

「はい!ピッキー様、よろしくお願い致します。」

 腰から綺麗に頭を下げるスーツ姿を見るとフラミーもウッと胸を押さえた。

「……わ、私も…私も出社しないと…。そう言えば納期が…。」

「フラミーさん!納期があったとしても多分もう過ぎてますよ!」

「アインズさん…クライアントが…クライアントが…。」

 今度はフラミーがトリップを始め、副料理長と元統括は目を見合わせた。

 とにかく早くなにかお出ししなければ――とピッキーは準備を始めかけたが、支配者達に中途半端なグラスで飲み物を出すこともできず、テスカと協力して仕舞い込んだグラスを取り出した。

 

「お待たせ致しました。こちらはエ・ランテル市をイメージしたカクテルで、E-Rantelございます。」

 逆三角形のカクテルグラスには一号川、二号川、三号川らしき円が上手に表現された液体が入り、真ん中にチョコレートできたザイトルクワエがちょこりと乗っかっていた。

「そしてこちらはバハルス州をイメージしたEmpireでございます。」

 細長いコリンズグラスに肌色のサワーが入っていて、申し訳程度にミントの葉のようなものが乗せられている。

 

「…随分街のイメージが偏っているな?これはどちらかというとミノタウロスの王国のような…。」

「私エ・ランテルが良いです!」

 二人はそれぞれグラスを手に取るとグラスをぶつけず軽く上げ、「お疲れ様でーす。」と乾杯した。

 その後テスカが働くのを眺めながら、幾度となくアインズは鎮静された。

 彼はどこか、何故、妙に社畜じみていた。

 

「おい、テスカ。ジャケットは脱ぎなさい。その格好は俺に効く。」

「効く…?畏まりました。」

 酔い始めているフラミーがクスクス笑うと、カランカランと更なる来客を知らせる鐘の音がした。

 

「おや?これはアインズ様。フラミー様。」

「何。御方々ガイラッシャルノカ。」

 デミウルゴスとコキュートスは嬉しそうに足を踏み入れると、ぴたりと止まった。

「――オ前ハココデ働キハジメタノカ。」

「御方々の口に入る物に携わるとはね。」

 テスカはカウンターの中からぺこりと頭を下げた。

「は!わからないことばかりですが、初心を忘れずがんばりますので、ご指導のほど、よろしくお願い致します。」

 アインズとフラミーは胸を押さえた。

「オ前ハ良イ戦士ダッタ。今度手合ワセヲシヨウ。一郎二郎モ喜ブ。」

「一部のスキルと技術を失いましたが、是非よろしくお願い致します。」

 コキュートスはプシューと氷の蒸気を吐き出しウムと応え、アインズへ向いた。

「宜シケレバ、アインズ様モ又モモン様ノ技術向上ノ為ニモゴ参加下サイ。」

「良いのか。では私もその時には誘ってくれ。」

 

 守護者二名はその後座りもせずにアインズに何か言いたげな視線を送った。

「…んん。まぁ座りなさい。お前達はよく来るのか?」

 迷いなくアインズの隣にコキュートスが座ると、デミウルゴスもフラミーの隣に座った。

「はい。あまり仕事以外で階層を離れるのも問題かとは思っているのですが、食事を義務付けられておりますので。時たま時間が合うとこうして訪れております。」

「そうか。これからはたまにではなく、週に一度くらいは飲みに来なさい。強制ではないが、気に入っている者を誘ってどんどんここを使うんだ。使わなければ何のために作ったのかもわからん。他の者にも通達しておけ。」

「社長さん、ホワイト化計画ですね!」

「そうですよ、副社長。俺たちも来ましょうね。」

 フラミーは正面に座るアインズへ嬉しそうにうんうん頷いてみせた。

 

 デミウルゴスは少し唸ると隣のフラミーを見た。

「気に入っている者…。では、フラミー様、良ければ以前お話ししましたお弁当のお礼にこちらにご一緒頂けないでしょうか。」

「あぁ!是非お願いします。」

 親子飲みと喜ぶフラミーを見ながらアインズは少し複雑な気持ちになる。

 この悪魔も早く想いを伝えてしまえばいいのにと思う気持ちと、このスマートさを目の当たりにしたフラミーに比較されては辛いという気持ちがぶつかる。

 自分の無様な最重要課題の日を思い出すと頭を抱えたくなる。穴があったら入りたい。

 しかし、少なくとも悪魔と添いたいからもうお終いにしましょうと言われる気はしない。

 フラミーのデミウルゴスを男として見ていない感は尋常じゃないし、そんなに薄っぺらい日々を過ごしては――

「デミウルゴスさんのお目目って本当に綺麗。もっとちゃんとよく見せてください。」

 ――いない。多分。

 デミウルゴスは相変わらず照れくさそうにしていた。

「恐れ入ります。」

 メガネを外した悪魔がフラミーを覗き込むようにすると、フラミーも悪魔を見上げ瞳を覗き込んだ。

 絵になる二人に、ストレートに不愉快な気分になる。

 誰もいなければそのままキスしてしまうのではないかと思う。

 

 やめさせようと手を挙げかけると、フラミーはその瞳を覗きながら、その瞳の向こうに違う人を見た。

「昔ウルベルトさんもね、フラミーのこと気に入ってるから、二人で飲みに行こうって言ってくれたことがあったんですよね。」

「そうでございましたか。ウルベルト様は如何でしたか?」

 アインズもそんな話は聞いた事がなかった。

 コキュートスから流れる冷気を片方の肩にわずかに感じながらどうだったんだろうと耳を傾ける。

 村瀬に会ってみたかったと、今はいない友人を羨む。

 

 フラミーはデミウルゴスの瞳を覗くのをやめると首を振り、デミウルゴスは眼鏡を掛けなおした。

「私お酒ダメだったから、断っちゃった。こんな事なら会ってみたら良かったなぁ…。」

 フラミーは懐かしいとグラスに視線を落とした。

 ステンドグラスから落ちる光がグラスとフラミーの手を七色に染めていた。

「会ってみたら、でございますか?」

「はい。私ウルベルトさんと会った事なかったんですよねぇ。」

 デミウルゴスとコキュートスは首を傾げた。

 毎日のようにフラミーはウルベルトと遊んでいたのだ。

 いや、守護者達の目から見れば外界の何かを粛清に行っていたのだ。

 

「リアルでの話だな。私達はリアルで会った事がある者と、そうでない者がいた。」

「ソウデゴザイマシタカ。テッキリ御方々ハ常ニ御一緒ダッタノカト。」

 アインズはバラバラになった仲間を想う。

 そして、今こそ自分達とリアルを正しく守護者達に分からせるタイミングかも知れないと過ぎった。

 神じゃない自分達も愛してもらえるだろうか。

 

「私達、心はずっと一緒でしたよ。」

 フラミーが発した言葉はアインズの考えかけていたことをすぐに押し流した。

「だから、リアルで会うことが一番重要だった訳じゃないし、会わなかった人達もいます。」

 アインズはフラミーと共に転移できて良かったと改めて思った。

 グラスに触れているフラミーの手に手を伸ばす。

 すぐにそれに気付いたフラミーもアインズの手に手を伸ばし、二人は手を繋ぐと微笑みあった。

 

「あなたにも会えなかったけど、ずっとずっと憧れて、本当はずっと大好きだったんですよ。」

 フラミーが言い切ると、アインズもずっとずっと前から憧れて、本当はずっと大好きだった人の手に自分の額を当てた。




御身実はしょっぱなから好きだっただろう説を唱える方がだいぶ増えてきたので推しまぁす!!
まことしやかに囁かれる三つの説

・ユグドラシルの頃から好きだったけど転移して一緒に生きるって言われて完全に落ちた説
・転移して一緒に生きるって言われて好きになった説
・転移してから徐々に落ちた説

一番目が美味しいので一番目を推したいですよねぇ。

おフラさんはずっと大好きだったと思います。思いたい!
だって 1-#21 神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国 でギルド武器破壊して消えると思った御身へのあの反応は尋常じゃなかったですもんね。にっこり

#19 閑話 天空城御写真

#20からアンケート結果章いきまぁす!
あーやだなー平和が終わるなー


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#19 閑話 天空城御写真

 早朝。セバスは新しいオシャシンの供給の為エ・ランテルの闇の神殿を訪れた。

 まだ一般の参拝を迎えていないような時間だが、聖堂内には神官達と、神に仕えてはいるが神官としての力は持たないメイドや執事の格好をした者達が忙しなく動き回っていた。

 皆心を込めて聖堂内の掃除に勤しんでいる。

「セバス様!」

 そんな中響いた懐っこいような声にセバスは僅かに頬を緩める。

 主人がまだ正式に妃を持っていないと言うのに自分が先にそういう存在を持つ事に抵抗を感じていたが、そろそろ良い(・・)のかもしれない。

 セバスは声の主を優しい瞳で捉えた。

「ツアレ。今日は新しいオシャシンを持ってきましたよ。皆さんもご苦労様です。」

 チャン様チャン様と神官達も寄ってくる。

 初めてそれをシャルティアが聞いたときは腹を抱えて笑っていた。

 チャンなどとセバスを呼ぶ者がいたのかと。

 

 エ・ランテルの闇の神殿で一番地位の高い神官に写真を渡す。

 シャルティアが天空城で撮ったという、空の中の池の上でアインズがフラミーに祈られているように見える写真と、池のほとりで支配者達が寄り添う(・・・・)美しい写真だ。

 それらを受け取ると神官達は皆がほぅと甘いようなため息をこぼした。

「早速焼き増しして今日から授与、頒布して下さい。さぁ、皆さん仕事へ。」

 各神殿に一台はオシャシン焼き増し用のマジックアイテムが置いてある。

 神官達は心得たとばかりに頷くと神殿の事務所へ去って行った。

 しばらくセバスも掃除を手伝うと朝の仕事は終わり、光の神殿に同じく写真を届けに行っていたシャルティアから伝言(メッセージ)が入った。

 

『こっちは終わりんしたから、転移門(ゲート)を開いてやりんすよ。』

「お疲れ様でした。私はまだエ・ランテルに残りますのでお気になさらず、お先にお戻りください。」

『そうかぇ?じゃあこのまま妾は竜王国に行きんす。 おんしは励みなんし。御身がお望みなんだぇら。』

「…恐れ入ります。それでは。」

 セバスは手を下ろすと働き者の恋人を手招く。

「ツアレ。申し訳ありませんが少し付き合って頂けますか。」

 何の疑いも持たずに近付いてくる小動物を後ろに従え、セバスは神殿を後にした。

 

 世界は徐々に真夏から秋の雰囲気になりつつある。

 抜けるような青空の下、神殿へ向かう市民に頭を下げられながら、川が流れる南広場へ二人で黙々と歩く。

 広場に着くと、木陰に置かれたいつものベンチに腰掛けた。

 ツアレはここからの景色がお気に入りだった。

 ここは二人で外で過ごすたったひとつの場所だ。

 一人でもよく訪れ、この場所からセバスを想う。

 二人で聞く川のせせらぎは優しい歌のようで、暗闇を生きたツアレを潤した。

 ケジメとして外で手を繋がない二人は触れ合いもせずに川を眺めた。

 二人が触れ合うのは、セバスがエ・ランテルの仕事を終えた帰りに偶にツアレの家に遊びに寄る時だけだ。

 その時ばかりは二人は神々のオシャシンのように過ごした。

 とは言え未だ繋がりを持った事はない。

 ツアレの身の上を思い遠慮している部分もあるが、何より結婚も約束してない状態でそういう事をする程、セバスは幼くない。

 ただ、支配者の望み通りいつかは種族の壁を超えて見せようとは思っている。

 その時には、絶対に名付けを頼むと心に決めていた。

 

 セバスは幸せそうに微笑むツアレを見て心を決める。

「ツアレニーニャ・ベイロン。御方々がお許し下さるなら、ですが、私と結婚しませんか。」

 ツアレは一瞬目を大きくし、セバスの横顔を眺めた。

「わ、私のような者で…よろしいのでしょうか…。」

「全てを知っていますが、それでも貴女と生きてみたいと私は思いました。貴女が良いといってくれるのなら、今すぐ私はアインズ様の下へお許しを頂きに参ります。」

 

 ツアレの答えは最初から決まっていた。

 

+

 

 第九階層を歩くセバスの足取りは軽かった。

 目的の部屋の前に着くと扉の左右に控えるコキュートスの配下の者達に軽く目礼する。

 その場で十分に自分の身だしなみを整え、チーフひとつに乱れがない事を確認する。

 無論だらしない格好になった事などは生まれて一度もないし、普段から気を使っているが、ここは聖域なのだ。

 どれだけやっても確認しすぎ、と言う事はない。

 扉を叩く前に、なんと報告し許しを得ようかと言葉を考える。

 元より子を早く持てと言われて来たのだ。祝福してくれるに違いない。

 結婚したいなどと聞いたら我が神々はどんな顔をするだろう。

 喜んでくれるだろうか。

 まさか嫌な顔などするはずが――ないと言い切れるだろうか。

 神の望みは子だと言うことに今になり気が付く。

 責任も取らずに子を成し、生まれた子供だけをナザリックに連れ帰り実験台にしろなど――と――言われるだろうか。

 セバスは硬直していた。

 あの慈悲深い支配者がそんな事を提案するだろうか。

 しかし一郎と二郎を思えばあり得ない話ではない。

 支配者はその尊き血の為、何であろうと行うべきだ。

 そしてセバスもそれを手伝うべきだ。

 

「――おい、そんな所で何をしているんだ?」

 セバスは肩を震わせると振り返った。

 いつの間にか濃厚すぎるその気配はセバスのすぐ後にあった。

「こ、これはアインズ様。」

 アインズは人の身で訝しむような顔をして自室の扉に手を掛けた。

「私に用があるんだろう。入りなさい。」

「恐れ入ります…。」

 その背に従うように部屋へ入ると、アインズはソファに掛け、セバスにも席を勧めた。

 当然セバスは座らない。

 それはこれから願い事があるからと言うよりも、執事として生み出された故の本能のようなものに近いのかもしれない。

 支配者に目で促されるとセバスは口を開いた。

「アインズ様…。私は…ツアレと…なんと言いますか…。」

 考えたはずの言葉がまるで出てこない様子に我ながら驚きを隠せない。

「ふふふ。ツアレニーニャか。今の私ならお前のどんな悩みにも答えてやれる気がするな。話してみなさい。」

 支配者は笑いながらアインズ当番の持って来たコーヒーに口を付けた。

 機嫌が良さそうだ。今話してしまおう。

 セバスは決意した。

「先程ツアレニーニャ・ベイロンに結婚を申し込みました。」

「何!?もしや子供でもできたか!?」

 支配者は聞くや否やガタンと立ち上がった。

 あまりの雰囲気の変わりようにセバスは冷や汗が出る。

「い、いえ…御身のお気持ちに背くようですが、未だツアレとは交わっておらず…。やはり直ぐにでも――」

「な!それでツアレニーニャは何と!!」

「ぜ、是非にと…。」

 アインズはズンズンとセバスへ近付き、その身を引っ張り寄せて背中をバンと叩くと――そのまま動かなくなった。

「あ、アインズ様…申し訳ございませんでした…。」

 肩越しに首を振るのを感じる。

「たっちさん…貴方の息子は流石ですよ…。」

 優しく囁かれた敬愛してやまぬ創造主の名に、どきりとする。

「だって言うのに俺ってやつは…」ともごもごしばらく何かを言うと、アインズはセバスからゆっくりと離れた。

「セバス。よくやった。お前の選択は正しい。」

「アインズ様…?」

 支配者はセバスの頭をわっしわっしと撫でくり回すと、穏やかに笑った。

 

「おめでとう。泣かせてやるなよ。」

 

+

 

 その晩。アインズはフラミー、セバスと共に、一般の参拝を終えたエ・ランテルの闇の神殿に現れた。

 そこにはツアレが跪いて三人を迎え、支配者達は祝いの言葉を送った。

「ツアレニーニャ。以前私はナザリックとしてお前を特別保護することはないと言ったが、お前は私の息子の大切な存在になるんだ。何か困った事があればいつでも言いなさい。私もフラミーさんも、きっと力になると約束しよう。」

 慈悲深い声にツアレは声を詰まらせた。

「神王…陛下…。」

 フラミーもその様子を見るとわずかに潤む。

「じゃあ、セバスさん。ツアレさんの事お願いしますね。」

「かしこまりました。」

 二人を見送ろうと扉の前までくると、ツアレは深々と支配者達に頭を下げた。

 

「あ、あの!陛下方!」

 二人は義理の娘になる人を見て微笑んだ。

「私…私陛下方みたいになれるように…きっと頑張ります…。」

 ツアレはカバンからお写真を取り出すとそっと幸せそうにそれへ視線を落とした。

「そうか。ありが――」

 アインズは鎮静され、フラミーは硬直した。

「さぁツアレ、御方々のご迷惑です。送りますからもう行きますよ。」

 もう一度頭を下げると、セバスは初めて外でツアレの手を取り立ち去って行った。

 

 バタンと巨大な扉が閉まった静寂の聖堂内に二人の呼吸が響いた。

 ギギギ……と言う音がなりそうな動きで二人はオシャシン販売を行う場所へ視線をやる。

 羞恥から顔を真っ赤にしたフラミーは口元を押さえるとペタリと床に尻餅をついた。

「な…な…。」

「なんてもん売ってんだ!!」

 アインズは慌てて販売カウンターに近付くと、そこには先程ツアレが持っていた――蓮池でアインズがフラミーを膝に乗せていちゃいちゃちゅっちゅする写真がたっぷり置かれていた。

 写真の販売はいい税収になっているため好きにやれと言ってあったが、これは幾ら何でも好きにやりすぎだ。

 そもそも――「こんなのいつ撮ったんだよ!?」

 アインズはそれをごっそり回収すると自分の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に仕舞い込んだ。

 こんなにたくさんの写真をどうしようと冷や汗が出る。

 存在を隠滅できる破棄場所は七階層の火山くらいしかないが、それは何となく躊躇われるし、目撃されたらえらい騒ぎになる気がする。

 悩みながら、とりあえず床に座るフラミーに手を伸ばす。

「あ、あいんずさん…ぐっじょぶ…。」

「いえ…。カメラの自由な使用はそろそろ禁止した方がいいかもしれません…。」

 神殿には、ガゼフを勧誘するアインズ、レイナースに縋り付かれるフラミー、七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)と話し合うアインズ、蓮池の二人、深池の二人とラインナップはちょこちょこ増えていた。

 

 フラミーはアインズに立たされるともじもじし始めた。

「あ、あの…。」

「どうしました?」

「私も、さっきの一枚…ください…。」

 躊躇いがちに下から覗き込むようにフラミーはアインズを見上げた。

 頷き闇に手を入れると、十枚フラミーに渡した。

「わ。こ、こんなには…いらないんですけどね。」

 言葉とは裏腹に写真に視線を落とすフラミーは嬉しそうで、にへらと口元が緩んでいた。

 いつまでもだらしない顔で写真を眺めるフラミーの顔を挟んで上を向かせると、アインズも笑った。

「欲しいなら、何枚でもどんなバージョンでも付き合いますよ。」

 

 二人は無駄に神聖だと信じられている場所で何やらしばらく触れ合ったらしい。

 

 次の日神殿はオシャシン泥棒が入ったと大騒ぎになった。

 その後、あの死の騎士(デスナイト)が警護する中、命を賭して忍び込むほどのオシャシンがあると話題になり光の神殿やほかの都市の神殿からは瞬く間に蓮池の写真は無くなっていった。

 当然エ・ランテルの闇の神殿でも焼き増しされ販売は再開される。

 この写真は他のあらゆる写真の中でも特に絶大な売り上げを伸ばした。

 命よりも価値のあるオシャシンと言う噂が落ち着くと、今度は守護神と結ばれたと言うツアレのシンデレラストーリーが広まる。

 二人が結婚を誓い合った日はそのオシャシンの販売が始まった日で、ツアレ自身もそれを大層大切にしていた事から、未婚の女性はこの写真をこぞって購入し、少しでもご利益に預かろうとした。

 

 そして盗まれたオシャシンは、ある日突然聖堂の玄関にポツリと置かれ返ってきたらしい。

 ただ、枚数は何度数えても二十枚足りなかったとか。




アインズ様も結局欲しくなっちゃったんかーい!

次回 #20 手紙
ドラ出ます!
アンケートの結果を見せつけてやりますよ!

の前に勢力図の確認です!

【挿絵表示】

ユズリハ様お手製神聖魔導国まっぷぅ〜!(ドラえもん並み感


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試されるドラウディロン
#20 手紙


ドラウディロン注意報発令です。
でも不愉快じゃないドラウディロンです!


 新参者がナザリックに慣れ、ナザリックも新参者に慣れたある秋の午後。

「――何?ドラウディロンから?」

 

 アルベドの報告を聞いたアインズとフラミーは大量の手紙の山の中から顔を上げた

 アインズの骨の手にはモノクルが握られ、フラミーの目元には眼窩の皮膚で押さえるようにモノクルが嵌められている。

 足下では猫達がもふもふと手紙の封を切っていた。

 冬に行われる結婚式と神王妃の戴冠式典への誘いの招待状を出して以来、こんなに呼ぶの?と思うほどの人数からの出席の返信が来ているのだ。

 招待する人選は極一部を除いて当然知恵者任せである。

 ちなみに側室に如何かと令嬢や姫達の推薦状も変わらず多く来ていて、それらはやはり、パンドラズ・アクターが「何でもする女リスト」へと控えていた。

 その部屋にはアルベド、パンドラズ・アクターの他に、招待リストと照らし合わせながら出席者名簿を書き上げるデミウルゴスもいる。

 息子二人はドラウディロンという名前に不快げな反応を示したが、すぐに自分たちの仕事を進めた。

 

 アルベドは何故かアインズとフラミーのそばで作業をする事を許されている猫達を忌々しげに睨み付ける。

 二匹はビクリと震えると、ソファの下に慌てて潜り込み、小さくなりながら封切り作業を続けた。

「はい。アインズ様へ個人的にお手紙が届きました。」

「ほー、招待状の返事はもう来ていたのにな。」

 ソファ下から差し出される手紙にさっと目を通してはデミウルゴスに渡す。はっきり言って殆ど読んでいない。

 フラミーは食い入るように手紙を一通一通読んでは嬉しそうにしていた。

 どの手紙にも祝いの言葉がたっぷり書かれているのだ。

 アインズは手紙のバケツリレーを中断すると、身を屈めてソファ下を覗きこんだ。

「ケットシー、ニッセ。あとは直接デミウルゴスに渡せ。後で目を通す。」

「でみうるごすさまに。」「ちょくせつ。」

 猫達はぷるぷる震えながらデミウルゴスの隣に移動すると悪魔に恐る恐る手紙を渡していった。

「アルベド、見せてみなさい。」

 アインズが手を伸ばすと、アルベドは封切りだけ行いドラウディロンの手紙を渡した。

 

 その手紙は美しい時節の候から始まり、フラミーとの結婚を祝う文が続き、初夏以来会えていないとまるで寂しがるかのような言葉が続き、最後には――再びのビーストマン達の出没に不安な日々を過ごしていると綴られていた。

 

「…またか。まぁ国を滅ぼしていない以上戦力を整えたら食糧を取りに何度でも出没するか。」

 アインズはぺらりと手紙をアルベドに返し、手に持っていた魔法のモノクルを下ろした。

 皮膚があれば顔に固定できるが骨ではモノクルはツルツルと滑ってしまう。

だと言うのにわざわざ骨でいる理由は――推して知るべしだろう。

 敢えて言うとしたら、フラミーにべたべたしたくなるからだ。

「あの、読んでもよろしいでしょうか?」

「ん?当たり前だ。」

 なぜか珍しく遠慮がちなアルベドに首を傾げた。

「では失礼して。」

 知恵者達は最早マジックアイテム無しでこの世界での公用語を読み書きできるようになっていた。

 

「漆黒聖典でも送るか。いや、また同じ部隊では国の戦力を侮られる気もするな。とすると紫黒聖典――はティトとマッティに騎乗指導を受け始めた所だったか。なら陽光聖典が手頃か?」

 アインズが一人ぶつぶつ言っていると隣でフラミーは読み終わった手紙をデミウルゴスへ渡した。

「聖典送るって、竜王国何かあったんですか?」

「えぇ。何でもまたビーストマンが出たとかで不安らしいですよ。」

「あらら。じゃあアインズさんも行ってあげなきゃ。」

「え、俺もですか?ちょっと忙しくってそんな暇は…。」

 アインズは一応目を通すべきである招待状の返信の山を前に他にもやらなければいけない大量の事柄を思い出す。

 式と式典までもう後三ヶ月程度しかない為、恐怖公に当日の式典の段取り等を叩き込まれなければいけないし、エーリッヒ擦弦楽団と音楽の相談もしなければいけないし、料理長と副料理長と共に行う――式典で振舞われる物の試食会にも行かなければいけないし、鍛冶長に衣装の相談に来るように言われているし、神官長達にも呼び出されているし、他にもやらなければいけないことは山積みだ。

 ここに来て今までで一番自分で決めなければいけない事が多い上に右も左もわからない。

 こんな時にたっち・みーが居ればとつい思ってしまう。

 全て守護者にやらせれば良いのかも知れないが、フラミーの()を叶えるのが守護者というのも問題だろう。

 

 フラミーは少し申し訳無さそうな顔をした。

 当然全ての作業にはフラミーも参加している。

 自分ばかりここで大変だと言えば特に何も欲しがらないフラミーの小さな夢にケチがつく気がした。

「いや、やっぱり何でもありません!このくらい軽いもんです。分かりました、行きます。」

 アインズが立ち上がると息子達はそれぞれ本日はここまでかと作業を終わらせ片付けに入った。

「あ、あの、無理しないで下さいね。」

「いえいえ。楽しくやってますから、無理なんてしてませんよ。」

 アインズが骸の顔で笑いかけると、動かないはずの顔の表情を読み取る妻になる人は嬉しそうに笑った。

 

「アルベド。シャルティアを呼べ。私とフラミーさんは少し竜王国へ行く。」

「かしこまりました。」

「あれ?私も行って良いんですか?」

 フラミーが首を傾げると、アインズも首を傾げた。

「ん?――あ、いや。やっぱり俺一人で行ってきますね。」

 アインズは当たり前のように二人で行こうと思ったが、フラミーが一人で進められる準備は進めておいて貰った方が良いかと納得する。

 アルベドに呼び出された――竜王国に一番出入りし、国中を隅から隅まで行脚させられたシャルティアが来ると、アインズは転移門(ゲート)を潜った。

 

 出た先は城の玄関口だ。

 いくら属国とは言え約束もしていないのにいきなり城に入るのはまずかろう。

 シャルティアに取次を頼むとアインズは正面玄関にある噴水へ向かった。

 それは以前水を止められ濁りきっていたが、今ではもうすっかり清らかな水を流すようになっていた。

 例え水の濁りの原因が環境破壊でなくても、リアルを思い出すような情景は嫌いだ。

 アインズは汚れない水の流れを見るとそれだけで心が安らいだ。

 秋晴れの空にはいわし雲が泳いでいて、抜けるように高い空はまるで宇宙まで手が届きそうだとアインズは骨の目を少し細め、雄大な空を仰ぐ。

 

 すると、脛まであるミモレ丈の軽やかなスカートを靡かせる背の高い女性がこちらへ向かって城門から歩いてくるのが見えた。

 周りには複数名の護衛と神官が付かず離れず側におり、その者が如何に高貴で、重要な人物であるかを現しているようだ。

 女性はこちらに気付くと、嬉しそうに目を細め――桜色の唇はゆっくりと開かれていく。

 その様はどこか蠱惑的で、アインズは始めてその人と会った日のことを思い出した。

「アインズ殿。」

「ドラウディロン。手紙を読んだぞ。思ったより元気そうじゃないか。」

「ふふ。今元気が出たところだ。」

 外出から城に帰ってくると元気が出るなんて―― この女王はかなり引きこもり体質だ。

 ドラウディロンは秋風に吹かれる中アインズまで真っ直ぐ歩いてくると、すぐ側で立ち止まり幸せそうな笑顔を見せた。

「そうか?ところで街はどうだ。流石に恐れ混乱しているか。」

「いいや、皆ブラッドフォールン嬢が定期的に顔を見せているから、信じているようだよ。必ず紅蓮の戦姫が手を差し伸べてくれるはずだと。」

 ドラウディロンと並び城の玄関へ向かって歩き出すと、巨大な城の扉は開かれた。

 

 中には共に出て来ようとしていたシャルティアと宰相がいた。

「あ、アインズ様、宰相を連れて――雑種、帰ったでありんすか。」

「神王陛下。ご無沙汰しております。よくぞおいで下さいました。陛下もおかえりなさいませ。」

 深々と頭を下げる宰相に手を挙げ軽く挨拶に応える。

「宰相。久しいな。さぁ、ビーストマン達との事を教えてくれ。」

 

 一行はドラウディロンの執務室へ向かった。

 以前は埃が積もり荒れた雰囲気だった城内は、噴水同様美しさと輝きを取り戻している。

 城内で働く者も以前の比にならないほどに増え、メイドや文官のような者達、与えた死の大魔法使い(エルダーリッチ)達が多く行き交っていた。

 ドアマンによって扉が開かれるとドラウディロンは執務机へ向かい地図を取り出した。

 机の上には日々の勉強で使っている魔導書とノート、筆記用具が所狭しと並べられている。

 アインズは興味深そうに部屋を見渡していた。

 片付いているとは言えない部屋に羞恥を覚え、ドラウディロンは急かすように応接のソファセットを勧めた。

 一人がけソファが二台づつローテーブルを挟むように置かれていた。

 アインズがソファに座り、後ろにシャルティアが控える。

 ドラウディロンはアインズの正面に座ると地図を開いた。

「見てくれ。」

 アインズはモノクルを取り出し人の身になると、眼窩の皮膚で挟むようにそれを固定した。

「どれどれ。」

 覗き込むようにするその人から僅かに優しい香りがする。

 ドラウディロンは理知的な目の前の人を眺めると心臓が激しく鼓動を打ち始めるのを感じた。

 ドラウディロンが何も言わない事を訝しんだのかアインズが顔を上げると、サラサラと流れる美しい銀色の髪は晴天に降る雨のように輝き、真夜中の空を思わせる漆黒の瞳の中に瞬く星を幻視した。

 それはアインズが超常的な存在であるという事をただの娘に再認識させるようだった。

「どうかしたか?」

 痛む程早まる心臓に手を当て、深呼吸をする。

「――いや。何でもない。」

 地図へそっと手を伸ばし、竜王国とビーストマン国の国境を指でなぞる。

「ここと、ここと、ここの付近から大規模な人攫いが起きているんだ。隠れてやり過ごした者達は確かにビーストマンを見ている。」

 アインズは黙って話を聞いていると、外にいたメイド達が静かに部屋に入ってきた。

 それぞれが客へ出すお茶と軽食を手にしていて、洗練された動きでこちらへ進んでくる中ドラウディロンは続ける。

「それに対応する為に再び国民を徴兵しなければならないと思ってな。ここの所は徴兵への理解を促す為の演説に回っていたんだ。民は皆ブラッドフォールン嬢が共に来るならと重い腰を上げかけている。そこで――」

 結論を言おうとしたところで、ガチャンと無作法に食器がぶつかる音がした。全員がそちらへ視線をやると、メイド達の視線はアインズで止まり揺らいでいた。

「…私がどうかしたかな。」

 少し不愉快そうだと言うのに尚美しい声が響くとメイド達はハッと我に帰ったようだ。

「おんしら、至高の御身の前で不敬でありんすよ。」

 シャルティアの言に慌てて頭を下げ、口々に謝罪を述べると王と女王の前に配膳して下がっていった。

「うちのメイドが失礼した。すまないな…。」

 とは言えドラウディロンもメイド達の気持ちはよくわかる。

 つい先ほどまで自分もその圧倒的な美に見惚れていたのだから。

「構わん。もうとっくにこう言う扱いは慣れている。それより続きを話すんだ。私はあまり長居はできない。フラミーさんに向こうを任せて来てしまったんだ。アレに任せっきりにもできん。」

 ドラウディロンは国を少しの間も安心して任せられないフラミーが今後神王妃として立つので良いのだろうかと少しだけ思う。

「なぁ、フラミー殿はどのくらい国の事を預かっているんだ?」

「国か?国は評議国の事は任せている。ツアーと相談してうまくやっているよ。私ではツアーとそう言う話をすると喧嘩になりそうだし、助かっている。さぁ、続きを。」

 ――もっと助けになりたい。

 女神の力がこの王に必要だと言うことはもう痛いほどによく分かっている。

 しかし、叡智の闇の神と違い、無垢なる女神は人を救う事はできるが国の管理などをした事はないのだ。

 これだけ広く、多くをまとめあげる神聖魔導国に於いてフラミーにはただ一国しか任せられないのなら――フラミーとは違う形で、自分はこの王の助けになれる筈だとドラウディロンは胸に当てていた手を握りしめ、王としての顔を作る。

「再びで申し訳ないんだが、ブラッドフォールン嬢を出してくれないだろうか。」

 アインズは日の陰り始めた部屋で地図に視線を落としたまま軽く唸り、頷いた。

 

「そうだな。不安を取り除くか。」

 地図に顔を向けたままの上目遣いな視線に射抜かれると、ドラウディロンは顔が熱くなるのを感じた。




あードラちゃんキュンキュンしちゃうねぇ!!

次回 #20 王様の気持ち
当然次回もドラ回です。
前書きのあらすじを読むだけでアンチドラの方々が何とかなるようなるべく工夫します!

ドララの妄想とか言う誰も得しない裏 R18
https://syosetu.org/novel/195580/30.html


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#21 王様の気持ち

ドラ避けの皆様のための前話あらすじ
竜王国での戦いから一年と少し。力を取り戻し始めたビーストマン達は食料調達のために再び竜王国に現れた。国境の村々では大量の人攫いが発生し、ドラウディロンはアインズへ救援を求める手紙を出した。結婚式と神王妃戴冠式典への出席を告げる手紙の山に埋もれていたアインズはフラミーに竜王国へ行くことを勧められた。渋々出掛けた先で、ドラウディロンからシャルティアの再びの出撃を依頼され――。

今回もドラ注意です。


「再びで申し訳ないんだが、ブラッドフォールン嬢を出してくれないだろうか。」

 アインズはドラウディロンの話を聞きながら、死の騎士(デスナイト)の配備は絶対必要だと確信した。

 

 シャルティアの影響力を最大限に高めたいと言うデミウルゴスの進言により、竜王国にはアンデッドを置かなかったのだ。

「最速の策ではないことは分かっているが、どうしてもこの手で手に入れたい。任せてほしい。」と頑張ってくれている。

 何故最速の策を取らないのかアインズには分からなかったが、下手な事を突っ込めば藪蛇だ。

 アインズはデミウルゴスに全てを任せると言ったが、もうあれから一年が経つし、アンデッドの配備について相談しても良いかもしれない。

 が、デミウルゴスが良いと言っても今すぐ制作して配備することは躊躇われる。と言うのもアンデッドの素が大分減っているからだ。

 死刑囚などの回収は日々進めているが、中々死体が手に入らない状況はこの先を考えるとかなり不安だ。

 日の傾き始めた部屋の中でアインズは決断する。

 ビーストマンの死体が死の騎士(デスナイト)青褪めた乗り手(ペイルライダー)になるかはまだわからないが、ナザリックの不安を取り除くため、素材回収の殺戮だ。

 

「そうだな。不安を取り除くか。」

 ドラウディロンの様子を見るとその顔は柔らかな夕陽に照らされて赤かった。

「…ありがとう…。」

 

 アインズはモノクルをしまい、制御の腕輪と並ぶように着けている茶釜時計をチラリと確認した。

「さて、それでは方針も決まったし私は一度ナザリックへ戻るとしよう。フラミーさんが困っていては可哀想だからな。」

「アインズ殿…待ってくれ…。」

 ドラウディロンはたった一人何もかもを預かり持とうとする王を案じた。

 この王は女神にも寄りかかれないのだとしたら、一体誰がこの王を癒し守るのだろう。

 常に自分の半身たる、もう一つの世界の理が脅かされないか気を配り、たった一人国と美しい全てを守る。

 目の下に入る不思議な亀裂は涙のように見えた。

 せめて国を安心して誰かに任せ、心休まる時間があれば――。

「どうした?シャルティアの力はもう存分にわかっているだろう?それに私も出るからそう浮かない顔をするな。」

「そうじゃないんだ…。なぁ、貴君が以前私に言ってくれた言葉を覚えているか…?私への…教訓を…。」

 アインズは目を伏せ、その時を思い出しているようだった。

「……当然だ。あの時の話だな。」

「そうだ…。」

「あの時だな。」

「あぁ…。」

「あの時か…。お前はよく覚えているな。」

「貴君と交わした全ての言葉を私は覚えているとも。」

 ドラウディロンは初めてシャルティアが出撃した時の言葉を思い出していた。

 

(強さとは単純な暴力だけではないだろう――戦場とは皆それぞれだ。)

 

 どれほどその言葉に救われただろう。

 あれ以来ドラウディロンは学び続けていた。

 始原の魔法を取り戻すための勉強は勿論の事、位階魔法の勉強、王としての自分の戦場を往くための勉強など幅広い。

 将来を誓い合って一年。

 ドラウディロンはたった一年で生活魔法を覚えた。

 普通は魔導学院に通うか、誰かの下に弟子入りし、才能の有無にもがき苦しみながら数年かけて学ぶ事が多いと言うのに――誰の師事も受けずに手に入れたそれは、血の滲むような努力の結晶だろう。

 第一位階ですら使えるものはほんの一握りなのだ。

 

「この一年間、私は凡ゆる力を求め続けた。貴君がそうして来たように。」

 ドラウディロンはその腕にハマり続ける腕輪へ視線を落とした。

 決して外さないと誓った約束の腕輪を。

「私は――私なら、国を治める事に関してはフラミー殿を凌ぐ。この私の力を…どうか認めて欲しい。」

 アインズはドラウディロンをじっと眺めていた。

「そうか。」

 たった一言。

「アインズ殿、私は王という戦場で戦い抜けるだけの力を持っているぞ!私はきっと、貴君が国を任せても大丈夫だと思えるだけの女になったはずだ!…だからっ、だからっ!」

 ドラウディロンは息継ぎもせずに一気に言うと、自分の顔を抑えた。

 泣いてしまいそうだった。

 この王の為だけに一年生きたのだ。

 毎日会いたかった。本当はこの世の全ての理を知る叡智の結晶であるその身に教えを請いたかった。

 親友との結婚は胸が張り裂けそうだ。

 しかし二人の幸せは心から喜ばしかった。

「お、おい。大丈夫か。ドラウディロン?」

 心配そうな声が聞こえるがドラウディロンはこんな顔は見せられないと顔に手を当てたまま首を振った。

「…相変わらずたまに幼児退行だな。おい、お前達席を外しなさい。」

 控えていたシャルティアと宰相が立ち去りドアを閉める音が響く。

 ドラウディロンの肩は震えていた。

「あいんず殿っ!私は国を預かれるぞ!!」

「落ち着きなさい。最初からそんなことは分かっている。」

「…え…?な、なんて…?」

 ぴたりと涙は止まり、恐る恐る顔を覆う手を下ろしていく。

「私は最初からお前にはそれができると分かっている。今更何を言っているんだ。」

 正しく評価し、常に見守ってくれていた神を、ドラウディロンは見上げ硬直した。

 では、この力を持って自分を神聖魔導国へ――。

「涙は止まったな。さて、私は今度こそ帰る。おい!シャルティア!」

 アインズがソファを立ち上がり、外からシャルティアが戻るのを見るとドラウディロンも慌てて立ち上がりその腕を取って引き止めた。

「待って!待ってくれアインズ殿!!」

「ッチ。不敬でありんすねぇ…。」

「今度はなんだ?本当にお前は秋の空のような女だな。」

 皮膚の下にアインズの骨格を感じる。

 ドラウディロンは呟くように言葉を紡いだ。

 

「…なぁ、フラミー殿を信じて向こうを任せて…。今夜は、今夜はこのまま泊まって行かないか…精一杯…もてなすから…。」

 

 覚悟を決めたドラウディロンは顔が熱を持つのを感じた。

「持て成しは感謝するが…私はフラミーさんが居ないところでは眠れんのだ…。」

「な、なぜ…?」

「夜私が目を閉じている間にアレが消えてしまわないように、この腕に収めておかなければ……。闇に紛れてアレが消えるようなことがあれば私は狂う…。」

 その手は一瞬震えたようだった。

「夜、闇が深くなる時に光を守らなければいけないのは解るが……。アインズ殿…そんなんでどうやってこの先側室や第二第三の妃と子を持つと言うんだ…。」

 闇の神はキョトンとした。

 夕日ははいつの間にか遠くの山の端にかかり、今にも落ちてしまいそうだ。

 それはまるでかつて共に見上げたハナビの終わりのようで――

「私は他の者と子を成すつもりはない。フラミーさんにも誓っている。」

 ――まるで共に見下ろした毒々しい血濡れた大地の様だった。

 ドラウディロンは絶句した。

 何故。これまでそんな事を言ったことは無かったのに、フラミーが誓わせたのか――。

 震える拳を握り締める。

「……フラミー殿を呼んでくれ…。」

「何?向こうを任せていると言ったばかりじゃないか。」

「呼んでくれ!!」

「…やれやれ。」

 アインズはドラウディロンの様子を見ると、転移門(ゲート)を出して立ち去った。

 シャルティアを連れて行かなかったと言うことは戻ってくると言う事だろう。

 

 ドラウディロンはアインズの転移門(ゲート)が閉じるとぺたりと床に崩れるように尻餅をついた。

 最初は後宮に入って形だけの婚姻になると思っていたし、それを望んでいたが――ドラウディロンはアインズとの子を持ちたかった。

 曽祖父も近頃はとても応援してくれているし、自分の血を残したい。

 このままでは例え神聖魔導国へ嫁いでも、ドラウディロンは子を授けてはもらえないだろう。

「フラミー殿……こんなの…あんまりじゃないか……。」

 

 シャルティアは面白そうに女王を見てからその部屋を立ち去った。

 

+

 

 ドラウディロンも大変だなぁとアインズは苦笑しながら第九階層の廊下を歩いていた。

 いつも宰相を顎で使っている女王も流石に王として疲れてきている様子だった。

 ああ言う気持ちはアインズもよく分かる。

 なんなら毎日「俺ちゃんと出来てますよね!?」と叫びたい。

 ドラウディロンはフラミーよりうまく国を治められていると主張していたが、当たり前だ。なんならアインズよりも余程うまく国を治めているだろう。あの女王はそうなるように生まれ、育てられて来たのだ。

 デミウルゴスの話によるとドラウディロンは為政者として良くやっているらしい。

 王としては及第点だと、しばらく竜王国を任せても大丈夫だと言っていたのを思い出す。

 ただ、どれだけ優秀な者でも心が疲れることはあるだろうし、友人とお泊まり会だってしたくなる物だろう。

 アインズはフラミーの部屋に着くと軽くノックしながら扉を開いた。

「こんこーん。フラ――いないのか。」

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達もメイドも居ない。何処かへ行っているようだ。

 アインズはそっとこめかみに手を当て呪文を発動する。

「――<伝言(メッセージ)>。」

 数秒の後、『はい。フラミーです。』

 余所行きの声が聞こえるとアインズは誰もいないフラミーの部屋で鈴木悟としての声で応えた。

「俺です。今おんみの部屋なんですけどどこですかー。」

『あぁー!今デミウルゴスさんとBARナザリックですよぉ!』

 途端に嬉しそうな、締まりのない声になった事にアインズは少し笑い、移動を始める。

「まーたデミウルゴス虐めてるんですか?」

『虐めてませんよぉ。可愛がってます!』

「…いや、それはそれでどうなんだ…。」

『え?じゃあ可愛がってもらってます!』

 

 ガランガランと来客を知らせる鐘が鳴る。

「『………フラミーさん、それは問題でしょ。』」

「『へへへ。息子に可愛がられちゃ親の名が廃りますね。』」

 二重に聞こえだした声に二人は目を見合わせて笑った。

 カウンターに座るフラミーは振り向いた体勢で親指と小指を立てた受話器型の手をそのまま振った。ここはハワイか。

「アインズ様、おかえりなさいませ。」

「あぁデミウルゴス、虐められてないか?」

 カウンターの向こうで副料理長とテスカが深々と頭を下げているのに手を挙げて応える。近頃は来客も増えているので、店員を増やしたのは正解だった。

 背の高い椅子から立ち上がってアインズを迎えていた悪魔は頬を少しかくと笑った。

「もちろんで御座います。本日は私が畏れ多くもフラミー様をお呼び出しいたしました。お弁当のお礼に。」

「あぁ、そう言えばそんな話もあったな。」

 フラミーは副料理長と協力してデミウルゴスが作った夕飯を口に放り込み嬉しそうにしていた。

「それよりアインズさん、今日お泊まりは?」

「え?なんで分かるんですか?食べ終わったらフラミーさんも行きましょうね。」

 

「「えっっ!!??」」

 

 二人の尋常じゃない驚き様に、アインズもビクリと一瞬肩を揺らすと鎮静された。

「二人して何だ?大きい声を出して。とにかく、ドラウディロンが王として疲れているから少し構ってやって下さい。」

 子会社の社長のケアだ。

「え、あ、えへへ。そうですよね。行きます行きます。」

 フラミーは少し顔を赤くしていた。

「そうして下さい。デミウルゴス、竜王国の今後の方針と死体の残数で少し話があるからお前も来なさい。」

「今後の方針…死体…。なるほど、そういう事ですね。畏まりました。お供させて頂きます。」

 

 その後アインズはちゃっかり食事会に参加した。




え!ドララとフララ、絶交はしないよね?

次回 #22 神様の気持ち
相変わらずドラ注意です!

杠様より抱っこしてなきゃ寝れない御身頂きましたよ!

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#22 神様の気持ち

最高にドラ注意報です

前回のあらすじ
アインズはビーストマン狩りを快諾し、一も二もなくナザリックへ帰還しようとすると、ドラウディロンに泊まっていくように勧められた。しかし、アインズはフラミーのいない場所では眠れないと不安を吐露する。「そんな事でどうやってこの先側室や第二第三の妃と子を持つと言うんだ」ドラウディロンの言葉にアインズは首を傾げた。「私は他の者と子を成すつもりはない。フラミーさんにも誓っている。」アインズの言葉にドラウディロンは驚愕すると、フラミーを呼べと叫んだ。ドラウディロンは嫁ぎ子を持つ日を楽しみにしていたと言うのに、もう嫁いでも子を持てる日は来ないのか――――。


 アインズは少し遅くなってしまったがフラミーとデミウルゴスを連れてドラウディロンの執務室に戻った。

 明かり一つ灯っていない薄暗い部屋で、ドラウディロンは遠く眼下に広がる街の光と空に輝く星達を眺めていた。

「フラミー殿…。」

「ドラウさん!」

 フラミーが嬉しそうに近付くと、ドラウディロンは一歩下がった。

「…アインズ殿。フラミー殿と少し二人で話しをさせてくれないか…。」

「構わんぞ。存分に話しなさい。」

 アインズは暗闇の部屋でフラミーの顎を掴むと顔を上げさせ、軽いキスをして微笑んだ。

「話が終わったら迎えに来ますから呼んで下さいね。デミウルゴス、行くぞ。」

「は。」

 顔を赤くするフラミーを置いてアインズは部屋を後にした。

「アインズ様、宜しいのですか?」

「宜しい宜しい。これこそが大事なんだとお前にも分かるだろう。安心してフラミーさんに任せてお前はお前の務めを果たせ。」

「これこそが大事…フラミー様にお任せ…竜王国の方針…死体の残数…。」

 デミウルゴスは何やらブツブツ言うと閃いたような顔をした。

「どうかしたか?」

「申し訳ありません、アインズ様。何卒一度ナザリックへ戻るご許可を頂けないでしょうか。」

「構わんが…忘れ物か?」

「はい。忘れ物でこざいます。」

「ははは。お前が珍しいじゃないか。良いぞ、行きなさい。」

 アインズが転移門(ゲート)を開くとデミウルゴスは頭を下げて立ち去った。

 

 夜に飲まれた部屋の中でドラウディロンはフラミーをまっすぐに見据えていた。

「フラミー殿…貴君は陛下をなんだと思ってるんだ…。」

「へ、へいか?」

 あまり聞いたことのない呼び名に数度瞬いた。

「…神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下だ…。」

 フラミーは王として悩むどうこうではなく明から様に不愉快そうにしている友人を前に焦りだした。

 本当は今夜久々に伽をする予定だっただろうに、自分がアインズにあんな事をされては気分も悪くなる。

「あの…本当いつもごめんなさい…。」

 

「ごめんなさいじゃない…。貴君は陛下と国の未来を一体どう思っているんだ。」

「国の未来…ですか…?」

「そうだ。本当に陛下と国を思うなら、陛下のご寵愛を自分だけの物にしようと言うのは違うんじゃないのか…。」

「あの…、最近はちょっと出掛ける事が多くて、アインズさん、あ、いや…陛下も…全然ここに来られなかったと思うんですけど…。」

 フラミーも毎晩自分の所でアインズが眠っていて良いのだろうかと思わなかったわけではない。

 しかし行かないなら行かないでもう良いと甘えていた。

 

「そうじゃないんだろう…。私は貴君が陛下と婚姻を結ぶと聞いて心からの祝いの言葉を送ったのに。」

「お手紙ありがとうございました。すごく嬉しかったです。なんだか抜け駆けしたみたいになっちゃって…本当ごめんなさい。」

 

「抜け駆けだとかそんな事私は気にもしていない。手紙に乗せた祝いの言葉は全て真実だし、貴君が第一神王妃として立つ事も最初から分かっていた。しかし、陛下はこの先持つ何人もの妃と、何百もの側室と、国と世界の為にお子を設けなければいけない事をちゃんと解っているのか。」

 フラミーは動揺した。

 自分の四人以上増やさないでくれと言う受け入れられてしまったワガママは世界の為に――いや、ナザリックの為にならない。

 皆カルサナスの時、世継ぎの誕生をあれほど望み喜んでいたのだ。

「分かってたんですけど…。だけど…辛くって…。私…。」

 自分が何も守れないのが悪いくせに、アインズを離さず、安全な場所で暮らしているドラウディロンの下へ行かせなかったのはあまりにも利己的だ。

 その点ドラウディロンは百人でも他に女性ができることをきちんと受け入れている。

 

「見損なったぞ。貴君は女神としてこれまで何でも手に入れて来たんだろうが、地上に降りた以上地上のルールに従ってくれ。ここはもう神話の世界じゃないんだ。」

「私が…なんでも手に入れて…来た………。」

 何一つ手に入れることが出来なかったフラミーは震える手で、腹に――いや、手に入れられた筈が自ら殺したものに触れた。

 

「…羨ましいよ。闇の神は光の神のいうことなら何でも聞くだろ…。陛下は貴君に国一つ任せられなくて…少しも自由なこと何て出来ないのに…。共に未来を見据え助けにならなきゃいけない筈の神王妃は自分のことばかり…。いつも陛下に自分を守らせて…本当に貴君の力は陛下に必要なのか…。私は、私は政治だって何だってお手伝いして差し上げられるのに…私の子ならそういう事も教えてやれるのに…。」

 ドラウディロンが涙を零し始め、わずかな嗚咽が部屋に溢れた。

 

 窓から差し込む月の光の中フラミーは深く反省した。

「ごめんなさい…。」

「…謝る相手が違うだろう…陛下にお詫びして来たらどうだ…。」

「そうですね…。ドラウさんはすごいよ…本当に。」

「すごいもんか。私は子を持てない辛さを他人に押し付けたくないだけだ…。貴君も押し付けるんじゃない…。」

 フラミーは聞きながら顔を左右に振り、胸を押さえると突然フラついた。

「子を………ッ<転移門(ゲート)>!!!」

 叫びに近い詠唱と共に深い闇が開くとフラミーは倒れこむように潜って行ってしまった。

 ドラウディロンは少し泣くと深い闇と光が共にある夜空を見上げた。

『貴女の不敬なる望みを言いなさい。』

 どこかからか耳障りのいい女性の声が聞こえた気がした。

 手を前に組んでドラウディロンは闇へ呪いにも似た願いを吐く。

「光が闇への影響力を落としますように…。」

 そう言ってからドラウディロンは内省する。

(…この願いは間違っているか…。)

 

 すると、ドラウディロンの影がゾワリと動いた。

「え?何だ…?」

 一瞬自分の目を疑い、ゴシゴシとこする。

 影を見つめていると、それは二つに割れて行き、ドラウディロンは慌てて割れた影の主をその目にとらえた。

 いつの間にかドラウディロンのすぐ隣には女がいた。

 いや、おそらく女だ。

 世界が嫉妬(・・)するような女の身を黒い皮で出来たようなボンテージファッションに包み、カラスの頭と黒い翼でできた腕を持つ者がいた。

 異形を前にドラウディロンは思わず尻餅をついた。

「ま…魔物!?衛兵!!衛兵!!!」

 ドラウディロンの部屋の外で控えていた者達が慌てて入室してくる。

「陛下!!あ…あぁ……。」「な!?あっ…く…!!」

 しかし、ドラウディロンも衛兵も目の前の者から放たれる圧倒的強者としての感覚に身震いを止められない。

 早くアインズを呼ばなければと抜けた腰をなんとか奮い立たせようとしていると、女はドラウディロンを覗き込むようにし――「私は悪魔。貴女の願いの契約はなりました。」――喋った。

「悪魔!?願い!? 」

 衛兵達は一瞬呆然としたが、女王は王として培ってきた物に突き動かされるように叫んだ。

「アインズ殿を呼べ!デミウルゴス殿もだ!!」

 衛兵はハッと我に帰ると一人はドラウディロンの下に残り、一人はアインズの下へ走った。

 

 煌びやかな王宮の廊下に、まるで相応しくない足運びで行く。

 

 衛兵は目的の部屋に着くと、飛び込むように扉を開いた。

「神王陛下!!デミウルゴス様!!」

「な、神王陛下に無礼ですよ!」

 宰相が少し焦り注意するが、衛兵は止まらない。

 中ではビーストマン対策作戦会議が行われている真っ最中のようだった。

「陛下!!女王陛下の執務室へお急ぎください!!」

「あぁ、話は終わったようだな。よっこらせ。」

 アインズがフラミーを迎えに行こうと立ち上がると、控えていたシャルティアも動いた。

「違うのです!執務室に悪魔が出ました!!デミウルゴス様は、デミウルゴス様はどちらですか!!」

「悪魔だ?うちの者をこれだけ置いているのに侵入されるわけがないだろう。それにデミウルゴスは今忘れ物を取りに――」

「し、しかし!!事実悪魔を名乗る者が!!」

「分かった分かった、行ってやるから静かにしろ。全く騒々しい奴だ。シャルティア、お前はデミウルゴスを呼び出せ。」

 アインズは気怠げに手を振った。

 

+

 

 衛兵が飛び出して行って以来悪魔はピクリとも動かなかった。

 ドラウディロンは直感する。

(アインズ殿は全ての闇の上に君臨する。この者は悪魔なのだから、アインズ殿を知らないわけがない――!!)

 相手はその名に驚き硬直しているのだ。

 すると、外から大人数の者が駆けてくる音がし、ドラウディロンは勝利を確信した。

 半開だった扉は勢いよく開けられ、宰相や執政に携わる多くの者達、民兵の指揮を執る者達――そして現れた闇の神と二名の守護神が駆け込んできた。

 アインズは部屋に入るなり悪魔を見咎め訝しむような顔をした。

「――ん?なぜお前が?」

「アインズ殿!申し訳ない!!いつの間にか侵入されていた!!協力してくれ!!」

 対峙した悪魔はゆっくりと頭を下げた。

 それはまさしく神へ行う、細心の注意を払った挙動だ。

 一瞬だけアインズかデミウルゴスの配下の者かと思ったが、あの者達がドラウディロンに隠して何かを城に配備したりすることは考えにくい。

「これはアインズ・ウール・ゴウン――様。私の名前は嫉妬(レヴィアタン)と申します。」

 レヴィアタン…?とアインズが呟く。

 やはり知り合いや配下の者ではなさそうだ。

嫉妬(レヴィアタン)!強大な悪魔ではないですか!!」

 アインズと共に入ってきたデミウルゴスの緊迫した声に皆が身を強張らせた。

「ほんとでありんすねぇ。」

 この神々に強大だと言わしめる存在が目の前にいるのでは、今生きていられることは奇跡だ。

 一瞬アインズがそうなの?と言った気がした。アインズ程の力を持つ者の前では如何に強大な悪魔でも大したことはないのかも知れない。

 

「まぁいい、目的は何だ。」

 アインズはまるでデミウルゴスに尋ねたようだった。

 悪魔は平気で嘘をつく存在だし、このレヴィアタンなる者に聞くよりも確実なためだろう。

「私はこの女王のフラミー様に嫉妬する気持ちから召喚されました。そして光が闇への影響を失うように願われ、契約を行いました。」

 ドラウディロンの背に大量の冷や汗が流れた。

「何だって!?私は、私は召喚なんて…!!それに、その願いも貴様に願ったつもりなんて――!!」

「待て、それで、フラミーさんはどこだ?」

 アインズは途端に部屋をキョロキョロと見回し始める。

「女王が追い出しました。」

 レヴィアタンの発言に、周りの者達の視線はドラウディロンに集まり――そのまま滑るようにドラウディロンの後ろへ送られた。

 何事かと振り返った先には星の光が輝く空に、ポツリと青白い光の球があった。

 星より大きく、地に近い所だ。

「何だと!?」

 アインズは慌ててこめかみに触れ、部屋には場違いな静寂が流れる。

「ックソ!!繋がらん!!デミウルゴス、シャルティア!!ここはお前達に任せる!!」

「あ、アインズ殿!!待ってくれ!!」

 ドラウディロンはこの世で最も強き者が離れてしまうことに心細さを感じ、思わず去ろうとしたその手を握った。

「待てん!!離せ!!」

 即座にシャルティアに引き剥がされる。

「アインズ様、ここは我々が。」

 アインズはデミウルゴスとシャルティアに頷くと転移門(ゲート)を開いて飛び込んでいってしまった。

 

+

 

 フラミーは竜王国の空を飛んでいた。

 割られた大気が耳元でゴウゴウと言う風切り音を生む。

 アインズにもドラウディロンにも合わせる顔がない。

 どこでもいいから逃げ出したい。

 良く知ったはずの辛さを人に押し付けて来たなんて、フラミーは思いもしなかった。

 最早フラミーがアインズのそばにいて、アインズとその周りの人のためになる事が一つでもあるのだろうか。

 伝言(メッセージ)が届く感覚に呼ばれるが、とても出られる精神状況ではない。

 恐らくその先はアインズだろう。

「会えない…会えないよ…!…アインズさんだってあんなに悲しんだのに…私は何も考えないでそれを押し付けて来たのに!!」

 思わず泣きそうになるが、自分が人の生活を縛り、人を傷付けて来たというのに被害者面することも出来ず、ただただ心の中でもがいた。

 ドラウディロンは素晴らしい女性だ。

 生まれた時から王として全てを覚悟してきっと生きて来たのだろう。

 自己中心的で人の気持ちを顧みない自分との差にただただ絶望する。

 ふと地上へ視線を落とすと、フラミーの存在に気付いた人間が手を組み、何かを祈る姿がチラホラと見える。

「私は神様なんかじゃない…!!ドラウさんの言う通り神様ならなんでも手に入れられるのに!!自分の事だって、大切な人だって幸せにできない私が誰かに幸せなんか分けてあげられないよ!!」

 フラミーは空に立ち止まり叫ぶと――猛烈な破壊衝動に駆られた。

 温かな光が漏れ出る家のバルコニーから自分へ祈る者、愛する者と手を繋いで自分を指差す者、子供と共に嬉しそうに自分を見上げる者。

 どこを見ても、信頼と信仰に溢れている。

 フラミーの耳には自分の呼吸音と心臓が胸の外へ飛び出すのではないかと言うほどの鼓動が響く。

 

 ――破壊したい。

 

 自分が引き起こせる惨劇を想像するとフラミーは昂ぶった。

 

 地上にはどんどん人間が集まり、フラミーを指差しては手を前に組んでいた。

 鼓動に全身をバラバラにされる。呼吸が乱されていく。

 フラミーはその身に青白く幻想的な魔法陣を纏った。




すごい!ドラちゃん全ての地雷を踏み抜いた!!

ドラ出ません!
次回#22 夫婦喧嘩


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#23 夫婦喧嘩

ドラ出ません!

前回のあらすじ
ドラウディロンはフラミーを連れて戻ったアインズに、席を外して欲しいと頼んだ。これまでは神として何でも手に入れてきたであろうフラミーに、地上に降りたなら地上のルールに従えと、アインズの寵愛を独り占めしようとしたその身を叱責した。フラミーはドラウディロンに謝罪し、ドラウディロンが何人の妃でも受け入れようとする姿勢をスゴイと評した。「すごいもんか。私は子を持てない辛さを誰かに押し付けたくないだけだ。」フラミーはその言葉から逃げるように<転移門/ゲート>を潜ると、ドラウディロンの下には謎の悪魔が現れる。悪魔は自分こそドラウディロンに召喚された者だと、助けに入ったアインズに名乗った。アインズは部屋にいないフラミーを案じていると、空には超位魔法の魔法陣が――。


「<魔軍逬発(パンデモニウム)>!」

 

 時間制限を迎えた魔法陣が割れると、フラミーの前には八十レベルの魔将が六体姿を現した。長いツノが印象的な、ヤギの頭蓋骨を彷彿とさせる頭部だ。身体は青白く、筋肉質な胸には呪いの紋様が走っている。黒い翼を持ち、腕は翼と同様の黒き羽毛で覆われている。湾曲した鉤爪は暴力の権化のようだった。

「六悪魔、推参。フラミー様、御身の前に。」

 全員が丁寧にフラミーへ頭を下げる。

「あなた達……私をなんだと思う。」

 フラミーの瞳は鋭く、見る者の心胆を凍りつかせるようだった。

 六体の悪魔達は召喚主の言わんとすることを掴もうとフラミーを見た。

「――大悪魔かと。」

 フラミーは笑った。

「そうだよ。私は悪魔だから、何一つ手に入れられないんだろうね。神様だったら良かったのに。 」

「御身は我ら悪魔の神であります。」

 悪魔のお世辞にフラミーの眼光は緩んだようだった。

「ふふ、ありがとうございます。ねぇ、七人で最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)を使ったらどれだけ悪魔が出るかな。」

「最低八百八十九体です。」

 地上の光を睥睨する。

「もう少し出したいね。数で押そっか。」

「人間共を殺し尽くすのならばもっと良い魔法もありますが。蒸発させるような。」

「そんなのダメだよ。誰も何も手に入れられないともがき苦しむ中の死を。」

「畏まりました。絶望の中の大虐殺を――。」

 

「フラミーさん!!」

 悪魔の言葉を遮るように響いたアインズの到着の声にフラミーはびくりと肩を揺らした。

「あ、アインズさん…。なんでここに…王子様はお姫様の側にいてあげないと…。」

「だから来たんじゃないですか!こんな所で超位魔法なんて何事かと…あぁ、無事でよかった…!嫉妬(エンヴィー)からドラウディロンに追い出されたって聞きましたよ!護衛を出したのは偉いですけど、俺を呼んでくれたらよかったのに。」

 アインズがフラミーに近付きかけると悪魔達は臨戦態勢に入るように武器に手をかけ腰を落とした。

 その様子にアインズは一気に警戒度を引き上げ――「…貴様達どこからきた悪魔だ。」

「フラミー様に喚ばれし悪魔だが。」――警戒度を下げた。

「悪魔は割と荒くれているものか?…さぁフラミーさん、帰りましょう。」

 アインズの伸ばした手をフラミーはジッと見ると首を振った。

 

「私、帰れない…。」

「ドラウディロンの城なんかに戻ろうってんじゃないですよ。ナザリックです。」

「帰れない。本当はアインズさんに合わせる顔も…ないですもん……。」

「何言ってんですか。ちょっと飛び出したくらいで怒る俺じゃないですよ。」

 友人と喧嘩した様子に苦笑しているとフラミーはもじもじして悪魔越しにアインズを見上げた。

「それに、人間を絶望させたいの。」

 物騒すぎる発言にアインズは思わずエッと声を漏らした。

「殺していい…?」

「こ、殺しちゃだめ…。」

 残念そうにする姿にツアーの言っていた精神の変容を思い出す。

 与えられれば残虐な事を楽しむところはあったが、幾ら何でもこれは何かがおかしい。

 

「フラミーさん、兎に角こっちに来てください。俺が話し聞いてあげますから。」

 アインズが両腕をフラミーに伸ばすと、フラミーは泣きそうな顔をした。

「私、そんなに優しくしてもらえる価値なんかないです!!」

「落ち着いて下さい!仲直りくらい俺の手にかかれば――」

「もう仲直りなんかできないよぉ!!<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>!!!」

 フラミーの周りに黒い泡が渦巻いた。

「は!?」

「<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>。」「<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>。」

「<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>。」「<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>。」

「<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>。」「<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>。」

 

 六人の悪魔達も一斉に同じ魔法を唱えると、フラミーを取り巻いていた黒い渦と合わさり、大きく巨大な一つの竜巻へと姿を変えた。

 夜空の光は巨大な闇に吸い込まれるようだった。

 夥しい量の悪魔達が闇の渦より現れる。

 空気を震わせるような笑い声が響いた。

 アインズは見たこともない量の悪魔達を前に呆然と空を見上げた。

 この魔法で喚ばれた悪魔達は誰の言うことも聞かない。

 本来であれば十レベル足らずが六十四体、二十レベルが三十二体、三十レベルが十六体、四十レベルが八体、五十レベルが四体、六十レベルが二体、七十レベルが一体出てくる。

 しかし、辺りには十レベル足らずと二十レベル、そして三十レベルの悪魔達しかいなかった。

 それは十から三十までの悪魔達が倍の数召喚されていることを意味する。

 三十レベル程度の悪魔等アインズの敵ではないが――悪魔達は地上へ向かって降りだした。

 光の消えたその光景は、まるで世界の終わりのようだった。

 

「くそ!ビーストマンどころの騒ぎじゃない!!」

 アインズは悪魔達が舞い出てくる様を見上げると慌てて杖を構え、一気に消し去ってやろうと超位魔法の魔法陣を出す。

 しかし――「<冒瀆(ブラスフェミー)>!!」

 響いたフラミーの声に驚愕し振り返った。

 痛みは皆無だが、第七位階のその魔法の生んだ衝撃波にアインズは身を動かされ魔法陣は消滅した。

「うわっ、何やってんですか!!」

 再び魔法を発動させようとすると悪魔達も「攻撃しますよ」とでも言うように武器を抜く。

「主人の望みは大虐殺だ。」

「ッチ!コイツらもう片付けますからね!!」

「させません!!<悪魔の諸相:八肢の迅速>!!」

 二人は睨み合った。

 

「<第十位階死者召喚(サモン・アンデッド・10th)>!悪魔共を葬れ!!」

 天使の性質を持っているフラミーに呼び出される悪魔は普通のものよりも脆弱だ。

 かと言って、フラミーの呼ぶ天使が強いかというとそうでもない。

 天使を呼び出せるのはこちらの世界に来てかなり都合が良いが、同時に悪魔の性質を持つフラミーが呼び出す天使も脆弱だ。

 流石に超不人気職なだけはある。ユグドラシルは何かに優れていると、それに見合う弱点がある。これはメリットとデメリットを持たせることでバランスを取る為である。

 

 アインズは十分六悪魔を倒せるアンデッド達を呼び出すと、悪魔の諸相により移動速度を上げていたフラミーに正面から近寄ることをやめた。

「<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>!」

 即座に転移し、目の前にいるフラミーを掴もうとすると――幻術だった。

 手はスカリとフラミーを通過したと思うと「<閃光(フラッシュ)>!!」眼前で閃光が弾けた。

 抵抗の成否関係なしに一時的だが視野を奪う魔法に軽く舌打ちをする。

 力がなくても逃げながら戦う事に長けているプレイヤーは厄介だ。

「こんな戦い方誰が教えたんだ!!<自由(フリーダム)>!!」

 戻った視界で素早くあたりを確認すると、フラミーは自分の悪魔とアインズの生み出したアンデッドに向かって降下しつつ、アンデッドへ<現断(リアリティスラッシュ)>を放ったところだった。

「じゃじゃ馬娘が!!<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>!!」

 アインズは身を消すと<飛行(フライ)>で急降下する。

 フラミーに追いつくと再び魔法を放とうとしたタイミングで姿を現し――「<不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)>!!」

「っあぁ!<上位全能力強(グレーター・フルポテ)――。」――その肩にトン、と触れた。

 フラミーが麻痺し落下を始めると、急ぎ抱き寄せ、もぎ取る様に杖を奪った。

 可愛らしいタツノオトシゴの杖を自分のレプリカの杖と合わせて無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に放り込む。

 しかし、麻痺抵抗を持たないほど相手も弱くはない。

 フラミーがすぐさま動き出し杖を取り出そうとすると両手首を掴み、家屋の屋根を破壊し入っていった。

 屋根には穴が開き、パラパラと破片やホコリが落ちた。

「はぁ…っはぁ…。」

「ッはぁ…はぁ……。」

 二人が息切れする中、悲鳴をあげて家の持ち主が逃げて行く。

 そして外に出た瞬間、<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>で呼び出された低級悪魔たちに千切られるように殺された。

 悪魔達がケケケッと三下丸出しの笑い声をあげ、家に入ろうとするとアインズは瞳を赤く燃え上がらせ睨みつけた。

 ミジンコでも恐怖は感じるらしく悪魔達は虐殺の続きへ向かって行った。

 

 アインズは視線を和らげると壁に背をあてるフラミーに向き直った。

「ったくもー本当に困った奥さんだなぁ。」

「…私…アインズさんの奥さんに相応しくないですもん…。」

 フラミーは悔しそうに目に涙を溜めていた。

「えぇ!?本当にどうしちゃったんですか?お、俺のこと嫌いになったんですか…?」

「なってないです…。」

「じゃあどうして!」

 フラミーの瞳からポロリと涙が一粒落ちた。

 

「陛下、陛下の役に立てなくて…ごめんね…。」

「へ、へいか?こんなに役に立ってるじゃないですか。俺は貴女がいてくれるだけで良いんです。貴女だけが俺を癒す全てなんだから!」

 握り締めていた両手首を離すとアインズはフラミーの顔を両手で掴むように包んだ。

「…私、ドラウさんみたいに政治の事何もできない…。ドラウさんみたいに陛下のこと支えてあげられない…。」

「ドラウドラウって、俺あいつに支えられたことなんて一回もないですよ!?あいつに一体何言われたんですか!」

「何も…何も言われてないです…。」

 いつも世界を愛して輝いていた瞳は濁りきっていた。

「嘘つかないで下さい!そんな目ぇして!!」

 フラミーは躊躇うように何度も口を開けては閉め、目を伏せてポツリとこぼした。

「…子を持てない辛さを…人に押し付けちゃいけないって…それだけ…。」

「なんだと!?そんな事を言われたのか!?」

 フラミーの発する言葉にアインズは胸を締め付けられ、激しい怒りが渦巻いた。

 知ってしまった都市国家連合の者達は仕方がないが、アインズは子供が出来たことも失ったことも誰にも言わなかった。

 ナザリックにも箝口令を敷き、決して外部に漏らしてはいけないと強く言い含めた。

 都市国家連合の者達にアインズは何も言わなかったが、ジルクニフが気を回し、他言無用だと通達していた。

 いや、言われなくてもアレを見た誰もが話す気など起きるはずもなく、皆が忘れたフリをし、決して口外されなかった。

「ドラウディロンに話したのか?」

「話さないよぉ…!でも私のやってることはそういう事だったのぉ…!」

 

 フラミーはボロボロ涙をこぼし始めた。

 治りかけていた傷口をドラウディロンに開かれたフラミーをキツく抱きしめ、それを癒す方法を考える。

 一体どうしたら――。

「アインズさんは国のために、ナザリックの為に子供を作らなきゃいけないのに…!」

「国!?ナザリック!?そんな事考えるんじゃない!!」

「私はアインズさんに守られてるだけの役立たずのくせに、何一つ守れなかったくせに――!」

「あぁぁ!良いんだ!!貴女が生きてくれてるだけでいいんだよ!!それに何も守れなかったのは俺だ!!」

 フラミーはブンブン顔を振った。

「ドラウさんは百人のお妃も受け入れるって…!でも、私、これ以上何人も、百人もお妃なんて受け入れられないよぉ…!受け入れないといけないのに、酷いことしてるって分かったのに、それでもやっぱり無理だよぉ…!」

「な、なんなんだ!?百人の妃って何の話ですか!!」

「ごめんなざぁい…。」

 フラミーはそれ以上何も言わなかった。

 涙で滅茶苦茶になってしまっているフラミーの顔を掴むとアインズは叫んだ。

「落ち着け!!落ち着けフラミー!!俺を見ろ!!」

 

 フラミーはしゃくり上げながらアインズと視線を交わした。

 いや、交わし続けた。

 外から聞こえる悲鳴の波の中、フラミーの呼吸がよく聞こえる。

「…いい子だね。」

 落ち着きを取り戻し始めたのを見るとアインズは顔を撫でるように涙を拭いた。

「俺はフラミーだけに俺の全てを捧げるから、そんな妃がなんとかなんて、言わないで下さい…。それに、子供だってまたすぐに出来ますから。」

 フラミーは震えながらアインズの顔に触れた。

「ふらみーだけで許されるの…?」

「俺はフラミーだけが良いんだよ…。文句を言う奴がいたら、俺がちゃんと黙らせるから…。」

 アインズが優しく告げ、軽く唇同士を合わせると、フラミーの涙は止まったようだった。

 

 唇が離れて行く。

「あいんずさん…。…じゃあ…四人から増やさないって約束…もうお終いだって思っても良い…?」

「え…?何の話ですか…?」

「私と、ドラウさんと、アルベドさんと、シャルティア以上増やさないって言ってくれた、指輪交換した日のお約束…。」

 アインズは誓いを立てた日の全ての会話を丁寧に思い出していく。

 まさか――そう思うと、背筋が凍りつくようだった。

「一回整理しよう…。フラミーさんは俺とドラウディロンをどういう関係だと思ってるんですか…?」

「…恋人…?あ…ううん。ドラウさんはアインズさんと結婚するって言ってたし、愛してるって言ってたし…。神官長の皆もドラウさんはアインズさんのお妃になる人だって言ってたから…婚約者…ですか…?」

 フラミーから紡がれる言葉にアインズは焦りとドラウディロンへの不信、怒りを感じた。

「ドラウディロンは何を言ってるんだ!?神官長も竜王への言い訳を真に受けてんのか!?いや、それよりも恋人なんて、婚約者なんてどんな勘違いだよ!?」

「か、かんちがい…?」

「そうだよ!!俺はいつだってあんたしか見てこなかった!!肝心のあんたがなんで俺を無視するんだよ!!もっとちゃんと俺を見てくれよ!!」

 顔を包む手の甲にフラミーの涙が伝って落ちていくと、アインズも泣けてきた。

 正しく伝わっていると信じてきた愛情が半分も伝わっていない。

「フラミーたのむよぉ…!俺はあんたに、俺の全てを差し出して良いって思ってるのに…!俺の全てを捧げてるのに…!」

 それは迷宮での答えのようだった。

「あ…あいんずさん…。ごめんなさい…ごめんなさい私…。」

 涙が落ちて行くのを止められない。

 フラミーの顔を包む手の親指で何度も頬を撫でた。

「…文香さん…聞いて…聞いて下さい…。俺は貴女だけを愛してるから、他に誰も絶対に嫁にしたりしないから、どうか俺と結婚して下さい…。」

 フラミーは自分だけのものではないと諦めていた全てを手に入れた。

「っすずぎざぁん…!」

「…返事は…?」

「お願い、お願いしますっ。」

「はは…それなら鈴木さんはもう、やめろってば……。」

 

 二人は悪魔に蹂躙され続ける街の、小さな家の中で抱き合って泣いた。

 

 世界最悪の夫婦喧嘩はようやく終わりを告げた。




…どらちゃん、そろそろアンケートの結果見せつけちゃうね…。

次回#23 ドラウディロンの呪い

杠様より本日のハイライト達を頂きました!

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挿絵生成スピードがえげつない…!!


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#24 ドラウディロンの呪い

ドラ出ます!


「それでは女王との契約を果たすため、代償を頂きましょう。」

 アインズが立ち去った執務室に悪魔の声が響いた。

 

「っ私は悪魔に願ったんじゃない!!代償なんて絶対にやらんぞ!!」

 ドラウディロンは拳を握りしめ、僅かに震えていた。

「召喚された以上願いを叶えなければ魔界にも帰れません。あなたのせいで現世との間に楔を打ち込まれたので願いは叶えます。それでは。」

 そう言うとレヴィアタンは窓を開けて足を掛けた。

「待ちなさい!」

 デミウルゴスの制止にレヴィアタンは「はい。」と素直に止まり、窓にかけた足を下ろすと丁寧に頭を下げた。

 ドラウディロンは微かな違和感を感じて首を傾げ掛けるが、最上位悪魔だと言うデミウルゴスもまた、悪魔達に頭を下げられる者なのだろう。

 デミウルゴスは心底不愉快そうにレヴィアタンを睨んだ。

 

「ここで戦いますか?」

 レヴィアタンが挑発するように肘から先の黒い翼を広げて見せると、デミウルゴスは悔しげに自分の周りにいる竜王国の重鎮達を見た。

 ここで戦いが始まれば、恐らく全員が巻き込まれて死ぬ。

「戦いません。しかし、あなたがここを出たら私達は必ずあなたを追います。フラミー様の消滅など見過ごせません!!」

 消滅――そこまで願ったつもりは無かったし、事実願っていないが、全員が震えるドラウディロンに視線を送っていた。

「女王…陛下………。」

 宰相の絶望したような声が響く。

「違う…違うんだ…私は、私は少しフラミー殿の力を――」

「そう言う事です。では私はこれで。」

 悪魔はドラウディロンが全てを言う前に黒い翼でふわりと風を起こし、開いた窓から闇に消えて行った。

 

「女王陛下!!何故そのような呪いを!!」

 信じられないとでも言うような国の重鎮達の視線にドラウディロンはふるふると首を振った。

「違うんだ…本当に違うんだ…!」

「なんと言うことを…。ああ!見なさい!」

 デミウルゴスが指し示す方を見ると、ポツリと浮かんでいた輝きは砕けた。

「そんな!!まさか!!フラミー殿!!」

 ドラウディロンは窓辺に駆け寄り身を乗り出すように外を見た。

 

嫉妬(レヴィアタン)も言っていましたが、我々悪魔は願いを叶えるために代償を必要とします。これほどの願いを叶える為に必要な代償は計り知れませんよ。」

「デミウルゴス殿!!どうしたらいいんだ!一体どうしたら――!」

 すると部屋の中は一気に暗くなった。

 差し込んで来ていたはずの月の光も、星の輝きも届かなくなった事に背を震わせる。

「ひ、ひかりが……。」

「これが光のない世界…。」

 二度と日も昇らないのではないかと思わされるほどの闇だ。

「回収でありんすね。」

「か、回収…?代償の…?」

 シャルティアが美しい真紅の瞳を向ける先で、ドラウディロンや竜王国の者達の想定したあらゆる代償を大きく上回る光景が広がり始める。

 空の暗闇から、もはや闇の塊のように見える程大量の悪魔が降り注いでいく。

 

「なんという事でしょう…。」

 デミウルゴスは圧倒的な力を前に背を震わせた。

 至高の四十一人の中でもほぼ最弱とは言え、一度にあれだけの悪魔を呼び出すとは誠神の所業。

 アインズがフラミーに任せろと言った意味もよくわかる。

 眺め、心酔していると、魔法の力を感じさせる輝きが空で数度チカチカと光った。

 そろそろ作業を始めろという合図だろう。

 顔面蒼白な竜王国の面々をもう少し眺めて遊びたかったが、行かねばならない。

 

「デミウルゴス様!光神陛下はもう弑されてしまったのでしょうか…!」

 宰相の額には大量の汗が流れていた。

「安心して下さい、お側でアインズ様が消滅させられないよう必死に守られている頃かと。」

「あぁ……神王陛下も我々がここにいるせいで戦えず…光神陛下を守るため一も二もなくお出かけになったのですね…。」

「そう言う事です。」

 この男は半端に賢いため扱いやすい。

 

「…わたしは…本当に願ってしまったのか…。」

 震えるドラウディロンを無視し、シャルティアはデミウルゴスへ振り返った。

「デミウルゴス、そろそろ妾達も出んしょう。」

「そうですね、嫉妬(レヴィアタン)を追わなくては。」

「デミウルゴス様、ブラッドフォールン様!どうか…光神陛下をよろしくお願いいたします…!」

 やはり宰相はよく出来ている。

 二人は勝利を確信するような笑顔を見せ転移門(ゲート)を潜った。

 

 その先は人間の血にまみれ、大量の死体が転がる地獄の世界だった。

 デミウルゴスとシャルティアは恐怖にまみれた豊潤な血液の香りにうっとりと鼻腔を震わせた。

 先に現地入りしていた嫉妬(エンヴィー )が丁寧に頭を下げ二人を迎える。

「アインズ様とフラミー様はどちらにいんすか?」

 さらりと辺りを見渡せば、空ではアインズのアンデッドとフラミーの悪魔が戦っていた。

 万一部外者に見られた時に戦っていましたと言えるよう配備されたか。

「今は近くの家屋でお休み中でございます。」

「女王は想定以上に不敬なことを言ったそうだね?フラミー様はお疲れでしょう。」

「何を言ったか知りんせんが、あの雑種は本当に教育が必要でありんすね。」

 三人は向かってくる弱い悪魔達を適当に殺しながら血の海を踏みしめ歩いた。

 一歩進むごとにパシャパシャと小気味良い音が響いて行く。

 シャルティアは頭の上に血のプールを作り出し、グングンとそれを溜めた。

「それで、楽しくはありんすが、どうして殺してからナザリックに持ち帰るんでありんすか?前におんしが王国でやったように生きたまま連れ帰れば自分の足で歩かせることもできんしたのに。」

「忘れたんですか。以前連れ帰ったクアゴアの子供を間引こうとした時にペストーニャとニグレドが邪魔した事を。あれは実に不愉快な出来事でしたからね。」

 ナザリックに連れ帰ってから殺そうとすれば邪魔立てが入るか。

 王都の時は荒くれた男達だけだったが、今回は女子供も無差別に回収するのだ。

 シャルティアはなるほどと納得するとナザリック、第五階層へ向けて転移門(ゲート)を開いた。

「手間ではありんすが、確実にアンデッドの素を手に入れるならこれが一番と言わすことでありんすね。」

「そう言うことです。それに、国際問題にならないよう全ての罪を女王へ被せて死体を持ち帰るのですから、我々が指示を出さなくても自由に行動する悪魔達の様子は説得力を高めるでしょう。好きにさせて、多少この国からも逃げ出して他所でも暴れるくらいがちょうどいいですよ。」

 悪魔が眼鏡を押し上げていると、転移門(ゲート)からコキュートスが姿を現した。

 

「待タセタナ。場所ハ用意シテオイタ。イツデモ受ケ入レラレル。」

「いきなりですみませんでしたね。もっと早くからアインズ様はきっと私に伝えてくださっていたのでしょうが…私が至らず気付くのが遅くなってしまいました。」

 支配者にBARナザリックで竜王国からの死体回収をやんわりと伝えられ、デミウルゴスは一時離席して大慌てでコキュートスに連絡を取った。

 あれから大した時間も経っていないと言うのに親友はやはり優秀だ。

「気ニスルナ。ソレヲ言エバ私モ気付カズ過ゴシテ来テシマッタノダカラ。」

 二人が丁寧に互いの事情を慰め合うとシャルティアは面白そうに笑った。

「おんしらは妾と違って成功だけの道を歩んでるわけではありんせんことでありんすからね。もっと精進しなんし。」

 今まで一切失敗無しの吸血鬼は無敵だ。

 以前には褒美としてペロロンチーノの百科事典(エンサイクロペディア)も与えられている。

「…シャルティア。私から説明を受けるように虐殺に参加させていただけず、あそこに置いていかれていたという事に、君も少しは危機感を持ったらどうかな。」

「な!違いんす!!雑種の監視のためにあの場を任されたに違いありんせん!!」

「……そうですか。ナザリックに私を迎えに来た時もまるで作戦に気付いていない様子だったと言うのに。」

「き、気付いておりんしたよ!!」

 あわあわし始めたシャルティアに、デミウルゴスはやれやれとでも言わんばかりに両手を挙げて首を左右に振った。

 プシューー…と冷たい空気が流れると地面に広がる血溜まりが凍っていく。

「…ドチラデモ良イガ、ソロソロ回収ヲ始メナイカ…。」

 一人嫉妬(エンヴィー )はせっせと悪魔を召喚し、死体を集めさせていた。

 

+

 

「…アインズさん…ごめんなさい…。」

「そんな、謝らないでください。俺が悪かったんですから…。」

 二人は床に座って壁に背を預け、固く手を握りしめ合っていた。天井に開いた穴から見える空は悪魔だらけだった。

「さぁ、そろそろ行きましょうか。お片づけが待ってます。」

 アインズはフラミーの首にかかる光輪の善神(アフラマズダー)をコツコツと叩いた。

 しかし外は妙に静かだ。

 二人はもそもそと立ち上がると家を出た。

 

「これは…?」

 家の外ではアインズが召喚したアンデッド達が控え、デミウルゴスとシャルティア、そしていつの間にか来ていたコキュートスが何やら楽しげに話していた。

 悪魔達はまだ大量にウロついているがここに控える者達のレベルの高さが分かるのか寄って来る様子はない。

 

「アインズ様、フラミー様。お疲れ様でございました。」

 デミウルゴスが代表して言うと守護者達は揃って頭を下げた。

「あぁ…。お前に全てを任せると言ったのにこんなにしてしまって済まなかったな。それにしても随分片付いているが…。」

 シャルティアは瞳を輝かせた。

「妾の眷属が今も死体の回収を進めておりんすよ!!」

「えっ、大丈夫なんですか…?」

 フラミーの問いはアインズも思った事だ。

 最悪アインズの始原の復活魔法で一気に起こせばいいと思っていたと言うのにどうやら守護者達は先走って死体をナザリックに回収してしまったようだ。証拠を隠滅するには些か死人が多すぎる。

 デミウルゴスは光輪の善神(アフラマズダー)に触れているフラミーに満面の笑みで頷いた。

「もちろん我々の悪魔や眷属ごと貫いて頂いて結構ですので、よろしくお願い致します。」

 全員の視線がフラミーの首に集まる。

 

 そう言う意味で大丈夫か聞いたのではなかったが、何はともあれ悪魔の掃討だ。

 アインズはそっとドラウディロンの腕輪を抜くとフラミーに渡した。

「じゃあ、これ着けて。効果範囲はなるべく絞ってくださいね。始原のこれなら多分出来るはずですから。最悪できなけりゃ世界中に降らせても良いです。」

 フラミーはこの腕輪を受け取っていいのかと友人に一瞬遠慮したが、兎に角今は事態の収束が第一だと考え直す。

 ドラウディロンと自分達はこれからどうなるのだろうか。

 

「やってください。」

 

 フラミーが頷き首にかかる清浄なネックレスの効果を使うと竜王国は再び真夜中の夜明けに包まれた。

 低レベルの悪魔達は流星のような光に撃たれると悲鳴を上げ、命を媒介にしていないため黒い靄の中消えて行った。

 方々で悪魔が貫かれ、断末魔を響かせる。

 空を覆うようにいた悪魔達が消えると、空には月と星が戻り、アインズは僅かに安堵する。

 守護者達も空を見上げ、やりきったような顔をしている。

 彼等なりにフラミーを庇おうと死体を回収してくれたのなら、もうそれはそれで良いかとアインズは思った。

 むしろ優しい心遣いが嬉しい。

 

「…アインズさん、私、もっと勉強して、アインズさんの助けになるように頑張ります…。」

「ん?そんな事気にしなくて良いって言うのに。」

「ううん。ちゃんと、頑張るから…。」

「じゃあ、帰ったら教えますよ。あなたのやらなきゃならない仕事を。」

 アインズはフラミーの頭を撫でると守護者に振り向いた。

 

「お前達の今回の働き、私は少し感動したよ。ここの後処理の一切はお前達に任せる。私達はドラウディロンの下へ行って来る。」

 守護者達は歓喜に震えないよう丁寧に頭を下げた。




何やっても大丈夫なんでしょ、僕知ってゆ。

次回 #25 ドラウディロンにごめんなさい
旅行に行ってたので書き溜め消滅しました。(白目


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#25 ドラウディロンにごめんなさい

ドラ注意ですが、アンケート結果です!

ドラ避け前回までのあらすじ。
夫婦喧嘩と同時刻。ドラウディロンの欲望により嫉妬なる悪魔が召喚されていたことが判明した。嫉妬は召喚主の願いである「光の消滅」を叶えるために大量の代償を求めたらしい。とっても怖いね。街が破壊され、人々が大量に殺されたのは全部ドラちゃんの願いのせいだったらしい。そんな事とはつゆ知らぬ仲直りしたお騒がせ支配者達はアフラマズダーで悪魔を一掃し、忠臣に惨劇の場所を任せて城へ戻った。



七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)とは珍しいお客さんじゃないか。」

 アインズが城の玄関に戻ると鱗を七色に輝かせる竜がこちらへ視線を送っていた。

 アインズはこの竜王は始原の魔法の使い方を始めて教えてくれた竜王だったので嫌いではなかったが、今やすっかり嫌いになった。

 これへの言い訳のせいでフラミーはずっと傷付いて来たのだ。

 アインズがドラウディロンとも結婚すると思っていて、尚自分を愛してくれていたから良かったものを、普通ならそんな勘違いをしていれば振られてもおかしくはない。

 アインズは背筋がブルリと震えた気がした。

 

「ゴウン君…うちのドラウディロンが悪い事をしたな。」

「そんな言葉で済むようなものじゃないぞ。お前はさっきの空を見たか。」

「見たから来たのだ。悪魔のこともドラウディロンに全てを聞いた。」

「じゃあ私が冷静なうちに立ち去るんだな。」

 アインズが睨み付けると竜王は僅かに身じろぎしたようだった。

 

「フラミー殿…!」

 城玄関のピロティにいたドラウディロンはフラミーへ駆け寄った。

 竜王国の重鎮達が戦々恐々と言ったような顔をしてドラウディロンを見送る。

 もうダメかと空を宰相達と眺めていたら、空を覆っていた悪魔は光に貫かれ、浄化されるようにモヤとなり消えた。

 流石に神と呼ばれる存在が負けるはずもなかったのだ。

「ああ…無事で良かった…!すまなかった。本当にすまなかった。全ては私のせいだ…。」

「いえ…そんな事は…。」

 フラミーが複雑そうな顔をして胸の前に手を当てると、その腕にはドラウディロンの腕輪がはまっていた。

「ア…アインズ…殿…。」

「私をそう呼ぶな。お前はやりすぎた。」

 それは決別のようだった。

「っあ…あぁ…失礼いたしました…陛下…。」

 アインズはドラウディロンを観察するように上から下までじっくり眺めた。

 

「ドラウディロン、本当にお前は私を愛しているのか?」

 半身を消す為に悪魔と契約までしたドラウディロンを信じることが出来ないとでも言うような声色に涙がこぼれそうになる。

「…深く…愛しております…。」

「そ、そうか。そうなのか…――。」受け入れられたことに僅かに安堵する。「――しかし、私はお前とは歩めん。諦めてくれ。」

 足下がグラリと揺らぐ。

「……そ、そんな…。」

「それから、何故空がああなったのか分かっているのなら深く反省しろ。」

 自分がやった事の重さを前にドラウディロンは首を左右に振りながら後ずさった。

 

「ゴウン君。これのせいで悪魔が広がったとは言え、もう光のぷれいやーが片付けたんだろう。それに多少の人間の犠牲がなんだというんだ。」

 見兼ねた子煩悩が口を開くとアインズは忌々しげにそれを見た。

「貴様達竜王と言うのは本当にふざけた存在だな。いや、そんな事よりこの人はフラミーさんだ。お前はまだ名前を覚えていなかったのか。」

 アインズはフラミーの背をポンっと叩くとフラミーは気まずそうにした。

「あ、あの…フラミーです…。以前一度お会いした時、名乗らなかったですから…。」

 そうだっけとアインズは記憶を探ろうかと思うが、これ以上不愉快な気分になっても仕方がないのでやめる。

 竜王はフラミーを爪先から頭までじっくり見ると口を開いた。

「フラミー君。その腕輪はゴウン君に返せ。」

 記憶を探らなかったというのに結局大層不愉快だった。

「…お前達は何故私に頭を下げられるのにこの人にそうできんのだ。」

「この世には順列と言うものがある。それだけだ。フラミー君、早くゴウン君に返すんだ。」

 フラミーは腕輪を眺めるとそれを抜き取り、数歩進んでドラウディロンに渡した。

「また使っちゃった…。ごめんなさい…。」

 

「…え…。」

 

 ドラウディロンはアインズにではなく、自分へ返ってきた誓いの腕輪に呆然と視線を落とすと、竜王は嬉しそうにした。

「それならそれで良い。」

 曽祖父の声を無視し、震えながらアインズを見る。

「陛下……ど、どうかお許しを……。」

「お前は良くやってきたし私も高く評価していた。しかし今回ばかりは許せん。」

 外傷を負わせるだけが傷付けると言うことではない。

 アインズは精神抑制を付けてここに来たが、フラミーを傷付けられた怒りが鎮静されない程度の大きさでフツフツと沸き続けていた。

 そして何より、自分達の最も触れられたくない物を踏み躙られたのだ。

 知らなかったとは言え、そう簡単に許せるものではない。

 

「…だって……フラミー殿が御身に立てさせた誓いが……あまりにも……。」

「誓いは立てさせられたんじゃない。私がフラミーさんの与り知らぬところで勝手に誓いを立てたんだ。…結果的に。」

「そ、そうだったのか……。でも、じゃあなんで…何千年もそうじゃなかったのに突然今になって…陛下ほどの器量を持つ方が…国と民を思う方が何故…。子を多く持つことの重要性はお分かりだろう…。」

「私は死なぬ身だ。寿命を持つ者達の様に子を多くなす必要など無い。」

 そもそもアインズはアンデッドだったのだ。いや、今もアンデッドだが。

 子供なんか一人たりとも持てないと思っていたのに何人も子を持とうと思う訳がない。

 アインズはどんなに誰を好きになったとしても人の身が無ければ相手に女性としての幸せなど与えられない筈だった。

 骨の身に沸いた邪念を何度ダメだダメだと振り払ったかわからない。

 しかし、今はこの身が――――……この身はドラウディロンがいなければ手に入らなかったかもしれない。

 アインズは自分の中のドラウディロンという存在を再び"フラミーの友達"という位置まで引き上げ直した。

 

「子が必要ないなんて…そんなの私を娶らないとしても、他の妃になる者達だって納得などすまい!」

「…こう言う事を繰り返さないためにもハッキリ言おう。私はフラミーさん以外を妃には迎えん。」

「こう言う事…。私のせいで…私のせいで貴君はそう決めてしまったのか…。」

 アインズは自意識過剰な女王にため息をついた。

「別にお前のせいじゃない。もう黙れ。」

 最初からフラミーしか見えていない男がドラウディロンが居たからとか居なかったからと言う理由で嫁取りの方針を変えるわけもない。

 

「あいんずどの…それは……。」

 ドラウディロンは腕輪を握りしめたままよたよたとアインズへ近付きその胸に額を付けてぽろぽろと涙をこぼした。

 

 ドラウディロンが悪魔を召喚し、国をボロボロにしなければきっとアインズは妃を他に迎えない等と言うことはなかったであろう事を、約束(・・)をしたドラウディロンは一番よく分かっている。

 だと言うのに、こんな事態を引き起こして尚お前のせいではないとドラウディロンを庇って――。

「そんなに…優しくされて…諦められるわけ…。」

「は?別に優しくなんかしてないが…。」

 この神はいつもこうだ。

「最初から…約束なんてしなければ良かったのかな…。」

「約束?一体何の――」

「ドラウディロン、そんな事を言うんじゃない。ゴウン君はいつも誠実だ。これは全てお前の失態だ。さぁ今日はもう解散しなさい。」

 竜王は一度冷却期間を置かなければドラウディロンが何を言い出すか解らないため再び口を挟んだ。

 アインズは胸に縋るドラウディロンに視線を落とす。

「そうだな。私も行かなければならない場所がある。」

 

 徐々に昇り始めた日はそこにいた者達をキツく照らし出した。

 もう早く解放されたい。

 生まれて初めて人を振ると言う事を体験したアインズは取り敢えず無事にこの任務が終わりそうな事に胸をなでおろした。

 一体いつからこの女王は自分を好きに――それも愛しているなんて言うような事になっていたのだろうか。

 何度考えてもわからない。

 しかし、兎に角これでフラミーが泣くことはもうないはずだ。

 本当はよくもと怒鳴りつけたかったが、フラミーがこれをもういらないと言うまでドラウディロンは一応フラミーの友達だ。

 友達と言えば、フラミーにあんな戦い方を教えたのは誰だったのだろうか。

(やはりぷにっとさんか…?)

 今回はアンデッドに気を取られた瞬間があったから不可知化で迫り麻痺させる事に成功したが、一対一で正々堂々鬼ごっこをしてフラミーを掴まれられるだろうか。

(…一度本気の鬼ごっこをしておいた方が良いな…。今後喧嘩でもして避けられた時のためにも…プレイヤーが来た時の為にも…。敵対者としてのフラミーさんの行動パターンは絶対に掴まなければ。)

 アインズはもう完全に集中力が切れ、微妙に関係ない事を考えながらドラウディロンの握る腕輪に手を伸ばした。

「兎に角別にお前どうこうで何かを決める私じゃない。ビーストマンの事はまた近いうちに殲滅に来る。」

 腕輪を回収すると元の場所に嵌め直し、自分の胸に縋るドラウディロンから離れた。

 

「あ……。」

 ドラウディロンはアインズと腕輪を眺めると顔を歪めて更に泣き出した。

「…っわ…わかった!わかった!私の…私のせいじゃない……!」

「やっと分かったようだな。」

 

 アインズは転移門(ゲート)を開くと、申し訳なさそうな顔をするフラミーを引っ張った。

「次に行きますよ。」

 魔法の門を潜ろうとする背中にドラウディロンは呼びかける。

「あ、あ!フラミー殿!!」

 自分を呼ぶ声にフラミーは振り返った。

「あの、ドラウさん…ごめんなさい本当に。私のせいで街があんなになって、ドラウさんの事も傷付けて…。」

 衝撃だった。

 只々ドラウディロンが悪かったと言うのに、この女神はドラウディロンを責めるどころか――。

「フラミー殿…。全ては私の責任だ。本当にすまなかった。いや、申し訳ありませんでした…。…どうか……どうかお許しを…。」

 目を泳がせたフラミーはドラウディロンの顔色を伺いながら訪ねた。

「あの…私達、お友達ですよね…?」

「あぁ……。っく…。」

 フラミーはアインズの手を離すと自分より背の高いドラウディロンを抱きしめ、しばらく背をさすった。

「私きっとドラウさんが安心してアインズさんの事任せられる人になるから…。」

「もう…もう充分だよ…。…さっきの流星を見て貴君の力は陛下に必要だと思い知った…。それに、貴君はやはり…慈愛の女神だ…。私もここでやってしまった事の責任を果たそう…。どうか、またいつでも訪ねてくれ…。二人のお茶会も、いつでも大歓迎だから…。」

 フラミーは頷くとドラウディロンからそっと離れ、愛する人は愛する人の手を取った。

 

 ドラウディロンは溢れる涙をそのままに、曽祖父とともに神々を見送った。

 

「ドラウディロン、お前の言う通りゴウン君は誠嘘偽りなく慈悲深い男だな。」

「…はい。本当に…。」

「ゴウン君はお前を許す準備がある。焦るんじゃない。お前は普通の人間よりは長く生きる。ゴウン君に子を貰いなさい。」

「ひいお祖父様も…陛下の良いところが分かったのですね…。」

「あぁ。絶対に彼でなければいけないと分かっているよ。」

 ドラウディロンは曽祖父の顔にすがると雛鳥のように小さな声をあげて泣いた。

 

「私…本当に陛下を愛してる…。いつか陛下が私を許してくれるように…またあの尊き名を呼ぶことを許してもらえるように…きっと頑張ります…。」

 

「応援するよ。私の可愛いドラウディロン。」

 七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の深く優しげな声が響いた。




ふぅ…さよなら、ドラちゃん…。
あれ?なんかちょっとまだ夢を見かけてるような…?
でもちゃんとハッキリ振れて良かった!

次回 #26 神官達の思い


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#26 神官達の思い

 巨大な薔薇窓から微かに朝日が差し込み始めた神都大聖堂。

 神官達は夜明けと共に歌い、祈り、掃除をしていた。

 ステンドグラスから漏れ落ちる光に照らされる中、神々は降臨した。

 

 最も降臨頻度が高いここの神官達はエ・ランテルの神官達のように騒めいたりはしない。

 皆が静かに、全ての挙動に注意しながらゆっくりと頭を下げると、神が口を開くまでジッと待った。

 

「面を上げよ。」

 その声はどこか怒りが滲んでいるようだった。

 畏れずにはいられない神官達の頭を上げるスピードはいつもよりも更に遅く、まるでコマ送りの映像のようだ。

「ここに全神官を呼べ。休日の者もだ。一切の例外は認めん。」

 誰が行くのかと目を見合わせる中、かつて火の神官長を名乗っていたベレニス・ナグア・サンティニが一歩前へ出、頭を下げてから大神殿へ向けて歩み出した。

 足音を立てないよう、早すぎないよう、遅すぎないよう気を付ける後ろ姿は誰が見ても緊張の真っ只中だ。

 重厚な大扉がバタン…と閉まる音が大聖堂中に深く響き渡った。

 

 神々は手を取り合い向かい合うと、何かを小声で話し始めた。

 神官達は身じろぎひとつせず、他の神官や神官長達が来る事をただただ待つ。

 皆が掃除途中の為掃除用具を抱えている。

 一体どれほど時間が経っただろうか。

 十分。三十分。一時間。

 神官達は時間の感覚を失い始めていた。

 神々の声だけが僅かに響く静寂の大聖堂で、自分の呼吸が妙にうるさく聞こえる。

 あの会話を聞く事ができれば世界の根幹と神秘に触れる事ができるだろう――。

 

「最初の頃、人の身で食事した直後に骨に戻るとザラッと漏れ出ちゃうんじゃないかハラハラしたもんですよ。」

「そう言えばどうなってるんですか?消えちゃうんですか?」

「消えちゃってます。食欲や満腹感と合わせて。もったいないよなぁ。」

「でもトイレに行きたいのに行けない時は便利じゃないですか!」

「あ、本当ですね!通勤してた時にこの体欲しかったなぁ。」

「「はははは。」」

 

 確かに神秘だった。

 

 ごちゃごちゃと下らない話をして時間を潰していると、大扉に付いている小さなドアが細く開き、サンティニが戻る。

「全神官を集めて参りました。」

 アインズは途端に真面目な顔をした。

 いや、表情を読ませない為に骨で来たので何も変わらないが。

「入れろ。」

 サンティニの入った扉ではない、大神殿と大聖堂を繋ぐ巨大な観音開きの扉が開いて行く。

 総勢数百名の神官達が綺麗な列をなして入ってくる。

 軍隊やそれ用の訓練を受けていない為歩調は合っていない。

 足音が揃う事がない為衣擦れの音がザワザワと響く様子はむしろこの場に相応しい。

 掃除用具を手にしたままだった神官達も動き出し、それぞれ自分が行くべき場所へ向かう。

 並び切ると、神官達は一斉に跪拝した。

 

 アインズはこれだけの人数が集まったと言うのに随分早かったと感心する。

「よく来たな。今日はお前達に二点話がある。」

 心酔する神官達は耳を澄ませた。

「まず一点目だ。竜王国のドラウディロン・オーリウクルスが私の下に嫁ぐという話だが――」

 話かけだと言うのに、神官達は僅かに騒めいた。

「――騒々しいぞ。後で質疑応答の時間を設けてやるから今は聞け。」

 途端に静寂が戻る。

 神官達は何かを考えるような顔をしているが、感情は読み取れない。

「よし。竜王国のドラウディロン・オーリウクルスが私の下に嫁ぐという話だが、あれは破棄して来た。以上が一点目だ。」

 神官の瞳に理解の色がある事を確認する。

 皆顔を上気させていて、これは後で相当な猛反対を受ける事を覚悟する。

 フラミーと来たのは間違いだったか。

 隣のフラミーをチラリと見ると、緊張したように強張っていた。

 

「続いて二点目だ。私はフラミーさんのみを妃として、それ以外は一切受け入れるつもりはないので今後――」

 途端にワッと歓声が上がった。

 掃除用具を持っていた者達はそれを放り上げ、ある者は万歳万歳と手を挙げ、ある者は近くの神官と抱き合い、ある者は目に腕を当て涙を流した。

 想像もしなかった反応にアインズもフラミーも呆然とした。

「お、お前達…一体…。」

 アインズの声が響くと神官達はやってしまったとばかりに再び居住まいを正した。

 聖堂内には途端に静寂が戻ったが、確かに熱気が渦巻いていた。

「あー、今後、一切の縁談は断れ。以上だ。言いたいことがある者は――いや、全員が何か言いたげだな。代表者を決めろ。」

 アインズの指示に神官長達と最神官長、元神官長達がごにょごにょと相談し合い、最神官長が立ち前へ出た。

 最神官長は深く息を吸うと、長く吐き出す。

「僭越ながら…お話しさせていただきます。」

 アインズは顎をしゃくった。

「神々の尊き血は、薄め、無尽蔵に増やされるべきではないと…我々はずっと考えておりました。」

 

+

 

 遡る事一年。

 今日も神は平然と奇跡を起こし、竜王国に出張した神官達は転げるように鏡をくぐって帰都した。

 その者達は高位の神官達を呼び出し大神殿のある一室に集まった。

「陛下が人の身を手に入れられました!あの身であれば間違いなくお子を成せます!」

 集まった神官は喜びに声を上げた。

 これで六大神のように、神に万が一の事が起こっても神の子がいてくれる。

「これでようやく神聖魔導国の不安はなくなりますね!」

「神魔国万歳!万歳!」

 

 ――しかし、戻った神官達はわずかに暗い顔をした。

「…何か…?」

「それが…何でも我が国に相応しくなったら、オーリウクルス女王を娶ると。」

 神官達は目を見合わせ、光の神官長のイヴォン・ジャスナ・ドラクロワは心底意味がわからないと言うような顔をしていた。

「な、何故?光神陛下とお子を持って頂けるのでは…?血が混ざれば神人になってしまう。」

 神人の番外席次も、隊長も、決して神の子(・・・)ではない。

 神人は表面上の強大な力のみを引き継ぎ、世界を形成させる神としての力や叡智は決して引き継がないのだ。

 つまり神人は力を持つだけのただの人。

 言葉を変えればそんなものは神の子(世継ぎ)ではないと言うのが神官達の総意だ。

 

「光神陛下とのお子を持つと言う様な話は一度もお聞きしませんでした…。」

「…何故竜王国の女王と…。」

「分かりません…。神々の深きお考えに、私達では…。」

 神官達が唸り声を上げる中、闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエはハッと気が付いた。

「いや、皆待つのです。陛下は相応しくなったら、と仰ったのだから、神人止まりではない命を、あの女王なら宿すのかもしれません。」

 なるほどと全員が納得していく。

「竜の血を引く女王ならば、これまでと違う何かが起こるかもしれない…か。」

「しかし、そうでなければ?」

「そうでなければあの叡智の神が女王を迎える筈がありません。」

「では神が決断を下すまでは陛下の妃になる方として扱いましょう。」

「…その物言いはまるでオーリウクルス女王陛下が神人しか産めなないとでも言うようだ。今後は敬意を払わなければ。」

 初めて神官達は神々以外に陛下を付けた。

 

 その後、神聖魔導国を支えている司法機関長、立法機関長、行政機関長、研究機関長、そして大元帥が呼び出された。

 今やどの機関も神殿機関の下に吸収されているため直ぐに長達は集まり、竜王国の女王は今後神に連なる可能性がある者として通達された。

 

+

 

 最神官長は幸せそうな顔をしていた。

「敬愛してやまない御二柱が、未来永劫寄り添われ、我らと共に在って下さる事を心よりお祈りいたします。我らが戴くのは御二柱と、神の子のみでございます。光と闇が遍く全ての生を照らし続けますように。」

 神官達は清々しい顔をすると膝をついたまま一斉に頭を下げた。

 波のようだった。

 美しい波は一つしぶきを上げる。

 光の神官長ドラクロワは一人立つと、フラミーを見た。

 

「光神陛下。畏れ多くはありますが、我々は御身が宿される命だけをいつも楽しみにし続けておりました。どうか、世界にご祝福を。」

 

 フラミーは顔に手を当て肩を震わせた。

 

「お前達は…。」

 アインズはもっと子供を作れと怒られるかと思っていた。

 何なら千人娶って二千人産ませろと言われると思っていた。

 一家に一神様と言い出し兼ねない狂信集団だと思っていた。

 全ての思い込みをそっと破棄する。

 

「私は、法国に来られて良かったよ。ありがとう…。」

 呟くような声だったが、その声は大聖堂の隅々まで届いた。

 ドラクロワが跪き直し、共に頭を下げる。

 アインズは誰の視線もなくなったその場所で人の身になると、声を押し殺して震えるフラミーを抱き締めた。

 

+

 

 アインズとフラミーは大神殿で行ったのと同様の説明を国中の神殿で行い、真夜中に第九階層に戻って来た。どの神官達も文句を言わず、大喜びでその報告を受け入れた。

 アインズは幸せそうな顔をするフラミーをちらりと伺う。

「フラミーさん、やっぱり少し歩きましょうか。」

 昨晩一睡もしていない為早く寝かせてあげようと思い第九階層に戻ったが、もう少し話したくなった。

 フラミーが頷くのを見ると二人で第六階層の湖畔に飛んだ。

 

 どう感知しているのか、双子達がこちらへ向かって来ようとしていた。

 アインズは被りを振ってそれを制すると、双子は遠巻きに主人達を眺めた。

 しばらくフラミーを連れて偽物の空の下を歩く。

 素晴らしい作り込みだが、ナザリックの外の本物の空と比べると少しだけ――命のようなものが足りないような気がした。

 本物の空の向こうには確かに宇宙を感じるのだ。

 

「アインズさん。」

 フラミーの呟きに優しい顔を向ける。

「二人の時はアインズじゃなくて良いんだよ。」

 草を踏みしめる音と青い匂いが生まれては消えていく。

 フラミーの胸はドキリと音を立てると、顔が熱く痛くなるほどに血が駆け巡り出す。

 深呼吸するとアインズの匂いがした。

「……さ…さとる…さん…?」

 アインズはピタリと立ち止まるとフラミーでその視界をいっぱいにした。

 二人は互いの瞳の向こうに宇宙のような広がりを見た気がした。

 

「これで今度こそ本当に手に入ったのかな。俺の宝物、俺の人生…。長かったな…。」

「人生…。」

「最初に言ったでしょ。あなたは俺の人生だって。すごく、かっこ悪かったですけど…。」

 フラミーは首を左右に振った。

「いっつもカッコいいですよ。」

 アインズはそれは絶対にないと複雑に笑いながら首の後ろを軽く掻いた。

 

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「文香さん。あなたの事も、あなたの友達の事も、傷付けてすみませんでした。ドラウディロンはかなり不愉快なやつですけど、ちゃんと俺もケアしますから。」

 フラミーはドラウディロンを振ったからと言ってアインズが冷たくする様子でもない事に安堵した。

 あの女王の気持ちは本物だった。

「お手数おかけします。それから、今日も一日本当にありがとうございました。」

 フラミーがぺこりと頭を下げるとアインズはフラミーの両手をとった。

「お安い御用ですよ。俺のためでもありましたしね。」

 この景色のためなら何だってできる。

 アインズはふーと息を吐くとフラミーから回収したままだった杖をその手に返した。

「文香さん、どうか、もう二度と黙って何処かに行ったりしないって、誓ってください。俺、本当に怖いんだ。貴女がどこかに連れ攫われたり、誰かに傷付けられるんじゃないかと思うと…怖くて、怖くて、もう俺――」

「あ……。」

 フラミーはアインズの顔を見ると、杖を捨てるように落としてアインズを抱き締めた。

「誓います。二度と黙って離れません。だから悟さん…――もう泣かないで。」

 アインズはハッと自分の顔に触れた。

 自分がどう言う顔をしているのか理解するとフラミーの腕の中でゆっくりとその場に膝をついた。

 フラミーも動きを合わせるように膝をつくと、アインズは肩を震わせていた。

「どうか……自分を大切にして下さい…。俺は…俺は本当に…貴女だけが…貴女だけを……。」

「悟さん、私、貴方を大切にするために、自分の事もちゃんと大切にします。」

「ありがとう……。」

 

 第六階層の湖畔はただただ静かだった。

 アインズはフラミーを抱えるようにして芝生に転がると、これでようやく安心して眠れると目を閉じた。

 

+

 

 翌朝アインズは自分の耳にかかるフンフンと言う荒い鼻息に少し笑った。

「はは、くすぐったいですよぉ。」

 腕の中の宝物を撫でようと手を伸ばす。

 しかし、手は空を切った。

「――ふら!?」

 一瞬で脳は冴え渡り、飛び上がるように起き上がり――ボフッと柔らかい何かに顔を突っ込んだ。

「殿!生きてたでござるかぁ!」

「は、はむすけ!退け!!」

 ハムスケの顎を突き飛ばすようにして今度こそ起き上がり軽く辺りを見渡そうとすると、自分の隣にはフラミーの杖があり、アインズにはアインズが贈った白い透けたようなレースのローブが掛けられていた。

「な、なんで…杖…。いや、そんなことより何でいないんですか……フラミーさん…!」

 アインズは自分に掛かるローブを掴むと伝言(メッセージ)を送る為こめかみに手を当てる。

 これでまた繋がらなかったりしたら――。

 杖を持たないフラミーがどこへ行ったのかと思うと、不安から荒れ狂うように打つ鼓動に吐き気を覚える。

 杖を奪われ撃たれてボロボロになっていた姿が何度も過ぎる。

 

「アインズさーん!」

 

 聞こえた声に急ぎ顔を上げると双子と手を繋いでこちらに向かってくるフラミーがいた。

「アインズ様ー!おはようございまーす!」

「あ、アインズ様!あの、ご朝食です!」

 三人の周りには小さな仔山羊達が四匹メェメェと歩いていて、その頭に生える触手の上にはお盆に載せられた食事があった。

 アインズはフラミーのローブを掴んだままフラフラと立ち上がりフラミーに向かって歩いた。

「ふらみーさん…。」

「ふふ、おはようございます。朝の子山羊のお散歩済ませてきました!」

「あ――おはよう、はは。良かった。」

「良かった?」

 首をかしげるフラミーに、首を振った。杖はすぐに戻ると言う目印だったようだ。

「いえ、こっちの話ですよ。」

 アインズはフラミーと共に地面に座り、ハムスケに背を預けた。

「ふー、たまには外で朝食取るのも良いな。お前達もおはよう。」

「「おはようございまーす!」」

 双子と子山羊も嬉しそうに二人の前に座った。




神官達、出来る子やん……。

アインズ様は慰める方に回りがちだけど、アインズ様だって怖かったよね( ;∀;)

次回 #27 ビーストマンの国

ユズリハ様より今日もいただきましたよぉ!感想絵!

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#27 ビーストマンの国

 竜王国の災害対策チームは悪魔が代償を求めたと思われる場所にたどり着いた。

 そこには人の死体も金品も何もなく、共に来ていたドラウディロンは余りの出来事に、馬車の中で嘔吐した。

 悪魔は確かに喚んでしまったし、恐ろしげな空も見たが、まさかこれ程とは――。

「あいんずど……へいか…。」

 女王のあまりの痛ましい様子に宰相は流石にいつもの様にふざけんなと突っ込むことも出来なかった。

 その場で必死に調査を続けてくれているデミウルゴスにも、一体何処へ民が連れさらわれたのかは分からないようだ。

 レヴィアタンと言う悪魔は当然のようにフラミーの光の力に滅ぼされたのでレヴィアタンの事を追うこともできない。

 しかし滅ぼさなければフラミーも国もどうなったか解らないので正しい判断だろう。これ以上の惨状が待ち受けていたに違いなかった。

 

 災害対策チームは神聖魔導国の調査チームと共にせめて死体だけでも取り戻そうと必死になったが、最上位悪魔のデミウルゴスに分からないことが分かるはずもなく、時間だけがいたずらに過ぎて行った。

 

 そして悪魔騒動が女王によって引き起こされた事は世間に伏せられたが――いつの間にかそれは広まり、周知の事実となっていた。

 女王の下にいれば再び同じ悲劇が繰り返されるかもしれない。

 国民が自分達を救おうと必死に戦ってくれた神々に恭順を願うまでもう幾ばくと時間はかからなかった。

 

+

 

 ドラウディロンは飲んだくれ、ソファに仰向けに転がっていた。

 腕を目の上に乗せ、外界と自分をシャットアウトするように過ごしていると、ノック音が聞こえた。

 これで何度目かだが、訪ねて来る者の予想が付くためずっと無視している。

 放っておけば居なくなるだろうと扉から背を向け、自分の耳にボフンとクッションを押し当てる。

 すると扉が開かれ、人が入ってくる音がし、ドラウディロンは見向きもせずに苛立たしげに話しかけた。

「…今日は何だ。誰が私に文句を言いにきた。」

「そう拗ねるな。お前は国を預かれると言っていたじゃないか。」

 呆れ返ったような声音にドラウディロンはクッションを放り投げるように飛び起きた。

「っえ!?あ、あいんずどの!?」

 思わず名を呼ぶとハッと口元を押さえ、自分の身なりの酷さに赤面する。

 慌てて少しでもましにしようとスカートを撫で付けた。

 アインズはどっこらせと向かいのソファに腰掛けると、肘掛に寄りかかり頬杖をついた。

「悪魔騒動を蒸し返すなと言っているがどいつもこいつも中々どうして受け入れてはくれん。困ったものだな。」

「あ…そ、そんなご慈悲を…。」

「まぁ人の噂も七十五日だ。もう暫く辛抱しろ。」

 あまりにも慈悲深い神王は女王の罪を濯ごうと動き続けていた。

 しかし噂話が落ち着く様子はまるでなかった。そこら中でまるで影が語るように噂は飛び交った。

 

「ところで今日はビーストマンの討伐に出る日だろう。もう皆出発の準備は出来ているぞ。」

「あっ、そうでした…。」

 だと言うのにすっかり職務を放棄し忘れていた。

 朝も夜も眠れないような日々を過ごし、ドラウディロンは時間と日にちの感覚を失い始めていた。

「いつまでも幼児退行しているんじゃない。もう置いていこうと皆言っていると言うのに、フラミーさんがお前を待つと言ってきかん。どうする。」

 ドラウディロンはバッと立ち上がると深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。すぐに行きます!」

「そうか。じゃあ、いつもの元気なドラウディロンで頼むぞ。」

「はい!!」

 アインズも立ち上がると、自分の頭をちょいちょいと指差した。

 何かなとドラウディロンも自分の頭のその辺りに触れると、ピンと立つ寝癖に触れた。

「っうわ!!く、こ、これは、そのっ!!」

「はは、急げ。待っているぞ。」

 一笑すると慈悲深い王は立ち去った。

 

「…アインズ殿…。貴君も変わらずに居てくれるんだな…。」

 ドラウディロンは胸を押さえた。

「…よし。」

 顔をパンっと叩くとドラウディロンは着替えを始めた。

 

+

 

 空には薄いベールの様な雲がかかっている。

 強い風が吹く中、四台の馬車と、大量の民兵達が城の前で待っていた。

 戦場に宗主国の王だけを行かせるわけにいかないと民兵やそれを指揮する者達、悪魔騒動の謝罪の意として共に行く竜王国の重鎮達が出発の時を待っている。

 その場は話し声が重なり合い、軽いざわめきで溢れていた。

 

「ドラウさんどうでした?」

 アインズはフラミーがドラウディロンを迎えに行くと言ったのを制した。

 フラミーとドラウディロンはもう二度と二人にさせたくない。

 今後遊ぶことがあったとしても、自分の目が届く所でしか会わせる予定はないのだ。

 それに引きこもっていると聞いたし、様子によってはフラミーに余計なことを言いまた傷つけるかもしれないと先行調査に出たわけだ。

「ちょっと荒れてましたけど、まぁ元気そうでしたよ。ビーストマン狩りも来るそうです。」

「良かった。あー…ドラウさん出てきたら、なんて話しかけたら良いかなぁ…。」

 ああ言おうか、こう言おうかとソワソワするフラミーはまるで恋する乙女だ。

 アインズの苦笑の中フラミーはウロウロと馬車の周りを何周も歩いた。

 まずは天気の話からか、今日の朝食の話からか――あまり良いアイデアだと思えるものは浮かばない。

 唸りながら歩いていると、ふいにドンっと何かにぶつかりフラミーは軽くよろけかけた。

「あぅっ。」「わっ!!」

 ドラウディロンを突き飛ばしたことを理解すると踏ん張り、慌てて手を伸ばして豊満な肉体を引き寄せた。

「あ…ふ、フラミー殿…。」

「ごめんない!私、余所見してて…!」

「い、いや…私こそすまない。気付かなくて。」

 二人はまるで踊りのフィニッシュのような体勢のまま無駄に見つめあった。

 どちらもそれ以上何を言えばいいのか分からない様子だ。

「あの…お元気でした…?」

「あぁ…貴君こそ…どうだ…?」

 おかしな姿勢のまま、まるで百年ぶりに会うとでも言うような雰囲気で会話をすると、二人は顔を赤くしていき声を合わせて楽しげに笑った。

「はは、やっぱりフラミー殿は紳士だな!」

 ドラウディロンはフラミーに支えられながら自分の足で立った。

「そんな事ないですよ。ふふ、それにしてもドラウさん朝からお酒飲んでるんですか?解毒してあげますよ!」

「あ…はは、そうしてもらおうかな!」

 

 アインズはやはりドラウディロンを警戒していたが、しばらく二人の様子を見ると「まぁ良かったかな。」と馬車のドアを開けた。

「あ!アインズ様!出発ですか!」

「わ、ざ、雑種さんも、その、一緒に行くんですか?」

 中には双子が乗って控えて待っていた。

「あぁ。そろそろ行こう。だがドラウディロンは竜王国の馬車だ。――フラミーさん!」

 女子二人は出発の様子に手を振り合いながら別れると、それぞれの馬車に乗り込んだ。

 

+

 

 ――音がした。燃え続ける線香花火が地に落ちた時に聞く、儚いジュッと言う音だ。

 

 世界の理を形成する力に支えられた――位階を超えた魔法がその地を白く染め上げた。

 その様は後に、地に太陽が落ちた様だったとも、世界を創造し直す序章の様だったとも伝わっている。

 激しいと言う言葉では足りない、想像を絶する熱がビーストマンの国を襲った。

 赤茶けた土の上に街として、国として存在し続けて来たはずのその場所は、今や円形状に抉られ黒く変色していた。

 恐るべき死の力に蹂躙された地はガラス化している部分もあり、もはや美しさすら感じさせる。

 一切の生者を許さぬとでも言わんばかりの大地からは、尾を引く青白い発光体がいくつも浮かび上がり――再びの生を与えられる為、力を奮った神の下へ還った。

 日中に吹いていた強風は雷雲を呼び、その地を潤すかのように三日三晩雨を振らせ続けた。

 雨が上がるとそこには巨大な漆黒の湖が出来上がった。

 ガラス状の部分が光を反射するその湖はカラカラに乾いていた大地を潤し、隣接するミノタウロスの王国にも多くの恩恵を与える。

 

 その日世界から二つ(・・)の国が姿を消した。

 一つは物理的に、一つは名前を失い――。

 

 まばらに降り出した雨の中、最後の一つの魂を――地獄を削り出したかの様なガントレットの中に収めたアインズは髪の毛から滴る雨を気にもしないように、心から嬉しそうに笑った。

 

「ハハハハ!!ここまでか。ここまでだとはな!」

 その左右に立つ双子の瞳には羨望、狂喜、畏怖、敬意――名伏し難い感情が入り乱れている。

「――喝采せよ。」

 ドラウディロンと宰相、竜王国の政と軍事を司る者達は口を開け、死の神を凝視する。

 声の聞こえる所にいた民兵達も同じ様に死の神を見た。

 視線が集まりだす。

 隣の者が死の神を見ると、その隣の者も死の神を見つめ――それが連鎖し全ての視線が集まるとアインズは再び口を開いた。

 

「我が至高なる力に喝采せよ。」

 

 フラミーは杖を抱えると嬉しそうにパチパチと拍手を始めた。

「すごーいアインズさん!」

 すると狂信に包まれる双子達も喝采を送る。

「さっすがアインズ様!!」

「す、すごいです!!い、いつもこうやって世界を作り変えて来たんですね!!」

 嘘だろうとでも言うような顔をした後、竜王国の重鎮達もぱらぱらと拍手をし、いつの間にかそれは民兵達の心からの万雷の喝采と万歳唱和に包まれた。

 民兵達は完全に魅せられた。

 早くこの強大な力に守られたい。

 この力の下にいればビーストマンも、悪魔も、何一つ恐るるに足りないだろう。

 女王は悪魔を呼ぶし、強大な力を持つと聞くのにそれを行使して国民を守る様子もない。

 今すぐに庇護を求めたかった。

 しかし、民兵達の熱狂とは裏腹に、国の中枢に関わる者達はその身に怖気を走らせていた。

 女王が悪魔に願ったのはこの死の神と対を成す生の神の消滅――。

 もし光の神が失われていたら、果たして世界はどうなってしまっていたんだろうか。

 慈悲深い面しか見たことがなかったが、神が慈悲深いだけの存在の筈がなかった。

 特にこの神は死を司るのだ。

 侮った事などない。しかし、それでも――いつものその神は優しすぎた。

「陛下…フラミー殿がいなくなったら…御身は…一体…どうなるんだ……。」

 女王の呟きは民兵の喝采の中でもよく響き、竜王国の重鎮達は恐る恐る様子を伺った。

「ん?またその質問か。何故か私はそれをよく聞かれる。お前はどうなると思う。」

 しとしとと降りしきる雨の中、アインズから返された質問にドラウディロンは震えながら答える。

 この震えは冷たい秋雨のせいか、愛する神の驚くべき一面を見たせいか本人にも解らなかった。

「世界を…破壊する…。」

 雷鳴が轟き始める中、アインズはいい笑顔を見せた。

 

「大正解だ。」

 

 その日の夕刻、竜王国はブラックスケイル州と呼ばれる場所になった。

 ドラウディロン・オーリウクルスが黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)だったから、それだけだ。

 後に何百年か経ち、ドラウディロン・オーリウクルスの名前が一般の者達から忘れ去られると、黒い鱗のような輝きを見せる神の生んだ湖が州名の由来だと思われるようになる。

 しかし、歴代州知事の情報をまとめた書物にその名を残す女王は歴史家達と神官達の間ではあまりにも有名だ。

 強大な悪魔を召喚し、国を生贄に光の神の消滅を願った呪われた女王。

 何故そんな者が初代州知事の任に就くことが出来たのだろうかと、勉強が足りない者達は首をひねったが、聖女ネイア・バラハのまとめた書物には、生きて罪を償い闇を受け入れることの重要性を彼女程その身で体現した者はいないと書かれているとか。

 

+

 

 馬車に戻ったアインズは大量の経験値回収にホクホクだ。

 広範囲の破壊は生態系に影響を与えるため若干躊躇したが、民兵を投入した泥沼の戦いになっては経験値回収もできないので今回は仕方がないと自分に言い聞かせた。

 ちなみにビーストマンの死体はアンデッドにするとゾンビ系になってしまうことが判明した為死体もいらない。

 ゾンビ系は悪臭がキツく、存在が公害だ。

 死の騎士(デスナイト)青褪めた乗り手(ペイルライダー)と違って装備もはえたりせず、死んだ時に着ている物がそのまま引き継がれる。

 メンテナンスに服を支給するのもバカらしいだろう。

 

 アウラとマーレに穴を修復させるつもりで連れて来たが、外は土砂降りになり始めたので取り敢えず今日の所は中止だ。

 雨くらい魔法で止めてしまえばいいが、この世界に来て初めて打たれた雨は、リアルの川や海、土を穢す強い酸性に偏った雨とは違い、優しくあたたかかった。

 この雨で命を永らえる者は数え切れないだろう。

 

 本降りの雨に打たれ、濡れた髪を絞るフラミーは嬉しそうだった。

「これで限界突破の指輪が出来上がったら、アインズさんまた強くなりますね!今ので一レベルは上がりそう!」

「ふふ、そうですね。だけど、実は俺一つ考えがあるんです。」

「考えですか?どんな?」

 数十万の命を奪い高らかに笑い声をあげた男はまるで別人のように優しい顔をしてフラミーの腹にそっと手を沿わせた。

「今はまだ秘密です。」




ドラちゃん、フララのお友達枠として州知事にしてもらえたみたいです( ;∀;)良かったね…。

次回 #28 閑話 おいでよ!デミウルゴス養殖場!
えっ!牧場の次は養殖場…!!


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#28 閑話 おいでよ!デミウルゴス養殖場

 竜王国がブラックスケイル州と呼ばれるようになり数週間。

 冬の匂いが混じるようになった風に吹かれながら、デミウルゴスはコキュートスと共に黒き湖を眺めていた。

「これだけ大きな生簀をいただけるとはね。」

 

 エリュエンティウで交配を行った稚魚を抱え、この世界の命が一つも存在しない水場に放した。

 ずっと地上に良い生簀がないかと探していたが、生態系を守ると言う至上命令がある為、これまで天空城から魚が持ち出される事はなかった。

「コレガアレバ蜥蜴人(リザードマン)ダケデナク国ノ者達ガ魚ニアリ付ケル事モ増エルナ。」

「居着いてくれれば、ではあるけれどね。」

 天空城は拠点維持システムによってある程度気候を操作されている。

 魚達が管理されることの無いこの空の下で生きられるのかはまだ分からない。

 小舟に乗った蜥蜴人(リザードマン)達が天空城の蓮池から持ってきた浮き草タイプの水棲植物を満遍なく湖に浮かべて行く――と言っても広大な為、ある一角だけではあるが。

 花と水草が浮かび、黒き水底にその形の陰を落とす。

 アインズの焼き付けた漆黒に染まる水底はアダマンタイト級冒険者が叩いたとしても壊れないのではないかと思われるほどに硬く、とても植物を植えられるような様子はない。

 しかし、そのおかげで土が水を吸わずにこうして生簀になるのだ。

 湖底に所々散りばめられるように存在するガラス状の部分が水面越しに光を反射すると、その度にデミウルゴスは眩しそうに宝石の目を細めた。

 

「ところで、貪食(グラトニー)に扇動させていたあの亜人は何と言ったかな。」

 視線の先では人間の倍はあるように見える大柄な二足歩行の生き物達が、湖に向かって手を掲げていた。

 その手からは魔法によって生み出される水がドドド…と無限に送り出されている。

 雨だけでは足りず、まだ水位が低い為だ。

 

「アレハ水精霊大鬼(ヴァ・ウン)ダ。 今後黒キ湖ノ管理者トシテココニ置コウト思ッテイル。」

「なるほど。後で蜥蜴達と挨拶させておいた方が良さそうだね。」

 聖王国を襲い、数を減らされた亜人達も今はコキュートスが面倒を見ていて――と言ってもたまに不満がないか聞いて回る程度だが――立派な神聖魔導国民だ。

 水精霊大鬼(ヴァ・ウン)人喰い鬼(オーガ)に似た体付きを持ちながら、人喰い鬼(オーガ)より理知的な者たちだ。額には一本だけ太いツノが生え、皮膚は青白く涼しげ。

 強き者に従う亜人はたまに欠伸をしながら水を流し続けた。

 暫く様子を眺めていると、二人は支配者達の出す濃厚な気配を感知し、サッと身なりを確認する。

 コキュートスは全裸だが埃で汚れていないかなど確認すべき点は多くある。

 転移門(ゲート)を背にした支配者達がこちらへ向かって歩いてくる。

 守護者達は並ぶと軽く頭を下げて二人を待った。

 

「アインズ様、フラミー様。イラッシャイマセ。」

「アインズ様、この度は素晴らしい生簀を誠にありがとうございます。」

 草花がぼんやりと浮かぶ美しい黒き湖を背にする守護者の下に着くとアインズは軽く手を振り、頭を下げる二人に直るように促した。

「あぁ。これは埋めなくて正解だったな。お前達も気に入っているようで何よりだ。」

 アインズは雨の止んだ日に双子と再びここを訪れたが、水が溜まっている様子に生簀を欲しがっていた忠臣を思い出し埋め立てをやめた。

 いつも出突っ張りでよく働くデミウルゴスに何でもいいから欲しがっているものをと与えたが、想像より気に入っているようだった。

 デミウルゴスの一週間は実にハードだ。

 パンドラズアクターと共にミノタウロスの王国へ魔導国羊達の牧場指導講義に行く日。

 コキュートス達と魚の研究をする日。

 デミウルゴス牧場に行く日。

 聖王国の面倒を見に行く日。

 ジルクニフの教育に行く日。

 ドラウディロンの教育に行く日。

 そして、最後に休日。

 一応休日は与えているが、上記のどこかしらに出かけ仕事を行なっているようで、基本的に休んでいる様子はない。

 

「わぁ。なんだかとっても綺麗なところになっちゃいましたね!」

 フラミーが嬉しそうに湖を眺める姿は美しかった。

 髪が秋の風に運ばれるように流されて行く。

「恐レ入リマス。今後モット整備ガ進メバ更ニ美シクナルカト。」

「違うよコキュートス。――フラミー様がいらっしゃる今、ここは世界で一番美しい場所になりました。」

「ム。ソレハソウダナ。」

 デミウルゴスは相変わらず息をするようにフラミーを褒めた。

 今日も主人を眺める瞳の色は変わらない。

 またそんな事言って、と照れるフラミーは幸せの只中のようにふわりと笑った。

 ここの所のフラミーはずっと上機嫌だ。

 アインズが用済みになった元女王をようやく切り捨て、デミウルゴスは心底安心した。

 これでフラミーが泣くことは――減るだろう。

 しかし、人の身の時に迫るアルベド、骨の身の時に迫るシャルティアと、敵はまだまだいる。

 支配者は支配者の思うようにするべきだからしてフラミーを守れるのは――デミウルゴスは気を引き締め直した。

 

「それにしても珍しい亜人がいるじゃないか。あんな奴がいたか?」

「ハ。聖王国ヲ襲ワセタ者達ノ中ニオリマシタ。御紹介イタシマスノデコチラヘドウゾ。」

 アインズがコキュートスに連れられ亜人の下へ行き話を始めると、フラミーとデミウルゴスは草や花を撒く蜥蜴人(リザードマン)の小舟に乗った。

 

「これだけ広いなら、生簀にするだけじゃなくって半分くらい水上都市とか作れたら良いですね!」

「素晴らしいお考えです。ビーストマンの国を丸ごと飲み込んでいるだけあり、ここは国や街を築けるだけの広さも、ある程度安定した気候も揃っております。きっと御身の望まれる都市を作り出しましょう。」

 湖は相当広かった。

 歩いて一周回ろうとすれば何時間もかかるだろう。

 

「デミウルゴス様、ここに国があったのですか?」

 共に乗っていたザリュースは作業の手を止めていた。

「そうですよ。アインズ様がここを創り変えたんです。」

「そ、それで、ビーストマンという生き物は今はどこに…?」

 その顔はいつもより青い気がした。

「ビーストマンは私の庇護の下幸せに暮らしていますとも。時には他の種族の者と協力し合いながら。それが何か?」

 蜥蜴人(リザードマン)達は心から安心したというような顔をした。

「それはそうですよね。ははは。何でもありません。」

 ザリュースは止まっていた手を再び動かした。

 ビーストマンは人間との異種交配組と、純然たるビーストマンに分けて飼育している。

 ミノタウロス達は人間と混ざったビーストマンの方が好きなようだが、亜人達には純血の方が好まれることが分かっている為だ。

 

 いつしか天空城から回収してきた植物もなくなると、小舟は岸に着けられた。

 ドヤドヤと蜥蜴人(リザードマン)達が降りていく中、フラミーは岸から名残惜しそうに船を振り返っていた。

「如何なさいましたか?フラミー様。」

「あ、へへ。私、お船初めてだったから、もうちょぴっと、なんて。」

 そういうフラミーは照れ臭そうだった。

「初めて…。また御身の…初めてを…。」

 昔初飛行も共にしたデミウルゴスは一瞬だけ悩むと、船に片足を掛け直し、「子供みたいでやんなっちゃうね」と笑う至上の存在に手を伸ばした。

「お付き合い致します。私が漕ぎましょう。さぁ、お手を。」

 パッと顔を明るくしたフラミーはデミウルゴスの手を取り、船に足をかける。

「お気をつけください。」

 手袋をする手に支えられながらフラミーが座ると、デミウルゴスも乗り込み、タプリと船は僅かに揺れた。

 

 船が水と、満遍なく撒かれた植物達の間を進む中、フラミーは湖を撫でるように水へ手を浸した。

「綺麗ですね、ほんと。」

「御身がいらっしゃればこそでございます。」

「ふふ、またそれですか?」

 デミウルゴスはせっかく蜥蜴人(リザードマン)が撒いた蓮花を一つすくうとピッと水を切ってフラミーに渡した。

「何度でもお伝えいたします。この世界は御身がいてこそ美しいと。」

「至高の存在って、すごい。」

 フラミーはクスクス笑うと一つ花をすくい、揺れる船の上でよろけながら立ち上がった。

「あ、危のうございます。」

 デミウルゴスが両腕を伸ばすと、フラミーはその肩に片手を付きスーツの胸ポケットに花を刺した。

「お返し。」

 デミウルゴスは胸の花――いや、心臓に触れた。

 

 岸辺にいるアインズはそんな二人の様子をやきもきしながら眺めた。

 早く想いを伝えて振られてくれ。支配者は割と酷い男だ。

「父上、宜しいので?」

 ミノタウロスの国と湖の距離を計りに来たパンドラズ・アクターが船とアインズを交互に見ていた。

「…フラミーさんは私とドラウディロンが結婚しても良いと思ってくれた程の人だぞ。私が息子と船に乗ってるだけのあの人を許せなくてどうする…。」

「では私がお邪魔を。」

 父のためウキウキと何かを始めようとする埴輪を取り押さえるとアインズは黒い点を見つめた。

 これは自分自身だ。

「お、お前…まさか……。」

「何か…?」

 パンドラズ・アクターが可愛らしく小首を傾げると、アインズは必死に何かを見極めようとした。




でみぃ!!!!!
三次創作で頂いたお話がデミフラってたのでニコニコでデミりました。

次回 #29 究極の鬼ごっこ
やっちゃいますぜ、あるてぃめいとTAG

そしてパトラッシュと踊るフラミー様と言う悶絶必至画像もいただきました。

【挿絵表示】

至福!
更に更に現在の勢力図です!

【挿絵表示】

どちらもユズリハ様のお作です!
うーん素晴らしい…!


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試される式典
#29 究極の鬼ごっこ


 ちらほらと雪が舞う。

 その日、死の具現と生の具現が神都、魔導学院の一番大きな階段教室に現れた。

 共に入るは、髪を夜会巻きにしているメガネを掛けた理知的な美女、涼しげな目元が印象的なポニーテールの美女、野性味溢れる褐色の肌の美女。

 

 フールーダ・パラダインは教室へ向かって手を伸ばし、深々と頭を下げた。

「陛下方を知らぬ者などここに居るはずもありませんが、どうぞ自己紹介を。」

 生徒達は師が頭を下げる存在を真剣に見つめた。

「私こそ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王、その人である。今日は少しばかり訓練をする為ここに来た。本当は私達が生んだ地で行おうと思っていたんだが…フールーダが見たいと言って聞かなくてな。一日邪魔するぞ。」

 おぞましい筈の骨の身は神々しく、威厳に満ち溢れた態度はその王がただのアンデッドではないと生徒達に強く思い知らせる。

 今日の神は巨大なトゲのついた漆黒のローブを着ていて、骨の腹の中には赤い不思議な球が体の一部のように浮いている。

 神はそっともう一柱の背を押した。

「フラミーです。学校って何だかドキドキしちゃいますね。よろしくお願いします!」

 頭を下げられ、生徒だけでなく様子を見ていた教師達も含めた全員が慌てて机に叩頭し、「よろしくお願いします!!」と言う大声を教室中に響かせた。

 

 今日の魔導学院は特別授業のみで、教師も神の授業を受ける為全てのクラスは閉講している。

 希望しない者は休んでもいい自由登校だが、その日学院に集ったのは当然全生徒だった。

 魔法を使える者は勿論、魔法は使えないがただ一目神を見てみたいと言う生徒も大勢いる。

 

 魔導学院が魔法を使える者のみが通う所だと勘違いする者もいるが、そうではない。

 学院には三科あるが――

 フールーダ・パラダインも教鞭をとる特進科は基本的に魔法を使える者のみが在籍しているが、信仰科の生徒は魔法を使える者とそうでない者はほぼ半々で、普通科の生徒に至っては殆どが魔法を使えない。

 普通科では生活魔法と呼ばれる第一位階に満たないような魔法を教えるところから始まり、魔法の成り立ち、一般教養など幅広く教えられ、リアルで言う所の高等学校の授業に一部魔法が組み込まれているような感じだ。

 特進科は研究機関である魔導省で働く人材育成を主としているため特に高度な魔法について教えているが、他にも魔導省の管轄下にある多くの座学も学ぶ。

 信仰科はその名の通り神官を目指すクラスで、やはり似たようなところである。

 魔導学院は確かに魔法を教える部分もあるが、所属する生徒の大半は魔法を使う能力の無い者たちなのだ。

 魔法は誰にでも扱えるほど優しくはない。

 

「ありがとうございます。陛下方。良ければこれから行う事の詳細をお教え下さい。」

「良いだろう。私達はこれから、完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)を用いない――

 

 本気の鬼ごっこを行う。」

 

+

 

 アインズは練習してきたそれらしい事を語ったのち、フラミーと共にグラウンドに出ると、杖を取り出した。

「じゃあ、お互い本気でやりましょうね。」

「痛く…しないでくださいね…?」

「はは、する訳ないじゃないですか。」

 同じく杖を取り出し僅かに不安そうにするフラミーの髪を撫でた。

 

「ルールの確認をしましょう。互いへの攻撃はなし、周りの人間を傷付けるのもなし、不可視や不可知もなし、始原の魔法もなし、僕召喚なし、場所はこのグラウンドのみで、怖くなったり嫌になったら勝敗関係なくそこでお終いです。俺の勝利条件は貴女を時間制限以内に捕まえること。貴女の勝利条件は制限時間を迎えるまで俺から逃げきるか、俺に参ったと言わせること。」

 良いですね、と言うとフラミーは頷き、PVPに相応しい距離までアインズから離れていった。

 

「フールーダ!!始めるぞ!!」

 遠くにいるハッスルじいちゃんへ声を掛ける。

 二年数ヶ月かけて読み切った魔導書――と言う名のゲーム設定資料を返しにきたフールーダについ口を滑らせた結果がこの場所だ。

「いつでも!!」

 

 アインズはフラミーの準備が整ったことを確認すると詠唱を始める。

 

「<飛行(フライ)><魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジックキャスター)><無限障壁(インフィニティウォール)><魔法からの守り(マジックウォード)神聖(ホーリー)><上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)><自由(フリーダム)><看破(シースルー)><超常直感(パラノーマル・イントウィション)><上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)><混沌の外衣(マント・オブ・カオス)><不屈(インドミタビリティ)><感知増幅(センサーブースト)><上位幸運(グレーター・ラック)><魔法増幅(マジックブースト)><天界の気(ヘブンリィ・オーラ)><吸収(アブショーブション)><抵抗突破力上昇(ベネトレート・アップ)><上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)>――。」

 

 無数の魔法がその身を包んで行くと、見学をしている者達は目を離しもせずに手元のメモに全ての魔法を書き込んだ。

 

 同時にフラミーも詠唱を始めるが、フラミーの場合一番最初の魔法は――「<次元封鎖(ディメンジョナル・ ロック)>。」

 周囲の空気はバキンッと固まったようだった。

 アインズは自分よりも多くのバフを持つフラミーの全ての詠唱が終わるのを待ちもせずに飛行(フライ)で飛び出す。

 転移を阻害された以上真正面から行くしかない。

 前回と同じ戦法は難しいだろう。

 

「――悪魔の諸相:おぞましき肉体強化。」

 詠唱を中断し、生徒達に聞こえないようにスキルを呟くとフラミーは肥大化した翼を広げドンッと光の跡を残すように飛び上がった。

「ッ早い!!<爆裂(エクスプロージョン)>!!」

 直角に移動する為地に魔法を放つ。

 アインズは自らが起こした爆風に乗り、フラミーへ向かう。

「わ、攻撃魔法!!」

 空から聞こえる驚きの声に手を伸ばす。

「痛くしてません!!」

「それはそうだけどっ。<ジュデッカの凍結>!」

 ピキピキっとアインズの身が固まっていく中フラミーはすぐに背を向け逃げ出す。

(…なるほど、他の物に気を取られなければこれを使うわけか。)

 アインズは一つフラミーのパターンを知ったが、次にまた同じ事をされた時の回避方法が今のところは思い浮かばない。

 これが訓練でなければ僕を召喚し追い詰めればいいが、今はルールがある。

 しかしすぐ様凍結に抵抗した。

 

 一方フラミーは――(よく考えてみたらモモンガさんと戦うのなんて無理かも。)

 随分と懐かしくなった名前を思い出しながら、その男がPVPのプロだと思い出しフラミーは早くも降参気分になり始める。

 すると背から次の魔法が聞こえた。

「<骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)>!!」

「え?なんでそれ?」

 チラリと振り返ると、フラミーは突如目の前に生えた壁に顔から激突した。

 ――「イッッ!!」痛かった。

 体勢を立て直し目の前に聳える骨の壁に足をつくと、迫り来るアインズに蹴伸びのように向かった。

「痛くしないって言ったのに!」

「あ、すみません!大丈夫ですか?」

 痛む顔に触れながら飛び込むように向かってくるフラミーへアインズが腕を伸ばす。

「おいで。」

 フラミーはアインズに杖を向けた。

「――って、えっ?あれ?」

「もう怒りましたもん!!<魔法最強(マキシマイズマジック)>・<加速(ヘイスト)>!!」

 アインズに向けて加速魔法を掛けると、フラミーは触れ合うギリギリで、するりとアインズの身の下に滑り込み――「うわっっ!!」

 アインズは止まる暇もなく自ら生み出した骨の壁に突っ込んだ。

 骨の身の為痛みはないが、人の身なら痛みに繋がるジンワリとした感覚に冷や汗が出る。

 手を払い壁を消すと、空にはバフの続きを掛け始めるフラミーがいた。

 

「こ、これは…本当に本気の鬼ごっこになるんじゃ…。」

 

+

 

 最早人間には何がなんだか分からない鬼ごっこの中、ルプスレギナの熱い実況は続いていた。

「っおぉーーっと!!流石アインズ様!!フラミー様の行く手を完全に妨害!!これには痺れるっすねぇ!!」

「今のは何という魔法ですかな!!」

 フールーダは着いて行こうと必死にユリに魔法の名前を聞き続ける。

「今のは恐らく究極の妨害(アルティメット・ディスターブ)です。」

「なるほど!なるほど!」

 魔法の名前と、予想される効果をガリガリと書いていくのをナーベラルは極寒の視線で眺めた。

「ちっ。下等生物(ガガンボ)が。身の程を知りなさい。」

 

 すると、こちらへ向かって支配者達が高速で飛んでくるのが見え、ナーベラルはガガンボの首根っこを掴んで移動した。

 

 ザァッと風を巻き起こした支配者達はそのまま離れて行った。

 いつの間にか雪も止み、地は浅く降り積もった雪で白く染まり上がっていた。

「フラミーさん!!本当にすみませんでしたって!!」

「アインズさんの嘘つき!<神炎(ウリエル)>!!」

 以前天使達によって偽りのナザリックを吹き飛ばした超高位の魔法が放たれる。

 神聖属性が天敵のアインズは思わず身構え、距離を取るが――カルマ値がマイナスに振り切れているフラミーには第一位階以下の攻撃力しか出せない。

 可愛らしさすらある小さな爆発がアインズの前で一瞬弾けると、フラミーは再び離れ――力が抜けたように蛇行しながらゆっくり降下を始めた。

「あっ!?まずい、忘れてた!<魔法の精髄(マナ・エッセンス)>!!」

 慌ててふらつくフラミーに向かう。

「フラミーさん、大丈夫ですか!?」

「も、もうだめです…。」

 魔力欠乏を起こしたフラミーが雪の上に膝を付くと、魔力の底という概念を忘れ掛けていたアインズは雪の中からフラミーを抱き上げた。

「お疲れ様でした、…痛かったですね。」

 赤紫に少し腫れる頬を撫でるとフラミーはぷぃと顔を背けた。

「アインズさん、ずるいです。」

「はは、本当ですね。でもこの調子なら俺達やっぱり普通のプレイヤーには負けない気がするよ。」

 言いながら人の身を呼び出す。

 むくれるフラミーと少し強引に口を繋ぐと、アインズは上機嫌でルプスレギナの下へフラミーを運んだ。

 生徒達が照れ臭そうに、恥ずかしそうにワッ…と声を漏らしたが、支配者達には届かない。

 

「また遊びましょうね。」




ふふ、この子等の戦い癖になるぅ!

次回 #30 閑話 魔導学院


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#30 閑話 魔導学院前編

「アインズさん、私学校通いたいです!」

 フラミーは魔導学院に訓練に行って以来学校行きたい病にかかっていた。

 

 アインズも小学校一つ卒業できていないフラミーの境遇を思うと行かせてやりたいと思うが、――あまりにこの存在は目立ちすぎる。

「分かりますけど…毎回あれじゃ学院もフールーダの心臓も持ちませんよ。」

「じゃあ、ふらみーさまじゃない格好でいくから…。」

「それこそ一発でも魔法使ったらえらい騒ぎになっちゃいますよ。うーん…プライマリースクールはどうですか?」

「プライマリースクールじゃ皆子供じゃないですかぁ。」

 アインズ達は洗脳教育と、情報を制限するための場として、都市ごとにプライマリースクール――国立小学校を創立していた。

 それは義務教育機関で、神と魔法が如何に崇高で素晴らしいかを教えている。

 科学文明なんて物を求めようなどと少しも思わないように――。

 授業は、宗学、魔法、国語、算盤、社会、道徳、図工、美術、家庭、音楽、体育。

 タレントの発現が分かりやすい授業のラインナップで、週に五日登校日がある。

 ただ、魔法は零位階止まりだ。第一位階ですら獲得できる者は少ないので、あまり突っ走った授業は行わない。

 ちなみに、子供の期間に価値観を植え付けることが大切なのでミドルスクールとハイスクールを作る予定はない。

 

 執務室のソファでフラミーに腕を引っ張られ揺すられながらアインズは唸った。

「うーん…そうは言ってもなぁ…。」

「お願ぁい。アインズさん…。」

 ねだるような瞳に骨の手をかぶせて伏せさせる。

「ダメです。すぐそう言う目ぇして。」

「でもでもアインズさんだって生活魔法使えるようになりたいでしょ?」

 その言葉にアインズはピクリと反応した。

「……生活魔法、俺達が覚えられるんですか…?」

 骨の手を退けると、フラミーの顔には「やってやったぜ」と書いてあるようだった。

「それを確かめに行かなくちゃ!!」

「…なるほど。アルベド。学院長とフールーダに連絡だ。適当に理由を付けろ。神ではない者として挑む。」

「畏まりました。」

 フラミーはキャー!と喜ぶとソファに膝立ちになり、アインズの頭に抱きついて骨の額に何度も頬擦りした。

 その様子にアインズは骨の動かない顔を緩めると――

「…俺こんなんで父ちゃん勤まるのかなぁ…。」

 自ら遠回しに尻に敷かれに行っている気がする自分の未来を心配した。

 

 数日後の朝、フラミーはむにゃむにゃと夢見心地のアインズの腕の中から飛び出すようにドレスルームに向かうと、ただの布で出来た白い膝丈のフレアスカートと、特別に背に大きな穴を空けたブラウスを取り出した。

 パジャマを脱ぎ捨て、何の効果もない服に着替えていく。

「フラミー様…本当にそのようなお召し物でお出になられるのですね…。」

 メイドが心配そうにその様子を眺めていると、フラミーは背に穴の空いていない、これまたただの布で出来た魔導学院の生徒が着るローブを着込んだ。

「ふふふっ!ふらみーさまじゃないですよ!村瀬さんです!」

 フラミーは得意げにそういうと、フードを目深にかぶり寝室に駆け戻った。

 

 ボフンッとアインズの上に飛び乗る。

「――っぅ!」

「アインズさん!おはようございます!学校行きましょう!」

「はは、おはようございます。良かった、いきなり出て行くからびっくりしましたよ。」

 強制的に起こされたアインズはフラミーの満面の笑みに心をほぐされ、髪を撫でつけた。

「はーそれにしても…手配はしたけど本当に行くんだなぁ…。」

 エ・ランテルの魔導学院からの留学生という事で神都魔導学院の学院長とフールーダに書類を送った。

 しかしアインズは若干気が重くなってきていた。

 フラミーが今身につけているのは魔導学院の生徒達が普通に身に着けている制服だ。

 何の効果も持たない装備でフラミーを外に出したくない。

 引っ張られるように起こされたアインズは、パンツ一丁姿にガウンを引っ掛け、若干重たい足取りで部屋を出て行った。

 

+

 

 神都・大聖堂。

 人の少ない部屋に出るとアインズは嫉妬する者達のマスクと言うこの世界に来て最初の頃にわずかな時間被っていた不名誉の証を顔に掛けた。

 鈴木の顔はモモンとして知れているし、アインズの顔も当然知れている。だが、アインズはまるきり知らない誰かの顔を拝借できるほど図太くない。結果、隠してしまおうと言うのだ。

 体は始原の魔法で高校生くらいの歳の頃のものを練って来ている。

 いつもより低い背丈は新鮮だ。

 フラミーも幻術で肌を肌色に、髪と瞳は黒く――ちょっぴり美化したリアルの顔を展開していた。

 どれくらいがちょっぴりなのかは人によるだろう。

 アインズはフラミーの顔をしげしげと眺めた。

「…これが文香さんかぁ…。」

 俺の嫁はリアルでも可愛いらしい。

 二人は探知阻害の指輪を着け、少し扉を開けてキョロキョロと周りの様子を伺ってから部屋を出ると聖堂内を通り抜けて外に向かう。

 途中すれ違った神官に若干訝しまれながら外に出ると――空気の澄んだ冬晴れの空の向こうに、雪がたっぷりと降り積もった山々が見え、ここから世界の果てまで見えるような気がした。

「わぁ!!」

「これは…。」

 何の効果も持たない服を着ている二人は衝撃を受けていた。

 身を摘むような寒さ、太陽から感じる熱。

 当たり前のものを前に自分達がここで生きていることを感じさせる。

 どこか非現実的に折り重なっていた日々は途端に色濃く見えた。

 

 アインズは己の身を抱きブルリと震える。

「なんだかすごく良い朝ですねぇ。」

 フラミーは白い息を吐き出しながら、嬉しそうに頷いた。

 「はいっ!全部鈴木さんのお陰です!」

 寒さからか鼻の頭と耳を赤くするフラミーの頭をポンポン叩く。

 幻術とはいえ体の様々な動きに合わせるように作らなければ口が動かないなどの弊害が生じる為、高位の幻術を用いたそれはフラミーの体の変化までよく表していた。

 凍えさせようと吹き付ける風がフードを落ろしてしまいそうになるのを抑えてやる。

「ははは。また鈴木さんですか? 」

「あっ、えっと…さ、さと…さと……。」

 神官達に妃問題の終止符を打ちに行って以来、照れられて結局名前は呼ばれていない。

「さ……さずきさん…。」

「あぁー…惜しかったかな…。もう一回お願いします。」

「むむむ…さ…さと…さと……。」

「る、だよ。さとる。」

「さと………き……さん。」

「っく……!惜しい………!」

 こんなことをしていてはいつまで経っても学校に行けない。

 今日も脳味噌までふやけている支配者達はようやく歩き出した。

 街路樹から落ち葉が舞う様を見ながら、魔導学院へ向かう。

 その道は赤や黄色で染まっていた。

 大して街路樹もない世紀末の街で育ったフラミーは、どうして葉はわざわざ色を変えてから落ちるんだろうと降り注ぐ命に手を伸ばす。

 ひらりとフラミーの手を躱した葉はアインズの手に回収され、耳にかけられる蕾の脇に差し込まれた。

「へへへ。」「へへへ。」

 まるで締まりのない笑顔を交わしながら角を曲がると、――見事に人にぶつかった。

 しかし倒れる二人ではない。

 

「っうわ!?ちょーっとちょっと!!」

 視線の先では大聖堂に向かう途中だったのかクレマンティーヌが尻餅をついていた。

「わ、先輩大丈夫ですか?」

「こんな学生相手に遅れをとるなんてクインティアは紫黒聖典の恥さらしね。」

「ちゃんと前見て歩かないから…。すみません、大丈夫ですか?」

 朝から騒々しい四人は奇妙な学生二名を見た。

「あ、いえ。こちらこそ不注意でした。」

 いつもよりずっと若い声でアインズはレイナースへ応えるとクレマンティーヌに手を伸ばした。

「……あんた何者?」

「学院の生徒です。」

 クレマンティーヌは差し出された手を素直に握り、力を込めて立ち上がった。

「それじゃ、すみませんでした。」「すみませんでした〜。」

 ペコペコと頭を下げながら、二人はそそくさと退散した。

 クレマンティーヌは自分の手と仮面を着けた駆け出し魔法詠唱者(マジックキャスター)の背を何度も見比べた。

 レイナースは歩きだす様子のないクレマンティーヌの手を取ると、軽く引っ張った。

「何やってんの。行くわよ。騎乗指導に遅刻するとまたレイモン様にどやされるんだから。」

 ティトとマッティからすぐに遅刻の報告が上がってしまう。

「…レーナース…ありゃバケモンだ。」

「は?あんた自分が転ばされたからって何――」

「この私が全身全霊の力を込めて引っ張ったのに、あいつは身動ぎ一つしなかった。」

 番外席次はそれを聞くと後方へ立ち去っていく学生の背を睨んだ。

「…本当なんでしょうね。クインティアは弱いけれど、普通よりはましだわ。」

「弱い弱いって…いちいちうっさいわねー。」

 すぐに喧嘩を始めようとする二人をレイナースは無視すると、末妹を手招いた。

「ネイア、レイモン様を呼びに行って。私達は学院に行くわ。」

「え?レイモン様を?先輩方はそれでどうするんですか?」

「聖典に入らないか声をかけるのよ。」

「あの強さ、先祖返りかもしれないっちゅーわけ。よろけもしないんだから…ありゃ尋常じゃない。」

「あ…なるほど。わかりました!」

 得心いったネイアに番外席次ぎ付け足す。

「ネイア・バラハ。あと、レイモンに念の為漆黒聖典も呼んだ方が良いって言っておいて。」

 ネイアは三人と視線を交わすと頷き、大聖堂へ走って行った。




御身達のほのぼの学園生活始まりますね!!(無理
小学校作った宣言したから未来にはご子息ご令嬢も小学校通えるなぁこれで!
いや、ナザリックの外に教育受けになんていかないか…?

次回 #31 閑話 魔導学院後編
想像より長くなってしまったのでまさかの前後編に。

番外ちゃんイラストを頂戴したので是非ご覧ください!!

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#31 閑話 魔導学院後編

「――そういう訳で、特進科に一週間留学させて頂く鈴木悟です。よろしくお願い致します。」

「村瀬文香です!よろしくお願いします!」

 以前訪れた教室よりも小さな階段教室で、見たことがある気がする面々の中、二人が頭を下げる。

 フールーダは長い髭をしごきながら二人を繁々と眺めていた。

「…君達は魔力系の力を感じさせないが信仰系の魔法詠唱者(マジックキャスター)なのかね?」

「…そんな所です。」

「なるほど。それでは好きな所に掛けたまえ。席に決まりはない。」

 特別嫉妬マスクについて突っ込まれることも無く、アインズはフラミーの手を引いて適当な所に座った。

「フールーダさんって、あんな感じなんですね!」

「ふふ、本当ですね。」

 初めて見るハッスルタイムではないフールーダは新鮮だった。非常に真面目な顔をしていて、威厳や生きてきた時間の重みを感じさせる。確かに帝国最強と呼ばれるだけはある雰囲気だ。

 

 フラミーがクスクス笑っていると、隣からぽんっと優しく教科書で頭を叩かれた。

「フールーダ様、だろう。留学生。師に教えを請うために来たなら相応の態度を取らないと。」

 生徒として当たり前の心得を述べた隣の青年は怒っているというよりも苦笑しているというような雰囲気だ。

 フラミーはすぐに頭を下げた。

「あ、ごめんなさい。本当ですね。」

「おい、お前不敬だろう。」

 アインズの口からは思わず馴染み深くなっていた不敬という言葉が漏れていた。

「…王国貴族の出かな?私はジーダ・クレント・ニス・ティアレフ、元帝国貴族――アーウィンタールの出身だ。実を言うと私も少し前まではエ・ランテルの帝国街に暮らして、エ・ランテル魔導学院に通っていたんだ。でもフールーダ様に付いてここまで来てしまったよ。ふふ、実は似たような身の上なんだ、よろしく。」

「わぁ素敵!村瀬文香です。よろしくお願いします!」

 手を握って挨拶をするとジーダはフラミーの前を通過するようにアインズにも手を伸ばした。

 アインズは若干自分の狭量を恥じた。

「あ、これは。ティアレフさん、私は鈴木悟です、よろしく。」

「敬称は不要だよ。フミカもティアレフと気軽に呼んでくれ。」

 フラミーは「はーい」といい返事をしたが、アインズはエッと声を上げてジーダを見た。

「ふ、文香って…。」

 この世界は"姓・名"の順では無く"名・姓"が基本なのでジーダに悪気は一つもない。

 なので当然――

「どうした、サトル。」

「うわっ、びっくりするな…。私の事は鈴木と呼んでほしい…。」

「何?そ、そうか?じゃあ、私もジーダで構わないよ。」

 ジーダはそんなに馴れ馴れしくていいのかと軽く首をかしげた。

 

 午前中は座学が進み、分かるような分からないような話をとりあえずノートに取った。

 リーンゴーンと午前中の授業の終わりを告げる鐘が鳴るとジーダは立ち上がった。

「スズキ、フミカ。私は学食に行くけど、一緒に行くかい?」

「わぁ!行きたい!」「案内助かるよ。」

 二人は学生生活を満喫し始めた。

 学食で適当な物を頼んで席に着くと、アインズは自分のとったノートを眺めた。

「ふーむ。午前中は分かったような分からなかったようなだな。」

「はは。二人はエ・ランテルの魔導学院では信仰科にいたのかい?」

「あ、あぁ。そう、だな。」

「良いね。信仰系魔法も魔力系魔法もどちらも使える存在になれたら、きっと神聖魔導国の為になる魔法詠唱者(マジックキャスター)になるよ。」

 第二位階が関の山のこの世界でどっち付かずな真似をすると大抵第一位階止まりになりがちだが、需要がない訳ではない。

 器用貧乏という言葉の通りにはなるが、そういう人材は非常に少ない為、逆に重宝される場面がある。

「ティアレフは国の為に魔導学院に来てるの?」

 呼び捨てを勧められたフラミーは珍しくタメ口だ。

「国のためといえばそうだけど…。私は魔導省に勤めて、フールーダ様のお側で生涯学びながら…いつかはフールーダ様みたいに神王陛下に直接教えを請うのが夢なんだ…。」

「ああー…。神王陛下にね…。」

「頑張って下さいね。」

 フラミーはジーダではなく遠い目をしているアインズの肩を叩いた。

「…ジーダ、光神陛下にも教えを請うのはどうだ。あの女神は慈悲深いからきっとなんでも教えてくれる。」

「えぇ!?」

 若干大きな声が出てしまったフラミーはハッと口を押さえた。

「スズキはもしかして、両陛下に教えを請う為に信仰系と魔力系を習得しようとしてるのかい?」

 アインズが何かを答える間も無く、成る程成る程とジーダは一人納得していた。

 

 その後教室に戻ろうとすると校内には漆黒聖典がうろついていた。

「ん?魔導学院には聖典が来るのか?」

「いや、初めて見た。あれは何聖典なんだろうね?」

 一般の者も今では特殊部隊である三色聖典の存在を知っているが、実際に手を差し伸べられた国や地域以外で聖典を詳しく知る者は少ない。

 アインズは嫌な予感を覚えると、「授業の一環かな?」と推理を始めたジーダを残し、フラミーの手を掴んでそそくさと教室に入って行った。

 授業が始まるまでアインズが息を殺していると、ジーダは二人の様子を見て微笑んだ。

「君達はやっぱり付き合ってるのかい?」

「…そうだが、そう見えるか?」

 アインズは付き合うという初めての言葉に少し恥ずかしくなった。

「見えるよ。ふふ。でも、スズキはフミカの家のお付きだったんだろ?」

「え?なんでですか?」

「最初に不敬だって言っていたじゃないか。フミカは綺麗だから身分の差なんて乗り越えたくなるのも分かるよ。神聖魔導国民になって良かったね、身分制度がないんだから。」

 良い話だなぁと呟くジーダにアインズは苦笑した。

 

 下らない話をしているとフールーダが現れ、騒めいていた教室はピタリと静まり返った。

 午後は第三位階の生活魔法、<温泉(ホットスプリング)>を学ぶため、基礎となる第一位階の生活魔法、<水創造(クリエイト・ウォーター)>の復習が始まった。

 魔力系も信仰系も関係なく誰でも扱える生活魔法は全ての魔法の基礎だ。

 ただ、当然第三位階の高みに登れる者はそういない。このクラスにも第三位階に到達しているのはたった一人だけだ。

 <温泉(ホットスプリング)>は<水創造(クリエイト・ウォーター)>と使用感覚がかなり近く、第三位階のイメージ組み立てに最も効果的だとフールーダは結論付けている。

 この授業は週に一度は行われていた。

 

 アインズ達は普段無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレスウォーター)を使っているし、ユグドラシルには存在しなかった為初めての魔法だ。

配られたコップに皆手を掲げ、水を生んでいく。

 しかし当然中には特性がうまくはまらない者もいて、生める者と生めない者は半々だ。

「…やっぱり途中入学じゃ手取り足取りは教えてもらえんか。」

「本当ですね。ねぇ、ティアレフはどうやってるの?」

 フラミーは隣で自分が生んだ水を飲み始めていたジーダに振り向いた。

 ジーダは帝国魔法学院では上位四名に入るほどの優秀者で、特進科にも楽々入学した。

「ん?そうか、信仰科にいたからこの授業が初めてなんだね。ほら、手を伸ばして。」

 二人はジーダを真似て手を伸ばす。

「目を閉じて。水は絶えず流れる。大地を潤す。世界の多くを満たす光の存在だ。イメージした?」

 うんうんと頷く。

「コップを思い出して。丁度いい量だ。空気中や世界に溢れる水分を優しく束ねてそこへ注いであげるんだよ。唱えてごらん。」

「「<水創造(クリエイト・ウォーター)>。」」

 二つの声が響いた瞬間教室は水中になった。まるで水槽だ。

 誰もが何が起きたのか分からず、ゴボゴボと溺れた。

 水圧に負けた窓と扉は破壊され、廊下やグラウンドに向かって水が吐き出されて行く。

「何事!!これ程の水の量!!」

 水が流れ出て行くとフールーダが顔を真っ赤にして犯人探しを始めた。

 隣の教室やグラウンドから水だ水だと悲鳴じみた状況報告が聞こえる。

 咳き込む生徒達の中、アインズはフラミーをじっとりと見ていた。

「…文香さん……だから言ったのに…。」

「ん?私じゃないですよ?」

「でも俺制御の腕輪してますし…。ちゃんと力加減考えました?」

「えぇっ、ちゃんと一杯のお水イメージしましたもん。」

「一杯じゃなくてこれじゃいっぱい(・・・・)の水だ…。」

 二人の落ち着き払った様子とは裏腹に、教室はパニックだった。

 外からはバシャバシャと大量の人が水溜まりを走ってくる音がする。

 足音の主は破壊された扉の上に乗り、滑り込むように教室を覗き込んだ。

「やーっぱりやらかしたな!!仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)!!」

 クレマンティーヌだった。いや、それどころか紫黒聖典に漆黒聖典、レイモンもいる。

「げっ、やっぱりってなんでだ!?本当に俺じゃないのに!」

「ティアレフ大丈夫?ごめんね、やったのは私じゃないけど…。」

 支配者達は罪をなすりつけあっていた。

「大丈夫だよ、ありがとう…。全く誰だよこんな悪質な…。」

 アインズはフラミーに背をさすられながら軽く咳き込む可哀想な同級生を気にかける余裕もない。

「仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)…?――留学生!来なさい!」

 フールーダがアインズを手招く中、どうしたもんかとフラミーと聖典を交互に見る。

 

「先祖返り!あんたはこんな所で授業受けてる場合じゃねーんだよ!」

「大人しく聖典の訓練所に来るのね。私がボコボコにしてあげる。」

 クレマンティーヌと番外席次はアインズに近寄ると腕を掴んだ。

「うわ!私は先祖返りじゃない!落ち着け、私に触れるんじゃ無い!あまりこんな風にしていると――」

 番外席次が引っ張っても動かない様子を見ると漆黒聖典隊長もアインズの腕を取った。番外席次に動かせない人間などこの世にはいないはずなのに。

「話は大神殿で聞きます。貴方の力は陛下方の為に必要です。」

 突然始まったお縄に付けモードに、ジーダもフラミーも、いや、教室中の者達が目を白黒させていた。

 

 ――(それこそ一発でも魔法使ったらえらい騒ぎになっちゃいますよ。)

 

 アインズは自分の読み通りの展開に大いに嘆いた。

「離しなさい、私は聖典で働くつもりなんかない!」

 隊長の手も番外席次の手も振り払うと、いよいよもって聖典達とレイモンがアインズを見る目つきが獣じみた。

「スズキ、聖典で働けるならそれはすごく名誉な事だよ!それに聖典に入れば両陛下にだってお会いできる!君の夢だろ!」

「陛下方と旅だってできるわよ。あなたはゴミじゃないみたいだから、私が教育してもいいわ。」

 そんな夢を持ったことはないが、番外席次は得意げだ。

「…断る。」

 これ以上モモンのような存在を増やしても意味がないし、共に旅に出る聖典に入るなんて無理だ。一々パンドラズ・アクターを呼び出したり辻褄合わせに苦労する。

 

「そう。じゃあ、あなたにはこの汚した床の水を全部飲ませてやるわ!!」

 アインズは番外席次の教育は成功かと思っていたが、大して成功していない様子を感じ顔に手を当てた。この娘は相変わらずめちゃくちゃだ。

 漆黒聖典隊長は何か嫌な思い出があるのか心底嫌そうに顔を歪めた。

 

 番外席次が戦鎌(ウォーサイズ)を抜く――

「あ!!やめて下さい!!そんな不敬なことしたら――!!」

 フラミーが叫ぶもその甲斐虚しく、教室には転移門(ゲート)が開いた。

 

「ムシケラ風情がいと高き御方に向かって刃を向けるなんて不敬にも程があるわ。」

 美しく細身な身体に不釣り合いなバルディッシュを軽々と手の中で回しながら、アルベドは現れた。

「あ、アルベド様…。」

 番外席次はパシャリと水浸しの床に尻餅をついた。

「ま、待てアルベド!!番外席次はわかっていないだけだ!!」

 殺したら――レベルダウンは美味しいかもしれない。

 一瞬浮かんでしまった邪念を即座に振り払う。

「アインズ様。お戯れも程々に。」

 教室中の視線が集まる。

「ス、スズキ…?」

 アインズの服が濡れているのはフラミーのせいではない。

 冷や汗だ。

「わかった、わかったから物騒な物はしまえ!大体監視は許したが転移門(ゲート)を開く許可は出していない!!」

 アインズは仮面を外すと放り投げた。

 常に控え続けた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)がさっと回収すると仮面は不可視化を看破できない者達の目には映らなくなった。

「「「「「陛下!!」」」」」

 幼い顔付きだがアインズの顔はいつもの人の身のアインズだった。

 絶叫にも似た聖典の声が響く。

「や、やべ…私陛下にぶつかったの…。」

 クレマンティーヌが退散しようとするとクアイエッセが首根っこを掴んだ。

「クレマンティーヌ…!!!」

「わかるわけないでしょーが!!!」

 聖典も教室もしっちゃかめっちゃかだ。

「はぁ…。フラミーさん、もう帰りましょう。兎に角生活魔法を使える事は分かりました。後はイツァムナーに聞きながら端から習得していけば良いだけです。」

 アインズがフラミーに手を伸ばすと、ジーダは自分の肩を抱く人を見た。

「フ、フミカ…。君も…?」

「むぅ…。私は魔法を教えてあげられないけど、良かったらまた生活魔法教えてくださいね。」

 フラミーは清潔(クリーン)をジーダにかけるとアインズの手を取って立ち上がった。

 その身はベールを脱ぎ去るように紫色へと変わり、水に濡れて輝く髪も漆黒から銀色へと変化してわずかに靡いた。

「な、なんて……美しさ……。」

 言葉を失うジーダにアインズは正面から向き直った。

「ジーダ、お前は確かにフールーダの下に付くに相応しいかもしれん。――おい!フールーダ!」

「は、はい!!陛下!!」

 フールーダはあれだけの水を生み出す者が生徒じゃなかったことにがっかりしながら神の下に駆け付けた。

「ジーダ・クレント・ニス・ティアレフの面倒をよく見てやれ。」

「畏まりました。さすが陛下、お目が高い…。最初からお分かりでティアレフ君の隣に…。」

「神王陛下…。」

 このクラスでただ一人、既に第三位階を扱えるジーダはその後第五位階と言う高みにまで到達し、フールーダの未完成だった不老の術を共に完全なるものとする研究に携わる。

 そして末永く神々に仕えることになるが、今はまだその事を誰も知らない。

 いや、全知全能の神々はおそらく分かっていたのだろう。さすがだ。

 

 アインズはフラミーを抱き寄せると、やはりじっとりとした目でフラミーを見ていた。

「限界突破の指輪ができる前に制御の腕輪も作らなきゃいけなそうですね。」

「ご、ごめんなさい…。」

「そう思うなら今から後片付けを始める未来の旦那にご褒美下さいよ。」

「むぅ。後でね。」

「先払いが良いんですけど…。」

 微妙に支配者がいちゃつき始めるとアルベドはしっしと人間達に手を振った。

 皆が視線をそらすと、フラミーは少しだけ背伸びをして、いつもより視線の高さが近いアインズに唇を寄せ――語るまでもない。

「じゃ、やるか。」

 満足いったアインズは教室中を魔法で直し、濡れた生徒達に全体・清潔(マス・クリーン)を掛け事態を収拾させた。

 あまりの見事な魔法にフールーダも生徒も興奮しきりだったが、聖典達とレイモンは居心地悪そうにし――紫黒聖典はやっぱり聖典の中の厄介な妹達だと残念な烙印を再び押された。




身分隠してバレちゃうのってロマンありますよね。うふふ。
ジーダ・クレント・ニス・ティアレフ。
ジーダが女の名前か男の名前かわからず、ググったら男の人のアダ名として紹介されてたので男性にしました。
女性だったかな?女性でも男性でも大勢に影響はないけど!

次回 #32 フラミーの夢

感想絵頂きました!
魔法の装備じゃないんだからこうだよね!という浪漫の塊です。

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やっぱり思いました?私も思いました☆

濡れてにっこり幼な御身もいただきました!

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#32 フラミーの夢

「…これは、私には派手じゃないか。」

 アインズは式の日に着る服のチェックのため、人の身で袖を通していた。

 二十人近い大量のメイド達がその様子を見ている。

「いえ!!むしろ、地味なくらいかと!!」

 想像通りの返事に苦笑する。式の準備は一事が万事こんな感じだ。

 アインズとしてはタキシードやスーツで十分だがそんな事を許すナザリックではない。

 金属の糸で無数の刺繍を散りばめた白の長いローブに、幾重にも大量のネックレスを着けられ、大きな耳飾りをし、それと同じ石の嵌められた額飾り、装飾過多なベルト、そして金糸の豪奢な刺繍の施された黒地のマント――。

 ローブはフラミーが選んだ白の生地が使われていて、フラミーのドレスと揃いだ。

 

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「…少なくとも足りない事はないだろう…。」

 制御の腕輪を着けていると言うのに、腕を取られ、さらに腕輪を入れられる。

 こんなに新郎が派手な結婚式があるだろうか。

 これまでの試着ではローブとマントだけだった為派手さに気付かなかったがこのフル装備には驚かされる。

 アインズが唸っていると、間仕切りとして引かれていたカーテンから更にメイドがひょこりと顔を覗かせた。

「アインズ様!フラミー様がご覧になりたいと仰っております!」

「すぐに入ってもらえ。フラミーさんにチェックをお願いしたほうがいいだろう。」

 メイドは頭を下げるとカーテンはゆっくりと開いて行った。

 既に試着を終わらせたフラミーがいつも通りの格好でそこにいた。

「わぁ!すごーい!」

 その感嘆はどう言う意味だろうか。

 アインズは腰に手を当てため息をついた。

「ちょっと俺正直派手すぎると思うんですけど…。」

「え?そうですか?神様のアインズさんにはとっても良い気がしますけど。」

 メイド達がですよねー、と合いの手を入れている。

 女子と男子では感覚が違うのだろうか。

 アインズは神様ねぇ…と呟いていた。

「フラミーさんのドレスもこんな感じなんですもんね。」

 アインズは当日までフラミーのドレス姿は見せないとお預けを食らっている。

「あ、えっと、ドレスって言うか、私もすんごいドレスローブですよ!女神様って感じの!」

 フラミーの表情の奥のものを読み取ろうとしばし眺めると、控えるセバスを手招く。

「おい、お前はどう思う。ツアレニーニャの隣でこれを着たいか?」

「いえ。私には似合いませんので、私はタキシードで十分でございます。」

「そうだろう。それならあまり――」

「ですが、アインズ様にはそれでは地味かと。」

 アインズの言葉を遮るようにセバスは続けた。自分は着たくないくせに人にはもっと装飾を着けろと言う執事に頭を抱える。

 腕をあげるとジャラジャラ…と腕輪が鳴った。

「……いや、私もタキシードかなんかで十分だ。」

「アインズ様。式には国中、いえ、大陸中の者達が来るのですからその誰か一人にでもアインズ様のお召し物が下回るようなことがあれば、ナザリックだけでなくフラミー様まで侮られてしまいます。」

 今見えている世界の、端から端までの者達が来てしまう。

「――ふぅ。最初から分かっている。少し言いたかっただけだ。」

「それはようございました。」

 アインズはお前の式では覚えてろと心の中で呟いた。

 

+

 

 試着を終えた二人は最古図書館(アッシュールバニパル)を訪れていた。

 近頃アインズはフラミーを連れてよく図書館に来ては様々な本を読み漁っていた。

 今日も今日とて服の資料が載っているような書籍数冊に手を伸ばす。

「今日はこれと…これと……。」

「アインズさん、大丈夫ですよ。ちゃんと神様でしたもん。」

「神様には良いですけど、俺にはちょっとね…。」

「まぁ確かにちょっと派手でしたけどね。ふふふ。」

 苦笑とも微笑みともつかない顔をするフラミーに、少し真剣な顔を向けたアインズは結婚式について書かれている資料集も新たに抱えて席に着いた。

 

 今アインズは人生史上最も服に関心を持っているだろう。

 フラミーもあれこれ喋りながら、アインズの持ってきた本を開き、今更またドレスの載っているページに目を通す。

「こう言う普通のお嫁さんが着るドレスがよかったなぁ。でも、式典じゃ仕方ないですよねぇ。皆がせっかく神様に見えるように仕立ててくれるんだし…ナザリックの威だし…。」

「ん…うん。そうですね。もう少し待ってね。」

 生返事をするアインズは真剣だった。

 その後二時間くらいすると、パタリと資料を閉じた。

「――よし。分かったぞ…。」

 満足いった様子のアインズにフラミーも本から視線を上げる。

「フラミーさん、俺今日もちょっと鍛冶長の所行ってきますね。」

「はは。また何かいいアイデアありました?」

「ありました。遅くなると思うんで、ご飯とか先に食べてて下さい!」

 アインズはフラミーの見ていた本を回収すると駆け足で立ち去って行った。

 

 その後久し振りにフラミーはメイドと二人で食事をとり、一人でもぞもぞと布団に入った。

 余程何か良いアイデアがあったのだろう。

 今夜は鍛冶長と寝ずに相談、いや、説得するのかもしれない。

 フラミーは目を閉じた。

 

 久しぶりに一人で過ごすベッドは妙に広く感じ、寝付けずにいると、寝室の扉は開かれた。

「あ!アインズさん!おかえりなさい!!」

 待ち人が現れるとフラミーは布団を放り投げるようにベッドを抜け出し、アインズに駆け寄るとボフンっとその胸に激突した。

 サラサラと髪を撫で付けながら、アインズはその様子に思わず顔が綻ぶのを止められない。

「ただいま。すみません、遅くなっちゃって。フラミーさん、まだ今夜起きてられます?」

「あの、弟作り?」

 それはフラミーがやらなければいけない仕事だと夫婦喧嘩以来、隙あらば教え込んできた。アインズを見上げるフラミーの頬は赤く染まった。

「あー…それはまた後でね。」

 と言いつつ、アインズはフラミーをベッドに座らせ、せっせと脱がせた。

 すっかり身包みを剥いで下着姿にさせると、アインズは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を突っ込む。

 ベッドにぺたりと座り、何もされる様子がないことに首を傾げているフラミーにふわふわとした白い布を手渡した。

 

「こりゃなんですかい?」

「はは、警戒しないで着てみてください。」

 脱がされたばかりのフラミーは訝しむようにアインズを見てから布を広げると――「アインズさん!これ、ドレスですよ!」

 フラミーの瞳からはキラキラと星が飛ぶようだった。

「ははは、知ってますよ。フラミーさん、普通のドレス着たかったでしょ。」

「着たかったです…。それにこれ、私が着たいって言ってたやつ…。すごい…。」

「良かったら着てみて下さい。」

 フラミーはドレスに足を入れると、胸まで引き上げ「わぁ…」と声を漏らした。

 嬉しそうな声を聴きながら、アインズは背中のリボンを編み上げて着るのを手伝った。

 鍛冶長の下で幾日も掛けてひっそりと作ってきた魔法のドレスはフラミーの体にぴたりと合った。

 フラミーは自らを見下ろし、潤んだ瞳でアインズを見上げた。

「あ…はは。なんか、思ったよりずっと綺麗で参ったな。」

「アインズさん、私、神様じゃなくてお嫁さんみたい…。」

「うん、神様じゃなくて俺のお嫁さんです。…本当に綺麗ですよ。」

「嬉しい…本当にありがとうございます…。」

 アインズは恥ずかしそうに下を向くフラミーを前に、少し泣けた。

 それを誤魔化すようにフラミーの髪に魔法で作った櫛を通して行く。

 丁寧に髪の毛を束にすると、くるくると巻き上げ、かつてずっとそうしていたようにお団子を作る。

 身を乗り出し、サイドボードに置かれたままの蕾を取ると、お団子を支える為(かんざし)にするように差し込んだ。

「アインズさん、やり方覚えたんですか?」

「覚えました。ユリに土下座して教えてもらいましたよ。シズの頭で百回練習しました。」

「えっ?土下座?」

「はは、土下座は冗談です。――よっと。」

 アインズは綺麗に整ったフラミーを横抱きにして転移した。

 

 第十階層、ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)

 五メートル以上はある荘厳な観音開きの大扉の前に着くと、扉は主人達を迎える為ゆっくりと開いていった。

 天井から吊り下げられている複数の豪奢なシャンデリアが七色の光を放つ中、玉座に向かう長すぎる道にはいつもと違い永続光(コンティニュアルライト)がいくつも灯されていた。

 やわらかな光に映し出される赤い絨毯は幻想的で、フラミーはアインズの腕の中から、何度も瞬きしながら玉座の間を見渡した。

 

 玉座へ向かって歩みを進めるアインズは語り出す。

「フラミーさん、本当はちゃんと大聖堂でそれを着せてあげたかったんですけど…俺の力不足のせいで本当にすみません。」

 二人で楽しく立て始めた式の計画は、守護者や僕、神官達、国の中枢に関わる者達によって少しづつ、二人の思うものから離れて行った。

 ナザリックが威を示すと守護者達は日々ノリノリだ。

 家族水入らずの披露宴をナザリックでしようと言っていたのも、いつの間にか増えた戴冠式と同等の物だと立ち消え、大聖堂でそのまま披露の宴が行われてしまう。

 しかし、遠路遥々重鎮達が訪れるのだから、当然と言えば当然かもしれない。

 神様で王様で、女神で王妃になる二人なのだから仕方がない。

 小心者で、僕の期待に応えたがるフラミーはそんなの嫌だと言えなかったし、アインズは昼のセバスに向けるようにチクチクとNGを出し抵抗してはそれの有用性に溜息をついた。

 しかし、もしアインズが強く言おうとすればフラミーはこのままで良いと言っただろう。

  普通のお嫁さんのドレスもいつの間にか神様仕様のドレスローブに変わり、中々ままならないなと思っていたフラミーだった。

 

「ううん、私、こんな、こんなに素敵なの…。着れないって思ってたのに…。わたし…本当に嬉しいです…。」

 腕の中でふるふる震え、雫を払うように何度も目元に触れるフラミーを見るとほっと一息ついた。

「はは、良かった。もっとちゃんと渡そうと思って作って来たんですけど、今日のフラミーさん見たら、何だか居ても立っても居られなくなっちゃって。」

「あいんずさん…。本当に本当に、本当にありがとうございます。」

「いいえ、でも結局式の前にお嫁さん見ちゃったな。やっぱり俺っていつも順番間違えてばっかだ。」

 

 玉座へ続く階段の手前まで来ると、アインズはフラミーを下ろした。

「文香さん、フラミーさんとの式は後少しだけ先ですけど、フライングしませんか?神様じゃない俺と、女神じゃない貴女で。」

 ハッと息を飲んだような音がフラミーの喉から漏れ出る。フラミーは何度も何度も頷いた。

「しますっ、しますっ…させてください!」

 背伸びをして首にギュッと掴まるフラミーの背中をポンポン叩く。

上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)。」

 アインズは黒い金属糸で編み上げられたタキシードに身を包み、壁にかかる四十一枚の旗を見上げた。

「最初に人前式にしようって言ったの覚えてます?」

 言いたいことに思い至ると、フラミーも天井から床まで垂れ下がる四十一枚の旗へと視線を送った。

 二人は静かに手を繋ぐと、玉座に上がることもせず友人達へ思いを馳せる。それは支配者としてではなく、個人であろうとする二人の意思表示かもしれない。

「皆さん、俺達は今日結婚します。今日を迎えられたのも、俺達を育てて、守護者達を残してくれた皆さんのおかげです。これから俺達は、どんな苦難も喜びも糧にして、ここで二人で生きて行きます。どうか、いつまでも俺達を見守って下さい。」

「どうか見守って下さい。」

 ぺこりと頭を下げた二人は照れ臭そうに笑うと、向かい合った。

 

「文香さん。病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、愛し、敬い、慈しむ事を誓います。それから…あなたのことをきっと全てから守り抜いてみせます。」

「悟さん…。私も、どんな時でも生涯あなたを愛すると誓います。私の持つ全てをあなたに。」

 静かに唇が触れる。

 二人の耳には三十九人の拍手と、少しの野次が聞こえた。

 老いることはない二人だが、もしいつか老いてしまう日が来たとしてもきっと変わらずにいられる自信があった。

 この人だけがいればいい。

 二人は小さな繋がりの中で確かに気持ちを共有した。

 そうして女神が生まれてから抱き続けた小さな夢は叶い、村瀬はその日、鈴木になった。

 

「何百年も何千年も、何万年も後に会う時、俺達はきっと、皆さんが驚くような二人になってますよ。」

 

+

 

 その後二人はひっそりと写真を撮り、秘密の思い出を共有した。

 フラミーは何度も愛していると言ってアインズに縋って泣いた。

 その後何百年経っても、この日だけは必ず二人で揃ってどこかに消えるらしい。




ああああああいんず様えらぁい!!!

次回 #33 式
usir様にドレスフラミー様を以前いただきました!
フラミー様はどんなドレスを着せてもらったんでしょうね!

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こちらはshi-R様よりです!

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#33 式

杠様より"可愛すぎる俺の嫁"を頂きました。

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これにはにっこり。


 その晩、フラミーは一睡もできなかった。

 後一時間程度で今日が始まる。

 せめて寝不足の酷い顔を治そうと、サイドボードに乗せてある蕾を取る為静かに起き上がった。

「……ん…ふらみーさん…どこいくの…。」

 アインズは天空城以来、フラミーが少しでも離れるとすっかり起きるようになってしまっていた。

「あ、すみません起こしちゃって。ちょっと疲労無効を。」

「…おいで、俺の指輪使って良いから。」

 離れかけていたフラミーを引き寄せるとごそごそと自分の疲労無効の指輪を抜いてフラミーの指に入れた。

「あーもう今日かぁ、神様の結婚式。」

「本当ですねぇ。憂鬱ですか?」

「ん?憂鬱どころかお預け食らってるフラミーさんの神様姿が楽しみですよ。」

 二人は楽しげに笑い合うと、一日が始まるまでの間優しく繋がった。

 

 これまで決して地位を持とうとしなかった女神は今日、ようやく陛下と呼ばれるべき存在になる。

 世界中に祝福され、歴史的な一日になるだろう。

 

 神都大聖堂には何百人と言う各国、各都市の重鎮が集まっていた。

 大陸の端から訪れた者達、亜人達の王だった者達、アインズ達が行ったこともない森から訪れた者達、常闇との戦いを見て以来降りたいと望んだ小規模部族の長達すらいる。

 数百人が集まって尚余裕のある大聖堂は建築以来最も人々が集まっていた。

 

 アインズはそんな聖堂内の様子も知らず、ソワソワしながら高く美しい扉の前で自分が入る時を待つ。

 幾度も精神抑制を使い緊張を収める。

 鈴木の結婚式はひっそりと行われたが、アインズ・ウール・ゴウンの結婚式は荘重で威厳に満ち溢れた物になるだろう。

 アインズは話し方はもちろん、歩き方から始まり、瞬きの仕方まで徹底的に練習した。

 中ではアルベドが開式の辞を述べ、神官達がアインズの聞いたこともない聖歌を歌って捧げてくれているのが聞こえる。

 

(アインズ・ウール・ゴウンとフラミーが結婚したら、フラミー・ウール・ゴウンになるのか…?)

 微妙に語呂が合わない感じに苦笑する。

 気を紛らわせていると扉の左右に立つセバスとデミウルゴスが頷き合った。

 二人はこの後フラミーを入れてから入室して守護者達の列に加わるが、暫くはここでドアマンだ。

 扉が開かれていく。

 

 大聖堂内からは眩いばかりに神々しいその姿をいち早く見た者達がオォ…と感嘆の声を上げた。

 神聖魔導国の最も重要なそこは神々の始まりの時を迎えるに相応しい場所だ。

 アインズは踏み出す。

 転移し、たった数日で行った法国の潜入、大神殿を支えるギルド武器の破壊、そして始まる世界征服。

 世界の全てを手に入れるまで、きっとこれからもアインズは数え切れない命を奪い続けていくだろう。

 敬虔な迷える子羊達はその道を往くのが死の神だと分かって尚群れをなして着いてくる。

 ナザリックの維持の為にも税収(ひつじ)は必要不可欠だ。

 この先何万年と、家の維持の為に大黒柱は奔走し続けなければならない。

 そして、この美しい世界を守らなければ――。

 アインズは骨の己とフラミーを象った像を真正面に見据える位置まで辿り着くとそれを感慨深げに見上げた。

 

(誰のセンスだが知らんが頬骨の辺りがああなっている方が良いのか?)

 

 精神抑制の使いすぎは毒だ。

 緊張しないことと緊張感がないことは別だろう。

 大聖堂を埋め尽くす人々は痛い程の静寂の中、アインズから決して目を離さなかった。

 やんごとなき偉大な王は、存在するだけで人々の心を奪う。

 参列する者達はここで今から行われる儀式に立ち会える幸福に震えていた。

 

 アインズはアインズフラミー像を存分に眺めると、フラミーを迎える為自分が入ってきた扉へ振り返る。

 引きずっているマントが皺になったり、踏んでしまったりしないように気を付けながら、片手で軽く引っ張るようにさばき丁寧に動く。

 もう片方の手には王笏の代わりにギルドスタッフが握られている。

 アインズが位置についたことを見ると、光の神へ捧げる聖歌が始まった。

 

 今日までその姿を決して見せてくれなかった女神はどんな格好で入って来るのだろうか。

 揃いの生地で作られている衣装なのだから、アインズが着ている物に似ているだろうか。

 殆ど似たようなデザインだったら、それはそれで少しつまらないが、かけ離れていてはバランスが悪そうだ。

 アインズがあれこれ想像していると聖歌は止み、扉は開かれた。

 

 

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 誰もがぽかんと口を開けた。

 アインズが入った時はわずかに感嘆の声が漏れたが、今は一人として声を漏らさなかった。

 フラミーが美しくなかったことはないが、これは――。

「光の…女神…。」

 アインズの目をして神であると思わせるほどの美しさに列席者達は息をする事も忘れていた。

 本当に美しいものを前にした時、人は自分が言葉を話せる生き物だと言うことを忘れる。

 超常の存在が撒き散らす清浄な空気を少しでも汚さないよう、息を潜める事しかできない。

 恐ろしさを感じる程の様子に、あまり見過ぎては報いのように命を奪われる想像すら浮かぶ――と言うのに目を離せない。

 どう言う原理か分からないが、フラミーの結われていない髪はふわりと柔らかく浮かび上がり、凪いだ海のように波打っていた。

 <悪魔の諸相:おぞましき肉体強化>を用いているであろう翼はいつもより大きく、四枚が美しく重なり合い、巨大な一枚の翼のようだ。

 アインズが着けているものとほぼ揃いの額飾りは頭の左右に咲く花に支えられていて、戴冠時に小さな冠を乗せる邪魔にならないようにされている。

 腹部分は僅かに開かれてヘソが見え、その下に施された金色の刺繍はどこと無く黒山羊の悪魔(バフォメット)の頭を彷彿とさせる形をしていて、四対の翼がモチーフであろう模様と共に、その存在は悪魔である(・・・・・)と何も知らないこの世界の者達を嘲笑うかのようだ。

 しかし、この悪魔に焦がされ燃え尽きたとして、誰に後悔が残るだろう。

 白い珊瑚の骨で作られたタツノオトシゴの絡みつく杖を、床にカツン…カツン…と突きながら向かって来る女神を前に、アインズは何度も鎮静された。

 金色の瞳はアインズを捉えると、見た事も無い輝きに溢れ、思わず片手で口を覆った。

(ナ…ナザリックが…威……。)

 アインズすら飲まれていた。

 

 言葉をなくしていると、フラミーは重力を感じさせない動きでふわりとアインズの前に両膝を着き、杖を捧げるように前に置くと、手を前に組んで頭を下げた。

 己を失いかけていたアインズは役目を思い出す。

 対等だと何度伝えてきたか解らないと言うのに、こんな真似をさせなければいけないのが心苦しい。

 しかし王が地位を持たぬ者へ地位を授けるのだ。仕方がないのかもしれない。

(四十一人で(・・・・・)先にただの人間として誓いを立てて良かった。)

 そう思ったのはアインズか、フラミーか――。

「光の神よ。」

 アインズの厳かな声が響くと、その後粛々と神の契りと戴冠は行われた。

 

+

 

「フラミーさん疲れました?」

「疲れましたぁ。」

 神官、守護者一同が感涙に咽ぶ中、列席した数百人が代わる代わるアインズ達の下に挨拶に来る。

 祝いの言葉は嬉しかったが、既に三時間近くこの状況なので二人はやはり飽き始めていた。

 人の波がおさまったところで肺の中の澱んだ空気を吐き出す。

 列席者達の挨拶を受ける際、フラミーはニコニコして座っているだけだったが、アインズは小難しい話に的確且つ意味深な返事をして切り抜けていた。

 そんなアインズも今尚毎日続く勉強会にかなり鍛えられて来たようで、以前は全く分からなかった話が少し分かるようになってはいる。

 

 ちなみに挨拶に来た聖王女は二人に祝いの言葉を贈り立ち去ると、遠くも近くもない位置で熱心に自分にも結婚の祝福をと、いつもセットのケラルトと共にフラミーへ祈りを捧げたようだ。

 ドラウディロンは何度もフラミーを綺麗だと言って泣き、アインズにフラミーを頼むと、跪いてマントに口付けた。

 ラナーはクライムと共に現れ、今日明日にでも産まれて来そうな程に大きくなった腹を抱えていた。

 身分を持たないクライムが先に下がると、ラナーは「下準備はもう出来ておりますので、必要な時にはいつでも眠りをお与えください。」と謎の発言を残して立ち去って行った。

 体の調子が思わしくないランポッサ三世の代わりに来たと言うザナックも似たような事を言うと目付きの悪い貴族と共に何か難しそうな話をした。

 ジルクニフは呪いを解いたと伝えたからか、寂しくなっていた頭は少し潤いを取り戻し始めて来たように見えたし、以前のように怯えた風ではなかった。

 大分王らしくなり始めたミノスは美しい白い花束をアインズとフラミーへ捧げ、現在のミノタウロスの王国の変化を細かく語ると、母に顔向けできそうだとアインズへ深く感謝した。

 都市国家連合のカベリア都市長は次こそ街を案内するから是非訪ねてくれと言い残した。

 次は誰が来るんだろうとジルクニフの見事な話題展開術を思い出しながら宴の場となった聖堂内を眺める。

 煌びやかな人々の中、場違いにも見える鎧姿の者がこちらへ向かって来るのが見えた。

 

 アインズはようやく難しい話をしない友人が現れたと、軽く手を挙げ迎えた。

「やぁアインズ、フラミー。素晴らしいものを見させてもらったよ。本当におめでとう。」

「ツアーさん!ありがとうございます。」

「ありがとうツアー。別に竜の体で来ても良かったのに、お前は今日もまたそれなんだな。」

「君達の信徒は過激だからね。」

 鎧が親指で指し示す方には敵意むき出しの神官達がいて、三人は苦笑した。

 目立つ竜の姿で来ていたら、常に視界にツアーが入り神官達はイライラし続けていただろう。

「ところでアインズ、こんな所でするような話じゃないんだけど、二つばかり質問してもいいかな?」

「…こんな所でするような話じゃないなら後にしてくれるか…?」

 アインズは嫌な予感しかしなかった。

「ははは。断られる気はしていたよ。じゃあ、また後で来よう。ちょうどお披露目も始まるみたいだ。」

 ツアーが扉の方へ振り返ると、アルベドが二人を迎えに来る所だった。

 

「アインズ様、フラミー様。国民にご威光を。」

 二人は立ち上がり、ツアーを残して割れる人波の中扉へ向かう。

 廊下へ出る扉と外へ繋がる扉が一斉に開かれ、眩しすぎる屋外にフラミーは一瞬だけ目を細めた。

 二人が大聖堂から出ると、街は数百万人を越える民衆で溢れ返っていた。

 人間もアンデッドも亜人も異形も飛竜も関係なく、多くの者達が二人へ歓声を上げる。

 以前ギルド武器を破壊した時よりもよほど多いだろう。

 フラミーがかつてこの大聖堂には凡ゆる種族の者が訪れるようになると夢想した、そのままの光景だ。

 ここはアインズ・ウール・ゴウンの名にふさわしい。

 アインズとフラミーは柔らかく微笑むと、人々へ向かって誇らしく手を挙げた。

 

【挿絵表示】

 




村瀬に引き続きフラミーさんも嫁入り完了ー!!
オシャシン販売が捗りそうですね(*゚∀゚*)

2021.01.25 そして御身にだけ見せる屈託のない笑顔フララを頂きました!

【挿絵表示】

ちょっといたずらそうな所がたまんないですねぇ!
©︎んこにゃ様です!!

次回 #34 幕間 僕も連れて行け
おっとツアーさん!!またですか!!


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#34 幕間 僕も連れて行け

 夜になり、式の全てが済んだ大聖堂の中では祝賀会が始まっていた。

 立食だが、ナザリックから持ち運ばれて来る数々の美食と、美しいメイド達の洗練された動きは招待客を大いに沸かせた。

 人員不足のため雪女郎(フロストバージン)吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)も総出だ。

 ナザリックには警護のために地表部に起動したガルガンチュアと課金ちゃん(マーレのドラゴン)が鎮座している。

 当然守護者はいつでも帰り、その任に就けるように羽目を外したりはしない。

 アインズはフラミーを自分の膝の上に乗せて運ばれて来る食事を小さな口にせっせと詰め込み、嬉しそうに様子を眺めていた。

 嚥下される度に次の物を口の前に運び、遂には自分の分まで与えているとフラミーは首を振った。

「アインズさん、もうお腹いっぱいです。」

「ん?もっと食べないと。」

「えぇ、何でぇ。」

 若干不服そうなフラミーの腹をトントン叩く。

「これで今度こそ準備万端なんだから、よく栄養取ってください。」

「あ、は、はひ。」

 すぐにパクリと口の前のものに食いつく従順な嫁にくすりと笑うと手の中のワインを口に含み、フラミーを肘掛に倒すようにして飲ませた。

 細い喉がコクンコクンと動く中、食事と言う死から始まる生への行為に神官達は手を組み尊い儀だと見守った。

 何か意味のある行為だと理解した招待客達も食事の手を止め神聖なものに触れるようにする。

 口を離し、ぷはぁと息を吸うフラミーの顔は体の芯を失ったかのように蕩けかけていた。

 羨ましい、とポツリと誰かが呟く声が妙に大きく響いた。

「ふふ、たくさん食べて飲んで下さい。さて、俺はちょっくらツアーと話してきますよ。」

 恥ずかしそうに口元を押さえてうんうん頷くフラミーの頭を撫でるとアインズは立ち上がり、近くにいるセバスを手招いた。

「有事の際には守れ。私は少し話がある。」

 セバスが跪拝するとアインズはツアーを探し――探されている気配を感じたのか巨大な柱に寄りかかるツアーが手をあげた。

 その姿を見つけるとアインズは飛行(フライ)でふわりと飛んだ。

 降りる先がわかった周りの者達は場所を作るためにツアーの周りから移動して行った。

 確保されたスペースにトン、と足を着くとツアーは壁から背を離した。

「アインズ。良いのかい、フラミーを置いてきて。」

 ツアーと共にいた最高位冒険者である蒼の薔薇と十三英雄のリグリット・ベルスー・カウラウが跪く。

 冒険者達に立つよう手で軽く促しながらツアーに呆れたような不愉快なような笑いを向けた。

「あぁ。敢えて置いて来た。お前が私に質問なんて、『世界を守りたいのか』と『世界の協力者か』の二つしか思い浮かばんからな。ろくな話し合いになる気がしない。」

 ――「し、し、し、神王陛下!」

 ――「しっ!イビルアイ、今は静かにしてなさい!」

 ――「でででででもな?」

 ――「インベルン、陛下の前で失礼じゃぞ。」

 若干締まりのないBGMが流れている。

 

「ふふ。それを聞いてほしいなら何度でも聞くよ。でも君の答えは変わらない。僕は解っている。」

「…それなら何だ?お前が他に私に聞きたいことなんてあるのか?」

 ツアーはキョロキョロすると酒を運ぶ戦闘メイド(プレアデス)を手招いた。

 様子を見ているとグラスを二つ取り、一つをアインズに渡す。

 軽く礼を行って受け取りながら、これはよくない話だとアインズは確信した。

 二つを打ち合わせない程度の距離で掲げ、無言で乾杯するとアインズは口を湿らせ様子を伺った。

 ツアーは飲めないためグラスをガガーランに渡すと、口を開いた。

 

「君達、近々海上都市に行くんだろう。」

 一つ目の質問は僅かに硬い声に乗せられていた。

「あぁ。もう少し暖かくなったらだがな。」

 ツアーは顎に手を当てると言葉を選んでいるようだった。

「君は殺すのかな。ル・リエーで眠るク・リトル・リトルを。」

「海上都市とプレイヤーはそう言うのか。新情報だ。助かったぞ。」

「はぐらかさないでくれ、殺すのか。」

 やはりフラミーを連れてくるような話ではなかったなとアインズは思う。

 これまでBGMだったイビルアイとリグリットは顔を見合わせてから二人を見上げるように様子を伺うと、ツアーはしっしと手を振り、蒼の薔薇を払った。

 

 二人の周りから人がポカリといなくなる。

「お前がそのク・リトル・リトルがどんな存在なのか教えてくれればもしかしたら方針は変わるかもしれん。しかし、今のままなら殺すだろう。私は未知の脅威と言う言葉を一番好かん。憎んですらいる。」

「そうかい。それなら話そう。彼女は二百年前にリーダー達と共に現れ、所謂十三英雄として共に旅をしたんだ。異形だったからお伽話には残っていないけれどね。しかし、リーダーが死して以来決して出て来ようとしない。見逃してやっては貰えないかな。」

「言い換えればいつ出てくるか分からない状況だな。――強さは。」

「…イビルアイより強いがフラミーより余程弱い。」

「今のところ大した脅威ではないか。襲いかかってくる可能性はどうだ?」

「ないよ。彼女は優しく思いやりがある女性だ。ぷれいやー同士の争いをこの世界で最も憎んでいると言っても過言ではないかもしれない。」

「優しいリトルはプレイヤーの争いを憎む、か。」

「そうだ。」

 アインズは簡易玉座に座りセバスと楽しそうに何かを話すフラミーを捉える。

 この男には守らなければいけないものがある。

 その瞳は燃えたようだった。

「――では、殺さねばな。」

「何だって?話を聞いていなかったのか、アインズ。」

「聞いていたさ。その女は今後アインズ・ウール・ゴウン(・・・・・・・・・・・・)がいては争いが生まれると気付くかもしれん。何レベルか知らんが力を蓄え今後転移してくるプレイヤーと徒党を組まれては厄介だ。今のうちに排除させてもらう。」

 ツアーは言葉の意味がわからず、探るようにアインズを見続けた。

「君が世界を汚すぷれいやーを叩きに行く事を間違っていると思うような彼女ではないよ。」

「そうじゃない。お前には難しいだろうから話さんが…プレイヤーにはプレイヤーの事情があるんだ。まぁ、アインズ・ウール・ゴウンに(・・・・・・・・・・・・・)絶対服従の場合は少しだけ考えるがな。」

 ツアーはそれはそれは不愉快そうに兜の眉間部分に手を当て首を振った。

「君とはいい友人関係だと思っていると言うのに。」

「私も良い共犯関係だと思っているさ。そう嘆くな。この世界からまた一つユグドラシルの成分を消してやると言っているんだからこちらとしては感謝して欲しいくらいだぞ。」

「今回ばかりは感謝なんかしないよ。――はぁ。悪いけど向こうに行くときには僕も連れて行ってくれ。」

「プレイヤーを逃すような真似をしたら容赦せんが、それでも付いてくるか?」

「そんな真似をするはずが無いだろう。逃がしたとして見付けられない君じゃ無い。」

「では死を看取るのか?」

「いいや。ギリギリまで説得してみるんだよ。君を。」

「ははは。お前は少し変わったな。前なら襲いかかって来た頃だろう。」

 アインズは可笑しそうに笑い、ツアーは深すぎるため息を吐いた。

 

「力があるならそうするけれどね。僕は勝てない戦いに興味はないし、君の力が世界に必要だとわからない程愚かじゃない。」

「分からず屋だと思っていたが見直したぞ。説得される気は無いが連れて行ってやろう。」

 やれやれとでも言うような仕草をするツアーの胸をグーで軽く叩くとアインズは玉座へ戻って行き、蒼の薔薇もぞろぞろと鎧の周りに戻った。

「ツアー。陛下にリトルは悪い奴じゃないと話してくれたか?」

 イビルアイは心配そうにツアーを見上げた。

「話したよ。残念ながら正しく理解してくれた。」

「残念ながら?」

 リグリットと首を傾げ合う。

「理由はよく分からないが…アインズは一層リトルを危険視してしまった。」

「なんじゃと?おぬしまた余計なことを言ったわけではあるまいな?」

「リグリット…。僕はかつての仲間を大切に思っているし感謝もしている。生かして貰えるようにきちんと正しく説明をしたとも。ただ、アインズも鬼じゃない。きちんと服従する気があるなら迎えるつもりはあるようだ。」

「ではリトルが陛下のご訪問時に無礼を働かずにいてくれることを祈るのみか。」

 ツアーとリグリットは唸り、どうしたものかと揃ってため息をついた。

「とにかく、僕はアインズと共に暫くル・リエーへ旅に行く事にした。ギリギリまでアインズにリトルの事を話してみるよ。」

「それは良い案じゃな。頼むぞ、ツアー。」

「任せてくれ、と言いたいところだけれど――正直あの神を説得しきれる自信はないね。」

 苦笑する二人をイビルアイは何か言いたげな目をしてじっと見た。

 

「陛下方がリトルに会う前に、リトルに陛下を正しく解らせておく必要があるな…。」

 呟きのように漏れたイビルアイの言葉は喜びの宴を前に流されて消えた。




次回 #35 血の繋がらない子供

ツアーさん、苦労人だね。
次の次に久々に新天地に旅に出ます!


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#35 血の繋がらない子供

 祝賀会も終わると二人は大聖堂の屋根に上がった。

 フラミーはアインズの胸にもたれ、マントと腕に包まれながらお祭り騒ぎの街を見下ろしていた。

「凄かったですね、神様の結婚式。」

「本当ですね。ちょっと俺飲まれちゃいましたもん。空気に。」

 寄りかかってくる女神の露わになっている肩が寒くないよう何度かさする。

 魔法の装備に身を包むフラミーが寒いはずもないが喋るたびに白い息がふわりと流れる夜にはそうせずにはいられない。

 それに――うっとりと街の輝きを瞳に映すフラミーがこの世の存在ではないように見え、消えたりしないように形を残そうとアインズは必死だった。

 

「フラミーさん、貴女って本当に悪魔なんですか…?」

「ん?ふふ。私、悪魔なんかじゃないですよ。」

「…空に帰るなんて…言わないよな…。」

 街から視線を移し、アインズを見上げた女神はそのまま紫の顔を寄せ、口付けた。

 顔が赤くなるのを感じながら、触れられた柔らかな感触に意識を向ける。

 口を開こうかと言うタイミングで顔が離れて行くと、アインズは名残惜しそうにフラミーを見た。

「ふふ、私は鈴木文香さんです。」

「はは、そっか、俺の文香さんだった。」

 アインズは二人を隠すようにマントを広げて掛けると、フラミーをギュッと抱きしめた。

「あ、そう言えば、私ってふらみー・うーる・ごうんなんですか?」

 それはアインズも式中思ったことだ。

「うーん、どう思います?」

「いまいちですねぇ。」

「そうだよなぁ。」

 二人は苦笑すると、しばし街を眺めナザリックに戻った。

 

 第九階層は妙に静かで、何事じゃろうと首を傾げる。

 フラミーの部屋に入ると、パンドラズ・アクターが膝をついて待っていた。

「父上、フラミー様。おかえりなさいませ!」

「あぁ、ここでお前が待っているなんて珍しいな。他の者はどうした?」

 メイドも八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)もいない。

「皆もう準備は万端でございます!さぁ、こちらへどうぞお早く!」

 するりとアインズとフラミーの間に入り込むと、パンドラズ・アクターは二人の手を取り歩き出した。

「っうわ、どこに行くんだ?転移すればいいだろう。」

「こう言うのは歩くことが肝心なのです。それに、転移してはワクワクできないではないですか!」

 ワクワクしないで良いんですけど…と呟くアインズの声は息子には届かなかった。

 向かう先は第十階層への転移門。

 もうどこに行くのか分かり始めたが、そんな所で一体何がと二人は引っ張られるように進む。

 久々に歩いてソロモンの小さな鍵(レメゲトン)に辿り着くと、扉は自動で開きだし、パンドラズ・アクターはその場で跪いて二人を見送る体勢になった。

 開かれていく扉の中にはメイドを始めとした数え切れない僕と、守護者、この世界でナザリック入りを果たしたピニスンやハムスケ等を筆頭とした者達、天空城の面々がいた。

「…全員いるんじゃないのかこれは…。」

 端っこには五大最悪に名を連ねる餓食狐蟲王やチャックモールすらいる。

 完全に扉が開ききると、玉座の前から、揃った大きな声が響いた。

「「「アインズ様、フラミー様。ご結婚おめでとうございます!!」」」

 ワァッと歓声が上がり、子供達なりの小さなサプライズに支配者達は頬を緩めた。

「わー!皆集まってくれたなんてすごい!」

 フラミーがドレスローブの裾を持って走りにくそうに駆け出していく。

「ははっ、二次会か!」

 アインズも駆け出すと前方を行くフラミーを後ろから掬うように横抱きにし、拍手を送り続ける僕達の中に向かって行った。

 二人は数え切れない家族に迎えられ、幸せそうに笑った。

 

「実にいい話ですねぇ。」

 パンドラズ・アクターはこの日のために作った巨大なプリンターを取り出すと、カメラに繋いだ。

 事前にバミっておいた場所に三脚を立て、きちんと並んで待っていた僕達が一人残らず入りきる場所にカメラを置く。

「このままずっとこうだと良いんですけどね。」

 ぶつぶつ言いながら撮影の準備を進める。

 ファインダーを覗き、たしかに全員が入っている事を確認し終えると、もう一つコンパクトなカメラを取り出す。

 目一杯ズームすると、視界はフラミーの幸せそうな顔でいっぱいになった。

「もしまた貴女が父上を置いて何処かに行くような事があれば、私は今度こそ何がなんでも連れ戻します。」

 小さなシャッター音とともにフラミーの笑顔が吐き出される。

 

+

 

「パンドラズ・アクター、変身。フラミーさん。」

 話す事を許可されていないパンドラズ・アクターは頭を下げ、くるりとフラミーに変身した。

「フラミーさん、次はいつ来てくれるんですか?皆殆ど来なくなっちゃったけど、フラミーさんはまた来てくれるんですよね?」

 モモンガの寂しそうな声が響いた。

 パンドラズ・アクターの前に立つとじっとその顔を見つめる。

「はぁ…。これでもう一ヶ月じゃないですか…。またねって落ちたのに…いつもなら二週間くらいで来てくれんのに…またねっていつだよ……。いつなんだよ……。」

 心細そうな声に、パンドラズ・アクターは一瞬だけ声を掛けようかと思ったが、そうする事は何故かとても相応しくない事のように思え、やめる。

「このままもう、来てくんないなんて…ないですよね?フラミーさん…。」

 ウゥッと声を上げる支配者は、骸骨でなければ涙が溢れてしまうのではないかと思えた。

 すると、ハッと支配者は顔を上げ、こめかみに触れた。

「ふ、フラミーさん!お疲れ様です!え?ははは。今宝物殿で少し遊んでました。えーと、ほら、金貨置きに。すぐ行きますよ。円卓ですよね。」

 これまでの嘆きなど存在しなかったかのように極めて平坦な声だ。

 こめかみから手を離すとパンドラズ・アクターを見やりもせずに「解除。」――支配者は一言だけ呟き立ち去った。

 

 支配者のいなくなったその場所でパンドラズ・アクターは心の中で溜息をつく。

(モモンガ様…。それなら、いっその事何度か殺してここに縛り付けておけば良いではないですか…。)

 自分の立っているべき場所へ向かい、そうするべき姿勢を作った。

 

+

 

 パンドラズ・アクターはチラリと支配者達を確認し、写真を撮ったことに気付かれていない様子に満足すると、幸せに溢れるフラミー――ナザリックの最秘宝の写真を自分の内ポケットへ隠すようにしまった。

 再びカメラを構える。

 幸せそうな父にパンドラズ・アクターは大きな安堵を覚える。

「父上、私は幸せです。」

 シャッターを切ると、偉大な父の幸せの瞬間が吐き出された。

「だと言うのに…。」

 パンドラズ・アクターは父の写真を眺め、一番外の腰のあたりにあるポケットにしまう。

 フラミーの写真をしまった内ポケットがある辺りの胸を握りしめるように手を当てると、二重の影(ドッペルゲンガー)は動きもしない表情が滅茶苦茶に変わってしまうのではないかと思った。

 ずっと好きでした――。

 フラミーさん、帰ってきてください――。

 俺を置いていかないで――。

 ミンナ、オレヲオイテイカナイデ――。

 ワスレナイデ――。

「フラミー様…。フラミー様は時間が掛かっても必ず帰ってきて下さる…。だけど…あなたも父上やナザリックより大切な何かを、りあるにお持ちなんでしょうね…。――いつかあなたも、()と同じ場所に行っちゃうんですか…?教えてくださいよ…フラミーさん(・・)…。あなたの持つ、りあるに渡る力って、どうやったら奪えるんですか…。父上といつまでも幸せにここで暮らしてくださいよ…。」

 乱れた口調で呟く影は哀れにも、愛している、去らない、と支配者達が言ったタイミングに一度たりとも立ち会えなかった。

 転移直後のここで生きると言う宣言も――

 世界を渡る力を失くしたという言い訳も――

 ルプスレギナの失態の日も――

 アインズが七日の眠りから目覚めた日に二人が再びナザリックで生きると誓い合った時も――

 天空城で階層守護者が告げられた愛しているという言葉も――。

 ただの一度たりとも聞いたことはなかった。

 隔絶された宝物殿で過ごす領域守護者は、かつてのナザリックの常識に置いていかれたままだ。

 しかし、誰よりも可愛がられている――と思われている被造物がそれを知らないなどと僕達は思いもしない。

 ツアーとの会話を思い出す。

 

(フラミー。君達はその世界を作り、渡ると言う凄まじい力を持つ事を当たり前に考えすぎている。)

(――私達は世界を渡る驚異の力を持った神だ。)

 

 パンドラズ・アクターは動かぬ顔を上げ、胸を抑えた。

「本当は孤独だった。だけど、この世界ではそうならずに済みそうなんだ…。()は絶対にあなたをどこかに行かせたりは――」

 

「パンドラズアクター!」

 

 響いたアルベドの声に言葉は遮られた。

「準備万端よ!あなたはここに入りなさい!」

「畏まりました!ではお撮りいたします!」

 優雅に頭を下げたパンドラズ・アクターはいそいそとカメラに近付きシャッターを押すと、大急ぎで駆け出し空けてもらっているアインズの隣にするりと滑り込んだ。

 

 カチャッと小さなシャッター音が響くと、繋がれたプリンターに挟まれた巨大な常闇の皮が引き込まれていく。

 アインズは魔法の力で写真が刷り出されて行く様を見ようとフラミーを連れて飛んだ。

「あいつの皮は高位の魔法も込められるし便利だなぁ。」

「ふふっ、お持ち帰りできてほんとに良かったですね!」

「全くですね。部位をエクスチェンジ・ボックスに入れさせたら金貨も出ましたし、まだまだ先ですけど、限界突破の指輪を全員分作ったら後は毎日金貨を生めますよ!」

 二人がじっくりと排出されて行く巨大な写真を眺めながら話していると、僕達は物音を立てないようにひっそりと近寄り、皆がチラリと写真を確認しては幸せに浸るような笑顔を見せた。

 守護者達も遠巻きに巨大な写真と支配者達の背を見守る。

 

「おい、パンドラズ・アクター。これはお前の案だろう?」

「その通りでございます!」

 守護者とともに控えていた息子を手招く。

「これは素晴らしい物だな。潰れて顔も見えなくなってしまうが、全員に小さいものを焼き増して配ってくれ。」

「畏まりました!そのように手配いたします。」

「それから、私の執務室にギリギリ全員の顔が判別できるくらいの大きさの物を頼む。」

 パンドラズ・アクターは了承の意を示し、僕の人数を頭の中で素早く数え始める。

 

「――パンドラズ・アクター、数千年後には写真が溢れている気がするな。フラミーさんは写真が好きだし…宝物殿に写真室を作るか。」

「数千年後…。」

「ん?あぁ、数百年後にはもう溢れてるかもしれんな。」

 パンドラズ・アクターの黒い穴の中には流れ星が通った。

「――はい!私もそのように愚考いたします!!」

 ちなみに…とごそごそとポケットからアインズの笑う写真を取り出す。

「うわ、お前そんなもんいつの間に撮ったんだ。」

「こちらはフラミー様へ差し上げようかと!」

パンドラズ・アクターが華麗な動きで跪き写真を差し出すと、フラミーは瞳を輝かせ、花が咲いたような笑顔でそれを受け取った。

「良いんですか!私これ持ち歩いちゃおうかな!」

「はい!どうか忘れないでください(・・・・・・・・・)。」

「忘れませんよ!本当一生の思い出になりました!」

 パンドラズ・アクターが深々と頭を下げると、フラミーは自慢するように守護者達の下へ行き、それを皆に見せた。

 アインズはフラミーと守護者が盛り上がるのを眺めながら、気の利く息子を軽く肘で小突き呟いた。

「安心しろ。」

「何か…?」

 パンドラズ・アクターが湖の時のように小首を傾げると、アインズは帽子をぐしゃりと押さえつけるようにその頭を撫でた。

 

 その後、巨大な写真はソロモンの小さな鍵(レメゲトン)に飾られ、ナザリックを訪れる全ての人々が目を通すようになる。

 是非複製を売ってほしいと言う者も多くいたが、これは家族写真だと断られたとか。




ああ…パンドラ…何千年後もいるから安心せぇや…。
パンドラズアクター(鈴木悟の闇の濃縮還元)
(∵)どんどんしまっちゃおうね〜。

次回 #36 リトルの呼び声


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試される海上都市
#36 リトルの呼び声


「こ…これは……。」

 ツアーは見たことも聞いたこともない黒い湖の前で立ち竦んでいた。

「あぁ、ずいぶん美しくなっただろう。最初はビーストマンの国も残そうと思って居たんだがな。色々あってこうしたよ。」

「色々…。」

 アインズとツアーの間で結ばれている"仲間と子供という領域を侵されなければ世界を蹂躙しない"という約束は何よりも尊く、常に正しく守られ続けている。

 ドラウディロンが悪魔を召喚し、フラミーの消滅を願ったと聞いた時にはかなり警戒したが、ドラウディロンが州知事になったと言う話から世界は許されたと思ったのに――その願いの代償はきちんと支払われて居た。

 ツアーはアインズに昔言われた言葉を思い出す。

(神と交わす約束の重さを思い知るんだ。ツァインドルクス=ヴァイシオン。)

 なんたる重さか。

「油断したよ…。竜王に連なる者が悪いことをしたね…。」

「ん?ドラウディロンか。お前が謝ることじゃないさ。しかし、竜王と言えばお前の親戚達の嫁攻撃を何とかしてくれ。お前も私がフラミーさん以外を嫁に取るつもりなど毛頭ないと分かっているだろう。」

「何?君に直接連絡があるのかい?」

 決して親戚なわけではないが。

「あぁ、ある。全く毎日毎日火山の噴火口に手紙を破棄するデミウルゴスの身にもなれ。」

「すまなかったね…。近々ある竜王の集会で話しておくよ。」

「理解が早くて助かる。」

 ツアーは若干焦っていた。

 常闇もドラウディロンも含め、竜王はアインズにちょっかいを出しすぎだ。

 竜王の血は根絶だと言わせる前に手出しを止めさせなければ。

 

「アインズさーん!そろそろ行きますかー?」

 春先の薄氷が張る湖を覗き見ていたフラミーが兜を脱いだ鎧姿のアルベドと共にこちらへ手を振っていた。

 最強装備のアルベドの腕には強欲と無欲まで嵌められている。

 海上都市ル・リエーにいるク・リトル・リトルと言うプレイヤーはまだ百レベルに到達していない様子だが、フラミーを守らせるならアルベド以上に適役はいまい。

 デミウルゴスとパンドラズ・アクターにナザリックを任せ、アルベドは始めて正式に旅のお供を命ぜられた。

 アインズは伽藍堂の鎧をそこに残し、フラミーの下へ行った。

「はい。そろそろ行きますよ!お魚見えました?」

「あ、アインズさんも良かったら見て下さい!ちっちゃい子達。皆浮草の影でうろうろしてます!」

「ふふ、どれどれ。デミウルゴスとコキュートスにちゃんと育っていると教えてやろう。」

 二人でしゃがみ込んで魚を指差す姿を見ながら、アルベドはヤル気満々だ。

 ドワーフの国は途中参加だったし、天空城でもすぐに帰されてしまったのだ。

 デミウルゴスに、もっと迫れば良いと説教したことすらあるサキュバスは無敵だ。

「まぁアインズ様!フラミー様!私もご一緒に!!っえいっ!」

 二人の間のギュムッと入り込むと、愛と恋にはさまれ恍惚の表情をした。

「くふふふっ。」

「お前なぁ…。……まぁ、アルベドは留守番ばかりだからな。楽しみなさい。」

 アインズはアルベドの頭をポンポン叩くと立ち上がり、ナザリックへ転移門(ゲート)を開く。

 ツアーも湖に近付いてチラリと眺めたが――別段特筆すべき事もない普通の魚が泳ぐ様子に何を面白がっているのか分からない。

「フラミー、海上都市にも魚は沢山いるよ。なんなら歩いている。」

 歩いていると言う不可解な表現に、アルベドは何を言っているんだとわずかに首をかしげた。

「ツアーさん、この子達はうちで生み出されたお魚なんです!だから可愛いんですよ!」

「あぁ、なるほど。生命創造もやり過ぎには注意してくれるね。」

「え?あ、そうですね…?」

 相変わらずわかっていないツアーが満足げに頷くと、フラミーは苦笑した。

 

 フラミーとツアーが微妙に噛み合わない話をする中、アインズがナザリックから馬車を持ち出すと、アルベドはそれにゴーレムの馬を繋げて移動は始まった。

 いつもはキャンプ要員を連れていくが、フラミーの栄養状態を万全にしようと言う全会一致の意見により食事の度にナザリックへ帰る事が決まっている。

聖典のいない旅は久々だった。

 馬車の中ではツアーがク・リトル・リトルは如何に無害かを語り、アインズはそんな話にも聞き飽き始めた。

 どんなに素晴らしい人物だと言われても自分の目で確かめなければそう言う情報は一つも受け入れるつもりはない。

 

「そう言えば、リーダーが死して以来リトルは出てきていないと言っていたが、リーダーは寿命か?」

 

 リーダーは人間種だったようで、スレイン州では十三英雄のお伽話は割と人気がある。

 転移当初は非常に弱かったと言う話からして、キャラを作り直した事があるのか、チャットに精を出すタイプのプレイヤーだったのか、どちらかだろうとアインズは睨んでいる。

 

「寿命…と言うには早すぎる死だね。とにかく彼は蘇生を拒否し、灰になった。」

「また復活の拒否か。なぜだ。私は絶対に受け入れるぞ。」

 

 隣に座るフラミーの手を握る。

 しかし、それを聞いて一番安堵したのはアルベドだろう。

 フラミーは二人の間に立てられている「共に生きる」と言う誓いを固く信じている為当たり前のことを言われたに過ぎない。

 ちなみに正面に座るアルベドとツアーはお互いギリギリまで離れ、アインズとフラミーの様子とは正反対だ。

 

「彼と共にこちらへ渡った仲間(ぷれいやー)達が精神の変容に耐え切れず闇に落ちた。彼は泣きながら共に歩んできたぷれいやーを殺したよ。ショックだったんだろう。」

 アインズは、唸った。

「…もし俺とフラミーさん、どっちかが死ぬ争いをする時には俺が真っ先に死にますから、後で起こしてくださ――」

「嫌です。それなら私が死んだほうが良いですよ。アインズさんの始原の魔法で起きれば喪失もないんですから。」

 確かにデスペナルティを思うと殺す側に回った方がいいかもしれない。

 若干不穏なことを考えたアインズだったが、気持ちがいいものではないので思考を破棄する。

「…俺が言い出したことですけどやめましょう。そもそも前提条件おかしかったですね。」

「そうですよぉ…。怖いこと言わないでください。」

「君たちは安心感があるね。ただ、世界を再び蹂躙しない為にも、アインズ。フラミーをちゃんと守ってくれ。」

「分かっている。お前に言われるまでもない。ところでリーダーはお前の始原の力で復活できたんじゃないのか?友達だったんだろう。」

 そう言われたツアーは物思いにふけるように馬車の窓の外へ視線を投げた。

「――僕はありのままの世界を受け入れる。僕はリーダーにはとても感謝しているけれど、本人が拒否するなら無理に起こそうとは思わない。」

 それは一見冷たいようだが、ツアーなりの優しさのように感じた。

 

 その後、馬車は三日三晩進んだ。

 馬車の中は実に和やかだった。

 フラミーはアルベドとツアーに評議国の執務について分からない事を聞いたり、アインズはツアーに散々あの山が綺麗だの月が昇っただのと自然の美しさを聞かせた。

 ツアーは生まれた時から当たり前にあるそれらを前に、いまいち分かったような分からなかったような反応をしていたが――それを語る時の人の身のアインズの横顔は悪くないと思った。

 疲労を免れることができる四人に肉体的な休憩は不要だったが、気分転換の為に馬車が止まればツアーが火を起こした。

 他にも自然が好きだと言う支配者達に花を摘んで渡してみたり、アインズに教えられながらフラミーの髪を一緒に三つ編みにしたり、アルベドに存在を鬱陶しがられたりとそれなりに面白おかしく過ごした。

 彼なりに歩み寄ろうと言う気概を感じ、アインズは少し微笑ましく思った。

 アルベドはベタベタしようとしたが、基本的に馬車で向かいに座っている支配者達に何かできるタイミングもなくハンカチを噛み続けた。

 なるほど手強い。アルベドはデミウルゴスの苦悩を理解した――気になった。

 デミウルゴスはベタベタできないと言う理由で悩んだ事はない。

 

 支配者達は転移する場所を記憶する為にも馬車の中で眠った。

 いや、アインズは骨の身になり飽かず空を眺めて過ごしたのだが。

 揺れる真夜中の馬車で、アインズは眠るフラミーの肩を抱いて空を流れる雲を見る。幸せだった。

「アインズ、君はまるで生まれたての赤ん坊のようだね。」

 手の中でフラミーの髪を弄びながらアインズは鎧を見た。

「…何を言っているんだ。お前も向こうの体で睡眠を取れ。明日には着く。」

 一日目は赤茶けた大地、二日目は山々を縫い、今日はずっと海の横を走っていた。

 真っ暗な海はどこか恐ろしく、名伏し難い何かが這い出てくるような気さえさせる。

 アインズはいつもは眺めるのが好きな筈の海も見ずに空を見続けていた。

「アインズ様は今日もお休みにならないのですか?」

 共に起きていたアルベドもアインズの様子を眺めていた。

「私はこうしている時間が好きなんだ。見なさい、あの雲を。美しいだろう。」

 アルベドとツアーは空を見上げたが、やはりなにの変哲も無い空だった。

 アインズの骸の眼窩には雲が透け月の光が落ちて来る様が、夜の木漏れ日の様に見えた。

「…君って奴は何ともわからない男だね。」

「ナザリックの星空の方が美しいですが、アインズ様が美しいと仰る物が美しく無い訳がありません!」

 まるで伝わっていない様子の二人に苦笑していると、フラミーが唸った。

「ん…んん……。」

「あ、起きてしまったかな。」

「うっ…んんっック……ザ、ザイトルクワエ…。」

 謎の寝言だ。

 微笑ましく眺めていると――「キーノ…逃げて…。」

「キーノ?誰だ?フラミーさん?」

「早く………早く……あぁ…リーダー……置いて行カナイデ……。」

 フラミーは呟き始めると尋常ならざる汗をかきはじめた。

「死ナナイデ…死ナナイデ…一人デナンテ…生キラレナイヨ……。」

「フラミーさん!どうしたんですか!!」

「そ、それは…まさか……!フラミー!起きろ!!それはリトルの夢だ!!呼び声を聞くんじゃ無い!!発狂するぞ!!」

 ツアーの突然の申告にアインズとアルベドは目を見合わせた。

「何だと!?お前あんなにリトルは無害だとか言っていたくせに!!フラミーさん!!起きてください!!」

「ツァインドルクス=ヴァイシオン!!あなた覚悟しておきなさい!!」

 揺すっても目を覚ます様子はなく、アインズは馬車の扉を蹴破るように外に出るとフラミーを抱えて闇の穴のように見えていた海にザブザブと入って行った。

 二人で顔まで浸かると、フラミーは大量の空気を吐き出し、すぐに海面に顔を出した。

「大丈夫ですか!?フラミーさん!?」

「ッアァ!!リーダー!!ヤダヨ!一人ニシナイデ!」

 目を開いているはずのフラミーにアインズは見えていないようだった。

「文香さん!!しっかりして下さい!!」

 アインズは精神攻撃に対抗させる為急いで自分の耐性の指輪を抜いてフラミーに入れた――が、変わらない。

 フラミーも当然様々な耐性を持っているし、プレイヤーのいる都市に向かうのだから最強装備だ。

 一体これがどういう攻撃なのか分からず、兎に角一度撤退しようかと思うと、暗闇の海にはいつの間にか無数のきらめきが浮かんでいた。

 拳大の光へよく目を凝らすと、それはヒキガエルのような生き物の瞳だった。

「な、なんなんだ……。」

 アインズは骸のはずの自分の呼吸が妙に浅くなっている事に気が付きもしなかった。




SAN値チェーーーーック!!(なおにわか

次回 #37 おぞましきものども


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#37 おぞましきものども

 海からは体を左右に揺らしながら、顔を上下にヒョコヒョコと動かすガニ股の、人間の体を持つヒキガエルの様な生き物が次々と上がってきていた。

 半悪魔形態のデミウルゴスを極限まで醜悪にしたような存在だ。

 首はなく、肩から直接頭が生えているように見えるが、顔と肉体の間には垂れ下がった肉が深いシワを作っている。

 眼窩より飛び出すように隆起した眼球を瞼が覆い切れないため、瞬き一つせずに、アインズ達を捉え続けていた。

 おぞましき、深き場所より這い上がるものどもをアインズは睨みつけた。

「…ツヴェーク族か!」

 ユグドラシルに於いてツヴェーク族は、相手にするときに周囲にいる全てのツヴェークを相手にする覚悟を必要とする厄介なモンスターだった。

 大体レベルは七十から九十。

 彼らの鳴き声は伝言(メッセージ)の効果を持ち、数キロ先まで連絡を取りあえる。

 アインズは、目を開いているというのに何かに怯え、リーダー…と言い続け未だ夢を見続けるフラミーを抱えたまま、相手を刺激しないように下がる。

 馬車を降り、背後でアルベドがバルディッシュを構えたのがちらりと見えた。

「アルベド。こいつらは間違いなくプレイヤーが召喚している。どうやってかは知らんが…リトルは私達の接近にすでに気が付いている。」

「アインズ様、このアルベドに掃討の御許可を!」

「やれ。一匹残らず殲滅しろ。」

 アルベドは脱いだままだった兜を被ると突撃を開始した。

 暴風のようにヒキガエルのような者共を薙ぎ払っていく姿はどこか演武のようだ。

 

「アインズ!フラミーはどうだ!」

 ツアーも慌てて濡れたフラミーを抱えるアインズに駆け寄った。

 フラミーは再び眠り始め、アインズは抱えたフラミーからポタポタと水が垂れる様から強烈にトラウマを刺激された。

「っあ……あぁっくそ!!どうもこうもあるか!私が教えて欲しいくらいだ!なんなんだこのスキルは!精神攻撃に何故抵抗できないんだ!!」

「ク・リトル・リトルは昔から接近して来た敵を狂わせて来た。自分の見た一番恐ろしい夢を見せたり、本人の絶望の記憶を見せる!」

「夢や記憶を見せる…?」

 アインズは自分の中のユグドラシルの情報をかき集め、該当情報を検索する。

「――そういうことか…!これは精神攻撃ではなく幻術、相手は幻術使いか!!ではこれは完全幻術(パーフェクト・イリュージョン)――いや、それに類する魔法か!」

 高位の幻術使いは危険だ。

 極限まで幻術を極めた者が使える技の中には、数日に一度、世界に対して幻術をかけることができるという物がある。

 それはあらゆる系統の魔法と置き換えることすら可能で、死者の蘇生も行える。

 世界そのものが騙されれば、それは真実となるのだ。

 

「すまない、名前はわからない。とにかく起こさなければ!」

「わかっている!!お前はアルベドと共にツヴェークを止めろ!私は対抗手段を持つ者と連絡を取る!!」

 一も二もなくツアーもツヴェークの群れへ飛び出していくと、いつの間にかツヴェークは百を超えるような数にまで増えていた。

 白金の鎧と漆黒の鎧は踊るようにツヴェークの命を奪いゆく。

 アインズは急ぎこめかみに手を当て、目的の人物を探った。

「……――エントマ!!フラミーさんが幻術の攻撃を受けている!!転移門(ゲート)を地表部玄関へ開くからこちらへ来るんだ!地表部に着いたら教えろ!!」

 こちらからナザリックへ戻っては万一追跡されている場合ナザリックが危険だ。

 転移門(ゲート)も最短。一秒と開いていたくない。

「ウゥッ……リーダー…。」

 フラミーの呻きにアインズは頭が真っ白になっていく。

 抱きしめてその肩に顔を埋めると、アインズは一層トラウマを想起させられた。

「フラミーさん…フラミーさん帰ってきてくれ!」

 すると、折り返しの感覚にすぐさま応答した。

「――エントマ!よし、開いた瞬間に飛び込め、すぐに閉じる!<転移門(ゲート)>!!」

 開いた闇からは両膝を抱いたエントマがクルリと飛び出し、アインズはエントマの足が切れてしまうのではないかと言うほどに早く転移門(ゲート)を閉じた。

 エントマはズサッと草の生えた浜に着地すると、着物のようなメイド服の袂をふわりと靡かせ行儀よく頭を下げた。

「アインズさまぁ!エントマ・ヴァシリッサ・ゼータ。御身のまえにぃ!――フラミーさまをお見せくださぁい!」

「エントマ!よく来た、任せられるな!」

 小さなエントマの前にフラミーをそっと下ろすと、アインズは杖を構えた。

「もちろんお任せくださぁい!触らせません!攫わせません!襲わせません!」

「良い子だ!!」

 アインズはアルベドとツアーを避けるように海からこちらへヨダヨダと向かってくる不気味な生き物達へ向き直る。

 アインズが腕輪を輝かせると、ツヴェーク達は一斉にアインズを見た。

 月の光に照らされた巨大な瞳がこちらへ向けられると、大量の光の点に囲まれたようだった。

 しかし、美しさはまるで感じない。

 全員が唸るような醜い鳴き声をあげ、波の音すら邪悪に聞こえる。

 アインズの後ろでは、エントマがバッと腕を開き、その手に大量の符を握っていた。

「フラミーさまぁ!お目覚めくださいぃ!」

 幻術を打ち消す符をその身に向かって大量に送り出す。

 符はビビビビビッと身体中に張り付くと、一瞬輝き、眠っていたフラミーは悪夢から覚めるように慌てて起き上がった。

 体の上からは効果を発動させた符が燃え尽きては落ちた。

「ッこ、ここは!?エントマ!?」

「フラミーさまぁ!ここからは危のうございますのでこちらをお使いくださいぃ!」

 フラミーの額にピッと一枚、目玉が書かれたような赤い符が張り付くと、それは燃え上がって消えた。

「アインズさまぁ!フラミーさまがお目覚めですぅ!アインズさまとアルベドさまも念の為に幻術抵抗の符をお受け取りくださぁい!」

 エントマは跳ね上がると二人に向かって赤い符を飛ばした。

 ピッと二人の後頭部にそれぞれ符が張り付くと、燃え上がり、僅かな灰を残した。

 

「切りがない!アルベド、ツアー、下がれ!!海にいるものも片付ける!!」

 アインズが杖を掲げると、二人は即座に撤退を始め――「<隕石落下(メテオフォール)>!!」

 海の端に激熱を帯びた星が落ちた。

 大量の海水が蒸発し、高温の蒸気によって視界が不明瞭になる。

 アインズは撤退して来たツアー、アルベドと共に、追撃が来ないかを伺い続けた。

 徐々に視界が晴れていくと、夜明けが訪れ始め、日の光の中に毒々しい色の海上都市が映し出されていた。

 

「… とんだ夜明けだな…。」

 追撃が来ない様子に安堵すると、アインズはフラミーに振り返り顎を掴んで顔を左右に振らせた。

 無言であちらこちらを確認していく。

「アインズさん…ごめんなさい…。」

 事態をエントマに聞いたフラミーは気まずそうだ。

「良いんですよ。俺だって人の身で寝てたら確実に食らってましたから。それより、どこか異常は?痛いところやおかしいところは?」

 髪を避けて首の後ろまで確認する様子は徹底していた。

「平気です。でもなんだか酷く怖い夢を見ました…。」

「良かった…怖かったなら、何も思い出さないで良いんですよ…。」

 確認が済み満足したアインズはフラミーをギゥと抱き締めると、自分の後ろに立つ、今回敵だか味方だか解らない者を睨んだ。

 

「ツアー、お前が私達の来訪を伝えたのか。」

 幻術使いに広範囲を探知するような能力は無いはずだし、これは先手を打って伏兵を置かれていたとしか思えない攻撃だ。

 あれはこの世界の者達を相手にしようと用意していたにしては過剰戦力にも程がある。

 恐らく夢の世界で苦しむうちにツヴェーク達に襲わせる予定だったのだろう。

 アルベドは鎧にバルディッシュを向け、その場の温度は氷点下まで下がったようだ。

「そんな事をするはずが無いだろう…。来訪を伝える必要があるなら君がそうするだろうし、君が戦闘になる可能性を危惧している以上僕はリトルに君の情報を与えたりはしない。」

「信じられないわね。」

 共に常闇との死闘を繰り広げたがアルベドのツアー嫌いは大して直っていない。

 普段は割り切っているだけだ。

「僕はアインズを説得はするけれど、襲わせるような真似はしない。リトルよりも君が大事なんだから。」

 思い掛けない告白のような言葉にアインズは一瞬ゲッと思ったが、確かに世界のためにツアーはアインズに危害を加えないだろう。

「あなた、内通していない証拠を出せるの。」

「出せない。僕には手段がない。」

「そう。それならいつ殺されても文句はないわね。」

 フラミーはアインズの肋骨に掴まり黙って様子を伺っていたが、神話級(ゴッズ)のローブから垂れる帯状の装飾を引っ張った。

「アインズさん、ツアーさんは内通なんて…。」

「解ってます。俺も一応聞いただけですから。………ツアー、ク・リトル・リトルは私に服従する気は無さそうだ。お前には悪いが、やはり殺害だ。」

 ツアーは残念そうにしたが、仕方がない事だと受け入れたような空気を出していた。

「この感じではそうした方が良いだろうね。必要なら竜の身で僕が行って片付けてくるよ。」

「いや。プレイヤーとの戦闘は常に自分で行うべきだと私は思っている。お前は友人を殺されるのが辛いならもう帰って良いぞ。家まで転移門(ゲート)を開いてやる。」

「そうかい。でも、その必要は無いよ。」

 エリュエンティウ組の記憶から言っても、ユグドラシルでの経験から言っても、高レベルのプレイヤー殺害経験値は美味しい。

 ツヴェーク達は命を媒介にせず呼び出されたようで、経験値(たましい)を出さなかったが、プレイヤーは相当期待できる。

 復活を拒否しても始原の力による蘇生と殺害を繰り返せば、将来百レベルの次のステップへの糧になるだろう。

 街ごと吹き飛ばしてはいけない。

 きちんと本人を前にし、確かに殺して連れ帰る。

 同じ人間だったプレイヤーを前に、この魔王は慈悲を持たない。

 

「アインズ様、後ろから撃たれるかもしれません!」

 アルベドはツアーへの警戒を露わに――いや、不快感を露わにしていた。

「アルベド。そうするなら常闇の時にとっくにそうされている。信頼する必要はないが信用はしてやれ。」

「…かしこまりました。」

 アインズは渋々下げられたアルベドの頭をぽんぽん撫でてやり、フラミーを離した。

「エントマ、お前の力はこの先も必要になる。相手は百レベルに到達していないようだが、ツヴェークをあれだけ出していた以上お前より強いだろう。ツアーに守られながらうまく戦いなさい。ツアー、うちの娘を頼む。」

 エントマはうちの娘と言われ嬉しそうだ。

「畏まりましたぁ!ゔぁいしおんん、よろしくねぇ!」

「よろしく。」

「その鎧の下ってお肉ぅ?」

「…いいや。空だよ。」

「ふぅん!」

 エントマが鎧の下の肉体を夢想して涎を垂らすのを、ツアーは何故こうも邪悪な者ばかりが生み出されているんだろうと辟易しながら眺めた。

「仲良くできそうだな。さぁ、売られた喧嘩だ。楽しませてもらおうじゃ無いか。」

 アインズは眼窩の赤い揺らめきを燃え上がらせると、前方の都市を睨みつけた。




おにくぅ! \(バンザーイ)/
仲良くできそう…?

次回 #38 厭な都市

ユズリハ様より8/28、埴輪の日でこぉんなかわいい物頂いちゃいましたよ!!

【挿絵表示】


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#38 厭な都市

 アインズ達は特別あれから襲われることもなく進んだ。

 警戒を続け、巨大な暗緑色の橋の前にたどり着いた。

 橋は長く、馬車なら十五分、歩いて渡れば三十分はかかるだろう。

 橋が繋ぐ先は円形の島のようになっている海上の都市だ。

「ここからしか入れんのか?」

「僕の知る限りではね。」

 数組の行商人のような、顔が魚、体が人間の半人半魚の亜人が冒険者の様な出で立ちの亜人を連れて涼しい顔で渡っていく。

 神聖魔導国とは行き来がないため、まるで知らない都市を行き来しているのだろう。

「この人達の波に乗ってもう一気に渡っちゃいますか?」

 フラミーはエントマを膝に乗せて外を眺めていた。

「そうですね。既に襲いかかって来てますけど、ツアーの話じゃ一応優しい奴らしいですし、その商人達を盾にしていきましょうか。」

 橋ではない場所から全体飛行(マス・フライ)で向かっては目立つだろう。

「わぁ肉の盾ぇ!さすが御方々ぁ!」

「捨て駒ということですね!まさに下賎な者共の正しき使い方かと。」

 アルベドとエントマの声に含まれた感情は花畑のような明るさ、或いは散歩にでも行くような気軽さに包まれていた。

 

 半魚人の一行に付かず離れず馬車を進めていき、都市が近付いてくるとフラミーは言い知れぬ不安感に襲われた。

「この町…一体なんなんですか…?」

 町は不自然な角度の石造の建物で構築されており、生物として忌避感を持たずにはいられない。

 つい今まで鋭角に見えていた筈の建物は、少し見る面が変わると途端に鈍角に見え、何度も自分の目を疑った。

 どの建物も緑色で、青色で、黒色で、常に歪に毒々しく色を変化させている。

「ここは昔から狂ったような見た目だよ。ただ、住んでいる者は普通だから心配しないで良い。」

 ツアーの言はアインズを苦笑させるには十分すぎる。

「こんな町で普通に暮らせる奴がまともとは思えんがな…。」

 気色が悪い事以外問題なく町に侵入すると、一行は馬車を降りた。

 馬車の中で油断している内に叩かれては一手出遅れるし、馬車やゴーレムの馬を破壊されては面白くない。

 アインズとフラミーは互いにバフを掛け、エントマ、アルベド、ツアーにもごっそりとバフを送った。

「君達はいつもこんな事をしていたんだね。実にずるい。」

「敵でなければ良いものだろう。」

「全くもってその通りだね。」

 アインズは素直なツアーに軽く笑うと、馬車をアイテムボックスに詰め込んだ。闇の空間の中が少し心配だ。幾らでも入れられるが、何かが割れたり壊れたりしていないだろうか。

 アインズのアイテムボックスの中身はいつも整理整頓されている。内部を探らなければいけないのが嫌なので、必要な物を必要な数だけ持ち歩く。ただ、備えあれば憂いなしの根性で、女子のポーチやカバンのように必要なもの(・・・・・)は大量にあるが。

 

 ここから先はツアーの案内に従う。

「出発して良いかい?」

「あぁ。頼むよ。…フラミーさん大丈夫ですか?」

 フラミーはおぞましい町に軽く酔いを感じ顔を青くしていた。

「調子悪くなりましたぁ。どこ見てもうねうね見た目が変わるから…。」

 まるで非ユークリッド幾何学のようだ。

 アインズが手を伸ばすとフラミーはすぐさま腕にすがった。

「そうですよね…。こんな町、どんな趣味の奴が作ったんだよ…。」

「僕達も初めて来たときは捉えどころのないこの町に酔ったものだよ。ここは半魚の者が多いだろう。彼らは水の中でも暮らすから、こうして視界に入る物が揺らめいている事に違和感を感じないようだね。普通の人間は少ない。」

 ツアーはどこか懐かしむように街を見渡した。

 そして、「まぁ、君たちが普通のヒトだと僕は思わないけど。」と、若干一言多くこぼすとエントマに手を伸ばした。

 エントマも守られろと指示を受けているため大人しくその手を取る。

「さぁ、今度こそ行こう。フラミー、気分が悪くなったら休憩するからいつでも言うんだよ。」

「はーい、ありがとうございます。」

 一行は歩き出すと、町の中央に聳える小さな山へ向かった。

 一つの山すら内包する海上都市はかつての王国エ・ランテルよりも大きいかもしれない。

 アルベドは狂気の街を見渡すと、フラミーの手を引くアインズの腕を取った。

 くふふと笑う可愛らしい娘は本当はアインズとフラミーの間に入りたい。

 

「アインズ様、この街は今後如何致しましょう?」

「コンプリートしようと思えばやはりここも手に入れるべきだが…ここのギルド武器を破壊しても町が残れば、だな。残らなければいらん。再建する程ではないし――この世界の力で同じものを作れるとも思えん。」

 エントマの手を引いて先頭を歩くツアーは視線を後ろに送ることもせずに呟いた。

「これでこの街も見納めだね。暮らす者達は東に逃げるだろうか。」

 ギルド武器があることを否定しない様子にアインズは来た甲斐があると思った。

 本当はこんな所ではなく新婚旅行に行きたかったが、フラミーがギルド武器があるならギルド武器の破壊が先決と譲らなかったため、渋々海上都市に来たのだ。

「東ぃ?なんでぇ?アインズさまとフラミーさまの国にくればいいのにぃ。」

「ここからさらに東に行くと三つの大国がある。僕達から見たら東にあるが西方三大国と呼ばれている国々があるんだけれど、そこは亜人と少数の人間、異形が暮らす国なんだよ。ル・リエーの者達はそっちの方が馴染み深いだろうし、事実馴染むだろうからね。」

「ふぅん。」

 エントマは聞いておきながらもう興味をなくしていた。

 神聖魔導国に来ないならどうでもいいのだ。

「西方三大国か。アルベド、デミウルゴスに連絡しておけ。そこに住まう者の力量と文明レベルの確認だ。」

「かしこまりました。」

 アルベドはスクロールを燃やした。

 

 街は賑やかだった。

 確かに建物の見た目は狂っているが、そこに暮らす半魚の住民達は穏やかで優しい雰囲気を纏っている。

 中には頭部が巨大なヒトデで出来た者が、複数の目や口の付いたスライムのような粘体を散歩している姿も見られた。

 ただ、アンデッド、紫の天使、黒い翼の天使、謎の亜人、全身鎧のパーティーはあまりに異質で、皆道を行く五人を避けるように歩いていた。

「この奇妙な街ではこちらの方が奇妙か。」

「神様って囲われないだけもしかしたら良い所なのかも。」

 支配者達は笑った。

 フラミーも町に慣れて来たのか顔色が良くなり始め、アインズは安堵の息を漏らした。

「珍しい所だから何か買い食いしますか?今朝食事してないですし。」

「わ、良いですね!」

 これから街を破壊し、同じ人間(・・・・)を殺す予定が控えていると言うのに支配者達は――観光客丸出しだった。

「アインズ。楽しむことは勝手だが毒には気をつけてくれよ。」

「大丈夫だ。私達は毒に完全耐性を持っている。」

 不気味な形状の屋台に近付いて行くと、イカがそのままの姿で焼かれた物や刺身のような物が色々並んでいて――店主の半魚人はアンデッドのアインズに引いていた。

 アインズ達はリアルでは液状食料が多かった為、こちらに来て食事らしい食事を行い基本的に何でも美味に感じていたし、何でも食べてみようと食事には前のめりだ。

「そうかい。一応言っておくけどナマモノは寄生虫にも気をつけてくれ。」

「むしぃ?たべてみたぁい!」

 エントマの幸せそうな声が響いた。

「アインズ様、お食事は今は控えられては?虫ケラがフラミー様の体内に巣食う事は容認できかねます。」

 フラミーの顔は再び青くなった。

「「やめました。」」

 二人はそそくさとその場を離れた。

 

 一時間程度歩くと、小さな山の頂きにある館の前でツアーは立ち止まった。

「本当に来てしまった。リーダーにもク・リトル・リトルにも謝らなければ…。」

 柄にもなく暗い声を出すツアーの肩にアインズは手を置いた。

 いつも飄々としている竜王だが――

「お前が何を犠牲にしようとしているのか分からない私じゃない。友を失う痛みは誰よりも良くわかる。すまないな。」

「いいや。君だって服従する気があるなら生かそうとしてくれていたと言うのにね。…死神と友人になってしまったのが運の尽きだと思う事にするよ。」

 自嘲するような笑いだ。

「…私はただの人間だ。」

「そうかい。この世界では君みたいな存在を神、乃至は創造主と呼ぶんだよ。」

 昔も言われた言葉にアインズが笑うと、ツアーも笑った。

 ツアーはやはりアインズは悪くない存在だと思う。

 神だと己を称する神はロクなものにならない。

 この神は謙虚なのだと、本当にただ美しいものを守りたいだけなのだと、もうよく分かっている。

 ただ、手段には問題があるし、荒ぶる一面に触れると世界は終わる。

「ツアー、お前は確かに変わらんな。」

「そうだろう。なんて言ったって、僕は今も君達の世界征服には懐疑的なんだから。」

「分からず屋め。」

 二人は信頼を形にした丸い笑い声を上げた。

 

「ツアー、始めるぞ。」

「あぁ。エントマ君は任せてくれ。」

 アインズは扉に手を掛け、グッと押し開けて行く。

 館の内部は煤が舞っているかのように薄暗く、時が止まったような雰囲気で、地下へと続く巨大な階段がこちらへ向けて口を開いている。

 それを左右から囲むように二階へ上がる階段が二本。

 辺りには焦点の合っていないツヴェーク達が所々で呆然と天井を眺めていた。

 

 異様な空間だ。

 

 踏み入れると内部は魚の死体を放置したような、生卵を塗りたくったような強烈な悪臭が漂い、扉は一行の背後でギィィ……と不安を煽るような音を立て自動的に閉じた。

 腐敗したような激臭が流れる先を失うとフラミーとアルベドが二人でえずく。

「うわっ!確かにこの臭気…生身には堪えるな。」

 慌てて二人を抱き寄せて背をさすっていると、ツアーはエントマの手を引いて歩き出した。

 フラミーの怯えた様な浅い呼吸が聞こえる。

「フラミーさん、怖くないですよ。コイツらに負ける俺たちじゃないです。」

 言っておきながら、そう言う観点でフラミーが怯えているわけではない事は分かっている。

「あのカエル達、何見てるんですかぁ。」

「…何となく視線の先は追いたく無いな…。」

 まるでタブラ・スマラグディナが作ったニグレドの部屋の様だ。

 フラミーはぷるぷる震えながらアインズのローブに顔を押し付け――べったりとくっ付いているアルベドの呼吸は荒かった。

「アルベド、大丈夫か?扉を破壊してやろう。」

「いえ!!むしろご褒美ですわ!!」

 アルベドのギラリと輝く瞳に宿る物の正体に気が付くと、アインズはその顔をぎゅうぎゅう押した。

「お前!もう良いなら離れろ!全く緊張感がないな!!」

「アインズ様!!もう少し!!まだ私も気分が悪ぅござ――何者!!」

 瞬時に統括の顔を取り戻したアルベドは手の中のバルディッシュに力を込めた。

「アインズ…。アインズ・ウール・ゴウン。生キテ辿リ着クトハネ。」

 知らない女の声が響く。

 いや――女のような声だ。

「<狂気(インサニティ)>!!」

 オーボエのようにくぐもった、聞き取りづらい詠唱だった。

 既に全員に抵抗する術を掛けている為、問題はない――が、これまで我を失っていたようなツヴェーク達は突如ガクガクと揺れ出し、狂ったように侵入者達目掛けて疾走する。

 左右に身体をゆすりながら走る姿はまるきり呪われていた。

 フラミーはそれをチラリと見るとアインズに顔を擦り付け小さな声で来るな来るなと漏らし続けていた。

「あ、あららら…。」

 縋る相手は骸骨なのだからこちらの方が余程ホラーだろう。

 アルベドが殺意の風を吹かせるようにバルディッシュを横に薙ぐと一気にツヴェーク達の首は落ち、最後にガラーンと金属製の物が床に落ちる大きな音が鳴った。

 ツヴェーク達はインクを水に落としたようにふわりと黒い靄になって消えた。

 エントマはアルベドに刎ねられた可哀想なツアーの兜を拾うと、倒れる事なく立ったままでいるツアーに渡す。

 受け取ったツアーはやれやれとでも言うように落とされた自分の兜を着け直した。

 やはりツアーはアルベドが苦手だ。

 

「イ、一撃…!」

 二階へ続く階段の手すりの陰から、タコのような頭部に無数の触腕を生やした醜く奇怪な者がこちらを覗いていた。

 アインズがちらりとツアーへ視線を送ると、兜の調子を確認していたツアーは頷いた。

「ク・リトル・リトルだ。アインズ、悪いがどうか一思いに頼む。」

「…ツアー。本当ニ貴方ガ一緒ニイルナンテ…。」

 タコ頭は時たまゴプリと喉から音を鳴らしながら喋った。

 階段を下ってくると、全容が見えた。

 鉤爪のある手には蛙のような水掻きを持ち、ゴム状の皮膚はぬらぬらと粘液で光っていて、背には飛膜を持つコウモリのような歪な翼が生えている。

「なんて醜悪な…。」

 アルベドの漏らした声に強い殺気を帯びた視線が送られ、そのままフラミー、アインズへと滑る。

 

「――モモンガ!!」

 

 アインズはほう?と興味深そうな声を漏らした。




モモンガさまぁ!

次回 #39 探索者


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#39 探索者

 アインズ達の出発数日前――。

 

 イビルアイは幾つものポイントを飛び、休み休み海上都市ル・リエーを目指していた。

 長距離転移は大量の魔力を消費し、尚且つ転移失敗の危険もあるためだ。

「今日はここまでにしておくか。どれ。地図の更新もしなくちゃいけないしな。」

 見えている範囲を地図に書き込む。

 現在の冒険者の仕事は魔物殺しの傭兵ではなく、未知を既知とする世界を広げる探索者だ。

 海上都市には殆ど人間は行かないし、イビルアイも百年以上訪れていない。

 その為この辺りの地図は殆ど更新されていなかった。

「……やっぱりラキュースも連れてくるべきだったかなぁ。」

 地図の精度は冒険者達のセンスに掛かっている為、複数チームで行動することが多い。

 他の者が持ち帰った地図を持って再度同じ場所に出向き、書き直しを行う事もある。

 イビルアイの地図は下手だった。

「ええい!まぁ良い!また来れば良いだけの話だ!」

 苛立たしげな声を上げるとイビルアイはその日の野営の準備を始めた。

 日中は暖かい日もあるが、夜は未だ真冬のように寒い。

 テントを張り、その周囲に<警報(アラーム)>を掛けて行く。

 命が懸かっている為、付近に大きな魔物の足跡が無いか等の確認も怠らない。

 万全な様子に一人満足すると、墨汁で出来たように黒く見える広い海の脇で火を起こした。

 鍋に少量の海水を汲み、火にかけ煮沸消毒する。

「<水創造(クリエイト・ウォーター)>。」

 すっかり海水が湧くと今のままでは塩分濃度が高過ぎる為真水を追加する。

 干し肉を取り出し手の中で器用に切っては鍋に投入し、魔物の足跡確認の際に摘んでおいた大量の菜を千切って行く。

 食材が煮えるのを焚き火を眺めながらじっと待った。

(…一人の飯なんていつぶりだろうな…。)

 近頃はずっと仲間と行動していた為わずかな不安感と孤独感がその身を包んだ。

 パチパチと薪が弾ける音がいつもより大きく聞こえると、イビルアイはいよいよもって今の自分が一人ぼっちのように感じた。

「っち。とっとと食って寝よう。」

 主に日持ちする事を考えられて焼かれた、カチカチのパンを手の中でバキンっと折ると、ごった煮に浸し、柔らかくしてから口に放り込んだ。

「…ふむ、悪く無いな!」

 思ったよりも美味に出来上がっている肉と菜の煮物を木の器に取り、食事を進めていく。

 綺麗に全てをよそい、平らげ一人の晩餐を済ませた。

 

 ごそごそと小さなテントに身を収めると仮面を外し、黒いマントでそっとその身を包む。

 その瞳は赤く、口の端には牙がチラリと見えていた。

 イビルアイは吸血鬼――アンデッドだ。

 本当は食事も睡眠も必要ないかもしれないが、自分を人間の世に留める一つの手段として欠かす事なく必ず行う儀式だ。

 リグリットにも人であるためには人として生きる必要があると強く勧められている。

「陛下…。きっと陛下の事をリトルに私が正しくお伝えします…。」

 その手の中には七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)と神王が向き合う神々しい写真が握られていた。

 イビルアイはこの写真が一番好きだ。

 自分と同じアンデッドの身で竜王と対等に渡り合うその瞬間を思うとそれだけで自分は世界に許される存在のように感じる。

 イビルアイの心はいつも片思いだ。

 元から手に入る人だとは思っていないが愛が溢れて行く。

 結婚式と戴冠式の記念写真もコレクターとして持ってはいるが、蒼の薔薇で借りているエ・ランテル一区にあるコンドミニアムの自室に置いてきている。

 ガガーランには女神に嫉妬なんかしてどうするといつも笑われるが――「仕方ないじゃないか…。生まれて初めての…恋なんだから…。」

 イビルアイはマントをギュッと掴むと目を閉じ、夢に落ちた。

 

 翌日、イビルアイは一人テントの中目を覚まし再び転移を始めた。

 海上都市へ向かう大橋の前に着くと、二百年前を思い出し手を前に組んだ。

(リーダー…。真なる神が来てくれたぞ…。きっとあの時のような悲劇は二度と訪れない。)

 同胞を手に掛けた痛みに今際の時まで苦しみ続けた心優しき仲間を悼む。

「よし。行くか。」

 イビルアイは橋へ踏み出した。

 一人でぽちぽち歩いていると、途中ヒトデ頭の亜人の馬車に拾ってもらい、入都した。

 

 いつ来ても酔いを感じる揺らめく都市はかつて突然この海に現れた時から何一つ変わっていない。

 リーダーが死に、ク・リトル・リトルが眠りに着いて以来何者も住まない死の街だったが、いつの間にか亜人達が勝手に生活を営み始め、誰に統率されるわけでもなく、海上都市は息を吹き返すように機能し始めた。

 それまで海底で暮らし、文明らしい文明を持たなかった彼らはこの都市に上がってから一気に文明開花の時を迎えた。

 大きく変わったことは二点だ。

 火を使うようになったこと、硬貨を用いて近隣国家と貿易を行うようになったこと。

 全ては地上の魔物に侵される事なく生活できるこの場が無ければ叶わなかった事だ。

 亜人達はこの恵まれた都市を与えてくれたと大いなるク・リトル・リトルを崇拝し、どんな用向きにでも応じようと言う気概がある。

 そして彼らは供物と称して硬貨を捧げ続けている。

 ある場所に備えるとそれは消え、供えずにいると建物が崩れるのだ。

 

 相変わらず不気味な館に着くと、どうせ寝ていて反応も無いはずなので勝手に扉を開く。

 ここはいつも鍵一つ掛かっていない。

 しかし、その代わり、扉は閉まると決まった手順を用いなければ開かれない。

 しかも内部には気色の悪いカエル頭の人間がガニ股で立ち尽くしている。

 こいつらは触れたり、間違えた手順で扉を開けようとするとデカすぎる鳴き声を上げて動き出す。

 けたたましいドアフォンにはこれまでも何人もの侵入者が殺されたことがあるせいで部屋の中には血が散らばった跡がガビガビに乾き、更に片付ける者が居ないせいで死体は転がっているままだ。

 既に白骨化が始まっているものが多いが死と恐怖が臭いになってその場には充満している。

「…相変わらず臭いな…。」

 仕方がないのでイビルアイは転がる死体を部屋の隅に片付けた。

 未だ白骨化し切っていない死体に触れると、それはずるりと崩壊し、中からは白いウジがボロボロとこぼれ落ちた。

  腐敗した臭いと、ウジの糞が生み出す凄まじい刺激臭が辺りに広がって行く。

「何で私がこんな真似をしなきゃならないんだ。」

 イビルアイは涙目だ。

 しかし、ここを神々が訪れるならこの状況は絶対にいけない。

 途中嘔吐しながらもイビルアイは何とか死体を片付け、正しい手順によって扉を開くと山の下に向かって亡骸を捨てた。

 山の下から悲鳴が聞こえるが無視し、再び館に戻ると二階へ上がる。

 カビとホコリの匂いだ。

 窓は全てはめ殺しの為開かない。

 自分の荷物を適当なゲストルームに置いて一階に戻ると、飛行(フライ)で浮かび上がり、カエル頭と接触しないように気をつけて地下へ続く大階段を下って行った。

 

 暗闇に閉ざされた地下室のトーチに火を入れて行くと、中央の祭壇の上でタコ頭の友人は横たわっていた。

 その奥にはこの島を支えると聞く真円の壮麗な盾が浮いている。

 盾には混沌が沸騰しているような奇妙な図が描かれていて、時を超越し塵一つ積もること無く輝き続けていた。

「リトル。私だ、起きてくれ。」

 イビルアイはかつての仲間に声をかける。

 彼女は自分の幻術に潜り込み幸せな夢を見続けているのだ。

「大切な話があるんだ、リトル。キーノだよ。」

 イビルアイは自分の本当の名前を告げながらリトルを揺すった。

「……ン……キーノ…ファスリス…インベルン…。」

「あぁ!おはよう。久しぶりだな。」

 グジュグジュと粘液を垂らしながらおぞましくも可愛らしい友人は起き上がった。

「久シブリナノ?眠ッテイタカラ分カラナイワ…。昨日会ッタバカリジャナイノ?」

「前に私がここに来たのはもう百年以上前だ。まさかそれ以来起きていないなんて言わないよな。」

 眠る彼女にとって常にリーダーが死んだ事は昨日の事のように想起され続ける。

 イビルアイは外に出た方がいいんじゃないかと思うが、彼女はこの穢らわしく醜い見た目で生まれたことを後悔している。

 何故こんな体を選んでしまったんだろうと昔嘆いていた事を思い出す。

 しかし、それを聞くたびに生まれる身は選べる物ではないだろうとイビルアイはいつも思っていた。

「貴女ガ以前ココニ遊ビニ来テクレテ以来、始メテ起キタワ。オハヨウ。」

 ブジュリと口だと思われるところから飛沫が飛ぶ。

「全く寝坊助だな。」

「フフフ。ソレデ、マタ遊ビニ来テクレタノ?ソウダトシタラ昨日(・・)トハ違ウ事ヲシタイワ。」

 イビルアイは顔に飛んだ粘液を拭き取ると、自分の最も大切にしている神王の写真を取り出した。

「いいや。今日は遊びに来たんじゃなくて、ここにある人が訪ねて来ることを前もって報せに来たんだよ。」

「アル人…?」

 カエルのような水掻きのつく手をゆっくりと伸ばして来る。

 このオシャシンが粘液に塗れるのは嫌だと一瞬思ったが、汚れたらまた買えば良い。

 オシャシンを受け取ったリトルは食い入るようにそれを眺めた。

「ふふふ。荘厳で美しいだろう。訪ねて来るのはそれに写ってるお方で――あぁ、こっちの竜じゃない方な。」

「コ、コ…コノ人ハ……。」

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下だよ。」

 グルリと顔が向けられる。

「アインズ……ウール…ゴウン………?」

「あぁ。陛下を付けろよ?そのお方がお前は危険な存在なんじゃないかと心配しているんだ。だから、ご来訪までにお前に陛下のことを――」

「キーノ!!!」

 イビルアイは突然の大声にびくりと肩を揺らした。

「な、なんだ。びっくりしたなぁもう…。」

「アインズ・ウール・ゴウンハ史上最悪ノプレイヤー集団ヨ!!」

「はぁ?全くツアーもそうだがお前もそう言う感じなのか。これじゃ陛下がお前を危険視するのも分かる。エ・ランテルの二の舞は二度と御免だとお思いだろうしな。良いか、この方は慈悲深く聡明だ。史上最悪なんて言葉からは一番遠い。」

「コノ写真ニ写ルノガ間違イジャ無ケレバ、アインズ・ウール・ゴウンノ中デモ特ニ最悪ヨ!!」

「話を聞け。そんなんじゃお前本当に陛下に殺されるぞ。」

 リトルの瞳には怯えにも似た何かが写っていた。

 べちゃりと肩を掴まれる。

 服越しにじわじわと粘液が体に沁みてくるのを感じ、怖気が走った。

「キーノ、アインズ・ウール・ゴウンハ他ニ誰ガココニ渡ッテ来テイルノ!」

「どう言う意味だ?陛下には兄弟でもいるのか?」

「違ウ!!コノ骸骨ノ仲間ノプレイヤーハ他ニ誰ガイルノカッテ言ッテルノ!!!」

 再び粘液が口から飛んでくると、イビルアイの頬にぺちょりと着いて糸を引いた。

「ったく興奮するなよ。もう。ぷれいやーは後お一人だ。」

 するとリトルは決意のような表情を作り、二人ナラ…と呟くと立ち上がった。

「キーノ。先手ヲ打ツ!――ナザリック地下大墳墓ハ何処ナノ!」

 ナザリック、それは神々の生み出したそのままの姿でただ一つ現存すると言う祝福された幻の大地の名だ。

「分かる訳ないだろう。第一先手を打つって、なんで戦いたがるんだよ!お前が神に仇成す存在なら、仲間とは言え容赦せんぞ!!」

「目ヲ覚マシテキーノ!!コレハ神ナンカジャナイ!!」

 イビルアイの目の前には火花が散った。カチンと来た。

 その身の回りには水晶の槍が無数に浮かんだ。

「陛下は私達アンデッドを救済してくれる真なる闇の神だ!!お前みたいにここにたまたま現れてたまたま現地の奴に崇拝されるようになった偽物の神とは違う!!あの方は正真正銘の神なんだ!!」

「キーノ!!神ト正反対ノ存在ダッテ解ンナイノ!?」

「神王陛下はアンデッドの地位を確立してくれた!!陛下に着いていけば、いつか私は普通の女として暮らせる!!それに――あのお方を怒らせれば世界は創り変えられてしまう可能性だってあるんだぞ!!」

 イビルアイのそれは願いと――恐怖だった。

「魅了ニデモ掛カッテルトシカ思エナイ!!単ナルプレイヤーガ世界ヲ創リ変エルナンテ――!!」

「単なるぷれいやーじゃない!!ツアーはすでに陛下が世界の一部を創り変えたと言っていた!!私は今の世界を愛しているし、陛下が愛する世界を陛下の手で破滅させたくない!!」

「ツアーマデ騙サレテルノ!?アインズ・ウール・ゴウンガ居タラプレイヤーガ、人間ガ安心シテ眠レル日ハナクナルンダヨ!!コノ先モ百年置キニ大戦争ニナル!!」

 それを聞いたイビルアイは少しも心を動かされた様子はなかった。

「――モウ良イ!私ハ一人デデモヤル!!」

「っち!!陛下に手出しはさせんぞ!!リトル!!お前はもはや――魔神だ!!」

 

 イビルアイは身の回りに浮かべて置いた水晶の槍を放ち、それは即座に弾かれて仮面に当たった。

 バキンッと仮面が粉々に砕けて落ちる。

「解ラセテアゲルワ!!」

 思わず仮面の破片に手を伸ばすと――イビルアイはいつのまにか見知らぬ荒野に立っていた。

 

「こ、ここは!?なんなんだ!?リトル!!私を起こせ!!」

 すると、遠くから数え切れない人間、亜人、異形がこちらへ向かって来るのが見えた。

 全員から命を懸けようと言う執念のような物を感じる

「っち!ダメージを食らえば死ぬかも知れん!!」

 どの者が纏う装備も見事と言う言葉では言い表せないほどのものだ。

「<水晶防壁(クリスタル・ウォール)>!!」

 目の前に水晶の壁が現れ、突進してくる者達は――壁もイビルアイもすり抜けてイビルアイの背後に向かって駆け抜けていった。

「な、なんなんだ本当に…。」

 呆然と振り返ると、そこには死の神が腕を広げていた。

「し、神王陛下!!いつの間に!!私は陛下に――な!?」

 死の神の腹の中に浮かぶ赤い玉から、血のように赤い光が迸ると、全ての者達は次々と倒れ死んでいった。

「そ、そんな!神に刃向かうから!!なんでお前達はそんな真似をしたんだ!!」

 数え切れない死体が転がる荒野で、イビルアイは叫ぶ。

 背筋がぞくりと震え、顔を上げると、慈悲深き死の神は死体の山の中で高らかに笑っているようだった。

 

「へ、陛下…?」




イビルアイ、それはアインズ様に特大ブーメランだ。(真顔

次回 #40 呆気ないものだな

以前裏にガガーランとイビルアイの下らないエ・ランテルお写真事変を書きました。
全年齢です!
https://syosetu.org/novel/195580/23.html
当然読まなくても問題なく本編行けます!


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#40 呆気ないものだな

「…モモンガ!」

 聞く者を不快にさせる声だ。

 

「モモンガ…スルシャーナがかつて呼んでいたアインズのもう一つの名か…。」

 ツアーは初めて会った時その名を聞こうとしてフラミーに咎められたことを思い出す。

 力あるプレイヤー達の中に厳然と存在するモモンガ――アインズ・ウール・ゴウンと言う存在の大きさを再認識する。

 スルシャーナはアインズ・ウール・ゴウンのモモンガを崇拝していた。

 その姿を丸っと真似る程に、熱烈な信者だったのだ。

「プレイヤー!!誰に許可を得てモモンガ様のその尊き御名を口にする!!」

 アルベドの声音はドロドロとした熱を発するようだ。

 

「ツアー、オ願イ。コッチニ付イテ!アインズ・ウール・ゴウンノ者ガ居タラ、人間モプレイヤーモコノ世界デ誰一人トシテ平穏無事ニ暮ラス事ハ出来ナイ!――特ニモモンガノ生存ハ許シチャイケナイ!!」

 アインズは想像して来たパターン通りのプレイヤーの言い分に蔑んだような笑いを漏らした。

 

「ゲームと現実の区別が付かない何て恐ろしいな。」

「本当ですねぇ。それにしても、やっぱりモモンガさんの名前ってすごく警戒されてますね。」

 フラミーは無名のプレイヤーだが、アインズ・ウール・ゴウンの中身がモモンガだと思うだけでこのプレイヤーのように襲い掛かって来る者は今後も現れるだろう。

「まさかその名前がこんなに有名なんて思いもしませんでしたよ。ははは。」

 アインズが既に半ば決別したその名前を前に困ったように短い笑い声を上げていると、リトルは想像したよりも和やかな雰囲気に何度も瞬きした。拍子抜けだった。

「…モ、モシカシテ…プレイヤーヲ襲ウ気ハ…ナイ…?」

「まったく。私が無差別にプレイヤー狩りをすると思っているのか。」

「ソ、ソウ…ソウダヨネ…。モウ現実ダモンネ…?私、テッキリアインズ・ウール・ゴウンノメンバーガ居タラ、プレイヤーキルガ永遠ニ続ク地獄ノ世界ニナルカト…。」

「そうか。まぁ、そう思われても仕方ないとは思っていた。しかし、ク・リトル・リトル、お前はもう何も心配するな。」

 その声音は向けられた者の心を潤すようだった。

「アインズ様!?まさかフラミー様に手を上げた者にご慈悲を!?」

 アルベドの中に言い知れぬ感情が広がっていく。

 慈悲深い事と無差別に許しを与えることは違うはずだ。

 

「モモンガ――…サン、誤解シテスミマセンデシタ…。」

 リトルはずっと構えていた短いワンドをそっと下ろした。

 アインズの眼窩に燃える赤い輝きはそれを追った。

「気にすることはない。お前は世界の心配をする必要なんて最初からなかったんだ。心細かっただろう。プレイヤーとして一人残って。」

「ッ…心細カッタ……。誰モガコノ身体ヲ恐レテ、人間ダッテ解ッテクレル人モ居ナクテ…。」

「そうか。我がナザリックは異形の地だ。もう安心して良い。我がナザリックに於いて、最大の慈悲をやろう。」

 アルベドの瞳は輝いた。

「ワ、私ヲギルドホームニ連レテ行ッテクレルノ…?」

「最初からそのつもりだよ。リトル。」

 親鳥を見つけた様にリトルはヨタヨタとアインズに向かって歩きだし、アインズもゆっくりとその身に近付いた。

 そして、陽だまりのような優しさを持って、その肩を叩いた。

「<不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)>。」

 瞬間、ドサリとリトルは転がった。

「ッア…アァッ…!」

 体が凍りつく。リトルは動かぬ口を震わせた。

「死に行く者が今後の世界の行く末を案じてどうする?ク・リトル・リトル。」

 アインズは腕輪を輝かせるとしゃがみ、崩れるリトルに再び手を伸ばした。

「ッヒ!」

「<生気吸収(エナジードレイン)>。」

「ッァアアァア!!ツアー!!!」

 激痛と力を吸い取られる感覚にリトルは叫んだ。

「これで暫くは起き上がれんな。お前は望み通りナザリックへ連れて帰ってやる。我が異形の地にはお前に良く似た種族の者がいるから安心しなさい。ニューロニストと言うんだがな、きっと仲良くできるとも。」

 囁き掛け満足したアインズは立ち上がり、大した力を感じさせないプレイヤーから平然と背を向けるとアルベドを手招く。

 自分が攻撃を受ける可能性など皆無と言わんばかりの態度で。

 アインズの側に寄ったアルベドは先程とは打って変わって恍惚とした表情で正統なる支配者に視線を送った。

「強欲と無欲に吸わせろ。ツアーの前だ。慈悲深く行え。」

「畏まりました。お任せくださいませ。」

 輝かんばかりの天使の微笑みだ。

 アルベドがバルディッシュを持ち上げ、作業のように振り下ろすと、ゴロリと首が落ちた。

「呆気ないものだな。さて、死体の回収を――」

 すると、アインズは視界がぐにゃりと歪んだような錯覚を覚えた。

 経験値も強欲に向かって出てこない。

「――アルベド!!構えろ!!今のは幻覚だ!!やつは<偽死(フォックス・スリープ)>を使った!!」

「アインズ様!?」

 流石にプレイヤーなだけあって往生際が悪い――。

 急ぎフラミーに手を伸ばし――はたと気付くと、自分の中でポタポタと腰から血を流すフラミーがいた。

 すでにアインズが立つ場所は館ではない。

 真夜中のそこは、何か強大な力で抉られたであろう一本の長い谷だ。

「こ、この記憶は…!」

 アインズが振り返ると――『もう起きたと言うのか!?貴様これだけ力を使えば数日は眠って来たと言うのに!!』

 アインズがこの世で最も憎む竜王がいた。

「ゆ、夢だ…これは幻覚だ…!!」

 分かっていても地面が揺らぐ。

 幻術使いはユグドラシル時代、極めなければ脅威ではなかったが、肉体と記憶があるこの世界では脅威以外の何者でもない。

 精神攻撃として認識されなくても内発的に精神的な痛みを感じる。

「フ、フラミーさん…フラミーさん!!」

 思わず呼び掛けてしまう。

 これは幻の筈だが、もしもそうでなかったら――「父上!!」

 あの日と同じようにパンドラズ・アクターの声が響く。

『一撃を凌げば良いと思ったのが甘かったか!!』

 常闇の声音にアインズの背筋は無数の針が突き立つように凍りついた。

「この世界の攻撃…痛みはあるのか!?」

 実際にダメージがなくとも、食らったと言う思い込みや痛みを感じたと言う思い込み――ノーシーボ効果で人間は十分に死ねる。

 ユグドラシル時代には攻撃になり得ない物が、現実となり効果をそのままにその身を蝕もうと襲う。

 幻術の常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)は落ちていた巨大なツアーの遺骸を放り投げ、視界を遮ると黒いブレスを吐いた。

 

+

 

「モモンガ。想像ヨリモ最悪ナプレイヤーネ。」

 リトルは落とされた首から不愉快そうな声を出すと、アイスクリームの様にどろりと溶けて消えた。

 アインズはドサリと膝をつき床に転がった。

「アインズ様!!」「アインズ!!」

「アインズさん!?防ぐための符は受けてるのに…!エントマ、目覚めさせて!!」

 館に特殊な能力があるのかもしれない。

「はぁい!!今すぐぅ!!」

 エントマが符を出し、アルベドがアインズを抱きかかえると、アインズは喘ぐように声を上げた。

「フ……フラミ…さ…ごめ…なさい……いつも……俺の……俺のせいで……ごめん……。」

 絶望の記憶だ――。

 フラミーはすぐに何を見せられているのか悟る。

 アインズに符が張り付くのを見ながら、フラミーの身には血液が逆流するように凶悪な感情が流れた。

「許さない。」

「フラミー!!待て!!その感情に飲まれるな!!」

 ツアーの鬼気迫った声が響くがフラミーには届かなかった。

本体を探す。

「<魂と引き換えの奇跡>。」

 それは主に魔将達が持つ悪魔の特殊能力。

 ただし本当に魂を引き換えにするわけではない、一日に一度発動できるスキルだ。

 そうと知らないツアーはその言葉にゾッと背を震わせた。

 フラミーの瞳は別の生き物のようにキョロキョロと動き、目的の人物を探し――ぴたりと地下へ下る階段で動きを止めた。

 周囲にはツヴェーク達の再召喚が行われているのか、次々と呪われた生き物がその場に現れだしたが、茶番に付き合うつもりはない。

「任せます。守りなさい。」

 二人が頭を下げるのを尻目にフラミーは階段を下った。

 アインズは目を覚ましたが、魔法は使っていないと言うのに多くの魔力がその身から抜けた錯覚に口もきけないまま震えるようにフラミーの背に手を伸ばした。

「ふ…ふら……。」

 ツアーはそれを見るとアインズに軽く手を挙げすぐさま下り行く背を追った。

 

 ジメッとした地下室に下っていくと、トーチには所々火が灯されていて、地上階からツヴェークを殲滅しているであろう音が響きだす。

 中央の石造りの台の上には金髪の少女が眠り、それの傍にタコ頭は優雅に腰掛けていた。

「何!?見エテイルノ!?」

 完全不可知化(パーフェクトアンノウアブル)で身を隠し、余裕を持っていた様子のク・リトル・リトルへ杖を向ける。

「<内部爆散(インプロージョン)>!!」

 フラミーの叫びの様な詠唱とともに、リトルの身体はブクブクと膨れ上がり下腹部を爆散させた。

「ッアァ!!」

 リトルは腹から滝のように臓器と粘液を撒き散らすと腹を抱えて唸った。

「この気配……リトル…。」

 階段を降りてきたツアーの目には飛散した血液とハラワタだけが映ったが、薄ぼんやりと捕んでいる気配の位置から何が起きているのかを正確に掴んでいた。

「――あれは…インベルン…?」

 未だ不可知化するリトルへフラミーは杖を振りかぶり、投げつける様に魔法を送り出す。

「<内部爆散(インプロージョン)>!!」

 腕が木っ端微塵に吹き飛び、骨や指が周囲に散らばる。

「ヤ、ヤメテ!!」

「やめない、許さない。」

 フラミーの瞳は見る者を凍りつかせるような色をしていた。

「ん……んん………。」

 血の飛沫が掛かると少女は唸り声を上げた。

「<内部爆散(インプロージョン)>!!」

 足で魔法が炸裂すると、リトルは床に崩折れ、ついに不可知化を維持できなくなり姿を現した。

「死になさい。あなたには反省が必要よ。」

 床で液体にまみれるリトルは片手と片足を失い、フラミーを見上げながらガチガチと歯を鳴らしていた。

「ア…アア……同ジプレイヤーナノニ……!」

「知ってる。」

 リトルも同じプレイヤーだと言うのに最初からこちらを殺す気でいたのだ。

 今更そんな申告が何の役に立つと言うのか。

「さようなら。」

 魔法を使う価値すらない。

 

 フラミーは穢らわしき生き物の脳天が吹き飛ぶ様を想像しながら、杖を目一杯高く持ち上げ――背後から抱き締められた。

 

「フラミーさん。良かったぁ。」

 優しく包み込むような声がフラミーの耳朶を打った。

 鬼神のようになり掛けていたと言うのに、途端に世界を癒すような慈母の笑みを浮かべた。

「アインズさん!大丈夫ですか?嫌なもの見せられたでしょ?」

 アインズは夢が夢で良かったと思いながら優しいフラミーを抱き上げた。

「大丈夫ですよ。ただの悪夢だったんで何ともありません。それよりフラミーさんがなんともなさそうで良かった。」

 ツアーはなんともない筈があるかと先程までのフラミーを思い出しながら呆れた。

「後でどこか悪くなったらいけませんから、帰ったらシャルティアの所に行きましょうね。」

「分かりました。フラミーさんがそれで安心するならそうします。」

 敵前だと言うのににこりと微笑み合う二人は蕩けている。

 可哀想なツアーは本当に疲れる、と竜の身に無駄に流した冷や汗を拭った。

 ただ、以前激怒している者も二人いる。

 

「こ、こ、この!!下等生物がぁああぁああ!!」

 

 ビリビリと空気を震わせながらアルベドが絶叫し、階段の途中にいるエントマも両手を上げてシャー!!と威嚇音を鳴らしていた。

「下等生物風情がよ、よ、よくも!わ、わた、私達の最も愛するアインズ様とフラミー様に!!私のチョー愛しているお方々にィィィィ、ゴミの分際で悪夢を見せただとぉぉお!!!真実の名を口にするだけでは飽き足らずゥゥゥ!!身の程を知れぇ!!」

「い、いや、別にモモンガって真実の名じゃないけど…。」

 アインズのドン引きもいざ知らず、統括の激昂は続く。

「フラミー様の御意志通りこの世界で最大の苦痛を与え続け、発狂するまで弄んでやるぅぅう!!四肢を酸で焼き切りィィ、性器をミンチにして食わせぇぇえ!!何度も回復してやるわぁぁぁ!!!」

 アインズとツアーはブルリと震えた。

 特にツアーは自分も恐らく膝をつかせたリストに入っているであろうことに思い至ると、元々苦手なアルベドが更に苦手になった。

「ああぁぁあ!!!憎い!!憎い憎い憎い!!許さない!!許さないぃぃ!!」

 アルベドは黒い鎧の胸のあたりを掻き毟るように腕を蠢かせていた。

 十三英雄――魔神を一撃で葬った事すらある最高位天使威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を召喚し、同じプレイヤーを葬った事すらあるリトルの背筋は震えた。

 非公認魔王モモンガ――非公式ラスボスを抱える惡のギルド、アインズ・ウール・ゴウン。

 最大限の警戒を行なったが、まるで足りていなかった。

 この世界で最も強いのはツアーだ。

 その次はリーダー、そして続いて自分――不可知化と幻術を用いて今まで負けた事はなかった。

 黒い全身鎧の下で何か凶悪な物が蠢くのを感じる。

 かつて対立した仲間やザイトルクワエの枝よりも強大な力を前にリトルは何もできない。

 自分を優しく守ってくれる仲間との思い出の地を、これから汚すであろう化け物を眺めるだけだ。

「ア、アア…。」

 これを止めることができる尊き支配者はそっとアルベドの肩に手を置いた。

「アルベドよ、私達は無事なのだ。何をそう憤る。お前はいつもの微笑みを絶やさない慈悲深い姿の方が魅力的だぞ。」

 鎧の下で真実の姿を見せ始めていたアルベドはピタリと止まった。

「みりょ、ミリョ、魅力的!!くふー!!――ありがとうございます、アインズ様。」

 胸に手を当て頭を下げる様子はいつものアルベドだ。

 

 ナザリックの日常から背を向けるようにツアーは友人を見下ろした。

「…リトル、本当にすまないね。僕は君に心からの謝罪を送るよ。本当は君にもアインズに協力して貰って、共に世界を守りたかったんだけれど…残念だよ。」

「ツ、ツアー。オ願イ、タ、助ケテ…アインズ・ウール・ゴウンハプレイヤーノ…世界ノ敵ナノ……!」

「あぁそうだね。僕もそう思っていた。でも、今ではもう――これらに敵対する者が世界の敵なんだ。」

「何ヲ言ッテルノ!!目ヲ覚マシテ!!ツアー!!ツァインドルクス=ヴァイシオン!!誇リ高キ竜王!!」

 愉快そうにやり取りを見ていたエントマはツアーの腕を引っ張った。

「ゔぁいしおんん、そろそろぉ、いいかなぁ。お別れの挨拶は終わったかなぁ?」

「あぁ。残念だけど、僕からは以上だよ。」

 

「じゃあ、死になさい。」

 アルベドは"いつもの微笑みを絶やさない慈悲深く魅力的な姿"でバルディッシュを振り下ろし――リトルは背後で眠る少女に手を伸ばした。




ベドちゃん激おこまる

ドミニオンオーソリティで倒せる様な魔神倒して、ザイトルクワエの枝倒してドヤッてた人達だから…十三英雄…。

次回 #41 魂の救済


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#41 魂の救済

 イビルアイはズルリと何かに引き寄せられると、地面に激突した。

「ッイ…っつつつ…。」

 何か夢を見ていたというのにルームシェアしている友人達は人の起こし方がなっていない。

「ティ…ティナ…だからいつも普通に起こせと――」

 イビルアイが目を開くと眼前には剣に止められた漆黒の美しきバルディッシュがあった。

「っひ!?な、なん――リトル!?」

 血塗れのリトルは震えながらイビルアイの腕を掴んでいた。

「なんだと…?」

 その訝しむような声は――「し、神王陛下…。」

 そしてはたと思い出した。

 ずっと見せられていた、神王が無限に生を摘む夢。

 それを見たイビルアイの感想は単純だ。

 神に戦争を挑むなど愚か。襲われれば誰でも身を守る為に戦う。

 以上だ。

 敢えて他に言うとしたら、一層リトルの叛逆を止めなければと思ったくらいだろうか。

 だと言うのに、間に合わなかったようだ。

 バルディッシュを振り下ろしているのは、式典などの公式の場でしか姿を見せない、守護神の中でも最も謎に包まれた優美な天使。

 それを止める鎧の友人と――神王に慈しまれるように抱き上げられている女神。

「ツアー!キーノヲ殺サレタク無カッタラ下ガラセテ!!」

 興奮したように下ガレ下ガレと繰り出される言葉に今自分とリトルが置かれている状況を飲み込む。

「すまない、アインズ。思わず手が出た。」

「いや、これはレアものだ」と神が不思議な言葉を発したのが聞こえた。

 続けて「もったいないな」という呟きも。

 確かにリトルはこんな真似をしてもったいないとイビルアイが思っていると、リトルは頭から生えているぬめった触腕をイビルアイの首に沿わせた。

「あ!待て!それを殺すな!」

 あれほど恋焦がれた神王が自分の身を案じてあれほど焦った声を――。

 イビルアイのつま先から脳天目掛けてときめきの電流の様なものが駆け抜けると、その身は震えた。

 薄い胸に手を当てると、心臓は動いていないが、激しく鼓動が鳴り響いている錯覚を覚える。

 まるで吟遊詩人(バード)の歌う物語に登場する姫君になったかのようだ。

「……がんばれ、あいんずさま…。」

 イビルアイは敬虔な信者がそうするように、胸の前で手を組み祈った。

 自分の白馬の王子様が魔神になりかけている友人を浄化してくれることを。

 

「アルベド、一度下がれ。」

 神王がゆっくりと片手を伸ばすと、アルベドはリトルを刺激しないように下がった。

「アインズ様。あの者は…?」

「動カナイデ!!」

 途端にギリリと首を締められ、イビルアイは苦悶の表情を浮かべた。

 痛みも苦しみも生前より余程少ないが、自分より圧倒的強者に首を捻られ痛みを感じずにはいられない。

「やめろと言っているだろう!」

 なんて声を出すんだろうとイビルアイはすぐさま痛みも忘れときめいた。

 自分のために怒りを感じてくれている神をドキドキと眺めていると、神はゆっくりと手を前に差し出した。

 その姫を渡せと言わんばかりに。

「<心臓掌握(グラスプハート)>。」

 涼しげな声が響くと腕と首を掴まれていた力は途端になくなり、ベチャりとイビルアイの肩にリトルの頭が乗っかった。

「り、リトル…?」

「アルベド、すぐに目覚めてしまうがスタンしたはずだ。今度こそとどめを――」

 すると大きな真円の青白い発光する玉がひゅるりとリトルの体から抜け出て、アルベドが軽く片手を上げると手のひらに吸い込まれて行った。

「あ…――あぁ!魂の…救済…!」

 イビルアイの脳裏にはエ・ランテルに王国民が攻め入った時の光景がありありと浮かんだ。

「…え?」

 神王は命を悼む様にアルベドの手のひらに暫く視線を落とし続けた。

 ツアーがそっと胸に手を当て頭を下げると、イビルアイも急ぎ友の死を悼む為目を閉じた。

 心の日記をめくれば十三英雄と呼ばれ、共に世界の危機に立ち向かった日々が――過酷ながらも仲間と言う心強い存在に支えられた日々が――立体的になってその胸の中を螺旋の様に駆け巡った。

 まさかこんな事が…と嘆く声が耳に入ると、仲間の命の濾過を行ってくれるのがこの神とその配下の天使で良かったと心から感謝の想いが溢れた。

 感謝は打ち寄せる海の波のようにいつまでも優しくイビルアイの――そしてツアーの胸を満たした。

 

「アインズ、慈悲深い死をありがとう。」

「……え?あ、いや。そうだろう。」

 未だ死の痛みを感じているのか神王は僅かに震えているようだった。

 イビルアイが魔神のようになってしまった友人の亡骸をそっと自分から退けると、神王は優しい視線を向けた。

「あぁ、お前、無事のようだな。」

 軽く笑いかけるような声にイビルアイの存在しない心臓は再びドキンと跳ね上がった。

 顔がまるで沸騰したかのように熱くなるのを感じる。

「どれどれ…。」

 言いながら神王の手はイビルアイに伸び、顎を掴まれ、軽く口を開けさせられる。

「あっ!」

 心臓が口から飛び出るかと思った。

 これまでバカにし続けて来た吟遊詩人(バード)達の物語が再生されていく。

 人質として捕まっていた姫君は救われると、王子に幸せな口付けを送られてハッピーエンドだ。

 常識で考えれば戦地で命を奪い死体の転がる横で口付けなどアホの所業だ。

 しかし――(すまない!世界中の吟遊詩人(バード)達よ!本当の王子というのは――いや、この方は王だが!王というのは戦いの後には姫君に口付けを行うものなんだな!うわ!なんだこれ!最高じゃないか!!)

 だが、イビルアイの歓喜は一気に落ち込む。

 彼女が夢見たのは優しくも熱い口付け。

 

 しかし現実は――

「あ、あの…陛下…?」

 骨の手に掴まれ軽く口を開けさせられたまま顔を左右に振らされる。

 ただの安否確認だったようだ。

 しかし不平不満を言える立場ではない。

 仲間が恐らく相当な無礼を働いたはずだと言うのに許し魂を救済してくれたのだ。

 それに仲間を失った悲しみも未だあるし、安否確認はやはり嬉しい。

 

「なるほど。やはりな。」

 神がそう言うとツアーは少し焦ったようにそばに寄ってきた。

「すまなかった。インベルンが君の情報をリトルに漏らした正体だとは僕も思いもしなかった。どうか許してやってはもらえないだろうか…。」

 イビルアイの背筋はぞっと震えた。

 アルベドとメイド姿の亜人から激しい敵意を感じる。

「陛下…。私は陛下の情報を漏らそうと思って来た訳では…。」

 瞬間、髪がぱらりと落ちた。

「待て!エントマ!!」

 踏み込んだメイドの一刀。

 その右手の甲にはブロードソードにも似た長い蟲が張り付いていた。

「貴女のせいでぇ、フラミー様が悪夢を見タんダぁ!コロスゥ!!」

「落ち着け!剣刀蟲(けんとうちゅう)を仕舞え!」

「へ、陛下…。」

 メイドの虫の剣はイビルアイの額に当てられたまま動かない。

「…まぁいい。あー、インベルン、お前には他に仲間はいるのか?」

 これは尋問だ。

 他に神に逆らう仲間は――「い、いません…。一人も…。ツアー、そうだよな…?」

 ツアーは腕を組みよく考える。

「いないね。これが最初で最後だ。」

「そうか。やはり極めてレアだな。お前は今どこで暮らしているんだ?」

「あっ、い、今は私はエ・ランテルに!」

「何?うちの国民だったのか。」

「陛下と聖王国に共に行って戻ってからは王国より拠点を移しました!」

 神王は「共に聖王国に…」と呟き、かつての壮絶な戦いを思い出しているようだった。

 すると女神がもぞもぞと動くとその腕から離れ、イビルアイに剣を突き付けるメイドを後ろから抱き上げ回収していく。

「エントマ、私は何も覚えてないから大丈夫だよ。」

 メイドは女神に抱きついて背を震わせている。何も表情は変わらないが、まるで泣いているようだった。

 激しい罪悪感を感じ、よそ見をしていると――「……イビルアイ…?」

「あ、はい!」

 すぐに呼ばれ、意識を神王に戻す。

 何か言いたげな雰囲気だ。

(もし…お許しいただけないとしたら…私は…私は……。)

 イビルアイはせめて、情報を漏らそうとしたわけでは無いと、それだけは分かって欲しかった。

 不安と孤独感に胸を締め付けられていると、何を言いたいのか理解した様子のツアーは島を支える盾を指差した。

「君が聞きたいことは分かる。ここのぎるど武器はあれだ。」

「え?ん、そうか。エントマ、回収しろ。」

 大人しくなったと思ったメイドがイビルアイへ殺気を撒き散らしながらギルド武器の回収に向かうと、ツアーはリトルの亡骸のそばにしゃがみ、そっと瞼を下ろさせた。

 許された様子に安堵しつつ、イビルアイも胸の前で再度手を組み、装備したままでいたポシェットの中から安眠の屍衣(シュラウドスリープ)を取り出すとリトルの身を包んだ。

 埋葬するまでに腐ったり虫が湧いたりしないようにという配慮だ。

「リトル。もっと早く僕が事情を話しに来ていれば良かったのかな。」

 イビルアイには大きな鎧の背中がいつもより小さく見えた。

(私の…せいか…。)

 ツアーはリトルの亡骸を抱え上げ、階段へ向かった。

「インベルン。君もここを離れるんだ。島は沈む。」

「え?そ、そうなのか?」

 急ぎその背を追うようにイビルアイも立ち上がる。

 するとリトルとの戦いでバラバラに割れた仮面が祭壇に丁寧に置いてあったことに気付き、破片をかき集めてポシェットにしまった。

 神々はアンデッドだからどうこうという存在では無いし、闇を司る神王はずっと前からアンデッドだと気付いていただろうし、今は何の問題もない。

 しかし、仮面は探知阻害の役目とこの赤い瞳、牙を隠す役目を果たしていたのでこのままではエ・ランテルには戻れない。

 早いうちに修理をしなければ。

「待ちなさい、ツァインドルクス=ヴァイシオン。それは今後ケイケンチを吸い上げる為にナザリックへ持ち帰るわ。」

 アルベドの声にピタリと止まり、振り返る鎧には眼光があるようだった。

 イビルアイはケイケンチとは何だろうかと思う。

「…インベルン。先に外に出ていてくれるかな。」

「え?で、でも――」

「良いから行け。」

「………分かった。でもお前、陛下に無礼な真似はしないでくれよ。私は二階に置いてある荷物を取ってくる。」

 心配しかないと思いながらタタタ…と軽快な足音を鳴らして階段を登っていった。

 

 ツアーは友人の亡骸を抱えたまま振り返る。

「アインズ。そんな八欲王みたいな真似をするためにリトルを殺しにきたんじゃないだろうね。それに、僕はてっきり君がナザリックで丁重に埋葬してくれるつもりだと思っていたから最終的に亡骸は任せようかと思っていたんだけれど。」

 アインズはあちゃーとでも言うように骸の顔に手を当てた。

「そのために殺した訳ではないとも。ただ、殺したならば有効活用した方が良いだろうと思ったまでだ。」

「戦うために必要だろうと骨の身でいる事は認めていたが、今すぐ人の身になれ。その体に精神を引き寄せられるな!」

「あなた、アインズ様にその口の利き方はおかしいんじゃなくて。」

 アルベドがゆっくりとバルディッシュを構えると、ツアーはリトルの亡骸を祭壇のような台へ下ろし、始原の魔法で生み出した剣を鞘から抜かずに腰から外した。

「アインズ様の崇高なるお考えを何ひとつ理解できないんだからあなたは大人しくしていなさい。」

「僕は次の揺り返しまで君達の行動を監督して行くことが最適解だと結論付けている。これは監督の対象だ。」

「よく言うじゃ無い。何の力も持たないトカゲのくせに。」

「何の力も持たない、ね。君一人に敵わない僕じゃ無いよ。」

「あら、私は一人だったかしら。」

「ゔぁいしおんん!わたしもいるよぉ!」

 エントマも含めた三人の間に漂う空気は互いを害する事への期待に溢れているようだった。

「さぁもう一度首を落としてあげるわ!」

「そうかい。この首なら何度落ちても構わないよ。」

「それは何よりね!!」

 ツアーは腰を軽く落とし、光のようなスピードで迫ったアルベドの一撃を抜剣せずに受け止めた。

 あたりには激しい衝撃波が広がった。




プレイヤー弱くてスタンどころか普通に逝ってしまった…!
次回#42 眠る彼女


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#42 眠る彼女

「二人ともやめて!!」

 珍しいフラミーの大きな声にピタリと二人は止まった。

「ツアーさん…うちの子と喧嘩しないで…」

 再びエントマを抱き寄せていたフラミーの体はわずかに強張り、その声は弦を震わせるようだった。

 当然アルベドを傷付けられるのは我慢ならないが――フラミーはアインズの友達であるツアーが傷付く様を見るのも嫌だった。

 アインズは頭にポンと手を乗せながら、早く止めなかったことを反省した。

「……フラミーさんの前で醜い真似はやめろ。アルベドよ、強欲と無欲を見せろ。」

 アルベドはガツンと地面にバルディッシュを突き立てると両手のガントレットを外し、それはそれは恭しくアインズに渡した。

 どれ…と呟きながらアインズは受け取り、手にはめる。

 その様子を見るとアルベドはゾクリと身を震わせ、間接握手…と呟いた。

「何か言ったか?取り敢えず経験値の増加量の確認だ」

 真剣に手の平に視線を注ぐアインズを見ながらアルベドは両手の平を合わせてくふふっと笑った。

(これでアインズ様と手を繋いでいると言っても過言ではないわっ。)

 過言だ。

「――なるほどな。アルベド、そいつは七十五レベル程度で大した価値はないようだ。一郎と二郎の方がまだましだな。起こす度に幻覚を見せられても不愉快だしリトルの亡骸はここで拠点と共に沈める事にする」

 アインズは一気に言い切ると、未だ剣を構えている鎧を見た。

「それなら文句はないな、ツアー」

「あぁ。もちろん。むしろありがたく思うよ」

 ツアーは世界の命運を握るフラミーを見ると竜の顔を綻ばせた。

 世界を守る為に、フラミーは孤独を癒す以上にもっと重要なキーパーソンだと、もうツアーはよくわかっている。

 話の決着は付いたとばかりにツアーが腰に剣を戻し始めると、ドタドタとものすごい足音が聞こえ、階段の上からイビルアイが顔をのぞかせた。

「ツアー!!またお前陛下方に何かしただろ!!いい加減にしろ!!」

「…僕は何も――」

「何もしていないわけないだろ!!陛下方、アルベド様、申し訳ありません。ックソ、早く来い!!」

「……あぁ。」

 ツアーはイビルアイに引っ張られるように階段を登っていった。

「アインズ様、本当にこちらで沈めますか?」

「あぁ。本当にそいつに価値はなかった。このまま海底で永遠の眠りにつかせろ」

 それにツアーの前で嘘をつけば見破られる。

 アインズは本当にここにリトルを捨てていく事に決めた。

「畏まりました。御心のままに」

 アルベドとエントマが頭を下げると、アインズは階段を数歩上がり――祭壇の上で眠るリトルへ指を向けた。

「…<真なる死(トゥルー・デス)>」

 当然何も起こらない。

 確かに経験値も吸い上げたのだ。

 しかし、何と無く不気味なこの場所にアインズの警戒心は刺激されてしまい、もう一度即死魔法を送った。

「…幻覚じゃ…ないよな…」

 アインズは階段の数段上にいるフラミーに頭を撫でられると今度こそ階段を上がった。

 

 誰もいなくなった地下室――。

 静かにトーチは燃えてパチパチと音を立て続け――横たわり続けるリトルの遺骸はひたすら炎に照らされた。

 ク・リトル・リトルは夢を見る。

 二度と覚めない夢を見る。

 これから沈む海上都市で――海底に沈んだ石造都市で――。

 

+

 

 館の外は相変わらず青々とした空が無限に広がり、優しい潮風が吹き付けていた。

「本当にこれでお別れなんだな…」

 イビルアイは神々の後ろをツアーとともに歩きながら仮面の破片を手にもう一度館を振り返った。

「また一人仲間が減ってしまった」

 その呟きは前方を歩いていたアインズの胸の奥をギュっと締め付けた。

「減ったけれど、増えてもいるはずだよ。僕たちは一人じゃない」

ツアーの言葉にイビルアイは溢れるような笑顔を作った。

 イビルアイにはツアーもリグリットも、蒼の薔薇もいるし――好きな人もできた。

 減るばかりが人生じゃない。

「ふふ、そうだな。ツアー、精々長生きしてくれよ!」

「できる限りね」

 二人の和やかな会話が続く中、小さな山を下り、揺らめく街に差し掛かる。

 相変わらず魚人達はアインズを避けて歩いた。

 アインズはずっとエントマが食べたがっていた刺身――いや、エントマが食べたいのは付着しているであろう寄生虫だが――を買ってやり、橋を目指す。

 橋を渡ったら早速ギルド武器を叩きたい。

 このギルドホームは半魚人の貢物によって維持されているようでろくな資産もないのだ。

 罠も僕の召喚も全てが切られている。

 街がある。それだけだ。

 百レベルに満たないプレイヤー達のギルドホームなのだから仕方のないことだろう。

 

「あ!あたりぃ!」

 エントマは魚の筋肉の中に潜り込んでいた白く細い虫を数匹見つけると瞳を輝かせた。

「…そうか。よかったな」

「はぁい!アインズさまもフラミーさまも良かったら一匹いかがですかぁ!」

 アインズが可愛らしい娘に若干引きつると、フラミーはぴたりと立ち止まり顔を青くした。

「うわぁ…。」

「っうわ!エントマ!全てお前のものだ!こちらに気を使わず食べなさい!」

 想像したであろうフラミーが気分を悪くし始めると慌ててその身を抱え上げ、一行は進んだ。

 

 橋を渡りきると、上機嫌なエントマは無限のエネルギーが泡立つような不思議な絵の描かれた盾を浜に置いた。

 神々に捧げるように丁寧にだ。

 イビルアイは都市の者達の避難を行わずに良いのだろうかと思ったが、元から海に暮らしていた者達なのだから問題ないという事にすぐに気が付き静かに控えた。

「今度はどうだろうかな…」

 旅行返上で働きに来たのだ。

 これで力を得られなかったらアインズは不貞腐れる。

 フラミーにたっぷりと攻撃力が上がるバフを掛けるとアインズは暫しフラミーが自分で更にバフを掛けて行くのを眺めた。

 

「陛下。これは破壊しなければならないのですか?」

 イビルアイの素朴な疑問が聞こえ重々しく頷く。

「そうだ。まぁ、見ていなさい」

 アインズは<不死の祝福>と言うアンデッド感知の特殊能力に、人質に取られたイビルアイから中位アンデッドの気配を感じた。

 人質に取ると言うことはリトルのギルドに関わる者や召喚した者ではないと言うこと。

 この世界で、フールーダが大切に仕舞っていた死の騎士(デスナイト)以外の初めての中位アンデッドだった。

 しかも初めての吸血鬼。

 是非このレアな存在を神聖魔導国へ連れ帰りたいとワクワクしていたら、話を聞けば高額納税者のイビルアイではないか。

 素晴らしい国民も居たものだとアインズはすっかりこの冒険者を気に入ってしまった。

「そう言えば、お前はエ・ランテルでの暮らしで何か困ったことはないか?」

「え?えっと、仮面が…探知阻害の仮面が壊れてしまって…。このままじゃ、エ・ランテルでは暮らせないのが、今は一番困ってます。はは」

 イビルアイは心底残念そうに仮面の破片に視線を落とした。

「何?それは私も困る。貸しなさい」

 アインズはフラミーのそばを離れ床に座っているイビルアイの前に膝をつかないようにしゃがんだ。

 膝をつくと守護者が狂乱するので近頃は気を付けている。

「え?こ、こまる?へいかが…?」

 この冒険者達は国益になると思っているアインズとは対照的に、少女の胸は飛び跳ねていた。

 イビルアイがエ・ランテルに暮らし始めたとさっき知ったばかりの筈のアインズが、まさか自分を高額納税者だと認識しているとは思いもしない。

 自分を失いたくないとでも言うように差し出した手に震えながら仮面の破片を渡した。

「全て出すんだ」

「は、はい!」

 いそいそとイビルアイはポシェットから残りの残骸を取り出し、星の輝きを宿しているかのような白磁の手の上に置いていった。

 これで全てです、と言うとその腕に通されている腕輪は輝いた。

「<修復(リペア)>」

 バラバラだった破片は自動で集まり、溶接されるかのように張り付いて行った。

「す、すごい…!」

「アインズ、君はそんなことの為に腕輪を使って…。まぁ、位階魔法を増幅する程度なら問題はないか」

 ツアーの言葉にイビルアイはムッとした。

「そんな事って!ツアー!!これがないと私はエ・ランテルに帰れないんだぞ!」

「私もイビルアイは手元に置きたいからな。さぁ、これでいいだろう。耐久限界が多少下がって居るだろうが、以前と遜色ないはずだ」

 コレクターの血が騒ぐ。

「へ、へ、へ、へいか…!」

 イビルアイは仮面が直ったことが余程嬉しいのか涙目になり口をワナワナと震わせていた。

「それに、今度のイベントにはお前の所にも――」

 ほいっと顔に仮面を掛けてやると、アインズの背筋はゾクリと震えた。

「な、なんだ?」

 ギルド武器に向かって現断(リアリティスラッシュ)を数度放って魔力切れを起こし様子を見ていたフラミー、そしてフラミーを応援していたアルベドとエントマから、アインズとイビルアイに向かって、止めどなく黒くドロリと重みのある気配が吹き付けてくるようだった。

「アインズさん…」

「ふ、フラミーさん?」

「魔力ください…」

「は、はい!!」

 アインズは慌てて立ち上がり手を差し出すと、魔力を吸われて手は離された。

「あ、あの…直に使った方が…?」

 フラミーは無視して腕輪を回収し――最大出力で現断(リアリティスラッシュ)を数度送り出した。

 全ての魔力を一滴残らず吐き出し切ると、盾にはピシリ亀裂が入り真っ二つに割れた。

 フラミーは体からエネルギーを失い地に膝をつくと、ぐらりと視線が歪んだ。

「っあぁ…や、やりすぎたぁ…」

「だから直接使った方がって――これは!」

 フラミーの身は光に包まれると軽く浮かび上がり――光が弾けるとクテリとその場に転がった。

「フラミーさん!」

 その足首には小さな羽が増えていた。

「アインズ!?フラミーは大丈夫なのか!?」

「あ、あぁ。恐らくは魔力の欠乏だが――」

 突如暴力的な音量でビキッと巨大なものにヒビが入った音が響いた。

 陸と都市を繋いでいた橋に亀裂が入ったのだ。

 ビキビキと同じ音がまるでコダマのように幾度も響いて行くと、橋は折れ、魔法の浮力を失った海上都市は首の皮一枚繋がっていた支えからも見放されて大波を起こしながら沈んで行った。

 そこで過ごしていた半魚人やヒトデ頭達は皆突然の出来事に逃げそびれたが、荒波の中で上手く泳ぎ、負傷者のみで済んだ。

 しかし、わずかに暮らしていた人間や海の中で生きられない者達は皆死に、魚に啄ばまれすぐに骨になった。

 半魚人達はそのまま海底石造都市で暮らす者と、西方三大国のある一国に向かう者とに別れた。

 時が経つと近くにある神聖魔導国の黒き湖に素晴らしい水上都市があると聞きつけ、西方三大国に渡った半数程度の者が再びの移住を始める。

 海底石造都市に暮らす者は、信奉する神――ク・リトル・リトルの側で仕え、その尊き館を守ると言う者が多くいた。

 白く薄い布の掛けられた神の身体は損傷こそしていたが腐り落ちることはなく、いつまでも美しかった。

 太古の昔に突如現れた海上都市は必ず再浮上する筈だと、そこに仕えて暮らす者達は固く信じた。

 後にたった一度だけ、潮の流れや、星の並びによって、僅かに海面に都市が浮上すると――子供や女性が同じ悪夢を見たらしい。

 舞台は荒野。

 世界中の誰もが知る神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王が、腹の中に収める紅玉から放った光によって、神話のような装備に身を包む大量の者が殺されるという不可解な夢。

 

 ク・リトル・リトルは今日も海底で覚めない夢を見る。




すぐに女口説くのやめてよ御身!!!
ベドちゃん、間接握手…w

次回#43 それぞれの家

現在の精力図をユズリハ様よりいただきました!

【挿絵表示】


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#43 それぞれの家

 フラミーは自分の寝室で目を覚ました。

「んぅ…寝ちゃってたの…?」

 重たくなったような気がする体を起こそうとすると、手に手を重ねられていた事に気が付き、その先へ視線をやるとアインズが床に座ってベッドにもたれて眠っていた。

 これは魔力を供給した形跡だろう。

 手を繋ぐことを拒否したせいか、遠慮してベッドにすら上がらなかったようだ。

 この人は優しく律儀だ。

 フラミーは繋がれた手をそっと離すと、髪を掬うようにサラリと撫で――アインズはすぐに目を覚ました。

「ん…ぁ、おはようございます。気分どうですか?」

「おはようございます。何ともありません。」

 良かったとアインズがへらりと笑うとフラミーもつられて笑った。

「はぁ、また失敗かな。私、やっぱりダメなのかも。」

「え?フラミーさん、多分いけましたよ。ほら、これ。」

 アインズはフラミーの足下に胡座をかき、布団をめくると、足首にそれぞれ一枚づつある小さな翼を両手で持って広げて見せた。

「あ、また増えてる。」

 ぴこぴこと手の中で動かされると少しくすぐったかった。

「ふふ、でしょ。俺気付いたんですけど、最強の悪魔にしてはフラミーさんってあんまり――こう、強くないじゃないですか。」

 フラミーは痛みを感じるような顔をしてから、申し訳無さそうに下を見た。

「…すみません…。」

「あ、いえ。そうじゃなくて、サタンって六対の翼を持ってるはずでしょ。堕天する前は最高位天使の熾天使(セラフィム)だったんだから。でも、フラミーさんはサタンのクラス全部とったのに最初はたった三対。人間の一定数の復活で四対。これでようやく五対。――きっとサタンは最初から特殊条件満たさないと完成しない職業だったんですよ。特殊な何かの条件満たしたら、間違いなく最後の一つもはえます。」

「…もう羽は充分ですけど…そうなったら、私強くなる…?」

「きっとなりますよ!ユグドラシル時代、誰一人として見ることのなかった本当の神の敵対者(サタン)クラス!あー浪漫あるなー!」

 小さな翼は広げられたり閉じられたりと楽しそうに弄ばれた。

 翼をいじりつつ「更なるレア職への道!」と興奮するアインズを見ながら、フラミーはずっと求め続けた言葉を咀嚼した。

 

「つよくなる…。」

 

 足首に増えた翼は何の違和感もなく、生まれた時からそこにあったようにすら感じる程にフラミーの思い通りに動いた。

「ふふ。かわいいな。ちっちゃくて。」

 アインズはごろりと寝転がるとフラミーの足と翼を見ながらほろりと笑顔をこぼした。

 自分の手より小さな足と翼につんつん触れるたびに、くすくす笑っている。

 とろける旦那を余所にフラミーは自分がしたことのない事はなんだろうと最後の一つの条件へ思いを馳せる。

「ねぇ、アインズさん。私がした事がない事って何があると思います?」

 熱心に足を見ていたアインズは体を起こすと、指を一本、二本と折りながらフラミーがやった事がない事を上げ始めた。

「ん?んー、守護者と風呂に入るのと、二人だけの外出と、二人暮らしと――あ、いや、フラミーさんて同棲経験あります?」

 何の参考にもならなかった。

「ありませんよぉ。」

「それは何よりです。」

 アインズが顔いっぱいにゆったりとした笑顔を作ると、フラミーはやはりつられて笑った。

「ね、アインズさんは?百戦錬磨だから同棲経験有りですか?」

「え?ははは。百戦錬磨ってなんですか?もちろんないですよ。」

 二人はしばし嬉しそうに微笑み合った。

 

「そう言えば鍛冶長が国中の神殿に置いてあるフラミーさんの像作り直すから一度見せに来てくれって言ってたな。」

「えっ、国中ですか?別に今のままでいいのに…。」

「ははは。そう言うと思いました。でも、もう国中の像の回収は済んだそうですよ。」

 こういう時のナザリックの動きの速さは尋常じゃない。

 フラミーはベッドから足を下ろすと立ち上がり、大きく伸びた。

「んーー…はぁ。じゃあ、行ってきます!」

 

 アインズはフラミーを鍛冶長の下に送り届けるとツアーの家を訪れた。

 神殿と言っても差し支えない程に荘厳な雰囲気の部屋の中央で、白金の巨竜は身を起こした。

 いつも鎧が収まっている所は空洞で何も無い。

 不可視化している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達かぞろぞろとアインズの後に従い、空気に徹すると、ツアーはまた随分大勢で…とそれらを認識した。

「アインズ、フラミーはどうだ。」

「目覚めたし好調だ。心配を掛けて悪かったな。」

「全く。君も始原の力を奪った時には倒れていたし、君達は倒れずにはいられないのかい。」

 不貞腐れたような雰囲気にアインズは確かにと笑った。

 こっちは気が気じゃないとぶつくさ言うと竜は身を伏せ、世界と等価値の女神の無事に安堵の息を吐いた。

 アインズは目を通すべき書類を取り出しツアーに続く階段に腰掛けると、この世界でただ一人砕けた口調で話す友人の愚痴に耳を傾ける。

 書類の中身は全金貨枚数と、ナザリック、エリュエンティウを一年支えるに必要な金貨枚数が載っている。

 どちらも防衛機能は殆どを切っているし、まだまだ何百年と維持できる。

 しかし、ナザリックは確かめなければいけない事がある。

「なぁ、ツアー。ちょっと協力してほしい事があるんだが、乗ってくれないか?」

「…内容によるよ。」

 

+

 

 イビルアイはあの後エ・ランテルに送ろうかと神王に聞かれたが、アルベドとメイドからの激しいプレッシャーを感じ、断った。

 確かに神に家まで送らせるなど不敬千万だ。

 ツアーも送るかと聞かれていたが「僕達のことは気にせず早く安全な場所へフラミーを連れ帰ってくれ。」と半ば追い払うように断っていた。

 神王は倒れた女神を案じて大切そうにかき懐くと、軽く別れを告げて闇に身を投じた。

 イビルアイは残されたツアーと共に、商人や冒険者の馬車に乗せてもらい家を目指した。

 途中ツアーは何度か鎧から意識を切り離していたようだった。

 そんな中、イビルアイは「手元に置きたい」と言う言葉の意味を考え、ヒヒヒッと怪しい笑い声を漏らした。

 陛下はもしかしたら、いつか迎えに来てくれるだろうかと彼女は今も胸を高鳴らせている。

 臣下としてでも側にいたいと望みながら、エ・ランテルに帰ってきた。

 ツアーも評議国が属国になった際にエ・ランテルから評議国へ開通した直通街道を行く為か一度入都した。

 家に寄って行かないかと提案したが、連れなく断り、ツアーは闇の神殿へ向かった。

 何度もその背にご迷惑をお掛けするなよと声を掛けると、手をひらひら振って立ち去って行った。

「っち。信用ならんな。しかし、祈りを捧げるのは良い事だ。」

 神官達の好感度も上がるだろう。

 背が見えなくなると、イビルアイは約一ヶ月振りに一区のコンドミニアムに帰り着いた。

 転移せずに帰って来た為中々の時間を要してしまった。

「おーい!帰ったぞー!」

「うぉ!イビルアイじゃねーか!!無事だったんだな!」

「おかえりー。陛下に一秒くらいは会えた?」「お土産は?」

 ガガーランは無事に瞳を潤ませ、双子は軽口を叩きながらイビルアイを迎えた。

 見た目は一番男のようだが、ガガーランは意外に繊細だ。

「ふふふ。一秒どころか半日ご一緒させて頂いたぞ!土産はない!」

 仲間達は旅に出る前の点検作業をしているようで、リビングにはランタン、人数分の外套、マット、一番大きなテントが出されていた。

「それにしてもこれは依頼か?探索か?」

 しょっていた大きな鞄を下ろしながら、雑多な部屋の様子を見ていると、ラキュースが自室から武具の手入れ用品を持ち出してきた。

「イビルアイ!おかえりなさい!依頼よ。それも、超弩級のね!」

「なんだ?お前がそんな顔をする依頼なんて珍しいな。」

 アダマンタイト級冒険者に回って来る依頼は大抵死が付き纏う。

 自分達の死だけではなく、依頼を出して来ている人々の死も。

 胸が張り裂けそうになるような場面に幾度となく立ち会ってきた。

 しかし、今のラキュースの浮かべる表情はそう言う事への恐れは皆無。

 イビルアイは全員で寝る大きなテントを持っていくなら、今回持ち歩いたミニテントは不要だろうと半端な荷解きを始める。

「ふふふ。それがすごいのよ。」

「なんだなんだ?焦らさないで教えてくれよ。」

「国中の腕の立つ者が集められる。」「あの漆黒のモモンも来る。」

 漆黒のモモン。

 女神の従者でザイトルクワエが襲撃する前のエ・ランテルを救った英雄。

 その生い立ちは不明な点が多いが、女神に拾われ育てられた孤児で、その絶大な力と柔らかな物腰は神の下で育っただけはあると評判だ。

 しかし――「モモンはどれ程のものか分からんぞ。本当に腕が立つのかははっきり言って未知数だ。光神陛下は竜王国――いや、ブラックスケイルで千以上召喚された難度三十から九十と言われる悪魔を一人残らず一撃で滅ぼしたらしい。その陛下がご一緒にいたんだから、エ・ランテルのズーラーノーン事件くらい片付けられて当たり前なんだからな。」

 いつも神王に抱きすくめられ、まるで壊れ物のように扱われる女神。

 あれは決して見た目通りの存在ではない。

「ふふ。それも今回見極められるわね。」

 ラキュースの挑戦的な笑みにイビルアイも「確かにそれはそうだ」とニヤリと返す。

「しかし、腕が立つ者というのはどういう意味だ?ワーカーでも来るのか?」

 この世にはワーカーという存在がいる。

 彼らは冒険者と違い組合を通さずに金になるならどんな汚れ仕事も引き受ける、いわば影の存在だ。

 しかし、ガガーランの答えはイビルアイの想像をはるかに上回る腕の立つ者(・・・・・)だった。

「ワーカーも来るそうだが――聖典だよ。聖典も来るらしい。」

 そう言うとラキュースの出してきたメンテナンス用品を手に自分の刺突戦鎚(ウォーピック)を磨いていく。

「何?聖典だと?お前の嫌いなあの陽光聖典も来るのか?」

「あぁ。らしいぜ。それどころか漆黒聖典、紫黒聖典もお揃いらしい。」

「紫黒聖典…?初めて聞いたが――」ここまでの情報でまともな仕事だとは思えない。

 破格すぎる。

「聖戦にでもいくのか…?」

 この依頼は個人や自治体レベルの物ではないだろう。

 依頼者は――「神王陛下御自ら、依頼をお出しになったの。」

「そ、それで…内容は…?」

 

「神の地、ナザリックへの侵攻。」

 

 イビルアイの脳裏にはリトルに見せられた夢が浮かんだ。




いえいえ、殺されませんよ!

次回 #44 閑話 二人の外出

お嫁のあんよが可愛い御身頂きました!ユズリハ様よりです!

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#44 閑話 二人の外出


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newフラミー様頂きました( ;∀;)可愛いね…まだ増えるんだね…いつか…


 ドレスルームには大量の服が出され、フラミーは鏡の中の自分と睨み合っていた。

 煌びやかな物から素朴な物、着て出かけてはアインズが激怒しそうな物まで多岐に渡るラインナップだ。

「大変お似合いかと思います!」

「うぅ〜ん…。これで良いのかなぁ…。」

 かれこれ二時間だ。

 普通ならメイドも飽きてくるだろうが、ことこのナザリックに於いて、それはご褒美だ。

 フラミーは手首でキュッとしまるパフスリーブが特徴的なオフホワイトのブラウスに、正面は膝丈でバックスタイルは足首まである赤のフィッシュテールスカートに身を包んでいた。

「大変お可愛らしくいらっしゃいます!アインズ様もきっとお喜びになるかと!」

 アインズ様も――その言葉だけでフラミーはへらりと相貌を崩した。

「じゃあ、これにします。ふふ。」

 長い耳に蔦が這うようなイヤーカフを着けると鏡の前でくるりと一回りし、フラミーは自室を後にした。

 約束の時間にはまだ早いが、第九階層の白亜の廊下を行く。

 途中エクレアや猫達、男性使用人とすれ違い、BARナザリックを通り過ぎ、小さな公園に向かう。

 誰もいない公園はブループラネットとベルリバーの手掛けた空が広がっていて、数人のギルドメンバーの私室の窓から空が見えるようにされている。

 第九階層には他にもいくつか小規模な公園があるが、フラミーが訪れたここは噴水公園と呼ばれている公園だ。

 ベンチしかないような公園や、遊歩道のような公園もある。

 ただ、やはり第六階層程の雄大さがない為あまり訪れることはない。

 

 十五歳の少女のようにそわそわと落ち着かない様子でうろつき、まだまだ来ない人を想う。

 はたと気付くとフラミーは浮かんでいた。

「あっ、いけないいけない。」

 足首に無駄に増えてしまった翼は小さく存在感が薄い為、気付くとその身を浮かばせる。

 地に足をつき、その身と共にふわりと浮かび上がりかけていたスカートを撫で付けた。

 夢中でそんな事をしていると、ポンと頭に手が乗せられる。

 振り返ると、当然――「アインズさん!」

「すみません、何だかお待たせしちゃいました?」

「いえ!今来たばっかりです!」

 既に来て三十分が経過していたがこの人を待つ時間は呼吸一つで過ぎ去る。

 それに約束の時間まではまだ三十分はあるはずだ。

 約束の時間を起点に考えるなら、まだ一秒も待っていない。

 身体ごと振り返り、人懐こい瞳をきらきらさせて、幸せを絵にしたような顔をした。

 

 アインズも更に目を細くして、その柔らかい絹糸のような髪を手の中で流すと顔同士を寄せた。

 静かな公園で二人の胸は痛いほど高鳴った。

 照れ臭そうに笑うと、生まれて初めて唇を重ねましたとでも言うような顔をした夫婦は地表部へ転移した。

 

 ごそごそと茂みが揺れる。

「お出掛けされたわよ。」

「されんしたね。」

「ねぇ、本当にこんな事してて良いの?」

 海上都市で程々に美味しい思いをした統括、失敗なしの無敵の吸血鬼、守護者の中で一番愛されている双子の片割れはそれぞれ自分達の上に積もった葉を払った。

 地表部までだから護衛は要らないと千回言われ、果ては「私より強い者のみの護衛を許す」と言われてしまったのだ。

 そんな者がこの世にいるだろうか。いや、いない。

「だって、たったお二人でお過ごしになるなんて危ないじゃないの。」

「それはそうだけどさぁ…。きっと、アインズ様はあたし達がこうしてることにお気付きだと思うよ。」

「だとしたら、咎められてない以上セーフという事でありんす。」

「それは――そっか?」

 アウラが納得行くような行かないような顔をすると、転移の指輪を持つアルベドはガシリと二人の手を取った。

「兎に角行くわよ!あなたも来てくれないと私達は身を隠せないんだから!!」

 ナザリック最強戦力のシャルティアを連れ、隠密隠蔽能力に長けたアウラを連れ、ナザリック最強の盾が見守る。

 尾行と警護にこれ以上のチームがあるだろうか。

 指輪を輝かせて地表部に出ると、支配者達は墓地で何やら楽しげに話しをしていた。

「…掃除は行き届いているかしら。」

「墓石に苔一つ生えとりんせんよ。」

「こんな所で何してらっしゃるんだろう?」

 三人は一番大きな霊廟の屋根から伏せて様子を伺った。

「そりゃあ――何か深遠なるお考えがおありなんでしょう。」

「おんしにも解りんせんの?」

「デミウルゴスに聞いたら解るんじゃない?」

「あ!!危ない!!」

 アルベドがガバリと身を起こすとシャルティアとアウラはそれを思い切り引っ張った。

「それはこっちのセリフでありんす!フラミー様に見つかりんす!」

「アルベド、本当に隠密行動する気あるの?」

「あ、あるわよ。だって…――」

 

 春の風に誘われ、沢山の蕾を膨らませた木を指差すフラミーがその木の根に押し上げられた地面に躓く。

 フラミーはアインズに引き寄せられていた。

 二人からはぴぴぴと照れ臭さの汗が飛ぶようだ。

「わ、ご、ごめんなさい。」

「良いんですよ。それにしても木も根も随分成長して来てるな…。」

 これまで盛り上がりなど無かったはずの所に小さな山が出来ていた。

「本当ですね。前より随分高さもある気がします。」

 二人は春の風に撫でられるように揺れる木を見上げた。

 生まれてはじめて寝室以外で二人きりの状況――。

 暖かくなり始めた空気は澄んで、胸を叩く鼓動は二つ分。

 アインズはフラミーの背をそっと木に付け、しばしあてなくキスをした。

 今日を穏やかに何事もなく過ごせたら、二人で短い旅に行く事も許して貰うのだ。

 今日はひたすらに静かに過ごして――などと考えていると、もふっと足に何かが当たった。

 赤くした顔を離し、視線を下ろすと足下では毛玉がもっふりと丸まっていた。

 

 こりゃなんでしょうと視線を交わしてから餅のような存在を持ち上げると、高速で鼻をヒクつかせていた。

「何だ?…うさぎ?」

「野うさぎ?」

 第六階層に七十レベル手前のスピアニードルと言う魔獣はいるが、二人は生まれて初めて生で見るうさぎという生き物をまじまじと観察した。

「そう言えばセバスさんも初めて地表部周囲一キロ確認に行った時に見たらしいですね。」

「そうか。これがセバスの言っていた"戦闘能力がない小動物"か。」

「かわいい。どうやって潜り込んだんでしょうね。住み着いてるのかな?」

 ナザリックの壁には土がかけられ、入るとしたら正面玄関だ。

 しかしその正面の入り口も幻術で外からは見えなくなっている。

「離して行き先確認しましょうか。」

 アインズはそっとウサギを解放してやると、のっちのっちと進み始めた。

 かわいいかわいいとウサギを追うフラミーをかわいいかわいいとアインズも追った。

 もちもちとナザリックに咲く花を一通りはみ、しばし進むと、ウサギは玄関ではなくすぐそばの墳墓を囲む壁を目指した。

「きっとそろそろお家ですね!」

「ふふ。子供とか居るかもしれませんよ。」

 二人が和んでいるのとは裏腹に――「なんなの!?あの生き物は!!」

「このナザリックに侵入するなんて信じられんせん!!」

「全然掃除行き届いてないじゃん!!」

「下等生物が!あぁ!あんな所に!!」

 兎は壁にある装飾の穴に頭を突っ込むと、しばし後ろ足をわたわたと動かしナザリックから姿を消した。

 支配者達は目を見合わせ、フワリと浮かぶとナザリック外部を見渡した。

「<生命感知(ディテクト・ライフ)>。」

「どうです?」

 アインズはナザリックを囲む壁に向かうマーレの積んだ緩やかな坂のような丘を隅々まで確認すると、指差した。

「あ、あそこです。」

「ふふ、秘密の侵入経路発見ですね!」

 近寄ればマーレの丘には小さな穴が開いていた。

 覗き込んで様子を見ていると、中からぴこりと兎が頭を出し、逃げるように駆けて行った。

 その先には数匹の兎が草をはんでいて、ナザリックに侵入した兎は一匹の兎とふむふむ鼻を動かしながら顔を寄せ合った。

「家族かな?」

「そうかもしれませんね。」

 二人も楽しげに笑うと壁の丘に座りふむふむと顔を寄せ合った。

 そのまま夕暮れが訪れるまで肩を寄せ合い野生のウサギたちを眺めた。

「さて、そろそろ帰りますか。」

 アインズの言葉に返事はなかった。

 寝ているのかと寄りかかるフラミーを見ると、目尻を下げ困ったように笑って草原を見ていた。

 その顔の理由に思い至るとアインズは頭をぽんぽん叩いた。

「また出掛けましょう。次はもっと遠くに。」

 名残惜しげに頷く人を立たせるとアインズは杖を引き出した。

 腕輪を輝かせながら大きく円を描くように杖を振り、魔法を唱える。

「<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)>・<生命拒否の繭(アンティライフ・コクーン)>。」

 ナザリック全体に生命を通さない守りを張る。

 本来は三メートル程度しか効果はないが、充分に墳墓全体に行き届いていく。

 薄暗くなり始めた世界で、輝く膜が墳墓を包み込んで行く様はどこか幻想的だった。

「綺麗。」

「ん?ふふ。そうですね。」

 アインズとフラミーは魔法の膜がすっかりナザリックを覆った事を確認すると、兎が出入りしていた穴を埋めた。

「せっかく美味しいお花食べられてたのに可哀想かな?」

「じゃあ――」

 

 アインズはフラミーと共に墳墓から二株だけ外に花を植えた。

 

 植えられた花は翌年には増え、春には毎年たった一週間程度、付近を花畑にした。

 その花はまるでブループラネットの意志を引き継ぐかのように既存の植物や生命を駆逐しない程度の生命力で世界に馴染んだ。

 アインズはその花が咲くたびにこの日の赤いスカートを花のように靡かせて笑うフラミーを思い出し、一輪摘んでは持ち帰ってその耳に掛けた。

 

+

 

「そうですか…。申し訳ありませんでした。」

 防衛指揮官NPC(デミウルゴス)は統括に深々と頭を下げた。

「私に謝っても仕方のないことよ。それから、アインズ様が直々に守りの魔法を唱えて下さったのだからよくお礼を言うことね。」

「なんという…。」

「デミウルゴス。私達はアインズ様のご慈悲にお応えするように行動しなくてはならないわ。」

「もちろんです、アルベド。」

 デミウルゴスは奮起する。

「アインズ様の信頼にお応え出来るような防衛プランを、侵攻訓練までに作って見せます。」

「そうね。アインズ様にご満足いただけるものにしましょう。それにしても――まさか防衛の穴にお気づきでお出かけされるなんて…。だからお二人で…。」

「なぜ?お二人でお出かけになる理由がわかりません。」

「決まっているじゃない。これらの管理はあなたの仕事よ。だけれど、あなたは忙しくしているから、アインズ様はあなたを傷付けないように秘密裏に問題解決を行なってくださったのよ。」

 恥ずかしい。

「無能だと不快感を抱かれるより…恥ずかしいですね…。」

 同時に歓喜に包まれる。

 自らの主人がそれほどまでに自分を思っていたと知って。

「…私はやりますよ。」

「当然よ。」

 

 近々この世界の腕の立つものを呼び出した防衛侵攻訓練が行われる。

 そこで行われた訓練が思った通りに行けば今後の普段の防衛指針になる。

 きっと支配者達の気にいる物を――。

 悪魔達はやる気に溢れた。




ほのぼのなざりっく…。
ようやく二人でお出掛けできました(なお監視

次回#45 閑話 二人の旅

twtrでタバコ御身なるジャンルが流行っているのですが(眠夢界隈で)たくさん頂きました!
shi-R様より

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ユズリハ様より

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usir様より

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+

「ちょ!!お出かけされちゃうわ!!」
「お止めしなきゃダメじゃないの!?」
「早く止めんすよ!!」
――しかし支配者達はマーレの積んだ土以上ナザリックを離れる様子はなかった。
「…これなら、まぁ、ここから…。」
守護者は腰を下ろし直した。


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#45 閑話 二人の旅 前編

「だから、護衛はいらんと言っているだろう。」

 アインズは呆れたような仕草で頭を掻いた。

「お待ち下さい!地表部までのお出掛けとは訳が違います!たったお二人で遠方にお出掛けになるなんて!」

 アルベドが嫌だ嫌だと首を振る横で、デミウルゴスも然りと頷いていた。

 十歳の子供にだって留守番くらいできるだろう。

「…じゃあナザリックが見えるところなら良いのか?」

 二人は目を見合わせると、まるで練習してきたかのように声をそろえた。

「それでもナザリックをお出になるならせめて八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)くらいお付けになっては…。」

 妥協案を出してもうんと言わない。

 天空城であれ程成長したと思った守護者達だったが、未だに三歳児だ。

「お前達…それじゃあ二人の旅じゃないだろう。」

 そもそも何故二人で出掛ける必要があるのだろうかと首を傾げている。

「アインズ様?ナザリックでお二人で過ごされては如何でしょうか?」

 この地より良い場所など無い。言外に含まれるナザリックへの絶対的なものを感じる。

「はぁ。今夜はここまでだ。また明日にしよう…。」

 堂々巡りだ。アインズは疲れた。

 すでに時刻は深夜二時を回っている。

「かしこまりました。」

 二人を残してアインズは自分の執務室を後にした。

 あの二人を言い包められる者がこの世にいるだろうか。

 うんうん唸ると、ふと気付いた。

「あいつならなんとかできるんじゃないか?」

 アインズはあいつ(・・・)の下へ転移した。

 

+

 

「お断りいたします。」

 パンドラズ・アクターはぴしゃりと言い切った。

「…私より強い者などこの世にいようはずがないと言うのに。お前もか…ブルータス…。」

 ぶるーたす?とパンドラズ・アクターが首を傾げるとアインズはつまらなそうにソファに身を沈めた。

「以前も申しましたが、父上がお強いのは百も承知ですが、フラミー様をお守りする者がそれではおりません。」

「私がいるだろう。」

「父上が敵を葬っている間にフラミー様に何かが起こらないとお約束頂けますか?天空城でフラミー様に起こった事をよくお考え下さい。」

 それはそうだがと口籠るアインズは結局この知恵者も説得できる様子がない。

「そもそもナザリックで人払いをすれば宜しいではないですか。」

 またそれかとアインズは実に不愉快そうに息子を見た。

 ここでは払った所でどうせ見られてると地表部から帰った時のことを思い出す。

 フラミーを部屋に帰し、着替えるため自室に戻るとノックが響き、出れば深々と頭を下げる悪魔。

 下等生物の侵入を許した謝罪と、防衛機能の追加御礼にアインズは全部見てたんかいと顔を覆った。

「――ナザリックは確かに素晴らしい場所だが、たまには出掛けたくもなる。」

 つまんないとでも言うように立ち上がると説教したりなさそうな――いや、何か別の事を考えていそうな息子を残し第九階層に転移した。

 

 溜息をつきながら、フラミーの部屋の扉を開け、寝室の扉の前できちんと行儀よく立つ本日のフラミー当番に軽く手を挙げる。

 天井にはびっしりと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)

 当然自分の後ろにも付いて来ているし、寝室以外では常にこれだ。

 寝室に入ったとしても外の気配を気にすることはある。

 そっと寝室の扉を押し開けると、フラミーはベッドでもたれるように座って寝ていた。

 手元にはドラウディロンからの手紙。

 膝の上に転がるモノクルと手紙をそっと片付けてやる。

 手と耳がぴくりと動くとフラミーは目を覚ました。

「ぁ、あいんずさん、おかえりなさぁい。」

「ただいま。」

 この小さな箱のような空間は二人の家だ。

 そっと唇を触れさせるとここでしか見せない表情を見せ合った。

 この二人(・・・・)で外に出かけたいのだ。蜘蛛一匹いてはこうあれない。

 しょっちゅう人前でとろけている二人だが心持ちはちゃんとしている――つもりだ。

「どうでした?」

 期待するような視線が痛い。

「…なんとかします。」

 アインズが首を竦めて見せるとフラミーは困ったように笑った。

 

 翌日、アインズは第六階層で朝の日課の仔山羊の散歩をしているフラミーを眺めながらどうしたもんかなぁと悩み――凄いことに気が付いた。

「フラミーさんフラミーさん。」

 手招くと、フラミーは愛らしい仔山羊十匹を連れぞろぞろと寄ってきた。

「はぁい。」

 人懐こい瞳にアインズは心をほぐされる。

 九十レベルを超える歩く災害達も幸せそうにメェェェェと声を上げている。

「パトラッシュ、おにぎり君。出かけるぞ!」

 

+

 

「という訳で私達はそこまで出掛けてくる。」

 知恵者三名は安心しきった顔で頭を下げ、二人と二匹の背を見送った。

「御方々直々に生み出されたあの二匹なら問題ないね。」

「普段の生活にも八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)より彼らの方が宜しいのでは?」

「普段から仔山羊じゃ、お世話が大変じゃないの。」

 それもそうかと知恵者達は頷きあった。

「ねぇ、パンドラズ・アクター。あの仔山羊達はあなたの兄弟だと思うべきなの?」

 アルベドはアインズやフラミーが直々に生み出した僕の順位を決めかねていた。

「…それはないでしょう。」

「そうよね。」

「さて、御方々がお帰りになるまでに今度の侵攻訓練のまとめを行おう。」

 デミウルゴスの提案にNOと言う者もおらず、知恵者達は第六階層の水上ヴィラへ移動した。

 至高の御方々の執務室を使う訳にも行かないし、アルベドの執務室はアインズ人形だらけだし、三人で何かを決めるときはヴィラを使いがちだ。

 到着すると、パンドラズ・アクターはアインズの姿になり大量の情報隠蔽魔法を唱え――遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を取り出した。

「…パンドラズ・アクター。何をしようと言うのかな…?」

「仕事をしながら少しだけ父上達のご様子を見ようかと。」

 あっけらかんと言い放つ埴輪を前に悪魔達は目を見合わせ、二人はすぐに埴輪の左右からギュムッと顔を寄せて鏡を覗き込んだ。

 父親譲りのびっくりの監視態勢だ。

 そして付け足すように「仔山羊を置いてどこか(・・・)に行ったりしないか確認しなければいけませんからね。」と呟いた。

 

 鏡の中、支配者達は一体のゴーレムの馬に二人で跨り、その後ろを仔山羊がちょこちょこ走って付いて回っていた。

「さて、どこに行きますかね。」

「どこまでも。」

 あてのない旅だ。

 気の向くままに行って、侵攻訓練までに帰ってくればいい。

 街や国は何者なのかバレるとすぐに鬱陶しいことになるし、この愛らしいペットが百パーセント間違いなく馴染めないのでやめた。

 新婚旅行と言うにはおかしな状況だが――二人はそれでも満足だ。

 疲労しない馬の上から飽くことなく景色を眺めた。世界は美しい。

 ナザリックも見えなくなりしばらく経つとアインズは馬を止めた。

 不要だと分かっているがフラミーに両手を伸ばし、そっと馬から下ろしてやる。

 未だそこは草原が広がっているが、徐々に木が生えているところも見え、アゼルリシア山脈に随分近付いた。

 白いふわふわのシロツメクサがびっしりと咲く場所に座り、昼食にする。

 フラミーは持ってきた細長いパンに切れ込みを入れ、ハムや野菜をぎぅぎぅと挟み込んだ。

 アインズもツアーに教えられたように焚き火の木を組むと魔法で火を点け、冒険者御用達のパーコレーターに湯を沸かして副料理長から貰ってきた粗挽きの珈琲豆を入れる。

 お互いの用意したものを渡し合うと二人はニヒリと笑い合った。

 フラミーに妙に懐く、アインズに生み出された筈のパトラッシュがヘッヘッとその前に寄る。

「ふふ。可愛い。」

 フラミーは自分のサンドに挟まるハムを取り出すとパトラッシュに一枚やった。

 おにぎり君はアインズとフラミーの間に収まり、二人の肘掛になりながら花をはんで食べていた。

「こいつら、本当生み出して良かった…。」

「本当ですねぇ。」

 おつむが足りない仔山羊達は守護者感がないと言うのに文句なしの強さだ。

 犬を連れた旅に感覚が近い。

 食べ終わる頃には二人仔山羊に寄りかかっていつまでも下らない話をした。

 これまで知らなかったお互いのリアルでの生活やお気に入りだった液状食料、もう知ったところで意味はないが住所、電話番号、勤め先――。

 知らない事がまた一つ減ると、静かなその場所で小鳥のように何度も互いをついばんだ。

 人目がない方が照れ臭いのはなぜだろう。

「文香さん、もしまたリアルに行く事が出来るようになったら――その時には何が何でも迎えに行きますから。だから――」

「待ってます。あなたの事、絶対に待ってます。」

 そんな日は来ないだろうが、約束は幾つ交わしても良いだろう。

 アインズは言いたかった事がすぐに伝わったことに、へらりと表情を緩めた。

 また伸びたフラミーの前髪をさらりと分けながら、この人からは何か不思議な魔力のようなものが出ているのではないのかと思う。

 この魔力の及ぶ範囲にいると、アインズはもう、どうしようもなく――幸せになるのだ。

 

「…尊いわ。」

 支配者達の挙動を見てアルベドは恍惚の表情を浮かべ鼻血を垂らしていた。

 仕事をしながらチラリと見る程度の予定だった為流石に音声まで拾うような真似はしていない。

 が、誰も何も手についていない。

「フ…ミーさ…。」

 デミウルゴスはパンドラズ・アクターから漏れた声に片眉を上げた。

「パンドラズアクター?」

「何か…?」

 こてりと首をかしげる至高の存在の被造物が考えていることは闇に包まれている。

 すぐにパンドラズ・アクターは鏡に視線を戻し――鏡の中の支配者の口に合わせるように、何かを小声で呟き続けた。

「…君は何をやっているのかな。」

「いえ。父上の全てを心に留めております。今後父上になる時の参考にしようかと。」

「――そうかい。」

 デミウルゴスはしばし影を観察したが、何一つと見破れなかった。

 

 いつの間にかヴィラには全守護者がぎっしりと収まり、全員で鏡をのぞいていた。

「ねぇ、だからさあ。本当にこんな事してて良いの?」

 アウラの疑問は最もだが、叡智の悪魔の意見はこうだ。

「仕事は進めているよ。」

「ソウカ。ソレナラバ問題無イナ。」

 問題ありだ。

 監視は夜になっても続いた。

 二人がアゼルリシア山脈を登り始め、要塞創造(クリエイトフォートレス)で作った要塞に入ると、守護者達はつまらなそうにし、義務付けられている食事をその場でとった。

 まるで友人の家に集まって映画を鑑賞するような姿だ。

「デミウルゴス、コーラを取りなんし。」

「…自分で取りたまえ…。」

「あ!!ドアが開いたわよ!!」

「…オニギリ君ダ。」

「あ、あの、み、皆さんここで寝るんですか?」

「あたしは今日は寝ない!」

「あ、デミウルゴス様。私にもコーラを。」

「自分で取りたまえ!!」

 守護者達は要塞の外観を一晩眺め続けた。




み、見られてる!!
普段高レベルの僕連れてれば監視されないってのに!!

次回 #46 二人の旅 後編
すぐ前後編

凛々しい御身頂きました!shi-R様よりです!

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フララのお背中無防備問題が一気に解決されるブラウス頂きました!ユズリハ様よりです!

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#46 閑話 二人の旅 後編

 日が昇ると支配者達は要塞を出て再び山を登り、一日かけて頂上に着いた。

 誰にも踏まれたことの無い真っ白な雪は風に舞い上げられ、フラミーの銀色の髪もふわりと青い空に向かって靡く。

 アインズはその様子に一時見惚れ、はぁ、と溜息をこぼした。

「どうかしました?」

 言葉を発するのももったいない。

 アインズはゆっくりと顔を左右に振った。

 いたずらそうな顔をして瞳を覗き込んでくるフラミーの頭をぐしぐしと撫で付けた。

「んもう。子供じゃないですよ!」

 変わらない言葉が無性に可愛くて抱き締める。

「――俺の奥さんが子供な訳、ないじゃないですか。」

 何度も滑らかな髪に指を通すとふと指先に蕾がぶつかった。

 デミウルゴスには悪いがこれはいつか家に飾って装備をやめさせよう。

 腕の力を弱めて体を離すと、フラミーは顔をホオズキのように赤くしていた。

「あ、あの…さ…さとるさん…。」

 胸を叩かれたかと思うほどに心臓が跳ねた。

「は、はい…。」

「私達、夫婦なんですね…。」

 頷きながら何か、兎に角何かを言わなければと思うが、気の利いた言葉が思い付かず、アインズはただただ首を縦に振った。

 すると、フラミーは消え入りそうな声で――あなた、と一言呟いた。

 ボフンッと新雪が舞う。

 アインズは思わずフラミーを雪に押し倒していた。

「うぅ文香さん…好きだぁ…。」

 時間が止まったような雪の中で、この星の上にはもうたった二人しか生き物はいないんじゃないかと思う。

 互いの鼓動が聞こえる。

 アインズが唇を寄せるとフラミーは息を止めてギュッと目を閉じた。

 

+

 

「…フラミー様…。」

 デミウルゴスがダメージを食らっていそうな声を上げると、全員が鏡から目を離した。

 羨ましい…という呟きが静かな室内に響く。

「前にコキュートスが言ってたように、デミウルゴスももっと男を磨かなくちゃ!」

 アウラの茶化すような声に、じっとりとした視線を向ける。

「…常に磨いているとも。」

「アインズ様の足下にも及んどりんせん。」

 横槍だ。清浄投擲槍だ。

「ソウハ言ウガ、デミウルゴスニ足リナイ物ハ何ダ。」

「全て、でしょうね。アインズ様の全てを見習うべきよ。」

「分かっています…。」

 眉間に寄せた皺を摘むように抑えるデミウルゴスを、マーレは正面から一切邪気のない瞳で捉えた。

「あ、あの、僕、デミウルゴスさんに何が足りないのか分かります!」

 あまり期待していないけど、とでも言うような視線でマーレに先を促す。

「ぼ、僕、男らしくなったら将来の話をしよう、ってフラミー様に期待して貰ってるんですけど――」

 

「「「なんですって?」」」

 

 ヌッと現れた知恵者三名を前にマーレはアワワと動じたふりはするが、動じない。

「や、やっぱり、男性である前に、スカートを履く気持ちが分かる人じゃないと、だ、ダメなんだと思います。」

 アインズ様はローブをお召しになるからよくお分かりでしょうし――と続けるマーレを前に知恵者達は一瞬硬直し、約ニ名は吹き出しそうになる物をプクッと膨らませた頬の中に溜めて堪えた。

「デミウルゴス、あなたもスカートを履かなければね。っぷくく。」

「ッブ――失礼しました。フラミー様にぜひお見せになって下さい。」

 小馬鹿にしたような視線を向けられるが、デミウルゴスは物凄いことに気付いた。

「――私はフラミー様より一番の理解者とご評価いただいているのですが――」

「あ"ぁ?」

 すぐに人の話を遮る統括と、埴輪から怒りの波動を向けられるが、無視し、むしろ幾ばくかの優越すら感じさせる表情を作る。

「んん。事実私は一番の理解者ですが、さらに言えば天使の名残(・・・・・)を持つ悪魔についての理解度、と言う点に於いて私の右に出る者はいないでしょう。その点、マーレはある意味両性のように感じさせますからね。フラミー様もそこをお気に召しているんだとしたら、スカートを履く気持ち、というのもあながち間違いではないのかもしれません。」

「オォ…ナルホド…。」

 アルベドはガタンと立ち上がった。

「そういう事。私はおズボンを履いてくるわ。フラミー様がお戻りになる時にお見せするの。」

「…私も宝物殿に少しばかり用を思い出しましたので、これで失礼させて頂きます。御方々は仔山羊を振り払う素ぶりもどこか(・・・)に行く様子もありませんし。」

 パンドラズ・アクターがいそいそと鏡を仕舞うと美しき光景を奪われた守護者達はエェーとつまらなげな声を上げた。

「仕方ありんせん。妾もズボンを履きに帰りんす。」

「じゃあ、あたしはスカート履いてみようかな!」

「え、あ、ぼ、僕もズボン履いてみる!!」

「私もウルベルト様が残して下さったローブを出してみましょう。」

 途端に蜘蛛の子を散らすように守護者達は解散した。

 しかし、その場に残る者も一人――。

 

「私ハ…何ヲ着ルノガ正解ナンダ…。」

 

+

 

「あぁ!やめてぇ!」

 湯気が立たんばかりに汗をかき、白く染まったフラミーは音を上げた。

「まだまだこれからですよ!」

 二人は雪合戦に勤しんでいた。

「もー!<鈍足(スロー)>!」

「っあ、ずるい!<早足(クイックマーチ)>!」

 フラミーも魔力が随分増えたので魔法を使った無慈悲な雪合戦だ。

 戦う支配者達の横で仔山羊達が触腕を使い器用に雪玉を作っていく。

 たまに作った雪玉を食べては嬉しそうにぴょいこら跳ねていた。

「むむ!これでどうだ!<兎の尻尾(バニーテール)>!」

 相手の敵対値を下げる魔法だ。

 フラミーがくるりと回って尻を突き出し尻尾を振ると、今まさに雪を投げようとしていたアインズはぴたりと止まった。

「隙あり!」

 フラミーは丸々とした雪玉をアインズの顔面目がけて投げ付けた。

 バフっと雪が直撃すると、アインズはその場に倒れた。

「っ…はぁ、や、やられた…。ずるい…。」

「キャー!やったー!!」

 初めての勝利におにぎり君とハイファイブを交わす。

 まん丸ふわふわ尻尾を生やしたフラミーを眺めながらアインズはハッと鼻を抑えた。

「ん?あ!!大丈夫ですか!?」

 鼻血が出た。

「わわ、ごめんなさい。痛かったですね?<大治癒(ヒール)>。」

「え、あ、ありがとうございます。」

 なんて情けないとアインズは己のふやけた脳みそを叱責した。

 頭を優しく撫でられながら、また鼻血が出そうになるのを堪え、視線をフラミーから外す。

 気付けば辺りはもう夜の帳が下り始めていた。

「今日はこの辺にしましょうか。晩御飯食べて、汗流して寝ましょう。」

「はーい!」

 アインズが要塞を出す横で、フラミーは楽しかったなぁとリ・エスティーゼ王国方面に落ちていく日を眺める。

「…ね、アインズさん。来て。」

 要塞の扉に手を掛けていたアインズは手を伸ばすフラミーに微笑んだ。

「なんですか?」

「見て。とっても綺麗だから。」

 太陽が沈み行く様を二人はしばらく黙って眺めた。

 刻一刻と世界の色が変わり、月が登る。

「…アインズさんが守る世界…。」

「うん。守ります。あなたのために。」

 握り合った手はあたたかかった。

 アインズは蕾が開いた事を教えるために、若干忌々しい花にちょんと触れた。

 

 翌日、アインズとフラミーは山を越え、海が見える所まで行くと海に向かって下山し始めた。

 どんどん海に近づき、麓に差し掛かると、雪解け水に咲く不思議な緑の花を見つけた。

「こ、これ!フキノトウですよ!!」

 フラミーが興奮気味にそれを摘み始めるとよくわからなかったがアインズもそれを手伝った。

「っあ、こら!おにぎり君!食べるんじゃない!」

「あ、はは。恥ずかしい。私が食べようとしてるから食べ始めちゃったのかな。」

 フラミーはぽりぽりと頬をかいた。

 アインズはこれを食べるのかと摘んだ花に視線を落とし、昼には再び要塞を出した。

 最古図書館(アッシュールバニパル)から借りっぱなしだと言う料理本――母の味集を開くと、フラミーはあるページをアインズに見せた。

「…ふーむ。なるほど。天ぷらか。」

 いそいそとキッチンに向かうフラミーを追い、二人で料理する。

 二人で作ると言うのも、作りながら食べると言うのも、何もかもはじめての体験だった。

 フラミーの口に物を入れてはそれを追って口付けたり――二人はとろけていた。

 そしてフキノトウの天ぷらは美味だった。

 フラミーに、母の味ってこれであってるのかなと不安そうに聞かれ、アインズは満面の笑みで頷いた。

「俺も液体食料が多かったんで、フラミーさんの作る全てが俺にとっての母の味で家庭の味ですよ。これが鈴木家の味です。」

 フラミーはまた癒された。

 料理と言う名の食事と言う名のじゃれ合いはしばらく続いた。

 

 さらに後日、海のすぐ手前まで来ると海の上には揺らめく都市が見え、再び海上都市かと二人は目をこすった。

 幻術やかつての何者かのギルドホームの防衛機能かとじっくり眺める。

 アインズが仔山羊とフラミーを置いて様子を見に行くと、どこまで行っても幻には追いつけなかった。

「逃げ水…。」

 アインズはフラミーの下に戻り、蜃気楼だったと話した。

 生まれて初めて見る蜃気楼を二人は肩を寄せ合って、消えてしまう迄眺め続けた。

 

 またさらに後日、海に沿って歩けば崖の上にはどこまでも無限に続くように見える花畑が広がっていた。

「わぁ!春ですねぇ!」

 フラミーはくるくる回るとバタリと倒れた。

「本当ですねぇ。こんな所があったなんて知りませんでしたね。」

 すぐそばでアインズも座ると二人で花に身を沈め、いつまでも空を眺めた。

 どこからともなくぷぃ〜んと気の抜けた高音が聞こえる。

「あ、蜂。」

「パトラッシュ!!」

 ビジッという音を立てたパトラッシュの触手によってミツバチは粉々に消えた。

「えっ!ダメですよ!可哀想なことしないで下さい!」

「あ、す、すみません。フラミーさんが刺されるかと…。」

 しょんぼりするアインズにフラミーは吹き出すと愛らしくも頼もしい支配者を撫で付けた。

「やっぱり、大切に思ってくれて、ありがとうございます…。」

「…俺の一番の宝物ですから…。」

 二人は飽かず花に埋もれて優しく穏やかな口付けを交わした。

 周りでは仔山羊達が昔教えられた早口言葉を言い合い――といってもメェェェだが――実に平和だった。

 

 翌日、南北への縦断は済んだので今度は王国の方角、西に向かって伸びる峰を行った。

 再びの雪景色だ。二人が巨大雪だるまを作っていると、ズン…ズン…と巨大な足音が響いた。

 目を凝らすと青白い肌に白い髭と髪、何かの動物の皮をナメした物を見に纏う巨人がパトラッシュ達を追いかけ回していた。

 その者は霜の巨人(フロストジャイアント)で、神聖魔導国の軍門に降るよう話し合い(・・・・)をした。

「ここはもううちの領土だ。従えんと言うなら死あるのみだ。」

 慈悲深い王はオフの為、YESかNOでしか会話をする気はない。

 まごまごといつまでも返事をしない巨人(ジャイアント)はパトラッシュの一閃で足を失い、降ると泣き叫んだ。

 その後フラミーに回復させられると霜の巨人(フロストジャイアント)の里に着き、その日は一日そこで過ごした。

 天敵の霜の竜(フロストドラゴン)がいなくなり快適に暮らしていた巨人達は絶望し掛けたが、国籍取得をすればそれ以上特別何も求めないと言われ、一時的にエ・ランテルの光の神殿に転移門(ゲート)で連れられていき手続きをし――後は山で普通に暮らしているらしい。

 変化は出稼ぎに出る者ができたこと、食事に困らなくなったこと、集落に永続光(コンティニュアルライト)を買えるようになったこと。

 そのお陰で夜間に子供が雪山から転落して死ぬ事がなくなったこと。

 最初にアインズ達と出くわした者は不幸だったが、部族全体としての暮らしは格段に良くなった。

 食料も出稼ぎに出ている者が帰りに神聖魔導国羊をいっぱいに抱えて帰ってくる。

 

 支配者達が翌日立ち去る頃にはまだ怯えられていたが、後には深く感謝されるようになったらしい。

 

 夜が明け霜の巨人(フロストジャイアント)の里を出て再び当てもなく歩いていると、空には見たことも聞いたこともない竜王がこちらへ向かって飛んできた。

 二人はすぐさま大量のバフを唱え、仔山羊達を盾とする事を決めた――が、竜王はそのまま二人を無視して飛び去っていった。

 二人は少し発想が過激だったねと笑いあい、竜王がどこへ向かうのか追いかけて行った。

 山の終わりに着いてしまうと深追いはやめたが――行き先は評議国のようだった。

「あいつもツアーの親戚かな?」

 ツアーに親戚はいないが、アインズは評議国の竜王は皆ツアーの親戚と呼んでいる。

「前に行った時いなかったんですか?」

「うーん、いなかったと思うんですけど、もう忘れちゃいました。」

 興味なしとでも言うようなセリフにフラミーは可笑しそうに笑った。

 竜王を夢中で追いかけて来たが、辺りは夜が訪れ始めていた。

 二人は最後の夜だからと要塞を出しもせず、雪山のてっぺんに転がる巨大な岩から澄み切って冴え渡る星空を眺めた。

「ねぇ…きれいだよ…。」

 フラミーの呟きは誰に聞かせたものか分からなかったが、アインズはそうだねと応えた。

「あんまり綺麗で苦しいよ…。」

 手を繋ぐ先のフラミーは泣いていた。

 二人は降り注ぐような星空の下、寒さも暑さも感じない身を寄せ合って眠りについた。

 フラミーの翼はあたたかかった。

 翌朝――アインズは何気なく触れた腹の中に自分に流れる力(・・・・・・・)を感じ――海上都市の不調はそうだったか、と一人歓喜に震えた。

 居ても立っても居られないとばかりに起き上がるとむにゃむにゃ言うフラミーを起こし、折れる程キツく抱きしめた。

 気付いていない様子のフラミーに興奮しながら腹の中の力を――子供が出来ているかも知れない事を伝えた。

 それを聞いたフラミーはバレちゃったと笑った。

「教えてくれたらよかったのに!こんな…出掛けたりしちゃダメじゃないですか!!」

「はは、言われると思いましたぁ。でもせっかく二人でお出かけするって約束したから。」

 フラミーは首を振った。

 困った人だなと笑いながらため息を吐くと――「それにこれでまたダメだったら、もうあなたも皆ももたないから」とフラミーは蕾を弄びはじめた手元に視線を落とした。

 知られたくなかったと困ったように笑う姿はトラウマに震えているようだった。

 昨日の夜話しかけていた相手が誰だか悟り抱き締める。

「…俺はあなたが居てくれれば大丈夫です。」

 強張っていた体が少しほぐれた気がした。

「あの、子供達には…まだ…。」

「わかってます。子供達にはまだ伏せておきましょう。」

 それがフラミーの気持ちの為にもなるような気がする。

 子供達の喜び方はきっと強いプレッシャーを与えるだろう。

 それに――外部の者には産まれるまで知られたくない。

 いつ誰にどこで危害を加えられるか分かったものじゃない。

 主に竜王にだが。

 フラミーはアインズの胸で少し泣いた。

 

 その後、夕暮れが訪れるまで多少歩くくらいで特に何もしなかった。

 フラミーはやっぱり共有できて良かったと、たくさん笑い、ただ、幸せを期待して二人で震えた。

 旅の終わりに滲む景色をアインズはただ眺める。

「さて、そろそろ帰りますか。」

 やはりフラミーは困ったように目尻を下げて笑った。

「また出掛けましょう。次はもっともっと遠くに。」

 名残惜しげに頷く人を抱き寄せる。

 ただの人間でいられる時間の終わりに、少しだけどこかへ逃げ出したくなる。

 しかし――それ以上に家と家族が恋しくなっていたし、あそこ以上に何かを守るのに適した場所もない。

 二人の時間を愛しむように支配者達は強く抱きしめあった。

「絶対にまた、お出かけしましょうね。」

 春の風が立つ。

「次はどこに行きますかね。」

「どこまでもついて行きますよ。」

 あてのない旅だ。

 気の向くままに行って帰ってくればいい。

 二人は二匹を連れて転移門(ゲート)を潜った。

 

+

 

「なんだなんだ、イメチェンか?」

 出迎えるは――パンツスタイルのアルベドとシャルティア、互いの服を交換した双子、ローブ姿の息子二名、小さな花を頭にちょこりと着けたコキュートス。

「あー!かわいい!皆とっても似合ってますよ!」

 フラミーの嬉しそうな声に、守護者達は顔の筋肉を緩めると――

「「「おかえりなさいませ!アインズ様、フラミー様!!」」」

 とびきりの笑顔で支配者達に抱き着いた。

 しばらく守護者や僕の間でイメチェンは流行したらしい。

 

 その夜――。

「俺は今から最古図書館(アッシュールバニパル)行ってきますから、ここにいてくださいね!えーっと、どうすんのが良いのかな…冷えないようにします?布団か。冬の布団出しましょうね。それから――」

「アインズさん。」

「あ、何かあったかい飲み物もらってきましょうか。そうだ、食事も俺が運びますから心配しないで下さい。後は何か欲しいものあります?一晩外なんかで寝ちゃってますしよく休んで――」

「はは、アインズさん。落ち着いてください。」

 アインズはフラミーに数度引っ張られ、やってしまったと口に手を当てた。

「す、すみません。」

「ううん。良いんですよ。でも、こんな風にしてたらすぐ子供達にバレちゃいます。」

「た、たしかに…。」

「私、変わりなく過ごしますから!」

 頭をわしわしかきながら、もうここを出したく無いと何度も何度も思う。

「ね。」

「そう…ですね…。」

 アインズは渋々頷くと、人体と妊娠について書かれている本を借りにこっそり最古図書館(アッシュールバニパル)へ行った。

 いつもビジネス書を拝借するのと同じ調子だ。

 

 当然気付かれていない事はないが、司書達は人間の(・・・)体についての本を支配者が回収して行ったと、新しい実験に思いを馳せた。




またお出かけしましょう!

次回 #47 アーウィンタール冒険者組合

お嫁のあんよが可愛い御身頂きました!ユズリハ様よりです!

【挿絵表示】


最初はスーパーダイジェストでした↓
なのにめちゃ長になっただよ
>海が見える所まで行き、遠くに蜃気楼を見たり、雪解け水に咲くフキノトウを摘んで食べてみたり、途中で出くわした霜の巨人(フロストジャイアント)に降るよう話したり、どこまでも無限に続くように見える花畑に身を沈めたり、澄み切って冴え渡る星空を眺めたり、空を知らない竜王が飛んで行くのを見たり、実に充実した一週間を過ごした。


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試されるナザリック
#47 アーウィンタール冒険者組合


「これが神が生み出したと言うナザリックですか。」

 呟いた男は切れ長の目を細め、薄い唇を片側だけ釣り上げた。

 この世の殆どのものを見下し、自分が最も優れていると信じ切っているような表情だ。

 冷酷さの中に混在する、子供がそのまま大人になってしまったような危うい雰囲気に周りの者はどこか遠巻きだ。

 その男、ワーカーチーム"天武"がリーダー、エルヤー・ウズルスは面白そうに辺りを見渡した。

 美しい天使や女神の像に見守られるように、バラバラに配置された奇妙な墓石が無数に点在している。

 東西南北には王を葬る時に使うような霊廟が建ち、中央には更に大きく荘厳な霊廟が建っている。

 

 しかし――はっきり言って大したことはない。

 

 それがエルヤーの感想だ。

 確かに彫刻の細緻な作りは素晴らしいが、神がいるにしてはむしろ見すぼらしいと言っても過言ではないかもしれない。

 "神が生み出した地"などと呼ぶのは看板に偽りありと言っても良い。

 

「思ったより、つまらない会になりそうですね。」

 

+

 

 国中の冒険者組合に、一定以上の力を持つ者へ依頼が出されたのは遡ること二週間ほど前――。

 帝国が神聖魔導国に入ってしまったせいでワーカーとしての仕事が殆ど無くなった。

 エルヤーは奴隷の森妖精(エルフ)をわざと転ばせるように何度も突き飛ばしていた。

「全く仕事一つ見つけて来られないなんてとんだクズですね。」

 別にまだまだ貯金はあるが、つまらないのだ。

 あのガゼフ・ストロノーフすら超えるこの剣の腕を披露し、見せ付けたい。

 そう言う仕事が欲しいのだ。

 この国には死の騎士(デスナイト)があまりにも多い。

 こいつらとも恐らく対等以上に渡り合えると言うのに、このままでは腕が鈍る。

 が、無法者と言うわけでもないので死の騎士(デスナイト)に斬りかかるような真似はしない。

 それに――神王と呼ばれる闇の存在はアンデッドの姿も持つが、人間なのだ。

 人間の王のやることには敬意を払う。当然だ。

 しかし、この森妖精(エルフ)と言う耳長の存在。

 ――こいつらはまるっきり劣等種だ。

「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!!」

「仕事を見つけるくらいでしか役に立ってない事を分かってるんですか?えぇ?」

 無様に転んでいる森妖精(エルフ)の髪を掴み立たせる。

 怯えきった視線にエルヤーはニヤリと笑った。

 そろそろ入れ替え(・・・・)を検討しようか。

 携える神刀に軽く手を触れ、その身を刀が滑る様を想像する――が、今夜もう一度抱いても良いかもしれない。

 ギリリと胸を掴み上げ、森妖精(エルフ)が悲鳴をあげると愉悦に口元を歪めた。

 今夜はどうしてやろうと考えていると、痛ぶっている森妖精(エルフ)がチラリとエルヤーの後ろに視線を送る。

 その仕草だけでわかる。エルヤーはようやく来たか、と手を離した。

「いつまでそんな所で見てるんですか。早く報告しなさい。」

 エルヤーの後ろで二名の森妖精(エルフ)がびくりと肩を震わせ、慌てて駆け寄ってきた。

 走る馬車にぶつかりそうになり、御者に気を付けろ!と怒鳴られたが、そんな物は一切目にも入らないと言うようだ。

「も、申し訳ありませんでした。」

「お、おま…お待たせしました…。」

「それで?どうなんですか。仕事はあったんですか。」

 見つけられなかったらこの二人にも罰が必要だろう。

「あ、ありました!!冒険者組合で、腕の立つものを集めていると!」

 聞くや否や、ふー…と態とらしくつまらなそうな溜息をついた。

「冒険者登録してない私が…冒険者組合で――」拳を握る。「どうやって仕事を受けるんだよ!!」

 怒号に乗せて森妖精(エルフ)を殴り飛ばすと、もう一人が慌ててその森妖精(エルフ)を抱き庇った。

「ち、違うんです!!難度八十から百に肉薄できる者なら、身分も職業も問わず!募集しているんです!!」

「…ほう?難度百。面白い。」

 難度百と言えば、壮年の竜(オールドドラゴン)海の守り神(シードラゴン)と言った全ての剣を握る者の憧れ――(ドラゴン)クラスだ。

 難度八十がオリハルコン冒険者チーム、難度九十がアダマンタイト冒険者チームと言うのが通常だ。

 それを上回る難度百。これは余程の依頼だ。

 赴ける者が余りにも少ない故のヘルプコール。

 エルヤーは愉快げに笑った。

「良いでしょう。冒険者組合へ行きますよ。」

 

+

 

「神の地ナザリックの防衛点検ん?」

 エルヤーは期待ハズレだとでも言うようにバハルス州が旧帝都、アーウィンタール市の冒険者組合で声を上げた。

 神聖魔導国になる前は閑散としていた冒険者組合だが、モンスター傭兵屋から未知を既知とする探索者と言う新たな看板が掛かったことにより、かつて帝国騎士だった者などがこぞって登録し、今では大賑わいだ。

「おーい!そこのあんた、やめとけよ!難度八十からとは言ってるが、あの死の騎士(デスナイト)と戦える自信がある者だけの参加だって言う話だぜ!」

死の騎士(デスナイト)と言えばかのフールーダ・パラダインも何とか一匹捕らえてたとかそう言うレベルだ!きっと神の御所にはこれがごまんといるんだからな!」

「英雄級じゃなきゃ土台無理な話だ!」

 ワハハハと愉快そうな冒険者達の笑い声が聞こえる。

 今や町中に普通にうろついている死の騎士(デスナイト)だが、約三年前までは伝説のアンデッドとして、それを知る者も少なかった。

「私は当然死の騎士(デスナイト)とも渡りあえますとも。良いでしょう。受けましょう。」

 エルヤーはニヒルな笑いを浮かべてそれを受けた。

 報酬は当日現地払いでかなり良い。しかもこれに参加するのはそれだけで英雄級。

 命知らずだなぁと聞こえてくる声にエルヤーは高らかと宣言する。

 

「私はワーカーチームが天武。エルヤー・ウズルスです。この名をよく覚えておくことですね。」

 

+

 

 アーウィンタール市で最も大きな――かつて四大神信仰を行なっていた神殿の使い回しの――闇の神殿にエルヤーは訪れた。

 ここが集合場所だが、神官が控えるのみで他に参加者はいない。

 ちゃっちゃとナザリックを一周し、報酬金を受け取り売名に勤しみたいところだ。

 もし神から警備に誘われればそれはそれで就職しても悪くない。

 ちらりと神話を読んだことがあるが、眉唾ではあるが神王は相当な力を持つようだし、その神王に見込まれた男、と言うのは実にいい響きだ。

 早くもナザリック攻略後の事へ思いを馳せていると、神殿の扉が開かれた。

「ッチ。この都市からは私一人かと思ったのに。」

 振り返れば――雷光バジウッド・ペシュメル、激風ニンブル・アーク・デイル・アノック、不動ナザミ・エネック。

 バハルス州の抱える州兵最強の三人だ。

「ほーう!皇帝陛下は俺たちだけだろうと言っていたのに、いるじゃねぇか!」

「バジウッド、エルニクス様はもう皇帝陛下ではありませんし、陛下を付けていいのは神王陛下と光神陛下のみですよ…。」

「………そうだ。」

 まるで当然自分達の方が上とでも言うような雰囲気にエルヤーは僅かにイラつく。

「どうも。私はエルヤー・ウズルスです。この点検が終わる頃には再び四騎士になれるかもしれませんよ。」

 三騎士から頼み込まれれば加入してやってもいい。そういう心持ちでエルヤーが手を伸ばすとニンブルは若干嫌そうな顔をしてから手を握った。

「どうも。我々は――」

「存じ上げているので名乗って頂かなくても結構です。」ピシャリと言い切った。「それでは、宜しくお願いします。」

「ハハハ。俺たちも有名だなぁ!よろしく!」

 バジウッドが痛くも痒くも無いと言うように笑っていると、再び扉が開かれた。

 ぞろぞろと数名を従える八十歳を超える好好爺が声を上げた。

「なんしゃなんしゃ、随分楽しそうしゃのう。」

「――"竜狩り"のパルパトラ・オグリオン…。」

「んん?お主は誰しゃ?わしを知っておると言う事は冒険者てはあるまいのう。」

 顎髭を扱きながら様子を見るパルパトラにエルヤーは手を伸ばす。

「"天武"のエルヤー・ウズルスと申します。」

「…お主があの王国最強――カセフ・ストロノーフに匹敵すると噂のウスルス。これは期待してしまうのう。」

 握手を交わしながら、やはりワーカー同士は話が早いと思う。

 "竜狩り"のパルパトラと言えば、チーム名の通り竜を狩った事がある男としてワーカーの間ではあまりにも有名だ。

 その身に纏う緑色の鎧はその時に狩った緑竜の鱗で作られているらしく、大変高価だとか。

「どうも。ナザリックに私が苦戦できるレベルの者がいれば良いんですがね。それに、そろそろかの戦士長が私――エルヤー・ウズルスに匹敵する、と言われるべきでしょう。」

「………なるほと。お主は中々面白い者しゃな。さて、そちらは――」

 簡潔に挨拶を済ませると老人は三騎士に挨拶を交わしに行った。

 ふふんと鼻を鳴らしていると、闇の神の像の前に、まるで地獄へ繋がるとでもいうような黒い楕円形の染みが現れた。

 中からは切れ長の目に美しい黒髪の女――メイドだ。

 メイドは辺りを見渡すとため息をついた。

「こちらも下等生物(ガガンボ)ばかりですね。とても御方々にお喜び頂けるとは思えない生き物ばかりですが――仕方ありません。付いて来なさい。」

 なんて高飛車な――。

 美しくはあるが不愉快な女は闇に戻って行った。

 三騎士は目を見合わせると、やれやれと首を振り、デミウルゴス様タイプだな、とよく分からないつぶやきを残し闇を潜った。

「…これを潜っていくと言うのですか…。」

 この先に突然竜がいたとしてもおかしくは無いような、そんな深い闇を感じる。

 ガタガタと震えている森妖精(エルフ)達が実に目障りだ。

「しゃ、わしらも行くかのう。」

 "竜狩り"も平気な様子で足を踏み入れて行く。

 今回の侵攻訓練はギブアップと言えばそこで手を止めて貰えるとも聞いたし、命の危機はない。

 しかし、何故だかエルヤーの背筋には危機を知らせるような――生き物としての本能のような物が這い上がっていた。




君、やめておいた方がいいね!(´∀`)

次回 #48 集う者達


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#48 集う者達

 楕円の闇が開く――。

 

 蒼の薔薇とブレイン・アングラウスもエ・ランテル闇の聖堂より、ナザリック地表部前に到着した。

 

「ここがナザリックなのか?陛下はどこだ?」

 イビルアイは早速神探しを始めた。

「…陛下がうろうろしている訳がないでしょ。ここからさらに転移するんじゃないかしら?」

 目の前には巨大な門と、その向こうには墳墓。

 落ち着き払った様子のブレインとは対照的に、蒼の薔薇一行は門の向こうの墓所を覗こうと首を伸ばした。

 すると、ガガーランが親指でビッと墳墓と反対側を指差した。

「いや、そうでもないみたいだぜ。見てみろよ。」

 壁のようなガガーランの向こうには先に来ていた者達がせっせとテントを張って荷物をしまって行く様が見て取れた。

 中にはアダマンタイト級冒険者チーム"朱の雫"、ラキュースの叔父もいる。

 ラキュースは視線で挨拶を交わしたようだった。

「じゃあやはりここか!ここが陛下の座すナザリックなのか!」

 イビルアイがクゥーー!と声を上げると、エ・ランテルから送ってくれた眼鏡をかけるメイドがコホン、と咳払いをした。

「皆様もご準備を。あちらがエ・ランテルよりいらして頂いた点検隊の皆様の場所でございます。」

 冒険者ではない者も居るため、ナザリックに入る者は点検隊と呼んでいるようだ。

「分かりました。侵攻時には荷物番を置いて行ったほうが良いですか?」

 ラキュースが手を挙げて質問すると、眼鏡のメイドは近くにいるミスリル級冒険者チームの証を首から下げる者へ視線を送った。

 ミスリル級の者も参加するのかと――見下しているわけでは無く、その身を案じてしまう。

 人の良さそうな青年を見ると、ブレインは「お」と声を上げた。

「ペテルじゃないか。お前も行くのか?」

「ブレインさん、お疲れ様です。私達に点検隊は無理ですよ。ここでエ・ランテル組の皆さんの荷物番です。」

「あぁ、そう言うことか。俺は荷物はないから先に墳墓を見てきても良いか?」

「まだ侵入はダメですから、周囲の確認に留めてくださいよ。」

「はいよ。任せとけ。」

 ペテルは冒険者組合が持っている育成会に足を運んでいるため、そこで師範を務めるブレインとは顔見知りだ。

 連れられて、ラナー・ティエール州知事の下に遊びに行く程仲が良い。

 会いに行く対象は当然州知事ではなく、その夫になったクライム・ティエールだ。

 ティエール家には冬に元気な女の子が生まれ、クラリスと神より名を賜っている。

 ペテルはしょっちゅう飲みに行く馴染みの師範を墳墓へ見送ると、青の薔薇に向き直った。

「えっと、こんにちは!蒼の薔薇の皆様ですね。お待ちしてました。私は冒険者チーム、"漆黒の剣"のリーダー、ペテル・モークです!皆さんが置いていかれる荷物はきちんとこちらで管理しておきますのでご安心ください。」

「モークさんですね。私は"蒼の薔薇"のリーダー、ラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです。よろしくお願いします!」

 二人は軽く握手を交わすとメイドに見送られ、指定の場所へ移動した。

 

「わぁ、みなさんが蒼の薔薇なんですね!すごいなぁ!」

 中性的な顔立ちの、肩口で栗色の髪を切りそろえた女性――と言うにはまだ若いような乙女は感激しましたと蒼の薔薇の一行を見た。

「一応うちの仲間をご紹介します。森司祭(ドルイド)のダイン、野伏(レンジャー)のルクルット、そして――ニニャ・ザ・術士(スペルキャスター)!」

 ペテルは最後にジャーンとでも言うように栗色の毛の乙女を指し示した。

「ほう。術士(スペルキャスター)のニニャとはエ・ランテルに住むようになってから聞く名だな。良いタレントだ。」

 イビルアイは少し興味を持った。

「あ、恥ずかしいな。はは。ペテルがあんまり言いふらすから…。」

 もじもじと顔を赤くするニニャは、やはりもじもじと顔を赤くするペテルをちらりと伺った。

「なんだ、チームの中で惚れた腫れたをしているのか。気を付けろ。何かあったら背中を任せ――」

 イビルアイが説教混じりのことを言い始めるとガガーランが大きすぎる咳払いをした。

「ッンッンン――まぁ、なんだ。あんたらになら、安心して荷物も任せられそうだ。よろしくな。」

「そうね。もし荷物番に疲れたら、うちのテントで休んで貰って構わないですからね。」

 ラキュースが微笑むと、ズザッとその前に一人が片膝をついた。

「美しい!!心まで美しい!!惚れました!!付き合って下さい!!」

 ルクルットからビッと伸ばされた手にラキュースは目を丸くした。

「え、え!わ、私ですか!!」

「…やめておけ。軟派タイプの奴はお前には似合わん。」

「ちょ、ちょっとイビルアイ。」

 好みではない為断るつもりではいるが、素直なイビルアイの物言いに、ラキュースは気を悪くさせたのではないかとチラリとルクルットを伺う。

 しかし、未だ瞳を輝かせるルクルットはまるで何の痛痒も感じていないようで苦笑した。

「ラキュースさん!どうですか!!」

「おい、そんな事より俺達はテント張ろうぜ。」

 ガガーランに至っては完全無視だ。

「そうしよう。」「皆さんよろしく。」

 双子が一時荷物置き場を作るために薄いマットを敷くと、イビルアイとガガーランは荷物を置きテントを張り始めた。

 

 丁寧に断っているラキュースを放置し、せっせとテントを張っていると、数歩隣のテントから森妖精(エルフ)達が顔を出した。

「ん?森妖精(エルフ)のチームとは珍し――」

 森妖精(エルフ)達は耳を半端に切り落とされていた。

 これは奴隷の証だ。まるで大切にされている様子はない。

 頭陀袋のようなものを着せられ、怯えるようにしている。

「胸糞悪いな。」

「全くだぜ。」

 イビルアイとガガーランが気分を悪くしていると、森妖精(エルフ)達が出てきたテントから、スラリと背の高い男が姿を現した。

「やることも無いですし、もう一度墳墓を――おや?」

 ガガーランは奴隷の持ち主と目があったことに気が付くと、心の中でゲッと声を上げた。

「蒼の薔薇…の方々ですか?」

「…あぁ。俺は蒼の薔薇のガガーランだ。よろしく。」

「私はイビルアイ。お前、奴隷とは言えあまり粗末に扱うなよ。」

「こんな耳長の劣等種族に情けをかけるなんて、流石アダマンタイト、ですね。私は"天武"がエルヤー・ウズルス。今後お会いするタイミングもあるでしょう。お見知り置きを。」

「…そうか。よろしく。」

 イビルアイは話したくもないとばかりに作業を続けた。

 

 そんなテントを睨む者が別の場所にも一人。

「はぁーむしゃくしゃするわー。」

「イミーナ、落ち着けって。」

「あいつが点検に入ったらテントに火でも着けてやろうかしら。」

「…んな事したら速攻で冒険者組合追い出されんだろ。」

 ヘッケラン率いる冒険者チーム"フォーサイト"は旧帝国にいた事があるとうっかり口を滑らせ、見事にバハルス州の者達の荷物番におさまった。

 アルシェとロバーデイクは"三騎士"と和やかな会話を繰り広げているがこちらの二人の空気は最悪だ。

 任された以上やり遂げると言っていたが、ヘッケランはやっぱり警護対象を変わって貰おうと決め、苛つくイミーナから離れて同僚に駆け寄る。

「すまない、ペテル。ちょっと相談したい事があるんだ。」

「ヘッケラン…どうかした?」

 同僚は妙に疲れた様子だった。

「…大丈夫か?なぁ、警護対象なんだが、うちじゃ"天武"を見てられなそうなんだよ。"竜狩り"と"三騎士"は良いんだけどさ。"蒼の薔薇"とアングラウスさんから変わってくれないか?」

「あー……それがうちもちょっと"天武"は…。」

 そう言わずに、とイミーナを指し示そうとすると、ニニャから"天武"へ放たれる激しい感情を感じ、ヘッケランは数度目を瞬いた。

 イミーナからは嫌悪が溢れているが――これは憎悪だ。

「――ニニャさんは森妖精(エルフ)奴隷反対派だったっけ?」

「そう言うわけじゃないんだけど、ちょっと色々あって…。」

 これはとても変わっては貰えないなとヘッケランは交代を諦めた。

 

「まずは付き合ってみてから考えては!!」

 突如響いた大声に、またか――と二人は見合わせていた顔を引攣らさる。

 周囲にいる点検隊や荷物番達も視線を注いでいる。

「…アレいいのか?」

「良くないからもう止めたんだけど…止まらない…。」

 ルクルットが声を投げかける先にいるのは"蒼の薔薇"。

 最高位冒険者に悪感情を抱かれるのは避けたいだろうなと心痛を察するが、当の"蒼の薔薇"は話し掛けられている本人以外はどうでもいいとばかりに墳墓の方を指差し何かを話している。

「…流石最高位冒険者。器量が違うみたいだな。」

「怒られるくらいが本当はちょうど良いと思うんだけど…。」

 ガクリと肩を落とすペテルに苦笑していると、次の闇が開いた。

旧竜王国(ブラックスケイル)からは名乗り出る者はいなかったんだよな。」

「らしいね。冒険者組合からの参加者も以上って聞いたし、最後は――神都組のはずだよ。」

 二人はごくりと唾を飲んだ。

 他の都市からは"朱の雫"や"クリスタルティア"、"銀糸鳥"や"漣八連"と言った錚々たるメンバーが揃っているし、既にかなりの豪華さだが――あそこから出てくるのは神々に見出された人類最強の集団。

 アダマンタイト冒険者達すら息を殺し、その者達の登場をじっと待つ。

 これまでやかましくしていたルクルットも流石に静まり返り、真面目な顔で闇を見つめている。

 

 すると、出てきたのは白金の全身鎧(フルプレート)――。

 これまでと違いメイドも無しに一人で出て来た。

「ん?戦士みたいだけど誰だ?」

「さぁ…?随分いい鎧だけど…。」

 戦士はすぐ様屈むと草を数本抜いてじっと見つめ、次は墳墓の方へ向かい、天を仰ぐ。

 まるで太陽の位置と自分の位置を確認しているかのような姿は――この場所の特定を行なっているようでもあった。

 そんな事が出来るはずもないのに。

 その後墳墓を一周するのか見えない場所へ消えて行った。

「変わった奴。」

 ヘッケランの呟きにペテルが頷いていると、更に闇が開き、ぴょいとメイドが出てくる。

 緑の変わった柄のマフラーをし、片方の目にはアイパッチ。

 翠玉(エメラルド)カラーの瞳で無感情にあたりを見渡すと、膝をついた。

「え!?待て、出てくるのは神々か!?」

 辺りにざわめきが広がる。神に創り出されしメイドが冒険者や聖典に膝をつくわけがない。

 踏み出してきたのは――漆黒の全身鎧(フルプレート)に身を包む偉丈夫。

「モ、モモンさん…。」

「あれが漆黒のモモンか……。」

 女神に拾われたこの世で最も幸運な孤児。

 その後に続くように続々と部隊が現れる。

 てんでバラバラの――しかし神話にでも出てくるのではないかと言うような装備に身を包む並外れた気配を放つ面々。

 "神を連れ帰った男"に引き連れられるローブに身を包む面々。

 陽に照らされた部分が紫に輝く深い黒の鎧に身を包む三人と、風変わりな少女。

 全員は揃うと慣れた足取りで並び、墳墓へ向かって深く頭を下げた。

 

「すげぇ…。」

 誰もが立ち竦み、神の肝いりの部隊を眺め放心した。




オールスター感謝祭!
次回 #49 出発準備


【挿絵表示】

今日読者の方とお絵描きチャットをしたのですが、shi-R様がエルヤー君を書いてくださいました!
背景に標準的アーウィンタールをジッキンゲンも一緒に描かせて頂きご満悦です!
その名も「帝国へようこそ!」です!うわぁい!


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#49 出発準備

「モモン。あなた少し頭を下げるのが遅いわよ。」

 番外席次の不愉快そうな声が響く。

「すみません。次は気をつけます。」

「フラミー様に可愛がられてるからって気を緩めない事ね。」

 モモンが吐き捨てられていると、ニグンは笑った。

「ははは。モモン殿は聖典に入っていませんからね。息を合わせるのも難しいことでしょう。それより、モモン殿は普段はこちらに?」

「そう…ですね。はい。普段は一応フラミーさ――まのお側で仕えています。」

「なるほど…羨ましい限りですなぁ。」

 全聖典も誠にその通りと頷いている。

 特にレイナースと番外席次はそれを聞きながら顔を寄せ合い、ヒソヒソと何かを噂している。

「護衛ならあんな雑魚そうな戦士より私の方がよっぽどお役に立てるのに。」

「身の回りのお世話なら男より私のが余程お役に立てるのに。」

 ねーと珍しく意気投合している二人にクレマンティーヌは呆れたような視線を送った。

「…息子同然の男に嫉妬してどーすんだか…。まー何でもいーけど…。ネイア、始まりまで後どのくらい?」

「えっと、後一時間ありません。」

「本気で攻め込めって言われてるし、確認にでも行くかねー。」

「お伴します!」

 二人は墳墓へ向かった。

 漆黒聖典や陽光聖典からも何人かが後を追って来る。

 墳墓の周りには、冒険者だかワーカーチームだか解らない者達が壁を覆う土に上がり、見える範囲の内部確認を、行なっていた。

 

「随分命知らずが集まってんねー。」

 クレマンティーヌの想像を大きく上回る参加者だ。

 二人は正面の門から墓所をうかがった。

「本当ですね。一番参加者が多いのはバハルス州だそうですよ。アーウィンタールから三組、他の小都市からアダマンタイト級冒険者チームが二組です。」

「ん?アーウィンタールから来てる三組はアダマンタイトじゃないわけ?」

「はい。ワーカーチームが二組と、エルニクス州知事から命じられた三騎士が来ているそうです。」

「はーん。ワーカーチームねぇ。元帝国は陛下方のお力を見たことが無い者が多すぎんだろうなー。」

 治めていたのが賢帝だったせいで、あの州で暮らす者は良くも悪くも一度も神々の力を見たことが無い。

「勘違い野郎がいないといいんだけどねー。」

 クレマンティーヌから漏れ出た深い溜息にネイアは本当ですねぇと軽く笑い声を上げ――、友人を見つけた。

「あ、イビルアイさん。それに蒼の薔薇の皆さん!」

 手を振ると蒼の薔薇の面々も手を振り返した。聖王国で共に過ごした貴重な日々がネイアの胸に広がる。

「イビルアイ…私はあいつ嫌ーい。」

「はは、皆さんそう言いますよ。ヴァイシオン評議員を連れて来たって。」

「それが普通の感覚。陛下方のご結婚式にも来てたけど、あいつ自分の立場解ってんのかねー。」

 クレマンティーヌが睨み付けると、蒼の薔薇は慌てたように頭を下げた。

 

「…まだ許されてない…。」

 あれから二年も経つと言うのにイビルアイは神の部隊に未だに嫌われている事に肩を落とした。

「だからよぉ、ツアー様の襲撃は結構根深いんだって。」

「でもツアーはあの黒竜から陛下の事を身を呈して守っていたじゃないか…。」

 誰もが見たはずなのだ。あの空に流れた映像を。

 その後ツアーの死を悼み、自らその手で復活させてくれた。

「それにこの会にも呼ばれているみたいだし…。」

 ふらふらと墳墓の影へ歩いて行ってしまったが、確かにあれはツアーだった。

「まぁな。でもお前もツアー様が陛下と二人になろうとしたらどうする。」

「止める。」

 即答だった。

「…そういう事だよ。お前の中でも根深いんじゃねぇか。対象がイビルアイにまで及んでるだけで皆気持ちは変わんないと思うぜ。」

 納得いきすぎる答えにイビルアイはダァー!と頭を掻きむしった。

 今回海上都市でも無礼を働いていたようだし、十三英雄の地に落ちた評判を取り戻すにはまだまだ掛かりそうだ。

 折角神御自ら直々に手元に置きたいと言って貰えたのだから、周りの者からの評価を上げる様に努めなければ。

 ――神が手元に置くといえば――。

「あ!そうだ!!それよりどうだ、アイツは!!」

 イビルアイはビシッとモモンを指差した。

「…情緒大丈夫か…。しかし、ありゃ確かに強そうだな。難度にしたら百三十ってところか。おい、ラキュース。お前はどう思う。」

 ルクルットを完全に蹴散らしたラキュースは少しだけ疲れたような顔をしていた。

「…そうね。あの身のこなし…、私は難度百四十と読んだわ…。」

「な、難度百四十…?そこまでの化け物戦士か。」

「…お前は難度百五十はあるだろ。そのお前に化け物呼ばわりはされたく無いんじゃねーか。」

 ガガーランはやれやれと空気を吐き出した後、「でも、それより…」と続ける。

「陽光聖典以外は初めて見たが、何ともすげぇ集団だな…。」

「本当ね。モモンが霞むようだわ…。」

 イビルアイも黙って頷き、モモンと話す漆黒聖典だと思われる者達を眺める。

 特に長い黒髪の美青年と、それが羽交い締めにする左右で瞳と髪色が違う乙女は、放つ気配一つで世界が歪んでしまうのではないかとすら思う。

 それ以外はガガーランでも何とかギリギリ渡り合えそうだが、この二名は別格だ。

 すると、一周し終えたのかツアーの鎧が墳墓の陰から現れ――モモン達へ向かって行く。

「…あいつ、聖典にちょっかい出したりしないよな…。」

 が、願い虚しくツアーが何かを言ったような雰囲気を出すと、途端にモモンに羽交い締めにされ引き摺られて行った。

「――………あああああ!!!」

 イビルアイはハゲそうだった。

 ハラハラと二つの鎧の様子を伺っていると、ツアーは顎に手を当て数度頷いた。

 モモンの疲れたという雰囲気がここまで伝わってくる。

「…ま、気長にイメージ回復するしかねぇな。」

 ガガーランが苦笑していると、不意にモモンがこちらを見た。

「お、おい来るぞ!モモンが来るぞ!」

「…イビルアイは怒られるかもな。」

「なんでだ!今回ツアーを呼んだのは私じゃないのに!」

 嫌だ嫌だと錯乱しかけていると、モモンは蒼の薔薇のそばにいた漆黒の剣の面々の前で立ち止まった。

 

「モモンさん!お久しぶりです!」

「ペテルさん、お久しぶりです。お元気そうで。」

 想像した事態に陥らなかったことに蒼の薔薇は安堵した。

 漆黒の剣と仲睦まじく話す様子をしばし眺め、ラキュースは一応同じアダマンタイト級冒険者だし、挨拶しておこうとモモンに話しかけた。

「モモンさん。私は蒼の薔薇の――」

「あ、どうも。アインドラ嬢。それにイビルアイにガガーランも。」

 まるで知り合いのような雰囲気で手を挙げられ、三人は目を見合わせ、すぐにどう言うことか察する。

 無礼な冒険者として名が通っているのかも知れないと。

 イビルアイは悲しげなため息を吐いた。

「…私達はそんなに有名か…会った事もないのに…。」

 あ、と鎧は口に手を当てた。

「あー…――神王陛下より、お噂はかねがね。」

「え?あ!そうか!!」

 イビルアイは土砂降りの中に放り出されたような気分だったが、途端に辺りは快晴の花畑だ。

「そうかそうか!陛下は、私の事をお話しになっただろう!」

「なりました。すごくたくさん聞きました。」

 微妙に棒読みな気がするが、喜びにジタバタするイビルアイの様子からラキュースとガガーランは帰ってきた時の会話を思い出す。

 

+

 

「それでな!!手元に置きたいなんて言って貰っちゃったんだよ!!」

 双子は冷たい視線を送っていた。

「良い夢を見せて貰えたようで何より。」「幻術使いのリトル様は最後にイビルアイに貢献した。」

「な!本当に言って頂いたんだ!この仮面もその為に直して下さったんだぞ!」

「なーイビルアイ。本当にそう言われてたとしてよぉ…。」

「な、なんだよ。」

「手元に置きたいって、お前が吸血鬼だから、人の血を吸わないように監視したいって意味じゃねぇの…。」

 イビルアイは脳天から雷が落ちてきたかと思った。

 一瞬で真っ白な灰になるとよたよたと数歩下がり、皆で買いに行ったお気に入りのソファに倒れた。

「…そ、そんな筈は…。」

「いや…だって、なぁ…?あんまりにも分不相応だろ…?」

 イビルアイの心にグサグサと大量の矢が突き刺さる。

「ッウゥ…。」

「そうよね。それに仮面を直すって事は少なくとも神の地ではなく人の世にいろって事でしょう…?」

「ッッッアアア!」

 一瞬雷撃(ライトニング)を食らったようにビビビッと体を震わせると、頭から湯気を出し始め、イビルアイはブツブツ陛下と言い続けるだけの生き物に成り下がった。

 

+

 

「なぁ、陛下は別に私を危険人物だなんて思っていないよな!?」

 モモンは己の蒐集物であるイビルアイに詰め寄られた。

「危険人物?あぁ。そう言うことか。少しも危険だなんて思ってませんよ。」

 リトルに情報を流すのなんのとエントマと揉めかけた事を気に病んでいるのだろうか。

 イビルアイは憑き物が落ちた様にイヤッホー!と拳を掲げた。

「じゃ、私はこれで。」

 当たり前のようにモモンとも知り合いだと思い込んでいたが、蒼の薔薇とはまだ未接触だったようだ。

 あまりここに長居しているとボロが出る。

 折角コキュートスやテスカ、一郎二郎兄弟に鍛えられた腕を確かめられる良い機会だと言うのにここでバレては最悪だ。

 腕試しの為、完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)ではなく魔法職のまま挑む。

 モモンはもう一度軽く漆黒の剣に手を挙げると颯爽とその場を後にし、ツアーの下に戻った。

 

 赤いマントのかかる背を見送ると、呆れたようにガガーランは口を開いた。

「…おい、イビルアイ。盛り上がってるところ悪りぃんだけどよ。」

「あ?なんだ!私はやはりいつか陛下にお迎え――」

「頂けるとはまだ限らないじゃないの。」

 ラキュースに遮られた言葉に何故!とイビルアイが視線で訴える。

 いつの間にか戻ってきた双子はイビルアイを見てやれやれと首を振った。

「甘い、イビルアイ。」「いつだって甘ちゃん。」

「っく!なんなんだ!お前ら!」

「…まだ気付いてねぇのかよ…。危険人物じゃないだけで、仮面を直して頂いた真意は聞けてないだろ…。」

「ねぇ、考えてみたら…手元に置きたいって…闇の力の下に、つまり貴女の今の体のままで人の世界に――闇を抱いてなお光の中で生きろって言う陛下のいつもの教えなんじゃないの。」

 イビルアイは愕然とし、二人を見つめる。

 当然仮面をかぶっているが、その下の表情は丸わかりだ。

 流石神官の端くれと双子がまた一つ神の教えを見抜いたラキュースに喝采を送る。

「おいおい、お前ちょっと神様に期待しすぎなんじゃねぇのか。」

 ガガーランが墳墓へ視線を送り、釣られるように墳墓を眺めた。

「うわあああああああ!」

 イビルアイの怒鳴り声にも似た絶叫に、蒼の薔薇の面々は笑い声をあげ、モモンはツアーのそばでびくりと背を震わせた。




流石深読み冒険者達…!!
片想いに戻っちゃったね。

次回 #50 よーい、どん!


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#50 よーい、どん!

 墳墓前では冒険者の組、聖典の組、その他と徐々に塊が出来始めた。

「君はどうするんだい?アイン――。」

「だから!!――モモンさんだって言ってるだろ…?ツアーさん。」

 モモンさんはツアーさんの胸ぐらに掴みかかっていた。

「…君が何をしたいのか僕にはわからないよ。モモン…。」

「侵攻訓練だと言っているだろう。どれだけ弱いように見えても、スキルの扱い方によっては強敵になり得るんだ。リトルにはなんだかんだと肝を冷やされたからな。百レベルに行かなくても持ちうる力の扱い方によっては十分強敵になると痛感した。あらゆる力を持つものにきちんと対応できる、コストを抑えた防衛プランが必要だ。今回の物がうまくいけば、常時それを適用する。――ただ、幻術使いがいないと言うのが残念だな。」

 ギルド拠点は金貨によって維持されている。

 防衛にコストを割きすぎて金貨が無くなるようなことがあってはナザリックが崩壊してしまうが、かと言って手薄なのも問題だ。

 コストパフォーマンスと防衛両方のいい所取りを狙いたい。

 

「そうかい。でも僕が聞きたいのはそっちじゃなくて、姿と名前のことなんだけど。」

「…この姿は趣味みたいなものだ。」

「君は変わっているね。」

「同じ鎧姿でうろついているお前にだけは言われたくない。」

 探知阻害の指輪も口唇蟲も着けていると言うのに何故分かるんだとモモンは忌々しげにツアーを見た。

 しかし、考えてみれば守護者達にも必ずバレるし一定以上のレベルの者には探知阻害は効かないのだろうか。

 いや、それにしては番外席次や漆黒聖典隊長が気付かないのがおかしい。

 一レベルのメイドが気付けるのも謎だ。

 やはり竜の直感(ドラゴンセンス)と――ナザリックセンスなのだろうか。

 そんなものがあれば、だが。

「――所で、なんでお前は草なんか持ってるんだ?」

「これかい?これはここに自生していた植物だよ。ここが何処なのか調べていたんだ。」

 ツアーはまるで映画のスターが煙草の吸殻を放る様にポイと草を手放した。

「それで、解ったのか。」

「大まかな場所はね。見つけるためには一日空を飛ぶ必要がありそうだ。」

「ふ。普段は幻術を張って居るから、ナザリックは見えんぞ。」

「それは残念だ。次は竜の身で防衛点検に付き合うよ。」

「そうだな。お前に見つけられるようなら、外部の防衛も考え直さなければ。」

 二人は冗談と皮肉の中間の笑い声を上げた。

 すると、二人の下には集団が向かってきた。

 痩せ型の老人とその仲間のような者達、支配者のお茶会にラナーの護衛として訪れた刀を佩いだ剣士ブレイン・アングラウス、旧帝国に足を運んだ時に一緒に街を回ったバジウッド・ペシュメル、エ・ランテルにフールーダを連れてきたニンブル・アーク・デイル・アノック、大きな盾を二つ持った無口そうな男。

 冒険者でも聖典でもない者達だ。

 蒼の薔薇との反省を生かし記憶をしっかり呼び起こしてから、モモン姿で会ったことがあるバジウッドとだけ手を挙げ合い挨拶をする。

 口を開いたのは老人だった。

「わしはパルパトラと言うんしゃか、おぬしら、良かったら一緒にとうしゃ?一人や二人て乗り込んても碌な所まてはいけんしゃろ?」

 モモンはツアーに軽く視線を投げると、好きにしろとばかりに顎をしゃくられる。

「ありがとうございます。折角なのでご一緒させて頂きます。私は――」

「漆黒のモモン。建前は冒険者の、その実中身は聖典寄りの存在しゃろ。とちらにも付けない心情はよくわかる。ひゃひゃひゃ!」

「……お分りいただけて何よりです。こっちはツアーさんです。」

「よろしく。今回僕は誰かを守る予定はないとだけ言っておくよ。」

 圧倒的な高みから見下ろすような態度だが、不思議な事に嫌味さは感じない。

 超越した力を身に纏うような雰囲気が不快感を懐く隙も与えなかったのだ。

 モモンは竜王達特有の順列(・・)を思わせる物言いだと言うのにこの竜王の言葉は他の者とは違う気がした。

 イビルアイやリトル程度のレベルの者と旅をして来た故なのだろうか。

 ツアーは七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)を人間と交わった変わり者だと言っていたが、ツアーも竜以外にある程度の敬意を払っている分、竜王の中では変わった存在だと思う。

「おぬしの名は聞いた事かないのう。しかし、解るそ。只者しゃあるまいな、その身のこなし。」

「僕はこの世界で(・・・・・)上から数えた方が早い。そういう存在だよ。」

「この世界…?剣の世界という事かの?」

 モモンはこの世界最強の竜が自分を一番と言わないことに不安感を抱く。

「おい、お前は自分が一番だと言い切ってくれなきゃ困る。」

「僕は父より強かった事は無いからね。」

 いつか竜帝なる常闇を超える存在と合間見える時が来るかと思うとモモンは途端に気が重くなった。

 戦うとは限らないが、フラミーの顔を見たくなる。

 家の玄関で嫁に会いたいなどと馬鹿げているだろうか――。

 

「――面白い話ですね。私もこのチームに参加させて頂いても?」

 さらに現れた蛇のような男はモモンとツアーをジロジロと眺めていた。

 パルパトラはモモンに許可を求めるような、代わりに応えてくれとでも言うような微妙な顔をした。

「御老公。私達はどちらでも構いません。」

「…いいしゃろう。ては、共に行こう。」

「どうも。私はエルヤー・ウズルス。神に拾われた漆黒のモモンと、それが一番と認める男なんて、興味深いですね。」

 何も応えないツアーはエルヤーの向こうに視線を送ったようだった。

 モモンもそちらを見れば、耳を切られた森妖精(エルフ)が三人肩を寄せ合っていた。

「私はモモン、こっちはツアーさんです。――後ろの者達は奴隷ですか?」

「そうです。一応神官(プリースト)野伏(レンジャー)森司祭(ドルイド)なので多少は役に立ちますよ。回復が必要になったら使って下さい。」

「なるほど。ありがとうございます。」

 アインズはきちんと手に職を持つ奴隷を持つ相手ではスケルトン奴隷を売り込むことは出来ないな、と歪んだことを考えた。

 

+

 

「じゃあ、そろそろ入ってもらいます?」

 第六階層の湖畔で、フラミーは複数枚の遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を前に、隣に座るアルベドへ顔を向けた。

 玉座の間ならもっと簡単に全ての確認が出来るが、今日は外出したい気持ちが爆発寸前なのでこんな所に腰を下ろしている。

 侵攻訓練の侵攻組に参加したかったが却下された為だ。

「準備は既に万全でございます。きっとアインズ様にもフラミー様にもご納得頂けますわ。」

 微笑みながら手を重ねられると、金色の瞳の中に恋する者を映すような色があり、フラミーはムズムズした。

「そ、そうですか。」

 女性にこういう瞳を向けられるのはここに来てからの経験だし、ふとしたタイミングで本当にこの悪魔がサキュバスなのだと思い知る。

 フラミーがドギマギしている事に気が付いた――アルベドと反対側に座るデミウルゴスが大袈裟な咳払いをする。

「点検者達は聖典の一部とツアー、アインズ様を除いて脆弱ではありますが、多くの機能の確認が可能かと思います。ご期待ください。」

 フラミーはアルベドからパッと視線を離した。

 三人で身を寄せ合って湖畔に座る姿はさながらピクニックのようだ。

 男性使用人が絨毯とクッションを出してくれているので快適かつ優雅だった。

「全部チェック出来ると良いですね!」

「はい。これだけいれば罠を解除できる者も一人くらいいるかもしれません。そうなれば罠に掛けた罠まで確認できます。」

 悪魔の口元には若干の邪悪さが滲み出ている。

「あ、費用発生系の罠は極力絞った作りですよね?」

「もちろんでございます。アインズ様よりこれから毎日の事になると、コストパフォーマンスには最大限注意を払うように仰せつかっております。しかし、それでありながら百レベルとも十分に渡り合えるように工夫いたしました。」

 フラミーはよくわからないが、この鏡の中に写っている物が知恵者達が出した最適解なのだろう。

「それでは、地上の戦闘メイド(プレアデス)に連絡し、始めさせていただきます!」

 アルベドが宣言し、伝言(メッセージ)を送り始める。

 仕事モードになると途端に格好良くなってしまうのだからズルイ。

 女でも見惚れる美をボーッと眺め、アインズの執務は本当に誘惑に誘惑の連続だなぁと考える。

 

 アルベドが伝言(メッセージ)を切ると、地上ではルール説明が始まったようだった。

 ルールは簡単だ。

 ナザリックの物を持ち出さない。死んでしまうと思ったら、地表部前へ転移する帰還書で外に帰る。万一死んだら生き返らせる為蘇生の拒否をしない。拒否した場合はそれまで。

 それだけだ。あとは本気で挑むだけでいい。

 それにやる気が続くなら何度でも墳墓へ戻ることも許されている。

 フラミーはどんな罠が待っているのかと、ほんの少しだけワクワクした。

 今回復活は御方々の手を煩わせることはないとペストーニャが行うそうだし、このショーを楽しむだけでいい。

 気楽なものだった。

 

 守護者二名と交互に視線を交わすと、フラミーは大きく息を吸った。

「よーい、どん!」




モモンさん…!ツアーさん…!

次回 #51 第一階層 アンデッド


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#51 第一階層 アンデッド

 イビルアイは墳墓を降り始め、妙な悪寒に襲われ続けていた。

 神々の統べる地の防衛点検――それも難度八十から百と鍔迫り合いが出来る者のみを集めた史上最も派手な依頼が、やはりまともな訳がないと言うことか。

 双子を含めた各アダマンタイト級から来ている探知能力に優れた者達が前を行き罠の確認を続ける。

 ――だと言うのに、後に続いている聖典達も当然のように更なる罠の確認をしている。

 

「…すごい光景ね。」

 ラキュースの呟きに頷く。

「今ここにはこの世で一番力が集まっていると言っても過言ではないだろう。気を緩めるな。死なないように注意して下さるとは言っているが、この死の匂い…。死なない方が不思議だ。」

 聖典達が確認に次ぐ確認を行うのも当然だ。

 冒険者を信じているとか信じていないとかそう言う次元の話ではない。

 あまりにもここには死の匂いが漂いすぎている。死の神がいるのだから当たり前と言えば当たり前だが。

 空気が重い。

 辺りにいる者達も空気の重さを感じているようで、皆の呼吸が浅くなっている。

 冥府へ繋がる階段を降りている自覚がどんどん広がっていく。

 

 すると茶化したような、ガガーランの声が響いた。

「しかしイビルアイ。無いとは思うがもしお迎えに来て頂いたらお前はここに暮らすんだろ?せっかくの物件の内見なんだ。隅々までよく見ていけよ。」

 仮面で顔は見えないが、意図的に不敵な笑みを作る。

「そうだな。せっかくだからどこに自室を頂くか吟味させて貰おう。」

 辺りに笑い声が上がる。

 こう言う時には飲まれた者から死んでいくのだ。既に生きて出られると思っている冒険者は皆無。

 全員が感情をコントロールし如何に生き延びるか考え始めた。

 笑いは人を支える。ガガーランは良い女だった。

 ただ、聖典の視線が物理的な力を持って背中に刺さってくる気がするのだけが問題だ――。

 

「冒険者風情が陛下の下に侍るつもり?馬の骨よりも価値のない生き物がよく言うわね。あなた達どうせ直ぐに死ぬでしょ。」

 極寒の台詞に冒険者達は振り返った。白黒女だ。

「――この世のあらゆる者がそれを望んでいるわ。私も頂けるなら陛下のお子を頂きたいもの。」

「そうか。私はお子は――」持てない。既に死した身だ。「とかそう言うことは考えたことは無い。しかし夢を見ることは自由だろう。私はいつか陛下に望んで頂くさ。」

「ふん。何百年かかるかしらね。」

「何百年だって待つさ。」

「そう。死した後に死の騎士(デスナイト)として侍るくらいはできるかもしれないわね。復活を拒否したら昇華させて頂けるわよ。」

 まるで世界の闇を捉え続けたような瞳に、イビルアイは僅かに震えた。

「番外、やめーや。蒼薔薇に絡んだところで何のメリットもねーだろ。それより占星千里より前に出るな。」

 猫のような女と長髪の青年が番外を少し後ろで手招いている。

「ッチ。ここにはまだ何もないって言うのに、弱い者の下に着くのも骨が折れるわね。じゃ、精々生き残る事ね。」

「そうさせて貰うよ。陛下のお顔を拝見するためにもな。」

 歩くスピードを落として聖典の中に消えていく。

 嫌な女だと思ったが――冒険者達の闘志はうなぎ登りだ。

 生き延びる為の消極的な雰囲気から、張り合うような、自分の価値をここで見出そうと言うような侵攻に変わっている。

 神が待つと言う最奥を目指してやると言う地表部の空気にすっかり戻っていた。

 面白い。イビルアイは叱られている様子の女に僅かな感謝を乗せた笑みを送った。

 

「あんたって奴はなんですぐに絡むんかねー。」

「うるさいわ。弱いくせに神の御所に住むなんて言うから注意してやったまでよ。スケルトンの餌にしなかっただけ感謝してほしいわね。」

 クレマンティーヌはやれやれと溜息をついた。

「…スケルトンは餌食わねーだろ。」

 

 それと同時に溜息をつく者が一人。

「番外席次……。」

「あれは盟約の子供か。教育は終わったのかな。」

 モモンは頷いた。

「……あぁ。その通りだ。どうだ。」

 もっとちゃんとやれと言われる気がする。

 モモンはツアーの説教が始まる気配に面倒くさいと二度目の溜息をついた。

 しかし、ツアーの反応はモモンの想像とは違った。

「良いんじゃないかな。」

「何?良いのか?」

「良いんじゃないか?モモンは満足していないのかい。」

「あ、いや。伸び代がまだあるかなと思っていただけだ。一先ずこれで教育は終わっている。」

 そうかそうかと頷く竜王は満足そうだった。

(何がこいつの琴線に触れるのかよくわからんな…。)

 隣を歩くエルヤーは唸るモモンをジッと見た。

「モモン殿はツアー殿との付き合いは長いんですか?」

「ん?あぁ、そうですね。この中では一番長いかもしれません。」

 約束の地で会って以来かと思うと、ツアーとの付き合いは転移二週間程度から始まっている。そう思うと――

「生まれた時から一緒のようなものか…。」

 これがこの世界の幼馴染。モモンは苦笑した。

「…ほう。一層楽しみですね。」

 ウズルスが不敵な笑みを浮かべ自分のチームの中に戻っていく背を見ながら、ツアーは偽りの匂いがしない「生まれた時から一緒」と言う言葉に記憶を刺激される。

 これまですっかり忘れていたと言うのに、力を奪われた日に起きながらに見た不思議な夢をふと思い出したのだ。

 まだ生まれたばかりの様な若く幼い自分に、何の力も持たない人間の子供が名乗るのだ。

 そして、いつか立派な竜王(ドラゴン)になると告げると人間は笑う。

 まるで、全ての竜王が力を失う事を知っているかの様に。

 確か名前は――――いや、思い出せない。

 この存在は時すら操る。

 本当に生まれた時から見られていたのだろうか。

 点在的に未来と過去を覗けるのだろうか。

 だから、初めて会った時に、今と同じ様にツアーと呼びかけてきたとでも言うのか。

 

 ツアーはまるで迷宮に放り出されたような気持ちになった。

「…アインズ。君は何者なんだ…。」

 アインズは小さく、「…モモンさん。」と不愉快そうに答えただけだった。

「そうじゃな――いや、始まるね。」

 思い出した夢と不思議な確信はバラバラに散り、消えた。

 ツアーはつい今さっきまで思い出していた全てが消失するのと同時に腰の剣を引き抜いた。

 殿(しんがり)だというのに誰よりも早い反応を示す。

 まだ事態を飲み込めていないが、ツアーの様子を見た聖典達も武器に手を掛け始めた。

「お前、中々やるな。もしかしてお前一人で十分だったか?」

「僕一人じゃあらゆる力とは言えないね。」

「それもそうだ。」

 ――ここに出てくるのはスケルトンの筈。

 モモンは余裕を持って背の剣に触れた。

 

+

 

「おい!危ない!!」

 イビルアイは"その他チーム"の森妖精(エルフ)に向けて水晶の散弾を飛ばした。

 それまですぐ後ろには聖典達がいたが、冒険者達を追い抜いてさっさと行ってしまったため運良く目に入った。

 森妖精(エルフ)は悲鳴とともに転び、その上に魔法の装備に身を包んだ高位のスケルトンがガタリと倒れた。そして黒い靄になって消える。

「ツアー!守ってやれよ!!」

 余裕を持ってアンデッドを駆逐する友人に思わず叫んだ。

 しかし、イビルアイの熱量とは裏腹に、鎧からは実に涼しい声が返った。

「ん?僕は今回誰も守るつもりはないよ。」

 内心で舌打ちする。死んでも復活させてもらえる約束だが、この森妖精(エルフ)達は恐らく復活を拒否するだろう。待つのは本当の死だ。

 その傍で"竜狩り"も半数が死に既に瓦解している。

「おう、ラキュー!切りがない!ここで立ち往生は避けたいから先に行くからな!!」

 朱の雫――アズス・アインドラから声がかかる。見ればアダマンタイトチーム達はどれももう行きたそうにうずうずしていた。

 次から次へと出てくる高位のアンデッドを着実に葬りながらこちらを伺っている。

「伯父さん、行ってください!」

 一行はラキュースと手を振り合うと通路に広がる深い闇に向かい、同時に剣戟音も遠のいて行った。

「あなた達大丈夫?もう出た方が良いわ。あなた達には着いて来られない。」

 パルパトラも頷き、三人に手を伸ばす。

「わしらはもう出る。おぬしらも一緒に出るとええしゃろう。」

「――私の持ち物を守っていただいた事には感謝しますが、あまり甘やかさないでくださいね。」

 これまでブレインと背を預けあい戦っていたエルヤーから放たれる不愉快な言葉に場の温度が下がる。

「俺たちももう行こうぜ。」

 ガガーランは一刻も早くエルヤーから離れたいような雰囲気だったが、あまり力が分散しては危険だ。

 イビルアイは不愉快だとしても残ってしまった以上奥まで進むならこのチームと別れないのが正解だと思う。

「いや、ツアーと行こう。私達だけじゃ次の階層に辿り着けるかもわからない。」

「ツアー様と一緒なら多分良いところまでいける。」「追加報酬も期待できる。」

 双子もアンデッドを始末すると黒い靄の中で立ち上がった。

 ツアーとモモンの手によってあちらこちらで黒い靄が上がる中、ラキュースも同意とばかりに頷いた。

「皆さん、次の手合いが現れる前に進みましょう。」

 しかし、同意の声が上がる前にゆらりとラキュースの背後に影が立った。

「ラキュース!あぶねぇ!!」

 ガガーランが刺突戦鎚(ウォーピック)を振るうと、それは漆黒の巨大な剣によって止められた。

 ガギンッと金属同士がけたたましい音を立てる。ガガーランの手にはじぃん…と鈍い痛みが走った。

「何すんだ、モモン!」

 これだけの力が加われば、剣は欠けたり折れたりするはずだと言うのに、モモンのグレートソードは刃こぼれ一つしていなかった。

 モモンはラキュースの肩を片手で抱えると凄まじい力で刺突戦鎚(ウォーピック)を払い退け、新手を蹴り飛ばした。

「落ち着いてください。あいつは、疫病爆撃手(ブレイグボンバー)。倒せば爆発します。」

 片手に持っている剣を投擲すると、蹴った疫病爆撃手(ブレイグボンバー)に突き刺さり、ブクブクと体を膨らませ爆発した。

 激しい爆発に森妖精(エルフ)が尻もちをつく。

 しかし、壁や床はまるで傷付く様子はなかった。

「あ、ありがとうございます…。モモン……様…。」

 ラキュースの瞳に映る色にイビルアイは不愉快だったエルヤーの事も忘れニヤリと笑った。

「じゃあ行くか。モモンと(・・・・)ツアーと一緒にな。」

 

+

 

「だっていうのに……結局はぐれてるじゃないかよーー!!!」

 イビルアイの絶叫が響いた。

 蒼の薔薇、ブレイン、三騎士は大量に湧いた死の大魔法使い(エルダーリッチ)から走って逃げていた。

 金属鎧からけたたましい音が上がる。

「モモン様ともう少し一緒にいたかったぁー!」

 こんな状況だと言うのにラキュースには緊張感があまりない。

 ツアーとモモンは本当に誰も守る気が無いようで二人で涼しい顔をしながら狩り、どんどん先に進んで行ってしまった。

 同じく誰も守る気のないエルヤーもうまいことそれに付いていき、見事にパーティーは分裂だ。

 最初にいなくなったパルパトラは人をまとめる力はある程度あったのだろうとその才に拍手を送りたい気分になる。

「とにかくどこかの部屋に入るぞ!一度にアレだけの相手は無理だ!」

 ガガーランが叫ぶと、全員が通路の脇にある扉に次々手をかけるが、どれも鍵がかかっていて開かない。

「イビルアイ!飛んでお前の暮らす部屋を決めてこい!!」

 イビルアイは即座に頷きドアの開く部屋を探し始める。

 すると、三騎士の不動・ナザミが無言で死の大魔法使い(エルダーリッチ)の行く手を塞いだ。

「あ、おい!ナザミお前死ぬぞ!!」

「バジウッド、今は任せるしかないでしょう!」

「…俺もここで足止めするからニンブルは蒼の薔薇と行け!少しは功績残さねぇとまた陛下の頭がさみしくなる!」

「だから陛下呼びはまずいですって!」

「今はそんなこと良いから!!」

 ニンブルは迷ったようだが蒼の薔薇とブレインに必死に追いつき、「見つかったぞ!」と叫ぶイビルアイが示す部屋に駆け込んだ。

 

「はぁ、どうする!アレだけの量の死の大魔法使い(エルダーリッチ)を出されては戦闘どころじゃない!」

 イビルアイは飛んでいたから良いが、全員がぜいぜいと息を切らしている。

「扉から少しづつ迎え入れて叩けば数は減らせるはずだ!」

「そ、それで進めると良いんだけど…。」

 全員が息を整えるようにフーー…と深く空気を吐くと、床に光の紋章が浮かび上がる。

「ま、待て!これは――転移の――――!!」




次回 #52 第二階層 黒棺
当たり前なんだなぁ!


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#52 第二階層 黒棺

 ――強い浮遊感。

 面々の視界は真っ黒に染まっていた。

 ズブズブと身が闇に沈んでいく感覚に襲われる。

 イビルアイは飲み込まれまいと急いで浮かび上がった。

「お、おい!誰かいるか!!」

「いるわ!イビルアイ!」「いるぞ!明かりをくれ!」「いる。」「やばい。」

 どうやら全員で飛んできているようで、次々に返事が返ってくる。

「溺れるなよ!今明かりをつけてやる。<永続光(コンティニュアルライト)>!」

 漆黒の空間に光が灯る。そして辺りにはそれを照り返すつるりとした輝き。

 沼かと思ったが、タイル張りの部屋のよう――だが、違う。

 ブレインの落ち着いた声が響いた。

「あぁあ。ゴキブリじゃねーか。」

 脳が理解することを拒絶していたというのに――無理やり現実を認識させられた瞬間、女子の悲鳴が上がった。

 浮いているイビルアイですら辺りを見渡し叫んだ。

 沼だと思ったのは大量のゴキブリ。

 耳をすましてみればカサカサカサカサと虫達が鳴らす特有の音と、パキッパキッと誰かの足元から硬質な物を踏み潰す高音が鳴り続けている。

 

「が、ガガーラン!!肩車!!」「ひいい!腹を這ってる!!」

 双子は露出が多いため背筋を震わせながら、ガガーランと言う名の巨木に登った。

「わ、私も!!私も!!イビルアイ!引き上げてぇ!」

 ラキュースのヘルプコールが響くが構っていられない。

「今すぐ出口を探すから自分でなんとかしろ!<蟲殺し(ヴァーミンペイン)>!!」

 イビルアイが両手を正面に掲げると、そこからは白い靄が大量に噴き出した。

 放出された靄に触れたゴキブリは途端に絶命し――天井や壁から大量のゴキブリがバラバラと降り注ぐ。

 ゴキ沼の深さが増していく。

「いやーーー!!」

「生きてる奴らに触れるよりマシだろう!!」

 ニンブルは降り注ぐゴキブリの中絶句していたが、近くにいたラキュースに向かって死した黒い海をザラザラとかき分けながら歩き出す。

「アインドラさん、とにかくこちらへ!」

 ニンブルは何とか縮こまるラキュースを正面から抱っこするように抱きかかえると、何でもなさそうにゴキブリを搔きわけて出口を探すブレインのそばに寄った。

「アングラウスさん、どうですか?っうわ…。」

 ポツポツといつまでも死したゴキブリが降り注ぐ。

「あそこだ。あそこのゴキブリの――」

 ぎょぎぶり!!とラキュースが言葉を反芻し、コアラのようにニンブルの腹に縋ると、ニンブルはこの娘を拾った事を少し後悔した。

「……んん、あそこのゴキブリの山の向こうにどうやらドアらしい物がある。見えるか?」

 ゴキブリの雨の中二人で希望へ向けて視線を送る。

「…あれですね。見えました。行きましょう。」

 

「――それは我輩が困りますな。」

 突如知らない者の声が響く。

「ふ、今度はどんな化け物かな!」

 ブレインは何だかんだ楽しんでいる。

 もこもこと黒い山が蠢くと、下からゴキブリが跳ね除けられ始め、下の方で生きていたらしいゴキブリ達が、何者かに道を譲るかのように飛び立った。

「キャーー!!あなた騎士ならゴキブリくらいなんとかしてー!!」

「…そう言われましても…。」

 ニンブルはこんな地獄のような場所に送られるくらいなら死の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦えばよかったと思う。

 元同僚のレイナースはどこまで行っただろうか。

 ――聖典達がここに降って湧いてこない以上良いところまで行っているかもしれない。

 ニンブルがいいなぁと現実逃避を始めていると、ゴキブリの飛翔は止まり、ポコン!と三十センチ程度の者が現れた。

 二足歩行のゴキブリだ。

 

「我輩はこの地をアインズ様より賜り守護する者。名を恐怖公。どうぞお見知り置きを。」

 恐怖公はまるで貴族がそうするかのように丁寧に頭を下げた。

 名乗ってくる以上これまでのアンデッドとは違い正々堂々と戦うタイプだろう。

 ブレインは胸を高鳴らせながら刀を抜いた。

 ニンブルも剣を抜くと、ブレインはそれを手で押し留めた。

「俺はブレイン・アングラウス。あんた、俺と一対一で戦わないかい。」

「ふふ。良いですが、その前に、我が眷属達に少し味見させてはいただけないですかな。」

「…これだけ小さな生き物相手にゃ刀は振れねぇ。最初からあんたとのやり合いを俺は望みたいところだ。」

 どう言う体の作りかは謎だが、恐怖公は顔を左右に振った。

「アングラウス殿。我が眷属は共食いに飽き飽きしておりましてね。今は腹を空かせておりますから、眷属達の食事を止める気はないので、あなたと一騎打ちとは行きません。」

「味見――そのままの意味か!?」

 その言葉の意味が脳髄に染み込むと同時に、ザワザワと黒い津波が起こる。

「さぁ!我が領域を越えられる者はおりますかな!<眷属召喚>!!」

 黒い濁流が津波のように押し寄せると、点検者達の全身にはチクチクと痛みが走り出した。

「アングラウス!!激風アノック!!やるぞ!!」

 それはイビルアイの声だった。

「…貴女様は些か危険ですな。来なさい!シルバーゴーレム・コックローチ!!」

 恐怖公が小さな足をピコリと挙げると、ゴキブリの中から更にゴキブリが――体長百センチ以上の光り輝く銀色のゴキブリが現れた。

「さぁ!始めましょうぞ!!」

「<重力反転(リヴァースグラビティー)>!!」

 開戦一発目のイビルアイの魔法はまるで部屋を真っ逆さまにしたかのようにザラリとシルバーゴーレム・コックローチ以外の全てのものを天井に押し上げた。

 天井のゴキブリにドサドサと仲間達が落ちて(・・・)いく。

  天井でゴキブリの上に立ったブレインとニンブルは恐怖公に斬りかかった。

 イビルアイは仲間達が出口に向かって必死に天井のゴキブリの上を這うのを見送る。

「<水晶騎士槍(クリスタルランス)>!!」

 扉をあけてやろうと輝く槍を放つが、魔法はまるで初めから存在しなかったかのように扉直前で消失した。

「ッチ!お前達、自力で開けろ!!」

「任せろ!!」

 ガガーランの肩車に双子達が乗り、扉を開く。

 イビルアイはニヤリと笑った。――瞬間、目の前を銀色の閃光が走る。銀色のゴキブリの頭突きだ。

 

 間に合わない。

 

 イビルアイは本能で回避不可能と悟ると防御魔法を発動させた。

「<損傷移行(トランスロケーション・ダメージ)>!!」

 ガツンッという激しい衝撃とともに目の前が真っ白に染まる。

 ゴキブリのいなくなった壁に思い切り叩き付けられかけると飛行(フライ )でキキッと空中に急停止した。

 肉体ダメージを魔力によって肩代わりする魔法を使っていなければ今の一撃で瀕死だっただろう。

「…強い…!!」

「イビルアイ!!」

 部屋の外から蒼の薔薇の全員が手招いていた。

 そしてそれを見た恐怖公と戦う二人が一瞬振り返る。

「行け!!俺たちはここで恐怖公さんと戦う!!」

「行って下さい!!」

 イビルアイは悩んだが、恐怖公とかなり良い勝負を繰り広げる男子を見捨て、仲間の元へ飛ぶ。

「すまん!!埋め合わせは必ず!!」

 銀色のゴキブリが行かせまいとイビルアイに向かう。

「っち!!<魔法抵抗突破最強化(ペネトレイトマキシマイズマジック)>・<水晶の短剣(クリスタルダガー)>!!」

 通常よりも巨大にした水晶の短剣を思い切り射出する。

 ただ、目の前の銀色の存在にはどこに打ち込んでも止まるとは思えない。

 ――故に、対象は恐怖公。

 イビルアイに向かって高速で近付いて来ていた銀色の存在は恐怖公を守るように短剣を止めに飛び立った。

 イビルアイはその瞬間を見逃さずに部屋の外に飛び出し、バンっと扉を閉めた。

 部屋の中では重力がひっくり返っていたが、外は正しい重力が待っている。

 一瞬だけ目が回るような感覚に襲われるが、蒼の薔薇は一目散に駆け出した。

 

 薄暗く、青白い氷に覆われた廊下を進む。

 あの銀色の存在もいては残った二人は勝てない。

 今頃きっと彼らは帰還書を燃やしているか――恐怖公の眷属の味見(・・)に付き合わされている頃だろう。

 共に走る双子の腹は血まみれだった。

「おい!大丈夫かティア、ティナ!」

 一番露出が多かった二人はたっぷり食い付かれていた。

「…汚されちゃった…。」「もうお嫁にいけない…。」

 双子は軽くふざけていた。

 しかし、それどころではない。

 イビルアイ以外の全員がガチガチと歯を鳴らし、唇を青くしていた。

「生身にここは寒すぎる…!兎に角出口だ!」

「どこかで暖を取った方がいいんじゃない!?」

「いや!下手に部屋に入ったら恐怖公さんの親戚がいるかも知れねぇ!」

 ラキュースはそれの方が怖いとブルリと背を震わせた。

 バタバタと駆け抜けて行くと、バンっと突然扉が開いた。

「あらぁ?やだぁ!煩いと思ったらぁ!今回は出番は無いって聞いてたけど、来てくれたのぉん?」

 その者の見た目はまるでリトルの溺死体だった。

 ぶよぶよと膨れ上がった体と頭部を持ち、ボンテージファッションに身を包んでいた。

 

 今にも悪臭が漂って来そうだが――その体からは優しく甘いフローラルな香りが漂っていた。

 

「…こいつなら勝てる。」

「こわいわねぇん。」

 ウフフッと可愛らしく笑うと、水死体はパンパンっと両手を叩いた。

 それに呼ばれ、開いている扉から続々とエプロンを掛けた悪魔のような者達が出て来る。

 そして天井や壁、方々から異形が滲み出て来はじめ――ガガーランが叫んだ。

「無理だ!!イビルアイ!!」

「いや、相手の難度は大した――」事はないと言おうとしたが、仲間達の鎧は凍りつき、武器を持つその手すらビキビキと凍りつき始めていた。

「ッチ!!ここまでか…!!」

「お前だけでも進め!俺たちにはもう無理だ!!」

「応援してるわよ!」

 ラキュースとガガーランはいつの間にか寒さに気を失っていた薄着の双子を抱え、帰還書を燃やした。

 

 ――ひとりぼっちになってしまった。

 気を抜いている暇はない。

 イビルアイはすぐさま魔法を唱えた。

「<砂の領域・全域(サンドフィールド・オール)>!!」

 辺りが砂に覆われると、視界を奪われた者の混乱の声が響く。

 イビルアイは懸命に飛んだ。

 そして、館の出口を見つけバンッとそれを開いた瞬間、パラパラと雪の降りそそぐ一面の美しい銀色の世界に一瞬目を奪われた。

 しかし、惚けたのも一瞬。そこには――「ホウ。良ク来タナ。」と白い息を吐き出すコバルトブルーの守護神。

 そして佇む白い肌を持つ美女達。

「ここまでですわ。」

「…強い……。」

 一目見ただけでわかる。圧倒的強者達の感覚に喉がヒリヒリする。

(――別格だ。この方達は…あまりにも…。)

 イビルアイはここまでかと帰還書を取り出す。

「待テ。今回我等守護者ハ手ヲ出ス事ヲ禁ジラレテイル。相手ヲスルノハコノ雪女郎(フロスト・ヴァージン)達ダケダ。」

 そうは言っても雪女郎(フロスト・ヴァージン)から叩きつけられて来るオーラも凄まじいの一言に尽きる。

 先程の銀色のゴキブリよりも強いだろう。

「…コキュートス様…申し訳ありません…。私では…。」

「ヤッテミモセズ、諦メルノカ。」

 その言葉にイビルアイは顔を上げた。

「……では――<部位石化(リージョン・ペトリフィケーション)>!!」

 相手の機動性を落とす魔法を断りなく雪女郎(フロスト・ヴァージン)に送る。

 しかし――まるで流星が流れたかのような一瞬の出来事。

 イビルアイの目の前に雪女郎(フロスト・ヴァージン)の尖った美しい爪が肉薄し、ドサリと雪に肘を付いた。

「……ありがとうございました。」

「ソノ心意気ヤ良シ。アインズ様ニ良イ御報告ガデキル。」

 イビルアイはそれを聞くと清々しく笑い、一瞬襲い掛かってきた――まるで針が突き刺さるような殺気に震える手で帰還書を燃やした。

 

+

 

「「「「イビルアイ!!」」」」

 地上に戻ると仲間たちがイビルアイを迎えた。

「なんだよ、早かったじゃねーか!」

「聞いた話だと死んでしまった人も結構いるみたいで心配してたのよ!」

 バンバンとガガーランとラキュースに背を叩かれながらイビルアイはへへ、と頬をかいた。

「あぁ。確実に受けたら死ぬ攻撃を寸止めしてもらって見逃していただいたよ。でも、コキュートス様にお会いした。」

「すごい!まだ守護神様にお会いできた者は一人もいなかったのよ!」

 ラキュースの興奮する声が響くと、ボロボロの冒険者達からは拍手が上がった。

 英雄の帰還のような扱いにイビルアイは照れ臭そうに笑った。

 そして、自分があそこまでに行くために地獄に残ってくれた者を思い出す。

「そういえばあの二人は!?」

「あそこ。」「やっぱり死ぬ前に見逃してもらったらしい。」

 双子の指し示す先に、意気投合した様子のブレインとニンブルはいた。

 

 二人は随分と楽しげにゴキブリとの戦いについて、荷物番をしていた冒険者チーム二組と死の大魔法使い(エルダーリッチ)との戦いに身を投じた二人の騎士に語っていた。

「…はは。あんなの聞かされる方もたまったもんじゃないな!」

「あとでお礼を言いに行きましょう。でも、あの話が終わったらね。」

 ラキュースの呆れたような声音に蒼の薔薇はそうだなと全員が頷いた。

 

+

 

「隊長!アンデッド掃討完了です!!」

「よし、よくやった!」

 ニグンは自分の隊員達の見事な働きに喝采を送る。

 漆黒聖典と紫黒聖典は適材適所という事で陽光聖典とその天使に前方を任せ、順調に進んでいた。

 下の階層へ続くような階段を見付け、一行は踏み込んだ。

 

 フラミーはその様子を鏡ごしにじっと見ていた。

「うーん。ほんとに皆すごい…。」

 冒険者は蒼の薔薇一行で最後だった。

 あとは聖典にも期待できる。これだけ力が集まればどこまでも進めるものだ。

「はい、冒険者達は実にいい記録を残しました。」

 どこでどんな風に退避したのか、または死んだのかをデミウルゴスは細かくメモにとっている。あとでアインズに見せる為だ。

「人間が本能的に逃げ込みたくなる場所も分かりましたし、今後はそう言うところに多く罠を張っておくとより良さそうですね。それに、こちらは罠を解除しようとして、罠にかかった形跡がありますし――こちらは我々の思惑通りの動きをしましたし――こちらは御方々の肝いりの装置に突っ込みましたし――こちらは…まぁ、全員死にましたが、良いでしょう。兎に角動物実験の重要性を痛感いたします。」

「本当に…まさかこんなに進んでくるなんて思いもしなかったです。」

「誠にその通りでございます。最初冒険者を入れると聞いたときはどれほどの意味がと思いましたが――あらゆる力という物がここまでとは。」

「さすがアインズさんですね。」

 デミウルゴスは心底嬉しそうに頷いた。

 賢い人だ。フラミーは、ツアーと知らない人と共にどんどん進むアインズを見た。

 魔法職のまま鎧を作って過ごしているので大した力は持たないはずだが――

 

「アインズさんはきっとここまで来ますね。」

「ふふ。道を知っているというのはずるい事です。」

 

 ワザとここへの転移トラップを踏んで、最短で最奥を目指すはずだ。

 デミウルゴスは愉快そうに笑うとフラミーの髪を撫で、耳から蕾を抜いた。

「さぁ、フラミー様はアインズ様がいらっしゃるまで少しお休み下さい。御身は少しお疲れのようです。」

 元気のおまじないをするとまた耳に返す。

 翼が増えてからと言うもの、フラミーはぼんやりと不調のような気がする。

 旅の疲れが抜けないと遊びまわってしまった一週間を恥じているが、旅から帰ってもう三日だ。

 

 デミウルゴスは目を細めた。

 一つの想像が浮かぶが、それを訪ねるのは不敬な気がする。

 勝手な想像をし、もし違っていれば支配者達は傷付くだろう。

「ありがとうございます。はぁ、ここで少し寝ようかなー!」

「どうぞお眠りください。」

 フラミーはパタリとその場に転がると目を閉じた。

 疲労は無効にしたはずだと言うのにすぐ様寝息が上がる。

 デミウルゴスはジャケットを脱ぎフラミーに掛け――そっと腹に向かって手を伸ばす。

「不敬よ。」「不敬ですね。」

 ピタリと手は止まった。アルベドとパンドラズ・アクターが戻って来たのだ。

 アルベドは一度玉座の間へ行き、自動湧き(POP)の僕達の死亡数の確認を行なってきた。

 自動湧き(POP)の者共はいくら死んでもナザリックに何の影響も与えないが、何事もデータは大切だ。

 パンドラズ・アクターは宝物殿で金貨消費量の動きを確認していたが、全冒険者が脱落した今、情報共有のため一時報告に来たのだろう。

 しかし、聖典も支配者組も残っている以上またすぐに戻らなければ。

「あなた、あまりフラミー様にベタベタしないでくれるかしら。」

「君には言われたくないですね。」

 アルベドとの間にバチリと一瞬火花が散る。

「では私が。デミウルゴス様、あまりフラミー様にベタベタしないで下さい。」

「…君に言われると痛いね。」

 パンドラズ・アクターの顔は変わらないが、不機嫌そうだった。




黒棺なしにナザリックは語れない……!!

次回 #53 第三階層 玄室


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#53 第三階層 玄室

「ほーう。おんしらよう屍蝋玄室(ここ)まで来んしたね。」

 聖典は守護神を前に丁寧に膝をついた。

「恐れ入ります。何とかここまで来ることができました。」

 応えるは漆黒聖典隊長だ。

 強さという意味では番外席次が妥当だが、あまりこういうタイミングで彼女は喋らない。

 

「こちらではシャルティア様と鉾を交えるのでしょうか。」

「違いんすよ。本来なら手を出すところでありんすが、不在時という想定でありんすからね。おんしらが戦うのは吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)と――この子達。アインズ様とフラミー様が直々に生み出されし可愛い仔山羊。」

 二匹の黒い蕪のような生き物がトテトテとシャルティアの左右に現れた。

「ふふ。可愛いでありんしょう。昨日から配属になったばかりでありんすが、早速使ってみたら(・・・・・・)随分いい子達でありんしたよ。特にアインズ様が生み出したシャチョウは優秀でありんすね。フラミー様の執務(・・)のお手伝いをされる御身のご様子が目に浮かぶようでありんした。」

 仕事の話をしているのに妙に淫靡な笑いに見えるのはここに漂う色が付いたような空気のせいだろう。

 濃密で甘い香りは聖典達の脳みそを揉み込むようにくらくらさせた。

 仔山羊達はメェェェェと嬉しそうな鳴き声を上げている。

 これは確か人の恨みつらみを肩代わりさせる為に神より生み出される妖精のようなものだ。

 かつてエ・ランテルで王国民の恨みの塊として巨大なものが生み出されていた。

 

 聖典達は何となくそんな子山羊を切る事に躊躇してしまう。

「さぁ、やりんすぇ。エルビス、シャチョウ。行きなんし。」

「メェェェェェェ!」「メェェェェ!!」

 あまりにも可愛らしいばかりの小さな生き物に、第九席次・神領縛鎖が捕縛の魔法をかけようと手を伸ばした。

「え?」

 何かが手を撫でたと思い、視線を落とすと――そこには何もなかった。

 腕がドチャリと床に落ちる。

「ッ!!」

 しかし、無様に叫ぶほど弱くはない。

 神領縛鎖は相手の力量の読み違いにダラダラと汗をかいていると、陽光聖典達から回復魔法が飛ぶ。

 腕は後で神が治してくれるはず。今は使い物にならない自分がこんな前にいてはいけない。

 神領縛鎖は膝をつく事もせず、痛みが引き始めた腕を振って邪魔にならないところに向かって駆け出した。

 隊長はその背を追うように伸びた二撃目を止めるため前に出る。

「ッグ!!」

 柔らかそうな触手を止めたというのに、辺りにはまるで金属同士が打ち鳴らされたかのような音が響いた。

「――流石は陛下方の被造物!!」

「全くでありんすね。」

 その傍で陽光聖典と吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)の戦いが始まると、シャルティアは実に楽しげに笑った。

「さぁ、眺めておりんせんでエルビスもやりなんし。シャチョウ一人じゃ苦しいかもしれんせん。」

 これまで一匹しか動いていなかった仔山羊は、もう一匹もピョンと一度跳ねると鳴き声を上げた。

 二匹相手はとても無理だ。

 隊長は番外席次に視線を送ろうとしかけ、仔山羊に弾かれた。

 壁に背を強打すると、なんたる重さと血反吐を吐く。

 

「あんたは所詮厩戸がお似合いよ。来なさい。しゃちょう、えるびす。」

 番外席次の不敵な笑みに誘われてシャチョウとエルビスは突進した。

「スゥーー…。」

 相手はおそらく自分よりも強者。番外席次は神経を研ぎ澄ませる。

 戦鎌(ウォーサイズ)を振りかぶり一匹へ向かって袈裟懸けに振り下ろす。

 二匹の触手によってそれは完全に止められると、玄室全体が揺れたようにすら感じる衝撃波が広がる。

 まるで自分の片割れを守るとでも言うように仔山羊達は触手を絡ませ合いながら、空いている触手を振るう。

 戦鎌(ウォーサイズ)は掴まれ、これを無理に取り返そうとでもすれば一瞬で首が跳ね上がるだろう。

 振るわれる触手が迫る中、そんな姿を幻視した瞬間番外席次はすぐ様戦鎌(ウォーサイズ)から手を離した。

 避けきれないなら受け身を取るまで――。

 番外席次は腕を顔の前でクロスさせるように組むと、体の力を抜いて後ろに跳躍する。その瞬間ガンっと激しい衝撃を感じ、目にも止まらないようなスピードで迫った触手に吹き飛ばされた。

 後ろに向かってダメージを逃したお陰で大した痛みは感じない。

 しかし、武器はもうない。

 守護神の前で無様な姿は見せられない。

 番外席次が顔の前で組んでいた両手を下ろすとキラリと二本の輝きが視界に入り、ニヤリと笑った。

 輝き――スティレットを受け取る。

「クインティア!あなた戦う気ないんじゃないの!」

「解ってんじゃーん!」

 自分の隊の隊長から届いたスティレットを握り直すと番外席次は再び駆けた。

「…今のうちに行くよ。」

「番外席次は置いていくの!?」

「役に立てると思うならレーナースは残りな。私はあんな化け物とはごめんだね。」

 漆黒聖典達は既にそのつもりのようで隊長を回復して館の先を目指そうとしていた。

 道は分からないがこの館の外には何もなかったのだから、この先へ向かうしかない。

 

 ――メェェェェェェエエ!!

 

 しかし、番外席次一人では止められて一匹。

 逃げようとする物を追う性質でもあるのか、止めきれていない仔山羊は狂ったように漆黒聖典へ向かった。

「っち、これじゃ無理か!」

 クレマンティーヌがニグンに視線を送ると、ニグンは分かっているとでも言うように叫んだ。

「B班!吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)と矛を交えていない天使を走らせろ!!」

 漆黒聖典と真反対の方向へ天使達が向かい出すと、仔山羊は手近な所にいた漆黒聖典数名の足だけ砕いて天使へ向かって疾走した。

「ニグン、さんきゅー!おっ先にー!」

 クレマンティーヌが軽口を叩いて部下二人と共に駆け出す。

 ニグンが呆れたような顔をしたのをクレマンティーヌは捉え――その瞬間キュッと肩を鳴らして立ち止まると、レイナースとネイアの頭を押さえつけるようにしゃがんだ。

 

 三人の頭上を番外席次が吹き飛んだ。

「っつぅ……。」

「おいおい、あんたに止められないんじゃもう本当に――!」

 クレマンティーヌはその時見た。

 番外席次が止めていた仔山羊によって漆黒聖典が――、天使を追ったと思った仔山羊と吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)によって陽光聖典が――、蹂躙されていく様を。

 

 これは、無理だ。

 

「あぁぁぁはっはっはぁ!!いいねぇぇぇぇええ!!」

 シャルティアは聞いたこともない声を上げるとその頭の上に血の球を作り出していた。

「シ…シャルティア様!?」

 慈悲深く、旧竜王国(ブラックスケイル)の民を救ったという乙女は――聖典の血を前にゲタゲタと笑い声を上げていた。

 吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)も嬉しそうに笑うと、瀕死の陽光聖典を踏みつけた。

「デザァァァアトもあるしねぇぇえぇえ!!」

 大口を開けて叫ぶと、跳躍――。

 手を一閃し、陽光聖典の手首から噴き上がる血を、蕩けるような瞳で見つめ嬉しそうに舐め上げた。

 するとゴチンと痛そうな音が響く。

「っあ"ぁ"!?」

「シャルティア。君は何をやっているんだね。」

 その涼しげな声は「――で、でみうるごす…。」

「全く。フラミー様がご覧になってる前で恥をかかせないでくれるかな。守護者は手を出さないと言う御身のご指示を完全に無視して。」

「あ………ぁぁぁぁ!アインズ様に叱られるぅぅ……!」

 頭に大きなタンコブを作り、シャルティアは頭を抱えた。

 後悔してももはやこの悪魔がここに来てしまった以上遅すぎる。

「エルビス、シャチョウ。そのくらいにしておきたまえ。聖典はここまでだ。」

 二匹はまるで手をつなぐように触手を絡ませ合いデミウルゴスの下に寄ると幸せの鳴き声をあげた。

「…なんと可愛らしい。君達を殺してしまうように提案した事は本当に間違いでしたね。さぁ、ペストーニャ。聖典を。」

 闇からヌッと顔を出したのは人間の体に犬の頭部を持つメイドだった。

「はい。あ、ワン!」

 ペストーニャは瀕死の聖典達を回復して回った。

「おや?紫黒聖典(デザート)はまだ無力化されていませんでしたね。まだ来るには早かったかな。」

 クレマンティーヌは馴染みの守護神に瞳を覗き込まれ、ヒィッと絞り出すような悲鳴をあげた。

「ギ、ギブです!!」

「そうかい?別にまだ続けても良いんだけどね。」

 悪夢のような光景を目にした四人はブンブン顔を振った。

(と、とらうまぁ…。)

 四人は守護神とは優しいだけの存在ではないと確信し、震えた。

 

+

 

「シャルティアの玄室のバッドステータスの中では結構よくやったんじゃないですか?」

「本当ですわね。番外席次は九十レベル程度という話でしたが、砂漠でもしかしたら多少レベルが上がっている可能性もあります。後でアウラに確認させましょう。」

 ぐちゃぐちゃのビルドの九十レベルの癖に、ユグドラシルの最強ビルドの九十レベルの仔山羊を少しでも止めたのは賞賛に値するだろう。

 思わぬ収穫だとアルベドは嬉しそうだ。

「アインズ様に一応ご報告いたしますわ!」

「そうですね、お願いします!」

 アルベドが翼を羽ばたかせながら、浮かび上がりそうになりつつ伝言(メッセージ)を送る横で、フラミーはあくびをすると立ち上がった。

「ふふ。アインズさん、着実に罠に向かってる。」

 アインズがすぐにでも訪れるであろう円形闘技場(アンフィテアトルム)に向かって歩き出すとこめかみに手を当てた。

 

「あ、私です。コキュートス君。多分もう第五階層に点検隊は来ないので、良かったら第六階層に来てください。これから皆も呼びます。」

 伝言(メッセージ)の向こうの武人は心底残念そうな声を上げた。




確かに仔山羊達は大きかったからこれまで配置出来なかったけど、二匹づつくらい各階層に配ると良いかもしれませんね!
あ、でも第七階層と第五階層は暑かったり寒かったりで暮らせないのか…。

次回 #54 第六階層 アンフィテアトルム

シャチョウ、触り心地が革張りの社長椅子っぽかったらしいですよ。


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#54 第六階層 アンフィテアトルム

「ここは――いつもの場所かな?」

「あぁ。やはりお前レベルの者がいると来れてしまうものだな。勿論内部構造が分かっている私が居て、尚且つ守護者が一人も動かないと言う条件は付くが。」

 モモンとツアーは円形闘技場(アンフィテアトルム)までたどり着いていた。

 内部構造がわかっているのはズルいかも知れないが、誰かが外でプレイヤーに囚われ記憶を覗かれて侵入される可能性もなきにしもあらず。これは訓練の内としてきちんと前向きに受け止めなければいけない課題だろう。

 

「ここが最奥ですか?」

 ――ちゃっかり付いてきたエルヤーの疑問が届く。そこには兎に角走り続けた森妖精(エルフ)達もいた。

 内部構造を知る者への対策訓練をしたとは言え、弱者にここまでのルートを知られたままにしておくのは危険だ。モモンは後でこの男から内部構造の記憶の消去をしようと決めた。

 

「いえ。ここはまだ最奥ではありませんが――」

 闘技場へ続く門がけたたましい音を立てて上がるのをちらりとみてからモモンは続けた。

「――恐らくツアー以外にとっては最奥になります。」

 

「…つまり、ツアー殿レベルでなければ勝てない相手がいると。」

 エルヤーは挑戦的な目でツアーを捉えた。

 ここまで共に戦ってきて、モモンは自分と互角か、わずかに上だと踏んだが、ツアーはよく分からなかった。いつもモモンと背を預けあい戦っているといつの間にか戦いを終えている。しかし、モモンに対し強者への敬意を感じる以上やはり自分と互角程度だろうか。

「面白いですね。ここは私が出ても?」

 モモンはツアーと軽く頷いた。

「もちろん。どうぞ。」

 三人の剣士と三人の奴隷は踏み出した。

 薄暗い通路を抜け、闘技場に出るとそこには晴天が広がっていた。エルヤーはそこで初めてここが地上だと気付いた。

「モモン殿、ここはどこですか?」

「ここはナザリック地下大墳墓、第六階層の円形闘技場(アンフィテアトルム)です。」

「……地下?」

 空を見上げた。すると、天にキラリとなにかが光った。

「モモンさーん!」

「あは!フラミーさん!」

 モモンは女神を見るや否や数歩走って両腕をいっぱいに空に伸ばし、女神はその中に飛び込んだ。親子にしては濃厚すぎる接触ではないだろうか。

 どうもきな臭い。しかし、それも仕方がない事かも知れない。

 

 なんと言っても女神は――「穢らわしい耳長ですね。」

 

 エルヤーは吐き捨てた。女神の神話は一つも目を通したことがない。はっきり言って興味など欠片もないのだ。

 そして世界は闇に閉ざされた。鉛のプールに落とされたように重苦しい空気がエルヤーの身の回りを包み、激しい圧力に膝を降りそうになる。

 あまりの衝撃に驚き空を仰いだ。

(――気のせいか。)

 空は未だ輝くように晴れ渡ったままなのだから。

 一度落ち着かなければ。フーと体の中の全ての空気を一度送り出し、清々しいほどに新鮮な空気を取り込む。

 脳の隅々までリフレッシュしたようだ。しかし、一瞬で大量にかいた冷や汗がべたりと身体中に残った。

 

 すると、空からは更に黄色い竜が現れた。

「――難度百とはこういう事ですね。」

 先ほどの(プレッシャー)はもしかしたらこの竜から届いたものかもしれない。下手な戦士ならこの姿を見ただけで全力で逃げ出すだろう。

(私はそんな雑魚とは違うんでね。)

 フンと不敵な笑いをこぼし、ちらりと野伏(レンジャー)のクラスを持つ奴隷に視線を送る。

「おい。あれはなんという竜だ。」

「す、すい、すいません…。わ、私の知らない竜です…。」

「ッチ。役立たずが。」

 相変わらず何の役にも立たない森妖精(エルフ)の頭を刀の柄で思い切り殴り、自分から遠ざけるように腹を一発蹴り飛ばす。

 地に倒れこみ、出血箇所を抑えてむせながら泣く姿に充足感を覚えた。

 この数時間、モモンとツアーからは自分に強者への敬意はまるで向けられていない。特にツアーには常に見下ろすような態度を取られ続けている。

 森妖精(エルフ)のめそめそと泣く姿はささくれ立ったエルヤーの心を満たした。

 

 他の森妖精(エルフ)達が慌てて倒れた森妖精(エルフ)を抱きかかえて後退するのを尻目に、竜を鋭い目付きで捉え直す。

 この竜がかつて竜狩りのパルパトラが倒した緑竜と同等かそれ以上の竜である事を強く望んでしまう。

 エルヤーはこれまで様々な魔獣を相手取って来た。これが集大成になるかも知れない。

 眼前の黄色い竜の見事な鱗で自身を彩る様を想像し、恍惚の表情を作った。

「モモン殿、ツアー殿。この私の戦いをしかと目に焼き付け、後で地上で評判を高めてくださいね!」

「貴様如きに倒せたらな。」

「面白いことを言う人間だね。」

 モモンからの一言に顔を歪め刀に手をかける。そしてツアーが亜人か何かだと言うことに今気が付いた。

 ――なんと不愉快な。

 人間の自分へとって許される態度ではない。

 

 エルヤーは一気に刀を鞘から引き出すと竜に向かって駆け出す。

「ッチェイ!!」

 両手で刀を持ち振り上げ――「――っぁば!?」

 何が起きたのかも分からないまま、いつの間にか肩には大穴が開いていた。

 まるで空間そのものが抉り取られたような一瞬の攻撃。しかし、急所は外されている。

 激痛に血を吐き、口の端には赤く泡立った唾液が浮かぶ。

「おい!!何やってんだ!!奴隷ども!!さっさと回復しろ!!」

 森司祭(ドルイド)神官(プリースト)から回復魔法が届く。

 

 しかし、癒し切れない。

 

 エルヤーの視線は癒しの女神へ向かう。

「お前もだ!!早くしろォ!!」

「え?あ、私もです?<大治癒(ヒール)>。」

 途端に肩から痛みは一切なくなっていた。失われた血すら取り戻したようだった。

 非力そうだがそこだけは役に立つようだ。

「くそやろう……。」

「……不敬よ。」

「な、喋れる竜か。ふふ。じゃあ間違いなくパルパトラの竜より格上だな。」

「殺さないように手加減をと仰せつかっているけれど、やめたわ。」

「そういうのはこれを見てからにしてもらいましょう。獣とは違って戦士には武技というものがあるんですよ!」

 痛みも完全に消え、エルヤーは再び闘志に燃えた。

「武技!<能力向上>、<能力超向上>――そして、<縮地改>!」

 自慢の武技達だ。

 本来<能力超向上>はエルヤーのレベルでは使えないが――(それを習得できるからこそ天才!!俺はやはり、強い!!)

 先程は近寄り方が悪かった。

 今度は一気に竜へ肉薄し更なる武技を発動する。

 

「<空斬>!!」

 

 輝く斬撃が空を切りながら竜へ向かう。

(反応もし切れまい!!)

 竜がそれに気を取られている間に接近戦で急所を叩けば確実に勝てる。

 エルヤーは頸動脈へ向かって思い切り刀を振り下ろした。

 そして――「ぃギャァああぁぁああ!!!」

 刀を握った両腕が、まるで水の入った袋を落としたようにドシャリと言う音を立てて後方に落ちた。

「う、うで!うでぇぇええ!!ちゆだ!ちゆをよこせぇ!!」

 奴隷達の瞳には酷薄なものが浮かび、動く様子がない。

 あとで三人とも殺すと決め、耳長女神の方へ視線を送る。

「ちゆだあああ!!」

 耳長は寄って来ると回復魔法をかけ、腕は癒えた。

 立ったまま覗き込んでくる。

 ――こんな生き物に上から見られるなんて。

「もうお終いにした方が良いですよ。カキンちゃんは強いですし、私達も協力してくれる点検隊の皆さんを殺したい訳じゃないですから。ここまで来たのは凄いですけど、あなたじゃ勝てないです。」

「チィ!!治癒しか脳のない耳長の癖に偉そうな事を言うな!!」

 目障りだ。人間の神じゃない癖に。

 もう竜と戦いたくて堪らないと言うようにしているモモンがツアーに取り押さえられている。

 一撃でも竜にお見舞いしなければ納得行かない。

 

 エルヤーは起き上がり様自分を見下ろしていた耳長女神の腹へ蹴りを入れた。いつも奴隷達にやっているのとは違って本気ではない。

 ――離れろと言う意思表示程度。

 ――転ばせてやると言うちょっぴり意地悪な考え。

 しかし、ひ弱な筈の耳長はぴくりとも動かなかった。

 まるで大地そのものに足を付けたかのような――。

 

「クゥ、クズがぁぁあぁあぁああ!!!」

 突如モモンから放たれた、津波のような感情に思わず数歩後退し、ぺたりと尻餅をついた。

 憤怒だ。怒りがまるで物理的な重みを持って襲ってくる様だった。

 森妖精(エルフ)達は耐え切れずに意識を手放し、糸の切れた人形のようにその場に転がった。

「今のは良くないね。君が悪いよ。」

 穏やかな口調とは裏腹に、ツアーからも怒りを感じる。

「はぁ、落ち着いてくれ。僕が始末するからとにかく君は落ち着くんだ、モモン。」

 モモンはまるで深呼吸をするかのように何度も肩を動かし、激しく言葉を続ける。

「黙れツアァァ!!こいつは俺のぉ!!俺の最も大切な者達(・・)にぃぃぃいい!!糞がぁぁぁあああ!!許さん!許さんぞぉぉおお!!!」

 永遠に続くような怒りの波動は、ふと突然消滅した。

 激しく燃え盛っていた炎が海に落とされたかのように一瞬で消え去った。

 あまりに異様なモモンの様子に巨大な杭を打ち込まれたかのようにエルヤーは呆然と固まり続けた。

「――常闇と違って利用価値もないと言うところが更に不快だな。」

「そうだね。ともかく落ち着いてくれて嬉しいよ。」

「チッ、好きで落ち着いたと思うか。――来なさい。」

 モモンは女神を引っ張り寄せかき抱き、一瞬信じられないほど優しい声を出した。

「…痛くない?」

「痛くないですよ。」

 数度女神の頭を撫でるとモモンは剣を抜いた。

「おい、貴様立て。」

 見えている体の何百倍も大きくなったように感じる相手を睨みつけながら、エルヤーは立ち上がった。

「…そんな耳長に育てられたなど恥ずかしくないんですかねぇ。」

「無駄口叩けんようにしてくれるわ。クズが。」

 途端に眼前に迫った漆黒の鎧に一瞬圧倒されかけるが力量はそう離れていないはず。

 猛烈なスピードで大上段から繰り出されてくる大剣を刀の背で撫でるように受け流す。

 キィーーッと不快な音が鳴り響きながら剣が滑って行き、軽く弾くとエルヤーはスゥッと息を吸い敢えて懐の中へ飛び込んだ。

 これだけ大きな剣を使っていれば胸の中こそが弱点だ。

 髪がわずかに持っていかれるが気にせずに懐剣を取り出し――腹部分の装甲の薄そうなところへ目星をつける。

(――ここだ!!)

 エルヤーは懐剣をその場所に差し込もうと全ての力を腕に集める。

 ――入った、そう思った瞬間とても人間では出し得ない速度で腹に蹴りを食らう。

 弾き飛ばされるように無様に転がり、胃の内容物を吐き出した。

「ッウグぇぅぅ!!」

 サッと口元を拭き、すぐ様顔を上げるとモモンがビッと手を振り――そこには人間の神がいた。

 女神の元に戻るとその身を抱き上げた。

「蹴ったところで仕返しにもならんな。お遊びは終わりだ。」

「――へいか…。」

 何が起こっているのか分からないが、戦う意思を感じなくなった事で緊張が解かれる。

 周りの様子を気にする余裕ができたエルヤーは、自分の周りにいつの間にか大量の守護神が立っていたことに気が付いた。

「アインズ様。フラミー様。この者は如何いたしますか?」

「アルベドよ。お前は言われなければ解らんのか。」

 その声は抑えきれない怒りに沸々と煮え繰り返っているようだった。

 

「全てだ。このナザリックにある全ての苦痛を与えろ。何年掛かっても構わん。その後は餓食孤蟲王にくれてやれ。」

 

 言葉の意味を理解するとエルヤーは急ぎ立ち上がり、弁明を始める。

「陛下、私は陛下の下にいたスルシャーナ様の教えを――」

「黙りんせぇ。許可なく喋りんせんでくんなまし。」

 ふと目の前に何かが通った気がした。

 ――あまりの痛みに意識を失いそうになり、再び地に膝をついた。

 まるで顔が雷に撃たれたかのような、熱した油をかけられたような、猛烈な痛み。

 エルヤーは鼻から下の顔部分がごっそり無くなっていた。

 剣の腕を高める為に否応無しに様々な痛みを経験して来たが、生まれてからこれまで一度たりとも経験したことのない痛みだ。

 喉の前方も失われている為叫ぶ事も出来ないまま、痛みに任せ意識を手放そうとした瞬間、顔は癒された。

「あ、あの、そんな、寝ちゃうなんて、だ、ダメです!」

 ハッと顔中と首をよく触って己の無事を確かめ前を見ると、耳長の双子、耳長のメガネ。

 エルヤーの目には、あまりの忌々しさと悔しさから涙が浮かんでいた。

 急ぎ地表へ行ける帰還書を取り出そうとすると、ザリっと磨かれた革靴が音を立てる。

『何もするな。』

 その声を聞くと体は凍り付いたように動かなくなった。

「さて、では楽しんで頂きましょうか。」

 言葉とは裏腹に冷徹な響きのある声を発した耳長のメガネの額には大量の青筋が浮かび上がり、ピクピクと震えていた。

 ガチガチと歯が音を立て始める。

 ここにいる誰にも決して指一本触れることは出来ないと本能が悟る。

 どこから間違っていたのか解らないまま、震えているとコバルトブルーの守護神に軽々と持ち上げられた。

「デハマズ、氷結牢獄カラ。」

「あぁ。どこからでも良いぞ。時間はたっぷりある。」

 

 その後エルヤーを見た者はいない。

 

 ツアーはコキュートスの背を見送りながら、また随分と命知らずな者がいた物だと溜息をついた。

「まったく…君は国民にもう少し自分達の力を解らせた方がいいんじゃないかな。今は力を知る世代がいるけれど、いつかそう言う世代が皆死に、新しい世代が今みたいに君達をよく分かっていない可能性もある。」

「解っている。そのために全入制の小学校を作ったんだ。こっちだって好きでフラミーさんに手を上げさせるか。」

 アインズはフラミーを横抱きにして顔を顔に擦り付けていた。こうしているとまるっきり子供だ。

「むしろ今の世代が最も解っていない、と言うことかい。」

 ツアーはフラミーの腹にわずかに土ぼこりが付いているのを見咎め手を伸ばした。

 するとアインズは威嚇するような顔をした後足を一歩引いた。

「何もしやしない。汚れているだけだよ。」

 どうも信用されていないなと思いながら、フラミーの腹を払う。

「あ、ありがとうございます。」

 すると、ツアーの鎧はピタリと止まった。

「……フラミー、君は…。」

 鎧の手をそっと腹に乗せた。

 小さい。小さすぎるがこの力は――「ツアー。」

 

 ツアーは自分の名を呼びゆっくりと顔を左右に振るアインズを見た。




エルヤーとか言う怒らせるためだけに出てきたキャラ

次回 #55 第十階層 玉座の間

頂戴したオコンズ様シリーズです!!
©︎shi-R様どす!

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うおお俺は人間をやめるゾォ!

©︎usir様どす!

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#55 第十階層 玉座の間

 何かを察したツアーにアインズは首を振った。

「…わかったよ。」

「頼む。」

 二人は頷き合った。

 アルベドとデミウルゴスを除く守護者達が首を傾げる中、アインズは大袈裟な咳払いをした。

「さぁ侵攻訓練の続きと行こうじゃないか。ツアーはここから一人で侵攻を続けてくれ。」

君の趣味(モモン)はもう良いのかな。」

「あぁ。フラミーさんと眺めさせてもらうよ。それから、悪いがここからは守護者を出させてくれ。」

「構わないとも。ただ、手加減はするけれど何かあっても恨まないでくれるね。」

「そうなる前に止めるから気にするな。お前はいつも通り挑め。」

 守護者の本気の戦いを見るにはアインズがいない方が良いだろう。

「アインズ様、出すのは双子でよろしいでしょうか。」

 アルベドからの確認にアインズは頷いた。

「私もそう思っていた。アウラとマーレの参戦を許す。後の者は観戦だ。仮想敵としてこれ以上の相手はいない。皆よく学びなさい。」

 そして双子を手招く。

「アウラ、マーレ。訓練だと思わず全てを賭け、本気でかかりなさい。苦戦はするだろうが、レベル的にも編成的にも勝てない相手じゃない。」

「わかりました!壊してやりますよ!」

「あ、あの、僕も、その、頑張ります!!」

 

 双子はやる気に満ちた顔をするとそれぞれ鞭と杖を手にカキンの左右に立ち、ツアーと向き合った。

「アインズ様。戦闘の余波が来てはいけません。フラミー様と共にあちらへお上がりください。」

 丁寧に頭を下げるデミウルゴスは尻尾が左右に揺れていた。

 貴賓席まで上がる頃には、ツアーと双子達、カキンの間から漂うものは本気の殺意へと変わっていた。

「…あれ大丈夫なんですか?」

 竜王から垂れ流される気迫はフラミーの背を震わせるには十分すぎた。

「いや、大丈夫じゃないでしょうね。双子とカキンには多分ツアーは倒せない。」

「じゃあ…守護者増やします…?」

 言葉の意味を探るようにフラミーがアインズを見上げると、アインズは首を左右に振っていた。

 戦いが始まるとツアーの始原の魔法によって生み出された剣は双子の服を容易に切り裂き、マーレの回復がひたすらに飛び始めた。

 着実に鎧が二人を下し始めるとアインズは側で様子を見ている守護者達に振り返りもせずに語りかけた。

 

「お前達はあれをどう見る。私は始原の魔法を使わずともフラミーさんと揃えばツアーを下そう。あの二人も、百レベルだが私達と何が違うと思う。」

 

「武器や装備の質の違いでありんすか?」

 シャルティアの言を受けると闘技場へ向けて顎をしゃくった。

「…もっと良く考えろ。始原の魔法によって生み出される武器の前では私の神話級(ゴッズ)アイテムですら紙以下だ。」

「では、連携でしょうか。」

 アルベドの言葉に首を振って見せる。この二人以上に互いの性能や動きを分かり合っている守護者は居ないだろう。

 すると、デミウルゴスは指を立てた。

「超位魔法。これを我々は持ちません。」

 アインズは再び首を振る。

「超位魔法はたしかに強力だが、それを使わずとも――時間はかかるだろうがお前達を引きずっていたとしても私達は鎧のツアーに勝つ。よく見なさい。この戦い、何かがおかしいと思わないか。」

 

 コキュートスはしばし戦う三人の様子を眺めると口を開いた。

「マーレガ範囲魔法ヲ使ッテイマセン。」

「そうだ。何故マーレは得意とする筈の範囲魔法を使わないと思う。」

「御方々ガ生ミ出サレタ、御方々ノ所有物デアルナザリックノ物ヲ傷付ケル訳ニハ行カナイ為カト。」

 

「そうだな。私もそう思っているんだろうと思う。もし私とフラミーさんがあれと戦うときは例えそれがナザリック内だとしても、エ・ランテルであったとしても排除の為なら容赦なく破壊し利用できる物は利用するだろう。この差は決定的だ。あれ程の力を持つ相手を前に建造物の破壊を躊躇えば殺されるだけだ。ナザリックはギルド武器(スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を壊されない限りどうとでもなる。ここはただの入れ物に過ぎない。お前達もよく覚えておきなさい。」

 

 アルベドは双子を庇うように優しい声を出した。

「アインズ様。そうは仰っても、これは訓練ですし――」

「アルベド…私は本気でやれと二人に言った。本気の防衛点検の為にエリュエンティウから殆ど全ての金貨を回収して来たとも私は以前話した筈だぞ。ツアーはこの場所にある程度の敬意を払っているし、双子に手心を加えているが、プレイヤーが来れば絶対にこんな甘い戦いにはならん。」

 フラミーがアインズをつつくと、怒ってませんよ、とアインズは微笑んで見せた。

 守護者はこれまでアインズの中で保護の対象だったが、今後は共に戦えると思えるレベルまで成長してもらう事は必須だろう。

 肝心なタイミングでナザリックの物の破壊を恐れて力を加減するような事があってはいけない。

 

「お前達が何を護る為にここにいるのか私達に教えてくれ。」

 責めるような口調ではなく、互いの存在の確認の様な、どこか優しさすら感じさせる柔らかさでアインズは尋ねた。

「御方々をお護りする為です。」

 守護者達はアルベドの返答に合わせ頷いた。

「では侵入者撃退のためには手段を選ぶ必要はない。竜のツアーは――いや、本気で挑んでくるプレイヤーはこんなものではないのだから。」

 守護者達の真剣な瞳に映る双子とツアーの戦いは限界を迎え、アインズはそこまでだと叫んだ。

 フラミーが闘技場へ降りて双子とカキンを回復に行くと、アインズは控える叡智の悪魔に振り向いた。

「デミウルゴス、一人だけ選べ。次はお前の階層だ。」

「…では、アルベドを。」

 リアリストだなとアインズは笑った。

 意思疎通力、火力を取るならコキュートスだ。

 しかしコキュートスは指輪を持たないし、ここまで敵が来ているなら残るのはアルベドのみ。

 デミウルゴスとアルベドは短く言葉を交わし七階層へ飛んだ。

「ツアー!次へ降りるぞ。」

 傷付き歪んだ鎧はまだやるのかいと苦笑を漏らして闘技場からアインズを見上げた。

 双子はアインズに注意を受けながら悔しい、もう一度やらせてくれと泣いた。

 しかし「全てを理解したお前達が勝てる事はとっくに分かっている」と笑う支配者に、双子は涙を拭くと次は必ずここで止めて見せると誓った。

 

 その後ツアーは第七階層に踏み入れたが、三魔将とデミウルゴス、アルベドに叩かれ、鎧の完全破壊と溶解を恐れ音を上げた。

 七階層は火山が一つ半壊し、溶岩が流れ出していた。

「…アインズ、僕は報酬はいらないと言ったが――」

「解っている。鎧はこちらで直して返そう。悪かったな。」

 今にも崩れそうな鎧を立たせる後ろには既に回復された悪魔二人がいた。

「アルベド、デミウルゴス。」

 傷は治っても裂かれた装備は直らず、戦いの凄まじさを物語っていた。

「よくやったな。」

 二人は支配者の言葉に深く頭を下げ、わずかに震えた。

 

 一方宝物殿で金貨の動きを見ていたパンドラズ・アクターは叫んでいた。

 

+

 

「こ、ここが…。」

 イビルアイ達点検隊と、荷物番をしていた冒険者達は報酬の支払いを受けるため鏡を潜った。

 その先は五メートルはあるだろうかと言う高い天井が美しい円形の前室。

 目の前には生と死が審判を下さんとするような模様が描かれた荘厳な扉――。

 この扉がなければこの場所が前室だとは思いもしないだろう。

 王の玉座だと言われても何の違和感もない程の前室には十人が腕を広げて並んでも尚足りないような大きなオシャシンが飾られていた。

「すごい…。これがナザリック…。」

 さっきまで点検に潜っていた場所とのあまりの違いに――いや、潜っていたところも素晴らしい作りではあったが――点検隊達は口を開けて辺りを見渡した。

 もう二度とこんなものは見られないだろうと皆が全てを目に焼き付けようと必死だ。

 暫しそうしていると、後ろからボロボロの白金の鎧が足を引きずるように現れ、聖典達は騒然とした。

「お、おい!ツアー!お前大丈夫か!?」

「大丈夫だよ。アインズが直してくれると約束してくれたからね。」

 痛みがないと分かっていてもあまりの様子に心配せずには居られない。

 蒼の薔薇の仲間達も口々にツアーを案ずる声を上げた。

 そして、その後ろには不愉快な男が連れていた奴隷森妖精(エルフ)が三人。

 持ち主はいないようだ。

 

「ツアーはあのウズルスとか言うやつと最後まで一緒だったのか?モモンは一緒じゃないみたいだが。」

「あぁ。あの人間はアインズが罰すると言ってコキュートス君がどこかに連れて行った。許さないそうだよ。」

 周りで歓声じみた声が上がる。

 イビルアイも流石神はきちんとしているとまた何段階も評価を上げた。

「それからモモンは――まぁ、なんと言うか帰ったよ。」

「帰った?あぁ。あいつはここが家だもんな。どうだった?強かったか?」

モモンは(・・・・)まぁまぁだね。」

「ふむ。やはりそうか。」

 イビルアイがうんうんと頷くと、ラキュースに小突かれた。

「イビルアイ、あなたモモン様が弱い方がいいの?」

「別にそんなことはない。ただ光神陛下の偉業を自分のことのように語らせたままにしておく姿勢が嫌いなだけだ。」

「…モモン様はそんなんじゃないわよ。」

 ラキュースがモモン様モモン様と言っているのを聞くとガガーランは「俺も恋とかしてみてぇなぁ」と呟いた。

「あ、ラキュース!モモンは好かないが私と一緒にナザリックでいつか暮らす日を目指さないか!」

「…べ、べつにそう言うわけじゃ…。」

 そういう訳だろうとイビルアイは仲間ができたことに喜びクックッと奇妙な笑い声を上げた。

 

 和気藹々と過ごしていると、メイドから声がかかり一行は審判の扉を潜って玉座の間へと進んだ。

 何とかきれいに並び頭を下げて待つと神々は現れた。

 玉座に女神を抱いて座る神王の様は神話の一頁のようだった。

 その後労いと感謝を述べられると、荷物番をした冒険者達と点検隊に礼金が支払われた。

 点検隊は到達した深度や潜っていた時間の長さなどで追加報酬も出された。

 皆多額の報酬に目を剥いたが――植え付けられたトラウマを思えばこのくらいが妥当かと点検隊は苦笑した。

 荷物番の者達は日向ぼっこをしていただけなのに報酬を貰い、更には神々の居城の見学も叶い、今回の仕事は美味しすぎたなとプライドもへったくれもない事を思った。

 帰った荷物番達は、神話の世界のような壮麗な宮殿の話を、今回選ばれなかった者達や立候補しなかった者達に散々聞かせ続けた。

 次の点検はいつだろうと皆が憧れその地に想いを馳せた。

 そんな中イビルアイはやっぱりここでいつか暮らすと決意を新たにしていた。

 イビルアイの挑戦はまだまだ始まったばかりだ。

 

 客が引き上げ、ツアーの鎧が転がる玉座の間ではアインズが唸っていた。

「…帰りたくないと言われてもな…。」

 見すぼらしく汚ならしい、怪我だらけの森妖精(エルフ)達を前に困惑していた。

「神王陛下……どうかここで…ここで働かせて下さい…。」

「精一杯おつとめいたします…。」

「どうか…何も望みません…。」

 今ナザリックは新たな者の受け入れは一切容認できない。

「悪いがそれは聞けん。アーウィンタールが嫌ならエイヴァーシャーはどうだ?」

 森妖精(エルフ)達は黙ってしくしく泣いた。

 一応この者達の上司を奪った者として責任を感じない訳ではないが、話が進まない様子に辟易する。

 フラミーはアインズの上から降りると森妖精(エルフ)に近寄ろうとし――アインズに止められ、さらにデミウルゴスとアルベドに道を阻まれた。

「…皆さんはエイヴァーシャーの生まれじゃないんですか?」

「いえ…エイヴァーシャーには親も兄弟もいますが……この耳では…。」

「耳を治してやればエイヴァーシャーに行くか?」

 アインズのその声に顔を見合わせている森妖精(エルフ)達は何を言われているのか解らないと言うようだった。

「…耳を治しても帰らないのか?」

 全員が慌てて首を振る。

「い、いえ!!治していただけましたら、すぐにでも…帰りとうございます!!」

 これ程古い傷を癒せるのかと三人が震えているのを他所にフラミーから無造作に大治癒(ヒール)が送られ――三人は全ての傷から解放された。

 奴隷だった森妖精(エルフ)達は声を上げ、喜びに震えながら泣いた。

「さぁ、お前達はエイヴァーシャー行きだな。」

「アインズ様、もうご計画に出られるのですか?」

 転移門(ゲート)を開く為玉座の間を後にしようと思ったところでアルベドに呼び止められ、隣ではデミウルゴスが「あぁ…なるほど…それで…」と何かに納得している。

(ご計画って何だ!?)

 当然フラミーも何の事とわからない顔をしている。

 アインズは闘技場での貫禄を完全に失い、やだよーと心の中で震えながら努めて冷静な声を出した。

「…フラミーさんは解っていないようだから、教えてあげなさい…。」

「わ、ごめんなさい。私ついて行けてないです…。」

「まぁフラミー様!宜しいのですよ!お二人で霜の巨人(フロストジャイアント)の里の吸収の旅にお出になられたのは記憶に新しいですが――」

 別にあれは霜の巨人(フロストジャイアント)吸収の旅ではない。

「エイヴァーシャー大森林に残る、最後の者達。ダークドワーフ国を取り込むご計画をアインズ様はずっと進めてらしたのです。」

 はぇ〜とよく分からない声を上げるフラミーの口から続いて出た言葉は――「アインズさんって本当賢いですねぇ!」だった。

 そうじゃない。アインズは後でよく言って聞かせようと決めた。

 フラミーを言い訳に説明させたのは失敗だったと少し後悔し――すごいすごいと言うフラミーに少し気を良くした。

 デミウルゴスは何も知らされていなかった様子のフラミーをちらりと見て続けた。

「今回あのエルヤー・ウズルスと行動を共にされたのも、その奴隷を殺してしまわないのもダークドワーフ達を懐柔する計画の一端なのですが、恐らく数日のお出かけになるでしょう。」

 何も分からない。この二人は絶対に連れて行こうと決めた。

 森妖精(エルフ)達は利用するようなことを言われて大丈夫なのかと、ちらりと様子を伺えば――その瞳には見慣れた崇拝の色があった。

「もとより…お助けくださるご予定で…。」

 そして、視界の端には何を着て行こうかなと呟くフラミー。

「待って下さい。フラミーさんも行くつもりなんですか?」

「え?アインズさん行くんですよね?」

 アルベドとデミウルゴスも困ったような顔をしている。

「……パンドラズ・アクター。」

 控えていた息子はいつもと同じ調子で颯爽と立ち上がった。

「フラミーさんは今回ナザリックに置いていく。お前に任せるから守るんだ。」

「かしこまりました!このパンドラズ・アクターに――」

「あ、ナザリックから出してはいけないからな。」

「――……お任せを。」

 ハイテンションだったがいつもと違い平坦な声を出すと、まっすぐ腰を折るだけの最敬礼に切り替えられた。

 パンドラズ・アクターになら任せられる。

「アインズさん、もう置いてかないって言ったのに…。それにいつも通り過ごすって…。」

 膝に乗せているフラミーが囁くような声でアインズに言うと、アインズはそっと首を左右に振った。

「フラミーさん。別に向こうに何がいるって訳じゃないですから、これは散歩みたいなものですから。」

「だったら尚の事私も一緒に行きたい…。」

 気持ちは分かる。この季節、この状態のフラミー。

 去年の常闇との戦いの時と殆ど同じ状況のように感じるのだろう。

「お留守番してて下さい、良い子だから。それに転移門(ゲート)でちゃんと戻りますから。あなたはいつも通りナザリックで過ごすんです。」

 暫く背を叩いているとフラミーは頷いた。

「…わかりました。しょっちゅう帰って来てくださいね。」

「当たり前じゃないですか、毎秒帰りますよ。」

「それじゃお出かけじゃないです。」

 支配者達は丸い笑い声を上げた。

 

 支配者は休む間もないなと心の中で愚痴りながらアルベドとデミウルゴス、奴隷だった森妖精(エルフ)三名を伴い出掛けて行った。

 信用できる息子に全てを任せて。




濃縮還元頑張っちゃいそう!

次回 #56 ナザリックの最秘宝


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#56 ナザリックの最秘宝

 目覚めた。

 此処は何処だろう。

 自分は――誰だろう。

「えーっと、名前は…パンドラズ・アクター。」

 優しい手だ。

 体が構築されていく。

 自分の存在が生まれていく。

 だと言うのに――

 何を怒っているんだろう。

 何を悲しんでいるんだろう。

 この身にはこんなにも生まれる喜びが溢れているのに。

「お前は()を守るために、ここで暮らすんだ。()を愛でる事がお前の趣味だ。」

 自分ではない者のカタチを覚えていく。

「今日、一人引退した。いつか…他の皆もやめちゃう日が来るのかな…。」

 此処は少し――寂しい場所のようだ。

 

+

 

 アインズが立ち去るや否や、フラミーはパンドラズ・アクターに連れられ宝物殿に来た。

 いつもと殆ど変わらないその場所だが、一点だけあまりにもおかしい場所がある。

 フラミーは自分を先導するように歩くパンドラズ・アクターの肩をちょいちょいとつついた。

「あの、ズアちゃん。あれは…?」

 フラミーの指差した方には大量のフラミーの像が置かれていた。

「あれは国中の神殿から回収されてきた物です。割ったり破棄したりするのも不敬かと思いまして。」

 神殿には既に新しい翼の増えたフラミー像が配られている。

「わぁ…捨てて貰っていいのにぃ…。」

「そのような真似はできません!」

 パンドラズ・アクターは何を当然のことをとでも言うような雰囲気だ。

 なんとも相変わらず守護者とはこういう話が噛み合わないと苦笑を零しながら、自分の像の様子をよく見た。等身大だ。

 まだどの像もお団子頭に四対の翼で、翼が一対多いことを除いて殆どまるっきり転移当時そのままだ。

 どの像も微妙にポーズや表情、着ている物が違う。そしてどれも今にも動き出しそうなほど細緻な作りで、鍛冶長の妙技には恐れ入る。

「そう言えばアインズさんって、ギルメンのゴーレム(アバターラ)作って飾ってましたよね?」

「え?えぇ。そうですが?」

「私の所、これ置いてもらおうかな?一人だけリアルすぎます?」

 フラミーは引退していなかったし、装備も渡していないため未だアバターラはない。

 当然モモンガの分もなく、数度世界級(ワールド)アイテムの回収と収納に行った時にここがモモンガ、ここがフラミー、と場所を見せてもらった。

 パンドラズ・アクターはフラミーの歩幅に合わせて歩いていたと言うのに突如ピタリと止まった。

 それはまるで彫像になったようで、一切の呼吸も身じろぎもしない完璧な静止だった。

 像の方へ余所見をしていたフラミーはドンっと「りある…」と呟く背中にぶつかり、尻餅をつき掛けると腕と腰を引っ張られた。

「わ、すみません…。」

 パンドラズ・アクターは二つの黒い穴でまじまじとフラミーを覗き込んだ。

「そう言うことですか…父上…。」

「…ん?」

 フラミーはいつもの守護者の"そう言うことですか"と言うセリフの中身が相変わらずよくわからずに首を傾げた。

 そのままパンドラズ・アクターはフラミーを抱き締め、震えたようだった。

「フラミーさん(・・)…。」

「ズアちゃん…?」

 辛そうな雰囲気に背をトントン叩いているとパンドラズ・アクターは体を離した。

「失礼いたしました。さぁ、こちらです。」

 パンドラズ・アクターはフラミーの手を掴むように握ると、これまで向かっていた応接間とは違う方へ向かって再び歩き始めた。

 心なしか先程よりも早い足取りで金貨の山の間を避けるように進んでいく。

 こんなに宝物殿は広かったのかと思いながら進むと、巨大な、まるで鳥籠のような檻が置かれていた。

「わぁ、これなんですか?」

パンドラズ・アクターは無言で檻の扉を開けるとフラミーを連れ中に入っていった。

 檻の中には芝生が生えていて、二人の足元からは草を踏むサクサクと言う小気味良い音が鳴った。

 室内をイメージしているのか屋外をイメージしているのかよくわからないその場所には芝生の他に一本の木が生えているというのに、可愛らしい天蓋のついたベッドや、アンティーク風のカフェテーブル、それを左右から囲む一人掛けソファも二脚置かれている。

 他にもミニキッチンがあったり、猫足のバスタブが端に置かれていたり、まるでお人形遊びをするためのようなその場所は、女の子の夢がぎっしり詰め込まれたような空間だった。

 

「これは、私がこの約三年間作り続けて来た場所です。如何ですか?」

 三年間。フラミーはそう聞くと締め付けるような遣る瀬無さを感じて胸に手を当てた。

 あの殺風景な管理者用の応接間だけでは無人島に取り残されたように孤独だっただろう。

 ここはそんなパンドラズ・アクターの秘密の箱庭なのだと、そう思った。

「とっても素敵だと思います!」

 それは何よりとパンドラズ・アクターは笑ったようだった。

「さて、お茶をお出ししますので、こちらで暫しお待ちください。」

 パンドラズ・アクターは優雅に頭を下げると、ガチャンと扉を閉めて立ち去っていった。

 フラミーはパンドラズ・アクターの背が見えなくなると、うろうろと檻の箱庭を歩いた。

「ズアちゃんって乙女趣味だったんだなぁ。」

 小さく咲く花の前にしゃがみ眺めつつ、それならアインズも実はそうなのかなと想像し――それはなさそうだと苦笑した。

 ガチャガチャと扉が開かれる音が鳴ると、高級そうなティーセットを持ったパンドラズ・アクターが戻って来た。

「お待たせいたしました!フラミー様は座ってお待ちを!」

 ウキウキと楽しげにミニキッチンで準備を始める姿に微笑ましくなる。

 フラミーはおままごとに付き合ってあげようと大人しく座り様子を見た。

 すっかり準備が済んだかと思いきや、テーブルにはティーポットと一つのカップ、揃いのデザインの砂糖ツボにミルクピッチャー、美しい銀の茶漉し。

 パンドラズ・アクターの分は無いのだろうかと、揺れて立ち昇る湯気から視線を上げるとパンドラズ・アクターは膝をつき帽子を脱いで胸にあてた。

「フラミー様、何か他に欲しいものは御座いますか?」

 フラミーはゆっくり顔を左右に振り、自分の前を示した。

「いいえ、何も。それより一緒にどうぞ。座って下さい!」

 僅かに迷った後パンドラズ・アクターはミニキッチンに置いたままだったカップを手に取り、フラミーの前の席に座った。

 フラミーは自分で注ごうとするパンドラズ・アクターを押しとどめ、アンティークらしい茶漉しをカップに掛けるとメイドやパンドラズ・アクターを真似して注ぐ。

 芋を蒸しただけの料理が出ないナザリックにおいて、ティーバッグ入りの紅茶なんてものは出ない。

「こんな感じですか?」

「お上手です。」

 パチパチと節くれだった指のついた手をゆっくり叩くとパンドラズ・アクターは嬉しそうに――した気がした。

 動かない顔なのだから本当にそうなのかなんて分からないが、フラミーにはそう見えた。

「ふふ、良かった。」

 フラミーも笑うと、パンドラズ・アクターは胸に手を当て少し震えたようだった。

 もう少しこのNPCにも気を使ってあげるべきだったなと反省する。

 金貨の山の中に隠されるように存在する箱庭で、二人は楽しげにカップに口を付けた。

「フラミー様は疲労、睡眠、飲食を無効化されていないようですが、毒や麻痺などの抵抗は付けておいでですか?」

 唐突な質問にカップから視線を挙げる。

 ここに充満するブラッド・オブ・ヨルムンガンドに侵されていないかの確認だろうか。

「毒と麻痺は付けてますよ!大丈夫です!」

「なるほどなるほど。」

 ふと、フラミーはぐらりと視界が歪んだ気がした。

「っあ…。」

 都市国家連合の時と同じだ。

 眩暈。いや、これはなんだろう。

 強烈な眠気にフラミーはカップを落としかけ、割れてしまうと慌てるが、体が言う事を聞かない。

 しかし、パンドラズ・アクターの手にカップは受け止められソーサーに戻された。

「ご、ごめんね…少し待ってね…。」

 パンドラズ・アクターは無言で様子を眺め、フラミーは眠りに落ちた。

「毒無効でも上手くいって良かったですね。さて、強力すぎる装備はこちらでお預かりいたしましょう。」

 パンドラズ・アクターは立ち上がるとテーブルに突っ伏すフラミーを抱え上げ、ベッドに座った。

 自分に寄りかからせると背のリボンを二本引き、二枚のローブを丁寧に脱がせた。

 柔らかく吸い付く様な肌に触れながら、脳内では不敬だ不敬だと言う言葉が繰り返される。

 このままではいけないと、急ぎアイテムを取り出した。

 カルマ値がマイナスの者の力を落とし、カルマ値がプラスの者の力を上げる――天使の為の装備としてユグドラシルでは割と流通していたドレスだ。

 白いチュールが幾重にも重なるスカートには、蔦のような刺繍が金糸で施されている。

 運営の年齢制限に引っかからない程度に所々薄く紫色の肌が透けていた。

 

 いつこの日(・・・)が来てもいいように、フラミーがカメラを作って欲しいとアインズに連れられて宝物殿に現れた時から、全ての準備を続けて来た。

(――やっぱりあなたにも()より大事なものがりあるにあるんですね…。)

 パンドラズ・アクターは着せた改造済みのドレスの背に垂れるリボンを結んで留め、念の為毒を無効化する額飾りを着けさせた。

 アクセサリーは外させて居ない為大丈夫だろうが、万一ブラッド・オブ・ヨルムンガンドに侵され始めていてはいけない。

 何の対策もしていない低レベルの存在であれば三秒と保たない程の猛毒だ。

 もしレベルダウンをさせる為に殺すことになったとしても、もっと尊厳のある、美しい死が似合うだろう。

 パンドラズ・アクターは慎重にフラミーを寝かせ、さらりと髪を撫でた。

「フラミーさん(・・)がいてくれれば、それだけでいいのに…。」

 毎日飽く事なく眺めてきた秘密の写真(たから)を仕舞い込んだ、胸をギリリ…と握りしめる。

「なのに…フラミーさん(・・)なんでだよ…。なんで行っちゃおうとするんだよ…!」

 悲鳴染みた声が宝物殿に響くと二重の影(鈴木悟)はフラミーの眠るベッドの横で膝をつきしばらく震えた。

 動かない顔からは涙ひとつこぼれることは無かった。

「…でも、これでやっと安心できる…。」

 パンドラズ・アクターはようやく仕舞うべき場所に仕舞うべきモノ――ナザリックの最秘宝を仕舞えたと思うと、フッと笑いを漏らし、軽く脱力してから立ち上がった。

 至高の四十一人のうちの一柱であるチグリス・ユーフラテスの姿になると、パンドラズ・アクターは盗賊としての能力を全て駆使していく。

 すると、フラミーの胸の上にはフラミーの無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)が開いた。

 指をなんとか入れられる程度の黒い闇がぽつりと浮かんだのだ。

 ベッドに膝をつくと、その穴に無理矢理指をいれ、ギチギチとこじ開けていく。

 両手で左右へ引っ張り開けると、二本の腕を突っ込み穴を押し広げながら中身を確認する。

 ポーション、ユグドラシル金貨、よくわからない消費アイテム――こういう物は持たせていてもいい。

 問題は装備と砂時計だ。

 最大火力で超位魔法を使われれば流石に檻は破壊されてしまう。

 綺麗に整頓されているその中をさらに探っていくと、以前一度没収し返却された砂時計を見つけた。

 自分の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)をすぐそばに開くと流し込む様に取り出しては仕舞い込んだ。

 そして短杖(ワンド)やローブ、フラミーに装備できるのかも分からない短剣なども見つかり、一つ残らず回収することを決める。

「…結構ありますね…。」

 必死になって中身の回収を進めていくと、ふと伝言(メッセージ)が届く感覚に苛立たしげにこめかみに触れた。

「パンドラズ・アクターです。」

『セバスでございます。フラミー様のお食事の時間なのですが、伝言(メッセージ)が繋がりません。そちらに行かれたと聞いたのですが。』

「これはセバス様。フラミー様はこちらでお休みです。お食事はすぐに私が回収に行きますのでそのように手配をお願いいたします。」

『かしこまりました。ではワゴンごとお持ちください。』

 気の利く執事に礼を言いながら、装備の回収を済ませた。

 仕上げに両腕と両足に金色の枷――腕輪を嵌める。

 どこと繋いでおくわけでも無いが、万一目覚めここから出ようとしたりすれば痛みが走るだろう。

「ふぅ…。さて、では食事を――」

 指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)へ意識を向け、転移しようとする。

 が、この箱庭の中では一切の転移が阻害されている事を思い出し、パンドラズ・アクターは立ち上がった。

 檻の一部のようになっている扉から外に出ると、厳重に締め直し転移して行った。

 

 宝物殿には穏やかな寝息が響き続けた。




ふぅ、無事にしまえたね!
よかったぁ!

次回 #57 しまい方の違い

しまっちゃおうねー!
©︎ユズリハ様です!

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#57 しまい方の違い

 アインズは知恵者二名に殆どの事を任せっきりにしていたが、それなりに働いていた。

 意味深な頷きならお手の物だ。

「さて、今日はそろそろ一度帰るか。」

「ではこちらはお任せ下さいませ。」

 アルベドとデミウルゴスが頭を下げるのを見ながら、アインズは僅かに心配になる。

「良いか、いつも言っているがもし――」

「「記憶操作(コントロールアムネジア)を使う者が現れたり、竜王と開戦するような事が起きれば、すぐ様、新しく造られた偽りのナザリックか、ツァインドルクス=ヴァイシオンの下へ飛び共闘しろ。」」

 でございますね。と二人が笑うと、アインズは頷き二人に向けて腕を伸ばした。

「そうだ。ここはまだ我々の場所ではない。気を緩める事なく過ごすんだ。」

 骨の身で大人二人を抱き締めるとそれぞれの背を数度叩いた。

「心得ておりますわ!御身は何の御心配もされませんよう。」

「どうぞごゆっくりお休み下さいませ。」

 二人は骨にしばし縋るとそっと離れ頭を下げた。

「お前達もちゃんと寝るんだぞ。」

 揃った良い声でハイ!と返事をする二人に骨の身で笑いかけ、「良い子だな。」と言い残すと偉大なる支配者はナザリックへ戻った。

「…アルベド、君が大人しくアインズ様から離れるなんて珍しいじゃないか。」

 アルベドはパッと顔を明るくした。

「ふふ。フラミー様がお世継ぎ様とお待ちなのよ。早くお帰り頂いてこそじゃないの。」

 ただのビッチではなく、統括として生み出されただけはあった。

 二人は闘技場での一件でフラミーが命を宿しているということにはっきり確信を持った。

「そうだね。ああ…なんて素晴らしい…。」

 何なら別に一緒にお出まし頂かなくてもと言うアルベドに、分かる分かると数度頷く。

 そしてくいっと眼鏡を押し上げ、統括と話す時の自分に切り替えた。

「アルベド、これが終わり次第通達されるでしょうから、御方々のために手始めにナザリックでパーティを開いてはどうでしょう。」

「いいわね。でも勝手に僕達に伝えることはできないわ。私達で何か素晴らしいものを考えておきましょう。」

「ふふふ。腕がなりますね。」

 悪魔達は幸せそうに笑った。

 

+

 

 アインズはスパリゾート・ナザリックで一汗流し、第九階層を軽い足取りで歩いていた。

 フラミーの部屋をノックしながら押し開ける。

「こんこーん。フラミーさーん。」

 天井の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達とフラミー番がきちんと控えている事から、ここにフラミーがいる事を確信する。

 上機嫌に寝室に向かおうとするとメイドが近付いて来る。

 いつもなら黙って通してくれるというのに、何の用かとアインズは立ち止まった。

「アインズ様。本日フラミー様はこちらにお戻り頂けておりません。」

「何?では私の部屋か?」

 それはそれで可愛いと思いながら自室で眠るフラミーを想像する。

 ――寂しかったなんて言われたりして。

 支配者は骨の身でなければだらしない顔をしていただろう。

「いえ、パンドラズ・アクター様と宝物殿に行かれております。」

 途端に気分は急降下だ。いや、任せると言ったのは自分だった。

 アインズは半日フラミーを守りきったであろう自分の創造物を心の中で褒める。

「そうか。では迎えに行こう。」

 メイドが頭を下げるのを横目で見ながらアインズは宝物殿に飛んだ。

 

 そして、いつもと違う様子のその場所に首を傾げた。

「節電か?」

 宝物殿は薄暗くされ、まるで夜のようだ。

 これまで四六時中煌々と明るく照らされ続けてきた宝物達も今は眠りについているようだった。

 アインズはスタスタとパンドラズ・アクターの部屋に向かい途中大量のフラミー像を見つけ苦笑する。

 旅に出る前に訪れた時にもあったが、あの時より随分ピカピカになっている気がする。

 毛の流れを再現した細い溝に取り切れない埃のようなものがどれもあったが、今ではまるで「今日作りました」とでも言うような状態になっている。

 アインズはてっきりこれらは足首に翼を付け足して神殿に返却される物だとばかり思っていたが、神殿には一から作り直した新しい像が設置された。

 もう用済みの像だと言うのに捨てる気配はまるでない。

「まったくしょうがない奴め。」

 そう言いながらしばしフラミー像を眺めると、行き場がないなら後でひとつ貰って帰ろうと決めた。

「…これはいくつもある事をデミウルゴスに知られたら欲しがられるな。気を付けなければ。」

 そしてお気に入りのひとつを選び、アインズはフラミー像の首に自分の物の印としてリボンを結び付けた。

「これが一番可愛い気がする。」

 ふふふと笑いながら数度お団子を撫でてやると管理者室、応接間へ向かった。

 応接間の壁には相変わらず引き伸ばされたアインズとパンドラズ・アクターの写真と結婚式の日に撮った僕が揃いきっている写真が並んで掛けられている。

 しかし、そこには誰も居なかった。

 それどころかテーブルとソファも置かれていない。

 

「…今度はどんな遊びだ。」

 アインズはそっとこめかみに触れた。

 フラミーの線を探し、呼び出そうとするが繋がらない。

 眠っている時にはよくある事だ。

 ここでパンドラズ・アクターがフラミーを見守っている以上何の焦りもない。

 アインズは応接間を立ち去り、再び金貨の山に戻ってくると落ち着いて魔法を唱えた。

「<生命感知(ディテクトライフ)>。」

 二つの反応は宝物殿の端にあるようだった。

 アインズはそちらへ向かって金貨の山を縫うように歩いた。

 最後の山を越えると、巨大な丸い檻の中に反応はあった。

 檻の外にはそれぞれ応接間においていたはずの応接セットが置いてあった。

 初めて見る光景にどんどん近寄れば、眠るフラミーの髪を編み込むパンドラズ・アクターの姿が見え、何やってんねんと心の中で悪態を吐く。

「パンドラズ・アクター。」

「――父上、お帰りなさいませ。」

 パンドラズ・アクターは顔を上げもせずにせっせと髪を編み続け、毛先までそれを済ませると結わいて髪をそっと離した。

 美しい小ぶりの髪飾りをぽつぽつと長く太い三つ編みに着け満足そうにし、少し眺めたかと思うとごそごそと布団の中に手を突っ込んだ。

「おい!お前何やってんだ!」

 まさかの人選ミスかとアインズは檻に近づく。

「いえ、眠りの体勢に。」

 布団の中からフラミーの手を取り出すとそっと腹の上に組ませた。

 見つめる黒いだけの瞳からは、パンドラズ・アクターなりに大切にしようと言う想いが伝わってきた。

「美しいですね。」

「そうだな。フラミーさんはいつも綺麗だ。それにしても入り口はこれじゃないのか?」

 アインズは入り口らしい所を押したり引いたりしてみると首を傾げた。

「あ、私にしか開けられません。」

「じゃあ開けなさい。もう部屋に帰るから。今日は一日ご苦労だったな。」

 パンドラズ・アクターは意味が分からないと言うように首を傾げた。

「ヘヤニカエル?」

「あぁ。寝室に連れ帰る。ほら、あまり話していると起きてしまうだろう。」

 フラミーは余程疲れているのか穏やかな寝息を立て続けていた。

 体が変化しているのだから仕方がないし、近頃はフラミーは本当によく眠るのだ。

「ご安心を。こちらでお眠り頂きますし、先程セバス様より取り急ぎ二回分のお食事もいただいて参りましたので。何の御心配もありません。」

 パンドラズ・アクターが指し示す先にはアイランド式のミニキッチンの傍にワゴンが二台置いてあった。

「そういう話じゃないだろう。」

「…ではどういう話で…?」

 パンドラズ・アクターは掛け布団のシワを撫で、取り除けるシワを全て丁寧に取り除くと、ベッドから離れて天蓋に着く幕を引いた。

「これでお休み頂けます。今後父上もこの中で営まれればよろしいかと。」

「馬鹿を言うな…。さ、おふざけはおしまいだ。私達は帰る。」

「何を仰っているのですか?今後フラミー様がこちらをお出になるご予定はございません。」

 言われている意味が解らずアインズは目の前の息子を戸惑う様に見つめた。

 もしやフラミーが守護者に妊娠している事がバレないようにここで過ごしたいと言ったのだろうか。

 妙に納得行くとアインズはうーむと唸った。

「…じゃ、私も今日はひとまずここで寝るか。」

「初めからそうなされば良かったのです。」

 パンドラズ・アクターは若干不機嫌そうに頷くと檻を開けた。

「全く。なんなんだかな。」

 アインズは檻に入り、ゆっくりと天蓋の幕を開けると、穏やかに眠るフラミーに顔を綻ばせた。

「父上、つかぬ事をお聞きするのですが――」

 若干水を差されながらベッドに腰掛け、人形のように眠る人を撫でた。

「なんだ?」

「父上はりあるへ渡る力を今失われてらっしゃるのですよね。それはいつお戻りになるので?」

 何度も念を押して聞かれがちな質問に苦笑する。

「あぁ。もうリアルへ渡る力は戻らないと思うぞ。」

「……そうですか。」

 これまで守護者達はそう言うと狂喜乱舞したと言うのに自分の息子はまるで違う反応を見せた為、アインズは軽く首を傾げた。

「なんだ?どうかしたか?」

「いえ。何でもございません。さぁ、お休み下さい。」

 パンドラズ・アクターは檻の外に出ると扉を閉めずにソファに座り、闇から何かを引き抜いた。

 アインズは目を細めた。それはフラミーの杖だった。

 もくもくと杖を磨き上げて行く。

「…メンテナンスか?お前もちゃんと寝ろよ。」

 アインズは幕を閉めると布団をめくり、想像とまるで違う格好のフラミーにギョッとした。

 その人の身に纏う白いドレスは美しいが紫の皮膚が一部透けて見えていた。

 見てはいけないものを見たような気分になり、めくった布団を一度戻す。

(…あいつは見たのか…?)

 そっと幕の隙間から外を見るとパンドラズ・アクターは一生懸命に杖を磨きご満悦の様子だった。

 明日起きたらあまりそういう格好を寝室の外でしないようにと、フラミーに危機感のなさを注意することに決める。

 そして人の身になるともそもそと布団に潜り込みフラミーを抱きしめ眠った。

 

 パンドラズ・アクターは檻の外でフラミーから回収したあらゆる装備を磨き、手入れしながら悩んでいた。

 てっきりアインズはあの旅をフラミーの最後の外出とし、後はここにしまい込むつもりなのかと思っていたが、どうもそうでは無いらしい。

 ナザリック内に留めておけば良いと結論付けているようだが、パンドラズ・アクターはそうは思わない。

 父はフラミーがりあるへ行く準備をしている事を知っているのだろうか。

 いや、知っているからこそのこの間の旅の会話か。

 

(もしまたリアルに行く事が出来るようになったらその時には何が何でも迎えに行きますから。)

 

 絶対的な力を持つ父すら渡れなくなってしまった今、フラミーが他の至高の三十九人と同じようにナザリックを離れてしまえばおしまいだ。

 誰も二度とフラミーを迎えには行けないだろう。

 昔から父はフラミーを閉じ込めようとはしなかった。

 監視で済ませれば良いと思っているなら大間違いだ。

 

「…()は絶対にあなたをどこかに行かせたりはしない。」

 パンドラズ・アクターは強い決意に拳を握った。




アインズ様、ちゃっかりそこで寝るんだね〜。
そして息子への絶対的信頼感!
天空城、大活躍だったもんね…。

次回 #58 鈴木の願い


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#58 鈴木の願い

 翌朝アインズが起きると、フラミーはまだ眠り続けていた。

 よく眠るなぁと思うが、最古図書館(アッシュールバニパル)から借りてきた本に確か眠い期間もあるような記述もあったためそっとしておくことにした。

 今フラミーが一体何週目で、どんな事が起こるのか分からないのだ。

 それにここに居て貰えば危害が加わることはない。

 幕から出ると、パンドラズ・アクターは一人義務付けられている朝食を取っていた。

 開いている真っ黒の点の中にフォークに刺されたソーセージを入れ――引き抜くとそこにはフォークしかなかった。

 まるっきりシステムが分からない食事風景だ。

 テーブルにはパンドラズ・アクターが口をつけているものとは別に、おそらくアインズの分だと思われる食事もある。

 立ち上がり礼をしようとするパンドラズ・アクターを手で必要ないと押し留めた。

 アインズは大きく伸び、あくびをしながら檻の外にあるソファに向かい、息子の向かいに座った。

「はぁ。やっぱりここじゃよく寝れんなぁ。」

「慣れていただくしか無いでしょうねぇ。」

 そんなにフラミーは長くここに引きこもるつもりなのだろうか。

 いつも通り過ごすと言っていたが、やはり置いてけぼりにされれば少し気持ちも変わるものか。

 アインズはダークドワーフの国で待つ知恵者二名との約束の時間まで後どれ程かと腕時計を確かめ、息子と朝食を取った。

 

「フラミーさんと話したかったが、仕方ないな。」

 着替えや朝の支度を済ませ、出発の時間になってもフラミーは眠り続けていた。

「起きられるまであと二時間はあります。」

「その時間に起きると言ったのか?」

 ちらりと時計を確認するが、いつもフラミーが起きる時間より随分と遅い。

「いえ、その頃に目を覚まされると解っているだけです。」

 どういう意味だろうかとアインズは眉を顰めた。

 取り敢えずフラミーが起きたら一時帰宅しようと決めた。

「まぁいい…。さて、二人を待たせるわけにもいかんし、私はそろそろ行く。今日も任せたぞ。」

「かしこまりました。ンンンン父っ上!」

 任せると言う言葉を聞いた途端にハイテンションになってしまった息子を前に沈静される。

 アインズはもう一度檻に入り眠り姫に口付け出掛けて行った。

 

 パンドラズ・アクターは父を見送ると檻に入り、ベッドの幕を開いた。

 丁寧に布団を整え、父が触って乱したであろう髪の毛を結び直す。

「これでいい。」

 朝のお人形遊びを済ませると檻を閉め、よく見える場所に戻りぼんやりと眺めた。

「一度フラミー様の装備一覧も作った方がいいでしょうね。」

 目録を作ることは趣味の一環だ。

 自分が死んだ時の為に宝物殿の宝の目録も作っている。

 そうだ。あれにフラミーも書きたさなければ。

 バンドラズ・アクターは上機嫌に宝物殿の目録を取り出した。

 数十冊あるうちの第一巻だ。

 一番最初のページに挿入しようと決め、綴じている所を魔法で解きトントン叩く。

 まずはデータを書かねばいけない。

 目録用の紙を取り出し、夢中でフラミーのデータを書いていると、ンン…と檻の中から声が聞こえた。

 もう効果の切れる時間が来たかと目録を書く手を止めた。

 軽い足取りで檻へ向かい中に入る。

「フラミー様、おはようございます。」

「あ…ズアちゃん、朝になっちゃいました…?うぅ、ズアちゃんのベッド取っちゃってごめんなさい…。」

「いえいえ、こちらはフラミー様のものですのでお気になさらず。さぁ、ご朝食を。」

 フラミーは私のもの?と首を傾げながら布団から抜け出しふかりと芝生に足を下ろすと、自分の格好がいつもと違うことに気が付いた。

 僅かに透けている様子に恥ずかしくなり布団をたぐり寄せた。

「あの、これ。」

「よくお似合いです。」

 パンドラズ・アクターはまたパチパチと数度手を鳴らした。

「ズアちゃんが着替えさせてくれたんですか…?」

「えぇ。ローブは眠るのに向いていないですし、何より物騒ですから。」

 物騒ってなんだろうと半笑いのフラミーは自分の姿を見下ろし、もう一度見上げた。

「あの…お着替えの時…見ました…?」

「いえ、何も。」

 パンドラズ・アクターは随分とさっぱりした声音で応えた。

 それはそうかと無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を入れ、上着になりそうなものを探す。

 ところが何も手に触れない。

「あ、あれ、ない。ない!全部ない!」

 フラミーが慌ててそこに両手を突っ込んでいると、パンドラズ・アクターは良いことをしたとでも言うような雰囲気で胸を張った。

「フラミー様の装備は全て私が回収いたしました。目録作成と手入れをしております!」

「あー…えっと…。」

 何を言えばいいのか一瞬分からなかったが、言葉を絞り出す。

「ありがとうございます…。でもお手入れも目録も良いですから返して下さい。こんなかっこじゃここ出られないです…。」

「なるほど!ではベッドでお食事ですね。」

「えっ!そうじゃないでしょ!?もう!」

 パンドラズ・アクターはぷりぷり怒り始めたフラミーを他所にセバスから貰ってきた食事の一つを魔法で温め、トレイに載せるとベッドに運んだ。

「さぁ温かいうちにお召し上がり下さい。」

「…食べたらローブだけでも返してください。朝になっちゃったなら私パトラッシュ達のお散歩に行かなきゃいけないんです。」

 布団を胸元で抑えたままフラミーはアインズはどうしたんだろうともそもそ朝食を取り始めた。

 眺めながら今日は宝にどんな手入れをしようかと悩むパンドラズ・アクターは大して人の話を聞いていない。

 ベッドの端に腰掛け、寝ている間に背で潰されていたフラミーの翼を撫で付けた。

「むぅ、なんですか?」

「いえ、お気になさらずお召し上がりください。」

 フラミーの重たそうな翼を広げてどこからともなくブラシを取り出す。

 滑らかな触り心地の翼は切り落として剥製にして飾っておきたい程だ。

 決してボサボサなわけではないが羽の一枚一枚を整えるようにブラッシングして行く。

 食事が終わったフラミーは翼を揺らした。

「じゃあ、私もう行きますね。取り敢えずローブ貰っていいですか?」

「いえ、それは困ります。さぁ、反対側もしますのであちらを向いてください。」

「あの…でもアウラ達が待ってるかも…。」

「ではご連絡いたしましょう。」

 パンドラズ・アクターは一も二もなく伝言(メッセージ)を送り、仔山羊達の世話を頼んだ。

 これでよろしいでしょう。と満足げに頷くとフラミーを持ち上げた。

 フラミーは驚きに一瞬アッと声を上げ、落とされないように首にすがった。

「ズアちゃん…遊んで欲しいんですか?」

「そうですね、遊んで欲しいです。」

「うーん。そうかぁ。」

 ベッドの真ん中に移動させると後ろに座り再びブラッシングを続けた。

 普通なら同じ布団に乗るなどとてもしないだろうが、宝のメンテナンスの為ならば仕方がない。

 髪型も後で変えても良いかもしれない。

 なんて素晴らしい時間だと宝との触れ合いにパンドラズ・アクターから花が落ちては消える。

 これはやはり宝物殿にあるべきだ。

 パンドラズ・アクターはご機嫌だった。

 

「さぁこれで綺麗になりました!」

「ありがとうございます。じゃあ私もしてあげます。」

「は?」

 フラミーは寂しさが爆発している様子のパンドラズ・アクターの帽子を取ると数度その頭を撫でた。

「ねぇ、ズアちゃん。遊ぶにしても服は返して貰わなきゃ本当にここから出られないですから、返してくれません?」

 パンドラズ・アクターはポヤポヤと花を咲かせ、「それはそれは何よりです。」と動かない顔でニコリと笑った。

 困った子だなぁと漏らすフラミーに再び帽子を被されると、全てが済んだとでも言うようにパンドラズ・アクターはベッドを離れ、淹れておいた紅茶を昨日と同じカップに注いだ。

 ナザリックの管理のために一度玉座の間へいかなければならないため念には念を入れる(・・・・・・・・)

 フラミーに一杯を渡し、何度も頭を撫で付けた。

「あの…私ズアちゃんよりよっぽど大人なんですけど…。」

 不服そうにしている手を取り口に寄せさせ、飲ませる。

「存じ上げております。何も知らない、何の力もない子供だったらどれ程良かったか。」

 フラミーは再びの強烈な眠気にまさかこれのせいかと口を離そうとすると、頭を軽く掴まれ、そのまま飲まされた。

「ンッ…、待ッ……!」

「美味しく淹れられましたから、残さずお飲み下さい。」

 喉が数度鳴り嚥下されて行く。

「――おい!!何やってんだ!!」

 遠くで声がした気がしたがフラミーは口の端から垂れる紅茶を、拭くこともせずに意識を手放した。

 

 パンドラズ・アクターはくてりと脱力したフラミーを支え、カップをベッドの下に置く。

「引き続きお眠り頂いただけですよ、父上。」

 二時間で目覚めると言わなければ良かったなと思いながらパンドラズ・アクターはフラミーをゆっくり寝転がらせた。

「お眠り頂いたってお前、まさか昨日も――」

「はい。こちらのマジックアイテムの効果でお眠り頂きました。」

 ティーセットを指し示し、あっけらかんと言い放つ埴輪にアインズは信じられないものを見るような目をした。

「お前、自分が何をやっているのか分かっているのか!?」

「分かっております。これが最も良い方法なのです。起きてらっしゃるフラミー様から装備を奪うことは困難ですし、それに私はこれから玉座の間へ行きナザリックに変化がないかアルベド様の代わりに統括業を行わなければなりません。その間にどこかへ行かれたりしては困りますので。」

 最も信頼するNPCの思わぬ言動にアインズは信じられないと何度も檻の中の二人を交互に見た。

「やりすぎだ…。そこまでの事を私は望んでいないと分かっているだろう!」

 パンドラズ・アクターは可愛らしく首を傾げた。

「…ふざけるんじゃない。」

「いたって大真面目でございます。父上はそろそろ目を覚まされた方が良い。」

「お前のせいですっかり目は覚めている。」

 動かない顔の二人は――多分睨み合っていた。

「…お前にはもうその人は任せられん。」

「ご冗談を。フラミー様にはどこよりも安全なこの場所で生涯暮らし続けていただきます。これこそが父上の本当の望みのはずです。」

「俺はそんな事を望んだことは――」本当にないだろうか。

 旅から帰った日だってフラミーを寝室に閉じ込めようと思ったし、無様な最重要課題ではどうやってこの宝を仕舞い込もうか悩み、一番にここを思い出した。

 アインズの逡巡を肯定と捉えたパンドラズ・アクターは腕を伸ばした。

「さぁ、父上。兎に角今はお戻り下さい。向こうでお二人がお待ちなのでは?」

「…いや、行けない。フラミーさんをここから出さない事には。」

「父上とは言えさせませんよ。」

「っち、誰に似たんだ。頑固者が。」

「父上でしょう。」

 アインズは渋々杖を引き抜き、脅すようにパンドラズ・アクターへ向けた。

「フラミーさんを出せ。私は本気だぞ。」

「落ち着いて下さい。ここは宝物殿です。宝を置くために存在する何者にも侵されない聖域。あるべき場所にようやく宝が収まっただけではありませんか、父上。」

 パンドラズ・アクターの言う事はいちいちアインズの小さすぎる決意を揺るがす。

 それはそれで、と思ってしまうのだ。

 特に今のフラミーの体を思えばここに閉じ込めておくことの有用性は痛いほど分かる。

 ――しかし、アインズはフラミーと共に学んできた。

「…ダメだ。その人は宝だが生きているし、意思がある。それを縛り付けるような真似は…ダメなんだ。それに安全だとしてもこんな箱庭のような世界ではフラミーさんは幸せにはなれん。」

「箱庭なりの幸せを生んで見せますのでご安心下さい。私たちは父上の(ハコニワ)を見て来ているではありませんか。あそこに生きる者達の幸せは偽りではありませんし、きっとここでもその様にできます。」

「フラミーさんの自由意志を奪った先にあるのは地獄だぞ!」

「父上の仰りたいたい事はわかります。しかしこうしなければ、この先に待つのは確実なる絶望です。これまでそうやって何もかもを失って来たではありませんか。」

 アインズは常闇に残された心の傷に触れた。

「…次こそは失わないさ…。」

 そしてこのやり取りに眩暈を覚える。

 これではまるであの日の――始原の魔法を奪い取った日のツァインドルクス=ヴァイシオンと自分の会話そのものだ。

 それも、自分がツアーでパンドラズ・アクターが自分だ。

 

 パンドラズ・アクターは丁寧にフラミーに布団を掛けると溜息をついた。

「…父上、ずっとそう仰って何度後悔してきたか分からないではないですか…。」

「それでも…だ。それでもフラミーさんを出せ。出さないなら、これを始原の魔法で吹き飛ばす事になるぞ。」

 アインズが籠を叩きながら腕輪を輝かせるとパンドラズ・アクターは叫んだ。

「おやめください!父上だってフラミーさん(・・)を本当は閉じ込めておきたいとお思いのはずなのに!」

 アインズはその呼び方に一瞬何と話しているのか分からなくなった。

「お、お前…フラミーさんって…。」

 本当にこのNPCは自分自身だと言うのか。

「なのに何故自由を与えようとするのですか!」

「…多分それが愛だからだ。お前にだって本当は分かってるはずだろう!」

 何度も仕舞おうとしては踏み止まったアインズは哀れな影に手を伸ばした。

 自分が分かったのだから、分かるはずなのだ。

「今までその愛に応えた者達は一人もおりません!フラミーさん(・・)はナザリックの全てに勝る!どうしてそんな風に平気なふりをなさるんだ!!」

「平気なもんか!フラミーさんが外に行くたびに私だって怖い!」

「そう思うなら、()のやってる事に構わないで下さい!!なんで肝心の父上が協力してくれないんだ!!」

 パンドラズ・アクターの身はまるで静かな湖面に石を投じたように揺らめき、姿を変えていく――。

 すぐにそれが何になるのかアインズは悟った。

「なんでわかってくんないんだよ!フラミーさん(・・)がいてくれれば、本当は世界も何にもいらないくせに!!」

 泣いて叫ぶその優しい目をした男は――鈴木悟そのものだった。

「…俺達の望みはそんなことじゃないはずだろう…。」




次回 #59 親子

濃縮還元……(;ω;)可哀想………。


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#59 親子

「なんでわかってくんないんだよ!!フラミーさん(・・)がいてくれれば、本当は世界も何にもいらないくせに!!」

「俺達の望みはそんなことじゃないはずだろ。」

 

 鈴木悟を凝縮したような者はぶんぶん頭を振った。

「違う!最初からずっとこうしたかったんだ!!フラミーさん(・・)がいれば、フラミーさん(・・)さえいてくれればそれで良いんだ…!」

 鈴木悟はヒビ割れた声を上げ震えながらフラミーを抱きしめて泣いた。

 フラミーさん、フラミーさんと繰り返すあまりに哀れな自分の背中からアインズはつい目を逸らしたくなった。

 このNPCを創った時に自分(鈴木悟)の影だと自嘲したが、まさかこんな事になるなんて。

「…パンドラズ・アクター。お前の気持ちは痛い程によくわかる…。でもこの方法じゃ多分フラミーさんも俺たちも幸せになれやしないんだよ…。」

「してみせます!だから、頼むから()に任せてみて下さい!!()は絶対にもうフラミーさん(・・)を行かせたくないんだ!!」

「行かせたくないって…外には俺も出す気は無い。だから安心しろって。」

「だめだ!それじゃ足りないんだ!!」

 折れてしまうのではないかと言うほどの力で鈴木悟がフラミーを抱きしめると、フラミーの口からは苦痛に耐えるような声が上がった。

「あ、おい、そんな風に扱うな!!大切なら…壊れるような…扱いは………やめろ……。」

 言いながら、最重要課題を思い出し尻すぼみになった。

 特大ブーメランだ。

 結局これは自分自身なのだから、何を言ってもブーメランだろう。

「兎に角フラミーさんを離しなさい。」

「離したらどうせフラミーさん(・・)もいなくなっちゃうんだ…!」

 聞いたことのある言葉に自分が何をそんなに恐れているのかようやく理解した。

 ずっと子供を案じ、安全な場所に置きたいと言っているのかと思っていたが――

「お前、まさかフラミーさんがリアルかどっかに行くと思ってるんじゃ…。」

「……フラミーさん(・・)は行っちゃいますよ!それどころか次はもう二度と戻らない!!だから父上だってナザリックに閉じ込めようと思ったくせに!!」

 アインズは鈴木悟の顔で睨み付けられウッと一瞬胸を押さえた。

「そうじゃない!そんな理由で俺はフラミーさんをお前に任せたんじゃないし、ナザリックに置いていこうとしたんじゃない!フラミーさんは何処にも行きやしない!ずっとそばにいる!」

「ずっと…そばに……いたいのに!なのに!!」

 鈴木悟の声は怒りと嘆きが合わさったものだった。

 ギギッとよくない音がフラミーから鳴るとアインズは慌てて杖を振った。

「ッチ、俺ってやつは本当にどうしようもない!!<上位抵抗力強化(グレーターレジスタンス)>!<上位硬化(グレーターハードニング)>!」

 

 アインズから魔法を送られたフラミーはゆっくりと目を開いた。

 今にもまぶたが落ちてしまいそうな様子だが、自分を抱きしめて泣く、筋肉のない痩せたモモンを見るとその背をそっとさすった。

「っ…あなた…どうしたの?何が怖いの…?」

「俺、怖いんだ。()を置いてフラミーさん(・・)が立ち去っていくのが怖くて、怖くて、もう俺――俺…!」

「はは…また…それですか…?」

「行かないで…()を忘れないで…。」

「行かないですよ。あなたのいる所が…私の生きる場所……。」

 フラミーは鈴木悟の顔を包み、そっと唇を寄せ――アインズは「あ、ああ…」と情けない声を上げた。唇同士が繋がってしまう直前にギュッと目を閉じ、己の唇を噛んだ。

 それが触れ合い、離れる音が聞こえた。

「ふ、ふらみーさん(・・)…。」

「もう二度と一人にしないから…。」

 フラミーは笑うとまたこてりと眠りに落ちた。

 穏やかな寝息が上がる。

 アインズの心にはあたたかい物が広がった。

 もうアインズは(・・・・・)よく分かっている。

「フラミーさん、ありがとう……。」

 鈴木悟を慰めてくれた人に檻越しに感謝を送った。

 

「パンドラズ・アクター。お前は二つ致命的な勘違いをしている。」

 自分の唇に触れポロポロと涙を落とし、呆然としていた鈴木悟はゆっくりアインズを見た。

 アインズが自分の腹をトントンと軽く叩いて見せると――鈴木悟は一瞬自分の腹に触れた後、ハッとしたように自分の腕の中にあるナザリックの最秘宝の腹に手を乗せた。

「まさか…。」

「そうだよ。だから、俺はその人をナザリックで守って欲しかったんだ。それに、フラミーさんの言う通り俺もフラミーさんも決してナザリックを離れない。どこにも行かないんだ。二人一緒にここで生きていく。これから生まれてくる者は俺達の誓いの証だ。」

 その瞬間鈴木悟の身は揺らめき、まるで桜が舞い散るようにその姿はパンドラズ・アクターの物に戻った。

「ナザリックを…離れない…。」

「そうだ。決して離れない。」

「あ…あぁ…ぢぢゔえ"…!」

 アインズは思わず鎮静されるかと思った。

「はは、本当に俺って仕方ないやつ…。」

「フラミーさん(・・)…!」

 抱きしめていたフラミーをそっと寝かせるとそれを見下ろし、二つの黒い空虚の輪郭から大粒の涙を――出したような気がした。

 何も変わらない埴輪の顔はいつも通りだ。

 縋るようにフラミーの胸に顔を当てるとパンドラズ・アクターは出ない涙を絞り出すようにそのまま暫く肩を震わせ続けた。

「まったく大バカ息子が。さぁ、そろそろここを開けなさい。」

 パンドラズ・アクターは父上父上と言いながらふらふらと立ち上がり、扉の前に着くと帽子を脱いだ。

「私は…宝を守る守護者として相応しくありません…。この命をもって我が至高なる創造主たるモモンガ様とフラミー様にお詫びを…。」

「…パンドラズ・アクター。私がお前をどう思っているか知っているか。」

 パンドラズ・アクターはゆっくり首を振った。

「お前を宝物殿に置いたのは、私がお前自身を宝だと思っていたからだよ。」

「私が…。」

「そうだ。お前もこのナザリックの秘宝なんだ…。だから、私の宝に余計な真似はするな。」

 その場に崩れ、ドサリと床に膝をつくと檻の中でパンドラズ・アクターは己の身を抱きしめた。

 檻の外からむき出しの頭を撫でてやりながら溜息をつく。

「パンドラズ・アクターよ、お前の趣味はなんだ。」

「…宝を愛でる事です…。」

「そうだ。ではお前がやらなければならない事はなんだ。」

「宝を…守る事です…。」

「解っているなら、私の宝をちゃんと大切にしてくれ。」

 頭をポンポン叩かれながらパンドラズ・アクターは顔に手を当て震え続けた。

「さぁ、開けられるな。」

 頷きと共にゆっくりと開かれた扉をくぐると、アインズは大層不出来な息子を立たせて抱きしめた。

「お前はこれからお兄ちゃんになるんだからしっかりしろよ。」

 パンドラズ・アクターは静かに頷くと、全知全能の創造主の背に手を沿わせた。

「…弟でしょうか…。」

「………それはまだわからん。」

 全知全能の筈の神にもわからない事があるわけもない。

 意地悪で言われているのだとパンドラズ・アクターは少し笑った。

 

 ごそごそとフラミーが起きる気配にアインズがパンドラズ・アクターの肩から顔を上げると、目をこするフラミーは呟いた。

「……らぶしーんしてる…。」

「……してません。」

 

+

 

「うーん。紅茶飲むとすっごく眠くなるってわかったんで、私しばらく控えようかと思います。」

 アインズとフラミーは結局檻の中の二脚の一人掛けソファに座っていた。

 その前にはパンドラズ・アクターの淹れた冷たい紅茶が紙のように薄いグラスに注がれていた。

「……そう言うこともあるんでしょうねぇ。」

「…それは不思議ですねぇ。」

 親子は二人揃って紅茶を見詰めるフラミーから視線を逸らした。

「せっかく淹れて貰ったのに、ごめんね。」

 フラミーはアインズの膝の上で子供サイズになって足をぶらぶらさせているパンドラズ・アクターに申し訳なさそうな視線を送った。

 あれだけ美味しいからと飲んで欲しがる自信の一杯だとはわかっているが、どうにも受け付けないと解って貰いたかった。

 子供パンドラズ・アクターはぷるぷると何度も首を振っていた。

「…可愛いなぁ。アインズさん、私も抱っこさせて下さい。」

「無理です。」

 アインズはぴしゃりと拒否した。

「…父上、我が宝の望みなので。私はこれで。」

「……お前、全部許されたとでも思っているなら大間違いだぞ。」

「またまたそんなっ!」

 パンドラズ・アクターはどうやっているのかは謎だがキャピッと星を飛ばすといそいそとアインズの膝を降り始めた。

「ダメだ。お前はもうフラミーさんに二度と触るな。」

「アインズさん、ズアちゃんに意地悪しないで下さい。」

 少し頬を膨らませたフラミーに叱責されるとアインズは可愛子ぶっている息子を睨み付けた。

「本当ですよ。父上、子供に嫉妬などみっともない。」

「…やっぱり一回くらい死んでもらったら良かったか…。」

「アインズさん!言って良い事と悪い事がありますよ!」

 フラミーはガタンと立ち上がると小さいパンドラズ・アクターを抱き上げ背を数度ポンポン叩いた。

 ポヤポヤと花を撒き散らし、至福とでも言うような顔をする息子に只々苛々する。

 以前飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の里でその姿になり、フラミーに抱き締められた時は躊躇う様子だったと言うのに妙に吹っ切れている。

「…本当に大馬鹿息子だ…。」

 しかし全ては鈴木悟(おのれ)の残滓のなす事かとアインズは苦々しく笑った。

 

 そして息子は思い出したようにフラミーを見上げた。

「あ、そう言えば先程セバス様にご連絡したところ、戦闘メイド(プレアデス)のお嬢様が検診を行いたいと――」

「何!?お前話したのか!?」

 アインズは立ち上がると不出来すぎる息子の首根っこを掴み、驚いているフラミーから取り上げた。

「は、はぁ。話しましたが…。」

 そのままアインズは背の皮を掴まれる猫のようになっているパンドラズ・アクターを連れて出口へ向かい、その手を使って開いていた檻をガシャンッと閉めた。

「ち、ちちうえ?」

「…フラミーさんは暫くここに閉じ込める。それがフラミーさんのためだ。」

「えぇ!?何故ですか!?おやめ下さい!フラミー様には検診が必要です!!」

 途端に大人の姿に戻ったパンドラズ・アクターが扉を開こうとするとアインズはその手を掴み上げ、二人は取っ組み合うように手のひらを押しあった。

「ええい!お前もこれが望みだろうが!!」

「望んでおりません!!っこの、お離し下さい!!」

「嘘をつくな!じゃあ私の願いを叶えろ!」

「父上の願いとは言えお聞きいたしかねます!!」

「「頑固者!!」」

 二人は仲睦まじく互いを罵った。

 

 フラミーは今日も仲がいいなぁと親子を見ながら、夢に見た涙にくれる鈴木悟を思い出した。

 取っ組み合いを続けるアインズのローブの裾を数度引っ張る。

「アインズさん、アインズさん。」

「っこのバカ息子――どうしました?」

 アインズの怒りの波動はぴたりと治り、パンドラズ・アクターも話を邪魔しないように静かにした。

「寂しくないですからね!私、どこにも行きませんから!」

「…はい。俺はよく解ってますよ。」

 アインズは息子から離れ、ナザリックの最秘宝を抱き締めると消毒(・・)した。

「…何を見ているんだ。」

 客席でもじもじする舞台役者を手招く。

「早く来なさい。」

 顔をパッと明るくした息子は二人に飛び付いた。




次回#60 九人の守護者

濃縮還元も本人もすぐ闇落ちしようとするから大変だね!
フララ、幸せになって下さい!!

以前、鈴木になっちゃうんでしょとユズリハ様に未来予知された時に頂いた絵を!
鈴木さん注意です!

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そしてちびぱんです!

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#60 九人の守護する者達≪最終話?≫

 アインズをダークドワーフの国へ、フラミーを検診へ送り出したパンドラズ・アクターは応接間でとあるリストを取り出した。

 その名も何でもする女リスト。

 パンドラズ・アクターはそれを見るとフッと笑い――火を点け捨てる。

「…フラミー様がりあるへ行かれている間に父上をお慰めする者が必要かと思っていましたが、もうこれも不要ですね。」

 パンドラズ・アクターはずっとアインズを慰める、寂しさを埋める者を探し続けた。

 アルベドが子供を率先して持とうというなら、それを応援したし、ドラウディロンを娶りそうな雰囲気があった時には大いにお膳立てもした。

 そもそも神官達に「あれがいつか魔道国に相応しくなったと私が(・・)思えたら」と嫁入りを公言したのはパンドラズ・アクターだ。

 キスもしたし抱き締めもした。

 もちろん属国化記念式典の際にナザリックへ入ろうとしたのは止めたが、ナザリックの外で過ごさせて必要時にだけ父を慰める都合のいい女として使うにはベストだと思っていたのだ。

 地位も頭脳も肉体も申し分なかったドラウディロンはもっと上手くやると思ったというのにどうも上手くいかなかった。

 しかし、フラミーが今後二度と立ち去らないというのなら当然ドラウディロンももう必要ないだろう。

 そして、フラミーにはずっと()を早く持って欲しかった。

 全ての荷から解き放たれたパンドラズ・アクターはこれ以上ないほどに清々しい笑顔を――顔はないが――作って深呼吸した。

 そして黄色い頭をわずかに赤くした。

 黒い穴の一つに触れ、フラミーの言葉を思い出す。

 

(行かないですよ。あなたのいる所が…私の生きる場所……。)

 

 パンドラズ・アクターはニヒニヒと身をよじらせた。

「実は父上より愛されてたりして。」

 とんでもない事を言う息子もいたものだ。

 

+

 

「フラミーさん!!性別わかったって!?」

 アインズは仕事を知恵者二名に再び押し付けると検診を受けていたフラミーの下に飛んで帰ってきた。

 扉を開けながら叫ぶと、検査を終え片付けをしていた様子のペストーニャと戦闘メイド(プレアデス)がお帰りなさいませ、と揃って頭を下げた。

 皆の晴れ晴れとした表情の中に、抑えきれない興奮が透けて見える。

 ベッドの上に座って照れ臭そうに笑うフラミーに突っ込むと、二人は転がった。

「はは、アインズさん、重たい。」

「それで、どれだったんですか!!」

 どちら、とは言えない二人だ。可能性は三つあるのだから。

 アインズは下敷きにしたフラミーから起き上がり、ゴクリとその唇が動く時を待った。

「男の子だそうですよ。」

「お、おとこのこ…。」

 白痴のように同じ言葉を繰り返すと再びベッドに倒れ、戦闘メイド(プレアデス)達がいる事を構いもせずに目一杯抱きしめた。

「っはは、やっぱり男の子って男の人は嬉しいんですか?」

「いや!どんな性別でも嬉しいです!!」

 しかし、以前は性別の確認が出来るほどまでも成長できなかった子を想うと、それを確かに確認できたと言うことだけでもアインズは幸せだった。

「あぁ!俺、俺、もう!!」

 言葉にならない感動が心の底から溢れ、次から次へと押し寄せると、アインズは笑いながらポロリと涙をこぼした。

 春の陽だまりのように、余りにもあたたかく幸せな涙だった。

 フラミーも言わんとする事を掴むと、宝石のように綺麗な涙をこぼし、二人は失った日のように抱きしめ合った。

 新しい命の祝福は、二人の心にようやくこの世界で暮らす事を赦されたような不思議な安心感を広げた。

「本当…フラミーさん、ありがとう…。あなたが一緒に来てくれてよかった…。」

 フラミーは首を振ると、照れたようにクスリと笑った。

「そんな、お礼なんて。」

 優しく唇を重ねると二人は信頼に満ちた顔をした。

 フラミーをその身で押し潰していたアインズは起き上がり、二人同様喜びや幸せが溢れて止められない様子の戦闘メイド(プレアデス)とペストーニャへ視線を送る。

 ペストーニャは医師としての仕事を始めるため、一度自分を切り替えるとでも言うようにコホン、と咳払いをしてから口を開いた。

「アインズ様、フラミー様はつわりも治まって来ているようですし、お腹が大きくなり始める前に軽い運動なども少し取り込み始めた方がよろしいでしょう。あ、わん。」

「何?運動が必要なのか。」

 アインズは触ればわかる程度にほんの少しだけ膨れている気がする腹を撫でた。

「大丈夫か?大丈夫なのか?」

「ウォーキングなどご無理のない範囲でお願いいたします。あ、わん。」

 フラミーはそれを聞くと子供のような顔をした。

「お出掛けしたーい!」

 アインズは「そんなのダメだ」と言おうと思ったが――パンドラズ・アクターを思い出し、なんとか飲み込んだ。

「…警護を集めろ。メンバーはお前達に任せるが、なるべく強力な者を頼む。」

 戦闘メイド(プレアデス)を連れてペストーニャが羽のように軽い足取りで部屋を出て行くと、アインズはフラミーの顔を覗き込んだ。

 部屋の外では当然お祭り騒ぎだ。

「――苦しくなったら、二人で仔山羊十匹連れてナザリック抜け出しましょう。」

 アインズはプレッシャーを感じていないかフラミーの気持ちを案じた。

 引っ張り抱き寄せてやるとフラミーは眠る前の赤ん坊のように安心しきった顔をした。

「うん、そうします。でも、ちょっと行き過ぎだけどやっぱり喜んで貰えると嬉しいですね。」

「そうですね。本当に。」

 アインズはしばらく腹に手を乗せトントンと触った。

「アインズさん、今度は産まれてくるんですよね。」

「あぁ、産まれてくるよ。この世の全てから俺が二人を守るから。」

 フラミーがとろけそうな程に優しい顔をすると、二人はしばらく振りに愛し合った。

 

+

 

 数日後の初夏のある日、アインズはフラミーを連れて聖王国のそばの海に来た。

 強力な護衛――ガルガンチュアを除いた全守護者と共にだ。

 穏やかな海とは裏腹に守護者不在のナザリックは厳戒態勢になっている。

 アルベドとデミウルゴスがダークドワーフの国を吸収し、ナザリックに帰還して全員の予定が合うまで結局外出は控えられてきた。

 それまでフラミーはペストーニャの勧め通り第六階層の湖の周りをウロウロと散歩した。

 今日も双子と共に海の周りをウロウロすると、セバスと男性使用人が広げた絨毯の上に座るアインズの隣に戻った。

 アインズはすぐさまフラミーに、捩じくれた木の枝のような羽が生えた胎児姿の第八階層の守護者(ヴィクティム)を渡し、その膝に羽織っていた自分のローブを掛けた。

 ヴィクティムはようやく膨らみ始めたフラミーの腹に数度顔を擦り付けると、腹へ向かって喋り始めた。

アオミドリ()ダイダイ()エドムラサキ()アオムラサキ()ダイダイ()タマゴ(て!)ソショクヤマブキダイダイアオミドリ(わたしは)シンシャヒハダタマゴヒムラサキ(ヴィクティム)ムラサキタイシャ(です)。」

「ふふ。かわいい。こんにちはーってね。」

 フラミーが愛しそうにヴィクティムを撫でると、アインズもポンと手を乗せ――何かをごにょごにょと中へ向かって喋り続ける姿にこれはまさかと顔を覗き込んだ。

「…ヴィクティム、中がわかるのか…?」

アオミドリヒ(はい!)ボタンハダミズアサギダイダイタマゴ(アクビして)シロ()オウド()ダイダイ()クロ()()アオムラサキ()タイシャ(す!)タマゴウスイロ(でも)ウスイロハイシオンアオミドリ(御身は)ヒトクワゾメアオミドリアオミドリ(言葉は)アオムラサキヤマブキ(まだ)クリソショクゾウゲウノハナモエギ(お解りに)キミドリシロキミドリヒ(ならない)シオンヤマブキヒタマゴタイシャ(みたいです)。」

 アインズとフラミーは目を見合わせた。

 フラミーにヴィクティムを持たせているのは何かがあった時に命を燃やしてもらう為だったが、思わぬ収穫だ。

 まだスモモ程度の大きさらしいが顔も口ももうあるらしいのだからアクビくらいするのかもしれない。

「そうか。お前は暫くフラミーさんといることにしなさい。」

ゾウゲ()ダイダイ()ヒト()アオムラサキ()ウノハナ()アオムラサキ()ダイダイ()ヤマブキ(た!)!」

 支配者達は実に和やかだった。

 

 海には色違いの水着に身を包んではしゃぐ双子とコキュートス。

 コキュートスは氷でボードを作ってやると双子はそれに乗り、押してもらったり、波に向かって突撃して行ったりと海を満喫している。

 第六階層の湖と違い波がある為、いつもと違う遊びができると子犬のように喜び楽しんでいた。

 そして波打ち際には、しゃがみ込んで何かを地面に書き、難しそうな話をする知恵者三名と、暑苦しいボールガウンに身を包むシャルティア。

 デミウルゴスは真っ赤なブーメランパンツを履いていて、アインズはそんな装備を一体いつ使わせようと思って買ったんだろうとウルベルトの顔を思い出し――フラミーは軽く視線を逸らした。

 そんなデミウルゴスとは対照的にパンドラズ・アクターは爽やかな甚平スタイルに麦わら帽子でしゃがみ混んでいる。

 白い水着に魅惑的な肉体を包むアルベドは、守護者が視線を落とす地面にサラサラと文字を書き、ビシッとそれを指差した。

「至高の御方々の全てを継ぐ方なのだから、必ず伝説になるわ。だから、レジェンド・オブ・ザ・ワールド様よ!」

「…センスを疑うよ。」

「なんなら不敬でありんす。馬みたいな名前をつけんせんでくんなまし。」

 デミウルゴスとシャルティアから辛辣な意見が届くと、アルベドはック!と苦しげな声を上げた。

 ちなみにアルベドの双角獣(バイコーン)――馬に似た騎獣系魔獣はトップ・オブ・ザ・ワールドという名前だ。ユニコーンの亜種で不純をつかさどる為、清らかな処女(おとめ)であるアルベドは乗ることができない。

 

「それではこんなのは如何ですか?我らが黄金郷、ナザリックからお生まれになる御方には――」そう言いながらパンドラズアクターは尺取り虫のような指で自分の顔をさらりと撫でた。

「エル・ドラード・ウール・ゴウン様、と。」

 誰かの黒歴史は最高に決まったとでも言うように顔に手を当てていた。

「…アルベドのよりはマシでありんすね。」

「可もなく不可もないと言ったところですね。愛称はエル様かな。」

 一応その名が付いた場合のことをデミウルゴスが真剣に考え始めると、遊んでいたコキュートスと双子も顔をのぞかせた。

「何ノ話シダ?」

「何これ、れじぇんど…おぶ…?」

「も、もしかして、お、お世継ぎ様のお名前ですか!」

「そうよ。採用されるかは分からないけれど、私達でも考えてみているのよ。」

 ああ、そう言う会。と納得すると、コキュートスは嬉しそうに霜を吐き出し地面に字を書き始めた。

「新シイオ命ナノダカラ、(アラタ)様ト言ウノハドウダロウカ。」

 成る程、と守護者達が頷く。

「はーい!」次にアウラが手を挙げた。

「それより、愚民にも一目見て神の子だって分かるようにちゃんとアピールするべきなんじゃないかな!だから――」サラサラと書き付ける。「――神太郎(シンタロウ)様!」

 良いのではないかと湧き始める中、マーレもいそいそと地面に指を下ろした。

「あ、あの!僕は、きっと、とってもお優しい方になるでしょうから――」神太郎の隣に寄り添うように小さな文字が生み出される。「――優人(ユウト)様とかは、えっと、どうでしょう!」

 アルベドとデミウルゴスはサッと一文字消した。

「響きと着眼点はいいけれど、人と言う字はどうかな。」

「あっ…そ、そうですね…。虫ケラがすみません…。」

 そんな謝罪がこの世にあるだろうか。

 

「所でデミウルゴス、あなたも何か案を出したらどう?」

「ん?私なら、そうだね…。アルスラーン様、と言うのは?百獣の王、獅子を指す言葉だよ。アインズ様と同じくアから始まるし、愛称もアルス様と呼びやすい。」

 感嘆の溜息が守護者達から漏れ、これで決まりかと言う雰囲気が流れる。

 すると、シャルティアは注目を集めるように大げさな咳払いをした。

「それでは、最後は妾でありんすね。」

 そう言えばまだだったかと守護者達は視線で先を促す。

 シャルティアはチラリと海を眺める支配者達を見た。

「御方々は、妾たちの全て。世界そのものでありんす。故に、世界を意味する――ユグドラシル。これが最も適しておりんしょう。」

 ほう、っと皆が声を上げた。

 交わし合う瞳に映るのはこれ以上の名前はないと言う輝き。

「――それで決まりね。では、アインズ様とフラミー様にご提案に行きましょう。」

 

+

 

「ゆ、ゆぐどらしる?」

 アインズとフラミーは目をパチクリさせていた。

「はい。守護者からはこちらのお名前を推薦させて頂きます。」

 夏の始まりの日差しが眩しい。守護者の瞳が眩しい。

「…ありがとう。受け取ってはおくが、使うかはわからないぞ…。」

 やりきったと言う表情をすると、守護者達は再び戻って行った。

 第二子、第三子――第百子の名前を考えようと張り切る皆の足取りは非常に軽い。

 

 それを見送るとフラミーはくすりと笑った。

 腹にはヴィクティムがぴとりとくっついていた。

「ね、アインズさんはどんな名前が良いと思います?」

 すると、アインズは数度頬をかいた。

「…あの、実は俺、付けたい名前があるんです。」

 フラミーは言いにくそうにするアインズの頬を優しく撫でた。

「あなたの思う名前で良いんですよ。きっと、それが相応しいから。」

 アインズはちらりとフラミーの顔を見るとその手に手を重ねた。

「この子には…アインズ・ウール・ゴウンの出発点を。」

 全ての物語の始まりを。

 そして、ひとつの終着点(ゴール)を。

 

「ナインズ・オウン・ゴール――いや、ナインズ・ウール・ゴウン。」

 アインズはフラミーの肩を抱くと、守護者を一人づつ指差した。

「アルベド、シャルティア・ブラッドフォールン、コキュートス、マーレ・ベロ・フィオーレ、アウラ・ベラ・フィオーラ、デミウルゴス、ヴィクティム、セバス、パンドラズ・アクター。――九人の守護する者達(ナインズ)。俺たち(・・)の全てを詰め込んだ名前です。」

 フラミーは守護者達の向こうに今はいないギルドメンバーの姿を見ると、晴れ晴れとした笑顔を作った。

「素敵だと思います!ナインズ。」

「…はは、良いかな。」

 もちろんですとフラミーが頷き、二人は楽しげに笑った。

キミドリヒハイタイシャ(ナインズ)ニイロアオムラサキ(さま!)

 ヴィクティムは「はわわ」と頬に手を当てると大きな目を輝かせ祝福するように二人の上をくるりと飛んだ。

 

「神の子として生まれて来ることになってしまうが、完璧(100)じゃなくて良いんだ。Nines(99)。安心して出ておいで。」

 アインズがヴィクティムを真似るようにまだ小さな腹に耳をあて語りかけると、フラミーは手の中で髪を流すようにその頭を撫でた。

 

 アインズ(ainz)――eins(1)は欠けた全て(99)を手に入れた。

 

+

 

 目覚めた。

 此処は何処だろう。

 自分は――誰だろう。

 優しい手だ。

 体に空気が通る。

 自分の存在が生まれていく。

 何てあたたかい所だろう。

 何て祝福されているんだろう。

 こんなに世界は生まれる喜びに溢れている。

 だと言うのに、どうして皆泣いているんだろう。

 ああ、泣いているのは皆だけじゃない。

 とめどない涙は自分の目からも流れていく。

 此処はすごく――綺麗な場所のようだ。

 




九人の"自殺点"はちょっと縁起悪いですから、own goalはだめですね!
"to the nines"といえば完璧に、なんて意味で使われますし、ナインズって実は縁起いいですよねぇ!
ナインズ様が健やかにお育ちになる事を心からお祈り申し上げます(-人-)
ンンンンナインズ様!って守護者皆が言うんでしょうか?

なんて言いつつ最終話をまた書きました。(三度目
五ヶ月の長きに亘り、お付き合い頂き皆様本当にありがとうございました!
やっと御身にもフラミー様にも幸せになって頂けたでしょうか。
当初70話で終わりにしようとし、その後60話書き、再び60話追加してしまいました!
いつも読んでくださる皆様のおかげで本当に本当に楽しく書く事が出来ましたー!
これまで二度の最終話詐欺を行い、ここまできてしまいました。
今後の御身達の冒険は皆様の胸の中に――と言いたいところですが、終わっちゃやだといってくださる方達がいて下さる有り難さを胸に、お言葉に甘えさせていただきアフターストーリーをちょちょいと書かせて頂きます!

次回 #1 閑話 セバスの結婚式

ただ、本編終了という事で毎日更新はここまででおしまいにしようかと思います!
毎日お話を書き、大抵五話くらいは書き溜めながら進めてきましたが、ここに来て本当にストックもプランも底をつきてしまいました。
とかなんとか言いながらどうせ毎日更新するんでしょ?
知ってる!
明日は無い、と書かない限り無限に毎日更新を続けますm[_ _]m


【挿絵表示】

そして本日頂いたパンドラとフラミーさんです!
ユズリハ様ありがとうございます!


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試されない日常
#1 閑話 セバスの結婚式


「やっぱりこれは地味だったんじゃないか。」

 随分と派手な黒いローブに身を包むアインズは新郎の様子を見に来ていた。

「いえ、私には派手すぎたくらいかと。」

 何とも聞き覚えのあるそのセリフを新郎――セバスは今日まで何度も繰り返し続けた。

 陰険な支配者は半年前の鬱憤を晴らし損ねた。

 セバスの纏う、シングルボタンのフロックコートは実に常識的だった。

 白と銀の間のような光沢のある生地は全体に地紋が入り、上品な中にも落ち着いた華やかさがある。

 いつもモーニングスタイルのセバスは見事にそれを着こなしていた。

 それに白銀の衣装はロマンスグレーの頭によく似合っている。

「…仕方ないやつだ。主役だと言うのに。――それじゃあ、私は先に行っているぞ。」

 アインズがその場を立ち去るとセバスは深く頭を下げた。

 

 控え室の外では黒いシャツに黒いスーツ、黒いネクタイを締める黒ずくめのデミウルゴスと、深緑の半ズボンに白いジレ、蝶ネクタイのマーレ、――全裸のコキュートスがアインズを迎えた。

 四人で歩き出すと、ちょうど準備が終わった様子のフラミー達女性陣も現れた。

 腹が楽なように胸下に切り替えがあるグレーのエンパイア型のドレスローブを纏うフラミー、深緑のスカートにリボンタイを着けたアウラ、深紅のボウルガウンに身を包むシャルティア、黄金のマーメイドドレスを颯爽と着こなすアルベド。

 アインズは二人掛かりで幻術を掛けたフラミーの腹を撫でながら女性陣を見ると呟いた。

「――新婦より目立ちそうで怖いな…。」

 

+

 

「お姉ちゃん!!早く!!」

「解ってるから!それよりンフィーの準備が済んでるか聞いてきて!」

 その日カルネ区の族長――いや、区長エンリ・バレアレは二年前に作って、二度だけ着た黄色のドレスワンピースに身を包んでいた。

 一度目はエンリ達の両親とンフィーレア・バレアレの祖母、区民とゴブリン達と共に盛大に行われた自分の結婚式で。

 二度目は神都で行われた神々の結婚式で。

 そして三度目の今日は、エ・ランテル市の闇の聖堂で行われる守護神の結婚式に向かうため。

 区長として給料は神聖魔導国から出ているが、貴族でもないエンリにはそう何度もドレスを仕立てる習慣はない為、一度作った一張羅をこうして大切な場面では何度も使っているのだ。

 

「ンフィーさんももう行けるって!」

 昔神に救われた時にはたった十歳だったネムももう十三歳だ。当然それに合わせ、十六歳だったエンリも十九歳になった。

 ネムは今も復活した両親と暮らしているが、エンリはンフィーレアと二人暮らしだ。一階がバレアレ薬品カルネ店の店舗になっている三階建ての小さな新居でおままごとのように順調で幸せな毎日を過ごしている。

 余談だが、ンフィーレアは週に一度はエ・ランテル市の魔道省に出掛け、尋常ならざる額の予算の組まれている――神の血を真似た赤いポーション作りの研究に参加している。

 二人の家の隣には区庁舎があり、その先にはゴブリン街が広がっていて、カルネ区は区の外の人々にはゴブリン区と呼ばれていた。総勢五千人を超えるゴブリン達は今でも代わる代わるエンリに甲斐甲斐しく世話を焼いている。特にゴブリン軍師などは優秀な頭脳を持つため区庁舎で一緒に働いていて毎日顔を合わせていた。しかし、今ではすっかりそれぞれの暮らしや家庭もでき、昔のように十九人のゴブリンと食卓を囲む事はなくなった。

 余談だがエンリは外部の者に区長だと名乗り、「こんなに人間種に似ているゴブリンは初めて見ました」と本気で驚かれたこともある。

 エンリは鏡の前で自分の姿が今日の場に相応しいか――ゴブリンに見えないか――再三確認し、よしっと声を上げるとバッグをひっ掴み、ネムと共に階段を駆け降りた。

 

「エンリ!遅いよ!」

 エンリはンフィーレアの焦ったような声を聞き流し、その身に急接近するとすんすん鼻を鳴らした。

「……ど、どう?」

「――セーフ!」

 ビッと親指を立て、真夏の日差しにお似合いな笑顔を作った。ンフィーレアは薬や草の匂いにまみれていることが多い。偉大なる闇の神である神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王と、光の神で魔導王妃であるフラミーの吸う空気を汚す事は許されないだろう。

「お姉ちゃん、ンフィーさん!早く行こう!」

 ネムは神々の結婚式には行けなかった為、その興奮は並のものではない。

 以前神々の結婚式に区長だからと呼ばれたエンリは配偶者であるンフィーレアと二人でガチガチに緊張して出かけ、空気に散々飲まれ、披露の宴で出された美食の数々にすっかり圧倒されて帰ってきた。帰って来てから数週間二人は偉大な神々の話しかしなかった。話を聞かされたネムをはじめとした区民はその時の光景を想像してはうっとりと夢見心地な顔をした。そして約束の地に建つ神殿で式のオシャシンの販売が始まると区民が殺到したらしいが――それはまた別のお話。

「ネム、お願いだから式の間は静かにしてね。」

 ネムは任せてくれと何度も被りを縦に振った。

 今回の招待状の返信には、妹も参加していいかとンフィーレアに書いてもらった所、守護神の相手であるツアレニーニャ・ベイロンから直々に是非どうぞと寛大な返事を貰った。

 

 三人は三号川の幽霊船の水上バス(ヴァポレット)に乗るとエ・ランテル市の闇の聖堂を目指した。カルネ区はエ・ランテル西三区と北三区に挟まれた場所に位置している。

 ンフィーレアの祖母であるリイジー・バレアレは今もエ・ランテルに暮らし、バレアレ薬品エ・ランテル店をエ・ランテルの東に構えていた。バハルス州に続く道が近く、エ・ランテルで最も賑わう一大商業地域だ。今も冒険者達はそこでポーションや薬品を購入して出掛けるのが大抵だった。

 週に一度はそこに顔を出している為、エンリもエ・ランテルにはすっかり慣れた物だ。

 幽霊船(ヴァポレット)を計二度乗り換え、聖堂前に着くと如何にも身分の高そうな人々が続々と扉を潜って行く。

「お、お姉ちゃん…私大丈夫…?」

 それは前回エンリも思った事だ。自分なりの一張羅だが、とてもこの場に自分が相応しいとは思えなかった。

「大丈夫………多分。」

 何とも心許ない返事だ。

「大丈夫だよ。ほら。」

 ンフィーレアの声に誘われて顎をしゃくる方を見ると、実に平凡そうな、自分達と大差ないか少し身奇麗程度の若い集団を見付けた。キョロキョロしていて、それこそ自分達が場違いじゃないのかと震えている様だった。その点エンリ達は一度場違い満点の場所を体験している為あれ程挙動不審ではないだろう。裏を返せば以前あれ程挙動不審だったのだろうが。

 エンリは少しだけ胸を張り、三人は聖堂へ踏み入れた。

 厳かな雰囲気の聖堂は神都大神殿と合体している大聖堂程大きくはないが数百人と言う国中の重鎮が入ったとしても狭苦しさを感じさせない余裕がある。

 美しいメイドに案内されて席に着くと、外で見かけた若者達は一番前に案内されて行った。

 

「俺達のせいでツアレさん、嫁入り後に怒られたりしないよな…?」

 普段は不真面目なルクルットも流石に今日の聖堂の雰囲気には真面目にならざるを得ない。

「そうならないように、気を付けなければいけないのである。」

 落ち着いたふりをしているダインもソワソワと髭を触っていた。

「はは、さっき普通そうな人達もいたから大丈夫だよ。それにニニャはツアレさんのたった一人の家族で――…ニニャ?」

「っあ、ごめんペテル。何か言った?」

 ニニャの目からは涙が落ち続けていた。

「…ううん。良かったね。」

 静かに頷くニニャは震える胸に手を当てた。

「………うん。」

 良かった。良かったはずだと言うのに――。

 ツアレはこれからセバスの出入りが楽なように闇の神殿の近くに設けられた屋敷に暮らすことになる。守護神はナザリックに生きる場所があるが、ツアレはナザリックで暮らすことを許されない。いや、ナザリックに入る事も提案されたが、ナザリックに入り内部を詳しく知れば二度と生きては出られないと言われたらしく、ツアレはそれを断った。半身を置いてはいけないと。

 当然ニニャにナザリックで暮らす資格はない。防衛点検の荷物番の報酬を受け取る際に入った玉座の間と前室を思えば当然のことだろう。あれほどの場所、そうそう人間の出入りを許せるはずが無い。

(これじゃ…まるで…。)

 ニニャは自分の身が再び姉の枷になっている事に胸を痛めた。

 ニニャという存在のせいでツアレが貴族から逃げられなかったように、ニニャという存在のせいでツアレがナザリックに行けないなんて。

(ツアレが幸せならニニャだって幸せなのに…。二人でツアレニーニャだって言ったのに…。)

 最後まで首を縦に振らなかった姉の姿を思い出すと、なぜ自分達はいつもこうなんだと、ニニャは悔しそうに手を握った。

 聖堂内はすでに静まり返っていた。

 立つように促されると、聖堂正面に置かれている鏡から続々と守護神が現れ、最後には神々も現れた。偉大な神に手を引かれて現れた女神の手には胎児のような不思議な生き物、そして後ろにはモモン。以前は闇の神の方が圧倒的上位者なのではないかと噂されていたが、今ではこの二柱が平等な存在だと言われて疑問を持つ者も随分と減った。

 女神は漆黒の剣と目が合うと軽く手を振った。

「あっ、あぁ。」

 ペテルとルクルットから喘ぐような声が漏れ出る。手を振り返すために上げ掛けた手を下ろし、二人は冒険時もそんなに素早くは動かないのでは無いかと思えるほどのスピードで頭を下げた。モモンは兜の中からチラリと漆黒の剣を見たようだった。

(モモンさん…プラムさ――光神陛下…。)

 神々の着席を合図にツアレの同僚達によって聖歌が歌われ始めると、扉が開き、セバスが姿を見せた。

 セバスは涼しい顔をして進んでいくと、神々に深々と頭を下げた。

(セバス様も本当は姉さんと暮らしたいよね…。)

 ままならない自分という存在にニニャはふぅとため息をついた。

 

「ニニャさん。」

 

 セバスが自分を呼ぶ声にニニャはハッと顔を上げた。

「貴女の幸せはツアレを幸せにします。私もツアレを幸せにするように努力しますが、貴女もツアレニーニャの幸せの為に笑っていて下さい。」

「セバス様…。でも…私の存在は……。姉さんはきっとセバス様と――。」

「私達は共に暮らします。毎日ツアレの下に帰ってみせますので。そうしなければ、私が至高の御方々に叱られてしまいますよ。」

 そう言って微笑むセバスを見ると、ニニャは顔をくしゃくしゃにし、口を押さえて感情を溢れさせた。

 そしていつも自分達を救ってくれる守護神と神に深く頭を下げ、嗚咽混じりの声を出した。

「お願いしますっ…。どうか、姉を…。」

 

 二人のやり取りが終わった様子を確認すると再び扉は開かれた。

 一人しずしずと進むツアレは、平民だと言うのにどこの王侯貴族よりも美しく飾られ、まるで天使のようだった。

 セバスはそれを見ると眩しそうに目を細めた。

(宝石は傷付かない方が価値は高く綺麗とされます。ですが、人間は宝石ではない。人間の綺麗さは内面にあります。ツアレ、あなたは本当に綺麗です――。)

 どんなに美しい絵の具を使って彼女を描いたとしても、彼女の本当の美しさは描ききれないだろう。

 彼女の重みはどうしたって表現できない。

 セバスはツアレに向かって手を伸ばした。

 

 二人の式は多くの祝福と幸福の中進み――セバスとツアレは最後にアインズとフラミーの前に膝をついた。

 アインズはリハーサルと違う行動に大丈夫かと内心首をひねる。

「アインズ様、フラミー様。この度は並々ならぬご温情をお掛け頂き、ありがとうございました。私達はこの日を生涯忘れないでしょう。今後とも御方々のため、大いに奮励する覚悟であります。どうぞ末永くお見守り下さい。」

 セバスの言葉に合わせてツアレが頭を下げるとアインズはやれやれと手を振った。

「セバス、ツアレ。そう言う真似をする必要はない。立ちなさい。」

「私達は当たり前の事(・・・・・・)をしたまでですよ。」

 二人の支配者は穏やかな笑顔を浮かべた。

「お前達は我々の子供なのだから。」

 若い男の姿のアインズと、同じく若い姿のフラミーにそう言われ、喉から感情がこみ上げて居る様子の初老のセバスとツアレの姿は、ともすれば奇妙だったかもしれないが、来賓の者達も守護者達も皆目頭が熱くなるのを止められなかった。

 

 ツアレはその後、アインズの持つ若返りの魔法を受け入れることなく七十五歳と言う若さで人間としてこの世を去る。

「やっとあなたに追いつけたから」とセバスに並んで違和感のない容姿になった彼女はセバスを容易に追い越して逝ってしまった。

 セバスとツアレは最期の時まで互いを深く愛したそうだ。

 わずか五十年程度の時を共にしただけだったが――セバスは決して次の妻を迎えることはなかった。

 

+

 

「すごかったねぇ…お姉ちゃん。」

 宴も終わり、聖堂を出ると夢見心地のネムは足元がふわふわしているような気がした。

 エンリとンフィーレアが全くその通りと頷くのを見ながら、ネムはあの美しい神々の姿を思い出した。

 何と言っても初めて人の身のアインズ・ウール・ゴウンを生で見たのだ。

オシャシンは姉に買ってもらった事があったが――「ゴウン様って…本当にカッコいい…。」

 ネムはハァ〜〜と魂を吸い出されたようなため息を吐いた。

 夢見心地の三人はその後、持たされたヒキデモノと言う名の土産をバレアレ新宅で確認した。

 神々の結婚式では守護神の結婚式の倍以上の土産を受け取っておきながら、バレアレ夫婦は隠すように酒や菓子、果物を食べてはくすくすと笑いあったものだが――。

 今回は中身を確認すると三人は楽しげに目を見合わせ、そっとそれらを袋に戻した。

 

 翌日、エンリ達は十九人のゴブリンと、エンリとネムの両親、ンフィーレアの祖母であるリイジーを呼び出し、皆で幸せを分け合ったとか。




ツアレ、五十年後に死んじゃうんですねぇ( ;∀;)
ちなみに引き出物は全部食べ物みたいですよ!
分かりやすくナザリックの威ですねぇ!

次回 #2 閑話 ツアーの鎧


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#2 閑話 ツアーの鎧

 アインズは第五階層に作った、氷山をくり抜いた錬成室を訪れていた。

 そこには魔法の膜に包まれた、拳程の大きさの素材の塊――いつか限界突破の指輪になる物が二つ浮いていた。後ろにはツアーの鎧を抱えるコキュートスと、無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)を抱えるイツァムナー。

 

「よし、そこら辺で良いだろう。」

 コキュートスがアインズの声に従い鎧を下ろすと、イツァムナーは本を開いた。

「………じゃあ、ツァインドルクス=ヴァイシオンの鎧の製作方法を調べる。」

 嫌そうだった。

 最古図書館(アッシュールバニパル)で頼まれた時も、別に放っておけば良いと思うと散々文句を言っていたが、コキュートスによってこれは御身の願いだと聞かされると、ようやく重い腰を上げた。エリュエンティウ組はナザリック組よりもツアー嫌いが深刻だ。

「ふふ。ツアーのオリジナル魔法なんて楽しみだな。」

 アインズは愉快そうにイツァムナーの様子を見た。イツァムナーの手の中で自動的にバラバラとページがめくれて行くと、ピタリとあるところでそれは止まった。

「………あった。これが、ツァインドルクス=ヴァイシオンの鎧を作った魔法。」

 イツァムナーはアインズに向けて開いたページを見せた。

「どれどれ。」

 受け取りもせずに目を通していく。アインズではこのアイテムを扱う事はできないからだ。

 位階魔法と違い一ページ程度では終わらず、アインズは次へ、次へ、とそれをただ一人めくることができるイツァムナーに指示を出す。

 そして五ページにも及ぶ魔法の解説を読み終わると、アインズの骨の背には幻の冷や汗が流れた。

「…これは安請け合いだったか。」

 

 複雑怪奇な力の組み合わせと手順により生み出されたその鎧の製作方法は想像を軽く超えていた。

 何よりも特筆すべきはその素材だ。

 五百年前、八欲王に殺された大量の竜王達の亡骸から試作品と完成品の併せて二つを生み出したらしく、素材も今あるものでは足りる気がしない。

 頭のてっぺんから爪先まで鎧の中を一分の隙もなく、竜王達の神経が大量に縒られたものが凝縮されて巡っている。

 この作り込みこそがツアーが始原の魔法を失った今でも自在に鎧を動かせる秘密だろう。

 すでに失われた鎧こそ完成品で、今ここにある鎧は試作品だ。

 この鎧はかつて十三英雄の一人に渡し、墓に安置していたものだとツアーは言っていたし、旧竜王国でフラミーに「今の僕の鎧は正直言って弱い」と言っている。

 そんな試作品でこの完成度だ。

 アインズはエ・ランテルで砂にした鎧は勿体無い事をしたなと、ツアーの短慮に骨の身には不要なため息をついた。

 

 肺の――存在していればだが――全ての空気を吐き出し切ると、まずはどうしたものかと悩み、最後のページを開いて見せ続けているイツァムナーに次の指示を出す。

「ツアーが鎧を動かすのに使っていた魔法を調べてくれ。今の使用感を確かめる。」

「………かしこまりました。ツァインドルクス=ヴァイシオンはもっと御身に感謝すべき。」

 ぶちぶちと文句を言いながらもきちんとページの検索を始め、再びアインズに一つのページを見せた。

 赤く灯る眼窩の光を滑らせるように読み込んでいくと、アインズは置きっ放しのロッキングチェアに腰掛け、楽な体勢になり目を閉じた。

 真っ暗な視界の中で、鎧を見つけ、それに手を伸ばす。

 

 接続しようとした瞬間、鎧は巨大な白金(プラチナ)の竜になり、睨み付けるような顔をしたツアーと目が合った。いや、ツアーじゃない気もした。

「ッハァ!?」

 アインズは悪夢から覚めるように椅子から身を起こすと、今は存在しない心臓がバクバクと鳴っているのを感じ、ギュッと肋骨を掴んだ。

「アインズ様!如何ナサイマシタカ!」

 肩を大きく揺らすように骨には不要な呼吸をしていると、コキュートスが不安げにアインズの足元に膝を付いた。

「大丈夫だ…少し驚いたがなんともない…。」

 骨の眉間を摘むようにしていると、ツアーの鎧はガチャガチャと音を立てた。

「アインズ、僕のこれに繋ごうとしたのかい?」

「あ、ツアー。すまん。使用感が違わないように事前チェックをしようと思ったんだが、まさか防壁がかかっているとは思わなかった。」

「そうかい。こっちこそ悪かったね。それで、どのくらいかかりそうだい?」

「…直ぐにでも返してやりたいが素材が足りない。特に神経が。」

 いや、神経を縒る魔法も複雑で失敗しそうなのだが。

 

 ロッキングチェアに座るアインズと、床で崩れたまま立とうともしない鎧はうーんと少し悩むと、直ぐに二人で声を合わせた。

「とにかく常闇のところに行くか。」「じゃあ常闇からいただこう。」

 二人は便利だなと笑い、アインズはツアーを引っ張り立たせ、肩を貸した。

「コキュートス、イツァムナー。私たちは少し常闇の所に行ってくる。お前達はここで待っていてくれ。」

「カシコマリタシタ。オ気ヲ付ケテ。」

「………ツァインドルクス=ヴァイシオンにお気を付けて。」

 二人に見送られながらアインズはちらほらと舞う雪の中氷結牢獄を目指し歩いた。

 ツアーの鎧は凍りついたように冷え切っていて、常人が生身で触れれば皮膚が張り付き剥がれてしまうだろう。

 二人の後には大量の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が続き、不可知化ではなく不可視化の面々の通った後には数え切れない足跡が続いた。

 

「アインズ、子供の事はいつ公表するんだい。」

 ツアーは自分の鎧を支えて歩く骨を見た。

「本当は無事に大人になるまで外の者には教えたくないんだがな…。」

 この広くも小さなナザリックの中で、何者にも害されないほどの力を手に入れられるまで――。

「…そういう訳にも行かないだろう。」

「分かっているさ…。それ以上に美しい世界の中で大人になってほしいと思っている…。」

 アインズはメルヘンチックな可愛らしい洋館の扉をギギ…と押し開けた。

「…僕は公表する事で守られる場合もあると思うよ。そろそろフラミーの腹も大きくなり始めた頃だろう。」

「……一応大聖堂完成式典が近々あるから、そこで公表する予定ではいるんだ。」

 二人が式を挙げた神都大聖堂は建物そのものは完成しているが、外部に配置する彫刻はまだ揃いきっていなかった為、実は竣工を迎えていない。

 建物を建てるような単純作業はスケルトン達で十分行えるが、彫刻などの繊細な作業はアンデッド達には難しいし、現地の者に任せるには荷が重いため、鍛冶長が一体一体命を懸けて作成している。

 近々最後のペロロンチーノ像が風見鶏のように大聖堂の屋根に設置され、完工だ。

「しかし竜王達に知られるのがな…。フラミーさんや子にちょっかいを出さないか怖いんだよ…。」

「…そうだね。必要があれば僕が首を取ってこよう。あまり悪い方にばかり考えてはいけない。」

 ツアーは安心しろとでも言うようにアインズの肩を数度叩いた。

 ありがとう…と小さく礼が届くとツアーは自分より長生きしている筈のアインズをまるで弟のようだと思った。

 

「なぁツアー。」

「なんだい。」

 洋館の廊下を二つの足音が響く。

 ツアーは骨のアインズも悪くない気がした。

「せっかく常闇に会うんだ。お前も真っ二つにされた恨みがあるだろう?死なない程度にお前も痛ぶって良いぞ。」

 剥き出しの神経をじっくり焼いても良いし、目を開かせてその中に手を突っ込んでも良いし、尻尾から少しづつミンチにしても良いし、と様々なプランを提案して行く姿は楽しげだ。

 そして子を共に守ると言うような雰囲気のツアーへの感謝や労いのような心遣いすら感じる。

 ――が、

「………それはありがとう。ところでアインズ、そろそろ人になれ。」

 ツアーは引いた。そしてやっぱり骨は駄目だと確信したのだ。

 

+

 

 二人はニューロニストにあれやこれやと注文を付け、氷山の錬成室に戻った。

 コキュートスがロッキングチェアを揺らしているのを見るとアインズは小走りでそれに近付いた。

「フラミーさん!こんな寒いところに来ちゃダメじゃないですか。」

 ヴィクティムを腹に乗せたフラミーが椅子で揺れていた。

「おかえりなさぁい。あ、ツアーさんも!どうですか?鎧、直りそうですか?」

 過保護なアインズは上着のように着ていたローブを脱いでフラミーに掛け、寒くないのに、と笑うフラミーの手を何度も撫でた。

「やぁ、フラミー。目星は付いたよ。ただ、素材が集まるまでしばらくは掛かりそうだね。」

「あれ?常闇の鱗、結構増えてませんでした?」

「いや、神経が足りないんです。神経は無理に剥ぐと常闇がショックで死にかねないからニューロニストも慎重にやるって言ってました。」

 かと言ってあまり回復を掛けるのが早すぎるとせっかく剥ぎ取った神経も消える為中々加減が難しい。

「簡単にはいかないものですねぇ。」

 ツアーもフラミーの隣に来るとその腹に人差し指でちょんと触れた。

「…あれからもう一月か。また力が大きくなっているね。」

「お腹も少し重たくなってきましたよ!」

 フラミーがふーと腰をさするとヴィクティムが回復魔法を掛けるが、良くなっている様子はない。

 春に行った海上都市で超初期だったフラミーの腹は秋を目前とし、ぽこりと小さく膨らんでいた。

 順調に行けば冬が深まる頃には出てくるだろう。

「おい、お前の手は冷たいんだ。あんまり触るんじゃない。」

「ん、すまないね。」

 ツアーの手をしっしと払っていると、フラミーがアインズのローブを引っ張った。

「アインズさん。それはそうと、ガゼフさんがエ・ランテルの闇の神殿にアインズさんを訪ねて来てるそうですよ。」

「え?戦士長ですか?」

 フラミーはそれを伝えに来ましたと頷いた。

 ガゼフは最初に勧誘したが、自分は王の剣だとはっきり断られた。しかし、その後支配者のお茶会の時にザナック王子の護衛としてナザリックを訪れていたり、結婚式の時には祝いを述べに来てくれたりしている為年に一度程度は会っている。

 個人的に会いに来ている様子の彼の用事など、気が変わったから仲間にして下さいくらいしか思い浮かばない。

 そうだと良いなとアインズは少しワクワクした。

 

「はい。出来れば直接話したいって――セバスさんが言われたそうですよ。」

 アインズがツアーに振り返るとツアーは床に座った。

「じゃあ僕はこれで。」

「悪いな。鎧は任せてくれ。時間はかかるかも知れんがなんとかしよう。」

「あぁ。頼む。――フラミー、体に気をつけるんだよ。」

「はーい!また遊びに来てくださいね!」

 フラミーと仲睦まじく手を振り合うと、ツアーの鎧は支える力を失いガランと軽く崩れた。

「じゃあエ・ランテルに行くか。コキュートス、護衛はお前が来なさい。イツァムナーは――無いとは思うがツアーの鎧が勝手にうろつかないようにここで雪女郎(フロストヴァージン)と見張れ。」

 護衛を選ぶのが面倒なのでいる者で済ませる。

「アインズさん、アインズさん。私も行っていいですか?」

「え…?またお出かけですか…?」

 と言ってもこの一月で海とセバスの式しか出掛けていないが。フラミーを連れて行くなら全守護者を掻き集めなければ気が休まらない。

 

 悩んでいると、コキュートスが霜を吐き、ドンっと胸を叩いた。

「爺ガオ守リシマスノデゴ安心下サイ!」

 近頃のコキュートスは爺病だ。向こうにはセバスもいるだろうし、街には盾となる死の騎士(デスナイト)うじゃうじゃ(、、、、、、)いる。ヴィクティムも連れて行くならば守りきれるだろうか。

「そうだな…。じゃあ、フラミーさんも行きましょう。でも、絶対に俺達から離れないでください。」

 はーいと嬉しそうに笑うフラミーを見るとそれだけで良かったと思ってしまう自分の単純さに苦笑した。




三度目の秋が来ますねぇ!
ツアー、フラミーさんに優しい!

次回 #3 閑話 崩御


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#3 閑話 崩御

 ガゼフは聖堂内に置かれている闇の神の像をぼんやりと眺めた。

(…今日来て直ぐにお会いしたい等と…無理な話だな…。)

 今日のガゼフはただのメッセンジャーだ。

 伝言を守護神――セバス・チャンに伝えて帰るだけでいい。

 だというのに無理を言ってしまった。

 本当は早く帰らなければいけないと言うのに、ガゼフの体にはまるで根が生えてしまったようにその場から離れられなかった。

 会えるはずがないと解っているが、ガゼフは何故かこうして待つ事こそが正解のような気がしてならなかった。

 膝をつきながら、ゆっくり手を胸の前で組む。

 目を閉じ視界を闇でいっぱいにすると、祈りを捧げた。

 じっと待ち、降臨を願い続ける。

 すると、カツンと床の鳴らされる音が響き、ガゼフはフッと顔を綻ばせた。

 やはりこうする事が――信じて待つ事が正解だった。

 力の渦に巻き込まれてしまうのではないかと思わせるほどの圧倒的すぎる強者の気配に、ガゼフはゆっくりと顔を上げた。

「ゴウン陛下。」

 

「ガゼフ・ストロノーフ戦士長殿。久しいな。」

 そう言う神は人の身で優しげに笑んでいた。

 初めて人の姿を見た時はその若さや美しさも含め、心底驚いたがもう慣れたものだ。

 世の人々も初めてオシャシンでその姿を見た時に、これが本当にあの闇の神かと一瞬疑ったようだが、文字通り神の造形を前にすぐに納得したらしい。

 今日も神は壊れ物を運ぶように女神を抱え、女神は胎児の様なものを抱えていた。

 周りの参拝客が騒めきながら、慌てて胸の前で手を組む姿が視界の端に映る。

「陛下方、ご無沙汰しております。お呼び立てしてしまい申し訳ありませんでした。今日は私の口から直接どうしてもお聞かせしたい事が。」

 変わらぬ微笑みで頷く神は、もしかしたらもう何を言われるのか解っているのかも知れない。

 手で優しく先を促される。

「我が王、ランポッサ三世が崩御いたしました。今日の日までの生と、慈悲深き死に感謝し、数時間前に眠る様に息を引き取りました。」

 王は愛らしいラナーの子を抱く度に本当に良かったと何度も言っていた。

あの想いを真っ直ぐに伝えなければいけないと、馬を変え続け、ガゼフは驚異的な速さでここまで来た。

 馬が倒れれば次の都市を目指して途中走り、何も振り返らずに一心不乱にここを目指した。

神は何も言わずにガゼフをじっと見つめた後、絞り出すように声を漏らした。

「………そうか。」

 心底残念そうな響きにガゼフだけではなく周りの人々も胸を締め付けられる。

 ガゼフはたまに思う。

 何故これほど慈悲深い存在が死の神なのだろうかと。

 もっと非情で冷酷な神なら、神の負担はもっと少なかっただろうに。

(…いや、それではこの世には耐え難く厳しい死が溢れてしまうか…。)

 聖王国にあると言う生と死の神殿に安置されているらしい聖書には神の痛みという項があるらしい。

(本当にこの方々が降臨されて良かった…。)

 少し前に神聖魔導国建国記念日があったが、この王が立ち既に三年。

 属国になったリ・エスティーゼ王国は日々良い方へ良い方へと変わって行っている。

 

「――明後日葬儀が執り行われます。朝には葬列が出、王都を回った後に霊廟へ移される予定です。どうかご参列の栄を賜りますようお願い申しげます。」

 首が落ちるほどに深く頭を下げると、解った、とすぐに返事が返った。

「フラミーさんが行けるかは解らないが、私は参列しよう。」

 安堵と感謝にガゼフはホッと息をついた。

 そして生を司る女神には死の場所への参列は難しいのかもしれない。

「――セバス、転移門(ゲート)のスクロールを使って戦士長殿をお送りしろ。私はあの屋敷の中にしか開けん。」

「かしこまりました。では、ストロノーフ様、こちらへ。」

 セバスがガゼフを先導しようと動き始めるとガゼフは慌てて首を振った。

「あ、いや!そこまで甘えるわけには!」

「何。大したことじゃない。さぁ、行きたまえ。」

 ガゼフは躊躇うように振り返りながら王都へ帰った。

 

 翌々日、葬儀は神と各重鎮が参列する中粛々と執り行われ、激動の時代を生きた王は見送られた。

 

+

 

 アインズはナザリック、第九階層に戻ると呟いた。

「実験が必要だ…。」

「何をご用意いたしましょう。」

 隣で喪服姿のデミウルゴスが眼鏡を押し上げる。

 死の騎士(デスナイト)の配置も少ない王都にはフラミーは連れて行かなかった。

 供はデミウルゴスのみだったが、十分感謝された。

「若返りの実験を行う。寿命を固定する魔法をフールーダが完成させていない以上、常闇にぶつけた物と同じ若返りの魔法をいつかお前達が老いた時には浴びて貰わなければならない。」

 しかし、あの時は数百年と言う時間を奪った。

 同じ様にして胎児に――果ては細胞になられては困る。

 見知った者の死を目の当たりにしたアインズは、いずれ自分の家族にも訪れるであろう寿命という制限に抗う事を決めた。

「ある程度の時間を生きている生物が必要だ。七十年や八十年以上だと良い。」

 老人の回収だ。

 姥捨山だなとアインズが笑うと、デミウルゴスは頭を下げ口元をニヤリと歪めた。

「それでしたら――トロールは如何でしょうか?人や他の亜人達よりも体が大きい分、寿命も長いかと思われます。都市国家連合とミノタウロスの国の間にトロールの国があるそうです。」

「近場だし手に入れやすそうだな。それで検討しよう。」

 ナザリックの中で一番最初に老いるのは恐らく他でもない我が子だろう。

 ヴィクティムとソリュシャンの話では耳はほんの少し尖っているようだが、皮膚は肌色で、羽もない普通の人間のようなのだ。

 いや、サタンと人間――体だけだが――のハーフなのだから、やはり悪魔だろうか。

 それともフラミーのサタンと言うのはクラスに過ぎず、肉体は天使だとしたら、天使と人間のハーフ――。

 ともかく、悪魔か天使に近い存在ならば、長い寿命の中でゆっくり方法を見つけていけば良かったが、人間成分が多ければ多いほどそう猶予はないだろう。

 産まれる前から寿命の心配をする事になるとは。

(…クラスの確認が必要だな…。そもそも人間種なのか亜人種なのか異形種なのかもまるでわからん…。)

 言い方は悪いが、何が生まれてくるのか、正直アインズにもわからなかった。

 しかし、クラスや種族の確認など一体どうすれば。

 勝手にジャイアントハムスターと呼んでいるが、ハムスケの正しい種族名すら判明していないような有様なのだ。

 精神系の第三位階魔法に、対象がタレントを持つか持たないかを確認できるものがあると、以前国立小学校(プライマリースクール)を創設する時に聞いた事がある。

 クラスの確認ができる魔法があってもおかしくはなさそうだが、少なくとも聞いた事は無い。

 今後の課題だと心のメモに書き残しておく。

 

 難しい顔をしながら二人で九階層の廊下を行くと、アインズの部屋の扉の傍に置かれるようになったベンチにフラミーが腰掛けていた。

 その隣には立って控えるアルベドと浮いているヴィクティム。

 今ナザリックの至る所にはこうしてフラミーが休む為のベンチが置かれている。

「あ、アインズさん。おかえりなさい!」

「ただいま。ここで待ってたんですか?」

 頷くフラミーを立たせると、手を引いて部屋に入った。

「ラナーちゃん、大丈夫でしょうか。ザナックさんも…。」

「…心配ですね…。」

 アインズは今日のラナーの涙を思い出し、静かに目を閉じた。

 母を、父を喪った時の日の自分に少し重ねてしまう。

 フラミーもそうするアインズの向こうにラナーの悲しみを感じたような気がした。

「アルベドさん、デミウルゴスさん。ラナーちゃんが帰って来たら色々お話聞いてあげたり相談に乗ってあげて下さいね。」

 知恵者二名はラナーと大変仲が良くたまに三人で遊んでいる様子なので、慰めるには絶好の二人のような気がする。

アルベドは優しげな顔をすると深々と頭を下げた。

「かしこまりました。お任せください。」

「御方々のお望み通りに。」

 デミウルゴスもアルベドに続く。

 悪魔二人に、アインズは何か微妙にボタンが掛け違っているような気分を抱きながらも「うむ」と返事をするのだった。

 

+

 

 数日後アルベドとデミウルゴスはラナーの下を訪れていた。

「ラナー、御方々がご心配なさっていたわ。ちゃんと王国の併呑をあなたで出来るのかと。」

「フラミー様から相談に乗るように勧められたよ。うまく進んでいるんだろうね。」

 ラナーは窓辺に立ち、遠く見えもしない王都を眺めると口を開いた。

「ふふ。万端にございます。ご期待に添える結果をお見せできるかと。」

「それなら良いのだけれど。あなたのあの兄は使い物になるの?」

「駒として扱うには十分かと。今年中にでも王国は神聖魔導国へとその名を変えさせますわ。陛下方にはどうぞお任せくださいとお伝えください。」

 悪魔達が愉快げな笑い声を上げると、これまで眠っていた赤ん坊の泣く声が響いた。

「まぁ、クラリスが呼んで。」

「気にしないであやして良いのよ。」

 頭を下げたラナーは急ぎ新しい子犬の下へ行き、それを抱き上げた。

 そして耳元で愛しげに――優しく囁く。

「――静かにしなさい。」

 まだハイハイを始めたばかりの赤ん坊はふぅ、と静まり幸せそうな寝息を立てた。

「…それが人間のあやし方なの?全く恐ろしい教育をしそうね。」

「陛下方のお役に立つように育てますので、どうぞこれもお引き立てをよろしくお願いいたします。」

 悪魔が呆れ混じりに笑うと、ラナーも花のように微笑んだ。




御身、ガゼフが仲間にしてくれって言いにきたんじゃなくて残念でしたね。

次回#4 閑話 男児は女児の格好を

よおし!お馴染みの勢力図確認だ!

【挿絵表示】

ユズリハ様よりです!

かつて#39 新知事の就任で書いた所に追い付きました…!
後にほにゃららに追いつく日が来るとは。

王位を返上したかつて王女だった州知事は、わずか三年後――神都大聖堂完成と時を同じくして崩御する父ランポッサの下属国だったリ・エスティーゼ王国をリ・エスティーゼ州になるよう政策を推し進め、新たに魔導国に加わったリ・エスティーゼ州知事には自らの兄ザナックを推薦した。
ザナックの元にはレエブンと言う子煩悩が都市長を務め、繁栄の時を迎える。


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#4 閑話 男児は女児の格好を

「つ、疲れましたー。」

 大聖堂完成式典からアインズと守護者達と共にナザリックに戻ったフラミーはハァーと長く重たい息を吐いた。

「はは、お疲れ様でした。長丁場でしたね。」

 

 今日、アインズ達は子が出来た事をこの完成式典を利用して国内外に向けて報告した。

 神官達は興奮し過ぎ、過呼吸で倒れる者が出てしまい、神官から神官へ中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)が飛び交った。更にはフラミーの抱くヴィクティムが神の子なのかと思われたり、何かと疲れるイベントが盛りだくさんだった。

 生まれる数ヶ月後を皆が楽しみに、大聖堂では未だお祭り騒ぎが続いている。

 フラミーは大聖堂で腹に向かって謎の祈りを捧げられ続け、すっかりお疲れモードだ。

 腰に手を当て伸びながら歩いていると、ふと守護者達がどうすると何かを話し始めた。

 アインズはフラミーを休ませてから言いたいことは聞いてやろうと決め、フラミーの部屋に入ろうとすると、アルベドが一歩前に出た。

「あの、お疲れの所大変申し訳ないのですが、実はフラミー様のお部屋には――」

 何だろうとアインズとフラミーが首を傾げていると、フラミー当番が扉を開けた。

 そこには「――贈り物を置かせていただきました。」

 アルベドは申し訳なさそうに頭を下げたが、いつも慈悲深い支配者達はすぐに良いよとは言わなかった。

 それもそのはずだ。

 置かれているのは大量の女児用のベビー服なのだから。

 ピンクでフリルが付いていたり、スカート風のデザインだったりとどれも愛らしい。

 

 僅かな間ののち、フラミーはようやく口を開いた。

「あの、それは全然良いんですけど…。」

 フラミーとアインズは男児だときちんと通達できていなかったかと顔を青くした。

「お前達、これはどうしたんだ…?」

 食いついて貰えたことに守護者達とアインズ当番、フラミー当番は瞳を輝かせた。

「実は、守護者とメイド一同で作りました!」

 アインズは想像通りの返答にプレッシャーを感じながら頷いた。

「そ、そうだろうな…。あぁ。そうだと思ったとも。ところで、さっき大聖堂でも言ったが…うちの子はどうやら男児のようなのだが…。」

 言い辛そうに言葉を紡いでいくと守護者達は存じておりますと嬉しそうにした。

「ああ!御生まれになる冬が待ちきれませんわ!!」

「きっと美しい方が御生まれになりんしょう!!」

 二名のビッチがいやんいやんとくねるのを見ながらこの二人の存在は本当に教育に悪そうだと思う。

 いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

「…男児だとわかっていてこれを用意したんだな…?」

「は、はい!じ、実は僕が皆に提案しました!」

 キラキラと瞳を輝かせるマーレが一歩前に出ると、アウラも胸を張った。

「あたしも一緒に提案したんですよ!男の子なんだから、女の子のお洋服を差し上げようって!」

 あまりの眩しさに一瞬目を逸らし、アインズは全てを察すると心の中で叫んだ。

(ぶくぶく茶釜ぁーー!!)

 もはやそれは絶叫だった。

 アインズの目には男性の急所のような姿のピンク色の粘体(スライム)が可愛らしく両手を合わせ、「ごめんねっ」とその身に似合わぬ声で謝罪したのが見えた。

 

「そ、そうか。ありがとう、マーレもアウラも。」

 思わず礼を言っている自分がいる。

「アインズ様、フラミー様。僭越ながら申し上げますと、贈り物をしようと提案したのは私です。」

 デミウルゴスが胸に手を当て尾を振ると、アインズはお前がついて居ながら何故ここまで来てしまったんだと心の中で泣いた。

「ソレヲ思イ付イタ時ニ相談ニ乗ッテイタノハ爺デス。」

「そうか…。お前達の気遣いはいつも流石としか言いようがない…。」

 しかしこれは着せられませんと告げる勇気が湧かない。寧ろどんどん萎んでいっている気すらする。

(九太…父ちゃんもう負けそうだよ…。)

 ナインズには既にキュウリのような愛称が付いていた。

 その横でフラミーはとりあえず服を一つ一つ広げて見始めた。

 顔にドキドキと書いてあるアルベドとシャルティアが近寄る。

「フラミー様!こちらのおくるみは私が手掛けましたわ!」

「デザインは妾でありんす!」

 骸骨が散りばめられたデザインのそれをフラミーはじっと見た。

 二人は気に入るだろうかとごくりと喉を鳴らし、評価の時を待つ。

 アインズも息を殺してその様子を眺めた。

 

「――可愛い!皆ありがとうございます!きっとこの子も喜びますよ!」

 フラミーがぽん、と腹を叩くと守護者と二人のメイドはわぁっと喜びの声を上げた。

 フラミーは断るのをやめたようだった。いや、フリルやリボンが付いていないものは、男児でも赤子ならば違和感のなさそうなデザインだ。

 何とかなると結論付けたのだろう。

「嬉しいなぁ!皆本当こんなにたくさん大変でしたね!」

「とんでもございません!次は一歳以降のお洋服が出来次第お持ち致します!」

 アルベドの軽やかな声が響いた瞬間、もう今しかないとアインズは息を吸った。

「待つのだ、アルベドよ!」

 アインズを視界に捉えたアルベドはどうみてもワクワクしている。

(これはデザインの発注とかだと思われてる…!)

 負けそうになる気持ちを押し殺し、心を鬼にする。

「良いか。この子は、多分、えっと…。その、な。」

 しどろもどろだった。しかしここで負ければ大人になった時に長男に怒られ、最悪「お父さんってヘタレだよね」と言われてしまうかもしれない。

 なんでしょう!と元気な声がかかると、アインズはゴクリと唾を飲んだ。

「……あー…一歳の頃にはもう男児の服を着る事になる。」

 なんとか絞り出した。

「たった一歳で男児用の服をお召しになるのですか?」

 守護者達は、特にマーレは何を言われているのか解らない様子だった。

「ど、どうしてでしょうか?」

(当然そう聞いてくるよな…。これはもはや両性か女児が第一子の方が楽だったんじゃ…。一姫二太郎って言うしな…。――あ、いやいや、すぐに現実逃避するのは俺の悪い癖だ…。)

 ふぅ、と息を吐く。単なる時間稼ぎだ。

「複数の理由があるのだが…アルベド、デミウルゴス。お前達にはその中でも核となる理由が解るだろう?」

 二名の知恵者はうーんと唸り、理由を考える。

 

 デミウルゴスはすぐに理由に思い至り、指を一本立てた。

「繁殖実験をしていてわかった事があります。それは、幼い間は女児よりも男児の方が病気に罹りやすく死にやすいと言う事です。私の見ている牧場では回復すれば良いですが、ミノタウロスに渡した魔導国羊の事もあり、何か打開策はないかと調べ物をした事が。その際最古図書館(アッシュールバニパル)の本に、とある記述を見かけました。ある地域ではその理由が男児の方が死神に愛されやすい為だと思っていたようです。そこで、上流階級の者は男児に女児服を着させて死神の目を晦まそうとした…。女児服を着せると言うのは丈夫に育ってくれと言う両親からの願いの文化でしょう。」

 アルベドが続ける。

「つまり、一歳の頃にはナインズ様はもう十分に丈夫――。レベルも多少は上がってらっしゃる…と?」

「そう言う事ですね。」

 アインズは知恵者に聞いて良かったと思った。

 そう言うまともな理由があるなら今後生まれるかもしれない弟にも一歳まではそうしてやっても良い。

 

「あ、あの、じゃあ、僕はどうしてまだ、女の子の服を着てるんですか?」

 百レベルなのに…とマーレが呟くのを聞くとソファに座っていたフラミーが手招いた。

 マーレを自分の隣に座らせ、抱きしめる。

「茶釜さんはマーレの事を大切に思ってたから、何レベルになっても守りたかったの。いつまでも可愛い我が子だったんだよ。」

「ふぇ…フ、フラミー様ぁ…。」

 マーレはすんすん鼻を鳴らしてフラミーの肩に顔を埋めた。

 フラミーが何度もマーレの髪を撫でていると、いいなぁとアウラが呟いたのが聞こえた。

「…そう言う事だな。しかしマーレ、お前もそろそろ一人前だ。セバスの式の時の様に、普段でもたまにはズボンも履きなさい。茶釜さんに成長したお前を見せるためにもな。」

 ちょうど良い機会だとマーレの男の娘ファッションに終止符を打つ。

 このまま大人になったら可哀想なのはマーレだ。データだった時代はいくらでもこの格好で良かったが。

 とは言え――「しかし、肝心の服がないか…。」

「アインズ様!あたしがマーレに服を貸してあげます!」

 優しい姉の天真爛漫な笑顔を見ると、アインズは朗らかに笑った。

「アウラは優しいな。そうしてあげなさい。」

 いつか貸し借りでは済まない日が来るだろう。

 アウラとマーレの最強装備を鍛冶長に仕立て直して貰う事も考える。

「マーレ、私の使わなくなったものもいくらかお前にやろう。ちょうど魔法職だ。」

 双子の成長も楽しみだと頬を緩めた。

 

「あ、あの、ア、アインズ様!わ、私も…!」

「ア、アインズ様?妾も…妾も欲しゅうございんす!」

 近々双子とともに鍛冶長の下へ行こうと考えていたアインズに、もじもじしながらアルベドとシャルティアが訴えてくるが、なぜ成人した女性に――百歩譲ってシャルティアは良いとしても――お下がりをあげなければならないのか。

 それにこの二人に服をやったら、何かとてつもなくいやらしい事に使われる気がする。

「…いや、お前達には必要ないだろう。」

「で、ですが、私も……。」「妾も…。」

「………アルベド、シャルティア。マーレは服がないんだぞ。特にシャルティアはペロロンチーノさんにタンスから溢れるほどに持たされているではないか。」

 一瞬だけ二人の背後にピシャリと雷が落ちたのが見えた。

「さて、理由も分かったところでそろそろ解散だ。フラミーさんには休養が必要だからな。」

 アインズがアウラの頭を撫でると、アウラは幸せそうに頭をその手に擦りつけた。

「アインズ様!」

 どうした、と問いかけようとしたアインズは目を丸くする。

「私は何も持ちません!!」

 そう言いせっせと服を脱ぎ始めるアルベドを見ると、なんかこの展開は随分昔に見た気がすると背に冷や汗が流れた。

 アインズは慌ててアルベドの肩を掴み、フラミーと子供達から離れた。

 

「いいか!?アルベド!お前が脱いでも絶対に何もやらん!!だから………そろそろ本当にそれはやめないか…?」

「アインズ様…それは…全裸で居続けろと言うことですか…!」

 違うだろうが!と叱責しかけたところで、マーレがおずおずと手を挙げた。

「あ、あの、僕はその、良いですから、えっと、アルベドさんにも差し上げてください…。」

「マーレ!?おんし妾には!?」

 当然のように勧められるとアルベドにも渡さない事がおかしいような気がしてくる。

 上に立つものとして、依怙贔屓するべきではないのだろうか。

 いや、そもそもこれは依怙贔屓なのだろうか。

 アインズが迷宮入りしかけていると、アルベドはアインズに肩を掴まれたまま引き続き脱ぎ始め、手袋に包まれた白く美しい手を晒した。

 アインズはついついその細くしなやかな手を目で追い――渋面のデミウルゴスはフラミーの目を、フラミーはアウラの目を、アウラはマーレの目を覆った。

 耳の長い四人のその仕草は妙に可愛らしく、アインズは笑った。確かにこれは見せられない。そして反省する。

 

【挿絵表示】

 

「アルベド、教育に悪い。減点。」

 何から点を引いたのかは謎だがアインズはビッとアルベドを指差した。

「はぁう!?」

 しかしアルベドにはしっかりダメージが入ったようで、シャルティアはご機嫌にクスクス笑った。

「全く教育に悪い統括でありんすねぇ!そろそろ評価がマイナスになる頃ではありんせんこと?」

「ふん!あなたは胸の問題で脱げなかっただけのくせに!」

「あんだと大口ゴリラ!」

「ヤツメウナギ!!」

 二人が喧嘩を始めるとアインズは大きなため息をついた。

 耳長四人組は耳を塞ぎあっている。

 

「…ここで育つ男は大変だ。」

 息子の苦労が目に浮かんだ。

 

+

 

 守護者が解散した後、デミウルゴスはある本を抱いて再びフラミーの部屋を訪れていた。

 心酔する教師に教えを請う従順な生徒のような瞳で眠る前の支配者を捉えていた。

「――そこで、男児が何故ああも女児に比べて病に罹りやすいのか未だに解りません。恐らく答えが載っているこちらの本に書かれている内容を理解できないのです。」

 アインズはお前に解らない事が俺にわかるかと嫌々本を受け取り、硬直した。

 そこにはX染色体の持つ免疫に関わる知識。間違いなく大学教授をしていた死獣天朱雀が残した書物だろう。

「…デミウルゴス、生き物は目には見えない糸に、命の記憶を書き込まれて産まれてくるものだ。命の設計図と言っても良い。」

 デミウルゴスは生命創造の秘密に目を剥いた。

「中でも性別を決める設計図に、病へ抵抗する記憶がある。女はその設計図を二つ持つが、男は一つしか持たない。代わりの設計図を持つ為だ。」*

「…なるほど…そういう事ですか。」

「解ったな。そう産まれてしまうからには仕方がないと割り切れ。これは誰にも、当然私にもどうする事もできない。成長すれば免疫――いや、病に抵抗する力が強まる。研究熱心なのは良い事だが、生命の設計図に関わることについては今後あまり深く追求しようとするな。」

「かしこまりました。」

 デミウルゴスは再びの訪問の非礼を詫び、頭を下げると部屋を後にした。

 

「…尊き造物主らよ…。」

 叡智の悪魔は至高の四十一人が生命の設計図を書き、生命の糸を編み、生命を産み落として行く様をありありと思い浮かべ――、アインズとフラミーはついに絶対禁書の作成を決意した。




でもマーレはスカートが似合いますよね!

#5 閑話 皆の秘密


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ユズリハ様に挿絵いただきました!!

*X染色体に免疫系で働く遺伝子が含まれていることで、「女性が男性よりも強い免疫力を持っている」という説もある。


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#5 閑話 皆の秘密

パンドラズ・アクターは天空城を訪れていた。

 肩に掛けている軍服の外套を翻すように美しく歩く姿は実に絵になっている。

 白亜の廊下に鳴り響く軽やかな足音は彼の心に訪れた氷解く春を表すようだ。

 

 足音は響き続け、宝物殿の前に着くとようやく止まった。

 天空城――エリュエンティウの殆どの防衛機能は切られているが、宝物殿だけには僅かにトラップを残してある。と言うのも金貨はナザリックの生命線でもあるからだ。

 パンドラズ・アクターは手順に則ってその扉を開いた。

 防衛点検を終えたのである程度の金貨をここに戻す。

 どちらの拠点もまだこの先数百年と保つだろう。

 一月分毎に金貨をまとめた袋を置ききると満足気にそこを見渡した。

「精が出るね。パンドラズ・アクター。」

 開けたままの宝物殿の扉を叩く悪魔が一人。

「デミウルゴス様。この様な所に何か?」

 入る事を許す様に手で促すとデミウルゴスは当然何の遠慮もなくそこに入った。

「皆で作ったお世継ぎ様のお召し物を昨日お渡ししたから、その報告にね。君がここで選んでくれた素材達は実に素晴らしかったよ。御方々もお喜びだった。」

 ここに残されている素材やアイテムはアインズがいらないと決めたもの達だ。

 たまに鍛冶長とその手伝いをする炎の蜥蜴精霊(サラマンダー)達がメイドに頼まれてテーブルクロスになるものを探しに来たり、男性使用人に頼まれて新しい絨毯の素材を探しに来たりする程に――ナザリックの宝物殿に置かれているものと違って好き勝手する事を許されている。

「そうですか! それは何よりです!では次の素材の吟味を始めなければいけませんね!」

 パンドラズ・アクターは至高の四十一人の内の、生産に特化したあまのまひとつの姿になると整頓の終わっている棚へ向かって歩き出した。

「一歳を越えれば歩き始めるでしょうし、ドレスになるような物やレースを中心にピックアップするのが良さそうですね!」

 うきうきと素材を広げるとデミウルゴスは首を振った。

「それがね、ナインズ様は一歳の頃にはもう一人前の男として扱うそうで、男児の格好をさせるとアインズ様が仰ったんだよ。」

 パンドラズ・あまのまはオォ…と感嘆する。その身を構築する細胞が沸き立った。

「素晴らしいですね…、流石父上…。しかしフラミー様はご納得なのでしょうか。」

「そこは流石に至高の御方だよ。フラミー様もそうする事を望んでらっしゃる。」

「…それは…なんと…。」

 くるりと周り、あまのまひとつからパンドラズ・アクターの姿に戻ると、ほぅっと甘い息を漏らした。

「そう言えばデミウルゴス様はご存知ですか?フラミー様の誓いを。」

「ん?何かな?」

 これは知らなそうだ。

 パンドラズ・アクターはニヒリと動かぬ顔で笑った。ぜひ教えてやりたい。

 デミウルゴスもすぐに表情の変化に気付いたのか早く聞かせろと顎をしゃくって見せた。

「フラミー様は――もうリアルにはお戻りにならないんですよ。二度と。」

 両手で帽子に触れ、肩越しに忠義の悪魔を見やる。感涙にむせんでいる頃だろう。

 しかし――「…それで…?」

 続きは?と涼しい顔をしていた。

(…やせ我慢?)

 パンドラズ・アクターは首を傾げた。

 特にこの男は泣いて喜び、その場で踊り出すかと思ったと言うのに。

「…だからフラミー様はリアルへ行かれないんですよ?」

「そうだね。それで、続きはなんだい?」

「…以上です。」

 二人は何が起こっているのか解らず無言で見合った。

 先ほど置いたばかりの金貨が袋の中でザラリとわずかに崩れる音がした。

 それを合図のように会話を立て直そうとパンドラズ・アクターは再び口を開く。

「……フラミー様がリアルへ行かれない事が嬉しくないのですか?」

「いや、嬉しいけれど…。」

「…少しも嬉しそうじゃありませんね…。」

 腕を組んで首をかしげると、悪魔はポリ…と困ったように頬をかいた。

「…今更そんな当たり前のことを言われても…。」

 

「は?」

 

+

 

「ん?パンドラズ・アクターとデミウルゴスか、入れろ。」

 アインズはトロールの下へ行く為に、動きやすくも王様らしい格好をメイドと言う名のスタイリストと共に見繕っていた。

 頭を下げ、メイドが出て行くと眼前の目の覚めるような青い服を摘まんだ。

「…少し派手な気もするが、まぁ良いか…。」

 三年間毎日派手な格好をさせられて来たアインズは段々と派手な服もスルーできるようになってきていた。

 これも一つの成長だなぁと己を褒める。

 限界突破の指輪ができるまでは肉体の強化は叶わないが知識や経験を蓄える事はできる。脳みそのレベルアップは必須課題だ。

 バタバタと騒がしい足音が聞こえ出すと、あいつらがこんな歩き方をするなんて珍しいなとアインズはドレスルームの扉へ視線を送った。

 

「ぢぢゔえ"!!!!!!」

「あ"い"ん"ず様"!!!!!」

 

 喉から血が出るのでは無いかと言うほどの叫びが響いた。

 息子二人はネクタイもジャケットもよれ、互いを引っ張り合うように現れた。

「なんだ?お前達が喧嘩か?珍しいな。」

 アインズはウルベルトと喧嘩したことなどないと言うのに、ついに子供達が親の手から大きく離れ始めたかと少し嬉しくなる。――と、同時に仲間の影を失うようで寂しさも感じた。

「どゔじで私だげに教えで下ざらないんでず!」「どうしてこの者がお情けを頂くことを容認されたのですか!」

 二人いっぺんに濁った声で言われても何の話かよく解らなかった。

「…なんだって?」

「どゔじで私だげに教えで下ざらないんでず!!」「どうしてこの者がお情けを頂くことを容認されたのですか!!」

 やはり聞き取れなかった。

「…落ち着け、一人づつ喋りなさい。パンドラズ・アクター、何を教えないって?」

 アインズは何だかこの話し合いは長くなるような気がし、ドレスルームから執務室に移動を始めた。

 息子はその後に、まるで陰を踏むように纏わり付いて喋り出した。

「どうして私だけに父上とフラミー様がリアルへ戻らないと言う事をお教え下さらないんです!!」

 噛み付くような勢いだった。ソファに座りながらアインズは口を開いた。

「何度も言っているだろう。私達はもうリアルへ渡る力は無いと。」

「デミウルゴス様達はもう三年も前にそれをお聞きになっているんですよ!?三年前!!私はこの三年間鳥籠を作り続けて来たのに!!」

 そう言うパンドラズ・アクターは当然のようにアインズの隣に腰を下ろした。

 デミウルゴスの鳥籠?という疑問が小さく聞こえた。

(…普通は対面に座るものじゃないか…。)

 人のパーソナルスペースに平然と侵入してくる息子に瞠目する。

 何故あれ程までに鈴木悟の残滓を引きずっておきながらこうも自分と乖離した事をするのだろう。

 

「あー…転移した時にお前は宝物殿にいたか。しかしルプスレギナの時や天空城でだって似た事を言っただろう。」

「聞いていません!!ルプスレギナの時とはなんですか!?それに天空城では私はずっとフラミー様と一緒にいたのですよ!?」

 ズズいと身を乗り出すパンドラズ・アクターにアインズは押されるような形で後ろに仰け反った。

「あ、ああ…そうか。あの時はお前本当によく働いたからな。また頼――」

「アインズ様!!御身の被造物とは言え、もうパンドラズ・アクターをフラミー様のお側に置くのはおやめください!!」

 立って様子を見ていた悪魔はアインズ達の座るソファの背もたれに手を付き――やはり身を乗り出した。

「デミウルゴス様!!あなたはずっと父上とフラミー様とお過ごしになって、究極の幸福の中のうのうと暮らして来たと言うのに!!」

 空気が変わった。

「私にも苦悩があった!それに私は――」

 喧嘩する二人を何なんだと交互に見ていると、デミウルゴスの口から続いて出た言葉に、アインズと様子を見ていたメイド、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)は硬直した。

「――君のように一度たりとも口付けを頂いたことなど無い!!」

 騒めく室内。それでこの悪魔はこんなに怒っているのかと頭を抱えたくなる。

「…パンドラズ・アクター、お前はなんでそんな事を話しているんだ…。」

「だってデミウルゴス様がずっと前から全部知ってたって言ったんですもん!!」

 ――誰だ、お前。

 アインズがそんな突っ込みを入れる間も無く悪魔が反駁する。

「別に私達だって君から隠そうとなんて一度も思った事はない!まさかそれを知らない者がこのナザリックに存在するなんて思いもしないだろう!!」

「それでよく叡智の悪魔が務まりますねぇ!?私はこの事実を知ってあなたに一番に知らせたと言うのに!!お陰様で私は三年間、いえ、生み出されたときから一秒たりとも心の休まる日はありませんでしたよ!!」

「…お、落ち着け。二人とも頼むから落ち着いてくれ…。」

 アインズのモゴモゴと言う声はまるで息子達に届かなかった。

「そんな事を言って、フラミー様に究極のご温情をお掛けいただいて君はどうせちょっとやったぜと思っただろうに!!」

「そ、それはまぁ思いましたけど。でも仕方ない事です。フラミー様は私のいる場所がご自身の生きる場所だと仰って――」

「それは言ってないだろ!!」

 アインズは思わず参加した。

「仰いました!」

「あれは私に言ったんだ!!」

「それは確かにアインズ様に向けて仰ったんでしょうが、アインズ様ともあろう方が!何故!フラミー様が僕に口付けをする様な真似をお許しになったのですか!!」

「何故と言えば何故父上は私にだけリアルへ渡る力を失った事をお教え下さらなかったのですか!!」

 気付けば二人の怒りの矛先はアインズに向いていた。

「……んん。あー…。まずはパンドラズ・アクター。」

 何故教えなかったかといえば忘れていたからだ。それに当然知っていると思っていた。

 デミウルゴスの言う通りこのナザリックにそれを知らない者がいるなんて思いもしなかったのだ。

 しかし、それを馬鹿正直に言えばパンドラズ・アクターは家出する。最悪フラミーを連れて家出する。なんとなくそんな気がした。

「――それはな。」

「それは!」

「…お前なら分かると思ったのだ。私の生み出したお前がまさか私の力の変化に気が付かないとは思いもしなかったのだ…。」

 全てをパンドラズ・アクターのせいにした。

「……なんと…。」

 パンドラズ・アクターは迫っていた身を引くと、帽子を脱ぎ恥じ入るように視線を落とした。

「…申し訳ありませんでした…。」

「あ、いや、良いんだ。この世界に来て多くの事が変わってしまった。これは誰のせいでもない。良いな?誰のせいでもないんだ。」

(俺のせいじゃない…。)

 支配者は少し卑怯だった。

「ありがとうございます…。」

「うむ…。これからは何か心配なことや解らない事があれば何でも聞きなさい…。」

「……では、あの姿は私の何なのですか?」

 ――俺です。

「あれは…な。お前が私の創った者だと言う証明みたいなものだ。だからフラミーさんも、な。」

「やはり私だとお分かりになってンンンンキッスして下さったと。」

「ア"イ"ン"ズ様!」

 パンドラズ・アクターはアインズの隣でぽやぽやと幸せそうにし始めたが、デミウルゴスの怒りは膨らむ一方だった。悪魔の額に浮かぶ血管が怖い。

(怖いよ…。怖いよウルベルトさん…。何でもっと優しく創ってくれないんですか…。)

 もしウルベルトならどうだっただろう。モモンガの胸ぐらを掴んで「はぁ!?モモンガさんふざけんなよな!!」と言っていた気がする。そう思うと少しは優しいのだろうか。

「ご自分の創造物ならフラミー様のご寵愛を受けても良いとお思いなのですか!?」

 デミウルゴスの問いに我に帰る。

「そんな訳がないだろう!!」

 フラミーのパンドラズ・アクターへの口付けはアインズも緊急事態だったから許しただけだ。というか本心では許していないし、許し難い光景だった。

 しかしあの緊急事態の説明は――。

「では何故!」

「あ、ああ……あぁ〜…。」

 何故も何ももうどうしたらと思っていると、ノックが響き、扉は勝手に開かれた。

「皆さん喧嘩してるんです…?」

「…フラミーさん…。」

 言い争う声が外まで聞こえていたのか渦中のフラミーが顔を出した。

 慌てて左右の息子達が身なりを整え始めると、アインズは掴み掛かられる勢いだったのでホッと息を吐いた。

 腹を翼で支えるようにしているフラミーが部屋に入ってくると、デミウルゴスは立ち上がった。

 そしてフラミーと向き合い跪く。

「フラミー様…。」

「大丈夫ですか?デミウルゴスさん、喧嘩したの?負けちゃった?」

 整えきれていない頭で哀れっぽい顔をするデミウルゴスはちらりと支配者親子を見た。

「…負けました。どうか脆弱な私に…祝福をお与え下さい。」

「祝福?」

「…口付けを。」

「良いですよ。」

 様子を見ていたアインズとパンドラズ・アクターの声なき悲鳴が上がった。

 フラミーは跪く悪魔の耳に手を沿わせるように顔を包むと、その額へたまに双子に送るのと全く同じ、軽いキスをして笑った。

(あ、口じゃないんだ)とアインズが安堵の溜息をつくと、隣の息子も同時に全く同じ溜息をついた。

 アインズは同じことを思ったであろう、余計な事を喋ったパンドラズ・アクターの頭をスパンと叩いた。

「はい。ちゃんと仲直りするんですよ!」

「ありが…と……います…。」

 相手にされないと思っていたデミウルゴスが絞り出す。

「ったく本当にもう…。これでお前達仲直りしなかったら謹慎だ。それから、ここでの事は今度こそ絶対に誰にも言うなよ!こんなことが知られたらフラミーさんが何人いても足りん!!」

 

 その後デミウルゴスとパンドラズ・アクターは蹴り出されるように部屋を後にすると、二人熱い握手を交わし合い、BARナザリックへ向かった。




こう言うの久しぶり!!
ラッキー☆

#6 アインズの思案


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#6 アインズの思案


【挿絵表示】

2話前の挿絵を頂いたので改めて披露します!!
耳長四人組(エルヤー並呼称)かわいいー!!
©︎ユズリハ様です!


「久しぶりのお出掛けでありんすね!」

「ソウダナ。マタオ役ニ立タネバ。」

 シャルティアとコキュートスはミノタウロスの国の王宮、中庭で支配者の到着を待った。

 トロールの大捕獲を行うのが今回の主目的と聞いているシャルティアはやる気に満ち溢れている。もりもりだ。

 ちょうど一年前、昨年の秋に行われたドラウディロンの悪魔召喚作戦の時のように手順の多い難しい作戦よりも、捕獲!帰還!とはっきりしている作戦は実に気持ちがいい。

 コキュートスも亜人担当係となり早三年。

 二人とも伝言(メッセージ)で向こうで待て、と言われただけで何をすれば良いのかもうよく分かっている。

 

「それにしても、おんし、本当にナインズ様に爺と呼ばせる気でありんすの?」

 コキュートスは四本の腕を天高く掲げた。

「アア…オボッチャマ!爺ガ必ズヤ屈強ナル戦士ニオ育テイタシマス…!」

 興奮し始めた様子にこの話を振ったことを僅かに後悔したが、シャルティアはそれよりも戦士?と首を傾げた。

「アインズ様とフラミー様の御子が純粋な戦士になるとも思えんせんね。なったとしても妾のようなクラスの御方になるんじゃありんせんこと?」

 シャルティアは信仰系魔法詠唱者だ。それも単体で物理攻撃、魔法攻撃、補助、治癒、回避が可能で、索敵を除く全てを行うことが可能なクラス編成の所謂"ガチビルド"。

「ソウダトシテモ物理攻撃、回避ハオ教エ出来ル!」

「…勝手な事をして番外席次とか言うあの頭のおかしな女のように弱くなってしまったら大変でありんすから、アインズ様によくご相談しなんし。」

 珍しくシャルティアが冷静なのには訳がある。

 美しく柔らかなショタの時代をすぐ様筋骨隆々に育て上げられては困るのだ。

 シャルティアの一番の理想は骨の時のアインズだが、以前アインズが子供の姿になった時には下着が少しまずいことになった。

(きっとあのままのお姿でお育ちになるはずでありんす…。)

 でへへと怪しげな笑いを上げていると、ポンと頭にひやりとした手を乗せられ、シャルティアは恋する乙女のような花咲く笑顔に変わった。

「シャルティアの言う通りだな。一郎と花子の間にも子が出来たが、実験は恐らく間に合わんのだから。」

「アインズ様!!」

 今日も美しい骨の(かんばせ)へ両腕を伸ばし、首にぶら下がるように引っ付く。この体の支配者は誠この世の美の結晶。世界の至宝だ。

 アインズは娘の抱擁に背を叩くことで応える。

 離れましょうねと言う意思表示も込めてトン、トン、と数度叩くがまるで木に張り付く蝉のように離れない。

 この娘もいつか父性への求めをすっかり満たしたら、こう言うこともなくなるだろう。

 アインズはチラリとコキュートスへ視線を送った。

 

 すぐ様コキュートスはシャルティアを支配者から剥がすと、まるで普段アインズがフラミーにするように、その身を抱き上げた。

「――んん。しかし、教えん事には強くもなれんからな。コキュートス、期待しているぞ。」

 シャルティアを腕に座らせたコキュートスは嬉しそうに頷いた。

「オ任セ下サイ。必ズヤ御方々ニ御納得頂ケルヨウオ教エ致シマス。」

 三人はミノスの待つ謁見の間へ向かって歩き出した。

 

 実はアインズはコキュートスにはかなり期待している。

 アルベドやデミウルゴスに教育をさせればそれはそれは賢い子に育つだろうが――喜び勇んで皮を剥ぎに行くような子供にはなってほしくない。

『お父さんお休みの日には牧場で皮剥ぎしようよ!』

 なんてキャッチボールの勢いで言われては困る。

 しかしそうなればフラミーは恐らく大喜びで出掛けてしまうだろう。

『じゃあ明日はお父さんとどっちが早くたくさん皮を剥げるか勝負ですね!』

 なんて――アインズは想像しただけで頭が痛くなりそうだった。

 かと言ってパンドラズ・アクターを投入すれば――『ンンンン父っ上!』こう言い出すだろう。

 ナザリックは最強の集団だと思っていたが、こと子育てに関しては弱すぎる。

 しかしそんな中でコキュートスとセバス、ユリはナザリックの良心だ。

 

「……本当に期待しているぞ。」

 アインズは修復されたヒエログリフの書かれている巨大な観音開きの扉の前に着くと、トンと爺の肩を叩き、爺は熱さすら感じさせる吐息を漏らした。

 扉が開いて行くと、不遜な態度のミノタウロスがアインズへ向かって頷く。

「ミノス王よ。その後どうだ。」

「神王殿よ!よくぞ参られたな!さあ、お前たちは出て行きなさい。」

 それだけ言い合うと、控えていたミノタウロス達がはけて行くのを四人はじっと待った。

 そして扉がズンっと閉まった瞬間、ミノスは地に身を投げた。

「神王陛下!よくぞいらっしゃいました!今日はご視察ですか?」

「あぁ、ミノス。お前も大変だな。今日はここからトロールの国へ行こうと思っているんだ。すぐに出掛けるから何も気にしないでいい。うちの国の紋章のついた馬車を走らせるから念のため顔を出しただけだ。」

 ミノスも王になり早ニ年と少し。パンドラズ・アクターに鍛え上げられ、なんとか王をやっている。ちなみに王様レッスンは今でもたまに行われているようだ。

「そうですか…。お陰様で魔導国羊とアンデッドの奴隷が浸透し始めたので是非国を見て行って頂きたかったのですが…。」

 この男はアインズに惚れ込んでいる。自分の望みの全てを叶えようと動いてくれている偉大な王に、本当はあんな不遜な態度では一秒たりとも話したいとは思わない。

 しかし賢王の子孫の偽りの死をもって無理に王座へとついたこの男は国民や側近に王らしい姿を見せなければいけなかった。

 王となったミノスは、もうナザリックの者達の前でしか以前の少しガサツな優しいだけの何でもない一般のミノタウロスにはなれない。

 それでも、彼はこの仕事がどんな事よりも尊く価値のある事だと分かっているので満足している。

 そして彼はナザリックの者によく懐いているが、パンドラズ・アクターによる目撃者の圧倒的殺戮を目にしているので、畏敬の念も忘れていないようだった。

「視察にはまた来よう。そうだ、次はうちの子でも連れてな。」

 アインズが骨の顔で楽しそうに笑うと、ミノスは目と口を開いた。

 ミノタウロスの表情も今ではよく読み取れる。これは驚愕と歓喜だ。

「御子が!!おめでとうございます!!ミノタウロスの風習では人間を一頭送るもんですが――」

「いや、必要ない。気を使うな。」

 ビッと素早く手を挙げ断るアインズに、ミノスは何て思い遣りのある王だろうなぁと、本当の王という者の素晴らしさを噛みしめる。

「ありがとうございます。お祝いは近々何か送らせていただきます。」

 楽しみにしているよとアインズは軽く挨拶を済ませると、深々と頭を下げるミノスに見送られ謁見の間を後にした。

 

「さて、海上都市へ行って以来の馬車だな。」

 アインズがナザリックから馬車を取り出すとコキュートスがゴーレムの馬を繋げ、移動は始まった。

 赤茶けた四角い建築物が並ぶ中を馬車が行く。

 アインズは窓から外を眺めながらもう三年か――と、これまでを振り返る。

 この大陸も残すところトロールの国、西方三大国、トブの大森林の地下に広がるとされる大空洞、一度訪れた事のある都市国家連合で制覇だ。

 そろそろ隣の大陸の様子の確認も始めなければいけない。

 世界征服への道のりはまだまだ長い。

 隣の大陸へ行く為に船で移動すれば、陸に着くまでは転移の鏡を載せなければナザリックには帰れないだろう。

 いや、厳密にはナザリックには帰れるが、転移魔法では動き続ける船には戻れないだろうし、だだっぴろい何もない海を記憶することも難しい為振り出しだ。

 しかし転移の鏡を持ち歩くような真似をして奪われたり潜られたりすれば、いとも簡単にナザリックへの侵入を許す事になってしまう。

 

(行くなら数日間、いや、下手をすれば数十日間は帰れないかもしれない…か。)

 

 父になってしまう前にさっさと一度海を渡っておくべきだったとアインズは僅かに後悔した。

 しかし、それと同時に未知を既知へと変えていくときの喜び、友人達との多くの冒険、乗り越えてきた危機がアインズの伽藍堂の頭蓋の中を照らす。

 ギルド"アインズ・ウール・ゴウン"はそう言う集まりだった。

(…やはり行かねばならないな。)

 海を渡りさえすれば転移門(ゲート)で自由な行き来ができるのだ。兎に角海を渡ることを第一に考えよう。

 とは言え、未踏の新大陸にプレイヤーや竜王がいたとしたら?恐らく竜王は確実にいるだろう。

 そして彼らはこれまでの事を考えると非常に喧嘩っ早い。十分な調査を行ってから海を渡りたいところだ。

(こんな時のための冒険者だよな。航海手当を払って…船の貸し出しをして冒険者の調査団を出すか。)

 アインズはそれは中々いい案では無いかと一人頷く。帰って来たらエ・ランテルの冒険者組合長のプルトン・アインザックの下へ行こうと決めた。

 神としての姿で会ったのはザイトルクワエと戦って以来なのでもう三年も前の話だ。

 しかし人の身を手に入れてからはモモンとしてたまに会いに行ってエ・ランテル市市長に就いたパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア、魔術師組合長テオ・ラケシルと共に四人で食事したりしている。

 優しいおじさん達との触れ合いはアインズの中に残る鈴木悟と言う名の小市民の残滓を癒す。

 

「よし。当面の目標は決まったな。」

 大陸制覇、隣の大陸への渡航、時間逆行魔法の細かい操作と完成、絶対禁書の作成。

 

 覇王はまだまだやる事があるようだ。

 

 アインズは再び外の景色へ視線を戻した。




父ちゃん…王様で忙しいのは分かるけど、ちゃんと子育て手伝ってくださいね!!

閑話だけでなくもっと、と言うことなので完結後ですがちょろりと冒険に出ちゃったりして。
次回 #7 浅慮の一撃


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#7 浅慮の一撃

 ミノタウロスの国から丸一日かけて北上すると辺りには低木林が広がり始めた。

 乾燥に強い陽樹が決してなだらかとは言えない大地に生え、これまで見てきた鬱蒼とした森とは違う――光が届く木の群れを成していた。

 乾燥はしているが近くには小さな水場もあり、ミノタウロスの国よりも雨が多く降る様子だった。

 

「陽光聖典の話によるとこの辺りのはずなんだが…。」

 アインズは木の間を縫うのが難しくなると馬車を仕舞い、辺りを見渡した。

 未だ町らしきものは見当たらない。

 生命感知(ディテクトライフ)にはここに暮らしている動物達が山のように引っかかり、この魔法の弱点を感じる。

 

(やっぱり陽光聖典は連れてくるべきだったかな…。)

 

 フラミーのいない旅に休憩を必要とする者を連れて来る気にもなれず、アインズは今回守護者しか連れてこなかった。

 陽光聖典は以前――アインズ達が転移してくるよりもずっと前にトロールの集落がトロールの国と呼ばれ始めた頃に討伐に出かけた事があると言っていたのだ。

 今からでも陽光聖典を呼び出すか悩んでいると、シャルティアが何かを言いたそうにアインズを見上げた。

「――どうした。何があるなら言ってみるがいい。」

「アインズ様。ここは妾にお任せくださいまし。見事トロールの国を見つけてみせんしょう。」

「ほう。ではシャルティア、お前に任せよう。やれ。」

 アインズの返答を聞くと、シャルティアは優雅に頭を下げてみせ、自分の影へ手を差し伸べた。

 

「――<眷属召喚>。」

 

 シャルティアの陰から黒い毛並みの狼達が溢れ出た。瞳は赤く、その狼達が単なる狼ではないことを物語っていた。

 十匹がシャルティアの前に揃い、興奮するようにへっへっと真っ赤な舌を出して呼吸する。

吸血鬼の狼(ヴァンパイアウルフ)!この林のどこかにいるトロールを探してきなんし!」

 たった七レベルの者達はシャルティアの簡潔な命令に遠吠えを上げ、木漏れ日が差し込む林の奥に向かって一斉に駆け出していった。

 

 シャルティアがしばしお待ちくださいと頭を下げると、秋の風に撫でられるようにシャルティアの銀髪が揺れた。

 同時に色付き出した黄色い葉が舞い、風の行方を視線で追う。

 アインズは微笑みを浮かべ、今日もまたユグドラシルでは感じられない自然の豊かさを感じた。

「…世界は本当に美しいな。」

 この美しい世界に我が子は産まれてくる。

 いつもなら「本当ですね」と優しく返ってくるはずの言葉も今はない。

 守護者達にとって世界はナザリックを彩る為の付属品に過ぎず、この世界の者にとってはあって当然の空気のような――いや、見飽きる分空気よりも価値が低いかもしれない。

 アインズは柔らかな風の中しばし目を閉じた。

 

(ここで産まれる事は幸福だが、不幸でもある…。)

 

 ナインズは果たしてこの美しさを理解できるのだろうか。

 教えて感じる物ではないと、残念ながらこの三年間でアインズは学んだ。

 今頃フラミーは最古図書館(アッシュールバニパル)で今後閲覧制限を掛ける書物を集めている頃だろう。

 そして生み出す絶対禁書――リアルがどんな場所でどんな歴史を積み重ね、どんな技術を持って世界を穢し続けたのかを残す――自分達と世界への戒めの書の制作の始まりを迎えているはずだ。

 それを書くことは自分達の知識を深め、科学への足掛かりを破壊する為にも必要なのだ。

 

(…私達もいつかはリアルを忘れていくだろう。その時には何度でもそれを開かなければいけない。)

 

 息を大きく吸い込む。

 遥か遠くから届く風の香りは複雑で、アインズはそれを表現する言葉を持たなかった。

 

「――アインズ様。」

 

 再び眼窩に赤い灯火を取り戻し、シャルティアへ視線を送る。

「御思案のお邪魔をして申し訳ありんせん。」

「いや、気にするな。それで、見つかったか。」

「はい。眷属が死にんした。おそらくその場にトロールがいるかと思いんす。」

 シャルティアの何も感じていないと言う声に頷く。

「そうか。向かおう。」

 三人は再び探索を始めた。

 シャルティアの先導に従って進むと、やがて林に紛れるように立つ木の塀が目に入った。

 アインズはローブの乱れを直しつつ、スキルを発動させる。

「<上位アンデッド召喚>。」

 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を四体呼び出すと空を指差す。

「お前達は上空で待機し、逃亡者が居れば捕獲しろ。」

 蒼い馬と、それに乗った禍々しい戦士は頭を下げると非実体へと変わり、木々の伸ばす枝をすり抜け青空へ向かって駆け上がって行った。

「さて、念のための包囲網の完成だ。コキュートス。」

 

 コキュートスが心得たとばかりに頷き、門へ近付いて行くとシャルティアは首を傾げた。

「このまま門を破壊して回収を始めるんじゃありんせん事でありんすか?」

「私は何も戦闘や破壊を望んでいるわけでは無いからな。」

 別にアインズは戦闘が好きなわけでは無い。

 神聖魔導国にトロール国の吸収もしたいし、大人しく老人を差し出すならそれで良い。

 ナザリックや国の為になる事ならどんなに残酷な事でもするが、特別残虐なことを好むわけでも無い。

 道の端を歩くアリをわざわざ踏み潰しにいったりはしないし、巣に水を注ぐような真似もしない。

 シャルティアは残念そうだった。

 

「トロールヨ!コノ場所ヨリ西ニ遥カ広ガル、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国ガ王、アインズ・ウール・ゴウン陛下ガ参ッタ。門ヲ開ケ、案内ノ者ヲ出スノダ!」

 コキュートスが先触れとして門を叩くと、一枚の巨大な扉は縦に押し上げられるように開きだし、人間の身長を優に超える、三メートルはあるかと思われるような大柄なモンスターが一体姿を現した。

 その者は以前トブの大森林で見たトロールと同じく、醜悪だ。

 大きな鼻と耳を持つ顔は知性を感じさせるものではない。

 小さなベストのような物で上半身を辛うじて隠し、腰には動物から剥いだ皮をその姿のまま巻き付けていて、腰骨のあたりに熊の顔がチョンとついている。

「ふぁふぁふぁふぁ!今日は弱き者がよく顔を出す!」

 一歩踏み出そうとしたコキュートスをアインズは止めた。トロールのこの習性にはもう慣れている。

「弱き者か。シャルティアの眷属を倒したのはお前だな。我々は――」

「死になんし。」

 アインズが全てを言い切る前にトロールの頭は吹き飛んでいた。

 あぁあとため息をついていると、トロールの頭部を失った切断面はぶくぶくと肉が膨れ上がり、再生を始めた。

「シャルティ――」

「なんだ!?何が起こったんだ!?」

 注意をしようとするとザワつきと共に、トロール達が集まり出し、門の中からはぼんやりと不潔な臭いが流れ出してきた。

 リアルの貧民街でも何度か嗅いだ、風呂――スチームバスにすら入れない者達の臭いだ。

 

 中の様子を伺うと歪な形の平屋が立ち並び、建築もうまく行っている様子はない。

 しかし、住まう者が大きいため人間で言うところの二階建てくらいは大きさがある。

(あれは独自の文化、と言うには些か乱暴かな。)

 アインズは街を覗き込みながらローブの袖で鼻を覆った。基本的に神聖魔導国では亜人や異形の持つ独自の文化は継続させ保護するが、その街は単におつむが足りないだけという雰囲気だ。

 シャルティアへの注意は後回しにし、アインズはトロールへ告げる。

「我々は使者だ。この国をまとめる者に会わせろ。」

「スケルトン!人間!!ギガの息子ギグに何をした!!」

「私はスケルトンではない。良いから早く指導者を出してくれ。」

 ギャンギャンとトロール達が騒ぎ話が進む気がしなかった。

「アインズ様、恐ラクコノ者達トハ、(チカラ)ヲ見セナケレバマトモナ会話ハ成立シマセン。」

 コキュートスからのアドバイスの向こうに武人建御雷を見る。

「ふ、言うことを聞かせるために一発殴るのは悪い手ではない、だったか?」

 ぷにっと萌えも似たような事を言っていた。

 武と知と言う両極端な二人だったが、やはり良いチームだった。

「ハイ。此奴ラハシャルティアガ首ヲ刎ネタ瞬間ヲ見テオリマセン。教エテヤッタ方ガ良イカモ知レマセン。」

「では妾が足を落としんしょう!」

「ココハ私ガ。」

 二人、どちらが力を見せると話し合い始めると、周りを取り囲んだトロール達が手を伸ばしてくる。

 捕まえてこのまま指導者の下へ連れて行ってくれればそれはそれで良いかと思っていると、守護者二名は即座に空間から武器を取り出し、振るう。

 伸びてきた手の殆どが落ちると血が吹き出そうとした瞬間――コキュートスの切った痕は凍り付き始め、アインズに血が掛かることは無かった。

 そして再生を始められずにトロールが悶える。実に見事な判断力だと感心した。

 

 一方シャルティアが切った所は血が吹き出し、本人もアインズの半身も血に塗れた。

「アハァッ!」

 愉快そうなシャルティアの声を聞きながら、アインズは呟いた。

「…ここではコキュートスに任せよう。」

「アリガトウゴザイマス。」

 それを聞いたシャルティアはハッとアインズを振り返った。

「あぁ!アインズ様!!失礼しんした!!」

 ふわふわのタオルを差し出すシャルティアに苦笑する。

「シャルティア、お前は竜王国でフラミーさんにも血を掛けていただろう。」

 アインズは骨の顔を拭くと汚れたローブを摘み、血生臭い自分を見下ろした。

 頭蓋骨の中や肋骨の中に入ってしまった血はタオルで拭くのは難しい。

「は、はい…。」

「誰かといる時はやり方を考えなさい。最初に首を刎ねてしまったのも悪手だ。トロールは再生能力を持つのだから腹くらいに収めておけばすぐに恐れをなして中へ案内しただろう。」

 周りは阿鼻叫喚だが、冷静な説教が続く。

 シャルティアは防衛訓練で手を出したりと、ここに来て後先考えずに力を奮うと言う弱点が見え始めていた。

「何かが起きた時、一瞬で良いから考えを巡らせろ。闇雲に力を見せれば良いと言う物でもない。」

「申し訳ありんせんでした…。」

 途端にしょんぼりしていた。

 

 フラミーがいれば「でも頑張って偉かったですよ」なんて隣からフォローが入るのだろうか。

 アインズが鞭だとすればフラミーは守護者の飴だろう。

 それに、フラミーは「そっちじゃない」ではなく「こっちだよ」と言うタイプだ。

 

 シャルティアの謝罪を聞いていると途端にトロール達が騒がしくなった。

「ガ!!」「ガだ!!」「ガよ!!」

「蛾…?」

 一瞬何を言われているのか分からなかったが、トロールを掻き分けて現れたトロールを見た瞬間全てを察した。

「ガか。ガよ、お前がここの指導者だな。」

 その者は他の者より更に巨大な体躯をしていた。

 そして端整な顔付きにはある程度の知性を感じさせる。

 短い髭をたくわえる顎を撫で、アインズをじっと見た。

「そうだ。俺がここを取り仕切る、ガだ。我々に何の用だ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)。」

(死者の大魔法使い(エルダーリッチ)か、惜しいな。…こいつがルーインの言っていた集落から国まで成長させた指導者か。)

 話せば分かりそうだ。

「――我が名はアインズ・ウール・ゴウン。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国を預かる者だ。」

「なにぃ?俺は旅をしたがそんな国は見たことも聞いたこともないな!どうせチンケな臆病者の国だろう!」

 

 アインズは少しカチンと来た。




思ったより賢くなぁい…

次回#8 若返りの実験

一方その頃ふららは――

【挿絵表示】

ユズリハ様より頂きました!!しゅてき❤︎


ちなみにトロール以前一度説明出てきてるけど、皆もう忘れたましたよね!!!

試されるミノタウロス編 2-#22 忌むべき生き物
トロール達は力こそ全てだと言う種族で、数年に一度武道会を開いては勝者が政治を預かり持って部族を引っ張っていた。
それまでトロール達の集落を"国"などと呼ぶものはいなかったが、今回の為政者はどうやらあたりだったらしく、国と呼ばれるほどに大きくなり始めていた。


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#8 若返りの実験

「これもかな…。」

 フラミーは開いていた本を司書Jに渡した。

 

 ぐるりと最古図書館(アッシュールバニパル)を見渡し、次の本棚へ向かう。

 壁一面にギッシリと本が詰められていて、上の方は飛ばなければ取りに行けないだろう。

 図書館勤務の死の支配者(オーバーロード )達が視線の先の書棚へ向かおうと梯子を持ってくるのを止める。

 フラミーはふわりと浮かび上がり、空中で再び本の選別を進めた。

 周りからはお戻り下さいと悲鳴にも似た僕達の声が聞こえるが、一冊づつ持って来させるのも手間だし。それに、梯子なんかを使って落ちればそれの方が一大事だ。

 

「顕微鏡くらいはセーフなのかなぁ。」

 フラミーは手の中の本に視線を落とし、リアルで常識的な知識に触れ呟いた。

 眼鏡が存在していれば顕微鏡もいつか勝手に生まれるだろうと思えてならなかった。しかし、自分一人で判断を付けられず、結局こめかみに触れた。

 近頃の二人はこの世界に来て今迄で一番離れている時間が長いだろう。

 トロールの国を探しに行ったアインズは、昨日朝早くに出掛け、夜中に帰ってきた。

 そして今日はまた朝早くに出かけてしまった。とは言え大抵はちょいと出掛けて、すぐに帰って来るのだ。

 普通のサラリーマンのお父さんより余程家にいる。

 それでも声を聞くときは特別だった。

 

 フラミーは線が繋がった感触に顔を綻ばせた。

『どうした、私だ。今取り込んでいる。』

(………あ。)

「じゃあ…また後にしま――」

『フラミーさん!いえいえ、取り込んでませんよ。』

 フラミーは笑った。

 

+

 

 アインズはガに向かって杖を振りかぶりながら、ふんふんと話を聞いた。

「…それは難しいですね。顕微鏡か…。」

 生物の根源、細胞を観察されるのは何となく嫌だった。

 薬草やポーションではない、西洋医学の発展は望むところではないのだ。

 魔法に頼る脆弱な存在で良いだろう。

「っぐああぁぁあ!!何なんだ!!一体何者なんだ!!」

 腹から内臓を撒き散らしながらガが倒れ、痛みに悶える。

「煩いぞ、臆病者。貴様は一文字以上は覚えられんのか?全く随分賢い者が率いているものだな。えぇ?」

 アインズは足元を這い蹲る大柄なトロールを極寒の視線で睨みつけた。

 その様は魔王然としていて、シャルティアの背を震わせる。

『アインズさん?』

 フラミーの私じゃないよねとでも言うような声が聞こえた。

「あ、フラミーさんじゃないですよ。すみません、話の途中で。」

「ッグゥゥ!訳の分からない事をごちゃごちゃとおおお!」

 喧しいので喉を抉るように首の前面を吹き飛ばした。

「――ッッッ!!」

 ガは声帯と大動脈を失ったが、見る見る元の形に戻っていく。

 痛みに耐えるような顔をすると、側に立っていたトロールの体を掴み、思い切りアインズへ投げ飛ばした。

「ッチ、不潔な物を投げおって。」

「オ任セヲ。」

 コキュートスはダンっと足を鳴らすとそれを凍らせ、投げられた者は粉々に砕けてあたりに散乱した。溶ければ恐らく回復が始まるだろう。

「えーっと、それで、顕微鏡ですっけ。ナザリック内ではセーフかなぁ…。いや、デミウルゴスがそこから凄い物作りそうだな…。少し議論してから決めたいんですけど、いいですか?」

『もちろんです。取り敢えずこの本は閲覧制限書にしておきますね。それじゃ、お仕事の邪魔しちゃってすみません。』

 ガの顔が恐怖に歪んでいく中、アインズは優しく微笑んだ。

「いえ、今日は早く帰りますね。」

『はい!私待ってます。頑張って下さい。』

 フラミーと挨拶を交わしあい、名残惜しげに手を下ろすと、アインズは震える目の前のトロールを見下ろした。

 

「ほら、早く老人を集めろと言っているだろう。それともまだ嬲られたいか?」

 ガは弾けるように行動を開始した。

 

 老いて毛むくじゃらになっているトロールが続々と集まっていく。

「貴様は今何歳だ?」

「わ、わしは百四十四歳ですじゃ…。」

「ちょうど良いな。他の者も似たようなものか?」

 どの老トロールも訝しむような視線をアインズに送りながら、その通りと頷いた。

 これは何者なんだとごそごそ話していると、走って戻って来たガが頭を地面に押し当て、老トロール達は慌てて口を閉じた。

「やっとどうする事が正解なのか理解したか。さて、ガよ。ここは今日から我が国の一部だ。弱くて何も知らない貴様らはうちの国民になる事で生きることを許してやる。」

「ありがとうございます…ありがとうございます…。」

 これで神官達を呼び出し死の騎士(デスナイト)と、運営させる死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を置けば一先ずはこの臭い国でやる事はおしまいだ。風呂の設置を急がせた方が良いだろう。

 

「シャルティア、老人達をデミウルゴスの牧場に送れ。」

「かしこまりんした!」

 門の前で叱られたシャルティアは大急ぎで転移門(ゲート)を開いた。

「さぁ、おんしらアインズ様の尊き実験の糧になれる事を喜びなんし!!」

 老トロール達は「実験の糧…!?」と震えながらも、若く力のある衆が誰も助けてくれない様子に歯向かう事は不正解だと察し、転移門(ゲート)を潜って行った。

 身内だと思われるトロール達が泣きながらそれを見送るが、アインズは何も感じなかった。

 老人の行進の隣でアインズも転移門(ゲート)を開く。先はナザリックだ。

 竜王国でごっそり手に入った死体は日々死の騎士(デスナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)にしているのだ。

 揃った足並みで死の騎士(デスナイト)達が闇から出て来ると、トロール達の震えは最高潮になった。

「コキュートス、後は任せても良いか。」

「勿論デス。御身ハゴ研究へオ向カイ下サイ。」

 助かるとコキュートスの肩をポンポン叩くと、アインズは地に這い蹲るガの顎に杖の先で触れた。

 顔を上げさせまじまじと観察する。

「考えて見たらガも髭が生えているし、割と年は行っているようだな。貴様も来い。」

 強きガはガクガクと震え、早く来なんしと叫ぶシャルティアに向かった。

 コキュートスは支配者とシャルティア、ガを見送ると残されたトロールへ振り返る。」

「サテ、オ前達。」

「ひぃっ!」

「怯エルナ。アインズ様ハ実二慈悲深イ。コノ国デ役ニ立タナクナッタ者達ヲ再ビ戦士ニ戻シテ下サルノダカラ。」

 トロールは死の騎士(デスナイト)を見て更に泣いた。

 

+

 

 転移門(ゲート)の先でアインズを迎えたのはアウラだった。

「いらっしゃいませ!アインズ様!」

「アウラ。わざわざ済まないな。」

「いえ!でも、あんな物で本当によろしいんですか?」

 視線の先にはログハウス。アウラはもじもじと居心地悪そうにしていた。

「あぁ。あれこそ私が求めていたものだ。」

 研究室として作られたログハウスは、八畳一間の小さなものだ。トロールは外で寝させれば良い。

 アインズがログハウスに近付くと、扉は自動で開いた。

「ん?」

「これはアインズ様!今急ぎ内装を整えておりました!」

 中からは良い笑顔のデミウルゴス。

 

(――やられた!)

 

 アインズが中を覗くと、真っ白な美しい椅子と、恐らく鍛治長が手掛けたであろう見事な執務机があった。

「デミウルゴスよ、あの椅子はお前だな…?」

「その通りでございます!簡素ですが、用意させていただきました。」

 デミウルゴスの自信満々な声が響く。

「…今度は何の骨だ?」

 アインズは以前にも一度この配下から椅子を贈られていた。飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の里ではそれに座したが、また新しいものが手に入ってしまった。

 しかし、以前と違い大きな部品が多く、パッと見はただの白い椅子だった。

「今回は常闇の良いところだけを使い、磨き上げ、更に彫刻を施して見ました。如何でしょうか。」

「ほう、お前随分腕を上げたじゃないか!」

 まるで知らない謎の生き物の骨だと気持ち悪かったが、常闇の骨で、更にここまで骨感がなくなればそれはもはや芸術だった。

 アインズは前に貰った椅子の何倍も趣味の良いそれを前に思わず声をあげた。

「恐れ入ります!お気に召したようでなによりでございます。」

 悪魔が嬉しそうに尾を振るとアウラは隣で可愛らしく頬を膨らませていた。

「あ、あたしだって本当はおっきくって立派な研究所を建てたかったんですよ!」

「ははは。建物は本当にこれが正解なんだ。さて、それじゃあ魔法の研究を始めるか。」

 アインズが研究所を去ると――「――と、アインズ様は仰った…丸、と。」

 これまで静かにしていたシャルティアは何かを一生懸命メモしていた。

 アウラは横からそれを覗き込むと、ピタリと動きを止めた。

 そこにはアインズの言った言葉、行った行動がみっしりと書き込まれていて、これは一体なんだと視線を向ける。

「…シャルティア 、これ何?」

「アインズ様に何事も考えを巡らせろと言われんしたから…アインズ様の叡智を少しでも参考にしようとしてるんでありんすよ。」

「シャルティア、君にしては良い行いだね。どれどれ。」

 アインズに付き従い、共にドアを潜ろうとしていた叡智の悪魔は足を止め、二人の上から手の中のメモに視線を落とした。

「ねー、デミウルゴス。これ、この書き方でいいと思う?」

「…まぁ、理解できるスピードは人それぞれだからね。」

「まぁね…。シャルティア、帰ったらこれを読んで、アインズ様が何を考えてこれを仰ったのかちゃんと考えた方がいいんじゃない?」

「そうでありんすか?」

「「そうでありんす。」」

 二人は断言し、研究所を後にした。

 

 外ではアインズが血のように赤い禍々しい時計型の魔法陣を背負っている所だった。

「…なんと凄まじい…。」

「ほんと…。アインズ様って出来ないこと何にもないよね…。」

「死の次は時すらその手に収められんすねぇ…。」

 三人は力の奔流を前にそれ以上動くこともできなかった。

 

「ッ行き過ぎたか!!」

 アインズは苦々しげに吐き捨てると、怯えて蹲る一人のトロールにむかって魔法を繰り出した。

 トロールの命の巻き戻しは始まり――最初の一人目は見事に赤子になった。

「…消滅しなかっただけましか?」

 守護者達は拍手喝采だが、これではいけない。

 アインズは赤子になりわんわん泣くトロールを抱いてトロールの国に戻った。

 そこではコキュートスに呼ばれた神官達と陽光聖典がマスクをして忙しなく動き回っていた。

「アインズ様。早速一人目デスカ。」

「あぁ…こいつを家族に返してくれ。」

 アインズは赤子を壊さないようにコキュートスに渡すと、これとこれと…とトロールが今まで着ていた服も渡し、帰って行った。

 

 その後、アインズは研究室を二日に一度程度訪れては、トロールを赤子に戻した。

 力を大量に消費する魔法は二回も使えばふらふらになってしまう為、中々思うように進まなかった。

 アウラの作った研究室で、今日はああした、こうした、明日はこうしてみる、とその日のまとめをノートに書きつけ、日に三時間程度は牧場の片隅で過ごしたらしい。

 

 実験に使われる老人達は適当に与えられたテントで暮らすことになったが、トロール国にいた時からあばら家で過ごしていたため大して変わらなかった。

 が、食事はすぐそばにある牧場で飼われる魔導国羊を与えられ、今までよりも良い暮らしになったと言っても過言ではない。

 これまでの記憶を全て持ったまま人生をやり直せる機会に、若返ったら何をしようと皆わくわくしながら、実験体になれるその栄光の時を待った。

 そして何もしないで過ごすのもつまらないと、牧場の手伝いをしながら、なんだかんだと充実した日々を過ごしているとか。

 

 一方国に残ったトロール達は死を待つばかりだったはずの老人達が再びの人生を取り戻して帰ってくるのを楽しみにした。そして――風呂という新たな文化に強烈なカルチャーショックを受けたらしい。

 トロールの国に呼び出された神官達は、この地をどこの直轄地にするかと大いに悩んだ。

 その場ではどの州にも属さない地としてしばらく様子を見る事になるが、間も無くバハルス州のエルニクス州知事との協議によって、属する先がバハルス州へと決まる。

 すると、トロール市と地名が与えられ神聖魔導国民達にも広く認知されるようになって行く。

 

 が、特別何があるわけでもない街はそんなに人も訪れなかった。

 しかし、バハルス州に暮らしていた武王と呼ばれるトロール、ゴ・ギンは里帰りしやすくなったと、しょっちゅう実家に顔を出すようになったらしい。

 十年前には共に旅をしたこともある腹違いの兄、ガ・ギンが自分よりも随分若くなって帰って来ると、驚きのあまりに腰を抜かしたとか。

 

+

 

「…疲れた…。」

 アインズは結局今日も遅くなってしまったと、疲労を感じないはずの骨の身で九階層の廊下を進む。

 ある程度強力な始原の魔法は、持ってもいない命そのものから力を絞り出しているように感じる。

 肉体ではない場所に疲労を感じると言うのだろうか。

 腕輪の力を全開にして大魔法を行使し、力を全て使い切れば骨であっても意識を失うほどに。

 黙ってフラミーの部屋の扉を開く。アインズ当番が仕事を取られたとでも言うように残念そうにしているが、疲れすぎていて気に留めるのも億劫だ。

「アインズさん!おかえりなさい。」

「帰りました。遅くなっちゃってすみません。」

 優しく微笑む天使は激突するようにアインズの胸に収まった。

 外でやらなければいけない事は山積みだが、二度と離れたくなくなる。何度も頭を撫でフラミーの柔らかい髪の毛の中に顔を埋めた。

「…アインズさん疲れてますね?」

「…今日は正直骨のままでも寝れそうです。…とにかく風呂行かなきゃな…。」

 アインズが苦笑するとフラミーはアインズのローブをいそいそと脱がし始め、ポイっと放り捨てた。

「じゃあ、お風呂、私が背中流してあげますよ!なんか血生臭いですし。」

「えっ!い、い、い、い、良いんですか!!」

 単純な支配者は疲労を忘れ、心の底でシャルティアに感謝した。

 そして骨の隅から隅まで丁寧に洗われると、アインズは妙に恥ずかしくなったらしい。




さらっとトロール国吸収

次回 #9 閑話現地の者達との時間

あっという間に回収しちゃいましたが、ばっちり勢力図をいただきました!

【挿絵表示】

ユズリハ様よりです!


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#9 閑話 現地の者達との時間

 その日、国から冒険者組合に海を渡る手当が出される旨が通達された。

 

 どの都市の冒険者組合にも行政官の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が来たらしいが――どう言う訳か、ここエ・ランテルには神自ら姿を現した。

「最も大きな幽霊船を二隻海へ出すから、まず第一回目の航海団を編成したい。」

「かしこまりました。」

 冒険者組合長アインザックは冒険者現役時代を思わせるスピードで頭を下げた。緊張でガチガチだ。

 それに比べて、護衛に天使を引き連れ、ソファで足を組む目の前の神の、その堂々たる振る舞いたるや――。

(生きる世界が違いすぎる…。)

 優雅に過ごす相手は神。世界が違って当たり前だ。

 

「念の為、うちからも何人か死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を渡そう。向かう先は前人未到の地だからな。」

「そうして頂けると助かります。集合場所はどちらに?」

「出発地点はローブル聖王国を予定している。」

「聖王国ですね。――若い冒険者もよろしいですか?」

 前回回ってきた防衛点検の話がオリハルコン級以上だった為、念のため確認する。

「人材は一切問わない。強いて言うなら、聖王国の海には海巨人(シージャイアント)やシー・ナーガが出るらしいから、それらと渡り合える者だ。」

「なるほど、かしこまりました。」

 アインザックは書類に丁寧にメモを取った。

 これまでは命のやり取りがすぐ側にあった為、海を渡ろうと思う者などいなかった。

 それに、渡ってきた者もいない。

 恐らく海の向こうは三年前までのこの世界の様に混沌とし、その日を暮らす事に精一杯なのだろう。

 

 もしくは――無限に広がる死の世界――。

 

 アインザックの背に汗が流れた。

「陛下…向こうはどのような場所なのでしょう…。」

 思わず聞いてしまう。目の前の人物はこの世界を創った張本人なのだ。

「ん…?それは勿論美しい世界が広がっているはずだろうな。まぁ、余計な事をしている者がいなければではあるが。」

「おぉ…。」

 その手を離れる前の、美しい世界を思い浮かべている創造主の様子に、思わず感嘆の声が漏れる。

「――この世界の美しさをお前達にも解って欲しいが…解るだろうかな…。」

 どこか遠い所を眺める様な雰囲気だった。

 骸の眼窩に灯る火は消え、目を閉じたのだろう。

 アインザックは神が冒険者達に冒険に出て欲しいと願う本当の理由がわかった気がした。

 冒険者達の目を通して世界の美しさを知らせる事こそが本当の神の望みなのかもしれない。

 

「陛下は変わりませんな。」

 アインザックは思わずふっと笑いを漏らしてしまう。魔樹討伐の際に見た優しく大きな背中を思い出したのだ。

「…変わらなければいけないんだがな。私ももう父なのだから、その称号に相応しい者にならなければ。余りふざけてふらふらもしていられん。」

「は、そうでした。陛下、この度は光神陛下のご懐妊、誠におめでとうございます。」

 一番に言わなければいけなかった事だと言うのに、つい神の訪問に浮き足立ち忘れていた。

 神官達は誕生祭に向けて準備に忙しくしている。

「陛下ほど偉大な御方もおりますまい。陛下はきっとお世継ぎ様に尊敬される素晴らしい父君になられるでしょう。」

「ありがとう…アインザックさ――んん、アインザックよ。素晴らしい父か。そうなれるよう努力するしかないな。そう言えば、お前は子はいるのか?」

「はい、不肖の息子がおります。のんべんだらりと生活しておりますよ。そろそろ嫁でも貰ってくれれば良いんですが。中々相手も見つからないものですね。」

 はぁ、とため息を吐き――なんて話をしているんだと慌てて口を塞いだ。

 圧倒的上位者だと言うのに何故か妙に親近感を覚えてしまう。いや、圧倒的上位者だからこそ、守られている感じがして安心してしまうのだろうか。

「そうか、そうか。しかし、愛する者が見つかるまで待ってやるのも親の務めだろう。早く良い相手が見つかると良いな、私も楽しみだ。」

 和やかな空気が流れる。アインザックは恐れ入りますとはにかんだ。

「つかぬ事をお聞きしますが、殿下はまだご結婚はされないのですか?」

「ははは、まだ産まれてもいないのに気が早いな。」

「あ、いえ。パンドラズ・アクター殿下はどうなのかと。」

 ジッと観察されるように見られ、何かおかしなことを言ったかなと焦る。

「……あれは確かに我が手で生み出した子だが…守護者に過ぎない。殿下と呼ぶのは間違いだ。」

「…何が違うのでしょうか?」

 アインザックが首を傾げると、なんと説明したものかと唸ってしまった。

「あれは愛する者の腹から血を分けて生まれてきた訳ではないからな…。守護者達は指先一つで生まれてくるものだ。子は子でも根本的に違うんだが…兎も角、まぁ、そう言う訳だ。」

「…な、なるほど。指先一つで…。」

 あれほどの存在を指先一つで。アインザックは物憂げに頬杖をついた手をついつい観察してしまう。

「弟とは言って来たが…あいつがうちの長男なのか…?いや…違うよな…。そう言えばティトもあいつを殿下とか呼んでいた気がする…。」

 小さな声で何やらぶつぶつ呟く神はテーブルに乗っているアイスマキャティアを手に取り、口に運びかけるとピタリと止まった。

 何だろうと見ていると、ポンっと小さな煙と共に人の姿になり、ようやく口をつけた。

 アインザックは不思議なものだと思うと同時に、美しいと思わずにはいられなかった。

 天は二物を与えずと言うが、天そのものは二物を持つらしい。

「さて、そろそろ帰るか。馳走になった。」

 見惚れていると、グラスをテーブルに戻し神は立ち上がった。

「あ、いえ!お送りいたします。」

 アインザックも慌てて立ち上がり、扉に向かう。

 

「アインザック。」

「は!」

 ノブに伸ばしていた手を引っ込め振り返ると、どこかで見た事がある瞳が揺れていた。

 誰がこう言う目をしていたんだったかと必死に記憶を手繰るが、思い出せない。

 もう少し見ていれば記憶の糸に触れられそうだが――そうも行かない。

「また、私の(・・)話に付き合ってくれ。」

 いつもより若く聞こえた気がするその声音に、笑顔で首肯した。

 

+

 

 アインズは護衛の天使達を連れて冒険者組合を後にするとナザリックに帰還した。今日の仕事の一つ目はこれで完了だ。

 今日残りしなければいけない事は、トロールの実験、アンデッド創造、毎日の執務、フラミーの部屋で行われる勉強会への参加――。

 意外とやる事がある。そして今日はこれに加えてもう一つ。

 少しばかり重い足取りでフラミーの部屋へ向かうと、扉の左右に立つコキュートス配下の者達が頭を下げた。勝手に扉を開け、中に足を踏み入れる。

「こんこーん、フラミーさーん。」

「あ、アインズさん!」

 本に埋もれるフラミーが顔を上げた。

 僕達を部屋の隅に追いやっていて、リアルの黒歴史を記しているようだった。

 ただ、ヴィクティムだけはその斜め後ろにふよふよと浮いている。

「禁書、進んでますか?」

 優しく髪を撫でるとフラミーは唸った。

「うーん…進んでるような進んでないような…。」

「難しいですよね、俺もやらなきゃな。」

 アインズはそのまま本の中から、いつもより幾分もおめかししているフラミーを抱き上げる。

 応じるフラミーも当然のように腕をブイの字に広げ、アインズの首に腕を回した。

 フラミーはまた少し重たくなったようだった。

 

「はぁ。私がもう少し賢かったらなぁ…。」

「俺ももう少し賢かったらって毎日思います。それより、もう出かける準備は済んでるんですか?」

「はい!いつでもお出かけできます!」

 満面の笑みを浮かべたフラミーの髪にしばし鼻を埋めると、その匂いを嗅いだ。これから行く場所へアインズの不安は募る一方だった。

「…フラミーさん、やっぱりやめませんか…?」

 腕の中の人は困ったように笑った。

「でも、ドラウさん、せっかく招待してくれましたから。」

 そう、フラミーの懐妊を知ったドラウディロンはお茶会をしようとフラミーを誘ってきたのだ。

 一年前の一悶着以来文通をしている二人の間には二週に一度は手紙のやり取りがある。

 アインズは嫌だった。何も知らないドラウディロンがまた余計な事を言うんじゃないか恐ろしかった。

 それに――「七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)がいたら…あいつに何されるか…。」

「だから、一緒に来てくれるんでしょう…?」

「そりゃ行きますけど…。」

 うじうじとアインズが唸っていると、その腕から、愛らしい声が響いた。

『モモンガお兄ちゃん!時間だよ!モモンガお兄ちゃ――』

 アインズはピッとそれを止めた。

「…はぁ…時間だ…。」

「ごめんね、アインズさん。」

 申し訳なさそうな顔をされると胸が痛む。

「良いですよ…。フラミーさんが楽しいなら良いんです…。でも、決して俺から離れないと誓ってくれますね…。」

「誓います。」

 首に手を回して礼とでも言うように頬へ口づけを送るフラミーの背をポンと叩く。

 アインズは<転移門(ゲート)>を開いた。

 そして「お前達も来るんだ。」と、エ・ランテルで引き連れていた八十レベル代の六体の天使――門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)を従えた。

 

 くぐった先は州庁となった城の噴水の前だ。

 

 途端にワッと拍手が響き、アインズは一瞬びくりと肩を震わせた。

 城の者総出で迎えてくれたようだった。

「フラミー殿!それに陛下も!」

 ドラウディロンがアインズへ――いや、アインズが抱えているフラミーへ駆け寄って来る。

 可能な限りの索敵を行いつつ、一歩下がった。

 浮いているヴィクティムも辺りとドラウディロンを警戒しているようだ。

「ドラウさん!お元気でしたか!」

「あぁ!フラミー殿も順調そうだな!」

 仲睦まじく二人が話し始めると、かつて宰相だった男が駆け寄ってきた。

 彼はブラックスケイル州と名をこの地が改めてからは都市長としてドラウディロンの下で働いている。

 しかし、皆その者の事は、愛情を込めて今でもこう呼ぶ。

「宰相――変わらないな。」

「陛下方!ご無沙汰しております!そして、この度は誠におめでとうございます!お茶会の席は光神陛下がリラックスしてお過ごし頂けるようにと、城のテラスに準備を済ませております。さぁ、どうぞこちらへ!」

 早速先導を始めた宰相はデミウルゴスやシャルティアからの評判もすこぶる良い。

 アインズはフラミーを抱いたままその背を追った。

 

 テラスに出されたテーブルには三段のアフタヌーンティーのセットが出されていて、テキパキとメイドがポットに湯を注ぎ、茶を淹れていた。

 ジルクニフの所にもメイドが残ったが、ここもやはりメイドはいるようだ。

 どちらも名前と肩書きが変わっただけで、これまでと生活は大して変わっていない。ただ、仕事は少し減っただろうが。

「あ、私紅茶はやめてるんです。合わなくって…。」

「あぁ。手紙でそう言っていたから、ローズヒップティーにさせた。安心してくれ!」

 執事が一人掛けソファを引くと、アインズはフラミーをそのソファへ下ろした。

 執事は次の椅子を引き、アインズが座る。

 続いてドラウディロンも座り、三人でテーブルを輪になり囲んだ。

「もう結構お腹も大きくなっているんだな。冬には産まれるんだったか?」

「ふふ、そんな予定ではいるんですけど、ちゃんと予定通りに出てきてくれるのかなぁ。」

 フラミーが腹を撫でると、ドラウディロンも椅子から軽く腰を浮かせ、腹に触ろうと手を伸ばす。

 ――アインズは身を乗り出したドラウディロンの伸ばしていない方の手を取ると引っ張った。

 するとドラウディロンの手はフラミーに届かず、ポスンッと再びソファに腰を落とした。

「っあ、あいんずどの…?あ、じゃなくて、へいか…。」

「あ…すまん。ついな。」

「ん、いや、いいんだ…。えっと…行儀が悪くてすまない。」

 アインズは流石に警戒しすぎだと首を振る。

 ヴィクティムが困ったように笑うフラミーの腹の横に降り、触れられそうになった所を両手で丁寧にのしのしと撫で、小さな声で中へ話しかけた。

キミドリヒハイタイシャ(ナインズ)ニアオムラサキ()ヒトボタンハイダイダイハイ(ご安心)ハダヤマブキニヒ(下さい)。」

 ヴィクティムは穏やかだがやはり守護者だ。

 フラミーとドラウディロンの間にいることに決めたようで、再び浮かび上がろうとはしなかった。

 

 そしてアインズはローズヒップティーに口をつけると呟いた。

「――うまい。」

 ナザリックの物では感じない、素朴な味だった。

「あはっ!そうだろう!それはうちの城庭に咲いたものを私が乾燥させたんだ。」

「え!じゃあお手製ですね!すごい!」

 ドラウディロンが曇りのない笑顔で栽培と乾燥について説明するのをフラミーはふんふん聞いた。

 

 二人の和やかな会話を聞きながら、アインズはフラミーをぼんやりと眺めた。

 確かに友人といる時のこの人はこうだった。

 円卓の間や、アウラとマーレの暮らす大樹で、ぶくぶく茶釜、餡ころもっちもち、やまいこの四人でよく話していたのを思い出す。

 もう遥か遠い昔のようだった。

 

「やはり友達はいいな。」

 アインズは楽しげに話すフラミーを見ると幸せそうに笑った。




アインザックと御身、仲良くなれそうですね!
モモンとは仲良しなようですが、子供トークはできませんもんね!
良かった良かった!

次回#10 誕生日

ちなみに始原の魔法で皆さん人化計画でユズリハ様がナイスな絵を下さいました!
タブラさん

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茶釜さん

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うるぺろたっち!

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夢が広がりますねぇ!
始原の魔法(スーパー便利ワード


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#10 誕生日

 フラミーは今日も最古図書館(アッシュールバニパル)と自室を行き来していた。

 適度な運動が必要だとペストーニャに言われている為、転移の指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を使わずに歩く。

「フラミー様、御本は私が持ちますので、どうか…どうか…。」

ソショクヤマブキダイダイウスイロ(わたしも)ウスイロキハダアオムラサキタイシャ(もちます!)!」

 ヴィクティムと本日のフラミー番のインクリメントが周りで冷や汗をかいていた。

「大丈夫ですよ!ちょっとくらいは動かないと!」

 フラミーは第十階層から第九階層へ続く階段をトントン上った。

「ん?フラミーさん!」

「あ、アインズさん!おかえりなさぁい!」

 フラミーが本を抱えたまま人懐こい顔をして走り出すと、僕達はあわあわとその後をついて走り――アインズもあわあわとその身に向かって走り手を伸ばした。

「――っあ。」

 大きな腹で足元が見えていないフラミーが最後の段に躓くと、悲鳴が上がる。

「な!!<完璧なる戦士(パーフェクトウォリアー)>!!」

 アインズは床がえぐれるのではないかと言うほどの力で床を蹴るとズザザッとフラミーの前に身を投げた。

 バラバラと本が散らばり、ゴチンっと最後の一冊の本の角がアインズの頭頂部に落ちた。

「わっ、あはは。すみませ――」

「すみませんじゃないです!!大丈夫ですか!?お腹は!!これじゃナザリック内でも――」

「っあ…痛っ…。」

「え!?」

 異変に血が凍る。

 フラミーは大きな腹をぎゅうぎゅう押した。

「いた…んん……あれれ…。」

「う、嘘だろ!?インクリメント、ペストーニャを呼べ!!」

「は、はい!!」

 アインズはフラミーを抱き締めると震えた。

「フラミーさん!フラミーさん!!た、たのむ…かみさま…!」

 唸るフラミーの背を何度も摩り、中で順調に育っているであろう我が子にまだ我慢してくれと何度も心の中で頼み、神だと言うのに神へと祈りを捧げた。

 泣いてしまいそうだった。

「アインズ様!フラミー様!」

 あ、わんを付けもしないペストーニャがスカートの裾を持ってバタバタと駆けてくる。

 アインズは今にも死んでしまいそうな程に青くなった顔を上げた。

「ぺ、ペス!!フラミーさんが――」

「あ、もう何ともないです。」

「っえ!大丈夫なんですか!?」

 フラミーのケロッとした声が響く中、ペストーニャがフラミーの腹に手を伸ばすと、アインズは一度身を引いた。

 ハラハラしすぎてアインズは気持ち悪くなっていた。

 胃がひっくり返って中身どころか臓物が出てきてしまいそうだ。

「フラミー様、こちらに違和感がありましたか?それともこちらでしょうか、あ、わん。」

「お腹側です。ここの辺り。」

 それを聞いたペストーニャは頷くと、嬉しそうにワンッと一度吠えた。

 アインズと僕はビクンッと肩を揺らし、ペストーニャは軽く頭を下げた。

「フラミー様、これはおそらく前駆陣痛でしょう。本当の陣痛へ向けての準備でございます、あ、わん。午後や激しい運動をされた後に出やすいですが、問題ございません。今後も起こりますが、歩いたり体勢を変えると治りやすいので、そのようにご対処頂ければ幸いです、あ、わん!」

 へなへなと崩れ、ぺたりと床に座ったアインズが倒れそうになると、ヴィクティムがちっちゃな手でその背を支えた。

「よ、よかった…。」

「ただ、二分程度で治らない時や、出血や粘液が出るような場合はまたお呼びください、あ、わん!」

「はーい!」

 ペストーニャは本当は付きっ切りでいたいが、過度な刺激や接触を禁止する旨を厳命されている為、なるべく呼ばれた時にしか参上しないようにしている。

 フラミーにプレッシャーを与えないための措置だ。

「では、アインズ様、私はこれで。フラミー様をお願いいたします、あ、わん!」

 床に座る支配者にペコリと頭を下げるとペストーニャは立ち去って行った。

 フラミーが座るアインズへ手を伸ばすが、アインズは掴まず一人で立ち上がった。

「…フラミーさん…。」

「は、はひ。」

「あなたは謹慎です!!」

「っえ!」

 アインズはフラミーを抱えると自室へ向かった。

「アインズさん、でも運動しないと。」

「九階層と十階層のバリアフリー化が済むまでダメです。全ての段差を無くすまでは俺の部屋にいて下さい。」

 メイド達が次々と扉を開けていくのを潜る。

 そして殆ど「支配者の練習」でしか使っていない自分の寝室に辿り着くと、ベッドにそっと、そぅっとフラミーを下ろした。

 そこにいてと言うと、収納を開け、布団やクッションをぽいぽい取り出していく。

 メイド達は二人が揃っている時に寝室に入ってはいけないと言う命令を律儀に守り、扉の外からやります!と声を上げた。

 アインズは誰にも触らせたくない為自分で作業を進める。

 十二単を着る女雛のようにフラミーを布団で包み、その手にクッションを持たせると、ふむっと満足げな声を上げた。

「アインズさん、これじゃ動けないですよぉ。」

「すぐに済ませますから。俺はちょっと水上ヴィラに行きます。大人しくしてるんですよ!」

 アインズが転移していくと、フラミーはつまらなそうに頬を膨らませ、本を持ってきたヴィクティムとメイドを手招いた。

 

+

 

「バリアフリー、でございますか。」

「たしかに危険ですわね。」

「ンンンンなるほど。宝物殿からも何かお出ししましょう。」

 西方三大国の情報を共有していた知恵者三名は頷く。

 水上ヴィラはたまに守護者達と食事を取る以外、すっかり有識者達の会議室と化していた。

「十階層と九階層を繋ぐ階段はもう使わせないとして、ほかの段差は根絶しろ。」

 拠点の操作でそれを行うと、また金貨の使用枚数が変わってしまうし、元に戻せない可能性もあるため物理的手段だ。

「かしこまりました。では早急に鍛冶長と男性使用人達を呼び、取り掛かります。」

「頼むぞ。…はー。もう本当に――」

 アインズは三人が囲むちゃぶ台の脇に座るとドサリと身を投げた。

「――幸せな悩みだなぁ、ははは。」

 その呟きに知恵者達も楽しげに笑った。

 

 九階層と十階層のバリアフリー化が始まると、アインズは徹底的に段差チェックを行った。

 半端な傾斜は逆に躓くため、神都大聖堂の建築にも携わった人間の設計士達を呼び出して傾斜角度の確認をさせたり、鍛冶長に助言をさせたり、本格的だった。

 設計士は九階層に来るとあまりに見事なその場所に飲まれ、ぽかんと口を開けたが、この場所に自分達も携わるのだとすぐに表情を引き締めた。

 

+

 

 アインズはある冬の日の夜、ベッドに身を放り出し、座るフラミーの正面から腹を抱えるように耳を当てていた。

「聞こえます?」

「聞こえますよ。」

 もうじき。もうじきなのだ。

 全てから二人を守ると誓った日から結局ナザリックに閉じ込めるように冬を迎えてしまった。

「フラミーさん、寒くないですか?」

 体を起こし、顔を伺うとフラミーは引っ張り寄せるようにアインズに口付けた。

「こうしてるからあったかいです。」

 アインズはそれは良かったと顔を綻ばせ、フラミーが取ろうとした本を代わりに取って渡した。

「――どうぞ、でもフラミーさん、まだ寝ないですか?」

「ちょっとこれだけやっちゃおうかなと思います。」

 

 フラミーはしばらく熱心に本を書いた。

 隣で資料を読んでいたアインズはちらりとフラミーの顔を見ると、「そろそろお終いにしましょう」と告げた。

「ん…もう少し…。」

「さっきもそう言いましたよ。」

 アインズはフラミーを抱き寄せると背をぽんぽん叩く。

 手を振ると備え付けの永続光(コンティニュアルライト)は消え、フラミーが杖の先に灯した永続光(コンティニュアルライト)だけが二人を照らした。

「あぅ…もう少しだけ…。」

「じゃあせめて一分くらい休んでから続きやって下さい。」

「一分なら…。」

 静かに背を叩いているとアインズの胸の中からは穏やかな寝息が上がった。

「やれやれ。」

 随分疲れているようだった。

 いつも頼りにしているデミウルゴスに相談できる内容ではないし、外でアインズが働くならばとフラミーは日中机に噛り付くように一人、禁書作成に励んでいる。

 当然アインズも禁書作成には携わっているが、フラミーの方がその割合はずっと多い。

 それにここの所はずっと貧血のようにフラフラしている。

 起こさないように注意して横向きに寝かせてやると、アインズは随分と大きくなった腹に手を当てる。中でも眠っているのか、静かだった。

「…おやすみ、文香さん、九太。」

 布団を掛け、自分も潜り込むとそっと目を閉じた。

 

 ふわふわと夢に落ちるか落ちないかと言うタイミングでアインズの意識は引き戻された。

「ッン……。」

 フラミーの苦しげな声が聞こえ、いつもの前駆陣痛が始まったかと体勢を変える手伝いをする。

「っんん…あいんずさん…。」

「少し歩きます?」

「う、うん…少し、歩く…。」

 手を取りベッドから足を下ろすと、フラミーはアインズに手を引かれて寝室の中をうろうろと歩いた。

「んん…良くなったみたいです。」

 フラミーがへらりと笑うと二人は再び床についた。

 そして眠りに落ちようとすると――「鈴木さん…。」

「ん、はい。すずきです…。」

 また鈴木かぁと苦笑しかけ――痛みだ。明確な痛みを訴える顔をするフラミーがいた。

 その下腹部には――水とわずかな血。

「っあ!?待ってて!!」

 アインズは唸るフラミーを置いて寝室を飛び出すと、えーとえーとと、決して理性的ではない頭をフル回転させ、メイド達の部屋へ転移した。

 メイド達は眠っている者もいれば、何か作業をしている者もいて、何で全員休んでいないんだとアインズは心の中で軽く悪態をつく。

「アインズ様!こ、このような時間に!アインズ当番は何を――」

「すまない、すまないが、ペス!!ペストーニャ!!あ、えーと、それから…それから…!」

 気配を感じたペストーニャと戦闘メイド(プレアデス)達が一般メイドの部屋へ駆け込んで来る。

「アインズ様!?」

「ああ!お前達!!」

 両腕を広げ、全員を抱き締めるようにすると、アインズは何も説明もなしに寝室へ再び転移した。

「あっ!フラミー様!あ、わん!」

「ぺ、ぺす…。」

 アインズがだらだらと脂汗を流すフラミーに手を伸ばそうとすると、ユリとナーベラルが腕を掴んだ。

「アインズ様、お外でお待ちを!」

「お産まれになったら、すぐにお呼びいたします…!」

 

 寝室を追い出され、一時間、二時間、三時間と時間が流れていく。

 寝室の前でうろうろしていると、メイド達から話を聞きつけた守護者達がどんどん集まって来ていた。

 第九階層に踏み入れることを許されている僕達も集まる。

 誰も口を開かなかった。皆が皆祈るようにし、ただその時を待った。

 ふと、部屋の中からフラミーの痛みに悶える大声が響き、静寂は破られた。

「…っあぁ…フラミー様…。」

 デミウルゴスがガタリと立ち上がる。

「フラミー様…。」

 シャルティアも続いて立ち上がるが、すぐ様膝を抱える様にしゃがんだ。

 二人は嗜虐趣味があると言うのに、フラミーの声を聞いて泣きそうになっていた。

 双子が抱き合う横でコキュートスがガリガリと頭をかき、アルベドは両手で顔を覆っていた。

 

 泣く者、慰める者、頭を抱える者、皆が震えているようだった。

 アインズはうろうろと歩き続けながら、自分の持つ七一八の魔法へ考えを巡らせる。

(不死者の接触(タッチ・オブ・アンデス)で麻痺させれば――いや、それで産めなくては意味がない…。大治癒(ヒール)で回復させれば――だめだ。産道が閉じるようなことがあればお産の邪魔だ…。)

 

 廊下側からノックが響く。

 アインズは雑に叫んだ。

「入れ!勝手に入れ!!」

「失礼いたしま――」

 数時間遅れて現れたパンドラズ・アクターは部屋に入った瞬間、そこに響く痛みに耐える声に硬直した。

「ふ、フラミー()――ま…。」

 震える足で一歩一歩進み、自分を呼んでくれた以前喧嘩した叡智の悪魔の隣に座った。

 

「あぁ!くそ!!私は無力だ!!」

 アインズが叫ぶと――中から幼い泣き声が聞こえた。

 扉に全員の視線が注がれる。

 泣き声が響き続け、しばしの時間が流れると扉は開かれた。

 

 アインズは中を見るとハッと口を押さえ、突き上げてくる感情を止めることも出来ずにボロボロと泣いた。




200話、10月1日ですね!
ナインズ様ご生誕おめでとうございまーす!!

次回#11 閑話 最後の条件


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#11 閑話 最後の条件

 アインズはフラミーの寝室――二人のベッドのすぐ傍に置かれているベビーベッドの縁からヌッと頭を出し、すやすやと眠るナインズをじっと見ていた。

「どうしたんですか?抱っこしないの?」

「………これが俺の子か…。」

「ん…?」

 フラミーは言われている意味がわからず首をかしげる。

「………すごい…可愛すぎる…。」

 アインズがこぼした言葉にフラミーはあぁ、っと笑い、まだ慣れない産後の体を起こした。

「あぁ!時間まで寝てて下さい!」

「ふふ、大丈夫です。」

 フラミーは二人に近付くとごろりと転がり直し、アインズも安堵すると再びナインズに視線を戻した。

 ナインズは霞のように、ほんの僅かにふわふわの銀色の毛を生やしていた。

 瞳は金色で、縦に入る猫のような瞳孔がフラミーにそっくりだった。

 顔には死の支配者(オーバーロード)でもないだろうに黒い亀裂が小さく入っていて、小さな耳は尖っている。が、長くはない。

 

 産まれて数日、アインズは守護者と共に神殿へナインズの誕生を伝えに行くと、数時間の祝賀会を開かれ、「早く帰らせろ」と苛々したり――、国中が誕生祭で盛り上がる中軽い参賀で手を振り、「早く帰らせろ」と苛々したり――、冒険者の航海への出発式典に参加し、「早く帰らせろ」と苛々したり――、西方三大国の情報がまとめられた物を知恵者達に渡され、「早く帰らせろ」と苛々したり――、とにかく早く部屋に帰りたがった。

 そして神殿には大量の供物と、祝いの品が届き続けている。

 参拝客もいつもより随分増えたようだ。

 供物の殆どはアインズ達にとって価値を感じないもので、無慈悲にも通称シュレッダーに入れられユグドラシル金貨へと変えられている。が、それがナザリックのためになるのだから信者も本望だろう。

 

 アインズはナインズにチョンっと触っては幸せにプルルッと背を震わせていた。

「可愛すぎる!あぁ〜!可愛いなぁ!」

 滑らかなふくふくの頬を何度もつつきながら顔の全ての筋肉を緩める。

 こんな素晴らしい生き物がこの世にいるのかとだらしない顔をし、「えへえへ」と笑った。目に入れても痛くなさそうだ。いや、フラミーも目に入れても痛くなさそうなのだから、間違いなく痛くないだろう。

「ん……んぁ……ぁ……!」

 しかし、つつきすぎたようだ。

 ナインズは顔の部品を全て中心に寄せるようにし、への字にした口をゆっくり開いていく。噴火前の合図だ。

「あ、き、九太!泣かないでくれ!よしよし、父ちゃんだらしなかったな、ごめんね、ごめんね。」

 支配者とは思えない声を出し腹をポンポン叩いていると――「んぁああぁあぁぁあ!!」

 ナインズは決壊した。

「あらららら。おいで、ナインズ。よしよし。お父さんのつんつん気持ちいいでしょ?どうしたの?」

 フラミーが泣き続けるナインズの頭を支えながら優しく抱き上げ数度揺らすと、徐々にボリュームが落ち、ナインズは泣きながら眠った。

 アインズは、フラミーが自分を「お父さん」と指しているのがくすぐったすぎて再びデレッと笑ったが、何とか夫としての威厳を取り戻す。

「すみません…俺、触りすぎですか…?」

「んふふ、本当はもっと触ってほしいと思ってますよ。ちょっとだけ今はご機嫌斜めだっただけで。」

 ナインズをあやすフラミーは天使のようだった。幸福だ。幸福が過ぎる。

「フラミーさん…聖母…。」

「えへ?なんですか?」

 フラミーは照れ臭そうに微笑むと、そっと自分達のベッドにナインズを寝かせた。

 起こさないように慎重に背から手を抜いていく。

「…九太、こんな母ちゃん…お前学校で自慢できるな…。」

「ははっ、お父さんだって自慢ですよ。」

 二人はとろけたような顔をすると、息子の上で唇を合わせた。

 今は起きないでくれと願いながらアインズがフラミーの顔を撫でていると、扉は叩かれた。

 

「…もうそんな時間か…。」

「早いですね。」

 アインズはすぐにでも壊れてしまいそうなふにゃふにゃの息子をそっと持ち上げ、ベッドの中心に移動させた。

(これも宝物だな…。)

 周りに大量のクッションを置くと、へらりと顔を緩めてからフラミーを抱き上げ、寝室の扉へ向かう。

 まだ寝返りも打てないため落ちる心配もない。

 フラミーは腹の膨らみが無くなったので若干違和感がある。

 アインズはナインズが生まれた夜、寝ながらフラミーの腹に触れ、腹が小さくなった事を忘れて慌てて飛び起きた。

「まだ私の事も抱っこしてくれるんですか?」

 妊娠中は宝物のように大切にされてきたが、もうナインズは生まれたのだ。

「え?しない選択肢があるんですか…?」

 付き合う前からフラミーを持ち運んでいた男は心底不思議そうに首をかしげた。

「ふふ、ないです。」

 フラミーは嬉しそうに笑い首に腕を回した。

 

 寝室を出ると、全守護者とパンドラズ・アクターがソワソワと落ち着かない様子で控え、その顔には「ナインズ様は?」と書かれているようだ。

「ナインズは寝てるので皆静かにお願いしますね。」

 フラミーの通達に、皆が静かに半開きにされた扉の中を覗こうと首を伸ばした。

「それじゃあ、始めるか。」

 アインズのその一声で守護者達は表情を引き締めた。

「アルベド、イツァムナーは呼んであるな。」

「は。部屋の外に待機させております。」

「よし、入れろ。」

 アルベドがメイドへ目配せすると、メイドが扉を開け、本を抱いたイツァムナーが部屋に入った。

「………イツァムナー、御身の前に。」

「よく来たな。さぁ、クラスの確認ができる魔法の検索を。」

 イツァムナーはやる気に満ちた瞳をして頷き、無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)の検索を始めた。

 ナインズが一体どんな種族の者なのだろうと二人は話し合ったが、よくわからなかった。そこで、この集まりだ。

 イツァムナーの検索を待っていると、寝室へ首を伸ばしていたシャルティアは遠慮がちに支配者達を見上げた。

「アインズ様、フラミー様…。妾、その…ナインズ様のご尊顔を拝しとうございんす。」

 もじもじと赤い瞳で見上げるシャルティアは実に可憐だった。

「良いですよ。起こさないようにね。」

 フラミーは気軽に立ち上がるとシャルティアに手を伸ばした。

「あ、ぼ、ぼくも!!」「あたしも!!」「爺モ…。」

「…んん、私もできれば…。」「私も見とうございます!!」

「ンンンン私も!!」「ソショクヤマブキダイダイウスイロ(わたしも!)!」

 守護者が一斉に声を上げると、結局皆でそろりそろりと寝室に入った。

 ベッドを囲み、覗き込めば、三角の小さな口を開けたり閉めたりするナインズが静かに眠っていた。

「す、すごいね、お姉ちゃん。」

「うん。こんな…こんな……すごい…。」

 双子が感嘆していると、アインズは再びちょんっとナインズの頬を押した。

「…はぁ。本当すごいよな…素晴らしいよ…。」

 支配者は骨抜きだった。

「可愛いですよね。皆、どうか可愛がってあげて下さいね。」

 フラミーは眠るナインズの頭を数度撫でるとほぅ、っと優しい息を吐き、ベッドに頬杖をついた。

 見ていたパンドラズ・アクターは「はわわ」っと妙に愛らしい声を上げた。

「…ソノ様ニ柔ラカクテハ…心配デゴザイマスネ。」

 ぶしゅーとコキュートスの冷たい息が広がる。するとナインズは目を開け、一瞬きょとんとすると、すぐに顔をシワシワにして泣きだした。

「あらら。」

「あ、ああ!コキュートスが失礼いたしました!コキュートス、あなた不敬よ!!」

「オ、オボッチャマ!申シ訳アリマセンデシタ!」

「コキュートス、君はナインズ様にあまり近付かないでくれ!」

 あわあわとどうしたものかと思案し、シャルティアはナインズへ指差した。

「ど、どうしたら――あ!わかりんした!<人間種魅了(チャームパーソン)>!」

「は!?お前そんなあやし方が――」

 しかし、何も起こらなかった。

「――やはりナインズは人ではないのか。」

 アインズは泣き続ける我が子の様子に妙に納得してから頭を支え、そっと抱き上げた。

「ナインズ、コキュートスは悪い奴じゃない。」そう言いながら尻をポンポン叩くと、尻はズッシリ重かった。

「……あ、お前、出したのか。」

「お腹冷えちゃったかな?<清潔(クリーン)>。」

 フラミーが臀部を指差すと、ぐっしょりと湿り、重くなっていたそれは途端に乾いた。

「良かったなぁ、ナインズ。フラミーさんが綺麗にしてくれて。」

 アインズは顔を綻ばせるとナインズの霞の頭に鼻を当てふんふんと匂いを嗅いだ。再び眠り始めるとベッドに戻す。

 そして、支配者らしい咳払いをひとつ。気を抜くとすぐにデレデレになってしまう。

「それで、お前達はナインズはどんな種族だと思う。」

 有識者会議は囁きの中始まった。たった一人、強い確信を持ってコキュートスは発言する。

昆虫(インセクト)デハナイ事ハ確カデス。」

「そうだろうな。」「そうでしょうねぇ。」

 アインズとフラミーは頷いた。

「アンデッドでも無いようでありんすし…。」

「あ、あの、森妖精(エルフ)…の線は捨てきれないですよね…?」

「マーレ〜。耳は尖ってらっしゃるけど、アインズ様とフラミー様が森妖精(エルフ)じゃないんだからさー。」

 ひーんとマーレが汗を飛ばすと、デミウルゴスはメガネを中指で押し上げた。

「やはり、悪魔、でしょうね。」

「そうよね。私もそうだと思うわ。」

 知恵者悪魔二名はにやりと笑った。

「という訳で、我々は恐らくナインズ様の一番の――いえ、守護者の中では一番の理解者になるでしょう。」

「くふふっ。この先お世話をするのは私達で決まりね。」

 勝ち誇ったような二人の笑顔をよそに、パンドラズ・アクターはフラミーを覗き込んだ。

「…ンンンンナインズ様に触れても宜しいでしょうか…?」

「良いですよ、優しく触ってあげて下さいね。」

 許可を得ると、そっとナインズの口へ長い節くれた指を差し出した。

「っはぁ!」

 唇に触れた途端あむあむと指先を吸われ、パンドラズ・アクターは昇天した。

 シャルティアとコキュートスは勝手なことを言う悪魔二名に不満をぶつけていた。

「ふふ、ズアちゃんったらアインズさんみたい。」

「えっ!?俺、こんなでした…?」

 アインズも同じ事をして昇天していたが、本人に自覚はないようだった。

 アインズが煙を吹き出すパンドラズ・アクターへ「こんなかなぁ」と顔を向けていると、イツァムナーが扉の縁をコンコン叩いた。

「………基礎種族を確認する魔法ならあった。」

「何!そうか!さぁ、試してくれ!」

 イツァムナーがページに触れ、風のようなものが僅かに本の中から吹き出す。アインズはフラミーが祈るようにしているのを見ると、そっと肩を抱いた。

(…異形種であってくれ…。)

 機械的な呪文詠唱音が流れ、風は止んだ。

「………わかった。ナインズ様の種族は――」

「「「種族は!」」」

 ずずいと守護者達が身を乗り出す。

 

「――………神の子。」

 

 アインズは我が子に視線を落とし、誰の子だって?とイツァムナーに問い直した。

 守護者達はそっちだったか〜と、惜しがるような声を上げ、まぁそれはそうだよねと納得している。

 ナインズを起こさないようにある程度気を配った声量だが、非常に興奮しているようだった。

「………ナインズ様の種族は神の子。人でも亜人でもない、あらゆる者と一線を画した異なる種族。」

「神の子だなんてそんなクラスがあるのか…。それに俺たちの子なのに――まてよ。」

 アインズはふと恐ろしいことに気がついた。

「……神の敵対者(サタン)の最後の条件って神殺しなんじゃ――」

 アインズがナインズへ視線を落とそうとすると、フラミーは慌ててナインズを抱きかかえた。

「や、やめてください!あなた何考えてるんですか!!」

 フラミーの戸惑いと怒り混じりの声に皆が視線を上げ、ナインズはその腕の中で目を大きく開けていた。

「あ、いや!フラミーさん、別にそんな(・・・)つもりじゃなかったんです!俺もそんな(・・・)つもりはありません!」

 落ち着いて話しかけてもフラミーの目はまるで敵を見るようでアインズはただただ焦る。

(頼む、そんな目で見ないでくれ。)と何度も心の中で頼む。

 最古図書館(アッシュールバニパル)で借りた本に、産後二週間は女性ホルモンの急激な低下から精神が不安定になると書かれていたというのに、見事に地雷を踏み抜いた。

「フラミーさん、本当だから…。」

 噛み付くような顔をされるばかりだ。

「文香さん、本当に。俺が二人にそんな事させる訳も、望む訳もないでしょう…。」

 その名にフラミーはふと自分を思い出したような顔をした。

「そ、そう…ですよね…。」

「そうだよ。おいで…。」

 ナインズを抱えるフラミーが胸におさまると、アインズはホッと息を吐いた。

 

 しかし、この先どうやってフラミーに最後の条件を消化させれば良いのだろうとアインズは深く悩んだ。

 

+

 

 フラミーとナインズの眠る寝室、アインズは一人自分の百科事典(エンサイクロペディア)を開いていた。

 百科事典(エンサイクロペディア)はプレイヤー一人に一冊与えられるアイテムで、所持者が出会ったモンスターの名前と画像が書き込まれる所謂モンスター図鑑だ。詳しい情報は自分で書き込む必要があるが、アインズはバラバラとページをめくり続けた。

「神…神のクラス……。」

 そんなものを持っているモンスターなど聞いたことはないし、出会った記憶もない。

 アインズはパタリと百科事典(エンサイクロペディア)を閉じた。

「…やっぱりワールドエネミーにいたんだろうなぁ。」

 まるで転移を期待したくない生き物に思いを馳せた。




デレンズ様、不用意な事言いがち
一定数以上の信仰を集めた二人から生まれると神の子クラス!!

次回 #12 閑話 ツアーからの祝い


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#12 閑話 ツアーからの祝い

「ソーレオボッチャマ、ゴ覧下サイ!爺ノコノ(チカラ)コブヲ!」

 第五階層の錬成室にコキュートスの嬉しそうな声が響く。

 アインズはツアーの鎧の様子を確認し、フラミーはロッキングチェアで揺れていた。

「あ〜。」

 さも納得したような声を出しているナインズにコキュートスのテンションは最高潮だ。

「オォ!爺ハオボッチャマヲ必ズヤ守リキッテ見セマスゾ!!」

 ナインズにも魔法の装備を着させて居る為、氷山の錬成室でも問題なく過ごしていられる。

 子供達の微笑ましいやり取りをフラミーも時折あくびを漏らしながら眺めた。

 フラミーは未だに睡眠無効や疲労無効アイテムを使わず、朝な夕なに授乳している為常に眠そうだった。まつ毛の端に真珠のような涙が一粒輝いた。

 その隣で、ナインズの乗せられている揺り籠を揺らすメイドの顔は実に晴れ晴れとしている。「私、お世継ぎ様のために働いてる!!」とでも言うようだ。

 メイドはアインズ当番、フラミー当番、ナインズ当番と三人もいる。当然籠を揺らす権利はナインズ当番にあるようだ。

 

 アインズはナインズが生まれてからと言うもの、トロールの実験以外には殆ど外に出かけていない。

 外出を拒否し続け、約二週間だ。

 アインズに外出を強要する者などこの世にはいないので何の問題もないのだが。

 

「――こんなもんか。」

 アインズはツアーの鎧がすっかり直ったことを確認するとこめかみに触れた。しばし応答を待つ。

「…ツアー。私だ。鎧が直ったから、試着を頼む。」

 試着という表現で合っているのかは分からないが、伝言(メッセージ)を切ると鎧は即座に動き出した。

「アインズ、助かったよ。」ツアーはそう言いながらフラミーへ手を挙げ「やぁフラミー。…あ…ん?」何かに気が付いたような声を上げた。

「こんにちは、ツアーさん。いらっしゃい。」

「どうだ?良いだろう。私が破壊した鎧に近付くように、うちで使いたかった常闇の素材もどっさりと使って修復してみたぞ。」

 

 ツアーはフラミーに振り掛けた手を数度握ったり開いたりしてから頷いた。

「あぁ、これは素晴らしいね…。少し鎧を動かしてみても――いや、待て。」

 切羽詰まったような雰囲気だ。

「ん?不具合か?」

 勿体無い病のアインズが惜しみなく素材を使ったと言うのに。

 ツアーはアインズの問いに答えもせず、ナインズが入っている籠へ足早に近寄り、コキュートスに接近を止められながら中を覗いた。

 

「君がアインズの子か。素晴らしいじゃないか。フラミー、よくやったね。」

「はは、ありがとうございます。」

 照れ臭そうに笑うフラミーの両手を握り数度振ると、再びコキュートス越しに籠の中を覗き込んだ。

「君は確かナインズと言ったかな?来週お披露目があると触書きが回ってきていたが。」

 真っ直ぐに話しかけられるナインズは、ぽかんと口を開け、ジッとツアーを見た。

「どうかしたのかい?ナインズではないのか?」

「ナインズですよ。まだ喋れないですし、言っていることも多分あんまりよく分かってないです。」

「何?産まれてもう二週間だろう。」

 目を見張るナインズの腹をフラミーがこちょこちょと撫でると、くちゃっと嬉しそうな顔をし、手足をジタバタさせた。

「…頭はあまり良くないみたいだけれど、愛らしくはあるね。」

 ツアーの言い分にアインズは溜息をついた。

 

もう(、、)二週間じゃなくて、まだ(、、)二週間だ。霊長類は爬虫類と違って喋るには後一年はかかる。ナインズの頭が悪い訳じゃない。」

 パパは大変不愉快そうだった。

 

「そんなにかかるとはね。早く始原の力について教えたいけれど、難しそうかな…。」

「話しかける事は自由だが理解はできんだろうな。」

「そうかい。まだ幼いから大きな力には育っていないけれど、普通の竜王が産まれて来る時よりも強大な力を持っているような気がするよ。成長に合わせ力は更に大きくなるだろう。早いうちに実験したいところだね。ドラウディロンのようにナインズも生贄を必要とする可能性は十分にある。」

「…そうか、混じり気から生贄を必要とするかもしれんか…。」

 力を暴走させ、ナザリックの者を生贄にされたり、ナザリックを破壊されては困る。

「そう言う事だね。最悪ドラウディロンの家系の二の舞だ。」

 ツアーが鋭い目付きで揺りかごを注視すると、ナインズは三角の口を開き、一言「あ」と漏らし、顔を歪めていく。

「あぁあぁ。お前がドラウディロンの二の舞なんて言うから――」

 第五階層に泣き声が響いた。

 

「おいで、ナインズ。ツアーさんは別にナインズの悪口を言った訳じゃないんですよ。」

 フラミーに抱かれ、ナインズがわんわん泣く様子にツアーは困ったなと鎧の首の後ろを撫でた。

 すかさずコキュートスが四本の腕にガラガラを持ちフラミーとナインズの前でワタワタする。途端に第五階層は賑やかだ。

「アア!オボッチャマ!」

「…実験はもう少し先になりそうだね。」

「あぁ。あまり焦らないでくれ。」

「わかったよ。」

 ナインズが泣き止む様子がないと、フラミーは立ち上がった。

「お腹空いちゃったのかな。ご飯だね。」

 フラミーが部屋の端へ向かい出し、背のリボンに手を掛けるとアインズは慌ててツアーの兜を外した。

「な、なんだい。」

「見るな!!」

「いや、別にそこに僕の目が付いているわけじゃないんだけれど。」

「何!?とにかく見るな!!」

 フラミー当番とナインズ当番の二人のメイドが幕のようなものを急いで取り出し、フラミーと男性三人の間の視界を遮った。

「あれは何をしているんだい?」

「どう考えても授乳だろうが!お前には過ぎた光景だ。」

 頭のない鎧は腕を組み、なるほど、なるほど、とどこかからか声を上げた。

 アインズはツアーの兜を戻し、急ぎ幕の中へ向かった。

 

 幕の中のフラミーは半端にローブを脱ぎ、寒そうだった。

 魔法で出したであろう椅子に座り、二対の翼で腕の中のナインズを包み、もう二対の翼で胸が丸出しにならないよう隠しながら授乳している。

 装備が取れたと認識されては凍えてしまう為、アインズは急ぎローブを脱いで露わになっている肩に掛け、さすった。

「飲んでます?」

「飲んでますよぉ。早く大きくならなきゃいけないって思ったかなぁ。」

 ふふ、と笑うフラミーの胸はたっぷりと大きくなっている。

 ナインズは手でモニモニと大きな胸を押しながら必死に乳を飲んでいた。

「…九太、ツアーの言うことなんか聞かないでいい。ずっと赤ちゃんでも良いんだぞ。」

 乳を吸う頬を撫でながら、ゆっくり大人になってほしいと思う。

 アインズの頭の中には幸せの花が咲き乱れていた。

「ふふ、本当ですね。いつか反抗期なんか来たらやだなぁ。」

「九太はきっと反抗期なんかないですよ。」

 アインズは目尻を下げ、ぽやぽやと幸せそうな顔をしたが、後に青年になったナインズに、やれ「シャキッとして下さい」やれ「べたべたし過ぎです」と叱られるたびにこの日の自分の言葉を思い出したらしい。そして、「お前、それは反抗期なのか?」と愛する息子に首をかしげるとか。

 ナインズは満腹になると眠った。

 アインズはフラミーの露わになっている胸をしまう手伝いをし、三人で幕を出た。

 

「眠ったのかい?」

「眠りました。本当手間のかからない子ですよ。」

 ツアーは幸せそうに笑うフラミーの腕の中のナインズを覗き、そっと頬を押す。

「…柔らかいね。空気の様だ…。」

「前にも言ったが、お前の手は冷たいんだからあまり触るんじゃない。」

「しかし冷えは感じないんだろう?ここは随分気温が低いが平気そうじゃないか。」

「だめだ。ナインズは可愛くて柔らかくて泣きやすいんだから。」

 可愛くて柔らかい情報は必要なのだろうか。

 余計な情報を挟まずに息子を語れない支配者はコキュートスを手招いた。

 

「オオ…!コノ程度ノ敵ニ、オボッチャマノ体ヲ触ラサセタリハシマセンゾ。」

 コキュートスはいつもより大仰な仕草でツアーとフラミーの間に立ち塞がった。

「サァ、我ガ剣ガ恐ロシクナイ者ハカカッテクルガイイ!」

「触る触らないは置いておいて、僕の鎧のリハビリに付き合ってもらっても良いかもしれないね。」

 ツアーが剣に手を掛けると、コキュートスは嬉しそうに白い息を吐いた。

 

「ツアー、その剣はまずい。私の私物を貸すからこれを使え。」

 適当なデータ量の剣を取り出し、ツアーへ放る。

 ツアーは受け取った剣を鞘から抜くと興味深そうに眺めた。

「コキュートス、鎧をあまり傷付けないように戦いなさい。せっかく修理が終わったんだからな。」

 なんなら鎧の上から鎧を着せたいくらいだ。

「カシコマリマシタ!デハ、ツアーヨ。イザ尋常ニ勝負。」

「あぁ、頼むよ。」

 二人は錬成室を出た。

 

 剣戟音が鳴り響くとナインズはハッと目を開けた。

「怖くないぞ?九太はツアーより強くなるんだからな。」

 そっと小さな耳を塞いでやると、超音波のような声を上げてから笑った。

 初めてのナインズの笑いに、アインズとフラミーは一瞬驚いたが、肝の座っている様子に一緒に笑った。

 アインズはナインズの耳を塞ぐのをやめ、いそいそと二人の戦いが見えるところにロッキングチェアを移動させる。

 初めての爆音が楽しいのか、ナインズはフラミーの腕の中で大爆笑していた。

 アインズは持ってきた椅子に座ると、フラミーを持ち上げ、自分の上に座らせた。

 暫く観戦するとフラミーは翼でナインズを包みすやすやと眠り出し、アインズは自分達の周りに静寂(サイレンス)を掛けた。

 途端に静かになったが、ナインズは楽しげに笑い続けた。

 自分の大きな声を楽しんでいるようだが、アインズはご機嫌なナインズの口に指を入れた。すぐに吸い始め静かになる。

「九太、フラミーさんが寝てる時は静かにしないとだめだからな。」

「あ〜。」

 やはりわかったような声を出す。知ったかぶりの支配者達の子供は知ったかぶりがうまいようだった。

「ふふ。九太は本当に賢いなぁ。ツアーは何も分かって無いんだよ。数年後には九太の賢さを知ってきっと謝りに来るぞ。」

 床を蹴り椅子を前後させながら語る支配者の声は穏やかで、随分と若々しい。

 一生懸命指を吸ったナインズはやがて眠りに落ちたが、優しい父の指を握ったまま離さなかった。

 

 その後コキュートスの必死の食らい付き虚しく、強化されたツアーの鎧は勝った。

 ツアーはリハビリを終えると、勝ったと言うことでナインズに触れる権利を一応与えられ、慎重にナインズの腹を撫でた。ちなみにコキュートスも冷たいからあまり触るなと言われている。

「じゃ、僕はこれで。フラミー、何か困ったらいつでも来るといいよ。君の存在はナインズが正しく育つためにも必要だ。」

「はーい!頑張りますね!」

 ツアーは手を振り、一歩闇へ足を踏み入れると「あ、そうだ。」とぴたりと止まった。

 何かな?と首を傾げていると、巨大な竜の上半身が中から出てきた。

 アインズが思わず杖を抜くと、ツアーは白金(プラチナ)の美しい鱗をごっそりと置いた。

「こ、これは…?」

「お祝いだよ。昔約束しただろう。これと常闇の素材を使って、ナインズの為に新しい制御の腕輪を作るんだね。」

 

 アインズはそれじゃと帰る友人に、また来てくれと晴れやかに手を振った。




あらぁ〜良いお友達!

次回#13 ギルド投票


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#13 ギルド投票

「父上、それで、本日は何を?」

 久々に軽く執務を行ったアインズは宝物殿を訪れていた。

 フラミーもナインズも連れていない為パンドラズ・アクターのテンションは普通だ。いや、普通の人よりはよほど高いが。

 

「明日のナインズのお披露目のために世界級(ワールド)アイテム――強欲と無欲を取りに来た。」

 それを聞いた瞬間、パンドラズ・アクターは目をキラリと光らせた。アインズが嫌な予感がすると思った瞬間片手を天高く掲げた。

世界級(ワァールド)アイテム!!世界を変えるぅっ!強大な力ぁ!至高の御方々の偉大さの証…!ナザリックの最奥に眠らせたはずの強欲と無欲が…再び力を奮う時が来たと…?」

 全ての動きがオーバーアクションだ。アインズは見事に鎮静され、骨の顔を手で覆った。

「…それしないと世界級(ワールド)アイテム出せないの…?」

 別人のように情けない声を出した後、ンンッと咳払いをする。

「――まぁいい。兎に角早く取って来なさい。」

「かしこまりました!」

 指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を外すとパンドラズ・アクターはうきうきと霊廟へ消えて行った。

「あー…帰りたいなー…。」

 アインズは相変わらずナザリックにいても早く帰りたい病だ。

 今頃フラミーとナインズは第六階層のお散歩中だろう。

(九太、寂しがって泣いてないかな…。)

 支配者は息子を思って寂しくなっていた。

 

 

 一方その頃息子は、きゃいきゃいと嬉しそうな声を上げていた。初めて笑う事を覚えた日から毎日のように笑い続けている。

 第六階層の湖の中に立つ水上ヴィラへ続く桟橋で、フラミーはナインズの入るベビーバスケットを置き、橋の下へ足を垂らして座った。

 桟橋の足に水がぶつかる音が響く。

 飛んでいたヴィクティムも直ぐそばに降りてバスケットを覗き込み、うっとりと幸せそうな顔をした。

「お水の音するね〜。聞こえる?ほら、ちゃぷちゃぷって。」

 フラミーはバスケットの中に声をかけ、中で何かを蹴るように足を延ばして楽しそうにするナインズを優しい瞳で眺めていると、双子達が駆け寄った。

「フラミー様!いらっしゃいませ!ナインズ様もご一緒ですか?」

 フラミーはいつも気配を察知してアインズなのか、フラミーなのかをすぐに当てる守護者が、ナインズの気配だけは察知出来ないことに、散歩に来るようになってからずっと不思議に思っていた。

「あ、あの、今日もお散歩ですか?」

「そう、明日はお外に出るし、少しでも慣れなくちゃね。」

 

 二人は桟橋に膝をつき、ヴィクティムと反対側からバスケットを覗き込み、キャッキャと嬉しそうな声を出すナインズに表情を緩めた。

「ふふ、可愛いお兄ちゃんとお姉ちゃんが来てくれて嬉しいみたい。なでなでしてもらう?――してもらおっか!」

 アウラとマーレは明るい笑顔で目を見合わせ、失礼しますと一声かけてからそっとナインズに手を伸ばした。

 頭を撫でられ、腹を撫でられ、ナインズのご機嫌は最高潮だ。

「わ、わぁ…。や、柔らかいです…!そ、その…ふわふわです!」

「優しくしてあげてね。」

 フラミーが微笑ましく子供達を眺めていると、三名の守護者は突然同時にハッとナインズから顔を上げた。

 ナインズへ深々と頭を下げてから立ち上がり、フラミーとナインズに背を向け膝をついた。

(アインズさん、戻って来たのかな?)

 

 フラミーは三人が畏まる方向へ視線を向ける。するとやはりアインズが斜め後ろにパンドラズ・アクターを従え現れた。

 手を振るとアインズも手を振る。そして、ナインズは泣き出した。

「あら?どしたの?」

 ベビーバスケットを揺らしてやるが泣き止むどころか更に泣いた。

「いらっしゃいませ!アインズ様!」

「あ、あの!いらっしゃいませ!」

「あぁ。二人とも楽にするといい。それにしてもどうしたんだ、ナインズ。そんなに泣いて珍しいじゃないか。」

 アインズが覗き込むと引き付けを起こしたように激しく泣き、フラミーは大治癒(ヒール)を掛けたり、清潔(クリーン)を掛けたりとあの手この手を講じるが泣き止む様子はなかった。

 

「ナインズ、抱っこか?どこでも寝る子なのに…。」

「本当ですね…。ナイ君どしたの?さっきおっぱいも飲んだじゃない。あんなにご機嫌だったのに…。」

「あの、父上。」

 パンドラズ・アクターから届く遠慮がちな声に、アインズは今は待ってくれと言わんばかりに手を挙げ激しく泣くナインズに白く細い骨の手を伸ばした。

 そして伸ばした手をキックされると、僅かに傷ついた。

「父上、あの…。」

「パンドラズ・アクターよ、今は九太がご機嫌斜めなんだ、ちょっと待ちなさい。」

「あの…ンナインズ様はアンデッドの御身が恐ろしくて泣いてらっしゃるのでは…?生者としての本能で…。」

 アインズは骨の口をパカリと開け、すぐさま人になった。

「九太君、お父さんだぞ?怖くない怖くない。怖くないよー?」

 次第にナインズが落ち着き始めると、アインズはバスケットの中に顔を突っ込んで腹に顔面をうりうりと擦り付けながら、骨はしばらく封印しようかと思った。

 しかし、骨の身は仕事中にはとても便利だ。書類の中身が分からない時や焦った時に人では顔に出てしまう。

 

(…骨を封印するのと同時に執務も封印すればいいか。)

 とは思うが、そうもいかないのが支配者だ。

 それに、お父さんは何のお仕事をしているのと聞かれた時に無職、自称支配者などとはとても言えない。

 

(やっぱり働こう…。)

 支配者は気持ちを入れ替え、腹をふがふがするのをやめた。

 ナインズももう少し大好きなふがふがをされたそうに髪を掴んでいたが仕方ない。

「パンドラズ・アクター、フラットフットさんになりアウラと共にナインズのレベルの看破を行え。二人とも十レベル相当になったら教えろ。」

 アインズは非常に真面目な顔でそう言うとパンドラズ・アクターから強欲と無欲を受け取り、両手にはめた。

 十レベル分なら神の子のクラスがマックスになるだけなので、まずは育成などあまり考えずに注いでも問題ないだろう。

 ビーストマンの国で経験値を回収した時からずっとこの経験値は産まれる我が子に与えようと決めていた。

 

 明日には外に出るし、少しでもレベルを上げておきたい。アウラとパンドラズ・フットがナインズをジッと注視する。

「さぁ、ナインズ。レベルアップの時間だぞ。」

 アインズは白く清浄なガントレットの手を開いた。

 中から魂が出てはナインズへ向かっていく。

 ナインズはジッと見つめることはできるが、まだ物を目で追う力はない。

 青白い玉が体に入るたびに手を動かし、愛らしく笑った。

「父上、間も無くです。」

「――アインズ様!十です!」

 

 アインズはゆっくりと手を握り、経験値の排出を終えた。

「ふぅ…十レベルあれば一先ずゴールド級冒険者程度の力は持てたはずだ。」

「…早く三十レベルくらいにはなって欲しいですね。」

 三十レベルと言えばアダマンタイト級冒険者を超える、英雄の領域だ。害される確率はぐっと減るだろう。

 フラミーは言いながらナインズを抱くと、お?と声を上げた。

「ちょっと体に芯が通ったみたい。」

 抱きやすくなったと笑うフラミーからアインズもナインズを受け取る。

「本当ですね。あぁ…お前はこうやってすぐに大人になっちゃうのか…。」

 アインズは息子の頬に自分の頬を擦り付けた。はやくも寂しかった。

「父上、お寂しくなったらこの直属の息子であるパンドラズ・アクターを愛でて頂ければと思います!」

 相変わらず聞き覚えのない直属の息子を吐いたパンドラズ・アクターはフラットフットから姿を戻していた。

 アインズは考えておく…と応えると、ナインズをバスケットへ戻し、フラミーの手を取り立たせた。

「さぁ、もう一つやらなきゃいけない事を済ませましょう。」

「そうですね!」

 パンドラズ・アクターは指示されるでもなくナインズの入るバスケットを手に持ち、お伴しますとでも言うように嬉しそうにしていた。

 そしてナインズを覗き込んではポヤポヤと花を撒き散らす。「ンナインズ様、兄上ですよ。」と話しかける姿は不覚にも愛らしかった。

 双子を残し、三人と、ナインズのバスケットに寄り添うヴィクティムは第十階層へ飛んだ。

 

 ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)を進み、玉座の間へ踏み入れる。

 そこではアルベドとオーレオール・オメガが膝をついて待っていた。

「お待ちしておりましたわ。アインズ様、フラミー様。ナインズ様もご一緒でしょうか?」

 やはりここの守護者達も、ナインズを感知できないようだった。

 オーレオールはアインズが前に立つと、叩頭する。

「アインズ様、フラミー様。この度はお世継ぎ様のご誕生誠におめでとうございます。本日は頼まれておりましたこちらを。」

 跪いたまま、巫女服のような袖で手を隠し、演舞でも踊るように恭しくスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを差し出した。

 直に触れることも畏れ多いとでも言うような仕草はその神器の扱いに相応しいだろう。

 アインズはそれまで持っていたレプリカの杖を仕舞い、真実のギルドの証を受け取る。

「この儀式を済ませたら、これは再びお前が管理しろ。しばし待て。」

「畏まりました。」

 フラミーはパンドラズ・アクターの持つバスケットの中からナインズを抱き上げ、玉座に寝かせた。

「ナインズ…皆にお願いしますって。」

 

+

 

「それじゃあ、ギルド投票を始めます。」

 数日前、支配者二人はセバスにナインズを任せ、円卓の間を訪れていた。

「はい。お願いします。」

 フラミーが頭を下げると、アインズも頭を下げた。

 二人の間には真剣な空気が流れた。

 

「では、ギルド、アインズ・ウール・ゴウンへの新規加入希望者、ナインズ・ウール・ゴウンの情報を上げます。彼は異形種ではありますが、社会人ではありません。ですが、ギルドとの紐付けを行わなければ、彼が将来転移魔法を覚えた時、ナザリックの防衛システムにより弾かれてしまいます。他にもギルドメンバーであればスルーできるような罠にかかる危険もあり、今後ナザリックで暮らしていく上で彼のギルド拠点との紐付けは避けては通れない道かと思われます。…我々も彼を早いうちから執政に関わらせ、社会人の条件に合うよう努めます。」

 アインズはナインズを本当に赤ん坊のうちから一人前として扱わなければいけないのかもしれない。

「以上を踏まえ、ナインズの加入を認めない方、挙手願います。」

 誰も動かない。

「次に認める方、挙手願います。」

 モモンガとフラミーが手を挙げる。

 

「欠席無効三十九名、賛成二名でナインズ・ウール・ゴウンの加入は認められました。皆さんご協力いただき、ありがとうございました。」

二人は頭を下げ、軽く手を振ると円卓の間を後にした。

 

+

 

 アインズはナインズを四十二人目に加えた。

「な、ないんずさま…。」「んんん…これは…!」「わぁ…。」

 守護者達の喘ぐような声が響く。

「――ナインズ。お前は"アインズ・ウール・ゴウン"に相応しい者にならなければいけない。私が助けになるが、お前も努力をするんだぞ。」

 アインズは覚悟の言葉を紡ぐと、ギルド武器をオーレオールに再び渡した。




ゴールド級新生児!!

次回#14 誕生祭
ジルジルのその後がまだだった!


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#14 誕生祭 前編

 今日、神都大聖堂には数え切れない人間、亜人、異形が集まっていた。

 

 当然この男、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスも現れた。

 一時は肌色に輝き始め、絶望的だった頭もすっかり黄金を取り戻し、三騎士を連れ歩く様はもう皇帝ではないと言うのに、皇帝としての威厳に満ちている。

 自然と人が頭を下げたくなる、そんな姿だ。

 

 すぐ隣を歩くバジウッドは一番にその場の感想を口にする。

「すごい人数っすねぇ。三週間前に通達された会だとは思えない。」

「当然だろう。前々からフラミー様が今月お産まれになると仰っていたのだから、皆それに備えて今月は仕事を減らす努力をして来ているはずなんだから。」

 ニンブルは頷きながらジルクニフの隣を歩いた。

「しかしお産まれになる時が事前にお解りになるなんて…さすが光神陛下ですよね。」

「…やはり生を司る神だと言うことだな。」

 ジルクニフは神々の結婚式の時と同じくらいか、より多くの人が集まっている様子を見渡した。

 神の子が産まれ、二週間。

 この会は突然の招集のため忙しい者は無理をしなくて良いと慈悲深い文言が添えられていたが――

(来なければデミウルゴス殿に教育(・・)されても文句は言えまい…。)

 デミウルゴスに教育(・・)を施されてきた男はデミウルゴスを心底恐れている。

 

 あちらこちらにいる知り合いと適当な挨拶を交わしながら、ジルクニフは前へ前へと進んでいく。

 特別場所を指定されている訳ではないが、身分というものは明確に存在しているため、自分で相応しいと思える場所へ向かうのだ。

 今日は何と竜王達も何人か訪れていて、大聖堂の柱の間を縫うように巨大なその身を置いている。

 一番前へ来れば、やはり州知事や国を預かる者達がすでに揃っていた。

 ジルクニフはラナーと目が合うと目礼した。

(おぞましい女だ…。前王の崩御と共に国をさっさと売り払ったのだから…。)

 最近リ・エスティーゼ王国がリ・エスティーゼ州になったのは記憶に新しいが、ラナーの兄、ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフが州知事に着いた。

 ジルクニフの中で、ザナックは圏外の存在だったが、メリットのためならば非情な動きが取れると評価を上方修正した。

「今の世の中、神聖魔導国に属さぬ者達は衰退するか…。」

 

 ため息まじりに言葉をこぼしていると、ラナーのそばにいた数人がこちらへ向かって来た。

 冒険者たちだ。

 ジルクニフは関わるつもりもないため腕を組んで正面を見据えた。

 

「ニンブルさん!バジウッドさん!それから、えっと……ナザミさん!」「よう三騎士!」「半年ぶりだな。」

「これはアインドラ嬢、ガガーランさん、イビルアイさん。」

「蒼の薔薇!元気そうだなぁ!」

 ニンブルが丁寧に頭を下げると、バジウッドは豪快に手を挙げ、ナザミは頷いた。

「皆さんは航海には出られなかったんですか?」

「えぇ。それが、防衛点検で傷付いた武具の修理が間に合わなくって。」

 ニンブルはゴキブリルームを思い出し首を傾げた。

 ちなみに、あれ以来ニンブルはゴキブリを見てもまるで動じなくなった。それどころか自分に会いに来た恐怖公の眷属じゃなかろうかと念の為に失礼しますと一声掛けてから殺し、死体は庭に埋めている。

「もう半年なのに…それ程までに深手でしたか…?」

「俺らの方がよっぽど深手だったけどな…?」

 バジウッドとナザミは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)との激闘に装備を相当酷い有様にしていたが、ゴキブリルーム行きになった者の装備はそんなに激しい破損ではなかったように思う。

 

「それがなぁ。殆どのアダマンタイト級が一気に鍛冶屋に装備を持ち込んだせいか、どこも稀少鉱物(アダマンタイト)が足りねぇんだよ。一軒あたりにあるアダマンタイトがアリンコみたいな量だ。」

「そういう訳でアダマンタイトは一組も航海には出られなかったみたいだ。皆刃こぼれした剣や歪んだ鎧を持つ仲間を連れて前人未到の地に行くほど愚かじゃない。」

 ガガーランとイビルアイの言に三騎士はあぁ、と声を上げ納得した。

 

 その隣でジルクニフは会話を聞きつつ、三騎士の装備のために大金を積んで、いの一番に直させて良かったと思った。

 平和な世の中だが、ボロボロの装備を纏わせて護衛を連れて歩くのはジルクニフの感性的には避けたい。

 

「はぁ、神王陛下のお役に立てる機会を逃してしまったなぁ…。」

「また第二団、第三団と航海団の予定はあるらしいので、そこに向けて備えるしかありませんね。」

「あああ!第一団が一番褒められるだろうし褒美も多いに決まってるのに!出航も陛下が見送って下さったらしいじゃないか!」

「イビルアイ落ち着けよ。」

「落ち着いていられるか!くそー!私も――陛下、それでは行ってまいります――」イビルアイは手を胸の前で組むと、パッと腰に手を当てた。「――あぁ気をつけて行ってくるんだぞイビルアイ――」そしてすぐ様手を胸の前で組み直す。「――はい!きっと御身に隣の大陸を捧げてみせます!なんてしたかった!」

 仮面をかぶっているが百面相だった。

「神様が一人一人と挨拶交わしてるわけがねぇだろ。」

「…んん。そろそろ私達はラナーの下へ戻ります。」

 憤慨するイビルアイを二人が引きずるように戻って行くと、ジルクニフは苦笑した。

 

「…神王陛下は稀代の女たらしだな…。」

「まぁ、残念ながら人間の時の神王陛下は陛下より相当かっこいいですしねぇ。」

「バジウッド、だからエルニクス様を陛下と呼ぶのはやめろって言ってるじゃないですか。」

「おっと。」

 態とらしくバジウッドが口をつぐむとジルクニフはじっとりと視線を送った。

 

「それにしても、モテすぎるって言うのも怖い話ですよね。」

 ニンブルの言わんとする事にすぐに思い至ると、ジルクニフは再び苦笑した。

(…ドラウディロン・オーリウクルス…。嫉妬に狂い神王ではなく女神を消そうとした元女王か。)

 今日も元女王は来ているし、聞く話では女神に多大なる温情をかけられ、罪の清算の機会を与えられているとか。

 普通なら極刑にされてもおかしくはない――いや、極刑にされない方がおかしいだろう。

(余程オーリウクルス殿を大切に思っているのか、神としての余裕か…。)

 ジルクニフは神も大変だなとぼんやり思った。

 解散せずに残っている自分の後宮ではそういう事が起こらないように気を付けようと思いかけるが、皇帝でなくなった自分を奪い合う程に熱心な者もいないかと余計な心配をやめる。

 暫く下らない話をしていると拡声の魔法を使った神官が口を開いた。

「神々がお見えになります。皆様ご静粛に。」

 ジルクニフは跪く時、数人隣にいるドラウディロンの横顔を見た。

 

+

 

 神の入場を遠くから精一杯の背伸びをして見る若者、フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスは己の事をリ・エスティーゼ州の中で上から数番目に持っている(、、、、、)男だと思っている。

 

 元々貧しい貴族の三男として生まれたフィリップだった。長男と次男のスペアとして生きてきた。つまりスペアのスペアだ。

 そんなスペアのスペアの下に最初の幸運は訪れた。成人前に次男が病で他界したのだ。

 これでフィリップはスペアにまで繰り上がった。貧しい農夫から執事くらいにまで地位が上がったのだ。

 

 ここまではよくある話だが、持っている(、、、、、)フィリップには更にいい事が起こる。

 神聖魔導国、ザイトルクワエ州エ・ランテル市との戦争に長男が出かけ、命を奪われたらしい。

 しかし、兄は神の力により復活した。帰って来た兄は猛烈に勉強し、忌々しい事に昨年領主へと相成った。が、周りの領主達の殆どは死に、不思議なサラサラとした灰を落とす死者の大魔法使い(エルダーリッチ)となった。

 新たな形で命を与えられたと言う死んだ領主達は公正な手腕で領地を治め、派閥争いなども無くなった。

 

 するとどうだろう。貧しく特別な生産品もなかったフィリップの領地は途端に潤い出したのだ。

 フィリップの身に纏うものもずいぶんよくなった。

 小遣いも増えあちこちに遊びに行けるようになった。

 兄は忌々しいが、毎日来る日も来る日も書斎で執務を行なっている様子を見ると笑えてくる。

 

 面白おかしく日々を過ごしていると、リ・エスティーゼ王国が神聖魔導国へと名を変え、フィリップの住む地は区へと姿を変えた。

 兄は自動的に区長となり、相変わらず働き詰めだ。

 貴族制度もなくなり、守る地も国に奪われたと父は憤慨したが、兄に「今の繁栄は誰のおかげだ」と諌められ、不敬だと叱られていた。

 鬱陶しい親子喧嘩もティエール州知事とヴァイセルフ州知事から直々に手紙が届くと、すっかりなくなった。

 以来父は幸せそうだ。

 

 そうして、幸運が訪れた。

 神の子の誕生祭へ兄が出発する日、働き詰めだった兄が倒れたのだ。

 この日の為に執務を圧縮して来たのに、神々に礼を言うチャンスなのにとぐずり、何としても出かけると言い張ったが、とても一人で行ける様子ではなかった。

 父は高齢で神都への何日もかかる道のりに体がもたないと言うし、そこでフィリップは支えになると言い、共にこの場にやって来た。

 区長の弟など普通はこんな場に立ち会うことなどできはしない。

 フィリップは大いに滾った。

 この場で自分を神々に印象付け、田舎臭い育った地ではなく神都で暮らすのだ。

 

(そうだ!俺ならできる…!神聖魔導国は身分ではなくその頭脳や持つ技能で幾らでも高官へと召しあげるのだから!)

 

 これまで溜め込んできた領地経営のアイデアを神に売っても良い。

 自分の存在はどう考えても国益になる。

 フィリップの目には田舎臭い地元を兄に押し付け、この壮麗なる都で活躍する自分の姿が見えていた。

 

「兄上、陛下方にご挨拶に行きましょう。」

 自分の持つ最も高価な装いに身を包むフィリップは得意げだ。

 一方の兄は青い顔をしてふらふらしている。

(これほどの場でみっともない顔をしやがって!俺ならあんな仕事くらい毎日毎日遅くまでやらずとも簡単に片付けると言うのに!)

 早く動けとイライラしていると、兄は首を振った。

「いや、まだご挨拶に伺っては失礼だろう…。」

「急がなくては失礼なのでは?」

「立場でご挨拶の順番も決まってるんだ。あまり早く行っては州知事の皆様や、他の区長殿、亜人王殿に失礼になってしまうだろう…。」

 フィリップはギリリと手を握った。

(神聖魔導国は身分制度を持たないんだぞ!だと言うのにこいつは奴隷根性が骨の髄まで染み込んでいる…!)

 軽蔑する視線を送りながら、飲み物を配って歩いている給仕の神官から酒を受け取る。

「う、うまい…!」

 フィリップはこれまで飲んだあらゆる酒の中でも随一のうまさのそれをグラスの底まで舐めるように飲んだ。

(瓶を持って来れば良かったな。そうすればこれを持って帰って我が区で売れたのに。――あ、いや!これからは神都で暮らすんだからそんなことを考えなくても良いんだ!)

 神都にはこれほどうまい物が溢れているのかと思うと、今後の生活が楽しみだ。

 フィリップが神都での暮らしについて夢想していると、兄は隣の区長の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や見たこともない者達にぺこぺこと頭を下げ始めた。

 お陰様でなんとかと言っているが――(区を世話してるのはそいつらではないだろう!)

 しかし、フィリップは今こそチャンスだと気付いた。兄が下らない者達との会話に勤しんでいる間にこっそりその場を離れる。

(やった!出し抜いてやった!)

 

 フィリップは神の下へ急ぎ向かった。




ウワァ!ついに出たぁ!フィリップぅ!
まぁた長くなったので前後に分けました〜

次回#15 誕生祭 後編


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#15 誕生祭 後編

 フィリップ・ディドン・リイル・モチャラスは前まで来るとひょこひょこと軽くジャンプをしていた。

 巨大な竜達が神と何かを話しているせいで何も見えないのだ。

 しかし、この者達の後、人間の中で一番に顔を見せれば必ず自分の存在は記憶に残るだろう。

 竜達が去るのを待ちワクワクとその時を待つ。

 すると、一匹の七色に輝く竜がこちらへ向いた。

「ドラウディロン、来なさい。ゴウン君の子は素晴らしい。」

 ドラウディロンと呼ばれた者はわずかに迷うような仕草を見せてから前へ進んだ。

(っち。何者だか知らんが譲ってやるか。)

 竜達の輪の中から柔らかな女性達の笑い声が聞こえたかと思うと――

「貴様は何を言っているんだ!!やるわけがないだろう!!」

 ――刹那、時間が静止したように感じた。

 鳥肌が一瞬で全身を覆い尽くした。

 まるで星が降ってきたのではないかというほどの衝撃をもって――恐らく神から放たれたであろう殺意のような気配が満ちたのだ。

 皆歓談していたが、呆然とそちらへ視線を向けた。

 幾人かがグラスを落としたり、尻餅をついたりする音がした。

 

 静寂の中、「あ…んぁ…!」と幼い泣きそうな声が通った次の瞬間、「<静寂(サイレンス)>。」――鈴を転がすような女性の声が響いた。

七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)!ナインズに近付くんじゃない!」

 自分の傍をヒュンッと風切り音が鳴ったと思うと、白金の鎧を着た者が踏み出していった。

 

 まるで世界から全ての光が失われたようにすら感じたが、いつの間にか空気は戻り、フィリップには冷静な思考が返ってくる。

(ナインズって…殿下を呼び捨てにするなんてさっきの奴は何者だ?)

 場合によってはそっちから外堀を埋めてもいいかもしれない。

 鎧がしっしと追い払うと、竜達は「やはり神王の力は継げる」と、あれだけ怒鳴られたと言うのにどこか楽しげに大聖堂を立ち去って行った。

 少し狭さを感じさせていた大聖堂が途端に広々とすると、人々は空いたスペースへざわざわと動き出した。

 ドラウディロンも戻ってくると、深々と周囲の者達に頭を下げた。

(仕方がないから許してやるよ…。ったく神を怒らせやがって。)

 フィリップはあんなに恐ろしい思いはおそらく今後一生しないだろうと確信した。

 よく漏らしたり気絶しなかったと自分を褒めたい。

 

 気付けば立っていた神への視線が通っていた。

「皆すまなかったな。少し感情が昂ぶってしまったようだ。決して君達に向けたものではない。楽にしてくれ。」

 

 恐ろしいまでに美しい神は腰に手を当てハァ…と怒りを吐き出し、座ると、その背に隠されていた女神が見えた。

 その瞬間全ての恐れは吹き飛んだ。

(おお…美しいな…!)

 神の手をさすり微笑みかけ、何か慰めるような雰囲気の女神は、輝いているようだった。

 その後ろに控える青い虫の守護神以外――双子の守護神と銀髪の少女の守護神も美しい。

 

(守護神は国民と結婚する事もあると有名だからな。神都でなり上がれば、神直々にこの守護神達をあてがおうとするかもしれない。神に最も近い所まで行き着けば――女神だって絶対に無理なんて言えないさ。)

 神王と女神の間には枷があるらしいという噂がまことしやかに囁かれている。

 女神は生の神であるからして、繋がりを持ち精を注がれなくても処女妊娠するのではと言う話もある程だ。

 

 フィリップは熱意が下腹部から湧き上がってくるのを感じた。

(あんな美人を組み敷いて初めてを奪えたら最高だよな。)

 神の子を抱き上げようと女神が背を向けると、フィリップはドキリと胸を高鳴らせた。

 見えたのは一瞬だが、そのドレスローブの背は、翼を出すため大きく開いていた。左右の翼の間に細いマントがかけられ、動くと時折隙間から背が丸見えになるのだ。

 妄想が頭の中いっぱいに広がりそうになり、さすがに股間を膨らませたりはできないと慌てて歩みを進め出した。

 

 すると、ポンっと肩に手を置かれた。

「失礼、貴君はどこの誰かな?新しい地を統べる者か?」

 金髪から美しい紫色の瞳を覗かせる男がフィリップの肩を叩いていた。

「んん。自分はフィリップ・ディドン・リイル・モチャラスと申します。」

「モチャラス?聞いたことがないな。いや、失礼。私はジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。バハルス州を預かる者だ。評議員の次には誰が拝謁すると我々の間で話が付いているのだが…どこかの新しい支配者かな。」

 ――支配者。

 何と甘美な響きだろう。

 フィリップは思わず口元が緩んでしまいそうになった。

 

「自分は、そうですね。神都を将来預かることになるでしょう。ふふふ。」

「神都を…?」

 周りの空気が変化しているのが感じ取れる。

 軽く視線を動かすと、一度見たことがある元王女ラナーとザナック元王子にすら驚きの色があった。

 この神主催のパーティーにおいて、今、世界中の権力者達の耳目を集めていると言う実感は悦楽の極みだった。

 しかも今話している相手は間違いなく、あの鮮血帝。

(俺は、俺は今、中心に立っているんだ!!)

 今日の一張羅は最高に決まっているし、着実に上り詰めている。そう思うと、信じられないような興奮がフィリップを支配した。

 

(そうだ!俺こそがフィリップ!見ていろ!これから神聖魔導国の中心に立つ者の姿を!)

 

 フィリップが大いに浸っていると、視線が別の方向へ流れて行くのを感じた。

「――おい、最神官長。」

 その声にフィリップの胸がどきりと鳴る。

 カツン、カツン、と杖が床を叩く音が響き、顔を上げれば、神がいた。

「神都に都知事でも付けるのか?見ない者だが。」

 まじまじと覗き込む真夜中の黒を思い出させる瞳の中には、星が散りばめられたような輝きがあった。

 王は「いや、聞いてたっけ?」と呟いた気がした。

(こ、ここで気圧されてはいけない!この存在と共に歩む者になるんだ!)

「し、神王陛下!自分は――」

 

「許可なく喋りんせんでくんなまし。今アインズ様はおんしではなく最神官長に話し掛けた事もわからないんでありんすか?」

 それは銀髪の美しい守護神だった。力などなさそうな少女はチラリとフィリップを見て、ふんっと高慢に鼻を鳴らし、真紅の瞳には嘲りの色があった。

「今日はバカな奴が多いねー。」「ほ、ほんとだね。お姉ちゃん。」

 双子もフィリップを見下しているようだ。

 

 自己紹介の機会を奪われたフィリップの顔が不快げに歪んでいく中、最神官長だと思われる者が神の前に膝をつき、立つように促される。

 神は一々こんな風に跪かれて、立つように指示をするのかと驚く。

「都知事を置くなどの予定は今のところございません。申し訳ありませんがあなた様はどちらの…?」

 フィリップは今度こそ自己紹介の時が来たと胸を張る。

「私は――」

「フィリップ!!この馬鹿者が!!」

 兄の叫ぶような声が響いた。

 フィリップの頭の中には一瞬で「恥をかかされた!」と言う言葉が無数に浮かんだ。

 その罵声はまるで父のようで、フィリップのこれまでの人生で溜め込んできた燃料を糧に燻って来た炎を一気に燃え上がらせた。

 フィリップは目の前に現れた顔面蒼白の兄を心から軽蔑した。

 

「皆様失礼いたしました。私達はリ・エスティーゼ州の――」

「兄上!今は私が名乗ろうとしていたところです!」

 兄はフィリップを無視し、滔々と自分が何者なのかを語り、フィリップの事まで紹介した。しかし、紹介の文句は「うちの恥さらしの三男」だ。

 怒りに顔が赤くなるのを止められない。

 神は既に興味を失ったように神の子を抱く女神の頭を撫でていた。

 しかし、兄が「朝な夕なに働き詰めで一日二時間程度しか眠れず」と言うと、ハッとこちらを見た。

 兄の無能ぶりを叱ってくれるのかと思うとゾクゾクする。

「お前は休む間も無く働き詰めだったせいで、この弟に介助を頼んだと言うんだな。」

「は、はい…あ、いえ、働いたせいと言うのは語弊があるかもしれません。やり甲斐のある仕事ですので、働くことは良いのですが――」

「ダメだ。お前の働き方は間違っている。――ヴァイセルフ!」

「は!!」

 転げるような勢いでジルクニフの脇からザナックが飛び出していく。

 その向こうにいたラナーの目付きはとても鋭く、黄金の知事と伝え聞く女性の表情からはとても想像ができない程の冷たさだった。

「お前の州はこんな労働を見過ごしているのか。」

「あ、い、いえ。今は体制の変わり目と言うことで大目に見ております。」

 

「馬鹿者が。」

 静かなつぶやきだった。

 

「時間が足りなければ私はどうしろと言ってきた。ラナー、兄に教えてやれ。」

「…人を足せと仰せになりました。」

「そうだ。人を足して尚足りなければ次にどうしろと言ってきた。」

「アンデッドの補助を受けるように神殿に申し込みに行けと。」

「その通りだ。ザイトルクワエ州もバハルス州もそうして来たはずだぞ。それを何故リ・エスティーゼだけができんのだ。」

「申し訳ありませんでした。通達が行き渡っておらず…。」

「言い訳は良い。既に過労の者が出ている。お前は妹にもう少しやり方を聞け。ラナーはよくやっている。」

 王族だった兄妹は神へ深く頭を下げた。

 

「兎に角、お兄さんは回復しましょうね。」

 話を聞いていた女神は立ち上がると、跪く兄の眼前に来て髪にさしていた蕾を引き抜き向けた。

「あ、あの…エ・ランテルで光神陛下に頂いた命だというのに…申し訳ありませんでした。」

「そんなことは良いんですよ。それより、長時間労働は辛かったでしょう。」

「ありがとうございます…陛下…。」

「いいえ、ちゃんと休憩と睡眠を取ってくださいね。」

 蕾から光がポンっと兄に降り注いだ瞬間、ふわりと魔法の風が立ち、フィリップはその紫色の背が見えゴクリと唾を飲んだ。

 女神に至近距離で何か癒しを与えられた様子は実に羨ましかった。

 

「それで、弟、フィリップと言ったか。お前は現状の労働体制を変えるべく私に直談判に来たのか?」

 名前を呼ばれ、フィリップは満面の笑みを浮かべた。やはり自分は特別な存在だ。

「あ、私は神都で働きたいのです!」

「ブラックなリ・エスティーゼから出たいと思うことは仕方のない事だろう。私にできることはここまでだ。ヴァイセルフ、変われるな。」

「は。申し訳ありませんでした。そちらの兄弟も申し訳ない。」

 ザナックが自分と兄へ頭を下げると、フィリップは絶頂しかけた。相手はかつての王族なのだ。

「どこで働こうとお前の自由だ。しかし、今回のお前の働きでリ・エスティーゼは変わる機会を得た。リ・エスティーゼも悪く無いかもしれんぞ。まぁ、あとは好きにしろ。下がれ。」

 神は兄の前にいた女神を抱えると席に戻って行った。

 席には神が女神を抱いたまま座り、二人はとろけるような視線を互いに送って恋人のように鼻を擦り付けあった。

(…女神は無理か…。守護神も無礼だしな…。)

 

 しかし、フィリップは実に満たされた。

 

 適当な場所まで下がると、フィリップは兄に礼を言われた。

「お前は何も考えていないのかと思っていたが、ありがとう。」

「ふ。良いのですよ。」

 フィリップは神都に出てこようと思っていたが、リ・エスティーゼの中で労働時間を取り締まる者として働いても良いかと思った。

 そうすればまたザナックに頭を下げさせることができるし、神に労われる事もあるかもしれない。

(ふふ…スレイン州ではどうやらそう言うことはないようだからな。リ・エスティーゼ州にしがみついてやろう。粗探しだ!)

 

 フィリップのチャレンジはまだまだ始まったばかり。

 その後の彼がどうしたかと言うと、リ・エスティーゼ州に建つあらゆる神殿に自分を売り込みに行き、面接に通らず憤慨し――歴史の片隅にも残らない平凡な人生を送ったとか。

 しかし、神に名前を呼ばれ、労をねぎらわれたと言う事実だけで彼の心はいつまでも満たされ続けたらしい。




あら、フィリップ死ななかった!意外ー!

次回#17 デミウルゴスの出張

ユズリハ様より以前"不敬な客"を頂き、こ、これだ!!となりました!!

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試される西方三大国
#16 デミウルゴスの出張


 神聖魔導国が神の子に沸くその頃――。

 

「どうも近頃ビーストマンの国から連絡がないと思ったら、その手中に収めたと?」

「手中に治めたと言っては、もしかしたら語弊があるかもしれませんねぇ。」

 

 バンゴー連邦議長の目の前の男は眼鏡を中指で押し上げた。

 雪の降る日に書状を持ち現れたその使者はこの辺りでは見ない亜人だった。

 聞けばこの大陸の半分を治める新興国家、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の者だとか。

 あらゆる種族を支配下に入れ統治しているというのは眉唾話だが、その男にはそれを信じさせるだけの凄味があった。

 耳障りの良い声や紳士的な仕草は実に理性的であり、その者の身なりは身分の高さを物語るようだ。上等な魔法の絹で作られた赤い三つ揃えの衣装だ。

 

「語弊と、いうと…?」

「我が国の旧属国と戦争をしていたので――そう、消滅した、と、言った方が正しいかもしれません。ですが、できればこちら、ビーストマン連邦には降って頂きたいところです。広さ、人口、どれをとっても土に還すには勿体無い、そうは思いませんか?」

 

(消滅だと…?)

 

 ここ、ビーストマン連邦。

 竜王国の側に存在したビーストマンの国とは違い、まさしく大国と言うに相応しいものだった。

 文明的であり、神聖魔導国同様に州制度を用いた国家運営は、ビーストマンの中でも、毛の色――民族ごとに構成される五つの州と三つの自治区からなる連邦制だ。

 民族は主に日に焼けたような茶色の者、輝くような黄金色の者、乾いた血のような茶褐色の者、花のように赤い者、そして最後に黄土色の者。

 総人口は三大国の中でも随一であり、その軍事力は目を見張るものがある。

 

「…降ることは受け入れられない。ビーストマン連邦は、ビーストマン国のように脆弱ではない…。我々も貴国同様にこの大陸の覇権を争う大国なのだから。しかし、聞く限りでは貴国も相当なる大国。ここはひとつ――友好国、と言うことでは如何かのう。」

 バンゴー議長はじっくりと、相手の逆鱗に触れないように言葉を紡ぐ。

 この部屋には連邦議員、州知事などが集まっているが、誰もが相手の目には見えない力のようなものを感じ取り、騒いだりはしなかった。

 老年のバンゴーは議長の座に就き長い。議会だけでなく、国民からの信頼も篤く、選挙によって選ばれ国のトップとして働いている。

 

「友好国ですか…。我々は貴国が降っても、自治権を認めると言うのに。何が気にくわないのでしょうね。我が君の望みは併呑、もしくは属国化、これのみです。貴国は良くも悪くも育ちすぎ(・・・・)ていると仰せですので。」

 

 バンゴーは一瞬感じた強い殺気に毛を逆立てた。悟らせまいとゆっくりと毛を撫で付けて行く。

 普通ならば国は育っていれば育っているだけ併呑する価値があるはずだが、目の前の者はまるでそれを嫌うかのようだ。

(良くも悪くも育ちすぎている…?制御しきれないと言うことか…?)

 そうであれば、国力は同等と見ても良いかも知れない。

 

「使者殿――いや、デミウルゴス殿と言ったかの。我々とて、突然来られて降れと言われても、これまで先人達が他の大国から守り続け、大きく育てたこの国をそう易々と他所にくれてやることなどできる筈もないのだ。このまま議論が平行線のまま続けば行き着く先は戦争しかあるまいよ。」

 

 これは脅しではないと眼光を鋭くする。

 しかし――「我々にはその準備もあります。」

 返ってきた言葉はあまりにも軽かった。

 

「…戦線をすでに二つ持っているとはいえ、我ら連邦の民は強いぞ。友好国として共に互いを育て合う関係の方がメリットは余程あると思うがのう…?」

 

「ふふ、面白い事を言いますね。我が神の統べる神聖魔導国にメリットをもたらせると?」

 できるものならばやってみせろとでも言うような声音に議場にいる若く血気盛んな者達がグルル…と喉を鳴らした。

 バンゴーは今はただただ我慢してくれと願う。老人の単なる勘だが目の前の者の力は千のビーストマン兵力にも匹敵する、そう思えてならなかった。

 

「当然。友好国として我らと手を組んでくれるのならば…残りの二大国――セイレーン聖国とワーウルフ王国を手中におさめる事も容易になるだろう。貴国が我々と共に戦ってくれれば、勝利した暁にはそれを差し出すことを誓おう。我が国は二カ国との戦争を終え、静かに暮らせる。デミウルゴス殿はその――ゴウン魔導王殿に二国を手に入れたと報告ができる。そして我が国と貴国は、大陸二大国として君臨するのだ。」

 

 ビーストマン連邦は常駐兵力として数万を抱え、更に国民総兵力として数十万も常に動ける。

 そんな国がセイレーン聖国とワーウルフ王国を飲み込みきれないのには訳がある。

 セイレーン達は力こそ弱いが魅了の力を持つ声を前に兵が思うように進まず、ワーウルフ達は、噛まれた者の中から稀に水を恐れるようになり狂って死ぬと言う――水狂いと呼ばれる呪いにかかる者が出てしまうので防御に転じがちなのだ。

 しかし、どちらの国もビーストマンの兵力を前に二の足を踏んでいる。

 三国の覇権争いはこのままでは永久に終わらないだろう。

 

「面白いですね。いい余興かも知れません。御方にお伺いを立ててみましょう。」

「おぉ、やってくれるか。」

 

「ただし。」

 

 抜けかけた力を再び体に走らせる。

 

「まずは御方にこの国を見ていただかなければいけません。育ちすぎ(・・・・)ていることには変わりないですから。」

 

+

 

「バンゴー議長!いくらあの使者が力あるものだと言っても、戦争で手に入れた国を見も知らぬ新興国家にみすみすくれてやるなど!」

「戦争が終わって静かに暮らせると仰ったが、セイレーンは大切な食料。取られては戦争相手が結局ワーウルフから神聖魔導国に変わるだけです!」

「それに二大国として君臨するとは仰っておりましたが潜在的な敵を育てるだけでは――」

「わかっておる、わかっておる。もし本当にそんな事になれば相手の力の強大さを前にこちらは呑み込まれるだけだ。」

「で、ではどうなさるので…?」

 ガタリと一人が立ち上がる音がした。音の主――中でも金色の毛を持つ屈強なビーストマンは自慢の牙を見せつけるようにニヤリと笑った。

「セイレーン聖国とワーウルフ王国へ神聖魔導国をぶつけ、力を削ぎ、後ろから討つ。そうですな、バンゴー殿。」

「ギード将軍の言う通り、これしかあるまい。」

 使者程の者は恐らくそう幾人もいないだろうが、直接戦争してはならないように思えた。

 

「ふふふ…。議員皆様方!バンゴー殿のこの案、うまく行けば大陸の半分は我らの物へと変わろう!」

 

 議場にはオォ!と声が上がり、勝利を確信する笑い声が響き渡る。揺れる影も共に笑ったように見えるほどに。

 

 ただ、バンゴーはどこか不安を拭い去ることができなかった。

「とにかく、神聖魔導国へ調査団を派遣しなければ…。」

 

+

 

 神都大聖堂、祝賀会。

「ナインズ、そろそろ休憩させて貰おっか。」

 フラミーは立ち上がり、芸術品のような籠の中を覗き込むと眠そうにしている息子に優しく笑いかけた。

「じゃあ俺も行こうかな。」

 アインズも追うように立ち上がると、フラミーはその胸に顔を埋めるようにすがった。寝不足のフラミーもそろそろ寝たほうがいいだろう。

「アインズさん、そしたらナインズをお願いします。私はここにいますから。」

「一緒に行かないんですか?」

「二人居なくなっちゃったら、お客さんに悪いですもん。」

「それならフラミーさん休んできて下さい。俺がここにいますから。」

 髪に指を絡ませ、毛先へ向けて手を滑らせながらアインズは微笑んだ。さらさらとこぼれていく銀糸は天の川のようだった。

「いいえ、いっつもアインズさんばっかり働いてますから、あなたが休んでください。」

 フラミーはアインズの胸から離れ、うとうとするナインズの入る籠を渡すとポンっと胸を叩いた。

「行ってらっしゃい。」

 

 それを合図にするようにヴィクティムもふわりと浮かび上がり、アインズの後ろに控える。

 アインズがそんな、と言いかけるとフラミーは耳から蕾を引き抜き、疲労無効の効果を使用した。

 光の雨が降り注ぐと、疲れを感じさせていたフラミーの顔は何でもないとでも言うように輝いた。

 

「…ずるいなぁ。」

 何とも食い下がりにくい笑顔だ。アインズはそれならばと会場を見渡す。

 アインズとフラミーのそばにはアウラとマーレ、コキュートス、シャルティアがいるが――もう一人守護者を増やしても良いだろう。

 ぴくりと白金(プラチナ)の鎧が反応し、こちらを向く。二人は視線を交わした。

「じゃあ、ツアーも付けますから、何かあったらツアーを盾にして下さいね。」

「はぁい。」

 フラミーは返事をした後に「盾って」と可笑しそうに笑った。

 桜貝のようなピンク色の唇から漏れる笑い声は優しい歌のようで、それを聞いたナインズはふわりと幸せそうなあくびをした。

「アインズ、僕を呼んだかい?」

 いつも食事もできないというのに、国家行事にはちゃんと顔を出すマメな鎧が到着する。

「あぁ。すまないんだが、フラミーさんを置いて行く。私はナインズを寝かしつけてくるから守護者達と共にここを頼む。まだ外を竜王がうろついているかもしれんし。」

「あぁ、そういうことかい。解ったよ。」

 アインズはフラミー達に見送られ、ナインズを連れてその場を後にした。

 

 しかし、すぐにはナザリックに戻らなかった。

 

 しんっと冷え切った空気の中、口から白く染まった吐息が漏れて行く。

 柔らかく清浄な雪が降り積もる大聖堂の屋根に上がると、アインズは屋根のてっぺんに設置されている一つの像に向かって歩いた。

 新雪にさくさくと一人分の足跡がついて行く。

「ペロさん、ごめん。俺報告があって。」

 目の前には、街へ向け破魔のように矢をつがえる等身大のペロロンチーノ像。雪がうっすらと積もっているが、まるで生きているようだった。

「見てください。この子、俺とフラミーさんの子なんです。名前は…ナインズ。」

 ナインズの頬に雪が一粒降りるとじわりと溶けた。

 いけねっとアインズは慌ててローブの袂で傘を作る。

 舞い落ちてくる冬はアインズに積もった。

「ナインズの事、社会人じゃないのにアインズ・ウール・ゴウンに入れちゃいました。すみませんでした。きっと立派な社会人に育てるんで…許してください。」

 ペロロンチーノ像からは重たくなった雪がズリッと落ち、まるで笑ったようだった。

「…はは、ありがとうございます。ダメだったら、いつでも叱りに来てくださいね。」

 モモンガは暫くペロロンチーノ像を眺めた。

「…さぁ、行こうか九太。付き合わせて悪かったな。」

 アインズは今度こそナザリックに転移した。

 

+

 

「あ、これはアインズ様!」

 

 ナザリックに戻ると、フラミーの部屋の前でデミウルゴスが待っていた。

「あぁ、お前も帰ったのか。」

「は。お待ちしておりました。ビーストマン連邦なのですが、やはり降らないと言っております。そこで友好国に――」

 アインズはさっと手を挙げ滑らかに紡がれる言葉を遮った。

 ここで喋られては困る。内容に付いて行けなくて。

「私はナインズを寝かせたら、再び大聖堂に戻らなければいけない。悪いが、書類で今日の事を提出してもらってもいいか?フラミーさんの意見も聞きたいしな。」

「畏まりました。それでは明日の昼過ぎにはご用意させていただきます。」

 デミウルゴスはアインズのためにフラミーの部屋の扉を開くと見送るように頭を下げた。

「それではナインズ様、おやすみなさいませ。」

「急ぐ必要はないからな。お前も適宜休むように。今日祝賀会に過労でふらふらの者がいたしな。」

 アインズはデミウルゴスと別れ、ナインズを寝かしつける。

 本式に眠りに入るときに泣くため、それに付き合う。

(ビーストマン連邦は友好国か…。)

 報告にあったあの国は少し育ちすぎ(・・・・)ていたはずだ。

 すっかりナインズが眠るとメイドに何かあればいつでも呼ぶように言い残し大聖堂に戻った。




ビーストマン連邦ってところがビーストマンの国と別に存在するんですってぇ。

次回#17 ビーストマン連邦

(完結したのにまた試され始めた)


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#17 ビーストマン連邦

 バンゴー連邦議長と、ビーストマン連邦軍の最高指揮官ギード将軍は再び首都ギルステッドにある議場に集まっていた。

 建物の中は春を迎えようとしていると言うのに未だひやりと肌寒い。

 

「バンゴー殿、本当にここに来るんでしょうか。」

「…わからん。しかし、ここに集合だと言っていた以上、ここで待つしかあるまい。」

 

 二人は付き合いを始めた神聖魔導国の王と王妃の到着を待っていた。

 神聖魔導国とはかなり距離がある為付き合いを始めたと言っても、神聖魔導国の使者が何度か往復しただけだ。

 どうやって行き来しているのかはわからないが、いつも使者は突然現れる。

「果たして王はどの様な者達なのだろうな。」

「恐らく力はあまり無いでしょうが、ある程度の名君では無いかと自分は思います。あの男――デミウルゴスは力で従うタイプではないでしょうし。」

「やはりそう思うか。どれほど内乱が起こっているかは分からんが…大陸の半分を治めるだけの力量はあるのだろう。」

 

 ギードは突然くつくつと笑い出した。闘争心を抑えきれないような雰囲気だ。

「その名君を討ち取れば一気に瓦解するような国だと良いのですが。」

「…そうするためにはあのデミウルゴス殿を討たねばならん。わしはあれを千人のビーストマンに匹敵するとみている。」

「ふふ、私は五千と見ていますよ。」

 バンゴーは目を剥いた。

 ギードはまだ若いが非常に優れた勇将だ。家柄も親の血も素晴らしく、まさしくビーストマンのサラブレッドだ。

「そ、それほどか…。」

「えぇ。なので、私はワーウルフ王国への出兵時にデミウルゴス殿を連れて行くのが良いかと思っております。」

「――なるほど、噛ませるか。」

「そうです。水狂いの事は黙って連れて行くのが良いでしょう。それで命を落とせば我らのせいではありません。」

 ずっと不安だったが、バンゴーの中には僅かに希望が見え始めた。

 水狂いは中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)病気治癒(キュア・ディジーズ)での回復が出来ないため、水を恐れ出せば必ず死ぬおぞましい呪いだ。しかし、必ずなるものではない為、何度も噛まれるように群れの中に孤立させる必要があるが。

 

 二人が牙を剥き、吠えるように笑っていると、部屋の中に何もかもを吸い込むような漆黒の闇が開いた。

 何事かと二人が椅子から腰を上げれば、その中から染み出すようにデミウルゴスが現れた。

「おや、立って迎えて下さるとは良い心掛けですね。そのままで御方々も迎えて下さい。」

 変わらず優雅な仕草だが、いつもと違い尻尾が左右に揺れている。

 ビーストマンなら喜びに満ちている証拠だがこの者はどうだろうかとバンゴーは考える。まるで違う種族なのだから文化も違うだろう。

「デミウルゴス殿、この魔法は一体…。」

「御方のお力ですよ。それより、お見えになります。」

 

 デミウルゴスに続くように現れたのは、若く整った人間だった。

 毛の色は珍しいが、ともすれば肉屋で売られていても何の違和感もない。

 これからこの家畜を友好国の王と見なして、頭を下げなければいけないのかと思うと僅かに気分を害された。

 余談だが近頃は人間の肉もあまり見ない。

 ほとんどの人間の肉は竜王国で取れた天然物で、ビーストマンの国から輸入されて来ていたものが多かった為だ。

 人間は家畜として育てるには成長スピードが遅すぎる為ビーストマン連邦では人間の牧場はごく僅かだ。

 

「出迎えご苦労。確かに竜王国を襲っていた者達よりも賢そうだな。」

 

 バンゴーは驚きに目を剥いた。

 一言喋っただけで生来の支配者だという事がハッキリと解ったのだ。

 感じるプレッシャーはまるで桁外れ。

 油断すればやはり従属をと願い出てしまいかねない。

 

 これは羊の皮を被った竜だ。

 

 二人は揃って頭を下げた。人間の王はぐるりと辺りを見渡すと、出てきた闇へ両手を入れた。

 その手に引かれて出てきたのは紫色の肌をした多くの翼を背に持つ、セイレーンに似た者だった。

 弱く脆そうな美しい生き物は上等な蜂蜜のように輝く瞳でバンゴーとギードを捉えた。

 

 目が合った瞬間、ゾクリと背を何かが這い上がった。

(強い――?)

 見極められずにいると、それはにこりと笑った。

 

「こんにちは。お邪魔しますね。」

「ど、どうも…。よくぞ…いらっしゃいました…。」

 バンゴーが飲まれかけていると、隣から軽く肘で小突かれた。

 ハッとし、咳払いを一つ。

「んんっ。わしは連邦議長を務めているイゼナ・バンゴー。こちらは将軍のステットラ・ギード。今後貴国とは末永くお付き合いをお願いしたいものですな。ゴウン魔導王殿と――王妃殿。」――であっているのだろうか。

 

「あぁ。今日は三人で世話になる。聞いているだろうが私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王。我が国の者は皆私を神王と呼ぶ。君達もそうしてくれ。そしてこっちは私の…妻――」王はポッと顔を赤くした。「神王妃。フラミーさんだ。」

 それがどう言う表情なのか種族があまりにも違いすぎるためにバンゴーにはわからなかった。いや、そんな事よりも己の名前をまるっと国名にするとは何とも変わった王だ。

「フラミーです。よろしくお願いします。」

 同じくわずかに顔を赤くした王妃が頭を下げると、二人も頭を下げた。

 

「さて、それでは見せてもらおうか。バンゴー議長、ギード将軍。」

「貴国がどれ程のものかは存じませんが、驚かれましょう。」

 五人は腹の中を探りあうように笑い合った。

 

+

 

 アインズは議場から出ると街を見渡した。

 手先があまり器用ではないためか、街の作りそのものは無骨だが、衛生的に保たれ、行き交うビーストマンは清潔な装いをしている。

 ただ時折、まるでコンビニで肉まんを買ったような感覚で、何かの生き物の腕や足を手に持ちモリモリ食べながら歩いているビーストマンもいるが。

 やはり、竜王国を攻めながら兵を貪っていた者達とルーツが同じなだけはある。

「デミウルゴスの言う通りよく管理されているな。」

「我々は魔法は得意ではありませんが、こと技術と文化という点ではそこいらの国には負けませんぞ。」

 道こそ舗装されていないが、魔法を得意としないなりの多くの工夫のようなものが感じられた。

 

「アインズさん、あれって。」

 手を繋ぐフラミーの指差す方には巨大な細い橋がかかっていて、近くに回る水揚水車から水を注がれている。

「――上水道か。」

 ビーストマン達が清潔な装いをしている訳にも納得だ。恐らくあれだけのものがあれば公衆浴場などもよく整備されているだろう。

「ほう。博識でらっしゃる。貴国にも水道が?」

「いや、我が国は下水道は通してあるが上水道は通していない。"湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"が普及しているからな。ここは各戸に水を引いているのか?」

「いえ、先人が川のない州へ通し始めたのが始まりなのですが、三百年掛かりで連邦中へ通し、広場に水場を作りました。皆朝になるとそこに水を汲みに行くのです。今は各戸への引き込みに尽力しておりますよ。」

 バンゴーは自慢げだ。当然だろう。リアルでもローマ帝国時代の水道は現在も一部生きていたのだ。そして水車は初めてこの世界で見る原動機だ。

 小屋などはなく、水を上げる事だけに使われている様子だが放っておけば工業用原動力となり産業革命の一助になるだろう。

 この国も早く魔法頼りの生活に押し戻さなければいけない。

 技術を磨き知識を深める必要はないのだ。

 公衆衛生の概念も行きすぎれば科学へ行き着く。

 アインズはわずかに悩んでから己の無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を突っ込んだ。

 

「そうか、では貴国には試しにいくつか"湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"を渡そう。一日に出る水量に上限はあるが、上水道のように管理やメンテナンスが必要ないし、低コストで各家庭に分配できる。あれは日照にも悪影響だろう。上水道には戻れない素晴らしいマジックアイテムだ。」

「…なるほど?気に入れば国中の民のために大量に買い取れということですな。神王殿は商売上手な方よ。」

「その通りだ。ふふふ。」

 そうではないが、そう思わせておくのがいいだろう。

 本当なら上水道と水車撤去のためタダでもいいから今すぐ全戸設置と行きたいところだが、何もいらない、なんていう都合のいい話はない。タダより高いものはないという言葉があるのだ。

 デミウルゴスが友好国としてせっかく交渉してきたと言うのに力を削ぐつもりかと警戒されてしまう。

 安売りでもいいから、対等に取引をしたと相手に思わせれば、まさかこちらが技術潰しの文明巻き戻しを行おうとしているなどとは思わないだろう。

 

 当然アインズの頭には友好国相手だと言うのに破壊という選択肢もよぎった。

 しかし、ビーストマンの国の何倍もある広さの国土を焦土にしてはもはや環境破壊などという言葉では言い尽くせないだけの有り様になる。

 マーレに草木を生やさせたとしても、暮らしていた生き物は元には戻らない。それに、奪われれば取り返したくなるのが生き物というものだ。

 アインズは何とか破壊以外の方法でこの場所を手に入れる必要がある。

 早急に信用を勝ち得、国営小学校(プライマリースクール)を設置し、魔法に頼る事の素晴らしさを教え、魔導学院も設けてビーストマン達に少しでも魔法を使えるようにさせなければ。

(国営小学校(プライマリースクール)と魔導学院は建てなくちゃならんが…友好国に神聖魔導国の国営の物建てるなんてそんな真似できないよな…。)

 アインズはどうしたら良いんだと頭を抱えかける。

 デミウルゴスが友好国だと言ったのに、勝手に属国化や併呑を進めては大変な事になるだろうか。

 いや、それよりデミウルゴスがそうしなかったのだから、何か大いなる理由があるのだろう。

 

 アインズが一人焦っていると、フラミーは辺りを見渡し口を開く。

「ここは医療はどうしてるんですか?皆さん魔法は得意じゃないんですよね?」

「我が国とて神官がいない訳ではありません。病の時には数少ない神官の下へ行きますし、怪我には錬金術師の作るポーションもあります。」

「ミノタウロス達みたいに手術はしないんですか?」

バンゴーは僅かに牙を剥いた。

「我々をあのような野蛮な畜生と同じにされては。」

「…そうですよね。手術は野蛮です。やるべきじゃないです。」

 フラミーが手をギュッと握ってくる。アインズは何か言いたげな視線の中に含まれる全ての言葉を掴み、頷いてみせた。

(やはり早く世界中を統治下に置かなければな…。)

 魔法が不得手な者達が科学を求めない保証はどこにもなかった。

 

 

 一行は街を一回りし、再び議場のある建物に戻った。

 

 

 控え室をあてがわれたアインズとフラミー、デミウルゴスは盗聴に対抗するあらゆる魔法をかけてから口を開いた。

「デミウルゴス、よくやった。やはりここは少し育ちすぎているようだ。」

 一番神聖魔導国から近かったのはル・リエーから程近いセイレーン聖国だが、わざわざビーストマン連邦へ最初にデミウルゴスを送ったのには理由がある。

 セイレーン聖国とワーウルフ王国はデミウルゴスの一番最初の報告では悪い方向への発展を感じなかったからだ。

 一番にビーストマン連邦を取り込む必要性を感じ、デミウルゴスを使者として送り出したが、予想通りの事態だった。破壊対象になる前でよかったと思うしかない。

 

「恐れ入ります。このデミウルゴス、徐々にではありますが、アインズ様とフラミー様が何を世界から取り除こうとされているのか分かり始めたように思います。」

「…そうか。お前もあまり追求するなよ。」

 当然、とデミウルゴスは頭を下げた。

「とにかく魔法とナザリック、神聖魔導国に依存させろ。全ての生き物は愚かでいい。」

「おぉ。流石アインズ様…!あなた様はなんと…!」

 なんと何なのだろうか。アインズはキラキラお目目のデミウルゴスから目をそらした。コツンコツンと星のような輝きが顔にぶつかってくるような幻覚さえ見えてくる。

 膝に乗せたフラミーの翼を弄んでいたが、顔にぶつかる幻覚の星を払った。

 

「ビーストマンの国、見もせずに壊しましたけど、あそこもこれだけ発展してたんでしょうか?」

 フラミーの呟きはアインズも思ったことだ。

「いえ、私も見ませんでしたが、恐らくこのような街ではなかったかと思います。と言うのも、ビーストマン国はこのように広い国ではありませんでしたし、先程の上水道などは不要だったかと。同じ人族の者達でも国家の形態やその技術、街づくりが大きく違うように、ビーストマンも国が違い、距離も遠ければまるで違う国を作るのでしょう。旧カルネ村と旧帝都を思い出して頂ければご納得頂けるかと。」

「…そっか。ここは広くて魔法もほとんどないから、仕方なく水道通したんですもんね。」

 ふむふむとフラミーが真面目そうに唸ると、アインズは思った。

 

(俺の嫁は子供を産んでも可愛いなぁ。)

 

 何も関係なかった。

 すると部屋にノックが響き、無為な時間は終わりを告げた。

「構わず入ってくれ。」

「恐れ入ります。議員が集まりましたので、議場へご案内いたします。」




ローマ帝国並みの発展ぶりに、御身もヒヤヒヤ
水狂い…うーん狂犬病!!

次回#18 連邦議会


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#18 連邦議会

 議場にはそれぞれ毛の色の違う数十人のビーストマンがアインズ達を迎えた。

 

「では、セイレーン聖国とワーウルフ王国の説明を。」

 

【挿絵表示】

 

 ギードが地図を広げると、アインズとフラミーはそれぞれ魔法のモノクルを装備し、地図を覗き込んだ。

 それは、二人がこれまで見たことのない地図だった。

「"西方"三大国、我が国から見れば東に位置していたが――これは?」

 アインズは西方三大国から峰を越えるように更に東へ指を動かし、トンッと地図に指を落とした。

 国名のようなものが何度も書かれては消されている奇妙な場所だ。ちょうど三大国と同じ程度の広さがある。

(ここから見て西方だった訳だな。じゃあうちは西の果ての果てだ。)

「コボルト、サイクロプス、ゴブリン…沈黙…?ずいぶん色々書かれているが小国か?」

「…神王殿はビーストマンの文字を読めるので…?」

「あぁ、読めるぞ。」

「…おぉ、勤勉でらっしゃる…。」

 アインズはマジックアイテムの便利さを教えてやろうかとモノクルの持つ効果を伝えようとすると、ギードはぷるりと顔を振ってから続けた。

 

「――失礼。仰る通り、こちらの東の海まで、小国や国とも言えないような集落が無数に点在しています。小国は五十年や百年程度で支配者が変わり、名を変える事が多い為、その度に書き直して利用しております。ただ、文化も持たない亜人や異形、モンスター達のひしめき合う地や小さな集落には名を与えていません。」

 彼らは移動する事も多いですし、とギードは付け加えた。

 

「どうしてこっちから支配しないんですか?ここの人達が手に入ればもっと戦争に優位になりそうなのに。」

 フラミーは不思議そうにギードを見上げた。

「……我々は――いえ、ワーウルフもセイレーンもそちらには近寄りません。ここの中央には今は遺棄された忌まわしき記憶と穢れた地があるので。」

 まるでそれ以上聞くなとでも言うような雰囲気だ。

「遺棄せし穢れた地か…。」

 汚染されているなら浄化に行かなければいけない。

 アインズはこの地図は後で貰えないか聞いてみようとじっと地図に目を落としていると、名前を覚えられなかった議員が口を開いた。

 

「そこは人間種など見たこともない者達が生きる修羅の地でございますよ。あったとしても――食卓か。」

 クスクスと馬鹿にしたような笑いが漏れた。

 人間はなんとひ弱な生き物だろうと盛り上がるごく一部のビーストマンの様子は愉快でかなわん、とでも言うようだったが、バンゴーの咳払いでそれは止んだ。

「失礼、神王殿。我々、あまり人間とは関わりを多く持ったことがありません故。」

「いや、気にする必要はない。私は人間ではないからな。」

 

 何?とビーストマン達が顔を上げた。

 

「私のこの姿は仮初に過ぎん。」

 アインズがふわりと手を振ると、一瞬その顔はローブの袂で隠れた。

 そして手を下ろした瞬間には――骸。

 

「私はアンデッドだ。」

 

 ビーストマン達は物音を立てるように立ち上がった。

「な、アンデッドだと!?」「幻覚!?」

 この世界に来て、アンデッドでも割と快適に過ごせていたのは全てスルシャーナのお陰だったとアインズが気が付いたのは最近のことだ。

 国外で骸を晒すと一々この反応だ。

 

「そう怯えるな。人やビーストマン、ワーウルフにだって善人と悪人がいるだろう。それと同じように生者を憎むアンデッドがいれば、私のように生者に友好的なアンデッドもいる。」

「友好的なアンデッド…!?善なる悪魔なみに訳がわからん!」

 先程アインズを笑った議員の言葉に、アインズは肩をすくめてから隣に座るフラミーの翼を広げ、楽しそうに語った。

「そうか?私の知る中には闇に堕ちた天使もいるし――光に憧れ続ける悪魔もいる。」

 デミウルゴスは恐縮したように笑った。

「そんなものがいるのか…。」

「あぁ。お前達の警戒はわかる。だが、私は特別生者をどうこうしようとは思わん。」

 アインズが再び手を振ると、そこにはいつもの人の顔があった。

 

 フラミーのすぐ隣にいたギードはまさかと顔を上げる。

「…では神王妃殿も…?」

「いいえ、私は神の敵対者(サタン)です。アンデッドじゃないですよ。」

 ビーストマン達は互いの視線でお前は知っているかと問いかけ合う。ギードはバンゴーへ伺うように顔を向けた。

「さたん…浅学ながら聞いたことのない種族ですな。耳が尖っている種族だと森妖精(エルフ)、人間の体に翼を持つ種族だとセイレーンくらいしか。」

「ん?セイレーンは下半身が魚ではないのか?」

「セイレーン聖国には二種のセイレーンがおりますのう。どちらも上半身は人間によく似ていて、下半身が鳥の種と、下半身が魚の種です。鳥の種は空の人(シレーヌ)、魚の種は海の人(シレーナ)と呼ばれておりますが、空の人(シレーヌ)はそちらの神王妃殿のように翼を背負っておりますな。どちらも他者を操る、特に男を惑わせる歌を歌います。」

 

 話が戻り始め、ギードは黒く長い爪で海上都市を指し示した。

「セイレーン聖国は膝下程度まで水没した半水没都市が多くを占めますが、陸上都市と水中都市も持っていて、海上都市ル・リエーの者達と特に盛んに貿易を行っていました。ご存知かは知りませんが、昨年の春に橋が折れたとかでル・リエーが突然沈み、大量の魚人の亡命者がセイレーン聖国へ流れ込んだとか。放っておけばどんどん国が大きくなってしまう。」

「半水没都市か、面白いな。ちなみに言っておくとル・リエーは橋が折れて沈んだわけではない。そこを沈めたのはフラミーさんだ。」

 ぽかんと口を開けたギード以下ビーストマン達はフラミーを見つめた。

「沈めたって言っても、柱壊しただけみたいなものなんですけどね。」

 はははと気の抜けた声が響くと、なるほど、と何かに納得したような声があちらこちらで上がった。

 

「それで、最後はワーウルフ王国か。」

 ビーストマン達は一瞬何かを確かめ合うように視線を交わした。

「こちらは大した技術も持たぬ野蛮な犬どもの国です。最近老王から若き王に代替わりしました。奴らの支配地は我らの地よりも川が多く流れ、肥沃な土地が広がっております。我らビーストマン同様セイレーンを食用としており、海の人(シレーナ)がよく海から川伝手に侵入し、内部崩壊を誘おうとしています。」

「待て、お前達はセイレーンを食うのか。」

「食いますが…?」

「牧場はあるのか?」

「ありません。育てなくても勝手にうようよ育っておりますので。」

 食糧事情が絡むと難しい。アインズはデミウルゴスが友好国で済ませた理由に思い至った。

 確かミノタウロスの国を飲み込まずに現在も友好国として付き合っているのは、人間の牧場が多すぎた為だ。

 これは確かに併呑しては統治が小難しくなりそうだと頭を悩ませる。

(ワーウルフとビーストマン、合わせて相当な人口だ…。ビーストマンは多分魔導国羊を食べないだろうし養い切れる気がしないな…。)

 アインズはあれこれ考えながら、とにかく友好国として小学校を作らせてくれと頼むしかないと確信した。

(でも他所の王様讃える学校を作らせてくれるってどんだけ友好的な状況だよ…。)

 平凡サラリーマンの脳みそで考えても良い案はそうそう浮かばない。

(バカの考え休むに似たりか…。いや、下手の考えだったか?)

 考え込むアインズの思考を妨げる声が響く。

 

「それで、できれば戦場にはデミウルゴス殿にもいらして頂きたいと思っております。神聖魔導国の威光を見せていただければ、と。我々も民もせっかく落とす国を引き渡すのですし――こう言ってはなんですが、やはり納得できるだけの働きをしていただかなければ。」

「もちろん。いいですとも。」

 アインズはデミウルゴスの頷きを聞きながら、ここだと確信する。

「ではデミウルゴスの他に我が軍勢もたっぷりと出そう。なんといっても友好国(、、、)、だからな。」

 アインズは念を押した。

「よろしくお願いいたします。」

 ビーストマン達が頭を下げると、全員の顔が陰になり、一瞬見えなくなる。

 

「それで、どちらから行きますか?」

 正直どちらからでもいい。

 デミウルゴスからの報告ではセイレーン達は魔法による都市開発をしている様子のため急を要さないし、ワーウルフ達はビーストマンに野蛮人扱いされているがミノタウロスの国のように程よく安定している文明らしいのだ。

「お前達に任せる。」

「では、まずはワーウルフの下へ。国民に力を見せるにはちょうどいいでしょう。」

 アインズは心得たと頷いた。

 

+

 

「まさか死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だったとは。すごい幻術もあったものよ。」

「魔法はからきしダメだ。どれほどの力を持つのかまるで未知数よ。」

「しかしあれは生まれ以ての王だろう。あのプレッシャーは一体なんなんだ。」

 ビーストマン達は唸っていた。

 謎の転移の魔法で現れた以上死者の大魔法使い(エルダーリッチ)で間違いはなさそうだが、魔法が使える者も大抵が信仰系魔法の為誰も力を想像する事はできなかった。

 ビーストマン達は魔法をどこか見下している。

 信仰系魔法だけは、怪我や病気への対抗手段として必要だが、魔力系魔法を学ぶ暇があればその強靭な体を鍛えた方がよほど良いし、食料――セイレーンや人間などのひ弱な種が使う技というイメージのせいもある。

 

 騒めく議場で静かに目を閉じていたギードは目を開けた。

「議員皆様。とにかく、まずはデミウルゴス殿をワーウルフ達に討たせないことには話は始まりません。兵の数のご相談を。」

 ビーストマン達は身を乗り出した。

 

 

 それから数日後、あるビーストマンが議場に駆け込んだ。

「議長様と、将軍様に御報告です!神聖魔導国の調査に出ていたヒプノック殿率いる調査隊が帰りました!」

「おぉ!通してくれ!」

 デミウルゴスが最初に訪れた時に早急に派遣した隊が帰って来たのだ。

 騒めきとともに何人ものビーストマン達が議場に乗り込んでくると、議員達へ頭を下げ、黄土色の毛を持つ者が語り出した。

「ヒプノック隊、神聖魔導国より帰りました。まずはビーストマン国のご報告から――」

 消滅という言葉で扱われたその場所は今どうなっているのだろうかと皆が真剣に耳を澄ませる。

 

「――確かに消滅しておりました。」

 

「…何?ちゃんと説明してはくれんか。」

 バンゴーの問いに、ヒプノックは言葉を発する事が辛いとでもいうような雰囲気だった。

「国はまるっと見知らぬ湖へと変わっておりました。建物も池も、何一つ残ってはおりませんでした。その湖は黒き湖と名付けられ、ビーストマンはただの一人もおらず……。すでに湖の上には新たな水上都市のような物が作られ始めており、ル・リエーにいた半魚人達がちらほらといました。」

 

「なんだと…?それはおかしい。場所を間違えたんじゃないか?」

 ギードは自分の部下を疑うような目で見つめた。

「――国が丸ごとなくなれば、難民がこちらへ押し寄せて来るはずだろう。それに建物を壊し、湖になるように掘るには相当な人材も時間も必要なはずだ。奴隷にしているというならまだわかるが…。」

 

「…私もそう思い、探し回ったのですが、やはりどこにもビーストマン国はなく、ビーストマンの姿もありませんでした。湖の管理者だと言う水精霊大鬼(ヴァ・ウン)に尋ねたところ、詳しいことは知らないと言われ、再び移動しました。その先で神聖魔導国ブラックスケイル州なる場所に辿り着きましたが…その…。」

「濁すな、議員皆様の前なのだからハッキリしてくれ。」

「…ギード大将…。それが…ビーストマンに教えることは何もないと追い返されました…。申し訳ありません。神聖魔導国の更なる別の場所へはそこを通らなければ、ミノタウロスの国に入ってしまうため、余計な諍いを生まないよう一度戻りました。」

 ビーストマン国がそちらとも戦争をしていた。戦線が増えてしまうのは困る。

 はぁーと呆れたようなため息が溢れた。やれやれと首を振る者達もいる。

「デミウルゴス殿の話では全ての種を受け入れ統治していると言っていたが全く何なんだか。」

「そのブラックスケイルなる場所はどうだった?ここと変わりない程に進んでおる場所だったのかが問題だろう。」

 むぅ…と調査団は悩んだ後、口を開いた。

「いえ、我らの国の方が余程洗練されているかと。作りかけ、と言うような印象でした。」

「相手はここ数年の新興国。それはそうか。」

 

 ビーストマン達は笑った。しかし、皆がビーストマン国の者はどこへ行ったのだろうと引っかかり続けた。




ドラちゃん、ビーストマン国に蹂躙された所とフラミーさんの悪魔に破壊されたところ早く直して!!

次回#19 戦争へのカウントダウン

新しい地図ですよぉ!ユズリハ様が作ってくださいました!

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#19 戦争へのカウントダウン

 春のうららかな日差しが届くある日。

 二足歩行の狼――ワーウルフの若き王、黒く長い毛に覆われるルキースは都市を守る防壁の上に立ち、遠く広がる美しき大地に集まるビーストマン達を眺めると首を傾げた。

「引いていったと思ったら、今度は妙に少ないじゃねーか。」

「は。普段の半数…二万程度かと。」

「舐めてやがるのか、(セイレーン)との戦いに兵を取られたか…――はたまた、セイレーンと手を組んだか。おい、セイレーン聖国はどうしてる。」

 手を組まれれば厄介だ。

 ビーストマンがセイレーンの魅了を手に入れればこの人数相手であっても押し負けかねないだろう。

「普段通り守りを固め、我々とビーストマンの侵入を食い止めようとしているはずです。」

「ビーストマンとのやり取りがこっちを油断させる為の八百長じゃない保証は。」

 側近はムム、と悩むとズボンから出ている尻尾をぺたりと足の間に下げた。

「調査隊を出します。」

「そうしろ。あ、そうだ。川を塞いで海の人(シレーナ)が入り込まないようにするのを忘れるなよ。」

 

 側近が急いで立ち去っていくのを見送ると、ルキースは今までのビーストマンとの戦いを振り返る。

 何百年も続いてきた因縁の戦いだと言うのに、最近になってビーストマンは突然引いていった。

 特にここはワーウルフ王国とビーストマン連邦の距離が一番近い重要地点だ。

 今すぐ追撃しようと言う者達、見え透いた罠だと言う者達、月が出る夜に追撃しようと言う者達に分かれ、会議は何度も開かれたが、結論が出ないまま、手をこまねいていたらこうして再びビーストマン達は現れた。

 ちなみに、月を待とうと言う者がいたのには訳がある。

 満月が昇る夜、ワーウルフ達の毛は銀の武器でしか傷付けられないほどに硬くなるのだ。

 ただ、ビーストマン達も当然無策ではなく、満月が近くなると錬金術銀という、塗布すると爪や武器が銀と同じ効果を持つようになる特殊なアイテムを持ち歩くようになる。

 しかし、民間人にまで行き渡っているとも思えないので、子供から雌まで力のあるビーストマン連邦に乗り込むならば、やはり満月の夜が良いと思う者もいるわけだ。

 

(やっぱりこうして現れたっちゅーことは、結局罠だった訳か…?)

 ルキースは当然すぐの追撃派だったが、父である前王は慎重派で、父にまだ強い忠誠を感じている部下達のためにも自分からどうこうしようとは言わなかった。

 王となり日の浅いルキースに皆が付いて来たいと心から思うまでは辛抱だと思っていたが――今回ばかりは無駄に兵を失わずに済んだかと安堵する。

 

 早く武勲を上げ、皆に強き王としての印象を与えて引っ張って行かなくては。

「セイレーンと手を組んでいない二万程度なら臆病なビーストマン達くらい粉砕できるか…?」

 顎の毛を撫でながらルキースはわらわらと整列していくビーストマンを眺めた。

 昼間に浮かぶ春の月は上弦。あと七日もすれば満月だ。

「…この二万を七日で破って…満月の夜には相手さんの街に入れたらいいんだがなぁ…。」

 若き王は集まり出した自分の兵士達へ手を掲げた。

 

+

 

 ギード将軍は約束の日になっても一向に神聖魔導国からの軍が到着する様子がない事にさすがに焦りを感じていた。

 半分は受け持ってくれるはずだったというのに。

「ヒプノック、どうだった。」

「ダメですね。来てる様子はありません。」

「…担がれたか…?」

 ギードの瞳に刃の輝きが宿る。

 眼前には迎え撃とうと、こちらの倍近い数のワーウルフ達が出てきている。

 神王に既に作戦を見破られ、支援隊など来なかったら――もしくはワーウルフと手を組んでいたとしたら、いつもの半数で来たのは大きな間違いだ。

 

 念の為、撤退の準備もしておかなくては。

「今回の作戦は破棄することも検討しよう。」

 この数でぶつかればかなりの死者が予想される。

「わかりました。ではその旨通達して参ります。」

 ヒプノックがくるりと背を向け、小隊長達に伝達に向かおうとすると、ビーストマンの持つ街の方角から、神聖魔導国の旗を掲げた馬車がたった一台向かって来ているのが見えた。

 

「…あれにデミウルゴス殿が乗っているんだろうか。」

「わかりかねます…。」

 二人がごそごそと相談していると、馬車は二人の前で止まり、思わず息を飲んだ。

 馬車には巧緻な金細工が施され、夜の海を切り出して来たような黒い車体を上品に彩っている。

 ビーストマンの手ではとても作り出せないそれは、いっそ大きな宝箱と呼んでも差し支えのない程のものだ。

 しかも、引いて来ていた馬は見たこともない馬型のゴーレム。

「…本当にブラックスケイルという場所はうちよりも劣る街だったんだろうな…。」

 ギードの視線にはなんとも皮肉めいた色が浮かんだ。

 まるで「お前を信用して行かせたのは間違いだった」とでもいうように。

「そ、そのはずでしたが…。」

 ヒプノックの困ったような声が返される中、馬車の扉が開く。

 降り立ったのは淡いが照りのある青の体の巨大な異形。

 背に生える不思議なクリスタルのようなものが、今日の透き通る空に浮かぶ太陽の光を反射させて複雑な輝きを地に落とした。

「アインズ様、フラミー様、戦場ニ到着イタシマシタ。」

 深い声音は母の心臓の音のようだった。

「そうか、ありがとう。コキュートス。」

 神王が姿を見せ、続いて神王に大切そうに手を引かれて神王妃も降りて来ると、ギードは何度も瞬きをした。

 

「…神王殿と神王妃殿も立ち会われるので…?」

 こちらとしては暗殺が一度に終わる為ありがたいはずだが、やはり罠ではないかと疑ってしまう。

 約束はデミウルゴスと援軍だったのだ。

 別にデミウルゴスもこの王を討つ為に討伐したかっただけなので本来ならばこれは都合が良いのだが――罠ではないなら、友好国としてやっていこうと表面上は言い合っているのに如何なものかと思ってしまう。

 

「当然立ち会うとも。ワーウルフ達は今日我が軍門に降るのだからな。それに私達はこうして出掛けることが好きなんだ。」

 はははと楽しげに笑う様は勝利を確信している。

 

(…一体なんなんだ…。この状況、勝てるわけがない…。)

 

 つい忌々しげな顔をしてしまう。

 この王は圧倒的支配者としての風格を纏っているが、実際に怖いのはデミウルゴスだけだ。

 あの男から放たれていた殺気は尋常なものではなかった。

 取り敢えずいいチャンスなので目の前の王と王妃を殺してしまおうかと思っていると、神王はバサリと肩にかかっていた臙脂色のマントを翻した。

「さぁ、我が軍勢を呼ぼう。<転移門(ゲート)>。」

 

 神王の背後に以前一度みた謎の黒い染みが現れる。

 その門からは約束したデミウルゴスが踏み出し、さらにそこから姿を見せた者達は――

 

 ――全てが静まり返った。

 

 ただ、異様な空気が辺りを支配する。

 静まり返ったその地で、沈黙がキーンと音となって全ビーストマンの耳に届いた。

 喉からは焼き付くようにヒリヒリと痛みを感じる。

「これが我が国の軍だ。」

 絶句した観客に、神王はどこか誇らしげにその者共を紹介した。

 

 上空には数人のセイレーンが飛び、くるりと翻ると自国へ向かって飛び帰った。

 

+

 

 陸と海の間に建つ白亜の平屋造りの宮殿の一室。

 海へと直接繋がる扉があり、部屋の半分は水の中に浸かっている奇妙な部屋だ。

 数段の階段が水面へ伸びる前には玉座のように絢爛たる椅子が二脚置かれていた。

 そこにはそれぞれ、美しいという言葉では足りない絶世の美女達が座っていた。

 一人は海より深い濃紺の長い髪から水を滴らせ、耳は大きな皮膜を張り鰭のようになっている。一見すると飾りを付けた人間だが、そのヘソから下はびっしりと輝く鱗に覆われ、二股に分かれた長い尾鰭を持つ。尾鰭は軽くトグロを巻くようにしていて、海蛇が二匹ついているように見える。背鰭を持ち、首には三筋の切れ目のようなエラ、手の指の間には水掻きもあった。

 もう一人は柑橘のような橙色の柔らかな髪をハーフアップにし、翼のような耳を覗かせている。やはり一見すると人間だが、その下半身はふっくらとした羽毛に覆われ、ふくらはぎから下は猛禽を思わせる硬質な皮膚がのぞく。生えている黒い鉤爪は三日月のように湾曲し、人間程度であれば容易に引き裂いてしまうだろう。背には大きな翼が生えていた。

 

 二人の持つ全てが麗しかった。

 

 輝くような皮膚、香るような髪、唇は蕾のようで――いちいち取り立てて言うなら、美文辞典が優に一冊編まれるほどである。

 

「大量のアンデッドがいて、あまりの恐ろしさに帰ってきたですって?これだから男は軟弱でいけない。」

「では死体が山のようにあったの?とっても珍しいわ。」

 二人はそれぞれ、自分達の前に平服する顔を青くした男の上半身を持つ空の人(シレーヌ)へ歌うように声をかけた。

 

「は。そ、それが、伝説のアンデッドが…いや…そんなはずは…そうだったらあの場で立っていられる者がいるはずが……。」

 ぶつぶつと独り言を言っていると、魚の尾がパチンっと床に叩きつけられた。

「ヒメロペー様が死体はあったのかと聞いているのよ。」

「まぁテクルシノエ様。待ってあげましょう。」

 ヒメロペーはやわらかな翼でふわりとテルクシノエの背を包んだ。

 この国では男は時に女に食われることもある。

 魅了の歌の力も女の方が強いため、男の身分はあまり高くない。

「し、失礼いたしました。これまでのように死体は持ち帰って食べているのか遺体は無く、綺麗なものでした。しかし、ビーストマン達の数はわずか二万。いつもなら四、五万は出ておりますし――二万か三万はワーウルフに殺されたのかもしれません。そうなれば、例え死体がなくともアンデッドが湧いてしまうのかも…。」

 それを聞くと二人は驚愕に顔を染めた。

 

「お前、あの者共の力の拮抗が崩れたとでもいうの?」

「まぁ…。貴方、それが何を意味しているか分かっているのかしら。」

「…いえ…。」

「ワーウルフがビーストマンの数の暴力をくだし、こちらにのみ矛先を向け、これまでビーストマンと戦っていた軍も合わせた大軍を送ってくるような事があれば、いつかはこの国は落ちるのよ。」

「満月の夜には魅了の歌も届きにくいわ。ビーストマンとの小競り合いが無くなっては私達は喰われるのみ……。」

 三人は海へ開く扉の向こうに視線を投げる。

 真昼の上弦の月に目を細めた。

 

 満月まであと七日。

 

 セイレーン聖国の死刑台へのカウントダウンは始まった。




セイレーン、こんなお目目かな!?

【挿絵表示】


次回#20 死の軍勢

ほしてセイレーンの神話の姉妹の名前をそのまま当てる( ;∀;)
お魚のテルクシノエちゃんと鳥のヒメロペーちゃん!!


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#20 死の軍勢

 三国は常に戦端を開いていた。

 ビーストマン連邦とワーウルフ王国がセイレーン聖国を襲うのは食料と領土のため。

 セイレーン聖国がビーストマン連邦とワーウルフ王国を襲うのは国民の保護と、蹂躙の危険を払うため。

 ビーストマン連邦がワーウルフ王国を襲うのはその肥沃な地を手に入れるため。

 ワーウルフ王国がビーストマン連邦を襲うのは同じ食糧を奪い合う相手を少しでも減らし、女子供までが揃って兵士となる脅威を取り除くため。

 他にも様々な理由はあるが、複雑に絡み合う事情があった。

 

「動きやしねーな。」

 ルキースは戻ってきた側近と共に、ワーウルフの戦士達がひしめく中央より後方に建てられている砦にいた。

 気が遠くなるほどに長きに亘る戦争で砦はあちらこちらに作られていて、街を守る防壁の外側に更にもう一重の防壁があるようなものだ。

「出撃させますか?」

「いや、まだだ。さっき金色のビーストマンがうろついてただろう。恐らくギード将軍だ。あいつは只者じゃねぇ。」

 ルキースも何度もぶつかったことのある油断ならない人物だ。

 こと、集団戦術に於いてその者の右に出る者はそういないだろうし、当然本人の力もかなりのものだ。

「ギード将軍ですか…。彼がいてもこちらの半数程度のビーストマンではどうこうできるとも思えませんし、今こそ討つ良いチャンスのような気がしますが…。」

「…甘いな。だからこそ警戒が必要なんだろう。あれ程の男が身を置いてるっていうのに無策なわけがない。」

「なるほど…。」

 今日の戦地はどうも胡散臭かった。

 相手から必死の闘志のようなものが感じられないように思う。

 向こうが動かないと言うならば、できればセイレーン聖国へ出した調査隊が帰ってくるまで開戦は待ちたいと思う。が、ルキース達の前にいる戦士達はグウウ…と唸り声をあげ、闘争本能を剥き出しにしていた。

「やれやれ。こいつらが待てるとも思えねぇなぁ…。」

 ルキースが困ったように笑っていると、側近は空へと顔を向けた。

 

「――ルキース様、セイレーンです。」

 視線の先を追うように顔を上げれば、透き通る空を数羽のセイレーンが身を翻し、セイレーン聖国の方へ飛び去るところだった。

「やっぱり組んでやがるか?ッチ。仕方ねぇがここは一時撤退だ。籠って何日か待てば、ビーストマン達も焦れて組んだはずのセイレーンを食い始めるだろうよ。」

「ははは、そうなれば今まで通りの戦争にすぐに戻りますね。」

「そういうこった。」

 ルキースはセイレーンの背を見送りながら、一体どうやってあの高慢ちきな家畜(セイレーン)とビーストマンが手を組んだのかとしばし思考を巡らせる。

(ビーストマンとの同盟が早く崩れるようにしなけりゃ落とされかねんな…。)

 

 すると、側近が息を飲む気配がした。

「な…あ、あれは…。」

 ルキースが空から視線を戻すと、全身の毛がゾワリと逆立った。

 これまで戦いへの期待に滾っていたはずの戦士達はくぅん…とまるで子犬のような情けない声を上げている。

「なん…なんなんだ…。」

 いつの間にかビーストマン達の列は二つに分かれていて、その間には見知らぬ奇妙な紋章が記された旗を掲げる歩兵隊と騎兵隊がいた。

 全ての視線がその見知らぬ一団に注がれる。

 いや、見知らぬと言っては乱暴だろう。

 

 それは、全ての生ある者が知る、共通の敵なのだから。

 

 歩兵隊はおぞましき無数の人間の死体――スケルトンだった。

 胸当てを着け、手にはそれぞれ円形盾とバスタードソードを持ち、兜を被っている。全ての装備は魔法の力を感じさせ、まるで古き墓守のような雰囲気だ。

 更にその者達を囲む騎兵隊も、やはりスケルトン。しかし歩兵隊よりも見事な黄金に輝く全身鎧(フルプレート)を着用し、煌びやかな槍を握りしめている。目の覚めるような真紅のマントは汚れ一つ無い。

 

 問題はこの者達が騎乗する、正真正銘の化け物にある。

 

 その魔獣は骨の獣の体をしていて、揺らめくような靄を肉の代わりに纏っている。

 靄はまるで雷を宿す黒雲のように、膿のような黄色や輝くような緑色にチカチカと明滅していた。

 死の危険だ。

 生き物が持つ生存本能を刺激され全身が震え出す。

 

「嘘だ…こんなの、こんなの嘘だ…。」

 

 ルキースは何度も首を振って目の前の事実を否定する。

 

「だって、だってあれは――あの化け物は――――」

 

+

 

「この化け物は――――」

 ギードはそれだけ絞り出したが、あまりにも受け入れがたい現実を前に、その魔獣の名を呼ぶことを脳が拒否する。

 もしその想像が当たっていれば、今日ここでビーストマン連邦はおしまいだ。

 心臓が殴りつける様に早鐘を打つ。

 それはまるで逃げろと体が訴えているようだった。

 周りにいるビーストマン達は身じろぎひとつせずに痛いほどの静寂を保っていた。

 少しでも音を立てれば死を迎えることになる未来が見え、極限の恐怖と戦い、震えすら抑え込んでいるのだ。

 

「ん?ギード将軍はこれを知っているのか。」

 

 神王の涼しい声音が響く。

 魔獣達から視線を外すこともできずにギードはゆっくりと頷いた。

 舌の奥に苦い味が広がるのを感じながら、ついにその名を口にする。

 口も舌も震え、言葉はもつれるように紡がれた。

 

「で、でん…伝説の化け物……――魂喰らい(ソウルイーター)……。」

 

 ギードの声が聞こえてしまった周りのビーストマンが一瞬大きく震え、息を飲んだ。

 この付近に暮らす者で魂喰らい(ソウルイーター)を知らない者はいない。

 生き物の魂を貪り食う伝説の化け物は、かつて、ここより東に位置する小国家群の中央に存在したビーストマン都市国家に現れた。

 たったの三体だった。

 魂喰らい(ソウルイーター)は、歩くだけで魂を食い散らかすことができる最恐のアンデッドで、都市国家に暮らす全人口の九割五分の命をわずか数日で奪い去った。

 当然その都市は遺棄されることになってしまった。

 以来その地は沈黙都市と呼ばれ、忌まわしき記憶を孕む穢れた地として恐れられ続けている。

 

 その三体の魂喰らい(ソウルイーター)がどうしたかと言うと、未だに沈黙都市を根城としていると言う話や、謎の旅人によって始末されたと言う話や、魂を満足するまで喰らって浄化されたと言う話があるが、確かなことは分かっていない。

 何故なら確かめに行く勇気を誰一人として持たないからだ。

 魂を求める魔獣が現存するか探し歩き、すれ違えばその瞬間に命は燃え尽きるだろうし、万一見つけて逃げられたとして、追いかけられでもすれば、沈黙都市から再び魂喰らい(ソウルイーター)を世に解き放つことになってしまうのだから――。

 

 ギードとその部下達の怯えは最高潮だったが、そんなビーストマン達の様子とは正反対な、場違いに感じるほどに明るい言葉が続く。

「わぁ、伝説ですって!死の騎士(デスナイト)はフールーダさんしか知らなかったのに、魂喰らい(ソウルイーター)は有名なんですねぇ。」

 神王妃はそういうと、たった一体、何もその背に乗せていなかった魂喰らい(ソウルイーター)の背を撫で始めた。

 魂喰らい(ソウルイーター)は嬉しそうだった。

 いや、こんな魔獣の感情などわかるはずもないが――神王妃に腹を見せわしわしと両手で靄を撫でられ始めた姿は嬉しそうに見えたのだ。

「よーしよしよし!良い子だねぇ!」

 ギードはこれは悪い夢なんじゃないかと思う。

 そうでなければあの化け物がこんな風に腹を見せ、まるでペットの子犬のような様になるだろうか。

 

(起きろ…起きろ起きろ…。起きてくれ…!!!)

 

 ギードは都合のいい妄想に逃げ、顔のパーツが吹き飛んでいくのではと思えるほどに、勢いよく顔を左右に振った。

 しかし、更に続く言葉にそんな事をする余裕もなくなる。

 

「ふふっ、どうしてこんなにアインズさんの生み出す子達は可愛いんでしょうね。」

 

 ――生み出す。

 

 目覚めぬ悪夢だ。

「う、う、生み出す…?そ、んな……神王は…死の神だとでも…いうのか…。」

 ギードはゆっくりと、人の皮を被ったアンデッドへ視線を送る。

「あぁ、そうだが今更それがどうかしたか?生の神のこともちゃんと崇めろよ。」

 死の神は魂喰らい(ソウルイーター)を子犬扱いしている神王妃の頭をポンポンと軽い力で叩いた。

 まるでこの子がうちの生の神ですよと紹介でもするように。

 ギードがじっと神王妃――いや、生の神を見ていると、生の神は慌てて両手を振った。

「っん、いえいえ、私のことはそんなに、良いですから。」

「ダメですよ。フラミーさんももっと崇められる神様になってください。」

 これが神と呼ばれる存在達だったのかとすぐ様信じた。そうでなければこの状況はあまりにも非現実的だ。

 神々のじゃれ合いを呆然と眺めていると、ギードの隣にいたヒプノックがどさりとその場に崩れた。

 気持ちはよく分かる。

 ヒプノックは全てを悟ったのだろう。

 これが死の神――沈黙都市に魂喰らい(ソウルイーター)を送り込んだ張本人だとすれば、ヒプノックの見てきたビーストマン国の、誰もいなかったと言うのは――。

(難民など出るはずもなかったんだ…。)

 ギードはヒプノックへ向け続けた疑いの目や言葉の全てを心の中で謝罪した。

 ビーストマン国は一人残らず死に絶え、生き残る者などいるはずもないのだから。

 

「殺される…殺されちゃうよ…。」

 ヒプノックから情けない声が漏れる。

 そんな事はないよ等と何の信憑性も持たない慰めの言葉をかける事はできなかった。

 特にこの男は実際にビーストマン国の末路を見てきているのだ。そのショックはギードの比ではないだろう。

 すると、トン、とギッシリと指輪のはめられた手が肩に乗った。

 びくりと肩を震わせると、死の神は優しげに微笑んでいた。種族が遠すぎるせいで、恐らく、という言葉がつくが。

(あ、俺達死んだな…。)

 ギードの心は終わりの時を前にひどく静まっていた。全てを諦めた悟りの境地。

 

「そう怯えるな。お前達は死なせやしないさ。部下を慰めてやれ。私達に全てを任せ――そして、感謝してもらおう。」

 

「…え?」

 ギードから漏れた疑問は誰に届くこともなく消えていった。神は青い異形を手招く。

「これはコキュートスと言うんだが、うちの亜人専門家だ。さぁ、コキュートス。王を探してこい。」

「カシコマリマシタ。オ任セ下サイ。」

 そのやり取りを見ると、女神は立ち上がり、魂喰らい(ソウルイーター)をそっと押した。

「じゃ、いってらっしゃい。またね。」

 魂喰らい(ソウルイーター)は名残惜しげに全身をサラリと女神に擦り付けた。一瞬靄の中に女神がふかりと埋まった。

「デハ、行ッテ参リマス。」

 コキュートスは巨体からは想像できないほどに軽やかな動きで魂喰らい(ソウルイーター)に跨り、整列する者達の中へ向かっていった。




次回#21 ワーウルフ王国

こっきゅん、この先出番増えそうですね!
爺と言い、亜人屋さんと言い!


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#21 ワーウルフ王国

 ワーウルフは無様に逃げ回っていた。

 

 皆が砦と、砦の向こうの都市を守る防壁へ向かう様は黒い津波のようだった。

 津波は魂喰らい(ソウルイーター)の通った後には凪いだ。

 海の底のような静寂を生み出しながら、伝説の通りに死の権化は駆け回る。

 転がる者達を歩兵(スケルトン)達が抱え、一箇所へ集めていく様はまるで魚市場だ。

 

 ビーストマン達は自分が信じる何かに祈る。

 この世に死の神などと言うものが存在しないことを。

 こんな恐ろしい光景が現実ではないことを。

 しかし、魂喰らい(ソウルイーター)が姿を現した時からこうなる事は分かりきっていた。

 それでも、広がり続ける死を受け入れられない。事実を事実と認められない。

 目の前の光景は、ただ、ただ、恐ろしかった。いや、そんな言葉では言い表せない。

 これだけの数の魂喰らい(ソウルイーター)達。

 きっと、世界は今日をもって終わりを迎えてしまうのだから。

 ビーストマン達はその場に崩れていた。

 

+

 

「夢だ、夢だ夢だ夢だ!!」

 ルキースは砦で眼前に広がる光景を否定し続けていた。

 隣にいる側近に答える余裕などない。ただただ呆然と目の前の光景に釘付けとなっていた。

「おい!これは夢なんだろう!?」

「ゆ…夢です…。私は早く…起きてルキース様にお仕えしなくては…。」

 ようやく答えるが、無感情な声音は逃避するような雰囲気すらある。

 突き進んでくる無数の死の権化に、誰一人立ち向かう勇気を持たなかった。

 いや、もしかしたら立ち向かった者もいたのかもしれない。

 しかし、全ての者はその圧倒的な死を前に瞬きする間も与えられずに魂を吸い上げられた。

 ――嫌だ。

 ――死にたくない。

 絶叫だ。愛すべき国民達は魂が凍りつくような絶叫を上げ、小動物のように逃げ回っていた。

 ザラザラと砦の後ろへ逃げ込んでくる。

 

「門をじめろ!!」「早ぐじろ!!もう待でない!!」

 声が響く。

 砦の門番達が仲間を見捨てて死に向かって口を開いている門を閉めようとする声だ。

 しかし、次から次へと流れ込もうとする者達を前に中々門は動かなかった。

「手伝え!!早く!もんをじめざぜろ!!」「この後ろには街があるんだぞぉ"!!」

 恐怖に己を失い初めている、酷く音階の狂ったような叫びだったが、ルキースは「街がある」という言葉にハッと己を取り戻した。

 このままでは戦線どころか国がまるごと崩壊してしまう。

 首都のサンド・ウェアもここからは近い。

 

 側近の止める声も聞かずに、砦から駆け下り、こちらへ向かって逃げ来る者達を掻き分けた。

「っくそ!通せ!!通すんだ!!門をしめろ!!お前達!!街を、国を守るぞ!!」

 このまま一匹でも魂喰らい(ソウルイーター)を中へ入れれば国は伝承通り滅亡するだろう。

 流れに逆らう王の声に、ついに周りの者達が一部の同胞を見捨てる覚悟を持ち、押し合いへし合い門を閉め始める。

 それが近付けば近付くほど、神経に直接針を打ち込まれていくような恐怖が刺激となって駆け巡る。

 気絶しそうになりながら、吐き気を催しながら、仲間の救済を求める声を聞きながら、必死に門を押していく。

 砦の上から我に返った側近も叫ぶ。

「ルキース様!!魂喰らい(ソウルイーター)が来ます!!お早く!お早く!!」

 いつのまにか逃げ込む者も減ってきた。皆逃げ込めたからではない。死んだからだ。

 その場は混乱の声に溢れかえっていたが――。

 

「――なに?」

 

 戦士達の声がやんだ。

 気付かぬうちに自分は死んでいたかと外を覗けば――迫っていた魂喰らい(ソウルイーター)達はぴたりと立ち止まっていた。

 そして、一人の青い異形と目が合った。

 

+

 

「――私だ。コキュートス、見つけたか。」

 

 アインズは連絡を受けるとスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの紛い物を取り出した。

 外見は元より、使用している素材も殆ど同じだが、本物の力の十分の一も込められていない。蛇達の咥える宝石も、何の力もないただの石だ。

 杖の上で手を開き、空中を撫でるようにしていくと、杖の纏うオーラの色が変わっていく。

 この調整機能を付けた、凝り性の仲間達はこの機能を何の為に利用しようと思ったんだろうかと苦笑した。

 仕上げに黒い後光を背負って完成だ。

(よし、久し振りに全ての神様ギミックだ。)

 周りのビーストマン達が息を飲むのが聞こえ、アインズはフォームチェンジした甲斐があると深い満足感を得た。

 

「ふふ、アインズさん王様って感じですね。」

 フラミーからも太鼓判を押される。少しだけ得意げにアインズは笑った。

「それは何よりです。じゃ、俺はちょっとコキュートスの所に行ってきますね。」

「はーい!じゃあ、私は向こうで回収してますね。」

 フラミーが指差したのはワーウルフの死体が寄せてある場所だった。お互い花に水をやりにいくような気軽さで頷きあう。

 あの死体達はワーウルフ王国や今後落とすセイレーン聖国に配備するアンデッドにする予定だ。

 地産地消。素晴らしい言葉だった。

 

 今回働かせた魂喰らい(ソウルイーター)は四十レベルを超える丁度いいモンスターだ。

 ビーストマンは推定十五から二十五レベルの為、それと互角に渡り合うワーウルフとの戦争では死の騎士(デスナイト)は少し力不足だろう。

 死の騎士(デスナイト)は三十五レベルのモンスターだが、攻撃能力は二十五レベル相当だ。ただ、防御は四十レベル相当な為、普段であれば使いやすい。

 一方魂喰らい(ソウルイーター)は周囲拡散型の<魂喰らい>と言う即死スキルを持っており、対象が死ぬと一時的に力が増す。

 適正レベルであれば即死を食らう事はほとんどないが、当然この場に適正レベルの者などいようはずもない。

 今回は<魂喰らい>の他に、恐怖を撒き散らす――アインズの絶望のオーラに似た能力も使わせた。一秒でも早く降伏させる為。

 なんと言っても彼らは数時間後の国民なのだから。

 

「――デミウルゴス、お前はフラミーさんの側にいろ。」

「かしこまりました。お任せくださいませ。」

 デミウルゴスに頭を下げられながら、アインズはビーストマン達を見渡し機嫌を良くする。

 ビーストマン達は地面に座って、まるで花見をするような感覚でワーウルフ達を眺めていた。

 共同戦線を敷くと言っていたが、ビーストマン達の手を煩わせずに済ませる事が出来たのだ。

 それどころかこんな風にくつろいで戦場――と言っても戦いになどなっていなかったが――を眺めているのだ。

 これは相当友好的にしてもらってもいいだろう。

 この軍勢を選んだのはアインズだったので、うまくいっている実感に満足してから、座っているギードに話しかけた。

「ギード将軍、私はこれよりワーウルフの王と話し合いをしてくる。お前達はここで引き続き眺めていてくれ。」

「っひ、っは、はひ!!」

 涙目で何度もぶんぶんと縦に首を振り、素直に感激している様子だ。

(後で議場に帰る時にはギード将軍からバンゴー議長によく戦場での事を話してもらおう。そうしたら、良い王だったと小学校の一つや二つ、試しに建てさせてくれるかもしれないしな。)

 

 アインズはうきうきと魂喰らい(ソウルイーター)を三体召喚すると、フラミーとデミウルゴスに二体渡した。

 フラミーはアインズと違いローブの中のパンツを見せないプロだが、これだけの人数の中飛んで行けば流石のフラミーでも見えてしまいかねない為、気遣いを忘れない。

 ちなみにアインズはパンツを見せない特殊スキルを獲得できておらず、ローブの下にズボンを着用している。

 骨になるとウエストが急激に細くなるが、魔法の装備はずり落ちたりはしない。しかし、不安なデザインの時はサスペンダーを使い肩で吊っていた。

 アインズはひょいと一体に跨るとコキュートスの下へ進んだ。魂喰らい(ソウルイーター)は意外に靄がやわらかく、お尻に優しかった。

 

 おおよそ全軍の七割程度がみっしりと一箇所に集まっていた。

「アインズ様、コノ者ガワーウルフノ王ルキース・サンド・ウェアデス。」

「ほう、これが王か。」

 大人しく小さくなって座り込む大型犬は愛らしさすらある。

 ワーウルフという言葉から想像した姿からは程遠い。

 つい撫でてみたくなるが、相手はおそらく成人しているわんちゃんなので流石にそれは失礼だろう。

「ルキースヨ、コノ御方コソ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下ダ。コレヨリコノ地ヲ統ベル、慈悲深キ全知全能ノ死ノ神デラッシャル。」

 アインズはなんでそんなに肩書きを増やしちゃうの?と忠実なる爺を見る。

 

 言い終わると、一瞬の沈黙が場を制した。何を言われたのか理解するまでの短い間だ。

 

「そ、それで…神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下…。我が国民は…皆死ぬのでしょうか…。」

 この地を統べる王は――いや、王だった者は不安そうにアインズを見上げた。

「若きワーウルフの王よ、今後我が神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国に降るのであれば生きる事を許そう。そして繁栄を約束しよう。」

 ルキースは戸惑ったようにアインズを見つめた。

「さぁ、どうする。ワーウルフの王、ルキース・サンド・ウェア。」

 ルキースは土に頭をぶつけるように下げ、服従の意を示した。

「ははぁ!我らワーウルフは神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下に忠誠を誓います!!」

「よし。それではコキュートスと共に国へ戻り、全てのワーウルフ達に、私がお前達を支配する事になったと伝えるのだ。…納得が行かない者がいたらこの私が直々に対応してやろう。さぁ、行け。」

 コキュートスが優しげに手を伸ばすと、躊躇ってからその手を取り、ルキースはよろよろと立ち上がった。

 街へ向かおうとする前に一度戦地へ顔を向け、軽く目をごしりと拭いた。

 すると、アインズは誰かに呼ばれる感覚にこめかみに触れた。

「――私だ。」

『あ、アインズさん。ちょっと王様まだ行かせないで下さい。』

 フラミーが王と話したがるなんて珍しかった。

「わかりました。コキュートス、ルキース、少し待て。フラミーさんが話があるそうだ。」

「ハ。」

 

 三人でしばしその場で待っていると、デミウルゴスが一度頭を下げてからフラミーを持ち上げ、魂喰らい(ソウルイーター)の背に乗せた。

 何も聞こえない距離感だが、なんとなく会話の想像がつく。

『失礼いたします。』

『ふふ、私自分で乗れますよ。』

『分かっておりますが、御身にお仕えする事こそが喜びなのです。どうかそう仰らずにお付き合いください。』

 と言ったところだろうか。

 フラミーは魂喰らい(ソウルイーター)に両脚を揃えて横向きに乗っていて、それでどうやって走らせるのかなと思っていると、その前にデミウルゴスが跨った。

(あ!こうならないように二頭渡したのに…。いや…待て…ローブか…?跨るとローブが捲れるからか…!)

 アインズがとんだ誤算だったと眉間を抑えていると、フラミーとデミウルゴスは転移門(ゲート)から出てきた雪女郎(フロストヴァージン)に死体の回収を任せこちらへ向かいだした。

 

 到着したデミウルゴスの腰に手を回すフラミーへアインズは両手を伸ばした。

「フラミーさん、お疲れ様です。」

「はーい、アインズさんもお疲れ様です!」

 フラミーの手はデミウルゴスの腰をすべるように離れた。デミウルゴスが若干名残惜しいような顔をした気がする。

 フラミーは当然飛ぶこともできるので、乗り降りなど容易にできるが伸ばした手は躊躇いなく取られ、アインズはさっさと魂喰らい(ソウルイーター)からフラミーを降ろした。

 デミウルゴスも続くようにひらりと一人華麗に魂喰らい(ソウルイーター)から降りる。

 アインズからすれば、どうしてそれほど何事もカッコよくこなせるのだろうと羨ましくなるような動きだ。

(何というか自信をひしひしと感じさせる動きなんだよなぁ…。背筋を伸ばしているのがいいのか?)

 

 すると、デミウルゴスの唐突なる不愉快そうな視線にアインズは我に帰る。

 視線の先には自分より大きな狼の顎をこちょこちょと撫でるフラミーがいた。

「っあ!フラミーさん、これが王ですよ!?」

「やっぱり!王様が一番ふわふわなんですねぇ。アインズさんも撫で撫でさせてもらいました?」

 そういうフラミーの手は胸のもっさりと長い毛へ移動し、狼は恐縮したように撫で付けられ続けた。

 何か大事な話でもあるのかと思いきやフラミーはただ撫でたかっただけだった。

「っもういい!ルキース――だったか?お前はコキュートスともう行け!」

「っは!か、かしこまりました!!」

 ルキースは弾かれたようにフラミーの手から離れた。

 

 ルキースはコキュートスと防壁に向かい、側近との涙ながらの再会を果たし、どうやらまだ生きていられそうだと互いの生を喜びあった。

 魂喰らい(ソウルイーター)を支配する化け物――死の神と話し合いをし、国民の命を守った勇猛な王は戦士達から憧れの視線を向けられ、帰城した。

 その日、ルキースの城から国中へ報せが行き渡る。

 しかし、奴隷にされない補償がない併呑に「NO神聖魔導国」と何も知らない国民が抗議活動を行うという一場面もあった。

 それは、「戦争をして取り返せ」「若き腰抜けの王を引きずり下ろせ」と大いに加熱した。

 ――が、間も無く帰ってくる戦士達の話を聞くと、すぐさまそんな愚かな運動もなくなったようだ。実に二日あるかないかの攻防だった。

 ワーウルフ王国はワーウルフ州と名を変え、後に自分たちが三大国の中で一番に神聖魔導国に属した賢人だと他の二国へ向けて高笑いするが、それはまだもう少しだけ先のお話。




次回#22 満月の夜

勢力図いただきました!ユズリハ様にそろそろ金払うべきですね!!

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試される紫黒聖典 3-#1 旅立ちの準備 以来御身はおずぼーんを履いているようですね!

>骨の身の間は気にならなかったが、人の身の時はローブだとしゃがんだり立ったりする時に意外とはだけるのが恥ずかしかったのでこの旅にはパンツスタイルで挑むことに決めた。
>何故女性がああもスカートの中身を見事見せずに暮らせるのか不思議だ。

これまで骨チラしてたと思うとシャルちゃんとベドちゃんの鼻血の量がすごそうだ☆


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#22 満月の夜

 連邦議会は朝から盛り上がっていた。

 

 今頃孤立させられたデミウルゴスがワーウルフ達に噛み付かれ、痛みに悶えながら膝をついている頃だろう。

 大陸の半分を手に入れたら、まずは人間種の地位を家畜に落とす事から始めなければ。ビーストマン連邦の未来は明るい。

 

 ギードからの吉報を期待していた議場に残る議員達は、入ってきた最新のニュースを受け――静まり返った。

 状況を離れた場所から監視していた、議会に情報を持ち帰る事を指示されたヒプノックの部下達は報告を終えると皆がその場でさめざめと泣き出し、世界の終わりだと震えた。

 話を聞かされる者達の顔面は蒼白だった。

 やがて、議員達を代表するように一人の議員が叫んだ。

 あまりにも口を大きく開けたため、吼えるようになってしまったが、気にする余裕さえない様子だった。

「嘘だ!!そのような事あるはずがない!!」

 全力疾走した後のように乱れた呼吸を繰り返す。

 生き物は信じたいものを信じるのか、バンゴーは頷く。

「そうだ…あり得るはずがない…。そんな…魂喰らい(ソウルイーター)最低三百など…。こんなものが雪崩を打って攻めてくれば…連邦は…二度と立ち直ることなどできない…。」

「し、しかし…バンゴー様…。それでは…ヒプノック隊の見たものは…。」

「神王の…そう、そうだ…!人間の皮を被った時に使った幻術ではないのか?」

「なるほど!そういう事であれば大いに納得がいく!」

 泣いていたヒプノック隊は議員達の言葉にふっと笑った。

 その笑みに思わず笑みで返してしまった者達は、続く彼らの言葉で凍りつく。

 

「あれは幻術なんかじゃありません…。魂喰らい(ソウルイーター)の駆け回った後には、ワーウルフの絨毯ができあがったのですから。」

 

 議場に再び重い沈黙が訪れる。どれほどそうしていたのか解らないが、バンゴー議長はゆっくりと口を開いた。

「神王殿に…い、いや…神王陛下に…神聖魔導国への合併を願い出よう…。陛下のお国ではあらゆる種族の生を許して下さっているはずなのだから…。」

 反論する者などいるはずもなかった。

 

+

 

 アインズはまずは一国ゲットだと足取り軽く議場に帰った。

 同じ食物連鎖の頂点に位置する厄介者を取り除いたのだからかなり感謝されても良いだろう。

 ギード将軍が議員達と、議員ではないような身なりの者達に熱心に戦場での事を説明している背を愉快に眺めた。フラミーは授乳のため先に帰ってしまったので、デミウルゴスと二人で笑顔を交わした。

 

「アインズ様、次に向かうセイレーン聖国は男性の地位が低いようですので、もしかすると御身に不快な態度を取る者がいるかもしれません。」

「ん?そうか。私は一向に構わん。裏を返せばいつも侮られるフラミーさんを正しく理解する者達がいるということだ。」

 デミウルゴスは数度尾を振った。

「それはそうでございますね。素晴らしい事です。ふふふ。」

「そうだろう。ふふふ。」

 楽しげな笑い声をあげながら、アインズは過激派不敬警察を連れて行かないことにしようと決めた。

 

 そうこうしていると、議員達はアインズとデミウルゴスの前に寄ってきて、跪き、頭を下げた。

 これまでとは違う仕草だ。存分に感謝を感じる。

 今回、ビーストマン達の好感度ゲージ――ペロロンチーノがよくそんな単語を使っていた――は相当上がった事だろう。

 これで次にセイレーン聖国を手に入れたら、まずは魔導学院の設置をさせてもらい、小学校の設置を頼み、神聖魔導国にあるどんなものが食べられるのかを調査して、それから属国に――などと考えていると、バンゴー議長が非常に真剣な面持ちでこちらを見ている事に気がつく。

 

(こ、この目は――国民達の――。)

 

 絶対に変な事を言う。

 神として君臨し続け、これで夏を迎えれば約四年にもなるアインズは、覚えのある気配にまさかと背筋に汗が流れた。

(まだダメだ…ダメなんだ…。デミウルゴスが友好国だって言ったのに――!!)

「神王陛下、今更遅いとお怒りになるかもしれませんが、宜しいでしょうか…。」

 ダメです。そう言えたら世界はどれだけ素敵になるだろう。

 アインズはデミウルゴスを見ることも出来ず、現実逃避をやめ、微笑みとともに「言ってみなさい」と答えた。

「感謝を…。我々ビーストマン連邦は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国への併合を願います…。」

 ビーストマン達が手を胸の前で組む。

「………………やっぱり。」

 アインズは想定通りの言葉に思わず小さく声を漏らした。

 なんでいきなり合併なんだと、思わずバンゴーの額に手を当てたい気持ちになる。

 とりあえず重要な事をアインズ一人で決めるのはまずい。

 ここはデミウルゴスに任せるべきだ。

 アインズは言葉を選びながら慎重に口を開く。

「これ程重要な話を口頭だけで進めるのは危険だ。貴国は広いのだから。せめて文面に起こさねばな。なぁ、デミウルゴス。」

「は。心得ております。」

 デミウルゴスがごそごそと書類を取り出すと、え?準備してるの?とアインズは問いかけたくなるが、人の身にきちんと付けている鎮静化をもって何とか飲み込むことに成功する。

 先ほどまであった嫌な動悸はすっかり収まった。

(…人間で来るんじゃなかったな。でも、こいつらうちの国民と違ってアンデッドの体嫌いだからなぁ…。)

 アインズがどんな姿でいても諸手を挙げて歓迎してくれる神聖魔導国の国民達が恋しい。

 狂信的でどこか怖いが、アインズは国民を結構気に入っていた。

(……いや…これからはビーストマンも国民か…。)

 アインズは精神的な動揺は収まっているが、何で突然こんな申し出をしてくるのか解らないまま、隣で書類を見せ、難しい言葉を喋り続けるデミウルゴスをちらりと見る。

 デミウルゴスは実に爽やかな笑顔をアインズに返した。

 嵐の前の静けさ。

 この後デミウルゴスに「どうやってこんなに生き物飼うの!」と捨て犬を勝手に拾ってきた子供のように叱られる未来が見えると、アインズは再び現実逃避を始めた。

 

 逃避を続け、適当なタイミングで相槌を打っていると、デミウルゴスとビーストマンの間での長時間に及ぶ話は終わった。

 続きはまた明日神官も交えてと、デミウルゴスを連れナザリックに帰ったアインズは、ハラハラしながら第九階層の廊下を進んだ。

「…デミウルゴスよ。」

「は。」

 いつもと変わらない様子なのが逆に怖い。アインズは慎重に言葉を選んだ

「ビーストマンは降ったな…。」

「はい。これほどまでに早々と落ちるとは。このデミウルゴス、想像もしておりませんでした。」

 すみませんでしたと謝りたくなる。

 アインズは何が原因でこうなったか解らないが、デミウルゴスのカレンダーでは併呑はまだまだ先のはずなのだ。

 やはりアインズが何か余計な事をしたのだろう。

「…わざわざお前が色々と考えていたのに悪かったな。」

「いえ、滅相もございません。素晴らしいお点前でした。あの様な方法で、まさかニカ国いっぺんに心を打ち砕くとは思いもしませんでした。」

 今回ビーストマンの死者はゼロだ。

 ワーウルフは降らせるつもりではいたが、ビーストマンの心が打ち砕かれるタイミングは――何度考えても存在しない。

 あれこれ色々と言葉の意味を考えたが、アインズが叡智の悪魔へ送れる言葉はこれだけだ。

「……そうか。」

 アインズはデミウルゴスの発言の深追いはしない。

 彼ほどの智慧者に対し、下手に食い下がれば危険だから。

 

「はい。やはり私はまだまだアインズ様の足元にも及んでいないと痛感いたします。」

「そんな事はない。お前はいつでも私を超えている。」

 デミウルゴスから苦笑が漏れる。

「そのような。」

 二人はフラミーの部屋の前で立ち止まった。

「いいや。私はいつでもお前に助けられている。また、明日からも頼むぞ。」

 アインズはデミウルゴスに頭を下げられると、フラミーの部屋の扉を軽くノックしてから開いた。

 部屋の中では、また大きくなったナインズを抱くフラミーが二人へ手を振った。ナインズは自分の指を舐めながらフラミーの服を掴んでいた。

「二人ともおかえりなさぁい。」

 アインズはこの世でただ一人、言葉を全て理解し合える人に微笑む。

「ただいま。」

「帰りました。それでは、アインズ様、フラミー様、ナインズ様、私はこれにて。」

「あぁ、よく休め。」

 

 デミウルゴスは扉が閉まると、BARナザリックへ向かった。

 

 来客を知らせるように扉についた鐘がカランカランと軽やかに鳴る。

 そこにはアルベドとパンドラズ・アクター。

「帰ったのね。――その様子、まさかもうビーストマン連邦は降ったの?」

「ふふ。降ったとも。やはり、ビーストマン連邦へただ戦争を仕掛けなくて良かった。人口も減らなかったですしね。」

 デミウルゴスが得意げにメガネを押し上げ店内に入ると、パンドラズ・アクターは早く座ってじっくり聞かせろと言わんばかりに、アルベドと自分の間にある椅子の座面を叩いた。

「ワーウルフ王国でデミウルゴス様を攻撃、セイレーン聖国で父上に向かって魅了の歌を聞かせ――最後は父上が死亡させられたと噂を巻き戦争をする事になり併呑へ行き着くと思っていましたが…。噛まれました?」

「いいや、全く。アインズ様は以前、熱心に汚らしい地図をご覧になっていたんだけれど、どうやらそこから、あの地方の者達への決定的な切り札を導き出されたようでね。今日ワーウルフ王国とビーストマン連邦二ヶ国へ決定的な一手を打たれていたよ。」

 知恵者二名は口に手を当てそれぞれ思考を巡らせていく。

「――デミウルゴス様が旧竜王国でシャルティア様の影響力を高めて行くのを、使わない計画だと父上が切り捨てずにいたのは、この日のためでしたか。」

 突然のパンドラズ・アクターの発言に、ピッキーは「何の話?」と思わず顔を上げてしまった。

 しかし、知恵者達は「その通りだね」「素晴らしい手腕だわ」と通じ合っていたようだった。

 

+

 

  海の人(シレーナ)テルクシノエ、空の人(シレーヌ)ヒメロペー。

 二人の麗しき指導者――いや、巫女と言った方が正しいのかもしれない――は両手を胸の前に組み、宮殿中央にある水庭にて、大儀式を行なおうとしていた。

 

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 その場所は眩いまでの白さをたたえた大理石の床が広がり、中心には海の水を引き込んでいる真四角のプールがある。

 プールは満月を写し、青白く発光していた。

 辺りには水場を囲むように多くの海の人(シレーナ)空の人(シレーヌ)が男女問わずに並び控える。

 海の人(シレーナ)は二股に別れた長い尾鰭で、ナーガのように器用に立っていた。

 皆一様に胸の前で手を組み、祈るようなポーズをしている。

 それぞれの額には汗が光り、どんどん顔面は蒼白になっていく。魔力欠乏から起きる身体不調だ。

 ふと、水面に波が立つ。

 波は階段上にいる二人の巫女へ向かうように沸き立った。

 周囲に立つ者達が次々と膝をつき始めると、テルクシノエとヒメロペーは声を揃えて詠唱する。

 

「「<魔法上昇(オーバーマジック)>。」」

 

 それは膨大な魔力を消費する代わりに、本来であれば使えないはずの二つ上の位階魔法を無理矢理発動させる魔法だ。

 セイレーンは魔法が得意な種族で、巫女の二人は第五位階まで習得している。――とは言え、第五位階は死者復活(レイズデッド)しか使えないが。

 

「「<第七位階天使召喚(サモン・エンジェル・7th)>。」」

 

 その呼び声に応じるように、爆発的に光が広がる。

 輝きを纏う多くの翼を持つ最高位天使は二人の巫女の前に姿を現した。

「あぁ…なんてお美しいの…。」

 ヒメロペーの熱に浮かされたような言葉が響き、テルクシノエは最高位天使へ指示を出す。

威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)!ワーウルフを迎え撃つわ。共に来なさい。」

 

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)は煌めく光の軌跡を残すように二人に追従する意思を見せた。

 

「これで今宵は超えられる筈ですわね。」

「少しでも数を減らしていただきましょう。」

 二、三万のビーストマンが殺されたのではないか、その為アンデッドが湧いたのではないか、と言う報告があった日の翌日。

 セイレーン聖国と戦端を開いていた全てのワーウルフとビーストマンは撤退して行った。

 同時にワーウルフとビーストマン達の戦線も全てが解散した。

 これまで様々な場所に割かれていた兵力も初めて全てが国に帰ってきている。

 多くの実力者達を魔力欠乏へ追い込んでしまう為、これまで威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)を戦場へ投入できたのは片手で数える程度の回数だが、今は全ての戦線がなくなっているため踏み切った。

 

 セイレーン達はこの六日間、束の間の安らぎの日々を過ごした。

 両国の街の上まで飛ぶと集中的に射られる危険性がある為調査隊を出していないが、この静けさ。――二国の勝敗はついに決してしまったのだろう。

 

「ねぇ、テルクシノエ様。後は私が行きますから、あなたはどうか水中都市へ。」

「どうしてそのような事を?私達二人の歌がなくっちゃきっと抑えきれませんわ。」

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の力は凄まじいが、範囲攻撃というよりも、単体への攻撃に長けた存在だ。

 連れてはいくが、多くの数で乗り込んでくるであろう相手を前に、全てを任せられる戦力にはならない。

 それに、広い国の広い防壁の一箇所を完璧に守っても、他所が落ちれば無意味だろう。

「私達空の人(シレーヌ)は危なくなったら空へ上がれるけれど、海の人(シレーナ)は逃げ切れませんもの。だから、お願い。」

「――…嫌よ。地上が落ちれば結局水中都市だっていつかは蹂躙されてしまいますわ…。」

 水中都市の外海には海巨人(シージャイアント)やシー・ナーガ、シー・トロールがいる。

 急襲される時には陸に上がり皆で歌を歌い、空の人(シレーヌ)の空からの攻撃で何とか追い払っていた。

 セイレーンの敵はビーストマンとワーウルフだけではないのだ。

 特に海巨人(シージャイアント)は強く、かつてル・リエーから訪れていた半魚の行商人も皆馬車で地上を通っていたくらいだった。

 ちなみに海底石造都市ル・リエーの位置する場所は湾になっているため比較的安全だ。

 

 テルクシノエの透き通る海のような瞳は覚悟の色に染まっていた。

 なんと説得しようかと悩む様子のヒメロペーの手を取る。

「行きましょう。まずはこの夜を越えなくちゃ。」

 

 二人は多くの仲間と共に戦地になるであろう市壁へ向かった。

 

 その満月の晩、全てのセイレーンが強い覚悟を持ってワーウルフの襲来を待ったが、遥か美しい緑の野が広がるばかりで何も訪れることはなかった。




アインズ様、デミデミに怒られたことないのに怒られちゃうんじゃないかヒヤヒヤ可愛いね!

次回#23 閑話 亜人だらけ会議


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#23 閑話 亜人だらけ会議

 アインズはこの一週間ビーストマン州とワーウルフ州の後処理と、国内のちょっとしたいざこざ(・・・・)でいっぱいいっぱいだった。

 一度に二カ国もの大国を吸収したのは初めてで、大量の書類仕事に追われているわけだ。

 今アインズの目の前には、合併同意書、合併に関する話し合いの議事録、被合併国の持つ文化のまとめ、これまでの国家運営方法、これからの税金の徴収と施行の執行猶予、それぞれの州の州法、地名の変更による新たな地図など、関係書類がごまんと積まれている。

 

 神官達と死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も忙殺されていた。

 ただ、忙殺と言っても神聖魔導国は労働時間に非常に煩いため、皆定められた時間以上の労働はできないのだが。

 そんな中で、「もっと働かせてくれ」と言う者も多くいる。が、当然それを許す神ではない。

 

 余談だが、以前エ・ランテルのドワーフ街(トゥーンタウン)が完成した頃にフラミーと様子を見に行ったところ、殆どのルーン工匠は寝る間を惜しんでルーン技術の復活と発展を目指し、働きに働きまくっていた。

 彼らは建築や舗装の指導を行うこともあり、非常に忙しい。そこでアインズが定められた時間以上働くなと言ったところ、「ワシらは好きで働いとるんじゃ、ほっといとくれ」とえらい喧嘩になったものだ。

「もっと働かせてくれ!!」と髭面のちっこい山小人(ドワーフ)に迫られながらも、アインズは当然首を縦には振らなかった。

 その際にはこんなやり取りもあった。

「お前達がそれだけ働いていれば、周りの者も同じだけ働かなければと思うだろう!そうなったらどうだ!!世界には労働するために生きると言う地獄が訪れるぞ!」

「それのどこが地獄なんじゃ!!ワシらは陛下のために、ルーン技術の発展と向上のために、命を掛けたっていいんですじゃぞ!」」

「わぁ…守護者みたいな事言ってる…。でも皆さん、本当によく寝てよく食べてから働いて下さい。体を大切にして。」

「あ、は、はい。光神陛下、ワシらは別に体を粗末にしているわけではないんですじゃよ…?」

 山小人(ドワーフ)達は自分達を復活させたフラミーに非常に弱い。

「いいや、粗末にしてる。とにかく定めた時間以上は働くな。」

 そして大ブーイングだ。大企業の社長は辛い。

 

 今日も社長は書類に目を通して判子を押す。

 ポンっと小気味良い音がなると、床に転がっているナインズが口を開けてアインズの方を見た。

 床には複雑な模様の描かれた美しい絨毯が敷かれ、ナインズが遊ぶための場所になっていて、フラミーもそこで昼寝をしている。その上はもちろん土足厳禁だ。

 

「ふふ、かわいいな。父ちゃん働いてるぞー。」

 

 表情の崩れたアインズが労働アピールの後再び書類に目を通し始めると、ナインズはヴィクティムの頭上に輝く天使の輪を口に入れて遊んだ。

 ヴィクティムは柔らかくてお気に入りのようで、歯のない小さな口で、よくその腕にかぶりついていた。

 

「あぁ…本当にお可愛らしくて…私もあんな風に…。」

 隣に立つアルベドからほぅっと言う甘い吐息が漏れると、側で様子を見ていたセバスがジリリと身動ぎした。とは言え、流石に赤子を襲う統括ではない。

 ヴィクティムは恍惚の表情をし、でろでろに溶けていた。

 

 ナインズの、ともすれば鳴き声のような「あぅあ〜。あぁっ!」というお喋り(クーイング)を聞いていると、アインズはそれだけで仕事の疲れも吹き飛ぶようだった。ナインズ当番が一生懸命神話を読み聞かせている所だけが気掛かりだが。

 アインズが心温まるBGMに耳を傾けながら、解るような解らないような小難しい書類に目を通していると、ノックが響く。

 これまでお喋りをしていたと言うのに、ナインズは急に黙り細かい呼吸をした。

 フラミーも目を覚まし、やおら体を起こす。

「よしよし、アンデッド怖くないよぉ。」

 

 フラミーの言葉を聞きながら、アインズ当番に入室の許可を出す。

 来訪者はシャルティアだった。

 入室したシャルティアはいつもの漆黒のボールガウンのスカートを指でつまむと、片脚を引いて膝を曲げながら恭しく頭を下げた。

「アインズ様、フラミー様、ナインズ様、ご機嫌麗しゅう存知んす。」

「シャルティア、お前もな。それで、どうだった。」

「おかえりなさい。」

 フラミーに揺すられるのが嬉しいのかナインズはさっきよりも大きな声であぅあぅと再び喋り始めた。

 するとシャルティアは何も言わずにじっと過ごした。

 ナインズが喋っているため、シャルティアはそれが終わるのを待っているのだ。

 至高のお世継ぎの言葉を遮ることはできないと、守護者はナインズが喋っている間は許可を出さなければ喋らなかった。

 最初は何事かと戸惑ったものだ。

 

「シャルティア、ナインズの言うことは気にせずとも良い。さぁ、聞かせなさい。」

「それでは失礼しんして。――君命により行なっていたブラックスケイルの民の説得の御報告に参りんした。」

「そうか、ご苦労だったな。アルベド、こちらの仕事は後だ。シャルティアの報告を聞こう。」

 アインズは執務机から応接セットへ移動し、シャルティアに席を勧めた。

 ビーストマン連邦の併呑にブラックスケイル州は揺れていた。

 ビーストマンをどうして神が絶滅させてくれないのだろうかと納得いかない様子で、ビーストマン州には反神聖魔導国の勢力は現れていないと言うのに、悲しきかな国内から反ビーストマン勢力が現れてしまっていた。軽いデモのような真似も起こっている。

 あの州の民はシャルティアを強く信頼しているため、ビーストマンの新規参入の理解を求めようとシャルティアは奔走していた。

 シャルティアがいなければ一体どれ程大変な事になっていただろうか。

 恐らく、戦争を仕掛けビーストマン連邦のビーストマンを大幅に減らさなければ、抑えがきかずに大規模なデモ行進や暴動が起きていただろう。

 あの時、シャルティアの影響力を高めると言っていたデミウルゴスの働きが無駄にならなかった事にアインズは密かに安堵していた。

 

「やはりどの国民達も納得いきんせんようでありんした。旧竜王国と戦争していたビーストマン国はアインズ様が滅ぼしんしたし、ビーストマン連邦は無関係だと言って聞かせて来んしたけれど――心からそれを受け入れられたかは分かりんせんところでありんす。ただデモは今日で解散、表面上は分かったと言っておりんした。」

 

「暴動のような事にはならなそうだな。よくやったぞ、シャルティア。お前の存在はあそこの民を癒そう。悪いがまた暫くブラックスケイルの行脚を頼む。」

「かしこまりんした。それから、雑種が会談に臨めるスケジュールも聞いてきんした。」

「そうか。アルベド、シャルティアから日程を聞いてスケジュールを組め。」

 アインズの指示に従い、アルベドとシャルティアが日程の調整を始めるとアインズはその場を離れ、 幸せの園になっている絨毯に向かった。

 

 靴を脱ぎフラミーの隣に座る。

「休憩します?」

 フラミーに瞳を覗き込まれると、アインズの胸は小さく高鳴った。

「します。フラミーさん成分下さい。」

 手をしっしと振り、メイドやセバスに見るなと伝える。

 アインズがフラミーの柔らかな髪の中に手を絡ませるように頬に触れると、フラミーは数度恥ずかしそうに瞬きをしてから目を伏せた。

 鼓動が早まる。どうして何百回もしているのにいつまで経ってもこんなに心臓がうるさいんだろうか。

 アインズはそっと唇を触れさせた。

 満足すると離れ、二人して照れ臭そうに笑った。

 ふと視線を感じ、ちらりとそちらを伺うと、ナインズがヴィクティムをしゃぶりながら興味深そうにじっと見つめていた。

「……九太にもしてやる!」

 アインズはヴィクティムの手をナインズの口から出し<清潔(クリーン)>を掛けると、ナインズに髪の毛を掴まれながら、腹にこれでもかとキスをした。

 

+

 

 数日後、ブラックスケイルの城の玉座の間にはバンゴーとルキース、それぞれの州から数名の重鎮、神都から神官長達、アベリオン丘陵亜人連盟から亜人王と呼ばれる者達とその側近が揃っていた。当然、ドラウディロンと、宰相と呼ばれ続ける男も。

 かつて聖王国を襲った亜人王達は山羊人(バフォルク)の王"豪王"バザー、蛇王(ナーガラージャ)の"七色鱗"ロケシュ、獣身四足獣(ゾーオスティア)の"魔爪"ヴィジャー・ラージャンダラー、魔現人(マーギロス)の女王"氷炎雷"ナスレネ・ベルト・キュール、石喰猿(ストーンイーター)の王"白老"ハリシャ・アンカーラ、他にも"獣帝"、"灰王"、"螺旋槍"と呼ばれる名だたる者達が揃っていた。

 ちなみに聖王国を襲っていないオークの代表者ディエル・ガン・ズーと藍蛆(ゼルン)の王ビービーゼー、数名の丘小人(ヒルドワーフ)も来ている。この三つの種族はコキュートスと陽光聖典の亜人捜索隊によって一足先に神聖魔導国に降っていた。聖王国の復旧作業に大層尽力した亜人達だ。

 

 ルキースは、獣人の上半身と四足の肉食獣の下半身を持つ、鮮やかな黒い体毛に身を包む獣身四足獣(ゾーオスティア)のヴィジャーと互いの見事な黒毛を褒め合い、バンゴーは純白の長い毛を持つ猿にも似た石喰猿(ストーンイーター)のハリシャと縁側で将棋を指す老夫のような会話を繰り広げている。

 ドラウディロンは神官達に何か諌められている雰囲気だった。

 皆がガヤガヤと近くの者と話す。

 側近達もいる為かなりの人数の者が揃い、囁き声は重なり喧騒を生み出していた。

 しかし、扉が開かれると途端にしん――…と部屋は静まり、部屋にいた者は一斉に膝をつき頭を下げた。

 ただ、バンゴー達とルキース達は一拍遅れ、慌てて周りを真似た。

 

「アインズ様とフラミー様のご到着でありんす。おんしら、呉々もご無礼のないよう気をつけなんし。」

 シャルティアの宣言を以ってアインズとフラミーは現れた。

 

 アインズは真っ直ぐ空席の玉座へ向かい、座した。

 玉座を持つ者達は神聖魔導国に併呑されてからは玉座に座ることをやめている。

 フラミーが玉座の肘置きに座ると頭を下げている者達をゆっくりと見渡す。

「面を上げ、楽にせよ。」皆が慣れた様子で顔を上げると、慣れない新人達はおっかなびっくりに顔を上げた。「――皆、よく集まってくれたな。まずは礼を言おう。」

 骨の指で肘置きをコツコツと数度叩き、バンゴーとドラウディロンを交互に見た。

 

「さて、今日は他でもないビーストマンへの差別問題について話し合いたい。ここブラックスケイルでは、ビーストマン国との戦争が長きに亘って続いてきたが、その相手のビーストマン国は既にない。私が消滅させたからだ。だが、州民達はビーストマン連邦のビーストマンを受け入れられぬと、特にビーストマン国との戦線が近かった――現在黒き湖に近いところに住む者達は未だに抗議活動をしている。」

 

 それを聞くと亜人王達は信じられないとでも言うように互いの顔を見あった。

 聖王国を襲った亜人達は、種を保つのに必要な数まで大幅に数を減らされ、聖王国の国民ももうそれで許すと気持ちに折り合いを付けている。

 亜人達の他に、悪魔という憎む対象がいて――紫黒聖典の奔走の甲斐あってではあるのだが。

「私は悲しい。ビーストマンだから受け入れないというのは暴論だとお前達も思うだろう。」

 亜人王達は頷いた。そして、ハリシャが手を挙げる。

「言ってみろ。」

「ヒヒヒ。神王陛下、我々は街の復興を手伝いました。ビーストマンもそのようにされては?」

 アインズは口に手を当て一瞬考えた。

 しかし――「ダメだ。ビーストマン連邦はビーストマン国と無関係だと言うのに、人種が――いや、種族が同じだったと言うだけで他国の罪を背負う必要はない。それは間違っている。」

 続いてナスレネが四本腕の一本を上げた。

「ビーストマン国もビーストマンももう十分に罰を受けた…、であれば――ここはビーストマンを受け入れぬと言う愚かな者を断罪してしまってはいかがでしょうかのう。」

 それを聞いたドラウディロンはカッと顔を赤くした。

「何だと!!州民の感情も仕方のない事だろう!我々は食われ続けたんだ!その相手が自分達よりずっと多い人口で国に参加したんだぞ!?」

「おぉ、こわやこわや、雛っこがさえずるわい。ここの知事殿は短気じゃな。」

 ナスレネがくく…と笑うとバザーが咳払いをした。

「やめろ。無意味に煽るな。陛下方の御前だ。」

「バザー殿、私はナスレネ殿の意見に賛成ですな。何と言っても抗議活動をしている人間達は神聖魔導国の人権の法に触れているように思う。」

 七色の鱗を怪しく煌めかせてそう言うロケシュはかつて亜人連合軍十傑の総指揮官を貪食(グラトニー)より言い渡されただけあり、力だけでなく頭脳もある。

 あまり考えることが得意ではないヴィジャーも口を開く。

「俺は放っておけばいいと思います。エ・ランテル市に住む山小人(ドワーフ)土堀獣人(クアゴア)が時間を置いて勝手に和解を始めたと聞きましたぜ。」

「彼らは人口が少なかったですからねぇ。しかし、時が解決する場合もあるにはありますよね。」

 そう言った神官達は亜人王達とネーとどこか可愛らしく首を斜めにし合った。

 神官と亜人王の仲睦まじい姿はアインズが訪れる前のスレイン州の者達が見れば悲鳴を上げただろう。それだけ、神聖魔導国の者達は過去と折り合いをつけ、真っ直ぐ神の教えに従い意識を切り替えているのだ。

 

 その後、神官達と亜人王達が侃侃諤諤と議論を交わしていくが、どれも良いと思える案ではなかった。

 そして、ルキースの「そもそも今すぐ差別をやめさせる必要があるんで?」と言う言葉で議論は一時止まった。

 バンゴーは苦笑している。

 

 アインズはゆっくりと口を開いた。

「差別は始めれば、無理矢理やめさせなければ根が深まる一方だ。いつか差別していることにも気が付かぬ所まで行くだろう。次の世代の為にも差別の根は早々と断ち切らねばならん。――差別とは非常に気持ちがいいものだからな。」

 リアルでも様々な差別が横行していた。同じ人間種だったので一層たちが悪いといっても過言ではないかもしれない。

 

 神官達と亜人王達がうーむと悩むと、ドラウディロンも手を挙げた。

「陛下、我等旧竜王国民はビーストマンにほとんど全てを奪われたんだ…。どれ程の血が流れたかわからない…。…もちろん…悪魔も出てしまったが…。」

 アインズはフラミーの召喚した悪魔の話はまずいと骨の手を挙げる。

「ドラウディロンよ。悪魔のことは良い。」

「…陛下…ありがとうございます。」

「それより、ビーストマンに奪われたんじゃない。旧竜王国民の命を奪ったのはビーストマン国だ。ビーストマン連邦は関係ないと何度言ったら分かるんだ。」

「申し訳ありません…。しかし…私達には、ビーストマン国のビーストマンと、ビーストマン連邦のビーストマンを見分けることはできません…。」

「見分けが付こうが付くまいが、ビーストマン国にはもう罰を与えている。ドラウディロン、私はお前もブラックスケイルも特別扱いする気はない。他州のように過去は過去だとちゃんと割り切れ。ここをどこだと思っている。」

「は…。神聖魔導国です…。」

 人間国家間で戦争をすれば、相手国家を嫌っても人間其の物を嫌うことは無いだろう。

 ビーストマンが相手だと全く無関係なビーストマンすら嫌ってしまうなど、アインズから言わせれば「失望」の一言に尽きる。

 ここは全ての種族が手を取り合う"アインズ・ウール・ゴウンの国"なのに。

 

 アインズが不愉快げな仕草をすると、フラミーはそのつるりとした骨の頭を撫でた。

「アインズさん、今日は多分もう結論も解決方法も出ない気がします。食べられる側の人も少ないですし。」

「…そうですね。仕方ない。終わりにしましょうか。」

 アインズは困ったなぁと心の中で呟くと、立ち上がり、フラミーに両手を広げた。ふわりと浮かび上がったフラミーを抱えると、通達する。

「今日はここまでだ。今後降すセイレーン聖国はビーストマン連邦とワーウルフ王国に食われ続けて来た。そのセイレーン達も恐らく同じ問題にぶつかるだろう…。先に解決しておきたかったが――セイレーンを含めて再び会議を行おう。悪いがお前達には近いうちに再び集まってもらうことになるだろう。」

 

+

 

 その日の帰り道、バンゴーとルキースは本当に色んな種族がいましたねと、馬車の中で話をしながら帰って行った。

 同じ恐怖に当てられたビーストマンとワーウルフは、不覚にも仲間意識を感じており、仲良くできそうだった。




受け入れられなぁい
ふー、亜人王達全員出せたぁ

次回#24 使者の来訪


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#24 使者の来訪

 セイレーン達は戦争のない生活を堪能していた。

 

 ビーストマン連邦とワーウルフ王国はやはり一つの国家となったようで、互いの国をしょっちゅう使者が行き来しているのを調査隊が幾度も目撃している。

 恐らくいつかはビーストマンとワーウルフの連合軍が攻め入って来てしまうだろう。

 しかし、少しでも彼らの姿が見えれば、再び最高位天使の召喚を行うつもりだ。

 テルクシノエとヒメロペー、そして中でも力ある者達は儀式の水庭に詰め続けていた。

 時折調査隊が戻り、「変わりありません」と告げるのがここ数日の日常だった。

 

「もう戦争が終わっていたらどれ程いいかしら。」

 テルクシノエが呟くとヒメロペーも本当に、と微笑んだ。

「もし全ての戦争がなくなって、真実の平和が訪れたら…テルクシノエ様はやりたいこととかありますの?」

 テルクシノエはわずかに悩むと、ふっと笑いを漏らして語り出した。

「ヒメロペー様は…ここより遥か北西の地にアーグランド評議国と呼ばれる真なる竜王(ドラゴンロード)達と亜人が統べる地があると、かつて――もう一体どれほど昔か忘れてしまったけれど、沈黙都市を目指して立ち寄った旅の方がそう仰ったのを覚えてらっしゃいますか?」

 ヒメロペーは目を閉じ、記憶を探るようにしてからゆっくりと頷いた。

「覚えております。多くの亜人が手を取り合い暮らす、それはそれは素晴らしい国だって。」

「ふふ。そう、素晴らしいですわよね。確か人魚(マーマン)海蜥蜴人(シーリザードマン)も暮らしていると仰っていたわ。人魚(マーマン)海の人(シレーナ)に似ていると聞きます。だから、私、アーグランド評議国に行ってみたい。」

 その旅人が来たのは、もう何度月が昇って落ちたか解らない程に昔。

「まぁ…素敵。その時には私もご一緒させてくださいませ。」

 二人は訪れるはずのない日へ思いを馳せ笑い合った。

「あの時の旅の方はまだ生きてらっしゃるかしら。」

「あの方、沈黙都市からおかえりになれたの――きゃっ!何!?」

 ヒメロペーの言葉を遮ったのは、地響きだった。

 水庭の四角いプールが大きく波打ち、大理石の床にあふれた。

 ただ、地震とは違う。ただ一回。

 巨大なものが地面に落とされたかのようなたった一度の衝撃のような揺れだ。

 

「敵襲!?今すぐ魔力を!!」

 テルクシノエがいち早く叫ぶと慌てて周りのセイレーンたちから魔力が送られてくる。

 尻餅をついているヒメロペーを何とか起こし、二人で手を掲げる。

 宮殿内ばかりか、宮殿の外からも悲鳴が聞こえてくる。

(そ、そんな…!いつの間にこんなところまで…!!)

 テルクシノエは苦々しげな顔をし、歌い出した。魔力が集まるまで、少しでも魅了の歌を見えている空に向かって歌い、ここに敵襲が来るのを抑える。

 ヒメロペーも続くように歌いだした。

 

 歌を遮るように悲鳴が聞こえ続ける。

 一体どれほどの人数が悲鳴をあげているのだろうか。

 この神聖なる儀式の水庭において最も似合わない声を引き起こす者達に――鉄槌を。

 二人は大きく息を吸い、召喚を行う。

 

「「<魔法上昇(オーバーマジック)>・<第七位階天使召喚(サモン・エンジェル・7th)>!!」」

 

 太陽が顕現したと思えるほどの光が満ちた瞬間、水庭への扉がけたたましい音を立てて開く。

 そして、入ってきた海の人(シレーナ)が蒼白の顔で叫んだ。

 

「テルクシノエ様!!ヒメロペー様!!(ドラゴン)です!(ドラゴン)が宮殿前に降り立ちました!!」

 一瞬間の抜けた空気が流れた。

 言葉の意味が即座に理解できない。いや、理解できようはずもない。

 この同胞が嘘を吐くはずがないと解っていても、意味不明だった。

 まだ五万のビーストマンが現れたと言われた方が納得がいくだろう。

「はい?」「なぁに?」

 しかし、事実振動は起き、今も悲鳴が上がっているのだ。

 ヒメロペーはテルクシノエを抱えると空に向かって飛び上がった。

 威光の主天使(ドミニオンオーソリティ)と、魔力欠乏を起こしている手練れの者達もふらふらと飛び上がる。

 

 そして、宮殿の外に鎮座する黄色い竜を見ると皆が口をあんぐりと開けた。

 強固な鱗に包まれた強靭な肉体に、セイレーンを遥かに超える寿命。

 様々な特殊能力や魔法を持つ竜といえばこの世界最強の存在だ。

 冒険者に退治される例も事欠かないが、それと同じくらい怒れる竜によって滅ぼされた都市や国家も存在してきた。

 おおよそ三十年前に南方のある国の一都市が滅ぼされてしまったことは記憶に新しい。

 そんな存在が街のど真ん中にいるというのはとんでもない非常事態だ。

「な、なに…!なんで竜がいるの!!」

「まさかアーグランド評議国が援軍を?噂をすれば影?」

「あり得ませんわ!向こうに何のメリットもありませんし、何よりここを知っているとも思えない…!」

「と、とにかく敵対者なら威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)に戦っていただきましょう!」

 ヒメロペーは後ろについてきている天使へ振り向いた。

 

『えっと、皆さん聞こえますか!?あたしは神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国からの使者、アウラ・ベラ・フィオーラです!』

 

 このタイミングでとてつもなく大きな声が響き渡った。

 竜へ目を凝らせば、その背には二つの小さな影が乗っていた。

 影は日に焼けたように黒い肌の子供だった。

「あれは――闇妖精(ダークエルフ)…?」

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国…闇妖精(ダークエルフ)と竜の国?」

 

『この国と戦争をしていたビーストマン連邦と、ワーウルフ王国はあたしたちの国の王、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が降し、神聖魔導国の一部となりました!アインズ様はとっても慈悲深い御方なので、この国との戦争はおしまいです!』

 おぉっと歓声が上がる。

 闇妖精(ダークエルフ)なんてこの辺りでは見たこともなかったが、竜を連れるこの部族なら確かにあの生き物を下せるのかもしれない。

「素晴らしいわ…こんなことが起こり得るの?」

「停戦協定を結んだ暁にはお礼を何か用意しなくちゃいけませんね。」

 二人は幾らくらいが妥当だろうかと考える。

 あまり、安い金額を渡しては借りになってしまい、これから始まるであろう近所付き合いに支障をきたすだろう。

 

『そこで、セイレーン聖国にも神聖魔導国へ降って欲しいとあたし達の王様は言ってます!ここで一番偉い人は今すぐに出てきてください!』

 停戦協定を結びに来たのではないのかという驚愕に二人は目を見合わせた。礼金を寄越せと言われる方が簡単だ。

 

『――そこの天使連れてる人達かな!』

 ビッと指をさされると二人の背には僅かに何か名伏しがたい感情が這い上がった。それは、何故か恐怖に似ていた。

 竜が恐ろしいのはわかるが、目の前の子供は非常に整った顔立ちをしている以外、本当にただの子供だ。

 今一瞬感じた物がなんだったのか分からないまま、二人は歌うように声を張り上げた。

「セイレーン聖国、海の人(シレーナ)。テルクシノエ!」

「セイレーン聖国、空の人(シレーヌ)。ヒメロペー!」

 

+

 

 数日後――。

 

 静かな大地には春時雨が降り、晴れたり止んだりを繰り返し、霞が立っていた。アインズとフラミーはアウラとマーレを連れてセイレーン聖国へ向かっていた。

 シャルティアはブラックスケイル州、コキュートスはワーウルフ州、デミウルゴスはビーストマン州と、守護者は殆どが出ずっぱりだ。

 ナザリックはアルベドとパンドラズ・アクターが、どちらの方が早くナインズの目の前でルビクキューを全面揃えられるかと言う勝負をしながら守っている。これは現地の者からナインズヘ送られてきたおもちゃだ。今日もナザリックは平和だった。

 

 フラミーは久々の馬車から楽しそうに外を眺めていた。

「セイレーンは何を食べるんでしょうね?」

「雑食ですかね?なんでも食べると良いんだけどなぁ。」

 アインズのそれを聞くと、アウラはふんっと鼻息を漏らした。

「アインズ様とフラミー様がなんでも食べろと仰るなら、そうするべきだと思います!」

「だ、ダメだよお姉ちゃん。不満が出ないように統治しないと…。」

 そう。恒久的な税金になってもらうには結局良い統治がベストなのだ。

 アインズは向かいに座るマーレの頭をさらりと撫でた。

 

 兼ねてよりアインズの中で危ぶまれていたビーストマンとワーウルフの食料問題は、黒き湖での養殖がうまくいっている為、意外にきちんと回っていた。

 当然国内だけでは賄えず、亜人がわんさかいるアーグランド評議国や都市国家連合から輸入もしている。

 こう輸入量が多くなると霜の竜(フロストドラゴン)だけでは運送屋が足りず、骨の竜(スケリトルドラゴン)の配備が進んでいる。

 

 アインズのスキルである<下位アンデッド創造>で骨の竜(スケリトルドラゴン)は一日二十体制作されている。

 ただ、骨の竜(スケリトルドラゴン) では霜の竜(フロストドラゴン)のように冷凍便とは行かず、国外から加工肉を持ち込むときには相変わらず霜の竜(フロストドラゴン)が運ぶのがベストだった。

 一方国内の畜肉業者の下には出稼ぎに来ている霜の巨人(フロストジャイアント)がおり、日々肉を凍らせていた。

 

 余談だが、<中位アンデッド創造>では一日十二体のアンデッドを制作できる。今回活躍した魂喰らい(ソウルイーター)達は普段陸の輸送を行っているため、神聖魔導国を歩いていれば普通に見かける。

 街と街、州と州を繋ぐバスとしても活躍していた。

 戦いの日には国中の運送業が一時停止したが、前もって通達されていた為文句を言う者はいなかった。

 

 そうして相変わらず大量に死体を使っていると、アインズは再びいつか死体不足が発生しかねない言う問題に直面した。

 

 苦肉の策として、死んだ者はこれからは墓ではなく神殿に持ち込むと言う法を定めた。

 闇の神が魂を救済・供養し、光の神が新たな命を与えるという名目で神殿での死体受け入れを始めたところ、すぐさま死体の持ち込みは始まり、中には墓を暴いて死体を持ち込む者達も出た。

 信じられないことにデミウルゴスからの進言によって「供養料」も取っており、死体も貰って税金ももらうなんて、アインズは少し詐欺みたいだなと思う。

 ちなみにそれに伴い神殿の隣に霊廟の建設も始めた。持ち込まれた死体は日中そこで保管され、一日の終わりに第五階層へ持ち込まれる。

 

 これだけうまく回っている神聖魔導国だったが、アインズには一つ気がかりな事が増えた。

 それは「神様として供養や輪廻転生を行なっている」と遂に自ら国民へ発信することになってしまった事だ。

(これで死体問題は一気に解決だけど…ある意味別の問題が更に深刻になったな…。)

 自らの手で首を絞めるスタイルに苦笑せずにはいられない。

 

 馬車がしっとりと冷たい春の霞に包まれて進んでいると、巨大な防壁が現れ、全てを拒絶するかのようにぴたりと閉まっていた扉はゆっくりと開かれていった。





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わーい!セイレーンいただきましたぁ!

次回#25 セイレーン聖国

昨日の夜、iPhoneを新しいverにアップデートしたら全角スペースが打てるようになったぞぉ!やったー!(余談


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#25 セイレーン聖国

 街に入れば、真っ白な建物が立ち並ぶ眩しい景色が広がっていた。

 建物の屋根は全て緑――いや、植物が生えている。

 空の人(シレーヌ)が止まりやすいようにしているのだろう。

 建物の壁には屋根から覆いかぶさるように蔦が下りてきて絡まり、不思議な赤い実を付けていた。

 

 色取り取りの空の人(シレーヌ)達がこちらを観察しようと屋根に止まり、首を伸ばしている。

 中には海の人(シレーナ)を抱いている者もおり、姿形は違えど強い連帯感や仲間意識を持っていることが伝わってくる。

 他にも水面から顔を出して様子をうかがう者や、空の人(シレーヌ)の乗る小舟を押す海の人(シレーナ)もいた。

 深い所は蒼く染まっているが、どこも光を通す程に澄んでいて、小舟はまるで空に浮かぶようだった。

 

 馬車は先導するセイレーン達を追うようにふくらはぎ程度の深さの水をかき分けていき、空を映す水面を揺らした。

 地面は一面が白いブロックタイルで舗装されていて、いっそ巨大な鏡のようにも見える。

 水の中にはまるで低木の街路樹のように珊瑚が道を囲んでいた。

 

 フラミーは馬車の窓を開け、透き通った水面を覗き込む。そこには小魚が群れをなして、光を反射し煌めいていた。

「わぁ!綺麗!」

 床上浸水する街には海上都市で見た上半身が魚の半魚人達もおり、「あ」という顔をする者もいた。海上都市でアンデッドと共に行動し悪目立ちしていたフラミーを覚えている者もいるのかもしれない。

 身を乗り出してしまいそうなフラミーは興奮しているようで、翼がわさわさと揺れていた。

 アインズが双子に迷惑がかからないように翼を抑え、撫で付けていると揺れていた翼は大人しくなった。

 

「そろそろ馬車は無理か、浮きそうだな。」

 気付けば馬車の中にも水が浸入を始めていた。扉が開かなくなる前に降りた方がいいだろう。

「あ、アインズ様、あの、降りますか?」

「そうしよう。さぁ、フラミーさんも降りますよ。」

「はーい!」

 それを聞いたマーレは急ぎ扉を開き、アウラと共にぴょんと外へ出た。

 水が跳ねる音が鳴ると、「舟もご用意がありますが」と告げるセイレーン達の声が聞こえる。

「じゃ、アインズ様達の御御足が汚れないように舟出して!」扉の外で張り切るアウラは言い切ると、馬車の中の二人へ振り向いた。「――アインズ様、フラミー様、少しお待ちください!」

 アウラの伸ばしかけの髪の毛が一瞬風でさらりと流れた。髪は肩口程度まで伸び、少年のような愛らしさの中に、女の子らしい魅力を感じさせるようになった。

 アインズは微笑み、任せるとでもいうように数度頷いてみせる。

 程なくして、馬車に舟が横付けされた。

 

+

 

 半水没都市スァン・モーナ。

 昔いた凄まじい歌の力を持った指導者二人の名前を取って付けられたその地はセイレーンの誇りと絆そのものだ。

 スァンナーリーといえばそれはそれは美しい空の人(シレーヌ)だった。モーナーは屈強な男性の海の人(シレーナ)だった。彼は最初で最後の男性指導者だ。

 

 セイレーン達はビーストマンとワーウルフを降したと言う王に興味津々だった。

 王が乗っていると思われる宮殿へ向かう馬車は多くの目に晒されて進んでいた。

闇妖精(ダークエルフ)!こないだ来た闇妖精(ダークエルフ)が降りた!!」

 まだ幼さの残る海の人(シレーナ)の少年ライドネーは、同じく海の人(シレーナ)の少女テレースと、空の人(シレーヌ)の少年ラーズペール、少女レウコシアを手招いた。

「本当にあんな弱っちそうな種族の王があいつらやっつけたのか?」

「違うって!やっつけたのは竜だもん!」

 声変わりを迎えていない高い声がきゃんきゃんと響く。ラーズペールの反論にライドネーはなるほどと相槌を打った。

「テルクシノエ様が前に歌って下さってた評議国の人達なのかな?」

「でも神聖魔導国だってヒメロペー様が言ってたよ?」

レウコシアの疑問にテレースが答える。

「神聖魔導国なんて聞いたことないね。」

「どんな国なのかなぁ。」

「きっと竜がたくさんいるんだぜ!」

「違うよ、竜は一匹で闇妖精(ダークエルフ)だらけなんだよ!」

 子供達は水に体を浸し、顔だけを水面から出して好き勝手噂しあった。

 馬車に舟が横付けされると、中からは流星のように輝く銀色の髪を靡かせる人間が顔を出した。

 誰かの夢から出てきたと言われれば納得してしまいそうな程の圧倒的な美しさは、どこか作りものめいてすらいる。

「あわぁ…。」「はぇ〜…。」

 女子の熱に浮かされたような声に男子がつまらなそうな顔をした。

「あれが王様?羽も鰭もなくて、てんで弱っちそう。」

闇妖精(ダークエルフ)じゃないから王様じゃないよ!」

 王は舟に片足だけを乗せると何かの手を引いた。

「ん?あれはなぁに?」

「なんだろう?」

「今度こそ闇妖精(ダークエルフ)?」

「静かに!出てくるぞ!」

 その手はまるで夜明けの空のような浅紫色に染まっていて――その姿が露わになるとセイレーン達は絶句した。

 光の軌跡を残すようにすら見える五対の翼はどんな空の人(シレーヌ)の持つものよりも美しく、目眩を感じる程だった。

 先導していたセイレーン達もあんぐりと口を開けてその人を目で追った。

 

「あのお方がきっと王様よ!女王様!人間は…ペット?」

 女の方が力を持つセイレーン達は確信した。

「あんなに綺麗なもの、もう二度と見れないかも…。」

「すんげぇ翼ぁ…。信じらんねぇ…。」

 平凡ないつもの街が別世界のようにすら見える。

 女王は手を引かれて舟に座ると、ふと水に手を浸し、正面に座る人間に向けて水を掬うように掛けた。

「っあ!人間が粗相をしたんじゃない!?」

 あの美しい人間が食べられてしまうと一瞬のざわめきが起こるが、人間も挑戦的な顔をすると女王に水を掛け返した。

 おかしそうに笑う二人の上には小さな虹がかかり、舟の後ろをついて歩く闇妖精(ダークエルフ)達は祝福されるようにそれをくぐった。

 じゃれ合いが終わると人間は濡れてしまった女王の顔や翼を丁寧に拭き上げた。まるで国の最秘宝を磨き上げるような優しい手付きだった。

 どんどん離れ行く背を見送る。

 その頃には全てのセイレーンはあの二人への認識を改めた。

「王様と女王様は仲良しなのね。」

「女王様はきっとすんげー強いぜ!」

 王と女王の噂は国中を駆け巡った。

 

+

 

「よくぞいらっしゃいました。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、神聖フラミー・ウール・ゴウン魔導王妃陛下。私はテルクシノエ。」

「セイレーン聖国はお二人を歓迎いたします。私はヒメロペー。」

 初めて聞くフラミーの呼び方だった。

「もてなし感謝する。テルクシノエ殿、ヒメロペー殿。」

「こんにちは。お邪魔しますね。」

 

 目の前に座る二人のセイレーンは実に美しかった。そして優雅だ。

 身に付ける物のセンスも人間の感覚とそう乖離しておらず、へそから下にスリットが入ったドレスは魔法の力を感じさせる。

 この国の者達は微弱に魔法の力を感じさせる服を着ていた。

 恐らく水がこれだけ近い生活をしている故、魔法の装備でなければ水を吸い重くなったり透けたりしてしまうのだろう。他にもブラジャーの様なものしか身に着けていない者、――全裸の者もいた。

 デミウルゴスから全裸の者の報告がなかったのは、おそらく局部が鱗や羽毛で隠れているためだろう。

 フラミーは「毛の生えていない生き物全般」の露出を許さない。

 アインズとデミウルゴスは初めて牧場を訪れた時のトラウマを抱えていた。

 あの時も局部を隠す事で対応したし、フラミーも特別セイレーン達に不快感を露わにはしなかった。

 ワーウルフ達もズボンは履いていたが上半身は革の硬いベストのようなものを着ている程度だったし、亜人達は露出が多いことがままある。

 

 

 アインズは何となくヘソから下のスリットを見れなかった。

 この二人はパンツを履いていないのだ。

 羽毛に包まれた鳥の足でも、鱗に包まれた魚そのものでも、極力視線を下げないように、アインズはまっすぐ二人を見つめた。紳士の嗜みだ。

 

 テルクシノエとヒメロペーと真っ直ぐ目が合う。

「さて、我々も忙しい合間を縫って時間を作ったのだ。できれば無駄な時間――持って回った言い方やおべんちゃらを言うことなく、腹を割って話しを進めたいのだが、異論は?」

「何一つとしてございませんわ、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。」

「…それでは長かろう。私のことは神王と呼んでくれ。それから、フラミーさんの事は――」アインズは隣で微笑む誰よりも美しい妻に振り返った。「――何て呼ばれるのが良いですか?」

「あ、フラミーで大丈夫です!」

「フラミー陛下ですわね。」

テルクシノエが頷くと、ヒメロペーはおずおずと手を挙げた。

アインズはどうぞと軽く手をあげ促す。

「申し訳ございません。早く話を進めようと神王陛下は仰ったばかりですが――」

 何事かと目を細める。アインズは王らしい動きで腕を組んだ。

「あのう、フラミー陛下はお美しくって、私、ふふ。ドキドキしてしまいますわ!その翼、キメ細かい毛並みも、その真珠のような光沢も…風切り羽の大きさも、ラインの美しさも、どうしてそんなに素敵でらっしゃるの?足首のちっちゃいのまでお綺麗なんて、ふふっ。女神様みたい!」

 きゃー言っちゃったー!と頬に手を当ていやんいやんと顔を振る様は愛らしい。アインズの中でヒメロペーの好感度は急上昇した。

「えっ、そ、そんなことないですよ!」

 フラミーが照れ臭そうに手を振るとアインズは片眉を上げた。

「そんなことない?何言ってるんですか。」

「そうですわ!何をおっしゃっるんです!」

「そうですよ、フラミー様!」「そ、そうです!」

「え、ええ!?なんで!?皆どしたの!?」

 フラミーは元CGの凄さを痛感した。もはや皆何か魅了の魔法にかかっているのではないかとすら思う。

 

 

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「ヒメロペー殿。フラミーさんは美しいだろう。この人は君の言う通り女神なんだ。誰よりも優しく思いやりがある。素晴らしい女性でな――」

 アインズはドヤ顔でフラミーの良いところを朗々と語り出した。

 この男にフラミーを語らせると長い。

 忙しいと言ったくせに「まぁ!」だの「素敵!」だのと相槌を打つヒメロペーを前にその語りは進むばかりだった。

 フラミーは突然始まってしまった嫁自慢をやめさせようとアインズのローブから垂れている細い帯をビンビン引っ張った。

「アインズさん、アインズさんったら!」

「しかもフラミーさんは――え?なんですか?」

「もうおしまいにしてくださいよぉ。」

「まぁ…もうおしまいですの…。」

 アインズも何故かヒメロペーも不完全燃焼だった。しかし、忙しいと言った手前このくらいにするかとアインズは切り替えた。とにかくヒメロペーはいい奴だ。

 

「…んん。それでは、改めて問おう。私とフラミーさんの統治する神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国にセイレーン聖国も降って欲しい。」

 

 さっきまで盛り上がっていたヒメロペーは指導者の顔をし、テルクシノエと頷きあった。

 

「申し訳ありませんが、それはできません。」

 

「何?」




あらー!ヒメちゃん、レイナース系!
兼ねてより「惚気イベントはないんですか」と言われていたのをここで消化する!

次回#26 鳥達のさえずり

可愛いわねー!ざわめきの鳥さんいただきました!

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いろんなパターンの鳥と魚もいただきました!
©︎ユズリハ様です!

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#26 鳥達のさえずり

「申し訳ありませんが、それはできません。」

 

「何?…それはできないとは…我が神聖魔導国には降れない…。貴殿らはそう言うのかな。」

 

 テルクシノエはこの世で最も荒事と無縁そうな美しい王の瞳の中に炎の揺らめきを見た。

「はい。今すぐ降るとお答えすることはできません。」

「…考える時間は十分に与えて来たつもりだが、それは何故かな。」

「私達は――大変恐れながら、神聖魔導国を見たことがありませんわ。それに、評判を聞いたことも…。」

 テルクシノエの言葉にヒメロペーも続ける。

「特に貴国にはもうワーウルフとビーストマンもおります…。このまま、神聖魔導国に併合され、奴隷にされたり、畜肉として扱われるようなことがあっては、私達は…。」

 二人は――いや、周りにいるセイレーン達は生傷に触れられたように苦しげな顔をして黙りこくった。

 国としてそう扱わないと言われたとしても、法の目の届かないところで違法畜肉業者や違法奴隷商にそうされてしまう者が出てしまう可能性だってある。

 

 神妙な顔をして話を聞いていた神王は頷き、口を開いた。

「なるほど。なるほど。我が国もまだまだだな。それは失礼した。では、お見せしよう。」

 そう言い手を差し伸べる。

 この王はつい手を取りたくなるような圧倒的なカリスマ性がある。しかし、それを取ることはできない。

「重ね重ねで申し訳ありませんが、私達はここを離れる事は出来ませんわ。ワーウルフとビーストマンの脅威がなくなったとは言え、我が国の南に遥か広がる海に住む魔物達はいつもこの地を虎視眈々と狙っておりますから…。」

「特に歌に力を持つ私達がここを離れでもすれば、帰ってきた時にセイレーン聖国がないなんてことも…ありえますもの…。そんなの耐えられません…。」

 徳俵に足がかかっていることには違いない。

 テルクシノエは竜を貸してくれないかなと少しだけ思う。ヒメロペーも恐らく同じように思っているだろう。

 しかし、海巨人(シージャイアント)が波を打って攻め込んでくれば、可愛らしい子供に使役されてしまうような程度の強さの竜ごとき一体では太刀打ちできないだろう。

 

 ふぅ、と無情なこの世の理にテルクシノエがため息を吐くと神王が「では」と声を上げた。

 

「その攻め込んで来る者をひとまず討伐か征服して来よう。相手はなんだ?場所は知っているのかな。」

 竜を従えることができる者は気楽なものだ。

「……相手は海巨人(シージャイアント)、シー・ナーガ、シー・トロールですわ。」

「彼らは深い海域に暮らし、とても人や竜が行けるような場所には暮らしておりませんの。」

「ん?海にもトロールがいるのか。どうせ名前が長いだの短いだのと言うんだろうな…。討伐で良いか…?いや、全種コンプリートと思えばやはり征服が正解か…?」

 神王がぶつぶつと一人何かを言い始めると、フラミーが口を開いた。

「テルクシノエ様とヒメロペー様はアンデッドをどう思います?」

 ヒメロペーはフラミーが自分に話しかけた事に嬉しそうに頬を染めたが、テルクシノエは突然のその言葉の意味がわからず何と答えればいいのか悩んだ。

(どう思うとは…?好きな者などこの世にいようはずもないし…なんとお答えすればいいの…?)

 目の眩むような輝く瞳に見つめられ、つい悩みすぎていた事に気がつき、失礼になってしまうと慌てて答える。とにかく常識でもいい。

「…命あるものの敵でございますか…?」

 

 フラミーもなにかを悩むようにした。そして、瑞々しい唇は再び動きだし、両手は何かを掬い上げるように持ち上げられた。

「命あるものの敵のアンデッドもいますけど…、この世に生がずっと先の未来まであり続けることが出来るように、世界を守る優しいアンデッドもいるって言ったら、信じてくれますか…。」

「フラミー陛下がそう仰るなら、いますのね!」

 明るい声を出すヒメロペーの前に手を挙げ、黙らせる。

 何か重要なことを伝えようとしているという事がテルクシノエには分かったのだ。

「生があり続けるように…世界を守る…でございますか?」

「そうです。信じてくれますか…?」

 嘘を言う人ではない気がした。

 まだ会って大した時間は経っていないが――それでも、何故だか目の前の人はひどく無垢に見え、「女神だ」と神王が言った、なぞらえただけの比喩の言葉が何度も頭の中を駆け巡った。

 

「……信じます。」

 

 フラミーはニコリと笑うと、神王の目の前へふわりと浮かび上がった。

 その浮かび方は、空の人(シレーヌ)とはまるで違う、翼を動かす浮かび方ではなく、魔法の力を感じさせるものだった。

 そして、王を優しく抱きしめた。

「あなた。私はここで待ってますから、テルクシノエ様と行ってきて下さい。」

「わかりました。何だかありがとうございます。ちょっと働いてきますね。」

「はい。気をつけて下さいね。」

「あなたも。早く終わらせて戻りますよ。」

 二人は頬を軽く擦り付けあってから離れた。

 

「テルクシノエ殿。地上にはフラミーさんと双子を置いていく。共に海へ出てほしい。」

「…あの…人には――」言いかけ、まさかと神王を見ると――神王はまるで違うものになっていた。

 頭蓋骨むき出しの顔。両の目には赤い輝きが――人の瞳の奥に揺れていた輝きが――灯っていた。

 まさにアンデッドと呼ぶにふさわしい外見だ。

 おぞましいはずの目の前の存在だが、フラミーの言葉のせいか、不思議と恐怖を覚えなかった。いっそ――神々しさすら感じられる。

「ま…参りますわ…。」

「助かる。」

 

 そして、神王は唱える。

 

「<第十位階死者召喚(サモン・アンデッド・10th)>。」

 

 言葉が染み込んだ瞬間全身の筋肉がみるみるうちに冷え固まっていく。

 足元から背筋へせり上がる震えは竜に見込まれたネズミが命を奪われる瞬間に感じるようなものだった。

「第十位階!?嘘だわ!!そんなものがこの世にあるわけが無い!!」

「ありえない!!そんなものを使えるとしたら、神王陛下は――!?」

 恐ろしい。人が考えられる範疇にいない存在。超越者。

 ――よもやこれが「神」と呼ばれる存在かと心の底から悟る。

 神王の隣にいるフラミーと、今呼び出されたばかりの見たこともないアンデッドの事も忘れ、その場にいた全てのセイレーンは超越者に釘付けになった。

 

破滅の王(ドゥームロード)よ。これより海へ潜る。共に来い。」

 錆びついたような王冠を戴き、血色に染まるマントを羽織る者は恭しく頭を下げた。身に付ける全身鎧(フルプレート)の隙間からは僅かづつ黒い靄が漏れ出ている。

「畏まりました。我が神よ。」

「アウラ、マーレ。私はこれを連れて行く。お前達はフラミーさんの側にいろ。何かが起こるような事があればナザリックへ帰還して良い。」

 

 闇妖精(ダークエルフ)は逡巡してから頷いた。

 

+

 

 フラミーは水中都市に最も近い場所でヒメロペー、双子と共に、アインズとテルクシノエを見送った。

 腰まで水に浸かって、ローブは海に吸い込まれるようにふわりと波に揺らされた。

 大したものはいないだろうが、何かがあれば第四階層の地底湖に眠るゴーレムの守護者――ガルガンチュアを起こし送り込めば良い。不安はない。

「行きましたね。」

「はい。…フラミー陛下は神王陛下を本当に愛してらっしゃるんですのね。」

 ヒメロペーの頬には妖精の足跡のような小さなえくぼが出ていた。フラミーははにかんだ。

「私の全て――いえ、半身なんです。」

 今のフラミーにはナインズもいる。アインズを全てと言うのは些かの語弊があるだろう。

「素敵なことです。私、中々男というので気にいる者はおりませんの。」

「あらぁ…ヒメロペー様程美人だったら、中々釣り合う人もいませんよねぇ。」

「フラミー陛下ったら。あまり美しい方がそう言っては嫌味になりますのよ。ふふ。」

 二人は子供同士のように、胸の周りから起こる小波に任せ笑った。

「私、陛下なんて付けてもらわなくっても大丈夫ですよ!」

「でしたら、私のことも様なんておやめになって下さいまし。」

「ヒメロペーさん。」

「フラミー様。」

 二人の間を吹き抜けた海からの風は友達の始まりの匂いがした。

 

「さぁ、フラミー様!神王陛下とテルクシノエ様がお帰りになるまで、宜しければ私が街をご案内いたします!」

 ヒメロペーは翼を大きく広げ数度羽ばたかせた。

 その周りには小さなつむじ風が巻き起こり、魔法の力と物理的な力が混ざりあうような様子だった。

 フラミーも翼を広げるとふわりと浮かび上がり、走って付いて行こうとする双子へ指差した。

「<集団飛行(マス・フライ)>。」

 礼を言う双子に笑いヒメロペーを追って飛んだ。

 

 降りた先でフラミーは恍惚に「ああ」と声を上げた。

 服屋があった。

 ショーウィンドウに貼られた窓ガラスは技術が未熟なために歪みがあるせいで、静かな湖面のように揺らめき、飾られている服が水中に沈められているように見えた。

「ご覧になっていかれます?」

「良いですか?」

「それはもう、もちろん!」

 双子がさっと店内に入り、危険の確認を行う。

「フラミー様は国宝のようなお洋服をお召しになってるのに、こう言う普通の服もご覧になりますのね。」

「私こう言うのしか持ってないんです。良いなぁ。ここって神聖魔導国硬貨は使えないですよね…?」

「ふふ、羨ましいお悩みです。硬貨でしたら私が両替いたしましょう。」

 フラミーは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から取り出した――冒険者をしてた時以来ほとんど使っていない財布の中をちらりと覗いた。

 その中にはモモンガの紋章とフラミーの紋章がそれぞれ片面づつにデザインされた白金貨、骨のアインズの横顔がデザインされた金貨、フラミーの横顔がデザインされた銀貨、ナザリック地表部がデザインされた銅貨。

 白金貨以外は全て裏に神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の紋章が刻まれていた。

 税金として入ってきた硬貨は全て鍛冶長の下で働く炎の蜥蜴精霊(サラマンダー)達が鋳造し直し、世に出直している。

 王国硬貨や帝国硬貨、交硬貨は神聖魔導国内ではほとんど見なくなってきている。

 

 手を差し出して待っているヒメロペーに渡すと、その目は驚愕に染まった。

「まぁ…美術品のようですのね…。貴国ではこれほどの物が普通に出回ってますの…?」

 硬貨を手に取り、まじまじと見るヒメロペーに頷くと、「こう言うのもありますよ」と華奢な手の上に二枚の白金貨を追加して置いた。

「あら、これは?」

「アインズさんと結婚した時の記念硬貨と、うちの子が生まれた時の記念硬貨です。」

「まぁ!私、買いますから、頂きたいわ!銀貨も!」

「はは、まだまだ取ってあるんであげますよ。両替料です!」

「よろしいんですの?」

 ヒメロペーがまるで宝石でも見るように瞳を輝かせて三枚の硬貨に視線を落としていると、店内から双子がひょいと顔を出した。

「フラミー様!中は安全です!」

「あ、あの、でも、フラミー様に相応しいようなお洋服は、その…ありません。」

 フラミーは良いの良いのとウキウキしながら店内へ進んだ。

 

 中には背鰭や翼を出すための穴の開いた服が様々なデザインで置かれていた。

 全ては「水を吸わない」と言う魔法の効果がたった一つ付与されている。武器屋や防具屋にいけば、もっと違う効果のある服もあるそうだ。

 フラミーはヒメロペーとあちらこちらで買い物をし、半水没都市を満喫した。

 

 帰ってきたアインズが羨むほどに。




あらぁ、ヒメちゃんかわいいわね〜!!

次回#27 魚の青

セイレーン可愛いわね〜!!©︎ユズリハ様
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#27 魚の青

 テルクシノエはいつもなら恐ろしいはずの海域を迷いなく進む。

 

 後ろには魔法の力を使っている様子の神王とアンデッドが続く。

(そろそろだわ…。)

 スピードを落とし、止まる意思表示をする。

 巨大な岩に手をつき、息を潜めるように身を隠すと、テルクシノエの濃紺の髪は昆布のように揺らめいた。

「この先がシー・トロールの集落ですわ。彼らはとても力が強く殴られでもすれば――」

 そこまで言ったところでテルクシノエは首を左右に振って言葉を区切る。

「失礼いたしました。神王陛下ほどのお方には不要な心配ですわね。」

「…水の中でも世界にかかる翻訳機能は健在か。さて、トロール相手はまず一発殴ってからだな。テルクシノエ殿、一応これを。」

 神王は懐から、紅玉髄(カーネリアン)を中心に、その周りを五芒星が取り囲むネックレスを出した。

「こちらは…?」

「恐怖に対する完全耐性をもたらすアイテムだ。破滅の王(ドゥームロード)もさる事ながら、場合によっては私も<絶望のオーラ>を放つ。その時に君が恐怖に支配されないように離さず着けていなさい。」

 テルクシノエはその能力はよく分からなかったが、素直に頷きネックレスを首にかけた。大きなチャームがふわりと浮かぶのを手でそっと抑える。

「有り難く拝借いたします。」

「あぁ――ん、来なさい。あっちを向いて。」

 何かと近付き背を向けると、ネックレスは外された。

「何かご無礼を…?」

「いいや、チャームが引っかかりそうな時はこうすると良いと、フラミーさんが教えてくれたんだ。」

 細く美しい――女性もかくやと言う白魚のような指はテルクシノエの首の周りを数度周る。

 チェーンを首にクルクルと巻いて、チョーカーの様に付けると、魔法の装備のそれはピタリとテルクシノエの細い首に隙間なく着いた。

「まぁ、恐れいります。お手数を。」

「良いさ。さぁ、殴り込みだ。」

 骨の筈のその顔は笑ったようだった。

 感謝の意を示すため頭を下げ、再び顔をあげると、神王はアンデッドを連れ海底を歩くシー・トロールの集落へふわりと降り立つところだった。

 慌てて追いかけ、神王の斜め上あたりで止まった。

 

 やがて神王とトロールが顔を突き合わせると、何が起こっているのか分からないとでも言うようにトロールは数度目を瞬いた。

 

「……ア、アンデッド?」

 

 その声を切っ掛けに、周りにいるトロール達の中でさざ波のように「アンデッド」と言う言葉が伝わっていく。

「その通りだ。あー、ザ・リビングと言うんだったか?昔タブラさんに教えて貰ったが――もう忘れてしまったな。」

「なんで、人型のアンデッドがこんなところに……いや、セイレーン!!」

 トロール達の視線が一気にテルクシノエに集まる。

「セイレーンがアンデッドを使役するとはな!おぞましい奴め!!」

「ふむ。そう見えるのか。混乱してるところ申し訳ないのだが――」

「殺してやれ!!臆病者の国の畜肉が!!」

 ぞろぞろとトロール達が集まりだすと、テルクシノエの中には自発的に発生する恐怖が広がった。

 

「骨をボリボリと食うのもうまいからな!!セイレーンを食った後に足先からじっくり食らってやるぞ!!」

「やれやれ。トロールはどいつもこいつもダメだな。おい、命が惜しくば服従しろ。」

「服従だと!そんな事が――」

 言い切る前に神王は手に持っていた金色の芸術品のような杖を振りかぶり、水中とは思えないスピードでトロールの足を砕いた。

「服従しろ。まだ必要か?」

「ッグああああ!何をやった!!」

「もうそれも飽き飽きしているんだ。――あ、いや、良いことを思いついた。少し待て。」

 神王はふとこめかみに触れた。

「――デミウルゴス。私だ。今シー・トロールの下にきているのだが、どうだ?これは良い気がしないか?永久機関だぞ。臭くもないしな。」

 何の話だろうと思っていると、王の身の回りには大量のトロールが襲いかかった。

「神王陛下!!」

 すると、途端にトロール達の目も口も大きく開かれ、大きく歪んでいく。その感情の正体は恐怖。それも想像を絶するような圧倒的な恐怖。

 テルクシノエは何がどうなってしまうのと見ていると――「ヒヒャアアアアアア!!」

 トロール達は奇怪な叫び声を上げ、途端にあちらこちらへ散らばるように泳ぎだした。

「――<絶望のオーラⅣ・狂気>、<集団全種族捕縛(マスホールドスピーシーズ)>。」

 神王から黒い靄が立ち昇ると同時に放たれた魔法陣は、一気に泳ぎだしたトロール達を捕らえた。

 トロール達は絶望に染まった顔をし、まるで地獄に飾られる彫刻のようにピタリと動きを止めた。

「まだまだいるか。破滅の王(ドゥームロード)、適当に捕らえて来い。こいつらは楽しいお引越しだ。」

 アンデッドが黒い靄のかかる戦鎌(ウォーサイズ)を構え、空を飛ぶように泳ぎだすと、神王はすっと手を振った。

 すると、苦悶の表情を浮かべる半透明の存在が十体現れた。三人の影が混じり合うように揺らめいている。

 

 その者達は、セイレーンだった。テルクシノエはあまりの事態に目を向いた。

「い、嫌!!おやめ下さい!!陛下!!どうかおやめください!!」

 テルクシノエは思わず神王の腕に縋る。目から溢れる体温は海に混じり、温度を失った。

「――ど、どうした?なんだ?」

「お、お許しください!!どうか皆を静かな眠りに!!」

 神王はふむ、と一つ声を上げるとテルクシノエを押すようにそっと離れた。

「これは上位死霊(ハイレイス)だ。その姿は見る者と同じ種族になってしまう。これは私の目にはただの靄だ。」

「あ……で、では…トロールに食われた同胞では――」

「――ない。安心しなさい。さぁ、上位死霊(ハイレイス)達よ。破滅の王(ドゥームロード)の手伝いをして来い。」

 アンデッド達が水の抵抗を感じさせない動きで移動を開始する。

「テルクシノエ殿、悪いが少し私は水面へ上がる。君はここにいられるか?」

「は、はい…。何かあれば歌います。」

「そうか、では少し待っていてくれ。」

 そう言うと王は水面へ上がっていった。

 後を追うようにアンデッド達がトロールを抱えて上っていく。

 子供も赤子も無差別に海面に連れ去っていくが――果たして海面へ連れて行きどうするのだろうかと少しだけ考える。が、分からずに思考を破棄した。

 

「…それにしても不思議な人。」

 

 テルクシノエは初めて見る自分より強く、そして優しい男を見上げ続けた。

 

+

 

「高位の死霊使い(ネクロマンサー)だったのか?」

 シー・ナーガは手の中に水玉(ウォーターボール)を浮かべテルクシノエを睨み付けた。

 助けを求めるように神王を見れば胸に手を当てテルクシノエを見ていた。

「よくぞわかった。これこそ我が主人よ。」

「陛下!?何を――」

「ふふ、少しは気が晴れたか?」

「あ、え?」

「さて――ナーガよ、つまらない冗談を言った。一つ聞かせてほしい。お前達がセイレーン聖国を襲う理由はなんだ。」

「狩り、ハンティングと言っても良い。これを見ろ。」

 自慢げに着ているベストを引っ張る。数えきれない色にキラリと輝くそのベストは無数の半円が折り重なってできているようだ。

「っく…。野蛮な…!」

「あれは――セイレーンの鱗か?」

「ふふ、良いだろう?指導者よ、テルクシノエと言ったか?お前も私達のコレクションに加えようか。」

 シー・ナーガ達がくつくつと魔の笑いを漏らした。

「ふむ。食事ではないわけだな。必須アミノ酸だと困るからな。」

「ひっす…なんだ?」

「私もよく知らん。言ってみただけだ。ところで、殺されるのとひれ伏すの、お前はどちらが良い。好きな方を選べ。」

「アンデッドよ!選ぶのはお前の方よ!!」

 開戦の合図のようにシー・ナーガの一人が叫ぶと、無数の魔法が霰のように降り注ぎ、テルクシノエは両手を顔の前で組んだ。

「やれやれ。地産地消と行くか!!」

 組んでいた腕が取られるとテルクシノエは抱えられていた。

「ッキャ!陛下!?」

 肩に乗せられるように抱えられ、まるで釣れた魚を運搬するようだった。

(…私などただの魚だとおっしゃるんだわ…。)

 テルクシノエが抱えられながらうーん、と唸っていると周りのシー・ナーガは死んでいた。

 降参だと叫ぶナーガ達は哀れっぽい声を出したが、テルクシノエは残念ながら哀れだなんて思いもしなかった。そして、これこそがこの王を前にした者が取るべき行動だと胸にストンと落ちる。

「ではここは我が国の飛び地とする――が、神官も神殿もないな…。こんな地域は初めてだ。」

 どうしたものかと言いながら、死体を次々とアンデッドに変えていく。

「まぁ後のことは追い追い考えるか。ナーガよ、今後は我が国の法に則り生活せよ。後で詳しい説明をする死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を送る。」

 ぺたりと海底に頭を擦り付けるシー・ナーガ達が何度も頷くと再び二人は移動を開始した。

 

 そして、海巨人(シージャイアント)のいる深海域を前に、テルクシノエは水圧がきつくて降りられないと神王を見送った。

 最初に召喚されたアンデッドが守るようにと言いつけられた為、側でふよふよと浮いている。

「陛下は一体何者なのかしら。」

「我が神は神だ。」

「やはりそうですわよね。それにしても、陛下は――」

「私がどうかしたかね。」

 しょんぼりとした海巨人(シージャイアント)数人を従えた神王がふわりと戻ると、テルクシノエはちょっとした興味心と初めての小さな憧れに任せて口を開いた。

「陛下はお妃やご側室はフラミー陛下の他にどれほどお持ちなのでしょうか。皆様にフラミー陛下へ向けるほどの愛情を?」

 神王はフッと笑ったようだった。

「私は生涯フラミーさん一人しか愛さない。あの人の他に妃も側室も持ちはしない。」

 テルクシノエの中には衝撃が走った。こんな王がいたのかと感嘆したくなる。

 僅かに世継ぎの問題を心配するが、全ての乙女が憧れるであろう王としてのあり方だ。

「素晴らしいですわ!フラミー陛下はお幸せですわね!」

「…いや。多くの事を我慢させ、強いてしまった。しかし…ふふ、そうだな。きっと幸せにしてみせるさ。」

「応援させてくださいませ。」

「ありがとう。ヒメロペー殿も、テルクシノエ殿も非常に好感が持てるな。君たちが指導者で良かったよ。」

 

 眼窩には優しい朱。

 そっと骨の手で頭を撫でられると、テルクシノエの中で音がした。

 

 それは、まるで空の上から落ちたガラス玉(ビードロ)が、鏡のように凪いだ海へ無抵抗に落ちたような透き通った音だった。

 或いは、熱雷を孕む黒雲に、大地を焦がすような稲妻が轟いたような音だった。

 胸に触れれば、朱を求めて高鳴っていた。小さな憧れが形を変えた。

 

「さぁ、それじゃあ戻ろう。――お前達も見送りはここまででいい。」

 神は海巨人(シージャイアント)に手を挙げた。

 

+

 

 アインズがテルクシノエと共に宮殿に戻ると、謁見の間ではない場所へ通された。

「ヒメロペー殿の部屋に?」

 テルクシノエと目を見合わせ、扉を開くと、中はさながら宝石箱だった。

 開けたばかりの箱からは様々な色彩のドレスが出ていて、フラミーは知らない服に着替えていた。

 ヒメロペーも先程会ったのとは違う服に身を包み、フラミーの翼を恍惚の表情でブラッシングしている。

 アインズはそれは俺の仕事なんだけどと少し思うが、野暮なことは言わない。

 

「アインズさん!テルクシノエ様!おかえりなさぁい!」

「アインズ様ー!」「あ、あの、おかえりなさいませ!」

「神王陛下、テルクシノエ様おかえりなさいませ!」

 アインズが入って良いのかと迷っているとテルクシノエに手で促された。女の花園のような場所に恐る恐る踏み入れる。

 アインズはフラミーの手を取ると、恐怖公に以前叩き込まれた踊りのようにくるりとフラミーを回した。ふわりとスカートと髪が舞い、思わず頬が緩んでしまう。

「これどうしたんですか?可愛いなぁ。」

「えへぇ、お小遣いでお買い物しちゃいましたぁ。ナインズの分も買いましたよ!ヒメロペーさんに両替してもらって!」

 フラミーは目立ちはするだろうが、拝まれる事のない街を満喫したようだった。

「えー俺も行きたかったです。そしたら俺のお小遣いで買ってあげたのに。」

 ショッピングデート。良い響きだ。

 ちなみに支配者達の月給はたった金貨三枚。世界で一番薄給な支配者だろう。とは言え殆ど使う事が無いため溜まっているし、今のところ不自由もしていない。

 余談だが金貨三枚と言えば、バハルス州の平民三人家族が一ヶ月暮らすのに必要な額だ。金貨が十枚で白金貨一枚なので――ヒメロペーにほいとやった白金貨は恐ろしい値段だ。しかし、ヒメロペーもそれが分からない女ではないので、結局ここに帰ってきてから、きちんと同額を用意し、フラミーに返したらしい。

「次はアインズさんも行きましょうね!どれも背中が開いてたから、アインズさんには何も買わなかったですし。」

「行きます、行きます!他には何買ったんですか?」

 フラミーはえっとねー、とナインズに買ったものをあれこれ見せた後、自分の服や装飾品を出してみせた。

 それを見たアインズは――「よく似合いそうです。フラミーさん」それしか言わなかったが、やはりフラミーは嬉しそうに顔を赤らめて笑った。

 

 夫婦のやり取りを他所に、テルクシノエはヒメロペーに海での事を報告した。ヒメロペーは一部始終を聞くと、頬に手を当て、一言つぶやいた。

「フラミー様だけを愛するなんて素敵ですのね…。」

「…ヒメロペー様、陛下のお力を信じていらっしゃらないですわね?」

「あら、そのような事はありません。第十位階を操る神王陛下ですから、そうならない方が不思議ですもの。」

「それは…そうですわ。」

 ヒメロペーはふとテルクシノエの首を指差した。

「ところで、そちらは?」

「っあ、これは神王陛下より拝借したものですわ。お返ししなくちゃ。」

 僅かな名残惜しさを感じる。しかしテルクシノエは迷いなくそれを外すと、フラミーを愛でるアインズの下へ進んだ。

 

「陛下。こちらありがとうございました。」

 振り返り、差し出された骨の手の中にネックレスを返す。

 ちゃらりとチェーンが鳴り、テルクシノエはちらりとフラミーの首に輝く美しいネックレスを見た。

 自分はそれを貰えない存在だとよくわかっている。しかし、それはそれでいいのだ。

 テルクシノエの小さな恋は、きっと生涯叶う事はなく、いつか忘れて美しい思い出になるのだろう。

 結末の見えている恋というのも良いものだと、テルクシノエは爽やかな気持ちでネックレスから手を離した。

 彼女は次の日から毎日首にチョーカーをはめるようになった。

 アインズへの気持ちが泡のように消えてゆくまで――と思っていたが、ところがどっこい、中々忘れられず、いい男も見つからずにため息を吐く日々が延々と続くのではあるが。

 一方ヒメロペーもフラミーの真似だと大喜びで同じようにチョーカーを着けるようになる。そうしてセイレーンの乙女の間ではそれが大流行するのだが――そこに至るまでにはまだあと数週間の時間がかかるようだ。

 

「恐ろしい思いをさせて悪かったな。さて、それでは改めて聞こうか。我が神聖魔導国を見に来てくれるかな。」

 指導者二人は頷き合うと、是非にと声を上げた。




「いいともー!」

次回#28 見学会

勢力図いただきました!©︎ユズリハ様

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#28 見学会

 第九階層の戦闘メイド(プレアデス)に与えられている部屋にユリは戻る。

 

 そこはベッドルームとリビングルーム、バス、トイレなどがある至高の四十一柱の自室のマイナーバージョンのような造りだ。

 リビングに置かれているテーブルは六脚の椅子に囲まれ、現在一脚、ユリの定位置以外は全てが埋まっている。

 ユリは招集した姉妹達を見渡すと、コホンッと咳払いをした。

「皆揃っているわね。」

 

「もー良いところだったんすけどねぇ!」

「本当に。日中に招集なんて、ユリ姉様どうかしたの?」

 ルプスレギナとナーベラルが早く戻りたいとでも言うような声を出す。

 それも仕方のないことだろう。

 ルプスレギナはクレリックなどを修めている信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)、ナーベラルは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)なので、普段アインズやフラミーが出かけている時、ナインズのオムツに清潔(クリーン)の魔法を掛けるのは彼女達の仕事なのだから。

 はっきり言って全メイドの憧れの仕事だった。

 

「ユリ姉さまぁ!デミウルゴス様の繁殖実験のお手伝いより大切なことですかぁ?」

 エントマは相変わらずデミウルゴス牧場の手伝いに出かけることが多い。品種改良は日々進んでいる。

 近頃ではアインズがトロール達の実験に来る事も多く、やはりこちらも花形部署だ。お茶汲みの瞬間などたまらない。

 

「…ケットシー達とエリュエンティウの見回りに行けなかった…。」

 シズは双子猫が週に一度、天空城管理者のキイチと鬼ごっこをしに行くタイミングで共に天空城へ上がる。

 まずは隅々まで見回りをし、城に変化がないことを確かめる。

 ナザリックの全ギミックをその手にしているシズはエリュエンティウの全ギミックももはやその手の中だ。

 その後猫達と一緒になって遊ぶ。そんな事をしていると宝物殿の確認に訪れるパンドラズ・アクターと会ったりして、シズはその度に「うわぁ…」と小さな声を上げている。

 しかし、猫達と遊ぶときだけはパンドラズ・アクターは猫の姿になる。それだけは可愛らしく、シズは猫の状態のパンドラズ・アクターがお気に入りだ。

 

「私は終わって帰って来たところだし良いわよ。それで、ユリ姉様どうしたの?」

 一人全く構わないというような雰囲気のソリュシャンは、普段ユリと共に国中に設置されている国営小学校(プライマリースクール)の教師の指導と授業確認を行なっている。

 当然アインズより任命されている仕事の為大変やり甲斐はあるし、これは至高の二柱の神性を高める必要な事だ。

 

 

 ユリは唇に微かな笑いを浮かべると語り出した。

「アインズ様とフラミー様からの御勅命よ。セイレーンの二名の指導者に、神聖魔導国の案内をするようにと。」

「…ユリ姉。それは全員…?」

 シズはこてりと首を傾げた。皆様々な任務に付いてはいるが、戦闘メイド(プレアデス)として、ナザリック地下大墳墓第九階層を交互に巡回し、侵入者を迎え撃つ準備もしている。

 これまで全戦闘メイド(プレアデス)が一斉に第九階層を離れた事はない。

 

「私とルプス以外は指定されなかったわ。」

「ん?私っすか?」

「えぇ。なんでもセイレーンの天敵に人狼(ワーウルフ)がいるらしいわ。貴女と違って毛がモジャモジャで獣の姿をしているらしいけれど、人狼(あなた)の親戚でしょう?」

 それを聞いたルプスレギナは挑戦的に口角を持ち上げ、獰猛な肉食獣がやるように手首のスナップをきかせて両手をガウッと動かした。

「いひっ!そう言う事っすか!」

「…既に神聖魔導国に所属していて、アインズ様の部下であるあなたには人狼(ワーウルフ)の代表として品位ある態度を望まれているはずよ。くれぐれも失望させないように。」

「失………ま、まかせてほしいっすねぇ。」

 ルプスレギナは持ち上げていた口角をぴくぴくと震わせた。隣に座っていたエントマはうりうりと不出来な姉を撫でた。

「それでぇ?私達はぁ、どうしたらいいんですかぁ?」

 

「アインズ様は私達の他に、行きたいと言う者を連れて行って良いと仰ったけれど、それはつまり御身のお役に立ちたい者と言う意味ではないかしら。だから、敢えて全員を呼ばせてもらったわ。」

 ユリは眼鏡のつるをピンと伸ばした指で軽く押し上げた。キラリとレンズが光を反射する。

「それで、御方々のお役に立ちたい者は?」

 これまで早く仕事に戻りたそうだった姉妹達は途端に全員手を挙げた。

「「「「はいはいはーーい!!」」」」

 

「それじゃあ皆支度をして。出掛けるわよ!」

 

 パンパンっと手が叩かれると、愛らしい妹達はバタバタとお出かけ準備を開始した。

 

+

 

戦闘メイド(プレアデス)の皆様ですわね。本日はお世話になりますわ。私はテルクシノエ。」

「私達、国を出るのはこれが殆ど初めてですの。とっても楽しみ!私はヒメロペー。」

 二人はエ・ランテルの聖堂で戦闘メイド(プレアデス)と顔を合わせ、互いに自己紹介した。

 ここまでアインズの転移門(ゲート)で移動して来た二人は、まずは聖堂内を興味深そうにじっくりと眺めた。

 ちなみにアインズとフラミーは流石に国内をふらふらとうろつく事はできないので、代わりに布教が始まる前のセイレーン聖国を観光しているようだ。

「テルクシノエ様、ヒメロペー様。それでは参りましょう。」

 ユリがメイドらしく丁寧に頭を下げると、一行は聖堂を出た。

 

 美しく整備された街には人間を始め、多くの亜人やアンデッド、飛竜(ワイバーン)霜の竜(フロストドラゴン)が行き交っていた。

「す、すごい…この光景は…。それに、あの荷馬…。」

「沈黙都市の…伝説の魔獣…。」――戦闘メイド(プレアデス)はその言葉を心のメモに書き留めた。

 ヒメロペーとテルクシノエは口を開けて目の前を通り過ぎる魂喰らい(ソウルイーター)を見送った。

 従順に荷車を引く伝説の化け物の姿は夢かとすら思う。

 他にも川を小さめの幽霊船が行き交ってそこに人々が乗り込んでいたりと、まるで趣味の悪い御伽話の世界に入り込んでしまったようだ。

 だと言うのに、どこを歩く物達の表情も明るく、皆一様に自分の幸せな未来を信じている様子だった。

 

 街は非常に活気に溢れていて、人も亜人も異形も関係なく暮らしている様に、テルクシノエはハッとしメイド達へ振り向いた。

「もしや、神聖魔導国とは昔アーグランド評議国と呼ばれていた場所でしょうか?」

 ナーベラルはそれを聞くと、冷たい視線をテルクシノエへ送った。そして視線通りの冷たさを感じる声音で答える。

「違います。ここはそんな蜥蜴の国ではありません。」

「でもぉ、評議国も神聖魔導国の一部ぅ!属国だからぁ!」

 エントマがぴこっと手を挙げるとテルクシノエはなるほどと理解した。

 

「私、神王陛下に神聖魔導国の評判を聞いたことがないと言ってしまいましたが、昔評議国の噂を聞いたことがありましたわ。亜人達が手を取り合う素晴らしい場所だと。」

「…ここは評議国よりずっと良い場所。神々の座す神聖なる国。」

 シズがえへんと胸を張っていると、獣身四足獣(ゾーオスティア)が二名近くを通りかかり、思わずテルクシノエとヒメロペーは身を硬くした。

 

 彼女達にとっては見たことのない亜人だが、とても自分達と仲良くするような生き物には見えなかった為だ。

 ソリュシャンがコホン、と咳払いをする。

「彼らは決してお二人を襲ったりはしませんわ。少し呼んでみましょう。」

「えっ、い、いえ。別に…。」

 ヒメロペーが結構ですと首を振るのを聞かずに、それは良い案だとルプスレギナは獣身四足獣(ゾーオスティア)におーい、と声を掛けた。

「なんだ?どうかしたのか?」

「悪いっすねー!このセイレーンの子達とちょーっとでいいから話して欲しいんすよー!」

「セイレーン…。この間の会議で陛下が仰っていたな。」

「あ?なんすか?もしかして君らこないだアインズ様がやってらしたビーストマン差別対策会議に出た獣身四足獣(ゾーオスティア)っすか?」

 獣身四足獣(ゾーオスティア)の二人は頷いた。

「そうだ――いや、そうです。俺はヴィジャー・ラージャンダラー。こっちはムゥアー・プラクシャー。」

「…君達は勘が良い(・・・・)っすねー!そういう所、大好きっすよ!」

 神を「アインズ様」と呼ぶのは神直々に生み出される守護神か守護神に次ぐ存在だけだと思い至ったヴィジャーはすぐ様態度を改めていた。

 

「ありがとうございます。セイレーン、神聖魔導国の民となったらビーストマンやワーウルフを差別するなよ。気をつけろ。では我々はこれで。」

 二人の獣が立ち去ろうとすると、ヒメロペーが慌てて口を開いた。

「お待ちください!お二人は、セイレーンや人間を食べる種ではありませんの…?」

 ヴィジャーは意味が分からないとばかりに振り向いた。獣身四足獣(ゾーオスティア)はそもそも牛馬の方が好みだが、牛の干し肉と新鮮な人間なら人間の方が好きだ。

 

「だとしたらなんだ?」

「いえ…周りにはこんなに人間がおりますのに…。」

「お前は弱肉強食という言葉も知らん赤子か?この世は弱肉強食だ。」

「それでしたら、尚のこと何故…?」

 ヴィジャーがヒメロペーに鬱陶しそうな視線を返しているとムゥアーはカカカッと爽快に笑った。

「セイレーン、ここはヴィジャーの言う通り弱肉強食の国だ。しかし、強者と言うのはこの世においてただお二人。あとは皆弱者にすぎん。そこで強者の意に反する事をすれば――皆平等に食われる時を迎えるだけよ。」

「お二人…?お一人は神王陛下で、もうお一人はどなたなんですの…?」

 

 一瞬、ヴィジャーとムゥアー、そして戦闘メイド(プレアデス)はポカンと口を開けた。

 いや、それどころか近くを通りかかった山小人(ドワーフ)蜥蜴人(リザードマン)すらポカンと口を開け足を止めた。

 

「おいおい、嘘だろ…?これは――何か?俺達は陛下に試されてんのか?」

 ヴィジャーが訳が分からないとでも言うように近くの蜥蜴人(リザードマン)へ顔を向けると、蜥蜴人(リザードマン)は何も知らないとばかりに首を振った。

 再びヒメロペーに視線を戻せばヒメロペーもテルクシノエと何がなんだかわからないと、戸惑うようにヴィジャー達を見ていた。

「…本当に神王陛下の他にどなたが強者か知らないのか…?」

「も、申し訳ありません…。私、神王陛下とフラミー様、それからベロフィオーレ様とベラフィオーラ様にしかまだお会いした事がありませんの…。」

 こりゃもうだめだとヴィジャーは顔に手を当てる。

「お前はそれでどうして生きる事を許されているんだ?もしかしてお前達セイレーンは光神陛下のお気に入りか何かか?」

「光神陛下…それはどなたですの…?神王陛下のお父様…?」

 ヒメロペーが不安そうにヴィジャーを覗き込むと、ナーベラルが誰にも聞こえないような音でチッと小さく舌打ちをした。

「フラミー様です。この世に陛下と呼ばれるべき存在はアインズ様とフラミー様しかいません。」

「フラミー様がお強い…?」

 当たり前だと言う雰囲気でヴィジャーとムゥアーは頷いた。

「光神陛下も神王陛下と並ぶ絶対強者であり、お二柱はこの世の理そのものだ。」

「フラミー陛下が…あの神王陛下の絶対的なるお力と並ぶ力をお持ち…。」

 テルクシノエは言葉を反芻しながら、海に神と潜った事を思い出す。そして、僅かに顔に熱が溜まり慌てて首を振った。

「常識だろ。じゃあ、もう本当に行くぜ。――メイドの皆様も俺達はこれで失礼します。」

 ヴィジャーは何て恐ろしい会話だったんだろうかと歩き出し、ムゥアーもすぐにその後を追った。

 

 二人はブラックスケイルで再び会議が開かれるまでエ・ランテルで過ごす予定だ。他の亜人達はブラックスケイルに泊まっている者や、一度アベリオン丘陵まで帰った者と様々だ。

 ヴィジャーは会議で山小人(ドワーフ)土堀獣人(クアゴア)が放っておいて和解できたと発言した手前、そうできた理由を探っておこうとこの街に滞在していた。

 理由は割りとすぐに分かった。生活圏の奪い合いをしていただけの両者は神聖魔導国と言う良い住処を与えられた事で、火種となる問題が根本から解決し、時間によって和解できたのだ。

 街の中心にそびえるザイトルクワエに飛竜(ワイバーン)の住処を掘削した際に、互いを認め合ったと言う話はエ・ランテルでは有名だった。

「戦争でぶつかったんじゃなくて、食った食われたってのは難しい問題なんだなぁ?」

「食欲かぁ…。しかしビーストマンには同情する。種としてあれだけの罰を受けたのにな。」

「陛下がお怒りになる訳も分かるぜ。確か――許すってのが教えだろ。」

 二人はやれやれと息を吐いた。

 

 

 テルクシノエはそんな二人の背を見送りながら呟く。

「あの方達はビーストマンやワーウルフとはまるで違いますわね。」

「テルテルとロペっちはビーストマンとワーウルフが怖いっすか?」

「て…てるてる…――んん。怖いですわ。」

 素直に肯定すると、ルプスレギナのこれまで丸く天真爛漫に輝いていた瞳は細く尖り、口元には薄い笑みが浮かんだ。

 ぞくりと背が震えるほどに妖艶だった。

 

「実は私も人狼(ワーウルフ)。もちろん、あなた達を襲ったワーウルフは私よりずっと下等な存在だけれど。でも、根本に流れる種は同じ。銀が嫌いだったりね。」

「ぞ、存じ上げず…。失礼いたしましたわ…。」

「そんな事は構わない。だけど、私と過ごす今日を――」途端にルプスレギナは明るいいつもの顔をした。「忘れないで欲しいっすねー!こーんな人狼(ワーウルフ)もいたって!っさ、次は約束の地参りっすよ!あの船乗って!」

 

 水上バス(ヴァポレット)に向かって二人のセイレーンの背を押すルプスレギナを、ユリはあたたかい目で見守った。

 

+

 

 任務をやり切ったルプスレギナは、姉妹達と戦闘メイド(プレアデス)の部屋に帰って来た。戻ってくる前にはアインズに褒められ上機嫌だ。

 

 セイレーン達は国へ帰ると神聖魔導国を信じてみようと思うと、アインズに伝え、晴れて傘下に入ったため戦闘メイド(プレアデス)はお手柄だった。当然魂喰らい(ソウルイーター)の荷馬車も効いたのだが。

 

 セイレーン州は近海のシー・ナーガや海巨人(シー・ジャイアント)――そして海底石造都市ル・リエーも飲み込んだ。

 ル・リエーには大量の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と共にテルクシノエが出掛けた。

 外洋の敵から守ると言われ、人口の大流出も起こったル・リエーで、特別行政機関も無かった為に容易に併呑は成ったらしい。

 

「これはたまらんものっすね。うひひひ。」

「ルプス、顔が崩れてるわよ。」

「おんやー?一番よく働いたで賞が私だったからユリ姉は嫉妬してるんすかー?」

「違うわよ。あなた、何か悪いこと考えてない?」

「そっすねー?悪いことっすかー?」途端に明るい美貌にはヒビ破れるようにおぞましき笑みが浮かんだ。「セイレーン達は新しい歴史、可能性の始まりに立ったのよ。でも、この最高のタイミングで、もし信じてみようと決めた者によって国が襲われ、全てが炎の中に消えるとしたら、あの二人の指導者はどんな顔をするんだろう。」

 その顔を見た十人中十人が邪悪と判断するような表情だった。

「あなたはあの二人と心から仲良くしていたように見えたけれど、それは本音?」

「そうよ、ユリ姉さん。本音。私が仲良くしてあげたあの生き物達が虫ケラのように暴力で潰されていく姿を想像すると、すっごくゾクゾクしてくる。」

「サディスト、ここに極まれりね。ソリュシャン、ナーベラル。ルプスの話を聞くのを代わって。私の救いはシズだけよ。」

 ブイサインを送るシズの隣でエントマはこてりと首を傾げた。

「私はぁ?」

「エントマもそんなに悪い子じゃないわね。」

 

 ルプスレギナとソリュシャン、ナーベラルは嗤う。

 

「襲うとしたら二足歩行の狼の姿に決まりっすねぇ。」

「やっぱりじわじわ殺すのがいいわよね〜。」

「魚や鳥なら意外に美味しいかもしれないわね。もしその日が来たら、エントマにお土産として持って帰ってあげるわ。」

 

「あー。国、滅びないっすかねぇー!」

 




※滅びません

次回#29 幕間 繋がらない伝言

雄セイレーンいただきました!©︎ユズリハ様です!

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そして皆大好きお待ちかねの勢力図!
もちろんこちらもユズリハ様です!


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#29 幕間 繋がらない伝言

 セイレーン聖国が併呑され数日。夏も目前かと言うある日。

 フラミーは再びの亜人会談に何を着て行こうかとドレスルームの中で唸っていた。

「これなんてどうですか?」

 着てはドレスルームの扉が開かれる。扉の前で座ってナインズと遊んでいるアインズは幸せそうに「それも可愛いです。フラミーさん」と頬を緩めた。

「じゃあ、これにしようかなぁ!」

 茶色いドレスローブでくるりと回るフラミーを見守る。

 

 すると、フラミーの部屋の扉が叩かれ、アインズ当番が来訪者を確認した。

「アルベド様、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の皆様でございます。」

 アインズが良いかとフラミーに視線を送る。

「ありゃ?何でしょうね?入れてあげてください。」

「かしこまりました。」

 扉が開かれれば、アルベドを先頭に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)十二人がそれぞれ手に書類を持ち、部屋に入ってきた。

 

「アインズ様、フラミー様、ナインズ様。おはようございます。」

 アルベドに続くように死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も恭しげに頭を下げた。

「うむ。おはよう、アルベド。それにしても今日はこの後ブラックスケイルに行く予定のはずだが――どうかしたのか?」

 いつもの執務よりも死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の数も多い。普段なら七人程度が来るパターンが多いと言うのにどうした事だろうか。

 アインズは厄介ごとの匂いを感じながら部下達を見渡した。

 

「はい。兼ねてよりご報告差し上げていた、航海団と共に出ている死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から伝言(メッセージ)が途絶えた件に付いての結論が出ましたので、お出かけ前ではありますが一次報告に参りました。」

 アインズの視線は途端に鋭いものになった。背にはぼんやりと黒い後光がさし、この人物を怒らせてはいけないと思わせるだけの風格が漂う。

 ただ、その指はナインズがしゃぶっていて平和だった。

 

 ナインズが産まれた冬に出発した航海団に参加した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)には定期的に伝言(メッセージ)を送るように指示を出し、これまでその決まりに則ってやってきたと言うのにここの所、ピタリと定期連絡がなくなっていた。

 最後の連絡は大陸に着いたと言うものだった。

 

「お借りしました死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達と実験と話し合いを繰り返した結果、やはり死んだのだろうと言うのが結論でございます。」

伝言(メッセージ)の距離の限界と言う線はないのか。ついに距離の限界に達したのかもしれん。」

 言っておきながら、それを確認しないアルベドではないとアインズは理解している。

 恐らく目の前の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達の抱えるあの書類に全ての実験と、その結果が書かれているのだろう。

 

 しかし――

 

(…相当勉強会もして来てはいるが…未だに理解するまで中々の時間がかかるし…何より読みにくい…。法令みたいだもんなぁ…。)

 

 何度も別紙参照という言葉が出て来てページを行ったり来たりする必要があるし、なるほどと理解し始めると「以上のことから否定する」と締め括られたりし、アインズの頭の中には「なんで?」と言う言葉が大量に浮かぶ。

 さらには一文中に何度も否定の言葉が入り、もはや何の話をしていたのかわからなくなったりもする。

 なので、一番気になることはちゃんと口頭で聞いてしまうのがベストだ。

 

伝言(メッセージ)の確認も可能な限り行いましたが、一先ずは繋がらない距離と言うのは見つかっておりません。少なくともこの大陸内の端と端では繋がる様子です。それに、もし繋がらないと分かれば、中継者を繋がるところに残していくかと思われますし――やはり、航海団は何者かに襲われたかと。」

 大陸の端と端に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を行かせたなら、これだけ報告が遅くなるのも理解できる。

 

 話を聞いていたフラミーがピアスを着けながらドレスルームを出て来た。

「航海団に渡した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は十人ですよね。アインズさんの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は二十五レベル程度だから…倒せなくはないか…。」

「そうですね。一対一ならミスリル級冒険者達で倒せますし…ハムスケレベルの者がいれば、余裕でしょう。」

「やっぱり魔獣に倒されちゃったのかな。国旗もちゃんと掲げて行ったんですもんね?」

 フラミーの視線にアルベドが頷く。

「はい。すぐに使節団だと分かるように送り出しておりますので――やはり、知能の低い者なのか、傲慢な者かと。」

「傲慢な者――竜王か。竜王だとすれば、冒険者は一人も生きてはいないな。」

 

 今回アダマンタイト級は一組も乗れなかったが、それはそれでよかったのかもしれない。

「竜王だったとしたら、戦う時にはツアーさんに相談した方がいいかもしれませんね。」

「そうですね。あいつは竜王を葬るの本当に嫌がるからなぁ。」

 アインズとフラミーが苦笑していると、馴染みのアラームが鳴り、アインズは足をジタバタさせるナインズをナインズ当番が押してきたバギーに乗せた。

 アインズ達が出掛けている間、ナインズはセバスとナインズ当番に第六階層のお散歩に連れて行って貰うのだ。

 

「それじゃあ私達は少し出る。資料は明日以降目を通そう。」

「かしこまりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ。」

 転移門(ゲート)を開くと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が先に安全確認のためゾロゾロと転移門(ゲート)を潜っていった。

 

 

 蜘蛛たちを追うように転移門(ゲート)を潜り、ブラックスケイルの城の玄関前に到着するとアインズとフラミーはぴたりと止まった。

「まぁ神王陛下、フラミー様!おはようございます!」

「神王陛下もフラミー陛下もご機嫌麗しゅうございますわ。」

「あー…おはよう。」

「あ、はは。おはようございます。テルクシノエ様、ヒメロペーさん。」

 テルクシノエとヒメロペーが二人で城の前の噴水に浸かっていた。鱗や羽が輝き無駄に美しい。

 城の者達はどうすればいいのかとオロオロしている。

 

「――んん。テルクシノエ殿、ヒメロペー殿。人間の街にある噴水は入る所ではないぞ。」

 アインズが手を伸ばすと気持ちよさそうに水浴びをしていたテルクシノエとヒメロペーは首を傾げた。

「入る所ではないなら、これは何をする所なのでしょう…?」

「噴水なのに入ってはいけませんの…?」

 不思議そうにする二人に、フラミーも手を伸ばす。

 セイレーン州の地上都市には至る所に噴水が設置されているが、すべては水浴びをするためのものだ。

 ヒメロペーは迷いなくフラミーの手を取ると水から上がった。テルクシノエも逡巡し、アインズの手を取り出てくる。

 噴水から出た二人は名残惜しげに清潔な水を見た。

 

 ヒメロペーは数歩アインズとフラミーから離れると、プルプルッと翼を震わせ、水を飛ばした。

「これは水を見るためにあるんですよぉ。」

「水を見る為だけにあるなんて変わってますのねぇ。」

「私達の方がここの皆様から見たら変わっているのかしら。お恥ずかしゅうございますわ。」

 テルクシノエは照れ臭そうに笑い、髪を絞った。海の生き物も今後増えていくことを思うと、水浴び用の噴水もあってもいいのかもしれない。

 

 アインズは三人を引き連れ、城の玄関へ向かった。女子は後ろで楽しげに何やら今度お茶会をしようと話している。

「そう言えばフラミー陛下、私もテルクシノエ様などとお呼び頂くことはありませんわ。どうぞお気軽になさってください。」

「じゃあ、テルクシノエさん!私の事は――」

 フラミーが続けようとすると、廊下の向こうから大きな声が響いた。

「陛下ー!フラミー殿ー!」

「あ、ドラウさーん!」

 

 手を振り合うと、会談用の上等な服に身を包むドラウディロンがフラミーに駆け寄った。

 仕事の時の彼女はやはり女王だったのだろうと思わせるだけのオーラがある。

「陛下もフラミー殿も、着いていたなら教えてくれたらよかったのに。ちゃんと迎えられなくてすまなかったな。」

「いいえ、全然!あ、こっちのお二人はセイレーンの――」

「あぁ。昨日到着した時に名は聞いた。テルクシノエ殿、ヒメロペー殿。」

「オーリウクルス様には良くして頂きまして。」

「本日はよろしくお願いいたします。」

 二人がペコリと頭を下げると、いやいやこちらこそとドラウディロンも頭を下げた。

 アインズはドラウディロンと共にいた宰相と会話を交わし、玉座の間を目指した。

 

+

 

「じゃあ、セイレーンの民はビーストマンとワーウルフを許すというのか…?」

 会談が進む中、ドラウディロンは何故それ程までに簡単にセイレーンが割り切れるのかと二人を見た。

 セイレーンがビーストマンとワーウルフを当然のように受け入れている様子に置いてけぼりな気持ちになっていた。

 

「恐れることをやめてみようと言うだけですわ。今後、共に暮らす中で手を出されることはないと信じて。」

「それに、私達、良いワーウルフや肉食の方もいると知りましたの。」

 ヒメロペーはそう言うと、ちらりとヴィジャーとムゥアーへ視線を送り、二人は頷いた。

「それが良いビーストマンがいる保証にはなるまい。民はそれで納得するのか…?」

「良いアンデッドがいる世の中なら、良いビーストマンくらいいて当然ですわ。ねぇ、陛下。」

 テルクシノエがアインズへ視線を向けるとアインズは己の骨の顔を触った。

「オーリウクルス様。私達は何より陛下方を信じておりますのよ。」

 

 ドラウディロンはかつての婚約者を見ると心の中でアインズ殿と呼ぶ。

 静かに視線を落とし、小さく頷いた。

 外を吹く風はもうじき夏を運んでくるだろう。アインズと出会った夏がまた来る。

「……それはそうだな…。」

「ブラックスケイルの皆様のお心に一日も早く納得と安寧が訪れますよう。」

 セイレーンからの静かな祈りのような言葉にフッと笑った。

 

 その後ドラウディロンはシャルティアと共に抗議活動を行う者達に正面から向き合い――許すと言う教えを説ける紫黒聖典のネイア・バラハと陽光聖典のニグン・グリッド・ルーインも参加するようになると、NOビーストマンと言う者達は少しづつ減り、新しい隣人達との州間を繋ぐバス、魂喰らい(ソウルイーター)便も出るようになった。

 ただ、魂喰らい(ソウルイーター)便に新しい三州の民達は腰を抜かして都市は一時混乱状態に陥ってしまったようだ。

 ドラウディロンはその時の様子を聞くと、わずかに溜飲を下げた。

 

+

 

 数日後、アインズは全ての伝言(メッセージ)実験書類に目を通し終わり、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)数名だけを乗せた船を送り出した。

 冒険者――守らなければいけない対象がいない状態でこれだけいれば、敵が何者だったのか連絡をする余裕もあるだろうと。




エルダーリッチ殺されちゃったの( ;∀;)
次回 #30 閑話 沈黙都市


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#30 閑話 沈黙都市

 風に吹かれガラリと建物の残骸が転がる。

 まるで色を失ったかのようなその街には、生ある者は一人もいない。建物を這う蔦や草木ですらその場所を恐れるかのようにひっそりと身を小さくしていた。

 

 まるで何者かに見つからないようにしようとでも言うように。

 

 沈黙都市。

 

 三体の魂喰らい(ソウルイーター)は一切の魂の震えを感知できなくなったその場所に飽きを感じ始めていた。ここにはもう死体しか転がっていないのだ。

 アンデッドだと言うのに、絶え間なく押し寄せる飢え。

 体を構築するための部品を求めるように三体は都市を駆け巡ったのだ。

 

 三体は決して何かを口にしたことはないが、死を受け入れる直前の絶望の断末魔はおそらく何よりも甘美であると、うっとりとその時を思い出す。

 

 彼らは言葉を持たないが、互いを見合うと、起き上がり、次の蹂躙を求めて歩き出した。

 

 ――ドチャリ。

 

 不意にそう鳴った。決して、風で何かが動かされた音ではない。すぐさま音へ振り返る。

 そこには、死に倒れたはずのビーストマンが起き上がっていた。

 

 ああ、これはどうした事だろう。

 

 側にいても倒れはしないその存在からは魂の気配は無い。次から次へとビーストマン達は起き上がり出した。

 

 三体は面白いと思った。これは見ものだ。

 

 そうして魂なきビーストマン達が次々と起き上がっていく様を眺めていると、いつしか都市には濃い霧がかかるようになっていた。

 その霧はまるで自分達を包む靄のようで、何もなかった場所を何とも居心地の良い場所へと変えていった。

 

 ビーストマン達の死体は音に反応するようで、魂喰らい(ソウルイーター)が自分達の素晴らしい家を守ろうと巡回する後をのたのたと付いてくる。

 可愛くもなんとも無いが、近頃では動く死体ではない者も見かけるようになり始めた。

 街とはこうして出来ていくのだろう。

 

 ある日、縄張りを守るかのように魂喰らい(ソウルイーター)が街を歩いていると、見たことのないおかしな者がいた。

 

「やぁ。随分賑やかだね。」

 

 その者は魂を感じなかった。

 

 しかし、これまでの仲間達とも違う。

 

 魂喰らい(ソウルイーター)は言葉を持たないが、相手の言う事は分かった。そして、これは宣戦布告なのだとも。

 三体は持ちうる力を全て発揮させた。

 

 黒き風が吹き抜けるようだった。

 

 身を小さくしていた草木すら命を奪われた。霧は濃く立ち込め、新たな仲間を歓迎するようだ。

 

「それが君達の能力かい。全く困ったものだ。本当はぷれいやーと関係ない者を切る趣味はないんだけれど、リグリットやインベルンが煩いからね。」

 

 その者は天に向かって手を伸ばした。

「消えてもらうよ。」

 上げられた手に呼ばれるかのように劔や斧が何処からともなく現れ、その者の周りに浮かんだ。

 

 三体は駆け出した。そして、目の前に一瞬火花が散った。

 

 ――ああ、なんて綺麗なんだろう。

 

 誰かがそう思った。そして、全ては終わった。

 ごとりと魂喰らい(ソウルイーター)の首が落ちる。

 

「…残るこれらはどうしたものかな。」

 

 ツアーは纏わりついて来る大量のビーストマンのゾンビの頭を落として踏み付けると睥睨した。

 一体一体倒すには少しばかり骨が折れそうだ。この汚れた街ごと始原の魔法で吹き飛ばすか?

 いや。軽々しく力は使われるべきではないだろう。

「はぁ。全く僕は掃除屋じゃないって言うのに。リーダーの死の悲しみに浸る時間くらいは欲しいものだね。」

 

 アインズ・ウール・ゴウンの転移まであと二百年。

 

+

 

 足元でガラリと建物の残骸が転がった。

 まるで緑のペンキをぶちまけたかのように野生を取り戻したその街には、生ある者は一人もいない。建物を這う蔦や草木は封印を解かれたかのように大きく青々と育っていた。

 

 アインズは廃墟の街でフラミーと手を取り合っていた。木漏れ日の間を時折小動物が行き交うと、その度に二人はそれを指差した。

 

「…しかし何も感じないなぁ。」

 沈黙都市にアンデッド反応はなかった。

「こんなに骨はたくさん落ちてるのに。」

 フラミーがしゃがもうとすると、連れてきたパトラッシュとおにぎり君が急ぎフラミーに骨を手渡した。

魂喰らい(ソウルイーター)くらい誰かがやっつけたんですかね。」

「でも、伝説の化け物なんて呼ばれてたくらいなのに倒せる人がいるんでしょうか?」

 二人はうーんと悩み、プレイヤーという文字が浮かぶ。

「まさかリトルがやっつけたかな?」

「だとしたら、ツアーさんに聞いてみたらわかるかも!」

「そう言えば隣の大陸の竜王の話も聞いてみたいですしね。」

 フラミーの前に無詠唱化された転移門(ゲート)が開くと、パトラッシュとおにぎり君は何の躊躇いもなく中へ駆け込んで行った。

 二人は足を踏み入れる前に、骨の大地の上で静かに口付けを交わした。

「…こんな所ですみません。」

「…いえ、そんな…。」

 顔を赤くしていると、二人の熱を覚ますように静かな風が吹いた。

「文香さん、俺…。」

「悟さん…?」

「好きです…。」

「え、えへへ。私も――」

「それで、僕はどうしたらいいんだい。サトルサン。フミカサン。」

 転移門(ゲート)の前では諦めの境地に達しているツアーが腕を組んで様子を見ていた。

 硬直する二人の周りを飛ぶ蝶を舐めようとパトラッシュ達が駆け回る音がしばらく響いた。

 

「っんん、ツアー。お前に聞きたいことがあってな。」

「なんだい。それよりフラミー大丈夫かい。」

 フラミーはしゃがんで顔を覆っていた。

「…あぁ…フラミーさん!ツアーの来るタイミングが悪いから…。」

 慌ててアインズはフラミーの背をさすった。

「ゲートで僕を呼んだのは君達だろう。それよりもう少し迎えは邪悪じゃない者でお願いしたいところだね。」

「かわいいだろう?私達が生んだ子山羊だ。」

 可愛くないと息を吐きながらツアーもフラミーの前にしゃがみ、適当に足元に咲いていた花を摘んで差し出した。

「ほら、フラミー花だよ。」

「うぅ…つあーさぁん…お花なら何でもいいんじゃないんですよぉ。」

 フラミーは渋々顔を上げるとツアーから雑草の花を受け取った。

「そうかい?でも君は顔を上げたじゃないか。」

「…お前はフラミーさんをなんだと思ってるんだ。」

「この世界そのものだと思っているよ。」

 ツアーは家で寝ている本体でうーんと伸びると、大きな口を開けてあくびをした。

 ギルド武器もなくなったのだから、外に出かけることはできると言うのに、ツアーは評議員会議以外大して出掛けもせずに家で寝ていることが多い。

 

「思っているよ、じゃない。ところで、ここは――」

「沈黙都市だろう。ここには随分アンデッドがいたよ。懐かしいね。」

「ん?お前は知っているのか?」

「知っているよ。セイレーン聖国を通って、ビーストマン連邦を――いや、まだ昔はビーストマン連合と名乗っていたかな。ともかく、それを通ってここに来たものだよ。」

 ツアーが立ち上がると、アインズもフラミーを支えて立たせた。フラミーはなんだかんだ言って花を大切そうに持っていた。

魂喰らい(ソウルイーター)はどうした?お前が来た時はまだいたのか?」

 何それとでもいうような雰囲気のツアーのために、アインズはアンデッド創造を行う。大量の骨の一組が黒いモヤに包まれると、魂喰らい(ソウルイーター)は姿を現した。

「こいつが魂喰らい(ソウルイーター)だ。」

「あぁ。三体いたよ。僕が一人で殺した。ダメだったかい?」

「いや。むしろ助かる。うちの魂喰らい(ソウルイーター)が暴れ回ったとでも噂が流れたら不愉快だからな。」

 アインズは言いながらフラミーの手の中の花をその尖った耳に掛けると、反対側に掛けられているデミウルゴスの蕾を引き抜いた。

「っあ。」

「たまにはこう言う花も似合いますよ。」

 微笑んで見せるとフラミーは浮かび上がり、アインズの手の中の蕾を取り返そうと目一杯手を伸ばした。

「っんもう!返してください!すぐにしまっちゃおうとするんだから!」

「ははは。いいじゃないですか。」

「ダメです!返してくれなきゃお弁当お預けですよ!」

 アインズはぴたりと止まると、素直に蕾を返した。

「……返します。それじゃ、そろそろお昼にしましょうか。」

「ツアーさんも一口あげるから良かったら竜の身で来てくださいね。」

「それは嬉しいね。」

 開きっぱなしの転移門(ゲート)に鎧が戻っていくと、はち切れんばかりに闇は広がり、ツアーは出てきた。

 木陰に入ると尻尾で骨をざらりと退け、身を伏せる。アインズとフラミーはツアーの顔に寄り掛かって座るとサンドイッチの詰められたバスケットとワインを取り出した。

 

 昼食をとり始め、フラミーがサンドイッチをいくつかツアーの口に入れると、アインズは勿体ないと嘆いた。

 いつも会に来ても飲み食いできなかった可哀想なツアーには、小さすぎるサンドイッチも、少なすぎるワインも、どれも新鮮な驚きがあり、また美味だった。

 

 食事が終わると、フラミーはツアーのひやりと冷たい鱗を撫でた。

「ねぇツアーさん。隣の大陸の竜王ってどんな人達ですか?」

「隣の大陸の?こっちの者達と大して変わらないけれど、どうかしたのかい?」

「――そうだった。出した使節団が全滅したようでな、竜王がやったと決まったわけではないんだが、聖王国から一番近い所に住む者の情報を一応聞いておこうと思ったわけだ。」

「そうかい。でも、聞く限りではそれは竜王じゃなさそうだね。」

「と言うと?」

「皆自分勝手ではあるけれど、別に残酷なことが好きなわけではないからね。使節団をわざわざ殺しに出掛けるような趣味のある竜王に心当たりはないよ。どうせ人間と亜人の混合チームだろう?虫が庭を横切るくらい見逃してくれるはずさ。」

 アインズはアルベドの言葉を思い出す。「傲慢な者」の線が否定されたので、相手は「知能の低い者」となる。

 

「やっぱり一発殴らなきゃだめか…。」

 

 アインズは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だけでなく自らも守護者を連れ殴り込みに行く必要があるかと一人悩んでいると、フラミーとツアーはいつの間にか寝息を立て始めていた。

「やれやれ。二人とも命を奪い合ったろうに。」

 呟くと、アインズも少し笑い、目を閉じた。

 

 廃墟の街で、白金(プラチナ)の竜と銀色の髪を揺らす二人は眠った。葉が擦れ合う音と、鳥の鳴く声、眩しく世界に満ちる光。

 戦う者たちの休息は、静かにすぎた。




次回#31 土中より

廃墟のお昼の光景大好きマン
シノヒメ…いったい何歳…

そして殴り込みには爺を連れて行きたいですね!


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試されるトブの大洞穴
#31 土中より


「こっちじゃ!こっちじゃ!」

 手招くちんちくりんの老人の名はムアー・モジット。真っ白な髭がヘソまで逆三角形に伸び、先っぽには可愛らしい赤いリボンが結ばれている。

 リボンと同じ生地で作られた真っ赤な帽子も三角形。大体髭と同じくらいの長さがあり、まるで育ちすぎたたけのこを被っているようだ。ムアーは実に御歳百十五歳。

 

「そう急ぐなと言うておろうが!ここまで来ると、もう寒くて寒くてかなわん!」

 巨大なバックパックから上着を出すループ・カイナルも同じく百十五歳。二人は幼馴染みだ。

 

 ループはムアーと同じ真っ赤なとんがり帽子をギュッと引っ張り、耳まで隠すと持ってきた手袋を二組取り出し、一つをムアーに投げる。

「若者はこれだからとまた長老達に言われては不愉快じゃろう。ループよ、さぁ早く歩くんじゃ!」

 そう。――まるきり老人のような姿だが、この種族の者達――地の小人精霊(ノーム)にとっては百十五歳の二人はまだまだ夢いっぱいの若人だ。

 彼らの働き盛りはなんといっても二百七十五歳。

 

 ムアーの地元では去年の春頃から()の様子が変わってきたようだと言うのがもっぱらの噂で、噴火するような事があってはいけないと、四百歳前後の長老達に山の様子を調べてこいと言われ、こうして二人で手を取り合って旅をしているのだ。

 万一噴火の兆候だとしたら、危険を承知で引越しを行わなければいけない。

 

 そんな二人が一番最初に辿り着いた場所は隣人で、共生関係にある茸生物(マイコニド)達の街だった。茸生物(マイコニド)達は人型の体にキノコの頭を持つ生き物だ。

 ただ、キノコの頭とはいえ地上に普通に生えている軸と傘のある姿とは大きく異なり、ぺちゃりと手で潰したようなゆがんだ球状で、色は黒色や灰白色をしている。

 その街は直径一キロの巨大な縦穴の壁に無数の家が張り付くように建てられている。

 縦穴の中心にはエレベーターと呼ばれるものがあり、金属のロープで吊り上げられているキノコ型のカゴが、住民達を上から下へ、下から上へと運ぶのに一役買っている。

 エレベーターは地の小人精霊(ノーム)と同じく茸生物(マイコニド)と共生関係にある巨大な二足歩行の鼠達が地の底で歯車を押して回す事で動いていて、今回ムアー達も山を目指す為に乗せてもらった。

 菌生物(マイコニド)達は非常に穏和で、壁に生える苔を育てながら、それを毟って食べて生活している。口がどこにあるのかは不明だ。

 そんな彼らの下では、特に何も変わった事はないとその頭の傘をふかふかと振っていた。幻覚を見せる胞子が舞うと二人は慌ててその場を立ち去った。

 

 茸生物(マイコニド)の街からまっすぐ伸びる道を行けば、土食いミミズ(クレイイーター)の巨大トンネル。

 彼らは基本的に特別群れる事もないが冬越しの時にはこのトンネルにみっしりと詰まって過ごすのだ。

 今は外は真夏。トンネルは空っぽだった。

 

 そして二人の目的地は地元からは百キロ以上北上した場所にある、非常に――そう、非常に遠い山小人(ドワーフ)の都市、フェオ・ジュラ。地下道は特に入り組んでいる為、二百キロ近く移動したかもしれない。

 

「はぁ…本当によう冷えるわい…。前はこんなに寒くなかったと思うんじゃが…やっぱり山に何かが起こっとるんじゃろうか…。」

 

 ループが両手をすり合わせ、鼻の頭を赤くしている。

 大きなバックパックから上着を取り出すと、濃紺のスモッグの上から着込んだ。ズボンは茶緑色の吊りズボンで、ベルトには道具袋が下げられている。

 良いから早く来いとでも言うようなムアーは強がって寒さを無視しようと努めているようだ。

 アゼルリシア山脈辺りまでくれば、夏だろうが関係なく相当に冷える。――特にムアー達地の小人精霊(ノーム)は近頃では殆どトブの大森林の地下から動く事はない為、急激な温度変化は苦手だった。

 

「ムアーよ、それにしても、採掘してる音は聞こえておるが…随分静かだとは思わんか…?」

 山小人(ドワーフ)達に近所の灼熱溶岩地帯の近頃の様子を聞きたいのだ。

 アゼルリシア山脈には、地表からわずか数キロしか離れていない所にマグマが流れている。

 天然の魔法門によって、かなり離れた場所にある溶岩流とこの地の溶岩流が結びついている為だ。灼熱の海に近付くことは地の小人精霊(ノーム)にはできない。灼熱の海が見えるようなところまで行けばたちまち全身が高温に熱せられ、死んでしまうだろう。

 

「しっ、声がしておるぞ。」

 ムアーは口元に人差し指を当てると耳を澄ませる。

 遠くからはツルハシが壁を叩く音の中に、「そこは――」「詰むんじゃ――」「摘み食い――」と幾人かの話し声がした。

 

 都市を中心にいくつもの鉱脈が伸びる、現在の山小人(ドワーフ)達の首都――のはずだが、大裂け目の向こうの街からはとても人が住んでいるような賑わいは聞こえなかった。

 

「兎に角早くこの大裂け目を渡るんじゃ!これだってあんまりもたもたしておったら半日がかりになっちまうぞ!」

「こんな不安定な場所じゃ休みたくもないしのう!」

 二人はちょうど人間の成人男性の膝小僧程度しか大きさは無い。その為トブの大森林の地下にあるトブの大洞穴――地の小人精霊(ノーム)の街から、ここまで随分長い時間がかかってしまった。

 ただ、長い帽子を入れればもう少しだけ大きく見える。

 

 吊り橋に足を踏み入れると二人はチョコチョコと走り出した。

「ん!?ありゃ土堀獣人(クアゴア)山小人(ドワーフ)じゃ!」

 二人の目の前には鉱石を荷車に積む犬猿の仲の二つの種族がちらりと、大裂け目の向こうの砦の開けっ放しの門扉から見えた。

 ずっと山小人(ドワーフ)土堀獣人(クアゴア)と領地争いをしていたようだが――いや、土堀獣人(クアゴア)の領地横取り行為に悩まされていたようだが――、ついに白旗を上げたのだろうか。

 

 息急き駆ける二人は山小人(ドワーフ)が勝っていようが土堀獣人(クアゴア)が勝っていようが関係ない。トブの大森林から遠いこの地の覇権争いなど何の関係もないのだがら。

 とにかく山の様子だけを教えてもらえれば良い。

 

 必死になって橋を渡り切ると、二人は砦の中に入り、ぴたりと硬直した。

 山小人(ドワーフ)達と土堀獣人(クアゴア)達はまだこちらに気付いていないようだ。

「に、逃げるか…?」

「…しかしそれじゃあ山の様子を聞けん…。」

 二人がもたもたと迷っている理由は、山小人(ドワーフ)土堀獣人(クアゴア)達が鉱石を積んでいる荷車にある。

 そこには見た事もない靄を纏う骨のアンデッドが繋がれていた。

 

 土堀獣人(クアゴア)達は時たま鉱石をちらりと物欲しそうな目で見ていた。

「よーし!今日はここまでだ!スケルトン止まれ!トンネルドクター、やってくれ。」

「ほいほい、今日も随分掘り進んだもんだ。」

 土堀獣人(クアゴア)に呼ばれた一人の山小人(ドワーフ)が採掘のトンネルに入っていこうとしたその時――目があった。

「おや?地の小人精霊(ノーム)?珍しいのう。まだこの辺りにもおったんだな。」

 ムアーは弾かれたように腰に携えている道具袋から料理用のペティナイフを抜いた。ヤスリやハンマーも入っているが、一番良いのはナイフだろう。

山小人(ドワーフ)よ!わしらは山の変化を調べに来た!おぬしら何をしておる!!」

「そ、そうじゃ!このアンデッドは――」

 カチャンッと音を立てて、言いかけたループの手からはペティナイフが落ちた。

 

 坑道からゾロゾロとスケルトン達が大量に出てきたのだ。

 地下生活はアンデッド一人湧いてしまえば途端に崩壊する。地上程逃げ場は多くないのだ。

 

「あ…あわ…あわわ…。噴火より悪い…。」

「もうだめじゃ…もう…もう…。」

 

 山小人(ドワーフ)は涼しい顔をして「何をしておる」の問いに答え出した。

「わしはトンネルドクターだ。その他系の魔法詠唱者(マジックキャスター)で、トンネルの中で岩塊が落ちてきたり、坑道が崩落せんようにしておるんだよ。スケルトンもただじゃないからのう。」

 水脈やガス溜まりがないかの確認もしておる、と胸を張るトンネルドクターにムアーは何とか正気を取り戻した。

 

「そ、そんなことを聞いておるんじゃないわい!!わしが聞きたいのは、そ、そ、その、アンデッドの方じゃ!!」

「…何?おぬしらはスケルトンを知らないのか…?」

「…と言うことは…。」

 山小人(ドワーフ)土堀獣人(クアゴア)は目を見合わせると途端にムアーとループへ向かって駆け寄ってきた。

 大きな生き物の走るスピードとは凄まじく速い。いや、山小人(ドワーフ)も決して大きくはないが、地の小人精霊(ノーム)に比べればよほど巨大だ。

 

「ひ、ひぃえぇー!来るな!」

 ムアー達は慌てて砦へ向かって駆け出すが、土堀獣人(クアゴア)によって、ループのバックパックが掴まれた。

「下ろせ!下ろせーい!」

「い、今のうちに逃げるんじゃ!!」

「あ!置いてくな!助けんかい!!」

 わたわたとループは手足を動かし、目の前の巨大なモグラに向かってポケットに入っているあらゆる物を投げつけた。

「わしはタダでは食われんぞ!!この!これでどうじゃ!!」

「っあ、っい、いてっ。お、落ち着け。食べやしない。下ろすから。下ろすから。」

 ループは地に足をつくと、途端にムアーを追って駆け出した。しかし、その先には荷車をくくり付けられていた靄の骨が先回りした。 

「あぁっ!おぬしが食われておれば!!」

「わし一人でこやつらの腹が満ちると本気で思っておるならおぬしは四十歳から頭が成長しとらんようじゃ!!」

 二人が罵り合っていると、気付けばスケルトンに取り囲まれていた。そして山小人(ドワーフ)が覗き込んでくる。

「そう怯えんでくれ。わしらは何もせん。それより、おぬしらその様子じゃ神聖魔導国を知らんのだろう?」

「そんなもん知らんわい!こいつらを退かせ!」

「わしらは山の調子を見に来ただけじゃ!!」

 

 山小人(ドワーフ)達と土堀獣人(クアゴア)達は目を見合わせると首を傾げた。

「山の調子…?抜群だと思うがのう…?兎に角、おぬしらには悪いが一回国に付いてきて貰うぞい。国を知らん者を連れ帰れば褒賞金が出るしのう!」

「つ、連れ帰るじゃと!?山小人(ドワーフ)の国か!?」

 

「いいや。生と死を司る神々の国よ。さぁ、お連れするぞい。」

 

 ムアーとループは何やら不穏な空気を察知した。

 トンネルドクターの指示に従い、スケルトン達が途端に手を伸ばしてくると、二人は何も乗っていない荷車に積まれた。

 仕事がない様子の土堀獣人(クアゴア)達と山小人(ドワーフ)達も乗り込むと二人は肩身を狭くした。

 

「せ、せめてどこに行くのかくらい教えんかい!」

「ん?だから神聖魔導国だよ。」

「それはどこなんじゃ!!」

「地下道を出て、山道を南に大体――」

「ち、地下道を出るじゃと!?」

 ムアーの酷く音階の崩れた声が響く。トンネルドクターはひとまず仕事だと坑道に入って行ってしまった。

「そうだ。魂喰らい(ソウルイーター)は地下の狭いところは通れんだろう。」

「嫌じゃ!嫌じゃ嫌じゃ!!食われる!」

「外はペリュトン、ハルピュイア、イツマデ、ギガントイーグル!何でもおるじゃないか!!」

 アゼルリシア山脈の地上を行くとすれば、モンスターや大型飛行動物の襲撃に怯えなければいけない。特に小型の地の小人精霊(ノーム)はタダの鷲や鳶も警戒する必要があるだろう。

「安心しろ。どれも神聖魔導国の国民だ。無駄に誰かを傷付けたりはしない。」

「な、なんじゃと!?いつの間に山はそんな国になっておったんじゃ…。」

 俄かには信じられない。ムアーとループはここを連れ出すために嘘をつかれているのではないかと思った。

 

 そしてトンネルドクターが戻り荷車に乗り込むと、スケルトン達を取り残し、馬車――のようなものは出発した。

 




セイレーンから打って変わって髭面のおじさんばっかりの絵面!!
大好き!( ˊ̱˂˃ˋ̱ )んふんふ

次回#32 地上より

お口直しのピッキーをいただきましたよ!!©︎ユズリハ様です!もう書かなくてもわかるな!

【挿絵表示】

おデート御方々@McDnld
かわいいわねぇー!


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#32 地上より

 ムアーは揺れる馬車の上で、辺りをキョロキョロと見渡していた。一行はフェオ・ジュラから程近いところに開いていた大穴からすぐに地上に出ていた。山の地下が前よりも寒いのはあの大穴のせいだったらしい。

「おぬしらは木を切っておるのか?」

 眼前には一本道に切り開かれた山。こんな物があちらこちらにあるのか心配になった。

「この道だけだのう。神聖魔導国の法律でここは伐採を禁じられておる。」

「なんて言ったっけか?セイタ・イ・ケイ?」

 土堀獣人(クアゴア)のプ・リミドルの氏族、プ・ラムルズが耳慣れぬ言葉を言う。プはムアーが寒くないように肩に手を置いていてくれていた。ループもポ・グズアの氏族、ポ・ガンタの股の上に座らせて貰い、ゴワゴワと硬い毛に包まれ、凍えずに山を降りていた。

 地上に出てからはプもポも黒い色眼鏡を掛けている。地下で他の班とも合流し、一大部隊となっているが、どの土堀獣人(クアゴア)もそれぞれ違うデザインの物を掛けており、それが土堀獣人(クアゴア)流のお洒落なんだなと思わされる。

「そうそう、セイタ・イ・ケイ。まぁ、難しい事はわしらには解らん。トブの大森林の計画伐採地区だけは建材の確保の為に切られとるがな。そっちは長老達が植樹しとるそうだよ。」

「長老?」

「トレントの爺様のことだぞい。」

 十年前に旅に出かけた者の話には出て来なかったような言葉ばかりでムアーもループも地の小人精霊(ノーム)が世の中について行けていない気がして恥ずかしくなった。なんとも居た堪れない。

「まぁ、兎に角飲めばえんだ。話はそれから。」「ほれ、おぬしらは飲んでおれ。わしはまだ仕事がある。」

 ドワーフのガゲズと、通称ドクターに勧められ、恐る恐るカップを受け取る。星屑を砕いて溶かしたようにトロリと金色に輝く蒸留酒は、恐る恐る舐めるように口にした二人を夢中にさせた。

「おっ、おぬしらいける口とみた!うまいじゃろう!」

「うまい!本当にうまいのう!地上の酒なんて初めて飲んだぞ!」

「こりゃウチの長老達にも飲ませてやりたいのう!」

 夢見心地だ。旨い酒に、地上にいると言うのにモンスターを警戒しないでも良い気楽さ。

 すっかり良い気になって飲んでいると、イツマデ!イツマデ!とおどろおどろしい鳴き声が響いた。

「っひぇ…イツマデが鳴いたなんて、どこかで死人が出たのかのう…。」

「襲って来ないんじゃよな?」

 ムアーは道の向こうで鬱蒼とする木々の群れに視線をやった。そこからは今にも恐ろしい魔物が飛び出して来そうだった。せっかく良い気持ちで酒を楽しんでいたのに。

 

「あぁ。何もしやしない。それよりドクター、もうやめておけ。」

 ポに言われ、ドクターは不承不承今日掘り進めた分の坑道地図を書く手を止め、それをしまった。

「もう少しだって言うのに!イツマデめ!」

「なんじゃなんじゃ…?」

 訳がわからないとドクターを見ると、ドクターは実に詰まらなそうに語り出した。

「ありゃ労働時間を大きく超過した山小人(ドワーフ)を一週間見張る糞モンスターだ。いつまで働いてるんだと言って回りおる!!」

 憤慨した様子で、頭上を怪鳥がくるりと回るのを見送った。鬼の顔、蛇の胴、巨大な翼を持つ実に気味の悪い生き物だ。地の小人精霊(ノーム)に伝わる話では、死体を放置していると現れる怪鳥のはずだ。肉食だし、天敵ではあるが、人によってはアンデッドの発生を最小限に留めるために必要な妖精だなんて言う者もいる。

 

 ドクターは誰がチクリおったんだとぶつぶつ続けた。

「…あんなものが付き纏ったら、そりゃ嫌じゃのう…。」

「…わしらなら食われるかとヒヤヒヤしそうなもんじゃ…。」

 辺りは顔と乳房だけが人間で、あとは全身が羽毛に覆われるハルピュイアがハープを奏でる優しい音が満ち、遠くには落ちゆく日が一行の行先に妖艶な影を生んでいた。

 

 

 街に着けば既に夜を迎えようとしていて、神殿に行くと言われていたが、その日はもう神殿に行くことはできなかった。

 しかし、街は夜闇を追い出し、優しい魔法の光に包まれていた。

 

 

 ムアーとループはドクターの家のリビングのソファに一泊した翌日、バックパックを二人してひっくり返し、極力綺麗な服を着込んだ。前日の夜にはドクターと共に銭湯にも行ったし、浴びるほど酒も飲んだ。

 ――ともかく、久々に文化的な存在になれた気がする。

 朝食のいい匂いがするダイニングのテーブルに近付くと、ドクターの奥さんが拾い上げて赤子用の椅子に乗せてくれた。テーブルにはトマトのスープとパン、新鮮そうなサラダと、目玉焼き。

 二人の分は小皿に少しづつ取ってくれてあり、すっかり恐縮した。

 ドクターは昨日山で会ったときとは打って変わって、赤茶色の髭を丁寧に三つ編みにし、髪を撫でつけ、まるで社交界にでも行くように身綺麗な格好をしていた。

「待たせたのう。さぁ皆席について。手を合わせるんだ。」

 ムアーとループは、ドクターと奥さん、それから慌てて席についた三人の子供―― ドクターには年子で兄、妹、弟と三人の子供がいる――を真似て胸の前で手を合わせると目を閉じた。

「神王陛下。良い眠りと夜をありがとうございました。光神陛下。今日も生きる道を照らし、旨し糧を下さいますことを感謝いたします。御身に呼び戻された命を、今日も大切に生きることを誓います。」

 呼び戻された命だなんて聞いたことのない祈りだと思っていると、ドクターは続けた。

「いただきます!」「いただきまーす!」

 ドクターの掛け声に奥さんと子供が続く。ムアーとループも一応真似をし、「いただきます」と言ってから朝食に手をつけた。途端に賑やかな食卓だ。

 

「ほいで、おぬしらは山の様子を見にきたのなんのと言っておったが、一体何がどうしたんだ?」

 むしゃむしゃと草原のようなサラダを食べるドクターに、ムアーとループは答える。

「それが、去年の春からどうも山の様子が変わったようだと鉱石が言いおってな。うちの長老達は噴火の前兆じゃあるまいなと思った訳じゃよ。トブの大洞穴とは言え、噴火なんかしおったら一たまりもないからのう。」

「でも様子が変わった理由がわかったわい。おぬしら、去年の春から採掘のスピードか方法を変えたじゃろ。地の小人精霊(ノーム)の勘が騒いで騒いでしょうがないんじゃよ。」

 ループの言を聞くとドクターはひとつ頷いた。

「そう言う事か。去年の春、防衛点検ってのがあったんだがのう。アダマンタイトが足らんくて世の中大変だぞい。掘ってみるしかないからのう。」

「アダマンタイト?あそこの鉱脈はもっと下に掘らにゃアダマンタイトはないはずじゃ。」

 ムアーが呆れ混じりに言うとむむっとドクターは唸り、食事の手を止めた。二人から見ればどんぶりのような量のスープはすっかり空だ。大きな生き物はすごい。奥さんは子供達のまだ短い口髭についたスープを拭ってやっていた。

 

「おぬしら、今日神殿で種族のご報告をしたら、その後はわしらと働かんか?」

「地上で?」

「いや、アゼルリシアの坑道でだ。地の小人精霊(ノーム)の鉱脈を聞く能力があれば、相当稼げるぞい!別に出勤は地の小人精霊(ノーム)の街から来てええんだから!」

 ムアーとループは思いもよらない新たな人生を想像して瞳を輝かせた。が、地の小人精霊(ノーム)の街――ナリオラッタからフェオ・ジュラは遠い。出勤のために数ヶ月かけていたら馬鹿だ。もし働くと言うならば、この凄まじい魔法都市に暮らすことになるだろう。

 

「…面白そうな話じゃが、難しいじゃろな。」

 ムアーは昨日、すれ違った亜人達について思い出す。その中でも一番驚愕したのは霜の竜(フロストドラゴン)霜の巨人(フロストジャイアント)がそこら辺で普通に過ごしている事だ。空を飛んでいたり、氷売りとして歩いていたりする。

 そんな街で、暮らしていける自信はなかった。いつかぺちゃんこに踏みつぶされ、煎餅になるのが関の山だ。

「…そりゃ残念だのう…。まぁ、気が変わったらいつでも言うてくれ!」

 二人は頷くと食事を済ませた。

 

+

 

 ドクターは国営小学校(プライマリースクール)に行くと言う子供達三人が友達の蜥蜴人(リザードマン)と、人間の可愛らしい双子の下へ駆けていくのを見送ると、ふんすと息を吐いた。

「さて、それじゃわしらも神殿に行くかいのう。」

 ゆっくりと歩くドクターに二人は早足で着いて行く。おっかなびっくりで幽霊船に乗ると、水の流れる巨大な枯れ木の北側から、すぐに光の神殿前と呼ばれる停留所に着き、三人は降りた。

 白亜の輝くような見事な神殿は二つ入り口があり、一つは開け放たれていた。ムアーとループは当然開いている方に行くのだろうと短い足でチョコチョコと歩き出した。

「あ、待つんじゃモジット!カイナル!」

「なんじゃ?」「なんじゃ?」

「そっちは聖堂じゃ。後で行くからまずは神殿に行くんじゃ。」

 違いがわからないが現地民の言うことを聞くかとドクターの後を追う。二人は何となく世界を知った気になり始めていた。

「わしは帰ったら長老達にこれでもかと文句を言うつもりじゃったが、今回ばかりは選ばれて良かったのう!」

「ほんとじゃのう!若いうちに見聞を広めるって言うのは悪くないことじゃ!」

 百十五歳の若者達はうきうきと神殿に踏み入れた。

 ドクターが神官達と何かを話しているのを横目に、二人は初めてみる凡ゆる物に興奮していた。

「天井迄凝っておるのう…。」

「わしらの力じゃあんな石は掘れん。」

 暫しの時間が流れると、浮き足立つような雰囲気のドクターが戻ってきた。ドクターと話すときはとんと首が疲れる。

「それで、わしらはどうしたらいんじゃ?」

「それが連絡を取ったら陛下方が直々にいらっしゃるそうだ!聖堂でお待ちするぞい!」

 数度神官に頭を下げると、三人は移動した。

 

「その陛下っちゅーのは陛下っちゅーくらいじゃから、王様かいの…?」

「わ、わしらは王に謁見できるほどまともな格好はしとらん!」

 ムアー達は自分ばっかりちゃんと相応しげな格好のドクターをどこか恨めしげに見た。地の小人精霊(ノーム)の代表として地上の王に恥ずかしいところは見せられない。

 とは言え、長くフサフサの白い髭で見えていないが、そのスモッグには紫色のステッチが施されていたり、そこそこ凝ってはいる。山小人(ドワーフ)の摂政会のお偉方に会う為に持ってきた服なのだから。

「大丈夫、大丈夫。陛下方は実に寛大なお方達だからのう!」

 二人は聖堂の一番前に置かれている美しい女神像の前で、仕方なくそのまま互いの身なりを確認した。ドクターは二人を見ながら、自分の髭をしごいた。

「しかし、州知事殿くらいとは会うつもりだったが…陛下方は地の小人精霊(ノーム)がお好きなのかの?」

「なんじゃて!っくそぅ、それなら尚の事こんな格好じゃお会いできん!」

「わしらは一回大洞穴に帰る!!」

「あぁー!待て待て!もういらっしゃるはずなんだから!」

「嫌じゃ!!悪い印象を持たれとうない!!わしらは代表として――」

 視界の端に映った存在にムアーとループが目を丸くする。表情が一瞬で驚く程多様に変化した。困惑、驚愕、恐怖、そして――

 

「うひゃぁぁあぁあぁあ!!」

 ドクターが身構えてしまうほどの奇声をあげたかと思うと、二人は互いの身を抱いてペタリと床に座った。

 

「賑やかじゃないか。それが地の小人精霊(ノーム)か。」

「ふふ、可愛い妖精さん。」




やっぱりちっちゃいのにどこかやかましいw

次回#33 二人の小人



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#33 二人の小人

 その日の朝、アインズは愛息子の小さな口にスプーンを入れていた。まだ一人座りはうまくできないためフラミーに抱えられている。

 ナインズは徐々にすり潰した野菜や粥も食べるようになってきていて、こないだ小さな乳歯を発見した時には一日中ナザリックはお祭り騒ぎだった。

 どう見てもまだ食べられないだろうと言う物が大量に献上される事件も起きた。

 

「九太、うまいか?」

 アインズはもにゅもにゅと口を動かす自身とフラミーの小さな分身に微笑んだ。まだ母乳の方が好きなのかずっと片手でフラミーの胸をまさぐっている。

「おいしいねぇ。お父さんが食べさせてくれたらなんだって美味しいよねぇ。」

 食事が終われば、二時間ほどコキュートスによる無限いないいないバアタイムだ。その後は沈黙都市の付近の亜人種達の制圧に行かなければいけないので、控えるコキュートスは午前中のこの至福の時をとても大切にしている。――ちなみに向こうでは漆黒聖典と陽光聖典がキャンプをしてコキュートスの到着を待っている。

 が、ふとコキュートスは部屋の端に移動し、こめかみに触れた。

 朝から珍しいなと思いながら食事を済ませると、エ・ランテルから出勤してきたセバスが食器を片付けた。アインズもフラミーもしたい事だけをする生活には未だに慣れられず、なんでもやりっぱなしで片付けて貰えるのは少し居心地が悪い。

 しかし、食器くらい洗うなどと言えば、食器洗いを担当する者が自殺しかねない。仕方なく今日も今日とて下げられていく食器を見送った。

 

「コキュートスはお仕事だからな。よし、九太。よく見てろ?」

 アインズは顔を隠し、「いないいない」と唱え、バァッと顔を出した時には骸骨だった。必殺いないいないアンデッドだ。

 ナインズは生まれたばかりの頃はアンデッドが大嫌いだったが、執務の時に部屋で遊ばせていた為随分慣れ――いや、慣れるどころかすっかりお気に入りだった。

 一瞬口を開けて骸を見た後、おかしくて堪らないとばかりにナインズは笑った。

「きゃー!こわーい!お父さん、死の支配者(オーバーロード)だぁ!」

 フラミーに揺すられると一層笑いは大きくなっていった。

 癒される。何て素晴らしい日常。この素晴らしき日常のたった一つの問題は、ナインズがこれを何時間でもやられたがる事――そして支配者も何時間でもやれてしまう事だ。

 ナインズはいないいないバアだけで三度の飯が食えるほどに、いないいないバアがお気に入りだった。

 骨のまま顔を隠し、今度は人でバァッと見せると、ナインズはそんなに笑って苦しくないのかと言うほどに笑った。そして、再び顔を隠す。指の隙間から見えるフラミーとお揃いのナインズの瞳はバァッの時への期待に輝いていた。

 数度いないいないアンデッドをしていると、爺が戻った。

 

「アインズ様。エ・ランテルノ光ノ神殿ヲ地ノ小人精霊(ノーム)ガ訪レタソウデス。何デモ、トブノ大洞穴ヨリ来タト。」

「何!でかしたぞ!!」

 トブの大洞穴。第六階層に連れ帰り育てられているマンドレイクを発見した時に、アウラとマーレから報告としては上がっていたが、未だ小さな生き物が出入りできる程度の入り口しか見つかっておらず、これ程近距離だと言うのに手を出せていなかった幻の巨大空間。

 それは、トブの大森林の地下からアゼルリシア山脈に向かって伸びているらしいと言う情報だけがあった。

 

 骨だと言うのに目尻が下がっているように見えたアインズの顔は途端に引き締まった。

 

「会ってみようじゃないか!」

 

+

 

 ナインズとの別れを散々惜しんだ支配者達は転移門(ゲート)を潜った。ナインズは人の顔が判別できるようになって来たようで、近頃は両親と離れる時に泣いてしまう。泣き止むまで当然のように出かけられない。

 

 アインズは目の前で座り込む小さな生き物を前に首を傾げた。周りの参拝客が熱心に祈りを捧げてくるのは華麗に無視する。

(……何でこの二人は座り込んでいるんだ?地の小人精霊(ノーム)は座り込んで話すのが作法なのか?)

 目を大きく開けているし、地の小人精霊(ノーム)特有の表情だったら嫌だなとアインズが思っていると、フラミーはその前にしゃがみ込み、にこりと微笑んだ。

「こんにちは!ちっちゃな妖精さん!」

 恐らくここまで案内したであろう山小人(ドワーフ)はそっとフラミーを手のひらで指し示した。

「この方が光神陛下だぞい。わしらに再びのお命を下さった女神様じゃ。」

「っあ、は、はぁ!こりゃ失礼しましたじゃ。王妃陛下――いや、光神陛下はすごいアンデッドを使役されとるんじゃな。それに、この像は光神陛下じゃったか…。」

 また使役かと苦笑する。別に悪い気はしないし、自ら尻に敷かれに行くアインズはある意味フラミーの使役アンデッドだ。

(そう思うとフラミーさんは超高レベルの死霊使い(ネクロマンサー)だな。)

 アインズは一人下らない考えに笑うと、話にならなそうなので"いないいないアンデッド"スタイルをやめ、フラミーの隣にしゃがむと人になり手を差し出した。

 引っ張って起こすと言う意味にも、友好の握手にも見えるように注意する。地の小人精霊(ノーム)は困惑したようにアインズの顔と手を交互に見た。

「なんじゃ!?幻覚なんて趣味が悪い!」

「こりゃ、モジット!こちらのお方が神王陛下だぞい!」

 白い髭面が驚きに染まる。

「お、王様じゃったか…!でっかいがツルッとしておって赤ん坊みたいじゃな…。」

 二人の小さな小人達は天を仰ぐようにアインズを見上げた。アインズはもしかしてヒゲとか生えている方が威厳があって良いかとちょいと顎を触る。しかし、フラミーもナインズも髭は嫌いそうだ。ほっぺすりすりはアインズの生き甲斐の為思考を破棄する。

「そうだ。私こそ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が王、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王である。こちらの女神は我が伴侶、フラミーさんだ。さぁ、地の小人精霊(ノーム)よ。名乗るが良い。」

 アインズはしゃがんでいながらも、目一杯王様らしい動きと言葉――だと思っている――で、相手の自己紹介を促した。

「あ、わ、わしは地の小人精霊(ノーム)のムアー・モジットですじゃ。」

「わ、わしはループ・カイナルですじゃ。」

 二人は慌てて長いとんがり帽子を脱ぎ名乗るとアインズの大きな手を取った。ナインズのように小さな手に可愛らしさを感じかけてしまいながら、手を引き、二人を立たせた。

 立たせたが、しゃがむアインズとフラミーの方が余程大きい。帽子を脱ぐとなおさら小さく感じる。会いに来たが、アインズ達が地下へ入れるような入り口を知っているとはあまり思えなかった。

 

「モジット、そしてカイナル。君達はトブの大森林の地下から来た、そう聞いているのだが間違いないかな?」

「そうですじゃ!わしらは、生まれも育ちもトブの大洞穴ですじゃ。」

「アゼルリシア山脈がこの一年様子が変わりおったから、様子を見に行ったところでドクターに会ったんですじゃよ!」

 アインズはドクターと呼ばれている山小人(ドワーフ)を確認し、ふむふむと頷いていると、膝の上に頬杖をつくようにしているフラミーが首を傾げた。

「アゼルリシア山脈の変化って何ですか?」

「噴火するんじゃないかと思ったんじゃが、ただ採掘量が増えただけで、何も変わっとりゃせんかったです。」

「なんだ。それなら良かったぁ。」

 フラミーが笑うと、周りでアインズ達の視線に合わせてしゃがむ信者達もつられるように笑った。聖堂に人が来ては皆そそくさとしゃがむと言うおかしな光景が続く。

「それで、わしらは地の小人精霊(ノーム)がいると神殿で申告したんじゃが、これでもう帰ってもいいんですかのう?」

「こんなかっこじゃし…。王様に会うってわかっとったら…もっといい服も持ってきたんじゃが…。」

 二人はもじもじと恥ずかしそうに深緑のスモッグを引っ張った。

 

「格好は気にする事はない。それより、私達は実はそのトブの大洞穴と――そう、地の小人精霊(ノーム)と国交を開きたいと思っていたところなんだが、帰るついでに案内を頼めないだろうか。褒美には欲する物を渡すと約束しよう。」

 地の小人精霊(ノーム)は分かりやすく目に期待の色を映した。

「なに!それなら、地表のうんまい酒を持って帰りたいんですじゃ!神聖魔導国の酒はすごかった!」

「少しでもいいんですじゃ!長老や兄弟に飲ませてやりたいんですじゃ!」

 アインズは即座に了承すると、影のように控えていたセバスに視線を送った。

「セバス、私達が普段口にする中でも上等な物を出せ。地下世界への案内人への礼だ。あぁ、そう。常温で味わえる物をな。」

「かしこまりました。では、戻り次第いくつかご用意いたします。」

 聖堂内がざわめき、神の飲む酒を口にできる地の小人精霊(ノーム)への嫉妬とも、羨望とも付かない声が溢れた。

「褒美は、今の内容と言うことでどうかな?」

「もちろんお受けいたしますじゃよ!!国交が開かれればうまい飯も食べられそうじゃ!」

 二人は嬉しそうに手を挙げ、まるで宣誓するように大きな声で返事をした。

「よし。頼もう。念の為に聞いておきたいのだが、君達は私達が入れるような場所を知っていると思っていいかな…?」

「そりゃもうもちろん知っとりますぞ!じゃが、そこは茸生物(マイコニド)の街に続く通路で、着いたら一応通してもらえるか聞く必要がありますじゃ。」

 茸生物(マイコニド)に通行を断られる可能性もありそうだが――

「兎に角行ってみるしかないな。さて、君達はいつなら出発できるかな。」

「今すぐにでも行けますじゃ!」

 ループがビシッと敬礼すると、ムアーはパッとループの前に身を乗り出した。

「あ、いや!流石にドクターと奥さんに礼をしてからじゃなきゃいかんので、二時間はいただきたいですじゃ!」

「うむ、うむ。それは大切なことだ。では、明日の早朝でどうかな。」

「もちろん!感謝いたしますじゃよ!」

 ムアーが両手で帽子を握り、腰から恭しげに頭を下げた。

「でも、今日はよく晴れておりますし、明日も雨は降らなそうですのう。降るまで近くで野宿になってしまうかの…。」

 アインズは雨を求める意味がわからず、説明するように二人の小人へ視線を送った。

「あ、こりゃ失礼いたしましたじゃ!入り口には幻覚を見せる胞子がずっと飛ばされておって、雨で胞子が落とされないと入り口は見えんのですじゃ!」

 レベルの低い者に捜索させても見つからないわけだとアインズは思った。

「地上は景色がすぐに変わるもんじゃから、わしらも雨の日じゃなきゃ行き着けんかもしれんのですじゃよ。延期されますかの…?」

 

 それを聞くと、アインズとフラミーは笑った。不可解そうな視線を向けられると、フラミーはパタパタと顔の前で手を振った。

「あ、いえ。すみません。お二人を笑ったんじゃないんですよ。気を悪くしないで下さいね。」

「ふふ、モジット、カイナル。天気は心配するな。私達が雨だと言えば雨。晴れだと言えば晴れ。全ては我が手の内だ。」

 

 アインズは胸の前で手を握ると、最高に決まったと思った。




「わぁ!ズアちゃんみたぁい!」
 アインズは握った手の行き場を失い、最高に恥ずかしくなった。

次回#34 雨降りの中で

ナインズきゅん、ついに離乳食かぁ…もうこんなにおっきくなって…(親戚並み感想


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#34 雨降りの中で

 翌早朝。約束の時間になるとムアーとループはドクターと奥さんに何度も礼を言ってその家を発った。

 前日の夜には地の小人精霊(ノーム)お得意の刺繍をドクターの一張羅と、奥さんのエプロン、子供達のスクーリングバッグに施した。キノコやネズミ、虫、モグラの細緻な刺繍は一家を感嘆させた。ただ、ドクターは「陛下方の飲む酒を一口舐めさせて欲しかった」と笑ったらしい。

 

 昨日ドクターに教えられたように水上バス(ヴァポレット)の乗り場へ向かってチョコチョコと走る。辺りは赤や黄色、様々な色の山小人(ドワーフ)サイズの家が立ち並んでいる。

 

 まだ夜明け前なので街にはそんなに人は多くないし、二人は本当にあの舟は動いているのかと少し心配になった。

「もし動いてなかったら、あそこまで走らにゃならんのう!」

「時間に間に合うかだけが心配じゃ!」

 

 二人は白み始めた空を見上げつつ、乗り場が見えると速度を落とした。程なくして、朝霧の中を静かに舟がやってきた。

「乗れ乗れ!乗るんじゃ!」

「えっと、ドクターが持たせてくれた船賃を…。」

 ムアーは何かの建物がデザインされた美しい銅貨を四枚取り出し、幽霊船長に渡した。ドクターはムアー達を連れ帰った報奨金を、一緒にいたガゲズやポ、プと分け合うそうで、そこから船賃を持たせてくれたのだ。

 幽霊船長が小さな二人から銅貨を受け取るとドアは閉まった。

 

 特別な抵抗もなく舟が動き出すと、二人は今度はソワソワと――まるで初めての海外旅行のように、降りる停留所を待った。

 そして光の神殿前に着くと、弾丸のように走り出した。

 

 神殿の前に着くと、二人は聖堂の入り口へ向かって突撃した。

 しかし、扉を開く前には互いの身嗜みの確認だ。昨日と同じ服だが仕方ない。

「どうじゃ?」「良いみたいじゃ!」

「わしはどうじゃ?」「良いみたいじゃ!」

 二人は帽子を脱ぐと、聖堂の扉を押した。

 

「あ!アインズ様、フラミー様!来ましたよ!」

「ノ、地の小人精霊(ノーム)です!」

 二人の闇妖精(ダークエルフ)を見ると、ムアー達はオォ!と声を上げた。

闇妖精(ダークエルフ)!ここに暮らしておったんじゃな!大森林から居なくなって久しいが、良かったのう!」

 地の小人精霊(ノーム)は子供が生まれると、親が誕生記念樹を植えに地上に出る文化があったが、それも闇妖精(ダークエルフ)が居なくなってからは無くなっていた。昔は闇妖精(ダークエルフ)の集落の中に地下道を通させて貰っていて、安全の中記念樹を植えられていた。今は魔獣と魔物の蔓延る恐ろしい地表に出られる者はおらず、ずっと記念樹は植えられていない。

「あたし達は別にトブの大森林で暮らしたことなんて一回もないよ。」

「あ、あの、ご挨拶した方が、その、良いと思います。」

 闇妖精(ダークエルフ)の少女はワインや酒が何本も入った重たそうなバスケットを両手で抱えるように持っていた。

 あれが間違いなくご褒美だと、想像よりもたくさんの瓶に思わずやる気も盛り盛りと湧き上がってくる。

 ムアー達はトブの大森林で暮らしていた世代はもうそんなに前かと思いながら、急ぎ王達の前へ走って進んだ。

 

「神王陛下!光神陛下!しばしの旅の間、よろしくお願いいたしますじゃ!」

 王達が振り向くと、その向こうにはしっとりと輝く毛皮をした黒色の巨大な狼。その燃え上がるように赤い瞳には高い知性が宿っていた。

 そして、並ぶようにギョロリと丸い目をした巨大なカメレオン。美しい緑の鱗状の皮膚は実に硬そうで、足は六本もあった。

 

 ムアー達は思わず足が竦みかけた。

「来たな。よろしく頼む。」

「おはようございます。あっちの二人はアウラとマーレ、この子達はフェンとクアドラシル。怖くないですよ。」

 優しい笑みに誘い込まれるようにちょこちょこと近付き、ムアーはフェンと呼ばれた黒い狼に、ループはクアドラシルと呼ばれた巨大カメレオンに、チョンと触る。

「…見た目より大人しいんじゃなぁ。」

「これをどうするんですじゃ?」

「これに乗っていくんだ。私とフラミーさんはクアドラシルに乗ろう。君達はアウラとマーレと共にフェンに乗りなさい。」

 王はそう言うと早速王妃をクアドラシルに乗せ、ふとマーレに手を伸ばした。

「マーレ、土産は私が持とう。お前達は四人乗りになるんだからな。」

「あっ、で、でもそんな、アインズ様に荷物を持たせるなんて。」

「安心しなさい。無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に入れておくだけだ。」

「じ、じゃあ…。」

 非常に躊躇われながら、ムアーとループの酒は王の手に渡り謎の闇に吸い込まれた。

 

「楽しみだのう!」

「早く帰って開けたいもんじゃ!」

 二人でクスクスとその時に思いを馳せながら笑みを溢していると、アウラが手招いた。

「じゃ!ムアーとループはこっちおいで!」

「頼むぞい!」

 マーレに持ち上げられ、フェンの背に乗せられると、長く美しい毛に二人は掴まった。二人は未だかつて、どんな地の小人精霊(ノーム)も体験したことのないであろう冒険を前にドキドキと胸を躍らせた。

 

「<転移門(ゲート)>。では、神官達よ。私達は行く。」

「お気をつけて!!」

 

 ムアー達はズンズンと魔獣が闇へ向けて歩き出すと、扉に向かわなくて良いのかと首を傾げ――その先は木々の広がるまだ眠る大森林だった。

 

「なんじゃなんじゃ!!もうトブの大森林についておる!!」

「これはもしかして出かける時に長老達が言っておった魔法か!!」

 二人がやいのやいのと大盛り上がりを見せていると、横についたクアドラシルの上から声が飛んでくる。

「お前達の長老は転移門(ゲート)を知っているのか?」

「そんな名前かは知らんのじゃが、ラッパスレア山とフェオ・ジュラの近くが自然的に出来た魔法の門で繋がっておるらしいんですじゃ!」

「そこから溶岩が流れ込んできおって、物凄い魚の化け物が泳いどる!そいつはこの世にたった一匹しかおらんらしいんですじゃよ!本当はそれの確認に行くはずだったんですじゃ!」

「ラッパスレア山の激レアモンスターか…面白い話だな…。以前山小人(ドワーフ)の旧王都を奪還した時に通りすぎた溶岩地帯、あそこがそうだったかな。欲しいな…。」

 王は浸るように一瞬目を閉じると、すぐに目を開いた。

「さて、雨はもう降っている方がいいかな?」

 王に後ろから包まれるように魔獣に座る王妃も続ける。

「範囲は広い方が良いですか?」

 二人は悩んでから「今すぐの方が」「広い方が」と控えめに申し述べた。

 水を散布するような広さでは少し心許ない。なるべく早いうちから雨が降って、胞子が落ちるようにしたいところだ。

 だが、日が昇り始めた空はとても雨が降る様子はない。

 

「どうなさるんですじゃ?」

 ムアーが心配そうな声を上げると、すぐ後ろに乗っているアウラはシッと声を上げた。

「良いから見てなって。」

「そ、そうかいの…?」

 見ていると王と王妃は真剣な顔で相談を始めた。そして、一行を包むように青白い巨大な円の立体魔法陣が現れた。

「すみません、ちょっと待ってくださいね。砂時計がもったいないですから。」

 王妃にアウラ達がはーいと元気な声を返すのを聴きながら、ムアーとループは生まれて初めて見る美しい光景を口を開けて眺めた。

 

 王はクアドラシルの背から降り、辺りに何かが居ないかを確認した。

 そして、双子に守れと伝えると空高く飛び上がっていってしまった。

 

 どれほどそうしただろうか。

 いつまでも飽かずに眺めていると、魔法陣は強く輝いた。

 

「――<天地改変(ザ・クリエイション)>。」

 

 王妃の静かな声が響くと、力が吹き出すように空へ光が上り、弾けた。

 これまで夏の暑さの猛威を振るおうとしていた空には黒雲が立ち込め始め、ゴロゴロと今にも泣き出しそうになると――雨は降り出した。

「なんちゅうこっちゃ…。」

 二人はバックパックから急ぎ水を弾く魔法がかけられた大きな外套を取り出し、バックパックごと覆うように着込んだ。

 そして空から声が響く。

「アウラ!マーレ!!地図を出し、今から言う場所にマークを付けろ!」

 双子達は声が聞こえるたびに急ぎ何かを書き込んで行く。

 それは、子供には大変なんじゃないかと思うようなやりとりだったが、ムアーとループの頭からそんな思考はすぐに追い出された。

 

 クアドラシルの背で雨に打たれて目を閉じる王妃――いや、女神の美しさはとてもこの世の物とは思えなかったから。

 

+

 

 別に超位魔法を使わなくてもマーレの天候操作(コントロールウェザー)でも良かったが、範囲が狭いため、効果範囲を出るたびに使うのでは手間だろう。

 それに、範囲確認も行いたかったのだ。アインズ達がナザリックで行った実験では第八階層を丸ごと覆うだけの成果を上げた。では、外ではどうだったかと言うと、見事に「大森林」と思われる場所は雲に覆われた。

 効果範囲ははっきり言って広すぎる。この超位魔法の行使には十分な注意が必要のようだ。

 

「ムアー、ループ。どうだ?」

「むぅ、陛下。申し訳ないんじゃが、地面を歩いてもいいですかいのう。」

「どうも視線が違って難しゅうなっておりますわい。」

 異論などあるはずがない。

「良いだろう。ただし二人だけでは進まないようにしろ。狐や蛇、知能の無いモンスターには我々が何者なのかは分からないのだから。」

「かしこまりましたじゃよ!」

 二人はフェンの毛を掴み、すべるようにその背を降りた。サラサラと雨が降る中、ぱちゃんと小さな水が跳ねる音がする。二人は地面にしゃがみ込むと小石を拾い二人で耳を近づけた。

「可愛いですね。飼いたいなぁ。」

「あれがいたらナインズが咥えちゃいますよ。」

「ふふ、確かに。きっと噛み噛みしちゃいますね。」

 ちらりとフラミーの犬歯が見えると、アインズは濡れたフラミーの顔を掴み口を寄せ掛け――やめた。

 様子をじっと見てきている双子の情操教育に悪い気がしたのだ。双子はお揃いの黄色い雨合羽を着ていて、いつもよりもさらに幼く見えた。アインズとフラミーもそれぞれ黒と赤紫の外套を着ている。

 アインズが笑うフラミーに照れ臭いような情けないような顔を返していると、クアドラシルはじっくりと動き出した。

「こっちですじゃ!」「こっちですじゃ!」

 クアドラシルの六本の足の下をチョコチョコと地の小人精霊(ノーム)達は走り出した。付いていくクアドラシルは非常に遅々とした歩みだ。踏み潰さないよう、追い抜かないよう、まるでスローモーションのような動きで進んで行く。

 

「おっ!こりゃ、わしらの誕生記念樹じゃ!!」

 二人は大きな声を上げ一本の木を叩いた。

「こんなに大きくなったんじゃなぁ!!」

 小人達は頬と鼻の頭を真っ赤にして嬉しそうに木を見上げ、そしてアウラとマーレに視線を送る。

「ここは昔闇妖精(ダークエルフ)の村だったところじゃよ!」

「ふーん?もう何もないね。」

 興味のなさそうな声だ。辺りは人の手が入れられていた形跡を失い、木々がよく成長している。

「なんとも無情な風景じゃな。さ、こっちじゃ!」

 二人は再び走り出した。

 

 牛のような歩みでゆっくりと移動をしながら途中巨大な木の(うろ)で食事をとると、地の小人精霊(ノーム)はうまいとフラミーの弁当に飛び上がった。

 その後再び、茸生物(マイコニド)の洞窟の入り口を探して移動を始めたが、早朝に出たというのに――雨が降っているせいもあるが、世界は徐々に薄暗くなり始めた。

 

 そして、アゼルリシア山脈の麓の、木々が密集した場所で二人はぴたりと立ち止まった。

「ここですじゃ!」

 言うや否や二人は木の間に身を滑らせて行った。アインズ達もそれぞれ魔獣から降り、ナザリックへ魔獣を返して後を追った。

 そこには洞窟というよりは裂け目のような穴が開いていた。

 

「それじゃ、わしらは隣人に通行許可を貰って来ますじゃ!」

「あぁ、頼んだぞ。」

 アインズは外套を脱いで髪を絞るフラミーのローブの乱れを直しつつ地の小人精霊(ノーム)達を見送った。

「あ、あの、アインズ様、いいんですか?」

 双子もフードは被っていたが想像よりも長時間の移動を行ったせいで髪がびっしょりと濡れている。

「ん?何がだ?」

「このまま逃げちゃうかもしれませんよ!」

「はは。ここまで来れば、もう逃げても良いだろう。その時には、褒美も受け取らずに立ち去ってくれるなんて親切な小人だったと褒めれば良いさ。」

「あ、そっか!」

「さ、さすがアインズ様です!」

 アインズは笑いながら一人づつ<乾燥(ドライ)>を掛けた。最近覚えた生活魔法だ。頭を乾かす為に魔法が生まれるわけもなく、これは干し肉やドライフルーツを量産するためにある魔法らしい。難なく全員の髪を乾かす事に成功した。

 少し前にフールーダに魔導書――と言う名のゲーム設定資料集を渡しに行ったところ、この春からフールーダの所には、アインズとフラミーのたった一日の学友であるジーダ・クレント・ニス・ティアレフがいた。インターンシップらしい。

 そこで「お前の理解度を試す」と言うお決まりの台詞で、ちゃっかり一つ生活魔法を教えてもらいアインズは帰って来た。ちなみに生活魔法以外の魔法の習得は未だ成っていない。

 アインズはジーダに会うためにもう少しフールーダに構ってやっても良いかも知れないと、非常に現金なことを考えたらしい。

 

 四人の身嗜みが整うとキノコ頭の人間を引き連れ、ムアーとループは戻って来た。

 

 アウラとマーレは小さく「戻って来ちゃったね」「ご、ご褒美狙いだね」と呟き笑った。





次回#35 全てを任せる

ジーダくん、元気そうですね!
フラミーさんのびしょびしょ透け透けスタイルを見たと言うのに!(言い掛かり


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#35 全てを任せる

 ムアーとループは茸生物(マイコニド)の縦穴式の街、パクパヴィルに向かって走る。

 とは言え、パクパヴィルに行こうと言うのではない。パクパヴィルに着くまでは二人の足では数時間程度かかる。休まずに走り続ければもう少し早く行けるかもしれないが、とても他所の国の――それも地の小人精霊(ノーム)を好いてくれるような王をそれほど待たせるわけには行かないだろう。

 

 息急き駆けていたムアーは、ふと立ち止まった。

「おーい!いるんじゃろー!」

 ムアーが両手を口に当て中へ向かって大きな声を上げると、曲がり角から茸生物(マイコニド)が三人姿を見せた。

 ここで胞子を出す係の、いわば門番のようなものだ。

地の小人精霊(ノーム)さんじゃないですか。エレベーターですか?」

「ここから来るなんて珍しいですね。」

「地上から来たんですか?」

 次々と質問が飛んで来ると、ムアーとループは一つづつ、質問について答えて行く。

「エレベーターはエレベーターなんじゃが、今すぐじゃないんじゃ。」

「実はわしら、地上にある神聖魔導国帰りなんじゃ!」

 

 三人は首を傾げてから目を――恐らく――見合わせた。

「なんですか?そりゃ。」「神聖…なんです?」

 ムアー達の視線は自慢したいとでも言うようだ。地下世界で今この二人は一番進んでいる。

「わしら地の小人精霊(ノーム)を好いてくれとる王様が治める国じゃよ!その王様をこれからわしらのナリオラッタまで案内したいんじゃ!」

「じゃけど、王様達はあんたらみたいにでかいんじゃ!じゃから、パクパヴィルを通らせてもらえんかのう!」

地の小人精霊(ノーム)さんの事情は分かりますけど、自分らも地上の生き物を通さないようにするのが役目ですから…。」

「そう言わずに!通らせてくれるだけで良いんじゃ!」

「ここでだめじゃなんて言われてしもうたらわしらは地下の恥さらしになってしまう!」

 二人の必死さに苦笑するときのこ達はヒソヒソと話し合い、一人が一歩前へ出た。

「相手はどんな種族なんですか?」

「人間の王陛下と、天の使いの王妃陛下、それからお供の闇妖精(ダークエルフ)じゃ!」

「天の使い…?オーガはいないんですね?」

 オーガは人食い鬼として有名だが、茸生物(マイコニド)も大好きだ。良い香りがするとかで、見付かればもりもり食べられてしまう。

「もちろんじゃ!」

「取り敢えず、闇妖精(ダークエルフ)さん達は通せますよ。地の小人精霊(ノーム)さんの代わりに自分から地上の王へこっちの事情を話します。地の小人精霊(ノーム)さんが恥をかかないように。」

 別の茸生物(マイコニド)は頷くとその場で腕を組んだ。

「自分はここで胞子撒きを続けます。」

 最後の一人は背を向けると両腕を曲げ、走り出すポーズをとった。

「自分が執政会に人間の通行許可を取ってきます。」

「おぉ!感謝じゃ!感謝じゃ!」「頼むぞーい!」

 

 確認係が走り出すと、胞子係を残してムアーとループ、説明係は外に向かった。

「今度からは自分達で道掘って下さいよ。手伝ってあげますから。」

「解っておる解っておる!」

「本当に解ってるのかなぁ…。」

 地の小人精霊(ノーム)は基本的に働き者だが、力仕事は好まない。

 しかし、こと裁縫や細かな細工物にはめっぽう強く、茸生物(マイコニド)が着る麻の服は地の小人精霊(ノーム)が作ってくれる物だ。礼に茸生物(マイコニド)が育てる麻を半分渡し、彼らは自分達の服や道具袋などを作る。

 パクパヴィルで共存している、エレベーターを動かしてくれる二足鼠(ラッティリア)達もそうだが、地の小人精霊(ノーム)達の排泄物は茸生物(マイコニド)の食事になる苔の生育に必要不可欠だ。煮沸消毒してから地下水に溶いて壁に生えている苔に吹き掛けるとおいしくよく育つ。

 大洞穴の住民達はいつでも手を取り合い生活している。

 

 出口が近くなると三人は身嗜みを確認した。ムアー達は随分走ったので、自慢のお髭の様子を大層気にした。

 

 外に近い場所――洞窟内に軽く一歩踏み入れている場所に神聖魔導国の一行はいた。

 外はいつの間にか雨が上がったようで、血のように赤い西陽が差し込み、外を地下とはまるで別の世界のように感じさせた。

 

「陛下方、戻ってきましたぞー!」

 ムアー達はテテテと走り出した。が、歩く茸生物(マイコニド)の方が早くアインズ達の前にたどり着いた。

「どうも人間さん。それから、闇妖精(ダークエルフ)さん、お久しぶりです。…あと、天の使い…?ハルピュイアさん…?」

 男とも女とも取れない声で話すと、茸生物(マイコニド)はペコリと頭を下げた。番人の割には戦いを想定していないのか簡素な服を着ていて、どことなく食欲を刺激するような芳醇な香りがする。

 

「やぁ、私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王、アインズ・ウール・ゴウンだ。それから、この人は王妃のフラミーさんだ。ハルピュイアではない。」

「人間の王様、自分はパクパヴィルから来たプラです。」

 

 アインズが手を伸ばすと、それが何を意味するかを理解したプラはズボンでささっと手を拭き、二人は握手を交わした。

 

「プラよ。我が国はここの地上――トブの大森林にまで及ぶ。その地下に住む君達と気持ちの良い関係を持ちたいのだが、ここを通してはくれないかな?」

「えっと…今仲間が通しても良いか執政会に確認に行ってます。どれくらい掛かるかはわかりませんけど。でも、闇妖精(ダークエルフ)さん達だけでしたらすぐにでもお連れできますよ。昔トブの大森林に闇妖精(ダークエルフ)さん達が暮らしていた頃は普通に出入りがありましたし。」

 

 アインズにあまり良くない答えを返したプラに分かりやすく不快げな顔をしたアウラとマーレが動き出そうとしたのをアインズは手で制した。アインズにとってはむしろ好都合だ。

「そうか。ではこのアウラとマーレだけ頼む。時間もかかりそうだから私達は一度帰ろう。大切なのは使者を送ることだからな。」

「えっ!良いんですか!?アインズ様!?」

 驚いているアウラの頭をポンポン叩くとアインズはかがみ、アウラとマーレをハグし、小さな尖った耳に口を寄せて小さな声で告げる。

 

「アウラ、マーレ。かつて闇妖精(ダークエルフ)森妖精(エルフ)の国を手に入れたお前達を信じて、後は全てを任せる。殺戮以外の手段なら何を行っても良い。大洞穴を手に入れるのだ。」

 

 双子の視線は熱を感じるほどにギラリと輝き、大きく頷いた。しかし、返事をする声はきちんと抑えられていた。

「お任せください。」

「か、必ず手に入れてきます。」

 アインズはどうやら小難しい交渉から逃れることに成功したようだ。少しフラミーと遊び歩きたい。溶岩のレアモンスターがアインズを待っている。

 それに、宮廷作法はなにかと面倒だ。全てを任せると言ってしまえば気楽なものだ。

(まぁ俺は王様じゃなくて神様だから何でもセーフだけど…。)

 神様を傘にアインズは自分の振る舞いを正当化した。神が白を黒だと言えば黒になるのだ。

「よし。マップの作成を忘れるな。もし何か困ったことがあればデミウルゴスに相談してもいい。…私は用事があるからな。良いか、デミウルゴスに相談するんだぞ。」アインズの顔は本気(まじ)だった。「――あぁ、それからムアーとループへの褒美だ。」

 言い切るとマーレに褒美の酒が入った籠を渡し、双子から離れた。アインズは双子に仕事を押し付け面白おかしく過ごすのだ。

「ムアー、ループ、そしてプラよ。この子達は私達の大切な子だ。呉々も頼むぞ。」

 フラミーが良いのかと視線を送ってきているが頷いて見せると、アインズの企みに思い至ったのか、心得たとばかりに晴れやかな笑顔を作った。

「か、かしこまりましたじゃ!」

「お主達、小間使いの子供だと思っておったが、お偉いさんだったんじゃな。」

「僕ら、闇妖精(ダークエルフ)さん達とは付き合いも長いですし、安心して下さい。」

 

 

 アウラとマーレは何度も振り返りながら出かけて行った。

 

 

 地下道を進む一行は、青白く発光する――人型ではない背の高いキノコに照らし出されていた。キノコが多数生えているところでは、キノコ同士が互いの影を生み出し、まるで何か怪物のように見えた。

 プラとムアー達は柔らかい何かの動物の毛皮でできた靴を履いているが、アウラ達はソールが硬質に作られている為、二人分の足音だけが反響した。

 

「ねぇねぇ、プラ達は地下に籠もって暮らしてて大変じゃない?」

 アウラの真っ直ぐな問いに、プラは少しも、と首を振った。

「僕らは日光が苦手ですし、ここにいるのが一番性に合ってますよ。それより、闇妖精(ダークエルフ)さん達が人間と国を作ってるなんて知りませんでした。」

闇妖精(ダークエルフ)だけじゃないよ!神聖魔導国にいない種は殆どいないからね!」

「え、えっと、地の小人精霊(ノーム)以外は皆いると思います!」

 ムアー達は口を開け目を見合わせた。

「わしらはもしかしてすごく遅れておったのか…?」

「やばいのぅ…。」

「ははは。茸生物(マイコニド)だっていないでしょうから、遅れてるのは地の小人精霊(ノーム)さん達だけじゃないですよ。」

「い、いますよ!茸生物(マイコニド)だって!」

 プラは、胞子撒き係として残ってた者と軽く手を振り合い、どんどん奥へ進む。

「そうなんですか?他所に住んでる茸生物(マイコニド)ですか?」

「えっと、その、ナ、ナザリック地下大墳墓に住んでます!」

 マーレがそう言うと、プラはおぉ!と声を上げた。

 

「地下大墳墓!!なんと栄養のありそうなところなんでしょう。きっと素晴らしい場所なんでしょうね。」

 双子は途端に気を良くした。

「まぁねー!」

「そ、それはもう!あの、すっごく良いところです!」

 プラはじめじめして沢山の死体があって…と楽しそうに地下大墳墓に思いを馳せた。

 

 途中何度もムアー達の休憩に付き合いながら、アウラ達は随分と時間をかけて地底の縦穴式都市にたどり着いた。ここまでずっと下り坂だったので、久々の真っ直ぐな地面だ。出た場所は、見方によっては広いバルコニーだが、おそらく広場なのだろう。

 上にも下にも巨大な縦穴の壁に家が張り付くように建設されていて、方々にここに似た通路の穴が空いている。

 

 アウラは腰を下ろし、穴の底へ目を凝らした。

 人間の街なら柵が必須だろうが、そういうものはない。壁から生えているように見える道にも手すりや柵はない。

 

 発光キノコに光源を頼る薄暗い地下では縦穴の都市の底までは光が届かず、どれだけの家々が壁に張り付いているのかも、どれほどの深さがあるのかもアウラ達の目には分からなかった。

 マーレは落ちていた小石を取ると放り投げた。しばらく耳を澄ますと、極めて小さな音が二人の耳に届いた。

 

「ふ、深いんですね。」

地の小人精霊(ノーム)はここの先に住んでるんだよね?」

「そうじゃよ!エレベーター…――昇降機に乗せてもらえばすぐじゃ!」

 アウラ達はふむふむと頷きながらも、アインズに「地下洞穴を手に入れろ」と言われたことを思い出す。キノコ達も手に入れなければ。

「――そっか!でも、せっかくだから歩いて降りようかな!」

「大変じゃよ?」

「いいのいいの!」

話を聞いていたプラは縦穴の中腹へ向け、斜め下を指さした。

「取り敢えず執政会に行って、人間の王様はお帰りになったと伝えて良いですか?そこでもし人間を入れても良いと言うなら、闇妖精(ダークエルフ)さん達が帰ってから王様に伝えていただいて、改めてお出ましいただいたら良いと思います。それで、執政会に行った後ゆっくり街を見ながら地の小人精霊(ノーム)さんの街――ナリオラッタへ降りられては?」

「そ、そうですね!えっと、そうします!」

「助かるのう!感謝じゃ!」

「いえいえ。どうってことないですよ。」

 

 念の為不可知化して付いて来ていたアインズは本当に任せて大丈夫そうだなと安堵した。手を繋いでいるフラミーもうんうんと何度も頷いている。

 難しいことを子供に押し付ける大人は溶岩地帯を目指し出発した。




フラミーはマーレが石を放り投げる時、慌てて止めようとした。
「っあぁ!下に人がいたら大変!!」
「わわ、やっぱり双子にも学校とか行かせないとだめだな!?」
支配者達は双子の将来を危ぶんだ。

次回#36 キノコ会議

私たちは一度帰ろう(帰るとは言っていない


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#36 キノコ会議

 アウラとマーレは縦穴の壁から生えているような通路を歩き、大体二時間ほど行くと大きめの建物の前に辿り着いた。

 エレベーターに乗って降りれば割とすぐだが、アウラ達は歩いた。茸生物(マイコニド)や街の様子をじっくりと見る。文化を調べたりするのも神聖魔導国に吸収するならば大事な事なのだから。

 どの建物も精々三階程度だが、辿り着いた建物は二十階近くあるようだった。 

 

 双子はプラに案内され建物に入ると、身嗜みを整え、胸を張った。背筋を伸ばし、神聖魔導国の使者として相応しい態度だ。

「じゃ、先に自分が行ってきますから少し待ってて下さい。」

「はいはーい。」「お、お願いします!」

「頼むぞい!」「陛下方も通れると良いのう!」

 プラが退出すると、ムアーとループはバックパックを下ろし、アウラとマーレは小声で今後のプランを立て始めた。

「国に入るって言われたら良いけど、嫌だって言われたら、あたしが全員の体麻痺させて動かなくさせるね。」

 物騒だった。

「じ、じゃあ…僕は恐怖公さんの眷属呼ぼうかな…?」

 マーレの提案にアウラはゲェっと顔をしかめた。

「何かもっと違う方法考えておいて!」

「え、えぇ…?」

 どうしようかなぁとマーレが呟いていると、プラは戻った。

「お待たせしました。皆さんどうぞ。」

 

 

 案内された先は大勢の茸生物(マイコニド)が待つ部屋だった。

 

 

 キノコ達は二十名近くいて、皆微妙に色が違うくらいで個人を見分けるための身体的特徴は殆ど無いように見えた。

「こんにちはー!あたし達は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国から来たアウラ・ベラ・フィオーラと――」

「えっと、ま、マーレ・ベロ・フィオーレです!」

 明るい声の後に、すぐにおどおどとしたような声が続いた。

 

 茸生物(マイコニド)は双子を見ると、久々の闇妖精(ダークエルフ)に沸いた。

闇妖精(ダークエルフ)さん、お久しぶりですね。なんでも、地上で人と国を作ってるとか聞きましたが。」

「人と作ったんじゃなくて、神の国に闇妖精(ダークエルフ)国は入りました!森妖精(エルフ)もね!えっと、いと高き御方は地の小人精霊(ノーム)の国だけでなく、茸生物(マイコニド)にも是非国に所属してほしいと仰ってます!」

 アウラが単刀直入に言い切ると、マーレは杖を小脇に抱えパチパチと手を叩き始めた。

「お、おめでとうございます!」

 

 茸生物(マイコニド)達はプラと地の小人精霊(ノーム)とそうなのかと視線を交わらせた。

「それは…えー…闇妖精(ダークエルフ)さん達がいなくなってからと言うもの、地上があまりにも危険で中々出られなくなってしまい困っておりました。」

 アウラとマーレは瞳を輝かせた。支配者の望みは早々と叶いそうだ。

「じゃあ丁度いいじゃん!神聖魔導国に入るなら知能の低い魔獣やモンスターから国が守ってくれるよ!」

「あ、あの、死の騎士(デスナイト)さんとか、置いてくれます!」

 執政官の一人のキノコは首を振った。

 

「デスナイトが何なのかは知りませんが、我々は今の生活は今の生活でもう馴染んだので、どこかに所属するつもりはないとお伝えしたかったのです。」

 マーレは困ったように眉尻を下げ、上目遣いにキノコを見上げた。

「ど、どうしても…ダメですか…?」

闇妖精(ダークエルフ)さんは闇妖精(ダークエルフ)さんで幸せに暮らしてください。私達はかつて共存関係にありましたが、それもなくなり早幾星霜。昔のよしみであなた達がここを出入りする事はこれまで通りお許しします。ただ、闇妖精(ダークエルフ)さん以外はお通しできません。出入り口をあまり大勢に知られてオークが雪崩れ込むようなことになっては困るんです。」

 

 それを聞いたアウラは中指と親指を合わせ、大きく息を吸って頬を膨らませ、シャボン玉を出すように指の輪を吹いた。フワリと美しい輝く吐息が出ると――街全体がズーン…と音を立てて揺れた。

 まるで地の底に何かがぶつかるような衝撃だった。アウラの吐息は辺りに広がる前に止められてしまった。

「なんだっ!?」

「なんじゃ!?今のは!?」

「地震かの!?」

 茸生物(マイコニド)達、ムアーとループが焦ったような声を出していると、アウラはマーレへ視線を送った。それは「あんたが揺らしたの?」とでも言うようだ。マーレは慌てて首を左右に振る。

 

 たった一度のちょっとした不自然な揺れに二度目はなく、全員がびっくりしたねと言葉を交わし合い、安心したような軽い笑いと安堵の息が部屋に溢れる。

 しかし、ムアー達の表情はすぐに凍り付いた。いや、茸生物(マイコニド)達も凍り付いただろう。黒い傘にはたらりと汗のような物が流れた。

 

 部屋は赤金に染まっていた。

 縦穴の向かいの壁が眩ゆいまでの光を放ったのだ。

 離れていてもはっきりと見えるほどに輝く、灼熱の川が流れ落ちて行っていた。

「よ、溶岩…?」

 茸生物(マイコニド)の喘ぐような声が聞こえると、ムアー達はハッと我に帰った。

 

「そんな!山の変調は採掘量が増えたせいじゃ!?」

「大変じゃ!!ナリオラッタに流れ込む!!」

 

+

 

 最近ようやく手足が生え揃い、菌床と呼ばれる朽ちた木から剥がれることができた生まれたての茸生物(マイコニド)、パプマはよたよたと両親に向かって歩みを進めていた。まだ殆ど教育も受けたこともなく、この世界には自分の知らない事が山のようにあり、日々が輝いていた。

 パプマの両親はそんな我が子を抱くと黒い傘を擦り付け幸せに微笑んだ。

「ちょっと揺れて驚いたわね。大丈夫よ、パプマ。」

 

 優しい声に安堵したのも束の間、外からの激しい熱に目を奪われた。

 パプマはなにも知らなかったが、数軒先の家々を焼き、溶かし、流れ落ちる自然の強大さを理解し――ようやく歩き出したばかりの赤子だと言うのに――いや、だからこそ死を直感した。生存本能が生き残る道を高速で探しだす。

 だが、赤子のパプマが何か解決方法を見つけるよりも、この家の近くに溶岩が流れ落ちる方が早かった。

 

 激しい熱波が一気に体中を乾燥させ、激痛が走る。

 溶岩そのものに触れたわけでもないのに表皮は爛れ、内皮、肉、神経が焼かれていく。

 逃げ出す間もなく、筋肉は収縮し、一家は体を丸めた奇妙なポーズをとらされた。

「パプマ、愛し――」

 両親がそう言いかけたところで家にはドボリと死の川が降り注いだ。

 

 

 圧倒的な灼熱を前に茸生物(マイコニド)はなす術などあるはずもなかった。

 

 

「早く!もっと早く走って!!」

 同じような声があちらこちらから上がる。

 ピリニには婚約したばかりの愛する人がいる。今日だって、二人で幸せの新居を探しに来たのだ。

 内見していた物件は扉に地の小人精霊(ノーム)が彫り物を施していて、壁には太古の時代の生き物の骨が埋まっている実に趣深いものだった。骨の周りにはほどよく苔も生え、新生活が楽しみになる。

 

 ピリニは「なんて自分は幸せなんだろう」と日々思っていた。新居はそこに決めた。二人はきっと素晴らしい毎日が待っているのだと思っていた。

 あと少しでそうなれるはずだった。

 あと少しだったのだ。

 今ピリニは婚約者の手を引いて、叩きつけられる熱から逃げている。

 しかし、道幅は狭く、下手に周りの者を押すような事をすれば、たちまち街の奈落へ落ちて死ぬだろう。

 周囲は同胞を押さないように気を付けている者ばかりで焦っても中々進まない。

 

 だが、誰かの恐怖が頂点まで達した。

 手を取り合うピリニと婚約者。二人は背後の者に突き飛ばされた。

 一人を突き飛ばせばもうその者は怖い物などないとでも言うように次々に前方の者を突き飛ばし、決して止まらず、振り返らず、走った。新たな死の恐怖に、逃げる者達の統制は失われた。

 二人は地の底へ落ちながら、多くの同胞が次々と降ってくる様を見た。しかし、そんなものは見たくないと二人は互いを見つめ合うことにした。

 そして新しい生活を思い浮かべた。

 互いの胞子を交換し合うその時の幸福が脳裏によぎる。

 同時に、もしかしたら、ここはそんなに高くないのだから二人で生き残れるかもしれないと思った――が、二人は間もなく絶命した。

 流れ落ちたマグマは二人を優しく迎え入れた。

 突き飛ばした者は幸せだ。なぜなら、闇妖精(ダークエルフ)がそれ以上の溶岩の流出を止めてくれて、平然と生き残れたのだから。

 

+

 

「さ、殺戮はダメなんです!!皆さんは神聖魔導国の国民になるんですから!!」

 

 マーレは大地の大波(アースサージ)を使用し、なんとか防波堤を作り出した。まるで誤って漏れ出したかのような溶岩は大した量ではなく、マーレの力で止め切れた。

「お、お姉ちゃん!行って!!」

「解った!地の小人精霊(ノーム)の方は任せて!!」

 双子の周りでは茸生物(マイコニド)二足鼠(ラッティリア)が万歳唱和をしていた。

「で、でもエレベーターも動かないんじゃよ!?」

 ムアーはこの先の自分の街の惨状を思い泣きそうだった。

「諦めないで!!あなた達だってあたし達の国に入ってもらうんだから!!」

「じゃが…じゃが…!!」

 アウラはじゃがじゃが煩いループと、嘆くムアーを小脇に抱えると――奈落へ向かって飛び込んだ。

 

「うひゃぁああぁあぁああ!!」

 二人の悲鳴が地の底へ向かって響き、いつしか遠くなり、聞こえなくなった。

 

 マーレは自分の作った防波堤が燃え、溶かされる様を見ながら、この二波目が来るような事があれば恐らく止めきれないだろうと確信した。

 溶かされては新たな防波堤を作り直す。

「あ、アインズ様にご連絡を――」

 こめかみに触れた時、マーレは思い出した。

 

(良いか、デミウルゴスに相談するんだぞ。)

 

 あの時のアインズの顔は実に真剣そのものだった。アインズはこうなることが解っていたのではないだろうか。そうでなければ炎獄の造物主をあれ程推しただろうか。

 故に、伝言(メッセージ)の相手は――『はい。デミウルゴスです。』

「デ、デミウルゴスさん!ぼ、僕です!」

『マーレが私に伝言(メッセージ)なんて珍しいね。どうかしたのかな。』

「あの、た、助けてください!!」

 伝言(メッセージ)の向こうには一瞬戸惑うような雰囲気が漂い、すぐに返事は返った。

『こちらは拷問の悪魔(トーチャー)に任せます。今どこに。』

「えっと、トブの大洞穴です!」

 

+

 

 アウラはすでに冷えて固まり始めた灼熱の細い川の脇を駆け抜けていた。

 抱えられているムアーとループは舌を噛み、口を押さえて今は静かにしていた。

 

「この穴どっち!!」

 アウラの叫びに、二人は揃って右の洞窟を指さした。

 進めば進むほど、どんどん洞窟の天井が低くなり始める。しかし、百六十センチ程度はある茸生物(マイコニド)の出入りもある通路はアウラが走るには十分だ。

「あれじゃ!見えた!!」

 ここまで来れば、もう溶岩は非常に細く、そう多く流れ込んだ様子はない。

 しかし、冷め始めたとはいえ、溶岩は未だ高温を放っていた。

 ムアー達の額には玉の汗が浮かんでいる。それが暑さからなのか、街を想ってなのかアウラには分からなかった。

 

 街には、固まった溶岩を観察する大量の地の小人精霊(ノーム)がいた。

 建物は粘土を乾燥させて作っているのか半円のものが大量に並んでいて、パクパヴィルに続く道の近くに建っていた建物は溶岩に飲み込まれていた。

 男は皆もしょもしょの白い髭を蓄えて赤いとんがり帽子を被っている。女は緑や紺色のとんがり帽子で、皆ふっくらとふくよかだった。

「おーい!皆ー!」

 ムアーとループが手を振り始めると、アウラは二人を半ば放るように下ろした。ごしりと額の汗を拭う。

 アウラの額に浮かんでいたものは、アインズの望みを叶えられない結果になってはいないかと言う焦りから生まれたものだ。

 しかし、地の小人精霊(ノーム)達は無事なようだった。

 

 転びそうになりながらも駆け出した二人は、白く長い眉毛と口髭でほとんど顔が見えていない、特に歳を重ねたように見える者に駆け寄った。

「ほっほ!ムアー!ループ!生きておったんしゃな!」

 前歯がほとんどないのか、空気の抜けたような声を上げた。

「長老ー!街は無事だったんですじゃな!」

「溶岩かこの量て止まってくれたおかけしゃ!しかし、次か来る前に引っ越しを始めなけりゃいかん。」

 よく見れば皆、バックパックをしょっていて、避難を始める様子だった。

 

「それにしても、そっちの子供は闇妖精(タークエルフ)しゃな。随分久し振りにみたもんしゃ。おぬしも住処か焼けてしもうたのか?」

「この闇妖精(ダークエルフ)の妹が溶岩を止めてくれたんじゃよ!!」

「な、なんしゃと…!それてこの量て済んたと…?」

 

 アウラは視線を向けられると、出かける前にフラミーがハーフアップにしてくれた髪を撫で付けた。

 ここまで走ってきて、流石に髪が乱れたので、名乗る前に身嗜みを整える。

 一呼吸置いてから口を開いた。

 

「あたしは神聖魔導国のアウラ・ベラ・フィオーラ。ここを出ていくなら、地上のうちの国においでよ!」

 

「…地上ては暮らせんなぁ。わしらはお主ら闇妖精(タークエルフ)かおらんようになってからは殆と外にも出ておらん。」

「でも――」

 言いかけたアウラのドングリのネックレスが光った。アウラは慌ててそれに耳を寄せた。

「マーレ!どうかした?こっちは地の小人精霊(ノーム)の所についたけど。」

 地の小人精霊(ノーム)達は兎に角どこかへ逃げねばと相談を始めた。

 

「…ん?そっか!デミウルゴスが来てくれたんだ!」




あら、デミデミお久しぶり!

次回#37 ラーアングラー・ラヴァロード


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#37 ラーアングラー・ラヴァロード

 じゃりじゃりと足下が鳴る。デミウルゴスはアウラと連絡を取り合うマーレを横目に固まり掛けの溶岩の様子を見ていた。数度の波が押し寄せるように固まっている。

「…これは…。」

 デミウルゴスは戦々恐々としている茸生物(マイコニド)達に囲まれながら、平気でマグマに触れた。普通の者が触れれば途端に真皮を超える重度の熱傷になるだろう。

「噴火であればこの少量で済む筈もありませんね…。地上には全く何の影響もないようですし……それにこの流れ方…。」

 その頭の中には「御身のご計画」という文字が浮かんだ。

 固まりかけ岩となり始めているものを抉り取るようにすくい上げると、中はまだ高温で激熱を感じさせる色に輝いていた。

「…御身は早急な併呑をお望みか…。」

 デミウルゴスは小さく呟くと、上流へ視線を上げた。

 

+

 

 二時間ほど前――アインズはアウラ達に全てを任せ、その場を離れても大丈夫そうなことを確認すると、道中で聞いた溶岩流に暮らす激レアな魚を見に行こうと転移門(ゲート)でフェオ・ジュラを訪れていた。

 

 何と支配者達は不可知化からここへこっそりと移動してきた為、ついに護衛も連れないお出かけに成功したのだ。奇跡だった。

 

 辺りには人っ子一人おらず、夕暮れを超えて今日の作業を終えたスケルトンが並んでいる。

 スケルトンは産みの親(アインズ)の来訪に心の中では――心があればだが――ソワソワと命令の時を待っている。アンデッドの癖に父との繋がりに思わず浮き足立つ。

 アインズは、もう自分との繋がりを持つアンデッドが多過ぎるために、自分の作り出した者がどれだけいるのか、という細かな把握は困難だ。作られた者達と違いこちらには何の感慨もない。

 

 静かな街で抱きしめ合う二人はもう子供もいるというのに、相変わらず照れ臭そうにしていた。

 フラミーは顔を両手で包まれると数度目を泳がせ、目を閉じると精一杯背伸びをした。

 ねだるような仕草にへらりと顔を綻ばせ、アインズは顔を寄せた。

 爆発しそうになる感情は当然のように付けている精神抑制を前に何度も鎮静されてしまい、少しもったいなかった。

 唇の離れたところから二人分のため息が漏れると二人は目を開けてくすぐったげに笑った。

 フラミーの翼はとろけた心境を表すように地面にペッタリと落ちていて、アインズはしばし背をぽんぽんと叩いた。

 

「アウラ達に任せられて良かったなぁ、はは。」

「ん、ふふ。アインズさん最近疲れ気味だったから、良い息抜きですね。」

 息子に笑われないためとアインズはずっと勉強も支配者ロールも一生懸命だ。

「俺は疲労無効にしてますし、精神抑制もあるから何だかんだ結構大丈夫ですよ。」

「無理しないでね。いつでも私が代わりますから。」

 フラミーが胸に顔を擦り付けると、アインズはくしゃりと頭を撫でた。

「ふふ、ありがとうございます。」

 もう一度愛しむように唇を重ねると、二人は顔を赤くしとろけた瞳を交わした。

 このままではレアモンスターどころではない。

「行く…?」

「…行こっか。」

 

 スケルトン達のトキメキと期待も知らず、創造主は何の命令も下す事なくフェオ・ジュラを後にした。

 

 大裂け目の前に辿り着くと二人は地の底を覗き込んだ。

「そう言えばここも何かがありそうですよね。」

「ユグドラシルだったら絶対何かありますよ!」

 アインズは分かる分かると頷き、かつてフラミーや仲間達と出かけたとんでもない山の冒険を思い出し楽しげに笑った。そして独り言のように続ける。

「ふふ、あの糞運営だったら、降りる途中のどこかに亀裂があったりして、その先でレア鉱石が取れたりするんだぜ。絶対やるな、いや、実際あったな。」

 いつも丁寧なアインズが「だぜ」なんて言うのも珍しい。アインズが開放感に浸っている様子にフラミーは目尻を下げた。

「せっかくですから降りますか?寄り道ですよ!」

「はは、良いですね!じゃあまずは――」

 アインズがフラミーにバフを掛け始めると、フラミーも続いた。

 

 二人は互いを強化し合いながら、暗闇から何かがにゅっと顔を見せる嫌な想像をしては身を寄せ合った。

 ユグドラシルで湖を渡っている最中に巨大な蛇のモンスターがすぐ真下を泳いでいた時のことを思い出させる。あの時は随分と肝が冷えたものだ。

 その後、なんて良い嫌がらせだろうと第五階層の製作時に活用されたのだが――この世界に来てそれが活かされた事はない。

 

「さーて、どんなもんですかね!」

 アインズは戦闘を予想し骨の身になってから<飛行(フライ)>で軽く浮かび、闇の口を開く亀裂の上へ出た。

 暗視を持つアインズでさえ見通すことのできない深き闇にアインズの背は一瞬ぞくりと震えた。

 しかし、フラミーにはそんな怯えを悟らせまいと、平気そうな顔をする。

 翼を広げるフラミーへ手を伸ばすと、その手は取られ二人は下へ降り始めた。

 フラミーの顔には隠すでもない闇への怯えがあった。

 

「怖いですか?」

「私、お化け屋敷叫んじゃうタイプかも…。」

 そう言うとフラミーは困ったように笑った。

 お化け屋敷なんて害される事はないと分かっていても怖いものだ。

 ここにも恐らくではあるが、二人を傷付けられるだけの生き物はいないだろうが怖さは健在だ。

 アインズもバァ!!なんてこのタイミングで何かが出て来れば叫ぶ自信がある。

 

(情けない姿は見せられんな。なんて言ったって俺の方が少しお兄さんなんだから。)

 

 自分の骨の手をギュッと握るフラミーを見ては頬を緩める。

 フラミーの翼からは光の粒がサラサラと落ちていっては消えた。

 随分と降りて来ると、アインズはある事に気づきフラミーの両手を握った。

「ごめん、フラミーさん。」

「ん?どうしました?」

「…飛行(フライ)の効果がそろそろ切れそうです。」

「あら!良いですよ。私は飛行(フライ)じゃないですから支えておいてあげますよ。」

「俺重いかも…。」

 乙女のようにもじもじするアインズは魔法の力が解けかけ高度が落ち始めた。

「ふふ、その骨の姿じゃ私の方が重いです。」

「すみません…。」

「気にしないで下さい。」

 一瞬アインズの体はガクンっとフラミーの両手にぶら下がった。

「<飛行(フライ)>!」

 急ぎその身に魔法を戻すと同時に、フラミーからは「っあ!!」と大きな声が漏れた。

「す、すみません!重かったですよね!?」

 フラミーはアインズの言にぶんぶんと首を振り、前方のそり立つ壁を指さした。

 

 振り返れば横穴があった。

「あ!穴だ!!」

「行ってみましょうよ!!」

 二人は頷き合い、穴へ向かって飛んだ。

「…深そうだな。」

 暗く、明かりが一つもない横穴で、フラミーは杖に付いている青いクリスタルに永続光(コンティニュアルライト)を灯した。紫色のフラミーの肌は不健康に青く照らし出され、アインズはまるきりホラー映画のワンシーンのような存在になった。

 穴は軽い登り坂になっていた。

「ここ、少し暑いですね。」

「本当ですね。熱が溜まりやすいだけじゃなさそうだ。」

 二人が手を取り合い進んでいるとどんどん温度が上がっていく。

 何となく方角的にも二人はこの先がどこなのか想像ができた。

「ゲームみたいには行かなかったか。」

「他の穴には良いものがあったかな?」

 穴の終わりが見え始めた頃にはゴウゴウと燃え盛るような、流れるような音が聞こえ出し、穴の中も赤く照らし出されていた。

 抜けた先は想像通り溶岩地帯。

 アインズはこの穴は誰が何のために掘ったんだろうと振り返ったが、何も分からなかった。

 これはかつて大土蜘蛛と言うモンスターが巣を張っていたのだが、アインズ達には知る由もない。

 

 

 昔はこの穴は裂け目側には通じておらず、山小人(ドワーフ)が溶岩地帯から逃げ込んだり、迷い込んだところを大土蜘蛛が美味しくいただく為の場所だった。

 しかしある日、蜘蛛は裂け目側へ物が落ちていく振動を感知した。

 ドチャリという振動は幾度も届き、それは生き物が落とされる音だとすぐに気が付いた。

 大土蜘蛛は急ぎ裂け目へ向かって穴を掘り進めた。硬い岩盤は中々進まなかったが、何とか貫通させることに成功すると、やはり想像通り大量の山小人(ドワーフ)の死体が降って来ていたのだ。

 巣に溜まっていた骨を裂け目に捨てて掃除すると同時に、大土蜘蛛は裂け目へ降り山小人(ドワーフ)を味わった。

 当然仲間達も大量に集まっており、一大御馳走地帯となった。

 大土蜘蛛達はひとまず食べきれるだけ食べると、今度は()だ。

 これだけ栄養を蓄えたらやるべき事は繁殖。

 大量の食事に囲まれながら繁殖を始めたある日、空から大量の悪魔が降りて来た。

 大土蜘蛛はフラミーとデミウルゴスのスキルで喚び出された最低位の大量の悪魔達によって皆殺しとなった。

 裂け目下の山小人(ドワーフ)達は骨も食い掛けも皆拾われ、フラミーの手で復活させられたが――この巣穴の持ち主はいなくなった。

 この場所に生息していた大土蜘蛛達は誰に顧みられる事もなく、密かに絶滅した。

 まだ支配者達に生態系と世界を守る自覚が芽生える前の出来事であった。

 

 

 アインズとフラミーは流れる溶岩を覗き込んだ。

 川幅は非常に広く、時折ゴポリと泡が弾けていて、魚が跳ねるように炎が立ち昇っては消えた。

「これって、さすがに触ったら火傷しちゃうかな?」

「危ないですよ。炎系のダメージを食らうかもしれませんから、あんまり近付かないようにして下さい。」

 それこそ茸生物(マイコニド)の穴を探すために使った天地改変(ザ・クリエイション)はこう言うタイミングで使う魔法だった。

 アインズは大切なものが痛みを感じないように抱き寄せた。

 ふと、二人の眺める溶岩に濃い影が見えた。

「ん?今のが噂のレア――」

 目を凝らそうとした瞬間、猛スピードで巨大な手のようなものが二人に迫った。

 ザバンっと激しくマグマを散らした手は、よく見るとフサのようにも見えた。人の身ほどの太さの触手の先にフサがついているのだ。

 

「っ!危ない!!」

 アインズは咄嗟にフラミーを突き飛ばすと、そのフサに掴まれ――すぐさま出て来た巨大すぎる魚の顎門(あぎと)に放り込まれた。

 その顔、形状はさながらチョウチンアンコウ。

「アインズさん!!」

 フラミーの悲鳴のような声が響く。

 アンデッドは炎系のダメージに弱いのだ。

 特に今の二人は異種族との会談に備えた見た目重視のいい加減な装備。

 フラミーの背筋には冷たいものが流れた。今のモンスターが果たしてどれほどの力を持つか分からないがとにかく救出を――。

 

 フラミーが魔法を唱えようとしているそばから、巨大アンコウは溶岩の深い場所へ潜り姿を消した。

「っあ、あぁ!待って!!」

 まずはマップの改変要求――天地改変(ザ・クリエイション)だと、フラミーが魔法陣を纏い、砂時計を取り出した瞬間、少し離れた場所で巨大アンコウが壁に激突した。

 まるで地震のような激しい地響きを起こし、大量の溶岩が流れ出た。

 フラミーの身の回りには魔法陣が出ていたが、衝撃で尻餅をつき魔法陣は砕けた。

 慌ててもう一度と――顔を上げると溶岩の上流で提灯部分のフサを握り締めて浮かぶアインズがいた。

「っあ、あは!アインズさん!!」

 フラミーにまるで何ともなさそうに手を振るアインズはどこか得意げだった。

 アインズが「見てください」とでも言うように巨大アンコウを示すと、音は届かないかもしれないが、フラミーはすごいすごいと拍手を送った。

 アンコウは大きすぎて身体の半分以上が溶岩に浸かっているので、全貌は見えないが、五十メートルは超えるだろうと思える。実に二十五メートルプール二つ分のサイズ感だ。

 新鮮そのもののお魚はビチビチと暴れ、身をよじらせるたびにマグマが溢れ流れ出た。

 アインズが暴れる愛らしい魚をポコリと殴りつけると魚は気絶し、動かなくなった。

 

 アインズは提灯のフサを握りしめたままふわりとフラミーの前に降りた。アンコウは溶岩にプカリと浮かんでいる。

「フラミーさん!こいつ、持って帰ろうかな!」

 その骨の顔はさながら昆虫採集中の小学生だ。

 そのチョウチンアンコウ――ラーアングラー・ラヴァロードはオリハルコンを遥かに凌ぐ鱗を纏い、長く生きる事で元の種からは大きく乖離した一種一体の存在となった。

 天然の転移門で結ばれるラッパスレア山の三大支配者と言えば――天空を支配するポイニクス・ロード、地上を支配するエインシャント・フレイム・ドラゴン、そして地下溶岩を支配するこのラーアングラー・ラヴァロードだ。

 冒険者の難度で言えば百四十に相当し、戦いとなればまず生きては帰れない――はずだが支配者の目に映るラヴァロードは珍しいお魚だ。

「良いと思いますよ!でも、ちゃんとデミウルゴスさんに第七階層で飼って良いか聞いてね。」

「はい!」

 アインズ少年はワクワクとこめかみに触れた。

 ナザリックを強化するのに良い生き物が手に入ったのだ。きっとデミウルゴスも喜ぶだろう。

 デミウルゴスに伝言(メッセージ)を飛ばすと、一瞬の間も開けずにデミウルゴスと通話が繋がる。まるで待っていたかのように、あまりにも早すぎる反応だ。

 アインズは僅かに疑問を感じながら口を開く。

「デミウルゴスか?」

『左様です、アインズ様。お待ちしておりました。溶岩の件ですね?』

 アインズは瞳の灯火を明るくした。この男は本当に賢い。

「その通りだ。よく分かったな?お前に任せたい生き物がいるんだが、良いか?」

『それはもう、もちろんでございます。』

「ふふふ、お前は本当に賢いな。全く私も鼻が高い。」

『いえ、そのような。』

 伝言(メッセージ)の向こうのデミウルゴスは照れ臭そうな声を出していた。

「ちなみに今お前はナザリックにいるのか?」

 アインズは第七階層にアンコウを放り込む際、フラミーと二人でうろうろしていた事が守護者にバレると痛いので、居場所の確認を怠らない。

『いえ、今はマーレに呼び出され現場に来ております。』

 双子はきちんと困り事を叡智の悪魔に相談しているらしい。これはもう地下世界も手に入ったも同然だ。

「そうか。じゃあ頼むぞ。あ、こちらで適当にお膳立てはしておくから第七階層のことは心配するな。」

『ふふ、流石でございます。アインズ様。』

「何。このくらい当然のことだ。お前はそちらで十分に双子を補佐してくれ。」

『畏まりました。』

「では頼んだぞ。」

 アインズは清々しい顔で伝言(メッセージ)を切ると、フラミーに報告をする。

「あいつ、すごいですよ。すぐにこっちの状況がわかっちゃうんだから!しかもアウラ達の手伝いでちょうどナザリックを出てるらしいです!」

「ふふ、デミウルゴスさんって本当に頼りになりますよね!流石ウルベルトさんの息子!」

 息子を自慢する気持ちで振った話だったが、フラミーの口から「頼りになる」「流石ウルベルトさん」と言う言葉が出ると嫉妬した。

「…俺よりウルベルトさんの方がフラミーさんの育成手伝いましたしねぇ。頼りになりますよねぇ。」

 支配者は少しだけ拗ねた。

 フラミーはまだ大天使だった頃にウルベルトに連れてこられたギルドメンバーだ。当時ナザリックに天使はヴィクティムとフラミーの二人がいた。しかしすぐにウルベルトの勧めで堕天して悪魔になってしまうのだが。

 

「ふふ、たしかにウルベルトさん――師匠には本当お世話になっちゃいましたね。でも、アインズさんが昔から一番頼りになりますよ!」

 アインズはすっかり機嫌を直した。




「っくし。」
デミウルゴスが鼻を抑えるとマーレは回復魔法をかけた。
「すまないね。」
「い、いえ!地下は埃っぽいですから!」

次回#38 初めての外

「レア鉱石が取れたりするんだぜ」って、原作に書いてあったんだぜ!
御身ってだぜって言っちゃうんだぜ!!(何


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#38 始めての外

 アインズはフラミーと第七階層に帰ってくると、気絶している巨大チョウチンアンコウをポイっと放り投げた。

 ズズン…と凄まじい揺れが七階層を襲った。

 

 強欲の魔将(イビルロード・グリード)憤怒の魔将(イビルロード・ラース)に先導され、二人は進む。

 アンコウは大量の悪魔達が持ち、その後ろをついて来ていた。

 まるで神輿を運び町を練り歩くお祭りのような光景だ。

「がんばれっがんばれっ!」

 フラミーは五十メートル級アンコウを運ぶ悪魔達に声援を送っていた。悪魔達のやる気は最高潮だ。

「わっしょい!わっしょい!」

 気の抜けるような掛け声に合わせて邪悪なる者達によるわっしょい唱和がしばし続くと、目的の溶岩の川にたどり着いた。

「よーし、止まれー!」

 強欲の指示にいい汗を流した悪魔達は立ち止まった。

 

 溶岩の川からは至高の存在の来訪を感じた紅蓮――超巨大奈落(アビサル)スライムが姿を現した。

 紅蓮は九十レベルの領域守護者で、自分の領域であるこの溶岩の川で戦えば、階層守護者であるデミウルゴスよりも実は強敵だ。

 呼吸を必要としない紅蓮は滅多に川を出ず、攻撃の際も伸縮可能な触腕で相手を溶岩に引き摺り込んで行う。

 溶岩に隠れ、姿も見せないこの領域守護者は通常の手段による戦闘で倒すことはほぼ不可能と言っても過言ではない。

 スライム界の英雄と呼ばれる存在だ。

 

 アインズは姿を見せた紅蓮に手をあげた。

「元気にしているか。紅蓮よ。」

 ぷるぷるっとその巨大な身を震わせることで返事とする。

「そうかそうか。それは良かった。今日良いものが取れたからこれをここで飼おうと思う。立派なもんだろう。」

 再びぷるりと身が震えた。

「何?食べたい…?」

 紅蓮は捕食した相手のレベルに応じてインフェルノスライムを作れる。

 その姿の方が恐らく食費は嵩まないだろうが――アインズは首を振った。

 これはこの世に一体しかいないとループが言っていたのだ。

「ダメだ。仲良く過ごすんだ。えーと、名前はー…――。」アインズはラーアングラー・ラヴァロード等と名前が付いていることも知らずに巨大チョウチンアンコウに振り返った。

(チョウチンアンコウだからな…。コウスケ?チンアン…?なんか武術の達人ぽいな…。珍庵師匠…。)

 短い時間であれこれ考え、結論を出す。

「――チョウさんだ。良いか、紅蓮。チョウさんと仲良くしろよ。」

 哀れ溶岩の絶対支配者ラーアングラー・ラヴァロードはチョウさんになった。

 名付けも済むとチョウさんは悪魔によって溶岩の川に放り込まれた。

 その衝撃で目覚めたチョウさんは暴れようとしたが――紅蓮の触腕に掴まれ、しばし睨まれるとすごすごと溶岩の川の中に消えて行った。紅蓮は常時発動のオーラがあり、一般メイドなどが近距離で遭遇しようものなら深手を負うようなレベルなので、チョウさんもすぐに力量差を理解したはずだ。

「うむうむ。先達としてよく教育してやれ。話は以上だ。行け。」

 紅蓮は触腕で敬礼をするとズズズ…と溶岩の中に消えて行った。

 フラミーは紅蓮に手を振るとアインズへ振り返った。

「アインズさんって、スライムの言葉がわかるんですね。」

 さすが支配者ー!と言うフラミーにアインズは非常に真面目な顔を向け、キラリと瞳の灯火を光らせた。

 

「一言もわかりません。」

 

 それを聞いたフラミーは吹き出し、アインズもすっかり表情を崩すと二人して腹を抱えて笑った。

 骨だったせいで鎮静と笑いを繰り返す奇妙な様子だったが、控えている七階層の僕達も幸せそうに頬を緩めた。

 

+

 

 ナザリック地下大墳墓第九階層。

 落ち着いたオレンジ色の照明に照らされるショットバーには、この領域の管理者である副料理長のピッキーと、その手伝いを行うボーイのテスカが今日も働く。

「テスカ君がここで働くようになってもう二年かぁ…。早いもんですね。」

「お陰様で馴染ませて頂いております。」

 テスカは照れ臭そうに笑いながら、テーブルや椅子を丁寧に拭いていった。

 ピッキーはお客が来る前の、テスカと共にグラスを磨いたり、氷を砕いたり、おつまみの冷菜を準備するこの時間が好きだ。

 最初は外部のとんでもない男が現れたと思ったものだが、至高の存在によって矯正されただけはある中々良い男だ。

 

「テスカ君はコキュートス様とたまに手合わせしてるみたいだけど、アインズ様とも今もやってるの?」

「はい。たまにモモン様としていらっしゃいます。」

「ははーん、いいねぇ。」

 なんとも羨ましい話だ。

 ピッキーに戦闘能力はないので、そう言う風に役に立つことはできない。

 ほんの僅かな嫉妬を感じながら、テスカの話に耳を傾け、開店に必要な全てが終わったので次なる作業を進める。

 その手には薬草。

 

 実はピッキーも近頃新しい役目を仰せつかっていた。

 それも紫ポーションの作成だ。

 なんでも、魔導省に多額の研究費を与えて作らせ、近頃辿り着いたものだとか。

 材料は全てこの世界のもので、道具もこの世界のものだけで作れるのだ。

 ピッキーは魔法の効果を持つ飲み物を作れるだけでなく、ポーションの製作もできるのだが、こうしてお客が来る前の時間に紫ポーション作りに励んでいる。

 できた紫ポーションは戦闘メイド(プレアデス)が回収に来て、神殿に運ばれる。

(こんなもん有り難がって外の奴らってのは本当に遅れてるんだなぁ。)

 ピッキーの外部への本心はそんなもんだ。

 しかし、アインズに頼まれた仕事なので紫ポーションの製作自体は大変やり甲斐があるし、なんならずっと製作をしていたいと思うほどだ。

 

 いつしかテスカとのいつもと変わらぬ世間話も一区切りがつくと、来客を知らせる鐘がガランガランと鳴った。

 出来上がったポーションを瓶に注ぐ手を止め、薬品の匂いが漏れないように急ぎ蓋を閉める。

 ピッキーとテスカは声を揃えて頭を下げた。

「「いらっしゃいませ。デミウルゴス様。」」

 一人で訪れた常連客は今日はジャケットを着ておらず、ワイシャツの袖もまくり、いつもと少し違う雰囲気だ。しかし、きちんとジレを着こなし、黒い手袋もしている為だらしない印象は一切ない。

 

「やぁ、ピッキー。今日はお客じゃないんだよ。いきなりで申し訳ないんだけど、少し外に付き合ってはもらえないかな?」

 ピッキーは首を傾げた。「外」の意味がわからなかったのだ。

「第九階層の散歩ですか…?」

「あぁ、外、とはね。ナザリックの外に共に来て欲しいんだよ。」

 動揺を表すように、ピッキーの赤い部分はぷるりと僅かに震えた。

「え、わ、私が外にですか?私、一度も外には出たことがなくて…えっと…。」

「分かっているとも。君のことはこの私が責任を持って守り抜くと誓うから、どうか共に来てはくれないかな。――その紫ポーションと、君お気に入りのナザリックの苔から作る苔茶を持ってね。」

 ピッキーはつい今蓋をしたばかりの紫ポーションとデミウルゴスを交互に見た。

「私をどうか信じてくれたまえ。これはアインズ様から頼まれたことでもあるんだから。」

 ――アインズ様から。

 ピッキーは頷くと作ったばかりの紫ポーションと、大好物のナザリックの苔をたっぷりと持ってカウンターから出た。

「い、行きます。」

「ありがとう、助かるよ。じゃあ――後はテスカ、君に任せても良いかな。」

「は。お任せください。」

 テスカならきちんとBARを切り盛りできるはずだ。

 ピッキーもテスカに任せるとでも言うような視線を送った後、デミウルゴスに付き従うようにBARを後にした。

 

 初めてのナザリックの外だ。

 

 BARの外に開かれた転移門(ゲート)に、ピッキーは恐る恐る足を踏み入れた。

 

+

 

 神聖魔導国の炊き出しカウンターがパクパヴィルに設置されたのは、地の小人精霊(ノーム)達がアウラの勧めでパクパヴィルに辿り着いてから一時間もしない夜の事だった。

 パクパヴィルは五分の一ほどが被害にあっていて、溶岩が流れ込んできたところから一番遠い場所にある広場に、炊き出しと避難所の設置が行われていた。

 そこには、食事が欲しい人だけではない少し変わった――茸生物(マイコニド)による人集りが出来ていた。

 

 やれ神の造形だの、美しき紅玉だの、蚕のようにサラリと白き地肌だのとすごい反応だ。

 

 キノコの人集りの中心にはピッキーがいた。

 

 ピッキーはせっせとナザリックの苔を煮出し、ナザリック地下大墳墓に生える苔から生まれる苔茶を作った。

 アインズ達はこれが大の苦手だ。

 特にフラミーなどは出されたときには「う、うわあ"あ"!」と顔をくちゃくちゃにし真っ直ぐにその味の感想を表現した。貧困女子が「残す」という行為を受け入れられるはずもなく、アインズも見たことがないような顔をしながら必死に飲み切ったらしい。

 しかし、そんな苔茶も茸生物(マイコニド)からは大絶賛されていて、出来上がったものをアウラが順次手渡していく。

 茸生物(マイコニド)達は苔を食べる習慣がある為、煮出した後の苔は捨てずに浮いたまま提供されている。

 怪我人には苔茶に更に紫色のポーションを少量ブレンドし、味は全く保証できないような恐ろしい物を渡しているが、こちらも茸生物(マイコニド)達には好評で、こんなにうまい物は初めてだと喜びそれを飲んだ。

 ちなみに地の小人精霊(ノーム)達はフラミー同様顔をしわしわにしかめた。

 しかし、良薬口に苦し。皆我慢してそれを飲んだ。

 もちろん地の小人精霊(ノーム)達には普通の食事も出された。彼らは苔は食べないのだ。

 

 炊き出しが行われている場所の向かい側では、マーレが冷え固まった溶岩と、溶岩を止めるために作った堤防の片付けを行なっていた。

 デミウルゴスにほどほどで良いと言われているので、適当にほどほどに片付ける。

 茸生物(マイコニド)地の小人精霊(ノーム)もマーレの力を目の当たりにし、マーレの庇護下にいれば溶岩も怖くないと、ひとまず何処かへ引っ越しをするつもりはなくなったようだ。

 

 そして、寝なければいけない言い付けの時間が来ると、守護者達三人はジャンケンをする事にした。

 ピッキーを守る為に起きている者を選出するのだ。当然勝った者がピッキーを守ると言う仕事を行える。

 三人の仕事を奪い合うジャンケンは熾烈を極めた。

「悪魔の諸相:八肢の迅速!」

 デミウルゴスは速度を上げることで二人が出す手を見極め、高速後出しジャンケンを行うと同時に自分が出す手が予測されないようフェイントを出し続ける。

「<影縫いの矢>!」

 アウラはデミウルゴスの高速で動く手を止めさせる為スキルを放つ。

 マーレは常時発動させている超知覚の精度を高め、二人が行う全てを見極めた。

「「「じゃんけんぽん!!!」」」

 マーレが勝つと、デミウルゴスは眼鏡を押し上げた。

「…まぁ、三人で順番に起きれば良いだけの話だったね。」

 そう言った。

「え、えぇ〜!ず、ずるいですよ、デミウルゴスさん!」

「じゃ!二時間ごとって事で!」

 

 眠る守護者はピッキーを二人で挟み、交代で見張りをしながら肩を寄せ合い眠りについた。




次回#39 炊き出しの視察

イケメンキノコ!!


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#39 炊き出しの視察

 翌日、双子の様子を見に来た支配者達は、溶岩に蹂躙された街を硬直して眺めた。

 周りには突然人間とハルピュイアが出たとキノコ達が囲み様子を見ている。

 

 アインズは昨日チョウさんを捕まえに行く前の街と明らかに違う様子に物が言えなかった。フラミーも苦笑いを浮かべている。

 殺戮を禁止して出かけたし、どう見ても、守護者達がやったようではないのだ。いや、本気を出せばデミウルゴスなら引き起こせるかもしれないが。

(……これ…チョウさんの…いや、俺のせい…?)

 久しぶりに背を冷や汗が流れて行くと、人の身にオンにしてある精神抑制が働き、アインズはすぐ様起こりかけていた胃痛から解放され――じわりじわりと燻されるように焦りが戻ってくる。しくしくと痛む胃を撫でた。

 

 ここは関係ない振りをするかとも一瞬思うが、結局この溶岩の後を辿ればすぐにバレるだろう。

 チョウさんももう第七階層に回収してしまったし、後戻りはできない。紅蓮にあれだけ仲良くするように言い含め、しかも第七階層をお祭りよろしく練り歩いてしまった。

 

(不味い…不味いぞ…。せめて殺戮を禁止すると言わなければ良かった。なんか泣きたい気持ちだ…。)

 

 子供に仕事を押し付け遊びに行って子供の仕事を増やす大人がどこの世界にいるだろうか。

(ここにいます…。)

 アインズは大きくため息を吐き出した。

 

「…アインズさん大丈夫ですか…?」

「…ま、まぁ…えーっと…。支配者も失敗するって教える良いチャンスなのかもしれません…。」

 頭を撫でてくれるフラミーに顔をゴシゴシと擦り付け、精神の安定化をはかる。

(超凄い支配者から、そこそこの支配者に――遊んだり失敗もするようなそこそこの支配者に評価を改めてもらえば精神的苦痛から解放されるかもしれないもんな…。それに、そうしたほうがデミウルゴスとかも手取り足取り色々教えてくれるかもしれないし…。)

 しかし、支配者レベルを下げると言うのはこの四年間の頑張りを投げ捨てることかもしれない。

 状況を変えることへの不安と、子供達に「じゃあ今までのなんだったの」と言われる恐怖に胃の奥がキュッとする。

 

 アインズが勇気を絞り出そうとしていると、周りで遠巻きに訝しんでこちらを見ているキノコ達を軽々と飛び越える人影が一つ。

「アインズ様ー!フラミー様ー!――…アインズ様、どうかしたんですか…?」

 アウラは支配者達の前に着地し膝をつくと、すんすんとフラミー成分の吸引を行っているアインズにこてりと首を傾げた。

「す、すまん。」

 つい情操教育に悪そうな真似をしてしまっていたアインズが咄嗟に謝っているとキノコ達が二つに割れ、道を譲られたマーレとデミウルゴスが出てきた。

 

「アインズ様、フラミー様。デミウルゴス、御身の前に。」

「あ、あの!おはようございます!御身の前に!」

「デミウルゴスさん、マーレ。おはようございます。…えーっと…<静寂(サイレンス)>。」

 フラミーが辺りに声が漏れないように魔法を掛けると、アインズはそれを皮切りに口を開いた。

「うむ、おはよう…。お前達、早速だが私がこの地で殺戮をするなと言ったのを覚えているな。しかし、ここには溶岩が来ている…。」

 アウラとマーレは何か気付いたというような態度を示し、デミウルゴスは頷いた。

「――…そうだ。私がこの惨状を招いてしまった…。デミウルゴスは解っているだろうが…二人は殺戮を禁じたこの地に私が溶岩を流し込んでしまった事をさぞかし疑問に思っているだろう。」

「いえ!そんなことないですよ!」

「えっと、最初はちょっと驚きましたけど、その、ちゃんと分かってます!」

(――え?も、もう分かってるの?)

 

 アインズは昨日遊んでチョウさんの捕獲を行っていた事を知っている叡智の悪魔へ視線を送った。頷きが返ってくる。

「…デミウルゴス、先に説明してくれたのか…?」

「は!出過ぎた真似かとは思いましたが、昨夜寝る前に二人に聞かせました。」

「おぉ、そうか。お前は本当に良くできた息子だ…。」

 双子が頬を膨らましている。アインズは双子へ頭を下げたいが、周りには依然としてキノコや小人達がこちらの様子を伺っているので言葉だけで許してもらうことにする。

「アウラ、マーレよ。そういう訳だ。すまなかったな…。」

「いえ!あたし達こそ、頼りなくって申し訳ないです。」

「い、いつかアインズ様に本当に全てを任せていただけるように、えっと、が、頑張ります!」

「いや、お前達は実によくやっているとも。」

 アインズは初めて自分のミスをちゃんと謝れたことに満足感を覚えた。

 

 不思議なことに三人の眼差しは、ミスをしただらしない支配者を見る物ではなかった。

 相変わらず尊敬に溢れ――いや、今までよりも尊敬に溢れ、頬は紅潮し、煌く瞳は憧れを物理化した星が飛んでくるようだ。

 遊んで仕事を邪魔した支配者のどこに更に尊敬する部分があったのだろう。

 アインズはフラミーと視線を交わし、分かったかと心の中で聞く。返ってきた無言の返事は「分からない」だった。

 一体何が三人の琴線に触れたのだろうか。

(やはりちゃんと謝れる大人に感心しているのか…?)

 だとすればアインズにはお手の物だ。

 

 アインズが考えていると、デミウルゴスが続けた。

「征服については引き続き我々にお任せ下さい。とはいえ、せっかくですし、アインズ様とフラミー様は視察をされては如何でしょうか。私がご案内いたします。」

「あ!デミウルゴスずるい!」

「ぼ、僕たちもご案内します!お、お仕事も今はひと段落してますし!」

 ちっとも怒っている様子のない三人に安堵しながら、アインズは頷いた。

「皆で行こうか。」

 

+

 

「ピッキーって、キノコの中ではとってもイケメンだったんですねぇ。」

 フラミーのそれを聞きながら、アインズは尋常じゃなく褒め称えられているピッキーを観察した。

「本当ですねぇ。それにしても――あいつ、やるな。」

 アインズはやっと人の身の時に、見た目を大絶賛されても狼狽ない――ふりができるようになってきたが、今ピッキーは自分がそう扱われ、褒めそやされることが当然とばかりに胸を張っている。

「私は至高の御方に生み出されているので当たり前です。」と言っているのは想像がつく。

 アインズとフラミーは「CGでできているので当然です」と思う事はあれど、胸を張ることはできない。

 ピッキーはたまに贈り物を受け取ったりしていて、相当モテているようだ。

 支配者達に女と男の見分けはつかないが。

 

 黄色い歓声の中で働くピッキーの様子を暫し眺めた。

 被災していない茸生物(マイコニド)と、同じく被災していない地の小人精霊(ノーム)達がピッキーを手伝っている。

 そしてその周りにはピッキーを守る大量の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)

「あれは魔導省で開発した紫ポーション――と、ナザリックの苔か?」

「そ、そうです!キノコさん達が苔を食べてるって、その、街を見ながら執政会に行くときに知ったんです!」

「だから、あたし達が苔茶提案したんですよ!」

「ほう、よく調査をしていてえらいじゃないか。」

 食事は種族によって大きく異なる場合が多いので、一番に確認しなければいけない問題だ。

 フラミーと手を繋ぐ双子は嬉しそうに頬を緩めた。

 

 しかし、紫ポーションと苔茶のブレンドは実に不味そうだった。

 紫ポーションはンフィーレア・バレアレがバレアレ薬品店の傍ら、週に一度魔導省の研究機関で製作と研究を手伝い近頃完成した物で、味が最低だと評判だ。

 

 アインズは紫ポーションの献上時にフールーダから聞かされた話を思い出す。

(…バレアレは夫婦の夜の生活の悩みをフールーダや高弟のゾフィに相談しているんだっけか…。)

 なんでも第一村人だったエンリは、気持ちがいいこと(、、、、、、、、)だと知ったせいで、複数回求めるとかで、バレアレ家の夜は大変だとか。

 ゾフィは女だし、セクハラ的な相談で悩んでいる――と言われるなら良かったが――フールーダとゾフィ、そして神官は瞳を輝かせてアインズにその話をしてきたものだ。

 そして、話の終着点は「男のナイトポーション――滋養回復系をバレアレ君が多数作ったから是非使ってみてはどうか」という物だった。セクハラされる神様だ。

 アインズは紫ポーションを受け取った際に、そのまま一緒に受け取り、しまいっぱなしの男ポーションを思い出す。

 無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)のいつでも出せる場所にきちんとしまったはずだ。

 

 ちなみに青い一番安いポーションは金貨一枚と銀貨十枚で、さらに第一位階ポーションは金貨二枚、第二位階ポーションは金貨八枚。紫ポーションはなんと金貨二十枚――つまり、白金貨二枚だ。

 国庫から研究費を出しているが、できることなら研究費の回収もしなければいけないし、この値段設定になってしまった。

 アダマンタイト級くらいしか買う者はいない。

 

(技術の発展は最初に軍事、次にエロと医療だったか…。しかし羨ましい話だ…。)

 疲労無効にしているアインズの夜に死角はない。

 しかし、大抵アインズが求めすぎてフラミーがへばるし、求めてしまうせいで中々求められるンフィーレアのような状況にはならない。

 たまにねだられると、これでもかと抱いてしまい暫くは良いと満足されたりもする。

(…男用じゃなくて女用のものを作ってくれないかな…。)

 そんな事を頼めばフラミーがどんな目で見られるか分からないので頼めないが。

 

 アインズは、ピッキーがせっせと苔茶を煮出していく姿を眺めるフラミーの様子をちらりと伺った。

 視線に気が付いたフラミーはニコリと微笑んだ。

「どうかしました?」

「あ、いえ。何でもないですよ。」

「ん?あ、わかりましたよ。」

(――え?わ、わかったの?)

 アインズが本日二度目の疑問を心に浮かべるとフラミーはハイファイブを交わすようにアインズに手のひらを向けてきた。

 取り敢えずタッチすると、フラミーは瞳に闘志を燃やした。

「支配者、バトンタッチです!アインズさんは休んでくださいね!」

 

「――え?」

 

 フラミーはやるぞー!と肩を回した。




ふらら頑張る!!

次回#40 閑話 その頃のコキュートス


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#40 閑話 その頃のコキュートス

「ココハ我ガ神ノ地トナッタノダ。大人シク従エ。」

 コキュートスはへたり込む単眼巨人(サイクロプス)へ白銀のハルバード――断頭牙を向けた。

 大顎がガチガチと警告音を発している。

 

「こ、降参だ…。」

 その言葉を聞くと、断頭牙を地面に突き立てるように置き、漆黒聖典と陽光聖典に通達する。

「戦闘ハソコマデダ!!全員鉾ヲ収メロ!!」

 

+

 

「今日ハコンナ所ダナ。」

 コキュートスは地図を更に塗り替えられた事に満足すると、後処理を行う死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と軽く挨拶を交わし合い、デミウルゴス印の転移門(ゲート)用スクロールを取り出した。

「オット…。ソノ前ニ我ガ配下ノ者達ト応援部隊ヲ労ワナケレバ。」

 コキュートスはスクロールをしまい直し、本日の野営地に向かう。

 

 そこでは漆黒聖典と陽光聖典が各々テントを張っているところだった。

 この四年間、コキュートスは陽光聖典と共に亜人と異形を制圧して歩いているのですっかり配下と認識している。

 一方漆黒聖典はこの沈黙都市周辺の制圧から参加したので、借物の部隊と言ったところだ。

 

「オ前達。今日モ良クヤッタナ。大儀ダッタ。」

 声をかければニグンと漆黒聖典隊長が即座にコキュートスの前へ進んだ。

「コキュートス将軍閣下!お戻りのお時間ですね。」

「コキュートス様、明日は北上しますか?」

 ニグンもやはり、自分の上司と言う思いが強いのかずっとコキュートスを将軍閣下と呼んでいる。漆黒聖典隊長は守護神と位置付けている雰囲気だ。

 

「ソウダナ。明日ハ北へ向カオウ。」

 二名は了解の意を示すと、コキュートスを見送ろうと頭を下げた。

「…オ前達モ毎日神都へ帰ラセテヤレレバ良イノダガ、スマナイナ。」

 毎日帰るのはコキュートスだけだ。転移門(ゲート)のスクロールはもう別段希少なわけでもないが、スクロールもただではない。

「いえ。我々は慣れておりますのでお気になさらず!」

「スマナイナ。デハ、マタ明日会オウ。」

 コキュートスが改めてスクロールを取り出し、燃やすとナザリックへの道が開いた。どこか申し訳なさそうに数度振り返って転移門(ゲート)を潜る武人を見送る聖典の目には尊崇の色があった。

 

 転移門(ゲート)の先はナザリックが第五階層――凍河。

 コキュートスを迎えるは白き絶世の美女達。雪女郎(フロストヴァージン)だ。

「お帰りなさいませ、コキュートス様。」

「戻ッタ。今日ノ分モ問題ナイカ?」

 コキュートスは今日神殿に持ち込まれた死体を雪女郎(フロストヴァージン)達がきちんと氷河に埋められた事を確認する為と、他にもまだ用事がある為にすぐには自分の家である大白球(スノーボールアース)には向かわなかった。

「はい。問題ございません。」

 果てのないように見える凍結する湖は深く、空気一つ含まずにどこまでも透き通っている。

 奥底は光が届かない為に濃紺に、そして黒、闇へと色を変えていく。

 以前、アインズのアンデッド製作についてきたフラミーは、吸い込まれそうだとしばらく氷に座り込み深淵を覗き込んでいた。コキュートスは二人の支配者がこの階層にいる景色が好きだ。

 デミウルゴスも言っていたが、彼らがいればどんな場所も美しくなると思う。だから、常闇との戦いの後に第五階層に氷山の錬成室が造られた時、舞い上がる程にコキュートスは喜んだ。

 

(美シキ第五階層ヨ。)

 

 ひたるコキュートスの足下、凍り付く湖の中で人間、亜人、異形問わず大量の死体が安らかに眠っている。

 どれも安らかな顔をしていて損傷ひとつないのは、死体とは言えこのナザリックに相応しくない様相のままで留めておく事にコキュートスの中で忌避感がある為だ。

 どれも雪女郎(フロストヴァージン)によって身体の損傷を治され、表情も無とされてから氷の中へ静かに納められるのだ。

 

 コキュートスは本日の死した者達へ敬意を払い目を閉じ黙祷を捧げた。

 その後ゆっくりと足元を見渡した。

「…ム。蜥蜴人(リザードマン)ガイルナ。」

「本日持ち込まれたものです。老衰だそうで、以前緑爪(グリーンクロー)族の長老として信仰系魔法を使っていたババ様だとか。」

「ソウカ。明日ニデモシャースーリューニ見舞イノ品ヲ渡ソウ。」

「何をお渡ししますか?」

「外ハ真夏ダ。氷ヲ送ロウト思ウ。子供達モ喜ブダロウ。」

 雪女郎(フロストヴァージン)は良い案ですと賛成し、頭を下げた。

「サテ、私ハ今日ハアインズ様ニ御報告ニ上ガラナケレバ。」

「かしこまりました。行ってらっしゃいませ。」

「引キ続キ任セル。」

「は。」

 コキュートスは階層ごとを繋ぐ転移門へ向かった。

 

 第六階層に降りると、そこは円形闘技場(アンフィテアトルム)

 闘技場へ出ると、八匹の子山羊がコキュートスへ駆け寄った。夕方になると闘技場にはこうして子山羊達が集まり、夜になれば皆で身を寄せ合って眠っている。日中は第六階層を駆け回り、柔らかい草を食むのだ。

「アア。出迎エゴ苦労。気ニシナイデ過ゴシテクレ。」

 子山羊達は幸せそうにメェェエェェエと鳴いた。本当にコキュートスを気にすることをやめた子山羊達は合唱を始めた。

 以前フラミーがよく歌っていた鼻歌だ。

 コキュートスは子山羊達の歌を聞きながら――小さくそれを真似て鼻歌を歌いながら――円形闘技場(アンフィテアトルム)を後にした。

 早くアインズの下へ行きたいが、必要な寄り道だ。

 

 足下からサクサクと草を踏む音が鳴る。コキュートスは辺りを見渡した。

「…双子ガイナイトハ珍シイナ。」

 いつも闘技場の転移門に動きがあるとどちらかがすぐに様子を見にくるものだが、どうやらナザリックに今双子はいないらしい。

 ずんずん向かい進んでいく先は、湖のほとりに建てられている一郎の木造コテージだ。

 オレンジ色の柔らかな光が漏れ出していて、中からはバタバタと慌ただしい音がしている。

 蜥蜴人(リザードマン)の出張コテージには今日は誰も泊まっていないので、一郎と二郎のコテージしか明かりは灯っていない。

 蜥蜴人(リザードマン)は今も週に二泊三日程度はここに泊まり、一郎二郎兄弟にレベルアップを手伝われている。しかし、族長達は皆成長限界まで来たのか力が止まってしまった。

 今はザリュースとクルシュの間にできた子供のレベル上げ実験を始めたり、ネクストステージだ。ちなみに子供は早朝から魂喰らい(ソウルイーター)便に乗り、エ・ランテル市の北の橋からカルネ区に入り、カルネ区に建つ小学校に通っていた。エ・ランテルには他に三ヶ所小学校が建っている。

 

 コキュートスは三段程度の階段を上がり、戸を叩いた。

「一郎ヨ。私ダ。コキュートスダ。」

 中の慌ただしい音は更に大きくなり、コキュートスは一歩扉から引いた。

 その瞬間、バンっと激しい勢いを持って扉が開かれた。

「こったま!!」

「一郎太!!やめんか!!あぁー!もう!!」

 一郎太はまだ生まれて一ヶ月だが、もう歩くし言葉も喋る。ミノタウロスは生まれて二時間もすれば歩き出すのだ。ちなみに名付けは当然アインズだ。

 生まれて七ヶ月経つナインズはまだ座る事を覚え始めたばかりだと言うのに、実にたくましい。

「申し訳ありません、コキュートス様。」

「フフフ、良イノダ。一郎太ヨ、今日モ元気ダナ。変ワリナイカ。」

「こったま!!いちろーた!んーーげんき!」

「ウムウム。来月カラハレベルアップノ実験モ始マルノダカラ、沢山乳ヲ飲ンデ大キクナルノダゾ。ザリュースの子達――シャンダール、ザーナン兄弟モ相手ニナル者ヲ望ンデイル。」

 ミノタウロスは僅か二ヶ月で離乳を迎え、その後は普通に大人のミノタウロスと同じ物を食べる。この子は大切な――実験体だ。

「いちろーた!!おっきなる!!」

「ナインズ様ノオ役ニ立テル事ヲ喜ブノダ。」

「あーい!いちろーた、ないたまのためにがんばう!」

 コキュートスは自分が救いたいと求めた命から更に命が生まれた事にナインズへ向けるものとは違う感動を覚えていた。

 これは弟子でもある。

「デハ、一郎太ノ顔モ見タ事ダ。私ハ行ク。」

「わざわざありがとうございます。神王陛下とフラミー様にも宜しくお伝えくださいませ。」

「ウム。任セテオケ。」

 小さな赤毛の美しい子牛を撫でるとコキュートスは踵を返した。

 再び円形闘技場(アンフィテアトルム)へ向かい、入ってきた所と反対側の選手入場口を潜る。

 子山羊達は相変わらず合唱していた。

 

 第七階層に降りれば、激しい熱にコキュートスの額にはわずかに汗が滲んだ。

「これはコキュートス様。第九階層へ?」

 迎えたのは憤怒の魔将(イビルロード・ラース)だった。

「アァ。憤怒ヨ。アインズ様へ本日ノ御報告ニ行ク所ダ。」

 転移の指輪を貰えていないのでコキュートスがここを通るのは日常だ。

「本日もお疲れ様でした。どうぞこちらへ。」

 憤怒に第九階層へ直接行ける新たな転移門へ案内される。現在ナザリックは第八階層は支配者の許可無く立ち入れない禁所となっている。

「イツモスマナイナ。一人デモ行ケルノダガ…。――所デデミウルゴスハイナイノカ。」

「はい、デミウルゴス様はアウラ様とマーレ様によるトブの大洞穴の支配のお手伝いにお出かけになっているんで、ここ数日はお帰りになってないんです。」

「ム、泊マリガケカ。」

「えぇ。なんでも大洞穴側がアインズ様とフラミー様の入洞を拒否したとかで、直ぐに支配下に入るようアインズ様が手を下したそうなんですよ。そこでデミウルゴス様もなるべく早く結果を出したいとか。」

「ナルホド。地の小人精霊(ノーム)ガドウナッタカオ前ハ知ッテイルカ?」

「俺も詳しいことは知りませんが、聞いたところによると溶岩や地上の脅威から身を守る為に神聖魔導国の傘下に入って庇護を受ける事にしたそうですよ。他にも茸生物(マイコニド)がいたとかで、同じく支援と庇護を受けるそうです。」

「デハ又デミウルゴスハ世界征服ノ一助ヲ担ッタカ。」

 憤怒はどこか誇らしげに頷いた。

 デミウルゴスは親友でありライバルだ。コキュートスもこうして日々勢力拡大に努めているが、面積で言えばデミウルゴスの方が広いだろう。

 細かく手に入れて行くコキュートスと、一気に巨大な国を飲み込むデミウルゴス。

(私モモット頑張ラネバナ…。)

 日々欠かさず出かけてはいるが、当然一日一集落と行くはずもなく、集落を探して丸一日聖典達と歩くだけと言うこともよくある。ただ、支配する者がいない地は着実に神聖魔導国のものとして手に入れて行ってはいるが。

 

 コキュートスは転移門に着くと憤怒へ礼を言い、神々の住う階層へ降りた。

 第九階層を行く。まだ沈黙都市周囲の全てを手に入れるには暫くかかるが、今日は一集落を手に入れたのだから、アインズへ報告に上がるべきだ。

 アインズの部屋の前に着くと、己が配下のクワガタ型モンスターの前で正面、側面、背面、そしてまた側面と一周回った。

「問題ナイカ。」

 血や土、埃が無いかを確認させると、配下の者達は頷いた。

「本日も美しい外皮でございます。」

「ム、ソウカ。武人健御雷様ニ感謝シナケレバ。」

 コキュートスにとって自分が褒められるのは全て創造主のお陰だ。この武人は日々感謝の中生きている。

「ンン。ヨシ。」

 コキュートスは聖域の扉を叩いた。

 

 中からメイドが軽く顔を出す。

「アインズ様ニ本日ノ御報告ヲ。」

「かしこまりました。お待ち下さいませ。」

 ぱたりと静かに扉が閉められる。

 コキュートスは何度訪れ、何度顔を合わせてもドキドキと、高鳴る鼓動を止められない。

 

 扉が改めて開かれると、中には美しき白磁の支配者と、輝かんばかりの煌めきを放つ主人。そして、今コキュートスを誰より夢中にさせるお世継ぎ。

 

 コキュートスは胸を目一杯張って、中へ踏み入れた。

 

「アインズ様、フラミー様、オボッチャマ。コキュートス 、御身ノ前ニ。」




コキュートスかわいいなぁ!
ちゃっかりミノタウロスに子供が生まれている…!
そして成長スピードがまるで違う!

次回#41 小人の行方


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#41 小人の行方

 ムアーとループはエ・ランテル市、トブの大森林に最も近い入都管理の北塔の前で、地下都市ナリオラッタから出発するようになった魂喰らい(ソウルイーター)便を降りるところだった。

「はよう降りるんじゃ!」

「そ、そう急かすない。こう大荷物じゃうまく動けんのじゃ!」

「じゃから先にある程度は送っとけと言ったじゃろが!」

 ひぃひぃと汗をかくループはパンパンに膨らんだバックパックにひっくり返されそうになる体をなんとか起こし、額の汗を拭った。

「こ、これでも……これでも送ったんじゃ!」

「わしは手伝う気はないぞい!」

「ケチじゃのう…!」

 魂喰らい(ソウルイーター)が引く馬車から飛び降りると、よろけるループをムアーが後ろから押しながら巨大な川の手前にある入都管理塔へ向かった。

 

 川にかかる橋にはほどほどに長い列ができていた。

 列の前にいる数名の子供の蜥蜴人(リザードマン)は首に掛けている学生証のようなものを門番に提示し、次の裕福そうな商人の姿をした亜人は軽く積み荷を確認された。

 

 二人はこの待ち時間にしなければならないことがある。

 真っ赤なとんがり帽子を脱ぎ、鞄へしまう。

 その手で鞄から取り出したのは新品の――やはり真っ赤なとんがり帽子。

 しかし、これまでのとんがり帽子より余程長い。

 それを被ると、二人はニヒリと顔を見合わせた。

「おぬし、でっかいのう!」

「おぬしもようでっかくなったわい!」

 くすくすと笑いを漏らしていると、川の門番から「どうぞー」と声を掛けられた。

 

「ようこそ、神聖魔導国ザイトルクワエ州エ・ランテル市へ。えー…地の小人精霊(ノーム)さんですね?」

 番の人間とゴブリンは、ドクターと共に入都した時には地の小人精霊(ノーム)なぞ知りもしなかったと言うのに、今は一目見てムアー達の種族を述べた。

「そうじゃ!わしらはこっちに移住したいんじゃ!」

「かしこまりました。地の小人精霊(ノーム)さん達はエ・ランテルに入ったことは?」

「あるじゃよ!――あ!!」

 手を振る二人の視線の先にはドクターがいた。

「知り合いもいるんじゃ!」

「なるほど、ではお進みください。――次の方どうぞー。」

 二人は友人の下へ走った。

 バックパックの中身がガラガラと鳴る。

 後から入都審査を受けた者は悠々と二人を追い抜き、川を渡った。

「モジット!カイナル!よくきたのう!」

「ドクター!また世話になりますじゃ!」

「家を借りれるようになるまで宜しく頼みますじゃ!」

 もじゃもじゃ顔の三人は再会した。

 

 トブの大洞穴に溶岩が流れ込んだと言うのはエ・ランテルでは有名な話だ。

 この大都市と、山の地表は神聖魔導国の――いや、神の加護の下にある為、何の影響も受けなかったが、地下はその範囲外だったために被災したらしい。

 それを機に大洞穴も神聖魔導国の管理、支配地となったのは記憶に新しい。

 

「おぬしら大変だったと聞いたぞい。」

 ドクターは水上バス(ヴァポレット)に揺られながら、長すぎる帽子を被る二人を案じた。

「まぁまぁじゃな!わしらの家はあのちびっこ――フィオーレ様が溶岩を止めてくれたお陰で何ともなかったからのう!」

「普通に荷物をまとめて出てきてしもうたわい!」

 二人は明るく笑った。

「そりゃ良かった!ここにいるとまるで山の様子はわからんからのう。実はフェオ・ジュラの近くも多少溶岩が流れて少し地形が変わってしもうたみたいで、ここのところはまだ立ち入り禁止での。」

 立ち入り禁止という言葉に二人は分かりやすくショックを受けた顔をした。

「早く稼いで家を借りにゃいつまでもドクターの所に世話になっちまうのう…。」

 ふーむ、と二人が悩む声をあげていると、カラフルな小さな家の立ち並ぶ区画が見え始め、舟は止まった。

「まぁ、居候は気にしないでいんだがな!あれは持ってきおっただろい?」

 ニヒリと笑いを漏らした地の小人精霊(ノーム)はドクターに続いて水上バス(ヴァポレット)を降りた。

 

「そりゃもちろんじゃよ!!」

「まぁ皆でちょぴりと舐めた残りじゃがな!!」

 地の小人精霊(ノーム)は被災した者も、していない者もお祭り騒ぎだった。

 ムアーとループが褒美として貰った酒を少しづつ分け合ったのだ。

 舐めればほっぺたが落ちるような美味に、皆もう少しとねだったが、これは果敢にもラーアングラー・ラヴァロードの様子を見に行き、地上まで世界の確認を行なった二人の褒美なのだからと長老に嗜められていた。

「それを飲ませてくれりゃいつまで居てもろうても構わんぞい!」

 現金な笑いを漏らすドクターだった。

 

 その後二人は鉱山組合に所属し、鉱脈を聞く力を遺憾なく発揮することによって世間のアダマンタイト不足を解消する一助となった。

 冒険者組合から表彰され、百十五歳の若者は見事に神聖魔導国ドリームを掴み取る。

 しかし、良いことばかりではなかったらしい。

 エ・ランテルに来た二人は、噂を聞きつけた山小人(ドワーフ)達と褒美の酒を開けてしまったのが運の尽き。

 神の酒はわずか一週間でなくなってしまったとか。

 ――という建前の下、二人はこそこそと隠れるように週に一度布団の中で天上の美味に舌鼓を打ったのだ。

 二人は生涯一番の親友としてちっちゃな大騒ぎの中幸せに生きる。

 

 地の小人精霊(ノーム)達はムアーとループに続き、エ・ランテルに移住する者も出た。勿論、引き続き大洞穴に暮らす者もいる。

 地上に出てきた者は皆一様に長すぎるとんがり帽子を被り、踏み潰されないように自分達の存在を主張した。

 地の小人精霊(ノーム)達の鉱山組合への所属によって、アゼルリシア山脈だけでなく、他の山脈や鉱山の採掘も始まる。

 様々な都市の鉱山組合に所属するようになった地の小人精霊(ノーム)はエ・ランテルだけでなく他の都市に住む者も多く居た。

 そしてある日、深く、深く、掘り進んだ先で、ついにはアダマンタイトを超える硬度を持つ凄まじい鉱石が見つかる。

 とても普通のツルハシでは採掘できず、国へ力を貸して欲しいと報告が上がり、視察隊が送られてくるのだが――それはまだ何年も何年も先のお話。

 地の小人精霊(ノーム)は山の近くの都市以外にも広がって行った。

 衣服の仕立て屋に一人は地の小人精霊(ノーム)がおり、高級既製服(プレタポルテ)には必ず彼らの素晴らしい刺繍が入っているのだ。

 最初の頃はモグラや蝶、キノコばかりだったが、いつしか神々を描いた素晴らしいタペストリーを刺繍する者も出る。

 四百年の寿命を持つ彼らは、数十年かけ、三枚一組の巨大タペストリーを完成させた。

 一枚には双子に傅かれる神々、一枚には自然の脅威を支配するような神々、一枚には慈愛で世界を包む神々。

 そのタペストリーは故郷を守った神々への感謝として遅れ馳せながらも神都大神殿に寄贈されたらしい。

 いつしか美術館という物も建つようになっていたので、他の都市に慎重に運ばれ、展示されたりもするようにもなる。

 

 神聖魔導国の文化、芸術は更に花開いて行った。

 

 が、地の小人精霊(ノーム)が子供を産むたびに記念樹と言って、街中に大きく育つ木を植えてしまうことが社会問題になるまであともう少し。

 

 

 一方茸生物(マイコニド)達は日の光が不得意だった為に、外に特別移住する者はいなかった。

 彼らは相変わらずトブの地下大洞穴に暮らし、たまに地上に出ては麻を育てている。

 中にはトブの大森林の計画伐採地区で、植樹を行うトレント達を手伝いに出勤する者も出るが、殆どの者の生活は変わらなかった。

 暫くは流れ込み固まった溶岩の撤去に追われていたようだ。

 

 プラも相変わらず、あの裂け目の入り口に立っているのだが、今では胞子を撒く係ではなくなった。

 入都管理官として、人々を地下へ迎え入れる都市の顔だ。

 魂喰らい(ソウルイーター)を毎日大洞穴へ見送る生活を送っている。

 魂喰らい(ソウルイーター)茸生物(マイコニド)の顔のカケラ(・・・)を積んであちらこちらへ運んでいる。

 歳を重ねた茸生物(マイコニド)にはオデキができるのだ。

 それをポコリと外し、麻と共に地上へ出荷している。

 それは土堀獣人(クアゴア)山小人(ドワーフ)にとっては何も珍しくない、たまに地下に落ちている物だが、エ・ランテルやバハルスでは大変貴重なキノコとして有名だ。

 「黒い宝石」と呼ばれる香り豊かなキノコは高額でやり取りされた。

 

+

 

 ピッキーは暫くテスカに任せっぱなしにしてしまったBARナザリックへ帰った。

「いらっしゃいま――おかえりなさい!ピッキー様!」

「ただいま、テスカ君。僕がいない間どうだった?」

 やはりナザリックの空気は最高だ。

 茸生物(マイコニド)達はピッキーが帰るとき、それはそれは別れを惜しんだそうだが、ピッキーは早くナザリックへ帰りたくて仕方がなかった。

 テスカの「特に何も無かった」と言う報告に安心しながらいつもの仕事に戻る。

 自慢の苔茶を入れながら、ピッキーは思った。

(まぁ、たまには外も悪くなかったのかな。)と。

 

 通常営業に戻ったピッキーが紫ポーションの製作をしていると、ガランガランと来客を知らせる鐘の音が鳴った。

 薬草の匂いが漏れないように、鍋に素早く蓋をし、ポーションを片付ける。

 ピッキーとテスカは声を揃えて頭を下げた。

「「いらっしゃいませ。シャルティア様。」」

 シャルティアがいつも通り優雅にカウンターへ進んで来るのを見ながら、ピッキーはやはりここは最高だと――「テスカ、いつもの出しなんし!!」思っていると、シャルティアの荒れたような声が響いた。

 何事かとテスカを見れば、手際良く「いつもの」を作り始めた。

 ほぼ原液のアルコールに青色一号を垂らしただけの恐ろしいカクテル――いや、アルコールだ。

 テスカは優しくそれを差し出した。

「…っふ…。役立たずの階層守護者にはこれがお似合いでありんすね。」

 シャルティアはそう言うと、ゴッゴッゴと喉を鳴らし、げふーとアルコール臭い息を吐いた。

 ピッキーはテスカに顔を寄せた。

「…これ、どうしたの?」

 それを聞いたシャルティアはどこか虚げな視線をピッキーに送った。

 「私に聞いて」とでも言うような雰囲気なので、シャルティアに聞き直す。

「…どうかしたのですか?シャルティア様…。」

 待ってましたと言わんばかりに口を開いた。そう見えたのは邪推だろうか。

「……ごめんなさい、言いたくない事なの。」

 ふざけんなよ。

 ピッキーの額には筋が出たが、茸生物(マイコニド)の表情をシャルティアは読めない。

(言いたいなら言えばいいじゃないか。なんてうざいんだ。こう言った店に似合うのはダンディな男と淑女だけだ。)

 

「はぁ…少し酔っちゃいそう…。」

「…酔ってしまうと大変ですよ…。」

 アンデッドのシャルティアが酔うはずもないのだが、遠回しにお帰りを願う。

 しかし、グラスを指でいじるシャルティアにその気はまるでなさそうで、ほぅ…と物憂げなため息を吐くばかりだ。

 ピッキーはグラスを磨きながらテスカに視線を送った。

「シャルティア様はここの所悩まれ続けてらっしゃいます。」

「テスカ…言わないでくれなんし…。」

「……何があったんですか?」

 もう一度訪ねてみたが、ふぃ…と視線を外すシャルティアは、自分に酔っているようだった。

 

 BAR通いをするようになった日、シャルティアは自分の階層に置かれるようになった子山羊を久しぶりに遊ばせてやるため、第六階層に子山羊を連れて降りた。エルビスは兄弟子山羊と歌を歌うのが大好きなのだ。

 そこで、パクパヴィルから一時戻ったアウラに会った。

「シャルティア珍しいじゃん。あたしは新しい都市を手に入れるの任されてるからもう行くけど、好きにしていいから!っんじゃね!」

 何の悪気もないただの報告のはずのその言葉に、シャルティアの背にはピシャリと雷が落ちた。

 

 大変なことに気が付いたのだ。

 

 国や都市を手に入れることを任されたことが一度もないと言うことに。

 

「はぁ…妾の何がダメなんでありんしょう…。」

 シャルティアは呟くと、支配者語録を取り出した。

 これはアインズが言った言葉、行った行動を全て書き連ねた物だ。

 それをパラパラめくり、見ながらシャルティアは声を漏らした。

「あぁ…あいんずさまぁ…。」

 情欲に濡れた瞳で支配者を思い出す顔はだらしなかった。

 じゅるりと垂れた涎を拭う。

 

 ピッキーはこれはダメだと、しばらくのBARの安寧を諦めた。




シャルちゃんww
最近出番ないもんね…

次回#42 閑話 その頃の都市国家連合
おっと?その頃シリーズか?


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#42 閑話 その頃の都市国家連合

 アインズはフラミーより休暇を与えられていた。支配者バトンタッチだ。

 誰よりも休暇の使い方がうまい自負のある支配者は、ついに一人座りを覚えたナインズに離乳食を与えていた。

 すぐによそ見をするナインズを呼ぶ。ナインズは周りでメイドがアインズの食事を準備したり、お茶を淹れたりするのに気を取られがちだ。

「九太、九太。ほら、ご飯まだ食べるだろ?」

 自分がナインズや九太と呼ばれる存在だと理解し始めているので、名前を呼ぶとこちらを向く。

 アインズはなんと賢いんだろうと思いながら、自分の向かいに座る分身に引き続き食事を取らせた。

 スプーンを奪い、自分で食べようとするがうまくいかずに泣いたりと忙しい。

 それに、お喋りも止まらないのだ。

「なんなんなんなん。」

「あぁ。わかってるぞ。この後いないいないアンデッドもしてやるから、まずはちゃんと食べるんだ。」

 ナインズは自分の指ごと食べながら食事を済ませた。

 お尻が重くないか確認すると、アインズはいないいないアンデッドをし、疲れたナインズを連れて寝室に移動する。

 昼寝をする息子の横でダラダラと経営者の本を読んだ。

(俺って経営者的センスも王様的センスも神様的センスもないよなぁ。)

 アインズは自分が成長しているのか、いないのか分からなかった。

 ナインズの背を叩きながら、時折遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)でフラミーの様子を見る。

 

 鏡の中のフラミーは相変わらず秘書として控えるデミウルゴスと仕事をしていた。

「あっちで寝てたら気が散るよなぁ…。」

 アインズはフラミーの近くで昼寝をしたかったが、働いているのに近くで誰かがダラけていたら気分が悪かろうと我慢している。

「何話してんのかなぁ。」

 いつもより少しおめかししたように見えるフラミーはデミウルゴスの話を聞き、真剣に頷いていた。

 

+

 

「それでは、参りましょう。もしお分かりにならない事が有ればいつでもお聞き下さい。」

「はーい!お願いします。あ、先にアインズさんにお出かけするって言って来ますね。」

「かしこまりました。」

 フラミーはデミウルゴスを連れ、アインズの部屋に入った。

 黙ってどこかに行かないと約束したのでお出かけの報告だ。

 デミウルゴスは元々アインズの予定だったのだから、解っていると思うと言っていたが、行ってきますを言うことは大切だ。

 フラミーが身重だった時に、アインズはフラミーが寝ていてもいつも必ず出かけると挨拶に来てくれたのだから。

 

 アインズ当番とナインズ当番が寝室の方を示すので、フラミーはそっと寝室の扉を開け、中を確認した。

 中では遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)が浮かび、ベッドに転がるアインズは眠るナインズの腹に手を乗せ、同じく眠っていた。

 フラミーはこの時間にがっつり寝てはナインズは夜に眠れないんじゃないかと思ったが、休みの日なので好きに過ごしてもらうのが良いかとクスリと笑った。

 メモ帳を取り出すと、さらさらと出掛ける旨、大体何時に帰ってくる予定だと書きつけ、一枚破った。

 こっそりと寝室に侵入し、サイドボードにメモを置いた。

「よし。」

 

 フラミーは静かに部屋を後にし、デミウルゴスに手を引かれて転移門(ゲート)を潜った。

 

 その先は神都大神殿の一室。

 膝をついて迎えたのは、多くの神官とジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。そして三騎士と――都市国家連合のベバードを治めるカベリア都市長と、以前舞踏会で会ったツルツルした滑らかな白い鱗を持つ耳の尖った亜人の都市長。

「フラミー様。よくぞいらっしゃいました。お呼びだてしてしまい申し訳ありません。」

「いいえ、ジルクニフさん。お久しぶりです。」

 フラミーは待つようにしているジルクニフに手を差し出し、手の甲に口付けを送られながら、この人はたまに距離感がおかしいから気を付けようと以前アーウィンタールを訪れた時のことを思い出す。

 尊敬のキスを終えるとジルクニフはフラミーの手をそっと離した。

 

 続いて同じく跪くカベリアの前に立つ。

 カベリアも恭しく、やんごとなきその手を取った。

「フラミー様、この度は並々ならぬご温情をお掛けいただき、心より感謝申し上げます。」

「カベリアさん。その言葉はアインズさんに。今日の私は名代に過ぎません。」

 恐れ入りますと告げたカベリアも、フラミーの手の甲に口付けを送った。

 

 カベリアの隣で同じように挨拶をしようとする、白い鱗を持つ男の名前をフラミーはもう忘れた。

「光神陛下。本日の調印式、心よりお待ち申し上げておりました。」

「どうぞよしなに。」

 知らない人に口付けを送られ、フラミーは手を引いた。

 

 デミウルゴスは挨拶が済んだのを確認すると、再びフラミーの手を引き、先を勧めた。

 フラミーが掛けると、ジルクニフは緊張に固まる部屋を和ませようと再び口を開く。

「フラミー様、ナインズ殿下はお元気でらっしゃいますか。」

「もう元気が過ぎちゃって、たまに困っちゃうくらい。今日もお父さんとお昼寝してますよ。」

「そうですか!素晴らしい光景なんでしょうね。うちの側室も一人身籠ったのですが、毎日が猛スピードに感じます。」

「そういえばお手紙くれてましたね。ふふ、おめでとうございます。本当に毎日が早くってびっくりしちゃいますよね。ナインズも髪の毛が随分ふわふわ生えてきて、ようやく地肌が見えなくなってきたかな。」

 二人はハハハと当たり障りない会話に笑い、立っていた者たちは少しほぐれた空気の中、席に着いた。ジルクニフは髪の毛、地肌という言葉にわずかに反応を示し、すっかり生え直した自分の髪にふわりと触れた。

 

「さて、それでは合併協定調印式を始めましょう。立ち合いはジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。そして神官です。」

 デミウルゴスの宣言に、部屋は程よい緊張感を取り戻した。

 まずは神官と行政機関長、ジルクニフから合併協議会の経過報告が始まった。

 

+

 

 おおよそ一年前、カベリア都市長はアーウィンタールを訪れた。

「商人の方は皆魔導国硬貨しか使わなくて…。」

 そう告げる表情は暗い。

 今やあらゆる生活必需品の多くを神聖魔導国――バハルス州から輸入する都市国家連合。

 商人達は、バハルス州で連合硬貨での支払いを断られがちな為、連合国家内でも連合硬貨での支払いを受け付けない者や、連合硬貨では数パーセント上乗せ価格にする者が増えてきていた。

 

 連合硬貨も別段粗悪な硬貨というわけではないが、神聖魔導国の硬貨は偽造硬貨が一枚もないと信用力が高い。

 神殿へ換金に行くと換金料を取られるし、神聖魔導国側の商人としては、わざわざ連合硬貨でやりとりをしたいとは思えないのだ。

 

 そうなると都市国家連合の商人達は神殿へ走った。

 魔導国硬貨へ換金を頼み、たっぷりと換金料を払ってバハルス州で仕入れを行う。

 必然的に都市国家連合に出回る神聖魔導国の品は多少割高だ。

 だが、多くのものを神聖魔導国に依存を始めた都市国家連合はもう止まれない。

 神聖魔導国の品の方が良いものだと、国内の生産者を蔑ろにして来たつけが回って来始めたのだ。

 必然的に都市国家連合の生産者は薄利多売を目指すようになっていて、国内産の物は粗悪品ばかり。

 都市国家連合の生産者達は少しづつ貧困の淵へ立たされ始めていた。

 今や都市国家連合は神聖魔導国の物品なくしては暮らせないのだ。

 そして、圧倒的に弱い(、、)連合硬貨をしつこく使う意味もない。

 

「エルニクス様、私の都市国家――べバードだけでも魔導国硬貨を公硬貨として使いたいのです。どうか、お口添えいただけないでしょうか…。」

 ジルクニフは「ふーむ」と悩むような顔をした。

 答えは既に決まっているが、カベリアが不信感を持ったりしないような、好感を覚えるような、カベリアの悩みに寄り添うような雰囲気を纏う。

「良いでしょう。お手伝いいたします。」

 カベリアは深く感謝し、その日は大人しくベバードへ帰った。

 ジルクニフ――鮮血帝と恐れられた青年は、自分の演技に瑕疵がなかったかを思い返す。問題は一切ない。

 ロウネや文官と何度も話し合いを重ね、商人達が連合硬貨を断るように仕向け続けた男は、ついに動き始めた自分の計画をデミウルゴスに報告した。

 

 後日、「都市国家連合を離脱し、神聖魔導国に入るならば、国が責任を持って連合硬貨を魔導国硬貨に両替する」「生産者への支援も国から行う」と言う答えを受けたカベリアは、連合議会で連合離脱を表明した。

 しかし、周りの連合国家がそれを許すはずもなかった。

 べバードは特に輸入商の多い都市国家なので、周りの都市国家は、そこで連合硬貨が一切使えなくなるであろう事を嫌ったのだ。

 ――輸入商が多い為、早いうちから神聖魔導国と深い繋がりを持つ都市として、過去にはここで神を呼んだ舞踏会も開かれたわけだ。

 

 周囲の都市国家達はそれぞれ生活必需の特産品をべバードへ売る事を拒否すると言う経済制裁をもって、べバードの神聖魔導国行きを阻止した。

 そうなるとベバードの輸入商の動きは苛烈になった。最も魔導国硬貨への公硬貨変更を望んだ者達は彼らなのだから。

 輸入商は神聖魔導国からの物品輸入を更に強めた。

 周辺都市国家が売ってくれないならば神聖魔導国から買うしかないと言うのもある。

 べバードは痛くも痒くもないとばかりに神聖魔導国との関係を深めた。

 ――が、ベバードの輸入商達は、神聖魔導国からベバードへ帰るために通る都市国家群より、多額の通行税を掛けられるようになった。

 通行税まで加算した神聖魔導国の物品の購入は庶民の財布には大打撃だった。

 そうしてべバードは神聖魔導国行きを一時諦めるのだった。

 

 カベリア都市長は早まったとベバードの民から強いバッシングを受けた。

 結果的にベバードは経済危機を迎え貧富の差が激しくなってしまったのだから。

 その時、ジルクニフは州としてベバードへ経済支援を行なった。

 神聖魔導国からも通行税を取られないように霜の竜(フロストドラゴン )骨の竜(スケリトルドラゴン)が輸出を行うなど、ベバード都市国家の者が一定以上貧しくならないように動いたのだ。

 

 カベリアが肩身を狭くするある春先のこと、ベバードには再びの転機が訪れる。

 家畜を多く所有する都市国家に、魔導国硬貨が大量に流れ始めたのだ。

 神聖魔導国のさらなる拡大――ビーストマン州、ウェアウルフ州の統合によって、家畜の輸出が大幅に増えたある都市国家は、やはり神聖魔導国硬貨への公硬貨変更を神聖魔導国へ申し出る。

 そして二つの都市国家は二つの都市と神聖魔導国だけで完結するように生活を送りだし――――。

 

+

 

 カベリアと白鱗の亜人が国璽を捺し、フラミーも神聖魔導国の国璽を捺した。

 そしてそれぞれのサインが入り、最後に立会人の印を集める。

 デミウルゴスが記入漏れや捺印漏れがないかを慣れた手つきで確認していく。

「――以上です。お疲れ様でした。」

 トントン、と書類がまとめられ、持ち帰る用の書類をそれぞれに渡す。

「では、カルサナス州の州都はベバードと言うことで。しばらくは大変かと思いますが、国としても支援を惜しまないつもりですので頑張りましょう。」

 デミウルゴスは州知事になったカベリアと、都市長の白鱗とそれぞれ握手を交わした。

「感謝いたします。」「これからどうぞよろしくお願い致します。」

「感謝はアインズ様とフラミー様へ。」

 カルサナスの二人は頷くと、流れるようにフラミーの前に跪き、順番にドレスの裾に口付けを送った。

 

 デミウルゴスとジルクニフはやり切ったと言うような顔をした。

 特にジルクニフは実に晴れやかな顔をしている。

 結構好きなカベリアを割と平和的に神聖魔導国へ入れることができたのだ。実によくやった。

 しかもデミウルゴスからの評価をある程度上げることができたはずだ。

(やった…。必ずバハルス州をスレイン州に次ぐ存在に――そして、アーウィンタールを神都に次ぐ存在にしてみせるぞ。)

 ジルクニフには相変わらず野望はきちんとある。

 鮮血帝は上を目指すのだった。

 

「それでは、カルサナスへ配備するアンデッドを送り出します。」

 デミウルゴスの言にフラミーはうなずいた。

「――…じゃあ、アンデッドの準備ができるまでお茶会にしましょっか!」




都市国家連合、久しぶりに見たなぁ!
ジルジル、頭復活したし、新しい平和な野望に燃えてるけど、ちょっと頭髪の話題にはないーぶ!!

次回#43 閑話 中庭のお茶会


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ユズリハ様にトリックオアトリートもらいました!!!!かわいいねぇ!



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#43 閑話 中庭のお茶会

 大神殿中庭。

 ニンブルは眼前の状況に目を輝かせていた。

 ゆったりと張られたタープの下で三騎士が囲むテーブルの上には、上質な紙の様に薄い茶器が置かれている。花器と生けられている花は互いへの視線が通るように低く仕上げられていた。

 どの茶器にも見事と言うほかない絵付けがされていて、秋晴れの今日によく似合う柄だ。

 

「お前は本当に好きだなぁ?」

 同じテーブルにつくバジウッドに苦笑されるが、軽い調子で返す。

「今度うちで開く茶会にまた招待してあげますよ。」

 ニンブルの趣味は茶会を開くことと、美味しいお茶探しだ。

「マナーには煩く言わないでほしい所だな。」

 はははと声を漏らすバジウッドは旧帝国の平民、それも裏路地の出身なのでそう言うことには疎いし、そう教養があるわけでもない。

 裏路地での生活では野垂れ死にの未来しか無いと悟り、騎士を目指し頭角を現した彼は見事旧四騎士の座に着いた。

 ニンブルは貴族だし、正反対の二人だ。

 しかし、騎士になった時から仲だけは良い。

 身分で差別をする事のない絶対君主の下に就くニンブルは、バジウッドの生まれに当然偏見を持たなかったから。

 それにニンブルの家は、貴族のお家お取り潰しが多かった中で鮮血帝から手を下されなかった良き家だ。

 彼の人格は育ちの良さから来るものもあるのだろう。

 

「煩く言われた甲斐があったじゃないですか。こんな席で昔やったみたいな事をしていればエルニクス様に後でたっぷりどやされる事になったんだから。」

「まぁ…それはそうだな。」

 隣のテーブルには、フラミーとジルクニフ、カベリアと白鱗の亜人が座っている。

 バジウッドはチラリとそちらの様子を伺い、相変わらず女神とテーブルを囲む事に何の躊躇いも感じさせない自分達の主人に感心する。

 カルサナスの二人の手は震えている様だった。

 見える場所でデミウルゴスが死の騎士(デスナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)魂喰らい(ソウルイーター)をカルサナスへ送っているが、恐怖から来る震えという訳ではないだろう。

 

「陛下は流石だなぁ。こう言う時、しみじみそう思う。」

「だからエルニクス様とお呼びしろって言ってるじゃないですか。」

「……しかり。」

 ようやく口を開いたナザミの手はプルプルと震えていた。

「…ナザミ、お前緊張してんのか。…頼むからそれを落とさないでくれよ…。」

 そうなっても無理もない。

 カップ一つとってもどれほどの値のものか想像もつかない。

 割ってしまったら、何年ただ働きをすれば買えるだろう。

「とは言え、お茶会は茶器を楽しむのも一つなんですからもう少し肩の力を抜いた方が良いんじゃないかな。」

「楽しむって言ってもコップをどう楽しめって言うんだよ…。」

「手触りや絵付けや見所はたくさんあるでしょ。こんな良いもの滅多に見られないんだから、二人とももっと楽しんだ方が良いですよ。」

「手触りねぇ…。」

 手の中のカップはぎゅっと握れば即座に砕け散りそうだった。

 ニンブルは一通り香りを楽しむと、うっとりとしながら一口含んだ。

「……わぁ。」

 育ちも趣味もあり、色々なものを飲んできたが、その口から出た物は感嘆のため息だけだった。

 ジルクニフの呼ばれる神々の催すパーティーにも全て出ているのだ。決して経験不足と言うことはないはずだったし、神々の出す物にはもう十分慣れたはず。

 しかし、ニンブルの知る世界はまた広がってしまった。

「…美味いな。ニンブルの所で出てくるのより美味い…。」

 バジウッドの呟きに呆れる事もできない。

「神々の口にする物は別格ですね…。」

 ニンブルはこんなお茶は自分の茶会では一生かかっても出せないなと確信してしまう。

「ははは。お前出涸らしもらって帰ったら良いんじゃねえか?」

「………そうしようかな…。」

 バジウッドはからかって言った言葉だったが、ニンブルは本気で出がらしを持って帰るか悩み始めてしまった。

 三人はしばし静かにカップへ口をつけ過ごした。

 

 そしてニンブルは呟く。

「決めた。出涸らし貰って帰ろう。」

「まじか!?」

 バジウッドは思わず大きな声を出すと、ジルクニフから視線でうるさいと言われた。

 バジウッドがぺこぺこと頭を下げていると、ニンブルはサービスワゴンのそばで控えるメイドを呼んだ。

「すみません。この紅茶を出した茶葉、持って帰りたいんですけど。」

「かしこまりました。そのように手配いたしますので少々お待ちください。」

 長いスカートをひらりと翻し、メイドがサービスワゴンへ戻っていくとニンブルは頼んでみて良かったとほくほくと頬を緩めた。

「ふふふ。神々の茶葉、研究させてもらおう。」

「やれやれ。ニンブルの紅茶への熱意には感服するな。」

「バジウッド。テーブルに肘をつかないで下さい。」

「……おう。」

 バジウッドがテーブルから腕を下ろしているとメイドが戻ってきた。

「アノック様、お待たせいたしました。」

「ああ、ありがとうございます。」

 振り向いたニンブルは小さな紙袋を受け取り、満面の笑みで中を覗くと硬直した。

 

 中にはターコイズブルーの小さなティーキャニスター。

 キャニスターを取り出し、金具をゆっくり外すと蓋を開けた。

「こ、これは…。」

 二十杯程度は淹れられそうな――ケチればもっと淹れられそうな量の新品の茶葉を見たニンブルは思わずにひりと口元を緩めた。

 茶葉からは芳醇な香りが昇った。

 

「…おいおいおいおい。それはちょっとまずいんじゃねぇか…?」

「…しかり。」

「…ば、ばじうっど…なざみ……。きちんと光神陛下にお礼を申し上げて帰ります…。」

「ニンブル、目を覚ませ!――メイドさん、こいつは出涸らしで良かったんすよ!」

 バジウッドがメイドを手招き直す。

 

「フラミー様にきちんと確認しておりますのでご安心ください。アノック様には恐怖公様と眷属の者がお世話になったとの事で、このくらい当たり前と。」

 ニンブルは今後、出没するゴキブリにお礼も言おうと決めた。

「ありがとうございます!恐怖公さんにもよろしくお伝えください。」

「かしこまりました。」

 

 ニンブルはフラミーと目が合うと、何度も頭を下げた。

 優しい笑顔で小さく手を振ってくれる隣のテーブルのフラミーにうっとりと「女神…」と声を漏らした。

 隣のジルクニフはカベリアと白鱗の亜人と何かを話していて、こちらのやり取りに気付いていないようだった。

「ああ!!陛下の許しなく勝手に物なんか貰って陛下がハゲたらどうすんだ!!」

「だから陛下じゃないって言ってるでしょ!」

 ――流石に大声だった為、ジルクニフはそれが耳に入るとむせた。

 

 その姿を見て、声を上げた者が一人。

 

「あら…?三騎士だわ。」

 中庭を囲む屋外回廊を行くレイナースは細かいスパンで建てられている柱から顔を覗かせた。

 その声に続くように、共に歩いていた紫黒聖典達も庭を見る。

 訓練に向かう途中だった為、皆揃いの稽古着である黒い長袖のTシャツに、黒いパンツ姿だった。

 手には黒い布の手袋。いつもガントレットの下に着けている体に馴染み切っているものだ。

 

 ここの所紫黒聖典は――主にネイアは――ブラックスケイルについている守護神、シャルティア・ブラッドフォールンと共に州を回り、ビーストマン州への理解を促して回っていた。

 しかし、向こうも落ち着いて来たので紫黒聖典は神都とブラックスケイルの間にある巨大な湖に新たに生まれた航路を渡り、昨日神都に帰ってきた。

 

「三騎士?あんたが放棄した昔の職場の同僚?」

「…そうだけど言い方は考えて欲しいわね…。あ!そんな連中より――」

 レイナースがある人物に気が付くと同時に番外席次もそれに気付き声を上げた。

「フラミー様!クインティア、私はフラミー様に拝謁するわ。」

「えっ、でも番外席次さん。光神陛下にご迷惑なんじゃ!」

 ネイアが止めるのも聞かず、レイナースと番外席次は庭へ躍り出ていった。

 ネイアの手が宙を泳いでいるとクレマンティーヌはその肩に手をポンとおいた。

「…ネイア、あんたは間違ってない。」

「…はは。」

 二人は苦笑を交わすと、前方の二人を追うように駆け出した。

 

 

「それでね、アインズさんったらそのお魚連れて帰りたいなんて――あら?」

 何かを楽しげに語っていたフラミーは紫黒聖典の到着に気付くと話を中断した。

 

「「フラミー様!」」

 レイナースと番外席次は子犬のようにフラミーに駆け寄った。

「あ、皆ブラックスケイルから帰って来たんですか?おかえりなさぁい。」

 慈母の微笑みに二人がとろけた顔をすると、ジルクニフはレイナースの見たこともない表情に若干冷たい視線を送った。

 

「陛下!お話中なのに申し訳ありません!あんたらどう見ても陛下は今忙しーんだから!行くよ!!」

「皆様もすみません!」

 追いついたクレマンティーヌとネイアは即座に頭を下げた。

 

「良いんですよ。レイナースさんはジルクニフさんと昔馴染みですしね。」

「…まぁ、契約関係でしたけどね。しかし――レイナース、久しいな。随分元気そうじゃないか。」

「ふふ、エルニクス様も。この通りフラミー様のおかげで体もすっかり良くなりましたので。」

 レイナースは今は視線を敵に読ませない為に伸ばしっぱなしにしている前髪をさらりと払った。

 紫黒聖典四人で暮らしている家では髪の毛は全部上げて過ごしている。

 

「レイナースさん、ジルクニフさんにたまにはちゃんとお手紙出したりしないとダメですよ。ねぇ、ジルクニフさんも昔の部下が元気か気になりますよね?」

「――ま、まぁ。そうですね。」

 レイナースは絶対ジルクニフは自分に興味はないと思ったが、フラミーの言う事ならなんでもする気概がある。

 

「では、たまには手紙をしたためます!」

「本当にたまにで良いぞ。お前も忙しいだろう。ところで、防衛点検の時には三騎士達と話もしなかったそうじゃないか。久しぶりにあいつらとも話して行ったらどうだ?」

 ジルクニフは三騎士へ顎をしゃくった。

 

 三騎士には興味はないが、レイナースはフラミーの近くにいる良い口実かと頷いた。

「そうですわね。そうします。」

「ちょっとー。この後訓練するっつーのに。」

 クレマンティーヌからのクレームを聞くと三騎士は立ち上がった。

 

「逆に俺たちが訓練所へ行って付き合っても良いぜ、神様お抱えの女の子がどんな訓練してんのか気になるしな。」

 クレマンティーヌの視線がギラリとバジウッドへ向けられる。

 

「あぁ?女の子ぉ?てめー私ら紫黒聖典を女の子扱いしようってーのか?」

「せ、先輩。性別言われただけで何怒ってるんですか。」

「ネイア。このケツの青い騎士様ごっこしてる奴らに思い知らせてやらなきゃ聖典の名折れだっつーの。」

 

 フラミーにマフィンを"あーん"され、尻尾を振っていたレイナースと番外席次もやる気なのか戦士の顔になった。

「そうね。クレマンティーヌの言う通りだわ。フラミー様の前でそんな風に言われちゃあね。」

「私もクインティアに賛成。まぁ私から見たらはっきり言ってこんな三騎士蟻以下だわ。後悔させてあげる。」

 番外席次の三騎士への挑発を聞きながらクレマンティーヌはニヤリと笑うと、黒い手袋を手から抜き三騎士の足下へ投げた。

「決闘。飲むしかねーだろ?騎士様よぉ!」

「バジウッドのせいですよ。――でも、やりますか。今ならなんでもお受けしましょうとも。」

 そう言うニンブルは相当機嫌が良さそうだ。

 三騎士と紫黒聖典が向かい合うように立つと、フラミーも立ち上がった。

 

「じゃあ、三対四になっちゃいますから、私が三騎士に入りますね!番外席次ちゃんは強いですし!」

 

「「「「えっ!?」」」」

 驚愕の声はその場にいた全員から上がった。

 ニンブルはジルクニフからの「何やらせてんだ」とでも言うような視線を感じると慌てて口を開く。

「光神陛下!陛下はスカートでらっしゃいますし、危のうございます!」

「攻撃魔法は使わないから、誰も死にませんよ!万一死んだり怪我したりしたら私に任せてください!」

 そう言うとフラミーは闇から白い杖を引き出した。自分が危ない目に遭わされるとはカケラも思っていないせいで、ニンブルの言いたかったことはまるで伝わっていなかった。

 

 明らかにフラミーの方が強いとしても騎士としてドレス姿の女性と、それも女神と共に女の子と戦うと言うのは如何なものかと三人はまごついていた。

「しかし…陛下…。」

 

 フラミーはぼそりと何かを唱えた。

「悪――諸相――八――速。」

 煮え切らない様子のニンブルにフラミーは飛び出した。

 ドンッと蹴られた地はえぐれ、翼が旋風を起こす。

「は、早――」

 "激風"の二つ名を持つニンブルは()が迫るのを捉えることもできずに、目と鼻の先で自分に向かって突きつけられる杖にゴクリと唾を飲み込んだ。

「スカート履いた女の子だって強いんですよ!なんてね。」

 この杖が顔に当たっていれば死んでいたというのに、フラミーがうふっと笑うと、ニンブルは顔を赤くし、その愛らしい生き物を前にドキリと心臓が跳ねた。

 紫黒聖典がキャー!と黄色い歓声を上げる。

「し、失礼いたしました…。」

「じゃあ、頑張って紫黒聖典倒しましょうね!」

「は、はい。」

 

 ネイアが急ぎとって来た訓練用の木刀が全員に配られる。

 フラミーは不思議なことにそれを振るおうとすると必ず落としてしまい使えなかった。

 一人だけ杖だ。

 ネイアはそれを見た時、光の神は人を傷付ける物には触れることもできないのかと、その神聖さに涙ぐんだ。

 

 両チームは程良い距離に離れ、フラミーとネイア以外は腰を落とした。

 

「いざ!尋常に勝負!!」

 バジウッドの宣言で戦いの火蓋は落とされた。




フラミー「それでね、熱帯魚だねーってアインズさん言ってたんですよぉ!」
ジルジル「ふ、フラミー様…。熱帯魚は溶岩に住む魚ではないのでは…。」
+
ニンブル、お土産もらっちゃったなぁw
ネイアちゃん〜また新しい神話の一ページに気付いてしまった…?

次回#44 閑話 中庭の決闘

そして11/1の犬の日にちなんだナイスな絵をいただきました!!


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©︎ユズリハ様ですばい!


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#44 閑話 中庭の決闘

「…まじか。」

 アインズはナインズと鏡を覗き込んでいた。

 

「フラミーさんあの格好で魔法なしで戦うのか…?」

 番外席次が相手では今のままでは負けるだろうとアインズは思った。

 アインズのモモンモードと違い、鎧などを魔法で作ってまとっている訳ではないので、身体能力は存分に発揮できるだろうが――なんと言ってもフラミーの右手にはいつもの白い杖、そして左手にはスカート。

 ドレスの裾を踏まないように、フラミーの片手はスカートを摘んでいるのだ。

 

 幸いあの木刀のデータ量ならフラミーはダメージを受けないはずだが――「…しかし…心苦しいな…。」

 アインズは鏡の中を見ると頭をわしわしと掻いた。

 フラミーが木刀で叩かれる姿を落ち着いてまともな精神で見ていられる気がしなかった。

 フラミー狂の男は真夜中の冷蔵庫のモーターのように「うーんうーーん」と声を上げた。

 

「あんま。」

 ナインズはそんなアインズを見上げると呟いた。

「…そうだな…ママだな…。……ママが叩かれ――ママ!?」

 ナインズの唐突なるママ宣言にアインズは思わず顔を覗き込んだ。

「あんま。」

「す、すごい!!九太!!じゃあ、俺は!」

 ドキドキと自分を指差していると、ナインズは「あー」といつもの喃語を口にしてから再び「あんま」と言い、アインズへの興味を失った。

 鏡の中でネイアが弓を引き絞る姿を真似るようにわたわたと手を動かした。

「……パパは無理か…。いや、こうしちゃおれん!フラミーさんにママって聞かせてあげなきゃな!」

 アインズはナインズが鏡に気を取られている間に着替えに向かった。

 ナインズは鏡一杯にフラミーが写ると、きゃいきゃい嬉しそうな声を上げ、鏡の中の人を呼んだ。

「うんま!」

 

+

 

 ネイアが訓練用のただの棒の矢を二本ニンブルへ放つと、クレマンティーヌは木刀を手に、いつものクラウチングスタートのような構えから疾走する。

 後を追うように駆けるレイナースへ振り向きもせずに叫んだ。

「レーナ右!!」

「わかってる!!」

 フラミーを守る者を着実に減らし、番外席次と共に孤立させたい。

 相手は神とは言え魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだ。今回魔法は使わないのだから、番外席次とぶつければ勝てるかもしれない。

 自分達の力を見てもらい、有用性を示し、また旅に連れて行ってもらうのだ。

 

 ニンブルが放たれてきた矢を連続で二本弾く。激風の名に恥じぬスピード感だ。

 しかし、武技を使う暇を与えないように、同じく速さを名に冠する"疾風走破"クレマンティーヌは一も二もなく切り掛かった。

「早いですが――光神陛下の比ではないですね!!」

 紅茶をもらい上機嫌のニンブルはクレマンティーヌの木刀を止めた。

 木刀を止めた手には、衝撃の後にじぃんとした感触が広がる。

「あったりめーだろ!」

 しばし木刀を打ち込みあう。

 二人の額には既に真剣な汗が浮かんでいた。

「あんた、それで本気ならこのクレマンティーヌ様には勝てないねー!」

 嘲笑うように告げるとクレマンティーヌは軽々とニンブルから離れた。

「間合いを取る方のセリフとは思えませんね!」

 

 クレマンティーヌは持っていた木刀をニンブルの肩口目掛けて思い切り投げ付けた。ニンブルが木刀に気を取られているうちに、先に弾かれていたネイアの訓練用の矢を二本拾う。

「剣を手放すなんてもう降参ですか?」

 ニンブルは投げられた木刀を余裕を持って弾き飛ばした。

 棒二本に持ち替えたクレマンティーヌは、放たれた矢のようにニンブルの懐に入っていた。

「ゲームオーバーはそっちなんだよぉ!私の得意武器はこっちだっつーの!」

 手加減をやめ、スティレットに見立てた棒を思い切り――穴を開けるつもりで脇腹へ向けて猛スピードで振るう。

 クレマンティーヌは久しぶりの血の匂いを想像し、三日月のように口をパカリと割り笑った。

 しかし、「――ッキャ!」

 ネイアの声に一瞬後方を確認すると、ドスリと刺さるはずだった棒は宙を切った。

 クレマンティーヌが気を取られた隙にニンブルは見事に避けていた。

「っちい!」

 甘くなったものだとクレマンティーヌは自分を心の中で叱責した。

 

 後方ではレイナースの援護射撃を行なっていたネイアが尻餅をつき、その前にニンブルが弾き飛ばした木刀が突き立っていた。

「先輩!すみません!!」

 クレマンティーヌの本当だよと言う悪態が響く。

 

 レイナースは援護射撃を失い、バジウッドに武技を使わせる隙を与えてしまったが、大上段からの一撃をお見舞いした。

「っく…重爆、腕を上げたな!!」

 バジウッドの言葉にレイナースは笑う。

「当然よ!でも――バジウッドは変わらないわ!!」

「こっちはおっさんなんだ!弱くなったと言われない分、褒め言葉だと思うさ!!」

 二人の力は拮抗していた。

 まるで懐かしい訓練を思い出すように技を繰り出し合う。

 しかし、番外席次に放り投げられたナザミが二人に突っ込むと、そんな時間も終わりを告げた。

 

「さぁフラミー様!!お相手願います!!」

「ふふ、がんばろうね!」

 番外席次は僅かな緊張を持ちながらフラミーへ渾身の一撃を送る。

「っだぁりゃぁぁああ!!」

 風を生み出しながら木刀が迫ると、フラミーは開戦前に使った速度を早める悪魔の諸相の効果を存分に使いながら、身を翻らせた。

「だめ、もっと速く攻めてくれなくっちゃ。っさぁ頑張って!」

「は、はい!!」

 番外席次が打ち込むたびに突風が巻き起こる。

 フラミーはスカートを持ったまま全ての攻撃を避け続けていた。

 避ける、逃げるだけはフラミーの得意分野だ。

 フラミーの体は今羽のように軽い。自分のスピードが増している分、周りのものが遅く感じるのだ。

 

「すげぇ…。」

 バジウッドの呟きにレイナースは胸を張った。

「フラミー様は素晴らしいでしょ。」

「すごいですね…。あんな動き…一体どうやって倒すんですか…。」

「まーむりだね。神様は偉大っつーこった。」

「でも番外席次さんもすごいですよ!」

「……しかり。」

 フラミーと番外席次以外は観戦モードに入ってしまっていた。

 フラミーはスカートを持ち、まるで踊るようにひらりひらりと番外席次の攻撃を避け続けていた。

 

 番外席次の攻撃から重さが減り、その額に汗が、そして顔に疲労が浮かぶ。

 隙を見つけてはフラミーは全力で杖を振るった。

 しかし、流石に番外席次には当たらなかった。

 弱いとはいえ九十レベルの近接職だ。

「疲れてきちゃいました?」

「ま、まだいけますっ…!」

 フラミーは真正面から瞳を覗き込んで来る番外席次に眩しさを感じた。

 以前エリュエンティウへ行く時に見た愛を知らない瞳ではない。

 愛を知り、友情を知り、誰かの為に強くなりたいと願うようなものだ。

(やっぱりお友達って良いものだなあ!)

 フラミーはナインズを外の学校に通わせてやりたいと思った。

 アインズにもまだ相談できていないが、ナザリックの外なんてとんでもないと言うだろうか。

 いつの間にかカルサナスへアンデッドを送り終わったデミウルゴスがハラハラしたような顔で観戦している。

 守護者も外の学校なんて反対する気がする。

(でも…ナインズの為だから、ちゃんと皆に相談しないとね。)

 フラミーは避けながら決心すると、よし、と声を上げた。

 このお遊びはここまでだ。

「<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)>。」

 呟き、杖を放り捨てる。ユグドラシル以来初めて使う魔法だ。

 

 雰囲気が変わった事に気が付いた番外席次は腕で額の汗を拭った。

 フラミーは落ちていた棒切れを拾った。ネイアの放ったものだ。

 光のようなスピードで駆け出す。

 

 いつの間にか増えていた神官達のギャラリーはフラミーの疾走を捉え切ることはできなかった。

 ただ、煌めく翼が天の川のような軌跡を作っただけだ。

 

 番外席次は避けきれないことを悟ると目をギュッとつぶった。

 

 そして、額をコン、と叩かれる。

「惜しかったけど、これで三騎士チームの勝ちですね。」

「…ふ、ふらみーさまぁ。」

 フラミーはいたずらそうに笑うと戦士化を解き、棒を放り捨てた。

 紫黒聖典は番外席次に寄り、健闘を讃え頭をぐしぐしと撫でた。

 神官達やジルクニフ、カベリア達から拍手が上がる。

 

「フラミー様、お疲れ様でございました。」

 杖を拾ってきたデミウルゴスは跪いてそれを捧げた。

「デミウルゴスさん、ありがとうございます。どうでした?」

「使わないのは攻撃魔法だけだと仰ったのですから、もっと色々バフをお掛けになっても宜しかったのではないでしょうか。このデミウルゴス、少しばかり肝が冷えました。」

 杖を受け取ると、胸に手を当て跪くデミウルゴスを立たせようと、手の平を天に向け差し伸ばした。

「また心配かけちゃいました?」

「いつも心配です。――目が離せません。」

 デミウルゴスは困ったように笑い、伸ばされた手の平に口付けた。

「っ…デミウルゴスさんって本当にあつい…。」

「申し訳ありません…。」

 フラミーに手の平を握らせるとデミウルゴスは自分で立ち上がった。

 デミウルゴスのフラミーを見下ろす視線に周りにいる者達は「おや?」と首を傾げた。

 

「っんん、私も肝が冷えたな。」

 現れた声の主を見るとフラミーは頬を緩めた。

「アインズさん、それにナインズも!」

「フラミーさん頑張ってましたね。」アインズはフラミーに微笑むと、周りの神官やジルクニフへ視線を送った。「――お前達、楽にしていいからな。」

 神の子を抱く神の登場に、周りにいた者達は皆慌てて膝をついた所だった。

「頑張っちゃいましたよぉ。ね、バジウッドさん、ニンブルさん、ナザミさん。」

「「「は!」」」

「やれやれ、仕方ない人だな。なるべく魔法を使わない戦闘なんて控えて下さいよ。俺とデミウルゴスの胃に穴が開く前に。」

 アインズはナインズを抱いたまま、片手でフラミーの顔を固定して口付けた。

 デミウルゴスが見るなと言うように手を振り、それぞれ皆視線をさまよわせる。

「でも、一発も食らわないなんてすごかったですね。俺、ちょっとフラミーさん見直しちゃいましたよ。」

「強いでしょう!安心してしばらく任せてくださいね。」

 

 アインズの休暇はまだ続くらしい。

 

「ふふ、ありがとうございます。ああ、そうだ。ナインズ。さっきのフラミーさんに聞かせてあげなさい。」

「さっきの?」

 アインズがナインズのふくふくのほっぺをつつくと、ナインズはアインズの服を掴み胸に顔を埋めた。

「ん?どうしたんだ?ナインズ?」

「ナインズ、半年ぶりのお外で知らない人ばっかりだから怖いのかな?帰ったら聞かせてね。」

 フラミーがナインズの後頭部とアインズの頬にキスすると、アインズはデレリと顔をゆるめた。

「はは。そうか。ナザリックの者達は平気だから人見知りしないのかと思ったが…ナインズも慣れない場所は怖いんだな。」

 

 神々のほのぼのとした光景に神官と紫黒聖典は祈りを捧げた。

 

 その後お茶会は終わり、神々がナザリックへ帰るとカルサナスの二人、バハルスの者達も解散となった。

 紫黒聖典と三騎士はまた合同訓練をしようと約束をした。

 

 魂喰らい(ソウルイーター)の引く馬車にすっかり慣れてしまったジルクニフは馬車の中で三騎士に文句を垂れていた。

 いや、主に紫黒聖典に――結果的にでも喧嘩を売ったバジウッドに文句を垂れていた。

「全くフラミー様を戦わせて。せっかくカルサナスを捧げてデミウルゴス殿からある程度評価を改めて貰ったと言うのに。お前達のせいでまたバハルスの地位が下がりでもしたらどうするんだ。」

「まぁ、でも光神陛下も楽しんでらっしゃったみたいだし良いんじゃないすか?」

「お前の気楽さが羨ましいものだ、バジウッド。ところで――ニンブル、お前のそれはなんだ。」

 ニンブルの手の中には小さな紙袋があった。

「え…?えーと…。実は――」

 

 馬車には特大の雷が落ちた。

 

+

 

「え?ジルクニフさんから?」

 後日フラミーの下にはジルクニフからお茶会とニンブルへの土産の礼として、わざわざセイレーン州に買い付けに行かせた高そうなドレスが届いたらしい。




ジルジル、部下に恵まれない…!!

そして本日のフラミー様の戦闘スタイル頂きました!

【挿絵表示】

©︎ユズリハ様です!

次回#45 航海の終わり

11/2に良いものもいただきました!!

【挿絵表示】

↓↓↓こういう流れの後らしいですよ!良いねぇ!!↓↓↓
御身「本日は11月2日。良いタイツの日だそうです」
フララ「うん…そうだね…でも、もう寝るだけなのに」
「本日、仲良くしても良いですか(隠語」
「えっ、え、あ、ハイ…そんな改まって…」
「その際、これを着て頂けませんでしょうか(ズァッ」
「………えっ…」
「このタイツを履いて、仲良くして頂きたく…(ズアッ」
「その熱意怖い!!」
「お願いします!!!!」
「やだーー!」
「お願いします!!!!!!!!!!」


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試される大陸
#45 航海の終わり


「おーーい!!陸が見えたぞー!!」

 時に雪すらチラついた春先の日、長きに亘る航海を終え、船上に声が木霊した。

 

 世継ぎが生まれた神と、数えきれない人々、家族に見送られて出航した幽霊船はついにその時を迎えたのだ。

 

 甲板には多くの冒険者が駆け出した。

 薄ら寒い朝、船が小さな波を散らす先に緑の影を見せていた。

 

「あれが新大陸か!!」

「見えてるのは森みたいだな?誰もいなかったらどうするよ!!」

「陛下が見てこいって仰ったんだから誰も居ないわきゃねぇだろ!!」

「採集、冒険、マッピング!ッカァー!!冒険者冥利に尽きるぜ!!」

 

 各々がこれから始まる冒険に胸を躍らせると同時に、ここに辿り着くまでに行った凄まじい戦いや、目にした美しい景色を思い出した。

 

 聖王国からここに辿り着くまでにはシー・ナーガや海巨人(シー・ジャイアント)、クラーケンの来襲から船を守った。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達も共に戦ってくれ、勝利した時には思わず互いの肩を叩き合ったものだ。

 アダマンタイト級冒険者が乗っていないことに不安を感じる者は一人もいなかった。

 

 豪雨の夜には激しく揺れる船を、通称海の守り神――シードラゴンに守ってもらったりもした。

 波が沸き立ち、船を襲い、風がごうごうと響いた夜。

 荒々しい波が砕けると、シードラゴンは現れた。

 シードラゴンは両手両足が退化し、長い身体を持つ。シーサーペントよりもドラゴン寄りの見た目をしており、捧げ物をする事で船を守ってくれる温厚な存在だ。人間と同等か、それ以上の知能を持っている。

 雨が上がり、シードラゴンが海面から高く首をのぞかせ、虹を背にする様はまさしく神の如きものだった。

 ――しかし、この船に乗る者でそれを神だと思う者はいなかったらしい。

 本当の神を目の当たりにした事がある者達の神へのハードルは相当に高かった。

 異種族同士が手を取り合う事が当たり前になった神聖魔導国の者達は皆「生きることに協力し合う素晴らしい光景だ」そう思ったらしい。

 

 船の後ろに波が襲い、舳先(へさき)が上がり、船は半ば乗り上げるように陸についた。

 幽霊船は霧を発生させる事で地面から一メートル程浮遊できるため、明日からは幽霊船を宙に浮かべ、船で移動する予定だが、今日は一先ずその場で止まる。

 ここの土着の者達が幽霊船に怯えてしまわないようにという配慮だ。

 

 柔らかな潮騒が小さなしぶきを上げる。

 船からは縄梯子が降ろされ、それを伝うように次々と男達、女達が――中には当然亜人も――船を降りた。

 

 そんな中、梯子も使わずにバシャンと船から飛び降り、波に足を下ろした者がいた。

 その男――"クラルグラ"のイグヴァルジは首から下げた冒険者のミスリルプレートに相応しい、力強い佇まいだ。

 イグヴァルジを追うように、"クラルグラ"の者達が三人、次々と波へと降りる。

 瞳には各員それぞれ違った感情を宿しているが、共通するのは好奇心。

 柔らかな海風が目に染みるように吹き抜け、足元をさらうように波が流れた。

 

 イグヴァルジは新たな大陸を眺めると不敵な笑いを漏らした。

 その瞳に一番輝く色は野心。

(俺はこの冒険でトップを取るんだ。そしてオリハルコン、アダマンタイト…。英雄と呼ばれる存在になるんだ。)

 子供の頃に村にやってきた詩人の語る英雄譚(サーガ)を聞いて以来抱き続けたイグヴァルジの夢は英雄。

 仲間すらもこの男にとっては頂点を取るための駒に過ぎない。

 自分こそがかの十三英雄と同等の英雄になる男なのだ。

 

 自分以外の強者はこの世に不要だと思っているイグヴァルジにとって今回の仕事は素晴らしいものだった。

 

 アダマンタイト級は神の地の防衛点検に出て以来、装備が直っていないとかで一組も乗っていない。

(ざまぁみろ、アダマンタイトのクソ野郎共。これでようやく世代交代だ。)

 イグヴァルジは防衛点検中のアダマンタイト級の荷物番と言うプライドのない仕事を冒険者組合で紹介された時から、現在アダマンタイトを名乗る者達を何となく敵視している。

 受けた冒険者もいたらしいが、そんな奴らは"冒険者"を名乗るべきではないだろう。

 今回オリハルコン級は何チームか乗っているが、強さはイグヴァルジの方が上のように感じた。

 上手なパーティー編成を行ったな、と言ったところか。

 

「ここでてっぺん目指すしかねぇな。」

 ざぶざぶと進み、ついに踏み締める大地。

 浜の目の前は早速森だった。

 周りではオリハルコン級冒険者が早くも植物の採集を始めていた。

 神聖魔導大陸――神魔大陸と呼ぶようになり始めている自分達の大陸――にない薬草や毒草があれば、国益になると言うわけだ。

 他にも死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の指示で荷物を下ろす者もいる。

 ああ言う地味なことは適当に他のチームに任せ、珍しい魔獣の捕獲や、マッピング、ここの住民の発見と行きたい所だ。

 

 イグヴァルジは仲間を手招いた。

 

「おい、俺達はとにかく進んでみようぜ。」

「賛成だ。」

「夕方までにここに戻って今日の野営地を整えれば良いんだもんな。」

「イグヴァルジがいれば森も怖くない。」

「任せておけ。どんな森でも俺の庭にしてやるよ。」

 イグヴァルジの学んで来た職業はフォレストストーカー。野外での行動に特化したものだ。

 全員が進む事に何の躊躇いもないが、一人の仲間が思い出したように、「あ」と声を上げ提案する。

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さんは誘って連れて行くか?」

 リーダーはイグヴァルジだ。

 非常に優秀な冒険者なので、人格は置いておいて、チームの決定はリーダーに任せるべきだと皆思っている。

 これまでイグヴァルジに付いてきたおかげで、"クラルグラ"はメンバーが一人も欠けたことがない。

 

 イグヴァルジは悩んだ。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は神が生んだだけあり、迷宮で暮らすただの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは比べ物にならない賢さ、魔法、力を備えている。

 しかし、何かを成し遂げたときや、発見した時に「死者の大魔法使い(エルダーリッチ)といたらできて当たり前」と言われては癪だ。

「…いや、まずは俺たちだけで行く。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も守護神と連絡を取ったり暇じゃない。」

 そう言うと、ちょうどオリハルコン級の者達が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と新種の植物だと盛り上がる声が聞こえた。

 仲間達はすぐさま、たしかにと納得して頷いた。

「行こうぜ。」

 

 イグヴァルジは鬱蒼と茂る森へ踏み込んだ。

 

 木々が互いを避け合うように葉を伸ばす様を見上げる。

 広葉樹の広がる豊かないい森だ。

 一行は適度な緊張感を持ちながら警戒を怠らずに進んで行く。

 途中ガサガサッと音が鳴る度に剣の柄に手を添えた。

 

 暫し歩くと、イグヴァルジは全員に見えるよう、「止まれ」のハンドサインを作った。

 

「おい!そこにいるやつ!ゆっくり姿を見せろ!」

 その視線の先には大きな木が生えていて、人間一人二人くらい平気で隠れられそうだった。

 全員が抜剣する。

「出ないなら殺されても文句は言えないぞ。」

「おい、イグヴァルジ。それはまずいだろう。友好的にと言われているんだ。」

 仲間がイグヴァルジを嗜めていると、木の影から小さな影が姿を見せた。

 小鬼(ゴブリン)だった。

 痩せた小鬼(ゴブリン)は腰蓑だけを身に着け、握っている棍棒を振りかぶってイグヴァルジ達へ向かい疾走した。

「ゲゲゲゲゲ!」

「っちい!!ゴブリンはゴブリンでも小鬼かよ!!」

「やるぞ!!」

 エ・ランテルで当たり前に見る言葉の通じる賢いゴブリンとは違う、知能の低い下品な生き物だ。

 この生き物は貪り、生殖し、寝る事しかしない。

 四人は船上でなまりかけていた身体を動かす最初の機会に昂った。

「武技!<回避>!」

 棍棒を振るわれた一人が後ろへ軽々と飛び退くと、イグヴァルジが気合十分に叫ぶ。

「だオラァ!ッシャア!!」

 自分を大きく見せ、相手を萎縮させる為に亜人のチームがよく行う技だ。船上でも何度かやっていたが、特に知能の低い者相手には効果覿面だ。

 びくりと体を震わせた一瞬の隙を見逃さず、イグヴァルジは剣を握る手に力を込める。

「<斬撃>!」

 剣がゴブリンを上半身と下半身の真っ二つに分けた。

 "クラルグラ"はいつでも、例えそれが野ウサギ相手だとしても本気で取り組む。一瞬の隙が生死を分けるのだ。

「よし、吊るしておこうぜ。」

「あいよ。」

 いそいそとロープを取り出し、ゴブリンの上半身と下半身を木に吊るした。

「これでここいらのゴブリンは怖がるだろう。」

 起こるかもしれない強い魔獣との戦闘を控え、なるべく体力を温存したい。

 ゴブリン達への威嚇だ。

 さらにゴブリンからダラダラと流れる血を顔に塗る。

 人間臭さを消し、なるべく穏便に森を渡る知恵だ。

 

 その後四人は特別何かと戦闘をすることもなく、森を探索し続けた。

 

「…そろそろ戻るか。」

 まだ日は高いが、夕暮れが訪れてから戻るのでは遅すぎる。

 今日のところはオークやゴブリンの足跡くらいしか見付けられなかったが、四人は海へ戻って行った。

 

 既に何チームも戻ってきていて、船から今夜の食材を下ろすところだった。

 粉袋、ぶどう酒の樽、塩漬け肉(ベーコン)の入った大樽、クルミやナッツの類が入れられている皮袋、馬車のタイヤのように大きなチーズの塊り、石のように硬いパン、もう芽が生えて種芋のようになってしまっているジャガイモがぎっしりと入った木箱。それから紐に吊るしてあるニンニクや、タマネギ。

 航海中は魚を釣ったりもしていたが、生きた鳥や牛なども積んできた。今はもうすっかり食べてしまってなくなったが。

 

「お、"クラルグラ"お疲れ!」

 そう声を掛けてきたのは、同じくエ・ランテル出身の冒険者チーム"虹"のモックナックだ。

「お疲れ。飯炊き班はもう決まってるんだな。俺達は警戒網でも作ってくるわ。」

「はは、あれは地味な割に足腰疲れるから皆やりたがらないのに偉いんだな。」

「よせよ。俺は死にたくないだけだ。」

 イグヴァルジの本心からの言葉を、心の広さととったモックナックは、ほうと声を上げた。こう言う命に関わる作業を他人に任せるのが大嫌いなだけで、むしろ他人がやってもやり直しをするためいつもは嫌われがちだ。

 誰も信じることのない男は割と忙しい。

 

 イグヴァルジは船から降ろされ、放置されている箱の一つを無造作に開けた。

「ビンゴ!」

 中には鈴の付いた細いロープが入っていた。

 隣の箱を開けた仲間は大外れ。中身は魚を開いて甲板で数日放置した干物だ。

 ロープは相当な長さの為、付いている鈴もたくさんあり、一人で持ち運ぶのは困難だろう。

 仲間と二人がかりで運び、野営地として十分な広さだと思われる範囲を囲んでいく。

 警報(アラーム)の魔法は広い範囲をカバーする事はできないため、後は各々自分達のテント周りに魔法をかければ良い。

 

 様々なチームが協力し合い、日が暮れた頃には皆が腰を落ち着けることができた。

 

 久しぶりの地上の夕食は豪勢だった。

 中には鹿を獲ってきたチームや、野鳥を獲ってきたチームもあったし、草の採集をしていたチームは食べられる草も摘んでくれていた。

 生野菜のサラダは久々だった為、皆うまいうまいと大喜びでがっついた。

 デザートは船上の時からお馴染みのワイン。

 まだ夜はとんと冷えるので、スパイスを生む生活魔法を使える者が温めたワインにスパイスを加える。

 今回旅をした皆が大好きな至福の一杯だ。

 冒険者達は足の指先まですっかり温まるほどに飲んだ。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は飲食を必要としないが、祭りのように皆が大陸についた事を祝い、歌って飲んでいたので、あれよあれよと勧められ、酔いもしないが共に飲んだ。

 当然、幽霊船長も飲まされた。

 その時には、カッツェ穀倉地帯のアンデッドに伝わる怪談話を聞かせてくれたりもしたらしい。

 

 長きに亘る航海は、人間、亜人、アンデッドを問わず、冒険者達を家族のようにまとめた。

 いつしかお祭り騒ぎも終わると、パチパチと薪が弾ける音が響く。

 一人二人とそれぞれ自分達のテントへ入っていく。

 

「明日もがんばろうな。」

「きっとすぐに人も見つかるさ。」

「見張りは頼むぞ。すぐに代わるからな。」

「気にするなって。おやすみ。」

「あぁ、おやすみ。」

「また明日。」

「神王陛下、良き夜をありがとうございます。」

「光神陛下、良き日をありがとうございました。」

 

 そして皆が眠りについたその夜、森は夥しい量の血に濡れた。




えっ!!
また明日っていったじゃん!!!!

次回#46 使役される人間

11/3のふららも頂きました!ご褒美だらけだなぁ!

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#46 使役される人間

 アニラ・ウデ・アスラータは走る。走る。走る。

 汗が大量に流れ、顔を木の枝が切る事も気にしないで兎に角走った。

(早く!もっと早く!!)

 ここまで一直線に無我夢中で走ってきた。

 辺りからは鳥たちがギャアギャアと怯えたように鳴く声が響いていた。

 足がもつれそうになるたびに、後ろからおぞましきアンデッドがその肩をぽん、と叩く想像に背が震える。

 

 アニラは人生でこれ程走ったことはないと言うほどに走り、村に駆け込んだ。

「み、みんなぁ!!大変!!大変だよぉ!!」

 村民に奇異の目で見られながらもぜいぜいと息を切らして警告する。

 

「う、海に!海にアンデッドが!人間が使役されてる!!」

 

 森妖精(エルフ)の住まうウデ=レオニ村は騒めいた。

 ここは村といっても、人間の村のように何かに囲まれて作られているような場所ではない。

 木から家として使っている巨大な丸い籠がいくつも吊り下げられている、自然に溶け込むような村だ。

 余所者は皆ウデ=レオニ村の事をすずなり村と呼んだ。

 果実がすずなりに成るように家の籠が吊り下げられているからだ。

 

 アニラの草原のような若草色の瞳は怯えから震え、涙が浮かんでいた。

 眉上に切り揃えられた金色の前髪は汗や涙、擦り切れた頬から流れた血でべったりと顔に張り付いていた。

 長い耳にも傷痕があり、ここまで如何に急いで帰ってきたのかがよくわかる。

「アンデッドが人間を使役なんてそんな事…。」

「本当なの!おっきなおかしな船も!」

 ざわめきを掻き分けるように村と森の警護をする者達が姿を見せた。

「アニラ!!また一人で村の外に行ったのか!村の外は我々の住む場所じゃないと村長がいつも言ってるだろ!!」

 兄のソロン・ウデ・アスラータ。逞しい肉体には斜めに弓を掛けていて、額には精霊の守りの模様が描かれている。

 ソロンの叱りつける声を聞き流しながら、アニラはその時間を使って息を整えた。

 今更ながらに喉が焼けそうに熱くなっていたことに気がつく。

 数度大きく吸い、吐くと改めてアニラは口を開いた。

「兄さん!そんな事言ってる場合じゃないよ!沢山のアンデッドが人間に命令してて、それで草とか集めさせてた…!使役されてたみたいだった!!」

 ソロンはアニラの言うことが信じきれず、隣に立つ同僚のラウルパ・ウデ・チャーラディと互いを見合った。

「…どう思う、ラウルパ。」

「どう思うも何もないんじゃないかな、ソロン。確かめに行くしかないよ。」

 ラウルパの言にソロンが頷く。

「俺達が見て来る!皆、念の為に家にいてくれ!!」

 村の者達は籠の家から下がっている縄ハシゴを上り、家に入るとハシゴを引き上げ仕舞った。

 これはここの辺りに多いゴブリンに寝込みを襲われないようにするための生活の知恵だ。

 他の森の警邏隊が、この話が聞こえていなかった村人に急ぎ通達に向かった。

「行こう、ソロン。」

「あぁ。――アニラ、お前も家にいるんだぞ。」

「わ、わかった…。兄さんもラウルパも気を付けてね…。」

 ソロンはお転婆な妹の頭をくしゃりと撫で、血と汗を拭うように言うとポケットに入れてあったハンカチを持たせた。

 

 二人が村を出てしばらく森を歩いていると、向かいから走って来る数人の村人が見えた。狩猟隊だ。

 森から毎日恵みを頂戴する神聖な隊だ。

 狩猟隊は警邏隊のソロン達を見付けると、森を渡る技術をフル活用し、音も無く駆け寄ってきた。

「ソロン!!ラウルパ!!アンデッドだ!!海にアンデッドが何体も!!」

「無残に殺されたゴブリンもいたし、もうなんなんだ!!」

「む、村は…村の皆は無事か!?」

 必死の形相だった。

「ウデは無事だ。なんともない。アニラも海でアンデッドを見たと言って帰ってきたんだ。皆にはハシゴを上げさせてる。」

 狩猟隊の顔は真っ青だったが、安堵からか少し血色を取り戻したようだ。

「なぁ、アニラはアンデッドが人間を使役してると言っていたけど、どうだったんだい?」

 ラウルパの質問に狩猟隊は首が取れるほどに何度も頷いた。

「すごい数の人間だ…!それに見たこともない亜人も何人か使役してた…!!とにかく、一度村に戻ろう!!」

「見つかれば奴隷にされる!!」

 一隊は自分達の痕跡や、これまで村人が作ったあらゆる痕跡を消しながら村へ戻った。

 途中狩猟隊は村の周りの痕跡隠しに行き、ソロンとラウルパはまた二人になった。

 

 村の入り口にはアニラと、アニラが呼んだ様子の長老衆がいた。

 

「家にいろっていったのに…。本当にもう…。」

 ソロンは頭が痛くなりそうだった。

「お前が心配だったんだろ。はは、いい子じゃないか。」

「ラウルパはアニラに甘い。これでアニラのお転婆を見過ごしてアニラに何かあったら困るんだ。」

「…甘いのはどっちだかね。ソロンがそんなんじゃ、アニラを嫁にとる男は大変だよ。」

 ラウルパがおかしそうに笑うのを聞き流す。きっとこの男はアニラを好きなのだろうと思う。

 

 長老衆から村長が一歩前へ出た。

「ソロン!ラウルパ!どうじゃった!」

「じじ様、ばば様。俺達は見なかったんですが、狩猟隊もアンデッドと使役される亜人や人間を見たと言っていました。狩猟隊は今村を隠してくれています。」

「な、なんと…。」

「このまま隠れておれば通り過ぎてくれるかのう…。」

 長老衆の不安げな唸り声が響く。

「既に森に入り込まれているようです。放っておけばここも見つかるでしょう…。」

 ソロンの報告に皆が嘆かわしそうに首を振った。

「…生者を使役するだけの能のある相手じゃ。生半可なアンデッドではあるまい。」

「アニラの見た姿から言っても、おそらくは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)やそれに次ぐ存在じゃろう。」

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)…。我々のように第三位階を扱う存在ですね。」

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と言えば支配階級のアンデッドだが、戦って勝てないことはなさそうだとソロンは思った。

 森妖精(エルフ)は魔法を得意とする存在だ。

「最低でも、じゃな。もし上位森妖精(ハイエルフ)殿達のように第四位階を扱うような事があれば…。」

 一人の長老が言葉を濁すと、村長が続けた。

「――それが一人や二人ではないのだ。暫くは村を隠蔽して息を潜めるしかあるまい。」

 長老衆は村を隠す以外にやれることも思い浮かばない様子だった。

 戦いを挑もうという者は誰もいない。

 魔法や弓に長ける森妖精(エルフ)の民とはいえ、力のない者もいるのだ。

 それに警邏隊や狩猟隊の力ある者が戦いで倒れ、村からいなくなってしまえばゴブリンやオーガ等の潜在的な脅威に足下を掬われかねないし――狩猟の心配もしなければいけなくなる。

 

 しかし、ソロンには案があった。

「俺がアリオディーラ煌王国に行ってきます。アンデッド達は人間を最も使役しているようですし、彼らに協力を申し込み、討伐してもらいましょう。」

 ウデ=レオニ村は二百人程度の小さな村だが、煌王国は人口おおよそ八百万の大国だ。

 殆どの民が人間か、古くに人間と混じり合った半森妖精(ハーフエルフ)だ。

「煌王が森妖精(エルフ)の言葉を聞くとも思えんがのう…。」

「煌王が差別的な男でも、側近までそうだとは限りません。特に、煌王軍をまとめる男はメリットとデメリットを天秤にかけ、冷静な判断を下せる有能な者だとあの方が言っておりました。差別的でない可能性もあります。」

「あの方――上位森妖精(ハイエルフ)のシャグラ様か…。シャグラ様がそう言ったなら…。」

 長老衆はわずかに悩むようにすると、「行ってくれるか」とソロンへ申し訳なさそうな目を向けた。

 本当なら、上位森妖精(ハイエルフ)に助けを求めに行きたいが、ここから上位森妖精(ハイエルフ)の治める地までは何日もかかる。

 

「任せてください。今から出れば夕暮れ時には着けます。皆は家に上がってハシゴを仕舞って待っていてください。」

「ソロン、俺も行くよ。いつも二人で巡回してるし。」

「ありがとうラウルパ。でも、ラウルパは俺の通った後の痕跡隠しを頼む。」

「…分かった。そうだね。」

「兄さん、私も行くよ!二人で行こう!」

「ダメだ。お前はまだ黒豹(パンサー)に乗れないし足手まといだ。じゃあ、ラウルパ、痕跡を消すのだけ頼んだぞ!」

 ソロンは手を振り駆け出した。

 

 村を一直線に抜け、指を口に当てるとピュイーと高音の口笛を鳴らす。

 森を駆けて行くと、並走するようにガサガサと茂みから音が鳴った。

「来たな!頼む!!」

 ガウッと言う肉食獣の獰猛な鳴き声が聞こえると、並走していた音の正体が姿を見せた。

 黒い大きなヒョウがぴたりと寄り添うように走る。

 ソロンはモヒカンのような立髪を掴み飛び乗った。

「アリオディーラ煌王国へ!!」

 

 二人は一つの生き物になったように、風を起こし煌王国を目指した。

 

+

 

 ソロンは宣言通り夕刻前に煌王国の城壁前に着いた。

「お前はここにいてくれ。」

 黒豹(パンサー)は闇に紛れるように草むらに身を伏せた。

「よし、行ってくる。」

 堅固な城壁はモンスターや異形、敵対している亜人が入り込まないようにぐるりと国全体を囲っていた。

 上着をかけ、耳を隠すようにフードをかぶると入国希望者の列に並んだ。

 中々進まない列に焦っているとソロンの番になった。

「――森妖精(エルフ)か。煌王国に何か用か。」

 番人の人間はソロンを見下すように眺めた。

「煌王軍、大将閣下のお耳に至急入れたい話があります。どうかお通し下さい。」

 プライドをかなぐり捨て頭を下げる。

 

 ウデの民だけでなく、森妖精(エルフ)達は皆煌王国と仲が悪い。

 この厳しい世界で生き残る為に人間は魔法の腕を磨き続けてきた。

 かつては煌王国も森妖精(エルフ)の出入りが盛んだった為、森妖精(エルフ)達は知る魔法の多くを人間に教えた。

 共に新しい魔法を作ったり、少しでも高位階の魔法を使えるようにしようと手を取り合い魔法の研究を重ねたものだ。

 しかし、人間達は寿命が短く、第三位階に辿り着く頃には高齢になりすぐに死んでしまう為、森妖精(エルフ)はいつしか人間と魔法の研究をする事に疑問を感じるようになった。

 人間がいると教えるばかりに時間を取られ、実りが少ないのではないかと。

 そうして森妖精(エルフ)は人間の研究者を締め出した。

 すると、魔法を独占して研究するようになった森妖精(エルフ)達を煌王国の人間達は危険視し始めた。

 他の亜人や上位森妖精(ハイエルフ)のように、いつかは人間の脅威になるのではないかと誰かが言った。

 上位森妖精(ハイエルフ)の下では人間は奴隷なのだ。

 疑心と不信の渦はいとも簡単に広がり、人間達は森妖精(エルフ)の迫害を始め、煌王国に森妖精(エルフ)は顔を出さなくなった。

 森妖精(エルフ)は煌王国を見下しているし、煌王国民も森妖精(エルフ)を見下している。

 両種族の根は深い。

 

森妖精(エルフ)がウェルド・グラルズ大将閣下に用だと…?土下座して靴を舐めるってなら、俺達が代わりにその用件を伝えてやる気になるかもしれんなぁ?」

 ソロンの顔は不愉快げに歪んだ。

「お?気に食わないなら帰りな。別に取り継がなくても俺達は構いやしないんだぜ。」

(下衆な生き物が…。)

 ソロンは大きく息を吸い、語り出した。

 

「ウデ=レオニ村からほど近い海に複数のアンデッドが出た。奴らは人間を使役している。こちらこそ人間が奴隷にされ、嬲られて殺されていようと構いやしないんだ。しかし、お前達が大将閣下――ウェルド・グラルズ閣下に取り継がなければ、アンデッドはいつか人間を求めてここへ来るぞ。」

 

 門番達はポカンと口を開け――大声で笑い出した。

「ひひひ!はは!!ひーっひっひ!」

「ひははは!く、苦し、聞いたか?今の!」

「アンデッドが!人間を使役!!」

「もう少しましな嘘つけよ!上位森妖精(ハイエルフ)の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ!」

 

 ソロンは下唇を噛んだ。

 すると、背後から声がかかった。

 

「君、その話は本当か?」

 

 差別の色のない声音で聞いたのは半森妖精(ハーフエルフ)の女だった。

 すらりと長い手足に短めの尖った耳。そして人間の血のまざりが多いのか大きくたわわな胸をしていた。分類は半森妖精(ハーフエルフ)だが、もう何世代も前の混血だろう。

 門番達がざわめきの後に居住まいを正す様子がその半森妖精(ハーフエルフ)が決して身分の低い者ではないと語る。

 

「誓って真実です。何人ものウデの民がそれを見ました。」

 

 半森妖精(ハーフエルフ)はふむ、と一つ頷くと門番へ告げた。

「このウデの民は私が預かる。おい、行くぞ。グラルズ閣下の下へ連れて行く。」

 

 ソロンはようやく煌王国に入った。




エルダーリッチさんめっちゃ怖がられてますがな!!

次回#47 怒号

たくさん人と場所が出てきたぁ!
ウデ=レオニ村はエルフ200人のちっちゃな村ですね!
アニラちゃん、第一発見村人!
ソロン君、アニラの兄だ。
アリオディーラ煌王国は800万人も住んでる!でっかぁい!
(リ・エスティーゼは900万人いたらしいですよ!)

そしてユズリハ様に11/4のフラミー様いただきました!!
良い推しの日…素晴らしい…素晴らしい……。

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#47 怒号

「ソロン・ウデ・アスラータ。ウデの民か。君のいう事が真実ならば軍を動かすことはやぶさかではない。しかし、万一それが偽りで我々がここを出ている間に都市を襲われたりしては困る。我々にそれを信じさせるだけの何かを君は持ってきたかな。」

 大将のウェルド・グラルズは城壁の改修工事の様子を見に行っていた半森妖精(ハーフエルフ)の軍師、ロッタ・シネッタが連れて帰ってきた森妖精(エルフ)を値踏みするように見た。

 斜陽に照らされる部屋には隊長、副隊長クラスの者達が詰めていた。

 

「煌王国に身一つで森妖精(エルフ)が来たと言う事を評価していただく他ありません。」

「ふーむ。どうしたものか。」

 

 ウェルドは軍師のロッタに問うような視線を送る。

「グラルズ閣下、この者の城壁での言葉は真に迫るものがありました。都市には私が残りましょう。全隊を連れて行くわけでもありませんし、万一罠だったとしても都市は守れるでしょう。」

「お前が残ってくれるなら安心だな。では一個中隊を連れて行く。」

「お言葉ですが中隊を三個はお連れになった方がよろしいのでは。」

「三個だと?」

 ウェルドの驚愕も当然だ。三百人近い軍隊を連れて行くことをロッタが推しているのだから。

 

「はい。向こうで森妖精(エルフ)が罠を張っている可能性もあります。都市を守れて向こうでグラルズ閣下が死ぬような事があれば困ります。」

 ストレートな言葉にウェルドは苦笑した。

「ではロッタ、軍の準備をしろ。私は煌王陛下に出兵の許可を得て来る。」

「かしこまりました。お願いいたします。」

 

 ウェルドは立ち上がり王の下へ向かった。

 ここ王都は最大の脅威である上位森妖精(ハイエルフ)達の国から最も遠い場所に位置しているので、他の都市より心配事は少ない。

 それに、有能なロッタが残ってくれると言うのだ。

 安心して出られる。

 

 とは言え――(複数のアンデッドに人間が使役されているなんて事が起こり得るんだろうか…。真実ならば、アンデッドは生者への憎しみを抑えられるだけの知能がある…。)

 それに、何人もの人間が使役されていると言っていたが、その人間はどこから誘拐されて来たのだろう。

 少なくとも煌王国や近くの獣人と人が暮らす国から人間が消えるなどの話は聞かない。

 疑問は尽きないが煌王の部屋の前に着くと、ウェルドは一度思考をやめた。

 

 扉を叩き、名乗ればすぐに入室を許可された。

 

 入れば、煌王とその娘が二人いた。

「グラルズ、このような時間に珍しいではないか。どうかしたかな。」

 信頼を感じる声音だ。

 肩に触れる髪とたっぷり生える髭は黒に近い茶色で、瞳は力強い輝きを持ち、肉食獣のような印象を与える。

「は。煌王陛下に出兵のご許可を頂きたく参りました。」

 ウェルドは森妖精(エルフ)が語った全てを聞かせ、王都の守備が万全な事、例えそれが嘘や罠でも返り討ちにできるだけの編隊で向かおうと思っている事を話した。

 

「お父様、それでしたら罠でも真実でもついでに近くの森妖精(エルフ)達を狩り殺してしまっては如何でしょう?」

 

 そう提案したのは五姉妹の長女、マリアネ・グランチェス・ル・マン・アリオディーラ。

 十七になったばかりの彼女は絶世の美女だと評判だが――その性格は苛烈だった。

 この国には王子が生まれていないため、順当に行けば婿取りをして女王になるだろう。

 

「お姉さま、そのような事をしては上位森妖精(ハイエルフ)王朝より戦争を仕掛けられてもおかしくはありません。」

 

 腹違いの妹、フィリナ・グランチェス・ラ・マン・アリオディーラはマリアネよりも美しくはないが、まだ十三歳と幼い。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は煌王国の多くの都市を越え、数日行った先にある"最古の森"の中に国を作っている。

 彼らは気位が高いし、人間を奴隷として扱う為極力関わり合いを持たないようにしているが、森妖精(エルフ)の事は近親種として気に掛けている。その為、年に数度は煌王国を通り、点在する森妖精(エルフ)の村の様子を見に行ったりしているし、望むのならば森妖精(エルフ)の移住も受け入れているようだ。

 上位森妖精(ハイエルフ)が煌王国を通る時は、人々は皆静かに息を殺している。

 入国は断らない。いや、断れないのだ。

 先天的に魔的な能力を備えている彼らに、飛行(フライ)不可視化(インヴィジビリティ)などの目の届かぬ方法で入国されるのが一番恐ろしいから。

 ここ、アリオディーラ煌王国は半島を領土としていて、半島の入り口には蓋をするように最古の森が広がっている。最古の森には上位森妖精(ハイエルフ)の王を神と戴く多様な亜人部族が暮らしていた。

 最古の森とは反対側の半島の端にはヴィジランタ大森林が広がり、森妖精(エルフ)やゴブリン達が住まうのだ。

 それらに囲まれる人間にとってはどちらも目の上のタンコブだ。

 

「ふふ、上位森妖精(ハイエルフ)には森妖精(エルフ)の言う、その人間を使役するアンデッドが森妖精(エルフ)を殺したと言えば良いじゃない。これでいつか森妖精(エルフ)上位森妖精(ハイエルフ)のように力をつけてしまうかもしれないなんて恐れずに済むようになるのよ?人間よりも力を持つものは少しでも減らしておいた方が良いわ。」

 マリアネの目はまるで蛇のようだった。

「正論だ。それに、もしアンデッドがいれば、同じ敵を持つ事で深まる絆もあろう。」

 煌王の頷きにフィリナは何かを言いたそうにしたが、それ以上何かを言いはしなかった。

 

「グラルズよ、聞いた通りだ。アンデッドは居れば当然皆殺し。奴隷にされている人間は、知らせに来た森妖精(エルフ)と共にアンデッドの存在を立証させる為にも連れ帰れ。そもそもこれが罠で、アンデッドが存在しなければ、森妖精(エルフ)の討伐だけ行うのだ。その時にはこちらに大義名分がある。もし必要であれば小隊もいくらか連れて行ってよい。出発は今すぐだ。夜闇に紛れ見事こなせ。」

「は!承りました!では、これにて御前失礼いたします。」

 ウェルドは無抵抗の民の虐殺は好かないが、人類の未来の為には時にそう言うことも必要だと知っている。

 少し前にはビジランタ大森林に棲む小鬼(ゴブリン)の子供達を一気に数百人殺し、人口調整を行なったくらいだ。

 こう言う地道な積み重ね無くして弱小種族の人間が生き残る道はない。

 

 ウェルドが部屋を去ろうとすると、煌王は「そうだ」と思い出したように声を上げた。

 

「グラルズ、あれ(・・)はどうだ。」

 足を止め示された物が何かを考え、すぐに思い至る。

「ロッタですか。よくやっております。」

「そうか。しかし、あまり森妖精(エルフ)との混ざり物を重宝するのは感心せんぞ。」

「煌王陛下、恐れながら彼女は魔法の才にも軍師としての才にも溢れております。代わりになるだけの者はおりません。」

 ウェルドはロッタこそ大将に相応しいと思っているが、心苦しくも彼女は大将の補佐、軍師の位置より上には上がれない。

 まだ若く、純粋な人間よりも寿命の長い彼女にはまだまだ先もあるというのに。

「分かった分かった。あまり表舞台に出しすぎないようにだけしてくれれば良い。国民感情もあるのだ。」

「は。」

 

 その後、夜の帳が降りた街を大量の部隊が出て行った。

 戦争でもあるのかと噂する街の者達に、隊の者達は口々に「アンデッドが人間を使役している」と言って向かう。

 森妖精(エルフ)の死がアンデッドのせいだとすんなり広まるように。

 

+

 

 イグヴァルジは月も沈む真夜中に、大量の金属鎧を着た者達の足音を聞くと身を起こした。

 オリハルコン級の者達はすでに起きて戦闘態勢になっていた。

「おい、起きろ。何かが近付いてくる。」

「…ん…ん?なんだ、この音。」

「わからん。しかし――平和の使者じゃない事は確かだな。」

 次々と冒険者達は身を起こし、それぞれの武器に手を掛けた。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達は闇の神と光の神を示すそれぞれの神殿に掛けられている神旗と、国旗の前に膝をつき、頭を下げてから腰に携えている短杖(ワンド)を抜いて拡声の魔法を使った。

「皆さん、抜剣せずにまずは様子を見ましょう。アインズ様は平和的にと仰いました。」

 イグヴァルジも当然神の言うことに逆らうつもりはないが――しかし、武勲は上げたい。

(頼む、戦いを仕掛けてきてくれ。)

 そう思いながら敵だと思われる足音が正体を見せるのを待った。

 

 そして、姿を見せたのは――何人いるかわからない程の武装した人間。

「……血生臭いな。」

 隣のテントにいたモックナックが呟く。

 イグヴァルジは静かに頷いた。

「あぁ…これは――死の臭いだ。」

 

 神聖魔導国の冒険者は悟った。

 奴等は死を運ぶ軍勢だと。

 

 屈強な者が一歩前へ出た。

 その者は小さく「本当にいやがった」と呟いた。

 そして続けて口にした言葉に全員が目を向く。

 

「――アンデッドよ!!よくも森妖精(エルフ)の村を襲ったな!!森妖精(エルフ)はお前達のせいで全滅だ!!この忌まわしき虐殺の徒が!!」

 

 その手の中には濁った緑の瞳を覗かせ絶命している女の森妖精(エルフ)の首があった。

 前髪が眉の上で切り揃えられていて、恐怖に歪む表情がよく見て取れた。

 

「…神王陛下…光神陛下…。」

 誰かが悼むように神々の名を口にした。

 哀れな最期を迎えたであろう森妖精(エルフ)の死出の旅立ちを少しでも良いものにしようと。

「光神陛下…どうか、この修羅の地にも生の祝福を…。」

 冒険者達は剣の柄に触れたまま、神々へ祈りを捧げた。

 

「アンデッドよ!!今こそ正義の鉄槌を!!抜剣!!」

 

 屈強な者が剣を抜くと、周りの軍勢も一斉に剣を抜いた。

 

 どうするべきかと皆が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)へ視線を送る。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達は短杖(ワンド)を口の前にあて、拡声した。

「待たれよ。我々はこの大陸に来て初めて小鬼(ゴブリン)以外の知性を持つ者に会ったのだ。必要とあれば魅了(チャーム)支配(ドミネイト)の魔法を受けても良い。我らが創造主アインズ・ウール・ゴウン様と、フラミー様に誓って森妖精(エルフ)の虐殺は行っていない!話し合いを!」

 

 冒険者達はオォと歓声を上げた。

 流石神に使わされている死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ。

 こちらは潔白故に魔法的手段を使われても痛くも痒くもないが、それを言い切れると言うのはそれだけ冒険者達への信頼に溢れている証拠だろう。

 

「アンデッドに精神魔法は効かん!!信じられるはずもなかろう!!さぁ、奴隷達よ、今こそおぞましきアンデッドを討つ時だ!!アリオディーラ煌王陛下はお前達がどこから来た者だとしても救いの手を差し伸べて下さる!!」

 

「奴隷?」

 冒険者達は数度互いを見合った。

 

 その困惑をどう思ったか分からないが、軍は一気に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)へ向かい始めた。

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さん達を守れ!!展開!!」

 オリハルコン級の者の声に皆が動き出す。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は拡声の魔法を用い、襲い来る者達へ語りかけ続けた。

「我々は平和の使者として神魔大陸より来た使節団である!!話し合いを!!」

 

 冒険者達は心苦しいが、人間達と剣を合わせた。

 

「お前達人間だろ!!アンデッドなんか守ってどうしたんだ!?」「奴隷達は支配(ドミネイト)を受けているぞ!!」「目を覚ませ!!」

 揉み合っていると、ついに一人の冒険者が斬り付けられ――国旗にその血がかかった。

 冒険者達の頭には一気に血が上った。

「俺達の仲間によくも!!」「な!?陛下方の旗に!!」

 口々に忠誠と航海の家族を傷付けられたことへの怒りを叫ぶ。

 

 そして、これまで冷静に語りかけていた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達は吠えるように、声を上げた。

 

「――人間共が!!神聖なる旗によくも!!死を!!二度と覚めぬ死をくれてやる!!」

 

 決死の戦いは夜明けまで続いたらしい。

 アルベドが事態に気付き、伝言(メッセージ)の実験を始める前の話である。




死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さんは冒険者殺された事より旗汚されたことにおこだ!!

次回#48 閑話 父上と母上

まずは皆さんお待ちかねのユズリハ様謹製の勢力図です!

【挿絵表示】

おぉ〜!隣の大陸が見えてきましたね!

それから、11/5にいい男の日もらいました!!
本編未登場のギルメンとフラミー様のきゃっきゃうふふがうふふですねぇ!
多分裏の全員転移時空でしょう!

【挿絵表示】


そしてフララコスベータも!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1191741075725012993?s=21


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#48 閑話 父上と母上

「はい、ここだぞ。」

「あぁう、っあ!」

 アインズの指差すところにナインズが謎の言葉を返しながらペタリとアインズの承認印をつくと、おぉー!と守護者達から拍手が上がった。

 アインズの執務室は今日も大賑わいだ。

 

「あぁー!お前は本当に賢いなぁ!!」

 

 アインズがグリグリと頭に顔を埋めると、ナインズは嬉しそうにきゃいきゃい笑った。

「アァー!!!!オボッチャマ!!早ク爺ト訓練ヲ!!爺ハ強イデスゾ!!」

 爺がソファに座るアインズとフラミーの前に身を投げると、ナインズはポンっとその頭にアインズの印を捺した。

 

「っあ!ナインズ、だめでしょう!」

 フラミーが印を取り上げようとすると――「フラミー様!!」

 アルベドの絶叫にぴたりと止まった。

 

「は、はひ…すみません…。」

 躾が悪いと叱られる気がする。しかし、ナインズはようやくハイハイを始めたばかり。

 まだ殆ど言葉もわかっていない。

 

「私も!!承認印欲じい"でず!!」

 

「…そ、そうですか。」

 ナインズは守護者達の額や頬、服にまで捺印しまくった。

 皆はぁはぁと息を荒くし、幸せそうにアインズの執務室に転がっている。

「なんか教育に悪い気がするんですけど…。」

「…そうですね。」

 アインズとフラミーは苦笑した。

 

 守護者の転がる執務室でナインズは覚えたての言葉を今日も叫ぶ。

「あんま!あんま!」

「可愛いなぁ。たまにはパパって呼んで欲しいんだけどなぁ。」

アインズはでれでれとナインズの頭を撫でた。

「あんま!あんまー!」

「ふふ。按摩じゃなくてまんま、だろ?」

「あんま!」

ほわほわと眺めながら按摩を求める息子をマッサージしていると、フラミーも笑った。

「可愛いですよね。でも私もぱぱーって言って欲しいなぁ。あんまはもうやめさせたいけど、中々うまく行かないですね。」

「ん?やめさせるほどですか?」

 フラミーが何故まんまと言おうとするのを嫌がるのか分からずアインズは首を傾げた。

 

「だって、息子にアインズ様なんて、ちょっとね。」

 

 困ったように笑うフラミーの言葉にアインズの顔はさっと青くなった。

 

「えっ!?九太!俺はお父さんだぞ!?守護者みたいな事を言うんじゃない!」

 

 ナインズはぽかんと目と口を開けた後、顔をぐちゃっと中心に寄せ、への字にした口をゆっくり開いた。

「っう…うああぁああぁ!!」

「あぁあ。」

 突然大きな声を掛けられたナインズが泣きだすと、フラミーはやれやれとナインズを抱き上げた。

「お父さんは怒ったんじゃないのよ?パパか父上って呼んでほしいだけなの。」

 

 フラミーの不思議な――常闇以来しばらく歌っていた鼻歌を聞くとナインズはすっと落ち着いた。

「よしよし。」

「うんま。」

「私もフラミー様じゃないでしょ?お母さんだよ。」

 アインズはまさかアインズ様とフラミー様なんて呼ばれようとしているとは思いもせず、頭を抱えた。

 

「ど、どうしたら……。」

 

 そして思いついた。

 目の前に転がる判子だらけの守護者達を呼ぶ。

 

「お前達、起きなさい。大事な話がある。」

 よろよろと起き上がった守護者達は恍惚としていた。

 

 

「今日からナインズが私達をお父さん、お母さんと呼べるようになるまでナザリックの者全員――私達をお父さん、お母さんと呼ぶように。」

 

 

 アルベドは鼻血を出すと再び倒れた。

 シャルティアは身を抱くとぶるりと震えてよだれを拭い、コキュートスの大顎はガチガチと音を立てる。

 アウラとマーレは目玉がこぼれ落ちてしまうのではないかと言うほどに目を見開き、デミウルゴスは頭を抱えた。

 

「アインズ様――いえ、…ち、ち、父上様……。」

 デミウルゴスのいつもと違い弾力のない声に何かと視線を向ける。

「わ、私は…フラミー様を………お母さまとは……お呼びできません……。」

 それを聞くと、フラミーはこてりと首を傾げた。

「あら?アインズさんはお父さんでも私はダメですか…?」

「フラミー様…申し訳ございません…。これには深い訳が…。」

「むぅ…。私、貫禄ないからなぁ。」

「いえ!そう言うわけでは…。」

 アインズはちょっとこれは可哀想かとデミウルゴスに手を振った。

「あぁー…良い。お前はフラミーさんの事は引き続きフラミー様と呼んで良い。」

「恐れ入ります。父上様。」

 

 アインズはうむ、と頷くと少し考える。

 呼べと言っておきながら、いざデミウルゴスに父と呼ばれると恥ずかしかった。

「…やっぱりやめておくか…?」

 

「「「「「えっ!?」」」」」

 

 アルベドはがばりと起き上がると鼻血をササっと拭いた。

「お、お待ちください!!お父様!お母様!デミウルゴスは役立たずですが、私たちはきちんとお呼びできます!!」

 何の躊躇いもなくそう言う娘にアインズは笑った。

 

 デミウルゴスはフラミーへの想いの形故に母と呼ぶ事は出来ないだろうがアルベドはアインズを父と呼んだのだ。

 この娘から向けられる愛の形には常々悩まされていたが、アインズはこれなら大丈夫だと思――「それにしてもお父様の子種から生まれる子から見たらお父様はお爺様?それともお父様なのかしら?」

 

 アルベドの不穏な発言にアインズは眉間を抑えた。

 このサキュバスにとっては、近親者も何も関係ないらしい。

「…アルベド、千回言っているが、私はお前とそう言う関係になるつもりはない。ナインズの前で教育に悪いことを言うとまた減点するぞ。」

 アルベドはふるふると首を振った。

 

「まだ四百七十八回目でございますわ!」

 

四年間でそれだけ言っていれば充分言っている。

「…数えるな。まったくフラミーさんしか嫁にしないと何度言えばわかるんだかなぁ…。」

「何も私も妃になろうと言うんじゃありませんわ!私はただお慰めするだけでも良いのです!」

「…はぁ。お前、少しはデミウルゴスを見習え。」

 

 フラミーは困った様なため息を吐くアインズの頭を撫でた。

「アインズさん、ありがとね。」

「あぁ、いや。当然の話ですよ。」

 

 アインズがフラミーに顔を寄せると、フラミーの膝に座っていたナインズの手がぺたりとアインズの口についた。

「あんま!」

「…九太、お母さんにちゅーさせてくれ…。」

「あんま!」

「九太でも邪魔すると怒るぞ。お仕置きされたいのか?」

 大人気ない父がナインズを猛烈にくすぐり始めると、フラミーは毎日失恋させられているアルベドに向き合った。

「アルベドさん、ごめんね。」

「いえ!とんでもございません!!もちろん私は初めてをアインズ様に捧げた後はフラミー様のお子種を頂――」

 全てを言わせる前にアインズはビッとサキュバスを指差した。

「アルベド!減点!!」

 アルベドはきゅうと小さくなった。

 

「全く不敬な統括でありんす。誰でも良いみたいな発言は御方々を失望させるだけでありんしょう。妾は骨の身の父君一筋でありんす。」

 シャルティアは鼻高々だったが、それを見るアウラの瞳はじとりとしていた。

「シャルティアー…。結局それじゃお父様とお母様を煩わせてるじゃん。」

「あの、僕も、えっと、その、ちゃんと男らしくなったら、お母様をお嫁さんにします!一筋です!」

 マーレの唐突なる宣言にフラミーは頬を緩めた。

 

「本当?楽しみに――」

 全てを言わせる前にデミウルゴスは慌てて口を挟んだ。

「フラミー様!マーレももう子供ではありません!」

 アインズはどう見てもまだまだ子供だろうと心の中で突っ込む。マーレはいつもと変わらぬ愛らしい顔をしていた。

 

「まったく煩い男でありんすねぇ。マーレ。あの男は敵でありんしょう?」

「あ、あの。でも、デミウルゴスさんは昔、時が来たら僕に子作りの声をかけてくれるって、その、言ってくれたんで、多分応援してくれるとは思うんですけど…。」

 

 アインズはやはりナザリックは、こと子育てにおいては最弱集団だと再認識した。

「…デミウルゴス。お前もたまに教育に悪いな?」

「父上様…。私はこの世界に来た時、ナザリック強化に力を入れようと思っていただけで…。」

 

「デミウルゴスさん、マーレで繁殖実験なんてやめてくださいね。」

 

 アインズとデミウルゴスはびくりと震えた。

「それはもう、もちろんでございます。繁殖実験など、ナザリックの者では決して行いません。」

「フラミーさん、繁殖実験なんてもう忘れましょう?俺が悪かったですから。良い子だから、ね?」

 

 フラミーはナインズを抱えるとにこりとナインズに笑いかけた。

 君は繁殖実験の成果じゃないよとでも言うような雰囲気だ。

「うんま?」

「フラミー様じゃないでしょ?お母さんって言ってごらん?お、か、あ、さ、ん。」

「おま?」

「ふふ、そうそう。上手だね。」

 

 微笑むフラミーの傍でアインズとデミウルゴスが苦笑を交わしていると、コキュートスが胸をドンと叩いた。

 

「オ母上、オボッチャマ!爺デスゾ!!」

「いー。」

「オオ!オボッチャマ、ソノ通リデス!!」

 感動しているコキュートスの傍からぴょこりと埴輪が顔を出した。

「ンンンンナインズ様、私は兄上とお呼びください。」

「あー?」

「…兄上でございます。」

 がっかりした様な雰囲気だ。

 

「言えるか。それよりお前、いつからいたんだ。」

 アインズがポコンとパンドラズ・アクターを叩くと、ナインズはおかしそうに笑った。

 パンドラズ・アクターは斜めになってしまった帽子をきちんとかぶり直すと再び口を開いた。

 

「今です、父上。至急お耳に入れたいことが。後追いで出航した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から統括殿に伝言(メッセージ)が繋がらないと私に連絡が。」

 

 アルベドは小さくなっていじけていた。床に何かを指でくりくりと描き続けている。

 

「そうか。それで、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はなんと?お前のその様子では何かが起きたんだろう。」

「は。上位森妖精(ハイエルフ)と人間に襲われていると。すぐに絶命したようで、通信は切れました。」

 

 体の芯を失っていたような守護者達はシャキリと背筋を伸ばし、瞳には剣呑な輝きが宿った。

 

「敵は上位森妖精(ハイエルフ)か。面白い。我が使節団をことごとく殺しおって。」

 アインズの瞳の奥で炎が上がる。

 

「ところで、何故皆様私とナインズ様の父上を父と呼んでいるんですか?不敬ですよ。」

 パンドラズ・アクターは全守護者を敵に回した。 

 

 その後お父さんお母さんと呼べ作戦は破棄された。




ズアちゃんww
死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さんはこれで全滅ですなぁ!

次回#49 蛮国

11/7のイラスト頂きました!見た時「おっほ」と声が上がってしまいました。おっほほ!
いいお腹の日だったそうです!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1192455281059352576?s=21
皆はどのお腹が良かったかな!
カラーはこちら!

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#49 蛮国

 アインズは執務室のナインズプレイコーナーでナインズの小さなあんよに靴下を履かせていたが、駆け込んできたアルベドの報告を聞くと己の耳を疑い硬直した。

 

「アインズ様!!生死の神殿の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)より入伝です!!ローブル聖王国の港湾都市リムンに、我が国の幽霊船に乗った上位森妖精(ハイエルフ)達が!!攻撃を受けています!!」

 

 アインズはアルベドからどうするかと問われる声が遠く離れた場所から聞こえて来るように感じた。

 攻め込んだことはあったが、攻め込まれた事は初めてで一瞬頭が真っ白になった。

「あんま?」

 ナインズが自分を呼ぶ声にハッと我に帰る。

 

「アルベド、お前はシャルティアとデミウルゴスを呼べ。私はフラミーさんを呼ぶ。」

「か、かしこまりました!!」

 アルベドが急ぎ伝言(メッセージ)を飛ばし始める横で、アインズは不穏な空気を察知し泣きそうになっているナインズの頭を撫でた。

「ナインズ。お前はいつか我が国を背負う男になるだろう。それまでに私はこの世を平和へ導くと誓おう。」

 ナインズ当番に視線を送り、後を任せる。

 ナインズはここ幾日も支配者休業のアインズと二人で過ごしたので父が離れて行くのが嫌なのかハイハイをしてついて行こうとした。

「ダメだ、お前はここにいろ。」

 アルベドの作ったフラミーぬいぐるみを抱かせると、大人しくなった。

 

 アインズ当番と共にドレスルームへ行き神器級(ゴッズ)アイテムへ久々に袖を通す。

(上位森妖精(ハイエルフ)。どれ程の力を持つんだ。聖王国には死の騎士(デスナイト)も置いているはずだと言うのに。)

 アインズはメイドに服を整えられると歩きながら人の身を燃やし、死の支配者(オーバーロード)としての姿を取り戻した。

 こめかみに触れ、コキュートスが近頃手に入れた沈黙都市周辺集落の視察へ出ている支配者バトンタッチ中のフラミーを呼び出す。

 フラミーに伝言(メッセージ)を送るのも久しぶりだった。

 伝言(メッセージ)は非常に便利な連絡手段ではあるが、フラミーが何かをしていては邪魔になるだろうとあまり使わない。

 伝言(メッセージ)は必ず受けなければならないと言う強迫観念がかなり強い。

 リアルでも既読機能の付く連絡手段に辟易していた者は多かったが、送られて来るときは相手が誰だか分からない為、非通知の絶対応答義務のある電話だ。

 

『はい。私です。』

「フラミーさん。俺です。忙しい所申し訳ないんですけど、ローブル聖王国に上位森妖精(ハイエルフ)が攻め込んで来ていて――」

 アインズは言いながら遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を取り出し、聖王国の様子を見た。

 鏡の中には出航時に冒険者を見送った港が蹂躙されていた。

 煙があちらこちらから上がり、人の命を守る事を厳命されている死の騎士(デスナイト)が瓦礫の下から怪我人を運び出していた。

 聖騎士達が召喚した天使を空へ上げて行く。

「――ッチ。無理のない範囲で聖王国の死傷者の救助をお願いしたいんで、一度ナザリックに戻って来てもらえませんか?」

『回復と蘇生ですね。私、先に向かいます。コキュートス君と漆黒聖典、陽光聖典も一緒ですし。』

 アインズはそんな危ない、と言おうと思うがなんとか飲み込む。

 フラミーは決して弱くはないし、アインズにフラミーより信頼できる者などいない。

「――分かりました。俺は紫黒聖典を神都に迎えに行ってから向かいます。」

『わかりました。じゃあ、先に行ってますね。』

「お願いします。」

 アインズは転移門(ゲート)を大神殿に開いた。

 

 潜った先は平和ないつもの大神殿で、神官達は嬉しそうにアインズへ頭を下げた。

 跪こうとするのを手で押しとどめる。

「大至急で紫黒聖典を呼べ。隣の大陸からお客さんだ。ローブル聖王国が攻め込まれている。」

 神官達は一瞬驚愕に目を見開き、レイモンが大急ぎで紫黒聖典を呼びに行った。

転移門(ゲート)はこのままにしておく。紫黒聖典が着いたら潜るように言え。先は戦場ではなくナザリックの私の部屋だ。」

 アインズはそう言い残すと再び自分の部屋へ戻った。

 それを言うためだけならそれこそ伝言(メッセージ)でも良いのだが、神官達は伝言(メッセージ)を嫌う。

 三百年前にガテンバーグという人間種国家に悲劇が起こった為だ。

 この国は伝言(メッセージ)による情報網の構築を行った魔法詠唱者(マジックキャスター)を主軸とした国家だった。

 ガテンバーグは伝言(メッセージ)を信頼しすぎたことで、たった三つの虚偽の情報を受け取ったことによって内乱に陥り、そこにモンスターや亜人などの侵攻が重なり滅んだ。

 他にも不貞の情報を受け取り妻に手を掛けたら、それが嘘だった、と言う悲劇も吟遊詩人(バード)達は語る。

 その為に、伝言(メッセージ)を信頼しすぎる者は愚か者と言われている。使用したとしても、必ず別のルートでも情報を得なければいけない。

 フールーダですら伝言(メッセージ)では一々自分と証明する為の何かを伝えなければいけないので、それくらいなら出向いたほうが早いのだ。

 ただ、神殿間の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)による<伝報>は受け手も送り手も神に生み出された者が行っている為、疑う者はいない。

 

 アインズの部屋にはシャルティアとデミウルゴスが到着していた。

「アインズ様、シャルティア・ブラッドフォールン御身の前に。」

 シャルティアがボールガウンを摘まみ、片足を引くように頭を下げると、デミウルゴスもそれに続き頭を下げる。

「デミウルゴス。御身の前に。」

「よく来たな。アルベドから現状は聞いたな。」

「「は。」」

「よし。上位森妖精(ハイエルフ)は生け捕りだ。どう言うつもりなのか聞きだす。私の、この――アインズ・ウール・ゴウンの名の下にいる者達を蹂躙した罪は重い。分かるな。」

 言葉は冷静だが、アインズからは焼け付くような憤怒が立ち昇りだした。

 守護者達は喉が張り付いたように声を出せなくなった。

「この、皆で付け、私達を育んだ"アインズ・ウール・ゴウン"を侮る不埒者共め。たとえ、知らなかったと言えども許されるはずがない!」

 断言し、ふっとアインズの怒りは緩んだ。

 死の支配者(オーバーロード)の身により感情が抑制される。

 そのタイミングで、バタバタと転移門(ゲート)を潜る足音が四つ。

「神王陛下!紫黒聖典、御身の前に!!」

 大慌てで来た様子の四人は僅かに髪型が崩れている。

 すぐさま膝をついたが、初めて見るアインズの部屋をソワソワと軽く見渡した。

「来たな。お前達はフラミーさんの聖王国民の救助をサポートしろ。必要時には上位森妖精(ハイエルフ)の殺害も許可する。」

「「「「は!!」」」」

「デミウルゴス、シャルティア。お前達は上位森妖精(ハイエルフ)の確保と尋問だ。魔眼や呪言でどう言うつもりなのか吐かせろ。場合によっては私の記憶操作(コントロールアムネジア)でも確認する。」

「「は。」」

 それぞれの良い返事を聞くとアインズはふと起動したままの鏡の中に視線を戻した。

 

 ふと、魔法の力で浮かんでいる様子の者が写り込む。

 雪のように白い肌に森妖精(エルフ)よりも長い耳、限りなく白に近い金色の髪。

「…これが上位森妖精(ハイエルフ)…?」

 呟くは番外席次。森妖精(エルフ)の血を引く彼女は他の者と違い、自分に近しい何かを感じているのかもしれない。

「っあ!フラミー様!!」

 鏡に映ったフラミーが上位森妖精(ハイエルフ)に何かを告げた。

 

 アインズは口の動きをじっと見た。

「……ぎゃく…さつ…なんか…しらない……。」

 デミウルゴスが口に合わせて呟くと部屋の者達は目を見合わせた。

 

+

 

「虐殺なんか知らないですよ!!うちの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は絶対にそんな事しません!!」

「この者もアンデッドに魅了(チャーム)を受けているぞ!!」

「違う!!私は、私は――」

 フラミーは何と名乗るのが正解かわからず一瞬悩んだが、胸を張り、続々と増える上位森妖精(ハイエルフ)達に宣言する。

「――私はフラミー!この神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国を治める者の一人!武器を置き戦闘行為をやめなさい!」

 コキュートスは空を見上げていた。

 周りでは聖典達が人々の救助と、空から降り注ぐ魔法を弾き返している。

 聖騎士団と神官団はフラミーの身を守ろうと周りに天使を寄せた。

 

 上位森妖精(ハイエルフ)は透き通る空のような瞳に憎しみを宿した。

「蛮国の主よ、今すぐアンデッドより人々を開放せよ!そうしなければ――貴様の命はここで尽きる!!」

「な……。良いよ、できるものならやってみせなさい。私達は絶対に何も手放さない。引かない。世界のために、未来のために。」

 フラミーの金色の瞳に睨まれた上位森妖精(ハイエルフ)達の背を強烈な恐怖が駆け上がった。

 ゾクリと震える体は、逃げ出せという本能からの訴えだ。

 呼吸を忘れ、陸にあげられた魚のように口をパクパクと動かす。

 上位森妖精(ハイエルフ)達はその瞳をまるで天から地へ渡った稲妻のようだと思った。

 

「み、見た目に惑わされるな!清浄に見えても相手はアンデッドの総指揮官だ!!全員やれ!!」

<魅了(チャーム)>、<正義の鉄槌(アイアンハンマー・オブ・ライチャスネス)>、<束縛(ホールド)>、<炎の雨(ファイアーレイン)>、<緑玉の石棺(エメラルド・サルコファラス)>、<聖なる光線(ホーリー・レイ)>、<呪詛(ワード・オブ・カース)>、<恐怖(フィアー)>、<(ポイズン)>、<傷開き(オープン・ウーンズ)>、<盲目化(ブラインドネス)>、<衝撃波(ショックウェーブ)>、<混乱(コンフュージョン)>、<石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)>、<聖なる照準(ホーリー・フォーカス)>、<輝きの光線(シャイニング・レイ)>、<魔力吸収(マジックドレイン)>――。

 フラミーに向かって大量の魔法が放たれると、聖王国民と聖典、聖騎士達は悲鳴を上げた。

 その身の周りであらゆる色の爆発が起きる。

 もうもうと立ち込める煙を前に上位森妖精(ハイエルフ)達は口元を緩めた。

 

 一瞬感じた激しい力は気のせいだったのかもしれない。

 事実今、煙の中からはあの恐ろしい力は感じないのだから。

 しかし、煙から地に落ちていく影が無いため上位森妖精(ハイエルフ)は気を抜けない。

「……おい、なんだ……。」

 誰かが気づいた。

 

 地上の者が陛下と叫ぶ。

 

 煙が風に流され、見えた影は二つ。

 

「あ…あれは……。」

 上位森妖精(ハイエルフ)の搾り出すような声も流されて行く。

 

 煙が晴れた場所には、相対していた無傷の女王と、この世から全ての光を消し去るような存在。

 眼窩には燃える炎を宿す――死の権化。

 

「つまらん児戯だ。……よくも私の最も大切な者にふざけた真似をしてくれたな。」

 

 白く細い指が上位森妖精(ハイエルフ)達に向けられる。

 

「いくぞ?――生け捕りだ。」




次回#50 聴取

あぁ〜いいよいいよ〜煙の中から登場しちゃうのいいよ〜!
usir様に土煙の中から夫婦いただきましたぁ!!

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11/8のあらゆるフラミー様をいただきました!©︎ユズリハ様です!
え!?すごすぎるよ今日!!
↓いい歯の日、フラミー様が妖精さんみたい…キャワイイ…

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↓いい泡の日、裏のウルベルトさんと2人転移時空ですね!

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↓いい皮膚の日、同じく裏のウルベルトさん時空ですね!

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↓いいオッパイの日、裏の全員転移時空ですね!

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↓いいオッパイの日②、本編時空ですね!マーレ、目覚める!

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#50 聴取

「あ、ありえるかぁ!!」

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の圧じゃないぞ!!」

 

 煙が払われ邪悪なる死の権化が姿を見せた。

 それを人は魔王と呼ぶだろう。

 

 ここは如何なる慈悲も持たぬ、おぞましきアンデッド達に支配される地獄の大陸。

 そしてこの一団は全ての生ある者の敵であるアンデッドより無辜の命を解放し、同胞の森妖精(エルフ)達の仇を討つのと同時に、死の軍勢による侵略行為への牽制も行う正義の集団だ。

 

 今回の一団を任された上位森妖精(ハイエルフ)のシャグラ・べへリスカは共にいる仲間達が恐怖に震える音を聞いた。

 この街を跋扈する大量のアンデッドを目にした時から相手を侮ったことなどない。

 しかしながら、その警戒レベルがまるで足りていなかった事をすぐに悟った。

 目の前の魔王から放たれる死の香りに、ただただ圧倒される。

 この者の存在は、森妖精(エルフ)の村がどうこう等というレベルではない。

 上位森妖精(ハイエルフ)森妖精(エルフ)だけでなく、生きとし生ける全ての者の存続を左右するだろう。

 

「シャグラ…シャグラよ…。どうする…。」

「…あの魔王を倒さなければ生者に未来はない。」

 既に自分達の大陸に一度攻め込んできているのだ。

 ここで引くことは再び大陸に攻め込まれる事を意味するだろう。

「私達で倒せるのか…あれを…。」

「…できるかどうかじゃない。やらなければ――」

 シャグラはそう言いながら目を見開いた。

 それ(・・)が視界に入った事を咄嗟に脳が理解できなかったのだ。

 シャグラの目の前には病んだような、白蠟じみた真っ白な肌の美しい少女。

 上位森妖精(ハイエルフ)の白とは根本的に違う、血の通いを感じさせないものだ。

 そして魂を吸い込むような真紅の瞳と、可憐な唇から小さく覗く鋭利な犬歯。

 その者の種族の答えは「――ヴァ…ヴァンパイア!!」

「見ればわかりんしょう。ギャアギャア言いんせんでくんなまし。」

(またアンデッドだと!?この大陸は一体どうなってるんだ!)

 シャグラが手の中の短杖(ワンド)を握る手に力を込める。

「<聖な(ホーリ)――」

「<集団全種族捕縛(マス・ホールド・スピーシーズ)>。」

 容易く力を奪われたシャグラは抵抗しようとするが、自分達の持つ力の全てが意味をなさないと知る。

 飛ぶ力を奪われ、怒号を上げながら否応なく自由落下し、重力の底に激突すると、全身の骨が砕ける猛烈な痛みがシャグラを襲った。

 

 

 当然シャグラだけではなく、次々と上位森妖精(ハイエルフ)達が墜落していく。

 

 

 デミウルゴスは落下した虫ケラに向かって歩き出した。

 落ちた上位森妖精(ハイエルフ)達はアインズとシャルティアの拘束魔法を解くことも出来ずに、芋虫のように這いつくばっていた。

(ゴミ虫ですね。まったく。)

 デミウルゴスは心の中で悪態を吐くとスーツを手で払った。

 汚れているわけではないが、上位森妖精(ハイエルフ)が落ちるたびに土煙が舞うので少し土臭いような気がした為だ。

 仮に土が少しもついていないとしても、これは創造主たるウルベルト・アレイン・オードルより頂戴した大切な衣装なのだし、側にはフラミーもいるのだから綺麗にしておかねばならない。

 デミウルゴスは偉大なる創造主を思い出し、懐かしい気持ちに微笑むと無様で惨めな上位森妖精(ハイエルフ)達を睥睨した。

 

 そして転がる最も身分の高そうな男の銀色の髪を掴んだ。

 上位森妖精(ハイエルフ)は落下時に負った苦痛に顔を歪ませながら、逃れようと身動ぎした。

 しかし、デミウルゴスは強い。

 確かに力では守護者の中で下位に位置するが、デミウルゴスに勝てない者はこの世に二人しかいないのだ。

 ナザリック地下大墳墓の絶対支配者、アインズ・ウール・ゴウン。そして、絶対不可侵の主人、フラミー。

 他の者達ならば――守護者達相手であってもデミウルゴスは必勝の舞台を用意し、勝利をその手におさめるだろう。

 そんな男を前に、上位森妖精(ハイエルフ)程度がどうこうできるはずもない。

「…っく…。」

「全くフラミー様とアインズ様のお手をこうも煩わせるとは…。これまでで最も愚かな下等生物ですね。」

 デミウルゴスはこちらを睨む者の情報を整理する。

 脅威度、E――虫けら。

 誤算率、E――皆無。

 重要度、B――生け捕りすべき情報源。

 つまりはモルモットだ。

 

 モルモットは数度血を吐くと喋り出した。

「…聞け…支配される者よ…。我らは上位森妖精(ハイエルフ)…。アンデッドの支配からこの地を解き放とう…。」

「不敬ですね。アインズ様はこの世の正当なる支配者ですよ。さて――」

 デミウルゴスは拷問し、尋問したいと思うがここは聖王国だ。

 聖王国ではデミウルゴスは慈悲深く、愛に満ち、王座にすら相応しき清廉な男という役を演じなければいけない。

『――私の質問に答えなさい。あなたの名前は?』

「シャグラ・ベへリスカだ。」

 シャグラはハッと口を抑える。

 何が起きたのか理解できない様子だ。

『シャグラ・ベヘリスカ、どこから来たのか言いなさい。』

「…この海のずっと向こうにある最古の森にあるエルサリオン上王国から来た。」

『何故我が国を襲う。』

「我らの()である森妖精(エルフ)の村を六つ、お前達の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に襲われた。村を出ていたたった一人の森妖精(エルフ)を残し、皆殺しにされたのだ。これは仇討ちと、アンデッドの支配から生き物を解放する聖戦だ。」

 デミウルゴスは顔をしかめ、酷く鬱陶しそうな顔をした。

 アインズの生み出した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がそんなことをするわけが無い。

 呪言にかかったふりをして嘘を言っているのではないかと、更に呪言を重ねる。

『今すぐ自分の喉を切り裂きなさい。』

 シャグラは裂ける道具を持ってない為、自分の爪でバリバリと喉を掻き毟った。

 痛みに泣き、自分の血に溺れながら喉を切って行く。

 しばしその様子を眺めていると、瞳は死への恐怖に染まった。

 周りで見ている上位森妖精(ハイエルフ)達の声にならない悲鳴が届く。

 演技ではない様子を見るとデミウルゴスは頸動脈を目の前の者が切ってしまう前に再び呪言を使った。

『やめて良い。』

 シャグラは痛みに悶え、首を押さえてのたうちまわった。

 デミウルゴスはきちんと呪言が効いている様子に、口に手を当て考え始めた。

 

 そのすぐ近くでフラミーはアインズ達をすり抜けた上位森妖精(ハイエルフ)へ捕獲魔法を放ちつつ怪我人の回復と死者の蘇生を続けた。

 聖典達が次々と負傷者や死者を運んで来る。

「フラミー様、休憩サレマスカ。」

「まだまだやれますよ。海上都市に感謝しないとね。」

 ギルド武器の破壊以来、アインズ同様魔力の尽きる様子のないフラミーはコキュートスに笑って見せた。

 聖王国ではかなりの数の死の騎士(デスナイト)が殺されていた。

 飛行(フライ)で上空から魔法を撃たれ、死の騎士(デスナイト)は国民を守ることしかできずに殺されたようだ。

「光神陛下!!」

 そう呼んだのは現聖騎士団長、グスターボ・モンタニェスだ。

「グスターボさん!――それに、皆さんも!」

 続いてネイアの先導に従い九色のオルランド・カンパーノ、同じく九色でネイアの父パベル・バラハ――そして聖王女カルカ・ベサーレス、神官ケラルト・カストディオも姿を見せた。

 続々と膝を付く面々。

 聖王国の民は以前フラミーに蘇生を拒否された苦い過去があるので、此度の死者が蘇生されていくことに安堵せずにはいられない。今はあの時とは違い、真っ直ぐアインズとフラミーへの信仰に染まっているので受け入れられているのだろうと思っている。

 復活させられたばかりの、立ち上がる事も叫ぶこともままならない街の者達はフラミーへなんとか礼だけ言うと祈りを捧げた。国を襲った上位森妖精(ハイエルフ)を地へ突き落としていく上空を飛ぶアインズへも。

 上位森妖精(ハイエルフ)達も狙って人を殺したわけではなさそうだが、大量の死の騎士(デスナイト)を討伐する為になりふり構ってはいられなかった様子だ。

 

「光神陛下、彼らは邪悪なる存在ではないようです。」

 カルカは自分の召喚した安寧の権天使(プリンシパリティ・ピース)が操る"悪意に対する加護"、"悪を撃つ一撃"がまるで効果を持たなかった事をフラミーに報告する。

 説明する本人の声には信じられないと言うような響きがあるが――「そうですか。」と言うフラミーには何の驚きも感慨もないようだった。

 デミウルゴスに問いただされる上位森妖精(ハイエルフ)と、ようやく復興したと言うのに再びの蹂躙を受けた街。

 何か訳があるのだろうかとカルカとケラルトが視線を交わしていると、最後の上位森妖精(ハイエルフ)が地に落ちた。

 一斉に平和のシュプレヒコールが上がる。

「カルカ殿、生死の神殿を借りても良いかな。」

 深い声音に天を仰げば、一仕事を終えたアインズがいた。

 

「当然でございます。あそこは神王陛下と光神陛下のための場所なのですから。」

「助かる。」

 そういうとアインズは地に降り、フラミーを踊るようにくるりと回し、全身、手の甲、平――耳を確認する。

「…ふむ。なんともないか。」

「なんともありませんよぉ。」

 フラミーの微笑みにアインズは安堵の息を吐いた。

 

「では、上位森妖精(ハイエルフ)共は一度生死の神殿に送らせてもらおう。まだ殺すには早い。」

 

+

 

 神殿では聴取が続いた。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は皆が神聖魔導国の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に同胞を殺されたと信じて疑わないようだった。

「私の生み出した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は貴様らより余程理性的な存在だ。」

 アインズの眼光に上位森妖精(ハイエルフ)達はゴクリと唾を飲んだ。

「魔王が…。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に使役されていた冒険者達を前にしても同じことが言えるかな。彼らは目の前で森妖精(エルフ)を殺され、恐ろしい思いをして来たと煌王国で私達に泣きついて来たのだぞ!!」

 アインズの瞳の光は細められた。

「その煌王国で冒険者達は生きているのだな。」

「…口封じに行く気か。」

「口封じ?逆だな。存分に語らせるとも。我が国の裁判を受けてもらう。精神を操作する魔法を使用する。」

「野蛮な!!そんな方法で聞き出した証言にどれ程の信憑性があるというんだ!!」

 上位森妖精(ハイエルフ)の叫びにアインズは鬱陶しいと言わんばかりに手を振った。

支配(ドミネイト)を使えばどんな者でも犯罪者にできる。魅了(チャーム)で身代わりを作る事もできるだろう。」

「であれば――」

「しかし、私は決して嘘偽りを語らせたりはしない。断言する。そして嘘偽りを語らせた者がいれば私は決して容赦しない。さぁ、これ以上の問答は不要だ。」

 アインズは上位森妖精(ハイエルフ)の額に杖を向けた。

 向けられた者は顔を吹き飛ばされるのだろうとギュッと目を瞑る。

「<記憶操作(コントロール・アムネジア)>。」

 厳かな声が響く。

 ページをめくるように上位森妖精(ハイエルフ)の記憶を見た。

 

 ――『…死者の大魔法使い(エルダーリッチ)森妖精(エルフ)を皆殺しにしたのだ。』

 ――『煌王国軍が来てくれなければ我々は生涯奴隷でした!』

 ――『神魔大陸に神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国…?』

 ――『この者達が乗ってきた船を出そう。』

 ――『アインズ・ウール・ゴウン!!許さないぞ、アニラを…ラウルパを…よくも!よくも!!』

 

 見知った冒険者の救いを求める言葉、幽霊船へ航海に必要なものを積む上位森妖精(ハイエルフ)、復讐に燃える森妖精(エルフ)の瞳。

 

 アインズは舐めるように記憶を見た。

 

 そして煌王国と呼ばれる国とその城の周りを目に焼き付ける。

 転移に支障をきたさぬよう、伽藍堂の頭蓋骨の中に叩きこんだ。

 

 カルカ達が胸の前に手を組む中、アインズは目の前の者の記憶を閉じた。

 

「隣の大陸への道はこれで開かれた。捕らえられている冒険者の奪還と査問を行う。」




久しぶりに聖王国勢出たけど殆ど喋らなかったぁ!!

次回#51 閑話 聖王国女子

11/9はいい靴の日だったそうです!
イイクツと打ったらアイカツと変換されて吹きました(^p^)

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©︎ユズリハ様の可愛すぎる三人(ニグンさん、フラミー様、御身!!)


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#51 閑話 聖王国女子

 神々を見送ると、カルカとケラルトは尖塔を目指した。

 今週はまだ"聖王国の罪"に会っていないから。

 

 上位森妖精(ハイエルフ)達の狂ったように叫び続けられた神への怨みは、あの子を思い出させた。

「ケラルト…。陛下方はきっとあの上位森妖精(ハイエルフ)達のこともお許しになるのよね…。」

「そうだと思います…。」

 ケラルトはやはり、何度ねだられても復活魔法を行使することはなかった。

 

 二人は塔を登る。

 昔はいつ来ても叫び声と、ガンガンと牢を叩く音が聞こえていたものだが、もうすっかり静かになっていた。

「レメディオス。来たわよ。」

「姉さん、調子はどう。」

 牢の中で静かに過ごしているレメディオスははめ殺しの明かり取り窓から外を眺めていた。

 いつもは膝を抱えて小さくなっていると言うのに、久しぶりに立っていた。

「――いつも言うがカルカとケラルトを真似るな。この化け物が。」

 背中越しに喋る彼女はカルカとケラルトが本当はもうずっと前に死んでいて、化け物がその身を騙っていると言う妄想に取り憑かれ続けている。

 王兄も自分が殺すより前に死んでいたと言うのが言い分だ。

 だから自分は悪くない、と自分の殻に閉じこもってしまっている。

 そうする事で自分を守っているのだろう。

「…私達は化け物じゃないわ…。」

「ふん。まぁ良い。それより化け物、街の様子を教えろ。一体何があったんだ。」

 カルカとケラルトはため息を吐くと外のことを語り出した。

 

「隣の大陸の上位森妖精(ハイエルフ)が襲って来たの。神王陛下の生み出した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が同胞の森妖精(エルフ)を虐殺したと。」

「ふふ。そうか。」

 レメディオスの不意の笑いにカルカは眉をひそめた。

「何がおかしいの。」

「ついにボロを出し始めたな。アインズ・ウール・ゴウン。聖王国の皆が目を覚ますまで後どのくらいだろうかな。ふふ、はは、はははは!」

 ケラルトは嘆くように顔を手で覆った。

 レメディオスの愉しげな笑い声は尖塔を激しくこだました。

「姉さん…やめて…!死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さんはそんな事していないだろうけれど、仮にも虐殺された人達がいるのよ!」

「はは――いいじゃないか。殺されたのは上位森妖精(ハイエルフ)だろう。初めて聞く種族だが森妖精(エルフ)と言うことは亜人だ。殺されるべくして殺されたのだ。その点だけは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を評価できるな。」

 その言い分はレメディオスの狂気を物語るようだ。

 聖王国は昔から人魚(マーマン)と交流もあり、亜人だからどうと言うことはない。その証拠に九色の緑は人魚(マーマン)のラン・ツー・アン・リンという者が戴いている。

「…神王陛下は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さん達がそんな事をする筈がないと真実の究明にお出になられるわ。」

 くるりとこちらを向いたレメディオスの眼光は、昔の正義に溢れていたものによく似ていた。

 レメディオスが牢の格子に近付いて来ると、二人は牢から少し離れた。

 以前襲い掛かられた時の事を考え、手の届かない安全な位置まで下がる。

「真実の究明?笑わせるな。良いか、化け物共。この世に神など存在しはしない。神を騙る者がいるだけだ。奴らは嘘を吐き、人を操り、殺める。いつか思い知る時が来るぞ…。気付いたその時には――」

 レメディオスはギリリと手を握りしめた。

「――その時にはもう、全てが遅すぎるんだ。」

 

 レメディオスなりに何かを考えているのだろうと思うが、相変わらず支離滅裂だ。

 代わりにカルカは考える。聖職者として、聖王として、彼女が罪と向き合うために必要な言葉を。

「…レメディオス、私、あなたに感謝している事もあるの。お兄様をあなたに殺されたことを許せたと思うと、今回の上位森妖精(ハイエルフ)達の襲来も許せるような気がするから――」

「――化け物よ。一つ教えておいてやる。カルカなら正義に燃え、国民を襲ったその上位森妖精(ハイエルフ)とかいう奴等を決して許しはしなかっただろう。演技に粗が出て来ているぞ。」

 牢の向こうでカルカを見るレメディオスの瞳は嘲りの色に染まっていた。

 カルカは真面目に話そうとした事を後悔した。

「――レメディオス。私は今も私の正義を貫いているわ。聖王の座につく時に二人に告げた言葉をあなたも覚えているでしょう。」

 レメディオスは驚愕に目を開いた。

「「「弱き民に幸せを、誰も泣かない国を。」」」

 三人は声を揃えて、十四年前の誓いを口にした。

「か、かるか!?まさか、まさかカルカなのか!?それにケラルトも!?」

 レメディオスは突然興奮状態に陥り、牢から手を伸ばした。

「カルカ様!危ないです!今日はもう行きましょう。姉さん、また来るわ。」

「ま、待ってくれ!!ケラルト、カルカ!!頼む!!頼む、もう少し!あぁ!カルカ!ケラルトーー!!」

 ケラルトに手を引かれるように、カルカは尖塔を後にした。

 レメディオスの自分達を呼ぶ声がべたりと鼓膜に張り付いた。

 

 二人は無言で馬車に揺られ、蹂躙された町に戻るとアンデッドに後片付けの指示を出すデミウルゴスとシャルティアがいた。

 重い沈黙が破られる。

「…デミウルゴス様が残って下さって良かったわ。」

 カルカの呟きにケラルトは、うっふっふっふっふといやらしい笑いを漏らした。

「ブラッドフォールン様だって残ってくださってますよ。デミウルゴス様にそばにいて欲しいと頼んでみては?」

「んもう!そうじゃないわよ!皆励まされているように見えるから――」

「一番励まされているのはカルカ様でしょう。」

 二人は見合うとぷっと吹き出し、レメディオスのいる塔を出てから初めて笑い声をあげた。

「まぁ、それはそうね。ふふ。」カルカはおどけるように続けた。「あぁあ、デミウルゴス様もそろそろ叶わぬ恋なんて諦めて下さればいいのに。神王陛下にはお子もできたんだから。」

「また告白しては?お茶会のあれからもう随分経ちますし。」

「…振られるのが目に見えているわ。」

「もう守りに入っていられる時間もないですよ。」

「あぁー聞きたくないぃ〜。」

 結婚がまるで見えてこないのに歳ばかりは重ねてしまう。

 カルカは少しでも肌年齢を下げるため自ら発明した美容魔法を日々自分に掛けている。

 頭を抱えていると、馬車の外に亜人の姿を見た。

 

 かつては憎たらしかった獣身四足獣(ゾーオスティア)だ。

 その日のうちに駆け付けて来てくれるなんて――カルカは今日の友に心から感謝した。

「明日にはアベリオン丘陵亜人連盟の皆さんも来てくれるそうですね。」

 ケラルトはカルカの視線の先に気付いたようだ。

「そうね。私達もやらなきゃね。」

 二人はフラミーに復活させられ、生命力が足りずに起き上がれない人々と怪我人が寝かされている館に着くと馬車を降りた。

 神殿は今避難所として使われているため、家がたまたま無事だったバグネン男爵という貴族が家を解放してくれているのだ。

 

 二人は負傷者をただ励ましに来ただけではない。

 カルカは第四位階の魔法を行使出来る信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)だし、ケラルトも聖王国神官団の団長を務める言わずと知れた大神官だ。

 二人は神官達と共に、傷付いた民を回復して回った。

 

 何人も回復するとカルカは魔力の欠乏を起こし、英雄級の力を持つケラルトを残し一時その場を離れた。

 

 まだ避難民が来ていない生死の神殿の礼拝用の長椅子で休んでいると、馴染みの優しい声が響いた。

「カルカ殿。」

「あっ、デミウルゴス様。どうかされましたか?」

「少しばかりお話をよろしいでしょうか。――あぁ、そのままで。」

 カルカはすぐ様立ち上がろうとし、それを止められた。

 デミウルゴスは斜めに向き合うようにカルカの隣に座った。

 こんな時だというのに、ケラルトと馬車で話したことのせいか、カルカの胸は高鳴った。

 話とはどんな事だろうかと居住まいを正す。

 辺りには避難民を受け入れるため、神殿の床掃除に精を出す神官達がいた。

 一時的にここに連れて来られていた上位森妖精(ハイエルフ)達の血が床を汚している。

 

「言いにくいのですが、今後聖王国を守って行く為には属国と言う形ではいよいよ限界かと。」

 デミウルゴスの言うことは最もだ。

 今回の復旧作業も聖王国内できちんと行わなければいけないのが本来だろうが、宗主国とは言え神聖魔導国におんぶに抱っこになってしまっている。

 明日復興の手伝いに来る亜人連盟の者達も神聖魔導国の民だ。

「…聖王国を神聖魔導国に…ですか…?」

「そうしたいと思っております。」

 そう言うデミウルゴスを真っ直ぐと見詰めると、カルカは初めてこの人の瞳が輝く宝石だと知った。

 いつも優しく笑うように細められている目は、ちらりと見える時、ただのブルーなのだと思っていた。

 ローブルの至宝と賞賛される花の聖王女は、自分よりも余程至宝の言葉が似合うと思いながらその人を真っ直ぐ見つめ直した。

 星の輝きを宿すように煌めく瞳は眩しさを感じる。

 神が自ずから創造したと聞くが、だとすれば、きっとこの瞳は最後の最後に眼窩に納めたのだろうなと思う。

 

 カルカはその光景を想像する。

 

 薄暗い神聖な場所で、祭壇に眠るこの人にフラミーがこの至宝を納め命を吹き込むのだ。

 その時には外から月明かりが差し込んでいると良いなと思う。

 デミウルゴスは満ち足りた顔をして目を覚ますのだろう。

 そして、微笑むのだ。『フラミー様、新しい命に感謝いたします』と――。

 

 カルカは何故か、フラミーが――酷く羨ましくなった。

 

「――何か?」

 

 デミウルゴスは真面目な話をしているのに心ここにあらずのカルカの様子を見抜いたのか訝しむような顔をした。

 瞳は閉じられてしまい、惜しい事をしたと思う。

「あ、し、失礼いたしました…。えぇと――デミウルゴス様…、私もそうするのが一番だとわかってはいるのですが…。」

 なんとなく踏ん切りが付かない。

 いつもあと一歩早く踏み出していればと後悔してきた。

 南部との抗争の時にも学んだというのに。

「冬を目前にして瓦礫の街に国民も皆苦しんでいるとは思いませんか?属国では手伝うにも限界がありますし――私も心苦しいのです。あの痛ましい悪魔騒動の時の事を思い出し、聖王国の皆さんが泣いている姿を見るのが…。」

 胸に手を当て俯くとデミウルゴスの顔は陰り見えなくなった。

 きっとそこには深い嘆きがあるのだろう。

 カルカはデミウルゴスへ手を伸ばした。

 本当は顔や頭に触れたかったが――手を伸ばす先はもっと低い。

 顔を上げたデミウルゴスはきょとんと無垢な顔をし、数度その手とカルカを見た。

「協力して下さるのですか…?」

「もちろんでございます。デミウルゴス様、どうか…共に最善の道を目指してください。」

 カルカの伸ばした手はそっと握られ、二人は握手を交わした。

 

「あなたが聖王女で本当に良かったです。えぇ、本当に。」

 

 デミウルゴスの評価にカルカは忘れられない恋心がこしょりと刺激され、照れ臭そうに笑った。

 

 これを皮切りに属国だったローブル聖王国はついに聖ローブル州として神聖魔導国に改めて編入する。

 数週間ほど先の冬の日の事だったそうだ。

 

+

 

「今日は泊まって行くだろう?」

「えぇ…でも…。」

「良いじゃないかたまには…。」

 

 とっぷりと日が暮れた瓦礫の街で、ネイアは子離れできていない父、パベル・バラハに迫られていた。九色のうちの一人、狂眼の射手であるパベルも慌ててこの港湾都市リムンに呼び出されていたのだ。

「でも先輩達だっているし…。」

「良いじゃないか!皆うちに泊まれば!!食事だって用意するぞ!」

「えぇー…。」

 どうするべきかと隊長、クレマンティーヌに視線を送れば面白そうに笑っていた。

「私はもちろんいーよー。」

「先輩…。でもこんな時に実家に帰るなんて…。」

「ネイア。こんな時じゃないと帰って来られないんだから遠慮する事はないのよ。」

 レイナースの意見にパベルはそーだそーだ!と加勢する。

 パベルが娘を溺愛している事は周知の事実だ。悪魔に殺された母の事も深く愛していた。

「じゃあ…皆さん、今日はうちでいいですか…?」

「おっけー。」「いいわ。」「なんでも良い。」

 二人の姉と番外席次の返事に頭をぺこりと下げる。

「じゃあ、皆さんご案内します!」

 ネイアは与えられているゴーレムの馬を取り出すと、父に手を伸ばした。

「はい、お父さん。行くよ。」

「おぉ!!ネイアァ!!」

「もー!恥ずかしいからいちいちオォとかアァとか言うのやめてよぉ!!」

 いつもと違うネイアの様子に笑うと、続くように三人も動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)を取り出した。

 

 途中漆黒聖典や陽光聖典に宿泊の用意がされている神殿はあっちだぞと声を掛けられながら一行はネイアの実家へ向かった。

 一時間程度馬を走らせて帰りついた地元では、ネイアは英雄扱いだ。

 街を往くだけで人々がネイアを讃えて来るので大層気恥ずかしい。

 特に自分より余程強く聖王国のためになったクレマンティーヌとレイナースもいる中で、こうも自分ばかり注目されるというのは居心地が悪いものだ。

 

 家に着き馬をしまうと、「ここがネイアん家かー」と見渡す姉にネイアは気まずそうな顔をした。

「先輩方…なんだかすみません…。」

「あ?何が?」

 クレマンティーヌは何を謝られているのか心底わからないように首を傾げた。

「なんか…先輩方の活躍や武勲を横から掠め取ったみたいで…」

「なに?んなこと気にしてんの?」

「私達は名誉の為に聖典やってるわけじゃないんだから気にしないで良いのよ。それに、あなたが一番頑張ったじゃない。」

 姉二人の微笑みにネイアは気恥ずかしそうに頭をかいた。

 そして、それを聞いていた番外席次はふんと鼻を鳴らした。

「そもそも聖王国を救ったのは神王陛下とフラミー様よ。南部が降ったのだって、全て神王陛下のお働きだって砂漠へ行く前にクインティアも言ってたし。」

「……まー陛下は私達の積み重ねあってこそっておっしゃったけどねー。」

 二人がバチリと視線を交わすのを無視し、レイナースは扉を開けて待ってくれているネイアの父へ頭を下げた。

「じゃあ、一晩お邪魔させていただきます。」

「ふふ、一晩と言わず何日でも良いんだよ。」

「助かります。ほら!!あんた達もバラハさんを待たせないで!!」

「私が隊長だっつーの!」

 姦しい様子にパベルは頬を緩めた。




うふふ、いいわねぇ女子ぃ!

次回#52 閑話 地元

最新の勢力図頂きました!©︎ユズリハ様です!

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11/10はいい友の日だったそうです!!
突然浸ってジルジルのところに遊びに行っちゃう御身いただきました!!

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#52 閑話 地元

 ネイアの実家はホバンスの一等地に建つ二階建てで、階段を上がってすぐのところにネイアの部屋がある。

 広さは十分あり、紫黒聖典四人で過ごしても狭さを感じさせない。

 番外席次は実家なんてものを持たないので始終もの珍しそうにしていたが、今はネイアとレイナースと三人でベッドで眠っている。

 クレマンティーヌは妹達が眠ると聖典報告記を書くために一度一階へ降りた。

 ピアノが置かれている広くクラシカルな玄関ロビーを通り、リビングへ向かう。

 ステンドグラスの貼られた扉からは明かりが漏れていて、開けばパベルがソファで剣を磨いていた。

「――おや?まだ寝ていなかったんだね。」

「まーぁねー。ちょちょいとやらなきゃいけないことがあるんだー。」

 クレマンティーヌは年長だから敬うなどという事はしない。

 しかし、パベル・バラハ――狂眼の射手は敬意を払うに値するだろう。

 ヘラヘラとした口調だが、きちんと頭を下げてから部屋に入った。

「隊長さんは大変だねぇ。さぁ、座って。」

 向かいのソファを勧められ、素直に座る。

 持ってきたノートと羽ペン、インクをローテーブルに載せると、クレマンティーヌはちらりとパベルの磨く剣を見た。

「――それは?」

「これかい?これはね、妻の形見だよ。悪魔騒動の中で落命したんだけどね。最近見つかって届いたんだ。」

 剣を見つめる目は――やはり、ネイアのものと同じように殺人鬼のように恐ろしいが――優しさと温かさを感じさせるものだった。

「妻は毎日こうして磨いていたから私が代わりにそうしてやろうと思って――は、いるけれど、毎日とはいかないもんだ。はは。自分の弓の手入れもある。でも、君達がさっき武器の手入れをしているのを見たら、なんとなく今日はやらなきゃいけないような気がしたんだ。」

 朗らかに笑う。

 クレマンティーヌは家族なんていい思い出はひとつもない。

 漆黒聖典第五席次、兄のクアイエッセは今こそ仲良くしてやっているが特別関わりたいとも思わない。向こうは普通に話しかけて来るが。

 

 ふーん、とクレマンティーヌは目を細めた。

「ネイアに磨かせてやったら良かったのに。相当きっちりやるよー。」

「はは、ネイアは聖典でどうかな?よくやっているかな。」

「そりゃーもう。デミウルゴス様一押しの隊員だしね。」

「おぉ!さすがネイアだ。だが、あの子は本当は弱い子だ。イモムシを怖がって泣くような子なんだ。普段寂しがって泣いたりしていないかな…。あれは私に似て本当に可愛い、いや、私に似てと言うのは可哀想か…。こんな目になんで生んだのよなんて昔怒られてしまったしな…。しかし――」

 長々と愛する娘について語られるのを右から左へと流しつつクレマンティーヌは日誌を書いていく。

 

「――ん?仕事の邪魔かね?」

(邪魔だっつーの。)

 クレマンティーヌは言葉を飲み込んだ。

 神殿で漆黒聖典や陽光聖典と寝ずに済んだのだから、ある程度のサービスはしたほうがいいだろう。

「ネイアの良いところは私もよく知ってるからさー、気持ちはわかるよ。」

 パベルの表情が急変する。

 つい身構えたくなるような悪鬼羅刹のごとき目だが、クレマンティーヌはこれが実のところ照れただけだということをよく知っている。

 家ではネイアもバイザーを外して過ごしているのでこの"目付き悪すぎ種族"の感情はよくわかる。

「そうか!それで――」

 再び長そうな話が始まると適当に相槌を打ち、再び日誌の更新を始めた。

 

 今日、上位森妖精(ハイエルフ)達に空から魔法を撃たれ、まともに反撃できたのはネイアだけだった。

 レイナースと二人で組んだ手から番外席次を空へ飛ばしたりもしたが、当然のように避けられ、思うようにいかなかった。

 クレマンティーヌはこういう時の為に、あの七面倒くさい飛竜(ワイバーン)の騎乗指導があったのだろうと痛感していた。マッティとティトの困り顔を思い出す。

 陽光聖典は聖騎士達や聖王国神官団と共に天使を使い捕獲に助力していたし、漆黒聖天は第九席次・神領縛鎖、エドガール・ククフ・ボ-マルシェの足止めする力や、クアイエッセの呼んだギガントバジリスクで気を引いたりと見事に戦い抜いていた。

 紫黒聖典は今日怪我人を運ぶくらいしかできず――神殿で飼われている飛竜(ワイバーン)を連れてくるべきだった。

 反省点を書くとクレマンティーヌはつまらなそうに日誌を閉じた。

 

 パベルはいつの間にか剣はしまい、精神の昂りを抑えるように静かにウイスキーを飲んでいた。

「飲むかい?」

「いや。明日に響くとまたどやされるからやめとく。気持ちは受け取っとくよ。」

「真面目なんだね。」

「あぁ?」

 知ったような口をきかれ、つい不愉快気な声を漏らしてしまった。

「ネイアは先輩先輩と君達によく懐いていて…本当にあの時陛下方にネイアを任せて良かったよ。寂しいけれど、あの子のああいう顔を見れるのは本当に嬉しい。ネイアには友達は三人くらいしかいなかったしね。」

「別に私らだってお友達じゃないってぇの。レーナースも、ネイアも、番外も――」

 クレマンティーヌがただの隊員と言おうとすると、二階からゴスンと酷い音が鳴った。

 三人であの一人用のベッドに乗っていたのだから誰かが落ちたのだろう。

「――ったく世話の焼ける妹達だなー。私はこれでもういくよ。付き合わせて悪かったね。」

「いいや。私こそありがとう。話を聞いてくれて。オルランドはろくに人の話を聞きやしないからね。」

「そりゃ良かった。」

 クレマンティーヌが扉を開けると、二階からレイナースの「もっと寄りなさいよ!」だとか、番外席次の「ロックブルズうるさい」だとか、ネイアの「寝かせてくださいよぉ」だとか、騒ぐ声が微かに聴こえた。

「はぁ。しゃーないなー。じゃ、また明日。」

 パベルは家族としてネイアと隊員を大切にする隊長を優しい瞳で見送った。

 

「お前、ネイアは神々に素晴らしい祝福を受けてるよ。」

 話しかけられた剣は笑ったようだった。

 

+

 

「ネーイーアー!あっそびーましょー!」

 早朝、ネイアは馴染みの友人の声が窓の外から聞こえ、飛び起きた。

「あっ!学校!!」

「ねいあーうるさーい。」

 ソファに転がり、顔に布を掛けているクレマンティーヌからのクレームに自分はもう学生ではなかったと我に帰る。

 レイナースはベッドで眠る事を諦めたようで、ソファでクレマンティーヌに引っ付くように眠っていた。

 咲いたばかりの花のように美しい顔を「ねむいわね…」としかめる。

「あ、すみません。先輩。」

「ネイア…寒い。」

 続いて隣に眠る番外席次がもぞもぞと布団を引っ張った。

 ネイアはベッドを抜け出すとカーテンと掃き出し窓を細く開け、人が一人出られる程度の小さな半円形のバルコニーに出た。

「あー!ネイアー!!本当にいたー!!」

「もっちゃん!ぶーちゃん!それにダンねーも!!」

「久しぶりー!!」

「あはっ!」

 ネイアは手を目一杯振った。

「ねー!出かけるまで話聞かせてよー!」

「あ、えっと…隊長に確認するから待って!!」

 今日の出発時刻まで二時間程度はあるはずだ。ネイアは部屋の中に顔を突っ込んだ。

 眩しい…と番外席次が布団に潜っていく。レイナースは起き出し、毎朝の美容タイムだ。

 

「クレマンティーヌ先輩、友達が――」

「あー聞こえてたって。いーんじゃない。朝飯食うまで好きにしな。朝飯の時にはいつも通りミーティングするから、それまでね。――レーナースぅ〜。寒いからまだ寝ようってー。」

「ダメよ。完璧な状態じゃなきゃ外に出られないんだから。」

「っちぇ…番外、入れて。」

 クレマンティーヌはオシャシンもあり国中に顔を知られているレイナースに振られるともそもそとベッドに入った。

「クインティアはソファで寝なさいよ。」

「いーじゃーん。」

「っひ、冷たいじゃない!私に気安く触んないで!!」

 

 

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 ネイアは漫才が始まる前に外に戻った。

「隊長が朝ごはんまでいいって!あんまり長くは話せないけど、玄関開けるからそっちで待ってて!」

 友人達はキャー!と喜ぶと玄関へ向かって走って行った。

 部屋に戻りカーテンを開け、着替えを進める。

「先輩方、番外席次さん!私先に行ってますね!」

「あいよー。」

 クレマンティーヌからの怠そうな返事を背にネイアは部屋を後にした。

 

 一階に降り、母のピアノの隣を通って扉を開けた。

「ネイアー!!」「お邪魔しまーす!」「おはよー!」

 三人が早朝とは思えない元気さで入ってくると、リビングからパベルが顔を出した。

「お?久しぶりじゃないか。おはよう。」

「おじさん、お邪魔しまーす!」

「あたし達、ネイアの話聞かせてもらおうと思って!」

「でも聖典は忙しいだろうって、来ちゃった!」

「はは、元気が良いな。――ネイア、私はもう済ませたけど、隊長さん達は朝ご飯は食べるんだよね?」

 ネイアは外から入ってくる冷たい風を締め出すように扉を閉めた。

「皆食べるよ!三十分くらいしたら降りてくると思う!」

「じゃあ、お話をしながらで良いから用意を手伝わないと。」

「はぁい。皆は座ってて良いからね!」

 ぞろぞろとリビングを抜け、ダイニングキッチンに行くと、お手伝いのおばあさんが忙しそうに食事の支度をしていた。

「ネイアお嬢ちゃまおはようございます。お久しぶりですね!また逞しくなって!」

「おばさん、おはようございます!すみません。隊の分まで用意させちゃって。」

「いいえ、光栄な話ですよ。うふふ。」

 父も母も一流の戦士として働いていたのでバラハ家は手伝いの女中を週に何度か呼んでいた。

 友人達もなんだかんだと手伝いをしてくれ、朝食の準備は早々と整った。あとは盛り付けるだけだ。

 

 ネイアはリビングに戻ると、最近あった事を友人達に話した。パベルもそれを聞き、一々感嘆した。

 飛竜(ワイバーン)の騎乗指導、命を賭けた砂漠への旅、壮麗な天空城、神々の結婚式、間近で見れた神の子、ブラックスケイルの差別問題、美しいセイレーンという亜人の存在――。

 全てを語るには時間がとても足りなかった。

 しかし、クレマンティーヌ達は気を遣っているのかすぐには降りてこなかった。

 

「ねぇ!ネイア、隊長さんってかっこいいの?」

 ダンねーからの質問にネイアは大きく頷いた。

「かっこいいよ!すっごく尊敬できるし、神王陛下の教えを多分一番守ってる人かも!」

「えー良いなぁー!隊長さんっていうくらいだし強いんだよねぇ。」

 ネイアは少し考えた。

「強さ――は、番外席次さんの方が上かなぁ…?」

「番外席次?」

「うん、私の後輩で――」と言いかけるとネイアは頬を左右にみょいんと引っ張られた。

「私は後輩じゃないわ。何年漆黒聖典にいたと思っているの。」

「わ、わんがいへきひはん。」

「おはよーさーん。」「おはようございます、パベルさん。」

 鎧もきちんと着て、あとはガントレットをすればいつでも出られる様子の紫黒聖典がリビングに入って来た所だった。

「隊長さんはまだ寝てるの?」

 友人達にキラキラした瞳を向けられると、ネイアは引っ張られて赤くなった頬をぐりぐりと揉みほぐした。

「えっと、こちらが隊長のクレマンティーヌ先輩だよ。」

「え!お、おんなのひと…?」

 クレマンティーヌはダイニングに向かおうとしていたが足を止めた。

「あ?女だけど?」

 ネイアの背にたらりと汗が流れる。

 女の子扱いされ、三騎士に決闘を申し込んだ日の事が思い出される。

「すっごーーい!!本当にカッコいい!!」

 友人達がきゃあきゃあとクレマンティーヌに寄りはじめると、ネイアはハラハラしすぎて胃に穴が開くかと思った。

「サインなら金貨一枚で売るよー。」

 クレマンティーヌは涼しい顔で笑うとブイサインをひらひらと振りダイニングへ消えて行った。

「まったく何言ってんだか。銅貨一枚でだっていらないわよ。――ネイア、あなたも鎧は着ておかないとダメよ。」

「は、はい!」

「いい、私は後輩じゃないわ。あんた達もよく覚えておきなさい。」

 レイナースと番外席次もダイニングへ消えていくとネイアは何事も無かったことにホッと一息吐いた。

 そして、たるんでいる顔をパンっと叩く。

「じゃあ、私も朝ごはん食べてもう出動するね。」

「あぁあ。ネイアったらかっこいいなぁ。あんな人達と神都で暮らしてるなんて憧れちゃう。」

「忙しいのにお邪魔しちゃってごめんね。」

「またお話聞かせてね!」

「うん!帰ってきたらまた遊びにきてね!」

 ネイアは友人達を見送り、いそぎダイニングへ向かった。

 

「すみません、先輩方!」

 

 仲間達は食事に手を付けずにネイアを待っていた。

 

「ほら、さっさと座んなー。――おばちゃん、ありがとー。」

「ミーティングの前にネイアの地元の話を聞かせてもらわなきゃね。」

「全くネイアの方が先輩だったのは砂漠に行くまでだけの話しだってのに。」

 

 ネイアはいつもの家族達に笑うと食卓についた。

 

「「「「いただきまーす!」」」」




いやぁー紫黒聖典の日常かわいいなぁ!!!

次回#53 王の輿

紫黒聖典頂きました!©︎ユズリハ様なんだなぁ!

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11/11ポッキーの日、二枚いただきましたぁ!
©︎usir様
https://twitter.com/dreamnemri/status/1193651011790856193?s=21
©︎ユズリハ様

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#53 王の輿

 アインズ達は聖王国の担当者であるデミウルゴスを残しナザリックに戻った。

 

 アインズはフラミーと共に自室に入ると怒りを精算するように熱を吐き出した。

「俺の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が虐殺なんかするわけがないってのに。」

 アインズが神器級(ゴッズ)アイテムのローブの前の留め具を外すとフラミーは後ろからローブを引いて脱がせた。

 当然全裸の骨ではない。きちんといつ人になってもいいようにズボンを履いている。

「あ、ありがとうございます。はは。」

 フラミーに照れ笑いをするアインズから怒りは消えていた。

「いいえ。それにしても死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を冒険者が怖がるって言うのもおかしな話ですねぇ。」

 フラミーはローブを軽く畳むと受け取りに来たメイドに渡した。飾りが多いローブはメイドには重いのか一瞬よろけ、グッと足に力を込めてドレスルームに片付けに行った。

 

 骨の上半身を晒して細い腕を組み、コツコツと尖った指で腕の骨を叩きながらアインズは頷いた。

「全くですよ。一体向こうでなにがあったって言うんだか。」

「何にしても冒険者が一人残らず全滅してなくて良かったですよね。」

「それはそうですね。うちからの依頼で護衛もつけたってのに全滅だったら冒険者組合に面目が立たないところでした。」

 強さの制限を付けるか聞かれ、必要ないと言ったアインズは若干の責任感を感じていた。冒険者達の安全を守るために階級制度があると言うのに。

 

 何人生き残っているかは分からないが、アインズは少しの安堵をのせてこめかみに触れる。

「――アルベドか。帰った。至急私の部屋に来い。」

 それだけ告げると手を下ろした。

 アインズは着替えの身軽なローブとアルベドの到着を待つ間に、フラミーの上着を脱がせて膝に乗せると、翼にブラシを通した。

 フラミーの毛繕い――いや、翼繕いはするだけで癒される。アインズは夫婦って良いなぁと動かない顔を緩めた。

 ノックが響くとドレスルームで片付けを行っているメイドに代わり、入れと外に向けて告げる。

「失礼いたしま――えっ!!」ドアを開けたアルベドは目を見開き、頬を真っ赤に染め上げると続けた。

「あぁ!アインズ様!フラミー様!!ついに私はここで初めてを迎えるのですね!」

「………は?」「………ん?」

 アインズは割とシリアスな気分だったのでアルベドとの温度差に思わずフラミーと揃って素っ頓狂な声をあげた。

 

 天井の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達がざわりと身動ぐ。

「服はどういたしましょう!自分で脱いだ方が宜しいでしょうか!それともアインズ様かフラミー様が?着たままですと…くふっ、汚れて、っくふふふふ!いえ、御方々がそれが良いと仰るなら私に異存はございませんが!」

 

 いっぺんに二人!と疼くように身悶えているアルベドを華麗にスルーしつつ、アインズはアインズ当番が持ってきたローブに両腕を通した。

「アルベドよ、よせ。時間が惜しい。儀仗兵の編成の相談だ。お前にも出てもらうぞ。」

 

 アルベドは極めて冷静なアインズの様子に何か言いたげに数度口をぱくぱくと動かしてから、邪念を振り払う為にすごいスピードで首を左右に振った。

 仕事だと言われれば仕事モードに入れる為、何だかんだと優秀だ。

「――っかしこまりました!それで、行き先は隣の大陸という事でよろしいでしょうか?」

 統括としての顔になったが、その目はアインズの胸の閉じられていくローブの合わせ部分に釘付けだった。

 アインズがすっかりローブを上まで締めると「あぁ…」と心底残念そうな声を響かせた。

 当のアインズは骨の時はほとんど胸ががっつりと開いているため、大して変わらないだろうにと思っている。

「そうだ。相手はこちらを悪逆国家だと思っているようだから、連れて行く者はなるべく神聖に見える者にしたい。出発は明日だ。」

「承りました。神聖に見える者と言う事でしたら、お手を煩わせてしまいますが、フラミー様が天使を召喚されるのが最もよろしいかもしれません。」

「はーい。任せてください。」

「ふむ。超位魔法で私も呼びたい所だがその後戦闘をする可能性を思うとクールタイムが惜しいな。フラミーさん、一人で呼べますか?」

「呼べますよぉ。たっぷり出しましょう!魔力がなくなっちゃうくらい!」

「ははは。心強いです。アルベド、他にも良いと思う事があれば聞かせろ。」

 アルベドは恭しく頭を下げると提案を始めた。

 

+

 

 人間を使役するアンデッドの来航以来、アリオディーラ煌王国には上位森妖精(ハイエルフ)がよく出入りしていた。

 森妖精(エルフ)の仇討ちに百人もの上位森妖精(ハイエルフ)が出航した。

 そして、入れ違うように更なるアンデッドが上陸し激しい戦闘を行った。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は更なる敵の来襲に備え、防波堤となる煌王国への支援を惜しまなかった。

 二ヶ国の関係性はこれまでにない程良かった。

 上位森妖精(ハイエルフ)のエルサリオン上王国からは見たこともないマジックアイテムが大量に輸入され、対アンデッドの聖なる武器も溢れている。

 煌王国は今建国以来最も力を蓄えているかもしれない。

 

 マリアネが城内を行く足取りは軽い。

 胸上で切り揃えられたふわりと柔らかな髪は香るようだった。

 すれ違う者達は大きな国益をもたらした姫を尊敬の瞳で見つめた。

 マリアネは自分が王座を継ぐ時には更に強く、大きな国にしたいと思っている野心家だ。

 人類に仇なす火種は全て潰し、平和な治世を、人間種の拡大を。

 いつかは上位森妖精(ハイエルフ)すら叩き潰し奴隷にされている人間を解放するのだ。

 父も祖父も曽祖父も素晴らしい王だった。

 それぞれの時代に苦労はあっただろうが、ここまで国を大きく強くしてきたのだ。

 いつか王となるマリアネには人類を導く義務と責任があった。

 何を利用してでも国を大きく強くするのだ。

 自分を高める事にも余念がない。

 

 そんな彼女の後ろには、煌王国で待つように言われた――ただ一人の生き残りの森妖精(エルフ)が付き従っていた。

「ソロン。お父様にもっと感謝した方がいいわよ。あなたがここで何不自由なく暮らせるのも、全てはお父様のおかげなんだから。」

「は。マリアネ様にも煌王陛下にも深く感謝申し上げます。」

「ふふ、素直な子は好きよ。」

 ソロンは心の中の景色を思い出すように目を閉じた。

 春先の森妖精(エルフ)大虐殺からおおよそ半年。

 彼が考える事は失った家族、友の事ばかりだ。

 ウデ村の様子をよく見に来てくれていた上位森妖精(ハイエルフ)のシャグラ・べへリスカは仇討ちは任せろと出航して行った。

(第五位階すら扱えるシャグラ様なら…きっと…。)

 

 そう期待するソロンがマリアネと共に来たのは城の中庭だ。

 時間があると弓の訓練や魔法の訓練に付き合っている。

 ソロンはマリアネを美しく思いやりのある女性だと思う。

 身内を全て失ったソロンの心を癒すたった一人の人だった。

 ここに置いて貰える恩を返そうとソロンは様々な事をこの真面目で実直な姫に教えた。

 この時間は全てを忘れていられる。

「こう?」

 弓をつがえる若き姫の矢の先を少し上げさせる。

「こうです。慣れるまでは下から押されているイメージを持った方が先が下がりにくいかと。――あぁ、顎は上げずに引いて下さい。」

 つい矢尻の先を覗くようにしてしまうマリアネの顎を軽く持ち、引かせる。

「いい?」

「はい。お願いします。」

 ソロンが離れ、マリアネが矢を放つとふわりと香水の匂いが広がった。

(シャグラ様がお戻りになったら共に最古の森に行こうと思っていたが…もう少しここにいても良いかも知れない…。)

 最初はこんな所、一秒たりとも居たくはないと飛び出したものだ。

 なんと言ってもこの城の地下牢には死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に使役されていた人間の奴隷達が収監されているのだから。

 奴隷だったとは言え、森妖精(エルフ)の虐殺に加担した彼らは投獄されている。

 同じ空気を吸うのも嫌だった。 

 

 しかし、上位森妖精(ハイエルフ)達への説明もあると王城に連れ戻されたソロンは不承不承ここに留まり日々を送っていたが――今ではすっかりここに根を下ろし始めていた。

 マリアネの末妹のフィリナにも魔法を教えるタイミングがあったが、彼女もマリアネと同じくソロンを森妖精(エルフ)だと差別したりはしなかった。

 余談だが、五姉妹のうち三人はもう王城を離れ、それぞれ許婚の貴族の領地の下で暮らしている為会ったことはない。マリアネは王座を継ぐので王城に、フィリナは決まった相手をまだ持たないため王城にいる。

 二人にはよくしてもらっているし、何よりこの間あった死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の再来襲時には煌王国軍と上位森妖精(ハイエルフ)の混合討伐軍に参加させて貰えた。少しでも仇討ちできたような気がした。

 ソロンは煌王国に助けを求めに来て良かったと、自分だけが生き残ってしまったことを後ろめたく思いながらも感謝していた。

 

 ソロンがマリアネの弓を放つフォーム確認をしていると、不意に城の外が騒がしくなった。

 

「うるさいわね。また死者の大魔法使い(エルダーリッチ)でも出たのかしら?」

 マリアネが訓練用の弓を放り捨てて城の正面玄関へ向かうと、ソロンは投げ捨てられた弓を取り、慌ててその後を追った。

 すると、マリアネは城門で目を見開き硬直していた。

「あ…え……?」

 言葉にならない言葉を漏らし、城門を守る兵達も声を上げられずに口をぽかんと開いている。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の出没を伝える伝令隊への反応ではない事を確信すると、ソロンは好奇心を刺激された。

 どんどん集まっていく衛兵に紛れ、首を長く伸ばす。

 

 深まる秋に染まる街は、煙突からもくもくと暖炉の煙を吐き出し、冬の準備に忙しそうだ。

 街の人々は面白い見せ物だと城へ続く表通りに押し寄せた。

 

 通りを行くのは輿を運ぶ大量の天使。

 一団の先頭を進む天使は光そのもののように真っ白なドレスを身に纏う、濡れたような黒い髪、黒い翼の絶世の美女。頭部からは不思議な角が生えていた。

 その後には見た事も聞いた事もない天使達が三グループ、列をなしている。

 一グループ目は獅子の顔に四枚二対の翼を持つ者達。これが一番多く、輿を担いでいるのもこの者達だ。

 次に同じく二対の翼を持つ獅子の顔ではない者、そして三対の翼を持つ者たちだ。

 

 圧巻だった。

 

 その者達が歩いた後は空気がまるで浄化されたようにすら感じる。

 街の者達はこんなパレードがあると早くから知っていれば場所取りをしたのにと言った。

 表通りに家を持つ者達はその長い――まるで神話の一ページの様な光景を二階や三階から見下ろした。

 

 一団は城へ向かって一直線に進んでいく。

 

 ソロンの手はわなわなと震えた。

 

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国!!」

 

 天使達の掲げる三つの模様の旗は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達の掲げていた物と全く同じだった。金属の糸で編まれていたそれはほどき丁寧に洗われ、王とマリアネのチェインメイルに仕立て直されている。

 

 城の表玄関口は大騒ぎになった。

「マリアネ様!!」

 ソロンは急ぎマリアネに手を伸ばし、城の安全な場所へ行こうとするが、周りにいる兵達にすぐに払われた。

森妖精(エルフ)の分際で姫様に触れようとするな!お前は下がっていろ!!」

 後ろに突き飛ばされると、マリアネはちらりとソロンを見たが再び視線を城門の外へ戻した。

 

 城門の向こうからは黒い翼を腰に生やす天使が一人近付いてきた。

 先触れだろう。

 兵達は皆その美貌に気圧され、わずかに鼻の下を伸ばした。

 

「ここがアリオディーラ煌王国の王城ですわね。」

 

 透き通るような声音だった。

 王族ですら手に入れることは不可能ではないかと思えるほど見事な白いドレスにはくすみも汚れも存在しない。

 

 マリアネは気に食わない、そう思った。




ちゃっかり旗ほどかれてる!
御身グルーミングをついに書けた!

次回#54 異国の王と王

11/12のフラミー様いただきました!!©︎ユズリハ様です!

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メイドの皆さんのガチ感がww


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#54 異国の王と王

「ここがアリオディーラ煌王国の王城ですわね?」

 

 マリアネは問い掛けてくる女を爪先から頭の先までじっくりと見た。

 顔は相当に美しく兵達の反応も仕方のない事だろう――が、実に不愉快だ。

 この頭の角や黒い羽はマジックアイテムなのか、天使なのか――はたまた、マリアネの知らない異形なのか、分からないことだらけだ。

 

「そうですわ。ここは栄えあるアリオディーラ煌王国の王が住う王城。貴女方、人の国に勝手に入ってきてどのようなご用件?ああ。もしや、あの虐殺アンデッドのお国のお方?」

「虐殺アンデッド――と、言うのは何かの間違いでございますので、こうして参りました。」

「そう。言い訳に来たわけね。事実殺された森妖精(エルフ)達がいて、アンデッドを討った者達がいるというのに間違いなどあり得るというの?まぁ良いわ。私はアリオディーラ煌王国が第一王女、マリアネ・グランチェス・ル・マン・アリオディーラ。名乗ることを許可しましょう。」

「私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国より参りましたアルベドと申します。階層守護者、及び領域守護者全統括という地位をいただいております。わかりやすく言えば、宰相となります。」

 アルベド、名はそれだけなのだろうか。

 まるで捨て子のような名前だとマリアネは思った。

 それに、守護者統括というのが分からない。というより階層というのもまるきり意味不明だ。

(…王の近衛の隊長を宰相が兼任していると言うことかしら…?まぁ…少なくとも宰相格の者が来るだけ弁えてはいるようね。)

「良いわ。言い訳の機会をあげる。お父様の――いえ、陛下の下へ案内しましょう。」

「それはそれは。では私は一度隊を呼びに戻りますわ。」

 アルベドの笑顔はまるで崩れない。

 しかし、マリアネの中には一気に不快感が膨れ上がった。

 第一王女直々に王の下へ案内すると言っているのに感謝の意ひとつ示す様子がないのだ。

 これは暗にこちらの方が下の存在だと言われている。

 マリアネはそんな事を許す女ではない。

 

「待ちなさい。向こうの輿に乗っているのが誰か知らないけれど、この城門を潜る時は輿から降りるように言いなさい。」

 踵を返そうとしていたアルベドはぴたりと止まった。

「――今、なんと?」

「輿は城門を潜る事を禁じると言ったのよ。」

「あの輿に乗っているのは我が国の王陛下と王妃陛下――。それも、世界の理そのものの神。いと高き場所におわす御方々よ。」

 マリアネは突然何を言われたのか分からず数度ぱちくりと瞬きをした。

「――は?」

 疑問が口からこぼれ落ちる。

 

 

「お前は神々に歩けと言うの?」

 

 

 突如マリアネの全身に無数の針が突き立った。膝をつき、痛みに悶え、命が失われる――そう思った。

「っひぃ!?」

 しかし、マリアネは生きていたし、針も痛みも存在しなかった。

 何が起こったかも分からぬままその場で大量の冷や汗を流しながら顔を青くしていると、アルベドは続けた。

「まぁ、大丈夫ですか?体調が優れないようね。貴女に案内は難しそうですけれど、入城の許可は頂きましたし、御方々を呼んで参りますわね。」

 マリアネは瞬きひとつできぬままアルベドの背を見送った。

 

 すると、城門を超え、輿が入ってくる。

 マリアネははたと我に帰り、勢いよく前方へ指を指した。

「ここを超えて輿を入れさせないで!!」

 思わず道を開けようとしていた兵達はマリアネの指示に足を止め、その場で待機した。

 静々と進んできた輿は道を塞ぐマリアネの前で止まった。

 目の前には再び忌々しいアルベド。そして大量の天使。

 輿に掛けてある、布の中の人影がふと動いたような気がした。

 

「降ります。」

 

 まるで蓮の花が咲く時に鳴らす音のような軽やかな声が響く。

 天使達はその声に従い降りやすいように輿を下げた。

 カーテンのように中を見えなくしている布を払う手は――紫色。

 人間種の形だが、森妖精(エルフ)や人間ではないだろう。

 この血色の悪さ、もしやアンデッドかとマリアネが数歩後ずさると、カーテンを半分開け、紫の存在は全身を見せた。

 

 同じようにアンデッドかと警戒し剣に手を伸ばしかけていた兵は止まった。

 いや、世界の時が止まったようだった。

 幾枚も輝く翼は彼方に輝く月よりも美しく、存在そのものが光を放つようにすら見える。

 その頭の上には金色に輝く輪が浮かんでいた。

 誰もが即座に直感した。

 ――これは、邪悪な存在ではないと。

 

 こんな存在の下に本当にアンデッドがいたのだろうかという疑問が皆の頭の中を駆け巡る中、ふと、その隣にもう一人乗っていた事に気がつく。

 紫色の天使の登場は、アルベドが輿には王と王妃が乗っていると言っていた事も忘れるほどの衝撃だった。

 

「どれどれ…。」

 続いた声はどのくらいの年齢の者なのか想像が付きにくいものだった。が、老人ではないだろう。

 半分開けられていた輿の幕は魔法の力が用いられたのか自動で一気に開いた。

 マリアネは呆気に取られたように間抜けな顔をした。

「か、かっこいい……。」

 続いて姿を見せたのは美男だった。

 男が見ても目が吸い付く程の美しさ。中には男でも関係を持ちたいと思う者もいるだろう。

 しかし、体からは異様な渦巻く黒い靄が放たれ、背には黒き後光が差していたし、目の上下には不思議な黒い線が亀裂のように走っていた。

(あれは描いているのかしら…。民族的な文化の化粧…?)

 森妖精(エルフ)達も精霊の加護だとか言って額に模様を入れているため、そう珍しいことでもない。

 

「出迎えご苦労。」

 

 マリアネは今日の格好を深く後悔した。

 さっきまで弓の練習をしていたこともあり、マリアネは短パンに巻きスカートを合わせた――どこか野生児じみてすらいる――動きやすさを重視した格好だ。

 目の前の王はマリアネのことをどこか値踏みでもするように確認した。

 もしや今自分は汗臭くないだろうかと心配になる。

 王と王妃というくらいなのだから、父や祖父のような王が出てくるのかと思ったというのに、目の前の王は実に若い。

 そして美麗だ。

 早くに前王が他界したのだろうか。

 相手はアンデッドを抱える国ではあるが、憧れずにはいられないような王だ。

「王陛下。私の名はマリアネ・グランチェス・ル・マン・アリオディーラ。アリオディーラ煌王国が第一王女でございます。」

 少しでも品良く見えるように、腰に巻いてあるスカートを摘み、片足を引いて膝を軽く曲げ礼をする。カーテシーだ。

「そうか、私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が王、アインズ・ウール・ゴウンである。」

 マリアネは名前と国名が同じだという事に一瞬だけ驚いたが、恐らく戴冠と共に前王より襲名するのだろう。

「――そしてこちらは私の妃のフラミーさんだ。今日は私の国の民を迎えに来た。冒険者に会わせてもらおう。」

 人間を頂点に戴いている様子の国に天使の妃。マリアネは澄ましている天使の様子をちらりとだけ見た。

 見事と言うほかない衣装に杖。王もそうだが、相当に裕福な国のようだ。

 人間が頂点の国家なら合併しても良いと思うし、魅力的な物件だ。

 

「そう急がれないで下さい。まずは父王の下へご案内いたしますわ。その後、奴隷達の下へ――」皆で参りましょうと言おうと思ったが、怒りの視線がそれを遮った。

「訂正してもらおう。私が送り出したのは冒険者だ。」

 マリアネはグラルズ大将が最初の戦闘から帰ってきた半年前の春の日の朝を思い出した。

 

 アンデッドと森妖精(エルフ)の討伐から帰ってきたグラルズは火の消えたような顔をしていた。

 そして縛られ口枷をはめられたボロボロの奴隷達は猛獣のような目をし、抑えきれない怒りを孕んでいた。

 その後ろには死んだ煌王国軍の者、同じく死んだ奴隷達が運ばれていた。戦いで死んだ者は放置すればアンデッドになりやすいので、きちんと埋葬された。

 

 今にも噛み付きそうだった奴隷達は真っ直ぐ城の地下牢へ送られた。

 アンデッドから離されて喜ぶかと思いきや、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を返せ、国へ連絡させろと奴隷は叫び続けたらしい。

 すぐに神官達が呼び出され、罵詈雑言の中、あらゆる治療が行われた。

 しかし、結果は思わしくなかった。

 どうしても奴隷達に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)への謎の仲間意識を失わせることは出来なかった。

 そして「死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さんは人を殺さない」と言い続けたのだ。

 アンデッドに操られた可哀想な人間をその呪縛から解こうと必死だったが、皆が途中で気が付いたのだ。

 だから――。

 

 マリアネはあれは奴隷ではなかったと理解している。

 しかし、上位森妖精(ハイエルフ)にも、一部の軍部と神官を除いた全ての者に奴隷だと聞かせている以上今ここでは訂正はできない。

 出撃した部隊達も奴隷達が魔法的手段で奴隷が操られていたと思っているのだから。

 

 さてどうしたものかと考えていると「訂正などせんで良い」と、頭の上から声が掛かった。

 振り返るように城を見上げる。

「お父――陛下!」

 二階の大きなバルコニーに姿を見せた父はグラルズ大将と近衛兵達に周りを囲まれ、異国の王へ鬼のような目を向けていた。

「ほう、煌王国の王か。」

「そうだ。若造、随分と盛大な真似をしてくれたようだな。」

「若造、か。懐かしい呼び名だな。まぁ良い。今は許してやろう。」

「…早くに王座を継ぐと他所の王への口の利き方も習えぬとは哀れな話よ。」

「長く王座についている様子の者も他所の王への口の利き方がなっていないように見えるがな。」

 王達は視線を交わしたまま黙った。

 兵の唾を飲む音が聞こえる。

 先に静寂を破ったのは父だった。

「――ふ…ふふふ、はははは!面白い!私を前に引かぬとは若造とは言え王か!良いだろう、地下牢のお前の民とやらに会わせてやろう!」

 豪快に笑うと父はバルコニーから姿を消した。

「変わり者だな。しかし話は早いようだ。」

「もう。お父様ったら。――では、地下牢へ案内しますわ。」

 マリアネが歩き出すと異国の王は妃を抱き上げその後ろに続いた。

 靴も履いていると言うのに足の裏を汚させるのが嫌だとでもいうようだ。

 マリアネは政略結婚をするだろうし、そうなる事に不満もないが、できることならこんな風に扱われたい。

 マリアネが妃を見る目は嫉妬と羨望に吊り上がっている。

 兵達が続々と道を開けていく中、一人退かぬ者がいた。

 

 マリアネはその道を塞ぐ森妖精(エルフ)を冷めた目で見た。

 

「待て!!アインズ・ウール・ゴウン!!」

「お前は見覚えがあるな。最後の生き残りの森妖精(エルフ)か。」

 マリアネは何故この王が森妖精(エルフ)達が死んでいる事を知っているのだろうかと思ったが、ソロンは勝手に合点のいった顔をし、髪を逆立てた。

「貴様の指示か。貴様が森妖精(エルフ)を根絶やしにしろと言ったのか!!」

「違うと言っているだろう。」

「ここで殺してやる!!マリアネ様、お退きください!!」

 ソロンが訓練用の弓を構えるとマリアネはいくら顔が良いとはいえ、この王の盾になるつもりはないので数歩避けた。

 

『弓を下ろしなさい。』

 

 命じたのはこれまで人形のようにしていた王妃だった。

 非常に耳障りの良い声に、弓を構えていないはずのマリアネもそうしたくなってしまう。

 が、ソロンはそんな言葉に従いはしないだろう、と思ったのも束の間。

「――な!?」

 すぐ様弓を下ろしたソロンは何かに驚愕し目をむいていた。

 しかし王はソロンに少しも興味はなさそうだった。

「あーやっぱり呪言良いですね。」

「ふふ、私の力は全部あなたの力ですよ!」

「嬉しいな。俺の力も全部あなたの物ですよ。」

 王と妃が仲睦まじげに笑うと、マリアネはフンと顔を逸らした。




次回#55 地下牢

わかぞう!!30代だからまぁいっかなんて思っちゃう御身
久しぶりに人前でいちゃついた気がする

ちなみに最新の本土の勢力図頂きましたぁ!
#51 閑話 聖王国女子にも貼り貼りしましたが今夜もはっちゃう!
©︎ユズリハ様

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11/13はいい父さんの日といい膝の日だったそうです!
©︎usir様 良い父さんの日

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ンンンナインズ様、ナザリックにおいて男児はry

©︎ユズリハ様 良い膝の日

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ごろにゃんずあくたー!

それから公太郎な御身とふららという究極可愛い生き物いただきました!
©︎ユズリハ様<※トレスだそうです!(かわeね
フラミーでちゅわ~~!
私こそアインズウールゴウンその人なのだ!

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#55 地下牢

「隣の大陸が死の大陸だとしても精鋭を送ったんだ、吉報を持ち帰るさ。」

 

 中性的な軽い声音で言う上位森妖精(ハイエルフ)の王は最古の森に建つ己の城の玉座の間から外を眺めた。

 どの窓からも生い茂った草が見える。城は巨木と同化するように建てられているため、母なる木の枝や葉がこうして景色に干渉するのだ。

 街は水と緑にあふれ、二メートル近くある緑色のキノコのような巨大な植物が川や滝に橋を渡している。

 建物も木々もあちらこちらが苔むしていて、相当に長い年月を感じさせた。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は自然と精霊、祖霊を信仰している為に誰も苔や蔦を剥がそうとは思わない。

 

 王の愛する国だ。

 

 王は二十代のように若く見えるが、人間の治める煌王国が興った時から王は変わっていない。

 女のようにすら見える美しい王は、腰まで長く伸ばした白い髪を翻すように側近に振り返った。

「さぁ、そう暗い顔をしないで英雄達の帰還を楽しみに待とうじゃないか。」

「しかし陛下…本当にアンデッドが支配する国などこの世にあるのでしょうか…。」

 少なくとも三百年は生きている最古の森を統べる王に知らないことなどない――はずだった。

「長き時を生きて来たけど、正直見たことも聞いたこともないね。しかし、事実あるんだろう。ベヘリスカが煌王国で奴隷から話を聞いているんだから。共通の敵に種族を超えて立ち向かわなければいけない時が来たんだろうね。」

「…海くらい人間達だけで守れれば良いのですが…。」

「難しいだろうね。暫くは防波堤を助けてやらなきゃならないよ。」

 王はまさか猿のような人間と共同戦線を敷く日が来るとはね、と軽く笑った。

 

+

 

 アインズとフラミー、アルベドは第一王女マリアネの案内に従い地下牢へ向かう。

「王陛下、あまり父を怒らせない方が良いですわ。父は怖いのよ?」

 マリアネが妙に近い距離で話すが、アインズは正面を見る事で目線を逸らした。

「忠告感謝する。しかし私はそんな事を恐れる男ではない。」

 マリアネは驚きの後、顔を赤くした。

 アインズが怒らせたかなと思っている間に目的地に辿り着いた。

 永続光(コンティニュアルライト)が灯る地下は明かり取り窓などもなくジメッとした空気だった。

 薄暗いその場所に時間を知らせるのは、今下りてきた上階へ続く階段の小窓から差し込む日光だけだ。

 

 そこには牢番と神官、魔法詠唱者(マジックキャスター)装束の者達のほかに先に着いていた煌王と、その傍に控えていた戦士のような姿の者。

 神官はフラミーを見ると息を飲んだ。

「改めて名乗ろう。アリオディーラ煌王国。デヴォルフ・グランチェス・ディオ・マナ・アリオディーラだ。――これは我が煌王国軍の大将、ウェルド・グラルズ。」

 煌王は相当鍛えているのか筋骨隆々で獣じみている。

 アインズがこれまで会ってきた王達とはまるきり違うタイプだ。狩猟と筋トレが趣味ですとでも言いそうだった。脳筋――と言う言葉をよくギルメン達は使っていた――じゃないと良いな、とアインズは思う。

 大将はどこか気まずそうに頭を下げた。

「煌王国軍を任されている大将のグラルズと申します。」

 ガゼフとは違い貴族のような雰囲気がある。しかし、やはりこの者も筋肉の塊のような男だ。

 

「私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国、アインズ・ウール・ゴウンだ。――この人は我が妃である、フラミーさん。そして我が神聖魔導国が宰相、アルベド。」

 フラミーはいつもと変わらずペコリと頭を下げた。

「煌王様、どうも。フラミーです。」

「アルベドでございます。」

 一通り挨拶を交わした面々は互いの腹を探り合うようだった。

 誰が話し始めるかと牽制が続く中、アインズは言葉を投じた。

「さて、それでは我が国の冒険者を返して貰おう。」

「それが他国の王へものを頼む態度か?なぁ、ゴウン。ここに入れている者達は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)による森妖精(エルフ)の虐殺に加担した。森妖精(エルフ)は我が国民ではないが、誰かが裁かなければならぬであろう。」

 

 アインズはこの王も死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が虐殺を行ったと信じて疑わない様子に内心舌打ちをする。

 もしや森妖精(エルフ)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)か冒険者達を襲ったのだろうか。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達には国民が傷付けられるような時には力を奮うことを許可しているし、自身が襲われる時には身を守ることを許可している。

 その後戦闘が白熱してしまい、森妖精(エルフ)を殺してしまったというのなら納得もできる。

 しかし、上位森妖精(ハイエルフ)達の記憶には冒険者達が奴隷労働に従事させられて来たと言う言葉があったし、ここにいた森妖精(エルフ)以外一人残らず殺し尽くしていると言うのだから理解できない。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達は良くも悪くも、皆が働くことに喜びを感じているのだから冒険者を無理に働かせるくらいなら自分が働きたがるはずだ。

 やはり何かがおかしい。誰かが嘘を言っているのは間違いがないのだ。

 

「煌王よ、言っておくが我が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は襲われなければ決して力を奮うことはない。仮に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)森妖精(エルフ)を殺していたとしても、必ず先に手を出されているはずだ。しかし、行き過ぎた過剰な防衛を行ったとするならば我が神聖魔導国憲法に則り厳罰に処すだろう。」

 

 困ったときのための法律だ。

 アインズはアルベドとデミウルゴスが整備した法律を信じているため、法律を振りかざしておけば知恵者達を前面に立たせることと同義だと思っている。

 

「そうかそうか。うぬの国にどれほど優秀な死霊使い(ネクロマンサー)がいるかは知らないが――管理者の手から離れた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)との戦いのせいで煌王国軍も甚大なる損害を受けている。当然我が煌王国にも謝罪や補填があると思っていいのかな。」

 

 煌王がそう言うとギチィリと奇妙な音が鳴った。

 音の発生源へ視線を送れば、体の前で両手を軽く組んでいる涼しい笑顔のアルベド。

(……デミウルゴスにするべきだったかな…。)

 恐らくあの手に握られればアインズとてノーダメージとはいかないだろう。いや、下手をすれば砕かれる。

 

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「…全ては冒険者達に会ってからだ。伝聞で何かを約束する事はできない。私は自分の目で見たものしか信じない。」

 

 アインズの静かな返答。王同士、互いを睨み合うように距離を詰め、黙った。

 

「ふん、まぁ良い。会わせてやろう。ついてくるが良い。」

 

 くるりと背を向けると煌王は牢の奥へ進み出し、アインズ達は続いた。

 奥へ進めば人間達の呼吸する音と、あまり風呂に入らせて貰えていないのか若干不潔な臭いが漂ってきた。

 アインズはハンカチを取り出すと、ローブの袂で鼻を抑えるフラミーに渡した。

「使ってください。」

「あ、ありがとうございます。すみません。」

 受け取ったフラミーがハンカチで鼻を押さえ直していると、冒険者達のいる牢に着いた。

 

 冒険者達は牢の中で小さく蹲っていた。

「おい、お前達。私だ。アインズ・ウール・ゴウンだ。」

 アインズは自分の中で威厳を失わない程度に優しさを感じるだろうと思っている声で話しかけた。

 顔を上げた冒険者はアインズを瞳に写すと、すぐにまた顔を伏せた。

 航海に出る時に全員と一通り握手をしたし、写真も出回っている為アインズが誰だか分からないなどと言う事はあり得ない。

 もし闇の神の信奉者ではなくてもフラミーにまで無反応というのもおかしい。

 隣の牢や後ろの牢に入れられている他の冒険者達も誰もアインズ達に反応を示さなかった。

 

 そんな冒険者達の様子にアルベドは業を煮やした。

「あなた達!言い訳の言葉ひとつなく、名乗られたアインズ様とフラミー様を前にしてその無礼な――」

「アルベド!静まれ!」

 アインズの静止にアルベドはすぐに口を閉じた。

「失礼いたしました。」

 

 アインズは良い、と一言返すと隣の牢にエ・ランテル冒険者組合長のアインザックと仲の良いチーム、"虹"を見つけた。

 相当痩せているが、これはモックナックのはずだ。

「モックナックよ、私だ。こちらへ来て何があったのかを言え。」

 モックナックはよたよたと立ち上がりアインズの前に進んだ。

 頭ひとつ下げる様子はないが、一度叱られたためアルベドは静かにしていた。

「ああ…神王陛下…。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)森妖精(エルフ)を虐殺しました。煌王国軍が来てくれなければ我々は生涯奴隷でした。」

 モモンとしてアインザックの所へ遊びに行く時に数度会ったことがあるモックナックとはまるで違う様子に、アインズの中には確信に近いものが生まれる。

 フラミーもプラムとして一度モックナックと組合の掲示板の前で会っているので、同じ事を考えている様子だった。

「モックナックさん、何があったのかもう一度教えてください。」

「光神陛下…。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)森妖精(エルフ)を虐殺しました。煌王国軍が来てくれなければ我々は生涯奴隷でした。」

 まるでRPGに出てくる村人NPCだ。

 アインズとフラミーは頷き合った。

 取る手段は決めている。

 

 フラミーが牢の中の人数を数え始めると、煌王は勝ち誇った顔をした。

「全く嘆かわしい話だな。さて、賠償の話をしよう。ここではなんだ、上へ戻ろうじゃないか。」

 煌王が歩き出すと、マリアネは嬉しそうにアインズの腕を取った。

「さぁ行きましょう!ゴウン王陛下は神王陛下と呼ばれているんですのね!ねぇ、お父様に謝ってお許しを得たら、煌王国を欲しいと思いません?もし私を妃として迎えてくださると言うのなら、煌王国も支配できますわよ。」

 アインズは腕にすがるマリアネの大きな茶色の虹彩に縁取られた瞳を見た。

「私に触れるんじゃない。少し煩わしいぞ。」

 静かな口調でそう言うとマリアネを払った。

 普段のアインズであればそう滅多に取らない態度だが――冒険者達の精神支配による結果をまざまざと見せられたのだ。

 フラミーを軽んじている雰囲気も感じるし、これでも生ぬるいくらいだが、精神支配の事をこの国の者達が知らないとするならばちょうどいい温度感だろう。

「な、お父様!何とか仰って!!」

「ゴウン、マリアネに当たるのはよせ。お前も人類の未来を憂うのであれば人間種同士で手を取り合い、共に人類の繁栄を目指そうではないか。」

「煌王。私は一種族に肩入れをしたりはしない。我が国は全ての種が手を取り合う場所だ。それに、妃はフラミーさんしか持たん。」

「やれやれ、何もかもが青いな。青臭くてかなわん。」

 煌王が呆れるようにため息を吐いていると、フラミーは冒険者を数え終わった。

 アインズは「さっさと行くぞ」と階段へ向かい始めた煌王を無視し、フラミーに近寄った。

「どうでした?」

「この人数なら一人一人解除するよりいっぺんにやっちゃったほうが良さそうです。アレ使って良いですか?」

 フラミーの言葉を聞くと歩き出していた煌王はぴたりと足を止めた。

「お願いします。多分今日はもう使う機会はないでしょうし。」

 フラミーは頷くと一日に一度だけ使えるスキルを唱えた。

 そう大したことはできないが、この程度ならば――

 

「――<魂と引き換えの奇跡>。」

 

 猛烈に翼が輝く。

 アインズすら眩しさを感じる程の光景に、腰を抜かしたのは神官だった。

「お、お許しを!神よ!!我々はそのようなつもりでは――」

 神官がフラミーへ土下座でもするように頭を下げるとグラルズ大将が引き起こし、同時に牢がガンガンと音を鳴らす。

 

「神王陛下!!」「光神陛下!!」

 

 目を覚ました冒険者達は牢を叩いた。




わぁい!皆おきたぁ!
マリアネちゃん、嫌い!(ストレート

次回#56 ペテン師の言い分

お怒りベドちゃん頂きました!©︎ユズリハ様
良いベドちゃんをありがとうございます!!

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そして11/14はアンチエイジングの日らしいです!©︎ユズリハ様

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これはカルカの日ですねぇ!


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#56 ペテン師の言い分

「光神陛下!!」

 煌王は「解かれたか」と思った。

 フラミーは牢から手を伸ばす奴隷の手を取ると数度撫でた。

「大丈夫です。大丈夫ですから、落ち着いて。解ってますから。」

「陛下、陛下ぁ!!申し訳ありません!申し訳ありません!」

 ぐずぐずと痩せた男達が泣く様は異様だった。

 精神支配の魔法は掛けられている間の記憶が残る為、彼らは自分達のやったことを理解している。

 自らの王達に偽りを述べた事を。

 煌王は同じ人間を殺す趣味はないが、これは生かしておいたのは失敗だったなとわずかに後悔した。

 とは言え、やはり振り返って考えると上位森妖精(ハイエルフ)に証言させ直ぐに殺すのはおかしいし、人間の強者をそう簡単に殺すのももったいなかった。

 グラルズほどではなさそうだが、それに順ずる強さを持つ者達なので、いつかは軍部で働かせたかったのもある。

 

「すぐに出してあげますからね。ちょっと待ってくださいね。」

 フラミーが奴隷達から顔を上げると、煌王は厳しい視線を送った。

 こう言うことは先に言ったほうが信憑性を持つのだ。

 

「…ゴウンの妃よ。そなた、奴隷に魔法をかけて自国に都合の良い証言をさせようとでも言うのかな?初めて聞く魔法だったが、そういう真似は許されんぞ。」

「煌王様、違うんです。精神支配を受けていたのを解きました。これから再び査問します。ここを開けてあげてください。」

「アンデッドからの支配はすでに我が国で解いていた。それを我が国に言い掛かりをつけようと言うのか?」

 二人のやりとりを見ていた奴隷達は顔をぐしりと拭くと、冒険者らしい顔付きに戻り、敵対するように煌王を睨み付けた。

「陛下方!自分達は上位森妖精(ハイエルフ)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の皆さんが森妖精(エルフ)を殺したと虚偽の証言をさせられました!」「死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さん達に支配なんてされた事はないというに奴隷にさせられてたなんて言わされて…っくそ!」「そこのお前!話し合いを求めた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)さんをよくも殺したな!!」

 奴隷達が一斉に抗議を始めると、アインズは牢を見渡した。

「誰か私に記憶を見せてくれ。お前達を疑うわけではないが、何が起きたのか聞くよりも見た方が早い。見る場所は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)との連絡が取れなくなった前後のみと誓おう。」

 こいつは何を言っているんだ、煌王はそう思った。

 すると奴隷が一歩前へ進んだ。

「神王陛下に対して、深く敬意を表します。また、光神陛下に対しても同じく敬意を。先程のご無礼をお許しください。」そう言うと左足を前に、右足を一歩引いて深く頭を下げた。

「モックナック、お前を責めるつもりは毛頭ない。さぁ、楽にしろ。」

 煌王はまさか本当に記憶を見るなどと言う神の如き真似ができるのかとその様子を注視し、小さく呟いた。

「――グラルズ、あの日お前は綺麗にやっただろうな。」

「――当然でございます。」

 ならば問題ない。それにこれはおそらくブラフだろう。

 アインズは程なくして奴隷から離れた。

 

「弱者の生殺与奪は強者の特権。だが、しかし――非常に不快だ。」

 

 煌王とグラルズは鋭い視線を向けられると、喉から小さく「はぐっ」という音を出した。が、すぐに己を取り戻した。

 こちらの優勢は未だ変わらないのだから。

「聞こう、グラルズ大将――だったか。何故貴様は最初から死者の大魔法使い(エルダーリッチ)森妖精(エルフ)を殺したと断言していた。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は皆やっていないと答えたではないか。」

 煌王は本当に記憶を見たのかと一瞬思わされるが、罪を犯した者も、犯していない者も、必ずどちらも「やっていない」と言うに決まっているのだから、見ていなくてもこのセリフは言えるはずだ。

 ここで飲まれては相手の思う壺だろう。

 煌王の隣に立つグラルズは大きく息を吸うとふっと短く吐き出した。剣を振るう直前のような呼吸だ。

「ゴウン王陛下――いや、神王陛下。我々は森妖精(エルフ)の求めに応じて生者の敵を討ちに出たのです。その時に森妖精(エルフ)が皆死んでいれば死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がやったと思うのが自然でしょう。」

 

「そうか。グラルズ大将の言い分には納得しよう。では何故わざわざうちの冒険者達に森妖精(エルフ)を殺したと偽りを言わせる。この者達がやっていないと言うのなら真なる犯人を探すべきではないのか、煌王よ。」

 この若造はいつから王座に着いているのだろうかと煌王は思う。

 その声音、落ち着いた態度、溢れる自信、何もかもが威厳に満ち溢れているのだ。

 まるで自分がちっぽけな存在になったかのように思わされてしまう。

 こういう劣等感を抱かされるのは上位森妖精(ハイエルフ)の王と相対して以来だ。

 しかし、上位森妖精(ハイエルフ)の王には感謝している点もある。

 どれだけ盛大な天使パレードを行われたとしても、きっとあの上位森妖精(ハイエルフ)の王――タリアト・アラ・アルバイヘームには敵わないのだから。

 そう思うと余裕も生まれるというものだ。

 最強の存在が側にいれば、たとえそれが天敵だとしても免疫にはなる。

 

「――偽り?死者の大魔法使い(エルダーリッチ)森妖精(エルフ)を殺していないと証明できないと言うのに何故偽りと断言できる。それに私にはその者達が妃に操られているようにしか見えんし、ゴウンのその記憶を見るなどと言うペテンを信じる気にもなれん。」

 煌王は冷ややかな歪んだ笑いを浮かべると、ふんっと鼻を鳴らした。

 相手は決してこちらに強い態度は取れないだろう。

 ここは煌王国だし、何より神聖魔導国の者達には帰路がある(・・・・・)

 明日には上位森妖精(ハイエルフ)の所へ共に発ち、王直々の謝罪をさせたいところだ。

 今上位森妖精(ハイエルフ)との関係は非常に良い方へ向かっているため、更に今一歩踏み込んだ関係を構築したい。

 煌王はマリアネという賢い娘を持ったことに感謝した。

 常に己を磨き、国のことをよく考えている優しく勇猛な娘だ。

 マリアネはアインズを気に入っているようだし、確かに政略結婚をさせても良いと思う。

 これだけ見目麗しい男で若くして国を持ち、魔法を使えるようだと言うのは非常にポイントが高い。

 煌王は若造を手先で利用し、自分の駒として動かす未来を想像して機嫌を良くする。

 神聖魔導国は煌王国へと改名させ、煌王国は一気に海を股にかける大国家となるのだ。

 

 煌王は獲物を前にした猛獣のようにぺろりと唇を舐めた。

「やれやれ。ここまで愚かな者が相手だと会話をすることも心底苦痛だな。」

 アインズからは予想外の言葉が漏れ出た。

 その声音は面倒くさいというような口ぶりだった。

 そう簡単に頭を下げることはできないと言うのは分かるが、アインズは未だ立場を理解していない様子だ。

 

「なぁ、ゴウン。奴隷を魔法的に操作するのは妃が勝手にやったことだ。今なら問題とはせずに心の内に留めてやっても構わん。航海の帰りの船に乗せる物資や食料も我が国で買わなければならんのだろう?あれだけの隊で来ているのだ。しかもこの奴隷全員を一度に連れ帰るともなれば、相当な補給が必要になるんじゃないのか?」

 

 煌王は何も分かっていない子供に教えてやるように、アインズにそちらがどういう立場なのかを伝えた。

 天使はもしかしたら物を食べないかもしれないが、ここの奴隷達は確実に食料を必要とするのだ。

 船にはおそらく船員も残っているだろうし――もしかしたら何人かは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)かもしれないが――物資の補給は間違いなく必要だ。

 長きに渡る航海の中、家畜だって乗せたいだろう。

「そうか、帰りの航海。なるほどな。それでお前はそういう態度なわけか。」

 アインズはようやく自分の立場を理解したようだ。

 牢の中で騒いでいた者達も唇を噛み、静まり返った。

 

「今妃に勝手に我が王城内で魔法を使った事を謝罪させ、今後も奴隷はここで罰すると言うことに納得し、明日にでも上位森妖精(ハイエルフ)の下に森妖精(エルフ)の虐殺に関する謝罪に行くと約束をするのだ。もしそうしないと言うなら――うぬらは我が国での物資補給は一切できないものと思え。」

 

 アインズの肩が大きく動く。上がり、それから力なく下に落ちる。

 

 ――勝った。

 

 父や祖父の名を継いで、自分がそういう存在になったと思い込んでいるのかもしれないが、煌王はアインズの倍以上は王をやってきているのだ。

 若造に思い知らせたと思うと清々しい気分にすらなる。

「ぐうの音も出まい。さぁ、妃に謝罪させ、お前も記憶を見るなどと言う戯言を撤回しろ。」

 煌王の言葉にマリアネが面白そうな顔をした。

 

 しかし、続くアインズの言葉は再び煌王の想像したものではなかった。

「――貴様は冒険者達に濡れ衣を着せただけでは飽き足らず、フラミーさんにまで濡れ衣を着せ頭を下げさせろと言うのか。」

「濡れ衣かどうかは解らんだろう?妃くらい御せずに何が王だ。さぁ、妃も――」

「黙りなさい。お前は万死に値するわ。文字通り、万の死を繰り返すのよ。」

 アルベドの静かな声。そして爆発音にも似た音が鳴った。

 一瞬。

 本当に一瞬だった。

 後ろで控えていたはずのアルベドが、まるで転移したかのように煌王の前にいたのだ。

 しかし、それが転移ではないということはすぐに分かった。アルベドが立っていた場所の石造りの床は激しくめくれあがり、ヒビが地下牢全体へ広がっていたのだ。

 手の中にはその優美なドレス姿とはあまりにも対称的な、バルディッシュ。

 一体どこから出てきたのかもわからないそれは緑色の残光を引き、煌王を縦一直線に貫きかけ――「な、なんですって!?」

 アルベドは、ともすれば恐怖するかのような叫び声を上げた。

「……っは?」

 煌王は自分の服の前見頃が切られていることに気付くと間の抜けるような声をあげた。

 あまりに一瞬の出来事で恐怖する暇もなかったが、露わになるその新しい装備(・・・・・)の優秀性に漠然と感謝した。

「アルベド、お前も成長したな。よく我慢し――なんだと?」

「アインズ様!!フラミー様!!こ、この者が着るこれは!!」

 絶叫だった。

「まさか…旗…?旗をほどいたんですか…?」

 煌王は空気が猛烈に熱を帯びたように感じた。

 灼熱の空気は吸えば肺を焼くのではないかと、思わず息を止めゴクリと唾を飲む。

 そして辺りを見渡し、上階へ続く階段を確認してしまう。

 逃げようと言うのではない。ここは元より薄暗い場所だが、階段から射し込む日の光すら失われたように思えたから。

 

「別に私自身は大した者でもなんでもない。どんな態度を取られても、侮辱されても我慢できる。事実そうなのかなと思う事もあるしな。――しかし!貴様は、私の最も大切な者と、ナザリックの宝に唾を吐いたのだ!!それで許されると本気で思っているのならば!!貴様は神と呼ばれる存在の恐ろしさを知る必要がある!!!」

 

 アインズから吹き上がるのは、目で見えるような憤怒。

 色を持って押し寄せる激情の奔流。

 煌王が意識を失いそうになると、フッと怒りは消失し、フラミーがアインズの顔を覗き込んだ。

「アインズさん、殺しちゃダメですよ?」

 フラミーのその言葉に、アインズは数度深呼吸をすると、にこりと笑った。

「解ってますよ。安心して下さい。」

 見下ろすように視線を送られた煌王は自分が知らぬ間に膝をついていた事に気が付き、マリアネに支えられるように何とか立ち上がった。

 

 そして殺されないという安心感になんとか我に帰る。

「き、貴様…ゴウン…!どれ程の力を持っていようが、ここは煌王国だ!!」

「だからどうした。ここは私とフラミーさんの世界だぞ。」

「何と傲慢な…!貴様こそいつか神の裁きを受ける時が来るぞ!!」

 煌王が言い切ると、冒険者達はやれやれと苦笑し、煌王を見る目からは憐憫すら感じさせる。

「お前はその神の裁きを前に全てを後悔するのだ。」

 アインズが杖で床をガツンと一度鳴らすと、それに呼応するように突如として地下牢は青白い魔法陣に包まれた。

 それがアインズを中心に円になっている事にすぐに気がつく。

 

「貴様!何をしようと言うのだ!」

 煌王の叫びにアインズはゼロの感情で視線を返すのみだ。

「煌王陛下!マリアネ様と共に避難を!」

「引けるか!王城の中で起きたいざこざから逃げるなど!それも他国の王を前に!」

「チィ!感じないんですか!あの者達のこの力を!!時間稼ぎくらいはしますから、兎に角お逃げ下さい!!これで殺されなかったら奇跡だ!!」

 グラルズ大将と震える魔法詠唱者(マジックキャスター)が戦闘態勢に入ろうとすると、アルベドはバルディッシュを回し、構え直した。

「時間稼ぎ?できると良いわね!下等生物でも冗談が言えるなんて初めて知ったわ!!」

 グラルズは死刑宣告だと思った。

 きっと自分は何もできずに首を落とされるのだろうと一秒後の自分の姿を思い浮かべ苦々しげな顔をする。

 アルベドの向こうではフラミーがカンカン、と杖で牢を叩いた。

「牢を壊しますから、皆さん少し下がって下さい。――<上位道具破壊(グレーター・ブレイク・アイテム)>!」

 ――けたたましい音が響く。

 牢が粉々に砕かれ、バラバラと落ちていく音に気を取られ掛けると、不意に目の前でパリンっと軽快な音が鳴り、回っていた魔法陣は強く輝いた。

 

「<黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)>!!」

 

 グラルズは何が起こるかも分からぬまま、剣を手放し敵に背を向け、王とマリアネを抱えるようにした。

 願わくば痛みなく死ねる魔法でありますように。

 そして、いつも自分の右腕として働いてくれていた軍師のロッタへ感謝の言葉を心の中で送った。

 ――お前が大将として働いてくれていたなら、王にもっと良い案を進言できていたのだろうか。

 ――冒険者達よ、すまなかった。

 

 しかし、グラルズの警戒と死への覚悟とは裏腹に、その身が焼かれる事も、散り散りに裂かれることもなかった。

 そしてどこからともなく、高らかにラッパの音が鳴り響いた。

 

「煌王国よ、神の裁きを受けよ。償いは全国民と共に五ヶ月間だ。」

 

 一体何がと思っていると地は一度揺れ――階段の上からは悲鳴が滝のように降りてきた。




旗の代償は大きかったな!!
しかし、冒険者のことじゃなくてフラミーさんと旗のことで最後のスイッチが入ってしまう皆さん

次回#57 黙示録の蝗害

11/15は七五三の日だったそうですぜ!©︎ユズリハ様でっす!
可愛い三歳のナインズ君が見られるのはここだけ!!!!!!!

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#57 黙示録の蝗害

 ソロンは王城の玄関で二本の弓を手に、膝を抱えて蹲っていた。

「おい、お前いつまでそこでそうしているつもりだ。」

 番をしている兵に槍で小突かれるとのそのそと立ち上がる。

「…すまん。」

 

 ソロンは天使の行進が目の前に現れ、弓を下ろすように言われた時、そうするのが当たり前だとしか思えなかった。

 夜明け色の天使から放たれた言葉が耳に届いた時、体の中にもう一つの脳――他人の命令を聞く器官が生まれたように、ソロンはスムーズに弓を下ろしてしまった。

 同胞を殺し尽くしたアンデッド達の親玉を前に、何の抵抗もなく――命じられただけでそうしてしまった事があまりにも悔しくて足元がおぼつかなかった。

 王達が戻るのを待ち従順に立ち尽くしている天使達を一瞥するとその場をふらふらと立ち去った。

 

 マリアネと訓練をした中庭に戻ると、マリアネの訓練用の弓と矢を置くべき場所に戻す。

 重すぎるため息を吐いていると、不意にトンと肩に手を乗せられた。

「マリアネさ――」

「ブッブー、お姉様じゃありません。不正解です!ふふっ。」

 にこりと笑った少女はマリアネに似ている小さな姫。

 長い髪は左右の耳の上で二つにくくられ、毎日違う色のリボンを付けていた。

 背もまだ小さく、その顔には幼さが残る。

「――フィリナ様でしたか…。」

「お姉さまじゃなくて残念でしたね。それより、ソロン。大丈夫ですか?先ほど兵達に神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の王達が城を訪れていると聞きました。」

「…来ています。マリアネ様が地下牢へ案内されました。」

「ソロン…王達に会ったのですね。――いつも言いますが、あまり神聖魔導国を恨んではいけませんよ。」

 ソロンは再び深いため息を吐いた。

 マリアネは神聖魔導国を恨めというが、フィリナは恨むなと言う。

この姉妹は本当にいつも正反対だ。

 マリアネは煌びやかな格好を好むがフィリナはいつも質素な格好をしているし、マリアネは父によく懐いているがフィリナは母に懐いているようだ。

「…フィリナ様も同胞を皆殺しにされればそのような事は仰れませんよ…。」

 フィリナは何かを言おうとすると手に視線を落としグッと目を閉じた。

「……そう、そうですよね…。ごめんなさい…。」

 マリアネに似た顔で何かを耐えるような、苦しむような表情をされるとソロンも辛い。

 それに、この人は何も悪くないのにこんな顔をさせてはいけないだろう。

「いえ――それより、何か御用があったのでは?」

「用という用はありません、少し顔を見ておこうと思っただけです!――…もしかしたら、これが最後になるかもしれませんから。」

「最後?フィリナ様は城をお出になるのですか?」

「…何でもありません!さぁ、気分転換にお散歩にでも行きましょう!いつも訓練と勉強ばかりでは気分も落ち込んでしまいますもの!」

 ソロンはフィリナに手を取られると――いつも天真爛漫だったアニラを思い出した。

 あの時、共に来ると言ったのを止めなければ、アニラも生き残る事ができたのに。

 ビジランタ大森林で二度と覚めない眠りに落ちる妹を想った。

 

 再び城の前に戻ってくると、相変わらず微動だにしない天使達がいた。

「まぁ…すごく綺麗…。この方達は?」

 フィリナの素直な反応にソロンは苦笑した。

 確かに仕える王を考慮しなければ美しい。

「神聖魔導国の王達が乗っていた輿を担いでいた者達ですよ。」

「凄まじいですね…。まるでお伽話の世界に迷い込んだよう…。――こんにちは、皆様。私は第五王女、フィリナ・グランチェス・ラ・マン・アリオディーラでございます。……図々しいとはわかっておりますが…どうか我が国の罪をお許しください。」

 フィリナは天使達に頭を下げた。

 罪とは何だろうかと思っていると、天使達は不意に空を見上げた。

 ソロンとフィリナもそれに続くように空を仰ぐ。

 

 ラッパの音が響いた。

 

 それは何かの号令なのだとすぐに予感した。

「神聖魔導国の何かの合図かしら…?」などと、フィリナが悠長な事を言っていると、空はゴゴゴ――と音を立て、薄暗くなり始めた。

「え?これは!?上位森妖精(ハイエルフ)の王が持つという天候を左右する魔法ですか!?ソロン!!」

 ソロンはそんな事を問われても上位森妖精(ハイエルフ)の王と謁見したことも、その力を見たこともない。

 ただ、聞くのは第六位階という神話の領域に足を踏み込み、最古の森を守るため乾季に雨を降らせる事があるという事だけ。最古の森に住む種族の中には上位森妖精(ハイエルフ)の王を神と讃える者もいる。

「アルバイヘーム陛下は最古の森のためにしか天候を操らないと聞いたことがありますし、多分…ちがいます…。」

「で、では一体誰がこんな…!こんな事ができる者が上位森妖精(ハイエルフ)以外にいるのですか!?」

「フィリナ様、落ち着いてください!空はすぐにまた晴れます!」

 取り乱すフィリナを宥めようとしていると、どこから聞こえてくるのかも分からないラッパは一層高らかに鳴り響いた。

 

 すると、ソロンは見た。

 天から小さな星がひとつ地上に落ちてくるのを。

 一瞬世界から音がなくなったように感じ――キンと耳の奥が鳴る。

 ――次の瞬間、ドッと激しい衝撃を起こし、星は城門の前に落ちた。

 ソロンは急ぎフィリナを抱き寄せると、そのままゴミのように城の玄関に向かって吹き飛ばされた。

 背を玄関の柱にぶつけ、言うことをきかない肺から「カハッ」と空気を漏らす。

 辺りにはもうもうと砂埃が立っていた。

 それが晴れる頃にはなんとかソロンの呼吸も整った。

 落ちた星は砕けたり散ったりすることなく、深淵の穴(アバドン)を開き、そのまま穴へ飲み込まれていった。

 ソロンとフィリナは絶句し、星の落ちた場所に開いた直径十メートル程の底無しに見える穴に釘付けになった。

 闇を塗り潰したような奈落からは黒煙が――まるで大きな(かまど)を火にかけたように立ち昇った。

 黒煙は風のない中、真っ直ぐ空へ向かい、先は雲にぶつかると横に広がって行く。

 辛うじて見えていた太陽をすっかり覆ってしまうと、いよいよ真夜中のように煌王国は真っ暗になった。

 兵達の騒めきの中、鳥達が一斉に飛び立って逃げ出す。

 

 そして――鳥に続くように草葉の陰から大量の虫が逃げ出した時、黒煙を吐き続ける穴からは、見たこともない邪悪な存在が顔を出した。

 

 それを直視した者達は失神しかけた。

 

 奈落の底から現れた者は金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ――馬にも似た奇怪な人間の顔をしていた。

 二本足で立つその者は女のような髪を靡かせた。

 何もかもを歪められたような存在はゆっくりと穴から出ると、瞳を開いた。

 

 凄まじい悪寒が背筋を這い上がる。

 誰かの悲鳴が聞こえた。

 いや、それは自分の喉から出たものかもしれない。

「あ…あぁ…!!何なんだ!!一体なんなんだ!!」

 腕の中でフィリナも震えていた。

 ソロンはせめて()を守らなければとフィリナを抱く手に力を込める。が、この存在を前に自分にできる事などあるのだろうか。

「そ、そろん…上位森妖精(ハイエルフ)は関係ないなら…お願い…上位森妖精(ハイエルフ)を呼びに行って下さい……。私達だけじゃ…これは…。お願い…行って…。」

「ふぃ、ふぃりなさま…。」

「お願い…。」

 ソロンはどうすればと大量の汗をかく。

 行くならマリアネを連れて行きたいが、マリアネは城の中だ。どこにいるのかも分からない。

 これはあの日のやり直しなのかとソロンは思う。

 

 ――であれば、妹だけは。

 

 ソロンは自分の指を噛み、血を出すとその額に精霊の祝福の印を書いた。自分の額に入る刺青と同じ形のものだ。

 これがあれば、人間軽視の上位森妖精(ハイエルフ)とは言え、森妖精(エルフ)の使いだと解ってくれるはず――。

「な、なに?ソロン…?」

「アニラ、どうかフィリナ様を守ってくれ。」

 ソロンは祈るように呟くとまだ小さなフィリナを抱き上げ、腰を曲げて少しでも背を小さくしながら玄関正面から端へ移動し、ピュイーと口笛を吹いた。

 すると、すぐに城の茂みの中から黒豹(パンサー)が飛び出した。

「最古の森へお連れしろ!!」

「ソロン!?ソロン!!」

 黒豹(パンサー)は悩むようにその場でうろうろと回ったが、フィリナを乗せ、尻を叩くと一度吠えてから駆け出した。これには二人は乗れない。

「…アニラ――いや、フィリナ様…どうか無事で…。」

 フィリナはもしかしたら振り落とされるかも知れない。

 黒豹(パンサー)に乗るのはコツがいる。アニラもまだ一人では乗れなかったのだ。

 しかし、ここにいるよりはましだろう。それにフィリナはアニラと違って乗馬訓練の経験はあるのだ。

 ソロンはすぐに小さくなり見えなくなった背の無事を祈った。

 

 しばしの沈黙ののち、形容し難い生き物はすっと視線をソロンの斜め後ろへ向けた。

 一瞬視界に収められただけで腰が抜け、ガクガクと震える足腰は二度と立てないとすら思える。

 

『神よ。奈落の主(アバドン)、御身の前に。』

 その声は見た目とは裏腹に酷く耳障りが良く――それが逆に恐ろしかった。

 まるで騎士がやるように膝をつくと頭を下げた。ただ、膝を付くと言っても、まるでバッタのように人間と逆向きに関節があるため背側に膝をついた。

 この異形に神と呼ばせる存在が今自分の後ろにいるのかと思うと恐ろしくて振り向けない。

奈落の主(アバドン)よ。やるべき事はわかっているな。」

『当然。神の意向に背き、神への信仰を持たない不信心者に鉄槌を。』

「その通りだ。ああ、地上に生える草木花や鳥虫獣には害を与えるな。標的はこの神をも畏れぬ煌王国の者だ。さぁ、行け。」

 アバドンは礼をすると、ソロンの近くで恐れ震える二人の番兵に蠍の尾をドッと突き刺し、ドクドクと何かを流し込み、尾を引き抜いた。

 番兵はドサリと倒れると唸り、刺された場所を猛烈に掻き毟りだした。

 ソロンは震え、自分の額に描かれた精霊の守りの刻印に祈りを捧げた。

 早く行ってくれとソロンが祈っていると、アバドンはちらりとソロンの額を確認し、穴に戻る。

 バクバクと鳴り響く心臓を抑え、恐怖を押し殺して振り返った。

 

「あ…ああ…お、おまえ…おまえたち……。」

 ソロンにはそれ以上言葉が出なかった。

 立っていたのは異国の王、そして追うように出て来た奴隷の人間達。

 ソロンなど目にも入らないとばかりに異国の王はアバドンに視線を送り続けていた。

 アバドンは穴から昇り続ける黒煙に乗り空へ上がって行った。

 

「さぁ、眷属の召喚が始まる前に急がなくっちゃね!」

 王と共にいた王妃は軽い口調でそう言うと、闇の中からインク壺を取り出し奴隷達を手招いた。

「皆さん、フレンドリィファイアが解禁されてますから、印をつけますよ。」

 奴隷達は意味が分からなそうだったが、皆膝をついた。

 インクの蓋を開け、二本の指を浸すと膝を付く者達の額に無造作に赤い印を付けていく。

 それは森妖精(エルフ)達が生まれたばかりの赤ん坊に与える精霊の守りの印に似ていた。

「つっ…。」

 奴隷が小さく声を上げると、王妃は笑った。

「ふふふ、冷たいですよね。ごめんね。」

「あ、いえ!大丈夫です!!」

 手を前で組む人間達の額に次々と印を付けていくと、王もそれに続くようにインクを奴隷の額に塗った。

「アルベド。来なさい。」

「っはい!」

 宰相は従順な犬のように王へ駆け寄るとやはり額に印を付けられた。

 うっとりと頬を染める様子はまるで恋する乙女だ。

 ソロンが茫然と一行の儀式を見ていると、王は「フラミーさん、あなたもですよ。」と王妃を手招く。

「はぁい!」

 王に呼ばれると王妃はチテテ…と近寄り、額をあらわにして目を閉じた。

 王は何かを閃いたような顔をすると、クスリと笑いそこに何かを書く。これまでの印とは違い、複雑な形をしていた。

「できた。見て下さい。」

 王妃は手鏡を渡されると嬉しそうに覗き込んだ。

「どりゃどりゃ。――えっ!!」

「肉、なんて。ははは。」

「もー!!何でこんなの書くんですかぁ!!」

「額に印って言ったらやっぱりこれじゃないと!」

「アインズさんも頭出しなさーい!!」

 二人は子供のように笑った。

「分かりました、分かりました。書き直しますから。はは。<清潔(クリーン)>。」

「次やったら怒りますからね!」

 ぷすぷすと怒りの息を吐く妃に笑う王の平和な声音とは裏腹に、空に昇りきった黒い煙がゾワリと蠢いた。

 

 空から声が響く。

『神への信仰を忘れた愚かなる人間共よ。神の威の前に平伏すのだ。』

 暗くなった空に疑問を感じて家から出てきていた街の人々は空にいる禍々しい生き物に息を呑んだ。

 そして、誰かが見つけ、指をさす。

 

「あれは?」「虫…?」「あっちにも。」

 

 翅の生えた蠍のような――

 戦車を引く馬のような――

 獅子の歯を持つイナゴのような――

 形容し難い虫達が黒い煙からおびただしい数の群れをなし降り注いだ。

 もはや何匹出たのか分からない程にいる虫達は煙のようにすら見える。

 空を仰いでいた人々はゲェと声を上げるととにかく近くの建物に逃げ込んで行く。

 

 空から見下ろすアバドンは号令を出した。

『神は死ぬ事をお許しにならなかった。神は死を超える苦しみを五ヶ月間与えると云う。人間共よ。償いの時は来た。畏れよ。神の御業の前に悔い改めよ。』

 

 ソロンは目を見張った。

 

 建物は一気に降り注いだ奇怪千万な虫に食い付かれ、大穴を開けられ、虫の侵入を許す。

 その虫は当然街だけでなく城にも降り注いだ。

 建物の中から激しい悲鳴が響き渡り、虫に取り囲まれた者はすぐに膝をつき顔を抑えた。

 冬を前に、厚手の格好をしているので少しでも露出のある場所を守ろうと言うのだ。

 建物がどんどんボロボロになって行き、建物から人が外へ逃げ出してくる。

 そして、最初にアバドンに刺された番兵達に異変が起こり始める。

「や、やめて…やめてよ…!」

 ソロンはその声に振り向くと、好いた女の無事に安堵した。

 マリアネは地獄の王に縋り、共にいる煌王は何故か肌着に上等なビロードのジャケットを掛けた姿で茫然と空を仰いだ。

「私だって――私達だって別に悪気があったわけじゃありませんわ!!お願い、何だってあげるから――そう、私だって国だってあげますから!!お望みのものを!!全て!!この身も!!魅力的だと思われるでしょう!?」

 マリアネが地獄の王に胸を押し当てるとソロンは目を逸らした。

 そして煌王のどこか卑屈な声が響く。

「そ、そうだ!そもそもこちらの大陸に来たのは何かを探していたのだろう?な?奴隷は連れ帰ってもらって構わない!もちろん帰りの航海だって全力でサポートするし、欲しいものがあれば私達が何でも差し出そう!!」

 地獄の王は「魅力など感じん」とマリアネを払うと続けた。

「良いか、私の本当に手にしたいものはお前達が持ってくることができないものだ。仲間達もあの子も――いや、やめよう。」

 ソロンはその声に深い嘆きを感じた。この半年、膝を抱えて部屋の片隅で自分が漏らし続けた色に似ている気がして、再び顔を上げた。

 

 しかし、王は明確に苛立ちを含んだ顔をしていて――

奈落の主(アバドン)!!ここが手隙だぞ!!」

 号令だ。空から煙のように大量の虫が降りてくると、マリアネ達は虫に包まれ、蠍の尾は柔らかな皮膚を所構わず服の上からも刺した。

「いやぁあぁああ!!」

「マ、マリアネ様!!」

 毒針に刺されたマリアネと煌王はその場に膝をつき、叫ぶ。

 地獄に落ちる時の断末魔だ。

 

「わ、わだじの!!わだじの顔があぁぁあ!アガッアガがが!!」

 想像を絶する痛みが身を走っているようで、辺りからは苦痛の叫びが響いた。

 刺された部分は赤黒く変色したかと思うと――ぼろぼろと皮膚が落ち、黄色く汚らしい膿を垂らした。

「あ、あ、ああ…!!やめ、やめてくれ…!やめてくれぇええ!!」

 地獄の光景を前に奴隷だった者達すら痛ましそうに目を逸らす。

 ソロンは地獄の王に平伏しそのローブに縋った。

「お赦しを!!地獄の神よ!!どうかお赦しを!!」

 訝しむ瞳がソロンを見る。

「ん…?お前は何で――あぁ、そう言うことか。」王はそう言い、ソロンの額を軽く擦る。「――仕方ない。まぁお前一人くらい許してやるか。森妖精(エルフ)だしな。」

 ――ひとりしかゆるされない。

「……なんで……なんで……!また俺だけ生き残るのか!!俺が何をしたって言うんだ!!」

「あなた、煩いわよ。アインズ様の神聖なる御御足から離れなさい。」

 涼しげな声を出した宰相に突き飛ばされるとソロンはゴロゴロと転がり、痛みに嘔吐した。

 

 虫の群れが起こした地獄の中、ソロンは訳もわからずに、ただ恐怖を前に涙を落とすことしかできなかった。

 




額に肉なんて太古の文化が残ってる!
ちょっとじゃれたくなっちゃったね☆

次回#58 森への出発

*アバドン Wikipedia
5番目の天使がラッパを吹く時に、「馬に似て金の冠をかぶり、翼と蠍の尾を持つ」姿で蝗の群れを率いる天使として現れ、人々に死さえ許されない五ヶ月間の苦しみを与えるという。

*第五のラッパ吹き wikipedia
『ヨハネの黙示録』1つの星が地上に落ちてきて、底なしの淵まで通じる穴を開け、アバドンを呼び出す。

11/16は幼稚園の日だったそうですよ!©︎ユズリハ様
ナインズ君が通う幼稚園の下見かなぁ…!フラミー様の斜め45°は美女

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黙示録9章
(9:3) その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が、彼らに与えられた。
(9:4)彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人たちには害を加えてもよいと、言い渡された。

聖書にある蝗害は史実にある蝗害とはまるで違いますね!
アバドンズ、と言うくらいですしリアルな蝗害ではなく聖書な蝗害を選択!


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#58 森への出発

 聖書は語る。

 

 一.神の再臨を。

 二.エ・ランテルに訪れしザイトルクワエと言う破滅(カタストロフ)を。

 三.十四万の殺戮と復活を。

 四.邪悪なる竜が放った真夜中の夜明けを。

 五.ある女王が呼びせし悪魔の軍勢を。

 六.ビーストマン国に顕現せし太陽と、再創造された湖を。

 

 七.――

 

 聞いただろう。

 天使達が国を通ったその日、ラッパを吹き鳴らしたのを。

 見ただろう。

 一つの星が天から城へ落ちたのを。

 それは底無しの奈落を開く鍵だった。

 穴は巨大な炉のように黒い煙を立ち昇らせ、太陽も空気すらも黒く染め上げた。

 世界は闇に閉ざされたのだ。

 しかし、国の端に住んでいた者は知る。

 この国の一歩外は今日も美しい朝を、生命溢れる昼を、輝く夜を迎えている事を。

 煙の中からは蠍にも似た狂逸醜怪なイナゴが溢れた。

 彼らは、地の草木花、またすべての生命を損なうことを禁じられたが、額に赦しの印を持たない者に苦しみを与える事を言い渡された。

 彼らは、人を殺さず、苦しめることだけを許された。

 彼らの与える苦痛は地獄を凝縮したようなものであった。

 苦痛から逃れようと人々は死を求めたが、死は与えられず、死を願えば願うほどに死は逃げて行った。

 彼らは奈落の主を王に戴いた。

 そして、絶対的なる神を持っていた。

 

 

 ――だからやめようと言ったのに。

 

 

 フィリナは必死にソロンの黒豹(パンサー)にしがみ付いていた。

 落ちないようにするだけで精一杯だ。

 上位森妖精(ハイエルフ)の住まう最古の森までは馬で四日は掛かる。

 その背には恐ろしく優しげな声が響き続ける。

 天から地獄の支配者が『悔い改めよ、煌王国は神の裁きを受けなければならぬ』と言い続けるのだ。

 そこかしこに蠍イナゴに刺され、膿にまみれ、のたうちまわる国民がいる。

 しかし、なぜかフィリナは蠍イナゴに襲われることは無かった。

 フィリナはソロンの消え入るように呟かれた「…フィリナ様も同胞を皆殺しにされればそのような事は仰れませんよ…。」と言う言葉を思い出す。

「これは…これは罰なのですか…。あの日森妖精(エルフ)を殺すと言う姉を止める事を諦めた私への――!全てを知っていながら、ソロンへ痛みを知ったように説き続けた私への――!!」

 たった一人、綺麗な肌と自由をその手にするフィリナには救いを求める手が伸ばされ続ける。

 水一つ含ませてやる事すらできず、立ち止まる事なく進み続ける。

 気が狂わんとする中、神とすら呼ばれることもある上位森妖精(ハイエルフ)達の王を求め、走り続ける。

「神様、かみさまぁ…!!お赦しを…お赦しを…!!告解を…!!」

 フィリナの告解を聞く神父も――神もいなかった。

 

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい――」

 

 

 黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)――。

 

 

 アインズのみが使えるその超位魔法は、やはりこの世界では脅威以外の何者でもなかった。

 降り注ぐ邪悪なイナゴ達は家を喰らい破壊して侵入し、人を蠍の尾で刺す。

 

 その尾の毒には上位呪詛(グレーター・ワード・オブ・カース)が含まれている。

 死をも凌ぐ痛みの中、人々は生活を営む事など出来はせず、皆床に這いつくばり痛みと呪いを口にした。

 痛みに耐えられずに皆自殺を考えるが、あまりの苦痛の前に身動きを取ることすらできない。

 国家運営などできるはずもないこの国は放っておけば、自動解呪の五ヶ月後を待たずして崩壊するだろう。

 ユグドラシル時代、アインズはこの魔法に"大したことのない超位魔法"の烙印を押していた。

 第七位階の上位呪詛(グレーター・ワード・オブ・カース)は百レベルの者であれば抵抗する事もできるし、高位のプレイヤーの使う、病気なども含めたあらかたのバッドステータスを治癒する大治癒(ヒール)などの魔法で簡単に解かれてしまう。

 ギルド拠点の建物を多少破壊し、拠点の修復のために金貨を消費させるくらいしか能がない嫌がらせ魔法だったのだ。

 使用するとゲーム時間の五ヶ月はパーティーやギルド、クランの仲間の額に"神の印"が浮かんでしまうのも不評だった。

 しかし、ことこの世界において上位呪詛(グレーター・ワード・オブ・カース)は史上最悪の魔法だ。

 刺された箇所が膿に塗れ、全ての者がその場で痛みに釘付けになりもがくなど、大災害だ。

 当然刺す場所は一箇所では済まない。

 

 奈落の主(アバドン)は、五ヶ月間、巨大なイナゴの引く戦闘用馬車(チャリオット)に乗って、煌王国の暗闇に閉ざされた空を駆け抜け続けるだろう。

 次々と出す蠍イナゴは、刺すだけでなく、痛みにもがき食事を満足にとれない人間に変わってその口の中に侵入し、胃の中で静かに栄養となる。

 豊富なタンパク源は人間が五ヶ月、生きるためだけに生きるには十分だ。

 もがく者は口から腹の中へ向かって蠍イナゴが歩くのを感じるだろう。

 そして管理されることのない農作物は、恐らくこの五ヶ月で荒れ果て、届くことのない太陽を前に痩せ細る。

 五ヶ月を越えたとして、誰も元の生活に戻ることはできない。

 痛みに噛み締める歯はボロボロになり、臼歯は割れ、更に苦痛が増す。

 

「さて、では改めて聞こうか。何故わざわざうちの冒険者達に森妖精(エルフ)を殺したと偽りを言わせた。何故真なる犯人を探さない。」

 

 アインズは這い蹲る汚物と化した煌王を見下ろした。

「ああぅあ……ぁあぁあ!!」

「やれやれ。何を言っているのか解らんな。答えず、悔い改めぬと言うなら更なる苦痛を得る事になるぞ。」

 煌王の眼は大きく見開かれた。眼球を膿がつたう。

「わ…わか…わか……。我がぐにが…。」煌王がそう言うと、開いた口にヒョイと奈落の主(アバドン)の眷属が飛び込んだ。「――んグゥァゥゥ!!」

 口に手を突っ込み、嘔吐く様子はとても見ていて気持ちの良い光景ではない。

「なんだ?早く言わんか。」

 アインズは本当に早く言って欲しかった。フラミーが煌王の様子を見る目はどこか興味深そうな気がする。

 ごもごもと苦しむ煌王に代わり、マリアネが口を開いた。

 その瞳は追い縋るようだった。

「ッングゥ。私が…我が国が――…はぁ…ふぅ…――森妖精(エルフ)だぢを殺じまじだ…。いづが人類の脅威になるがもじれない…森妖精(エルフ)を…。上位森妖精(ハイエルフ)を懐柔じで…国を豊がに…。…死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のぜいに…じまじた…。」

 そんな事だろうとは思っていた。

 アインズが興味を失おうとしていると「うそだ…」と呟く声がした。

 上位森妖精(ハイエルフ)の記憶にあった生き残りの森妖精(エルフ)は静かに首を左右に振っていた。

 額に印を持つ森妖精(エルフ)は綺麗なものだ。

「嘘ですよね…?だって…煌王陛下も…マリアネ様も…お優しく…俺に…。――痛みから逃れる為に、地獄の神の気にいる嘘の答えを仰ったんですよね?」

 森妖精(エルフ)は地に座るとマリアネの手を取り、膿を必死に拭いた。

「なるほど、見方によってはそうなるな。」

 記憶を見て真偽を確かめても世間がそれを信じないことがあると言うのは問題だ。

 

 すると、ッゴブと煌王が膿を吐いた。

「…ぐぶぶ…ふは…はは!お、お前は今すぐ帰らなげれば後悔ずるぞ!」

「何?」

「今頃、上位森妖精(ハイエルフ)は貴様の国を襲っでいる頃だろう!!ざまぁみろ!!」

 煌王は膿の下で表情を変えた。

「そんな事か。我が国の属国を襲った上位森妖精(ハイエルフ)達ならもう全て捕らえた。」

「嘘だ!!ここがら数十日はががるはずだ!!」

「記憶を見て転移してきたのだから一秒もせん。名は確か――そう、シャグラだ。シャグラ・ベヘリスカの記憶を見て来たのだ。」

 アインズが呆れたようにため息を吐いていると、煌王は絶句した。

 森妖精(エルフ)はドシャリとマリアネの汚らしく膿にまみれた手を落とし「しゃぐ…ら…さま……。」と絞り出した。

 

 その悲壮感に溢れる背にフラミーは近付いた。

「ねぇ、あなた森妖精(エルフ)の村に私を案内してくれませんか?」

 森妖精(エルフ)の顔には恐怖と理解不能の字。

「あ…ぅ…なんで…。」

「殺された人達に真実を聞きに行くんです。さぁ、立って。」

「こ、殺されたひとに…しんじつを…?」

 森妖精(エルフ)が信じられないものを見るように瞳を揺らしていると、その背に冒険者達は優しく触れた。

「あんた、殺された森妖精(エルフ)の生き残りなんだろ。光神陛下はいつでも救いを下さる。神王陛下は罪を犯した者に罰を与える事もあるが、そうでない者には慈悲深い神様だ。」

「じ、慈悲深い…かみさま…。」

「そうだ。神々の行いには無意味な事なんてないんだよ。必ず最後には救いがある。さ、あんまり陛下方をお待たせしちゃいけない。森妖精(エルフ)の未来はきっとお前にかかってるんだから。」

 森妖精(エルフ)は冒険者達に促され、立ち上がった。

 そして「森妖精(エルフ)の…未来…」と言葉を咀嚼する。

「ソロんん!なんであんだばっがり平気なのぉお!聖水を!!神殿に行っで聖水をぉ!!」

 マリアネの必死の訴えに森妖精(エルフ)の足は止まりかけるが――フラミーから伸ばされた手に手を乗せた。

 その瞳には真実を見ようと言う強い意志が宿っていた。

「良い子。」

 フラミーの微笑みに引かれるようにその足は止まることなく進んだ。

 アインズは真実を見に行く為、転移門(ゲート)を開き、アルベドに告げる。

「馬車を取って来てくれ。それから、この場を任せられる――そうだな、シャルティアを呼ぶのだ。念の為に印をつける事を忘れるな。」

 シャルティアはカースドナイトのクラスを修めているし、この光景に対して忌避感を持たないだろう。デミウルゴスは聖王国の後片付けをしているし、他の守護者達はあまりこう言う光景を好まないように思う。

 アルベドは了解の意を示し、ナザリックへ続く転移門(ゲート)をくぐって行った。

 それを見送ると、アインズは冒険者達を手招いた。

「お前達は没収された装備を探してくると良い。それから、殺された冒険者達が葬られている場所も探しておいてくれ。」

 モックナックの記憶によれば、殺された者達はアンデッドの発生を抑止するために連れて帰られていたはずだ。

「――か、かしこまりました!どうぞお任せ下さい!」

 冒険者達は辺りの惨状に顔を青くしていたが、腕が鳴るとばかりに城の中の探索についての話し合いを始める。

 ほどなくして馬車を用意したアルベドがシャルティアと共に戻って来た。

 

「アインズ様、フラミー様。お待たせしんした。」

 優雅に低頭したシャルティアは秋に染まる街よりも深い紅の瞳で面白そうに辺りを見渡した。

「シャルティア、粗方アルベドに聞いているだろうが――万一奈落の主(アバドン)の呪いを解くような者が現れればお前の持つ最大の呪いをかけてやれ。決して解けぬ呪いをな。」

 既に呪いにかかっているものが額に印を書く心配はしていない。膿で書けないだろうし、かけてもすぐに膿に押し流されてしまうだろうから。

「は。このシャルティア ・ブラッドフォールンが耐え難き苦しみを与えてみせんしょう。」

「うむ。それから、旗を探せ。盗まれほどかれた我らの栄光の旗を全て取り返すのだ。」

 シャルティアの瞳が驚愕に彩られる。

「は!?ほ、ほどかれた!?それは、あの旗達のことで!?」

 シャルティアはいつもの廓言葉も忘れ、フラミーの天使達が持つ、国旗にもなっている"アインズ・ウール・ゴウン"と、モモンガ、フラミーを示すそれぞれのサインが描かれた旗を指差した。

「そうだ。素材にされていても構わん。糸一本見逃すな。手段は任せる。」

「は!!おまかせを!!」

 アインズは頷きながら、フラミーが呪言で脱がせたチョッキ状にされた旗を取り出し、シャルティアに渡した。アルベドはフラミーの呪言で脱がせて貰うなんてご褒美だと更に切れていた。そうは言っても血で汚れるのは頂けない。

 

 怒りを燃やすシャルティアの横で、フラミーは手を繋ぐ森妖精(エルフ)に御者台を勧めた。

「あなた、お名前は?」

「お…わ、私はソロン・ウデ・アスラータ…。ウデ=レオニ村、ウデの民………です。」

「ソロンさんですね。私はフラミーです。この馬は方向だけ言えば進んでくれますから、あなたはここに座って村までの道を伝えてください。」

「――わ、わかりました。」

 

 アインズとフラミー、そしてアルベドは馬車に乗り込み、ビジランタ大深林に向けて出発した。

 フラミーに馬車からおいで、と言われた獅子の顔の天使――八十レベル代の門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)達がぞろぞろとそれに続く。

 

 ソロンは何度も何度も王城と、苦痛の中自分の膿に滑るマリアネを振り返った。




わぁー!マリアネちゃんが苦しんでルゥ!

次回#59 月の舞踊

バチギレ二人組!

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11/17は将棋の日だったそうですよ!©︎ユズリハ様
なんなの?かわいいの?

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#59 月の舞踊

 アインズ達の馬車を見送り、冒険者達もそれぞれの装備を探しに城の中へ消えると、シャルティアの赤い瞳の瞳孔はギンッと開いた。

 そして転がる蛆虫――煌王の髪を掴み上げ、痛みのせいで朦朧とする意識から覚ますように一喝した。

「目を見ろ!!」

 思わず手に力が入ってしまいそうだが、これで脳味噌を毟り取ってしまっては目も当てられない。

 シャルティアは神官系の魔法は使えるが、アンデッドであるために通常の回復魔法は使用することができないからだ。

 蛆虫は驚き目を開く。そしてシャルティアの魔眼を覗き込んだ。

 その顔は途端に苦痛を忘れ、シャルティアにすっかり魅了されうっとりととろけるような表情になった。

「答えろ!!神聖なる旗は今どこにある!!」

「旗のままのものは宝物庫に保管じであります。解いだ分は仕立て屋と防具屋に出してあります。」

 それがどうしたのだ、と言わんばかりの痛みすら忘れている微笑みにシャルティアは思わずその蛆の頭を地面に叩きつけ脳味噌を撒き散らしたくなる。

 

 むしゃくしゃする心をなんとか抑え、思ったより国中に分散している様子にどうするかと悩む。

 まずは物体発見(ロケート・オブジェクト)を使用するためにこの国の地図を手に入れなければ。

「<眷属招来>!!」

 シャルティアの背から古種吸血蝙蝠(エルダー・ヴァンパイア・バット)達と、吸血蝙蝠の群れ(ヴァンパイア・バット・スウォーム)が現れる。

「――お前たちは今すぐこの国の地図を探して来い!!手に入り次第戻れ!!」

 蝙蝠達は嵐のような勢いで城の中へ入っていった。

「ちくしょうが!!フラミー様の天使!!手伝って!!」

 天使は数人がふわりと浮かび上がり、シャルティアの隣に降りた。

「人間如きが!!御方より与えられし苦痛の五ヶ月を終えた暁には、貴様らは餓食狐蟲王の下へ送り込んでやる!!」

 シャルティアはそう言うと蛆の顎を掴み引きちぎった。

 新たな苦痛に蛆が叫び声を上げる。

「回復!!」

 天使が指をさし回復をすると蛆は起き上がった。

「お、おぉ!!天使よ…!!」

 膿は皮膚についたままだったが、呪いも解け、一瞬喜びに顔を歪めた。

 しかし、シャルティアは再びその顎を掴み――引きちぎった。

 耳、指、鼻、眼球、少しづつむしりとり、出血で死にそうになっては回復をした。

 しばしそれを繰り返し、膿がすっかり血で流れ落ちる頃、蝙蝠達は戻った。

 ふんだくるように大判の羊皮紙を受け取ると、シャルティアはこめかみに触れた。

 非常に苛立たしげに足が揺すられる。

『はい。デミウル――』「デミウルゴス!!拷問の悪魔(トーチャー)を今すぐ送りなんし!!」

 シャルティアはデミウルゴスに全てを言わせる前に勢いよく転移門(ゲート)を開く。

 体力を確認し続け、絶妙なタイミングで回復を行うあのプロの拷問官を呼び出し、ここを任せて神聖なる旗の回収に行かねば。

 きっとあの悪魔達ならばフラミーの天使よりも弱い力で回復を行えるだろうし、呪いを残したままの最適な拷問も可能だろう。

 転移門(ゲート)からはすぐに悪魔が足を踏み出してきた。しかし、その悪魔は拷問官は拷問官でも――。

「『なんですか。藪から棒に。――これは?御方はこれを御許可なさっているんですか?』」

「デミウルゴス!!いきなり来るんじゃ――っありんせん!!」

 頭の中と耳に同時にデミウルゴスの声が響くとシャルティアはデミウルゴスの額に向けてビッと一閃、その爪で攻撃を与えた。

「――っ、何を!」

 デミウルゴスはクレームを入れようとすると同時に、自分の額からツツ…と血が流れ――シャルティアの額の印を見て何か意味のある事なのだと納得する。

「んん、それで、どうしたのかな。」

 顎まで垂れて落ちてしまった血をハンケチで丁寧に拭った。

「あぁぁああぁ!!むしゃくしゃする!!それが、この蛆虫どもがとんだ無礼を!!」

 シャルティアはキィー!と金切り声を上げてから旗の事を話した。

 そうしている間にも次々と蠍イナゴが空から降りてきてチクチクと王を刺し、再び膿にまみれさせていた。

「なるほど。それでこの者達は今こうしてアインズ様から罰を受けているわけですね。」

 話を全て聞くとデミウルゴスの額には激しい怒りがバキバキと這った。

「今少しだけフラミー様の天使に手伝ってもらって痛めつけんしたが、はっきり言って足りんせん!!」

「それはそうですとも。拷問の悪魔(トーチャー)達を連れてきます。少し待っていて下さい。私が極上の苦痛を約束するので君は旗を。」

 デミウルゴスは出てきた転移門(ゲート)に戻って行った。

 

+

 

 痛みにもがく者に溢れる、ぞっとするような煌王国を抜けると、国の外にはもう月が昇っていた。

 星を散りばめた空は苦しくなるほどに透き通っている。

 ソロンは御者台だと言うのに少しもお尻が痛くならない馬車に揺られながら、落ち着いて色々なことを考え直す。手綱を握る手は月に蒼白く映し出されていた。

 フィリナの言っていた煌王国の罪、神聖魔導国を恨んではいけないと言う言葉。

 マリアネの独白。

 地獄の神が言った、シャグラの記憶を見てここに来たという言葉。

 ソロンは地獄の神と最初に会ったときに「最後の生き残り」と言われ、間違いなくこの人間が全てを仕組んだのだと思い込んでしまったが――もし本当にシャグラの記憶を見ていたのなら、ソロンが生き残りだと知っている事はおかしくない。

 考えれば考えるほどに信じていたものが崩れ落ちていく。

 

 馬車はじきに高い山々に雪がかかる様子が見える、ソロンの生まれたビジランタ大森林に差し掛かった。

 木々の隙間から月の光が落ちて来るのを見ると、ソロンはよく知っている森に涙した。

 もし、本当に煌王国が同胞を殺したのなら、この半年ソロンは仲間の仇に喜び尻尾を振っていたのだ。

「うっ…うぅっ…あにら…。父さん…母さん…。」

 可愛い妹は生まれた時から小猿のようにソロンの後ろを付いて回った。

 森にいると、兄さん兄さんと呼ぶ愛おしい声が耳に届いてくるようだった。

 今でもアニラが生まれた日を覚えている。初めて見る父と母の落とした涙を。

 きっとこの小さな存在を守るのだと父に言われ、ソロンは一人立ちしてもその言葉も、あの日の感動も忘れたことはなかった。

 そして、ふと上位森妖精(ハイエルフ)の下へ送り出したフィリナは無事だろうかと思う。

 思うが――その無事を素直に祈れない。

 しかし、ずっと何かを伝えようとしてくれていたフィリナを恨み切ることもできず、ソロンの頭の中はぐじゃぐじゃだった。

 木の枝が顔を撫でると、ソロンはウデ=レオニ村が近くなっている事に気が付いた。

 ぐしりと顔を拭くと馬車をコンコン、と叩く。地獄の神の怒りに触れないように極力丁寧にだ。

「もうじき着きます。」

 中からは「そうか」と穏やかな声が聞こえた。

 

 月は高く、それを取り巻く雲は鯨のようだ。

 見違える程に荒れ果てた村は海に沈んだように青かった。

 誰もいない。煌王国軍が埋めてくれたと言う多くの墓には、仲間達の肉体を糧に真っ白な花が大量に咲いていた。

 ソロンが供えた花が根付いたようだ。

 森には、決して近くはない海から風に乗り朧な霧が届く。

 真水の海には塩害はなく、森へただひたすらに恵をもたらした。

 

「止まってください…。」

 ソロンは静かに馬へ命令――いや、お願いした。

 御者台から降りると、新たに生えて来てしまった草達がふかりと優しくソロンを迎えた。

 馬車の扉を叩くと、ノブは傾き、カチリと軽快な音を鳴らす。扉はスムースに開けられた。

「跪きなさい。」

 ソロンは悩んだが大人しく宰相の言葉に従った。

「フラミーさん、着きましたよ。」

 心地良さそうなあくびが聞こえる。

「ふぁい。じゃあ、やりましょうか。」

「大丈夫ですか?あれだけ天使出してますし、疲れてるなら明日朝が来てからだっていいんですよ。」

「ううん、ちょっと寝ましたし、やっちゃいます。村は他にもありますし。」

 降りてきた妃はどこまでも美しく、長い耳にかけられた不思議な蕾がパカリと咲いた。

 白い杖が花咲く盛り上がりに向けられる。

 ソロンは真実とはどうやって見せられるものなのだろうかと思う。

 死体の傷の確認だろうか。

 いや、殺された者から真実を聞くと言ったのだから、もしや墓を暴きアンデッドの発生を促すのか。

 そう思うとソロンは今更ながらに恐ろしくなった。

 

 妃が魔法を唱え、翼が燃えるように聖なる光を放つと、ソロンはやめてくれと叫ぼうと思ったことも忘れ、手をかざし目を細める。

 すると、まるで繭を割るように花の下から手が伸び、白い花びらが舞い上がった。

 方々で同じ事が起きると、暗い森の中で、月に照らされ輝く花びらが雪のように辺りを包んだ。

 次々と杖の先をあちらこちらへと向ける妃の姿は踊る妖精――いや、月の光を栄養に咲く花のようだった。

 今何故その踊りに合わせて笛の音が聞こえてこないのか不思議にすら感じる。

 獅子の顔をした天使達がその周りで、二度と目覚める事はないと思った森妖精(エルフ)達の手を取り、呼吸ができるように土から上半身だけを掘り起こしていく。

 神話だ。とても現実とは思えない。

 

 これは夢なんじゃないだろうかとソロンは思う。

 今日は一日、夢を見ているのかもしれない。

 やがて目を覚まし、全てが解けて消えてしまうのだろう。

 ソロンは自分の頬をつねると痛みを感じ、地面に座り込む。

 眠る前にも夢を見て、ソロンは鼻の奥につんとした痛みを覚え、堪え切れない涙がぽろりと一つ落ちていった。

 

 

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「女神よ……。」

 呟いていると、その隣に地獄の神も座った。

 女神の足音だけが静かなダンスに添えられる太鼓の音のようだった。

「女神だとも。美しいだろう。」

 神は奇妙な道具を取り出すと、カチャッとボタンを押した。

 そこからはジー…と空間を切り取ったような絵が出た。

 女神は美しかった。目眩を感じ、気が狂う程に美しかった。

 だから、蘇りゆく仲間へ駆け寄ることも忘れてしまっていた。

 

「あんな人を信仰せずにいられるか。」

 ソロンは静かに首を左右に振った。

 これまで信じた凡ゆる教えをかなぐり捨て、この女神に全てを捧げられる。

 モノクロに見えた世界に色が取り戻されていく。

 女神の足元では踏まれた草が美しい模様になっていた。

 満ちる月の中、天使の輪に囲まれる女神はひたすらに命を取り戻す踊りを続けた。

「そうだろう。さぁ、お前も天使と共に森妖精(エルフ)を墓から出してやれ。皆力が足りず自力で墓から出ることはできん。そしてフラミーさんと我が国に感謝しろ。」

「は、はい。行ってまいります、陛下。」

 立とうとしたソロンは腰が抜けたようで、一度花びらの中転んだ。ぼふんっと花びらが舞う。

「い、いつつ…はは…ははは…はは!痛いな!!」

 痛みはただただソロンに喜びを与えた。頭に花びらが乗ることも、服が土に汚れることも、少し擦り剥いた膝も何も気にならなかった。

「その声…。そろん…そろん…。」

 ソロンはハッと顔を上げた。

「ら、らうるぱ!らうるぱ!!」

 墓だった場所へ駆け寄り、花と土を必死に掻き分け、伸ばされた手を掴んで引っ張り起こす。

 友は土を吐き、困ったように笑った。

「や、やっぱり…そろんの声だったんだね。無事だったんだ…。それにしても…これは…。いや、煌王国軍が戻ってくるといけない、すぐに逃げるんだ…。」

 ソロンはその言葉を聞くと、子供のように肩を震わせ、嗚咽しながら大きすぎる涙をボロボロと落とした。

「ラウルパ、ラウルパ…すまなかった、俺が、俺が人間にアンデッドのことを解決させようなんて言わなければ…こんなことには…!本当に、俺は愚かだったんだ…!」

「何言ってるんだよ…。それは皆が賛成した事じゃないかい…。」

「いいや、いいや!本当に、本当にすまなかった…!」

 懺悔を繰り返す中、あちらこちらの土から「出してくれ」と声が響く。

 ソロンは天使達と肩を並べて、森妖精(エルフ)達を土の中からとにかく起き上がらせる。

 皆下半身は埋まったままだったが、土の中はあたたかいよと笑った。

 そして白い手を引く。

 土の中からは眉の上で短く切りそろえられた前髪が特徴的な森妖精(エルフ)

 見慣れ、日々求めた草原色の瞳はソロンを捉えると心配そうに歪んだ。

「アニラ!!」

「にいさぁん…にげてぇ…。」

 頭には散りかかる白い花びらがどんどん積もった。

「もう大丈夫。もう大丈夫だよ。兄さんが悪かった。お前を連れて行くべきだったんだ。いや、全てを俺が壊したんだ。何一つ守れない、愚かな兄さんを許してくれ…!」

 最後の言葉さえ聞けず、空の星に消えたはずのアニラの確かな生を感じた。

 夜中に起こされたモズとムクドリの鳴き声が、ようやく訪れた森妖精(エルフ)達の目覚めを祝福するように、再び息づき始めた森を木霊した。

 ソロンの悪夢は終わりを告げた。

 

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「何一つ守れない俺を許してくれ、か。」

 アインズは妹と抱き合うたった一人生き残った森妖精(エルフ)の背を見ると呟き、摘んだ小さな白い花をくるくると回した。

 揺れる花々は地につく手を優しく撫でた。




はぁ…ふららだんす…( ;∀;)エルフ…良かったね…。
"最適な拷問"もできたし!!

次回#60 新たな船長

そして本日のフラミー様をユズリハ様にいただき…(´;ω;`)こちらも泣ける

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挿絵もユズリハ様です!!神ですね…。あぁ、しゅてき…。

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#60 新たな船長

 翌日の夕暮れ、アインズとフラミーはソロンとアニラに案内され、航海団が二度辿り着いた海に出た。

 

 ウデの民の復活を済ませた後はナザリックに戻り、ナインズと寝てから戻ってきた。早朝から他の壊滅させられた五つの森妖精(エルフ)の村も復活を行ったせいでこんな時間になってしまった。

 アルベドはウデ=レオニ村で神聖魔導国の神官達と死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、そして漆黒聖典を含め、今後の話し合いをしている。

 わざわざ漆黒聖典も来ているのは――聖王国を襲った上位森妖精(ハイエルフ)を縛り上げて連れてきている為だ。

 

「私が最初に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に人間が使役されてるって言ったんです…。」

 アニラは申し訳なさそうにその場で俯いた。

「そうか。そう思われる可能性がある事を考慮するべきだったと私も今は反省している。」

 アインズは第二団が乗ってきた幽霊船を見上げる。

 アインズ・ウール・ゴウンの紋章を戴く幽霊船のメインマストは金色の夕暮れに寂しく照らしだされていた。

「船長が殺されてはこれもただの船に成り下がるな。私の生み出す者でこれの操作ができるだろうか。試験が必要だな…。」

 フラミーはアインズの呟きを背に黄金に染まる海に足を浸した。

 船の中腹には一列に大量の(オール)が並んでいる。

 風が途絶えた時や、入出港する際、他には中空を行くときにスケルトン達が漕ぐのだ。当然スケルトン達も皆殺し――元から死んではいるが――にされている為、それを動かす者も今はいない。

 長いしゃもじのような(オール)の先にはフジツボが引っ付き、ウミウシが這っていた。

「皆殺しにされたはずの船がこんなに綺麗なんて皮肉だなぁ。」

 フラミーは独り言を言いながら、自然に飲まれ始めている二団船を眺める。

 すると、海の中でキラリと何かが光りを放ち、目を細めた。

「んん?」

 更にざぶざぶと進み、手を浸すと輝きの周りにいる魚達を払う。

 七色の魚達がぴゅいんと逃げていくと、そこには剣を手にする骨が落ちていた。

 その首には冒険者のプレート。

 フラミーは半年前に煌王国軍に回収されなかった可哀想な冒険者を復活させようと杖を向ける。

「<不死者創造(クリエイト・アンデッド)>。」

「――あ。」

 アインズの詠唱が響くと海の中で眠っていた者の周りにはドロリと黒い粘度のある液体が噴き出した。

「ん?おかしいな。アンデッドが出ん。」

 訝しむような声が聞こえるとフラミーはアインズを手招く。

「アインズさーん、ここで生まれちゃってますよぉ。」

「え?なんでそんなところで?」

 アインズもざぶざぶと進んでくると、森妖精(エルフ)の兄妹は寒そう…とその様子を見た。

 黒い液体がすっかり冒険者を包むと、新たな姿を手に入れていく。

 そして海の中からザブリと起き上がった。

「至高の御方。お呼びいただき感謝いたします。」

 フラミーが「あぁあ」と言うとアインズも「あぁあ」と声を上げた。

「…やっちゃったな。えーっと、お前は…。」

 アインズは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の首にかかる冒険者プレートを確認する。

「ミスリル級…ザイトルクワエ州エ・ランテル市……"クラルグラ"……イグヴァルジ…。」

 イグヴァルジは目一杯胸を張った。

 視線からは熱い物を感じるが、アインズとしては冒険者をアンデッドにするつもりはなかったのでガックリだ。

「…お前は今日からイグヴァだ。イグヴァよ、お前はこれを動かせるか?」

「我は御方に生み出されしシモベ。御命令とあらば、山であろうと動かして見せます。」

「そ、そうか。じゃあ早速試してみてくれ。操船に必要なスケルトンは今出すから待て。」

 三人はふわりと浮かび上がり、イグヴァは舵に向かい、アインズとフラミーは甲板に向かった。

 出入り口のハッチを開け、下に降りていく。

「あぁあーアインザックに謝んないとなぁ…。」

「一緒に謝りに行ってあげましょうか?」

「本当ですか?怒られるかもしれませんよ。あの人結構怒ると怖いからなぁ。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に操作ができるかちょっとお試しと思ったのが間違いでした…。」

 モモンとプラム時代のアインザックを思い出す。

「二人で行けば怖くないですよ!」

 フラミーが明るく笑う。

 神々に冒険者をアンデッドにしてごめんねと謝られる方も困るだろう。

 庶民感覚の二人は神様らしい謝罪の言葉を考えながら、漕ぎ手たちが座る長椅子がいくつも並ぶ部屋に降りた。

「<転移門(ゲート)>。じゃあ俺、ちょっと第五階層からスケルトン取ってきますね。」

 アインズはそう言うと、付き従ってくる不可視化している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達にここにいろと目で伝える。

 天使達が二十四時間の制限を超え帰還してしまったので、入れ違いで派遣されてきたのだ。

「いってらっしゃぁい。」

 フラミーがぴらぴらと手を振るとアインズはいそいそと転移門(ゲート)をくぐって行った。

 不意に船は揺れ、浮遊感を感じる。

 フラミーは降りてきたばかりのハッチへ戻り、船の外に出た。

「浮きましたね!」

「は!後は漕ぎ手がくれば進むかと思います!」

 イグヴァの自慢げな顔にフラミーは笑い、船の下で口を開けて様子を見ている兄妹に<全体飛行(マス・フライ)>をかける。

 船の周りには霧が立ち込め始めていた。

「上がってきて良いんですよ!」

 二人は飛び方を知らないなりに不格好に甲板に上がってきた。

「わぁ…!神様は何でもできるんですか?」

 アニラがフラミーへ憧れの瞳を向けると、フラミーはくすぐったそうな顔をした。

「何でもなんてできませんよ。出来ないことばっかりです。」

 はぇ〜とアニラが声を漏らしているのを、ソロンは目尻を下げ眺めた。

「アニラ、光神陛下は謙遜されてるだけだ。当然なんでもお出来になる。」

「わ、わかってるよ!もちろん――っうわ!!」

 突如船が進み出すとアニラは尻餅をついた。

「動かせたな。イグヴァ、よくやったぞ。」

 戻ってきたアインズがイグヴァを褒めると、イグヴァは再び胸を張った。

「ははあ!それで、どちらへ向かいしましょう。」

「お前は先に煌王国へ行ってくれ。転移門(ゲート)を開く。スケルトン達には印を与えてあるから安心しろ。」

「印…でありますか…?」

「あーまぁこっちの話だ。」

 アインズは船頭に向かい転移門(ゲート)を開く。フラミーはインク壺を取り出し、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のその額に印をつけた。

「向こうには冒険者の皆もいますから――えっと、生き残りの中にクラルグラのチームの皆さんがいたら先に謝っておいて下さい…。」

「お任せください。新たな役目を与えられたと伝えます。」

 

 イグヴァはアインズとフラミー、森妖精(エルフ)の兄妹が船から降りると転移門(ゲート)を潜った。

 

「さて、船の回収もできた事だしウデに戻るか。」

「そうですね。夜になっちゃいますし。」

 アインズは再び転移門(ゲート)を開き、村に戻った。

 

「ソロン!ソロン・ウデ・アスラータ!!」

 村で声を上げたのはアインズが生死の神殿で記憶を確認した上位森妖精(ハイエルフ)のシャグラ・ベヘリスカだ。

 呼び出した時は縛り上げられていたが、今はもう縄も解かれていた。

「シャグラ様!!」

「っこいつ!私はお前の暮らす部屋も用意したんだぞ!」

「あ…あぁ…ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。それに、俺のせいで…こんな…。」

 シャグラは満身創痍だった。特に目を引くのは首に巻かれた血の滲む包帯だろう。

 神官達に最低限の回復をされたが、依然としてボロボロだ。

「まったくだ。お前の仇討ちの為にこんなになってしまった。私が向こうでどれほど恐ろしい目にあったと思っているんだ。」

 シャグラは一瞬ソロンを睨んだが、すぐにははっと軽い笑いを漏らし破顔した。

「しかし、全てはもう良い。私は兎に角アルバイヘーム陛下の下へ戻らねばならん。神聖魔導国への謝罪も行わなければいけないし、何より精霊の守りの――いや、光神陛下の守りの印を持たぬ者が煌王国に足を踏み入れれば死の苦痛を得ると言うではないか。皆が近付かぬように注意をしなければならない。」

 ソロンの額にはたらりと汗が流れた。

「…シャグラ様、俺は実は一人人間に、光神陛下の守りの印を与えました…。上位森妖精(ハイエルフ)の皆様を呼びに行くと…言った者に…。」

「な、何?それを魔王――いや、神王陛下には伝えたのか。」

 ソロンがアインズを見ると、アインズはふむ、と声を上げた。

「煌王国の全ての者に罰を与える予定だと言うのに勝手に印を与えられては困るな。」

 アインズがそう言うと、シャグラは目を細めた。

「あなたは…?」

「なんだ?私がどうかしたか?」

「いえ、神聖魔導国の方なのは分かりますが、どなたなのかと。」

 シャグラがそう言うと神官がすすす…とその後ろに寄り、耳打ちした。

「神王陛下でらっしゃいます。」

「神王陛、ん?この方は違うだろう。」

 ソロンはシャグラを訝しむように見た。

「シャグラ様は神王陛下と会われてるんですよね…?この方は神王陛下です。地獄の神の。」

「お会いしているとも。地獄の魔王は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だろう。」

 割と言いたい放題だった。

「シャグラ・ベヘリスカよ。私は地獄の魔王でも死者の大魔法使い(エルダーリッチ)でもない。死の支配者(オーバーロード )だ。」

 アインズは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がこの世界で魔法を使う最も名の通ったアンデッドだとはわかっているが、やはりそんなものと同じにされるのは不本意だった。

 そして人の身を手放すと神聖魔導国関係者以外はひっくり返った。

「…この反応も不本意だな。」

 アインズが文句を垂れている横でフラミーは肩を震わせくすくすと笑っていた。

 

 その日森妖精(エルフ)達の住むビジランタ大森林は新大陸に於ける神聖魔導国の最初の領土となった。

 森妖精(エルフ)達の精霊の守りの印は女神の印へと自然と呼び名を変え、太古より伝わる自分達を見守ってきた精霊はフラミーだったのだろうとその地の宗教は姿を変える。

 これまで額の刻印は危険の伴う職である、森の警邏隊と狩猟隊しか入れなかったが、すべての森妖精(エルフ)は早急にそれを額に入れた。

 そして興味本位で隣の煌王国を見に行くと、地獄の光景に震え上がり、すぐに森に帰ったらしい。

 数人は石を投げたり、裁きを受けている者を殺してしまったりしたようだが。そんな時には空から奈落の主(アバドン)が舞い降り、予想外にも優しく注意したらしい。

 

 森にはこれまで同様神殿が建てられるのだが、それは神聖魔導国主導ではなく、ソロン主導で建てられ、名は生命の神殿と地獄の神殿だった。

 完成はどちらも煌王国の解呪の頃。

 生命の神殿の深部には月の光が落ちる場所に鍛冶長お手製のフラミー像が置かれる。そこではアインズが撮ったあの夜の写真も販売された。

 フラミー像はアインズが撮った写真を元に作成され、それを見るたびに人々はあの夜を思い出したそうだ。

 もちろん、オシャシンは一家に一枚ならぬ、一人一枚とお守りのように皆が携帯した。

 

 そして、どの村にも当然のように死の騎士(デスナイト)が配備される。

 森妖精(エルフ)達が地獄の神が生み出せし死の騎士(デスナイト)に慣れるには割と時間がかかったようだ。

 

 ソロンはその後、聖ローブル州の生死の神殿を礼拝してネイアに、そしてザイトルクワエ州の約束の地へ行ってニグンに会うのだが――それはまた別のお話。




おぉ、ハイエルフ達生きてた!!
ちゃんと謝る気がある!!

次回#61 再びの呪われた地

11/19はシュークリームの日だったそうです!ユズリハ様よりです!
11/10に頂いた御身がジルジルのところに遊びに行った時の連作ですね!

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昨日の女神女神フラミー様もいただいて昨日の後書きにも貼り出しましたがこちらにも。( ;∀;)はぁ〜〜美しい

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#61 再びの呪われた地

 翌日アインズとフラミーが漆黒聖典とソロン、シャグラを連れて煌王国に戻ると、城の玄関脇に幽霊船が止められていた。

 二階のバルコニーから冒険者達が出入りをしている。

「あ、陛下!!陛下方がいらしたぞ!!」

 冒険者の元気のいい声が響く。

 アインズとフラミーはバルコニーの上へ向け軽く手を挙げた。

 冒険者達の様子は平和だが、相変わらず空には奈落の主(アバドン)がいるし、邪悪なるイナゴは飛び交っているし、太陽は見えない。

 まるで夜中のような様子だ。

 あちらこちらでトーチに火が灯されている。

 

 ただ、王城玄関には無様に転がっていたはずの者達は一人もいなかった。

 それどころか王城周囲に転がっていた兵達や、道端に転がっていた町人達もいなくなっている。

 あの状態で動くことなど出来ないはずなのに、とアインズが思っていると、冒険者が幽霊船から梯子を下ろし、降りてきた。

「神王陛下!光神陛下!今イグヴァルジ――さんが守護神様達を呼びに行かれました!」

 アインズは"達"と言う言葉に僅かに疑問を持つ。シャルティアは吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)でも呼んだのだろうか。

「そうか。ところで随分片付いているが、ここに転がっていた者達はどうした?」

「はい。王と姫は守護神様がせめてもの情けにと部屋にお運びになりました!私達もそれに感化されて、見える範囲にいる兵達や街の人々はそれぞれベッドやソファ――兎に角床ではないところに移動させました。」

「ほう、シャルティアがな。感心なことだ。」

 ここの人間は嫌いだが、あのカルマ値極悪のシャルティアが何の命令もなく人間に慈悲を持って関わりを持った事には感嘆すべきだろう。

 程なくしてイグヴァが見えると、その後ろにはシャルティアとデミウルゴスがいた。

「あら?デミウルゴスさん、聖王国を併呑するって言ってたけどもう終わったのかな?」

 フラミーが首を傾げていると二人は前に来て跪いた。

 シャグラはデミウルゴスの登場にヒュウ…と喉を鳴らし、包帯を巻かれている首を撫でた。

 

「アインズ様、フラミー様!お帰りなさいまし!」

「おはようございます、アインズ様。フラミー様。」

「ああ、おはよう。私達がいない間――この様子ならどうだったかと聞くまでもないな。」

「はい。何事もなく過ごしんした!」

「それは何よりだ。それにしても、デミウルゴスも来ていたか。」

 今日も挨拶替わりにフラミーを褒め称えていたデミウルゴスは頷いた。フラミーは変わらず気恥ずかしそうにしている。

「は。シャルティアに呼ばれまして。」

「そうだったか。シャルティア、旗はちゃんと取り返せただろうな?」

「昨日全てを回収できんしたので、鍛冶長に渡して修復と浄化を頼んでおきんしたぇ!」

「良くやったぞ。しかし、罪人は部屋に連れて行ったと聞いたが甘やかすなよ。」

「もちろんでありんす!様子をご覧になりんすか?」

「ふむ。たまには苦しむ顔でも見ておくか。」

 

 是非是非とシャルティアが進み始めると、フラミーはデミウルゴスの手を取った。

「デミウルゴスさん、待ってください。」

「あ…は!」

 デミウルゴスは慌てて跪き直しフラミーを見上げた。

「これ、痛かったですね。」

 フラミーはインクの壺を取り出してからデミウルゴスの額の怪我を治した。

 清潔(クリーン)で額につく血を取り除くと、蠍イナゴは一斉に悪魔に向かって飛んだ。特に悪魔という性質を持つデミウルゴスへ向かうスピードは猛烈だ。

 しかし、インクに浸されたフラミーの指がその額を撫でると、蠍イナゴはふぃんと悪魔から興味を失い散っていった。

「賢いおでこに祝福ですよ。」

「か、かしこい…おでこ…。」

 フラミーはインク壺をしまうと笑った。

「じゃ、行きましょっか!」

 ぼんやりとしていたデミウルゴスはハッと我に帰り、急ぎ胸からポケットチーフを取り出すとフラミーの汚れた手を取った。

「お、お待ち下さい。お手を煩わせてしまい申し訳ありませんでした。」

 華奢な指を一本一本包みインクの汚れを拭き取る。

 強く握ると破壊してしまいそうなので、極力優しく、波が砂をさらう様に撫でた。

「っあ、ハンカチが汚れちゃいますよ。気にしないでください。」

「良いのです。こうして使ってやれる機会に使ってやらなければ、ウルベルト様が持たせて下さった意味もございません。さぁ、綺麗になりました。」

 デミウルゴスはフラミーの手からすっかり汚れを取ると手を離した。その顔は実に満足げであり、どこかパンドラズ・アクターを彷彿とさせる。

「じゃあ私が清潔(クリーン)かけてあげますよ!」

 フラミーはデミウルゴスのチーフを追い手を伸ばしたが、指の後がついたチーフはすぐに胸ではないポケットにしまわれた。

 デミウルゴスはフラミーの血を吸わせた戒めのハンカチと共にこれはしまっておこうと思った。

「恐れ入ります。お気持ちだけ。」

 デミウルゴスが伸ばされた手の平に唇を落とそうとすると、コツンと頭を叩かれた。

「ほら、行くぞ。全くお前もよくもつな。」

 アインズに急かされる形で一行は煌王とマリアネを置いて(、、、)いる部屋へ向かった。

 

 ソロンとシャグラを部屋の外で待たせ、アインズは憎悪と恐怖の匂いがする部屋に入った。

 窓は全て潰されているが、一箇所だけ奈落の主(アバドン)の眷属の出入りを可能にする穴が小さくあいている。

 薄暗い部屋の中、二人は並べて寝かされていて、実に静かなものだ。

 優しすぎるのも問題だとアインズが思っていると、「わ…」とフラミーの声が短く響いた。そしてアインズも鎮静された。

「おぉ、アインズ様!フラミー様!よくぞいらっしゃいました!吾輩も微力ながらお手伝いさせていただいております!眷属達も新鮮な食事に大喜びですぞ!」

 中にいた恐怖公は腹を曲げ頭を下げた。一体どんな体の作りなのか毎度疑問を抱かずにはいられない。

「そ、そうか。それは何よりだ。生きているとなると、どうしてもエルヤー・ウズルスか常闇に限られてしまうからな。眷属達を充分に楽しませてやるが良い…。」

 アインズは言いながらフラミーの頭を抱えるように目を塞いでやり、シャルティアとデミウルゴスに振り返った。残酷なことを楽しみがちなフラミーだが、恐怖公と恐怖公の眷属には免疫がない。

「これは、お前達の提案かな。」

「は。御身の生み出す地獄に意見するわけではありませんが、もう少しばかり苦痛と辱めを増やした方が良さそうだと思いまして。」

「いかがでございんしょう!」

 デミウルゴスとシャルティアはいい仕事をしたなぁと二人嬉しそうに笑った。

 

 煌王とマリアネの顔にはびっしりと恐怖公の眷属が付いていた。眷属は顔の膿を美味しそうに舐め、偶に皮膚も食っている。

 口の中には叫びが漏れないようにサナギのような卵をぎっしりと産み付けられていて、産まれ出た子供達はまぶたを縫い付けられている眼球へ進む。涙で水分補給だ。そして、眼球へ食らいついた。――当然ちょうど良いタイミングで拷問の悪魔(トーチャー)が弱い回復魔法を送る。

 不意にマリアネの腹が鳴ると、外から奈落の主(アバドン)の眷属が用意された穴から部屋に入った。そしてその口へ向かい、恐怖公の眷属の卵をドッサリと押し込みながら胃の腑へ降りて行った。

 マリアネは口が空くと叫びだし、再び蓋をするようにその口には卵が大量に産み付けられる。

 二人は裸に剥かれているが、フラミーへの配慮として陰部には今は布が掛けられていた。普段は晒されているであろうことは、まだ膿を大して吸っていない布から容易に想像が付く。

 掛けられる布とは対照的に、ベッドには膿と大量の血液が滲みていて、全く切れそうにないノコギリや錆び付いたナイフ、梨のような形のものを手にする控えの拷問の悪魔(トーチャー)が何をしているのかが伺われる。

 そして、近くには普段牧場勤務のサキュバスが立っていて、拷問対象が王と姫しかいないこの場所で掛けられる魅了の呪文は――――とにかく、人々の想像する地獄と嫌悪を二人の体に詰め込んでいるようだ。

 

 恐怖公の眷属はあまり直視したくないが、ナザリックの宝に手を出した者にはふさわしいだろう。

 どの悪魔もアインズとフラミーを期待に満ちた目でみている。

 それが何を求めているのかすぐに理解し、アインズは支配者として最もふさわしい声を出した。

「中々良くやっているようだな。私は恩には恩を、仇には仇を返すべきだと思っている。素晴らしいぞ。自我を崩壊させないよう気を付け、今後も"神の裁き"を楽しませてやれ。」

「「「「は!」」」」

 悪魔達は嬉しそうに声を張り上げた。

 

 その様子に上官のデミウルゴスも嬉しそうに頷いた。

「ところで、アインズ様。一つお願いしたいことがあるのですが。」

「どうした、デミウルゴス。」

「実は、少しばかり羊を足したいと思っております。不慮の事故で死んだ分を補給したいのです。」

 アインズはデミウルゴスから上がってきていた報告書の一つを思い出す。牧場で飼育されている羊たちは、デミウルゴスや悪魔達の徹底した管理の下に飼育されているので、そう滅多に死者は出ない。しかし、稀に皮剥の最中に突如としてショック死したり、食事中に突然死したりすることもあるのだ。きちんと繁殖もさせているが、なんと言っても羊達は非常に成長が遅い。

 

「構わないぞ。しかし、死んだ分の補給などと言わずに好きなだけ持って行くが良い。こう言う機会もそうなかろう。」

「ありがとうございます!でしたら、これを機に、牧場の拡充と言うのはいかがでしょうか?支配地域の拡大に伴い、僕達が外に出る事も増え、伝言(メッセージ)などの低位のスクロールも多く消費されております。」

「良いだろう。とは言え、あまり広げすぎて羊が見られないようにだけは注意しろ。」

「心得ております。茸生物(マイコニド)の縦穴式都市の建造ノウハウがあれば地下へ施設を大きく伸ばせるかと。」

「ふふ、さてはデミウルゴス。お前、アウラとマーレにパクパヴィルに呼ばれた時からこの時を待っていたのではないか?」

 デミウルゴスはメガネのブリッジに中指で触れると、どこか恥ずかしそうにし、尻尾を数度ふぃんふぃんと振った。

「それは、えー…その…。」

「良い良い。ではアウラとマーレをノウハウの吸収の為再びパクパヴィルへ送れ。その後掘削と施設の建造に取り掛かるのだ。地盤の確認も必要となると時間がかかるだろうが――羊の補給は裁きの五ヶ月以内に済ませろ。良いな。」

 アインズの絶対者としての声で命令を浴びたデミウルゴスは肩をわずかに震わせた。至高の支配者より命令されると言うのは何とも素晴らしいことだと。

 五ヶ月以内と言うのは些か難しい話かもしれないが、デミウルゴスの答えは決まっている。

「はっ!かしこまりました!見事五ヶ月以内に全てを済ませてご覧に入れます!」

「期待しているぞ。さて、それではそろそろ行くか。お前達、今後も忠義に励め。」

 

 アインズは部下の労いを済ませると、恐怖公の眷属に鳥肌を立てているフラミーの体の向きをくるりと変え、その背を押して扉へ向かった。

 満足げなデミウルゴスと――自分の手柄が横からとられたような気がし、どこか不機嫌なシャルティアも続く。

 

 外に出ると、待っていたソロンとシャグラが壁から背を離した。

「神王陛下、マリアネ様に…いや、第一王女に一言よろしいでしょうか…?」

 アインズはチラリとデミウルゴスに視線をやる。

「五分待て。」

「ありがとうございます。」

 

 ソロンはその場に残り、アインズ達はシャグラを連れ冒険者の復活に向かった。

 

 会ってどうしようと言うのか分からなかったが、兎に角最後に一度顔を見ておこうと思った。

「どうぞ。」

 部屋の中からデミウルゴスが声をかけると、ソロンは恐る恐る中に入った。

 ただでさえ太陽が昇らない煌王国だと言うのに、カーテンが引かれた部屋はさらに暗かった。見通せないない暗闇の中に何かがいるのではないかと思うと少しだけ恐ろしい。

「すみません。失礼します…。」

「君はたった一人の生き残りだった森妖精(エルフ)だね。」

「はい。マ――第一王女はどうですか…?」

 ソロンは廊下で待っていた時、想像より静かだったと思ったが、中に入ればマリアネは暴れ、唸っていた。

「残念ながら悔い改める様子はありませんね。あれだけの命を奪ったと言うのに、いけない話です。」

 しょっちゅうシーツを変えている様子の清潔なベッドの脇には綺麗な花と、飲ませているであろう水が置かれていた。

 ため息を吐きその顔を覗き込むと、マリアネはソロンに手を伸ばした。

「ぞ、ぞろ…ぞろん"!!お願い、お願い!!もう嫌なの!!お願いだがら連れ出じで!!」

「…ここより良い場所なんかありませんよ…。」

 ググッと拳を握ると、つい殴り付けたい衝動に駆られる。

「やだぁああ!!ここだげはやだあぁぁあ!!!ここは悪魔が――」

 マリアネはそこまで言うと目を見開き、ソロンの後ろに視線をやった。

 何かとてつもなく恐ろしいものを見ている。そう思いソロンは慌てて振り返った。

 ――しかし、そこではデミウルゴスが梨を剥いているだけだった。

「どうかされましたか?」

「いえ。それは?」

「あぁ、これですか?第一王女は梨が好きですから。」

「あ"ぅ"…あ"ぁ"……。」

 他の者とは違って、王族というだけでまともな食事を与えられ、面倒を見てもらっている筈だと言うのに――膿まみれではない清潔な服も着せてもらっていると言うのに――この王女は足ることを知らないのだと、ソロンは失望を深める。

 そして、膿にまみれ震えるマリアネを正面から見据える。

「さようならだ…。」

「ぞ、ゾロん!!お願い!!!待っで!!待っでぇぇえええ!!」

 ソロンはこの半年の自分に別れを告げるとデミウルゴスに頭を下げ、その部屋を後にした。

 パタリと扉が閉まった瞬間、中からは激しい叫び声が響いた。

 殺してやろうと思った。

 殺してやりたくてたまらなかった。

 ソロンは美しいマリアネの笑顔を一度だけ思い出し、やり切れない気持ちになると同時に、自分の帰るべき本当の場所で心を一杯にした。

 そして、マリアネへの感情を憎悪でも、恋慕でもなく、ゼロにする。関心も興味もない。もうどうなっても良い。

 しかし、ソロンは最後に聞いたマリアネの叫び声を生涯忘れることはなかったらしい。




わぁい!牧場の大規模化だ!
飼育員さん、たくさん連れて帰れると良いね!

次回#62 最古の森の邂逅

そして11/20はピザの日だったそうです!
ユズリハ様から本日のフラミー様ですよ!!

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#62 最古の森の邂逅

 フラミーに再びの生命を与えられ復活した冒険者達は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の死を悼み、その業務を引き継いだイグヴァルジに頭を下げ、仲間や新しいスケルトンに抱えられて幽霊船に乗り込んだ。

 ガレー船の漕ぎ手室にはきちんとスケルトンが並び、その下の船底の竜骨が見える部屋には取り返した大量の荷物が収められた。ただ、大量とはいえ行きよりも余程少ない。

 帰りは食料の心配はないのだから。

 何故なら帰りは――「<転移門(ゲート)>。」

 

 シャルティアの声が響く。

 冒険者達は出航した時のように再び神に手を振り、幽霊船に乗って本国へ帰って行った。

「冒険者はあまり役には立ちませんね。結局陛下方のお手を煩わせて。」

 そう呟いたのは漆黒聖典隊長だ。

 第四席次・神聖呪歌は人差し指を立ち上げてその美しい唇に当てた。

「彼らにしかできないこともあるのよぉ。隊長君。」

「…その呼び方、なんとかならないんですか。」

「ふふ。じゃあ、また昔みたいに僕ちゃんにしよっかぁ?"俺はゴミだ"、だっけぇ!」

 それはかつて隊長が「俺一人で漆黒聖典だ」と尖っていた時、番外席次にボコボコにされた日に漏らした言葉だ。

「はぁ…。隊長命令です。今すぐ黙ってください。黙らなかったら馬の小便で顔を洗わせますよ。」

 黒く色がついたように見える淀んだ風が、楽しげに笑う神聖呪歌の金色の腰まで伸ばされた長い髪と修道服のような装備を揺らした。

「ねぇ、神聖呪歌。そんなことより、この呪いはなんなの?」

 緑の騎士服に身を包む少年――第二席次・時間乱流は奈落の主(アバドン)の眷属を摘み、神聖呪歌に問う。

 その声は声変わり前の少年のように高く、うきうきしているのが伝わってくる。が、声に似合わず表情は冷酷だった。

「残念だけどわからないわぁ。あの子の方がわかるんじゃないかしらぁ。」

 優しげな顔をし神聖呪歌が視線を送ったのは第十一席次。

 まるでネグリジェのような格好に、如何にもお伽話の魔女が被っていそうな大きすぎるとんがり帽子を装備する女だ。

 彼女は漆黒聖典最弱だが、対象の強さを知る能力を持つ故の指名だ。

 第十一席次はチラリと二人を見ると、呟くようにこぼした。

「神の力は無限大。」

「――何もわからないな。」

 困ったように笑ったのは、第九席次・神領縛鎖。揉み上げから繋がる顎髭を撫でた。

 以前子山羊に落とされた腕は当然完全回復していて、アシンメトリーに編み込まれるコーンローは自分で編み上げている。

「わからないの?馬鹿じゃない。無限大。推し量れるわけがない。この呪いも訳がわからない。」

 第十一席次が静かに紡ぐ罵倒に神領縛鎖は苦笑した。

 そんな中、大いに頷くは第五席次・一人師団。

「あぁ…神王陛下のお力…。奈落の主(アバドン)様のお力…。なんてすごいんだ…。」

 うっとりとした声音を出す顔は妹のクレマンティーヌによく似ていた。

「こうなるとクアイエッセはダメだ。」

 特に仲がいい第八席次・巨盾万壁はゴリラのような巨体でやれやれと肩を竦めた。皆大抵、二つ名や席次で呼び合うが、巨盾万壁のセドラン、一人師団のクアイエッセ、神領縛鎖のエドガールは名前で呼び合う気易さだ。仲がいいので休みの日もしょっちゅう三人でつるんでいる。

 隊員達が好き勝手に喋っている横で、隊長も近くを通りかかった奈落の主(アバドン)の眷属を摘まみ、毒針のある尻尾をじっくり眺めた。

 

 すると、声がかかる。

「離してやれ。どの眷属にも仕事がある。」

 隊長はその深い声音を浴びると驚きから飛び上がった。

「へ、へ、陛下!失礼いたしました!!」

「気にするな。さぁ、冒険者達も帰した事だし、上位森妖精(ハイエルフ)の住むと言う最古の森へ向かうぞ。案内はこの者だ。動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)の乗り方を教えてやれ。」

 神に背を叩かれたのは神に歯向かい、あろう事か聖王国を強襲した上位森妖精(ハイエルフ)――シャグラ・べヘリスカだ。

 神はそれだけ言うといつものようにフラミーと馬車に乗り込んだ。共に馬車に入った守護神は冒険者達のために転移門(ゲート)を開いたシャルティアだ。

 

 漆黒聖典がシャグラを見る目は冷たい。

 

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 どの者も文句を言いたげで、隊長は皆が言いたいであろう言葉を口にする。

上位森妖精(ハイエルフ)も裁きを受けた方が良いんじゃないですか?放っておけば第五王女に連れられて勝手に流れ込んでくるんですよね。」

「陛下方をお連れした後、私は罪を償うため自刎いたします…。どうか国への裁きはご勘弁頂きたく思います…。」

 聖典達は上位森妖精(ハイエルフ)の殊勝な様子に僅かに溜飲を下げる。最期の旅ならば許してやろう。

 が、それを聞いて小さく叫びを上げた者もいる。

「そ、そんな!シャグラ様!!シャグラ様のせいではありません!!全ては俺のせいですから、それなら俺が――」

「ソロン。アルバイヘーム陛下と最古の森、そして同胞達の為なら、私は自分の首を刎ねるくらいどうと言うことはない。それに、私はお前よりも余程長く生きた。アルバイヘーム陛下の治世と息子の成長を最後まで見届けられないことは残念だが――償いというのはこう言うことなのだ。」

 シャグラの覚悟の瞳にソロンはそれ以上何も言えず、拳を握って震えた。

 

+

 

 裁きを受けし煌王国を丸一日掛けて抜け、同じく丸一日掛けて太陽の降り注ぐ野を行った。

 そうして踏み入れた最古の森には大人が十人で手を繋いでもとても回りきらないような巨大な木ばかりが生え、森が如何に長くそこにあったのかを訪れる者に知らしめる。

 森はどこまでも深いが、木が巨大なため意外にも暗くない。明るく、あちらこちらに木漏れ日が落ちている。

 漆黒聖典達は昼食の準備のために、食べられそうな物を探す班と、設営の班に分かれた。

 

「フラミーさーん!あんまり遠くに行かないで下さいねー!」

 フラミーは背に聞こえる声に手を振り、清浄な空気を目一杯吸いながらさくさくと草を踏みしめ、近くの探索を行う。フラミーも食べられそうなものを探そうというのだ。

 アインズは隊長とシャグラ、ソロンと共に後どれくらいで上位森妖精(ハイエルフ)の国に付くかを確認している。シャルティアはアインズの言葉を一言も漏らさずにメモしていた。

 

 空にはオリーブ色の鳥達が飛び交うのが木々の隙間から見えた。

 巨木達は秋に染まり、地面には真っ赤な絨毯が広がっていた。

 一歩進むごとに落ち葉がカサッと乾いた音を立てる。

「ふふっ。良いなぁ。」

 フラミーは読書家のアインズの為に栞を作ろうと綺麗な形の紅葉を何枚か拾った。

 そして、木に巻き付く蔦に成る赤い小さな実を見つけると一粒もいでみる。

 甘そうな実は魅力的で、フラミーは<清潔(クリーン)>をかけると口に放り込んだ。

「…しゅっぱぁ…。」

 途端に顔を中心に寄せるように皺々にした。

 静かな森の中で聞こえるのは鳥の鳴き声、通りかかる小動物の草を掻き分ける音――そして、近付いてくる何者かの足音。

 周りに控え不可視化している七体の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が警戒し、八本の脚に普段格納されている刃を露わにする。

 音のする方向はアインズ達がいる方とは真逆だ。

 フラミーも杖を引き出し、そちらへ向けていると、草むらがガサガサと揺れ、それは顔を出した。

「っはぁ、やれやれ。――は?」

 色素を含まない真白な長い髪にたくさんの紅葉を付けた、無害そうな上位森妖精(ハイエルフ)の女は、燻銀のような色の目でフラミーを捉えるとポカンと口を開けた。

 女は肌まで大理石(なめいし)のように真白く、周りの景色が明るくなったように感じた。

 ヒメロペーとテルクシノエを初めてみたとき、それはそれは美しいと思ったものだが、この上位森妖精(ハイエルフ)も実に美しい。仄かにぼうっと光を放つようで、どこか儚げだ。

 高くスッと伸びる鼻に、アーモンド型の切れ長の瞳、薄い唇は美人画のようでもある。

 金と銀を基調とした装飾の多いローブには草の模様が描かれていた。

 フラミーはそう歳の離れていないように見える上位森妖精(ハイエルフ)と無言で見つめ合った。

 二人の長い髪がさやさやと風に揺らされる。

 木の香りがする微風が二人の間に紅葉を降らせると、フラミーははたと我に帰った。

 

「――あ、あの、こんにちは。」

「――は、これは…失敬。思わず眺めてしまった。」

 女は髪に付く葉を払うように取り、はにかんだ。

「いいえ、私こそじろじろ見ちゃってすみません。」

「気にしないでくれたまえ、それよりそなたは――」

 そう言いかけると、茂みのずっと向こうから「アラ様ー!」と人を探すような声がした。

「まずいな、どうしてこっちに来たとわかるんだか…。そなたも、こちらへ!」

 女は忌々しげに声の方に視線を送ると、フラミーの腕を取り茂みの中へ連れ込みしゃがんだ。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が許可なく至高の身に触れた不敬者の首を落とそうとワッと降り注ぐとフラミーは慌てて手を振り止めた。

「わ、待って待って!」

 その首にぴたりと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達の刃が触れていることにも気付かず、上位森妖精(ハイエルフ)は茂みの向こうを確認し、「何もしないから。静かに」と一言。

 フラミーは口に両手を当て数度頷き、同じく茂みの向こうへ視線を送った。

 汚染されたリアルでは外で遊んだ記憶など殆どない。魔法を使わない隠れんぼはフラミーをワクワクさせた。

 

 すると、髪を一つにくくった男の上位森妖精(ハイエルフ)がキョロキョロと辺りを見渡すのが見えた。

「アラ様?いらっしゃらないんですか?アラ様ー?――ったく一体どちらに…。」

 男は独りごちると、再び「アラ様ー!」と声を上げ、来た方へ戻って行った。

 

 フラミーの隣で上位森妖精(ハイエルフ)はほっとため息を吐き、フラミーから離れた。

「…ふぅ、行ったね。付き合わせてすまなかった。」

「いえ、さっきの人は良いんですか?」

「良いんだ。食事後くらい自由にしたい。」

「ふふ。解りますよ。えっと、アラさん。私はフラミーです。」

 フラミーは地面に座ったまま向かいの上位森妖精(ハイエルフ)に手を伸ばした。

 アラは驚いたような顔をするとフラミーと握手を交わした。

「そなた、私の事を…?」

「あ、いえ。知りませんよ。今の人がアラ様って呼んでましたから。」

「――そうかい。えー、フラミー君。そなたは最古の森の者ではないのかい?」

 フラミーはこくりと頷いた。

「はい。私、ここからずっと遠い所から来たんです。アラさんはここの辺りの人ですか?」

「いや、私の住まいもここから一日程最古の森を北上した先にあるんだ。それにしても、そなたみたいな種族は初めて見たよ。美しい翼だ。欲しくなってしまうな。」

 

 アラはフラミーの翼に触れると広げ、興味深そうに観察した。翼は動かされるたびにキラキラと螺鈿細工のような輝きを落とした。

「はは、欲しいなんて初めて言われました。良かったらあげましょうか?」

 フラミーは翼から羽を一枚引っ張り、ぷつんと抜くとアラに差し出した。

 羽はぼんやりと輝いて、やはり動かすたびに煌めきをこぼす。

 

「やぁ…これは…。ありがとう。きっと大切にするよ。長き時を生きて来たけど、これ程美しいものは初めて貰ったよ。何にしようかな。栞にしてはもったいないし、飾っておくだけでは光がこぼれないな。」

 アラは近くの木漏れ日の中に羽をかざし、眩しそうに目を細めた。

「あ!それなら、私良いこと思い付きましたよ!」

「なんだね?」

 フラミーはアラの後ろに回ると髪に触れた。

「髪に挿しておいたら、きっと綺麗です!」

「ははは。フラミー君は変わった人だ。」

 そうですか、などと笑いながらフラミーは櫛を魔法で生み、さらさらと流れるような髪を梳かした。髪からは櫛を通す度に透き通った甘い香りがした。

 

「アラさんの髪、すごく良い匂い。」

「む、そうか。最近乳香の調合を変えたんだが、甲斐がある。」

 アラが自分の長い髪をすくってさらさらと落として行くと香りが昇った。

 フラミーはアラの、耳より上のトップの髪だけをすくい、ハーフアップのお団子にする。

「アラさんは優雅なんですね。あ、羽貸してください。」

「ふむ。」

 羽を受け取り、簪のように髪を止めた。落ちている綺麗そうな葉も挿せば、途端にヘッドドレスのようだった。

 

「はい、できました!」

 アラは自分の頭を触り、どんな髪型になっているのか確かめた。

「こんな頭にしたのは生まれて初めてだ。笑われてしまいそうだな。」

「笑われたりなんてしませんよ。アラさん、とっても綺麗ですもん。」

 フラミーは丸い笑顔を作ると立ち上がり、アラに手を伸ばした。すぐにその手は取られ、アラも立ち上がった。

 真っ直ぐに立って並ぶと、アラは随分と大きかった。

 

「そなたはヘリオトロープのようだね。」

「ヘリオトロープ?お(まじな)いみたいな言葉。」

「知らないのかい?バニラの匂いがする香油がとれる白と紫色の花を咲かせるハーブだよ。――そうだ、羽の礼にヘリオトロープの香油を贈ろう。私の家に来ないか?私はこの後用事があるから、用事を済ませるまで数日一人で過ごしてもらうことになってしまうけれど。」

 遊びの誘いにフラミーは目を輝かせた。が、フラミーも暇ではない。

 

 女子会は魅力的ではあるが――「ありがたいんですけど、私もこの後用事があって、それがどのくらい掛かるか分からないんです。」

「そうか…では、すぐではなく来週と言うのはどうだろう。」

「来週なら何とかなるかもしれないです!ちょっと待って下さいね。確認してみます。」

 フラミーはこめかみに手を当て、スケジュール管理をしてくれている守護者を探る。

 アラは嬉しそうに頷き、フラミーの手の中から櫛をとると、フラミーの髪を梳かした。

「フラミー君は伝言(メッセージ)を使えるのか。それにしても髪も美しいな。これも欲しい。」

「髪はダメですよぉ。――あ、デミウルゴスさん。私です。来週って、私何日なら空いてます?」

 耳の上にかかる蕾を取ると、フラミーを真似て半分だけ髪をくるくると巻き上げ、プツリと蕾を刺して髪を固定した。

 

「――はーい!じゃあ、その日はちょっと遊びに出かけますね!…はひ。えっと、場所?場所は――」フラミーが後ろを振り返り見上げると、アラは「エルサリオンの王城だよ」と言った。

「エルサリオンの王城までです!ん?王城?」

 フラミーはアラをもう一度見上げると、アラは変わらぬ美しい笑みを浮かべていて、前に回ってくる。

 よほど綺麗なものが好きなのか、フラミーの首にかかる光輪の善神(アフラマズダー)を手にとり眺めた。

 

「ただの小間使いみたいなものさ。」

 フラミーはあぁ、と納得の声を上げた。




漆黒聖典って本当皆バラッバラな格好ですねぇ!
設定資料集見ながらこりゃ七彩の竜王の島、汗だくだくにもなるわと納得。
資料集がない方のために見苦しくも何とか取り急ぎ漆黒聖典の見た目を描きましたぁ。

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‪1st:隊長‬(番外席次に馬の小便で顔を洗わされたよ
‪2nd:時間乱流‬(ショタだったんだね
‪3rd:??‬(おじさんだったんだね、御身並重装備ローブ
‪4th:神聖呪歌‬(女の子だったんだね、優しそう
‪5th:一人師団‬(皆大好き狂信者クアイエッセ
‪6th:⁇‬(お兄さん、身長と同じくらいでっかい剣持ってました
‪7th:占星千里‬(試される竜王国編でフラミーさんとドラちゃんと肌焼いてた。ザイトルクワエの出現を占ったよ
‪8th:巨盾万壁‬(セドラン
‪9th:神領縛鎖‬(試されるナザリック編で子山羊に腕飛ばされた
‪10th:人間最強‬(え?第九席次までじゃないんだ(初歩
‪11th:??‬(お胸が立派な露出魔女
‪12th:天上天下‬(お前…すごいやつだな…

次回#63 知恵の実

はぁい!こちらは本日のフラミー様ですよぉ!©︎ユズリハ様
世界哲学の日らしく、思考を巡らせるフラミー様だそうです!

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ぐっとくる…( ;∀;)


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#63 知恵の実

「じゃあ、フラミー君。来週待っているよ。」

 最古の森の王、タリアト・アラ・アルバイヘームは輝きが氾濫するようなフラミーの黄金の瞳を覗いた。

「はーい!お城に着いたらアラさんを尋ねればわかって貰えるかな?」

 タリアトは頷こうとして、先程フラミーが言っていたずっと遠い所から来たという言葉を思い出した。

「あ、いや。やはり迎えの馬車を送ろうか。そなたの家は遠いんだろう。ここからでも城までは一日はかかってしまうし。」

「いいえ。転移魔法で行きますから大丈夫です!」

 長距離の転移魔法は第五位階からの魔法で、タリアトは自分以外で使える者を見たことがない。長距離と断定しないなら、第三位階に<次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)>があるが、これは魔法詠唱者(マジックキャスター)が敵との距離を作るために使用する逃亡用程度の距離しか移動できない。

 

「フラミー君…そなたは随分優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)なんだね。」

 欲しい。タリアトがフラミーを見る視線の温度が上がる。

「ん?そんな事ないですよ。私なんてまだまだです。」

「ふふ、謙虚なことだ。じゃあ、そなたが転移で訪ねてくれると信じて、一応何か目印を渡しておこう。」

 ペンか何かないかと自分の白いローブのポケットに手を突っ込む。

 しかし、特に何もない。上着のように重ね着しているローブのポケットにも何もない。

 タリアトは悩んだが、腕に通している蔦のようなブレスレットを一つ外した。

 フラミーの身なりは相当に良く、身につける全ては魔法の装備だ。これを約束の品として渡したとしても、盗まれたり売ったりするとは思えなかった。

 この最古の森の王として数百年君臨するタリアト・アラ・アルバイヘームの持つ最高の一着に匹敵しているのだ。

 タリアトはフラミーのヘリオトロープ色の手を取ると腕に通した。

「王城に着いたら、私を呼んでくれ。もし不審がられたら、それを見せるんだ。いいね。」

「わかりました!無くさないようにしますね。」

 フラミーが花のように笑うと、タリアトは生まれて初めて自分より美しいと思えたこの顔を忘れないようにしようと良く観察した。

 天使がちょいと摘んだような鼻に、柔らかそうな唇、彫刻のように整った耳。

 もしフラミーに何か二つ名を送るとしたら「我が憧れの君」だろう。タリアトはその瞳に入ることすらおこがましく感じてしまう。

 

「フラミー君はなんと言う種族なんだい?」

 そう聞きながら、上位森妖精(ハイエルフ)の近親種ではないかなと期待した。

 翼はあるが、尖った耳や銀色の髪は上位森妖精(ハイエルフ)らしさを感じる。

「私は神の敵対者(サタン)って言う種族です。ご存知ですか?」

「サタン…か。残念だけど知らないな…。世界は広いものだね。ここの所、私の知らないことばかりが起こるよ。」

「そうなんですか?じゃあ、毎日とっても楽しくって良いですね!」

 フラミーがそう言うと、タリアトは苦笑した。

「楽しく――は、ないかな。知らないことなんて一つもなくなれば良いのにと思うよ。」

「世界のことが全部解っちゃったら、つまんないだけですよ。私、知らないことばっかりで、毎日毎日お気に入りの本のページをめくるみたいにワクワクします!」

 フラミーは木に這う蔦になる赤い実をもぐと、それをタリアトに渡した。

「これ、どんな味だか知ってます?」

「ん…いや。知らないよ。」

「<清潔(クリーン)>。じゃあ、どんな味がするか想像して下さい。」

 これはゲームだろう。赤い実は甘そうで、葡萄の一粒のようだ。毒に耐性を持たせる指輪に反応はない。

 しかし、一度も食卓に上ったことを見たことがないところを見ると、おおかた甘みは強くないのだろう。

「想像しました?どんな味?」

「淡白な味なのかな。いや、もしかしたら種が大きくて可食部分が少ない?」

「私は甘いと思いましたよ。さ、食べてみて。」

 タリアトは飴のように小粒なそれをよく観察し、ヒョイと口に放り込んだ。

 そして、ム、と一声上げると顔をしかめた。

「酸っ………………ぱい!なんて物を食べさせるんだい!」

「はは!とっても酸っぱいですよね、でも食べる前はわくわくしたでしょう?きっとアラさんは暫くその味を忘れませんよ。知るって楽しいですね!」

 腕を広げてくるくる回るフラミーを捕まえると、笑いながら「この!」とその背を木に押し当てた。

 たしかにこの味は忘れられそうにないと思った。

 タリアトは生まれて初めて恋の味を知った気がする。

 光ある者(サタン)はタリアトを唆し知る必要もなかった感情を教えた。

 元々長寿な種族ではあるが、更に老化を遅める魔法を使っているため特に長生きなタリアトはこの数百年、いまだ妻を持たない。

 美しく、魔法適性が優秀で、尚且つ継承者を共に正しく導ける女が現れるのを気長に待っていた。

 乾季の最古の森に雨を降らせ、最古の森に住む全ての種族に頭を下げさせることができる絶対なる王位継承者を作るために。

 

「ふふ、怒った?」

 タリアトは笑いながら見上げてくる黄金の果実を眩しそうに覗いた。

「怒ってないさ、でも、してやられたな。」

「よかった。――はぁ。木があったかい。アラさんの住んでるところもこんな風にたくさん大きな木が生えてるんですか?」

「ん、そうだね。最古の森にはこういう木が多い。私の家もそれはそれは大きな木が支えてくれているよ。」

「素敵。ねぇ、この森っていつからあるんでしょうね。綺麗で、大きくて立派で。――すごいなぁ。」

 タリアトは頷き空を仰ぐフラミーの視線を追い、遙か高くでさわさわと騒めく葉を見た。

「そなたにはわかるか。美しいだろう。この木も何百年、何千年と存在するんだよ。」

「アラさんも森が好きなんですね。」

「あぁ。愛しているよ。しかし、この森は守る者がいなければなかなか保てないんだがね。」

 乾季には雨を降らせなければいけないし、人間達は年輪の詰まった頑丈な木を建築物に使おうと無尽蔵に切り倒そうとするし、そういう害虫からも森は守らなければいけない。

 二人は森の空気をたっぷりと吸った。

「そっか…。森妖精(エルフ)にも聞きました。ここは上位森妖精(ハイエルフ)の王様が雨を降らせて守ってるんですもんね。でも、五百年前は始原の魔法しかなかったでしょう?その頃はどうしてたのかな。」

 タリアトはフラミーは一体今何歳なんだろうかと目を細めた。

「…五百年前に世界のありようが変わるまではここには竜王が暮らしていて、竜王が森を守っていたよ。いや、支配していた。しかし、全ては変わった。その竜王は八欲王と呼ばれたぷ――いや、ある者達と戦うため遥か遠くへ出かけ、帰りはしなかったんだ。」

「…そう…そうなんですね…八欲王に…。」フラミーは思いつめるような顔をすると、決心したように、よし、と声を上げた。「この森、私も王様と一緒に守らせてもらおうかな!雨も降らせますよ!その為にも王様に会いにいかなくちゃ!」

 第六位階の天候操作(コントロール・ウェザー)はタリアト以外に使える者など見たことがない。

 第四位階の雲操作(コントロール・クラウド)で雲を集めて雨を降らせる方法もある。しかし、雲のない乾季には難しい。

「そなたはドルイドなのか?」

「ううん。魔力系と信仰系の魔法詠唱者(マジックキャスター)です。ここは広いから、天候操作(コントロール・ウェザー)じゃ大変だろうな。」

「…王は最古の森中に出かけている。そなたはそれをわかっていながら、王と共に竜王の勤めを継ぐと言うのか。」

 フラミーは笑って頷いた。

「守ります。この綺麗な森を。」

 

「――フラミー君、そなた一体何者なんだ?」

 頬を撫で、甘そうな唇を押すとふにりと柔らかかった。

「私はフラミーですよ。」

「どこから来て、どこへ向かっているのか教えてくれ。用事を済ませたらそなたに、いや、君にまたすぐに会いたい。」

「多分アラさんからは会いに来られないですよ。本当に遠くから来ましたし、遠くに帰りますから。」

「私はこう見えて行ったことがない場所はそうそうないよ。それに長距離の転位魔法も使える。どうか私の小さな天使の居場所を教えてくれ。」

 小さな顔は両手で包むとタリアトの手で隠れてしまいそうだった。

「多分来られないですけど、私の家は――」

 フラミーが全てを言う前に二つの声がキツく響いた。

 

 

「貴様!!フラミーさんから離れろ!!」「アラ様!お下がりください!!」

 

 

 フラミーとタリアトはそれぞれ自分を呼ぶ声に顔を向けた。

「あ、アインズさん。この人はアラさんって言って、王城で働いてる――」

「落ち着け、ジークワット。この人はフラミー君と言って、今度王城に招くつもりで――」

 二人が同時に喋っていると、タリアトの部下の上位森妖精(ハイエルフ)達が続々と姿を見せ、「陛下!!」と叫ぶ。

 フラミーは困惑の瞳で上位森妖精(ハイエルフ)を見た。

「フラミー様!ご無事でありんすか!!」

「光神陛下!!」

 上位森妖精(ハイエルフ)達とは逆の方向から続く声に、「光神陛下」とはなんだろうとタリアトが視線を向けると、そこには奇天烈な格好をした人間達。

 そのすぐ後ろには森妖精(エルフ)と、よく知る上位森妖精(ハイエルフ)。二人は姿を見せると、やはり「陛下!」と声を上げた。

 

「ベヘリスカ!そなたシャグラ・ベヘリスカじゃないか!航海はどうした!いつ帰って来たんだ!」

 タリアトの声にシャグラは飛び出すように人間をかき分け、前に出た。

「ア、アルバイヘーム陛下!私は数日前に戻りました。しかし、まさかこれは煌王国へお向かいに!?」

「そうだ。第五王女が昨日助けを求めてきたからな。それより…お前は隣の大陸に辿り着けなかったのか?」

「いえ、辿り着き、敗れました。陛下、どうか煌王国への進軍はおやめください!!」

「何を…?」

 タリアトがシャグラを訝しむように見ていると、ふと胸に優しくフラミーの両手が触れた。

「アラさん…?え?…え?な、ない…?」

「フラミー君、安心してくれて良い。悪いようにはさせないよ。」

 

 近衛隊隊長のジークワットはフラミーが害のある者ではなさそうなのを確認すると声を張り上げた。

「エルサリオン上王国が王、タリアト・アラ・アルバイヘーム陛下の御前であるぞ!!人間!!頭が高い!!」

 それを聞く時、人間達の顔には分かりやすく不快感が浮かび、ルーンが彫られた壮麗な槍を持つ者が声を張る。

上位森妖精(ハイエルフ)!この方々は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国におわす神々だ!!もしこれが神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下とフラミー魔導王妃陛下と知っての狼藉であれば、その命、ここで終わると知れ!!」

 上位森妖精(ハイエルフ)達が騒めき、人間との間合いを見極めるようにジリリと身じろいだ。

「フラミー君、君は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の…王妃なのか…。」

「アラさんも…王様なんですか…?あなた、自分のことを小間使いだって…。」

「森と国のために馬車馬のように働いているから、そんなようなものだよ。」

 タリアトが胸に触れていたフラミーの手を握ると同時に、辺りにはドッと黒い靄が吹き出した――ように錯覚した。

 タリアト以外の全ての上位森妖精(ハイエルフ)が尻餅をついた。タリアトの額にも汗が浮かぶ。

「もう一度だけ言おう。フラミーさんから離れろ。」

「…す…すごい力だね…。神聖魔導王…殿…。」

「<絶望のオーラⅡ・恐慌>に触れて立っている者は初めてだ。しかし、アルバイヘーム、お前は今すぐ這いつくばらなければ全てを後悔するぞ。」

「今這いつくばればその怒りを収めてくれるのかな…。」

「ことと次第によるが、少なくともこれ以上私を怒らせないでは済むだろう。」

 タリアトはフラミーの手を離すとアインズに向けて片膝をついた。

「アインズさん、ごめんね。」

 フラミーはすぐ様アインズへ駆け寄り、ひょいと持ち上げられた。

 タリアトはフラミーが心配だった。

 王妃が森の中で敵国の王と通じているなどと王に思われれば、普通は首を刎ねられかねない。

「タリアト・アラ・アルバイヘーム。物わかりがいいようだな。」

「…お褒めに預かり恐悦だね。神聖魔導王殿、フラミー君を罰さないと誓ってくれないか。」

「フラミーさんに罰…?そんな物与えるわけがないだろう。お前は痴漢にあった女性を叱るのか?」

「ち、痴漢…。」

「さぁシャグラ、ソロン。説明しろ。煌王国へ行く意味がないと言うことを。」

 

 タリアトは美しい王がフラミーを連れて離れて行くのを見送りながら、シャグラとソロンより全てを聞かされた。

 

「――フラミー君は女神だったか。」

「お疑いにならないので…?」

 シャグラが不思議そうな声を出す。

 

「あれが女神でなければこの世に女神はいないよ。」

タリアトは甘酸っぱくもない、ただただ酸っぱいだけの恋の味に顔をしかめた。




次回#64 香り

うーん王様痴漢!(痴漢
蛇の語源はヘブライ語でナカシュと言うそうですよ!
ナカシュは光の者という意味もあるそうで、イエスは「サタンは時に光の使いにすら変装する」なんて言ったとか。
黙示録には「この巨竜はすなわち、あの悪魔や、サタン、古い蛇などと呼ばれ全世界を惑わす」なんて書かれてたり。
アダムとイブに知恵の実を食べるように唆したのはフララだったんですねぇ

11/22はいい人事の日だったそうですよ!二枚組です!©︎ユズリハ様

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そしておまけももらいました!

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#64 香り

 アインズに不審者の存在を告げた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達はいい仕事をしたと互いの背を叩き合った。

 不可視化で見下ろす先ではアインズがフラミーの安否確認をしていた。

 

 アインズは無言で髪に、耳に、肌に触れ、散々口付けた。

「アインズさん、心配かけてごめんねぇ。」

 フラミーが謝罪するのを聞くと、アインズは困ったように笑った。

「――良いんですよ。無事ならね。それより、男って言うのは何をしでかすか分からないんですからあんなに近付いちゃいけません。危ないですよ。」

「むぅ、私、アラさんは女の人だと思ってて…。まさか男の人だったなんて…。」

 確かにアインズも最初に顔を包まれるフラミーを見た時、相手は女だと思った。

「それなら、知らない人には気を付けて下さい。どんなに強くても何が起きるか分からないんですから。」

「はぁい。」

 

 アインズがフラミーの翼に付いていた草をはたいて落とすと、ふわりと知らない香りがのぼった。

 基本的に石鹸の匂いしかしないフラミーは誰といたのかすぐにわかる。

 デミウルゴスと執務をすればデミウルゴスの入れる紅茶の匂いが、双子と遊べば双子のお日様のような匂いが、アルベドに引っ付かれればアルベドの香水の匂いがする。

「…風呂に入れたいな。」

「誰を?」

「フラミーさんを。」

「そんなにばっちくなってます?」

 フラミーが自分のローブを摘まみ、汚れを探そうとヒラヒラと動かすと再び知らない香りが漂い、アインズは転移門(ゲート)を開いた。

「ばっちいです。風呂入ってきてください。今日の当番に髪の毛一本一本丁寧に洗ってもらってください。」

「はは、一本一本ですか?じゃあ、ちょっと行ってきますね。」

 笑うフラミーにアインズも「はは」と短い笑いを返し――フラミーを飲み込んだ転移門(ゲート)が閉じるとアインズの顔から笑顔は消えた。

 あんな所に葉が付いてるなんて何をされたのかと思うとハラワタが煮えくり返るようだし、匂いが移るような距離にずっといたかと思うと実に不愉快だ。

 アインズが自らフラミーを丸洗いしたいくらいだが、それは夜まで待つことにする。

 

 シャグラの言うことに耳を傾け真剣な顔をする女のような男へ進む。

「アルバイヘーム。貴様、フラミーさんに変なことはしてないだろうな。」

「神聖魔導王殿、私はただ髪を結って頂き、それのお返しに髪を結って差し上げたに過ぎない。」

「そうか。では覚えておけ。あの髪も肌も翼も、何一つ私と私達の家族以外が触れる事は許さない。」

 アインズは上位森妖精(ハイエルフ)のその髪に挿さるフラミーの羽を見ると泉のようにこんこんと殺意が湧くのを感じる。

 頭ごと切り落としてやろうかと思うたびに、人の身に付けている精神抑制によって何度も沈静された。

 

「私はフラミー君を王妃だと知らなかったし、フラミー君も私を王だと知らなかった。他所の国の王妃だと分かっていれば不用意に触れたりはしなかったとも。」

「では王妃だと分かった今、二度と触れてくれるな。」首を吹き飛ばしたい気持ちを抑え、切り替える。「それで、我が国に付いては理解したか。」

「理解した。フラミー君の事も、神聖魔導王殿の事もよく分かったとも。しかし、今は全てが伝聞だ。誤ちを繰り返さない為にも今度は私自身の目で確認しよう。その後、我が城で賠償も含めた今後のことを話し合うので如何かな。」

 アインズは頷いた。煌王国に冒険者の確認をさせるように求めた時の自分を思えばそのくらいは許すべきだろう。

「良いだろう。では見せよう。裁きを受ける煌王国と、復活した森妖精(エルフ)達と、上位森妖精(ハイエルフ)により襲われた我が属国を。」

 アインズは闇に手を突っ込み、遠隔視の鏡(ミラーオブリモートビューイング)を取り出した。

 

 正面に浮かべると、それはアインズの意に従い像を写した。

「これは…。」

「煌王国だ。今は私の喚び出した奈落の主(アバドン)と、我が側近であるデミウルゴスに任せている。」

「デミウルゴス――フラミー君が伝言(メッセージ)を送っていた相手か。」

 アインズはフラミーをフラミー君などと呼ぶ様子に再び苛立ちを感じる。アインズすらフラミー"さん"と呼んでいるのだ。

(…フラミーちゃん…フラミー君…フラミー…文香ちゃん…文香君…文香…。村瀬君…村瀬ちゃん…村――むらっち…。)

 少し新しい呼び方について考えた。

 村瀬と呼ぶつもりはないが、むらっちと言うのはぶくぶく茶釜を思い出させる呼び名だ。ぶくぶく茶釜が昔使っていたと言う幾つかある芸名の中に"風海久美"と言うのがあったが、その時のファンからのあだ名は"かぜっち"だったらしく、ギルメンの中にはぶくぶく茶釜を"かぜっち"と呼ぶ者もいた。

 アインズの心には途端に平和が訪れた。が、鏡の中に映し出される街には膿にまみれ、痛みにもがき転がる人間が映し出されている。

 

 アルバイへームは厳しい視線でそれを見つめていた。

「この生き物達は、そのアバドン殿一人が全て出しているのかな…?」

「――そうだ。奈落の主(アバドン)は私に代わり五ヶ月間裁きを与え続けるだろう。」

「…なんと凄まじい…。煌王国の現状はよく分かったよ、ありがとう。」

 アルバイヘームの言葉に頷くと、アインズは手を持ち上げ鏡に向けて振った。

 

 すると鏡に映る映像はスライドし、場面は変わった。

「あ、アニラ。」

 ソロンの少し嬉しそうな声が響く。

 鏡の中では森妖精(エルフ)達が荒れた里を片付けていた。アルベドがテキパキと死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に指示を出している。

「これが貴国の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)か…。」

「そうだ。無害だろう。私の生み出した者は特別生者をどうこう思わん。」

「そのようだね。ここも良くわかったよ。――フラミー君には森妖精(エルフ)を復活させて貰った礼を言わなければいけないね。」

 ソロンは小さく何度もうなずいた。

 

「そうしろ。さて、最後は襲われたうちの属国だ。」

「あぁ。一番被害の多かったところを見せてほしい。」

「言われなくともそうさせてもらおう。」

 そして写ったのはことごとく破壊された聖王国の港町。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は正面から死の騎士(デスナイト)と渡り合えるはずもなく、死の騎士(デスナイト)を建物の下敷きにする事で討伐しようとした故の惨状だ。

 死の騎士(デスナイト)と多くの騎士達が手を取り合い瓦礫の撤去を行っている。

 シャグラの気まずそうなため息が聞こえた。

「なるほど。これは本当に申し訳ないことを――しました。私がきちんと確認をしなかったせいです。許してほしい、などとは言えませんな…。そちらの望むだけのものを返すことを約束しよ――いや、約束します。」

 アインズの望みはたった一つだ。アインズは後でアルベドに伝言(メッセージ)を送ることに決めた。

「良い心がけだ。そう言わなければお前の命はここで散っていた。私もフラミーさんもこの森が好きだ。そしてここを育て守るノウハウを持つお前が必要そうだとも解っている。そのお前を殺すような真似は望むところではないからな。」

 アインズは言いながら、心の中で「個人的には大嫌いだけどな」と吐き捨てた。

 タリアトもそれに気付いているのか、「…それは嬉しい事ですね」と返した言葉には大した感情は乗っていない。

 

 二人の視線の間に妙な空気が流れると、風呂と着替えを済ませたフラミーが戻った。

 その髪型はさっきと同じく、ハーフアップで上半分だけをまとめてちっちゃなお団子にしていた。

 アインズはフラミーに両腕を広げ迎えるとくんくんと鼻を鳴らした。

「おかえりなさい、綺麗になりましたね。」

「そんなにばっちくなかったってフォスが言ってましたよぉ。」

 フラミーはアインズにぴたりと張り付くと、頭を撫でるアインズの大きな手に犬のように頭を擦り付けた。

「ふふ、そうですか?すごく汚れてた気がしましたけど。――ところで、これは貰ったんですか?」

 銀色の蔦のようなブレスレットをツンと触ると、フラミーは首を振った。

「いえ、遊びに行く時に通行証にしようって借りたんです。でも、王様なら返さなくっちゃ。」

 フラミーは何の躊躇いもなくブレスレットを外した。

 

「アラさん、あの――あ、アラさんってこれからも呼んで良いですか?」

「いや、アラは森の王の意味を持つ称号なんだ。良かったら君はタリアトと呼んでおくれ。」

「わかりました、タリアトさんですね。タリアトさん、これお返ししますね。」

 フラミーはブレスレットをタリアトに差し出した。

「――別に貰ってくれても構わないよ?」

「いえ、悪いですから。それに、王様ならちゃんとお約束してから正式にアインズさんと会いに行きますよ!」

「私は女神の羽を貰ってしまったんだ。こんな細工物より余程価値があると言うのに…困ったね。」

 タリアトは苦笑するとそれを受け取り、自分の腕に戻した。

 きちんと物品の返却が終わったのを見届けると、アインズはフラミーを抱き上げた。

「さて、それじゃあうちの隊は昼食がまだだから少し待ってもらおう。」

 

「わかりました。ごゆっくりどうぞ。」

 タリアトはそう言うと自分の緑色の馬車へ戻って行った。

 馬車の扉を開ける近衛隊のジークワットがタリアトを見る目には勘弁してくれと書いてある。

「…アラ様、ベヘリスカの話とあの鏡に映った像がもしも本当ならあの方だけは良くないと思いますよ。」

「…ジークワット。"もしも本当なら"じゃない。ベヘリスカの言ったことも鏡に映ったことも全て真実だろう。正直言って、あの王の力ははかり知れん。それにあの煌王国の空を翔けていたアバドンなる者も、私では太刀打ちできないだろう。」

「アラ様に勝てない者なんて…竜王達以外にこの世に存在するのですか…?」

「やれやれ。世界は広いな。私達の知らない事で溢れている。しかし――気に入りの本のページをめくるみたいにワクワクする…か。」

 思い出すように呟くタリアトに、ジークワットは納得いかない顔をしてから再び口を開いた。

「アラ様…。全てが本当なら、尚のことあの女神にちょっかいを掛けてはいけません。この最古の森が枯らされます。」

「ふふ、枯らされなどしないさ。その女神が守ってくれるだろう。しかし、枯らされても求めたいと言ったら、そなたは怒るか。」

「冗談でも怒りますよ。側近達にも言いつけます。面食いなんだとは思ってましたけど、良い加減にして下さい。他所の王妃にちょっかいをかけるなんて、それこそ国際問題ですよ。」

「ははは。くわばらくわばら。」

 

 タリアトはひとしきり笑うと、アインズと食事を取るフラミーを見て遣る瀬ないような息を漏らした。

 フラミーはアインズに小さな実をぽいぽい口に入れられ、頭を撫でられるたびに幸せそうに微笑んだ。

 知ったばかりの気持ちは胸をギゥと締め付けるように痛んだ。

「…手には入らんか…。」

 漏らすように紡いだ言葉は誰の耳にも入らずに溶けて消えた。




すぐマーキングしあう夫婦

次回#65 戦犯
天空城書いてた頃に描いたフラミー様お洋服集をここで披露するぜ!

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威厳の為に御身も毎日違う格好らしいですよ!

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11/23は良い兄さんの日だったそうで、usir様にズアちゃん頂きました!
最近見ませんね?そろそろまた活躍してもらわないと…!
https://twitter.com/dreamnemri/status/1197901969496477697?s=21
さらに11/23は勤労感謝の日としてデミデミが勤労感謝される図もユズリハ様にいただきました!

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#65 戦犯

 王城の大広間には一番長い、五十人も座れるテーブルが出され、使用人達が椅子にチェアカバーを掛けては急ぎ並べていた。

 人間の奴隷が床にモップ掛けをし、部屋の一方の樹皮が丸出しの壁を丁寧に拭きあげる。

 

 神々は控え室で待っているので、漆黒聖典はホールの安全確認を行なっていた。

「ザイトルクワエになりそうな木だね。」

 第二席次・時間乱流が樹皮に触れると、第五席次・一人師団は首を傾げた。

「ザイトルクワエは木が化けるわけではないのでは?」

「そうなの?あれってどうやって生まれたの?」

「…それこそ神々しか知らないと思います。」

 男子二人の馬鹿らしい話を小耳に挟みながら第七席次・占星千里はメガネを外し、若干の汚れを取り払った。

 メガネを掛け直し、ここで何か良くないことが起こらないかを占う。

 まるでスクールバッグの様な鞄から美しいスコープを取り出し、木で見えもしない空へ向かって窓からそれを覗いた。

 見えないはずの千里先の星々は占星千里の目には確かに見えていた。

「今日の星はどうかしらぁ?」

 第四席次・神聖呪歌に問われながら星を読む。

「――大丈夫。陛下方には何も起こりません。」

「それは良かったわぁ。」

「…でも、死人が出ますね。」

「死人?争いが?」

「いえ、静かに眠るように――だと思います。」

「ふぅん。お城の中で誰か死んじゃうのかしらぁ。陛下方に何も起こらないなら…まぁ、良いんだけれどぉ。」

 神聖呪歌の微笑みに笑みを返していると、部屋は騒がしくなっていた。

 五十人掛けのテーブルの半分に、三人分の椅子を残して上位森妖精(ハイエルフ)達が座り、漆黒聖典の事をじろじろと眺めていた。

「好き勝手言ってくれちゃってるわねぇ。嫌だわぁ。」

 神聖呪歌がニコニコと穏やかに微笑んでいると、部屋にはいなかった隊長が戻って来た。

「皆、並んでくれ。陛下方と聖王国の皆さんがいらっしゃる。」

 空いている方の椅子の後ろに席次順で並ぶ。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は品評会のように目の前に並んだ漆黒聖典の装備についてあれこれと話し合った。

「…なんだか晒し者みたいだわぁ。」

「我慢してください。すぐに皆さん来られますから。ところで占星千里、結果は?」

「良好です。」

「そうか。」

 しばしの騒めきの後、扉の左右に控えていた者が声を上げる。

「ローブル聖王国より。聖王女、カルカ・ベサーレス陛下。神官団団長、ケラルト・カストディオ殿。聖騎士団団長、グスターボ・モンタニェス殿。聖騎士団副団長、イサンドロ・サンチェス殿、聖騎士の皆様です!」

 それを聞くと第十席次・人間最強が第九席次・神領縛鎖に耳打ちした。

「イサンドロ・サンチェスとは一度手合わせしてみたいな。」

「…九色の桃色だったか?」

「そうだ。平凡に見えるが、それなりの実力者だろう。」

「お前と巨盾万壁の図体に比べたら守護神様だって平凡に見えるわ。」

 第八席次・巨盾万壁は無言でちらりと神領縛鎖を見た。

「む、そうか。ハハハ!」

 人間最強が笑い声をあげると第十一席次の帽子の先が生き物のように動き、頭をバシリと叩いた。

「…うるさい。」

 

 聖王国の面々が入ってくると、上位森妖精(ハイエルフ)は立ち上がり、頭を下げて迎えた。

「話しはちゃんと通ってるようですね。」と一人師団。

「謝罪の場だし、通ってなかったらまずいわぁ。」

 隣に立つ神聖呪歌が小さく笑っていると、次の入場者だ。

 

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国より、最高神官長、闇の神官長、光の神官長、三色聖典長の皆様です。」

 漆黒聖典は元土の神官長、現三色聖典長であるレイモンも来るのかと少し姿勢を正した。

「いらっしゃるって知ってたか?」

「知らんな。」

 お馴染みの神官達が入ってくると漆黒聖典は頭を下げてそれを迎えた。

 

「我がエルサリオンより、タリアト・アラ・アルバイヘーム陛下、近衛隊隊長のマイクン・ジークワット、航海団団長シャグラ・ベヘリスカ。」

 聖典達は王相手のため一応頭を下げたが、神官長達は動く様子はない。

 上位森妖精(ハイエルフ)の何か言いたげな雰囲気が伝わるが、誰も咎めなかった。

「皆すまないね。気にせずに楽にしてくれていいよ。」

 アルバイヘームは手を振り部屋に入った。

 王が入り、これで揃ったかという雰囲気を上位森妖精(ハイエルフ)が一瞬醸し出すが、紹介は続いた。

 

「続いて神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国より、闇の…神…?」

 言い淀む様子に聖典と神官の苛立ちが募る。

「――である神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下、光の…神…である…フラミー魔導王妃陛下、そして第一階層から第三階層の守護者…シャルティア・ブラッドフォールン様です。」

 神聖魔導国に関わりを持つ全ての者が跪き低頭してそれを迎える。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は、いくらなんでもやりすぎじゃないかという雰囲気だ。

 アルバイヘームは悩んだようだが、「膝を付け、私も膝を付く」と小さく漏らした。

「陛下、たとえ相手が真に神だとしても…。御身も森を守る神であります…。」

「相手は私のように神とたまたま呼ばれるようになり、そう呼ばせているだけの存在ではない…。相手は竜王のような圧倒的存在だ。正真正銘の神だと思え。」

 上位森妖精(ハイエルフ)達は静かにテーブルから離れ、膝をついた。

「神だと思え、じゃなくて実際神なんだよ。」

 ぼそりと苛立たしげな声が漆黒聖典から上がる。

 

 三人が部屋に入った瞬間、荒れ狂う風が部屋を吹き抜けた。巨木すら唸らせるような力の奔流に上位森妖精(ハイエルフ)達は一瞬驚愕に顔を上げた者もいるが、なんとか頭を下げ直す。

 瞬きをする事を忘れた者の目が充血していく中、アインズは無言で席に着くと、「面を上げろ」と一声掛けた。

 フラミーはローブからよそ行きのドレスに着替えていたし、アインズも黒の後光とオーラをまとい、王笏の代わりに派手なワンドを腰に携えていた。込められている魔法はたった第一位階で、使うことはまずないだろうが、見た目というのは大事だ。

 フラミーに意見を求めたところ反応は上々。シャルティアは最高だと鼻を抑えた。

 威厳を感じさせる姿に、一人師団も分かりやすく興奮し、漆黒聖典はこれは行き過ぎと心の中で突っ込む。

 

 上位森妖精(ハイエルフ)達の視線はアインズの骸の顔に注がれた。アルバイヘームも初めて見る骸の頭に一瞬目を剥いたが、すぐに得心いったようだった。

「さあ、前向きに話し合いを始めよう。」

 鶴の一声で上位森妖精(ハイエルフ)達の謝罪は始まり、聖王国への賠償、復興支援などが次々と決まっていき、停戦協定がアルバイヘームとカルカの間で正しく、厳粛に結ばれ――ようとしたが、アルバイヘームは手を止めた。

「…待って欲しい。ここの捕虜の裁判・返還についてなのだが…。ベヘリスカの自刎は許してやってはくれないか。これは私の大切な部下なんだ。」

 上位森妖精(ハイエルフ)達の後ろに立つソロンはついにその時が来てしまったかと唇を噛んだ。

 カルカが答えあぐねていると、アインズは首を左右に振った。

「こちらは街も破壊されているし、フラミーさんが復活させたとはいえ一般人から多くの死者も出た。命は取り戻せばいいと言うものではない。それに聖王国では未だ怪我に苦しみ、家を失った民が神殿の冷たい床で寝ている。」そしてソロンへ顎をしゃくった。「――森妖精(エルフ)達の命もそうだ。フラミーさんが全てを取り戻してくれたとして、もし煌王国に裁きが起こらなければ、ソロンはその手で奴らに裁きを与えた、そうだろう。」

 ソロンもマリアネを殺そうと思ったのだ。聖王国の気持ちはよくわかる。

「…はい。」

「何より、シャグラはフラミーさんへの攻撃指示も出した。本来なら全ての捕虜達の首を落とす所だが、煌王国に騙されていたこともある。他の捕虜を戦犯として裁かぬ代わりにシャグラ一人の命で治めようと言うのだ。それは諦めろ。」

 アインズの本音はこちらにあったが、それらしい御託を並べる事に成功した。

 

 アルバイヘームは顔に手を当て、痛ましいように肩を下げた。

 シャグラはその背をさすり、覚悟の瞳で笑った。

「我が君。我がアルバイヘーム陛下。私は良いのです。」

「ベヘリスカ…すまない…本当に…。」

「いえ。森妖精(エルフ)達の仇は私の手で取ろうと、私が思い出航したにすぎません。どうかお気になさらず、ご健康には十分にご注意され、いつまでも我らの上に君臨されますよう。」

 上位森妖精(ハイエルフ)達の吐いた息は重く、有能だった男の死が目前であることに嘆かずにはいられなかった。涙を落とす者もいた。

「…ベヘリスカ…お前の息子は必ず城に登用すると約束しよう…。」

 

 それを聞くとアインズは瞳の灯火を細めた。

「シャグラ・べヘリスカ。お前には息子がいるのか。」

「は。まだ八十一歳と幼いですが。」

「そうか。アウラ達と同い年だな…。」

 ここに来るまでの四日の旅でこの男がそう悪い者ではないと言うことは解っている。全てを知ったシャグラは彼なりに、神聖魔導国のために奔走した。

 アインズは暫し悩んだ。しかし、フラミーに手を上げた者を許すほどこの男は優しくない。

「シャグラ・ベへリスカ。お前には時間を与える。今すぐ家族と子供に別れを告げに行くが良い。走れ。死に物狂いで走るのだ。そして、それが済んだらこの会議が終わる前に必ず戻れ。――その時、お前には眠るよりも静かな死を与える。」

 シャグラの瞳に感謝が雫となって落ちた。

「神よ、ご慈悲に感謝を。」

「良い。お前はこの四日ご苦労だったな。さあ、行け。時間は常に有限だ。」

 深く頭を下げたシャグラは部屋を出た。

 扉が閉まるか閉まらないかという所で走り出した足音は部屋にいつまでも響いた。

 

「…神王殿、慈悲に感謝を。…少し休憩を挟みましょう。ジークワット、第五王女を呼べ。あれは裁きの煌王国に放り込んでやる。」

 アルバイヘームの怒りが昇り切ると同時に上位森妖精(ハイエルフ)達の目の中には煌王国への憎悪が渦巻いた。

 

 空気の重い休憩の間、シャルティアはメモを手にアインズの隣で首を傾げていた。

「国を襲い、あろうことかフラミー様へ手を上げようとしたあの不敬極まりない上位森妖精(ハイエルフ)に慈悲を与えたのは、如何なる目的があってでありんすか?」

 アインズは一瞬それの答えを考えたが、すぐに本心を口にした。

「感傷。下らないがそれだけだ。あぁ、ここはメモを取るんじゃないぞ。」

 シャルティアは頷き、メモをしまった。

 

 一方書類に再び目を通し始めたアルバイヘームは「神聖魔導国へ降れ」という文言を見ると眉間をおさえ、どうするべきかと側近達を呼び部屋の隅で話し合いを行った。




次回#66 最後の裁き

> 「相手は私のように神とたまたま呼ばれるようになり、そう呼ばせているだけの存在ではない…。」
やめろ、その言葉は御身に効く

11/23は和食の日だったそうです!
シノヒメコンビが出て来てルゥ!!そしてこっきゅんのクオリティよ
ユズリハ様よりです!

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#66 最後の裁き

 数日前。

 フィリナを乗せた黒豹(パンサー)はよたよたと落ち葉を踏みしめ進んだ。

 そしてついにその足は大きくぐらつき、ドシャリと倒れ伏した。

 落ち葉が激しく舞う中、相棒の森妖精(エルフ)の絶望の顔を浮かべた。

 本当に彼がひとりぼっちになってしまう。必ず友の下へ戻らなければ。

 でも、今は少しだけ休みたかった。

 上位森妖精(ハイエルフ)はまだ見当たらないが、最古の森へと言われたのだから、友の望みはもうこれで叶えたはず。

 馬で四日の距離を三日三晩休まず、飲まず食わずで走った黒豹(パンサー)はその後二度と動くことはなかった。

「う…うぅ…。」

 フィリナは温度を失い始めた黒豹(パンサー)の背から離れ、水の音が聞こえる方へ向かって本能で這う。

 そして川に顔を突っ込み必死に飲んだ。

 三日ぶりの水からプハっと顔を上げ、その場で死んだように眠った。

 

 ――おい。おい、人間。

 ――この取れかけの紋と言い、黒豹(パンサー)と言い、森妖精(エルフ)の使いか?

 ――連れて帰るか?

 ――煌王国に持っていく品はどうするんだ。

 ――人間くらい待たせれば良いさ。

 

 フィリナは動かない体を持ち上げられ、何かに乗せられた。

 

 そして気付いた時には――――「天井…?」

 くたびれ果てて痛みすら感じる腕で、柔らかなベッドを押すように起き上がった。

「む、起きたか。」

 探るような声に視線をやれば、白い髪を高い位置で一つにくくった上位森妖精(ハイエルフ)

「た、たどり…たどりついた…。」

 部屋の壁の一面は樹皮が見え、ツリーハウスなのだと言うのがすぐにわかった。

「人間、お前は商人に運ばれて来たのだ。私はアルバイヘーム陛下近衛隊のマイクン・ジークワット。お前の額にあった森妖精(エルフ)の守りの紋は血だな?あの死んだ黒豹(パンサー)はなんだ。また森妖精(エルフ)に何かがあったのか?」

 フィリナはソロンの黒豹(パンサー)は死んだのかと静かに一粒涙を落とした。

「わ、私は…フィリナ…。フィリナ・グランチェス・ラ・マン・アリオディーラ…。アリオディーラ煌王国の第五王女です…。ジークワット様…どうか、どうかお助けを――。」

 フィリナはここで真実を話すべきか一瞬悩む。

 しかし、すべてを知られれば上位森妖精(ハイエルフ)は決して煌王国に現れた地獄の使いから救ってはくれないだろう。

 嘘をつく事への激しい罪悪感に苛まれながら、フィリナはジークワットに助けを求めた。

 

「――にわかには信じられん。しかし、アルバイへーム陛下のお力であれば何とかなるだろう。第五王女、これは我ら上位森妖精(ハイエルフ)と最後の森妖精(エルフ)が生きるために行う事だ。お前はここにいろ。私はアルバイヘーム陛下に陳情して参る。」

「ジークワット様…感謝を…。」

 フィリナはもう自分は天国にはいけないなと確信した。

 王はフィリナを見に来ることもなく、すぐに発ったらしい。

 

 それから少しづつ食事をとり、体を癒した。

 王城にいる人間の奴隷達はフィリナに傅き、よく世話を焼いてくれた。

 ある昼過ぎ、フィリナが奴隷達と食事をとっていると、ノックもなく扉は開けられ「おい」と声がかかった。

 フィリナが振り返ると、出かけたはずのジークワットがいた。

 その目には強い怒りがあり、フィリナは煌王国は救われないとすぐに悟った。

 人間の奴隷は獅子の怒りに触れないようにそそくさと食卓を立ち、控えた。

「第五王女。アルバイヘーム陛下がお呼びだ。」

 フィリナが暗い顔をし、足下に目を落とすと「知っていたか」とジークワットは吐き捨て部屋を出て行った。

 

 もはや万策尽きた。フィリナは急いでジークワットの後を追った。

 

 ある部屋の前で止まると、ジークワットは中にいる者を説明した。

「まずは下座にお掛けになっているのが我がアルバイヘーム陛下。上座にお掛けになっているのが神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が王、アインズ・ウール・ゴウン陛下と王妃フラミー陛下だ。それから、ローブル聖王国が聖王、カルカ・ベサーレス陛下。」

 フィリナは説明を聞き、三人も王が揃い、まずどの王に謝罪をするべきかわからなかった。しかし、席順で言えば、やはりアインズ・ウール・ゴウンに頭を下げるべきだろう。

 ジークワットが中にフィリナの到着を伝えると、扉は開かれた。

 

 部屋の中で一番に目を引くのは死の権化の如きアンデッド。ジークワットの説明によれば、それは王のはずだ。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を従える国なのだから、王がアンデッドと言うのは何もおかしくないのかもしれない。

 そして――、目を閉じるソロン。無事だった事に安堵した。

「来たね。卑しき煌王国、第五王女。」

「あ、あの、陛下方…私は――」

「黙れ。私がいつ喋ることを許可したのかな。こちらが質問をするまで口を開くんじゃない。」

 アルバイへームから放たれる冷たい言葉と雰囲気に、フィリナの足はガクガクと震えた。

「さて、そなたは全てを知っていたね?」

「……し、知っていました…。」

「そうか。そなた達のおかげで我が国は神聖魔導国と聖王国を敵に回したよ。そして何の罪もない多くの命を奪ってしまった。そしてこの後更に命が奪われる。そなたは裁きに現れたアバドン殿の討伐を我々に頼みに来た訳だが、まさか自分は悪くないなどと思っているのかな。」

 フィリナは「いいえ」と返事をし、カラカラに乾いた唇が切れたのを感じた。

「ならばまずは被害を受けた国へ謝罪するんだね。口を開くことを許す。」

 フィリナは震えながら、まずは神聖魔導国の王へ頭を下げた。

「も…申し訳ございませんでした…。私は王や軍部を止める事を途中で諦め――」

「第五王女、私から言えることは"裁きを受け入れろ"、ただそれだけだ。しかし――これは忠告だ。お前は一番最初に頭を下げるべき相手を大きく間違えている。」

「あの…それは…。」

「考えればすぐにわかることだ。」

 フィリナは骸の王が淡々と紡いだ言葉の意味を考える。

 一番最初に煌王国が謝るべき相手とは――。

 フィリナは一度王に頭を下げてからソロンへ向く。

「そ、ソロン…本当に…申し訳ありませんでした…。森妖精(エルフ)達を殺したのは…煌王国です…。私は全てを知っていながらあなたに嘘を吐き続け、騙し続け…あなたの持つ様々な知識を利用しました。謝っても許されないとは解っています。」

 フィリナは途中つまりながらも謝罪を口にし続けた。

 そこにいる全ての視線がフィリナに集中していた。

 一人として優しい目を向ける者はいない。

 心細かった。煌王国は呪いに落ち、自分を迎えてくれる場所などもうこの地上のどこにもないのだと。

(ソロン…ソロンはずっとこんな気持ちだったのですね…。)

 フィリナは涙が浮かびそうになるのを堪えた。泣いて許されるはずもないし、泣いて良い立場でもないから。

 そして何分にも及ぶ謝罪は終わりを迎える。

「――私は…託してくださった黒豹(パンサー)も死なせてしまいました…。」

 ソロンは全てを聞くと静かに目を閉じた。

「…黒豹(パンサー)の――彼の最期は立派でしたか…。」

「……申し訳ございません…。実は私は見ていないのです…。」

「……そうですか。」

 ソロンはそれしか言わなかった。許すとも許さないとも言わなかった。

「ウデのアスラータよ。黒豹(パンサー)はこちらで葬った。帰る時には手を合わせてやってから帰ると良い。」

「アルバイヘーム陛下、感謝致します。」

「良い。」

 

 フィリナは頭を下げると次の人物へ向かった。

「…ベサーレス聖王女陛下。私の国は聖王国に上位森妖精(ハイエルフ)を仕向けました…。このような言葉一つではとてもお許しいただけないでしょうが…私なりに精一杯償います…。」

 聖王国へ仕向けたというより、本当は隣の大陸そのものに仕向けたのだが――同じことだろう。

 再び長い謝罪が始まると、聖王女は眼光を緩めた。

「私達の神々は許す事でしか許されないとお教えです。それに今煌王国は神王陛下より五ヶ月の裁きを受けています。何も知らない国民達も裁きを受けていると聞きましたし…聖王国は…謝罪を受け入れます。」

 フィリナは国から逃げ出した時に背中に聞こえていたあの地獄の裁きの説明をする異形の声を思い出し震えた。

「…ありがとうございます…。感謝を…。私は責任を持って聖王国へあらゆる謝罪を行います…。」

 そう言いながら、父や姉が自分に委ねてくれるだろうかと僅かに過ぎる。が、次は父と姉に負けてはいけないだろう。

「そうですね。さぁ、それじゃあ光神陛下にお礼を述べて。」

 何の礼かわからぬフィリナが悩んでいると、骸の王の咳払いが響いた。

森妖精(エルフ)も聖王国の民も全ての死者はフラミーさんが呼び戻した。つまり、最初に謝るべきは――」

「え?呼び戻し――?え?」

 思わず王の言葉を遮ってしまう。

 フィリナは脳に言葉の意味が染み込むまで、これまでの人生で一番長い時間を要した。

「復活させました。特別ですよ。何度でも生き返らせるなんて思わないでください。」

 思わず顔がほころんでしまった。

「ありがとうございます!!ありがとうございます陛下!!」

 すると、廊下はにわかに騒がしくなり、バタバタと足音が響く。

 が、足音とは対照的に、非常に丁寧に扉はノックされた。

「――戻ったな。第五王女よ、決して取り戻されない命もある事をお前は今から学ばなければいけない。」

 骸の王の言葉は部屋に妙に大きく響いた。

「入ってくれ…ベヘリスカ…。」

 アルバイヘームが許可を出すと、この薄ら寒い季節には不釣り合いなほどの汗をかいた上位森妖精(ハイエルフ)が入った。

 その肩は激しく上下し、相当急いでいたということが分かる。

「お、おま…っはぁ!…お待たせいたしましたっ…!」

「待ってなどいないとも。まだ会議は終わっていない。シャグラ、十分に別れは言えたか。」

 扉の影から目を赤く腫らした上位森妖精(ハイエルフ)が部屋の中を伺っていた。

「は、はいっ…はぁっ…お、おかげさまで――」

 覗いている者が声を殺してすすり泣いた。

 ようやく息切れが収まると、シャグラと呼ばれた上位森妖精(ハイエルフ)は困ったようにそちらを見た。

「…お前、静かにしないか…。陛下方申し訳ありません…妻がついてきてしまって…。」

 泣き暮れる上位森妖精(ハイエルフ)はついに耐えられなくなったような顔をすると中に入り、アルバイヘームに縋った。

「アルバイヘーム陛下!最古の森を守りし至高の君!主人の罪は分かります!ですが、国のためと、森妖精(エルフ)のためにやった事です!!どうか、どうかお慈悲を!!」

 答えたのはシャグラだった。

「やめないか!アルバイヘーム陛下にも神王陛下にも無礼だ!これは最初から最後まで私が決めたことだと言ったろう!」

「あなたぁ…!」

 フィリナはそれだけで、今から何が行われるのか理解した。

「申し訳ありません、神王殿。」

「やれやれ。ともかくシャグラは戻った。約束の者達を先に返そう。<転移門(ゲート)>。」

 骸の王は闇を開き、中へ消えた。

 そしてすぐに王は戻った。その後ろには泥だらけの上位森妖精(ハイエルフ)達。

「おぉ!隊長、ウデ=レオニ村の草むしり、ほとんど終わりましたよ!――あ、いや!これはアルバイヘーム陛下も!失礼いたしました!」

 部屋の絶望的な空気とは違い、明るく前向きな声がこだまする。

 嫌に生き生きとしていて、それが人々の絶望を一層深めるようだった。

 アルバイヘームは続々と現れる上位森妖精(ハイエルフ)達に膝を着くように言った。

「ベヘリスカはそなたたちに代わり、これより一人――…旅に出る。」

 フィリナはそれ以上聞けなかった。

 死出の旅立ちの説明が始まり、どの者もそれを理解すると、部屋は暗く深い海の底のように静かになり、時間を失った。

「お前達、どうか笑って送ってくれ。それから、皆無意味な殺生に付き合わせて悪かった。私は先に行くよ。全員、すぐには来るなよ。じゃあな。――ソロン、お前も元気で過ごしなさい。アニラや長老衆にもよろしく伝えてくれ。」

「シャグラさま……。」

「本当にお前がこの世に一人ぼっちにならなくて良かった。」

 シャグラが笑うと、皆すすり泣き、見送るように歌を歌った。

「もういいか?」

「はい、神王陛下。この度は貴国と聖王国に取り返しのつかない事をし、本当に申し訳ありませんでした。そして、光神陛下。御身に矛を向けた事をこの旅の四日間、後悔しない日はありませんでした。御身の御威光にもっと早く気づくべきだったと、ただただ愚かな自分が憎らしいばかりです…。」

「もっと違う出会い方をしたかったですね。さようなら、シャグラ・ベヘリスカ。嫌いじゃありませんでしたよ。」

 女神の言葉を聞いた全ての上位森妖精(ハイエルフ)はやり切れない思いに、砕けるほどに奥歯を強く噛んだ。

 

「さぁ、シャグラよ、座って楽にしろ。」

 王は目を閉じたシャグラに指を差した。

「<(デス)>。」

 何も起こらなかった。大きな爆発も、荒れ狂う雷も。

 ただシャグラの呼吸し動いていたはずの胸が静かにしぼみ切りピタリと動きを止めただけだった。

「――神王殿…。慈悲に感謝を…。」

 畏れを抱いたような声でアルバイヘームはそう言い頭を下げると、立ち上がった。

「お前達、ベヘリスカを連れて行ってやりなさい。明日国葬にする。一番綺麗な所に埋葬してやろう。」

 無言で涙を流す泥だらけの男達は椅子に座り、静かに目を閉じる男を連れて出て行こうとし――フィリナは声を上げた。

「わ、私は!!」

 厳粛な死を破壊された事にアルバイヘームの怒りの視線は燃えるようだった。

「騒がしい猿だ。許可なく口を開くなと言ったのに――」

「私は煌王国の第五王女です…!!」

 フィリナの叫びを聞くと、上位森妖精(ハイエルフ)達の視線は憎しむべき対象を見つけ、焼き付くようだった。

「私も…裁きを受けます…。」

「…そなたが裁きを受けたところでベヘリスカは戻らない。しかし、止めるほど私達は優しくないよ。最初からそうするつもりだったのだから。」

「私もそのつもりだった。<転移門(ゲート)>。さぁ、送ってやろう。行き先は城だ。」

 フィリナの足は震えた。再び開いた闇の向こうは文字通り地獄なのだ。

 早く入れと上位森妖精(ハイエルフ)達が怒りに声を上げる。

 逃げ出したいが――「あ、ありがとうございます…。私は…罪を背負い…償い続けます…。」

 フィリナはそう言うと闇へ足を踏み入れた。

 そして城の廊下で五ヶ月間、苦しみに叫び続け――ソロンの半年の痛みと、自ら死へ向かったシャグラを思ったらしい。




あいやぁ…すっかり裁かれちゃった…
敵にも事情や家族があるのは辛い…(´・ω・`)そろそろ気が抜けた話を読みたいなりね…
フィリナちゃん助けてって言う人が見事に一人もいなかったから、裁かれちゃったよぉ
次回#67 雨

タリアト君とソロン君をユズリハ様が描き起こして下さいましたよ!
わぁい!美人だねタリさん!

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そして11/24はOLの日だったそうです!
お世話されるフラミー様もいただきましたよ!!

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#67 雨

「これでようやく煌王国への裁きは完結したな。」

 再びの休憩に入ったアインズは一仕事を終えた気分になり、機嫌良くそう言った。

 しかし、当然仕事はまだ続く。

 この最古の森が神聖魔導国に降るという文言が書かれた、アルベドが作ってくれた文章への合意と署名、捺印がされていないのだ。

 ここは素晴らしい森だった。

 アインズが知るあらゆる森の中でも特によく育っている様子だった。

 トブの大森林や、エイヴァーシャー大森林は精々大人三人で囲めるような木が多いが、ここに生える木々は隣の木と合体して捻くれながら育っているようなものもある。

 リアルにかつてまだ森のあった百年前の記録でも、日本ではここまでの木々は縄文杉くらいしかなかっただろう。

 樹齢千年を超えるような木は実に見応えがあり、どこまでも荘厳でアインズを唸らせた。

 フラミーがあれこれと落ちている紅葉を拾い、どっちが綺麗?と無限に聞き続けてくれる道中も実によかった。

 最強葉っぱ決定戦で勝ち残った落ち葉は後日くれるらしい。

 あえなく予選敗退となった葉っぱはシャルティアにあげていたが、シャルティアは即座に<保存(プリザベイション)>を掛け、大切にしまっていた。

 帰ったら皆に自慢すると満面の笑みでしばらくそれを眺めていた姿はなんとも愛らしかった。

 この森は無傷で手に入れ、王と言う名の管理者に引き続き丁寧に育て守って貰いたいところだ。

 しかし、なんと言ってもあの王がフラミーを見る目はなんとも気に入らない。

 

 神聖魔導国一行は休憩中だが、上位森妖精(ハイエルフ)達は書類を隅から隅まで目を通していた。

 上位森妖精(ハイエルフ)達は当然使う文字が違う為、読解魔法を使いながら少しづつ読んでいるようだ。

「どうなるでしょうね。」

 フラミーは少し緊張したように言葉を紡いだ。

「そうですね。大人しく降ってくれると良いんですけど…。」

 この森にストレスを掛けたくない二人は、熱心にどうするかと話し合う上位森妖精(ハイエルフ)を見た。

 流石に魔法を得意とする者達なので、<静寂(サイレンス)>を掛け話し合っていた。

「アインズさん、ここって五百年前は竜王が最古の森を支配して雨を降らせてたんですって。タリアトさんは、それを継いでここに雨を降らせてずっと守ってきたって。」

「竜王にもいい奴はいたんですね。意外だ。」

 アインズがタリアトに少しも触れず、不愉快なトカゲ達を思い出していると、フラミーはくすりと笑った。

「ツアーさんだって今は良い人です。」

「ツアーには自然の尊さが分からないからなぁ…。」

 今でも当然ツアーはアインズの世界征服に懐疑的な為、基本的にそれに力を貸すことはない。

「さすがのツアーさんでもこの森を見たら、殺された竜王みたいに雨を降らせて守りたくなるかも知れませんよ。」

「…"僕は雨が降らないのも世界の選択だと思うよ"。」

 アインズがそういうと、フラミーはぷっと吹き出した。

「はははっ、言いそう!言いそうですねー!」

「ですよねぇ、ははは。」

 アインズも笑っていると、タリアトが上位森妖精(ハイエルフ)の輪を抜け、掃き出し窓からバルコニーへ出て行った。

 

 タリアトは、シャグラ・ベヘリスカともあろう男がすんなりと死に落ちた事を思い返していた。

 とても敵う相手ではないのは初めからわかっていたが、実際に目の前で力が行使された瞬間を見ると改めてアインズの力は凄まじいものだと思わされる。

 ここでNOと言えば、森は、国は、どんなことになるかわからなかった。NOと言わなければ良いだけではあるが――。

 こちらはNOと言える立場ではない、圧倒的な力差があると言うのに、神聖魔導国からの条件は気味が悪いくらいにこちらに害がないものだった。

 だからこそ、信用できずにいた。

 NOと言うほど愚かではないが、無条件にYESと言うほど愚かでもなかった。

 

「タリアトさん。」

 鈴を鳴らすような声に振り返れば、フラミーと、少し離れたところから様子を見るアインズがいた。

「フラミー君。どうしたんだい?」

「――ここはいい森です。立派な木がたくさん!最古の森って言うけど、本当に地上で一番古い森みたい。」

 タリアトはフラミーの言葉にふっと笑った。

「…そうだね。誰が呼び始めたのか私も知らないけれど、遙か昔から最古の森と呼ばれているよ。ごらん、立派な木だろう。」

 タリアトが城を支える木を見上げるとフラミーは頷いた。

「今は城を建ててしまったが、この母なる木の虚にその昔は竜王が暮らしていたんだ。だから、私達はここは森の守神のための場所なんだと信じているんだよ。」

「森の守神…。ねぇ、タリアトさん。私、本当にこの森が好き。あなたが守って来てくれて、すごく良かった。」

「ふふ、それは何よりだよ。」

 タリアトは静かに微笑みバルコニーの欄干に腰掛け――微笑みを返すフラミーの周りには青い魔法陣が咲いた。

「フラミー君?」

 タリアトは数度瞬いた。

 その瞳の中には輝くフラミーしか写ってはいないだろう。

 事実、神聖なる光景に完全に飲まれていた。

 額に汗が伝う。それは畏れを形にしたものだった。

 

 ――強い。

 

 死に物狂いで魔法を手に入れ、森の守り神の座を竜王から継ぎ早幾星霜。

 魔法を使う時にすぐそばに感じていたものの正体がタリアトには今はっきりと分かった。

 部屋の中には口を開け、フラミーを見る国の者達。

「ここが森の守り神の場所なら、私はたくさんここに来ることになりそう。」

 フラミーがそういうと、タリアトはなんとか我に返った。

「――"王様と森を守る"だっけね。不思議と君のその言葉を疑った事はないよ。」

 フラミーが顔を綻ばせると、アインズは羽織っていたローブを脱ぎ、そっとフラミーに掛けた。

「あ、ありがとうございます。アインズさん。」

「いいえ。冷やさないで下さいね。」

 優しい声音だった。

 時間が静かに流れ、一幅の絵画よりも美しい光景は魔法陣が強く輝く事で終わりを迎える。

「――<天地改変(ザ・クリエイション)>。」

 風が舞う。魔法陣が散ると同時にタリアトの鼻に雨の香りが届いた。

 空には雲が生まれ、どんどん分厚くなっていく。

 しかし、所々晴れ間があった。

 そして一粒――ぽたりとタリアトの鼻にぶつかった。

「――雨だ…。」

 晴れ間を残しながら、雨が降り始めた。

 バルコニーの下の国民達は呆然とフラミーを見上げていた。

 透き通る水滴の中には最古の森が映し出され、ベールのようにサラサラと細かく降り注ぐ雨はまるで緑色のようだった。

 雨に連れて来られた空の香りが地上に立ち込める。

 これはどれほど遠くまで降っているのだろう。

 このバルコニーから見渡せる空は一面綺麗な雨を降らせているようだった。

 自然現象以外でこれだけの広さに雨が降るのを見たのは五百年ぶり――絶対的な力を持つ竜王という存在を失って以来だ。

 タリアトの何十倍もの広さに雨を降らせている様子のフラミーの力は竜王と同じか、それを凌ぐかも知れない。

 かつて竜王が雨を降らせていた時、この森は今よりももう少し狭かったのだから。

「ね、私達、ここを一緒に守れますよ。」

 呆然としかけていたタリアトはその言葉を聞くと、欄干から腰を上げ、すぐにフラミーの前に膝をついた。

 神聖魔導国の不自然に優しい条件の訳に心から納得がいったから。

「私の小さな女神よ…。君の下になら私は喜んで降ろう。どうか共にこの森を育んで頂きますよう、お願い申し上げます。」

「ありがとう。」

 ローブの裾を取るとタリアトは静かに口付けを落とした。

 晴れ間と霧雨の間に掛かる虹は幻のように霞んでいて、川にも、巨大緑茸(キングマッシュルーム)にも、所かしこに橋を渡していた。

 タリアトはあまりのその光景の美しさに雄叫びを上げたい気持ちになった。

 昂り波打つ感情は体を駆け巡る。

 今世界は確かにここを中心に回っている、そんな気さえした。

「フラミー君――いや、フラミー様。今度こそ教えてくれるね。あなたの住んでいる場所を。」

「もう分かってるでしょう?」

「隣の大陸と言うことだけじゃ迎えの馬車を送れないじゃないか。」

 タリアトがフラミーを見る目は天にも上るようにとろけていた。

「私、ナザリック地下大墳墓に暮らしてます。でも、迎えの馬車はいりませんって。」

 フラミーはおかしそうに笑った。

 

 それはこの大陸中で一番広い森全土が落ちた瞬間だった。

 アルバイヘームはこれからも長き時を生きるが、その日の光景は彼の見た美しい光景トップスリーに入る。

 一つは竜王の起こした嵐の夜の最古の森で、もう一つは――いつか、時が来たら語ろう。

 

 最古の森は広いため、まずは上位森妖精(ハイエルフ)達の国であるエルサリオン上王国に死の騎士(デスナイト)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が投入される。

 アンデッドが訪れた時は多少の混乱があったが、これまでで一番力ある種族はそうそう恐れ慄きはしなかった。

 ただ、この強大なアンデッドが呼び水になり、さらに強大な者が自動で生まれてしまわないかだけは皆警戒したようだ。

 他の地域には上位森妖精(ハイエルフ)と冒険者、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が説明を行ってから、順次アンデッドを送り込んだ。

 どうも信用されない時にはアインズが出て天地改変(ザ・クリエイション)を使って見せたとか。

 最古の森は、国の特別管理地となり、伐採を厳しく取り締まられる。

 それは最古の森に住んでいる者も例外ではない。

 エルサリオン州とも名を与えられるが、皆最古の森と呼んだ。

 

 そして手始めに神殿を一つ。完成はやはり五ヶ月後。

 そこが完成すると転移の鏡が置かれ、繋がる先は神都となった。

 転移の鏡の左右には七十レベルにもなるアンデッドの地下聖堂の王(クリプト・ロード)が立つ。

 鏡を盗まれないようにするため、いつでも死の騎士(デスナイト)達の指揮を行える、ある程度の強さを持つこのアンデッドが配備されたのだ。このモンスターは指揮官系の特殊技術を持つため、支配下に置いているアンデッドを強化できる。

 元は豪華だったであろうボロボロの紫色のローブを纏い、不釣り合いなまでに輝く王冠を被った姿はどこか神聖だった。

 上位森妖精(ハイエルフ)達の出入りが普通になるまでもういくばくとかからなかった。

 

 神殿の完成以降二つの大陸間はこの鏡で行われる事が一般的になるが、最初に鏡をくぐったのは言うまでもなくタリアト・アラ・アルバイヘームだった。

 そして、それに付き添い共にくぐったのは――やはり、いうまでもなくソロン・ウデ・アスラータだった。

 

 ソロンは全てが終わると、教えられた黒豹(パンサー)を葬ってくれたと言う、国が管轄している墓地へ向かった。

 花を買い辿り着いた場所では、流石に上位森妖精(ハイエルフ)達と同等に葬ることはできなかったようで一基だけ少し離れた場所に友の墓はあった。

「…ごめん、遅くなった。」

 濡れた薄い四角の石板の前に花を手向け、膝を抱えて座った。

「……俺は自分のことばっかりだった…。お前は本当はこの半年ずっと森に帰りたかっただろ…。本当にごめんな…。」

 手向けた花は風に揺らされ、濡れた落ち葉がはらはらと舞った。

 ただひたすらにその場に座り、共に生きた彼を想った。

「疲れただろう…。本当、よく走ってくれたよ…。俺、俺…アニラが生き返ったとき、もう悲しいことはおしまいだって思ったけど…お前がいてくれないなんて…シャグラ様がもういないなんて…―――ッ!!」

 地面を叩こうと振り上げた手は震え、とさりと地に落ちた。

「……帰ろう、一緒に。俺たちの森に。皆がお前を待ってるんだから。」

 そう言い、不器用な笑顔を作った。

 

+

 

「あいつは百億パーセントフラミーさんに惚れてます。」

 それぞれの者を転移門(ゲート)で送り返し、ナザリックに戻ったアインズはぶつぶつと文句を垂れていた。

「ははは、やだなぁ。私なんか好きになってくれるのはアインズさんくらいですよ。ねぇ、ナインズ。」

 フラミーに張り付く小猿は小首を傾げ、「まんま?」と愛らしい言葉を紡いだ。

「いーや、本当に。あいつはダメですよ。九太、お前は絶対に天地改変(ザ・クリエイション)を覚えるんだ。フラミーさんを行かせないために俺もこの魔法を使いに行くが、九太もフラミーさんをあの痴漢から守るんだ。良いな。痴漢が乾季は二ヶ月もあると言っていた。」

「はは、痴漢。」

 痴漢だと憤慨するアインズはふと思い出したように、ナインズを抱くフラミーを持ち上げると風呂へ向かった。

「髪の毛一本一本洗います。」

「えぇ!?またですか!?」

 アインズはしばらく毎夜毎夜フラミーの丸洗いに精を出したらしい。

 

+

 

 その頃、シャルティアはBARナザリックで至高の落ち葉を守護者各員に自慢していた。

「どうでありんすか!フラミー様が妾の為に拾って下さった葉っぱでありんす!!」

 高らかに声が響く。

 その葉っぱに注がれる視線は羨望、嫉妬、――尊敬。

 一人づつじっくりと葉を見ては隣の者に渡した。

「すごいじゃん、シャルティア!いいなぁ!あたしもフラミー様に葉っぱ頂きたいなぁ!」

 ジュースを飲んでいたアウラのそのセリフは恐ろしいことに大真面目に紡がれている。

「あ、あの…ぼ、僕、フラミー様に物なんて一回も貰ったことなんてないです…。」

「マーレだけじゃないわ!私もまだ何も頂いた事なんてないもの!一体どんな働きをしたっていうの!?」

 アルベドがマーレに賛成するようにハンカチを噛みながらそう言うと、コキュートスもムゥ…と唸った。

「私モダ…。マダマダ働キガ足リナイト言ウ事カ…。」

 そんな中、余裕を見せているのはデミウルゴスだ。

「まぁ、私は黒き湖でお花を頂いたけれどね。」

「おんしは差し上げたから、返されただけでありんしょう。」

「……それだって羨ましいわ。私も何か差し上げてみようかしら!!」

 アルベドが翼をバッサバッサと動かしていると、これまで影のように静かに過ごしていた男の元に葉っぱが回って来た。

「ンンンン…。これがフラミー様が拾われた葉っぱ…。」

 パンドラズ・アクターはじっくり表裏と確認し、優しく撫でた。

 世界級(ワールド)アイテムに触れる時と何一つ変わらない丁寧な手付きだ。

「ソレデ、ドンナ働キヲ見セタノダ。」

 コキュートスの問いに、シャルティアは意味深な笑顔を返した。

「何?あたし達にも教えてよ!参考にするからさ!」

「ふふ…私はアインズ様のあらゆるお言葉をメモに取って勉強に勉強を重ねておりんした。成長しようとする私にご褒美ありんすね!」

 皆「あ〜!」と声を上げた。

「最近シャルティアってメモ魔だもんねー!」

「おんしらもよく学ぶことでありんすね。」

 シャルティアの高笑いの横で、パンドラズ・アクターは一生懸命葉っぱの型を取り、それを忠実に再現したものを宝物殿に飾ろうと精を出した。




ほのぼのナザリックしたい!!!
フラミー様が国の支配の決め手になったの、実は初めて?

次回#68 閑話 護衛の皆さん
もうどんな話かわかった

さぁ、裁かれた世界を見てみましょう!ユズリハ様が素敵でゾッとする地図を作ってくれました!

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11/26はいいチームの日だったそうです!こちらも©︎ユズリハ様です!
私がクアイエッセお気に入りなのを狙って描いて下さったそうで、いひいひ言ってまぁすww

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#68 閑話 護衛の皆さん

 その日八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はフラミー当番も含めてアインズの執務室に集まっていた。

 アインズによって開かれた転移門(ゲート)をまず七匹が潜る。

 そしてすぐ様転移門(ゲート)から顔を出した。

 アインズはいつもと変わらずそれをチラリと確認してからフラミーととある死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と共に転移門(ゲート)をくぐり、後を追うように更に七匹の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も着いて行った。

 

 支配者はフラミーもいる時はきちんと向こうの安全確認が取れるのを待ってくれるが、支配者だけでトロールの年齢巻き戻し実験などに牧場へ行くときには確認作業を待たずしてすぐさま足を踏み入れてしまうのが八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達の密かな悩みだ。

 

 転移門(ゲート)の先はアインズとフラミー肝いりの街、エ・ランテルの光の神殿だった。

 神々の降臨に居合わせた礼拝客は途端に熱気を帯びた。皆熱心に祈りを捧げる中、進む支配者二人は涼しげで実に優雅だ。

 神殿で待っていたセバスが二人を迎え、必要以上に人間達、亜人達が支配者二人に近付く事を許さない。

 不可視化している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達はいつでも不敬者の首を落とせるように、脚に格納している刃を出す準備は万端だ。

 最古の森ではアインズに非常に褒められたし、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達のやる気は燃えるようだ。

 

「さぁ、こちらでございます。」

 セバスが二人に話しかけると「道はわかっているぞ?」「ふふ、私とっても久しぶりなんですよね」と返事が返る。

 

 エ・ランテルは今でもフラミーの神でありながら森妖精(エルフ)の冒険者に扮装してここで暮らし、街を守ったと言う話が非常に人気で、特に光の神殿前の広場にはよく吟遊詩人(バード)が来て子供達にその話を聞かせている。

 街はザイトルクワエに破壊されてしまい作り直しとなったが、フラミーがプラムとしてモモンと回った場所や店には人の足が途絶える事はない。

 プラムの足跡を辿る者は非常に多く、旧エ・ランテルの頃から使っている冒険者組合の掲示板などはちっちゃな人気スポットだ。

 そんなものを見てどうするんだと冒険者達は観光客にいつも笑うが、どこか誇らしげなのは気のせいではないだろう。

 ちなみにその昔プラムに絡んだチンピラ紛いの冒険者は、今回航海に出て、牢屋に閉じ込められ、無事に帰ってきた。

 彼らはいつもの宿の一階で、航海中の事や隣の大陸で起きた大スペクタクルを航海に出なかった冒険者達に散々話したらしい。

 もちろん奈落の主(アバドン)の事も。

 五ヶ月後に神都から開通すると言う噂の、隣の大陸への道――鏡に皆が思いを馳せた。

 地図を作りに行き、未知を既知とし、我らが神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国を知らぬ者を探しに行ける日を心待ちにしているのだ。

 航海で行くのは片道二、三ヶ月がかかるし、相当にコストもかかるので海路の発達はまだもう少しかかりそうだった。

 ちなみに冒険者達は今回の航海の報酬は、生活に必要な最低限しか受け取らなかったそうだ。

 何の役にも立てなかった、これは依頼を遂行していない、と言うのが彼らの言い分だった。

 どこの都市の冒険者組合長もそんな冒険者達を連れて飲みへ繰り出したらしい。そして、皆で帰りに神殿に受け取らなかった分の報酬の返却に行き、神官たちにそれはそれは褒められた。

 

 

 光の神殿を後にすると、エ・ランテルには木枯らしが吹き、街をゆく人々はどこかメランコリックな雰囲気だった。

 しかし、二人の神の降臨はこの街の人々を熱狂の渦に叩き込んだ。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は百レベルのセバスが先導者だからと言って気を抜いたりはしない。

 とは言え興奮している人々も、流石に神に触れようとしたりはしない。

 その程度の身の程も弁えられていない者はこの国にはいないだろう。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は「異常なし」のサインを次々と送り合う。

 口に出すとここにいる事がバレるし、支配者には普段は空気に徹しろと言われている。

 アインズとフラミーに付く八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はそれぞれ七匹づつで、十五匹いるうち、一匹は必ず休みを取らされる。

 つまり十五日に一度は休まなければいけないのだ。

 こっそりと一匹紛れ込み護衛していたら支配者にこっぴどく叱られ、終いには全員連帯責任で休暇を言い渡され絶望したのは記憶に新しい。

 それ以来休日は直属の上官であるコキュートスの住まいの大白球(スノーボールアース)の護衛を雪女郎(フロストバージン)と共に行う事にした。

 スズメバチの巣をひっくり返したような形をしている大白球(スノーボールアース)のてっぺんから第五階層を見渡し警護するのだ。

 それは休暇にならないだろうと支配者は言ったが、「ここから粉雪を見るのが趣味です」と答える事でなんとか切り抜けたとか。

 

 

 セバスは今日も手を繋ぐ仲睦まじい二人の支配者を連れて冒険者組合へ向かった。

 冒険者組合の扉は開けられており、やはりここでも八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は先に建物に入る者と、殿(しんがり)を勤める者の半分に分かれた。

「陛下方!お待ちしておりました!さぁ、こちらへどうぞ。お部屋にお通しいたします。」

 中では相当恐縮している様子の冒険者組合長プルトン・アインザックが支配者達とセバスを迎えた。

 周りには冒険者達が自分達の組合長へ羨望の視線を送っている。

「邪魔するぞ。」「お邪魔します。あぁ、なんだか懐かしいなぁ…。」

 アインズに連れられるフラミーは四年ぶりの組合を感慨深げに歩いた。

 建物は真新しいが、中の備品は全て旧冒険者組合から持ってこられたものだし、受付嬢達とも多少交流があったのだ。

 フラミーは懐かしの受付嬢に手を振り、受付嬢達は勢いよく頭を下げた。

 一行は応接間に通され、アインズは迷わず真っ直ぐに上座へ向かった。

 フラミーもその隣を目指す。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はアインズが腰を下ろそうとしたソファに糸のほつれを発見し、ぴっと高速でその糸を切って床に捨てた。

 神を座らせるには相応しくないソファだが、この世界はナザリックのような素晴らしい物に溢れているわけではないことを八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達はもうよくわかっている。

 そしてナザリックが如何に神聖で特別な場所なのかを日々再確認してはその背を震わせるのだ。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)がわらわらと天井に上がると、セバスと死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はアインズとフラミーの後ろに控えた。

 

「それで、陛下方がお揃いでいらっしゃるなんて…冒険者のことで話があるというのは一体どうされたのでしょう?もしや冒険者は役立たずだから、解散…とかでしょうか…?」

 アインザックの額には不憫なほどに大量の汗が光っている。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は心の中で「そーだそーだ!」「役立たず!」「少しはお役に立て!」と罵倒した。

 しかし、思慮深き支配者の答えはまるで違う。

「いや、冒険者なんだがな。もう聞いただろうが、実はこのイグヴァルジをうちでもらう事になった。」

 控えていた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は胸を張った。

 役立たずは役に立てる者に変えられたのだ。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は物音ひとつ立てずに盛り上がる。

「あぁ、他の"クラルグラ"の者達に聞きました。なんでも、共に航海に出た死者の大魔法使い(エルダーリッチ)殿達の遺志を継ぐため御身のおそばで生きることを選んだと…。」

 下等生物にしては中々見所があるやつだ。

 うんうんと頷く八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達を残して話は進んだ。

「"クラルグラ"にも、冒険者組合にも悪いことをしたな。」

「いえいえ。とんでもございません。冒険者組合としても特別冒険者自身の決定や転身に口を出すような事もありませんので、陛下はどうかお気になさらずに。陛下方に仕えたいと思う者も後を絶たないでしょう。最近では光神陛下にお仕えできると言う詐欺もあった程でしたし。」

「――え?なんですか?それ。」

 謎の飲み物に口を付けようとしていたフラミーは顔を上げた。

 アサシンズも共になんだ?と首を傾げる。そんな中、アインズは知っていたのか、特に訝しむような事もなく、ちらりとフラミーの様子を確認した。

「いえ、何でも光神陛下がメイドを求めているという宣伝をして、高額のメイドレッスン料を取るとか。いざ会場にいくと、そこでは何もやってない、なんて言うありきたりな――」

「えぇ!?私、もうメイドなんていりません!」

「フラミーさん、分かってますから。今裁判にかけてますよ。」

「全く不届きな者もいたものです。陛下方の名を騙るとは。何でも都市国家連合の田舎の出の者らしいですね。あそこはどうも好きませんな。」

 支配者達の力を知らない田舎者の存在にアサシンズはシャキンと刃を出し、力むように体を上下に揺すった。

 わさわさと音が立つとアインズは軽くコツン、と肘おきの部分を骨の指で鳴らし、アサシンズは途端に鎮まった。

「そう言うな。もうじきあそこも全てが我が国へとなる。生まれや育ちで差別をするなよ。」

「む…それはもちろんでごさいます…。」

「さて、そろそろお暇しよう。今回冒険者組合には迷惑をかけた。今後もよろしく頼むぞ。」

「は!!そこまでお送りします。」

 アインザックが立ち上がると、アインズは憤慨するフラミーを抱えて転移門(ゲート)を開いた。

 ナザリックに戻るときも八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)は二手に分かれ、転移門(ゲート)の先の安全確認を怠らない。

「いや、気にするな。今日はここから帰る。このままエ・ランテルにいるとうちの妃がパトロールしかねん。」

 アインザックが思わずふっと漏らした笑いは決して何かを馬鹿にした為ではなく、ズーラーノーン事件から人々を守るためにわざわざ街に潜入してくれた女神らしい様子に心をほぐされたためだ。

「もう!パトロールなんてしませんよ!ちょっと見て回ってみるだけです!」

「それがパトロールっていうんですよ。私のかわいい妃はそこの所をあまり分かっていない。」

 アインズがフラミーの鼻をちょいと触ると、アインザックはなんとなく気恥ずかしそうに視線を泳がせた。

「――セバス、お前はどうする。共にナザリックに戻るか?それとも今日はこのままエ・ランテルにいるか?」

「は。共に戻らせて頂きます。今日はスクロールを受け取る約束がありますので。」

「そうか。ではな、アインザック。」

「はっ!」

 アインザックはその場で深々と頭を下げた。

 それはナザリックの守護者がするようなものだった。

 アインズは鷹揚に頷き、フラミーはアインザックに「じゃあ、また」と手を振りながら転移門(ゲート)をくぐっていった。

 

 ナザリックにアインズとフラミーが戻ると、一般メイドから男性使用人、その側で掃除をする天空城で拾ってきた双子猫も喜びのオーラを撒き散らした。

 そんな中、アインズはどこかに行きたげにうずうずするフラミーの頭をくしゃりと撫でた。

「――エ・ランテル、そんなにパトロールしたいんですか?」

「探知阻害して、幻術かけていきますから。おねがぁい。」 

「絶対バレますよ。困ったな。」

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が何度も頷くと、フラミーはぷくりと頬を膨らませた。

「だって…私の名前が使われて詐欺なんてやなんですもん。」

「解ってます。一応法治国家の建前として裁判にかけてますけど、詐欺グループはニューロニスト行きに決まってますから安心してください。」

「むぅ…。他にたくさん私の名前を使って詐欺する人がいたら?」

「いませんよ。皆俺達を――」アインズはフラミーの耳に口を寄せた。「神様とか言ってんだから。」

 NPC達にそれを聞かせては可哀想だろう。

 彼らだってアインズ達を心の底から神様だと信じているのだから。

「はぁ。本当に"イワシの頭も信心から"ですねぇ。」

 喋る支配者達はフラミーの自室に入った。

 中で遊んでいたナインズはパッと両親へ振り返り、ナインズ番を支えに立ちよたよたと数歩進んだ。

「まんまぁ!ぱっぱぁ!」

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も部屋に入ると同時に目礼した。

 挨拶の相手はナインズの護衛についている――アインズがなけなしの小遣いで召喚した――八十レベルを超える忍者系モンスターであるハンゾウ五体だ。ハンゾウもアサシンズ同様不可視化している。

「ナイくんもお母さんが詐欺の口実にされるなんてやだよね?」

 フラミーがナインズを抱き上げると、ナインズはアインズに手を伸ばした。

「ぱっぱ、ばぁ。」

「九太はあんまり気にしないみたいですよ。ほら、気分転換しましょう。」

 ナインズを抱いてむくれるフラミーをアインズが抱き上げるマトリョーシカスタイルになると途端に三人の姿はかき消えた。

 

「ア、アインズ様!フラミー様!」「御方々を捜せ!!」「第六階層が怪しいぞ!!」

「ナインズ様!!」「ナインズ様から離れることは許されない!!」「急げ!!」

 

 途端に残された八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)とハンゾウの慌てる声が響く。

 よくある事だ。この護衛達は実に簡単に振り払われてしまう。

 

 この後彼らはアインズ達を探し、これでもかとナザリックを駆け回る。

 それを見るNPC達は皆大いに彼らを応援し、協力する。

 ナザリックの日常であった。




しゅき、あさしんず❤️

次回#69 閑話 図書館と執事


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#69 閑話 図書館と執事

 第九階層から第十階層に歩いて下りる者が一人。

 黒い燕尾服と側章の入るパンツにはシワひとつない。

 エ・ランテルから帰ったセバスは玉座の間への扉に匹敵する大扉の前に辿り着いた。

 扉の両端にはレアメタルを使って製作された武人の格好をした三メートルもある動像(ゴーレム)が屹立している。

「開けてください。」

 セバスの声に反応し、動像(ゴーレム)達は扉に手をかけゆっくりと大扉を押し開いた。

 ズズズ…と重く深い音を鳴らし、扉が開いた先はまるで美術館。

 美しい彫刻の施された本棚が並び、床は寄木細工のように華やかに彩られていた。

 

 ――この世の全ての知識を収めし最古図書館(アッシュールバニパル)

 

 巨大なこの図書館は吹き抜け構造で、二階にはバルコニーが突き出して一階が覗き込める。

 セバスはこの美しい床を踏むことをわずかに躊躇う。

 外から帰ったセバスの靴底は汚れていたが、ここを訪れる前に第九階層にある自分の部屋で丁寧に綺麗にした。だと言うのに、躊躇う。

 チリひとつなく、傷ひとつないそこは何度訪れようとも至高の四十一人の威光を感じずにはいられなかった。

 毎日ナザリックで働き外で夜を過ごす。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達同様、セバスもこの地が如何に特別な場所なのかを日々感じた。

 しかし、いつまでも入り口で躊躇っていても仕方がない。

 セバスは目的の部屋へ向かって歩みを進めた。

 しんと静まる図書館は誰かがページをめくる音と、セバスの靴音しかしない。

 最古図書館(アッシュールバニパル)は「知の間」、「理の間」、「魔の間」、用途別の小部屋、職員達の私室とに別れている。

 今日目指すのは用途別の小部屋である「製作室」だ。

 広大なこの図書館では製作室は入口から中々に遠い。

「ようこそ、セバス様。」

 かすれた声を出し、ふらりとセバスの前に姿を見せたのは"白の贋金持ち"――司書Jだ。

「どうも。スクロールを取りにきました。」

「心得ております。ご案内いたしましょう。さぁ、こちらへ。」

 手短に静かなやりとりをし、いつもの様に二人は製作室へ向かった。

 当然セバスはもうとっくに製作室への道順など覚えているが、司書達は来館者の役に立つ事も仕事のためどこへ行くにしても必ず案内をしてくれる。

 至高の存在に言われた仕事を全うしようとする者達のそれを断るというのは全方面に失礼だろう。

 

 たどり着いた製作室には四方に大きな棚が置かれ、少し圧迫感を感じさせる。

 棚の中には無数の鉱石、貴金属、水晶、宝石、属性付与石、各種粉末、常闇から取れた様々な器官や骨、皮など多岐に渡るものが整理整頓され並べられていた。

 殆どの資源は宝物殿の一室に納められているため、ここにあるのはすぐに利用する物だけだ。

「………ん。ティトゥス様、セバス様がきた。」

 かつて余所者だった少女、イツァムナーが声を上げると、この巨大図書館の司書長であるティトゥス・アンナエウス・セクンドゥスは約束の者の来訪におぞましい顔を綻ばせた。

 その姿は二本の鬼のような角を持つサフラン色のヒマティオンに身を包むスケルトン・メイジだ。

「ようこそ、セバス。転移門(ゲート)のスクロールだね。」

「頼みます。それから、今日は伝言(メッセージ)も何本か。」

 羊皮紙をテーブルに並べていたティトゥスはイツァムナーに軽く目配せした。

 すぐに棚に向かい、伝言(メッセージ)のスクロールを用意する。

「………はい。」

 セバスは手早くスクロールの本数を数え、無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまった。

「ありがとうございます。」

「いやいや。さぁ、ここに受け取りの署名とスクロールの種類、本数を。」

 スクロールの製作にはユグドラシル金貨が用いられる為、適当に作って適当に渡すとはいかない。

 セバスがさらさらと流れる手つきで必要事項を書いていると、「オヤ」と聞き慣れた声が響いた。

「セバス。オ前モスクロールカ。」

 司書Pに案内されて現れたのはコキュートスだった。

「これはコキュートス様。そうです。転移門(ゲート)伝言(メッセージ)を取りに参りました。」

「ソウカ。ティトゥス、私モ転移門(ゲート)伝言(メッセージ)、ソレカラ飲ミ水ヲ生ム物ト、読解魔法、兎ノ耳(ラビッツイヤー)モ頼ム。転移門(ゲート)ハ聖典ニモ二本程渡シテオキタイ。ソレゾレ数ハ――」

 ふんふん聞いていたティトゥスはひとつ頷いた。

「守護者コキュートス。すぐに用意しよう。読解魔法は品切れ中だから、今作る。待っていてくれ。」

「頼ム。」

 ティトゥスとイツァムナーが製図台に低位用の羊皮紙(・・・)を広げるのを眺めるコキュートスはサインをするセバスにポツリと尋ねた。

「――セバス。最近ドウダ。」

 セバスは顔を上げた。

「どう、とは何についてでございましょう。」

「オ前ノ所ニハ子ハマダナノカ、トナ。一郎太ハ今日モザリュースノ息子二人ト手合ワセヲシテイル。オ坊チャマモオ立チニナリ始メタ。」

「そうですね。ナインズ様の為にも――早く出来ればいいのですか。」

「フラミー様ニキチント魂ヲ下サルヨウオ願イシナケレバ駄目ダト思ウゾ。子ガ出来タラ、アインズ様ハキットツアレノ第六階層ヘノ出入リヲオ許シ下サルダロウシ――イヤ、コレ以上ハ余計ダナ。トモカク、応援シテイル。」

 コキュートスは、子供――更なる弟子を期待していると言うのは勿論あるのだろうが、このナザリックに一歩も踏み入れることを許されていないツアレを慮るようでもあった。

「ありがとうございます。コキュートス様。」

「ウム。私ハマダマダ掛カル。気ニセズ仕事ニ行ッテクレ。」

 セバスは武人に頭を下げ、製作室を後にした。

 高い天井には絢爛なフレスコ画。描かれる空は外の空よりも美しく、それを取り巻く天使と悪魔は和解の時を迎えようとしているのか、はたまたこれから起こる戦争を前に相手の隙を探しているのか。

 司書Jに外まで見送られ、セバスの背でズンと巨大な扉が閉まる。

「お願いしてみましょうか…。」

 セバスは九階層へ戻っていった。

 

 てきぱきと掃除をする執事助手のエクレア・エクレール・エイクレアーはぱっとセバスへ振り返った。

 その周りには執事助手補佐という変わった役職の天空城から拾われてきた猫二匹。

「これはセバス様!おかえりなさいませ!下界へお戻りですか?」

「おかえりなさいませ!」「いってらっしゃいませ!」

「今はフラミー様のお部屋に向かう所です。フラミー様は中ですか?」

「ええ、中にいらっしゃいます。」

 セバスがいそいそと身嗜みを整えていると猫二匹はそれを手伝い、執事服をより美しい形になるようにひっぱったり伸ばしたりした。

「セバス様はフラミー様に会うの?」「フラミー様はエ・ランテルに行きたいんだよ!」

 騒がしい猫達に耳を貸していると、突如フラミーの部屋の扉が開かれた。

 廊下にいた面々は何事かと数度瞬きをし、出てきた不可視化を解いた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)とハンゾウの言葉に、あぁ。と納得した。

「アインズ様とフラミー様を捜せ!!」「御方々はいずこへ!!」「ナインズ様ー!!」

 気持ちはわかるが、ここは大九階層スイートルーム。

 ナザリック地下大墳墓の執事(バトラー)で、階層守護者と同格の家令(ハウス・スチュワード)の仕事もこなすセバスは咳払いをした。

 

「落ち着いて下さい。私も御方々の捜索をお手伝いしましょう。ここは神々の住まう第九階層。それに相応しい態度を心掛けなければいけません。」

 この世のどんな存在もこの神々の住まう場所にたどり着くことはできないだろう。ここはかの至高の四十一柱に匹敵する(ぷれいやー)共が押し寄せてきたときにも一歩も足を踏み入れる事のなかった難攻不落の絶対聖域。

「――は!失礼いたしました。」

「さあ、御方々を探しに行きましょう。」

 

+

 

 施設製作の為、双子が出払っている第六階層の湖畔には元気な子供達の笑い声が響いていた。

「一郎太!シャンダール!待ってよ!」

「ほら!ザーナンももっと早く走って!」

「ざーなん!はやく!」

 一番年下のはずの一郎太は三人の中で一番足が早かった。

 ザリュースとクルシュの長男、シャンダール・シャシャは活発で兄貴肌だ。ザリュースよりも薄い茶色の鱗は、親達のように硬質というよりも、まだ幼く柔らかそうだ。蜥蜴人(リザードマン)は尻尾に栄養を蓄える性質が有り、太い尻尾の方が魅力的とされているのは有名な話だが、子供の割に太い立派な尾を持つ彼は同じ幼蜥蜴人(リザードマン)達の中ではかなりモテる。ナザリックで鍛え、食事を取ることもある為だろう。

 次男ザーナン・シャシャはクルシュの多くを引き継ぎ、雪のように白い肌をしていて、真っ赤な瞳だ。ほっそりと痩せた体はあまり力強さを感じられない。シャンダールと同じ食事や鍛え方をしているがその差は明白。

 一郎太は口だけの賢者(プレイヤー)の血を引き、シャシャ兄弟は純粋なる現地産の者達だ。

 更に兄弟は将来恐らくドルイドと戦士に道が分かれるだろう。

 この三人は成長スピードや魔法、スキル、武技の習得の有無などの比較に非常にちょうど良い存在だった。

 

 三人がキャアキャアと子山羊を追って走っているのを見ていたザリュースと一郎はこの階層を訪れる者達を見咎めると、途端に三人を呼んだ。

「シャンダール!ザーナン!来なさい!」

「一郎太!戻れ、戻れ!」

 三人は訓練の時間でもないというのに親達に水をさされ、「つまんなーい」と文句を言い――揃って現れた支配者親子を目にすると猛スピードで親達の側に膝を着いた。

「ないさまだ!」

「ナインズ様、またおっきくなったな!」

「ナインズ様は駆けっこはされないからほっとするよぅ。」

 それぞれがフラミーに抱かれるナインズについてコメントしていると、支配者達は一行の前に辿り着いた。

 

「一郎、ザリュース。邪魔するぞ。フラミーさんとナインズの気分転換だ。」

 アインズにどうぞどうぞと親達が言うと、子供達もそれを真似てどうぞどうぞと言った。

 フラミーは地面に座ると動きたくてうずうずしている靴下しか履いていないナインズに、魔法の効果が付与されている自分の靴を履かせた。

 靴はナインズの足にフィットするようにキュッと小さくなった。

「っん!っん!!」

 ナインズは立っている自分と同じくらいの歳の頃の三人を見ると居ても立ってもいられないようだった。

 フラミーに掴まって立ち上がるととてんと尻餅を着いた。

 流石に十レベルもあれば多少転んだりしても大したダメージにならないのか、ナインズはいつも平気な顔をしていた。

「ないさま、ぼくとあるきましょう!」

「あ、ズルイよ一郎太!」

「ナインズ様、僕と御本を読みましょう!」

 三人の子供は地面に座るナインズに駆け寄り、手を引いてなんとか歩かせた。どの親も愛らしい息子達のやり取りを見守った。

 が、ザリュースと一郎の心境はどこか戦々恐々としている。

 ナインズが尻餅をつくたびに二人でひっくり返るような勢いで前のめりな姿勢になった。

「はは、落ち着いて見ていろ。子供は転ぶものだ。」

「皆過保護ですね、ふふ。」

「あ、いやぁ…。はは。」

「はは…ねぇ?」

 自分たちの子供なら百回転んでも良いが――――この先子供が色々な遊びを覚えるたびに親達は胃を痛くすることだろう。

 

 暫くすると、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達とセバスが現れた。

 フラミーはセバスに「子供を持ちたいのです」と相談され、「良いと思いますよ!」と何でもなく答える。

 

 生命を司る女神の力は果たして。




セバス、子供できるといいね!

次回#70 閑話 おやつの時間

11/28は税関の日だったそうです!©︎ユズリハ様
フラミー様の新作徴収…!!
御身、フラミー様、(∵)、デミ、ヒメロペー、タリアト君、レイナース、番外ちゃんと盛り沢山…!

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#70 閑話 おやつの時間

 ナザリック地下大墳墓、第七階層。

「チョウさん。全くぶくぶくとだらしなく太って。良いですか、君がここにいられるのはアインズ様のご温情あってこそです。ナザリックの強化とは言え、君如きは我々階層守護者、領域守護者から比べてみれば赤子同然。少しはナザリックに相応しい存在になるように努力しないと殺しますよ。」

 デミウルゴスは自分の階層の溶岩から顔を出す超巨大チョウチンアンコウにナザリックの僕のなんたるかを言い聞かせていた。

 教育を任されている紅蓮に日々鍛えられているが、それ以上にナザリックで食べられる物はチョウさんにとって最高に美味で、引き締まるスピードを凌駕して食べに食べまくっていた。

 紅蓮もチョウさんも体が大きいので相当に食費が掛かるかと思いきや、どちらも溶岩を飲んで、溶岩の中にいる熱耐性を持つ微生物を食らっている。さながら鯨だ。

 溶岩を泳ぐチョウチンアンコウがいれば、溶岩を泳ぐ微生物くらい存在するのだろう。もちろん、チョウさんは山小人(ドワーフ)や大きめの生き物も食べる。擬似餌のフサもあるくらいなのだ。

 

 そんな生き物二人を前にして――

(牧場にいる生き物達も微生物を食べる事で生きられれば良いのですが…。)

 デミウルゴスはここのところ、よくそんなことを考えている。

 ただ、デミウルゴスは微生物というものがいると言う知識はあるが、微生物を見たことはない。最古図書館(アッシュールバニパル)のそれに関わる書物は閲覧制限書に指定されており、支配者の許しがなければ閲覧ができないためだ。

 マイクロスコープと名付けたマジックアイテムをパンドラズ・アクターと共に一時作ろうとしたところ、支配者からストップがかかった。

 支配者が見るなというならば、見る必要のないものなのだろう。疑う事を知らない悪魔は微生物への探究をやめる事にした。

 しかし、牧場では試しに、文字通り霞を食わせて家畜達がそういう風に体を変化させられないかの実験をした。当然すぐに餓死寸前になってしまうので実験を中断せざるを得ない。

 が、今度牧場の規模が大きくなるので――(少しは実験できそうですね。)

 デミウルゴスは中々期待していた。

 やりたいことはごまんとある。

「さ、五ヶ月で新施設を作らなければいけませんからね。そろそろ私は行きます。」

 それを聞いた紅蓮は体をぷるりと震わせ、触腕で敬礼をしてデミウルゴスを見送った。

 

 デミウルゴスが転移門(ゲート)のスクロールを燃やし、潜った先では作業が続いていた。

 重機を彷彿とさせるゴーレム、重鉄動像(ヘビーアイアンマシーン)が木を運ぶ先は、五メートル程度の小さな穴の中だ。

 他にも目も覚めるような真紅のローブを着用した死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も大勢いる。

 彼らは皆一様に、肩に三十センチほどの小さな悪魔を止まらせていた。悪魔達は蝙蝠の羽をはやし、黒い影のような姿で、可愛らしい長い尻尾の先に小さな火が灯っている。彼ら――影の小悪魔(シャドーインプ)は尻尾の火が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に点かないように気を使っていた。

 労働に勤しんでいた者達はデミウルゴスに軽く挨拶をし、すぐに仕事に戻る。五ヶ月で巨大施設を完成させなければいかないのだから丁寧な挨拶などは不要だ。

 デミウルゴスはその様子を満足げに見渡すと、背中からメキメキと悪魔の翼を生やし、穴の中へ身を投じた。

 

 穴の入り口は大した大きさではなかったが、その実地中には巨大な空間ができていた。

 資材を持つゴーレム達は螺旋になっている階段を降りていった。

「あ、デミウルゴス!」

闇妖精(ダークエルフ)の少女は丸めてメガホン代わりに使っていた紙を振った。

「やぁ、アウラ。順調そうですね。ところでマーレは?」

「かなり深く大きくするから、マーレは魔力切れ起こしてて、アインズ様の研究室で休ませて頂いてるよ。」

「あぁ、なるほど。仕方ないことですね。」

 

 アインズの老トロールを利用した時間逆行魔法研究所には、始原の魔法を使い過ぎてへろへろになったアインズが軽く休むためのベッドが用意されている。

 研究室でマーレはアインズのベッドに身を沈め、タオルケットに包まれすやすやと幸せの夢を見ていた。

 当然、アインズに好きに使って良いと言われている。

 たまにアルベドが来てそこであれやこれやといやんいやんくふふの一人相撲をとっていることは言うまでもない。

 悪魔達もドン引きだ。

 

 新施設の建築進行具合の確認を済ませたデミウルゴスは再び転移門(ゲート)のスクロールを燃やした。

「じゃあ、期日もカツカツで悪いんだけれど、頼むよ。」

「はいはーい。任せてよ。アインズ様とフラミー様のためなんだからさ!」

 ナザリックはなんでも皆で力を合わせてことに当たる。

 デミウルゴスは同僚に軽く振り向き目礼してから転移門(ゲート)を潜った。

(さて、次は煌王国の貧民街の確認ですね。)

 裁きが終わればアリオディーラ煌王国は煌市として名を変え、税収の対象になるのであまり生産性の高い者を羊にしてはもったいない。皆アルバイヘームの持つ最古の森の管轄下に入る。森妖精(エルフ)達の住むビジランタ大森林は煌市を挟み、最古の森からは距離があるがエルサリオン州の一部として機能できる事を喜んだ。

 このどさくさに紛れて家畜を持ち帰るとは言え、いなくなった事に疑問を感じられるような事は後々面倒ごとを引き起こすので、なるべくはみ出しものが良いだろう。

 煌王国の状態は喉が潰れるほどに叫びを上げる王と王女からきちんと聞いているし、非常に雑で簡素な地図も手に入っている。

 デミウルゴスはうきうきと自室へ向かおうと赤熱神殿へ向かいかけ――その気配(・・・・)を感じると来た道を戻った。

 

 視線の先にはこの上なくたおやかな、尊い宝。

「フラミー様!それにナインズ様も!よくぞいらっしゃいました!」

 駆け寄るデミウルゴスはすぐさま膝をつき胸に手を当てた。ふぃんふぃんと尾が揺れる。

 ちなみにフラミーはこの悪魔は常に尻尾を揺らしているのだと思っている。

「デミウルゴスさん。こんにちは!少し第七階層お散歩しても良いですか?熱帯魚見せてあげようかと思って。」

「もちろんでございます。ここはフラミー様のための場所なのですから。ナインズ様、じっくり我が階層をご覧になってください。」

「わんわん?」

 ナインズが首をかしげてデミウルゴスを指差すとフラミーは首を振った。

「わんわんは子山羊さんでしょう。デミウルゴスさんだよ。デミデミなら言えるかな?」

「わんわん…。」

「わんわんも上手だけど、デミデミも言ってごらん?」

「わんわん!」

 フラミーが困り切り、ひーんと謎の鳴き声を上げ申し訳なさそうな顔をするとデミウルゴスは笑った。

「私はフラミー様の忠実なる犬でございます。わんわんで構いません。さぁ、この番犬の階層をお楽しみください。」

 一行は溶岩に向かった。

 すぐに紅蓮とチョウさんが溶岩から顔を出すとナインズは興味深そうに二つの生き物を眺めた。

「お魚さんかわいいねぇ。」

「わんわん!」

 チョウさんはフサをナインズに撫でられ――紅蓮に体をつねられた。

 デミウルゴスはいつか主人となるナインズが熱帯魚に喜ぶのを見守った。

 そして、ふとフラミーの金色の瞳が自分を見ていた事に気が付いた。

「デミウルゴスさんは今日はお休みですか?」

「いえ。この後自室で少し羊の回収産地の確認を行います。」

「あらら、お仕事の邪魔しちゃってすみません。私達は適当に遊んでますから、気にならなかったらデミウルゴスさん、お仕事に行っても良いんですよ!」

 デミウルゴスは即答する。

「いえ、おそばにお仕えするのも立派な仕事でございます。ですが、その仕事もしなければいけませんので――宜しければ私の部屋にもお越しになりませんか。お茶などもお出しいたします。」

「お邪魔じゃないですか?」

「とんでもございません。」

 フラミーは少し考えてから地面に座り、紅蓮とチョウさんに手を伸ばすナインズを覗き込んだ。

「ナイ君、デミウルゴスさんのお部屋みる?アインズさんは夜まで最古の森だし。」

「わんわん?」

「わんわんはおりませんが、おもちゃになるようなものなら沢山ございます。いかがでしょう。」

 デミウルゴスが何の躊躇いもなく地に膝をつくとナインズはデミウルゴスに両手を伸ばした。

 おもちゃという言葉の響きの後には楽しいことが起こることを知っている者の目だ。

 抱っこしろのサインにそうしても良いかとデミウルゴスはフラミーを確認する。

「見せてもらおっか。お願いします。」

 その決定を受け、デミウルゴスは恐る恐る、細心の注意を払ってナインズを抱き上げた。

「……愛らしくいらっしゃいます…。」

 ナインズはアルベドにもセバスにも爺にもメイドにも、時には男性使用人にも抱っこされて移動することがままある。ナザリックの者にはほとんど人見知りはしなかった。ただ、アルベドは鼻血を垂らしがちなので近頃はよく嫌がっている。半年程度の頃にナインズが母乳を求めてよく胸をまさぐっていた為だ。

 

 デミウルゴスはネクタイを握り締められ、赤熱神殿へ向かった。

 フラミーに最古の森の事を聞かされながら――上位森妖精(ハイエルフ)の王へ若干の殺意を抱きながら、見る目を褒めてやりつつ――進み、自室に着くとナインズをフラミーに任せて、ウルベルトが本棚の裏に作った秘密の作業部屋を開けた。

 取り敢えず、角をなくし綺麗にしてある骨を何本かと、口に入れたりしても危なくないものを抱えて、ソファに座るフラミーの上に立ち足踏みするナインズのそばに置いた。

 その足でミニキッチンへ向かい、料理長お手製のデミウルゴスお気に入りのデニッシュ食パンを切る。

 手の中に地獄の火を灯すとそれをパンの上に落とし、パンを焼いた。

「あ、良い香り。」

 フラミーからの声にデミウルゴスは微笑んだ。

 昨日焙煎したばかりのコーヒーをミルに入れ、<舞踊(ダンス)>の魔法が付与されたスクロールを燃やす。その魔法は八本指のエドストレーム――踊るシミターとか名乗った女が武器に付与していた魔法だ。さっさとナザリックに連れ帰られた彼女は、今は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)としてリ・エスティーゼ州の中規模の街の行政に携わり、そこそこ忙しく過ごしている。

 

 ふわりと軽く浮いたコーヒーミルが自動で豆を挽き始めると、焼けたデニッシュに真っ白なサワークリームと第六階層で採れる苺をたっぷり乗せ、何本も線を描くように蜂蜜を掛ける。

 そして仕上げに一滴のキルシュヴッサーを垂らした。種ごと擦り潰して発酵させたさくらんぼを使った蒸留酒だ。豊潤な香りが立ち込めた。

 フラミーとナインズが向けてくる期待に満ちた瞳はそっくりで、デミウルゴスはつい軽い笑いを漏らしてしまった。

「っあ、何かお手伝いしますよ!」

「いえいえ、そのままお過ごしください。」

 ザラメよりも少し細かく挽き上がったコーヒー豆をフランネルのフィルターに入れ、湯を注ぎ、コーヒーが落ちていくのをしばし待つ。

 この間にフラミーにベリーデニッシュトーストを出した。

 トーストが乗る皿は普段フラミーへの供物を自前の祭壇に置くために使っている、この第七階層で最も良い皿だ。紙のように薄く、金で縁取られた一枚はいわばフラミー専用の皿だ。当然アインズ祭壇用のアインズ皿もある。

 初めてフラミー皿がフラミーのために実際に使われる瞬間に悪魔はつい浮き足立った。

 

 ――そして、もう一人の主人のためにも「ナインズ様にはこちらを。」

 ヨーグルトに潰した苺を乗せた小さな足のついているガラスの小鉢を出した。

 ナインズが食べたがり手を伸ばすとフラミーが「もうちょっと待とうね」と言い、デミウルゴスは待たせている事に罪悪感を覚えると急ぎ、珈琲とミルク、砂糖を出した。

「なんだか至れり尽くせりですみません。デミウルゴスさんも食べてね?」

 至れり尽くせり働ける事に至上の喜びを感じ、うきうきと尾を振るデミウルゴスは促されるままにフラミーとナインズの前に座った。

 フラミーがヨーグルトをナインズに食べさせる姿をうっとりと眺め、一応煌王国の地図を取り出しさらりと目を通す。

 ヨーグルトを食べ終わったナインズは少しトーストも食べたがったが、座っている事に飽きてぺたぺたとハイハイしたり掴まり立ちをしたりと忙しく動き回った。

 ナインズに着くハンゾウが危なくないように危険物をさっと取り除いたり、一時的に不可視化を解いた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)があんよサポート手押し車モードになったりと賑やかだ。

 

 ナインズが手から離れ、フラミーは机に向き直った。

 ナイフとフォークも出したが、フラミーはトーストに乗っている物を落とさないように気をつけながら手に取り、いたずらそうな顔をするとサクリとかぶりついた。

 ちらりとデミウルゴスを見て笑うフラミーは悪魔的だった。

 デミウルゴスも右手だけ手袋を外し、同じようにトーストを手に取りサクリとかぶりつく。

 爽やかなサワークリームが蜂蜜の甘さを抑え、甘酸っぱいベリーが続く。

 ふわりと登る蒸留酒の香りはそれだけで人を酔わせそうだった。

 

 かぶりつく二人は笑い合った。

「罪な食べ物です!」

「はい、まったくおっしゃる通りでございます。」そう言ってから、「――フラミー様」デミウルゴスは自分の口の端をつんつんとつついた。

「――ん?」

 フラミーが示されたその場所に触れると、サワークリームがついていた。指を添えペロリと舐め照れ臭そうに笑う姿は母になったというのに未だ少女のようだ。一度も空を飛んだことがないと言った日と何一つ変わらない。

「ふふ、恥ずかしい。」

 デミウルゴスは何度も深く吸った甘い息を吐いた。

 

 おやつを済ませ、遊ぶナインズを見守るフラミーは甘く甘くしたコーヒーに口をつけ呟いた。

「なんだか、ここに来るとアインズさんが眠ってた時を思い出します。もう遠い昔の事みたい。」

 デミウルゴスはフラミーの髪に隠れる首に視線を送った。何も残らず治って良かったと傷のあった場所を想う。

「フラミー様、申し訳ありませんでした。」

「いいえ、あなたなりの愛だってわかってますから、もうそんなの良いんですよ。ただ、懐かしいなって。」

 デミウルゴスはその愛は解るのになと苦笑した。

 一昨年の天空城への道中で判明したが、フラミーは何故かデミウルゴスがアインズに惚れていると思っている。

 何も望むつもりもないが――いや、何百年も後にでも情けをかけて貰えたらとちょっぴり思ったりもする事も時にはあるが――いつか誤解は解きたい。

 デミウルゴスはフラミーの前に進み、跪く。誤解を解く第一歩だ。

「フラミー様、我が絶対の忠誠と愛を御身に誓います。」

 手を取り自分と同じ場所にはめられている左手薬指の指輪に口付けるとフラミーはその頭を優しく撫でた。

「どうか、私とアインズさんだけじゃなくて、ナインズにもそうしてやって下さいね。」

「誓います。我が忠誠と――愛を。」

「ありがとう。」

 

 一頻り遊んだフラミーとナインズが立ち去った後、デミウルゴスは洗い物を済ませ、執務用の机に地図を広げると黒き湖でフラミーがすくって与えた――<保存(プリザベイション)>を掛けた花をツンと触った。

 

「――我が至高の支配者よ。」




ふぅ、twtrに寄せていただいた「その頃のデミウルゴス」のリクエストを消化したぜ

次回#71 小さな冒険者

11/29は良い肉やら良い筋肉やらの日だったそうです!©︎ユズリハ様です!

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スーパーマッチョな皆様


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試される大下水道
#71 小さな冒険者


[神都 大下水道]

――関係者以外立ち入り禁止

――衛生(サニタリー)スライム、汚物喰らい(ファエクデッセ)注意

 

 神都を流れる巨大な下水の入り口にはこんな看板がかけられていた。

 薄暗い地下水路への入り口は子供達にとって格好の遊び場――いや、肝試しスポットだ。

 衛生(サニタリー)スライムに知能はないが、汚物喰らい(ファエクデッセ)は都市の人間達が自分たちの食事を作り出してくれている事を理解し、感謝している。

 かつては勝手に住み着いていると言う認識だったが、今ではきちんと国籍も住所も持つ立派な神聖魔導国の国民だ。

 

 世界が色を失うような真冬だった。

 しかし、世間は神の子――ナインズ殿下の誕生日を祝うため様々な色の永続光(コンティニュアルライト)を家や庭に飾っている。一週間はお祭り騒ぎで、街は色を取り戻す。

 

 その日は朝から土砂降りで、地下水路の入り口は雨水で増水し、そんな時に好き好んでこの場所に姿を見せるのは、前述した汚物喰らい(ファエクデッセ)程度しかいない。

 

 しかし、バシャバシャと騒々しい音を立て、笑う者達がいた。

 一人は十歳程度に見える空の人(シレーヌ)の少年だった。

 美しい翼を傘にするようにし、二人の友人達を雨から守った。

 ここまで翼に守られた人間の少年達はその翼を丁寧に拭きハンカチを絞った。

「やっぱり僕たちって一番相性いいみたいだなぁ!」

「今までセイレーンがいなかったのが不思議なくらいに!」

「僕ももっと早く神都に来たかったよ!」

 空の人(シレーヌ)の少年は照れ臭そうに笑った。

 親が神官になると言い、神都に行くことになったと聞いた日は人間とどれだけうまくやれるのか分からず嫌だ嫌だと泣いたというのに、神都は少年が思うよりもよほどいい街だったようだ。

 一人の人間の少年は自慢げに胸を張る。

「人間は神王陛下に似せて光神陛下がお創りになったし、空の人(シレーヌ)は光神陛下がご自分に似せてお創りになったんだよきっと!だから、僕達は最初っから仲良くならない訳がなかったんだ!」

 おぉー!と二人が声を上げ、少年は「へへん」と鼻の下をかいた。

 空の人(シレーヌ)の少年は同族達と同じくらい、人間と過ごすのが好きだった。

「陛下方は間違いを起こさないって本当なんだなぁ!」

 少年達はニシシと笑い、一人の少年はふと長い棒が流れてきたのを見つけすくい上げた。出口に近い場所の水は下水とはいえ既に衛生スライム(サニタリースライム)によって浄化され綺麗なので悪臭もしない。

 

 それを杖に見立て、靴のソール程度まで増水している水路脇の道でカツンと地をつく。

「っさぁ冒険者達よ!今こそトコウの時だ!君達は我が神聖魔導国からの使者。たくさん美しいものを見て、広い世界に繰り出しそれから、えっと…いっぱい国のためになり、未知を既知とするのだ!!」

 少年は親に連れて行ってもらった渡航式――冒険者達を隣の大陸へ送り出した時の神の言葉をぼんやりと真似た。ローブル聖王国、現・聖ローブル州の港湾都市リムンで見たあの日の海と本物の神の威容、それから冒険者達に少年はすっかり圧倒、魅了されていた。

 少年達は「ははぁ!陛下!」と声を上げると、ズンズンと進み、普段は人目があって入れないその場所の奥の探索へ向かう。

「ここは未発見の大洞穴!もしも神聖魔導国を知らない不信心者がいれば必ず連れ帰るのだ!」

 一人が声を上げると、空の人(シレーヌ)は小突かれた。

「あ、えっと、私が力を与えよう!」

 女神の口調――だと思っている――を真似た後、少年は魔法の力を乗せた歌を歌う。

 それは下級筋力増大(レッサー・ストレングス)を含み、少年達を強くした。と言っても、握力が小数点以下の数値で上がったとか、階段をいつもより一段多く登れるとか、一センチジャンプ力が上がるとか、そんな程度だ。

 しかし、少年達のテンションを上げるにはこれ以上なく、三人は声を合わせて大声で歌った。

「未知を知れ!魔法を求めよ!魔法こそ神のお力だ!」

 皆流れてくる()()をそれぞれ掬い上げ手にし、冒険に胸を躍らせた。そして適当に進み、曲がっていく。

「魔法こそ――ん?」

 ふと、一人が歌う事をやめ、皆何だ?と首を傾げた。

「どした?」

「い、いや。今唸り声がしなかった?」

 一人のその申告に二人が目を見合わせる。

「え?聞こえた?」「いや…?気のせいじゃないの?」

「で、でも…たしかに何か…。」

 少年達の顔色が悪くなっていくのも、この薄暗くまばらにしか永続光(コンティニュアルライト)が設置されていない下水ではわからない。

「…わ、わかった!僕らをビビらせようってんだ!」

 一人の声に納得の声が上がり、虚勢を張る。

「ははーん!そんなので怖がったりなんかしないぞ!僕達は有能な冒険――」

 ふと、オォーーーンと、唸り声が聞こえた。

「――え?な、なんだ?」

 少年達は呆然と闇に続くような水路の向こうを見やった。

 そして再び聞こえた声は――さっきよりも近付いて来ているようだった。

「え?え?ど、どうする?」

「どうするって、どうする?に、逃げる!?」

「逃げる――じゃなくて…て、撤退だから!戦略的撤退!」

 三人は奥へ進む事をやめ、じりじりと後ずさる。壁に開いている穴は滝のように雨水を吐き出していた。

 そして足元の水は急激に増え――、一人が転んだ。

「っあ!大丈夫!?」

「っうひゃあ!つめてぇー!」

 真冬の水は少年の想像を大きく超えて、針が刺すように冷たかった。

 ガチガチと歯を鳴らす一人に皆手を向け呪文を唱える。

「<温もりと乾き(ウォームドライ)>!」「<火の守り(ファイアーガード)>!」

 しかし何も起こらない。

 当然魔法を使うのに必要な神との接続――かつては世界への接続と呼ばれていた――を果たしている者はおらず、空の人(シレーヌ)の少年もまだ歌のスキルしか会得していない。

 少年達が手を取り合い、出口へ急ぎ向かいたいだした――その時、ザバァとその背には巨大な影が出た。

 皆振り返ってそれを目で追い、叫んだ。

「で、で、出たーーーぁぁああ!!」

 少年達は足首くらいまで増えた水の中、死に物狂いで出口へ――水の流れに従って駆けた。

 

+

 

「何でこんなにびっしょびしょなの!!」

「「「ごめんなさぁい…。」」」

 少年達は一番近かった少年の家に皆避難した。

「ははは。良いじゃないか。男の子ってのはそう言うもんだ。」

 愉快そうに笑う友人の父親に母親の怒りは募る一方だ。

 それもその筈だ。それぞれの親達が心配し、死の騎士(デスナイト)に相談に行ったりして大事になってはいけない。特にセイレーンは最近引っ越してきたばかりの新しい友達だし、息子が帰らない何て事になれば親は心配するだろう。

 外はすっかり日も落ちてしまい、いくら国中で一番治安の良い神都とは言え、こんな時間に子供達だけで家に帰らせるのはよくない。

「もう!じゃあうちに二人がいるってあなたが言いに行ってよね!!」

「…あー。わかったよ。さぁ、お前たちは取り敢えず風邪を引く前に風呂に入って来なさい。」

 頭を下げ、三人は風呂場へ向かった。

「シルバの母さまはちょっと怖いね。」

 シルバと呼ばれた少年は人差し指を立て、ツノに見立てるように綺麗な金髪の自分の頭に二本当てた。

「宿題しなさい!一年生から通ってるはじめての子供がおバカじゃ陛下方に申し訳が立たないわ!」

 四年半前に神々の再臨があった。

 それに伴い創立された小学校は希望しさえすれば、五年生相当や六年生相当の子供でも一年生から入学する事も出来たが、教える事が優しすぎ、ほとんどの者が国から発表されている推奨年齢学年を選択して入学した。

 シルバはちょうど一年生相当の年だったので、一年生から学ぶはじめての子供なのだ。

 神都は殆どが人間だが、他の都市では亜人や異形もかなり多く、何歳から通うと言う決まりは種族によりバラバラだ。

 神殿から戸籍を元にそろそろ入学の頃ですよと手紙が届くため、皆それに合わせて通わせている。

 

 シルバ達はもう四年生。これで年を跨ぎ、春を迎えると五年生だ。

 六年生になり卒業すると義務教育は終わりを迎える。

「まだ先だけどさ、卒業したらみっちーとぺーさんはどうするの?」

 風呂に浸かる二人が手で作った水鉄砲を撃ち合い、シルバは洗い場で体をよく洗っていた。

「僕は魔法詠唱者(マジックキャスター)の個人塾に三年行って、十六になったら魔導学院に入るつもり。」

 答えたのは通称みっちー。本名はディミトリーだが、そう呼ばれて長い。茶金の髪はマッシュルーム状に襟足が刈り上げられている。

 みっちーはクラスで一番神への接続が近い男子として有名だ。現在六年生で神への接続ができている者はたったの五人。一方一年生からきちんと通っている四年生は既に八人も接続が行えている。教育の賜物だ。

 ただ、それでもやはり魔法を使えるようになる者はそう多くない。

「すげー。みっちーならきっとあの一番良い…なんだっけ?特進科に入れるよ。」

「はは。入れると良いなぁ…。母さん達、すっごい期待してるから。――そう言うシルバは?」

「オレは多分家の設計事務所継ぐ事になるから、父さんの事務所の手伝いになっちゃうかも。」

 シルバはどこかつまらなそうにそう言うと、ザバリとお湯を頭から掛け、泡が少し残る体で二人を押し除け湯船に入った。

 大量の湯があふれ、桶が浮いて排水溝の方へ押し流されていく。

「シルバの家は設計事務所なの?」

 地元がここではない空の人(シレーヌ)のラーズペールは友達の初めて聞く情報に首を傾げた。

「そうだよ。さっき会ったシルバのお父さんなんてすごいんだ!大聖堂の設計にも関わったって!それに、神の地ナザリックにあるって言う宮殿の段差を無くす改築みたいなのにも行ったらしい!!」

 何故かみっちーが興奮して答えると、シルバは一層つまらなげな顔をした。

「オレは冒険者になりたいのにさー。」

 神の地ナザリックに踏み入れた父は前にも増して熱心な信徒となり、神を見せてくれると渡航式にも連れて行ってくれた。当然神は素晴らしかったが、しかし、シルバの瞳にはあの日神々に見送られ出航して行った輝く冒険者達の顔が最も印象的だった。

「ペーさんは?」

「僕は父さまが神官になるし、私立の僧侶学校に行くと思う。その後余裕があったら魔導学院の信仰科に入れたら…いいなぁ…。」

 ペーさん――ラーズペールはせまい湯船から上がり、縁に腰掛けた。

「ペーさんこそ冒険者になれば良いのに。歌だってあるんだから!そうだ、オレとチーム組もうよ!」

「えぇ〜!シルバと冒険者になったら、泥だらけだって今日みたいに怒られちゃうよ!」

 三人の笑い声が風呂場に響く。

 

 笑い声がおさまると、シルバはしたり顔で二人を手招いた。

 内緒話をしようとする顔にみっちーもぺーさんは一度目を見合わせた。

「な、さっきのあれってなんだったのかな!」

「僕は大量の水が一気に流れて来たのを見違えただけだったんじゃないかと思うよ。水が流れてくる時の音が唸り声みたいだったわけ。」

「…そんなつまんない事言うなよぉ〜みっち〜!ぺーさんはどう思う?」

「僕は…わかんない。でも唸り声みたいなのも聞こえたし…襲われそうになったし…やっぱり魔物かなぁ…。」

「神都の地下に人を襲うような魔物が居るわけないよ。」

「でも衛生(サニタリー)スライムと汚物喰らい(ファエクデッセ)は住んでるでしょ?」

衛生(サニタリー)スライムはちっこいし、汚物喰らい(ファエクデッセ)は魔物じゃなくて住民。」

 ぺーさんとみっちーの間でムム、と火花が小さく散るとシルバはここしかないと冒険への切符を叩きつける。

「なぁなぁ!どっちが正しいか近いうちにもう一回行ってみようぜ!すごい冒険が待ってる気がするんだよ!!」

 みっちーは眉を潜めた。

「危ないよ。今日だってシルバは転んだじゃないか。」

「ねぇ〜。良いじゃぁん。雨じゃなきゃ増水もしないだろ〜。そしたら転んだりしないって〜!」

 しばらく悩んだみっちーはチラリとぺーさんを確認した。

「…ただの増水の見間違いだったらどうする?」

「僕の持ってるキラキラしたインクを分けてあげるよ。みっちーは魔物だったらどうする?」

「魔物だったら…僕の持ってる一番綺麗な石をあげるよ。」

 二人は目を見合わせると、「「乗った!!」」と手をパチンと合わせた。

「よっしゃー!!じゃあ、次の休みに冒険だー!!」

 シルバが叫ぶと、外から「ディミトリー君、ラーズペール君、お迎えよー」とシルバの母の声が響いた。




モブ おぶ モブ

次回#72 汚物喰らいのSOS

©︎ユズリハ様より、「11月の記念日」の最後の作品をいただきました!
11/30は良い尻の日だったそうです!
ユズリハ様「夫婦から始めた11月の記念日ラッシュは夫婦で〆!」

【挿絵表示】

12月の記念日にも期待しちゃう。


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#72 汚物喰らいのSOS

 紫黒聖典の朝は早い。

 クレマンティーヌは日の出とともに起きだすとぶるりと震え、一人ぶつぶつと面倒くさいだの、まだ寝たいだのと文句を言いながら着替えを進める。

 聖王国が無事に聖ローブル州と相成り、国や憎き上位森妖精(ハイエルフ)共から支援がたんまりと届くようになってから紫黒聖典は神都に帰って来た。

 漆黒聖典も新大陸から帰り、陽光聖典はいつも通りコキュートスと沈黙都市周辺の探索と部族の吸収に出ている。

 クレマンティーヌはパジャマを豪快にぽいぽいと脱ぎ捨て、黒いシャツに長ズボン、仕上げにもこもこの温かい靴下を履き部屋を出た。

「っいぃっくしぃ!!っひぃーさみぃなー。」

 

 鼻をすすりながら腕をさすっていると、向かいの部屋の扉が開いた。

「先輩おはようございます!」

「おーネイアー早いじゃーん。」

 クレマンティーヌは一瞬くしゃみが煩さすぎて起きたのかと思ったが、部下である第三席次、凶眼の射手――ネイア・バラハはいつもの散切り頭を小さく一つに無理矢理くくり、どこかリラックスした格好で書類を抱えていた。

 その目には目つきを誤魔化すための眼鏡が光っている。彼女の視力は紫黒聖典一なので完全なる伊達だ。

「あんたまさか徹夜?」

 だとすれば隊長であるクレマンティーヌの失態だ。仕事は決められた時間内でのみと決められている。聖王国の復興支援作業中は仕方がなかったが、平時であれば余程のことが起こらなければ徹夜など言語道断だ。

「いえ!私もつい三十分前から始めたばっかりです!」

「夜明けより前から働くなっつーの…。何してたわけ?」

 ぴらりと書類を一枚その腕の中から回収する。上から順に目を滑らせていると、恐縮していたネイアは胸を張った。

「ナインズ殿下の御誕生祝賀会の警邏ルートを私なりに考えてみました!いっつも先輩がこう言うのされてるんで、たまには私もと思って!」

 実によく書けている。流石に聖騎士見習いとしてあの頭のおかしな女の下についていただけはあると言うことか。

 クレマンティーヌはネイアの言葉に耳を傾けながらどんどん読み進めていった。

 

「こりゃ良いね。これベースで漆黒聖典とすり合わせしよーか。」

 クレマンティーヌはネイアの腕の中に一度資料を返した。

「ありがとうございます!それにしても先輩はいつも早いんですね?」

「別にいつもじゃないよー。」

 この書類と案を作ろうと思って今日はたまたま早かったとは何となく言えない。クレマンティーヌは悩むと誤魔化すようにネイアの背を数度叩いた。

 

+

 

「やっ、クレマンティーヌ。」

「話しかけんな。」

 神都・大神殿に設けられた聖典達用の一室で、クレマンティーヌはよく出来た兄のクアイエッセを一瞥もせずに答えた。

 そんな対応を取られてもクアイエッセはどこ吹く風だ。非常に優しげで、敵意など皆無な雰囲気すらある。

「疾風走破は今日も反抗期か!ははは!」

 クレマンティーヌは巨盾万壁の笑い声に不愉快そうな視線を送った。

 漆黒聖典にいた時からまるで変わらない扱いだ。

「静かに。そろそろ始めましょう。」

 漆黒聖典隊長の掛け声で両聖典は居住まいを正した――が、一人そうしない者もいる。

 かちゃかちゃという音に全員の視線が引っ張られた。

 誰がその音を立てているのかなど、確認する前から全員予想がついていた。

 音の正体を視界に収めれば、そこには想像通り、番外席次・絶死絶命がルビクキューを玩んでいた。

 隊長はこれは止められる者などいないなと、無視して話を進めようと決める。

 しかし――「番外。やめーや。始めるよ。」

 クレマンティーヌの声が響くと番外席次はそれをコトン、と机に置いた。

 漆黒聖典はどうなってしまうんだと――以前番外席次が漆黒聖典にいた頃を思い出しゴクリと唾を飲んだ。

 全員が続く言葉は「クインティアの片割れ、殺されたいの?」だろうと予想する。が、番外席次の答えは違った。

 

「はぁ。一面しか揃えられなかったわ。」

「昨日二面揃えてたのに?」

「崩れたのよ。三面目を揃えようとしたら。神王陛下にやり方を教えて頂いたのに出来ないなんて一生揃う気がしないわ。陛下のご説明も難しすぎたし。」

「揃えんでもいーわ。その情熱どっかに向けらんないの?」

「クレマンティーヌ、話がそれてるわ。漆黒聖典の皆さんが待ってるんだから。ほら、番外席次もそれしまって。」レイナースはそう言ってから漆黒聖典達へ向き直った。「――皆さま、申し訳ございません。」

「仕方ないわね。それで?何を話し合うの。私は結果だけ聞かせて貰えば良いわ。」

 漆黒聖典は心の中で「おぉ…」と声を上げた。

 これでも相当に丸くなったのだ。

 以前なら「時間の無駄」と言って部屋を出て行き、隊長に後から話を聞こうとしただろう。やはり神は偉大だ。

 

 そうしてようやく話し合いが始まろうとすると、不意にノックが響いた。

 最も聖典にいる時間の短いネイアがすかさず立ち上がり、扉を小さく開けた。

「はい。――あ、レイモン様。」

 三色聖典のトップがそこにはいた。

「少し話があるんだけど入ってもいいかな。」

 念の為ネイアが二名の隊長に目配せする。二人とも許可するように頷いて見せた。

「どうぞ。どうかされました?」

 レイモンは部屋に入ると、自分で適当な椅子を引っ張り寄せて座った。

 

「さっき汚物喰らい(ファエクデッセ)が大聖堂を訪れたんだけどね――」

「汚いわね。消毒したの。なんだか臭ってきそうだわ。」

 番外席次はかつて漆黒聖典にいて、今やすっかり老けた――と言っても四十代後半の――三色聖典長レイモンの言葉を遮った。

 汚物喰らい(ファエクデッセ)は悪臭を放ち、時にねばねばぬらぬらとし、皮膚炎や脳炎、それから人畜共通感染症を媒介するあまり歓迎されない住民だ。

「絶死絶命…もちろん消毒しましたよ。神聖なる大聖堂が病の元になってはいけませんからね。」レイモンは丁寧に答えると、んんッと咳払いをしてから続けた。「それで汚物喰らい(ファエクデッセ)が――」

汚物喰らい(ファエクデッセ)ってクアイエッセに似てない?」

 クレマンティーヌはへらへら笑い、クアイエッセもよく似た顔をして笑った。

「やだなぁ、クレマンティーヌ。似てないよ。」

「……クインティア兄妹、聞きなさい。汚物喰らい(ファエクデッセ)が、近頃衛生(サニタリー)スライムが異常に増えすぎて困っていると言いに来たんだ。今にも溢れそうだと。」

 汚物喰らい(ファエクデッセ)衛生(サニタリー)スライムの酸に耐性を持っている共存者だが、増えすぎれば食事が減るし、住処がスライムまみれと言うのも不愉快だろう。

「そうですか。今度こそ冒険者に活躍してもらう良い機会かもしれませんね。」

 口を開いたのは隊長だった。時間乱流が確かにと笑う。

「あいつらも活躍の場を期待してたしね。じゃ、レイモン様お疲れ様でした。僕たちナインズ殿下のお祝いの会の事で忙しいから。」

「でも冒険者達は復活したてだったりするわよねぇ?みぃんな痩せちゃってたりしてたし、使い物にならないんじゃないかしらぁ。」と、微笑む神聖呪歌。

「ははーん、そう言う事でありますか。だからここに来たわけですね。下水なら天使を送れる陽光聖典向きだと思いますぜ。」

 巨盾万壁の言葉に神領縛鎖も肯く。

「セドランの言う通り。俺もそれが良いと思います。もしくは元気のある冒険者に出てもらう。」

 特に口を出さないがレイナースもそれが良いと心の中で賛成する。下水などまっぴらごめん。一歩も入りたくなかった。

 

 レイモンは大きくため息をつき、後輩であり部下である面々を見渡した。

「陽光聖典は沈黙都市周辺で事に当たっている。それに今回冒険者はある事情から使えないんだ。」

「予算の問題ですか?」

「航海の報酬はほとんど返金されたって聞いたけど。」

 それぞれの言葉にレイモンは首を振ると、低く抑えた声で通達した。

 

「今回来た汚物喰らい(ファエクデッセ)は魔導省と魔導学院の間の下水に、特に衛生(サニタリー)スライムが異常発生してると言っていたんだよ。だからこれは――国営機関の失態の可能性が非常に高い。汚物喰らい(ファエクデッセ)も魔導省と魔導学院が何かをやらかしていると思っているからこそ冒険者組合ではなく大聖堂に来たんだ。大量発生の根源を絶てるのは国だけだと。」

 

 聖典達は目を丸くした。なんとも言えない空気が漂う。

 この神都で、国営機関の失態など最悪以外の何者でもない。

 神に最も近い神都はどこよりも洗練されていなければならないと言うのに。

「……地下を占います。」

 占星千里は眼鏡のブリッジをくんっと押し上げ、スクールバッグからスコープを取り出した。

 窓へ向かい、真昼の明るい星など一つも見えない空へ向けてスコープを覗き、キリキリとピント調整を行った。

 

 それを横目で見ていた番外席次は聖典達をゾッとさせる不快げな長い息を吐いた。人によってはそのオーラだけで腰を抜かすだろう。

「なるほどね。そういうこと。私はフールーダ・パラダインを殺しに行けばいいの?」

 魔導省も魔導学院も最高責任者はフールーダだ。

 久々の暗殺かぁとクレマンティーヌがスティレットをくるくると回す。

 しかし、レイモンは慌てて手を振った。

「絶死絶命!今回聖典は衛生(サニタリー)スライムの数を減らすだけです!我々神官が魔導省と魔導学院の調査に出ますから。フールーダ様を殺したりすれば神王陛下がお怒りになりますよ。」

「ッチ。分かったわよ。」

 神の名を出され、番外席次がすぐに引き下がるとレイモンは安堵に小さく息をつき、聖典全体に通達する。

「ナインズ殿下の祝賀会の時に衛生(サニタリー)スライムが側溝から溢れるような事がないよう、皆で手を尽くそう。」

 勇ましい返事が返った。

 

 しかし何にしてもフールーダは一発殴らないとダメだと聖典達が言っていると、占星千里が戻った。

「皆さん、お待たせしました。…どうやら魔導省の下水にスライムがみっしり詰まっているみたいです。あれはちょっと汚物喰らい(ファエクデッセ)に同情します…。」

 実際に地下の様子を見られた訳ではないが、占星千里は状態を読んだ。

 

「…いきますか。大下水道。」「…しゃーないね。」

 両聖典の隊長二人は呟いた。神のためにならどんな仕事もできる聖典に先ほどまでの後ろ向きな雰囲気はなくなっていた。




き、綺麗な下水だから…ね(綺麗な下水

次回#73 身近な未知

ユズリハ様に居住まいをただす面々と正さない番外ちゃんをいただきました!

【挿絵表示】


マルッとユズリハ様より引用
> 何が言いたかったネタかというと、
> ①4姉妹の礼の尽くし方の差
> ②一応エラい人相手なのにこの扱い
> ③足音や気配でフララを判断できる番外(レイナースとクレマンもあやしい。ネイアは分からないけど番外がこんな態度を取るのはフララか陛下だけと知ってるから追随
> ④この変わり身。
> っていう…


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#73 身近な未知

下風月 十五日 9:24

 よく晴れた日の朝、三人は再び大下水道の入り口に立っていた。

「よーし!行くぞ!」

 シルバの気合い十分な掛け声に、二人は控えめな声で「おー」と答えた。

「何だよぉ、二人とも気合不足だぞ!」

 みっちーは辺りを素早く見渡し、やはり控えた声で忠告した。

「大人に見つかったら怒られるから静かに!」

 至極もっともなことを言われるとようやくシルバは声を下げた。

「わ、分かってるって。」

 みっちーは賢くクールだが、昨日の夜は実は興奮して眠れず、神に拾われた男、モモンの英雄譚――特に神の地ナザリックへの侵攻訓練の章を本に穴があくほど熱心に読んだ。

 魔導学院の特進科に行き、フールーダ・パラダインに教えを請う者の中にはポーションの製作等に携わったりして神に目見えるタイミングもあるなんて話がある。

 いつかナザリックに入る事を許される一人になりたい。

 モモンの英雄譚にはナザリックという地について書かれている章の他に、ある森の一角を征服した魔物の話や、破滅を求め死者召喚をしようとする秘密結社の話など数々の冒険が書かれている。

 その本はモモンに多額の取材料を払った吟遊詩人(バード)がまとめたものだ。

 素晴らしい話はみっちーを数々の冒険に連れ出した。

 そして何だかんだと大下水道への思いを強めた。

 両親が寝静まった頃、みっちーはこっそりランタンやマントをリュックに押し込んだ。

 そして、皆で食べる昼食のためにパンを一本。

 モモンの冒険譚には外で食事を取り床に座って皆で火を囲むことの素晴らしさが書かれているし、冒険に出るならばそうするべきだろう。

 永続光(コンティニュアルライト)が明かりを扉の外に漏らさないようにタオルをかけ、ごそごそと準備を進めた。

 全ての準備が終わる頃、父がまだ起きているのかと扉を開けた所でみっちーは隠れるようにベッドに潜り込み――朝を迎えた。もしかしたら、魔物なんかいないと言っていたみっちーが一番楽しみにしていたかもしれない。

 

 三人はしばらく川に続く大下水道入り口近くで、まるで小魚釣りを楽しんでいるような格好をして大人の往来が無くなるのを待った。

 その間にぺーさんの綺麗な翼を隠すようにみっちーが持ってきたマントをかける。

 服がどんなに目立たないような質素な色をしていても、この翼は目立つだろう。

「みっちーは準備がいいね!僕、思いもしなかったよ。」

 ぺーさんがみっちーのマントを掛け照れ臭そうに笑うと、モモンの英雄譚を思い出しみっちーの胸は高鳴った。

 あれの十二ページ目の一説にはこうあった。

 ――紺色のローブを着た色白の森妖精(エルフ)が漆黒のフルプレートの偉丈夫の元へ駆け寄った。

 モモンは神王より女神が与えられたマントを、森妖精(エルフ)に扮する女神の翼を隠すために掛けてやりエ・ランテルに現れたのだ。

 ひらりとマントが舞うたびに恭しく、やんごとなきその背を撫でつけ、周りの者から隠す――。

 今日のみっちーは黒尽くめだし、今日の二人は漆黒の英雄を称してもいいくらいには決まっていた。シルバは森の賢王ということにしておく。

「へへ、まかせてよ。」

 そう言って鼻の先を親指で払う仕草は彼なりに研究した男らしい仕草だ。

 

 そうして、誰もいなくなった時三人は大下水道へ駆け出した。

 大下水道の入り口は三人の目を吸い寄せるような闇が奥へ続く。

 薄暗い雨の日にこっそり入り込んだ時よりも外の明るさに色濃く闇が映し出され、冒険への興奮に体の芯が熱くなるのと同時に、闇への畏れが背をぞっと寒くした。

 これは大人からすればなんてこともない事だろう。しかしたった十年前後の時しか生きていない少年達にすれば、地獄の底へ向かうダンテのような、そんな旅立ちだった。

 

 大下水道への侵入はあっという間もなかった。

 とにかく大人に見つからない程度の深さまで行かねばと靴音を立てないよう、背を丸くして奥へ走った。

 寒さと下水からあがる湿気がコートを通り抜けて身をつまんだが、三人には大した問題じゃなかった。

 むしろ暑くすらある。走っているせいばかりではなく、社会から背を向けていると言う背徳感や、誰のものでもない自分たちだけの冒険譚が編まれていく事への高揚感が三人の胸をドンドンと叩いたから。

 

 みっちーのリュックの中には冒険譚を書き綴る為のノートや筆記用具、パンにランタンに父親のペティナイフ、魔法はまだ使えないが念のために持ってきた学校で全員が買う授業用の細い木の短杖(ウッドワンド)、タオル、銅貨が十五枚入ったお財布、出発の直前に鍋からくすねた昼食に食卓に上がるはずだった茹で卵、オペラグラス――他にもいろいろな物が走るリズムに合わせて跳ねて踊った。

 次第に外の光が細く小さくなると、三人は一度その場で止まった。

「ハァ、はぁ…!第一関門クリアーだ!」

「やった!!僕たちまた冒険に出たんだ!!」

「待って!今ランタンを出すから!」

 みっちーはリュックを一度下ろし、光量が落とされまばらに設置された永続光(コンティニュアルライト)の下で、めちゃくちゃになったリュックの中身をごそごそと探る。

「――あった!」

 神が降臨する前、まだ今ほど永続光(コンティニュアルライト)が安価ではなかった時は皆家では燭台に火を灯したり、屋根裏にあがるためにランタンを使っていたらしい。

 その時代には皿に植物油を注いで縒った紙を浸し火を灯していたりもした。

 もちろん今でもそうしている人もいるが、みっちーの家は割と裕福なのでランタンはそう滅多に使わない。

 その為――「あれ?うんと…ここに油を入れて……。」

「みっちー、大丈夫?」

「大丈夫、大丈夫…。だけど、暗くてよく見えないみたい。」

 みっちーがまごついていると、神都より田舎から越してきた――神都に並ぶのはエ・ランテルくらいのものだが――ぺーさんは自分が持ってきたマッチを擦り、ポッと小さな火を灯した。

「ここだ!見えたよ。みっちー、ここに油を入れて。」

「もちろんわかってたさ!はい。その火、そのままここに点けて!」

 ぺーさんは言われた通り、ランタンに火を入れた。

「あちっ。」

「平気か?」

 急ぎカラカラとアンティークのような音を立てる蓋を閉め、灯りの上に渡る橋のような取手を握った。

「ふふっ、できたぞ!」

「オレも蝋燭は一応持ってきたから、それがすっかり消えちゃったら蝋燭に変えよう!」

「消える前に変えなきゃだめだよ!」

「言葉の綾だよ!」

 三人はまるで王冠を手に入れた王様のように、いっとう良い音を鳴らす笛を手に入れた鼓笛隊のように得意げになり、奥を目指した。

「こないだはこの辺まで来たかな?」

「もっと奥だったような気がするなぁ。」

 シルバとみっちーはほとんど変わらない景色をキョロキョロと見渡した。

 帰りは水の流れを辿り、流れて行く方へ向かうだけなので簡単だが、あの日と同じ道を辿ろうとするのは難しいだろう。

「見て、これは僕が引っ越してきた時に皆が作ってくれた神都の地図なんだけど――」

 そう言いぺーさんが広げたのは手書きの地図だ。

 この文房具屋はろくな品揃えがないとか、人の家の庭を通る大神殿への最短ルートだとか、銅貨一枚で買える一番美味しい菓子パンのある店だとか、青果精肉家畜市場に骨の竜(スケリトルドラゴン)霜の竜(フロストドラゴン)が配達に来る時間だとか、その竜達の出入りがよく見える塔の紹介だとかが色とりどりの色鉛筆で書かれていた。

「――あの日、僕らはここから入って、しばらくまっすぐ行ったよね。その後確かに曲がって、雨がザアザア流れ込んできてたのも見た。」

 ぺーさんの指が地図の上を滑るのを二人はふんふんと眺めた。

「あの雨水の流れは他の穴よりも凄かったよね。きっとあちこちの雨水が合流して流れが激しくなってたんだよ。下水は道に沿って作られてる。つまり、細い下水が大きな下水に合流する場所――」

 そこまでぺーさんが言うと、みっちーは声を上げた。

「大通りだ!!全ての道は大聖堂表大通りに続く!!」

「僕も表大通りに向かっていくのが正解だと思った!」

 二人がパンっと手を叩き合う。しかしシルバはなんとも納得いかないような顔をしていた。

「でも、あれだけ遠くまでオレ達行ってたかな?」

 そう、下水の出入口と大神殿は今ぺーさんが開いている地図の端と端。かなりの距離がある。

 礼拝に行く時は歩いて行くには少しばかり遠い為馬車やバスとして行き交っている魂喰らい(ソウルイーター)便に乗ることもある。

「じゃあ、他に雨水が合流しそうなところってどこ?」

「うーん、中くらいの通りかなぁ。こことか、こことか。」

 シルバが指をさしたのは小学校、有名個人塾、冒険者組合、――魔導省。

「何しても表大通りに向かう途中だ。じゃあ、これを頼りに行ってみよう!」

 三人はいよいよ自分たちが冒険者らしい気がし、ゆっくり胸を張って堂々と歩いて行った。

 地図を回したりひっくり返したりして進んでいると、たまに衛生(サニタリー)スライムが流されて来てぷこぷこと泡を美味しそうに食べたりしていた。

 以前入った時はこの辺で棒切れを拾ったが、今日の三人は本当の武器を持っている。

 ランタンを掲げるみっちーは二人に振り向いた。

「ね、武器は何持ってきた?」

 シルバはこれでもかと得意げな顔をし、肩掛け鞄を開いた。

「オレはね、ペティナイフでしょ。製図用のコンパス、それから分度器!あと木の短杖(ウッドワンド)も一応持って来た!」

「コンパスは針がついてるからまだ分かるけど、分度器なんてどうすんの?」

 ぺーさんはシルバの手の中から半円形の定規を取り、まじまじと見るとシルバはにやりと笑った。

「ははーん、さてはぺーさんは蒼の薔薇を知らないな。」

「蒼の薔薇?」

「人間のアダマンタイト級冒険者だよ!手裏剣って言う武器を使うローグがいるのさ。だから、これを――っこう!!」

 シルバが思い切り突き当たりの壁に向けて分度器を投げると、「っあヤァ!!」と声が響いた。

「えっ!?」

「なんだ!?」

「誰だ!!」

 三人はそれぞれ武器に手を掛けた。

「いつつ…――皆しゃん…バドゥルが言ってた衛生(サニタリー)スライムを減らしてくれるお役人様かぇ?」

 みっちーが持っているランタンをかざすと、薄暗い世界から姿を見せたのは――この寒い中膝まで下水に足を浸した、べったりとした髪の不気味な老人だった。

 一瞬ワックスでも塗っているのかと思ったが、ほうれん草のような髪の毛は触手のようで、うねうねと蠢いている。

 驚きが落ち着き、深く呼吸をすると三人が嗅いだことのない悪臭が漂ってくるのを感じた。

 そして、それが汚物喰らい(ファエクデッセ)なのだとぼんやりと三人は当たりをつけた。

「うえー。嫌だな。」

 シルバが小さくそう言うとぺーさんは肘で小突いた。

「…若く見えるが、人間の歳はよくわかりゃん。十一時のお約束でひたが早かったんでしゅねぇ。とにかくこちらですじゃ。お役人様。」

 汚らしい老人はまるで王にするように深く頭を下げ、三人は少し気をよくした。

「どうする?」

「…子供ってバレたら怒られるし…着いてく?」

「でもくさいよ…?」

 ごそごそと話し合いをしていると老人はザブザブと下水脇の道に立つ三人に近付き、顔を覗き込んだ。

 黄色い目は白い睫毛が覆い、ひん曲がった鼻はその身に纏う花模様の刺繍が施されたチョッキにあまりにも似合わない。

「………どうかされまして?」

「っあ、いや。行くとも。」

 シルバが大人のようにそう言うと、二人もうんうんと頷き、嬉しそうに笑った不気味な老人は進み始めた。




汚物喰らいさん、花柄のちょっといいチョッキを着てお役人が来るのを待ってた。かわいい。(可愛くない

次回#74 お役人さん

汚物喰らいさんいただきました!

【挿絵表示】

ユズリハ様、なんでも描ける…!


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#74 お役人さん

下風月 十五日 10:47

 三人は無言で進み続ける老人の後を追いながら、どうやってこの場を逃れようかと話し合った。

 そして、シルバが手をあげる。

「あの、すみません。」

「なんでしゅかな。お役人様。」

「えーと、僕たちはあなたの案内がなくても平気なんです。ほら、役人だからここの事は解っていますし。」

 シルバがそう言うと、湿った足場を小さいネズミが小さな足音を鳴らして、したたた…と駆けて横切った。

 そして、バンッと汚物喰らい(ファエクデッセ)はネズミの引きずる尻尾を捕らえた。

 三人の肩は大きく飛び上がり、キィキィと必死に鳴き声を上げるネズミは汚物喰らい(ファエクデッセ)の手に掴まれていた。

 尻尾を掴まれ、逆さに持ち上げられる様は酷く哀れで、いったいそれをどうしてしまうのかと三人が見ていると、汚物喰らい(ファエクデッセ)は不意に口を大きく開けた。

 口の中がランタンの炎でゆらりと映し出されると、ぺーさんが小さく悲鳴を上げる。

 そして、ネズミは口に放り込まれた。

 ギィーッととんでもない鳴き声が響き、続いてゴギャコギャと骨が砕かれる音。

 はみ出ていた尻尾はちゅるりと飲み込まれた。

 身の毛もよだつ光景に三人はただ呆然と立ち尽くす。

「んん。申し訳ありましぇん。我々もなるべく衛生害獣はこうして見つけ次第美味しく――そう、ぐふふ、駆除しておりまするが、自然とまるで水が湧くように出てきてしまいますのじゃよ。」口を拭いた汚物喰らい(ファエクデッセ)はどこか照れ臭そうでもある顔をし笑った。

「――ほれで、なんでしたかのぅ。ひひ、新鮮な食事につい浮き足立ってしまっちぇ。ほら、あれのせいで中々あり付けませんで。ひひ。」

 新鮮な食事、そう聞いた瞬間三人の脳裏には人間を卸して食べると言う亜人達のことが一気に駆け巡った。

 そしてここの入り口に掛けられている衛生(サニタリー)スライム、汚物喰らい(ファエクデッセ)注意の文言。

 もしや注意とは食べられてしまうと言う意味なのでは。

 そう思うと、居ても立ってもいられず、一斉に駆け出した。

「う、う、うわあぁぁぁあぁああ!!」

 道も何もわからないが、兎に角走った。

 途端に小さくなって行ってしまった背中に汚物喰らい(ファエクデッセ)は何事かと首を傾げた。

「なんじゃ…?お役人様はどうされたんじゃろ…。」

 そう言い、最近仲間が地上に行った時に買ってきてくれた地の小人精霊(ノーム)による見事な刺繍が施されたチョッキのポケットに手を突っ込んだ。

 その中からは開いて干したネズミ。

 ぽいと口に放り込み、カリカリと噛み砕いた。

「――あぁ、そうじゃ。案内がなくても平気じゃったか。」

 汚物喰らい(ファエクデッセ)は急いでスライム減らしに向かってくれた役人達へその場で一度頭を下げ、自分の家に帰ろうと道を戻った。

 そして流れてきたスライムをすくい上げ、手の中でもちもちと弄んだ。

 下水は近頃衛生(サニタリー)スライムが増え過ぎ、汚物喰らい(ファエクデッセ)の食べ物が急激に減っている。

 新鮮な糞も少ないし、どうにもよくない。

 衛生(サニタリー)スライムは爆発的に増えることもあるが、当然減ることもある。

 そして汚物喰らい(ファエクデッセ)のように今日はここを綺麗にしたからあちらも行かなくてはと言う知能もないし、害獣や害虫退治もしないので、国は汚物喰らい(ファエクデッセ)を守ってくれる。

「こりでまた暮らし易くなると良いのう。」

 うきうきと歩いていると、ふと、「おい」と声を掛けられ、汚物喰らい(ファエクデッセ)は足を止めた。

 そちらにはこれまた若そうな人間達。

「ほ?なんじゃらほい。」

汚物喰らい(ファエクデッセ)のドルノド=ディリだな。私は漆黒聖典の隊長を預かる者だ。今日は案内を頼む。」

 そういうと首に掛けていたネックレスを鎧の中から引き抜き、小さな赤い玉のトップを見せた。――その中には神聖魔導国の紋章。

「ほや〜。二隊も送って頂けるとはありがたい話じゃ!ひひ!」

「あぁ、私はもちろん、漆黒聖典の神聖呪歌、一人師団、神領縛鎖、紫黒聖典隊長、重爆が来たのだからすぐに元の状態に戻るだろう。」

 先に来たたった三人ではあれだけ増えたスライムを減らすのは大変だろうと心配していたが、分隊に六人もくれば文句なしだろう。

 汚物喰らい(ファエクデッセ)は「六人と三人だから――」と頭の中で足し算をしようとしたが、よく分からず自分の手に視線を落とし、指を折る。

 一、二、三……――九人だ!

 なんと心強いのだろう。

「こちらですじゃ、お役人様。」

 汚物喰らい(ファエクデッセ)は深くお辞儀をしてから再び案内へ向かった。

汚物喰らい(ファエクデッセ)、良い物を着ているな。」

「ありがとうございまする。みだちなみ(・・・・・)には気を使ってましゅので。特に今日は外の言葉の"セイケツ"とか言う奴を目指しましてごじゃいますよ。」

 皮膚を守るねばねばも取ったし、人間が嫌うような臭い――汚物喰らい(ファエクデッセ)としては良い香りなのだが――も極力落とした。

「そうかそうか。合わせてもらって悪いな。我々が帰ったらいつも通りに過ごしてくれ。」

「おしょれいります。」

 先の役人達はあまり話してくれなかったし、どこか冷たいと思ったが、この役人は中々良い者達だ。

 汚物喰らい(ファエクデッセ)は機嫌良く先導して行く。

「良ければ少し我々の家などもお見せしましゅが、どうですじゃ?」

「……いや、我々も積もる任務がある。ナインズ殿下のお誕生日の祝賀会も近いだろう。」

「おぉ、しょれはしょれは。ひひ。素晴らしいことですなぁ。では、真っ直ぐご案内しましょう。」

 神の子が生まれてもう一年かと思うと汚物喰らい(ファエクデッセ)も嬉しい限りだ。

 神都は汚物喰らい(ファエクデッセ)が消化できないような油や鉱物を含むゴミが下水に流れてくるような事も無くなったし、下水は大下水道と呼ばれ大きく広くなり、以前より快適だ。

 感謝を表するために下水の最も綺麗なところに自分たちで祭壇も建てている。

 あまり日光も無臭に近くなる事も得意ではないし、人間に触れてしまうと人間は病にかかってしまうので、地上にはそう出ない。大神殿には中々行けない汚物喰らい(ファエクデッセ)だが、信仰を忘れた事はなかった。

 一年前の誕生祭の時には下水の蓋の下からお祭り騒ぎの街を皆で眺め、酔っ払った親切な人間が嘔吐し、下水にアルコール混じりの吐瀉物を流してくれたりと楽しく過ごした。

 

「さぁ、そろそろ――なんですが、おかしいのう。」

 もにもにとスライムを握ると汚物喰らい(ファエクデッセ)は首を傾げた。

「――おかしいねー。これ、どう言う事?」

 スライムが大量発生どころか、下水の川にはチラホラとしかスライムがいなかった。少なすぎるくらいの様子だ。

 皆水路脇の通路に集まり、ぷるぷると怯えているように見える。

「おかしいにょ。朝まではもっといたのに…。あ、先のお三方がもう討伐してくれたんでしゅかな?」

「三人?誰のことだ?」

 隊長がそう言うと、汚物喰らい(ファエクデッセ)も「え?」と声を漏らした。

 一応指を折って、一、二、三と数を数え直した。

「先にいらした三人のお役人様でしゅ。皆さんより少し若いくらいの。」

「私達より若い?おかしいな。誰か聞いている者は。」

 隊長は漆黒聖典の神聖呪歌、神領縛鎖、一人師団に振り返った。

「聞いてないわねぇ。そもそもこれ、外に漏らしたくない案件でしょぉ?」

「俺も聞いてないな。クアイエッセは?」

「聞いてません。クレマンティーヌ達…も聞いてないね?」

「聞いてない。どーも怪しいねー。私らより若いってのも引っかかる。」

「若くなければ陽光聖典のような気もしますが、私達より若いのでは国の機関のものではないと思いますわ。――ドルノド=ディリ、その者達は国の証を見せましたの?」

 レイナースが鎧の中から赤い玉の付いたネックレスを引き抜き問うと、汚物喰らい(ファエクデッセ)は首を左右に振った。

「い、いえ。当然お役人様かと思ってしまいましちぇ…。」

「冒険者のような気がするな…。既にどこかにスライムが溢れて派遣されたか。あまり減らされ過ぎても都市に悪影響だ。狩り尽くされる前に止めなくては。」

 隊長の狩り尽くされると言う言葉を聞いた汚物喰らい(ファエクデッセ)はそれは困る!と声を上げた。

 時に硬い物などは一度スライムに柔らかくさせてから食べたりもするし、水に溶けた汚れを汚物喰らい(ファエクデッセ)では綺麗にはできない。

 清潔な水がなければ汚物喰らい(ファエクデッセ)の食物を生む人間も生きられないし悪い事づくめだ。

 

「隊長、冒険者達がどこへ向かったか解りませんし、ここは二班に別れましょう。」

 神領縛鎖の提案に皆頷く。目の前の道は二手に分かれていた。

「三人づつに別れるぅ?」

 神聖呪歌がそう言うと隊長は一人師団を指さした。

「一人師団、君は紫黒聖典二名と行け。疾風走破が勢い余って冒険者を殺さないように見張ってくれ。」

 それは疾風走破すら自分の部下のような口ぶりだ。

「わかりました。――じゃあ、一緒に行こう。クレマンティーヌ、レイナース。」

「はぁ!?お前ら勝手に決めてんじゃねーぞ!こっちはレーナースと二人で紫黒聖典だった事もあるんだから二人で――」

「よし。ではドルノド=ディリ、案内はここまでで良い。私達は行く。」

「お役人様、お願いしましゅ…。申し訳ありません…。」

「良い。気にするな。ここまで助かった。――神聖呪歌、神領縛鎖。行くぞ。……こう言う時に限って占星千里を地上に置いてきてしまったなぁ。」

 隊長は長い髪を一つに括り、目の前の道を左へ行った。

 

「…本当に私らと来んのかよ。」

「ふふ、昔を思い出すね。」

 クレマンティーヌは実に不愉快そうに兄を見た。

「思い出したくもねーわ!」

「クレマンティーヌ、なんでそんなにクアイエッセさんを目の敵にするの?」

 レイナースの呆れ混じりの声に、ふとクレマンティーヌの表情が変わった。声の調子からも、先程の僅かにふざけ混じりのものは消えた。

「本当になんでだろう?そいつと仕事でいろんな人を殺し続けたから?そんで優秀すぎるそいつと比べ続けられたから?親の愛情がそいつばっかりに行ってたから?それともまだ弱っちかった頃、グルグル回されてたのにそいつが助けに来なかったから?友人が目の前で死ぬのを傍観したから?ミスって捕まって、数日に渡って拷問を受けても迎えに来なかったから?熱せられた洋梨って痛いよね。」

 そこには任務だったとしても納得しきれないと嘆く幼子がいた。しかし、それは瞬時に薄れ、再びいつものクレマンティーヌに戻った。

「なーんてね。全部、嘘、嘘、うーそ。そんなことされた事ないって。でも、どーでもいーじゃん。そんなこと。過去を振り返ったって何も変わらない。色々積み重ねてこーなったんだってことさー。」

「ふふ。そうだね。色々あったね。ああ、クレマンティーヌが陛下に連れられて帰ってきた日を思い出すなぁ。二人で神の再臨を喜んで抱き合ったね。」

「黙れ。さーて、行くかね。」

 

 レイナースはクレマンティーヌの地雷を初めて踏み抜いた事を少し反省し、その後を追った。




さすが隊長!褒めてもらえてうきうきしちゃう汚物喰らい(ファエクデッセ)さん可愛いね!!

次回#75 僕達の冒険譚


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#75 僕達の冒険譚

下風月 十五日 11:18

 

「っはぁ、っはぁ……っひぃ〜。」

 シルバが情けない声を上げ減速すると、後を必死に追っていたみっちーとぺーさんも減速した。

「あ、あんなのが都市の地下に住んでて…っはぁ、本当に大丈夫なの!?」

 ぺーさんはずっとセイレーン州の半水没都市のスァン・モーナに暮らしていた。

 向こうでは汚物は汚物プールに行き、やはり衛生(サニタリー)スライムや微生物が処理しているが、固形のものは糞食い魚(コトランガ)が食べている。

 汚物喰らい(ファエクデッセ)はセイレーン州には存在しなかった。

 スレイン州には――かつてスレイン法国と名乗っていた六百年前から汚物喰らい(ファエクデッセ)は住み着いている。

「き、キモかったなぁ。見たかあれ、ゾッとするよ本当に!」

 シルバは鳥肌の立つ腕を一生懸命さすった。

「…それにしても、ここはどこだろう?もうあの謎の影を探すどころじゃなくなっちゃったね。」

 みっちーはあちこちにランタンを向け、あたりを確認した。

 そこは円形に広く、天井も高かった。四方に通路があり、一瞬三人は自分たちがどこからきたのか分からなくなるのでは無いかと嫌な悪寒に襲われる。

「でも、水が臭くないし、すごく綺麗だから外には近いんじゃない?」

「確かに。深部だったら汚い水のはずだもんね。」

 三人のいる所は非常に綺麗な水が流れていた。ともすれば飲めるのではないかと言うほどに綺麗だ。飲まないが。

 しかし、そう言う発想を抱くと――「喉乾いたね…。」

「目一杯走ったもんなぁ。」

「お腹も空いたぁ。」

 三人はそれぞれ鞄を前に抱え、中身をごそごそと探った。

 みっちーはノートを三ページ切ると二人に一枚づつ渡し、濡れていないところをきょろきょろと探すと一枚を尻に布いて腰を下ろした。

「ここら辺は随分綺麗みたいでよかったね。」

 ネズミが歩いたような跡もないし、ナメクジもいない、苔も生えていない。

 まるで最近建て直したばかりのように綺麗だった。

「へへ、付いてるみたい。」

 シルバとぺーさんもそれに倣って共に腰を下ろし、再び鞄に手を突っ込んだ。

「ほら、母ちゃんの膝掛け持ってきたよ。」

「うわ!汚すと怒られる!」

「濡らさないように気をつけて使わなきゃね。」

 三人は輪になって座るとシルバのミニ毛布を分け合うように膝にかけた。

 毛布の真ん中にランタンを乗せるとじんわりと暖かさが伝わってくる。

 それから、ぺーさんは保温瓶(ウォームポット)から直接一口白湯を飲み、みっちーに回した。

「はい、あったかいよ。」

「気が効くね。」

 数口飲むとシルバに渡し、みっちーは夜のうちにくすねておいたパン一本をバキッと三つに割り、鍋から失敬した茹で卵をそれぞれ二人に一個づつ渡した。

 シルバも持ってきたみかんを剥いて真ん中のランタン脇に置いた。ぺーさんも続くように紙の包みを広げて真ん中に置く。いくつかに切られたエメンタールチーズだ。まぁるい穴がたくさん開いていて、そこに指を突っ込まずにはいられない。

「勝手に食べていいよ!」

「さんきゅー!」

 ようやく一度荷物を下ろした肩は途端に軽くなり、大人達が肩凝りなんていうものに悩まされているのはこう言う感じなのかなと少し親を思い出した。

 家出してるわけでもないのにみっちーがどこか寂しくなったのは、今頃母がこの茹で卵を探して困っている姿が簡単に浮かんでしまったから。

 

 みっちーが卵にじっと視線を落としていると、シルバは訝しむように問いかけた。

「みっちー…もしかして、これ、生卵?」

「え?――あ、違うよ!茹で卵!さ、食べよう!」

「へへ、下水だからむいた殻はそこに捨ててもいいね。」

「そう思うと下水は案外住みやすい所かもしれないなぁ!」

 三人はちょぴっと湿気たパンを齧り咥えると、ランタンに卵をコンコンと当て、殻を剥いた。

「これ、綺麗に剥いて後で流して誰の殻が一番よく流れるか競争しようぜ。」

 シルバの挑戦状にNOという者などいるはずもない。

 三人は殻の形を極力バラバラにしないように丁寧に剥いた。

 そして、細かくなってしまった殻を下水に浮いている小さなスライムのそばに落としてやり、残った殻船を膝に置いたまま三人はパンと茹で卵、チーズに交互にかぶりついた。

 

+

 

 ――その時、焚き火を囲み、新たな友だと思える者と取った食事は友を持たず孤独であったモモンの胸をいつまでも照らした。しかし、モモンは殺生をした日には光神陛下への忠誠として、決して人前で物を口にすることはない。命を奪うと言う事の重みが、神に育てられし彼にはよくわかっていたから。それでも、彼はいつまでも焚き火の側で光神陛下と漆黒の剣達と肩を寄せ合った。

 

+

 

 みっちーはこういうことかと、モモンの英雄譚に載っていた一説を思い出した。

 手早く昼食を済ませると、持ってきたノートとインク壺、ペンを取り出す。

「うーん、何て書き出すのがいいかな…。」

 コツコツとノートを叩くと、二人が覗き込む。

「何書くの?」

「宿題?」

「僕らの冒険譚さ!ぺーさんはこう言うの得意だよね、何て書くのが良いかな?まずは題名からかな?どんな題名がいいと思う?」

「うーん、そうだねぇ…。あ、試される大下水道とか!」

「はは、それ聖書の章のパクリじゃん。でも気に入った!じゃあここにまずは…。」

 みっちーはペン先をペロリと舐め、ツボにぽちょりと先を浸す。

 ノートの表には堂々と彼らだけの冒険譚の題名が書き込まれた。

 まだ中身は真白だが、それだけで三人は偉大な今日の冒険が伝説となる予感がしてニシシと笑った。

 シルバはインク壺が母の膝掛けに悪さをしないように蓋を閉め、一文目を考えるのを手伝った。

「やっぱり、神都の大下水道だってちゃんと書いた方がいいよ!冒険の始まりはあの雨の日から!」

「よし。神都…大……下水…道…っと。」

 みっちーが書き連ねていると、遠くで大聖堂が十二時を知らせる鐘を打った。

 ずっと地面に座っていた三人は足も痺れ、お尻も痛くなっていたことに気が付いた。

「冒険譚は後でまた家でゆっくり書こう!シルバの家に泊まれたらいいんだけど。」

「帰ったら母ちゃんに頼んでみるよ!じゃあ行こうか。殻流そうぜ!」

「あ、殻忘れてた。はは。」

 三人はそれぞれ片付けを行い、立ち上がって鞄をしっかり背負い直すと卵の殻を流した。

「あっちが下流だったから、あっちに――あれ?」

 殻は不思議なことにぐんぐんと流れを遡って行った。

 いや、よく見ると流れは先ほどまで流れていたはずの方向と真逆に向かって流れていたのだ。

「…なんで?」

 ぺーさんの疑問に答えられる者はいない。

 しかし――「これこそ未知だ!行こうぜ!あっちだ!!」

 シルバは元気よくその方向を指差した。が、みっちーはまさか、ぺーさんが言ったように本当に魔物ではないかと恐れ、足がすくんだ。

「どした?みっちー。」

「ぺ、ぺーさん…。魔物だったら、どうする?ぺーさんは魔物だと思うんだよね?」

 わずかな沈黙が二人の間を流れると、殻船は速度を上げた。

「っあ!行っちゃう!オレの!」

 シルバが駆け出すとどうするもこうするも考えていなかったぺーさんも後を追うように走り出し、みっちーは持ってきたペティナイフの場所を頭に浮かべ、追いかけた。

 

「こっちだ!こっちだ!」

 三人は夢中で走った。

 すると、流れが分からなく(・・・・・)なり始めた。

 下水にはたくさんの水色のスライムがびっしりと詰まっていたのだ。

 流した卵の殻はとうにスライムにもくもくと食べられてしまった。スライムの大きさはそれこそ、鶏の卵ぐらいの大きさの物から、枕くらいのものまで様々だ。

 どれももちもちと近くのスライムにぶつかり狭苦しそうにしている。

「すっごい量だなぁ!」

「今ならスライムの上も歩けるんじゃない!」

「あそこの水が綺麗だったのはここにたくさんスライムがいたからだね!」

 しかし、水は綺麗だが、進めば進むほどに妙な臭いがあった。

 さっき食事をとった場所は臭いなどはなかったのに、三人の鼻には薬品のような臭いが届いた。

 そして、角を曲がった途端、先頭を行っていたシルバがビッと手を出した。

「待て!!」

「っびっくりしたぁ!いきなり何だって言うんだよ〜。」

 みっちーはクレームを付けると、前方に見える謎のものに向けてランタンを持ち上げた。

「はぁ…はぁ…な、なに…?」

 空の人(シレーヌ)の足はあまり長く走るのに適していないため、ぺーさんはへとへとだった。

 シルバとみっちーの向こうには青みを帯びたはがね色の巨大なぷるぷるとしたものが、みっちり…と詰まっていた。

「なんだ?これ」

「つっついてみよう!」

 ぷにょぷにょと柔らかなそれはされるがままだった。

「なんかかわいいね。スライムのお母さんかな?」

 三人で熱心につついていると、薄暗い中で誰も気づかなかったシルバの服に着いていたパン屑がぽろりと落ちた。

 その瞬間、水面に石を投じたように道に詰まる巨大なスライムはぞわりと蠢いた。

 ――次の瞬間、無数の触手が一気にシルバへ伸びた。

「っうわ!?」

 目の前を間一髪で触手が通過するのを本能とも言える箇所をフル活用して避けた。

 しかし、片足は取られ、誰も気付かなかったパン屑は飲み込まれて言った。

 シルバが派手に尻餅をついた時「お"……お"い"……ぉ"い"じぃ……!」とおぞましく聴き取り辛い声が聞こえた。

 そして、オォーーーンとあの雨の日に聞いた唸り声を上げた瞬間三人は目を見合わせた。

「スライム!は、はなせ!!」

「ずら"…はな"…?…はな"ぜ……。」

 知能の低い者はシルバを真似るように言葉を紡ぐ。

「っこのぉ!!」

 シルバが持っていたペティナイフで足を覆うスライムを切ろうとすると、まるで水と油が交わることが無いようにさっと刃を避けてまた元のようにくっついた。何度でも同じ事で、ナイフはカツンっと音を立てて床に突き立った。

 気味の悪いスライムは、周りにいる無数の小さなぷよぷよとしたスライム達をも飲み込み、たえず形を変えた。水を吸い込んでこの通路の向こうへ流しているようだ。

 シルバの振りかぶる刃は一刀たりともスライムを襲うことはなかった。

 急ぎぺーさんとみっちーがシルバを引っ張るが、スライムから逃れられる様子はなく、シルバは「足が取れる!」と痛みに叫んだ。

「スライム!シルバを離せ!!」

「ずら…じ…じば…ばばぜ……。」

 スライムは徐々にシルバの足を引き込み始め、みっちーは刃が立たない事を認識すると、授業用の木の短杖(ウッドワンド)を抜き、スライムに向けた。

「離せ!!」

 しかしスライムは離さず、みっちーは力いっぱい叫んだ。

「<魔法の矢(マジック・アロー)>!!」

 杖の先を向ける方に微かな明滅が飛び、スライムの体にもちりと刺さった。

「ま"ま"じ…ま"じろ"……。」

 スライムは一瞬ゾゾっと波打ち、シルバを引っ張ることをやめた。

「で、出た!!魔法だ!!」

「やったぁ!!みっちー流石だよ!!」

 ぺーさんの言葉にみっちーはニヒリと笑ったが「――っあぁ…。」

 猛烈な脱力感に床に膝をついた。魔力欠乏だと授業で習った状態に納得すると同時に無力な自分が恨めしくなった。学校では零位階までしか教えないと言うのにディミトリーが放った魔法は第一位階。術者の力によって光の数や大きさは変わるが、ディミトリーのすべての力を吸い上げて魔法は繰り出された。

 

「っあぁ!!靴が!!」

 シルバの叫びに足下を見下ろすと、靴は徐々にほろほろと形を失い始めていた。

 ぺーさんは引っ張る力を強めるが、足は引き抜けない。

「っくそ!この馬鹿力ぁ!!」

 みっちーもなんとか立ち上がるとぺーさんを手伝い一層強い力でシルバを引っ張った。

「足が外れちゃうってば!!」

 それを聞くとぺーさんはシルバから手を離し、数歩後ずさった。

「ぺーさん!?逃げるの!?」

 みっちーの問いに首を振る。

 そしてぺーさんは大きく息を吸った。

 それは都市の中で使う事を禁じられている歌。

 両手を組んだラーズペールは、天の使いのようだった。

 <魅了(チャーム)>を含む歌声は高らかに下水道中と、地上に響いた。

 歌を聞いたスライムはシルバを離すことはなかったが、溶かす事はやめた。

 

+

 

下風月 十五日 12:18

 地上にいた死の騎士(デスナイト)達は都市内での他者を害するかもしれない歌声に反応し駆け出した。




ほのぼのモブ話!!!!
御身が出る話に飽きたと言う意見にこれでもかと乗る(えぇ
すごいよ!五話も御身が出てないよ!!
次回#76 フールーダの一日
そして明日はフールーダ!!極まってる…!

日に日にお育ちになる殿下を頂きましたよ!可愛いねぇ…
©︎ユズリハ様ぁ
https://twitter.com/dreamnemri/status/1201793949750312961?s=21


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#76 フールーダの一日

下風月 十五日 6:15

 その日、フールーダはいつも通りの時間に起き出し、まずは自室に備えてある小さなキッチンで一杯のホットマキャティアを淹れた。

 部屋にはお湯を沸かせる程度の小さなキッチンと、ウォークインクローゼット、書棚がある。

 お気に入りの本を収める大きな書棚の隣には年代物の――帝国からジルクニフに送ってもらった――暖炉(マントルピース)が備えてある。

 フールーダとジルクニフは毎週手紙のやり取りをしているので、その中で帝城に置いてきた気に入りのものはほとんど送ってくれと頼んだのだ。

 それもこれも、神のそばに仕えることを許された時に、神よりこう言われたからだ。

「良かろう、フールーダ・パラダイン。しかし、身内の方々に迷惑と心配をかけるのは良くない。ちゃんと手紙を週に一回はエル=ニクス皇帝に送れるな?」と。

 当然忙しいジルクニフはフールーダに返事を出さないことも良くあるが、神が毎週手紙を送れというので、何でもいいからとにかく毎週フールーダは手紙を送っている。

 ジルクニフもまだ属国だった頃は神聖魔導国の貴重な情報源だと必死になってそれを読み、丁寧な返事を出していた。

 が、州となってしまった今、ジルクニフは割とフールーダののろけるような手紙にうんざりしていて、もう返事は出さないで良いか?としょっちゅうロウネに言っては「スレイン州を超える州になさるなら、我慢しましょう…どこにどんな情報があるか分かりません」と窘められる。そして二人でロクな情報の書かれていない手紙に、ロクな情報の書かれていない返事を書くのだ。

 

 フールーダの部屋は南東の角部屋のため、朝日が十分すぎるほどに入ってくる。神都で勤めるようになってから買ったのだが、小さいながら良い屋敷だ。

 フールーダは髭に少しだけ付いてしまったマキャティアを丁寧に拭き取り、枕元に置いてあるハンドベルを鳴らした。

 雇っているメイドが、同じく雇っている料理人の支度してくれたワンプレートの食事を持って部屋に入ってくる。彼らは住み込みのため使用人部屋を与えていた。

 フールーダは朝食は寝室で取る。寝起き一番に着替えるのは好きじゃないし、かと言ってパジャマ姿では極力人に会いたくないのと、朝の静かな時間を邪魔される事を嫌うためだ。

 窓辺に置いてある小さなカフェテーブルに朝食を置くと、メイドはすぐに出て行った。

 早朝の神都を行き交う死の騎士(デスナイト)を眺めながらフールーダは朝食を取った。死の騎士(デスナイト)にたまに手を振るが、当然彼らは見向きもしない。それでもフールーダは大好きな死の騎士(デスナイト)に何度でも手を振る。

 今日は目玉焼きに、粗挽きのソーセージが二本、カリカリに焼かれたベーコンと瑞々しいサラダ。皿の上に乗る小鉢にはホットチリビーンズが乗っていて、寒い朝の活力だ。上等なバターを塗り付けられた食パン。

 フールーダは食パンにサラダとベーコンを乗せて、チリビーンズを少々挟むとかぶりついた。

 パンのザックリと言う音と、野菜のシャキシャキ音。

 ピリ辛な柔らかいビーンズとベーコンがよく合う。

「ふむ、ふむ。」

 使用人達はもっと色々食べてはと言うが、フールーダの朝は大抵こんな感じだ。

 特に他のものを食べたいとも思わない。

 一つ目の適当サンドを食べると、一緒に持ってきてくれているオレンジの果実水を飲む。

 これが非常にうまい。酸味と甘味のバランスが良く、神聖魔導国で暮らすようになってから必ず朝食にはこれだ。先にホットマキャティアを飲んでいるし、体が冷えるような事はない。

 続いて二枚目のパンを手にとり、目玉焼きとソーセージ二本、残りのチリビーンズを乗せてやはり挟んだ。

 黄身が破裂し、とろりと中から溢れるとチリビーンズの辛さを中和してくれる。

 最後にもう一度気に入りの果実水を飲み、フールーダの朝食はおしまいだ。

 この辺りを巡回する死の騎士(デスナイト)もちょうど見えなくなった。

 フールーダは朝食を満喫すると、やはり髭を丁寧に拭き、ベルを鳴らした。

 メイドが食事の片付けをしていると、執事のジェロームが入ってきた。

「おはようございます。パラダイン様。」

「おはよう、ジェローム。悪いが頼む。」

 フールーダはジェロームに手伝われながら威厳を十分に感じさせるローブを身に纏った。

 今日は訳あっていつもよりも幾分か良いローブだ。襟元と袖に付けた香水が良い香りを放っている。

「…よし。」

 あとは髭の長さやこめかみの毛の流れなどのこだわりポイントをチェックすると、大好きなゴーレムの馬車に乗って出勤だ。

 御者席にはジェローム。

 今日も神都の素晴らしい光景を眺めながら魔導省へ着いた。

 馬車に乗っているフールーダはいつも少年のようで、ジェロームは馬車の中から聞こえてくる感嘆の声に「よくもまぁ飽きないよなぁ」と毎朝思う。

 

「おはようございます、師よ。」

 フールーダは高弟のゾフィが迎える声にうむ、とだけ返事をすると自分の執務部屋へ向かった。ジェロームはフールーダを見送り、後は帰りに迎えに上がるまで待ち惚けるのも時間がもったいないため一度馬車でパラダイン邸に戻る。

 フールーダはまずは研究――と言う名の読書タイムだ。

 神より拝借している魔導書の読み込みを行う。

 秘伝の知識らしく、メモを取ったりする事は許されていないので一語一句忘れないように必死に読み解く。

 読解魔法は便利だが、かなり魔力を使うためにそう簡単には読み解けない。

 そうしてあっという間に一時間程度の時間が経つと、魔導省の馬車で魔導学院へ向かう。

 特進科に通う生徒に魔法を教え、今日は午前中一時間だけの為再び魔導省に戻る。

 神都の魔術師組合は魔導省内にあるので、魔術師組合長と近頃のスクロールの売れ行きや、どんな魔法が今世間で求められているのかを軽く話し合う。

 ニーズに合わせた魔法の改良、新たな魔法の製作プランなど、中々一筋縄には行かないが、そういう事の話し合いだ。当然需要は都市でも変わってくる。

 それが終わると早めの昼食を取り、今日は珍しく神官達が話があるそうで、迎える準備を行なった。

 魔導省には会議室や応接間はいくつもある。その中でフールーダが向かったのは二番目に良い部屋だ。

 一番良い部屋は神の降臨にしか使っていない。

「神官長に三色聖典長なんて、一体神殿が何用でしょうね?」

 ゾフィの問いにフールーダは大して興味なさげに首を振る。

「さぁのう。」

 フールーダは自分の身なりを確認した。

 本来政治にも社交にも関心はほとんどない。と言うより、魔法の研究にのみ集中したいと言う願望が相当に強く、その他のことを煩わしく思っている。

 しかし、神聖魔導国に於いて重職に就き、素晴らしい魔法書を貸し与えられ、世界最先端の場所で魔法を研究できる日々のためにもフールーダは無関心を貫く事はできない。

 衣服に乱れがない事を十分に確認できた頃、扉はノックされ、答える暇もなく開いた。

「フールーダ・パラダイン、殴らせなさい。罰よ。」

「うわ!番外席次さん、やめて下さい!!」

「絶死絶命!!あぁ…なんで隊長二人を行かせてしまったんだ…!」

 神殿からの使者達の様子にフールーダは呆けた。

 

+

 

下風月 十五日 12:18

 クレマンティーヌ達ははっと顔をあげた。

 魔力を感じるガラスを響かせるような歌声が瞬く間に大下水道中を駆け巡っていく。

 三人はほんの一瞬だけ聞き惚れそうになったが、己の心をしっかりと持つ事で魅了される事はなかった。

「――どこから聞こえてんだろーね」

「困ったわね…。」

 クレマンティーヌとレイナースは渋い顔をした。

 そこかしこを反響する声はこちらの穴から聞こえるようでも、あちらの道から聞こえるようでもある。

 ここはちょうど合流地点。三人が進んできた通路の他に三つも道がある。

「別れて探す?」

「いや、レーナースの剣はスライムに届きにくい。少なくともあんたは一人になれない。」

 クレマンティーヌのスティレットには魔法が込められているが、レイナースはルーン武器とはいえただの剣だ。彼奴らは切ったところで大した意味はない。

 クアイエッセはクレマンティーヌの隊長としての姿に一瞬顔を綻ばせた。

「じゃあ、ここは僕が――いや、私がやろう。二人とも下がっておいで。」

 一人師団としてそう言うと広くない下水道の脇道で両手をかざした。

「――わーったわよ。レーナース。下がりな。」

「わ、わかったわ。」

 急ぎクレマンティーヌのいる場所までレイナースが下がる。

 

「出ろ。ギガントバジリスク!」

 

 クアイエッセの背後に巨大な黒い穴が浮かび上がった。そこからは召喚されたモンスターが三体一列になってゆっくりと姿を見せ、ギョロリと白目ガチな目で辺りを確認した。

 ホールのように広かった合流地は一気に手狭になった。

「これが…旧法国、人類の切り札の一人…。最強のビーストテイマーの力…。」

 レイナースが喘ぐようにそう言うと、クアイエッセは静かに笑った。

 ギガントバジリスクは難度八十三にもなるモンスターで、蜥蜴や蛇にも似た全長十メートルもの巨体を持つ。

 クレマンティーヌならば一人で何とか一体とは良い勝負ができるだろうが、勝利を収めることができるかは別問題だ。

 ギガントバジリスクはなんと言っても石化の視線や人間を即死に追いやる猛毒の液体を有し、分厚い皮膚はミスリルにも匹敵する。蛇の王だ。

 そんな英雄級の存在でなければ倒すことが難しいギガントバジリスクをクアイエッセは最低でも十体は使役することができる。

 

 レイナースは憧れるような瞳を一瞬曇らせると「その漆黒聖典に…クレマンティーヌもいたのよね…」とちらりと自分の隊長を確認した。

「……あによー。それより、こんなでかいもん出してどーすんだっつーの。もっとコンパクトなの出すかと思ったってーのに。」

「ギガントバジリスクは巨体だけど、蛇のように狭い場所も容易に動ける。ゴブリンの住む洞窟内部の掃討にこれまで幾度となく使って来たからね。もちろん、早急に居場所を知らせる為にもクリムゾンオウルも喚ぶけどね。」

 クアイエッセは本気だった。

 神の名の下に行われる全ての戦いは聖戦。

 先程と同じように丸い闇を開くと、三羽の真紅のフクロウが飛び出し、三体のギガントバジリスクの横に並んだ。通常のフクロウと比べて二回りほど大きいが、ギガントバジリスクと並ぶと頼りないほど小さく見える。

 しかし、普通のフクロウではあり得ないような鋭い嘴に鉤爪――そして、人間のような不気味な瞳がただの鳥ではないことを物語る。 

「スライムを討伐しようとする冒険者達を探してくれるかい?ギガントバジリスクは冒険者を止めて、その間にクリムゾンオウルは私に居場所を知らせるんだ。さぁ、行って。」

 モンスター達はそれぞれ二匹一組になるとあちらこちらへ続く道へ滑らかな動きで吸い込まれて行った。

 

「じゃあ、少し待っていようか。」

 

 ギガントバジリスクは背に召喚主の声を聞きながら、冷たい水が腹に触れることを物ともせずに進んだ。

 暗闇は苦手ではない。相棒として割り振られたフクロウもそうだ。

 フクロウが超音波で辺りを確認しながらギガントバジリスクの前を弾丸のように飛んだ。

 入り組んだ下水道の中で、フクロウは別のチームと行き先がかち合わないように時折鳴き、自分の場所をレーダーのように報告しあう。

 ホー、ホー、ホー

 フクロウの人のような目は丸く開き、誰も向かっていない方へ向かう。

 永続光(コンティニュアルライト)はフクロウの目には少し明るすぎるので瞳孔がキリリと小さくなった。

 そして、フクロウは見つけた。

 ネズミ達が互いの尻尾を咥え、一列になって逃げ出していくのを。

 この先で何かが起こっているはず。

 ギガントバジリスクもフクロウの鳴き声の中聞こえ続ける歌声が確かに大きく、近くなっているのを聞き分けた。




フールーダ、番外ちゃんに殴られちゃう!!
脳味噌弾けそう!

次回#77 冒険の終わり


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#77 冒険の終わり

下風月 十五日 12:21

 どこからか美しい歌が微かに聞こえる。

「これ、魔力を感じるけど神聖呪歌の声じゃないわよね。」

 番外席次はネイアに尋ねた。

「多分違うと思います…。」

 フールーダと共に調査を続けるレイモンや神官も顔を上げ、しばし耳を澄ませた。

「――違いますね。これは神聖呪歌の歌ではありません。都市内で一体誰が…。」

 レイモンも違うと結論付けると皆厄介事続きだと唸るようだった。

 そんな中、窓の外を死の騎士(デスナイト)達がズンズンと駆けていく。

「ま、死の騎士(デスナイト)にまかせとけば良いわね。――それで、分かったんでしょうね。何が原因か。」

 番外席次の問いにフールーダは頷いた。

「夏に完成した紫色ポーションを更に神々の血に近付ける為の実験を行なっていたのですが、どうも失敗作を流していたことが原因のようですな。魔導学院と魔導省で行っている研究ですが、失敗作は何の力も持たないので。」

 蓋を開ければなんて事のないつまらない理由だ。

「フールーダ様、今後はそのような物は紙か何かに吸わせて燃えるゴミとして出して頂かなくては困ります。衛生(サニタリー)スライムが増えすぎてあふれたりしては神都の名折れです!」

「反省しておる。まさかそんな事になっていようとは。」白く長い髭をしごくフールーダはそう言うと、ふと思った。「――とすると、エ・ランテルでも同じことが起きておるかもしれんか…。」

 神官達と紫黒聖典二人の目に剣呑な光が宿る。

「エ・ランテルでもポーションの研究を?」

 そんな細かいことまでは管轄違いのため当然レイモンは知らない。

「そりゃあそうじゃ!人の数だけアイデアと知識はある!!だから魔導学院でも学生達に研究に参加させておるんですからな。特に、紫色ポーションは神都の魔術師ではなく、エ・ランテルの薬師・バレアレが完成へ導いた物。そもそも魔法はこの世の理。知識を修めることとは――」

 フールーダの長い説教を聞き流し、レイモンは紫黒聖典を手招いた。地下に潜っていない漆黒聖典は祝賀会の日の警邏ルート確認へ出ている。

 本当は紫黒聖典のこの二人もそちらへ行ってもらって良かったのだが、番外席次がフールーダを一発殴るためについて来ていた。

 真面目な顔をして気持ちよさそうに魔法について語るフールーダの頭には大きなタンコブができていた。

 

「先に大神殿に戻って死者の大魔法使い(エルダーリッチ)様方に<伝報(神殿間メッセージ)>を頼んできてくれ。宛先はエ・ランテルの闇の神殿。伝えることはわかっているな?――魔導学院の研究室にポーションの失敗作は下水に流す事を禁じる旨と下水に潜って衛生(サニタリー)スライム達の確認をするようにと伝えるのだ。」

「かしこまりました。では、私達は行きます!」

「ネイア、早く。」

 ネイアがいい返事をしていると、番外席次はもう扉へ向かっていた。

 慌てて後を追い、魔導省を後にした。

 

+

 

下土月 十五日 12:38

「見つかったようだね。」

 クリムゾンオウルが戻るとクアイエッセは一度自分の腕にそれを止まらせた。

「――ん?」クリムゾンオウルはまるで急かすようにクアイエッセを引っ張った。「…切羽詰まってそうだね。急ごうか。」

「はいよー。スライムが全滅させられたら最悪隣の市からもらって来なきゃならないしねー。」

「そんな事になったら神都が侮られるわ。」

 クアイエッセの腕からフクロウが飛び立つと三人はその後を追った。

 

 三人の鼻をポーションのような臭いがつくようになった頃、透き通るようだった歌声は枯れ始めていた。

「全くいつまで歌ってんだかねー。」

「スライムを呼び集めて一気に狩ろうって魂胆ね。」

 水路には大量のスライムが所狭しとつまっていた。

「…ギガントバジリスクは戦闘不能にされたのかな。繋がりは絶たれていないから殺されてはいないけれど…。」

 冒険者が歌い続けていると言う事は、ギガントバジリスクがスライム狩りを止め損ねていると言うことだ。

 フクロウが直角に曲がる。

 

「そこだ!!」

 

 三人が姿を見せた瞬間、歓声があがり、クレマンティーヌはドンッと小さな生き物が胸にぶつかったのを感じた。

「あ?」

 見下ろせば、茶髪の坊ちゃん刈りの少年だった。

「冒険者さん!!シルバを助けてください!!」

「大人だあ!!」

 水路には見たこともない巨大なスライムが詰まり、少年の足を掴んでいた。

 そして喉を抑えて必死に歌う空の人(シレーヌ)の少年。

 ギガントバジリスクは命令と違う様子にどうしたら良いのか分からず、取り敢えず近くの水路から顔を出してクアイエッセにどうすればと言うような視線を送っていた。

 クアイエッセは一先ずここまで案内してくれたクリムゾンオウルを再び下水道の向こうへ放った。

 

「……なんだこりゃ。」クレマンティーヌは呆れたように子供達を見た。「レーナース、切り離してやんな。」

「はぁ。冒険者どころか子供とはね。まぁ、確かに私達よりちょっと(・・・・)若いわ。」

 レイナースが抜剣し、スライムに近付いていくと、キンッと剣は閃きシルバの足はスライムに包まれたまま切り離された。

 茶髪の坊ちゃん刈りは歌っていた空の人(シレーヌ)の背をたたいた。

「ぺーさん!お疲れ様!もう大丈夫だよ!」

「っあ"ぁ〜!よかっだぁ!もう…歌えない。」

 ぺーさんがガラガラ声で歌うのをやめた瞬間、硬直していた巨大なスライムは再びシルバに触腕を伸ばした。

「っうわぁ!!」

「い"、い"だ……い"だ……い"…。足抜げちゃゔよ"…。」

 スライムはそう言いながら、自分の切られた部分を取り込み直し、シルバの足を再び捕まえた。取り込み直したところからはシュウシュウと白い煙が上がり、それはポーションの匂いがした。

「った、たすけてぇー!!ぺーさーーん!みっちーー!!」

 溶けかけだった靴やズボンがボロボロと形を失っていく。

「なんだってーんだこいつ!?おい!ギガントバジリスクの毒牙を!!」

 クレマンティーヌはクアイエッセに振り返ると、クアイエッセは優しい笑顔のまま答える。

「…スライムは減りすぎると困るよね。さぁどうしたものかな。」

 神都のためになるなら、子供は死んでも仕方がないね。クアイエッセの言葉にはそんな響きがあった気がした。

 クレマンティーヌだって別に子供なんか好きじゃないし、その子供が一匹死ぬ事で都市のためになるスライムが生き延びるならその方が良いと解っている。

 しかし、レイナースの信じるような目が、クレマンティーヌにそうさせる事を許さなかった。

「――ッチィ!てめぇに期待した私がバカだったよ!!レーナ!!あんたがもっかい切ったら私が魔法叩き込む!!」

「解ったわ!!」

「やれやれ、クレマンティーヌは変わったね。」

 クアイエッセはクレマンティーヌが魔法を込めているスティレットを腰から抜き出すのを眺めながら呟いた。

 クアイエッセだって以前なら人間を救うためなら何でもしたろうに、神の通達ひとつで変わってしまった。

 巨大スライムはレイナースの剣が怖いと解ったのか器用に体を変形させそれを避けた。

 

「これならスライムは殺されないで済みそうだね。さて、皆は一度帰ってくれ。」

 クアイエッセは心温まる笑顔を作る。

 漆黒聖典の仲間を迎えに行ったクリムゾンオウル以外の召喚したモンスター達との繋がりを断ち帰還を促していると、足音が三つ向かってくるのが聞こえた。

 そして、再びクリムゾンオウルがクアイエッセの腕に止まる。

「おかえり、お疲れ様。君ももう帰って良いよ。」

「ホーッ。」

 クリムゾンオウルが帰還すると同時に仲間は到着した。

「一人師団!冒険者と戦闘か!」

 隊長達が来ると、クアイエッセは首を振った。

「おかしなスライムが出ています。あれは殺さずに地上に上げた方が良さそうなのですが、子供を一人食べようとしてます。」

 視線を向けた先ではクレマンティーヌとレイナースがスライムと戦っていた。

「子供ぉ?あぁ、そう言う事ねぇ。解ったわぁ。神領縛鎖、お願いしても良いかしらぁ。」

 神聖呪歌の微笑みに神領縛鎖は頷き両手を前に掲げた。

「ま、最初からある程度は調査のために連れて帰る予定だったしな!<縛鎖・改>!!」

 背から大量の鎖が現れると、紫黒聖典などお構いなしに鎖は巨大スライムへ向かい、ギチリと捕まえた。クレマンティーヌの髪を擦り、レイナースの顔面すれすれを鎖が伸びていた。

 クレマンティーヌはレイナースの目の前の鎖を見ると強い怒りが沸いた。

「っあぶねーな!!ちったぁやり方考えろや!!」

「考えてるぜぇ、疾風走破!誰にも当てやしない!!」

 神領縛鎖が口角をニヒリと上げるとスライムはオォ……と唸り何とか抜け出そうと身をよじった。

 

 神聖呪歌は胸の前で手を組んだ。

「さぁ、スライムちゃん。私の歌を聞くときよぉ!そこの坊やも、歌はこうやって歌うんだって覚えないとねぇ!」

 神聖呪歌の歌がスライムの耳――耳があれば――に届くとスライムはぷるりと震えた。

 セイレーンの少年もぽかんとそれを見た。「――テルクシノエ様とヒメロペー様みたいだ…。」

「――離しなさい。私達は国民を守る義務を負う神聖魔導国の守護者。」

 美しい音色に乗せた命令が響く。

 スライムはシルバの足をペッと吐き出した。

「っうわ!」

「シルバ!」「シルバー!!」

 子供達は溶解液に触れて丸出しになってしまった、シルバの赤くひりつくような足をさすった。

「さぁ、地上に帰りましょうねぇ。」

 神聖呪歌は歌う事をやめたが、その効果はぺーさんの歌のように切れたりはしなかった。

 魅了されたスライムは神領縛鎖に引きずられた。

 スライムに巻き込まれないようにクレマンティーヌは子供二人を小脇に抱え、レイナースも子供を一人抱き上げて急いで後を追った。

 

「疾風走破、無闇矢鱈と殺せば良いってもんじゃない。」

 漆黒聖典隊長の言葉に、クレマンティーヌは子供を下ろすと不快げに答えた。

「そこの野郎が子供なんか死んでも良いみたいなことを言うから仕方なくやったんだっつーの。」

「やだなぁ。僕はスライムは減りすぎると困るって言っただけだし、皆無事じゃないか。」

 クアイエッセの微笑みにレイナースは確かにと笑い返したが、クレマンティーヌは知っている。

 あのタイミングで漆黒聖典が来ていなければ子供は食われ溶かされていた事を。

 クレマンティーヌが睨みつけていると、クアイエッセはクレマンティーヌの乱れた髪を直した。

「触んな!!」

「クレマンティーヌ、僕はタイミングを見極められないほどもう愚かじゃないよ。すまなかったね。」

 かつては愚かだったと言うような言葉だった。クレマンティーヌの不愉快な気持ちは行き場を失った。

「っち!むしゃくしゃする!」

 そう言うとクレマンティーヌはレイナースの背におんぶされるように飛びついた。

「っキャ!何なのよクレマンティーヌ!重いじゃない!」

「うっさい。レーナースがあんな目で見たせーでこっちは無駄に労力使ったんだから帰りは運んで。」

「もー!クレマンティーヌ、太ったわよ!!」

「あぁ!?」

 子供達はいかにも優しげな神聖呪歌にあれやこれやと話していた。「あらあら。まぁ、うふふ。」と答える神聖呪歌は話の半分は聞いていないだろう。

 クアイエッセは重そうにスライムを引きずる神領縛鎖から、何本か鎖を受け取り共に引っ張った。

「っはぁ…あそこから出るしかねぇのかな。」

「多分ね。一時間は歩かないとダメかな。」

「やんなっちゃうねーまったくよぉ…。」

「ふふ。――エドガール、クレマンティーヌは変わったね。」

「…クアイエッセも変わったんだから、変わるもんでしょーよ。」

 クアイエッセは嬉しそうに笑った。

 一行の歩いた後は巨大スライムが汚れをこそげ取り、下水は新品のように綺麗になった。

 

「あ!お役人様達!」「お役人様〜!」

 帰り道で案内をした汚物喰らい(ファエクデッセ)と、大聖堂に報告に来た汚物喰らい(ファエクデッセ)は巨大スライムを見ると歓声を上げた。

「こりゃしゅごいですのう。」「見事見事。」

「このスライムがいなくなればすぐにまた元の下水に戻るだろう。もし何かまたあったら――手紙でもなんでも送ってくれ。」

「ほほー!わかりました。」「そりで、良かったら下水街を見ていかれましぇんかな?」

 そう誘ったのは先ほど案内してくれたのとは別の汚物喰らい(ファエクデッセ)だ。

 しかし、やはり聖典は下水街の案内を断り、子供達は嘘をついた事を謝罪した。

 水路を出ると、大量の死の騎士(デスナイト)がフランベルジュを抜き放ち一行を待っていた。

 死の騎士(デスナイト)は頼んでも刀身は見せてくれないので、子供達は大喜びで死の騎士(デスナイト)に飛びついた。

 聖典から歌声とスライムの説明をすると、死の騎士(デスナイト)達は頷き、どこか「やれやれ」とでも言うような雰囲気で立ち去って行った。

 立ち去り行く背は妙に人間臭く、聖典たちは目を見合わせて少し笑った。

 

 どこにでも良くある、普通の冬の日の午後だった。

 

「さーて、うんじゃ、ガキ共は親に迎えに来てもらおーかねー。」

 クレマンティーヌの言葉に子供達は今までで一番恐ろしいとでも言うように背を震わせた。




少年ピンチ…!!!
すごい、御身出てこないで冒険が終わった!!!

次回#78 レア物と子供

ユズリハ様より名前変えろよハゼイア兄妹頂きました!

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#78 レア物と子供

下風月 十五日 14:47

「下水の巨大スライム?…そんなものの報告までいちいち必要ないわ。」

 神都にいる死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの入伝にアルベドは眉をひそめた。「――知性があるかもしれない?そう。それで困ってるわけね。良いわ。私が確認して今後の指標を作るわ。」

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の相談はこうだ。

 これまで衛生(サニタリー)スライムは知的能力が無かったため、犬猫と同じように国籍を与えなかったが、知性がある可能性があるこのスライムはどうするべきかと。

 アルベドは伝言(メッセージ)を切ると至高の存在に向き直った。出かける許可を得なければ。

 今日も執務に勤しむ至高のパパは大真面目な顔で書類に目を通して――いる振りをして妻と子の触れ合いをチラチラと見ていた。執務室の一角にあるナインズプレイコーナーでフラミーとナインズが遊んでいる。ナインズは一歳を目前とし、「ちょうだい」と手を出すと持っている物をくれる程に言葉の意味が分かってきていた。

 

 頬杖を付き、書類に目を滑らせるアインズはそのまま口を開いた。

「何だ、スライムがどうかしたのか?アルベドよ。」

「アインズ様。聖典が下水に生まれた巨大スライムを魔導省に連れ帰ったそうです。なんでもポーション製作チームが下水にポーションの失敗作を流して育ったとか。因果関係の調査実験をしようとしたところ、それが知能を持つ初めての衛生(サニタリー)スライムかもしれないと――」

 アインズは書類を机に下ろし、立ち上がった。

「なるほど。私が見に行こう。」

 是非見てみたかった。

「しかしアインズ様!至高の御身が下水の下賤なスライムにお会いになるなど!」

「アルベドよ、この世の生に貴賤はない。そのレア――んん。スライムは私が確認しよう。」

 そこまで言うとナインズのたっちの手伝いをしていたフラミーが振り返った。

「スライムかぁ。私も行こうかなぁ!」

 アルベドはフットワークの軽い支配者二名を困ったように見た。

「しかし…平伏する事も知らない生き物でございます…。」

「アルベド――」

 守護者達の崇拝の気持ちはもうよくわかっている。だからこそどうやればうまく説得できるのか、アインズは困った時の苦笑いを――執務中につき骨なので顔は動かないが――浮かべる。

「アインズ様、そのお顔はずるいです…。」

 少し頬を赤く染めたアルベドの呟きにアインズは人じゃ無かったよな、と己の顔を触った。確かにアインズは骨だった。

「む?そうか?」

「はい…そうです…。」消え入りそうな声を出したアルベドは下を向くと、はぁ、とため息をついた。顔を上げた時にはいつもの彼女に戻っていた。「畏まりました。なによりアインズ様とフラミー様のお言葉は私の全てでございます。喜んで従わせていただきます。」

「…感情ではなく理性で従って欲しいのだがな。」

「であれば問題ございません。私など御身がお持ちの知識の一欠片にも及ばぬ程度しか物を知りません。御身が確認されるのが一番いいと本当は解っております。」

「……そうか……ならば良い。では神都に出るぞ。」

 そう言うとナインズ当番にナインズを任せたフラミーを腕を広げて迎えた。

 子供を産んだフラミーは以前より柔らかい。特にやらしい――いや、やわらかい部分を触らないように気を付けて抱き上げた。

 付き合う前に触れ合っていた時は――小さかった胸と言い、どちらかと言うと少女のような触り心地の彼女だったが、今では出産した為か成熟した肉体の柔らかさがある。

 飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の里に向かうときに確かめた腰は実に細かったものだ。

 骨の身に染みてくるふわふわの温もりにアインズの頭の中にはお花畑が広かった。

(それにしても柔らかい!)

 ナインズに取られがちな(フラミー)を取り返したアインズはふふふ…と邪悪な笑いを漏らした。

 フラミーのハーフアップのお団子にしている髪から漂う香りがアインズの鼻腔をくすぐる。近頃フラミーはこのお団子とロングヘアを合わせた髪型で過ごすことが多い。

「――ん?」

 いつも落ち着く香りが漂うが、今日のフラミーは少し違った。甘く初めて嗅ぐ匂いだ。

 何の匂いだろうかと嗅いでいると、フラミーはアルベドを手招いた。

「アルベドさんも来ますか?」

「宜しいのでしょうか?アインズ様とフラミー様とおデートなんて…。」

「で、デートではないですけど…宜しいですよ!ねぇ、アインズさ――アインズさん?」

 アインズは腕に座らせるように抱いているフラミーの胸に鼻骨を近づけて匂いを吸い込んだ。

「えっち。」

 コツン、と頭蓋骨を叩かれるとアインズは顔を離した。

「あ、いえ。すみません。何かいつもと違う匂いがするなぁ…と。」

「うらやましい…。」

 アルベドの横槍はフラミーの匂いを嗅げる事なのか、アインズに匂いを嗅がれる事なのか、どちらが羨ましいのか分からなかった。

「あ!よく分りましたね。これね、タリアトさんが羽のお礼だって送ってくれたヘリオトロープの香油、ぬってみたんてす!焚いても良いそうなんですけど、こことね、ここと――ここ。」

 フラミーは首筋と手首を指差すと最後に胸元を示した。

 それを聞くとアインズはアルベドにぴっと手を挙げた。

「………お前はここで少し待ってなさい。」

「畏まりました。」

「アインズさん?」

 アインズはフラミーを連れて寝室に入った。ぱたりと扉が閉まる。

 アルベドは中で起こっていることを想像して鼻を抑えた。

「フラミー様ったら…大胆!」

 なんと良い挑発の仕方だろうと悪魔の王が連れ込まれた扉に羨望の眼差しを向ける。アルベドもそろそろ香水を変えようかと思った。

 そして一時間は掛かりそうなのでアルベドはナインズのお絵描きに付き合った。

 

+

 

下風月 十五日 16:11

 魔導省に子供達の親が引き取りに現れたのは到着から一時間ほどしてからだ。

 三人はそれはそれはこっぴどく、これでもかと叱られ続けており、お揃いのタンコブを頭に飾った。

 目の前の巨大スライムを絞るように成分を採っているフールーダも大きなタンコブがあり、スライムが暴れたりしないように見張っている聖典達は笑いを堪えて震えた。

 スライムは狭い下水で見ると二メートルや三メートルもあるように見えたが、地上で見れば大人の男くらいの大きさだった。それでも、子供達には驚異の大きさではあるが。

 

「下水に入っちゃいけないって何回言ったら分かるの!!」「聖典が来て下さらなかったら全員死んでいたかもしれないんだぞ!!」「自分達のやることに少しは責任を持ちなさい!!」「汚物喰らい(ファエクデッセ)だって万一触れたりすれば重い病気にかかるのよ!!」

 

 親からの言葉を神妙な顔をして聞く三人の頭の中は今回の素晴らしい冒険と聖典の圧倒的な力でいっぱいだった。

 ただ、三人は冒険者よりも聖典の方がカッコいいと確信したと言うのに、聖典が普段何をしているのか分からないし、英雄譚などもない為に困った。

 その困りが、神妙な顔の正体だった。

 そして、ふとみっちーが目を見開くと、シルバとぺーさんもそれに続くように目を見開いた。

「あなた達聞いてるの!」

「か、かみさま…。」「神様!!」「陛下…。」

「ふざけてないで――」

「賑やかだな。どれ、見つかったスライムを見させてもらおうか。」

 深い声音に親達はひっくり返るような勢いで振り返った。普段であれば、子供が「神様」と呟いたとしてもその背後の正体が神だなんて思いはしないだろうが、ここは魔導省だし、神に仕えし聖典に神官、生きた伝説のフールーダ・パラダインまでいるのだ。

 聖典達は即座に膝をつき、唐突に現れた神々に低頭した。

「皆さん楽にして下さいね。」

 女神の厳かな声が響くと聖典は立ち上がり軽く足を開いて"休め"のポーズをとった。

 

 神々の降臨は雲が渦巻いて光が空から落ち、吸い込まれるような暴風をもたらすかと思いきや、音もなく闇が開いただけだった。

 しかしディミトリーがシルバとラーズペールと共に書いた冒険記にはそう記された。事象では起こらなかったが、彼らの目には確かにそれが見えたから。

 

「ところでこの子供達は何だ?」

「下水に入って遊んでいたところ、このスライムに喰われそうになっていた子供達です。」

「何?」

 隊長の答えにアインズがそう言うと、親達は倒れるような勢いで謝罪した。

「つ、次からは決してさせません!」「陛下、申し訳ございませんでした!!」

 親の必死な言葉を無視し、アインズは子供を手招いた。

 叩かれるのか、すごい魔法を放たれるのか、地獄行きを宣言されるのか分からず、子供達は恐る恐る近寄った。

 誰も殺されるなどとは思っていないが、全員胃がひっくり返りそうだった。

「遊びで下水に入ったのか。」

「は…はい…いえ、冒険に…。」

 シルバの言葉に続くようにラーズペールとディミトリーは冒険の一切合切を必死になって話した。

 暗く深い水路、生きたまま食べられてしまったネズミ、友人と毛布を分け合って食べた昼食、未知の水の流れ、卵の殻の大航海、待ち構えていた脅威。

 熱心に話してるうちに三人は興奮し始めていた。

「そ、それで!みっちーはシルバを助ける為に陛下方のお力を借りて魔法も撃ったんです!!」

 怒られるかもしれない瀬戸際だというのに、少年たちは誇らしげだった。

 

 ふむふむと全てを聞いたアインズは楽しげに笑った。

「そうか。友人と冒険するのは素晴らしい。知らないことを知ると言うのは良いことだ。いつかお前達も大人になり冒険に出るだろう。ただ、それは冒険者としてではないかもしれない。シルバ、お前の父は我がナザリックの第九階層と第十階層の危険を取り除きにきた。口を開けて我がナザリックを見ていたぞ。」

 シルバの父親は恥ずかしげに――しかし、覚えられていたことに感動し顔を綻ばせた。

 

「ラーズペール、お前の父は今まさに神官になる為に知らない世界を学んでいる。神官は私の国に於いて無くてはならない存在だ。ディミトリー、お前の母は自分の全てをお前に託しているんだろう。世界には常に未知が溢れている。場所は違うが皆冒険の最中だ。全員精一杯冒険して知るが良い。この世界の美しさを。――しかし、死は平等だ。死に急ぐような真似はするなよ。」

「は、はい…陛下…。」「かみさま…。」「わかりました…陛下…。」

 アインズは親らしいこと言ったな〜と自分を褒める。友達と冒険するなんて最高の思い出ではないか。

 できれば自分もそうしたかった。ナインズも泥だらけになって傷だらけになって外の世界で大きくなると良いと思う。

 フラミーが外の学校に通わせたいと言っていたが、アインズも賛成だ。たくさん友達を作ってほしかった。

「さぁ、話は以上だ。フラミーさん。」

 微笑んで話を聞いていたフラミーを手招く。

 

 至近距離で神を見上げていた子供達はスライムに近付いて行く神を静かに見送った。ラーズペールは一度スァン・モーナで友達と遠くから神々を見たが、その時は神と知らなかったし、改めて神々だと分かってこうして言葉を交わすと凄まじい感動が渦巻いた。

 

「ふむ。なるほど、確かに大きいな。それにどうもポーション臭いようだ。神聖呪歌、神領縛鎖。鎖と魅了を一度解け。」

「み"み"りょ……どげ…。」

 スライムが復唱すると神々の後ろについてきて居たアルベドが一発軽く平手打ちした。しかし、音はパンではなくバチコーンと言ったところだ。間違いなく人外の腕力だ。

 四年生ともなると守護神の名前も顔も皆知っている。授業で習う為だ。習った通り、美しい慈母の笑みを浮かべているが――アルベドは少し怖そうだった。

「知性があるなら今は静かになさい。」

 スライムは途端にぐったりとし、何気なかったはずの平手打ちの重さに子供達は目を剥いた。スライムは殴打も斬撃も大して効かないと言うのが常識だから。

「…では拘束を解かせていただきます。」

「お気をつけ下さいませぇ。」

 神領縛鎖がパチリと指を鳴らし鎖を解くと、神聖呪歌も歌って魅了を解いた。

 

 ――オォーーーン

 

 スライムが唸るとビリビリと空気は震え、一番近くにいるアインズに触腕を伸ばした。

「<負の接触(ネガティブタッチ)>。」

 アインズに肩に触れた触腕はまるで高熱のものに誤って触れたかのように荒ぶりすぐさま離れた。

 スライムはアインズが一歩進むごとに恐怖するように引き下がって行く。

 震える体は波打ち、絶対強者を前になるべく小さくなろうと必死だった。キュウキュウと鳴き声を上げる様子は許しを乞うようでもある。

「ふむ、お前は私の言うことが解るか?人に危害を加えてはいけないと理解できるか?」

「お"ま"…り"がい…が…?」

「理解できるならば、はい、だ。」

「りが…ば…ばい"だ。」

「――ふーむ。」

 親鳥の鳴き方を真似するようなスライムは、犬以上の知能があるともないとも断ずることは難しそうだった。赤ん坊に問いかけ、「はい」と言わないからと言って知的生命体ではないと言うのは愚者の行いだろう。

 

「神よ。これを。」

「どうした、フールーダ。」

 アインズはフールーダの差し出す水色のぷるりとした液体を見た。

「これはそのスライムから絞ったスライム油なのですが、こちらをご覧ください。」紫ポーションに一滴垂らすと、紫ポーションはわずかに赤に近付いた。「――色だけ近付いても無意味ではありますが、そやつは使えるかもしれません。」

「なるほど。――……これは似ているな。」

 そう言うとアインズはぬぷりと粘度のあるスライム油に指を浸した。

 そしてフラミーを手招きそのぬめる指を見せた。

「どう思います?」

 指からはねっとりと液体が垂れ、僅かに発光している。

「…このエフェクト、ゾリエ溶液に似てますね。」

 アインズは頷いた。

「ゾリエ溶液の代わりになるなら、後はリュンクスストーン、ヴィーヴルの竜石、黄金の秘薬の代替品が見つかれば赤ポーションも夢じゃないかもしれません。」

 リュンクスストーンは治癒系の効能を強める効果があり、ヴィーヴルの竜石は属性ダメージ量の増大という効果がある。ユグドラシルではよく見るエンチャント用素材であり、赤ポーションの原材料でもある。他にも色々な材料を用いて作られるが、今代わりの品が見つかっておらず、赤いポーションに近づける為に必要なものはこの辺りだろうと思われた。

 二人は頷き合った。

「フールーダ、こいつは強者に従う事は知っているだろう。うまく懐かせられるか。」

「餌をやる事でうまく懐かせてみせましょう。食事をくれる不可欠の存在だと解ればなんとかなるやもしれませぬ。」

 餌は糞尿や食べ残しなので特別予算も不要だろう。

「よし、お前の下で責任を持って管理と教育をしろ。もし言葉をまともに話すようになったら扱いは労働者に変わるから注意するように。それから、このスライムから取れる油が有用だった場合は下水から何匹か衛生(サニタリー)スライムを取ってきて同じスライムを産んでも良い。」

「ははぁ!」

 フールーダのどこか熱苦しい返事を聞くと、アインズは頷き、フラミーはフールーダの頭を注視した。

「……ちなみにその頭どうしたんですか?」

 フールーダは巨大タンコブをさするとなんとも言えない顔をした。

「い、いえ。なんでもございません。」

「そうですか…?」

 フラミーは特別回復してやる事もなく、巨大スライムに近寄っていくとぷにょぷにょとつついた。

「…可愛い。あなたはサニー。お名前だよ。言ってごらん。サニー。」

「お"な"ま"…ざに"…。」

 

 子供達と親達はその様子を心を奪われたように見ていたが、途中で神官達に咳払いをされると、ハッと我に帰り、何度も頭を下げ全員が夢見心地に帰路についた。

 

 親達は親達で神が直接子に言葉をかけてくれるなんて、素晴らしい体験をしたと思った。

「…父さま、僕、神官になれるかな。」

 ぺーさんがそういうと、同じく翼を背負う父親は頷いた。

「なれるよ。私がなれるくらいなんだから。」

 みっちーも母親の手を握り締めた。

「僕、絶対特進科に入るよ!それで、ポーションの製造に携わってまた陛下にお言葉をかけてもらう!」

「そうなったら、お母さんも鼻が高いなぁ。」

 そして一人後方を歩くシルバは父親に激突した。

「父ちゃぁん。オレも父ちゃんみたいな設計士なれるかなぁ。」

「ははは。父ちゃんは特別すごいからなぁ!」

「えぇ〜。ねぇ〜父ちゃん〜。」

「一生懸命勉強するんだな!」

 

 神聖魔導国は今日も信仰と冒険に溢れていた。




サニー!サニーは後に犬より賢くなることはなかったらしい…
さぁ、支配者達なしのお話はおしまいだあ!!死ぬほど出すゾォ!
次回 #79 閑話 抑制の腕輪

ギャグ世界地図をユズリハ様にいただきました!!!!!(竜王視点

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もちろん皆様の大好きなあれもありますよ!!!現在の勢力図!!!
ユズリハ様ありがとうございます!!

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#79 閑話 抑制の腕輪

 粉雪の舞う中、雪原を進む影が二つ。

 その後ろには目に見えない者が従っているため大量の足跡が続いた。

 扇のように広がる足跡は肩を寄せ合い歩みを進めるふたりに追いつきそうで追いつかなかった。

「寒くないか?」

 舞い降りてくる雪に手を伸ばしていた息子は父の言葉に首を傾げた。

「――大丈夫みたい。」

 母の優しい笑顔に息子がきゃあっと笑う。

「ナインズ、始原の力が重荷だったら、お母さんがいつでもそれを消してあげる。」

 さらりと髪を撫でられたナインズがアインズよりもフラミーに抱っこされたいと手を伸ばし、抱っこ員を交代すると三人は氷山の錬成室に辿り着いた。

「その時は流れ星の指輪(シューティングスター)を使いますよ。――じゃあ、ツアーを呼びますね。」

 アインズは健康診断員を呼ぶために転移門(ゲート)を開いて入って行った。

 

 フラミーは抱いているナインズのもっちりしたお尻をポンポン叩きながら、扉が付いていない氷山の錬成室入り口からしばし雪原と、粉雪を眺めた。

 休日の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はコキュートスの家のてっぺんから日がな一日この美しい光景を眺めるのが趣味だと言っていた。

「――良い趣味なのかも。」

 美しき雪原は絶えず降る雪によって今来たアインズとフラミーの足跡、それから後を追ってきた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)のビッシリとついた足跡を消した。

 

 これだけ雪が降り続いているが、必要以上に雪が深くなる事はない。ユグドラシル時代は足止め効果と冷気ダメージのあるエフェクトとして豪雪に設定され、移動を阻むよう腰まで積もっていたが、今は金貨消費量を減らすために最小限の粉雪に設定され、粉雪の時のエフェクトは足首程度までしか雪は積もらない。

 そうでなければ、この錬成室もコキュートスの家も、氷結牢獄もとっくに雪に埋れてしまうだろう。

 ここはあくまでデータとして設定された雪原だった。

 

 フラミーは八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達に本物の雪原を見せてやりたくなった。

 ル・リエーから帰ってきてからアインズと二人で旅をしたアゼルリシア山脈の雪はここの雪よりも輝いて、本物の太陽に映され舞う雪は万華鏡の中を泳ぐ星のようだった。

 

 フラミーは今度アインズがトロールの実験をしに出掛けたら、 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達を連れて雪を見に行くことにしようと決めた。

(街は騒ぎになっちゃってよくないかな。)

 十五匹全員を連れて行くか、休みの一匹はせっかくお休みなのだから会社の行事に誘っては可哀想なのか――フラミーは悩んだ。

 しかし、一匹話に入れないと言うのも可哀想だろう。

 全ての八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と遠足だ。

 アゼルリシア山脈は顔を知られている為、沈黙都市のあたりにある山が良いかもしれない。

 春が来たら、山に行こう。今すぐはそれこそ豪雪だろう。

 持ち物は温かい飲み物と、テントと、膝掛けと、皆で食べるお弁当と――フラミーは必要そうなものをあれこれと思い浮かべて既に楽しくなっていた。

 

 ふふ、と笑いを漏らしていると、「何笑ってるんですか?」とアインズの声がし、続いて「やぁ、フラミー」といつものツアーの挨拶が聞こえた。

「ツアーさん!お久しぶりです。今日はお願いしますね!」

「よろしく。まぁ、すぐに終わるけどね。」

 アインズは錬成室で二本の限界突破の指輪と共に浮かぶ腕輪に向かった。

 

 ツアーから祝いで送られた鱗と、常闇の良い部分から作られた腕輪は白金(プラチナ)色で、柔らかそうな魔法の膜に覆われてふよふよと浮いていた。

「これは出来上がっていると思うか?」

 ツアーも近付きそれを見ると頷いた。

「出来上がっているね。…七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)が作ったアインズの制御の腕輪と、アインズが作ったナインズの抑制の腕輪――どちらの方が強力かな。」

 ツアーはニヤリと笑ったようだ。

「抑制のみに力を注いで作ったナインズの腕輪の性能が負けたりしたらアインズ・ウール・ゴウンの名折れだな。」

 アインズも笑うと膜に手を押し当て、トプンと沈み込むように手首まで飲み込まれた。

 

 膜の中は湯のように温かかった。

 腕輪を引き抜いた瞬間膜は破裂し、湯があたりに散らばる――と思ったが、魔法の膜も、温度も霧散した。

 白金(プラチナ)の腕輪には鱗の模様がついていて、亀裂のような線が入っている。それの色はツアーの本体の喉元から腹へ走る清浄な碧い煌めきと同じだった。内側は漆黒だ。

 訳もわからずフラミーに抱かれるナインズは腕輪とアインズを交互に見た。

 

 ツアーはそんな無垢な瞳をのぞき込んだ。

「――生まれた時からそう力は増えていないようだね。流石に一年では簡単に増えたりしないか。」

「そうか。生贄は必要そうか?」

「わからない。やらせてみなければ。とは言え…恐らく生贄を必要とすると覚悟しておいた方がいい。全ての竜王から奪ったその力は濃いだろうから、少ない魂かもしれないけれどね。」

「…わかった。そう言えばお前たち竜王は私との間に子を持てば、始原の力を取り戻せると喜んでいたが、竜王との子なら生贄を必要としない始原の魔法を継げるのか?」

「それもやってみなければ分からないよ。だが、皆例えそれが半端な力だとしても自分に連なる者に取り返したいと思っている。アインズ、君がその気なら――」

「すまん。その気はまるでない。どうなのか気になっただけだ。」

 アインズは即座にそう言うと、聞こえないフリをしてナインズをゆするフラミーの顔を手の甲で撫でた。

 その背中にツアーは僅かな安堵を感じた。アインズは最強の力を増やすことよりもフラミーを想う気持ちの方が大切だろう。

 

「すみません。嫌な話して。」

「いいえ。そんな。」

 困ったように笑うフラミーの顔は結婚前に何度も見たしんどそうな、気負うようなものだった。何かが手に入らない時に諦めようとするフラミーの顔。

「いや、これが俺のよくないところです。」

 アインズはフラミーに引っ付くナインズを抱き上げると、近くで不可視化している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)の背に乗せた。乗せられた者は姿を現し、黒い顔を真っ赤にしていた。その喜びは一際大きいもので、表情の分かりづらい虫型モンスターだと言うのに笑みで顔が崩れているのが一目瞭然だった。

「九太はそこにいてくれ。」

 周りのアサシンズが羨むような嫉妬するような目でその八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)を見つめた。ナインズに付けられているハンゾウも腕を組み分かりやすく嫉妬する。今日休みを与えられている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)がこっそり入り口の外から中を覗いていたが、その者も頬を膨らませていた。頬があるのだろうか、と言う謎はあるが。

 ナインズを乗せ揺れたり歩いたりする八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はナインズが大きくなったら今日の事を話して聞かせたいと思った。

 

 ナインズが喜びに笑う声が響く。

 アインズは力いっぱいフラミーを抱きしめると、その首に顔を埋めるようにした。

 手を背に回してぽんぽんと叩くフラミーは失言だったと懺悔するアインズに首を振る。

「大丈夫です。分かってますから。」

「本当に?分かってるって言って…フラミーさん、これまで――」

「ははは。本当に今回は分かってますよ。アインズさんが気になっただけって言うなら、気になっただけだって。そんな事しに行くなんて思ってません。」

 アインズは安堵に息を吐いた。

「良かった。」

「さ、ナインズに腕輪着けてやって下さい。」

 ツアーはそれを聞くと、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)に跨るナインズの両脇に手を入れひょいと持ち上げアインズとフラミーの前に差し出した。

「ほら、アインズ。」

 ナインズが抱っこしてくれとアインズとフラミーに向けて両腕を伸ばすと、アインズはその腕に抑制の腕輪を入れた。

「どうだ?」

「――ゼロに近いね。もう少し成長すると漏れ出る力もあるかもしれないけれど、今は殆どを抑えているよ。」

 近頃ではなんでも口に入れるのはやめ始めていたが、ナインズは腕に付いた腕輪をかじろうと口に入れた。

「九太、それはお前とナザリックを守るために必要だ。とっちゃいけないからな。」

 アインズがそう言うと、ナインズはしばらく腕輪をしゃぶってから腕を下ろした。

「だぁ!」

「そうだ。偉いぞ。」

 ツアーは手の中の饅頭のようなナインズを自分のほうに向かせた。

「ナインズ、君は言葉が解るようになって来たのかい?」

「…んーんー。」

 鎧の手は気に入らないようでツアーの鎧を数度蹴った。

「まだもう少しだな。しかし、分かる言葉もあるぞ。九太、これはツアーだ。」

 アインズはそう言いながら、ツアーの鎧の頭から生えている長い尾のような毛を見せた。

「わんわん?」

「そうだ、上手だな。」

 フラミーはぷふりと笑い、ツアーは竜の顔をしかめた。

「待て、僕は犬じゃない。甘やかすんじゃないぞ。ナインズ、僕はツァインドルクス=ヴァイシオン、もしくは白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だ。」

「ふふ。ナインズにとっては尻尾みたいなのがあれば皆わんわんですから。でも、爺は言えるからツアーさんなら言えると思いますよ。ナインズ、言ってごらん。つあーって。」

「うあー?」

「そう、この人はツアーさん。」

「…うあー。」

 ツアーは揃って金色の瞳に見上げられるとなんとも背中がむず痒くなりナインズをフラミーに返却した。

「もう良いんですか?」

「あぁ、堪能したよ。」

「ふふ、可愛かった?」

「可愛いね。本当に君とアインズのあいの子だ。中身はアインズじゃなくて君に似ると良いな。」

 それを聞くとアインズもうんうんと頷いた。

「私もフラミーさんに似てくれると嬉しいな。その方がかわいい。」

 珍しく意見が一致した二人はフラミーのローブの襟を掴むナインズを覗き込んで笑った。

 

「さて、久しぶりに来たし君の世界征服とやらの進行具合を聞いてから帰ろうかな。」

「あぁ、そうだった。隣の大陸なんだが、もう聞いていると思うが、冒険者を始末したのはお前の言う通り竜王じゃなかった。」

 ツアーはそれを聞くと「だろうと思ったよ」と告げ、浮いている制作途中の二本の指輪の状態を確認した。

「それから、最古の森とか言う所があった。」

「何?最古の森がまだあったのかい?」

「あぁ、タリアト・アラ・アルバイヘームとか言う上位森妖精(ハイエルフ)の王が雨を降らせて守っていた。いい森だったよ。」

「タンペート=プレシピタシオン――天候を操る深雨の竜王(クラシャン・ドラゴンロード)が死んで枯れたかと思っていたけれど、そうか。上位森妖精(ハイエルフ)がね。」

「全く、向こうのことを知ってるなら少しでも教えて欲しいところだ。」

「アインズ、いつも言うが僕は君の計画に賛成しているわけじゃない。邪魔はしないけれど、手伝いもしないよ。それに、鎧で出かけていたとはいえ僕は五百年家を出ていなかったんだ。情報が間違っていたらそれはそれで困るだろう?」

 ツアーは最もらしいことを言うと、指輪を包む魔法の膜をツンツンとつつき、弾力を確認した。

 アインズはやれやれとため息をつきながらいつものロッキングチェアに座ると、フラミーの腰を引き寄せて自分に座らせた。

「協力してもしなくても、世界は私のものになるぞ。」

「嫌な話だね。」

「そう言うな。お前は必ず言うぞ。世界を任せて良かった、とな。」

「百年後にはわからせてくれる、だったかな。」

「あぁ。わからせてやるさ。後九十五年と半年だ。」

 アインズが笑うとツアーも「期待しているよ」と笑った。

 

 その後大人達はしばらく隣の大陸のことを話し、ナインズは抱っこされながら腕に収まる腕輪をいつまでもじっと眺めた。




竜王の名前は読者様に考えていただきました!にっこり
素敵な名前でご満悦ですぜ

次回#80 閑話 雪と大聖堂


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#80 閑話 雪と大聖堂

 今年初めての雪が降る今日。

 神の子の一歳の誕生日会の警護として、大神殿の周りの見回りを行っていたレイナースは白い息を吐いた。神の子は一歳で女児服から男児服に着替えるそうで、特別な歳を意味するらしい。

「ふぅ…冷えるわね…。」

 鎧の上から着ている、足首まであるコートを深く合わせると己を抱きしめるように腕をさすった。

 大聖堂の大扉の前から街を眺める。

 街路樹には葉のかわりに永続光(コンティニュアルライト)を着せ掛けてもらい、蛍のなる木のようで美しかった。

 神の子の誕生日にはどの親もめでたい日にあやかって子供にプレゼントを贈るようだ。

 雑貨屋や本屋は子供にこんなプレゼントはどうだと、それぞれ一押しの商品を並べていた。

 雑貨屋は小さな死の騎士(デスナイト)人形があったり、神が以前エ・ランテルで生み出していた――人の恨みの具現である黒いカブのような妖精を模したぬいぐるみが置いてあったりする。それは不満を聞かせるとメェと鳴くマジックアイテムだ。

 本屋には子供向け聖書や真実か疑わしいようなモモンの育ちの物語が置かれている。

 神都は――いや、世界は平和に彩られていた。

 

(こんな世界が来るなんて…。)

 神が降臨してから生まれた子供達はこの素晴らしい世の中しか知らないのだ。

 それはなんて――素晴らしいことだろう。

 神官達はいつも「神が生を見限らぬよう、この地を去らぬよう努力し続けなければ」と言っている。

 もし神が去るような事があれば、この世は六大神――帝国では四大神だったが――が隠れた時とは比べ物にならない大混乱の日々が訪れるだろう。

「頑張らないとダメね…フラミー様のためにも…。」

「その通りですね。」

 そう言う聞き知った声に振り向けば、雪をギュッギュッと踏みしめてこちらへ来る三騎士の一人、ニンブル・アーク・デイル・アノック。

「どうしたの。あなたがエルニクス様のお側に仕えていないなんて珍しいわ。」

「ロクシー様のご体調のために先にアーウィンタールへ帰ることになりましてね。馬車の用意ができるのを待とうと思ったら訓練仲間がいた、という訳です。」

 

 冷たい風にそよぐ金の髪に、深い海を思わせる青い瞳。屈強な意志を感じさせる引き締まった唇。騎士はこうあれかしという典型のような面持ちだ。

 レイナースは昔その清廉な容姿が嫌いだったが、今は何も思わない。

 夏の終わりに大神殿の中庭で軽く手合わせをして以来、共に数回訓練した昔の同僚に、レイナースは薄く笑んだ。

「そう。話くらいには付き合ってあげるわ。」

「どうも。しかしここは冷えますね。ずっとここに?」

「持ち回りで場所は変わるわ。今は隊長と第三席次が中だから、もう少ししたら私と、裏を見てる番外席次が中になるの。」

「なるほど。帝国四騎士だった時にも似たようなことがありましたね。懐かしい。」

 あの頃のレイナースは任務には就いていたが、本当に危険な場面になれば逃げるつもりだった為、自分の脱出経路の確認に一番力を入れていた。

 その為、ニンブルの"似たような事"と言う昔話にあまり共感できない。

 レイナースが何も言わずに白い息を吐いていると、ニンブルはしばしその横顔を見てから立ち去って行った。

 

 まぁ関係ないし…そう思って再び光を纏う街を眺めていると、ピタリと頬に熱を感じ剣を抜いた。

「何奴!!」

「おっと、危ないな。」

 温かそうな湯気が立ち昇るマグを両手に持ったニンブルがいた。

 溢れていないか自分のコートを見下ろし、ほっとしたような顔をする姿にレイナースは鬱陶しそうな視線を送り、剣を戻した。キンッと冴えた音が鳴る。

 

「気配を殺して近づかないで頂戴。下手をすると本当に殺してしまうわ。」

「それは怖いですね。次からは気を付けるとします。どうぞ。」

 そう言って差し出されたマグをレイナースは受け取った。

 

「――あったかい。ありがとう。」

 ニンブルは数度瞬きをしてから好ましそうにレイナースを見た。

「訓練の時も思ってましたが随分変わりましたね。」

「ふふ、あなたもあの日のエ・ランテルの奇跡を覚えているでしょう。」

「ははは、覚えてますよ。それそれは肝が冷えた。あんな思いは後にも先にももうないだろうな。」

 笑うニンブルが柱に寄りかかる。雪は変わらずに少しづつ積もり、たまに吹く風に舞った。

「私も忘れないわ。フラミー様に全てを変えて頂いたあの日を。美しくして頂いたあの日を。」

 感慨深げに呟くレイナースは幸せそうに、この世で最も美味なコーヒーが入れられているマグに視線を落とした。そこにはぼんやりと、美しくなった自分の顔が写っている。

 ほぅ、とため息を吐けば吐息は白く染まって流れて行った。その耳は僅かに赤く、寒さからの物なのか、神を想いそうなっているのか分からない。

 しかし、「美しく?」と聞き返された声に幸せな気持ちが掻き消える。

「…そうよ。何か悪いかしら。」

 ニンブルは、「いいえ、別に」と笑った。レイナースは次の訓練でボコボコにしてやると決める。しかし、相手は自分と同じだけの強さを持つ騎士だ。一方的に痛めつけることはできないだろうが、それができる程に強くなってみせる――。

 

「重爆は昔からずっと美しかったのに、美しくして貰ったと言うのは少しおかしいような気がしただけです。」

 レイナースは訳がわからないものを見るように口をぽかんと開けてニンブルを見た。

 そうしていると、ロクシーを連れて帰る馬車がニンブルの前に止まった。

 ニンブルはマグの中のコーヒーを一気に飲むと柱から背を離した。

 馬車を引く魂喰らい(ソウルイーター)に丁寧に頭を下げたニンブルは「すぐにロクシー様を連れて参ります」と告げて一人大神殿に戻って行ってしまった。

「な…なんなの…。」

 呆然と見送り、パチクリと瞬きをした。

 そしてガントレット越しのコーヒーの温もりが温度を失おうとしている事に気がつくとレイナースも一気にそれを飲んだ。

 胃の腑から温度が広がって行き、体を芯から温める。

 レイナースは空のマグにしばらく視線を落とした。

 そして、ずっと美しかったという言葉を心の中でなぞる。

 昔あの魔物を倒し、死に際に放たれた呪いを受けた顔は膿を垂れ流す醜い汚物と化した。

 世間体を気にした親達によって実家を追放され、婚約者から婚約も破棄され、四騎士になった。

 そうして出会ったフラミー。レイナースの全ては救われた。

 

 空のマグを見ていると、大きな腹を抱えたロクシーを連れてニンブルは戻った。

 ジルクニフの妻となったロクシーは今身篭っている。もうじき生まれる為、あまり無理のない範囲でと身重な中祝賀会に来ていた。

「あら、レイナース。久しぶりね。」

 レイナースはさっとマグを柱かざりの窪みに置くと頭を下げた。

「――ロクシー様。ご無沙汰しておりますわ。御懐妊おめでとうございます。心からお祝い申し上げますわ。」

「ありがとう。本当は私じゃなくてもっと美しい者を正妃にして子を産ませたかったのよ。あなたみたいなね。それにしてもレイナース、本当に綺麗になって。良かったわね。」

 

 そうだ。綺麗にしてもらったのだ。

 レイナースはバハルスの知り合いには必ずそう言われる。いつも舞い上がるように嬉しかった。

 もう四年も前だが、ツァインドルクス=ヴァイシオンがエ・ランテルを襲撃した時、しばらくエ・ランテルに詰めたが、帝国街に移住して来ていた元帝国軍の多くの者達に久しぶりに会った時もそう言われた。

「恐れ入りますわ。」

 これまでは踊る程に嬉しかったというのにレイナースの心は不思議とこれまで程の喜びに満ちることはなかった。

 

「じゃあね。またアーウィンタールにも遊びにいらっしゃい。」

 そう言うと、ロクシーは特別魅力的でもない笑顔を見せて馬車に乗り込んだ。

「じゃあ、また訓練で。」

 ニンブルもそう言い、馬車に足をかけた。

「待って。」

 はて?と振り返ったニンブルにレイナースは少し悩んでから続けた。「次の訓練の予定を決めていないわ。」

「そうでしたね。また紫黒聖典寮に手紙を出しますよ。」

「解ったわ。」

「次は漆黒聖典や陽光聖典とも手合わせできると良いのですが。」

「――陽光聖典はまだしも、漆黒聖典はたとえ木刀だとしても一太刀受けるだけで死ぬわ。」

「ははは。番外席次さんを見れば分かります。彼女は本当にお強い。」

 そう言っていると、馬車の中から「悪いけど冷えるわ」とロクシーの声が聞こえた。妊婦にこの冷えは厳しいだろう。

「申し訳ありません。では、重爆。私はこれで失礼します。」

「私にはそう畏まらなくて良いわ。」

「それはそれは。じゃあ、おやすみ。」

「おやすみなさい。」

 馬車の扉がパタリと閉まると、魂喰らい(ソウルイーター)はサクサクと雪を踏み締め、美しき神都へと消えて行った。

「ははーん。レーナースはあー言うのが好みだった訳ねぇ。」

「…何が良いのか分からないわね。あんな奴てんで弱いじゃない。」

「私は美女と美男で素敵だと思います!」

 好き勝手言う声にドキリとレイナースの心臓は跳ねた。

 声の主達は当然紫黒聖典の仲間達だ。

「ちょ、ちょっと!!別にそう言う訳じゃないわよ!!」

「今度こそ逃げられないように暴力体質治しておいた方がいーんじゃなーい。」

「クレマンティーヌ!!だから呪いのせいだって言ってんでしょうが!!」

 ケケケと笑うクレマンティーヌを追い回す足跡が大神殿の前に生まれては降り注ぐ雪に消された。

 

 レイナースは素早いクレマンティーヌを追いながら、四騎士だった頃を思い出した。

 かつての同僚はレイナースの呪われた顔を一度もどうこう言ったことはなかった。

 目を逸らされたこともなかったかもしれない。

 大した思い出など一つもないと思っていたが――レイナースは減速していき、遂に立ち止まると笑った。

 

「ふふふ…はは、ははは!ふふ、はははは!」

 突然の笑い声にクレマンティーヌは化け物を見るような目をした。普段レイナースが大声を上げて笑うことなどほとんど無い。いや、下手をしたら初めて見たかもしれなかった。

「ひぇ、レーナ、よーしよしよし、落ち着けー?」

「クインティアが余計なことを言うからまともな筈のロックブルズが壊れたじゃないの…。」

 番外席次も若干引いていた。

「そ、そんな。レイナース先輩、大丈夫ですよ!先輩は暴力体質なんかじゃありません!クレマンティーヌ先輩しか殴ったことなんてないじゃないですか!だから…そう!クレマンティーヌ先輩が暴力振るわれ体質なんですよ!」

 ネイアの微妙なフォローにクレマンティーヌが「えぇ…」と呟いていると、レイナースは笑っていた息を一気に吐き出した。

 

「はぁ!フラミー様!バンザーイ!!バンザーイ!!」

 

 何度も万歳万歳と言っていると番外席次はその隣に行き、共に手を上げた。

「バンザーイ。」

 万歳万歳と雪を降らせ続ける空に向かって手をあげる二人のフラミー狂は元気いっぱいだった。

「…こいつらはこうなるとダメだ。外と中の警備交代しようと思ったけど…ネイア、中戻るよ。」

「え?良いんですか?」

「良いよ。寒いから戻ろう。」

 クレマンティーヌはレイナースの立っていたところに置いてあるマグを回収して、温かい大聖堂に戻っていった。

 

「ふふ、恵まれているわ!私、やっぱりフラミー様に全てを与えられたのよ!!」

「…知ってる。」

 

 レイナースは美しい生を与えられた事を喜んだ。

 そして、あの日に自分に与えられたのは美ではなく、心だったのだと笑い――その声は震えた。

 レイナースはガントレットに包まれている硬い手を顔に当てて数度肩を震わせた。

「っぅ……。」

 その瞳にずっと涙が浮かんでいるのが分かっていた番外席次は、寒かったがさっさと中と交代しようとは言わなかった。

 

「ガントレット、冷たいでしょ。」

 

 割と無造作に差し出されたハンカチを受け取ったレイナースの笑顔は美しかった。

 

「ありがとう。」




レイナースとニンブル君さぁ進展するのでしょうか!
未来予想図…
レイナース「私はフラミー様のお側(神都)を離れないわ」
ニンブル「私もエルニクス様のお側(帝都)を離れられません…」

次回 #81 外伝 ゴーレムクラフター
あー完結って言ってもう80話も書いたのか…

レイナースとニンブルいただきました!わぁい!©︎ユズリハ様です!

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きゃるるんな番外ちゃんも!

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試されていた日常
#81 外伝 ゴーレムクラフター


 近頃殆どの守護者達は皆出払っている。

 双子は言わずと知れた牧場地下施設の建造に行っているし、コキュートスも冒険者が国民ではない亜人を見つけるたびに陽光聖典を連れて出動しているし、デミウルゴスと転移門(ゲート)を開けるシャルティアは不敬大国である煌王国に行き王女達をいじめたり羊の回収を行ったりと忙しい。

 守護者ではないが、セバスも夜になるとエ・ランテルに嫁に会いに行くし、ナザリックはどことなく静かだった。

 

 今日アインズはいつものトロールの実験を済ませると、ナインズの一歳の誕生日の祝賀パーティーで腰に携えるのに丁度いい王笏代わりになる短杖(ワンド)を見繕うために宝物殿に飛んだ。アインズはかなりの衣装持ちだが、一度でも神官たちに見せた事がある短杖(ワンド)は祝いの日だし使いたくなかった。

 沢山のフラミー像に迎えられ、宝物殿を進む。今日もフラミー像はピカピカだ。

 ちなみに以前一体フラミー像をもらって帰ったところ、フラミーに捨てられそうになったので慌てて宝物殿に戻した。

 そして、様々な意味で鈴木の黒歴史である男がいる部屋の扉を開けた。

 

「――お前、何やってんだ?」

 パンドラズアクターはアインズが以前一番可愛いと選んだフラミー像の手に葉っぱを持たせようと試行錯誤していた。

「これは父上!ただ今フラミー様が拾われた落ち葉のレプリカをフラミー様像にお持ちいただこうとしているところでございます!」

 パンドラズアクターが振り向いた瞬間、フラミー像の手の中からハラリと葉っぱのレプリカなる謎のものは落ちた。

「っあぁ!!」

 息子はそっとフラミー像の手に葉を戻した。

「やれやれ、お前は本当にフラミーさんが好きだな。」

「は!大好きであります!!」

 アインズの呟きにパンドラズアクターは何の躊躇いもなく即答した。

 自分を抱きしめるようにして幸せそうに揺れる様子にアインズは頭が痛くなる。

「…俺ってやつはもう…。落ち着きなさい。」

「は!して、父上。何かご用で?」

「あぁ。適当な短杖(ワンド)を何本か持ってきてくれ。大聖堂でやる誕生日会で使う。」

Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)!!」

 パンドラズアクターはカツンっと踵を合わせ、姿勢良く敬礼をした。

 これは期待できる。良い逸品を持ってきてくれそうだ。

 しかし、アインズは沈静された。

 

 パンドラズアクターが応接間を後にすると、アインズはソファに座り、トロールの巻き戻し実験でひどく疲れた体――いや、始原の力の枯渇を休めた。

 今日は三人も巻き戻しを行ったために相当疲労した。いつもは二人にしておくと言うのに、もうナインズが一歳になるかと思うと妙に気が逸った。

「ふぅ…この体のままなら寝ないだろうが…やはり骨に疲労感は気持ち悪いな…。」

 自分の顔を覆うように数度撫で、最後の一滴を使うように人の体を呼び出した。

 

 眠りかけ、こくりこくりと船を漕いでいると扉がノックされる音がする。

 アインズが気怠い体で許可を出すと、ビロードの布張りのトレーに短杖(ワンド)を十本ほど乗せたパンドラズアクターが戻ってきた。

「お待たせいたしました!丁度良さそうなものをお持ちいたしました!」

 扉を開けた風がフラミー像の手の中から葉っぱを飛ばすと、パンドラズアクターは「あぁ…」と悲しげな声を上げた。

 アインズは葉っぱのレプリカには興味がないので持ってこられたトレーを覗き込んだ。

 どれも良い王笏代わりになりそうだが――「随分派手だな。」

 使わないので第一位階の魔法しか使えないようなものや、初心者向け短杖(ワンド)だって構わないが、中には相当な破壊の力を込めた短杖(ワンド)もあった。

(――ま、中身はなんでも良いか。使わないしな。)

 アインズは適度に豪華そうに見える一本を受け取るとローブの腰にさした。

「これはどうだ?」

「持ってきておいて何ですが、こちらの方がよろしいのでは?」

 アインズは差し出された一本を受け取ると、それはまた非常に派手な短杖(ワンド)で笑った。

「やれやれ。ではこの二本を持っていこう。衣装と並べて考えてみるか。さぁ、じゃあ私は行く。」

 そう言って人間の重たい体で立ち上がると、パンドラズアクターが扉を開けた。

 すると金貨の山の間に置かれているフラミー像の方から幼い笑い声が聞こえ、アインズとパンドラズアクターは目を見合わせた。

 

 声の方に行けば、フラミー像に興奮しすぎて過呼吸のようになっている――大量に耐性の指輪を装備させられたナインズと、金貨の山に腰掛けるフラミーがいた。

「あ、アインズさん、ズアちゃん。」

 おーいとフラミーが手を振るとアインズもへらりと表情を緩めて手を振り――パンドラズアクターもぶんぶん手を振り返した。

「…お前に振ってるわけじゃない。」

「…いえ、私かと。」

 二人の間で微妙な空気が流れる中、ナインズは手近にあった金貨をぽいぽい投げ、フラミーはそれを止めた。

「メッ!投げちゃメ!でしょ。」

「ぶぅ。」

「お金は大事にして?」

 ナインズが手元にある最後の金貨を放り投げると、あたりには突然男の声が響いた。

 

 ――金の重みを知らぬ者に宝物殿に入る資格はない!これは誅殺である!!

 

 アインズとフラミーは目を見合わせた。

「この声は……」「るし★ふぁーさん!!」

 厄介な男の声を聞き、アインズの脳内に幾度もかけられた迷惑が途切れ途切れに浮かぶ。正直言ってあまり好きではない男だ。

 フラミーもギルドの運営にそう携わっていた訳ではなかったが、あの日(・・・)からは少し苦手になった。

 

+

 

 真っ白い肌の六対の翼の熾天使は自室のアイテム整理箱から今日の種族変更に必要な特別な装備を取り出していた。PKに合ったりして誤ってドロップしないようにきちんとナザリックに置いていたのだ。

(――モモンガさん達もう待ってるかな?)

 翼から輝きが落ちる課金アイテムをペロロンチーノに激しく勧められ、最近ついに課金した光をもたらす者(ルシフェル)は輝いていた。

「よーし!これとこれだぁ!」

 フラミーは必要アイテムをきちんと装備すると部屋を出た。

 

 ――すると、そこには仁王立ちの天使人形がいた。

「フラミーさぁん。」

「わっ!るし★ふぁーさん。こんにちはぁ。」フラミーは笑顔のアイコンを出した。

「あなた悪魔になるってまじんこ?」

「あ、そうなんですよ!今日神の敵対者(サタン)になってきます!ただの天使だった時からずっとウルベルトさんに勧めてもらってたんですけど、ようやくこれで悪魔になれます!」

 それを聞くとるし★ふぁーはスゥ――と息を吸った。

「うんじゃあ行かせなーい!!」

 耳がキンキンする程の大声量だった。

「えっ!?」

「オラァ!!フラミーさんこいつを食らえ!!山河社稷図!!」

 るし★ふぁーが世界級(ワールド)アイテムを広げると辺りの景色は美しい花畑になった。

 このアイテムは簡単に言えば使用者含む相手を隔離空間に閉じ込める物だ。空間は全部で百種類の中から所有者が選択することができる。

 そして、異空間から脱出されると所持権限が相手に移ってしまうと言う特性を持つ。このアイテムは以前ギルド、アインズ・ウール・ゴウンが敵対ギルドからその方法で奪っており、返してほしいとの連絡が後を絶たなかった。

 フラミーは後にスレイン法国の従属神に向かって山河社稷図を使用した時、この日のことを少しだけ思い出したらしい。

 

 山河社稷図はそこにいた全てを飲み込んだ為、花畑には棒立ちのNPC――男性使用人や一般メイド達があちらこちらに立っていた。

「るし★ふぁーさん!勝手に世界級(ワールド)アイテムなんて持ち出して、またモモンガさんに怒られますよぉ!」

「フラミーさん、俺らルシファー仲間の天使仲間じゃん!この世にルシファーを広めて世界中をルシファーで埋め尽くそうって誓い合った事を忘れたとは言わせないですよ!」

 るし★ふぁーの周りを黒い星が煌めくエフェクトが舞う。

「忘れるも何もそんなこと誓ったことないですよぉ!」

 フラミーがひーんと困った声を上げて泣いたアイコンを出していると、伝言(メッセージ)が届いた。

「――はひ。あ、師匠!遅くなってすみません。大丈夫ですよ!ただ…今第九階層にいたんですけど、なんかるし★ふぁーさんが山河社稷図広げちゃって…。」

「師匠?…――あ!フラミーさん、ウルベルトさんが来たりしたら俺怒られちゃうからやめてよ!!」

「やめてってこっちのセリフですよぉ!」

「やーだよ!俺は神の敵対者(サタン)なんて反対だからね〜!光をもたらす者(ルシフェル)のままで良いじゃん!」

「もー!サタンもルシファーも同じものなんだから良いじゃないですかー!」

「同じじゃないっすよ!天使は天使同士仲良くしましょうや!!」

 二人が花畑でわちゃわちゃしていると、花畑の端に続々と人影が現れた。

 

「るし★ふぁー!出かけるってのに何邪魔してくれてんだよ!ったくフラミーも早く連絡すりゃいいのに!」

 ウルベルトの叱るような声にフラミーは泣いてるアイコンを出して応えた。

「皆さんお待たせして本当ごめんなさぁい。」

「ははは、フラミーさんは悪くないと思いますよ。おはようございます。」モモンガはいつもの優しい声で手を上げてそう言うと、汗のアイコンを出して厄介な男に続けた。「それにしても…るし★ふぁーさん勝手に世界級(ワールド)アイテム持ち出していい加減にしてくださいよ!」

 

「やっほーフララおはー。」

「るし★ふぁーさんに目を付けられてたとはね。僕たちが迎えに行くべきだったね。」

 ぶくぶく茶釜とやまいこの言葉が続いた。

 

「モモンガさん、そろそろるし★ふぁーさんは宝物殿出禁にした方がいいんじゃないですか?」

 ぷにっと萌えが大きな帽子のツバを人差し指で退けて、るし★ふぁーを見ると、タブラ・スマラグディナも肯いた。

「こないだなんて勝手に最強のゴキブリを作っていましたしねぇ。もう追い出しますか?なんて、ふふふ。」

熱素石(カロリックストーン)をメインコアにした最強ゴーレム作りたいですし、るし★ふぁーさんの力は必要ですよ。」

 ぬーぼーの主張に「確かにそれはそうですね」と知恵ある二人が言うと、知恵なきバードマンがフラミーに手を振った。

「おっ!フラミーさんついにキラキラエフェクト買ったんだ!ね?ね?早く買えば良かったっしょー!」

 

 ウルベルト、モモンガ、ぶくぶく茶釜、やまいこ、ぷにっと萌え、タブラ・スマラグディナ、ぬーぼー、ペロロンチーノは花畑の真ん中にいるるし★ふぁーとフラミーに向かった。

 

「ほら、るし★ふぁーさん早くこれ解いて宝物殿に返してください!」

 モモンガがそう言うとるし★ふぁーはフラミーの腕を掴んで飛び上がった。

「返して欲しくば出口を探すのだ!ふふふふ!フラミーさん逃げるぞっ!」

「っえ?に、逃げ?」

「そら!早く!!悪の集団が来るぞぉ!!」

 そう言うとフラミーを引っ張り飛び去った。

「っあ!るし★ふぁー待ちやがれ!」

 それを追ってウルベルトがビュンと飛ぶと、モモンガは背を見送った。

「は〜今日フラミーさん種族変更できない気がしますね。皆さん、出口を探しましょうか。」

 モモンガの言葉に全員が賛成、と声を上げた。

 

 その後中々脱出路が見付からず、フラミーの種族変更は翌日へと持ち越された。

 翌日には宝物殿にたっちみーが仁王立ちし、フラミーは無事に堕天した。

 

+

 

 アインズとフラミーが杖を抜くと、天井近いところに設置されている柱飾りのガーゴイルが動き出し、ズンッと降りて来た。

「本当にるし★ふぁーさんて奴は!!」

「ズアちゃん、ナインズを!!」

 パンドラズ・アクターがナインズを抱き上げると、支配者達はガーゴイルに向かった。




結構41人やプレイヤー出てきて欲しいと言うお話をいただき思い出話(°▽°)

次回#82 外伝 大災厄の魔

ユズリハ様に過去のフラミー様と、本編現在フラミー様いただきました!

【挿絵表示】

それから、骨ンズ様と始原の人ンズ様も!

【挿絵表示】


+

御身が前半にうとうとしてる時に見た世にも奇妙な夢を書きました( ・∇・)導入が同じなので貼ります。
https://syosetu.org/novel/195580/37.html


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#82 外伝 大災厄の魔

「アインズ・ウール・ゴウンの糞悪魔共があ!!」

 仲間が死に絶え、ウルズの泉にぷかりと浮かんでいる中、動かぬ体で鎧姿の男は必死に水から顔を出して叫んだ。

 

「光栄なセリフですが、名前ぐらいは覚えていただきたいところです。」

 ニヤリと口元を歪めたような声色の山羊頭は、マントを翻し、シルクハットを軽く上げた。

「私は大災厄の魔。ウルベルト・アレイン・オードルです。以後お見知り置きを。さぁ、では――死んでください。」

「っくそーー!!」

 ボッと灯った黒い炎の中に男が消えると、ウルベルトは男が死とともに落とした腕輪をひょいと泉から拾い上げた。

「――よっしゃ。おーい、フラミー。そっちはどうだ。」

 魔皇ごっこを終えたウルベルトは爽やかに声をかけた。

 すると、周りの死体の山から三対の翼を持つ紫色の悪魔も立ち上がった。

 死体の山は復活地点へ行くために次々と消え、二人の立つ場所は地獄の水場から、鏡のように空を映す美しい泉に戻った。

「師匠ー!大漁ですよー!」

 まるで悪魔らしくない翼を背負うフラミーは笑ったようだった。

 ウルベルトはフラミーと共に泉から上がり、今日PKした者達が落とした装備やアイテムを並べて二人で眺めた。

 ぷにっと萌え直伝の囮りを配置する事で、異形種狩りをする者達を誘き出す作戦にまんまと嵌った者達はフラミーを手に掛けようとしたが、結果はご覧の通りだ。

「これとこれとこれ売りゃ随分儲かるんじゃねーか?」

「ふふ、たくさんお金が手に入ったら、私モモンガさんから前に貰ったネックレスのお礼に何か買ってあげたいです!」

「おーおーそうかい。モモンガさんがねぇ。」

 ウルベルトはフラミーの首にかかる長いネックレスを眺め、初めて聞いた情報を心のメモに書き留めた。

「最近装備揃えてモモンガさんも金欠だって言ってたし、物より金のままの方が喜ぶかもな。」

「え?モモンガさん、金欠なんですか?」

「そーそー。モモンガさんもそのネックレスをドロップした時にフラミーにあげるんじゃなくて売ればもうすこし貧乏じゃなかったろうになー。」

 ウルベルトはアイテムを無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に詰め込み笑った。

「――どうかしたか?」

 アバターは表情は変わらないが、フラミーが何も言わなかったのが気になりウルベルトは顔を上げた。

「あ、いえ!なんでもないです!じゃ、帰りましょっか。」

「そうだな。あいつらがこれを取り戻しに来る前にとにかくヘルヘイムに戻るか。」

 二人は世界を渡る門へ向かって歩いた。

 ユグドラシルはアースガルズ、ミズガルズ、ヨトゥンヘイム、ヘルヘイムなどの‪九つの世界を内包する巨大な木だ。

 ナザリック地下大墳墓はヘルヘイムのグレンデラ沼地に存在している。

 

 二人は作り物の世界を進んだ。

 

「あの人たち、ちょっと可哀想でしたね。」

「いいんだって。罠には嵌めたけど、先に手を出したのはあっちなんだから気にすんなよ。」

 作り物の夕日が落ちていく中、ウルベルトは気にしいのフラミーにそう言って笑顔のアイコンを出した。

「それにどうせ俺たちがやらなくってもあのレベルじゃ虹の橋(ビフレスト)を渡れやしなかったんだから。」

 あのプレイヤー達が向かう先にいる門番姿のモンスターの強さは相当な物だ。

「それに、――この世は不公平なんだよ…。ムカつくほどにな。」

 フラミーはウルベルトのアバターの顔をじっと見た。

「ウルベルトさん、怒ってるんですか?」

「怒ってるように見えんの?」

「うん。ずっと怒ってます。」

「ま、確かに生きててムカつかない事なんて少ないけどな。」

 ウルベルトは寂しそうに告げた。

「私はムカつく事なんて殆どないですよ。」

「お前はもう少しムカついたほうが良いよ。こないだのるし★ふぁーだって普通は相当ムカつくだろ。種族変更遅くなったし。」

「はは、皆に本当申し訳なかったです。」

「はぁ。全くどんな風に育ったらそんな感じになれるんだかね。お前、両親に死ぬほど可愛がられて育ったタイプだろ。」

 フラミー――村瀬文香は一人で暮らす小さな兎小屋のようなたった三畳の部屋と、小学校中退前まで暮らしていた孤児院の大部屋を思い浮かべると困ったように笑った。

 布団を敷くといっぱいいっぱいになってしまう収納もない部屋には壁から壁に紐を通していて、それに服が掛けられている。動線は確保されているがさながら暖簾のような状態だ。

 村瀬の部屋は直立で入るスチームバスと、小さな手洗い、一口のコンロでできている。ちなみに洗濯機はない。

 綺麗な水が非常に貴重な為、今の時代洗濯機を持っている人も少なかった。三日に一度コインランドリーに行って服を綺麗にすると、部屋に通してある紐に掛けた。

 村瀬のユグドラシルをプレイする為のフルダイブシステムは人のお下がりだ。安く譲って貰った。とても高価でフルプライスの購入はできない。世話になっていた孤児院に毎月借金の返済もしているため村瀬の生活はギリギリだった。

 

「私、捨て子だから。社会が生かしてくれたようなものですし、何て言うか、息してるだけで奇跡ですから、何だって有難いんです!」

 両親を仕事場で亡くしたウルベルトは胸が苦しくなった。両親の遺骨すら返してもらえず、端金を見舞金として叩き付けられた男は、勝ち組も社会そのものも、強烈なまでの憎悪の対象だ。

「――何?そんなの聞いた事ないぞ。」

「聞かれなかったですもん。」

「いや…悪かった。そうか…。」

 ウルベルトはふーむ、と声を漏らした。

 ずっと自分は、フラミーの何がこんなに気になって、構いたくて堪らないのかよく分からなかったが――ウルベルトは自分の鼻は随分効くものだと全てに納得した。

「――なぁ、フラミー。この世界は生まれた段階で二極化されすぎてるって思うだろ。なんだよ、この不公平な世界はって。」

「どうかな。私にはあんまり…難しいことはよく分かりません。多分、恵まれてるから。ほら、努力してちゃんと暮らせちゃったりしてて。」

「…努力すれば上に行けるなんてデマを信じる奴なんかお前以外にはいないさ。お前もそのままじゃ使い潰されるぜ。」

 フラミーはぷるぷると動かないアバターの顔を振った。

「私、小学校卒業する前に孤児院出ることになっちゃったんですけど――えっと、生涯年収の試算で孤児院に返す養育費を稼げないだろうって。それで、ずっとガスマスクの部品工場で働いて、労働者用アパルトマンに十人とかで暮らしてたんですけど…。今は初めての自分の為のお家がありますから、やっぱり努力して何とか上手くいってるんです。ふふ、ウルベルトさんには申し訳ないくらい、恵まれてるのかも。」

 フラミーの語る「恵まれた私」の生活はどん底だった。

「…お前、人生諦めてんだろ。」

「そんな事ないですよ。いつか可愛いお嫁さんになって、二つくらい、ちょっと重なっててもお布団を敷けるような広いお家で、一人でも子供を産んで…家族に囲まれて…それで…たまに外食したりしたいですもん。」

「そんな当たり前の事を――!!」ウルベルトが苛立ち叫ぶと、フラミーのアバターは無表情のまま肩を揺らした。流石のウルベルトの家も布団二枚くらいは敷ける。

 そんな当たり前の事を夢として語らせる社会への怒りはウルベルトの胸を焼いた。

「師匠、あの…怒んないでください。」

「馬鹿野郎が。」

 二人はその後何も言わずにヘルヘイムに戻った。

 

 ヘルヘイムにつき次第、ナザリックへ転移して帰ると、フラミーはふらふらと円卓の間へ向かい、ウルベルトも何となくその後を追った。

「モモンガさーん。いますかー?」

 扉を開けると中にはモモンガの他にヘロヘロがいた。

「ん?フラミーさんどうしました?あ、ウルベルトさんお疲れ様です。」

「ん。お疲れ様っす。ヘロヘロさんも。」

「ど、どうも〜。」

 ウルベルトの不機嫌オーラに、仕事の愚痴をモモンガに聞かせていたヘロヘロは一度黙った。

「モモンガさん、金欠だってウルベルトさんに聞きましたよ!」

「はは。聞いちゃいました?すっからかんになっちゃいました。ポーション一本買えない貧民ですよ〜。」

 もちろんモモンガはアンデッドの為ポーションは使わないが。

 

 フラミーは「あら〜」と言いながら、手を差し出した。

 アイテム受け渡しモーションだ。何だろうかとその下に手を出し、受け取りモーションにするとモモンガの手の中にはつい最近あげたばかりのネックレスが戻っていた。

 一週間掛けてドロップさせたそのネックレスは「たまたま落としたけどいらないから上げる」と渡したものだった。

「ん!?」

「ね、モモンガさん。良かったらこれ売って足しにして下さい!頂いた物なのにこれしかお渡しできなくて申し訳ないんですけど…。」

「え?良いんですか?」

「はい!私、他に大して価値のある装備持ってなくって…。せっかくモモンガさんがドロップさせた物ですし。」

 鈴木は少し迷ったが、それを返してもらった。

 助け合いの精神が嬉しかった。

「ありがとうございます。俺大事にしますよ。」

「えへ?大事にって、モモンガさん。それちゃんと売って足しにするんですよ!」

「はは。大事に売ります。」

「なんですかぁそれ。ははは。」フラミーが笑うとウルベルトは特大のため息を吐いた。「――あ、いけない。私そろそろ落ちないと。」

「はーい、お疲れ様でした。フラミーさん、本当これありがとうございます。」

「いいえ!モモンガさんもお疲れ様でした。師匠も今日はありがとうございました!ヘロヘロさんもまた明日ー!」

 ウルベルトは手だけ振って消えるアバターを見送った。

 

「フラミーさん、最近転職したって言ってたし夜落ちるの早くなりましたね。朝の早い仕事なのかな?」

 ヘロヘロは良いなぁとずるずるの体でテーブルに伏した。

「何?そうなんすか?」

「そうですよ〜。ウルベルトさん知らなかったんですか?あ〜フラミーさん見習って転職しようかなぁ…。」

「…あいつ聞かなきゃ何にも言わねーんだもん。」

 ウルベルトはドサリと椅子に座り膝を組んだ。

 モモンガもアバターの体で頬杖をつくと続けた。

「フラミーさんは少し秘密主義なところもありますしね。」

「…モモンガさんはいっつもフラミーと仲良くしてるじゃないですか。フラミー通のイメージありますよ。」

「えぇ…?俺がですか…?ウルベルトさんと茶釜さんほど知らないですよ。」

「どーだかね。」

 ウルベルトはさっきの話は流石に自分しか知らないよな、と考えるとちらりとモモンガを伺った。

「モモンガさんとヘロヘロさんさ、フラミーは多分親に溺愛されたタイプだって思いません?」

「あー。いっつも楽しそうですもんねぇ。本当羨ましいですよ〜。きっと良いとこのお嬢さんなんでしょうねぇ。」

 ヘロヘロが笑うと、モモンガは数度言い淀み「どうでしょう」と困ったように答え、続けた。

「俺は苦労してる人だと思いますよ。だから、あんまり本人にはそれ、言わないであげて下さい。」

 その口調は全てを知っているようで、ウルベルトの苛立ちは心の中で再びもやりと動いた。

 

 その後一頻り世間話をすると悪魔は挨拶を交わして現実の世界へ帰った。

 

 首の後ろからコネクターをブツッと抜くとしばらくそれを見つめた。

「……俺がくそったれな世界を変えてやるよ、フラミー…。」

 

+

 

 村瀬は小さな部屋に三つ折りにして寄せてあった布団を広げると毛布に包まった。 

「当たり前の事…かぁ。皆そんな風に育ったのかなぁ。」

 そう呟くと今日のウルベルトの事を思い出した。

「…皆偉いなぁ。私も早く人並みになれるように頑張らないと…はぁ。」

 目を閉じた村瀬はそう決めると、数日死ぬ気で必死になって働いた。

 特別、だからと言って生活は何も変わらなかったが――しかし、モモンガにネックレスを返した事も忘れるほどに打ち込んだ。

 まだ先の未来、別の世界でそれを返される日が来ることなど思いもせずに。




ウルベルトさん…(´・ω・`)

次回#83 外伝 死の支配者

フラミーさん、泥舟に乗り換えた程度って言ってたもんなぁ…。
> 「フラミーさんは絶対帰りたいと思ってました。最近仕事順調って言ってましたし。」
> 「あ、うーん。順調は順調でも、今まで泥の中歩いてた感じから泥舟に乗り換えれた程度なので…正直、孤児院育ちの私はここで生活していけたらいいなーなんて、思っちゃったりして。」


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#83 外伝 死の支配者

 モモンガは土曜の早朝にログインすると、誰かログインしているか確認しようとコンソールを開いた。

「ん?結構いるな。」

 そこには恐らくまだ"真夜中の時間"を過ごしているであろうペロロンチーノ、ウルベルト、フラミーがいた。

 モモンガは伝言(メッセージ)ではなく、ギルド用チャットに文字を送った。

 

Guild CHAT / Ainz Ooal Gown


モモンガ:おはようございます。皆さん随分夜更かしですね。

フラミー:おはようございます!モモンガさんは早起きさんですね。

ウルベル:お疲れさまです。今釣りしてますよ。

ペロロン:こんばんみー。すぐ外の沼ですよ!


モモンガ: l

 

 モモンガはそれを読むとすぐにナザリック地表部へ移動した。

 地表部を出ると、大湿地帯である”紫毒の沼地”が広がっている。そこはグレンデラ沼地の奥地。まわりは毒耐性型ツヴェークたちの巨大な根城となっている。

 そんな爽やかさを一つも感じない場所で三人は座り、毒沼に竿を下ろしていた。その周りにはぼんやりと輝きのドームが出来ている。<生命拒否の繭(アンティ・ライフ・コクーン)>だ。ツヴェークにちょっかいを出されない為の処置だろう。

「おはようございまーす。フラミーさんがオールなんて珍しくないですか?」

「モモンガさんおはようございます!私も実はさっき起きてインしたんですよー!」

「あぁ、じゃあオールは――」

「「俺たちだけー。」」

 ペロロンチーノとウルベルトは声を揃えて答えた。

「お二人よく保ちますね〜。俺最近オールきつくなってきました、はは。」

「いやーでもそろそろ俺たちも落ちようって話してたところだったんですよー。」

 そう言うウルベルトはふぁあ…と眠そうな声を上げた。

「眠くて眠くてかないませんねぇ…。モモンガしゃん、昨日用事があるから早く寝るって言ってたけどインして平気なんですか?」

「いえ、俺もすぐ落ちます。ちょっと様子見に来ただけでした。」

「ははは、廃人ですね。そんじゃ、釣った魚達あまのまさんの部屋と厨房に置いておちますわ。」

 ウルベルトは釣りモーションを終了させそう言った。

 あまのまひとつは鍛冶仕事をする時は験を担いで、バフ効果のある食事をよく食べるためにこうしてギルメンも暇を持て余すと食材の調達を手伝ったりする。物の製作を頼むと快く引き受けてくれる彼の為に皆小さいながらの恩返しだ。当然製作を頼む時には必要素材や金貨は全て用意して渡すのだが。

 ちなみに、彼の徒弟と言う設定を受けている鍛冶長が後に命を持った時に、師であるあまのまひとつを真似て同じように食事をガッツリと取るようになるのだが――それを知る者は今は一人としていないだろう。鍛冶長は毎朝仕事前にバフ効果のある食事を取り、必死になってアインズやフラミー、ナインズ、ナザリックの為に様々なものを作るのだった。

 

「俺っちももう寝まーす。ウルベルトさんこの魚もあまのまさんの部屋に持ってっといて下さい。」

 ペロロンチーノは手を差し出し、受け渡しモーションをしウルベルトはそれを受け取った。

「はいよ。じゃ、フラミーもお疲れ。また昼に来るよ。」

「はーい!お疲れ様でした。」

 二人は数度手を振るとナザリックに消えて行った。

 モモンガは未だ釣竿を下ろすフラミーの隣に座ると釣りモーションを起動した。

「フラミーさんは今日は一日ユグドラシルですか?」

「今のところそんな予定です。もしかしたら仕事に呼ばれちゃうかもしれないんですけどね。」

「あらら。」

 泣き顔のモーションを出すフラミーを見ているとモモンガの竿はクンッと動いた。

「お、釣れたかな。」キリキリと巻いていくと突然竿のしなりは失われた。

 引き上げた釣り糸はご丁寧にエサだけなくなっていた。

「――逃げられました…。」

「はは、残念。仕方ないですよ。私達釣竿のレベル最低ですもん。さっきもね、全然釣れなくてつまんないねーって三人で言ってたんですよぉ。」

「ははは。そうでしたか。」

 二人は肩を並べて笑い合った。

「釣れない釣りなんてやめてどこかに行きます?あ、でもモモンガさんもすぐに落ちるんでしたっけ?」

「いえ、すぐって言ってもまだ後一時間はありますから――もう少し俺たちでも釣れそうな場所にでも行きますか?」

「ふふ、レベルの低いお魚のいる場所探しましょうか。」

「アースガルズとヨトゥンヘイムの間にあるイヴィング川とかどうです?」

「良いですね!あの辺りは景色も綺麗ですし!」

 乗り気なフラミーに頷き、モモンガは手を差し伸ばした。

 差し出された手はすぐに取られ、モモンガは唱える。

「<上位転移(グレーターテレポーテーション)>。」

 転移した先は世界を渡る門――世界転移門(ワールドゲート)の目の前だ。

「今日のモモンガさんの用事ってお仕事ですか?」

「ん?いえ、ちょっと、ね。はは。なんていうか…今日、母親の命日なんです。だから、この後お墓参りに行こうかなって。」

 フラミーはそれを聞くと動かない顔で申し訳なさそうにした。

「あ、すみません…。」

「いえいえ、詳しくお話しした事無かったですけど、もう随分昔の話なんですよ。お墓も行きはするんですけど、あんまり管理されてないみたいな集合墓地で何百人って中に一緒に埋まってるんです。俺、行くたびに思うんですよね。あそこに俺の母親はもういないんだろうなって。」

 それは、魂の居所であるとかそう言う話ではなく、古い遺骨――場所を取らないように骨粉にされているが、粉でも皆遺骨と呼んでいる――は捨てられているだろうと言うのがモモンガの推測だった。無尽蔵に死者を迎える市営の墓地は以前遺骨の無断廃棄で問題になった事もある。

 

 二人が世界転移門(ワールドゲート)を潜ると、その先には雪原が広がっていた。ヨトゥンヘイムだ。

 ヨトゥンと呼ばれる巨人族が歩いているのを尻目に、今度はフラミーが転移門(ゲート)を開いた。

 フラミーもモモンガがしたように手を差し伸べた。ただ、転移門(ゲート)なので手を繋ぐ意味は無い。

「私もそうだと思いますよ。きっと、モモンガさんのお母さんはもっと綺麗で素敵な所にいるって。」

 モモンガはフラミーのその言葉を聞くと一瞬止まり、何の感触もないその手の上に骨の手を重ねた。

「――ありがとうございます。」

 微笑みに固定されたフラミーの顔に頭を下げ、転移門(ゲート)を潜った。

 雪の上にサクサクと足跡が二つ。

 モモンガはいつもはすぐに離される手をしばらく繋いだまま見つめた。感触がないため、そうしておくのは少し難しい。

「フラミーさんってたまに大人だなって思います。」

「ふふ、私はモモンガさんよりずっとお姉さんです。」

 得意げにそう言う動かぬ顔を眺めたモモンガはくすりと笑った。

「フラミーさん、俺の方が少しお兄さんですよ。」

 笑い返してくるフラミーとイヴィング川に着く。

 二人は釣りモーションを起動した。川の向こうに広がるアースガルズには虹の橋(ビフレスト)が見えたり、輝くように波打つ美しい草原が広がっていた。

「綺麗。モモンガさん、きっと、こんな所ですよ。」

「うん、そうですよね。良い母さんでしたから…きっと、天国行ったろうな。」

 柄にも無く天国などと信じてもいない場所を口にしたモモンガは優しく働き者だった母を少し思い出した。

「――さて、釣れるかなぁ!」

 意気込み、とりゃっと竿を振る姿に負けじとフラミーも竿を振った。

「どっちが先に釣れるか競争ですよ!」

 

 二人はしばらく釣れかけては逃げられてを繰り返した。

「ここでも釣れないですね〜。」

「ウルベルトさん達は割と良い釣竿買ってますもんね。俺たちの初期の竿じゃだめかなぁ。」

 二人は肩を落とした。

 すると、ズンッズンッと視界が揺れた。

「おりょ?」

「なんだ?」

 振り返る二人の後ろにはフロスト・エンシャント・ドラゴン。

 鈴木悟の背には冷や汗が流れた。

「や、やばい。フラミーさんと二人じゃ前衛が――!」

 慌てて釣りモーションを切るとフロスト・エンシャント・ドラゴンは二人に向けて咆哮した。

 (ドラゴン)という存在はユグドラシルでも最強の敵に数えられる種族だ。高い物理攻撃力に物理防御力、底知れない体力。更には保有する無数の特殊能力や行使する魔法。

 それはまさに優遇されすぎだろうと悪態を吐きたくなるほどのレベルだった。

「フラミーさん!逃げ――」ましょう、と言おうとしているとフラミーはモモンガにバフをかけ始めていた。

「でっかいの釣れましたね!」

 ドラゴンが急接近してくると、モモンガは豪快なフラミーのセリフに頷き、何十とあるバフをかけ始めた。

 

「<鈍足(スロー)>!<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)不浄の場(フィールドアンクリーン)>!」

 フラミーからドラゴンに魔法が飛ぶと、ドラゴンはフラミーをロックオンした。

 モモンガが掛けたいバフはまだ終わっていない。

 フラミーはひゅるりとモモンガと別の方向へ向かって飛んで行った。

 振り向きざまに数発の攻撃魔法と、機雷型の攻撃魔法を展開した。

「フラミーさん!無理はしないで下さい!!」

 せっかく神の敵対者(サタン)に種族変更が叶ったと言うのにここで死なせてしまってデスペナルティで五レベルも失うことになっては可哀想だ。死亡は装備アイテムを一つドロップしてしまうし、ドラゴンはそう言うアイテムを回収するという最悪の習性まである。

 しかし、戦うのなら負けるつもりはない。

 

「<第十位階天使召喚(サモン・エンジェル・10th)>!」

 フラミーの前に熾天使が現れると同時に、ドラゴンがブレスを吐き出す前のモーションに入る。

 モモンガは急ぎ手を差し伸ばした。

「<心臓掌握(グラスプ・ハート)>!!」

 手の中で心臓が握り潰されるエフェクトが出るとドラゴンは朦朧状態になりグゥゥゥ――と唸った。

「<朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)>!」

 フラミーから放たれた紅蓮の炎がドラゴンを包む。

 その瞬間鱗は煌めき、熱への耐性を上げるスキルが発動した事を二人に教えた。

「ドラゴニックスキンか!<魔力の精髄(マナ・エッセンス)>、<生命の真髄(ライフ・エッセンス)>!」

 モモンガはドラゴンの体力、フラミーの魔力を確認しながら次の手を考える。

 ひとつの考えに至ったところで、モモンガに猛スピードで巨大な尾が迫った。

 モモンガを守ろうとしたフラミーの熾天使ごと吹き飛ばされ、スタン効果がかかり操作不能に陥った。通称ぴよぴよだ。

「わ、大丈夫ですか!<生命の真髄(ライフ・エッセンス)>!」

「まだまだ体力はありますよ〜!」

 動かない体からはモモンガの元気な声が響いた。

「ひー、私の天使って本当に弱い!」

「まぁまぁ、これからフラミーさんも強くなりますからね!」

 そう言うモモンガはどうやって戦うべきか道順を整理し終わり、動き出したアバターで笑顔のアイコンを出した。

「それより、アレでいきましょう!」

「アレ――アレ使っちゃって良いんですか!?」

「良いですよ!フラミーさんが殺されない為なら使います!」

 ドラゴンが手を振り上げるのを見ると、フラミーはうなずいた。

「ありがとうございます!<生命力持続回復(リジェネート)>。」

「こちらこそ!」

 フラミーから届いたのはアンデッドですら徐々に体力を回復させる魔法だ。

 

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)重力渦(グラビティメイルシュトローム)>!」

 ドラゴンクローが迫る中、モモンガから放たれた漆黒の球体がその爪にぶつかった。よろけるドラゴンの周りにはフラミーが用意した<浮遊大機雷(フローティング・マスター・マイン)>があり、数歩ズンズンと引き下がると同時に接触して弾けた。

「グオオォォォォオン!!」

 ヘイト値が上がっていくとドラゴンは二人を睨みつけた。

 よくできている。まるで生きているようだ。

「もう一押し!<魔法三重再強化(トリプレットマキシマイズマジック)現断(リアリティスラッシュ)>!!」

 フロスト・エンシャント・ドラゴンはヘイト値が一定数上がる度に致死の吐息(リーサルブレス)を吐こうとする。

 ドラゴンはモモンガの魔法に強い怒りを発露させ、再びのブレスを吐き出す前のモーションを見せた。

 

 ――ここだ!

 

 二人の頭に同じ言葉が浮かぶ。

「<力の聖域(フォース・サンクチュアリ)>。モモンガさん!」

 二人を白色の光――魔力による障壁が包み込む。こちらから攻撃できない代わりに、相手の攻撃も遮断する絶対防壁。

 ブレスが二人を襲うと同時にモモンガは百時間に一度しか使用できない特殊技術(スキル)を即死魔法である<嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)>と共に発動させた。

 

――あらゆる生ある者の目指すところは死である(The goal of all life is death)

 

 瞬間モモンガの背後に時計が浮かび上がった。

 激しいブレスが二人の前の障壁に襲いかかる中、カツン、カツン――と時を刻む時計が進む。

 自分を見上げるフラミーにモモンガは笑顔アイコンを出した。

「はぁ、なんとかなりそうで良かったです。」

「モモンガさんって本当にすごいです!でも、百時間はナザリック出ないで下さいね、危ないですよ。」

「ははは、百時間かぁ。そしたら――」モモンガはどうしようかなと考え、何となく、一番今モモンガが楽しいと思えそうな遊びを口にした。「――フラミーさん、第六階層で一緒に釣りしてくれます?」

「します!しましょう!」

 二人が和やかに笑っているとブレスの終了とともに障壁が砕け、モモンガの背の時計はゴーーンと時を知らせる音を鳴らした。

 

 フロスト・エンシャント・ドラゴンは死んだ。

 

 二人は笑顔モーションを出しパチンっと手を合わせた。

「わー!モモンガさんつよーい!」

「はは。大漁大漁。いいもの釣れたなぁ。」

「やりましたね!でも、アレ使わせちゃってすみません。」

「いいえ。ギルメンが殺されない為ならいくらでも使いますよ。任せてください。」

 モモンガの職業(クラス)である"エクリプス"は「本当の意味で死を極めた死の支配者(オーバーロード)のみがこの職業(クラス)に就き、日食の如く全ての生命を蝕む。」というものだ。

 エクリプスは極少数しか就いていない、非常に希少価値の高い職業(クラス)――故に、あの特殊技術(スキル)はモモンガの隠すべき切り札なのだ。

 

 二人はフロスト・エンシャント・ドラゴンの死体を引きずり世界転移門(ワールドゲート)に戻った。

 そしてナザリックに帰り、モモンガは出かける時間となった。

「はぁ、ログインして良かったなぁ!あまのまさん、素材にドラゴンステーキの元にきっと大喜びしますよ。」

「ふふ。二人で倒したって自慢しましょう!」

「そうですね。――じゃあ、俺はもう落ちます。」

 フラミーは笑顔のアイコンを出した。

「行ってらっしゃい。気を付けてくださいね。あ、そうだ。モモンガさんのお母さんに、ひとつお願いがあるんです。」

「ん?なんですか?」

「もし、近くに私のお母さんがいたら、毎日楽しいよって伝えてもらってください!」

 鈴木は微笑んだ。

 フラミーの親が死んでいるとは限らないが、鈴木は死んでいるといいなと思った。普通なら許されない考えだろう。しかし、事故にあって命を落としてしまったために赤ん坊のフラミーを手放したとか、そういう事情があると良いなと思わずにはいられなかった。

「任せてください。もし近くにいなくても、きっと見つけてくれますよ。すごいガッツのある人でしたから。転職もうまくいったって、伝えてもらいます。」

 

 フラミーのアバターは笑ったように見えた。

「ありがとうございます。モモンガさん。」

「いえ、俺こそ…フラミーさん。――それじゃ、また。」

 

 モモンガが消えるとフラミーは円卓の間の真ん中に鎮座ましましているドラゴンの死体にメモ帳を貼った。

 

 ――モモンガさんとフラミーでやっつけました。皆さんお好きな部位をどうぞ。




こいつらできてる(かくしん

次回#84 外伝 グルメ鍛冶師

村瀬さんのちっちゃな我が家を描きました。

【挿絵表示】

仕事で行ったアーコロジーの中で見た街路樹に感動して、落ちてる枝を拾って帰ったそうですよ。
壁にセロハンテープで貼ってありますねぇ。
ハンガーのある場所はずらっと服がかけてあるみたいです。ノレンのようだ。便宜上心の目で見て頂く仕様となっています。
ただ、扉近くと鏡の前あたりは肩幅分くらい開けてるみたいですよ!そこが彼女の動線ですね。
古い物件だけど、初めての自分だけのお家に感動して結構気に入ってるらしいですよ。
大きな海のポスターは会社の応接間に飾られてたカレンダーだそうです。素敵でずっと気に入ってて狙ってたんでしょうね。
日付は下に小さく一列に書かれているタイプだったらしく、捨てるフリして持って帰ってきたとか。折れ目が付いててもお構いなしです。
もちろん日付は切り落として飾りました。「部屋が広く見える気がする!」としばらく喜んだそうですよ。
「モモンガさん!私綺麗な海の見える部屋に住んでるんですよ!」とうっきうきで話した時は「えっ!ブルジョワですね!?」とモモンガさんもびっくりしたそうです。アーコロジーにも綺麗な海なんかあるのかなと。
「ふふふ。いいでしょう!まぁ、写真なんですけどね!」とテンション高めに聞かされた時はモモンガさんも思わず海のポスターを買うか悩んだとか。
小さな備え付けの冷蔵庫はほとんど液状食料が入ってるみたいですね。
この角度からは見えませんが、折り畳みの小さなちゃぶ台をヘッドセット、フルダイブシステムの所に出して食事は取るらしいです。
フルダイブシステムは一番安いやつですね。
椅子とセットになってたりするのもあるらしいですが、彼女は一番シンプルなやつで遊んでるみたいです。
靴下は遊んでて足が冷えないように常にあそこに置いてあるとか。
あそこが村瀬さんの普段の定位置で間違いなさそうです。トイレも近くて便利。大部屋生活では共有のトイレまで寒くて怖い廊下を通って行かなきゃいけませんでしたもんねぇ。
玄関脇に気に入った言葉や忘れちゃいけないことを書いたメモを貼っているようですが、一番手前の見えない壁にもたくさん貼られてます。
もちろん気に入った柄のカレンダーも。
結構村瀬さんなりに楽しそうですよね。良かったなぁ。


さて、昨日「三畳間」でググった方は多いんじゃないでしょうか!
私もググりましたw

草案
https://twitter.com/dreamnemri/status/1204821181813026817?s=21


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#84 外伝 グルメ鍛冶師

「よーし、やりますかねっと。」

 蟹を頭からかぶったような異形――あまのまひとつは、フロスト・エンシャント・ドラゴンの霜降りステーキを平らげ、NPCである鍛冶長の立つ炉の前でパンパンっと顔を叩いて気合を入れた。当然何の感触もない。しかし、験担ぎに腹の膨れない食事を取るあまのまひとつにとってそんな事は大した問題ではないのだ。

 あまのまひとつはモモンガとフラミーがとってきたドラゴンの骨をぽいぽいと炉に投げ込んだ。

 粉状の素材にしておいて皆が使いやすいように宝物殿に後でしまっておくのだ。

 炉に火をくべるべく、火の蜥蜴精霊(サラマンダー)達が足元に群がった。

 燃え盛る炎を眺め、意味はないが火の蜥蜴精霊(サラマンダー)の頭をちょいちょいと巨大な蟹のハサミで撫でる。

「ふんふんふーん。」

 楽しげな鼻歌を披露していると、「おはー」と声がかかりあまのまは振り向いた。

 そこには戦国時代の武将が着たような鎧に身を包む半魔巨人(ネフィリム)――武人建御雷がいた。

「お、建やんおはよー。」

「あまちゃん、早速やってんのか。」

「どう?粉にしとけば便利っしょ?」

 あまのまは熱せられてカラカラになった骨を火バサミでぽいぽいと鉢の中に移した。

「親切ぅ。俺も粉ちょっともらっていい?」

「良いよ。でもこれが第一段だから、すぐには渡せないけど。」

「かまへんかまへん。次の武器にちょろっと入れて見たいだけだから。」

「また作んの?懲りないねぇ。本当武器製作が趣味なんじゃないかと思うよ。」

 建御雷は打倒たっちみーを掲げ、たっちみーを倒すための至高の一振りを目指してあまのまひとつと良くこの場所にこもっていた。

「ふふふ。次こそ最強の刀を鍛えて見せる!」

「応援してるよ。」

 あまのまは火バサミをしまうとハンマーを取り出し、頭部の蟹の手の太い方で挟むと鉢の中に入れた骨をガンガン叩き始めた。

 体から生えている二本の人間らしい手で火鉢をしっかりと押さえる姿はさながら職人だ。

 叩くたびにダメージ量を表す数値が赤い字でピコンピコンピコンと矢継ぎ早に現れ、時にクリティカルを示すピンクの数値が混ざっていた。

「ふふふ。ドラゴンステーキの威力!見たか!」

 ノリノリのあまのまの横で建御雷はまだ積み上げられている骨を炉に放り込んで行った。

「しかしモモンガさんとフラミー二人で倒してくるなんてすげぇなぁ!俺も一緒にバカやりたかったなー!」

「本当にねぇ!フラミーさんと二人でって聞いた時はびっくりしたなぁ。一歩間違えたら全滅じゃん。」

「何言ってんだよあまちゃん。それが良いんじゃねーか。ゲームなんだし全滅も楽しみの一つだって。」

「む、それはそうか。」

 二人は豪快に笑った。

 何時間かかけてすっかり骨の粉砕が終わるとあまのまは武人建御雷に粉を一袋分けてやり、宝物殿に飛んだ。

 

 宝物殿は相変わらず雑多だった。

 粉の量は相当にあり、サンタクロースがプレゼントを入れているような袋を五つ適当に放った。袋には直接「フロスト・エンシャント・ドラゴン骨粉。ご自由に。あまのま」と書かれている。最後に蟹のイラストが付いているのが愛らしい。

 あまのまがそのまま引き返そうとすると「ちょーーっと待ったー!!」と声が響きあまのまは足を止めた。

「源次郎さん、お疲れっす。いたんですね。」

「いましたとも!俺は一昨日からずっと宝物殿整理してるんだから!」

「おぉ!モモンガさんが喜びますよ。さすがですね。」

「ふふ、それほどでも――じゃなくて、あれはなんですか。」

 源次郎はビッと今置いた袋を指差した。

「あぁ。モモンガさんとフラミーさんが取ってきたドラゴンの骨粉ですよ。粉にしとけば高位のスクロール製作とかにも使えますし、FREEですからいくらでもどうぞ。」

 あまのまが説明すると源次郎は怒りアイコンを出した。

「それは良いですけど、あんなとこじゃなくて素材はちゃんと素材用の置き場あるでしょうが。」

「えぇ…あそこまでいくと遠いし、どうせ出来たてほやほやの素材はすぐ売り切れるんだから良いじゃないですか。」

「その意識が!この宝物殿を生んでいるんですよ!!」

 源次郎がバッと腕を広げると、あまのまは宝物殿を見渡した。

(…レアリティの高い物がちゃんとしてればそれで良い気がする…。)

「今まぁ良いんじゃないって思ったでしょう。」

「………ちょっとだけ。」

 源次郎が再び怒りアイコンを出していると更なる来訪者が現れた。

「あ、あまのまさーん!」

「おや、フラミーさんどうしました?」

「源次郎さんもこんにちは!えっと、建御雷さんに聞いて来たんですけど、骨粉分けてください!」

「どうも〜。」

「あぁ。そこにありますよ。フラミーさんが素材持ち帰るなんて珍しいですね。」

 フラミーはふんふん言いながら袋を一つ開けた。

「はい!モモンガさんと二人で退治したんで記念に取っておこうかなって!」

 あまのまは源次郎と目を見合わせた。

「フラミーさんって本当モモンガさん好きですねえ。」

「そうですか?モモンガさん嫌いな人、いないと思いますよ!」

 笑顔アイコンを出すと小袋に骨粉をしまったフラミーはそれを無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまった。

「ま、それはそうですね。」

 あまのまはふむ、と頷いた。

「ねぇフラミーさん。その袋の場所どう思います。」

 様子を見ていた源次郎はずずいとフラミーに進んだ。

「袋の場所…ですか?見つけやすくって良いんじゃないですか?」

 あまのまはガッツポーズをし、源次郎は頭を抱えた。

「……見つけやすい……。」

「はひ…あの、ダメでした…?」

 フラミーがそう言うと源次郎はふるふると頭を振った。

「いえ、良いです。フロスト・エンシャント・ドラゴンの素材はしばらく見つけやすい場所に置かれるべきでした。」

「いえーい。」

 あまのまは蟹バサミをチョキチョキした。

「ふふ、可愛い。じゃ、私行きますね。あまのまさんありがとうございました!」

「いいえー。こちらこそー。」

 フラミーはぱたぱたと走って行き消えた。

「仕方ない。この辺に旬の素材置き場を作るか…。」

 源次郎はぶつぶつ呟きながら再び整理に戻って行った。

 

 あまのまもそれを見送ると円卓の間へ向かった。

「骨粉はできたしなー次は皮でもなめすか?でも皮はダメか。鎧にしたい人とローブにしたい人じゃ使い方違うもんなぁ。鱗付きで使いたい人もいるし。」

 円卓の間ではドラゴンの死体を囲み、ギルメン達がやんややんやと盛り上がっていた。

「お、あまさんお疲れ様でーす。」

「ウルベルトさんおつっすー。」

 ウルベルトの手には骨があった。当然全てを骨粉にしたわけではないので骨もまだまだある。特に形の良い物や、そのまま利用できるような部位は砕くのがもったいない為だ。

「ウルベルトさんなんか作るんすか?」

「いや!俺はこれをデミウルゴスの部屋にかざる!」

「…かざる?」

「ふふふ…悪魔の部屋にドラゴンの骨…。ウキウキするでしょ。道具箱なんかに雑多に入ってたりしたらさ。」

 よくわからないがあまのまは頷いた。

「わかる、めっちゃ、うきうき、する。」

「あまのまさん、やっべぇよそれ、どんだけ棒読みなんですか!!」

 ペロロンチーノが横槍を飛ばすと功労者のモモンガはおかしそうに笑った。

「ははは。俺は断然賛成ですよ。もっと、こっちの骨とかも飾ったほうがいいんじゃないかと思うくらい。」

 その時の骨に座する事になるなどとはつゆ知らずモモンガはあれこれとウルベルトに骨を勧めた。

「やっぱモモンガさんは話がわかるわ〜!」

「あ、モモンガさんと言えばパンドラズ・アクターの新しい軍服につけるバッチ出来ましたよ。」

「え!ありがとうございます!受け取りに行きます!」

 モモンガが立ち上がるとあまのまも立ち上がり、二人は円卓の間を後にした。

 

 再び鍛冶室に着くと、そこには武人建御雷だけでなくタブラ・スマラグディナもいた。

「おや、モモンガさん。今回はお手柄だったそうですね。」

「おー!早速もらったよ!モモンガさん!」

「タブラさん、建御雷さんお疲れ様です!実は俺は逃げる気満々だったんですけどね、だからお手柄はフラミーさんですよ!」

 挨拶を交わすモモンガを尻目に、あまのまは完成品置き場へ向かい、銀色の美しいバッヂを大きな蟹の手で取った。

「モモンガさーん、これですよー。」

「ん?ベツレヘムの星…?」

 タブラがごぽりと音を鳴らしながら首を傾げるとモモンガはベツレヘムの星を表す八芒星(オクタグラム)を受け取った。

 それは誕生したばかりのイエスの殺害に失敗したサタンが放った光。そして"偽りのしるし"を意味する物だった。

「うわーありがとうございます!これを着けてやったらようやくパンドラズ・アクターも完成ですよ!」

 感慨深いような興奮するような様子でバッヂを眺めるモモンガに、タブラは尋ねた。

「モモンガさん、なんでそれなんですか?」

「うーん…あれは俺の影――偽物の俺ですから。それにこれは――いや、何でもないです。はは、変なこと言いました。」

「いえいえ、なるほど。よくわかりました。私、少しパンドラズ・アクターが好きになりましたよ。」

「え?そうですか?はは。」

「えぇ。うまくいくと良いですね。個人的にはウルベルトさんよりモモンガさんの方が応援したいですし。」

「…ん?なんですか?」

「なんだ?ウルベルト?なんで?」

 モモンガと建御雷が首をかしげる中、あまのまはうむうむと頷いていた。

「まぁ、とにかくパンドラズ・アクターに着けてきてやったらどうですか?」

「そうですね!じゃ、俺行きます。本当ありがとうございました!」

「いいえー。またいつでもどうぞ〜。」

 モモンガが立ち去るとあまのまは巨大なハサミの付く腕で建御雷の頭を引っ掴み、タブラに顔を寄せた。

「な、なんだよ。あまちゃん。」

「タブラさん、あれはモモンガさん自覚と無自覚の狭間ですよ。」

「私もそう思います。もっともらしいこと言って。いえ、もちろんパンドラズ・アクターを自分の偽物――影武者ですかね?そうとも認識しているのは確かなんでしょうけど。」

「全然話が見えねぇな…。」

「フラミーさんなんてさっきわざわざモモンガさんと倒したドラゴンだからーって、骨粉取りに来たんですよ。」

「ほほう。これは逆にウルベルトさんを応援した方が面白いかもしれませんね。見えきってる勝負がひっくり返るところ、見てみたいですし。」

「あーわかるよ、タブラさん。俺も勝ち方の分からない、相手の手の内を戦闘中に読む戦いをしたかったんだよ。」

 建御雷が分かっているのか分かっていないのか頷くとあまのまとタブラは汗のアイコンをぴこりと出した。

 

+

 

「パンドラズ・アクター。俺の影、か。はは。」

 モモンガはそう自嘲すると白衣に身を包むパンドラズ・アクターを軍服に着せ替え、胸ポケットの下にベツレヘムの星(サタン)を着けてやった。

 それまで掛けさせていた眼鏡も外し、完成だ。

 以前、一人引退してしまった時に制作したNPCだったが、明日皆に改めて披露しよう。皆の姿を覚えさせるこの子を。

 

 後に動き出した彼が、自己すら見失うほどの苦悩を得るとも知らずに、鈴木悟は鈴木悟の影にそっとあらゆる想いを着けた。

 パンドラズ・アクターは苦しむたびにそのバッチの付けられた場所を握り締めるように抑えた。




ずあぢゃんっっ

次回 #85 外伝 魔皇の誕生

今や懐かしい鈴木の闇の凝縮体…。
三期#59 親子
> フラミーさん、フラミーさんと繰り返すあまりに哀れな自分の背中からアインズはつい目を逸らしたくなった。
> このNPCを創った時に自分(鈴木悟)の影だと自嘲したが、まさかこんな事になるなんて。


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#85 外伝 魔皇の誕生

 第六階層闇妖精(ダークエルフ)の双子に与えた巨大樹。

「フララも何かNPC作ったら?」

 ぶくぶく茶釜――ピンク色の肉棒(スライム)は突然そう言った。

 膝――と認識されてるいる辺りの曲がっているところにアウラが座っている。

「そうそう!フラちゃんより後から入った人達も作ったし、皆一人ひとつは作ってるんだよぉ!」

 餡ころもっちもちもその膝にエクレアが座っている。フリッパーをフリフリと動かし、腹話術のようにそう言った。

「そうそう。最初にモモンガさんから聞いてるだろうけど、ルールだしね!一レベルなら枠増やすための課金も大した額じゃないよ!」

 マーレを抱く半魔巨人(ネフィリム)のやまいこも笑顔アイコンを出した。

 テーブルに置かれる飾りの茶器を眺める肝心のフラミーはあまりピンと来ていないような雰囲気だ。

「ん〜そうですねぇ〜。モモンガさんとは相談したんですけど、なんか、あんまりうまく浮かばなくって。」

「ははーん、なるほどね。一般メイドや領域守護者だって何だって良いんだよ!」

「まだ地表部は専属いないしねぇ!おかえりなさいするNPCとかどうかなぁ!」

「第十階層だってアルベドは配置されてるけど、あれは第十階層の守護者なわけでもないし!」

 三人はあれこれと提案すると、声を揃えて立ち上がった。

 

「「「何を作るか決める旅に出よう!!」」」

 

+

 

「フラミーさん、ようやくNPC制作ですか〜!じゃあ、私がAI作成担当しますよ。」

 円卓の間にいたヘロヘロは笑顔のアイコンを出して柔らかそうな手を振った。その身はコールタールのように黒く、ドロドロとしている。

「わぁ、ありがとうございます!でも何を作るか決まってなくって。」

「それならメイドをお勧めしますよ。ねぇ、ク・ドゥ・グラースさん、ホワイトブリムさん!」

 ヘロヘロにそう言われた異形達は頷いた。

 この三人は四十一人いる一般メイドを三分の一づつ作った。

「やっぱり一般メイド?」

 やまいこは隅に立つ一般メイドに視線を送った。

 

「いえ、一般メイドはせっかく綺麗に四十一人揃ってるんで。フラミーさん。餡さんの作ったメイド長(ペストーニャ)の専属補佐とかどうですか。執事助手のエクレアなんて物もいるくらいですしね。」

 ク・ドゥ・グラースは餡ころもっちもちが抱っこしているペンギンを示してそう言った。

「何にしてもメイドがお勧めだよ!!メイド服は決戦兵器ですから!!」

 続けたホワイトブリムのアバターの瞳の奥にギラリと光が灯った――ように、女子四人は幻視した。

「…ホワイトブリムさんの話は長くなりそうだ。ここに弟がいなくて良かった。」

 ぶくぶく茶釜が引き気味にそういうのも仕方のない事かもしれない。彼は「メイド服が俺のジャスティス」と言うような謎の男だ。

「ああ…新しいメイドのための衣装…!フラミーさん!一緒に最強のメイド服を考えよう!うーん、どんなのがいいかな。…シンプルなメイド服もいいが、様々に装飾されたメイド服も最高だよな…。つまりはメイド服は何をしても最高だということ。メイド服こそ人類史上最高の発明だ!ビバ、メイド服!!さぁ、メイド服を作ろう!!」

 ホワイトブリムが早口に言うと、やまいこは巨大な手を顔に当ててやれやれと首を振った。

「…メイド服を作るんじゃなくてNPCを作るんだって言ってんのに…。」

 しかし、フラミーは熱心にホワイトブリムの言う事をメモした。

「メイド服は最強…と。」

「…次行こ!!次!」

 茶釜の宣言で女子は円卓の間を後にした。

 円卓の間ではしばらくメイド談義と、互いが作った一般メイドを褒め称え合うと言う紳士のスポーツが開催された。

 

「何の参考にもなんなかったねぇ。」

 餡ころもっちもちの苦笑混じりの声にフラミーは首を振った。

「いえ!ペストーニャの補佐の最強メイドって言う道がちょっと見えました!」

「…いや、メイドはやめよう。ボクはあの中にフラミーさんを送り込みたくない。個人的に。」

「やまちゃんに同感。次はまともそうな人のところ行こう。」

 やまいこは戦闘メイド(プレアデス)のユリを作った時の苦労を思い出した。

 

+

 

 叩きつけるような雪が降る第五階層。

「っくそー。また負けた。」

「建御雷さん、良い勝負でしたよ。」

「いや。たっちさん、俺はちっとも満足してませんよ。――それで、なんだっけ?フラミーのNPC製作?」

 そう言って刀を鞘に収めた武人建御雷とたっち・みーは女子四人が待っていたコキュートスの家である大白球(スノーボールアース)に入った。

「はい!何作ろうか決まらなくって。」

「フララに助言ちょうだーい。あ、メイド以外で。」

 すかさず茶釜は手をあげた。

「せっかく作るならやっぱり強さの頂点を目指したらどうだ?」

「百レベルって事ですか?」

「そうだ、フラミー。もしコキュートスに並ぶNPCを作るって言うなら俺がかわりに百レベル分課金してやってもいいぞ。」

 フラミーはぷるぷると首を振った。

「いえ!作るとしたら一レベルでも百レベルでも自分で課金しますから!」

「そうか?ま、俺から言わせればそんな所かな。たっちさんはどう思います?」

「そうですね。どこに配備するかとか、何レベルにするかとか、細かい事は取り敢えず見た目を決めてから考えるので良いと思いますよ。」

 たっち・みーはセバス・チャンを製作した時に大して設定を書き込まなかった。

 もしかしたら、NPC作成にそうこだわりを持っていないのかもしれない。

 先程のメモにフラミーは「百レベル」「とにかく作ってみる」と書き足した。

「たっちさんのセバス・チャンはそうやって作ったんですか?」

「えぇ、あまりよく考えないでボディーから作りましたよ。私は変身できる種族ならなんでも良かったんですけど、あまのまさんに格好いいベルトの基盤となるベルトの製作を頼んだら、革の黒い普通のベルトを渡されちゃいましてね。もうそれの似合う職業にさせました。年も取らせて。」

 フラミーは首を傾げた。

「ベルトって、革の黒いベルト以外にどんなのがあるんですか?」

 フラミーがメモを手に、そう聞いた瞬間、フラミー以外の全員が立ち上がった。

「よくぞ聞いてくれました!フラミーさん!私の本当に求めていた格好いいベルトと言うのは服を固定するためのベルトではなく、服の上から装着して――」

「あぁ〜!そろそろ次の人の意見も聞きに行かなきゃいけないねぇ?」

「そうそう!約束してるからさ!!えーっと、次はウルベルトさんだから!遅れると怒られちゃうなー!!」

「じゃ、ボク達はこれで!二人ともありがとう!ほら、フラミーさん行こ!」

 三人はフラミーの腕をムンズと掴むと転移した。

「やれやれ。ウルベルトさんじゃ仕方ありませんね。彼は我が儘な体質ですし。」

「そ、そうですね…。じゃ、俺もこれで――」

「いやいや、待ってください。せっかくですから、本当に格好いいベルトを――」

 

 建御雷は特撮変身ヒーローのベルトについて小一時間熱く聞かされた。

 

+

 

 ウルベルトを言い訳にした一行は第七階層を進んでいた。

「はぁ…フララ。たっちさんにベルトの話はやばいよ。」

「はぁ〜うまく脱出できて良かったねぇ〜。」

「ボクは建さんが心配だよ…。」

「ははは。でも、参考になりそうでしたよ。」

 フラミーの気楽な笑いに女子三人は絶対参考にならないと心の中で突っ込んだ。

 

 赤熱神殿に入り、ウルベルトがよく自分の魔法に加えるオリジナル詠唱を考えているデミウルゴスの玉座へ向かった。

 ウルベルトは若干気恥ずかしくなるようなロールプレイを良くするが、強さは本物であり、物理最強のワールド・チャンピオンと対になる魔法最強のワールド・ディザスターのクラスを有している。

 玉座の前に着くと、実に重々しく扉は開いた。

 

「誰ですか。無粋ですね。」

 魔皇モードのウルベルトはソファタイプの大型の玉座に座らせているデミウルゴスの隣に掛けていた。

 デミウルゴスを挟んで、反対側にはモモンガ。

 そして玉座の前に胡座をかいていた、黄金の輝きを翼から落とし続けるペロロンチーノ。

 ペロロンチーノを生贄に異界の魔王達を呼び出したような光景だった。

 

「ッゲ、姉ちゃん。」

「あ、フラミーじゃん。」

「皆さんどうしたんですか?」

「モモンガさん、ウルベルトさん、ペロロンチーノさん、こんにちはぁ。」

 フラミーが頭を下げると釣られて三人も「こんにちは〜」と頭を下げた。

 途端にほのぼのとした雰囲気だ。

「フララにそろそろNPC作ってもらおうと思ってさー。でもうまく思い浮かばないって言うから意見聞きに来てみたわけよ。」

「え!じゃあ俺めっちゃおすすめあるよ!!エロ系モンスターが足りないって思ってたんだよねー!!」

「弟、黙れ。」

 途端にペロロンチーノがしゅんとする中、ウルベルトはフラミーを手招いた。

 

「それなら丁度いいところに来たな、フラミー。見てな。」

 そういうと、ウルベルトはまるで魔法をかけるようにデミウルゴスの光沢のある赤い肌を日焼けしたような色へと変えて行く。

 同時にこめかみの辺りから生えていた、ヤギを思わせる鋭い角は吸収されるように消えていき、漆黒の巨大な翼もその背にメリメリと収納された。

 待たされていた一本の王錫は玉座のそばに浮かべられ、王が着るような真紅の豪奢なローブは赤いストライプのスーツへと着せ替えられた。

 

 デミウルゴスは大きく姿を変貌させた。

 

 そして静かに目を閉じているデミウルゴスのまぶたを上げさせた。

 そこには理知的な赤色の瞳があった。

 ウルベルトは長い爪をその目に入れ――瞳を取り出すと無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に仕舞った。

 続いてモモンガの手の中にあった二つの美しい宝石を受け取る。

「フラミー、NPCの製作は人の真似をするな。自分の相棒を作るつもりでやれ。皆そうやって唯一無二のNPCを作ってきた。」そう言いながら、輝く宝石をデミウルゴスの虚となった眼窩に納めて行った。「――どうだ?」

 フラミーは新しい瞳を与えられたデミウルゴスを覗き込んだ。

 赤熱神殿の薄暗い玉座の間を照らす、ぼうっとした光を反射させる宝石の瞳はフラミーを夢中にさせた。

「綺麗…。」

「そうだろ、お前は気にいると思ったよ。」

 ウルベルトは笑顔のアイコンを出し、デミウルゴスに丸い眼鏡を掛けてやった。

「よし、これでこいつは今度こそ完成だ。それで、他に聞きたいことは?」

「いえ!やっぱり私、もう一回自分で考えてみようと思います!」

 フラミーも笑顔のアイコンを出すと、今日一日付き合ってくれた友達三人に頭を下げた。

「皆さんありがとうございました!とっても参考になりました!私、行きますね!」

「結局殆ど参考になる人はいなかったけど、なんか一つでも参考になったなら良かったよ。」「俺の意見も参考にしてね〜。」

 ぶくぶく茶釜と、羽交い締めにされるペロロンチーノはそう言った。もちろんペロロンチーノにダメージはない。

「フラちゃんのNPC楽しみにしてるねぇ!」

 抱いているエクレアのフリッパーを振る餡ころもっちもちも笑顔のアイコンを出した。

「ボクも楽しみにしてるよ!フラミーさんならすごい素敵なの作ってくれそうだ!」

 やまいこも満足げにそう言った。

 

 フラミーは自室へ飛んで行った。

 

「じゃ、俺百レベル分課金しようかな。」

 モモンガは今月の給料は…と指折り数えた。




次回#86 外伝 ギルド加入と望み

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#86 外伝 ギルド加入と望み

 フラミーはここ数日、最古図書館(アッシュールバニパル)に詰めていた。

 その手には児童向け小説があった。

「フラミーさん。」

 その声に顔を上げると、ブルー・プラネットが大量の本を抱えていた。

「あ、こんにちは!どうぞ。」

 フラミーは自分の前に積んでいた本を軽く避けた。

 近頃の読書仲間だ。

 彼の持ってきている本は全て星空や青空、広がる海などがまとめられている写真集ばかり。第六階層に少し手を加えようかと参考資料を集めているのだ。

「ありがとうございます。どうです、NPC製作。何か浮かびそうですか?」

「浮かびそうではあるんですけど、やっぱりなんだかうまく考えられなくって。」

 フラミーはそう言って笑うと本をぱたりと閉じた。

「ふむ。邪念とかですか?そんな時は俺は自然の避難所(ネイチャーズ・シェルター)を作って第六階層で考え事をしますよ。」

 良ければお作りしましょうか、と低い優しげな声で笑った。

「ふふ、素敵ですね。作って貰っちゃおうかな。」

「いいですとも。俺も今日は第六階層に行こうと思ってましたし、行きましょうか。」

 二人は本を無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に仕舞うと第六階層に飛んだ。

 ブルー・プラネットの手掛けた美しい空の広がるそこは、リアルなんかに帰る気など失せるような素晴らしい出来栄えだ。

「<自然の避難所(ネイチャーズ・シェルター)>!」

 ブループラネットの詠唱に呼ばれ、天井の無い防空壕のようなものが現れた。

「さぁ、どうぞどうぞ。俺は湖眺めながらここで読みます。」

「ありがとうございます。ブルー・プラネットさんも、よかったらいつでも中にどうぞ!」

 フラミーはそう言うと中へ入っていった。

 空が見える以外は周りの視線が遮断されている。

 なるほど、これは考え事をするにはちょうどいい。

 フラミーはぼうっと空を眺めた。

 

+

 

「待ちなさい、そこの天使。蛙達が眠る時間にわざわざこんなところをウロついて――セラフィムの偵察ですか?」

「あ、こんにちは!セラフィムって何ですか?」

 フラミーは話しかけてきた山羊に首を傾げた。

 セラフィムとは後にギルドランク一位にまで上り詰める天使種オンリーのギルドだ。カルマ値がマイナスに振れているアインズ・ウール・ゴウンとの相性は一言で言えば最悪。

「しらばっくれてると殺しますよ。」

「むぅ…あの、まだ始めたばっかりで、よく分からないんです。ごめんなさい。」

「……そうですか。始めたばかりのプレイヤーがどうしてこんなところにいるんでしょうねぇ。」

「あ、えっと、綺麗な所を探してるんですけど…山羊さん良いところ知りませんか?」

「はぁ?綺麗な所ぉ?」

 魔皇ロールプレイに勤しんでいた山羊、ウルベルトは途端に気の抜けた声を出した。

「ユグドラシルは綺麗な景色が見れるって聞いたんで…。」

 ウルベルトはじろじろとフラミーを見た。普通にNPCがやっている店で売られている装備だ。自分で作ったわけでも強化されている訳でもなさそうで、確かに初心者のようだった。

「――ここ真っ直ぐ行って、でかい岩が見えたら右に曲がってみろ。洞窟がある。そこに入ると最奥は綺麗だぞ。多分な。」

「ありがとうございます!親切な山羊さんでよかったぁ。それじゃ、さようなら!」

「ん。二度と来るんじゃねーぞ。」

 フラミーはウルベルトの示した方に向かってたった一対の翼でふらふらと飛んだ。そのお尻には小さなウサギの尻尾。モンスター達からの敵対値を下げる魔法だ。

 綺麗な場所にいたと言うのに、もっと綺麗なものを見ようとしていたら森の奥で転移トラップを踏み、気付けば綺麗じゃない沼地にいた。

 フラミーは帰り方も何も知らなかったが、特に気にしなかった。

 

 ウルベルトはその背を見送ると、フンッと好かない種族の女を見送り、ナザリックに帰った。

 

 そして、それから一週間くらいたったある日、似たような時間に天使は現れた。

「おい、お前やっぱり偵察だろ。」

 そう声をかけると、前よりもう少しだけ装備の良くなったフラミーは困ったようにウルベルトを見た。

「あ、山羊さん。オススメの場所、敵が強くて進めなくって。ちょっと強くなったんでまたチャレンジしにきました!また通りかかっちゃってすみません…。」

「…偵察じゃないのか?当たり前だろ。お前のその装備が初心者風カモフラージュじゃないなら、行けるダンジョンじゃない。死んだらホームポイントで復活しただろ。諦めて適当に別の綺麗な場所を探せ。」

 しっしと手を振ると、フラミーは首を振った。

「いえ!私山羊さんのオススメの場所、見たいですから!」

 そう言うと、フラミーはふらふらと飛んで行った。

「何だあいつ…本当に行くのか?<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>。」

 ウルベルトもその後を追った。

 ダンジョンに入ると、フラミーは少し進み、殺された。

 そこには前よりいくらか良くなった杖が落ちていた。

「おい、大丈夫か。」

「あ、山羊さん。やっぱり山羊さんの言う通り、まだダメみたいです…。」

「…はぁ。何なんだよ。」

 ウルベルトは仕方がないので蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を取り出し、フラミーを復活させた。

「っわぁ!山羊さん!ありがとうございます!」

「仕方ねぇから奥まで連れてってやる。」そう言いウルベルトはコンソールを開いた。「ほら、パーティー申請来てるだろ。」

「どうやるんです?」

「は?お前パーティー組んだことないの?」

「す、すみません…。」

 ウルベルトは申請受諾の方法を教え、フラミーを連れてダンジョンの最奥に辿り着いた。当然パーティーは敵に与えたダメージ量で経験値が入る設定にした為フラミーには一ミリも経験値は入らなかった。

「どうだ、大して綺麗でもなんでもねぇだろ。」

 ざまーみろとリアルの顔で笑った。

「ううん、とっても綺麗です。この光るキノコも!山羊さんの魔法も、敵の魔法も、すっごくわくわくしたし!ありがとうございました!」

 フラミーがペコリと頭を下げるとウルベルトはぽかんとその様子を見た。

 そこは発光する苔が辺りを不気味な緑色に映し出し、人間大ほどもある巨大なキノコが化け物じみた影を作っている。今倒したこのダンジョンの主の死体も転がっていた。

 

「でも、山羊さんにはすっかりご迷惑おかけしちゃってすみませんでした。じゃあ、私帰りますね!」

「…お前、騙されやすいタイプだな…。」

「え?そ、そうですか?」

「まぁいいや。じゃ、外出るか。」

「山羊さんは魔法で出るんですよね。」

 ウルベルトは首をゆっくり振った。

「お前一人で出られないだろ。死んだらまた新しくした装備落とすぞ。」

「いいんですか!」

「いいよ。ほら、行くぞ。」

 ウルベルトはコンソールを開くと、獲得経験値の設定を半分づつに変えた。しかし、いくら半分づつと設定しても狩る者や狩られる者のレベルが離れすぎていると分配される経験値はそれだけ減る。つまり、雀の涙だ。

 二人は外に出ると、今度こそパーティーを解消した。

「山羊さん、ありがとうございました。」

「ん。俺はウルベルト・アレイン・オードルだ。お前は?」

「わぁ!オードルさん!私はフラミーです!」

「…ウルベルトさんって呼んで。フラミー、友達申請した。次は本当に綺麗なところに連れてってやるよ。」

 ウルベルトはリアルの顔で清々しい笑顔を作ると、フラミーは首を傾げた。

「あの、どうやるんですか?」

「…………お前友達もいねーのか!!」

 

 ウルベルトとの出会いはそんなだった。

 それから、ウルベルトはせっせとフラミーを綺麗な場所に連れていった。

 何を見せても、どんな魔法を使っても「すごい」「綺麗」「格好いい」と喜ぶフラミーと過ごす時間は悪くなかった。

 

 そしてその日は訪れる。

 

「こいつ、フラミー。いい奴だから皆さん、どうかよろしく頼みます。」

「ふ、フラミーです!よろしくお願い致します!」

 真っ白な肌の天使は三十数名いる大勢の新しい仲間にぺこりと頭を下げた。

「わぁ、天使ってヴィクティム以外で初めてだなぁ。よろしくお願いします。俺は一応ギルドマスターのモモンガです!それでは、これからギルド投票を行います!」

「いよっギルマスゥ!」「かっこいいぞぉー!」「一応じゃないでしょー!」

 野次が飛んだ。

 

 モモンガは満場一致の賛成で加わった新しい仲間にナザリックとアインズ・ウール・ゴウンのルールを説明した。

「――最後に、これはルールな訳ではないんですけど、皆一人はNPCを作るんです。フラミーさんはどんなの作りたいですか?」

「NPCかぁ!難しいですね。このキャラクター作るときも悩みましたけど、一層悩んじゃいます。」

「NPCの製作のコツは自分が欲しいものやなりたいものを思い浮かべると作りやすいですよ!メイドとか、連れ回すペットとか、魔皇とか、武人とか、ロリータ吸血鬼とか。なんて、はは。」

「欲しいものや、なりたいもの…。」

 フラミーは自分のたった一つの望みを思い浮かべ、ぷるぷると頭を振った。

「じゃ、説明は以上です。NPC作りたくなったらいつでも教えてください。」

「あ、はい!ありがとうございました!」

 

 それから何日経っても、フラミーはNPCを作ると言いに来ることはなかった。

 そうしてどんどん時は過ぎ、フラミーより後に入ったメンバーの一人がNPCを作った頃、モモンガは円卓の間にフラミーを呼んだ。

「フラミーさん、そろそろNPC作ります?もしかして遠慮してました?」

「モモンガさん。そんな事ないですよ。ただ、欲しいものを作ろうとすると、何だかうまくいかなくって。」

「あぁ〜…。俺の説明良くなかったですか?すみません。」

「あ、いえ!すごく分かりやすくって、皆さんそうしてるんだなぁって思ったんですけど…なんですけど…。」

 フラミーが困ったような声を出すと、モモンガは「あぁ」と納得の声を上げた。

「フラミーさんって、欲なさそうですもんねぇ。」

「そんな事ないですよ?すごく、欲しいものはあるんですけど…。」

「お?なんですか?」

「…家族、なんて。はは。」

 冗談めかして呟かれた言葉だったが、モモンガはそれが本当にフラミーの欲しいもののような気がした。

「フラミーさん、移動しましょう。」

「ほひ?」

 モモンガは転移門(ゲート)を開き、フラミーはその後を追った。

 

 その先は第四階層。地底湖だった。

 湿り君を帯びたゴツゴツとした岩場と、広大な湖の広がる薄暗いその階層は滅多に人は訪れない。

 ぴちょりと水滴が落ちていく音と、地底湖に沈められたガルガンチュアの周りを泳ぐ高レベルの自動湧き(POP)する魚達がたまに水面を跳ねる音だけが響く。

 そこは地底湖の名の通り地底の洞窟ではあるが、天井は三十メートルあるガルガンチュアが立ち上がっても頭が届かない程に高い。

 モモンガはフラミーと共に適当なところに腰を下ろした。

 

「ふぅ、ここならいいか。フラミーさん、一人暮らしですもんね。寂しくなる気持ちわかりますよ。俺も家族はもう一人もいないから、たまに寂しくなります。」

「そうだったんですか?」

「えぇ。人に言うような事じゃないんですけどね。狭い部屋で一人でいると本当寂しいなって思います。」

「わぁ…モモンガさん、私達一緒ですね。私も家族、一人もいないから…。でも私、家族を作ろうとしたけど、NPCで家族作ろうとすればする程、家族が何だか知らないせいで何も作れなくって。」

 そう言うフラミーの横顔をモモンガはしばらく眺めた。家族を知らないと言う彼女の言葉をモモンガは忘れることはなかった。のちにウルベルトに「フラミーは親に溺愛されて育ったと思いませんか」と言われると実に複雑そうにした。

 そして二人の家族となる子を奪われた時、アインズはNPC達に――「…この人は…私やお前達と違って少しも親を知らないんだよ…。…愛してやるって…楽しみにしていたんだ…。少しも大きくなれなかったこの子を…きっと…愛してやるって…。」――そう泣きながら語る。しかし、今のモモンガはアインズとしての苦悩を知るはずもなかった。

 

 二人は痛みを分け合うように無言の時間を過ごした。

「フラミーさん、急かしてすみませんでした。いつか家族(NPC)作れるなと思ったら教えて下さい。俺、あなたの理想のものを作れるように何でも協力しますよ。」

「モモンガさん、優しいんですね。」

「いえ、ギルドマスターとして当然ですよ。」

 後にフラミーが茶釜達とNPCを作ろうとすると、モモンガはその約束を果たす時が来たかと、ギルド拠点レベル――NPC製作枠を増やす課金の準備もするのだが――。

 

+

 

 モモンガとウルベルトの言うことを統合すると、自分だけの唯一無二の家族を作るのがベストだろう。

「ふーむ。やっぱり、NPCは私にはまだ早い気がするなぁ。」

 フラミーはブルー・プラネットの作った防空壕から空を眺め、そう呟いた。

「じゃあ、とりあえずこれでも見ますか?」

 いつの間にか入ってきていたブルー・プラネットは持って来ていた写真集を差し出した。

「あ、ありがとうございます。私もお空職人とかになろうかなぁ。」

「ふふふ、それは嬉しい限りです。是非一緒に空の美しさを追求しましょう。」

 そう笑い合いながら、二人は失われた美しい景色の写真を眺めた。

 そして、フラミーはある美しい泉の一ページで手を止めた。

 透き通り過ぎている清らかな水の中を魚が行く様子は非現実的で、本当にこれは写真だろうかと疑った。

「あぁ〜これ、本当に綺麗ですよねぇ。」

 ブルー・プラネットは横から本を覗き込んだ。

「ん、CGみたいです。」

「フラミーさん、CGなんかより世界は綺麗だったんですよ。」

「CGよりですか?」

「そうです。結局CGも絵も芸術も、全ては地球にあった美しいものの再現に過ぎないんです。」

 そう笑う人にフラミーは眩しさを感じた。

「ところで、フラミーさん。良かったら、湖の底にこの景色を一緒に作りませんか?」

「良いんですか?」

「もちろん。いつかは空も一緒に作りましょう。」

 立ち上がるブルー・プラネットの後を追い、二人はザブザブと湖に入って行った。

 水に潜るとスタミナゲージが高速で減って行く。

 ブルー・プラネットはそんなフラミーに魔法をかけ、水中で作業できるようにしてやった。

 フラミーの顔の周りにぷくりと空気の幕が出来ると、水底であれこれと水草を取り出し、フラミーに渡した。

 フラミーは先ほど見た写真を思い出しながらブルー・プラネットと共に湖底に水草を配置した。

 

 湖中に水草を植え終わるには一週間もかかった。

 

「今日もフララはブルプラさんと田植えだね〜。」

 通りがかった茶釜がそういうと、一緒にいたペロロンチーノが頷いた。

「フラミーさんがブルセラさんと田植えねぇ。」

「…ペロさん、ブルー・プラネットさんにまた怒られますよ。」

 モモンガの突っ込みを聞きペロロンチーノは愉快そうに笑った。

 

 そうして、長きに渡る水草植え作業は終わりを告げた。

 後に湖には守護者達の手によって桟橋がかかり、水上ヴィラが建てられる。フラミーは桟橋や湖畔から見るブルー・プラネットと作った水中の景色が大好きで、事あるごとにここを眺めに来るのだが、それはまだもう少し先の話だ。

 

「どうでした?」

「楽しかったです!はぁー!それに私もナザリックに関われたって感じもしました!」

「それは何よりです。俺も一人で植えずに済んで助かりましたよ。フラミーさんの色使いはすごく参考になりましたしね。」

 ブルー・プラネットは笑顔のアイコンを出した。

 

 ――その後、ついぞフラミーが家族(NPC)を作ることはなかった。

 

 ただ、彼女の執務机の右手側の引き出しの奥底には、その草案が描かれた書類が今も入っているらしい。

 それを見たことがある者はただの一人もいない。




フラミーさん、湖畔好きでよく足を浸してましたもんねぇ。
桟橋から覗いたり。

次回#87 外伝 無課金同盟

フラミーさん製作のNPCは
メフィストフェレス――魔王サタンの従者と言われた、冷獄で封印されるサタンの代行として職務をおこなう高位の悪魔。
を少し考えてましたが、デミウルゴスと被る存在になるorフラミーさんを死ぬほど甘やかす保護者的スーパー不敬警察になってしまう未来が見えた…。


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#87 外伝 無課金同盟

「モモンガさんって童貞だよね?」

 モモンガは持っていた自分の杖を落とした。

 杖はふわりとその場に浮いた。

「ペ…ペロロンチーノォ!!」

 あるべき場所にギルド武器の収まる円卓の間にモモンガの声が響く。

 そこでダラダラと過ごしていたメンバーは皆モモンガを見ていた。

「ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!!」

「えぇ…違うんですか?おかしいなぁ。」

 ペロロンチーノが鼻が鈍ったかなと首を傾げていると、ウルベルトはにひにひと怪しい笑いを漏らした。

「どうみても童貞だろ。モモンガさん、童貞隠し力もっと磨かないと。」

「ウルベルトさん…俺はそんなに童貞っぽいですか…。」

 人生史上いつでもいい人止まり、それ以上の進展を見せた事がない生粋の童貞はガクリと肩を落とした。周りのギルメン達からの生温かい慰めの言葉がさらに傷をえぐる。その場に女子達がいなかった事だけが救いだ。

 モモンガは仕事は営業職だし、別に人と話すのも何の問題もないし、顔も普通。本人は下の部類だと思っているが、中の中だろう。身長も百七十七センチと決して小さいわけでもない。身なりにもちゃんと気を使っている。

 ただ、この男。鈴木悟はとにかく鈍かった。

 一度職場の女性から食事に誘われて出かけ、普通に「おいしかったですねーじゃあまた明日ー」と割り勘で解散したら翌日女性陣から総スカンを食らったのも記憶に新しい。「二次会に誘うのが普通でしょ」だの「あの子あんなに勇気出したのに」だのと女性特有の団結力で色々言われ、反省した鈴木は「すみません…なんか俺、そう言う目で見られてるなんて思いもしなくて…」と謝りに行った所最低宣言を食らった。

 また別の話であれば、ヴァレンタインに好きですと書かれたカードの入ったチョコをサッと渡して去った人を追って「間違えてますよ!」と慌ててそれを突き返した。「危なかったですね。」と綺麗な笑みで言われた女性は帰ってから泣いたが、鈴木はそれを知らない。

 にぶちんだった。

 

「何かこう、ぷんぷん臭うんですよねぇ〜。童貞くささが。」

 ウルベルトは骸骨をじっくりと眺めた。

「…どうしたら良いんですか、それって…。」

「ほら、俺を見習って下さいよ。どうです?俺は童貞っぽいですか?」

 ウルベルトが事もなげにそう言うと、ペロロンチーノはじっと見てから答えた。

「うーん…童貞!!」

「はぁ!?俺は童貞ちゃうわ!!」

 ペロロンチーノが童貞と同定していると、円卓の間の扉が開いた。

「お?無課金同盟がまた三人揃ってる。」

 いつもの女子組を引き連れて来たぶくぶく茶釜がそう言うと、「無課金童貞ちゃうわ!!」とウルベルトは脊髄反射で答えた。

「えぇ…一体なんなんですかぁ…?」

 フラミーの引いた声にウルベルトは「あ…フラミンゴ…」と短く声を漏らすと、咳払いした。

「ンンッ、無課金同盟はもう組んでないって言ったんだよ。モモンガさん、ペロロンチーノ、行こう。」

「…ですね。」「ほほーい!」

 旧無課金同盟は円卓の間を後にした。

 

 地表部に出ると、三人は中央霊廟の屋根の上に上がった。

「フラミーさんってまじで処女膜から声出てますよね〜。」

 ペロロンチーノの発言を聞くとモモンガとウルベルトは一瞬惚け、杖をフルスイングした。

 0ptとダメージが二つ出ると二人は不機嫌そうにドサリと座った。

 ぶくぶく茶釜に後で言いつけようと決める。

「ったく。お前は童貞膜から声出てるぞ、ペロロンチーノ。」

「えぇ?童貞膜って…。俺自分で前立腺刺激したことあるんですけど尻には膜なかったですよ。」

「ったりめぇだろ!!尻に膜なんかあったらどうやってうんこすんだよ!!」

「って言うかほんとにどんなことにチャレンジしてるんだよ…ペロさん…。頭痛くなるわ…。」

「えへえへ、技術の発展は最初に軍事、次にエロと医療に使われるのだ。これはエロの偉大さを物語っている!と言うわけで俺がどんな事やってるか知りたいっすか?モモンガさん。」

「知りたくないわ!!」

 モモンガがキッパリと言い切っていると、ふと遠くで戦闘音がした。そちらを見るとチカチカと魔法が光っている。

「…ん?この辺に珍しいな。おい、ペロロンチーノ、確認しろ。」

「やれやれ、せっかく楽しいオナニストトークしようって言うのに。どっこいしょ。」

 ペロロンチーノはふざけた奴だが、爆撃の翼王とすら呼ばれるプレイヤーだ。

 製作しているシャルティア・ブラッドフォールン同様に本人のキャラクターも強さを追求し、強いスキル構築や職業(クラス)構成に多くの時間を割いて来た所謂ガチビルドである。

 超長距離弓に特化したキャラメイクは最長二キロからの攻撃すら容易だ。

 沼地は視界が開けているため、ペロロンチーノは立ち上がるとスキルを使い音のする方を確認した。

「ペロさん、どうですか?」

「また侵攻だと厄介だな。モモンガさんせっかくレベル取り戻したばっかだってのに。モモンガ玉使うようなことは避けたいな…。」

「ま、またレベルは上がりますから気にしないで下さい。それにしてもモモンガ玉って名前すっかり定着しましたね。」

 モモンガとウルベルトの真剣な声音にペロロンチーノもまた真剣にうなずいた。

「女冒険者達がツヴェーク狩りをしてます。異形にもみくちゃにされるめちゃかわ女冒険者。異種姦も胸が躍りますね。」

「…モモンガさん。こいつ、ツヴェークの群れの真ん中に落とした方がいいんじゃないすか?」

「ギルド投票しますか。俺は賛成ですよ。」

 若干の冷たさでそう話していると、ペロロンチーノは閃いたとばかりに一度スキルを解除した。

「そうだ!!モモンガさん、ウルベルトさん!!俺良いこと思いつきました!!」

「却下。」

「ろくでもないこと思い付かないで下さい。」

「あぁーん!冷たい冷たい!聞いてよ!何って聞いてよぉー!」

 いやんいやんと首を振りながらそう言う鳥にモモンガは渋々尋ねた。

「…なんですか。良いことって。」

 瞬間ペロロンチーノは真面目な調子に戻った。

「よくぞ聞いてくれました!あの冒険者達ナンパして、俺たちの童貞くささを消しましょうよ!!」

 やはりろくでもないことだった。

「…勝手にして下さい。」

「はい!じゃ、まずは俺からっすね!」

「え?――ちょ!待っ!!」

 モモンガの制止も聞かずにペロロンチーノはナザリックを飛び出して行った。

 その後には黄金の煌めきが線を引き、無駄に神々しかった。

「……行きます?」

「行きますか…。」

 一瞬で小さくなって行った背を二人も飛行(フライ)で追った。

「――ん?確かにちょっと可愛いかも…。」

「――多少可愛いっすね。」

 二人はペロロンチーノの後を追いつつ、見えてきた女子達に若干リアルの顔の頬を緩めた。

 男の全てのツボを押さえたような出立ちだ。

 一人は薄桃色の髪に真紅の瞳、ベレー帽をかぶって白いニーソを装備したきゃわきゃわロリスタイル。

 一人はオレンジの髪に丁度いい大きさの胸、露出が程よい魔法詠唱者(マジックキャスター)スタイル。

 一人は黒髪ポニーテールに碧い瞳、大きなリボンを付けた学生スタイル。

「…あれはペロさんだな。モモンガさん、どっちが良い?」

「……何乗り気になってんですか。」

 ウルベルトはそれを無視して再び尋ねた。

「どっち?」

「…俺はこっちの子がいいです…。」

「だと思った。」

 二人がごにょごにょと喋っていると、先に冒険者達の下にたどり着いたペロロンチーノは白ニーソに声をかけた。

 

「そこのロリっ子ぉ!可愛いねぇ!俺と超高級バフ飲料でお茶しなぁい?めっちゃ防御力上がる奴でさ!」

 必死に戦っている女冒険者は答えた。

「あぁ!?バフ飲料だけ置いて消えやがれ、鳥野郎!!」

 図太い声はネカマの証だった。

 ロリ好き男の全てのツボを抑えたような存在は女ではなかった。

 ペロロンチーノは頭上にタライが降ってきたような衝撃を受け、硬直した。

 モモンガとウルベルトはプフッと笑い、「やっぱ童貞の好みは違うわ」「分かり易すぎですよね」と二人陰口を叩きながら、その後ろに降り立った。

 ロリっ子を嗜めている二人の顔がこちらへ向いたところで満を辞して口を開く。

「お嬢さん、レベリングなら手伝って差し上げましょうか?もしよろしければ綺麗なものもお見せしますよ。」

 ウルベルトはシルクハットを軽く上げてどこかで聞いたことのあるセリフを言った。それは一度女子、フラミーで成功体験がある言葉だ。

「このままだとどんどんツヴェーク増えちゃいますしね。結構厄介でしょう?」

 モモンガもゲームのため、気負わずに言ってみる。

 

 ――しかし「何がお嬢さんだよ、いてぇな。綺麗なもの?見たいなんて言うと思ってんのか?」「やっぱ童貞ほいほいスタイルはすげぇや。あんたらこの可愛い俺らに貢いでくれんの?」残りの二人も自分達とそう歳の変わらなそうな男の声だった。

 

 ウルベルトとモモンガも硬直した。

 そして、ウルベルトはぽつりと呟く。

「<魔法詠唱者の祝福(ブレス・オブ・マジックキャスター)>。」

 モモンガも続く。

「<無限障壁(インフィニティウォール)>。」

 それは戦いの始まりを意味するゴングだった。

 二人の怒涛のバフ掛けが始まると、ペロロンチーノもショックからなんとか立ち直り、その体にタスキに掛けていたゲイ・ボウを引き絞った。

 

「――信じてたのに!!俺たち!信じてたのに!!」

 

+

 

「おや?あんな所で戦闘なんて珍しいですね。」

 大量の口が集合したような頭部を持つベルリバーと共に、一狩り済ませて帰ってきたぷにっと萌えは遠くに光る戦いの様子に目を細めた。

 ベルリバーはアインズ・ウール・ゴウン設立時、モモンガがギルドマスターになる事を渋っている時にメールを送った三人の人物のうちの一人だ。「モモンガ以外がギルド長になった場合ギルドが二つに割れる。」と簡潔に記されたメールにモモンガは立ち上がる。ベルリバーはモモンガがギルドマスターにならないなら、モモンガと一緒に別のギルドに行くつもりすらあった。

 

「モモンガがあんな風に熱くなってるなんて本当に珍しいな。」

「あ、戻ってきますよ。」

 二人は戻ってきた三人から清々しいオーラを感じた。

「あ、ベルリバーさん、ぷにっとさんお帰りなさい。」

「モモンガ、また敵襲?」

「えぇ。――奴らは俺らの敵でした。」

 大侵攻後以来落ち着いていたと思っていたが、やはりこのアインズ・ウール・ゴウンには敵が多いようだ。

「また来るようなら、戦争に向けて防衛線構築しますか?このゲームでは結構PKが大手を振ってますからね。普通、ここまでPKが許された、もしくはPKすることを推奨されているゲームってないですよ。」

 ぷにっと萌えがそう言うと、ウルベルトはゆっくりとかぶりを振った。

「あいつらは二度とこの沼地に足を踏み入れる事はない。」

「それはそれは。ウルベルトさんがそう言うなら問題はなさそうですね。しかし――たまには戦争も楽しみたいところですが。」

 くつくつと笑う植物系モンスターのぷにっと萌えから葉が舞う。

 四人が邪悪に笑っている中、ペロロンチーノは遠い目をした。

「しかし――失ったものも大きかった。」

「――そうだな。」

「――二度とこんな悲劇は繰り返しちゃいけないですね。」

 三人の向こうに壮絶な戦いを垣間見たベルリバーとぷにっと萌えはごくりと唾を飲んだ。




この三人やっぱりバカだ

次回#88 外伝 皆のお勉強会

鈴木さんの見た目って、フギン先生の描かれた奴的にはイケメンですよね〜!
中の中にしといたけど!!

そして裏の大整理を行いました。なんて言っても年末は大掃除!!
章ごとにちゃんとIF世界を分けた、えらい( ;∀;)大変だった…
ちょっと早いですが、日本出ちゃったりとするので12/21から正月休みを貰います!
過去編締めておでかけだぜ!
あらぬ時間に裏のif時空上げたりするかもしれません。かもかも。


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#88 外伝 皆のお勉強会

 その日、ベルリバーはブルー・プラネットを呼び出していた。

「それでさ、なんかイマイチ決め手にかけるんだ。」

「なるほどですね。植物を植えると一口に言っても、そのモチーフのアマゾン河にはどんな風に日の光が降り注いでいたのかを想像しながらやると上手く行きますよ。」

 ブルー・プラネットは植物の根元のあたりを指さした。

「こう言う、背の低い植物はつい土を隠すように目一杯配置しがちですが、彼らも光合成は必要なんです。そうなると――ここまで陰ったところには実はあまり生やさないほうがリアルなんです。ほら、ここなんて蛙が休んでそうじゃ無いですか?ちゃんと暮らす生き物達も想像してくださいね。あぁ、ですが、敢えて少し痩せたような植物を配置するというのはオススメです。後はこの湯船の周りにだけ行儀良く生やすのではなく、河にあたる湯船にももっと――こう、シダ植物が迫るようにしてやるのもコツですよ。」

 いつもは深く低い声だと言うのに、自然について語る時のブルー・プラネットは声が高く、少し早口になる。

 ベルリバーはふんふんとそれを聞き、スパリゾート・ナザリックのジャングル風呂に手を加えた。

「ほほー!良いじゃん!」

 作業を続ける二人の背後で感心したような声を上げたのはるし★ふぁーだった。

「るし★ふぁーさん、おはようございます。」

「こんな所にるし★ふぁーが珍しいな。」

 ベルリバーが首を傾げているとるし★ふぁーは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から絵を取り出した。

「俺、ここにこれを置きたいんすけどいかが?」

 それはライオンの像のイラストだ。

 腹立たしいことに非常にうまい。「口から湯が出る」と矢印が引かれていて、ブルー・プラネットは「えー…」と漏らした。

 しかし、ここを作り始めたベルリバーはうなずいた。

「良いじゃん。楽しいよ、こう言うの。」

「へへ、ベルさんは分かると思ったよ!実はすでに二体作ってあるんだなーこれが!女湯と男湯にそれぞれ持ってくるから宜しく!」

「はいよー。」

 ブルー・プラネットはベルリバーが、るし★ふぁーやウルベルト・アレイン・オードル、ばりあぶる・たりすまんと「ユグドラシルの世界の一つぐらい征服しようぜ」なんて冗談を言っていた事を思い出し、やれやれとため息をついた。

「せっかくアマゾン河なのにライオンですか。ベルリバーさん。」

「プラネットさん、外しアイテムがファッションには不可欠ってフラミーも言ってたでしょ。」

「む、そうですか?」

「そうそう。多分案外いい具合に空間を引き締めますよ。」

 ベルリバーの講釈にそうかと頷いていると、「るし★ふぁーさん!!」と大声が響いた。

 何事かと二人がそちらへ視線を送れば、ギルドマスターが辺りを見渡していた。

「ここにるし★ふぁーさん来ませんでした?」

「来たけど、もう帰ったよ。どうした?」

「まぁたあの人希少金属持ち出して何か作ったみたいなんですよ。まったくもう…。」

 ベルリバーとブルー・プラネットはすぐに「ライオンだ」と二人でさっき見せられたイラストを思い浮かべた。

「――それにしても、随分進みましたね。すごいな。」

 モモンガは怒りをおさめるとジャングル風呂を見渡した。

「出来上がったら皆でジャングルクルーズしよう。」

「あぁ、良いですね!スパリゾート・ナザリック観光。」

「俺の風呂がベストだと言う事を全員に見せつけてやる!」

「はは、甲乙つけ難そうだなぁ。ちなみに、あの黄色い奇妙な桶はなんです?」

 このスパの洗い場に置かれている桶は全て黄色だ。

「モモンガ君。これは伝統なんだよ。」

 おじさん声で話しかけて来たのは死獣天朱雀。

 ギルド最年長の彼は大学教授だ。

「朱雀さん、伝統ですか…?」

「そうそう。だから、あれらはそうあるべきなの。」

 モモンガは変わった伝統だなぁと場違いにすら感じる黄色い桶を眺めた。

「ところで、フラミー君は今日何時に来るかな?モモンガ君に聞けば分かると思ったんだけど。」

「あ、えっと、フラミーさんは今日は夜だと思いますよ。休日出勤だーって、昨日ひーんっていつもの可愛いやつ言ってましたから。」

「あらら、そうかぁ。ありがとね。じゃあ、僕はこれで。」

「フラミーさんがどうかしました?」

 桶をあった場所に戻すと、モモンガは立ち去ろうとした死獣天朱雀を追った。

 ベルリバーとブルー・プラネットは作業に戻った。当然ジャングル風呂は女湯にもあるため、頑張らなければまだまだ完成しないだろう。

 

 死獣天朱雀はついて来たモモンガに首を振った。

「どうもしないけど、彼女小学校中退でしょう。教えてあげたい事が山積みだからね、土日は授業してあげる約束してるんだよ。」

「あぁ、なるほど。朱雀さんはやっぱり親切ですねぇ。」

「そんな事はないよ。モモンガ君もそうだけど、彼女も教え甲斐があるでしょう。なんでも良く聞いてくれて、ね。」

 モモンガはその優しい声音に父と言う存在を想った。ただ、最年長とは言え、死獣天朱雀はそれほど歳を食ってはいないが。

「はは、俺もフラミーさんもなんだか凄く恵まれてるな。ありがとうございます。」

「いえいえ。それじゃ、僕は本のデータ化作業の為に最古図書館(アッシュールバニパル)に行くね。」

「はい、お疲れ様です。」

 のちに、その書物の多くは閲覧制限書となってしまうが、アインズとフラミーの教養を大いに深める一助となった。

 死獣天朱雀を見送ると、モモンガはふっと息を吐いた。

 

 ――いつまでもこんな時間が続けば良いのに。

 

「げっ!!モモンガさん!!」

 その声にモモンガは目を開けると叫んだ。

「るし★ふぁーさん!!――あ!待て!!」

 

+

 

「じゃあ、ここの値は?」

 死獣天朱雀はフラミーとやまいこと共に最古図書館(アッシュールバニパル)にいた。

 小学校五年生程度の算数にむんむん唸るフラミーを二人で見守る。

「……三?」

 自信なさげにそういうフラミーに、二人は同時に笑顔のアイコンを出した。

「フラミーさん!正解!!」

「フラミー君、今日は本当に頑張ったねぇ。じゃあ、この問題集は宿題ね。」

「はーい!どりゃどりゃ…。むむ、ちょっと難しそう。」

 フラミーは死獣天朱雀が取り込んでおいた問題集を受け取ると唸った。

「応用編も出てくるからね。もう少し易しいのにしておく?」

「朱雀さん、どの程度の難易度なのか取り敢えず解いて見てもらってから考えても良いじゃないですか?」

 やまいこのやってみてから理論に死獣天朱雀は頷いた。

「それもそうだね。じゃあ、フラミー君解らなかったらいつでも伝言(メッセージ)でもメールでも頂戴ね。」

「先生、ありがとうございます。」

 国語、算数、理科、社会と全てを済ませ、その日の勉強会は終わった。

「じゃ、今日はもう遅いからボクは落ちるね!フラミーさん、ボクもいつでもメールちょうだい!」

「ありがとうございます!中学校出られるくらいまで頑張りますよぉ!」

 頑張るが、当然金銭面的に行けるわけがない。

 二人が落ちると、フラミーはNPCしかいない、途端に静まり返ってしまった最古図書館(アッシュールバニパル)で一人勉強を続けた。

 すぐに忘れてしまうのでまずは復習をして、それから出してくれた宿題をして、自分で一度答え合わせをして、再び復習をするのだ。

 ただでこんな風に授業を受けられる機会はないだろう。

 これだけの図書に囲まれることも不可能だ。

 フラミーは本当にこのギルドに入れて良かったなぁと一人黙々と勉強した。

 

 静まり返る最古図書館(アッシュールバニパル)には何の音もしない。

 全てはデータなのでフラミーが何を書いたとしても、紙をペンが滑る音すらしないのだ。

 フラミーは寂しさを――いや、狭い場所に暮らしてきたために感じてしまう、広い空間への漠然とした恐怖を紛らわせるように鼻歌を歌った。

 方々に反響する自分の声に慰められながら続けていく。

 

 そして――「フラミーさん、真面目ですねぇ。」

 

「ッキャ!?」

 思わず叫んだフラミーはごぽりと言う音とともに手元を覗き込んだタブラ・スマラグディナの姿を見た。

「った、タブラさん。すみません、大きな声出しちゃって。」

「驚きました?どうも、こんばんは。お困りじゃありませんか?」

「あ、なんとかなりそうです。見に来てくれたんですか?」

「いえいえ、違いますよ。本のデータ化作業に来ただけです。後、ちょっと驚かせようかと思って。」

 タブラはそう言うと、ティトゥスが立っている方を指さした。

「私はあそこで作業してますから、分からないことがあればいつでもどうぞ。それじゃ。」

 すたすたと立ち去る背にフラミーは深く頭を下げた。

 一人ぼっちの心細さも収まり、ある程度進めると――とは言っても、フラミーの本を読むスピードは非常に遅いし、問題を解くスピードも遅いので大した進行具合ではないのだが――フラミーは一度机から顔を上げた。

「ふぅ…私って賢い。ふふ。」

 フラミーは嬉しそうに呟くと、タブラがいると言った方に向かった。

 

 ティトゥスの影でひたすらに書物の取り込み作業をしていたタブラの頭部が見えた。白に僅かに紫色が混じった皮膚をしている。

 頭部の右半分には、皮膚を覆い尽くすほどに何らかの文字が刻み込まれていた。

 粘液に覆われるような異様な光沢は不気味で、フラミーは一瞬話しかけることを躊躇った。

 

「――お困りですか?」

「あ、いえ。少し休憩を。タブラさん、何取り込んでるのかなって。」

「子を生んで多くなり、地に満ちてそれを従わせよ。そして、海の魚と、天を飛ぶ生き物と、地上のあらゆる生き物を服従させよ。」

「え…?」

「旧約聖書・創世記を取り込んでいました。いつか読んでください。」タブラはそう言うと笑顔のアイコンを出した。「――それにしても、見事に誰もいませんねぇ。最古図書館(アッシュールバニパル)は。」

「本当に。まぁ、もう真夜中ですしね。」

「そうですねぇ。ところで、フラミーさん。こんな夜中に図書館にいると――聞こえてきませんか。」

「え?何がです…?」

 フラミーが少し怯えたような声を出すと、タブラは続けた。

「ほら、騒騒(ざわざわ)、騒騒、騒騒、ざわざわ、ざざざ、ざ――。何の音もしないはずなのに、聞こえて来るでしょう。海鳴りみたいな、潮騒みたいな音が。」

「タ、タブラさん…?」

 タブラは黒目のない真っ白な目でフラミーを見つめ何も言わなかった。

 再び静寂の底に落ちた図書館。

 そして、確かに聞こえた。

 

 ――騒騒、騒騒、騒騒、騒騒、騒騒、騒騒――

 

「た、タブラさん!!」

 フラミーはひどく狼狽した。

 ぞくぞくと寒気がする。

 最古図書館(アッシュールバニパル)は薄暗く、途端に気味の悪いものに姿を変えて、周りに立ち尽くす骨だけや皮だけのNPC達が主張を始める。

「タブラさん!やだ!怖いのやですよ!!」

 フラミーの背丈の数倍、否、数十倍の高さがある天井はその声を跳ね返し、容赦なく二人に浴びせた。

 静寂の中漂ったフラミーの声はその場所に溶け、ゆっくりと消えていった。

 そして無音が訪れると同時に再びあの音はフラミーを襲った。

 

 ――騒騒、騒騒、騒騒、騒騒、騒騒、騒騒――

 

 フラミーは妙に息苦しくなった。

 リアルで吸っている空気が重く、その肺を満たす。

 まるで――海の底に落ちていくような、もろもろと体が溶かされて行くような恐怖。

 

 ――「モ!モモンガさん!!」

「っうわ!?な、なんですか!?」

 フラミーは思わず頼れるギルドマスターの名を呼び、肩で呼吸をし、振り返った。

 そこには恐ろしいはずの骸骨が心配そうにフラミーを覗き込んでいた。

「ふふ、呼ぶのはモモンガさんなんですねぇ。」

 師匠じゃないんだぁとタブラの楽しげな声を気にする余裕もなく、フラミーは何の感触もない骸骨の後ろにささっと隠れた。

「あら?あらら…タブラさん、またやりましたね。」

「いいえ?何も。」

 しれっと言うタブラ・スマラグディナは愉快げに二人を見た。

「女子に怖い話はしないで下さい。寝れなくなったらかわいそうでしょうが。」

「怖い話なんてしてませんよ。ただ、ざわざわ音がするでしょうと言っただけです。」

 そう言うとタブラは口の前に人差し指を当てた。

 しん――と静まり返った世界で、ヘッドセットに覆われた耳からは自分の血潮が流れる音がよく聞こえた。

「……フラミーさん、怖くないですよ。今の音はあなたが生きてる音なんですから。」

 フラミーはモモンガを見上げた。

「生きてる音…?」

「そうです。ずっと誰かと暮らしてたあなたは気付かなかったかもしれませんけど、人の耳は自分の生きてる音が聞こえるんです。特に、ヘッドセットで耳を塞いでると聞こえちゃうんですよ。」

「…そ、そうなの…?」

「そうです。だから、何も怖くないですよ。」

 フラミーはほっとため息を吐いてモモンガの影から少しだけ姿を見せた。

「良かったぁ。何だか、雰囲気に飲まれちゃいましたぁ。」

「落ち着いて良かったです。――タブラさん、後で説教ですよ。」

「あはあは。怖いなぁ。あ、ところでモモンガさん。」

「何ですか?」

 タブラは辺りを見渡し、図書館に再び静寂が満ちるのを待った。

「人の皮膚って柔らかいですよね。簡単に裂けちゃって。髪は抜けて落ちるし、内臓なんてものはポロポロこぼれて落ちてしまう。筋肉もそうだ。腐って朽ちて落ちていく。そこのところを言うと、あなたのその体。」

「は、はい…。」

 モモンガはゴクリと唾を飲んだ。

「その骨の体は落ちるものがない。」

「つ、つまり…?」

「つまり、あなたは素っ裸だってことです。それこそが私達の本当のあるべき姿なんですかねぇ。ふふ」

「はい?」

「何でもありませんよ。ははははは。」

 愉快げに一頻り笑うと、タブラは「さてさて」と言い、再び蔵書の取り込み作業を続けた。

「…まったくもう。たまに変なスイッチ入っちゃうんだからな…。じゃなくて、フラミーさん、来週の金曜日って空いてます?」

 タブラは顔を上げた。

「空いてますよ!どうしました?」

「割と家の近い組で仕事後に軽いオフ会しようって言ってたんですけど、一応どうかなと。」

「ちなみにそれ、私もいます。怖いお話たくさん聞かせてあげますよ。」

 タブラの言葉にモモンガは汗のアイコンを出した。

「ん、ん〜。」

「はは、まぁ、適当に考えておいてください。じゃあ、俺も寝ますね。」

「あ、はい!お誘いありがとうございました!」

 

 モモンガは落ちてダイブマシーンとの接続を切ると、ベッドに転がった。

「…フラミーさん、来るかなぁ。」

 いつもよりも平日が楽しみなる。

 鈴木はもそもそと布団に潜り込んだ。




次回#89 外伝 悪魔の師弟

フラミーさんは死獣天朱雀さんに色々教えて貰ったんですねぇ。

ちなみにマナーは向こうに行って随分お勉強したみたいですよ!
(少し前にジルクニフとの食事大丈夫だったんですかねと聞かれたのでアピール
#33 閑話 プチ酒宴会
> 食事はアインズの所望で和洋折衷。
>ただ、カトラリーは箸だけだ。
>フラミーは転移してからこれでもかと言うほどに食事のマナー本を読み漁っていたようだが、アインズはマナーを何も知らないため箸を希望した。


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#89 外伝 悪魔の師弟

「モモンガさーん。すみません、うちの舎弟の悪魔見習い見ませんでした?」

 ウルベルトは朝からフラミーを探してナザリックをうろうろしていた。そしてたどり着いたモモンガの自室。

 昨日、家がある程度近い人だけが集まった小さなオフ会にフラミーは居なかったので、そこで言おうかなと思っていた言葉を握りしめていた。小さな会なら来るかもしれないと思っていたのに当てが外れた。

 

「あ、ウルベルトさん、おはですー。昨日は盛り上がりましたね〜。フラミーさんは今日はなんか女子メンバーで遊ぶとか言ってましたけど、伝言(メッセージ)送って見ました?」

「送りました〜。繋がらないんですよねー。その女子会どこでやってるか知ってます?」

「第六階層のいつもの場所じゃないですか?いなかったら…うーん、茶釜さんの自室ですかね?」

「なるほど!モモンガさんに聞いたらきっと分かると思いました!ありがとうございます!」

 笑顔のアイコンを出すとウルベルトは、頭を下げ第六階層へ向かって行った。

 モモンガは「フラミーさんの行き先なんて、ウルベルトさんの方が余程よく知っているだろうに」と苦笑しながら立ち去る背に手を振った。

「まぁ、ウルベルトさんかモモンガさん、それか姉ちゃんに聞けばフラミーさんの居場所はわかるってイメージはありますねぇ。」

 その様子を見ていたペロロンチーノがそう言うとモモンガはそうかなぁと呟いた。

「それより、ねぇー、モモンガさぁん。」

「何ですか?」

「エロ系モンスターをあんあん言わせに行きましょうよぅ。」

「またサキュバスと触手のコンボですか?」

「だめぇ?」

 ペロロンチーノは妙に甘えたような声を出した。

「うーん、まぁ良いですよ。やる事もないですしね。」

「っおぉ!!流石我が同志!!そんじゃ、俺準備して来ます!準備済んだら円卓集合で!他に誰か行きたい人いるかもしれないし!」

 ペロロンチーノは笑顔のアイコンを出すと即座に準備に駆け出した。

 その背を見送ると、モモンガも少しスカしてから行動を開始した。何となくエロ系モンスター討伐に飛びつくように準備を始めては恥ずかしい気がしたためだ。誰も見ていないが、気分的に一拍置いた。

「触手狩り行くとペロさんわざと触手に捕まりがちだからなぁ。」

 普段は使わないためしまっておいているポーションを取り出し、モモンガは円卓の間へ向かった。

 

 円卓の間に入ると、中は賑わっていた。

「昨日楽しかったよー、フララも来ればよかったのに。」

 茶釜が卑猥な見た目の体をくねらせると、フラミーはそれが何を模しているのか解っているのか解っていないのかよしよしと頭を撫でた。

「でも私お酒本当弱いんですもん。」

「フラミーさんはすぐ寝ちゃうタイプだもんね。こないだボクの膝で寝始めた時は何か新しい扉が開かれそうだったよ。」

 やまいこは昔、女の子の後輩に本気で告白されたことがあるため、そういった女同士の恋愛は勘弁してほしいと思っているのだが、ついそんなことを言ってしまった。

「やまちゃん、冗談でも危ないこと言うとフラちゃんが女子会にも来なくなっちゃうよぉ。」

 餡ころもっちもちが若干の危機感を抱いている隣で、茶釜はフラミーにその身を擦り付けた。かなり危険な絵面だった。

「もし帰れなくなったら私がおんぶしてあげたって良いよ。何もしないから!本当に何もしないから!」

 この見た目で言われて何もされないと思う女子はいない気がする。

 フラミーが汗のアイコンを出しているのを見るとモモンガは笑いながら部屋に踏み入れた。

 そして、ウルベルトはもうフラミーと話せたのだろうかと少し気になった。

「フラミーさん、無理することないですよ。」

「あ!モモちゃん!」「フラミーさんの保護者!」

「ははは。保護者ってなんですか。」

 女子の楽しげな声に迎えられると、フラミーはモモンガに手を振った。

「モモンガさん!昨日楽しかったですか?」

「楽しかったですよ。フラミーさんもいつか来れたら良いですね。帰り道が心配なら俺、送りますよ。」

 モモンガがフラミーの隣に腰掛けると、茶釜はしっしと手を払った。

「保護者でもそれはダメ。」

「モモンガさんは人畜無害そうだけど、その時はボク達に任せてよ。」

「はは、それは心強――」

 モモンガが応えようとすると、円卓の間には待ち人が現れた。

「モモンガさーん!おっ待たせぇーい!エロ系モンスターあんあん言わせに行きましょーう!」

 途端に女子の視線が極寒のものになった。アバターの顔は変わらないはずなのに、空気がガラリと変わった。

「……前言撤回。モモンガさんも指定有害物。」

「いやーモモちゃん引くわぁ。」

「モモンガさんって…。フラちゃん気をつけようねぇ。」

 モモンガは鈴木の体が凍り付いていくのを感じつつ、表情など変わりもしないと言うのにフラミーの顔色を恐る恐る確認した。

「ふ、フラミーさん、違うんですよ…?」

「モモンガさん!サキュバス達を集団転移させて触手へのハメ技でひぃひぃ言わせたりましょう!」

「弟、黙れ。」

「えぇ〜!」

 フラミーはふぃっと視線をはずし、モモンガの隣を立った。

「あの、私行くとしてもちゃんと一人で帰れます。」

「あ、ふ、フラミーさん…。」

 モモンガはこの世の終わりのような声を出した。

 

 そして部屋には大音量で声が響いた。

「あ!!フラミー!!モモンガさん!!」

 その場の全員が思わず耳を押さえてウッと声を上げた。ヘッドセットから聞こえる音が問題なためにアバターの耳を塞いでも何の意味もなさないが、脊髄反射だ。

「ウルベルトさん、もしかしてまだフラミーさんに会えてなかったですか?」

「師匠…声でかいなり…。」

モモンガが振り向くと羊は怒りのアイコンを出していた。

「会えてないっすよ!それよりフラミー、お前伝言(メッセージ)受信切ってるだろ!」

「え?そうなんですか?」

フラミーの泣きアイコンを見るとウルベルトは消えた怒りアイコンを再び出した。

「ありゃ、また保護者だ。」

「ぶくちゃん、こっちは保護者じゃ可哀想だよぉ。」

「ぶくちゃんはやめて!!」

 女性陣の言葉に軽く耳を傾けながら、ウルベルトに怒られるフラミーを見て、仲が良い二人だと鈴木はほんわかした。そして先ほどのやり取りは忘れてくれと祈る。

 それにしても、モモンガは保護者認識だと言うのに、ウルベルトは保護者じゃないなら何なんだろうか?

 この胸の疼きは――。

 モモンガは何も言わずに師弟コンビを眺めた。

 

「ちょうど良いところにウルベルトさん!今からモモンガさんとエロ系モンスターぐちゃぐちゃにする会を開くんですけど、参加しませんか!」

「しねーよ!ペロロンチーノ!――じゃなくて、フラミー。ちょっと話があるんだけど。」

 フラミーはこてりと首を傾げた。

「ほひ?なんですじゃ?」

「…お前たまに老人になるの何なんだ。…茶釜さん、餡ころさん、やまいこさん、女子会中悪いけど、ちょっとフラミー借りて良い?」

「はいはーい。別に私は構わんよー。」

「ボクも良いよ。でもちゃんと返してくださいね。」

「ウルベルトさんがんばってねぇ〜!」

 ウルベルトは女子に軽く頷くとフラミーに手を差し伸ばした。

「フラミー、綺麗なもん見に行こう。」

「遠出ですか?」

「いや、すぐそこ。」

 フラミーがその手に手を置くと「<上位転移(グレーター・テレポーテーション)>」と詠唱が響き二人は掻き消えた。

 モモンガは骨の眉間を押さえてため息を吐いた。

「じゃ、モモンガさん!行こ行こ!」

「………ペロさん、一発殴らせてください。」

 ゴッと杖でペロロンチーノを殴ったが、ダメージは0ptだった。

 

+

 

「あ、ここ懐かしい!」

 フラミーはウルベルトと共にたどり着いた洞窟の入り口で声を上げた。それはフラミーがウルベルトに昔々綺麗な場所があると教えられたダンジョンだった。

「だろ?行こうぜ。」

 二人は進んだ。

 以前と違い、フラミーのレベルも上がって洞窟は難無く進むことができた。

 最奥にたどり着くと、相変わらずキノコや苔が緑に発光している。

「どうだ、今見たら大して綺麗でもなんでもなかっただろ。」

「ううん、とっても綺麗ですよ。初めて来た時の事たくさん思い出しましたし!また一緒に来れて良かったです。」

 フラミーが笑顔のアイコンを出すとウルベルトはリアルの顔をゆるめその様子を見た。

「なぁフラミー、お前昨日来なかったじゃん。」

「すみません。ちょっと行こうかなーとも思ったんですけど、ね。」

「いや、別に無理することはないけどさ。」

 ウルベルトは少し悩んでから続けた。

「――なぁフラミー。俺、お前ことすごく気に入ってんだけど…。」

 それ以上を伝えるのはゲームの中では良くない。もし伝えるならリアルでだ。本当は昨日来ていれば帰り道とかで言いたかった。

「私も師匠と遊ぶの楽しくって大好きですよ!」

 ウルベルトはリアルの後頭部を照れ臭そうにかいた。

「あのさ、じゃあ今度良かったら二人で飲みに行かない?」

 ウルベルトが控えめにお誘いしてみると、フラミーは汗のアイコンを出した。

「すみません、私お酒ダメなんですよね。――あ、でもあまのまさん達がよくやってるバフ料理とバフ飲料食べる会みたいなのならいつでもいいですよ!」

 フラミーはムンっと両腕の筋肉を見せるようなポーズを取った。

「そう…だよな。いや、お前はそう言うって分かってたよ。引きこもり娘だからな。はは。」

 ウルベルトはもう少し時間が必要そうだと確信した。しかし、ウルベルトには時間がない。やらなければいけない事が――リアルで大量に積み重なっている。

「…フラミー、アドレスだけじゃなくて電話番号も交換しておこう。」

「はーひ!良いですよ!」

 二人は互いの情報を交換した。皆大抵何時にインすると言う連絡を取り合う為メールアドレスは持っている。――ユグドラシル最終日にはそれでモモンガは皆に連絡を取った。

「――お前、まだ今もくそったれな世界に感謝してる?」

 フラミーは笑顔のアイコンを出した。

「ここで生かされてるうちは。」

「そっか。」

 この世界をぶっ壊してやると言ったらフラミーは笑うだろうか。

 誰もが平等に生きることを許される世界に変えてみせると言ったら喜ぶだろうか。

 

「じゃ、戻ろうか。付き合わせてごめんな。」

「いえ!とっても楽しかったですよ!」

 二人はダンジョンを昔のように歩いて戻った。

「そう言えば俺、こないだ翼が二つしかないサタン見かけたんだよな。」

「はぇ〜課金してわざわざ減らしたんですかね?」

「いや、俺もおかしいなと思って調べたんだけど、翼が三つあるサタンの方が珍しいみたいだった。この三つ目の翼ってなんなんだろうな?」

 ウルベルトはフラミーの翼をつまみ、様子を見た。

「これで見慣れてましたけどね?」

「まぁ…わざわざ熾天使になった後に苦労して弱くなるサタンになる奴は少ないし、まだ良くわかんない事もあるんだろうな。この肌の色だし。」

 フラミーの菫色の頬をぽにっと触るが、当然お互い感触はなかった。

「私はこの色好きですよ。」

「ん、俺も。なんかお前らしいよ。」

 二人は笑った。

 

 神の敵対者(サタン)になる時に起きる大幅な弱体化はフレーバーテキストと呼ばれる、モンスターや種族、職業(クラス)の説明などで補間されている。

 死の支配者(オーバーロード)にも死の支配者の時間の王(オーバーロード・クロノスマスター)死の支配者の将軍(オーバーロード・ジェネラル)、そして死の支配者の賢者(オーバーロード・ワイズマン)などがいるが、熾天使にも色々な熾天使がいた。

 その中の一つ、光をもたらす者(ルシフェル)のフレーバーテキストにはこうある。

 曰く「光をもたらす者(ルシフェル)は明けの明星を意味し、天使たちの中で最も美しい大天使であった。瞳には明けの明星――金星を宿す。」

 そして神の敵対者(サタン)のテキストには「創造主である神は自ら生み出した悪魔達を忌み嫌うようになった。光をもたらす者(ルシフェル)は、そんな神に対して謀反を起こし、自ら堕天することで悪魔の王となる。しかし、神の敵対者(サタン)は地獄の最下層に千年囚われ、力を削がれた。」と。条件を満たして行き本来の力を取り戻す種族だと分かっている者はまだいない。

 種族変更イベントも聖書とフレーバーテキストに則ったようなものだった。

 まず極悪のカルマ値や、天使種族モンスターの一定数以上の討伐等が前段階として必須条件となる。

 そして闇輪の悪神(アンラマンユ)と呼ばれる禍々しい指輪を装備した状態で、サタンを幽閉する千年牢獄というマップにいるエリアボスの奈落の主(アバドン)を倒す。そこでドロップする"奈落の鍵"を使って"悪魔の王の魂"と呼ばれるアイテムを手に入れる事でようやく種族変更が叶うのだ。

 課金して装備枠を増やしていない場合、指輪は右手に一つ、左手に一つのため、フラミーはギルドの指輪と様々な耐性を持つことができる指輪を着けている。

 余談だが、アインズだけが使える超位魔法<黙示録の蝗害(ディザスター・オブ・アバドンズローカスト)>の奈落の主(アバドン)はこのエリアボスの弱体化版だ。とは言え、ユグドラシルでは奈落の主(アバドン)は弱いイナゴ達を呼び出すと消えてしまう為手出しは難しい。

 

 ウルベルトが女子会にフラミーを返しに円卓の間に戻るとモモンガとペロロンチーノはもう出掛けていた。

「ほんじゃ皆も女子会邪魔して悪かったな。」

「いいえ、また行きましょうね!」

 ウルベルトは女子達に手を振られ、円卓の間を後にした。

「さて、エロ系モンスターぐちゃぐちゃ会はどこでやってんのかな。」

 ウルベルトは旧無課金同盟の友人達に連絡を取った。

 そこへ向かいながらウルベルトは茶釜に見せてもらった女子オフ会の写真を思い出していた。

 写真の端に映り込んでいた、机に伏して幸せそうに寝ていたお団子頭の人は小さそうで、割と痩せていた。

 腹一杯これでもかと液状食料じゃない物を食べさせたら、少しは太るだろうか。背も伸びるのだろうか。

 ウルベルトはこれじゃそれこそ保護者だと頭を振った。

 保護者としてだとか、貧困女子を助けたいとか、ウルベルトはそういう偽善が大嫌いだった。

 まっすぐ下心がある男は自分のスタンスをきちんと確認し直し、いつかもう一度フラミーを誘おうと決めた。

 

 ただ、ユグドラシルというゲームが終わる瞬間、現実世界で彼はある人物と対峙している。それも両者ともに悪として――しかし、それはまた別の、決して語られる日の来ないお話し。




ウルベルトさん、転移後フラミーさんにメールや電話しても繋がらないなんて嫌ですよ(´・ω・`)
そしてユズリハ様の人ンズ様と人ベルトさんとフラミーさんです!

【挿絵表示】


次回#90 外伝 引退

*ルシフェル Wikipedia
堕天使の長であるサタンの別名であり、魔王サタンの堕落前の天使としての呼称である。
天使たちの中で最も美しい大天使であったが、創造主である神に対して謀反を起こし、自ら堕天使となったと言われる。


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#90 外伝 引退

「え…?たっちさん…引退ですか…?」

 モモンガは己の耳を疑った。

「で、でも俺達、まだやり残したことすごいたくさん…行ってない場所もたくさんあるじゃないですか…。」

「モモンガさん…。」

「それに、たっちさんがいないとアインズ・ウール・ゴウンは…誰が支えるって言うんですか…。たっちさんがいるから皆ここにいるのに…たっちさん――」

「モモンガさん、解ってください。」

 

+

 

 たっち・みー最終ログイン日。

 モモンガの手の中にはコンプライアンス・ウィズ・ロー。

 神器級(ゴッズ)アイテムを超え、ギルド武器にすら匹敵する驚異の純白の鎧。運営公式武術トーナメント優勝時にたっち・みーが選んだ、ワールドチャンピオンしか装備できない秘宝。

 モモンガはそれを無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に大切にしまい、落ちた。

 

「…たっちさん…。」

 鈴木はゲーミングチェアから起き上がることもできずに呟いた。

 皆何とか笑って彼を送り出したが、ショックを受けていない者はいないだろうと鈴木は思った。

「……そんな。」

 その日はそのままベッドにも行かずに寝た。

 翌朝、ベッド脇に置かれている目覚まし時計がけたたましい音を上げると鈴木はハッと起き上がった。

「っうわ!俺寝落ちしたか!?」

 そして、首からブツッとコネクターが抜けると、軽い痛みに首の後ろをさすり、ベッド脇にもたれさせている鞄に足を引っ掛け、転ぶように目覚まし時計を止めた。

「いっ……つぅ……。」

 痛みと共に頭が覚醒して行くと、昨日の出来事が脳味噌に沁み込むように思い出されて行く。

 鈴木はベッドで放心した。

「……会社…行かなきゃ…。」

 休みたかった。しかし、休める身分ではない。

 鈴木は何とか出かけて行った。

 

+

 

「建御雷さんが…引退…?でも、究極の一振りはまだ完成してないじゃないですか。作らないと――あ、素材探しに行きます?」

 モモンガが笑顔のアイコンを出すと、武人建御雷は首を振った。

「モモンガさん、倒す相手のいない刀鍛えても仕方ないじゃないっすか。」

 ナインズ・オウン・ゴールがアインズ・ウール・ゴウンへとその名を変え、クランからギルドへと変わる時に、終わりの字である「N()」を、始まりの字「A()」に入れ替えようと言った出発点の男も去った。

 モモンガの手の中には作りかけの究極の一振りが残された。

 

 それから幾日も幾ヶ月も経ったある日。

「……素材集めに行こう…。」

 モモンガはふとそう呟くと出かける準備をした。

 人は減って来たが、今日もナザリックは賑やかだ。

 

「弐式さん、頭おかしいですからねぇ。」

「アーベラージのこいつ、上位ランカーですよ。それも紫色の称号持ち!」

「はっはっは!二人も早く追いついてくれ!」

 ぷにっと萌えと獣王メコン川、弐式炎雷がアーベラージというユグドラシルではない他のゲームのことで盛り上がっているのを小耳に挟みながら地表部に出た。

「ゴーレム…作ったことないからな…。」

 そう呟いていると、黒い星が舞い落ちて来た。

「モモンガさぁん!ゴーレム作るんすかぁ!!」

「っうわ!るし★ふぁーさん、はは。そうなんですよ。えっと、俺でも造型できて、ある程度の戦闘能力持たせられる素材ってなんですかね?取りに行こうと思って。」

「ふむ!俺の部屋に良いものが大量にあるから来てください!」

 二人はるし★ふぁーの自室に飛んだ。

「さぁ!これとこれとこれとこれとこれと――」

 そう言ってじゃんじゃん出される素材は初心者向けの物から、アインズ・ウール・ゴウンでも貴重とされるような物まで多種多様だった。

「――好きなのを使ってくれ!いつでも!あ、でもこの引き出しだけは絶対に開けるなよ!絶対にだからな!」

 机をバンバン叩き――0ptとダメージが表示され――如何にも開けて欲しそうにするのを見えないフリをする。

 モモンガはありがたく思いながら、四十一体のアヴァターラが作れるだけの素材を受け取り、宝物殿に飛んだ。

 宝物殿の世界級(ワールド)アイテム置き場の手前の廊下のような前室にゴーレム――アヴァターラを配置する窪みを作っていく。

「――こんなかな。」

 他のゴーレムが置かれている場所を参考にして作ったため、モモンガが作ったが中々の出来栄えだ。

 四十一の窪みを眺めると一度そこを出た。

 そして、小さな応接間に立っている自分の偽物に声をかけた。

「パンドラズ・アクター、付き従え。」

 カツンと敬礼をするとパンドラズ・アクターはモモンガの後に追随した。

「――パンドラズ・アクター、変身。たっち・みーさん。」

 自らの偽物は仲間の偽物となり、懐かしい姿を見せた。

「…たっちさん…いつでも帰ってきてください…。」

 モモンガは忘れもしない純銀の戦士をよく見ながら、るし★ふぁーに貰った素材を捏ねた。

 何とか形になると、変身したたっち・みーと、自分の作ったたっち・みーを比べて気落ちした。

「…たっちさん、パンドラズ・アクター作った時に、喜んでくれましたよね。変身ヒーローだって。」

 モモンガは完成したゴーレムを飾るとそれに装備を与えた。

 たっち・みーの装備は兜まである為、まるで本当のたっち・みーがそこにいるようだった。

「あの時、オススメしてくれたヒーローの映像データ、長過ぎて見切れなかったけど、俺、ちゃんと見ますよ。そしたら、帰って来た時、きっと俺とのヒーロー談義で…あなた…二度と落ちたくないって……言って……それで……うっ……また奥さんに…怒られるんですよ……。」

 モモンガは憧れ続けた戦士に見下ろされながら鈴木の体に涙を流した。

 

 

 パンドラズ・アクターはアヴァターラ製作のたびに何度も創造主の苦しむ姿を見ては震えた。

 

 

 その後、モモンガはパンドラズ・アクターを参考に、すでに引退している数名を作り上げると、やはり装備を飾った。

「…るし★ふぁーさんにここの装備勝手に持ち出すなって言わないと。」

 ここのギミックは以前と変わらずに指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)を着けたままだとトラップが発動すると言う物だ。

 モモンガは霊廟を後にすると、パンドラズ・アクターに「戻れ」と指示を出し宝物殿から立ち去った。

 るし★ふぁーにアヴァターラの素材提供の礼も言わなければ。

 しかし、るし★ふぁーはその日はもうどこにもいなかった。

 その後ログインを幾日も待ったが、問題児は二度と姿を見せなかった。

 いや、ログインした形跡があっても、二度と会える日は来なかった。

 

+

 

「……そうか。開けるな…か…。」

 アインズは目を覚ますと懐かしい夢に出てきたあの男の最後の台詞を思い出した。

 

 ――好きなのを使ってくれ!いつでも!あ、でもこの引き出しだけは絶対に開けるなよ!絶対にだからな!

 

 あの引き出しには何があったんだろうか。

 アインズは包むように乗せられていたフラミーの翼をそっと退けて起き上がった。

 隣で眠るナインズと、その腹に手と翼を乗せるフラミーを愛しげに見つめた。

 何と素晴らしい光景だろう。

 るし★ふぁーの声を聞いた日からここ数日見てしまった懐かしい夢達を想起する。

 アインズは自らの母に心の中で自分は幸せだと報告した。

 そして、フラミーの母に「お嬢さんは一生大切にする」と伝えてくれと頼んだ。

 孫も見せてやりたかった。これ程までに可愛らしく、綺麗な子を持つとは思いもしなかった。

 軽くナインズを撫でる。フラミーの羽を握りしめる息子は世界で一番安心する場所で「あぅ…」と少し声を漏らした。

 アインズはくすりと笑い、フラミーの肩まで布団を上げてやるとベッドを抜け出した。

 

 フラミーの寝室――今や二人の寝室と化している部屋を後にする。

 フラミーへの想いは募るばかりだ。

 もちろんナインズも大切だが、それよりも大切だと言ったら怒られるだろうか。

 フラミーはきっと怒るだろう。アインズはそれは生涯胸に秘めようと決めている。

 ただ、後にナインズに「父様は母様が一番大切だから仕方ない」と呆れ混じりに言われたりするのだが。

 

 アインズは当たり前についてくるアインズ当番と八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と共に静かな廊下を行く。

「あ!アインズさま!」「アインズさまだ!」

 巡回の双子猫が夜中だというのにテンション高めに話しかけてくるのに手を上げ応えた。夜はセバスがエ・ランテルのツアレとの家に帰っているため、この八十レベルまで下げた双子猫が一番ここでレベルが高い為こうして働いているようだ。

 アインズの部屋とフラミーの部屋の扉の左右にはコキュートス配下のクワガタ型モンスターが立っており、敬礼がわりに胸に手を当てた。

 頭を下げるとハサミが通路にはみ出し邪魔な為にそう対応している。

 

 るし★ふぁーの部屋をノックすると、従者達に軽い動揺が広がるが、当然誰もいないので返事もない。

「るし★ふぁーさん、お邪魔します。」

 自ら扉を開け、中に入ると、きちんと掃除が行き届いている部屋はチリ一つなく、まるでデータだった頃のようだ。

 部屋に入り、永続光(コンティニュアルライト)を付ける。

 チリはないがるし★ふぁーが自ら散らかした物は健在だ。

「ここを掃除するのは大変だろう。」

 アインズ当番にそう尋ねると、アインズ当番は「いえ!」と元気よく答えた。

「至高の御方々のお部屋も毎日お掃除しておりますが、それはそれは素晴らしい時間です!」

「そうか。大変になったら家具にカバーを掛けたりして対応しても良いんだからな。」

 そうは言ったが、皆の部屋の家具に白い布が掛けられては――まるで部屋が死んだように感じそうだ。

 言ってからアインズは後悔した。

「――いえ!毎日お掃除させて頂きます!」

「ぁ…んん。そうか、ではそうしてくれ。」

 アインズはほっとした。

 

「――さて、どれどれ。」

 そして、あの日るし★ふぁーがバンバン叩いていた机の引き出しを開けた。

 バフンっと煙が上がり、アインズ当番が驚きに腰を抜かした。

「モモンガさぁん。あーた、ここ開けるのいくらなんでも遅すぎるでしょー。」

 そう言うるし★ふぁーにアインズは何度も瞬きをした。

「る、るし★ふぁーさん!?」

「あーぁあ。肩凝った。」

 るし★ふぁーはゴキゴキと肩を回した。

「る、る、るし★ふぁー様!!」

「なぁ、モモンガさん。俺は下手くそなゴーレムを見るつもりはないですよ。それより、俺の部屋の素材は全部使って良いって言ったのに何でもっと取りに来ないんですか?」

「あ…あぁ…。す、すみません。」

「まぁ良いや。モモンガさんにはこいつを上げますよ。」

 るし★ふぁーは小さなカケラを差し出した。

「――るし★ふぁー!これっ!てめぇ!!」

 アインズの口からは悪態が一番に飛び出た。

「怒んないで下さいよ。ぬーぼーさん提案のアレを作った時に少し失敬したんです。これはモモンガさんにあげます。」

 そして、その顔の横に笑顔のアイコンが出た。

 アインズは寝ていたままの姿だったので、始原の魔法で生み出した、フラミー以外のギルメンは知らない人の姿で唇を噛んだ。

「じゃ、俺は行きますよ。ここの部屋のもんは全部あんたのものです。俺アインズ・ウール・ゴウンもモモンガさんもすごく好きでした。」

 アインズは静かにうなずいた。

「これが本当の最後です。さいなら。また、どこかで。」

 るし★ふぁーが手を振り静かに消えるとアインズは嫌いだったはずの男を思い、泣きそうになった。

 震え掛けた肩は精神抑制を付けることで抑え、従者達を引き連れて寝室に戻った。

 

「おかえりなさい。」

「…ただいま。」

 フラミーは起きていた。

「どうしたの?アインズさん、聞かせて下さい。」

「うん…俺、懐かしい夢を見てたんです。」

「ふふ、私もです。この間るし★ふぁーさんの声聞いたせいですかね。」

 アインズはベッドに腰かけると、フラミーに口付けた。

 くすぐったそうな顔をするフラミーに癒されると、ふぅと息を吐いて額に手を当てた。

「――るし★ふぁーさん…。」

 その手の中には小さなセレスティアル・ウラニウム。

 それはかつてアインズ・ウール・ゴウンが発見し占拠した鉱山から出た超々希少金属である七色鉱の一つ。鉱山は奪われてしまったし、もう一欠片も残ってはいないと思ったのに。

 

 その日の昼、アインズはフラミーと霊廟に行った。

「ほら、るし★ふぁーさん。これは仕方ないからあなたに返します。どうせ、何かすごい悪戯の為に大切にとっておいたんでしょう。」

 アインズはセレスティアル・ウラニウムを差し出した。

 すると――「モモンガさぁん。あげるって言ったんだからあんたが使いんしゃあーい!!」

 動き出したアヴァターラがアインズに襲いかかるとアインズは慌ててそれを仕舞った。

「あんたアレで最後っつったのに!あ、いや――またどこかでってそう言うことか!!」

「モモンガさん、そいつを指輪に加工してフラミーさんに最強の指輪やるとか使い道はいくらでもあるんだから。結婚してくれくらい言えよ。ウルベルトさんと揃ってルシファー仲間取りやがって。責任果たしたらどうなんだよ。」

 ぶつぶつ言うとアヴァターラは元の場所に戻った。

 アインズとフラミーは目を見合わせると、ギルメンにそんな目で見られていたかと二人で恥ずかしそうに笑った。

 

 アインズはその後、るし★ふぁーの悪戯にハマるたびにその鉱石を霊廟に持っていった。動くるし★ふぁーに文句を垂れるのは小さなアインズの趣味だ。

 毎度一語一句違わず同じことを言うゴーレムは、十回目を迎えた時、いつもと違うことを言い、アインズは腰を抜かして「やっぱりこの人嫌い!」と言うのだが、それはまた別のお話。




るし★ふぁーさん、そんなに好きなキャラでもないのに結構出た…!

と言うわけで過去編おしまいと共に今年の更新はここまでですかね!
皆さん良いお年をお迎え下さい!
また来年お会いしましょう♪( ´θ`)ノ(完結したのでは?
次回 #91 ????

感想とtwtrで少し話題になったウルベルトさん時空を裏で結局毎日書いてます。
44話完結のがっつり本編量。下の方にあります。
https://syosetu.org/novel/195580/


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試されそうなお出掛け
#91 幕間 奈落の王の帰還


 春の訪れは全ての者が待ち望む。

 大地が息を吹き返すのを肌身に感じ、森にはこれまで冬眠していた動物達が溢れた。

 固かった蕾は柔らかくなり、春を寿(ことほ)ぐように咲き乱れた。

 色とりどりの花は蜜蜂を呼び、復活した森妖精(エルフ)達は僅かな蜜を頂戴し、新しく出来上がった生命の神殿に供えた。

 女達は花を摘み、男達は海へ出て魚を獲る。

 鳥達は幸せの歌を歌い、花芽や実を食べた。

 

 ビジランタ大森林に生きる誰もが春を喜んだ。

 

 そんな中――闇に閉ざされた国で。

「姿を見せずに不満を持つ者達の支援を行いなさい。それと、ある人物達を追い立てるんです。城や軍事拠点から出さないように。」

 デミウルゴスがそう言うと、低位の悪魔達はうなずき一斉に飛び立った。

 召喚されたモンスターは召喚者と大雑把な知識共有が行われるが、敵味方の区別程度の為にきちんと口頭で命令をする必要がある。

(さぁ……これで見付かると良いのですが……。)

 デミウルゴスの明晰な頭脳は様々な状況を考慮し、数十パターンもの展開を計算し、今回の目的を果たすよう修正案も用意している。

 多少の計画の狂いはデミウルゴスの導き出している式に則っている為容易に軌道修正できる。

(アインズ様ほどの知者であれば…こんな真似をしなくともすぐさま見つけられるのでしょうが…私などまだまだですね。)

 羊の大量回収も含め、至高の主人に後片付けを任されたこの地でデミウルゴスは空を往く主人の僕を見上げた。

 

+

 

 数日前。

「再来週には煌王国の裁きも終わりとなりますが、あの地は市長に据えられるようなまともな人材が見つかっておりません。」

 デミウルゴスの呆れたような物言いはアインズの胸を刺した。

 自分は決して王や神に相応しい人材ではないのだ。

「そ、それは問題だな。神都から常駐の人材を送るのも避けたい。運営できる者がいなければ最古の森のアルバイヘームからその手のものを出させて全てを任せるしかないだろう。」

 あそこにはある程度優秀な者たちが多くいたのだ。

 アインズがそう言うと、アルベドが口を開いた。

「恐れながら、タリアト・アラ・アルバイヘームは降ってはおりますが、依然として最古の森やその周囲で大いなる影響力を持っております。竜王亡き後絶対王者として五百年間君臨してきたその影響力は計り知れません。私はこれ以上上位森妖精(ハイエルフ)に力を持たせては危険――かと。」

「アルベド、あれが影響力を持っていると言うことは、裏返せばアインズ様とフラミー様のお力を広める良い駒にもなると言うことです。アインズ様のおっしゃる通りアルバイヘームに任せる――というのもあの不敬な国では良い手だと思いますがね。」

 デミウルゴスの返しにアルベドは少し不快げだ。

「あなた、今君臨されているのがウルベルト・アレイン・オードル様でも力を持たせておくのに賛成したかしら?」

「アルベド、私はウルベルト様でもアインズ様でも同じように円滑に世界征服が行えるようそのお手伝いをしたでしょう。それとも、この私がアインズ様の治世だから手を抜いているとでも?」

「そこまでは言っていないわ。ただ、私達が全力で動くことで、より良い結果を差し出せるはずじゃないかと思っただけよ。」

 デミウルゴスは顎に手を当て数秒考え、アルベドと視線を交わし直してから居住まいを正した。

 

「アインズ様、羊の大規模収穫の痕跡を隠すのにしばらくあちらへ行きますので、ついで――と言っては何ですが、人材探しをしても宜しいでしょうか。」

「ふむ」と頷き、アインズはゆっくりと椅子にもたれ掛かる。訓練し続けた主人らしい、そして支配者に相応しいであろう堂々たる態度で、だ。

「デミウルゴス、そしてアルベドもだが、お前達二人の知恵はこの私を凌ぐ。」

「そのような――」「まさか――」

 言いかけた二人をアインズは軽く手をあげることで押し留めた。

「私はそう思っている、と言っているのだ。そのお前達が行き着いた答えだ。全てが完璧に進み、素晴らしい形で終わりを迎えるだろう。行け、デミウルゴスよ。相応しい者を見つけ出すのだ。」

 デミウルゴスは自信に満ちた顔をし、頭を下げて部屋を後にした。

 

 第九階層を行き、出かける前に挨拶をしなければいけない主人の下を目指す。

 これまで支配者の下にいたのだから、決してその姿は乱れていない。しかし、デミウルゴスは目的の扉の前で再度身嗜みを確認した。

 コキュートス配下の者達に目礼をすると、デミウルゴスは戸を叩いた。

 すぐに開いた扉から顔を出したメイドに告げる。

「フラミー様に出発前のご挨拶を。」

「かしこまりました。少々お待ち下さい。」

 扉の隙間からはきゃあきゃあと至高の世継ぎの楽しげな声が聞こえる。

 デミウルゴスは思わず微笑んだ。

 一度扉が閉じ、再び開いた時、中では輝く翼を背に持つ大天使――であった悪魔の王がいた。

 王者達の子は今日も元気にぽてぽてと歩いていた。

 その前に進み、何の躊躇いもなく片膝を落とす。

「デミウルゴスさん、またお出かけなんですね。」

「は。御身とアインズ様に最良の結果を捧げられるよう、行ってまいります。二週間私はナザリックを離れますが、御身のスケジュール管理は引き続き行いますので、何かございましたらいつでもご連絡下さいませ。」

「ありがとうございます。――ねぇ、デミウルゴスさん?」

「はい。」

 フラミーは少し遠くを見た気がした。

「少し前にね、皆の夢を見たの。」

「皆――でございますか?」

「そう。ウルベルトさんや、皆の夢。」

 デミウルゴスは創造主の名前にわずかに沸き立った。

 今日は二回も創造主の名が聞けた。しかも、二度目はフラミーの口から。それだけでデミウルゴスの鼓動は早まるようだ。

「――楽しかった。ウルベルトさんにも、皆にも見せてあげたい。この綺麗な世界。」

 デミウルゴスはうなずいた。外はナザリックほど素晴らしくはないが――フラミーがいればどこでも素晴らしくなるし、望むのならば素晴らしくするべきだ。

「御身の願いは必ず叶えて見せます。この原生の姿をとどめ、支配を進めます。」

「ありがとうございます。じゃあ、行ってらっしゃい。」

 フラミーがデミウルゴスに手を振ると、歩いていたナインズはフラミーに手を振った。

「ナイ君、お母さんじゃなくて、デミウルゴスさんにお手手振って?」

「えみえみ?」

「そう。でみでみに、行ってらっしゃーいってね。」

 ナインズが振り返り、手を振るとデミウルゴスは深々と頭を下げ、その部屋も後にした。

 

+

 

 裁きを受けしアリオディーラ煌王国には動く者はいない。

 その国は太陽の光が届かないため、都市の植物達は花を咲かせることも、実をつける事もなく、静かに色を失っている。

 そこには鳥一匹おらず、まるで全ての生が死に絶えたような様子だった。

 しかし、耳を澄まして見れば全ての家、全ての通りには地獄の苦しみに悶える声がこだましていた。

「おゆるじを……おゆるじを……。」

 

 奈落の主(アバドン)はそれを天から冷徹に見下ろしていた。

 中には苦痛に慣れる者もいるため、そんな時にはその身に生えている太い蠍の尾を突き立ててやり、更なる苦痛を重ねた。

 万一死に臨む者がいれば、奈落の主(アバドン)は悪鬼羅刹が如きとなり、責め苦を与え、生きて罪を償うように説いた。

 

 しかし――『今日で私の役目も終わりか。』

 

 素晴らしい五ヶ月を過ごした。人間達もそれはそれは悔い改めただろう。

 奈落の主(アバドン)に、今は何も捕えていない千年牢獄の前に帰らなければいけない時間が迫る。

 奈落の主(アバドン)は城の前に開いている地獄へ通じる奈落の穴の前へ降り立ち、そこを指さした。

 国中の蠍イナゴ達は弾かれたように醜悪な顔を上げると、途端に飛び立ち、奈落を目指した。

 風呂の栓を抜いた時に、排水溝に向けて水が渦まくかの如く、国中の空に立ち込めていた黒雲が奈落へ吸い込まれ始める。

 それに乗ってイナゴ達は奈落へ帰還して行った。

 

 天を穿つ黒い竜巻きは巨大で、最古の森からもその様子は見えた。

 

「…ついにアバドン殿が帰られるのか…。」

 

 タリアトは今日に合わせ、人間の奴隷達の解放を行った。

 彼らは昔ここに木を切りに来た木こりだ。別に拐ってきたわけではない。

 人間達は際限なく木を切り、やれ薪だ、城門だ、それが終われば領土開拓。とにかく木を切ることにうるさい生き物だった。

 人間の奴隷達にはそれこそ罰を与えていたのだ。

 上位森妖精(ハイエルフ)は非情で、人間を奴隷にする――と言う評判は最古の森を守る良い看板だった。

 一時は奴隷を解放することで、上位森妖精(ハイエルフ)への畏れが減るような事があっては困ると議会では問題視もされたが、竜王を超えるかもしれない存在達の前では些末なことだと皆サジを投げた。

 

 黒い竜巻きは次第に小さく細くなり、ついには消えた。

 全ての片付けが終わると、奈落の主(アバドン)は一言『神が罪をお許しになる事を感謝しろ』と言い、奈落へ足を踏み入れた。

 奈落の主(アバドン)の頭はトプンッと闇に消え、穴は閉じた。

 辺りにはようやく温かな春の日差しが届き、まるで何事もなかったかのような澄んだ空気が満ちた。

 ただ、五ヶ月間光合成できなかった植物たちは、イナゴに貪られなかったとは言え厳しい寒さもあり酷く痩せ細っていた。

 街路樹や庭木はそれでも良いが、農作物への打撃は生活に直結するため、飢饉すら覚悟する必要があるような有様だ。

 

 人々の身からも次第に呪いは解け始め、皆驚愕に染まった瞳で自分の手を見た。

 痛みで体を丸まらせていたせいで酷く体は凝っているし、もがいていたせいで傷だらけだ。

 

 しかし、皆が痛みと苦しみのない自分の姿に喜び涙を流した。

 

 そして、誰かが通りへ躍りでる。

 その格好は膿や排泄物に塗れていて、かつてであれば直視することなどできなかっただろうが、今は皆が同じ格好だ。

 

「――城へ……城へ行くぞ!!」

 それに応え、うおおおと雄叫びを上げる者はそこら中にいた。

 

 膿を落としたり、べったりと着いた汚物を洗ったり、伸びっぱなしの髪や髭を整え人間らしい格好になると男達は行進した。

 一方女達は家の片付けに忙しく過ごした。

 家は方々にあのおぞましい虫達が侵入する為の穴が開けられている。殆どの家はぼろぼろと穴が開き、そこから雨水が侵入した形跡もあるため、相当に痛んでいた。

 皆が、新たな木材と国からの支援が必要だと――そして、何より今回の説明を求めるため王城へ向かった。

 

 王城には多くの民が押し寄せていた。

 城の門でぐったりと座り込む番兵達に、あの天使の行進があった日――裁きが始まった日に何があったのだと詰め寄った。

 ――そこで聞いたものは、民の心を滅茶苦茶にかき乱した。

 抑えきれない怒りは空気を震わせるように広がった。

 哀れな番兵達は怒りの矛先を向けられ殴り殺された。

 民達は何か(、、)に突き動かされるように怒りに身を任せた。

 番兵達も民と同じく無関係だったというのに。

 彼らはここを出入りしていた冒険者達の様子から推察した事を話したに過ぎなかったと言うのに――。

 

「…王を引き渡すわ。」

 極寒の瞳で告げたのは半森妖精(ハーフエルフ)の軍師、ロッタ・シネッタだった。

「ロッタ…すまなかった…。お前に相談していれば――」

 大将のグラルズは後ろ手に縛られた王を見ながらそう言った。

「グラルズ閣下。私は閣下を尊敬しておりましたし、閣下の頭脳としてやって参りました。ですが……それが決して許されぬ事だとは相談されずともお分かりになっていたはず!今回の件は裁きが終わったからと言って、とても見過ごせるものではありません!共に苦しんだ民には何一つとして罪などなかったと言うのに!!」

 ロッタとグラルズの横で煌王は大量の脂汗をかきながらそれを聞いていた。

「………たい。」

「なんです。」

 煌王がぼそりとなにかを呟くとロッタは激しい怒りを込めて睨みつけた。

「…ここから…離れたい…。」

「言われずともそうして頂きます。国民への説明責任を果たすため。おい、王を民へ差し出せ。」

 既に城の玄関からは折り重なるような怒号が聞こえてきている。

 煌王はロッタの指揮下に入った軍人達に立たされると、恐怖に顔を歪め、自分の腕を左右から掴む二人を見た。

「さ、さ、差し出すだと!!」

「民の怒りを治めるためにはそれしかありませ――」

「嫌だ!!それくらいなら地下牢に入れろ!!地下牢にぃ!!」

 王は口角に泡を飛ばしながら狂ったように地下牢へと叫んだ。

 無様な様子はロッタや周りの軍人達をただただ苛立たせた。

「――森妖精(エルフ)を平気で殺すように指示したくせに…。」

 ロッタは美しく、いつも優しかった森妖精(エルフ)の祖母を思い出し唇を噛んだ。この国ではいつも祖母は差別されて暮らしていた。

 

「ロ、ロッタ。ですが、森妖精(エルフ)は皆光神陛下が復活させて下さいました。」

 そう告げたのは第五王女だった。

「フィリナ様。命は取り戻――」

「取り戻せば良いと言うものではない。神王陛下にも言われました…。苦しみも憎しみも、復活したからと言って消えるわけではありません。そして、決して取り戻されない命もありました…。」

 最古の森へ上位森妖精(ハイエルフ)に助けを求めに行った第五王女はそこで神々よりお叱りを受け、自らの意思で裁きの地に戻ったと言う。

「ふぃりなばっかり……!ふぃりなだって知ってたくせに……ふぃりなばっかり楽して……!!」

 毒吐いたマリアネにフィリナは信じられないものを見るような目を向けた。

「わ、私だって共に裁きを受けたのです!!」

「あんたのは裁きのうちになんか入らない!!私は…私はぁ…もっど酷い目にあっだのよぉ…!!」

 マリアネが泣きながらそう語ると、聞いていた軍の一人がダンッと足を踏み鳴らした。

「誰もが苦しんだんだぞ!!」「第一王女も連れていくぞ!!」「引き摺り出してやる!!」

 軍人達は王と第一王女を掴んだ。そして引き摺り、城の玄関へ向かう。

「い、いやあぁぁああ!!離してぇぇええ!!裁きは終わったのにぃいぃい!!」

 マリアネの絶叫が広い城の廊下に嫌に響いた。

「…お姉さま…。」

 フィリナは数歩進んだが、ロッタはそれを止めた。

「我慢を。軍の者達とて気持ちは民と同じです。我々も民なのですから。」

「…はい…。」

「とは言え――フィリナ様。あの様子ではじきに民は二人を殺し、王族に連なる全ての者と、全ての軍人、城仕えも殺そうと動き出すでしょう。」

「………なぜ?」

「一部の軍人と王族以外は何も知らず共に裁きを受けた…。ですが、民がそれに納得できるはずもありません。」

 フィリナは目に涙を溜めゆっくりと顔を左右に振った。

「う、嘘です…そんな…。」

「これからは軍に属していたり、城に仕えていたと知られれば暴力的な私的制裁に合うでしょう。今回の作戦に何一つ関わらなかった者も。」

 辺りにいる兵やメイド達の顔は絶望に染まっていた。

「で、では…皆鎧やお仕着せを脱いで逃げては――」

「…城にある使用人リストや軍に所属する者のリストは今急ぎ始末させているところですが…駐在所や訓練場のリストは始末しきれないでしょう。リストを燃やすように伝令を出そうとしましたが、馬も伝書鳩も逃されていました。伝言(メッセージ)も距離が遠く届かない場所が殆どです。リストが渡ればそれに載る者は一人として逃れることはできないでしょう。勿論、城仕えの者達もここを出ることなどできない。出た姿を誰か一人にでも見られれば――殺されます。ここからは戦争の始まりです…。」

「そんなの…そんなの…。」

 信じたくないとフィリナは何度も首を振り、グラルズは疲れたように息を吐いた。

 

 その後すぐにロッタの話した地獄は訪れた。

 裁きの正体を知った者達が軍部を炙りだせ、庇う者を殺せと声を上げた。

 あらゆる軍の施設は急襲され、抵抗すればするほどに人民の軍部への怒りは増す一方だった。

 そして、ついに軍人のリストは怒れる民の手に渡った。

 その家族すら攻撃の対象にならんとする程の怒りを前に、城の門は堅く閉じられ、沈黙した。

 

 全ての行いが裏目に出る。

 ろくに食料のないその地で、城には食料の備蓄があるはずだと、それを城にいる人間達は独り占めしようとしていると、再び火に油を注いだ。

 

 そして生贄のように引き渡された煌王と第一王女マリアネは城の壁に晒され、あらゆる暴力をその身に受けた。

 息も絶え絶えになると、マリアネは「ようやく死ねるんだ」とどこか清々しい顔をしたらしい。

 が、その晩忽然と二人は消える。

 裸に剥かれ、一部内臓も見えるような状況だった為誰かが助けて匿っているはずだと国中の家を捜索した。

 しかし、どれだけ探してもどこにも二人はいなかった。

 ――となれば、行き先は城しかない。

 人々は一層城に殺到した。

 

 そして、城の備蓄がなくなろうとするある日。

「――ロッタ。私も出よう…。私を差し出す事でまた民の怒りの矛先を作れる。」

「グラルズ閣下……。…では、せめて拷問されぬようその首を落としてから――」

 ロッタが腰に佩く剣を抜くと、フィリナはあの日の女神の言葉を思い出した。

 

 ――もっと違う出会い方をしたかったですね。さようなら、シャグラ・ベヘリスカ。嫌いじゃありませんでしたよ。

 

「や、やめて下さい!!もう二度とこんな事は繰り返しちゃいけません!!」

 ロッタはフィリナを忌々しげに睨みつけた。

「……ではフィリナ様が行かれますか。」

「ロッタ、やめろ…。」

「閣下…。」

 キンッと剣が戻されると、頭を抱えていた一人の兵が呟いた。

「…シネッタ軍師と大将閣下がいるんだから…民くらい制圧できるんじゃないのか…?」

 それを聞いた者達はわずかな希望を見出し顔を上げた。

「…近くの施設に篭城している者達とは伝言(メッセージ)が通じてるし…。」

「できるんじゃないか…?」

小鬼(ゴブリン)を数百人討伐したときのことを思い出せよ。」

「そうだ…。そうじゃないか!」

「オーガの群れとだって俺たちは渡り合ってきたんだ!!」

「そうすれば大将閣下だって死なないで済む!!」

「皆飢えから逃れられる!!」

 次々と兵達が立ち上がる様子に、ついにこの時が来てしまったかとロッタとグラルズは静かに目を見合わせた。

 鎮圧できる自信は、ある。

 民に向けて剣を抜く覚悟だけがなかった――が、生き延びられる可能性を前に兵達はやる気に満ちていた。

 フィリナはやめてくれと叫んだが、男達の雄叫びを前にかき消された。

 今度こそ止めなければいけないのに、フィリナにその力はなかった。

「……やるか。」

「…はい。私に良い考えが。」

 二人は立ち上がり、城にいた隊長や小隊長クラスの者を呼び出した。

 対上位森妖精(ハイエルフ)を見越して作られている堅固な城の構造や、対亜人を見越した作戦案、これまで幾度となく繰り返されてきた訓練から、最も良い動きが導き出された。

 

 そして、城の扉は開けられ、戦争が始まる。

 

 その様子を楽しげに眺める悪魔達は微笑んだ。

 自動的に牧場補給の痕跡も消えて行った。

 

「不敬な二人もナザリックに送れましたし――後はこの内乱を治めた者に市長になっていただきましょう。さぁ、誰がその身分にふさわしいか楽しみですね。」

 

 適切なタイミングで手を差し伸べ、国の管理下に落とし込む事に決めたデミウルゴスはしばらく余興を楽しんだ。




お久しぶりでした!あけましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたしまーす!
裏のウルベルートを毎日書いてるせいで疎かになってます(直球

usir様にオアシス確保御身いただきました!

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#92 閑話 新通貨

「じゃあ、昼までには実験と仕事済ませて行きますね。」

「終わったら連絡下さい!向こうからナザリックに転移門(ゲート)開きますから。」

 

 フラミーは部屋を出る前のアインズに微笑んだ。

 人の身のアインズにそっと抱き寄せられ背をさすられると、好きだという気持ちや恥ずかしさがトキメキとなり胸の内を叩いた。

 

 周りで控えている戦闘メイド(プレアデス)は幸せそうにその様子を眺めた。

 フラミーは自分の鼓動で体が揺れてしまいそうだと思い、アインズのローブを握り締めると、アインズの腕の力も強まった。

 そしてクラクラしてきて――「フラミーさん?」鼓動を生む人が心配そうに顔を覗き込んだ。

「大丈夫ですか?」

「あの…好きって思ったら…あのぅ…。」

 顔を赤くしたフラミーがそんな事を言うと、アインズも苦しいほどの鼓動の共鳴に悶えた。

「フラミーさん、少しだけ…。」

 顎を支えるようにして口付けられると聞こえてくる鼓動は再び足元と体をぐらぐらと揺らした。

 精一杯の背伸びは足を震わせ、ローブにしがみ付く手の力が強まる。

 

 唇が離れようとすると、足首に増えた羽を少し羽ばたかせ、フラミーは数センチ浮いた。離れかけた唇は再び繋がり、そして離れた。

 離れるまでの時間を一秒は稼げたかもしれない。

 

「ん…はは、離れがたいな。」

 

 フラミーからの短い求めに気付いた様子のアインズは照れ臭そうに笑った。

 アインズのローブに隠されるように抱きしめられると、ふわふわの甘い毛布の中を思い出し、フラミーはまた胸が苦しくなった。

 

 小さな熱はまだまだフラミーがアインズに恋している証拠のようだった。

「ふむ、働く気も失せるな。」

 非常に真面目な顔でアインズがそう呟くとフラミーは赤くぼんやりとしていた顔をふるふると振り、我に帰った。

 

「お父さん、お仕事頑張ってください!私もお出かけの準備しなきゃいけませんし。」

「やれやれ、肝心の甘やかしたい人がこれだからなぁ。」アインズはさらりとフラミーを撫でた。「――それじゃ、行ってきますね。」

「はぁい!いってらっしゃぁい。」

 

 フラミーはアインズを見送ると、ほぅっと息を吐いた。

 

(ドキドキして、緊張して、きっとこうやっていつまでも…死んじゃう時までふわふわしてるんだ。)

 

 毎日のように出掛ける前の時間をそんな風に過ごしていれば飽きそうな物だが、今日も飽きもせずに二人はそんな感じだった。

 

「――さぁて、じゃあ、ナイ君起こさないとね〜。」

 

 フラミーは寝室に戻るとまだむにゃむにゃと夢見心地の息子を起こした。近頃ではもうベビーベッドもやめ、ナインズは両親と同じ広いベッドで挟まれるように眠っている。アインズはフラミーがいないと眠れない――それこそ子供のような体質な為に――ナインズごとフラミーを抱いて眠るのが習慣だ。

 

「ナイ君、おはようございます。」

 眠たそうなナインズはフラミーが頭を下げるとそれを真似て頭を下げた。

「今日はお母さんとお外にお出かけですよ。」

「おかぁ?」

「うん。お母さんとお出かけ。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)戦闘メイド(プレアデス)もいるからとっても楽しいよ!」

 

 途端にやる気満々になったような顔をしたナインズの頭を優しく撫でてやる。

 フラミーはうろうろと歩くようになったナインズにズボンとニットを着せてやった。動きやすさ第一の服だ。

 

「これで良し。」

 

 ――ところがご機嫌だったはずのナインズはニットを引っ張りご機嫌斜めな顔をした。

 

「ちくちく。」

「あらら?このセーターちくちくするの?」

「ちくちく。」

「やだねぇ?<大治癒(ヒール)>。ちくちく飛んでけ飛んでけ。」

 

 ちくちくするセーターと言うのはフラミーも何度も着たものだが、そのセーターは非常になめらかでふわふわとしていた。随分と贅沢な子に育ちそうだと苦笑してしまう。

 これまではお人形のように過ごしていたが、段々と自己主張をする様になり、フラミーは時の流れの早さを毎日のように感じていた。アインズの寿命巻き戻し実験への力の入り方も日々強くなる。

 

 母親を知らないフラミーはわからない事だらけの育児に魔法を使ったり、アインズに泣きつく事で何とか対応した。

 

 フラミーが飛んでけ飛んでけと腹をさすっているとナインズは満足そうにした。

「チクチクなくなった?」

「はぁー!」

 ナインズがご機嫌に両手をあげるとフラミーは息子を抱き上げた。

「あぁ〜!良かったねぇ〜!」

「はぁ〜!」

 よく似た顔をした二人は笑い合うと寝室を後にした。

「それじゃ、皆さんお出かけしましょー!」

「「「「はい!」」」」

 戦闘メイド(プレアデス)が声を揃えて答えた。

 

 今日のピクニックは八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)に本当の雪を見せてやると言うのが主目的で、ついでに歩くようになったナインズを外で遊ばせてやる予定だ。

 

 ナザリックの外には春が訪れ、山に降る雪は全てを凍らせるものから優しく包み込むような物へと変わった。

 

 絶好の雪見日和だろう。

 

+

 

 若返りの実験を済ませたアインズはへとへとの体で一度ナザリックに戻ってきた。

 

 まだ仕事があると思うと大変遺憾だった。

 愛する妻子がピクニックに行っていると言うのに、働くお父さんは宝物殿へ飛んだ。

 

 フラミー像に出迎えられ、血の繋がらない息子の下へ行く。

 宝物殿は護衛なしで過ごせるため、なんだかんだとアインズの気持ちを休めるのに良い場所だった。

 

 今日は八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が全員フラミーと共にピクニックに行ったのでハンゾウがずっと一緒にいたが、ここまで来る事はできない。

 

 リアルの頃は営業成績や上司、就労時間にストレスをためていたものだが、ところ変わればまた新たなストレスに悩まされている。今はプライバシーがない事が一番ストレスだ。少し前は神様ムーブに一番ストレスをためていたが、もはや慣れてきたし、妻や息子を養うために必要な仕事だと思えばどうと言うこともない。

 ところがその仕事が終わってもプライバシーがないと言うのはなんたることか。

 フラミーは孤児院の大部屋で育ったせいもあり、人が周りにいることにそうストレスを溜めている様子はない。が、人目のあるところでひっつきすぎ、フラミーの恥じらいメーターが突き抜けてしまうと逃げられるようになる。そうなるとアインズのオアシスは枯渇状態だ。

 

(今朝は珍しくフラミーさん甘えん坊だったなぁ〜。)

 

 思い出すだけで骨の顔が緩みそうになる。

 

 あの足首に生えた翼は謂わば犬の尻尾のようなものだ。フラミーの楽しい気分や幸せな気分に反応してぴこぴこと動き、少し浮かぶ。

 

 フラミーの足が地についていない時はアインズも上機嫌だ。

 二人っきりの時はよく数センチ浮いているが、周りに僕がいるとあまり浮かばない。

(やっぱりプライバシーだよなぁ。)

 神様は心の中でぶつぶつと文句を唱えながら進んだ。

 

 たどり着いた応接室を軽くノックし、返事も待たずに部屋に入った。

「パンドラズ・アクター、待たせたな。」

「父上!よくぞいらっしゃいました!」

 相変わらずハイテンションな息子は背中に集中線が描かれた板を背負い、胸に片手を当て、もう片方の手をアインズへ差し伸ばした。

 

「…そのおかしなアイテムはやめなさい。それで、大事な話とはなんだ?スケジュールの後がつかえているんだ。早急に、簡潔に、何一つ飾り立てることなく話しなさい。」

 アインズは何の遠慮もなくソファに掛けた。

 

 一方パンドラズ・アクターはこのアイテムの何が悪いんだろうと思いながら板をしまった。

 

「は。では――父上、支配地域拡大に伴い我が国の硬貨が広く流通するようになりました。このままのペースで国土が広がれば鋳造と採掘が追いつきません。そこで、畏れながら紙幣の導入を具申いたしたく、本日はお時間を頂戴致しました。」

 

 アインズはぴくりと存在しない眉を動かした。

 

「紙幣――か…噂には聞いたことがあるが…国民に紙幣を理解することができるか。」

 

 電子マネーとキャッシュレス決済が当たり前になった二一三八年を生きた男は紙幣を生まれてから一度も見たことがなかった。

 

 現在この世界では貨幣のみでやり取りが行われる。非常に原始的だが、商人で両替天秤を持っていないものはいない。貨幣の重さで価値を確かめるのだ。

 

「その点に関しては私の方から国中へ事を発布いたします。」

「そうか、お前ならうまくやり遂げるだろう。」

「恐れ入ります。では――通貨単位を決めましょう!」

 

 パンドラズ・アクターは楽しげに告げた。

 

「これまでは金貨何枚、銀貨何枚と言うやり取りが行われて参りました。あやふやな価値設定故に税をかける際になにかと不便でしたが、十進法に則り、確かな価値を定め、何を何枚という呼称は封印させます!!そして、税は何パーセントと割合にて徴収いたします。」

 

 早口に喋ったパンドラズ・アクターはいつの間にか隣に座っており、アインズの骨の鼻にちょんと丸い顔を触れさせていた。

 

「ええい、近いと言うに。」

 アインズはぐいっと顔を押し戻すと、座り直した。

「確かにお前は何かと税の事で悩んでいたな。しかし単位を決めると言うのも難しい話だ。アルベドやデミウルゴスは何と言っていた?いつもの会議は開いたのだろう?」

「実を申しますと、父上がこの案にご反対される可能性は限りなくゼロに近い、と我々の中で結論が出ておりました。」

 

 アインズは「紙幣なんて見たことないしやめようよ」と言わなくて良かったと心の底から安堵した。

「そこで、お忙しい父上の手を何度も煩わせないよう、先にナザリック内にて神聖魔導国で使われる通貨単位の募集を行いました。投書は全部で四五一三件寄せられ、中にはフラミー様とナインズ様より頂戴したご意見もございます。」

「何?フラミーさんは分かるが…ナインズからも?」

 

 パンドラズ・アクターは頷くと、自分の持つ空間の中からトランプカード程度の大きさの紙を一枚取り出した。

 

「ナインズ様からのご提案はこちらでございます。」

 

 アインズがそれを受け取ると、一つぐりぐりと黒い丸が描かれていた。

 

「読み方をお聞きしに伺ったところ、"っんぁああだぅ"だそうです。」

「なるほど。さすがはナインズ。賢いな。」

「誠に!新たな文字が生まれる瞬間に立ち会い、感無量でございます。ではこちらにいたしますか?」

 

 アインズは真面目な顔で不詳の息子にズイッと顔を寄せた。

 

「お客様、お会計は一万っんぁああだぅでございます。――どう思う。我がパンドラズ・アクターよ。」

「素晴らしいかと。」

「……再び問おう。五十四っんぁああだぅのお返しでございます。――どう思う。我が、パンドラズ・アクターよ…!」

 

 パンドラズ・アクターは顎に手を当て数秒考えた。

 

「…素晴らしいかと。」

 

 アインズは特大のため息を吐くとソファに背を預けた。

 

「パンドラズ・アクター。これをナインズが書いていなければどうだ。国民達が会計のたびにっんぁああだぅと言っている姿をおかしいとは思わんのか。」

「なるほど、促音と"ん"で始まるのは些か発音に問題があるかもしれません。」

 

 そうじゃない。

 

 アインズは眉間を押さえた。

「お前はもう少しナインズを疑う事を知れ。これはナインズの愛らしいお絵かきだ。っんぁああだぅは言わば作品名にすぎん。投書はフラミーさんのお茶目だろう。」

「なるほど、さすがは父上。ではこちらは額に入れて宝物殿にて保管いたします。」

「そうしろ。さあ、今度こそ投書の意見を聞かせるんだ。」

 了解の意を示したパンドラズ・アクターはスクロールを取り出し、上下にくるくると開いた。

 

「では、発表いたします。重複した人気の通貨単位、第五位!」

 パンドラズ・アクターのどこかからかドラムロールが響きだし――ババン!と鳴った。

「――チーノ!」

「ほほう。良いじゃないか。これは第一から第三階層の者達からの意見だな。」

 単位の多くは人名から取られている。アンペアやシーベルトはその代表だ。

「おっしゃる通りにございます。シャルティア様が四十三票入れたところでアルベド様より呼び出しが行われました。」

「無記名だろうに、何故シャルティアと分かった?」

「は。こちらを。」

 アインズはパンドラズ・アクターから再びトランプカード程度の大きさの紙を受け取った。

 そして読み上げる。

「チーノでありんす。――なるほど。さすがペロロンチーノさんの娘だ。」

 紙をパンドラズ・アクターに返したアインズは若干遠い目をした。鼻高々な金色の鳥を幻視する。

 

「では、第四位の発表!」

「ドラムロールとババンはもう良いからな。」

 バと鳴ったがパンドラズ・アクターは涼しい顔をして告げた。

「モモンガ――様!」

 アインズは思わずぴくりと反応した。

「な――あ、そう言うことか。」

「は。このモモンガ――様という単位は絶大な人気がありましたが、私の方からこれ以上の投書を禁止させて頂きました。」

「正解だ。よくやったぞ。そんなふざけた単位があるか。」

「全くでございます。この御名はあまりにも崇高であり、国民に敬称を付けずに口にさせる事などできません。放置すれば恐らくこちらが第一位となったでしょう。」

「……そうか。」

 ここの居心地はいいが、たまにこの息子とは話が通じない気がした。

 ナインズが普通の感覚で育ってくれることを祈るのみだ。

 

「では続いて第三位の発表でございます。ババン!」

 ついにババンと口に出して言われた。

「ゴウン!!」

「ん?ゴウンは良いんじゃないか?長さも中々良い。」

「中々のセンスです。しかし、父上をゴウン魔導王陛下とお呼びする者もいるので紛らわしいです。」

「それはそうだな。」

 アインズが頷いて見せると、パンドラズ・アクターは次の案を口にした。

 

「では、映えある第二位!ババン!――オードル!」

 だんだん発表までの時間が短くなってきた気がする。

「おぉ。これは第七階層の悪魔達からか。米ドルや豪ドルみたいで良いじゃないか。」

「お気に召したようで何よりでございます。では、こちらは候補として残します。」

 アインズはもうこれで良いんじゃないかと思うのと同時に、気になったことがあった。

 

「パンドラズ・アクターよ、フラミーさんは…その…オードルを入れたか?」

 パンドラズ・アクターは今言おうと思ってたのにとでも言うような空気を出した。

「父上、第一位の発表の前に、フラミー様のご意見の発表です。」

 つまり、フラミーはウルベルト・アレイン・オードルの名であるオードルを取ってはいないのだろう。

 アインズはそれだけでどこかほっとした。いや、"ウルベルト"と言われたら少し落ち込む。

 

「フラミー様のご意見は――エン!字は丸を意味する円です。」

「なるほど。…まぁそうだな。ふぅ。」

 アインズも通貨単位を決めようと言われ、一番に円が思い浮かんだ。

 ウルベルトとまるで無関係だったことについほっとしてしまう。

「そうだな、と、言いますと?」

「円は私達に最も身近な通貨単位だ。」

「おぉ…!ではこちらに致しますか?」

 アインズはゆっくりと首を振った。

「いや、円はやめよう。」

 何もかもが厳しかったリアルを思い出しそうだった。

「さようでございますか?」

「あぁ。ただし、フラミーさんが円が良いと望むのならば円にする。」

「かしこまりました!」

 パンドラズ・アクターはどこか嬉しそうだった。

「さぁ、最後に一位を聞かせてくれ。」

「では、申し上げます!第一位!」

 ババンっと小気味良い音が鳴った。わずかに溜めてから、パンドラズ・アクターは告げた。

 

「ウール!」

 

 アインズはふむ、と肯いた。

「オードルより良さそうだな。」

「私もそのように愚考いたします。恐れ多くも父上の御名ではありますが、国名でもありますし、由来が確かなので浸透も早いかと。」

「違いないな。ウールで何か問題がないか今一度話し合いを行え。本日中にフラミーさんに円とウール、どちらが良いか確認を取る。明日から新通貨の発布に向けて動き出せ。」

「かしこまりました。」

 アインズは支配者らしい動きで立ち上がった。

 

「話は以上だ。――私はピクニックへ行く。」




わーい!通貨導入だぁ!

花月喜様、usir様、ユズリハ様!
新通貨のご提案をありがとうございました!
素晴らしい僕達に喝采を!

裏ウルベルートが終わる終わる詐欺をかましていて忙しいです(`・ω・´)

そしてusir様にちゅーをいただきました!!!

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#93 雑話 寒さ耐性

「この辺りにしましょっか!山の天気は変わりやすいってアインズさんが言ってましたし、今は晴れてますけどきっと雪も降りますよ。」

 沈黙都市のそばの山の中腹に着くとフラミーはナインズを下ろした。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)は七匹と八匹の二班に分かれ、七匹はフラミーのそばに、八匹はナインズのそばに付いた。全員がフラミーに与えられた揃いのマフラーを着けているのが愛らしい。

 ナインズが転ぶことも厭わずに冒険を始めると、その後を姿を現している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が追った。本日は彼らはオフなので、ナーベラルとシズ、エントマが遊びと護衛のために付いて行った。当然八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)本人たちにオフと言う意識はない。

 

 フラミーは外の世界で雪と戯れるナインズの様子を目を細めて眺めた。

「それではボ――私達が御身にお過ごしいただく場所をお作りしますので、少々お待ちください。」ユリは頭を下げるとソリュシャンを手招いた。「テーブルとイスを出してちょうだい。」

 辺りは柔らかそうな雪の間からちらほらと緑が垣間見え、雪解け水に作られた細い小川がちょろちょろと流れている。

 ソリュシャンは胸に当てていた手を体の中に、とぷんっと収め、もそもそと内部を探った。

「えーと、テーブルとイスと…クッションも出すわね。」

 

 そう言って体の中を探っていると、突如、ソリュシャンの顔から男の腕が突き出した。それに合わせて刺激臭が一瞬その場に満ちる。強力な酸と血液が反応し、シュゥゥ…と煙を上げていた。

「あっと、失礼いたしました。」

 フラミーが数度またたく中、何かを掴もうと必死にもがく腕は無造作に顔に押し込まれた。

 

「…あなた、まだそれを持っていたの?」

 ユリの呆れたような声にソリュシャンは少し恥ずかしそうな顔をした。

「せっかくいただけたおもちゃですもの。」

 "神が清めた石"や"神が踏んだ砂"などの神にまつわる悪徳商法をした者などは基本的に裁判後には真っ直ぐにナザリックへ送られてくる。そう言う者は一度拷問官であるニューロニストの下へ運ばれるが、所望する者へたまにこうして回して貰えるのだ。当然アインズから許可は出ている。

「テーブルやクッションは汚れていないでしょうね?」

「それはもちろん。巻物(スクロール)やポーションも納めているけれど、被害はゼロですわ。」

 ソリュシャンは言いながら折り畳まれた屋外ファニチャーを体から次々と取り出した。

 

「捕食型粘体(スライム)ってすごいですね。こんなの入ってたの全然わからなかったなぁ。」

 フラミーは興味深そうにソリュシャンの全身をじっくりと眺めた。

 

「外見に出ないのは元々私の中身が空だと言うことと、特殊な魔法の効果が体内に働いているためかと思います。」

「サニーは食べたら食べただけ大きくなるみたいなのに、やっぱりうちの子は特別ですね。」

「さにー、でございますか?」

「神都に出た衛生(サニタリー)スライムの特殊進化個体ですよぉ。」

 二人が話している横でユリとルプスレギナはせっせとピクニックセットを広げた。そしてルプスレギナが背からパラソルを引き抜く。聖印を象ったような巨大な聖杖と共に背負って来たのだ。

 

 開いたパラソルをドッと地面に突き刺せば――「よっと!これで完成っすね!」

「ルプス、その喋り方はやめなさい。」

「大丈夫っす、てぃーぴーおーは弁えてるっすよ!」

「フラミー様に直接話しかけていなくても、お耳に入れるには相応しくない喋り方だわ。――さ、フラミー様。お掛け下さい。」

 ユリが椅子を引くとフラミーはそれにちょこりと座り、二人を見上げた。

「ありがとうございます。二人とも言葉遣いとか気にしないで自由に喋ってくれて良いんですよ!なんなら、フラミー様じゃなくてフラミーさんとか、フラミーとかだって良いですし!」

「「いえ、そうは行きません。」」

 ユリと途端に真面目な雰囲気になったルプスレギナは声を揃えて首を振った。

「はは、だめかぁ。」

 フラミーは少し残念そうに笑うと、アインズから借りてきたカメラを取り出し、ふかふかの雪の中で溺れるように遊ぶナインズの写真を撮った。

 多少転んでも痛がらず、寒さを感じない体で楽しそうに笑っていた。

 雪玉をシズとエントマが丸め、それを八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達と投げ合う。

 リアルでは考えられない遊びだ。

 

 リアルに降る雪は空気中の毒に汚され、黒に近い灰色になっていた。

 酸性に強く傾いた雪も雨も、世界を汚す。とても触れたいと思うものではなかった。汚染されたかつての恵みは川や海、土中に暮らす生き物を容赦なく殺し、死の土は作物を育てさせる事を許さない。鉄はことごとく錆び、コンクリートを急速に老化させる為に建築物の寿命は短い。

 そんな汚された世界ではあったが、アーコロジーの中には汚れた雨が無尽蔵に降り注ぐことはなかった。ともすれば飲めてしまうほどに綺麗な水が雨として降らされるのだ。空気も綺麗に管理され、あの中はあるべき地球の姿を留めようとしていた。

 

 ――当然フラミーはアーコロジーの外で暮らしていた。

 

 フラミーは戦闘メイド(プレアデス)に囲まれて、幸福に浸るように過ごしていると――ナインズが控えていたナーベラルに雪玉を投げ付け、ガタンっと腰を上げた。

 

「ナイ君、遊ぶって言ってない人に投げたりしちゃいけません!」

 ナインズは突然のフラミーの大きな声に驚き目を丸くした。

 フラミーはひゅるりとナインズの下へ飛ぶと、すぐにその前に膝をついた。

「ナインズ、いけません。ナーベラルは一緒に遊んでなかったでしょう?冷たいの投げて、痛くしちゃってごめんなさいしないと。」

 言葉によるコミュニケーションが取れるようになってきたとは言え、ナインズは何のことかまるで分からないようで、何故自分が今叱られているのかと呆然としていた。彼の体の辞書に痛みや寒さ、暑さと言った文字はない。

 

「フラミー様、私はどうと言うことありません。どうぞお気になさらず。」

「だめですよ。いつかこの子は百レベルになるのに、その時に不用意に皆を傷付けるようなことになっちゃいけないですもん。ナーベラルも痛いって言って。」

「し、しかし…。」

 

 フラミーは少し悩むと自分の腕から温度への耐性を持たせる腕輪を抜いた。ほぅっと白い息が流れていく。

 辺りは寒いが――太陽の光は暖かいし、耐えられないほどの寒さではなさそうだった。

「ナイ君、おてて出して。」

 フラミーがちょうだい、と手を出すとナインズは持っていた小さな雪玉をフラミーに渡した。

「…ありがとうね。これもちょうだい。」

 その小さな手から温度耐性の指輪を抜いた。

「っんぇ!?」

 ナインズは驚いた顔をするとフラミーの胸に激突した。自らを包ませようとフラミーの翼に一生懸命に手を伸ばす。

 

「寒い?」

「たむ…。」

「寒いね。こんなに寒いのに、いきなり女の子に雪をぶつけたりしちゃいけないでしょう?ごめんなさいしよ?お母さんも一緒にごめんなさいするから。はい、ごめんなさい。」

「ごなんたい。」

 

 彼なりの謝意が見えると、ナーベラルはひどく恐縮した。

 

「いえ、私はなんともございません。フラミー様もナインズ様も、どうかお気になさらず…。ナザリックの者にとって、ナインズ様のご成長やお力を感じられる事は何であっても喜びでございます。」

「…はは…ありがとうございます。」

 

 ナザリックとは難しい場所だった。ザリュースの息子達や一郎太、一般メイドに本気で雪をぶつけるような真似をすれば下手をすれば相手は死ぬだろう。ナインズの安全の為に十レベルまで上げてしまったが、お友達は三レベルもなく、一般メイドは一レベルだ。

「ナインズ、誰かが寒い時にはあっためてあげようね。あなたはもう第七階層と第五階層に行く時以外は温度耐性の指輪はおしまいです。」

 ぐりぐりと冷えた頬を擦り付けるナインズを抱きしめてやるフラミーの頬は赤紫色に染まり始めた。

「世界は寒かったり暑かったり、痛みがあったりして――ゲームとは違ってすごく複雑なんだよ。もっと早く教えてあげなくてごめんね。」

 鼻の頭を赤くするフラミーを見上げると、ナインズは数度瞬いて嫌そうに首を振った。

「たむたむ、や!」

「やだよね。じゃあ、また遊ぼう!あったまるから。」

 それを聞いたシズとエントマは大量の雪玉を手に側に来た。

「………ん、ナインズ様。使って…ください。」

「ナインズさまぁ!八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)に心置きなく投げまくってくださぁい!」

 ナインズは良いのかと問いような目をフラミーに向けた。

「いいよ、アサシンズの皆さんは遊んでたでしょ?でも、優しくね。」

 微笑んで見せるとナインズは雪を手にし、再びアサシンズへ投げ始めた。

 雪玉を掴むと雪が手の中でじわりと溶け、手袋の中に染みてくる感覚にナインズはキャー!と声を上げた。

 ナインズの雪玉にぶつかった――いや、ぶつかりにいった――八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はキューと声を上げてひっくり返った。

 向こうから飛んでくる反撃の雪玉はそれはそれは柔らかな放物線を描き、ナインズにぶつかりそうになるとシズが撃ち落とした。

「ほら、ああやって皆優しく投げるでしょう?」

 納得行った様子のナインズとしばらく優しい雪合戦をしていると、空からはちらほらと雪が舞い始めた。

「アサシンズの皆さん、見てますかー!」

 ほとんどひっくり返っていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)は「はーい!」と声を揃えて手を上げた。彼ら的にはちゃんと護衛()ていますの返事だ。

「これが、これが本当の雪なんですよ!こんなに綺麗で、こんなに透き通ってて、こんなにあったかいの!!」

 フラミーがそう言って手を広げるとナインズも真似て手を広げた。

 銀色の髪に真っ白な雪がはらはらと積もっていく。

 

 皆で空を見上げていると、さくさくと足音を立ててソリュシャンが迎えに来た。

「フラミー様、お茶が入りました。どうぞナインズ様とご休憩なさってください。」

 ゆらりと温かそうな湯気が立ちのぼるのが見える。

 いい香りがしたのか、ナインズが瞳を輝かせ振り返った。

「あったかいの飲もっかぁ。」

 当然飲ませて貰えると思っている様子のナインズは嬉しそうにうなずいた。

 手を繋ぎ、雪をギュッギュッと踏んでテーブルに着くと、ナインズを抱えて座る。

 ユリが小さなカップに良い香りのするハーブティーをとぽとぽと音を立てて一杯淹れた。

「皆さんありがとうございます。休んでくださいね。」

 声をかけられても誰も動こうとはしなかった。

 ふぅ、ふぅ、と数度カップの中を吹き、一口飲んで温度を確認する。

 ちょうど良い温度になると、飲みたいと手を伸ばすナインズへ飲ませた。

「ん、ん!」

「ちょっとづつ、気を付けてね。」

 そのお茶は一口飲むごとに血管を力の息吹が流れ、筋肉に力が漲る。

 どこからが料理だと認定されるのかは分からないが、魔法の効果を持っていた。

 

「あったかい?」

 ナインズはご機嫌に足をぶらぶらさせた。

「たったい!」

「良かったね。指輪なんか無い方が世界は楽しいでしょう。」

 分かっているのか分かっていないのかナインズは嬉しそうに何度も頷いた。

 夢中で飲んだナインズはすぐに座っていることに飽き、冒険に出たがった。

「ご馳走様です。ナイ君、ごちそうさまとありがとうしよ。」

「あぃとぉ。」

「とんでもございません。御方々にお仕えすることこそ我々の喜びでございます!」

 ユリやルプスレギナが微笑むとナインズもはぁー!と笑った。

 そして、バフ効果のある飲料による高揚感がたまらないようでフラミーの膝から降りると再び歩き出した。

「――ねぇ、あの子が誰かを傷付けようとしたら、いけないよってユリは一緒に言ってくれる?」

「はい。いけない事はいけないとご注意いたします。」

「ありがとうございます。付き合わせちゃってすみません。」

 戦闘メイド(プレアデス)にぺこりと頭を下げるとフラミーはナインズを追った。

 ナーベラル、エントマ、シズがその後を追おうとするとユリは呼び止めた。

 

「ルプス、ソリュシャン、護衛に行って。三人はナインズ様がやってはいけない事リストを頭に叩き込むの。」

「でもユリ姉様。ナインズ様がそうしたいとお思いならそうされるべきではないの?」

「ダメよ。誰かを傷付けたり、殺してしまうような事はいけないわ。アインズ様とフラミー様もお望みではないのだから。御方々の意に反する事はきちんといけないとお教えしなくちゃ。」

「ユリ姉様ぁ、でもナーベラルは傷つきませんでしたぁ。」

 エントマは不思議そうに首を傾げていた。

 

「………傷つかなくても雪玉を立っている人にぶつけてはいけない。」

「シズの言う通りね。一つ補足するとするなら、遊び相手でもあまり思い切り投げつけるような真似は好ましくないわ。」

 メガネを押し上げるユリは先生モードだった。ルプスレギナとソリュシャンが戻ってきたらあの二人にも教えなければ。

 

「ユリ姉の講義が始まったっすねぇ。」

「後で私達も聞くことになるわよぉ。」

 足を進めていたルプスレギナはソリュシャンの答えに、つまらない事を聞かされそうな気配を感じて少しだけよろめいた。

「げげっ、まじっすか!ナインズ様が思われる通りに過ごされるのが一番じゃないんすか!」

「それも含めてユリ姉様が教えてくれるわ。」

 二人の会話を背に聞いていたフラミーはその会に自分も出席させてもらおうと決めた。

 果たして子育てとはこう言うものであっているのだろうかと言うのは常々思う事だ。

 フラミーの最初の記憶はいくつもベッドが並ぶ部屋で、自分のベッドの上で一人寂しさを紛らわせるように自分作曲の鼻歌を歌い、膝を抱えていると言うものだ。誰かにあやして貰った事はない。ただ、じっと誰かの迷惑にならないように小さくなって生きてきた。

 一生懸命走る小さな背をゆっくりと追う。

(村瀬文香、頑張れ…頑張れ…。)

 本人に大した自覚はないが、フラミーの精神は悪魔の身に引きずられている。気を付けて過ごさなければ、ナインズはナザリックの者を平気で殺したり、世界を破壊することに何の躊躇いもなく育ってしまうだろう。

「おかぁ!」

「はぁい?」

 前を進んでいたナインズは森のようになっているところを指さした。沢山の針葉樹が生え、雪を乗せる様子はサンタクロースでも住んでいそうだ。

「行きたいの?」

「ん!ん!」

 手を繋ぎ、危なくないようにするとナインズに引っ張られるように針葉樹の間へ入っていった。

 

+

 

 出掛ける前に地表部の外に降り立ったアインズは辺りを見渡した。

 以前ナザリックの防衛点検を行う前に、地表部から外に植えた花は去年よりも増えており、今年も満開だ。赤い花が咲き乱れ、兎が花から顔を出したり、顔を埋めたりと忙しなく動き回っている。

 小さな花束にしてフラミーに持って行ってやろうと出掛ける前に立ち寄った。

 優しい春の風が吹く。

 実験を終え、人の身で少し眠そうな顔をするアインズの輝く銀色の髪を揺らした。

 ナインズが生まれる前の年にここでフラミーと二人過ごした日を思い出すとそれだけで胸の内に温もりが生まれる。

 地面にしゃがみ、一輪、二輪と特に大きな花を摘んでいると、本日のアインズ当番の言葉に顔を上げた。

 

「――何?セバス?」

「はい。何でも、早急にご報告しなければならない事があるそうです。」

 アインズ当番は上司の到着を少し申し訳なさそうに告げた。出かける時を楽しみにしている支配者を引き止めるのは本意ではないのだろう。

 地表部の入り口の方へ視線を送ればセバスが頭を下げたのが見て取れた。

戦闘メイド(プレアデス)を借りているからな。流石に全戦闘メイド(プレアデス)は問題だったか。」

「いえ!そのような!戦闘メイド(プレアデス)の皆様も私達も、アインズ様とフラミー様のお望みを叶えることこそが喜び!」

 ――ではあまり世話を焼かないでくれないか。

 プライバシーない病に罹患しているアインズは言葉を飲み込んだ。

 そんな攻防はこの地に来て以来、幾度も行ったのだから、今更不毛だ。それに、部下の仕事を取ってしまうような真似は避けてやりたい。

「そうか。嬉しく思うぞ…。」

 アインズはため息の代わりに支配者に相応しい言葉を紡き、セバスに来るよう手招いた。

 

 セバスは見苦しくない程度に小走りでアインズへ近付いた。

「アインズ様、お忙しいところ失礼いたします。」

「今は休みだ、気にするな。それよりどうかしたか。やはり戦闘メイド(プレアデス)を返した方が良いなら早急にフラミーさんに戻させよう。」

「いえ、とんでもございません。実は――少しばかり個人的な御用でして…。」

 個人的。セバスの個人的な理由など一つしかないだろう。

「――ツアレの事か。喧嘩でもしたか?」

 緊張している様子のセバスに笑い、アインズは花の咲く地面に座った。隣をトントンと叩くとセバスは躊躇いがちにそこに正座した。

「っあ!アインズ様!何かお敷物を!」

「良い。たまには土に触れることも必要だ。――セバス、聞かせてみろ。」

「は。ツアレに子ができたようでございます。お聞き苦しい話しかと思いますが――生理が止まったようだと。」

 アインズはパッと顔を明るくした。

 

「何!お前の子ができたのか!」

「恐れながら。」

「そうかそうか!たっちさんに聞かせたいな!では、第六階層に家をやろう――と言いたいところだが、ツアレをナザリックに引き取ってはニニャさんに悪いんだったな。」

 セバスは肯定するように頭を下げた。

「では何か別の祝いをやろう。お前の子は私の孫も同然だ。服が良いか?ベビーベッドか?いや、ツアレは筋力がなさそうだから乳母車(バギー)が良いか。それとも別の物がいいか?さぁ、お前の望む願いを言ってみろ。」

 世界を半分くれと言えばくれそうな勢いだった。

「いえ、既に子が欲しいとフラミー様にお願いした立場でございます。これ以上は過ぎた施しかと。むしろ、我々から何かフラミー様にお返しをお送りいたします。」

 アインズは何と答えるのが正解か解らず、うすぼんやりと笑った。

 近頃では赤毛のミノタウロスの二郎にも子ができ、今梅子は大きな腹を抱えて過ごしている。それもオスのようで、二郎丸と名付けられる予定だ。

「……とにかく、健康診断のためにもソリュシャンを呼ぶ必要があるな。少し待て。」

 フラミーに伝言(メッセージ)を繋ごうとこめかみに触れる。

 いつものよそ行きの声で応答されることを期待したが「――取り込み中か?」

 フラミーへの伝言(メッセージ)は応答される事なくぷつりと切れてしまった。

 ユグドラシル時代ならログアウト、乃至は伝言(メッセージ)受信拒否。

 この世界なら睡眠、伝言(メッセージ)受信拒否だ。

 今度はソリュシャンに直接接続を試みるが、結果は同じ。応答される事なく繋がりが切れてしまう。

 アインズの中には漠然とした不安が広がった。




ご無沙汰です!
フララに行方不明になって欲しいと言うリクエストを何とか達する事ができそうだ!!
いつも誰かとべったり一緒だからなぁ!

次回#94 ポイニクス・ロード

usir様に御身に戯れる御子息を頂きました!!

【挿絵表示】

あ〜かわいいね〜〜!!むちむちだね〜〜!!

そして14巻出ましたね!!私はKindle派なのもありまだ読んでいません!!
その間にこれまでのお話を完全加筆修正しました。長い道のりだった。
大きく変わったり大量に書き足したところだけ一応お知らせしマァス!

#13 パンドラズ・タブラとの初邂逅
#16 第六階層で雪だるま作成
#20 漆黒の剣とのちょっとした冒険
#23 漆黒の剣に帝国との戦争について教えられる

2-#42 最重要課題を大幅修正しました
2-#48 不敬な入浴シーンをかましました


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#94 雑話 ポイニクス・ロード

 フラミーはナインズに引っ張られて進んでいた。

 真っ直ぐに伸びる枝葉は太陽光を遮りひっそりとした雰囲気だった。

 粉雪が舞い降り、しんしんと冷えた空気の中に、どことなく湿り気を感じる。

 

「ナイ君、まだ行くの?」

 

 振り返ればもうユリ達とパラソルは見えず、前も後ろも針葉樹ばかりだった。

 雪が頭に積もらないようローブのフードを被せ、自身も被ると視界は一気に狭くなる。

 

 辺りでは鳥がひんひんと変わった鳴き声を上げていて、他に聞こえる音は自分達が雪を踏みしめるきしきしという音。それから、時折針葉樹に積もった雪がずるりと落ちる音。雪が落ちると枝に止まっていた鳥達は急に慌ただしく飛び立ち空へ消える。

 遠くには鹿が顔を上げ、神経質そうな真っ黒な瞳を向けてパタパタと耳を動かしていた。

 鹿など初めて見るフラミーの瞳はナインズと同じく興味の色に輝いた。

 

「魔物じゃない生き物だぁ。豚鬼(オーク)小鬼(ゴブリン)が少ないから?」

 

 口の中で呟く中、ナインズは鹿の下へ夢中で進んで行った。

 近付けば近付くほどに木立が鈍い紅色に、次第に薔薇色に赤く照らし出されていることに気が付いた。

 

「おかぁ、おかぁ。」

「何だろうね?」

 

 二人そちらへ進み、茂みから顔を出すと静かに眠る赤い巨鳥がいた。小さく丸くなって寝ている姿でも二メートル程もある体はごうごうと燃え盛り、辺りは暖かかった。炎は孔雀のような美しい尾羽からも荒々しく噴き上がっている。

 その周りには春の陽気に誘われて冬眠から目覚め、暖を取る動物達が囲んでいて、神聖な領域のようだった。

 

「火の…鳥…。」

 

 ナインズが温まろうと近付くのを手を引いて止める。

 周りに動物がいるところから見て、そう凶暴な生き物ではなさそうだが、たった十レベルのナインズには危険だろう。

 フラミーの頭の中には燃える鳥の別の呼び方が浮かぶ。

(朱雀、鳳凰、フェニックス……不死鳥!)

 もし不死鳥と呼ばれる存在ならば、ナインズの寿命に良い影響を与えてくれる気がする。

 

「ありゃ?初めて見る魔物っすねぇ。」

「フラミー様、いかがなさいますか?」

 

 後を陰のようについてきたルプスレギナとソリュシャンが追いついてきたのを見ると、フラミーはナインズを抱き上げルプスレギナに渡した。その後ろには姿を現している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達もいる。

 

「天使を出しますから、ルプスレギナはユリ達のところに戻っていて下さい。ソリュシャンは私と一緒にあの鳥の捕獲です。」

 

 ルプスレギナの持つ殆どの魔法はフラミーの持つ魔法の下位互換のためにソリュシャンを選んだ。――が、どちらを選んでもレベル的に頼ることはできないのだが。

 

「わかりました。」「かしこまりました。」

「お願いしますね。」

 

 無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を突っ込み、ズルリと白い杖を引き抜く。杖を装備しただけで自身の身に宿る魔力が増大するのを感じた。

「<第十位階死者召喚(サモン・エンジェル・10th)>!」

 八十レベルの天使、門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)が複数体召喚されて現れると、辺りは急激に清浄な空気に包まれた。

 タンクとして非常に優秀な性能を持ち、探知能力もそれなりに優れたモンスターだ。警備兵にはちょうど良い。

 

「あの子を守りなさい。竜が現れたら敵対される前に逃走を手伝い、それ以外の敵対者が現れたなら殺さずに無力化しなさい。」

「かしこまりました、召喚主よ。」

 

 ナインズが出かける時には、始原の魔法目当てに竜王達がナインズを攫おうとしたときに時間稼ぎを行える護衛を付けようとアインズとの話し合いで決めた。 

 天使達はナインズを抱くルプスレギナと共に一礼し、ユリ達のいる方へ踵を返していく。十五匹いる八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も当然のように二手に分かれ、八匹が後を追った。

 

 そんな中、空気が変わったことを感じたのか、鳥は目を開けるとゆっくりと頭を上げた。

 襲ってくる様子はないが、鋭い視線でフラミーを見ていた。

 

「こんにちは。喋れますか?」

 フラミーが尋ねるが、鳥は何も言わずにじっとフラミーを見ていた。

「フラミー様がお尋ねよ。早く答えなさい。」

 ソリュシャンが若干の殺気を放つと、鳥はスゥ、と息を吸い――割れたガラスで黒板を引っ掻くような、耳をつんざくような鳴き声を上げた。

 それは山鳴りとなり、この山全体に響き渡る。

 周りで暖をとっていた動物達は途端に逃げ出し、フラミーは耳を塞いだ。

 そして、火の鳥の口に炎の球がキィーン…と形を作り、フラミーは慌てて皆の盾になるように前に進んで魔法を唱えた。

「――<力の聖域(フォース・サンクチュアリ)>!」

 光の膜が皆を包み込むと同時に、炎の塊はフラミー達に向かって放たれた。

 光を透かせた向こうに直撃した炎が見える。まるで柱のように天高くまで燃え上がった。

 

 ――いける。

 

 派手ではあるが、光の障壁に少しも無理な力がかかっていない様子から相手の力量を見極め、フラミーはほくそ笑んだ。アインズ相手であればこの障壁は一撃で破壊されていただろう。

 炎の柱が消え去る頃には、辺りの雪が高温に晒され一気に水蒸気と化す事で視界が奪われた。この重要そうな生き物を逃してしまうような事は避けたい。

 立ち込めた(もや)に阻まれ視界は最悪だが、瞬時に唱えるべき魔法を詠唱する。

「<魔法距離延長(マジック・ディスタンス・エクステンション)完全視覚(パーフェクト・サイト)>!」

 視界は途端にクリアーになり、二百メートル程先までも真っ直ぐ見通せるようになる。もう火の鳥はそこにいなかった。

「――先に行きます!<悪魔の諸相:おぞましき肉体強化>!」

 筋力を一時的に増大させ、大きくなった翼を広げてドンっと地を蹴り飛び立った。雪が爆発するように舞い上がり、突然の高度変化にキンッと耳の奥がなる。

 空の中でサッと鳥を探すと、広い空の向こうに箒星のように赤い尾を引いて火の鳥が飛んでいた。方向転換をして火の鳥に向かう。

「ふふ、鬼ごっこだね!」

 粉雪がフラミーの顔にぴしぴしとぶつかる中、前方を逃げる鳥に杖を向けた。

「一緒に帰ってもらいますよ!――ん?」

 鳥が真っ直ぐ向かい、高度を落としていく方向には見覚えのある、黒い楕円の周りに七色の輝きがある魔法の門。

「――わ…世界転移門(ワールドゲート)!?」

 ユグドラシルの九つの世界を渡る、運営が設置している特殊な転移門(ゲート)を前にフラミーは目を剥いた。

 通常の転移門(ゲート)は黒とほんの少しの紫色が混じるようなものだが、世界転移門(ワールドゲート)はプレイヤーの出す転移門(ゲート)と差別化をはかる為、その周りに七色の光を纏うのだ。

 火の鳥は真っ直ぐ世界転移門(ワールドゲート)に向かって降下していた。

 フラミーはついて来るのに精一杯という様子の僕達に振り返った。

 後方、針葉樹の上には必死に木から木へと渡る影が複数個ある。ソリュシャンと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)だ。ソリュシャンは五十七レベルだし、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)は四十九レベル。フラミーのスピードに追いつくのは難しい。

 

「――<伝言(メッセージ)>。」

 ソリュシャンが追いつくにはまだしばらく時間がかかりそうだが、待っている時間はない。

『は!ソリュシャンでございます!』

「このまま真っ直ぐ行った先にある転移門(ゲート)を潜ります。気を付けてね。」

 伝えるべきことを伝えると、広げていた翼を小さく畳んで空気抵抗を減らす。フラミーは放たれた矢のようになり、更に速度を上げた。

 火の鳥が空中を滑るように世界転移門(ワールドゲート)をくぐり、フラミーも躊躇いなくそれを潜った。

 闇は凪いだ湖面のようにフラミーを迎え、飲み込んだ。

 

 飛んできた速度のままに潜った為、フラミーは足を地につけるとズザザザザ…と地面を抉るように止まった。空にいる火の鳥に向けて杖を振るう。

「<全種族捕縛(ホールド・スピーシーズ)>!」

 移動阻害魔法がぶつけられた火の鳥は羽ばたきを制限され、途端に自由落下を始めてズズン…と地面に落ちた。この魔法が効かなければ翼を切り落とそうと思っていたが、成功したようだ。

 ただ、火の鳥を手に入れた事を喜びもせず、フラミーは静かに杖を下ろした。

 

 世界転移門(ワールドゲート)の先は見たこともない銀色の草原だった。目を凝らすと、遠くに海も見える。

 雪などが降った形跡はないが、高所でもなさそうだと言うのに寒い。

「こ、ここは…?」

 落ちた際に自重でダメージを受け、痛みにもがき再び飛び立とうとのたうち回る火の鳥はフラミーを睨み付け、ギャアア――と鳴き声を上げていた。フラミーが杖の先に<静寂(サイレンス)>を纏わせ、コツンと嘴を叩くと、火の鳥は静かになった。

 火の粉が大量に当たりに散らばる。

 さやさやと揺れる白銀の草は燃え盛る鳥や火の粉が触れても、燃えることはなかった。

 この草が特殊なのか、はたまたこの火が特殊なのか――。

 温度耐性を切ったままのフラミーは恐る恐る鳥の火に手をかざした。

 ある程度の距離に来ると火傷するような激熱を感じる。温度への耐性を取り戻す為にいつも着けている腕輪を着け直すと、フラミーは再び鳥に手を伸ばし、火に触れた。

 火は熱を持っているが、フラミーにも燃え移る事はなかった。

(不思議…。)

 ソリュシャンのために一度世界転移門(ワールドゲート)の向こうへ鳥を引きずって戻ろうと手を伸ばし――しかし、不意に響いた声にそれをやめる。

 

「――ポイニクス・ロード!?」

 

 子供のような声だった。すぐに思考を切り替え、そちらへ杖を向けた。

「誰!!」

「うわっ、落ち着いて!落ち着いて!!」

 声の主は蹴鞠程度の大きさの光だった。光は十ほどあった。

 よく目を凝らしてみれば、光を身に纏う小人達がいた。背丈はちょうどフラミーの顔ほどの大きさで、背には透明な――トンボの翅を鋭利にしたような羽が生えている。

 皆たっぷりとしたコートを着込んでいるが、その下は華奢そうで、年の頃は人であれば十五歳と言ったところか。背には人が使う鉛筆のような大きさの杖をしょっていて、薄い金色の髪はひとつにくくられている。

 それはフラミーが杖を下ろすと、ふぅ、と安堵したように息を吐いた。

 

「……その姿、妖精ですか?」

「そう、私達は妖精(シーオーク)!ポイニクス・ロード、弱ってるみたいだけど、どうしちゃったの?」

 

 代表の妖精(シーオーク)が答え、皆どこか爛々とした目つきで火の鳥を見ていた。

 妖精がいるなんて流石に魔法のある世界だ。妖精(シーオーク)は神聖魔導国に属していなかったよな、とコキュートスが続々と取り込んでいる亜人リストを思い出す。

 フラミーは新しく取り込まれるべき住民に嫌われないように気を付けて口を開いた。

 

「そんなに弱ってはないですよ、ただ捕まえただけですから。不死や寿命の実験に役立ちそうだから連れて帰ろうかと思ったんですけど……名前を付けてるって言うことは妖精さんのペットですか?」

「とんでもない!ポイニクス・ロードはラッパスレア山の三大支配者だよ!」

 

 ――ラッパスレア山。

 

 フラミーは聞き覚えのある山の名前だと記憶を手繰る。

 

+

 

 白い長い髭を蓄えた小さな者へアインズが訪ねた。

「お前達の長老は転移門(ゲート)を知っているのか?」

「そんな名前かは知らんのじゃが、ラッパスレア山とフェオ・ジュラの近くが自然的に出来た魔法の門で繋がっておるらしいんですじゃ!」

「そこから溶岩が流れ込んできおって、物凄い魚の化け物が泳いどる!そいつはこの世にたった一匹しかおらんらしいんですじゃよ!本当はそれの確認に行くはずだったんですじゃ!」

 

+

 

 去年の夏に二人の小さな地の小人精霊(ノーム)が騒がしく話していたあの山だ。

 今日のピクニック先の山の名前はラッパスレアだったかとフラミーは今更知った。たまたま人のいなさそうな、ちょうどいい気温の山を探してたどり着いた場所だ。

 では世界転移門(ワールドゲート)だと思ったものは自然的に出来た魔法の門かと、少し離れたところにある闇を見た。

 そうすると、息切れしたようなソリュシャンと七匹の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が天然転移門(ゲート)から出てきてこちらへ駆けてきた。

 

「フラミー様、お待たせいたしました!」

 

 ソリュシャンが側に着くと、妖精(シーオーク)は再び口を開いた。

 

「君もこの人の仲間?君達、ポイニクス・ロードを捕まえちゃうなんてすごいんだね!ねぇ、私達もポイニクス・ロードが欲しいんだけど、その実験とやらをしても良いから譲ってくれないかな!」

「フラミー様がその――ポイニクス・ロードを連れて帰るべきと仰っているのに、それを横から欲しがるなんて不敬ですわ。」

 

 フラミーは軽く睨み付けるソリュシャンと、どこまでも無垢に瞳を輝かせる妖精(シーオーク)達の間に入った。

 

「三大支配者っていう事は、後二体いるんですよね?この一体だけで良いですから、分けてもらえませんか?」

「ダメダメ!」「地を支配するエインシャント・フレイム・ドラゴンはポイニクス・ロードと違って暖かくないし、地下の溶岩の海を支配するラーアングラー・ラヴァロードは熱すぎちゃう!」「まぁラヴァロードは近頃じゃ魔法の門の向こうから帰って来もしないんだけどね!」「私達、どうしてもポイニクス・ロードが欲しいの!」

 

 三大支配者達のおかげで小鬼(ゴブリン)などが住みつかないのかもしれない。ラッパスレア山はこれまで見て来た山の中で最も亜人や魔物が少なかった。ピクニックをしていた場所にパラソルを立てる前にシズが一通り辺りを索敵していたようだが、そういう者を見つけた様子はなかった。それもあり、あの山のあの場所を選んだのだが。

 フラミーは実験させて貰えるのなら妖精(シーオーク)に火の鳥を譲ってもいいと思うが――

「あの、私の捕縛魔法が切れても妖精(シーオーク)の皆さんで捕まえておけるんですか?」

 それを聞くと妖精(シーオーク)達は互いの顔を確認し合った。

「できる?」「できないよ。」「妖精王なら?」「できないでしょ。」「どうする?」

 皆がこそこそと話を始めると、フラミーは苦笑した。

 

「また何処かに逃げられたりしたら困りますから、やっぱり私に連れ帰らせて下さい。私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国のフラミー……ウール・ゴウンです。」

 躊躇いがちに似合っていない姓まで付け足した。そして、ソリュシャンの空色の瞳は洞穴のように光を失い小さな生き物達を見渡した。

妖精(シーオーク)、フラミー様は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の魔導王妃陛下です。名乗られたのだから頭を下げなさい。」

 

 それを聞くと妖精(シーオーク)は「王妃さまだって」「王妃さま」「王妃さま?」と若干の相談をし合い、高度を下げて地面に降りて頭を下げた。

「フラミーさま。ポイニクス・ロードを連れ帰られるなら、まずは私達の国に来て妖精王にそれをお話し下さい。」

「不敬な――」

 ソリュシャンからドロリとした殺意が露わになると、フラミーは手を軽く上げてそれを遮った。

「――いいですよ。王様、是非会わせてください。」

 

 これは渡りに船だ。妖精(シーオーク)にも神聖魔導国への参入を呼びかけられる。

 

「ありがとうございます!」「皆、国に戻る準備だよ!」「ちょっとお待ち下さい!!」

「お願いします。妖精(シーオーク)さん達の国は遠いですか?」

「あっという間に着きます!」「もう、すぐそこ!」

 フラミーは軽く頷き、ついて来ていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)へ振り返った。

「アサシンズの皆さん、火の鳥持てます?」

「もちろんでございます!」「こんな鳥ごとき!」「お任せください!」

 アサシンズがわちゃわちゃとポイニクス・ロードに群がり、触れる。

「あちち!」「あっ、あつ!」「こいつ、思ったより熱いぞ!」

 顔を真っ赤にして一生懸命七匹で担ごうとしていた。

「あらら、待って待って。皆並んでください。<抵抗突破力上昇(ベネトレート・アップ)><上位硬化(グレーターハードニング)><上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)><混沌の外衣(マント・オブ・カオス)><不屈(インドミタビリティ)><無限障壁(インフィニティウォール)><上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)>。――はい、次の子。」

 フラミーから一体一体にバフが送られる。皆うっとりと幸せそうに魔法を身に受け、今度こそポイニクス・ロードを担ぎ直した。

「よしよし。皆偉いね。」

 フラミーが担ぐのが一番簡単だろうが、阿鼻叫喚になるのが目に見えていた為に言い出さなかった。

 

 そんなやりとりの横で、妖精(シーオーク)達は下げていたポシェットからまるきりミニチュアのようなインク壺を取り出すと、それに小さな指を浸した。

「フラミーさま、両手を出してください!」「従者の皆さまもお手を拝借!」「すぐに済みます!」

「手?」

 フラミーが差し出した手のひらの前に一人がふわりと降り、まるで呪文のような言葉を発しながら両の手首に模様を一つづつ描く。指が手首をくすぐる感覚にフラミーの口からふふ、と笑い声が漏れた。

「失礼します!Z(エオロー)――保護と友情。N(二イド)――束縛と欠乏。」

 腕にはそれぞれ『Z』、『N』。

 群青色のインクで書かれた文字はチリリとわずかに燃え、まるで焼き付いたようだった。痛みはない。しかし、分厚い透明な膜で包まれたような奇妙な感覚がある。

 妖精(シーオーク)達はソリュシャンや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達の手首にも同じくルーンを書き込み、小さな翅を羽ばたかせて地に降りる。

 

 フラミーは自分の手首をじっ…と見つめた。

(保護と友情はわかるけど…束縛と欠乏ってなんじゃ…?)

 あまりにも唐突な怪しい言葉だった。

 

「どうかされました?」と、書き込んだ妖精(シーオーク)

「これ、ルーンです?」

「そうです!」「ルーンを知ってるんですか?」

 妖精(シーオーク)達は身を乗り出すようだった。

「うーん、知ってるって言ってもルーンだって事しか分かりません。」

 

 フラミーは焼き付いたように見える『Z』と『N』を撫でた。

 

「ちゃんと消えますよね…?」

「時間が来たらもちろん消えます!」「今は国に入る為に必要です!」「今だけご容赦ください!」

 

 これにどんな力と効果があるのだろうかと思っていると、妖精(シーオーク)達は自分と同じくらいの大きさの杖を背から引き抜き、フラミーとソリュシャン、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達を囲むように地面に大きな円を描いた。

 

 円の中にザリザリと『O』を書き、それの周りにまるで蔓のような絵を描き込んでいく。

 

「ルーンって武器に刻むだけじゃないんですね。」

「はい!ルーン魔術は位階魔法より手順がすごく多いんですけど、正しく使えれば位階魔法よりも強力な事もあります!」「二百年前にルーンを伝えてくれた山小人(ドワーフ)のルーン工王は六つのルーンが刻まれたハンマーを持ってましたけど――なんと言っても、それは大地を震わせる程の物でした!」「神話みたいな力を持つものでした!」

 妖精(シーオーク)達がわいわいと答えを告げる。

「はじめて聞きました。山小人(ドワーフ)はうちの国にもいるんですけど…。」

「知ってる山小人(ドワーフ)達は老いさらばえたかもしれません!」「二百年前に魔神が山小人(ドワーフ)の王都を襲撃した時に、最後に残っていた王族が山小人(ドワーフ)の国を離れて討伐に出ました!」「それで、うちにもたまたま寄られたんです!」「さぁ、無駄話はここまで!」一人がそう言うと、皆がこれまで絶え間なく絵を描いていた手を止めた。「――じゃあ、大儀式行きます!」「舌を噛まないように口を塞いで下さい!」

 

 フラミーはハッと口を両手で抑え、ソリュシャンは冷たい瞳で妖精(シーオーク)を見ていた。アサシンズはポイニクス・ロードを担いだまま微動だにしていない。

 

 仕上げの様に円の中に『X』と『K』を書き込む。

 「せーの!」の合図で『K』の文字を妖精(シーオーク)達が杖で同時にカツンッと叩いた瞬間、円の中、銀色の草原に一つの炎が吹き上がる。

 フラミーは咄嗟にソリュシャンを守ろうと抱き寄せ――

 

 後には三つのルーンが刻まれた巨大な魔法陣だけが残った。

 

 ボワッと噴き上がった炎がおさまると、ソリュシャンを庇っていたフラミーはゆっくりと腕を下ろした。抱き寄せていたが抱きつくような様子だった。

「フラミー様、申し訳ございません。ご無事ですか。」

「私は平気です。ソリュシャンは大丈夫?アサシンズは――」大丈夫か聞こうと体を離すと口を(つぐ)んだ。

 

「ポイニクス・ロードだぁー!!」

「ついに捕まえられたんだねー!」

「でもこれ誰ー?転移酔いしてないんだねー?」

「ビリエ達、ポイニクス・ロード以外に何を連れて帰って来たの?」

「菫色の肌だぁ!」

「こっちのは人間ー?」

 

 当たりには色とりどりのニットワンピースに身を包む妖精(シーオーク)達がいて、面白そうにフラミー達を観察していた。男も女ももこもこワンピースだ。皆背に二本の切れ目があり、そこから翅を出して飛んでいる。転移した先は再び森だった。

 木々には温もりを感じるようなパステルカラーの花が咲いていて、水やりをしていたのか葉や花から煌めく雫がぽたん、ぽたん、と垂れていた。

 まるきりお伽話のような、絵本の中のような光景だ。

 ユグドラシルにも妖精の小道と呼ばれる単位系能力があったが、こちらの世界の妖精はルーンを使うとは。

「可愛いところですね。それにしても、まさか魔法で転移するなんて。」

 転移魔法、それも複数人の転移を使える者は―― 十人もの手で行われた魔法だったが――この世界では初めてだ。恐らくだが、タリアト・アラ・アルバイヘームも長距離転移はできても複数人を転移させる力はないだろう。

「フラミー様、ここではどのように…?」

 ソリュシャンの瞳には「この周りの羽虫は殺しますか?」と書いてあるようだ。

「取り敢えず、いつも通り友好的に行ってみましょう。ここも取り込まなくちゃいけないですし、ポイニクス・ロードも気持ちよく持ち帰らせて貰いたいですし……何よりルーンの話を聞きたいです。」

「かしこまりました。」

 丁寧に頭を下げ、上げ直したソリュシャンの顔は凍てつくようなものから、誰もが好感を覚えるようなお嬢さんのものへと変わっていた。




ふぅ…なんとか行方不明になれた…!
でも皆でわさわさ行方不明!

次回#95 ルーン魔術

今回生まれて初めて妖精を調べたんですけど、妖精って色々いるんですねぇ
シーオークのダンスに誘われた人間が、気付いたら踊りすぎてつま先無くなってたって言うのが凄まじくてシーオークを採用!


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#95 雑話 ルーン魔術

「アインズ様!!」

 

 ルプスレギナの持っていたスクロールで開かれた転移門(ゲート)を潜ると、戦闘メイド(プレアデス)の焦るような声が響いた。

 アインズは地表部で一緒にいたハンゾウと共に今日のピクニック先の山に来た。

 辺りははらはらと舞い落ちる雪が気まぐれな風に踊らされ、澄んだ気持ちのいい空気が流れている。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)はこの雪を気に入ってくれただろうか。

 鳥のさえずりが響き、ルプスレギナに抱かれたナインズは寒そうに一度すん、と鼻を啜ると空を渡る鳥へ手を伸ばした。その後ろにはぴたりとフラミーの天使達が控えている。

 アインズはナインズの耐性の指輪はどうしたのだろうかと少し思ったが、それよりフラミーとソリュシャンだ。

「お前達、フラミーさんはどうした。ソリュシャンにも伝言(メッセージ)が繋がらん。」

「申し訳ありません!フラミー様は燃える鳥を捕まえると仰い、今どちらにいらっしゃるのか分からない状況です!」「一度激しい爆発が起こったので、ナーベラルが確認に行きましたが、フラミー様付きの八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)の姿も見えません!」

 顔を青くして早口に説明するルプスレギナとユリに、アインズの顔も青くなりそうだった。ナーベラルに確認に行かせたのはこの中で一番レベルが高いからだろう。

「爆発だと?爆発地点はどっちだ。」

「あちらです、ご案内いたします!」ナーベラルが手で指し示す方へ視線を向ける。

 何の変哲もない針葉樹林だ。春だというのに木々はたっぷりと雪を被り、クリスマスのようだった。

 今すぐにでも行きたいが、先に確認するべきことを口にした。

「――その前にフラミーさんの天使達、お前達は何と命令を受けている。」

 天使達は軽く頭を下げると胸に手を当てた。

「御子を守るように。竜が現れれば敵対される前に逃走を手伝い、それ以外の敵対者が現れた時には殺さずに無力化を言いつけられております。」

 アインズはフラミーがきちんと護衛を置いて行った様子に、そう切迫した状況ではないのだろうと自身に言い聞かせる。フラミーがナインズをナザリックに送らず、ここに戻るようにルプスレギナに言ったという事は、フラミーも危機感を覚えてはいない。伝言(メッセージ)が繋がらない事に焦ったが一度冷静になる必要がありそうだ。

 

「…そうか、引き続き頼む。では行くぞ、ナーベラル。後の者は一度ナザリックへ戻り、ナインズを見ていなさい。」

「し、しかしアインズ様!私達も――」

「フラミーさんは必ず見つけて戻るからそう心配するな。ナインズを置いて行ったんだ、フラミーさんの身に危険はない。そうだろう?ナインズ。」

「はぁー!」

 

 ナインズは笑顔になるとアインズに手を伸ばした。この様子から言ってナインズも危険な怖い思いをしていない事は明白だ。

「戻ったら遊んでやるから、今はお姉さん達とナザリックで遊んで待っていてくれ。八階層以外なら、好きなところで遊んでいて良いぞ。」

 アインズは温度への耐性を持つ指輪を一つ取り出すと、ナインズの指に入れた。さらりと頭を撫でてやるとナインズは嬉しそうに頭を掌に擦り付けてくる。

 フラミーによく似ている愛らしい息子に微笑んだ。

「<転移門(ゲート)>。」

 残される戦闘メイド(プレアデス)と天使達が渋々片付けを始める中、アインズは<集団飛行(マス・フライ)>を唱える。

 ナーベラルと不可視化状態で着いてきているハンゾウと共に浮かび上がった。

「あちらでございます。」

 

 ナーベラルの説明通りに飛んでいくと、すぐに木々がサークル状に焼け焦げている場所が見えてきた。爆発の起こった規模が一目でわかる。

(この世界にしては大規模だな…。)

 焦げたサークルの中に降りれば、爆発の中心には雪がこんもりと残っていた。そこにはフラミーやソリュシャン、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達の足跡が残っている。

「フラミーさんは爆発を防いだか。」

 どの足跡も踏み込むようにひとつ深いものを残して消えている。どこかへ歩いて去っていった様子はない。

 頭上の空はぼんやりと曇り、何もかもが静まり返っていた。鳥もリスもおらず、森はどこまでも遠くまで広がっている。

 

「アインズ様…。フラミー様は…。」言葉を最後まで紡ぐこともできない様子だ。

「……ナーベラル、見ろ。フラミーさん達の足跡は一つとしてブレている様子はない。つまり、揉み合ったり、ここで激しい戦闘を行ったわけではないという事だ。フラミーさんは一撃をここで塞いだのち、自らの意思で鳥を追いかけたのだろう。」

 

 ――では何故伝言(メッセージ)が繋がらないのだろうか。無理矢理攫われた天空城の時とは明らかに状況が違う。

 アインズは不安を気取られないよう一度骨の身に戻った。心がすっと凪いでいく。当たりには雪がうっすらと降り積もり始めていて、木々にはもっと深々と雪が積もっている。

 しかし、途切れた足跡が向いている方角にある木々は少し纏う雪が少なかった。

 

「向こうか。フラミーさんは飛んでいるが、ソリュシャンやアサシンズは木から木へ飛び移って移動しているようだ。」

「おぉ…流石至高の御方!」

「…いやこのくらい普通なんじゃ…。」アインズはぼそりと呟くと、骨には不要な咳払いをした。「ともかく、これを伝って行ってみるべきだろう。再び飛ぶぞ。」

 

 雪の積もり方が少ない木を目印に一行は飛び進んだ。

 アインズの目にはどこの景色もほとんど同じに映る。雪が全てを隠すように降るため、急がなければこの目印もじきに消えてしまう。

 薄雪のモミの木をしばらく追うと、木々のないぽかりと広場のようになっている場所が見えた。

 ――その真ん中には黒い染み。

「な、なんだと…あれは…。」

 アインズは飛行の速度を上げると見覚えのある門の前に降りた。

「フラミー様の転移門(ゲート)でしょうか?」

「いや…違う。これは私達では開けないものだ。しかし…世界転移門(ワールドゲート)が存在するのか?この向こうは一体…。」

 アインズは骨だというのに、ごくりと唾を飲み込みそうになりながらそれを潜った。

 

 その先には白銀の草原。

 

 そこは雪こそ降っていないが、春とは思えないほどに冷えた場所だった。一番気がかりなのは、ここがこれまでいた世界と同じ世界なのかと言うことだ。ユグドラシル時代、別の世界(ワールド)のマップへ行く時には世界転移門(ワールドゲート)から移動したのだから、下手をすればここは別世界――。

(だから伝言(メッセージ)が届かないのか…?いや、伝言(メッセージ)に距離の制限はない。ユグドラシル時代だってどこの世界(ワールド)にいたって誰とでも話せたんだ…。)

 地面には二本の線が入っていた。アインズはそれがすぐに何なのか理解する。

(フラミーさんの着地痕…。)

 足首に生える小さな翼が好きすぎて散々毎日弄んでいるので、フラミーの足のサイズの見極めには謎の自信があった。

 辺りは静まり返り、フラミーもルプスレギナの言っていた燃える鳥もいなかった。

(燃える鳥か…。不死鳥(フェニックス)なのか鳳凰なのか…。)

 どちらにせよ、フラミーがそれを追おうと思う気持ちはよく分かる。燃える鳥なんて寿命の実験に実に有用そうだ。

(今も追いかけて飛び回ってるのかな…。)

 そう思いたいが、伝言(メッセージ)が繋がらない理由がわからない。コール音が流れた後に切れるのなら分かるが、睡眠時のように一切の接続なく切れてしまうのだ。

 やはり何かが起きたとしか思えなかった。

「フラミーさん…。どこに…。」

 呟いていると、「アインズ様!」とナーベラルの声が空から響いた。

 

「いたか!!」

「いえ!しかし――ご覧ください!!」

 

 アインズは浮かび上がり、ハンゾウのいる地上に視線を落とした。そこには見事という他ない植物の蔦のような絵が描かれており、三箇所特殊な記号が盛り込まれている。

 

 アインズにはそれが何なのか一目でわかった。

 

「――ルーンの魔法陣…!?」

 

+

 

「綺麗だねー!この銀色の髪の毛で織物作りたい!」

「羽が欲しいなぁ!おっきな羽ペンを作ったら、おっきなルーンが描きやすそう!」

「こっちの金色の髪の毛も綺麗だよ!銀色より短いけどね!」

「ポイニクス・ロードあったかぁい!」

「蜘蛛さん達も珍しいねぇ!」

 

 フラミーとソリュシャン、ポイニクス・ロード神輿の周りには男女問わずどんどん妖精(シーオーク)が増えていた。二人の髪の毛は見た事もないほどに細い三つ編みが編まれていき、そこらへんに咲いていた花がどんどん差し込まれていく。

 

「……あーもー!皆あっち行ってて!」「王妃さまなんだから!!」「ポイニクス・ロードを捕らえた方に触っちゃダメだよ!!」

 

 ここまで連れてきた妖精(シーオーク)達がウガァー!と両手をあげると、群がっていた妖精(シーオーク)は笑いながらぴゅーんと逃げ出していった。

 フラミーにルーンを刻んだ妖精(シーオーク)が一歩前に出て、こほんっと咳払いをする。

 

「フラミーさま、仲間達が失礼致しました。えー、皆念願のポイニクス・ロードの到着に浮き足立っております。」

「はは、良いですよ。気にしないでください。」

「ありがとうございます。改めまして私はビリエ。ポイニクス・ロードを追いかける隊の隊長です!」

「ビリエさん。私の仲間も紹介しておきます。こっちはソリュシャン、それから八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)です。」

「フラミー様の側仕えですわ。護衛も務めております。」

 

 ソリュシャンが完璧な演技を見せるとビリエは嬉しそうに深々と頭を下げた。

 

「ご紹介ありがとうございます。では行きましょう!私の家があの丘の向こう、畑を抜けた先にありますので、妖精王に訳を話してくる間私の家でどうぞお待ち下さい。」

「分かりました。少しご厄介になりますね。」

 

 辺りの木にはぽつりぽつりと窓や扉がついていて、木をくり抜いて家にしているようだった。

 一行は遠巻きに妖精達に観察されながら、カラフルな森を抜けて、そのうち小高い丘を上った。

 その丘も、フラミーとソリュシャンからしたらそう大したものではなかったが、丘向こうが見えたとき、フラミーは立ち止まった。

「どうかなさいましたか?」とビリエが尋ねる。

 フラミーは見たこともないおかしな風景に目をぱちくりさせた。

 

「なんですか?あれ。」

 

 丘向こうにはたくさんの羊がいた。「ぅめー」「ぅめー」と鳴き声を上げていて実に愛らしい。その間を何人もの妖精達が飛んでいて、先ほどの草原に生えていた銀色の草をやって世話している。

 

「畑…でございますが…?」

「えぇ…?」

 

 フラミーから出たのは酷く素っ頓狂な声だった。ビリエ達妖精は首を傾げた後、すぐに丘の向こうへ飛んで進んだ。

 導かれるままに進み、そのおかしな農場(・・)に差し掛かる。

 羊達はどれもこれも、大きなタンポポのような茎から生えて(・・・)いる。花が咲くべきところから羊が咲いているのだ。

 羊はフラミーの顔の前で「ぅめー」と鳴き声をあげた。もふもふと頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。

 

「これ、なんて言う木なんですか?」

「バロメッツです!フラミーさまは羊をご存知ないんですか?」

 ビリエも、隊の妖精達も不思議そうにフラミーを見ていた。

「いえ、羊は知ってますけど……木になる羊は初めて見ました…。」

 

 顎の下をこちょこちょしてやると、柔軟な茎が少ししなり嬉しそうにした。

 

「これってどうやって増やすんです?」

「近くの株と交尾させると実を付けますので、それが成長して羊が成る前に収穫して実ごと植えるんです。実からは一週間ほどで小さな芽が出てきます!」

「な、なるほど…。」

 

 当たり前のようにビリエが指差す方には赤い実のなるバロメッツがあった。バロメッツは『Q』の形に植えられていた。その中心には『F』と刻まれている。

「あのルーンは?」

F(フェオ)、財産と家畜を意味するルーンでございます!これを真ん中に刻んでおくと羊の育ちが良いんです!羊達も豊穣を意味するQ(イング)の形に植える事で収穫後の実りが早まります!」

「はぇ〜面白い。ルーンを使えないとバロメッツを育てるのは難しいんでしょうか?」

「ルーンがなくても寒いところならよく育ちますよ!暖かいところだと痩せていたり、羊毛の質が良くないものになるかもしれません。ここは暖かいから、ルーンがないと羊毛や肉の育ちが悪いんです。」

「育つんですね。いくつか分けてもらえませんか?お金ならいくらかありますから。」

 言いながらフラミーは自分のお小遣いの貯金はいくらあったかな、と財布の中身を思い出す。ちょうど去年の春にセイレーンの下で結構服を買ってしまったのだ。何匹も家畜――いや、何株も苗床を買えるほど待ち合わせがあるか怪しい。

「いえ!お金なんて結構です!私達はお金を使いませんし、後で農場主達に話を付けるので差し上げます!」

 ビリエの返事にフラミーはパッと顔を明るくした。

「じゃあ、何か代わりになるような心付けを渡しますから、帰りに何株か分けて下さい!」

「かしこまりました!」

 

 バロメッツを分けて貰えることが決まると歩みを進め、いつしかバロメッツ畑が終わると、再びカラフルな森に差し掛かった。

 

「さぁ、ここが私の家です!」

 ビリエが少しだけ得意げに立派な太い木を示し、観音開きの扉を隊の妖精達が開いた。

「さぁお入り下さい!」「ぜひぜひ!」「どうぞどうぞ!」

「…如何なさいますか?」

 すぃんとビリエが家に入り、ソリュシャンが困ったような顔をする中、フラミーは瞳を輝かせて四つん這いになった。

「お邪魔しましょう!!」

「かしこまりました。」

「アサシンズの皆さんは少し待っててくださいね!」

 ついて来ていたアサシンズはポイニクス・ロードを置いて姿勢を低くし、彼らなりの臣下の姿勢をとった。八足歩行で膝をつけようとするのは大変そうだ。

 

「どれどれ…。」

 人形の家に付いているような玄関を潜るのは、ちゃぶ台の下にもぐり込むのか、はたまた犬用の通用口をくぐるような物だ。――ソリュシャンのナイスなサイズのヒップとバストは玄関に引っかからないように一時的に少し小さくされた。

「お邪魔しまーす!」

 身を小さくして何とか玄関をくぐり、くり抜かれた吹き抜けの木の家の隅に小さくなって膝を抱えるとソリュシャンも家に入った。

 入ってみればそう狭苦しさは感じないが――「お伽話だったら、ちゃんと体も小さくなって遊びにこられるはずなのになぁ…。」フラミーは独りごちた。

 家には小さなソファセットやベッドがあり、食器棚と暖炉、どっさりと本の詰まった書棚がある。暖炉の上には緑色の髪の美しい青年の肖像画がかかっていた。

 ビリエは小さな火箸で、ランプから燃えている糸のようなものを一つ取り出すと、部屋の暖炉に入れた。「さあお茶の準備をしなくちゃ」と言いながら、ビリエはすぐに暖炉の前にポットを置いた。

 

「その燃えてる糸は?」

「これはポイニクス・ロードから落ちる羽毛を細かく一本一本解いたものです!こうやって燃え移らないポイニクス・ロードの火を誰の家にも置いて、お料理や暖炉に使ってるんです!」

「普通の火じゃ木が燃えちゃいますもんね。生活するためにポイニクス・ロードが必要だったわけかぁ。」

「はい!私達は寒さにも火にも弱いので。普段の生活は勿論、冬には一日や昼間を意味するD(ダガズ)の巨大魔法陣にポイニクス・ロードの羽を置いて、里全体が冷え過ぎないようにしているんですよ!」

「――それであなた達はポイニクス・ロードを追う隊なんですね。」

「その通りです!ポイニクス・ロードから落ちる羽を拾い集めて里に持ち帰るのが私達の仕事です!」

 

 ならば、ナザリックでポイニクス・ロードを飼い、羽を安定供給すれば問題は解決するに違いない。国に入って貰い、国からの援助だ。

 いい具合の未来が見えるとフラミーは機嫌よさそうに笑った。

「さあどうぞ、お茶でも飲んでお待ちください!」

 ビリエはフラミーが見たこともないような小さなティーセットを持ち出してきた。ソリュシャンが即座にソファに挟まれているテーブルをつまんでフラミーの前に置く。

 ポットからやわらかな湯気が昇り、緑に近い茶色のお茶が注がれた。テーブルには次々と美味しそうなものが並んでいく。蜜を付け乾燥させたガラス細工のような花弁、砂糖をまぶした揚げた茎、蜂蜜のしみた蜂の巣もある。どれもおはじきのように小さな皿に乗っていて極小サイズだ。

「ふふ、いただきます。」

 まるでお人形遊びかおままごとをしているような気分になる。

「では、私は妖精王にポイニクス・ロードの事を話して参ります!」

 ビリエはソリュシャンの前を横切ると、隊の者達に「おもてなししててね!」と声をかけてさっそく出かけて行ってしまった。

 

 フラミーとソリュシャンは小さな家の中で膝を抱えて、小さなカップであっという間にティータイムを終えた。一口で飲めてしまうお茶なのだから本当に「あっ」と言う間だ。味も分かるような分からないようなものだった。

「もっといかがですか!」「たくさんお淹れいたします!」

「いえ、もう結構です。ソリュシャンは?」

「私も結構でございます。」

 妖精達は少し残念そうにしたが、つまらない思いをさせまいとすぐさま話を始めた。

 

 それは、この森での不思議な暮らしの物語だった。

 まず早朝に銀色草原に出てバロメッツに与えるための草刈りをするという事。銀色草原の草もバロメッツ同様に寒いところでよく育ち、バロメッツの大好物だそう。妖精(シーオーク)達はもう少し暖かくなるまでは皆がバロメッツの羊毛に体中を包んでもこもこになって暮らすとか。

 それから、週に三度は開かれる真夜中のダンスの集まりに、満月の夜には迷い込ませた亜人や異形も参加させて朝まで踊り回るという話。亜人達は足がすり減るまで妖精達の持つ特殊技術(スキル)で踊りが止まらないようにし、歩けなくなったところで殺してバロメッツの肥料にするらしい。ちなみにダンスの会には絶品のぶどう酒が出るそうだ。ダンスを踊っているとキノコが円形に生えてきて、それもまた美味しいとか。

 最後に、家にする為にくり抜いた木々には天井と床に『S(ソウエイル)』――命」と「Y(エイワズ)――再生」のルーンを刻むことで、死なずに青々と育ち続けていると言う話。

 見たことも聞いたこともない異文化達だった。

 

「えーと、えーと…他には…。」「およその国の王妃さまなんて初めてで…。」「誰か竪琴師(ハーパー)を呼びにいって!」

 妖精達はこれ以上何を話せばいいのか分からないようで、相談を始めた。フラミーはソリュシャンの隣にある小さな書棚に収められる本達の題名に目を走らせる。が、妖精の言葉なのか読めるものは一つもない。

 妖精達が輪になり相談をしている中、魔法のモノクルを装備する。

『バロメッツの正しい飼育方法』、『妖精(シーオーク)のならわし』、『おいしい花茶大全集』、『空の番人ポイニクス・ロードと越冬』――『ルーン魔術』などと言う題だった。

 どれもこれも実に気になる内容だ。

 

 特にルーン魔術は大変気になる。しかし、小さくなって座っている為に腰が疲れてきていた。痛みはないが、疲労を無効化していないフラミーには辛い。

「皆さん、もうおもてなしは大丈夫です。」

「「「「え!!!」」」

 妖精達の焦るような顔に苦笑する。

「ここは私には少し狭くって。外で腰を伸ばしてもいいですか?」

 妖精は何も言っていないが、ソリュシャンは当たり前のように扉を開けた。

「フラミー様、どうぞ。」

 遅れて妖精達もどうぞどうぞと外へ促す。

 フラミーは入ってきたときのように箱のように小さくなり這いつくばって外に出た。

 

+

 

 一方アインズはエ・ランテルのルーン工匠――ゴンド・ファイアビアドの下を訪れていた。

「ゴンド、久しいな。忙しいところすまない。」

「神王陛下、ご無沙汰ですのう。何、陛下の為でしたら手も止めましょうぞ!」

 工房の外からは多くの山小人(ドワーフ)と数人の地の小人精霊(ノーム)が中を覗き込んでいる。皆ちゃんと休んでるか、イツマデが付いている者はいるか、と小さな声で確認し合っていた。

 工房の窯の上にはアインズが以前渡した二十もの紫のルーンが刻み込まれた短剣が飾られている。鋭い一振りの刃には強い魔法の輝きが宿っていて、まるで「私に挑戦してみろ」と言わんばかりだ。窯の火はアインズが点けてやって以来、ゴウゴウと燃え続けている。壁には金槌やヤットコ、銑鉄(せんてつ)を入れた道具袋の類が掛けられたり並べられたりしている。

「それで、今日はまた監査ですかな?」

「いや、今日はお前達にルーンのことを聞きに来た。――これを見てくれ。」

 アインズは懐から一枚の写真を取り出した。そこには銀色の草原に残っていたルーンの魔法陣が写し取られていた。

「ほほーう、こんなものは初めて見たのう!」

「この魔法陣が仮に魔法を発動するとして、お前達にも可能か?」

「この魔法陣を描いてみんことには分からんが…多分できないと思いますのう…。」

 ゴンドはふぅむ、と声を上げると、室内を覗き込んでいる老山小人(ドワーフ)を手招いた。

「おぬし、おぬし。これを見てくれんか。」

 入ってきたのは武器に四つものルーンを刻むことができる――彼の亡き父に次いで天才と言われる工匠だ。

「陛下、失礼いたします。」一度きちんと頭を下げ、ゴンドの隣に掛ける。

 

「おぬし、これを描いて魔法を発動させることは可能かの?」

「…武器に刻んだ事しかないから分からんが…儂等は魔法詠唱者(マジックキャスター)ではないから難しい気がするのう。」

「ではルーン工匠に魔法詠唱者(マジックキャスター)はいないか?その者に試させたい。」

 

 ルーン工匠の職業(クラス)を持たない者がルーンを刻んでも魔化は行えないし、ルーンに力が篭らないため、アインズのようなただの魔法詠唱者(マジックキャスター)ではダメだ。アインズは期待するようにゴンドど老山小人(ドワーフ)を見た。

 

 しかし――

「お言葉ですが陛下。ルーンは刻む者のルーンに対する知識や理解が足りなければ、その効果を十全に発揮することはないんですじゃよ。つまり、この魔法陣への理解――それも、恐らく、この草や蔓の絵ひとつひとつや配置の理由に至るまで、全てをすっかり理解しなければ、例え魔法詠唱者(マジックキャスター)のルーン工匠が居ったとしても魔力は解放されないと思われますぞ。まぁ……ここまで言っておいてなんじゃが、魔法詠唱者(マジックキャスター)のルーン工匠はおらんのですが。」

 アインズがダメかと軽く頭を抱えそうになっていると、老山小人(ドワーフ)は続けた。

「――ですが陛下、文字の持つ意味だけならすぐにも分かりますが、お伝えいたしますか?」

「頼む。」

「まずルーンには下位文字五十に、中位文字二十五、そして上位文字十、最上位文字五の全九十文字ですじゃ。後は裏文字や神位文字が何文字かありまする。」

 

 アインズが知っているルーン文字は二十四文字なので、よほど数が多い。アインズの持つルーン知識の大半はタブラ・スマラグディナから聞いた話だ。

 神話オタクだった彼は、ルーンを「神とそれに連なる者達の文字なんですよ、モモンガさん」と嬉しそうに語っていた。

 ――しかし、アインズが知っていることは非常に少なく曖昧だ。当然文字一つ一つの意味はほとんど覚えていない。

 

 老山小人(ドワーフ)は『O』を指さした。

「これに書かれておるのは全て中位文字なのですが、まずこれはオシラ。分離や後退、時には土地を意味します。儂等が刻印することはほとんどありませんですじゃ。」

 続いて『X』を指さす。

「これはスリサズ。トゲや巨人を表すことが多いですが、警告や門の意味も持っておりまする。ルーン武器に刻む時にはトゲとしての魔力を引き出し、刺突時の切れ味を増します。」

 最後に『K』。

「カノです。開始と炎を司る文字で、近頃では(ツカ)に開始の意味を持たせて入れ、更に刀身には火の意味を持たせて入れとります。柄を握って抜剣すると炎を纏う様にできる、というわけですじゃわい!」

 アインズはそれを聞くと、なるほどと手元にメモを取った。

O(オシラ)――土地と分離。X(スリサズ)――トゲと巨人、もしくは警告と門。K(カノ)――炎と開始。なるほど……。」

 漠然とアインズの中でこの魔法陣の正体が形を作り出す。

「お前達はこれを何の魔法陣だと思う。」

 二人の山小人(ドワーフ)は腕を組み、よく似た顔で唸り声を上げた。

 

「ルーンのこんな使い方は初めてですからのう…。完全に想像に過ぎませんがよろしいでしょうか?」

「もちろん。」

 老山小人(ドワーフ)は軽く居住まいを正した。

「儂が思うにこれは土塊からゴーレムを焼き上げて生み出すものか――もしくは転移の魔法陣かと思いますじゃ。」

「やはりそうか…。ゴンドはどう思う。」

「儂も同じくですのう。ただ、地面とはいえ…三つも中位のルーンを地面に刻むなんて――」ゴンドがそういうと、老山小人(ドワーフ)が続けた。「――相当な凄腕じゃな。陛下、これを行った者は今どちらに?」

「今追っているところだ。分かり次第連れて来よう。」そう言うとアインズは立ち上がった。「突然来て悪かったな。手数をかけて悪かったが、お前達の話は非常に参考になった。」

 二人は少し照れ臭そうにし、アインズを見送るために立ち上がった。

「いえ、またいつでも来て貰って構いませんぞい!」

「感謝する。ではな。」

 メモを大切そうに自分の持つ空間に仕舞い込むと、急ぐように転移門(ゲート)を開き立ち去った。




新しいことに挑戦してるジッキンゲン
ルーンと、ルーンの神話について調べる時間が長すぎました

次回#96 豊穣の源

ドワーフの都市であるフェオ・ベルカナ、フェオ・ジュラ、フェオ・ライゾは全部ルーンの名前だったと学びました!(今更
フェオ…財産、家畜、所有
ベルカナ…成長、再生、解放
ジュラ…収穫、年、実りの季節
ライゾ…旅、コミュニケーション
生活とルーンが本当に密接だったんですねぇ


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#96 雑話 豊穣の源

「ルーンの魔法陣…。」

 パンドラズ・アクターは地面を撫でふーむ、と口に手を当てて声を上げた。

「どう?何か分かった?」

 様子を見ていたアウラが線や絵を踏まないようにしながら駆け寄り、覗き込む。そこは消されたり誤って踏んだりしないように縄を張り囲ってあった。

「わかりません。魔法探知(ディテクト・マジック)で見たところ、魔法が発動したと言うのは分かるのですが…私が同じものを地に書いても何も起こりません…。」

「じゃあフラミー様とソリュシャンがどこに行ったかは、やっぱり分かんないね…。」

「…わかりません。」

 手を強く握り込んだのか、パンドラズ・アクターの四本指の中からギュッと音が鳴った。石を投げ込まれた水たまりのように顔が一瞬揺らめく。

「……ソリュシャンが一緒だから大丈夫だよ。アサシンズだっているしさ。」

「…そうですね。」

 少しも大丈夫だと思っていないような口先だけの返事だった。事実パンドラズ・アクターはソリュシャンではレベルが低すぎると思っている。

 そうしていると、二人に大きな陰が落ちた。

 揃って空を見上げると、金色の竜が一頭降りて来た。その向こうで訪れた時よりも高くなった日がキラリと照りわたった。

「み、皆さーん!こ、ここが、えっと、どこだか分かりました!」

 マーレの竜(カキンちゃん)の背からは持ち主のマーレとコキュートスが顔を出した。

「マーレー!コキュートスー!おかえりー!」

 カキンちゃんが少し離れたところに着陸するため大きく羽ばたこうとすると、パンドラズ・アクターは身を翻し、ぶくぶく茶釜の姿になった。

「<ウォールズ・オブ・ジェリコ>!」

 その前に堅固な壁を生み、重要な証拠であるルーンの魔法陣に砂埃が積もったり、風で形が崩れたりしないようにした。

 カキンちゃんは風を巻き起こしてズズン…と音を立て着地した。

「あ、あの、すみません!」

「パンドラズ・アクター様、申し訳ありません。」

 マーレと揃ってカキンちゃんがパンドラズ・アクターに頭を下げる。アウラも弟の短慮に頭を下げた。

 それはいつもの守護者同士のやり取りよりも余程きちんとしていて――まるで、ぶくぶく茶釜本人にするかのようだった。

 パンドラズ・アクターはすぐに変身を解き、無駄に華麗な動きで立ち入り禁止区域から出た。

「いいえ、魔法陣は無事なのでお気になさらず。それより、ここは一体どこでした?」

 カキンちゃんの背からコキュートスがその巨体に似合わぬ身軽さで降りると、マーレもすぐにそれに続いて地図を取り出した。

 

「えっと、こ、ここがビーストマン州なんですけど、ここから北西に上って行った先です。だ、だから…あ、あっちに見えてる海はカルサナス州が面してる海みたいです!」

「マダ私ト聖典モ手ヲ付ケラレテイナイ場所ダ。」と、コキュートスが地図を指差す。「カルサナス州ノ冒険者ガ辛ウジテ地図ヲ作ッテイタノガ幸イシタ。地形カラ場所ノ確認ガ取リヤスカッタ。」

 カルサナス都市国家連合は、去年の夏に一部が連合離脱を果たした。神聖魔導国に併合された二都市と神聖魔導国硬貨を巡った経済戦争が起こっていたが、この春遂に全ての都市国家が音を上げ、晴れて神聖魔導国の一部――カルサナス州へと併呑された。

「この大陸の北の果てですね…。」

 

 パンドラズ・アクターが唸っていると、側に見知った転移門(ゲート)が開いた。

 秘宝の帰還を期待して転移門(ゲート)の周りに集まる。しかし、そこから出てきた足は――

「お前達、どうだ。」

 骸のアインズだった。もちろん支配者の到着も喜ばしいが、主人の行方が知れないのでどうしても残念な気持ちにはなる。

「ここの位置は掴めましたが、依然フラミー様の行き先は不明です。父上、そろそろもう一度伝言(メッセージ)を送ってみてはいかがでしょうか。」

「…そうだな、その後にこの場所の詳細を教えろ。――<伝言(メッセージ)>。」

 

+

 

 ビリエの家から出たフラミーの手首の"N(束縛と欠乏)"が赤黒く光り、チリリと燃えた。

 

「あぁ〜!腰疲れたねぇ!」

「フラミー様、今ビリエに付けられた印が何か…。」ソリュシャンは心配そうにフラミーの手を取った。「国に入る為に必要と言っていましたし、もう消してしまいましょう。」

 ハンカチを取り出してフラミーの手首を拭こうとすると、フラミーはパッと手を退けた。

「あ、これアインズさんに見せてあげたいからとっておきたいんです!」フラミーは軽く手首をさすった。

「これは余計な真似を。申し訳ございませんでした。」

「いえいえ、ありがとうございます。じゃ、取り敢えず腰を伸ばしに行きましょうか!」

「そうでございますね!」

 

 二人は外で待っている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)に軽く挨拶をすると、来た道ではない方へ適当に歩き出した。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)は大量の妖精達が勝手にポイニクス・ロードに触れないように守るのに忙しい。フラミーがハントした鳥の羽を抜かれるような事は断じて承服しかねるのだから。

 

 ズンズン進むフラミー達の後をビリエ隊の妖精(シーオーク)が追う。

 途中、鳥が歌う声に耳を澄ませ、咲いている花を摘んだ。ソリュシャンの髪に花をさし、姉妹のような姿だった。

 再び広大なバロメッツ畑に差し掛かり、ぅめーぅめーと鳴き声を上げるバロメッツの間を進む。最初に通ってきたところはポイニクス・ロードの御神輿のせいで大騒ぎなので敢えてそちらには近寄らないようにした。

 スイカのような大きさの赤い実がなる株からはどことなく甘そうな香りがした。

 

「はー半端に食べたせいかお腹空いてきましたねぇ。」

 出してもらった軽食はつま先で摘むよりもどれも小さかったのだ。

「アインズ様からのご連絡はまだでしょうか?」

「まだです。今日はズアちゃんにも呼ばれてますし、結構やることあるみたい。連絡が来たら一回向こうに戻りましょうね。」

 

 今日やらなければいけない仕事が全て終わったら、伝言(メッセージ)が届く約束だ。そうしたら、フラミーが迎えの転移門(ゲート)を開き、本日のお楽しみ、ピクニックランチだ。

「フラミーさま!良ければバロメッツの実を一口召し上がられますか?」

 妖精(シーオーク)達が嬉しそうに飛ぶと、ソリュシャンは近くに成っている赤い実に触れた。

「いい案ですわ。フラミー様、お味見されてはいかがでしょうか?」

 

 フラミーが返事をする間も無く妖精達は「少々お待ちください!」と言うと、遠巻きに様子を見ていた妖精(シーオーク)を手招いた。隊の者達は男も女も皆髪を一つにくくっているが、その妖精(シーオーク)は短い髪の毛を二つになんとか結んでいて、やはり毛糸で編まれたワンピースを着ていた。

「なにー?呼んだ?」

 すぃんっと飛んでくると、周りの妖精(シーオーク)達を見渡した後、フラミーとソリュシャンを見上げた。

「こんにちは。農場主さんですか?」と、フラミー。

「農場主ではないけど、ここら辺の九区画は私が面倒見てるバロメッツだよ!」

「エシル、実をあげて!」「フラミーさまとソリュシャンは大事なお客様なの!」

 わさわさと妖精(シーオーク)達が農家に群がる。

「んー、その銀色の髪と金色の髪を一束づつくれるなら、実を一つ分けてあげてもいいよ!」

 フラミーは自分の髪を掬い上げると困ったような顔をした。

 周りの妖精(シーオーク)達から大ブーイングが起きている。しかし、訳の分からない人が自分の育てている作物――乃至は家畜――を突然くれと言ってきたら、見返りを求めるのが普通だろう。

 

 とはいえ――

「髪はあげられないです。」それに、別にそこまでして食べてみたいわけでも、そんなにお腹が空いているわけでもない。

「でしたら、私の髪を二束与えましょう。妖精(シーオーク)、それでフラミー様にその実をひとつ献上なさい。」

「銀色も欲しかったけど…仕方ないね!それで手を打つよ!」

「え!いいですよ!そんな!ソリュシャン!!」

「いえいえ、お気になさらず。」

 ソリュシャンは正面で分けている自分の髪を掴むと手の中にいつの間にか取り出していたナイフでざくりと切り落とした。

 

「きゃぁー!!やってしまったぁー!!!」

 

 フラミーは叫び声を上げるとハラリと落ちた数本を拾おうと地面に膝をついた。

「さぁ、これで実を。」

「ありがとー!好きなのとっていいよ!」

 二人が契約を成立させている間にフラミーは落ちている輝くソリュシャンの金糸をかき集めた。

「ではあちらのものをひとつ――フラミー様?」

「ソリュシャンの体がぁー!!」

 フラミーが相当に狼狽えた声を上げていると、同時に妖精(シーオーク)達も「っきゃー!!」と叫んだ。

 ソリュシャンの髪は一本一本が痛みにもがく様にギュイギュイと奇天烈な鳴き声を上げて蠢いていた。ソリュシャンは一直線の前髪ができ、切られて残ったところがさらりと眉にかかった。

 

「ソリュシャン!!すぐに治してあげるからね!!」

「あら、痛みはありませんので大丈夫でございますわ。それに――」さっと前髪を弾くと、同時に短くなった前髪は元の長さを取り戻した。「長さも元に戻ります。」

 受け取った妖精(シーオーク)の手はふるふると震えている。

「こ、こ、こ、こんな気味の悪い髪の毛は初めて見た!」

「女の子に髪の毛切らせてそんな言い草ったらないですよ!」

「や、やっぱりこんなのいらなーい!」

 妖精(シーオーク)はひゃ〜!と声を上げて掴んでいたソリュシャンの蠢く髪の毛を押し付けるように返した。ソリュシャンが受け取りそびれた髪が散らばる。フラミーは「こら!」と声を上げるとそれも丁寧に一本づつ拾った。

 

「ソリュシャンごめんね、ごめんね、こんなになっちゃって。」

「いえ!フラミー様、あとは自分で回収しますので、お立ちください!」

 

 ソリュシャンが落ちた髪に触れると、それはすぐに体に取り込まれていった。人間としてのこの姿は所詮擬態に過ぎないため、髪の毛も全てソリュシャンの神経の通る身体(・・)の一部だ。

 

「あぁ…良かった…。」

「ご心配をおかけいたしました。」

 

 そう言ったソリュシャンの顔は紅潮し、透き通るような空の瞳は嬉しそうに細められた。

 

「もうやめてくださいね。女の子なんだから髪は大切にしてください。それに自分の体を切らせたなんて、アインズさんにもヘロヘロさんにも私怒られちゃいますよぉ。」

「まぁ、そんな。」

 

 フラミーがほっと息を吐くと、周りの妖精(シーオーク)達はソリュシャンの髪の毛を何度も撫でつけた。

「申し訳ありません!」「ごめんなさーい!!」「本当にすみません!!」

 髪をせびった妖精(オーク)は想像とは違うやりとりに気まずそうに二人を見上げた。

 

「ねね、ごめんね。人間だと思ってたから。まさか体なんて思ってなかったんだ。」

「ソリュシャンは捕食型粘体(スライム)なんですよぉ…。髪の毛でも切らせたら体を切ることになっちゃうんです。」

「かまいませんわ。痛みはありませんし。ともかく、あなたが返してきたとは言え約束は約束ですし、バロメッツの実はひとつ頂きますわよ。」

 

 ソリュシャンが手近なバロメッツの実をひとつ切り落とそうとすると、髪をせびった妖精(シーオーク)はその前で腕を広げた。

「あっ、待って待って。」

「…何か。」

「それより、こっちの方が美味しいよ。」

 隣の株のはち切れんばかりの実を叩く。一瞬ソリュシャンの瞳から光が失われそうになったが、笑顔と共に光は健在だ。

「そうでございましたか。ではそちらを。」

 実を支え、チュンっと音を立てて手刀で落とす。

妖精(シーオーク)さん、これって――」フラミーが訪ねかけると、妖精(シーオーク)はぴっと手を出した。

「私はエシルって言うの!あなた達は?」

 フラミーが答えようとすると、付いてきている妖精(シーオーク)が代わりに答えた。

「こちらは、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国のフラミー・ウール・ゴウン魔導王妃陛下!」「それから従者のソリュシャン!」「エシルいい加減にしてよ!」「国賓だよ!!」

「えー!知らなかった。フラミーさまもごめんなさい。」

 エシルがぺこりと頭を下げるとフラミーは首を振った。

「ソリュシャンが良いって言うから良いですよ。」

「ありがとうございます!」パッと顔を明るくすると、実の周りをくるりと飛んだ。「――えっと、ソリュシャン。この向きにぐるっと一周切って、左右に割ってね!」

 

 ソリュシャンは実を手に持ったまま辺りを軽く見渡した。

「……その前に――フラミー様に立ってお待ち頂くのもよくないわ…。でもおかけいただく場所がありませんわね。私が椅子になるのが良いかしら…。」

 ソリュシャンの呟き声を聞き、フラミーは慌てて首を振る。

「椅子なら――」

「え!フラミーさまはソリュシャンに座るの?」

 エシルの驚きが混じったような声が飛ぶ。周りの妖精(シーオーク)達の瞳にはあるのは戸惑いの光だ。

 

「座りませんよ!!」

 

 たしかに例えば下半身だけ椅子に擬態したりもできるのだろうが、フラミーは女の子に座るような女だと思われた事に少し頬を膨らませた。

 ではどうしましょう、と言うソリュシャンの横で、畑の間の道に指を突きつける。

「<上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)>。」

 魔法の発動と共に、そこには真っ白なテーブルセットが鎮座した。椅子は二脚で、日の光を反射して輝いた。

 

「フラミー様は位階魔法が使えるんだぁ!」

「そうですよ。さ、ソリュシャンも座ってくださいね!」

 

 恐縮しながらソリュシャンが席につき、フラミーはソリュシャンに座らずに済んだことに安堵した。テーブルに頬杖を付き、赤い豊潤な実に視線を戻す。

「それでは今度こそ。」

 赤い実にぷつりとナイフが入る。カツン、と硬い物にぶつかる感触に種――仁の部分かとぐるりと刃を入れていく。ポタポタと豊潤な香りが立ち込める赤い汁が滴った。

 

「わぁ、ほんと美味しそう!」

「楽しみでございますね!」

「へへへ、そう言われると嬉しいなぁ〜!毎日ちゃあんと面倒見てきたもんね。」

 

 一周刃を入れると、それをパカリと開き――二人は瞬いた。

 まるで妊娠中の羊の腹を生きたまま割ったような具合だった。中には成長中のまだ毛も生えていない真っ赤な血濡れの仔羊が入っていて、ナイフが骨を撫でた痕があった。だらだらと赤い果汁が滴り、開かれたばかりの仔羊は()から切り離されたことに気が付いたのか時折ぴくぴくと痙攣した。果肉の中は数えきれない血管のような管が走っている。

 

「まぁ!なんて美味しそうなんでしょう!!」

「でしょー!!」

 

 ソリュシャンとエシルの嬉しそうな様子とは裏腹に、フラミーはこれは生では食べたくないと思った。ただ、グロテスクなものには不思議なくらい耐性がある。

 

「フラミー様はどのくらい召し上がられますか?」

「私は――」まるで食べたくないが、せっかくソリュシャンが体を切ってまで手に入れてくれた物だし、生産者やくれると言い出した部隊を前にいらないとも言いづらい。それに何より、元貧困女子は決して「お残し」を許さない。食べ物を粗末にする事はフラミーのポリシーに断じて反する。

「えっと、一口下さい。」

 そこそこの勇気が必要だった。

「まぁフラミー様。一口でよろしいんですか?」

「…後でアインズさんとお昼食べる時に入らないと困りますから。」

「それもそうですわね。では、この生きた仔羊の良いところを――」

 ソリュシャンが仔羊にナイフを向けると、エシルが口出しした。

「ねね、そこは生じゃ食べられないよー?」

「あら…それは残念ですわね。」

 フラミーは人知れず安堵の息を吐いた。

「仔羊はソリュシャンが食べて下さいね。私はこっちの、果肉にします。」

 

 フラミーが手を出すと、ソリュシャンは一口より多いくらいの果肉を切り取り、その手に渡した。

 受け取った果肉を口に放り込む。ソリュシャンもあんっと大きすぎる口を開けると、残りを口――体に入れた。

 二人はそれぞれ咀嚼し、目を合わせて笑った。

「面白い味。なんだか桜でんぶみたいな味みたいですね。でも美味しい。」

「こちらは蟹のような味がしますわ。家畜の羊とは少し違うようでございますね。」

 魔法のテーブルセットの上で恋人同士のように過ごしていると、エシルはテーブルから飛んで離れた。

 ポシェットからナイフを取り出し、ソリュシャンが切った所に『L』と刻み込む。

 

「エシルさん、その字は何ですか?」

「これー?これはねー、L(ラーグ)って言って水や流れ、豊穣の源を司る文字なんだよ!切っちゃったところが腐ったり傷んだりしないようにしてあげてるの。Q(イング)の形にバロメッツを植えてるでしょ。Q(イング)は豊穣の文字だから、それの力を流し込んで強める事にもなるって言うわけ!」

 フラミーも自分の杖で地面に文字を書く。

「……これで魔法になるんですか?」

 エシルは首を振った。

「魔法がこもってないねぇ。"豊穣の源よ"って言いながらちゃんと実りをイメージして書いて見たら?ルーンは意味や力の流れを理解してないと魔力が解放されないから。」

 フラミーはファンタジーだなぁと思った。

 

 今度はきちんと「豊穣の源よ…」と呟く。フラミーにとって動物が実る豊穣――。

 それは大量の生命が奪われる事で、黒い仔山羊達が生まれ出ずる黒き豊穣が最も近しいだろう。

 しっかりイメージを固め、再びL(ラーグ)を地面に描く――。

 すると、文字はじっくりと歪に変形していった。

 

「あら〜…。」

「ダメだったね。私も一日一個までしか刻めないけど、フラミーさまは才能あるかもよ。魔法の意味がまだあんまりよく分かってないのか崩れちゃったけど、崩れたのは魔力がちゃんと乗った証拠だもん。」

「才能?」

「そそ!妖精(シーオーク)も子供の頃から一生懸命練習と勉強をして、その中で皆成長していくの!って言っても、ほとんど皆使えないんだ。ルーン魔術師としての特性がある子は少ないの。使えるとこうやってバロメッツを育てるのを任せて貰えたり、国の外にポイニクス・ロードを追いかけに行くのを任せられたりするんだぁ。いわばエリートだね!」エシルはへへん、と鼻の下をかいた。「そんな訳だからさ!どんなに勉強をしても使えない子達もいるのに、フラミー様みたいに初めて書いてルーンに魔法が篭もるのはすごいくらいなんだよ!」

「じゃあ、私もお勉強したらもう少しよくなるかな?」

「なるかもね!魔力がちゃんとあったんだから!」

 フラミーは嬉しそうに微笑んだ――が、現実的に考えてみる。

 

 そもそもルーン魔術師としての特性がない者が多いと言うのは、魔法詠唱者(マジックキャスター)として開花できる者が少ないと言うことと同様だろう。

 ルーン魔術が使えるのはルーン工匠と同じようにルーンに繋がる何らかの職業(クラス)が必要だと言うのは明白だ。フラミーは既にそれとは無関係のレベルを百持っているので新たにルーン魔術をきちんと覚えることは難しいかも知れない。

 既に取得しているものがたまたまルーンを描くことに繋がっていて、まぐれで魔力を宿らせることができたが、魔法として発動させるのは奇跡――そんな所だろう。何せユグドラシル時代、ルーンはただの飾りで実際に力を持ってはいなかったのだから、フラミーがルーンに繋がる職業(クラス)を持っているはずがないのだ。

(一瞬舞い上がっちゃったけど、望み薄かなぁ…。)

 フラミーが考え事をしている間に、ソリュシャンはでっかいバロメッツの実を食べて妊婦のように膨らんでいた体をすんっと細くした。

 すると、畑の向こうからビリエの声がした。

 

「フラミーさまー!皆ー!!」

 ビリエはフラミーの前でキキーッと立ち止まった。

「妖精王が是非王樹にお越し下さいとのことです!」

「はぁい。」

「じゃあ、フラミーさま、またねぇ!」ぺこりとエシルが頭を下げる。

「あぁ、エシル!農場の皆にフラミーさまへ差し上げるバロメッツの株か種実を準備するように言っておいて!」

「へ?なんで?」

「良いから!寒い冬が来るのが嫌ならそうして!」

 エシルは「よく分からないけど任せておいて〜」と言うとくるりと背を向けてそれぞれ自分たちのバロメッツの世話をしている仲間達の下へ飛んだ。

 

「さあ、フラミーさまとソリュシャンは王樹へご案内いたします!」

 ビリエに案内されるままに進み、途中ポイニクス・ロードを見張っていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と合流し、家になっている木々の間を抜けて、あちらの切り株を曲がって、こちらの花畑の脇を通って、斜面を登り詰めた。

 その先には輪状に生えたサンザシの中心に巨木が立っていて、やはりそれにも扉が付いている様が見て取れる。サンザシの円の半径は十メートルはあり、数えきれないほどのサンザシが植わっている。巨木の脇にはフラミーよりも大きいくらいのキノコが寄り添うように生えていて、その向こうには湖があり、雲が分かれて春の日が現れると、きらきらと美しく輝いた。

 

「ここが国の中心で、妖精王の木です!」

「立派な良い木ですね。これもルーンで生かしてるんですか?」

「そうです!木が大きい分、たくさんルーンを刻んであるのでああやってキノコもおっきく育っちゃいました。」

 あはは〜と笑う様子は大して気にしていないようだ。巨大キノコの傘は赤かったり、ピンク色だったりして、その上には沢山の妖精(シーオーク)達が登ってこちらを見ていた。

 

 フラミーとソリュシャンがサンザシの円に入り、続いてポイニクス・ロードを背に乗せた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が円に入ると、木についた大きな扉が開かれた。

 キノコに乗っていた妖精(シーオーク)達が竪琴を引いたり、花のラッパをパンパンパンと吹き鳴らし、褒め歌を歌い、緑色の髪が美しい青年の妖精(シーオーク)が出てきた。

 青年はフラミーとポイニクス・ロードを見ると嬉しそうに目を細めた。




いや〜平和だな〜!

次回#97 束縛と欠乏

ちゃっかり都市国家連合陥落を言い切る!


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#97 雑話 束縛と欠乏

 アインズは銀色の草原にある魔法陣の前で大量の書物に囲まれていた。

 どれも最古図書館(アッシュールバニパル)より持ち出してきた、ルーン文字について書かれているもので、中には世界樹(ユグドラシル)について書かれている本もある。

 

 フラミーと連絡が取れないまま、無為に時間は過ぎ、ルーンの刻まれた魔法陣しか手掛かりもなく、骨の身だというのに焦りは募るばかりだった。

 ひたすらにルーン文字について読み漁る。

 アインズは一冊一冊を読むごとに隣に控えるパンドラズ・アクターに、そして煌王国の経過観察から帰ったデミウルゴスに渡して行った。三人ともなりふり構っていられないとでも言うように地面に座っている。

 アインズは自分より、よほど賢く、知識が豊富な二人が何かに気付けないかと期待せずにはいられない。

 無言の三人がひたすらにページをめくって行く。

 辺りをデミウルゴスの悪魔やシャルティアの眷属、アウラの魔獣、カキンちゃんの背に乗るマーレとコキュートスが探し回っている。

 

「アインズ様、我々のいたユグドラシルにはこのような――オーディンなる神がいたのですね。」

 その言葉はデミウルゴスによるものだ。デミウルゴスの浅黒いはずの顔はずっと蒼白で、気分が悪いのか口元を押さえていた。

 アインズは自身の焦燥を抑え「オーディンか、懐かしいな…」と呟いた。

 ルーン文字はそもそもオーディンという神が世界樹(ユグドラシル)に自らの首を吊り、九日九晩を経て得た文字だ――と、どの文献にも書かれている。

 

 アインズは大型アップデート『ヴァルキュリアの失墜』に思考を巡らせる。アインズがユグドラシルを始めてからアインズ・ウール・ゴウンを結成し、ギルドが最高潮を迎えた頃に行われた大型アップデート。

 そのストーリーである「ニーベルングの指輪」では、オーディンの娘達を戦乙女(ヴァルキュリア)と呼び、それを九人と定めていた。

 天使召喚の超位魔法、<指輪の戦乙女たち(ニーベルング・Ⅰ)>が実装されたのもこの頃だ。他にも竜種族に大ダメージを与える<竜殺しの英雄(ニーベルング・Ⅱ)>、敵対者の超位魔法の発動残数を減らす嫌がらせ超位魔法<神々の黄昏(ニーベルング・Ⅲ)>が盛り込まれた。

 それはさておき、『ヴァルキュリアの失墜』導入後、かつて天空城もあったアースガルズにできた、グラズヘイムと呼ばれる神殿にアインズ・ウール・ゴウンのメンバーで突入した事がある。そこにはオーディンの持つヴァルハラという宮があり、オーディンの娘(ヴァルキュリア)達が<死せる勇者の魂(エインヘリヤル)>を大量に出して襲いかかってきたものだ。ヴァルキュリアは戦士の魂をヴァルハラに連れて行くと言う神話に基づき、ヴァルハラ内での死亡は通常よりもデスペナルティが重かった。

 その時にはフラミーはウルベルトやタブラのいるチームと同行し、アインズはやまいこやぷにっととチームを組んで――

 懐かしさを振り払う。

「オーディンの娘達はとんでもなかったが、皆始末したものだ…。ブリュンヒルデ以外はどの娘も勝気だったな。」

 一部の変態プレイヤーには凄まじい人気だった。

 デミウルゴスからの視線は崇拝に近い。

 

「父上、フラミー様がその時の無念を晴らそうと、オーディンによりユグドラシルへ攫われていたら…どうすれば…。」

 パンドラズ・アクターがそう言うと、アインズは手の中の本から視線を上げもせずに答える。

「ルーンがオーディンの生み出した文字だからか?もしユグドラシルにあるヴァルハラに連れ去られていれば、神を殺してでも取り戻さなければなるまい。しかし、オーディンの可能性は非常に低い。」

 読んでいた本をパタン、と閉じ、デミウルゴスに送った。アインズの中に考慮しなければならない一つの可能性が浮かぶ。

「――とは言え、ユグドラシルへ…か。あの不愉快な竜王に会いに行くべきだろうか。」アインズはちらりと世界転移門(ワールドゲート)によく似た転移門(ゲート)へ視線を送った。

「あの竜王、でごさいますか?」

「あぁ。腐った竜王だ。やつがどこに暮らしているのかツアーに聞いてみるか。」

 アインズに渡された本からデミウルゴスが視線を上げる。

「…アインズ様、腐った竜王とは朽棺の竜王(エルダーコフィン・ドラゴンロード)で?」

 

「そんな名前だったな。あれがもし余計な真似をしてフラミーさんをユグドラシルやリアルに送り帰しているようなことがあれば――」ギチィリ…と握り締められたギルド武器が悲鳴を上げる。

 アインズから溢れ出た黒い殺気から逃げ出すように草の陰から大量の雀や虫達が飛び去って行った。

「――竜王には絶滅してもらう。ツアーがなんと言おうとな。」

 その怒気は一帯を包み込み、それまで眷属の指揮をしていたシャルティアや魔獣を操っていたアウラ、カキンちゃんの背に乗るコキュートスとマーレを振り向かせた。

 全員の顔がサァッと青くなる事に気づきもせず、押さえ込まれてもすぐに新しい憤怒がアインズを塗りつぶす。

 

「ち、父上、非常に低い可能性を持ち出し、申し訳ありませんでした。お怒りを、お、お静めください。」

 パンドラズ・アクターの声に怯えの色を感じ取り、アインズの下には冷静さが戻る。まだ何が犯人かもわかっていないと言うのに無意味な真似をした。

 出来もしない息を大きく吐き出す。心に宿った身を焼く炎を吐き出すつもりで。

「………いや、すべての可能性を考慮するべきだ。しかし、確定してもいない事で腹を立ててすまなかった。パンドラズ・アクター、デミウルゴス、今の失態は忘れてくれ。」

「父上がそう仰るのなら全てを忘れます…。」

「アインズ様が命じるのならばそのように。」

 

 二人の息子が頭を下げる横にぽつん、と転移門(ゲート)が開く。

 三人が期待を込めてそれを見ると、中からはアルベドが飛び出した。

「アインズ様!!」

「アルベドか…どうした。ナザリックに何かあったか。」

 腰を浮かし掛ける中、アルベドはアインズの前に膝をついた。

「ナザリックは何も!ですから…アインズ様!どうか私にも捜索への参加をお許しください!!」

「却下だ。フラミーさんの行方不明の原因が分からない今、お前まで外に出てはナザリックを危険に晒すことになる。それが分からないお前ではないだろう。」

 絶世の美女が悲しげな顔をする。それに心動かされない男はいない。そして特に仲間達が創った存在にそういった表情をされれば、アンデッドのアインズでも罪悪感や焦りが生まれる。

「であれば!私の下にフラミー様を捜索するチームを編成させて下さい!!」

 嗚咽に混じって「どうか……どうか……」と繰り返される言葉は祈りのようで、血を吐くような叫びでもあった。

 涙でぐしゃぐしゃになるアルベドの顔に、今がどれほどの非常事態なのかを思い知らされる。

 そっとフラミーに触れて来たように極めて優しく涙を拭ってやる。

「……分かった。ではパンドラズ・アクターを使え。」

 息子は冷静を装っているが、愛する者の喪失を前に時折その姿が揺らめいているし、アインズがこれなのだからいつ何処に飛び出し暴走を始めるか分からなかった。アインズがまともでいられるのは、このアンデッドの身と――血肉を分けた息子(ナインズ)が存在するからだ。

「ありがとうございます!パンドラズ・アクター、なんとしてもフラミー様を見つけてみせましょう!!」

 アルベドの嬉しそうな顔とは裏腹にパンドラズ・アクターは不快そうだった。

 

「父上、私は私でこうして動いていますし、何も統括殿の下に付く必要性を感じません!」

「パンドラズ・アクター、私もそうだが……お前も少し冷静になる為に一度頭を空っぽにしてアルベドの下に付くんだ。またあの姿にだけはなるな。」

 

 パンドラズ・アクターはその言葉で、何故自分がわざわざアルベドの下に付けられたのか理解したようだった。

「……かしこまりました。」

「分かればいい。アルベド、パンドラズ・アクターの下に付ける部下を選ぶとしよう。ひとまずは階層に配置している者を引き上げるのではなく新たに生み出す。何をどれくらい欲しい。」

「いえ!パンドラズ・アクターに至高の御身へと変身してもらい、アンデッドを作らせるので、後は大丈夫でございます!」

「そうか。では、アルベド、お前は一度ナザリックに戻れ。パンドラズ・アクターと連絡を取り合いお前の思う捜索をしろ。」

 アルベドは深々と頭を下げ、嬉しそうにナザリックへ戻った。

 すぐにパンドラズ・アクターはアインズに姿を変え、アルベドと伝言(メッセージ)でやり取りを始める。

「やれやれ…。」

 アインズは本の山から離れると、一人、たった一つの手掛かりの魔法陣を睨み付けた。

 地図をその手に多くの魔法を唱える。

 そして、最後に――「<物体発見(ロケート・オブジェクト)>…。」

 魔法は四回も唱えられた。フラミーのタツノオトシゴの杖、デミウルゴスに渡された蕾、お気に入りのピアス、今日着ていたローブ、どれを探してもひとつも引っかかるものは無い。

「………糞。」

 落ち着いている振りをしてもアインズの中には(さざなみ)のように感情が打ち寄せる。不安に思っている子供達の前でアインズはこれ以上不安を煽るような真似はできない。

「………フラミーさん、どこにいるんですか…。」

 銀色の地平を眺めるアインズの声は静かに流れて消えた。

 

+

 

「春を総べたもう金の瞳の君、始めまして。僕が現在の妖精王の地位に就いている者です。」

 朝露に濡れたようなおかっぱの髪がさらりとなびき、小さな青年が頭を下げるとフラミーも頭を下げた。

「こんにちは、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国のフラミーです。フラミーって呼んでください。」

「魔道王妃陛下でらっしゃいます。」とソリュシャンが付け足す。それぞれ木の上や地面、花の上に座っていた妖精(シーオーク)達が頭を下げる。

「立ち話もなんです、是非王樹へ――と言いたいところですが、フラミーさまには少しばかり窮屈やもしれません。どうぞそちらのキノコへお掛け下さい。」

 わくわくしている様子の妖精王が王樹に寄り添うキノコを勧めると、キノコの上にいた楽隊は王樹の脇へと移動していった。

「ありがとうございます。妖精王様はお名前は?」

「オーベロンを名乗っておりますが、名跡(みょうせき)のようなものなので呼ぶ者はあまりおりません。敬称は不要ですので、妖精王とお呼びください!」

 フラミーはその名を聞くと「オーベロン?」と繰り返した。

「妖精王の地位に着くと生まれた時に持った名を捨てオーベロンを襲名します。二百年前にルーン工王が銀色草原に迷い込んだ時に、当時の妖精王をオーベロンと呼んで以来のならわしです。」

「"ヴァルキュリアの失墜"で入ったニーベルング族の妖精王の名前…。ルーン工王はプレイヤーだったんですか?」

「ぷれいやー、とは何でしょう?」何も分からないのか、ちっとも興味がないのか、若々しい王は愛らしく首を傾げた。「さぁ、それよりポイニクス・ロードを捕らえたと収集隊のビリエより聞いております!」

「あ、はい!そうなんです。ポイニクス・ロードがここの暮らしに必要不可欠な存在だと言うことは皆さんからもう十分に聞いてます。」

「でしたら話が早い!これまでポイニクス・ロードの羽がうまく手に入らなかった時、凍える者がおりました!」妖精王は嬉しそうにくるりと飛ぶと続けた。「フラミーさま、僕はルーンの力を妖精(シーオーク)の中でも一番うまく扱えます。ですが、ポイニクス・ロード程の魔物を捕らえて置けるほどの力はありません。」

 

 フラミーはうんうん、とうなずいた。

 

「ご協力しますから、安心してくださいね。」

「素晴らしい春の女神、王妃陛下に感謝を!では――フラミーさまにはこちらで心地よく暮らして頂けるよう、我々も精一杯努めさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いいたします!すぐにでもフラミーさまの家を用意し、お好きなバロメッツもたくさんお庭に植えさせていただきましょう!」

 

 ばかにご機嫌に妖精王がそう言うとワァッ!と妖精(シーオーク)達が歓声を上げた。パステルカラーの花弁が舞い降り、頭上高く聳える王樹が風に揺れて踊るような木漏れ日を落とす。妖精(シーオーク)達が円になって踊り始めると、その円からはぽこぽこと小さなキノコが生え、キノコにも小さな足がにょきりと生えて踊り出す。湖は喜びから目もくらむような輝きを放ち、もし自分の家の窓から眺められたらどれほど素晴らしい景色だったろう。

 だが、フラミーの背は冷たくなった。

 

「え!?そ、そう言う話ですか!?待ってください、私ここでは暮らせません!」

 

 ガーンッと音が鳴ったようだった。足が生えたはずのキノコ達はすぐに地面に張り付き、妖精(シーオーク)達の踊りは止まった。

 

「く、暮らしていただけない?ここはとっても素敵なところですよ!フラミーさまにはポイニクス・ロードに捕縛の魔法を掛けてさえ頂けたら、後は歌って踊って、好きな時にお昼寝して、お腹いっぱいバロメッツを召し上がって頂いて、ヒイラギの実よりも鮮やかなドレスをお召し頂いて、毎日新しい花でその身を飾っていただけます!夜通しダンスをして、朝には湖に浮かぶ朝日を眺めて皆で寄り添って眠りに落ちる…――それはそれは夢のような生活ですよ!」

 

 妖精王は誰もが憧れるような生活を並べるが――そんなものはもうナザリックでいっぱいだ。

「妖精王様、私の国の一部になって下さい。そうすれば私の家に連れ帰るポイニクス・ロードから羽を分けてあげますから。」

「フラミーさまにここに留まっていただければ何の問題もないように思います!日が落ちれば木々を揺らす風がシンフォニーを奏でるので、フラミーさまもそれを聞けばきっとここをお好きになりますよ!」

「できません!私には夫も子供達も国もあります!」

「ああフラミーさま、そうおっしゃらず!」

 フラミーが腰を上げると、ソリュシャンと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)からズキズキするような怒りの波動が流れ出る。

 妖精王は何かを言おうとしたが、周りの妖精(シーオーク)達とぱくぱくと魚のように口を動かし、ライオンに睨まれたネズミのように動きを止めた。

 すると、フラミーの手首の"N(二イド)"が再び燃えた。それは四回、まるでフラミーを呼ぶようだった。

「束縛と欠乏がまた…?」

 フラミーが呟くと――里中に響くような「エエエエ」と獣の鳴き声がした。フラミー達が起こしたものではない。

 森がざわめく。鳴き声は地を揺らし、ドドド…と凄まじい足音がこちらへ向かって急接近してくる。

 フラミーはいいお友達になれそうだったのに、と心の底から残念に思った。そして、自分よりも弱い僕たちを守るため、一歩前へ出て自らの杖を構える。

 ソリュシャンや八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は足音が響く方へ振り返ると口元を歪めた。

 空気がしなったと思った瞬間、フラミーは叫んだ。




結局妖精滅ぼす事になるの?(*⁰▿⁰*)

次回#98 存在の隠匿


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#98 雑話 存在の隠匿

「よく分かんないけど、寒い冬が嫌ならフラミーさまに差し上げるバロメッツを用意しなきゃいけないんだって〜。」

 エシルは他の農家仲間を自分の区画に呼び出していた。

「えー?フラミーさまは春の女神なの?」

 農家仲間が聞くと、エシルは取り敢えずうなずいた。

「分かんないけどそうなんじゃないのかなぁ。王妃さまだって言ってたけど、優しい人だったし。」

 すると、ここより遠くの区画を持っている農家仲間が口を開いた。

「エシル、フラミーさまはポイニクス・ロードを捕まえたんだよ。」

「え?ポイニクス・ロードって捕まえられるものなの?」

「さっきあっちの畑の間を通って行かれたもん。ポイニクス・ロードを蜘蛛が運んでた。」

「蜘蛛が?へぇ〜面白いねぇ!」

 バロメッツ達がふんふんとエシルの耳元で鼻を鳴らし、くすくすと楽しげな笑いが漏れる。

「ポイニクス・ロードと交換だって知ってたら、ソリュシャンの髪の毛が欲しいなんてわがまま言わなかったのになぁ!」

「髪の毛ー?」

「そそ!従者の金色の綺麗な髪の毛!だけど、粘体(スライム)だったから返したんだ〜。」

「え〜、春の女神になってくれる人の従者の髪を切らせるなんていーけないんだーいけないんだー。」

 一人が歌いだすと、皆歌い出し、ちょろちょろと踊り出した。

「ちゃんと返したし、フラミーさまは許してくれたもんね〜!」

 エシルも踊りに混ざろうとすると――ふとフラミーの描いたルーンが目に入った。

「あらら?フラミーさまのルーンがまだ動いてる。」

 文字として機能しない程度まで歪むと普通はそれで歪みは収まる。しかし、フラミーの書いた物は未だに形を変え続けていた。

「フラミーさまってルーン魔術が使えるのー?」

「わかんないけど、魔力はこもったんだよー。」

 皆でしゃがみ込んでフラミーの杖の跡を眺めていると、そこから、ふと黒いにょろにょろした木が生えた。

「――え?なぁに?これ。」

 ツン、と触るとにょろにょろは二本、三本、と増え、ついには地面から吹き上がるようにそれは姿を現した。

 

"メェェェェェエエエエエエ!!!"

 

 人間の腰くらいの高さのそれは、山羊のような大声を出した。国中に響いたのではないかと言うほどの獣の叫び声だ。

「っえぇ!?カブが生えた!!フラミーさまのカブだぁ!!」

「バロメッツの仲間かな?初めて見るカブだね!」

「フラミーさまのカブラ山羊!!」

「おいしそー!春の女神は命も産むんだ!」

 カブラ山羊の周りをエシル達がフラミーさまフラミーさまと言っていると、カブラ山羊はふんふんと辺りを見渡した。

「カブラ山羊が増えるように何かルーン刻んでやろうよ!」

「いいねぇ!あ、私は今日はもう刻んじゃったから、誰かやって。」

 エシルができないと知ると、農家仲間がナイフを取り出した。バロメッツにしてやるようにナイフで豊穣の源を刻もうとすると、ナイフは黒い皮に触れる直前にピッと砕けた。

「あら?なんかナイフ壊れちゃった。エシル、ナイフ貸してぇ。」

「はい、どーぞ。」

 新しいナイフを手に、気を取り直してその黒い皮膚にナイフを突き立てようとすると、カブは「メェ。」と一言発し、再びナイフは砕けた。

「えぇ、なんかおかしいよ。」

「ナイフでダメなら、書いてやったら?」

「うーん、そうしようか。」

 ポシェットから小さなインク壺を取り出し、にょろにょろと動く触手を避けて書き込もうと指をインクに浸した。

 すると、カブラ山羊はぴょこんっ!と飛び跳ね、突然走り出した。

「あ!ちょっと!待ってよー!」

「根っこがちゃんとついてないから走っちゃったよ!困った山羊だなぁ!」

 エシル達は慌てて飛び始めた。

 カブラ山羊は可愛らしい短い足をドタドタと鳴らし、走って行く。

「は、はやい…!」

 お昼時でお腹も空いた。皆精一杯翅を動かし、一心不乱にカブラ山羊を追って飛ぶ。体がどんどん重く感じられ、一人、二人と農家仲間が速度と高度を落としてはずれて行く中、エシルはひぃひぃ言いながらも懸命に追いかけた。

「ま、まってよぉー!そ、そこはダメだよ!!」

 カブラ山羊は決して道を通らず、木々の茂った所や、藪の中をズンズン進んでいく。斜面を突き進み、登り詰めたあたりで、カブラ山羊は突然足を止めた。

 向こうには王樹が見えていた。

「メェェェェェエエエエエエ!!」

 大きな鳴き声をもう一度上げると、たちまち転がり落ちるように王樹へ突進して行った。

「えぇ!?まずいまずい!!」

 エシルはくにょくにょしている触手にひっつかまると、突撃して行くカブラ山羊を懸命に引っ張った。

「止まって!止まってー!!っぅわ!?」

 ガブラ山羊はまるで地滑りのような力とスピードで、ぶいぶいと蠢く触手は捕まっているだけで精一杯だ。カブラ山羊は王樹の脇を駆け抜け、正面へ回った。

 

「おにぎり君!?」

 

 一人身構えているフラミーが叫んだ。フラミーに向かって駆け抜け、カブラ山羊はジャンプするとフラミーに激突した。ソリュシャンと蜘蛛達はそれを安心したように微笑んで見ていた。

「メェ。」

「どうして?おにぎり君どうやってここに来たの!」

 メェメェとたくさんある口で喋り続けるカブラ山羊から、目を回したエシルは手を離し、きゅーと落っこちて行った。

「っあ、エシルさん!大丈夫ですか?」地面に落っこちる前にフラミーが手のひらで受け止めると、ぐるぐる回る視界の中、なんとか口を開く。

「あぁあ〜ふらみーさま〜、そりゅしゃ〜ん。かぶらやぎが〜ふらみーさまのるーんからうまれてきた〜。」

 そのままキュウ…とエシルは伸びた。

「え、えぇ…?私のルーンから…?」

 フラミーは片腕で抱いているどう見てもおにぎり君である黒い子山羊に視線を戻した。

「フラミーさま、エシルがすみません。」

 ビリエが寄って来ると、フラミーはそっとエシルを渡した。

「いえ、それはいいんですけど…。あなたおにぎり君ですよね?」

 よく見ると顔中に土をつけ、むさくるしい様子だ。おにぎり君はハッハッ!と嬉しそうに全ての口で呼吸をし、うなずいた。

「アインズさんは一緒?」

 おにぎり君はフラミーに下ろされるとぶんぶんと体を振った。その拍子に土が飛ぶ。

「ンン。おにぎり君、いくらフラミー様に生み出されたとは言え、そのような真似をしては不敬ですわ。」

 ソリュシャンから注意されると、おにぎり君は触手を少し垂らした。反省しているようだった。

 妖精(シーオーク)達が物珍しそうにおにぎり君に「おもしろ〜い」などと言いながら寄って行く。おにぎり君はパトラッシュが蜂を殺して怒られているのを見ているため、許可が出るまで翅の生えた虫は殺さない。

 妖精王はおにぎり君をすりすりと触るとフラミーに向き直りなおした。

 

「フラミーさまがカブと山羊の方がお好きなら、これをなんとか増やしてお庭に植えましょう!」

「…妖精王様、この山羊は増える生き物じゃありません。ともかく、私はここに暮らすことはできませんし、ポイニクス・ロードの羽はちゃんと必要なだけあげますから、私の神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国に降ってください。」

「しかしここは妖精の隠れ里!必要以上にフラミーさま達のように大きな生き物は入れられません。地を歩くものが増えるという事はそれだけこの里中に張り巡らされたルーン魔術による結界を踏まれて消される危険があると言うことです。木の植え方一つ、道の巡らせ方一つも魔法が籠るように気を配って里を作っているのです。」

 

 フラミーは辺りを見渡し、魔法を唱えた。

「――<魔法探知(ディテクト・マジック)>。」

 魔法に呼ばれるように、里中とフラミーに刻まれたルーンから力を感じる。

 

「僕たち妖精(シーオーク)は野良の狼や、時には大型の鳥にだって食べられてしまうようなか弱い生き物なんです。昔は人間や亜人に捕まえられて使役されたこともありますし…この里は隠匿し続けなくてはいけません。」

 

 言葉の通じる者たちならやめろと言えば済むが鳥、虫、獣まで相手となるとまた話は変わるだろう。

 

「…事情は分かりました。ルーンの結界が崩れないようにする為にも、ここの存在は秘匿します。それでどうですか?」

「それならば何故国に降るように仰るんですか?」

 

 世界征服と技術の制限の為――そうは言えない。フラミーは僅かに悩むと口を開いた。

 

「私、ルーン魔術を教えて欲しいんです。私のルーンには魔力が篭るんですって。この黒い子山羊をルーンで呼べた……らしいんで、きっと私はルーンを使えるようになります。それに、家の国の山小人(ドワーフ)とルーンの実験もして貰いたいですし。」

「…ルーン魔術をお教えし、かわりにポイニクス・ロードの羽を頂く。――これだけではフラミーさまがルーン魔術を習得したところで約束は終了してしまう…。しかし、妖精の里がフラミーさまの物となり山小人(ドワーフ)とルーンの実験を続け、新しいルーン魔術をフラミーさまにお教えする契約をすればいつまでも守ってくださる。そういうわけですか?」

「……そ、そうです。いかが…?」

 

 フラミーは少し不安そうに杖をもじりと触った。

 うら若き妖精王はフラミーへ手を伸ばした。

「それでしたら、僕たちはフラミーさまに――」

 

 妖精王がそう言うと、地が揺れた。

 

 時を同じくして、蒼くどこまでも広がる空に奇妙な違和感を覚える。

 ご機嫌な陽光を遮る黒雲――それも雨雲を思わせる分厚い雲が掛かった。

「な、なんです…?」

「分かりません…。こんなことは初めてです…。」

 妖精王は訳がわからないとばかりに首を振り、皆空を見上げた。まるで妖精の里の上だけに雨雲はかかるようで、誰かが雲を召喚したようだった。

 雲は里を中心に渦巻きながら、範囲をどんどん広げていく。

 異常事態だ。

 黒雲が完全に天空を覆うと、雲からひとつの(もや)がぽつん…と生み出された。

 靄の中におぞましい無数の顔が浮かぶ。どれも無限の苦痛を訴えるようで、冷たい風に乗って啜り泣く声や、怨嗟の声、断末魔が聞こえてくる。

 妖精(シーオーク)達が怖気付く中、フラミーは空を見上げ目を細めた。

(アインズさんのアンデッド…?でも、連絡は来てないし…野良…?)

 ここにアインズが来られる理由もアンデッドを放つ理由も無い。フラミーは無造作に空へ向けて手を打ち鳴らした。

 パンっと乾いた音が鳴るとアンデッドを軽々と消滅させた。

「そ、それほどまでに力の差が…。」

 妖精王の喘ぐような声が響いた。通常はアンデッドを退散させるのが精一杯だが、圧倒的な力の開きがあるときには退散ではなく消滅させることができる。

 危うく手に入ろうとしている里を襲われるところだった。

 フラミーがほっと息を吐いた時、先程おにぎり君が突進して来た方角から沢山の妖精(シーオーク)が飛んできた。

「妖精王!」

「皆、どうした?おぞましきアンデッドは春の女神が討って下さったよ!」

「あちらの道がめちゃくちゃになってます!!」「ルーンの術式が破壊されました!!」「里を囲む茨の向こうにアンデッドと魔獣が!!」

「な、なんだって…!?」妖精王は顔を真っ青にした。

 視線は真っ直ぐおにぎり君へ向いた。フラミーもそれがどう言うことなのか理解すると、顔を真っ青にした。

「お、おにぎり君!!」

 フラミーは訳のわかっていない様子のおにぎり君の触手をパンっと叩いた。

「すみません!おにぎり君、何かを壊したり踏み抜いたりしちゃダメって前に言ったでしょう!」

「メェェェェェ……。」

 状況を理解し、申し訳なさそうにするがおにぎり君が謝罪したところでルーンの魔法陣は直らない。

「ルーンを刻める者は破壊された結界の修復と戦闘班に分かれるんだ!!フラミーさま、申し訳ありませんが、お力をお貸し頂けないでしょうか。」

 フラミーは頷くと翼を広げて浮かび上がった。

「ソリュシャンとアサシンズも手伝ってください。おにぎり君も来なさい!」

 ソリュシャンは優雅に頭を下げた。伏せられた顔は見えなかったが、いつもの優しく穏やかな笑みを浮かべているに違いない。

 一人と一匹は妖精王達の後を追った。

 

+

 

 その少し前の出来事――。

 茨に囲まれた森から離れること一キロ以上。

 草原にはポツリと一つの人影があった。

 

「消されましたか…。」

 

 おぞましき骨の姿の者が呟く。身を翻すとその姿は一瞬パンドラズ・アクターの物へと戻り、またすぐに変化していく。

 それは最初の九人で結成されたクラン、ナインズ・オウン・ゴールに在籍していた彼――"ナインズ・オウン・ゴールの目"とも呼ばれたぬーぼー姿だった。

 探知の魔法を使って遠くの地、茨に囲まれた森をじっと眺めた。そのまるで動かない姿は置物か、人形のようにも勘違いしてしまうほどだ。わずかに肩の辺りが上下していなければ、実際にそう思ってもおかしくはなかった。

 長く細い呼吸を繰り返しながら、異形は真剣な面持ちで茨の森を眺める。

 異形は確信すると、黄色い本来の姿を取り戻し、こめかみに触れた。

「――<伝言(メッセージ)>。」

『私だ。』

 疲れたような声に胸が痛くなる。異形は創造主を喜ばせる最高の情報を口にした。

 

「父上、パンドラズ・アクターでございます。フラミー様がいると思われる場所が見つかりました。」

『何!!そうか!!でかしたぞ!!』

「父上の仰るとおり統括殿と組んだ甲斐がありました。すぐに転移門(ゲート)を魔法陣の近くに開きますのでお待ち下さい。」

 

 パンドラズ・アクターはすぐに神を迎えるための転移門(ゲート)を開いた。

 

「パンドラズ・アクター!」

 

 駆け寄るように現れた父に一度優雅な礼を見せる。

「父上、あちらの茨に囲まれた森にフラミー様がいらっしゃるようです。先ほどぬーぼー様のお姿をお借りして探知魔法をいくつか試したところ、それまでは高度な隠蔽魔法を用いていたようです。」

 パンドラズ・アクターが視線を投げる方にアインズの視線も吸い込まれる。

「……お前がすぐに迎えに行かないと言う事は、そう言う事(・・・・・)か。」

 それは絶対強者がいるのか、と言う問いだ。パンドラズ・アクターは手を胸に当て、深く頭を下げた。

「――は。先程不死の奴隷・視力(アンデススレイブ・サイト)を使用した先触れを送った所、内部を確認する前に消滅させられました。一体何者が居るか分かりませんが、これまで完全なる隠蔽を行い、更には先触れを消すほどの相手です。」

「お前のアンデッドを消すとはな。フラミーさんへの通信遮断に探知阻害と言い…こけにしてくれる。」

 二人が茨の森を睨み付けていると、先程アインズが出てきた転移門(ゲート)から続々と守護者達が集まってきた。

 皆それまでパンドラズ・アクターと連絡を取り合っていたアルベドから連絡を受けて来ているので、事態を把握している。

 

「相手が誰だか知らんが、まずは小手調べだ。フラミーさんを巻き込まないようにしろ。…パンドラズ・アクターが出した程度のアンデッドを消して調子付いているだろうが、出鼻を挫いてやれ。」

 

 骨の眼窩に炎が燃える。守護者達は笑ったようだった。




次回#99

すごぉい!
見事に全てのリクエストを消化していく!!

フララに始原の魔法か新しい魔法
フララを行方不明にしてナザ勢げっそり
妖精出して


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#99 雑話 お迎え

 フラミーは妖精王の後を追い、里の出口である茨の隙間から外を確認した。

「あ、あれは…。」

 妖精王の喘ぐような声が聞こえる。

 里の外にはアインズが一生懸命作っていた屍の守護者(コープス・ガーディアン)と、巨体に三つの犬の頭部を持つ地獄の門番(ケルベロス)。どちらも遠くにいる為、まだ小さかった。

 フラミーは目を細めると呟く。

 

「……ナザリックの戦力…?」

 

 だとしたら、傷付けたくない。向こうから連絡はないが、これは確認する必要がある。そう思っていると、後をついてきたソリュシャンが頷いた。

 

「確かにナザリックの者の気配がいたします。アインズ様のお迎えではないでしょうか?」

「そうなのかな?でも、それならどうして連絡がこないんだろう?」

「…わかりかねます。兎に角一度アインズ様へご連絡いたしましょう。」

 

 ソリュシャンが巻物(スクロール)を取り出そうとすると、フラミーはそれを止め<伝言(メッセージ)>と唱えた。巻物(スクロール)がもったいないし、などと考えながら仕事に精を出したであろう偉い支配者へ繋ぐ。

 すると、こめかみに触れていない方の手にある手首の"N(二イド)"が光り、伝言(メッセージ)は発動せずに散った。

「え………?これ、何なんですか!」フラミーが妖精王に振り返る。

 妖精王はこんな時に一体何だとでも言うような視線だ。

 

「里に入る生き物には必ず付けているルーンです。踊り死ぬ前に里の外の仲間と連絡を取らせないようにしているんですが、もちろんフラミーさまに輪舞(ロンド)をかけるつもりはありませんよ!それが何か?」

 

 足がなくなるまで踊らせて殺してバロメッツの肥料にすると言う話を聞かされたが――フラミーは慌てて手首を擦った。

 

「そう言う大事な事は早く言ってください!あれはうちの国の僕です!」

「え、えぇ!?フラミーさまの国は一体…。」

「きっと私達を迎えに来たんです、だから――」

 

 そう言った時、地獄の門番(ケルベロス)の三つの頭部が一斉にオォーン…――と遠吠えを上げた。戦闘開始前のモーションだ。

「あ、来ちゃう!」

 フラミーはごしごしと腕を擦るがルーンは消える事なく鎮座し続けた。二つの巨体は軽やかさすら感じる動きで走り出す。

 

「これいつ消えるんですか!連絡取らないと!」

「刻印から十二時間はそのままなので…消えるまでまだ十時間はあります!皆、フラミーさまに刻まれたルーンを消すルーンを!」

 

 妖精(シーオーク)達がフラミーの周りに魔法陣を描き出すが、突き進んでくる巨大な竜巻を目にしたように手が震え、うまく魔法陣を描けないようだった。

 

「………いい、行きます!おにぎり君、行こ!」

「メェ!」

「ソリュシャンとアサシンズはルーンを消してもらってて下さい!」

「かしこまりました!」

 

 尻を振るように体を震わせたおにぎり君は小さな体で向かってくる仲間へ向けて駆け出した。

 フラミーも浮かび上がると二体へ向かって飛んだ。

 

+

 

「父上!フラミー様が茨の中から出て参りました!」

 

 ぬーぼーの姿で茨を眺めていたパンドラズ・アクターの報告に、アインズは己の生み出した魔法の椅子から腰を上げた。

 

「周りには何がいる?」

「…フラミー様のおにぎり君が。」

「………おにぎり君?何故だ。ナザリックにフラミーさんが戻ったり転移すれば知らせるようにオーレオール・オメガに厳命させたはずだ。おにきり君を一体どうやってナザリックから連れ出すことが出来る。それともオーレオールに伝えていないのか?――デミウルゴス。」

 

 オーレオール・オメガは普段ギルド武器や転移門の管理をしている。それを指示した防衛指揮官であるデミウルゴスに振り返ると、控えていたデミウルゴスは姿勢を正した。

 

「いえ、オーレオールにはその様に申し伝えてあります。念のため確認を取りますので暫しお待ちください。」

 アインズが顎をしゃくるとデミウルゴスは即座に伝言(メッセージ)を送り、二、三言やり取りをするとそれを切った。

「――失礼いたしました。やはり、オーレオールはフラミー様のご帰還や転移はなかったと。」

「一体どう言うことなんだ…。おにぎり君に見える幻覚か?」

 

 アインズが赤い瞳の灯火を細める。パンドラズ・ぬーぼーは首を振った。

「いえ、あれは幻覚ではありません。確かに実体を持っております。」

「ますます分からんな。アウラ、お前の目から見てもフラミーさんの周りにはおにぎり君しかいないか。」

 アウラは特殊技術(スキル)の<空の目(スカイアイ)>を発動し、ピンク色の色艶の良い唇をキュッと結んだ。二キロ程度の距離なら監視もお手の物だ。

 

「――はい!確かにおにぎり君しかいないみたいです!」

「………怪しいな。ここまで一切フラミーさんとの連絡が取れず、探索魔法も効かなかったと言うのに、突然森が現れ、フラミーさんも姿を現した。罠か……?もし罠だとすれば致死の罠である可能性が高いな…。」

 

 不思議そうな顔をしたシャルティア、コキュートス、アウラ、マーレにアインズは続ける。

 

「我々――アインズ・ウール・ゴウンがPKをするときに取った手段が現状によく似ている。我々も相手のギルドメンバーの者を囮におびき寄せて、まんまと食いついて来たものをPKしてきた。襲い掛かって来たものは確実に殺したのだ。この方法を取られて一番最悪なのは囮も死ぬ可能性が非常に高いと言うことだ。」

 

 双子から息を吸い込んだ悲鳴が上がる。

 アインズも叫びたい気分だ。相手はフラミーの力を封じ込めるだけの存在であり、どうやってか不明だが玉座の間に置かれた世界級(ワールド)アイテムに守られるナザリックからおにぎり君を連れ出し、おにぎり君の力も抑え込める存在なのだ。

(下手をすれば世界級(ワールド)アイテム所持者か…。)

 己の心を落ち着ける為にもアインズはアウラとマーレの髪を撫でた。

「お前達、この場所の隠蔽と探知への対策は十全だろうな。」

「は、はい!」「もちろんです!!」

 二人のいい返事に頷く。

「よし…。この罠を張った時に我々が一番恐れたのが何だか分かるか?」

 双子から返事はない。少々の時間悩んだデミウルゴスは指を一本上げた。

 

「囮と同等か、囮よりも少ない数で奪還隊が来る場合でしょうか?」

「その通りだ。流石だな。」

 

 デミウルゴスが頭を下げると、後ろにいたパンドラズ・アクターの不満そうな無表情が見えた。私だってわかってましたよ、父上という声が聞こえて来るようだ。

「デミウルゴスの言った通り、少数で来られると伏兵がいる可能性を考慮しなくてはならなくなる。罠が仕掛けた側への罠になるのを警戒してな。」

 守護者全員に理解の色が浮かぶ。シャルティアは手元のメモにきちんと全てを書き留めた。

 

「だから、あの僕達二体以上をお出しにならない訳でありんすね。」

「そうだ。地獄の門番(ケルベロス)は第十位階の召喚魔法で呼んでいるし、屍の守護者(コープス・ガーディアン)も私のお手製だ。あの力は守護者にも匹敵しよう。行く行くはあれを大神殿に一体配置するんだからな。不足はあるまい。」

「大神殿に、でございますか?わざわざそれは…?」

 

 デミウルゴスが不思議そうにする。

「まだ気が早いが、ナインズの学校通いが始まったら毎日ナザリックから大神殿の一室へ転移の鏡をくぐり、そこから登校させる。大神殿に設けるナインズの部屋の為のスペシャル守護者だ。」

 それを聞いた守護者達は目を見合わせた。

「登下校を省略して学校から直接転移門(ゲート)一発で友達と遊ぶ約束もできずに帰ってくると言うようなことがないようにしてやらねばな。下校時間と言うのは大切な時間だ。」

「お、お待ち下さい!ナインズ様を神都に!?」

 デミウルゴスが信じられないものを見るような目をする。

 アインズは咳払いをした。骨の体のためにそれは真似事だ。

 

「……この話はフラミーさんを取り戻したらじっくり行なおう。さぁ、フラミーさんがじきに地獄の門番(ケルベロス)達に接触する。動きがあれば、まずは私が単機で出よう。鬼が出るか蛇が出るか……。」

「――父上!!」前方を見ていたアインズの視界が真っ黄色に染まる。「フラミー様を拐いし敵と戦う必要があることは存分にわかっております!ですが、何故わざわざ単機でなどと!確かに少ない奪還隊の方が相手の警戒心は引き出せますが……相手が姿を現せばこれだけ守護者が集まっているのですから、数で押し潰せばよろしいではないですか!!」

 

 一息に言い切れば、守護者達はその通りだと息巻いている。

 

「………お前の言いたいことは分かるが、そうしない理由は三つある…。」三つ……と復唱されるとアインズは続けた。「一つ目はルーンと言う未知の力を相手が使うと言うことだ。ユグドラシルから持ち込まれた力に間違いはないが、それの持ち得る力がどれほどの物かまるで想像も付かない。」

「アインズ様、デアレバ尚ノ事――」

 コキュートスが何かを言いたげにするが、アインズは手を上げて遮った。

 

「………いや、想像も付かないと言うのは語弊があったな。フラミーさんを抑え込む力だ。この中にフラミーさんより回復や持てるバフの数が優れていると自信のある者は。フラミーさんに防げなかった魔法を防げる自信がある者はいるか。」

 アウラとマーレは二人で揃えばもしかしたら…と少し呟くが、それでは少数の奪還と言う最初の条件を満たさないし、もしかしたらと言う曖昧な答えは支配者への返答として相応しくないだろう。

 

「一番期待できるのは私だ。始原の魔法もあるからな。それから、二つ目は相手がプレイヤーで、あの茨がギルドホームだった場合を考慮する必要がある。そうであれば、ナザリックのような隠蔽工作にも頷ける。もしプレイヤーがフラミーさんを拐い、囮とするならば、理由は一つしかない。――私をおびき寄せるためだ。」

「それでは相手の思う壺でありんす!!」

 シャルティアに笑って見せる。

「お前から戦略への突っ込みを受ける日が来るとはな。メモの成果か?頑張っているじゃないか、シャルティア。」

「あ、あいんず様…。誤魔化さないでおくんなまし…。」白蠟じみた頬がぽっとさくらんぼのように染まり、シャルティアは切ないような目をした。

「ははは、すまん。しかし、今までも言ってきたようにプレイヤーとの戦いは必ず自らの手でする必要があると私は思っている。だから、な。」

 

 フラミーが地獄の門番(ケルベロス)の前に降りたのが見えるとアインズはいつでも出られるように立ち上がり、自らの魔法で生み出した椅子を消した。

「――そして最後の理由は……自分の妻くらい、自分の手で救いたいじゃないか。私はいつでも迎えに行く、そう約束しているんだから。」

 アインズの笑ったような雰囲気を受け、守護者はそれが死出の旅路ではないと確信した。

 

+

 

 フラミーは見上げるほどに巨大な地獄の門番(ケルベロス)に手を伸ばした。

 

「ワンちゃん、アインズさんは近くにいるの?」

 

 黒き猛獣は肯定も否定もしなかった。ただ、フラミーの手のひらにツン、と鼻を触れさせただけだ。

 隣にいる人骨の集合体めいた屍の守護者(コープス・ガーディアン)は恭しげに膝をついた。

「……………。」

 暴力の権化のような姿からは想像が付かないような動きで手を差し伸べられる。

 

「あの、お迎えですよね?私今伝言(メッセージ)送れないんです。アインズさんに私は無事だから、お昼ご飯にしようって伝えてください。近くにいるんでしょう?」

 

 フラミーは屍の守護者(コープス・ガーディアン)の巨大な手に乗るとそれに座り、おにぎり君も続いた。

「……………。」

「どうしたの?」

 二体は辺りを見渡すと妖精の里へ向けて歩き出した。

 茨の入り口まで来ると、フラミーに巨大な影がさした。

 

「――え?」

 

 その正体は振り上げられた屍の守護者(コープス・ガーディアン)が片手で握る両刃斧(バトルアックス)が作る影だ。

 魔法は間に合わない。このままでは茨の壁が破壊されてしまう。

 杖で少しでも受け流すことだけを考え、ありったけの筋力を総動員して屍の守護者(コープス・ガーディアン)の手の中から立ち上がる。

 前衛として生み出されたアインズ渾身の一体。フラミーの杖には重すぎる衝撃が加わり、何とか茨から逸らすことができた両刃斧(バトルアックス)がそのまま大地を叩く。

 地割れを巻き起こすような音が辺りにこだまする。フラミーは凄まじい力に叩きつけられ、まるで引きずられるように大地に膝をついた。

「っあぅ!!重い……!」

 フラミーは伝わって来た衝撃からじん…と痺れた手で杖を地につき、立ち上がった。

 ガーディアンはフラミーに当たると理解したところで力を弱めてくれたようだった。本気でぶつかってくるようならば、相手を傷付けずに戦うなど舐めたようなプレイスタイルでは決して勝てない。

 膝を付いてしまい土がわずかについたローブを屍の守護者(コープス・ガーディアン)が優しくはたいてくれ、申し訳なさそうに頭を下げた。

 顔には地獄の門番(ケルベロス)の大きな舌がべろりと触れる。

 

「二人とも、やめて下さい。ここはもううちの領土に――」なると言ってもらっていない。あと少し、あともう少しだったのに。「とにかく、攻撃しないで。」

 ガーディアンと地獄の門番(ケルベロス)の戸惑いを感じる。

 二体はそれぞれどうするべきか悩んでいるようだった。しかし、それも束の間だ。

 それぞれに命令を帯びてここに来ているのか、二体の鋭い視線は茨へと戻った。

 再びガーディアンが地に突き刺さった両刃斧(バトルアックス)を持ち上げる。

 

「――<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)>!!」

 

 フラミーの体に力が漲る。持ち上がりかけた両刃斧(バトルアックス)へ杖を思い切り叩き付ける。

 その隣で地獄の門番(ケルベロス)は三体の口にそれぞれ黒炎を―― <獄炎(ヘルフレイム)>を溜めていた。対象に燃え移るまでは可愛いような火だが、あれを放たれれば里は瞬時に炎に覆い尽くされ、燃えかすも残らずに焼失するだろう。

 確かな繋がりを感じるおにぎり君へ思考で命令を送り、おにぎり君は屍の守護者(コープス・ガーディアン)の手の中から地獄の門番(ケルベロス)へ向けてジャンプする。

 黒い子山羊の方が地獄の門番(ケルベロス)よりやれることは少ないが、レベルは高いはず。

 おにぎり君の触手が胸へ向けて振られると、メキリという音と共にケルベロスの体が大きく後退させられる。

 四本の足が踏ん張り、地面に引っ掻き傷のような痕跡を残す。

 銀色の草がまばらに生えるその場所に、爆風のような土煙が吹き上げられた。

 二体は決してフラミーとおにぎり君を傷付けるつもりはなさそうだった。

 追撃はない。

 フラミーは杖を下ろした。同時に戦士化が解ける。

 

「フラミーさん…まさか精神支配か……?」

 

 その声の主は土煙の中から現れた。

「――アインズさん!良かった!」

 フラミーが駆け寄ろうとするとアインズは一瞬身構えた。

 

「アインズさん…?」

「フラミーさん、今のあなたの状態を確認させて下さい。場合によっては流れ星の指輪を使います。いや、必要ならば二十(・・)のうちの一つだって使いますよ。」

「そんなもの…どうして?」

 アインズはフラミーの手首に付くルーンへ指をさした。

「――ここで何があったんですか?それは?」

「あ、これはこの茨の向こうにある里に入るのに付けなきゃいけないルーンで、描かれたら伝言(メッセージ)が送れなくなっちゃったみたいです。さっき気づきました。珍しいものだから、あなたが見てみたいだろうと思ってとっておいたら…こんな感じに…。」

伝言(メッセージ)どころか、探知系の魔法も軒並み弾かれましたよ。こっちからの連絡も取れなくて、ずっと皆であなたを探してたんです。」

「…ずっと皆で…?」

「ずっと…。」

「あぅ…ごめんなさい…。」

「良いですよ。ちょっと小言じみて俺こそすみません。――それで、敵はあれの中ですか?」

 

 フラミーと一定の距離を保つアインズは茨の向こうへ視線を送った。

 

「敵じゃないんです。火の鳥を捕まえたら妖精が現れて、火の鳥をほしいって言うんで、羽を分けてあげる約束をしてました。ここの暮らしの生活必需品みたいなんです。それで、うちに降るように説得してました…。」

 

 フラミーが申し訳なさそうにしていると、アインズは構えた杖を下ろし、少し警戒したような足取りでフラミーに近付いた。

「……迎えが触れたらボンッなんて言うのはよくやった事だけど…いつものフラミーさんみたいだ。」

 そう呟き、フラミーに向けてアインズが腕を広げると、フラミーはおずおずと近付いて行きその中に収まった。

 

「勝手なことしてごめんなさい…。役に立てると思ったんです。」

 アインズの体から緊張が解けていく。

「良かった。何ともないみたいで。いつも充分役に立ってますよって、聖王国の帰りにも言ったじゃないですか。」

 

 フラミーはあの帰りの馬車を思い出したのか、アインズを見上げると幸せそうに微笑んだ。

 

「優しいんですね、鈴木さん。」

 アインズは昔の呼び方にふふと笑いを漏らした。

「なんせ、少しだけお兄さんですからね。」

 懐かしむような穏やかな笑いを二人で上げ、笑いが自然と引いていく。

 

「それより、体は大丈夫ですか?痛いところはないですか?屍の守護者(コープス・ガーディアン)に少し引きずられちゃってたみたいですけど。」

「ちっとも!ただ、私が地獄の門番(ケルベロス)を少し傷付けちゃいました。」フラミーはおにぎり君の渾身の力で殴られ、痛みを覚えている様子の地獄の門番(ケルベロス)に回復魔法を掛けた。

「そんな事は気にしないでください。…はー…何年か寿命が縮んだな…。」

「アンデッドなのに寿命ですか?」

「寿命ですよ…。人間でもあるんですから。」

 そう言い、人化すると困ったように笑ってフラミーの頬を撫でた。

 

「じゃあ、聞かせて下さい。俺のこの体の寿命を短くした大冒険について。」

「はひ!あのね、最初はナイ君が火の鳥を見つけて――」

 フラミーはここに来てからの事をひとつづつ語り、アインズは身振り手振り話す様子を幸せそうに見守った。

 

 そうしていると、妖精達が少しづつ茨から顔を出し、楽しげなフラミーに誘われるように茨から出てきた。

 

 アインズはこれが妖精(シーオーク)かと自分の周りに座り、共にフラミーの小さな劇を観覧する生き物を確認した。

 自分達の出番もあるとノリノリで参加していく。アインズはそっとこめかみに触れた。

 

「――私だ。フラミーさんはまるで何ともなかった。脅かして悪かったな、お前達もこちらに来るといい。」

 伝言(メッセージ)を切ると転移門(ゲート)を開く。

 

 守護者が続々と転移門(ゲート)を潜って来る――と言っても、格好のついた様子ではない。皆が一塊になって現れた。急ぎすぎたのか全員が倒れ込み、元気なフラミーを見上げて目をぱちぱちさせた。

「「「「ふ、フラミー様ぁ!!」」」」

 守護者達は感激している様子だが、この小劇場を閉幕させるのは惜しい。

 アインズは人差し指を口に当てた。

「ここで何が起きたのかを説明してくれている。お前達も黙って見てなさい。」

 見たこともない小さな羽虫をかき分け、守護者は静かに座った。

 

 そうして、フラミー劇場が終わると地獄の門番(ケルベロス)は体を起こし、三つの頭を空にあげた。

 折り重なるような遠吠えを上げる。銀色草のまばらな原野と、妖精達の森、風に乗ってどこまでも響き渡り、妖精達がワァー!と小さな拍手と歓声を上げて閉幕した。

 

「と、いうわけで――妖精王様、もう一度聞かせて下さい!」

 アインズの隣に座っていた緑髪のおかっぱは浮かび上がった。

「フラミーさま。厳しく命を奪う冬から、どうか僕達をお守り下さい。僕達はフラミーさまの物になります。春を総べたもう金の瞳の君!」

 フラミーはわぁ!と両腕を広げ、飛びついた何人もの妖精(シーオーク)を抱きしめて笑った。

「皆さんよろしくお願いします!」

 妖精(シーオーク)達は終わらぬ春の訪れに歌い、踊り出す。その円にはやはり、ぽこぽことキノコが生え、キノコには短い足が生えて輪になって踊った。

「フラミーさん、お手柄じゃないですか。」

 アインズは明るくファンタジーな光景に目尻を下げた。

「私、アインズさんの役に立った?」

「いつでも。でも、今回は大手柄です。」

 フラミーは一層嬉しそうに笑うと、そばに寄ったシャルティアと、ちゃっかり者のパンドラズ・アクターと手を取って踊った。双子はバロメッツをどこに植えようとコキュートスを交えて話し合っている。

 そうしていると、ソリュシャンと火の鳥を担いだ八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)、更に多くの妖精(シーオーク)が茨から出てきた。

 

「アインズ様!!」

「ソリュシャン、中々面白い冒険をしたようだな。」と、アインズが少し虐めるように言うと、静かにフラミーの踊りを眺めていたデミウルゴスが続ける。

「何のための護衛、戦闘メイド(プレアデス)なのかよく考えて欲しいものですね。今回はフラミー様に何もなかったから良いものを、里に入る前に一言連絡をしておくべきだったのでは?フラミー様は些事を言いつけたりしませんし、ご自身でそう言ったことをされようとしますが、それを汲み取り先回りするのが僕としてのあるべき姿でしょう。」

「申し訳ありませんでした!!」

 ソリュシャンは何も言い返せないというような雰囲気で頭を下げた。

「待て待て、デミウルゴス。まさかルーンに力があると知らないうちに書き込まれたのだ。それに、私から仕事が終わり次第連絡をすると言っていたのだから、フラミーさんもソリュシャンも邪魔にならないよう気を使ってくれたのだろう。お前の憤りも理解できるが、まぁそう言うな。」

「しかし…。」

 納得行っていない様子だった。

「今回の一件で最も責められるべきは私だ。たった二時間程度連絡が取れないからと言ってみっともなく大騒ぎをした。許してほしい。」

 アインズが二人に頭を下げるとデミウルゴスは顔を青くした。

「と、とんでもございません!!アインズ様のご心配は当然のこと!!お、おやめください!!」

 二人が慌ててアインズを止めようとし、アインズは相変わらず謝られることに慣れていない守護者に苦笑する。

 デミウルゴスが自分の言葉でこうも頭を下げさせてしまったと、これ以上は腹を切りかねない気がする。

「…謝罪を受け入れてくれたと思っていいのかな。」

「もちろんでございます!!」

「感謝しよう。」

 三人のおかしなやり取りが終わると、妖精王が踊りの輪から抜けてゆっくりとアインズのそばに飛んだ。

 

「魔導王さま、僕達がフラミーさまを帰さないと言ったせいでこんな事になってしまって申し訳ありません。まさかこんなことになるなんて…。」

「妖精王…オーベロン。次はないと思え。本来ならば監禁の罪で罰するが、フラミーさんの所有物となったことに感謝するんだな。――デミウルゴス、末長い援助とフラミーさんが交わした約束を基に併呑の手続きを進めてくれ。お前に任せたい。」

「かしこまりました!」

 

 その後妖精の隠れ里は隠されたままに併呑された。

 ポイニクス・ロードは無事に第七階層へ連れ帰られ、アインズは小さな街をフラミーと共に見て歩いた。

 

 その後二人はおにぎり君が踏み抜いたルーンの結界の補修をしばらく観察したらしい。




滅ぼされなくて良かった!
御身とフララを戦わせたかったけど…仕方ないねぇ


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#100 閑話 新しい力

「では、悪いが任せるぞ。」

「どうぞお任せください。」

 第七階層。波浪のように溶岩が打ち寄せる河の前で、アインズはレアもの(ポイニクス・ロード)をデミウルゴスの指揮下に入れた。

「アウラに見せたところ、チョウさんに並ぶレベルの持ち主だ。この世界ではかなりの上位者だろう。適切な場所に配置してくれ。」

「は!家畜としてではなく戦力増強の一員として扱います。」

「うむ。妖精(シーオーク)達が言っていたが、夏から秋にかけて換羽(かんう)と言う時期が来るそうだ。半年に一度程度第五階層を散歩させてやれ。よく羽を落とすだろう。」

「かしこまりました。取り急ぎ、今すぐに必要な羽を毟りますか?」

 ポイニクス・ロードは紅蓮に捕まれ浅い呼吸を繰り返している。

「そうだな。フールーダとジーダの下に寿命の固定魔法実験として五枚と、地下牧場の隣に建っている私の研究室にも五枚頼む。」

「そのように手配いたします。」

 デミウルゴスが頭を下げると、アインズはポイニクス・ロードに手を伸ばした。

「第五階層に行く為に一枚抜いても良いか?それとも拷問の悪魔(トーチャー)とニューロニストの回復がない状態で抜くのはこれの体に(さわ)るだろうか。」

「仰せ使った十枚を抜く際に合わせて回復いたしますので、どうぞお好きなだけお持ちください。」

 アインズは新しいペットに近付くと翼から一本だけピンッと抜いた。

 鳥は羽ばたこうと一瞬逃れようとしたが、紅蓮の触腕にギュッと握り込められると大人しくした。

「――よし。ではな、何か問題があればいつでも連絡しろ。」

「は!」

 アインズは抜き取った羽を手の中でくるくると回しながら第五階層へ転移して行った。

 残ったデミウルゴスは「さて…」と呟きポイニクス・ロードへ振り返った。

 

「ポイニクス・ロード、だったかな?御方々に閣下(ロード)などと呼ばせるとは随分と不遜ですねぇ。君には随分と過ぎた(・・・)名前だ。――紅蓮もそう思うだろう?」

 

 紅蓮はその通りとでも言うように体を波打たせて頷き、デミウルゴスは目を細めて笑った。

 

「そう言うわけで君はこれからポイニクスだ。脆弱な妖精達に崇拝されていたようだけれどね、ここでもそう扱われるとは思わないでくれたまえ。さあ――…教育と躾を始めようじゃないか。」

 

 酷薄さを隠しもしない笑顔を見せていると、嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)が姿を見せた。デミウルゴスが来るようにと申し伝えていたのだ。今後、教育を施した後は戦力として見込むのだから、嫉妬(エンヴィー)と共に第七階層のパトロール飛行係に付ける予定だ。

「デミウルゴス様、お待たせいたしました。」

「いえいえ、ちょうど良いタイミングでしたよ。」

「恐れ入ります。」

 

 その日からポイニクスの教育は始まった。紅蓮やデミウルゴス、嫉妬(エンヴィー)が側にいなくてもナザリックに相応しい振る舞いが取れるようになると、火山の麓に居場所を与えられ、そこに巣を作った。

 嫉妬(エンヴィー)とのパトロール飛行に出るようになってからは――言葉を持たない獣だが――同じラッパスレア山の出身であるチョウさんこと、ラーアングラー・ラヴァロードの沈む溶岩の川をよく見に行っているようだ。ラヴァロードも言葉を持たないが、二体はよく目で何かを語り合っている。アインズや第七階層の悪魔達にこの二体の間を通う無言の言葉を知る術はない。

 ポイニクスからは二日に一枚程度、ふわふわの羽毛だったり、硬い風切り羽だったりがランダムに落ちる。羽はまず研究へと送られ、研究に使われない質の悪い物は妖精(シーオーク)の下へ一括輸送される。結局ほぐして飯炊きに使うのだから、妖精(シーオーク)達は質などは少しも気にしなかった。

 そして、この羽がフールーダ達の研究に劇的な変化をもたらす迄、まだもう少し時間がかかる。

 

+

 

 アインズの視界は赤からすぐに見渡す限りの一面の銀世界へと移り変わる。

 

 粉雪の舞降る音すら聞こえるような場所で、人影に向かえば風に乗って声が届いた。

「フラミー様、私ガヤリマショウ。」

 白に染まる第五階層の守護者、コキュートスが言う。

「いえ!私がやらないと力を持ちませんから!」

「デシタラ妖精(シーオーク)ニヤラセテハ如何デショウ…?」

 たくさんの赤い実と、既に羊が成っている株の側には達磨のように着込んだ妖精王と、農家のエシルがいた。フラミーの目の届く場所には雪女郎(フロスト・ヴァージン)がナインズと雪だるまを作っている。

「何事も練習ですから、頑張ります!」

 フラミーはエシルが大体ここ、と跡を付けた場所を掘っていた。

「フラミーさん、順調ですか?」アインズの声にフラミーが振り返る頃にはコキュートスはすっかり膝をついていた。

「アインズさん!順調ですよぉ。後三つ穴掘ったら、植えてみます!」

「もう少しですね。」アインズは微笑み、ガチガチと歯を鳴らしている二人の妖精(シーオーク)へ向いた。「妖精王よ、着込んでも第五階層は冷えるだろう。これの側にいるが良い。」

 いくら冷気ダメージをカットしていると言っても第五階層は凍てつく寒さだ。火の羽をプスっと地面の雪に刺してやると、二人はピュンッとそれに寄り体を温め始めた。

「ゴウンさま!ありがとうございます!」「ありがとうございまーす!」

「気にするな。ところで、フラミーさんの今掘っている穴に魔法が込もるのはどのタイミングなんだ?実を植えてからか?」

 アインズは「えいやえいや」と穴を掘るフラミーの手伝いをしたくてたまらなかった。

 

「文字の完成と共に魔法は込もりますが――ゴウンさま。ルーン魔術は全ての手順が魔術に通じますので、現在も魔法が込もっていると言っても過言ではありません!」

「…手伝うことは無理か。」

「難しいでしょう!さぁフラミーさま。少し気が逸れておりますよ!豊穣と安定、と言いそれにきちんと意識を向けて穴を掘ってください。」

 妖精王が言うと、エシルが続ける。

「ここは想像よりずぅっと寒いから、うまくやらないと根付かないかもしれないですからね!芽吹きに必要な養分が吸われて上がるのをイメージして!」

「は、はひ。豊穣と安定…豊穣と安定…。」

 フラミーがぶつぶつ言いながらQ(イング)の形になるよう幾つも穴を掘る。アインズは邪魔をしては悪いかと遊んでいるナインズの側に座り、杖で雪の上に黒き豊穣をイメージしながらL(ラーグ)を書いた。

「……歪みもしないな。」

 エシルがフラミーと農業に勤しむ隣でアインズは唸った。ナインズもそれを真似て共に唸る。

「ゴウンさまの文字には魔法がまるでこもっていません。」妖精王のハッキリとした物言いにアインズは渋い顔をした。

「やはり私には使えないのだろうか。ルーンへの知識はフラミーさんよりあるはずだが…。」

 今回のフラミー行方不明事件でアインズはタブラ・スマラグディナに肩を並べられるほどにはルーンに詳しくなった――と思う。

「ゴウンさまは失われた古代のルーンの知識までもお持ちですが、才能がなければ魔術は発動しません!」

 そうは言われても新しい力が目の前にあると言うのに諦めきれない。アインズは黙々と知り得るルーンを書き連ねていった。

(フラミーさんは元が最高位天使だからなぁ…。(オーディン)の作った文字を扱える資格は十分…か。)

 一方アインズはアンデッドのため、そう言う存在からは最も遠いかもしれない。

具現した死の神(グリムリーパー・タナトス)であれば使えたかもしれんな…。)

 職業(クラス)の名前から言って死の支配者(オーバーロード)よりも可能性はありそうだ。

 スルシャーナの生み出せし九十レベルにもなる従属神は常闇に一撃で粉砕されてしまったので確認方法はない。経験値を消費しなければ作り出せないので、実験のためにわざわざ産むつもりはないのだ。

 

 アインズは先一昨年の死闘の春を思い出し、胸が痛くなった。苦しげに目を閉じ胸を抑える。

 すると、すぐに小さな手につつかれた。

「――ナインズ。」

「おとう?おとう!」

 アインズはパパママと呼ばせようとしていたが、フラミーはお父さんお母さんと自分達を称するし――守護者達への「お父さんお母さんと呼べ作戦」は放棄されたが、側用人達は皆ナインズに「お父様がお戻りです」等と申し伝えるようになった為、ナインズからの呼び方はあんま、ぱっぱ、おとう……と進化を遂げている。きちんとお父さんお母さんと呼べる日が来るまでもう少しだろう。

「…お前が生きてくれていて私は嬉しいよ。」

 アインズが微笑むとナインズも笑った。ナインズの前にはアインズの真似をしたのか、ぐねぐねと色々な模様が書き込まれていた。

「上手に書けているな、九太はお利口さんだよ。」

「はぁー!」

 

 アインズとナインズが地面に魔力のこもらない模様を書いている中、フラミーは羊のなっている株を持ち上げた。コキュートスはその周りでワタワタしている。

「向きはどっちが良いですか?」

 羊はもひもひとフラミーの銀色の髪を()もうとしていた。銀色草(ライトリーフ)と似ているのかすぐに顔を寄せてくる。

「顔が向いている方を一番太陽がよく当たる方に向けて植えます!」

「…こっちかな。」

 気をつけて埋めてやる。羊はフラミーが離れると、哀れにも寒そうに縮こまった。

「――いくらなんでも、ここ寒過ぎですか?」

「大丈夫!毛が増えますし、最後に刻むルーンが効きますから!きっとすごく良い羊毛が取れるだろうなぁ!毛は定期的に刈ってやって下さいね!放っておくと病気になることがあるから。」

「はぁい。結構色々面倒見なきゃいけないことがたくさんですね。毎日エサの草をやるのと、毛刈り…。」フラミーは手元のメモに必要事項を書き込んだ。

「毛刈りのやり方はまた教えて貰わなきゃだめかなぁ。」

 言いながらどんどん植えていると、フラミーに付いている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)と、アインズに付いている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)、休日の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達が寄ってきた。十五匹全員が揃っている。

「「「「フラミー様!毛刈りは我々が行います!!」」」」

 脚に格納されていた刃がシャキンっと良い音を鳴らす。

「お願いできます?」

「「「「それはもう、もちろん!!」」」」

 十五匹はやる気十分な様子だった。休みの日にやることができると言うのは素晴らしいことだ。

「ありがとうございます。そしたら、お願いしますね!()は皮を剥ぐのなら私も経験者なんですけど。」

 最後のバロメッツを植えながら、フラミーははにかんだ。

 バロメッツが揃い、ルーンが完成すると地は一瞬光った。しかし、それ以外は特別何も起こらず、皆ぶるぶると寒そうにしており、少しでも温まろうと茎をQ(イング)の内側へしならせ、皆で身を寄せ合った。

 鳴き声もどこか震えている。

「本当に枯れちゃわないか心配だなぁ。」

「大丈夫大丈夫!最後に真ん中に生命力と再生のB(ベルカナ)を入れてください!枯れかけても再生してよく育ちますよ!」

 羊をかき分けて四角の中に入る。羊達が温かいフラミーに身を寄せないようにコキュートスが茎を引っ張って抑えた。

「生命力と再生、生命力と再生…。」と呟きながら書き込まれるとB(ベルカナ)はじわじわと歪み始めた。「あらぁ…ダメかな…。」

 エシルも覗き込むと、あぁ〜…と声を漏らした。まだまだ十全に使いこなせているとは言えない。

「これじゃ正しく機能しないなぁ。フラミーさま、私と妖精王がB(ベルカナ)は書き込むから、バロメッツの実をそっちで植えてて下さい!」

「はひぃ…すみません…。」

 エシルは歪んだB(ベルカナ)を丁寧に消すと、そこに正しく力を発揮するB(ベルカナ)を刻んだ。実が植わった真ん中には妖精王が刻んだ。地に刻んだ文字は時々書き直さなければ消えてしまう。

 

 その後バロメッツの植樹作業が終わると、フラミーはルーンの勉強に精を出した。

 バロメッツは一月程度で見たことがないほど丸々と毛を育たせ、まるでたんぽぽの綿毛のようになる。静寂の第五階層だったが、遠くから「ぅめー」と気の抜けたような声が響くのはご愛嬌だ。

 氷結牢獄の庭には銀色草原から土ごとえぐり取って来た銀色草(ライトリーフ)も植えられた。バロメッツはあればあっただけ植物を食べてしまうために銀色草(ライトリーフ)を近くに植えることができない。

 フラミーは毎朝子山羊の散歩を行う前にバロメッツの世話をしようと決めたが――ルーンを刻む以外は氷結牢獄に配置された実体を持たないアンデッド達が殆どの面倒を見た。どうしてもやりたいと言うので渋々役目を変わってやったのだ。

 バロメッツのよく育った羊毛は柔らかく、軽く上質だった。羊毛は毛糸に()られ、春夏の間に宝物殿に蓄えられた。

 冷える季節が来るとフラミーが編み物をしたり、鍛冶長が装備を作るのに使ったりと様々に活躍したらしい。

 もちろん、蟹味のラムが食卓に上がることもあるとか。

 

+

 

 フラミーは執務室で大量の妖精(シーオーク)に囲まれてルーン早見表を作っていた。ソファセットではアインズとナインズもお絵かきをしている。

「フラミーさま!作ってるそばから歪んでるよ!」「力を込めない時にはただの記号として書かないと!」「魔法陣書いてる側から発動したら大変!」

 キャアキャアと大変かしましい。

「どうやって魔法込めるとか込めないとかの制御ってするんです?」

「練習練習!」「フラミーさまの髪の毛結んで良い?」「あー!こっちも歪み始めた!!」

「えー!やーん!!」

 フラミーが鳴き声を上げていると、ノックが響いた。フラミー当番が即座に外を確認し、アインズへ振り返った。

「アルベド様、デミウルゴス様、パンドラズ・アクター様がアインズ様にナインズ様のご教育についてお話があるそうです。」

 それまでナインズと夢中でルーンお習字をしていたアインズは顔を上げた。机にはタブラ・スマラグディナの愛読書だったルーンの本――。

「……フラミーさんは大切な勉強中だ。私の部屋へ行くように言え。」

 アインズはどっこらせと立ち上がり、お絵かきに夢中なナインズの頭をさらりと撫でて部屋を後にした。

 アインズの残した本を見ながら神の子(ナインズ)が書いた神の生み出せし文字は緩やかにぐにゃりと歪んでいた。

「はぁー!!」

 書いては歪む様を眺めてナインズは拍手をした。そして、誰か見てくれないかと辺りを見渡す。

「おかあ!おかあ!」

「はいはーい、ちょっとお母さん今忙しいからねぇ。――あぁ!また歪んだ!!」

 誰も見てくれない。こんなに素晴らしいものができたのに。

 バンバン!と机を叩いているとフラミーがようやく顔を上げた。

「ナイ君、バンバンしちゃメでしょ。」

「ぁんばん!」

「遊びたいなら、第六階層行く?今日は一郎太君だけじゃなくてシャン君達もいるから。」

 ナインズはそんな事は言ってないのにうまく言葉にすることも出来ずにむくれた。

「ナインズ様、お母様のお勉強のお手を止めさせてはいけません。このリュミエールが第六階層へお連れいたします。――フラミー様、よろしいでしょうか。」

「お願いしまぁす。すみませんね、お父さん居なくなったからつまんなくなっちゃったみたい。――<転移門(ゲート)>。」

 ナインズはお絵かきセットを抱えたナインズ当番(リュミエール)に手を引かれ、フラミーが開いた転移門(ゲート)を潜らされた。

 

 ナインズが不愉快に思っていると、アウラとマーレが駆け寄った。

「ナインズ様!いらっしゃいませ!」「お、お散歩ですか!」

 二人の楽しそうに走る様子を見ると、ナインズは先程までの自分の素晴らしい作品のことを忘れた。一緒に走りたい。

「はぁー!」

「あっちにシャンダールとザーナンもいますよ!行きましょう!」

 アウラに抱っこされるとナインズは嬉しそうに笑い、パタパタと走る揺れに身を任せた。

 その後ろをマーレとリュミエールも走ってくる。

「一郎太ー!シャンダールー!ザーナーン!ナインズ様がお見えだよー!」

 三人は顔を上げるとナインズへ駆け寄った。

「ナイさまー!」

「ナインズ様ぁ、こんにちはぁ!」

「それはなんです?」

 ナインズはリュミエールから作品を渡されるとアウラから下ろされた。

 父がよく出来ていると褒めてくれた作品を見せる。

 しかし、もう文字の蠢きは終わっていた。

「あぅ、ぁむ、あぅ。」

 言葉がうまく出ない。ナインズはリュミエールの手からクレヨンを受け取ると、一生懸命に模様を書いた。お友達たちは興味深そうにそれを覗き込み、字がじんわりと崩壊していく様に拍手した。

 すごいすごいと歳の近い三人に言われながら、原っぱに伏せていくつも模様を書く。他の三人も顔を寄せ、皆でお絵描きをした。

 しかし、シャンダールと一郎太は走る方が好きだし、体を動かすことが強くなる秘訣だとコキュートスや親達に言われているせいもあり、すぐに飽きて二人で駆け回った。

 ザーナンは走ることが苦手なのでナインズとお絵描きをするのが大好きになった。

 ザリュースら師範の蜥蜴人(リザードマン)達と一郎二郎兄弟もナインズが駆け回っている時よりも気が楽なためにそっとしていたが――ナインズのレベルがいつの間にか上がっているとアウラに報告を受け、その身にルーン魔術師(エンチャンター)職業(クラス)が発現している事に気が付いたアインズが絶叫するのはまだもう少しだけ先のお話だ。




コロナ騒ぎすごいですね…
三月初旬から買い物以外で外に出ていません…!
不思議と自粛してる間の方が忙しいです( ´ ▽ ` )


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試される評議国
#101 不調


 リ・エスティーゼ州北部にあるリンデ海に面した大都市エ・ナイウル。

 

 ナイウーアと言う、かつて貴族であった者が持つ領内最大の港湾都市である。"貴族であった"、と言うのは王国が神聖魔導国へと変わってからはそう言った身分は全ての者から剥奪された為だ。しかし、どの領もそれまでの領主が持ち、市や区として存在し続けている。

 

 エ・ナイウルを東へ行けば州軍が置かれるリ・ウロヴァール。

 ナイウーアはエ・ランテルの戦いに参加していない。信頼できる家臣に兵を預けて送った為に現在も存命だ。リ・ウロヴァールの領主であるかつて王派閥に属していたウロヴァーナは、エ・ランテルの戦いに赴き、ギリギリの所を生き延びた。しかし、かつて六大貴族の中で最も年長だった彼はランポッサⅢ世の崩御から一年と経たずに安らかな眠りについた。余談だが、同じく六大貴族にいたボウロロープなどは白き死者の大魔法使い(エルダーリッチ)となり今も元気に――という言葉が正解かは分からないが――働いている。

 

 ウロヴァール港からは長距離航海の船乗り達が、聖王国の首都ホバンスの西隣にある港湾都市リムンとよく行き来をしている。隣の大陸にあるビジランタ大森林前の小さな港――アルタンスク港へ効率良く、安全な航路の選出を行う為に互いの知恵を出し合っているようだ。

 リムン港からはつい先日、再び多くの冒険者達が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と共に新たな大陸を探そうと旅立った。一昨年の冬に初めて航海団が旅立ったのと同じように。

 

 ナイウル港は生活の港、ウロヴァール港やリムン港は冒険や軍事の港といった所だ。

 

 エ・ナイウルの水揚げ高は毎年良くなっていっている。と言うのも、北上した先にあるアーグランド評議国の人魚(マーマン)と協力し合うようになったためだ。海の中でどこに魚の群れがいるかを察知できる人魚(マーマン)達は魚群探知に秀でているため、どの漁師も人魚(マーマン)とチームを組むようになった。

 

 という経緯(いきさつ)からエ・ナイウルは豊漁に湧いており、セイレーン州の水没都市に次ぐ漁獲量は神聖魔導国内で堂々第二位だ。二位ではあるが、あちらよりも輸出量が多い為に水没都市よりも名が知れ渡っている。余談だが、第三位は海底石造都市ル・リエーなので、セイレーン州は一位と三位を欲しいままにしている。

 

 各州の美食家達はここで食べられるナイウル焼き――醤油をベースに蜂蜜を混ぜたタレを魚に塗って焼き上げる甘辛く香ばしい逸品――を一度は食べようとこぞって訪れ、街は賑わっている。行き交う種族は、人間はもちろんのこと、観光客のセイレーンから海蜥蜴人(シー・リザードマン)、中には藍蛆(ゼルン)まで様々だ。

 ここからは聖ローブル州と評議国へ航路で出入りしやすい事もあり、エ・ナイウルはこれまでにない発展を見せている。

 

「おーい!ジャンド・ハーンとクン・リー・ガル・タイの船が帰ったぞー!!」

 

 うみねこ達のミャアミャアと言う鳴き声と共に港に帰港を告げる声が響き渡った。

 

 人魚(マーマン)達が先触れとして入港を知らせてくれるようになってから港が無駄に混雑することはない。

 学校が休みの子供達がお駄賃目的に港へ駆ける。入ってきた小型船から投げられるロープを受け取り、手際良く係船柱(ボラード)へ結びつける。ちなみに、美食を求めてやってくる観光客はこれに誰もが片足を乗せてポーズを取るという不思議な真似をする。

 

「オラーイ!オラーイ!」

 

 青と白の目に眩しいボーダーのTシャツを着た船の荷積みを監督する男が大きく手を振る。縛り上げられた黒い粘体(スライム)を子供達がうんしょうんしょと重たそうに引きずってドックに下ろした。あちらこちらでボチョン!と粘体(スライム)が海へ落とされる音がする。

 

 どの港にも船がドックに直接ぶつからない様に防舷粘体(ペンドルスライム)と呼ばれる粘体(スライム)を置いていた。粘体(スライム)達は船に張り付いているフジツボや海藻を食べるために黒い色をしている。

 彼らは一頻り食事をすると勝手に海から上がってきて体を乾かす。あまり長く海水に浸かっていると溶け出してしまうのだ。

 

 船は慣れた動きで粘体(スライム)の下された場所に帰港した。

 船と粘体(スライム)の間で海水がぽちゃぽちゃと子気味良い音を立てた。

「ハーン!随分早かったな!今日の漁獲高はどうだ!」

 監督が船へ駆け寄る。降りてきた日に焼けた浅黒い肌の男はまさに海の男、というような風体だ。いつもは白い歯をニカリと見せるはずだが――今日ばかりは酷く焦ったような顔をしていた。

 

「すまない!皆場所を開けてくれ!!」

 

 ハーンの様子がおかしいことに皆目を見合わせた。そして場所を開けてくれと言われると子供達が逆に集まっていく。

 

「なになに?」「何が釣れたのー?」「場所開けるほどの大物ー?」

 

 ハーンはそんな子供達の様子も構うことなく、操舵室に戻った。

 そして再び姿を現した彼はぐったりする人魚(マーマン)を抱えていた。

 

「俺の相棒のクン・リー・ガル・タイの調子がおかしいんだ!!通してくれ!!」

 

 人魚(マーマン)達は様々な色の鱗に覆われた魚の下半身をしていて、歩く事ができないため、基本的には陸に上がらない。エラは持たず、人間と同じ口をしているが、水中でも地上でも呼吸ができる。よくセイレーンの海の人(シレーナ)と似ていると言われがちだが、海の人(シレーナ)は長い尾鰭が二股に分かれ、とぐろを巻くようにして器用に立つ事もできる一方で、彼らはそれができない。さらに海の人(シレーナ)には首に3本のエラがある為に全くの似て非なる種族だ。

 

 クン・リー・ガル・タイはひぅひぅと小さな呼吸を繰り返し、時折激しく咳き込んでいた。

 

「これは…病気か?出航する時には調子良さそうだったのに…。」

 監督が呟くとハーンは肩で監督を押した。

「通してくれって!!」

「ハーン、一度落ち着け!」

「落ち着いてなんていられるか!今すぐ神殿に連れて行ってやらないと!!」

「神殿までクン・リーを抱えて行けるわけがないだろ!おい、担架だ!担架を出してやれ!!」

 

 指示に従い、海の男たちが慌てて担架を取りに行く。

 ハーンはびしょびしょのクン・リー・ガル・タイを抱えていた腕が、ゆうに百キロを超えるその体を支えることに悲鳴を上げ震えていることに気が付く。

 

「……っく!」

 

 子供達が持ってきた防舷粘体(ペンドルスライム)達の上に一度クン・リー・ガル・タイを下ろし、大人しく担架が来るのを待った。

 尾鰭の先まで合わせれば全長二メートルを超える人魚(マーマン)の男を抱えて神殿まで行くなど土台無理な話だ。魚部分の下半身は全てが強靭な筋肉なのだ。

 

 港で働く人魚(マーマン)達も皆ドックに上がって座り、心配そうにクン・リー・ガル・タイを見つめていた。

 息苦しそうな咳が続き、クン・リーを覗き込んでいると、数分とたたずに担架を持った男たちが駆け戻った。

 

「よし、せーのでクン・リーを持ち上げるぞ!――せー、のっ!!」

 監督とハーン二人でクン・リーを担架に乗せる。

「クン・リー、すぐに神殿に連れて行ってやるからな!!」

 

 ハーンが声をかけると、クン・リーは咳き込みながら頷いた。

「神殿までは少し遠い。四人で行け!なるべく疲れないように!」

「上げるぞ、十秒でゆっくり立ち上がるからな!――いち、にの、さん!!」

 監督の指示を受けながら、担架を持ってきた男達とハーン、四人がかりで担架をゆっくりと持ち上げた。

「行くぞ!!」

 四人が競歩のようなスピードで歩き始めると、監督はハッとし、その背に声をかけた。

「ハーン!お前の魚、船から下ろしておくからな!!」

「――頼む!!」

 

 ハーンはそれだけ答え、四人で神殿へ向かった。

 

+

 

 その日、アインズはフラミーが布団から出たことで目覚めた。

 

 どこへ行くんですか、と問いたい気持ちをグッと抑えていると、フラミーはふらふらと部屋を出て行ってしまった。

「……トイレか…。」

 もう少し寝たいがフラミーがいなければ寝られない。寝たくない。

 

 アインズは渋々アンデッドの身に戻った。やはり性欲、睡眠欲、食欲があるとそのどれにでも身を持ち崩しそうになってしまう。三ヶ月も寝室にこもっていた頃が懐かしい。

 

 うん…と骨には不要な伸びをし、ガウンを着ると、隣ですぴすぴと寝息を立てるナインズを覗き込んだ。

「九太、おはようさん。」

 名前を呼ばれ、わずかな反応を見せたが起きることはなかった。

 

 布団をナインズに掛け直してやり、アインズも寝室を後にする。

 座っているアインズ当番、ナインズ当番達が立ち上がり丁寧に頭を下げる。まだ昨日の当番の者達のままだった。

 つまり、朝は朝でもまだかなりの早朝だ。

 

「……フラミーさんの当番がいないな。トイレに付き添っているのか。」

 アインズ当番は静かに頷いた。

「はい。今朝は少しお加減が良くないそうで、付き添いました。」

「む……そうか。」

 アインズはそれだけ言うとフラミーの部屋についているトイレへ向かった。

 

 トイレにしては豪華すぎる扉をノックする。ここのトイレは執事助手のエクレアが「舐められるほどに綺麗にしています」と豪語していた。

「フラミーさん、フラミーさん。体調どうですか?」

 

 返事もなく、少し待つと扉が開いた。

 

「アインズさぁん、おはようございます。」

「おはようございます。ペストーニャ呼びますか?」

「いえ、もう治りましたから。」

 

 昨日のフラミー当番と共に出てきたフラミーはほう、と青い顔で息を吐いた。

 

「寝られそうだったら寝てください。もし九太が気になるようだったら、俺の部屋に連れて行きますよ?」

 フラミーの肩を抱いて寝室に向かうと、フラミーは首を振った。

「だいじょぶです。でも、今日は朝ごはんはいらなそうですぅ…。」

 あぁ〜〜とフラミーが声を上げる。寝室の扉をフラミー当番が開き、二人はそれを潜った。

「分かりました。朝食はいらないって料理長に伝えますね。」

 閉まり行く扉にちらりと視線を送ると、フラミー当番は心得たとばかりに頷き、扉を静かに閉めた。料理長に伝えに行ってくれるはずだ。

 

 フラミーは短く「ありがと〜」とだけ返し、バフンっと勢いよくベッドに飛び込んだ。

 アインズとしてはハラハラする光景だ。あまりにもハラハラしすぎて精神が昂り沈静された。

 

「ごめんねなんですけど…ねまぁす…。」

「寝てください、寝てください。」

「昼過ぎまでぇ…。」

「いいですよ。いくらでも寝てください。」

 

 ナインズの方を向いて丸まったフラミーに布団を掛け、邪魔にならないようにナインズをずるずる布団上で引きずって引き離す。

 フラミーは目を閉じるとすぐに眠りについた。

 

「もう少ししたらきつい時期も終わりますからね…。」

 慈しむように前髪を撫でてやると、アインズは自分の手が冷たいかもしれないと人の体を呼び戻した。

 

「……娘、かぁ。」

 

 ナインズが一歳半になったこの夏――この世界に来て実に五年目の夏――フラミーは二人目の子供を身篭り、再び体の変化に影響を受けていた。

 ソリュシャンによると、今はおおよそ四ヶ月ほどで、赤紫色の肌をした尖った耳を持つ女児だそうだ。その情報だけで、おそらく悪魔なのだろうと結論が出ている。

 

 春先に妖精の隠れ里から帰ってきた後、数時間とはいえフラミーが行方不明になっていた事で不安感を刺激されすぎたアインズはしばらくフラミーにべったりしていた。――その結果と言っては乱暴だろうか。

 

 アインズは紫の肌に尖った耳の娘なんて、フラミーそのものではないかと胸を躍らせている。

 たっち・みーは娘がどれだけ可愛いかと言うことをしょっちゅう語っていた。どれほど可愛い娘が生まれてしまうのだろうか。しかし、息子だって可愛いぞともよく思っている。

 愛らしい息子で鍛えられたアインズならば、娘ができてもそうデロデロに溶けた甘々父ちゃんにはならないはずだ。

(九太はこんなに可愛いもんなぁ。)

 へらへらと締まりのない顔で笑い、柔らかなもちもちほっぺをうっとりと眺める。

 そうしていると、何か気配を感じたのかナインズがゆっくりと目を覚ました。

「おとうたま?」

 アインズはゲ、と言いそうになるがなんとか言葉を飲み込んだ。

 一歳と半年ともなれば、毎日のように言葉を覚えてあれこれ喋っている。赤ん坊というよりはもう幼児だ。

「…あぁ。父ちゃんだよ、おはよう。」

 ナインズはしばらくアインズを見ると、隣でぐっすりと眠るフラミーへ振り返った。

「ね、ね!おかあたま!!」

 目覚めると途端にハイテンションになってしまう。ナインズは起き上がるとフラミーの体の向こうにある翼を引っ張りはじめた。包まれて眠りたいのだろうが、フラミーは今その体勢はお断り中だ。四対の翼は綺麗に畳まれ、フラミーは丸くなって眠っている。

 

「九太、ダメだって。」

 

 なるべく静かに抑えた声で言うが、返ってくる返事は――

「や!おかあたま!!」

 大ボリュームだった。

 

「わかった、わかったから。お前そんな事してると追い出されちゃうぞ。」

「やー!!」

 ナインズの大きすぎる声が寝室にこだますると、フラミーから唸り声が上がった。

 

「うぅ〜〜……あいんずさぁん……。」

「あ、す、すみません。こら、九太。父ちゃんがなんかしてやるから。」

「やぁー!!」

 

 再び絶叫が響くと、アインズは<静寂(サイレンス)>を唱え、効果範囲を決めるようにナインズの向こうから自分を囲むようにぐるりと指をさした。フラミーへ声が漏れなくなったところで、ナインズを抱き上げる。

 

「九太!父ちゃんの部屋行こう!」

「や!!ねんね!!おかあたまぁ!!」

「父ちゃんの部屋で寝んねできるだろ?」

「やぁあー!!」

 

 フラミーがつわりで調子が悪い為、構って貰えない事が大層ご不満なナインズはしょっちゅうヤダヤダと言うようになってしまった。

「九太、でもな。フラミーさんは今辛いんだよ。」

「やぁ!ないくん、おかあたまぁ!」

 ぐずり出し、ジタバタするとアインズはベッドの揺れが伝わらないように立ち上がった。

 

「九太、父ちゃんじゃ嫌か?」

「んん"…ん"ん"ぅぅ…。」

「フラミーさんが好きなのは分かるけどなぁ……。今は父ちゃんで我慢してくれないか?」

 

 アインズはぐずるナインズの背をぽんぽん叩き、立ったまま軽く揺れた。赤ん坊だった頃はどこでだって寝たし、人見知りもしなかったし、フラミーが離れていても泣かなかった――と言うのに。

「よしよし…。よーしよし…。」

 

 アインズのガウンを掴むナインズは暫くすると泣き疲れて眠った。

「…やれやれ。」

 ナインズを抱えたまま、アインズは転移門(ゲート)を開いて大して使っていない自分の寝室に移動した。

 セミのように引っ付く我が子を撫でる。

 

「フラミーさんがいなきゃ寝れないのは俺だって同じだよ…。」

 

 アインズはお前の気持ちはよくわかる、そう心の中で呟きベッドに転がった。

 弱っているフラミーを一人にする不安が膨れていく。

 しかし、このナザリックで一体何者があの存在に手出しができるものか。そう自分を慰めた。

 

 抱き締めるナインズからはフラミーの匂いがした。




第二子!第二子!
14巻読みました!!早速出てきた地名を使う!やるぞやるぞ俺はやるぞ!
ちなみに14巻のネタバレ要素は0です!
神聖魔導国は今日も魔導国と無関係!神王陛下万歳!光神陛下万歳!

次回#102 病気治癒


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#102 病気治癒

「……これで七人目。まさか人魚(マーマン)も猛病にかかるとはな…。」

 エ・ナイウルにある光の神殿――かつては土の神殿だったものだ――の神殿長であるジーマ・クラスカンは呟いた。

 

 この数日、人魚(マーマン)ばかりが立て続けに七人運び込まれて来ている。最初は漁師とバディを組んでいた者、次は漁港で船舶管理をしている者、そのまた次はセイレーン州へ観光に行くのに立ち寄った者――。

 

 神官達は具合の悪そうな人魚(マーマン)に第二位階の信仰系魔法、<病気治癒(キュア・ディジーズ)>を掛けていた。

 殆どの病気を瞬時に癒す事ができるこの魔法だが、何事にも一部例外というものがあり、今人魚(マーマン)達を苦しめている病もまた、治癒に至らない。

 

 彼らの罹っている猛病と言う特殊な病気や、呪いの効果がついた<魔鬼熱(デーモンフィーバー)>などの病気はこの魔法では治らない。

 より上位の治癒魔法である、第三位階の<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>を使用する必要があった。

 

 しかし、<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>は一日に数回しか使えない程に魔力を消費するし、それ程上位の魔法を使用できる神官はそうそうおらず――ここ、エ・ナイウルにもいなかった。

 

 

 辛そうな呼吸音が神殿の治癒室に響く。

 

 

「困ったな…。」

 ジーマが呟くと、人魚(マーマン)に濡れた布を当てて看病していたまだ若いラライという神官が顔を上げた。

 

「クラスカン様、旧王都に高位の神官を送って欲しいとフロスト便で手紙を送りましょうよ。もし旧王都の手がいっぱいなら、聖ローブルに――ん?」

 

 ラライが最後まで言い切る前に、寝かされている人魚(マーマン)が神官の裾を引っ張った。

「だ、大丈夫です…神官様…。寝ていれば……良くなりますから……。」

 完治させることはできないが、<病気治癒(キュア・ディジーズ)>で症状を軽く和らげることには成功していて、寝かされている人魚(マーマン)は幾分か顔色がいい気がした。

「良くなったら…評議国に一度帰り――ッゴホっ!!」

 長く話そうとすると咳き込んでしまう様子に、やはりこれは良くないとラライは思い直す。

 

「やはり神官を呼び出す手紙を書きます。今のままでは評議国に戻ることも難しいでしょう。このままでは治癒も難しいです…。」

 ゲホゲホと咳をし、弱々しく首を振る。その一回一回の咳ごとにどんどん命を吐き出しているよな気がし、神官達は気が気ではなかった。いや、事実命を削っているのだ。

 

 少しでも呼吸が楽なように<病気治癒(キュア・ディジーズ)>を重ねて掛ける。

「で、でも…ッゴホッゴホ!」

 

 二人のやり取りを見ていたジーマは心配そうな顔をしているラライの肩を叩いた。

「ラライ君、これ以上は話すことも難しい。それに、患者の了解なく別の都市の神官を呼び出すことはできない。」

「し、しかしクラスカン様…。」

「治癒魔法には治療代を貰わなくちゃならない。高位の神官を呼べば治療代は大きく膨れる。」

「大きくって言ったって、そんな大した額じゃ――」

 

 ラライはそこまで言うと、全てを理解したようにハッとした顔をした。

 

「クラスカン様…まさか…。」

 

「――そう。評議国は属国だが、神聖魔導国の治療システムは受け入れていない。彼らは治癒に関わる税の払いをしていないんだよ。我々と同じ値で治療を受けることはできないんだ。ラライ君はまだ神官になったばかりだから想像が付かないかもしれないけれどね、五年前にリ・エスティーゼ王国が神聖魔導国の属国へと変わる前までは治療には莫大な額がかかっていたんだよ。特に――猛病は。」

 

 五年前に王国が属国になった時、その治療システムはガラリと変わった。しかし、評議国は属国と言っても、旧王国や旧帝国とは異なる形態をしている。

 神聖魔導国のあらゆるシステムを次々と受け入れた両国家とは違い、様々な事を断っているのだ。聞き及ぶ話によると、属国化に伴うあらゆる擦り合わせが難航したらしい。

 

 結果、彼らは同じ神殿システムの中にいる者とは違い、評議国の者の治療には国から補助金が出ない。

 かつて猛病の治療には、非常に高額な報酬が必要だった。その金額は普通の者がどれだけ努力しても通常の手段で稼げるとは思えないような額で、もし稼ぐとしたなら、冒険者――いや、ワーカーになるしかなかった。

 

 評議国では今でもその額が生きているのだ。

 

 評議国は単一種族国家ではない為、それぞれの評議員が違う思惑の中におり、寿命もバラバラだ。短命種は長命種の治療費を税で払うような真似はしたくないし、治療費で食っている魔法や製薬錬金が得意な亜人は報酬を縛られる事を嫌う。

 

 それに、評議国は「戦争をしない為に仕方なく属国になってやっている」と言うスタンスを崩していない為に信仰心も無い。――そんな彼らにも治癒魔法の力を光の神が与えている慈悲深さには頭が下がる思いだ。

 

 もちろん神聖魔導国は自由な信仰が許されているので誰も文句を口にはしない。

 

 では、慈悲を掛けて無償で治してやるかと言うと、神官達も彼らから治療代を貰わずに治すことはできないのだ。どの神殿にも一人は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が構えており、適正な支払いを守っているかを見ている。

 

 それは、無償治療を見張ると言うよりは、多く貰いすぎていないかを見張っていると言う方が正しいかもしれない。普段、怪我をした子供などが泣いて神殿に訪れたりすれば無償治療をしてやる事もあるのだ。とは言え、無償治療も大々的に行えば注意や処分を受けることになるだろう。

 

 ここの神官に<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>を使える者がいればまだ良かったが、他の都市から高位の神官に出張してきて貰えば、まず足代が必要だし、出張元の都市への穴埋めとして謝礼金を払う必要もある。国民や治癒システムを受け入れている属国の者であれば神殿間謝礼は常駐している死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達に申告する事で国から補填されるが、彼らにそんな恩恵はない。

 

 もしこれだけ大掛かりな事を無償で行えば国中の猛病の患者達を無償で治さなければ不公平だと非難が殺到してもおかしくはないだろう。

 

 では、神聖魔導国民と同じ額での治療をすれば――と思うが、それもまた、評議国に住む多くの亜人達が安い治癒を求めて国境の神殿に殺到するようなことになりかねない。ここに大量に来られても困る。

 解決にはやはり、評議国に変わってもらうしかないのだ。

 

 ジーマはラライに告げる。

 

「しばらく様子を見て、それからもう一度考えよう…。」

 

 <病気治癒(キュア・ディジーズ)>だけならば、そう高額ではない。もちろん、長く治療を受ければ費用も嵩んでしまうが。

 

「……わかりました。」

 

 ラライがそう返すと、聞き耳を立てていた神官達も静かに作業へ戻った。

 

「光神陛下…どうかご慈悲を。」

 

 ジーマの祈りは咳に掻き消された。

 

+

 

「ナイくーん、今日はかぼちゃとお豆のミルク煮ですよぉ。」

 

 自室のミニキッチンで、フラミーは鍋に浸る木ベラに<舞踊(ダンス)>の魔法を付与すると、床でお絵かきに勤しむナインズの隣に座った。木ベラは鍋の底にシチューが焦げ付かないように自動でくるくるとシチューを混ぜてくれる。

 今日は若干の腰痛はあるが調子がいい。座り続けていると気が滅入るので、フラミーは久々に夕飯の用意をしていた。

 

「おまめぇ?」

「そー、お豆。甘くて美味しいよぉ。」

「おまめおいしいお!」

 ナインズはとびきりの笑顔でフラミーの真似をした。

「ふふ。アインズさんを呼ぶ前にお片付けしようね。」

「おたかづけしようね。」

 

 ナインズはお絵かき帳を閉じ、クレヨンをしまうとナインズ当番に「はいっ」と渡した。

 当たり前のように受け取り、ナインズ当番がナインズボックスにお片付けをする。

 フラミーはその様子を見て眉間を抑えた。ここ一月、コキュートスやナインズ当番に任せてばかりであまり細かいところまで見てやれていなかったが、息子は生粋の支配者になろうとしている。

 

(小学校行く前に…幼稚園も行かないとダメかもしれない…。)

 

 しかしそんなものは作っていない。保育園は民間で自然と出来上がり、親達が働いてる間に子供を預けたりしているようだが。

 

「ナイ君、クレヨンしまったのは偉かったけど、最後まで自分でちゃんとお片付けしよう?」

「おたかづけ、した。」

「フォスに渡すのはお片付けじゃないでしょ?」

「ほす、したいって。」

 

 ナインズが控えるフォスを指差す。

 フラミーもこれまで何度も「私がやります」「やらせてください」「そうあれと作られました」と言われ続けて来て、多くを頼んでいる。親がそうしていれば子もそうして当然だ。

 ナインズ当番とフラミー当番は何がいけないのだろうと困ったような顔をしていた。

 これは夜にでもアインズに相談するべきだろう。

 

「…取り敢えず、アインズさん呼びに行こっか。」

 

 フラミーが手を伸ばすと、ナインズはそれを取り、二人はアインズの部屋へ向かった。ナザリックは相変わらず教育に関しては最弱の場だ。

 フラミーがノックしようとすると、ナインズがそれを止め、小さな手で扉を叩いた。

 細く扉が開かれると、ナインズはぎゅうぎゅうと扉を押し、アインズ当番が慌てて扉を開く。

 

「おとうたま!おとうたま!!」

 

 ナインズがもちもちと駆け込んで行くと、フラミーは疲れたような顔をして後に続いた。

「九太、来たな!フラミーさんに苦労を掛けてはいないだろうな?」

 骨のアインズは寄ってきたナインズを抱き上げ、膝に座らせるとふさふさになった頭に鼻骨を埋めた。ナインズとフラミーの匂いがする。

「アルベド、今日はここまでだ。片付けておけ。」

 アインズは筆記用具を片付け、ノートや資料に重ねた。

「かしこまりました。後はお任せください。」

 アルベドが机の上の物の片付けを始める。

「きょう、ここまでだ。」

 

 ナインズが真似をすると、アルベドもアインズも微笑ましいような顔をし、フラミーはぶんぶんと首を振った。ナインズのお片付けはこれと全く同じだった。

 

「ナイ君、お父さんは遊んでてお片付けしてもらってるんじゃないの。このお片付けはアルベドさんのお仕事だけど、遊んだお片付けは自分でしないと。」

 ナインズは言われている意味を理解しようとしているのか、ぐりぐりと自分の頭を両手で触った。

「明日はお母さんがお手伝いしてあげるから、一緒にちゃんとお片付けしよ?」

 

 ぐぬぐぬ言うナインズの様子に、アインズは無用な瞬きを数度し、自分の膝に座るナインズを覗き込んだ。

 

「九太、お片付けしてないのか?」

「おたかづけ、した!」

「お前がしたのか?」

「ほす、したぁ!」

 

 ナインズが本日のナインズ当番を指差す。

 アインズは納得すると、自分の机の上からアルベドが回収しようとする資料に手を置いた。

 

「アルベド、やはり片付けも私がやろう。しまう場所を教えろ。」

「しかしアインズ様。書類整理など至高の御身がされるような事では――」

「私がしようと言うのは書類整理であって書類整理ではない。ナインズの教育だ。今はフラミーさんも体調が万全ではないのだ。私が教えねばならん。」

 

 アルベドが渋々と言った様子で手を引くと、アインズはナインズを抱いたまま立ち上がった。

 以前ナインズの教育方針を知恵者三名に納得させた時には非常に胃が痛い思いをした。しかし、そのくらい出来ずに何が支配者か、何が父親か。

 

「ナインズ、少しでも多くのことをできるようになれ。お前はもう兄になるのだから。」

「あにぃ?」

「そうだ。フラミーさんのお腹も大きくなって来ているだろう。あそこにはお前の妹が――守らなければいけない者がいるんだ。フラミーさんは今も不調な日があるが、これからもっとお腹が大きくなれば座っているのも辛くなる。その時、ナインズもフラミーさんを手伝えるようになっていなくてはいけない。手伝われるだけの男になるな。」

 

 ナインズにはまだ難しい言葉達だが、仲間にナインズを一日も早く社会人――大人にすると誓っているアインズは真剣だった。

 

「もちろん私も多くのことを手伝われて暮らしているがな。しかし、手伝われて当たり前だと思ったことは一度もない。私はフラミーさんにもアルベドにも、当番のメイド達にもいつも感謝している。さらに言えば、ナザリックはここにいる者以外にも、多くの手で支えられているんだ。私はそう言う日の目を見ない者にも、いつも深く感謝しているのだ。」

 アルベドはうっとりと頬を染め、メイド達は目元をハンカチで拭いながら聞いていた。

「当たり前に手伝わせるな。出来る限りは自分で行い、止むを得ず手伝わせたときには感謝しろ。できるな。」

 

 アルベドが無言で差し出す箱に書類を仕分け、指示に従い片付けを進める。ナインズはその手元を眺めた。

 難しい言葉の羅列を前に、混乱している、と言う様子だ。しかし、彼なりに何かを懸命に考えているというのが手に取るように分かった。

 

「ナインズ、手本になる兄になれ。」

「あに?」

「そう、兄だ。」

 

 ナインズは難しい顔をすると取り敢えず「あに」と呟いて頷いた。

 

「――さぁ、私はもう少しお片付けをするから少し待っていなさい。」

 ナインズはアインズに下されるとソファで待っているフラミーの下へ戻った。

 

「おかたま。ないくん、あに?」

「うん。ナイ君はお兄ちゃんになるんだよ。」

 フラミーは小さな頭をさらりと撫でた。




次回#3 友の亡骸

毎日コロナの話を見てるとコロナで頭がいっぱいになりますよね。
せめてお話の中でくらい病気をやっつけてやるぜ!!

試されるジルクニフ編の帝都で、モモンの幻覚を見破ったジエット君のお母さんも猛病でしたよねぇ
しかしモモンの神様フェイスを見た彼って生きてるんだろうか。
オシャシンも出回っちゃったし、記憶を書き換えられたかな…?


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#103 友の亡骸

 エ・ナイウル、光の神殿。

 かつて土の神殿だったこの神殿は、スレイン州やザイトルクワエ州の持つ神殿とは些か趣が異なるが、内包する大まかな施設は同じだ。

 

 まずは祈りの場である礼拝堂。それから小さな内回廊に宝物庫、図書室、会議室、治癒室、行政としての窓口、それから神話や神々にまつわる品の展示室、お土産・オシャシン販売所など。他には神官達が寝泊りをする修道院が併設されていて、当然食堂や台所、風呂もある。

 ここまでの物は殆どの神殿が備えていて、建築様式が異なるくらいだ。

 一昨年の春頃からは神々の下へ送られる亡骸の受け入れを始めた為に、場所によっては霊廟を新しく建てたり、既にあった霊安室を広くしたりしている。

 エ・ナイウルの場合なら、地下に霊安室がある。土地に広さが足りず、テラスを取り壊す必要があった為、かつて備蓄室だったものを改装して使っていた。

 

 そんな地下の仄暗い霊安室には今、大量の人魚(マーマン)の亡骸が並んでいた。

 

 そこに神官の姿はない。しかし、地下には啜り泣く声が静かに響いていた。

 いたのは一番最初に人魚(マーマン)をこの神殿に運び込んだジャンド・ハーンだ。

 血が通わなくなってしまった友の蒼白な体に伏せるように泣いていた。

 一日の終わりに多くの遺体は神々の下へ送られる。そうして、闇の神により魂を浄められ、光の神により新たな生を授けられて再びこの世に生まれてくるのだ。

 ――しかし、そうして貰えない者もいる。

 ハーンの友であるクン・リー・ガル・タイは一日の終わりを迎えても、神々の下へ送られることはなかった。彼ら評議国は、信仰が無いため神へ亡骸を渡す事に頷いていないから――。

 ほとんどの人魚(マーマン)は家族が引き取りに来るが、クン・リーは、こんな暗く、寂しい場所で二日目を迎えていた。

 

「うっ……うぅっ……!クン・リー…!」

 

+

 

 評議国が属国となった春。ハーンはいつも通り、沖で漁をしていた時にクン・リーと出会った。

 ハーンの漁は袋状の曳網(ひきあみ)を漁場で投げ、しばらく船を走らせる事で魚群を曳網に収める曳き網漁だ。曳網は運搬用魔法である<浮遊板(フローティング・ボード)>によく似た呪文が掛けられた特製品で、その頃買い換えたばかりだった。

 それまでは何人も一つの船に乗り込み、皆で汗水を垂らして船に網を引き上げていたが、この<浮遊網(フローティング・セイン)>は重力を遮断するので一人で漁が出来る様になった。

 そんなマジックアイテムを手にできるようになったのも、魔法文化が花開いている旧帝国が神聖魔導国に降ってくれたお陰に他ならなかった。

 

 その日、ハーンはいつものように網を投げ込み、船を走らせていた。魚群がどこにいるかわからない中の漁の為、何度も網を引き上げては不漁にため息を吐いて網を投げなおす。これの繰り返しだった。

 高額だった網を買ったのでハーンは少ない漁獲量では帰れない。

 

 周りからすっかり仲間の漁船が居なくなった夕暮れ時、ハーンは最後にもう一度だ――と、網を放り投げ、引き上げた。

 

 そして上がって来た網の中に――クン・リーがいた。

 

 彼は驚いたように目を丸くしていて、ハーンも同じか、それより大きく目を丸くした。

 

 人魚(マーマン)を釣るなど一度も聞いたことはなかった。

 

 ハーンは慌てて謝り、網を下ろしてクン・リーを出してやった。そして、何故リンデ海にいるんだと問い掛けた。

 その時の彼の言葉は今でも忘れられない。

 

「評議国も属国になったからさ、もう俺達兄弟になったみたいなもんだろ。つまり、俺は新しい家族の顔を見に来たってわけさ。」

 

 親も兄弟も友達もいたが、ハーンはクン・リーの言葉が無性に胸に刺さった。豪快すぎるような笑顔を見せたが、何故だか、彼は泣いているように見えたから。

 

 二人はすぐに友達になった。

 

 陸に上がって歩くことが出来ないクン・リーの為に車椅子を神殿で借りて幾日も掛けてエ・ナイウル中を案内した。

 暫く重量を感じる網を引き上げる事を止めていたハーンの腕はクン・リーの乗る車椅子を押して筋肉痛でパンパンになり、エ・ナイウルの道が殆ど舗装されていない事に下唇を尖らせ文句を垂れた。

 

 二人は人魚(マーマン)など初めて見る町中の人に好奇の視線を向けられたが、いつも笑っていた。

 

 クン・リーが人間の街を堪能し終えた頃、エ・ナイウルを治めるナイウーアの使いの者に「市壁で入都許可も取らずに海から勝手に入都、入国するなんて」と二人揃ってこってり絞られた。確かにそう言われてみると不法入国だ。

 正式な入国手続きを行ったクン・リーは街の案内の礼にと海を案内してくれた。ハーンが海に潜る事はできない為、いつもの漁と景色は変わらなかった。

 

 大して面白くないと思ったが――スケトウダラやイワシの群れ、ブリの群れがいる事を教えてもらい、その日は大漁だった。以来二人は来る日も来る日も一緒になって漁をした。

 

 クン・リーは漁が終わるとハーンの船に上がって眠り、朝になると二人で漁に出る。

 人魚(マーマン)は基本的に海の中で暮らしている為、刺身という調理法にて生で魚を食べることが多い。彼は地上でしか食べられないナイウル焼きが大好物だった。そしてナイウル焼きに用いられる醤油を気に入った。

 二人で荒稼ぎをし、クン・リーは週末には評議国へ帰る。

 そんな暮らしを続けていると、いつしかクン・リーの話を聞きつけ、エ・ナイウルの海には沢山の人魚(マーマン)が訪れるようになった。

 

 皆王国――時を経れば神聖魔導国――の民になる事はなかったが、同じ海に暮らす家族だった。

 

 すぐに人魚(マーマン)達は暮らしに溶け込んだ。ローブル聖王国では九色に人魚(マーマン)のラン・ツー・アン・リンが立っている事もあり、全種融和を唱える神聖魔導国になる前から、亜人であっても森妖精(エルフ)のような差別を受けたりすることはなかった。

 最初、ナイウーアは王国民ではない評議国の民に、あまり良い顔をしなかったらしいが、自らの領地がぐんぐん富んで行く様子にいつしかグレーゾーンの民の存在を黙認し、むしろ歓迎するようになった。街の多くの道が舗装され、美しく洗練されていった。

 

 最早エ・ナイウルは人魚(マーマン)を、ハーンはクン・リーを失っては暮らして行けないほどに、両者は密接になった。

 

+

 

 しかし、謎の奇病のせいでエ・ナイウルから人魚(マーマン)の姿は減った。

 

「クン・リー…クン・リーよぉ…。」

 

 物悲しい声がこだまする。

 

 クン・リーと仲が良かった人魚(マーマン)に、クン・リーの家族に死を告げてほしいと頼んだところ――クン・リーは天涯孤独の人魚(マーマン)だった。数年前に評議国沖にクラーケンが現れ、多くの人魚(マーマン)海蜥蜴人(シーリザードマン)が殺されたらしい。

 クラーケンはアダマンタイト級冒険者である"(あけ)の雫"が討伐したらしいが、クン・リーの家族は間に合わなかった。しかし、クン・リーはヒト族にずっと恩義を感じていたらしく、ヒト族の国へ小さな憧れのようなものを抱いていたようだと――今更のように彼の友達から教えられた。

 

 クン・リーが一番最初に見せたあの笑ったような泣いたような顔を思い出す。

 

 ハーンは果たして自分は彼の友として、家族として相応しい男であっただろうかと短くも濃密であった四年間を振り返る。

 

「俺、頼んでやるから…。クン・リー…お前も神々の下へ召させて欲しいって…頼んでやるから…!」

 

 二度と笑わない友人――いや、家族の顔に涙をポタポタと落としていると、霊安室の扉が開く音がした。

「――死者の大魔法使い(エルダーリッチ)様!」

「む、生きている人間ではないか。」

 この死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は銀色の長い髪を一つにくくっており、生きていた頃に女性だった名残を感じさせる。

 爛れた顔には口元に薄絹のベールが張られている。

 霊安室で見る死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は少しばかりの恐ろしさを感じるが、それ以上に神の使いである存在への畏怖が湧き上がる。

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)様!供養料はきちんとお支払いします!どうか、俺の相棒を神々の下へ…お連れ下さい!!」

 目頭が熱い。今にも溜まった涙がこぼれてしまいそうなのを堪える。

「少し待て。確認が必要だ。」

 ハーンは大人しくその様子を眺めた。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は<伝言(メッセージ)>と唱え、どこかと連絡を取った。

 そして、すぐに結論は出た。

「――よろしい。では、その男。クン・リー・ガル・タイはナザリックへ連れて行こう。お布施の支払いを忘れるな。」

 

 ハーンは久しぶりに笑顔になった。

「ありがとうございます!ありがとうございます!!」

 ああ、願わくば――クン・リーの魂の輪廻は自らの側に。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は一枚の巻物(スクロール)を取り出し、燃やした。その目の前にペラペラな黒く塗りつぶされた楕円が現れる。

 

 中からは青白い美しき天女が現れた。皆白い衣装を身にまとい、黒い艶やかな髪をしている。

 

(………寒い。)

 

真冬の如き寒さが霊安室に漂う。ガチガチと歯が鳴り始めてしまったのは寒さのせいだけではない。生物として圧倒的に上位に存在する者達なのだと、戦いの経験がないハーンですら、魂が理解しているのだ。

 

雪女郎(フロストヴァージン)達よ。今日もナザリックへ連れて行けない者達がいる。あちらの人魚(マーマン)は避けてくれ。だが、その人魚(マーマン)は運んでいい。」

「わかったわ。」

 天女達は粛々と今日死んだ人々の体を闇へ連れ帰って行く。

 ハーンは一瞬我を忘れてその光景を見ていたが、天女がクン・リーの隣の者を運び始めると我に帰った。

「あ、あぁ…クン・リー…!」

 ハーンは最後の別れに、下半身に生える碧き鱗を二枚剥がした。

 

 痛いだろ!と怒る声が今にも聞こえそうだった。昨日の昼まで生きていたのだ。

 靴紐を抜き、一枚の鱗を十字に縛り、クン・リーの首に掛ける。いつまでも一緒だと、次もどうか自分のそばに生まれて来てくれと心の中で呟く。

 

 ふと、全員の視線がクン・リーに注がれていることに気がついた。

「…連れて行ってよろしいのよね。」

「良い。」

 手短なやりとりを交わし、重いはずのクン・リーは軽々と持ち上げられた。

 ハーンは最後の一枚の鱗を強く握り――愛すべき家族が消えるのを震える体で見送った。

 

 評議国の人魚(マーマン)以外の死体が連れて行かれると、ハーンは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に支払いを済ませ、とぼとぼと霊安室を後にした。

 霊安室はごく稀に神の祝福を受けていないアンデッドが沸いてしまう事があるため、入れてもらえない事が多いが、今は神官達があまりにも忙しく、追い出される事なく中で見送りまでできた。こればかりは不幸中の幸いだった。

 

 地下から上がってくると――治癒室のみならず、会議室からも咳き込む声が聞こえてきていた。

 神官達が慌ただしくあちらこちらを駆け回っている。

 ハーンはクン・リーの鱗をしばし眺めると神殿を後にした。

 

 そして、喉に痛みを感じる。

「…ッグ。ンン……。」

 少し泣きすぎたようだ。

 クン・リーのいない夜の帳が降りた街は、真夏だというのに薄ら寒く感じた。

 

+

 

 アインズは本日のアンデッド作成の為に第五階層に上がってきていた。

 

 ありがたい事にアインズ社の貸し出しアンデッドの需要は高まって行く一方だった。弱いアンデッドと強いアンデッドではレンタル料が違い、最も人気なのは単純労働用のスケルトンだ。

 死の騎士(デスナイト)レベルのアンデッドは街の警らにばかり回していて、殆ど借り主はいない。今は特別新しくどこかに配備する予定もないので、かなり余っている。

 

 それでも、一日の使用回数制限があるアンデッド作成を使わずにいるのはもったいない為毎日使い切るようにしていた。

 

(そろそろまた大規模にどっかを手に入れないと死の騎士(デスナイト)が溢れるな……。)

 

 密かな悩みに苦笑する。

 

 余っている死の騎士(デスナイト)君達は仕方なくアストラル体のアンデッドと共にバロメッツの面倒を見たりしている。

 今日はコキュートスがナインズの相手をしてくれていて不在のため、雪女郎(フロストヴァージン)達だけで凍河から古い遺体を取り出しており少し大変そうだ。

 美女が凍りついた河から大量の遺体を魔法で取り出す様はどこか幻想的だが、「ぅめー」と気の抜けた声が聞こえてくると、そんな感想も消え失せる。

 

 第五階層にはファンシーな氷結牢獄もある為、バロメッツが植えられてからはどことなくテーマパークじみた雰囲気だ。

(……テーマパークナザリック。――アンデッドランド、いや…ナザリーランドでも作るか…?)

 それともナザリックハイランド。

 

 アインズがやる気もないくだらない思いつきについて思考していると、ふと視線の端でキラリと何かが光った。

「ん?」

 煌めきに近付き、氷の下を覗く。

 偽りの太陽の光を反射するものの正体。――それは、人魚(マーマン)の死体の鱗だった。

 

 海の人(シレーナ)の死体は充実してあるが、人魚(マーマン)は少ない。聖ローブル州の人魚(マーマン)がたまに持ち込まれるくらいだ。

 

 アインズは繁々と人魚(マーマン)を覗き込んだ。外傷などのない若者――見た目の年齢が人間と同じならばではあるが――だった。

雪女郎(フロストヴァージン)、今日はこの人魚(マーマン)も使おう。」

 人間の死体を取り出しかけていた雪女郎(フロストヴァージン)はその手を止めた。

「かしこまりました。すぐにお出しいたします。」

「うむ。」

 最後の一人だったのか、半端に氷から浮き上がっていた人間は再び氷に沈められた。

 

 死体の取り出しは死体の周りの氷を溶かすと同時に高速で凍結させることによって行われ、まるで氷の中から滑り出てくるように見える。

 

 氷の中から引きずり出された人魚(マーマン)にアンデッド作成のスキルを掛ける。

 体から黒い液体が染み出し、着ているものが千切られ、体積が大きく膨れてみるみるうちに姿が変わって行く。

 

「よしよし。運送屋はいくらいても足りないからな。いつかは人間を乗せて海も渡る航空機としても使いたいし。」

 人魚(マーマン)だった遺体は以前の姿を少しも留めることなく、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)になった。アインズから無数に伸びるつながり――たくさんありすぎるためにごっちゃになっている――が新たに形成された事から、変態が終わった事を確信する。

 

「お前は明日から霜の竜(フロスト・ドラゴン)の指揮下に入る。それまでその辺で待っていろ。」

 

 生み出された骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はアインズから数歩離れ、控えた。

 白き雪原に白き身は溶けて消えてしまいそうだ。

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は素晴らしい神に生み出されたことに望外の喜びを感じていると、ふとその首元に違和感を感じた。

 はて、これは何だろうかと骨の首に触れる。

 

 そこには粗末な紐に結ばれた紺碧の鱗があった。

 

 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は捨ててしまおうかと思ったが、神に捨てろと言われていない以上捨ててはいけないものだと思った。

 いや、考えてみれば、生み出された時から着けられているものがゴミなわけがないではないか。

 

 喋ることもできない骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はあまり知性が発達している種族とは言えない。

 今生まれたばかりの彼は自らの首にかかる鱗を壊してしまわないよう、そっと手を離した。




クン・リー、早くも退場…!!

次回#104 面倒ごとの議題

そしてユズリハ様の描かれたマーマンをご覧ください!

【挿絵表示】

セイレーンの話の時に頂いたものです!


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#104 面倒ごとの議題

 エ・ナイウルの光の神殿、会議室には顔色の悪い神官が幾人も集まっていた。

 

 顔色の悪さは、<病気治癒(キュア・ディジーズ)>を使い過ぎた故の魔力欠乏症と、治らない患者達の人数を前にした精神的疲労の両方から来ている。

 皆の手には書類。パラパラと患者達の経過観察の様子が書かれたものをめくって行く。

 

「人間と人魚(マーマン)では…猛病は違うものになるのかもしれん…。」

 ジーマ・クラスカンは疲労をにじませる声で神官達に告げた。

 全員がその事に思い至っているようで、静かに頷く。

 

 誰もが寝不足であり、休みを欲していると言うのが目の下に鎮座する濃いクマから読み取れる。しかし、休めば患者達は呼吸困難や高熱により命を落とすだろう。

 

 患者の人魚(マーマン)は増える一方で、昨日、ついに評議国と旧王都へ手紙を出した。評議国の光の神殿には「猛病で評議国の民が次々と倒れているのでそちらの光の神殿に引き取りを願う」と伝え、旧王都の光の神殿には「<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>を使える神官を送って欲しい。もしかしたら評議国が患者を引き取り、治癒をせずに帰ることになるかもしれないが。」と要請したのだ。

 

 患者達は会話ができるような状況ではない為、ジーマによる独断だ。最早治癒費で破産してしまうとか、そんな事を言っている場合ではない。一刻の猶予もない事態になっていて、健康な人魚(マーマン)達に遅すぎだとクレームを入れられたほどだ。昨日まではやめておけと言っていたが、刻一刻と変わる容体を前に意見も変わる。

 うんざりする気持ちもあるが、連日の<病気治癒(キュア・ディジーズ)>で何とか回復して神殿を後にした人魚(マーマン)は極小数なので、神官を責めたくなる人魚(マーマン)達の気持ちもわかる。

 このままでは今光の神殿にいる人魚(マーマン)は皆死んでしまうだろう。

 

 近くにある闇の神殿から応援の神官も来てくれているが、ここではないほかの光の神殿にも人魚(マーマン)は運び込まれている為に人手はまるで足りる様子はない。

 

「症状や特性は猛病とほとんど同じだが、人が罹る猛病は他者に広がるようなことはないし、罹ってすぐに命を落とすようなこともない。人魚(マーマン)達の猛病は確実に人魚(マーマン)の中に蔓延していて、さらに次々と命を落としている…。」

 

 静かな会議室には、隣の会議室や治療室から咳き込む声が響いた。

 

「……人魚(マーマン)の猛病を、人間と同じ特性に変化させることさえできれば…。」

 そうできれば少しでも命を(ながら)えることができるのに。人の猛病も重い病気だが、少なくともすぐに死亡したりはしない。五年や十年は生きられる。

 何にしても<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>が使えなければ完治することはできないので、今できることは結局何も変わらない。

 

 誰も口を開かない時間が数秒流れると、扉が叩かれた。

 皆の表情がまた暗くなる。

 

 エ・ナイウルからはかなり人魚(マーマン)が減ったが、それでもまだこの街で働いている人魚(マーマン)もいる。また新しい人魚(マーマン)が運び込まれたのだろう。

 

 ジーマが軽く視線を送ると、一番扉に近かった神官がよろよろと立ち上がり、扉へ近付く。開かなければ患者はいないも同然だとでも言うような遅さだった。

 

 開かれた扉から、<病気治癒(キュア・ディジーズ)>を使えない神官が顔を出す。治癒の力を持たない神官はオシャシンや土産物の販売だとか、神へ祈りを捧げたりしている。

「皆様、会議中に申し訳ありません。治療を受けたいと言う者が来ました。種族は人間です。」

 思った種族とは違ったが、患者であることには違いなかった。

 

「…私が治そう。治癒室はいっぱいだから、礼拝堂で待っていただきなさい。」

「畏まりました。」

 神官が扉を開けたまま離れると、ジーマは会議室にいる神官達に声をかけた。

「皆、十五分の休憩だ。私もすぐに治して戻ろう。」

「クラスカン様、お願いいたします。」

 

 神官達は掛けている椅子にだらしなく座り、少しでも体力と魔力を回復させるべく各々休憩を始めた。

 この溶け始めた面々と同じだけ働いているジーマも当然疲労している。休みたい気持ちは山々だが、この神殿の長として誰よりも働かなければなるまい。

 

 ジーマはフッと息を吐き出し、会議室を後にした。

 廊下には喉から血でも出てしまいそうな咳が響いており、これが礼拝堂にも聞こえていると思うと、何とも複雑な気持ちになる。

 

 神聖なる堂内に、治癒できない者達の存在を喧伝する事になる。

 自分たちの力が及ばない事に恥じ入りながら、足を進めた。

 

 ジーマはここが土の神殿だった頃からこの神殿に仕えている。土の神を特別信仰していた訳ではないが、自らが幼かった日にこの神殿で手当てをして貰って以来この神殿に恩返しをしようと決め、信仰系魔法を修めて仕えてきた。

 

 五年前のエ・ランテルの戦いの時にはすでに神官だった為、戦争には出ず、戦争から帰ってきた者達をここで迎えた。ほとんどの者達が歩くのがやっとの様子だった。そんな彼らに治癒を施し、何があったのかと尋ねた時、彼らは皆口々に光の神に復活させられたのだと笑った。

 

 当時の土の神殿の長に、ここは闇の神殿ではなく光の神殿にしようと何度も訴え、この神殿は見事光の神殿に変わった。

 それから一年もせずに当時の神殿長は高齢により退き、ジーマがこの神殿の長の地位に就いた。

 

(…私はこの場所で多くの人を救わねばならん…。)

 

 ジーマは拳を握りしめ、そして、ある事にふと気がついた。

 目の前の角を曲がれば礼拝堂で、来た道を戻った方に治癒室がある。

 息苦しそうな咳は、ジーマの来た方からだけではなく――礼拝堂からも聞こえて来ていた。

 

 無性に嫌な予感がする。

 

 あまり褒められた行為ではないが、ジーマは駆け足で礼拝堂に入った。

 先程新しい患者の来訪を伝えた神官に背をさすられ、咳き込んでいるのは、先日人魚(マーマン)の友を看取った猟師の男だった。

 

 ――まさか、まさか。

 

 神官と漁師が顔を上げると同時に、腰に下げていた短杖(ワンド)を抜いた。

「私は神殿長であるジーマ・クラスカンです。早速ですが、治癒を!」

 数度咳込むと、漁師はうなずいた。

「――<病気治癒(キュア・ディジーズ)>。」

 

 魔法の力が漁師を包む。

 辛そうな呼吸音がわずかに治り――漁師は軽く咳をした。治癒魔法による症状の緩和により少し顔色が良くなったが、完治に至った様子ではなかった。

 

「……あなたは先日亡くなられたクン・リー・ガル・タイさんのお友達の方ですね?」

「――クン・リー・ガル・タイの家族の、ジャンド・ハーンです…。」

「ハーンさん…。あなたも恐らく猛病に罹りました…。猛病は通常の治癒は効きません。」

 ハーンは全てをわかっていたように、ただ冷静に耳を傾けた。

 

「昨日リ・エスティーゼ市の光の神殿に高位の神官を送って欲しいと手紙を書いたので、明日か明後日には治癒を行える神官が着きます。それまで、少し我慢してください。」

「……そうですか。そしたら…一回家に帰ります…。」

「今は人魚(マーマン)の方で治癒室がいっぱいですが、会議室に泊まることも可能ですよ?」

「いえ…お陰様で少し調子も良くなったんで。」

 そうですか、とジーマが答えていると、ハーンは皮袋を取り出し、二枚の紙幣と一枚の硬貨を差し出した。

 

「――えっと、二千ウールと銀貨一枚で足りますか…?」

「えぇ。通常の治癒なので。五百ウールのお返しです。」

 

 受け取った紙幣は何度か濡れた事があるのかふにゃふにゃしていた。紙幣という制度が登場してまだ三ヶ月程度だ。今でも一枚も紙幣を持っていない人はいる。大半の者は銅貨、銀貨、金貨での支払いと、新紙幣と新硬貨の支払いが混ざっている。神殿は当然国の機関――神の機関――の為、新紙幣と新硬貨を釣りとして出し、国中に新しい「金」が出回るよう一役買っている。

 

 ふらふらとハーンが立ち上がると、ジーマは見送るためにその後を追った。

 

「明日また顔を出してください。もちろん、症状が重くなったり、辛くなったりしてもいつでもいらしてくださいね。」

「ありがとうございます…。」

「いえ。明日高位魔法の治療を受ける際には五万ウールが必要ですので、そこだけお気をつけ下さい。」

「ご、五万もですか…?」

 通常の治療が二千五百ウールであることを考えると――「高く感じられるかもしれませんが…治癒に至るか分からないポーションを試すよりもずっとお安いと思いますよ。青ポーションで十一万ウール、第一位階ポーションも二十万ウール、第二位階ポーションが八十万ウール……。紫ポーションは百万ウールです。」

 それに、かつてのことを思えば五万ウール程度ならかわいいものだ。漁師なら真面目に働けば一週間もあれば支払える。

「わ…わかりました…。」

 日焼けした男がこうも弱った姿を見せると無性に胸が痛む。

 ジーマはコフコフと軽い咳をするハーンの背中が、道の角を曲がって見えなくなるまで見送った。

 そして、小走りで会議室へ向かう。人魚(マーマン)から人へ広がる可能性があると言うことが分かった。

(…待てよ…。人から人へは――)

 ジーマは一度足を止めたが、頭を振った。

 人の猛病は人に広がることはない。ハーンの様子から言って人魚(マーマン)程重篤化している様子でもなかったので、確かにこれまで存在した猛病の症状だった。

 自分の中で一つ決着が付くと、再び会議室へ向かった。

 

+

 

 ハーンは少しだけ楽になった体で帰り着いた。

 呼吸がし辛いほどの咳と、朝起きた時のこめかみの痛みは治った。

 

(……クン・リー、俺を呼んでるのか…。)

 

 まだ怠さと喉に痛みがある体を引きずり、玄関からベッドに向かいながらそんなことを思う。

 締め切った窓の鎧戸からは外の猛烈な真夏の熱波が差し込んでいたが、ベッドに潜り込んだハーンの体は寒さにガタガタと震えていた。

 

(いつまでも一緒とは言ったけど…。俺を連れて行くのはもう少し待ってくれ…。)

 申し訳ない気持ちが募って行く。

(…明日になったら治療してもらって…………俺は…新しい相棒を作るのか…?)

 一人で漁はできない。このままでは生活に支障を来すだろう。

 

 ハーンは無性に寂しくなった。

 ベッドに潜り込み、首から下げている小さな巾着を開く。中には紺碧の鱗が入っていた。

(お前を裏切ろうってんじゃないんだよ…。ごめんな…。)

 心の中で告げ、鱗をしまい直すとハーンは眠りに落ちた。

 

 そして――ハーンは自らの咳で目を覚ました。背中にはびっしょりと汗をかき、咳をするたびに激しく体が揺れ、腹筋すら痛む。

 今が夜なのか、朝なのか、昼なのか――何も分からない。

 ただベッドから這い出て窓を開けてみるだけのことが、途方もない難行に思えた。

 神官に泊まれると言われた時、素直に従えば良かった。

 頭をガンガンと打ち付けられるような痛みの中、ハーンはなんとか立ち上がり――部屋の隅に倒れた。

 

+

 

「神聖魔導国で我が国の人魚(マーマン)が相次いで猛病と呼ばれる人の難病に罹っているらしい。光の神殿にこれが届いたそうだ。」

 アーグランド評議国、評議員の一人は受け取った書状を一読し、隣の評議員へ回した。その口調からは"面倒なことになった"と言うような雰囲気がありありと感じられた。

 

 次々と亜人達が目を通して行く。

 二足歩行のウサギのような立足兎(パットラパン)、額から二本ツノが生えた人型の(オグル)、蛾の翅が生えふわふわした毛に覆われる蛾身人(ゾーンモス)、動く岩石のような岩顕巨人(ガルン・トルン)、猫と鳥を掛け合わせたような奇怪な姿の翼猫(ウィングキャット)、そして人魚(マーマン)海蜥蜴人(シー・リザードマン)、そして竜王(ドラゴン・ロード)――他にも多くの亜人や異形が揃っていた。

 床に直接座る者、椅子に座る者、立ったままでいる者と様々だ。

 

【挿絵表示】

 

 

「どうする。国家として引き取るか?それとも、神殿間のやり取りとして光の神殿に一任するか?あそこは治外法権じゃ。」岩顕巨人(ガルン・トルン)は目を細め、小さな書状を眺めた。

「伝染病なら引き取れば一層人魚(マーマン)族に広がってしまいそうですね…。同胞ですが、調査せずには迎えられません。最悪別の種族にも広がりかねませんし。」

 一番に意見を述べたのは人魚(マーマン)だった。全員が難病になるような事は防ぎたい。

「アリ・アク・バイ・りゃ(・・)ンよ。引き取りゃねば神王が何を言うか分かりゃん。制裁で魔導国羊の輸入が減りゃされては困りゅ。」

 馬のように大きい翼猫(ウィングキャット)は前足をゾリゾリ舐め、肉の味を思い出しているようだ。

「御仁、制裁の検討は早かろう!まだ国家としての引き取り要請は来ていないのだ!それが来るまでに収束する可能性もある!今は引き取る時期ではない!」

 吠えるような否定をあげたのは(オグル)だ。一番この中で人魚(マーマン)に形態が近い――互いに人間によく似た部分を持つ――故、種族として伝染病をもらう可能性が高く、人鬼共通感染症と呼ばれる病も多い。

 

「待て待て、そう興奮するな。もし引き取るならば感染が広がらんように、この海蜥蜴人(シー・リザードマン)が行こう。病人を象魚(ポワブド)に乗せて海路で国に入り、真っ直ぐ神殿へ向かおうぞ。」

 

 海蜥蜴人(シー・リザードマン)は、象のように大きな象魚(ポワブド)と言う四足歩行の魚を養殖しており、議場に来る時にはいつも人魚(マーマン)を連れて来ている為、人魚(マーマン)運びは慣れっこだ。

 象魚(ポワブド)は評議国で普通に見る輸送手段であり、交通機関でもある。歩みは遅いが、体の上に直接荷物や人を大量に乗せられるので根強い人気がある。

 国内の輸送は海蜥蜴人(シー・リザードマン) 達が雇っている青蛙人(トロチャック)と言う種族が殆どを担っていて、魂喰らい(ソウルイーター)に手を出している者はいない。神聖魔導国から無理に押し付けられることもないので、リース料を払ってわざわざ不気味なアンデッドを借りるよりも、使い勝手もよく分かっている象魚(ポワブド)で十分と言った所だ。

 しかし、評議国の入り口あたりの町では魂喰らい(ソウルイーター)も普通に見かけるらしい。神聖魔導国からの輸入は魂喰らい(ソウルイーター)も担っている為だ。後はフロスト便――今では骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が来ることがほとんどだが、その名前が定着している――だけは評議国のどこでも見られる。

 

「それが良いよ!海蜥蜴人(シー・リザードマン) なら病をもらう可能性も殆どないし、光の神殿に(オグル)が近寄る事もそうないでしょ?ね、どうかな?」立足兎(パットラパン)が子供のように尋ねる。彼らは三十歳程度で寿命を迎えるので老齢になってもずっとこの調子だ。

 それぞれの神殿には死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がいつも詰めているが、評議国の者で祈りを捧げに行く者など殆ど見た事がない。たまに見るとすれば、用事で神聖魔導国の大都市に行き、何らかの怪しい影響を受けた変わり者くらいか。

 

「隣に立つ闇の神殿へスケルトンを借り受けに行く者や借料を支払いに行く者はおろう。我らは農耕にスケルトンを使っているのだ。」

「それは(オグル)の事情にすぎぬのでは。」

 そう言い放った蛾身人(ゾーンモス)は涼しい視線を送っていた。

「……蔓延すればそちらは治療粉を錬金するのに忙しくなり好都合と仰るか?」

「あぁ…そう邪推されるな。我はただ、今死にゆく人魚(マーマン)を案じておるのみよ。」

「リシ=ニア殿は死の商人とは違うと思いたいところですな。」

 (オグル)蛾身人(ゾーンモス)のリシ=ニアをジッと見つめた。蛾身人(ゾーンモス)は時に毒を作り――その解毒薬も作るためにそう呼ばれることがある。

 

「それはもう、ご信用頂いて構わぬ。――さあ、話を進めようぞ。人魚(マーマン)を国に受け入れぬと言うならば、蛾身人(ゾーンモス)は神聖魔導国まで治癒に出かけることも厭わぬ。国境など命の前では瑣末(さまつ)なものよ。」

 言っていることは清廉だが、物言いはどこか芝居じみているような気がした。

「――では神聖魔導国へは国費にて蛾身人(ゾーンモス)族の治癒隊に赴いていただき、人魚(マーマン)の治癒をお願いする。これならば神聖魔導国からの要請を無視した形にはならない。如何かな。」

 (オグル)が述べると、翼猫(ウイングキャット)は満足げにうなずいた。

「ならばこちりゃは一向に構わにゃい。しかし、リシ=ニ()は本当にそれで良いのか?」

「構わぬ。治癒隊には病気の調査もできるような、我の信用する者を出そう。他の評議員皆様はどうであろう。」

 リシ=ニアはぐるりと評議員達を見渡し――視線を止めた先は竜王だ。

 黙って聞いていた金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)、オムナードセンス=イクルブルスはゆっくりと口を開いた。

 

「――患者を受け入れた方があれ(・・)には感謝されるだろうが…仕方あるまい。私もそれで構わない。」

 

 彼ら竜王は評議国の王と言うわけではない。――しかし、決して無視はできない存在だ。

 リシ=ニアは再び視線を動かし、最も確認を取らねばならない種族の前でそれを止める。

「アリ・アク・バイ・ラン殿もよろしいか?」

 人魚(マーマン)は深く頭を下げた。

「ありがとうございます。もちろん異論はありません。危険に晒される者が一人でも少ない方が大切です。リシ=ニア殿、お手数おかけしますが、頼みます。」

「良い、良い。礼はいらぬ。稼ぎどきよ。」

 リシ=ニアがあっけらかんと言い放つと、(オグル)は一瞬殺気立つような視線を向け、すぐにそれを消した。




いろんな亜人出てくるとワクワクすっぞ!!
蛾さんしゅき
でも絵は迷走迷走アンド迷走

次回#105 それぞれのプラン


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#105 それぞれのプラン

 蛾身人(ゾーンモス)のリシ=ニアはその背に生えた肉厚な羽を数度羽ばたかせ、光の神殿の前に降り立った。羽は背側が白で、内側は竜の目のような模様になっている。

 絹のようななめらかさを感じる羽が綺麗に畳まれると、まるで人が髪をそうするように、頭に生えるブラシ状の触覚を整えていく。腕は全部で四本あり、二本で触覚を整え、もう二本で首元に襟巻状に生えるふわふわとした白い毛を広げた。

 

「やれ、やれ。ほう。」

 

 評議員になり六十年を超えるリシ=ニアから見ても、この神殿は見事だった。白く燦然と輝く上質な大理石の柱、象牙を彫って出来た像達、見事な浮き彫りの施された大扉は見上げるほどで、どんな種族の者でも入れるように設計されている。

 

 青空の下、何にもまして美しいその神殿の扉へ進む。果たしてどのような種族がいればこれほどの建物を建てられるのだろう。

 

 扉の前に達し、手を掛けようとする前に、扉は死の騎士(デスナイト)によって滑らかに開かれた。リシ=ニアではとても敵わないように見えるアンデッドは、何か残酷なことを期待するような瞳をしているように見えた。

 ――信用ならない。それがリシ=ニアの感想だ。

 

 微光を放つ永続光(コンティニュアルライト)が照らす礼拝堂へ進む。

 中には死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の他に、立足兎(パットラパン)達と数人の蛾身人(ゾーンモス)がいた。

 彼らは神官と言うわけではない。立足兎(パットラパン)は給料がもらえるからと言う理由で神殿の掃除や雑務に従事していて、蛾身人(ゾーンモス)は客が来るのを待っているのだ。患者の多くは蛾身人(ゾーンモス)の持つ工房や診療所に行くが、診療所に入れない大きな種族や、街に馴染みのない者が光の神殿に来ることもあるというわけだ。

 

 立足兎(パットラパン)はちょこちょこと小さな体で神殿内を駆け回っていたが、リシ=ニアを見ると近付いてきた。

「評議員さま!わざわざ来てくれたの!それで、どうするか決まった?」

 使者ではなく、評議員が自ら来るのが珍しいのか何匹も群がってくる。立足兎(パットラパン)に囲まれ、リシ=ニアは思わず顔を綻ばせた。命の長い蛾身人(ゾーンモス)から見れば、立足兎(パットラパン)など命の短い種族は赤子同然だ。それに、彼らはどことなく蛾身人(ゾーンモス)の子供に似ている。二本の触覚があり、白くてふわふわだ。

 

「やあ、やあ。方針は決まったとも。治癒の力を持つ我ら蛾身人(ゾーンモス)族が神聖魔導国のその――なんだったかな…。」リシ=ニアが首を傾げると、立足兎(パットラパン)が「エ・ナイウルだよ」と助け舟を出した。「――そう、そのエ・ナイウル市へ出向き人魚(マーマン)族の治療に当たることにした。フロスト便で明後日の夜には着くと返事を一足先に送ってくれたまえ。」

「はぁい。評議員さまも国を出るの?」

「我は治癒屋ではない。行かぬとも。」

「そっかぁ!じゃあ、お手紙書くから僕達は行くね。」

「任せよう。では我も治癒隊の編成といこうか。」

 

 毛玉達がぱたぱたと短い足で離れて行き、リシ=ニアもこちらの様子を見ている数名の同胞の下へ向かった。

「そなたら、聞いておったな。」

「えぇ、聞いておりましたとも。リシ=ニア殿。」

 皆がそれぞれうなずく。

 

「猛病なる病に罹った人魚(マーマン)の治癒を行う者を募る。どうだ、神聖魔導国のエ・ナイウル市に行かぬか。」

「あちらの国は治癒費に定めがあるのでは?割りに合いませぬ。」

「いいや。我らには関係がない。好きな報酬を取るが良い。彼らは人魚(マーマン)を治せぬだろうし、患者はわんさかいる。――どうだ?稼ぎどきぞ?」

「であれば、是非に。」

 

 数名が立ち上がり、立ち上がらなかった者が静かに手を挙げる。触覚をそちらへ倒すことで発言を促す。

「失礼。リシ=ニア殿、何故人魚(マーマン)をこちらへ連れ帰らぬので?そうした方が金になりましょう。」

 

「ふむ。確かにそなたの言う通り、一番儲かるのは、評議国に患者を連れ帰り、まだ健康な人魚(マーマン)(オグル)まで感染を広げることであろうが――あまり派手にやっては持ちつ持たれつの関係も崩れよう。それに思い至らぬ我らではないと(オグル)も分かっておるわ。一部の種族だけが力を持つ構造は最終的に誰にとっても――ただの毒よ。」

 

 リシ=ニアは自らの羽を軽く撫でつけた。ふわふわと柔らかな触り心地は、行き届いた手入れと正しい生活習慣が生み出す努力の賜物だ。

 鱗粉の量も非常に良く、一粒一粒がきめ細かい。白や緑、黄、茶を基調としていながら、それぞれが複雑な色に輝いている。鱗粉は治癒薬を練金するのに使用する為、良質なものが取れれば良い薬も――当然毒も――作れる。

 しかし、リシ=ニアは治癒屋や錬金屋にはならなかった。

 リシ=ニアが評議員になるまで蛾身人(ゾーンモス)の評議員はおらず、この国を良くしたい、自らの種族の生きやすい国にしたい――そう思い、必死で勉強をして評議員となった。蛾身人(ゾーンモス)は治癒や錬金に秀でた力を持つ為、誰もがその道に進んでしまいがちだったのだ。

 

 リシ=ニアは評議員になって良かったと思う。

 

 今回のような情報をいち早く手に出来るし、国の舵取りについての話し合いに参加ができる。蛾身人(ゾーンモス)の地位向上、繁殖繁栄にも大きく寄与した。

 それに、竜王達はその長命さから多くの知を修め、世界の構造すらもその手の内だと言うのに、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王、ひいてはその子息の事となると判断を誤りがちなので、時に諫めることができる対等な立場に立っていなくてはならないだろう。

 以前、竜王の一人がその身分を顧みずに(くだん)の王の命を奪おうとした事によって評議国が属国になってしまったのは記憶に新しい。あの時ばかりは全評議員から非難の声が上がった。

 

「――政治のことは解りませぬ。ともあれ、理由あってのことだと納得しました。ここで患者を待つより良いのは確実。我も行きましょう。」

「うむ、うむ。移動は一日がかり。必要な足代は国費から出そうぞ。皆準備もあろう。明後日、天を突く山の麓に太陽が昇る頃、光の神殿前に集まるように。」

 その後、数分程世間話をするとリシ=ニアは光の神殿を後にし、他の者を誘いに出かけた。

 

+

 

 聞こえるのは誰かの、もしくは自分の咳ばかり。

 寝かされているジーマは自らの判断と、見通しの甘さを後悔し、その愚かさを嘆いた。

 漁師のジャンド・ハーンがこの病に罹った時、人魚(マーマン)から貰わないようにばかり気を付け、人から人への広がりの可能性を一切考えなかった。今、人魚(マーマン)達と関わりを持たなかった神官達にすら、猛病――いや、新猛病は広がっていた。

「も、もるがー…さま……。」

 旧王都より来てくれている高位魔法を使える応援の神官の名を呼ぶ。

 慌しいような足音が聞こえ、すぐに手を取られた。

「クラスカン様、モルガーはここにおります。――<病気治癒(キュア・ディジーズ)>。」

 モルガーの詠唱とともに体の痛みや咳が一時的に和らいだ。

「今は魔力が不足しておりますので、明日にはきっとクラスカン様も治癒いたします。」

 ジーマは静かに首を振った。

「ありが…とう、ございます…。もるがー………さま。ど、どうか…わたしより…さきに……若いしんかんを……。ららいくんを……。」

 最初からラライは旧王都に応援を要請しようとしていた。呼べない理由を話した後も、納得しきれないような顔をしていた。ジーマに彼ほどの若さや、真っ直ぐさがあれば、ここまで病が広がることはなかっただろう。

「ラライ君ですね。ではラライ君も明日治癒します。――明後日には評議国の光の神殿から治癒隊が来てくれるそうですから、すぐに収束しますよ。」

「……あ、あさって…。そ、そうでしたか……。」

「えぇ。評議国の光の神殿にも書状を送られたのは大英断です。ですから、さぁ、クラスカン様もすこしでもお眠り下さい。」

 病の床で自らを責め続けていたジーマはモルガーの言葉に一粒涙を流した。

「あり…がとう…。ありがと…う……。」

「……とんでもありません。息苦しくなったら、いつでもお呼びくださいね。<病気治癒(キュア・ディジーズ)>なら、まだ数回使えます。」

 ジーマの顔に希望を見出した笑みが浮かぶと、モルガーは静かにそのそばを離れた。

 

 多くの神官達が青い顔でケンケンと咳をしている。

 

 モルガーには本当は後一回だけ<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>を使える魔力が残っているが、その事を決して口にはしなかった。

(…すごい勢いで患者が増えていく…。私も不調を感じればすぐに自らに<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>を掛けなければ…。)

 ここでモルガーが倒れれば、大変なことになるだろう。モルガーは決して倒れることはできない。しかし、人によっては出し惜しみだとモルガーを責めるだろう。

(そろそろ神殿にいる患者達の様子も見にいかなければ…。)

 モルガーは苦しそうにしている者がいないことを確認すると、神官達が寝かされている修道院を出た。併設されている光の神殿に向かう。病に罹っていない神官達とすれ違いざまに頭を下げ合うが、非常事態のため、お互い立ち止まって礼儀正しい挨拶を交わしたりはしない。

 

 神殿に戻ってくると、数え切れない街の人と人魚(マーマン)が寝かされており、その光景だけで目眩がしそうだった。

 旧王都の同僚や部下に助けを求めた方がいいかもしれない。本日中に手紙を書いて旧王都に送るべきだろう。それでも手に余るようなら神都にいる光の神官長、イヴォン・ジャスナ・ドラクロワ宛にも手紙を送るべきなのかもしれない。

 それから――モルガーは最もやらなければいけない事を思い出した。

 

 近くを洗い立てのシーツを持った神官が通ると、それを呼び止める。

「君、忙しいところすみません。少しいいですか。」

「――は、はい!モルガー様!」

「私は闇の神殿へ行き、祈りを捧げて来ます。神王陛下に死のお力を弱めていただくよう、お願い申し上げなければなりません。」

 神とは時に人を試すのだ。そして、生と死について深く考え至らせるようにし、光と闇、どちらも抱いて生きるように教え導いてくれる。しかし、この試練は少しばかり難易度が高そうだった。

 

「誰かが私を探すことがあれば、代わりに<病気治癒(キュア・ディジーズ)>を掛けて差し上げるようにしてください。」

「かしこまりました!皆にも周知しておきます!」

「お願いします。それでは、行って来ます。」

「行ってらっしゃいませ!」

 

 この都市中の光の神殿から応援は来ているが、全ての神官が魔法を使えるわけではない。

 モルガーは急ぎ廊下を行き、礼拝堂に出た。

 礼拝堂には多くの人々が祈りを捧げに来ていた。

 

(皆光神陛下へ真摯に祈って………。これなら収束も早いはず。)

 

 確信を持ち、光の神殿を後にする。昨日の夜に調べておいた道を思い出しながら一番近い闇の神殿を目指した。

 途中魂喰らい(ソウルイーター)乗合馬車(バス)に乗り、二十分ほどで闇の神殿に辿り着いた。

 

 扉は開けられており、多くの参拝者で賑わっている。

「失礼、すみません。私は神官です。お通しください。」

 光の神官服に身を包んでいるため、すぐに道は開けられた。

 参拝者達が座る椅子の間を進み、闇の神の像へ真っ直ぐ向かう。

 

 一番前には死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がおり、神聖なる神の像に勝手に参拝者が触れたりしないように見ている。

 そのそばには神官や司祭が説教を行う聖書台があり、ロープを渡したポールも何本かきちんと置いて人々が近づきすぎないようにしてある。

 

 モルガーは脇目も振らずに前へ進み、ポールの間すら抜ける。

「そこの光の神官様。」

 闇の神官に声をかけられるが、今はとにかく時間が惜しい。本来であれば来た理由を告げ、共に祈りを捧げてほしいと頼むべきだと分かっているが、そうなると神官達が集まるまでに時間がかかるだろう。

 

 像の横に立つ死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から厳しい視線を送られる。

「光の神官。御方の像の御前なるぞ。」

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)様、どうか神王陛下へ我が祈りを捧げさせて下さい。どうか、なにとぞ。」

「……お前はこの都市の光の神官ではないな。」

「おっしゃる通り、私は旧王都リ・エスティーゼ市の光の神殿より参りました。」

「お前が治癒の応援に来ている神官か。また多くの死者が出たのか?」

「…そうなってしまいそうです。ですので、陛下にお祈りを。」

 朽ちかけの顔の表情は読めないが、モルガーには死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が笑ったように見えた。祈りを捧げることの大切さを感じる。

「そうか。死の支配者たるアインズ様だけは全ての者に平等だ。好きなだけ祈るがいい。」

「感謝を。」

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が受け入れたところを見ると、闇の神官達は無理にモルガーを像から引き離そうとしたりはしなかった。

 モルガーはいつも祈りの前に歌う聖歌を一節だけ歌い、膝をついて胸の前で手を組んだ。

「神王陛下――。我々は命を失うこと、得ること、(ながら)えること、全ての意味を知りました。誰かの痛みの中で人は生きていることを学びました。どうか、死の手を少しだけでも緩めていただくよう、心よりお願い申し上げます…。」

 その祈りはどこまでも真摯で、この街の光の神殿で何が起きているのか理解している闇の神官達も共に祈りを捧げた。

 

+

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層にあるアインズの自室。

 間取りの中で最も廊下に近い、リビングと兼用されている執務室には書類をめくる音と、クレヨンを走らせる鈍い音が響いていた。

 

 アインズは今、フラミーが楽なようになるべくナインズの面倒を見ている。つわりの山は越えたが、なるべくゆっくり過ごして欲しかった。それまでは保育園感覚でナインズ当番や部屋付きメイド、コキュートス、セバスに任せていたが、それがナインズの人格形成にまずい影響を与えているのではないかと言うフラミーとの話し合いの結果、ナインズはひとまずアインズと過ごすことになった。

 

 ナインズの日中は基本的に夢中でお絵描きをしており、たまに絵を見せて来た時に構ってやる。昼食にはフラミーも呼んで皆で食卓を囲み、それを済ませると執務の場所を第六階層に変えて一郎太とコキュートスと遊ばせる。

 何でも見てほしいお年頃なのか、呼ばれた時にすぐに返事をしないとぐずる。――それも可愛かった。

 

 フラミーにはペストーニャや戦闘メイド(プレアデス)、第八階層守護者であるヴィクティムが付き、穏やかに過ごしてもらい、なるべくストレスを溜めないように気を付けている。

 

 時にはテルクシノエとヒメロペー、ラナー、ドラウディロンを呼び出してお茶会をしていた。ラナーはナインズのちょうど一歳年上の女の子、クラリスも連れて来るので、その時ばかりはナインズをフラミーに任せたりしている。

 今お茶会で最もホットな話題はジルクニフとロクシーの間に男児が生まれたと言う事だ。名はサラトニク・ルーン・ファールーラー・エル=ニクス。戦友という意味の名を与えたらしい。ファーロードは王の称号なのでまだ名乗れない。

 生まれる前からロクシーが胎教に勤しみ、恐らくジルクニフの側室達が産んだどんな子供達よりも優秀に育つだろうと専らの噂だ。ジルクニフは帝位を継がせるのにふさわしい子供なら何でも良いと子供達にたいした愛情も持っていなかったらしいが、帝国がなくなった今、ロクシーの子には不思議と強い愛を注いでいるらしい。

 

 アインズは穏やかに過ごすフラミーを想い、短い現実逃避を終えた。

 

 謎の王位に就いて丸五年。依然続く勉強会のおかげで、なんとか書類に書いてある事がわかり始めて来ていたが、所詮鈴木悟は単なる会社員である。

 書いてあることが分かっても、それが国に良いものなのか悪いものなのかの判断がつく程ではない。

 

 ギュッと国璽を押し、次の書類を手に取る。

(………リ・エスティーゼ州で発生した病気のことが書かれているんだな?さっさと魔法で治せば解決するだろうに…。しかしこれは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から上がって来てる報告………なんだよな。奴らはとことん親に似ないな。なんでこんなに難しい言葉で報告書を書くんだよ………。)

 

 アインズだったらもっと分かりやすい言葉で報告書を書き上げられる自信がある。報告書の書き方を教えてやりたいくらいだ。

 しかし、そんな機会には今のところ恵まれていないし、優しく書いてくださいなどと言えるはずもない。

 どうしたものかと悩み、つい口から「ふーむ…」と声が漏れる。

 

 ――そして閃いた。

(ナインズがもう少し大人になったら、ナインズにも分かるように書けって言おう!!そうだ!!)

 

 アインズはジルクニフが息子に"戦友"を意味する名前を付けた意味がよくわかった。ナインズもアインズにとっての戦友になるだろう。ジルクニフとは近いうちに息子を持つ男親同士、楽しい飲み会など開きたい。

(サラトニクか。エル=ニクスは中々ネーミングセンスが良いな。ま、"ナインズ"ほどじゃないけど。)

 我ながら素晴らしい名付けを行ったものだ。

「ふっふっふ。」

 一人楽しげな笑いを上げていると、アルベドと視線が交錯し、微笑まれた。

 

「――やはりアインズ様もその件についてお考えでしたか。一番集中してご覧になられていらっしゃいましたし。」

 

 突然のアルベドの言葉に、アインズは何が起きたんだと一瞬目を白黒させかけた。こういう時、毎度骨で執務をしていて良かったと思うものだ。

 

「…………その通りだよ、アルベド。本当にその通りだ。」

 

 何もわかっていないと言うのに、こう答えてしまう自分が情けなくなる。

「流石アインズ様。午前中の分が終わり次第お伝えしようかと思っていたのですが、その件について本日中に神都大神殿へ出向き、最高神官長、神官長達と話し合いの場を設けようかと考えております。」

「…それは私も出向く必要があるか?」

「とんでもございません!配下のものとして、この程度のことで御身のお手を煩わせるなど言語道断。――ですが、私一人の手には余るかもしれません。念のため、パンドラズ・アクターかデミウルゴスを連れて行ってもよろしいでしょうか?」

 アルベドの手に余ることなどアインズに処理できるわけがない。先手を打ってやんわりと断れて良かった。

「もちろんだ。好きに連れて行くがいい。ただ、デミウルゴスはアルバイヘームの所に出かけているかもしれん。煌王国はロッタ・シネッタとか言う軍人に市長を任せると決めたと言っていたからな。全くあそこは手数ばかりがかかる。裁きの後に滅ぼせば良かったか。」

 やれやれと息を吐いていると、アルベドは女神もかくやと言う笑顔を見せた。

「今からでも滅ぼしますか?」

 

「――いや、いい。ここまでやったのだ。今更手放す方がもったいない。」

 あそこはもはや経費を注ぎ込みすぎて後戻りできない案件だ。

「かしこまりました。――話は戻りますが、大神殿へ行く前に人種の融和方針と評議国支配に関するプランニングを行いますので、本日の昼食はパンドラズ・アクターの下でとらせていただきます。」

「………なんだと?」

 今アルベドは評議国支配と言わなかっただろうか。アインズは恐る恐る自らの手の中の書類に視線を落とした。

 

 そこには、確かにリ・エスティーゼ州エ・ナイウル市で発生している病について書かれていた。

 

「まぁ!アインズ様ったら!やはり、昼食はアインズ様とフラミー様、ナインズ様とご一緒いたしますわ!」

 アルベドが両手を紅潮した頬に当て、くねりだす。

 

(……評議国、気のせいか……?)

 

 一人幸せそうにする統括からアインズが視線を外す頃には「お!おとうた!おとうたま!」とナインズが今日かけた作品を見せつけている所だった。




久しぶりに勘違いされてる!!
いやー、ついにジルクニフの息子も生まれたなぁ!
ベビーラッシュだなぁ!

次回#106 治癒隊

サラトーニク、カラシニコフ社が発表した新型のAI兵器の名前ですねえ。
ロシア語で「戦友」を意味するらしいっすよ!
賢くなるであろうジルの息子にぴったりだね!

ユズリハ様からサラトニク君いただきましたよ!!

【挿絵表示】


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#106 治癒隊

 峻烈な山々の間に、羽ばたく二十名ほどの蛾身人(ゾーンモス)の隊列があった。

 うなるような激しい風に身を任せ、一気に山の頂へ登り、垂直に切り立った岩棚を右に左に見事に避けて滑空して行く。

 

 下から隊列を見上げた者は皆驚き、その()に見つからないように身を隠した。

 

 この山の上には霜の狼(フロスト・ウルフ)凍眼(コールドアイ)と言う知能の低いモンスター達が暮らしており、好き好んでこの山を登る者はあまりいない。今では見ないが、五年ほど前ならば霜の竜(フロスト・ドラゴン )が狩りをすることもあった。

 

 皆整備された山間の道を行くが、蛾身人(ゾーンモス)には関係のない話だ。

 

 広げた羽は下から見上げれば竜の目、上から見れば真っ白で雪山に溶ける。昔からこの辺りに暮らしてきた蛾身人(ゾーンモス)の身体的特徴が彼らの身を守る。

 

 深い谷を渡り、真っ直ぐ神聖魔導国、エ・ナイウルに向かう。

「天気も上々、夕暮れ前には着けそうよな。」

 箪笥のように見える大きな薬箱を体の前に抱えるケル=オラは上機嫌に地図を広げた。

 この治癒隊たったひとりの女で、皆煌びやかな格好をしていると言うのに一人だけ非常に質素な格好をしている。蛾身人(ゾーンモス)は男が着飾る種族だ。

 

「うむ。山からいい風も吹いている。」

 応えたのはイル=グル。

 評議員のリシ=ニアよりこの隊の長を任命された男だ。イル=グルはこの隊でただ一人神聖魔導国に行ったことがあった。

 ザイトルクワエ州エ・ランテル市で珍しい紫色のポーションが完成したと風の噂で聞き、神聖魔導国が作った直通街道の上を飛んで行った。

 結果、珍しいポーションは販売が始まるまでは見せられないと断られてしまったが、霜の竜(フロスト・ドラゴン)にザイトルクワエの頂上でお茶を振る舞われたり、飛竜(ワイバーン)を初めて見たりと中々面白かったらしい。

「片が付いたら何か土産でも物色したいものよ。珍しい花か蜂蜜がいいだろうか。」

「特産のものなら何であっても喜ばれるであろう。そら、もうひとっ飛びだ。」

 国費で行ける小旅行だ。しかも金も稼げる。

 治癒隊は楽しげに笑い、目的の都市を目指した。

 

 評議国を取り囲む山を越え、しばらく飛ぶと全員に聞こえるようにイル=グルが声を張り上げる。

「皆、一度降りようぞ!」

 全員がそれに従い、高度を下げて行く。

 

 足下には神聖魔導国との国境に置かれる関所。そして空中には集眼の屍(アイボール・コープス)

 関所の前には魂喰らい(ソウルイーター)象魚(ポワブド)が並び、評議国では中々お目にかかれない光景だった。

 象魚(ポワブド)魂喰らい(ソウルイーター)が隣に着くと、少しだけ身を固くするが暴れる事はなかった。

 

「ここから先が神聖魔導国かぇ?」

「その通り。ここを抜けたらまた飛んで行く。皆、この列を待っているうちに服を脱ごうぞ。」

 十九名が頷く。

 山を超えて来て、高度を保っていた間は涼しかったが、地上は炎熱の太陽に照らされ地表に陽炎(かげろう)が踊るほどに暑かった。

 

「これは病にかからぬ方がおかしいな…。」

 ケル=オラは苦笑を漏らし、涼しかった上空を仰ぎ見る。

 評議国はここより北にあるためもう少し涼しかった。真夏でもこれほど暑くはない。

 視界の端には関所に続く列。早く空に上がりたい。

 

 ケル=オラは鬱陶しそうに首回りに生える白い毛を結び始めた。何本も三つ編みを作り、少しでも風通しを良くする。

「これ、ケル=オラ。女がそのような格好をして。」

「そう言うでない。このご時世、女だからどうこうなど馬鹿馬鹿しい。」

 

 黙々と結び、完成する頃には大量の三つ編みのせいでウニのようになっていた。男ならばお洒落でそうするのも普通だ。しかし――他所の種族達は良いとして――蛾身人(ゾーンモス)達にとっては女が着飾る事はあまり歓迎されない。

 

「女をそんな格好で連れ回していては我の神経が疑われよう…。」

 

 本来蛾身人(ゾーンモス)の女は家で花でも育てて優雅に暮らしているべきだ。男は女に楽をさせ、外で必死になって働く。

 しかし、女が外に出る時には「こんなにいい暮らしをしている」と見せ付けるような振る舞いははしたないとされ、質素な格好が好まれる。代わりに男は目一杯着飾り、女達に自らをアピールしたり、その有能さの証とした。

 

 そう言う訳で、イル=グルが困ったような顔をするのは当然の事なのだが、ケル=オラはどこ吹く風だ。

「このままでは日光で死ぬる。それより――イル=グル殿。人間が呼んでおるぞ。」

「むむむ、順番か。皆少し待っていてくれ。すぐに手続きを済ませて参る。」

 イル=グルは抱えていた薬箱を下ろし、タスキに掛けていたポシェットからリシ=ニアに持たされた通行証を取り出すと、人間の下へ行った。

 

 小鳥たちがさえずるのを聞き流してイル=グルが戻るのを待つ。

 

「ケル=オラ、ケル=オラよ。」

「――どうかしたかぇ?」

 声をかけてきたのは治癒隊の一人だ。

 

「リシ=ニア殿が治癒費は自由にして良いと仰ったが、治癒費は皆で同じ額にしようと先ほど飛びながら決めた。今治癒費の表を作っているから、ぬしもそれに則るよう。」

 ケル=オラはその男の向こうで数名に囲まれながら表の作成に勤しむ者がいるのを見た。

 

「嫌だと言ったら?」

 顔の半分はあろうかと言う大きな黄色い目をぐっと細められ、如実に嫌な顔をされる。

「この治癒隊の中で治癒費の下げ合いなど馬鹿げている。輪を乱すならば、ここで引き返すが良い。」

 

 一人だけ自分勝手に安い値を設定すれば、人魚(マーマン)達は少しでも安い者の治療に掛ろうと費用の高い者の治療や治癒を拒むだろう。治癒魔法は拒めば効きが悪くなる。

 そうなれば全員が自分勝手な者に値を合わせる必要が出てくる。しかし、値が揃えば自分勝手な者は再び値を下げるだろう。悪循環の価格競争の始まりだ。

 もし人魚(マーマン)が嫌々高い者に治癒を施されたとして、後から支払いを渋られたり、値が高い者の診療所や工房の悪評が流れる未来が目に見える。

 

 この男の言う事は正論だった。

 

「…あいわかった。従おう。」

 

 ケル=オラが重く受け止めた様子を見ると、男は表を作成している者の下へ踵を返し、ふと足を止めた。

「――あぁ、どうしても値を変えたい時はな、高くする分には一向に構わんぞ。」

 嫌味を言われるが、しっし、と手を振ることで答える。

(ふん、偉そうに。)

 

 内心悪態を吐くが、価格競争はケル=オラも望むところではない。しかし、苦労して大荷物を抱えて治癒へ行くのだから相応以上の稼ぎは欲しいところだし――何より自分の預かり知らぬ所で勝手にそんな大事な事を決められたのが気に入らない。

 

 蛾身人(ゾーンモス)達はこれまで猛病なる人間の難病の治療を行ったことはなく、全員が自分の持てる薬草や錬金素材をたっぷり持って来ている。薬は時間が経てば劣化するし、その場で症状に合わせて錬金するのだ。

 

 もちろん治癒隊は皆<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>も使えるが、蛾身人(ゾーンモス)は決して魔力が多い種族と言うわけではなく、二、三人も治癒すればすぐに魔力欠乏を起こしてしまうだろう。

 ――だからこそ、<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>まで使える者が多い彼らであっても錬金術の腕を磨いて来たのだ。

 

 神聖魔導国の光の神殿から届いた手紙には、海に近い三つの光の神殿に人魚(マーマン)が運び込まれ、日に日に患者が増えている旨が書かれていたらしい。

 少しでも薬箱を軽くしたかったが、無能な光の神殿は治癒の必要な人魚(マーマン)の人数を正確に把握していないようだった。薬箱に詰められた素材は種類も量もものすごいことになっている。

 もちろん治癒隊は神聖魔導国に出稼ぎに行っている人魚(マーマン)の人数から考えて、患者のおおよその人数を推測してから来ているが、所詮推測に過ぎない。

 

 入国の手続きが終わった様子のイル=グルが戻ってくると、ケル=オラは薬箱を抱え直した。

「さて、さて。待たせた。皆、行こう。」

 イル=グルの宣言で皆が一斉に羽を広げる。

 関所に並んでいた人間や、関所に勤めていた人間達は、飛び立つ蛾身人(ゾーンモス)を眩しそうに見送った。

 

 国境の街の上を飛び、昼食や水分補給の休憩をとりながら進んだ。

 休憩で降りるどの街にも、亜人はおろか異形は一人もいなかった。全種族融和を唱える神聖魔導国とは言え、やはり旧王国であれば人間ばかりだ。それに、大した街ではない。

 

「評議国の方がよほど良いな。」

 

 ケル=オラが呟くと、イル=グルは笑った。

「この辺りは田舎であるからな。エ・ランテルは凄まじい都市であった。神都も、神々の婚儀やナインズ殿下の誕生祭に出向いたリシ=ニアを始めとする評議員達の話を聞くところによると瞠目に値するらしい。」

(…神々?イル=グルはこの国の王を神だと思っているのか…。)

 以前出かけた街のことを思い出しているのか、イル=グルは楽しげにあれこれとひとりで喋りだし、いつの間にかその話には別の者が相槌を打ち、盛り上がり始めた。

 ケル=オラは神などいないと思っている。

 それは、あの夜空に浮かんだ竜王と神王の絶死の戦いを見た今でも変わらない。

 力があれば神だと言うなら、竜王達は神なのか。

 否。断じて否だ。

 古代の知識を持つ彼らも神ではない。

 

 街の上を飛んでいると、ぽつりぽつりと神殿を見付ける。

(この国にいる者は皆信じているのだろうか…。)

 どの神殿も扉が開かれており、人の出入りが見える。評議国は訪れる者が少ない為、扉が開けっ放しにされる事はない。

 その視線を感じたかのように、地上の人間がこちらに手を振り、ケル=オラも手を振り返す。

(…喜んでおる。)

 全くおかしな生き物だ。

 ――ケル=オラは少し笑った。

 

+

 

 一行がエ・ナイウルにたどり着いたのは石畳の道に西陽が迫る頃だった。これまで通ってきた都市よりも整備されている。

 ここからは空を行くより、道を歩いて行く方が確実だ。

「――まずは手紙を送ってきた神殿に向かうとするか。」

 イル=グルの提案に異を唱える者はいない。

 地図を見ながらぞろぞろと人間の街を進む。

 途中魂喰らい(ソウルイーター)の牽引する乗合馬車(バス)に乗った。

 人数が多いのでイル=グルが指示する通りに座る。

 各々外を眺めたり、乗ってきた人間と話してみたり、暑さで持ってきた薬箱の中身が悪くなっていないか確認したりと自由に過ごした。

 

 目的の場所で乗合馬車(バス)を降りたケル=オラの視界には、そう立派ではない光の神殿があった。

 評議国に建っているたった一つの光の神殿は、それはそれは見事で、彼女の記憶にある全ての建築物の中でも三本指に入るようなものだ。議員会館や竜王の城にも負けず劣らず――いや、それ以上にも思えるものだった。

 しかしながら、ここの光の神殿は何となく古ぼけており、彫刻などもそう大したことはなく、荘厳さや偉大さを感じない。

 

 地方都市とあればこんなものかとケル=オラが値踏みしていると、イル=グルに肩を叩かれた。

「ケル=オラよ、もう暑さも引いただろう。その首髪はやめい。我に恥をかかせないでくれ。」

「む、そうだった。すまなかったな。」

 いそいそと首の毛の三つ編みを解いて行く。少し跡がつき、ふにゃふにゃとうねっているが、男ならオシャレで首の毛をうねらせる者もいるのでだらしなくはない。――ただ、イル=グルは「あちゃあ…」と言うような雰囲気だった。

 各員がそれぞれ身嗜みを整え終わると、揃って光の神殿へ歩みを進めた。

 

 畳まれた羽は真っ白なマントのようで、参拝に来ている人間達は天使でも見たような顔をして道を開けて行く。

 

 神殿の中もそう大したことはない。そう評していると――ドンっと前方を歩いていた者の背にあたった。

「痛っ。」

 いきなり止まるなと思っていると、その異常事態に気が付いた。

 

 神殿内には絶え間ない咳が響き、人間達すらゼェゼェと苦しげな呼吸をしている。

 

「な…………なんだこれは。人魚(マーマン)が病に罹っているのではなかったのか…?」

 一番前にいるイル=グルが絶句の後に疑問を漏らしていると、それに答えるかのように――「治癒隊の皆様!」

 人間の――おそらく――男が二人駆けてきた。「おそらく」と付いてしまうのは、種族がかけ離れているので推測の域を出ない為だ。

 (オグル)人魚(マーマン)の性別などは髪の長さと胸の大きさでおおよそ別れていて、それと同じ見分け方で正解ならばこれは男だろう。ただ、どちらの種族にも女だというのに髪が短く、胸がない者もいる為注意が必要だ。それと同時に、男だと言うのに太っていて胸がある場合もある。

 

「よ、よくぞいらっしゃいました!私は当神殿の長である、ジーマ・クラスカンです。」「私はリ・エスティーゼ州が旧王都リ・エスティーゼ市の光の神官、ジャミル・モルガーです。」

「ジーマ・クラスカン神殿長、ジャミル・モルガー神官。我は評議国より参った治癒隊の長、イル=グルである。」

「グル様。よろしくお願いします。私はクラスカンで結構です。」「私もモルガーとお呼びください。」

 後ろで聞いていたケル=オラは聞いた事もない名前の略し方を前に一瞬笑いそうになった。

 

 クラスカンがイル=グルに手を差し出すと、ケル=オラは何だ?と二人の様子を見た。

 イル=グルもそれを一瞬眺める。が、どういう事なのか思い至ったのか、弾かれたようにすぐに手を差し出し、軽く握った。

 これは人魚(マーマン)がよくやる挨拶の仕方で、互いの手を握り合い数度揺らす――握手だ。

 似た形状をする(オグル)達にそう言う文化はないので、話すときにお互いが海の中で流されないようにする為に発達した仕草だと思っていたが――どうやら違ったらしい。

 

 評議国で握手などと言うものは人魚(マーマン)以外には普及していない。人魚(マーマン)人魚(マーマン)相手でないと握手を求めない。

 小さな手の者、大きな手の者、たくさんの手の者、手がない者――多様性の中で生きる評議国に於いて、このような体格差や力の差を感じさせる行為はあまり好まれない為だ。もし竜王や岩顕巨人(ガルン・トルン)と握手をすれば手がなくなるだろう。

 しかし、特別不快感も示さず、イル=グルは握手を終えた。むしろ、すぐに気が付かなかった自分を詫びるようですらある。流石、一度神聖魔導国に来ているだけはあった。

 

「――クラスカン神殿長。我はイル=グル。イル=グルと呼んでいただきたい。」

「は、これは失礼致しました。イル=グル様。」

「いや、問題ない。それより、これは一体…。人魚(マーマン)の病では――もしや、人間にも感染を?」

「その通りです…。」

 クラスカンは複雑そうな顔をし、視線を落とした。モルガーが慰めるようにその背をたたき、代わりに応えた。

「イル=グル様。私がこちらへ着任したのも一昨日なのですが、最早私達の力では追い付きません。どうか人々の治癒に手を貸してください。」

 

 ケル=オラは渡りに船だと胸を躍らせる。

 (オグル)達に感染を広げる事はできなかったが、既に神聖魔導国で人間に広がっているのならばそれはそれは稼げるだろう。

 しかし、持ってきた薬草や錬金素材だけではとても足りない。

 鱗粉も、これだけの人数がいるなら評議国に残る蛾身人(ゾーンモス)から取り寄せたほうが良いかもしれない。羽から鱗粉が無くなれば気分が悪くなるし、飛べなくなるので、取りすぎる事はできない。

 フロスト便で手紙を出せば翌日には鱗粉も届くだろう。もしかしたら評議員のリシ=ニアもくれるかもしれない。あの鱗粉は目を見張る物がある。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)なら半日もあれば運んでくれるはずだ。

 

 ケル=オラは取り決めの額を思い浮かべながら、すごい収益になりそうだとこっそり笑った。

 

「モルガー殿、そうしたいのは山々であるが……しかし、我らの治療費は神聖魔導国の民には重かろう。これだけの人数となれば、我らとて魔力が続かぬ。故に、確実に薬を飲んでいただくことになろう。薬は様々なものを調合する故、おいそれと値を下げる事もできぬ。こちらにも仕入れ値と言うものがあるのだ。それに、神聖魔導国の民では分割に応じる事も難しい。」

 

 イル=グルの言葉を聞くと、ケル=オラは目を白黒させた。

 何故この男は断ろうとしているのだろうか。評議員のリシ=ニアすら感染爆発を期待していたと言うのに。

 

「イル=グル様…。エ・ナイウル市を持つナイウーア市長に補助金を願う手紙を出します。どうか、何卒…。」

 クラスカンが頭を下げると、イル=グルが振り返った。

「…皆、それで良いか。」

 ケル=オラは一も二もなく頷く。他の者も構わないようだった。

「…………では、我らは人魚(マーマン)の治療をしながら薬の調合を行ったり、病の調査を進めたりしてナイウーア市長の返事を待つとしよう。皆、最初に決めた通り、三手に別れようぞ。」

 人魚(マーマン)が運び込まれている神殿は三つだ。イル=グルの言葉で七名、七名、六名へと分かれた。

 

「皆、行け。まずは評議国の我らが同胞を救うのだ。」

 

 ケル=オラは別の神殿を目指して行動を開始した。

 

+

 

 その晩。治癒隊は海に程近い宿屋のラウンジに集まっていた。ここが治癒隊の拠点だ。

 とは言っても、突然二十名も泊めてほしいと尋ねても、真夏は稼ぎ時なのか、どこの宿もそれだけの大人数は泊まれなかった。その為、この宿屋には二人部屋を五つ、十名が泊まる。後は数名づつ散り散りに部屋をとった。

 

 ラウンジにはバカンスに来ている様子の人間がバーカウンターで楽しげに酒を飲んでいる。この街は観光業が発達しているのか、これまで通ってきた街よりも亜人が多い。

 初めて見る人魚(マーマン)に似た種族の者や、評議国の海蜥蜴人(シー・リザードマン)、長すぎる赤いとんがり帽子をかぶった小人と客は様々だ。

 海蜥蜴人(シー・リザードマン)は海路で来ており、専用の入国入都管理所から陸に上がってきているらしい。

 

「しかし、イル=グル殿は断るのかと冷や冷やしたぞぇ。」

 ケル=オラがそう言うと、隣に座っている男も同意した。

「これ程良い案件は中々ない。断ってはもったいない。」

「まこと、まこと。」

 

 イル=グルは三つの神殿にいる人間と人魚(マーマン)の罹患者数と、完治者数を書いてまとめていた。人数の報告を受けているため、書類から顔も上げずに答える。

「……時間稼ぎ(・・・・)にはああするしかなかった。人魚(マーマン)と違って国も違うのだ。下手に治癒をしてしまって分割にでもなれば確実に踏み倒される。取りっぱぐれてしまえばあまりにも痛かろう。」

 

 調合した薬で完治し、取りっぱぐれなどが出れば大赤字だ。皆イル=グルが治癒隊の代表に選ばれて良かったと思った。

 

「イル=グル殿、それはリシ=ニア殿宛かぇ?」

「そうだ。念のために評議国の光の神殿にも殆ど同じ物を出すが、どうかしたか?」

 

 切りのいいところまで書き終わると、イル=グルは顔を上げた。

 

「いいや。リシ=ニア殿も(オグル)に広がることを期待しておった。相手は人間だが、殆ど望み通りに行っていると、良き仕事を教えてくれたかの御仁に伝えておくれ。」

「………リシ=ニア殿は(オグル)に広がる事は期待しておったが、神聖魔導国の人間に広がる事は期待しておらん。これはむしろ望まぬ結果であろう。」

「……何?では時間稼ぎとは何だ?多くの人間に感染するのを待つという意味ではないのかぇ?」

 

 ケル=オラが訝しむように目を細めると、イル=グルは再び書類に視線を落とし、それを読み返し始めたようだった。

 

「………人間に治癒を施さないための時間稼ぎという意味では一部合っている。これが終わってから話そうと思っていたが――まぁいい。皆知っての通り神聖魔導国は評議国とまるで違う決まりの中で治癒費を定めていよう。……まさに破格だ。国営の交通機関、国営の運送体系、国営のコンドミニアム、国営のアンデッド貸し出し。どれも神王陛下がお手自ら生み出されたアンデッドが担い、維持費がかからん。まるっと国費になる。本当なら、治癒費など貰わなくともいい程にこの国は潤っていよう。」

「……では何故治癒費用を取る。」

 

 イル=グルは先程書いた手紙を二枚目に丁寧に写しながらフッと笑った。

 

「我も同じことを思った。エ・ランテル市より帰った後リシ=ニア殿に伺ったとも。答えはこうだ。"人々が働く事を辞めないように、人々が無駄に治癒をせがまないように、神官への感謝を忘れないように"、それだけの為であろうと。」

 誰かがゴクリと唾を飲む。神官への感謝を忘れない事はイコールで神への感謝を忘れない事だろう。

「――彼らは我ら評議国で治癒治療に従事する者の為、我らの民には破格での治療は決してしない。そんな事をすれば全評議国の患者が神聖魔導国に流れる。では、神聖魔導国の者が我らの治療を受けたとき、神聖魔導国は患者に代わって我らに金を払うと思うか。」

 

「払うであろ?潤っておるのだ。」

 

 ケル=オラは辺りを見渡し、自分が間違った事を言っていないか確かめる。ごく少数が絶望的な顔をした事を除き、皆がその通りと頷く。

 

「………そうか、ぬしらはそう思うか。我はそう思わん。」

「何故!」

 声を上げたのはイル=グルの二つ隣の男だった。

 

「こう言うことが起こるたびに、国費で他所の国の者に治癒費を払うか?これだけの人数の治癒費を?それくらいなら、自国の神官を集めるでろう。何せここは神の国なのだ。その方が国も潤う。」イル=グルはコツコツとペン先で羊皮紙を叩いた。「ナイウーア市長は恐らく明日にでもクラスカン神殿長とモルガー殿からの手紙を受け取るであろう。我がナイウーア市長であれば、さらに上の――ヴァイセルフ州知事へ陳情書を急ぎで出す。」

 

「……そして州より補助金が出る、とは行かぬのかぇ?」

 イル=グルは「行かぬ」と端的に告げてから続けた。

 

「今度はヴァイセルフ州知事が都市長や補佐官の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と話し合いを行い、神都に手紙を出す。神官長と呼ばれる神に直接仕える者達がこの状況を知るまでおおよそ三日。そこから更に四日もせずにスレイン州や聖ローブル州で仕える名だたる高位神官達が集まるであろうよ。全部で一週間と言ったところか。いや、もしクラスカン神殿長かモルガー殿が神官として既に神都大神殿へ手紙を送っていれば…今から後四日か。」

 

 市区町村の長達が自分の真上に位置する州知事の頭越しに勝手に最高機関に連絡する事を憚れることは容易に想像がつく。しかし、神殿の上には神都大神殿のみが存在する。

 

 分かったか、とイル=グルが皆を見渡す。

 

「では、もう人魚(マーマン)だけ治して帰ることになるんかぇ?」

 ケル=オラが落胆したような声を出すと、イル=グルは頷く。

 

「そうなろう。今日無駄に人間を癒していれば取りっぱぐれるところだった。当初の予定に戻ったと思って、皆大人しく人魚(マーマン)だけ治癒しようではないか。明日には補助金が出ないことを告げられるだろう。しかし、もし神官達が到着するまでに、死にそうな者の治癒を頼まれた場合は神殿から治癒費用を一括で建て替えて出してくれないか我が交渉しよう。」

 

 皆やれやれといった具合だ。それと同時に、イル=グルに「頼む」と頭を下げた。

 ケル=オラは黄色い目を細め、呟く。

「………人間の方が人魚(マーマン)よりもこの病に対して抵抗力があると見えた。すぐにも死にそうな者は今日の時点ではいなかったではないか。」

 

「そうさな。人魚(マーマン)達が全員治ったらまず間違いなく帰国と相成ろうぞ。ボーナスはなし、それだけだ。………しかし、これで人魚(マーマン)は神聖魔導国に海を明け渡したいと言うかも知れん。なんとも面倒な事になりおった。リシ=ニア殿に送る手紙を書く手が重いぞぇ。」

 借金を背負うすぐ隣で破格の治癒が行われて気分がいい者などいるはずもない。

 イル=グルは自嘲するような笑いをあげると、皆が慰めるように肩を叩いた。

 

 その様子を見つめるケル=オラの視線は何かを模索するようだった。




おぉ…確かに自分のところの神官集めた方が良いよね…(書いてて気付く
リシ=ニア賢い

そしてここでユズリハ様に頂いたフララの前髪集だ!!

【挿絵表示】

ここのところフララ見てないですねー( ;∀;)ふららー

次回#107 名案と偽りの神
やっぱり1万字近いと毎日は大変なりねぇ!


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#107 名案と偽りの神

 とっぷりと日が暮れた港に生温い海風が吹き去る。

 漁師達はとっくに本日の漁を終え、海に突き出す桟橋の周りには漁船達が行儀良く肩を並べていた。

 人出はそこそこあり、泡立つ波間を指差す小人達は、まるで生まれて初めて海を見たとでもいうように愉快そうに笑い合っている。

 宿屋の窓辺には人魚(マーマン)によく似た種族の者と、ハルピュイアによく似た種族の者が腰掛け、月を仰ぐ。ささくれた心にたっぷりのクリームを塗り込んでくれるような、不思議な優しさに包まれる歌を口ずさんでいた。

 

「――ケル=オラ、我らはあちらの宿だ。」

 

 治癒隊の仲間に声をかけられ、ケル=オラは軽く手をあげた。

 

「あぁ、気を付けて行け。私はこちらだ。」

「そうか。ぬしも気を付けて行け。なるべくデスナイトがいる道を選ぶのだ。神聖魔導国には神殿前でなくてもデスナイトがいる。」

「ふ、何かあれば毒粉を撒こうぞ。」

「くっ、くっ、こわやこわや。ではな。また明日神殿で会おう。」

 

 笑い、たった一人違う道を行く。

 ケル=オラ以外は皆男なので、治癒隊の誰かと同じ部屋には泊まれない。ならばと、ケル=オラは一部屋しか取れなかった宿に泊まることにした。

 

 ケル=オラは先ほどのイル=グルの話を思い返していた。

 

(あの男は確かに優秀だ――。)

 評議員のリシ=ニアが治癒隊の長にイル=グルを指名したのは当然の選択だろう。

 評議員に比肩する程の知見、思慮深さ。

 光の神官達が思い至っていないであろう政治的なところまで察し、あちらの種族の文化に瞬時に迎合する。

 しかし――いくらなんでも、彼は神聖魔導国派にも程があるように思えた。

(あやつ、人間と治癒隊どちらが大事なんだか…。)

 人間達を癒せないのは、人間が報酬を払わない、または払えない可能性がある為だ。少し無理な取り立てをしてしまえば良いのに。

 イル=グルは神官から死に損ないの治癒を頼まれた場合は神殿に一括建て替えを求めると言っていた。

(考えてみれば…命の危機に瀕していなくても一括で先払いができる人間を自分で探して癒すと言うのは悪い話ではないはずだな…。)

 明日、担当の神殿で人魚(マーマン)を癒し、治癒薬が完成したら身なりの良い人間の患者にすぐにでも治癒されたくないか尋ねてみでも良いかもしれない。

 

 ケル=オラは再び皮算用を始め、道を曲がった。

 

 沢山稼いで帰るのだ。男に飼われるような生き方はケル=オラの望むところではない。

 あまりにもそれが常識として馴染み過ぎていて、誰も何の疑いも持っていないが、女だからと生き方を定められるのは嫌なのだ。

 家で花を愛でるより、男と肩を並べて働いている方がずっと刺激的だし、魅力的だ。

 ケル=オラは異端かもしれない。普通の女としての生き方を選んでいれば蝶よ花よと扱ってもらえると言うのに。

 もしこれでまとまった金を手にできたら、竜王に鱗を何枚か売って貰えないか聞いてみたかった。

 いくら積めば売ってもらえるか分からないが、錬金術を嗜む者なら誰もが一度は手に入れてみたい素材だ。

 純粋に欲しいと言う気持ちと、それを手に入れたら、皆に一目置かれるかもしれないと言う卑しい気持ちが混ざり合っている。

 金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)の透き通るように輝く鱗も欲しいし、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の白金の鱗も欲しい。どちらも聞いた話で実際に見た事はない。天上の存在に妄想は膨らむ。

 

 ケル=オラがむふふ、と怪しい笑いを漏らしていると、その耳には微かに咳き込む誰かの声が聞こえた。

 神殿は近くにないはず。ケル=オラは声のした方へ向かい、路地を一つ折れた。

(気のせいだったか…?)

 眼前には、ただ静かな夜の街が広がっているだけだった。

 患者を求めすぎている。

 自分の馬鹿らしい幻聴を忘れようと踵を返した。

 ――その時、確かに先ほどよりもはっきりと咳が聞こえた。

 それは神殿にいた人間達と違い、今にも事切れなそうな弱々しい咳だった。吐き出した後、空気を吸い込み直すこともできないような切実なものだ。

 

 ケル=オラは咳が聞こえた家の前に立った。

 その家は程々に広い庭に囲まれていて、明かり一つ灯されていない。庭には小型のボートにカバーが掛けられ、倉庫が建っている。

 家の戸に耳を当て、中の様子を伺う。

 

 ヒュウ、ヒュウ、と死に損ないの呼吸音がする。

 ケル=オラは家の様子をまじまじと確認した。みたところ、貧乏そうではないが、裕福な様子でもない。

 一括の支払いは期待できないかもしれないが、死にかけならば神殿に連れて行き、イル=グルに相談して神殿に費用を請求すると言う手もあるかもしれない。

 

「おい、中の者。開けるぞ。」

 一言断りを入れ、ケル=オラはノブを握り、扉を引いた。扉には鍵が掛かっていて、ガチリ、と硬質な音が鳴り開かない。

 中から聞こえてくる呼吸音は今にも死にそうだ。

 助けてやりたいのは山々だが、鍵が掛かっていては入れない。中の者に開けろと言うには些か弱りすぎている。

 

 ケル=オラはやれやれとため息を吐き、羽を広げた。飛び上がったのも束の間、煙突を見つけると体を細く小さくしてその中に飛び込んだ。

 夏の暖炉は煤を払ってあり、汚れは殆どなかった。

 トッ、と足をつき、暖炉(マントルピース)を潜ると真っ暗な部屋の隅に転がっている――男だと思われる――人間がいた。

「ぬし、無事か。」

「へ………か………?」

 男は謎の言葉を発したが、無事なようだった。

 目から涙が落ちていく。

「人間よ、救われたいか。」

 人間は見えているのか見えていないのかよく分からない瞳をこちらに向けていて、静かにうなずいた。

「よかろう。ぬし、ぬしはいくら払える。」

 本人が支払え、神殿に連れて行かないで済むならそれが一番だ。手間が省ける。

 男はごにょごにょと何かを呟いており、ケル=オラは床に手を付き、その口元に耳を寄せた。

 

 そして、目を大きく見開く。

 

「………よかろう。」

 

+

 

 翌日、ケル=オラは朝早くから担当の光の神殿へ出向き、人魚(マーマン)を三名治癒した。

「――っは!!し、死ぬかと思いました。」

「事実死にかけだったぞぇ。治癒隊を出す決意をなさったリシ=ニア殿に感謝するのだな。」

「本当ですね…。………でも、治癒費が神聖魔導国と同じなら良かったのに…。」

 人魚(マーマン)がぼやくとケル=オラはその直ぐそばに置いている自分の薬箱をボン、と叩いた。

「私達はこの国の神官と違って国から金を貰わずに薬の制作や研究をしているのだ。まだ治らぬ人魚(マーマン)の為、薬を完成に導かねばならぬ。完成までには多くの素材を消費するのだから、満額貰わねばこちらが破綻する。」

「そう、ですよね……。」

「あぁ、そうだ。きちんと治癒費は払うのだぞぇ。」

 人魚(マーマン)は何年掛かりになるのだろうと指を折ると、完治したというのに顔を青くし、頭を抱えた。

 その後、ケル=オラは<病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)>を使えるだけの魔力がなくなったので薬の錬金を始めた。

 引き出しが向かい合うように閉じられている薬箱を縦真っ二つに開き、引き出しからあれこれと必要な物を取り出す。

 

「さてさて。ここからが正念場ぞ。」

 

 ケル=オラの上げる、くっ、くっ、くっ、と言う笑いは決して善意に満ちた物ではない。

 しかし、懸命に薬作りに励んだ。

 完治に至っていない人魚(マーマン)に試しに飲ませ――完治しない様子を見ると再び作り直し。それの繰り返しだ。

 同じ神殿を担当する者と情報を交換し合いながら薬を作っていると、時間はあっという間に過ぎた。

 昼を迎えると、蜂蜜たっぷりの特製エッグノッグで休憩だ。

 このエッグノックは評議国の北に住むコカトリスの卵、牛乳、蜂蜜、シナモン、ラム酒が入っていて、蛾身人(ゾーンモス)の大好物だ。

 ケル=オラが再びくっ、くっ、くっ、と笑い声を上げていると、治癒隊の仲間達は子供を相手にするような笑みを向けた。

「ふふ。ぬし、機嫌が良いな。余程エッグノックが好きと見えた。」

「む…ま、まぁ、な。」照れたように答えると、ケル=オラは立ち上がった。「――あー、私は薬作りに戻る。」

「もうやるのか?精が出るな。」

「………あぁ、早く人魚(マーマン)を治して国に帰りたいであろう。」

「ふむ。では我もやるか。」

 仲間たちも早々に休憩をやめ、新しい薬の調合と錬金を始めた。

 

 その夜、二度目の会議で各々情報を出し合い、全員で一つの薬を作りあげた。

 

 早速試してみようと拠点の宿屋から一番近い光の神殿で人魚(マーマン)に使ったところ、見事人魚(マーマン)は完治にいたり、薬は完成した。

 人数分の薬を作るには素材を評議国から取り寄せる必要があることや、魔法付与(エンチャント)にある程度時間が掛かることから見て、後五日か六日は神聖魔導国に滞在することになりそうだ。

 素材は本日中にイル=グルがナイトフロスト便で評議国へ発注の手紙を出すので、一番早くて明日の夕刻、一番遅くて明々後日の朝には届くはずだ。二日程度なら、持ってきた素材がもつはずなので問題はない。

 治癒の方針が決まったところで、イル=グルは正式にナイウーア市長より補助金は出せないと断られた事を告げた。数日中に神官達が集うため、瀕死の三名程の治癒を頼まれたらしい。

 皆想像通りの結果に苦笑した。

 人魚(マーマン)だけを治している様子があまり人間の患者に見えないよう気を配るようにと伝達され、その日の会議は解散となった。

 

 ケル=オラは自分の宿泊している宿屋への帰り道、同じ神殿の担当の者達と別れる道が見えてくると、(おもむろ)に口を開いた。

「――なぁ。」

「どうかしたか。」

 ケル=オラは不信感をもたれないよう、丁寧に言葉を紡ぐ。

「明日、私は担当が六人しかいない光の神殿に行く。…手が足りていないかもしれぬ故。」

 仲間達は軽く互いの顔を確認し合い、うなずいた。

「それはそうだな。では、明日は会議で会おう。」

「あぁ。すまぬ。」

「気にするな。――では、我らはあちらだ。」

「気を付けて行け。」

「ぬしもな。」

 

 簡潔なやり取りを終えて仲間と別れると、一人で宿屋へ向かい――昨日と同じ道を曲がった。

 昨日とは打って変わって明かりが灯る家へ向かう。庭にある倉庫の前から小型ボートはなくなっていた。

 窓からそっと中を覗くと、指定した通りに(・・・・・・・)部屋の半分を布で仕切ってある。暖炉のあたりが見えなくなっていた。

 そして、見えるところにこの家の主――ジャンド・ハーンが膝を付いた祈りの姿勢で待っていた。その隣には人間が二名ほど共にいて、その二人は青い顔で咳き込んでいる。うち一人は大きさから言って子供だった。子供はだるそうに寝ていた。

 

 ケル=オラは目論見通りに行っていることを笑い、羽を広げる。

 音もなく飛び上がり、煙突の淵に立った。昨日とは違って薬箱を抱えているため、簡単には侵入できない。大切な薬箱を擦ったりしてしまわないように四本の腕と脚で煙突内に突っ張るように慎重に降りていく。

 

 想像以上の重労働に、割りに合わんと内心悪態を吐いた。

 薬箱は箱そのものだけで蛾身人(ゾーンモス)の赤ん坊三人分近い重さがあり、更に中には大量の素材が入っている。抱えて飛ぶのはまだ良くても、腕や足でこんな風に支えればひどく重たい。

(…あ、あと少し………!!)

 ケル=オラはひぃひぃ言いたい気持ちを抑え、何とか着地すると、薬箱を一度下ろし、息を整えた。

 

 暖炉から抜け出し、薬箱も部屋に持ち込む。部屋には布が張られている為、暖炉を出たところからハーンは見えなかった。

 しかし、誰かがそこで何かをしている気配を感じたのだろう。

 ハーンが口を開いた。

「ゆ、夢じゃなかった………。ンンッ、光神陛下!再びのご降臨、恐悦の至りにございます!!」

 ケル=オラはおかしそうに顔を歪め、布の向こうの人間へ声を掛けた。

「うむ。我が威光に触れよ。」

 布の向こうで人間たちが下げていた頭を上げる気配を、ケル=オラの触覚が捉える。

 

「さて…まずはジャンド・ハーン。我が救いを求める者を連れてきた事、高く評価しよう。」

「ははぁ!この二人は神殿に入り切らないと言う理由で自宅に戻るように言われた者たちです。神官から救いを断られたも同然…。光神陛下が昨日仰った――本当に救いが必要な者たちです。」

「ふふ、よくやった。私はそう言う者には自ら救いを与える。ぬしらにはエ・ランテルの戦いで惜しげもなく命を与えたのだ。我が慈悲深さはよく分かっているであろう?」

「もちろんでございます!!――さぁ、陛下。まずはこちらを。」

 

 そう言ったハーンが布越しに押し込んできたのは――金銀財宝だ。とはいえ、残念ながら治癒費には足りない。

 

 ケル=オラは不愉快げに息を吐いた。

 

「…これが昨日ぬしが言っていた"光神陛下に救われるならば全てをお出しします"の結果かぇ?」

「あ……い、いえ。すぐにもっと集めます。まだ港に漁船もあるので、それを売却します。」

 

 漁船にどれほどの値が付くのか分からないが、恐らく足りないだろう。

 後は町中で布施の募金活動でもさせるか。この国の民の信仰心は高い。

 

「ハ、ハーン…ッゴホ……や、やめろ……こ、これは…おかしい……。」

 ハーンの隣で同じように膝をつく者がそう言うと、ケル=オラは睨みつけるような視線をそちらへ送った。

 カーテンはあるが、第三位階の病気中治癒(トータルキュア・ディジーズ)が使えるだけの者の視線を受け、流石に何かを感じたのか口を(つぐ)んだ。

 

「監督!失礼だぞ!光神陛下は神官が救いきれなかった人々を御自ら救おうとされているのに!」ハーンは興奮したように言葉を紡ぐと、熱を逃すように息を吐いた。「それに――俺は見たんだ。溢れんばかりの金色の瞳、輝く白き髪。そして全てを包むような翼を。」

 

「………ハーン。こ、この向こうの女が……ッグっ……光神陛下だと…俺には……信じられん……。なぜ神が、こッ――ここに、降臨される……。なぜ……神殿じゃない……。」

 

 ケル=オラはそれを聞くと涼しい口調で告げる。

「そち、私は場所の貴賎は問わぬ。」

 ハーンが感動するようにオォ…と声を漏らした。

「監督、光神陛下はエ・ランテルをズーラーノーンから御守りになる為に冒険者にもなられたお方だぞ。神殿が取りこぼした者達をお救いなさると言うんだ。」

「ハーン……。」

 

 ケル=オラはあと一押しだと確信すると、二人のやりとりを無視し、静かに薬箱を開いた。

 

 白い陶器のボウルを取り出し、引き出しをいくつも開ける。

 まずは鎮痛薬に用いる茸生物(マイコニド)の幻覚胞子。近頃では神聖魔導国から安く買える。

 それに少量加えることで鎮痛効果が大幅に上がる、マンドレイクの根をすりつぶしたペースト。これは幻覚、幻聴、瞳孔拡大の効果があり、使い過ぎれば致死性の神経毒となる。

 二つをボウルに入れ、手際良くすり混ぜる。

 そこに幻覚性の鎮静麻薬効果を持つ曼荼羅花(マンダラゲ)の草を加え、水石(アクアフィル)から滲み出る水を一滴。曼荼羅花(マンダラゲ)の草はみじん切りにしておいた状態で保存(プリザベイション)を掛けておいたものだ。

 それから、暗闇草(ダルネオ)やニュトと呼ばれる薬草を少々。

 これを飲まされれば意識の混濁や、筋肉の弛緩、自らが恐れる幻覚が見える譫妄(せんもう)状態に陥る。

 しかし、今は恐ろしいものを見せても仕方がない。

 

 二人がカーテンの向こうの人物は神だとか、神じゃないとかと馬鹿らしい言い争いをするのを無視し、仕上げに自らの羽の内側――竜の瞳が煌めく模様を撫で、金色の鱗粉を採取し、加える。この鱗粉が十分に羽についている時、特殊技術(スキル)を用いれば、十秒と短い時間だが竜が本当に立っているように見せることができる。

 

 しかし今回は――

「――<魔法付与(マジック・エンチャント)>。」

 呟くと薬から燻るような煙が上がるようになった。これで完成だ。

 

「おい、ジャンド・ハーンよ。」

「俺は確かに――あ、はい!!」

 言い争いはすぐに鎮まる。

「その者は余程疑り深いと見える。仕方がないので姿を見せよう。」

「は!?よ、よろしいのですか!?」

 高貴な者は普通そう易々と姿を見せることはない。直接言葉を交わすことも普通はないだろう。

「良い、良い。」

 ケル=オラは羽を広げると、今作ったばかりの薬へ向けて羽ばたいた。

 

 薬から昇る煙は部屋中へ一気に充満を始める。

 

 そして、三人の間の幕は踊るように翻り、三人は互いの姿を見た。

 

「全てを賭け、私に信仰を示すと誓え。さすらば、ぬしにも救いを与えよう。」

 

 監督と呼ばれていた者は即座に他に伏せた。




やっちまった!!!!

次回#108 二度目の復活

誰かが死ぬ!!!


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#108 二度目の復活

 ――古い夢を見た。

 

 それは、夢のように美しい光景だった。

 秋風の抜ける野の先には、地上に二つの月が顕現したような光景が広がる。

『なぁ…あの光の向こうに見える木って…。』

 隣にいた男が訪ねる。ジャンド・ハーンはぽかんと開けていた口を慌てて閉めた。

『あ、あぁ。きっと、帝国との戦争の時に来た、あの魔樹だ……。』

 二つの光の向こうには巨大すぎる木が聳えているのがぼんやりと見えた。遠すぎるため、はっきりとした姿は見えないが、あれは魔樹だろう。

『…お前も魔樹との戦いは見ただろ?』

『見た…。』

 ハーンの答えは短かった。

 この戦争、勝てるわけがないのだ。

 ナイウーア伯爵本人はいつも戦争に出てこない。軍として人を率いる才に長けた者を付けると言って。

 

 だから――だから、こんな事を許すのだ。

 

 ハーンは戦いなど無縁の漁師だ。

 これまでは、戦いのことを何も分からない者に率いられるよりは生き延びられる確率も上りそうだと、戦略的なナイウーア伯爵のやり方に全面的に賛成していたが、今回ばかりはそう思わない。

 エ・ランテルを取り囲んだ帝国兵達を、アリを踏み潰す程の感慨もなく、挽肉に変えた驚異の魔樹。エ・ランテルの堅牢な三重壁を易々と破壊した魔樹。

 誰にも止められるはずがなかった、自然災害のような存在を止めた魔法詠唱者(マジックキャスター)達。

 その時の光景を、ハーンはエ・ランテルの隅で震えて見ていた。非現実的な光景を前に、自分は物語の中に吸い込まれたのかと思った程だった。

 

 ナイウーア伯爵は今回のエ・ランテル市民との戦争にも来ていない。

 

 あの魔樹と魔法詠唱者(マジックキャスター)との壮絶なる戦いを見ていれば、エ・ランテルに攻め込むなど馬鹿げた話だと分かるだろうに。

 この戦争は「エ・ランテルを不当に占拠する神聖魔導国から、エ・ランテルを取り戻す」と言うもの。

 人が住める地では無くなったはずのエ・ランテルは、今、見たこともない美しい都市になろうとしている。あの魔法詠唱者(マジックキャスター)――いや、法国の新しい王がそうしてくれている。それを邪魔して良いのだろうか。

 この戦い、どちらに非があるかと問われれば、十人中十人が口を揃えて答えるだろう。――王国が悪いと。

 

 エ・ランテルを救い続ける相手を襲うなんて、当たり前に生を求め、救われようとする人々を襲うなんて――。

 

 ハーンはただ、ただ、帰りたかった。

 今、法国の王はハーンの前で輝きを身に纏っている。

 エ・ランテルの民を誰一人戦場には立たせていない。

(あぁ……もう………これになんの意味があるんだよぉ……!)

 決して口にすることは許されない言葉だ。

『あ、おい。あれ――――』

『え?ぁ――――』

 ハーンにとって魔法は身近なものではない。

 美しかった月の輝きが砕け散るのが見えた瞬間――ハーンの体から力が抜ける。

 意識は黒く塗りつぶされ、遥かなる闇に転落する。

(そうか――。)

 ハーンは何かを理解する。しかし、理解したことも気が付けない。

 

 黒い水の底に沈み込むと――ハーンの全ては終わった。

 

 漆黒の世界だ。

 何も分からない。

 何も思い出せない。

 何も見えない。

 いや、見えているのかもしれない。

 しかし、目もないのに見えるのだろうか。

 待て。目とはなんだ。

 見えるとはなんだ。

 何も分からない。

 分からないと言うことも分からない。

 消えていく。

 全てが崩壊していく。

 消えるとは、崩壊とはなんだ。

 分からないが、消えていく。

 だが、ふと、引っ張られる感覚が襲った。

 夜明けの輝きだ。

 何光年も離れた星の孤独な世界。

 愛される日を夢見続ける者。

 自らを生んだ親に愛と希望を持たされたことを知らない哀れな者。

 大いなる世界を照らす光――。

 

『く………ぁ………。』

 ハーンは満点の星空の下、転がっていた。体の怠さに身動きも取れない。瞬きすら億劫だった。

『……次…。』

 静かな声がし、ハーンはそちらへ視線だけを向ける。

 それは爆発するような煌めきだった。

 闇の中にあっても、光を溢し続ける翼。

 ――明けの明星。

 ハーンは思わず手を伸ばす。光を求めるのは全ての生き物の(さが)なのだろうか。

 光はちらりとハーンを見た。

『天使!この人も!』

 その言葉を合図にハーンの体は持ち上げられ、星から引き離される。そして、奇跡に沸き立つ人々の中に下された。

『こ、ここ………は………?』

『大丈夫だ!!エ・ランテルの英雄――いや、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の神、フラミー様がお前を生き返らせてくれたんだ!!良かったな、本当に…良かったなぁ!!』

『ふ……らみ………。』

『あぁ、そうだ!!さぁ、少しでも楽になるように、これを飲め!バレアレさんがくれたポーションだ!』

 

 ハーンはなんとか口を開けた――。

 

+

 

「ぬし、無事か。」

 昔の夢を見ていた。

 体が重すぎる。動くこともできない。

 ハーンは泥の中を進むように目を開けた。

 部屋の中は明かり一つ灯っていない暗闇だった。

 しかし、そこには月の光を僅かに反射する――あの日から焦がれ続けた金の瞳。白き翼。

「へ………か…………?」

 また、自分は死んだのか。

 そして、また、命を与えられたのか。

 ハーンの目からは抑えきれない感情が雫となって溢れた。

「人間よ、救われたいか。」

 救われたい。この苦しみから、あの日のように。

 あぁ、クン・リー。お前にもこの慈悲を与えてもらえれば――。

「よかろう。ぬし、ぬしはいくら払える。」

「――べて……。」

 ハーンはうまく言葉を口にできない事に苛立ちを感じる。喉はまるで破れているかのように痛みと熱を発している。

 しかし、信仰を示さなければいけない。

「――すべてを……。わたしの全てを…。こう……神……陛…か……。……よあけ……の…君……。おん身に……すくわれる…ならば………この……じゃんど・はーん………。私の…すべてを………あなた…さまに……。」

「………よかろう。」

 良かった。

 ずっと感謝を形にしたかった。

 ハーンの体は途端に軽くなった。

 奇跡に胸の内が沸き立つ。それと同時に、猛烈なる空腹、眠気が襲う。

(せめて…感謝を述べなければ…。)

 ハーンは眠りに落ちようとする意識を懸命に引き留めようとした。

 すると、そっと目に手が触れた。

「ジャンド・ハーン、今は眠れ。私は明日またここに来る。ぬしは明日、神殿に取りこぼされた、本当に救いが必要な者を集めるのだ。ぬしは我が民を救う使命を担うことになった。良いな。その時、我が姿が見えぬよう部屋に幕を張るのを忘れるな。高貴なる我が身をそう易々と拝めると思うな。」

 ハーンは任せてくれと心の中で答え、眠りに落ちた。

 

 眩しい。それに、腹が減った。

 

 ハーンの顔に、光が射していた。

「……あ…へいか…。――ッく……。」

 まるで体が錆び付いたようだ。起き上がろうとすると腕に鈍い痛みが走る。

 床から顔を上げると、固まった吐瀉物がくっついていて、バリバリと床から剥がれた。

 それどころか、脱糞したのか尻までガビガビだ。

(くさ…。)

 喉が渇いた。水を。

 ハーンはうまく力が入らない体を無理矢理奮い立たせ、シンクに顔を突っ込んだ。

 "湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"を思い切り捻り、ドドド…と水が吐き出され始めると、馬のように水を飲んだ。

「っん、っん…っん……!っぷはぁ!!」

 びしょびしょの顔を上げる。

 すると、胃が驚き引っくり返るようだった。

「――ッン!?ぅ……ゔぇえ!!」

 飲んだばかりの水を嘔吐する。腹の中が激しく痙攣した。

 ゲェゲェと吐き出し、腹の中が空っぽになると――懲りもせずに再び水を飲んだ。

 今度は吐き気も起こらず、冷たい水はすんなりと胃の腑に落ちていった。

 生き返る。そう思うと、思わず笑みが溢れた。

「ふ、ふふ、ふふはは!俺、また生き返ったのか!!」

 二度も復活させられた男はこの世に二人といないだろう。

 ハーンは口元を乱暴に拭い、少し軽くなった体で、"冷蔵庫"を開け、中に入れてあるトマトとリンゴにかぶり付いた。

 夢中で食らっていると、目からは再び涙が溢れた。

「っく、っふ、ふふ…ふ…うぅ……ゔぅぅぅ……。」

 生きられることの喜びを誰より知っているハーンは嗚咽しながら頬張ったトマトを飲み込んだ。

「うまい……うまいぃ……。」

 床に座って、冷蔵庫の前で獣のような食事を終える。

 ずっと大音量で音楽が流れているようだったが、途端に部屋はしん――と静まり返った。

 昨日のことがまるで夢のように感じる。

(………夢?夢だったのか……?)

 ハーンは己の痩せ細った手を見た。筋肉もなくなり、まるで死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ。

 痛む関節に鞭打ち、何か昨日の神の降臨を示すようなものはないかと部屋中を歩いた。

 何も見つけられない。

 もしかしたら、あのクラスカンと言う神官が見に来てくれたのかもしれない。

 しかし、ハーンの脳裏には「私は明日またここに来る」と言う言葉が染み付いている。全ては今夜わかることかもしれない。

「……とにかく…陛下の仰るとおりにしないと…。」

 ハーンは冷蔵庫からもう一つだけリンゴを取り出し、齧り付くと出かける準備を始めた。

 吐瀉物と排泄物にまみれた体を洗い、床を掃除した。

 さぁ出かけようと扉に手をかけると――ハーンは口元を綻ばせた。

 扉には確かに鍵がかかっていて、神官が入ってきてハーンを助けた訳ではない事がはっきりと分かった。

「光神陛下……。」

 祈りのように名を呼び、ハーンは真夏の世界へ飛び出した。

 

+

 

 ナザリック地下大墳墓、第六階層の湖に建つ水上ヴィラ。

 

 知恵者達の会議室として使われているその場所に、アルベドが一冊の書類を抱えて駆け込んだ。

 

「デミウルゴス!パンドラズ・アクター!!」

「おや?アルベド、君がそんな風に慌てているなんて珍しい。どうかしたのかな。」

 パンドラズ・アクターと共に仕事をしていたデミウルゴスが顔を上げる。二人の前には、酒宴会の際に使われていたものとは別の小さいちゃぶ台が出ており、パンドラズ・アクターが淹れた緑茶と仕事の書類、バインダーが乗っている。

 

「その前に、統括殿も一杯如何です?この茶葉はフラミー様が火を通されたものですよ。」

 フラミーは妊娠中は紅茶は飲まない。摘まれた茶葉は発酵させれば紅茶になるが、発酵させずに火を通せば緑茶になる。これはフラミーがナザリックで開く女子会でも出されるものだ。

 

 パンドラズ・アクターが緑茶を淹れはじめると、アルベドはぽいぽいと靴を脱ぎ捨て部屋に入ってきた。

 いつも座っている場所にどかりと腰を下ろす。

「それは頂くけれど――くつろいでいる場合じゃないわ。これを見なさい!」

 

 アルベドがバンッとちゃぶ台に置いた書類の表紙には「エ・ナイウル市の神殿支援に際して発生した新たな問題」と書かれている。

 

 大神殿からの通達により、既に国中の高位神官が送られ患者は減っていっているはずだ。事態の収束まで後一週間とかからないだろう。

 評議国では人魚(マーマン)の評議員であるアリ・アク・バイ・ランと蛾身人(ゾーンモス)の評議員であるリシ=ニアが治癒費についての話し合いを行い続けている。当然平行線を辿っているようだ。

 人魚(マーマン)達のすぐそばで、端金の治癒を受けた人間達がピンピンして生活へ戻って行く様は民間の人魚(マーマン)達の心を評議国から離れさせるには十分だろう。

 評議国の光の神殿に送る神官の手配も済ませてある。評議国の支配は神殿から行う予定だ。万事が順調に進んでいる。

 

 だからこうして、知恵者三名で寄り集まって会議をしているのだが――。

 

 何があったのかとデミウルゴスが書類をめくり目を通して行く。

「…………これは…。」

 漏らした声は穏やかだ。しかし、それは薄い皮で覆ったものでしかない。すぐ下の刺々しさをアルベドもパンドラズ・アクターも察知した。

 知恵者としてよく寄り集まる二人ですら滅多に見たことがない怒りだ。

 

 一つ唸り声を上げ、もう一度頭から読み直し、不愉快そうに眉間を押さえると、デミウルゴスは書類をパンドラズ・アクターへ送った。

 

「一体なんですか…?」

 パンドラズ・アクターもそれをペラペラとめくっていく横で、アルベドはグビグビと喉を鳴らしてお茶を飲み干した。

 空になった湯飲みはガンっとちゃぶ台に叩きつけられ、同時に粉々に砕けた。湯飲みを持ってきていたパンドラズ・アクターから反応はない。つまり、大して価値のある湯飲みではなかったのだろう。

 

「フラミー様がそのような真似をなさるはずがないわ!あの虫けら達にはそんな事もわからないのかしら!!」

 手の甲にすら怒りの血管が浮き出るような状態だ。守護者統括であるアルベドが物に当たるなど滅多にない。

 

「アルベド、当然でしょう。この報告書を上げてきたのはエ・ナイウルの光の神殿に勤める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ですか?」

「そうよ。評議国の支配プランは変更ね。アインズ様に力による制裁のご許可を頂かなければいけないわ。」

「支配プランの変更は全面的に同意しますが――相手が評議国の民という事が引っかかりますね。評議国そのものにも制裁が必要なのか…それとも……。」

 デミウルゴスは口元に手を当て、数多の可能性について思考を巡らせ始めた。

「あなた、こんな真似を許すと言うの!」

「許しませんよ。許すはずがないでしょう!」

 

 二人の間で同じ方向に向けて怒りが漏れ出して行く。知恵者二名に似合わない感情の表出だ。

 

 ようやくパンドラズ・アクターも書類を三周読み終わると、そっとテーブルに置いた。

「――これはフラミー様のお耳に入らないようにしなくてはいけませんね。このような事を見過ごす方ではありませんし、無駄なご心配をお掛けする訳にはいきません。」

 二人がうなずく。

「その通りだね。」

「私も同感よ。それにしても…これは侮辱罪ね。いえ、愚劣罪かしら。手始めに一種族郎党、氷結牢獄送りにするべきだわ。そして名を騙る虫けらと、その親族は餓食狐蟲王送りよ。そうすれば治癒出来る者がいなくなるのだから、すぐにでもうちの神殿に膝をつくわ。後は恩知らずの評議員達をどうするかが問題ね。」

「統括殿、それはツアーが黙っていないのでは?」

 

 パンドラズ・アクターが言うと、デミウルゴスは眼鏡を押し上げた。

「制裁についての検討時にはツアーも呼んだ方がいいかもしれないね。評議員として正式に召集しよう。」

「あの蜥蜴、どこかに縛り付けておけないのかしら。とにかく、連帯責任であれにも制裁が必要よ。」

「ツアーが父上に何も連絡を寄越していないところを見ると、ツアーは無関係なような気がします。ツアーにも制裁を施すかは置いておいて、とにかく、まずは父上にご報告するべきですね。」

 パンドラズ・アクターが告げると、三人は揃った動きで窓の外へ視線を送った。

 その先には、遊んでいるナインズと、それのそばで働くアインズの姿があった。

 

+

 

「な…な……なぁぁあにぃーーー!?」

 ナザリック地下大墳墓、同第六階層。

 その地の支配者の叫びがこだまする。 

 

「ア、アインズ様、お許しを!!どうか、どうかお許しを!!」

「アインズ様、全テハコノコキュートスノ責任ニゴザイマス…!」

 

 涙目のアウラと、コキュートス、ナインズ当番、そして無銘なる呪文書(ネームレス・スペルブック)を抱えるイツァムナーは地面に額を擦り付けていた。

 

 ナインズはお絵かきの手を止め、呆然と父を見る。共にお絵描きしていたザーナンも硬直していた。

「ナインズ!!お前、ルーン魔術師(エンチャンター)なんて聞いたこともない職業(クラス)を取るなんて…!!あぁ!お前に取らせたい職業(クラス)はごまんとあるのに!!」

「お、おとう…おと…ぉ……ぅ……うぁ……。」

 

 アインズが猛烈な勢いでナインズに迫ると、ナインズはぷるぷると震え、涙を浮かべた。

 

「――は!?い、いや!怒ってはないんだけどな!?レア職なのはすごく良いんだけど!それが良い職業なのか良くない職業なのか……あぁー!くそ!!こうならないように細心の注意を払ってきたと言うのに!!」

 

 アインズはガリガリと骨の頭を掻きむしり、悶えた。悶えては沈静され、悶えては沈静され、大変忙しい。

 

「アインズ様!あ、あたし達のせいです!!本当に、本当に申し訳ございません!!」

 アウラとコキュートスが再び見事な土下座を見せると、アインズは強く沈静された。

 

「――いや、取り乱した。忘れてくれ。これは決してお前達のせいではない。私がナインズにお絵描きをさせてきたのだ。」

 なんとか落ち着いた調子で慰めることができた。魔王の声に"お絵描き"ほど似合わない言葉もないだろう。

 さて、これの責任がどこにあるかと言えば、間違いなくアインズだろう。お絵描きしている間は静かでおとなしいと、ずっとお絵描きさせていたのだ。フラミーがナインズを第六階層に連れ出していた時はおにぎり君やシャンダール、一郎太と走り回る時間もちゃんと取っていたのに。

 アインズは外に出てもナインズにお絵描きを続けさせた。

 

 フラミーに何と詫びよう。

 できれば魔法職最強――ワールド・ディザスターにさせたかった。恐らく無理だっただろうが、それでも目指したかった。

 

 やはり生きる中で力を得ていくこの世界で強くなることはかなり難しいようだ。アインズやフラミーが誤ってレベルダウンでもすれば、レベルを取り戻したとしてもその分取り戻したい職業(クラス)を手にできるとは限らない。弱体化すれば二度と今の力を取り戻す事はできないだろう。

 ルーンを操っていた妖精(シーオーク)達はお世辞にも強いとは言えない。

 アインズはフラミーを呼ぼうとこめかみに触れた。

 数度のコール音の後、『はぁい!』と元気そうな声がした。

「……フラミーさん…。ちょっと九太の事で相談があります……。はい………はい……。えぇ…。急ぐ必要はないんで……後で第六階層に来てください…。」

 今更慌てたところで仕方がない。

 

 問題は、今一レベルだけのルーン魔術師(エンチャンター)を無視して他の職業(クラス)を取るのが良いのか、それともルーン魔術師(エンチャンター)をまともに使えるように十まで育てるべきなのか、だ。

 

 切り捨てるなら、一レベルの今この時しかない。

 しかし、一レベルの貴重さを知らないアインズではない。

 

 アインズがうんうん唸っていると、水上ヴィラから難しい顔をする知恵者が三人揃って出てきた。つい先ほどアルベドが駆け込んで行ったと思ったのに。三人は真っ直ぐこちらへ向かってくる。

 これは何か難しい問題だ。鍛えられたアインズの勘が察知した。

 

「アインズ様!今少々お時間を頂いてもよろしいでしょうか!」

「どうかしたか、アルベドよ。」

 

 アルベドはどこか興奮しているようだった。

 

「実は、以前問題になっていたエ・ナイウルの病の件なのですが御身のご計画通りに進んでいたと言うのに、フラミー様を騙る不届き者が現れ――」

 そこまで言うと、アルベドはハッと口を(つぐ)んだ。

 

「なんだと?それで?」

 

 アインズが続きを促そうとすると、その後ろから声がかかった。

 

「それで、どうしたんです?」

 

 アインズが振り返ると、ヴィクティムを抱くフラミーがいた。

 

「おかあたま!おかあ!」

 ナインズが興奮し始める。つい今転移してきたばかりなのだろう。

 

「ふ、フラミー様。この不届き者には必ずや相応の罰を与えますので、御身はどうぞ安らかにお過ごしいただきたく――」

 アルベドがあわあわと応えると、フラミーはアインズを見上げた。

 

「アインズさぁん!」

「は、はい。」

「私、私の偽物見にいきたいです!」

 

 知恵者全員があちゃあ…!と頭を抱える様子に思わずアインズは笑いそうになった。この三人をこれだけ困らせられるのはフラミーくらいだろう。

 フラミーも四ヶ月ナザリックから出ていないのだから、こんな面白そうな事を前に大人しくなんてしていられるわけがない。いくらお茶会を開いているとはいえ、外の空気の一つも吸いたくなるだろう。

 

「フラミーさん、ちょっと待ってくださいね。――アルベドよ、念のために聞いておきたいのだが、フラミーさんを真似した子供達のお遊びではないな?」

 以前エ・ランテルの街の子供達がモモンとプラムごっこをした時、アルベドが子供達をどう罰するかと相談に来た事をアインズは忘れていない。あの時は仰天した。

 

「はい。その辺りは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が調査済みです。ただ、その下等生物が一体何を目的として動いたのか、と言うことに関しては判明しておりません。評議国がフラミー様のご威光を地に落とし、神殿勢力の力を削ぐために動き出したのかもしれません。何せ、俗物のように信者から金品をせしめているようだと報告が上がっておりますので。」

 

「なんだと。フラミーさんをなんだと思っているんだ。」

 フラミーは税金の回収にはこだわるが、殆ど何も欲しいと言わない。それを俗物に仕立て上げるなど、許せる所業ではない。

 アインズが苛立ちを感じ始めていると、デミウルゴスが発言の許可を求める。顎をしゃくり促しながら、この間は本当に評議国の支配プランと言われたんだなと今更ながらに現実と向き合い始める。

 

「他には治癒隊をよこした評議員一人の謀略という可能性もございます。もしくは、煌王国のように、そう思わせるために魅了や精神支配と言った手段を用いられたか…と、今のままでは確かなことは何もわからない状況です。何にせよこれによって評議国の支配プランは大きく変更する必要があるように思われます。」

 

 知恵者達が苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

「私がお休みしてる間に、評議国を属国から国に取り込むプランができてたんですねぇ。」

 置いてけぼりな様子のフラミーが呟くと、デミウルゴスは頷いた。

「は。評議国はフラミー様がご担当でしたが、今はお休み中でしたのでご報告は仕事にお戻りになってからと思っていたのですが――先手を打たれたのかもしれません。」

 

 アインズは二人の話を聞きながら、大きな違和感を感じていた。

 確かに、最初の頃はツアーもアインズに敵対していた。今日も氷結牢獄で痛ぶられている常闇の竜王もそうだ。

 しかし、今竜王達は皆アインズに取り入ろうとする事が多い。ツアーからちょっかいを出すなと釘を刺してもらって以来、ナインズへの贈り物が来るくらいで嫁攻撃は落ち着いている。

 そんな竜王達が、アインズと敵対するような真似を評議国にさせるだろうか。

 それよりは――

「――評議国とは無関係の、ただただ愚かな実行犯なんじゃないのか?」

 と言う方がアインズは納得がいく。

 よく考えていない、純粋なる金目的。

 とはいえ、フラミーの名声を落としていることには違いないので過剰な(・・・)制裁は必要だ。

 

 知恵者三名はそんな事がありえるのかと互いを見合わせた。

「…よその国の王妃。それも女神の名を騙って……商売、でございますか……?」

「………私はそう思うが…。」

 三人は顔を寄せ合い、何かをごにょごにょと相談し始める。

 空気になっていたアウラとコキュートスも「殺すより痛い目に合わせないとダメだね」と明るい話し合いを始めていた。

 

 いつもなら皆過激だと思うが――仲間の、それもフラミーの名を貶めるような真似をした者に掛ける慈悲は一切持ち合わせていない。

「ねぇねぇ、アインズさん。とにかくツアーさんを呼び出しません?」

 そう言うフラミーは何も感じていないようだった。

「ふむ、それはそうですね。俺もあいつに聞くのが手っ取り早い気がします。ちょっと待っててくださいね。」

 

 アインズはツアーの家へ転移門(ゲート)を開き、潜った。

 

 月の光を放つような巨竜はゆっくりと顔を上げる。この世界最強の存在は優雅だった。

 

「――アインズ。君か。」

「フラミーさんの妊娠を伝えにきて以来だな、ツアー。変わりなさそうじゃないか。」

 いつも通りのツアーは大きな欠伸をした。

「何も変わらないよ。それで、君がここまで来たと言う事はまた何かが起こったのかな。」

「あぁ。評議国の陰謀でフラミーさんの名声は真っ逆さまに墜落だ。」

 こともなげに告げる。しかし、これまで眠そうだったツアーは驚愕と焦りに彩られた表情をした。

「な、何!?評議国の陰謀だと!?」

 この様子だけで、ツアーが無関係だと言う事がよくわかる。

 最初から関係しているとは塵ほども思っていなかったが。

「――と、言うのは冗談だ。半分な。」

「半分?アインズ、いったいどう言う事なんだ…。」

「とにかく、話を聞きに来てくれ。」

 それだけ言うと、アインズはくぐってきた転移門(ゲート)へ踵を返した。

 後を小走りで鎧が付いてくる気配を感じながら、ナザリックに戻った。

 

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。」

 アルベドからの視線は強烈な温度を放っているが、ツアーは無視してまっすぐフラミーへ向かった。

「フラミー、悪かったね。何か評議国のせいで嫌な思いをしたそうじゃないか。」

「あ、いえ。なんともないですよぉ!偽者なんて、私ワクワクしちゃいます!」

 フラミーが楽しげに笑うと、ツアーは偽者?と呟き、アインズに振り返った。

「デミウルゴス、説明してやるんだ。」

 決して自分に質問したり、説明させたりしないでください、と心の中で白旗を振る。

 ツアーは嫌な予感がしているようで、知恵者三名の輪の中に入り、腕を組んで話を聞いた。

 時々ナインズが「つあー、つあー」と呼ぶたびに手を振る。知恵者達はナインズの求めにツアーが答えるのは当然だと思っているようで、集中しろなどと注意したりはしない。

 

(…馴染んでる…。)

 

 その様子を眺めていると、ツンツンとローブの袂が引っ張られた。

「ねぇねぇ、アインズさん。」

「なんですか?」

「見に行きましょうよ!偽者!」

 そんな話もあった。

 

「ふーむ、見に行きますか?散歩ついでに。」

 体調が落ち着いてきたら、ウォーキングなどの程よい運動をするようにとペストーニャに言われている。

「行きます!行きたいです!」

 フラミーがぶんぶん頷くと、それまでツアーに説明を行なっていたデミウルゴスがこちらを向いた。

「アインズ様、お言葉ですが今回の騒ぎの原因は評議国の亜人ですし、その後ろにツアーではない竜王がいないとも限りません。今のフラミー様には危険かと。」

「あぅ…。」

 フラミーがしゅん…と肩を落とすと、パンドラズ・アクターは帽子を脱ぎ深々と頭を下げた。

「…デミウルゴス様、おっしゃる事は分かりますが、父上は決してフラミー様を閉じ込めるような真似はされません。フラミー様は外出をご希望です。どうか、共に我らが宝の望みを叶えるようご協力下さい。」

 

 パンドラズ・アクターは賛成すると思ったと言うのに――デミウルゴスの顔にはそう書いてあるようだった。

「アルベド…統括としてどう思いますか…。」

「……難しいところだけれど、パンドラズ・アクターの言う通りね。アインズ様とフラミー様がお決めになったことだもの。それに対して私たちが何の努力もせずに口出しだけをするのは間違っているわ。」

 アルベドのキリリとした視線は「私が最強の盾としてご一緒し…おデートするから安心なさい」と言う言葉と共に締まりを失った。

 デミウルゴスは困った様にしているフラミーに視線を向け、その首を見つめると、ギュッと目を閉じた。そして、痛みを逃がすように息を吐く。

 至高の二柱に絶対の忠誠を捧げるナザリック全NPC達の中でも、忠義の姿勢はそれぞれ異なっている。

 

「――どうしてもお出掛けされるのならば。戦闘行為はお控え頂き、何か問題が起こればツアーを盾にして一目散にナザリックへ退避する事をお約束頂けますか。」

 いつの間にかツアーも来ることになっている。

 フラミーはぶんぶんと頭を縦に振った。

「ち、誓います!」

「…では、以前ナインズ様のお名付けに出かけた時と同じ様に、ガルガンチュアを除いた守護者全員を集めさせて頂きます。幸い、後はマーレとシャルティアで揃うでしょう。」

 フラミーがパッと顔を明るくすると、デミウルゴスは困った様に笑った。

「それでも、よろしいですか?」

「はひ!デミウルゴスさん!ありがとうございます!!アルベドさんも、ズアちゃんも!」

 

 優しい世界が出来上がる横で、アインズはちらりとツアーを確認した。

「……来てくれるか?」

「…行くよ。盾になりにね。」

 

 ツアーの返事はどこか疲労が見えた。




カウントダウンが始まったぁ!

そしてユズリハ様に問題児ケル=オラちゃん頂きました!
素晴らしい可愛さで、いじめたくなくなりますねぇ…

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次回#109 不審者

それから、ユズリハ様にサラトニク君もいただきました!(ジル息子
送ればさながら#105 それぞれのプランの後書きに貼り付けましたが、もう一度貼ります!

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#109 不審者

 エ・ナイウル、光の神殿。

 まだ咳は響いているが、患者の劇的な減少から神殿は落ち着きを取り戻し始めていた。

 

「――クラスカン様。病の広がりの試算より、随分患者が少ない気がしませんか?」

 ラライは累計罹患者数と罹患者数の試算が書かれている資料を眺め、連日の人数の減少を確認した。

 

「そうだね。陛下方のご慈悲のおかげだ。一時はどうなることかと思ったけれど、本当に良かった。」

 応えたジーマの顔には安堵が浮かんでいる。

 

 この光の神殿に勤める神官達が本来の神官業務も行えるくらいにまで事態は収束してきた。

 

 国中から集まってくれた高位の神官達は、もうこの神殿の神官が治癒に携わらなくとも大丈夫だと、殆どの治癒作業を受け持ってくれているし、魔力が尽きれば掃除や、この一週間溜まった仕事も手伝ってくれている。

 神官達にとって全ての神殿は自らが働くべき場所であり、信仰と忠義を果たすべき場所なのだ。

 

 一番最初に駆け付けてくれたモルガーはこの神殿にいる若い神官に、治癒魔法を使えるようにさせようと魔法の手ほどきまでしてくれているし、神官達の団結力は並みのものではない。

 

 特に目を見張るべきは、聖ローブル州の神官団だ。彼らはスレイン州やザイトルクワエ州よりも近かった事もあり、神官団の中では一番に駆け付けてくれた。そして、他の州の神官達とは違い、まるで訓練された軍人のようだった。

 聖ローブルからは、かつて聖王であった現州知事のカルカ・ベサーレスと、聖ローブルの神官団団長であるケラルト・カストディオまでもがこのエ・ナイウルに集結している。

 カルカはまだ二十歳と若年であるにも関わらず、第四位階まで操る超高位神官だ。ケラルト・カストディオも同じく第四位階まで――いや、本当は第五位階まで操るそうだが、神への贖罪としてその魔法を行使する事はないらしい。

 カルカが第四位階魔法で召喚する安寧の権天使(プリンシパリティ・ピース)は全体沈静化の特殊技術(スキル)を用いて、治癒が行き届いていない人々の苦しみを和らげた。天使は夜、神官達が眠る間の番人として、三神殿を休みなく渡り歩いている。

 

「一度罹った人が二度発症する事もないですし――まさしく光神陛下のご慈悲による所ですよねぇ。」

「本当だね。神王陛下の試練を乗り越えた人に祝福を下さってる。」

 ジーマとラライがうっとりとしていると、ブフッと誰かが馬鹿にしたような笑い声を上げた。

 なんて不遜なんだとそちらをちらりと確認する。

 ここは宗教の自由を約束された神の国。無理に信仰しろとは言わないが――少なくとも一国の王と王妃を笑うような真似は咎めても許されるだろう。

 

 二人の視線の先には、長身の怪しい男と、赤ん坊を愛しげに抱いている女がいた。

 

 男は黒いローブを身に纏い、フードを目深に被っていて、更には顔を隠すように奇妙な面を着けていた。

 同じく女もフードを目深にかぶっていて、顔がよく見えない。もしかしたら老婆と言う可能性もあるが、背筋がピンと伸びているので乙女のような気がした。裾は地面に擦る程に長い。

 

 どちらも目を見張る上等な服だ。人間ではないのかもしれない。評議国の亜人や旅行で見物に来た者達なら仕方がない。

 ジーマはコホンっと咳をすると、二人へ近付いた。

 ――ふと、ゾクリと背が震える。

 周りで祈りを捧げている無関係そうな六名が自分を見ていることに気が付いたのだ。祈りを捧げていた金髪の令嬢、観光客らしい森妖精(エルフ)の姉妹、若い夫婦、白金の全身鎧(フルプレート)の冒険者。

 そして、女に抱かれた赤ん坊までも――。

 まるで、全員がせーの、と声を掛け合ってからこちらを見たような、示し合わせた行為のような、奇妙な不気味さがあった。

 ここは、本当にジーマが愛してきた神殿なのか。

 本能が何かを訴える。闇が迫ってくる。喉が無性に渇き、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「――クラスカン様?」

 

 ラライが自分を覗き込むと、ジーマはハッと我に帰った。辺りはいつもの明るい神殿だ。

「――あ、あぁ。ラライ君。」

「すごい汗ですよ。いくら高位の神官の皆様が来てるとは言っても常に祭服を着てらしては身体に触ります。神殿長だって暑さは感じるんですから。」

 ジーマは顎を伝った汗の存在に気がつくと、慌てて拭った。

 そうしていると、ラライがジーマの隣から不審な二人に声をかけた。

「――そこのお二人、陛下方をお笑いになるような事はお慎み下さい。」

 不審者は一度顔を見合わせると「ハハ…」と困ったような笑いを漏らした。

「すみません。ただ、えーと…一度病気に罹った人がまた病気にならないのは、免疫なんじゃないですか?」

 

 男が答える。ジーマは聞いた事もない言葉に、君は知ってるか、とラライへ視線を送る。軽く首を振られる事で、ラライも知らない言葉だと言うことが分かった。

「…貴方の国では病に二度かからない御加護をそのように?」

 冒険者達は次々と新たな大陸を探しに行っているのだから、もしかしたら別の島の者かもしれない。そちらはまだ冬――もしくは夏が来ない場所なのだとしたら、この二人のおかしな格好や信仰心の低そうな様子に納得もいくというものだ。

「…ま、まぁ。そんなところです。うん。うんうん。免疫は加護の名前です。では、私達はこれで。」

 二人がそそくさと神殿を後にしていくと、白金の冒険者もその後に続く。

 あれは護衛だったのかとジーマとラライが思った――その時、二人は慌てて辺りを見渡した。

「え……え!?」

「いつの間に!?」

 周りで祈りを捧げていたはずの五名が消えていた。

 まるで幻でも見ていたようだ。

 鬼火(ウィルオウィスプ)につままれるとはこんな感じなのだろうか。

 ジーマは己の頬をつねると、痛…と小さく漏らした。

「ク、クラスカン様…。あの噂、ご存知ですか…?」

 ラライの顔はわずかに青くなっていた。

「あの噂…。」鸚鵡(オウム)返しをしてから、なにの事か気がついた。「――光神陛下が街に降臨されていて、神殿に恥をかかさないようにこっそりと人々をお救いになっているという…あれのことかな…?」

「そうです…。僕はずっと、そんな事を陛下がされる訳がないと思っていました。だって、神殿の不出来を告げて直させた方が、未来と世の中のためだと思ってましたから…。」

 ジーマも全面的に同意し肯く。

「私もそうだと思うよ…。それに…もしいらしているのなら死者の大魔法使い(あのおかた)が何も言わないのはおかしい…。」

「で、でも…もし…もしもですよ?もしも…さっきの二人組が――。」

 ラライはそれ以上の事を言わなかった。

 しかし、ジーマには続く言葉がわかった。

 

 ――さっきの二人組が神々で、街へ救いを齎しに出掛けた所だとしたら?

 

 だとしたら、加護の名前も知らない神官達を笑ったのかもしれない。

 二人はそれ以上の言葉を交わす事なく仕事に向かった。

 

+

 

「こちらでございます!」「こちらでございます!」

 アインズは不可視化している八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達の後を追い、海沿いの道を歩いていた。

 一度も来たことがない街だった為、神殿に勤める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)転移門(ゲート)を開いてもらったので神殿からの出発になってしまった。

 正直言って、いい体験だった。現地の者達が建てた建築物というのは見応えがある。全て人の手で作られたものだと思うと、つい感動して見入ってしまった。

 これなら、国中の神殿に遊びに行き、その周りを散策して食べ歩きなどもしてみたい。

 

 この港町も中々見所がある街だ。

 

 果てしなく広がる海からは波打つ音や、ウミネコのミャアミャアと言う声、そしてすぐ隣を歩く「ふふ、うふふ」と言うフラミーの上機嫌そうな笑い声。

 

「いや〜、文香さんの御加護はすごいなぁ〜。」

 アインズの言葉に、フラミーは途端に困ったようにひぃーんと声を上げた。

「どう考えても私じゃないですよぉ。」

「ははは。俺もそう思いまーす。」

 アインズは神官達が免疫と言う言葉を知らないことを学んだ。あまりにも自分たちの常識とズレているが、魔法一発でなんでも治ればそう言う知識が蓄積されることもないのだろう。リアルだって十九世紀までそんな言葉はなかった。

 ならば――この世界にそんな知識を与える必要はない。

 

 魔法で治るのだから、今後疫病が発生しても今回と同じようにすれば良いだけの話で、余計な知識は不要だ。

 もし天然痘などの超有害ウイルスが発生した際にはシャルティア、マーレ、ペストーニャで根絶すればいい。

 二一三八年のリアルでは、多くのウイルスが撲滅や完封されており、ワクチンも物凄い量だった。とは言っても、ワクチンは生まれた時に打たれるのでアインズとフラミーに打たれたときの記憶はまるでないのだが。

 代わりと言ってはなんだが――リアルは病気にかかる心配は減ったが、汚れた空気のせいで人々は肺を壊すリスクを負っていた。フラミーの転職前の職業がガスマスク製造工場と言うのも納得の世情だろう。

 

「外はやっぱりいいですねぇ。」

 アインズは感慨深げに街を見渡し、嫉妬マスク越しに大きく息を吸った。

「はひ!とっても良いです!それに、偽物もワクワクします!」

「ははは。文香さん、そんなに偽物に会うの楽しみなんですか?」

 フラミーはえへへぇと目尻を下げた。

「全然神様らしくない私がどんな風に見えてるのかすっごく興味ありますもん!」

「なるほど、そう言う事ですか。それなら俺の偽物もいないかなぁ。」

 支配者らしい偽物がいたら、大いに参考にしたい。

「悟さんの偽物はいるじゃないですか!」

「へ?そうなんですか?」

「ふふ、いますよぉ!」

 アインズが首を傾げると、フラミーは少し離れたところをついてきているツアーにちらりと視線を送った。

「――皆あなたのこと、スルシャーナさんだって言うでしょ。」

「あ、ほんとですね。でも、神様の立ち位置乗っ取ったのは俺だから……スルシャーナが俺の偽物なのか、俺がスルシャーナの偽物なのかは難しい所ですね。」

 目を見合わせ、二人は和やかな笑い声を上げた。

 ただ、目を見合わせるとは言っても、アインズは嫉妬マスクを被っているのだが。

 一方フラミーは魔導学院に潜入したときの顔――つまり、ちょっぴり(・・・・・)美化したリアルの顔になっていた。

 正式名称、嫉妬する者達のマスクはクリスマスイブの日の十九時から二十二時の間、二時間以上インしている事で入手することが出来る呪いのアイテムのため、フラミーも持っているが、アインズのもう一つの顔であるモモンフェイスと違ってこの顔には何の身分も名前も付いていないので平気で顔を晒して歩いている。

 流石に赤の他人の顔を使うのは気が引けるし、かと言って一から人間の顔を作れるほど想像力も逞しくない。

 フラミーは顔を隠したところで皮膚の色を変えなければならず、結局幻術が必要なので、こんな感じだ。

 

 そんなどこからどう見ても怪しい二人は海沿いの道から一本、また一本と道を曲がり奥へ奥へと進んで行った。

 

 フラミーの偽物はこの辺りにいるらしい。

 なんでもない平凡な家が立ち並んでいる。どれも漁師の家なのか気持ち広めの庭で、大きな曳網を干していたり、イカが干されていたりする。

 

 光の神殿に勤める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は怪しい噂をキャッチした時、すぐに行動を開始した。

 重篤な状態で神殿から連れ出されていった者の名前を、神官達の作成している名簿から割り出し、街の警らを行う死の騎士(デスナイト)と、乗合馬車(バス)の牽引を行う魂喰らい(ソウルイーター)達にそれとなく調査させた。

 そして、それらが連れて行かれた先を調べ――怪しい区域を割り出し、虫けらの巣を突き止めた。

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から地図を渡されている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達がまっすぐ向かう先には人の流れがあった。他の道には大して人も向っていないというのに、その道にはちらほらと人が吸い込まれている。

「ふふ、いよいよですよ!」

「気を付けてくださいね。ヴィクティムも頼むぞ。」

くりあおむらさきぞうげちゃ(おまかせ)はだやまぶきにひ(ください)!」

 フラミーに抱かれるヴィクティムはぴこりと手をあげた。幻術でナインズが赤ん坊だった頃の姿になっているので、あまりにも愛しく懐かしい。

 アインズはヴィクティムを数度撫でてやると、フラミーに向けて立て続けに魔法を発動させる。

 

 ――<上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)><上位抵抗力強化(グレーター・レジスタンス)><混沌の外衣(マント・オブ・カオス)><不屈(インドミタビリティ)><上位幸運(グレーター・ラック)><上位魔法盾(グレーター・マジックシールド)>。

 ――まるでこれから戦にでもいくような量の魔法だった。

 

「はへ?」

 魔法に身を包まれ、数度発光したフラミーは不思議そうにアインズを見上げた。何かが起これば時を止めツアーを盾にして即時退避なので戦闘準備は不要だ。

「ここに蔓延してるのがどんな病気かわかりませんから、一応掛けさせてください。妊娠中は免疫も落ちますし。異常状態避けです。」

 百レベルクラスの異常状態への満遍ない耐性をすり抜けられるウイルスがいるのかは謎だが、念には念を入れる。

「ありがとうございます!じゃあ、私も――」

 そう言ったフラミーから同じだけの魔法が返される。アインズの場合人化を解けば瞬時に病ともおさらばだ。

 しかし、二人は仲睦まじく笑い合い、路地へ進んだ。

 

 二人の事を民家の屋根の上から見守っていたアウラとマーレは向かう先に危険がないかを一足先に確認する為、小走りで移動を始めた。そのまま屋根伝いに走っていく。

 屋根から屋根へ飛び移る度にマーレはスカートを押さえ、アウラは伸ばしている髪が乱れすぎないように気を遣った。

 一方、地上を行く部隊は<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>で身を隠すパンドラズ・アクターとコキュートス。

 それから夫婦の設定のアルベドとデミウルゴス、変装しているシャルティア、そして動く鎧だ。

 過剰戦力達は付かず離れず、時に先回りし、時に後方確認をし、ぴたりと二人のそばで活動していた。

 

 アインズ達が人の流れに乗って進んでいくと、一軒、行列ができている家があった。

 列があったら並ばずにはいられない。日本人の悲しい習性に後押しされながら列に並ぶ。

「はー!ワクワクしますねぇ!」

「本当ですねぇ。でも、咳をしてる人が少ない…か…?」

「あら?確かに…。さっき神殿にいた人達はあんなに皆咳してたのに。」

 

 病気を治してもらうと言うにはピンピンしている者が多いようだった。

 中には咳き込む者もいるが、皆大きな荷物を抱えていて、どちらかと言うとレジャーにでもいくような雰囲気だ。

 

「…ふーむ。」アインズは唸ると、前に並ぶ子連れの女性に声を掛けた。

「すみません、この列って、フラ――えー…と、光神陛下にお会いできるって言うあれですか?」

 女性はアインズに振り返ると、一瞬その仮面にギョッとしたような顔をし――すぐに我に帰って頷いた。

 

「そうですよ。あなた達は初めてですか?見た所、お元気そうですけど。」

 女性はアインズ、フラミー、幻術を掛けてあるヴィクティムをまじまじと見ると、少し迷惑そうな顔をした。

「――もしかして、名付けを頼まれにいらしたんですか?光神陛下は本当に困っている人以外の来訪は断っておいでですよ?」

 

 すると、ヴィクティムが二度、「ひとあおひとあお(こふこふ)」と胡散臭い咳をした。

 世界の自動翻訳によって咳をしている風に聞こえるが、怪しい。あまりにも怪しい。

 

(…これって本当に天使の言葉とされるエノク語なのか?なんかもっと別の言葉を喋ってる気がするんだが…。――おっと、まずいまずい。)

 思考を切り替える。

 

「――んん。この子はあまり症状が出ていないんですけどね、こうして咳をするようになったんです。まだ幼いから心配で。なので、こうして陛下にお会いしに来ました。」

「そうでしたか…。すみません。」そう頭を下げた女性は世界翻訳に慣れすぎているのか、特に何か違和感を感じたようではなかった。「――実は今日もあったんですよ。てんで健康なのに、ただそのご威光に触れたいと自分勝手な事を言ってここに並んでた人が。」

「なるほど。ちなみに、奥さんと――」

「――僕は?何歳?」

 ヴィクティムを抱くフラミーは女性のスカートの影に隠れるようにしている少年に尋ねた。

「む、むぅー。」

 少年は唸ると、パーにした手をふらみーに向けた。

「ふふ、五歳かぁ。ちゃんとお母さんと並んで偉いねぇ。」

「え、えへへ。僕偉い?」

「偉いよぉ。とっても偉い。」

 少し照れると、少年はヴィクティムを覗き込んだ。

「この子は何歳なの!」

「この子は――ん……と……ゼロ歳かな。」

「へぇー!これゼロ歳なんだ!」

「うん、ゼロ歳だよ!」

「お姉ちゃんの赤ちゃんも光神へーかに治してもらえるといいね!」

「ほんとだね。ふふ。私、すっごく楽しみ!」

 二人が話を始めると、母親がアインズの先程の問いに答えた。

 

「昨日この子を治していただいたんです。漁師だったこの子の父親が海難事故で他界してしまって。日中は私が忙しく働いているせいで、中々神殿に連れて行けなかったんです。」

 アインズも父親を亡くし、母親が女手一つで育ててくれた。似た境遇の少年に、ほんの少しだけ自分を重ねる。

「そしたら昨日の夜、あんまりこの子が苦しそうにしてたもので、神殿に駆け込んだんですけど……神官様達には今は魔力がないと断られちゃって…。少ししたら症状を和らげる魔法を使える天使が巡回に来るとは言われたんですけど――その時に陛下のお噂を耳にして。陛下はすぐに治してくださいました。だから、私たちは今日は信仰を示しに来ているんです。ね、ロジェ。」

「うん!あのね!僕ね!すっごいね、もうね、やばかったんだけどね!光神へーかに治してもらった!」

「そうでしたか。ちなみに、信仰を示すと言うのは?」

「…まぁ、お二人は何もご準備になってないんですか?」

 母親に心配するような視線を向けられる。

「と、言うのは?」

「いえ。きちんと信仰を示すだけの証拠をお出ししないといけませんよ。どれだけ大切なものを出せるのか、命と金品どっちが大切なのか、光神陛下はそうお尋ねになりますから。」

 

 話しながら、列は少しづつ進んでいく。

 

「それは、例えば私の命を差し出す代わりに、この子を救って欲しいと言うのではどうなんですか?」

 アインズがヴィクティムの頭を撫でると、ヴィクティムは再び「ひとあおひとあお(こふこふ)」と咳をした。

 

「そんな事はいけません。そう言う事を言った人はたくさんいましたが、命を粗末にするなんて信仰が足りないと陛下は仰います。お父さんの気持ちは分かりますけどね。陛下は命の神なんですから、いけませんよ。」

 

 アインズがなるほど、十分正統性を感じるこじつけだと頷く隣で、フラミーは困ったように笑っていた。

 そして――「くぉんの下等生物がぁああ!」という聞き覚えのある女の声と、凄まじい勢いで何かが破壊された音がが聞こえ、一瞬地面が揺れた。しかも、すぐそばから謎の冷たい空気が発生し、何もない場所からガチンガチンという音まで鳴る。

 

 列を成していた者達を一分ほどの沈黙が支配した。

 

「君達はおかしいとは思わないのかい?」

 

 静寂の中、その言葉は妙に響いた。

 

「おかしい…?」

 女性が敵意を持った顔で視線を向ける先――。アインズが振り返ると、ツアーが腕を組んでいた。

 

「おかしいだろう。フラミーは君達を何の見返りもなく生き返らせた事があるのに。」

「信仰を形にした結果、私達が勝手に金品を持ってきているだけです。命でお支払いはできないですから。それより、陛下をそんな風に呼び捨てにするなんて、あなたこそおかしいですよ!!」

 

 列が騒めきを持つが、ツアーは何も感じていない様子だった。

 

「陛下を信じていないなら、迷惑なだけですから帰ってください!」

「そうかい。偽物の神に膝を折る時間があれば――」

「おい、ツアー、お前やめろ。」

 アインズが止めに入るように鎧の肩に手を置くと、女性はツアーをドンッと突き飛ば――せなかった。壁のようなツアーは一ミリも動かずに女性を見下ろしている。

「出ていきなさいよ!!あなたも!!」

 何故かアインズまで指をさされる。ギャラリーがそうだそうだと怒りに飲まれていく。

 そして「摘み出せ!!」と言う言葉が響いた瞬間、アインズとツアーに手が伸びる。

「ッチ、行くぞ。」

「やれやれ。全く過激だね。」

 アインズはフラミーも連れて行こうかと思ったが――フラミーを敵視している者はいない。

 会うのが楽しみだと明言していたし、病気にかかっている赤ん坊がいることを配慮しているようだった。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達がぴたりとその周りにいるのが見える。

 アインズは冷たい空気が肩に触れると、冷気に向かって声をかけた。

「守れ。」

 何もない空間からガチンッと硬質な音が鳴る。アインズでもパンドラズ・モモンガの<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>は見破れない。

 屋根の上には双子。

 もし知恵者達が危惧するように竜王が裏で糸を引いていたとして、アウラの<空の目(スカイアイ)>に引っかからないでいられる存在ではない。

 フラミーに心配するような視線を向けると、何故か挑戦的な目をしていた。

 アインズにはそれがなんと言っているのかわかる。

(――任せてください!!)だろう。

 アインズはツアーを引っ張り路地を抜けた。

 

「……おい、ツアー。」

「なんだい。」

「盾は喋るんじゃない。おかげで列を追い出されただろうが。」

「そんなおかしな格好をしているからだろう。顔を出して行けば皆君達をオシャシンで見た事があるんだから、すぐだ。評議国の者は僕が拘束する。」

「お前はフラミーさんの楽しいお散歩を台無しにするつもりか。顔を出せばお散歩はそこで即時終了だ。それに、どう言う手でフラミーさんを騙っているのかこの目で調査して再発防止に勤めた方がいいし、裁判的に考えても現行犯逮捕が望ましいんだ。」

「裁判ね。君がフラミーを騙った相手にそんな物を受けさせる気があるなんて驚きだよ。」

「もちろん最初から有罪確定の出来レースだ。だがな、私が定めた法を私が破ってどうする。」

「それは――すごく好感が持てるね。君なら法は破るために存在するとか言うかと思ったのに。」

「……お前は私をなんだと思ってるんだ。」

 ――魔王。

 ツアーの言葉を無視すると、アインズはふぅ…と息を吐いた。

「ま、大方正解だがな。さて、フラミーさんの側に戻るには――」

 アインズは辺りをキョロキョロと見渡し、屋根から行こうかなぁと考えていると、ツアーが親指で一本隣の路地を示した。

「裏から行こう。庭から侵入すれば問題ない。庭には倉庫があったから、その裏で生垣を飛び越えればいい。」

「……俺よりよっぽどお前の方が悪者なんじゃないか…。」

世界の鍵(フラミー)にちょっかいを出されない為なら、僕はなんでもするとも。」

「………それは頼もしい事で。」

 

 二人は路地裏に向かった。




ベドちゃん落ち着いて!!
次回 #110 酒池肉林
っく!GWが終わって明日の分が書き上がってないです!
間に合うのか!?間に合わせられるのか!?

ユズリハ様にお嬢をいただきました!!

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それから、感想絵でキレ顔の双子もいただきましたー!!

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#110 酒池

 一匹の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が空高く駆けていた。

 首に下げられた、皮紐と青い鱗でできたペンダントが風に流されて行く。

 山を舞い上がり、舞い降りる。

 霜の竜(フロスト・ドラゴン )に教えられた通りの空の道を、山にかかる雲をかき分けて翔んだ。

 

+

 

 エ・ナイウル市、ジャンド・ハーン宅。

 小さな家にはベンチが二本並んで置かれ、そこには五名程度が座り、今か今かと自分の番を待ちわびている。

 皆玄関を潜る時には、一度深々と眼前のカーテンへ頭を下げてからベンチに掛けた。

 そして――尊き神の声を生涯忘れないようにと静かに耳を傾けていた。

 

「次の者、用件を。」

 

 ケル=オラの一日は充実している。

 昼は信者の治癒、日が落ちると一日を締める会議に出席、その後この家で寝ずに治癒薬を作り、深夜になるとこっそりとここを出て神殿で素材の補充、翌日には信者の感謝を聞き流しながら眠ると言う生活を送っていた。

 最初の頃は信者たちの感謝もちゃんと聞いていたが、自分ではない者への感謝など聞いても仕方がない。あの時もお助けいただきなんのかんのと言っているが、今治癒された事に感謝して欲しいところだ。

 

 しかし、人魚(マーマン)は分割払いになるのに対して、信者達は一両日中に何とか金を作って持って来ようとするのでいいお客だ。蔑ろにしたりはしない。

 ウールという新通貨が登場し、銀行という概念が生まれた神聖魔導国では神殿への寄進や寄付のためならサクッと金を貸すらしい。

 咄嗟に始めた神様ごっこだが、我ながら素晴らしいアイデアだった。この国は潤っているとイル=グルも言っていたし、多少無理をさせても簡単に転覆はしまい。

 随分多くの者を治癒し、多くの報酬を受け取った。

 これだけあれば竜王の鱗を買うだけでなく、酒池肉林も楽しめそうだ。

 

(しかし――神だから治癒がありがたい、神だから急いで治癒費を払う、というのは少し不快だな。)

 

 ケル=オラは組み立て式の箱に入れてある金銀財宝と、うなるほどの金に振り返った。これはフロスト便で自宅に持って行ってもらうように昨日のうちに手配をしておいた。

 ジャンド・ハーンには「今日は我が使いが来る」と言ってある。幸い骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は神王が生み出したものなので、そう言われれば、ただのフロスト便でもありがたく見えるだろう。 

 

 明後日には治癒隊の帰国が決まっているので、万が一にも疑われないように明日には姿を(くら)ます。

 ジャンド・ハーンには人々をよく救ったと手紙を残そう。「残りの患者は神殿の力だけでも救いきれる」とか、そう言う文言も書いておけば安心するはずだ。

 ハーンには心から感謝しているので、彼が働いた分の金は置いて行くことに決めている。漁船を買い直せる位の額は置いていくべきだろう。

 信者達は見事信仰を示した事で神直々に救われ、話す機会にも恵まれたと幸せそうにしているし、後はケル=オラが帰り着けばハッピーエンドで無事閉幕だ。

 

 いつかは再びこの街を訪れても良いかもしれない。ジャンド・ハーンが元気でやっているかも知りたい。

 

 ケル=オラがそんなことを思っていると、次に並んでいたと思われる者が進んでくる気配がした。

「光神陛下!御身に息子をお救いいただいた者です!本日は信仰を示しに参りました!――ほら、ロジェ。あなたもちゃんとお礼を。」

 この声の女は確か、泣きながら夜中にここを訪れた者だ。触覚が感知している空気の震えも間違いない。

 ジャンド・ハーンが倉庫に寝に行く直前だったので強く印象にある。

「そうか。私もぬしらを救うことができて良かった。」

 それはケル=オラの本心だ。

 老齢の者を救うより、若い子供を救うというのは気持ちが良い。

 小さな足音はパタパタと駆け寄って来ると、カーテンのすぐそばで立ち止まり、摘んだばかりのように瑞々しい花と石ころをジャンド・ハーンが用意したトレーに乗せて差し入れた。

 

「……これは?」

「光神へーか!これは、僕のいっとう大切なものです!受け取ってください!!」

 続いて母親からも治癒の報酬に十分な金品が差し込まれる。少年は幼く、症状も割と軽かったので薬は少量で済んだ。これで全額だ。額にして四百万ウールほどか。

「――そうか、そうか。よく持って来てくれたな。」

 花を拾うと、ケル=オラは小さな口をあんっと開け、花をむしゃりと食べた。

「うむ、うむ。これは良いものだ。」

 評議国には咲いていない花だがうまい。

 帰ったらミモザのふかふかサラダを山のように食べたいものだ。

「それは、お父ちゃんと植えた木に初めて咲いた花です!神殿でお願いして、ぷりざべーしょんの魔法を掛けてもらいました!」

「そうか、良い木を植えたな。」

「はい!!それから、石は、お父ちゃんと最後に遊びに行った浜で拾ったやつです!」

 母親が鼻をすする音がする。

(――最後?父親は死んでいるのか?それとも…家出か?)

 どちらにしろ、ケル=オラに出来ることはない。

 それに、石は別に欲しくもない。

「石は返そう。これはぬしが持って初めて価値がある。」

「え?でも、へーか。僕はへーかに信仰を…。」

「花は受け取った。これはぬしが持て。」

 ケル=オラは石をトレーに置き、押し戻した。一応最後まで夢を見せてやりたいし、バレればお咎め無しとはいかないと思われるため石を捨てて行くこともできない。

「わ、わぁ!ありがとうございます!」

 感極まっているようだ。良かった良かった。

 並んでいる者も感動しているのか鼻をすすっている。

 母親から再び長い感謝が述べられ始めると、ケル=オラは短い仮眠に着こうと寝っ転がった。

 聞こえないようにあくびをし、むにゃむにゃ言う。

 ここに来て一生分働いたかもしれない。

 そして目を閉じ――しばしの間、感謝を聞き流す。

(慣れればいい子守唄だな。)

 ジャンド・ハーンが用意してくれているソファは寝心地の良いものではないが、これも慣れた。

 ――ふ、と意識が眠りに吸い込まれる。

「――でして、子を持つ親として、陛下にはどうか、この人の子も癒して頂きたいのです。」

(――ん!?)

 ケル=オラは慌てて体を起こした。

 何か重要なことを言われていたようだが、まるで聞いていなかった。

「こんにちは。私の子の事も癒してください!」

 母親に続くように若そうな女の声がした。

(なんだ、治癒か。)

 ケル=オラはほっと息を吐く。

「どれ、何歳の子だぇ。症状を述べよ。」

 赤ん坊は熱を出しやすいし、もしかしたら新猛病ではないかもしれない。

「はひ!えっと、ゼロ歳で、症状は咳です!」

ひとあおひとあお(こふこふ)。」

 聞こえてくる咳に、ケル=オラは首を傾げた。

「……それは本当に咳かぇ?」

 咳のような声を上げているが、何の問題もなさそうだ。

「ヴィクティムー?喉痛い痛いですよねー?」

あおみどりひ(はい)こげちゃときわ(その)くわぞめくりうのはな(とおり)たまごたいしゃ(です)!」

「え!ちょ!」

 そのやり取りだけで分かった。

 ケル=オラは心底不快げに息を吐いた。

「ぬし、それは赤ん坊ではあるまい。それとも、知能の発達が早い種族の赤ん坊かぇ?何にせよ、病に罹っていない者を治す事はできぬ。私と言葉を交わしたいと思うのは分かるが――馬鹿にするのも大概にせよ。」

「――え!?あなた、嘘だったの!?」

「わ、わわ。ち、違うんですよ?騙そうとか思ったわけじゃなくて、えっと――」

 何か言い訳をしようとしているが、商売の邪魔だ。

「ジャンド・ハーン、連れ出せ。」

「かしこまりました!!」

 カーテンの向こうでハーンがふざけた親子に近付いて行く足音がすると――「な、な!?蜘蛛!?」

 ハーンの驚愕の声がした。

「これ以上の接近は許されない!」「人間、引け!引け!」「後一歩でも進めばその足無くなると思え!」

 声はいくつもあり、突然団体が現れたようだった。

 

 一体何が――。

 

 ケル=オラは好奇心に負けると部屋の隅に行き、こっそりカーテンの端から外を覗いた。

 

 そこには、見たこともない蜘蛛型のモンスターがわんさかいた。蜘蛛達の真ん中にはフードを目深に被り、赤ん坊を抱く黒髪黒目の女がいた。

(なんだ…?あれは……。)

 蜘蛛達は異常に美しく、皆使命感を帯びた兵士のような顔付きをしている。あらゆる女を虜にするような目元をしていて、つい視線が吸い込まれる。

 素晴らしい造形だ。

 ただ、八足歩行の為、顔はいいが全体的なルックスとしてはケル=オラの好みではない。

「陛下は本当に困ってる人しか助けないって言ったのに!子供を持つ者同士と思って信じた私がバカだった!!」

 そう叫んだのは支払いに来た母親だ。侮蔑したような視線を女に向けていた。

「す、すみません。本当に騙すつもりはなかったと言いますか…あ、いや…あったようななかったような…。」

 女は釈然としない言い訳をしている。

 

(…いいから外でやってくれ…。)

 

 ケル=オラが邪魔な奴め、と思っていると、ハーンのそばにあるキッチン横の勝手口が開いた。

 全身鎧と、それを止めようとするおかしな仮面の男が入ってくる。

「あ、あなた達!!」

 報酬を支払いに来た母親が睨みつけるような視線を鎧に向けた。

「アインズ、もう十分だろう。無駄な時間はおしまいだ。」

 ――アインズ?

 ケル=オラの疑問は誰もが感じたようで、多くの者が白痴の如く同じ言葉を繰り返す。

「アインズ…?」

「だから盾は喋るなって――…はー…もー…。」

 顔を隠す男は鬱陶しそうに一度頭をかくと――フードを下ろした。

 そこには――とんでもない値が付きそうな銀糸の髪。

 無造作に外された仮面の下には神殿で見たことがある――作り物めいた顔。

 蛾身人(ゾーンモス)とはまるで違う種族だが、人魚(マーマン)(オグル)森妖精(エルフ)達と親交がある為これが非常に美しいと言う事は分かる。

「おんしら、頭が高ぅございんすよ。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下でありんす。即座に膝を着きなんし。」

 入り口にはいつの間にか仮面を被った奇妙な女がいた。

 人々が膝をついて行く。皆が感極まっているようだった。

「やれやれ…。楽にしろ。私は女神を迎えに来ただけだ。」

 ケル=オラは慌ててカーテンの隙間から離れ、薬箱に素材と薬を片付けて行く。

 人々の視線がカーテンに集まっているのを感じる。

(――まずい、まずい!!)

 まさか王直々にこんな場所に妃を迎えにくるなんて――。

(馬鹿げている!!そんな馬鹿げた話があってなるものか!!)

 本物の女神はどこにいるんだとケル=オラは内心で悪態を吐く。

 持てるだけの金を――紙幣という文化があって良かった――詰め込み、薬箱を抱え込む。

「し、神王陛下!!ご、ご、ご降臨、心より感謝申し上げます!!ぶ、無礼者が失礼いたしました!!こ、光神陛下は、こ、こちらに!!」

 ジャンド・ハーンがカーテンへ近付いてくる。

 

(――やめろ!開けるな!!頼む!ジャンド・ハーン!!)

 

 心中の抗議は何の意味も為さず、部屋の隅にある暖炉へ向かおうとした時――シャッと音を立ててカーテンが開かれた。

 

 ケル=オラは走りかけようとした無様な格好で振り返った。

 

「――あ、あ…………ぇ………。」

 

 カーテンを開けたジャンド・ハーンは一瞬呆け、目だけを非常にゆっくり動かした。必死に女神を探しているような、脳が事態に追いついていないような――そんな顔だ。

 その向こうの信者達も膝をついたまま、ポカリと口を開け呆然とケル=オラを見ていた。

「アインズ、確保しても良いかな?」

 鎧が尋ねると、神王は頷いた。

「まぁ、現場は抑えたからな。」

 ケル=オラが逃げねば、そう思ったところで煙突の中から二つの影が姿を現した。

 闇に溶けるような黒い肌の影は闇妖精(ダークエルフ)だった。

「じゃ、あなたはこっちね。えーと、なんだっけ?侮辱罪と愚劣罪?」

「え、えっと、あの!神都で裁判を受けてもらいます!」

 ケル=オラは弾かれたように声を上げた。

「ま、待て!!待ってくれ!!私は評議国の者だ!!評議国から、べ、弁護する者を――」

「はいはい、続きは法廷でねー。」

 闇妖精(ダークエルフ)に言葉を遮られる。

「法廷に行くために弁護する者を呼びたいのだ!そ、そうだ!この街には私の仲間がいる!イル=グルと言う蛾身人(ゾーンモス)を呼んでくれ!!」

「ふーん、イル=グルね。マーレ、取り押さえといて。あたしはそれを探しに行くように指示してくるから。」

「わ、わかったよ、お姉ちゃん!あの、おばさんは、お、大人しくしてくださいね。」

「おば――!?」

 少女はそう遠慮がちにケル=オラの手首を捕まえた。とても少女だとは思えない力は、岩顕巨人(ガルン・トルン)よりもよほど強い気がする。振り解けるようなものではない。

 

 おばさんと言う言葉にひっかかるが、ケル=オラは少しでも罪を軽くする方法を模索し始めた。

 

「悪かった!確かに名は騙った!その事は詫びよう!!しかし、治癒を施し、それの対価として支払われるべき額を大きく超えて金品を受け取った事はないぞぇ!!もう必要ないと断ってきた!!」

 

 ケル=オラは言い切り、辺りを見渡す。

 ジャンド・ハーンに弁護を頼もうと視線を送ると――その顔は真っ青で、「そんな…ちがう…おれは…」と繰り返していた。

 

「正当な対価を受け取る事は何の問題もないはず!お妃の名は借りたが、そうでもしなければ人間達は支払いを渋ったであろう!!イル=グルも同意するはずだ!!」

 

 誰も何の声も上げてくれない。

 

「人間達よ!ぬしらは治癒を安くみているが、治癒とは、命とは、本来これだけの重みがあるのだ!ぬしらに治癒を施す為に使った素材は、中には誰かが命懸けで取りに行ったものすらある!!ぬしらの命は、誰かの命の上にある事を――治癒魔法は誰かの努力に掛けた時間の上にある事を知っているのか!!だと言うのに、ぬしらは女神が治癒してくれたから金を払うだの、信仰を示すなど!!――ぬしらこそ命を支える者に間違った方法を取らせたのだ!!一切の責任がないなど、努努(ゆめゆめ)思うなよ!!」

 ケル=オラは一頻り叫び、その肩は疾走した後のように上下に激しく動いた。

 部屋にはケル=オラの呼吸音だけが続いた。

 

「――ふむ、一理あるな。」

 

 それは神からの助け舟だった。

「で、では――」

 

「しかし、それでフラミーさんの名を騙って良いことにはならんし、その問題も最初から評議国が我が国のシステムを受け入れていれば起きなかった。我が国は治癒に必要な素材を取ってきた者には国からそれに見合っただけの金を払っている。その金はこの地で暮らす者達が払った税金だ。後の文句はこの――ツァインドルクス=ヴァイシオンに言え。」

 コンコンと叩かれた鎧は腕を組んだ。

「僕に言われても困る。僕は絶対君主じゃないんだ。評議員で話し合った結果を無理矢理ひっくり返すような真似はしないよ。」

「ツ、ツァインドルクス……ヴァイシオン……。」

 ケル=オラはその見事な鎧を呆然と眺めた。

「敬称は付けてもらいたいものだね。」

「続きは法廷で支配(ドミネート)を受けてから裁判員に語るが良い。マーレ、連れて行け。――<転移門(ゲート)>。」

「ド、支配(ドミネート)!?嫌だ!!評議国の裁判を!!せめて人道に則った方法で――」

 ケル=オラは指示を受け張り切っているマーレに引っ張られると、なす術もなく引きずられるように目の前の闇に吸い込まれて消えた。

 

 それを見送ったジャンド・ハーンの唇は震えていた。

「そんな…そんな……。」

 ここに女神に会いに来ていた人々の視線が冷たい。

「――あぁ、お前のことを忘れていた。行け。それとも引きずられたいか?」

 ハーンは圧倒的上位者である神を相手に、抗議や反論できるような男ではない。ただ、ボロボロと涙を零した。

「も…申し訳…………ござい…ませんでした…。」

 震える足で一歩一歩進む。

 皆を騙すつもりなんて、カケラもなかった。

 ただ、皆を救いたい、クン・リーや自分のように死んでしまわないように助けたかった。――いや、きっと自分は死んでなんていなかったのだ。

 なんと言う思い込み。

 ハーンは己の愚かさを悔やんだ。

 そうだ。考えてもみろ。

 神々は闇を抱いてなお生きろと、そう言っていたのに。光にのみすがる事は結果的に生への冒涜だと、聖ローブル州の生死の神殿から写されてきた聖書を読んだ時に知ったのに。

 こんなに、こんなにも、光の神の事も、闇の神の事も敬愛してやまなかったのに。

 ハーンは自分自身を特別な存在なのだと思い込んだ。いや、そう思いたかった。

 家族のように愛した友を失い、自分には何か救いがもたらされても良いはずだと思ってしまった。

 床が柔らかくなったような錯覚を覚え、足がもつれそうになる。

「へいか……へいかだと…おもったのに……すくいが……みんなを…………ただ……生きてほしかった……。」

 どしゃりと膝をつくと、ハーンはその場でおいおいと泣き始めた。

 

 それは、あまりにも哀れな背中だった。

 

「アインズ、これは本当に共犯か?」

「……全ては法廷でわかる事だ。我が国の法廷ほど公正な場所はない。」

「そうかい。」

 ハーンのすぐそばでは淡々としたやりとりが行われた。

「それじゃ、フラミーさん。裁判見に行きますか?」

「うーん、そうですね!せっかくなんで、行こうかな?」

 ハーンはそれを聞くと涙で濡れた顔をあげた。

「へ、へいか……?」

 黒髪黒目の乙女はハーンを見下ろすと微笑んだ。

「私的には中々良かったですよ!ドキドキしました!」

 それはどう言う意味なんだろうと思っていると、金髪の令嬢に引き立たされた。

「早く立ちなんし。御方々の貴重なお時間を取るんじゃありんせん。」

 ハーンは黒い闇に向けて歩かされながら、黒髪黒目の乙女から目が離せなかった。

 そして、闇をくぐらされる直前、乙女の髪は白銀になり――あの日から焦がれ続けた金の瞳。白き翼。

 ハーンは闇に足を一歩踏み入れてなお、爆発する煌めきから視線を外す事はなかった。

 ――明けの明星。

 ハーンは思わず手を伸ばす。光を求めるのは全ての生き物の(さが)なのだろうか。

 それはあの日の再現のようで――光はもう一度だけ、ちらりとハーンを見た。

「またね。」

「陛――」

 手を振られ――ジャンド・ハーンは闇を潜った。

 

「偽物と同時に裁判が始まったら、あの男の分は見られませんよ。」

 アインズの言葉にフラミーは「あ」と声を上げた。

「じゃあ、"またね"じゃなかったですね。」

「そうですよ。さぁ、俺たちも神都の裁判所に――ん?」

 アインズは自らの生み出したアンデッドがこの家の目の前にたどり着いたのを感じた。

「なんだ?」

 アンデッド反応の正体を確かめる為に外へ向かうと、玄関から家の中を覗き込んでいた人間達が道を開けていく。

 アインズが家の外に出ると、並んでいた人間達は腰を抜かした者を含め、全員が膝をついていた。

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)じゃないか。何をしにきたんだ?」

 アインズは近付くと、創造主へ敬意を示すように姿勢を低くした骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の首に、紺碧の鱗が結び付けられているのを見つけた。

(なんだこりゃ。識別番号か何かが書かれてるのか?)

 鱗に触れ、裏返してみるが何も書かれていない。

 支給されたものにしては皮紐は粗末だし、結ばれ方も汚い。

「なんです?これ。」

 隣からフラミーが鱗を覗き込み、ツアーが答えた。

「これはただの人魚(マーマン)の鱗だね。」

人魚(マーマン)の鱗?誰かの悪戯か?」

 アインズは骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の首からぷちりと鱗をもぎ取った。

「フラミーさん、見ます?」

「あ、ありがとうございます。」

 フラミーは受け取り、日に透かして鱗を眺めた。

「――綺麗ですねぇ。人魚(マーマン)達、神殿で治療を受けてましたよね。」

「裁判はやめて、人魚(マーマン)見に行きます?」

「ふふ、素敵。でも、こうなると大変ですよね。」フラミーが辺りを見渡す。

 信者達は手を組んで祈りを捧げていた。

 列の後ろの方の者達は、おそらくずっとこの家にいたフラミーが外に出てきたと思い込んでいるだろう。

 時折「こっちだ!こちらにいらっしゃってる!」「お二柱がお揃いだぞ!!」という声が聞こえ来ていた。

 路地の入り口にはどんどん人が増えていた。

「…難しそうか。」

「ですねぇ。」

 フラミーは困ったように笑い、鱗に視線を落とした。

 ――そして、くんくんと匂いを嗅いだ。その瞬間目をくちゃっと閉じ、腕を目一杯伸ばして顔から鱗を遠ざけた。

「うっ、く、くちゃいです。」

「…え?どれどれ。」

 アインズはフラミーの手のひらの鱗に鼻を近づけると、顔を顰めた。

「……靴みたいな匂いしますね。ばっちいからぽいしましょう…。」

「はひぃ…。えーと…ゴミ箱は…と…。」

「フラミー、鱗は髪の毛みたいなものなんだから、気にしないで良いと思うよ。」

 フラミーの手のひらの鱗をツアーがその場に放り捨てる。アインズはフラミーの手に<清潔(クリーン)>を掛けた。無駄に良いコンビネーションだった。

 フラミーもアインズの手とツアーの手に<清潔(クリーン)>を掛けた。

「じゃ、今度こそ裁判行きましょうか。」

「そうですね!ふふ、どんな風にここまで漕ぎ着けたのか聞いてみなくっちゃ!」

「そうですね。再発防止のための研究ですよ。」

「はーい!たっぷり研究しましょうねぇ。」

 もちろん二人ともただの好奇心だ。アインズはフラミーを抱き上げると、嬉しそうに笑った。

「アインズ、僕も裁判を見てもいいかな。」

「好きにして良いぞ。」

「助かるよ。」

 三人揃って家の中に開きっぱなしの転移門(ゲート)へ向かう。

 人間の中で馴染もうとしていたアルベドとデミウルゴスもどこからともなく現れ、その後を追った。

 

 家の中ではパンドラズ・アクターとコキュートスが金品の確認をしていた。そして、勝手口には派手な格好をしている蛾身人(ゾーンモス)を掴んでいるアウラがいた。

 パンドラズ・アクターは軍服を翻すように振り返り、膝をついた。

「父上、神都でしたら聖典もおりますし、私はこちらで返金を行おうかと思います。」

「………そうか、任せる。正しい額を返せるように――アウラ、お前もここに残れ。<吐息>を使うことを許可する。」

「かしこまりました!じゃ、あんたは裁判に行くんだよ!アインズ様達にご迷惑をおかけしないようにしてよね。」

 アウラは捕まえてきた様子の蛾身人(ゾーンモス)を離した。

「かしこまりました。まさか守護神様がこれほどいらっしゃるとは…。」ぶつぶつ言うと、蛾身人(ゾーンモス)はアインズとフラミーの前で一度跪いた。「神王陛下、光神陛下。お初にお目にかかります。我はイル=グル。アーグランド評議国より派遣されし治癒隊隊長。この度は…何やら我が隊の者が恐れ多くも光神陛下の尊き御名を騙ったとか…。隊を任された者として何とお詫び申し上げれば良いやら…。」

 蛾身人(ゾーンモス)は心底申し訳なさそうにしていた。その仕草は評議国の者だと言うのに、まるでアインズ達を信仰するようだった。

「――イル=グル……。君はリシ=ニアがよく評議員にしたいと言っている肝入りの治癒師だね。」

 ツアーがそう言うと、イル=グルは顔を上げた。

「は。仰る通りリシ=ニア殿とは交友関係があります。ところで貴方様は……?守護神様ではないとお見受けしますが…。」

「こんな格好だけれど、僕は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だよ。君の話はリシ=ニアから聞いたことがある。」

 イル=グルは深く頭を下げた。

「永久評議員殿。通りでその姿をエ・ランテル市の神殿にある資料や像でお見受けしなかったわけぞ。恐れ入ります。」

「君は今回の事件と関係なさそうだね。裁判所には僕が付き添おう。立ってくれ。」

 ツアーに促されるが、イル=グルはすぐには立ち上がらず、アインズとフラミーへ許可の視線を送った。

「立て。」

「イル=グルさん、行きましょう。」

 そこでようやくイル=グルが立ち上がる。

 フラミーを運んでいるアインズが転移門(ゲート)へ足を進めると、「陛下方!申し訳ありませんでした!!」と、アインズ達を列から追い出した者達が一斉に声を上げた。その中には、当然あの母親と少年もいる。

「やれやれだな。私達は気にしていない。お前達も気にするな。」

「皆さん、病気のときはちゃんと神殿に行ってくださいね!」

 一行は裁判所へ消えた。

 

 続々と人口密度が下がって行く家で、パンドラズ・アクターはパンパンっと手を叩いた。

「では、返金を始めます。」




っく!300話目で試される評議国はおしまいにしたかったけど、無理だった…!!
しかも次回予告詐欺をかましてしまいました

次回#111 肉林


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#111 肉林

「アクター殿下、フィオーラ様。あ、ありがとうございました。」

「いえ。では、次の方どうぞ。」「ほら、早く行って。」

 

 返金を受けたタルマは息子の手を引いた。

 家の外には夕闇が迫り、コバルトブルーの守護神が列の整理を行なっている。今返金をしてくれた二人の守護神はタルマに冷たかった。

 タルマの胸中は――地獄だった。

 無礼にも神々へ怒鳴り声をあげたことが何度も思い起こされては、胃がジクジクと痛みを放つ。吐き気すら感じるようだ。

「気にしないから気にするな」と寛大な言葉を掛けられたが、その場で切り捨てられてもおかしくない状況だったのだ。

 一体どうやってこの罪を償うべきなのか分からない。

(ああ…どうしようどうしよう……どうしよう……!)

 タルマは泣きたい気持ちでいっぱいだった。

 神殿で懺悔しなければ。いや、守護神に今聞いてもらうべき――いやいや、邪魔しては余計に悪い。

 神々が帰るときに、なんとか謝罪を口にしたが、許可を得てもいないのに神に話しかける方が間違っていたようにも思える。

 ぐるぐると同じことを考えていると、ふとガクンと体が止まった。

「…ロジェ?」

 

 手を繋いでいた息子は、歯形のついた茎を握り玄関から出ようとしなかった。

「…ほら、行くよ。」

 軽く引っ張るが動かない。

 

 玄関先でいつまでも立ち往生していると、ズン、ズン、と足音を鳴らし、守護神が近づいて来た。

「ドウカシタカ。」

 どういう感情もないただの問いだと言うのに、タルマは深い畏れを抱き、震える口を開いた。

「しゅ、守護神様…。息子が…う、動かなくて…。他界した父親と植えた木に…は、初めて咲いた花が………食べられちゃって……その、それで……。」

 タルマが説明を始めると、守護神はフム……と一度声を上げた。

 

 ロジェとて、ただ拗ねているわけではない。

 ここで待っていれば、ロジェを偉いと言ってくれた女神が戻ってきてくれるかもしれない。そうしたら、花を治して欲しいと頼める。

 

(へーか、戻ってきてお父ちゃんの花を治してください…。二度と食べられたり、壊されたりしないように…。一生のお願いです……どうか…。)

 

 ロジェは静かに祈った。返金を済ませた大人が横をすり抜けるように帰っていく。

 そして、腰が肩に軽くぶつかり、踏ん張りもせずにロジェは転んだ。

「っあ!ロジェ!大丈夫!?」

「うわ!ごめんよ坊主!大丈夫か?悪かったな、守護神様を見上げてたら気付かなくて。」

 ロジェは道の土をじゃりり…と握り込むと、目に溜まった涙を落とした。

「っう……うぅ……。」

「痛かったね?――すみません、息子がこんな所で止まってるから…。」

「い、いや。坊主、本当にごめんよ。かわいそうに。おっちゃんが神殿に連れていってやろうか?」

 知らないおじさんに背をさすられるが、ただ首を振る。痛くなんかなかった。

 

 騙されて、母親と大切にしてきた宝物を奪われた事が悔しくて、ロジェは泣いた。

 きっと、もっと自分が大人で大きかったら、こんな事にはならなかった。

 歯を食いしばり、なくなってしまった花を想った。

「うぅ、ぅ…うぅ…!――え?」

 ふと、ロジェの涙が止まる。握り締めた手の中に何かがあった。

 そっと手を開くと、深い青色の薄いっぺらい物があった。それは丁寧に革紐に縛られている。

 

「…僕の涙から…花弁……?」

 

 ロジェは信じられないものを手にした。

 食べられたりしない、壊れない、花弁だ。

「ロジェ…?」

「お、お母ちゃん…これ、光神へーかがくれた…。」

 巨大で恐ろしい守護神がロジェの手の中を覗く。

「…ソレハ確カニ先程フラミー様ガゴ覧ニナッテイタ物。」

「やっぱり…。――守護神様、僕、絶対これ大事にします。光神へーかに、ありがとうございますって、伝えてください。」

「任サレヨウ。サア、モウ泣クノハヤメテ行クノダ。」

 フッ…と冷たい息を吹きかけられ、ロジェの頬に伝っていた涙はピキリと凍り付いた。まつ毛も凍った。

 ごしごしと顔を拭くと、涙の氷がぽろぽろ落ちていく。ロジェは自分の足で立ち上がった。

 

「僕、光神へーかに偉いって褒められたよね。」

「う、うん…褒めて頂いたね…?」

「僕一生忘れない。へーかの、ごじひ。」

 母親は静かにうなずいた。

「……お母ちゃんね、明日から神殿にご奉仕に行く事にしたんだけど…ロジェも来る…?」

「行く!毎日、毎日まぁーいにち!絶対に行く!」

 母親が泣きそうな顔で笑うと、ヌッとおじさんが顔を出した。

「なぁ、坊主。痛くないんだな?」

「平気だよ!」

 ロジェは皮紐の両端を結び付けると、壊れない花びらを首に下げた。

 

+

 

 ジャンド・ハーンが件の家に帰ってきたのは、翌日の朝だった。

 今日から七年間、光の神殿で社会奉仕が決まった。

 金品は無事に被害者に返されたと聞いたが、無気力と罪悪感で死にたかった。

 

 とぼとぼと光の神殿へ向かう。

 周りの人々全員がハーンを嘲笑い、ひそひそと悪口を言っているように感じる。

(……そうさ、俺は大馬鹿もんだよ……。)

 あの日、神官の言う通りに神殿に泊まっていれば良かった。

 思う事はそればかりだ。

 

 ハーンは神殿への道の途中、海を眺めた。

 ここにはもうハーンの漁船はない。売ってしまい、金に変えた。その分の金は返されたが、新しい漁船を買える程の金にはならない。

 庭に置いていた小型ボートも、大枚を叩いて買ったマジックアイテムである<浮遊網(フローティング・セイン)>も売った。 

 全てを合わせて、古い漁船を買えるくらいにはなるが、漁船だけあってもどうしようもない。

 

 古道具屋には、今回のことで持ち込まれた物の契約は不履行にし、品物を返すようにとナイウーア市長が通達してくれた。

 通達してもらったとしても、買われてしまった物はそうは行かない。そこはもう諦めるしかない。

 一番に売却したハーンの物はどれも売れてしまっていた。

 幸いにも、売れたのはハーンのものだけだった。

 古道具はクリーニングをしてから店先に出る為、多くの人がいっぺんに物を持ち込み、作業が追い付かなかったのだ。

 

 古道具屋の主人は銀行からお金を借り、たんまり古道具を仕入れられたと喜んでいたらしいが――今頃は落胆している頃だろう。

 もしハーンが売ったものが残っていても、ハーンには古道具屋に顔を出す勇気はなかった。

 

(はは…もう…飢え死でいいか…。死ぬまでは社会奉仕して…罪を償お……。)

 

 社会奉仕は賃金が出ないため、食べて行くには漁にも出なくてはいけないが、ハーンは全てを諦めたので関係ない。

 

 光の神殿に着くと、ハーンは静かに中へ入った。

 まずは祈りを捧げ、保護観察官を名乗り出てくれた神殿長のクラスカンに会わなければ。

 礼拝堂の最前部にある光の神の像を眺めると、ハーンはみっともなく泣いた。

(へいか、申し訳ありません。へいかぁ。)

 死を選ぼうとしているなんて、またこの神に背を向ける行為だと分かっている。

 それでも、ハーンにはもうどうしようもなかった。

 

 街中の人々がハーンを恨んでいるように感じてならない。大ごとになってしまったのも、一番最初に新猛病に罹ったクン・リーをここにハーンが連れてきたせいだ。

「ふっ…ぐっ……うぁぅぅ…。」

 

 痩せ細った体。

 震える足。

 喉から勝手に出て行く嗚咽。

 何もかもが最悪だ。

 

 闇を抱えて生きろなんて、そんな事できっこない。

 またね、と言った女神の言葉の意味もわからない。

 私的には良かった、と言った言葉の意味もわからない。

 もう無理だ。

 やっぱりもう死にたいよ、クン・リー。

 

 像の前で床にうずくまり、泣いた。

「――おじちゃん、大丈夫?」

「もうむりだよ、むりなんだよぉ!!」

「なんで?」

「皆俺なんか、俺なんか死ねって思ってるんだ!!俺なんかクズなんだよぉ!!」

「どうして?おじちゃんは悪くなかったんでしょ?」

 

 ハーンはハッと顔を上げ、幼い声の主を見た。

 その少年は、ハーンがもう寝ようと倉庫に行こうとした真夜中。救いを求めてハーンの家を訪ねて来た母親に抱えられていた子だ。

 

「…悪いよ…。だから社会奉仕をしないといけないんだから…。」

「違う違う!おじちゃん、光神へーかに褒められてたよ!へーかは人を助けようとしてたって分かってたんだよ!だからここにいるんでしょ?」

 

 ハーンは目を見開いた。目が落ちてしまうほどに見開いた。

 あの時の「私的には良かった」とは、生と聖を司る存在としては評価したという事だったのか?

「あ、僕もね、偉いって言われたよ!多分、おじさんより、僕の方が褒められたかな。」

 少年は自慢げに告げた。

 

「ロジェ!何してるの!!」

 咎めるような声だ。ハーンは身を固くした。

「――ハーンさんは神殿にご奉仕されてるのに、邪魔しちゃダメでしょ!!」

「えー、でもさぁお母ちゃん。おじちゃん泣いてるんだよ。」

「え?ハーンさん、大丈夫ですか?」

「あ、あ…、お、奥さん…。」

 ハーンは優しい少年の言葉に縋りたくなる。人を救おうとした事は認めてもらえているとしたら、どれだけ良いことか。

 しかし、自分が選ばれた、認められたなんて思ってはいけないと深く反省したばかりなのに――

「どうかしたんですか?ハーンさんは光神陛下御自らに許されたのに…何かあったんですか?」

 ハーンはそれを聞くと腕を目に当て再び泣き始めた。

 

 もはや言葉も出ない。

 何から感謝すれば良いのか、何から言葉にすれば良いのか。

「お、俺が…許された……そんなわけ、ぞんなわげないでずよぉ…!!」

「ハーンさん…。光神陛下はハーンさんの行いを認めてらっしゃいましたよ。あの場にいた全員がそれを分かっています。」

「だ、だけど…神王陛下は、あんなにぃ、あんなにお怒りになっでぇ!皆ざんにも、俺、ごんなに迷惑おがげじでぇ!!」

「陛下は、行いそのものよりも、ハーンさんが自身の闇を受け入れない様子にお怒りだったんだと思いますよ。そうじゃなかったらあの時すでに死を宣告されてます。だから、ほら。もう泣き止んで。」

 

 そう言われても、涙が止まらない。みっともないと分かっているがどうしようもない。

 

 歪み続ける視界に、駆け寄ってくる神殿長が映る。

「こ、これは?ジャンド・ハーンさん…?」

「ぐらずがん様ぁ…、申し訳ありまぜんでじだぁ!」

「い、いえ。私こそ貴方の安否を確かめずに申し訳ありませんでした。」

 神殿長は忙しかったはずなのに頭を下げ、ハーンを心配そうに見つめていた。

 誰もハーンを責めるようではなかった。

 それもこれも、全てはハーンの行いを良い物だったと言ってくれた神のおかげだろう。

 

「おじちゃん、これ貸してあげるよ。お母ちゃんも昨日、へーか方にぶれーを働いたって泣いてたから、貸してあげたんだ。」

 少年はそういうと、服の中からもそもそとペンダントを引き抜き――ハーンは驚愕に目を剥いた。

 少年が首から外し、ハーンに差し出して来たそのペンダントは――確かにクン・リーの鱗と、ハーンの靴紐だった。

 神の下へ運ばれて行くのをこの目で見届けた。

 

「き、きみ…これは…これを……どこで………。」

「この壊れない花びらはねぇ。僕がお父ちゃんのお花を治してってお願いしたらね。光神へーかがね。僕の涙からね、出してくれたの。」

「涙から………。」

「本当だよ?だって、守護神様が光神へーかの物だったって言ったもん。それでね、これを握ると涙が止まるんだよ。」

 ハーンは震える手でクン・リーの鱗を受け取った。

 

 考えてみれば、この子は女神と来た子じゃないか。全てはつながっていたのだ。

 またね、とは――また加護を授けようという意味だったか――。

 

「クン・リー……。光神陛下……神王陛下………。深い御慈悲と、重なる御加護に……心から……感謝を………。」

 神殿にはハーンの押し殺した泣き声が響いた。

 しかし、ハーンはすぐに袖で涙を拭うと――以前港でよく見せていた海の男らしい爽やかな笑みを作った。泣きすぎて目蓋は腫れぼったいし、声もガラガラだったが、己を取り戻した男の目をしていた。

 

「………ありがとう。君、名前は?」

「ロジェ。ロジェ・バストス。………あげないよ。」

 少年は返して、と言い手を差し出した。

「あぁ。君が持っていてくれ。なぁ、ロジェ。今日の社会奉仕が終わったら、君にどうしても話したいことがあるんだけど、良いかな。」

「なに………?」

 ロジェが訝しむような目を向ける。

 ハーンは自らの首にかかる小さな巾着を開くと、その中から鱗を一枚取り出した。

「あ、え!!おじちゃんも貰ったの!!」

「そうだよ。だから、どうか俺の話を聞いて欲しい。」

「わ、わかった!待ってるから!僕待ってるから!!」

(……魂は時間に囚われない。陛下方、この子がクン・リーの一部だったんですね…。)

 ハーンは興奮するロジェを静かに眺めた。今度は絶対に一人にしないと深く誓う。

 

「ジャンド・ハーンさん。今日の社会奉仕はその子にお話を聞かせてあげる事にしましょう。」

「――クラスカン様…よろしいんですか…。」

「えぇ。もちろん。ただ、私も陛下が下賜されたものの話を聞いてもいいですか?ことと次第によっては、きちんと書物にまとめなくてはいけませんから。」

「私も聞こう。」

 横から参加を申し出たのは、女神の像の隣に立っていた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だった。

 ハーンは力強くうなずいた。

 

 

「すべての始まり。あれは、そう。俺が新しい網を買ったばかりの時の事でした――――――」

 

 

 ジャンド・ハーンは己の数奇な運命と、別れずにはいられなかった親友であり家族との物語を語った。

 

 それはジーマ・クラスカン神殿長により、丁寧に書物へとまとめられ、多くの者がこの話を聞きに、または読みにこのエ・ナイウル市の光の神殿を訪れるようになる。この話は「紺碧の鱗」と呼ばれ、オペラや演劇文化が花開くと同時に人気タイトルの一つになった。

 

 ジーマ・クラスカン神殿長は人を多く迎えるには些か不向きであると、土の神殿からの使い回しの建物を恥じ、いつか建て替えたいとよく漏らしたらしい。

 その願いは後、幾年も経って叶えられる。

 エ・ナイウル市の寄付金は同規模の神殿とは比べ物にならない程の額で、古ぼけた建物は見事なものへと建て替えられた。神殿だけでなく修道院までも。

 それもこれも、治癒を受けた者が治癒費の他にお布施も置いて行くようになったからだ。あの日、ケル=オラが叫んだ「一切の責任がないなど、努努(ゆめゆめ)思うなよ」と言う言葉は居合わせた者たちの胸に深く刺さり込んでいた。

 心付け程度の額だが、塵も積もってついには山をも動かしたわけだ。

 ジーマ・クラスカン神殿長は念願の神殿建て直しを最後の仕事とし、神殿長の地位を退く。そう老いていた訳ではないが、「若い勇気と決断力」と言うものに今回の新猛病事件より強く憧れていた故の決断だった。いつも若い力を信じたジーマ・クラスカン神殿長は下の者達から惜しに惜しまれ、神殿を後にした。と言っても、しょっちゅう神殿に来ては祈りを捧げたり、迷える信者達の相談に乗ったりしたのだが。

 そんな愛しい目の上のタンコブの次の神殿長には、当時まだ若かったラライ・フェローが就いた。

 そして、ラライ・フェローが退き、さらに次の神殿長が就いた時――クン・リー・ガル・タイの鱗は神殿へ寄贈された。

 ロジェ・バストス――いや、ロジェ・ハーンが他界する時に、これ程聖なる物は家宝とするより、寄贈する方が正しいと捧げたらしい。

 

 ジャンド・ハーンは漁業に必要なものを全て失っていたが、ロジェの父が遺した漁船や曳網を持って再び海に出た。

 彼はクン・リー・ガル・タイの友人と手を取り合い漁をした。時にロジェやその母を乗せて海に出ることもあった。

 夜も明けぬ早朝に漁に出かけ、昼過ぎには社会奉仕のため、神殿で聖なる鱗の話を語った。

 

 ちなみに監督との仲も良好だ。拳骨を食らったのは言うまでもないが、監督とて、あそこに女神がいると言いふらしたのだ。

 ジャンド・ハーンは、神と女神が降臨したあの家の使用権利を神殿に譲渡し、一般に公開した。ジーマ・クラスカン神殿長の記した聖書を書き写し、ハーンの家を見に行くのが神官達にとってポピュラーな修行の一つになったのは、当然のことだろう。

 

 言わば自宅を失ったハーンはしばらく庭の倉庫で暮らしたが、ロジェの友達になり、ロジェの家で暮らすようになり――ロジェの父親になるまで、そう時間はかからなかった。

 ハーンとロジェの母親は体が言うことを聞かなくなる年まで、熱心に神殿奉仕と社会奉仕を続けた。二人は罪を犯した者同士だと、決して奉仕の手を抜かなかった。

 ハーンは今際の時、「クン・リー、次は私が君を探しに行くよ。見つけてくれてありがとう。神王陛下、今行きます。光神陛下、光をありがとうございました。」と言い残し、家族を求めたクン・リー・ガル・タイの一部であるロジェに微笑み息を引き取った。

 

 この鱗に関わった者で不幸だったのはただ一人。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だ。

 創造主が自分のために用意してくれた特別なペンダントだと思ったのに、創造主の手で外され、捨てられた。

 彼は今日も元気に荷物を抱えて空を駆けている。

 

+

 

「被告人、ケル=オラを"生への感謝の刑"に処する。ケル=オラは光の神を侮り、その尊き御名を騙った。その結果、人々を欺き不当に契約を成立させた。これは不敬罪、詐欺罪に当たる。ケル=オラの犯行は社会に混乱を与えるには十分だったにも関わらず、<支配(ドミネート)>時の反省の色は薄い。刑の執行は自宅に戻り、後始末を終えた時から。どこであってもきちんと光の神への感謝を深めるべきなので、場所は自宅か、神々の地であるナザリックを選ぶこと。選んだ先で生きている事に深く感謝したまま一年の時を過ごすのだ。以上。」

 

 ケル=オラは一年間、適当に神への感謝を綴れば良いかと法廷を後にした。

 自宅で生への感謝を深めるだけなんて、こんなものの何が罰なんだと心の中で舌を出す。

 ほとんどジャンド・ハーンの社会奉仕と同じようなものだ。名は騙ったが、治癒の金しか受け取らなかったのが良かったのかもしれない。それに、別に神の名を貶めようなんて思ったことはなかった。

 今後は治癒魔法を中心に、まだ使っていない素材で薬を作り、またゆっくり金を貯めれば良い。使ってしまった素材の分の稼ぎが無くなったので、大打撃ではあるが、ゼロからのスタートと言うわけではないのだから、あまり後ろ向きにならないようにしよう。

 

「あれに入れば良いんかぇ?」

 ケル=オラは黒い円を指差した。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は「そうだ」と冷たく言う。

 ケル=オラは円を潜った。

 たどり着いた先はなんとケル=オラの家で、一体、どんな高位の魔法だと円をまじまじと観察した。

 円が中心へ渦巻くように消えると、これまで円で見えなかった場所には白いドレスに身を包む(オグル)の女がいた。いや、よくみれば腰に黒い翼があるので、ツノは生えているが(オグル)ではないのかもしれない。

 これが保護観察官かと挨拶しようとしたところで、観察官が先に口を開いた。

「来たわね。"生への感謝の刑"、気に入ってくれたかしら。」

「気に入ったぞぇ。これからは…あー、心を入れ替えて光の神の力を……いや、力に感謝しよう。」

「良い心がけよ。あなたは一年間、一日も怠らずに本心から生に感謝を捧げるの。もし、一日でも生への感謝を忘れれば一年間のカウントはゼロ日に戻るわ。」

「今日は早速一日目にカウントされると思っていいのかぇ。」

「後始末が終わった時点からよ。法廷での話を聞いていなかったの?」

 馬鹿にするような物言いに、ケル=オラはやれやれと息を吐き、薬箱を下ろした。

「では後始末を始めよう。」

「そうね。着いてきなさい。」

 

 観察官はくるりと背を向け、扉に手を掛けた。

「――何?薬箱の片付けはここぞぇ。そちらは庭ぞ。」

「こっちの後始末をしないとカウントは始まらないわ。早くしなさい。」

 ケル=オラは庭なんかに一体何があるんだと腰を上げた。

 そして、観察官が扉を開け――「は?」

 ケル=オラの口からは素っ頓狂な声が漏れた。

「さぁ、後始末をするわよ。」

「こ、これは……?」

 庭には、ケル=オラの親兄弟、親戚たちが集まっていた。

 皆肩が触れ合う距離で、布の(くつわ)と手枷を掛けられケル=オラを見ていた。

 親戚たちも何が起きたのか理解できていない様子。

 異様なのは庭に大量の尖った丸太が突き立っていることだろう。丸太の直径は両手の親指と人差し指を触れさせたくらいだ。

 この謎の丸太を全員で始末するのかということだろうか。一体誰がこんな悪戯を――。

 呆然としていると、観察官が続ける。

「全く、あなた達。随分と出来の悪い家畜を育てたものね。お前達の家畜がこの世で最もいと高き御方に対して行った無礼、後悔しながら死になさい。」

「し、死になさい…?」

 ケル=オラは一瞬何を言われているのかわからなかった。生への感謝の刑ではなかったのか。

 

「まずは一人手本を見せるわ。私がやる通りにしなさい。それが後始末よ。後始末が終わらない限り、一年のカウントは始まらないのだから、早くしたほうがあなたのためだわ。」

 

 観察官は適当に一番近い所にいた者を引っぱり立たせる。その者はケル=オラの大叔母だ。

 大叔母の瞳は恐怖に濁っている。「死になさい」などと言われて恐ろしさを感じない者はいないだろう。

 よく見れば足枷も嵌められており、あまりにも非人道的な様子だった。

 

「あなたは幸運ね。」

 

 観察官は聖母もかくやと言うほどのたおやかな笑みを見せた。釣られるように大叔母も軽く笑った。

 死になさいなど、趣味の悪い冗談だったのかと思っていると――その時、信じられないことが起こった。

 大叔母は軽々と持ち上げられ、地面に突き立っている杭に向かって下ろされた。

 杭はあっという間に股間から口へ突き出した。

 大叔母は即死しなかった。何が起きたのかも理解できないまま苦悶に顔を歪め、激しく痙攣する手で貫かれた体を撫で回すと――三十秒程度で絶命した。

 ケル=オラは絶叫しかけた。しかし、あまりの恐ろしさに声が出ない。轡を嵌められている親族たちはくぐもった悲鳴をあげている。

「どう?分かったわね。あなたは私みたいに力がないだろうから、特別に杭の上に乗せるだけで良いわ。乗せられた者はじわじわと杭が体内に突き刺さっていくのを感じながら、お前がこの世に生まれたことを怨んで死ぬのよ。」

 観察官は顔が裂けるような笑顔を見せた。

 

「こ、あ、え……ぅぁ……。」

「何。はっきり言って頂戴。」

 ケル=オラはぶんぶんと顔を振った。

「こ、こんなの許されるはずがない!!」

「誰が何を許さないと言うの?アインズ様にはご許可をいただいたわ。」

「アイ――神王の横暴を評議員が知れば戦争になるぞ!!この国に竜王がどれだけいるか分かっているのか!!」

「竜王が何人いた所で関係ない話よ。あんな蜥蜴達、アインズ様が出る幕もないわ。けれど、そんな心配は無用だと教えてあげる。評議国は明日、賛成多数で神聖魔導国になるのだから。ふふ、評議員たちのあの顔、見せてあげたかったわ。」

 ケル=オラはパクパクと口を動かし、目の前の邪悪なる存在を見た。

「さ、無駄話はここまでよ。早く後始末をなさい。これじゃいつまで経っても刑が始まらないじゃない。」

「で、できない…できない……。」

「あらそう。それじゃあ、仕方がないから他の者に代わりにやらせようかしら。この中で不出来なケル=オラの代わりに、杭の上に家族を乗せたい者は。」

 

 しん…と静まり返る。

 

 観察官は冷たい息を吐き、手近な所にいたケル=オラの従兄弟叔父を掴み、再び突き刺した。先ほどとは違って浅く、死に至れていない。目を剥いて絶叫している。

 皆、轡から唾液がぼたぼたと落ちるほどに泣き叫んだ。

 そうだ。皆もっと叫んだ方がいい。

 ケル=オラは「誰か!!誰か来てくれ!!」と思い切り叫んだ。

 返事がない。もう一度を声を張り上げる。

「誰かいないのか!!サマ=トナ!マガ=ユル!!」

 近所に住んでいる知り合いの名を呼ぶが、やはり返事はない。

「な、なぜ…なぜ誰も答えない!!」

「煩いわね。皆あなたの素材置き場にいるわ。」

 ケル=オラは怯える親族を残して素材置き場に向かって走った。

 二つ扉を抜け、素材を置いているオープンラックの並ぶ部屋に駆け込む。

 

 ――中にいた全員と目が合った。

 

 近所に住んでいた十何人の首が丁寧に並べられていた。どんな苦痛を受ければこんな顔になるのかと言うほどに歪んでいる。

「あ………ぐ………。」

 ケル=オラはその場で膝を付くと胃の中の物を全て出した。

 

 吐瀉物を見下ろし、震えていると――ケル=オラに影がさした。

「これで分かったでしょう。さぁ、早く始末に戻りなさい。」

 背後に立った監察官に触覚を引っ張られ、触覚が抜けてしまいそうな痛みが走る。

「いっ!痛!!やめろ!!やめてくれ!!」 

 

 庭に戻ると、死に切れていない従兄弟叔父が助けてくれと涙を流している。

 親族達は縛られた手で何とか生きている者を杭から引き抜こうとしていた。

「はぁ…全員反省が足りないわ。誰も後始末をしないどころか、邪魔をするなんて…。このままじゃ刑も始まらないし…仕方がないから手伝いを呼ばなければいけないわね。」

 観察官はそういうと巻物(スクロール)を一枚取り出した。

 燃やすと同時に黒い楕円が現れ、中からは純白の衣装に、鳥のくちばしを模した仮面を被る小太りの異形が姿を見せた。

 

「プルチネッラ、予想通りこの者達はだめだったわ。悪いんだけれど、手伝って貰ってもいいかしら?」

「もちろんでございます。アルベド様。」

 プルチネッラと呼ばれた者は杭に突き刺さって死んでいる者に振り返ると、「あぁ…」と残念そうな声をあげた。

「可哀想に。わたしわ多くの者を幸せにしたいのに!」

 狂ったような見た目をしてるが、これは悪い者ではない。ケル=オラも、親族達も、救いを求めるようにプルチネッラを見つめた。

「た、助けてくれ!!私は"生に感謝する刑"を言い渡されたのに、こんな事に――!!」

「あぁ、そうでしたか!こんな風に殺してしまうなんて、皆さんさぞ恐ろしい思いをした事でしょう。」

「あぁ、頼む!!助けてくれ!!」

「もちろん、わたしわその為に来たのですから、ご安心ください。」

 安堵が漏れ出る。

 

「――でわ、まずわ刺されても死んでしまわないように新たな穴を作り、広げ合いましょう!重要な器官が傷つけられないように内臓を押して動かすのです。そうしたら、痛みながらも死んでしまう事なく過ごせます!死んでしまえば全てがおしまいですからね。そしてゆっくり、じっくり時間をかけて串刺しになっていくのです。あぁ、内臓を動かす時に誤って死なないかご心配ですよね?大丈夫。今日わわたしの心優しい仲間達も連れてきましたよ!皆さんご安心くださいね。」

 

 言われている意味がわからず、ケル=オラは数度瞬いた。闇からは黒いエプロンを掛ける者達が続々と姿を現してくる。

 その者達が強烈な死の匂いを放っている事が、治癒に携わってきたケル=オラにはわかった。

 

「さぁ!さっそくはじめましょう!!」

 

 その後、無事に後片付けは終わり、ケル=オラの庭には立派な肉林が生み出された。

 死を恐れ泣いていた者達は死ぬ事なく杭に貫かれ、なんと四日間も痛みの中生を実感し続けることができた。ほとんど全員が飢えて静かに息を引き取った。

 心優しいプルチネッラは死ぬその時まで痛みを与えてやった。穴という穴から血を垂れ流す様は、熟れすぎた果実のようだった。わざわざ追加で痛みを与えたのは、飢えを忘れさせてやる為と、常に生きていることを実感できるようにと言う心遣いだ。プルチネッラは全ての者の幸せを願っている。

 

 ケル=オラは自宅で刑罰を受ける事を望んでいたが、常に血の繋がる者達の呻き声を聞き、「ここにはいたくない」と泣いた。

 彼女は無事にナザリックへ送られ――今日も、死にたい死にたいと言っている。生きている事に感謝する日は一日もなく、彼女が息を引き取る日は訪れない。

 

+

 

「…これで評議国も国の体を失ったわけだね。」

 ツアーはため息を吐いた。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)。こちらの国に居を移しては如何でございましょう。」

「東方かい?」

「えぇ。」

「……いや、やめておくよ。そっちの拠点までアインズに知られたくない。アインズは悪くないぷれいやーだけれどね。」

 ツアーの腹心の竜王は苦笑した。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はアインズ・ウール・ゴウンに随分信頼を寄せているご様子。最早対ぷれいやー組織は解散しますか?」

「いいや。アインズは万が一フラミーやナインズが人質に取られるような事があればその命のためならば何でもするだろう。対ぷれいやー組織は引き続き強化を続けよう。」

「心得ました。――そう言えばこの間、神聖魔導国の冒険者がうちの国を訪れました。こんな所に国があったのかと興奮していたそうです。」

「……アインズは世界征服を目標に掲げてなければ、もっと良いのにね。」

「まったくおっしゃる通りかと。」

 

 始原の魔法の<世界転移>を失い、二人が会うのは久々だ。

 腹心の竜王は随分久しぶりに見る、ツアー本来の竜王としての姿から放たれる威風に浸った。




ツアー、お前評議国の竜王じゃなかったんか…
それにしても、また神話作っちゃったね…
そして「山をも動かす信仰」って言葉が好きすぎる男爵

次回、明日はお休みです!
またお話を思いつくまでゆったりお待ち下さーい!


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#112 閑話 頑張れ!ジルクニフ君

「ぬっ…!!ぐ……うぉぉぁあ!!」

 その日、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスの父王が倒れた。

 胸を掻き毟り、痛みに歪んだ顔で、玉座から崩れ落ちた。

 王宮付き薬師や神官が駆け付け、凡ゆる手を施したが数時間と持たずに父王は帰らぬ人となった。

「これは…誰かが毒を――」

 神官が言うと、パシンッと扇子が手のひらを叩いた。

「皇帝陛下を毒殺など内部の者以外にできようはずがない。それとも、そなたは陛下の食事を作っていた者達や飲み物を運んできた者達が陛下を弑する企てを立てたと…そう仰りたいのか?」

 氷のような冷たい声。それは美しい皇后の発したものだった。

 一つに結い上げられた金の髪、星をちりばめたように煌びやかなドレス。甘く芳しい香水。そのどれもが皇后の威光を示していた。

 執事やメイド、コック達が短い悲鳴を上げる。

「そ、それは…しかし…」

「滅多な事を言うでない。罪を着せられた者は処刑される事もあるのだ。神官よ」

「は……はい…皇后陛下…」

 神官が大人しく引き下がる。皇后は薬師へ顎をしゃくった。

「アビゲイル。私の可愛い妹。お前はこれをどう見る?」

「皇后陛下。皇帝陛下は心の臓を患っていらっしゃいましたので、その発作かと」

「おぉ、それは悲しい事よのう」

 皇后は痛ましげに自らの口元を扇子で隠した。その下は醜悪に歪んでいたがそれを見る者はいない。

「なんと痛ましい…」「悲しい事故だ…」「偉大なりし陛下…」

 辺りにいた貴族達も顔を覆った。

 老執事は息子に小さく耳打ちする。

「この事を殿下方とフールーダ様に」

「…わかった。では、俺は行くぞ。父さん」

「急げ。殿下方は乗馬の訓練をされているはずだ」

 美しい仕立ての執事服を翻し、執事は走る。父も祖父も、代々皇帝に仕えてきたがこんな事は初めてだ。

 まだ事態を知らないメイド達が楽しげに笑い合う廊下は別世界のようだった。

(悲しい事故――そう言うには、あまりにも――あまりにも――!!)

 

+

 

「流石はジルクニフ兄様。何でもお出来になるんですね!」

「この程度、お前にもすぐに出来るようになる。ねぇ、兄上方」

 ジルクニフのアメジスト色の瞳は和やかに細められた。まだ十代前半、まだまだ幼さの残る顔付きをしている。声変わりを迎えていない声は鳥が鳴くようだ。

「そ、そうだな。ジルクニフの言う通り」「そう、まさしくその通り」「お前も頑張れよ」

 まだ都市の管理にも出されていない兄達、幼い弟妹。

 皇后から産まれた第一子、将来を約束された皇子。

 ジルクニフは心の中で呟く。

(兄上も兄上も――兄上もダメだな。任せられん。私の理想の治世には不要……とすれば、適当な僻地の管理に送るしかないか)

 冷静な評価を下していると、執事のエンデカが走ってくるのが見えた。

「エンデカがあんなに慌てているなんて珍しいな」

 ジルクニフは馬の脇腹を足で軽く叩き、エンデカの下へ向かった。

 金魚の糞のように兄弟も付いてくる。

「殿下ー!殿下方ー!!」

 あまりの必死な様子に、二人の兄が笑う。

「っく、あやつの顔を見ろ。今度少し脅かしてやろうか」

「あぁ、あれは脅かし甲斐がありそうだ」

 下らない。

 ジルクニフは馬上からエンデカに声をかけた。

「エンデカ!何事だ!騒々しい!」

「皇太子殿下!陛下が、皇帝陛下が――!!」

 

 そうして、エンデカが口にした言葉は一瞬時を止めた。

 

「――父王陛下が……御崩御されただと……」

 今の今までジルクニフが乗っていた馬は何も理解していないはずだと言うのに、慰めるが如くジルクニフの肩に鼻を擦り付けた。

「……は。不慮の事故にございます…」

 エンデカは痛ましげな顔をし、額の汗を拭う。エンデカは先日息子が生まれたばかり。まだ二十代後半だ。

「…不慮。不慮か」

 ジルクニフが繰り返す。

 兄弟は呆然としたり、年の離れた弟を慰めたりと様々だ。

「皇太子殿下…。どうか…お心を強くお持ちください…」

「エンデカ、お前は優しいな」

 エンデカの顔に困ったような笑いが浮かぶと同時に、ジルクニフは乗馬用の革の手袋を外した。

 

「優しいお前には厳しい時代が始まる。心するんだな」

「殿下…?」

「即位と戴冠の準備をしろ。ぐずぐず言っている時間はない。この時のために騎士団を我が物にしてきたのだ」

 兄弟達の騒めきはすぐにエンデカにも伝染する。

「し、しかし殿下。御戴冠式の準備は皇帝陛下のご葬儀が済んでからに――」

「それでは遅い。私が新皇帝になったと知らしめる。その為にはただ即位するだけでは足りない」

「殿下!それでは皇帝陛下の喪に服する期間がございません!そのような真似をされてはどれだけの反対が上がるか…!後の支持基盤にも影響が出ます!!」

 

 戴冠式は即位に近い時期に行われるべきだが、煌びやかで大々的な戴冠の儀式は服喪の期間に相応しくない。

「ジルクニフ!いくらなんでも横暴だぞ!そんな事はやめろ!!」

 そこにいる一番年上の兄に肩を掴まれるとジルクニフはその手を払った。

(お前の先程の顔を私が見ていないとでも思ったか)

 睨み付ける眼光は鷲か鷹のようだった。怖気付くように兄が一歩下がる。

「兄上、私に命令するのか?私に命令できるのは皇帝陛下ただお一人だ」

 ジルクニフはふん、と鼻を鳴らした。

「エンデカ、お前も面白い言葉を知っているようだな。反対?支持基盤?私にはとっくにこの手を血に汚す覚悟ができていると言うのに」

「そ、そんな。いけません。殿下!」

 まだ背も伸びきっていない少年の瞳には、ただ、決意が映っている。

 歩みを進め始めると同時に、小さな手から抜かれた手袋はその場に捨てられた。

 兄弟達は呆然とジルクニフの背を見送り、エンデカは追った。

「エンデカ、行くぞ。これから私が述べる信用出来る者と、騎士団を集めろ。母上――いや、皇后の家に相応の償いをさせる必要がある。不慮などと二度と言うなよ。まずはじいとヴァミリネン家、アノック家、カーベイン家を早急に私の部屋に呼べ。」

 その物言いは皇后が謀殺したと言う確信を持っていた。

 ジルクニフとて、皇后を生かしておけば麻薬(ライラ)を少量づつ盛られ操り人形にされる危険がある。

 皇后は皇帝と同じく不慮(・・)の事故で死ぬべきだろう。

 

「殿下!!」

 

 咎める声が背に降りかかる。

 生まれた時から側に仕え続けてくれている男だ。フールーダ程ではないが、ジルクニフはエンデカの事を信頼している。

 振り返ったジルクニフは大きく息を吸った。

「エンデカ!ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスが命令する!!私が述べた信用出来る者と、騎士団を集めろ!!」

 往来の支配者の覇気だった。

 エンデカは吸おうとしていた呼吸を飲み下した。

 まだ即位していないため、ファーロードを名乗る事はともすれば現皇帝への叛逆だ。

「殿……我が陛下……。」

「よろしい。歴史を動かしに行くぞ。」

 握り締められた小さな拳から始まる蜂起は後に彼を鮮血帝とまで言わしめる、徹底した粛清だった。

 彼は皇帝となってすぐに、自らの兄弟すら何人も処刑した。

 

+

 

 バハルス州、アーウィンタール市、旧帝城。

 そこの裏庭には鳩がどっさりいて、あちらこちらからクックーと鳴き声がひっきりなしに上がっている。

「サラトニク、鳩は大切にするんだ。私達は神々の様に伝言(メッセージ)だけでやり取りすることはできないのだからな。必ず伝言(メッセージ)の裏取りが必要になる」

 鳩の世話係が餌をやる横で、ジルクニフはふにゃふにゃの新生児であるサラトニクに聞かせていた。

 乳母に抱かれるサラトニクはしょぼしょぼの目をぼんやりと開いて指をしゃぶっている。

 

「――ジルクニフ様」

 特別可憐でもない声に誘われる。ずっと皇帝陛下と呼ばれていたジルクニフだが、この呼び方にももう慣れた。逆に陛下と呼ばれると胃がギュッとする。

 ジルクニフは信頼だけを乗せた表情で振り返った。

「ロクシー、どうかしたか?」

 信頼と尊敬で結ばれている正妻は品のいいお辞儀をして見せた。

 サラトニクは間違いなく、これまで生まれたジルクニフの側室が生んだどの子供達より賢く育つはずだ。何せ――女にしておくには惜しいと思えるこのロクシーとの間に生まれた子供なのだから。

 

「どうしたもこうしたも、後何分もしないで光神陛下がゲートを開いて下さるのですから、サラトニクを連れ出したりしないで下さいませ」

 ロクシーは「あなたも勝手に何をしているの」とサラトニクを抱く乳母へ厳しい視線を送った。

「サラトニクも一緒に行くのか。フラミー様のお茶会に」

「そうです。早いうちに光神陛下にお目通りするに越したことはありませんので」

「それはそうだな。機会があれば神王陛下にも早くお目通りした方が良い」

 跡を継がせるつもりのサラトニクを気に入って貰えなければ、次の州知事にはまるで違う者を据えると言われるかもしれない。下手をすれば次代は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だってあり得る。

 そんなことになってはいけない。

 ジルクニフはちらりとサラトニクの顔を見た。ジルクニフと同じ紫色の瞳に、太陽の光を集めたような金色の髪。目元はロクシーにわずかに似ており、ジルクニフよりも垂れているような気がする。

(サラトニク……我が戦友よ。バハルスの為に、お前も私と共に生涯身を粉にして働くことになる。)

 命懸けで守り続けたこの場所を神聖魔導国で最も栄えさせた場所にしてみせるのだ。

「――ロクシー、私もそのお茶会に行って良いと思うか?」

「光神陛下がいらしたらお伺いを立てるべきでしょうね。ですが、光神陛下でしたらお喜びになると思いますわ」

 無垢であり、裏表のない――表のみの存在。裏は闇の神に凝縮されている。

 そんな存在がジルクニフを拒むとは思えなかった。

「じゃあ、フラミー様がゲートで見えたらお前からお伺いを立ててくれ。私は身支度を整えて来る」

「畏まりました。なるべく急ぎでお願いいたします。光神陛下はいつもお時間ぴったりにゲートを開いて下さいますので」

 ジルクニフは返事もせず裏庭を後にした。

 

 衣装室に着けば、針子やメイド達がおり、皆昔から変わらぬ態度でジルクニフを迎えた。

「断られなければ神々の地へ行く。ロクシーとサラトニクと共にお茶会だ。相応しいものを見繕え。」

 メイド達が良さそうなものを選び、仁王立ちしているジルクニフに当てる。

「エル=ニクス様、三騎士を呼びますか?」

 それは近くで様子を見ていた執事のエンデカからの問いだ。

「護衛など連れて行く訳があるか。神の地で害されると思っている、乃至は神々を害そうと思っている、そんな意思表示をして何になる」

「しかし…護衛も付けずにお出かけされては…」

「お前は行った事がないから分からないかもしれないが、神の地ナザリックは馬車で向かうような場所じゃない。それに、毒を盛るような真似をする存在がいるような場所でもない」

 見栄えとしては三騎士を連れて行くに越したことはないが、それよりもこちらが全面降伏しているのがひと目で伝わるように動いた方がいい。

 特に今回はサラトニクが初めて神の地を踏むのだから、自らの命のみならず、息子の命すら預けている事がハッキリと分かるようにするべきだ。

 

 新たな野望に燃えるジルクニフはメイド達の手が自らの体から離れると早々にその部屋を後にした。

 足早なジルクニフをエンデカが追う。

「私も決して神の地に危険があると思っているわけではございません。ただ護衛も付けずにお出かけなど、他の州知事達にかつて皇帝だった身が侮られるような真似は――」

「そんな事はわかっている。お茶会なのだから、セイレーン州の二頭領や聖ローブル州のカルカ・ベサーレス、ザイトルクワエ州のラナー・ティエールがいるかもしれない事くらいな。それでも連れて行かないと言っているんだ。これ以上何かを言うなら、お前は明日から一ヶ月は鳩の世話係になると思え」

 エンデカは代々支えてくれているし、信頼もしているが、神々の事に関しての口出しは無用だ。

 デミウルゴスが再び教育(・・)に来るようなことは絶対に避けたいし、女神の寵愛を受けられているロクシーの足を引っ張るような事はできない。

 エンデカはまだ何か言いたげだったが、ロクシーがお茶会に出かける際に待つ部屋の前に着くと、ただ黙って扉を開いた。

 四年前にジルクニフが命惜しさに神々の素晴らしさを散々説いた為、城に仕える者達の九割九部以上が神々と守護神の善性を信じている。ジルクニフも人間の身でいる闇の神の善性は感じたが。

「エンデカ、心配は有り難く受け取った」

 ぽつりと言い残して部屋へ入ると、執事はまだジルクニフが子供だった頃によく見せていた困り笑いを作った。

 

 戴冠の準備をしろと言ってから、エンデカは困ったように笑う事はほとんどなくなった。厳しい時代が来ると言う覚悟を彼も持っていたのだ。

 何をしてもできすぎるジルクニフを前に、彼は本当によく困ったように笑っていたと言うのに。

 ジルクニフが歴史の歯車を回す時、文官達や騎士団と違って活躍した事はないが、それでもエンデカはいつでも側に仕えてきた。

 属国になると言った時も、国ではなくなると言った時も、エンデカの淹れた茶を飲んだ。

 神々を信じると言い、諦め顔で笑ったジルクニフを見たエンデカがどこまでジルクニフの信仰(・・)を信じているのかはわからない。

 しかし、ここが神聖魔導国になって以来エンデカはまた昔のように困り笑いを見せるようになった。皇帝ではなくなったジルクニフに。

 エンデカはジルクニフと共に部屋にはいると、静かに扉を閉めた。

 

「ロクシー、待たせたな」

「ジルクニフ様。あまりギリギリなので入室を断ろうかと思ったくらいです」

「そう言うな。エンデカが三騎士を付けろとごねたせいなんだからな」

 二人は短いやりとりを行い、エンデカへ視線を送る。

 彼はやはり困ったように笑った。

 部屋には側仕えや文官が複数人いるが、それ以上の会話はなかった。静かに神の地への門を待つ。

 神が顔を覗かせる時、扉がノックされるような事はないのだから、常にノックが聞こえた直後の気持ちで迎える姿勢を整えていなければならない。

 全員が膝をついた姿勢でじっと静かに過ごしていると、部屋には黒い門が開いた。

 踏み出して来た者はメイドだった。支配者のお茶会で一度会ったことがある。ユリ・アルファだ。

「皆様、フラミー様がお見えになります」

 一度転移門(ゲート)に戻り、再び出てくる。後に続いて出てきた足は軽やかな靴音を響かせた。

 

「ロクシーさん、お久しぶりです。お迎えに来ましたよ。」

 フラミーの声にロクシーが顔を上げる。

「光神陛下、本日もご機嫌麗しく存じ上げます。ご無沙汰しておりました非礼と、迎えのお手数をお掛けしました事をお詫び申し上げます。」

「いえいえ。出産大変でしたね。お体どうですか?」

「はい、サラトニクが産まれて一月が過ぎ、もうすっかり元に戻りました。体重だけは重いままですが。」

 ロクシーのほほほ、と言うよそ行きの笑い声が響く。やり取りの中で、ロクシーは自然とフラミーの手へ尊敬のキスを送った。

「ふふ、よく分かります。ところで、ジルクニフさんはロクシーさんのお見送りですか?」

 ジルクニフも名を呼ばれ、ようやく顔を上げた。フラミーは枯れ枝のような羽を持つ胎児を抱えていた。

「フラミー様。ご無沙汰しております。お変わりないようで何よりでございます。」

「ジルクニフさんも。」

 ジルクニフが手を差し出すと、その上にそっと薄紫色の手が重なった。ロクシー同様、手の甲に尊敬と忠誠のキスを送る。陶器よりもベルベットよりも滑らかな肌だった。

 

「光神陛下、本日はエル=ニクスも共に御身のお茶会へ伺ってもよろしいでしょうか。」

 招待を受けているロクシーから伺いを立てた。ジルクニフが行きたい、などと言うより招待されている者が連れて行きたい、と言う方が常識的だろう。

「あら、もちろん良いですよ。ちょうどアインズさんがジルクニフさんを呼びたいって言ってたところでした。」

 フラミーが微笑むと、ジルクニフはその向こうに闇を見たような気がした。

(なんだと…。神王陛下が私を呼び出し…?もっと早くサラトニクの紹介に伺うべきだったか…?)

 手紙は出したが、わざわざ機会を設けて子の紹介をするのは忙しい神の時間を奪う許されざる行為だと思っていた。

 神王にはナインズの誕生会や、近々訪れるであろう第二子の誕生会でサラトニクを紹介しようと思っていた。

 サラトニクは正妻の第一子ではあるが、側室には他にも子供がいるので一々子供の紹介などいらんと一刀両断されると思っていたが、神聖魔導国にとってジルクニフはジルクニフが思うよりも必要な人物なのかもしれない。

 これは朗報だろう。

「お伺いが遅くなりまして申し訳ございません。」

「そんな。忙しいのにありがとうございます。さ、お二人ともどうぞ。」

 立つように促され、二人だけが立ち上がる。部屋にいる他の者達は膝をついたままその光景を見送った。

 

 まだ数回しか利用した事はないが、この門を潜るときはいつも心の準備が必要だ。

 ジルクニフは足を踏み入れ、すぐに視界は草原に切り替わった。草原の向こうには湖があり、胃が痛くなる過去――支配者のお茶会なるイベントを思い出しそうだ。

 ジルクニフの心中とは裏腹に辺りは和やかで穏やかな雰囲気だ。

「フラミー様ぁー!おかえりなさいませー!」

 背に翼を背負う美女が手を振っていた。

(…セイレーンのヒメロペーか。やはりいたな。)

 ジルクニフはヒメロペーとはナインズの一歳の誕生日会で一度だけ話したことがある。

 他にもテルクシノエ、ラナー、ドラウディロン、カルカと州知事職の者がてんこもりだった。もちろん皆置いてあるソファから立ち上がっている。

 誰一人護衛など付けていないし、連れて来ている様子もない。

 ここは政治的な場ではないが互いの州の現在の情報交換も当然行われている。他所の州の実態を知ることができる貴重な情報の場だ。ここに呼ばれていない州知事達を気の毒にすら思う。

 側には闇妖精(ダークエルフ)の双子がこちらの様子を伺っているのと、犬頭のメイドと普通の人間のメイド達。人間のメイド達は凄まじい美女だし、揃いのお仕着せなので間違いなくこの神の地の者達だ。

「…エル=ニクス殿か。」

 ドラウディロンがなんとも言えない顔をし、ラナーが「エル=ニクス様ですねぇ」と嬉しそうに復唱する。

 ジルクニフの嫌いな女が勢揃いだ。

「まぁ、エル=ニクス様に――そちらがもしやサラトニク様ですか?…本当に…羨ましい限りです。」

 カルカの言葉には妙な重みがあった。

「えぇ。本日は光神陛下にお目通りをと思いまして連れて参りました。光神陛下、遅ればせながら、サラトニク・ルーン・ファールーラー・エル=ニクスにございます。」

 ロクシーがよく見えるようにフラミーへ近付く。

 ジルクニフは妙にハラハラした。

「サラトニク君、可愛いですねぇ。ナインズも呼んでもいいですか?」

「もちろんでございます。殿下にも是非お目通りを。」

「ふふ、ありがとうございます。――<伝言(メッセージ)>。」

 神々といると当たり前のように魔法が飛び交う。息子を呼ぶのに伝言(メッセージ)を使うなどジルクニフでは考えられない。

「――あ、アインズさん。今日ジルクニフさんとサラトニク君も来てるんですけど、ナイ君連れて一緒に如何です?」

 ジルクニフの心臓がドキンと鳴った。

 頭の中で急いで挨拶の言葉を選び出していく。

 そうこうしていると、フラミーの伝言(メッセージ)は終わり、つい先ほどジルクニフが潜ったものと同じ転移門(ゲート)が開いた。

 中からは小さな少年が駆け出した。

「おかあた――」と、そこまで言い、ぴたりと止まるとジルクニフ含め、大人達を見渡した。

「みなたま。なざりっくへようこそ。」

 ナインズは冬の誕生会の時よりぐんと大人になったようだ。こんなに流暢に喋るなんて。何より歩いている。

 丁寧に頭を下げる姿を見つめていると、その後ろには剥き出しの骸が立っていた。

 何度見てもギョッとしそうになるが、ジルクニフは落ち着いて膝をついた。周りもそれに続く。

「楽にしろ。皆よく来たな。」

 心臓の鼓動のように体を震わせる声だ。

 ナインズはフラミーの下へ行きたいのかうずうずしているようだった。

「おとうたま。」

「良いぞ、フラミーさんはお前を呼んでいたんだからな。」

「はぁ!」

 嬉しそうに笑うとフラミーへ駆け寄った。

 ナインズは幾枚もの翼に迎えられ、何一つ心配事などないような笑顔で笑った。

 女神と神の子の様子はまるで一服の絵画のようで、誰もが夢見る母子の姿だろう。

 ジルクニフの子供時代とは大違いの光景だ。

 生の化身に抱きしめられるとはどのような感覚なのか。

 ナインズはフラミーの頬に口付けを送ると恥ずかしそうにキャっと声を上げた。

 フラミーはそのままナインズを抱き上げ、サラトニクを覗かせた。

「ナイ君、サラトニク君だよ」

「さら…にく…くん」

「ちょっと難しいかなぁ。サラ君って呼んであげられるかな?」

「さらくん」

 ナインズが言うと偉い偉いとフラミーが頬を撫でた。

 しかし、ジルクニフは大切な事を付け足す。

「ナインズ殿下、敬称は不要です。サラとお呼び捨てて下さい」

 ナインズは「さら…」と呟くとサラトニクへ手を伸ばした。

「ナイ君、優しくね。そっとだよ。そっと。ギュってしたらダメだからね」

 かなり入念な警告だった。

「そっと、やさしく。やさしく」

 ナインズの手付きは雲を撫でるようだった。

「んぁ……。」

 頬を撫でられたサラトニクが嫌そうに顔を歪める。非常に理不尽だが泣いては無礼だ。

「――ナインズ殿下ありがとうございます。サラトニクはまだ御身の尊さを理解しておりませんが、どうぞ今後とも仲良くしてやって下さいませ」

 ロクシーがすぐさまサラトニクを揺らし、頭を下げた。

 普段は乳母に任せきりだが、その気になればあやすくらいはできるようだ。考えてみれば抱かれても泣かないくらいにはサラトニクもロクシーに懐いている。

 サラトニクはむにゃりとあくびをし、ナインズは嬉しそうに笑った。

(あー、心が安らぐ感じがするな。神官達や騎士団が聞いたら羨ましがってキィキィ言いそうな光景だ。もう……帰ってもいいかもなぁ)

 ジルクニフはここに来た理由を忘れた。

「さて、エル=ニクス。ここは女の園だ。…良ければ――あちら、水上ヴィラのあたりで少し話でも如何かな?」

 ジルクニフはここに来た理由に引き戻された。

「――神王陛下。もちろんでございます。是非」

「それは良かった。」

 フラミーとその他に頭を下げ、先を歩く背中について行く。

 ふと、目の端にラナーの隣にいた少女が映った。こちらもまた大きくなったが、間違いなくクラリスだろう。

(ラナー・ティエールは間違いなく自らの娘に州知事を継がせるつもりだろう。私もうまくやらねば…。)

 ジルクニフはグッと拳を握りしめた。

 

+

 

「サラトニクにいつか州知事の座に就かせたいとやんわりお伝えになって、それで、神王陛下は何と仰ったんです?」

 旧帝城に戻ったロクシーが尋ねる。

 ジルクニフは頭を抱えた。

「……サラトニクがナインズ殿下と共に学べたら良いと思わないか、と。そう仰った」

「まぁ、それは神の地で…という事ですか?」

「私も最初はそう思った。しかし、ナインズ殿下は然るべき年を迎えたら………あのデミウルゴス殿がいるというのに、家庭教師ではなく神都の学校に通われるそうだ…」

 そんなバカな話があるだろうか。

 王族――いや、神族ならば、いくら国が定めた義務教育とは言え免除され家庭教師に教わることも悪ではないはずだ。

 しかし、ナインズすら国立小学校に通えば、ジルクニフのように家庭教師で充分だと思う者も子供達を小学校に通わさざるを得ない。

 ただ一人の例外も認めぬ国民の義務だと言う無言の圧力になる。

 取り込まれたばかりの地域――主にアーグランド評議州などは小学校の存在に懐疑的な者も多いらしい。少し前にはリ・エスティーゼの貧しい農村地域で子供に手伝いをさせる為学校に通わせていなかったと言う問題も起きている。

 そう言う地域へ向けた圧力なのだとしたら、大いに納得が行く。

 

「……神王陛下は恐らくサラトニクもアーウィンタールではなく神都の学校へ通わせる事をお望みだ。そうなればサラトニクは寮生活になる。」

 これは人質に似ているかも知れない。

「…まだ忠誠を信じてはいただけていないという釘を刺されたわけですわね。」

 ジルクニフは静かにうなずいた。

「子供の口に戸は立てられん。小学校に入る時、サラトニクが真っ直ぐに神王陛下やナインズ殿下に付き従がう信仰を持っているかは大きなポイントになるはずだ。なおかつ優秀でなければ州知事はサラトニク以外の者になると思った方が良いかもしれないな。」

「なるほど…。では、余計な一切を耳に入れない方が良いかもしれませんわね」

「その通りだ。もちろん離反しようなど欠片も思っていないが――」それでも仕方がない。

 一度女神の離反、闇の神の謀殺を企んだのだ。これでそう簡単に信用される方が気持ちが悪い。

 ジルクニフは絶対的な影響力を鑑みて生かしておく方が利になるから生きることを許された。

 粛清を行った帝城に残る者は皆ジルクニフ派だし、ジルクニフが生きてトップに就いている為行政に混乱は一度も生じていない。

 ジルクニフが忠誠を誓っていれば神々としてもバハルスの管理は簡単だろう。

 ジルクニフは忠誠と恭順を示す手立てがサラトニクを人質として神都行きにさせる事で容易に叶うなら、それに越した事はないと分かっている。

 休暇には普通の学校では学べない多くをこれでもかと教えなければならないが。

「ロクシー、お前はフラミー様とどうだった」

「こちらは楽しく過ごさせていただきましたわ。光神陛下は最近海をご覧になったそうです」

「海?それで?」

「美しかったと」

「それで…」

「世界は素晴らしい。この世に生まれ、この世で育つことが出来る全ての生に祝福の言葉をお掛けになりたいと」

「……女神らしいな」

 ロクシーがフラミーに下した最初の評価は平凡な女だ。しかし、今では超常の存在へと評価は改められている。話せば話すほど、見ているものが現在を生きる者とはかけ離れているのを感じるらしい。

「本当に。また海を見にお出かけされるそうですわ」

 

 ジルクニフは昔父王と出かけた田舎町からみた海を思い出した。




ジルジル、大変な子供時代だったんだねぇ
子供達、早く!早く学校に通ってくれ!


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#113 閑話 遥かなる海

 イワトビペンギンの執事助手エクレア・エクレール・エイクレアーは働き者だ。

「ムギュッ!むっ、むぐぐっ…!」

 朝目覚めると、天空城から拾われて来た双子猫の間から抜け出す。

 何故エクレアの私室にニッセとケットシーがいるかと言うと、直属の上司のセバス直々に「執事助手の下に更に助手として二人をつけます。ナザリックに仕える者として完璧になるまで徹底した教育をお願いします」と言われている為だ。

 生活態度からこのナザリックにふさわしい存在にしなければなるまい。

 エクレアは洗面台へ続く階段を上り、さっと顔を洗うと見事なカールの眉毛を整える。エクレアにも双子猫にも普通の洗面台は高すぎる。

 二匹へ振り返ると、二匹はぬくもりを求めて布団の中へ潜り込んで行くところだった。

 短い尻尾をぴるぴると振り、エクレアは布団を一気にまくり上げた。

「朝ですよ!働く時間です!このナザリック地下大墳墓を私が支配するときのため(・・・・・・・・・)にしっかりと働かなくては!」

 威勢よく声を張り上げると、猫達は尻尾を右から左へ向けて払った。

 それだけでエクレアを吹き飛ばすには十分な風が巻き起こる。

「――っんぁ!」

 エクレアは抵抗もできずにゴロゴロと部屋の隅まで転がった。

「いたた…。」

 エクレアが目を開けると、ひっくり返った視界の中で猫達は特大のあくびと同時にうーんっと伸びた。

「おはようございまぁす。」「エクレア様、寝言は寝て言え。」

「お、おはよう…。」

 この部下達は八十レベルもある為毎朝大変だ。

 エクレアは足をジタバタさせ、ひっくり返っていた体を起こした。

 素っ裸の二匹がズボンを履き、サスペンダーをあげる横でエクレアも蝶ネクタイを締める。

 猫達はきゃんきゃんと甲高い声を上げながら顔を洗い、フラミーに貰った水鉄砲にたっぷりの水を充填し、腰に装備する。

 エクレアは二匹が身支度を進める部屋を出ると、隣の部屋の扉をフリッパーでぺちぺちと叩いた。

 すぐさま扉が開かれると、中には覆面を被った男達がずらりと並んでいた。

「今日の点呼です。さぁ、端から番号を。」

「イー!」「イー!」「イー!」「イー!」「イー!」「イー!」

 無限にも思える時間、男性使用人達の点呼が響く。

 そうしていると、エクレアの脇をしたた…と猫二匹が駆け抜け、「イー!」「イー!」と返事をした。

「これで全員ですね。それでは朝食に参り――っわぁ!!ちょ!わっぷ!!」

 エクレアが朝食の号令を出そうとしたところで背後から伸びた手に突然抱き上げられた。

 振り返ろうとすると、耳元で「………うふふ」と小さな笑い声が聞こえた。その声は間違い無く、戦闘メイド(プレアデス)の一人、シズのものだ。

「お、おやめ下さい!私は――」

「………ケットシー、ニッセ。おはよう。」

「おはようございます!」「シズ女史!シズ女史!」

「………これからご飯。一緒に行く?」

「行きます!食べます!」「僕たち生きるために食べないと!」

 ジタバタするエクレアはそのまま食堂へ連れ攫われた。

 シズが食堂に入ると一般メイド達から「シズちゃーん!」「シズちゃんだー!」と黄色い歓声が上がる。

 同時にエクレアは「ペンギンもいる」「いらない鳥」となじられる。

 シズは全てを無視し、食事を取るのに良さそうな場所を探した。

「………あ、ルプー。」

「んぁ?シズちゃん今朝も鳥連れっすか!」

 一般メイドの中に紛れ込んで食事をしているルプスレギナが手を振ると、シズはその前に座った。

「………鳥だけじゃない。ケットシーとニッセもいる。」

「銃猫?いないっすよ?」

「………あれ。」

 シズが軽くあたりを見渡すが、一緒に行こうと言った猫達は近くにいなかった。

「………あ、いた。」

 二匹は男性使用人に紛れ、すでにビュッフェ台へ向かっていた。

 あの二匹はアインズとフラミー直々に"生きる"ことを命じられているため、生きるために必要なことを一番にする必要がある。ある意味そうあれと創り出されたようなものだと皆納得している。

 猫達はカリカリベーコンと魚のムニエルをこんもりと取るとシズのそばに駆け寄った。

「とってきました!」「食べましょう!」

「………また栄養が偏ってる。」

 二匹がシズの隣の椅子にギュッと身を寄せ合って座ると、今度はシズがビュッフェ台に向かった。

 ここでようやくエクレアは解放された。

「…ふぅ…ふぅ…。」

「朝から疲れてる。」「はい、エクレア様の分。」

 二匹はこんもりムニエルを差し出し、テーブルの上のナプキンを首の後ろで器用に結んだ。

 自分たちの支度が整うと、隣に座るニッセがエクレアにもナプキンを結んでやり、準備完了だ。なにせ、二匹は執事助手助手なのだ。

 三匹は手の平を合わせるとよく揃った声を上げた。

 

「「「いただきまーす!」」」

 

+

 

 食事を終えるとエクレアは一度猫達と別れ、フラミーの部屋のトイレ掃除へ向かった。

 一時期はトイレにフラミーが這いつくばる事もあったので、いつも心血を注いでトイレ掃除をしているが、さらに腕によりをかけてトイレ掃除をしていた。

 ナインズのおまるなど、これでカレーを食べられるほどだ。

「ふふふ…!素晴らしい…!」

 エクレアは満面の笑み――らしきものを浮かべた。

 その横でメイド達がゴミ箱からゴミの回収をする。ゴミは分別が必要なため、一度処理室へ持っていかれる。

 ナザリックにおいてゴミの分別とは、価値有りと、価値無しの二択だ。価値無しのものはそこから更に可燃と食事に分けられる。

 紙屑のように紙として価値があるものは宝物殿のパンドラズ・アクターの下へ行きエクスチェンジボックス――通称シュレッダー――に掛けられ、ユグドラシル金貨へと変えられる。一年分を入れてようやくユグドラシル金貨一枚程度だが、やらないよりはマシだろう。他にもシュレッドするものがあるため、実際に一年金貨が生み出されないわけでもない。

 一方生ゴミのようにエクスチェンジボックスが一切の価値を付けない物は、恐怖公の眷属達や聖母グラントの子供達の食事になるか、第七階層の火山へ放り込まれる。激熱を前にゴミ達は一瞬で蒸発する。

 以前は全て火山へ放り込まれていたが、リサイクルと言う言葉をアインズが創造したのでナザリックは非常にエコだった。

 エクレアは今日もフラミーの部屋のトイレをピカピカにすると男性使用人に命令を下す。

「私を運べ!」

「イー!」

 エクレアは小脇に抱えられると、次なるトイレを目指した。

 トイレは一日四回掃除している。大雑把に朝、昼、夕、晩だ。本来ならば使用ごとに掃除するべきだと思うが、アインズに「フラミーさんがトイレに行けなくなる」と止められた。

 エクレアを抱えた男性使用人は斜め向かいの部屋に着くと扉をノックした。

 しばしの時間が経ち、扉が開けられ一般メイドが顔を出す。毎日のことなので何のために来ているのかはわかっているはずだが、双方確認の手間を惜しまない。

「ご不浄の掃除に参りました。」

「お待ちください。」

 再び扉が閉まってからエクレアは部屋に招き入れられた。

 中ではアインズ、フラミーが書類を手に難しそうな顔をしている。二人の間にはお絵描きに勤しむナインズ。そのそばに立つアルベドとデミウルゴスの顔は自信に満ち溢れていた。

 エクレアを抱える男性使用人が足音も立てずにトイレへ向かう。

 気配を感じたのか、ナインズは顔を上げると瞳を輝かせた。

「おいで、おいでおいで。」

 手招かれるが、ナインズの居場所はなんと言ってもアインズとフラミーの間だ。今至高の二柱は何か難しそうな議題について真剣に考えている。邪魔することは許されない。

 エクレアはそっと下ろされると男性使用人に小さな声で告げた。

「先に行きなさい。」

「イー。」

 男性使用人達がトイレの掃除へ向かうと、エクレアは静かにナインズの下へ寄った。

「ナインズ様、おはようございます。」

 ナインズはそっとソファから降りると、机の下に潜り込んだ。

 エクレアも机の下に潜り込むと、そこには双子猫がいた。

「あれ?エクレア様だ。」「働いて!」

「しー!静かになさい。私は働いてますよ。それにしてもあなた達こそここで何をしているんですか。」

「ナインズ様のクレヨンの補充に来たぁ。」「そしたらナインズ様がここにいてって仰ったの。」

 エクレアは当然二匹の一日のスケジュールを知っている。あまりここに長居しては次の掃除に差し障りが出てしまう。しかし、ナインズの命令では仕方がないだろう。

 エクレアは明日に回せる仕事や、メイド達に回せる仕事があるか素早く頭を回転させた。

 そうしていると――

「そっと、やさしく、やさしく。ギュってしない。」

 ナインズは呟きながら、エクレアの頬を優しく撫でた。

「ッキュッ!」

「しー!」「しー!」

 痛かったわけではなく、トキメキに心臓が高鳴ったせいで思わず声が出てしまった。

「かわいいねぇ。やさしく、やさしく。」

 あまりにも優しすぎる撫で心地にエクレアはだらしなく口を開けた。

「――ナイ君?」

 フラミーがナインズを呼ぶ声がすると、ナインズはエクレアを抱き抱えて机の下から出た。左右からは双子猫も顔を出す。

「おかあたま、にゃんにゃんとね、ぺんぺん。」

「ぺんぺんも来てくれたの?可愛いねぇ。」

「へへぇ。」

「優しくね?」

「やさしく!」

 ナインズに抱えられ、幸福にドロドロに溶けていく。

(…あぁ…なんと愛らしい…。ナインズ様はいつか私の子分にして差し上げても良いくらいに愛らしい…。)

 エクレアがナザリックの支配を目論んでいるのは周知の事実だ。彼はそうあれと生み出された。

 ナインズはエクレアを抱いたままお絵描きを始めた。

 

「それで、如何でしょう?サタンの星である明けの明星を意味するヴィニエーラ様、シャハル様。他にはフラミー様と同じ紫色の肌とのことでグリシーヌ様、ヴァイオレット様、アキレア様など様々なものを考えさせていただきました。」

 メガネの奥でニコニコと目を細める悪魔の尾は軽く揺れていた。

「どれも悪くないな。それにしても、今回は"ユグドラシル"はないのか?」

 アインズはデミウルゴスに渡された娘の名前提案一覧に目を通しながら答えた。

 提案されてもユグドラシルにするつもりは無いが、あまりにも前回――ナインズの名付けの際に提案されたその名前はインパクトが強かった。

「一度御身に却下された名前を再びご提案差し上げる訳にはいきませんので。」

「ふむ、それはそうか。」

 アインズの隣に座るフラミーもアインズが眺めているものと同じ書類を熱心に読み込んでいる。

「どれも可愛いですねぇ。」

 可愛いが、ピンと来る物がない。

 名付けとは難しいもので、ナインズが横文字の名前だったために今更和名を付けるわけにもいかず、二人は手をこまねいていた。

 幾つか二人も名前を考えてはいるが、"ナインズ"のようにこれぞと思える名前が思い付かない。

 四十一人の絆の証として、四十一が最小素数のオイラー素数の生みの親からあやかってレオンハルト――いやいや、それでは男の名前だろう。など迷走に迷走を続けている。

 アインズはナインズの名前を付けたため、第二子の名付けはフラミーに託すつもりでいるが、フラミーは毎日最古図書館(アッシュールバニパル)で目を回していた。

 名前提案書にも載っているヴァイオレットはフラミーも思い付いていた名前だが、"ウール・ゴウン"と続くとなると、語幹がいまいち良くないように感じる。

 後は菫や瑠璃が浮かんだが、やはり日本語名は"ウール・ゴウン"との相性が悪い。

「むむむむ……。」

 

 エクレアはナインズの腕の中でフラミーが唸り続けるのを眺めた。

 暫くそうしていると、ナインズはエクレアの頭に顎を乗せ、ジッと自らの作品を眺めた。

 どことなく難しい顔をしている。

「むむむ……。」

 フラミーの真似だ。顔も声もよく似ていた。

 ナインズの書いた文字はぐにゃぐにゃと蠢いている。

(これほどの物を揮毫できるとは…ナインズ様…実に素晴らしい…!)

 エクレアは心の中で拍手喝采を送った。

 

 しばしフラミーの真似をしたナインズは書いてある字の蠢きが終わると同時にフラミーに振り返った。

「あ…おかあたま、つぎ!つぎつぎ!」

 ルーン魔術師(エンチャンター)のクラスを育てることに決まったため、ナインズは今日も伸び伸びお絵描きに勤しんでいる。ユグドラシル時になかったレア職への道ということでやらせてみることにしたのだ。

 フラミーは一度名前一覧を顔の前から下ろすと、机の上に転がるピンク色のクレヨンを手に取った。

「じゃあ次はねぇ。一郎太君の文字だよ。」

「いちたの?」

「そう。U(ウル)、牛さんだよ。モーモー、可愛いねぇ。力と勇気が出る文字なんだって。」

 フラミーの書いた文字がぐんにゃりと歪んでいくと、ナインズはおかしそうに笑った。

「あはぁ!もーもー!いちたのU(うる)!」

 ナインズが何度も何度も同じ文字を書き始めると、フラミーは再び名前一覧に視線を落とした。

「おとうたま!みてる?ね、みてる?」

 蠢く文字がびっしりと書き込まれた画用紙を見せ付けるナインズの顔は誇らしげだ。

「うんうん、見ているぞ。すごいな、父ちゃんが書いてもぴくりともしないんだから。お前は本当にすごい男だ。」

 ぐりぐりと撫でられるとナインズの相貌が崩れる。

「あるもでみでみも、みて!」

「素晴らしいですわ。ナインズ様に出来ないことなどないのでしょう!」

 アルベドが答えることで、エクレアはナインズにアルと呼ばれたのが誰なのかを理解した。

(私はぺんぺんですよ。ふふふ。一番ひねりのある光栄なお名前を頂戴しています。)

エクレアはにひりと嘴を持ち上げてアルベドを見た。名前を千切っただけではない素晴らしいニックネームだ。

「は。流石ナインズ様でいらっしゃいます。これほどお若くして魔法を身に付けるなど、そう出来ることではございません。」

 デミウルゴスからも讃賞されると、ナインズはメイド達を手招いて画用紙を見せつけた。大絶賛の嵐にアインズとフラミーが軽い苦笑を漏らしていると、部屋にノックが響いた。

 ナインズの作品を褒めるメイド達の代わりにデミウルゴスが来客を確認する。

 

「――アインズ様、セバス達が参りました。」

 エクレアは直属の上司の到着にナインズの腕の中で少し背筋を伸ばした。

「準備ができたようだな、入れてやれ。」その号令でセバスとコキュートスが入室してくる。「――さて。揃ったところで…ナインズ、お出掛けだぞ。お片付けしなさい。」

 ナインズは立ち上がったアインズを見上げると、クレヨンを箱に戻し、お絵かき帳を閉じた。

 エクレアも膝から下ろされる。

「ぺんぺん、おたかづけ?どこ?」

「いえ、私はこれからご不浄の清掃に参りますので、こちらにて失礼いたします。」

 エクレアが頭を下げるとナインズもそれを真似て頭を下げた。

「ぺんぺん、にゃんにゃん、ばいばい。」

「は!」「はーい!」「失礼しまーす!」

 ナインズはお絵描きセットを抱えて部屋の隅のナインズプレイコーナーへ駆け出す。その先には純金で装飾された美しい宝箱があった。冒険者がそれを見つけたら、どんな素晴らしい宝が入っているのかと胸を躍らせるに違いない。

 しかし中にはお絵かきセットや積み木セット、木琴、死の騎士(デスナイト)人形、子山羊ぬいぐるみ、パズル、聖書、絵本と期待するようなものは入っていない。いや、どれもナザリックで作られた一級品だ。やはり、宝箱と言っても差し支えないかもしれない。

 ナインズがきちんと片付けを終えた様子を確認すると、アインズは転移門(ゲート)を開いた。

「デミウルゴス、後は任せて良いか?」

「もちろんでございます。――アルベド、セバス、コキュートス。呉々も御方々を頼みますよ。」

「任せてちょうだい。きちんと護り抜くわ。」

「ご安心ください、デミウルゴス様。」

「デハ、行ッテクル。」

 大人達がやり取りをする横で、ナインズはフラミーに駆け寄り、手を引いた。

「おかあたま、おかあたま。」

「ナイ君は海、初めてだもんね。楽しみだねぇ。」

 一行はアインズの開いた転移門(ゲート)へ入って行った。

 

 部屋に残ったのはデミウルゴス、双子猫とエクレアだ。

「…それで、君達は?」

 デミウルゴスに尋ねられるとエクレアはフリッパーを上げた。

「私は掃除です!それ以外に何の仕事があるでしょうか?この私以上に丁寧な掃除が出来る者はおりません!」

「素晴らしい。君の仕事こそ重要なものだ。この階層を汚くしてしまっては、至高の御方々に対する侮辱とも捉えられよう。」

 微笑んだデミウルゴスは続いて双子猫へ視線を送った。

 再び尋ねられる前に背筋を伸ばした二匹が声を上げる。

「ぼ、僕達ナインズ様に言われたの。」「ここにいてって言われたの。」

「――そうですか。それも重要なことです。」

「じ、じゃあ僕達行くね。」「ナインズ様いないからお掃除行くね。」

 猫達は最も恐れる悪魔の逆鱗に触れないよう、そろり、そろり、と抜き足差し足で歩き出し、扉が近づくと一気に部屋を飛び出した。

「…やれやれ。エクレア君、あれらの教育はもう少し厳しくしなければいけないよ。」

「かしこまりました。全く第九階層を走るなんてとんでもない。」

 エクレアが腰にフリッパーを当てていると、男性使用人にひょいと体を持ち上げられた。

「では、私はご不浄のチェックへ行きますので。」

「あぁ。今日はセバスも外出だ。ナザリック地下大墳墓、九階層は君の手腕にかかってる。」

 エクレアは小脇に抱えられ、クールに立ち去った。

 

+

 

 浜辺には見渡す限り、赤紫色の丸い玉型の花が群れて咲いていた。

 今アインズとフラミーの前には余りにも小さな女の子を抱えるツアレと、それを支えるセバスがいた。

「――クリス。クリスと名を与えます。」

 フラミーはアインズと話し合った名をツアレへ告げた。

 フラミーは真面目な顔をしているし、アインズも満足げだ。

 

 しかし、ここにフラミー以外のギルドメンバーがいたら半数は反対しただろう。

 

 ぶくぶく茶釜がいれば「クリス・チャン?…キリスト教徒(クリスチャン)!?モモちゃん何考えてんの!?」と言っただろうし、ウルベルトがいれば「そんな一発ギャグみたいな名前があるかよ!!」と言っただろう。

 しかし、フラミーは一発ギャグのようなセバス・チャンを思い付いたたっち・みーが付けそうないい名前だと大層乗り気で、「アインズさんはやっぱり私たちのギルマスです!」なんて脳みそが溶けた様なことを言った。

 では、当のたっちがいたら何と言っただろうか。恐らく彼なら――「モモンガさん、クリスチャンの名前はほとんどの場合、男性名ですよ。女性名ならクリスティーナです。」と、そう言ったに違いない。

 幸いこの世界にキリスト教徒(クリスチャン)はいないし、女性名クリスティーナの愛称はクリスだ。

 セバスとツアレは響きとしてまともだったことをアインズではない真の神に感謝するべきだろう。下手をしたらツアスやセバレアと名付けられるところだったのだから。

 

「神王陛下、光神陛下。素晴らしいお名前を頂戴しまして、心より感謝申し上げます。それと同時に、この子は私の子である以前にセバス様の子であると、しかと胸に刻みます。」

 ツアレが深々と頭を下げると、セバスも共に頭を下げた。

「――ツアレ、クリスは一郎太、二郎丸と共にコキュートスに鍛えさせる事になる。場所はナザリック、第六階層だ。もちろんセバスが師範をしても良いぞ。仕事に支障がない程度に、だがな。」

 頭を下げている二人は、神に与えられた子を神に返さなくてはいけない事に痛みを感じた。

 特にツアレの痛みは筆舌に尽くしがたい。

 名を分け合った愛妹であるニニャと二度と会えなくとも、我が子と共にありたい――そう、思ってしまう事は悪い事だろうか。まだ目も見えていない、生まれて一週間ほどの愛しい娘は「ぷぁ…」と声を上げた。

 たった一人の妹を捨てたとして、誰がツアレを責める事ができよう。

 この可愛い我が子の成長をそばで見守りたい。

 ――ツアレは震える唇を開いた。

「へ……陛下方………。わ、わたしは……わたしも……クリスと………クリスと………。」

「ん?何だ?」

 恐れ多くも一度断ったことを、今更白紙に戻して自分を受け入れて欲しいなど、都合がいい。

 しかし、ツアレはついにその言葉を口にした。

「クリスと共に…私もナザリックへ……お連れください……。」

 花咲く砂浜に額を擦り付ける様は哀れですらあった。

 セバスはニニャと離れ離れに暮らす事になっても良いのかと、我が子を抱くツアレの震える背中を見つめた。瞳は驚きに彩られており、共に頭を下げるべきなのか判断が付かない様子だった。

 ナインズを抱いているコキュートスは考える。この愛する至高の存在と離れ離れに暮らす事になる痛みを。

「――元よりそのつもりだ。ツアレ・チャン。」

 アインズの声は涼しげだった。

「ありがとう……ございます………。」

 ツアレは別れの挨拶をニニャに告げて来るべきだったと思うと同時に、ニニャは明日我が子に会いに来ると手紙をくれていた事を思い出した。

 ニニャは今も、二人で暮らしたエ・ランテル西二区にあるコンドミニアムで暮らしていて、ペテルと日々を送っている。

 セバスとツアレが暮らした闇の神殿の隣の館は、明日にはもぬけの空かもしれない。

 しかし、ツアレに後悔はなかった。

「ツアレ、面を上げろ。」

 アインズの言葉に従い、ツアレは顔を上げた。

「はい……陛下……。」

 人の身の神はかくも美しい。初めて骸の(かんばせ)を見た時は恐ろしさに足が竦んだが、ツアレは神の人としての身と同じくらい、骸の身も愛し、敬っている。

 アインズは静かに微笑んでいた。

 そして――

「ツアレさん、出入りは第六階層だけですけど、許してくださいね。」

 フラミーの言葉の「出入り」と「許して」の意味がわからず、ツアレは瞬いた。

 隣にいたセバスはすぐさま頭を下げた。

「――アインズ様、フラミー様。御温情を…誠に、誠にありがとうございます…!!」

「気にするな。フラミーさんのお茶会だって月に一度は第六階層で開かれているし、シャンダール達だって週に三日は第六階層に来ている。意味があり、フラミーさんとナインズに危険が及ばない事ならば、許可をするのは当然のことだろう。だが、稽古は一人で走れるようになってからだ。それまで、クリスにおかしな職業(クラス)を取らせない様に気を付けろ。」

 一人置いてけぼりのツアレはポカンとアインズを見た。

「ツアレさん、大丈夫ですよ。稽古って言っても一日中じゃないですから。ちゃんとコキュートス君が様子を見ながら無理のないようにします。ねぇ、コキュートス君。」

 フラミーが尋ねると、コキュートスはガチンと大顎を鳴らした。

「ハ。勿論ソノ様ニ致シマス。体力ガ着イテ来ルマデハ一日長クトモ一時間。週二日程度カラ始メマス。」

「ね、これなら女の子でも安心でしょう。稽古の時にはセバスさんと一緒に第六階層で見てれば良いですから。」

 セバスはツアレの様子がおかしい事に気がつくと、その肩を叩いた。

「――ツアレ。御方々はあなたがナザリック第六階層をクリスと共に訪れ、そしてエ・ランテルに帰ることをお許しくださったんですよ。」

 ツアレの脳にこれまでの言葉の意味の数々が染み込んでいく。

「あ………ぇ………そ、そんな……。」

「セバスの言う通りだ。ツアレ、お前が第六階層以外を自由に移動することは依然として許可できないが、第六階層をクリスと共に訪れる事は何の問題もない。暮らさせてやれなくて悪いが、これで許せ。」

「ッ……へ、へ……か……!ぅ…、ぅぁ……うぁぁぁぁ!」

 ツアレはクリスを抱いたまま泣いた。

 彼女はこれ以上ない温情に感謝した。もう何も望みはしない。ただ、ただ幸福だと泣き続けた。

 涙に溺れそうなツアレの感謝の言葉は浜辺に響き、ナインズは訳もわからず、コキュートスの首にすがった。

「じい?」

「…オボッチャマ。オ父上トオ母上ハ素晴ラシク、慈悲深イ神々デゴザイマス。」

「よしよしする?」

「イエ。ソレハセバスノ役目デショウ。」

 

 アインズとフラミーはそんな厳しい訓練をさせられると思っていたのかと苦笑した。

 

+

 

 ツアレが泣き止んだ頃、フラミーは浜に咲く花をいくつも摘んだ。

 ナインズもそれを手伝い、束にするとフラミーに渡した。

「はい!」

「――ありがとう。」

 フラミーはそれをひとつの大きな花束にすると海へ向かって投げた。

「あぁー!」

 ナインズはせっかく摘んで母へプレゼントした花が流されていってしまう様子に残念そうな声を上げた。

 フラミーはナインズに何も言わず、胸に光る光輪の善神(アフラマズダー)の前で手を組んだ。

 護衛としてそばに着いているアルベドとヴィクティムも同じように手を組む。二人とも痛みを堪える様だった。

「元気にしていますか。そっちで足りないものはないかな。あなたとも…こうしたかった。今年は来るのが遅くなってごめんね。春は外に出られなかったの。あのね、今度は妹が生まれるんだよ。――私の可愛いミア。」

 フラミーがそう言うと、ナインズは不思議そうにフラミーを見上げた。

「みあ?」

 その問いにフラミーは答えなかった。

 MIA。フラミーは昔、アーベラージというゲームにハマったギルメンからMissing In Actionという言葉を教えられた。

 戦争で行方不明になってしまった兵の事を指す言葉らしい。

 フラミーは欠けてしまったあの子をミアと自分の中だけで呼んだ。

 

「…フラミーさん!」

 アインズが呼ぶ声がすると、フラミーはナインズの手を引いて海から踵を返した。

「はぁい!」

「おいで。ほら、見てください。」

「何です?」

 覗き込んだ先では、ツアレが沢山の花を一列に編んでいた。

「――わ、可愛いですね!これ、どうするんです?」

 フラミーが笑うと、ツアレは腫れた目で照れくさそうにした。

「は、はい!光神陛下、女の子たちは皆これを摘んで花冠にするんです。」

「花冠?」

 アインズもフラミーもそんな物は見たことも作ったこともない。

「えぇ、見ていてください!」

 ツアレは糸のように細い茎を引っ張り、いくつも花を摘んだ。海は深く濃紺に煌き、太陽は残暑に燃えている。

 花畑に座り込む五人は赤紫に埋もれるようだった。

「これをこうして――」

 器用に茎同士を絡めて編んでいく。

 アインズは手近な花を摘んだ。

「どれ、私もやってみよう。」

 波が打ち寄せる穏やかな音と、花の周りを飛ぶ見たこともないような色の蝶達が落とす影の変化だけが時間の経過を知らせる静かなひとときだった。

 ツアレはあっという間に花冠を二本作り上げると、一本をうやうやしげにナインズに差し出した。

「殿下、こちらを。」

 ナインズはそれを受け取ると花冠とツアレを交互に見た。

「ふふ、こうでございます。」

 ツアレはセバスに抱かれて髭を引っ張っているクリスの頭に乗せた。

「あぁー!」

 ナインズは納得行ったようにそれを頭に――乗せられなかった。

「いけません、ナインズ様!そのような下――」と、アルベドが言ったところでアインズが口を開いた。

「――フラミーさん。」

「あ、はひ。」

 ナインズを咎めるアルベドを咎めようとしていたフラミーの手を取り、細い腕に結びつけてやると、半端な花冠はブレスレットになった。

「わぁ、可愛い!」

 腕に括り付けられたれた花冠はフラミーの肌の色によく似ていた。

「ツアレが作ったやつの方が綺麗ですけど。」

 照れ臭いような顔をしたアインズに首を振り、フラミーはすぐにブレスレットに<保存(プリザベーション)>を掛けた。花は魔法がかかったことを知らせるように僅かに光を漏らした。

 アインズが捧げ、フラミーが身に付けたものを下賤と言うわけにはいかず、アルベドは止まったナインズを促した。

 ナインズはそっと花冠を頭に乗せると嬉しそうに笑った。

「アインズさんが作ったのも、とっても素敵です。私、大事にしますね!ねぇツアレさん、このお花って――ツアレさん?」

「どうかしたか?ツアレ。」

 ツアレはじっとアインズ達を見つめていた。セバスがコホン、と咳払いをする。

「――っあ、はい!も、申し訳ありません!」

「このお花、なんて言うお花なのかなと思って。それより、大丈夫です?」

「も、申し訳ございません。ただ――その、陛下方と殿下が…あまりにも素敵で…。」

 ツアレは眠る前にも夢を見ているのではないかと、夢の様な光景を前にわずかに瞳を潤ませた。

「まったくおかしな事を言うな。」

「ツアレさんとセバスさんだって素敵ですよ。」

 フラミーがそういうと、ツアレは軽く目元から涙を払った。

「素晴らしき陛下方、素晴らしき殿下。生涯の忠誠を誓います。」

 ツアレの頬は花のように赤く染まった。

 アインズはこの視線は知っていると思った。一般メイド達がアインズへ向ける視線だ。もしくは聖典や神官が向ける視線だ。

「……期待している。それで、この花はなんて言うんだ。」

 ツアレは家族で二度だけ海に来たことがある。この花冠、ひとつは明日ニニャにあげようと決めている。きっと懐かしがることだろう。

「これは"アルメリア"と言います。"海のそばに"と言う意味だと、母が教えてくれました。」

「海のそばに――。」

 フラミーが海を眺めながら呟いた。

 世界征服を決意したときも、初めて二人で出掛けてミアを見送ったときも、ナインズに名を与えたときも、いつでも二人のそばには母なる海があった。

 フラミーの視線の先に過去の多くを見たアインズは更に一本摘んだ。

「それに決めますか?」

 左手を取り、指輪(リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン)の煌めく指にアルメリアを結んでやる。

「大事なこと、簡単に決め過ぎかな?」

 アインズは笑うと首を左右に振った。

「簡単じゃないさ。ずっとどうしようか悩んでたじゃないですか。」

 二人が何を決めようとしているのか分からず、ツアレは黙って話に耳を傾けた。

「――アルメリア。全ての命が生まれて帰っていく海のそばに。私達が見られるはずもなかった美しさに添い続けて。」

 フラミーが腹を撫でるとアインズは静かに微笑んだ。

 ナインズが四十一人の絆の証だとしたら、アルメリアは二人の絆の証だろう。

「守護者たちに提案はもう良いって言わないとな。」

「ふふ、きっと皆またダメだったかってガッカリしますよ。」

 二人は静かに笑い合った。




皆様、セバス娘と第二子にいろいろな名前のご提案を頂きありがとうございました!
セバス娘はエマにしようかと思っていたんですが、話を書いていたら唐突にクリスチャンという名前を思いつき急遽変更。
ちなみにアルメリアちゃんは最初ヴァイオレットにしようと思ってたんですが、皆様から色々な名前を頂戴すればするほどヴァイオレットは却下になりました。エバーガーデン。

それでは本編でご紹介し切れなかった名前の候補達の細かい説明をこちらで。
アルメリア(赤紫色の花で、本編通り海のそばにと言う意味があります。開花は日本なら3〜5月らしい…。)
シャハル(ヘブライ語で夜明け)
ヴィニエラ(ロシア語で明けの明星=サタンの星)
アキレア(赤紫色の花)
グリシーヌ(藤)
ウィステリア(藤)
ヴァイオレット(菫)
ヴィオラ(菫)
レオンハルト(41が最小素数のオイラー素数を生んだレオンハルト・オイラー先生にちなむ)

もし弟だったらレオンハルトだったかな…。
いつか弟が生まれることがあれば…いや、長いかなぁ。
ちなみにオイラー素数は「 E(n)=n^2+n+41 」のnに39までの数字を代入すると全部素数になるらしいっすよ!すごいっすね!
最小素数の41は、当たり前ですが0をいれると作れます!
40をいれると1681で、41x41の合成数です。
ここでまた41っていうのが美しくて気にいってはいるんですけど…レオンハルト・ウール・ゴウン。うーん、これはキザキャラ。


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#114 閑話 頑張れ!プレイヤー君

「産まれたか!!」

 執務机に向き合っていたアインズは椅子を転がす勢いで立ち上がった。

「はい、ご覧になりますか?」

 一方アルベドはどこか興味なさげな雰囲気だ。

「ご覧になるに決まってるだろう。九太!お絵描きは中断だ、行くぞ!」

「いく?」

「あぁ、良いものを見せてやろう!」

 そう言ってナインズを抱き抱えると、転移の指輪を輝かせてアインズの姿は消えた。

 アルベドは支配者達の居なくなった部屋で呟く。

「まぁ……多少は役に立つものね。」

 

+

 

「フラミーさん、ペストーニャ!」

 木製の家にアインズの声が響く。

「わ!アインズさん、ナイ君!」

「アインズ様、お仕度がありますのでもうしばしお外でお待ちください、あ、ワン。」

 フラミーとペストーニャの微笑みにナインズが近付こうとするが、アインズはナインズを抱えて一度外に出た。

 第六階層の湖は偽りの太陽を反射して今日も美しい。

「あ!ナイさまだぁ!」

「あ、いちた!」

 一郎太がワッとナインズに近付いてくると、アインズはナインズを下ろした。

「九太。梅子と二郎丸はまだ会えないそうだから、お話ししてきなさい。私は少し急ぎすぎたようだ。」

「はぁい!」

 ナインズは転ぶ勢いで駆け出すと、一郎太と手を繋ぎあった。

 一郎太はナインズより半年遅く生まれたが、カルネ区に通う小学二年生の蜥蜴人(リザードマン)兄弟と同じくらい背が伸びている。

 ナインズは一番のおチビさんだ。

「ね、ナイさま。ボク弟ができたんだよ!」

「おとと?」

「うん!今産まれた二郎丸は父上の弟君の子だから、ボクの弟でもあるんです!」

「はぇ〜。」

 一郎太が一生懸命説明しているが、ナインズは分かったのか分からないのかよく分からない返事をした。

 アインズはその様子があまりにもフラミーに似ているので小さく笑い声を漏らした。

「――アインズ様、二郎丸と梅子の仕度が整いました。」

 家の中からペストーニャが声をかけると、中からは一郎二郎に介助されながら、歩いて赤ん坊のミノタウロスが出てきた。その後に出産したばかりの梅子と手を貸す花子、フラミーも出てきた。

 今日、梅子が産気付いたと聞いたフラミーは第六階層へ飛び出していき梅子の背をさすって過ごした。

 母としての苦労、魔法で癒すことができない痛みを知ってしまったフラミーは共にナザリックに生きる梅子に何かしてやりたかったようだ。

 アインズもフラミーも、気まぐれで餌付けをして庭先で暮らすようになった野良猫が出産した程度の感慨しか持っていなかったが、庭の土壌を改良するミミズが繁殖していると思っているアルベドよりは余程心を動かされているだろう。

 庭に住んでいる野良猫が出産するとなれば、タオルくらい用意してやろうと思ってしまうのが人情だ。苦しんでいれば頭の一つも撫でてやりたくなる。

 

 二郎丸は震える足でなんとか立とうとしていた。

「神王陛下、これが二郎丸にございます。」

「もう歩かせるのか。流石にミノタウロスは早いな。二時間程度で歩くようになるんだったか?」

「は。一郎太も二時間ほどで歩き出しました。」

 一郎太は父達に手を引かれる二郎丸に手を伸ばした。

「…これが、ボクの弟。」

「あ!いちた、そっと。やさしく、やさしくね。ギュッてしちゃ、だめ。」

 ナインズが一郎太に注意すると、一郎太は頷いてから優しく二郎丸を撫でた。

「いちた、どう?」

「ナイさまの方が可愛かったです。」

「へへ、ないくん、かわいい。」

 一郎太の方が年下だと言うのに、褒められたナインズは嬉しそうだ。が、聴いているペストーニャは何を当たり前のことを言っているんだろうと思った。

「一郎太、それでも二郎丸はお前の大切な身内なんだ。弟同然だぞ。」

「兄者の言う通りだ。お前達は賢王の血を引く証を持つ赤いミノタウロス。手を取り合ってナインズ様にお仕えし、コキュートス様のように神の地ナザリックを守護するんだ。」

 一郎と二郎の言葉に、一郎太は力強く頷いた。二郎丸はまだ何も理解できていない。

「ボク、コキュートス様みたいになる!頑張ろうね、二郎丸!」

 一郎太は二郎丸の手を取ると歩幅を合わせてゆっくり芝生へ踏み出していった。ナインズも後を追う。

「――一郎、二郎。ミノタウロス達は五歳から小学校へ通うのが通常だが、一郎太はナインズが六歳を迎えるのを待って、二郎丸はアルメリアが六歳を迎えるのを待ってから入学でも良いか。」

 アインズの問いに一郎は当然と頷いた。

「私達は神王陛下とフラミー様にお仕えする為にコキュートス様に救われたのです。国もミノスもお助けいただいているのですから、私から言うことはありません。どうぞ御身の御心のままに。」

「兄者の言う通りです。一郎太と二郎丸もその方が喜びましょう。」

 ミノスは支配者のお茶会でここに来たとき、お付きのミノタウロスを置いてこっそりと賢王と王弟に密会した。ミノスは本当の王達が生きる事を知っているただ一人のミノタウロスだから――。

「すまんな。お前達の祖先は私と同じプレイヤーだ。あるべき場所に戻ってきたと思って欲しい。」

 アインズは二郎丸の手を引く一郎太とナインズを眺めて告げた。この二人のミノタウロスをナザリックに回収した事をツアーはかなり喜んでいた。ただ、繁殖はさせるなと言っていたが。

「陛下、どうか謝らないでください。ナザリックこそ私達の居場所。」

「我らが賢王も神に近しい存在だったと知れただけで、私達兄弟は幸せです。」

「助かる。ナザリックからお前達兄弟が出られる日は来ないかもしれんが、お前達の子は外に出す。その頃にはミノスが即位して十年とは言え、本国のミノタウロス達が騒ぐかも知れんが――ナザリックで生まれた者とだけ告げよう。」

 アインズとて人の子の親になってしまった。これまでNPC達を自らの子供だと定義してきたが、血の繋がる息子を前にしカルマに振り回される前に抱いたような感情を多く思い出した。

 同情や憐憫を以前より感じやすくなったのだ。――が、同時にフラミーと息子が暮らすナザリックの為ならば真実の魔王にも神にさえもなれるだろう。大切な者達と、それが暮らす世界を美しいままで保つ為にアインズは振り向かない。

「私達の生きる地はナザリックでございます。ここで生み出された多くの者が外など知らずに生きてゆくのでしょう。私達兄弟は、もう一生分の外を知ったのです。」

「…そうだな。その通りだ。」

 一郎太と二郎丸はナインズとアルメリアのために生み出された新しい守護神であると人々が噂するようになるまで後四年。

 当人達も生まれた時から仕える事を言い含められてきた為その噂を否定はしなかったし、むしろそれを誇りに思ったらしい。

 そして、来たる六十五年後の夏。ミノタウロス王国の人間家畜業者がなくなり、真なる賢王と称えられるミノス王が退く時。アインズへと全権を移譲され名を変えたミノス州に立つのは立派に育った一郎太と二郎丸であるが――今はまだその事を知る者などいようはずもなく――その時にパンドラズ・アクターが自分の読みきれなかった創造主の完璧なる万年計画に拍手喝采を送ったのは当然のことだ。

 ミノス州の民は神々が伝説の赤毛の指導者を与えたと二人を快く迎える。一郎太と二郎丸は本来自分達が導くべき民を導き続けたミノスへの感謝を忘れる事はなかった。

 二人がナザリックを出ても、一郎二郎兄弟は変わらずナザリックを出ることなくコキュートスや新しくナザリックへ迎えられた者達と楽しく暮らした。

 定期的にナザリックに帰ってくる二人の息子を褒めたり叱ったり、ミノス州は更に繁栄して行く。

 その頃には人間を食べる国家だけでなく、人魚(マーマン)の生肝を食べなければ老いが倍のスピードで進んでしまう種族の国や、茸生物(マイコニド)しか食べない種族の国などを友好国とし、毒抜きと言う名の国民食い脱却を進めていた。デミウルゴス牧場では相変わらず品種改良――見た目と知能を元の種族から変える悪魔の実験――が日々進められる。時には無自覚な同種食いも発生し、それによる病気が蔓延したりと四苦八苦するが――デミウルゴスにとってはそれもまた一つの余興だろう。

 

 実効支配が行き届いても、世界中が神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国へと名を変えるまでは随分と時間がかかった。

 

 しかし、遠い未来、全ての地域の改名が終わる頃にはアインズも思う。

 

 世界中が神聖・アインズ・ウール・ゴウン魔導国になってしまったら、この言葉は「地球」を示すようなものではないのかと。

 

 皆が神聖魔導国民の世界。それは誰もが地球で暮らす地球人であることと同じかも知れない。もしくは銀河の太陽系で暮らすことと同じかも知れない。

「私は太陽系第三惑星地球の日本で生まれました」と名乗る者がいないように、「私は神聖魔導国のスレイン州の者です」と言う者はいなくなるだろう。

 それはアインズ・ウール・ゴウンの浸透と同時に忘却を意味するかも知れない。

 

 その時現れたプレイヤーが果たして、いつ、どのタイミングでこの地が全てアインズ・ウール・ゴウンによって支配されていると気付けるのかと言うことは誰もが抱いて然るべき疑問だろう。

 

 あるプレイヤー達の場合――――。

 

 転移を果たし、彼らは自らのギルドホームで首をかしげる。

「何でログアウトし(落ち)ないんだ?」と。

 そして、他のログアウトしていないプレイヤーを探すためにギルドホームを後にする。

 ギルドホームを出ると見た事もない巨木の群れ、味と香りのある清浄な空気、命を育む水のせせらぎ、透き通る大気の向こうで燃える太陽。

 何かがおかしいとギルドホームに戻れば、蛇型のNPC、金羊裘の番龍(コルキアンドラゴン)に尋ねられるのだ。

絶対王者の金羊裘(トワゾンドール)を持つべき王達。何が起きたのでしょう。」と。

 彼等は総数二百種類ある世界級(ワールド)アイテムのうちの一つ、絶対王者の金羊裘(トワゾンドール)を守るNPCを生み出していた。大した力を持たない世界級(ワールド)アイテムだが、彼等にとっては文字通り二つとない宝物だ。

 NPC達との話し合いを終え、正当なる王達は世界に繰り出す。

 ギルドホームが出現した場所から数時間森の中を歩けば、川に囲まれる美しい街に差し掛かるだろう。

 川には橋がかかっていて、そこの検問で理性的なゴブリンや蜥蜴人(リザードマン)、人間に尋ねられるのだ。

「ようこそザイトルクワエ州北管理塔へ!皆様はザイトルクワエ州は初めてですか?」と。

 プレイヤー達が意気揚々と初めてである事を告げる。

「商売ですか?観光ですか?冒険ですか?移住ですか?ご商売なら許可証を、移住ならいらっしゃった州の転出届をご提示ください。」

 まるきりリアルの税関のような問いに、プレイヤー達は声を揃えて答えるだろう。

「「「冒険です!!」」」

「では冒険者プレートをお願いします。」

「冒険者プレート?」

 プレイヤーが首を傾げたところで川の検問官は苦笑する。

「…冒険者になりにいらしたという事ですか?またアングラウス剣術道場への入門者か。」

 人間の検問官の隣でゴブリンが手際よく入都許可証を書き、「わかってるでしょうが、ここと、ここにお名前とご住所、種族名ね。」と読めない紙を渡してくる。

「名前と住所、種族ね。はいはーい。」

 さらさらと日本語でリアルの住所とキャラクター名を書きつけ紙を返す。

 ゴブリンは訝しむようにそれを眺めると、顔を上げた。

「これ、大神殿で使われてる神大文字だろう?あんたら、そんななりで神官なのか?」

「……そ、そうですよ。」

「ふーん。それが冒険者?修行の一貫すか?」

「ま、まぁ……はい…。」

「ハハハ!通りでいい鎧やローブを着てると思った。ま、精々アングラウス道場で鍛えられることですね。はい、どうぞ。無くさないように気を付けて下さいよ。出入りの時には必ず必要ですからね。そうそう、アングラウス道場と冒険者組合は水上バス(ヴァポレット)で南一区、光の神殿は東一区、闇の神殿は西一区ね。」

 ボンっと判子を押され、入都許可証を渡される。

「ど、どうも。はは。」

 プレイヤー達はようやく入都かと安堵に息を吐き――これまで入都管理塔の影にあった巨木の存在に気付くのだ。

 空に向かって聳えるそれは霞がかかるほどに遠く、そして巨大だ。リアルにあるあらゆる摩天楼すらこれほど大きくはなかっただろう。巨木の周りにはこれだけ離れているというのに鳥が飛び交っているのが見える。

「――いや、あれはもしかして竜じゃないか?飛竜(ワイバーン)。」

 認識を改めながら街を進む。

 文明は魔法によって発展し、リアルとはまるで違う方法で成長を遂げている文化を前に感嘆を漏らす。

 馬車を引く魂喰らい(ソウルイーター)や船を操舵する謎のアンデッドを目撃し、低レベルのモンスターは使役されている事を知るだろう。

 この街はゴブリンを中心としたあらゆる種族の者達が行き交っている。

 実にファンタジーらしい様相だった。

「それにしても…ザイトルクワエ州だって。」

「なんじゃそりゃって感じだな。ま、ユグドラシルじゃないってことはすぐに分かってたさ。」

「どうする?ログアウトできないなんて…まずいよ…。」

「おいおい、落ち込むなよ。」

「だって…私明日バイトなんだもん…。」

「良いじゃんか。俺も明日は学校だけど、リアルなんかより面白そうだし。」

「俺も明日は本当は仕事だなぁ。」

「ねぇ、落ちる方法探そうよ。」

「そう言ったって…ここはゲームじゃなさそうなのにどうやって…なぁ?」

 プレイヤー達は押し黙った。すると、一人のお腹がグゥ〜と鳴る事で話し合いは終わりを告げる。

「とにかく、なんか食べようぜ。飯飯!」

 プレイヤー達は見たこともない文字を前に四苦八苦するが、いい匂いを辿れば一瞬だ。

「誰かお金持ってる?」

「とにかく金を稼がなくちゃ。」

「ここの代金はユグドラシル金貨で払えばいいさ。」

「金貨を(ゴールド)として先に売った方が良かったんじゃないか?」

「確かに。でも、質屋がどこにあるのかも分からないのに、こんないい匂い……我慢できるか?」

 液状食料ばかりの生活だった彼等は漂う香りにゴクリと喉を鳴らす。

 一行は店に入ると、先に座る前に店員を呼び止めた。

「すみません、これって使えます?」

「どれだい?」

 ユグドラシル金貨を受け取った女性はそれを見ると、店主を呼び寄せた。

「あらぁ…。ね、まだあれある?」

「何だ?」

「ほら、むかーし使ってたって、おばあちゃん達が大切にしてたやつ。」

「あぁ…両替天秤か。確か一番最初に出回った硬貨としまってあるはずだ。ちょっと見てくるから待っててくれ。」

 そうして彼等はたらふく食事を取り、両替料を差し引いた釣り銭を受け取る。

 紙幣や硬貨の出来栄えはユグドラシル硬貨と遜色ないものだった。それぞれ霊廟や奇妙な紋章、骸骨の横顔、美しい乙女の横顔、美しい青年の横顔などが描かれている。

 腹を膨らませた彼等は両替してもらった金で水上バス(ヴァポレット)に乗り、ある者は早く帰りたいと言いながら、ある者は美しい景色に感嘆しながら、ある者は新たな冒険に胸を躍らせて冒険者組合に入った。

 そこにはやはり多種多様な種族の者がいて、「読めないから代わりに読んで」とか「さっき帰ったところさ」とか「難しい場所の再マッピングに行ってきたよ」とかいう話しが飛び交っている。

 プレイヤーは窓口へ行き、冒険者登録をしてそれぞれ冒険者プレートを発行された。

 読解魔法を使いどの仕事に行こうかと話し合う。一人はまるで乗り気ではない。早く帰りたい、落ちたいとそればかりだ。

「――なぁ、冒険してれば帰る方法がわかるかもしれないんだしさ。」

 その言葉でなんとか話し合いは前向きになる。

「今一番簡単な依頼はトブの大森林の再マッピングと保護生物の分布調査だって。」

「まずはそれからやってみる?力試しや世界の情報集めに持ってこいだ。」

「魔物の素材回収とか怖いもんね…。」

「でも他のチームと最小三組で行けって書いてあるな。地図の出来がブレないようにだってさ。」

「じゃ、募ろうぜ!」

 プレイヤー達は保護生物の分布調査とトブの大森林の再マッピングへ出る。

 現地の冒険者達と手を取り合い、初めてのキャンプ、初めての狩り、初めての地図更新を行い――自らの圧倒的な力に震える。ただ、一人だけは魔物と戦うことはなかったが。

 そうして彼らは一週間ほどの調査から帰ってくるだろう。

 

 冒険者組合にはあっという間に最強の新米冒険者の名が知れ渡る。

「伝説のモモンみたいだ」と言われながら馴染んで行く。それが最上級の褒め言葉だと知ると、皆言いようのない満足感に浸った。

 新たな英雄様だ。

 そして、この国は神王陛下、光神陛下と呼ばれる王達によって統治されている事を知るだろう。食事前、睡眠前に感謝を皆口にしているのを聞くためだ。

 冒険を終えた夜、冒険者組合に戻ったプレイヤー達は受付嬢に告げる。

「俺達、次は結構難易度高いのいけるぜ。」

「では山脈に住む魔物の皮取り、もしくは山脈の再マッピングはいかがでしょう?今のランクで一番難易度が高い依頼です。」

「うーん、魔物狩りは一人やりたがらないのがいるからな…。ね、再マッピングじゃなくて新しいマッピングはないの?」

 プレイヤーの言葉は冒険者組合に響き、ドッと笑い声が溢れた。夜の冒険者組合は沢山の冒険者達が帰ってきて大賑わいだ。

「おいおい、見つかってない場所なんてこの世にあるのか?」「ま、海のどこかにはあるかもって言われてるよな。」「海を渡るなら海沿いの州に行ったほうがいいんじゃないか?」「見つかったら魔導勲章ものだもんなぁ。」「夢見たい気持ちもわかるさ。あれだけ強ければなぁ!」

「…海を渡らなくたって…わかんないじゃないか。」

「まぁ、それはそうだ!」

「……なぁ、初仕事は再マッピングだったけど…冒険者は他に普段何してんだ?」

 その頃の冒険者は再びモンスター退治の傭兵に戻っている。冒険者達が冒険をした――国や未開の土地を探した冒険者黄金時代を誰もが懐かしみ、プレイヤー達に聞かせる。

「昔はそれこそ新しい大陸を探しに行ったり、新しい地図を書いたりしてたらしいぜ。」

「へぇ、まるきりコロンブスの大航海時代じゃないか。」

「ころんぶす?イグヴァの大航海時代じゃなくて?」

「いいや。こっちの話さ。それで、今の冒険者は?」

「そりゃあ、今回と同じさ。つまり、素材採集の為の魔物の討伐や先輩諸氏の作った地図の更新って言うわけ。強力な魔物が暮らす所ほど値が張る。地図は年に一回神都に集められて最新版が世界中に出回るだろ?世界中の冒険者が毎日出かけて地図の更新をし続けている証さ。川も変わる、海も変わる、森も変わる、浜も変わる!この世は常に生と死が混在するんだからな!」

 冒険者が最新のマップと、去年のマップを見せてくれる。衛星写真がない世界というのは地図ひとつもマンパワーにかかっているらしい。

 プレイヤーはそれぞれマップを手に取り見比べると、軽く笑い声をあげた。

「ははは、これじゃあ冒険者は討伐屋か地図屋じゃないか。それにしても、地図は見に行ったと称して働かない奴とかいるんじゃないか?いくら三チーム以上で見張りあうって言ったって、三チームがグルでサボることもあり得る。」

「…お前、罰当たりな事を言うなぁ。そんな事言う奴は初めて見たよ。前人未到では無いにしても、世界中を見て回って冒険して地図を描き続けるんだぜ。区域ごとの地図には更新した冒険者達の名前も書かれる。名誉じゃ無いか。」

「…そうか?な、あんた。あんたが今まで受けた中で一番ワクワクした仕事はなんだ?」

「一番ワクワクした仕事って言ったら、そりゃあ――」

 

 そして知る。

 神の裁きを受け業火に焼かれた遺跡に踏み入れ、遺跡から有用な物を持ち帰る仕事の存在を。――この地に神が生きる事を――。

 

「――神ぃ?」

 プレイヤーの一人が口にすると、また一人プレイヤーが続く。

「火山か何かが噴火したんですか?裁きの業火なんて、すごい名前ですね。」

 

 冒険者組合にいる者達は全員が呆然とプレイヤー達を見るだろう。

「……あんちゃんたち、なんなん(・・・・)だ?」

 そのあまりの異様な雰囲気に、帰りたいと言っていたプレイヤーは再び帰りたいと強く思う。

「…え?何ですか?」

「お祈りもしてる姿を見なかったし……信じらんねぇ、神殿に報告した方がいいんじゃないか?」

 皆が口々に神殿という言葉を繰り返し、ついには神官が呼び出される。

「神官様!こっちだ、こっちだ!」

「どれどれ、記憶喪失の冒険者ですって?」

「小学校で習ったようなことまですっかり忘れてるみたいだ。こいつら、一週間前にエ・ランテルに来た新入りなんだけどよ。下手したら一週間前にそう言う魔物が出たか、時忘れの草が生えちまったかもしれねぇ。」

 騒めく冒険者組合。

「可哀想に。どこのご出身ですか?入都許可証は?」

 プレイヤーは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)の中に手を突っ込み、ゴブリンに渡された入都許可証を探しながら告げる。

 

「…俺たちこの国の人間じゃないんですよ。俺たちの国には神様だっていなかった。」

 

 それを聞かされた者達のショックは凄まじかっただろう。

 

「あんたら…神聖魔導国の人間じゃないのか…?」

「だ、大神殿に報告だ!私は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)様にご報告申し上げてくる!!」

 

 神官が慌てて立ち去り、受付嬢はプレイヤーの手を取った。

「あなた達、どこから来たんですか?」

 その隣の冒険者も手をとる。

「本当にまだ見つかってない場所があんのかい?」

 途端に騒めきに支配される冒険者組合に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が駆け込み、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が燃やした巻物(スクロール)によって転移門(ゲート)が開かれる。

「共に来るのだ、人間達よ!大神殿にてアインズ様のご降臨を待つのだ!!」

「な、なんだ!?」

「ええい!早くしないか!――死の騎士(デスナイト)達よ!ひっ捕らえろ!」

 腕を掴まれた所で、外から死の騎士(デスナイト)も集合してくる。プレイヤー達は各々剣と杖に手を掛けた。

「と、捕らえって!?皆、死の騎士(デスナイト)を気絶させたらホームに一度転移しよう!」

「オーケー!」

「ユグドラシルの死の騎士(デスナイト)と同じだといいな…!」

 各自がたった一刀奮うだけで死の騎士(デスナイト)は倒れ、プレイヤー達は瞬時に姿を消した。

 後に残ったのは、僅か一ポイントの体力が残る死の騎士(デスナイト)達だった。

「――逃したなど…御方々にご報告できん!!」

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の怒りは冒険者達を僅かに震え上がらせた。

 

+

 

「はぁ、はぁ…なんなんだ…!冒険中は皆普通だったのに…!」

 プレイヤー達は帰り着くと、ドタドタとホームの中に入って行った。

「…ねぇ、大神殿に神様、本当にいるのかな?」

「あいんず様ってやつか…。」

「教祖とかキツイわぁ…。」

 苦笑に次ぐ苦笑。

「でも、本当に神様がいるなら家に帰らせてくれるかも。」

 一人の言葉と共に、冒険者に見せられたまま持ち帰ってしまったマップに視線が注がれる。

「……大神殿だっけ。」

「探してみる?」

 一同は巨大なマップを開き、一人が読解魔法を唱える。

 ザイトルクワエ州と、一番大きな文字で神都大神殿と書かれた場所を見付けた。自分たちのいる場所をぼんやり認識する。

 

「――行ってみよう。」

 プレイヤー達は装備を整え、金羊裘の番龍(コルキアンドラゴン)の背に乗った。

 金羊裘の番龍(コルキアンドラゴン)は夜空を滑るように飛び、神都大神殿を目指す。

 初めて感じる澄んだ風の流れに、皆思わず笑みが溢れた。

「お前が帰るのは勝手だけどさ!俺はここに呼んでくれた神様に感謝しちゃうよ!」

「もしかして帰らないの!?」

「帰るもんか!」

「これが夢なら一生醒めるなって思うくらいだね!」

 それぞれが希望を口にする。

 夜は深まり、地上の明かりは少しづつ光量を落としていった。

 それに連られて空の輝きは一層増し、月はどんな明かりよりも強く一行を照らした。

「――王達よ、あれが神都大神殿に違いありません。」

 金羊裘の番龍(コルキアンドラゴン)の通達に皆身を乗り出してその巨大建造物を見た。

「っひぇー!こりゃ本当、魔法の世界の建物って感じだなぁ!!」

「どちらへ降りますか?」

「あの窓の辺りでいいよ!解錠アイテムならある!」

「え?正面から入らないの?」

「ふふ、神様ってやつの鼻を明かしてやろう。本当に神様なら出し抜けないだろうし、これで俺たちの侵入を許すなら神様じゃないって。」

「そうそう。それに、もし神様って奴が俺達を無理矢理呼び出したんなら、帰る邪魔をする可能性だってある。」

 帰る邪魔をされる。そんな事を考えもしなかった者は顔を青くした。

 龍は指示に従い大神殿の窓辺に寄り、解錠アイテムによりいとも簡単にプレイヤー達は侵入を果たす。

 中は静まり返っており、プレイヤー達の足音が反響する。何人も大勢で走っているように錯覚してしまうほどに。

 多くのステンドグラスから月明かりがこぼれ落ち、この世のものとは思えない陰影を生み出す。

 美しさに囚われるのも束の間。

 彼らは大神殿の中を駆け抜ける。

 ユグドラシルの時の冒険となんら変わらない。

 大聖堂を抜けて廊下に出ると、かなり古い建物と新しい建物が一つに繋がるように建てられていることに気が付く。

「こういうところには絶対世界の秘密がある。」

「お決まりだな!」

 アーチ状の天井がかかる回廊を抜け、黄金や大理石の像が立ち並ぶ間を抜け――そしてたどり着いた場所。

 そこは何かの儀式をするような真四角のプールがあった。

 ただ、プールと言っても泳げるようなものではなく精々膝程度の深さだ。周りには白亜の石柱が並び、よく磨かれた大理石の床は夜空に浮かぶ月を映す水面と繋がるようにすら見える。

 プレイヤー達はここだと確信の声を漏らす。

 この場所からリアルへ帰れるだろう。

 ただ美しいプールがあるだけならば彼らもそんなことは思わなかった。

 しかし――

「あれを開けてみよう。」

 その言葉はプールの中央にある石の台座に置かれた一冊の本に向けられていた。

 月光に曝される本は異様な雰囲気を纏い、おいそれと触れることは許さないようだ。

 プレイヤー達は罰当たりにも鏡面の如きプールに降り、水を掻き分けて本へ向かう。

 歩みを進めるごとに波紋が起こり、プレイヤー達の顔に水面を反射した月の光がゆらめく。

 数えきれない魔法解除の魔法を掛け、ようやく開かれた本には馴染みの日本語が並んでいた。

 少し丸みを帯びた文字が丁寧に綴られるそこには、リアルの惨状を嘆き、世界にリアルの知識を持ち込まないで欲しいと言う強い訴え。

 そして、この世界にもたらす事を禁じる多くの言葉がまとめられ、最後のページには――

 

「子を生んで多くなり、地に満ちてそれを従わせよ。そして、海の魚と、天を飛ぶ生き物と、地上のあらゆる生き物を服従させよ。」

 

 突如響いた声にプレイヤー達は振り返る。

「――どうでした?私の作った絶対禁書。」

 月の光に照らされる皮膚は重い病気のように紫色で、プレイヤー達はその職業(クラス)が何なのかをすぐに悟る。

神の敵対者(サタン)…。」

 しかし、それにしては翼が――そう思っていると闇がゾワリと蠢いた。

「本当に揺り返しが来たな。私達はこの日をずっと待っていた。」

 ――ユグドラシルのネット掲示板を見たことがある者なら一度は目にしたことがある死の支配者(オーバーロード)

「……も、モモンガ…?」

「モモンガって…じゃあ…あいんずって…アインズ・ウール・ゴウン…?」

「ふふ…ふふふ…ははは。なんと懐かしき名よ。ユグドラシルプレイヤー達。私こそ、ギルド――アインズ・ウール・ゴウンのモモンガだ。そして、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が闇の神。アインズ・ウール・ゴウンでもある。」

 名乗りと共に静かに吹き抜けた風は水面を揺らすには十分だ。

「さて、まず君達には問わねばならんだろう。我が世界と絶対禁書を見てどう思ったかな?」

「わ、我が世界…?じゃあ、ここに俺達を引き摺り込んだのはお前か!!」

 神を自称する男は杖をコツコツと骨の指で叩く。そして、どこまでも穏やかに口を開いた。

「質問の答えになっていないな。だが、許してやろう。この世界に来たばかりの頃は私もよく混乱し抑制されたものだ。気持ちはよくわかる。しかし、この世界の美しさはどんな時でも変わらなかった。CGにも決して劣ることはない。君達にもそれが分かるはずだと私は信じている。さぁ――君達はそれを読み、何を思った。この世界でどう生きるのか考え、結論を教えてほしい。」

「皆さん、良いお友達になれるといいですね。私達、この日をずっと待って備えて(・・・)たんですよ。」

「おともだちって…!私達帰りたいんです!もう丸々一週間ここにいて……こんなの電脳法違反ですからね!!」

 一人が叫ぶ。

「電脳法かぁ、懐かしいなぁ。でも――その言葉は禁じました。いけませんよ?次使ったら怒ります。」

 注意されただけだと言うのに、何故か背筋は凍るようで、水に浸っている足から悪寒が込み上げた。謎の不安感に抗うように各々剣や杖に手を掛ける。

「やめておけ。もはや我々は百レベルの枷すら解いている。」

 モモンガの噂を知らないほどプレイ歴は短くない。プレイヤー達はモモンガの腹に収まる赤い宝玉を睨み付ける。

「せめてこいつだけでも帰してやれないのか。」

「残念ながら私達にそんな力はない。私は言ったはずだ。ここでどう生きるのか考えろ――とな。」

「…そうかよ。お前達を殺したらリアルに戻れる可能性は?」

「ゼロ――とは言えんな。何せ、そんな事を試したことなどないのだから。」

「じゃあ、殺してみるって言ったら。」

 開戦のゴングだと思われた。しかし、一番帰りたがっていた者が剣を抜き放とうとした者の手を取る。

「や、やめてよ!人を殺すとかおかしいよ!!私、あの人達も魔物も殺せない!ゲームじゃないのに、生き物なんて殺せないよ!!皆変だよ!!」

 たとえ狼を殺せる道具を持っていたとしても、食べもしないのに山にわざわざ分け入り狼を殺す者は少ないだろう。

 魔物だって生き物だ。普通の人間としての感覚を失っていない、リアルを生きた者にとってそれは苦痛以外の何者でもない。命を奪う作業に、望むところだと向かっていける者は少ないのだ。

「同意だな。私も無意味な殺戮は好かない。一人は話が通じそうだが――他の者はどうだ。今ならまだ聞く耳を持っているぞ?」

「………確かにここは綺麗な世界だったけど、それであんたらは人々を締め付けて満足か?」

 プレイヤーが禁書をパンっと叩く。

「あぁ、満足だとも。」

 答えは少しの躊躇いもないものだった。

「ここはシミュレーションゲームじゃないんだぞ!」

「よく分かっているじゃないか。その通りだ。ここは決してゲームなどではない。満ちる月は眠る命を照らし、大気すら息付き、森は萌える。これは管理され汚されることなくあり続けなければならない。」

「……汚してしまう危険を教えるだけで十分だって俺は思うけどな。」

「そうか。それで、君はその先になにが待つと思う。」

「本当の幸せが、誰にも操作されない真実の世界が待ってる。俺は自分がこれから暮らす世界が他人の手で操作されてるなんて気持ちが悪いね。」

「――青いな。」

「あんただって十分青いだろうが!!」

「君はリアルにいた頃、誰にも何も支配されていないと思っていたのか?生きる事は何かのルールに縛られるという事だ。人は生まれた瞬間から支配する者と支配される者に別れる。決して平等などはない。世界は不公平だ。しかし、リアルには平等だった時代もあっただろう。その結果、人はあのリアルの惨状を招いたのだ。君のいう方法では世界はいずれ崩壊する。これだけ締め付けていても科学を求めようとする者はいるのだからな。これは世界のためだ。」

「御託を!結局は世界のためじゃなくてあんた自身のためだろうが!」

 それは誠、勇者の雄叫びだった。

「ふむ、それはそうだな。では言い方を変えよう。私達が末長く美しい地で暮らすため、私はわざわざ世界の守護者を買って出ている。君達は私の守護領域で与えられるものから幸せを産めばいい。それに納得し、静かに暮らすと誓え。然すればお前達にも神の座が待つ事を約束しよう。」

 伸ばされる骨の手を掴もうとする者はいなかった。

「魔王が!!」

 答えは明白だ。

「――残念だが、仕方がないな。では、最後の良心として君達に平等を与えよう。」

 アインズがそう言うと、帰還を望んでいた者は瞳を輝かせた。

「死だけは全ての者に与えられる平等。つまり、私だ。死の支配者たる私による慈悲のみが、この不公平な世界における絶対の平等、手向けだ。」

 

 これは遠くも近い未来に起こる戦争だ。

 彼らは限界突破の指輪と始原の魔法を前に命を散らすだろう。

 神々は遥かなる刻の流れの中で、何度も出会いと別れを繰り返す。

 時には町や愛する自然を巻き込む激しい戦いに身を投じ、取り返しのつかない破壊に咆哮を上げるだろう。

 また、ある時には理解のある者と手を取り合うが、カルマに振り回され身を滅ぼす姿に嘆く夜もあるだろう。

 負に偏れば、強い支えを持たない者はいつか魔神となる。

 正に偏れば、牧場の正体に耐えきれずいつか魔神となる。

 中立であれば、育って来た感覚を忘れられずリアルへの帰り道を探す流浪の旅人になる。

 

 世界は百年のたびに神の力を思い知る。

 現存する神々を前に神話は綴られ続ける。

 それの全てを追う事などできようはずもない。

 彼らはいつまでも絶対なる神々として君臨し続ける。

 愛する全てのために。




最終回みたいだ
次回#115 閑話 小さな命
ふぅ、今度こそお嬢だ!!


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#115 閑話 小さな命

 ある冬。第五階層、氷山の錬成室。

「――ナインズの時より力の成長が遅いみたいだね。」

 ツアーはロッキングチェアに掛けるフラミーの前に跪き、大きく丸い腹に触れていた。

「じゃあ、アルメリアは抑制の腕輪がなくても平気です?」

 フラミーの問いにツアーは首を振った。

「安全を取るならやっぱり抑制の腕輪は必要だと思うよ。問題は僕から取れた鱗は全てナインズにあげてしまったから、暫くは剥がないと取れないという事だね。前に渡した分は僕が自分のために使おうと思って長い年月ためてきたものだったから。」

 ツアーは共にフラミーの大きな腹に触れるナインズに視線を送った。ナインズの腕に輝くは抑制の力を持つ白金(プラチナ)の腕輪。それはツアーの視線に反応するように空色の亀裂を脈動させた。

「困ったな。あの量を取るならお前の全身から剥がなきゃならん。やはり夏にあの偽物女を罰した時に金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)も没収させて貰えばよかった。」

「…アインズ、あの時も言ったけれど金剛の竜王(ダイヤモンド・ドラゴンロード)は無関係だ。」

「分かっている分かっている。少し愚痴を言っただけだ。で、お前は剥がせてくれるのか?」

 アインズの容赦ない問いにツアーは困ったように口元に手を当てた。

「断りたい気持ちは山々だけれど……そうするしかないのか……。常闇の鱗や部位はどのくらいあるんだい?」

「見に行くか。」

「あぁ…。仕方がないから足りない分を僕が補填するよ…。」

「やるとしたら痛みがないようにフラミーさんに持続系回復魔法を掛けてもらうし、お前は眠らせるからそう心配するな。」

「……痛みがないとしても嫌なものだね。」

 痛くないからと言って生爪を剥がすことを了承してくれる者はいないだろう。

 ツアーは立ち上がる前に、フラミーのローブの前面を閉めてやろうとローブに手を掛けた。

「あ、これはこのままで良いんです。ありがとうございます。」

「そうかい?君にしては珍しい格好だね。」

 大きなお腹を抱えるフラミーはアインズの神器級(ゴッズ)アイテムのローブを着ていた。

 アインズがモモンガ玉を見せているのと同じようにローブは前面が開けられており、丸い大きなお腹を見せている。

 

【挿絵表示】

 

「はは、あんまり似合わないですよねぇ。」

 フラミーが苦笑する。

「いつもの方が君らしくはあるね。」

「らしさはな。でも、ちゃんと可愛いですよ。それに安全第一です。ナインズがお腹にいた時もそれを着てて貰えばよかったな。」

「おかあたま、かわいい。」

 アインズとナインズが、ねーと声を上げる。

「フラミー様、良ケレバオ腹ニ掛ケル物ヲオ持チシマショウ。」

 静かに控えていた第五階層の主、コキュートスが言う。

「えへへ、皆優しいです。じゃあ、長くなりそうだからお願いしますね。」

「カシコマリマシタ。」

 コキュートスは雪女郎(フロストヴァージン)にここで控える様に目配せをし、錬成室の出口へ向かった。

「あ、じい!じい!」

「ハ。如何ナサイマシタカ?」

 駆け寄るナインズを待つ。ナインズはコキュートスへ手を伸ばした。

「ないくんもね、いく!」

「オォ…!デハ、ジイガ大白球(スノーボールアース)ヲ簡単ニゴ案内致シマショウ。」

 二人は手を繋いで錬成室を後にした。

 ナインズは何度も振り返り手を振って粉雪の中に消えた。

「――じゃあ、私達も氷結牢獄へ行くか。」

「そうだね。フラミー、また後で。」

「はひ!お二人も行ってらっしゃい。」

 素材運びを担う雪女郎(フロストヴァージン)を引き連れ、二人も錬成室を後にする。フラミーは常闇に近寄らないし、姿も見ない。アインズも見せないし近寄らせようと思わない。

 アインズとツアーはコキュートス達とは違う方向へ歩みを進めた。

 氷結牢獄が見える頃には風に乗って――

「…それにしても、アインズ。このおかしな鳴き声はなんだい?」

「――フラミーさんの家庭菜園のバロメッツだ。案外美味いぞ。お前にもやろうか。」

 うんともいいえとも言わず、二人は雪原に溶ける様な真っ白い綿毛に身を包むバロメッツの前にたどり着いた。

「思ったより普通な見た目だね。一つ貰おうかな。」

 ツアーが冷えた鎧の手で羊毛に触れると、羊は寒さから身を守る様に首を短くした。

「その羊はナインズの気に入りだ。近頃は毎日ルーンを刻んでいるから育ちもいい。」

「ルーン?ナインズはまた変わった魔法を使うんだね。」

 ナインズが刻んだルーンは大きく、歪だ。

「本当になぁ…。私もそう思うよ。しかし、<魔法の精髄(マナ・エッセンス)>で確認したんだが、位階魔法よりかなり消費魔力が少ないようだ。発動まで時間はかかるがな。」

 武器に付与する時も、位階魔法による魔化では材料代がかかる。高額な魔法武器の半分は材料代だ。

 一方ルーン武器の材料代はゼロ、製作時間は通常の魔化の三倍。

 使用する為の手順が多く、代償が少ないのがルーンの特徴だ。

「発動まで時間がかかる魔法はあまり良くないね。本当にナインズを一人で外に出すなら、誤って始原の魔法に手を出さないくらいには強くなって貰わなくちゃ困る。」

「おっしゃる通りで。」

 二人は氷結牢獄へ消えた。

 

+

 

 フラミーはロッキングチェアにもたれ掛かり、限界突破の指輪を見つめていた。

 まだまだ完成しない美しい宝だ。

 楽しみだなぁ、とオーダーメイドの指輪を前に顔を綻ばせる。

 そっと足を下ろし、椅子を揺らした。

 自分作曲の歌を口ずさみ、腹を撫でる。中で娘が動くのを感じた。

「よしよし、外は綺麗だよ。」

 フラミーがとん、とん、と腹を叩くと軽い痛みが起きた。

 いつもの前駆陣痛に腰をさする。ナインズの時も産まれる何日も前から前駆陣痛がきたものだ。

 側で浮いていたヴィクティムも降りてきて、フラミーの腹をさすった。

 ナインズが生まれて約二年。ナインズは再来週神都でお誕生日会を開いて貰えると聞いて、お誕生日会を楽しみにしている。お誕生日会と言うものが何なのかは分からないが、守護者達が張り切っているのだから楽しいことに違いないと言う具合だ。

 二人ともたまたま冬生まれになる。できればナインズの誕生祭までにアルメリアにも出てきて貰えると助かるのだが。

「リアちゃん、そろそろ出ておいで。」

 そう言っていると、膝掛けを持ったナインズとコキュートスが戻ってきた。

「おかあたま!じいの!」

 ナインズは駆け寄り、フラミーに優しく毛布を掛ける。

「ありがとうね。ナイ君とコキュートス君は優しいなぁ。」

 コキュートスは青い顔を染め、嬉しそうにプシュゥと息を吐いた。

 フラミーはナインズを撫でながら、治まる様子がない前駆陣痛に無詠唱化した<大治癒(ヒール)>を掛ける。無意味だと分かっていてもやってしまう。

「リアちゃん、ナイくんだよ。ナイくんは、おにいちゃん。いちたも、おにいちゃん。ナイくんね、じいの家行った。雪だるま見た。それからね、じいの家はね、キラキラ。おかあたまの髪の毛ある。りんごのうさぎたんもある。」

 ナインズがフラミーの痛む腹に耳を当てながら一生懸命中に向けて話した。ナインズは今、言語の爆発期を迎えている。「危ないから一人で階層を移動してはいけない」などの理屈も理解できるようになった。

 フラミーはお腹に向かってお話をするナインズの姿を微笑ましく感じると同時に――これはまずいと額に汗を浮かべた。前駆陣痛どころか、陣痛かもしれない。

「…………ナイ君、ちょっとお母さんお部屋に戻るね?」

「なんで?」

 腹から耳を離したナインズはフラミーの苦しそうな表情にギョッとした。

「え?え?おかあたま?じい、じい!」

「フラミー様、アインズ様ヲオ呼ビシマスカ!」

 途端に騒がしくなる錬成室で、フラミーは何とかロッキングチェアを立った。

「あ、いえ…そんなに急がなくても大丈夫です。」

 しかし、万一ここで生まれれば出てきた瞬間寒さに凍り付いてもおかしくない。フラミーは転移門(ゲート)を開いた。

「ごめんね。お母さんちょっとお休みしてくるから。」

「ないくんも行く!!」

「ナイ君はここにいてお父さんに伝えてくれる?急がなくて良いからって。」

「や!ないくんも行く!!」

「ナイ君は偉いから、ちゃんとここで待ってられるでしょう?」

 フラミーはコキュートスへ目配せをした。

「オボッチャマ、コチラデオ待チシマショウ!」

 ナインズが抱き上げられるとフラミーはヴィクティムと共に部屋へ帰った。

「じい!おかあたま!」

「オ嬢チャマガオ産マレニナラレルカモ知レマセン。ドウカ御身ハコチラデオ待チヲ。」

 やだやだとナインズがジタバタしていると、アインズとツアー、大量の素材を持った雪女郎(フロストヴァージン)達が戻って来た。

「ん?九太、なんだ。何がそんなに嫌なんだ?」

「おとうたま!ないくん、お部屋いく!」

「第五階層は飽きたか。コキュートス、フラミーさんはどうした。ナインズを部屋に――」

 アインズはそこまで言うと、コキュートスの様子から一つのことにハッと思い至る。

「――まさか。」

「ハ!フラミー様ハ腹部ニ痛ミヲオ感ジニナラレテイルゴ様子デシタ。コチラデナインズ様ト待ツヨウ指示サレオ部屋ニ。」

「アインズ、コキュートス君。ナインズは僕に任せて二人はフラミーの下へ行け。フラミーは今が一番無防備だろう。」

 ツアーがナインズを抱き上げると、二人は一瞬だけ悩むような仕草を見せ――頷いた。

「すまん、ナインズを頼む。<転移門(ゲート)>。」

「ツアー、感謝スル。」

 二人が転移門(ゲート)を潜っていくと、すぐに転移門(ゲート)は閉じられ、ナインズはツアーの鎧から離れようとジタバタした。

「つあー!ないくん、いきたいよ!」

「やれやれ、じゃあ、僕と向かおう。」

 ナインズはパッと顔を明るくした。

「いいの?」

「あぁ、いいとも。ただし、僕はゲートを開けない。歩いて僕と部屋へ向かおう。」

 人型生物の出産にかかる時間を知らないツアーはその間に生まれてくれる事を祈った。

「じゃあ、ないくんが…うんと、うんと、連れてく。つあー、連れてってあげるね。」

「助かるよ。」

 二人は錬成室を後にすると、白い雪を踏み第六階層へ降りる転移門に向かった。ナインズは普段コキュートスと二人で遊ぶ時は転移ではなく歩いて移動する為道をよく知っている。

 途中死体の並ぶ湖に差し掛かると、ナインズはそれを指差し、凍りつく死体達に付けた名前を聞かせた。

 その後第六階層に下りれば、子山羊達に乗って遊び、湖畔まで出て一郎太と二郎丸にツアーを紹介した。

 しばらく四人で駆けっこをして、飽きると解散した。

 他にもフラミーとたまに苺狩りをする畑でツアーに苺をもいで与えたり、ハムスケに餌をやったりもした。

 遊び疲れると湖畔で居眠りをし、ツアーはまだ生まれないのかと内心で溜息を吐く。

 夕暮れだった第六階層に夜が訪れると、ナインズはツアーの膝の上で目を覚ました。

「ん……おかあたま?」

「やぁ、ナインズ。僕はツァインドルクス=ヴァイシオンだよ。さっきアインズから連絡があってね、第七階層で食事を済ませてほしいそうだ。」

 ツアーが見下ろすとナインズは辺りがすっかり暗くなっている事に気が付いた。

 ナインズは暗くなる前に第九階層に降り、晩餐ができる前にアインズに執務を終えるように告げに行かなくてはいけないのに。それがナインズの日々の仕事なのに。

 ナインズは慌てて起き上がると自らの仕事のために駆け出した。

「つあー!はやく!はやく!」

 しかしツアーは走らない。

 よく置いて行かないなと思うが、普段誰かしらが常にそばにいるため一人になったことがないのだろう。

「ナインズ、急がなくても食事は逃げない。」

「つあー、ないくんは!おとうたまに、おしまいするの!ないくんのお仕事!」

「…何を言いたいのかよく分からないね。何にせよ、今日は第七階層で僕と食事を――」ナインズも何を言われているのか分からないのか、不安そうな顔をしていた。「あー…。下で、ツアーと、ご飯。分かるかい?」

「そうなの?」

「そうだとも。」

 ナインズは円形討議場(アンフィテアトルム)とツアーを交互に見て何かを考えた。

「じゃあ、ないくん。お仕事ないのかぁ。」

「厳密に言えば今日は僕といることが君の仕事だ。つまり、ツアーといる。ナイクンのお仕事。これも分かるかい?」

「そうなの?」

「そうだとも。」

 ツアーがナインズに追いつくと、ナインズはツアーの手を握った。

 二人が第七階層に下りると、悪魔達がそのまま赤熱神殿へ二人を案内する。

 ナインズはたまに遊びに来る事もあるデミウルゴスの部屋に通された。

 魔将達が食事を出し、二人は食事を取った。と言っても、ツアーは眺めているだけだ。

「つあーは?つあーも食べる?」

「――ん?いや、僕はこの体では食べない。アインズも骨の体の時は食べないだろう。」

「ないくん食べていい?」

「良いとも。全て君のものだ。」

 ナインズは嬉しそうに笑うと食事を進めた。

「――ナインズ、君は良いね。優しく穏やかだ。」

「ないくんはね、やさしくそっとする。ギュってしない。」

「そうかい。偉いじゃないか。」

 鎧とナインズの奇妙な食事会は終わった。

 悪魔達が片付けを進め、ナインズは再び第九階層へ降りる転移門へ向かい始めた。

「待て、ナインズ。君は今日、水上ヴィラで僕とお泊まりだ。」

「おとまり?」

「寝ることさ。」

「ねることさ。」

 ナインズがツアーと全く同じ言葉を発すると、ツアーはナインズを抱き上げた。

 心の中で何もしやしないと悪態を吐く。ずっと側に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)やハンゾウが付き纏っているのだ。

「じゃあ、行こう。」

 ツアーはナインズと共に第六階層に戻った。

「ないくん、おかあたま会いたい。」

「一晩くらい我慢するんだ。竜の子なら一人で過ごす時間の方が多い。」

 ナインズはひんひんと声を上げ始めるとツアーにすがって泣いた。

「………やれやれ。泣くんじゃない。君は男の子だろう。」

「ないくんは、ないくん。」

「強い男になるんだ。君もまた、世界の命運を握る一人なんだから。」

 水上ヴィラの中には既に布団が一組敷かれていた。

 ツアーはナインズの背をさすってしばらく布団の上で座って揺れた。フラミーの真似だ。フラミーならこんな時歌を歌うのだろうが、生憎ツアーにこういう時に似合いの歌の持ち合わせはない。

「つあー?」

「なんだい。」

「ないくん、おふろと、はみがき。」

「どれも早急に必要じゃないだろう?」

「おふろ、ない。寝んねいいの?」

「今日は特別だとも。ほら、もう布団に入るんだ。」

 ナインズは渋々布団に入ると、掛け布団をめくってツアーを見上げた。

「つあー、寝んねしよ?」

「いや、僕はここで――」

「寝んね…しようよぉ…。」

 ナインズが泣こうとする。ツアーは竜の体で溜息を吐くと鎧を隣に潜り込ませた。

 天井には湖に反射した星の光が踊っている。

「つあー、お話しして。」

「お話?」

「うん…。おとうたま、おかあたま。ドーンって。どらごんやっつけるお話…。ほね分けっこするの。」

「………それは僕が教えてほしいくらいだね。」

 二人は黙って天井を眺めた。

「つあー、お歌してぇ。」

「うーん、そうだねぇ…。歌はな……。そうしたら、僕が知るアインズとフラミーの話をしよう。」

 

 ナインズは黙って耳を傾けた。

 

「君の両親と初めて会った時、この者達の根は悪だと僕は確信した。世界に悪い影響を与えるに違いないとね。しかし、僕の古い友人もそうだった。彼はいい友人だったんだ。そして、アインズを信仰していた。そうじゃなければ僕はきっとあの時戦いを挑んでいただろうね。僕は結局僕の友人が愛したアインズを信じてみることにしたんだ。だから、その時はお互い約束をして僕は帰った。」

「うん…。」

 

 ナインズは頷いたが、あまりよく分かっていないようだった。しかし、何かを喋りかけられていれば良いのだろう。ツアーは続けた。

 

「アインズは僕との約束を破らなかった。約束と言うのは簡単なもので、アインズは"フラミーや守護神に手を出されなければ世界を蹂躙しない"、僕は"アインズが世界を蹂躙しなければ手を出さない"と言うものさ。だけど、僕はアインズに戦いを挑んだ。僕は確かに世界の悲鳴を聞いたからね。僕はどこかでアインズが何か恐ろしい事をしていると思った。だけど、後になって聖王国の聖騎士がフラミーに向けて剣を振るったと蒼の薔薇に聞いて知ったよ。アインズはフラミーにそんな真似をされれば世界に悲鳴の一つも上げさせて当然だったんだ…。」

「うん…。」

 

 天井に映る揺らめきは波打ち弾ける。聖騎士がフラミーへ剣を下ろしたその時を見せたようだった。

 

「結果的に約束を破ったのは僕になってしまった。代償として僕はアインズに全てを奪われたけれど、アインズはそれで全てを手に入れられたわけじゃなかった。アインズもフラミーも、いつも二人でいるというのにどことなく孤独そうだった。二人はいつも互いを何かに奪われやしないかと怯えていたよ。丁度今の君のように。」

「うん…。」

 

 数拍の間に波打つ音が聞こえる。

 

「そして二人は常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)と戦い、大いなる犠牲を払った。今までのぷれいやー達ならきっと魔神になっていただろう。だけど、二人はこれまでの凡ゆるぷれいやーと違った。互いを孤独にすることはなかった。しかし、力を持つ者は常に孤独と隣り合わせだ。ナインズ、君もいつかは孤独を知る日が来るだろう。その時、僕は君と共にある事を約束する。だから、いつか君が真実の孤独を感じたら――」

 

 ツアーは控える不可視化状態の僕達の位置から聞こえないように、ナインズを抱きすくめて極限まで声を落とした。吐息のような声だった。

 

「――評議州にある僕のところか東方の国へ行くといい。東方の国はビーストマン州を越え、沈黙都市を越えた先だ。沈黙都市から何日も何時間も東へ向かって歩くと、君はきっと小島がたくさん浮いている海に行き当たるだろう。そうしたら、海が腰くらいの浅い場所を探すんだ。そこには月の満ちる日にはすっかり潮が引いて広い道が現れる。この大陸の隠された広いところへ渡れるんだ。そこには信頼に値する竜王がいる。」

「うん…。」

 

 ナインズの目にはこの間生まれて初めて見た海という広い水たまりが真っ二つに割れて道が現れる様がまざまざと浮かんだ。

 

「君はぷれいやーと戦える。ともすれば始原の魔法を持つアインズとすらいつか互角に戦えるようになるかもしれない。強くなれ、ナインズ。そのどこまでも透き通った心のまま。」

 ツアーの話が終わる。ナインズは天井を見上げたまま口を開いた。

「つあー、ないくんね。起きたときに眩しいって思ったの。ここはどこって思ったの。」

「うん…?朝のことかい?」

「ううん。ないくん、ずっとおかあたまといた。でも、起きたら寒い。こわかった。だからおーいって言ったの。そしたらね、皆泣いてた。どうして泣いてたのかな。でもね、ないくんも泣いてた。皆ないくんを待ってたよ。皆ないくんが大好きなの。」

「君は言葉も何も分からずに産まれたのに、産まれたときにそう思ったのかい。」

「うん、ここはすごく――きれいなばしょって思ったよ。」

 ナインズはそう言うとツアーの鎧のお腹をぽん、ぽんと叩いた。

「ねむれ、ねむれ。」

「……わかったよ。………悪かったね。」

 ツアーはナインズを抱え直すとナインズの言ったことの意味を考えた。

 ナインズが本当に伝えたかったこと。

 それは――

「……俺は本当は孤独だった。だけど、この世界ではそうならずに済みそうなんだ…。そんなに怯えるなよ……お前だって…竜王なんだろ………。」

 ツアーはアインズにかつて言われた言葉をなぞった。

「なぁに?」

「いや、なんでもない。君は確かにアインズの子のようだ。ナインズ。」

 ツアーは静かに竜の身の目を閉じた。

 

+

 

「おとうたま、みてぇ。」

 ナインズはベビーベッドで眠り続けるアルメリアの背に生える翼を指差し振り返った。

 生まれて三日経ったアルメリアの翼はまだ一本も羽毛が生えておらず、薄紫色の肌が露出していた。小さな翼は時折パタパタと羽ばたかれ、まるで飛ぶ練習をするようだ。

「あぁ…見てるぞ。」

 仕事をほっぽり出し、寝室から出ようともしないアインズはナインズと並んで新しい命を眺めた。

「おかあたまも見たい?」

「いや、フラミーさんはもう少し寝かせてあげよう。まだお休みが必要なんだ。」

 部屋にはフラミーとアルメリアの寝息が響いていた。

 ナインズは丸くなっているアルメリアの頭をそうっと撫でた。

 少量の銀色の髪が生えているが、肌の紫に馴染んでしまいほとんどハゲている。 

「んぅぅ………。」

 一言だけ漏らしたアルメリアは一層羽を動かし、うつ伏せになった。

「あ、花ちゃん。ダメだぞぉ、こっち向うねぇ。」

 アインズは誤って窒息しないようにゆっくりアルメリアを横向きに戻した。

 ナインズなどは寝返りを打てるようになるまで四ヶ月は掛かったが、体の構造が違うアルメリアは既に寝返りを打ってしまう。首は座っていないので、横を向いたままだが心配は尽きない。

 アルメリアが生まれて三日、アインズは一度も眠っていない。しかし、骨の身でいれば何の問題もないことだ。

 アルメリアは羽を動かしてすぐに毛布を何処かにやってしまうが、アインズは何度でも毛布を掛け直した。

「ね、ね、おとうたま。」

「んー?」

 小さなフラミーを見つめる赤い瞳は優しく愛しげに光り――どこかだらしない。

「ないくんの羽は?」

 アインズはその問いを受けるとナインズの頭をくしゃりと撫でた。

「九太は羽は生えないぞ。代わりにいつか飛行(フライ)を教えてやるからな。」

「ないくん羽がいい。ないくんだけ羽ない。おそろいない。」

「父ちゃんも羽はないだろ?父ちゃんとお揃いじゃないか。」

「ないくんの骨は?」

「骨なら九太にもあるぞ。それに、ここの線も父ちゃんとお揃いだ。」

 目の下を撫でられたナインズは、自らの小さな手に視線を落として頬を膨らませた。

「ない。」

「いいや、この皮膚の下にあるんだ。」

 アインズは数日ぶりに人の体を取り戻すとナインズの手を握った。

「どうだ?これは骨だろう。」アインズはナインズの手の甲をグリグリと触った。「父ちゃんも皮膚の下にある。触ってみなさい。」

「やさしく、そっと、ギュってしない。」

 ナインズはいつもフラミーに言われる言葉を返すと、アインズの指輪がぎっしりとはまる手を優しく撫でた。

「はは、お前は偉いな。本当に偉いよ。」

「へへぇ。」

 血とは不思議なもので、フラミーにこれだけ良く似ているナインズだと言うのに、アインズともそっくりな顔をしている。

 二人は友達のように笑い合うと、またしばらくアルメリアを眺めた。

 そうしていると、アルメリアが再び羽ばたき、毛布を退かした。

「――おっと、おてんばだな。はは、フラミーさんもじゃじゃ馬娘だったから仕方ないか。」

 アインズは転移して来てまだ三ヶ月程度の頃のことを思い出す。デミウルゴスの身包みを剥ごうとしていた時のことだ。

(デミウルゴスさんが私の一番の理解者だと思って、か。)

 アインズとて、フラミーの一番の理解者である自負がある。もちろん当時もあった。

 あの時、無償に苛立たしく思ったものだが――今思い出しても妬けてくる。

「……俺もそんな風に言われてみてぇなぁ…。」

 アインズがあぁあ、と声を漏らすと、ナインズは首を傾げた。

「おれも?」

「…いや、こちらの話だ。九太、父ちゃんは九太の一番の理解者だからな。」

 ナインズはそれを聞くと嬉しそうにうなずいた。

 

「ないくん、こどくじゃないよ。」

 

 アインズは数度瞬く。孤独などどこで聞いたのだろう。

 

 すると――「あいんずさぁん。」

 フラミーの声だ。

「あ、はい。おはようございます。」

「悟さんは私の一番の理解者ですよぅ。文香ちゃんの理解者ですよぅ。」

 そう言うと、のそのそとベッドの上を移動してアインズの腰にひっついた。

「はは、本当かなぁ。」

「へへぇ、ナイ君にはあげられないのです。」

 頬をぐりぐりと擦り付けるフラミーの様子に、アインズはおかしそうに笑った。




ナインズ様、ずっと誰かが話しかけてくれる環境にいる+レベルも高いからどんどんお利口になっていく…。
本当にあっという間に大人になっちゃうのね…。
ツアーはナインズ様を、アインズ様が暴走した時の保険にしたいんだろうなぁ。

そして御身装備コスプレフララを食らえ!
杠様に昔いただいたものです!

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#116 閑話 黒い塊

 観客が一人もいない円形闘技場に、丸い人影と、スラリと細長い人影がある。

 空は抜けるような青で、歩みを進める度に闘技場の乾燥した土の香りがする。

 

「如何ですかな?これ程見事な闘技場はバハルス州中を回ったとしても一つもありませんよ。何せ、ここにはエル=ニクス州知事もよく足を運ばれるほどですから。」

 機嫌良さそうに告げたのはこの闘技場興行主(プロモーター)のオスクだ。

 

「確かに見事です。……しかし、風の強い日には土埃が立ちそうですね。闘技には向いていそうですが――芝居には不向きかもしれないかな。」

 一方値踏みするような目で辺りを見渡しているのは今流行りの劇団を抱える劇団長だ。これだけ大きな会場は初めてで、これまでは広場で公演したり、貴族の邸宅に呼ばれて劇を見せたりしていた。

 

「いやいや、絨毯を敷けば大した問題にはなりません。色取り取りの絨毯を敷けば、異なる色の絨毯の上へ移動する事でシーンの切り替えもできましょう。全面にお客がいる円形劇場(アンフィシアター)ならではの表現ができますよ。」

「その絨毯の調達は?」

「私が知り合いの織物屋に良い宣伝ができると声を掛けてみましょう。」

「あぁ、オスク殿は商人もされていらっしゃるんでしたね。」

「えぇ、まぁ。道楽程度にですがね。」

 

 オスクが軽く笑い声を上げると、富を蓄えでっぷりとした腹が揺れる。笑みの形に細められた目は小さすぎるせいで、瞳を覗く事はできない。

 

「それは…商人よりもこの闘技場の運営の方が、あなたにとって重要という事で?」

「ふふ。私はそう思っていますよ。近頃では色々な亜人の方々も武闘会に参加して下さいますしね。私はこの場所に心血を注いでいるのです!」

「それほど大切な場所を、闘技場ではなく劇場として使用しようと言う私達をお許しくださるとは意外ですね。」

 

 オスクは一度ふむ、と声を上げた。丸々とした顎を軽く撫でる。

 

「これほど大きな会場で劇が行われたことは歴史上一度もありません。席数は実に五万。これを埋める為にはバハルス州以外にも――例えば、スレイン州やザイトルクワエ州、果ては新大陸にあるエルサリオンなる州にも大々的に広報を打つ必要があるでしょう。世界中からこの闘技場に人々が押し寄せるのです。そうすれば、ここで武闘会が開かれていることを数えきれない人々が知ることになるでしょう。更に強者がここに集い、鍔迫り合いをすることになります!」

 

 興奮を隠しもせずオスクは両手を目一杯広げ、自慢の闘技場をぐるりと見渡した。商人と言うより、彼本来の持つ人間性が溢れ出る仕草だ。

 

 この闘技場最強の存在である武王、ゴ・ギンというウォートロールをスカウトして早幾星霜。

 オスクには肉弾戦の才能が欠片もないため、ゴ・ギンのことは自分の代理戦士と定義していた。

 

 彼は近頃ではよく故郷のトロール市へ帰っている。知っての通り、トロール市は今ではバハルス州の一部だ。

 オスクには最強の戦士になる存在を育て上げたいという一つの夢があった。ゴ・ギンの子であれば更に強くなるはずと考え、彼に嫁を取るよう勧めてきたが――今ではそれを強くは勧めていない。

 なんと言っても、ゴ・ギンの腹違いの兄、ガ・ギンが神の手により赤ん坊に戻ったのだ。

 一度はウォートロールを率いてトロール国という大国を生み出した程の男が、一から再び人生をやり直すなんて。必ず最強の戦士になるに違いないとオスクは確信している。

 オスクもよくゴ・ギンと共にトロール市を訪れ、ようやく立てるようになったガ・ギンの訓練を見ているが、既に剣筋は完成されている。

 彼は元々最強に近い戦士だったのだから当たり前だが、オスクは感激せずにはいられなかった。

 ガ・ギンがいつか再び大人になる時、ここの闘技場が野暮な存在で溢れているような真似は許されない。

 オスクはこの闘技場を世界中に知らしめ、オスクが見出したゴ・ギンと共に育て上げる、最強の戦士――ガ・ギンの力を証明できる場所にしなければいけないのだ。

 

 その為なら、話題性のある闘技場の使い方は大歓迎だ。

 

「私達の歌と劇が闘技場の宣伝になる。そういう訳ですね。」

 劇団長に問われると、にんまりとした笑顔を作りうなずいた。

「その通りです!施設利用料も極力抑えてお貸しいたしましょう。」

 二人は真っ直ぐ互いの視線を交わすと手をギュッと握り合った。

 

+

 

 ナザリック地下大墳墓、第六階層。

 地下大墳墓最大の面積を誇るこの地は大半が鬱蒼とした樹海に支配されている。

 しかし、アインズ・ウール・ゴウンの凝り性なメンバーが単なる森をビルドするだけで満足するはずなどあるはずもなく、闘技場、アウラ達の住む巨大樹、木々に呑みこまれた村跡、湖とそれを囲む草原、塩の樹林など多様な場所が存在する。

 そんな第六階層で、蠱毒の大穴、歪みの木々、底無し沼地帯に彼らが近づく事は許されていない。

 彼らとは――まずはこの地の支配者の子供であるナインズ・ウール・ゴウン。切り揃えられたさらさらのおかっぱ頭に、ほんの少し尖った耳を覗かせている。優しげな目元には不釣り合いな黒い亀裂。女児の格好をしている訳ではないが、一見すると女児にも見える。

 残りは二人。

 どちらも見事な赤毛のミノタウロスで、一郎太と二郎丸だ。

 三人は歪みの木々、侵入禁止区域目前で耳を済ませていた。

「――ね?一太、二の丸。何か聞こえたでしょ?」

 ナインズが訪ねる。一郎太と二郎丸は耳をぴこぴこと動かし頷いた。

「聞こえました!イチ兄も聞こえた?」

「もちろん!ナイ様、向こうには何があるんですか?」

 三人の後ろには春の訪れに色付く森。前方には歪みきり葉っぱ一枚生えることのない黒々とした木々の群れ。

 もの寂しい風が吹く。青々とした芝はゾーニングするように灰色へ変わり、いつも遊んでいる第六階層とはまるで別世界のようだった。

 遠くからは啜り泣くような声が聞こえて来ていた。三人はぶるりと身を震わせる。

「何があるかは分かんないけど、怖いよね…。」

「…怖いです…。」

「世界って広いねぇ…。」

 ナインズが知ったような口をきいていると森からトットットッ、と軽快な足音が接近して来た。

 三人が森へ振り向くと、漆黒の巨狼に跨り巡回をするアウラとハムスケが姿を見せた。

 アウラの姿は実に堂に入っていて、巡回など慣れたものだ。

「わぁーかぁー!若ー!」

「ナインズ様ー!この先は危ないから入っちゃ駄目ですよ!」

 ハムスケは姿を見せるとふんふんとナインズの顔周りの匂いを嗅いだ。

 切り揃えられた髪が揺らされるとナインズの耳に付けられた赤紫色のピアスが見え隠れした。フラミーの最強装備の模倣品だ。それ一つで町を丸ごと買収できる程の値が付くなどハムスケは思いもしない。

「あは、ハムスケぇ。ねぇアウラ、この音はなぁに?」

「この音は餓食狐蟲王が守護する領域、蠱毒の大穴から聞こえて来てるんですよ!すーっごく気持ち悪い奴と不愉快な巣達(・・・・・・)がいるんです!」

 アウラはうぞうぞで、ねばねばで、ぎょろぎょろで――と餓食狐蟲王の見た目を説明した。

「ど、どうしてそんな気持ち悪いのがナザリックにいるの?」

「それは勿論、アインズ様や至高の御方々が必要だって思われたからですよ!」

「じゃあ、不愉快な巣は?不愉快なのにお父さま達は作ったの?」

「あー、うーんと、不愉快な巣達は御方々が生み出されたものじゃないんです。あれらはすごく愚かで、穢れているんですよ!」

 アウラは爛漫な笑顔を見せたが、それはどこか薄ら寒い。

「おろかでけがれてる…?ぼく、そんなの見たことない。アウラと一緒でも見に行っちゃだめなのかな?」

「あんなの見ない方が良いですよぉ。夜寝られなくなっちゃいますから!もしこれ以上近付くと……餓食狐蟲王が寝てる時に部屋に入って来て…ズルーリ…ズルーリ…何かが這うみたいな音がして………それで…ぴちゃん…ぴちゃん…意味不明な液体がたくさん垂れていく音がして………寝てる耳にそれが…………ぴちゃーん!!」

「「「「ッキャー!!」」」」

 ナインズは近くにいたハムスケに抱きつき、一郎太と二郎丸は互いに抱きついた。ハムスケもブルブル震えている。

「なーんてなったら嫌ですし、戻りましょうね!さ、湖畔までお送りします。そろそろコキュートスとシャルティアも来る頃ですしね。」

 アウラが手を伸ばすとナインズはフェンに、一郎太と二郎丸はハムスケに跨った。

 一行は湖畔に向けて足早に移動を始めた。ナインズは"愚かで穢れている不愉快な巣"と言うものが何なのか分からず、歪みの木々が見えなくなってもいつまでも後ろを眺めた。

 ゆさゆさと魔獣達が歩みを進めていく姿を、アンゴラウサギによく似た魔獣――スピアニードルが道の脇に立ち上がり見送った。体長は実に二メートルを超える白い塊だ。戦闘態勢に入るとふわふわの毛皮は細く鋭い針となり危険度は高い。六十七レベルと高レベルのモンスターの為、彼らはナインズへの接近を禁止されている。ナインズが触ろうと近寄ると脱兎の如く逃げていく。

 あちらこちらの茂みからガサガサと音が鳴り、その度にナインズや一郎太、二郎丸は興味深そうに目を凝らし――ハムスケは毎度肩を震わせた。

「――アウラ殿ぉ、それがし、前にあの枯れた林に近付いたことがあるんでござるが…大丈夫なんでござろうか…?そのコチュウ王殿に食べられたりしないでござるか?」

「え?近付いたの?悪い子だなー。」

「だ、誰も近付いたら駄目だって教えてくれなかったでござるよぉ。」

「あぁあ〜。まぁ、二度と近付かない事だね。」

「アウラ殿ぉ〜!」

 ハムスケが力を感じさせる瞳を潤ませると、林の向こうを見ようとしていたナインズは慌てて手をあげた。

「ハムスケ!今夜はぼくと寝ようよ!ぼくは怖くないけど、ちっとも怖くないけど、ハムスケのために一緒に寝てあげる。」

「若、良いでござるか!」

「うん!」

 ハムスケがぽやぽやと花を撒き散らしていると、ようやく湖畔にたどり着いた。

 湖畔ではコキュートスとシャルティアが臣下の礼を取って待っており、そのすぐ側には絨毯が敷かれアインズとフラミーもいる。

 コキュートスは言わずと知れた教育係だが、本格的に魔法の練習を始めた今、魔法が使えるガチビルドのシャルティアとマーレも教育に携わっている。

「お母さまー!お父さまー!」

 ナインズが手を振り、フェンは近過ぎないところで止まる。あまり騎乗したまま近寄っては不敬だ。

 アウラは翼でも生えているような軽やかさで大地に舞い降り、ナインズへ手を伸ばした。

「さ、ナインズ様!お手をどうぞ。」

 ナインズはフェンから降ろして貰うと、アインズ達の下へ走った。

「お父さま、お母さまどうして来たの!お仕事は!」

 ナインズは幼稚園年少さんよろしく午前中はこうして第六階層や第五階層、宝物殿にいる。遊んだり、訓練をしたり、勉強をしたりと忙しくも楽しく過ごしている。

 なので、朝起きて部屋を出ると昼食まで両親には会わないことがほとんどだ。

「お前に見せたい物があってな。それより――ナインズ、シャルティアとコキュートスに言うことがあるだろう?思い出せるか?」

 アインズは静かに窘めると、ナインズは「うんと…らく…うんと…」と呟いた。フラミーはくすりと笑ってから、ナインズの後ろの者達に告げる。

「皆さん楽にしてくださいね。」

 アウラと一郎太、二郎丸は付いていた膝を上げた。三人とも決してついた土をはたくような真似はしない。アウラの服は汚れがつくような事はないが、もし万が一にも土埃が舞っては不敬だ。ハムスケはそのままフラミーの近くに寄って行った。

 ナインズはハッとすると、未だ臣下の礼を取り続ける二人へ振り返った。

「じいもシャル()アも楽にしてください!」

「オソレイリマス。」「妾達など後でも構いんせんのに、お心遣い痛み入りんす。」

 二人は立ち上がり、アウラの側に付いた。

「さて――それで、ここに来たのはな。アーウィンタールで近々劇をやるらしい。奉納したいと大神殿に連絡が来たから、お前にパンフレットを見せてやろうと思って来たんだ。」

「げき?」

 ナインズは首を傾げ、アインズの手からパンフレットを受け取った。

 そこには神官装束の男が祈りを捧げるような姿の絵と、何やら文字が描かれている。ナインズにはルーン文字しか分からない。

「あぁ、劇だ。なんて言うのが正解かな。人々が自分ではない誰かになるんだ。」

「げんかく?」

「………いや、劇は幻覚ではない。」

 アインズが唸ると、隣で膝に乗る黒い塊を撫でていたフラミーが口を開いた。

「ナイ君、お話読んでもらうの好きでしょう?皆がお話を見せてくれるの。きっととっても楽しいよ!」

「へぇー!すごいねぇ!」

「リアちゃんも連れて皆で行こうね。」

 ナインズは微笑むフラミーの隣に座ると、その膝の上の黒い塊に触れた。

 ゆっくりと黒いところをめくり上げると――中には金色の瞳を開いてジッとナインズを見つめるアルメリアがいた。

「リアちゃん!にいにだよ!ゲキ観に行くって!」

 ナインズが大きな声を出すとアルメリアは笑った。

「にいに!」

「えへへぇ、リアちゃんって可愛いねぇ。」

 アルメリアは深すぎる漆黒の翼を広げるとくぁーっとあくびをし、フラミーに引っ付いた。

「おか。」

「はぁひ、よしよし。」

 小悪魔(インプ)のアルメリアの翼は、天使から転職したフラミーとは違いアルベドのように悪魔としての特徴からか夜の色だった。

 生まれた時につるつるだった翼に、初めて黒い羽毛が生えたときのアルベドの喜び様は並のものではなかった。

 アルベドのように腰からではなく背から生えているが、今もアルベドのハッピーフィーバーは終わっていない。

 アインズとフラミーが蝙蝠や竜のような皮膜状の翼でなかったことに安堵したのは言うまでもない。あからさまに悪魔では何かと問題がある。

 ナザリックには小悪魔(インプ)と言う悪魔もいるが、彼らは身長三十センチほどで、赤銅色の肌に蝙蝠の翼と尖った尻尾を持つ。小悪魔(インプ)には堕落の種子を使う事で種族変更ができるが、魔物としての小悪魔(インプ)の姿になる者はいない。

「花ちゃんにはまだ劇は難しいかもしれんが、まぁ良い経験になるだろう。」

 アインズが顔を近づけると、アルメリアは顔いっぱいに笑みを作った。その笑みはまるでこの世の全てを恋に落とそうとするようで――実に小悪魔的だった。

「おちょ!」

 まだたちつてと(・・・・・)をうまく発音できないせいで、ちゃちちゅちぇちょになる。

 たった一言でアインズはでろでろに溶けた顔をした。可愛いナインズがいるのだから、子供への耐性は万全だと言っていたにも関わらず。

 しかし、それも仕方のないことかもしれない。

 アルメリアは凶悪だった。無意識に人が愛するような仕草ばかりをする。不思議と保護対象にしたいと思わずにはいられない存在だった。もし、万が一女淫魔(サキュバス)になるようなことが起こればアインズもフラミーも泣くだろう。

 

 アインズはフラミーからアルメリアを受け取り、手のひらサイズ程度の小さな翼を撫でる。

 アルメリアはベースが殆ど人間だったナインズと違い、言葉を覚えるのも早ければ、首が座るのも早い。

 翼が付いている以上、早く首が座らなければ生物的に命の危険があるためかもしれない。

 アインズがアルメリアの翼を(くしけず)る横で、ナインズはシャルティアの下へ駆けた。

「じゃあ、シャル()ア、今日もお願いします。」

 ぺこりと頭を下げるとシャルティアはそれより深く頭を下げた。

「今日はナインズ様に位階魔法を覚えて頂くため、模擬戦を行える相手をご用意いたしんした。」

 本来なら魔物を実際に狩った方が良いのだろうが、アインズとフラミーがカルマ値がマイナスに傾く事を嫌った為、高レベルな者と模擬戦を行い少しづつレベル上げをする事にした。

「――え?ダメだよ。ぼくはね、ナイくんは皆には優しくしなきゃいけないって。」

「ご安心くださいまし。万一御身が魔法を打てたとしても、傷一つ付かない者を呼んでおりんす!その名も――」

 シャルティアがバッと手を天に掲げると、ナインズの上に影がかかる。

 魔法の力と物理的な力で羽ばたき、少し離れたところに降りたのはマーレの持つ、カキンちゃんと並ぶ二体のドラゴンのうちの一体。

「――ボーナスでありんす!!」

 アインズとフラミーは顔を上げた。

「ぼ、ボーナス…?」

 着陸したドラゴンの背からマーレがもたもたと降り、駆け寄る。

「お、お待たせしました!ボーナスさんをお連れしました!」

 おかっぱ頭がサラサラと揺れる。ナインズと二人しておかっぱだ。

「ボーナスさん、よろしくお願いします。」

 ナインズが頭を下げる横で、フラミーは茫然とドラゴンを見上げた。

「マーレ…一応聞くけど、ボーナス君の名前も…?」

「あ、は、はい!あの、ぶくぶく茶釜様が『私のボーナスの威力を見たか』と以前仰っていたので、僕達も、その、ボーナスさんと呼んでます!フラミー様も、あの、『ボーナス万歳』って、仰ってましたよね?」

 それを聞いた瞬間、フラミーの頭の中には当時の光景が即座に浮かんだ。

 

+

 

「私のボーナスの威力を見たか!」

 ぶくぶく茶釜がピンク色のぬらぬらした手で、金に物を言わせて手に入れた竜を叩く。

 それを見ていたいつもの女子メンバーはワァー!と拍手をした。

 フラミーの膝の上にはアウラ、やまいこの膝の上にはマーレ、餡ころもっちもちの膝の上にはエクレアだ。

「すごいです!茶釜さん、ブルジョワですー!」

 フラミーが盛り上がると、やまいこは首を傾げた。

「かぜっち、声優にボーナスなんてあるの?」

「ふ、ちょいとこっちのワードを入れる仕事があったからね。」

 茶釜はそういうと、右手で何かを掴む形にし、数度傾けた。

「――あぁー、特殊景品交換できるやつね。」

「そゆこと。あれはセリフ一つごとにギャラがあるから、普通のアニメやゲームより稼げるんだー!」

 納得しているやまいこを他所に、フラミーと餡ころもっちもちは理解できずにいる。

「特殊景品ってなんです?」

「交換ってなにぃー?」

「遊んで手に入れた玉を、隣にたまたま建ってる古物商が買い取ってくれるとっても楽しいゲームの事だよ。」

 やまいこは尚もぼかして説明した。

 そのワードはとても健全だと言うのに、"パ"の後にNGワードがくっついている為、ユグドラシルでは発言することはできない。

 そこでようやく二人は得心いった。

「へぇー!あれに声入れるのってそんなに儲かるんだねぇ!」

「ふふふん。事務所にマージン渡しても中々いい額になるから、私にとってはボーナスなんだよねぇ。」

「ふふ、ボーナス万歳ですね!」

 フラミーは明るく笑った。

 

+

 

「……ぼ、ボーナス君…。」

 フラミーが呟くと、ボーナス君は深く頭を下げた。

「は。フラミー様、ご無沙汰しております。」

「あ、いえ。私こそ。は、はは〜。」

 全てから逃れるように笑うと、フラミーはアインズへ振り返った。

 アインズはアルメリアを抱きながら硬直している。

 茶釜の――いや、マーレのドラゴンはカキンちゃんとボーナス君。とんでもない名前だった。

「ム、ソノドラゴンノ名ハボーナスダッタカ。」

 コキュートスが反応を見せる。マーレは得意げにうなずいた。

「私ノ下ニアル一振リモボーナスト呼バレル物ガアル。」

 アインズとフラミーは揃ってコキュートスを見た。

「コキュートス、そ、それは…まさか…建御雷さんがお前に残した物か…?」

「オォ!アインズ様!ソノ通リデゴザイマス。秘刀ボーナスデゴザイマス。」

 課金の名を冠している者がいるかも知れないとナザリックを調べたところ、他に何人かカキンと呼ばれていたが――

「ボーナス……!完全に盲点だった…!!」

 アインズが片手で頭を抱える。片手はアルメリアの口の中だ。

 そして、ふと思い付く。

「…ボーナスで手に入れたものはボーナスと呼ばれるなら…俺のこの指輪は……。」

 そう言ってアインズが取り出したのは――

「アインズさん、落ち着いてください!それは流れ星の指輪(シューティングスター)ですよぉ!」

「フラミーさん…でも…ナザリックの謎ルールを考えれば…これはリング・オブ・サマーボーナス……。」

「だ、ダメです!!そんなこと言ったら、ナザリックの拡張にどれだけタブラさんがボーナスをつぎ込んだか――」

 アインズはその言葉の意味を悟る。

「………ボーナス地下大墳墓!!」

 アインズが悶えると、アルメリアはキャッキャと嬉しそうに笑い、ナインズと守護者達は目をパチクリさせた。

「えーと…皆さん、こっちは気にしないでやって下さい。」

 

 フラミーに促されると、ナインズは鎖の付いた首輪を装備し今日も元気に訓練を始めた。




アルメリアちゅゎん、猫のようにお膝ゴロゴロ…!
ユズリハ様にアウラとフララをいただきました!

【挿絵表示】

可愛いわねぇ!


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#117 閑話 観劇

 二週間後、ナインズ達を乗せた馬車は闘技場へ向かっていた。

 闘技場には一度も行ったことがない為、アインズ達は久々の馬車だった。ナインズとアルメリアにとっては生まれて初めての馬車だ。

 

 出発地点はアーウィンタールにある闇の神殿。そこに勤める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)巻物(スクロール)を用いて転移門(ゲート)を開き、面々は現れた。

 その神殿はかつて火の神殿だったが、国名が帝国から神聖魔導国に変わった時、ジルクニフから熱く改宗を推され、半ば強制的に改名させられた。

 バハルスでは政治と宗教に密接な結びつきがない為、かなり難儀したようだった。

 なんと言っても旧スレイン法国は六大神信仰だったが、旧帝国は四大神信仰。ここは旧王国のように国民が直接力を見せつけられたわけでもない。闇と光の神がそもそも存在するのしないのと、まずはそこからだった。

 しかし、今では神官達も馴染んでいる。ジルクニフからも神々の素晴らしさについて聞かされているし、 飛竜騎兵(ワイバーンライダー)達がティト市から来て神殿に祈りを捧げに訪れるその度、現存する神の奇跡を聞かさせれるのだから。

 彼らは今日初めて見た神々の威容にただただ頭を垂れた。

 

 今日の演劇は神へ奉納されるため、多くの高位神官達と護衛に陽光聖典が付いている。五台もの馬車が連なり、春に浮かれる街を行く。

 そのうち、最も豪奢な馬車の中でナインズは渡された仮面を手に首を傾げた。

「お父さま、これなぁに?」

「窓の外を眺める間は念の為にそれを着けなさい。このままだと街がパニックになる。お前は私に似すぎだ。」

 それはユグドラシル時代にアインズが強制的に手に入れさせられた呪われたアイテム。

 ――通称嫉妬マスク。

 残念ながら枚数ならうんざりするほどあるので、アインズは何の躊躇いもなくナインズへやった。

「邪魔ぁ。」

「面倒だろうが、お前と街の為だ。」

 アインズはナインズの手の中から仮面を取ると、その顔にかけてやった。

「ちゃんと前は見えるだろう?」

「わぁ、邪魔じゃなかったぁ!」

 ナインズはすごいすごいと仮面を触り、窓の外を心置きなく眺めた。

「――あ!お父さま!見て、見て見て!」

 馬車の外を指差すナインズはシートの上に立ち、円形の闘技場を前に興奮している。脱いである靴は丁寧に二足揃えられていた。

「見ているぞ。私も初めて来たが…すごい建物だな。」

「ナザリックのアンひテアトむる(アンフィテアトルム)の方がすごいけど、これもすごい!」

「九太、ナザリックの物と外のものを比べてはいけない。わかるな?」

 人の手で作られた物とCGによって指先一つで生み出される物は決して比べてはいけないのだ。

 アインズが告げると、ナインズは頷いてから再び闘技場を見上げた。

 そうしていると、馬車は貴賓席に直接上がれる出入り口に乗り付けた。

「お母さま!起きて、着いたよ!」

 正面に座るフラミーはアルメリアを膝に乗せてすやすや眠っていたが、ナインズが膝を叩くと目を覚ました。

「は〜、もう着きました?おはよう、ナイ君。ナイ君は今日も元気だね。」

「えへへぇ。リアちゃん、着いたよ!」

 ナインズは丸くなるアルメリアの翼をめくった。

「にぃにぃ。」

 アルメリアは大きな瞳に涙を浮かべていた。

「リアちゃん?どうしたの?」

 ナインズがフラミーの膝の下にしゃがみ、顔を覗き込むとアルメリアは再び自分の翼に包まった。ナインズはどこにいても大人しく笑っていたが、アルメリアは知らない場所も知らない人も苦手だ。冬にあったナインズの誕生祭にアルメリアも行き、お披露目があったが、ずっとフラミーの膝の上で丸くなっていた。翼をめくると大粒の涙を浮かべてしまうので、神官達でもあまりアルメリアの顔を見ることができた者はいない。

「九太、花ちゃんはもう少し寝かせてやろう。無理に起こすことはない。さぁ、それよりお前は靴を履かなきゃな。」

 アインズは小さな靴をナインズに一足づつ渡し、ナインズはまだ不器用な手で足を靴に突っ込んだ。

 フラミーはアルメリアが泣き出さないように気をつけて抱き上げると白い翼で大切に包み込む。

「リアちゃん、お外出るけど、大丈夫だからねぇ。」

「おか、おかぁ。」

 えぅえぅと泣き声を上げそうになるアルメリアはフラミーに必死に張り付くと自らの翼を口に入れしゃぶった。アルメリアの視界はフラミーの翼でいっぱいだ。

 そうしているとノックが響き、一番にアインズが降りた。

 身分から考えればあまりアインズが一番に降りるのは良くないかもしれないが、辺りの索敵やらを行うなら一番力のあるアインズが降りるべきだろう。

 神が行うなら、何であっても正解になる――という恐怖の事態に陥っている――のでアインズはもはや小難しいことはあまり考えないことにしている。

 そこには最高神官長や闇の神官長、光の神官長、陽光聖典、アルベドとシャルティアがいた。この面子のお出かけに最強の盾と総合力最強の二人が付くのは当然の事だろう。

「神王陛下、殿下、長時間のご移動お疲れ様でございました。」

 仮面を外したナインズもすぐに後を付いて降りてきたので、闇の神官長マクシミリアン・オレイオ・ラギエは二人に頭を下げた。

「うむ。ラギエ、気にするな。」

 アインズはそれだけを言うと、フラミーを迎えるように馬車に振り返った。

 そして、ナインズが一言。

「ラギエさんも、皆さんも、楽にして下さい!」

 アインズはアルメリアを抱くフラミーの足元が危なくないように手を差し伸ばしていたが、ナインズのその言葉に振り返り、ふっと笑った。

 アインズが優しいのはナザリックの者達に対してだけだ。神官長達の頭を上げさせるのはフラミーを下ろしてからで十分。そう思っていたが、ナインズは誰にでも優しかった。

「――ナインズ、偉いな。」

「はい!」

 いいお返事が返り、フラミーも微笑んだ。

 神官達は改めてフラミーとアルメリアにも頭を下げ、歩みを進め始めた。

 貴賓室は三部屋あり、闘技場の経営に寄与している資産家用、貴賓室を借りられるだけの額を支払える者用、そして神々用だ。

 これはかつては資産家用、貴族用、皇帝用だったものだがこのように割り振られ直した。

 歴代皇帝のために作られていた部屋に現地の神官達が案内する。

 初めて近くで神々を見た現地の神官達は振り返りたい気持ちを何とか封じて進んだ。これほど側で神とまみえる事は二度とないかもしれない。オシャシンでいつでも見られるが、生で見られる神々を目に焼き付けたい。

 ――しかし、神官は気付いていないが、振り返りたいと言う欲求は神を見たいからと言うだけではない。

 本能が絶対強者達に背中を取られた事に怯えているのだ。

 

 やがて角を曲がり扉が見えると言うところまでくると、そこには四人の女子がいた。

「――あら?紫黒聖典?」

 フラミーの呟きに四人娘は振り返る。

「あ、陛下方。お待ちしておりました!中の安全確認は済んでおります!」

 真面目な雰囲気のクレマンティーヌが膝をつき、後ろの三人も即座にそれに続く。

 道中の警護は守護者と陽光聖典が受け持ったが、闘技場の事前安全確認には紫黒聖典が駆り出されていた。

 彼女達は飛竜(ワイバーン)を当てがわれている為三色聖典の中でも最も動きが早い。

 四人は前日から前乗りし、アーウィンタールで三騎士と合同訓練も行った。

 余談だがティトとマッティはたまに神都に行き紫黒聖典付きの飛竜(ワイバーン)達のメンテナンスを行っていて、その度に姦しい四人衆に振り回されている。当時十四歳だったティトは十八歳を迎えた。マッティは嫁を取ったし、兄弟は益々逞しくなった。ナインズとアルメリアの誕生祭で久々に謁見したとき、アインズは「お前達を見ていると私の貧弱さが情けなくなるな」と言い、すっかり大きくなったティトはいつもの神の冗談だと昔と同じ人懐こい顔で笑った。ブロッコリーのようだった髪の毛は今では一本の三つ編み状に結ばれていて、マッティと随分似てきたようだ。

 

 ナインズは跪く紫黒聖典を見ると、少し早すぎやしないかと言うタイミングで声をかけた。

「紫黒聖典の皆さん、楽にして下さい!」

 ナインズに促されたが、四人はアインズとフラミーに確認の視線を送ってから立ち上がった。

 番外席次が扉を開き、先にシャルティアが中へ進み、最後のチェックを済ませるとアインズも中へ進んだ。

「ありがとうございます、番外席次さん。ほら、ナイ君も。」

「ありがとうございます!らん外席次さん!」

 フラミーは番外席次に微笑み、ナインズを連れて中へ進んだ。

「はぁ…フラミー様…。」

 番外席次はうっとりとこぼしてから共に中へ進んだ。

 部屋の中は手狭ではあるが、調度品はどれも超一級品ばかりだ。

 壁の一面は大きく開いており、闘技場中を一望できる。

 ナインズが近寄り、外を覗き込むと――競技場を取り囲んでいる満員の観客から割れんばかりの大歓声が上がり、ナインズは肩を震わせた。

「お、お母さま。ゴーレムじゃなくて人がたくさんいる!こんなに!」

 誕生祭などは選ばれた者達が来ていたので、一般観衆を始めて前にしたナインズは驚いたように目を丸くしていた。それに、ナザリックの闘技場の客席にはゴーレムが並んでいるのだ。

「そうだね。皆ナイ君が大好きだから嬉しそう。」

「そ、そうなのかな?」

「きっとそうだよ。お手手振ってごらん?」

 ナインズはそろりそろりと再び窓辺に近づき、手を振った。会場中がドカンと盛り上がり、ナインズは再び肩を震わせた。

 その声に、アルメリアは「ぅ………」と声を漏らすとフラミーは慌てて抱き上げて背を叩いた。

「怖くないよー、怖くない。皆リアちゃんの事も大好きなんだから。」

「お、お母さま。ぼくも!ナイ君も!」

 フラミーが膝をトントン、と叩くとナインズは横向きに膝に乗った。百レベルの力の前ではナインズ程度軽いものだ。

 ナインズはそっとアルメリアをフラミーから受け取り、アインズがするようにその翼を撫でた。

「リアちゃん、にいにがいるからね。」

「にぃにぃ。」

 アルメリアがナインズの服を掴むとフラミーは二人をいっぺんに翼で覆い、アインズはフラミーの翼を撫でた。

 

 その様子を眺めていたレイナースは小さな声で呟く。

「…美しい光景だわ…。」

「本当ですね…。それにしても、アルメリア様の翼は黒いんですね?」

 ネイアが疑問を漏らすと、紫黒聖典と別段近くもない所に控えていた地獄耳のアルベドが「くふっ」と声を漏らした。

「私とお揃いっ!あっ、不遜ですわね。私がアルメリア様とお揃いなのだわ。」

「あーうっさいでありんす。本当にうっさいでありんす。」

「なぁに?シャルティア。あなた、私がアルメリア様とお・そ・ろ・いだからって嫉妬しないでくれるかしら?くふふ。」

 アルベドが勝ち誇った顔をすると、シャルティアはその手を一気に闇の中に突っ込んだ。ズズズ…と引き抜かれ始めたものは伝説級(レジェンド)アイテムの真紅の鎧だ。

「はぁ?こっちはこれを着ればフラミー様とお揃いの白い翼がありんすわけでありんすが?」

「ふぅん?付けたり外したりできて、随分便利ねぇ。街の子供達と同レベルでなくて?」

「…………大口ゴリラ。」

「…………ヤツメウナギ。」

 両者が静かに睨み合うと、アルメリアの目にはどんどん涙が溜まっていき、ナインズすらぶるる…と震え――番外席次すら立っている事が難しくなるほどの圧倒的な力が押し寄せる。

 

「――お前達、児戯はやめよ。」

 アインズはアルメリアが決壊する最後の一押しにならないように、静かに告げた。

 ここで「やめんか!!」と言っていればアルメリアは劇どころではない。

 瞬間、二人は即座に美しい笑顔を見せた。先程までの一億年の恋も冷めてしまいそうな顔の二人はどこにもいない。

「申し訳ございません。」

「失礼いたしんした。」

 部屋の中の緊張が解けると、廊下から赤ん坊の泣き声が響いた。

 フラミーは、目を見開いて引火直前のアルメリアに顔を寄せ微笑んだ。

『リアちゃん、泣かないで?頑張れるかな?』

 優しすぎる口調で告げられた言葉はアルメリアの心の奥に触れた。

「ラギエ、ドラクロワ。廊下に誰がいるんだ?」

 腰を抜かしてしまっていた闇の神官長と光の神官長はなんとか立ち上がり、息を整えると告げた。

「――し、失礼いたしました。陛下方、本日隣の貴賓室にはエル=ニクス州知事が来る予定で、ご挨拶にと廊下で待っております。」

「む、そうか。ではこの泣き声はサラトニクだったか。」

「恐らく。」

 話していると廊下から聞こえていた泣き声は次第に収まっていき、アインズは入れてもいいかとフラミーに視線で確認をとる。

「入れてあげてください。」

 フラミーが言うと、アインズは顎をしゃくった。

「エル=ニクスを入れてやれ。」

 足腰が言う事を聞いている番外席次が扉を開けると、ジルクニフとロクシー、そしてサラトニクを抱いた執事と乳母がいた。周りには三騎士もいる。

 ナインズはアルメリアをフラミーに返すと、見覚えのある男の子に駆け寄った。

「サラ?」

 去年の夏に産まれたサラトニクは九ヶ月を迎え、初めて見た時よりはよほどちゃんとしていた。

「殿下、よく覚えておいでで。」

 ジルクニフは微笑むと、サラトニクを抱く執事の肩を叩いた。

「エンデカ、私はご挨拶してくるからここにいろ。」

「かしこまりました。――さぁ、殿下。こちらがサラトニク様でございます。」

 執事はナインズの前に膝をつきナインズにサラトニクを見せた。

 サラトニクはふるふると震える足を地面に下ろし、エンデカに捕まりながら立ち――すぐに地面にお尻を下ろした。

「あんなんなんなんなん、ぱ。」

「わ、サラは可愛いね。」

 ナインズは優しくその頭を撫で、サラトニクはキャイキャイと笑い声を上げた。

「リアちゃんみたいに、ぼくの事にいにって言ってもいいよ?一太はいつも二の丸と一緒で、弟は良いものですって言ってるから。」

「ぱ?」

 サラトニクが首を傾げると、執事がナインズの前に膝をついた。

「殿下、サラトニク様はありがとうございますと言っております。」

「おじさん、サラの言葉わかるの?」

「分かりますとも。どうか末長く仲良くしやってくださいませ。」

「うん!いいよぉ。」

 ナインズが嬉しそうに笑うと、大人達がぞろぞろと入り口に戻ってきた。

「――では、我々はこれで。」

「はぁい。じゃあね、サラ。」

 ナインズはもう一度サラトニクを撫でるとフラミーの下へ戻った。

 フラミーの隣に座り直すと、アインズが手元に視線を落として何かを読んでいた。

 ナインズが何が書かれているのかと手元を覗こうとすると、アインズは立ち上がり難しい話を外に向かって聞かせた。

 それが終わると、フラミーも何か話をし、手を振った。

 ナインズはアインズの言っていた事は難しかったが、フラミーが言ったことは分かった。

 演劇に誘ってくれて嬉しい。素敵なお芝居を楽しみにしていますね。だ。

 次は自分が何かを言う番かとナインズは一生懸命考えた。

 お出掛けが嬉しいと言おうか、アルメリアが可愛いと言おうか、サラトニクに会ったと言おうか。

 ソワソワしていると、色とりどりの絨毯が敷き詰められた劇場の中心に人が出てきた。

 それは先程までここにいたはずの神官達だ。

 神官達はナインズ達のいる貴賓席に向けて深く頭を下げると、歌を歌った。

 それに合わせ、貴賓室にいる聖典達も歌った。

「これがゲキ?」

 ナインズがフラミーを見上げると、フラミーはふるふると首を振った。

「ナイ君、これはまだ劇じゃないよ。劇をします、見てくださいねってお歌を歌ってるの。」

「むつかしいね。」

「ふふ、そうだね。お母さんもそう思う。でも、聞いてごらん?――皆の声、綺麗だねぇ。」

 透き通った歌声にしばし耳を済ませ、歌が終わると神官達は頭を下げはけて行った。

 フラミーは部屋の中で一緒に歌った聖典達に小さく拍手を送った。

「皆さん、ありがとうございます。」

 ナインズも慌てて拍手をした。

「あ、ありがとうございます。」

 聖典達は皆誇らしげだった。特にニグンの顔はドヤ顔と言っても過言ではない。

「――九太、始まるみたいだぞ。」

 アインズはそう言うと、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を取り出して浮かべた。

 下の様子がアップになって見える。

 ナインズはそれを見つめていたが、現れた者達が声を張ると、身を乗り出すように下を覗き込んだ。

『おぉ!世界が闇へ落ちようとせん!光の神よ、再び地へ降りる時が来たようだ!』『あぁ!闇の神よ、あなたが五百年前に遣わせた一人の使徒はどうしたのですか!』

 それを聞くとアインズは目頭を押さえ、フラミーは両手で顔を覆った。

 ナインズはこれは何なんだろうと食い入るように劇を見た。

 

+

 

「………疲れた。」

「疲れましたねぇ…。」

 アインズとフラミーはフラミーの寝室でぐったりと転がっていた。二人の間には相変わらずアルメリアが丸まって寝ていて、フラミーの翼が掛けられている。

「アインズさぁん…何だったんですかぁ、あれ。」

「えぇ…俺に聞かれても…。」

 それは大まかに言えばニグンと出会った時から、建国までの話だった。

 それの前に、下界を心配する慈悲深き神々の話や、生命の糸を編む光の神の話、死んだ者の魂を洗う闇の神の話などがあり、アインズは途中で精神抑制をフル活用した。

 歌の奉納の際にニグンが誇らしげな顔をしていた理由もよく分かる。建国までの話はニグンが神都で信者達に聞かせて来た話であり、大神殿と約束の地に建つ神殿にニグンが納めた聖書の内容でもある。そして、講演で吟遊詩人(バード)竪琴師(ハーパー)に聞かせてきた話でもある。

 神様本人達以外は割と気に入ったようで、ナインズなどはかなり楽しんでいた。

 アルベドとシャルティアも「下等生物にしては上出来」と高評価を下した。

「…せめて、ニグンさんを裸に剥いてなければ良かったのに…。」

 フラミーが呟くと、アインズは精神抑制を切っているせいで悶えた。

「…うぅぅ…本当ですねぇ…。アルベドなんかよく普通に見てられたよな…。あいつ、自分がルーインを追い剥ぎした時のシーンがあんなに超絶に美化されてて何も思わないのか…?」

 劇中のアルベドは「そなたに洗礼の儀式を行う。生まれたままの身になりて、全ての命は神の前では等しい事を知れ」と言ったが、何をどう考えても当時のアルベドはそんなことを言わなかっただろう。

「皆鋼の精神です…。私なんか命を生み出すって事になってたけど、自分の子供しか産んだ事ないのに…。」

「俺も死んだ魂なんか浄化してないのに…。あぁ…何かもうクレマンティーヌの顔見れなかったです…。」

 アインズはかつて邪神教団が脱ごうとした時、クレマンティーヌに言った言葉が頭の中を何度も過った。

(――もし邪神教団(こいつら)のせいで神聖魔導国に変な風習が根付いたら街ごと消す!!それを忘れるな!!)

「あぁ…!邪神教団どころか…信者第一号のせいでおかしな風習が根付く…!!」

 アインズが頭を抱えていると、寝室の扉が叩かれた。

「――誰か?」

 扉はそのまま開かれ、ナインズが顔を出した。

「九太か。入っていいぞ。」

 ナインズはいそいそと部屋に入り扉を閉めると、瞳を輝かせた。

「へーか方は神様なの!!」

 アインズはアルメリアのいるフラミーの翼の下に潜り込んだ。

「俺は神様じゃない。でもフラミーさんは女神で聖母だから。よろしく。」

「え!?よ、よろしく!?」

「へーか!」

「な、ナイ君?お母さんもね、本当は普通の人なんだよ?」

「でも命の神様なのに!」

 

 アインズはフラミーの翼の下で、アルメリアの翼をめくって現実から目を逸らす。中のアルメリアはどう見ても小さなフラミーだ。

「花ちゃん可愛いね〜。」

 白い翼の世界の外からは、神様だとか神様じゃないとか、陛下だとか陛下じゃないとか。

 フラミーとナインズは暫く同じ問答を繰り返した。




そろそろ世界征服にいかないと……


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試される草原
#118 夏草海原


 カルサナス州の東。

 ティエンタ山脈の向こうには夏草海原(なつくさうなばら)がある。それはその名の通り、まるで大海原のようにどこまでも広がる青々とした草原だ。

 人の膝程の青い草は風が抜けるたびにさやさやと揺れ、まるで波打つように煌めいていた。

 この夏草海原は北西の一部がカルサナスの都市と隣接しており、北東の一部は銀色草原に隣接している。ずっと南下して行けば三大国のうちの一つであったビーストマン州がある。

 

 かなり広大な夏草海原だが、ぎっしりと街があったり、一つの種族が国を築いているような訳ではなく、様々な種族や部族の者達が遊牧生活を行い、穏やかに暮らしていた。

 

 言葉を話す種族で代表的なのは四種だ。

 頭から腰までは人間で、その下が馬の体を持つ人馬(セントール)。逆に、人間の体に翼を持ち、鷲の顔をした人鳥(ガルーダ)。同じく人間の体に、ふさふさの尻尾と犬の頭を持つ人犬(コボルト)。そして、兎の顔をした人兎(ラビットマン)

 喋らないものなら八足馬(スレイプニール)、獅子の混合魔獣(キマイラ)、野牛などが代表的で、点在する池沼には飛躍する蛙(ジャンピングリーチ)多頭水蛇(ヒュドラ)などが生息している。

 

 そんな多くの種族が暮らし、国家が存在しない夏草海原にもルールというものはある。

 

 雨が少ない季節には争わずに池沼を譲り合って使うと言うものや、雪の降る季節には夏草海原に恵みをもたらすバオバブの木が冷えて立ち枯れてしまわないように野牛の皮を巻いてやるというもの、八足馬(スレイプニール)を捕獲して売ろうとする者達とは協力して戦うというもの、一箇所に定住して夏草(エテリーフ)をやたらに食して不毛の地にしないというものなど、生きるための野生のルールだ。

 

 夏草海原の夏草(エテリーフ)は冬には殆どが枯れ、代わりに銀色草原の銀色草(ライトリーフ)が旺盛に育つ。

 夏草海原に暮らす者達は食物を求めて銀色草原へ移動し、春が訪れるとビーストマン州の近くのよく育った夏草(エテリーフ)を求めて一斉に南下する。

 遥か昔は一部のビーストマンも夏草海原に暮らしていたが、ビーストマン達は夏草海原の南に大国家を築き、三百年もかけて連邦中に水道を通して暮らしていた。彼らは海と山に接して川を多くもつ肥沃な土地に住まうワーウルフと戦争をしていた程だ。

 夏が訪れると遊牧民達は夏草海原中に散って暮らし、秋が訪れるとジリジリと銀色草原へ向かって皆北東へ上がっていく。

 

 これが夏草海原の一年だ。

 

 そして、今年の春もまた夏草海原は青に染まった。

「バンゴー議長…これは、この街の様子はどうした事ですか。」

「騎馬王殿、実に久しいですのう。六年ぶりか。私は今は議長ではなく州知事です。」

 ビーストマンのイゼナ・バンゴーは夏草海原に君臨する誇り高き騎士、騎馬王と言う人馬(セントール)に地図を見せた。

 "騎馬王"と呼び始めたのは都市国家連合の者だが、今では殆どの者がその人馬(セントール)を騎馬王と呼んでいる。

 

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「――去年の春にお立ち寄り頂かなかったのでお伝えできませんでしたが、一昨年の春にビーストマン連邦は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国へと併合され、今ではビーストマン州です。」

「ここも神聖魔導国に…。いやはや…時は流れるものですな。もう二年と言ったところでしょうか…?」

「さよう。アンデッドがいる街には驚かれたでしょう。五年ごとの"立ち寄りの春"にお見えにならなかったので……よもや亡くなられたかと。」

「いやいや、元気にしております。去年はカルサナスとの戦争を持ち越す事にしたので立ち寄りませんでした。」

「そう…そうであったか…。」

 バンゴーは目に見えて安堵していた。騎馬王が顔を出した時にはまるで死人を見たような顔をしたものだ。

 騎馬王達、夏草海原の遊牧民達は五年おきの春に旧ビーストマン連邦を訪れていた。戦争へ向けた武器や食料の調達が主目的だ。

 

「そう易々とくたばりはせんですよ。ははは。」

 騎馬王は愉快げに笑ったが、バンゴーは居住まいを正した。

「…騎馬王殿は知っておいでか。去年の春の始まりに、カルサナス都市国家連合の全ての都市が神聖魔導国へとその名を変えたと。」

「――なんですと?」

 騎馬王は毛深いバンゴーの顔を驚愕の瞳で見つめた。

 

「これは古き友への忠告…。神聖魔導国へ手を出してはなりません。」

 バンゴーの言葉は何某かの実感がこもっていた。

 しかし、騎馬王は何も恐れぬように返した。

「ご忠告は感謝申し上げる。しかし、我々は百年前の"青草の約束"を忘れてはいないのです。」

「ああ…騎馬王殿…。夏草海原の奪われた地は半分取り戻した、そうでしょう。あれからもう百年…。どうか過去の事と全てを忘れてカルサナスを許してはもらえんだろうか…。」

 ビーストマン連邦からカルサナス都市国家連合は遠い。バンゴーは去年の春にカルサナスが神聖魔導国となるまで、直接カルサナスと関わりを持った事はなかった。

 しかし、それでもこうして騎馬王へ頭を下げる。

 その姿を見ると、騎馬王の中には形容し難い感情が湧き上がった。

「…ビーストマンは夏草海原の中でこうして生きる新しい方法を見出したからそのような事が言えるのです。今も夏草海原と共に生きる我らにとって、あの日の屈辱は決して忘れられるものではない。」

「……ぬし、最早戦いの中に生を見出しておるのではあるまいな…。」

「バンゴー殿。我らとて、戦いしか生きる方法を知らぬ訳ではありません。しかし、夏草海原の地は全て取り戻さねば、戦いは終わらない。」

 返した騎馬王の瞳の奥には復讐や使命の炎が燃えていた。バンゴーは確かにそれを見た。

「………我らビーストマンは神々の力を見せ付けられた。我らの街を歩く魂喰らい(ソウルイーター)をご覧になったか。騎馬王殿とて、沈黙都市とそこに現れた恐怖を知らぬ訳ではあるまい…。」

「存じておりますとも。しかし、それが何か。」

「あれこそが沈黙都市の化物なのです。つまり、神聖魔導国に戦いを挑むと言う事は、沈黙都市が味わった恐怖をその身に受け、必定の死に飲まれる覚悟をお持ちにならなければならん…。我らの王は誠、死の権化よ。去年の夏にカルサナスへ攻め入られなかった事は貴殿の本能がそれを解っておいでなのではないか。」

「去年我らが攻め入らなかったのは単純な話。カルサナスが五年に一度行うはずの競技大会を開かなかったからにすぎません。帝国――いや、今はバハルス州でしたかな。あそこにいる首狩り兎が人兎(ラビットマン)達にもたらした情報です。本当ならばべバードで開催されるはずだった競技大会が開かれない事になったと。手薄になった所で攻め入るはずが、うまくいかなかった、それだけのこと。」

「べバード…。べバードは確か、カルサナス全土が神聖魔導国になる半年前にカルサナスを離脱しておったな…。それを起因にカルサナスはずっと経済的な内乱状態に陥っていたそうだし、大会の準備もできなかったのでしょうな。」

「内乱…。やれやれ、本当に懲りぬ者達だ。」騎馬王は呆れたように苦笑した。「――そのまま多く命を落とす者があれば、場所も空いた(・・・・・・)だろうに。」

 

 騎馬王はこれまで、人馬(セントール)人鳥(ガルーダ)人犬(コボルト)人兎(ラビットマン)たちを率いて隣接する都市国家連合と幾度となく戦いを行なってきた。

 彼らとの戦いの歴史は古く、十二の都市国家がまだ十四の小国家であったおおよそ百年前まで遡る。

 当時カルサナスは一つの巨大国家の崩壊によって、併合と分裂を繰り返していた。それには当然流血が付き物であり、世は乱戦時代であった。

 小国家同士の戦いには夏草海原の者達も駆り出され、多くの八足馬(スレイプニール)が持ち出されたのは有名な話だ。その時の八足馬(スレイプニール)が繁殖され、帝国や法国などの近隣国家に売られた。

 

 本来カルサナスの戦争に夏草海原は無関係であったが、戦争が進むにつれ、隣接する彼らもカルサナスの戦争へと引き摺り込まれた。

 夏草海原に接していた小国家は、夏草海原へその国家を広げ、小国家郡の中でもひとつ抜けた大きな国家へと成ろうとしていた。夏草海原で野牛や八足馬(スレイプニール)を獲って夏草海原を牧地化するだけでもその存在は大きなものとなる。他の国家との持ちつ持たれつの関係を持ちつ持ちつにする事で一大勢力へとなる野望だ。

 しかし、当然夏草海原の者達は美しき草原への侵略に反対し、断固として譲ろうとしなかった。

 一つところに長く住み、夏草(エテリーフ)を不毛とするような真似は慎まなければならない。ビーストマン達は夏草海原の守るべきルールを知って一つところに国を築いているので、牧地を作ったり、野牛たちを捕らえて牧畜化するような真似はしなかったし、八足馬(スレイプニール)を乱獲することもない。

 建設を進める小国家の者達にルールを説明しても、小国家にそれを理解する事はできなかった。

 

 ――こうあっては戦争しかない。

 

 そう思われたが、小国家は夏草海原と他国家に戦端を二つ持つほどの体力は無かった。それを知らない夏草海原連合軍は戦力を集中されれば負けてしまうかもしれないと震えた。

 その時、小国家は夏草海原の者達に約束を持ちかけた。

「共に他の国家と戦ってくれるのならば夏草海原から手を引く」――と。

 彼らも戦争に勝つため夏草海原へ侵略して来たのだから、勝てさえすれば良かった。むしろ兵が増える方が望ましい。

 人兎(ラビットマン)は少数しか出なかったが、人馬(セントール)人鳥(ガルーダ)人犬(コボルト)達は勇ましかった。ならばと戦争の終結に手を貸すべく、戦士級の者達は草原を後にした。

 約束通りに小国家による乱獲と侵略は止まり、夏草海原連合軍は二年と言う長き時を小国家の者と戦った。

 その果て、大議論と呼ばれる討論が行われた。カルサナスは運命を共にする現在の十二の都市国家で連合が形成され、戦争は終結した。

 戦士達が手を貸した小国家は解体され、二つの都市国家に吸収された。

 当時小国家のトップに立っていた者達は戦犯として裁かれ――

 

 そして、全ては変わってしまった。

 

 小国家との間に交わされた約束は"青草の約束"と呼ばれ、後に守れもしない約束を示す言葉となった。

 

 何故なら、戦士達が手を貸した戦争から帰った時、夏草海原の一部には牧場と街が広がっていたからだ。

 何も知らない、約束を交わした小国家とは無関係のカルサナスの亜人達が平和に暮らし、そこで生活を営んでいたのだ。

 作りかけの街には置きっぱなしの木材や柵が大量に置かれていて、戦争から逃れてきた彼らはその場所で定住を始めていた。

 夏草海原のその一部は海原と言うにはあまりにもお粗末な――不毛の地になった。

 移動しないせいで家畜と化した牛たちの糞が大地を汚し、これまで大量発生しなかった虫が夏草海原を覆い、数少ない池沼ではカルサナスの者との諍いが絶えず、飛躍する蛙(ジャンピングリーチ)多頭水蛇(ヒュドラ)は住処を追われて激減した。海には魔物もいるため、水場はいつでも争奪戦だ。

 さらに、彼らは囲っていない全ての野牛も自らのもののように振る舞った。その野牛達は戦争からの貧困に苦しんだカルサナスをどれだけ支えただろう。

 これらの行いは、カルサナスの戦争に手を貸すために草原を出ていた者達の仲間にも大きな打撃を与えていた。

 カルサナス都市国家連合、ティエンタ山脈の側には人間もいるが、夏草海原に侵略してきた相手は亜人である。

 戦士級の者達の不在に、女子供はカルサナスの侵略者に追われ、水を譲り合うと言うルールは守られずに渇きに悶えた。限りある水場は柵で囲まれ、野牛しか入れて貰えない。

 カルサナスの者はいつも「管理者も国もないのだから正当な行い」だと言って引かなかった。

 冬になりバオバブを守るために野牛を殺して皮を巻いていたら、家畜を殺したと暴力的な制裁を受けた。

 水辺の減少と、それに伴う生き物の減少は獅子の混合魔獣(キマイラ)を飢えさせ、多くの同胞が命を落とすことになった。

 その年の水辺を追い出された多頭水蛇(ヒュドラ)は栄養状態の悪化によって頭の数が少ない子を大量に産んだ。頭の数が少ない子は親に見捨てられる。

 夏草海原には尊きルールがあるのだ。

 ルールを守れない生き物の台頭は広大な夏草海原を歪めるには十分すぎる。

 

 人犬(コボルト)はまるで卑しきハイエナのごとく、見捨てられて死んだ多頭水蛇(ヒュドラ)の子供の死体を仲間と分け合った。残る野牛は獅子の混合魔獣(キマイラ)の為に残さねば、食われるのはこちらになる。中には命懸けで沈黙都市の向こうへ引っ越した者もいた。

 人鳥(ガルーダ)はバオバブを抱いて震える冬を過ごし、少ないバオバブの実を仲間と分け合った。

 人馬(セントール)は虫に食われ、ぼろぼろになった夏草(エテリーフ)を食んだ。

 人兎(ラビットマン)は耐えきれず、皆に謝りながら夏草海原の中に小さな共同体、村を作った。遊牧をやめた人兎(ラビットマン)を責める者など、誰もいなかった。

 彼らはビーストマン達と同じく、夏草海原のルールを守り、時にトロールやミノタウロスに拐われて食われながら定住を始めた。遠くまで男が夏草(エテリーフ)を採りに行き、山の中腹まで一日の水を毎日汲みに行く生活は遊牧よりもよほど大変だっただろう。

 

 この悲劇は、たった二年の出来事だった。

 

 夏草海原に帰った戦士達は猛烈な怒りに震えた。

 カルサナスの亜人達は空いていた土地で暮らしているだけだと言って引かなかった。いや、彼らとて帰るところがないのだから仕方がなかったのだ。

 "青草の約束"を交わした小国家は最早存在せず、二つの都市国家へ説明を求めても誰も責任を取れる者などいない。

 もう暮らし始めてしまったのだからとなだめられたが、夏草海原の先住の者達はこの行いを決して許しはしなかった。

 双方の感覚には大きな隔たりがあった。

 草原に家が建てられた面積は全体の大きさから言えば五十分の一、いや、百分の一にも満たない、小さなものだったのだ。

 囲まれていない水場もあるだろうとも言われた。しかし、どこも逃げ出した多頭水蛇(ヒュドラ)達がみっちりと暮らし、近付けば殺される。

 広い夏草海原なのだから良いじゃないかと言うカルサナスと、夏草海原側の折り合いがつく事はなく、水辺周辺の徹底した亜人狩りから始まり、夏草海原とカルサナスの百年戦争は幕を開けた。

 

 当時小国家ひとつと戦うことすら恐れていた夏草海原連合軍だったが、小国家同士の戦争に参加した為カルサナスの手の内も、街の内部も全て知っていた。

 空から人鳥(ガルーダ)が行き、人馬(セントール)が突貫し、人犬(コボルト)が数で物を言わせ、人兎(ラビットマン)が影から暗殺を繰り返す凄まじい戦争だった。

 しかし、カルサナスは運命を共にすると誓い合った十二の都市国家が一丸となり、両者決着が付く日は来ない。

 そうして、人馬(セントール)達は長きにわたる戦争のさ中、一人の鬼子を生み出した。

 

 ――騎馬王。

 

 彼はあらゆる点において、普通の人馬(セントール)とは違った。

 彼の足は八足馬(スレイプニール)と同じく八本あったのだ。

 猛烈なる脚力はどれだけ走っても衰える事はなく、たった一人で五人の人馬(セントール)を引き摺るほどの怪力の持ち主であった。

 カルサナスの者達は最初に騎馬王を見た時、八足馬(スレイプニール)に騎乗して自在に野を駆ける謎の存在がいるとして、それを騎馬者と呼んだ。

 戦局はたった一人の鬼子によって大きく左右された。

 そして、カルサナスの者達は騎馬者を畏れ、いつしか騎馬王と呼んだ。

 彼はあらゆる軍馬を超える力を持つ八足馬(スレイプニール)すら従え、夏草海原のほんの一部分をカルサナスから取り返さんと戦い続けた。

 死闘の果て、夏草海原の水辺と牧畜化された牛は解き放たれ、侵略された土地も半分は取り返した。

 夏草海原はかつての美しさを取り戻し、人兎(ラビットマン)以外は再び遊牧の生活に戻った。

 しかし――あと半分。

 あと半分も取り替えさなければ、夏草海原の者達の気は収まらない。

 

「――騎馬王殿。命を落とす者を望むようなことは、どうか仰るな。かつての夏草海原の美しさを取り戻した今、あの残りの土地を奪い返すことにどれほどの価値がある…。」

 バンゴーの瞳は悲しげだ。バンゴーとて、祖先は夏草海原に暮らしたのだ。今は立場上カルサナスに肩入れしなければならないが、気持ちは夏草海原側だ。それに、荒れ果てた夏草海原を前にビーストマン達が嘆いた日もある。

 獅子の混合魔獣(キマイラ)にセイレーンを与えて少しでも混合魔獣(キマイラ)の腹を落ち着かせようとしたこともあった。

 競技大会が開かれる五年ごとの春にはこうして騎馬王のみならず、遊牧の亜人が多くビーストマン州を訪れる。

 セイレーンや人間を好んで食べるビーストマンだが、数百年前に夏草海原を遊牧していた時には人馬(セントール)人兎(ラビットマン)を食べていたと記録がある。しかし、国家をもって以来夏草海原を維持する種族への敬意を欠いた事はない。

 彼らはビーストマンが国家を築いた時に――草原に出て来られれば食われる為、二度と夏草海原に来ないで欲しいという下心から――国家の生命線である水道橋の建設を手伝った歴史もあり、ビーストマンは夏草海原の者を少なくとも三百年は食べていない。

 共に生きる道は離れたが、それでも、ビーストマンにとって夏草海原の民は同胞のようなものだった。

「バンゴー殿。この恨みとて、カルサナスが早々に夏草海原から引いていれば募る事はなかったのです。今や夏草海原連合軍の怨みは百と一年を迎えた。かつて長いという意味で百年戦争と名付けられたが…本当に百年を迎えるなど皮肉なものです。」

 伏せるように座っていた騎馬王はゆっくりと立ち上がった。

 バンゴーが見上げるほどに大きな体だ。

「恨みが百年を迎えたと言う事は、あの地に暮らす者達も百年暮らしていると言うことでしょう…。取り返せば祖父母の暮らした地を返せと、再び争いを産む…。彼らはもう水辺も野牛も囲ってはいないのだから、侵略者は夏草海原側となる。そうなれば、出てくるのは神聖魔導国の本隊。その意味が貴殿には分からぬか。」

「……魂喰らい(ソウルイーター)が出る、か。」

「お分かりならば、夏草海原は神聖魔導国の支配下に入ることを表明されよ。決して悪いようにはされん。共に解決法も探ってくれよう。」

「我らは国家ではないし、街もない。私がそんなことを表明したとして、何になる。」

「しかし、そなたは事実上夏草海原に君臨しておるではないか。草原を神聖魔導国へ渡し、騎馬王という名を捨てヴェストライアに戻る時が来たのではないか?」

 騎馬王は振り返ると呟いた。

「………いはしないのさ。ヴェストライアなどという名の人馬(セントール)は。――バンゴー殿。私は戦いの中に人を救う方法を見出してみせましょう。例えそれが、後ろからあなたや"金の立髪"の将軍に討たれることだとしても。」

魂喰らい(ソウルイーター)の伝説は真実であるぞ…!街で荷を引いている姿に惑わされてはならん。あれは我ら程度の存在ではないのだ!コキュートス殿かデミウルゴス殿が戦場へ出れば、その時そなたは死ぬしかない!たったひとつの単位として葬られるのだ。頼む、夏草海原を黒き湖にするわけには――」

「私はこの戦いのために生まれた。八足馬(スレイプニール)人馬(セントール)の間の鬼子よ。私は全てを取り戻せぬ限り、戦わねばなりません。」

「戦いに生きる道を見出したわけではないと言った言葉はどうした!」

 騎馬王は笑った。

「全てを取り戻したあと、私はようやく生きる道を得られるでしょう。」

「ま、待て!せめて、せめてコキュートス殿にご相談申し上げれば――」

「知らぬ者に相談などできぬよ…。御免。」

 騎馬王はいくつもの蹄の音を立て、議場にあるバンゴーの部屋を後にした。

「……分かっておらぬ!何も、何も!!」

 バンゴーがダンっと机を叩くと、机は二つに折れて割れた。

 引き出しにしまわれていた書類がざらざらと机からこぼれ落ち、バンゴーはそれを見ると眉間を抑えた。

 

「……コキュートス殿にご連絡をしなければ…。」

 

+

 

 騎馬王は議場を出ると、ビーストマンの街、ギルステッドをぐるりと見渡した。

 水道橋は今も掛かっているが、どうも水が流れているようではない気がする。水の匂いがしないのだ。

 国のトップが変われば全体の生活が一気に変わってしまうこともあるのかもしれない。

 しかし、神聖魔導国とは一体――。

 先ほどバンゴーに見せられた地図と言い、カルサナスとビーストマン、バハルスを繋いでいるのだから、超巨大国家だということは分かるが、騎馬王にはそれがどれほど広いかなど想像もできなかった。

 騎馬王は街にちらほらといる人犬(コボルト)人鳥(ガルーダ)を眺めた。

「騎馬王殿?」

 その呼び掛けに振り返れば、金色の毛のビーストマンがいた。

「――"金の立髪"か。」

「懐かしい呼び名です。お変わりないようで。」

 ステットラ・ギード将軍はぐるる…と喉を鳴らして牙を剥き出しにした。心を許している笑顔だ。

「…君も私が死んだと思っていたか?」

「えぇ。"君も"ということは、バンゴー州知事にはお会いになりましたか。」

「なったとも。…流石にバンゴー殿も老いたな。」

「そうでしょうか?かの御仁は昔から貫禄はありましたからね、そばに居るとあまり感じません。」

「そうか。平和だな。」

 騎馬王の視線の先では争っていたはずのワーウルフがビーストマンと何かの生き物の腿肉を食べていた。

「――それで、騎馬王殿も夏草海原と共に神聖魔導国に?」

 ギードの問いに騎馬王は答えなかった。

「私は行く。また夏草海原に近い街で会議を開かせてもらう。」

「どうぞ。これからは五年に一度ではなく、毎年いらして下さい。」

「感謝する。」

 騎馬王が議場を離れると、辺りにいた人馬(セントール)が集まり、人鳥(ガルーダ)人犬(コボルト)も後に続いた。




ついに草原に生きる者達が登場ですねぇ
土地を火事場泥棒されるだけなら、これほど根深くはならなかったんでしょう…

さて、ユズリハ様の地図でございます!

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#119 ナザリックの将

 死の間際に思い出すものは何だろう。

 優しい母の顔か、幼き日に見た夜明けか、笑い合った友の声か――。

 おおよそ百年前。

 その人馬(セントール)の場合、一番に頭に過ぎったのはたった一人残してしまう婚約者の事だった。

 子供の頃からずっと同じ群れで生きてきた彼女と、この戦争が終わったら子を作ろうと誓い合った。

 彼女はその人馬(セントール)がカルサナスの戦争に手を貸しに出かけていた間に酷く痩せこけてしまっていた。

 全てが終わったら、きっと夏草海原は美しい姿を取り戻すはずだ。

 その時には、彼女もまた昔のように気高い姿に戻れるだろう――などと、そんな未来を夢見てここまでやってきた。

「――取った!ヴェルダンドラ、討ち取ったり!!」

 人馬(セントール)の耳にはもう、その高らかな宣言が聞こえることはなかった。

 虚な瞳は何も映さず、闇へ落ちる。

 

 ヴェルダンドラの死は人馬(セントール)達の間を瞬く間に駆け巡った。

 このままでは夏草海原の秩序が取り戻される日はこないと四種会議――人馬(セントール)人鳥(ガルーダ)人犬(コボルト)人兎(ラビットマン)の四種で開かれた総会――で話し合いが持たれた結果、人馬(セントール)は恐ろしい事を決断するのであった。

 

 それと同時刻、ヴェルダンドラの死の報せを受けた婚約者は崩れた。

 三日三晩泣き続け、このままでは飢えて死んでしまうと言うところで彼女の中で何かが切れた。

 そこからの光景は地獄のようなものであり、誰もが思い出したくもないものであったそうだ。

 それは異種属とのおぞましき交配実験だった。

 立候補する者は少なかったが、何人かの男と女が身を捧げた。

 ――人馬(セントール)八足馬(スレイプニール)と交わる感覚というのは、人で言えば猿との交わりのようなものか。

 婚約者はヴェルダンドラの死から半年ほどで、その身に新たな命を身篭った。

 通常人馬(セントール)は一年で生まれてくるが、騎馬王――いや、ヴェストライアは一年半もの間腹の中にいたらしい。

 出産の時、ヴェストライアの母は死んだ。

 八足馬(スレイプニール)の子供のように大きなヴェストライアの出産は痩せていた人馬(セントール)には荷が重かったのだ。

 ヴェストライアは生まれて立ち上がったその日から大人達にあらゆる戦闘方法を仕込まれた。

 母の温かさも、父の優しさも、友との絆も知らなかったが、彼は多くの者に囲まれて育った。

 日々ひたすらに戦いに行けるようになるまでみっちりと大人達に鍛え上げられた。

 大人達からヴェストライアへの愛がなかったかと言えば嘘になる。――が、異形のような彼を心の底から我が子のように愛してくれた人がいたかと言えば、それもまた嘘になる。

 ヴェストライアは孤独というには大袈裟な、小さな寂寥感をいつでも抱いていた。

 しかし、普通の子供のように寂しいと叫ぶ時間すらない。

 大人達は弱っている老齢の人馬(セントール)を切り捨て、ヴェストライアや戦士級の者達に良い葉を食べさせた。

 切り捨てられる誰の瞳にも後悔は無かった。ただ、ヴェストライアへ向けられるひたすらの希望だけが輝き、次の世代の栄華と繁栄を祈って皆大地へ還った。

 ヴェストライアは自らに食事を譲り死んでいく多くの者を見送った。

 そして、まだ幼く戦力にならないと戦争に出ることを許されずに、先に戦いに出た者の死の報せを聞いた。

 彼はいつでも美しさすら感じる命の儚さの中にいた。

 いつしかヴェストライアの魂が戦争に縛り付けられ、カルサナスへの怨みが十分に育った頃、彼はようやく戦場へ出た。

 彼がヴェストライアの名を捨て、騎馬王となるまでにそう時間はかからなかった。

 その後、騎馬王に続く八本足の人馬(セントール)は生まれてこなかった。

 ヴェストライアが生まれた時、多くの奇形児も産み落とされていた。八足馬(スレイプニール)の雌からも、人馬(セントール)の女からも、どちらから産まれた者もそうだ。ヴェストライア以外に五体満足に産まれた者はいなかった。

 言わばヴェストライアの兄弟ともいえる存在達だ。

 もう――皆死んだ。

 騎馬王も子を残そうとしたが、それもまたうまく行く日は来なかった。

 彼は唯一の成功者だったのだ。

 彼は己の命がいくつもの命の上にある事を、誰よりも知る男だった。

 嘆きの中に産まれ落ち、哀れなほどに無垢であった。彼は自身の事を夏草海原を取り返すための生き物であると自覚し、そう位置付け生きて来た。

 もし仮に、彼が自分の生まれの不幸をただ恨むような男であれば、夏草海原の四種が彼に付き従うようなことはなかっただろう。

 騎馬王が自分の役目、為すべきだと思ったことをいつでも行ってきた最強の人馬(セントール)であるからこそ、種族を超えて、誰もが彼を愛し敬うのだ。

 

 騎馬王はビーストマン州で十分な補給を行った仲間達と共に広大な夏草海原に出た。

 人犬(コボルト)人鳥(ガルーダ)八足馬(スレイプニール)に荷を引かせているので、そこそこの大所帯だ。八足馬(スレイプニール)達は騎馬王を見ると敬意を表するように頭を下げた。

 戦争をしない年はこれほど寄り集まることもないが、馴染みの戦士達がビーストマン州から合流していた。

 池に着くと、平和的に水を飲む混合魔獣(キマイラ)八足馬(スレイプニール)、野牛達がいる。

 騎馬王は平和で美しいその光景を前に、バンゴーの言葉を思い出した。

(――かつての夏草海原の美しさを取り戻した今、あの残りの土地を奪い返すことにどれほどの価値がある。)

 確かに言わんとすることは分かる。しかし、戦いを挑み、取り返さなければ、彼らは必ず村を広げようとするに違いないのだ。

 若き日に、連邦議会の議員になったばかりのバンゴーに初めて会ったとき、彼はまだ血気盛んな若者であった。

 それが今や――血も戦いも忘れた老夫となっていた。

「……私はまだ終わることはできない…。」

 国を率いて来たバンゴーと、群れという単位を率いて来た騎馬王では、理解し合うことはできてももはや同じ心でいることは難しいだろう。

 騎馬王の呟きに、近くにいた若い人馬(セントール)――クルダジールが顔をあげる。

「――何かおっしゃいましたか?騎馬王様。」

「――いや、なんでもないとも。クルダジール。」

「もしお疲れでしたら、移動式住居(ゲル)を張りましょうか。」

「ありがとう。しかし、どうということはない。」

 若者からすれば九十五歳など老人か。人馬(セントール)の九十五歳は人間で言うならば六十歳程度の感覚で、クルダジールは三十五歳なので、人間でいうところの二十歳の感覚だ。

 夏草海原にいる亜人達は人兎(ラビットマン)だけは八十歳程で寿命を迎えるが、後は皆百三十歳程度まで生きる。

 人馬(セントール)は走れない事が死と直結するため、死ぬ一日前まで草原を駆け回っている事が普通だ。老人だからと言って甲斐甲斐しく世話を焼かれることは少ない。

 

 クルダジールは騎馬王の断りを遠慮と取ったのか、周りの人馬(セントール)達を呼び寄せた。

 皆その背にそれぞれ荷物を背負っている。荷物は多種多様で、移動式住居(ゲル)の骨組みや骨組みを包む皮布、戦闘時に着用する革鎧、戦争中に食べる物や水筒になる革袋などだ。

 池に近すぎない場所に若者達が移動式住居(ゲル)の設営を始めると、人鳥(ガルーダ)の大将格であるア・ベオロワ・イズガンダラ、人犬(コボルト)の大将格であるクグリゴ・ワジュローが騎馬王へ向かって来た。

 人鳥(ガルーダ)達は"ア"、"ヤ"、"ラ"と名前の前にその者の役割が着く。"ア"であれば群れの先頭を飛ぶ戦士隊、"ヤ"であれば一帯調査監視隊、"ラ"であれば一般の者だ。

 人犬(コボルト)には姓があるが、人馬(セントール)に姓はない。産まれた子供は群れで守り育まれる。

 

 二人とも何か言いたげな様子だ。

 騎馬王は自らの背負っていた荷物を下ろすとそちらへ向かった。

「騎馬王殿。後で食事時にでも戦士達にお声を掛けてやって下さい。ビーストマン達の話を聞いた戦士達の不安が吹き飛ぶように。」

 そう言ったイズガンダラは、褐色の虹彩に縁取られた鋭い猛禽の瞳を空へ向けた。空には調査監視の人鳥(ガルーダ)達が飛び交っていた。

「沈黙都市の悪夢。あの街にいた馬車馬が本当にそうだってんでしょうか。」

 ワジュローも空を仰ぐ。少しも不安に思っていない者はいないだろう。

「…バンゴー殿はそう仰ったが…あれが育つとそうなるのかもしれんな…。」

「今回の戦争……辛い戦いになりそうですね。」

 伝説では、それはわずか三体でビーストマンの大都市一つを落としている。いくら騎馬王が三人いても同じことはできない。

 三人の視線は自然とカルサナスの方へ向けられた。

「伝説の魔獣――魂喰らい(ソウルイーター)か…。神聖魔導国は本当にあれの成獣を出すんでしょうかね。」

「…解りかねん。しかし、それが一匹でも出れば、カルサナスのあの村とて被害はゼロとは行かぬように思えるのは私だけか。」

 ワジュローの疑問に返す騎馬王の言葉は最もだ。イズガンダラはうなずいた。

「私もそう思います。街にいた魂喰らい(ソウルイーター)はやはりまだ完全体ではないのか、魂を食っている様子はありませんでしたが…成獣を出せば、我々が手を下さずともカルサナスの村は壊滅してしまうでしょう。」

「そりゃあ良い!と言いたいとこだけど、そうとあっちゃあ魂喰らい(ソウルイーター)は出ない確率が高いっすね。」

「そうだな。それだけは安心だ。しかし、神聖魔導国自体には何の恨みもない…。できれば、カルサナスと無縁の兵士やビーストマンにも出て欲しくはないものだ。そんな事になれば無意味な恨みが生まれてしまう……。」

 騎馬王は思いつめるように青き野の向こうを眺めた。

 

+

 

「ソレデ、騎馬王トイウ者ハビーストマン州ヲ後ニシタノカ。」

 コキュートスは困ったようにしているバンゴーの前で唸った。

 二人の前にはよく冷えた葡萄酒が置かれていた。

 カルサナスと騎馬王達の間の領土問題は非常に根が深いようだった。

 何も知らなければ、いや、被害が出てからでなければ外の者に草原のルールなどそう大切なことだとは思えなかっただろう。

 百年前にカルサナスが引くに引けなかったと言うのも分かる。

 カルサナスは広大な夏草海原にわずかなスペースもくれない夏草海原の民を、むしろ狭量だとすら思ったかもしれない。

 説得と戦争を繰り返すうちに、村はどんどん大きくなり、その場所への帰属意識も生まれていっただろう。

「騎馬王はまだ分かっていないのです、陛下方のお力を…。あれは恐らくカルサナスの競技大会前後に戦争を仕掛けるでしょう。どうか、夏草海原を湖や沈黙都市にすることだけはお許しください…。」

「御方々ハ草原モ愛シテイラッシャル。草原ニ悪クハサレナイ筈ダ。」

「ありがとうございます。このような事をお頼み申し上げるのは心苦しいのですが…コキュートス様かデミウルゴス様がお力を示されれば、騎馬王も諦めが着くのではないかと…。」

「ソウカ。シカシ、脅シテ諦メサセテモ不満ハ残ルダロウナ…。」

「夏草海原はもう美しい姿を取り戻しました。残りの土地を取り返すことにどれ程の意味がありましょう…。騎馬王が不満に思ったとしても、どうしようもない事だと言い聞かせるしかないかと…。」

 コキュートスは手元の二つの地図へ視線を落とした。一枚はビーストマン達が作っていた地図で、もう一枚は冒険者達が作り、神都でまとめ上げられた最新の地図だ。

 ビーストマン達の地図は併呑と同時に貰ったが、夏草海原には亜人達の名前や種類は一つも載っていない。

 沈黙都市周辺にはコボルトやサイクロプスなど、暮らしている亜人達の集落の名がある。コキュートスはこれをもとに、この二年間陽光聖典や漆黒聖典と集落の併呑を行い続けてきた。

 草原には夏草海原と書かれているのみだ。住んでいる者達が遊牧して移動して行ってしまうためにこれまで情報が書き込まれなかったのだろう。

「今、騎馬王ハドノ辺リニイルダロウカ。」

「分かりません。そう遠くへは行っていないでしょうが…しばらくはたらふく夏草(エテリーフ)を食べて身体づくりをするかと。」

 コキュートスはソウカ、と一言発すると立ち上がった。

「後ハ私ニ任セルガ良イ。オ前ハ良クヤッタ。」

「は。畏れ入ります。」

 コキュートス配下の蟻型の者が巻物(スクロール)を取り出す。

「…騎馬王ハ死ヌカモ知レンガ、許セ。」

 バンゴーは心底残念そうに肩を落とし、深く頭を下げた。

 その様子に、コキュートスは何か方法がないかと思考を巡らせながら転移門(ゲート)を潜った。

 

+

 

 ナザリック地下大墳墓、第六階層。

 ドライアード達がせっせと水遣りや間引きをする林檎の木の間に、今日は二つの影が紛れていた。

「九太、そんなに食べられないのにやたらに収穫してはダメだろう。」

「でもこんなにたくさんある!ほら!」

 低い枝になる林檎を捥いだナインズは嬉しそうに辺りを指さした。

「それでもだ。命へは敬意と言うものを払う必要がある。分かるか?」

「お母さまが命の糸を編んで与えたもうた命だから?」

 観劇の後遺症だった。

「………それはあらゆる意味で違う。九太――いや、ナインズ。我々は奪える立場にあるのだ。お前は自分のやろうとしている事が、お前自身とナザリックに本当に必要なのかよく考える必要がある。奪える者と言うのは際限なく奪おうとしてはいけないんだ。この知恵の林檎(インテリジェンスアップル)はお前の身になり、ナザリックに生きる者の身となる。」

 ナインズは魔法の林檎を勉強前や勉強中に食べる。勉強中に知性が上がっている方が効率が良いのではないか、と言うわけだ。

「さいげんなく奪ったら、どうなるの?」

「実を付けなくなるぞ。世界中の作物が実らなくなれば、お前はもちろん、他の生き物達も何を食べて生きる。」

 ナインズはむぅ…と声を上げて考えた。

「りんぐおぶさすてなんす!」

「…パンドラズ・アクターに聞いたのか?お前にはそれを使うことを許していないだろう。それに、全ての生き物が指輪を手に入れる事はできない。」

「…うーん、そうかあ。」

「無駄に奪う事は未来のお前自身から奪うことに繋がる。その事をよく覚えておきなさい。」

 ナインズは手の中の実を見下ろし、呟いた。

「むつかしいね。」

「そうだな。しかし、よく考えるんだ。時間はいくらでもある。」

「はぁい。」

 大きな手を差し伸べられるとナインズはそれを取り、林檎畑から離れた。

 向かう先ではフラミーが木陰で本を読んでいて、その膝の上にはアルメリアが腹に張り付くように寝ている。

 フラミーは木漏れ日が落ちる中、時折抜ける風に流星のような銀色の髪を揺らしていた。

 

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 その景色は美しく、ナインズは頬をわずかに赤く染めた。

「たくさんとっちゃったの、お母さまにもあげて良い?」

「偉いな、九太。それはナザリックに必要なことだ。」

「へへ。」

 ナインズがフラミーの前に着くと、フラミーはすぐに本を閉じて二人に微笑んだ。

「お疲れ様。ちゃんと穫れた?」

「うん!お母さま、あのね。ぼくがね、ナイ君が穫った林檎あげる!」

 ナインズが差し出した今摘んだばかりの赤い実は宝石のようだった。

「ありがとう。嬉しいなぁ。リアちゃんも食べるかな?」

 とん、とん、と背を叩くとアルメリアは顔を上げた。

「おかちゃま。」

「リアちゃん、お兄ちゃんが林檎くれるって。嬉しいねぇ。」

「にひぃ。」

 嬉しそうな顔をすると、短い犬歯がふたつチラリと見えた。美味しいものが食べられる気配を感じている様子だ。

「お兄ちゃんにありがとうってしてね。」

「にぃに。」

 ナインズはアルメリアの小さな手と握手を交わすとうっとりと微笑んだ。

「かわいいねぇ!リアちゃん!」

 アインズとフラミーは子供達の様子に幸せそうに微笑みあった。

 そうしていると、コキュートスがこちらへ近付いてくるのが見えた。

「――あ、じいだ!兄上は?」

「ん?コキュートスがもう帰ったのか。九太、パンドラズ・アクターが来るまでにはもう少し時間がかかる。」

 パンドラズ・アクターはナインズのお勉強教育係のため、この後迎えに来る手筈だ。アルベドやデミウルゴスに任せると瞬時にカルマが歪みそうなので任せている。

 コキュートスは側に寄ると膝をついて頭を下げた。

「コキュートス、本日ノ御報告ノタメ推参イタシマシタ。」

「早かったな。楽にしろ。」

 アインズの号令でコキュートスは頭を上げた。しかし、立ち上がるような真似はしない。至高の存在達が地面に座っていると言うのに、立ち上がって見下ろすような事は避けなければいけないためだ。

「バンゴーさんの用事、なんでした?」

 フラミーが尋ねると、コキュートスはちらりとナインズを確認した。

「ハ。ソレデスガ、オボッチャマノオ耳ニ入レルニハ少シバカリ相応シクナイ話ヤモシレマセン。」

「あら。じゃあすこし早いけど、もうズアちゃん呼ぼうかな。」

 伝言(メッセージ)を送ろうとフラミーが手を上げかけると、ナインズはその手を取った。

「ぼくも、ナイ君もじいのお話聞きたいよ!」

「でもナイ君にはまだ難しいお話だよ?ナイ君は行こう?」

「んー!やだぁ!聞きたいのに!」

「お母さんが宝物殿に送ってあげるから、ね?」

 フラミーとナインズのやり取りを見ていたアインズは悩んだ。

 しかし、アインズはこれはいい機会かもしれないと口を開く。

「フラミーさん、意外と良い勉強かもしれませんよ?」

「でも…。」

 フラミーはちらりとコキュートスを見た。問題のない内容なのかを確認しているようだ。

「残虐ナ話デハアリマセン。」

「どうです?」

「うーん…それじゃあ…ナイ君も本当に聞く…?」

「聞く!」

 ナインズは何度も頷き、たまにパンドラズ・アクターと行う執務ごっこの要領で腰に片手を当て、片手を前に伸ばしてこう言った。

「――よし!言ってみなさい!」

 アインズは一瞬沈静され掛けた。しかし、沈静されるほどではなかったようで、その胸の内はじりじりと謎の羞恥に焼かれた。

「……では…コキュートス。ナインズにも分かるように説明しなさい。」

「カシコマリマシタ。」

 

 コキュートスは頷くと、優しい言葉で騎馬王のことを話した。

 アインズはこの手は分かりやすく素晴らしいのではないかと思ったが、すぐに後悔した。

 

「――どうしたらいいの!」

 カルサナスの話を聞いたナインズは初めて聞く多くの死を前に目に涙を溜めていた。

「…ナイ君。おいで。」

 ナインズはすぐにフラミーの前に身を投げた。

「お母さま!ぼくも一太と二の丸に一番にお水あげたいよ!」

「牛さんにお水をあげることは良いことなんだよ?だけど、他の誰かが飲むのを邪魔したり、誰かの場所を奪ったりするのはダメでしょう?」

「そ、それがお父さまの言ってた際限なく奪うって事なの!?どうしてりんぐおぶさすてなんすを皆着けちゃいけないの!?」

 フラミーは泣きそうになっているナインズの頬を撫でた。

「ナイ君、リング・オブ・サステナンスはそんなに沢山手に入るものじゃないの。だからね、種族を越えて、皆で仲良くしないといけないんだよ。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国はそう言う場所なの。」

「じゃあ、皆で仲良くしてって言いにいかなきゃ!」

「そうだな。九太の言う通りだ。コキュートス、騎馬王は放っておけばカルサナスへ攻め入るのだろう。どうする。」

「じい!お願い、キバオーに仲良くしてって言って!」

 国家を持たない亜人はコキュートスの担当と言っても過言ではない。コキュートスはじっくりと考えてから口を開いた。

「――何ニセヨ、騎馬王ニハ一度会ッテミヨウカト思ッテオリマシタ。オボッチャマ、ジイニ騎馬王ノ事ハオ任セ下サイ。仲良クスルヨウ、必死デ説得シテミセマショウ。」

 ナインズは泣きそうな顔で笑うと、大好きなコキュートスの膝に抱き付いた。

「じい、ありがとうね。ありがとうね。」

「オォ、オボッチャマ!ジイハ御身ノ為ニ働ク事コソガ生キ甲斐!礼等ハ不要デゴザイマス!」

 コキュートスの大きな手がナインズの頭を撫でると、ナインズはその手に頭を擦り付けた。

「――しかし、居場所もわからないのにどうするつもりだ?あの草原は広いだろう。何か策はあるのか?」

 アインズからのそれは当然の問いだ。コキュートスは自分なりに考えてきた方法を口にした。

「紫黒聖典ト飛竜騎兵(ワイバーンライダー)達ヲ使ワセテハ頂ケナイデショウカ。空カラ位置ノ確認ヲ行オウカト思イマス。」

「聖典と騎兵(ライダー)達か…。その騎馬王はカルサナスが神聖魔導国だと知っているのだろう…?」

「ソノ通リデゴザイマス。」

 アインズは渋るような声だった。あまり良い方法ではないのかもしれないが、コキュートスにはこれ以上の手立ては思いつかなかった。

「騎馬王に不意打ちだと思われはしないか?万が一相手の早とちりで襲われた場合、聖典は平気でも、騎兵(ライダー)達の戦闘能力はそう高くない。下手をすれば人鳥(ガルーダ)に落とされ、新たな火種になると私は思うが…お前はどう思う。」

 ――その通りだ。コキュートスは焦った。

 とにかく騎馬王を見付け、余計な野望は捨て"仲良く"するように説得しようと思っていたが、見付けられても国民を傷付けられては開戦だ。

「どうした?コキュートス。我がナザリックの将の意見を聞かせてくれ。」

「――ハイ。アインズ様ノ仰ル通リカト。」

「そうだろう。お前が出る分には傷付けられるとは思っていないが、国民では下手をすれば死者が出る。何か他の方法はあるか?」

 コキュートスは己の短慮を恥じる気持ちを抑え、方法を探し始める。全知全能の神に任せればうまくいかない筈がないが、それを丸投げしては何のために僕がいるのか分からない。

 そして、コキュートスが有益な方法を思いつくよりも早く、たった数秒でアインズは再び口を開いた。

「聞いておいてなんだが、私とパンドラズ・アクターで浮遊できる非実体タイプのアンデッドを何体か出そう。それを<不死の奴隷・視力(アンデススレイブ・サイト)>を用いて私の視界と繋げる。そして私とパンドラズ・アクターが得た視界情報をお前に共有しよう。これが最も簡単で早い。必要ならすぐに<転移門(ゲート)>も開けるしな。」

「シ、シカシ御身ノ御手ヲ煩ワセル訳ニハ…。」

 アインズは鷹揚に手を振った。

「気にするな。こう言うことには慣れている。」

 それを聞いたコキュートスからは苦笑めいたものが漏れた。

 至高の主人であるアインズ・ウール・ゴウンはいつもこうして守護者や神官達の行いを手助けしてくれる。

 これにいつまでも甘えていてはいけないが、この神以上の知能を持つ者がいない事もまた事実だ。

 コキュートスはアインズにもう一度深々と頭を下げた。

「ソレデハ、申シ訳ゴザイマセンガ、ドウゾ宜シク手伝イノホド御願イ申シ上ゲ奉リマス。」

「うむ。パンドラズ・アクターが来るまでお前もこれでも食べて待て。」

 ナインズの持つカゴから一つ取り出された林檎を、コキュートスは恭しく受け取った。

(私コソ勉強会ニ出ルベキダナ……。)

 知能を上げる林檎を渡されたコキュートスは、遠回しに知識不足を諭された。




「気にするな。こう言う事には慣れている。」
 アインズはアインズ・ウール・ゴウンの仲間達と行ってきた探索や冒険を思い出しながら、気持ちよく答えた。

+


でしょうね!
コッキュン、きっと騎馬王さんは君が好きなタイプだよ!

そして美しい挿絵フララはユズリハ様にいただきましたぜ。うふうふうふふ。

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#120 集う連合軍

「よーし!そこで……放て(って)!!」

 イズガンダラの指示で一斉に人鳥(ガルーダ)達の引き絞った弓が放たれた。

 カカカカッと硬質な音を上げ、立てられている木製の人形に無数の矢が突き立つ。

「そこ!得物はギリギリまで隠すんだよ!何やってんの!!」

 人馬(セントール)人犬(コボルト)達の組み手を見ていたワジュローも声を上げる。

 人犬(コボルト)人馬(セントール)では、人馬(セントール)の方が力があるが、人犬(コボルト)も大人数で立ち向かう事で決して押し負けてはいない。

「――随分磨き上げられているな。」

 騎馬王から感心したような声が漏れた。それは、彼らがこの自由な六年間、決して手を抜かずに今日まで過ごしてきたであろう日々への称賛だ。

 全員から今年の戦争で全ての決着がつくという覚悟が漂っており、誰もが強い緊張感の中で訓練を重ねていた。

 一帯は戦争へ向け、全身の血が沸き立つような空気で満ちていた。

 張り詰めた空気は言葉を解すことがない八足馬(スレイプニール)にも伝わっているようで、普段ならば草を食んで過ごすところだが、彼らも地面を引っ掻くように脚を踏み鳴らしていた。

 八足馬(スレイプニール)同士が体をぶつけ合おうとすると、その間に騎馬王が入る。

 強力な魔獣である彼らも騎馬王の前では通常の馬のように大人しくなった。

 そうしていると、一体の人鳥(ガルーダ)が空から身を翻して降りてきた。

 

人兎(ラビットマン)の戦士達が来た!休憩だ!皆食事にしろ!!」

 

 そう言い終わるや、訓練を重ねていた者達は互いの肩を叩き合い、これまでの恐るべき野生の形相は穏やかなものへとなった。

 人兎(ラビットマン)達は例年よりも相当に多い人数が駆けつけていた。

 彼らもまた、今年で戦争が終焉を迎えると理解しているのだ。

 人兎(ラビットマン)の里はバハルス州トロール市が程近く、アーウィンタール市で働く仲間がいる分、他の部族の者より命の危険を感じているかもしれない。だと言うのに、これだけの人数が集まったと言うのは、それだけカルサナスの侵略行為を許せない者が多くいる事の証だろう。

 

 各代表の会議の場として、一つの移動式住居(ゲル)が選ばれ、人馬(セントール)八足馬(スレイプニール)代表の騎馬王、人鳥(ガルーダ)のア・ベオロワ・イズガンダラ、人犬(コボルト)のクグリゴ・ワジュロー、そして今到着した人兎(ラビットマン)のフィロ・マイカが集まった。

 皆若い者を二、三人従えているので、移動式住居(ゲル)の中には十二人程度が肩を並べた。

 これまで訓練をしていた者達の体の毛は汗に濡れていた。

 

 皆が各族の代表だが、やはり全ての頂点に立つ男――騎馬王が一番に口を開いた。

「マイカ殿、久しいな。」

「ご無沙汰しております。騎馬王殿もお変わりなく。」

「そう言ってもらえると気が休まる。若者にはただの老馬だと思われてもおかしくはない年だよ。」

「騎馬王殿がただの老馬では、我々はただの子兎ですよ。」

 二人の戯けたような様子に皆軽い笑い声をあげた。

 そして、笑い声が自然と引いていき、騎馬王は全員の代表の顔を見渡した。

「――これで、全員となったな。」

 皆力強く頷く。騎馬王はなんとも形容し難い気持ちに襲われた。

「……今回、皆にはまず問わねばならない事がある。例えその答えが皆の望むものであろうがなかろうが、答えた者やその種族を悪く言ったりはしないでほしい。」

 ここまで言われて、これから何を言われるか解っていない代表はいない。

 それぞれ、重々しい息を吐いた。

「カルサナスが神聖魔導国の一部となった事実を、人兎(ラビットマン)は当然ご存知だな?」

「はい。夏草海原連合軍も、ビーストマン州で?」

「その通り。ビーストマン州の街で皆と情報共有を済ませて来た。それに当たって、今年の戦いには本当は参加したくないと言う種族はあるだろうか。」

 誰も一切の身動ぎを見せなかった。

「……参戦したくないと言っても、それは決して責められるようなことではない。相手は以前にも増す超巨大国家の一部となった。カルサナスと違って神聖魔導国の戦法や抱える兵力など、我々は何も知らないのだ。だから、他種族へ義理立てのような真似はせずとも良いのだぞ。」

 騎馬王は子供を諭すように優しい声で告げた。

 

 一番に答えたのは人犬(コボルト)のワジュローであった。

「――水臭いっすよ、今更。なぁ?」

「元より、参戦するつもりがないならビーストマン州を出たとき、夏草海原へ散っていた。そうですよね。」

 人鳥(ガルーダ)のイズガンダラも笑って続く。

「私達も当然参りますとも。嫌な者はこの池には集まらない。それが全ての答えです。」

 人兎(ラビットマン)のマイカも意思を告げると、騎馬王は静かに頭を下げた。

「………すまん。」

「何を。おかしな事を仰る。」

「あんま俺達を見くびらないで欲しいところっすよ、ほんとに。」

「相手が強かろうと弱かろうと、我々の悲願は変わりません。」

 強い決意が瞳に映る。騎馬王はこの瞳を、一体何度見送って来ただろう。

 子供の頃から幾度となく、この瞳に救われ、この瞳を救おうと誓って来た。

「皆、頼む。」

「「「応!!」」」

 腹の底に響くような低い声が一斉に響く。

 その様子に、若き者達は何故か無性に感動させられた。

 

「さて――」そう口を開いたのはマイカだ。「皆様にはお伝えしなければならない重要な情報があります。おい、お前。一歩前へ。」

 マイカに言われ、後ろに控えていた人兎(ラビットマン)が一歩前へ出る。

 騎馬王は目を細めた。

 その者は可愛らしい顔立ちをしており、ひらひらとしたレースのスカートを履いていた。

 

「――首狩り兎か?」

 

「どーも。」

 

 彼は軽く顔を傾けて微笑んだ。

 そう、彼だ。スカート姿が非常によく似合うが男だ。

 この格好をしていれば相手は油断するし、股間を攻撃されることもないため敢えて女のような出で立ちをしている。

 可愛らしい仕草も相手を油断させる一つなのかもしれないが、普段から彼はあんな感じなので、もしかしたら女装は趣味でもあるかもしれない。

 そんな可愛らしい外見を持つ男には不似合いだが、彼こそ夏草海原と人兎(ラビットマン)の里で戦士兼暗殺者としてその名を知られた凄腕の傭兵だ。

 彼は普段はアーウィンタール市にある闘技場の支配人と護衛契約を結んでいるので、夏草海原の中でただ一人神聖魔導国に暮らす者だった。

 

「変わらぬな…。いつまでも幼子のようだ…。」

 騎馬王がしみじみと言うと、マイカと首狩り兎は父親を前にしたように照れ臭そうに笑んだ。

「騎馬王殿、皆様。首狩り兎は神聖魔導国の王陛下と王妃陛下、その側近達に会ったそうなのです。是非話をお聞き下さい。」

 

 首狩り兎は一流の戦士兼暗殺者として以外にも才能を持っている。

 それは相手を見抜く目だ。戦士や暗殺者として修羅場をくぐり抜けてきた経験から来る人物評価論は信頼できる。

 

「そうか。バンゴー殿はコキュートス殿かデミウルゴス殿が戦場へ出れば我々は死ぬしかないと言っていたな…。この二人が何者かは知らないが、聞かせてくれ。神聖魔導国に君臨すると言う大いなる存在の力とやらを。」

 

「コキュートスとデミウルゴスも側近だね。うちの国じゃ守護神なんて呼ばれてる。王妃も側近も超級にやばいよ。神王に至っては竜王よりやばいかもね。目の前を横切られるだけでゾクゾクする。」

 騎馬王はそこで一度手を挙げ、首狩り兎の言葉を遮った。

「首狩り兎、一国の王陛下を神王などと呼び捨てにするのはやめなさい。」

 騎馬王の嗜めに、首狩り兎はぷくりと頬を膨らませ、すぐに顔を戻した。

「へーい。」

「うむ。それにしても…神聖魔導王陛下か。バンゴー殿が神々の力を見せつけられたと言ったのは正しい評価だと認めねばならんな…。」

「うん、バンゴーが誰だか知らないけど、そいつの言うことはほとんど当たりだと思う。こないだうちの闘技場に神王――陛下達と側近が劇を見にきたとき、側近二人の足音はここにいる誰であっても敵うようなもんじゃなかった。」

 移動式住居(ゲル)の中にざわめきが溢れる。人馬(セントール)の若者、クルダジールは不愉快げに蹄を引きずった。

「あなたや騎馬王様も敵わないのですか?」

「そう、無理だろうね。」

「あなたは騎馬王様にも勝てないと言うのに、なぜ分かるんです…。」

「分かるよ。騎馬王さんと戦ったりすりゃ俺はボロボロになって死ぬけど、奴ら――じゃなくて、あの方達と戦えば俺は瞬きもせずに死ぬ。ってかここの人らは聞いた?トロール市の話。」

 皆が顔を見合わせ、情報を持っているか確認し合う。

 それだけで、トロール市のことを知っている者がいないことを首狩り兎は確信する。

「あそこ、老いた戦士達を神王――陛下が次々と赤ん坊に変えてらっしゃるらしいよ。うちのオスクも武王と一緒に赤子に戻った武王の兄貴を鍛えるとか言って、しょっちゅうトロール市に行ってる。」

「……つまり?」

「神聖魔導国は無限に強者を抱えることができるってわけよ。多分側近達も何度も赤ん坊にされては訓練を重ねて最強の存在になったんだと思う。」

「そんな事がありえるのか…?」

 あまりにも非現実的な話を前に、誰もが訝しむような声を出した。

「――信じるも信じないも皆の勝手だけどさ、俺も死ぬ為に戦場に出るのはいくらなんでも御免なんだよね。今年で最後だって分かってるから来たけどさ。」

「首狩り兎!お前は本当に口が過ぎる!!」

 マイカが強い口調で嗜めると、首狩り兎はベッと小さな舌を出した。

「それで、さ。今度はそっちの番。夏草海原連合軍の神聖魔導国の評価は?どうやって勝つつもりなの?」

 全員の視線が騎馬王へ集まった。

「今年の戦争は数えきれない血が流れるだろうな。…やはり総力を上げるしかあるまい。しかし、本当に文字通り総力を上げればこの夏草海原から強き男はいなくなる。クルダジール、こちらへ。」

「はい。」

 クルダジールは騎馬王の側に身を伏せた。

「お前のような若者は今年の戦争には出るべきではない。私は首狩り兎の話を聞いて、今確かに確信した。すべての戦死者達の為にも、残りの土地も奪い返さねばならないが――その前に、種族として絶滅するようなことは避けよう。お前は残ってくれるな。」

「き、騎馬王様!私もむざむざ死ぬつもりはありません!残りの土地の奪還は、戦死者のみならず、夏草海原に住むすべての種族の悲願です!!」

「お前はまだ若い。荒寥とした夏草海原を見たことはないはずだ。お前の持つ恨みは我ら上の世代より押し付けられた幻想。この戦いに出るのは荒れた夏草海原を知る者だけにしないか。」

「そんな……騎馬王様だって戦中のお生まれなのに…。」

「まぁ、な。しかし私はお前達と違って荒れ果てた野を見て育った。それに、この戦いの先にのみ安寧を見出している。」

「そ、それは私達であっても――」

「戦わなかったこの六年の間に、お前たちが安寧を見出していなかったとは言わせないぞ。そう言う者は今回の戦争に関わる必要はあるまい。」

 騎馬王とクルダジールのやり取りを見た種族の代表達は、自らの後ろに控える若者に「お前達もだ」と声をかけた。

 

「――それじゃ戦力減るから勝てる確率が下がるけど?」

 首狩り兎が軽口を叩くと、マイカはじろりと視線を送った。

「首狩り兎よ、これは我ら上の世代の決死の覚悟だ。若者は置いていく。しかし、荒れた夏草海原を見た事がある者は、希望するならば戦士でなくてもこの戦いに出す。そう言うことを騎馬王殿は仰っているのだ。」

「え?それ勝てんの?」

「荒れた大地を知る全員が死ぬか、すべてを取り戻せばそこで恨みは絶たれる。お前達若い世代は神聖魔導国へ老人がやったことだと言って許しを乞い、再び安寧の中に暮らしなさい。」

「いやいやいや、おかしくない?皆死ににいくの?皆誰かの父親や母親なのに。それで俺ら若者世代にカルサナスを恨むな、神聖魔導国に許しを乞えって無理があるじゃん。」

 首狩り兎が代表達を見渡す。全員既に腹をくくり終わっているのか、話し合いが始まる前と今で表情が変わっている者はいなかった。

 人鳥(ガルーダ)のイズガンダラは苦笑した。

「我らとて自殺しにいくわけではありませんよ。全滅の可能性が高い場合に使うと決めている作戦があります。それは戦士達が自爆などの手を使ってでもカルサナス軍を止め、戦士ではないものがあの村の家々を打ち壊すと言うものです。」

 騎馬王が頷き、続ける。

「夏草海原は住める場所ではないと思い知らせたとき、私達は真なる勝利を迎え、死した戦士達のもとへ召されるだろう。残された者の痛みは時が癒してくれる。」

「な…。」

 首狩り兎は絶句した。

 若い戦士達が絶望したようにそれぞれの代表に抗議する様は、悲痛に満ちていた。

「――お、俺はそんな馬鹿げた話、認めないよ。」

「認めず、我らを笑ってくれ。そして神聖魔導国で生きろ。ここは今年の戦争を終えたとき、神聖魔導国の一部となるだろう。お前は皆に神聖魔導国で生きるのに必要な礼儀を教えてやれ。」

「騎馬王さん!!あんた、本当に老いちゃったのかよ!!」

「ふふ、老いたのだな。バンゴー殿をどこか腰抜けだと思ったが、私も腰抜けだ。戦いの中にあると言うのに、これからを生きるお前たちの生を思うと戦いを忘れる。」

「う、嘘でしょうよ…。百戦錬磨、夏草海原に君臨する希望の星の騎馬王が…。」

 首狩り兎が認めたくないとばかりに首を振ると、騎馬王は依然として老いを見せない射抜くような光を放つ瞳で笑った。

 それは決して戦いを忘れていない、腑抜けや腰抜けが見せられるものではない――戦士の笑みだった。

 首狩り兎はそれを見ると、ハッと何かを思いついたような顔をした。

「帰る」たったその一言を残して垂れ幕を飛び出して行った。

「――失望されたろうか。などと、この期に及んで自分がどう見えているかを気にすると言うのも馬鹿げた話か。」

 騎馬王が自嘲すると、「あなたは希望の人ですよ」と誰かが言った。

 

 その証拠に、静寂の下りた移動式住居(ゲル)から若者達は出ていこうとせず、まるで代表達の心変わりを期待するように鎮座し続けた。

「やれやれ。親がしつこければ子もしつこいか。」

 代表者達が苦笑していると、不意に移動式住居(ゲル)の外から羽音が響いた。

 慌てるような羽ばたきだ。

 移動式住居(ゲル)の中の者達が各々武器に手をかけていると――垂れ幕から一人の人鳥(ガルーダ)が顔を出した。

 

「き、騎馬王様!草原の向こうより見たこともない異形が!」

 

「何?いつものカルサナスの暗殺部隊か?それとも、バンゴー殿が仰っていたようにアンデッドか?」

「い、いえ…!カルサナスの者でも、アンデッドでもありません!あんな異形、私は見た事がありません!」

「――とすれば神聖魔導国よりの使者か…?開戦を告げられるかもしれんな……。全員、移動式住居(ゲル)を出るぞ!」

 騎馬王の一声で全員が腰を上げる。垂れ幕が左右に寄せられ、続々と移動式住居(ゲル)を出た。

 遥かなる夏草海原の先から、たった一人見たこともない異形が近付いてきているのが見えた。

「一人ということは…戦うつもりはないのか…?」

 人鳥(ガルーダ)は弓を引き絞り、人犬(コボルト)人馬(セントール)はいつでも駆け出せるように姿勢を低くした。

 相手はこちらが戦いに挑む姿勢を見ても一切の反応を見せない。

(…殺されないと言う圧倒的な自信か…はたまた神聖魔導国とは無関係な知能のない者か…。)

 一方的な武力を持っているはずの神聖魔導国から話し合いを求められる可能性は非常に低い。

 騎馬王は思考を巡らせるが、全ては想像の域を出ない。

 まだ距離はある。

 正確な人鳥(ガルーダ)の射撃を一つの場所に何発浴びせようとも、近付いてくる異形に膝を着かせる事はできないような気がした。

(このプレッシャー…。まさか、本能が怯えているとでも言うのか…!)

「騎馬王殿、どうしやす!」

 人犬(コボルト)達は駆け出す準備は万端だ。血肉を求めるように喉を鳴らす。

「待て!相手は丸腰。何が目的か突き止める必要がある!」

 夏草海原連合軍は丸腰で現れた正体不明の相手に剣を抜くほど落ちぶれてはいない。

 

 ズン、ズン、と足音が鳴る。一歩近付くごとに騎馬王は生存本能を刺激されるようだった。

 その異形は異形と言うには美しすぎる。

 全身が水のように澄みきったブルーだ。硬質そうな外皮は空と太陽を写し、暴力的なスパイクの伸びた尾をしていた。海よりも青い瞳は真っ直ぐに騎馬王を捉えいるようだが、表情は読み取れない。

 それは互いの手が届かぬ距離で立ち止まるとゆっくりと口を開いた。

「オ前ガ騎馬王ダナ。」

 騎馬王はビリビリと震えるような強烈な力を感じた。




いやぁ…草原の皆様はとっても理性的だなぁ…。

次回#121 群れの新人


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#121 群れの新人

「オ前ガ騎馬王ダナ。」

 ビリビリと震えるような強烈な力を感じた。

 

 騎馬王は瞬時にこれが王の側近の一人であると確信し、頭を下げた。

「…如何にも。良くここがお分かりになりましたな。」

「ウム。御方ノオ(チカラ)ヲオ借リシテ参上シタ。私ノ名ハコキュートス。ナザリック地下大墳墓、第五階層ノ守護者デアリ、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国ガ守護神ノ一人デアル。」

 名乗りを上げたコキュートスへ、騎馬王はうやうやしく頭を下げた。

「お噂はバンゴー殿よりかねがね。ご存知の通り、私は夏草海原連合軍、騎馬王にございます。」

「騎馬王ヨ。貴様ハ我ガ神聖魔導国へ攻メ入ロウトシテイルソウダガ、ソノ鉾、収メテハクレナイカ。」

「……我々が攻め入ろうと言うのは神聖魔導国ではなく、カルサナスです。カルサナスの者達はいつでも自分たちの事しか考えていない。我々はその場所が誰のものなのか最後に分からせてやらねばならないのです。」

「粛清シヨウト言ウノカ。」

「言葉を変えれば。」

「ヤメテオケ。オ前達ガ生キ残レル可能性ハ万ニヒトツモ無イ。」

「それでも……それでも我々は行わなければ。無礼を承知で敢えて言わせて頂きます。我々の事情に踏み込まれるには、あなた様はあまりにも無関係な存在だ。これはカルサナスと夏草海原の話。例えカルサナスが神聖魔導国の一部になろうとも、あなた方は本質的には部外者である!」

「……カルサナスハ既ニ、我ガ支配者アインズ・ウール・ゴウン様ノ御名ノ下デ守ラレシ場所ダ。事情ハイゼナ・バンゴーヨリ聞イタ。同情ハスルガ私ハオ前達ヲ止メネバナラナイ。」

「我らの最後の戦い。止まらぬと言ったら。」

 騎馬王の馬体の筋肉はまるで膨張するようだった。

 夏草海原連合軍の発する空気がギリギリと張り詰めていく。

 ――しかし、コキュートスは涼しげに告げた。

「止マルト言ウマデ説得スルノミ。私ハ今日カラオ前達ト過ゴソウ。最後マデオ前達ヲ説得シ、ドウシテモ攻メ入ルト言ウノナラ……ソノ時ニハ私ガ一人デ迎エ打チ、オ前達全員ヲコノ手デ斬ル。」

「煩わしい奴…!」そう、ワジュローが不快げに息を吐いた。

 騎馬王は一瞬目を丸くし、ワジュローを止める事も忘れていた。コキュートスはただ命令されてやっていると言うよりも、何か強い信念のようなものを感じさせた。

「や、やめよ。ワジュロー殿、待つのだ。――コキュートス殿。貴殿はお優しくいらっしゃるようですな。今すぐ我らを切り捨てると仰らないのは何故です。」

「我ガ君ハ戦イヲオ望ミデナイ。オ前達ガ傷付ク様ト、傷付イテ来タ日々ヲゴ想像サレ、心ヨリオ嘆キニナッタ。オ前達ハイツカ神聖魔導国ノ一部トナルダロウ。ナラバ、無意味ナ殺生ハ私ノ望ム所デハナイ。私ハ国民ヲ傷付ケル刀ヲ持チ合ワセテイナイ。」

「ま、まだ国民になるとも言っていない我らを国民として扱おうと仰るのか!?」

「ソウダ。オ前ハ百年前ニ関ワリヲ持タナカッタ私達ヲ無関係ダト言ッタガ、望ム望マナイハ置イテオイテ、コノ世ニ生ヲ受ケタ時点デ既ニオ前達ハフラミー様ノゴ加護ニ触レタ者ダ。騎馬王ヨ、私モ敢エテ言オウ。生ノ神タルフラミー様ノ僕デアル私ハ、オ前ト無関係デハナイト。」

「馬鹿な…。」

 騎馬王が呟くと、人犬(コボルト)のワジュローは威嚇するように数度吠えた。

「貴様!訳のわからん事をのたまって!共に過ごすだと!?追い出してくれる!!イズガンダラ、支援を!!」

「やめろ、ワジュロー!」

 人鳥(ガルーダ)が二人がかりでワジュローを止め、耳打ちした。

「相手は一人で迎え撃つと言っているのだ。村を落とすにはそれの方が都合が良い!」「かの者は魂喰らい(ソウルイーター)が出ない証明だ。ここに置けば相手の手の内も知れる!」

「――ッチィ!相手の手の内を掴む前にこっちが丸裸にされちまう!」

「抑えろ、今は抑えるんだ。ワジュロー!」

「ック……!寝首をかかれたら死んでも死にきれんぞ!!」

「皆で見張れば良い!」「その為に我ら人鳥(ガルーダ)偵察団がいるのだ!」

 ワジュローは鼻を鳴らすと、どかりと草の上に座った。

「好きにしろ!!」

 これまでカルサナスの刺客が来た時には捕らえて話を聞き、全員殺してきた。どの池に集まり会議をしているのかなどを知られれば、待ち伏せをされて一網打尽にされる危険性があるためだ。休戦の六年の間にも何度かカルサナスからの刺客は来ていたが、力のある男達が対応して来た。

 騎馬王はワジュローが腹を立てる横で、コキュートスを真っ直ぐに見つめた。

「コキュートス殿。若者達は説得で止まるやもしれませんが、おそらく我らは止まりませぬ。それでも、本当に共に過ごされますかな。」

「アァ、過ゴソウ。」

「私はやはり、神聖魔導国は無関係だと思っております。しかし、思惑は種族ごとそれぞれにある。その振りかざした正義感に殺されぬようにお気を付けて。」

 コキュートスは面白そうに息を吐いた。

 

+

 

 首狩り兎は走る。

 一心不乱に神聖魔導国への帰路を駆けた。

 自分の足で走って五日もかかる道のりだ。

 遠路遥々来てやったというのに。騎馬王、なんたる体たらく!

 そう悪態を吐く首狩り兎の目からは涙が溢れそうだった。

「させてたまるか!騎馬王さん…マイカさん…殺させてたまるかァッ!!」

 スカートが翻る。美しく懐かしい夏草海原の青草の香りがする。

 生まれた時から変わらぬ優しい風に乗り、綿毛で浮かぶ種子が、愛に踊る蝶が、彼方より帰ってきた渡り鳥が空を行く。

「カルサナス!俺はやってやる…!」

 首狩り兎は常々カルサナスの情報を集め、夏草海原の人兎(ラビットマン)の里へ運び続けて来た。

 戦争は前線で戦うことが全てではない。このオリハルコン級冒険者並みの力を持つ人兎(ラビットマン)はその事をよく理解していた。

 騎馬王はアダマンタイト級冒険者よりも力がある。あれこそ真の戦士。

 ならばと、首狩り兎は夏草海原連合軍と共に戦場に出ることよりも、その戦場が有利になるようカルサナスの要人を暗殺したり、防衛軍の兵力情報を盗み出したりすることを選択し、自分の役目に徹して来た。

 そんな折、オスクとの出会いは首狩り兎にとって僥倖だった。

 住むところ、食べるもの、全てを用意して賃金までくれる。賃金はほとんどが女装と情報収集のために消えて行った。

 

 首狩り兎が駆けていると、前方には戦争に出ない一般の人馬(セントール)達がいた。生まれたばかりの赤ん坊が母親達の間を嬉しそうに駆け回っている。

「おーい!おーい!」

 警戒されないように手を振り、一気に駆け寄ると、人馬(セントール)達は珍しいものを見たように首狩り兎を迎えた。

人兎(ラビットマン)じゃない。こんなところで一人ぼっち?寂しかったわね!」

「いや!私、これから夏草海原連合軍の秘密任務に行くの!お願い、私を夏草海原の終わりまで送って!」

 首狩り兎は少し声を高くそう言った。周りからは突然群れの輪に入ってきた者を確かめるため男達が集まり始めていた。男達は混合魔獣(キマイラ)の接近を警戒して群れの周りを歩くのが一般的だ。

「まぁ!良いわ、少しだけ待ってね。ねー!あんたー!ちょっと!早くこっちに来てー!」

 女達はより若い女に子供達を任せ、危険がないと分かり歩いて戻ってきている男達を手招いた。

「びっくりしたよ。俊足の生き物が群に入ったと思ったら人兎(ラビットマン)じゃないか!久しぶりに見たなぁ。」

 

【挿絵表示】

 

 男達は懐かしむように目を細めると、手を差し伸べた。首狩り兎はすぐに手を取り、握手を交わすとブンブンと手を振った。

 次々と握手を交わしながら、あちこちから伸びてくる手に頭を撫でくりまわされる。

 人兎(ラビットマン)は里を持ったが、ごく稀に遊牧を忘れられない者が一人でうろついていることがある。

 しかし人兎(ラビットマン)は孤独に弱い事が多いので、草原で出会った時には皆こうして「愛している、孤独ではない」と表現してくれるのだ。そうすると大抵どの人兎(ラビットマン)も家が恋しくなり里に戻っていく。

 もちろん、首狩り兎には無縁の話だ。――いや、実は寂しがり屋かもしれないが。

「ど、どうも!どうも皆さん!ねぇ、私連合軍の秘密の任務の途中なのよ。悪いんだけど、西の終わりまで送ってくれないかしら!」

「連合軍の?軍の皆様はどうしたんだ?」

「秘密任務だから言えないのよ!それより、送ってくれんの!くれないの!」

 送ってくれないなら用はない。今は時間が惜しい。

 首狩り兎は今は女のふりをしていたのは失敗かと思う。連合軍に女はかなり少ない。疑われているだろうか。

 しかし、首狩り兎の瞳を覗き込んだ人馬(セントール)は微笑んだ。

「連合軍の方とあればもちろん良いとも。途中まで連れて行こう。ただし、子供達も走れるスピードになるが良いだろうか?」

「もちろん!それでも私が走るよりよっぽど早いわ!」

 瞬発的なスピードは首狩り兎が上回るが、継続的にそのスピードを保つ事はできない。数メートル以上を走るなら人馬(セントール)の方が圧倒的に上だ。

「じゃ、乗れ。俺が一番体力がある。」

 人馬(セントール)が身を低くしようとすると、首狩り兎はひょいと身を翻して背に乗った。

「――お、やるな。流石に連合軍の秘密部隊なだけはある!」

「どーも!」

 首狩り兎は愛らしく笑った。

「お前、名は?俺はアストール。」

「私は――ライア・マイカ。」

 咄嗟に口にしたのは尊敬してやまない騎馬王(ヴェストライア)と、人兎(ラビットマン)の代表のフィロ・マイカの名前だった。

「ライア・マイカ、良い名だな!しっかり掴まれよ!」

 そう言ってアストールが前足を天へ向けて高く上げると、首狩り兎は一瞬落ちそうになった。しかし、すぐに晒された美しい人間の体に掴まり嬉しそうに笑った。

「おわっ――と!ハハっ!まかせてよ!」

「ふふ!皆、進行方向を変えよう!連合軍の勇敢なるライア・マイカの為!西へ!!」

 子供達は嬉しそうにワァー!と声を上げ、アストールの周りに近寄った。

 何十頭といる人馬(セントール)達が一斉に進路を変更し、首狩り兎の目指す神聖魔導国へ駆け出した。

「ライア・マイカ!女の子なのにすごいね!」「アストール兄様はこの群れで一番強いんだよ!」「本当はアストール兄様も連合軍に参加できるくらい強いけど、群れの為に残ってくれたんだ!」「私人兎(ラビットマン)って初めてみたぁ!ライア・マイカは寂しくないのぉ?」「ふわふわのお耳!かわいんだねぇ!」

「へへ、寂しくないよ!私は寂しくならないために、戦ってんだから!」

 子供達の無垢な瞳に笑い返す首狩り兎は一つのことを悟る。

 この命を守りたいと、皆戦いへ行ってしまうのだ。

 守れなかったこの命達のため、皆戦うのだ。

 代表達からすれば、首狩り兎などこの子供達とそう変わらないのかもしれない。

 しかし、首狩り兎とて命を捨てて戦っても良いと思ってここまで来た。

 オスクはいつでも戻って来て良いと言ったが、二度と戻れないと覚悟も決めた。

 首狩り兎は鼻の奥がツンと熱くなるのを感じた。

 

「夏草海原へ――勝利を!!」

 

 拳を掲げると、皆が声を上げて応えた。

 

+

 

「あれ、どうするんすか。」

 ワジュローは少し離れた場所からこちらを眺めているコキュートスを親指で指し示した。

「あまり見られていては組み手の訓練はし辛いですね。」

 応えたイズガンダラの後ろでは弓兵隊が訓練を続けている。

 弓兵隊は見られたところで大したマイナスは無いが、連携を取る人犬(コボルト)達はコキュートスの前では大した訓練もできない。作戦の漏洩につながる。

 コキュートスはここにいると言ってから、騎馬王や代表者達に特別何かを言うこともなく、少し離れたところからじっと隊を眺めていた。それこそ、戦い方を研究するように。

 ひとまず騎馬王はコキュートスの存在に興奮している八足馬(スレイプニール)を宥めてやっていて、人兎(ラビットマン)達は移動の疲れを癒す為に草の葉を干して重ねた煎餅状の兵糧を食べていた。

「本当に説得する為に来たのか?ただ作戦を調べるスパイに来たんじゃないかと思うんすけど。」

「…もしそんな事の為に来たのだとすれば、一人で迎え撃つと言う言葉も怪しいですね。」

「全てが疑わしいな…。」

 二人がコキュートスの様子を伺っていると、クルダジールが仲間の若い人馬(セントール)を連れて動き出した。皆が丸腰だ。

「あいつら、何をするつもりだ…?」

 ワジュローとイズガンダラが止めるべきかと思っていると、クルダジールは何の心配もないと言わんばかりに頷き、コキュートスの側へ向かった。

 トッ、トッ、トッ、と軽快な足取りだ。

「神聖魔導国、コキュートス様。」

 グルダジールは一度コキュートスに頭を下げると、自慢の筋肉が晒されている上半身をしかりと張った。

「ム、ドウシタ。オ前達モ私ガ見テイル事ガ気ニナルカ。」

「気になります。しかし、それ以上にあなた様のお力が気になるので、手合わせをお頼み申し上げに参りました。」

「――ホウ。乗リタイガ、私ハオ前達ヲ戦争ニ向カワセナイ為ニ来テイルノダ。ナラバ、オ前達ヲ鍛エルヨウナ状況ニナルノハ私ニトッテ不本意ダト解ッテ言ッテイルノカ。」

 向かい合うクルダジールにコキュートスの表情を掴むことはできない。しかし、何か面白い提案をしてくることを期待しているように見えた。

「勿論です。私達はコキュートス様にも、全ての代表の方にもご納得いただく為、こうしてお願いに参りました。」

 ジッと見つめられ、クルダジールの掌にじわりと汗がにじむ。

 コキュートスは顎をしゃくって見せることで、続きを促した。

「――騎馬王様はコキュートス様に、我々若者の参戦を止める口説きを期待していらっしゃいます。イズガンダラ様はコキュートス様のお力をここで見極めたいとお思いですし、ワジュロー様は追い出したいとお思い。なので、私達はコキュートス様の手の内の全てを探り、尚且つ追い出すほどぶつかり合う事が一番だと思いました。一方コキュートス様には、我々の心を打ち砕くだけのお力をお示し頂くか、ぶつかり合いの中で我々を説得されては如何でしょうか。手合わせを行うことでの全員の利益は完全に一致しているのです。」

 コキュートスは組んでいた四本の腕をゆっくりと解いた。

「フフフ。騎馬王モソウダガ、オ前モ正直ナ男ダナ。人馬(セントール)ノ気性カ。」

「我々は続く者の誇りとなる騎馬王様のように生きたいと思っているだけです。」

「面白イ。良イダロウ。手合ワセ、シテミヨウジャナイカ。」

 コキュートスはシュー…と白い息を吐き、足を肩幅に開いた。

 その仕草だけで、いつでも来いと言っていることが分かる。

 戦士同士の間には余計な言葉など不要だった。

 クルダジールが馬体に掛けてある鞄から布を取り出すと、周りにいた人馬(セントール)達がそれを掌に巻き付けてやった。素手の殴り合いになるだろうが、相手の体は人馬(セントール)の身の何万倍も固そうに見えた。

 準備が済むと仲間達が周りから離れていく。

「――武器ヲ用イテモ良イノダゾ。」

「恐れ入ります。ですが、コキュートス様は何もお持ちではないのですから、まずはこれで!」

「面白イ。来イ!」

 その言葉と共にクルダジールは馬体に力を漲らせ、風のようなスピードで一気にコキュートスへ踏み込んだ。

 コキュートスはスピードに追いついていない為か、特別な構えも見せずにクルダジールを迎える。

「ッチェストォ!」

 クルダジールは迷いなく、コキュートスの二つ並んでいる大きな瞳へ向けて拳を突き出す。

 模擬の手合わせだと言っているが、クルダジールからは宣言通り、ここを追い出すだけの傷を負わせて見せると言う確固たる意志が漲っていた。

 だが、コキュートスはわずかに屈伸し、完全に拳を見切った無駄のない動きで回避する。

 巨体とは思えぬスピードでありながら、筋肉の使用率は最小限。構えなかった事がスピード不足ではないとはっきりと分かる。

「大振リスギルナ。」

「なんの!<疾風加速>!」

 ビリリと体に漲るものを感じると同時に、コバルトブルーの外骨格が覆っていない、黒い腹の柔らかそうな部分へ向けて前足の膝を突き込む。

 二足歩行のものならば、パンチをした後に踏み込み直す必要があるが、後ろ足で大地を蹴る事ができる人馬(セントール)に大勢の立て直しは不要。

 繰り出される一撃は二足歩行の者よりも、速さも力も乗っている。

 鎧を着ていない者の内臓を破裂させるには十分だ。

 騎馬王もこれまでどれだけの敵を蹴散らしてきたかわからない。

 辺りからはどよめきが上がった。

 人馬(セントール)の蹴りは左右に避けるのが当たり前だ。二メートル程度なら容易にジャンプできる脚力から逃れるには前後の回避や、受け身は命取りとなる選択だ。

 しかし――コキュートスはクルダジールの膝が腹に入ろうとしたその瞬間、足を一本後ろへ下げ、横を向くように体の向きを変えるだけでいなした。

 そして目前を通過しようとしたクルダジールの体を引っ張り、蹴り入れようとした力そのままクルダジールは地面に引き倒された。

 膝がずりずりと擦りむけ、両手を地についたクルダジールは馬体からも大量の汗をかいていた。

 運動そのものは大したことがなくとも、コキュートスから放たれるプレッシャーを前に、本能が悲鳴を上げていた証拠だ。

「な、なんたる…動体視力…。……お見それいたしました。」

 始まりから十秒前後しか経っていない。クルダジールは顎から垂れた汗を拭い、大きすぎる壁を見上げた。

 情けないが、これはとても倒せそうにはなかった。

「武技ヲ使エルトハ知ラナカッタ。一撃目カラ使ワナカッタノハ何故ダ。」

「加速したまま二撃を繋ぐと、スピードに体が着いていけない為です…。」

「ナルホド。改良ノ余地ガアルナ。」

 そんな事ができるのは人馬(セントール)の中では騎馬王だけだ。しかし、コキュートスの言葉は不思議とクルダジールならばできると信頼しているような優しさがあるような気がした。

 クルダジールはコキュートスを見上げたまま、思わず笑ってしまった。

 すると、野の空気を切り裂くような声が響いた。

「――何をしている!!」

 びくりと肩を震わせ、クルダジールは振り返った。

 騎馬王が怒りと不信感を抱いた瞳をコキュートスへ向けていた。

「騎馬王。手合ワセヲシテイタ。」

「手合わせ!?ふざけた真似を――!!」

 普段は温厚な男だが、騎馬王はコキュートスを信用して群れに留まることを許したのだ。傷付けないと言ったのは"青草の約束"だったかと、裏切られた怒りや自分の甘さに苛立ちが隠せない様子だった。

「き、騎馬王様!私からコキュートス様に手合わせをお願い致しました!!」

 慌ててクルダジールが叫ぶと、今にも掴みかかりそうだった騎馬王は驚きに目を丸くした。

「な――馬鹿者!!」

「申し訳ありません!しかし、本気の本気で挑んだので、本当に自分に必要なものが何なのかが分かりました!」

 騎馬王はクルダジールに何も答えず、コキュートスへ頭を下げた。

「コキュートス様、ご無礼を。」

「イヤ。私モ勝手ナ真似ヲシタ。悪カッタナ。」

「とんでもございません。」

 クルダジールは二人のやり取りの中に、一つのことを確信する。

 それは、騎馬王は手合わせなどしていないと言うのに、コキュートスの力を見極めているようだと言う事だ。

 身分のある相手であると言う事以外に、敬意を払うべき相手であると確信している様子だ。

「良イ若者ヲ連レテイルナ。アレハ名ヲ何ト言ウ。」

 クルダジールは痛む膝に鞭打ち、なんとか立ち上がると頭を下げた。

「クルダジールと申します。戦士を継ぐ者と言う意味の名です。」

「ソウカ。騎馬王、オ前ガ名付ケタノカ。」

「えぇ、そうです。よくお分かりで。クルダジールの父は良い戦士でした。」

「"デシタ"?」

「はい。クルダジールの母が身篭っていた年の、三十六年前の戦争で討たれたのです。なので、私が名付け育てました。」

「デハ、オ前ノ子モ同然カ。」

 コキュートスの言葉に、騎馬王は一瞬きょとんとし、クルダジールは強くうなずいた。

「――そう、なのでしょうか。」

「ソウダロウ。私ガオ仕エスル殿下ハ父君モ母君モイラッシャルガ――不敬ナガラ我ガ子ノヨウニ愛シク思ウ。」

 騎馬王はちらりと自らの八足の馬体を見下ろした。

 コキュートスはその顔を見た事があると思い、じっと見つめた。

(……コノ顔ハ……。)

 間違いない。

 常闇との戦いの後、血溜まりで抱きしめ合って泣いたアインズとフラミーの――あの時の顔に非常に似ていた。

 自らの無力を嘆く、守護者達にとって忘れられるはずもない痛みの叫び。

("コノ人ハ親ヲ知ラナイ。愛シテヤルト楽シミニシテイタ"……。"私ガ弱イセイダ…ゴメンナサイ"……カ……。)

 コキュートスは心の中でアインズとフラミーの言葉を紡いだ。

「――コキュートス様は良い王陛下の下にいらっしゃるのですね。」

「マサシク至高ノ御方々ダ。」

 

 夕暮れが訪れる頃にはコキュートスは希望した全員と手合わせをした。

 皆三十秒と掛からずに膝をつき、各々自らに必要なものを見出していた。




コッキュン、弟子がいっぱいで嬉しいね〜〜!

モブセントールさんの絵はユズリハ様にいただきました!

【挿絵表示】

セントールさんいけめんですねぇ。
髪の毛命!!


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#122 夜闇の暗殺者

 夏草海原の者達の夜は早い。

 火を滅多に使わない彼らは夜の帳が降りる頃には皆眠るため、大抵は夕暮れが訪れる前に夕食を取る。

 コキュートスと手合わせを済ませた者達は興奮するように闇夜の迫る空の下、食事を始めた。

 その横で、コキュートスは本日の報告をしようと<伝言(メッセージ)>の魔法が込められている巻物(スクロール)を取り出した。

 戦士達が興味深そうにコキュートスを眺めている。

 コキュートスはまず体に汚れが無いかを確認し、背筋を伸ばしてから巻物(スクロール)を燃やした。

 数度のコール音が鳴る間、ソワソワと支配者が出るのを待つ。

 そして、その時は来た。

『――私だ。』

「アインズ様、コキュートスデゴザイマス。」

『コキュートス。どうだ?そちらは。騎馬王は止められそうか?』

「ハ。今ノ段階デハマダ難シイカモシレマセン。」

『そうか。今日はどのような説得をしたんだ。』

「希望者ト手合ワセヲシテミマシタ。戦争マデ鍛エニ鍛エテ、ソレデモトテモ敵ワヌト知レバ、攻メ込ム事モ諦メルカト。今日ハ何人カノ若者ガ戦争ヲ無駄ナ事カモ知レナイト悟ッタヨウデシタ。」

 傷付けすぎてはいけない相手と手合わせをするのは一郎太と二郎丸、ザーナンとシャンダール兄弟達の特訓で慣れている。

 ザーナンとシャンダールはナザリックで管理している生き物ではない為、今はしばらくナザリックに呼んでいない。強くなりすぎると問題が起こるとフラミーが言った為だ。アルベドとデミウルゴスも大賛成していた。

 

『お前らしいやり方だな。では出張は最長で戦争の予定日か。時間がかかりそうだな。ナインズが寂しがる。』

「ム。コレハ申シ訳ゴザイマセン。」

 姿は見えていないが、コキュートスは迷わず頭を下げた。そして、思わず笑みが溢れてしまいそうになるのを抑える。

『昼食の時、今日はどうしてじいがいないの、なんて言っていたぞ。騎馬王の下へ行ったと言ったら、嬉しそうに笑っていた。』

「――オボッチャマ…。」

 寂しがるのはナインズよりもコキュートスの方かもしれない。コキュートスは敬愛するナインズを想って空を見上げた。

 赤紫色に染まる空はコキュートスの事さえも染め替えてしまいそうだった。

「アインズ様、オボッチャマニモオ伝エ下サイ。必ズヤ止メテミセルト。」

『伝えよう。私も期待しているぞ。お前は対亜人のプロではあるが、手合わせ以外にも説得の言葉を探しておいた方がいい。もし何か困った事があればいつでもデミウルゴスやアルベドに連絡を取ってもいいのだからな。』

「ハ。オ心遣イ痛ミ入リマス。」

『良い。』アインズはそう言うと、む、と声を上げた。

『――もうナインズが来たか。今は話をしているから少し外で待たせろ。――うわ!仕方ない奴め。――うんうん、お片付けだな。分かった分かった。――今?これはコキュートスだ。――うーん、伝言(メッセージ)は電話みたいに変わってやれないからな…。――え?電話って何だと?えーと…何でもないぞ。――それより、かけなおして貰うのは巻物(スクロール)が勿体ないだろう?――そうだ。本当に必要なことを見極めろ。』

 アインズの向こうにナインズの姿を想像する。

 今日の執務の終わる時間を告げにきたのだろう。コキュートスにとってはナインズと別れる時間だ。

 ナインズは日々成長している。目まぐるしい日々に、きっとすぐに大きくなり、コキュートスを遥かに超える存在へとなっていくのだろう。

 それは幸せなことだ。

 コキュートスにとって、これ以上嬉しいことはない。

『――あぁ、九太(・・)は先にフラミーさんの所へ行ってくれ。お手伝いするんだぞ。』

 コキュートスは心の中で九太様、と呟く。

 支配者達はもう一つ名前がある。デミウルゴスはそれこそが支配者達の真なる名前であると以前教えてくれた。

 ナインズのこれも、その真なる名前なのだろう。

 支配者達はたまに互いのことを真なる名で呼び合っているが、支配者同士以外がその名を口にする事はない。

 特にフラミーの真実の名前は決して口にしてはならないとデミウルゴスが厳重に通達していた。

 フラミーの真実の名は何千年も何万年もひた隠しにされ、アインズさえも知ったのはツアーとの戦いの後だと言うのだ。

 悪魔と天使にとって名前と言うのは特別な意味を持つ。

 名前は存在を構成する大切な要素であり、悪魔が出現するためには名前という楔を世界に打ち込む必要がある。故に、悪魔は偽りの名前を使った場合消滅してしまうこともあるらしい。

 デミウルゴスですら完全に偽りの名前を名乗る事はできない。

 これだけ名前と言うものが持つ力が強いのだから、フラミーの真なる名前がどれほど尊く、やんごとないものなのかは簡単に理解できるだろう。非常に触れ難いものなのだ。

 余談だが、フラミーは冒険者のプラムとして過ごしていた間、自らプラムと一度も名乗らなかった。いつも「こちらはプラムさんです」とモモンに紹介されて過ごし、名乗ることが必要な場合には「村瀬文香」を用いてきた。

 フラミーが偽名を名乗れなかった故にそうしていたのか、はたまた偶々そうなったのかは、フラミーのみぞ知る。

 アインズも真実の名前を隠していると言うのは、呪いへの耐性を考慮している故と、やはり何か存在の根幹に関わる為だろう。呪いには名前を用いなければ効果が半減するものが多くあり、真実の名前がわからなくては掛けられないものすらある。

 守護者のみならず、この情報は僕達にも満遍なく通達され、支配者達が互いを真なる名前で呼び合っていても、真似をしたり、口にする事は禁じられている。

 ナインズの九太と言うのも、アルメリアの花と言うのも、同様だ。

『――コキュートス、すまない。待たせた。ナインズが来ていた。』

「フフフ、オボッチャマノゴ様子ガ伝ワッテ参リマシタ。アリガトウゴザイマス。今日ハオ顔ガ見ラレナイノガ残念デス。」

転移門(ゲート)巻物(スクロール)は持っているのだろう。ずっとそっちにいる事もないのだから、帰って来ればいい。』

「恐レ入リマス。デスガ、ヤハリ良イ報セヲ持ッテ帰リタイト思イマスノデ、暫クハコチラニ留マリマス。」

 コキュートスはまだ騎馬王が折れないのかとナインズに残念な顔をさせたくなかった。

『そうか。では、お前なりに納得がいくまでやってみるが良い。』

「ハ!」

『忙しいだろうが、アルベドへの定時連絡はきちんと行え。一日の終わりには私かフラミーさんに連絡するように。――あぁ、ナインズに繋いでも構わないからな。』

 コキュートスは自らの創造主()のように優しい支配者の様子に胸がキュッと熱を帯びる。

 熱い。思わず空いている手でそこを抑えた。

「アリガタキ幸セ。」

『ナインズも喜ぶ。さぁ、私はもう片付けを始めよう。アルベドとリュミエールが痺れを切らして私の代わりに片付けようとしているからな。』

「貴重ナオ時間ヲ頂戴シテシマイ申シ訳アリマセン。」

『気にするな。ではな。』

「失礼イタシマス!」

 頭をきちんと下げ、支配者との繋がりが切れる時までそのままの姿勢で待った。

 ぷつりと糸のように繋がっていた感覚が切れると、ようやく顔を上げた。

 空はもう紫色で、平原の上には月が登っていた。

 二つづつ並ぶ四つの瞳に月光が映る。

 コキュートスは、なるべく支配者達の気持ちや思惑を理解できるように、支配者達が行うことを行いたいと思っている。

 ナザリック程素晴らしくはない世界だが――コキュートスは支配者達のように空を見上げ、心の中で「美シイ」と呟いた。

 砂をばらまいたような満点の星が西の空にじりじりと姿を現して行く中、ひとつの足音が接近してくるのを聞き取った。

「――クルダジールカ。」

「コキュートス様!お食事はとられましたか?もしまだで、持ち合わせが無いようでしたら、良ければ我々の食事を召し上がられては如何ですか?どれも美味しいですよ。」

「イヤ、私ハ――」食べずとも大丈夫だと言おうと思ったが、それを発する事はやめた。

 フラミーも言っていたが、全ての生が飲食を不要にする指輪を手に入れる事はできない。それをここで使う事は、この夏草海原を必死で守ろうとしてきた戦士達への侮辱になるだろう。

「――イタダコウ。」

「是非どうぞ!あちらでどうですか?手合わせをした者達も、皆コキュートス様と話したいと言っているんですよ。」

 クルダジールの長い尻尾が軽く左右に振れる。

 コキュートスが歩みを進めると、クルダジールは蹄を返した。代表達が警戒するような視線を浴びせる中、四種族が入り乱れた若者の群れに迎えられる。

 コキュートスはふと、離れたところにいる騎馬王の小さな声を聞き取った。

 

 ――若者達はあれで良いのだ。

 ――生き残り、神聖魔導国の民となるのだから、あぁして気に入られる事こそ正解だ。

 ――強くなり、またこの夏草海原を守り続けていくだろう。

 

 コキュートスは騎馬王を止めるのは相当に骨が折れそうだと思う。

 騎馬王の顔は満足げで、真っ直ぐな戦士のものだった。

 あれは口で言われても、力を見せられても、戦場へと赴こうとするような気がする。

(……アインズ様ノ仰ルトオリ、何カ方法ヲ探サネバ………。)

 コキュートスの瞳は顔の側面についている事もあり、顔を向けずとも相当に広い範囲を見渡す事ができる。騎馬王は見られていることにも、声を聞かれている事にも気付いていないようだった。

 クルダジールや、若者達にはまるで聞こえていない様子なので、この距離なら大丈夫だと思っているのだろう。コキュートス程の聴覚を持っていなければ聞き取る事は難しい。

「――コキュートス様は肉食ですか?」

 クルダジールからの問いに、コキュートスは意識を戻した。

「私ハ何デモ食ベルトモ。シカシ、オ前達ガ食ベナイ部分デ構ワナイ。」

「そう仰らず。今日の稽古代くらいは召し上がって頂かなくては!」

「ソウカ…?」

「えぇ!さぁ、好きなだけどうぞ!」

 クルダジールはコキュートスの隣に座り、瑞々しい草や、大きな変わった実、牛の肉、何かの野菜を平べったく乾燥させたものなどを差し出した。

 若者達は何を食べるのだろうかと興味津々にコキュートスを見つめている。

「………デハ。」

 手近な所にあった草を摘むと、その口に運んだ。

 何故か「おぉ…!」と周りで声が上がり、コキュートスは奇妙な気分になった。

「やはり、草をよく食べることが強くなる秘訣ですか?」

「…イヤ。ヤハリ、強サヲ身ニ付ケルニハ訓練ト体ニ合ッタ食事ガ必要ダロウ。」

「それはそうですね。コキュートス様や側近の皆様は何度も赤子に戻ってその強さを手に入れたので?」

「赤子ニ?イヤ、ソンナ事ハナイナ。私達ハ強クアレト生ミ出サレタ。」

 瞳を輝かせていた若者達は一層それを強めると、互いの肩を叩き合って嬉しそうに頷き合った。

「やっぱり!首狩り兎のやつ、馬鹿げた事を。コキュートス様は騎馬王様と同じですね!強くあれと生まれ落ち、そうあろうと邁進し続けていらっしゃる!」

 騎馬王とは違う。至高の存在の手自ら生み出された守護者は凡ゆる生き物と違うのだ。そう言いたかったが、コキュートスは否定を返すよりも、騎馬王という男についてもっと知りたかった。

「アレハソウ言ウ男カ。」

「えぇ。本当に…一番尊敬できる方です。」

「――ソウカ。」

 その後コキュートスは出されるもの全てをもそもそと食べた。

 味はと言えば――BARナザリックで悪魔と肩を並べて飲む酒が恋しくなった。

 

+

 

 その夜、騎馬王は八足馬(スレイプニール)の夢を見た。

 騎馬王はまだ幼い。八足馬(スレイプニール)達の一団が遥か遠くを横切って行く。風になるようなスピードで駆け抜け、もうもうと砂埃が立っている。

 あんなに急いでどこへ行こうと言うのだろう。騎馬王は速く走る方法が知りたくて、その群れに向かって一生懸命地を蹴る。

 しかし、どれだけ走っても彼らに追いつく事はできなかった。

 

 コキュートスが群れに身を置くようになってから二日目。

 まずは移動式住居(ゲル)の撤去を行い、池で革袋に水を汲んだ。

 そうしている間、多頭水蛇(ヒュドラ)達はなるべく水が濁らないようにジッとしてくれる。

 水場の端にいた混合魔獣(キマイラ)は神経質そうに辺りを見渡し、水を飲みたそうにしているが、結局連合軍の準備が終わって池を離れるまで顔を池に下ろす事はなかった。

 連合軍はじっくりと北へ向かって遊牧を始める。

 これだけの人数が群れにいれば、若芽が悪くなりかねないので一つところに留まれるのは一日までだ。

 通りかかったバオバブに、まだ冬の頃に巻かれた野牛の皮があった。ここはまだ、春になってから誰も来ていないようだ。

 木の全身に丁寧に巻き付けられた皮は日光と雨風に晒されて傷んでいる。

 人犬(コボルト)は木の根元、人馬(セントール)は木の中腹、人鳥(ガルーダ)は手の届かないような高いところから皮を外してやった。

 コキュートスも手伝ってみようかと紐を引っ張り、簡単に切ってしまうと皆からブーイングが上がった。

「紐はまた今年使うかもしれないんですから、丁寧に外して下さい。」

 クルダジールがそんな事を言うと、騎馬王は笑った。

「ス、スマナイ。御方々モ良ク"モッタイナイ"ト仰ッテイタ。」

「神王陛下と光神陛下はご立派な方々ですね。」

「ソウダ。草原ニハ神殿ヲ建テラレナイダロウガ、祈リハ場所ヲ選バナイ。オ前達モ祈リヲ捧ゲルガ良イ。」

「いやぁ。それはちょっと。」

 特別何かを信仰する事もない夏草海原の民にとって、突然祈りと言われてもピンと来ない。

 皮紐は丁寧に外され、半年の間腐食が進まないように箱に入れられ、箱ごと木に括り付けられる。一本だけ、真ん中を結んで繋がれた紐はコキュートスが取ったものだ。

 木はきちんと寒風から守られたようで、割れているところは一つもなかった。樹皮の剥離もなく、健康そのものだ。

「今日はここにしよう。」

 騎馬王の声掛けに皆移動式住居(ゲル)の設置を始める。

 コキュートスも手伝い、設置が終わると若者達の訓練を見てやったようだ。

 

 その夜、騎馬王は再び八足馬(スレイプニール)の群れの夢を見た。

 騎馬王の年の頃は青年くらいで、これなら追い付けるかもしれないと漠然と思う。意気揚々と足を踏み出そうとすると、地面が柔らかくなるような感覚が襲い、地を蹴ろうにもうまく蹴ることができない。

 一体何なんだ。この足はどうしたことだ!

 騎馬王が馬体を見下ろすと、自分が踏んでいたのは地面ではなく、大量の人馬(セントール)八足馬(スレイプニール)の子供や老人達だった。

 騎馬王は慌てて皆の上から離れようと駆け出した。先程までの足の重さは嘘のように騎馬王は速く走ることができた。

 しかし、どこまで行っても、騎馬王の下から死骸がなくなる事はない。それどころか、今度は人鳥(ガルーダ)人犬(コボルト)人兎(ラビットマン)の死骸まで増えていく。

 

 もがいているうちに、騎馬王は目を覚ました。寝たまま八本の足を動かしていたようで、馬体が疲れている。

「……やれやれ。」

 汗に濡れた体で移動式住居(ゲル)を出た。

 辺りはまだ日の出前。誰も起きている者はいなかった。ただ一人を除いて。

「――ドウカシタカ。」

 音の塊を無理やり声の形にしているような音だが、優しい響きがある。騎馬王はそちらを見た。

 満点の星空の下、コキュートスの外皮は黒と星の色になっているように見えた。

「いえ。コキュートス様は眠らないのですか。」

「イヤ、寝テイタトモ。シカシ、目ガ覚メタ。」

「そうでしたか。……何か嫌な夢でも見られたので?」

 騎馬王はそれは自分だと思ったが、怖かったねと、もしかしたらこの人となら言い合えるかもしれないという少しの期待を込めてそう尋ねた。

「違ウ。良イ夢ヲ見テイタ。オボッチャマガ私ニ向カッテ笑イ、友ガ主人ニオ茶ヲオ出シスル夢ダッタ。友ハ主人ガ居レバドコデモコノ世デ最モ美シイ場所ニナルト常々言ッテイルガ……トテモ美シイ光景ダッタ。」

「そう、でしたか。では、目覚めてしまったのは残念でございましたな。」

 コキュートスは首を振った。

「イヤ。オ前達ガ殺サレテハ困ル。ソウナレバ我ガ君ガ泣ク。夢ヨリモ大切ナコトダ。」

「我らが殺される…?」

 騎馬王が疑問を口にすると同時に、コキュートスは音もなく輝けるハルバードを取り出した。

 月はもう落ちている。星の瞬きを返すハルバードを握りしめる後ろ姿に騎馬王は一瞬見惚れた。

「ソコノ者。隠レテモ無駄ダ。姿ヲ見セロ。」

 騎馬王はゆっくりと体を低くし、馬体に下げてある鉾を構えた。

 コキュートスの視線の先。そこから闇に紛れるように立ち上がった者がいた。

 全身黒ずくめだ。黒い頭巾を被り、口には黒いマスク。顔はすっぽり覆われていた。

 頭巾の額部分にだけは黒い金属が貼られ、頭を守っているようだが、他の場所にはほとんど装甲はない。

 草を掻き分けて数歩進んで来ると、足先までよく見えた。ズボンは股上に余裕があるたっぷりとした形をしているが、膝から下は布を巻きつけて体に密着している。豚の蹄のように二つに割れた靴を履いているが、人間のようだった。

「――守護神様。」

 大人しそうな女の声だった。

「我ガ国ノ者カ。ココデ何ヲシテイル。名ハ。」

 女はその場で膝と拳を地に着いた。

「は。私の名はティラ。暗殺者集団、イジャニーヤの頭領をしております。」

「ソノイジャニーヤガ何ノ用ダ。誰ヲ殺シニ来タ。」

「騎馬王の首を取ってくるように言われて参りました。」

「誰ニ言ワレタ。」

「申し訳ございませんが、守護神様であっても、法廷に上がるまでは依頼者の事はお話しできません。」

「ソウカ。デハ、引ケ。イジャニーヤノティラ。ソウシナケレバ、私ハオ前ヲ再起不能ニシテ神都ヘ連レテ行カネバナラナイダロウ。巻物(スクロール)ノ無駄ダ。」

 騎馬王はコキュートスの隣に着くと、コキュートスに喋る許可を取るように視線を送った。

 コキュートスが頷き、許可を得るとティラと向き合った。

「カルサナスよりの刺客。お前にも仕事があろう。戦いならば受けて立とう。」

「――そうしてもらえると助かる。」

「コキュートス様、私は戦争の時まで決して死にません。よろしいでしょうか。」

 コキュートスはため息を吐くように、白い息を吹き出した。空中の水分が瞬時に凍りつき、キラキラと星屑を落とすようだった。

「イイダロウ。好キニスルガイイ。」

「ありがとうございます。」

 騎馬王は群れから数歩離れると、鉾を体にかけ直し、地面に座った。

「――何の真似?」

「私はお前の接近に気が付かなかった。お前の好きなタイミングで始めてくれて良い。」

「律儀。だけど、仕事のためだからこのままやらせて貰う。」

 ティラは腰に下げていた六本の両刃の短いナイフを両手の指の間に持った。

 そして、無言のまま座っている騎馬王めがけて疾走した。

 距離は短い。まずはナイフの四本を最も無防備な上半身へ向けて放つ。

(――殺気が足りないな。)

 これでは存在に気付けなかったわけだ。騎馬王は一気に八本の足を使って後ろへ飛び退(すさ)った。

 無防備に座っていても、少しのタイムラグも感じさせない動きだ。

 これまで騎馬王が座っていた場所にナイフが突き立つ。

(全て心臓を狙ったか。)

 冷静に状況確認をしていると、ティラは負けじと目前に迫っていた。

 手には投げなかった残りの二本のナイフ。

「頂き。」

「まさか。」

 騎馬王は腰に下げている鉾の()を後ろ足の膝で蹴った。鉾には耳と呼ばれる突起があり、そこに赤い帯が付けられている。

 鉾は飛び出すようにその手の中に収まり、ティラが振りかぶったナイフは止められた。

 二人の身長差から言って、ティラが騎馬王を押す事は難しそうだ。

「――毒が塗られているナイフか。」

「ほとんど正解。これはクナイ。毒の魔法が付与されてる。」

 刀身からは病んだような緑色の液体がてらてらと滲み出ていた。

「この武器を持った刺客は以前も来たな。」

「そうだよね。誰も帰らなかった。だから、今回は依頼料を弾んでもらって私が来た。」

 騎馬王は軽い力でティラを押し、ティラは後方へ飛んだ。くるりと宙を回り、猫のような柔らかな動きで着地する。

「どうやって倒したら良い?大抵は足下がお留守になるものだけど、足下に近付くのは危険だよね。投擲(とうてき)武器は止めるでしょ?」

「上半身を狙って貰うしかないな。」

「裸ん坊だもんね。」

「…まぁな。」

「おじさんの綺麗な体、すごく好み。」

 唐突な言葉に騎馬王が苦笑する。ティラはゆっくりと懐に手を入れた。

「――来い、イジャニーヤのティラ。」

「<流水加速>!!」

 ティラは一気に速度を上げ、懐から取り出した星形の刃物を幾枚も騎馬王へ向かって浴びせかける。

 そして小さな体で右へ左へと不規則に動きながら駆け抜けた。首狩り兎を彷彿とさせる俊足は、並みのものならば追いきれない。

 しかし――騎馬王からすれば大したことはない。

 八足馬(スレイプニール)の皮は軽く硬いため、野伏(レンジャー)職に就くものの憧れの素材だ。

 騎馬王は天然の鎧に下半身を守られ、上半身はあらゆる技術で鍛え上げられている。

 騎馬王は星形刃物を鉾でいくつも叩き落とした。

 しかし、夢中でそんな事をしていれば――「隙あり!!」ティラが叫んだ。

 これは親切で隙を教えているのではない。追い込まれたと相手に思わせるために発する言葉だ。

 騎馬王は二本の足で立ち、三対の足を天高く上げた。一つくらい星形刃物が下半身に刺さっても痛くも痒くもない。

「ッ喝!!」

 騎馬王は千キロを優に超える体重の持ち主。立ち上がり、威嚇した騎馬王は、ティラの目には実際の騎馬王よりも余程大きく見えたかもしれない。

 一瞬だけ体が硬直しかけたティラだったが、何とか脳からの命令を体に行き渡らせることで飛び上がった。

 肺が破裂するほどに息を大きく吸い、両手を口の横に当てる。

「――<火遁の術>!!」

 ティラは騎馬王へ向けて炎を吹き出す。炎は騎馬王を一気に飲み込み、ティラは炎の勢いで数秒滞空した。

 やったかとティラが思う間もなく、豪風により火は払われた。

 騎馬王の手には鉾のみ。豪風は騎馬王が鉾を払った事で起こされたのだ。

「ず、ずるい!」

「すまないな。」

 そう言う騎馬王の体は更にひと回り大きくなったようだ。筋肉が膨れ上がり、トッ、と着地したティラに向かって一気に鉾を放った。

 鉾はティラの頭巾と頬を切ると、ビッと音を立てて斜めに地面に突き立った。

 ティラは頬を血が伝うと、鉾へ振り向いた。鉾はビィンと音を上げて揺れていた。

「………死ぬ。」

 直撃すれば頭が吹き飛ぶ一撃だった。

「殺さないようにしているのだから、そう言うな。さぁ、立ちなさい。」

 騎馬王が近付き、手を差し伸ばすとティラはその手を取って立ち上がった。

 斬られた頭巾はハラリと落ち、金色の美しい髪の毛が見えた。

「良い男。」

 握った手を数度上下にゆすり、二人は手を離した。

「変わった人間だな。それより、ティラ。お前の投げた毒のクナイは頂くぞ。」

「構わない。高いものだけど。すごく高いものだけど。」

 二度言った。余程高かったのだろう。

「感謝しよう。」

「ちなみに前に来たうちの部下が持ってたクナイはどうしたの?」

「以前の物はイズガンダラ殿――と言う人鳥(ガルーダ)の将にやった。空から要人を射てるのが一番だろう。」

「もったいなぁい…。」

「私達としては最も意味のある使い方だ。――さぁ、お前はもう十分仕事をしたのだから帰りなさい。痛かっただろう。」

 膝をつき、ティラの切れた頬をグィッと拭いてやると、騎馬王はティラのもう片方の頬にそれを塗った。

「……血の匂いがしたら混合魔獣(キマイラ)に食べられる。ここからカルサナスまでは一週間以上かかる。」

「途中で人馬(セントール)人鳥(ガルーダ)に会ったら乗せて貰えば良い。私の名前を使え。騎馬王に見逃され生かされたと。」

「ありがとう。騎馬王は不自然なくらいに優しい。」

 騎馬王は移動式住居(ゲル)の立ち並ぶ方へ視線をやった。

 移動式住居(ゲル)からは多くの仲間たちが顔を覗かせていて、騎馬王とティラの戦いを見ていたようだった。

「私は新しい恨みを作りたくないのだ。若者が未来だけを望んで生きる世界であってほしい。」

「あれ?もしかして今年も戦争はなし?」

「いや、私を含め、老人で攻め入る。カルサナスには言わないでくれるな。」

「ん、言わない。私は秘密主義者。妹と違って口が硬い。でも、あそこは神聖魔導国なのに攻め入るなんて……騎馬王は優しい新世界のための人柱?」

「嫌な言い方だな。例えどれだけ過酷な未来が待っていたとしても、自分のなすべきだと思っていることをなさねばならない生き物もいると言うことだ。」

「…そっか。」

 ティラは散らばっている星形の刃物を拾って集めた。

「それもくれないか。」

「クナイか手裏剣どっちかだけ。両方はダメ。とてもとても高い。」

「そうか。ではクナイにするよ。」

 騎馬王も落ちているクナイと手裏剣を拾った。

 手裏剣をティラに返すと、ティラは投げなかった残りの二本のクナイを騎馬王に渡した。

「これは騎馬王に貸す。イズガンダラにはあげないで。」

「良いのか。」

「生き残っていつか返して欲しい。家が買えるくらい高いから。」

「ふ、ふふ。フハハハ!」

 騎馬王は愉快そうに笑った。

「良かろう。私が生き残った暁には、お前にこれを返そう。もし私が死ねば、クルダジールという男がこれをお前に返しに行く。その頃にはここも神聖魔導国。人馬(セントール)がカルサナスへ入ったとしても争いにはなるまい。良いか、クルダジールだ。忘れるな。」

「クルダジール。分かった。」

 ティラは両頬に血がついた顔でうなずくと、数歩後退り、コキュートスへ深々と頭を下げてからカルサナスへ向けて一目散に駆け出した。

 ティラは背中に視線が集まっていると思ったが、振り返らなかった。敗者の背中をこれでもかと見せ付ける。

(騎馬王は強い。部下を出して来たのは間違いだった。)

 あれは妹二人が加入している蒼の薔薇のガガーランより余程強いだろう。もしかすれば、イビルアイと肩を比べるかもしれない。

 武技の一つも使わせることができなかった。

 難度にして百三十から百五十。

 そう断定させるだけの一喝だった。今も足が震えるようだ。

(化け物おじさん!あんなの暗殺できる奴がいるか!!)

 最初に鉾を構えた時に放たれた圧を感じ取った時から、勝つことは不可能だと分かっていた。

 それでも挑んだのは金をもらっているからと、あちらの武人としての懐の広さに甘えたからに過ぎない。

 騎馬王はティラごときでは殺されないと確信していたが、ティラも騎馬王は自分を殺さないと確信していたのだ。

(それにしても守護神様もいるなんて、一体何がどうしたってんだ?ゴルテン・バッハ上院議員は何をしようとしている?)

 夏草海原は神聖魔導国となろうとしている様子だった。そんな相手を正面から戦争で迎え打つのではなく、イジャニーヤにわざわざ暗殺を頼むなど何かがおかしい。

 暗殺者が言うことではないが、法に反している気がする。上院議員のやる事ではないはずだ。

(守護神様がいた事は黙っておいた方がいいのかな…。万が一つも騎馬王が生き残る確率が上がるなら、そうするべきだけど……上院議員ともあろう人物が知らないとも思えないか?……え?あれ?じゃあ、守護神様もいるって解ってるところに私は送り込まれた?)

 それは明確なる叛逆になるのではないだろうか。しかし、あの信心深いゴルテン・バッハ上院議員がそんな真似をするはずがない。彼は、いや、上院議員達はダンスパーティーを開き、神々の存在を身近に感じ――更に邪竜との戦いを目の当たりにした存在だ。

 となれば、守護神が騎馬王の下にいる事は上院議員の預かり知らない、神殿機関か神が直々に手を下している肝入り案件か。

 ティラは走りながらあれこれと考えを巡らせる。

 上院議員が騎馬王をわざわざ秘密裏に殺したかった理由は何だ。

 放っておいて戦争が始まれば、騎馬王と夏草海原連合軍は神聖魔導国軍とカルサナス州軍の前に命を散らせることになる。

 騎馬王が今死ねば連合軍は崩壊するだろう。

 では、連合軍の命を守るために上院議員は騎馬王の始末を依頼して来たのか?

 それがかなり正解に近い気がするが、何か違和感がある。

 そう言う理由ならば、わざわざ暗部であるイジャニーヤに依頼をせずに、神都へ上申して国のお抱えの聖典部隊を借りれば済む話なのだ。悔しいが、聖典はイジャニーヤより余程力があると見える。

 だと言うのに、この暗殺のことを守護神が知っている様子も無ければ、上院議員達が議会で騎馬王暗殺について話し合った形跡もない。

 しかし、依頼料は着手金だけでも凄まじい額だった。とてもゴルテン・バッハ上院議員一人で出せる額ではない。州の税に手をつけていないなら、他にもこの話に乗っている上院議員達がいるはずだ。

 一体、この暗殺依頼の裏にはどんな思惑が――。

「っだぁー!やっぱり関わるんじゃなかったかなぁ!」

 今更遅すぎる泣き言を言い、ティラは草原の彼方へ消えた。




やっとティラが出たぁ!
元気に暗殺者やってるんですねぇ!


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#123 積もる違和感

 コキュートスが群れに身を置くようになって数日目。

「――手合ワセカ?」

 コキュートスの前には弓矢を番えたア・ベオロア・イズガンダラ率いる人鳥(ガルーダ)達がいた。代表格の参戦はこれで数度目だ。

「はい。宜しいでしょうか。」

「良イガ、弓ガ無駄ニナルゾ。」

「一本でも当てられれば良いのです。」

 そう言うと、イズガンダラは矢筒から一本真新しそうな矢を取り出した。矢尻には毒のクナイがつけられていた。

「ナルホド。ヤッテミルガイイ。」

「ありがとうございます。」

 イズガンダラは頭を下げると、共に戦う仲間達を手招き、皆で寄り集まってコキュートスから見えないように毒のクナイ付きの矢を分け合った。

「コキュートス様に毒を喰らわせることができれば、我々連合軍の勝ちです。当てる場所はあの黒く柔らかそうな場所に絞りましょう。」

 ごにょごにょと相談をし、人鳥(ガルーダ)達は空に舞い上がった。

 コキュートスはイズガンダラを目で追うように見上げ――イズガンダラが身を翻した途端、その背にあった太陽に一瞬目を眩ませた。

 これも面白い作戦だな、とコキュートスはそっと心のメモにこの戦いを刻んだ。

 

 そのすぐそばで、騎馬王は人兎(ラビットマン)のマイカと、人犬(コボルト)のワジュローと話し合いをしていた。

「騎馬王殿、コキュートス殿をどこに足止めするのかが問題っすよ。」

 ワジュローは人鳥(ガルーダ)の放つ矢を(ことごと)く手刀で凪ぎ払うコキュートスへ顎をしゃくった。

「あの方は首狩り兎が言った通りのお力をお持ちです。あまりにも圧倒的…。失礼ながら、騎馬王殿でも果たして勝つことができるか…。」

 マイカが渋い顔をして腕を組んだ。

 騎馬王はしばしコキュートスとイズガンダラの戦いを眺めた。これで放たれた毒のクナイは四本。戦いはもう決した。

 と、見せかけてひとりの人鳥(ガルーダ)が地に刺さったクナイを引き抜き、再びコキュートスへ背後から放った。

 一瞬の隙を付いた一撃だったが、難なく避けられた。三六〇度、どこにも死角がない。

 すると、戦いに参加していなかった偵察隊の人鳥(ガルーダ)が弓を引き絞っているのが見えた。

 卑怯だと思ったが、戦いに綺麗も汚いもない。

 矢は一直線にコキュートスへ降り注ぎ――コキュートスは天高く手を掲げることで、それを掌で受け止めた。

 受け止めたと言っても、矢はまるで目に見えない壁か盾にでもぶつかったように止まり、掌に傷を与えることもできなかった。

 

 ――惜シカッタナ。我ラ守護者クラスハ、皆、飛ビ道具ニ対スル耐性ヲアイテムナドニヨッテ獲得シテイル。ティラガ持ッテ来タ魔法ノ武器ナラバ通ッタカモシレンガ、コレデハ無駄ダ。

 

 風に乗ってそんな声が聞こえてきた。

 騎馬王は貴重な情報をしかと胸に刻みつけた。

「――私では勝てないだろうな。」

「じゃあ、コキュートス殿に戦争はやめたって嘘吐いて帰ってもらうってのはどうっすか?なぁ、マイカ。」

 ワジュローは草を一本摘むと口に咥えて笑った。

「ははは、私もそう思っていました。騎馬王殿はどう思いますか?」

「ふふ。素晴らしい考えだ。是非そうしたいところだな。」

 三人はおかしそうに笑った。

 そんな真似をすれば、見逃してもらえるはずの若者達を殺されるかもしれない。最悪夏草海原に魂喰らい(ソウルイーター)を放たれるかもしれない。

 ワジュローの冗談を真に受けている者は一人もいなかった。

 

 三人が笑っていると、良い汗をかいたと言う様子のイズガンダラが戻ってきた。コキュートスはと言うと、また若者達に戦いを挑まれている。少しの疲れも見せていない。

「戻りました。いやはやコキュートス様は本当にお強いです。あの方が味方であったなら、どれほど良かったか。」

 よっこらせと腰を落としたイズガンダラが苦笑する。手には折れてしまった矢が握られていて、矢尻を一つ一つ外し始めた。

「全くだな。カルサナスが庇護下に入る前に出会いたかったものだ。」

「戦争の日にゃあ、俺たちもこうなっちまうわけか。」

 ワジュローが矢尻の外されている折れた矢を取り、ポイと捨てた。

「戦士達総出で時間を稼ぎましょう。」

「ですな。どれだけの時間を稼げるかはわかりませんが、その間に村へ行ってくれと頼んだ粛清部隊が少しでもうまくやってくれることを祈ろうじゃあありませんか!」

 マイカが明るく言う。ここまでいくつもの群れに出会って来たが、今年の状況を話し、志のある者は村の打ち壊しに出て欲しいと頼んできた。もちろん年齢制限付きで。他にも人鳥(ガルーダ)の偵察隊が通達に草原中を飛び回っている。ここにいる戦士達はコキュートスに見張られているが、連合軍の外の者達なら攻め入ることもできるだろう。

 コキュートスが一人で相手をすると言ってくれたお陰だ。

 競技大会の前後には村に駐留している部隊も減るので、ある意味今までで一番良い条件が揃っているとも言える。

 戦士達はコキュートスが村で起きていることに気が付くのが一秒でも遅くなるように挑み、そして潔ぎよく死んでいくのみだ。

 代表達は互いの手の上に手を重ねた。

「なさねばならぬことを、なすために。」

「「「応!!」」」

 四人の手が離れようとしたその瞬間、騎馬王は一気に立ち上がり、鉾を抜かんと柄に手をかけた。

 三人が茫然と騎馬王を見上げる。

 

 騎馬王の視線の先には――人間の男。

 

「何奴!!」

 威嚇するように声を上げるが、丸腰の男は少しの動揺も見せない。男が一歩づつ進んでくるごとに、鉾を握る騎馬王の手の中にじわりと汗が滲んだ。

(――二人目の強者か……!)

 騎馬王は相手からコキュートスに近しい強さを感じ取った。しかし、コキュートスの方が強いような気がする。と言うのも、相手の男の足運びが戦士のものではないのだ。

「君が騎馬――王かな。」

「……いかにも。貴殿も神聖魔導国のお方か。」

 コキュートスが現れたときにも凄まじいプレッシャーに驚いたが、この男からは怒りが感じられる。ただ、それは騎馬王に向けられているというよりも、もっと別な方向へ向けられているような気がした。

 男は騎馬王の肯定を聞くと、軽く息を吸い、王のように語りかけた。

『私の質問に答えなさい。』

 騎馬王は相手がカルサナスの人間なのか、それともコキュートスのように神聖魔導国の人間なのかを知りたかった。

 カルサナスの者ならば、おいそれと答えたくはない。しかし、男は騎馬王の先の問いには答えてくれそうにない。

 どうするのが正解かわからず悩んでいると、鉾の柄を握り続けていた騎馬王の手の上に、そっと水色の手が重ねられた。

「騎馬王、恐レル必要ハナイ。コレハデミウルゴスト言ッテ、私ト同ジク守護者ノ内ノ一人ダ。――デミウルゴス、ドウカシタカ。」

「――やぁ、コキュートス。元気そうで何よりだよ。私が今日来たのは、そこの彼に二、三聞きたい事があってね。良いかな?」

「夏草海原ニ不利ナ質問デナケレバ私ハ構ワナイ。」

 騎馬王は思わず驚きの瞳でコキュートスを捉えた。

(この方は…本当に私たちを国民のように……。)

 男が憧れ、惚れてしまうほどに雄々しく優しい真なる武人の横顔だった。

「あぁ、コキュートス。私は君の大切な役目の邪魔をするつもりはないよ。しかし、カルサナスは私の担当地の知事であるエル=ニクスの働きで手に入った。その繋がりからカルサナスの守護神は私だからね。」

 騎馬王は、デミウルゴスが現れた時の怒りの正体を悟る。自分が守るカルサナスに、戦争を仕掛けようとする者がいる場所に来るのは不愉快だろう。

「つまり、カルサナスに何かが起こるとき、私は全力を尽くさなくてはいけません。それがカルサナスにとって――どのように作用するものであっても。」

「ソレハソウダ。ソレコソガ御方々ヘノ忠義ダ。」

 二人は納得しあったように騎馬王へ視線を送る。

 

 騎馬王は鉾から手を離すと、デミウルゴスに深々と頭を下げた。

「私に答えられることならば、何なりとお尋ねください。」

 コキュートスが信頼している様子のデミウルゴスは信用できる男のような気がした。

 デミウルゴスは「ほう」と興味深そうに笑った。それは好意的な笑顔だ。

「――では、改めて尋ねましょう。まず、君は本当にカルサナスと百年も戦争をして来たのかな?」

「は。今年で百年戦争は百一年目を迎えました。」

「ふむ、去年も戦争を仕掛けようかと思っていたというのは?」

「真実です。」

「なるほど。確か競技大会の中止と共に開戦を見送った、そうでしたね。カルサナスは去年、あなたから戦争を仕掛けられるかも知れないと自覚していましたかねぇ?どう思いますか?」

「おそらく自覚していたでしょう。ここしばらくは競技大会中に攻め込んでおりますので。」

「そうですか。しかし……それはおかしいですねぇ。あなたは手薄なカルサナスに攻め込みたいと言うのに、相手が攻め込まれる自覚を持っている時期に攻め込むつもりでいたのですか?」

 デミウルゴスは騎馬王を下から覗き込むようにメガネをずらして瞳を見せた。その瞳は青白い光を放ち、騎馬王の瞳孔はキュッと小さくなった。

「競技大会には"コネリエ"と呼ばれる戦士同士が殴り合う競技があります。コネリエはそれぞれの都市国家のプライドをかけた――謂わば代理戦争。彼らもかつては戦争をしていましたので。多くの強者は都市国家を背負ってコネリエに出ることになり、更に国民もコネリエを見に行き町から人が減ります。カルサナスを守る貴殿の前で言うことではありませんが……カルサナスが例え我々の襲撃を予想していたとしても、この時期が一番攻め込むには都合が良いのです。」

 四十年前にオークネイスという都市国家で競技大会が開かれたときには夏草海原連合軍はかなり良いところまで行けたのだ。

「ふむ…よくわかりました。全て辻褄が通っていますね。しかし、そうなるとやはりおかしい。」

「おかしい…?」

 騎馬王が訝しむような顔をすると、デミウルゴスは人当たりの良さそうな笑顔を作った。

「いえ、なんでもありませんとも。」

「…デミウルゴス。オ前モコノ違和感ヲ感ジテイタカ。」

「おや?君も思っていたのかい?」

「薄々ナ。不自然ナ点ハイクツカアル。」

「そうだね。もしかすれば、属国を除いて国内初の出来事かもしれない。全く困ったものだよ。」

「シカシ、アインズ様ニトッテハ想定内ダ。私ガコノ問題ヲオ伝エニ行ッタ時、アインズ様トフラミー様ハ事前ニオボッチャマガ問題ヲ理解シ易イヨウニオ話シニナッテイタヨウダッタ。」

「なんと……。……この問題をアインズ様とフラミー様は事前に知っていらした……。では何故これまでお見過ごしに……。」

「私ハオボッチャマノ為ダト思ウ。」

「――と、言うと?」

「私ガ今ココニイルノハオボッチャマノ命ニヨルトコロガ大キイ。ツマリ、オボッチャマノ支配者トシテノゴ自覚ヲ促ス教材ノ一環トシテ敢エテ触レテ来ナカッタノデハナイカト、私ハ思ウ。」

 デミウルゴスは笑みを作るとキラリと眼鏡を光らせた。

「なるほど!さすがご教育係を賜っているだけはある!思いもしなかったよ。確かに君が出掛けてから、ナインズ様は自分の行いがナザリックにとって必要かどうかをよく気にされている。」

「オォ…オボッチャマ…!ジイハ今感動シテオリマスゾ…!」

 全ての腕を天高く突き上げたコキュートスは、騎馬王が見たこともない程興奮しているようだった。

「ふふふ。私も頑張らなければいけないね。」

 デミウルゴスは数度尾を振ると「ではこれで」と告げて騎馬王に背を向けた。

 

 コキュートスが元に戻るまでには三時間もかかったらしい。

 そして、騎馬王には二人の会話の意味がまるでわからなかった。

 

+

 

 その頃、首狩り兎は夏草海原の果てにたどり着いていた。

 すらりとした木が立ち並ぶ、ある程度明かりが差し込む森が見えている。あの森は山と山の間にあり、しばらく歩けば神聖魔導国に入る。と言っても、入国地はトロール市なのでまだ首狩り兎の目標地点は大変な遠さだ。

「ライア・マイカ、俺達はあまり森に近付く事はできない。トロールは子供達を食らうし、樹皮立族(ウッディスト)は悪戯好きだからな。一歩間違えると子供がはぐれてしまう。」

「あぁ、いいよ。アストール、ここまで本当にありがとう。」

「何の。お前の話す神聖魔導国の話は実に面白かったよ。」

 首狩り兎はアストールの背をゆっくりと降りると、ここまで共に来てくれた新しい友と握手を交わした。

 手を離せば、アストールは首狩り兎の頭を優しく撫でてくれた。

「気を付けていけ。カルサナスで任務を手伝ってくれる人はいるのか?」

「――いない。だけど、私ならうまくできるって。」

「………そうだな。君は本当に勇敢な子だ。ライア・マイカ。」

「…勇敢な人たちの名前だからね。」

 アストールが何かを言おうとすると、首狩り兎はアストールの馬体を数度叩いた。

「達者で暮らせよ、相棒。」

 首狩り兎の発した声はまるで男のようだった。

「ふ、お前もな。またいつか、この広い夏草海原で相見(あいまみ)えよう!」

 首狩り兎は拳を作り、アストールの拳とぶつけ合うと森へ向かって駆け出した。

「じゃあねー!」「元気でねー!」「ライア・マイカー!」

 子供達が手を振るのに振り向きながら手を振り返し、首狩り兎は木々に包まれていった。

「アス、マイカは本当に大丈夫なのかな。」

 最初に首狩り兎を迎えた人馬(セントール)は心配そうに森を眺めた。

「大丈夫だ。彼はきっと、騎馬王様や人兎(ラビットマン)のフィロ・マイカ様と関わりのある子だったんだよ。」

「彼?」

「そうさ。彼ならやってくれる。」

 アストールは木々のざわめきが終わるのを見届けると森に背を向けた。

「――さぁ!皆、次は池を目指すぞ!」

 男達が「応!」と声を上げると、子供達もそれを真似して「オォー!」と声を上げた。

 その後、アストールは老いて走れなくなるその日まで、この群れを率いて夏草海原をいつまでも駆け回った。

 地平の彼方に生まれる太陽と共に起き出し、月が冴える夜には子供達と身を寄せ合って眠る。

 夏草海原に暮らす者達の一生は冒険だ。彼の生きる先には多くの冒険が待ち構えているが、それはまた別のお話。

 

 首狩り兎は夕暮れのうちにトロール市に差し掛かろうとしていた。

「つ、疲れた…。」

 昼から走り続けて来たと言うのもあるが、疲労にはもう一つ理由があった。

 トロール達が草原に出て来ないように、草原への道は山へ水汲みに行く人兎(ラビットマン)達が荒らしているのだ。

 その為、獣道ひとつなく、草原の何倍も進みにくい。

(もうあいつらも人兎(ラビットマン)を食べようとはしないからな…。この道が通りにくいのもこれっきりだ。)

 首狩り兎は、時に木の下を潜り、時に丸太の上を歩き、時にまとわりついてくる蔦を払って進んだ。

 森には山から流れ込む谷川が蛇のように曲がりくねりながら流れている。

 首狩り兎はヘトヘトの体で小川に降りて水を飲んだ。

「……はぁ…。そろそろかな…。」

 お気に入りのスカートはお陰様でボロボロだ。それに、少し臭う。オスクの邸宅の風呂が恋しくなった。

 トロール市で風呂を貸してもらおうかと思ったが、首狩り兎は首を振った。

 トロールの男湯には入りたくない。

 かなり臭かった脳足りんなトロール達だが、今では三度の飯より風呂が好きな種族になっていた。中には風呂に入りながら酒を飲むなんて真似をしているトロールもいるほどなので、不潔だとは思わないが、トロールは一緒に風呂に入る存在に長々と自分の強さを語って聞かせたがるためかなり鬱陶しい。

 湯に浸からないとしても、体を洗って、体に湯を掛けている間にイマイチな強さ自慢を聞くのは御免だった。最悪肩まで浸かって行けと引き摺り込もうとする。そうなったが最後、先に上がった方が弱き者だとうっきうきで勝負を仕掛けてくるのだ。

 武王も試合の後の風呂を楽しみにしているし、彼らは風呂を知らなかっただけで本当は風呂が好きな種族なのだろう。武王は風呂に入るたびに、全身が自己再生されるようだとよく分からない事を言っている。

「……でも、このまま市に入ったら汚い汚いってあいつらうるさいよなぁ…。」

 自分達の過去を棚上げして、あいつらは人を汚い呼ばわりするだろう。

「ち。やっぱり脳足りんだ。」

 首狩り兎はぶつぶつ言うと、腰から大型のポシェットを外した。服を脱いで一緒に適当な木に引っ掛ける。

 足を小川に下ろすと、首狩り兎はぷるりと震えた。

 野生の猿達が興味深そうにこちらを伺っている。

「っつめてぇ〜…!」

 全身が縮こまる。山の沸き水はべらぼうに冷たかった。

 さっさと体を洗い、体臭がある程度取れると首狩り兎は全身を震わせて水を飛ばした。

「っはぁ〜!タオル欲しいなぁ…。」

 呟いていると、隣から毛がたくさん生えた大きな葉っぱを差し出された。

「あ、こりゃどーも。」

 何気なく受け取り――首狩り兎は飛び上がった。

「っだあ!?何もんだ!!」

 首狩り兎の背後には先ほどまで生えていなかった木が生えていた。

 いや、樹皮立族(ウッディスト)の子供だった。

「面白ォイ。柔ラカソウナ体ダネェ。」

 木々を軋ませたような聞き取りづらい声だ。瞬きするたびに、目がどこにあるのか分からなくなるほどに、木そのものだった。

 体は硬質な樹皮に守られていて、枯れて折れた木に枝の足と枝の腕が生えているような見た目だ。目の間に生える細長く高い鼻も枝でできていて、てんとう虫が先まで歩いて行くと飛んでいった。

 樹皮立族(ウッディスト)といえば、人兎(ラビットマン)達がトロール避けに荒らしている辺りを今の主な生息地としている異形種だ。混沌とした森がこの枯れ木のような体を潜めるのに最も適している。人兎(ラビットマン)が近くで暮らすようになる前はトロール達が集落のために薙ぎ倒した木の近くでじっとしていたらしい。

 

「…あ、ありがとう。」

 首狩り兎は差し出された傘のように大きな葉っぱで体をサッと拭くと、さっき服を掛けた枝へ腕を伸ばし――そこに枝と服はなかった。

「コレ探シテルノォ?」

 子供が枯れ枝のような手を差し出し、そこには首狩り兎の服が引っかかっていた。

「あぁ、これを探してたんだよ。ごめんな。まさか樹皮立族(ウッディスト)だとは思わなかったんだよ。」

 首狩り兎が服とポシェットを取ろうとすると樹皮立族(ウッディスト)はひょい、と体の向きを変えて躱した。

「……返してくれる?」

「ンッンー。ドウシヨッカナァ。」

 この種族は普段は静かに木として過ごし、たまに何かが近付くとすぐにこう言う真似をする。普段暇だからと悪戯放題だ。

「返して。俺行かなきゃなんないんだよ。」

「遊ボウヨォ。」

「そんな時間ないの。俺はどうしてもカルサナスに行って、やらなきゃならないことがあるの。」

「何ヲスルノォ?」

「止めるんだよ。」

「止メルッテ、何ヲォ?」

 裸の首狩り兎は真剣な瞳で告げる。

「百年戦争。」

「センソー?」

 樹皮立族(ウッディスト)は戦争をしたことなど一度もないだろう。もしかしたら初めて聞く言葉かもしれない。

「あぁ、戦争だ。そのために、百年戦争の歴史書をカルサナスから全部盗み出すんだ。」

「盗ムノ?スッゴォイ!面白ソォー!」

「そうだろ?そんでもって、神様達に歴史書を持ってくんだ!」

 

 確かな記録を神殿に持って行って陳情するのだ。助けて欲しい、どうか慈悲をかけて欲しいと。

 もちろん、カルサナスは神聖魔導国に百年戦争について話しているだろう。神聖魔導国は併合の時に歴史と文化を事細かに聞くのだと、エ・ランテルに遊びに行った時に亜人達が話してくれた。

 それを踏まえて、アーウィンタールにいた時、首狩り兎はすぐに戦争に行くという決断を下した。

 連合軍がビーストマン州に立ち寄る時、カルサナスから事情を聞いている神聖魔導国の役人もビーストマン州に集まり、夏草海原の民に国に降れと通告するはずだと読んだのだ。

 その時、騎馬王は間違いなく相手の強大さに囚われず、全てを断って野に出てくるはずだと。

 そんな誇り高き戦士の側で、カルサナスに一矢報いてやるのだと心に決め、オスクと武王に別れを告げた。

 最強と言っても過言ではない守護神や神王、女神ももし参戦するとしても、彼らはおいそれと前線に出て来たりはしないだろう。王も将も、後ろから眺めているものだ。

 エ・ランテルでは王女が罪のない民を救ってくれと神々へ直談判した為に神だけが前線に出たが、今回はそう言う戦争ではない。

 王と将が自ら出陣してくる前に短期決戦を挑み、老いも若きも全員が総兵力として参戦し、少しでも村から草原を取り返す――。

 首狩り兎はそう言う作戦を期待していた。だからこそ、神々の強さを包み隠さず話したのだ。

 共に戦場を突き進み、最期の時まで騎馬王や代表達を守り、戦い抜くと心に決めていた。

 しかし、騎馬王の答えは首狩り兎の想像するものとはまるで違った。

 老人達だけで、若い戦力を連れて行かずに何ができる。

 洗練された戦力を圧倒的な数でぶつけられる事と、騎馬王がいる事だけが連合軍に勝利をもたらすと言うのに。今のままでは騎馬王も代表達も犬死にだ。首狩り兎はそう思うが、騎馬王は考え直す風ではなかった。

 降れと言われても草原に戻ってくると言うところまでは想像通りだったと言うのに。

 

 カルサナスはカルサナスの事情ばかりを神聖魔導国に話し、自分達こそ被害者だと話しているに違いない。それを信じる王達も王達だと思うので、首狩り兎はあまり王達が好きではない。

 王達が信じているであろう、カルサナスが提示した百年戦争の資料を使って、その時に草原を襲った悲劇を事細かに説明する必要がある。

 カルサナスにある神殿には神の降臨の話は聞いたことがないので、その場でぐずぐずしていると最悪盗み出した資料を奪い返される危険もある。何がなんでも神都まで持っていかなくてはいけないのだ。

 神都についたら、まずは慈悲深き併合を断った事を必死に詫びる。この戦争が終わったら騎馬王が夏草海原を差し出すつもりでいる事を説明しよう。断ったのではなく、時間の猶予が欲しかっただけなのだと。

 あの慈悲深い――らしい――王達ならば、この哀れで恵まれない夏草海原を許すと言ってくれるはずだ。

 土地の奪還は諦めろと言われるだろう。現在村があることで被害が起きていない事を考えれば、この決定が下されることは明白だ。

 しかし、戦争は止めてくれるはずだ。そうすれば犬死にする者はいなくなる。

 奪還の悲願はこれで二度と叶わなくなり、戦士達は最後の戦争の機会を奪われた事を嘆き、怒り、咆哮するだろう。きっと首狩り兎は悪い意味で夏草海原の歴史に名を残すことになる。臆病者の裏切り者だと。

 しかし、暗殺者として名高い首狩り兎は資料を盗むだけで済ませるつもりなど毛頭ない。

 誰も褒めてはくれないだろうが、資料を盗み出す時、百年戦争勃発当時に夏草海原の返還に反対した議員達を一人でも多く暗殺する計画だ。今ものうのうと生きている議員は多くいる。全夏草海原奪還の悲願を諦める代わりに、一人でも多くの議員の首を狩り、それを以って英霊達への慰めとするのだ。

 当時を知る者が死ぬ事が禊ぎだと言うのなら、死ぬべきは騎馬王達ではなくカルサナスの議員達なのだから。

 この計画はどう考えても神聖魔導国の法に反している。

 盗みと暗殺を済ませ、神都で訴え――全てが終わって明るみに出た時、首狩り兎は夏草海原に居場所を失っているが、同時に神聖魔導国にも犯罪者として居場所を失うだろう。

 

 少しでも立ち止まれば、心がすくみそうになる。

 ――あぁ、こんなはずではなかった。どれ程孤独な明日が待っているのだろう。

 そう思いかけるたびに、振り返らずに気を紛らわせるように駆けて来た。

 戦争が始まってしまう前に、要人達の暗殺へ。そして、歴史の証明へ。

 

「神様ッテ、神王陛下と光神陛下ァ?」

 樹皮立族(ウッディスト)は首がない為、体ごと横に傾ける事で首を傾げるような仕草をした。

「王――陛下達を知ってるのか?」

「知ッテルヨォ!トロール達ノ集落ニ、コキュートス様ガイタ時ニ聞イタァ!」

「え?じゃあ、ここは神聖魔導国なのか?」

「ソウダヨォ?トロール市ノ自然何チャラ保護区ッテ言ウンダッテェ。ソンナ名前ダッタナンテ、誰モズゥット知ラナカッタンダァ。パパトママト、オジイチャンモ知ラナカッタッテェ。」

 エヘエヘ、と笑う様子に首狩り兎も釣られるように笑いを漏らした。

「あは!そんじゃ、話は早いな!その神様達に会うためにも俺は行かなきゃなんないんだ!」

「ンー?僕ハ面白いオ話ガ大好キダカラ、モウ少シオ話聞カセテクレタラネェ!」

「――は?神様達に会いに行くって言ってる俺の邪魔すんの?」

「良イデショォ。聞カセテヨォ。」

 樹皮立族(ウッディスト)が駄々をこねるようにすると、首狩り兎の額には怒りの血管が浮き出そうになった。

「返せよ。そっちがその気なら、こっちもその気になるぞ。」

 素っ裸の首狩り兎の全身の毛が逆立つ。太腿にくくりつけているナイフを引き抜くと樹皮立族(ウッディスト)は「キャァ〜!」と嬉しそうに笑った。

「死にたくなかったら服を返しな。」

「オ話シテヨォ。兎サンハカルサナスッテ所ノドコニ行キタイノォ。」

「こっちはお前に聞かせる時間も惜しいんだよ、坊主!」

 ナイフを顔の前に構えると、樹皮立族(ウッディスト)は残念そうな顔をした。

「教エテクレタラ僕達ダッテ、楽シイ事オ手伝イシタノニィ。」

「お前に手伝えることなんか――ん?今お前、僕達(・・)って言ったか?」

 その違和感に眉を顰めていると、構えているナイフにチラリと何かが映り込んだ。

「――後ろ!?」

 首狩り兎が振り返ると、背後には巨木の樹皮立族(ウッディスト)が首狩り兎を見下ろしていた。

 踏まれれば間違いなく即死する。

「面白イオ話、聞ガセデ欲ジイナ。」

 子供よりもよほど野太く低い声で、無垢な願いを口にする樹皮立族(ウッディスト)はそのアンバランスさが非常に不気味だった。首狩り兎はごくりと唾を飲み、うなずいた。

「わ、わかったよ…。」

「ヤッタァ〜!ママァ、兎サンヲ説得シテクレテ有難ウ!」

 子供は嬉しそうだった。

 首狩り兎は仕方なく、暗殺については伏せて多くの事を語った。

 ――百年戦争の始まりから現在に至るまで。

 ――夏草海原連合軍の祈りにも似た悲願。

 ――そして、最後の戦争。

 いつの間にか首狩り兎の周りには大量の樹皮立族(ウッディスト)が集まっていた。

「――ゾレバ、大変ダッダネェ。」

 頭に鳥の巣を乗せている樹皮立族(ウッディスト)は大満足な様子でそう言った。

「ホラ、服返ジデアゲナヨ。」

「分カッタァ!トッテモ面白カッタナァ!」

 首狩り兎はようやく服を返してもらえたが、達成感よりも全裸で話をさせられた屈辱感や、時間を無駄にさせられたと言う苛立ちでいっぱいだった。

「じゃあな。俺は行くぜ。」

 腹立たしげに足音を鳴らしながら、取り囲んでいる樹皮立族(ウッディスト)の間を出て行こうと進む。

 ――すると、再び樹皮立族(ウッディスト)達は首狩り兎の行手を阻んだ。

「………今度はなんだよ。」

「ドコニ行クノォ?」

「カルサナスだっつってんだろうが!!」

 ついに声を荒らげると、樹皮立族(ウッディスト)はキャラキャラと楽しそうに笑った。なぜこの生き物を誰も燃やして絶滅させてやろうと思わないのか不思議だ。

「コッチハトロール市、カルサナスニ急グナラ道ハアッチダヨォ!」

 

 指を差す方は木々が鬱蒼と茂る闇のような森だった。軽く坂になってるので、山もあるだろう。

 夕暮れ時だった森はもはや夜だ。

「森と山は歩きにくくて時間もかかるし、夜に遭難したら死ぬんだよ!だから一回トロール市行って、アーウィンタールまで出るの!そっから魂喰らい(ソウルイーター)便で州を跨ぐのが一番早いんだっつーの!!」

 トロール市で一泊野宿をして、翌朝一番にアーウィンタールに向かって魂喰らい(ソウルイーター)便に乗る。アーウィンタールに昼過ぎに着いたところで、食事をとって州をまたぐ便に乗り継ぐ。到着したら深夜になるのを待ち、州の検問を潜らずに侵入できるところを探して州に入るのだ。適当なところで野宿をして、明後日からカルサナスの大議場があるカルクサーナスという都市を目指す。

「ソレガ一番早イノォ?僕達ナラ、カルサナスノグランヴィッツ迄今日ノ内ニ連レテ行ッテアゲラレルノニィ。」

 樹皮立族(ウッディスト)達は残念そうに息を吐くとぞろぞろと首狩り兎の周りを離れ始めた。

「え?は?そ、そうなの?」

「デモ、トロール市ニ行クノガ一番早イナラ仕方ナイネェ。兎サン、トッテモ楽シカッタヨォ!ジャアネェ!」

 首狩り兎は慌てて枯れ枝の腕を取った。

「ま、ま、ま、待って!嘘、嘘だよ!な?お、面白い冗談だったっしょ?」

 だらだらと背中に汗が流れる。樹皮立族(ウッディスト)はぴたりと足を止めると、再び首狩り兎を取り囲んだ。

「面白イ!面白イ!アハッ!アハハッ!」

「ジャア、兎ザンド楽ジイゴト一緒ニヤレルネ!」

 低い木が軋むような音が方々から聞こえてくる。首狩り兎は引きつるように笑った。

「じ、じゃ…グランヴィッツまで送ってくれるかな…?」

「イイヨォ!僕モ近クマデ一緒ニ行ッテモ良イカナァ?」

「もちろん良いよ。俺は首狩り兎。」

「面白イ種類ノ兎サンダネェ!僕ハ樹皮立族(ウッディスト)ッテ言ウンダヨォ!」

「…んなことは知ってるよ。名前は?」

「名前?樹皮立族(ウッディスト)ダヨォ!」

「…………分かった。じゃ、行こうぜ。坊主。」

 首狩り兎が言うと同時に、子供の樹皮立族(ウッディスト)と首狩り兎は大きな樹皮立族(ウッディスト)達に持ち上げられた。

「コレネェ、生キ物ヲ迷ワセルオ遊ビデヨクヤルンダァ!」

「へ、へぇ…?」

 やはり、こんな生き物を信用したのが間違いか。そう思ったのも後の祭りだ。

 これまでただの木だと思っていたものまでも首狩り兎と子供に手を伸ばし、首狩り兎と子供は流れるように隣の木へ隣の木へと送られ始めた。

 まるでこの森に生える全ての木が樹皮立族(ウッディスト)のように感じるほどに、一瞬も止まらずに体が運ばれていく。

「な、なぁ。カルサナスのグランヴィッツに行けんだよな?」

「行ケルヨォ!楽シイネェ!」

 樹皮立族(ウッディスト)の子供が笑う。首狩り兎は本当に辿り着けるのかと頬をひくつかせた。




不安しかないわww
名前も持たない、より自然に同化している謎の種族……


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#124 奪われた者達

 森の一画に愉快そうな笑い声が響いていた。

 それは声というよりも、木々の擦れる音のようだった。

「……何笑ってんだよぉ。」

「兎サンハトッテモオ洒落ダネェ!」

「……はい、そーですか。あぁあ…また体洗いたいよ…。」

 首狩り兎の全身には木の葉や枝、蜘蛛の巣が大量に着いていた。

「僕モイツカ、沢山ノ生キ物ノオ家ニナレルト良イナァ。」

「それまじで言ってんの?」

「ウン!苔ヲイッパイ生ヤシテ、鳥サンヤ虫サンノオ家ニナルンダァ。ソウスルト、悪イ奴ニ見付カリニククナルンダヨォ。」

 樹皮立族(ウッディスト)の子供――通称坊主は鼻高々に語る。

「ア、兎サンモ今ノママガ良イヨォ!キット盗ム時ニ見付カリニクイカラァ!」

「いや、この先は森じゃないから。逆に目立つから。」

「ソウナノォ?」

「そうだよ…。」

 坊主は分かったような分からないような顔をして首狩り兎の耳の間に張られた蜘蛛の巣を取った。取り除いた巣はそのまま自分の頭に巻きつけていく。

 首狩り兎もウェ…と声を上げながら蜘蛛やら葉っぱやらを必死に叩き落とし、スカートに付いていた緑に輝くカナブンを坊主の頭にくっ付けた。

「ウワァ、キレイダナァ!アリガトォ!」

「良かったな。さて、俺は行くよ。」

「モウ行ッチャウノォ?マダ夜ナノニィ。」

「日が昇る前に侵入したいからさ。坊主、すごく助かったよ。本当にありがとう。」

 首狩り兎が笑うと坊主も嬉しそうに笑った。

「タクサン盗メルトイイネェ!」

「あぁ、頑張るよ。………なぁ坊主?」

「ナァニィ?」

「戦争がなくなったら、またあの森に行くからさ。俺、お前と暮らしても良い?」

「良イヨォ!ダケド、今日タクサン遊ンジャッタカラ、僕ハコノ後半年クライハ寝ルネェ。」

「え?そうなの?」

「ソウダヨォ。大キクナル為ニハ沢山寝ナクッチャァ!起キタラマタ兎サンノオ話聞イテェ、マタ三ヶ月クライ寝ヨウカナァ。」

 これまで亜人種や人間種と関わり合うことは多かったが、首狩り兎が異形種とじっくりやり取りをするのはこれが初めてだった。

 異形種の命のサイクル、生活様式。全てが首狩り兎の想像していたものと違った。

「……ごめん。やっぱりたまに遊びに来るだけにしておくよ。」

「ソウ?ジャア、僕ガ起キル頃ニ遊ビニ来テネェ!」

「分かった。そうする。」

「楽シミダナァ!」

 坊主は体を左右に揺らして笑った。

「じゃあ今度こそこれでお別れだ。」

「ウン、マタネェ!街ノ明カリッテ言ウノモ初メテ見ラレタシィ、スゴク楽シイ冒険ダッタヨォ。僕ハアノ小川ニイルカラァ。絶対マタ来テネェ!」

 そう言うと坊主はもう一度だけカルサナスのグランヴィッツを山から見下ろした。

 そして――目を閉じ、ただの丸太のようになった。

「またな。たくさん寝て、でっかくなれよ。」

 首狩り兎がそばを離れると木の枝が伸びて来て、坊主の体は再び森の奥へ吸い込まれて行った。

 坊主は明かりを見たことがなかったそうで、魔法の光ひとつ知らず、この世の光は太陽と月と星、それから火しかないのだと思っていたらしい。彼はいつか街の明かりを見ることが夢だったそうだが、種族的に火は天的なので一緒に来てくれる人もおらず、二の足を踏んでいた。もし燃え移れば死んでしまうのだから、遠くから眺めるだけにしても付き合いたい者がいなかったのは仕方のないことだろう。

「……よく分かんない生き物だったな。」

 しかし、助かった。

 首狩り兎は森へ向けて深く一礼し、カルサナスの街へ侵入して行った。

 眠れそうな場所を探して誰もいない街をふらふらと歩く。

 明日の朝からカルクサーナスへ向かい、大議場の歴史資料塔に侵入する方法を考えよう。

 大議場と歴史資料塔の見取り図などがあると助かるのだが。脱出もルートを確認しなければ捕まる。

 資料は重いだろうし、首狩り兎は<小型空間(ポケットスペース)>の魔法は使えないので、カルクサーナスに向かいながら"ドワーフの革袋"を何枚か買わなければ。ポシェットに入れられる小さいサイズの物なら持っているが、中身は服やナイフ、ナイフを研ぐための砥石でパンパンだ。

 ドワーフの革袋とは物を入れても膨らまないマジックアイテムだ。値は張るが、背水の陣である首狩り兎は全財産を使っても問題ない。

 ポシェットの中に入れてある財布を取り出して金をいくらか数えた。

「――アーウィンタールと同じ値段なら四枚は買えるか。」

 首狩り兎は適当な公園を見つけると、茂みで眠ることを決め闇へ姿を消した。

 

+

 

「お考え直しを!代表!騎馬王様!!」

 若者達に取り囲まれる騎馬王達は鬱陶しいと言わんばかりの声を出した。

「考え直さん。もう村に向かい始めるのだからお前達もいい加減群れを離れなさい。」

「我々もコキュートス様に鍛えて頂きました!必ず戦いのお役に立てるはずです!」

「戦力になることは十分分かっている。だがな、それ以上にお前達には生き残って草原を守ると言う使命がある。さぁ、話は以上だ。散れ、散れ。」

 他の代表達も何の異論もないようだった。

 今日の遊牧からついに若者達は置いてけぼりにされた。

 しかし、少し離れた場所を着いてきていたので、ある意味同じ群れのようなものだった。

「本当にしつこい奴らだ……。」

「オ前達モソロソロ説得サレテクレナイカ。説得スル苦労ガ分カッタダロウ。」

 代表達のそばにいたコキュートスが言うと、騎馬王は苦笑した。

「申し訳ありませんが、ご容赦を。」

「最後ニハ容赦センノダゾ。」

「心得ております。」

 群はそれから、真っ直ぐに北上して行った。

 たくさんの食事を取り、たくさんの訓練を行い、コキュートスに悟られないように戦士ではない者達に戦いへの参加を呼びかけた。

 その夜もまた、若者達は騎馬王に直談判をし、似たような問答を続けた。

 コキュートスは残った戦士達と――それからたまに若者とも――手合わせをしながら、連合軍の誰であっても敵わないということを示し続けた。

 しかし、騎馬王は決してコキュートスに挑まなかった。

 代わりに騎馬王は毎夜同じ夢を見る。それは、今夜も同様だ。

 

 戦争の日にコキュートスの前に立ち、鉾に手をかける夢だ。

 最後の説得を試みようと、コキュートスは何かを告げる。何故か何も聞こえなかったが、騎馬王はただ首を振った。コキュートスには怒りも、落胆も見えない。

 ただ、分かりきっていた未来へ向かったのだと言う確信があるのみだった。

 二人の周りには誰もいなかった。真なる戦士であれば、例え敵わぬ頂きだと分かっていても一騎討ちを望んでしまうものだ。

 仁王立ちをするコキュートスが来いと手招き、騎馬王は己の鉾に手を掛ける。鉾の耳に結ばれた真紅の帯が風に揺れた。

 最初はこの帯も"青草の約束"を切り裂く為の武器の象徴として青色をしていた。それが今や、数えきれない血を啜り鮮血の如き赤となった。

 世の中には稀に、手を加えずとも自然に魔法が宿ってしまうものがある。冒険者達がそう言うものを求めて遺跡に潜ったり、冒険に出ることもあるほどだ。一攫千金のトレジャーハントの夢を見る者は多い。宿屋で管を巻いて、強さを求める様子もない冒険者の多くはそんな夢を見て冒険者になった。

 騎馬王の鉾に巻かれた帯もまた、自然に魔法が宿ったものだった。血に塗れてドス黒くなっていたはずの帯は、ある年の戦争から帰った時、池に浸けて洗うと真紅になった。

 それを結んだ鉾は、刃こぼれや欠けを起こさない。これまでは亜人の心臓を貫いたり、鎧を切り裂いたりすると鉾が割れてしまうことがあったと言うのに。

 ユグドラシルの言葉を借りて言うならば、武器の耐久度を消費させない、破壊への耐性を付与するマジックアイテムになっていた。

 騎馬王を戦わせ続ける祝福と呪縛の帯だ。

 夢の中でコキュートスと対峙する騎馬王は圧倒的なオーラを前に足がすくむ。

 魔法の効果が付与されているこの鉾ならコキュートスに届くかもしれないと言うのに、鉾を引き抜くことすら叶わない。まるで馬体に鉾が張り付いたようだった。

『騎――様。――馬王――。』

 鉾からたくさんの仲間達の声が聞こえてくる。

 ――すまない。やらねばならぬと分かっていると言うのに、何故かどうしても鉾が抜けないのだ。

 騎馬王は仲間の思いを吸った鉾へ謝罪した。

 そして――「騎馬王様。」

 一言はっきり聞こえると、騎馬王は目を覚ました。

 

「……また夢か。」

「騎馬王様、酷い汗です。」

 額の汗をクルダジールが拭ってくれていた。

「……お前はここで何をしている。」

 移動式住居(ゲル)は一人ひとつではない為、周りには数人の戦士達が眠っていた。

「いえ、騎馬王様が目覚められたら、説得しようかと。」

「まだ言うか…。答えは変わらないぞ。それはお前達の為だけではなく、この夏草海原のためでもあると言うのに。お前は何故分かってくれない。」

「分かっております。しかし、私は――。」

 クルダジールの声が大きくなっていくのを感じた騎馬王は「しっ」と人差し指を口元に当てた。

「外に出よう。ここでは眠る者の邪魔だ。」

 皆訓練と移動で疲れている。騎馬王が外に向かうとクルダジールはその後に続いた。

 移動式住居(ゲル)の外には大きな岩に腰掛けて、四本の腕を組んで顔を下に向けるコキュートスがいた。目蓋がない為、起きているのか寝ているのかよく分からない。

 二人が移動式住居(ゲル)から出てもコキュートスは少しの反応も見せなかったので、寝ているのだろうか。

 夜露に濡れた草達が揺れ、海原のように波打つ。コキュートスはまるで小さな船の上にいるようだった。

 騎馬王はため息を吐くと、どうしようもない部下に告げた。

「クルダジール。一度未来を考えてみろ。お前達が頷いてくれれば、未来は明るいものになるのだ。」

「それが……それが私にとって本当に明るい未来だとお思いなのですか。」

「お前はまだ若い。どんな未来でも掴み取れる。コキュートス様はお前達と夏草海原を決して悪くはされないはずなのだから。」

「もし本当にコキュートス様が夏草海原を悪くされないのなら、草原を守る強き若者などいらないはずです!」

「クルダジール…。もっとよく考えて見なさい。草原を守ることは戦争に出ることだけじゃない。戦士達が戦争に出ている間、群れは戦士級の男一人と、戦いがあまり得意ではない男達が守っている。皆混合魔獣(キマイラ)を筆頭とした天敵を警戒して神経をすり減らしているが、それも戦争中だけだからこそ我慢できるのだ。戦士がいないために食われてしまった老人や子供も戦争の被害者と言えよう……。」

 戦争は戦場だけで起きている訳ではないと、騎馬王は死なせてしまった者達に心の中で謝罪する。

「――それに、今は本当ならば多くの子供が生まれるはずの季節だと言うのに、赤子が群れの足手まといにならないよう、皆謹んでいる…。戦士と子をなそうと帰りを待つ女達もいる。群れに当たり前の暮らしをさせてやる事も戦士の役割だ。お前とて、好いた女くらいいるだろう。」

「そんな者おりません。私を戦いから振り返らせる女など!」

「母はどうだ。お前の母はまだ生きている。冬に戦士達なく銀色草原に出れば、ポイニクスロードに襲われるかもしれんぞ。神隠しだってある。」

 去年の冬は不思議とポイニクスロードも出なかったし、神隠しもなかったが。

「しかし、戦争を諦めた者もちゃんといます!騎馬王様の言い付けに従うと言って群れに帰る者もいるのですから、何人かが付いて行くくらい、お許しくださってもいいでしょう!」

 赤ん坊の頃からよく知っているクルダジールの瞳からはぽろぽろと涙が数粒落ちた。落ちるたびに、クルダジールは恥じるように目元を何度も拭った。

「……誰かの追随を許せば、歯を食いしばって戦争を諦めた者も付いて行きたいと言うだろう。それは未来を託される事を受け入れるしかなかった、見送らなければならない事を受け入れてくれた者達の決意を嘲笑う行為だ。」

 返す言葉がないのか、クルダジールは唇を噛んだ。

「クルダジール。分かってくれるな。」

「私は…騎馬王様のために戦い、その隣で死にたいのです……。あなたの死を、平和な草原で聞き届けたくないのです……。こんな哀しいこと、どうして私に受け入れろと言うんですか。」

 何人の死を見送ったか分からない騎馬王はその痛みに胸の奥が疼くようだった。

「では……お前は、私にお前を見送る痛みを受け入れろと言うのか。」

「騎馬王様…?」

「私とて鉄仮面ではない。悪夢を見て目を覚ますような軟弱な男だ。コキュートス様はお前を私の息子のようなものだと言って下さった。私はずっとお前を一人の部下として見てきたつもりだったが、あの時、きっと私は嬉しかったのだ。コキュートス様は私にも何か、未来へ残せるものがあると希望を見せて下さったようだった。」

 それは間違いなく騎馬王の本心だった。真っ直ぐに見つめる先にいるコキュートスは微動だにせず、耳を傾けているようでもあり、眠っているようでもあった。

「私は哀しみの中に生まれてしまった。哀しみを止めるために、哀しみの中に死ぬだろう。哀しみを感じ、涙する暇もないような一生であった。しかし、お前は哀しみにこうして泣ける。」

 クルダジールの涙の跡を拭ってやると、騎馬王は穏やかに笑った。

「こ、こんなもの。私は泣いてなどいません!私は戦士を継ぐ者です!」

「良いのだ。泣かないで大人になった男など、良い戦士になれるはずがない。その証拠に、私も良い戦士ではなかった。」否定を口にしようとするクルダジールをそっと押し留め、騎馬王は続けた。「――これは、ある意味幸せなことだと私は思う。泣いて、泣いて、いつかは哀しみを忘れ去るのだ。そして、お前を残せた私の代わりに、数え切れないほど多くのものを残して生きろ。何度泣いても良い。その度に哀しみを乗り越えて生き続けるのだ。」

 騎馬王は言い終えると、移動式住居(ゲル)へ踵を返した。

「き、騎馬王様!」

 呼び止めたが、騎馬王は止まることなく移動式住居(ゲル)へ戻ってしまった。まるで「もう喋れると思うな」というような背中だった。

 クルダジールはとぼとぼとコキュートスの隣へ向かった。

「――オ前モ、共ニ戦争ニ出ルトイウノデハナク、騎馬王ニ戦争ヲヤメヨウト声ヲカケレバ良イモノヲ。」

「……騎馬王様は止まりません。コキュートス様も、もうお分かりでしょう。」

「…アァ。シカシ、オ前ノ言葉ナラ止マルカモシレナイ。愛スル子ノ言葉トイウノハ、何ヨリモ重タク響クモノダ。私ニハ分カル。」

「……父様(・・)は私のわがままを許してくれる人じゃないですよ……。だけど、それでも――。」

 二人の夜は更けた。

 翌日、ついに若者達の群れは全てが本隊から離れ、騎馬王はクルダジールの背中を見送った。

 

「ようやく彼らも区切りがついたようですね。」

 イズガンダラは去り行く背から視線を外さずに呟き、騎馬王はうなずいた。

「全く、世話のかかる。しかし、これで未来は繋げたな…。」

「その通りです。」

 ワジュローとマイカも寄ってくる。

「……あいつらが、やっぱり一緒に行くとか言い出す前にとっとと戦場に向かいやすか?」

「一般の者達に、予定していた日よりも早く戦争を始めると伝えましょう。イズガンダラ殿、人鳥(ガルーダ)に飛んでもらえますかな?」

「マイカ殿、もちろんです。偵察隊から一人伝令を出しましょう。幸い今日は曇りです。」

 コキュートスにはいつもの周辺の警戒と見せかけ、一人だけ雲に紛れて村を襲う一般志願者の隊まで飛んでもらうのだ。志願者達には多少の訓練をするように告げたので、そろそろ集まり始めている頃だろう。

「では、やるか。」騎馬王は呟くと、残った戦士たちに振り返った。「――皆!我らの愛する光は行った!!光達は消える事なくこの地を照らすだろう!!我らも向かおう!忌まわしき始まりの地へ!!」

 大地を揺らすような返事が返り、ついに進軍は始まった。

 二つの群れの行き先は戦場と平和。または死と生。二度と見られない未来への希望達を、戦士達は何度も振り返った。

 しかし、戦士達に絶望はない。繋がれた希望と、彼等と草原と共に築き続けてきた絆が戦士達の道を明るく照らしていたから。

 後はただ、この道標に沿って辿りつくべき場所を目指すだけだ。

 騎馬王はちらりと後方にいるコキュートスを伺ったが、コキュートスはギリギリまで手を出すつもりはないのか、若者達と最後の別れを終えて静かに進軍の後に付いて進んだ。

 

+

 

「これとこれと……そいからこれと……。」

 首狩り兎は夜に落ちたカルクサーナスの裏道で最後の持ち物チェックをしていた。

 いつものポシェットには思ったより高かった"ドワーフの革袋"が三枚、州外脱出経路を入念に確認したカルサナスの地図。黒いスカートの中にはいつでも取り出せる場所に十本ものナイフ。どれもよく砥がれていて、誰からも見えないが、新品同然の輝きを放っている。

 お気に入りのブラウスを着て、可愛いリボンを胸元に結んだ姿はどこからどう見ても帰路についたお嬢さんだ。

「……行くぜ。」

 小さく呟くと、首狩り兎は裏道を出た。

 星と永続光(コンティニュアルライト)に照らされる大議場へ続く大通りには、この時間だと言うのに憎たらしい亜人や人間が行き交い、警らの死の騎士(デスナイト)が肩を並べている。

 どこにでもよくある風景だ。

 人口が最も多いこの街のメインストリートなだけあって、夜であっても出店も多く出ている。カフェや食事処の表にはたくさんの亜人達が食事をとって楽しげに笑い合っていた。

 なんと言っても、競技大会は目前。皆自分の都市を応援するつもりではいるが、たまに敵都市の選手が同種だったりすると、同種の応援もしたくなるものだ。

 皆宴会同然の席で、誰に賭けるとか、どの都市こそが最強だとか、そんな話ばかりをしていた。

(どいつもこいつも、騎馬王さんの前に行きゃあただの赤ん坊だよ。)

 心の中で吐き捨てる。

 すると、五人の亜人が首狩り兎を見ていることに気が付いた。

(なんだ、あいつら。やんのか?あ?)

 口にも顔にも出さない。ただ、静かに道を進む。喧嘩になれば潜入どころではないのだ。

 じろじろと見て来ている男達の前を首狩り兎が通り過ぎようとしたとき、その肩には青白い毛に覆われた大きな手が乗った。

「なぁ、姉ちゃん。その大きさ。あんた立足兎(パットラパン)じゃなくて人兎(ラビットマン)だろ。」

「――そうですけど、どうかしたんですか?」

 首狩り兎はきょとん、と無垢な瞳を返した。

人兎(ラビットマン)って言や、夏草海原に暮らしてるだろ。なぁ、向こうはどうなんだよ。え?騎馬王が死んだって言うのは本当なのか?」

 騎馬王を死んだなどと言われ、首狩り兎の頭にカッと血が昇りそうになる。

「――生きてますよ。それが、何か。」

 男達は互いの顔を見合い、何かを確認すると首狩り兎を取り囲んだ。

 どうも最近は囲まれがちだな。と、首狩り兎は他人事のように考える。

 こんな所で騒ぎを起こすのは不本意のため、いつでも死の騎士(デスナイト)を呼べるように位置の確認を怠らない。

 そして、青白い毛で全身が覆われている男が、挑戦的な目をして口を開いた。

「生きているなら、騎馬王に競技大会に出るように言ってくれ。」

「――は?何言ってんだ?あんた。」

 首狩り兎は思わず素に戻っていた。あり得ない提案をしてきた男は至って真面目な顔をしている。

「騎馬王は死んだってのがもっぱらの噂だった。カルサナスじゃ、もう誰も騎馬王が生きてるなんて信じちゃいない。だが、俺はあの男がそう易々とくたばるとは思ってなかった。」

 そう言うと、青毛の男は肘から先がない腕を見せた。

「――見ろ、こいつを。これは六年前に騎馬王が切り飛ばしたんだ。俺のダチを一刺しで殺し、その刃がダチの胸の中から突き抜けて俺の腕まで奪っていきやがった…!!」

 男の瞳にはその時の光景がまざまざと見えているようで、残った腕で欠損箇所を握りしめる姿は止血でもするようだった。痛みを思い出している様子の顔は歪み、牙を露わにした。

「……そうなのね。でも、戦場に出たのだから仕方がないでしょう。戦場に出れば殺される前に殺さなければいけないのよ。」

「あぁ、仕方がなかった…!だが、俺は今でも毎晩夢に見るんだ!!目の前でダチが死に倒れ、俺は何も出来ずに痛みに膝をつく瞬間を…!!血の海の中で痛みにもがき、顔を上げると奴がいるんだ!まるで、無人の荒野を行くが如く、俺の仲間を次々と殺して行く――騎馬王の背中を!!」

 青毛の男の目は血走っていた。

「……そう、身も心も傷付いたというのね。あなたみたいな人は戦争に出るべきではなかったのよ。草原を返還するように呼び掛ければ良かったの。それだけの事よ。」

 首狩り兎の返事に大した温度はない。

「正論を言って満足か?だが、戦争を前にすればそんな正論は何の役にも立たんのだ!お前みたいな女には分からんだろうが、村を守るためには戦わなければいけなかった!あそこにはたくさんのカルサナスの同胞がいるのだから!」

 ――草原を返還せず、哀しみを積み重ねることを選んだのはカルサナスだと言うのに!

 首狩り兎はその言葉を飲み込んだ。こんなところで話し合ったとしてもナンセンスだ。

「――それで、その哀しがり屋のあなたが何故騎馬王さんに競技大会に出てほしいなんて言うの。」

「……騎馬王が生きているなら、騎馬王もコネリエに出るべきなんだ。そうすれば、俺や、残された奴らはあの戦場のやり直しができる…!!」

「そんな理由。あなたは例え競技ルールに縛られた騎馬王さんと対峙しても、指一本触れることは叶わずに再びその膝を折るだけよ。そうなれば自分の傷を増やすだけだわ。あなたはきっと泣くことになる。無意味よ。私にはわかるわ。」

 カルサナスは嫌いだが、戦争で受けた心の傷には共感できる。首狩り兎は可哀想なものを見るような目で青毛の男を見つめた。

「知ったような口をきいて。人兎(ラビットマン)の女。正しさや正論だけじゃ、生き物はやっていけやしないんだ。正論で救われない俺みたいな奴がいるから、絶対正義の陛下方が降臨して世直しをして下さっている。だから俺は終わった戦争のことでガタガタ言うつもりはねぇ。代わりに、俺は陛下方の認めて下さってる方法で夏草海原の亡霊――騎馬王とやり合わなくちゃならんのだ!そうしなければ、俺が静かに眠れる夜は来ない!!」

 勝手な言い分だ。しかし、そんな事よりも首狩り兎が引っかかったのは――

「……終わった戦争だと…?」

 青毛の男は戦争などもはや過去のもののように言っているのだ。競技大会に出てほしいなどと言っているのは、てっきり戦場で会えば殺されると分かっている故の女々しさかと思ったが、何か様子がおかしかった。

「戦争は終わってなんかいない……。」

 首狩り兎の声は低く、男達を睨み付ける視線は鋭かった。

「――戦争は終わってない?何の冗談だ。ここは神聖魔導国。神々の国なんだぞ。」

 神のやり方への冒涜とも取れる言葉に、青毛の男は明確な不快感を露わにした。

 隣にいた白い鱗に覆われた男が熱くなるなとでも言うように、青毛の男の胸を叩き口を開く。

「悪いな、姉ちゃん。俺達は何も戦争談議をしようってんじゃあないんだ。俺も、この傷と、この傷と、この傷は夏草海原連合軍に付けられたものだ。だけど、俺達はお前達のことをもう許している。仲良くしよう。その為にも、騎馬王には競技大会に出てほしい。こいつはそう言ってるんだよ。俺達カルサナスは昔の恨みを忘れる為にも、命の奪い合いをしない為にも、競技大会をするんだから。」

 男は友好的に笑うと首狩り兎の顔を覗き込んだ。

 何故ここにいる奴らはもう戦争が終わったなどと言うのだろう。

 夏草海原の者達にとって、戦争は終わってなどいないのに。

 自分たちばかりが許したと気持ちの良い事を言って、全てを水に流そうというのか。

 奪った者は勝手だ。奪い返そうとした方を"許す"などと言う言葉で悦に浸る。

 首狩り兎の赤い瞳は怒りに燃えそうだった。

 しかし――「……そっか、仲良くしてね。」

 愛らしく小首を傾げて見せた。

 戦争を止める。その為に来ているのだから、戦争が終わったと言う者達に腹を立てても仕方がない。

(なすべきことを、なすために……。)

 首狩り兎がくるりとスカートを翻すと青毛の男がその背中に声を掛けた。

「騎馬王に伝えろ!生きているなら、ここに来て正々堂々俺と勝負をしろとな!!この――ディア・フェルベックの名を忘れるなぁ!!」

 首狩り兎は助走をつけて殴りかかりたい気持ちを抑え、振り返らずにその場を立ち去った。

 正々堂々戦争に出て殺される覚悟を持つ騎馬王に比べて、彼らの言っていたことはまるで子供のおままごとだ。首狩り兎の心中には不快感が渦巻き続けた。

 その後、誰とすれ違っても、誰の会話を盗み聞きしても、カルサナスの者達は皆戦争の事など考えもしないようだった。

 彼らにとって神聖魔導国の傘下に入ったことは絶対的な力を手に入れたようなもの。まさか攻め込まれるなど露程も思わないらしい。

 しかし、それよりも何故カルサナスの者達は皆騎馬王が死んだと思っているのだ。

 

 疑問が頭の中をぐるぐると回る中、ジャリっと靴が止まる。

 首狩り兎は大議場堂の前に辿り着いた。

 

 大きな門はもう閉められていて、職員通用口のような小さな扉だけが開けられている。

 門の左右には死の騎士(デスナイト)と、番兵が立っていた。いくら夜間とは言え、無理に侵入しようとして死の騎士(デスナイト)に見つかっては御用だ。ならば、正面突破。

 首狩り兎は涼しい顔をして歩みを進める。

「――あ、お嬢さん!お待ちください!」

 案の定声をかけられ、足を止めた。

「はい?」

「今日の大議場堂の一般公開は終わっています。議会も閉会されているので出直しを。」

「私、職員食堂で働いてるんですけど、おじいちゃんの魔法の時計を忘れちゃって…。」

 首狩り兎は潤むような瞳で兵を見上げた。兵の皮膚は滑らかな白い鱗に覆われていた。

「明日取りに来る事はできないんですか。」

「おじいちゃんに黙って持ち出しちゃったの!どこにおいたのかも分からなくって…明日になったら誰かに盗られちゃうかもしれない!お願い、探しに行かせて!」

 番兵は困ったような顔をして、大議場堂と首狩り兎を数度見比べた。

「……じゃあ、私が一緒に行きます。さっさと見つけて帰ってもらいますよ。」

「あぁ!警備員さん、ありがとう!」

 番兵は門の反対側に立っている男にジェスチャーで状況の説明をした。首狩り兎を指差し、大議場堂を指差すだけの簡単な動作だ。

 反対側にいる男が理解したように頷くと、番兵は職員通用口をくぐった。

「さぁ、着いてきて。」

「はい!」

 一番の難所である死の騎士(デスナイト)前を容易に通過した。後は出る時が問題だが、いくつか脱出経路の目星は付けているし、逃げ足には自信がある。

 等間隔に植栽が植えられた短い前庭を行く。花は盛りでどの花壇にもたっぷりの花が咲いていた。

「しかし、君みたいな子を見たのは初めてだよ。人兎(ラビットマン)を見たのも初めてかもしれないな。」

「――私はあなたのこと何度も見てるわ。欠伸してるところだって見たわよ。って言っても、まだ働き始めたばっかりだけれどね。」

「ほ、本当に?嫌だなぁ。」

 白鱗の番兵は照れ臭いように笑い、首狩り兎は「知らねぇけどな」と心の中で舌を出した。

 二人は大議場堂の大玄関の前を通り過ぎ、裏方職員達の為の扉の前についた。

 兵が見回り用の鍵を使って中に入る。首狩り兎はカルサナスの者にとって本当に戦争は終わったのだなと思った。

 どう見ても敵対勢力の女をこんなに簡単に招き入れるとは。

「それじゃあ、時計探しをしようか。」

「えぇ、探しましょう。――歴史資料をな。」

 首狩り兎はナイフを取り出し、兵の顎に突きつけて笑った。

「な、なんだ!?」

「悪いな。あんたに恨みはないけど、夏草海原はまだ戦時中なんだよ。」

 首狩り兎は前日に手に入れた館内図を片手で広げ、念のために現在位置を確認した。

 頭の中に思い描いていた入り口から侵入できている。

 ちなみにこの館内図は観光客向けのカルサナス大辞典なるふざけた本に付いていた。

 カルサナス全土を結びつける如何に素晴らしい建物なのかが書かれているが、そんなことに興味はないのでこの地図を切り取って後は捨てた。

「せ、戦時中…?あんた、何言ってんだ…。」

「ッチ、虫唾が走るぜ。ほら、さっさと歩けよ色男。歴史資料塔へな。」

 兵は困惑の瞳を見せてから、ゆっくりと資料塔へ向けて歩き出した。




首狩り兎ちゃん急いで!
進軍が早まってるから!!


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#125 カルサナスの言い分

 明かり一つ灯らない薄暗い大議場堂の廊下に二つの足音が響く。

「この廊下を曲がって…渡り廊下を行けば資料塔だよ…。」

 後ろ手に縛られている兵は行き先に向けて顎をしゃくった。

「そうか。この先に警備はいるか?」

 兵は首を振った。首狩り兎達は見回りがいる場所を避けてここまで来たのだ。

「多分常駐してる奴はいない。だけど、通り掛かってればいるかもしれないな。」

 曲がり角につくと、首狩り兎は縛っている兵の手首を握ったまま首の後ろにナイフを当てた

「誰もいないか確認しろ。」

 兵はため息を吐くと、こっそりと資料塔に続く渡り廊下を覗き込んだ。

「誰もいないよ。」

「よし、行き止まりまで進め。」

 兵は「よくやるよ…」と呟いてから渡り廊下を進んだ。

 ここまでは想定していた幾通りかの中で、最善に近い状況で来られている。

 兵もぶつぶつと文句を言いながらも大人しく従っている。

 渡り廊下には二人分の足音が嫌に大きく響いた。

 行き止まりにある資料塔の扉が醸し出す重厚な雰囲気は、ここまで見てきた建物の雰囲気とは異なっていた。

 この塔はそもそも都市国家同士で戦争をしていた頃に、カルクサーナスのトップが最後に逃げ込むことを目的として建てられた砦だ。

 大議論を終え、戦争の終結と共に、後から大議場堂を塔の隣に建てて繋いだのだ。

 塔の中にはカルクサーナスの重要な機密も保管されていたので、最後の砦を開放する事と合わせて、カルサナスの中心となるカルクサーナスが胸襟を開いたことをはっきりと周りの都市国家に知らしめた。平和の象徴の塔と言っても過言ではないかもしれない。

 塔の頂上には鐘が下げられていて、戦時中は敵の襲来を知らせ、今は時を知らせている。

 

 首狩り兎は兵から奪っておいた見回り用の鍵を兵の顔に突き付けた。

「どれがここの鍵だ?」

「一番デカくて重いやつだよ。」

「――これ?」

 大きく凝ったデザインの鍵を見せると兵はうなずいた。

 その反応に満足し、首狩り兎は扉の鍵穴を軽く覗き込む。中には少なくとも罠になりそうな物は入っていない。間違った鍵を入れた瞬間にボカン!と言うのはよくある話なので、確認を怠らない。

「何やってんの…?」

「うっせぇぞ。ぶっ殺されたくなかったら応援するか黙ってろ。」

「こえー…。」

 兵の引きつるような声を聞き流し、首狩り兎はゆっくりと鍵を鍵穴に差し込んだ。念の為に兵が恐れるような顔をしていたり、逆に喜ぶような顔をしていないことを確認する。

 首狩り兎は兵の言葉を丸っとは信じていなかった。

 扉に耳を当て、おかしな音が鳴らないのを確認しながらゆっくりと錠を回した。

 その時、ガチリと硬質な音が響いた。素直に鍵穴と鍵が噛み合った音だ。

「っあ、危ないぞ。」

 兵が首狩り兎に一歩近付いた瞬間、首狩り兎は兵を引き倒し、その喉にナイフの切っ先を当てた。

「応援するか黙れって言ったのが解んねぇのかよ。傷付けられないと思ったら大間違――」

 そう言っていると、ドアの模様だと思っていたものがカチカチと小さな音を立てて動き出した。魔法の施錠扉だった。

「耳が巻き込まれちゃ可哀想だと思っただけだよ。本当に怖い兎ちゃんだなぁ…。」

 組み敷かれている兵は苦笑した。

「……そうかよ。それにしてもこの扉、もう少し静かに開かないのか?」

「静かになるわけないでしょうよ…。毎回こうやって開いてんだから。」

「仰々しいったらありゃしねぇな。」

 扉の模様は噛み合い、外れ、また噛み合う。

 解錠が済むまで、首狩り兎は兵の喉にナイフを当てて扉が完全に開くのを待った。

 何分にも感じた解錠のカラクリが動きを止めると、扉は自動で開いた。

 首狩り兎は兵を引っ張り立たせ、開いている扉に向かせた。

「おい、もういっちょ確認しろ。」

「――誰もいないよ。」

 そもそも資料塔の出入りはそう多くはない。警備員も中まで確認する者は少なかった。資料塔は毎日来るような場所ではなく、新しく議題が持ち上がったときに必要に応じて議員達が資料を取りに訪れるような場所だ。

 兵を先に入れてから首狩り兎も中へ身を滑らせた。

 すぐに扉を閉めると、扉はまたカチカチと音を立てて施錠し直したようだった。

 四角錐形の塔の中には窓がなく、永続光(コンティニュアルライト)がぼんやりと点けられていた。

 塔とは言え、避難所として作られただけあり、真っ直ぐに伸びる廊下にはいくつも扉があって、その先に階段がある。

「…部屋が多いな。歴史資料室と戦争資料室はどこだ?」

「逆に聞くけど、俺にわかると思う?」

「……わかんないのか?見回りもするのに。」

「わかんないよ。普段議員さん達も塔の係の人らに案内してもらってるし。」

 資料塔係は議員達が欲しがっている情報を出したり、資料整理をする司書のような存在だ。他にも議会の速記を行ったり、新しい歴史書を作ったりもする。

「仕方がないな…。一部屋づつ確認して行くか。」

 首狩り兎は見回り用の鍵を一度ポシェットにしまった。

 入って来た魔法施錠の扉には内側にも鍵穴があった。つまり、入るにも出るにもこの鍵が必要なのだ。砦として逃げ込んだときに、誤って解錠してしまわない為のセキュリティだろう。

 今の首狩り兎にとっては持って来いの作りだ。出るときには、ここに兵を置き去りにして鍵を持って逃げれば良い。そうすれば、追手が迫るまで余裕を持って逃げ出せる。

 とは言え、時間をかけていると門に残してきたもう一人が不審がって探しに来るかもしれないので急がなければならない。

 首狩り兎にかかれば、このレベルの兵がもう一人や二人現れても難なく殺せるが、それはきっと騎馬王の望むところではないだろう。神聖魔導国になる夏草海原を生きる若者達が冷たい目で見られるような真似はなるべく慎むべきだ。

 首狩り兎は自分の両頬をパンパンっと叩いた。

「よーし、気合入れて探すか!」

 一人でエイエイオー!と声を上げて進み出した。

「なぁ兎ちゃん、やめときなよ。」

「あ、お前はここで縛り上げられてるのと、一緒に資料探すのどっちが良い?」

「……一緒に行く。」

「よし。そんじゃあ水差してないでキリキリ歩け。」

 首狩り兎は兵を半ば引きずり、資料の捜索を開始した。

 ある部屋は親交のあった旧バハルス帝国の法令などが置いてあった。ジルクニフや先帝とのやり取りの書簡なども丁寧にまとめられている。

 またある部屋には旧アーグランド評議国との貿易の歴史や航路の一覧があった。さらに別の部屋には都市国家ごとの習わしがどっさりと置かれ、二階に上がった部屋には議会資料や参考文献などが収められていた。

 どれもカルサナスの言葉で書かれているので、想像よりも確認に時間がかかる。

 中には読むことができない書物もあるが、そう言うものは限定的な種族達の情報の可能性が高いので深掘りはしなかった。

 次々と確認をしていく中で、兵は首狩り兎に尋ねた。

「なぁ、兎ちゃん。そんなに歴史資料書が見たいんなら、一般公開の時に申し込めば見せてもらえたんじゃないのか?」

「…見るだけじゃダメなんだよ。神都に持って行って王――陛下達に見て貰うんだ。お前らカルサナスに都合が悪い情報も全部。」

「気持ちはわかんなくないけどさぁ。そんなこと今更やって何になるんだ?」

「今更だと?今だからやるんだよ。騎馬王さんや代表の皆が死なずに済むかもしれない。」

「騎馬王や代表は戦犯で裁かれるのか?」

 首狩り兎は背表紙の文字を撫でていた手を止めた。

「……戦争でぶっ殺されるんだよ。」

「でも戦争は終わっただろ?六年前に。」

「ほんっとうにお前らカルサナスはお花畑だな。」

 首狩り兎は兵を睨み付け、兵を縛っている紐を引っ張った。犬の散歩のような状態で次の部屋を目指す。

「なぁ、兎ちゃん。俺、兎ちゃんの言ってることよくわかんないんだけど…。」

「分かるまでてめぇの胸に聞きやがれ。」

 悪態を吐く首狩り兎は無造作に次の扉を開いた。

 そして「――ッキャ!?」

 女の驚いたような声が響き、首狩り兎は一瞬跳ねた。

 部屋の中には大人しそうな人間の女と、闘牛のような角を生やす老人がおり、二人は目を丸くして扉の方へ視線を送っていた。

「ラ、人兎(ラビットマン)!ここで何をしておる!!」

 牛角の老人が叫ぶ。何故こんな時間にここに人がいるんだと首狩り兎は苛立った。

 見付かってしまっては手段は限られる。

「静かにしろ!歴史資料と戦争資料を出せば悪いようにはしない!」

 結局こうなってしまった。頭が痛くなりそうだ。

 首狩り兎は兵を引き寄せ、その首元にナイフを押し当てた。蛇のように柔らかな白い鱗にプツリと紫色の鮮血が浮かぶ。

「いっ……。」兵から痛みを訴える小さな声が漏れ、首狩り兎はこれ以上ナイフが入ってしまわないように力を緩めた。

「分かったから、その方を離してください!」

 女が声を上げる。怯えの色があるが、芯の強さのようなものを感じさせた。

「こいつを傷付けられたくないなら、まずはゆっくり伏せて頭の上で手を組みな。」

 女と老人が言われた通りにすると、首狩り兎はさっと辺りを見渡した。

 コネリエをする男達の石像を見つけると、兵の事をそこまで連れていった。

 縛っている腕を石像の足にさらに括り付けながら、小さな声で尋ねる。

「――悪いな。首は痛むか。」

「…い、いや。」

「そっか、良かった。夏草海原の若い奴らが皆俺みたいだって思わないでくれよ。」

「……兎ちゃん、本当にやばいからやめなって…。今なら許してもらえるよ…。何も盗ったり壊したりしてないって俺が証明するから…。」

「いい奴だな。だけどお前、ちょっと平和ボケしすぎてるぜ。」

 首狩り兎は口角を上げるとナイフを逆手に持ち直し、伏せる女に近付いた。

「よーし、よしよし。そのまま大人しくしてろよ。」

 女と老人だったのは不幸中の幸いだ。よく鍛えた亜人の若い男では、相手を無傷のまま拘束するのは難しかったかもしれない。

「……あなた、歴史資料と戦争資料なんて、一体どうするつもりなんです。」

「持ち出させてもらうぜ。なぁに。全部読んだら神様が返してくれるだろうさ。そう心配するなよ。」

「神様?神王陛下と光神陛下に提出するのですか?」

「当たり前だろ。俺らの国に他に神様名乗ってる奴がいるか?」

 首狩り兎が女の腕を縛り上げようとしたその時――首狩り兎の視界は回り、背中が地面に叩きつけられた。

「――ッグゥ!」

 痛みが襲うと同時に、脳内に大量の危険信号が灯る。

「兎ちゃん!!」

 頭を打ったのか平衡感覚を失い視界が明滅している。しかし、泣き言を言っている暇はない。

 なんとか視界を定めるために軽く首を振る。首狩り兎の眼前には闘牛角の老人がおり、怯えと怒りを感じさせる表情で顔を赤くしていた。

 牛角は首狩り兎のナイフを掴む手を冷たい石の床に押しつけ、拳を握りしめる。

 いくら老人とは言え、戦闘に向いた亜人種だった。

 人質もいると言うのに、まさかこうも抵抗してくるとは。人質や女を傷付けられても構わないと思っている証拠だ。

(――やっぱカルサナスはこうでなくちゃな。)

 首狩り兎は何故か笑いがこみ上げた。

人兎(ラビットマン)!貴様の好きにはさせんぞぉ!!」

 硬く握り締められた拳が一気に顔面に降り注いで来ると、咄嗟に顔を避ける。

 ズンっ…と重たい音が鳴り、石造りの床にわずかな欠けを生んだ。

 そして、再び振り上げられた拳には血が滲んでいた。自らの拳を痛めるほどの一撃。

 牛角は、首狩り兎を失神させようとか、無力化させようなどと言う生易しい気持ちで殴っていない。

 確実に頭蓋骨を割って殺してやろうと言う固い意思を持っている。

「――<能力向上>!<肉体向上>!!」

 首狩り兎は二撃目が降り注ぐ前に二つの武技を発動させた。全身に力が漲り、押さえつけられていない手と自由な足で牛角を思い切り突き飛ばした。

 首狩り兎は元来パワー型の戦闘は向かない。その俊敏性を生かして、相手の死角から一気にケリをつけるスタイルだ。

 組み伏せられていなければ、優勢を取り戻せる。

 突き飛ばされた牛角が本棚に背をぶつけて尻餅をついた。棚から大量の本が降り注ぎ、競技大会の資料が大量に散らばる。コネリエの像と言い、ここは競技大会の資料室だったようだ。

「っく…!」

 牛角が痛みの声をあげた。首狩り兎はナイフを手に本に埋もれるように座っている牛角へ迫る。

「やめて!やめなさい!!」

 女の制止を聞かずにナイフを振り上げ、頸動脈へ向けて一気に振り下ろした。

 殺さなければ殺される。戦場の掟だ。首狩り兎の赤い瞳は命を奪う時のものへと変わった。

 そして――ガツンッと鈍い音が響く。

 それは首を狩った感触ではない。牛角は首狩り兎の一撃を散らばった本で防いでいた。

 純粋な力だけでは牛角の方が上。ならば本に突き刺さったナイフには固執していられない。首狩り兎はすぐにナイフを本から引き抜くことを諦めて飛び退いた。

 牛角は本の中からゆらりと立ち上がり、本からナイフを引き抜いた。そして構える。

 普通は突き飛ばされて痛みを感じた瞬間と言うのは咄嗟に動き出せないものだと言うのに。それに、この構え。この牛角の老人は戦いの中に身を置いた事がある存在に違いなかった。

「よう、おっさん。一応聞いておいてやるぜ。あんた、名はなんて言う。」

「……ゴルテン・バッハと申す。」

(――ゴルテン・バッハ…!こいつ、カルクサーナスの――!!)

 首狩り兎が殺すべき男だ。

 百年前に草原の返還に反対した議員の一人。当時はまだ三十代程度の若者で、都市国家間戦争の時代を生きた軍人上がりの男。カルクサーナスの古株中の古株親父。

「夏草海原連合軍の間者よ、ここで死ね。」

「面白ぇ。ようやく戦争らしくなってきたな。」

 首狩り兎は新しくスカートの中からナイフを取り出した。

「やめて下さい!バッハ上院議員様も!傷付け合う必要はありません!資料を渡しましょう!」

 女の悲鳴じみた声が響く。 

「いいや、この人兎(ラビットマン)が本当に陛下方に資料を持っていく保証などないのだ。ここで息の根を止める。」

「――で、では、私がこちらで人質として待ちます!バッハ様は神殿へ行き、陛下方にこちらへご降臨頂くようにお願い申し上げて来て下さい!あなたも、陛下方に資料をお見せしたいのならそれで良いでしょう!」

 首狩り兎ははんっと笑い声を漏らした。

「断る。俺は神様達に会う前に百年前を生きた上院議員共を殺しに行かなきゃならんのでね。神様達はそれを見逃しちゃあくれないだろ?」

「連合軍の野蛮人が。」

「好きに言え。」そう返し、首狩り兎はふと気付いた。「ゴルテン・バッハ、お前は何故俺を夏草海原連合軍と呼ぶ。カルサナスに来て、どいつもこいつも戦争は終わったとぬかしやがったのに。お前だけは連合軍が解散したとは思ってないみたいだな。」

 ゴルテン・バッハはぐぬぬ…と声を上げた。

「……俺らの騎馬王様はもう動いてるぜ?」

「騎馬王が…?騎馬王は死んだのでは…?」

 女が呟くと首狩り兎は女を睨み付けた。

「……兎。騎馬王は死んだ。私達がそんな言葉に惑わされると思うか。カベリアも耳を貸す必要はあるまい。」

「――待て。カベリアだと?カルサナス都市国家連合から一番に神聖魔導国へ降り、カルサナス州の知事職に就いた、あのリ・キスタ・カベリアか。」

「……そうです。私がリ・キスタ・カベリアです。もし本当に騎馬王がまだ存命で戦争を挑もうと言うのなら、州軍を動かし、神都へ応援を呼びます。終わったはずの戦争が再び火を上げたと。」

「終わったはず、ねぇ。お前らは神様達にもそう言った訳か。そりゃあ、神様達が俺らを助けようとしてくれない訳だ。友好条約も停戦協定も結んでない癖に、あんたらは勝手に戦争を終わった事にして、真実を歪めたんだ!」

「し、真実を歪めてなど!騎馬王が死ねば夏草海原連合軍は事実上の崩壊です!束ねる者がいなければ、協定も条約も結べるはずがないでしょう!あなた達は国家ではなく個なのですから!!」

「また騎馬王さんが死んだなんて言いやがるのか!あの人は死んでなんかいやしない!だから俺達は草原の奪還を諦めた日なんか一日だってなかった!お前らのせいで夏草海原の命がいくつ奪われたと思ってやがるんだ!!」

「それはこちらも同様です!私達は今度こそ戦争は起こらない、もう無駄な血は流れないといつも信じて来ました!だと言うのに、水場や野牛の独占をやめて静かに暮らしているだけのカルサナスの民を、あなた達夏草海原連合軍はどれだけ苦しめて来たと思っているのですか!!あの村の方達にはもう何の罪もないと言うのに、あなた達は草原を自分達のもののように振る舞って!」

 首狩り兎はナイフの切っ先をゴルテン・バッハからカベリアへ向けた。

「自分達のもののように振舞う?面白ぇ。夏草海原はよぉ、俺たちのものなんだよ!何百年も前からずっと美しく守ってきた!それをあんたら侵略者が滅茶苦茶にしたんだ!!だって言うのに、罪もない村人だぁ!?あの時に死んだ奴らの魂はまだ、あの草原で苦しんでんだぞ!!」

 夏草海原には数年に一度、稀にアンデッドが沸いてしまうのだ。そうなれば、戦士達は同胞だった者をもう一度殺さなければならない。これ程までに哀しい事があるだろうか。

「過去の過ちが清算されないものだと言うのなら、この世に生きていられる者は神々しかいません!私達は悔い改めて暮らしているではありませんか!!」

「本当に悔いてるのなら、何故草原を返さん!ポーズだけ反省を気取って、それで全部終わるなんて本気で思っているとしたら、お前は歴史の立会人にすらなれていない!お前みたいな、自分達だけに都合が良い綺麗事を言って、神様達にすら嘘をつくような奴がトップに立ってるから……だから貴様らカルサナスは腐ってるんだ!若い奴を殺す気はなかったが、はっきり解った!お前も草原の敵、カルサナスの膿みだ!首を差し出せ、カベリアァッ!!」

 首狩り兎はナイフをカベリアの喉に向けて振るった。

 柔らかな白い肌の首が裂け、血が吹き出る――はずだった。

 飛び掛かろうとした首狩り兎は頭上に影を見るとその足を止めた。

 両者の間にはズズン……とコネリエ像が倒れ、破片が飛び散る。もうもうと白い埃が立った。

「兎ちゃん、やめろ!それだけはやっちゃいけない!!」

 縛っていたはずの兵は手首に血を滲ませ、縄から抜け出していた。

「――平和ボケ!応援してるか黙ってろって言ってんのに!クソが、殺しておくべきだったか!」

「兎ちゃん、お前のやりたい事は解ったから、殺すとかそんな事言うな!俺達は本当に騎馬王は死んだんだって思ってたんだよ!!」

「国民にそう言って、こいつらは上がりを決め込んでたんだ!平和ボケにはわかんないかもしれな――」

 吠えていると、首狩り兎の鳩尾に膝がめり込んだ。その膝は埃の中から突然現れたように見えた。

「黙れこわっぱ。」

「――兎ちゃん!?」

 直撃したゴルテン・バッハからの蹴りは首狩り兎の呼吸を止めた。慌てて自分で背中を叩いて肺を再び動かそうとすると、その背は思い切り踏み付けられた。

「――ッガァ!!ッハァ!ハァ!」

「これで吸えるだろう。ありがたく思え。」

「ぎ、ぎざまぁ!」

「お、お待ちください!バッハ様!そこまでなさらなくても!!」

「リ・キスタ・カベリア。このくらいせねばこれには理解できまい。おい、兎。我らは決して神聖魔導国に百年戦争の真実を歪めて話して来たわけではない。そんなもの、事実終わった話なのだから話すだけ無意味なのだ。」

「ぞうがよ…。じゃあ…俺は神都に――いや、神様達に陳情に行ぐぜ…。神聖魔導国は併合の時に歴史と文化を聞くはずだ…。その時にカルサナスが百年戦争を勝手に終わったことにしたってな。カルサナスは神様達に真実を話さなかった、不信心者共の土地だってことをよぉ!」

 よろりと首狩り兎が立ち上がると、握り締められた拳が再びその身に降り注いだ。

「――ッブッ!」

 痛みに息を吐き出すと、首狩り兎は意識を失い崩れ落ちた。

「口の利き方に気を付けろ。――そもそも陛下方に陳情に行く必要はない。騎馬王を葬れば戦争の事実などなくなる。夏草海原連合軍も瓦解するのだからな。」

「バ、バッハ様!?騎馬王は本当に生きているのですか!?」

 ゴルテン・バッハの瞳は恐怖に濁っていた。

「生きている。だが、カベリア。それが露見すれば、お前も、お前の祖父であるべバードの古鳥も他人事ではないぞ。お前も百年戦争を告白しなかった。それに、私達が陛下方へ出した書類に目を通し、それを神都へ提出する事を認めたのだからな。」

 べバードは一抜けでカルサナス都市国家連合を離れた。その時、べバードの事は詳しく話せどカルサナス全土の詳細は話さなかった。

 都市国家連合は所詮連合であり、カルサナス国のべバード市だったわけではないのだ。

 その為、後に他の都市国家が吸収されるたびにカベリアは書類に目を通し、提出の許可を出してきた。

 もちろん、べバード合併時には過去にベバードから百年戦争へ出兵した事は話した。しかし、べバードは夏草海原と隣接していないので、騎馬王が攻めて来たら援軍を送る程度で良かった事もあり、都市国家連合を抜ければ援軍を出すこともなくなるため詳しくは話していない。百年戦争に言及することは他国の内情に踏み入ることと同義だったのだ。

 経済戦争に陥っていた中でも、カベリアは他の都市国家への配慮を忘れなかった。――だと言うのに。

 カベリアは信じられないものを見るように首を振った。

「な、なぜ…。何故騎馬王が死んだなどと嘘をお話になったのです…。」

「あぁ、若きカベリア。夏草海原との戦いの仔細を言えば神聖魔導国――いや、陛下方はどちらの肩を持つと思う。」

「神聖魔導国の一部となったカルサナスを助けてくださるはずです!」

「若いな。永劫の時を生きる神王陛下と光神陛下が、自分の国の傘下に入っただけのカルサナスを助けると本気で思っているのか?」

「そ、そうでなければ…何のための国名の改名と合併ですか…!」

「そんな小さな世界で神々は生きていらっしゃらない。良いか、かの神々と邪竜の戦いを思い出すのだ!あの果てしない力の応酬を!そして、教えを思い出せ!!光神陛下の生み出した全ての生を愛し、セイタイケイを守り、美しき世界を維持しろと言う言葉を!!」

「それが…何だと……。」

 ゴルテン・バッハはカベリアの両肩を掴むと、鬼気迫る顔で言った。

「カルサナス都市国家連合が生み出されし百年前、我々カルサナスの行いで死んだのは彼奴等夏草海原連合軍だけではない!!夏草海原に生える草木、鳥、虫!獣!!我らは最早、夏草海原連合軍の何万倍もの命を奪ったのだ!!」

「――であれば、懺悔し告解を!!神々は許す事でしか許されないとお教えです!!お許しくださるに決まっています!」

「ええい!だから貴様は甘いと言うのだ!!許しには罰が付き物!!あの、げに恐ろしき力を持つ神々の罰を受けねばならんのだぞォッ!!」

 カベリアはそれを聞くと上院議員の腕を振り払った。

「情けない!!あなた、それでも上院議員の一人ですか!?」

「笑いたくば笑え!あの力の前に足のすくまぬ者などいるはずがない!これは百年前の当時を知り、夏草海原を返さないと言った多くの議員の中で決められた事だ!!百年戦争の切っ掛けは決して神王陛下のお耳に入れるわけにはいかんのだァッ!!」

「きっかけ…?まさか、私が目を通した後の書類から百年戦争の記述も変えて提出して…!?」

「あぁ、そうだ!しかし、カルサナスの承認印は押されているぞ!!我がカルクサーナスにはカルサナスの印璽のデザイン原画が残っていたからな!!」

「そんな隠し事…バレないはずがない…!バレないはずがないのに!!」

「バレる前に騎馬王を抹殺すればいいだけの話だ!だからこれまで私達は何度も騎馬王を抹殺しようと試みてきたのだ!!――だと言うのに……無能どもが!雇った暗殺部隊は尽く騎馬王に殺られ、イジャニーヤも今後は関わらないの一点張り!!どいつもこいつも無能、無能ゥ!!」

 ゴルテン・バッハはウゥ…と呻く首狩り兎の腹を何度も蹴った。

「やめて!死んでしまうわ!!この人は私達の敵だった人だけど、それでもこの人の言い分は間違ってなかった!バッハ様、どうか陛下方に全てをお話に――」

 カベリアが庇うように首狩り兎に覆いかぶさると、ゴルテン・バッハの蹴りはいとも簡単にカベリアの柔らかな腹部へ入った。

「ッツゥ…!!」

 丸まり、痛みに自らの身をかき抱くと巨大な手はカベリアをひょいと持ち上げた。

「おい、兵!兎を運べ!」

 兵は震えるようにゴルテン・バッハを見上げていた。

「運ばないなら、お前はここで死ぬことになるぞ!」

「い、今すぐ!!」

 兵が首狩り兎を持ち上げると、ゴルテン・バッハは部屋を出た。

「リ・キスタ・カベリア。お前は本当に邪魔な女だ。我々が何故食えなくなるギリギリまで神聖魔導国に入れなかったのかも何も知らず、平気で大議論の結果を破りおって!邪竜との戦いを目の当たりにして、神王陛下と光神陛下の教えが伝え聞こえて来た時、どれだけの上院議員が恐れ震え上がったか貴様は知りもすまい。私達とて、夏草海原の歴史そのものである騎馬王を抹殺できればすぐにでも神聖魔導国に入りたかったというのに!!」

 ゴルテン・バッハは呪いの言葉を吐き続けながらいくつもの階段を登った。その後ろを兵も続く。

「リ・ベルン・カベリア、あの若造め…!いつも己ばかり安寧を手にして!大議論の約束を孫娘が破ろうと言うのに、自分に危険がないからと認めるなど、卑怯極まりない!!私はお前達カベリア家の人間が大嫌いなのだ!!」

「お、おじいさま…。」

「お前はその兎と共にいろ!おい、兵!入れてやれ!」

「は!!」

 その言葉と共に二人は一部屋へ放り込まれた。

「ベバードの古鳥には私がお前の消息を伝えよう!せいぜいそこで人兎(ラビットマン)と共に餓死の時が遠いことを祈るが良い!」ゴルテン・バッハはそう言うと、小さくなっている兵に数歩近付いた。「――兵、お前が戻らねば不審に思う者もいよう。お前には選ぶ余地を与える。お前は死にたいか?それとも沈黙を貫くか?」

 兵は伸びている首狩り兎を見てからうなずいた。

「も、もちろん、誰にも喋りません!」

「よし。今夜兎は来なかった。そして、カベリアはもう随分前に帰ったのだ。あぁ、もしかしたら、帰る途中で終わった戦争(・・・・・・)を認められない阿漕(あこぎ)な兎に拉致されたのかもしれないな。可哀想なことだ。」

 カベリアが「ま、まっ…て…!」と声を上げて扉の外へ出ようとすると、バタンッと音を立てて扉は閉められ、すぐに施錠の音が続いた。

 カベリアにはこの部屋がどこなのか覚えがある。

 ここは資料塔の頂上の一歩前の部屋だ。鐘の点検に必要な備品や、昔鐘を打っていた(ゼツ)などが置かれている。

 この部屋が開かれるのは、(ゼツ)に夏時間と冬時間を切り替える魔法を掛ける魔法詠唱者(マジックキャスター)が来てくれる時だけだ。

 鐘のある更なる上階へ続く階段の前にも施錠された扉がある。

 カベリアは今入って来た扉を叩こうと手を振り上げ――脇腹の疼くような痛みにすぐに崩れた。

「うぅぅ…おじいさまぁ…。神王陛下…光神陛下ぁ…。」

 丸まっていると、ふとカベリアに影が差した。

 目を開けると、首狩り兎がカベリアを冷たい瞳で見下ろしていた。

「本当に醜いな。お前達は。」

「な…気付いていたのですか…。」

「あぁ。ずっとな。これでお前にも解っただろう。百年前を生きた上院議員達を殺さなければならない意味が。」

「………確かにバッハ様は間違っています。ですが、死ぬべきだとは思いません。」

「……奪われた事がない女に賛同を求める事は間違いか。」

 首狩り兎はポシェットから一番小さい"ドワーフの革袋"を取り出すと、服を一着取り出した。

「…兎さん。あなたの名前は?」

「俺か。俺は首狩り兎。名前は忘れた。」

「そんな…名前を忘れる人なんかいませんわ。」

「そうかよ。騎馬王さんだって、名前を捨てて"騎馬王"として歯ぁ食いしばって生きてるぜ。俺も、草原を取り戻すまでは名前を取り戻すつもりはない。」

 喋りながら首狩り兎はスカートとブラウスを脱いだ。可愛らしい白いチュールのペチコートに白いキャミソール姿になると、新しい服に袖を通していく。紺色のブラウスに同じく紺色の落下傘スカートを履き、柄物のスカーフを頭に巻いて耳を隠せば完成だ。

 カルサナスの言い分は全て聞いたのでとっとと資料を集めに行って、こんな塔からとんずらしなければ。そして上院議員達を一人でも多く殺して、神都へ――。

 首狩り兎は予定外の事に巻き込まれてしまったが、自分の計画には何の狂いも起きていないことに鼻歌を歌いたい気分になった。ただ、ゴルテン・バッハにぶん殴られた事と、ナイフを一本盗まれたのが悔しいが。まぁ、殺してしまえば悔しさも落ち着くだろう。

 ゴルテン・バッハは今頃、ここを首狩り兎が出られずに野垂れ死ぬと思って油断している頃だ。

 すっかり身支度を終えた首狩り兎は、絶望したように床に座り込むカベリアに振り返った。

 この女こそここで野垂れ死にするのがお似合いだが、一発殴っておいても良いかもしれない。

 そう思っていると、カベリアは口を開いた。

「……もし私にここを出る事ができたなら、私が草原を返還できるように州知事として精一杯手を尽くすのに……。でも、すべてはもう遅いんですね……。」

「……何?どう言う心変わりだ?」

「私達は"祖先の罪を子は引き継がない"と教育されて来ました…。それは、草原へ対してではなく、都市国家同士が昔戦争をしていて、隣人の親や子、隣人そのものを殺したような過去があるからです。」

 首狩り兎はカベリアの言葉に、黙って耳を傾けた。

「……そして私は騎馬王に戦争を仕掛けられるようになってから生まれました…。だから、あなた達から奪ったと言うよりも、奪われそうになっていると言う気持ちでいたのだと、今日初めて気が付いたんです…。あなたに"ポーズだけ反省を気取っている"、"自分に都合がいい綺麗事を言っている"と言われて……そうかもしれないと思いました。カルサナスが草原に酷いことをしてしまったのは昔の事だと、どこかで思っていたのが、あなたにカルサナスの膿みとまで言われてようやく解った……。勝手な話でしょう。」

「そうか。じゃあ、お前も着替えろ。」

 首狩り兎は簡潔にそう言うと、もう一着服を取り出してカベリアへ放った。

「――え?」

「ここ出られたら草原返してくれるんだろ。そのなりで出て行ったら、すぐにカベリアだってバレる。あんたがココを出たってあいつの耳に入ったら次は必ずその手で殺される。」

「…あ、ありがとうございます。でも、ドアも開かないのに…。」

 首狩り兎は鉄製の扉に触れた。資料塔の扉はどれも破壊されないように厳重な作りをしている。篭城決戦用の建具だ。

「――誰がいつ扉が開かないって?」

「え…?」

 その手の中には鍵の束があり、チャラリと音を立てた。

「平和ボケがここに残らなかったお陰で鍵のありかがバレなかった。あいつ、平和ボケだってのに俺が鍵を持ってるって言わなかったしな。」

「番兵さん…。」

 少し得意げな顔をすると、首狩り兎は耳を澄ませ、扉にぴたりとくっ付いた。

 足音や生き物の気配はない。出られそうだ。

「――で、どれがここの鍵か知ってる?」

「は、はい!任せてください。」

 カベリアは痛む腹を抑えて、よたよたと近付き、何本もある鍵から正解の一本を選んだ。

 扉は滑らかに開かれ、首狩り兎はカベリアから鍵を取り返すと、そっと階段下を覗いた。何もいない。

「俺は安全確認してるから、着替えな。」

「はい!」

 カベリアは大急ぎで着替え始め、それも済むと二人は階段を降り始めた。

「っぅ…。」

「腹、痛むのか。」

「へ、平気です…。」

 首狩り兎は面倒くさそうに一度ベッと舌を出すとカベリアに手を伸ばした。

「手伝ってやる。」

「優しいんですね…。」

「違う。お前が草原を返すって言ったからだ。」

 二人は手を繋ぐと黙々と階段を降りた。

「――なぁ、あんたは何でこんな時間まで資料塔にいたんだ。」

「…いよいよ競技大会が始まりますから。最後にもう一度、競技大会の資料をよく見ておこうと思って。今年の開催地はべバードなんです。前にべバードで競技大会が開かれたのはもう五十年以上昔で、べバードは多くが人間種なこともあって、当時運営の中枢にいた人は殆ど残ってないから……最後にもう一度、競技大会の資料をよく見ておこうと思ったんです。それで、仕事が全部終わって資料塔に来たら、バッハ様が追いかけてらしたんです。手伝ってくださると。」

「………なるほどな。あんたが一人で夜に資料塔に入るなんて、あのじいさん焦ったろうな。」

 ぽつぽつと階段を降りて行き、カベリアは途中で足を止めた。

「――こちらに歴史資料と戦争資料があります。」

「お待ちかねだな。」

 二人は資料室へ向かった。




あらま〜!神様達、力を見せつけすぎちゃったんだね〜!
牛角牛角と書いていて、焼肉食べたくなっちゃったよぅ。


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#126 死の戦争

 ゴルテン・バッハは数名の議員の家に立ち寄ってから帰路についた。

 彼の乗る馬車は豪華な装飾が施されており、議員の持ち物であるとひと目で分かる。

 やがて馬車が止まり、御者が戸を開いた。

「お疲れ様でした。バッハ様。」

「あぁ、ありがとう。ようやく人心地つけそうだ。」

 バッハはよいこらせ…と声を上げて馬車を降りた。

「大変ですね。カベリア様はお若いですから、バッハ様のお手伝いが必要なんでしょう。手を差し伸べていなかったら、ベバードの大会もカルサナスの運営もどうなっていたか分かりませんよ。全く仕方ない話です。」

「――そうだねぇ。しかし、若者と言うのは力が漲っていて良いものだよ。今日も途中でカベリアは飛ぶように帰ってしまったからね。やらなくちゃいけない事を思い出したと言って。」

「そうでしたか。カベリア様は魂喰らい(ソウルイーター)便でいらしているのでお帰りになった事に気が付きませんでした。」

 週に何日かカルクサーナスに泊まって働き、週末に自分の持つ都市に帰るスタイルの議員は多い。そうすると、中には馬車を持ってきていない者もいる。

 二人は仲睦まじく笑みを交わし、バッハは邸宅へ、御者は厩舎へ向かった。

 穏やかに話していたゴルテン・バッハの頭の中は今日生かして帰した番兵の事と、襲ってくるであろう騎馬王のことでいっぱいだった。

 番兵の事は明日中に暗殺者を雇って殺す必要がある。知っている者は少ない方がいい。

 今日あの塔の中で兵を殺してはゴルテン・バッハが疑われ、番兵を捜索するために鐘の整備室も開けられていただろうが、それ以外のところで死ぬ分には問題はない。うまく殺せれば良いのだが。

 玄関を潜ると、妻とメイド達がバッハを迎えた。

「あなた、お食事は召し上がっていらして?」

「まだだとも。今日はまだ仕事があるから、私の部屋に持ってきて貰えるかな。」

「まぁ…ベバードの為に本当によくお働きになるのですわね…。」

「私はね、神聖魔導国の為に働いているんだよ。」

「ご立派でございますわ。」

 妻が尊敬しきった顔をすると、バッハは自室へ向かった。

 その部屋には邪竜と戦う神々の絵が掛けられていて、バッハはそれの前できちんと頭を下げた。信仰の厚い議員として知られている彼はオシャシンの他に家にもこうして神の絵や像を飾っている。

(――あの番兵を殺す為にも、イジャニーヤと連絡をまた付けなくては。)

 イジャニーヤが関わらないと言ったのは騎馬王との事だけの話のはずだ。

 あの若造番兵を殺すのなら引き受けてくれるだろう。

 ただ、また莫大な金がかかる。他の議員と資金を出し合わなくては。

 バッハは机の引き出しからメモを取り出すと、明日一番にやらなくてはいけない事を書き出していく。

 イジャニーヤとの連絡、番兵の暗殺、番兵が余計な事を話していないかの調査、今月の神殿への寄付、私兵達の村への派遣――。

 トン、トン、と紙をペン先で叩きながら、私兵をなんと言って草原へ派遣するべきか悩む。

 皆騎馬王は死んで、草原との戦争は終わったと思っている。

 私兵達には制御を失った草原の残党の制圧――いや、威嚇だと言って出てもらうしかない。

 そして、なし崩し的に戦争状態へ突入。

 仕方がなく夏草海原連合軍――の残党を制圧。

 こう言う筋書きで行きたいところだ。

 だが、戦いに赴きいないはずの騎馬王が出て来れば、少ない私兵達は殺されるか、生き残ってもバッハ達議員へ疑念を抱くだろう。

 やはり、さっさと村を返還すれば良かったのか。いや、そんなことをすれば過去の罪を認めた事になり裁きが待つ。

 バッハは思い通りにいかない苛立ちと、裁きへの不安で気が狂いそうだった。

 両手で顔をごしごしと拭き、冷静にならねばと自分に言い聞かせる。

(――とにかく騎馬王を殺せれば草原の者達など烏合の衆。真実制御を失った残党になる!そうだ。議員達の持つありったけの私兵を出すのだ…。)

 ゴルテン・バッハは気重にため息を吐いた。

 そうしていると、鼻腔をくすぐる芳ばしい香りが漂って来た。

 自分が如何に腹が減っていたかにようやく気が付く。

(…腹が減っては戦はできぬか。)

 メモ帳を丁寧に畳むと、チョッキのポケットにそっとしまった。

 その日、バッハは食事を取りながら、カベリアと兎が早く死ぬことを祈った。

 

+

 

「――え?兄貴、夏草海原に行くの?」

「あぁ。制御を失った少数の残党が村を襲おうとしてるらしくて、そんな真似はやめろって威嚇するんだってさ。上院議員達の私兵の殆どが集められてて、ディア何か腕もないのに行くってさ。多分今日行って今日帰ってくるから、番兵の仕事に行く時には戸締り頼んだぞ。」

 兄の言葉を聞いたレミーロ・ビビはゾッと背が冷たくなる感触に襲われた。

 少数の残党――。

 間違いなく夏草海原は連合軍として大部隊で戦場に現れるはずだ。レミーロは兎が首に付けた小さな傷に触れた。

(――兎ちゃん…もう逃げたよな。)

 まだあそこにいるのか確かめたかったが、近付いてしまえばそれだけでゴルテン・バッハを刺激しそうな為我慢していた。逃げ(おお)せた事にゴルテン・バッハが気付き、兎を探し出されるような事は避けたい。

 レミーロは一晩寝付けずに過ごし、何もできない自分を恨んだ。カルサナスの皆に真実を伝える事もできないのだ。

 もし草原に行った事もないレミーロが昨日の話を言いふらすことで、人々が話の出所を探すような事になれば、それも兎の邪魔になってしまうだろう。

 一刻も早く兎が神々の下に辿り着き、戦争を止めてくれるように祈る事しかできない。戦争がなくならなければ夏草海原に出る兄の身が危ない。

 兎は神都に資料を持っていくと言っていたが、もし神都まで向かっているなら時間があまりにも掛かりすぎるような気がした。

 レミーロは兎が鐘の部屋を出られたことを信じて街に探しに行くべきかと悩んだ。

「――ん?レミー、お前のその首どうした?」

「…どうもしない。」

「神殿行ってちゃんと治して貰わないと、俺みたいに痕になるぜ。」

「兄貴のと違ってこんなのたいした事ないって。」

 兄の顔には斜めに大きな傷痕が走っている。肩や腕にも大きな傷跡があった。深すぎる三つの傷痕には白い鱗が新しく生えてくる事はなく、薄紫色の素肌が痛ましく晒されていた。

 それに比べ、レミーロの傷は実に浅い。兎が力を加減してくれた事がすぐに分かった。人を平和ボケだと笑った兎は、誰よりも平和を望んでいた。

(兎ちゃん…。どうかカベリア様を殺さないでくれよ…。)

 あの状況で仲間達のことを想い、仲間達に恨みが行かないように語れる優しい兎に、殺しは似合わない。平和ボケだとまた言われるかもしれないが、レミーロはそう思った。

「なぁ……兄貴、やめときなよ。残党に威嚇なんて、本当に必要なら陛下方がやる。」

「まぁなぁ。でも、威嚇なら治安維持部隊みたいなもんだろ。わざわざ陛下方の手を煩わせたくないって思う議員達の気持ちはよく分かるんだ。ちょっとの残党くらい、自分らの持ってる兵で鎮めたいって思う気持ちが。」

「だけど威嚇って言ったって武器は持っていくんだろ?小競り合いから同じ過ちを繰り返すことになるよ。………それに、騎馬王が絶対に出てくる。これは戦争なんだよ。」

 レミーロが言うと、兄は一瞬呆気にとられたような顔をした。

「お前、騎馬王が生きてると思ってんのか?」

「……思う。だから、兄貴。出るな。これは新しい恨みを作らない為、カルサナスの為でもあるんだよ。」

 兄は六年前の戦争以来使っていなかった自分の剣を腰に結び付けると軽く笑った。

「はは。その言い分。お前、さては昨日人兎(ラビットマン)の女に会ったな。」

「――へ?」

「俺も会ったよ。ディア達と飯食いに行く途中で。その人兎(ラビットマン)は騎馬王が生きてる、戦争は終わってないって言っただろ。あの女が騎馬王は生きてるって言う時の空気は何か、人を信じさせる強さがあったよな。実は俺も、騎馬王は生きてると思う。あの野生の勘の塊みたいなディアもすぐに信じた。」

「騎馬王が生きてるって信じてるなら…兄貴は戦争に行くつもりでいるのか?」

「いいや。そう言うわけじゃないさ。でも、騎馬王が生きてるなら……村に集まりつつあるって言う残党が本当に残党なのか怪しいよな。中心になってたバッハ上院議員も他の上院議員達も、残党だって信じて疑わないみたいだったけどさ。もし騎馬王が生きて率いてるなら、この出撃はかなり危ないものになると思う。」

「……兄貴、分かってるならやめろよ。この出撃は戦争なんだ。騎馬王は生きてるし、草原にいるのは残党じゃなくて本当の連合軍だ。」

「何となく俺もそんな気がする。あの人兎(ラビットマン)に会った俺達はそう思っちゃうよな。なのに、誰に話しても皆笑って聞く耳なんか持ちゃしなかったよ。……こんな人数じゃ絶対にヤバイ。一人でも部隊の人数が減るのは痛手だと思う。」

「事実そうなのに……皆、ただの治安維持だと思ってるなんて、馬鹿げてるよ…。なぁ、兄貴。出たら騎馬王に殺されるよ…。兄貴が殺されて何になる…。」

 レミーロは傷だらけで兄が帰ってきた六年前の日を昨日のことのように覚えている。草原を恨む気持ちが起こらなかったと言えば嘘だが、戦争なのだから仕方がないと諦める気持ちと、生きて帰ってきたのだから良かったという気持ちが一番だった。カルサナスが神聖魔導国の一部になってからは戦争が終わったと言われ、全てを水に流す事にしていた。

 しかし、もしこれで夏草海原に兄を殺されたりすれば、全てを知ったレミーロは発端のカルサナスも、手を下した夏草海原も恨んでしまう。それは、新しい眠れぬ夜の始まりだ。

 レミーロの耳には昨日の夜に兎が叫んだ全ての言葉と、ゴルテン・バッハが吐いた呪いの言葉がべったりと張り付いていた。

「まぁ、何とか殺されないようにやって見て、騎馬王がいたら戦争はやめてコネリエに出てくれって叫ぶよ。俺とディアはさ、戦いに行くんじゃなくて、そのために行くんだ。昨日のディアなんか、俺の名前を忘れるなって人兎(ラビットマン)に叫んでたんだぜ。ははは。笑っちゃうよな。」 

「はははって、夏草海原の人らは本気なんだぞ!戦争ごっこじゃないんだ!!彼らは死に物狂いで来る!!」

 レミーロが兄の胸ぐらを掴み上げると、兄はそれを軽く払った。

「そうさ。これは遊びなんかじゃない。俺達は静かに眠れる夜を望んできた。俺達は新しい悪夢が生まれる可能性を少しでも減らさなきゃならない。だから、どうしても行かなきゃいけないんだよ。」

「治安維持部隊を――いや、鎮圧部隊を陛下方がお許しになるなんて俺には思えない!正しい戦いなんてこの世にあるのか!陛下方に陳情するのがたった一つの正しい選択だ!!」

「なぁ、レミー。向こうにいるのは残党じゃなくて軍なんだって思ってるのは、俺達含め片手で数えられるような人数だけなんだぜ?皆治安維持まで陛下方に全部放り投げて解決してもらおうなんて思いもしないんだ。陛下方は確かに俺らを守ってくれる存在だけど、何でもやってくれる小間使いじゃない。治安維持部隊が出るのはもう決定事項だ。」

 答え合わせが終わっているレミーロには兄の言い分に頷く事はできなかった。兄はそんなレミーロの葛藤のような物を感じたようだった。

「――ともかくさ、うまく言えないけど、このまま行かなかったら、俺達逃げてるみたいだろ。草原に帰るかも分からない女に伝言頼んで、大将が生きてると思ってる少ない存在なのに皆に手も貸さないで、それで笑ってられるほど、俺たちゃ無関心でいられない。俺達には俺達の新しい正義があるんだ。俺達は仲良くするためにも騎馬王がいるのかを確かめないといけないんだよ。」

「……夏草海原の人らに草原を全部返せれば、戦争は本当に終わって、皆仲良くだってできるのに。そしたら騎馬王だって自分からコネリエに出るって言うかもしれないのに。」

「そうかもな。そんな事がすぐに出来ればいいけど、世の中はそんな簡単にできちゃいないと思うよ。あの村に暮らしてる人らの引越し先用意して、今と同じ生活水準を与えて……最後は神聖魔導国の土地を陛下方が認めてもいないのに勝手に他所様に渡すとか渡さないとか話し合う。そう言うのって、難しいと思うぜ。少なくとも、今すぐどうこうできる話じゃない。なのに残党はすぐそこまで来てる。」

 レミーロは駄々をこねるように首を振った。

「……嫌だよ…。兄貴は俺が悪夢を見るのは良いのかよ…。」

「…俺が殺されるのは騎馬王が出た時だ。その時には、騎馬王に絶対次のコネリエに出るように言うからさ。お前もコネリエに出て騎馬王ボコボコにすりゃ、眠れるようになるさ。ま、全部が取り越し苦労で騎馬王がいなかったら元気に帰って来られると思うよ。」

 兄はいつもと変わらない清々しい笑顔を見せ、まとめていた荷物を背負った。

「じゃ、俺行くわ。すぐの招集だから。」

「兄貴!全部話すから!遅くとも後一週間待てばきっとあの兎が陛下方に――」

「レミーロ。闇を抱いて光の中に生きろ、だぜ。じゃあな。」

 パタン、と小さな音で扉が閉まるとレミーロは近くの椅子を蹴った。

 そして、その痛みに足を抱えて、自分の情けなさに泣けた。

「クソォ…。俺は何をどうしたら良いんだよぉ。兄貴、兎ちゃん………陛下ァッ!」

 半端に知ってしまった現実はやるせ無い。

 神の裁きに怯えるカルサナス。

 何もかもを奪われたと怒りを燃やし続ける夏草海原。

 神の力を借りる前に何かをしなければと、新しい正義に笑う兄弟。

 神の力を借りて全てを終わりにしようと動く兎。

 レミーロは顔を上げた。

「……俺にカルサナスの皆を変えられれば…。」

 そう呟くと、キィ…と扉が音を立てて開いた。

「兄――え?」

 そこには緑の液体が滴る奇妙なナイフを持った黒尽くめの女がいた。

 

+

 

 騎馬王達は村まで後一キロ程度の場所に着くと、コキュートスに殺されるまで終わらない戦争の前準備を始めた。

「……騎馬王ヨ、最後ニモウ一度ダケ聞コウ。戦争ハ諦メテクレナイカ。」

 騎馬王は毎日尋ねられてきた問いにゆっくりと首を左右に振り、研ぎ終わった鉾に自らの顔を写した。

「申し訳ありません。これが私達の生き方なのです。」

「……マサカ、本当ニ止マラナイトハナ。シカシ、ソノ方ガオ前達ラシイト、今デハハッキリ言エル。」

 騎馬王は長年の友人へ向ける笑顔で笑った。

「ありがとうございます。嫌な役回りをさせます。」

「マッタクダ。オボッチャマガドレ程悲シマレルカト思ウト胸ガ痛ム…。私モ良イ戦士ヲ失ウノハ残念ダ。」

「コキュートス様、私達の最後の相手があなたである事に皆感謝しております。私達が死んだ後、どうか夏草海原をより良い方へ導いてください。」

「私モ守護神トシテ付クガ、ココノ支配者ハ我ガ君、ナインズ・ウール・ゴウン様トナルダロウ。ナインズ様ハオ前達ノコトヲ本当ニ気ニ掛ケテ下サッテイル。皆ガ仲良クシテ欲シイトナ。必ズヤ良イ道ヘオ導キ下サルハズダ。」

「お優しい方でようございました。もはや悔いはありません。」

 コキュートスが熱心に教育している若き王子。まだ赤ん坊のようなものだと聞いているため、実権はコキュートスが握るだろう。

 いつか王子が大人になってもコキュートスがそばにいてくれれば、心配はない。

 周りでは続々と支度を終えた戦士達が並び始める。

 コキュートスは重たい溜息を吐くと、手を闇の空間へ差し込み――するりと大太刀を抜き出した。

 騎馬王も鉾を抜き、二人はそのまま背を向け合った。

 騎馬王は戦士達の並び行く群れの中へ戻っていき、コキュートスは遠く見えない場所にある村の前に立ちはだかるように立った。

 両者の距離が十分に開く。あの大きなコキュートスが小さく見えるほどに。

 そうして、皆が突貫の意思を見せると、騎馬王は目一杯の声を張り上げた。

「コキュートス様!!いざ、尋常に勝負!!」

 それを聞くと、コキュートスは手をかざし、両者の中間三十メートル付近に氷の柱が二本大地から突き出した。

「ソノ柱ヨリ先、コチラ側ハ死地!!進ム者ハ生キテ帰レヌ事ヲ知レ!!」

 尚もこちらの意思に任せてくれようとする姿勢に、戦士達はギリリと拳を握り締めた。

 怒りではない。自らを奮い立たせ、共に食べ、共に旅をし、懸命に生き残る事を伝え続けて来てくれた友との道を分かつしかない事が悔しくて、自分達の不器用さが息苦しくて拳を握ったのだ。

「………コキュートス様のご慈悲だ。私からも今一度問おう。やめたい者は去っても良いのだぞ。」

 誰も背を向けなかった。

 コキュートスと過ごした日々のお陰で、皆が明確に今日の死を自覚して来た。今日、ここで自分達は死ぬのだと覚悟を決めて来てしまった。

 騎馬王はそれ以上問いかける事はなかった。

 コキュートスが刀を鞘から抜いたのが見えると、連合軍も一気に武器を手にした。

「最後の悲願!!死した父、母、そして全ての友のため――」皆が希望を夢見て死んで行った仲間の顔を思い出す。共に草原を愛した家族だったのだ。胸が詰まるようだった。

 しかし、これでようやく草原が因果から解き放たれるかと思うと、どこか清々しさすら感じるようだった。

 

「突貫!!」

 

 騎馬王の号令がかかり、戦士達は駆け出した。

 

「ウオオォォォォオオオオ!!」

 

 男達の雄叫びが草原に響く。コキュートスは静かに構えるのみだ。

 空から人鳥(ガルーダ)達の矢が放たれる。魔法の武器でなければその身を傷つける事はできないと教えられているが、雨のように降らせれば何かが変わるかもしれない。

 地上の先頭には人馬(セントール)達が駆け、その上には人兎(ラビットマン)が跨っている。人犬(コボルト)達は狼のように地面に手をつき、四本になった足で地を走る。

 まず、人犬(コボルト)の首が飛んだ。

 ドクン、と騎馬王の心臓が跳ねる。

 人兎(ラビットマン)人馬(セントール)の背から翻り、コキュートスの首を切ろうとしたところでその腕は失われた。

 その一刀で人馬(セントール)が崩れ落ち、まるでゴミのようにコキュートスに空へ投げ飛ばされる。

 人馬(セントール)を受け止めようとした人鳥(ガルーダ)にコキュートスから容赦のない氷魔法が飛んだ。

「……く…くぅぅ………。」

 絶死の光景を前に、騎馬王や代表達はまだ行かない。行けない。

 騎馬王や代表が討たれれば、戦士達の戦いへの気持ちが切れてしまう。一気に恐怖が襲い、コキュートスの足止めはそこで終わる。

 同時刻、戦士ではない者達が村を襲っているはずなのだ。それがどれほどの人数なのか、万いるのか、一人もいないのか、騎馬王達に確かめる術はない。

 開戦を前倒しにすると伝えに行った人鳥(ガルーダ)は集まっている者たちの他に、これから集まろうとしていた者達にも声を掛けているのか、もしくはあちらの指揮を取ってくれているのか、戻って来ていない。

 それでも、一人でも来てくれているのなら、騎馬王達戦士は命をもってコキュートスの足を止め、戦士ではない彼らの歩みを遠きこの地より支えるしかないのだ。

 コキュートスは伝言(メッセージ)で長距離と連絡を取る事ができる。そんな隙も与えない程に、兵達は突撃し続けた。

 騎馬王はこれまで何度も共に戦に出て、共に帰って来た大切な仲間達が死んでいくのを見守った。

 目を逸らしたくなるような光景だが、目を逸らす事は許されない。

 騎馬王はやはり、死に行く仲間を見送ることしかできないのだ。

 戦士達が運命に抗うように命を散らした場所は血に塗れ、まるで大地の傷跡のようだった。

 騎馬王は本当に自分は生まれて来て良かったのだろうかと思う。

 中途半端な希望の象徴は、むしろ皆の諦めきれないという気持ちを掻き立て、哀しみを積み重ねさせたのではないだろうか。

 誰か生まれた意味を教えてくれと願うが、誰も答えることなどない。

 孤独なふりを気取って来たが、騎馬王は今確かに自分が孤独ではなかった事を思い知る。

「……皆、弱き私を許してくれ。」

 戦地へ進む前に一つの武技を発動させる。

 ――<急所感知>。

 弱点――なし。

 普通であれば驚愕するだろうが、ここまでコキュートスと過ごして来た騎馬王に驚きはない。

 当然のことだとしか思えなかった。

 無意味な悪あがきをした騎馬王は駆け出す。それを合図に代表達も駆け出した。

 俊足の八本足は一瞬でコキュートスの立てた氷の柱の間を潜り抜ける。代表達はとても追い付かず、今死なんとしていた仲間達が騎馬王の邪魔にならないように道を開けた。

「コキュートス様ァッ!!」

「来タナ!騎馬王!!」

 コキュートスの刀は数え切れない血を吸った筈だろうに、一片の曇りもなく輝いていた。

 夢とは違い、騎馬王は鉾をなんなく振るうことができた。わずかに安堵が心に満ちる。

 真っ直ぐ突き込まれた鉾の切っ先は、紙のように薄い刀が触れ合った瞬間悲鳴を上げるように甲高い音を立てた。

「――ム、ソレハ!?」

 ここまで挑んでいた者達の武器であれば瞬時に破壊できただろうが、この鉾には特別な力がある。皆の生命の力が。

 騎馬王は自慢の一刀を受け止められた事も、弱点がないと言う事実もものともせず、鉾の軌道を一気に変えて振り被り直す。

 その筋にはわずかな迷いもない。

 同時にいくつもの武技が発動する。

 

 ――<限界突破>、<剛腕豪撃>、<神技一突>。

 

 騎馬王はこれまであらゆる力の探究に取り組んで来たが、これほど武技を用いたのは初めてだ。こんな事をせずとも多くの者を屠って来てしまった。

 コキュートスの外皮装甲の隙間に見える細い腕へ向けて鉾を突き出し――それは指先で受け止められた。

「美シイ一閃ダ。」

「恐れ入ります!」

 騎馬王は踏み込み直す必要もなく、新たなベクトルの力を加えてコキュートスの鞘を持つ手元目掛けて鉾を振るった。

 その時だった。騎馬王の前足の一本に激痛が走ったのは。

 鉾を放したコキュートスは、刀の中腹で強靭なはずの騎馬王の身を容易く斬り落としたのだ。

「ッグゥ!!足の一本ぐらいぃ!!」

 切断面から血が吹き上がるが、死んだ者は痛いと叫ぶことすらできなかったはずだ。男に泣き言は不要。

 崩れかけるバランスを取り直し、馬体に下げていた毒のクナイを手にする。

「ティラァ!貴様のクナイ、返せぬ事を許せぇ!!」

 腹部目掛けて突き立てられようとしたクナイもコキュートスの手で優しく止められた。

「――クルダジールマデナラ私ガ届ケヨウ。」

 騎馬王は思いがけずこの闇の中で笑ってしまいそうになった。

 そして、腹部に思い切り拳が突き立つ。

 人馬(セントール)は胃が四つあり、多くが馬体に収まっている。人体の方には長く走るために大きな肺と心臓が入っている。

 騎馬王の呼吸が一瞬止まる。何本のあばらが折れたかわからない。

 すぐに痛みを止めるハーブを取り出し、噛み締めた。

「ック!!ッふ!!」

 まだ生きている者や、騎馬王に道を譲った戦士達、代表達が後ろから加勢をするように駆け出す。

 騎馬王が持ち直すまでの時間稼ぎに、文字通り命を賭ける。

 震えが起こるような光景だった。

 ワジュローの頭が飛んだ。しかし、切断されたはずの頭はコキュートスの腕に噛み付いた。

「――意思ノ(チカラ)カ。」

 崩れたワジュローの体の影からはマイカが飛び出し、クナイをコキュートスに向けて投げつける。

 同時に天からイズガンダラもクナイを矢にしたものを降り注がせた。

 いつまでも這いつくばってはいられない。騎馬王は大量の出血に明滅を始めた視界を定め、再び立ち上がった。

 死に行く者達は愛する草原のため、ただひたすらに戦った。

 後ほんの少しだっていい。草原を取り返し、侵略者達の末裔を追い出すために。

 その時、コキュートスの遥か向こうの空が真っ赤に染まった。

「――ナニ?」

 瀕死の戦士達は彼方の空を見上げた。




始まっちゃってるよぅ(´;ω;`)皆いい子なのに…あっちこっちで死の匂いが…


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#127 戦いの狼煙

「一体誰ガ……!」

 コキュートスは戦争の匂いを感じると、見えもしない村へ振り返った。空が赤く燃えている。

 デミウルゴスから連絡はない。州軍は動かされていないはずだ。

 口の端から垂れた血を拭った騎馬王は無言で鉾を構え直す。しかし、対するコキュートスは静かに刀を納めた。

「コノ戦イハ預カラセテ貰ウ。私ハ我ラガ神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国ノ地ニ起コッテイル事ヲ確カメニ行カネバナラナイ。」

「……行かせはしません。」

 戦士達はコキュートスをここに縫い止めるため、ジリリと動いた。

「――ナルホド。ソレガオ前達ガ命ヲ投ゲ出ス本当ノ理由ダッタカ。」

「……そうです。哀しみを終わらせる為。行かせはしません!」

「私ハ戦争ヲ止メルト言ウ最大ノ勅命ヲオッテイル。阻メルト思ウナ。」

 コキュートスとしては武人としての敬意を表し、向かって来る者とは戦士として剣を合わせたかった。

 しかし、絶対命令を受けているナザリック地下大墳墓が守護者の道を阻むと言うのであれば――。

 コキュートスは封じていたオーラを解放する。

 ナイト・オブ・ニヴルヘイムのクラス能力である<フロスト・オーラ>。極寒の冷気によってダメージを与えつつ、相手の動きを鈍らせる特殊能力だ。

 力を抑え込む。

 範囲を広く、ダメージ量を少なく。

「コレクライダナ……。」

 コキュートスを中心に抗い難い冷気が、瞬時に半径五十メートル近くを覆い尽くす。それは空までも届いた。

 急速すぎる温度変化によって大気がゴウッと悲鳴を上げた。

 草と花は凍り付き、飛び立とうとしていた虫が落下する。それを合図にボトボトと人鳥(ガルーダ)も落ちて行く。

 まるで、全ての終わりを暗示するようだった。

「………フム、デハ行クカ。」

 オーラは霧散した。

 時間はごく短く、吹き荒れた冷気の嵐は夢か幻だったかのようにかき消える。

 しかし、凍り付き刃のようになった夏草(エテリーフ)と大地に転がった数えきれない戦士達の体が、地獄の嘆きの川(コキュートス)が訪れた事を裏付けた。

 無人となった野からコキュートスは踵を返した。

「あっ……っく………。ま、待て………!」

 痛みの中手を伸ばした騎馬王と代表達、数人の強者が言うが、コキュートスは止まらずに村へ向かった。

 

 コキュートスの背はあっという間に見えなくなり、騎馬王は痛みの中、脂汗を流しながら凍り付いた傷にギュッと布を巻き付けた。

 凍ってしまったお陰で血が流れていた時よりも調子がいい。とは言え、戦いが終わった為に気持ちの張りが切れてしまった。

「――ッく…!」

 周りの戦士達は急速な冷えに体を蝕まれ、瀕死状態だった。

 特に人鳥(ガルーダ)達は落下の衝撃から骨が折れ、動ける状況ではなさそうだ。

 何とか息を整えると、騎馬王は立ち上がった。

「――皆、私はコキュートス様を追う…。」

「き、騎馬王殿…、私も……。」

 フィロ・マイカとア・ベオロワ・イズガンダラが起き上がろうと震える手で大地を押すが、騎馬王は首を振った。

「残りの動ける者はここにいてくれ。混合魔獣(キマイラ)が血の匂いを嗅ぎつけてじきに現れる。皆を守ってほしい。」

 コキュートスの放った信じがたい冷気は戦士達の足を止めたが、命まで奪われた者は少なかった。

 騎馬王は村に向けてよたよたと歩き出すと、斬られて死んでしまった者達を踏みつけてしまわないように細心の注意を払った。

 死体と血に塗れた場所を抜ける間、一瞬これは夢ではないかと思う。

 しかし、無限に広がるかと思われた死の大地は終わりを告げた。

(……いける。)

 騎馬王は少しづつ速度を上げ、最後は風のように早く走った。後方で共に行きたいと叫ぶ者達の声がするが、振り返らなかった。

 心臓が鼓動を打つたびに、失った前足の場所がズキズキと痛む。

 バランスが変わった身体はうまく言うことを聞かないが走れない程ではない。

 騎馬王は必死に走った。

 凍り付いた傷痕が溶け出し、強く縛ったと言うのに血が失われていく。

 体が大きい分、心臓も大きいため血流が早い。

 もう少しだと言うのに。これだけの距離を走り切れない程弱くはないのに。

 騎馬王は黒く闇に落ち始めた意識の中で足だけを動かした。

 遠くに八足馬(スレイプニール)の群れが見える。

(――あぁ…。そっちだな…。分かっているとも……。)

 彼らは自分達の王がどこへ向かおうとしているのか理解しているようで、まるで先導するように走りはじめた。

 いつもなら追い抜くようなスピードで走れるというのに、今日ばかりはどれだけ足を動かしても、八足馬(スレイプニール)達に騎馬王が追い付くことはできなかった。

(私は夢の世界を生きているのか…?)

 騎馬王は見覚えのある景色の中、必死に八足馬(スレイプニール)を追った。

 そして、あと少しで戦地に辿り着くという時、その足はもつれ大地に転がった。

 ザリザリと体を擦り剥きながら転び、立ち上がれと足に訴え掛ける。

 戦士だというのに、戦いの中ではなく誰も見ていない野で死ぬ事になるのか。

 誰の記憶にも残らず、歴史と草原の海の中に溶けて消える事になるのか。

「こんな場所で――死んでたまるか…。」

 騎馬王は何とか震える体を起き上がらせて前を見据えた。

 その時、すぐ耳元で八足馬(スレイプニール)(いなな)きが響いた。

 遠い先しか見ていなかった騎馬王は促すように自らの顔を覗き込む八足馬(スレイプニール)達に笑った。

「ふ……行くとも。」

 手を伸ばすと、特に大きな八足馬(スレイプニール)が立髪を騎馬王の方に垂らし、騎馬王は八足馬(スレイプニール)に掴まって再び立ち上がった。

「――助かった。悪いが、向こうに着くまで肩を貸してくれ。」

 その歩みは牛のように遅々としていた。

 

+

 

 乱戦だった。

「騎馬王はどこだァッ!!」

 ディア・フェルベックの怒号は治安維持部隊の中に響き渡った。

「ディア!!あまり前に出ると危険だ!!」

 友人のメロア・ビビは片腕のない彼の側で戦い続けていた。戦うと言っても、まだ治安維持部隊は誰も剣を抜いてはいない。

 皆鞘に収めたままの剣で敵を失神させている。相手は戦士だとは思えないような力しかないため、何とか戦線を維持できている。――が、もしかすればそれも時間の問題かもしれない。

 相手は既に得物を抜いている。

「――くそ、本当にレミーの言う通りこれじゃ戦争になっちまう!」

「だが、騎馬王はいねぇ!こいつらは確かに残党だ!!」

 メロアの盾は片腕のないディアに降りかかった人馬(セントール)の剣を弾き返し、ディアは人馬(セントール)の胸に爪痕を付けた。

「ッグァああ!」

 四本の爪の痕が人馬(セントール)の胸に焼き付き血が吹き出す。しかし、致命傷ではない。

 カルサナスの治安維持部隊は残党の命を奪う許可まで得ているとは思えなかった。

 夏草海原の残党はジリジリと村へ進んでいた。

 ――そして、ヒュンッと高い音が何度も鳴る。

 メロア達治安維持部隊の上空を無数の流星のような光が流れていた。

 一瞬何が起きたのか理解できなかったが、治安維持部隊はそれが矢だと言うことを理解した。

 どの矢にも火が付けられており、それは真っ直ぐに村へ飛んでいた。

「な…!?そ、草原の奴ら、やりやがった!」

 村が燃え上がり始めると、戦から身を守るために家の中から様子を伺っていた村人達が悲鳴を上げ逃げ出していく。

 同時に、草原の残党も呆然と空を見上げ、そして悲鳴を上げた。

 両軍共に戦争で火を使ったことはなかった。下手をすると草原中に燃え広がり、敵味方の区別なく死ぬかもしれないからだ。

 残党もそれが分からない筈がない。

 しかし、メロアは見た。空にいる、若く戦士然とした人鳥(ガルーダ)達が尚も火を焚べようとする様子を。

 若く強靭な肉体から繰り出される矢は音よりも早く村にたどり着く。

(――戦争ごっこじゃないんだ!!彼らは死に物狂いで来る!!)

 メロアの脳裏に弟のレミーロの言葉がよぎると同時に、背には嫌な汗が流れた。

 ――あれは残党ではない。

 メロアとディアの本能が叫ぶ。

「「――騎馬王と夏草海原連合軍か!!」」

 この残党の向こうに騎馬王がいるはずだ。

 二人が残党を掻き分け向こうへ行こうと進み始めると、それを武力行使の発端だと理解した治安維持部隊の者達が抜剣した。

「貴様ら、それでも草原に暮らす者かぁ!」「セイタイケイを考えろぉおお!!」

 方々で剣戟の響きと残党の血しぶきが上がる。

 戦争状態に突入したが、治安維持部隊の半分は火消しに動いた。

 鎮火の為に見えている池へ駆ける者達。

 燃え広がらせない為、燃えている家の周りに建つ家を打ち壊す者達。

 延焼の危険がある物を移動させる者達。

 ここは水も少ないし、消防隊の魔法詠唱者(マジックキャスター)もいない。

 神聖魔導国の地を守る事を是とする彼らは何の指示も受けずとも綺麗に役割分担をして動いた。

 戦闘行為を続けられる者が減った状況で、残党は治安維持部隊の倍はいるかもしれない。

 しかし、素人同然の動きをとる残党は剣を抜いた私兵達の前ではボロ雑巾のようなものだ。

 私兵達が勝利を確信して切り進む。

 統率されている訳でもない残党のことだ。そろそろ逃げ出し始めても良いはず。

「――なんなんだ。なんなんだよ…!」

 メロアとディアは憤るような声を上げた。

 残党達は連合軍の到着と共に撤退するのかと思いきや、彼らは後ろに控えていると思われる連合軍と治安維持部隊を出会わせまいと動いているようだった。

 この残党達の並々ならぬ闘志は何だと言うのだろう。まるで全員が初めから死を覚悟していたかのような奇妙な空気を纏っている。

 そんな中、禁じ手である火を使う連合軍の若者は未だ空に。

 火を分け合い、矢を燻らせていく。

 何とかなりそうだとタカを括っていたはずの村人達の悲鳴は止めどなく、乱戦場には様々な種の亜人が入り乱れる。

 これまで力が拮抗していたのが嘘のように、残党は押されて多くの者が命を落とした。

「…貴様ら、こんな死に方で本当に良いのかよぉー!!」

 ディアの遠吠えのような絶叫が響く。尊厳のない死を迎える者はどちらの軍勢にも大勢いた。

「出てきやがれ騎馬王ぉ!!こんな事、俺たちはもうやめなくちゃいけないんだぁ!!」

 しかし、騎馬王は出てこなかった。

 時は刻一刻と過ぎ、残党の排除と滅殺までもう一息というところで――ディアとメロアは残党の向こうに目を細めた。

「――来たか?」

 遠方には土煙が立っており、多くの人影が向かって来ていた。

 移動速度はかなりのもので、ここまで来るのにもう幾ばくも時間はかからないだろう。

「え、援軍だ!!夏草海原連合軍だ!!」

 誰かが叫ぶ。そして、誰かが返す。

「連合軍は騎馬王が死んで解散した筈だろ!?」

「まさか、本当に騎馬王が――!?」

 治安維持部隊は足がすくんだ。誰も死と戦争を覚悟して来なかったと言うのに、治安維持部隊を更に上回る戦士達の登場だ。

 ディアとメロアは眼前の人兎(ラビットマン)を蹴り飛ばすと進んでくる者達の姿をしかと見た。

 溢れる生命力。若き戦士達。

「夏草海原連合軍!着火人鳥(ガルーダ)隊に続き、カルサナスより草原を取り戻す最後の戦いに馳せ参じた!父達よ、愚かな息子達を許せ!!」

「や、やめろ、お前達!どうして出てきたんだ!!」

 連合の名乗りに返したのは残党の叫びだった。

 途端に残党は治安維持部隊に背を向け、援軍との間に立ちはだかった。

「な、なんだ…?」

 治安維持部隊が残党の不可解な動きに呆気にとられる。

 残党は正規軍とも言えるような風体の援軍を進ませまいとした。

 残党の何人かが治安維持部隊に切られるが、構っていられないのか背から血を流しながらも吠えた。

「お前達は来ちゃいけないんだ!!」

「お前達若者までも神聖魔導国に弓を引いたら草原はおしまいだ!!」

「やめろ!やめるんだ!!」

「お前達は未来のために、草原のために騎馬王様の言いつけを守れぇ!!」

 その言葉にディアとメロアは我に返った。

「――騎馬王!騎馬王はどこだ!!」

 ディアの言葉に応えたのは若き人馬(セントール)だった。

「騎馬王様は命を投げ出しコキュートス様と鉾を合わせていらっしゃる!!夏草海原連合軍の最後の戦い、目に焼き付けろ!!カルサナス!!」

 その言葉を聞いて、冷静でいられる神聖魔導国の民がいようか。

「き、貴様ら守護神様に!?この……この草原の野蛮人共がァ!!神々に弓を引く意味を思い知れやぁあ!!」

 残党を押しのけた連合軍と治安維持部隊――いや、残党鎮圧部隊は剣を合わせた。

 連合軍の若者達の力量は、全員がまるで歴戦の勇者のようだった。

 普通若い者は力があっても技術が劣る。

 だと言うのに、彼らは神への冒涜に殺気を漲らせる鎮圧部隊の剣を、まるで指導するように弾き飛ばしていく。

 何故か残党達が連合軍の多くの足止めを行ってくれているお陰で両者の力は再び拮抗した。連合軍は残党に手を挙げることはなかった。そして、鎮圧部隊も連合軍を止める残党を切らなかった。

「お前達が殺されちゃあ、草原はおしまいなんだよぉ!!」

「退いて下さい!もう誰一人死なせないために俺達は来たんですよ!!」

「若いお前達が火をくべたなんて知れたら…!どうなってしまうか分かっているのか!!」

「この戦いの狼煙が全てを終わらせます!!皆さんは引いて下さい!!」

 連合軍の到着から死者は出なくなったが、泥沼の戦いだ。

 奇妙な三竦みの戦いは鎮圧部隊か連合軍のどちらかが死に絶えるまで続くかのように思われた。

 しかし、その時は突如として訪れた。

 背筋を凍り付かせる圧倒的な力がその場にいた全ての者の生存本能を刺激する。

 一気に襲い掛かって来た凍てつく波動は、猛烈な炎を上げていた村を凍り付かせ、天すら青き炎で包まんとするようだった。

「コキュートス様……。」

 名を呼ばれた戦いの神はその四本の腕に武器を持っていた。

 

+

 

「カベリアさんが?」

 フラミーはアルメリアが放り出した始原の力を抑制する腕輪を着け直してやりながら首を傾げた。

 先日アルメリアの分の腕輪も完成したが、アルメリアは隙を見つけると腕輪を外して床に落としてしまう。

 大人しく着けられていたナインズとはまるで違い、ダメだと言うと潤んだ瞳で黙ってフラミーを見上げるのだ。

 それで「仕方ないな」と言ってやれる問題ではないので、フラミーは何度も腕輪を拾い直してはアルメリアの腕に抑制の腕輪を戻した。

 ちなみにナインズの腕輪はツアーの鱗が主な素材だったため外側が白金(プラチナ)で内側が漆黒だが、アルメリアの物は常闇の鱗が主な素材だったために外側が漆黒で内側が白金(プラチナ)だ。

「着けてないとダメなんだよ。お母さまを困らせちゃだめだよ」と言うナインズと、しつこく腕輪を落とすアルメリアの間で最近初めての兄妹喧嘩も勃発した。

 いつも優しいナインズが怒る様子に何かを感じたのか、その後しばらくは腕輪を着けていたが、今はナインズがいない時に腕輪を落としている。

 アルメリアは今も着け直された腕輪をジッと見つめ、いつ外そうかと企むような目をしていた。

 

 その様子に、フラミーの部屋を訪問しているデミウルゴスは少し困ったような顔をしてからフラミーの問いに答えた。

「――は。カベリア州知事が、御身もご存知のあの事(・・・)で至急お会いしたいとの事です。」

 フラミーはあの事とはどの事だろうと一瞬首を捻った。

 最近のカベリアは競技大会の運営に忙しく、お茶会はしばらく辞退と言っていたので、かなり久しぶりの連絡だ。

 次に会う約束をしていたのは――そこまで考えると、フラミーはすぐに何のことか理解し、「あぁ!」と声を上げた。

 競技大会の観覧席を用意すると前々から言ってくれていたので、チケットでもくれるのだろう。

 競技大会まで後幾日もないのだ。そろそろ呼び出されてもおかしくない頃合いだろう。

「すぐに準備しますね。どこまで行きます?」

 フラミーはアルメリアをナーベラルに抱かせた。ナーベラルとルプスレギナは相変わらずおむつ清潔(クリーン)係として控えている。

「カルクサーナスにある神殿までお願いいたします。私が転移門(ゲート)を開き、そのまま護衛も兼任してお供いたします。」

「はぁい。じゃあ、アインズさんにカベリアさんの所に行くって言って来なくちゃ。ちょっと待ってて下さいね。」

「畏まりました。」

 デミウルゴスは眼鏡の向こうで嬉しそうに目を細め、そっと扉を開いた。

 フラミーは軽く礼を言うと、自室を後にしてアインズの部屋の扉を開いた。

 フラミー当番は一つも扉を開けられなかったことに非常に残念げな顔をした。

「こんこーん。アインズさーん、私ちょっとデミウルゴスさんとお出かけしますね。」

「――ん?フラミーさん、どちらまで?」

 アインズはこれまでで一番と言っても良いほどに分厚い書類の束から顔を上げ、隣に立つアルベドは恭しげに頭を下げた。

「カベリアさんがあの事(・・・)で呼んでるんです。」

 アインズの瞳の灯火がスッと書類に降りた。

「――なるほど。分かりました。これに一通り目を通したら俺もすぐに追って行きますから、あっちの事お願いします。」

「私一人でも構いませんよ?」

「いやいや、行きますよ。締めるところはきちんと締めなきゃいけませんからね。」

「そうです?」

「えぇ。」

 アインズがニヤリと笑ったような雰囲気を出す。フラミーはちゃんと家長がお礼を言うのが筋かと頷いた。

「じゃあ先に行きますから、また後で。」

「気を付けて下さいね。」

 フラミーは軽くアインズに手を振って部屋を後にした。

 そして、アインズがお礼を言うならナインズもいた方がいいかとフラミーはこめかみに触れた。

 何でも観劇観戦できるのが当たり前だと思ってしまうのは教育上良くない。ナインズからもきちんと礼を言わせた方がいいだろう。

 コール音がたった一回だけ響くと、線の先が繋がる感触がした。

『――パンドラズ・アクターです。』

「あ、ズアちゃん。私です!今少しいいですか?」

『フラミー様!如何なさいましたか?』

「カベリアさんに会いにカルサナスまで行こうと思うんですけど、ナインズも一緒に連れて行こうかなと思って。お勉強、中断できそうですか?」

 喋りながら進み、フラミー当番が満足げに開いた扉をくぐる。

 中ではデミウルゴスが床に落ちた腕輪をアルメリアに献上していた。

『――もちろんでございます。カベリア州知事に会いに行くと言うことは、過程(・・)をお見せすると言うことで宜しいでしょうか?』

「過程――…そうですね。過程。何がどうやって手に入るのか知るって良いことだと思うんです。どうかな?」

『素晴らしいかと!』

「そうですよね!じゃあ、キリのいいところで私の部屋に来て下さいね!」

『すぐに参ります!少々お待ちくださいませ。』

 フラミーは伝言(メッセージ)を切り手を下ろした。

 伝言(メッセージ)はこちらが切るまで効果の使用制限時間まで無限に繋がってしまうため躊躇いは不要だ。

「デミウルゴスさん、ナインズも連れて行きたいんですけど、良いですか?少し待たせちゃうんですけど。」

「もちろんでございます。このデミウルゴス、感服いたしました。ナインズ様には素晴らしい影響になるかと。」

「ふふ、良かった。」

 フラミーが自分の思い付きを心中で褒め称えていると、扉が数度叩かれた。

 フラミー当番がフラミーの表情を窺い、静かに扉に向かう。

 扉を細く開き、フラミーの許可なく入れて良いと言う無言の意思に従うべき相手なのかを確かめる。

 確認作業は早々に終わり、扉はすぐに開かれた。

「――お母さまー!」

 銀色の髪を揺らすナインズは顔いっぱいの笑顔で入ってきた。

 真っ直ぐにフラミーに向かい、ボフッとぶつかった。

「わっ!ふふ、ナイ君もお出かけしようねぇ。」

「はい!」

 続いてカツ、カツ、と踵で音を立てて現れたパンドラズ・アクターは帽子を脱いで踊るように膝をついた。

「フラミー様。パンドラズ・アクター、御身の前に。」

「ズアちゃんもいらっしゃい。お勉強途中で切り上げてもらっちゃってすみません。あんまりこう言う機会ってないのかなって思って。」

「今しか学べない事を優先するのは当然のこと!是非参りましょう!」

「ありがとうございます。じゃあ、デミウルゴスさん。転移門(ゲート)お願いします。」

「は。今すぐに。」

 フラミーはカルサナスだとベバードの迎賓館にしか行ったことはない。

 デミウルゴスは転移門(ゲート)を開くと一度フラミーに頭を下げた。

「先にあちらの確認をして参りますので少々お待ち下さい。」

「はぁい。」

 そんなもの必要ないのになぁと思うがナインズも連れて行く為大人しく待つ。

 デミウルゴスは一歩足を進めると、突如として硬直した。

「――ん?」

 共について行こうとしていた八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)やハンゾウ達、部屋にいる全ての者の視線がデミウルゴスの尻尾に注がれている。

 尻尾はアルメリアの小さな手に掴まれていた。

 アルメリアは外嫌いな為転移門(ゲート)も嫌いだ。これの先に嫌いな外がある事を理解している。

「あらら。リアちゃん、デミウルゴスさん放してあげて?」

「おかぁ。」

「お母さん達ちゃんと帰って来るから。」

「やんやぁ。」

 デミウルゴスの尻尾には暴力的な装甲が施されているので、下手に引っ張ったりすれば手を切る可能性もある危険な箇所だ。

 フラミーは硬直しているデミウルゴスの尻尾に触れると、そっとアルメリアの手を放させた。

「すぐに帰って来るからね。」

「おかぁ。」

「本当にすぐだから。良い子にしてて。」

 フラミーがアルメリアの黒翼を広げて顔を隠してやると翼の下でアルメリアはムンムン唸った。

「――で、では。参ります。」

 デミウルゴスが気を取り直して眼鏡を押し上げる。

 フラミーはこの尻尾の装甲の中はどうなっているんだろうと、また余計な興味を持ちながらアルメリアから取り返した尻尾を放した。

 ネズミのように細い尻尾の先にハート型の先端が付いた悪魔らしいものなのか、それともこの装甲の形と変わらないどこかムカデじみた形の物なのか――それとも、オタマジャクシがカエルになる時にお尻に付けているあの尻尾のような具合なのか。

 もし変態途中のオタマジャクシのような尻尾だったら――「デミウルゴスさん、装備って全部脱げますよね?」

 フラミーの興味は止まらなかった。

「ぬ……」デミウルゴスはまた進めようとしていた足を止めた。「脱げますが……以前申し上げた通り、アインズ様のご許可が…いや…御身が望むのなら……いや……しかし……。」

「ちょっと見るだけなら?」

「ちょっと見るだけなら…えー…いつかまた…今度…。」

 フラミーはそれを聞くと顔をパッと明るくした。

「じゃあ、今度ちょっと装備の下見せて下さい!」

 デミウルゴスが謎のデジャブを感じる横で、表情がないはずのパンドラズ・アクターはベキベキと顔中に血管を浮き上がらせた。

 一方ナインズはそんな事はどうでも良いと言わんばかりに、転移門(ゲート)のあたりでウズウズしていた。




はぁ、はぁ!
明日も更新するぞぉ!!
次回#128 氷解


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#128 氷解

 カルクサーナスの神殿。

 厳かな空気が漂う長方形の堂内は壁一面に立体彫刻が施され、カルサナスの戦いの歴史を物語っていた。

 正面に据えられた神々の像が全てを取りなす一つの作品のように見えるが、それまで特定の神を持たなかったカルサナスにおいて、ここは百年前の内乱で死んだ者達の魂を清めるための場所だった。

 

「デミウルゴス様が参ります。」

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの通達が堂内に響く。

 ここの神殿に勤める神官と、謁見を求めたカベリア、首狩り兎が膝をついた。

 首狩り兎は闇の神ではなく、まずは生命を生み出す光の神に話を聞いて欲しいと思っていた。光の神の方がカルサナスの草原への行いに怒ってくれるような気がしたから。

 しかし、この期に及んで未だここに神がすぐに降臨すると言うことを信じ切れていない。

 女神はこの間の観劇に馬車で現れたのだ。

 今日会いたいと伝え、そこから都合を付けてもらって馬車で神都から来てもらうとすると、ここに来るまでにどれだけの時間がかかるだろうか。

 守護神などは自分の守護都市であるカルサナスを見に来ていればすぐに駆け付けてくれるだろうが、神々などはそうはいくまい。

 カベリアはここに女神もすぐに現れてくれると信じているようだが、首狩り兎はこうしてぐずぐずしているうちに、今にもゴルテン・バッハの手の者が神殿に雪崩れ込み、大切な資料を全て奪い去るのではないかとハラハラしていた。

 本当なら今頃上院議員達を殺しているはずの頃だったと言うのに、草原の返還に全力を尽くすと言っているカベリアからの反対に渋々頷き殺害計画を畳んだ。

(もし奴らが来やがったら…あっちから逃げ出して…死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を盾にして……。)

 首狩り兎が不敬とも取れる逃亡計画を立てていると、神聖なる像の前に楕円の闇が現れた。

 しかしそれ以上何も起こらない。

(これがなんだってんだ…?)

 首狩り兎は謎の闇を眺め、無為な時間を過ごした。

 しばらく待つと、そこから一人の男が現れた。

「デミウルゴス様。お忙しい中、貴重なお時間を頂戴いたしまして、誠にありがとうございます。」

 カベリアが感謝の意を告げると、これが守護神の"デミウルゴス"かと首狩り兎は思った。

「いえいえ。その言葉は直々にお見えになるフラミー様に伝えて下さい。さぁ、フラミー様がいらっしゃいます。」

(――まじ?)

 本当にここにすぐに女神が来るのかと瞬いていると、カベリアが頭を下げ、首狩り兎も慌てて頭を下げた。

 頭を下げたまま目だけを動かし、闇を凝視する。

 デミウルゴスは闇に手を差し入れ、薄紫色の手を引いた。

 何の躊躇いもなく、むしろ喜ばしさすら感じさせる表情の女神が現れた。

 汚れひとつないローブに純白の翼。討議場に来たのは何かの間違いで、神殿こそが真なる居場所であると思わされる。

 その後を子供と、黄色い守護神が続く。宗教に詳しい者ならば全ての守護神の姿と名前を知っているのだろうが、首狩り兎はこれまで「カルサナスの言い分だけを鵜呑みにする王達」だと思っていた為、大した信仰も持っていなかったのであまり詳しくない。

 守護神の名前くらいは分かるが、オシャシンが出回っているわけでもない守護神の姿には多くの者が馴染みがないのだ。しかし、神都とエ・ランテルの住民達だけは例外だ。大神殿やエ・ランテルの神殿には守護神達の姿が描かれたステンドグラスもあるため、この二つの都市の者達は普通の都市の住民よりもかなり詳しい。

「カベリアさん、お待たせしました。楽にしてくださいね。」

 その声と共に、カベリアと首狩り兎は深く下げていた頭をゆっくりと上げた。

「光神陛下…。お呼び出ししてしまい申し訳ございません…。」

「良いんですよ。そろそろかなって思っていましたし、私が来るのは当然のことですから。気にしないでください。」

 首狩り兎の丸い目は一層丸く見開かれた。

(こ、これが女神……。カルサナスが罪を告白する日を待っていた……?)

 ようやく話す気になったカルサナスを前に、女神は喜んでいる。

 首狩り兎は相手がとても人知の及ぶ存在ではないと今更ながら確信した。

「やはり全てをお分かりになっていらしたのですね……。私は……カルサナスが恥ずかしいです。世界の命の母たる御身を前に、私は…私達は……。」

「……ん?カベリアさん?」

「光神陛下、本当に申し訳ありませんでした…。」

 カベリアがべたりと床に頭を擦り付けると子供が女神の手をとった。

「お母さま、どうしたの?カベリアさん、悪いことしたの?」

 お母さま――女神をそう呼ぶ存在が何者なのか首狩り兎は瞬時に理解する。娘のように美しい顔立ちをしているが伝え聞く特徴と年の頃から言ってそれは神の子――ナインズ・ウール・ゴウンだ。

「え?わ、悪いこと?カベリアさん、悪いことをしたって思ってるんですか?」

 女神からの言葉は首狩り兎をしても酷に聞こえた。

 悪いと思っているのかという問いは、裏返せば悪いと思っていなかっただろうと言う糾弾だ。

 カルサナスの罪を本当に理解して反省しているのかと突き放すようだった。

「はい……はい……。申し訳ありませんでした…。本当に、本当に……陛下……。」

「落ち着いて。ゆっくりでいいから、ちゃんと全部話してください。」

「はい……。」

 カベリアが何から話し懺悔すべきなのか整理を始めると、首狩り兎は軽く深呼吸をしてから声を上げた。

「――光神陛下、ナインズ殿下、そして守護神様。私は首狩り兎と申します。畏れながら、私にも発言のご許可を頂けないでしょうか。」

「もちろん良いですよ。詳しく聞かせて下さい。」そう言った女神は望むところだと言うような雰囲気だ。

 首狩り兎は一つ目のドワーフの革袋をポシェットから引き出した。

 その中から一冊の資料を――全ての始まりが書かれた資料を取り出すと、頭の上に掲げるようにして差し出した。

 資料は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の手に渡り、続いてデミウルゴスの手に渡り、デミウルゴスが恭しく女神に渡した。

 なんと面倒な、と思ってしまったのは首狩り兎が庶民だからだろう。王妃ともなれば、神ともなれば、これくらいの面倒なやり取りは当然のはずだ。

「――では、僭越ながら私から説明を始めさせて頂きます。」

 首狩り兎は草原とカルサナスの因縁について滔々と語り出した。

 カベリアが途中カルサナスの当時のやむを得ない事情を挟むと、首狩り兎は宿敵を見る目でカベリアを睨んだ。

 神殿の中に二つの視点からの歴史が響く。

 広い堂内には顔を青くしていく神官達の呼吸と二人の紡ぐ言葉だけが満ちる。

 張り詰めていく空気に神の子は漠然と恐れを成したように女神に縋った。

 壁にかけられた永続光(コンティニュアルライト)が、戦争の恐ろしさを見せ付ける壁画彫刻達を浮かび上がらせる。

 声が響いていると言うのに、静寂に満ちた異様な空間だった。

 そんな場所だったからこそ、語り続ける首狩り兎の耳には神殿の外で誰かが話す声が自然と届いた。

『私は今月の寄付に来たんだよ?』

『ありがとうございます。ですが、ただいま中で謁見を――』

『謁見!?誰が誰に!!』

『は、え、えっと、光神陛下にカベリ――』

 外の会話はそこで途切れた。

 次の瞬間、神殿の扉は開け放たれ、外から太陽の光が堂内に差し込んだ。

「へ、へ、陛下!!陛下、違うのです!!陛下!!」

 入ってきたのはゴルテン・バッハだった。しかし、昨日の夜に見た肉食獣のようだった姿が嘘のように、恐れ、怯え、震えていた。

 駆け込もうとしたゴルテン・バッハはふわりと宙に浮いた。

 いや、神殿の扉を守っていた死の騎士(デスナイト)によってつまみ上げられたのだ。

「オオオァァァアアアアアア――!!」

 死の騎士(デスナイト)の咆哮に合わせ、ビリビリと大気が震える。

 不敬者を抹殺する前の号砲だった。

 街のどこにでもいる死の騎士(デスナイト)が一転――殺戮に飢えたアンデッド本来の姿を取り戻す。

 

 殺される。

 侵入者ではない首狩り兎すらそう思った。

 死の騎士(デスナイト)の手の中にあるフランベルジュは容赦なくゴルテン・バッハの体に迫り――

「やめろ。」

 平凡な男の声だった。

 ゴルテン・バッハの腹にめり込もうとしていた白銀の輝きはピタリと動きを止めた。

「他者を傷付けていない者を殺す許可は出してないだろう。」

「オォォーン――」

 悪鬼羅刹のようだった死の騎士(デスナイト)はそっとゴルテン・バッハを下ろした。

 首狩り兎は誰があの死の騎士(デスナイト)を止めたのかと正面に自然と視線を戻した。

「フラミーさんが関わるとどうも短気でいかんな。」

「しかし、アインズ様。フラミー様のいらっしゃる神殿の扉を勝手に開けると言うのは万死に値する行為と言っても過言ではないのでは?」

「父上、死の騎士(デスナイト)の判断は至極真っ当なものかと。」

「……お前達は本当に……。」

 守護神達と当たり前のように会話を始めていたのは、この国の王にして闇の神、アインズ・ウール・ゴウンに違いなかった。

「へ、へいかがた…。へいかがた……。」

 解放されたゴルテン・バッハは足枷でも嵌められているような遅々としたスピードで神殿を進んだ。

 カベリアと首狩り兎のことなど目にも入らぬ様子だ。

 首狩り兎は心の中でざまぁみろと思ったが、そんな余裕は冷たい響きを持つ声が発せられた瞬間消え去った。

「大切な話をしていたのに。邪魔を。」

 女神は凍てつく視線でゴルテン・バッハを真っ直ぐ見つめていた。隣に立っていた神が驚いた顔をしたような気がしたが、骸の顔に表情はない。

「――へ、へいか…。その、その大切な話は……カルサナスにはずっと……事情があったのです……。命のため、御身の生み出した命のため、ずっと…ずっと事情が……。」

「思い出した。あなた、あの日のダンスパーティーにもいましたね。上院議員。」

「そうです、陛下。その通りです。我が君。どうか、この哀れな老いぼれにも話をさせて下さい…。カベリアの語るカルサナスは軽薄かもしれませんが……当時を生きた私からすれば、もっと……もっと多くの言い分があるのです……!」

「言ってみなさい。」

「と、当時、夏草海原との戦争が始まってしまった時、我々は夏草海原のルールなど知らなかったのです…。戦後の食糧難を乗り切るためには夏草海原から引くことはできませんでした…。そうしなければカルサナスは食べるものを奪い合うため再び互いに弓を引いたかもしれません…。結果的にこのような事になってしまいましたが、当時の決断に救われた者は数え切れないと思います。」

「他には。」

「ほ、他…他には、ンン。今では草原に何の影響も及ぼさない村があるだけです。」

「草原を草原じゃなくしておいて、何の影響も及ぼさない?てめぇ!言うに事欠いて――」首狩り兎が口を挟むと、女神からの鋭い視線が飛んだ。「いえ、失礼しました…。」

「ご、ご覧の通り草原の者共は野蛮です!今のが証拠なのです!夏草海原は我らが神聖魔導国の罪のない村に攻め込んで来ようとする不敬者たちなのです!わ、私達はそれの討伐のために私財を投げ打ち私兵を出しました!!今日中に見事討伐してご覧にいれましょう!!」

「今日中に討伐だと……。」首狩り兎が小さく呟く。

 ゴルテン・バッハは全力疾走した後のように肩で息をし、びっしょりと汗をかいていた。

 静かに神判の時を待つ。

 女神はため息を吐いた。

 それに肩を揺らさなかった者はいはい。

「――私は自然を大切にしない人とは誰とだって戦います。それが神聖魔導国の人なら、神聖魔導国の人とだって。カルサナスが相手ならカルサナスとだって。どこだって誰だって関係ない。分かりますね。」

 目がくらむ程の光に焼き尽くされそうだった。首狩り兎は眩しそうに目を細める事しかできなかった。

 カベリアとゴルテン・バッハの表情を確認する余裕はなかったが、畏怖の念を感じている事がはっきりと分かる。

「首狩り兎さん、草原が心配ですか。」

 唐突な言葉に首狩り兎はぶんぶんと首を縦に振った。

「そうですよね。でも、草原にはうちのコキュートス君を出しているから、そう心配しないでください。戦争をするなと騎馬王を説得しているはずです。」

「へ?は、は……はは。守護神様を…?」

 首狩り兎は最初から救われる道があったのかと、白痴のように笑いを漏らした。神は最初から全てを見抜いていたのだから、当然と言えば当然のことだろう。

「へいか……へいか………。カルサナスは……私達は………。」ゴルテン・バッハの声が響く。

「……カルサナスの行いは許されざるものです。騎馬王がカルサナスへ挑もうと言う気持ちが私にはよくわかります。ですが、カベリアさんが草原を返そうと決めた事は評価できると思っています。そうでなければ、草原を汚す者達は私が殺さなくちゃいけない所でした。広い草原が自浄作用を失うところまで行かなかった事を、カルサナスは夏草海原連合軍に感謝しなさい。」

 その冷たい視線は光の神と呼ばれる存在だとは思えなかった。

 まるで、世界を混沌に叩き落とす魔王のようで、首狩り兎はあまりの息苦しさに何度も唾を飲み下した。

 カベリアとゴルテン・バッハがべったりと床にひれ伏しているが、首狩り兎もそうするべきかと迷った。

 そうしていると、神殿の外が騒がしくなった。

 競技大会前のパレードでもしているのだろうか。

 騒ぎを鎮めるため、神官達が慌てて神殿の外に声をかけに行く。

 扉がわずかに開かれると、外からは数えきれない者達の声が響き、神殿内に溢れ返った。

 ――騎馬王は生きている。

 ――神々は全てを知っている。

 ――カルサナスは懺悔を。

 声は真っ直ぐに神殿へ近付いて来ていた。

 首狩り兎は、まさか夏草海原連合軍がここまで来たかと瞳を輝かせた。

「確認を。」デミウルゴスが顎をしゃくると、神官が動き出す間もなく、首狩り兎が慌てて立ち上がった。

「俺が行きます!今すぐ!!」

 扉へ駆ける。

(皆、俺たちは救われるよ!皆、皆!!)

 首狩り兎の足取りは軽かった。

 そして、二枚の扉を思い切り開け放つと――

「兎ちゃん!?」

 先頭にいたのは平和ボケだった。

「――へ?何で…?」

 平和ボケは黒ずくめの女と共に首狩り兎に駆け寄った。

「兎ちゃん!どうしてカルサナスの神殿に!?」

「いや…カベリアがここにしようって言うから…。それより、お前、これ何…?」

 平和ボケの向こうには大量のカルサナスの亜人達がいた。

「あぁ!この人が騎馬王が生きてる事を証明してくれるって言うから、この人と一緒に俺も全部を皆に話したんだよ!兎ちゃんが神都に向かってる間に上院議員達を皆で糾弾できるように!」

「こいつ誰…?」

 黒ずくめの女はつまらなそうな目をした。

「私はティラ。ある人に騎馬王の暗殺を頼まれて、騎馬王に返り討ちにあったうえにクナイを大量にとられた女。」

「な、なんだそれ…。」

 首狩り兎は引きつり笑いを浮かべた。

 すると、平和ボケが頬を撫でる。首狩り兎は鬱陶しそうな目をしたが、そこからは今にも涙が落ちそうだった。

「泣くなよ、兎ちゃん。俺達はここに入ったゴルテン・バッハを引き摺り出したら次の上院議員を捕まえに行くよ。村には上院議員達の私兵が行ってるんだ。私兵を止めさせないと。もう誰も――」

「誰も戦わなくて良いと、伝えないといけないですね。村は草原に返還します。それにしても、私兵を出してるって、デミウルゴスさんは知ってました?」

 首狩り兎の後ろから姿を現した者に皆腰を抜かした。平和ボケ――レミーロ・ビビの話を信じなかった者や半信半疑だった者達は気持ちを入れ替えた。

「申し訳ありません。存じておりませんでした。至急コキュートスに連絡を取りましょう。向こうで戦闘状態に入っていると国のためになりませんので。」

「そうしてください。」

 首狩り兎は戦争の終結と、草原が返還されるその時が着々と近付いている事を肌で感じた。

「兎ちゃん、良かったな。」

「…あぁ…。平和ボケ、お前のおかげでカルサナスを許せそうだよ…。」

「ははは、良かった。俺達は陛下の決めることについて行くって決めてるからさ。俺達はきっと仲良くできるはずなんだ。」

「仲良く…か。」

 首狩り兎は「良かったなー!」と笑う宿敵だった亜人達に泣いたような顔で笑い返した。

 

+

 

「戦ウナトアレ程言ワレタトイウノニ。クルダジール、何故オ前ガココニイル。オ前達ガ我ガ国ニ手ヲ出セバ、若者ト草原ニ未来ヲ繋ゲタト信ジタ父達ノ思イヲ踏ミニジル事ニナルゾ。」

 コキュートスはハルバードをクルダジールに突き付けた。

「狼煙を上げられれば、コキュートス様は騎馬王様との戦いをやめて必ず来て下さると思いました。」

「……ソレデ父ヲ守ッタツモリカ。代ワリニ貴様ラ若キ戦士ハ罰ヲ受ケルノダ。父達ハ嘆クダロウ。」

「皆を焚きつけた私を罰して下さい。」

 若者達が群れを離れたあの日、クルダジールは諦め切れていない様子だったが、コキュートスはまんまと策にはまったわけだ。

 コキュートスの大顎がガチンと音を鳴らした。

「――本当ニ父ニヨク似テイル。」

 クルダジールが頭を下げる。

「ソレデ、戦イタイ者ハ。」

 カルサナスの亜人達は一斉に武器を放り捨てた。

「俺達は陛下方の意思に従います。」

「良イ判断ダ。夏草海原ハドウスル。」

 最後の戦いを託されていた一般の者達は立ち向かいたかったが、初めて見る絶壁のような強者を前に腰が抜けていた。

 そんな中、若者達がぞろぞろとコキュートスに向かい合っていく。

 誰かが「やめろ」と声を上げる。

 鉾を構えたクルダジールの瞳には死への覚悟があった。

「尊敬できる人達ほど早く死んでいった。こんなこと、もう十分だ。私達よりも、騎馬王様や父達が草原に残ってくださる方が――未来のためになる!死ぬのは私達だけで良い!!」

「馬鹿者ダナ。騎馬王ガ泣ク。」

 コキュートスから殺気が流れ出る。

 村につけた火はコキュートスに消されたが、まだ高く高く狼煙のような白い煙が立っていた。

 死ねば魂はその煙に乗り、空から見下ろしてくれている父達の下に帰れるだろう。苦しみも涙も超えた場所へ。

 大人になれなかった友達とも再会できるかもしれない。

「いざ!!」

「ヤレヤレ。モット視野ヲ広ク持ツベキダ。」

 クルダジールが駆け出そうとした時、その足下にはビッと風を切って一本の鉾が突き立った。

 

 赤い帯が風に揺れる。

 

 その象徴的な旗印が誰を意味するのか分からない者はいない。

「――き、騎馬王様?」

 クルダジールと若者達がその鉾の持ち主を探そうと視線をあげると、夏草海原側からは悲鳴じみた声が上がり、カルサナスは騎馬王だと声を上げた。

「や、やめろ…。クルダジール……お前たち……。」

 騎馬王は八足馬(スレイプニール)に掴まりやっとの様子で歩いていた。

 血が失われすぎた瞳は色を写しているとは思えなかった。

「騎馬王様!!」

 クルダジールが鉾を投げ捨てて駆け寄ると騎馬王は八足馬(スレイプニール)に掴まりながらようやく座り込んだ。その周りには沢山の八足馬(スレイプニール)達がいた。

「はぁ…お前は…本当に大馬鹿ものだ……。私の代わりに多くのものを残せと言ったのに……。」

「騎馬王様、お怪我が!だ、誰か薬草を!!今、今何かをご用意いたします!」

「クルダジール……。私はコキュートス様を少しでも足止めしようと駆けてきた……。しかし、カルサナスと村を見て全ては終わったと確信した……。」

 カルサナスの者達は武器を捨て、静かに騎馬王の様子を見ていた。村の半分は焼け落ち、多くの場所が凍りついて人が暮らせる様子ではない。後半分は惜しかったが、殆ど取り返せたと言って良いだろう。

「皆、やり切ってくれたのだな……。後は、もう誰も死ぬ必要はない……。戦争の産物である私の他には……。」

「き、騎馬王様!嫌です!!そんな、そんな事を仰らないでください!!騎馬王様のため、皆がここに来たのです!!」

「私の為…。まったく…本当に頑固などうしようもない息子ばかりだ……。誰がそんなことを頼んだと言うのだ……。」

「それは、それは…しかし…!あぁ、とにかく今はお静かに!血が、血が!!」

 深傷(ふかで)でここまで駆けてきたせいか、傷口からは止め処なく血が流れ、騎馬王が通ってきたところには赤い道ができていた。

「あぁ…死ぬ前にコキュートス様に謝罪を申し述べねば……。コキュートス様は……。」

 そう言って辺りを見渡す騎馬王の目の前、クルダジールの隣にコキュートスはしゃがんだ。

「私ハココニイル。」

「あぁ…コキュートス様……。申し訳ありませんでした……。まさか若い者がこのようなことをするとは……。しかし、多くの者がここでも、あの戦いの地でも死にました……。私もこれで死にます……。どうかお許しを……。」

「検討シヨウ。」

「ありがとうございます……。ああ…せめて、戦いの中に死にたかった……。」

「残念ダッタナ。シカシ、ソウハ行カナイラシイ。」

「悔しいです……。御身に……もっと早く……出会いたかった……。」

 騎馬王は短い息を吐き出し、目を閉じた。最早目を開けていられる力も失われ始めていた。

「き、騎馬王様!父様!父様、目をお開け下さい!」

「とうさま…か……。お前はあたたかいな……。」

「父様、良くなります!良くなりますから!!嫌です!!お願いだ!!そんなの!そんなの!!」

 騎馬王にすがるクルダジールの慟哭が響く。コキュートスは二人に背を向け、その場を離れた。

 騎馬王は目を閉じたまま静かに微笑み、クルダジールの声に耳を澄ませ、その温もりに身を任せた。

「…ちちと……呼ばれる日を夢見ていた……。しかし…お前の真実の父は……私などより…よほど良き戦士であった……。」

 そう言いながら、今際の時を見送ったクルダジールの父を思い浮かべた。

 クルダジールは本当の父によく似ている。思えば、彼も兄貴分として騎馬王をよく慕ってくれていた。良い者達ほど早く旅立ってしまう。

 幼いクルダジールはうまく走れなかったような頃から必死にちょこちょこと後をついてきて、しょっちゅう転んでは照れ臭いような笑みを浮かべていた。

 騎馬王は愛し子との時間を思い返した。走馬灯のように思い出が駆け巡る。力が失われていく。息をするという事がこれほどまでに億劫な事だとは――。

「父様…父様……。どうか…目を……目をお開けください……!」

 そして、ふとクルダジールは自分を見下ろす存在に気が付いた。

「――ぇ?」

 呆気にとられてつい声を上げてしまう。

 見下ろしていたのは見たこともない種族の者で、天国にでも騎馬王を連れ去りそうだった。

「騎馬王――いえ、ヴェストライア。カルサナスは罪を繰り返しました。あなたはそれの抑止力となり、今日までよく戦いました。私は草原を守るあなたが生まれて来た事を誇りに思います。」

 もはや口を開くことも叶わぬ騎馬王の瞳から涙が一つ落ちた。生まれて来たことすら間違いだったかと自身の存在を疑いながら戦い続けて来た男の流した生まれて初めての涙は、愛した草原に迎えられ、草の上を撥ねた。

 クルダジールは全てを理解しているようなその者を見上げ、呟いた。

「あなたは……。」

 コキュートスが膝をついている。その隣には一度群れを訪れたデミウルゴスもおり、やはり膝をついていた。

「し――。ヴェストライア、起きるんです。あなたは必要な人でしょう。――<大治癒(ヒール)>。」

 クルダジールの腕の中で絶命の時を迎えようとしていた体に生命の力が漲る。

 失われた血と脚が戻る。

 火は消えたと言うのに空に立ち込めていた白い煙は、まるで騎馬王の生を見届け安堵したように晴れた。

 死んだ魂が霧のように漂流し続ける平野があると、昔首狩り兎から聞いた事があった。

 あの煙は戦士達の魂の形だったのかもしれない。

 輝かんばかりの青空が草原を照らす。

 王につき従ってきた八足馬(スレイプニール)達が天高く足を上げていななく。

 騎馬王はまるで何もなかったかのように目蓋を持ち上げた。瞳は生のエネルギーに溢れ、太陽の光を反射して煌めいた。

「皆――私を許すと言うのか。この戦争の産物を――!皆――!皆――!!」

 クルダジールの胸から起き上がった騎馬王は空に手を伸ばした。

 ゴウッと草原に風が吹き抜ける。

 何もつかまなかったが、確かに何かと触れ合った手は名残惜しげに下ろされた。

「ヴェストライアさん、生きてくれますね。」

 母のように優しい響きだった。

 騎馬王は凄まじい生の力を持つその者が何者なのか、すぐに理解した。

 運命と言うものが、自分の行き着く場所を定めるものだとするなら、この出会いは運命そのもの。この命は運命に運ばれ続けて来たのだと騎馬王は確信する。

 この人に会うため、この人の生んだものを守るため、この人に命を与えられた。

 コキュートスが初めてこの群れに来たときに言った言葉の全てを思い出す。望む望まないは別として、この世に生を受けた時点でこの人の加護に触れていると言う言葉を。

 騎馬王は静かに頷いた。

「もちろんでございます。――フラミー様。」

 フラミーは嬉しそうに目を細めた。

 その隣にいた幼い子供がそっと優しく騎馬王の馬体を撫でた。

 

+

 

「終わったのかな。」

 首狩り兎を送り届けた人馬(セントール)のアストールは空に無限に広がり始めていた白い煙が晴れたことを見届けた。

「アス、ライア・マイカがやったのかな?」

「あぁ。彼もやってくれたんだろう。だけど――きっと、皆がやってくれたんだ。」

 戦争を止めて、多くの命を守るために、きっとアストールが知るよりもずっとたくさんの者達が奮闘したのだ。

 アストールは爽やかに笑うと、来たる秋と冬に向けて銀色草原へと進路を変えた。

「皆、行こう!きっと銀色草原に着く前に、父さん達に出会えるはずだ!!」

 カルサナスの村の前を通って、この群れから戦いに出た父や戦士達を迎えに行こう。

 

 きっと、生きて出会えるはずだ。

 

 アストール達は高らかに歌を歌って冒険に出た。

 

 その後、夏草海原には平和な歴史が刻まれ続ける。

 穢されることに怯え、怒り続けて来た草原は、特別自治区として保護され自然を愛する支配者の名の下にいつまでも美しくあり続けた。




皆………(´;ω;`)騎馬王くん………


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#129 後の生き方

「手間が省けたな。」

 カルクサーナスの神殿に残ったアインズがゼロの感情で呟いた。

 神殿には夏草海原との戦争を隠蔽しようとしていた上院議員達が続々と増えていく。

 上院議員達は蜂起したカルサナスの民によって神殿への出頭を余儀なくされたのだ。

 ――恐ろしい。

 神殿に残ったパンドラズ・アクターは自らを生み出したアインズと、フラミーの千里を見渡すことができる力を前に薄ら寒さを感じた。

 カルサナスを併呑する時からここまでの全てのレールを見越して来たのだろう。

 黒い目の中に敬服の色が浮かんでしまうのは仕方のないことだ。

「さすがは父上とフラミー様です。」

「いや、私は何もしていなかった。どう考えてもすごかったのはフラミーさんだろう。私も少し驚いた。」

 パンドラズ・アクターは頷き、訂正する。

「――さすがフラミー様でございました!」

「うむ。」

 トブの大洞穴を併呑した直後、ベバード併呑の調印にはフラミーが出ていた。パンドラズ・アクターはこの計画がフラミーの手によるものだと認識を改めた。

 パンドラズ・アクターが背筋をゾクゾクと震わせていると、最後の一人だと思われる上院議員が現れた。

「お、お、お待たせ…いたしました……!」

 スライディングするように膝をつく。流れるような動きは美しさすらあった。

 神都の大神殿からも神官達が来ているため、カルクサーナスの神殿はいっぱいいっぱいだ。

 皆一様に神の言葉を固唾を飲んで待った。

「さて、お前達の罰をどうするか。草原を汚した事は当然許されるべきではないが、草原が美しさを取り戻していることも事実だ。それに、当時カルサナスの民を救おうとお前達なりに必死に考えた結果だと言うのも理解できる。」

 上院議員達の瞳に安堵が見える。

 生の神がいればもっと糾弾されただろうが、今ここにはありがたい事に死の神が残った。

 そう言う思いを感じ取ったパンドラズ・アクターの胸の内に不快感が広がった。フラミーがいなくて良かったと思うのは不敬だろう。

「――理解はできるが、罰は受けてもらう必要がある。私がお前達の何が許せないかと言えば、嘘を吐いて私達を欺こうとした事が一番大きい。過ちを犯さない者などこの世には存在しない。私とて過ちを犯す。しかし、お前達のように誰もが罪を隠せばこの世は混沌だ。」

 傅かれる者が傅く存在達と同じ立場でものを語れるだろうか。理性的で、全てに平等な態度は王の中の王と言っても過言ではないだろう。

 自らを生み出した存在がこれほど優れた御方である事に感動する。正直、他の者達(NPC)には悪いが、自慢したい気持ちを抑えるのも辛いほどだ。

 パンドラズ・アクターは上機嫌に父の凄さを噛み締めていた。

「罪の上塗りをした事をお前達は理解できているな?」

 アインズがじっくりと見渡すと、老齢の上院議員達は今にも泣き出しそうな顔をした。

 神官達の視線も厳しい。

「申し訳ありませんでした…!陛下、私達は……恐ろしかったのです!!どうしようもなく……御身のお力が…!!」

 上院議員の一人が声を上げる。

「私の力が?」

「あれ程の力を持つ御身から受ける罰を思うと…我々は夜も眠れませんでした…!ですが、決して御方々への忠誠と信仰を忘れた訳ではないのです…!!」

 アインズはふぅむ…と唸り声を上げた。

「物語であれば、強大な力は他者を屈服させるだけだろうが――現実では力の矛先が向くことを恐れて隠し事をする、か。」

「陛下……。」

「となれば、嘘をついた方が恐ろしい罰を受けると言う前例を作れば、愚かな者が二度と出ないで済むか?時には見せしめも必要だ。」

 全員の身が硬くなる。

 主人が全員を見渡す。

 カルサナスに苛烈な罰を与えるのか、上院議員達だけに罰を与えるべきなのか吟味しているのだろう。もしくは、万年先までも策の範囲内である創造主なれば、フラミーの練った新たな計画が完遂された今、他の計画に波及する影響について分析しているのかもしれない。

 我が創造主のことだ。恐るべき深度で策が胎動しているのは疑いようもない。

「――とは言え、まずは法律と照らし合わせることが必要だ。一応、デミウルゴスの意見も聞いたうえで、場合によっては裁判所に任せよう。ただし、ナザリックへの忠誠を持っていて、恐怖から仕方がなく嘘をついた者に限る。ナザリックやフラミーさんへ叛逆の気持ちを持っている者はこの方法に則らない事を心せよ。」

 異論など上がるはずもない。神がそう決めたのであればそれが正しいのだから。

「よし。それで……他に意見は……ないようだな。それではそろそろ私は行く。」

 アインズが告げると神官達は揃った動きで頭を下げた。

 

+

 

「――そう言うわけだ。デミウルゴス、お前はどう見る。」

 アインズは相変わらず知恵者達の作り出した法律を盾にデミウルゴスの下へ逃げてきていた。自分一人であれだけの人数に罰を与えるか与えないかを決める事はできなかった。

 それに、アインズには上が怖すぎるせいでミスを隠したくなる気持ちがよく分かるのだ。

 鈴木悟は怖すぎる上司に知られないようにひっそりとミスを抹殺しようとしたサラリーマン時代があったから。

「なるほど、御身のご心配は最もかと思います。今引き継ぎもせずに上院議員をカルサナスから奪えば、カルサナスはどうしても混乱に陥るでしょう。そうすると手がかかります。新たな死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を教育して送り込むにも時間はかかりますので。しかし、州としての失態があった事も事実。混乱も良い薬かもしれません。カルサナスの責任者であるカベリアと、カルサナス全土にも罰を与え、二度と同じ過ちを犯そうと思う者が出てこないようにするのもひとつです。」

 デミウルゴスの意見はもっともだ。

 嘘をつくとこんなに怖いことがありますよ、と見せるのは良い手だとアインズも思う。

 ただ、何も知らなかったカベリアは解決のために奔走した様子だと言うのに責任を問うのは酷というものだろう。国民も何も知らなかったと言うのに突然罰を与えると言われても困るのではないだろうか。

 上の行いで下まで責任を取らされた場所と言えば煌王国がある。しかし、煌王国はカルサナスとは違ってナザリックに明確な害意と実害があり、神聖魔導国と戦争状態だった為、国民にも責任を取らせたが、今回は少し事情が違うだろう。

 問題を起こした部署だけでなく、本社(ナザリック)に連絡を取った子会社の社長(カベリア)全社員(州民)までも厳しい罰を与えては悪循環なような気がする。

 それこそ今後預かり知らぬところで部下がミスを犯した時、また別の子会社()社長(知事)は隠蔽したくなるのではないだろうか。

 会社員(アインズ)は問題を起こした者以外の味方だ。

「責任は問題を起こした者だけに取らせる。それ以上は不要な警戒心を抱かせることになる。分かるな。」

「それはそうですね。そうすると――あぁ、理解いたしました。今回の件は落とし所が難しいですね。」

 デミウルゴスが少し考えるような仕草を見せると、伴についてきていたパンドラズ・アクターが口を開いた。

「本来ならば父上に嘘をつくような者には死が相応しいでしょうが、やりすぎれば恐怖で縛る事はしないと仰った言葉に反します。既に恐怖に瞳を濁らせた者達に本当に必要な事は――」

「更なる鞭ではなく飴――と言う事だね?」

 二人は理解しあうと、頷き合った。

「アインズ様、確かに御身のおっしゃる通り、今回は敢えて執行猶予程度が良いのかもしれません。万一他に何か罪を犯せば、想像を絶する罰が待つようにすれば恐怖と信仰のちょうど間に縛り付けることができます。」

「ンンン皆が慈悲深く寛大な神だと感涙を流すでしょう!」

 デミウルゴスはアインズ様のおっしゃる通りと言うが――俺は特別何も結論は言ってないじゃん、などと言ったりはしない。言えるはずがない。

 アインズは無能な自分の代わりにちょうどいい折衷案を出してくれた二人に満足げにうなずいた。

 

「――――そうだろう。」

 

 後に上院議員達は誰一人新たな罪を犯す事なく天寿を全うするまで必死に働いた。

 旧評議国にある、神の名を騙り世間を欺いた女に下された罰の痕跡が彼らに一層の恐怖を植え付けるのと同時に、その罰に晒さないでくれた神の慈悲深さに感謝した。

 多くの国民から軽蔑された彼らの余生は幸せに溢れたものだとは言えないかもしれないが、少なくとも不幸にまみれたものではなかった。

 これを機に、カルサナスの信仰心は更に上がった。

 一方、首狩り兎は上院議員達が顔を青くする中、カルクサーナスの神殿から煙のように消えた。

 カベリアがどれだけ探しても、彼はもうカルサナスのどこにもいなかったらしい。

 自分がやることは全て済んだと確信した首狩り兎は早々と家へ帰ったのだ。――自分の成したことを草原に告げに行くこともせず。

 もちろん、首狩り兎が帰った先はアーウィンタールにあるオスクの自宅だ。最初は草原の為にオスクの厄介になっていたが、今では彼の家はここだ。

 帰りを待ちわびていたオスクは首狩り兎を家族のように迎え、武王もまた、彼を兄弟のように迎えた。

 首狩り兎は二度と見る事はできないと思っていた家族の顔を見ると、寂しかったと言って泣いたらしい。

 彼の本当の親も兄弟も、もう死んでいる。いや、カルサナスに殺されてしまっていた。

 オスクはこれまで寂しがるような素振りを見せたこともなかった首狩り兎の初めての本心の吐露に、目頭を熱くした。首狩り兎を目一杯抱きしめて背を叩き、本当に良かったと何度も呟いた。

 彼の背負っていた多くの事に心を寄せ、共に草原の返還を喜んでくれた。

 ただ、涙が止まった首狩り兎は「いつまでくっついてんだよ、暑苦しい」とオスクを押し除けたらしい。

 首狩り兎は半年経ったら、あの樹皮立族(ウッディスト)の坊主に今回の話をたっぷり聞かせてやろうと決め、しばらく自室に篭り自伝を書いた。

 百年前に草原を襲った悲劇、多くの戦士の死、神々の降臨、――返還された草原。

 それはオスクによる自費出版で世間に出回った。

 首狩り兎はやめろと言ったが、オスクはずっと働きもせずに自室に篭っていたのだからその分のギャラとの相殺だと言って容赦なく売りに出した。首狩り兎は、これだから商人は嫌だと暫く悪態をついたらしい。

 その本は飛ぶように売れ、一人のある青年の手にも渡った。

 それは平和ボケだと本の中に記されたレミーロ・ビビだ。

 レミーロは蜂起の後、カルクサーナスの神殿に戻ったが首狩り兎はもういなかった。別れも言えずに首狩り兎は消えたのだ。

 ようやく首狩り兎の暮らす場所を知ったレミーロは闘技場まで会いに来た。

 その後、二人は年に何度か会う関係になった。首狩り兎は認めないだろうが、二人は友達になったのだ。

 レミーロが首狩り兎を最後まで女だと思っていたと聞いた時、首狩り兎は自分の女装も捨てたもんじゃないと機嫌を良くした。レミーロは相変わらず首狩り兎を兎ちゃんと呼ぶし、首狩り兎もレミーロを平和ボケと呼んでいる。

 ちなみに、出版物のおかげで首狩り兎の居場所を知ったのはレミーロだけでなく、大神殿の神官達も同じだった。

 神々を信じ、助けを求めに奔走した首狩り兎には大神殿から褒章金が出された。

 今回首狩り兎は誰も殺さず、資料の管理者と言っても過言ではないカベリアと共に資料塔を訪れた為、何の罪にも問われる事はなかった。

 州の検問を通らずに州に侵入した事には苦言を呈されたが、それだけだ。

 首狩り兎は大量に貰った金を自室で盛大に放り投げ、大笑いして金の上で眠った。

 これで近くに家でも買うか――そう思ったが、全額を人兎(ラビットマン)の里に寄付した。

 決して裕福とはいえなかった村には、"湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"が設置されるようになった。国からいくつか補助されるようになっていたが、これで全戸に"湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"が取り付けられた。

 井戸を掘れば近くの池が干上がる危険があると我慢していた彼らには救いのアイテムだった。

 トロール市で終着だった魂喰らい(ソウルイーター)便は真っ直ぐ人兎(ラビットマン)の里まで伸ばされ、商人もよく訪れるようになった。

 ビーストマン州からも魂喰らい(ソウルイーター)便が出るようになったので、彼らが飢えを凌ぐ日々は終わりを告げた。

 ただ、これまでと違い外貨獲得をしなければならない事だけが問題になった。そんな人兎(ラビットマン)達が観光業に手を出すようになるのは当然のことだった。

 草原を見に来る人々やキャンプをしたい人々からうまく小銭を稼いで暮らしているらしい。

 質素な生活だったが、足ることを知る彼らは満足した。

 首狩り兎はオスク達がトロール市にいる武王の兄に会いに行く時一緒について行くようになった。

 魂喰らい(ソウルイーター)便を降りる彼らを見送り、首狩り兎はそのままもう少しだけ乗って行く。

 途中下車をして樹皮立族(ウッディスト)の坊主に楽しい話を聞かせてやり、次の魂喰らい(ソウルイーター)便が通りかかると別れて人兎(ラビットマン)の里に帰る。坊主は見るたびにめきめきと大きくなり、約束の目覚めの時には必ず会いに行き、いつしか立派な木となった。老いた首狩り兎が人兎(ラビットマン)の里に帰り、静かに生きるようになる頃には「次はもう会えないな。坊主が起きる前に私が死んでしまう」と告げ、二人は別れを迎える。まだ、何十年も先の話だ。

 

 人兎(ラビットマン)戦士団の代表、フィロ・マイカも元気に暮らした。ただ、重度の凍傷から耳が一部壊死して短くなってしまった。

 アーウィンタールに暮らす首狩り兎が帰ってくるたびに喜んで彼を迎えた。

 首狩り兎は思いがけず、人兎(ラビットマン)の英雄だと真実の名を草原に残した。

 自分には過ぎた勲章だと笑い、結局彼は真実の名を名乗らず首狩り兎として生きた。

 首狩り兎にとって英雄は、コキュートスに立ち向かった者達だ。

 英雄のうちの一人、人鳥(ガルーダ)のア・ベオロワ・イズガンダラはあの戦いの後、落下の衝撃で右翼が折れてしまい、それはとうとう完治する事なく、飛ぶ力を失った。肩を貸して貰わなければ空一つ上がれなくなった彼は、戦士ではない者を意味するラ・ベオロワ・イズガンダラと名を変えて暮らしている。

 生き残った者は大なり小なり傷を負った。フラミーから草原を守った者達へ治癒を施すと申し出があったが、これを完治させる事は神聖魔導国へ弓を引いた責任を放棄する事だと皆傷を受け入れている。

 多くの者が死に、傷付いた事を罰として草原を許して欲しいと、死の間際にありながらも嘆願した騎馬王の話を聞いては完治など戦士が望むものではないだろう。

 戦いのあった場所には、戦死者を讃え悼む碑が立った。

 人犬(コボルト)の代表だったクグリゴ・ワジュローを始め、多くの戦士は死んでしまった。

 カルサナスの村があった場所にも碑は立てられ、草原には新しいルールが増えた。

 戦死者を弔う碑の前を通った者は黙祷を捧げ、碑を綺麗に洗うというものだ。

 草原に暮らす三種は今も変わらず遊牧し、美しい草原を守っている。

 

 それは、もちろん騎馬王も同様だ。

 

 騎馬王はあの後、まずはビーストマン州に行ってバンゴーに礼を言う必要があると、ナインズに馬体を撫でられながら考えた。

 彼がコキュートスに相談していなければ、もっと凄惨な未来が待ち受けていたに違いない。

 ここはビーストマン州から一番遠い場所だが、騎馬王が必死になって走れば秋が深まる頃には銀色草原で皆とまた会えるはずだ。

 冬越しに群れと合流し損ねてしまうと、後は皆がどこを遊牧しているのかわからず、もとの群れに戻れるタイミングは春にビーストマン州に仲間が来るのを待つことになる。

 そうとなれば、善は急げだ。

 騎馬王が立ち上がった時、デミウルゴスとパンドラズ・アクターと共に上院議員達の始末の話し合いを終えたアインズが告げた。

「――お前は特別な存在だ。私の下で働かないか?」と。

 クルダジールはアンデッドを前に不安そうな顔をしたが、騎馬王はそれも悪くないと思った。

 ただ、一度この場所を出てしまえば春と冬にしか群れに戻れないのが問題だ。

「冬の間だけか……ここで出来ることならば、何でもお手伝いしたいと思っております。」

 騎馬王の答えにアインズは微笑み、うなずいた。

「うちの聖典達に戦闘向きな八足馬(スレイプニール)の乗り方を教えてほしいのだ。手の空いている聖典にはここに来るように伝えよう。」

 本当はこのレア物はナザリックに連れて帰って収集したかったが、草原で生かしてまた八本足の人馬(セントール)が生まれる事を望もうとアインズは思った。それが生まれない事も知らずに。

 今の条件で二人が快く手を取り合ったのは言うまでもない。ナインズは騎馬王を撫でて「仲良くね」と笑った。

 八足馬(スレイプニール)は相変わらず草原からの持ち出しを禁じているが、かつて持ち出され、現在神聖魔導国内で繁殖している八足馬(スレイプニール)を神殿が何体か保有している。

 草原には数キロ置きに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が配備され、草原を生きる者達のおおよその数や、群れの居場所を掴むのに一役買った。

 普段は微動だにしない死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達だが、子供達が通りかかると国立小学校(プライマリースクール)で教えているような事を聞かせた。しかし、外に出る事を夢見るような事は困るので、匙加減には気を付けた。

 聖典達は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)からの情報をもとに騎馬王を訪ねた。

 聖典達が教わったのは騎馬戦だけでなく、矜持や誇り、命の意味と幅広い。

 その評判の良さはすぐに聖典のトップであるレイモン・ザーグ・ローランサンの耳に入り、まだ聖典になっていないが、聖典に入れる見込みがあるような聖典の卵達は冬の間だけ騎馬王の下で教えを受けるようになる。

 と言うのも、騎馬王は冬の間は神都で過ごし、春にビーストマン州で群れと落ち合うようになった。

 たまたま訓練に立ち会っていた番外席次に、八足馬(スレイプニール)の肥溜に頭から突っ込まされた新米は数知れず。

 そんな様子に騎馬王は苦笑していたが、世界の平和を担う部隊の育成というのはまんざらでもなかった。

 騎馬王は初めて草原を留守にすると言ったこの冬、クルダジールが生まれてこれまで一度も見た事がない程清々しい笑顔をしていた。

 クルダジールは騎馬王が冬の間だけでも留守にする事を寂しく思ったが、ようやく戦いから解き放たれ、草原に縛り付けられた魂が解放されたのだと思うと嬉しくもあった。

 誰が見込みがあるとか、この冬にはこんな事があったとか、殿下とミノタウロスの成長が早いとか――楽しそうに語る姿に、クルダジールも、かつての連合軍の代表達も、皆が心から嬉しく思った。

 

 何より、騎馬王はよく笑うようになった。

 

 冬に草原を留守にする騎馬王は毎年春になるとバンゴー州知事やギード将軍と酒を飲み交わし、訪れるクルダジールの率いる群を待った。

 そんな中、クルダジールの群れ以外の者達も騎馬王に会いたいと思うのは自然な流れだろう。

 殆どの人馬(セントール)の群れと人犬(コボルト)の群れ、人鳥(ガルーダ)の群れも同様だった。――人兎(ラビットマン)達だけは、遊牧する騎馬王が自ら里に立ち寄るため、ビーストマン州には来なかった。

 戦争のある五年に一度だった立ち寄りの春は毎年の行事に変わり、騎馬王が死ぬまで続き、その間の半世紀は合流の春と呼ばれた。

 騎馬王の没後は二年に一度、皆がバラバラに立ち寄るようになるが、ビーストマン州と夏草海原自治区の良好な関係は続く。

 騎馬王は死ぬその時まで、草原と、どこかで戦争に嘆く者がいないかを気にかけた。

 世界中の哀しみを終わらせたいと騎馬王は思っていたし、聖典を育てることが世界のためになると、それが今騎馬王のなすべき事なのだと信じ、最後まで彼は「王」の名に恥じない男として生きた。

 

 群れに一人、二人、と子供が増えては誰かが老いて死ぬサイクルは切なかったか、何にも変えがたい幸せなものだろう。

 

 そうして、騎馬王は求め続けた平和の中、数え切れないほど多くのものを残したらしい。




お久しぶりです!一ヶ月も経ってしまった!
ずっと騎馬王君のその後を悩みに悩んでいました。
結果、他力本願な男爵はTwitterでこっそり騎馬王君のその後アンケートをしちゃいました。
騎馬王君を――
紫黒聖典に入れる! 14%
陽光聖典に入れる! 29%
草原で静かに余生を過ごす 57%
となり、聖典入隊が合わせて43%と草原余生が57%…!
聖典入隊を勧めてくださる方達は皆さん騎馬王君をこの章だけのキャラクターにしてお別れしたくないと言って下さっていて、
草原余生を勧めてくださる方達はようやく手に入れた平和な草原で生かしてあげたいと言って下さっていて…
いやーほんとそうですよねぇ。どっちも本当によくわかります。
結局間を取りつつ、草原メインに落ち着いて貰いました。
きっと大好きな草原と、新しい世界の間で幸せに生きてくれますね!
さー閑話を書こう!


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#130 閑話 射手の悩み

 飛竜(ワイバーン)に跨り、空を駆ける青年が二人。

 一人は全ての髪をギュッと後ろに一つに結んでいて、もう一人はもじゃもじゃ髪を一本の三つ編みにしていた。

「マッティ兄さん、別に一緒に来なくても良かったのに!そろそろ産まれるんでしょ!」

「まぁな!だけど、今日明日ってわけじゃあないはずさ!」

 二人の兄弟はごうごうと風が鳴る音に負けないように大声で話をした。

「――さぁ、そろそろ大神殿だ!」

 兄のマッティがそう言うと、弟のティトは首に下げた角笛をくわえ、騎乗している二体の飛竜(ワイバーン)に降下を命じた。

 二体は上空でひらりと身を翻し、神都大神殿の竜舎と厩舎前に降りた。

 大神殿保有の竜舎には、飛竜騎兵(ワイバーンライダー)の里から里子に出された飛竜(ワイバーン)達が暮らしている。

 ティトは自分の飛竜(ワイバーン)から降りると、聖典を乗せるのにふさわしいとティト自身が選び、送り出した四頭の飛竜(ワイバーン)達に駆け寄った。

「皆、久しぶり!元気にしてたかい!」

 飛竜(ワイバーン)達は親を前にしたように甘えた声をあげた。

「ティト、俺は到着したって神官様達に報告してくるからなー。」

 マッティが声をかけるとティトは飛竜(ワイバーン)に顔を擦り付けながら「いってらっしゃーい」と返事をした。

 神殿に捧げられた飛竜(ワイバーン)達の鱗の艶は健康そのものだが、里の飛竜(ワイバーン)に比べると少し太っている。

 竜舎を担当してくれている神官に毎日飛ばせてもらっているはずだが、里の飛竜(ワイバーン)程は飛べていない――もしくは贅沢な食事を取りすぎているせいだろう。

「皆あんまり太ると長距離飛行に参っちゃうぞ?」

 ティトの言葉をわかっているのかわかっていないのか、飛竜(ワイバーン)達はティトの腕を甘噛みした。基本的に外皮は硬いが、口の端の肉は柔らかい。

「これからしょっちゅう草原まで飛ぶ事になるんだ。ここからは結構距離がある。途中で脱落でもしたら里の笑い者だよ。」

 神都からティト市までと、ティト市から夏草海原の中心まではちょうど同じくらいの距離がある。

 ライダー達はいつも身軽な格好で飛竜(ワイバーン)に乗るが、聖典は鎧から武器までフル装備なので普通のライダーを乗せるよりも重たい。飛竜(ワイバーン)の体に傷がつかないように鞍も背負うのだ。草原滞在中に食べる食料も多少持って行く。

「相当ハードだぞ。聖典の皆さんに恥ずかしいところを見せないでくれよ。」

 陽光聖典は力量の差が他の聖典よりもあるため、飛竜(ワイバーン)ではなく馬を使っている。漆黒聖典は一人師団であるクアイエッセが召喚する魔獣に乗ることができる。

 つまり、飛竜(ワイバーン)に乗るのは紫黒聖典だけだ。

 他の二つの聖典に移動で劣るような事があっては神都での飛竜(ワイバーン)の使役はなくなってしまうかもしれない。

 せっかく神が配慮して与えてくれた仕事を自分達の手で手放すようなことになるのは避けたい。

 クゥゥーと飛竜(ワイバーン)達が上げる声の中、ティトは飛竜(ワイバーン)達にあれこれ話を聞かせた。

「そう言えば皆、今度マッティ兄さんに子供が産まれるんだよ。兄さんはお前達が心配だから一緒に来た――って言ってたけどさ、本当は草原を見てみたいだけなんだろうな。ふふ。義姉さんが聞いたら呆れるぞ。」

 竜舎にいる飛竜(ワイバーン)達は意味がわからないなりに親兄弟のように思っているティトの話に耳を傾けていた。

 一番若い飛竜(ワイバーン)は時折ティトの腹や腕に顔を擦り付けながら話を聞いた。

 

 竜舎の外にはまるで石器時代からあるような古い腰掛けが二つあり、小鳥がピチピチと歌っていた。

 しばらくティトが飛竜(ワイバーン)達に里でのことを話していると、小鳥達が一斉に逃げ出した。

「――ティトさん?」

 その呼びかけに、ティトはすぐに振り返った。

「あ、ネイアさん!」

 駆け寄ったネイアは背の大きくなったティトを見上げると、バイザー越しに微笑んだ。初めて飛竜(ワイバーン)の騎乗指導に来た四年前は同じくらいの背丈だったというのに、すっかり男らしくなってしまった。

「ティトさん、もしかして夏草海原までの飛行、一緒に来てくれるんですか?」

「その予定です。皆さんが草原で訓練してる間、こいつらのことも少ししごいてやろうかなって。」ティトに顔をポンポン叩かれた飛竜(ワイバーン)は嬉しそうに喉を鳴らした。「――本当は明日騎兵(ライダー)の里からご一緒しようと思ってたんですけど、どうせなら最初から一緒に飛んだ方が皆の新しい癖とか気持ちも掴みやすいし。」

「気持ち、ですか?」

 ネイアは瞬いたが、バイザーを着けているためにティトからは見えない。

「そう。気持ちです。うーんと、例えばティルコナはこの中では一番若い飛竜(ワイバーン)ですし、やっぱりまだ寂しいみたいです。もともと群れの生き物ですからね。」

 ティルコナ、――ネイアに割り振られた飛竜(ワイバーン)は首を傾げた。

「そうなんですね…。私ももっとかまってあげた方がいいんでしょうか?」

「ほどほどに。構いすぎると今度は構えなかった時に怒りっぽくなりますからね。」

「はー…難しいんですねぇ…。」

「ははは。でも、大事にされてるってことはこいつらも分かってますよ。」

「そうだと良いんですけど。」

 ネイアが困ったように笑い、ティトは「ところで――」とネイアの抱えている大きな袋を指さした。

「ネイアさんは鱗取りに?」

「あ、そうなんです。飛ぶ前に痒そうなのは取ってあげようと思って!」

「じゃあ、手伝いますよ!」

 二人は飛竜(ワイバーン)が顔を出している所に掛けてある棒状のゲートを潜り、竜舎の中へ入った。

 飛竜(ワイバーン)は脱皮の代わりにこうして鱗を代謝させているので、古くなった鱗を取ってやるのだ。

 放っておくと痒くなって自分達で掻いてしまう。そうすると、古い鱗の隣にある新しい鱗まで剥けたりするので自然界の飛竜(ワイバーン)達の鱗は飼育されている者達より綺麗じゃなかったりする。後は、思いがけないところに鱗が落ちていたりすると靴の裏が切れてしまったり、足を怪我する原因になるので鱗取りは売却益目的でなくてもある程度は行った方が良い。

 二人は鱗を流れている方に向かって撫で、浮きかけている鱗を探しては取ってやった。

 古い鱗の下には新しい鱗が輝いていた。

「――こうしてると、女神様と一緒に鱗取りをしたのを思い出すなぁ。」

 ティトが嬉しそうに呟くとネイアは微笑んだ。

「私も、光神陛下がベラ・フィオーラ様とベロ・フィオーレ様を連れて鱗取りに来てくれたのを思い出します!すごく尊い光景でした。」

 二人は美しい光景を思い出そうとするように少し目を閉じた。

 その後、四頭いる飛竜(ワイバーン)全ての古い鱗を取ってやった二人は古い腰掛けで休憩した。

 時折り木の枝が風に揺らされる。風はどこか秋の香りがした。

 特別な思い出を共有しているわけでもない二人だが、こうして黙って座っていられるほどに二人の仲は良い。

 初めて会った時、ティトとネイアはお互いのことをこう思った。

 ――神を正しく理解できる人。

 年も近い二人は尊敬に似た気持ちを互いに向け合うだけでなく、自身の境遇をそれぞれ相手に重ねていた。

 どちらも神を連れ帰り、誤解なく神を理解して救いをもたらした者だ。

 神を正しく理解できたニグンをはじめとする彼らは故郷と国の英雄だ。

「そういえば、ティトさんは秋生まれですよね!上風月!」

「あ、はい。もうじき十九になっちゃいます。」

「自分が歳を重ねるよりも、知ってる人が歳を重ねる方がなんだか時間の流れを感じちゃうなぁ。」

 ネイアは神都に来てからの多くのことを思い出して笑い、ティトも頷いた。

「僕もそう思います。兄さんに子供が産まれるんだもんなぁ。僕らも歳をとったよ。子供、かわいんだろうな。」

「良いですね。私もいつかは子供を持って、四十くらいまでは聖典として働きたいなぁ。四十は流石に無理かなぁ。」

 聖典長のレイモンは四十より前に漆黒聖典を卒業しているが、父パベルは今も現役の弓兵隊長だ。父のようにいつまでも最強の射手でいられれば良いのに――そう思う。

「じゃあ、ネイアさんと結婚する人は神都にいなきゃいけないんですねぇ。」

「私が飛竜(ワイバーン)で飛んで行きますよ!――なんて、私用で使ったら怒られちゃうんでしょうか?。」

「…じゃあ、僕が飛竜(ワイバーン)で飛んでこようか。」

 ティトはいつもより随分大人っぽい顔をして微笑んだ。

「あ、え?それって……え?」

 鳥達が静かにさえずる中、ネイアは何度も瞬いた。そうしていると、遠くから「おーい、ネイアー」と声がした。

「――あ、クレマンティーヌ先輩の声。」

 ネイアは今の時間が終わってしまうことに惜しさを感じた。神の言葉の意味は何でも間違いなく理解できると言うのに、自分のこととなると難しい。

 さっきの言葉の真の意味を早く聞かなければ――そう思っていると、ティトに「返事した方がいいんじゃない?」と促され、ネイアは軽く頷き目一杯息を吸い込んだ。

 体の中に溜まりかけた熱を全て吐き出すように返す。

「はーい!!せんぱーい!!竜舎にいますよぉー!!」

 静かな時間の終わりにティトはうんと伸び、すぐにその場にクレマンティーヌは姿を表した。

「あぁ、ネイア――と、ティト。おーっす。」

「こんにちは、隊長閣下。」

 クレマンティーヌはティトを茶化すように軽く小突き、ネイアの前で立ち止まった。

「今陛下が来てさー、夏草海原での訓練に陛下方も一緒に来るって。」

「え!じゃあ、馬車で――」

「いや、陛下方は魔法で行くってさ。私らは予定通り飛竜(ワイバーン)で行くから、飛竜(ワイバーン)(あぶみ)一応磨いといてくんない?汚れちゃいないとは思うんだけどさー。」

「わかりました!任せてください!」

 ネイアは薄い胸をドンと叩いた。

「サンキュー。ほんじゃ、私は泥障(あおり)一番良いやつ出して来るからさー。悪いけどそれまで任せたよ。レーナースと番外もすぐ来るから。」

 そんじゃよろしくー、と付け足すとクレマンティーヌは竜舎のある中庭から踵を返した。

 鎧は着用していないため黒いTシャツに短パン姿だが、隊長用のマントは掛けている為紫黒色のマントが軽く翻り風をはらんで揺れた。

 クレマンティーヌの背が見えなくなるとティトも動き出した。

「兄さんの戻りが遅いから、僕も兄さん探しに行こうかな。また明日よろしくお願いします。」

「あ――はい!マッティさんにもよろしくお伝えください!」

 ティトはクレマンティーヌが向かった方とは別の方へ向かい、すぐに見えなくなった。

 

「…女神様と陛下もいらっしゃるなら、僕と兄さんも里で一時休憩する時に着替えた方が良さそうだな……。」

 

 ティトはそう呟くと、訓練と移動に向いているこざっぱりとした自分の身なりを見下ろした。

 

「告白ももうちょっと良い服の方がいっかぁ〜…。」

 

 草原でそんな真似をしたら陛下に笑われるかな、そんな事を思いつつ。

 

+

 

 黒き湖。

 広大なこの湖は水上コテージが大量に建ち並ぶ水上都市と、魚の養殖管理を行う巨大生簀に分かれている。

 管理者には水精霊大鬼(ヴァ・ウン)蜥蜴人(リザードマン)が当てられており、生簀の魚を誰かが勝手に持ち去ったりしないように見張ったり魚の世話を焼いたりしていた。

 蜥蜴人(リザードマン)は元々トブの大森林に住んでいた者達だ。スーキュ・ジュジュやキュクー・ズーズーは自らの部族を連れてこちらへ越してきていた。

 トブの大森林にある瓢箪池に残るシャースーリュー・シャシャや弟のザリュース、ゼンベル・グーグーとの別れを惜しんだが、二度と会えない訳ではないし、向こうの池が手狭になったりする前に別れようと自ら進んでこちらへ越してきた。養殖技術も天空城で習い、ナザリックで相当に腕を鍛えられた為彼らには何の不安もなかった。どこでだって見事に生き抜く事ができるだろう。

 たまにデミウルゴスやコキュートスが様子を見にきてくれるのはこちらに来ても変わらない。その時に互いの暮らしについて尋ねたりしている。

 ちなみに、引っ越して来た時、上半身が魚の半魚人が割と多くいたのには大層驚いた。魚好きな蜥蜴人(リザードマン)達は歩いていてよだれが出そうだったらしい。しかし、今では良い隣人だ。

 

 そんな湖のほとりに、今日は大小二つの影が腰を下ろしていた。

 一人は怒ったような泣いているような仮面を被っていて、場違いにすら感じる高級な仕立てのローブを身に付けていた。

「うまいじゃないか。後一匹釣れたら帰ろう。」

 現存する神、アインズ・ウール・ゴウンの言葉に、隣に座っていたナインズはうなずいた。

「へへぇ、お母さま喜ぶかなぁ。」

「喜ぶとも。きっと花ちゃんも喜ぶぞ。」

 ナインズは虫籠を開いた。

「ケンゾクさん、お願いします。」

 その言葉に我先にとゴキブリ達がカゴを出ようとする。皆至高なる存在の息子の役に立とうと一生懸命で、言葉を飾らないとしたら――とても気持ちが悪い。

 アインズが軽く目を逸らしていると、ナインズの手の中に丸々とよく太った眷属が乗った。

「ちゃんと後で助けてあげるからね。しっかり掴まっててね。」

 眷属が釣竿の糸にしっかり捕まるとナインズは優しく眷属を釣り糸で括ってやり、竿を振った。

 ぽちょん…と軽い音を立てて眷属付きの糸が湖に垂れる。

「おっきいの釣れるかなぁ!」

「あぁ、釣れるとも。」

 色々な餌を試したが、ナザリック産の眷属が一番魚の食い付きが良いようだった。エントマによると外のおやつ(・・・)と比べて、味や香りがまるで違うらしい。外はパリパリ、中はしっとりクリーミー。想像するだけでよだれが出るとか。

 水面で眷属がジタバタすると、クンッと釣竿に力がかかる。

「うわっ!お、お父さま!」

 大きい魚なのか一瞬ナインズの腰が上がる。

「九太、大丈夫だ。落ち着いて引いてみろ。」

 十レベルを超えるナインズに釣れない魚など外にはそうそういない。国民の大半は三レベル以下なのだ。

 ナインズは腰を落として踏ん張り、一気に竿を上げた。

 今日一番の大物が日の光を浴びてキラキラとしぶきを上げながら一瞬宙を舞う。

「わぁ!」

 ベチンッと音を立て地面に落ちると、魚は凄い勢いでジタバタした。

 ナインズはすぐに魚を押さえつけて口の中から恐怖公の眷属を引っ張り出した。

 軽く負傷しているが命に別状はない。怪我をした眷属は籠に移動させられた。

「――デミウルゴス、これは腹が丸い。何を食べているのか確かめるのに向いているだろう。お前の研究に持っていくが良い。」

 アインズは静かに控えているデミウルゴスを手招いた。

「は、畏れ入ります。ナインズ様も宜しいでしょうか?」

 ナインズは虫籠に手を突っ込み、「そっと、優しく…」と呟きながら眷属を撫でていた。

「――あ、うん!良いよぉ!」

「ありがとうございます。では、こちらは頂戴いたします。」

 デミウルゴスが頭を下げる横で、アインズは釣れたばかりの魚達を指さした。

「<集団標的(マス・ターゲティング)(デス)>。」

 ぴちぴちと暴れていた魚は死んだ事にも気付かないうちに息を引き取った。

「殺しちゃったの?」

「そうだ。魚は早いうちに痛みなく締めたほうがストレスが掛からなくて美味い――と、ブループラネットさんが言っていたからな。それに、無駄に苦しませる必要もあるまい。」

 ふんふん言うナインズはアインズの手元を覗き込んだ。

「これで食べられる?」

「いいや、ハラワタを出さないと苦いだろう。」

 アインズは無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から信じられないほどに美しいナイフを取り出し、魚のエラを開いた。どう考えてもそのナイフは魚のハラワタを出したりするようなものではないだろう。

「エラをとって、内臓をとって、血を洗ってから持って帰るんだ。良いか、九太。フラミーさんや花ちゃんにはなるべく命を奪わせたくないし、血にも触れさせたくない。お前もそう心がけるんだ。」

「はぁい。お父さまはとってもお母さまとリアちゃん想い。」

 アインズとしては彼女達の悪魔的な部分が刺激されてしまう可能性があるものには極力触れ合わせたくなかった。血や苦しみを映画感覚で楽しめるのは危険だ。

 アルメリアが万が一大人になる途中で「あの州は全部牧場にしたい!」などと言い出したら――そう思うだけで冷や汗が出る。

「…そうだろう。フラミーさんは私の半身だ。九太も花ちゃんも、私の大切な一部だ。」アインズは言いながらエラを外し、顎下から肛門までの腹をぷつりと開いて内臓を取り出した。

 最古図書館(アッシュールバニパル)で確認してきたが、実践と知識は大きく異なる。しかし、よく切れるナイフを使えば魚の(わた)抜きなどどうと言うことはない。

「お父さま、ぼくも!ナイ君も!」

 ナインズがやりたそうにすると、アインズはちらりと息子の顔を確認した。残虐に目覚めていないか、今は善性に傾いていると思われるカルマに問題が起きていないか、それが問題だ。

 ナインズは命を奪ったり痛めつけてやりたいと思っている様子ではなく、純粋な興味に満ちているようだった。

 しかし「――刃物はまだお前には危ない。斬撃に対する完全耐性を手に入れなくちゃならん。これはお前の身を容易く切るだろう。」

「むぅ…。」

 ナインズが少しむくれるが、アインズは残る魚の腹も開いた。ナインズはその手元をじっと眺めていた。

「ナイ君やりたい…。」

「今度な。完全耐性を手に入れたらいつでもやらせてやる。――さ、これで内臓も最後だ。」

 腹の中からは真っ赤な血に染まるハラワタと白いテラテラしたものが出た。

「これが内臓?」

「これは内蔵だが――こっちは白子だな。火を通したら食べられるかもしれん。」

「しらこ?」

「――卵の一種だ。」

 手際良く内臓と白子、魚をそれぞれの袋にしまい、ナインズに持たせた。

「内臓を恐怖公にやってから帰ろう。眷属を貸してくれた礼だ。それに、狩り殺した者の責任として、無駄にすることなく使わなくてはならん。それが供養と言うものだ。」

「クヨウ…。」

 アインズは血のついた自分の手とナインズの手に<清潔(クリーン)>を掛けるとナインズの尻をはたいた。

「よし、帰るぞ。足元に気を付けろよ?<転移門(ゲート)>。」

「はぁい!」

 アインズとナインズは手を繋ぎ、その場を後にした。デミウルゴスはそこで蜥蜴人(リザードマン)と魚の育ち具合について話し合ってから帰った。

 

 ナインズを連れて氷結牢獄に出る。アインズは目的の部屋へ進み、扉をノックした。

『開いておりまするぞ。』

 中から恐怖公の声がし、アインズが扉を開けようとするとナインズが急いでノブを取った。

「ぼくが開ける!」

 なんでもやりたいお年頃だ。

 扉が開くと、ぞわりと眷族達が道を避け、黒い波が立つ。その先で恐怖公がうやうやしく膝をついた。どうやっているのかは謎だが。

「これはアインズ様、ナインズ様。」

「恐怖公さん!ありがとうございました!」

 ナインズは平気で中へ駆け込んでいき、アインズに持たされた内臓入りの袋を差し出し、連れ出していた眷属達を家に返した。

 ナインズは生まれた時からこれがいることが普通なため、恐怖公にも眷族達にも特別どうこうと言う感情を抱いていない。

「おぉ!ありがとうございます!こうして色々な物を賜れ、おかげさまで吾輩の眷族達もふくふくとよく育っておりますぞ!」

「良かったです!しんせんなうちにどうぞ!」

 袋ごと渡すと、恐怖公はそれはそれは丁寧に受け取った。

「…お父さま、しらこもあげてもいい?」

「何故だ?」

「皆、もっとよく育つように。卵は栄養がたくさんってお母さまが。」

「ふむ、偉いな。おやり。」

 ナインズは軽く頭を下げると恐怖公にもう一袋与えた。

「畏れ入ります。アインズ様にも心より感謝を。」

「気にすることはない。さて、私達はまた出かけなければならんからこれでな。」

「は!」

 アインズはナインズを抱き上げ第九階層へ飛んだ。

 フラミーの部屋の前に着くと、ナインズが戸を叩く。

「お母さま!ぼく、ナイ君!」

 扉はすぐに開かれた。

 ミニキッチンで何やら支度をしていたフラミーは視線を上げると微笑んだ。その腹にはアルメリアがべったりくっついていた。

「おかえりなさい。楽しかったです?」

「フラミーさん、帰りました!」

「お母さまー!楽しかったー!」

 アインズがフラミーへ駆け寄ろうとすると、ナインズがその脇をすり抜けるように駆け抜け、フラミーの膝にぶつかった。アインズは自分がしようとした事が如何に子供じみていたかを見ると、こほんっと咳払いをした。

「ナイ君、お魚いっぱい釣れた?」

「いっぱい釣れた!全部お父さまが内臓までとってくれて、ぴかぴか!」

「えーすごい!アインズさん、ありがとうございます。」

 微笑まれると弱い。アインズはナインズの頭をぎゅうぎゅうと撫でると笑った。

「いえ、簡単なことしかしてませんよ。――さ、花ちゃーん、お父さん帰ったぞー。」

 アインズがアルメリアを覗き込むと、アルメリアはぷいと顔を逸らした。近頃はコアラのようにフラミーに張り付いているのが大抵で、フラミーは片手しか自由にならない。

「や。おかちゃま。」

「えっ、は、花ちゃーん?」

「アインズさん。」

 フラミーがこつこつ、とアインズの顔を叩く。いや、その顔にかかりっぱなしの嫉妬マスクを叩く。

「ん――ぁ、そうでした。見えないから忘れちゃうんだよな。」

 アインズが嫉妬マスクを外すと、アルメリアは笑った。

「おちょちゃま!」

「ふふ、へへ。さー、花ちゃんは父ちゃんとお話ししよう。」

 だっこ大好き魔人のアルメリアの引越しを済ませると、フラミーはナインズから魚の入った袋を受け取った。

 魚は軽く洗い、これまた絶対に料理に使う物ではないだろうと断言できる壮麗なナイフを取り出し鱗をゴリゴリと剥がした。

「お母さま、お魚の血が出たらぼくがやってあげる!」

「ナイ君は優しいね。でも大丈夫。お魚さん、もう全然血は出ないみたい。アインズさんが上手にやってくれたおかげだね。」

「おいしくなる?」

「おいしくなるよ。」

 フラミーは喋りながら丁寧に魚を三枚に卸した。

「お弁当できたら、キバオー見に行く?」

「うん。皆の差し入れももうできたから、これを揚げてパンに挟んだら完成だよ!」

 微笑みながらぽふぽふと小麦粉をはたき、コカトリスの溶き卵につけ、パン粉をまぶす。

 ナインズはフラミーのやった通りに真似て衣を付けた。もはや手に衣を付けているのか、魚に衣を付けているのかわからないような有様だ。

「――これで全部だね。じゃあナイ君はおてて洗ってね。」

「おてて洗う!」

 ナインズが離れていくとたっぷりの油に指をちょいと入れて温度を確かめる。熱への耐性を持つ体にはどうということはない芸当だ。

「いい温度。」

 とれたての魚達をほんのり黄金色の油の中にゆっくりと落とし込んでいくと、からから、じゅわじゅわと音がした。ナインズがメイド達に手を綺麗に洗われる横で魚はきつね色に変わり、油が弾ける音が細かくなる。

 カリカリに揚がったところでバットに取り出し、油を切って粗熱を取る。

「ぼく次は何したらいい?」

 手を綺麗にしてもらったナインズが再び戻ってくると、フラミーは焼けているパンと出来上がっているタルタルソースを渡した。

「じゃあ、ナイ君はこれ塗ってくれるかな?」

「はぁーい!」

 ナインズがおぼつかない手つきでソースをパンにぬり、フラミーはそれにレタスと粗熱が取れた魚を挟んだ。

 完成したフィッシュフライサンドをピクニックバスケットに詰め込んでいく。

 今日夏草海原に持って行くバスケットは一個や二個ではなく、相当な数だった。聖典達の昼食と、騎馬王達人馬(セントール)に食べてもらうニンジン料理が入れられている。

 馬なのだからニンジンが好きに違いないと言うフラミーの思い込みだ。

 全ての用意が済む頃、フラミーの部屋にはコキュートスが訪れた。

「アインズ様、フラミー様。オ荷物オ持チイタシマス。」

 コキュートスがそう言って大量のバスケットを持つと、ナインズはコキュートスに両手を伸ばした。

「あ、あ!ぼ、ぼくやる!やるよ、じい!」

 普通の守護者ならばここでNOと言うだろうが、コキュートスは嬉しそうに頷いた。

「デハ、御身ニハコレヲ。」

 一番小さなバスケットを差し出されると、ナインズはそれを受け取り嬉しそうに笑った。

「へへ、ナイ君偉い?役に立つ?」

「トテモ助カリマシタ。アリガトウゴザイマス。」

 ナインズがコキュートスを見上げたままアインズの開いた転移門(ゲート)へ歩き始める。

 すると、ナインズの足は何でもないところでツンッと絡まり、「わっ!!」と声を上げ――「<時間停止(タイムストップ)>。」

 余裕を持ったアインズの声が響いた。

 ナインズごと凍りついた世界の中、アインズは驚いて振り返ったまま硬直しているメイドの横をすり抜けた。

「あぁあぁ…。本当にすぐに転ぶじゃないか。」

 時間が止まった世界の中アインズが苦笑するとフラミーもくすくす笑った。

「なんでもやりたいけど、うまくいかないんですよね。」

「オボッチャマノ気ヲ逸ラシテシマイマシタ。申シ訳アリマセン。」

 そう言って頭を下げたコキュートスも、この世界で囚われることはない。

「いや、お前のせいではないさ。むしろいつも感謝しているとも。」

 アインズはコキュートスに笑い、斜めになっているナインズを支え、離されかけていたバスケットを持つと時は動き出した。

「っあぁ!――あ?」

 首根っこを掴まれ、転びかけていた体は倒れることなく引き戻された。

「お父さま!なんで!」

「時間対策を九太もいつか考える必要があるな。さぁ、お出かけの時間だ。」

 ナインズにバスケットを持たせ直し、コキュートスを先頭に一行はゲートをくぐった。

 

 闇の先では慌てて膝をついた様子の聖典達がいた。

 漆黒聖典隊長と番外席次以外は皆肩で息をし、訓練の壮絶さを物語っていた。

「神王陛下、フラミー様。それからコキュートス様、ナインズ様、アルメリア様。ようこそいらっしゃいました。」

 馬体に汗をかく騎馬王は以前よりもどこか穏やかそうな顔で一行を出迎えた。

「キバオー!お昼ご飯持ってきてあげたよ!」

 ナインズが駆け寄ると、騎馬王は地面に伏せて視線の高さを合わせた。

「これはこれは、ありがたき幸せ。ちょうど休憩にしようと思っていたところです。皆さん、続きは腹ごしらえを済ませた後にしましょう。」

 騎馬王の言葉に陽光聖典達と、紫黒聖典、漆黒聖典の半数は崩れるように地べたに座り込んだ。

「ふん、あんな大したことない奴のしごきでだらしないわね。全員八足馬(スレイプニール)の尿で顔でも洗った方がいいんじゃない。」

 番外席次が鼻を鳴らすと、アルメリアを抱いたフラミーが首を傾げた。

「ルナちゃんは疲れてない?休憩はまだしないのかな?」

「疲れました!フラミー様、疲れましたー!」

 番外席次――新しい名をフラミーに貰うと意気込んでいた彼女は"ルナ"と半月の夜に名を与えられていた。

 理由は黒い夜の色の髪と、白い月の色の髪が半々に分かれているから。アルテミス、ダイアナ、ルナ、ムーンといくつも考えたが、番外席次は常軌を逸したよう(ルナティック)な性質を持つのでルナに決めたらしい。

 しかし、フラミーと紫黒聖典しか彼女をルナと呼ぶ者はいない。紫黒聖典も家でしか呼ばないため、ほとんど番外席次呼びだ。紫黒聖典以外がルナと呼ぶと、頂戴した大切な名前――祝福を気安く呼ぶなと掴みかかられるらしい。

 フラミーに駆け寄った番外席次からは先程の冷たげな雰囲気は霧散していた。

 その日は人馬(セントール)達と聖典、それからティトとマッティの皆で昼食をとった。

 人馬(セントール)はニンジンの入ったものを大量にフラミーに勧められた。

 彼らはニンジン以外も食べるが、美味だったためよく食べた。

 以来フラミーは夏草海原を訪れる時には大抵ニンジン料理かニンジンを持参する。

 人馬(セントール)はやっぱりニンジンが大好き。フラミーの心のメモに刻まれた。

 

+

 

 その夜、紫黒聖典のテントの前でティトはネイアにもう一度遠回しな告白をした。

 鈍いどこかの神達と違い、ネイアはすぐに言葉の裏を読み取りYESの返事をした。

 そうしてネイアがテントに戻ると、中にはニンマリした三人。

 しかし、バイザーを外したネイアの顔は後悔と不安に彩られており、茶化そうと思っていた三人はすぐに目を見合わせた。

「……どーした?」

 クレマンティーヌの問いに、ネイアは自分の顔を抑えてテントの中でぺたりと座り込んだ。

「先輩方…。考えてみたら私、ティトさんの前でバイザー取った事ないんです…。この目を見たら、嫌われるかもって思って…。私は先輩方みたいに綺麗じゃないですし……この歳になるまで男の子と付き合ったことなんて一回もないですし……。」

 レイナースはそんな事かと笑った。

「ネイア、もしティトが私達紫黒聖典の大切な目を理由に嫌いになるような男だったらこっちから願い下げじゃない。気にする事ないわ。」

「そーそー。それにレーナは確かに美人だけど、暴力体質で婚約者に逃げられてんだから人間見た目より中身――ッゥ!?」レイナースの鉄拳がクレマンティーヌに降り注いだのは言うまでもない。

「本当にクインティアはバカね。それよりネイア、あんたの目、強そうで良いじゃない。弱そうなよりずっと良いわ。」

 番外席次からのなんとも言えないフォローも飛ぶ。

 ネイアはまだ不安そうだったが、近いうちにこの目を見せてみようと決めた。

 二人の静かな恋は始まったばかり。




ユズリハ様に頂いた"セントールの群れを前に「綺麗すぎるだろ…」御身"です!

【挿絵表示】


ちなみにルナちゅわんは読者様アイデアです!
かわいい小噺をいただきました!

+

綺麗な半月の夜に、番外席次とフラミー。
「番外ちゃんは白黒半分で、お月さまみたいねぇ」
「不思議な色合いですよね…。開き直って、こんな髪型にしておりますが」
「きれいだと思うよ。似合ってるし可愛い」
「キャワン……♡」
「きゃわん…?うーん、それにしても月かぁ。アルテミス、ダイアナ、ルナ、ムーン…」
「フラミー様?」
「私たちの世界での、月の呼び方よ。番外ちゃんのお名前にどうかしらと思って。アルテミス(射手)よりもルナのほうがイメージね」
「私はルナですか」
「(ちょっとルナティックな所もあるからね…)うん。勝手なイメージだけど」
「いいえ、フラミー様からいただくお名前…嬉しいです。やっと"わたし"という存在になれる気がします」
そして数日後。
神官の一人「おおい、ル」
「気やすく呼ぶな殺すわよ」
「早い…だって…名前…」
「そうよフラミー様にいただいた名前よ。気やすく呼ばないで頂戴。今まで通り貴方たちは番外で良いわ。まぁ話すこともそう無いでしょうけど。用はないわね?じゃあ行くわね」
「あっ、ちょっ…」
一方紫黒聖典達と。
ネイア「ルナさん、光の神殿にお祈りに行くんですけど、一緒にいかがですか?」
「いいけど。ロックブルズも行く?」
レイナース「私も行くわ。ありがとう、ルナ」
「クインティアは…別に良いわね」
クレマンティーヌ「ちょいちょいちょい、行くっつーの!!ルナちゃんつっめた」
「……」


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試される砂漠
#131 姫の旅立ち


 人は決して忘れられないようなことがいくつもある生き物でしょう。それが良い思い出ばかりの私はきっと、幸せ者なのだと心から思えるのです。だからどうか、私を行かせてください。

 

+

 

 宵を過ぎた月の輝く頃。

 

 ある家の中では厳かな祝宴が開かれていた。

宵切姫(よいぎりひめ)、お前は私の――いや、我が一族の誉れだ。来週の出発が待ち切れないよ。さぁ、どれだけでも好きなものを食べなさい。」

 張りのある父の声には隠しきれない幸福が乗せられていた。

「ありがとうございます、お父様。」

「どれ、私が一番良いのをとってやろう。」

 父が並ぶ食事に手を伸ばし宵切の皿に取り分ける。

 数えきれない兄妹達が宵切姫を祝福の瞳で捉えていた。

 砂漠の砂で作られた家の中にはトーチがいくつも掛けられていて、全ての瞳を輝かせている。

 

 宵切はこの家で食べられる最後の食事を前に幸せに微笑んだ。なめらかな美しい褐色の手は、父が取ってくれた食事を取り小さな口へ運ばれた。

「宵切姉様、すごく綺麗…。」

 妹の落夜(らくよ)は、宵切の生まれてこのかた一日たりとも櫛削ることを忘れられなかった真っ直ぐな黒い髪の毛をうっとりと眺めた。深すぎる黒は光を反射する時青く見えるものだ。トーチに照らされる姿は女神のようだった。

 

 宵切は来週この家を出てしまう。

 

 この大きな美しい黒い瞳も、光を反射する毒を有した尾節も、今週いっぱいで見納めだ。

 身に纏うのは一番上等な絹の衣裳で、幾枚も重ね着をしていてかかとまで届くほどの長さだった。宵切の門出の日を思い、宵切が生まれた時から父が苦労して集めた衣裳達だ。家を出る日に着慣れずに転んだりしては家の恥なので、今日から一週間この服で過ごす。

 

「――太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)の頬肉、嬉しいです。お父様、落夜と崩夜(ほうよ)にもあげていいかしら。」

 一番年下の妹達に良いものを食べさせてやりたいという宵切の心がこもった言葉に、父は頷いた。

「お前がそうしたいならばそうなさい。」

 実家で行える最後のわがままを快く受け入れる。

 

 宵切は愛され、生まれた時から姫として一族の誉れとして育てられた娘だった。

 

+

 

 ある秋の日、イビルアイは広々としたリビングをそわそわと行ったり来たりしていた。

 テーブルの上には朝市で買った果実ジュースやパン、蜂蜜壷が並べてあり、仲間達は食事を取っている。

 

「イビルアイ、そううろちょろすんなって。これでも飲んで落ち着けよ。」

 ガガーランが呆れたような口調でミルクをすすめた。

「いや!座ってなどいられん!!」

「じゃあせめて歩くのはやめてくれ。飯時だぞ。」

「私も座りたい気持ちは山々だが、次にいつ神王陛下がご降臨されるかわからないじゃないか!」

 目をギラギラと光らせ、どこか腹立たしげに答える。

 

 イビルアイは神様目当てでしょっちゅう闇の神殿にも光の神殿にも礼拝に行っているというのに、この間たまたま用事があり礼拝に行けなかった日に限って神がエ・ランテルに降臨したらしい。

 しかも神はあろうことか神殿からエ・ランテル魔導学院まで歩いて行ったと言うではないか。神は新しいポーションの研究の成果をひとしきり確認し、そのまま帰っていったそうだ。

 こうなってはイビルアイの気持ちは収まらず、ソワソワといつでも神の降臨に立ち会えるように備えているのだ。

 

「はぁ…お前たちだけで行かせれば良かったのに!この!私のバカ!バカバカ!」

 降臨の日、イビルアイは仲間たちと共に魔法道具屋に行っていた。

 隣の大陸を神が訪れて早ニ年。こちらの大陸では手に入らない変わった鉱石やハーブがいくつも発見された。

 しばらく神殿機関が研究する為に一般市場まで出てこなかったのが、ついに流通が始まったのだ。まだ希少価値が高く、値段もそれに比例して高額だが、アダマンタイト級冒険者としては是非ともチェックしておきたかった。

 イビルアイをして見たことのないアイテムや素材が溢れる様子につい長居してしまった。

 そしていくつもの要か不要かわからないようなアイテムを買いうきうきしながら店を出たら、街の者たちが皆神々の噂をしていた。

 その時のイビルアイの顔と言ったらない。仮面の上からでも絶望とショックが見えるようだった。

 

 そして今の顔も。

「分かった分かった。じゃあお前は神様探して徘徊でもしてこい。側でうろつかれてちゃあ落ち着きゃしねぇ。」

 ガガーランにしっしと手を振られ、「まったくその通り」と頷く双子に背を押され、ラキュースに「いってらっしゃーい」と見送られ――――イビルアイは流れる連携で見事に家を追い出された。

 

「……おい!!追い出すやつがあるか!お前達それでも仲間かー!!」

 ぱたりと閉まった扉はしんと静まり、たまたま出てきた隣に住んでいる者がきょとんとした顔をしイビルアイを見ていた。

「……す、すみません。はは。さーて、礼拝礼拝…。」

 そそくさとその場を立ち去ったイビルアイは流石に暗殺者(ツアー)を連れて行ったことも水に流して貰えていると信じ、一人闇の神殿に向かった。

 

 動像(ゴーレム)が美しく刈り込んだ木々の生えるコンドミニアムの庭を抜け、寒空の下色付いた街路樹を眺めながら行く。

 この葉が全て落ち切る頃には神の子達の誕生日が来る。

 

(ここに越して来てもうじき丸六年か。慣れたものだな。)

 

 学校帰りの子供達が有名人のイビルアイに手を振るのに適当に応えていると、不意にトン、と肩を叩かれた。

 ――このイビルアイをして接近を感じさせなかった。

 

 イビルアイは強い殺意を持って背後の存在へ振り返った。

「誰だッ!!」

「っわ、落ち着いてください。私です。」

 

 両手を挙げて苦笑を見せる男は――

「三騎士の激風じゃないか!久しいな!お前がいるってことは皇帝――じゃなくて州知事もそばにいるのか?」

 さらりとした金髪が風に揺れるニンブル・アーク・デイル・アノック、通称激風は私服のようだった。それも、割とめかし込んでいる。

 

 イビルアイは攻撃魔法をいつでも撃てるように伸ばした手を下ろした。

「実は今日私は非番なんです。それで、カーベイン元将軍のところにお茶会に誘われまして。」

「あぁ、なるほどな。気を付けていけよ。じゃあな。」

 イビルアイはそれだけ言い、立ち去ろうとするとニンブルに引き止められた。

「ちょま!待ってください。帝国街はどちらですか?神殿に立ち寄ったら迷っちゃいまして。」

「ん?そういう事か。そこで水上バス(ヴァポレット)に乗ればすぐだ――が、案内してやるか。あの時の礼に。」

 防衛点検の際にゴキブリルームを受け持ってもらった恩義は計り知れないため、未だに感謝の心を忘れていない。

 

 イビルアイは元帝国軍人や元帝国貴族が多く住んでいる通称帝国街へ行ける水上バス(ヴァポレット)の乗り場へ向けて歩き出した。

 

「ありがとうございます。エ・ランテルをちゃんと歩いたのはカーベイン様がまだ将軍だった頃以来なんで助かります。神都には割とよく行くんですけどね。」

「ん?という事は帝国軍としてここに来たことがあるのか?」

 イビルアイの問いにニンブルはふっと遠い目をした。

「…聞かないでください。」

「……そう言うならそうするが…。」

 中心から東へ向けて真っ直ぐ通る川が見えてくると、そこでは死の騎士(デスナイト)達が川から落ち葉をさらっていた。

 街を綺麗に保つと言うことの大切さを思い知る。

「……フールーダ様がみたら興奮しそうだな。」

 ニンブルの呟きには疲労が見えた気がするので、イビルアイは敢えて何の返事もせずに水上バス(ヴァポレット)に乗った。

 

「ちょうど水上バス(ヴァポレット)が来ていて良かったな。」

「本当ですね。おかげさまで約束の時間に間に合いそうです。」

 二人肩を並べてシートに座ると、イビルアイは一つの疑問を口にした。

「しかし、お前ほどの身分がある男が乗合馬車(バス)でザイトルクワエ州まで来たのか?」

「えぇ、いつもは御者に頼んで馬車を走らせるんですが、しばらく馬は見たくない気分だったんで魂喰らい(ソウルイーター)便の乗合馬車(バス)で来ました。」

「馬を?なぜだ?」

 ニンブルは土産の入った紙袋を大切そうに抱くと苦笑した。

「いえね、近頃紫黒聖典との手合わせに行くと、彼女たち八足馬(スレイプニール)に乗って手合わせするって言うんですよ。」

「ス、八足馬(スレイプニール)か…。そんなものとよく生身で渡り合おうとするな…。」

 生身、と言う表現に若干の違和感を覚えたニンブルが訝しむような目をするが、すぐに何かを納得したようだった。

 

「――いえ、騎馬戦ですからこちらも馬に乗ってますよ。それにしたって、普通の馬と八足馬(スレイプニール)じゃ話にならないくらい力や素早さに差があるんですけどね。」

「全く神の部隊も大変だな。防衛点検の時に奴らの力は嫌と言うほど感じたが、それでもまだ高みを目指しているのか。」

「まったくです。手合わせに付き合うこっちの身にもなってもらいたいですよ。」

「はは、本当だな。しかし、紫黒聖典は漆黒聖典や陽光聖典と手合わせする方法もあるだろう?わざわざお前達三騎士が付き合ってやることもない。」

 紫黒聖典はずば抜けた神人一人と、サポート、撹乱、露払いの四人で構成されている。

 イビルアイはかつて陽光聖典と対峙し戦ったこともあるが、たった四人の紫黒聖典だが大部隊の陽光聖典とも渡り合えるだろうと思えた。

 そんな四人組の相手を、言葉は悪いが三騎士程度に務まるとは思えない。

 

「それはそうですけど、まぁ、昔のよしみもありますし――好きなんです。」

「なるほど。確かに紫黒聖典の一人、レイナース・ロックブルズは元四騎士。重爆とか言ったか。」レイナースはオシャシンが出回っている為神話の一部としてほとんどの国民がその入隊の経緯を知っている。「――戦闘好きなら楽しいだろうな。」

「いえ、戦う事じゃなくて、重爆のことが好きなんです。」

「そうか。重爆が好きなのか。――ん?」

 ニンブルは穏やかに、こともなげに告げたので一瞬何のことだかイビルアイには分からなかった。さっぱりした性格なのか照れたりもしていない。

 

「綺麗な人だなくらいにしか思ってなかったんですけどね。人生わかりませんよ、本当に。」

「そ、それで、告白はしたのか?」

「してませんよ。神都とアーウィンタールじゃあ遠いですし、今すぐどうこうなる気持ちもありませんから。彼女は一度婚約者に裏切られてますし、聖典である今の生活を何よりも愛していますからね。急ぎすぎてもよくないでしょう?今はたまの訓練で会えれば良いと思ってます。」

「そうか…。じゃあ、お前の片想いなんだな。」

「どうでしょうね?」

 そう微笑むニンブルは両想いだと確信しているような気がした。すると、水上バス(ヴァポレット)は帝国街に近い停留所に着いた。

「――あ、ここだ。降りるぞ。」

「はい。」

 二人は立っている人を避けて船を降りた。

 

「おや?ここからの道は分かりそうです。わざわざ一緒に乗っていただいてありがとうございました。」

「いいや、私も面白い話が聞けてよかったよ。お前達の進展を祈ってる。」

「それはそれは。ではまた年末の神の子の誕生日会でお会いしましょう。」

 定期的に会う機会があるのはありがたいが、あまり何年も会いすぎるとイビルアイの身体の変化がないことにいつか気がつかれてしまうかもしれない。中にはイビルアイを矮躯(わいく)の異種族ではないかと噂している者もいる。

 

 手を振り去っていくニンブルを見送るイビルアイは生きる時間が違う友人の背が見えなくなるまでその場に止まった。舞い散る落ち葉の中を進むニンブルの背は、まさしく今を生きる命の輝きのようなものを感じさせた。

 

(――ま、気付かれてもその頃にはアンデッドへの忌避感は随分減ってるだろうな。)

 

 ここの停留所でも死の騎士(デスナイト)が落ち葉を川からさらっていた。

 なんとでもなるさと自分に言い聞かせ、イビルアイは引き返す水上バス(ヴァポレット)が来るのを待った。

 

(……しかし、いつかは蒼の薔薇が無くなることも覚悟しておかなきゃならんな。)

 

 今の時間は何にも変え難いほどにキラキラと輝き、毎日を幸福に暮らしているが、仲間達も年を重ねる。

 次の新しい仲間を見付けて蒼の薔薇に引き込むのか、リグリットが蒼の薔薇を引き連れてくる前の日々に戻るのか――。

 

(一番は神王陛下のお手元に行けることだがな…現実的な未来はちゃんと考えておいた方が良いか。)

 

 リグリットも体の時間の流れを緩やかにしているが、いつかはいなくなる。ツアーはその点イビルアイがこの世から執着を無くすくらいの時間は生きてくれるだろうが――そばにはいてくれないだろう。

 イビルアイは「はぁ…」と声を出してため息を吐いた。

 

 すると――「乗らないんですか?」

 気が付けば引き返す水上バス(ヴァポレット)がイビルアイの前に止まっていた。

「――あ、あぁ。すまない。乗る……いや、やっぱり乗らないんだ。」

「そうですか。ドァ閉まりイェッス。」

 イビルアイは癖の強い開閉注意を出す幽霊船長に頭を下げ、歩いて神殿と家の方へ向かった。

 

 一度自分を見つめ直したほうがいいかもしれない。まだ蒼の薔薇解散までは時間があるだろうが、方針を決めなければ。今後の生き方が変わる問題なのだから。――死んでいるが。

 仲間を探して蒼の薔薇を続けていくなら、リグリットにヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンを紹介してもらった方がいいかもしれない。

 彼はかつてリ・エスティーゼ王国で活動していたアダマンタイト級冒険者で、リグリットとチームを組んでいた。今では剣道道場を開いて新たな力を育成している。

 御前試合で優勝したガゼフ・ストロノーフを半ば無理やり道場に連れ込み、座学や剣技などを仕込んだ男でもあり、イビルアイはヴェスチャーを高く評価していた。

 ただ、彼も高齢なため行動するのが遅すぎると師範が変わって道場と顔をつなげなくなる危険性がある。

 

(女がいるといいんだがな。惚れた腫れたは厄介だ。…まぁ、今女がいなくても十年か二十年以内に女が弟子入りする可能性もあるか。)

 

 何だかんだと孤独だった日々に戻る気は起こらず、自然と蒼の薔薇存続の向きで心は決まっていた。

 しかし――(……一応あの場所(・・・・)がどうなっているのかは見に行っておくべきかもしれんな。)

 もし一人ぼっちに戻ったとしてもあの場所(・・・・)に帰るつもりはあまりない。

 それでも久しぶりに足を運ぼうと思ったのは、なんとなく墓参りに行くくらいの気持ちだった。

 

(………そう言えばあの辺りはまだ地図がほとんど完成していなかったな…。)

 

 帰って仲間達を冒険へ誘い出そう。

 そうと決めると、イビルアイは<飛行(フライ)>を唱えて浮かび上がった。

 家へ向かって飛ぶ。

 あの場所(・・・・)に行きたいと皆を誘うのは初めてだ。

 イビルアイの全ての始まった場所。そして、全てが終わった場所。

 もう数えることも億劫になるほどの昔に滅んだ故郷。――滅ぼされた故郷。

 廃墟にはイビルアイの身内だった者がゾンビとなり闊歩していたが、今はもう炎で清められているので、過ぎ去った時だけが残っているはずだ。

 あそこまで行くとしたら、ブラックスケイル州から数週間かけて山を越えて南に歩いて行くか、南の砂漠にあるエリュエンティウから遥か南東に一週間と数日かけて歩いて行くか、だ。

 この忘れられた王都までは相当な距離があるため、道が厳しいこともあり冒険者もまだほとんど行けていない。誰も知らない、気が遠くなるほどに遠い、寂しい場所だ。

 イビルアイが転移で行くとしても何度か中継地点を挟み転移を繰り返す必要がある。

 となれば、転移と地図作成を繰り返して向かうと良いだろう。

 

 <飛行(フライ)>の効果が切れ始めた頃、イビルアイは家に帰り着いた。

 庭に直接降りると侵入者だと思われてゴーレムにつまみ出されるため、一度コンドミニアムの前に降りて歩いて帰宅する。

「おーい、帰ったぞー。」

 扉を開けると、仲間達が振り返った。

 

「イビルアイ、おかえり。」

 そう一番に言ってくれたのは、数えるくらいしか会ったことがない――「なんだ。ティラじゃないか。珍しいな。どうかしたのか?」

 

 ティラはティアとティナの二人と並ぶとまるきり<影分身>しているようだ。

「やっと帰った」「イビルアイ、行方不明」そう言う双子の反応は面倒くさそうだった。

「行方不明だと?」

 イビルアイが首を傾げると、ガガーランが答えた。

「ティラが来たからお前を呼びに神殿に行ったんだよ。そしたらお前闇の神殿にも光の神殿にもいねぇんだから。」

「あぁ、野暮用ができてな。結局神殿には行かなかったんだ。で?わざわざ私を呼びに来たってことは、なんか用でもあったのか?」

「ふっふーん。これでようやく話せる。私の話はイビルアイが戻ってからした方が喜ぶと言われて止められてた。私は口が軽いからうずうずしてる。」

 

 ティラはプフの上にアグラをかき直し、そろそろ話して良いかと蒼の薔薇を見渡した。

 

「何だなんだ?私が喜ぶ話…?」

「良いから、ほら。イビルアイも座りなさいよ。」

 ラキュースに安楽椅子を勧められ、イビルアイは身を沈めた。

 

「おっほん。じゃあ、話す。まず、このクナイは騎馬王って言う超絶格好いいおじさんに貸して、返して貰ったナイスなクナイ。知っての通り私はおじ専。」ティラはそう言うと毒の魔法が込められているクナイを全員に見せびらかした。「そんでもって、こっちが私も登場する、今度アーウィンタールの闘技場で発売が始まる民間人による自伝書、"夏草海原の戦士達"。なんと出版前に一冊貰えたのだ。」

 

「なんだそりゃ?」

 今のところ、イビルアイが聞いて喜ぶ情報はひとつもない。イビルアイは何の事か分からずラキュースを見た。

「ここからよ、ここから。」

 

「この本には、まだ聖書にも編み込まれていない夏の始まりにあった夏草海原の物語がある。私が出てくるのは最後の方。満を辞して私が登場する。全部で十行くらい。もしこの自伝が聖書の作成の一助になれば、ついに私も聖書に登場する可能性がある。冬にはなんと劇にもなると出版前から決まってる。」

 

 イビルアイ達蒼の薔薇は聖ローブル州の生死の神殿に置かれてる聖書に登場しているため、ティラは一歩遅れての聖書登場となるだろう。

 そこまで聞いて、イビルアイは何となく皆が何故自分にこの話を聞かせたいのか理解し始めた。

 

「そりゃ良かったな。良い伝説に残るって言うのはやっぱり悪い気はしないな。」

「本当にその通り。私は今すごく機嫌がいい。ちなみに、この本にも書かれている通り――」そう言って最後の方をティラがめくると、蒼の薔薇面々は顔を寄せて本を覗き込んだ。「こないだ神王陛下と光神陛下にお会いした。ナインズ殿下とパンドラズ・アクター殿下、それからコキュートス様にもお会いし――」

「何だって!!」

 あまりにも食い気味なイビルアイの様子に蒼の薔薇は笑った。

「な?お前も聞きたかっただろ?」

 ガガーランが軽くイビルアイを小突く。イビルアイは首がとれてしまいそうなくらいに何度も頷いた。

 

「そ、それで!神王陛下は、お、お元気だったか!!」

「元気。骨だったけど多分元気。」

「あぁー!陛下ぁー!どっちのお姿も素敵です!」

「……そう?」

「そうだろ!お前の目は節穴か!」

「ちなみに、光神陛下はどう見てもお元気だった。すごかった。怒るとめっちゃ怖い。」

「む、あの女神が怒ったのか。女神はああ見えて相当な力を持っているからな…。私はその力の外にある者だが、生者だったら飛びついてたよ。あぁ……それにしても殿下方のお誕生日会まで待ち切れない!」

 

 ありがたいことに一冒険者である蒼の薔薇がこう言う国の催し物に行けるのは、ラナーが護衛という名目でラキュースに声をかけてくれる為だ。ほんのわずかな時間でも同じ空気を吸えるだけで――イビルアイも神王も呼吸していない気がするが――幸せな気分になれてしまう。

 イビルアイはラナーに大変感謝している。

 

「それで、ティラ!何か陛下とお話ししたか!」

 ティラはム…と声を上げ記憶をなぞり始めた。

「………話してない。話してる姿を見てた。」

「それだって羨ましいな!あぁーなんで私を呼んでくれなかったんだ!」

「カルサナスの一大事だったから、そんな暇ない。」

「カルサナスの一大事?そう言えばカルサナスは若い議員がずいぶん増えたみたいだし、女神を怒らせたなんてどうかしたのか?」

 イビルアイが首を傾げると、ティラはギュムッと本を押し付けた。

「読めばわかる。説明はめんどくさい。長すぎる。」

「あ、あぁ。ありがとな。これ貰って良いのか?」

「ダメ。一冊しかない。今読むべき。私はそれを返して貰って帰る。」

「………この分厚いのを今読めと?」

 

 イビルアイはパラパラとページを巡り、ほとんど一番最後で手を止めた。

「陛下方が出てるところだけ読むなんて真似はむしろ不敬。」

「――バレたか。なぁ、悪いんだけど私は冒険に行く先を決めたから出発の準備をしなきゃならないんだ。」

 

 その言葉に、ティラの足元の床に座っていたティアとティナが瞳を輝かせた。

「どこ?」

「久しぶりの冒険。早く行こう。」

「あぁ。私の故郷、今は亡きインベリア王国だ。ディ・グォルス砂漠を越えていく予定でいる。」

 この砂漠はここから南西に位置し、インベリアはここからおおよそ南東にある。ブラックスケイル州からいくルートは一度も行ったことがないため転移ができない。そうなると月単位の時間がかかってしまう。

 二人はディ・グォルス砂漠とはどこだと目を見合わせ、ラキュースが捕捉する。

 

「私たちの言うところのドォロール砂漠よ。確か蠍人(パ・ピグ・サグ)って言う種族がいるらしいって聞くけど…中々出会えないそうよね。エリュエンティウ市の冒険者達も国に入れって説得するために探しに行ってるらしいけど。――それにしても、どうして突然そんなところに…?」

 

「……墓参りだ。しばらく行ってないからな。炎で浄化されたとは言え、いつまたアンデッドが沸いてもおかしくはない。たまには……見に行かなきゃな。」

「…お前がそんなこと言うなんて初めてじゃねぇか?何にせよ旅の間に食う飯買いに行かなきゃなんねぇな。途中までは転移で行くんだろ?全部で何日分用意する?」

 

 ラキュースの隣から腰を上げたガガーランは買い物用の鞄を肩にかけた。

「あぁ、転移だ。だが、途中途中で地図も作るだろ?なるべく余分に持っていこう。"ドワーフの革袋"に入るだけいっぱいと、あとは水、防寒具と遮光服だ。」

「あいよ。あー、俺遮光服なんかあったかな。」

「私の貸してあげても良いわよ?」

 ラキュースからの親切にガガーランはにこりと微笑んだ。

 

「入らねえ。」

 

「……そうね。今のなし。エリュエンティウ市で買ったらどう?」

「そうするか。じゃ、俺はちょいと食材調達に行くぜ。」

「私も行くわ。皆は旅の準備をお願い。」

 そう言い、ラキュースとガガーランが出かけていくと、双子とイビルアイも準備をするために隣室へ消えた。

 

 ――そして取り残されるティラ。

「……本、持って帰っちゃおうかな。」

 呟くと、扉から顔が三つにょきりと出た。

「数日で帰ってくるからここで待っててくれ!」

「それは長い。」

「けちんぼ。」「聖書の先取り読みたいのに。」

「なぁー、皆読みたくはあるんだよ。数日かけてゆっくりじっくり。置いてってくれないか?」

 

 それを聞くと、ティラは少しだけ機嫌のようさそうな顔をした。

「じゃあ、貸してあげてもいい。ただし汚したり失くしたりしたら――」

「持ち出したりしないし、絶対に汚さない。誓う。」

「当然私達も誓う。」「まぁ、汚すとしたらイビルアイ。」

「おい!人のものを汚すわけがないだろ!」

「ふふん、わかった。そこまで言うなら仕方無い。また適当に時間を見て遊びに来る。それまでに読破するように。」

「あぁ!ありがとう!」

 

 亡国の吸血姫は機嫌良く鼻歌を歌い、旅立ちの準備に消えた。




お出かけだ!!
亡国の吸血姫未読の私がその一帯を書く自殺行為ですね。
地図との整合性をなんとか取ろうと必死。


吸血姫既読の方は地名があってるだけだと思って寛大にお願いしますm(_ _)m
眠夢時空の地図はもはや原作時空で明らかにされていない場所まで読者の方に作成していただきました。
これを埋めていく感じでここまできたので、ご理解の程よろしくお願いいたします。
また、悟転移をした吸血姫の時空とは通ってきたルートが違うため大きく歪みが発生していると解釈していただけるとありがたいです。
最後に、多くの方が亡国の吸血姫は未読なため、感想欄での亡国の吸血姫のネタバレはご遠慮くださいますようよろしくお願いいたします。


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#132 天空城の恵み

 どこまでも透き通った秋晴れの空に、決して水の流れを止めない天空城はある。

 それの真下では流れ落ちる滝が炸裂し、滝壷で細かな水しぶきを上げていた。

 遥か上空から流れ落ちる水は滝壺に達する前に分散する分もあるため、もうもうと景色が白く染まっている。少しでも近付けば全身びしょ濡れになるため、近くに建っているのは水門管理棟くらいだ。

 

「この街も変わったな。」

 

 数度の転移を済ませ、見上げるイビルアイの仮面には、滝壺にそう近いわけではないのにしぶきが掛かってキラキラと輝いていた。

「何年前に比べて変わったの?」

 ラキュースの問いにイビルアイは少し考え、あれからまた長き月日が経ったことを自覚するとすぐに思考を放棄した。

「忘れた。さて、ガガーランの遮光服を探そう。仕立て屋はどこだ?」

「俺一人で見てくるから、お前達は――あそこで飯でも食っててくれ。」

 ガガーランが親指をくいっと向けた先には、いかにも南方らしい出立ちの建物があった。

 建物の芯は木材で、砂漠の砂と草を溶いて固めた土壁。屋根は茅葺で、干した稲藁が幾重にも重なって積まれている。入り口正面に掛けられた看板にはエリュエンティウ市で発達した文字の下に、まだ真新しいような塗装で国営小学校(プライマリースクール)で教えられている公用文字が刻まれている。

 

 内容は『お食事どころ』だ。

 

「そうか?良いならそうさせて貰うが。」

「ぞろぞろ行くとまたいらねぇもん欲しくなるだろ。じゃ、適当なの選んですぐに俺も行くから。」

「分かったわ。気を付けてね。」

 ラキュースに見送られ、ガガーランは仕立て屋のありそうな通りに向かった。

 もう秋だと言うのに、エリュエンティウ市は季節などお構いなしに強烈な陽射しに照り付けられていた。

 

(さっさと遮光服買わねぇと干物になっちまう…。)

 

 身を包む全身鎧は表面で目玉焼きでも焼けそうなほどに温度を上げていた。

 大抵の冒険者は防寒用や雨具のマントはいくらでも持っているが、あまり砂漠まで来ることはないため必要以上の日射対策装備は持っていない。――冒険者の多くは宿屋を使っていることが多いため、物を増やしすぎないよう気を付けていると言うこともある。

 

 その点、イビルアイは温度を大して感じていない様子だし、ラキュースは美肌美白に余念がないためその辺りの装備を普通の冒険者より大量に持っていて、ティアとティラは身を隠す装備の一部として常備している。

 旧王国の夏も暑かったが、わざわざ遮光服で全身を覆うほどの暑さの日はそうそうなかったので、ここまで装備が揃っている仲間達の方が珍しい。

 

 ガガーランは市場を見つけるとすぐさま通りを曲がった。

 

 南方の品が商われる市場は賑やかで、そんな場所には決まって吟遊詩人(バード)が英雄達や今なお世界に君臨する神々の話を聞かせてくれる。

 あちらこちらでお駄賃を握らされた子供達が吟遊詩人(バード)の語りに耳を傾けていた。

 

 いくつかの店を横目に進むと、ようやく布屋があった。店の前に露店のように布が並べられていて、そこに気の良さそうな老婦人が座っていた。

 

「すみません、お母さん。遮光服を探してるんだけど、ここは仕立てはやってねぇかな?」

「仕立てもやってますよ。もちろん既製服もありますからね、中を見ていってちょうだいね。」

 腰を上げた老婦人について店内へ入る。

 

 店内にはセンプウキと呼ばれるマジックアイテムが置かれていて、店外に比べてぐんと涼しかった。

 

「何色が良い?鎧とお揃いの赤?それともキラキラしてるやつが良いかしら。冒険者さんは顔を売らなきゃいけないものねぇ。あぁ、ちゃんと裏はベージュで作ってあげるからね。」

 

 そう楽しげに出してくれる布はどれも煌びやかで素敵ではあるが、あまり冒険には向いていないような気がした。それに、残念ながらガガーランの趣味でもない。

 単純な形の服を頼むつもりでいたので、採寸を行ったら一度仲間のところに戻って二、三時間程暇潰しをすれば十分だろうと思っていたが、既成服があるなら仕立ててもらうよりも時間もかからなくて良いだろう。

 

「いや、顔を売る必要はねぇんだ。無難に黒でいいよ。遮光服の黒で出来上がってるのはないの?」

「無難…なのに黒で良いの?珍しいわねぇ。あるにはあるけど、お嬢ちゃん大きいからね。男物になっちゃうよ?」

「構やしないよ。」

「じゃあ、こっちにいらっしゃい。」

 

 案内された一角にはこの南方で男性がよく着用する民族衣装であるスーツが吊るしで並んでいた。

 

「――お、この黒なんかいいじゃねぇか。」

 そう言ってガガーランが手に取ったのは袖がたっぷりと広く、丈の長いローブだった。

「あらだめよ。それは法衣なんだから、お坊様のお着物よ?」

「げ、これ僧侶の服か。」

 

 お坊様とは四大神の従属神である仏というマイナーな神に仕える僧侶だ。旧リ・エスティーゼ王国を始めとする旧人間種三大国にある四大神の神殿は多くが光と闇の神殿へとその姿を変えたが、その従属神の神殿――仏教では寺だが――までは姿を変えなかったのだろう。全ての神は光と闇の神の下に付くと言う触れの下、旧人間種三大国にある神殿の看板の掛け替えは行われた。

 

 ちなみに、ガガーランが知っている坊主はアダマンタイト級冒険者チーム"銀糸鳥"にいるウンケイだけだ。

 

「そうよ。もしかして、お嬢ちゃんエリュエンティウの子じゃないのかしら?」

「あぁ、俺はザイトルクワエ州のエ・ランテルから来てる。」

 

「そうだったのね。じゃあおばちゃんが教えてあげる。砂漠では遮光服は黒じゃなくてベージュを着るのよ。砂漠の砂に紛れ込むためにね。だから、どんなデザインの遮光服も必ず裏地はベージュで作ってあるの。ひっくり返せば良いでしょう?それで、夜は暖かい黒いマントを着て過ごすの。双頭怪蛇(アンフィスバエナ)砂漠長虫(サンドワーム)を代表とした魔物達は足音で獲物を探すから、結構砂漠に伏せて通り過ぎるのを待つことが多いのよ。そうしてると、空から砂漠犬鷲(パズズ)が来て襲われたりするからね。」

 

「へぇ、そいつぁ良いことを聞いたぜ。じゃ、お母さん。ベージュで見繕ってくれよ。」

「うふ、おばちゃんに任せてね!」

 

 老婦人は腕まくりをするとガガーランでも着られそうな女物の大きな遮光服と、男物の遮光服をいくつか出した。

 

「男物の方が腕周りが太くて動きやすそうだな。よし、これを貰うぜ。」

「はい、ありがとうね。三万ウールよ。袋に入れてあげようか?それともすぐに着て行くかい?」

「着て行くからこのままで良いや。助かったぜ。」

「気を付けてね。」

 

 金を渡し、遮光服を鎧の上から着込んだガガーランが店の扉をくぐろうとした時、その背に声がかかった。

 

「――あ、お嬢ちゃん名前教えておくれよ。活躍を聞けるかもしれないだろ。」

 ガガーランはそれを聞くと口角を上げた。

「ガガーラン。俺は"蒼の薔薇"のガガーランだ。もしお母さんがなんか困った事があったら、エ・ランテル一区にあるコンドミニアムを訪ねな。俺達は大抵そこで過ごしてるからさ。」――お嬢ちゃんと呼んでくれたお礼に。

 

「ががーらん…。あの蒼の…薔薇の…。」

「そうさ、じゃあな。」

 

 軽く手を挙げたガガーランは灼熱の店外へ出た。吊るしで買えたため、採寸などがいらなかったので思ったより時間が掛からなかった。

 背中に「頑張ってよー!応援してるからねー!」と心地いい声がこだまする。

 

 ガガーランは来た時よりも余程良い気分でお食事どころへ向かった。

 

 来た道を戻る時、三度笠をかぶり街角に立っている坊主を見かけた。坊主の隣には死の騎士(デスナイト)

(――さっきは気づかなかったけど、この街にゃあ結構僧侶がいるんだな。)

 坊主は持鈴と鉄鉢(てっぱち)を持っていて、米や金を鉢に入れてもらっている。

 少しの興味心で近付くと、ちょうど老人が鉢に米を入れたところだった。

 

 すると、坊主は持鈴をリンリンと鳴らしてから、聞き取りにくい単調な発音で話し始めた。

 

「ご傾聴。かつて竜王と都市守護者様達が戦った時、この地には旧スレイン法国をお捨てになって仏様がいらっしゃった。都市守護者様達により葬られた闇の神の弟子たるスルシャーナを悼み、成仏を願ってこの地を遍路した。その時に仏様は自らの寝食すら捨て経を唱え続けたという。スルシャーナの骨片一つ、身に付けていた絹一つ見逃さずに供養した。竜王と都市守護者様の戦いは苛烈であり、地上都市も大きな打撃を受けた。地上都市は都市守護者様と天空城(エリュエンティウ)からの恵みにより発展し、その名にあやかり都市名をエリュエンティウと定めていた。」

 

 坊主はそこでもう一度、持鈴をリンリンと鳴らした。

 

「――地上都市(エリュエンティウ)の人々は、恵みを与える天空城(エリュエンティウ)と守護者様達を襲った竜王とスルシャーナを憎んでいた。しかし、スルシャーナの成仏を願い、己の欲の一切を捨てて身を捧げる仏様の姿に地上都市(エリュエンティウ)の人々は胸を打たれた。滅私奉公する姿のなんと尊いこと。心の美しい者は何も口にしようとしない仏様に米や麦を供えたと云う。いつしか地上都市(エリュエンティウ)の人々は全員が仏様にお供えをするようになった。仏様は後に都市守護者様にスルシャーナとの関わりを知られて命を絶たれるまで、我ら地上都市(エリュエンティウ)の民に広く悟りと仏法を説かれ、今でもその高潔なる意志はこの地に残る。」

 

 ――再び鈴を鳴らす。

 

「それでは、仏様のために私たちも祈りましょう。そして、その心を清くいたしましょう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

 老人は坊主の前で手を合わせ、しばらく南無阿弥陀仏と唱え続けた。

 

(――そう言うことか。)

 

 しばしの間説教を聞いたガガーランは、この仏教と言う宗教が何故神の再臨した今尚続けられ、神殿の看板を変えないのかと思ったが全てを理解した。

 

 死者を心から悼み、金や食事と言った自分の欲すら坊主に渡すことで、仏のように清い心を少しでも持ちたいと思っているのかもしれない。

 これは自分の強欲な生き方を見直す宗教だ。光と闇の神を祀るものとはまったくの異質。

 

 面白いものを聞けたと思ったガガーランは財布から金を一枚取り出し、鉄鉢に入れて手を合わせた。

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

 

 なんとなく善行を積んだような気分になると、ガガーランは再びお食事どころに向かった。

 店に入ると、中はやはりマジックアイテムであるセンプウキがあり、ほのかに涼しい風が吹いていた。

 

「お、ガガーランここだ!ここ!」

 手を振るイビルアイに「おう」と応えて席につく。周りにはスーツを着た男性が多くいた。

「良いの買えたじゃない。でもベージュなんて珍しいわね?」

「てっきり黒を買うと思った。」「ち、賭けに負けた。」

「そりゃ残念だったな。砂漠じゃ黒より砂色の方が良いって仕立て屋に言われてこれにしたのさ。」

 

 ラキュースは白い遮光服で、イビルアイと双子忍者は黒い遮光服だ。ガガーランは少しだけ、皆の分も買えばよかったかなと思った。

 

「さて、お前らは何食ってんだ?旅に出る前のまともな最後の飯だからな!吟味するぜ!」

「私はソバよ。」

 ラキュースが丼の中を軽く見せると、イビルアイも丼の中をみせた。

「私はカツ丼だ。南方に来たら米と決まってる。ソバなんぞ邪道だ。」

 

 南方と言えば天空城から降り注ぐ水で稲をどこでも栽培している。街を一歩出れば砂漠だが、都市内は意外に緑も多い。

 

「私は双頭怪蛇(アンフィスバエナ)の蒲焼き。もちろん米に乗ってる。」

「私は双頭怪蛇(アンフィスバエナ)の白焼き。もちろん米を添えてる。」

 

 ティアとティナも食べているものを教えると、ガガーランは少し嫌そうな顔をした。

「…よく魔物なんか食うな。南方の人らはなんでも食うって言うけど本当なんだな。」

「意外とおいしい。」「最後にこれにお茶をかけてお茶漬けにできるらしい。」

「茶か……。」

 

 穀類に茶をかけると言う特異な料理を前にますます悩む。

 公用文字のメニューを眺め、ガガーランは決めた。

「よし、俺は天丼にするぜ。」

 野菜や巨大サソリの尻尾を天ぷらにしたものが米に乗っているらしい。

「さすがガガーランは分かっているな。やはり米だ。」

 イビルアイがそう言うと、ラキュースは若干恨めしいような顔をした。

「ソバだってこの辺りじゃないと食べられないのよ?」

「――む、そうか。じゃ、天丼とソバにするぜ。」

「…お前は本当によく食べるな。」

 

 その後一行は食事を済ませると、道中で食べるのに良さそうな握り飯をいくつか持ち帰りで頼んで店を後にした。

 

「さて、それじゃあ冒険者組合に行きましょうか。」

 どこまでの地図が完成しているのか確認するために、最新の転写図を買って行ったほうが確実だ。

「また探すのに難儀しそうだな。」

「いや、ガガーランが仕立て屋に行ってる間に店員に場所を聞いておいた。見ろ。」

 そう言ってイビルアイがみせた町内の地図は――「なんだこりゃ…。」

 絶句ものだった。

 どう好意的に見ても子供の落書きの域を出ていなかった。

 

 すぐさまティラが町内図を回収し、止める隙もなく真っ二つに引き裂く。

「貴様!何をする!」

 イビルアイは激高したが、ティアが懐から新しい地図を取り出し突きつけた。

「む、ぐぐぐ……」と、イビルアイが悔しそうにくぐもった呻き声を上げる。

 有り体に言って、比べ物にならないほどうまかった。

 

「よし、そんじゃ行こうぜ。」

 歩き出すと、数個目の角を曲がったあたりでガガーランは再び坊主を見つけた。

 

 細かい金があることを確認し、ほいっと鉄鉢に入れる。

 

「ご傾聴。おおよそ四年前、神王陛下と光神陛下がこの地にもご降臨された。スルシャーナの師である神王陛下を見た都市守護者様達は聖なる天空城(エリュエンティウ)を再び侵す者が現れたと思い、地上都市で神王陛下に戦いを挑んだ。その時、地上都市(エリュエンティウ)にはいくつも戦いの跡が残ってしまった。しかし、神々の真の目的は天空城(エリュエンティウ)の破壊ではなかった。神王陛下は自らの師弟の犯した罪を清算されに、光神陛下は自らの庇護下にある天使、つまり都市守護者様達を苦しめる竜王の呪いを解き自由をもたらしにいらっしゃったのだ。そうしてその時の戦いは"早とちりの聖戦"と呼ばれ――」

 

 坊主が持鈴を鳴らして長い説法を始めると、ガガーランは最初こそきちんと聞いていたが、終わる様子がないため口を挟んだ。

 

「坊さん、それについては知ってるぜ。今はちょっと急いでるもんで、な。」

「おやおや。では、四年前の"早とちりの聖戦"で亡くなった方達の成仏と、あなた様の心を清くするためご唱和を。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

 

 ガガーランは他人にタダで金を与えるなんて、どんどん心が綺麗になっている気がした。双子もガガーランを真似て「ナンマイダー、ナンマイダー」と唱えた。

 

「じゃ、行こうぜ。」

「え、えぇ。」

 坊主から少し離れると、ラキュースが尋ねた。

「…ねぇ、せっかくお金を払ったのに聞かなくていいの?」

 

「金は説法を聞くために渡したんじゃないからな。金への執着を洗うために渡したのさ。ま、悟りってやつだな。歩きながら教えてやるよ。」

「……うん?」

 

「ガガーラン、私は聞きたかったぞ、陛下の話…。少し聖書と内容が違っていたじゃないか…。神王陛下はスルシャーナの罪を精算しにいらしたんじゃなくて、光神陛下と揃って八欲王の罪を精算しに来たんじゃないのか?都市守護者達の八欲王による洗脳を解いて再び神の地に戻ることを許されたはずだ。だからツアーも彼らを許して魔法の檻を解いてやったんだ。あれじゃまるで陛下が謝罪に来たみたいじゃないか。」

 

 イビルアイは全体的に不服そうだった。

 

「まぁ、誰だって自分に恵みを与えてくれてた人達が罪人だなんて思いたくないよな。」

「全く。冒涜的だ。」

「まぁまぁ。宗教観の違いを陛下方はお許しになってんだからそう言うなよ。」

「それは……まぁ…そうだな。」

 

 またいくつかの角を曲がり、大きな通りに出ると見慣れた冒険者組合の看板を見つけた。

 

 あまり賑わっているようではないが、ほどほどに人の出入りがある。ここが賑わうような冒険者組合なら、砂漠の地図は全て完成していただろう。

 

 ラキュースは真っ直ぐ受け付けへ向かった。

「すみません、この辺りの最新の冒険地図いただけますか?」

「かしこまりました。千二百ウールです。一緒に製図用の紙とペンもお求めになりますか?」

「いえ、それはあるから良いです。ご親切にどうもありがとう。」

 筒状に丸められ、紐で止めてある地図を受け取ると支払いを済ませる。

 そして、念のために解決できない困りごとがないか訪ねておく。これもアダマンタイト級の役割の一つだ。

 

「私は"蒼の薔薇"のラキュース・アルベイン・デイル・アインドラです。もしここの冒険者で手に余るような仕事があればお受けします。」

 冒険者のプレートを渡し、身分を明かす。

 

「わぁ、蒼薔薇がついにこちらまで!ありがたいお申し出をありがとうございます。」

 

 受付はすぐにプレートをラキュースに返却した。

 このプレートは冒険者のランクと同じ金属を用いて作成してるためアダマンタイトのプレートはそれだけで計り知れない財産となる。そのため紛失すると賠償金を払う必要があるのだ。

 

「ですが、ウンケイ様が銀糸鳥の方々を連れてたまに帰ってらっしゃるので、アダマンタイト級冒険者様にしかこなせないような依頼は現在ございません。」

「そうですか。それはよかったです。それじゃあ――」と、立ち去ろうとしたが、受付嬢の話はまだ終わっていなかった。

 

「ただ、ドォローム砂漠の隅に三十年に一度大竜巻が発生するのですが、その竜巻発生がちょうど今年だそうです。三日後には発生する予定なので、今シーズン一杯は(ゴールド)級以上の冒険者様には竜巻の発生原因調査をお願いさせていただいております。」

「竜巻?」

 

 金級と言えば、一国の精鋭兵並みの力を持つ冒険者だ。これは相当難度が高い依頼と言える。

 

「はい、大竜巻です。ちょうど私が生まれた年なので、まだ見たことはないんですけど…何百年も遠い昔から必ずきっかり三十年に一度発生すると言い伝えられています。もし、その竜巻の原因を突き止めることができたら報酬をお支払いいたします。原因がわからない場合の報酬はありません。エリュエンティウ市が依頼主なのですが、着手金もお渡しできない調査依頼なので、もし地図の更新をされている間に竜巻を見かけたら探るくらいの気持ちでお願いできませんか?」

 

「分かりました。結果が必須というわけでないなら是非お受けいたします。」

「ありがとうございます!きっとそう言っていただけると思いました!」

 

 受付嬢は自分の後ろの棚から依頼書ファイルを取り出し、再びラキュースに向き直った。

 

「注意事項として、竜巻に近付く際は細心の注意をお願いいたします。三十年前に竜巻調査を行った冒険者で、無事に帰還した方は――」そう言って受付嬢は手元の依頼書を一枚ラキュースに渡した。「一人もおりません。」

 

「――え?一人も?」

 

「はい。一人もおりません。命の保証がございませんので、近付く際には本当にお気をつけ下さい。ですが、三十年前までは強さの設定を付けずに誰でも高額報酬と高額な着手金を受け取れると言う依頼だったので、多くの駆け出し冒険者が出向いてしまったのも事実です。」

 

「それ故の着手金なしの依頼、と言うわけですね?」

 金に目を眩ませて危険な目に遭わせるようなことは冒険者組合の本意ではないと言うわけだ。

 

「その通りです。道中も魔物が多く、また、砂漠の熱射も強烈です。まだ地図も大して作られていないような場所なので、冒険に慣れ、確かな実力のある冒険者様にだけお願いさせて頂いています。報酬はこちらの記載の通りです。」

 

 一、十、百、千、万、十万、百万、一千万――。

 

 ラキュースは黙って額を確認し、これはすごいなと思わず瞬いた。財源は一体どこなのだろう。国からの依頼ならばどこの冒険者組合にも出されるが、これはエリュエンティウ市からの依頼と最初に言っていた。

 

「――分かりました。命を第一に、地図作成と調査に行ってまいります。」

 

「はい!よろしくお願いいたします!お水と食事、遮光服のお忘れがないよう、お気をつけて。"蒼の薔薇"のアインドラ様!」

 

 ラキュースは軽く頭を下げ、仲間たちのもとに戻った。

「――随分と面白いことになってるな。

 ガガーランの不敵な声音に迎えられ、ラキュースは依頼書をポシェットにしまった。

 

「聞こえていたようね。イビルアイには悪いけど、実家に行く前に立ち寄ってみましょう。」

「望む所だ。」

「それじゃあ、もう一度装備とアイテムの最終確認をして出発しましょう!」

 

 蒼の薔薇の賛成の声が冒険者組合に響き渡った。

 

+

 

 一方、その上空。

 

 抜けるような青空の下、キイチは今日も天空城の玄関を掃いていた。

 ゴーレムが丁寧に仕事をする為そんなに必要ではないが、最終チェックとして掃き掃除を決して欠かさない。

 

 ――今日は誰がくるんだろう。

 

 昨日はテスカと副料理長が魚を取りに訪れたし、一昨日は双子猫達が鬼ごっこと水鉄砲バトルに訪れた。

 猫達以外は特別次にいつ来ると予告はしてくれないので、訪問者は完全ランダムだ。

 ワクワクしていると、濃厚な死の気配に包まれ、キイチはゾクリと背を震わせた。

 すぐに誰が今日の訪問者か理解すると、箒を抱えたままククルカンの深池に向かって走った。

 

「アインズ様、フラミー様!――それに、ナインズ様とアルメリア様も!」

 支配者家族のたまのお散歩だった。

「あぁ。キイチ。精が出るな。流石の天空城とは言え葉が落ち始める頃だろう。」

「はい!イチョウが黄色く色付き、実を付け始めました!」

「イチョウって実がなるんですか?」

 

 フラミーが首を傾げると、ナインズも初めて聞く植物を前に共に首を傾げた。

 アインズは少しだけ得意げな顔をすると、キイチの代わりに答える。

「なりますよ!それに、食べられるんです――って、ブループラネットさんが言ってました。」

「え!じゃあ、今夜のおかずに貰って帰りましょうよ!」

 二人の様子を見ていたキイチは瞳を輝かせた。

「僕がご案内いたします!」

 

 面々は家々の間に生えている、ほんのりと色付き始めた木々を眺めながら霊廟の蓮池へ向かった。

 青く澄んだ蓮池の辺りには薄黄緑色や黄色に染まったイチョウがぽつぽつと生えていた。

「あ、これがイチョウだったんですね。あの時と全然違う場所みたい。」

「あれももう四年以上前か…早いものだな。」

 

 アインズは呟くフラミーの髪を避け、その身に傷が付いていない事を軽く確認した。

 

「――前から思っていたのですが、ここで何かがあったのですか?」

 首を傾げるキイチにアインズは苦笑する。

 あたりまえだが記憶をまっさらにしてしまったキイチといるとこういう事が多々ある。

 

「まぁ色々な。さ、もう行っていいぞ。」

 キイチは深々と頭を下げると蓮池を後にしようとし、ふと足を止めた。

「アインズ様、そう言えば最近砂漠の遠くに何か大気の歪みのようなものを感じます。近々その件で御身をお呼びしようと思っていました。」

 

「――何?それはどういう意味だ?」

 

「いえ…僕にも細かいことは分からないんですが、砂漠に何かが起きようとしている気がするんです。」

「…それは、この天空城に何か影響を与えると思うか。」

 キイチは少し悩むそぶりを見せたが、答えは見出せなかったようだ。

 

「わかりません。ですが、念のために数日ほどエリュエンティウの防御を上げていただけないでしょうか。」

「もちろんだ。天空城の番人であるお前がそう言うのならそうしよう。今パンドラズ・アクターとテスカを呼ぶ、少し待て。」

「ありがとうございます。」

 アインズは地面にしゃがんでいるフラミーとナインズから数歩離れると伝言(メッセージ)を繋いだ。

 

「――私だ。今少しいいか。」

 

 少し離れた足元でナインズは落ちている銀杏を拾い、クンクンと匂いを嗅いでいた。フラミーも同じく拾い上げて匂いを嗅ぐ。

「くさぁ〜い。」

「くさいねぇ…?これ、ほんとに食べられるのかな…?」

 二人は揃って顔をしかめた。フラミーの腹に張り付いているアルメリアも首を伸ばして匂いを嗅ぎ、「いぅっ!」と声を上げるとフラミーの手から銀杏を弾き飛ばした。

 ちなみにアルメリアのレベルは一のままだ。悪魔という性質をあまり伸ばしたくない故の配慮。自分で読み書きができるようになってから、種族レベルではなく職業(クラス)レベルを上げさせたい。なので、アルメリアが外出する際の警備レベルは最大だ。

 

「――パンドラズ・アクターとテスカを呼んだ。じきに来るだろう。で、そんなに臭いんですか?」

 

 アインズもしゃがみ、それを嗅ぐとすぐに顔から実を離した。すると、アルメリアが羽でアインズの手の中の銀杏を叩き落とした。

「あっ――んん。これは食べれなそうですね…。どう嗅いでも腐ってる…。」

「でもブループラネットさんが食べられるって言ったんですよね…?」

「…よっぽどの食糧難の時代に食べられてたのかな…?」

「美味しいですよ。僕はただ焼いて塩振って食べてます!」

 そう嬉しそうに話すキイチに、アインズは若干の疑いの目を向けた。

「…そ、そうなのか…?」

「えぇ。実の中の仁の部分が食べられるんです。外の実は捨ててくださいね!」

 

 なるほど、二人は納得すると臭い臭いと文句を言いながら銀杏を数個集め袋にしまった。

 アルメリアはものすごい顔をして銀杏の入る袋を睨み付けていた。

「さて、そろそろ二人が城の前に来る頃かな?」

「そうですね!戻りましょっか。」

 ゾロゾロと城の前に戻ると、ちょうどパンドラズ・アクターとテスカが転移門(ゲート)をくぐってくるところだった。

「父上、お待たせいたし――うわぁ、何か臭いません?」

 膝をついたパンドラズ・アクターは四本指の手で存在しもしない鼻をつまみ、ぱたぱたと手を振った。

 

「あぁ、銀杏のせいだな。今綺麗に――」

 アインズが魔法をかけようとしたその時、「あぁー!!」とナインズの大きな声が響いた。

「あぁーん!お母さまぁー!!」

「え?ど、どしたのナイ君。」

「ひぅ、ひぅ!ふわぁー!!」

 泣きながらフラミーに向けられた手のひらはかぶれて真っ赤になっていた。

「え!!いつ!?」

「にぃに!にぃに!!」

 

 アルメリアも何故か一緒に泣こうとし始める。フラミーが慌てて杖を取り出すのと同時にパンドラズ・アクターも懐から巻物(スクロール)を取り出した。

「「<大治癒(ヒール)>!!」」

 魔法はフラミーからだけ放たれ、ナインズは涙でぐっしょりの顔でキョトンとした。パンドラズ・アクターの巻物(スクロール)魔法詠唱者(マジックキャスター)に変身していなかったために不発となった。

「ンナインズ様!!今の呪いはどこで!?」

 

 巻物(スクロール)を放り出したパンドラズ・アクターがスライディングし、綺麗になった手を見る。ナインズは笑った。

「兄上、ぼくもう平気!」

「そ、それは分かっておりますが…一体どこで……。」

 キイチも何事かと目を丸くしていたが、テスカだけはその答えを知っていた。

「この匂い。銀杏に異常状態への耐性なく素手で触れられたのでは…?」

「ぎんなん触ったぁ。」

 ナインズが綺麗になった手をテスカに向けると、テスカはその前に膝をついた。

 

「ナインズ様、銀杏に触れる時は異常状態への耐性のアイテムを装備なさるか、手袋か何かを着けて下さい。」

「そっかぁ。――あ、リアちゃんのおてては?」

 ナインズは泣きそうになっているアルメリアを見上げたが、もうフラミーによって回復魔法をかけられた後だったようだ。

「も、申し訳ありませんでした。僕知らなくて…。」

 キイチは未だ百レベルのままだし、最強装備のままでいる事を許している。記憶も消された彼からは銀杏の基礎情報が抜け落ちていた。

「……やれやれ、驚いたな。しかし、外部からの攻撃でなくて良かった。」

 

 アインズはため息混じりに言うと、さて、と話題を変えた。

 

「テスカ、キイチが砂漠に異変が起こりそうだと言っている。お前はこの城の管理権限を持っているだろう。念のために城の警戒レベルを一時的に最大まで引き上げろ。その状態でも金貨はまだまだもつ。」

「かしこまりました。それにしても、砂漠に異変ですか。」

「はい。テスカ、砂漠のあちらに大気の歪みのようなものを感じます。」

 キイチはそう言うと、遥か地平を指さした。

 

「――その方角は…。」テスカが五百年にも及ぶこの地での生活を思い出していく。「三十年に一度必ず竜巻が起こる方角だ。確か、今年は前回の竜巻から三十年目。」

「竜巻だと?それが危険なのか?」

「いえ、今まで一度もここまで迫ってきたことはありません。竜巻はずっと同じ場所にあり続けているようです。」

「テスカ、そうなんですか?」

 

「そうだよ、キイチ。君はもう忘れてしまっただろうけど、あそこには三十年に一度物凄い力を持った大竜巻が発生するんだ。」

 キイチはそうだったのか、と安堵したようだった。

 

「では、それは危険性はないということで良いんだな?」

「はい。これまでの経験からいくと危険はありません。」

「ふぅむ。竜巻は何故発生するんだ?」

 

「実は私達もあの竜巻を評議国へ出現させることができれば、さすがのツァインドルクス=ヴァイシオンでも隙を見せるのでは無いかと思い、竜巻の発生原因を調べるよう地上都市に探るよう命じたことがあります。もちろん報酬金も渡して。もし竜巻を評議国に発生させることができて、ツァインドルクス=ヴァイシオンが穴倉から出て来れば、そこまで駆け抜けギルド武器を取り返そうと思ったものですが……発生原因の答えは未だ分かっていません。」

 

「それほどまでに理解し難い現象なのか。」

「それもありますが、調査隊が戻らなかったのです。おそらくは死にました。とはいえ、今も命令を撤回していないですし、報酬も取り返していないので、おそらく地上都市の執政部は竜巻の原因調査を行おうとしていると思います。なにしろ、私達は下の街までしか出ることができませんでしたから。」

 

 それはそうかとアインズは納得する。

「竜巻はいつから起こるようになったのか知っているか?」

「うーん…そうですね…。ある時に、また竜巻ができているなとふと思い、それから年月を数えるようになったので……正直いつから発生しているものなのかは知りません。ただ、ここから見えていた歪みから言ってかなりのエネルギーでした。」

「そうか。――未知だな。」

 アインズが地平の彼方へ視線を投げると、フラミーも繰り返した。

 

「これは未知ですね。」

 

 顔を見合わせた二人はいたずらを企む子供のようだった。




仏教と日本ぽい生活をしてる砂漠についてようやく言及できました!
前に天空城に来た時はえらい大変でしたからね、御身達も本当はゆっくり観光したかったろうなぁ。
しかし、地上都市滅茶苦茶にしたのもうまく責任が流れててよかった…!


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#133 砂漠の冒険

「あちぃ……。暑すぎるぜ……。」

 ガガーランの顎を汗が伝う。

 

 蒼の薔薇の足元にはベージュのトカゲ達が何匹も這い回って一行を見上げていた。ちらほらと枯れかけのような草も生えている。

 

「肉の鎧は脱げない。」

「肉のサウナは戦士の最終進化形態。」

 双子がギリギリ全員に聞こえる程度の音量で言う。

 

「おい!お前ら何か旅に出てから妙に俺にきつくないか?なぁ!」

「何も変わってない。テントで一緒に寝ると馬鹿力で抱きしめられて脇腹が痛くなるから迷惑なんて思ってない。」

「筋肉の側が一番安全なのは理解してる。」

「それなら――」

「……三人ともそれぐらいにして。言い争うと余計暑苦しいわ。」

「っちぇ。」

「りょーかーい。」「おっけーい。」

 淡々と感情を込めずに言うので、可愛らしさと言うものがまるでない。

 

「ラキュース、良いからさっさと地図を描いてくれ。招かれざる客が来そうだ。」

 イビルアイの視線の先には地面がもこもこと膨らむ不可解な現象が起きていた。それは真っ直ぐこちらを目指してきているようだった。

「筋肉の出番?」

「砂漠初の獲物の登場ってとこだな。ここはひとつ、お手並み拝見といくか。」

 身を伏せて通り過ぎるのを待つと言う選択肢を破棄したガガーランはゆっくりと刺突戦鎚(ウォーピック)を構える。

 何の異論もないようで双子もそれぞれクナイと手裏剣を取り出し身構えた。

 

「私は念のためにラキュースのそばにいるから、何かあれば呼べ。」

「そいつは心強いな。しかし、イビルアイ!今回お前の出番はなさそうだぜ!!」

 その言葉を皮切りにガガーランと双子は動く地面の盛り上がりに向かって駆け出した。

 同時に相手も向かってくるスピードを大きく上げた。

 

「おらぁ!!姿見せろや、弱虫野郎!!」

 両者が接触しようというところでそれは姿を表した。

 砂とほとんど同じ色をしたその体は立ち上がるとガガーランがイビルアイを肩車したくらいはある巨体だった。この立ち上がった身の下、見えていない砂の中にはその倍近い長さの体が続くことは容易に想像がつく。

 一つの丸く空いた口にはおびただしい数の鋭い歯が生え、噛みつかれようものなら容易に人間の体をすり潰して引きちぎってしまいそうだ。

 目は完全に退化しているため、特に足音と声の大きなガガーランに向かって強く反応しているようだった。

 

「――砂漠長虫(サンドワーム)。」「げげ、本当に虫野郎。」

 

 ガガーランはつるりとしたその体に向け刺突戦鎚(ウォーピック)を振るった。遠心力を利用しているが、流れるような動きではなく、圧倒的筋力によって放たれる一撃。

 

「オォォォォォ――!!」

 

 重く深い一撃が砂漠長虫(サンドワーム)の腹側面に食い込む。

 その瞬間――「砕けや!!」

 刺突戦鎚(ウォーピック)が突き立った砂漠長虫(サンドワーム)の表皮に一瞬さざ波が立ち、巨大な風船を割ったような音とともに肉が弾けた。

 

「オオォォォォォ!!」

 ゴムのように硬い表皮から鮮血が吹き上がる。

 

「お前の肉片は次の魔物との遭遇時に使わせて貰うぜぇ!」

 この辺りの魔物は食事のために生き物を襲う。次にエンカウントする魔物には砂漠長虫(サンドワーム)の肉を囮に逃げ出すのが賢い砂漠の渡り方だろう。

「お前らは体半分くらいなくても生きていけるだろ!そら!これで最後だ!!これで逃げ出せ!見逃してやる!!」

 二撃目は見えて居る腹の中心へ。血液が数滴ガガーランの顔に飛び、砂漠長虫(サンドワーム)は後方へ仰け反り、また一段と大きくなったように見えた。

 

「オオオオオオ!!」

「ッ――な、なんだぁ!?」

 ガガーランは即座に後方へ飛び退り、間合いを離した。

 

 新しく開けた穴からは人間の子供サイズの砂漠長虫(サンドワーム)がボトボトと音を上げて出てきていた。そのさまは、まるで屍肉を貪る蛆虫が死体からこぼれ落ちるようだった。

「うぇ。」「これは酷い。」

長虫(ワーム)ってのは、卵で生まれるんじゃねぇのか!?」

 

 子供達はわずかな間だけその場でぐねぐねと動くと、すぐに地の這い方を学んだと見え、一斉に三人へ殺到した。

「畜生が!にょろにょろ系は嫌いなんだよ!」

「さっきまでノリノリだったのに。」

「ガガーランも人間の感性を持ってたんだ。」

「何を驚いてんだよ、おめぇら!俺はか弱いお嬢さんだろ!!」

「そろそろ森巨牛(フンババ)にパワーアップするのに?」

「パワーアップっていうより、そりゃ種族が変わってんぞ!」

「じゃあ、クラスチェンジ。」

 

 明るい掛け合いをしつつ、三人の手は休まずに動いていた。

 ティアは子供達を足止めするために撒菱(マキビシ)をばらまき、ティナは飛び掛かって来る子供の脳天に確実に手裏剣を叩き込む。

 親砂漠長虫(サンドワーム)から強い怒りの波動が放たれる。

 

「オオォォォ!!」と言う叫びと共に、丸い口からは粘着質な唾液が飛んだ。

 巨大で一気に飛びかかってくると、ガガーランは子供を三匹ほど踏みつけ飛び上がった。巨体でありながら身軽な動きで砂漠長虫(サンドワーム)の口内に刺突戦鎚(ウォーピック)を振り込む。

 

 無数の歯がパキパキと音を立てて割れていく。

 アダマンタイト級冒険者のメイン武器は強固だった。

 すぐに口の中から刺突戦鎚(ウォーピック)を引き抜き着地する。

 砂漠長虫(サンドワーム)は弾かれた勢いのまま後方に倒れ込むと、黒板を引っ掻くような耳障りな鳴き声を上げた。

 

「――ッピギャアアオオオ!!」

 

 キンっと耳の奥が痛む。

 ティアとティナに群がってきていた子供達はすぐに親砂漠長虫(サンドワーム)へ振り返った。

 そして、動けるものは母の元へ懸命に這い、傷を負った親砂漠長虫(サンドワーム)は血を流しながら土の中に潜り込んで消えた。

 辺りには親砂漠長虫(サンドワーム)の肉片と血液、そして子供の死体が十四程度転がっていた。

 

「――帰ったのか?」

「突然下から出てきたらすごく嫌。」

 

 三人は数分身構えたが、離れた場所に砂漠長虫(サンドワーム)の親子が浮上し、さらに遠くへと向かう様子に警戒を解いた。

 

「ひゅー。まさか子供が出て来るとは思わなかったな。結構殺しちまった。ま、この先の戦いを避けるための盾がたくさん手に入ったと思ってありがたく使わせてもらうか。」

「そうしよう。」「それにしても、砂漠長虫(サンドワーム)が卵胎生だとは思わなかった。」

「卵胎生?」

「体の中で卵を孵化させる。」

「そういう事か。まぁ……この日照りの中じゃ子供なんか飯にありつけずにすぐに死にそうだもんな…。」

 

 ガガーランは眩しそうに空を見上げた。

 

「あ、血。」「ほんとだ。」

「ん?怪我したか?」

「私達じゃない。ガガーランの遮光服に着いてる。」

 双子が指さした所には思ったよりも血がついていた。

「――俺のじゃなさそうだ。後でイビルアイに綺麗にして貰うか。心配かけたな。」

「全然心配してない。」

「なんて言っても、ガガーランの血は青い。赤い血は長虫(ワーム)の。」

「だから!種族が変わってるっつーの!!」

 

 噛み付くような返事をすると、ガガーランは死体を入れるための"ドワーフの革袋"を開いて子供の死体を放り込んだ。死体が生臭い匂いを放つ。

「これだけありゃあ、きっと囮としては使い切らないな。冒険者組合に持って行ったら麦酒代くらいにはなりそうだ。」

「準備運動して麦酒代も稼ぐ。」「またお茶漬けを食べられる。」

 魔物の肉片は組合に提出すると相手の強さに応じた報酬を払ってくれる。

 残る瀕死の子供達はなるべく痛みがないように介錯してやり、三人はすっかり子供と親の飛び散った肉を回収した。

 

 ラキュースとイビルアイの方も製図が終わったようでこちらに手を振っていた。

「お疲れ様!皆怪我はない?」

「思ったより歯応えがありそうだったじゃないか。」

「イレギュラーはあったけど、まぁまぁだな。」

「気持ち悪かった。」「正直この袋も持ちたくない。」

 

 双子は誰か代わりに持ってくれと言わんばかりに袋を差し出した。

 が、ラキュースもイビルアイもすぐに背を向けた。

 

「さて、次のマップ作成に行くぞ。この辺りの地図はガバガバだから歩いて確認と修正をしなきゃならん。シャキシャキ行かないと日が落ちる。」

「そうね。野営する場所も探さなくちゃいけないし。」

「……鬼ボス。」「……鬼リーダー。」

 双子はぶつぶつと文句を言いながら二人の後に続いた。

 

+

 

 まだ日が沈むには少し早いくらいの時間から、一行は野営の準備を始めた。

 辺りの空気はわずかに温度を下げ始め、流れた汗を風が撫でるたびに体が冷えて行く。

 

「ようやく涼しくなって来たわね。」

「ここからは一気に冷え込むぞ。下手をすると氷点下まで行くかもしれん。」

 

 砂漠には湿度がほとんどないため、夜になると遮るものがなく一気に温度が空へ逃げて行く。うまく魔物から逃げ切ることができたとしても、この寒暖差で命を落とす旅人、冒険者は数知れず。

 

 双子は黙々と安全地帯の作成を行なっていた。

 テント設置場所を囲むように、四点に木の棒を差し込み、永続光(コンティニュアルライト)を掛けていくのだ。

 

 普段であれば黒い絹糸を結びつけて、鈴を吊るす鳴子方式の警戒網を作るところだが、砂漠ではそうも行かない。音を頼りに獲物を探す魔物が多いため、音が鳴る方法はむしろ多くの魔物を誘き寄せることになり、命取りだ。同様の理由で今日は<警報(アラーム)>も使用できない。

 

 なので、近くを何かが通ると光るタイプの人感センサー式永続光(コンティニュアルライト)を設置しているのだ。

 

 これの弱点は眠りが深すぎると気付かない可能性がある事と、鳥や猫程度の生き物でも反応して光ってしまう事だ。

 対して強みは空からの襲撃にも対応できる事と、鈴を避けられるような脳のある敵にもきちんと効果を発揮する事だ。――ただ、森にはとても向かない。風に木が揺らされるたびに光る。

 

「――よし。後はあれだけ。」

 

 最後の永続光(コンティニュアルライト)を設置したティナが指をさす先には――どう見ても毒を持っていそうな蜘蛛がいた。

 ガガーランの手のようにでかい蜘蛛は体のほとんどが黒いというのに、その背は赤い斑点がついていた。

 

「あのサイズ、虫避け団子でも効くかな。」

「くさいけど一度焚いてみよう。」

「オッケー。」

「イビルアイに火貰わなきゃ。」

 

 野宿が多い冒険者にとって虫避け団子は必須アイテムだ。蚊や蟻程度なら可愛いものだが、毒蛾や毒蜘蛛、毒蠍、蜂に虻、毒毛虫と天敵は多い。

 虫除け団子は八時間程度かけてじっくりと燃えてくれるため一晩は持つ。

 

「イビルアイ、火。」

「待て、今焚き火を起こす所だ。」

 

 その辺の枯れた草を集め、それを覆うように持ってきた薪を乗せる。

 

「――<火球(ファイヤーボール)>。」

 

 極少ない力で放った魔法だが、火の玉は薪に向かって一気に飛び、薪を一つ弾き飛ばした。

 枯れた草にうまく引火し、焚き火は少しづつ大きくなった。ちなみに弾かれて燻る薪はすぐにラキュースが放り込んだ。

 

「で、今日の晩御飯はどうする?」

「干し肉とジャガイモの煮物、その辺の草添え。」

 

 指さされた草は、本当にその辺の草らしく、砂漠にちらほらと生えている、ほとんど黄色い草だった。なんなら、今着火剤の代わりに使った草だ。

 小さなトカゲ達がもしゃもしゃと食べているのを何度となく見かけた。

 

「…イビルアイに任せると必ず干し肉の煮物になる。」

「じゃあお前達も何か良いもんを作れ。」

「あ、それなら出発前にエリュエンティウでお米を買ったから、リゾットもしましょうよ!ドライトマトとキノコもあるの!」

「ナイス、鬼ボス。」「流石、鬼リーダー。」

 

 双子は少しだけ嬉しそうな表情をすると持っていた虫除け団子に火を着けた。

「やっぱりくさい。」

 

 煙がモヤっと出始めると、少し離れたところにいた暫定毒蜘蛛はちょこちょこと離れていった。

「効いてる。でもここは近すぎる。」

「あの辺に置いてくる。鬼ボスのリゾットがおかしな味にならないようにティアは見てて。」

「任せると良い。私の料理の腕は天下一品。」

「それは気のせい。」

「……私の料理の腕も天下一品なんだけど。」

 

 ティナはそそくさと焚き火のそばを離れ、それと入れ違うようにガガーランが輪に入った。

 

刺突戦鎚(ウォーピック)に着いた粘液、綺麗に取れた?」

「あぁ。ちょっとばかしヌルヌルがついてやがったけど、砂でうまく落としたぜ。」

 砂漠長虫(サンドワーム)の口に叩き込んだ時に唾液と粘液、血液がくっついてしまったが、手入れの甲斐あって刺突戦鎚(ウォーピック)はピカピカに戻った。

「さて、俺はパンでも切るか。」

 

 イビルアイは魔法で水を生んで鍋に注いでいた。日中の活動の間はいつどれだけ魔力を使うか分からないため魔法で飲料水を生んだりはしないが、一日の終わりにはこうして魔法で水を生む。

 魔力は常に余裕を持っておいた方がいいため、飲料水は全員が持てるだけたっぷり持って来ている。

 

「イビルアイはいつもの煮物か。ん、手が空いたからジャガイモ剥くぜ。」

「頼む。」

「…こりゃ随分芽が出てるな。」

 

 もくもくと食事の用意を始め、煮物とリゾットを火にかける頃には、辺りは夕暮れに染まり始めていた。

 

「――砂漠って言うのは随分太陽が大きく見えるもんなんだな。」

 地平線に近付く太陽は街や山で見るときの何倍も大きく見えた。

「綺麗だけど、なんだか不気味ね。」

「まったくだな。」

 陽炎(かげろう)にゆらゆらと輪郭を踊らされる太陽はゾッとするほどに赤かった。

 

「ラキュース、暗くなる前に今日描いた地図を繋いで狂いがないか確かめた方がいいぞ。」

「ん、そうね。チェックと仕上げはティアとティナに任せるわ。」

 ラキュースはポシェットから書きかけの地図を取り出し、双子に渡した。

 地図のチェックも終わり、夜の帳が下りる頃には食事が出来上がった。

 

 それぞれの皿に取り分けると全員が胸の前で手を組んだ。

「――光神陛下、今日の糧に感謝いたします。」

「うし、食おうぜ!」

 わいわいと食事を始めると、イビルアイはつぶやいた。

「……作っている時は何も考えなかったが……ジャガイモの煮物にリゾットにパンって…今日は随分何というか……主食系が揃ったな。」

「たくさん歩いたからな!暑かったし!さ、食え食え!」

「明日はキノコはソテーにしましょ。お米買ったからつい食べたくなっちゃったけど、考えてみたらパンはお米より嵩張るから先に食べたいし。」

「そうだな。明日の献立はもう少し計画的に行こう。」

「だけど、リゾットうまいぜ。ありがとな。」

 

 炎が照らす中、蒼の薔薇は破顔した。

 

+

 

 世界の色が変わる頃。

 

「宵切姉様、起きてる?」

「まぁ、落夜。どうしたの?まだ起きているわよ?」

 

 落夜は宵切の部屋に入ると、薄絹の張られた寝台へ駆けた。

 

「ねぇ、宵切姉様。明日一番に姉様の髪を梳るのは落夜にやらせて欲しいの。明後日には姉様はお発ちになるでしょ?」

「優しいのね。嬉しいわ。そうしたら、明日一番は落夜にやってもらおうかしら。」

「うん!きっと早起きして来るから、待っててね!」

「えぇ、待っているわ。だから、今日はもう遅いからお部屋にお戻りなさい。」

「はぁい。」

 

 落夜は部屋を出るとき、もう一度姉のいる寝台へ振り返った。

 

「――宵切姉様?」

「なぁに?」

「…ここをお出になっても、どうか落夜を最後まで忘れないでね。」

「当然よ。落夜のこと、いつまでも、いつでもちゃんと想っているわ。あなたを見守っている事を証明するために、風になってあなたに会いにきてあげる。風が二度ひゅん、ひゅん、と吹いたら、それは私があなたを見守っている証拠よ」

「ひゅん、ひゅん、ね!わかったわ!」

「忘れちゃダメよ。それじゃあ、さ、もうおやすみなさい。」

「おやすみなさい。」

 

 落夜が立ち去り、静まり返った自室で、宵切は自分の素晴らしき栄誉に胸をいっぱいにした。

 

「あぁ、神様…。ようやくあなたの下へ行ける……。宵切は待ちきれません……。」

 

 光が差し込む窓から外を眺め、明後日の出発に思いを馳せる。街の外には風が真横に向かって吹き荒び、遠くまでは見えない。

 かつては大王国だったこの地も、今では集落程度の大きさになってしまった。大王国と呼ばれていた時代は、宵切が生まれるよりも遠く遥か昔だ。

 魔物の襲来、人間の策謀、砂漠の呪い、多くの危機が彼らの数を著しく減らして来たのだ。

 しかし、今ではこの地はこうして神の力に守られている。――厳密には、神の力を借りている魔人(ジニー)達の力だが。

 

(美しき我が蠍人(パ・ピグ・サグ)のララク集落。強き神の加護を与えられた選ばれし地…。)

 

 宵切姫は機嫌良く黒々とした尾節を左右に振った。

 その瞳は明後日訪れる出立への期待に輝いていた。

 

+

 

 翌日、日が登る前に目覚めたティナは自分に張り付く肉の塊を押しのけた。

 

「……腰が砕ける。」

「…ん…なんだよティナ〜。」

「筋肉お化けが。」

「ッチ、なんだよ…。さみぃから仕方ないだろ。」

「まだそっちにティアがいる。私は虫除け団子が消えてないか確認して来る。」

「ん、ありがとよ。」

 

 ティナは靴を履くと、まだ眠る仲間を踏まないように気を付けてテントを出た。

 

「………極寒。」

 

 テントの中も決して暖かかったわけではないが、外は想像を超える冷えだった。

 雪が降ってもおかしくないような気温だ。

 ティナは宇宙というものを知らないが、宇宙にまで手が届きそうなほどに空は澄んで、地上の熱は遮るものなく宇宙へ放射されている。

 

「………匂いがしない。」

 

 虫除け団子の臭いがしない。ティナはずず…と鼻を啜った。

 寒くて鼻水が垂れそうだ。

 仕方がないので目視で虫除け団子を確認するべく、設置した場所へ向かう。

 ある程度近付くと、虫除け団子がきちんと燻っているのが見て取れた。

 

「…よしよし。」

 

 テントへ引き返す。

 ――その時、ティナの背後の永続光(コンティニュアルライト)が光った。

 

「オォオオオォォォオオ!!」

 

 カッと眩い光に包まれると同時に猛烈な血生臭さが当たりに充満し、腹に二つの大きな傷を持つ砂漠長虫(サンドワーム)が顔を出した。

 

「――ちっ!」

 

 足音がするのを待ってた様子の砂漠長虫(サンドワーム)は昼に子供を殺された復讐にでも来たようだった。

 ドリルのようにティナに向かって突っ込んで来る。大きさと勢いは一丁前だが、スピードは今ひとつだ。

 ティナが避けるのと同時に浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)が六本その顔に突き立った。

 

「オオォォォオオォー!!」

 

「ティナ!無事ね!」

「無事!!」

「下がれ!腹をすかせてるだけの可哀想な奴だと思ってガガーランは見逃したようだが、ここで腹の子もろとも私が息の根を止める!!――食らえ!<蟲殺し(ヴァーミンベイン)>!!」

 

 テントから滑り出てきたイビルアイの右手から白い靄が放たれた。

 魔法を正面からまともに浴びた砂漠長虫(サンドワーム)は、まるで酸を掛けられたように身体中から蒸気を上げてもがいた。

 

「ゴギョギョギョキョ!!ギョオォォオオ!」

 

 断末魔を上げ、巨体は地に倒れ伏した。

 倒れた腹の下からは無数の「キョオォオ!」「ォォオオ!!」と子供達の絶死の鳴き声が続き、そしていつしか静かになった。

 

「……助かった。皆、ありがとう。」

 

 ティナがぺこりと頭を下げる。皆安堵に一息ついた。

 

「とんでもない目覚ましだったな。」

「俺が逃したせいだ。悪い。」

「誰も怪我してないから気にしない。命が半日は伸びたんだから、少しは子供を砂漠に放せたと思う。砂漠長虫(サンドワーム)も感謝してるはず。同じ魔物同士だし。」

「………俺は魔物じゃねぇ。」

 

 笑い合っていると、遥か地平から太陽が昇り始めた。あまりの眩しさに瞳孔が小さくなる目を細めた。

 

「今日も一日暑くなりそうだな。」

「本当ね。――さ、これだけ大きな死体は片付けきれないから、ジャッカルが寄って来る前に移動しましょ!」

「もう少し寝たい…。」

「文句言わないの。」

「鬼ボス……。」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも手際良く片付けを進めていく。

 ガガーランとイビルアイは念の為に砂漠長虫(サンドワーム)の子供が生き残っていないか確認した。

 転がっている巨体の腹にナイフを入れ、ゆっくり切り裂いていく。次々と死んだ子供がこぼれ落ちた。

 

「――うわ…尻尾の方は全部子供じゃねぇか。」

「この調子なら全部死んでいるな。人間を襲う癖が付いたら危ないところだったが。」

「やれやれ、こんなに執念深い種族だとは思いもしなかったぜ。」

「まったくだな。――ん?待て。」

 

 イビルアイが砂漠長虫(サンドワーム)に手を伸ばす。

 ぐちゅり…と嫌な音を立ててイビルアイの手は肉の中に埋もれていった。

 

「なんだ……?」

 

 引き抜いた手には――冒険者プレートがあった。それはまだ(カッパー)で、駆け出しのものだった。

 

「……食われた奴がいたか。親が食べたものが子の下まで届いているようだな。他にも食われた奴がいないか確かめる。」

 

 そう言い、イビルアイは更にもう片手を肉の中に差し込む。中を探るたびに血がぶちゅぶちゅと弾け、仮面に跳ねた。

 イビルアイの両手は肩まで肉の中に入っていた。

 

「今助けてやるからな…。死んだことも知ってもらえないなんて…家族のところに帰れないなんて…寂しすぎるもんな……。」

「イビルアイ…。」

 

 ドロドロと内臓と死んだ子供を掻き出し、取り出せた冒険者プレートはなんと十二枚にも及んだ。

 村にいればかなりの強者と評されるような (アイアン)のプレートも四枚ある。

 

「既に人を襲う癖がついてる個体だったようだな。」

「受胎期はな…。仕方ない――なんて言いたかねぇけど、仕方ないな…。」

「あぁ…。こいつらも生きるために必死なんだ。だが、それと同じくらい私達も生きるのに必死だ。」

 

 ガガーランは両手を胸の前で組み、心の中で「神王陛下、後をお願いします」と祈りを捧げた。

 祈りが終わると、次は両手の平を合わせ直す。プレートは全てエリュエンティウ市の冒険者組合に所属する者達だったためだ。

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

「――仏教か。そうだな、彼らに合った弔いをしてやろう。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」

 

 この砂漠にはこんな生き物がうようよしている。未だにエリュエンティウ市近辺に冒険者が集まらないのは、やはり不意の危険が通常よりも多すぎるためだろう。

 ただ、スレイン州までの道には等間隔に死の騎士(デスナイト)が配備されているため、本国との商人のやり取りだけはある程度持たれているようだが。

 

「さて、私達もキャンプの片付けを手伝うか。」

 

 イビルアイは自らの体に何度も<清潔(クリーン)>を掛けた。余計な魔力消費のようにも見えるが、血の臭いは完全に取り除く必要がある。

 

「そうだな。それにしても、腹減ったなぁ。」

「ふ、少なくとも食事はここを離れてからだな。」

 

 二人はテントの片付けを行うラキュースの下へ向かった。

 一行は野生動物達が群がって来る前にその場を遠く離れ、朝食を取った。




諸行無常…盛者必滅…


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#134 砂嵐の壁

 たらふく朝食を取った蒼の薔薇一行は、順調に地図を更新しながら進んでいた。と言っても、見渡す限りの砂漠なので書き込むことは目印になりそうな大岩程度しかなく、後は南に向かってもくもくと距離を測るだけだ。

 

「もう少ししたら一度休憩しましょう。遮光服を着ていても辛いわ…」

 

 リーダーであるラキュースの提案に、共に歩く一同は頷く。ここまで数度魔物に襲われそうになったが、昨日の砂漠長虫(サンドワーム)の子供を囮にうまく体力を温存して来ることができた。

 しかし、暑さは確実に一行の体力を奪っていった。摂氏で言えば四十五度。まだまだ昼に向けて気温は上がる。

 双子は風通しの良い格好に遮光服を着ているためまだ良いかもしれないが、鎧を着ているラキュースとガガーランはかなり消耗していた。

 

「はぁ、昼飯はオアシスで取りたいぜ…」

「同意」「わかる」

「オアシス……。本当ね…。一度体を流したいわ……」

 

 猛暑は流れる汗を五分と放っておかずに次々と蒸発させていく。ガガーランの鎧の中は汗から滲み出た塩でじゃりじゃりだ。

 疲労が見え始めている四人とは対照的に、暑さ寒さに強く、疲労を知らないイビルアイの足取りは軽い。

 

「仕方がないな。おい、ラキュース。冒険者組合で買った地図を見せろ」

 ラキュースは黙って地図をイビルアイに渡した。

「どれどれ、確か何箇所かオアシスの情報が書き込まれていたはずだ」

 地図の更新をする事を主目的とする一行は敢えて険しい道を進んでいるが、流石の砂漠とは言え地図が事細かに書かれている場所もある。

 それは、三つのオアシスが点在する場所の周辺だ。

 

「どう?近くにオアシスはある?」

「あー…いくらか戻らなきゃダメそうだな。どうする?戻るか?」

「……俺は戻るのには反対だぜ。それじゃいつまで経っても進みやしない」

「そうね…。私も戻るのはちょっと。戻った後にここまで転移して来られれば良いけど、魔力は温存して欲しいし」

 

 一人二人ならまだ良いが、複数人を連れての転移は魔力の消耗も大きい。

 双子にも異論はない様子を確認すると、イビルアイは地図を全員に見えるようにした。

 

「それなら、我々で新しいオアシスを見つけるか。見ろ、ここのオアシスは"雨の起源"と言う冒険者チームが発見したらしい。オアシスの名前にもなっている。こっちは"風の灯火"。同じくチーム名兼オアシスの名だ。それからチーム"波"が発見したところは"波のオアシス"。どうだ?やる気が出たんじゃないか?」

 

 地図に地名として名前を残すのはとても名誉な事だ。前人未到の場所に辿り着いた証拠というのは、冒険者としては垂涎ものだろう。もし発見できれば、オアシスが枯れ果てる日まで地図に名を残し続けることができる。もしかしたら、枯れた後もオアシス跡として目印に残るかもしれない。

 ちなみに、もし嘘のオアシスを報告しても、すぐに冒険者達がそのオアシスを拠点に冒険をしようとする為すぐにバレるだろう。万が一オアシスが干上がったとしても、オアシス跡地には生き物の骨や暮らした形跡が残るものだ。

 

 オアシスの情報は疲労困憊と言った顔をしていた四人の表情を途端に輝せた。

「探す!探すわよ!蒼のオアシス!!」

 ラキュースの中で勝手に名前が決定した。

 

 イビルアイ以外の全員が「おー!」と返事をし、早速歩き出した。

 

「待て待て、そうと決まれば動く前に<飛行(フライ)>で軽く辺りを見渡して来る。闇雲に歩き回ればそれこそ無用な力を使うだろ」

「…そうね。少し暑さで短絡的になってたわ。私達はここで待ってるから、イビルアイは飛んで見てきて」

「ひとっ飛び」「なんならオアシスを見つけて転移させてほしい」

 

 現在の四人の視線の先にはベージュ一色の大地と、雲ひとつない真っ青な空だけがある。たった二色の世界だ。

 つまり、見えている近距離にオアシスはない。

 イビルアイは<飛行(フライ)>を唱えると一気に上昇していった。

 

「……空の上は涼しいんだっけ?」

「わかんねぇな……」

「太陽に近い分、暑そう」「涼しくてもイビルアイには関係ない」

 

 ぶつぶつと小さめの声で会話をしていると、イビルアイが降下してきた。

 

「どうだった?オアシスはありそう?」

「…オアシスはなさそうだった」

 その返事は四人の活力を奪うには十分すぎた。

 

「――だが、怪しいものは見つかった」

「怪しいもの?」

「あぁ。向こうの方――」そう言ってイビルアイが指をさしたのは西の方角だった。「かなり小さく見えたんだが、巨大な砂嵐があった。地面と空の境界線がもやっと浮き上がっていたから間違いない」

「…まずいわね。砂嵐はここに来そうなの?もしそうなら、ぶつかるまでに砂嵐をやり過ごすための準備をしないと」

「ふ、ふふ」

 

 ラキュースの真面目な雰囲気とは裏腹に、イビルアイからは不敵な笑いが溢れた。

 

「…何?」

「ラキュース、私も砂嵐がこっちに向かって来ようとしているのか確かめようと思って眺めていたんだがな。私が見つけた砂嵐はどうなったと思う?」

「………全く逆の方向へ流れていった?」

「いいや、もっと面白い答えだ」

「うーん…どんどん大きくなったとか……?」

「違うな。正解は――微動だにしない、だ」

 

 一同は目を見合わせた。

 

「そりゃなんだ?つまり、砂嵐が一箇所に留まり続けてるってのか?」

「見間違いじゃないの?風が吹くことで起こる砂嵐が一つの場所に留まるなんてありえないわ。遠すぎるものだと、近づくとか離れるとか、もしくは私達の向かう方と垂直に動くとか、そう言うの分かりにくいじゃない」

「もし動いていないなら、風が止むとすぐにその場で消える」「イビルアイの見間違いじゃないなら」

「ふふ。ところが消える様子もなければ、力が減っていく様子もなかったんだ。さらに言えば、前後左右どころか全く動いていない」

「………もし本当なら、怪しいわね?」

「怪しいな?」

「怪しい」「不可解」

 

「と、なれば、だ」イビルアイはわざとらしく咳払いをすると、もったいつけたような言い方で続けた。「んん。三十年に一度の巨大竜巻の発生源。もしくは発生に関わりがあるんじゃないか、と。そう言うわけだ!」

 感心したような声がガガーランから上がり、双子はぱち、ぱち、ぱち、と小さな拍手を送った。

 

「そうとなれば、砂嵐の観察に行きましょう!動かないなら危険性も低そうだしね!」

「よっしゃあ!巨大竜巻の子供!暴いてやるぜ!お前の誕生の秘密を!!」

「おー!」「やるぞー!」

 

 先程までの疲労なぞなんのその。

 五人はイビルアイの見た砂嵐の方角へ向かって歩み始めた。

 

「ねぇ皆。もし竜巻の発生方法が判明して、高額報酬を貰ったら魂喰らい(ソウルイーター)の五年レンタルをしてみない?」

「そりゃいいなぁ!でもコンドミニアムの馬小屋は魂喰らい(ソウルイーター)にはちと狭そうだな」

「荷台も買うと置く場所がない」

「そこは倉庫を借りるのよ!なんて言ったってあの報酬なんだから!」

「私は反対だ。魂喰らい(ソウルイーター)と荷台まで連れて転移はきつい。最強の護衛にはなるだろうが、逆に移動時間が長くなる」

 

 そうなれば食料をはじめ、荷物は雪だるま式に増えていくだろう。

 

「――あれは商売人が荷物を運んだり、金持ちや重鎮を護衛する為にある馬車だ。あんな物を借りるくらいなら、金は大切に取っておいて武器の新調に使うのか、冒険者引退後の生活に使う方が有意義だ」私はそう思う、とイビルアイの話は締め括られた。

 

 冒険者引退――。

 そんな事は考えたこともなかった。

 いや、厳密に言えば貯金をしているため考えてはいるのだが、それが近い未来に訪れると言う可能性については考えたことがなかったのだ。

 漠然とした遠い未来の話。そう思っていた。

 

「……最悪、イビルアイが稼いできて俺たちのこと食わしてくれるだろ?」

 ガガーランが戯けたように言うと、イビルアイはガガーランをじっと見つめた。

 

「……お前達、私に養われたいのか」

「養われたくないと言ったら嘘」「大黒柱、イビルアイ」

「もし困ったら助けてくれるって信じてるのよ。私達はずっと一緒なんだから」

 

 ラキュースの微笑みにイビルアイは不思議と目頭が熱くなった。年老いていく彼女達のそばで暮らすと言う選択肢を、一度も考えなかった。いや、彼女達に必要とされない可能性を思うと恐ろしかったのだ。

 

「……助けるさ。――だが、ラキュース。お前は良い相手を探すんじゃないのか?そろそろ焦ったほうがいいぞ」

「……まだ二十五だから大丈夫よ!っあぁー!!モモン様が外で暮らしてくださったらアタックするのにぃー!!」

 ラキュースは防衛点検以来、相変わらずモモンにお熱だ。ラキュースほどの実力者を庇って戦える戦士など、他にいるはずがないのだから。

 

「まったく。大して会えもしない男をよくそこまで好きでいられるな」

 イビルアイの言葉に全員が笑った。

「お前もそうじゃねぇか。ラキュースはモモンって言ってる分、イビルアイよりはよっぽど現実的だと思うぜ」

「く、う、うるさい!うるさいうるさい!私は無限に時間があるんだから、いつか陛下に呼ばれる可能性もあるだろう!」

「んー、ねぇな。さ、どんどん歩くぞ!!」

「あ、おい!待て!置いてくなー!!」

 イビルアイの声は遠くまでこだました。

 

 

 その後どれほど歩いただろうか。休憩を二度挟みながら進んできた一行は砂嵐――いや、砂の壁の前で立ち尽くしていた。

 

 

「……どうやって調査するか」

 

 ガガーランの呟きに応える者はいなかった。

 代わりに、ティアが落ちていた枯れ枝を砂の壁に向かって放り投げる。

 枝はその瞬間に粉々にされ、すぐに形を失った。

 

「…触ったら死ぬ」

 

 その意見に異論を唱える者は一人もいなかった。

 

「イビルアイ、空から様子を見て来てみて」

「私もそう思った。<飛行(フライ)>!」

 魔法の力が体を包むと、イビルアイは砂嵐に沿うように一気に空へ上がった。

 

「……どこまで続いているんだ、この砂嵐は!」

 無限に空まで伸びているかと思ったが、これの上を鳥が飛んでいるのを先程目撃したのだ。

 必ずこの上に砂嵐の終わりはある。

 イビルアイは更に速度を上げ、雲には届かない程度の場所まで上った。

 

「――ここだ!砂嵐の終わり!」

 砂嵐を見下ろすようにすると、砂の壁の中にはいくつもの家が建ち並んでいるのが見えた。

 

「こんな場所に…?」

 しかし、人の気配はないようだ。

 砂嵐の壁を乗り越え、壁の内側で高度を落とし、ついには着地した。

 イビルアイはその場所をよく記憶し、壁の外の景色を思い浮かべた。

 そして――「<次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)>」

 第三位階の自分だけが転移できる近距離転移魔法を用いて砂の壁の外に戻った。

 

「イビルアイ!どうだった?」

「まさか一人で砂嵐の中に飛び込んじまうとは思いもしなかったぜ!」

「心配かけたな。これはまるで砂の壁のようだと思ったんだが、まさしく壁だった。この中には一切砂嵐が吹いていなかったんだ。しかも中にはほどほどの大きさの街が作られていた。」

「こ、こんな場所に街?」

「あぁ。さぁ早く全員掴まれ。中に転移するぞ」

 

 

 全員が即座にイビルアイに触れると、五人の体は掻き消え――

 

 ――すぐに先程イビルアイが降り立った場所に現れた。

 

 

「ほ、本当に街……」

 そう言ったラキュースは冒険者組合で買った地図を確認し、すぐにそれらしい記載がないか確認する。

 しかし、特に何も書かれていなかった。

「私達、見つけちゃった?何かの街を」

「見つけたな。だが、人がいる様子がないんだ」

 真昼間だと言うのに街はしん…と静まり返っていた。

 

「…とにかく誰か見つけようぜ。もしかしたら廃墟かもしれねぇがな」

 歩み出したガガーランの後を追う形で一行は進み始めた。

 砂を固めたり、岩を削り出したりして作られている家々は廃墟というにはいささか綺麗すぎる気がした。

 地面にも一番広い道には石を敷き詰めることで簡易的な石畳が敷かれており、よく踏み固められている。風で砂がかかって埋もれていたりするようなこともない。

 何もかもがほとんど風化していなかった。

 

「……おかしいな。何かがあって、突然住民が消えたとしか思えん」

「まさか、この砂嵐のせいで皆死んでしまったのかしら?」

「ないとは言えんな……。ラキュース、念のためにこの街の地図を書いておこう」

「そうね。ガガーラン達は生き残っている人がいないか探して来てもらってもいいかしら」

「もちろんだぜ。魔物に襲われたりしたような感じじゃないから、分かれて行動しよう。俺はこっちにいくから、ティアとティナはそっちとそっちを頼む」

「おっけー」「任せて」

 

 三人が散っていくと、イビルアイは測量用のマジックアイテムを取り出した。

「よし、とりあえずあの砂の壁からこの道の始まりまでの距離、それから方角を言うぞ」

「ちょっと待って、今定規とコンパスを出すから」

 ガントレットをしている手では鞄の中から感触で道具を出したりすることは難しい。

 一度肩に掛けていたボディーバッグを地面におくと、しっかりと中を確認しながら定規を取り出した。

「良いわ、教えてちょうだい」

 製図用の定規を出して、ペンを紙に当てた――その瞬間、「きゃああぁぁー!!」幼い少女の叫び声が辺りに響き渡り、ラキュースとイビルアイははっと振り返った。

 

「今の!!」

「ガガーランが向かった方だ!!」

 

 二人が駆け出すと、ティアとティナも大通りに戻って来ていた。双子の足の速さは折り紙付きだ。

 イビルアイは<飛行(フライ)>を唱えると、隣を走るラキュースの手を取った。

「遅い!」

「ごめん!!」

 両手でラキュースの片手を取り、二人は極地面に近いところを飛んだ。

 

 ラキュースは空いているもう片方の手に漆黒の魔剣――キリネイラムを握り、この先に待ち受けるものが何であろうと生き残っている子供を助け出す、そう心に決めた。

 そこに、もう一度「いやあぁあああ!来ないで、殺さないでぇえ!!」と哀願が聞こえてくる。

 

「っくそ!!ガガーランの手に負えないようなやつなのか!?」

「早く!イビルアイ!!そこの角曲がって!!」

 

 そして、四人がほぼ同時に一つの角を曲がる。

 

「そこまでよ!!」

「……なんだ?この状況は」

 ラキュースの大きな声が響くと同時に、イビルアイは訝しむような声を上げていた。

 

 そこには、泣いて逃れようとする少女の前に両膝をついて宥めているガガーランがいた。少女の肌は褐色、髪は黒だった。

「……まぁ、怖いわよね。誰もいない街にいきなりガガーランが現れたら」

「怖い」「ほぼ魔物」

 双子が頷いていると、少女はガガーランの脇をすり抜けラキュース達の方へ駆け寄った。

 

「お、お、お姉様方!!助けて!!助けてください!!」

「大丈夫よ、あれは魔物でもオークでもないから、安心して」

「違うんです!!呪われた兵士がついにここまで来てしまったんです!!」

「呪われた兵士が来た……?」

 ラキュースは一体ガガーランが何をしたのかと眉を顰めた。

「…俺は何もしちゃいねぇ!」

 ガガーランが吠えると、その後ろにある家の扉が思い切り開いた。

 

「――落夜!落夜!!」

「よ、宵切姉様!!だめ、呪われた兵士が来たの!!宵切姉様は早く逃げてぇ!!」

「の、呪われた兵士!?」

 宵切と呼ばれた女性は落夜と呼ばれた少女とよく似た顔をしていた。

「い、いや。違うんだ。俺は別に呪われちゃいねぇ。確かに少し体はでかいけどな」

 宵切が瞬いていると、家の中からはゾロゾロと何人もの人が出て来た。総勢十六人近い。

 扉をくぐりきれない子供達が、扉の近くの窓からこちらを覗いている。

 

「落夜!こんな時間に何を――人間…?」

 出てきた一番老年の男性は実に眩しそうに蒼の薔薇を見渡し、警戒心を露わにすると、扉を潜って出てこようとする子供達に中へ戻るように伝えた。見たいとぐずる子供を抱え、母親だと思われる――宵切姫とよく似た老年の女性が家の中へ消えて行く。

 

「お父様、落夜は何か勘違いをしているようです。そちらの方は呪われた兵士ではありません」

「そうだな。呪われた兵士ならば、私たちがまともで居られるはずがない。だが、呪われた兵士でなくとも人間は人間だ」

 

 鋭い視線だった。

 ラキュースは握っていた剣をしまい直し、仲間達に一切の敵意を消すように指示した。

「ガガーラン、こっちに戻って」

「あぁ」

 ガガーランも目の前の人々を刺激しないよう、両手を挙げてゆっくりとラキュースの下まで後ずさった。

 

 ガガーランが近くに来ると、ラキュースに助けを求めた少女はラキュースを盾にするようにさっと回り込んだ。

「落夜ちゃん――よね?」

「はい…落夜です」

「このお姉さんはね、落夜ちゃんにひどい真似をしようとなんて、ちっとも思ってないの。お姉さんはむしろ、落夜ちゃんを守りたいって思ってるんだから」

「お姉さん…?この男の兵はお姉さんなんですか…?」

 この男の兵はお姉さん、と言う聞いたこともない表現に双子は一瞬吹き出しかけ、すぐさまそれを飲み込んだ。

 

「……あ、あぁ。俺はお姉さんだよ」

「お姉さん…」

「さ、落夜ちゃんはお父さん達が心配してるから、行ってあげて」

「はい…。すみませんでした、お姉様方」

「気にすんなよ。俺の方にも悪いところがきっとあったんだからな」

 

 落夜はさっと頭を下げると父の下まで走り、その足に縋った。

「それで、人間がこのララク集落にどんな用があって来た。わざわざ神の守りの砂嵐を越えて入って来たのだ。相応の理由があるのだろう」

 男性は、白髪混じりの黒い髪を一つに束ねていた。

 

「私達はあらゆる種族が暮らす神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国より来た冒険者です。皆さんには決して刃を向けない事を誓います。どうかこの場所の地図を描かせては頂けないでしょうか」

「……何のためにそんな必要がある」

「畏れながら、我が神聖魔導国との国交を開いて頂きたいのです。この場所に我が国の外交使節が訪れ、双方の――」と話しているところで、イビルアイが口を挟んだ。

 

「おい、ラキュース。そう言う貴族じみた言い回しはやめろ。時間がかかるだけだ。――老父、単刀直入に言う。私達はここの地図を作り上げ、それを国に持って帰りたいんだ。その後のことは国が決める」

「……悪いが私なんぞに決められることではないし、断らせていただく」

「そう仰らず。それを許すだけの権限をお持ちの方がいれば、どうかご紹介ください。私達はこの場所と、皆様と同胞になりたいんです」

 ラキュースからの訴えは実に清々しかった。

 

 しかし、男性は片眉をあげると苦々しげな顔をした。

「我らと同胞になりたいと申すか、人間。これを見てもまだそんな事が言えるかな」

 足元まですっかり隠したローブがふわりと持ち上がり、その中からは青黒い蠍の尾が姿を現わした。

「どうだ、恐ろしいだろう。お前達人間は自らと姿形が違うものを嫌う。それも、必要以上に。かつてこのララク集落はララク市と呼ばれた蠍人(パ・ピグ・サグ)が育てた大王国の一大都市だったのだ。しかし、この様を見ろ。私達の祖先が築き上げた大王国に、お前達人間は大量の生きた砂漠長虫(サンドワーム)の子供を投げ入れる事で数えきれない蠍人(パ・ピグ・サグ)を殺した。どれほど残虐な悪魔であっても、そんな方法で他種族を嬲り殺しにしたりはすまい。あまつさえ、呪いを砂漠に振り撒きおって」

「そ、そんなことが……。申し訳ありませんでした。どんな言葉を重ねたとしても謝り切れることではありません」

 

 素直に蒼の薔薇が頭を下げると、男性は少しだけ警戒心を薄れさせたようだった。

「――……良い。全ては過去の話しだ。お前達がそれをしたわけでもない。しかし、同じ過ちを繰り返さない保証はどこにもない。私達は相容れぬ種族なのだと理解し、ララク集落を出てくれるだけで良い」

「――は――ない」

「うん?」

「そんなことはない。老父、それは前時代的な考えだ」

 イビルアイの声は大きいわけではなかったが、はっきりと響いた。

 

「なに?」

「全ての種族は神王陛下と光神陛下の下に平等だ。それは生者と死者ですら変わらないこの世の摂理、掟。どんな過去があっても、私達は必ずまた手を取り合える。罪を憎んで種族を憎まず、私達の国には多くの虐げられた者と虐げてしまった者が暮らしているが、皆未来へ進んでいるぞ。――蠍人(パ・ピグ・サグ)は良いのか!未来が変わるぞ!」

「良いも悪いも、それを決めるのは私一人にはできないことだ」

 何人の集落か知らないが、男性は本当に何の権限も持っていないような気がした。

 だから、それを許可できるような誰かを紹介してくれ――そう言おうとすると、男とイビルアイの間に宵切が割って入った。

 

「お父様、少なくともこの方達は悪い方ではありませんわ」

「しかし、宵切姫。本当に私が決められることではないんだよ。万が一戦争になれば、地図を作られてしまうのはとても困るだろう」

「それはそうですけれど、私達には透光竜(クリアライトドラゴン)様のご加護があります。我らが同胞(・・)たる魔人(ジニー)もきっと手を貸して下さるでしょう。ですから、この方達には皆が起きる時間まで待って頂いて、集落の者全員で話し合えば良いのです。幸い、今日は儀式の夜ですもの」

「……お前の大切な門出の宴前に、そんな無粋な……」

「無粋だなんてとんでもありません。ララク集落と、スルターン小国のためにやる事ならば、儀式のうちですわ」

 宵切は真っ直ぐ父親と向き合うと、花のように笑ってみせた。

 

「……分かった。大切なお前の最後のわがままだ。なんでも聞こう。もしこの人間達が私達を殺すつもりで来ているならば、寝ている間に切り捨てられていたはずなのだから」

「ありがとうございます、お父様」

「良いんだよ。お前がそうしたいなら、そうなさい。ただ、何かがあったら――わかるね」

「はい、その時には仕方がありません」

 

 父親は短く息を吐くと、もう一度蒼の薔薇と向き合った。

「人間、今は時間も遅い。まだ夜まではずいぶん時間がある。私達はもう一度眠るが、どうしても地図を描きたいと言うなら今はただ待ってくれないか。そして、決して寝ている皆を傷つけたりはしないと誓ってくれ。本当にララク集落と国交を持ちたいというのならば」

「ありがとうございます、喜んで誓いを立てさせていただきます。私達、神聖魔導国が冒険者、蒼の薔薇。決して蠍人(パ・ピグ・サグ)に手を上げない事を誓います」

「……悪い者達ではないことは確かだな。かつて大司教様も人間だった。さぁ、宵切姫、落夜。お前達ももう寝なさい」

「はぁい。宵切姉様、いこ!」

「そうね、行きましょう」

「お姉様達もおやすみなさい!」

 美しき姉妹は手を取り合うと、父親が開けて待つ扉をくぐった。

 

「――あ、老父様。ひとつだけ、ひとつだけお聞きしたいのですが」

 ラキュースからの呼びかけに父親はぴたりと止まった。

「……なんだね」

「あの…この近くに水場とかってないですか…?」

「……この道をまっすぐ行き、白い扉がついた家を右に曲がるとオアシスがある。ただし、橋がかかっている深い所には近付かないでくれるな」

「わかりました!ありがとうございます!」

「ではな。お前達もあまり遅くまで起きていると体に触るぞ」

 

 パタン…と静かな音を立てて扉が閉まると、街は再びの静寂に包まれた。

 

「……ちっとも眠くねぇ」

「まさか夜行性の種族だとは思いもしなかったわね」

「私たちの感覚で言えば深夜見通しの悪い中で突然オーク戦士が街に出没した感じだな。それにしても眩しそうだった」

「怖がって当然」「村を追い出されなかっただけ上出来」

 

 ガガーランは怖がられたこと自体よりも仲間達からの反応にぷりぷりと怒り、一行はオアシスへ向かった。

 

+

 

「宵切姫、お前は一人の体ではないのだからあまり無茶はいけないよ。今回は荒くれた者でなかったから良いものを、もしお前に何かがあれば……私は……」

「はい、すみませんでした。お父様」

 

 本当に大人しく人間達がオアシスへ向かったと見ると、一家はようやく息を吐いた。

 

「それにしても落夜、こんな時間にどうして外に出たりしたの?」

「明日一番、宵切姉様の髪を梳るお約束をしていたから…うまく寝付けなくて……。もうずっと夜まで起きてれば良いかと思ったの…。だから、外の水瓶にお水を飲みに行こうとしたら……あのお姉様が現れて……最初は一人だったし、てっきり呪われた兵士なんだと思っちゃって……」

「まぁ、悪い子ね。昼はちゃんと寝ないと大きくなれないのよ?」

「はぁい…」

「やれやれ、落夜も心配を掛けおって。明日は寝坊できないと言うのに。さて、私は念のために歩哨をお願いしに行ってくるから、二人はもう休みなさい」

 

 二人は父に返事をするとそれぞれの部屋に戻っていった。




ガガーランかわいいね❤︎

次回#135 呪われた兵士の話
14日0時の予定です!


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#135 呪われた兵士の話

 ベージュ一色の大地に、エメラルドグリーンの透き通ったオアシスはあった。

 

 オアシスの周りにはこれまでの砂だけの世界が嘘のように青々と植物が育っていた。

 水辺はかなり広大で、壷のような形をしている。街に丸く囲まれているが、砂浜のようになっているのは半分だけで、もう半分は砂と同じ色をした硬い岩盤に囲まれている。長い年月を掛けて侵食された岩盤は、まるでオアシスに向かって迫り出すような形をしていた。

 同時に百人でもニ百人でも泳げそうな巨大なオアシスは、おそらくこれまで発見されているどのオアシスよりも大きいだろう。

 

 そんな命の恵みの中に、人影は五つ。

 鍛えられた張りのある体の上を、無数の小魚が撫でていく。

「――んっ」

 無意識のうちに漏れたと思われる極楽の声は、くすぐったさと心地よさの狭間だ。

 小魚達は古い角質を食べるために執拗にせまり、どんな部位であろうとお構いなしに舐め回していた。

「はぁ――」

 胸、腹、腕、脚、――そして腰。

 脇や胸の谷間の微妙な部分まで入り込む。

「――あぁ」

 再び声が上がる。先ほどよりも大きな声は、もう魚が集まってくれない仲間達を振り返らせた。

 

「こういう時体が大きいと徳ね。もう食べ終わっちゃったみたいで全然寄ってこないわ」

 すいすいと泳ぐラキュースに、全身に魚が付いているガガーランが手を挙げる。

「お前ももっと良く食って体をデカくすることだな。戦士の基本だ。見ろよ、うじゃうじゃ寄ってきてるぜ」

「……食われすぎて体がなくなっても知らんぞ」

 

 どこか不満があるような声を発したのは、マントと手袋を外し、陸で仁王立ちしているイビルアイだった。仮面も外そうとしたところ、双子が念のためにそれは着けておいた方が良いと言ったので、仮面はつけっぱなしだ。

 

「お前が入った時、体が見えなくなるほどびっしり群がられてたもんな。やっぱり死んでるからたくさん食べれると思ったのかな?」

「ええい!理由は知らん!!そんな小魚達は嫌いだ!!」

 

 そう、オアシスに皆でせーので入った時、イビルアイの体の周りに魚が殺到したのだ。まるで獅子の檻に生肉を放り込んだような光景だった。

 気持ちがいいどころか、気色が悪く、イビルアイは急いでオアシスを上がった。

 すると、全員のところに魚はもやもやと散っていき、お腹いっぱい皮膚の表面を舐めて消えていった。

 ただ、ガガーランだけはでかいためいつまでも舐められている。

 一方、もう魚が寄ってこないティアとティナはまるで温泉に浸かっているかのようにじっと座っていた。

 

「魚の方はイビルアイが好き」「髪の砂を落とせただけ上等」

「何が上等だ!くそー!!」

 一人沖で憤慨し、じたばたすると若干の砂埃がたった。

「ねぇイビルアイ、私のインナー放り投げて!洗うから!」

「私たちの服も」「なんなら足袋も」

 イビルアイは手近にある全員の汗臭いインナーや洗える物をオアシスに向かって放り込んだ。

「っち、日焼けのしすぎでズタボロになっても知らんぞ!」

「これが終わったらもう上がるから大丈夫、大丈夫!」

「干してやるから私の分も洗え!」

 

 追加で放り込まれたイビルアイのマントと二の腕まである長い手袋は、一度長虫(ワーム)の血がたっぷりついたためいくら魔法で綺麗にしたとは言っても精神的に洗っておきたいところだ。

 全員がそれぞれアイテムを受け取ると、洗濯タイムは始まった。

 イビルアイは脱いで置かれている全ての鎧もそっと水に付けると、木に紐の端をきつく結びつけた。

「…これだけ乾燥して晴れていればすぐに乾きそうだな」

 紐がずり落ちてこない事を確認すると、イビルアイはオアシスに向かって手を伸ばした。

「おい、放れ」

 

 砂と汗にまみれた服をざぶざぶと洗い、よく絞ってはイビルアイに放り投げ、イビルアイが紐に袖を通す。

 全ての装備を通し終わると、紐のもう片方も木に括り付けた。

 手袋だけは岩の上に直置きだ。

 

「さぁ、そろそろ飯の時間だぞ。というかもう飯時から随分経ってるけどな」

 全員が名残惜しいような顔をし、下着姿の体に濡れた遮光服だけを羽織ってオアシスから上がった。

 

「はぁー!涼しくなったわ!やっぱり砂漠の冒険はとんでもないわねぇ」

「本当になぁ。水を生み出せる魔法詠唱者(マジックキャスター)がいないパーティーに砂漠の冒険はほとんど不可能なんじゃねぇか。すぐに水も尽きるだろ」

「いや、冒険者が多い"雨の起源"のオアシスには商人の集団(キャラバン)がいて露天を開いていたりしているようだぞ。砂漠で困ったら"雨の起源"に行けと冒険者地図には書いてある」

「なるほどな。そりゃあ皆オアシスのそばまでしか探索できねぇわけよ」

 やれやれ、と若干の疲労を見せながら、一行はせっせと日除けを張った。オアシスと反対側にある街のある側に目隠し布を垂らすことを忘れない。

 

 日除けの真下ではない場所に焚き火を組み、オアシスを眺めながら料理をした。イビルアイ以外は皆遮光服しか着ていないが、あまり気にしていない。

 本日の料理はゴリゴリ乾燥パンのキノコソテー乗せ。それから、オアシス取れたて魚の塩焼き、水辺に成る実、エリュエンティウで買った乾燥棗椰子(デーツ)

 ここで採った実は毒に反応する指輪を当てることで食べられるか確認済みだ。

 食事を始めると、話題は自然と蠍人(パ・ピグ・サグ)達の事になった。

 

「――あの娘、随分ガガーランを畏れていたようだが…呪われた兵士とは一体なんだったんだろうな」

「さぁ…。エリュエンティウではそういう話は聞かなかったわよね?」

「全く聞かなかったな。口調から言って、現れれば蠍人(パ・ピグ・サグ)は気が狂ってしまうようだったが…」

「どういう事なのかしらね。今夜少し話を聞かせてもらいたいけど…」

 ラキュースの言葉に、「でもなぁ…」とガガーランが答える。

「少なくとも、俺たち人間種との関係は良いもんじゃなさそうだったな。砂漠長虫(サンドワーム)の子供を街に放り込むなんて、とんでもねぇことしたもんだ」

 

「その行為を正当化するわけじゃないけど、大王国があったって言ってたし、きっと怖かったんでしょうね。天空城から都市守護者が出てきてくれるエリュエンティウの中心街はいいけれど、冒険者や商人はいつ襲われるか分からないし…。都市守護者が出て来られない――イビルアイの言うところの魔法の檻の外にいた人達は抵抗し切れないわ。都市中心部だって、もし都市守護者が出て来てくれなくてエリュエンティウを奪われたりしたら、砂漠の民は行き場を失って死ぬしかないもの。一番近い人間種国家はスレイン法国だったけれど、スレイン法国と砂漠はスルシャーナ様絡みで相当仲が悪かったし」

 

「そうだな。しかし、エリュエンティウと異種族との戦争の話は聞かなかったな。攻め込まれたこともないのに、攻め込まれるかもしれんと恐れたか」

「ほとんど同じ姿形をしてるのに、よくやる」

 

 焼き魚をむしゃむしゃ食べていたティアが呟く。蒼の薔薇はゴブリンの子供ですら、殺すことを躊躇してしまうのだから。

 

「ほんど同じ見た目、と言っても人間から見れば驚異だろうな。蠍人《パ・ピグ・サグ》の持つ毒は同じくらいの大きさの生き物が食らえば、よくて神経麻痺からの運動障害、最悪の場合は死に至るはずだ」

「…あのおじさん、五人程度なら何かあっても戦えば勝てる勝算がある雰囲気だった」

 ティナも二本目の魚の串焼きに手を付けて言った。

「となると、もし生かして帰すなーなんて話になりゃ、危険なのはこっちだな」

 

「あぁ。最悪転移して逃げることになるかもしれん。その時には冒険者組合から神都に連絡を取ってもらおう。」蒼の薔薇ともなれば、本気を出してしまえば蠍人(パ・ピグ・サグ)の村人達程度倒せるだろうが――抵抗すれば殺してしまうことになるだろう。そんな事をするくらいならば、逃げるが勝ちだ。「まぁ、あの――宵切姫とか言ったか。あの姫がいれば、なんとか仲裁はしてくれそうではあるがな」

「そうね。宵切姫様に賭けましょう。それにしても…綺麗な人だったわね。あの真っ直ぐな青黒い髪。絹糸みたいだったわ。エリュエンティウの人達も殆どが黒髪だったけど、あそこまで綺麗な人はいなかったわよね」

 全員から同意の声が上がる。

 

 そして――「……誰かあの姫の尾を見たか?」

「尾?」

 イビルアイからの突然の問いに、ラキュースは尾を見た者がいるか、仲間達を見渡して確認した。

 しかし、誰も尾を確認しなかったようだった。

 

「あぁ…尾だ。家に入っていく時にちらりと見えたんだが、毒針が切り落とされていた。尾の先の膨らんだ部分ごとな。口だけの賢者が残した手術という手段で丁寧に縫合してあったようだから大切にはされているんだろうが……何かきな臭い気がしてな」

「事故で切れちゃって、回復魔法を使える人がいなかったからとりあえず手術をしたのかしら?」

「……わからない。しかし、尾の先を失うほどの事故にあって何故他の場所に傷がないのか……少し気になる。切断面はまだ新しかったんだ。多分……失ったのは昨日今日だろう」

 

 宵切姫はたっぷりとした長いサルエルパンツを履いていたが、暑いためか上半身の露出はかなり多かった。上からガウンを羽織った寝巻き姿で、足と胸以外の部分はおおよそ見えていた。それに、痛みをかばって歩く様子でもなかった。

 

 そこから推測される答えは――

「……まさか、誰かに切られたの?」

「恐らくな。まぁ、蠍人(パ・ピグ・サグ)から言わせれば大したことはないのかもしれないがな。そもそも蠍は危険を感じると自切と言って自ら尻尾を切り離して逃げたりもする。ちょうどトカゲのようにな。それが蠍人(パ・ピグ・サグ)にも共通する生態なのかは不明だが、我々が想像するよりも痛みは少ないのかもしれん」

「…………そう。後で回復魔法を掛けようか聞いても良いわね」

「あぁ。好感度も上がるしな」

 痛みが少ないからと言って、人の体の一部を落とすなどぞっとする話だった。

 この日照りの中、背筋が冷たくなる感触に襲われると双子は立ち上がった。

「そろそろ服を着る」

「遮光服はもう乾いた。服もきっと乾いてる」

 

 いつの間にか全員食事は済んでいた。食べながら長いこと話し込んでしまったせいで、どれの味もよく覚えていなかった。

「――そうね。私はもう一度だけ泳ごうかしら。食器を洗うついでに」

「ラキュースが泳ぐなら俺も泳ぐかな。また汗かいちまったぜ」

「少し泳いで気が済んだら、仮眠を取るぞ。蠍人(パ・ピグ・サグ)は夕暮れと共に起き出して、夜が明け切ると眠るはずだ」

「分かったわ!仮眠する場所、作っておいてね!」

「ティアとティナはどうすんだ?いくか?」

「もう十分楽しんだ」「寝不足だからテント張る。あの虫め」

 ティナからは明け方に襲来した砂漠長虫(サンドワーム)への恨みが漏れ出ている。

 

 一行は二チームに分かれ、それぞれの仕事に取り掛かった。

 そして虫除け団子を焚いて一足先に双子とイビルアイが寝ていると、ラキュースとガガーランも仮眠を始めた。

 モンスターが出る心配はしていないが、念のために<警報(アラーム)>の呪文はかけた。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)が五人を殺そうと近付いてきた時のためだ。

 木陰にタープを張り、その下にさらにテントを建てたため、想像よりはずっと快適に眠ることができた。

 

 ぐっすり二時間ほど寝ていると、五人はテントの外からの騒めきに目を覚ました。

 テントの外から差し込む光は真っ赤な夕暮れの色をしていた。気温も幾分か下がり、ある程度過ごしやすくなっている。

 

「ふぁ…ふぅ。結構寝たな」

「そうね。片付けをして、防寒着に着替えたほうが良さそうね」

「うし、起きるか。おい、ティア、ティナ。起きろ」

「んん…もう少し…」「虫め……」

「しゃーねぇ。後少しだからな」

「んー」

「うー」

 

 双子が抵抗するのを放っておいて、三人は片付けの準備を始めた。敷物を残しておけば寝ていられるし、屋根がなくなれば嫌でも起きる気になるだろう。

 そして、テントを出て目隠しの日除けをはずすと――遠巻きに老若男女、数え切れない蠍人(パ・ピグ・サグ)達がこちらの様子を伺っていた。

 普通の親子のような者達、戦士や兵士のような出立ちの者達、僧か神官のような者達。屈強な者、痩身の者、太った者、愛嬌のある者、強面の者。

 様々な人々がいた。

 

「……起きるのを待っていたのか?」

「…待って。あれは……」

 全員が鼻を覆い、渋面だった。

「――虫除け団子が効いてんだ。やべぇ!」

 

 ガガーランは慌てて燻る虫除け団子へ駆け寄り、ガントレットを嵌めた手でそれを回収した。

 水辺に持っていって水を掛けると、ぷしゅぷしゅと音を立てて火は消えた。

 

「ほ……」

 

 辺りにはまだ虫除け団子の臭いが充満していたが、涼しい風が数度吹くとそれも薄まった。

 随分臭いがなくなると、蠍人(パ・ピグ・サグ)の集団から一人が前に出てきた。

「――宵切姫様」

 話し合いをしようと言う雰囲気を感じ、ラキュースは武器を持たずに宵切姫の下まで駆けた。

 

「おはようございます。良い夕暮れですね」

「おはようございます、宵切姫様」

「皆さんが寝ている間に集落の皆で話し合いをしました。回答としては、ここで過ごしていただいてもいい、です。ただし、地図を作るのは皆様のことをよく教えて頂いてからです」

「ありがとうございます。集落の皆様にご納得いただけるまで、きちんと私達が何者なのかを話させていただきます」

 

「あぁ、言い方が悪かったですね。お話いただきたいことは厳密には皆様の事ではなくて、地図をお持ち帰りになる皆様のお国のことですの。言いにくいのですが……昼の間、監視を何人か立てさせていただいていたので、あなた達に関してはこのララク集落に害を及ぼす存在ではないと言う事がもうよく分かっております。地図を作らないで待っていると言う約束を守っていただいていたことも」

「…あ、あはは。そ、そうでしたか」

 

 それを聞いたラキュースは、何故双子が泳がずにああもジッと水に浸かっていたのかを理解した。食事の後にもう一度泳がなかったのも監視に気が付いていたから。更に言えば、イビルアイの仮面を取ることに反対したのはアンデッドだと監視に勘付かれないため。

 何故教えてくれないんだと言う感情と、教えられれば監視を意識した行動を取ってしまい、監視からの信頼を得ることはできなかっただろうと理解する理性がない混ぜになる。

 双子はもっと寝たがっていたが、恐らくずっと半覚醒状態で襲われないか警戒していたため、もしくは一人づつ交代で眠っていたために睡眠時間が不足していたのだろう。

 優秀な仲間を持てたことに感謝しつつ――ラキュースは下着姿で蛙のようにすいすい泳いでいた昼間を思い出し頬を赤くした。

 

「すみません、覗き見するような真似をしてしまって」

「き、気にしないでください。こちらも…気にしませんから…。はは、ははは――はぁ…」

 笑いは若干のため息となり消えた。

 

「良かった。それで、私も皆さんのお国のことを聞きたくはあるのですけれど、実は今日は三十年に一度の宵越しの祭りが開かれる夜なんです。一晩皆で神に感謝を捧げるので、これから祭りを始めるための儀式をしなくちゃなりません。申し訳ないのですが、儀式と祭りが終わってから長老衆と摂政会の面々にお話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?私は同席できませんが」

 

 この場の味方である宵切姫がいないのは痛手だが、背に腹はかえられないだろう。

 

「――それはもちろん構いません。三十年に一度の機会に立ち会えたなんて、むしろ光栄です。儀式とお祭りは見させていただいても?」

「良いですよ、ぜひご覧になってください。そうそう、聞けば皆様は昼行性の生き物だそうですね。眠くなってしまったら、気にせず休んでくださいね。まぁ、少し賑やかかもしれませんけれど。――それじゃあ」

 

 宵切姫は優しい笑顔を見せると、幾重にも重ねて着ている美しい衣装を引きずって人々の輪の中へ戻っていった。

 そして、つい見てしまった尾先は――切り落とされ、止血のためだと思われるリボンがキツく結ばれて、傷口は縫合されていた。白っぽい肉が微かに見える様は痛ましかった。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)達は宵切姫に深々と頭を下げ、とても尊く、清浄なものに触れるようにした。

 宵切姫が人の中に入り見えなくなると、人々はその後に続くように立ち去っていった。

 ラキュースはそこでようやく仲間に振り返った。

 

「これから三十年に一度のお祭りを始める儀式をするんですって。見ても良いそうだから、急いで片付けて行きましょう」

「あぁ。聞こえていた。陛下方へ感謝を捧げる祭りは全部出たいくらいだ!」

 イビルアイの鼻息が荒い。

「それより、もっと注目するべき点がある」

 テントの中からはいつの間にか双子が出てきていた。

「注目すべき点…?」

「宵切姫さんは三十年に一度の祭りと言っていた」「今年は三十年に一度の大竜巻が起こると冒険者組合も言っていた」

「…この祭りは竜巻発生を喜ぶ会か?」

「詳細を見なきゃダメね!皆、やるわよ!」

 

 一行は急ぎ片付けを済ませると、人々が消えて行った方へ小走りで向かった。

 いくつもの松明が焚かれ、舞台の上には今にも産気づきそうな妊婦が五名と宵切姫がいた。

 

『――皆様!ついに三十年に一度のこの時がやって参りました!!明日、この中から新しき宵切姫は産まれるでしょう!!』

 両手を広げてそう叫んだ宵切姫は女王然としていた。

「新しい宵切姫が生まれる…?よくわからない祭りだな」

 イビルアイが首を傾げると、ラキュースが軽く小突き、「しっ」と人差し指を口元に当てた。

 

『夜を越せ、宵を切れ!光を超え、風を呼べ!透光竜(クリアライトドラゴン)様のご加護の下に!!』

 妊婦達が服を脱いで腹を出すと、宵切姫は赤黒い塗料でその腹にひとつ紋様を書き込んだ。

 

『私の血と力は、今、次の宵切姫に継がれました!今日の夜明けと共に私は去りますが、次も良い姫が生まれてくることでしょう!!』

 イビルアイは妊婦の腹に塗られた液体をじっと見ると呟いた。

「本当に血だ。それに、毒が混ざっているのか…?皮膚から吸収するとまずいぞ」

「ま、まさか。大丈夫でしょ…?」

「そうだと良いが……」

 

 蒼の薔薇の心配をよそに、蠍人(パ・ピグ・サグ)達はワァッと声を上げ、真っ赤な匂いの濃い花を放る。

 ただでさえ赤い花は、夕暮れに晒されて一層赤く輝いた。その様に目を奪われていると、ふと昼間に会った宵切姫の父親と母親が感涙を流している姿が目の端に映った。

 舞台から降りて行く宵切姫の顔は実に誇らしげであり、それに続く妊婦もまた、誇らしげであった。

 

「どうやら大丈夫そうだな。にしても、宵切姫は出家するようだな。――もしくは、大竜巻を呼ぶ張本人か」

「だとしたらラッキーね。――あ、お祭りが始まるみたいよ」

 儀式が終わり、宵越しの祭りが始まると豪勢な食事がいくつも運ばれて来た。

 

 煌々と焚かれた巨大な儀式用の炎の周りを人々が歌い、踊り、回って行く。

 食事をとりながら座って眺めている者もたくさんいるため、蒼の薔薇もそれに倣って座って共に眺めた。

 小さな太鼓を叩く人、柄の付いたタンバリンのような物を鳴らす人、蛇のような形をした長い笛を奏でる人。

 踊りは手首同士を合わせ、バツ印にした手を鳥のように羽ばたかせて、腰を蛇のようにくねらせた異国情緒にあふれたものだった。時折腰につけている布を取って回しては竜巻のように舞った。

 全員がたっぷりしたズボンを履いているが、踊って脚を上げる時にズボン裾が上がり、足首が少し見える。蠍人(パ・ピグ・サグ)の足は青黒い硬質な外被に囲まれた蠍そのものの足をしていた。

 しかし、そんな事でいちいち驚きはしない。

 手拍子をし、持ってきていた乾燥棗椰子(デーツ)を摘んでいると、聞き覚えのある声がした。

 

「お姉様方!良かったらお姉様方も召し上がってください!」

 

 大皿一杯に食事をとってきてくれた落夜が差し出す。皆思わず破顔した。

「落夜ちゃん!ありがとう。でも、良いのかしら」

 居させてもらえるだけ有難いというのに、食事まで貰っては悪いのではないかと思った。

 しかし、蒼の薔薇の隣に座る蠍人(パ・ピグ・サグ)も勧めてくれた。

 

「お食べよ、旅の人間さん」

「今宵は砂漠に住む全ての人が透光竜(クリアライトドラゴン)様に感謝する日なんだから」

 五人は互いの顔を見合わせると隣に座る者達に深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。それじゃあ、いただきましょっか」

「そうだな!落夜もありがとな!」

「いえ!ねぇお姉様方、お姉様方の事落夜にも教えて下さい!」

 落夜は五人のすぐそばに座ると瞳を輝かせた。

 

「良いぜ。俺達は神聖魔導国の冒険者なんだ。世界中の未知を探して日夜冒険に出てる!」

「はぇ〜!落夜はララク集落を出た事がないんですよ!皆さんはたくさん歩けるし強いんですね!」

「あぁ、そうだ。私達は冒険者の中でも一番の冒険者である称号を持っているからな」

 鼻高々にイビルアイが答える。

「じゃあ、じゃあ呪われた兵士も倒しちゃうんですか!」

「落夜ちゃん、その呪われた兵士って一体なんなの?」

 ラキュースの問いに答えたのは、務めが終わった様子の宵切姫だった。

 

「皆様は呪われた兵士をご存知ないのですね」

 

 宵が訪れると、宵切姫の青黒い髪は夜空に溶けそうに見え、月に照らされる褐色の肌は砂漠と同じ色になった。

 

「宵切姫様。呪われた兵士って一体何なんですか?」

「それは――」語ろうとした宵切姫に、落夜の興奮した声が重なった。

「宵切姉様!とっても素敵だったわ!落夜も宵切姫になれたら良いのに」

「ふふ、落夜は宵切姫にはなれないけれど、あなたも素敵な女性になるのよ」

 なる!と意気込む落夜の頭を撫で、宵切姫は話を戻した。

「失礼しました。ええと、呪われた兵士のことですよね」

「えぇ。なんなら、神聖魔導国の冒険者組合で討伐隊を編成しましょうか?」

「まぁ、それはとっても有り難いお申し出ですけれど……でも、呪われた兵士の事はきっと、どんな強者でも倒す事はできません。全ての始まりは大帝国ディ・グォルス崩壊から始まった事だと聞いています」

 

 その帝国の名を聞くと、イビルアイは微かに反応を見せた。

 

「皆様はこのディ・グォルス砂漠にかつて遊牧民がいた事をご存知ですか?」

「私は知っている。砂漠の遊牧民(バダウィン)達は人間と亜人が入り混じった集団で、ラクダと呼ばれるコブを持つ馬を従えていた」

「その通りです。これは、その砂漠の遊牧民(バダウィン)の兵のお話です」

 

+

 

 宵切姫は繊細な声で歌うように語り出した。周りでは音楽が鳴り響く。

 蒼の薔薇は聞き漏らさないよう集中した。

 

+

 

 ある見張り兵が歩哨に立っていた時のことです。月夜の綺麗な晩だったそうです。

 

 キャンプの外から、兵を真っ直ぐに視界に捕らえて進んでくる男が一人。

 兵は上半分が夜色で、下半分が砂色のマントを着ていたので、近付いて来る男がよく自分の存在に気が付いたものだな、と少しだけ不審に思いました。

 男はすっかり近くまで来ると「ついに見つけた。君のような人は初めてだ…」そう感激したような声で言ったそうです。

 男は自分を流浪の剣士だと名乗り、遊牧民の大司教様に会いに来た、と、そう言いました。

 

「しかし、もうそれも必要ない。君ほど素晴らしい人に出会えたのだから。なぁ君、もっと強くなりたくはないか」

 

 兵はもちろん、今より余程強くなりたいと思っていたので、「なりたいとも。いつか部族一の男になるのさ」――そう答えました。

 

 男は言いました。

「じゃあ、僕が君にひとつ、最強の武技を教えてあげよう」

「最強の武技…?」

「あぁ、使いこなせるのはごく一部。どうだい?君ならきっと、それができると思うんだ。何せ、波長がよく合う(・・・・・・・)ようだから」

 兵は重なる甘言にすっかり気を良くし、深く考えずに教えて欲しいと答えたのです。

「じゃあ、教えてくれよ。まずどうしたら良い?」

 

 男は自らの腰に佩いている剣を外すと、それを兵に渡しました。

「この剣を使ってくれ。これは魔法の剣だから、武技が出やすいんだ。それを一気に振りかぶり、<残光暴撃>と言ってみてくれ」

「この剣を…?」

 兵は剣を受け取り、鞘から抜くと剣を一閃しました。

「<残光暴撃>!!」

 それは剣に反射した月光が尾を引くような姿だとも、輝く星屑が落ちたような姿だとも言います。

 光の衝撃波は離れたところにある木を真っ二つに切り、消えたそうです。

 オアシスでよく育ったその木はとても太く、ズズン…と重たい振動を響かせながら倒れました。

 

「お見事、お見事」

 剣を渡した男は機嫌良く両手を叩きました。

「こ、こんな武技…初めてみたよ」

 兵は一度魔法の剣を鞘に戻すと、自らの剣を引き抜きました。

「<残光暴撃>!!」

 先ほどとまったく同じように剣を振るったと言うのに、剣からはたった一筋の光も漏れ出る事はありませんでした。

 

 兵は自分の剣を鞘に戻すと、男の魔法の剣が無性に欲しくなりました。これさえあれば、この砂漠の覇者になることすら容易い――と。

「………なぁ、あんた。この剣を良かったら俺にくれないかな」

 それを聞いた男は兵をじっと見つめました。

「も、もちろんタダとは言わない!俺の持ってる剣と――えっと、それから、有り金を全部渡すとも!これは魔人(ジニー)達の住むスルターン小国でも、蠍人(パ・ピグ・サグ)の大王国でも使えるんだ!」

 兵は息を呑み、男の返事を待ちました。

 

 しかし、男は静かに首を振りました。

「これは人に売れるものではありません(・・・・・・・・・・・・)

「そ、そうか…。それはそうだよな…」

「えぇ。残念ですが。それでは、私はこれで。武技はお伝えしましたので」

 男が兵に持たせた魔法の剣の柄に手を伸ばします。

 

 兵は軽く辺りを見渡しました。

 そして、誰もいない事を確認すると――次の瞬間、兵は魔法の剣を引き抜き、男のことを渾身の力で切り付けました。

「っ<残光暴撃>ぃぃ!!」

 正面から背骨まで断ち切る、一切の容赦のない一撃だったと、のちに兵自身が語ったそうです。

 血が吹き出しましたが、運良く兵自身にはかかりませんでした。

 

「――ふ、ふはは!ふははははは!!やった!やってやったぞぉー!!」

 

 そう声を上げたのは兵ではなく、切られたはずの男でした。

 男は自らの血に溺れながら嬉しそうに笑い、その場に上下二つに分かれて崩れ落ちました。兵を捉える瞳には憎悪や憤怒の色はなく、ただただ嬉しそうに、とても不気味に笑います。

 

 兵は途端に気味が悪くなりました。急いで魔法の剣を鞘に収めます。そして自らの腰に剣を括り付け、砂を男にたっぷりとかけました。

 これですぐにミイラになるはずです。

 兵はほくそ笑むとその場を走って逃れました。

 別の場所の見回りに行くふりをするためです。

 少し進むと、聖職者達が月夜の儀式を行っているのが見えて来ました。

 ここでアリバイを作ろう。そう決めた兵は聖職者達に近付いていきました。

 すると、聖職者達は何を思ったのか突然兵に襲いかかりました。

 

 兵は儀式中の聖職者だと思いましたが、実の所、聖職者に扮する野党だったのです。――そう、その時は、そう思いました。

 早速新しく手に入れた剣と武技で偽聖職者達を真っ二つに切り裂いてやりました。

 

 全員を殺せた兵は、他にも野党がいてはこれから儀式を行う本物の聖職者達が襲われかねないので一度仲間達の下へ戻りました。

 大人数で辺りを確認した方が良いと思ったのです。

 移動式住居(ゲル)がいくつも建ち並ぶ中、兵用の一つに入り皆を起こすと、皆はすぐに起き上がり――剣を抜きました。

 

「おいおい、少し気が早いぜ?」と、兵は言いましたが、仲間だと思っていたはずの兵達は一気に兵に襲いかかって来ました。

 気でも狂ったかのように、一心不乱に斬撃を繰り返して来ます。

 そして、兵は自らの身を守るために武技を使いました。

 移動式住居(ゲル)の中には夥しい量の血液が散乱しました。

 兵はふと、一つのことが頭をよぎります。

 

「――まさか、野党だと思った聖職者様達も、何かがあって気が触れてしまったのでは」と。

 兵は慌てて聖職者の移動式住居(ゲル)へ駆け抜けます。

 そして、その先で起こったことは――先程の兵用の移動式住居(ゲル)で起こったこととまったく同じです。

 

 つまり、目を覚ました全員が兵を襲ってきたのです。

 そこまでくると、ようやく兵にも事態が飲み込めて来ました。

 周りは狂ったのではなく――狂わされたのだと。

 そして、狂ったのは向かって来る者達だけではない事もじわりと理解できました。

 

 仲間を殺すくらいなら、殺される方がマシだと、その時の兵には全く思えなかったのです。

 

 拳を振り上げられると、どうしても生き延びたいと思わずにはいられなくなり、剣を振るいたくてたまらなくなりました。

 ここでも兵は狂って向かって来る聖職者達を一人残らず八つ裂きにしました。

 兵は戦いが終わると途端に冷静になり、目の前で起きたことに震え上がりました。

 

 そして、こうなってしまった思い当たる節は一つしかなかったので、血塗れの剣を持って、あの男の下へ向かいました。

 靴の裏は血でぐっしょりと濡れていたので、何度も転びそうになりました。

 それでも、走ります。

 

 そして男を埋めた場所を剣でザクザクと掘り返すと――つい先程殺したばかりのはずの男はもうすでにミイラになって死んでいました。その顔の安らかな事。

 あれほど吹き上がったように見えた血は一滴も出ていません。

 しかし、その刀傷は確かに兵が付けた者でした。

 

「そんな……」

 

 そこでようやく兵は気づいたのです。

 この者は自らのかかった呪いを押し付けられる第三者を探していた事に。

 今更後悔しても仕方ありません。

 恐ろしくなった兵はせっかく奪い取った剣をミイラの隣に埋め、再び仲間達の下へ戻りました。

 大司教様に助けを求めようと決めて移動式住居(ゲル)の間を駆け抜けます。そもそもこの男は大司教様に会いにきたと言っていたのですから。

 

「大司教様!大司教様!!」

「おや?こんな時間にどうかしたかね?」

 そう言って移動式住居(ゲル)から出てきた大司教は血塗れの兵を見るとそれはそれは驚きに目を丸くしたそうです。

「ま、まさか魔物が!?」

 違う、自分がやったと言おうと思ったものの、その罪の重さに耐えかねた兵は素直に罪を告白することができませんでした。

「ち、ちが…いや…そうです!!皆殺されてしまいました!!」

「な、なんと…!今他の兵を呼んでこよう」

 

 大司教は一緒に兵に来てもらおうかと思ったようでしたが、震え、顔を青くする兵を見ると、戦力にはならなそうだと思い優しく肩に手を置きました。

 

「君はここで寝ていなさい。医者を呼んであげよう。後のことは私と仲間たちに任せて」

「ありがとうございます……ありがとうございます……!」

 兵は泣きながら何度も頭を下げ、震える体を抱いて大司教様の移動式住居(ゲル)で眠りました。

 

 そして、目が覚めたとき――。

 兵の手にはあの剣がしっかりと握りしめられていたのです。

 すぐそばには眠る大司教様とお医者様。

 兵は剣を移動式住居(ゲル)の外に捨て、再び眠りなおします。

 そして再び目が覚めたとき、その剣はまた兵の手の中にありました。

 兵は恐ろしさに叫びました。

 剣は持ち主が殺され、次の欲深い者が奪い取ることでしか渡らない呪いの剣だったのです。

 叫び声に目を覚ました大司教様は兵の背をさすりました。

 

「大丈夫かね?まだ魔物は見つかっていないが、きっと大丈夫だ。狩人(ハンター)にも出動を頼んだからね。必ず私の責任で魔物は見つけ出すとも」と、大司教様は兵に穏やかに約束をしてくれました。

 兵は、大司教様が狂わない様子に、まさかやはり皆がただ狂っただけかと一瞬思いました。

 

 しかし、それも束の間。

 目覚めた医者はメスと言う手術道具を引き抜くと兵に向かって一気に駆けてきました。

 大司教様は驚き、目を丸くします。

 兵は命惜しさにお医者様を真っ二つにしました。

 そうして、朝になり目を覚ました遊牧民達は次々と狂って兵へ向かっていき、兵は来るものを切り捨てました。

 

 その間、兵はずっと「殺したくない!殺したくない…!!でも死にたくないんだよぉ!」と泣いていたそうです。

 

 大司教様と、大司教様に近づかないように言われた者を除く、人口の九割超の遊牧民を殺し終わると、兵は自分の身に起きた事を大司教様に話したそうです。

 大司教様は身内すら殺した兵を哀れに思いましたが、自らが呪いに引き寄せられないだけで呪いを解く方法はついぞ分かりませんでした。解呪の魔法を持っていたというのに。

 一度は呪いにかからない大司教様が剣を預かったこともあったそうですが、やはり剣は朝になると兵の下に戻っていたそうです。

 

 こうなれば、いつ呪いが強まって兵に手を上げ殺されてしまうか分からないため、大司教様は「呪いを解く研究をしてくる」と言い、残った一割にも満たない遊牧民を連れて魔人(ジニー)達のスルターン小国へ逃げ延びたそうです。そう、逃げたのです。恐ろしかったのでしょうね。

 そこで魔人(ジニー)達に自らの知る透光竜(クリアライトドラゴン)様の教えと、遊牧民を襲った出来事を聞かせました。

 

 魔人(ジニー)達は信じられない思いでしたが、遊牧民の大司教がそんな嘘をついても意味がない事は重々承知でした。

 それに、大司教様が身に付けている魔法の装備はどれも超一級品。世界と等価と言われる至高の額当てもしていたのです。

 大司教様のことを偽物だと疑う魔人(ジニー)は一人もいませんでした。

 

 そうして、大司教様は魔人(ジニー)達と共に生活を送り、透光竜(クリアライトドラゴン)様の知られざる伝説の全てと、その加護を持つと言われる多くの秘宝を魔人(ジニー)達の国に納めて亡くなりました。

 兵が今もどこかで生き延びているのか、それとももう死んでしまったのか、誰かに呪いが渡ったのか――知っている者は一人もいません。

 

 このお話は昔々のお話ですが、兵に最初に剣を奪わせた男はどう考えても、最初からミイラになっていたのですから――きっと、兵は今もミイラの姿で砂漠を彷徨い歩いているのでしょう。

 だから、皆さんも気をつけてください。

 このディ・グォルス砂漠を行くとき、見知らぬ男が近づいて来たら、何も見なかったふりをして一目散に逃げるよう。

 

 

 ――長い昔話が終わりを告げる。

 

 

 全員が今の話の真偽を確かめるように視線を投げ合った。

「え…と……。最初に剣を持って来た男の人は…一体どこから来たんでしょうね?」

 最初に口を開いたのはラキュースだった。

 

「大司教様は今は亡き大帝国ディ・グォルスが滅亡した時の怨嗟を吸い上げた剣が、当時の大帝国の兵士長を惑わせたのではないかと仰ったそうです。兵の言った場所を掘り起こし、慰留品を確認した結果です」

「…だから全ての始まりは大帝国ディ・グォルス崩壊から、と言うわけですね」

「そういう事です」

「……宵切姫、それはただの御伽噺ではなく、真実なのか…?」

「真実であると思います。呪われた兵士は、当時ララク市にも出没したことがあるそうですから」

「なに!?」

「そ、その時の被害は……?」

 

「それほど大きなものではなかったと聞きます。とは言っても、遊牧民に比べれば、という程度ですが。兵を襲いたくてたまらないと思っていたはずが、家の中でふと我に帰り、自ら立ち去る兵の後ろ姿を見たという人がたくさんいたのです。きっと兵は探していたのでしょうね。狂わずにいられ、尚且つ呪われた剣で自分を殺してくれる人を」

「……諦めて帰ったか。その呪いの剣は所有者に人を殺させるために周りの人間を狂わせているようだな…。とすると、剣そのものに何か思惑があるのかもしれん」

 イビルアイが悩むような声をあげる。

 

「剣そのものに思惑ですか…?そのようなことが…?」

「あぁ。魔法が宿ってしまった物の中には、意思や自我が芽生えるものがある。ごく稀にだがな。そう言う物はインテリジェンス・アイテムと呼ばれるんだ。特に剣は血に触れる機会が多いからインテリジェンス・アイテムになり易い。インテリジェンス・ソードと言う括りがあるくらいだ。ん?待てよ……。――もしかしたら、次に呪われた兵士に出会う人間は殺されないかもしれん」

「どういう事なの?イビルアイ…」

 

「確証のない仮説の話だという事を念頭において聞いてくれ。まず最初の男――この男はミイラになっていたんだろう。ミイラ、つまりアンデッドだ。最初に暗闇の中で兵の事を簡単に認識出来ていた事からもそれは明らかだと私は思う。アンデッドは闇視(ダークヴィジョン)と言う力を持つからだ」

「それは私達でも想像が付くわ」

「問題はここからだ。剣には呪いの力があると言うのが思い込みだとしたら?」

 

 全員があり得ない、というような表情をした。

 

「それじゃあ、周りの人が兵に襲いかかる理由が分からないわ」

「まぁ聞け。剣が持つのは呪いの力ではなく、人を操る精神支配系の魔法を持つだけだったらどうだ、と私は思ったんだ。それの方が余程現実的じゃないか?確かにこの世に呪いは存在するし、所持者の思考を乗っ取るようなアイテムもある。だが、持たない周りの者にまでそれが波及すると言うのはあまりにも強力すぎる。もし呪いを持っていたとしても、それは手放せないと言う一点のみだと私は思う」

 

「おい、待てよ。イビルアイ、それもやっぱりおかしいぜ。アンデッドに精神支配は効かないはずだろ?それなのに――あ…」

 

「ガガーランも気付いたようだな。その通りだ。そもそも、最初の男はアンデッドになってしまった時点で呪い、ではなく魔剣からの精神支配から逃れることに成功していたんだ。しかし、男にはそれがわからなかった。人を殺してしまうことに辟易し、人に近付かなくなっていたんだろう。なんなら、自分が死んでアンデッドになっていることにも気付かなかったのかもしれない。兵も男がミイラだと気付いたのは砂を掘り返してからと言うくらいだ。一方魔剣は次の生きた所有者を探していたが、魔剣にできる精神支配は殺意や暴力などの思考、それから"死にたくない"という当たり前にある願いへのアクセスだけだった。だから、気長に次の所有者に出会える時を待っていたんだ」

 

 蒼の薔薇の周りには、いつの間にか多くの蠍人(パ・ピグ・サグ)達が集まって話を聞いていた。

 

「――そんなタイミングで、どうやってかは知らんが大司教が解呪魔法を持っているかもしれない事を男は知ったんだ。そして最後の希望を胸に遊牧民の下へ向かった。ところが、驚くべきことに一番最初に出会った男がたまたま狂乱の呪いに掛からなかった。いや、魔剣が精神支配をしなかったんだ。しかし、剣はただ捨てたり渡したりするだけでは自分の下に戻ってきてしまう事は解っている。男はわざと武技を教えると嘘をついて魔剣を持たせた……。魔剣を渡された男はすぐに魔剣の精神支配に侵され……そして、元の持ち主を切り殺した。後は、恐らく話の通りだろう」

 

 音楽すら止まった宵越しの祭りの中、イビルアイは拳を握りしめた。その仮面にはチラチラと炎が生み出す影が踊った。

 

「魔剣を持ったものは恐らく自殺したりはできんのだろうな。魔剣も寄生する宿主が死んでしまっては次の持ち主に出会える可能性がぐんと下がるし、人を殺すことができなくなる。もちろん、そんな精神支配はアンデッドになれば関係のない話だ。だがどうだ?何十年も死なないように侵され、全ての抵抗が無意味だった時、人の精神は再び抵抗しようと思うだろうか」

 

「思わねぇだろうな。特に、最初に持ってた奴の死に様を見てる以上、人に奪われて、人に殺されなきゃダメだって言う思い込みもある気がするぜ」

「その通りだ。しかし、何年前の話だか知らんが…兵士が寿命で死に、アンデッドとなっていれば――」

「魔剣は次の所有者を探し始める……」

「そういう事になる。だから、次に会う者は殺されない。但し、自分以外を殺してしまうことになるだろうがな」

 

 街の中に危険はないというのに、辺りは妙に血生臭いような気がした。

 しん、と静まった祭りは炎の弾ける音だけが響いていた。

 

「――ま!!そうだとしても、ここは大丈夫だろうな!あの砂嵐はアンデッドだって潜る事はできやしない!それに、これは勝手な憶測だしな!」

 

 イビルアイの明るい声が響くと、あたりからは安堵の吐息が漏れ、ようやく街の時間は動き出したようだった。

 話を聞いていた蠍人(パ・ピグ・サグ)達は「怖かったねー」「なるほどなー」「呪いだって言うから他の可能性なんて思いもしなかったよ」と口々に軽口を溢しながら、この小さな講演会から離れて行った。

 

「イ、イビルアイさんは魔法やアンデッドの知識をたくさんお持ちなんですね。はは、なんだか…明日街を出るのが恐ろしくなってしまいました」

 宵切姫が青い顔をして笑った。

「何?街を出るのか…。それは……確かに……少し不安だな……」

 再び暗い雰囲気が漂うと、落夜が勢いよく立ち上がった。

 

「宵切姉様!この人間のお姉様たちは壁の外をたくさん冒険できるくらい強いのよ!それも、一番の冒険者なんだって!だから、宵切姉様の儀式の警護をお願いしましょうよ!」

「落夜…でも、もし呪われた兵士が現れたら、この方達のお話では精神支配されてしまうのよ?いくら強くても……」

 

 そう言う宵切姫の表情を見ると、蒼の薔薇はニッと得意げな顔をした。

 

「宵切姫様、安心して下さい。私達の中の、このイビルアイは精神攻撃への完全耐性を――あるアイテムによって獲得しているんです。しかも超凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)!だから、明日は私達が警護に付きましょう。神聖魔導国の冒険者の力をとくとご覧に入れます!」

 

 宵切姫の瞳はパッと明るく輝いた。

 

「まぁ!よろしいんですか!あ、でも…特に何もお礼はできないと思うのですが……」

「宵切姫、私達はお前に恩返しをしようと言っているんだ。集落から追い出されそうになった時、お前が口添えしてくれたことを忘れていないぞ」

 イビルアイの言葉に仲間全員が頷く。

「嬉しく思います…。ですが、それのお礼にはあまりにも危険すぎるような気がいたします」

「じゃあ、明日道中でこの砂漠のことを教えてくれ。お前の知っている全てをな。私達冒険者はそう言う知識で食っているようなものだ。これでお釣りが来る」

 宵切姫は出会ってから、最も美しい顔で笑った。

「でしたら、是非!行き先は、かつて遊牧民が建て、今は魔人(ジニー)が管理している神殿です!」

 

 その晩、蠍人(パ・ピグ・サグ)は宵越しの祭りを楽しんだ。

 

 蒼の薔薇は深夜になると祭りから離れ、オアシスのほとりで寒い寒いと文句を言いながら眠りについた。




宵切ちゃんの旅立ちだ!
過去一長いお話だった!

次回#136 狂った価値観
16日0時の予定です!書き上がるかな?


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#136 狂った価値観

「――聞こえますか?聞こえますか?こちら、アダマンタイト級冒険者、"蒼の薔薇"のイビルアイ」

 夜明けを目前とした世界。

 テントの中では、イビルアイがエリュエンティウの冒険者組合にいた受付嬢に伝言(メッセージ)を送っていた。

『――蒼――アイ――いか――たか――」

 ぶつぶつと音の途切れる伝言(メッセージ)では、正確な情報を送ることも、受け取ることも不可能に近い。

 仕方なく、イビルアイは伝言(メッセージ)を切った。

「ち、流石に無理か」

 昨日の夜のうちに伝言(メッセージ)を送った時には、受付嬢は早くも寝ていたらしく全く繋がらなかったのだ。

「どうする?宵切姫様との約束の時間まで、もうあまりないわよ」

「…仕方がない。宵切姫をその砂漠の神殿とやらに連れて行った後、急いでエリュエンティウに戻るぞ。念のために、砂漠と一部接してるブラックスケイル州にも鳩を飛ばすように頼まなきゃならん。呪われた兵士に誰かが接触するようなことがあれば大変なことになる」

「……イビルアイだけでも、先にエリュエンティウに一度戻る?まさかタイミング悪く呪われた兵士に会うとも思えないし」

「…私も少しそう思ったが……いや、やはり危険だ。呪われた兵士は砂漠の遊牧民(バダウィン)だったんだから、その遊牧民と縁のある砂漠の神殿に向かう集団に近づいてこない保証はない。特に、たった三十年に一度の儀式で大司教が逃れた先の魔人(ジニー)も来ると言うんだ。呪いを解く方法を調べに行ってくると言い残した大司教がいないか見に来る可能性は十分にある」

「なぁに、もしかしたらアンデッドになって自分で上手く死ねてるかもしれないぜ」

 ガガーランにトン、と肩を叩かれ、イビルアイが「そうだとしたら一番良いんだがな。もしまだ彷徨っているなら、解き放ってやりたいが…」と答えていると、互いの髪を結び合っていたティアとティナの身支度が済んだ。

「できた。片付けて向かおう」

「行くか」

 ぞろぞろとテントを出て片付けをする。

 外はやはりとても寒く、イビルアイ以外の全員が真冬の装備だ。襟巻きをぐるぐるに付け、分厚い毛布のようなマントとコートを着ている。

 一行が向かった先は昨日の祭りの会場だ。

 空がほんの少し白み始めた頃、舞台の上で宵切姫は何か別れの挨拶をしていたようだった。ちらりとラキュースと目が合うと、宵切姫はこちらへ両手を伸ばした。

『――そして、今日という大切な日のため、新しい友をこの地へ送ってくれた透光竜(クリアライトドラゴン)様に感謝を!』

 一晩中お祭り騒ぎをしていた蠍人(パ・ピグ・サグ)達が大きな拍手と好意に満ちた瞳で迎えてくれる。

 よく寝ないで平気だな、と思うが、彼らにとっては人間にとっての二十四時くらいの気持ちなのだろう。

 子供達は眠そうな顔をしているが、大人たちのテンションはむしろ上がっているようだった。

『では、宵切姫は参ります!愛する全てにお別れを!さようなら、さようなら!!』

 宵切姫は舞台を降りると、多くの仲間たちと握手を交わし、別れを告げあった。

 そんな中、宵切姫の両親が落夜を連れて蒼の薔薇の下にやってきた。

「人間の冒険者達…。昨日は本当にすまなかった。宵切姫のことを、どうか安全に連れて行ってやってほしい。――よろしくお願いいたします」

「あぁ、どうか謝らないでください。両種の歴史も知らずに突然訪ねてしまった私達にこそ非があったのですから。宵切姫様のこと、どうぞお任せくださいませ」

「ありがとうございます…。無事に神殿まで辿り着ければ、後はスルターン小国から来る魔人(ジニー)が多く合流してくれます。蠍人(パ・ピグ・サグ)にも、地を潜って現れる魔物達に対抗するためと、この日の護衛のために戦士団はおりますが……何分、私達は三十年に一度しかここを出なくなって久しい…。あなた達のように砂漠を渡る力がある者が共に宵切姫を守ってくださるとなるととても心強い…」

「戻ってきて、宵切姫様を無事に神殿までお届けしたことを必ずやご報告することを誓います」

 両親は深々と頭を下げ、この場所まで到着した宵切姫に道を譲った。

「お父様、お母様。三十年間今日という日までお世話になりました。宵切は宵切姫としてその責務を全うして参ります」

「…宵切姫、本当に美しくなって。気を付けて行ってくるのですよ。あなたは私達全蠍人(パ・ピグ・サグ)の誇りです」

 母の目元には涙が浮かび、抱き合う二人の姿に蒼の薔薇は鼻の奥がつんとした。

「宵切姫、お前が生まれた三十年前のこの日、どれだけ多くの蠍人(パ・ピグ・サグ)が喜んだか……。お前は全ての蠍人(パ・ピグ・サグ)に愛されているんだ。どうか、透光竜(クリアライトドラゴン)様によろしくお伝えしてくれ」

「はい!透光竜(クリアライトドラゴン)様のご加護がいつまでもこの地にあらんことを!」

 その別れを聞いた蒼の薔薇の顔が僅かに曇る。

(ドラゴン)が出迎えるのね…。神様って言われてるくらいなんだから、理性的な人なのよね?」

「それはそうだろう。暴虐な(ドラゴン)なら、討伐依頼が出ているはずだ」

「昨日から気になってたんだけど、その辺りに竜王様がいるとか、そう言う情報をツアー様に聞いた事は?」

「ない」イビルアイはピシャリと言い切った。「そもそもツアーは基本的に竜王がどこにいるとかの話をしない。竜王にも縄張り意識のような物はあるし、思惑はそれぞれだからな」

「それはそうね」

 ラキュース達が会って話したことがある竜王はツアーくらいのものだ。ただ、見るだけならばもう少しいる。神の子の誕生祭に来ていた竜王を何体か遠目に見ていたのだ。

 あの時の竜王達から放たれる圧倒的存在感は、ある程度力を持つ者達を震え上がらせた。

 その時にはっきりと認識したのは、竜王と普通の竜では全く比べ物にならないということだ。

 冒険の最中に出会ったどんな竜とも違う、異次元の存在だった。

「――おい、見ろ!あそこ!!」

 ガガーランが指をさした先では、砂嵐の壁が薄まっていっていた。

 砂嵐は徐々に勢いを失い、うっすらと地平線が見えたと思った瞬間、最初からそこには何もなかったかのように広陵とした砂漠が広がった。

「お、おい。大丈夫なのか?外敵が入ってきたりしないのか?」

 イビルアイの問いに宵切姫は笑った。

「大丈夫です。砂嵐は月に一度はこうして消えてしまいますので、ご心配は無用です。このタイミングでスルターン小国から毎月物々交換の商人の集団(キャラバン)と魔法神官が集落を訪れてくれます」

 説明に誘われるように、砂漠の向こうからは馬のような、馬ではないような生き物に跨った集団が近づいて来るのが見てとれた。

 蒼の薔薇は、あれがイビルアイの言っていたコブのあるラクダという生き物かと察した。

 ラクダ達は一歩一歩をしっかり踏みしめ、じっくり歩いていた。

「スルターン小国では太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)を飼育しているので、生肉や干し肉、生きたままの物とたくさん持ってきてくれます。絹やお塩、他にも色々。私達はそれと交換に、ヤシの実や唐辛子、胡椒、魚、それから蠍人(パ・ピグ・サグ)の猛毒を絞ってお渡ししています」

「あ、だから宵切姫は尾を切られているのか?」

 イビルアイはそれなら仕方がないかもしれないと僅かに思ったが、宵切姫は首を振った。

「これは神様――いえ、透光竜(クリアライトドラゴン)様に危害を加えないと言う証明です。三十年に一度透光竜(クリアライトドラゴン)様がそのお力を示してくれる時に生まれた、透光竜(クリアライトドラゴン)様の御使いたる宵切姫だけが賜る栄誉なんです。私も儀式のためについ先日切り落としたんですよ。痛くて泣いちゃうかと思ったんですけど、これがあるから大丈夫でした」

 そう言って見せたのは――「コ、コカじゃないか!ライラより余程危険なものだぞ!!」

 手術のような野蛮な行為をする種族は大抵痛み止めとして麻薬であるコカを使っていた。よって、ミノタウロスの王国にもコカはある。しかし、ミノタウロス王国では口だけの賢者によって手術時以外の使用は禁止されている。幻覚を見せたり、妊婦の摂取は奇形児を産んだり、最悪大量摂取をすれば死ぬ事もある。

 神聖魔導国では使用を禁止された薬物であり、所持するだけでも罪になる。当然同盟国のミノタウロス王国からの輸入、密輸は硬く禁じられていた。

 ミノタウロス王国に常駐するようになった神聖魔導国の使節――差別されないために亜人と異形が送られている――は、手術という危険極まりない方法をやめさせるために、ミノタウロス達に回復魔法を教えたりと尽力しているらしい。だが、魔法に向かない種族らしく、それの進行は遅々として進んでいないらしい。

 ミノタウロス王国には補助金を渡し、小学校まで建てているそうだが、やはり子供達もほとんど魔法を覚えられていなかった。神聖魔導国の一般的な国営小学校(プライマリースクール)では一年生で今は三名くらいは神との接続を可能としている。一方、ミノタウロス王国では六年生時点で、全部で三名だった。

 

「まぁ、コカをご存知なんですね。私はライラという鎮痛薬は存じ上げませんが…コカは危険な鎮痛薬なんかじゃありませんよ?御使いたる宵切姫しか使用を許されていませんが、これまでの宵切姫は皆きちんと役目を全うしましたもの」

 宵切姫は変わらぬ微笑みのまま、コカの葉をそっと胸元にしまった。

 全て事もなげに言っているが、強い鎮痛成分を持つコカを噛んで尾を落とし、その後の痛み止めにもコカを使っているなんて。人間が四肢を失うのと同じだけの痛みが彼女を襲っているのは間違いなかった。

「つ、使いだって…。もしや昨日、新たな宵切姫が生まれると言っていたが…今日生まれる子は皆宵切姫と名付けられ、お前と同じ運命を辿るのか!尾を切り落とされるなんていう!」

「えぇ。そうです!素晴らしい栄誉でしょう!今年は今までで一番多くて、きっと五人生まれるんです!透光竜(クリアライトドラゴン)様も三十年後にお喜びになります」

「貴様子供達の未来を――」イビルアイが食ってかかろうとすると、ラキュースとガガーランが慌てて止めた。

「イビルアイ!落ち着いて!!」

「イビルアイ!!いいか、聞け!!」そう言ったガガーランは声を落とした。その声音はとても低く、また、硬かった。「もしこれを透光竜(クリアライトドラゴン)って野郎が押し付けてんなら、俺達はそいつを討伐すれば良い。この世に真の神はただお二人だけだ。俺達はそれを知っている。だから、良いな。今は護衛の隊を外されるような事は慎むんだ」

「――く!そ、それで。どうする。きっと宵切姫も魔人(ジニー)も抵抗するぞ」

「魔法で眠らせたり、虫除け団子を炊いたり、方法はいくらでもあるだろ。安心しろ。全てが終わったら、宵切姫は神聖魔導国の神殿に連れていくんだ。そこでコカの中毒症状を抜いてもらって……正しい教育を受けさせてやれば良い」

「……そうだな。解った。すまなかった」

 ごそごそと話し合い、イビルアイが落ち着くとガガーランとラキュースはそっとイビルアイを離した。

「あの、大丈夫でしょうか……?」

 宵切姫は心配そうに眉を下げていた。

「大丈夫だ。すまなかった。コカが強力すぎやしないか、少し心配しただけだ」

「まぁ、お優しいんですね。大丈夫ですよ」

 そう言っていると、魔人(ジニー)の集団が到着した。

「やあやあ!蠍人(パ・ピグ・サグ)の皆様、お変わりないようで!!」

 先頭にいる男は、砂色の毛皮をした大きな瘤が二つあるラクダからふわりと降りた。

 降りる時には足下に風が巻き起こり、足音一つ鳴らなかった。

 魔人(ジニー)の肌の色は真っ青で、空を飛んでいれば存在に気付けるかも怪しい。蠍人(パ・ピグ・サグ)達と同じく、たっぷりとしたズボンを履いているが、上半身はさらされていた。両肩と両肘からは全部で四本、天に向かって黒い角のようなものが生えていて、角と胸元には揃いの金色の模様が刻まれていた。

 眼球は黒で、瞳は赤く怪しく燃えている。アンデッドとは違う、魔族の赤だ。歯は恐ろしく尖り、肉食獣を彷彿とさせた。

 魔人(ジニー)は俗に、悪魔と人間の合いの子であると言われているが、それにも納得だ。

 ラキュースは思わず数歩後ずさってしまった。

 そんな様子を全く気にせず、後ろにいる魔人(ジニー)達も続々とラクダから降りる。

 そして、宵切姫の前で膝をついた。

「やぁ、やはり今年の生贄の姫はこれまでで一番お美しいですねぇ!!」

 生贄の姫――。

 蒼の薔薇は耳の奥でキン――と高い音がなったような気がした。

「恐れ入ります。ユーセンチ魔法神官様、どうぞ透光竜(クリアライトドラゴン)様の加護を再びこの地にお授けくださいませ」

「それはもちろんでございます。宵切姫様の護衛の皆様がお戻りになり、私たちも物々交換が済んで集落を出たら、また砂嵐の壁、<砂嵐の結界(ハブーブ・フォース・フィールド)>を掛けましょう!」

「ありがとうございます。それでは、お待たせすることになってはいけませんので、私達はそろそろラクダを取りに参ります」

「えぇ!どうぞお気を付けて。透光竜(クリアライトドラゴン)様にご加護の感謝をお伝えください!」

 常に口調は明るいが、地の底から響くような声音は悍ましさを感じずにはいられなかった。

 宵切姫が歩き始めると、ユーセンチと呼ばれた魔人(ジニー)は蒼の薔薇を見て首を傾げた。

「おや?そちらは人間では?」

「――あ、はい。私達は人間です。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国で冒険者をしています。私達は……宵切姫様を……神殿にお連れする……その……護衛の任に付きます……」

 ラキュースの声は明らかに沈んでいた。生贄とは、食べられてしまうと言うことなのだろうか。それとも、側で奉仕することを言うのだろうか。どちらにせよ、"神官"や"巫女"と呼ばれていないのだから、個人を捨てて自由を捨てさるであろう事は明らかだった。

「それはそれは。宵切姫様は大切な生贄です。どうか、無事に我らが守護神様の下までお連れください。私達魔人(ジニー)は人間種に忌避感はないのです!私達に神の教えを授けてくださった砂漠の遊牧民(バダウィン)の大司教様も人間でしたし、遊牧民の子孫は今もスルターン小国に暮らしていますからね!」

 魔人(ジニー)なりの笑顔だろう。恐ろしい牙がニッと剥き出しになる。

 全種族融和を唱える神聖魔導国の民として、ラキュースも精一杯の笑顔を返した。

「そうでしたか。私は魔人(ジニー)は初めて見ました。スルターン小国、もし良ければ場所をお伺いしても?」

「良いですよ。ですが、今日だけは砂嵐が止んでいますが、スルターン小国も普段は砂嵐が囲んでいます。もしいらっしゃるなら――そうですねぇ。今日宵切姫様を送った帰りにでも、神殿にいる神官達と共にいらっしゃるのが良いかもしれませんね!ここからだと、スカラベの方角に太陽三つ分ですが、神殿からなら蜘蛛の模様を越えれば良いだけです!」

 説明は何一つ理解できなかったが、念のためにラキュースはララク集落の砂嵐の前まで作っていた地図にメモを取った。

 その隙に、イビルアイが尋ねる。

「ユーセンチ――魔法神官殿と言ったか。あなた方は透光竜(クリアライトドラゴン)を信仰しているそうだが、その教えはどのようなものなんだ?」

「ご興味がおありのようですね!とても良いことです。たっぷりとお聞かせしましょう!――と、言いたいところですが、宵切姫様の出発が遅れてもいけないので、手短にお話しいたしましょう。私達は風の魔法を使います。長年その風の魔法の源は一体何なのだと話し合われていたのですが、砂漠の遊牧民(バダウィン)の大司教様がいらっしゃって、それこそ透光竜(クリアライトドラゴン)様のお力だと教えてくださいました。透光竜(クリアライトドラゴン)様を粗末にすれば、暴風が巻き起こり、日照りが続き、風の魔力はなくなってしまうとも。私達はこの風の力がなければ生きてはいけない種族です。お分かりになります?」

 イビルアイは仮面の下で苦々しげな顔をした。

「……なるほど。では、蠍人(パ・ピグ・サグ)は風の魔法を使わないようだと言うのに、何故生贄を?」

「それはちょうど、砂漠の遊牧民(バダウィン)が絶滅した頃まで話が遡りますね。砂漠の遊牧民(バダウィン)には人間が多くいた。亜人もいたんで、亜人と交わった者も多くいましたがね。あなたは人間だからエリュエンティウという地についてはご存知で?」

「もちろんだ。そこは私達の国、神聖魔導国の一部なのだから」

「そうでしたか。エリュエンティウの方達は砂漠の遊牧民(バダウィン)と仲が良かったようですねぇ。砂漠の遊牧民(バダウィン)が自ら壊滅し、二度とエリュエンティウに現れなかった時、エリュエンティウの方達はそれが蠍人(パ・ピグ・サグ)の仕業だと思いました。蠍人(パ・ピグ・サグ)は今でこそ小さな集落ですが、当時はスルターン小国すら大きく上回る大王国でしたからね。今は亡き大帝国ディ・グォルスの次に、この砂漠の覇権を手にしていたのです」

「……まさか、それでエリュエンティウの人々は――」

「えぇ。子供を産んで大人しくなった砂漠長虫(サンドワーム)達から徹底して子供達を奪い、蠍人(パ・ピグ・サグ)の大王国にけしかけたんですよ。その時の様子は凄まじかったものです。建物や道すら破壊して、子供も含め国中に数え切れない砂漠長虫(サンドワーム)が発生したのですから!――おっと、私はまだ生まれていませんがね、祖父母から聞いていますから。スルターン小国には壁画も残っています。その時に蠍人(パ・ピグ・サグ)春宵暴夜(しゅんしょうあらびや)大王は深傷を負って亡くなりました。一時的に統制を失い、血の匂いが漂うこの地には夥しい数の魔物や獣も押し寄せました。えぇ、皮切りとして何人かを血祭りに上げられれば、後は何もしなくても勝手に飢えた魔物達は来ますからね」

 イビルアイがショックを受けた様子を慰めるように、ユーセンチは肩に手を置いた。黒く尖った爪が優しく肩甲骨に触れる。

「しかし、安心してください。魔物が襲来する中、苦労して蠍人(パ・ピグ・サグ)は私達スルターン小国に助けを求めにいらっしゃいました。人間と魔物が二度とこの地を襲わないようにするには、どうしたら良いかとね。当時私達は蠍人(パ・ピグ・サグ)に何かと助けられていたので、すぐにここに参りました」

「その為の…砂嵐……」

「その通りです!私達が砂嵐を巻き起こしています。もちろん、当時は広大すぎて全てを覆うことは無理だったので、この地に何人も魔人(ジニー)が暮らして手助けしていました。ようやく生活が落ち着いた時、ここで何かが起きていると聞き付けたのかもしれませんねぇ。タイミング悪く、忌まわしき狂乱の兵が現れ、またこの地の人々は減りました。その時には魔人(ジニー)も幾人も死にましたとも。そのくらいになると、ようやく私達の力でこの地を砂嵐で覆い尽くす事も容易となりました!その砂嵐を起こすそもそもの力の源は――透光竜(クリアライトドラゴン)様です!なので、魔人(ジニー)と共に蠍人(パ・ピグ・サグ)透光竜(クリアライトドラゴン)様に感謝しているのです!お分かりになりました?」

「……よく解った。よく解ったとも。今この地に集う蠍人(パ・ピグ・サグ)と、魔人(ジニー)が私達を生かしてくれている心の広さには本当に頭が下がる思いだ。本当に悪いことをした」

「いえいえ!私達魔人(ジニー)は人間に特別どうこうという感情は持っておりませんよ。最初に言った通り、スルターン小国には大司教様がいらっしゃいましたし、私達にありがたい教えをくださったのも大司教様ですからね。教えを頂かなければ、今頃祀られなくなった透光竜(クリアライトドラゴン)様はお怒りになり、この美しい砂漠を一切の生き物が住めない場所へと変え、私達からも風の魔力を奪い去ったでしょう!と、お分かりになります?」

 邪悪な微笑みから、イビルアイはそっと目を逸らし、軽く深呼吸をした。その身に、呼吸など不要だというのに、イビルアイは今でも呼吸している。

「そうか……。だが、実は私達の神聖魔導国にも、魔法の力を司る神々がいるんだ。私が知っている情報が正しければ、風の魔法を使う時にお側に感じる気配、それはフラミー様と言う命と光、空を司る女神によるものだ。その点ユーセンチ魔法神官殿はどうお考えかな」

 光と闇の神の魔法領域についての話し合いは幾度となく神官達の中で持たれている。と言うのも、神々に聞いても「そんな事は考えてみれば解るだろう…」と言われてしまい、答えを考えるのも修行の一つであると捉えられているのだ。

 今一般的に魔法詠唱者(マジックキャスター)に知られているのは、先ほど言ったように光の神は命、光、風、水の魔法の力の源であり、闇の神は死、闇、土、火だ。

 火は一見光の神の領域のようでもあるが、火の力が最も集まっているのは地中であり、死をもたらす存在であるため闇の世界に属すると言うのが一般的な考え方だ。

 一方水は空から降り注ぎ、命を育むため光の世界に属する。

 しかし、火は光り輝き、多すぎる水は底なしの闇を生み出す。土は生き物を育て、強い風は嵐を呼んで命を奪う。闇が訪れなければ眠れる日は訪れず、光が迸れば稲妻となって人々を脅かす。つまるところ、神々とは背中合わせの存在である――と、学校の教科書には書かれているらしい。

 一応これを基準としてこれまでの四大神の神殿の看板の掛け替えは行われた。ただ、リ・エスティーゼ州には、土や火の神殿であっても、どうしても光の神殿にしたいと言う神殿が多くあった。復活劇によるところだと思えば、仕方のない事だ。

 そんな事を知る由もないユーセンチは軽く首を振った。

「申し訳ありません。そう言う名前の神は、砂漠にはいないかと思います。一度も聞いたことがありません」

「そうだろうな……。しかし、ユーセンチ魔法神官殿も、エリュエンティウの天空城はご存知だろう?」

 ユーセンチは微笑んだまま頷いた。

「あの空にある城は遥か昔、フラミー様の使いである天使達のため、フラミー様がこの地にお造りになったものだ」

「おやぁ?あれは八欲王の城のはずですが。最初は地にあり、八欲王が世界を書き換える力を使った日から、空に上がったと。そういう風に、歴史書には記されていますよ」

「八欲王が使ったのは世界を書き換えてほしいと天に願う力だ。これを聞き届けたのは世界に位階魔法を与えてくださったフラミー様と、アインズ・ウール・ゴウン様で間違いない」

「ふふ、ふふふふ。面白いお話ですね。俄には信じられません。私達はずっと透光竜(クリアライトドラゴン)様より賜るお力で魔法を使ってきたので」

 イビルアイは心の中で舌打ちをした。

 しかし、神聖魔導国は宗教観の違いを許している。神直々に、「自分以外の神を崇めている者達を弾圧するような真似や、無理矢理布教するような真似はするな」とお達しが出ているのだ。

「……いつか、信じられる時が来るとも。信じたいと、自ら思うときが」

「それはそれは。来ると面白いですねぇ。ですが、私達は力を見なければ信じませんので、難しいかもしれません」

「それなら――」

「さぁ、もう時間も時間です。宵切姫様達は準備が整っていますよ。宵切姫様をよろしくお願いいたします」

「………あぁ」

 心が冷たくなるようだった。

 宵切姫と護衛達は、この村で育てているフタコブラクダに跨っているところだった。もちろん、蒼の薔薇の分のラクダも用意されている。

「私達も今日生まれる次の宵切姫様を見に行かねばなりませんからね!お分かりになります?」

 ユーセンチの仮面の如き笑顔にイビルアイは何も答えず、涙ぐんで宵切姫を眺める両親に迫った。

「おい、お前達は良いのか?娘が行ってしまうぞ」

「えぇ、もちろんです。本当に良かった。この日のために大切に育ててきた娘です。」

「これほど光栄な日はありませんものね、あなた」

「そうだね。どうぞ道中よろしくお願いいたします」

 娘を生贄に捧げられることを本心から喜んでいる様子だった。

「…竜の待つところへ行くんだぞ。娘の気持ちを考えた事はあるのか!」

「それは何度も考えましたとも。宵切姫の私達への感謝が毎日伝わって来ましたからね。宵切姫はずっと今日の出発を楽しみにしていました。あぁ、何よりあの嬉しそうな顔。見てやってださい」

 宵切姫はまだ行かないのかと焦れたように蒼の薔薇に振り返っていた。早く行きたくてたまらない、そう言う幸福感が滲み出ている。

「……残酷だ。残酷すぎる」

 その言葉に、ユーセンチも両親も首をかしげた。

「何が残酷なのですか?あぁ、宵切姫になれない者もいると言うことがでしょうか」

「それは仕方のないことです。どれだけ憧れても、三十年に一度の今日という日に生まれることができなかった娘達は宵切姫にはなれないんですから」

 先程まで言葉が通じていたというのに、突然別世界に来たかのようだった。言葉は通じていると言うのに、意思が伝わらない奇妙で気持ちの悪い感覚。

「イビルアイ……行きましょう」

 ラキュースに促され、イビルアイはキッと言葉が通じない者達を睨みつけてから宵切姫の待つ下へ向かった。

 その背と、ユーセンチを交互に見たラキュースは、一度ユーセンチに頭を下げてその背を追った。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)の明るすぎる見送りに、その胸は苦しくなるばかりだった。

「自分の娘を…仲間を…。無意味な神に捧げるなんて……くそ…!」

 イビルアイは手が痛くなるほどに拳を握りしめた。

 

 そんな旅立つ背を見送ると、魔人(ジニー)商人の集団(キャラバン)は元気よく物々交換を始めた。

 樽いっぱいの蠍人(パ・ピグ・サグ)特製の唐辛子酒を受け取った商人は、早速味見をし、青い体をカァーッと真っ赤にして「効くぅー!!」と心地良さそうな声を上げた。頭の上からはボフンっと煙が上がっていた。

 そんな中、魔法神官達はユーセンチに付いてその場を離れた。

「やれやれ、人間も宵切姫になりたかったのかな」

「そうかもしれませんねぇ。選ばれた特別な者というのは、いつの世も羨望と嫉妬の的ですよ」

 そんなことを話しながら、蠍人(パ・ピグ・サグ)達の案内に従い、次の宵切姫に会いにきた。

「おぉ!選ばれし五名の母、調子はいかがですか?」

 妊婦達はすでに陣痛が来ている様子で、額に汗をかいていた。周りには医師も立ち会っている。

「大丈夫です。でも、ッ……もう少しで、う、生まれます…!」

「一応様子を見ましょうね」

 妊婦の腹を出し、血と毒の混じった模様の確認をする。この毒に子供が侵されないよう、母体は産気付く。確実に今日生まれるのだ。

「ふむふむ、とても素晴らしい、ちょうどいい量です。今年の宵切姫様は本当に素晴らしい方でした。次の宵切姫様達も、今年の宵切姫様のように立派に育ってくださると良いですねぇ」

「はい…!が、頑張って……み、見事に育ててみせます!」

「えぇえぇ。そうしてください。あぁ!三十年前に宵切姫様を取り上げた日のことを思い出してしまいますねぇ!」

 ユーセンチは楽しげに語りながら、多くの手術道具を取り出した。

 それは、男として生まれてしまった宵切姫の陰茎と睾丸を切り落とすための道具や、臍の緒を切ってやるための道具、万が一今日中に子供が生まれない場合に帝王切開をする為のメス、傷口を縫い合わせるための針と糸など様々だ。

 五人もいれば今年はきちんと産まれてくれるはずなので、無理に帝王切開をする必要はないだろう。

 もし男と女が産まれれば、男児は宵切姫にしなくても良いかもしれない。

 ちなみに、男ではいけない理由は簡単だ。生贄は純潔の乙女でなければならない。ある時は男児しか生まれず、皆顔を青くしたものだが――乙女にしてしまえば関係ない。

 神聖なる存在の条件は厳しいのだ。

「はぁ、儀式を見にいけないのが残念でなりませんねぇ」

 ユーセンチが残念そうに溜息を吐くと、共に来ていた魔人(ジニー)が答えた。

「ユーセンチ様も、儀式へ行かれますか?ここは私達だけで管理できます。先月、前もって相応しい妊婦が五人もいると教えていただいたので、今回はかなりの大所帯で来ていますし」

「おぉ…おぉ…!!なんて、なんて、素晴らしい仲間なんでしょう!!しかし、私はここでやるべき事をやりますよ!向こうはバーリヤ大司教が万事うまくやってくれるはずですからね」

「よろしいのですか…?」

「えぇ、もちろんです!それより、任せてくれと言ってくれたあなたの言葉に胸が震えました。この感動、お分かりになります?」

 

 興奮したような声に、魔人(ジニー)達も蠍人(パ・ピグ・サグ)達も幸せそうに笑った。




神聖魔導国の人達も魔法使う時に「陛下方の気配を感じる!!」とか言ってるからなぁ!!お分かりになります?

次回#137 砂漠の神殿
19日0時を目指して書きます!!


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#137 砂漠の神殿

 砂漠をのしのしと進むラクダは、馬と違って上下の揺れは少ないが、前後への揺れが多かった。この前後運動に慣れるまでが少し苦労するが、慣れてしまえば快適だ。何より――馬と違って基本的に走る事はなかったが――人が砂に足を取られながら歩くより余程早い。

 

 殿(しんがり)を勤める蒼の薔薇の口数は少なく、空気も重かった。

 宵切姫は、この砂漠の知っていることを教えると言ってくれたが、この砂漠のほとんどのことを魔人(ジニー)のユーセンチに聞いてしまったため、とりあえず断った。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)達は生贄の姫を見事神殿に送り届けようと真剣だし、宵切姫からも使命感が感じられる。

 特別何を話していなくても、大切な儀式の前なので気まずさを感じたりはしない。むしろ厳かで重々しいこの雰囲気は望むところだろう。

 

 しかし、この重みに耐えられそうにないラキュースは鞄から地図を取り出し、見える範囲の地図を更新した。

 マジックアイテムで、ラクダの十歩がどれくらいの距離なのかを測り、それを元に書き込んでいく。

 馬は歩く時に斜対歩と言って、右前足を出す時に左後ろ足を共に動かす。その時左前足と右後脚は地面に付いており、逆に左前足を出すときには右後ろ足が連動する。常に二本の足が地面と接していて、安定性は良いが歩数を図るのは難しい。

 その点ラクダは側対歩と言って、左前足と左後ろ足、右前足と右後ろ足が連動する歩き方をするので「一、二、三……」と着実に数えて進むことができる。

 と言っても、やはり大きな岩の場所くらいしか書くことはない一面砂の世界だが。

「……ラクダがいると、砂漠もずいぶん楽ね」

 話す事もないので、そんなことを言ってみる。

「……そうだな。大人しくていい子達だ」

「地図を書くならラクダで移動するのが絶対良いわね」

「あぁ」

 会話は終了した。

 それ程までに衝撃だったのだ。

 三十年に一度の今日産まれる子供は「宵切姫」と名付けられ、生贄になるべく三十年の時を生きる。

 そして、三十歳を迎える数日前に尾先を切り落とされ、強烈な力を持つコカの葉を噛んで痛みを止める。

 蒼の薔薇の前を行く宵切姫に不安は微塵もなさそうだった。

「……宵切姫は、逃げろと言ったら逃げてくれるだろうか」

「どうかしら…。もし逃げたかったら、連れ出してって言ってくるような気もするけれど……」

「俺達は送り届けるって言ってたし、逃がしてくれるなんて露とも思わないんじゃねぇか?よし、俺がちょっと話してきてみるぜ」

 ガガーランはそう言うと、馬と同じ要領でラクダを走らせた。

 ラクダは歩かせることが多いが、走らせれば野を行く馬と同じだけのスピードで砂漠を駆けることができる。

 すぐにガガーランは宵切姫の隣に着いた。

「なぁ、宵切姫?」

「はい!どうかされました?」

「お前、将来の夢とか、やりたいこととかないのか?」

「将来の夢、ですか?透光竜(クリアライトドラゴン)様に末長くお仕えする事、でしょうかね」

「…たとえば、子供を産んでみたいとか、もっと広い世界を見に行きたいとか、そう言うことは?俺達がお前の全部をサポートするぜ?」

「ありませんね。透光竜(クリアライトドラゴン)様の下へ行くのは純潔の乙女でなければいけませんし、尾を切る以外の大きな怪我をしてしまっては透光竜(クリアライトドラゴン)様に相応しく無くなってしまいますもの。世界を見に行くなんてとんでもないです」

「……お前は、この先に何が待ち受けてるのか知ってるのか?」

「もちろんです。私は透光竜(クリアライトドラゴン)様に全てを捧げるのです!ガガーランさんは知っていますか?その昔は魔人(ジニー)にも宵切姫と同じ役割を持つ姫がいたのですが、魔人(ジニー)には透光竜(クリアライトドラゴン)様が見えなかったそうです。しかし、蠍人(パ・ピグ・サグ)の宵切姫はそのお姿を確かに見て、お話ししていたんですって」

「……透光竜(クリアライトドラゴン)は、普通の者には見えないのか?」

「見えないそうです。宵切姫だけがお姿を見られます。だから宵切姫がいるんです。今では魔人(ジニー)からは透光竜(クリアライトドラゴン)様の御使いである宵切姫は生まれないと言う結論になって、蠍人(パ・ピグ・サグ)からだけ、宵切姫がお勤めに出ているんですよ!」

 にこりと笑った顔は、どこまでも誇らしげだった。

「そうか……。あー、俺はまた少し後ろを警戒してくるな」

「はい!よろしくお願いします!」

 ガガーランはラクダの速度を下げ、仲間と合流するのを数秒待った。

「――ガガーラン、どうだった?」

「悲報が二つある。予想通りの悲報と、予想外の悲報だ。どっちから聞きたい」

 双子が手を挙げた。

「予想通りから」「その間に心の準備をする」

「そうか。宵切姫は逃げ出したいなんて思っちゃいないらしい。全てをサポートされたとしてもだ。旅に出るのも傷がつきそうで嫌だとよ」

「それは確かに予想通り」

「じゃあ、予想外の悲報はなんだったの?」

 ラキュースの問いに、ガガーランは暗い顔をした。

透光竜(クリアライトドラゴン)は宵切姫にしか見えねぇそうだ」

 しん…と蒼の薔薇が静まる。

「それはつまり、宵切姫以外は人払をさせられて、宵切姫にしか姿を見せないと言うことか?」

「……いや、そのままの意味だ。姿が見えない。魔人(ジニー)にも昔は生贄の姫がいたらしいんだが、魔人(ジニー)の姫には透光竜(クリアライトドラゴン)が見えなかったらしい。それで今はもう蠍人(パ・ピグ・サグ)からだけ生贄の姫が出されてるそうだ。つまり、同じ空間にいながら透光竜(クリアライトドラゴン)が見えなかったやつがいる」

「……厄介だな。<透明化(インヴィジビリティ)>を使える竜か…。作戦を立てた方が良いな。まず、私が<透明化看破(シースルー・インヴィジビリティ)>を使って居場所を確認する。そして、<水晶騎士槍(クリスタルランス)>を打ち込もう。もし相手が<透明化(インヴィジビリティ)>を切らさなくても、表皮を傷付けられればそこから血が出るはずだ」

「それが良さそうだな。俺がそれをさらに深くまで叩き込むか」

「そうしてくれ。ダメージが大きければ大きいほど相手は魔法の効果を維持できなくなる可能性が上がる。――しかし、もし敵いそうにない程の難度の場合は<砂の領域・対個(サンドフィールド・ワン)>を使って相手の機動力を下げる。その時には宵切姫や魔人(ジニー)達も、連れていけるだけ連れて転移する。魔人(ジニー)が何人いるかわからないが……恐らくそう遠くへは行けないだろう。しかし、やらないよりはましだ」

「厄介なやつ」「ガガーランにビビって逃げれば良いのに」

 四人で作戦を立てている間、ラキュースは一人ずっと難しい顔をしていた。

「ラキュース、お前もその作戦でいいか?」

「……ねぇ、その作戦、本当に必要かしら」

「…は?」

 ラキュースの視線は宵切姫の背中に注がれていた。

「もしも……もしも宵切姫様が透光竜(クリアライトドラゴン)が見えたと言ったら、その時、私は――」

「もしや、ラキュース。お前の超技"暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)を放ってくれるのか」

「おいおい!いくら相手が竜でも、あんまり力を解放すると一国を飲み込む程の漆黒のエネルギーが放射されちまうんじゃねぇのか!?」

「無理はしない方がいい。暗黒の精神によって生まれた闇のラキュースに乗っ取られる」「戦闘中は注意が敵に向く。油断したら肉体を支配されて魔剣の力が解放される」

 四人の大真面目な様子に、ラキュースは顔を赤くした。そして、金魚のように口をパクパクさせ、何とか言葉を紡いだ。

「え、あ……いや!えーっと、そ、それね。あは、あははは!いやぁ、う〜ん!!」

 しどろもどろだった。二十五にもなった彼女は、十代の頃に侵されていた病気(・・)から解き放たれていた。

「まずは無理をせず私の考えた作戦でいこうじゃないか」

 そうしようと四人が言う中、ラキュースはもう一度自分の考えをなんとか口にした。

「ま、待って!えっと、あのね。もし宵切姫様が透光竜(クリアライトドラゴン)が見えたって言ったら、私…回復魔法を宵切姫様にかけてみようと思うの」

「なんだと?毒針が戻れば生贄の資格を失うからか?」

「いいえ、なんだかおかしいわ。どうして蠍人(パ・ピグ・サグ)の宵切姫にだけ姿が見えるなんて事がありえるの…?」

「そりゃあ、何か看破するような力があるんじゃねぇか?」

「……もちろんそう言う可能性もあるけど、私達は一つ、大切なことを忘れてる気がするの」

「大切なこと…?」

「そう。"神"と言う存在について、大切なことよ」

 四人はどう言う意味かと首を捻った。

「それはなんだ?私達は神官じゃないから解らん」

「……私達の国には今神々がいて下さってる。だけど、陛下方が再臨して下さるまで、私達は何を信仰していたか覚えてる?」

「四大神だろ?それがなんだって言うんだ」

 イビルアイは少し焦れた様子だった。

「そう、四大神。四大神は、私達見た事もないし、生まれた時には存在しなかったわ。それでも信仰してた。私達はかつて神が存在していたと確信していたけど、現存するかどうかには拘らなかったのよ。神様に大切なのは、今存在すると言うことよりも、その教えを信じられるかって言うことなんだと思うの」

「だからなんだ?透光竜(クリアライトドラゴン)は今はもう存在しないなんて言うのか?」

「……私はそう思ったの。蠍人(パ・ピグ・サグ)の宵切姫だけが透光竜(クリアライトドラゴン)を見るっていうのも、彼女達は尾を落とされてコカを噛んでるでしょう?コカの見せる幻覚だから……だから蠍人(パ・ピグ・サグ)の宵切姫だけが透光竜(クリアライトドラゴン)の姿を見ることができるんじゃないかしら…。他にも、蠍人(パ・ピグ・サグ)は夜行性で、いつもは寝てる時間に起きてなきゃいけないのよ?強い信仰心と願いが、彼女達に存在しない神の姿を見せる……私はそう思ったの」

 ラキュースは半ば確信に近い気持ちで話したが、仲間達の瞳は懐疑的だ。

「しっかしなぁ?あの…ユーセンチとか言ったか?あの悪魔神官――じゃなくて、魔法神官は力を見なければ信じないって言ってたぜ。魔人(ジニー)達は今回大人しそうにしてたが、集落ひとつを囲むだけの砂嵐を一ヶ月も発生させる事ができる弩級の魔法詠唱者(マジックキャスター)達だ。そんな奴らが信じてんだぜ?力を見てるはずだろう」

「その目にした力は、三十年に一度の大竜巻なんじゃないの?」

「じゃあ、その大竜巻はどうして定期的にきっかり三十年で出てくるんだ?それこそ、誰かが起こしてるとしか思えねぇだろ。それに、生贄を何もいないところに捧げるのか?」

「それは……そうね……」

 ラキュースの中で導き出されていた答えはバラバラに砕け散った。

「ま、強大な竜なんかいないって思いたくなる気持ちは分かるけどよ」

「とにかく今は、確実に透光竜(クリアライトドラゴン)を倒す事を考えよう」

「……分かったわ」

 それでも、神官としての勘のようなものが、ラキュースの中では燻り続けた。

 その後道中では双頭怪蛇(アンフィスバエナ)の子供と一度接触したが難なく倒した。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)達はその死体を生のまま美味しそうに食べていたが、蒼の薔薇は火を通さなければ食べられないと言って断った。ちなみに砂漠では血も貴重な栄養源らしく、生き血も飲んでいた。

 後に魔物に襲われることはなかった。

 ラクダの足の裏は柔らかく膨らんでいて、砂地の地面に対する力をうまく分散させ、足が砂に埋もれないようにできている。その作りのおかげで歩行音はほぼ最小限に抑えられているため、足音を聞きつけて襲ってくるような魔物がほとんど寄って来なかったのだ。

 馬の蹄だったら一点づつにかかる力が大きいため、すぐに砂に埋もれてしまうだろう。雪の上をかんじきを履いて歩くと埋もれないのと同じ要領だ。

 

 昼を迎える頃には、砂漠の景色も徐々に変わってきていた。砂ばかりだった砂漠は、山のように大きな岩の塊ばかりになり、岩山の頂上には砂漠犬鷲(パズズ)達がいて、じっと砂岩の間をいく一行を眺め下ろしていた。

 最初の岩山はガガーラン一人分くらいの大きさだったのが、今ではガガーランを縦に百人並べても全く届かないような大きさの岩山ばかりだ。

 一行は砂漠犬鷲(パズズ)を警戒しながら、千メートル近い大きさの岩山の隙間に入り込んでいった。

 双子はその岩を"六百ガガーラン"と測定した。

 垂直に反り立つ岩壁の間には、人が十人程度横に並んで歩けるくらいの道があった。岩の裂け目の隠れ道だ。

 そこは直射日光が遮られていて、割と涼しく通ることができた。無論、寒かったり薄暗かったりするほどではない。

 ラキュースと双子は多少縮尺が狂っていても良いと、懸命にその場を地図に書き起こしながら進んだ。

 時折ガガーランやイビルアイから差し出される乾燥棗椰子(デーツ)を、ラクダから身を乗り出していく粒も食べていた。

 その頃には、出発当初の重苦しい雰囲気は消え、この冒険を割と楽しんでいた。

 裂け目の隠れ道をしばらく行くと、浅い川のようなものがあった。

巨大水溜り(ゲルタ)で五分ほど休憩します。ラクダに水を飲ませるんです」

 宵切姫の言葉に五人は頷き、ラクダを降りた。

 ラクダ達は一目散に水の下へ行き、いつまでもいつまでも水を飲んだ。

 オアシスというほどの水場ではないが、多少の雑草は生えていて、五人は晩に食べられそうな実をむしって集めた。他にも、水をたっぷりと汲んだり、顔を洗ったりすることを忘れない。

 そうしていると、ふとガサガサ……と草むらが揺れた。

 魔物かと抜剣すると、そこからは"一ガガーラン"程度のワニが姿を現した。

「あ、いけません。ゲルタに暮らすデザートクロコダイルは、透光竜(クリアライトドラゴン)様の神聖な御使いです。襲ってくるような事はないので、傷つけないでください」

「し、しかし…ラクダが食われるんじゃ……」

 ワニはもそもそと地面を這い、ラクダの脇を通り抜けて水に浸かった。

 よく見れば、草むらの中には口を大きく開けたワニ達がいて、その口の中や背には小鳥が集まっている。

「ね?大丈夫でしょう。彼らはララク集落のオアシスにも住んでいましたよ。皆さんが泳いでいた辺りからは一番遠い、橋のかかってる深いところですけどね」

 自分達のすぐそばをワニが泳いでいたかもしれないと思うとゾッとする話だった。

「そ、そうだったんですね…」

「宵切姫のお父さんが言ってた」「橋のかかる深い方には行くなって」

「その辺りは聖獣であるワニも住んでいるので、身を清めるための聖域に定められているんです。だから、父も近付いて欲しくなかったんでしょうね」

 蒼の薔薇は「ははーん」と納得の声を上げた。

 そうしていると、満足するだけ水を飲んだ様子のラクダが人の輪の中に戻ってきた。

「はは、可愛いな」

「さぁ、それじゃあ行きましょう。神殿まではもう少しのはずです!」

 しゃがんだラクダに跨り直し、再び一行は神殿へ向かって歩き始めた。

 

 いつしか岩肌にはラクダや馬を遊牧させるような絵が刻まれはじめ、そのくらいになると、蠍人(パ・ピグ・サグ)達の疲労は最高潮になっていた。眠そうにうとうとと船を漕ぐ背中が彼らの限界を物語っている。

 そして――「あれじゃないか!なぁ、起きてくれ!」

 イビルアイの声に、眠りこけてコブに寄りかかっていた蠍人(パ・ピグ・サグ)達ははっと姿勢を正した。

 岩の道を通り抜けた先には、岩山を削り出し、まるで壁画のように聳え立つ神殿があった。

「あぁ!本殿です!良かった、無事に辿り着けたんですね!」

 宵切姫と護衛達が感激の声を上げるが、蒼の薔薇は複雑そうに笑った。

 本殿の入り口は神殿に絡み付く巨大な白い竜が彫刻してあり、それが透光竜(クリアライトドラゴン)なのだとすぐに分かった。

 さらに、神殿の前には既にラクダが何頭も座っていて――神殿の中からは青い肌の魔人(ジニー)達が姿を現した。

 先程は男しかいなかったが、ここには女の魔人(ジニー)もいて、やはりたっぷりとしたパンツを履いている。さらに男と同じように上半身は晒されていた。

 ただ、露出された胸には大きなネックレスがかかっており、ほとんど隠れていたし、肘や肩から伸びる黒い角が邪悪であまりいやらしい気持ちが湧いてこない。

「宵切姫様、お待ちしておりました。大司教、バーリヤ・コトヌィール・ヒノノヤマヤ・アバリジャィールです。中の掃除と準備は整っておりますので、どうぞ中で潔めの儀式を」

 魔人(ジニー)達は深々と頭を下げ、宵切姫に道を示した。

「バーリヤ大司教様、よしなにお願いします」

「は。――おや?そちらの人間は?」

 ユーセンチと同じ問いを向けられる。恨んでいた人間種と共にいれば当然のことか。

「宵切姫様をお守りする(・・・・・)ために同行している、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者、"蒼の薔薇"です」

「それはそれは。この後透光竜(クリアライトドラゴン)様の御許までお連れするときも、是非お力添えください」

「――え?透光竜(クリアライトドラゴン)はここにいるんじゃないんですか?」

「おりませんよ。お体が入り切りませんからね。しかし、次の行先はそう遠いわけではありません。この神殿にある神の道から外に出ると砂地の砂漠に戻るのですが、そこから三十分ほど歩いた所にあります」

 想像よりも長旅だった。

「分かりました。警護のため、一応神の道を見せていただいても?呪われた兵士のことも気になりますし」

「構いません。宵切姫様には儀式があるので、その間にご覧ください。おい、ラクダを連れて行くついでにご案内しろ」

 愛想の良い魔人(ジニー)達に案内され、蒼の薔薇も神殿に入った。

 薄暗い廊下にはまばらに明かりが灯され、壁に刻まれる荘厳な壁画が浮かび上がる。透光竜(クリアライトドラゴン)が大地に向けて息を吹きかけ、砂嵐を呼んだり、オアシスや街を作ったりしていた。他にも日照りに人が死んでいるような箇所や、逆に凍え死んでいるような箇所もあり、それが決して優しいだけの神ではないことを物語る。

 深部に近付くと、心臓を取り出して捧げる乙女と竜巻が描かれていた。

 言い知れぬ神聖性と畏怖を肌で感じていると、儀式の大広間に行き当たり、広間の中央には小さなプールがあった。

「あそこでもう一度宵切姫様には身を清めて頂きます。今はまだお支度中なのでいらっしゃいません。遊牧民達が生贄の姫を捧げる時にも、同じようにしていたそうです」

 説明もそこそこに、広間を後にする。

 再び薄暗い廊下を抜けて行くと、外の光が差し込んでいた。

 光の下に出てみれば、そこはまた岩の裂け目の隠れ道だった。

 しかし、表と違って大きな堀がある。深さは二メートル半はありそうで、広さは小さめの公園くらいか。

 魔人(ジニー)達は蒼の薔薇の視線に気がつくと、ふわりと浮かび上がり堀の中に降りていった。

「このあたりに隠れ道のゲルタに続く穴があり、大雨が降りゲルタが溢れると堀に水が溜まります。この水を使って、遊牧民達はその昔ある程度快適に砂漠を遊牧していたと言います」

「貯水池ですか。生活の知恵ですね」

「そうですね。それに、この神の道は神の降臨を知らせるための場所でもあるので――」

 魔人(ジニー)が説明しようとすると、ビュオッと音を鳴らして風が吹き抜けた。

 来た道にはなかった現象だ。

「おぉ、もうじき透光竜(クリアライトドラゴン)様がお見えになりますね!私共は儀式があるのでこれで。皆様は引き続き警護をよろしくお願いいたします」

「はい、ありがとうございました」

 ラクダを放した魔法神官とにこやかに別れた蒼の薔薇の手はそっと武器にかけられた。

「宵切姫達が来る前に降臨するなら、その間に叩いてしまおう。余計な気を使わなくて済むし、思いっきり戦える」

 イビルアイの言葉に反対する者は一人もいなかった。

「行きましょう」

「「「「おう!!」」」」

 威勢のいい返事をし、それぞれラクダに乗るとのしのしと神の道を進んだ。

 神の道を渡る風は次第に強くなり始め、五人の遮光服はバタバタと音を立てて揺れた。

「――お、見ろよ!裂け目の道の終わりだぜ!」

 くねる裂け目の道を最初に曲がったガガーランが指差す前方には、猛烈な日射に白くすら見える砂漠があった。

「イビルアイ、念のために魔法を!」

「言われなくても!<透明化看破(シースルー・インヴィジビリティ)>!」

 イビルアイの瞳は砂漠を舐めるように見渡し、空もくまなく確認した。

「どう…?」

「――いない。まだ何もいないみたいだ」

 期待外れというような声音だった。

「仕方ない。やはり宵切姫を待つか…」

 一行は少しでも涼しい裂け目の中で宵切姫を待った。一歩裂け目を出た砂漠は太陽に照りつけられ、日陰とは比べ物にならない暑さだ。

 待っている間も、イビルアイは何度もあたりを確認して竜の降臨を確かめた。

 せっかく発動させた看破の魔法が解けてしまう頃、神の道を通る風圧は先ほどの比ではないほどに強くなっていた。

 まるで砂嵐のような勢いの風は、やがて目を開けていることも辛くなってくると――

 オォォォォォ――ン――

 と唸り声のような音を鳴らした。

 裂け目全体が鳴り響き、降臨の合図かと身構える。

「あ、あれ!!」

「なんだ!!」

 ラキュースが指さした砂漠の先には、小さなつむじ風がができていた。

 それは次第に幅も高さも成長し、巨大竜巻の名に相応しい、猛烈な竜巻へと成長していく。

 直径は数キロ、高さは測定不能なほどだ。

 竜巻からそう近いわけではないこの場所ですら、ゴォォォ――とまるで地鳴りのような音が聞こえた。

 裂け目に響いていた音は竜巻が成長を終える頃には鳴り止んだ。

「ま、まさか……」

「あれが…透光竜(クリアライトドラゴン)の力だっていうのか…?」

 あのガガーランが息を飲む。

 ゴクリと言うあまりにも大きな嚥下音は、彼女の畏れをよく表していた。

「はっきり言うぞ」そう前置きをしたイビルアイの声音からは、語りたくもないと言う雰囲気がありありと伝わってくる。

「――あんな竜巻を発生させることができるような竜が相手では、倒すことは不可能だ」

 その言葉に異論を唱える者などいるはずもなかった。




うーん、竜はいるのかな?いないのかなぁ?

ちなみにラクダの情報はナショナルジオグラフィックとディスカバリーチャンネルから仕入れてきました!
すごいんだなぁ、ラクダ!

次回 #138 竜巻と砂嵐
21日を目指すぞぉ!ぜってぇみてくれよな!


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#138 竜巻と砂嵐

 蒼の薔薇は、遠くに見える巨大竜巻を口を開けて見上げていた。竜巻はまるで天を支える柱のように成長していた。

「……どうする。もう全員眠らせて連れ去るか」

「いや…もしそれで生贄を探して竜が飛び回るようなことになったら街がやべぇよ。討伐すりゃ良いとは言ったが、ここまでの力だとどれだけの被害が出るかわかったもんじゃねぇ」

「くそ!一体どうすれば良いんだ!!」

「……全く思いつかねぇな…」

 イビルアイとガガーランの悲痛な思い悩む声に、メンバーも唇を噛む。

 そして「――何をそんなに困っているのですか?」宵切姫の声に、五人は揃った動きで振り返った。

 儀式から戻った宵切姫は、風や砂で汚れていた髪を再び艶やかに煌めかせていた。更に全員が薄く長い薄衣(ベール)のようなものを被っていて、まるで花嫁のようだった。

「まさか、呪われた兵士が?」

 その最も恐れる敵の名前に護衛と魔人(ジニー)達がざわりと空気を揺らす。

「……いや、呪われた兵士はいない」

 イビルアイの言葉に皆ほっと息をついた。

 そして、最後の説得をするべくラキュースが一歩前に出た。

「宵切姫様、本当に恐ろしくないのですか?このまま透光竜(クリアライトドラゴン)の生贄になると言う事は、もしかしたら……食べられてしまったり、死んでしまったりするかもしれないという事なんですよ!」

「ふふ、面白い事を仰いますね。えぇ、そうですよ。きっと死んでしまいます。私は透光竜(クリアライトドラゴン)様の糧になるために生きてきましたし、それを何よりの名誉だと思っておりますわ!」

「そんな…!あなたにだって、誰かに恋をして幸せに生きる権利はあります!名誉のために全てを捨てて生贄になるなんて…辛すぎます!」

 宵切姫は愛らしく小首を傾げ、悩んだようなわずかな間を持ってから答えた。

「……アインドラ様、おっしゃっている意味がよく分かりません。私は私の神様に恋をしていますし、名誉のために全てを捨てるわけではありません。ただ、我々をお守りくださる絶対神に我が身をもってお礼をしたいと思っているんです。名誉は後から付いてきたおまけにすぎませんの」

「そんなの…!他者の命を求めるなんて、透光竜(クリアライトドラゴン)はおかしいわ!」

 砂漠からの猛烈な熱射に汗が出る。いや、それ以上にラキュースは体のうちから生まれる必死な熱に汗が出た。人の命を救える、最後のチャンスなのだ。

 そこで、大司教の魔人(ジニー)がラキュースを指さした。指先に魔法の力を光らせて。

「それ以上宵切姫様と透光竜(クリアライトドラゴン)様を侮辱なさるなら――わかるな、人間。そもそも、宵切姫様のお命はもとより透光竜(クリアライトドラゴン)様のものなのだ。透光竜(クリアライトドラゴン)様を見ることができる宵切姫は、透光竜(クリアライトドラゴン)様のお力を宿して生まれている。いわば透光竜(クリアライトドラゴン)様の一部なのだ。透光竜(クリアライトドラゴン)様の身の一部に戻り、お仕えすると言う栄誉に、余計な口出しは無用!」

 魔法が放たれるかもしれない指先の前に、ガガーランが割り込む。

「大司教!神々は絶対に命を粗末にするような真似はお許しにならねぇぞ!誰にでも家族や愛する人のそばで寿命まで生を全うする権利があるはずだ!」

「命を粗末に……?命を粗末にすると言うのは、何の意味もなくただ漫然と生きて、何の役にも立たずに死ぬことだ。透光竜(クリアライトドラゴン)様にお命を捧げることは、ただ老いて死ぬことよりも余程命を大切にしている!さぁ宵切姫様、参りましょう」

 大司教にそっと背を押されたが、宵切姫は動かなかった。

 その様子に蒼の薔薇は思わず笑みが溢れた。

「――宵切姫様…?」

「バーリヤ大司教様、少しお待ちください」

「……かしこまりました。ですが、降臨の遠吠えはもう響いたのですから、あまり時間はありませんよ」

「わかっております」

 宵切姫はさく、さく、と砂を踏み、腕を伸ばして迎えようとする蒼の薔薇に近付いた。しかし、死の花嫁は決してその腕の中に飛び込む事はなかった。

「この世の命は、全て誰かのために存在していると言うことを皆様はご存知ですか?例えば……そうですね…。砂漠と言えば、一見すると不毛の地のように見えますが、その実、砂漠は命に溢れる場所なのです」

 しゃがんだ宵切姫の前には、小さな足跡と波状に砂がかき分けられた跡が続いていた。

「これはサバクネズミを追うガラガラヘビが這った後です。虫達を食べるサバクネズミはガラガラヘビに食べられ、ガラガラヘビの卵はコンドルに食べられます。コンドルの水っぽい糞は止まり木として使われているサボテンに潤いを与え、サボテンはトカゲ達の喉を潤します。どの生き物も誰かに何かを与えているんです。魔物ですらそれは当てはまります。傍若無人に砂漠を生きるように見える魔物達も、死ねば砂漠に生きる全ての生き物の糧になる。全ての命は何かの命を育み、誰かのために存在している…。だと言うのに、何故私が透光竜(クリアライトドラゴン)様の一部になる事を忌避しなければならないのでしょう」

「宵切姫様……。その考え方は、あなたのような聡明な女性が、まるで家畜と同じだと言っているようです……。あなたはただの生き物じゃなくて、知能のある生き物なんですよ」

「……何が違うのですか?食べ、食べられ、誰かの身になる。当たり前の摂理を前に、知能の有無は関係ありません。皆さんも家畜を食べる時、家畜の生がもっと長い事を知っていながら、殺して食べているんですよね…?皆さんがオアシスの魚を獲った事を私は知っていますよ。それに、宵越しの祭りで召し上がられた太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)だって知能のある生き物です」

「そ、そんな……。魚はそうですが……でも…… 太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)の肉……。知らなかった……」

 胃の奥が不快感を吐き出そうと一瞬痙攣する。昨日落夜が持ってきてくれた物は皆で綺麗に平らげた。その中に知能のある生き物の肉があるなんて誰が思うだろう。

「それと全く同じ事です。愛でている木に花が咲いて、それを美しいと摘んで帰ることと何ら変わらないのです。蠍人(パ・ピグ・サグ)は死ねば墓所に置かれて、虫と鳥の食べ物になるか、オアシスの肥料になります。だけど、私はただ意味もなく死んで、オアシスの土に混ぜ込まれて植物を育てるより、神様のお役に立ちたい」

 宵切姫はそう言うと立ち上がり、ですよね?と大司教に微笑んだ。

魔人(ジニー)も同じく、死ねばオアシスの肥料か、鳥獣の食事になるだけですね。その点、宵切姫様は実に羨ましい。羨ましいなんて言葉は些か軽薄でありますが……やはり羨ましいと言わざるを得ません。皆がその素晴らしき生に憧れ、代わりたいとすら思うのです。意味のある生を送り、透光竜(クリアライトドラゴン)様の一部となり、おそばにお仕えできるなんて……素晴らしい栄誉です」

 あまりの価値観の違いに愕然とした蒼の薔薇は立ち尽くした。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)と人の違いは、足に外骨格がある事と、毒を有した尾が生えている事だけ。

 目の前で人が一人死のうとしている。

 こんなのは絶対に間違っている。

 助けなければ――。

 しかし、それこそが素晴らしい生の真っ当の仕方だと信じて疑わない一行は「それでは。ありがとうございました。さようなら」と蒼の薔薇に頭を下げ、ラクダにまたがって巨大竜巻へ向かっていってしまった。

 ベールがはためく後ろ姿は、まるで魂や精霊(エレメンタル)の行進のようだった。

「……本当にもう……止められないの……?」

 ラキュースが呟く。それに返すイビルアイの声は震えるようだった。

「……止まらないだろ。それに、あれが幸せだと思ってるなら…もう止める必要もない。私達は神聖魔導国の民だ。多様性の中、それぞれの種族が持つ文化やアイデンティティを尊重する義務がある………」

「俺達とは違う価値観だったって言って諦めるしかねぇかもな……」

「生きていれば……生きてさえいれば!いくらだって変わることができるのに!!死んでしまったら、確かに肉体は他の生き物の糧になるかもしれないけれど、その人個人の魂はそこでおしまいなのに!!」

「……私もそう思うよ。さぁ、私達も行こう。せめて彼女の最後を見届けるんだ」

「そんな……」

「見届ける、か。俺は他者が血を流す意味が分かってんのか透光竜(クリアライトドラゴン)さま(・・)に聞いてやるために行くぜ。その意味が分からなかったり、感謝もないようなやつなら、やっぱりぶん殴ってやんなきゃなんねぇ」 

「ふ、その通りだな」

 蒼の薔薇がここまで乗っていたラクダ達は、すぐそばで枯れかけの草や棘のあるサボテンを食んでいた。

「すまない、もう少し付き合ってくれ」

 体を撫でてやると大人しく座り、人が乗るのを待つ。

 もしかしたら、全種融和というのは夢物語なのかもしれない。

 今こうしてラクダに跨ろうとしているが、ラクダにもし人間達と同じだけの知能があったら――。

(奴隷労働者だな…)

 彼らは不平不満を言わない。だからこうして使役している。使役できるようにする事を教育、調教と言う。

 ラクダが進み始めると、イビルアイは先をいく死の行進を見つめた。

「……宵切姫達もラクダと同じだ。仕える事を当たり前だと教育された…可哀想な家畜なんだ……」

 その言葉はある意味、とても差別的で、とても悲しい響きを持っていた。

「ここが神聖魔導国だったら…言葉を話せる生き物は傷付けられない権利を手に入れられるのに…」

「本当にな。言葉を話す、という基準は分かりやすかったし、私も納得していたが……少し心が揺らぐようだな。逆に、これまで食べてきたあらゆるものに危害を加えてきたような気分になった。走らせてきたラクダや馬にも、な。言葉を話しているから、と言う理由だけで私達は宵切姫を助けようとしていたが、言葉を話すも話さないも何も変わらない命なのだとしたら、食べてしまって助けなかった命に何と詫びれば良いんだ」

 それを聞くと、ここまでじっと話を聞いていた双子が口を開いた。

「陛下方は言葉を話す生き物を"国民"と呼んで、守ってくれる。その代わりに、言葉を話せない弱い生き物を"自然"と呼んで、国民に守るように言った。自分たちより弱い立場のものを救う事は当たり前だと、セバス様もエ・ランテルでいつも教えてくれてる」

「命を奪わないと生きていけないように生き物を作った張本人達が掲げる神聖魔導国の法は最も優れている。これより優れた考え方は存在しない。それに、食べる前には必ず光神陛下に感謝を述べてる。ガガーランの言ったように、そこに感謝があるかどうかが大事。光神陛下も物を口にするとき、必ず"いただきます"と言うらしい。イビルアイは気にしない方がいい」

「……そうだな」

「そう。考えすぎ。生きる事は常に死と隣り合わせ」「仕方がない殺生も使役もこの世にはある。使役も気になるなら、ラクダをなでなでするべき」

「……私は本当は必要がないのに食べているんだ…。だから、な」

「それも考えすぎ」「"人間でいる事"を続けるために食べてるんだから、生きるための行為のうち」

「ふ、ありがとな」

 その後しばらくもくもくとラクダを歩かせていると、巨大竜巻に近付けば近付くほど風が吹いて来た。

 一行は遮光服のフードを被り、顔を覆うようにストールを鼻の上まで巻きつけて進んだ。

 薄目を開けて前方を見るような具合だが、ラクダは速度を全く変えず、少し離れた先にいる宵切姫一行の後を追ってくれた。

 ラクダ達は瞬膜と呼ばれる透明な瞼を閉じる事で目を開けたまま眼球を保護することができる。ちなみに鼻の穴もぴたりと閉じて、鼻に砂が入らないようにしていた。

 少し進むごとに風の勢いが強まるようだった。

「――イビルアイ、そろそろ看破を使ってくれ。」

「使っているさ。だが、まだどこにも何もいない。」

「まさか本当にラキュースの言う通り、そもそも存在してねえのか…?」

「わからん。あれだけの竜巻を発生させる存在なのだから、もしかしたら私の魔法では看破できないと言う可能性もある」

「ち、文句付けるのもびびっちまうような相手じゃねぇか」

 ガガーランの自嘲に、皆軽く笑いを漏らした。

 そうこうしていると、竜巻にほど近いところで宵切姫達はラクダを降りて、何か儀式めいた事を始めた。強風の中宵切姫の足元に絨毯を敷いて、大きな壺一つと、いくつかの小さな壺を並べる。

「…始まってしまうな。行くぞ」

 ラクダを急かし、更に竜巻に近づく。――すると、ふと、この場にはあまりにも場違いなものがある事に気がついた。

「……馬車……?」

「え?どこ…?」

「あそこだ。見ろ。それともまさか、不可視化魔法がかけられた馬車か?」

 今度は舞い上げられる砂の中、はっきりと見えた。

 宵切姫達が儀式を行っているところからは遠く、ここから見える竜巻の弧の端にそれはあった。

 注意深く透光竜(クリアライトドラゴン)を探していた人物でなければ見つけられないような場所だ。

 砂嵐に阻まれながら、チラチラと見え隠れするのは漆黒の馬車。牽引する馬は牛のように大きかった。

「――馬車だわ。本当にあった。あんなところに…?」

 そう思うのも当たり前のことだ。ラキュース達はエリュエンティウに着くまでに数度転移をして行ったのだが、その道中で馬車の車輪が砂にはまってしまい、動けなくなって立ち往生している商人を助けたのだから。

「――はっ!そうか!!」イビルアイが大声をあげる。

「な、なに?」

透光竜(クリアライトドラゴン)は竜じゃなかったのか!!確かに竜ではなくとも、遥かに強い存在の事を畏れを込めて竜と呼ぶ事は多々ある!!行くぞ!!」

 一同は納得の声を上げ、ラクダを宵切姫達に向かって走らせる。

 今馬車から誰かが降りてくるような雰囲気がなかったのだから、もう宵切姫達の前にいるのかもしれない。人間サイズの馬車だったのだから、もし不可視化して宵切姫の前に座っているようなことがあればここからでは物理的に見ることはできない。

 下手に馬車に向かって内部を確認している時間はなかった。

 

 ラクダはすぐに儀式を行う宵切姫達の下に辿り着いた。

「――皆さん!考え直して、私の旅立ちを祝いに来てくださったのですか?」

 宵切姫は感動したように蒼の薔薇を見たが、蒼の薔薇はラクダを飛び降りるとそれぞれ武器を取り出し、隙なく当たりを見渡した。

「イビルアイ、いるか?」

「……何も見えないな。まだ馬車にいたのか……もしくは私の看破では力不足なのか」

 その様子だけで宵切姫は理解した。蒼の薔薇が祝いに来てくれたわけではない事を。

「……わかってはくれなかったんですね。その剣は、私を脅すための剣なのですか…?」

 落ち込み、泣いてしまいそうな声だった。

「いや、そんな事はしない。しかし……宵切姫、最後に一つだけ聞かせてくれ。お前はこの選択が幸せだったと言えるか。死ぬために生きてきた時間も幸せだったと言えるか」

「もちろんです!」

 その答えに魔人(ジニー)や護衛達も幸せそうに微笑んだ。

 皆薄衣(ベール)を遮光服の上から被っているので、砂をはらんだ風の影響を大して受けていなかった。薄衣(ベール)がラクダで言うところの瞬膜の役割を果たしているのだ。

 

「人は決して忘れられないようなことがいくつもある生き物でしょう。それが良い思い出ばかりの私はきっと、幸せ者なのだと心から思えるのです。だからどうか、私を行かせてください」

 

 その切実な願いに蒼の薔薇は頷いた。

「……私達は神王陛下の下へ旅立つお前の幸せを願っている」

「あぁ、陛下方……どうかこの迷える娘をお導きください」

「俺達はお前が逝く事を、もう止められるとは思ってねぇからな」

「いつか魂を洗われて再びこの世に戻ってきたら、その時には神聖魔導国の民であるように」「私たちは祈り続ける。さようなら、宵切姫」

 別れを口にした面々に宵切姫は幸福そうに笑った。

「はい!さようなら、皆さま!両親や落夜に、宵切は立派に勤めを果たしたとお伝えください!!」

 そして、背を向けた宵切姫は大司教の唱える歌のような経文のようなものの中、小さな壺達に入っている水を大きな壺に恭しげに注いでいき、全てを終えるとナイフを取り出した。ナイフには刀身にまでぎっしりと装飾が施されていた。

 ナイフはそっと胸元に当てられ、ググ…と中へ入り込んでいく。

 ラキュースが目を逸らそうとすると、その手をイビルアイが握りしめた。

 切れ味はとても悪そうで、そう深くは刺さらなかったが、ナイフの装飾を伝って血が流れ出した。大きな壺に宵切姫の血が注がれる。

透光竜(クリアライトドラゴン)様!!お受け取りください!!」

 バーリヤ大司教が告げると、宵切姫は十分に血を注ぐことができたことを理解してナイフを抜いた。

 そして、壺を抱えて大竜巻へ向けて歩き出す。その顔色の悪いこと。しかし、彼女にはコカがある。血を流しすぎて顔は色を失い始めていると言うのに、幸福に満ちた顔は狂気すら感じさせた。

 これ以上竜巻に近付けば宵切姫は粉々になってしまうだろう。

 蒼の薔薇はもう、透光竜(クリアライトドラゴン)と呼ばれる者は存在しないのかもしれないと薄々思い始めていた。今はもういない神なのか、もしくは最初からいなかった神ではないかと。場所によっては全く存在しないと言うのに、自然の偉大さを畏れて神と呼ぶ者達もいる。

 あの馬車はたまたまあそこにあっただけ。もしくは、大竜巻の発生を調べに来た役人達や冒険者の物。

 透光竜(クリアライトドラゴン)の下へ行くという行為はこの竜巻に巻き込まれることなのだろう。

 ナイフを抜いた宵切姫の胸元はじわりと血が滲み、震える足で一歩、また一歩と進んでいく。竜巻に近付き、いつしか立っていることが困難になり、吹き飛ばされてしまうほどの風が強く吹き始める。

「あぁ、神様……。宵切はこの時をずっと待っていました。どうか、お姿をお見せください……。」

 そう言い、宵切姫の伸ばした手は――大竜巻に触れようとしたところで、竜巻の中から現れた者に取られた。

 

 蒼の薔薇は駆け出した。

 

+

 

 蒼の薔薇が神の道に入る少し前。

 お揃いの薄紫色の遮光服に身を包む四人組が、ドォロール砂漠の砂岩地帯にいた。

「エリュエンティウのあたりと違って暑すぎんだろー…。レーナース 、水ー」

「あんた自分の分はもうなくなったの?」

「んなもんもーなくなったー」

 クレマンティーヌは自らの無限の水袋をひっくり返し、それが一滴も出てこない事を示した。無限の水袋と言うが、無限とは名ばかりの、普通の水袋よりは多く水が入るマジックアイテムだ。

「先輩、私の分がまだありますから飲んでください!」

「さっすがネイアー!」

 ネイアが差し出してくれた水袋をクレマンティーヌが受け取ろうとすると――横からサッとそれは奪われた。

「私も飲むわ」

 番外席次は奪った水袋にすぐさま口をつけ、ゴキュゴキュと喉を鳴らして飲んだ。

「っおい!!番外、飲み干すなよ!?」

 っぷはー!と吐き出された極楽の息は、番外席次の幼い見た目に非常に似合わなかった。

「そもそもクインティアが後先考えないで飲み干したりするのが悪いのよ。ちゃんと無限の水袋いっぱいに水を持ってきたんでしょうね」

「持ってきたっつーの!!私は陛下方の馬車の屋根が熱くなりすぎないよーに水掛けたりしてんだよ!!」

 四人の後ろには魂喰らい(ソウルイーター)が引く馬車がのしのしと付いてきていた。 

 紫黒聖典は今回、「竜巻を見にいく」とだけ言われてついて来ている。

「じゃあ、お掛けする用の水を用意しなかった隊長のミスよ」

「まぁまぁ、あんまりクレマンティーヌを虐めないであげて」

「レーナ〜ァ」

 そう、クレマンティーヌはちょっとばかし今回の旅を舐めていたのだ。

 前回スレイン州から出発したエリュエンティウまでの旅は、一週間ほど見慣れたような緑の茂る道を南下し、砂漠を三日ほど移動した。

 その間の砂漠の移動は、今回ほどキツくはなかったのだ。

 というのも、ここよりも幾分か北に位置していて、更にエリュエンティウと山、スレイン州の終わりに位置する草原と森に挟まれていたような砂漠だったのだ。遠くにはうすぼんやりと山や天空城が見えていたし、砂地の上には這うように菊や昼顔が咲いていた。砂地を横切るのは蛇や虫だけでなく、遠巻きにスナネコが歩いていたりもしたものだ。

 夜に寝る時にはアインズの作った要塞で眠り、朝に外に出てみると砂上を霧が漂って一日の気温の急上昇を抑えていた。

 ところがここ、エリュエンティウ市より三日ほど南下した砂漠の外れは命の危険を感じるような気温だった。同じ三日間とは思えない過酷さだ。何より生き物も植物も少ない。

 神々は不思議と前回とは違って要塞を出してくれず、楽しそうにテントの張り方を聞いてきたりと忙しい。前回は守護者達に怒られてテントで寝られなかったなどと、紫黒聖典は思いもしないだろう。

 夜は極寒、昼は猛暑。

 以前に経験した砂漠のように霧が発生するような事はもちろんなく、愛らしい小花が咲いている事もない。

 摂氏にして五十五度。

 どこまでも広陵としていて、枯れかけの草と、時折見かける小さなサボテンを食べる爬虫類と虫だけの世界だ。後は一行が死ぬのを待っているコンドルがしつこく頭上を飛び回っている。

「…まーじで地獄だわ」

「仕方ないわね。テスカ様にお水を頂いてくるわ。クレマンティーヌが暑さで倒れたらどうしようもないもの」

「え!い、いや!いいって!」

「私の分もあんまり渡すと後々困るんだから。時には救いを求めて手を伸ばす事も必要よ」

 意外にも上司に、それも今回の旅で初めて会った都市守護者と呼ばれた人物に、水を与えて欲しいなどと図々しい事を言えるほどクレマンティーヌの肝は座っていなかった。いや、怒られガチなクレマンティーヌのことだ。また怒られるかもしれないと恐れたのかもしれない。彼らの力は、初めてエリュエンティウに行った時に嫌というほど思い知らされているから。

 一方レイナースは神を太陽のようなものだと思っている。過ぎた願いは不敬だが、本当に困った時、自ら救いを求めて手を伸ばさなければ恩恵は受けられないのだ。日陰で寒いと文句を言う暇があれば、太陽の下に向かうべきなのだ。

 レイナースは動物の像・戦闘馬(スタチュー・オブ・アニマル・ウォーホース)の速度を緩め、魂喰らい(ソウルイーター)の引く馬車の御者台に座るテスカの横に着いた。

「テスカ様、隊の水が減ってきてしまったので、少し分けていただけませんか?」

 テスカは南方らしく、黒いスーツ姿だ。それに、南方では剣よりも主流な刀を携えている。

 エリュエンティウ市からの出発だったが、彼はエリュエンティウ市民に相当愛されているようで、街を出るまでずっと賑やかだった。

「構いませんよ。あ、うちの副料理長に持たされたカクテルもありますけど、どうです?」

「いえ、任務中ですのでカクテルはまたの次の機会に頂きます」

「そうですが。では、こちらをどうぞ」

 そう言って取り出したのは白地に青の模様が描かれた水差しだ。

 神々や神々が生み出した者達だけが持ち歩く、本当に無制限に水が出てくる命の神器。神官によっては大地を生んだ後、それを注ぐ事で海を作ったという者もいる。

 レイナースは無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を受け取り礼を言うと、戦々恐々と言った顔をして振り返っているクレマンティーヌの側までゴーレムの馬を走らせた。

 ゴーレムの馬も魂喰らい(ソウルイーター)も、砂の中に足がズブズブと埋もれてしまうが、そんな事はお構いなしにスピードを落とさず進める。

 一つの難点はある程度のスピードを出させると後ろにいる人に砂が思いっ切りかかることだ。

 レイナースはすぐにクレマンティーヌの隣に馬を寄せ、馬の体にかけてある水袋を取った。

 紫黒聖典のゴーレムの馬達の背には絨毯を丸めたようなものや、綺麗に折り畳まれたタープ、テントにかける布、その上には食べ物や武器の手入れに必要な荷物が大きめの葛籠(つづら)に入れられてくくりつけてある。誰とは言わないが、人によってはスキンケア用品も葛籠に入れている。

 今回は荷物運搬用の馬車を引いていないので、ゴーレムの馬の背に載せられた荷物はかなりの量だ。なんなら寄りかかる事もできる。

 他にも馬体の左右には無限の水袋が合わせて四つ掛けられていて、クレマンティーヌはなんと四袋も空にしてしまったのだ。

「ほら、そっち側にかけてあるやつも貸して」

「んー」

 レイナースは無限の水袋がパンパンになるまで水を注いで馬体に下げ直した。

 次々と水を入れると、ネイアと番外席次を手招く。

「あなた達も一応補給しておきましょ。あんまり何度も借りにくいし」

「あ、ありがとうございます!先輩!」

「さすがロックブルズね」

「……私が隊長だってーのに」

「はいはい。だから隊長様のサポートをしてるのよ」

 全ての水袋を満たしきると、レイナースはクレマンティーヌに無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を差し出した。

「はい、じゃあクレマンティーヌ。お返ししてきて」

 クレマンティーヌはじっとりした目付きでレイナースを見るとそれをパッと奪い取って速度を落とし、テスカの横に付いた。

「た、助かりましたー。お返ししまーす」

「それは良かったです。いつでも言ってください」

 流石にカルマ値が高いだけあり、テスカは何の裏もない明るい笑顔で無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を受け取った。

「……ほんとーに?」

「えぇ。構いませんよ。減る物でもありませんし」

 普通水は減る物だ。

「じゃ、またなくなったら貸してくださーい」

 クレマンティーヌはこの人は怖くないと認識した。

「どうぞどうぞ。さて、目的地はそろそろですよ」

 そう言うと、テスカは馬車をコンコン、と叩き、御者席の後ろにある連絡窓を開けた。

「――アインズ様、フラミー様。おそらくこの辺りです」

 中から了解の声が聞こえ、テスカが魂喰らい(ソウルイーター)のスピードを緩めるとクレマンティーヌは前方を行く三人に指示を飛ばした。

「紫黒聖典、全隊止まれ!」

 三人は何があったのか聞く事もなく機械のようにその場にぴたりと立ち止まり、次の指示を待った。

 結局、やはりクレマンティーヌを隊長だと全員が思っているのだ。

 魂喰らい(ソウルイーター)は突然止まるような事はなく、じっくりとスピードを落として最後は馬車に乗っている人に止まったことも気付かせないほど優しく動きを止めた。

「下乗!――礼!!」

 再びの号令に揃った動きで馬から降り、馬車の前に膝をついて待つ。

 出迎えの準備が整うタイミングを見計らったかのように馬車の扉は開いた。

 中からは二足歩行の猫達がぴょこんと二匹揃って降りた。その後には更にアイパッチを付け、迷彩柄のマフラーを巻いたメイド。―― CZ二一二八・Δ、略称シズ・デルタ。

「アインズ様、フラミー様、着きました!」「ツァインドルクス=ヴァイシオン、早く降りろ」

「………索敵開始」

 シズは緑色の瞳の中にある照準器をキュイーン…と鳴らして、見えている景色を拡大した。辺りを見渡すとごく小さな電子音がピピピ…と鳴る。

「………脅威無し。知的生命体無し。小動物の数を確認――四、五……八。続いて――」と、更にあたりのデータを取ろうとしたところで馬車からは白金の鎧が出てきた。

「やれやれ…。僕にも着きましたと言ってもらいたいところだね……」

「分かった分かった。言って聞かせるから」

 後に続くようにアインズも出てきてしまう。シズはまだ辺りの分析を終えていなかったが、脅威はないと言うことがわかっているため、まずは膝をついた。

「――何も危険はなさそうだな」

「危険もさることながら、何もないところだね」

 そして、アインズはいつもと変わらず、生の権化の手を引いてやる。

 馬車を降りたフラミーはうんっと伸びをした。

「うぅーん……――っはぁ。伸びましたぁ!」

「何人も乗ってたから狭苦しかったですよね。疲れました?」

 馬車の中ではアインズとフラミーが横並びで座り、前にツアーとシズを座らせ、双子猫は床に座ったり、フラミーに抱っこされたり、シズに抱っこされたりして過ごしていた。ちなみに猫達はズボンを吊っているサスペンダーの金具に一円玉の不思議なシールを貼っている。

「いえいえ、全然狭くなかったし、楽しかったですよ!でも次は歩きたいですねぇ」

「あぁ、わかります!歩いてみたいですよねぇ。こんなのに乗るより、やっぱり徒歩ですよ」

「私もそう思います!」

 仲睦まじく笑い合う二人は「見渡す限り砂と岩ですねぇ」やら「次は馬にしても良いかもしれないですねぇ」やら言っている。

 馬はまだしも、神を歩かせるわけにはいかないので紫黒聖典とシズは今回歩きたいと言われなくて良かったと思った。

「さて、全員楽にしろ」

「「「「は!」」」」

「………はい」

 紫黒聖典は立って安めのポーズになったとしても、照りつける日射のせいで汗が止めどなく流れていた。

 近くを歩いていたトカゲ達が珍しがって一行の足元に寄ってくる。そして人の影に入り込んで涼み始めた。

 見上げる瞳はあまりにも無垢で、クレマンティーヌは若干苛立った。

「それで、どうだ?テスカ。お前には感じるか」

「いえ、申し訳ありませんが私はキイチと違ってそう言う特殊技術(スキル)は持ち合わせておりませんので。ただ、以前天空城から見ていた場所としてはこの辺りで間違いないかと思います」

「お前の感覚を信じるかキイチを一度呼び出すか迷うな」

「キイチを呼んだ方が確実かも知れません。ですが、大気の歪みが一番強い所に行ってしまうと、最悪巻き込まれるかと思います。キイチは竜巻を見た記憶を失っているので、大きさを把握する事は難しいかと」

「……それを聞くと、お前の感覚を信じたくなるな」

「一応、私の予測地点を丸で囲ってみますので、しばしお待ちください」

「頼む」

 テスカは腰から鞘に入れたままの刀を外すと、それを砂にトン、と下ろして円を描き始めた。

 と言っても、相当大きな円を描くようでほとんど直線なので、歩けばかなりの時間がかかりそうだ。適当なところでやめて帰ってくるかと思いきや、テスカは砂埃がアインズ達に当たらない場所まで行くと走って円を描いた。

 紫黒聖典は少しだけ刀が収められている鞘の心配をした。黒を地として、金で細緻な蒔絵が施された鞘は芸術品の域に達している。間違ってもあんな風に使うものではない。

 ――そして、何を考えていても、すぐに思考は一つの場所に戻ってくる。

「……あちーな」

 クレマンティーヌが呟くと、シズと共に砂で山を作り始めていた双子猫が振り返った。"楽にしろ"の方法が聖典とは全く違う。

「暑いの?」「君、猫?」

「……猫じゃないでーす。超暑いでーす」

「猫だと思ってたぁ!」「暑くて可哀想だねぇ」

 二匹はクレマンティーヌを見上げ、可哀想可哀想と言って回った。

 一方フラミーはどこからともなくバナナを取り出した。小さく一口齧ると口から出して、自分の足元で涼むトカゲ達に差し出した。

「はい、召し上がれぇ」

 トカゲ達は喜んでフラミーに群がり、バナナをむっしゃむしゃ食べた。腹をいっぱいにすると、トカゲは走って立ち去った。

「施しを受けてお礼ひとつ言えないなんて畜生ね」

 番外席次のセリフに頷くのはレイナースだけだ。

「言えるわけねぇだろ…」

 クレマンティーヌが呟く。

 双子猫もトカゲを見るためにフラミーの足元に座り、シズも付いていく。

「………フラミー様。無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を貸してください。」

「いいよ、喉渇いちゃった?」

「………いえ、ケットシーとニッセの銃に補充したい」

 命の神器を無造作に渡されたシズは、猫に手を伸ばし、「ん」とだけ言った。

 二匹は水鉄砲をそれぞれ一丁づつ大切そうに取り出し、シズに渡す。色は黄緑とピンクだ。

 シズがざぶざぶとそれに水を入れていくと――

「あ、あぁ……」

 ネイアから喘ぎ声が上がった。

 水はたくさん溢れて砂に染み込み、砂を茶色く染め替えた。

 ちなみにこの水鉄砲、聖典や冒険者が持っている無限の水袋より余程水が入る。

 シズは補充を済ませると一度ジャキンと硬質な音を立て、二匹にそれを返した。

「………任務」

 それだけで猫達は何をするべきか理解する。

 二匹はフラミーの足元でバナナに群がるトカゲ達に銃口を向けた。

「任務開始!」「食らえ!命乞いをしろ!」

 二匹の銃からはビュッと水が放たれ、トカゲ達にかかった。

 水を食らったトカゲ達は極楽に目を細めて撃たれるがまま撃たれた。仲間の背にたまる水を飲むトカゲもいる。

「気持ちよさそう。シズとにゃんちゃんは優しいねえ」

 シズはカルマ値が中立から善の間だし、猫達もおそらく善のNPCなだけあり、嬉しそうに笑うとそこら中にいるトカゲに水をかけてやった。

 時折シズの顔にもかけ、キャッキャと楽しんでいる。と言っても、シズの表情はほとんど変わらないが。

「………ふふ」

 一方アインズはテスカが米粒のように小さくなるほど遠くまで円を描きに行っている様に苦笑しつつ、ツアーの鎧に寄りかかった。

「良い眺めだな」

「それは砂漠のことかい?それとも、あの八欲王の子供達のことかい?」

「どちらもだ。どうだ?この辺りの砂漠も美しいとは思わないか?地平線はいいものだろう。何よりこの澄んだ空気がいい」

 アインズはそう言うと、自然の美しさを教えてやっているツアーを見上げた。せっかくの短い旅行なので呼んでやったのだ。守護者を連れてくるよりも割と融通が効く。

 ――それから、一番の理由はテスカから気になる情報(たれこみ)があったことだ。昔エリュエンティウを訪れた遊牧民が、この地には竜がいると言っていたと。

 どうせ竜王がいるか聞いたとしても、この男は「さあね。僕はそう言うことを君に教えるつもりはないよ」と言うだけで何も教えてくれるはずがないのだ。

「まぁまぁだね。それにしても、君はこう言う景色は嫌いだと思っていたよ。君の好きな草木がないじゃ無いか」

「――ここの砂漠は、リアルにある死の砂地とは違う。命がある」

「そう言うものかい」

「あぁ、そう言うものさ」

 無限に広がる地平線は、この世界のどの場所よりも空を広く見せ、夜空は特に格別だった。プラネタリウムよりも多くの星が見え、毎晩天の川の天体ショーを楽しむことができた。星だけを見るためにナインズとアルメリアを呼んでやったりもした。二人をナザリックで寝かしつけて、またテントに戻ってくるときのワクワクはたまらない。

 アインズは骨の身で大きく息を吸うと、ゆっくりとそれを吐き出した。呼吸の真似事だ。

 シズや猫達、フラミーのはしゃぐ声の中に、砂の小さな丘の上を砂が滑る音が聞こえてくる。さらさらとどこかで蛇が地を這う音が聞こえてくる。ここは、砂漠は砂漠でも命を育む場所なのだ。

「――で、どうして君はまた人になっていないんだい。骨の姿でいると精神を引かれるぞ」

「……うるさい。こんな所で人になって見ろ。髪に砂がつくし、不潔になってはいけないだろう」

「それも砂漠の醍醐味だと思うけどね」

「それはそうだが――」アインズはちらりと汚いおじさんが嫌いな人を見た。「……仕方がないんだよ。念のために今はこのままでいないといけないんだ」

 恐れられているとも知らないフラミーは紫黒聖典を見ると無限の水差し(ピッチャーオブエンドレスウォーター)を手に駆け寄った。

 よほど物欲しそうな顔をしていたのだろう。

「お顔洗います?風も出て来ましたし、ちょっと砂っぽいですもんね!」

「「「「洗います!!」」」」

 四人は答えると、それぞれたっぷりの水をガントレットをしたままの手のひらで受け止め、これでもかと顔を洗った。トカゲ達も溢れてくる水に少しでも当たろうと足元に寄ってくる。

 猫達も水を撃ってやり、紫黒聖典はちゃっかり頭まで洗ってさっぱりした。

 水遊び同然になり始めると、巨大な円を描いていたテスカが遠くからようやく戻ってきた。

「お待たせいたしました。このくらいかと思います」

「……なるほど」

 アインズは分かったような相槌を打ったが、今のところ何も分からない。

 そして、いつもの腕時計を確認した。

「お前の言った時間まであと五分とないな」

「君の言っていた謎の竜巻かい?」

「あぁ、そうだ。風も出て来ている。もし位置がズレていた場合、紫黒聖典は死ぬかもしれんな」

 楽しく遊んでいた四人はぴたりと動きを止め、アインズに振り返った。

「危険だから、お前達は魂喰らい(ソウルイーター)と一緒にもう少し離れていなさい。もし砂埃がひどいようなら馬車に乗って構わない」

 構わないと言われても神々が乗っていた馬車に乗れる神聖魔導国民がいるだろうか。

 四人は顔を見合わせた後、「無理だよね」と視線で会話をすると頭を下げた。

「ありがとうございます。えーと…ですが、これも訓練だと思って外で過ごそうと思います」

「そうか?そう言うなら良いが、無理はするなよ。くれぐれも死んでも復活できるなんて事は思うな」

「は!!」

「では行け。馬車が飛ばされたりしないように、ケットシーとニッセも紫黒聖典のそばにいろ。お前達もあんまり砂が酷いようなら馬車に乗って待っていて良いからな」

「分かりました!」「僕たち生きるからちゃんと逃げる!」

「うんうん。まぁお前達は多分死なないだろうけどな。さ、シズも一緒に行け。お前も馬車に乗ると良い」

「………アインズ様とフラミー様はどうするんですか」

「竜巻の様子を見てくる。何、心配する事はない。いつでも転移はできる」

「………ん」

 シズは少し悩むと、猫達の手を取り、アインズからの思考の命令でその場を離れ始めた魂喰らい(ソウルイーター)の後を追った。

「…じゃ、我々も一時おそばを離れさせていただきまーす」

 クレマンティーヌはすぐにでも行きたそうだ。

 レイナースと番外席次はアインズに頭を下げ、フラミーに一応一言掛けた。

「フラミー様、何かありましたらいつでもお呼び下さい」

「ありがとうございます。皆も何かあったらいつでも呼んでくださいね。怪我しないようにね」

「はい!」「はーい!」

 三人がザクザクと砂を踏んでその場を離れ始める。が、ネイアはアインズの側でオロオロしていた。

「…どうした?バラハ嬢も早く行くがいい」

「い、いえ…。陛下方だけを危険な目に合わせて、自分ばかり避難してもいいものかと……」

「良いに決まっている。一緒にいても死ぬだけだ。そんな事になったら、何でも笑うティトとはいえ流石に笑わないだろう」

「あ、あの、そ、それは」

「ほら、行った行った」

 しっし、と手を振るとネイアは渋々その場を離れた。

 大量の荷物を背負っているゴーレムの馬達を引くクレマンティーヌは、ネイアが近くまで来るとその頭をぐしぐしと撫でた。

「へーか達が大丈夫だって言うんだから大丈夫なんだよ。近くにいたら邪魔になるだけだってーの」

 離れていたから聞こえていないはずだというのに。

「わっ。せ、先輩はどうしていつも私の考えてることが分かるんですか?」

「クレマンティーヌ様は天才だからねー」

 一行は元いた場所から五分程歩いて離れた。

 その頃には風がかなり強まっていて、遮光服がバタバタと音を立てた。

「――ち、馬車には乗らないなんて下手に遠慮すんじゃなかったなー。この風じゃ口にも目にも砂が入るわ!」

「言っちゃったものは仕方ないわ。せめて馬車の影に座りましょう」

 四人は馬車を風除けに使うことに決め、準備を始めた。

 万が一にも馬車が倒れたりしないようにゴーレムの馬も風下に連れ込み、支えさせる。

 持って来ておいたテント用の布を四人で被り、じっと息を潜めた。

「………少し狭い」

「っうわ!!」

 四人で被ったと思っていたと言うのに、四人の輪の中にはいつの間にかシズがいた。

「あ、あのシズ様は馬車に乗ってらしても良いのでは?」

 ネイアがそう言うと、シズはすっと茶色の液体が入った瓶を差し出した。神々と同じように、どこから出てきたのか全く分からない。

「え?」

「………お腹が空いてる顔をしてる」

「あ、ありがとうございます」

 受け取ると、スッとストローを差し込んでくれた。ストローは柔らかいような硬いような、不思議な材質で作られていた。

「………紫黒聖典はアインズ様とフラミー様に可愛がられてる。何かが起きないように、ここにいてあげる」

 紫黒聖典は四人で頭を下げた。

 そして、せっかく貰ったのでネイアは液体に口をつけた。

 それは想像を大きく超えて甘かった。

「お、美味しい…!!」

 一口飲んで、また一口。吸い上げるのに少し力がいるほどの粘液質なものだが、非常に冷たくて美味しい。

 この砂漠で失われてしまった多くのエネルギーを補給できるようだった。

「………チョコ味。ちょっとカロリー(熱量)が高い……二千ぐらい。砂漠は広い。無理をすると倒れる。それに、美味しいものを食べて太るのは女の本望って偉大な御方のお一人が言っていた」

 偉大な方と言う言葉に、ネイアはすぐに光の神を思い浮かべた。

「………クレマンティーヌも、レイナースも、ルナも飲む」

 三人も受け取り、果物やハチミツといったものとはまるで違う甘味をじっくり味わって飲んだ。

 そうしていると、布が飛ばされないように座っていた辺りからもぞもぞと猫達が侵入した。

「わぁ!狭くて暗くていいねぇ!」「僕達もここにいよーっと!」

 猫達は五人の真ん中に陣取るとふんふん鼻歌を歌いながら水鉄砲を磨いた。

「……いや、ケットシー様とニッセ様も別に馬車に乗っててもいーんだよ?」

 ちなみにどっちがどっちだかクレマンティーヌ達にはわからない。

「うーん、狭い方がわくわくするからね!」「こっちにいる!シズちゃんもいるから!」

 開いているのか閉じているのかよく分からない糸のような目で二匹は微笑んだ。

 テント布が風に煽られるバタバタと言う音がどんどん大きくなる。

 

 五人と二匹はしばらく狭い空間で身を寄せ合った。




わーい!ついにネイアとシズが話したぞー!
一応、防衛点検の時に神都組はお迎えがシズだったから、顔を合わせる機会は何度かあったみたいですね!

次回#139 竜巻と宇宙
24日を目指して書きます!


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#139 竜巻と宇宙

『モモンガお兄ちゃん!時間だよ!モモンガおに――』

 ぷつりと音が切れる。

 テスカが描いた円の中心から、ほんの少しだけずれた位置にそれは生まれた。

 強風を伴い、大地から巻き上げられた砂が縦に伸びていく。落ちている小石や空にいたコンドルを引き寄せ、その中に収める。

 コンドルは瞬く間にズタズタに引きちぎられ、すぐにコンドルと言う形を失った。

「始まったな」

 アインズはフラミーが身を守るバフを唱える横で、この現象の正体を調べるべく魔法を唱えた。

「<魔法距離延長(マジック・ディスタンス・エクステンション)完全視覚(パーフェクト・サイト)>」

 砂嵐に阻まれていた視界は途端にクリアーになり、真っ直ぐ見通せるようになると更に魔法を重ねる。

「…<魔法探知(ディテクト・マジック)> 」

「どうです?」

 フラミーからの問いに、アインズは首を振った。

「んー、魔法の痕跡はどこにもないみたいですね」

「はぇ〜…こんなにすごい竜巻なのに…」

「ツアーはこれがなんだか知っているか?」

 腕を組んで竜巻を見上げたいたツアーは首を振った。

「知らないね。それで、これはなんなんだい?」

「それをこれから確かめに行く」

 言っているそばから竜巻はぐんぐん成長していき、フラミーは目や口に砂が入らないように嫉妬マスクを装備した。それから、髪の毛が風に揺れて鬱陶しいので結い上げる。久々のお団子だった。

 テスカも狐の面を顔に掛けた。それは昔懐かしい夏祭りイベントで手に入ったお面だ。

 ちなみにアインズも無駄にコンプリートして持っている。属性を付与することができる以外、防御力も何もない面のためお遊びでしか利用しなかった。今もドレスルームにぶちこんであるはずだ。余談だが、お面屋の隣にあった射的屋は、回避率が異常に高い的が置いてあった。そう、的は置いてあるだけでなく回避するのだ。弓師と弩師の特殊技術(スキル)をマックスまで上げていてもほとんど当たらない。最悪なことに射的をするには二回目以降はリアルマネーで買えるポイントが必要だったため、アインズとフラミーは射的のアイテムはほとんど手に入れることができなかった。リアルマネーを使う一種のガチャアイテムなので、射幸心を煽らないように回避率がきちんと景品の前に書かれていたが、それは到底当たるものではなさそうだった。

 あの日のペロロンチーノの発狂が懐かしい。大量のハズレ参加景品を抱えて、『姉ちゃん!お金なくなっちゃったからお金貸して!貸してぇ!!もう落とせるのォ!!』と言っていた姿は、夏祭りのあるべき姿だったような気がする。

 

 さて、アインズは骨でいれば無敵だ――と思っていたが、口の中や肋骨の中に次々と砂が入ってきて気持ちが悪かった。

 なんなら、すでにローブの中は砂まみれだ。

(…帰ったら三吉くんの世話になろーっと)

 そんな事を考えながら、一行は大竜巻へ挑んだ。

 竜巻に触れた瞬間、チリチリ…と骨の手には無数の砂が当たり、骨の身が削られたような気がした。もちろん、そんな訳はないが。

 テスカも試しに触ってみる。

「やはり、すごい力ですね」

 痛みはないようだ。八十レベルまで下げたテスカの体でも問題ない事を確認すると、フラミーも竜巻に触れた。

「っわ!飛ばされちゃいそう!」

「気を付けてくださいね。じゃあ、行きますか!」

「未知への旅へレッツらゴー!」

 オー!と至高の支配者二名が拳を掲げると、テスカも遅れてオー!と一応拳を掲げた。そして、手を挙げないツアーをフラミーがコンコン、と叩くとツアーも腕を挙げた。

 いざ竜巻へ。意気揚々と足を一歩踏み入れた瞬間、アインズは浮き上がった。

「っうぉ!!」

 しかし、すぐに<飛行(フライ)>を使ってキッとその場に止まった。竜巻の中を吹き荒れる強風は、アインズをもってしても<飛行(フライ)>でその場に止まろうとしなければ飛ばされてしまうほどのものだった。いや、骨で軽いため、他の誰よりも飛ばされやすいかもしれない。

 テスカの首にも<飛行(フライ)>の力が込められた翼の形をしたペンダントが下げられている。元来戦士のテスカに<飛行(フライ)>などの魔法は使えない。テスカはペンダントが吹き飛ばされないように片手で押さえて進んでいた。ゲームではお目にかかれない光景だ。

 ツアーは飛ばされそうなフラミーと手を繋ぎ、ザク、ザク、と足を砂の中に思い切り差し込みながら歩いた。

 見渡す限り、砂色の世界。

 普通ならば何一つ確認できないだろうが、四人の視界は魔法によってしっかりと確保されているため、砂嵐に阻まれたりはせずに遠くまでよく見えた。

 人間が立っている事など到底できないような暴風の中、四人は砂に紛れて草や砂岩、無数の鉱石が降り注いでいるのを見た。

「なるほど。探索隊が戻らなかった理由はこれか」

 アインズが呟くと、ツアーは頷いたが、フラミーは自分の耳に手を当て、何か言った?とジェスチャーした。

 竜巻の中は、まるでジェット機のエンジンの目の前にいるような騒音で溢れている。とても周りの音を聞けるような状況ではなかった。

「竜巻を!!調べに来た!!探索隊が!!帰らなかったのは!!鉱石が!!危険すぎる!!せいですね!!」

 大声でもう一度言うが、フラミーはまた耳に手を当てた。

(うーん、これは無理だな)

 伝える事を諦め、当たりをキョロキョロと見渡す。

 そして、風の向こう――おそらくこの竜巻の中心部に、砂が吹き上げられていない場所を見つけて三人は同時に指をさした。

 頷きあい、中心部を目指して進んでいく。

 吹き荒れている鉱石が進んでいく四人の体に何度もぶつかった。

「――っいて」

 アインズはガツンッと巨大な鉱石が頭にぶつかると声を漏らした。

 六十レベル以下の攻撃と認識されているらしく、痛みもダメージも皆無だったが、鈴木悟の残滓が脊髄反射で口にした。

(はー、やれやれ。肋骨の中も砂と鉱石だらけだよ…。これ、このまま人になったらどうなんだろ……)

 などと頭の中で文句を垂れる。

 再び鉱石が当たる。痛みがないからと言っても、当然気持ちがいいわけもない。

 フラミーも体に鉱石がぶつかるたびに痒そうにしていた。ツアーの鎧はカンッ!コンッ!ガンッ!と鉱石がぶつかるたびに音を鳴らした。

 スピードを上げ、更に中心を目指す。分厚い風の壁は一行の行き先を阻むように吹き荒れた。

 アインズ一人ではもう少し手間取ったかもしれないが、フラミーと合わせて二人分のバフがあればこの程度の竜巻ごとき、どうということはない。

 一行は風に流されたりもしながら、ようやく暴風を抜けた。

 バフっと音を立てて潜り抜けた先は、穏やかで風一つない砂漠だった。

 舞い上がっている砂は、今アインズ達が竜巻を抜ける際に発生させたものだけだ。

「……台風の目…?」

 アインズが呟くと、嫉妬マスクを外してぷるぷると顔を振っていたフラミーが訂正する。たくさんの砂が落ちた。

「竜巻の目ですね。静かだし――見て、空」

 紫色の指の先を目で追う。

 暗闇も昼のように明るく見えるアンデッドだった為、すぐには気付かなかったが、上空は巨大な星空が広がっていた。宇宙が見えていると言っても過言ではないかもしれない。

「す、すごいですね……。何なんだいったい……」

「見て下さい。あそこの星なんて引き伸ばされて見えてる」

 丸いはずの光はいくつかがバナナのように湾曲して見えていた。神秘的な空に、二人はしばし心を奪われた。

 テスカも、この空は一体何なのだろうかと見上げ、自分の中でいくつか仮説を生み出していく。そして、納得のいく答えを導き出した。

「…私の予想なのですが、ひとつお話させていただいてもよろしいでしょうか?」

「もちろんだ。聞かせてくれ」

 テスカが頭を下げると、髪の毛からぼろりと砂の塊が落ちた。フラミーもお団子に刺さってしまっているアレコレを抜いて落としている。

「湾曲して見えている星がある所から言って、竜巻の中心の上空は大気が歪んでいるのかと思います。それも、歪みはレンズ状である可能性が高いです」

「どうやらそのようだな。しかし、何故レンズ状になるのかと言うところが不思議だ。これは魔法の力を感じないし、単なる自然現象だろう」

「帰ったら最古図書館(アッシュールバニパル)の禁書見てみましょうよ!」

「そうですね!あぁ、でも、三日もNPC達に預けっぱなしの子供達がむくれるかな」

「リアちゃんはきっとしばらくコアラでしょうねぇ」

 あはは〜などと笑い声をあげていると、テスカは一人だけシリアスな顔をして話を続けた。

「アインズ様、フラミー様。私は砂漠の上空に長い間暮らしていていくつか気が付いた事があります。砂漠の早朝、太陽が昇ってすぐのまだ砂が冷たい時間。気温が急激に上がっていくタイミングでよく蜃気楼ができていました。以前お話しした通り、地上都市に住む人間達は、かつて存在していた遊牧民と揃って、(シン)と言う透明な竜がそれを発生させていると言っていました……」

(シン)って、ハマグリの(シン)です?ハマグリに住む透明な竜?」

「えぇ、そうです。しかし、私は思っていたんです。目に見えるものは、本当に目の前になかったとしても、温度や付随する現象によって見えるようになる事があるんじゃないかと。それだけ大きな幻覚を生み出せるほどの力を外に感じなかったことや、憎き竜王達のこともあり、ずっと私はその透明な竜について考えていました。ですが――この空は、私の中で燻っていた疑問の一つの答えになったような気がします」

「………どうなんだ?ツアー」

 ツアーは興味深げに空を見上げていた。そして、その姿勢のまま答える。

「ここに竜王はいないよ。竜がいるような話も聞いたことがないね」

 それが真実かどうかアインズには分からないが、「何故そんなことを知りたいんだい」と聞いてこないところから言って、おそらく竜はいないのだろう。

「そうか……。それで、テスカ。お前の疑問の答えはなんだったんだ?」

「この考え方が正しいのかはわかりません。ですが、敢えてお話しさせていただきます。物を見る時、暗闇では<闇視(ダークヴィジョン)>などの特殊技術(スキル)が必要ですよね。つまり、特別な力を使わない限りと限定しますが、ものが見えると言うのは光が瞳に届く現象ではないかと私は思ったのです。大気の温度差が光を捻じ曲げ、蜃気楼を生み出していた。この空は、ある種蜃気楼の巨大化。空気が高速で巻き上げられ、上空に複雑な空気の層を生み出すことによって光の経路を屈折させる……。本来なら太陽が空にあり、見えるはずもないのに……今ここの空だけは、光が何度も屈折を繰り返して今はまだない星空を見せている。――もちろん、光が曲がる物だとすれば、ですが……」

 アインズの骨の口とフラミーの口がパカリと開く。

 テスカはもじもじしながら、「なんて、どうですか?」と二人を見た。

 人の知識と言うものは恐ろしい。物が見える理由などアインズは考えたこともない。原理がわかっているから、と言うのもあるかもしれないが。

「……光は確かに直進する物だし、時に屈折もする。鏡に光が反射することから想像がつくだろう。ここはいわば、瓶の底なんだな」

「瓶の底、ですか?」

「そうだ。瓶の底から見える世界は歪んでいるし、大きくなるだろう。お前の言う通りレンズ状になっているからだ。きっとここは空気の巨大レンズが天体望遠鏡のように作用して宇宙が見えてしまっている訳だな」

「うちゅう……。それが、空の星の海の名前なんですね」

 アインズがしまった、と口に触れ、フラミーは両手をばたばたと振った。

「宇宙の話は忘れてください!それにしても、テスカさんは賢いんですね。色々なことをよく観察して、考えて、とっても偉いです!」

「ありがとうございます。何も知らない故の、ささやかな努力に過ぎません」

 照れたようにテスカが笑う。アインズはこのまま話を逸らそうと決めた。

「お前がそう言う感じだと言う事は、お前の創造主もきっと色々なことに興味を持つタイプだったんだろうな。どんな奴だったんだ?」

 テスカは流石にギルドの管理権限も持たされているだけあって、賢いかもしれない。

 戦士だと言うのにそんなに知能を上げてやる必要はなかっただろうと、八欲王達に文句を付ける。まぁ、ギルドマスターがログインしていなくてもギルドの管理メニューを開けるようにするためのNPCだったようだから、あまりおバカな設定は付けなくて当たり前だろうが。

 テスカとは少し役割が違うが、アルベドも重戦士のくせに頭がいい。

 そして、ツアーが何かを言おうとすると、フラミーはしっと指を口に当てた。

「……私の創造主は学識に富んだ方でした。私の知らない多くの言葉を知っていて……――あぁ、もちろん、アインズ様とフラミー様に及ぶものかはわかりませんが。なぜなら、我が創造主は五行相克を使って魔法を取り戻した後、人格なき学識に寄って砂漠にあった大帝国を滅ぼしました。いえ、滅ぶきっかけを与えたと言うべきかもしれませんが。本当の知識人や賢者であれば、あのような真似は……できなかったでしょう」

「……そうですか。でも、最初から悪意で何かをする程おかしな人ではなかったんだろうなって思いますよ。テスカさんはいい子ですもん」

 髪にいまだ砂がたくさん乗っているテスカの頭を軽くはたいてやりながら、フラミーは言った。

「はは、このように良くして頂いたとナザリックの皆に言ったら、きっと八つ裂きにされます。だけど、ありがとうございます。もし我が創造主が善意でやっていたのなら、その方が良いなと思います。ただ、崩壊してしまうと言う未来を予測できなかったのには苦笑してしまいますが」

 アインズは、テスカの創造主が大帝国に与えた人格なき学識というのは、おそらくこの世界ではまだ判明していない数多のリアルの知識だろうと思った。

 それがリアル復活のためなのか、はたまたリアルと同じ轍を踏ませないために敢えてリアルの知識を与えたのかは分からない。

 アインズ達と目的を同じくした人物だったら、是非会ってみたかったと思う。

 そんな願望は、形を変えてアインズの口から溢れでた。

「……お前の創造主はリアルをどう言っていた?」

「リアル、ですか。申し訳ありませんが、我が創造主はあまり私に話しかけてはくれませんでした。私達エヌピーシーは人形であると仰っていたので。……そんな信用に足らない存在だった当時の俺の事をぶん殴ってやりたいです」

 テスカとイツァムナーは特別なNPCとして殺されなかった。しかし、親同士の殺し合いと、仲間が殺されていく様はすぐ側で見続けていた。

 創造主達を止められなかった後悔と、ツアーを始めとした竜王を恨む気持ち、心を開いてもらえなかった寂しさは今なお彼の心を燃やしているような気がした。

 アインズはこれ以上何かを言っても、何かを言わせたとしても、黒焦げになったプレイヤーの死体を復活させてやらない以上テスカを傷付けるだけかと口を継ぐんだ。

 ツアーは何か言いたいようだったが、フラミーに止められたこともあり、軽くため息を吐くと床に座った。

 プレイヤーとしてアインズとフラミーは黙祷を捧げる。もしかしたら、同じ志を持っていたかもしれないプレイヤーを想って。

 静寂が訪れると、四人は自然と空を眺めた。

 心を奪われるような宇宙の景色はどこまでも荘厳で、自分というちっぽけな存在を忘れさせた。

「とりあえず、良いものが見れて良かったですね」

「はひ、本当…。万華鏡の中に落っこちたみたいです…」

 心地良い時間が続いていたが、テスカは突然ハッと竜巻へ振り返った。

「…どうかしました?」

「いえ…この方角から何やら血の匂いが…。弱い者が竜巻に近付いて来ているようです」

「あ、紫黒聖典が怪我しちゃって呼んでるのかな?いつでも呼んでって言っちゃったから。魔物に襲われてるといけないんで、私、ちょっと行ってきます」

 フラミーが砂から立ち上がり、尻を軽くはたくとツアーもゆっくりと立ち上がった。

「あら?ツアーさんも行きます?」

「あぁ。僕も少し外に用事ができたようだからね」

 フラミーは再び嫉妬マスクを被り直し、白金の鎧と共に砂嵐の中へ消えて行った。

「――テスカ、お前がいつか創造主と同じ場所へ行きたいと思う日が訪れたら言うがいい。その時にはエリュエンティウごと葬ろう」

 アインズの申し出に、テスカは微笑んだ。

「ありがとうございます。ですが、私達は墓守です。マスター達の空の墓も、新しいマスター達の暮らす墳墓も、きっと守って生きていきます。生きろと言うのが、今のマスター達の望みですから」

「そうか」

「はい」

 アインズも動かぬ顔で笑みを返し、砂に寝転んだ。

(他所の単なるデータだと思ってたけど……こいつも今は生きてんだな)

 何となく感慨深い気持ちになった。しかし、他所の子は他所の子だ。

 アインズの中で、テスカは一郎二郎と同じくらいの位置まで上がった。

 つまり、庭に住み着いている餌付けした野良猫だ。

 アルベド達守護者はテスカ達エリュエンティウ組の事を庭木に巣を張る蜘蛛だと思っている。害虫を食べてくれることもあるので基本的には良い存在だが、ふとした時に存在に気が付いてしまうと目障り――と言ったところか。

「――あれ?」

 テスカが再び竜巻に振り返る。

「どうかしたか?フラミーさんが戻ったか?」

「いえ…紫黒聖典にしては人数が多いようです」

「シズとケットシー達ではない…んだよな。魔物か?」

 ナザリックの者達が互いの存在に敏感なように、エリュエンティウの者達も互いの存在に敏感なので、気配を間違えたりはしないだろうと思えた。

「魔物という雰囲気ではない気がしますが……。一、二、三……多少の力を持つ者が五人はいます。いや、魔法詠唱者(マジックキャスター)か?もっといます!十?いや、十五…?く、弱くてよく分からないな…。フラミー様と接触します。これは――ほのかな敵意です!」

「何?心配だな」ツアーは一緒にいて何かが起きても、そんな事で死ぬ君じゃないと言って何もしない可能性もあるのだ。

「念のために行くぞ」

「はい!」

 弱くて人数もわからないような存在に押される人ではないが、敵意と聞いては寝転がってもいられない。

「……後でまたゆっくり見たいな」

 さくさくと砂を踏みしめるアインズからこぼれ出た言葉に、テスカはもう一度宇宙(そら)を見上げて頷いた。

 

+

 

「あぁ、神様……。宵切はこの時をずっと待っていました。どうか、お姿をお見せください……」

 そう言って手を伸ばされ、フラミーは咄嗟に手を取った。この手はこれ以上竜巻に近付けば砕ける。

「あれ?どうしてここに私がいるって分かったんですか?紫黒聖典に聞きました?」

「か、神様…?」

「はひ。一応そう言う事になってますけど…あなたは?冒険者さん……じゃなさそうですけど……?」

 フラミーは感激した様子の女性を前に首をかしげた。

「あぁ!私はこの年の宵切姫でございます!ずっとお慕い申し上げて参りました!あなた様の為、宵切は今日という日までずっと、ずっと生きて参りました!!きっとお姿を見せてくださると、宵切は信じておりました!!透光竜(クリアライトドラゴン)様!!」

「はは、そ、そうですか――ん?くりあ…なんです?」

 いつもの国民の熱苦しさに若干引きかけていたが、耳慣れない言葉が聞こえた気がして聞き直す。

 すると、大量の青い人と、尾の生えた人に囲まれた。どれも見たことがない人種だった。

透光竜(クリアライトドラゴン)様!!」「そ、そのようなお姿が!?」「透光竜(クリアライトドラゴン)様、ご加護に感謝致します!」「あぁ!今年の宵切姫は何と素晴らしいんだ!!」

 一気に言われ過ぎてフラミーはほとんど聞き取ることができなかったが、この青い人達と尾の生えた人達は、何故か自分を透光竜(クリアライトドラゴン)と呼んでいるということだけは分かった。

透光竜(クリアライトドラゴン)!聞かせろ!!お前にとっての、命とは何か――を……?」

 そして、威嚇するように一気に怒鳴り声を上げた存在。その仮面は間違いなく、アインズが海上都市で直してあげたものだ。

「――イビルアイさん。お久しぶりですね。えーっと…私にとっての命ですか…?」

「あ、えっと……その肌……その翼……。まさか、光神陛下……?」

 その問いに、フラミーは少しだけ悩むと答えた。

 

「……違います」

 

 人違いをされているなら、国民は基本的に暑苦しいので神様ではないと言い張った方が楽だ。まだ嫉妬マスクを被っているので言い逃れができるはず。

 ――などと。この妻にしてあの夫。この夫婦には身分を問われると違うと答える習性があるようだった。

「いや!!絶対そうだ!!光神陛下!!生の神として君臨していながら、何故御身はこれ程までに残酷な真似を許すのですか!!」

「え、えぇ?何がです?」

 ものすごい勢いだった。何故かラキュースからの視線には絶望が見え隠れしている。

「人間!!神になんたる口を!!」

 青い肌の人達も怒り始め、明らかに魔法を放とうとしている。

 フラミーは未だ手を繋いでいる宵切姫を名乗る女性とイビルアイを交互に見ると、どうしてこうなった?と内心首を捻った。

 そうしていると、ツアーも砂嵐から姿を現した。

「インベルン、さっきから何を騒いでいるんだい?君はこんなところで何をしている?」

「ツ、ツアー?お前こそこんな所で何を――は!お前が透光竜(クリアライトドラゴン)か!!」

 宵切姫はツアーを見ると、その鎧の双肩に乗る竜の顔のパーツを見て瞳を輝かせた。周りの人々も「おお!」と声を上げている。

「あなたは従者様だったのですね…!」そう言い、フラミーの手を離す。「透光竜(クリアライトドラゴン)様……!」

「……僕は竜だけれど、そんな名前ではないよ」

「いえ!いいえ!あなた様こそ――ッゴホ」宵切姫は少し血を吐いた。「……あ、あなた様こそ、私の求めてきたお方です…!あ、あなた様にお仕えするため……宵切は今日まで生きて参りました……!どうか、どうか私をお連れ下さい!!」

「いや、そう言うのは僕は――」

 ツアーはそう言いかけ、ちらりとフラミーを確認した。

「ん?なんです?」

「いや、なんでもないよ」

 何かがツアーの中で決まると、ようやく頷いた。

「――そこまで熱意があるならアーグランド州で働いてもらおうかな。ちょうど再来年で辞めてしまう従者がいるからね。君、アーグランド文字は書けるかな?その者の代わりをやらせたいんだけど。速記をして議事録をとったり、時に手紙を書いたりするんだ」

「……も、申し訳ありま…せん。わ、私は文字は……何も……」

 そう語っていると、宵切姫はその場にドッと倒れ伏した。

「あ、大丈夫ですか?<大治癒(ヒール)>」

 フラミーが竜の落とし子の杖を取り出すと、周囲が再びどよめく。

 宵切姫はすぐに目を覚まし、自分の胸に触れて傷がなくなっていることに目を丸くした。

「あ、ありがとうございます。従者様」

「…従者じゃないですけど、良いですよ。ツアーさんは私の大切なお友達ですからね」

「つあーさま……」

 宵切姫は砂の上に座ったまま、うっとりとツアーを見上げた。

「僕の事はヴァイシオンか、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼んでくれるかな。その呼び方は少し馴れ馴れしい」

「心得ました。ヴァイシオン様」

 フラミーはめでたしめでたし、と心の中で呟く。

 しかし――

「……ツアー。見損なったぞ!貴様、人のことを奴隷か何かだと思っているのか!!」

 響き渡ったイビルアイの声は泣いてしまいそうだった。

「インベルン。僕は働きたいと言うから働いて良いと言っているだけだけど、何か問題があるのかな」

「人を脅して働きたいと思わせ、自由を奪う事は悪魔の所業だ!!」

「……そう言われても、僕は別に何もしていないんだけど。……君、僕は別にうちに来なくても良いけれど、どうする?」

 ツアーが見下ろして尋ねると、宵切姫は何度も大きく頷いた。

「働きます!!働かせてください!!御身のお世話をさせてください!!」

 その様子に、何が悪いのかとツアーは再びイビルアイを見た。

「らしいけど……。僕には何が問題なのかよく分からないよ」

 ツアーの言葉に、蒼の薔薇は頷かない。

 それどころか、武器を持つ手の中からギチィリ…と音が鳴る。襲って来ようとしている様子ではないが、何かどうしようもない感情に苛まれているようだった。

「人間はどうやら少し変わっているのです。ヴァイシオン様、もう参りましょう。」

 そう言って宵切姫が大竜巻の方へ向かおうとすると、フラミーは咄嗟に宵切姫を抱き寄せた。フラミーの方が小さかったが。

「だ、ダメですよ!!これに触ったらあなた死んじゃいますよ!?いくらでも復活させてもらえるなんて思わないでください!!」

 フラミーが注意をすると、宵切姫は何度も瞬きをした。蒼の薔薇からは小さな喝采が漏れた。

「あ、あの…ですが……」

「……君、本当に僕のところで働くつもりはあるのかい?」

 ツアーが覗き込む。

「も、もちろんでございます。私はこちらから参ろうと思ったのです」

「…悪いけど、僕のところで働きたいならそう言う事はやめてもらえると助かるね。家はそんな場所にはないよ」

「そ、そうでしたか。早とちりをしてしまい、申し訳ありません」

「素直だね。良いよ」

 ぺこりと頭を下げると、宵切姫は自分の尾を見て目を丸くした。

「あ……尾が………」

「良かったね。フラミーが治してくれたよ」

「……尾があっても…よ、よろしいのでしょうか…?」

「構わないけど…」

「切らなければ御身の下へは行けないのだとばかり思っておりました」

 ツアーはフラミーから不審がるような目を向けられた。

「いや、そんな事はないよ。だから、ちゃんとフラミーに礼を言ってくれ。光の神の強大な力は易々と使われるべきではないと言うのに、手を貸してくれたんだ」

「はい!光の従者様。ありがとうございました。心より御礼申し上げます」

「いえいえ。良かったですね。それから、従者じゃないです」二度目の否定だった。

 宵切姫は確かめるようにツアーを見上げた。

「フラミーは従者じゃないよ。僕より身分は上だ。下手をすれば僕が従者として働くこともある」

「え!?で、では…!透光竜(クリアライトドラゴン)様の上に…更なる神が立っておられるのですか…!?」

 宵切姫の視線が熱い。

「いや…私達はただのお友達です……」

 フラミーは思わず目を逸らした。狂信の色が見えたから。

 すると、ツアーとフラミーを交互に見ては感激していた様子の宵切姫が目を大きく見開いた。

「っえ!?あ、お、お、お逃げ、お逃げ下さい!!」

「え?」

「ん?」

 フラミーとツアーが振り返ると、竜巻の中から骸骨が出てくるところだった。それはもちろん、国民の大好きな死の神だ。

「の、の、呪われた兵士!本当にアンデッド!!お逃げください!!どうか、どうか!!」

 周りの人々も腰を抜かしたり、刺激しないように後ずさったりしている。それはどこからどう見ても国民の反応ではなかった。

 アインズはそんな反応にガックリ来ている様子だ。

「宵切姫さん、あなたの事教えてください。あなた、どこから来たんですか?」

「お、お、お話しいたします!ですが、ですがそれより!!早く!!ヴァイシオン様と共にお逃げください!!」

「大丈夫ですよ。ここにいて下さいね」

 ひゅるりと飛んでアインズの下に戻ると、蒼の薔薇も困惑したようにアインズを見ていた。

「アインズさん、この人達国民じゃないみたいですよ」

「ですねぇ。あぁあ…。暑苦しいか怖がられるのニ択ってどうなんです?」

「はは、可哀想可哀想です」

 アインズの頭を撫でてやると、アインズが片腕を前に軽く伸ばす。鳥を止まらせるような要領だった。

 座っていいよのポーズだ。すぐに腕の中に収まり、空を飛ぶ力を切った。

 アインズはフラミーを腕に座らせるように片手で抱えると、恐慌状態じゃない蒼の薔薇に一歩近付いた。

「で、これはなんなんだ?よく聞こえなかったが、ツアーが何かしたのか?」

「あ、へ、いや…えぇ?」

 イビルアイを始め蒼の薔薇は混乱状態に陥っていて、何も言葉にならなかった。

「……<集団標的(マス・ターゲティング)不屈(インドミタビリティ)>、<集団標的(マス・ターゲティング)天界の気(ヘブンリィ・オーラ)>」

 フラミーが杖で蒼の薔薇を指し示して魔法を唱えると、蒼の薔薇はハッと我に返った。

「あ、陛下方!!し、失礼しました。んん、えっと…あの…宵切姫はもしや死の神たる神王陛下が呼んだので……?ツアーは神と勘違いされている……?」

「呼んどらん」

 アインズがピシャリと言い放つと、イビルアイは確かめるように言葉を紡いだ。

「……一応お聞きしますが…神々は生贄を欲してはいないですよね……?」

「生贄…?」

「あちらに神へ捧げると言う生贄の姫が…。ツアーが連れて帰るようですが」

 イビルアイのセリフに、フラミーは即座にアインズを見た。

 嫉妬マスクを被っているフラミーの視線は誰にも捉えられないが、アインズは確かに視線を感じた。

 アインズはまた生贄騒ぎかとイビルアイの示す方を確認する。

 ――そこには、上半身裸の青い肌の民族がずらりと勢揃いしていた。蠍の尾のある人々は服を着ていると言うのに。

 アインズの中に、忌むべき三つのワードが並んでいく。

 脱衣。生贄。儀式。

 

「……クレマンティーヌ!!」

 

 その怒号に、「っひゃい!!」とすぐに返事が返った。

 竜巻から出たテスカが紫黒聖典を呼びに行ってくれていたのだ。

 駆け寄り、膝をつくとクレマンティーヌは蒼の薔薇一行を睨み付けた。

「クレマンティーヌ!お前、おかしな宗教をやっていないだろうな!!」

「やっておりません!!」

「誓えるか!!」

「誓います!!」

「では、私はおかしな風習が根付いたらどうすると言った!!」

 クレマンティーヌとレイナースの顔は真っ青だった。ネイアと番外席次は何?と視線を交わす。

「ま、ま、まちごと…街ごと消す、です……」

 可哀想なクレマンティーヌの声は所々ひっくり返っていた。意味をわかっていなかった二人の顔もサッと青くなる。

「今私達は生贄が必要か聞かれている!これはお前のせいではないと断じて言えるか!!」

「か、か、確認させてください!!」

「行け!!生贄はあちらだ!!」

 クレマンティーヌは恐れをなしている宵切姫達の下へ駆けた。プーマよりもチーターよりも早かった。

「おい!おめーら何もんだ!!」

 まるっきりチンピラだった。

「わ、私は宵切姫です!我らが主神たるヴァイシオン様へ捧げられる生贄の姫です…!」

 宵切姫は真っ直ぐツアーを指し示していた。

「……主神?そうなのかい?」

「はい!ヴァイシオン様!」

 ツアーはなんだかこの娘は思っていたより厄介かもしれない、と思った。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン!てめぇ、へーか方に良くして頂いてるっつーのに図々しくも神を名乗るつもりか!?」

「いや、そう言うつもりはないよ。――宵切姫と言ったかな。僕は竜だけど神じゃない。神はあの二人だ」

 ツアーが指をさすと、宵切姫と周りの司教達は困ったようにツアーを見た。

「いーか!神々はあちらのお二人だけどな!神々は絶対生贄なんか受け取らないって事を覚えとけ!!」

「あの…はい……」

 宵切姫はどうするべきなのか分からなくなった様子だった。

「宵切姫。僕は神じゃないけど、それでもうちで働きたいのかい?」

「よ、よろしいでしょうか…?」

「……僕はどちらでも構わない。もちろん無理に働けとも、来るなとも言わないよ。どうするかは君が決めると良い」

「……やはり、やはり私はヴァイシオン様の為に生きてきたので……できればお供したいと思います」

「そうかい。解ったよ。帰ったら君はまずアーグランド文字を覚えるところから始めると良い」

「はい!」

 クレマンティーヌはこれがクレマンを名乗って煽っていた宗教とは全く違う宗教であることを確信すると踵を返した。

 無駄に怒られてしまった。今回の旅は一度も怒られていなかったと言うのに。前に砂漠に来た時は寝坊したせいでデミウルゴスにこってり叱られた。

 棚からぼたもちならぬ、棚からゴキブリだ。思いがけない幸運どころか、思いがけない不幸。

 クレマンティーヌは続いて蒼の薔薇の前に立ちはだかった。

「あんたらさぁ、へーか方が本当に生贄を欲しいなんて思ってんの?」

「あ…いや……も、申し訳ない…。宵切姫があまりにも切実に神の下へ行くと言っていたもので……。そこからちょうど本当の神々が現れて…なんと言うか…混乱してしまった……」

「ありゃツァインドルクス=ヴァイシオンに用意されてた生贄だったんだよ!へーか方は生贄なんか一切いらねーの!」

「わ、私も今ではよくわかっている…。一応確認しておこうと思っただけで……本当にすまなかった」

「ったく。本当にわかったんだか。ほんとにもー」

 クレマンティーヌはブチ切れながらアインズ達の下に戻り、再び膝をついた。

「神王陛下、光神陛下。あれは全く邪神教団とは無関係です!」

 胸を張って答えると、アインズは鷹揚に頷いてみせた。

(……じゃあ何で?)

 頭の中には混乱がいっぱいだ。今日ここにツアー含め、アインズ達が来ることを知っていたのはナザリックの者達と、神殿機関――紫黒聖典だけだったと言うのに。

「陛下……光神陛下……。私は最初にとんでもない口を……」

 見上げるイビルアイに、フラミーは苦笑した。

「いえ、気にしないでくださいね。神様に生贄持ってきたって言われて私達がいたら……まぁ……ね」神様とか言っちゃってるのが悪いんだよね…と小さく呟いた声は誰にも届かなかった。

「申し訳ありませんでした……」

 イビルアイ含め、蒼の薔薇から放たれる雰囲気は地獄だった。

「蒼の薔薇まーじでふざけんなよ」

 クレマンティーヌはいつまでもぶちぶちと文句を言っていた。

「……クインティアの怒られ方、ロックブルズに聞いてたよりすごかったわね」

「本当ですね。やっぱり先輩ってある意味本当すごいです」

「ネイア、それ褒めてないわよ」

 大層肝が冷えた紫黒聖典は吹き荒れる砂の中暑さを忘れた。

 

 そして、風が徐々に弱まり始める。

 

「――あ!お、終わっちゃう!!」

「え!」

 

 フラミーとアインズは萎んでいく巨大竜巻を残念そうに見送った。




あーツアーへの生贄だったのかぁ〜(!?

次回#140 呪われた兵士
26日を目指して書きますよう!


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#140 呪われた兵士

 巨大竜巻が消え、辺りは再び広陵とした砂漠が広がった。

 バーリヤ大司教は、無事に主神へ宵切姫を届けられたことに大層安堵していた。

 透光竜(クリアライトドラゴン)はどうやら神の従者だったらしいが、それはもはや神と言ってもそう違いはないだろう。

 しかし、今後は透光竜(クリアライトドラゴン)の上にいるという神々の事も祀るべきだ。

 神々がいっぺんに姿を現してくれるなんて、やはり今年の宵切姫は素晴らしい存在だった。

「もし。私は大司教、バーリヤ・コトヌィール・ヒノノヤマヤ・アバリジャィールです。お二柱は本当に生贄はよろしいのですか?」

 アンデッド姿の神と、その腕の中にいる神は頷いた。

「いらん。それから、すでに露出が多いようだがそれ以上服を脱いだりしたら怒るぞ」

 燃える赤い瞳は魔人(ジニー)達と違って、光だけが眼窩の窪みにあるようだ。死人特有の生き物を震え上がらせる赤。

 服の意味はよく分からないが、バーリヤはすぐさま頷いた。意味など問える存在ではない。脱ぐなと言うなら脱がないべきなのだ。

「心得ました。では、ヴァイシオン様。宵切姫をどうぞよろしくお願いいたします」

「うん。まぁ、良いタイミングで助かったよ。だけど、もし宵切姫がアーグランド文字を読めるようにならなかったり、使い物にならなかったりしたら帰ってもらうことになるかも知れないことだけ心得ておいてくれるかな。」

「え!」と、宵切姫は顔を青くした。「ヴァイシオン様!必ずやアーグランド文字を覚えてみせると誓います!!ですから、どうか、どうか宵切姫を帰らせるなどと仰らないで下さい!!」

「そればかりはやってみなければ分からないだろう。何をするにしても文字は必要だよ」

「ですが……」

 二人のやりとりを見て、バーリヤは宵切姫はアーグランド文字の習得が必須であると心のメモにしかと刻んだ。

「次の三十年後の姫には先んじてアーグランド文字なる文字を教えるようにいたしますので、今年の宵切姫のことはどうかお許しください」

「……次はもういらないよ。これで終わりでいい」

「え!?い、生贄は…もういらないのですか……?」

「いらないとも。用意されても、次は連れて帰らないと覚えておいてくれるね。――ところで宵切姫、君は何年ほど生きる生き物なのかな」

「はい!私は八十年ほど生きられます!ですので、一番長くて五十年はお仕えできます!」

「そうかい。そしたら、六十歳にもなればもう働くのも大変だろうから、六十歳になったら君は帰ると良い。もちろん、休みにも故郷(くに)に帰って構わないよ」

「い、嫌です!!私は帰りません!!それに、休みもいりません!!」

「……君が良いなら僕は構わないけど…。だけど、決まった休みを与えろとアインズがうるさいからね」

 ツアーは困った様子でアインズを見た。

「休ませろ。嫌だと言っても休ませろ。それが上に立つ者の役目だ。週に一日は安息日を決めろ。」

「……だそうだよ。休んでくれるね」

 宵切姫は不満げだったが頷いた。

「ヴァイシオン様の神が仰るなら……」

「それじゃあ、よろしく」

「はい!よろしくお願いいたします!」

 バーリヤはその様子に嬉しそうに頷き、他の司教達と護衛の蠍人(パ・ピグ・サグ)達を呼び寄せた。

透光竜(クリアライトドラゴン)様のお名前は"クリアライトドラゴン"ではなかったと言うことと、その上にさらに神がいることは早急に広めなければいけませんね。ララク集落で何日かその話をしてからスルターン小国に帰るつもりではありますが、蠍人(パ・ピグ・サグ)の皆さんも協力していただけます?」

「もちろんでございます」

 バーリヤは一度頷くと、再び透光竜(クリアライトドラゴン)――いや、ツァインドルクス=ヴァイシオンに向き合った。

「ヴァイシオン様、それでは本年の儀式と……生贄の儀式はこれにて終わりとさせて頂きます。ですが、生贄を必要とされた際にはいつでもそのように仰いくださいませ。そちらの神々についても、今後は祀るようにいたしますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします」

「うん、よろしく」

 ツアーは尊大に頷いた。

 続いてバーリヤが行わなければならないのは、新しい神々の名前を聞く事だ。

 神々は互いについている砂を払っていた。

「恐れながら、神々のお名前を頂戴してよろしいでしょうか」

「わた――」

 と、アンデッドの姿の神が言うと、四人で揃いの鎧を着ている人間が一人一歩前へ出た。

「よーく聞いておけよ。こちらは闇の神である神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、光の神である神聖フラミー魔導王妃陛下にあらせられる。はっきり言って全員頭が高い!」

「ははぁ!」

 バーリヤと後ろにいる司教達は平伏し、頭を下げた。

「この弱き魔人(ジニー)蠍人(パ・ピグ・サグ)が、神々を祀る事をどうぞお許しください」

「…どうぞどうぞ。でも、ツアーさんを一番に祀ってくれて構いませんから」

 フラミーが告げると、バーリヤは一層額を深く砂につけた。埋もれていた。

「広き御心に深く感謝いたします!」

 やはり熱烈すぎる。神と言うのは、ただの王よりも余程熱烈に歓迎されるものだ。

 アインズはまた一歩この世界が汚染されたと思った。

 そして、「――話の途中に悪いが、何かが近付いて来ているようだぞ。お前達の仲間か?」

「我々の仲間は儀式の間は来ることはないはずですが、おかしいですね…」

 見つめる先には何もいない。

「何が来るんです?」

「アンデッドみたいですよ。ゆっくり近付いてきてますね」

 神々の会話に、バーリヤは再び目を凝らした。すると、陽炎が踊る中、一つの黒い滲みのようなものが見えた。遠くのものは熱が生むもやのせいで水中の如く揺れている。

「アンデッド……まさか!今度こそ呪われた兵士か!?」

 イビルアイが叫ぶ。

 近付いて来る陰は、確かに剣を二本下げていた。

 バーリヤの背をゾクっと悪寒が走る。これは冗談ではないかもしれない。

「ヴァイシオン様!忌まわしき狂乱の兵だった場合、我々は狂ってしまいます!」

「確かにさっきのアインズへの反応から言ってそんな気がするよ」

 ツアーは苦笑する。もちろん、あの姿でいるアインズが一番悪いとも思っている。

 フラミーはアインズの腕から降りると、またここの人々が恐慌に陥る前に、向かってくるアンデッドを打ち取ろうと決めた。

「じゃあ、私がちょっと叩いてきますね」

 しかし――

「光神陛下!あれは恐らく精神支配系の魔法を持つインテリジェンス・ソードを持っています!生身の御身では危険が!」

 イビルアイからの言葉に動きを止めた。

「…それって危険なんですか?」

「危険です!私達が行くので陛下はこちらでお待ち――」下さい、と言い掛けたところで、アインズが割って入った。

「インテリジェンス・ソードだと!<飛行(フライ)>!」

 なんとしても欲しいと言う気迫を残して、アインズは一気に黒い陰へ向かって飛んでいった。

「っあ!アインズさん待ってください!!」

「陛下!!――っわぶ!!」

 フラミーも翼を広げると地を蹴り後を追う。ドッと後ろで砂が吹き飛んだ音がした。

 アインズの本気の飛行速度は流星のようで、あっという間に獲物の下へ辿り着いた。

「…死神か?数えきれない同胞を殺した俺をようやく迎えにきたか。今年は随分人がいると思ったが……大司教様はいないようだな……。だが、これで解放される……」

「何の話をしているのかは知らんが、お前の剣を私に譲ってくれないか?」

「……これは特別な魔法の剣でしてね。人に簡単にゆずれるもの(・・・・・・)ではありません」

 もったいつけた言い回しだった。

「何が欲しい。私が用意できるものなら何でもやろう。金か?マジックアイテムか?それとも、カジッチャンのように最古図書館(アッシュールバニパル)に入りたいのか?」

「………俺の望みはこの剣で殺される事。死神にならできるでしょう」

 剣を差し出した男の手は骨と皮だけのミイラのものだった。

「いや、アンデッドとは言え無駄な殺生はしないと決めている。困ったな。どうするべきか」

 アインズが悩み始めると、男はアインズに剣を押し付けた。

「死神!殺せ!俺を殺せ!!」

「ええい、アンデッドのくせに死にたがるな!今考えているから少し待て!」

 押し問答をしていると、追いついたフラミーが二人の横に降り立った。

「あれ?アインズさんいらないんですか?」

 そして剣を受け取ると――フラミーの心の奥深くに声が聞こえた。

 ――素晴らしい…。素晴らしい悪魔の力!!

 頭の奥深くに響く声にフラミーはじっと剣を見つめた。

 ――悪魔の王よ!!あなた様の中を流れる悪の気配に、この魔剣スペクター感服いたしました。世界を血祭りに上げる死の行進に、どうぞこの魔剣スペクターをお使いください

 フラミーは鞘から刀身をぬくと、薄い唇で笑った。

「ふふ…ふふふ」

「フラミーさん?」

 ――世界の覇権は今、この手に!!

 魔剣スペクターの柄は緑色をしていて、まるで悪魔の肉そのもののようだった。いや、まさしく剣の形をした悪魔なのだろう。

 柄は動いたかと思うと、カッと目を見開いた。ギョロリとアインズを見上げる瞳は刀の側面に一つづつついていた。

 ――王よ!まずはこのミイラ男から抹殺してしまいましょう!!

「ふふ、面白ぉい。アインズさん、この子おしゃべりできますよ!」

 ――あれ?

「ん?あぁ、インテリジェンス・ソードのはずですもんね。でも、目とかついてるしアイテムじゃなくて魔物なんじゃないかな。鑑定して良いですか?」

「どうぞどうぞ!」

 フラミーは全く精神支配を受けていなかった。

「<道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)>」

 魔法を唱えると、ユグドラシルでは分からなかったようなことまで、アインズの頭の中に綿密に情報が浮かび上がる。

「……魔剣スペクター。なるほど。確かにインテリジェンス・ソードらしいです。細かい区分はデーモン・ソード。ここまで来ても自分で動けなきゃ魔物じゃないんですね」

 刀剣鍛冶屋ホフート・ギュ・ジャラムによる一振り。

 対個と対範囲の精神汚染魔法を使うことができる。特に、持ち主への精神汚染は死への恐怖を強く刺激するもので、一度狂乱状態に陥ると襲ってくる者を抹殺するまで止まれない。

 効果は魔物や亜人種にも発揮されるため、この剣を手にした者は孤独になる。

 ※所有権保存・専用アイテム・取引不可・魔法エンチャント可能

「うーん、微妙なアイテムだな。俗に言う呪いの剣か」

 しかも、持ち主の生気を吸い上げてミイラ化させると言うおまけ付きだ。

 ちなみに所有権は持ち主が死ぬと、最初に剣に触れた者へと移る。

「ちょっと欲しかったけど、やっぱりいらないかなぁ…。もったいないけど仕方ない」

 アインズが呟くとミイラ男は「えっ!?」と声を上げた。「そ、そう言わず!一振りすれば気にいるに決まっているのだから!」

「うーん。剣は戦士化しないと振れないしなぁ。でも、ほっといてどこかで殺戮が始まっても困るか…」

「私も鑑定してみて良いですか?」

「どうぞどうぞ」

 フラミーも魔法を唱えて内容を確認する。

 ――悪魔の王よ。このミイラ男を殺し、私を手にして下さい

「やですよぉ。捨てられないアイテムなんて邪魔ですもん」

 ――…お、王よ!!

「はい、お返しします」

 ミイラ男はそれを受け取らなかった。

「あ、あなたのものです!どうしても俺に返したいと言うなら、俺を殺してそれを墓標に――」

「それじゃ私のものになっちゃうじゃないですか!」

「あぁあ、フラミーさん受け取った〜。お片付けしてくださーい」

「えー!じゃあもう捨てちゃいますからね!」

 ――王よ!!

 スペクターは砂の上に捨てられた。

「………く。死神と天使を持ってしても…俺の呪いは解けないのか……。ふ、ふふ…お笑いだな…」

「ふむ。お前の感覚は生きてる頃の感覚にずいぶん近いみたいだし、お前も中々レアかもしれんな。野良のアンデッドは大抵殺したがりなんだが」

「……はい?」

「決めた。お前、うちの国で働かないか?皮膚もあるし、ちょっと痩せすぎな人間みたいで人間種から評判が良いかもしれん。動死体(ゾンビ)と違って腐ってないから臭くもないしな。乗合馬車(バス)の運賃受け取り係はどうだ?代わりにスペクターはここで破壊してやろう」

「お、俺が…また人間種の中で……?」

「あぁ。ただし生者に変な気を起こさないように私の支配は受けてもらうがな」

 ミイラ男は自分の手のひらを見つめ、戸惑った。

「で、できるのでしょうか…。魔剣の破壊は試みましたが、とても無理でした……」

「できるできる。どれ、破壊してやろう」

 そう言い、アインズはフラミーが捨てたスペクターを拾った。

 ――おぉ…!おぉ…!死の王よ!悪魔の王と共に歩む死の王よ!!

「分かった分かった。ちょっと勿体無いが、お前はもう破壊するからな」

 ――……え!?お、お待ちください!!何故でしょう!!私は必ずや世界に死と恐怖をばら撒けます!!

「いや、困るんだよね。そう言うの」

 ――こ、こまる…?

 剣は汗をかいているようだった。

「お前の効果は動物や魔物にも効いてしまうだろう。精神汚染に対抗できる者は少ない。万が一何かの種が絶滅したりすれば迷惑だ」

 ――で、では精神汚染の魔法は使いません。誓います

「できるのか?だが、このミイラ男に持たせたままにしておくこともできん。ミイラ男が死ななければお前は毎晩この男の下に転移するんだろう?ミイラ男が死ぬか、お前が死ぬかの二択なら、私はお前を破壊する方がいい気がする。多少勿体なくはあるけどな」

 ――だ、え、いえ!私がいればこんなミイラ男くらい作り放題ですよ?

「国民をわざわざミイラ男にするより年貢を払ってもらう方がナザリックの為になる。それに、お前は一体ミイラを作るのに何十年もかかるだろう。あ、シュレッダーに入れてみるか。金貨三枚くらいにはなるんじゃないか?」

 ――お、お考え直しを!お考え直しをー!!

「あーもー、子供じゃないんだから」

 スペクターがわんわん言い始めると、フラミーもスペクターに触れてその泣き言を聞いた。

「何か可哀想ですねぇ。持って帰って飾ってやります?」

「ナザリックに持って帰るのは子供達やメイドのことを思うと危ないですし、かと言って神都に持って帰っても所有権保存の呪いの効果で夜になるとミイラ男のところに転移するんですよねぇ」

 流石の呪いの剣とはいえ、ナザリックから転移して出ることは不可能だろうが、どこに置いておいても何かの拍子に子供を精神汚染されると大変なことになる。始原の魔法を半端に持つ子供達の暴走は核爆弾のスイッチのようなものだ。

「うーん、危ないかぁ。夜にだけ転移魔法が発動するって言う効果はとっても良いのにねぇ。これに似た効果を持つアイテムを作れれば便利になりそうなんですけど。夜だけ利用可能な転移帰還書とか、もしくは夜にだけ使える転移の鏡の下位互換みたいなものとか。転移できるアイテムって、この世界ではまだ見たことないですし」

「………それは確かに便利ですね。夜の転移門(ナイトゲート)夜の帰還書(ナイトテレポートスクロール)ってところですか」

「わ〜おしゃれぇ!」

 ――お、お手伝いいたします!我が知識と我が身はきっとお役に立つでしょう!

「じゃあお前はフールーダ行きだな。フールーダなら精神支配を受けないだろうし、万が一受けてもナザリックは無傷だ。あぁ、しばらくはミイラ男も魔導省にいてもらうことになるが、お前は良いか?」

「か、構いません!人を殺さずに人の中にいられるなら、どこだって!」

「本当に変わったアンデッドだな。長い時間をかけて生身のままアンデッドになると精神の変異が少ないのかな?もしくはアンデッドになった時に感じてる無念の形が異質とか?まぁ、なんでも良いか。とりあえずお前のことは支配させて貰うぞ」

 アインズはアンデッド支配の特殊技術(スキル)を使った。

「どうだ?」

「……変わりありません。我が主よ!」

「うん、変わったな。喋り方とか。じゃあ、しばらくスペクターを持ってろ。後で神都に帰るときに一緒に行くから」

「は!!」

 アインズとフラミーは呪われた兵士と呼ばれた男を背に引き連れて、宵切姫たちの下へ戻った。

 

 のちに魔剣スペクターを用いた、夜に月が昇っている間だけ潜れる場所指定型転移門が完成する。

 それは月夜の転移門(ナイトゲート)と呼ばれ、最初のものは最古の森と神都を繋ぐようになる。

 月夜の転移門(ナイトゲート)設置と同時に神都と最古の森の神殿を繋いでいた転移の鏡は回収された。盗まれることを危惧して七十レベルにもなるアンデッド、地下聖堂の王(クリプト・ロード)を二体も配備していたのもコストパフォーマンスが悪かった為、素晴らしい発明となった。

 月夜の転移門(ナイトゲート)はスペクターの呪いの刀身の破片と、ミイラ男の心臓の破片を用いた。それぞれの引かれ合う力を利用した複雑な魔法機能を果たす。この二つの他には、月の石と呼ばれるマジックアイテムを砕いたものを混ぜて焼き、ルーン文字を刻むことで作った。そのときには、妖精(シーオーク)達と、ルーンを十全に使えるようになっていたナインズが随分活躍したらしいが、これはまだ先のお話。

 月夜の転移門(ナイトゲート)は石造りの丸く平べったい形状をしており、床に設置して使う大規模なマジックアイテムとして完成する。ルーン魔法陣の描かれた床を取り囲むように三本の柱が生えていて、柱にもぎっしりとルーン文字が刻まれる。一度に二十人もの転移を可能とし、魔法技術の一大革命品だと持て囃される。位階魔法とルーン技術を組み合わせる事ができた初めてのアイテムだ。

 月の出ている夜にはルーンが月と同じ色に光り、別の月夜の転移門(ナイトゲート)に転移する事ができる。三箇所に設置すれば行き先は二箇所。十箇所に設置すれば行き先は九箇所から選べると言うわけだ。ただ、出口と入り口が一緒になっているので、月夜の転移門(ナイトゲート)に配備された死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達が行き先の月夜の転移門(ナイトゲート)上に人がいないことを確認し合いながら利用しなければいけないのが玉に瑕だ。もちろん、料金は徴収される。

 月夜の転移門(ナイトゲート)はスペクターの刀身が材料として必要だった為、何十個も作ることはできなかったが、何十年も経つと様々な大陸の要所要所に月夜の転移門(ナイトゲート)が配備されるようになる。総数で十八箇所だ。

 スペクターはアイテムなので回復魔法は効かず、<修繕(リペア)>の魔法は耐久限界が下がる為、最後は修復できなくなった。

 つまり、最後の月夜の転移門(ナイトゲート)が完成した頃には可哀想な魔剣スペクターは刀身を失い、柄と鞘だけになる。ミイラ男の腰に下げられ、二人は乗合馬車(バス)の運賃受け取り係をしたらしい。

 

 ちなみにスペクターは、「搾取されているとも知らずに愚かな生き物どもめ、ふふふ…」とミイラ男に楽しげな独り言を聞かせているとか。

 

+

 

「この呪われたミイラ男はうちで引き取ることにした」

 アインズがミイラ男の背を叩く。ミイラ男は久々にたくさんの人間に囲まれて少し浮かれているようだった。アインズへの態度は明確なる主従へと変わったが、彼の中の人への憧れは変わっていなかった。

「だ、大丈夫なのですか…?」

 イビルアイの問いに「当然」と答える。ミイラ男はソワソワとテスカの隣に立った。テスカは剣士として興味があるようで、じっくり魔剣スペクターを観察した。シズと双子猫も観察するが、すぐに興味を失った。

「それで、私たちの名前を知らなかったと言う事は、お前達は神聖魔導国を一切知らないと言う事で良いんだな」

「冒険家の皆さんがその神聖魔導国からいらしていると聞いております」

 宵切姫の言う冒険家という聞き慣れない言葉からいっても、この集団は神聖魔導国と一切の関わりを持たない者達だ。

「私とこちらのアインズさんが一緒に治めている国なんですけど、良かったらうちの国に入りませんか?」

「……ヴァイシオン様のお国はアーグランドと聞いたのですが…」

 宵切姫が言うと、ツアーは肩をすくめた。

「そのアーグランド州の母体が神聖魔導国だよ。今ではね」

「では、入らなければなりませんね!」

「いや。別にそうしなければいけない訳ではないよ。好きに選ぶと良い。無理に征服される必要はないと僕は思っているとも」

「……お前は本当に……」

 世界征服を全く手伝う気のないツアーをアインズは恨めしげに睨みつけた。

「では…一応、集落の長老衆に聞かせてください」

「それなら、私達をその集落まで案内してくれ」

「それはもちろん!あ、ヴァイシオン様、よろしいでしょうか?」

「良いんじゃないかい。僕はどうせアインズかフラミーが送ってくれなければ新しい従者を連れては帰れない」

 

 この地で産まれた変わった狂信者はうっとりとツアーを見上げた。

 

 一行はぞろぞろと列をなして蠍人(パ・ピグ・サグ)のララク集落を目指した。

 ちなみに、蒼の薔薇は神々の馬車に近付こうとすると、番犬のような顔をした紫黒聖典にそれを阻まれた。

 

「……また陛下方にご迷惑をお掛けしてしまった……。生贄文化を止めにいらしてたのに……」

 イビルアイはガックリと肩を落として進んだ。

「まぁまぁ……。ね、ほら、王の乗る馬車にお声をかけるなんてそもそも無礼だから……。着いたら改めてお目通りさせていただけるようにお願いしましょう……」

「……あぁ。話せると思うか?」

「……五分五分ね」

「あぁあああ!またツアーのせいでぇえ!!」

 聖書にどんな風に名を残すことになるかと思うと卒倒しそうだ。

「ツアー様と言えば、宵切姫を害したりはしないよな?どう思う?」

 ガガーランの問いにイビルアイは神々の馬車の後をラクダでついていく宵切姫を見つめた。

「多分、大丈夫じゃないか。私もまさかツアーがとは思ったが、どうもあいつも透光竜(クリアライトドラゴン)ではなかったようだ。まぁ、念のためたまに様子を見に行って宵切姫が生きているか確認するさ」

「そうしてくれると安心できるな」

 宵切姫については一件落着だが、イビルアイの胸中はもやもやと黒雲に覆われたままだ。

 

 ちなみに、絶望感を味わったのはイビルアイだけでなく、蠍人(パ・ピグ・サグ)の村人達も同様だ。

 一行が村に着いたのは日没後だった。

 一度眠ってスッキリした蠍人(パ・ピグ・サグ)達は宵切姫の護衛隊を温かく出迎え、宵切姫の成したことを聞こうとし――その場に宵切姫が戻ってきているのを見ると悲鳴を上げた。

 村を出た宵切姫が村に戻ってくるのは初めてのことだった。

 村は一時パニックに陥った。が、それも間もなく落ち着いた。

 

「それで、そちらの方が透光竜(クリアライトドラゴン)様なのですか!!」

 ユーセンチ魔法神官は輝く瞳でツアーへ迫った。

「…いや、僕は竜だけどそう言う名前の竜ではないよ」

「ユーセンチ君!そうなのです!真なるお名前はツァインドルクス=ヴァイシオン様と言う竜王陛下だそうなので、ヴァイシオン様とお呼びしてください!どうやら、遊牧民に伝わっていたお名前は少し違ったようです。白金のお姿をしているそうなので、勝手に名付けてしまったのでしょう!」

 バーリヤ大司教と宵切姫はいい笑顔だ。

「そうですか!そうですか!!竜王様でしたか!!しかし、聞き及んでいたお姿とは些か異なりますねえ?」

「ヴァイシオン様には竜としてのお姿もあるそうですが、あちらにおわす、神王陛下と光神陛下と言うお二柱の警護をなさる際にはこちらのお体でお過ごしになるそうです!」

 ユーセンチはその件に関しては「そうでしたか」とは言わない。

「どうも信じられませんねえ?透光竜(クリアライトドラゴン)様の上にさらに神々が存在するなど。ヴァイシオン様、それは真実で?」

「真実だよ。言っておくけど、僕は竜王であって神ではない。神はあの二人しかいない」

「……ユーセンチ君、あまり疑えば神々のみならずヴァイシオン様にもとても不敬な真似をしている事になってしまいます。我々の祈りに応えてお仕えする神々をせっかくお連れくださったと言うのに。下手をすると魔法を失ってしまいますよ?」

「あぁ!分かっておりますとも。失礼いたしました。しかし、お力は見せていただけるとありがたいですねえ。人間の冒険者の話では――確か、光神陛下が風を司る神だとか…?」

「なんですと!それは知りませんでした!ではお力を見せて頂きましょう!」

 バーリヤはアインズとフラミーに振り返ると、悪徳商人のように両手を揉んだ。

「光神陛下、ヴァイシオン様がお連れになった風の精霊の神よ。どうかお力をお見せいただけないでしょうか。例えば…竜巻を呼ぶとか。小さなものでも構わないのです。どうか、伏してお願いいたします。うちの無礼な神官は些か疑い深いものでして」

 そう言われても、フラミーは竜巻を呼ぶ魔法を覚えていない。

 アインズほど大量の魔法を覚えている魔法詠唱者(マジックキャスター)の方が珍しいため、ウルベルト・アレイン・オードルなどは最強の魔法火力を有していたにも関わらず、その多彩な種類の魔法を羨ましがっていた程だ。

 他方、紫黒聖典はそんな事できて当たり前と言う顔をしている。

「え……と……」

 たらりと背を汗が流れる。主神のツアーが神だと言っているのに力を見せろとは何事だろう。

 大して崇められておらず、双子猫の尻尾をシズと共に弄んでいたアインズは骨の口の中で小さく呟く。

「<魔法無詠唱化(サイレントマジック)>」

 そして、そっと街の外を指さした。

 ――<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック) 大顎の竜巻(シャークスサイクロン)>

 ゴォッと大気が震え、砂が一気に巻き上げられる。高さ二百メートル、直径百メートルにもなる竜巻が突如として作り出された。

「おおぉぉ!!」

 その驚嘆はもはや誰が上げたかも分からない。

 昼間に自然発生していた竜巻よりも大きさはずっと小さいが、大地を巻き上げて夜の空に立ち上がった竜巻は、殺傷を目的とした魔法により生み出されているため先程の竜巻とは比べ物にならない威力だった。

 離れた場所に生み出されたというのに、凄まじい吸引力。豪風の中、一番街の外に近い家の屋根はバラバラと崩壊して吸い込まれていってしまった。

 何人かとラクダは飛ばされそうになっていて、必死に堪えている。

 他者を吸い込み、天罰を与えんとする明確なる意思があった。

 普段ララク集落とスルターン小国は砂嵐が囲っているし、砂漠にいれば砂嵐に遭遇するなど日常だ。砂嵐が近くで吹き荒れるくらいでラクダは動じない。しかし、吸い込まれそうになっているわけでもないラクダ達すら死の恐怖を感じているようで、座っている足がカタカタと震えていた。

 竜巻は何匹かの鳥を吸い込むと徐々に勢いを衰えさせ、ついには消えた。

「いやーフラミーさん!さすがです!!これにはあっぱれだなぁ!!」

 アインズの白々しい拍手が響くと、周りの人々からも喝采が起きた。

 しかし、ツアーだけはアインズを見ていた。魔力の発生源がバレている気がする。アインズは無視して心の中で舌を出した。ツアーがそもそも神聖魔導国に入れと言ってくれていれば必要なかった猿芝居なのだから。

「……でも!!皆さん、こっちの人は夜の神様ですからね!!夜の加護が欲しかったら、ちゃんとアインズさんを崇めないとダメなんですよ!!」

 フラミーの一言で蠍人(パ・ピグ・サグ)の村人の視線は一気にアインズへ集まった。

「……え!?」

「おぉ!夜の陛下!!」

 蠍人(パ・ピグ・サグ)から熱い視線を送られ、更には取り囲まれる。

 フラミーはごめんね、と呟くとそっとその場を離れた。

 

 後ろには双子猫がたかたかと追従し、レイナースと番外席次も続いた。

 月明かりを映すオアシスには、ワニやヘビ、トカゲとカエルの合いの子のような生き物、岩陰に暮らす小さなネズミなど、様々な生き物が集っていた。

「はービックリしたねえ?」

「お疲れ様でした!」「疲労はいけません!」

 双子猫はササっと駆け寄ると並んで地面に両手と膝をついた。

「お座りください!」「僕たちお役に立ちます!」

 番外席次はそんな方法があるのかと目を丸くした。

「……皆、それ誰に習うの?」

 妖精(シーオーク)の隠れ里に行った時、ソリュシャンも自分に座るように勧めてきた。

 コキュートスも訓練をしている時にナインズが疲れたと言うとすぐにその背に座るように勧める。すぐにやめさせられたようだが。

 猫達は何を習う?と顔を見合わせて首を傾げた。

「まぁいっか。皆座ろ。アインズさんは立派な神様だから、少し休憩してても許してくれるはずだからね」

 フラミーが地面に直接座ってしまうと、猫達は残念そうな顔をし、その両隣に座った。

「ほら、レイナースさんとルナちゃんも」

「早く早く」「マスターを見下ろしちゃいけないんだよ」

 そう言われては座るしかない。

 紫黒聖典二人娘もその近くに座った。夜は冷えている為、着込んでいる防寒着で少しだけ身動きが取り辛い。

「綺麗だねぇ」フラミーの視線の先を追うように、二人と二匹は水鏡に揺れる月を眺めた。「今回の旅はとっても楽しかったし、いいものもたくさん見られました。国と集落も見つけられたし、紫黒聖典はお手柄でしたね。二人は、最近続いてた訓練の気分転換になりました?」

 気分転換にはなったが、疲労は訓練の比ではなかった。

 しかし――「なりました!素晴らしい体験をありがとうございました。またフラミー様のお力の一端を目にすることができ、とても嬉しく思います」レイナースの返事は早かった。

「私もとっても楽しかったです。前に砂漠に来た時よりも楽しかった。色々学んだ気がします」

 番外席次も満足げだ。

 女子三人で笑っていると、後ろの茂みが揺れた。

 レイナースは剣に、番外席次は戦鎌(ウォーサイズ)に手を掛けた。

「そこの者達、姿を見せなさい」

 鋭い声で言うと、申し訳なさそうに蒼の薔薇が姿を見せた。

「あ、皆さんも休憩ですか?一緒にこっちに来て良いんですよ」

 フラミーが近くの地面を叩くと、ラキュースはワッとその身に駆け寄った。

「へ、陛下!!本当に申し訳ありませんでしたぁ!!」

「い、いえ。何も気にしてませんから。私も昔アインズさんが生贄捧げられてるの見た時ウワァ…って思いましたし」

 蒼の薔薇は申し訳なさそうに小さく正座をして長い謝罪を口にしたが、フラミーにはほとんど興味はなかった。

 イビルアイもざりざりと地面に仮面を擦り付けている。

 長い謝罪を右から左に聞き流していると、再び茂みは揺れた。

「……フラミーさん、助けてあげたのに…」

 その恨みがましい声の主は夜闇によく溶け、とてもホラーだった。

「あ、えへ。神様と言ったら私よりアインズさんなんですもん。それに、蠍人(パ・ピグ・サグ)は夜行性だそうですし!向こうは良いんですか?」

「……ツアーとバラハ嬢に任せました。スルターン小国では覚えておいてください……と言いたいところですが、どうやら向こうは太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)を家畜にしてるそうなんですよ。結構な割合のタンパク質を太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)に頼ってるみたいなんで、毒抜き(・・・)しないと取り込めなさそうなんですよね」

 蠍人(パ・ピグ・サグ)にネイアが闇の神のなんたるかを語っている横で、スルターン小国とはどのような国なのかを魔人(ジニー)に軽く聞いた。魔人(ジニー)達は「お分かりになります?」と言いながら様々な文化について教えてくれたが、中でも食文化はアインズの手に負えるものではなさそうだったのだ。

 太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)蜥蜴人(リザードマン)と付くだけあり、知能があって喋る生き物らしい。砂色の肌をしていて、顎が大きく、小さな髭が生えているとか。

 彼らは自分たちは家畜であるとはっきり認識しているそうだ。家や食べるもの、着る物まで用意して貰えて、更には繁殖して種を残させてもらえて幸せだと思っているそうで、解放されたいと思っていないうえに、進んで食卓に上がりたがる。ミノタウロスの国にいる人間達とは違う方向性の家畜だった。

 下手をすれば毒抜きは百年かかるかもしれない。

 しかし、デミウルゴスが聞いたら喜びそうな国だ。

「と言うわけで、毒抜きが終わるまで覚えておいてください」 

 アインズの赤い瞳は一際強く光り、フラミーはふぃ…と目を逸らした。

「首を洗って待っててくださいよ!」

 頬をムニッと挟むとフラミーはタコのような顔をした。

「はひぅ〜」

 側から見ているとただいちゃついているようにしか見えない。

「――さて、女神の処遇はこれでいいが、あとは蒼の薔薇だな」

 蒼の薔薇はビクッと肩を揺らした。

「アダマンタイト剥奪とか言われたりしてー」などと、クスクス笑い声を上げたのはアインズの後を付いてきていたクレマンティーヌだ。

「…クレマンティーヌ、あんたネイアはどうしたの?」

「あー。盛り上がってるから置いてきた。シズ様がいるから平気っしょ」

 神の護衛の方が大事なので、それならそれで良いだろう。

「あ、あの…へいか……」

 イビルアイは不安そうにアインズを見上げていた。

「お前たち、今回も――」

 続く言葉を想像し、蒼の薔薇はギュッと目を閉じた。

「――良くやったな。新しい集落と国を見付けるなんて素晴らしい手柄じゃないか。神殿に報酬を渡すように伝えておくから、帰ったら受け取るが良い。なんと言っても二種族分だからな。受け取る神殿はエ・ランテルで良かったかな?それとも帰り道のエリュエンティウか神都にするか?」

 ワッと双子同士は抱き合い、ラキュースとガガーランも抱き合った。

 イビルアイはアインズの足元に駆け寄ると、胸の前で手を組み、感激したように見上げた。

「へいか!!感謝いたします!!広いお心に、心から、心から感謝いたします!!」

「うんうん。で、どこで受け取る予定だ?」

 ガガーランと抱き合って苦しそうにしていたラキュースが手を挙げる。

「エ・ランテルで!!私達の愛すべき故郷、エ・ランテルの光の神殿で頂戴いたします!!」

「そうか。では、蒼の薔薇。ザイトルクワエ州エ・ランテル市第一区の光の神殿にて今回の報酬を受け取るが良い!ご苦労だった。下がって良い!」

「はい!!失礼致します!」

 蒼の薔薇は頭を下げ、陛下陛下と鳴き声をあげるイビルアイを引きずってオアシスを離れて行った。

「っちぇ。つまんねーの」

 クレマンティーヌが呟き、レイナースは苦笑した。

「まぁ、蒼の薔薇もお手柄よね。だけど、フラミー様が紫黒聖典もよくやったって。素晴らしい旅だったって仰ってたわ」

「まじ?あんま何もしなかったのに?」

「まじも大まじよ。あんたも後でお褒めいただきなさい」

「ひゅー。さすが見てらっしゃる!」

「当たり前。クインティア、その言い方少し上から目線よ」

 番外席次がふん、と鼻を鳴らす。

「い!?ち、違うってー。違うんだってー。ねールナちゃぁーん」

「ちょっと、気安く呼ばないでって言ってるのが分かんないの!」

 三人娘は楽しげに戯れあった。

 

 アインズは神様としての役目を終えるとフラミーの隣に座り、水面に揺れる月を眺めた。

 

「次はどこに行きましょうか」

「どこまでもついて行きますよ」

「じゃあ、次は――」

 

 神々の旅はまだまだ続く。

 

 次の日、アインズ達はここに陽光聖典と神官達を呼び出し、スルターン小国へ発った。神官達は夕暮れから夜が更けるまでの短い時間、蠍人(パ・ピグ・サグ)と話し合いをした。生きる時間が違う者同士のやりとりは中々大変だったそうだ。

 その後蠍人(パ・ピグ・サグ)の集落はもう砂嵐に包まれることは無くなり、死の騎士(デスナイト)達が歩いて巡回するようになったらしい。ごく稀に砂漠長虫(サンドワーム)が入り込もうとすると、集落中から死の騎士(デスナイト)が集まってくるとか。その方が怖いと集落の子供達はよく言っている。ちなみにこの集落に砂漠長虫(サンドワーム)があまり来ない理由は、夜蠍人(パ・ピグ・サグ)達が活動する時間、基本的に砂漠長虫(サンドワーム)は眠っているからという単純なものだ。

 さて、同じく集落で一夜を過ごした蒼の薔薇。

 イビルアイが出発を大層拒んだそうだが、アインズ達が出発すると途端に行く気になり、当初の目的地を目指してララク集落を後にした。




蒼の薔薇報われて良かったー!!
とっても大変な旅だったもんね。
竜巻の発生原因はわからなかったけど、たんまり報酬は貰えそうだ!

そして神様と崇められても大して動じないツアー
さすがこの世界最強

次回#141 姫の決断
28日を目指して書きます!


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#141 姫の決断

「――ただいま。皆」

 生きる者のいない、どこまでも広がる死の都市。

 守るべき国民も、王冠も持たない王女。王と王妃の血を引く正統なる王位継承者。

 焼け朽ちた城内で邪眼(イビルアイ)は仮面を外し、玉座の前で膝をついた。黒焦げになった玉座には短杖(ワンド)とガントレット、ボロボロの服、それから灰の山が置かれていた。

 胸の前で手を組み、祈りを捧げる。

 蒼の薔薇も同じように玉座の前に膝をついた。

「――どうか安らかに。あの日、何が起きたのか結局私には何も分からなかった。父よ、母よ……。本当にすまない……。どうか私を赦してくれ……」

 祈りと懺悔は伽藍堂の玉座の間に響き渡った。

 ラキュースは初めて来たその場所で、玉座に乗る灰の正体を悟る。

「――イビルアイ。もしあなたが望むなら、私達は今回受け取れる報酬の全てをここに持って来て、<死者復活(レイズデッド)>の糧にしても良いわ」

 ガガーラン、ティア、ティナが頷く。

 イビルアイは赤い瞳をそっと閉じた。

「いや…無駄なんだ」

「なんで…?試してみる価値はあると思うわ」

「あそこにあるガントレット、あれはこのインベリア王国の国宝で、鷲獅子王の爪(ガントレット・オブ・グリフォンロード)と言う。その隣の 短杖(ワンド)も国宝で、名を虹よりこぼれし白(ロスト・ホワイト)と言う。……虹よりこぼれし白(ロスト・ホワイト)の効果は――<死者復活(レイズデッド)>だ」

「じゃあ……」

「あぁ。ゾンビはゾンビとして蘇ったよ。お笑い種だろう。光神陛下は…そこまでの力を人には与えてはくださらない。当然だ。光あってこその闇。闇を受け入れるしかないんだ」

「そうなのね……。でも……だからこそ陛下方はイビルアイの全てをいつでも赦して下さるのよ。きっと、あなたのことが分かってるから」

「……そうだろうか」

「そうよ。だって、あなたはたくさん加護を与えて頂いているもの。その闇に打ち勝つための」

 イビルアイの瞳は何かを考えるようだった。

 生の神から見放された地。取り戻すことすら許してはくれない生の神――。闇を抱いてなお生きろと、残酷なほどに優しい神は言う。

「……私に生の神からの加護はないと思っていた。だが……そうだな。私にこのタレント(・・・・・・)を与えて下さったのも、厳しい教えも、全ては慈悲だったのかもしれない」

 見上げるイビルアイの視線の先に城の屋根はない。所々燃え落ちてしまっているせいで、まっすぐ空へと続く。

 こぼれ落ちてくる光はこの場に積もり漂う埃を映し出し、はっきりと軌跡を浮かべた。

 光に輝く生の力を込めた杖はわずかに雨に濡れ、涙をこぼすようだった。

「――陛下……」

 イビルアイは今信じる神々に祈りを捧げた。

 どれだけ残酷な力を持った神々だとしても、時に自分を救ってくれないとしても、世界には必要だし、――何より、愛さずにはいられなかった。

 かつて信じていた太陽の男神ベ・ニアラと、月の女神ル・キニスは地上を顧みることはなかった。ラキュースは透光竜(クリアライトドラゴン)は存在しない、人の願いが生み出した存在だと言っていたが、もしかしたら太陽と月の神もそう言う存在だったのかもしれない。きっと世界には実在しない神がたくさんいて、人は弱さゆえに実態のないものに縋ろうとするのだろう。

 だが、今は真実の神が君臨してくれている。じきに、存在しない神は消えて行くだろう。

 

 ふと、屋根の朽ちた場所から鳥が飛び込んできた。

 それは真っ直ぐ柱に向かう。

 途端に城の中は賑やかになった。

 柱には小さな鳥の巣が作られ、チヨチヨとひよこ達が歌って親から与えられる食事をねだった。

「……ここも、じきに自然に飲まれるな」

「そうね。新しい命がここにも生まれて行くみたい。きっと、イビルアイが見たこともないような姿になって行くわ」

 ラキュースは灰の積もる玉座に近付くと、そっと服をどかした。

「――あ、あぁ!」

 ラキュースが手に取った服はばらばらとその形を失ってしまった。イビルアイは駆け寄り、破片と思い出を掻き集めようと手を伸ばし――灰の中から小さな木の芽が出ていることに気がついた。

「イビルアイ。もう、きっとここにはアンデッドは生まれないと思うわ。闇はずっと闇のままではないもの。後のことは任せて良いって、陛下方も、あなたのお母様とお父様も、きっとそう思って下さってる」

 イビルアイの視界は歪んだ。

 インベリア王国は今真なる終わりを迎え、新しい世代と世界への始まりを告げる。

 溢れる瞳の泉から落ちる雫は何度も新しい芽吹きへ落ちた。

 イビルアイの震える声は、小鳥達の囀りの中をしばらく響いた。

 背をさする仲間達の熱はどこまでも優しかった。

 どれほど泣いていただろう。涙も枯れ、目元を拭ったイビルアイが告げる。

「――私はもう、インベリア王国には(・・・・・・・・・)来ない。忌むべきこの場所が、いつか命で溢れかえり新たな地名を与えられた時、私は私の知らない場所を冒険しよう」

 小さな背に見える決別の覚悟を、短杖(ワンド)は静かに見つめた。

 

+

 

「でも、良かったのか?短杖(ワンド)とガントレット、国宝だったんだろ?」

 城を後にし、森と砂漠に飲まれ始めている街を行く。

 ガガーランの問いに、イビルアイは肩をすくめた。

「五十年後にでも冒険に来て、あれを見つけ出して見せるさ。インベリア王国の国宝ではなく、冒険の(いさおし)として持って帰る」

「その頃には冒険者が来て盗んじまってるかもしれないぜ?」

「もうインベリアに主はいない。盗まれるんじゃなくて、持ち出されるだけさ。だが、冒険に来た時にどうしても見つからなかったら、短杖(ワンド)とガントレットを探す旅に出るかな。あれだけのマジックアイテムだ。きっと人の世に出回れば噂になる」

「気の長い話だな」

 イビルアイが笑い、崩れている石畳の破片を蹴ると、双子は城へ振り返った。

「……罠を仕掛けておいた。簡単には持ち出されない」「持ち出せるほどの力がある人物なら、きっと名を轟かせているはず」

「…それはもし五十年後に私が取りに来た時も発動するんじゃないだろうな」

「もちろん発動する。一人でくれば抜け出せなくなる」「イビルアイじゃなかったら多分死ぬ」

「人が死ぬような罠を仕掛けるな!!」

 噛み付くように叱りつけると、イビルアイは遠くに見える朽ちた城へ振り返った。

 長いイビルアイの髪がそよ風に揺れる。

「さようなら、お父様、お母様。キーノはまた、旅立ちます」

 イビルアイの別れを、誰も茶化したりはしなかった。

 渡り鳥が一行の頭上を飛び去って行く。

 イビルアイは、その場所で久し振りに綺麗な空気を吸えたような気がした。

「――さて、お前達が婆さんになった後蒼の薔薇に入れる乙女を探しにいかなくちゃな」

「ば、ばあさん…!」

 ラキュースは悶えるような声を上げた。

「この俺のお眼鏡に叶うようなやつがいるかな」

 ガツン、とガントレットを嵌めた手を打ち合わせ、ガガーランが不適に呟く。

「ロリを私たちで育てれば良い」「なんならショタだって許す」

 双子の性癖発表には誰も耳を貸さなかった。

「ザイトルクワエ州に帰ったら、手始めにアングラウス道場を見に行くぞ!子供のクラスもあると聞いたからな!その後、リグリットと連絡を取ってリ・エスティーゼ州に行く!ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンの剣道道場に良い娘がいないか確認だ!」

 五人でオー!と声を上げる。

 蒼の薔薇はここまでの地図を描かなかったので、ここが発見されるまではまだもう少し時間がかかる。

 王女の再びの出発を、今は亡きインベリア王国が見送る。

 誰もいない静かな場所へと戻って行く。

 取り残された城の中の短杖(ワンド)とガントレットは、重なり合うように倒れた。

 

 それから十年、二十年、三十年と時を重ねる中、インベリア王国の国宝は灰の中から生まれた木の中に取り込まれる。

 緑に溢れる廃墟の遺跡に冒険者達が出入りするようになっても、国宝に気付く者は一人もいなかった。

 そして、来たる五十年後。

 新しい仲間と共に地図の更新に訪れたイビルアイは、必死になって国宝を探し回る。

 二つのマジックアイテムが世間に出回った噂は誰からも聞いたことがなかった。

 きっとまだここにあるはず。――もしくは、大型動物に飲み込まれたか。

 必死になって探し回り、どうしても見つからなかった時、イビルアイはあの日灰の中から生まれていた新芽を思い出す。

 そこには、両親の体を形作っていた灰から生まれた新しい命が、イビルアイの涙を糧に大きく成長して待っていたらしい。

 イビルアイは国宝のありかを悟り、魔法の痕跡を探す。

 木の中に確かに国宝の鼓動を感じ、穴を開けて取り出すか、切り倒して取り出すか大層悩むとか。

 イビルアイが無理にそれを取り出したかどうか。

 それはまだ先のお話だ。

 

 だが、一つだけ言えることがあるとすれば、その木はイビルアイが去った後も元気に成長を続けていると言うことだ。

 周りには豊かな生態系が育まれ、鷲獅子(グリフォン)達が暮らし、件の木から取れる葉はまるでポーションのように人を癒す。

 だが、<保存(プリザベーション)>を掛けたとしても、摘みたての時に絞れる雫でしかその効果は発揮されない。

 冒険者達はその木を鷲獅子よりこぼれし恵(ロスト・グリフォン・グレイス)と呼んで、近くで怪我をすると立ち寄ったとか。

 そこで、何人かの冒険者は見かける。――王のように大きな鷲獅子(グリフォン)が優雅に木に寄りかかる姿を。

 

 さて、あれこれと不思議な逸話を持つ木だが、その中にマジックアイテムがある故に力を持つのか、はたまた成長時にマジックアイテムがあった故か――

 

 知っているのは新しい蒼の薔薇と、イビルアイだけだ。

 

+

 

「帰りも美しい砂漠を見せてやりたかったが…仕方がないな」

 アインズはスルターン小国でツアーと、ツアーの新しい召使いの生贄の姫を見た。

 馬車はすでに満員なので、これ以上人を乗せることはできない。それに、狂信者が同じ空間に長くいることはお断りだ。楽しい旅も台無しになる。

「悪いね。今度また旅に誘ってくれ」

「そうするか。次はナインズやアルメリアも連れて行きたいし、あまり過酷じゃない場所を選ぶから楽しみにしておけ」

「それは嬉しいね。楽しみにしているよ」

「あぁ。次はお前に自発的に美しいと言わせて見せるさ。――<転移門(ゲート)>」

 アインズが人の身で楽しげに笑うと、ツアーも竜の身で笑った。

「――フラミー、何か困ったことがあればいつでも僕のところに来て良いからね」

 ツアーがいつもの別れの挨拶を告げると、フラミーは頷いた。

「はぁい!ありがとうございます。君の存在はアインズを孤独にしない為にも必要だ、でしょ。」

「ふふ、その通りだとも。それじゃあ、また会おう」

「またねー!」

 ツアーが転移門(ゲート)に足を踏み入れると、ラクダを引いた宵切姫もぺこぺこと頭を下げて転移門(ゲート)をくぐって行った。

 転移門(ゲート)が閉じると、フラミーは振っていた手を下ろした。

「ツアーさん、宵切姫さんの事気に入ったのかな?」

「どうでしょうねぇ?アーグランド文字も書けないのに、何かあいつらしくなかったですね」

 アインズとフラミーは揃って首を傾げた。

 

 転移門(ゲート)をくぐった先で、ツアーはいつも鎧を置いている窪みにまっすぐ向かった。

「もう少ししたら、うちで従者として働いている者が今日の評議会での議事録を持って来る時間だから、それまでその辺で待っていてくれるかな。少し前に蛾身人(ゾーンモス)の娘がまずいことをしてね。以来全ての議事録に目を通す事にしたんだよ」

「ぞーんもす…でございますか?」

「まぁ、そう言う事も少しづつ覚えて行くと良いよ」

「無知で申し訳ありません。精一杯学ばせていただきます」

「そうしてくれ。わざわざ引き取ったんだからね。じゃあ、僕は鎧から意識を切るから」

「え!ヴァイシオン様!」

 宵切姫は呼び止めたが、鎧はくぼみに収まるとピクリとも動かなくなった。

 久しぶりに一人になると、ふっと息を吐いた。

「……頑張るのよ。私だって宵切姫ですもの。落夜と崩夜に胸を張れる活躍をして見せなくちゃ」

 ぎゅっと目を閉じてパンパンっと両頬を叩いて気合を入れる。

 宵切姫は学ばなければいけないことばかりだ。これまでの宵切姫は一体どうやって学んだのだろうと思うが、学びきれずに追い返され、帰ることも出来ずにどこかでひっそりと命を絶ったという可能性もある。

 宵切姫は自分で何もかもを調べ、覚え、学び、きっとこの竜王の役に立って見せると誓った。最後の宵切姫の名に相応しい働きをして見せるのだ。今後集落への加護は竜王のさらに上の神が与えてくれる。これまで助けてくれていた感謝を、立派に形にして勤め上げて見せるのだ。

 ただ、一番の難所は文字だろう。

 文字というものがこの世に存在していることは知っているが、蠍人(パ・ピグ・サグ)の多くは字を書けない。殆どのものは絵に描いて残されてきている文化故の弱点。数字くらいは書くが、縦に三本線を書いて、それに横に二本線を書くと言うシンプルな方法だ。これ以上の事ができない宵切姫は、果たして自分にアーグランド文字なる竜の字を書けるようになるかと不安になる。

「……ううん、ダメね。弱気なんていけないわ」

 よーし!と父の用意してくれた宵切姫のための美しい衣装の袖をまくり、一緒について来てくれたラクダの顔をわしわしと撫でた。

 ――すると

「…少し静かに待っていてくれないかな」

 頭上から響く、艶を含んだ豊かな声音に宵切姫は驚き飛び上がった。

「っは!!も、申し訳――」

 見上げた宵切姫は、薄暗く広いホールの中に長く伸びる階段を見つけた。

 その先には――透光竜(クリアライトドラゴン)として伝え聞いて来たよりも余程美しく、荘厳な竜が宵切姫を見下ろしていた。

 白金の鱗はまるで月光そのもの。喉に脈打つ青い光は砂漠の空。大気を切り裂く翼は大きく、一振りするだけで砂嵐を呼ぶに違いない。

「か、神様……」

 その頬を自然と涙が伝い落ちる。

「……僕は神じゃないと言ったろう。竜王は神じゃない。だからこそ――」

 ツアーはその先の言葉を口にしなかった。

「は、申し訳ありません…。ヴァイシオン様……。宵切姫は、ヴァイシオン様に全身全霊をかけてお仕えする事を今再びお誓いいたします。あなたが学べと言えば学び、死ねと言えば死に、最後はあなたの血肉となります」

「じゃあ、休めと言ったら休んで、帰れと言ったら帰るんだね。僕は決して短気ではないけれど、他の従者が君の事を無能で足を引っ張る存在だと言えば帰ってもらう」

「はい。ですが、宵切姫はどの生贄よりも見事に働いて見せます」

 ツアーは従者は生贄じゃないと訂正しようと思ったが、今は一般常識に欠けている様子なので、少しづつ他の従者が生贄じゃないことを学んでいけばいいかと思った。

「やれやれ……」

 そっと大顎を手の上に乗せて寝そべる。賃金はどれくらい渡すべきなのだろうか。

 他の従者と同じだけ渡すように適当に言っておけばいいか。

 ツアーはふぅー…と息を吐き出した。

「まぁ……蜃気楼の…!」

 宵切姫は何か感動したような声を上げた。

「……何だい」

「い、いえ!何でもございません!静かに、静かにいたします」

 宵切姫はラクダを冷たい床に座らせてやると、そのすぐ隣にちょこりと正座した。

 落ち着かないのか毒針を有した尾はピンと伸びていた。

 どうせ使い物にはならないだろうから、誰かに使い物にならないと言わせて早く家に帰そう。ツアーが決めると、ちょうど扉が開いた。

 竜も出入りできる大きな扉には、中くらいの生き物が出入りできる扉と、人サイズの生き物のための扉がついている。今開いたのは人サイズの生き物のための扉だ。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、本日の議事録を――おや?」

 紙の束を四つの手で抱えた蛾身人(ゾーンモス)はふわふわの翼をはためかせてホールに入ってくると、宵切姫の隣にそっと降りた。

「この風変わりな獣と娘は一体…?」

「拾って来た。宵切姫と言うそうだよ。イル=グル、君に宵切姫の世話を――いや、教育を頼んでも良いかな」

 宵切姫は正座のまま手を床について深く頭を下げた。

「構いませぬが――、薬の調合ができるので?」

「薬の調合は毒の調合と解毒薬の調合ができます」

 自分にもできることがありそうだと宵切姫は胸を躍らせた。

 しかし、ツアーは宵切姫にそんなことをさせようと思っているわけではない。

「いや、イル=グル。薬の調合ではなくてね、君が辞めてしまった後に僕の従者として働けるように教育して欲しいんだよ。もちろん、無能なら追い返すからいつでも言っていい。住まいは城の上を使わせていい」

 イル=グルは一瞬訝しむような顔をしたが、何かを察したのか頷いた。

「――…引き受けましょうぞ。では、宵切姫。ぬしを無能だと思えば我はすぐにでも白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にその旨をお伝えする。我は厳しいぞ」

「覚悟の上でございます。イル=グル様、どうぞよろしくお願いいたします」

 宵切姫はもう一度床で頭を下げた。

「うむ。では少し待て」

 イル=グルは四枚の羽を広げるとツアーの元へ飛んだ。

「本日の議事録はこちらに置いて行きますゆえ、お目通しを」

「助かるよ。いつも悪いね」

「いえ。お立ち会いいただいた裁判で、すぐに引き取ると言っていただいたご恩がありますゆえ」

「まぁ、ケル=オラ事件は君は何も悪くなかったからね。裁判官も隊を率いていたからと言って君に刑罰を下すのは心苦しそうだった。それに、僕はたまたま裁判に立ち会っていたから咄嗟に保護観察官を名乗り出てしまっただけだからね。……あれからもう一年。君の保護観察も残すところ二年だ。それで、保護観察が終わってここを出たらどうするんだい」

「……恐れながら、ここで学ばせて頂いたことを糧に評議員に立候補しようかと思っております」

「そうかい。それはリシ=ニアも喜ぶ。大したことは学べないだろうけど、頑張ってくれ」

 イル=グルは床に四本の手を付いてぺたりと頭を下げ、再び飛び上がった。

「では、そちらの者を連れて失礼いたしまする」

「うん、お疲れ様」

 扉の前に降り立ったイル=グルは「こちらだ、こちらだ」と宵切姫に声を掛け、宵切姫は急いでラクダを引いて立ち上がった。

「ヴァイシオン様、宵切姫は一度おそばを離させていただきます」

「……分かったから早く行きな」

「はい!」

 ラクダは石の床を歩きにくそうにし、小走りの宵切姫の後を追った。

 二人と一頭が扉を潜って出ていくと、ツアーは一度うんと伸びた。

「フラミーの前だからと言って、慈悲深いふりをしすぎたかな」

 正直宵切姫などいらなかった。文字の読み書きもできない小娘など、それも、生贄の姫など、全く欲しくもない。この場所で働くのは、ともすれば評議員になることすら出来るほどの才人ばかり。従者とは言うが、彼らは時にツアーの仕事を代行することもできる。ここを出られなかったツアーの代わりにツアーも出席しなければいけない評議会に出席し、それの報告と議会とのやり取りなどを行なっていたほどだ。

 イル=グルはまだ新しいメンバーだが、その能力の高さは折り紙付きだ。たった三年で出て行ってしまうのが惜しいほど。

 そんなイル=グルの代わりになるほど、宵切姫は成長できないだろう。それに、あと五十年しか生きない生き物では、働けるのは後三十年ほど。はっきり言って、立足兎(パットラパン)を雇うようなものだ。差別するわけでは無いが、知能の伸びがあまり良く無いため、立足兎(パットラパン)はこの竜王の城でわざわざ働かせるような生き物では無い。

 ――それでも宵切姫を引き取ろうと思ったのは、フラミーに慈悲深くいろと願う一方で、自分が慈悲深く過ごすことを億劫に感じていてはいけないような気がしたのだ。

「はぁ…やれやれ……。調停者も楽じゃない」

 だが、あのイル=グルの様子から言って、無能の烙印を押して早いところ帰したいというツアーの意思は伝わっただろう。

 夜行性の生き物だと言うことも伝えなかったので、イル=グルは昼行性の生き物と接するようにバリバリ仕事を任せ、そして行き詰まる宵切姫に告げるのだ。

 ――ぬしは無能であるな…。我はご報告に参ろうぞ。

 と。

 これで一件落着だ。

 フラミーの前で慈悲深い姿も見せたし十分なはず。

 ツアーは大きなあくびをすると、今回の旅を思い出しながら眠りについた。

 この体で外に出る事はあまりないが、外の世界は飽きるほどに見て来た。

 だが、ナインズと夜空を見上げたり、アルメリアに引っ付かれたり、アインズが「父ちゃんはな」とツアーに向かって間違えて言ってしまったり、フラミーが鎧についている毛を優しくブラッシングしてくれたり、お礼に羽についた砂を落としてやったり――。そう言う触れ合いは、十三英雄として旅をしていた時以来、彼らが初めてだ。

 三日間、楽しい旅だった。

 紫黒聖典と天空城のエヌピーシー達は少し鬱陶しかったが、次の旅はどこへ行くのだろう。

 ツアーはアインズとフラミーが出かけるたびにこの世界をより深く愛していくことを感じた。

 美しいだろうと言って聞かせてくる言葉に嘘はなく、心から何でもない風景に感動しているのだ。

(――美しい世界を守りたい、か)

 出かけるたびに彼らと向き合えていく事を感じた。

 彼らの真実の心根を信じて良かった。

 

 とは言え、本当に良かったのかはまだまだ分からないが。

 

 竜王はよく眠る。猫のようによく眠る。

 無駄に起きていては、体が大きい彼らはたくさんのエネルギーを使い、すぐに腹が減る。

 夢を見るカロリーは大したことはない。

 

+

 

 廊下を行く二人と一頭。

「ぬし、字も読めず、計算も多くはできず、何ができるのだ?」

 イル=グルの黄色い瞳にじっと見つめられる。宵切姫は胸を張った。

「掃除、洗濯、炊事は全て出来ます。身の周りのお世話でしたら、誰にも負けません」

「掃除は多少役に立つかも知れぬが……基本的にそのような事は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は求めてはいまい。竜王は自らのテリトリーにあまり深く他者を置く事を好かぬ」

「で、では……」

「ぬしは何もできはすまい。まずは一週間読み書きを教えるが、それも仕事の傍らでしかできぬ事を知るが良い。きっとぬしは帰りたいと言うであろう」

 竜王の城の一室。パタリと扉を閉じながらイル=グルは言った。

「やります…。やってみせます…!」

「そうか。その獣の世話も自分でする事になる。恐らく象魚(ポワブド)の餌も食べぬだろう。獣の食事を取りに行くところからやらねばならぬぞ?ぬしの時間は本当に少ない。嫌になればいつでも言うがよい。見たところぬしはやる気だけはあるようだが」

「はい!命を捧げる覚悟で参りました。必ずやイル=グル様とヴァイシオン様に認めていただけるよう立派に成長してみせます!」

「……うむ。では、ここがぬしの部屋ぞ。荷物はここに置き、まずは象魚(ポワブド)の魚舎にその獣を置きに行こうぞ」

 宵切姫は急いでラクダの背から荷物を引っ張り下ろした。ラクダの背には逆三角形型に山のように荷物が載っていた。

 ラクダの限界積載量は七百キロなので、見えているほど大変ではなく、ラクダからすれば容易い事だ。彼らは軽トラックすら背負って歩ける。

 葛籠は八個、布団や布、小さな折りたたみ式のちゃぶ台、何枚ものお盆、すりこぎが三本、壺がいくつか、水袋が六、何か種子でも入っていそうな革袋が四、干し草、サボテン、それから空の鳥籠。

 荷物を下ろすだけでも細い腕には大変な作業だ。

 だが、イル=グルは手伝ってやらなかった。

 宵切姫は額に汗を浮かべ、やっとの思いで荷物を下ろした。

「――む?それは?」

 そう言ってイル=グルが指さしたのは、大きな壺だった。

「は、こ、こちらは――」ゼェゼェと息を吐き、汗を拭うと宵切姫は続けた。「こ、こちらは、私の血と……砂漠の恵みを……はぁ……ふぅ……入れた酒でございます。ヴァイシオン様へ捧げるものですので、次の御目通りの際に――お、お運びいたします」

 壺には丁寧に蓋をしてあり、イル=グルは壺の封印をそっと解いた。

「この匂い。――ぬしの血は薬か?」

「――ふぅ…。はい。蠍人(パ・ピグ・サグ)の毒尾にかかれば、蠍人(パ・ピグ・サグ)の生き血が解毒薬となります。私達の血は私達を毒から守ります。この酒は更に大司教様が魔法の効果を与えた奇跡の酒なのです」

「興味深いものぞ…。これは一杯もらえぬかな」

 宵切姫はこの先達に気に入られたかった。

 しかし、首を振る。

「申し訳ありません…。ヴァイシオン様のためのものですので……」

「ふぅむ。竜王の物を横から取ろうと言うのはよくないな。諦めよう。さて、では行こう」

「はい!!」

 宵切姫は干し草とサボテンをラクダに載せなおした。

 薄暗い廊下を行き、外に出る。時は正午。キラリと光る太陽が宵切姫を見下ろした。

 太陽を見るとどっと眠くなる。しかし、気温があまり高くないため眠りのスイッチが入る事はなかった。

「…ここは涼しいところですね」

「もう秋だからな。山の頂きには深い雪も積もっておる」

「ゆき……?」

「なんぞ?ぬしは雪も知らぬのか」

「も、申し訳ありません…。雹は稀に見ましたが……」

「良い、良い。もし一週間ぬしが耐えられれば、雪を見に山へ連れて行ってやろう」

「ありがとうございます!」

 宵切姫は絶対に雪を見られると信じた顔で笑った。

「……む」

 イル=グルの中にちくりと罪悪感が刺さる。

 嫌な役回りを頼まれたものだ。しかし、使い物にならなければ仕事を失うと言うのはどこでも同じ。イル=グルは心を落ち着けた。

 竜王の城はごく一部の者にのみ明かされ、全く分かりにくい所にある。

 城を出た宵切姫は、城を振り返り微笑んだ。

 岩山に隠れるように存在するその城は、透光竜(クリアライトドラゴン)の本殿と似ているように感じたから。これが本当の社なのだと思うと幸せな気持ちになる。

 岩で出来ている階段は、人工と自然の間のような見た目だ。

 階段を降り切ると、大きな魚が巨大な洞窟のように窪んでいる場所に身を横たえていた。総勢四頭だ。魚は象のような足が生え、象の半分くらいの長さの鼻をしている。ちなみにスルターン小国には象がいる。

 洞窟の前には広い川が横たわっていて、宵切姫が初めて見るような大きな川だった。

「――おや?イル=グル殿」

 そう言って洞窟から顔を出したのは三人の海蜥蜴人(シーリザードマン)だ。

 太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)を食べる宵切姫は家畜小屋かなと思った。

「皆、どうも。ここに新しい獣を置いてもよろしいかな」

「構いませんが、肉食は困りますよ」

「宵切姫、その獣は肉食ではあるまいな?」

「は、はい!これはラクダと申しまして、草やサボテンしか食べない優しき子です!家畜や使役動物に危害を加えるような真似はいたしません!」

「それでしたら、どうぞ。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の新たな従者ですか?」

 宵切姫が頷こうとすると、イル=グルがそれを止めた。

「まだ見習いぞ。来週まで耐えられるかわからぬ」

「おやおや、イル=グル殿は手厳しい」

 海蜥蜴人(シーリザードマン)達は軽く笑い、宵切姫は急いで空いてそうな場所にラクダを連れて行った。その背から干し草とサボテンを入れてある革袋を下ろしてサボテンを二つと干し草を少し取り出す。

「カタレィオ、ここで大人しくしているのよ。私は行くけれど、お利口にしていられるわね?」

 ウワァァァァァ…と鳴き声を上げ、ラクダは床に座り、もそもそと食事を取った。針の生えたサボテンを食べる口が痛そうだった。

「このラクダの名前はカタレィオと言うので?」

「えぇ。そうなのです。姫の船という意味の名です。日に一度世話に来ますので、よろしくお願いいたします」

「水やりくらいでしたら、お任せください」

「いえ、ラクダは水も食事もその気になれば一週間取らなくても大丈夫なので、私がもし来られなくともあまりお気遣いなく。私は全て自分でできますので」

 海蜥蜴人(シーリザードマン)達はへぇ〜…と初めて見るラクダを見上げた。

「……ところで、皆様はヴァイシオン様に食べていただけるのですか?」

 正直言って羨ましかった。もちろん、身を粉にして働くことも喜びを感じるが、最後は竜王に食べられ、その身の一部となりたかった。

「……食べ?え?」海蜥蜴人(シーリザードマン)達は目を見合わせた。

「宵切姫、何を言っておるのだ?白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はそのような真似はせぬ。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の冒涜はよせ」

「――冒…?は!失礼いたしました!!」

 考えてみれば宵切姫と同じ物を口にする事はないのだ。それは確かに冒涜的な考えだ。

「さぁ、次の場所へ行くぞぇ」

「はい!」

 イル=グルに言われると、宵切姫は急いでその後を追った。

 残されたカタレィオは、初めて見る生き物達の中でじっと座り、長いまつ毛を伏せた。

 海蜥蜴人(シーリザードマン)は大人しい良い子だと、不要とは言われたが水をやった。象魚(ポワブド)の糞を川へ掻き出すために川から汲んできた水だが、まだ清潔だ。川の水は象魚(ポワブド)海蜥蜴人(シーリザードマン)も飲むため大丈夫だろう。

「カタレィオ、ここの仲間を紹介しよう。俺はジュラ・ゾゾ。こっちはチレザー・ゲゲ。それから、シャダーン・シュシュだ」

 海蜥蜴人(シーリザードマン)達は交互にカタレィオを撫でてやった。

 象魚(ポワブド)もその巨体でカタレィオの側に座り直す。

象魚(ポワブド)はあっちからシープイ、プンプン、ポリチャ、パーファだ。皆いい子だ。プンプンは光神陛下をお乗せしてここまで来たことがある。この中の大将だ」

 カタレィオは言われている意味が分かっているのか分かっていないのか、そっとプンプンの巨大な足に顎を乗せた。

「ふふ。愛らしい生き物じゃないか」

「本当だな。さて、ジュラ、シャダーン。輿(ハウダー)の掃除をしよう」

「やるかぁ」

 三人は象魚(ポワブド)の背に付ける輿(ハウダー)を持ち、川まで洗いに行った。

 とても重いので三人掛りで一つづつ運ぶ。

 海蜥蜴人(シーリザードマン)がいなくなった洞窟の中で、カタレィオはプンプンを見上げた。

 プンプンは半端に長い鼻でそっとカタレィオを撫でた。

 大きな耳のように見える鰭を軽くばたつかせて虫を払う。

 

 動物達の中でどんな話が行われ、何を通じ合ったのかは分からないが、彼らは友達になった。




宵切姫ちゃん、頑張れるのかな……?
ちなみに魚象さんの見た目がよくわからなかった方はエレファントノーズフィッシュをぐぐるとわかるかも知れません!そいつに足が生えてるんや…!

次回#142 宵切姫
11/1に上げちゃうぞ!!姫ちゃぁん!!


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#142 宵切姫

 小さな文机の上には、山のように大量の手習いを終えた紙が積まれ、ふとした拍子に崩れて落ちた。

 それと同時に、眠りかけていた宵切姫は慌てて時間を確認した。

 時間は未明。仕事が始まるまで後三時間。

 以前なら、まだ眠くならない時間だが、今ではもうこの時間ですっかり眠くなる。

 

「――いけない…。まだこんな時間なのに眠ってしまっていたのね…」

 いつから眠っていたのだろう。この一週間、一日二時間ほどの睡眠でやり過ごし、日中はイル=グルに付き従って何でもこなした。いや、うまく出来ない事ばかりだった。それでも一日も早く仕事を覚えるために必死に食らいついた。

 

 夕暮れ時、仕事が終わるとイル=グルを除いた他の従者達はどこかへ帰っていった。海蜥蜴人(シーリザードマン)達も同様だ。

 ここに部屋を与えられている宵切姫はカタレィオの下へ走る。カタレィオが汚した場所を綺麗にして、カタレィオを連れ、眠ろうとする象魚(ポワブド)の間を抜けて魚舎を出る。

 カタレィオに食事を取らせるために小さな橋のかかる川を渡って近くの森を回る。

 カタレィオは生の草も枯れかけの草も美味しそうにむしゃむしゃ食べた。その傍で、宵切姫は虫を捕まえて鳥籠に入れたり、魚を捕まえたりした。魚は毒針で刺す事で何とか取れた。

 カタレィオが草を食べ終わると、川に立ち寄りたっぷりの水を飲ませてやる。その隣で自身も水を飲み、寒さに震える体を洗い、壺一杯の水を汲んで城に戻る。

 

 もしかしたら、明日や明後日は忙しくて来られないかも知れない。毎日そう思って必死にカタレィオの世話をした。いくらラクダが一週間飲み食いしなくても生きられるとしても、宵切姫は手を抜かなかった。

 城には色々な食べ物が置いてあり、小麦だけは朝晩食べて良いとイル=グルに言われているので、小麦を厨房から少し分けてもらう。本当なら挽いて粉にし、振るって水と油で捏ねて焼いてチャパティにしたかったが、贅沢は言っていられない。まだ何も働けていないのに、与えられているばかりなのだ。

 取ってきた魚や虫を食べ、夜になって目がよく見えるようになってくると部屋で必死に手習いをした。

 

 朝はイル=グルと他の従者と共に評議会に出席して議事録を取るのを学んだり、手紙の書き方を聞いたり、他の竜王の下へ白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に用事がないかを聞きに行ったり、そちらの従者と意見交換をする。――と言う名目の下、神におかしなちょっかいを出したりしていないか確認する。

 

 イル=グルが二年後にいなくなった後を継げるようになるため、宵切姫は常に付き従う。だが、評議員のいる場所では決して許可なく口を開いたりしてはいけないと言われているため、何か分からないことがあったとしても、じっと辛抱し、まだよく覚えていない文字で書く事と、聞く事に集中した。

 

 午後には神殿で祈りを捧げ、細々とした雑務を行う。フロスト便の集配所に立ち寄って午前中に書いた手紙を出す。

 城に戻ってくると掃除を行ってから、遅めの昼食を他の従者達と共に取る。メニューは種族によってそれぞれなので、色々な食べ物が置かれているし、昼は小麦以外も食べていいと言われている。――しかし、宵切姫にとって真昼間は一番眠い時間だ。そこでイル=グルの昼食が終わるまでの三十分で仮眠を取る。つまり、彼女の食事は日に二度だ。

 

 その後イル=グルが速記でめちゃくちゃな議事録を丁寧に書き直すのを見させてもらったり、真似したりして過ごす。これに意外と時間が掛かる。

 評議員でなければ分からないような難しい言葉もあり、時にイル=グルでも辞書を引いて内容がおかしくなっていないか確認を怠らない。ここのタイミングで片手間に文字を教えてもらえる。

 そして、少しの時間この国の法律や法令について教えてもらえる。

 

 それが終わると、イル=グルは一人でツアーの下へ行き今日の議事録を提出し、他の従者と手分けをして城の隠蔽に問題がないか確認したり、必要な一部の永続光(コンティニュアルライト)を灯して夕暮れに備える。

 

 日が暮れる頃に従者達は帰って行く。イル=グルは保護観察を言い渡されているのでそのまま城の一室で過ごす。時に薬を煎じたり、街まで飛んで友人の下へ行き今の世の中の流行り病について尋ねたりする。評議員であるリシ=ニアと外で食事を取ることもある。

 昼食は他の従者達と共に取れるが、朝と晩はイル=グルも宵切姫と同じく、自分で食事を調達する必要があるためだ。

 と言っても、買い物に行けるイル=グルの食事は優雅だ。

 朝はどっさりの雛菊を閉じたコカトリスの卵焼きと、ナッツのパイ、シナモン入りの豆乳。

 夜はミモザのふかふかサラダと、豆のスープ、豆乳に蜂蜜を入れた甘く芳しい飲み物。それから、果物をたくさんと、ちょっぴりのラム酒。

 

 宵切姫も、イル=グルに買い物のできる場所を教えては貰ったが、この竜王の城から街まで出て戻ってくる時間が惜しいので行ったことはない。カタレィオに乗って行っても往復で二時間コースだ。

 賃金は一週間分を前払いして貰ったが、まだ何も働いていないので使うことは憚られた。何より奉仕する事が当たり前だと言うのに何かを受け取ることなどできるはずもなかった。魔人(ジニー)との物々交換しか経験のない宵切姫に、金という価値観はまだ難しいと言うのもあるかもしれない。

 

 さて、宵切姫は片付けて寝直すか、寝てしまった分を取り戻すために今から少し手習いをするか悩んだ。

 今日はとりあえず一週間と言われた最後の日なのだ。

 

「……やらなくちゃ」

 

 宵切姫は外が白み始めた中、必死に文字を書いた。

 仕事の時間はあっという間に訪れ、片付けをすると着替える。

 父の用意してくれた衣装は何枚も重ね着るものなので、それを一日一枚、毎日大切に着た。

 いつ竜王に目通りできても良いよう、竜王の従者として相応しいよう、いつでも綺麗にしておこうと思い、汚い格好にならないように気を付けた。

 

 急いでズボンに足を入れると、足を覆う硬い外皮がズボンにひっかかる。

「あぁ…、急がないといけないのに…!」

 引っ掛かりを外し、それの上に上等な――あまりにも上等な衣装を一枚羽織る。

 この地は砂漠から考えると日中はとても涼しく、夜はほとんど冷え込まない。

 氷点下の夜と、タンパク質が変性する程の暑さの昼を当たり前としていた宵切姫は、暑さ寒さには強かった。それはラクダのカタレィオも同じことだった。

 

 服を着ると、髪を丁寧に整えることも忘れない。

 そして鳥籠に閉じ込めておいた虫を朝食に口へ放り込む。この森に住むカブトムシという生き物の幼虫は砂漠では味わったことのないクリーミーさで、柔らかく、芳醇な木の香りのする素晴らしい虫だった。

 砂漠長虫(サンドワーム)が集落に紛れ込んでくると、戦士団の他にも集落中から人が出てきて皆で退治をしたことを思い出す。その後、砂漠長虫(サンドワーム)の肉は砂を避けて皆で食べるのだ。あのご馳走は素晴らしかった。

 

 だが、この鳥籠には本当ならば鳥を飼ってみたかった。宵切姫の代わりに風になって、落夜と崩夜の下へ飛んで欲しかったのだ。いつか落ち着いて、ここの仕事に慣れたら、きっとどこかで鳥を捕まえて飼おう。

 

 昨日とった虫が全てなくなると、宵切姫は部屋を飛び出――したい気持ちを抑え、竜王の従者に相応しい優雅な足取りでイル=グルの部屋へ向かった。

 扉を叩くと、すぐにイル=グルは出てきてくれた。

 彼はいつでも煌びやかで、パッと目を引くほどに美しく着飾っている。

 宵切姫の衣装も捨てたものではないが、もっとアクセサリーがあっても良いかもしれないと思う。その方が、このイル=グルの後任として相応しい気がしたから。

 

「おはよう、宵切姫」

「おはようございます!イル=グル様」

 

 イル=グルは宵切姫と共に、登城した従者達が集まる部屋へ向かった。

 城に住み込んでいるのだから、そこに一番に訪れるのはこの二人だ。

 朝は冷える――とイル=グルが言っているので――火打ち石にナイフの背を滑らせて火を起こす。

 シュッ、と擦ると火花が散り、火種となる枯草に点火できる。最初は小さく燃えている火種を両手で包み込み、顔より少し高い位置に上げて下から息を吹きかける。

 何度も吹くと、小さかった火は少しづつ大きくなり、次第に手で持っていることも難しくなる。

 それを暖炉へ入れ、薪を積む。

 薪も種になる枯れ草も、海蜥蜴人(シーリザードマン)達が象魚(ポワブド)の世話の合間に取りに行ったり買ってきたりしてくれるものだ。

 ちなみに彼らが家畜ではないと言うことはイル=グルから何度も言い聞かせられた。しかし、宵切姫は海蜥蜴人(シーリザードマン)を見るたびに美味しそうな頬肉だなぁと思わずにはいられなかった。

 

 炊事だけは万全の宵切姫は手際良く火を起こすことに成功すると、少しだけ煤の着いた顔を拭った。

 イル=グルが席につくと、そのそばに宵切姫も座る。他の誰かがくれば立って過ごすが、朝には一日何をするのか教えてもらうため、この時間だけは座らせてもらっている。

 

「今日はとりあえず一週間と言った最後の日だと覚えていよう?」

「はい!本日もよろしくお願いいたします」

「うむ、それなのだが、今日は七日に一度訪れる安息日。つまり、休みぞ」

 宵切姫は、かならず週に一度休みを取らなければならないと砂漠で聞かされていたことを思い出した。

「あ……そ、そうでした。申し訳ありませんでした」

「良い良い。それより、ぬしは一週間よくやった。我はずっと見ていた」

「あ、ありがとうございます!」

 一週間、初めて褒められた。宵切姫はまだ何も出来ていないが、少し涙ぐんだ。

 

「で、ぬし。ぬしはその勤勉さをいつまでも失わず、夜行性であるぬしからすれば昼夜逆転のこの生活を続けられるだろうか」

「続けられます!私はこれ以上ないほどに充実しております!」

「ふーむ……」

 イル=グルは悩むようだった。今日宵切姫が使い物になるかならないか決めるのは彼で、竜王に報告をするのも彼だ。

 

「治癒屋の端くれとして我はぬしに言わなければならない事がある。――ぬしの今の生活では我の仕事を継ぐ前に倒れるであろう。食事も昼は食べていまい。一日二度しか食べぬようではないか」

「そ、それは……大丈夫です!私達蠍人(パ・ピグ・サグ)は、本来であれば週に二度の食事でも生きていける種族です!」

「それは生命活動を続けられる食事であろ?ぬしはここにきた時より一週間で痩せた。ぬしもそう思わぬか。それに、睡眠時間も足りぬ。やはり、最初からアーグランド州で育ち、アーグランド文字を書ける者よりも学ばなければいけない事も、知らなければいけない事も多すぎる。今のままでは意味もなく命を落としかねん。ここは一つ、故郷(くに)に帰り――」

「イル=グル様!!」

 全てを言わせる前に宵切姫は立ち上がった。

 勢いに任せて椅子は倒れ、焚き火が弾ける音が響く室内を騒々しくした。

 

「私は、私はヴァイシオン様のため三十年間の時を生きて参りました!この地でヴァイシオン様のお役に立つよう、必死で……必死で勉強して参りました!私が砂漠で学んできた炊事などの殆どは意味のないものでしたが、でしたが……でしたがぁ……!」

 宵切姫はそこまで言うと顔を両手で抑え、肩を震わせた。椅子も倒れてしまい、床にぺたりと座りこむ。

 

 イル=グルはその背をさすり、どれだけ願っても、生まれというものは選べないものだなと、生の神を思った。

「イル=グルさまぁ、私、きっとお役に立ちます……。生まれてから一度も手を抜いたことはございませんでした……。文字も法律も必ず覚えると誓います……。すぐにでも使い物になるようになります……。他の従者の皆様が驚くほど、きっと……きっと……」

「宵切姫、ぬしは何故そこまで白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にこだわる……」

「ヴァイシオン様は……ヴァイシオン様は私達蠍人(パ・ピグ・サグ)魔人(ジニー)の神です……。ヴァイシオン様は自分は神ではないと仰いますが、さらに上位の神々を我々蠍人(パ・ピグ・サグ)のララク集落へお連れくださり、ララク集落に新たな加護を授けて下さいました……。それは魔人(ジニー)達のスルターン小国も同様です……。ヴァイシオン様は真実の神ではなくても、私達にとっては神そのもの。あの方は全ての蠍人(パ・ピグ・サグ)魔人(ジニー)の父です……!私達は心からヴァイシオン様に感謝し、愛しているのです……!なのに……うぅ……。私は、私は……!」

「そうであったか…。ぬしらは白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に救われたのだな」

「はい……。だから、どうしても……私はこちらでお仕えし、お役に立ち、恩返しをしなくては……!」

 語っている間、宵切姫の涙は止まらず、ずっとぽろぽろと溢れていた。

 

「ぬしが役に立ちたいと思っても、実際に役に立てるかどうかは別の話だと言う事は、わかるね?」

 イル=グルは子供に言うように優しく尋ねた。

「……はい………」

「そして、もし白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が迷惑だと言えば、受け入れるしかないと言う事も、わかるね?」

「……………はい…………」

 イル=グルは数度その背を撫でてやると立ち上がった。

 

「宵切姫、今からぬしには荷物をまとめる時間を与えよう。いつも議事録をお持ちする時間にまたここに来て、共に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の下へ行こうぞ。その時には来た時と同じように、全てを持って来るのだよ」

 宵切姫も鼻を啜ると立ち上がった。

「……かしこまりました」

「……うむ、うむ。ぬしが一週間、誰よりも良く頑張ったと言うことはお伝えしよう」

「ありがとうございます…」

 

 頑張ったが、役に立てたことはあっただろうかと一週間を振り返る。

 イル=グルの翼の付け根を少しマッサージした。インク壺と紙を用意した。火をおこした。

 それだけだ。子供でもできるし、イル=グルも手伝われなくても出来たことばかりだった。

「では、また夕暮れどきに」

 イル=グルが静かに立ち去って行くのを、宵切姫はひれ伏すように頭を下げて見送った。

 

「……荷物を纏めなくちゃ………荷物を………ぅ……ぅ………ぅわぁぁぁあ!!うわぁぁあああ!!ヴァイシオン様ぁ!!申し訳、申し訳ありませんでしたぁぁあ!!ふわぁぁぁあん!!」

 廊下で宵切姫の泣き声を聞いたイル=グルは辛そうにため息を吐き、一度自分の部屋に戻った。

 

 毎日提出されたアーグランド文字の手習いの結果は、お世辞にも綺麗とは言えない。アーグランド文字は複雑で、二つや三つの文字を組み合わせて、一つの文字として読ませたり、同じ言葉でも幾通りも書き方があったり、女性が書くのに相応しい言葉や、男性が書くのに相応しい言葉、それから文の中でのみ使われる言い回しなどが多く存在する。リ・エスティーゼ州で使われている文字や神聖魔導国の公用文字とは違って文字同士も繋がっているので、慣れなければ読むことはとても難しい。

 

 それをたった一週間で学ぶことなど不可能だ。

「よくやった。よくやったが――使い物になるかと言うのはまた別の話ぞな」

 提出された手習いの紙をそっとまとめる。ここで過ごした一週間は彼女の中で辛い思い出になるかもしれないが、いつか振り返ろうと思った時に彼女が再びアーグランド文字を見られるように。それから、故郷の仲間にどれだけ頑張ったのか分かってもらえるように。

 

 きっと、彼女は故郷の仲間の気持ちを背負ってきているのだ。そんな仲間達に軽蔑されてしまわないように。

 

 イル=グルが最初に渡した基本文字の一覧は何度もなぞりすぎて穴があいてしまったのを知っているので、新しい表を作って一緒にまとめてやった。

 二つ綺麗に穴をあけて紐を通す。こうしてみると、辞書のように厚くなっていた。

 後で渡してやろうと決め、他に何か渡せるものがないかイル=グルは頭を悩ませる。

 辞書などはこの城の持ち物なので勝手にくれてやったりはできない。

 

 ――そうだ。

 いつも羨ましそうに見ていたこのネックレスをやろうか。人魚(マーマン)が海の中で水火と言う特殊な火を使って作り上げるこのネックレスはアーグランド州でしかほとんど手に入らない。

 自らの首から外すと、それも宵切姫の頑張りの証の上に乗せる。

 

 夕暮れが訪れる事がこれほど憂鬱なのは初めてだった。

 

 イル=グルは、竜王の中では白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は群を抜いて優しいと思う。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の代わりに評議会に上がるようになるまで竜王などあった事もなかったが、竜王は太古からの多くの知恵を持つ神のような存在故、まさしく神のように君臨していた。

 ただ、イル=グルはそれに不快感を抱いた事はない。

 

 彼らも、この場所に付き合ってくれているのだ。彼らは一人でだって生きていける絶対的存在だと言うのに、共に評議員として肩を並べ、自分の十分の一ほども生きたかどうか分からないような生き物と言葉を交わしてくれているのだ。

 彼らは何百歳と生きる。

 同じ尺度で物を語れと言う方が難しい。

 八十歳の大人が八歳の子供に自分と同じだけの事を要求しなかったり、自分よりある意味劣った存在だと思ってしまうことは当然なのだ。

 

 その点、ここの主人たる白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は今を生きる者達の目線でよく色々なことを考え、本国との調整を行ってくれている。宵切姫が神と呼びたくなる気持ちもよくわかる。

 評議員のリシ=ニアは、評議国が属国になってしまった時に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の事を厳しく評価していたが。

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と言えば、従者達以外で姿を見た事がある者の方が珍しい――竜王くらいしか目通りも叶わぬ天上の存在だった。

 

 だが、あの時(・・・)イル=グルに手を差し伸べてくれた。「イル=グルには不自由かもしれないけれど、僕が責任を持って監督する」と言ってくれた。

 その実、従者として金を払って雇い、他者からの攻撃を受けないようにここで守ってくれている。

 保護観察中とは言え本当は城に住み込む必要はないのだ。

 

 しかし、イル=グルはまだ帰れない。

 

 ケル=オラ事件の罰はあまりにも重く、近くに暮らしていた者や親族郎党処刑された。

 近くに暮らしていただけで処刑されてしまった者の家族や友人は、ケル=オラも刑を受けるために居なくなってしまった中、攻撃する先をイル=グルしか見つけられなかった。監督不足だと石を投げられた。毒粉を庭先に撒かれるなどの脅迫めいた真似もされた。

 神聖魔導国に入っていればここまでの制裁は受けなかっただろうと――人魚(マーマン)の治癒費の事もあり――世論は一気に神聖魔導国派へと移り、評議国は国としての地位を失った。

 

 今ではケル=オラ事件のおぞましい制裁の後も片付けられ、一年経ってようやくイル=グルへの八つ当たりは減って来た。

「神聖魔導国へ入るきっかけを与えた人に何をする」「隊を任された人が違えばもっと酷い罰になっていたかもしれないんだぞ」「この人に責任があるなら、ケル=オラの近くに何年も住んでいながら歪んだ思想に気付かなかった近隣住民にも責任がある」と言ってくれる人が増えて来たためだ。

 

 後二年もすれば、イル=グルへの被害はすっかりなくなるだろう。

 

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)も本当は思うところがあったかも知れない。蛾身人(ゾーンモス)のせいで、と。

 しかし、彼は「天災にぶつかったと思うしかないね」と言うだけだ。

 たった三年の契約だが、イル=グルは一番大変な仕事を他の従者達から全て回してもらい、恩返しに励んだ。

 宵切姫の気持ちは――よくわかる。

 

「……白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)なら……」

 イル=グルは少しだけ考えたが、首を振った。

「もしや」などと言う雰囲気を出し、自分の態度から無駄な希望を持たせてることになっては宵切姫が可哀想だ。

 宵切姫にくれてやれる僅かなものを風呂敷に包んでやると、窓辺で葉巻を一本吸った。自分で調合しているものだ。

 

 いつも仕事後にここで一服していると、宵切姫が走ってカタレィオの下へ向かうのが見えていた。

 カタレィオに食事を取らせ、川で洗濯をし、魚を取り、水浴びをして壺いっぱいの水を持って城に走って戻る。

 夜の間はぼんやりと彼女の部屋に明かりが付いていた。彼女は夜目がきくらしく、ほんの少しだ。きっと、蝋燭一本とか、手習いを済ませた紙を捻って油皿に入れて灯していたとか、そんなものだろう。

 

 ほう、と良い香りの息を吐くと、いつもの様に宵切姫がカタレィオの下へ向かうのが見えた。

 とぼとぼ、と言うよりはいつものように走っている。

 

 休みとは言え、象魚(ポワブド)の世話はあるので海蜥蜴人(シーリザードマン)達は来ているため外はある程度賑やかだ。

 宵切姫は魚舎に入ると、すぐにカタレィオを引いて出て来た。

 そして服を全て脱ぐと冷たい川に入り、カタレィオを一生懸命洗った。海蜥蜴人(シーリザードマン)が慌てて象魚(ポワブド)を引いていき、城と彼らの働いている場所から宵切姫が見えないように座らせた。

 

 イル=グルは思わず笑ってしまった。異種族とは言え、娘の裸を見ては悪いと気を使ったのだろう。

 宵切姫は自身とカタレィオの水浴びを済ませると、カタレィオを連れて城に走って戻って行った。

 あの大荷物は載せ直すだけでも重労働だろう。

 来た時にも何も手伝ってはやらなかった。

 大変だったろうに――。

 

 イル=グルはここにいても気が滅入ると、窓を開けた。

 そのまま窓から飛び立ち、街へ繰り出した。

 部屋には甘い葉巻の香りだけが残った。

 

+

 

 夕暮れ。

 

 宵切姫は荷物を乗せたカタレィオを引き連れて、来た時と同じ、異国情緒に溢れた美しい出立ちで現れた。手には、次に目通りが叶う時に渡すと言って大切にしていた酒壺。

 廊下で会うと、イル=グルは持ち帰るためにまとめてあげた物を宵切姫に渡した。

 

 宵切姫は何が入っているのかと風呂敷を広げ――

「こんな……いただけません」

 イル=グルのネックレスを困ったように見つめた。

「それを見せて、皆によくやって来た褒美を貰ったと言うと良い」

 イル=グルはそう言って受け取らず、宵切姫は結局イル=グルのネックレスを貰った。

 

 二人は城の階段をいくつも降りた。日中に綺麗に洗ってもらったカタレィオからはお日様の匂いがした。

 山の中が丸ごと城になっているため床は硬い岩盤を削り出して作られている。きっと、昔岩顕巨人(ガルン・トルン)が掘ったのだろう。

 ――いや、竜王達は想像を絶する秘密の魔法を持っていると言うので、魔法で生み出したのかもしれない。

 

 階段を降りきり、巨大な扉の前に着く。

 一番小さな扉を開き、イル=グルは飛び立つ。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、一週間の成果をご報告に上がりましたぞ」

 声をかけ、その目の前へ続く階段に降り立つ。

 

 ツアーは一度クァっと巨大な口で欠伸をすると、猛風を吐いた。

「ふぅー…。もう一週間か。それで――どうだった(・・・・・)のかな?」

 イル=グルは一度階段の下にいる宵切姫を見下ろした。

「よく学びました。寝る間を惜しんで頑張っておりました」

「それで、どれほど使い物になったのかな」

 巨大すぎる瞳に射られ、イル=グルは蛾身人(ゾーンモス)が一瞬生み出す事ができる竜の幻覚などおままごとだと思った。

「……残念ながら、あまり役には立ちませんでした」

「ふーむ」

 大きな手でカカカカカ、と寝そべっている床を叩く。絶対王者の風格だった。

 

 宵切姫は壺を持つと、階段の下から二人を見上げた。

「…私も、上がってよろしいでしょうか……」

「構わないよ。ただし、上がる必要もないのにここに上がった者はこれまで片手で数えられるくらいしかいないと言う事は知っておいてくれるかな」

「はい。私は、御身に渡したい物があるので、上がらせていただきます」

「そうかい」

 宵切姫は美しい衣装を引きずり、転ばないように気をつけて階段を上がった。

 

 イル=グルの隣に座ると、壺を差し出した。

「どうぞお受け取りください。ヴァイシオン様の為に作った砂漠の恵みでございます」

「ありがとう。嬉しいよ」

 感情は大して乗っていないが、他の竜王ではそうも言ってくれないだろう。

 宵切姫は心底嬉しそうに笑うと、胸元から紙を一枚取り出した。

「お受け取りいただけましたこと、私こそ感謝申し上げます」

「うん。それで、もう良いかな」

「いえ……。ヴァイシオン様、私、お手紙を書いて参りました」

「アーグランド文字でかい?」

「はい!」

 震える手は、直接渡すことすら無礼であると思っているようで、イル=グルに差し出された。

 

「ど、どうか…イル=グル様……。これを読めるかご確認ください……。そして、ヴァイシオン様に……」

 イル=グルはすぐにそれを受け取り、目を通していく。

「――うん。――うん。――…………うん」

 すぐに手紙を読み終わり、綺麗に畳み直すと絶対者へ差し出した。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、御目汚しかもしれませぬが、読めないほどではありませぬ」

「そうかい」

 いつも議事録を置いていく場所にそっと手紙は置かれた。

 

 ツアーはそれを眺め下ろした。

 目が細かく左右に五回ほど動くと、読み終わったのかフッとその手紙を吹き飛ばした。

 風は宵切姫の顔にもあたり、座っていると言うのに一瞬後ろに倒れそうになった。

「もしあの字で議事録を持って来られたら疲れてしまうね」

「申し訳ありませんでした」

「いいよ。もう行きな」

 宵切姫は伏して頭を下げ、イル=グルも残念そうに息を吐いた。

 そして、宵切姫を立てせる。

「さぁ、行こうぞ。宵切姫」

 

 宵切姫の目にはたっぷりの涙が溜まり、何か一言でも発すればすぐにもこぼれ落ちてしまいそうだった。

 感情の爆発を必死に耐えているのが一目で分かる。

 

「宵切姫…。あまりここにいてもご迷惑になろう…」

 イル=グルが背をさすると、宵切姫の瞳からはついに涙が溢れた。

 

 ツアーはうん、と顔を持ち上げると告げた。

「………もう一週間学べばもっとうまく書けるようになる。また一週間頑張ることだね」

 宵切姫とイル=グルが驚きの瞳で絶対者を見上げる。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)…?」

「イル=グル、君は嫌かな。また一週間宵切姫の教育をするのは」

「い、いえ。とんでもありません。彼女は何でもよく頑張りますから」

「そうかい。じゃあ、また一週間頼むよ」

「かしこまりました」

 イル=グルがぺたりと床に四つの手をついて頭を下げる。宵切姫は呆然とツアーを見上げていた。

 

「……もちろん、帰りたいなら別に帰ってもいいよ」

 

 その言葉にハッと我に帰った。

「は、い、いえ!!やらせていただきます!!次は、次はもっとたくんさんの言葉を、もっと美しく書いてお渡しいたします!!」

「そうかい。僕達が使うのはアーグランド文字だけでなく、公用文字もあるからね。よほど頑張らなければいけないと思うよ」

「やります!!世界中の文字を書けるようになって、きっとヴァイシオン様のお役に立ちます!!」

「やる気は変わらないんだね。さぁ、もう下がって良いよ。――あぁ、イル=グルは残ってくれるかな。休みなのに悪いね」

「いえいえ。では宵切姫、先に自分の部屋へ行って荷物を片付けて来なさい。後で、約束の山まで飛んで連れて行こうぞ。今日は冷えるから、きっと雪も見られよう」

「はい!!失礼いたします!!ヴァイシオン様、イル=グル様、ありがとうございます!!」

 宵切姫は二人に向けてべったりと伏してから小走りで階段を降り、カタレィオを連れて出て行った。

 

「――イル=グル。君があんな顔をしたらこう言わざるを得ないじゃないか。仕事を頼みにくくなる」

 ツアーは苦笑混じりに三年だけの部下に告げた。

「はは、いや。これはこれは。失礼いたしました。ですが、宵切姫は本当によくやっております故、私が出た後、きっとお役に立つでしょう」

「どうだかねぇ。まぁ、本当に使い物にならなかったら追い出すよ。一般常識も、まだ全ては身についていないんだろう?」

「まだです。ですが、きっと育てて見せましょうぞ」

「また来週、使い物になったか聞くよ」

「私くらいのものには後二年で育つと思いたいものですな」

「それは流石に無理じゃあないかな……。まぁ、他の従者の手伝いに回すと言う手もあるからね。君が今やってくれている仕事は再び数人に分けて、それの補佐をさせる事になりそうだ。今君はよくやってくれすぎているよ」

「ありがとうございます。そう言っていただけると何よりです」

 イル=グルは笑うと、「それでは」と告げてツアーの大広間を後にした。

 

「はぁー……」

 ツアーは宵切姫を思いつきで連れ帰ってしまった事を少し後悔した。

 今一番有能な男が落ち込んで使い物にならなくなっては困る。

「……この慈悲深さはフラミーに聞かせたいな」

 ツアーは伝言(メッセージ)転移門(ゲート)か、何か来ないかなと思いながら目を閉じた。

 

 

 それから一週間後、ツアーは宵切姫の契約をまた一週間更新した。

 宵切姫の書く文字も前よりは見やすくなっていた。そして、また渡された手紙をフッと吹き飛ばしたらしい。最初は五行だったが、二度目は七行あった。

 

 ちなみに、最初のたった五行、苦労して書かれていた手紙はこうだ。

 

 ――慈悲深き我が竜王。

 ――あなた様のおかげで宵切は素晴らしい一週間を過ごせました。

 ――どのような思い出よりも、ここで過ごせた日々は輝いておりました。

 ――帰ることになったとしても、宵切はあなた様の慈悲深さを忘れることはないでしょう。

 ――どうかいつまでもお健やかに。

 

 字そのものは読みにくかったが、一週間と言う期間を考えれば及第点だろう。

 それに、ここに置いて欲しいとか、帰りたくないとか、縋り付くような事が書いてあればすぐにでも追い返そうと思っていたが、どこまでも前向きだった。

 慈悲深いと二度も書かれているし。

 

 

 その後、宵切姫はイル=グルが辞めてしまう頃にはアーグランド文字と公用文字を何とか習得した。

 イル=グルは辞めてしまうその日まで、毎週カタレィオを従える宵切姫を伴ってやって来ては、使い物になったかどうかを聞かせた。

 そして、ツアーは毎週別れの手紙をもらうたびにふっと吹き飛ばした。

 

 手紙は全て同じ場所に積み重なって行き、捨てられるようなことにはならなかった。

 

 宵切姫は夏季休暇と冬季休暇の度に、必ずディ・グォルス州のララク集落に帰った。

 迷惑がられながらも、カタレィオを連れて乗合馬車(バス)に乗り、何日もかけて帰った。そして、必ず約束した日の前日には城に戻って来た。

 

 彼女は変わらず寝る間を惜しんで勉強したが、食生活はとても改善された。買い物に行く余裕もできたし、金の使い方も覚えた。たくさんの本を買ったり、国営小学校(プライマリースクール)の教科書を買ったり、宵切姫の部屋はいつしか図書室のようになった。

 

 与えられる賃金は半分返していたが、たくさん貯めて本棚をいくつも買った。

 その時にはそれはそれは満足げに部屋を見渡したらしい。

 

 ツアーの代わりに評議会に出席すると、宵切姫は評議員として働き始めたイル=グルにちゃんと食べているか、寝ているのか毎回聞かれた。

 イル=グルは最後まで宵切姫の良き教師として多くの相談に乗った。彼女の首にはイル=グルがくれたネックレスがない日はなかったそうだ。

 

 そうして歳を重ね、宵切姫は昔書いた手紙を手に取ると、恥ずかしそうに笑ったらしい。

 

 六十歳を迎える頃には各地にある多くの文字を覚えていた。公用語とアーグランド文字しか読み書きできない者が多い中、彼女は本当に有能だった。

 

 ツアーが最初に辞めるように約束をした六十の歳になった時、彼女はイル=グルに教えを乞うていた頃のように、多くの荷物をラクダに載せてこの広間を訪れた。カタレィオはもう死んでしまっていた。彼の死肉はツアーに捧げられた。このラクダはカタレィオの子だ。

 

 そして、お世話になったと深く頭を下げ、本当の別れの手紙を差し出した。

 

 ツアーは有能な彼女にもう少しここで働いていかないか尋ねるが、宵切姫はそれを断った。

 同時に、自分と入れ違いで五人もの宵切姫がここに来るようにきちんと言ってあるから心配しないで欲しいと幸せそうに笑った。休みに必ずララク集落へ帰っていたのは、次の宵切姫を育てる為だった。

 

 確かに三十年前に会った魔人(ジニー)の大司教は「生贄を必要とされた際にはいつでもそのように仰いくださいませ」と言っていた。本当に用意はしていたのかと苦笑する。

 

 部屋は今の宵切姫の一部屋で十分だと言い、彼女は宵切姫としての役目を終え、集落へ帰って行った。

 集落で迎えられる彼女は蠍人(パ・ピグ・サグ)にも、魔人(ジニー)達にも歓迎された。

 

 子供は持たない人生だったが、素晴らしい一生だったと笑い、七十五の歳でこの世を去る。寿命よりも早い幕切れだ。

 

 優しくも美しい姫は、たくさんの妹と弟の子供達と、それから、読み書きを教えてやった集落中の人々に見送られた。

 

 その遺体は砂漠の掟に則り、虫や鳥が食べ、いつしか砂に覆われて消えた。

 宵切姫の葬儀に、イル=グルを伴って現れたツアーは竜の身で立ち合い、「とても助かったよ。ありがとう」そう言って帰って行ったらしい。

 イル=グルは二度と目覚めぬ彼女の胸に、彼がかつてまとめてやった手習い帳が乗っているのを見ると、少しだけ泣いた。

 

 

 さて、五人もの新しい宵切姫は、姫だと言うのに男が二人いたそうだ。ただ、去勢しているため一部屋で十分だと笑った。

 五人の宵切姫達もやはり、あの酒を持って来たそうだ。

 彼らもツアーのために三十年よく働いた。一人目の宵切姫と遜色のない働きを初日から見せ、休暇に帰った彼女がどれだけ必死に頑張ってくれたのか、ツアーには手に取るようにわかった。

 そして、彼らも六十になる日、ラクダにたくさんの荷物を積んで、ツアーに別れの手紙を渡して帰っていった。

 入れ違うように次は二人の宵切姫が来てくれた。

 その子達は最初の宵切姫を知る最後の宵切姫だ。集落で宵切姫からたくさん学んできてくれた。

 

 ツアーは、多彩に文字を操り、この城の多くのことを行ってくれた宵切姫達が残した手紙をひとつも捨てなかった。

 

 そして、何百年の時を重ね、何十人もの宵切姫と共に過ごしても最初の宵切姫への感謝を忘れなかった。

 

 宵切姫の最後の手紙には、もちろんこう書かれていた。

 

 人は決して忘れられないようなことがいくつもある生き物でしょう。

 それが良い思い出ばかりの私はきっと、幸せ者なのだと心から思えるのです。

 

 ツアーは笑った。




宵切姫ちゃん……よかったね……(;ω;)本当にツアーが大好きだったんだね…

次回#143 閑話 子供の頃の友達
3日に書き上げます!
よーし!今日から奇数の日に二日おきであげちゃうぞお!


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#143 閑話 子供の頃の友達

 ナザリック地下大墳墓、第六階層。

 ナインズは一郎太、二郎丸と共に歪みの木々が見える場所で、侵入禁止区域を眺めていた。

「この木なら一太とニの丸も登れるよ!」

「ナイ様、でも歪みの木々には近付いちゃいけないって陛下方と父者達が言ってましたよ。」

「大丈夫大丈夫!一本登るくらい!」

 明日三歳になるナインズはネジくれて歪む木に手を伸ばし、ひょいひょいと軽い身のこなしで登って行った。十レベルを越えたナインズは普通の人間よりも体も頭も少しだけ成長が早いようだった。

「一太ー!二の丸ー!」

 手を振るナインズにミノタウロスの従兄弟は目を見合わせ、蹄を木に掛けて上り始めた。

 最初は恐る恐ると言う具合で、蹄が樹皮の上を滑っていたが、うまく歪みに足をかけて次第に登れるようになった。

 直立に生える木には一度も登れた事がなかった二人は初めての木登りに夢中になった。

「うわー!すごいや!――二の丸、大丈夫か!」

 一郎太は付いてきている二郎丸に振り返った。

「イチ兄、待ってぇ。」

「二の丸、大変だったらそこら辺に座ると良いよ!」

 ナインズが二郎丸の近くの幹を指を差すが、二郎丸は首を振った。

「な、ナイ様のおそばに上がります!お守りします!」

「あはは!ぼくはちっとも心配ないのにぃ」

 三人は歪みの木のてっぺんに上がり、並んで座った。三人の背は同じくらいになった。一番小さかったナインズもようやく一郎太の背に追い付いたのだ。とは言え、まだまだちびすけ達だが。

 三人は随分高くまできたなとゴクリと唾を飲んだ。二メートル半程度だろうか。普通の家のワンフロア分の天井程度の高さだ。

「…ねぇ、一太?」

「なんです?」

「この先はとっても危ないってアウラが言ってたよね?怖いやつがいるって。ぼく、それ見てみたいなぁ。」

 一郎太はナインズの顔を覗き込んだ。

「陛下にお願いしてみたらどうですか?」

「行ってみたいって言ったけど駄目だって。九太が見るものじゃないって。ぼく、見たいのに。」

 ナインズの視線は広い歪みの木々のエリアに注がれている。

「オレ、ナイ様が見に行きたいなら一緒に行きます!」

「本当?」

 一郎太が頷き、二郎丸も頷いた。

「ボクも行きますよ!ボクはいつかこのダイロクカイソウ世界を端から端まで歩くのが夢ですから!」

「わぁ、それ、ぼくも一緒に行きたいなぁ!」

「行きましょう!」

「きっと三人なら怖いものなんてないですよ!」

 三人は高い声できゃいきゃいと楽しげに笑った。

「あぁあ、見てみたいなぁ!」

「ナイ様、行きます?」

 ナインズは一郎太の問いに悩むような仕草を見せると、大きく首を縦に振った。

「……うん!行く!!」

「行きましょう!!」

「じゃあ、もう降りよ!」

「はい!」

 幹の根本に一番近い二郎丸は木を降りようと下を覗き見た。

「っひ…。い、イチ兄、先に降りて。」

「二の丸怖いの?」

「こ、怖くないけど……。」

 高いところに生まれて初めて登った二郎丸は一瞬呼吸を忘れた。

「二の丸、手ぇ出して!」

「は、はい。」

 ナインズに言われ、二郎丸はすぐに手を差し出した。ミノタウロスの手は人間と同じように五本指だ。

 ナインズはポケットに入れてある小さな小瓶を一つ取り出すと、それの蓋を開けた。

「二の丸、勇気の出る字書いてあげる!ぼくもね、お母さまに何回か書いて貰ったんだよ!」

 壺の中に指を浸し、二郎丸の手のひらにT(ティール)を書き込んだ。

 文字は一瞬発光したが、ぐにゃりとその手のひらで形を変えた。

「へへ、すごいでしょ。ぼくの魔法だよ。」

 ナインズは得意げだが、魔法は正しく発動していない。

 しかし、子供同士のお遊びには十分な効果をもたらしたようで――「ボク、降りれる気がしてきました!」

 二郎丸はちらりと下を見たが、うまくいくに違いないと思いながら自信を持って木を降りていった。

「じゃあ、オレも降りよっと!」

 続いて一郎太も降りる。

 ナインズもひょいひょい小猿のように降りていく。

「じゃあ、行ってみよー!」

 ナインズの言葉に一郎太と二郎丸は「おー!」と声を上げた。

 親達も似たような事を砂漠でやっていたとは知らない。

「バレちゃ怒られるからね、こっそりだよ!」

「こっそりですね!」

 三人は今更歪みの木にぴたりと背をつけ、さらなる奥を覗き込んだ。

 ナインズがまず近くの歪みの木まで走り、その後を二匹のミノタウロスが続く。

 三人は木から木へ走り、入ってはいけない場所に入った事がバレないように身を隠して進んだ。

「ふふふ、おんみつ作戦だよ!」

 隠密の意味はよくわからないが、たまにアインズの執務室でお絵描きをしていて聞いた事がある。

 夢中になって木から木へと渡っていく。

「ねぇ!ここを全部見たら、次どこに行く!」

「オレは次コキュートス様のところが良いです!」

「ボクは蜥蜴人(リザードマン)の集落に行ってみたぁい!」

蜥蜴人(リザードマン)の集落!それってナザリックの外の?」

「はい!」

「オレもシャンダールとザーナンに、また会いたいなぁ!」

 ナインズは一郎太の語った友達の名前をうすぼんやりと思い出す。

 しかし、赤ん坊の頃は結構一緒に遊んだがナインズの記憶からは消え始めていた。

「い、行こう!そこ絶対に行こう!!ここの冒険終わったらすぐに!!」

 ナインズがズイッと身を乗り出すと、ミノタウロス兄弟は目をパチクリさせた。

「で、でもナザリックは出ちゃダメだって」

「どうやってこの世界を出られるのかもわかんないですよ?」

 二人の言葉にそれはそうだと思うが、ナインズは忘れ始めて来ている、とても良くしてくれていた二人の兄弟を思い出したかった。

「……ぼく、外まで行く道知ってる」

「えぇ!?」

「な、ナイ様それは父者達と陛下方に確認を取らないとまずいですよぉ」

「大丈夫!ぼく、お父さまによく言われるもん!九太はいつかナザリックの支配者になるって!」

「でも、今の支配者は陛下方ですよぅ…」

「大丈夫大丈夫!だってこの森も――」ナインズはそう言って緑の溢れる森へ振り返った。「――あれ?」

 しかし、どこをどう見ても緑の森などなく、あたりには灰色の歪んだ木が生えるばかりだった。

 地面の砂も、まるで炭の上に骨を砕いてかけたようで、灰色だ。

「な、ナイ様。オレ達どっちから来たんだろ…?」

「こ、こっちだよ」

 ナインズは自分の信じる方へ向かってまっすぐ歩いた。

 顎にかかるオカッパの髪が邪魔だった。

 三人は手を繋いでしばらく歩いた。ジャリジャリと靴音と蹄の音が鳴る以外、全く音もない。

 風ひとつそよいではくれなかった。

「ナイ様、本当にこっち?」

 二郎丸が尋ねる。ナインズは完全に自分がどこへ向かっているのか分からなくなっていた。

「だ、大丈夫だよ。二の丸、怖くない怖くない」

 頭を撫でてやるナインズは不器用そうに笑うと、ふと背中に視線を感じた。

「――え?」

 振り返ると、歪みの木にぴったり重なるように、何かがいるのが分かった。

「だ、誰!!」

 ゆらりと姿を現したのは、ナザリックで一度も見た事がない生き物だった。

 衣服は着ておらず、膝辺りまである長い二本の腕と、二本の脚。それから、まるで骨を皮で直接包んだような不気味な体。

 枯れ木のような体は非常に細く、ナインズが引っ張るだけで容易く折れてしまいそうだ。

 見上げた先に、頭部はなかった。

 呆然と見上げていると、それはぐっと腰を曲げて存在しない顔でナインズを覗き込むようだった。

「あ………あゎ………」

 恐ろしさに足がすくむ。

「や、や、やめろ!!ナイ様に近付くなよ!!」

 一郎太が二人の間に割って入ると、枯れ木はちらりと鬱陶しげに一郎太を見た。そう、見たのだ。

 頭が無ければ目だって存在していない。だが、ナインズにはそれが分かった。

「あ――や、一太は違うんだ!!一太は違うんだよ!!」

 もしょもしょの一郎太を抱きしめ、ナインズは枯れ木を見上げた。何が違うのかも分からないが、その視線はフラミーの膝に乗る双子猫を見るデミウルゴスのものによく似ていた気がする。

「ち、ちがうんだよ……。ちがうの…ちがうの……」

 そう言っていると、次は腰を抜かしている二郎丸を見る。

 枯れ木はもう一度ナインズを見ると、すっと息を吸い、ナインズは二人の手を取って駆け出した。

「走って!!走って!!」

「な、ナイ様!!」

 三人は訳も分からず走った。歪んだ木々が頬に引っかかり、ナインズの頬に擦り傷を作った。

「――っつ!」

 それでも走った。大丈夫だ。血は出ていない。

 これ程必死に走ったことはないと言うほど走ると、最初にナインズの息が切れ、次に二郎丸の息が切れ始めた。

「っはぁ!あぁ!も、もう走れない!!二人は走って!!」

 一郎太と二郎丸はナインズの向こうから先程の枯れ木が歩いて来ている事に気が付いた。

「――早く!!行って!!」

 二郎丸が一郎太の手を数度引っ張る。

「い、イチ兄!どうしよう!どうしよう!!」

「……二の丸!先に走れ!!」

「で、でもイチ兄は!?ナイ様は!?」

 一郎太は地面に膝と手をついてゼェゼェと息を切らすナインズの手を取って力一杯立ち上がらせると、頬に滲見始めた血を拭ってやった。

「ナイ様!!オレにちゃんと捕まってて!!」

「い、いち太ぁ?」

 一郎太は戸惑っているナインズをおぶると、一度ぴょんと跳ねた。

「こ、これじゃ走れないよ!一太!!」

「走る!!オレが走ります!!」

 一郎太は歯を噛み締めると走り出した。

 二郎丸が何度も振り返りながら、その背を押した。

「イチ兄もっと早く走ってよ!!」

「走ってるよ!!」

「来ちゃうよ!!――っうわ!!」

 背中を押していたせいで、足元がうまく見えていなかった二郎丸が木の根に躓くと、三人は将棋倒しになった。

 ザリザリと体が骨の上を滑る。

「っいったぁ!二の丸ぅ!!」

「ご、ごめんイチ兄。ナイ様平気?」

 一郎太は分厚い毛皮に守られ無傷だったが、おぶさっていたナインズの膝からは血が出ていた。

「っひ、っはぅ……!ち、血が…――」

 自分の血も他者の血も見慣れていない。

 大して痛みはないというのに、自分から血が流れていると言う事実だけで、ナインズは途端に膝が尋常ならざる痛みを持っているような気がした。

「っふぁ……うぅ…わ…ぅ……」

 泣いてしまいそうになるのを耐える。

 ――不意に二郎丸の体が宙に浮かんだ。ナインズと一郎太は二人で揃った動きでそれを見上げた。

「――貴様ら、何をしている」

 枯れ木はしゃべった。

 その声は明確な怒りを孕んでおり、首の後ろの皮を掴まれている二郎丸はガクガクと震えた。

「ご、ご、ごめんなさい…ごめんなさい……」

「ナインズ様のお膝に傷を付けたなど……どう責任を取る!!ミノタウロスの子よ!!」

 ドッと吹き荒れた怒りの感情に二郎丸は股間がじわりと温かくなるのを感じた。

 それはしゃー…と音を立てて地面に垂れて落ちていく。

「ご、ごめんなさい!ごめんなさぁーい!!」

 恐怖に呆然としていたナインズだが、世界で父より強い者がいるわけがない。父の事はたまにやっつけられているのだから、枯れ木よりもナインズの方が強い。

 そうだ、ナインズは強い。この世で一番強い二人の子供だし、訓練ではコキュートスもシャルティアもやっつけられるのだ。

 このひょろひょろの枯れ木が、あのコキュートスより強い訳もないのだ!

 一郎太の上にひっついたままでいたが、慌てて立ち上がった。

「ぼ、ぼくの二の丸を離せ!!」

 枯れ木は二郎丸からナインズへ視線を向けると頭の乗っていない首を左右に振った。

「この者には罰が必要です」

「離せ!!離さないと、えっと、こうだぞ!!」

 落ちている骨のかけらのようなものをかさりと拾い上げると振りかぶり、投げつける。いつも一郎太達と湖畔で石を投げている為か、十レベルオーバーの力のお陰か、弾速は程々にあった。

 乾き切った骨がコツン、と枯れ木の鎖骨に当たると、枯れ木はよろけて数歩下がった。

「――も、申し訳ありませんでした。御身がどうしてもと仰るならそういたします」

 枯れ木は二郎丸を離し、二郎丸はビシャっと地面に落とされた。そこには小便の水溜まりがあった。

 そして、枯れ枝の腕はまっすぐ一郎太へ伸び、掴み上げた。

「っうわぁ!!な、ナイ様ぁ!」

 ナインズは慌てて一郎太の足を掴んだ。

「は、離せぇ!!お前なんか、お前なんか怖くないぞ!!怖くないもん!!」

「…この者にも罰を与えないので?」

「ぼくの一太だぁ!!お前なんてどっか行っちゃえぇ!!」

 枯れ木はびくりと肩を震わせると、一郎太のことも離した。

 やはり地面にドサリと落とされ、尻を痛そうにさすった。

「い、いつつつ…」

「一太も二の丸も大丈夫?」

「うーん、大丈夫」「大丈夫です…」

 二人を抱き締めるナインズは自分が一番お兄ちゃんなんだからしっかりしないとダメだと自分に言い聞かせた。一郎太はずっとナインズより大きかったが、ナインズよりも半年遅く生まれているのだ。

 ナインズは睨みつけるように振り返ると――枯れ木は三人から踵を返し、サクサクと足音を鳴らして歪みの木々の中へ消えて行った。

「……やっつけた……」

「すげぇ!ナイ様すげぇー!」

「やったー!!」

 ナインズは左右からミノタウロスの兄弟に挟まれ、抱きつかれると口から小さな笑いを漏らした。

「ふ、へへ…へへへぇ」

「あ!森だ!」

 一郎太が指をさす、枯れ木が歩いて行った方には緑の溢れる、いつも遊んでいる森が見えた。

 三人は立ち上がると、そちらへ向かってまっすぐ駆けた。蠱毒の大穴に餓食狐蟲王を見に行くつもりでいたことは、三人の頭からすっかり抜け落ちていた。

 ついには緑色の草の上に辿り着くと腰を抜かしたように三人揃って座り込んだ。

「ひゃ〜怖かったぁ」

「怖かったですねぇ」

「でも、ナイ様がいたから大丈夫だった!!」

 二郎丸が身を乗り出すと、二人の視線はその股間へ集まった。

「二の丸はお漏らししたから全然大丈夫じゃなかっただろ〜!」

 一郎太がケタケタ笑うと、ナインズもおかしそうに「うふふ」と笑った。

「こ、こんなの泳げば大丈夫ですもん!綺麗になります!!」

「泳ぎに行こう!今のままじゃ汚いよ!」

「――じゃあ、湖まで競争ですよ!!」

 そういうと一郎太は一目散に駆け出し、二郎丸も続いた。

「あ、あ!待って!待ってよー!」ナインズも遅れて駆け出し、少しの癇癪を起こした。「もー!一太のずるっこー!!」

 子供達が立ち去った歪みの木々からは、ゾワリとおぞましき魔物達が這い出た。

 最近よくこの森を見に来てくれる至高の息子の背を、愛しげな瞳で見送った。

 

 そんな視線にも気が付かずにナインズは湖のほとりにビリッケツでたどり着いた。

「――あれ?お母さまと一太達のお父さま」

 湖畔に抜けた所にはフラミーが仁王立ちし、どう見ても怒っている様子の大人ミノタウロス、それからアウラ。

 一郎太と二郎丸はどうする?と目を見合わせていた。

「な、ナイ様…。皆怒ってそう…」

「……逃げる?」

「逃げられないですよぉ」

 三人は頭が落ちてしまいそうなほどに項垂れながら親達の待つ所まで進んだ。断頭台を登る囚人のように重い足取りで。

 もじもじする息子達が目の前までくると、フラミーはしゃがんで三人のことを見上げた。

「ナイ君、どうしてお母さんが怒ってるか分かるよね」

「……入っちゃいけない所に入ったから……」

「そう。ナイ君はお友達を危ない目に合わせたんだよ。もしお友達に怪我させちゃったら、ナイ君はどうするの?ごめんねしても、怪我は簡単には治らないんだよ?」

「……ごめんなさい」

「反省してるんならいいよ。じゃあ、一郎太君と二郎丸君にも、ちゃんとごめんなさいして?危ない所に連れて行ってごめんなさいって。ナイ君も今お膝痛いでしょう?お友達にこんな思いはさせたくないよね」

「一太、二の丸……ごめんなさい……。ぼくが行きたいって言ったから……」

 二人はぷるぷるとすぐに顔を振った。

「な、ナイ様のせいじゃないんです!」

「ボク達も行きたかったから!だからナイ様に来てもらったんです!!」

「一郎太君と二郎丸君は優しいんだね。ナインズを許してくれてありがとう。それから、守っておんぶもしてくれて。二人がここでナインズと一緒に育ってくれることを私達はいつも感謝してるんだよ。――<清潔(クリーン)>」

 フラミーが二郎丸を指さすと、おもらしをして濡れていたズボンはスッと乾いた。

「あ!あ!ありがとうございます!」

「ううん。さ、ナイ君座って。お膝見せて」

 ナインズは膝を山形に抱き抱えるように座った。

「お水で綺麗にするから、ちょっと沁みるよ」

「…お、お水じゃなくてぼく魔法がいい!」

「魔法はダメ。バイ菌入るから洗うよ」

 フラミーの手は空間のポケットに入り込み、するりと水差しを取り出した。

「お母さま!お水じゃなくて魔法がいいです!!」

「ダメだって言ってるでしょう?ほら、お膝洗わせて」

「まほ、魔法…魔法がいい!!魔法がいぃい!!」

 ナインズは土を少しザリザリと蹴ると、うわぁーん!と声をあげて泣き出した。何レベルと言ったって、知恵者に勉強を教えられたって、まだたった三歳の男の子なのだ。

「ふわぁーん!!魔法がいぃのにぃ!!」

 その様子を見ていた二郎丸は小さくなり、今にも泣いてしまいそうだった。

「い、いちにい…!」

「二の丸のせいでナイ様あんなに…可哀想だろ!」

「だって…にいが遅いから…」

 二人がゴニョゴニョと言い争う中、フラミーに何度も頭を撫でられナインズの涙は少しづつ止まり始めていた。

「ナイ君、痛いのは嫌なことだけど、このお膝と、このお膝は、一郎太君と二郎丸君が助けてくれようとした証でしょう?それに、ナイ君が皆を助けた証でもあるじゃない」

 両腕をさすられると、ナインズはえぐえぐ言いながら頷いた。

「じゃあ、自分の力で治さないと。これをお母さんが治したら、ナイ君の今日の冒険は無かったことになっちゃうよ?」

「…だって、だって……でも……」

「痛くても泣かないで帰って来られてとっても偉かったんだから、無かったことにしたらもったいないよ。本当はお母さんね、褒めてあげたいことがたくさんあるの。泣かなかったし、皆を守ったし、優しかった。あの森の中で、ナイ君はたくさん頑張ったんだから」

「頑張った…」

「うん。頑張ったよ。偉かったね。じゃあ、もうちょっとだけ頑張れる?」

「頑張る…」

「すごいなぁ、ナイ君は。お友達と作った傷は、いつかあなたのためになる日が来るよ。じゃあ、お膝洗うからね」

 水差しから溢れでた清潔な水はじんっとナインズの膝に沁みた。

 血の滲みに張り付いてしまっていた骨粉や骨のカケラが洗い流されていく。

「っぅぅぅ……」

「痛いね。怪我したくないね」

「やだぁ」

「もう終わるよ」

「うぅぅー!」

 膝から汚れがなくなると、フラミーは清潔な布で優しく押して水分を取った。

 白い軟膏とガーゼを取り出し、ガーゼに塗る。

「それ、なんなの?」

「これはお薬だよ。早く治るおまじない」

「魔法なの?」

「魔法ではないけど、痛いのが飛んでいってくれる!」

 二枚のガーゼが出来上がると、また新しく血が滲み始めてきた膝にぺたりと貼った。

「…あ!痛くない気がする!」

「そうでしょう?テープで止めてあげるから、もうちょっと待ってね」

 井の字にガーゼを止めると、フラミーは立ち上がった。

「はい、できた!遊んでおいで!」

 ナインズは恐る恐る立ち上がり、数歩歩くと膝があまり痛くないことを確認した。

「――痛くない。行こう!一太、二の丸!!」

「ナイ様、平気なの?」

「平気!おまじない貼ったから痛くなくなった!」

 ガーゼにはじんわりと血が滲んでいるのが見えるが、ナインズはケロッとしていた。

「陛下のお薬だから大丈夫になったんですね!」

「大丈夫!また登れる木探そう!また木の上で魔法しよう!」

 ナインズが森に向かって走り出すと、二匹は父達に一度振り返る。軽く顎をしゃくられると、すぐに後を追った。

 三人の小さな背は森の中に消えて行った。

「……アインズさんじゃないけど、やれやれって言いたくなっちゃうね」

「フラミー様、申し訳ありませんでした…」

「いいえ。本当にナインズが悪かったんです。あそこに入る事を一郎太君と二郎丸君が覚えたら、いつか二人だけで入って行きたくなる。そうなれば、きっと帰っては来られない。ナインズはナザリックの中ならどこに行ったってシモベが助けてくれるけど、お友達を殺してしまうようなことはしてほしくない。あなた達だって歪みの木々のエリアに入れば出られなくなる」

 ナインズの後には赤ん坊の頃からずっと付かず離れず不可視化したハンゾウが付いている。例えそのエリアを守護するNPCがいない場所に踏み込んだとしても、本当に危なくなればハンゾウが助けてくれるはずだ。八十レベルを超える高レベル傭兵NPCなので、よほど危険な場所に入らなければ命を落とすことも、大怪我をすることもない。

 一郎と二郎は申し訳なさそうに小さくなった。

 もしかしたら、お前達の子供をもっと教育しろと叱られたほうがミノタウロス達の気は楽だったかもしれない。

 ナインズだけが悪いはずがないのに、自分達の息子は怒られなかった。深い自戒の念に囚われる。

 大切に思う友達が叱られ、痛みに泣く姿を見ていた二人は何を思っただろう。

「フラミー様。一郎太と二郎丸によく言って聞かせます」

「ん、ありがとうございます。だけど、頭冠の悪魔(サークレット)がいきなり現れたら、冒険者だって逃げ出したくなるって言うのに、一郎太君と二郎丸君はナインズを置いて行かなかった。ナインズも負けなかった。皆すごく偉かったです。ありがとう」

「……畏れ入ります。寛大なお心に深く感謝いたします」

 フラミーは笑うと、登れそうな木を探して森の入り口を駆け回る子供達を眺めた。

「――楽しみだね。どんな大人になるんだろう。皆、きっと優しい良い子に育ちますよ」

 そう言って恐縮しているミノタウロスの背をぽんぽん叩いた。

「さて、アウラ。マーレと一緒に待ってる可哀想な頭冠の悪魔(サークレット)の所に連れて行ってくれるかな?」

「はい!どうぞお乗りください!」

 元気よく手を上げたアウラの隣に、ゆらりとカメレオンが姿を現す。頭を下げ、ぎょろりと上目遣いにフラミーを見る姿がとても愛くるしい。

 緊張しているのか木を掴むのに適した足の指で、数度地面を引っ掻いた。

「ありがとうね。歩いて行ってもいいんだよ?」

「いえ!この階層にいる間はご不便はおかけいたしません!」

「じゃあ、乗らせてもらっちゃおうかな」

「はい!是非どうぞ!」

 フラミーがクアドラシルに乗ると、フラミーの前にアウラも乗った。

「では、出発進行ー!」

 アウラが声を上げると、クアドラシルは滑るように歩き出した。

 六本も足が生えているのであまり大きくは揺れない。

 快適に進んで行くと、アウラとマーレが暮らす大樹の巨大な根の間に、可哀想な頭冠の悪魔(サークレット)はいた。両膝を抱え、ちょこりと小さくなっていた。

 マーレが頭の乗っていない首をよしよしと撫でている。

「フラミー様がいらしたよー!」

「――っは、ふ、フラミー様!!」

 頭冠の悪魔(サークレット)が慌てて体勢を変え、膝をつくようにする。

頭冠の悪魔(サークレット)さん、すみませんでしたぁ。骨投げられたところ痛くないですか?」

 クアドラシルから降りながらフラミーが言うと、頭冠の悪魔(サークレット)は顔などない場所に腕を当てた。

「うっ、うぅぅ。ふらみーさま……。わ、私は……ないんず様にどっかに行けと言われ、うぅぅ……。余計な事をしたせいで、私は…私はぁ……」

 おいおいと泣き始めると、何もないところからぽたぽたと水が落ちた。

「ご、ごめんなさいね。ナインズは本当、まだ何も分かってないの。本当は頭冠の悪魔(サークレット)さんのことだって嫌いじゃないんだけどね。ちょっと怖くって、つい言っちゃったんだと思うの」

「うぅぅぅ…。しかし、しかし……」

頭冠の悪魔(サークレット)さんが帰り道を教えてくれようとしてるなんて、あの子ったら思いもしなかったんです…。怖い場所だよーって何回も言いすぎた私のせいでした。ごめんなさい」

「と、とんでもありません…。ですが、私はもうナインズ様に合わせる顔がありません……」

 ――元から顔はないだろう。

 フラミーは一瞬よぎってしまった邪念を大急ぎで振り払う。

「そんなことないですよ!えーっと……どうしたらいいかなぁ…」

 どうやったらうまくナインズに謝らせることができるか考える。

 彼なりに友達を守ろうとしたと言うところはとても買っているので、ただ意味もなく他者を傷つけたとは思わせたく無かった。それを知るのはまだもう少し先で良いだろう。

 それに、頭冠の悪魔(サークレット)も謝りなさいと叱られるナインズに謝られてはより肩身を狭く感じそうだ。余計な真似をしたせいで、ナインズ様が怒られてしまったと。

「そうだ!」アウラがいいことを思いついたと手を打った。「――頭冠の悪魔(サークレット)さぁ、しばらく普通の森の中で小鳥と歌ったりしたら良いよ!」

「小鳥…でございますか…?」

「そうそう!そう言う姿を何回も見たら、ナインズ様も頭冠の悪魔(サークレット)の事が怖くなくなるんじゃないかな!」

「……そうでしょうか…。どこかへ行けと言われたのに…なぜまだナザリックにいるんだと言われてしまったら……私は………」

 頭冠の悪魔(サークレット)はしょんぼりと肩を落とし、マーレが優しく背をさすった。

「あ、あの!えっと、ナ、ナインズ様にきちんと謝罪されるのが、えっと、一番だと僕は思います」

 マーレの言葉に、フラミーは首を振った。

頭冠の悪魔(サークレット)さんは何も悪く無かったんだから、謝る必要なんてないよ。――ん?そうだ」

「そうだ…?」

 

+

 

「二の丸!そこ掴んだら登れるよ!」

 ナインズが二郎丸をほんの数センチ持ち上げて言う。

「も、もうちょっとぉ!」

「ほら、オレの手とって!」

 一郎太も上から手を伸ばし、二郎丸の服を掴んで引っ張り上げようと引きつける。

「うんん――ぁ!届いた!!」

 ついに二郎丸は目指していた幹を掴み、なんとか足を引っ掛けて一郎太のいる場所まで登れた。

「ほら、早く早く」

「う、うん」

 一郎太が進む後に続き、木の股が分かれているところに足をかけてさらに高い幹を目指し、無事に登ることに成功した。

「ひゃあ〜!この木は難しいよお。つるつるだもん」

「でも登れたじゃないか。ナイ様にお礼言うんだぞ!」

 その後をナインズも追いかけ、腰掛ける。

「ナイ様、ありがとうございます!」

「ううん、あそこで練習したからとっても上手になったね!」

「えへ?そ、そうですかぁ?」

「うん!でも、もうあそこには行けないね」

「…行けませんね」

 三人は歪みの木々がある方をじっと見つめ――ぞくりと背を震わせた。

 普通の森の木の合間を縫って、あいつ(・・・)がこちらへ向かってきていたのだ。

「な、なんで!?外に出られるの!?」

 ナインズが声を上げると、一郎太と二郎丸はしぃ!と口に手を当てた。

「ナイ様!まだ見つかってないですよ!しー!」と言う一郎太の声は割とでかい。

 三人は互いの口を塞ぎあい、幹の上でじっと静かに過ごした。

「ねぇ…ほんとにバレてない…?」

 ナインズが小声で言う。

 枯れ木のあいつはまっすぐこちらへ向かってきているのだ。

「陛下と父者を呼びに行きますか…?」

 などと言っているが、今降りれば確実に見つかるとしか思えず、誰もその意見に乗らなかった。

 じっと息を殺していると、枯れ木はついにナインズ達の登っている木の下までたどり着いた。

『ラララ私は木の精〜。ラララ怖いのは気のせい〜』

 枯れ木は歌い出した。

「何なの…?」

「さぁ……」

「違う奴かもしれませんよ」

 三人はごそごそと話し合う。

 枯れ木の周りには強そうな黒い鳥が集まり、ともにカァー!カァー!と声をあげて歌った。

『ラララ強いあの方はどちらかな〜ラララ素敵なあの方はどちらかな〜』

 少し調子の外れた歌に、三人はくすくす笑った。

「あいつ、きっとナイ様を探してるんですよ」

「うーん、お話ししてみようかなぁ…」

 木の上からナインズが覗き込むと、枯れ木はより声高に歌った。

「決めた!お話ししてみる!二人は待っててね」

 最後にナインズが登ったので、一番最初に降りることができる。

 途中まで慎重に降りると、ひょいと飛んで着地した。

「ねえ!ぼくに用?」

 枯れ木はぐるりと上半身を回し、ナインズを覗き込んだ。

「おやぁ!いらっしゃった!私は木の精、頭冠の悪魔(サークレット)さんです」

「サークレットさん」

「そうです。あなたの強さを見込んで、実は弟子にしていただきたいのです!」

 ナインズは初めての弟子に瞳を輝かせた。

「え!!ぼくの弟子に!!」

「はぁい!ナインズ様程のお方なのですから、弟子の一人や二人、ねぇ?」

「いいよ!いいよ!!ぼく、サークレットさんの先生になってあげる!!」

「あぁ、ありがとうございます!では、上の二人にも挨拶をしていいですか?」

「一太!二の丸!降りておいで!」

 話を聞いていた二人はもそもそと降りてきた。

「お前、ナイ様の手下になるの?」

「えぇ!そうです!」

「……いきなり襲ってきたりしない?」

「しませんとも!!」

 頭のない首を何度も縦に振り、固唾を飲んで三人を見た。

「じゃあ、よろしく!オレ一郎太!一太でいいよ」

「ボク、二郎丸。大人は皆ボクをじろちゃんって呼ぶけど、君、大人?」

 ミノタウロスの子供二人と握手を交わす。

 すると、ナインズも頭冠の悪魔(サークレット)へ手を伸ばした。

「サークレットさん、ごめんね。骨ぶつけて。今日から一緒に"地獄の特訓"しようね!」

 "地獄の特訓"とは今ナインズ達の中で最もホットな遊びだ。特訓と称してあれこれ登りまくる。それだけだ。

 頭冠の悪魔(サークレット)は両膝をつくと、両手で恭しげにナインズの手を包み込んだ。

「私こそ……私こそ申し訳ありませんでした……」

 何もないところからぽたぽたと涙が落ちていく。

「あー!サークレット泣いてる!泣いてる泣いてるー!」

 一郎太は嬉しそうに頭冠の悪魔(サークレット)の涙を指さした。

「一太、仲間になったんだから意地悪しちゃダメだよ。サークレットさん、もう二の丸に意地悪しないでね」

「いたしません…。誓います……」

「じゃあ、涙拭いて、地獄の特訓にいこ!!」

 ナインズは、目がどこにあるか分からなかったが、そっと優しく、涙が出てくる中空を撫でた。

「はい!!」

 

 四人はしょっちゅう一緒に遊ぶようになった。

 頭冠の悪魔(サークレット)は何度も踏み台になってナインズ達の木登りの手伝いをした。

 ナインズが四歳を迎える頃には、彼はゆっくりと会う頻度を減らし、いつしか一緒に遊ばなくなった。

 しかし、三人はたまに頭冠の悪魔(サークレット)のために、歪みの木々のエリアの前に花冠を置いてくれるらしい。

 ――サークレットさんへ

 と地面に書き付けて。

 

 子供の頃だけの、不思議な友達のお話だ。

 

+

 

「それでねー、ぼくねー、またれべる上がったかも!」

 湯船に腰掛けたナインズは両手でガーゼを覆い、慎重にお湯に入った。最初は少ししみたが、すぐに慣れた。

「そーかそーか。九太はまた強くなっちゃったのかー」

「そー!!お父さまが前に言ってた、ちょーい魔法覚えれるかも!」

「超位魔法は難しいぞぉ。だが、使えるようになったらお前に最古の森に雨を降らせに行って欲しいなー」

「いいよ!ぼくもお父さま達みたいにお天気変える!」

「ふふ、楽しみだなぁ」

 風呂で伸びるアインズは嬉しそうに笑った。




いつか忘れられちゃう思い出かもしれないけど、サークレットさんには一生の思い出になったね
次回#144 幕間 未来への布石
5日でーす!


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#144 幕間 未来への布石

 ナザリック地下大墳墓、第九階層、アルベドの私室――。

 

 所狭しとアインズぬいぐるみ、フラミーぬいぐるみが並べられる執務室で知恵者の早朝定例会議が行われていた。

 本日パンドラズ・アクターは午前中にナインズの授業を行うので、授業内容の確認に忙しく欠席だ。午後、ナインズがコキュートスとの訓練に入ってから知恵者会議に参加する。逆に、午後に授業だと午前中にしか出席しない。

 ここが散らかっているので、これまでは第六階層の水上ヴィラで会議が行われることが多かったが、あそこはパンドラズ・アクターがナインズに勉強を教えるために使い始めたので、またこの妙に圧迫感のあるアルベドの部屋に場所を移した。

 支配者達の秘蔵写真に、ぬいぐるみ、抱き枕、タペストリー。それは流石に不敬なのではと思うようなものもあるが、注意をすると「愛の前に不敬は無力」と言うよくわからないことを言われる。

 応接用に組んであるソファで、アルベドとデミウルゴスは向かい合っていた。

「そんな所に大陸の続きがあるとはねぇ」

 デミウルゴスはアルベドが持ってきた冒険者の地図を眺めた。その傍らにはフラミーぬいぐるみが添えられている。

 年末に差し掛かり、新年に売り出される最新地図の発行に向けて冒険者の作った地図が全て神都に集められた。

 そこで、知恵者二名はこれまで知りもしなかった新しい国を見つけた。

 いや、厳密に言えば冒険者組合から報告が上がっていたので、存在はずっと認識していた。発見した冒険者にもきちんと報奨金を支払った。

 この国の発見の少し前に隣の大陸にあるエルサリオン州から出かけていった冒険者達が炎の体を持つ異形種を発見したり、魔眼を持つ悪魔たちの巣を発見したり、何やかんやとそちらにばかり構ってしまっていた。

 悪魔達はアルバイベームを畏れて最古の森に侵入して来ることはないようだが、炎の体の異形種へちょっかいを出して楽しんでいるようだ。ちなみにこの炎の異形種もアルバイヘームを恐れている。雨の季節になると死なないようにじっと小さく縮こまっているようだ。

 炎の異形種は太陽光が主食らしく、日中はずっと太陽の下で踊っているらしい。寿命は五年ほどで、火が消えれば死ぬ。

 そんなおかしな生き物達が集まっていれば、気を取られるのも仕方のないことだろう。

「私も驚いたわ。ここの大陸はもうじき制覇だと思っていたって言うのに。――それで、ここにある巨大国家に先日手紙を出してみたの。二週間くらい前かしらね」

 アインズぬいぐるみを抱くアルベドが美しい指をコツン、と下ろした先はここより東方。

 沈黙都市と、細々とした集落が点在する場所の向こうに海があると言うことは分かっていたが、まさか潮が引くと渡って行けるような場所があるとは。ただの浅瀬ではなく、大量に小島があるせいで見通しもよくないらしい。

 これで、ナザリックや評議国から見て東方にあったはずの三大国を、ツアーが西方三大国と呼んでいた理由にも合点がいった。彼はこの大陸が東西で分かれている事を知っていたのだ。

「二週間前に手紙を出したのなら、そろそろ返事が来てもいい頃かもしれませんね。取り急ぎ橋を掛けていつでも行き来できるようにしたほうが良さそうです」

「私もそう思ったわ。だけど、まさしく今日届いた返事に、うちは象魚(ポワブド)が沢山いる国だから、橋などではなく是非象魚(ポワブド)に海を渡らせて国交を持とうって書いてあったのよ。あの生き物、水陸両用でしょ。青蛙人(トロチャック)にちょうどいい仕事を与えられて何よりです、なんてね」

「随分友好的ですね。冒険者が気を配って国の評判を上げてくれたんでしょうか」

「………えぇ。それもあるでしょうけど、きっと、それだけじゃないわ。友好国として是非仲良くしようって書いてあるんだけれど、自分達は神聖魔導国の多くの文化を受け入れ、無神論者なりに新たな信仰を持つ用意があるとまで書かれているの。数々の特産品もあり、多くの国との国交を持つ自分達なら、きっと良い関係を築けるはずだとね。どの国とも仲良くやっているそうよ。手紙にはご丁寧に首席と議員全員のサインもあるわ」

 アルベドがそっと机に置いた手紙は、手紙と言っても封筒に入っているようなものではなく、何枚もの紙を筒状に丸めてリボンで留めてある書状だ。

「…ほう。見させていただいても?」

「良いわよ。私の意見を言う前にあなたの意見を聞きたいわ」

 デミウルゴスはアルベドから受け取った書状を開くと、丁寧に上から読み始めた。

「――なるほど。――ふ。――そうですか」

 口元には微笑が浮かんでいるが、それが愉快さからの物なのか、不愉快さからの物なのかは分からない。

 数枚に及ぶ書状を読み、主席の名前と、議員達の名前にもきちんと目を通す。

 デミウルゴスの頭の中にはこの国の重要人物達の名がはっきりと刻まれた。

「――これは、やられましたね」

 ぱさりとテーブルに下ろされた書状をアルベドが回収し、再び丁寧にリボンで結び直す。

「やっぱりそうよね。やられたわ。向こうの国は神聖魔導国(うち)のやり方に精通しすぎてる」

「アインズ様は何と?」

「まだお見せしていないわ。時間は少し早いけれど、これから持っていくところよ」

「では、私もお供しましょう」

「何?妙に優しいじゃない。私がお叱りを受けるところを見に来たい?」

 アルベドが黒く長い髪を払う。デミウルゴスはおかしそうに笑った。

「そんなつもりはありませんよ。ただ、私は興味があるのです」

「興味…?」

「えぇ。アインズ様は、この盤上をどう自分の物へと変えていくのか、ね」

「…………その気持ちはよくわかるわ」

 二人はソファから腰を上げ、どちらからともなく扉へ向けて歩き出した。

「まるでこちらを宥めすかすみたいなやり方。気に入らないわ」

 頷くデミウルゴスが扉を開く。

 

「随分たくさんの釘を刺されましたね。一見こちらの負担を減らすように見える数々の言葉も全てが釘ですね。象魚(ポワブド)の交通手段すら釘だ。ある程度自分達の力で規制、制限できる方法で行き来させたいようです。人数も、持ち込める品にも限界が生まれる。こちらが自費で橋を掛けると言う前に雇用を生めば、無理に橋をかけることもできません。おそらく、この象魚(ポワブド)の案はかなり前から用意されていた。この時のために」

 

 無理に橋をかければ、職を失う者達から不平不満が湧き出る。信仰を持つ用意もあると言っているのに、そんな事をすれば信仰は末代まで得られない。何せ、相手は無神論者。

 何某かを信仰していた者は神という存在にある意味寛容だ。信仰を持つことが当たり前だと思っているので既存の神の座を乗っとることができれば話が早い。だが無神論者達は神の存在そのものを信じず、宗教と言う言葉にアレルギー反応を起こす場合すらある。奇跡ですら、無神論者の前では人為的行為へと貶められるだろう。

 だが、神という鎖無くして平和的に広い土地を統治し、多民族、多種族をまとめる事は並大抵のことでは無いので敬意は感じる。国家と国民の相互努力の賜物だろう。

 

「間違い無いわ。それに、近隣にある他国との関わりの深さや密接さをアピールされては、無慈悲な行いもできない。更地にすれば話は早いけれど、アインズ様とフラミー様は瓦礫の上に立つ趣味はないし、自然と種を大切にと仰るから大きな国相手であるほど戦争はできない。被害が広すぎる。このままではいつまでも友好国として付き合って、属国化も併呑もできずに行くことになるわ」

 

「向こうにある諸外国とも一切関わりを持ちませんからね。彼らは彼らだけの生活体系を持っているせいで、経済制裁も不可能。周囲の国から外堀を埋めると言う方法もありますが、時間がかかりすぎるような気がしますねぇ。それに、この国に足並みを揃えようとするでしょうし」

 

「でしょうね。それに、特産品についてもずらりよ。何が特産品だと言われては、あまり相手の得意な物を輸出し辛い。なんて白々しいのかしら」

「神聖魔導国のものに国民が依存しないようにするための布石。もし輸出しても関税をかけられるでしょうね。すでにこの盤上はあちらが主導権を握っています」

「許さないわ……。絶対にそんな事は許さない」

 二人は一枚の扉の前に立つと、スっと息を吸い、短く吐き出した。

 ここまでの渋面は消え、穏やかな笑顔を浮かべてからノックする。

 中のメイドが来客を確認し、主人へ報告に戻る。

 

 再び扉が開かれた時、支配者が二人テーブルを囲んで微笑んでいた。

「おはようございます。二人ともいらっしゃい」

「朝早くに珍しいじゃないか。デミウルゴスも来ていると言う事は、いつものやつでは無いな?」

 いつものやつと言うのは、知恵者達の知恵を絞って上がってきた報告書や書類に目を通し、国璽を押していくやつだ。

 それから、ご意見確認。

 ご意見確認と言うのは、ナザリック内全ての者達から届く、提案や意見を精査、確認する時間だ。意見は多岐に渡り、ナザリック内と支配者達へ当てたものから始まり、神聖魔導国のさらなる発展に関してのもの、果てはナインズやアルメリアへの提案もある。子供達に寄せられるものは大抵はどこの階層のどこが楽しく遊べる場所ですと言う提案だ。

「おはようございます。アインズ様、フラミー様」

「早朝に失礼いたします。デミウルゴス、アルベドと共に推参いたしました」

「楽にしろ。こちらも気楽に過ごしている」

 人の身でコーヒーを飲むアインズ、フラミーの腹に引っ付くアルメリア、自分で靴下を履いて、第六階層の勉強会へ向かう準備を進めるナインズ。

 ここはパラダイスだった。

「できたあ!」

 靴まで履けたナインズが声を上げると、フラミーが「すごーい!」と両手を叩いた。

「じゃあ、ぼく行ってくる!」

「ナイ君、ズアちゃんのお迎え待たないとお出かけできないよ?」

「廊下で待つから平気!」

 ナインズは鞄を肩に掛けると扉へ走った。

「転ばないでね。また怪我するから」

「大丈夫!ね、開けて!開けて開けて!」

 ナインズが扉を叩き、ナインズ当番が慌てて扉を開く。

「いってくるー!」

「九太、行ってきますだろー」

「行ってきまーす!アルとデミデミもじゃーねー!」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「失礼いたします。お気をつけて」

 ナインズはナインズ当番と見えていないハンゾウを連れて嵐のように出かけて行った。

 パンドラズ・アクターを待つ間廊下をうろうろしているのか、気配が行ったり来たりする。

「さて、静かになったな。どうかしたのか?」

 アインズが言うと、フラミーの腹から声がした。

「ちゃて、ちつかになっちゃ、ちゃちゃ?」

 アルメリアが言葉の練習を始めた。やはりここはパラダイスだった。

「以前お話しし、友好的な手紙を出すように言われておりました――こちら、ラクゴダール共和国から今朝方返事が届きました。早急にお目通し頂いた方がよろしいかと判断し、お持ちいたしました」

「そうかそうか。見せてみなさい」

「ちょかちょか、みちぇ……ちゃい」

 アインズが手を伸ばすと、アルメリアも似たようなことを言い、フラミーの腹で目一杯首を伸ばしてアルベドの持ってきた紙の筒を覗き込んだ。

 アインズの目には魔法のモノクル。一枚読むごとにフラミーへ手紙を送った。

「親切な国だな」「ちんちぇ…ちゃね」

「どりゃどりゃ」「とりゃとりゃ」

 じっくりと精査するように目を通していく。

 全てを読んだアインズの評価としては、百点満点中九十五点の超優良国家だった。

 親切に浅瀬の橋渡しをしてくれて、どんな物を輸出できるかも書いてくれている。必要があれば周辺諸外国との顔を繋ぐ手伝いもしてくれるそうだし、何より国民が無神論者ならあまり暑苦しくもないだろう。普通の王として扱われるはず。

 他にもこちらの特産品を聞いてくれたり、近いうちに互いの国を訪問し合おうと言ってくれていたりする。下手をすればこれまでで一番友好な国家かもしれない。

「こんな国があるとはな。あぁ、これ――象魚(ポワブド)の橋渡しは要チェックだ。ぜひ使わねばなるまい」

 象魚(ポワブド)はまだ見たことがないが、聞き及ぶ話から行くと、とても冒険!ファンタジー!という感じがする。それに、新たな雇用が生まれるというのは良い事だ。

 アルベドはじっとアインズを見つめた。人の顔をしているときにあまりそう見られたくない。

 さも悩むような仕草でそっと顔を半分隠した。

 しかし、この国家に対して思うところは一つもない。

 もし一点気になることがあるとすれば――

「この地の者達はどのような教育を受けているんだろうな」「この地のものちゃち…ちょのよう……や…やら?」

「本当ですねぇ?」「ほんちょちゅねぇ?」

 アインズとフラミーは難しい顔をした。アルメリアも二人の顔を見ると、一緒に難しい顔をした。

 小学校は建てたいが、どう言う教育を施しているかによっては建てたとしても誰も通ってくれないかもしれない。友好国には通学を義務付けることもできないので、通いたいと自ら思ってもらえる魅力が重要だ。

 しかし、魔法文化を尊重する場所ならそれでも構わないので、とにかく今一番気になる事は教育だ。

「これは早急に見に行かねばならないだろうな。あちらもそれをお望みのようだ。共の人員はまた追って決めるが、先んじて何かあちらが喜ぶような特産品を見繕っておけ。ご挨拶の品だから、盛大に、豪華にな。少し高価な魔法の製品でも構わん」

 アルベドは手元のメモに書きつけた。

「それから、あちらは布教を許すようだから、神官団も連れて行く事になる。聖典の空きを確認して会談の日程を取り付けろ」

 聖典は時に増えすぎたゴブリンやバジリスクなどの害のある魔物の討伐に出ている。自然を守る代償だ。

 魔物や魔物の餌になる者達の住処を奪わず、天敵となる冒険者達も木こりに雇われる機会が減れば、それだけ魔物は増えていく。定期的な調整が必要不可欠だった。冒険者にも国から討伐依頼を出しているが、一握りの冒険者しか倒せないような魔物の討伐や、巣の破壊にはやはり聖典を送り出すのが一番だ。

 アルベドは深く頭を下げた。

「畏まりました。御身のお望みのようにいたします」

「うむ。それから、今回は周辺諸国こそが支配のメインとなる事を胸に刻んでおけ」

 共和国は神聖魔導国を良く思ってくれているようだが、周りの国も同じとは限らない。共和国は放っておいても神聖魔導国に益をもたらすだろうが、そうでない国は積極的併呑だ。

 デミウルゴスが薄い笑みを浮かべる。

「周辺国こそメイン、なるほど。私達は少し結論を急ぎすぎていたようです」

 何の結論だろうか。

「…………そうか。さぁ行け、今朝の意見確認と執務は少し遅れた時間にやれば良い」

「は。では、プラン作成後神都へ行ってまいります」

 アルベドとデミウルゴスが退出しようと背を向けると、アインズは一つのことを言い含めなければいけない事を思い出した。

「あぁ、くれぐれも対等に頼むぞ。この新たな友好国――共和国さんにはな」

 せっかくの優良国家なのだ。神の下に跪けと言うスタンスで行かれては困る。

 二人は良い笑顔で振り返った。

「もちろんでございます」

「我々は対等な国家だと言う事を、きちんと解らせてみせましょう」

 解らせると言うのは何か違和感があるような気がしたが、二人は軽い足取りで部屋を後にした。

 

 パタリと扉を閉じ、アルベドとデミウルゴスは頷き合った。

「主導権を握っているなんて愚かな勘違いをしている家畜どもを盤上から引き摺り下ろしてやるわ」

「そうですね。あぁ、なんて楽しみなんでしょう」

 揃ってアルベドの私室に戻ると、二人は年単位のプランを練るため、紙とペンを取り出した。

「御方々を不快にさせるゴミ共。アインズ様も仰っていたけれど、本当に一体どんな教育を受けたのかしら」

 口調には怒りが滲んでいるが、アルベドがサラサラと書き付けた"ラクゴダール共和国支配計画年表"の文字は非常に丁寧だった。

「――まずは整理しましょう。御方は諸外国がメインだと仰ったわ。共和国支配の一手は周辺国から。焦って共和国に手を出す必要はないと言うことね」

「ラクゴダール共和国だけは神聖魔導国と対等に扱う。つまり、飴を与えて富に膨れ上がらせ、周辺諸国には何も与えるなという事でしょう。アインズ様が象魚(ポワブド)をぜひ使わねばならないと仰ったことからもそれは明らかです。時間はかかるでしょうが、あちらの国家間の差が少しづつ大きくなって行けば、いつか必ず軋轢は生まれます」

「そういうことね。……橋をかけられないから商人達は物資を多くは運べない。青蛙人(トロチャック)たちの職を奪わない為には骨の竜(スケリトル・ドラゴン)も多くは使えない。これを逆手に取れば良いわけね。周辺諸国はラクゴダール共和国が自分達の発展を邪魔しているといつか感じるようになるわ。自分達ばかり私腹を肥やして周辺国を顧みない、ひどい国だとね」

「となれば、その時に備えて周辺諸国の裏社会を支配しておく必要がありそうですねぇ。世論操作を行いやすいように。どこの国にも裏社会は存在しますから」

 それは、もちろんこの神聖魔導国にもある。と言うのも、ワーカーは言わば裏社会の存在だ。彼らは未だにひっそりと活動をしている。後は野放しにしている暗殺者集団、イジャニーヤも裏社会の代表だ。

「ふふ。共和国は信じている諸国からの刺客を次々とその腹に溜め込んで――最後ははち切れる。牙城の崩壊は年単位。油断した頃にボカンなんて笑えるわ」

征服者(コンキスタドール)が我々神聖魔導国ではかったと気付いた時にこの議員達の顔に浮かぶ物を想像するだけで胸が高鳴りますよ」

「それまでは精々良い夢を見させてあげましょう。(さか)しげに私達の先回りをした愚か者どもに。支配は直接的な一手がなくても可能だと言う事を胸に刻ませてやるわ」

 

 アルベドは支配計画年表を完成させると、壁にずらりと並べてあるアインズフラミーぬいぐるみを優しく退け、壁に貼った。

 

「やるわよ」

「腕がなりますねぇ」

 

+

 

「ついにここにもアインズが来るか」

 ツアーが言うと、その腹心の竜王、ダイオリアー=ヴァインギブロスは頷いた。

 今、この竜王の城には白金に輝く竜王と、赤銅に輝く竜王の二人がいた。

 ダイオリアーの鱗は燃え盛る炎のように天に向かって尖っていた。その姿が彼の異名、紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)の由来である事は一眼でわかる。

「会談は二ヶ月後。ですが、支配などさせません」

「あまり意気込んではいけないよ。無理に跳ね飛ばそうとすれば、そのまま貫かれる」

「……では、柳のように軽く嵐を躱してみせましょう」

「そうできれば素晴らしいね。他の竜王にも言い含めてもらえるかな」

「お任せを。では、私は民主議会に出なくてはいけないので、これにて」

「あぁ。僕ももうアーグランドへ帰るよ」

 この城は、ラクゴダール共和国にあるツアーの城だ。世界各地にツアーの家はある。そして、身分も。

 身分に至っては竜王であるとひた隠しにし、もう死んでしまったという設定のものもある。

 二人の竜王は山の頂に隠された城から飛び立ち、それぞれの目指す場所へ向かって風を切った。

 

(さあ、アインズ。ラクゴダール共和国をどうする。共和国の国民は決して君やフラミー、君の家族に手をあげる事はない。それらを侵されなければ蹂躙しないと言う誓いの下、君は世界征服の野望をどうする――!!)

 

 直接的に侵略の皮切りになるものは全て封じた。

 間接的な面も、周辺諸国とのパイプになると言ったのだから、友好国となった共和国を飛び越えて周辺諸国に行ったりはできないだろう。

 友好的に接する国であり、宗教について争う気持ちもない。そんな彼らを無理に力でねじ伏せて征服する事は神聖魔導国の国民感情から言っても行わないはずだ。

 世界全土を手中になどさせない。もし、いつかそうなってしまうとしても、一分一秒でも長く、自分達の意思で未来を掴み取れる場所を残してやりたい。

 この世界の者達が選び、成長して行く中で掴む未来に、異世界の存在が介入して操作したりしては欲しくない。

 その思いは始原の魔法を奪われたあの日から変わらない。

 アインズは無理な方法は取らないが、確実に人々の思想を自分達の信じる場所に縛り付け、魔法以外の手段で何かを得ようとする人々から少しづつ技術を奪っている。

 知識と技術を制限すると言っていた通りに。

(僕は君の世界征服の手伝いはしないよ)

 だが、表立って妨害もしない。

 アインズを選んでしまうと言う人々の選択もまた、残念ながら世界が決めた事だ。

 

(見せてみろ、アインズ。ラクゴダール共和国は簡単には君の箱庭に収められないぞ)

 

 ツアーは大空を飛んでいるだけの竜王の隣を星のスピードで追い抜き、今の彼の家であるアーグランド州に戻った。

 

 風を巻き起こし、嵐を連れ、五百年籠っていた城に戻る。

 空をピシャッと音を立てて稲妻が走った。




???「象なのに魚ってなんなんでしょうねぇ!乗るの楽しみだな〜!」
???「泳げるし、陸地を歩くこともできるみたいですよぉ!ワクワク!」

次回#145 幕間 浅瀬の海
11/7です!


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#145 幕間 浅瀬の海

「おぉ、豪華に仕上がったな」

 まだ雪も降るような新春。アインズはたっぷりと積まれた共和国への贈り物を見ると唸った。

「如何でしょうか。どの魔法道具も、酒も、食材も、絹一つすら全てが神聖魔導国の一級品!」

 共に出かけるアルベドが胸を張る。今回のお供は実務を担うアルベド、デミウルゴスの知恵者二名と、キャンプにいると盛り上がる――もとい、最強の護衛のシャルティアだ。何をするにしてもこの三人がいれば完璧な布陣だ。もし何かわからない事があればシャルティアが知恵者に尋ねるだろうと言ういつもの打算もある。

「ご挨拶の品はこうでなくてはな。これらはもちろん、輸出もできるんだろうな?」

「もちろんでございます!この先特産品として輸出を続けられる品々だと言うことは、エ・ランテルと神都の魔術師組合、手工業者組合、商人組合に確認済みです。今後は他の都市から輸出を行う商人も職人も増えていく見込みなので、ラクゴダール共和国は神聖魔導国と同じように大いに栄えていきますわ!」

「よくやった。我々の印象を悪い方に傾けないように、最大限注意を払え」

「かしこまりました」

 アインズは満足げに頷くと、荷の最終チェックを行うアルベドから離れた。

 悪印象を持たれないようにその身には肉がついている。

 肩が凝るような豪華な服は、一歩進むごとにジャラジャラと装飾が鳴って煩い。

 アインズは赤ん坊が履くぴよぴよと音が鳴るサンダルを思い出し、自らの姿を見下ろした。

 濃紺を基調としたローブの袖と裾には細かい魔法石がたくさん縫い付けられ、ネックレスも着用制限個数がないため幾重にも重なっている。

 指輪は自分で着けているものだが、ドラウディロンの腕輪もあるのでいつも通りの装飾過多だ。

 フラミーは尖った耳にイヤーカフとピアスを付け、額には額冠が輝いているので顔まで重そうだ。

 共に行く神官団がフラミーに頭を下げ、デミウルゴスと漆黒聖典の指示に従って馬車に乗り込んでいく。

 友好のために使節交換を行うので、あちらで布教を担う神官達は、本国との連絡を取り、軽い外務作業までこなす。

「さぁ、そろそろフラミー様も馬車へどうぞ」

 デミウルゴスが示し、馬車の隣で控えていたシャルティアが扉を開く。

「はぁい。――シャルちゃんお願いね」

「はい!お任せくださいまし。妾が快適な旅をお約束いたしんすぇ!」

 シャルティアはここ、神都から沈黙都市まで転移門(ゲート)を開く。

 馬車は総数十台で、神官二十四名が六台使い、三台の幌馬車にはごまんと友好の証である品が積まれている。

 最後の一台にはアインズらナザリックの者が乗り、漆黒聖典十二名がゴーレムの馬で警護につく。

 アインズもフラミーが馬車に乗ったことを確認すると、アルベド、デミウルゴスを連れて馬車に乗り込んだ。

 御者台には愛らしいボウルガウンを着込んでいるシャルティアが乗る。転移門(ゲート)をくぐった後は馬車の中へ移動する予定だ。

「――<転移門(ゲート)>!」

 ゴオッと普段の何倍もの大きな闇が開くと、「行きなんし!」と言うシャルティアの言葉と共に馬車を引く魂喰らい(ソウルイーター)達が歩き出した。

 一行の短い旅は始まった。

 馬車の中、アインズとアルベドは一つの気掛かりな事を相談していた。

「橋は依然として掛かっていないので、象魚(ポワブド)で何度も往復して荷物を運ぶことになるかもしれません」

「仕方がないな。時間短縮のために、<集団飛行(マスフライ)>で魂喰らい(ソウルイーター)達は連れていくか。荷は象魚(ポワブド)の渡守に任せるが」

 飛び切れる距離でなければ、最悪着水することになる。荷が濡れることは避けたかった。

「はい。申し訳ありませんが、その手筈でよろしくお願いいたします」

「気にするな」

 鷹揚に手を振り、窓の外へ視線を投げる。

 まだ冬の寒さが残る沈黙都市は、以前来た時と違って木々も枯れて項垂れている。

 硬く閉じられた蕾は、まだ春の訪れに気付いていない。

「向こう、共和国ってことは王様とかはいないんですよね」

 フラミーの問いにデミウルゴスが頷いた。

「えぇ。議員が国の方針を決めて舵取りをしているそうです。多くの種族が暮らしている国のようで、全ての種族から代表が一人は出ているとか」

「評議国に似てますね。あそこは全種族から代表は出てなかったですけど。どんな種族がいるんです?」

「主な種族は巨人(ジャイアント)蛇人(ナーガ)獅子体人(リヨンイエッタ)二足蜘蛛(アラクネ)だそうです。他にも多くいるようですが、全ての種族までは書状のやり取りではまだお互い話し合えておりません」

二足蜘蛛(アラクネ)?エントマの蜘蛛人(アラクノイド)とは違う生き物ですか?」

「恐らく近しい生き物でしょう。蜘蛛人(アラクノイド)より下位の生き物かもしれません」

 フラミーはエントマを連れてきてあげれば良かったと思った。

 すると、馬車の扉が叩かれた。

「――シャルティアだろう。入れてやれ」

 アインズが顎をしゃくると、扉に近かったデミウルゴスが扉を開いた。馬車は依然として動き続けている。

「失礼いたしんす」

「ご苦労だったな。ここから瀬までは結構あるそうだ。ゆっくり馬車旅を楽しむが良い」

「アインズ様が居てくだされば、たとえ向かう先が虫けらの巣であっても道中が輝くようでありんす!」

「シャルティア、相手は友好国だ。あまりそう言う言い方はしないように謹め」

 デミウルゴスが詰め、馬車のシートに座ったシャルティアは深々と頭を下げた。

 馬車の中は一瞬静寂に包まれが、何気ない日常の会話が始まった。

 最初はフラミーの今日のお昼ご飯は何かな〜から始まり、この辺には何が住んでるんだっけと話は展開して行った。

 気兼ねのない会話は次第に秋に手に入ったインテリジェンス・ソードの話題になった。

「――それで、ミイラ男は魔剣の声を聞いたことがないそうよ。フールーダ・パラダインもまだ魔剣と会話できていないとか」

「それでは研究も進まないのでは?全く魔剣もどう言うつもりなんだか。一度痛い目に合わせないと理解できないんでしょうか」

「へし折ってやれば良いんじゃありんせんこと?研究に協力する為に来たのだから、そのまま黙秘を続けるなら破壊しんすぇと言えば、きっとすぐに話したくもなりんしょう」

「そうね。力関係を理解していない犬を躾けるのも骨が折れるわ」

 アルベドがため息を吐く。

 アインズは折られる前に話をしに行くべきかと心のメモに書き留めた。

 その後馬車は三時間ほど走ると昼食の休憩のために止まった。

 今日の昼は作らず、弁当だ。

 二十四名の神官と十二名の聖典、五名のナザリック勢。

 小学校のクラスひとつ分。これだけの人数の昼食を外で用意するのは大変なので弁当となった。

 神官達は大神殿の持ち物であるお尻の痛くなる馬車から降りると皆体をほぐしていた。

 昼食を取ると、再び隊は出発し、夕暮れ時に止まった。

 アインズ達は一度ナザリックに戻り、子供達を呼び寄せた。

 ナインズとアルメリアの姿を久しぶりに見た神官達は二人をとてもありがたがっていて、拝まれることになれていないナインズは少し緊張したようにして過ごした。

 一方アルメリアは一切無視だ。赤ん坊の頃から愛想のいいナインズとは違い、我が道を行く彼女はフラミーの腹に掴まり、フラミーの翼が自分から少しでも離れるとすぐに手繰り寄せて自らを隠させた。

 いつもは絶好調のお喋りも、今日は「にぃに」と「やんや」くらいしか言わなかった。

 一行は和やかなキャンプをし、さぁ寝よう――と言うところでアルベドがずずいと身を乗り出した。

 せめて要塞を出して、外で寝るようなことは謹んでほしいとの事だった。

 渋々要塞を生み、神官や聖典達も中に入れて、野営ではなく宿の素泊まり状態で過ごした。

 翌日、軽い朝食を取り、子供達はナザリックに帰された。

 一行は再び瀬を目指して進み、その日の昼前に瀬に辿り着いた。

「こぉんにぃちはぁ!」

 間延びしたような声を上げたのは、二足歩行の青蛙だった。青蛙人(トロチャック)だ。

 アインズは馬車を降りてこの種族と話してみたかったが、守護者達は下等な者と話す必要はないと進んで降りて行き、外で聖典を含めて渡守の青蛙人(トロチャック)と話をした。

「………やっぱり守護者と来るとつまんないですね」

「つまんないです。神様だって降りたいです」

 二人の神様はぶー垂れていた。

 窓の外の象魚(ポワブド)は想像の倍は大きかった。

 象くらいの大きさだと思ったが、象の倍あるかもしれない。

 見上げる感覚から行くと三階建ての天井くらいはありそうだ。ざっと九メートルと言ったところか。足の太さも強烈だ。

 窓から覗いていると、話がついてしまったようでアルベドとシャルティアが戻った。

「お待たせいたしました。今日我々が通ることを国から聞かされているそうで、一番大きな象魚(ポワブド)を十五頭用意して待っていたそうです。何とか一度で運びきれそうですわ」

「それは良かった。かなり大きい象魚(ポワブド)達だと思っていたんだ。それで、どうやって乗るんだ?」

 アインズが尋ねると、シャルティアがあちら――と示す。

「あちらのリフトで象魚(ポワブド)の背の輿(ハウダー)と同じ高さまで上げられ、馬車馬ごと乗れるそうでありんす」

 その説明が終わると、御者台の方から出発を知らせるようにノックが響いた。デミウルゴスが御者席にいるのだ。

 連絡窓から「いいわ、出してちょうだい」とアルベドが告げると、馬車は再び動き出し、リフトに乗り込んだ。

「じゃあ〜、あげてぇ〜」

 共にリフトに乗った青蛙人(トロチャック)が言うと、リフトは一度ガタンと音を鳴らして上がり始めた。

アインズとフラミーは慌ててそれの原動力を探すべく馬車から降りた。

「あ、アインズ様!?フラミー様!?」

 守護者が心配するような声をあげる。

 二人は無言でリフトを上げる機械を見ると――ほっと息を吐いた。

 巨大な二足歩行の鼠たちが歯車を押していたのだ。

 このエレベーターはトブの地下洞穴に住んでいる茸生物(マイコニド)達の街、パクパヴィルにあるものと殆ど同じだった。

「――一瞬焦りましたね」

「はひ。てっきり電気かガソリンだと思いました」

「俺も」

 二人とも少しづつリフトが上がる中、穏やかに笑った。

 リフトと巨大象魚(ポワブド)輿(ハウダー)が同じ高さになると、再び馬車に乗り直す。

 馬車はゆっくりと象魚(ポワブド)の背に移動した。

 輿(ハウダー)とは言うが、手すりのついたただの板で、広さは六畳ほど。

 もっと小さな、象くらいの大きさの象魚(ポワブド)は屋根と椅子が付いた立派な輿(ハウダー)を背負っていた。

 青蛙人(トロチャック)輿(ハウダー)に乗り込むと、象魚(ポワブド)の頭の上の席へ移動した。

「しゅっぱぁ〜つ!」

 掛け声と共に、法螺貝をブォーっと吹く。象魚(ポワブド)は一歩づつ、ゆっくりと歩みを進め始めた。

 潮の満ちている海へ、何の恐れも抱かず進んでいく。

 ざぶざぶと最初は歩いていたが、途中からはその大きな尾鰭を使って器用に泳いで進んだ。

「うわぁー!ナイ君達やアウラ達も呼んであげれば良かったなぁ!」

 馬車から再び降りたフラミーは、馬車を乗せた巨大象魚(ポワブド)が次々と後を追ってくる様子を見て感嘆した。

 海は澄んでいて、魚の群れが水の中で太陽をキラキラと反射していた。

 小島を避けて進み、象魚(ポワブド)はおおよそ一時間進んだ。

 歩いていた時はまだしも、泳ぎ出した象魚(ポワブド)は決して遅い訳ではないと言うのに、これだけ時間がかかるのだ。

 大陸の続きを発見した冒険者達はたまたま潮が引いた時に渡ったと言う話だったが、よくぞ見つけ出してきてくれたと褒めたい気分でいっぱいになる。

 潮が再び満ちて戻って来ようとした時、早くどこかしらに辿り着かなければ溺れ死ぬと怖い思いをしただろう。

 象魚(ポワブド)はすいすい泳ぎ、青蛙人(トロチャック)は楽しげにずっと歌を歌っていた。

 海上都市に行った時に見たツヴェークとは違って、少しも邪悪さはない。

 隣の大陸――いや、地続きの向こう側にたどり着くと、象魚(ポワブド)はまたリフトのそばに寄った。

 再び御者席からノックが来ると、魂喰らい(ソウルイーター)はリフトへ移動した。

 ゴウンゴウンゴウン…と音をあげ、リフトはゆっくりと地面に降ろされた。

「聖典達と神官達が来るのを少し待ちましょう」

「そうだな。――ふふ、神官達も楽しんでいるようだ」

 窓から軽く外を確認すると、神官達は馬車を降りて輿(ハウダー)の手すりから身を乗り出すように海や陸地を見ていた。

全員がこちらの岸にたどり着くと、一行はラクゴダール共和国へ向けて最後の移動を始めた。

 まだ切り開かれたばかりの道は土がむき出しだ。しかし、真っ直ぐ一本道になっている。

「あの手紙のやり取りをしてから二ヶ月でよくぞここまで完成させたものだな」

 アインズが呟くと、アルベドはどこか影のある笑顔で頷いた。

「――まったくです。必死でやったのでしょうね。我々の手を借りないで済むよう」

「あぁ。そうだろうな」

 アンデッドもなく道を作り、あんなリフトを設置し――天晴れと言っていいだろう。

 その後昼休憩をとり、日が高くなる頃に一行はその国に辿り着いた。

 城壁のようなものはないが、水の張られた深く広い掘りに囲まれた国だった。

 堀の中には青蛙人(トロチャック)達が乗る象魚(ポワブド)達が行き交っており、この国も評議国と同じように象魚(ポワブド)が主な輸送手段を担っていることが一眼でわかる。

 堀のすぐ横に立つ家には糸を垂らす二足蜘蛛(アラクネ)がいて、魚を釣っているようだ。

 堀を渡る橋の入り口には猫のような耳を生やしたオレンジ色の髪の男性達が立っていて、魂喰らい(ソウルイーター)に驚いたのか、一瞬身を固くした。口の横に生える猫のような髭が天へ向かって反り上がる。

 魂喰らい(ソウルイーター)は失敗だったかとアインズが思っていると、漆黒聖典隊長が猫耳男の下へ駆けた。

 王の到着を告げるのだ。

 いくつかの情報を交換し合うと、巨人(ジャイアント)達が思い切りラッパを吹き鳴らし、神聖魔導国一行の到着を告げた。

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が神王陛下と、光神陛下!!並びに神官団の皆様のご到着なり!!」

 猫耳男は声を張り上げると、御者台のデミウルゴスの下へ走った。

「私は獅子体人(リヨンイエッタ)の代表議員、ベネッタ・ティオドア・ガーデリオンより、皆様の議会場までの案内を頼まれております!ここから先、首都までは私がご案内いたします!!」

「よろしく頼みます。私は神王陛下の側近の一人、デミウルゴスと申します」

「デミウルゴス様。アルベド様と並んで名を伺っております。さぁ、どうぞこちらへ」

 獅子体人(リヨンイエッタ)の男は小さな象魚(ポワブド)に乗り走り出した。

 その後を十台の馬車が追う。

 パレードのような状態になり、街道に人々が出てきては初めて見る人間種達を眺めた。

 漆黒聖典が必要以上に人々が馬車に近付いてこないように見張る。

 しかし、街道にはたくさんの警護が立たされており、何か問題が起こる様子ではなかった。

 

+

 

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国より、闇の神アインズ・ウール・ゴウン陛下と、光の神フラミー陛下のおなりです!!」

 道案内をしてくれた獅子体人(リヨンイエッタ)が告げる。

 開かれた扉の先――まるでダンスホールのような煌びやかな大広間には亜人の見本市かと思うほどに多くの亜人達が所狭しと並び、入ってくるアインズ達を注視した。 

 警戒、歓迎、不安、期待、畏怖、羨望――。

 瞳の色は全ての感情が入り混じっているようだった。

「………あれがいることは知っていたか」

 ホールへ足を進める前にアインズが低い声で尋ねる。

 あれ。

 アインズの視線の先には、赤く燃え上がるような竜と、透き通るガラスのような鱗を持つ竜、黒い体に金の亀裂が脈打つ竜がいた。

 人の身で来たのは失敗だったか。アインズの視線は無意識のうちに鋭くなっていた。

「――存じ上げませんでした」

「――申し訳ありません。宗教を必要としないことから絶対者がいるとは思っておりましたが……」

 アルベドとデミウルゴスが耳打ちをする。

「「<魔法無詠唱化(サイレントマジック)>」」

 その呪文はアインズとフラミーが同時に発したものだ。

 三体の竜はじっとその様を見ていた。

 中の亜人たちは何故入って来ないのかと、次第にざわめきだす。

 アインズとフラミーは忘れていない。竜王という存在の恐ろしさを。

 常闇の竜王ほどの存在はもういないと言うが、ツアーと近しいレベルの竜が三体束になってかかってくれば、命を賭けなければいけない戦いになることは間違いがなかった。

 防御力、回避率、攻撃力から始まり、属性系のバフまで網羅していく。

 アインズとフラミーの体が何度も交互に発光する様を見て、漆黒聖典達は何かを思ったのか、空気が張り詰める。

 二人は互いのバフをかけ終わると、次はナザリックから来ている全員にバフをかけた。

 五分ほどはそうしていただろうか。

「――沈黙とは、時に言葉を交わすよりも力を持つ」

 しんと静まり返った中、アインズの声はホールの中を響き渡った。

「まずは迎えてくれた議員皆様へ感謝を述べよう。この沈黙の間に、皆様が如何なる人々なのか、私にはもうよくわかった。新しい友情に感謝し、今同じ場所へ踏み出そうではないか」

 アインズは能書きを垂れるとようやくホールの中へ進み出した。

 あれだけのバフを掛けるというのは、言わば友好国の議員が集まるホールに、完全武装で銃を持って行くようなものだ。だから、入らなかった言い訳が欲しかった。

 竜達は置いておいて、亜人達はまさか戦闘準備をしていたなどと思いもしないはずなのだから。

 アインズは骨になりたい、骨になりたいと、心の中で何度も呟いた。

 相手がただの竜ではなく、竜王の場合、こんな小心者丸出しのことを考えていては悟られる。――分かっているが、アインズの頭の中には骨になりたいという言葉が響き続けた。

「――神王陛下、光神陛下。我らがラクゴダール共和国へようこそ。私達は神聖魔導国の皆様を心より歓迎し、双方の国の末長い友好を祈ります」

 赤い竜が語る。敵意がなさそうな事に安堵すると、アインズはゆっくりと頷いた。

「歓迎に感謝しよう。まずは皆様へ紹介を。――アルベド」

「はい」アルベドが一歩前へ進む。「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が神、アインズ・ウール・ゴウン様とフラミー様でございます」

 アインズは軽く手を挙げ、フラミーは三方向へ丁寧に頭を下げた。

「そして、神々の座す地、ナザリック地下大墳墓より、第一階層から第三階層守護者――シャルティア・ブラッドフォールン」

「よろしくお願いいたしんすぇ」

「側近、第七階層守護者――デミウルゴス」

「お見知り置きを」

「使節としてラクゴダール共和国に駐在する神官団」

 神官達はゆっくりと頭を下げた。

「その使節の護衛を担う漆黒聖典。及び、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

「――<転移門(ゲート)>」

 アルベドの紹介に合わせ、シャルティアがナザリックへの道を開く。

 待機していた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達が四名ホールに入り、転移門(ゲート)は閉じた。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の登場とともに、場には僅かな緊張感が漂った。

「最後に、宰相。アルベドでございます」

 丁寧な紹介が終わる。

 議員達は頷きあい、一人づつ自己紹介を始めた。

獅子体人(リヨンイエッタ)の代表議員第一位、ベネッタ・ティオドア・ガーデリオンにごさいます」

 それは女性だった。数本の長い髭と、可愛らしさすら感じる三角形の耳がオレンジ色の髪からのぞいている。

巨人(ジャイアント)の代表議員第一位、ルゴルグ・モンテ」

 巨大な体躯故、竜達の横に並んでいる。

蛇人(ナーガ)の代表議員第一位、ジュリアス・ジュリウスです」

 まだ若い青年だが、瞳の奥には知性が宿っている。

二足蜘蛛(アラクネ)の代表議員第一位、黙阿(もくあ)ですじゃ」

 しわがれた老人の声。黒いローブに全身を包み、覗き見える瞳は八つ。口の端からは牙がチラついていた。

青蛙人(トロチャック)のぉ、代表議員〜。第一位のぉピルモッチですぅ〜」

 象魚(ポワブド)を運転していた青蛙人(トロチャック)と大して知能指数は変わらなそうだった。

 他にも次々と議員達が名乗りを上げていく。

 アインズの興味は、この竜達が竜王なのか、それともただの竜なのかだけだ。

 ついに全員の自己紹介が終わり、黒い体に金の線が入る竜が口を開いた。

「――金晶の竜王(ルチルクォーツ・ドラゴンロード)、バーフダィル=グラントウガ」

 やはり竜王。アインズは顔色を変えない事に集中した。

 続いて透き通るような鱗の竜が口を開く。

硝子の竜王(クラリテ・ドラゴンロード)。名をホメストーニ=ヴィッドラーグ」

 この順番でいけば、この竜王達の身分で一番上の存在は――

「ダイオリアー=ヴァインギブロス、紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)とも呼ばれております」

 最後に名乗った竜王はゆっくりと頭を下げた。

 アインズの中で一気に警戒レベルが上がる。

 竜王とは、尊大であり、自らを最強の存在であると認識している者達の代名詞ではなかったのか。

 この三体の竜王で、気を付けなければならないのはこの紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)に違いないだろう。

「まさか竜王がラクゴダール共和国にいるとは存じ上げなかったな。私には竜王の友人がいるんだ。これからよろしく頼む」

 アインズが告げると、紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)はゆっくりと口を開いた。

「ツァインドルクス=ヴァイシオン。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)ですね。神王陛下のお噂はかねがね」

「――ほう。ツアーと知り合いだったか。あれが貴君に私のどんな話をしているだろうかと思うと恐ろしいな」

「この世界最強の存在。あらゆる力を持ち、奪い、君臨する絶対のぷれいやー」

「……全てを知っているようだな」

「恐らく知っております。あぁ、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は他にもこう言っておりました。無理に跳ね飛ばそうとすれば、そのまま貫かれる――と」

「故のこの歓迎かな。貫かれないための」

「概ね正解です」

 二人はまるで腹の中を探るように、じっくりと言葉を交わした。

 議員達も、神官達も、聖典達も、今この時、何かとてつもない力に押さえつけられるようだった。

「――どうかお手柔らかに。我々は神聖魔導国の親友となれるよう、努めて参りますので」

「――嬉しい限りだ。友とは何よりも大切にしなければいけないもの。我々もラクゴダール共和国を特別な存在であると胸に刻もう」

 紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)は頭を下げ、アインズは頷いた。

「さぁ!歓迎の宴といきましょう!数日の長旅でしたからお疲でしょう!」

 そう言って空気をガラリと変えたのは蛇人(ナーガ)の代表議員ジュリアス・ジュリウスだった。

 その後ろから何人も蛇人(ナーガ)が現れる。皆太鼓や弦楽器を手にしていた。

 位置につくと、全員が目くばせをし、ホールは一気に音楽に溢れた。

 控えていた者達がテーブルや椅子を次々に運び出して、アインズ達に席を勧めた。

 料理も運ばれ、歓迎の宴は何時間も続いた。

 宴の終わりに、アインズ達は国から持ってきた友好の品々を議員達に渡した。

 

+

 

「それで、どうだったんだい」

 ツアーが尋ねると、紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)、ダイオリアーは軽く牙を見せた。

「アインズ・ウール・ゴウン、話に聞くほどのぷれいやーではなかった――と、思わされそうになりました」

「思わされそうになった?」

「えぇ。竜王の姿を見て戸惑い、驚き、逃げ出したいと思っているように見せかけられました。弱い存在ならばここで命を奪ってしまおうと、こちらに思わせるつもりだったのかもしれません」

「そういうことかい。アインズは評議国に集まった名だたる竜王達の前で恐れなど微塵も感じていなかったようだからね。おおかた何か策があったんだろう。アインズは人の身でいたかな?」

「えぇ、聞いていた通り人の身で訪れました。……侮れば何が起こったか等分かりきったこと。一筋縄ではいかない存在です」

「そうだね。しかもアインズは骨の身になれば全く違う一面を見せるだろう」

「それを見た時が共和国の終わりの時でしょうか」

「もしかしたら、ね」

 ツアーは苦笑し、ゆっくりと天井を仰いだ。

「アインズは僕らが思いもしない知識を持っている。気を付けてかからないと、共和国の命は三年だ」

「三年――。何故です?」

「一年目で周辺諸国が飲み込まれる。二年目にここがやや孤立するように動き始める。緩やかな締め付けに、徐々に国民が周辺諸国へ移住を始める。三年目には事実上の属国化へと動き出す」

「いくら諸外国が取り込まれ、看板を掛け替えたとしても、友好関係を築いてきた国々の民の心が丸っと変わるわけではありません。友好国を無理に取り込むのは、そういう場所に住んでいる人々の反感を買うでしょう」

「僕もそう思うよ。だから、きっと時間をかけて来るはずだ。どこから何が起こるかわからない。注意しないといけないね、ダイ」

 ダイオリアーは頭を下げると、先日の会合を頭の中でなぞった。




種まき完了!
フララのお背中をひさびさに杠様にいただけましたよ!!

【挿絵表示】

可愛い( ;∀;)嬉しい

次回11/9、Lesson#1 !


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試される子供達
Lesson#1 入学式と上位森妖精


 スレイン州神都。

 今尚続く神話の時代を象徴する都市。

 街は目覚め、人々が行き交い始めた頃。

 

「たくさん友達が出来るといいな」

「お母さん達は今日この顔で行くからね」

 現存する神々は誰よりも優しい顔をして笑った。

「はい!お母さま、お父さま!」

 茶色い革のスクールバッグを背負い、ナインズが頷く。

 フラミーはナインズの髪と瞳、顔に入る亀裂のような線に幻術をかけた。

 銀色に輝いていた髪と金色の瞳は黒く、目の下の線は消えた。

「――ナイ君、お名前はなんて言うんだっけ?」

「キュータ・スズキです!」

 それは、特別な一人としてではなく、ありふれた一人として学校に通う事を勧めたアインズ達からの願いの名前だ。

「よく言えました。いっくんも良いかな」

 フラミーが言うと、側で花子と共に控えていた一郎太が頷く。

「はい!ナイ様のことはキュー様とお呼びします!」

「ありがとうね。でも、九太って呼び捨ててもいいんだよ」

「き、キュータ…」

 ナインズは嬉しそうに笑った。

「一太とキュータだね!」

「は、はい!」

 二人が手を繋ぐと、アインズが「さあ」と声を上げた。

「行こう。入学式の日に遅刻してはいけない」

「はぁーい!」

 一行が出たのは大神殿の一室。

 その部屋にはナザリックへ続く転位の鏡が置かれ、今日の日のために作られた百レベルの屍の守護者(コープス・ガーディアン)が控えて待つ。

 部屋を出ると、たくさんの神官達が五人を迎えた。

「神王陛下、光神陛下。ナインズ殿下の国営小学校(プライマリースクール)ご入学おめでとうございます。どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」

「わざわざ見送りはせんでも良いと言っているのに。だが、ありがとう。これから毎日ここからナインズは出掛けていく。暮らすわけではないが、毎日通れば何かと迷惑もかけるかもしれないが、よろしく頼む」

「は」

 神官達は深々と頭を下げ、ナインズは神官達に手を振った。

「いってきまぁす」

「いってらっしゃいませ、殿下」

 神殿を抜け、転移三年目に完成した大聖堂を抜けていく。

 ナインズに与えられた一室は一般の者が立ち入らない区画にある。

 大神殿は簡単に言えば五区画に分かれている。

 一つ目は所謂お役所仕事を行う場所で、スルシャーナのギルドホームの崩壊時に残った古い大神殿。

 二つ目は三年掛けて新設された、礼拝に使われる大聖堂。

 三つ目は神官達が寝泊まりをする場所。

 四つ目は儀式を行うための広いプールがある中庭が三つ。

 最後に宝物殿や書庫と言った神殿業務に必要な物が揃っている場所だ。

 宝物殿にはスルシャーナ達のギルドに置かれていたであろう宝もあり、神聖魔導国内に散見される他の神殿とは一線を画した場所だ。ナザリックにとってめぼしい物はなかったが、エリュエンティウの宝物殿と同じようにたまにパンドラズ・アクターが整理に訪れている。中でもお気に入りはクレマンティーヌが昔闇の巫女から奪い取った叡者の額冠。ユグドラシルではあり得ない、再現不可能なアイテムだ。

 ちなみに書庫は二つあり、神官や許された一部の者しか立ち入れないものと、一般開放されている聖書などが置かれているものがある。

 ナインズの部屋は神官達用の書庫の横にある大階段を上がった先だ。階段が折り返す場所には美しいステンドグラスがはめられ、まだ三対しかない翼を広げるフラミーが描かれている。ちなみに、このステンドグラスは一般の者は中庭からしか見ることができない。

 一行は朝の掃除を行う神官達に頭を下げられ、大聖堂を出た。

 

 ナインズの胸の中は期待でいっぱいだ。

 今日から小学生。六歳だ。

「一太、道をちゃんと覚えて行こうね!」

「はい!」

 一郎太はナインズよりも余程外に慣れていない。二人はキョロキョロと神都を見渡しながら進んだ。

 大神殿へ続く大通りにはたくさんの路面店がある。

 良い匂いを漂わせるパン屋さん、セイレーン達が服のディスプレイを進める服屋さん、色とりどりの傘が開かれた傘屋さん、ポーションの釜にもう火を入れて煙突から煙を吐き出す薬師の家、新鮮な果物が並ぶ朝市。全てを挙げればきりがない。

 パン屋を曲がり、テラス席のある小さなカフェがある二つ目の角をもう一度曲がる。

「神都は少し都会すぎたかな」

 アインズが言うと、フラミーは確かにと笑った。

「エ・ランテルの方がもう少し落ち着いてたかもしれませんね」

「セバスもいましたしね。まぁ、神官達の神都にしてほしいって気持ちもわかるんですけど」

「あんまり側にNPCがいすぎないほうがきっと良いですよ。セバスさんはあんまりやらないタイプでしょうけど、お友達と遊んでて不敬だーってなったら台無しですもん」

「ふむ…それはそうですね」

 ぽちぽちと歩いていると、徐々に周りには人が増え始めた。

 入学式は親と登校するため、小学校の周りは多くの人出だ。

 ナインズと一郎太は初めて見るたくさんの近しい年齢の子供達を前に瞳を輝かせた。

「お、お父さま!こんなに子供がたくさん!!」

 神都は依然として人間種が多い都市だが、ビーストマンやセイレーン、森妖精(エルフ)闇妖精(ダークエルフ)山小人(ドワーフ)の子供も散見された。ちなみに山小人(ドワーフ)の子供は口髭を生やしている。

「あぁ、たくさんいるな。皆と友達になるんだぞ」

「なります!」

 アインズはナインズの頭をくしゃっと撫でてやった。

「校門で写真を撮ってから就学通知書を提出しに行こう」

「お写真!」

 カメラは世間に出回っていないので、校門にわざわざ立ち止まる人はいない。

 ナインズは一郎太と校門の前に立った。

 アインズは写真を撮ると、なんか父親っぽい気がすると思った。

 フラミーとナインズの写真、アインズとナインズの写真、ナインズと一郎太の写真、そして、花子と一郎太の写真。この写真は後でちゃんと一郎にあげなければ。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)にしか使えないカメラなので花子に三人で撮ってもらうことはできない。

 何となく感慨深い気持ちになる。

(…こんな風にして貰えた事なかったからなぁ)

 鈴木悟の母は忙しい人だった。あの世界と繋がっているとは思えない空を見上げ、母を思い出した。

 フラミーも同じことを考えているようだった。

「行こう!お父さま!皆行ってるよ!」

「――ん、そうだな」

 一行は入学受付へ向かい、キュータ・スズキと一郎太の就学通知書を出した。多くの種族がいるため、苗字を持たない者も何人もいる。

 ナインズと一郎太は六年生から胸に名札の付いたカーネーションを止めてもらった。

「――スズキくん、一郎太くん。僕達が教室まで一緒に行ってあげるからね」

「あ、ありがとうございます」

「ありがとうございます!!」

 二人にとってこれだけ年上の子供は蜥蜴人(リザードマン)兄弟しか知らない。彼らはナインズよりも三つ年上だ。コキュートス同伴でたまに瓢箪池に会いに行くたびにお兄さんになっている。相変わらずシャンダールは武闘派、ザーナンはインドア派だ。いつでもあたたかく迎えてくれる兄弟は優しく、ナインズも一郎太も二郎丸も大好きだ。彼らももちろんナザリックと、ナザリックの子供達が大好き。それに、コキュートスの訓練をまた受けられる日を楽しみにしている。

 彼らは三年後の小学校卒業と共に、再びナザリックで訓練を受けることになるだろう。レベルアップの比較対象にするために。

「じゃあ、私達は先に席に行って見てるからな」

「一緒に行かないの?」

「ここから入れるのは生徒だけだ。さぁ、行きなさい。一郎太、頼んだぞ」

「はい!」

 二人は一度振り返り、親達に手を振って子供達の流れの中に消えた。

「――俺たちも行きましょう。保護者席は順次埋まって行くそうですから」

「通路に近いところに座れると良いですね!入ってくるときにナイ君達が見られるようなところ!」

 花子を連れ保護者入り口に向かった。

 

+

 

 真っ白な廊下には、天井にまで細緻な彫刻がなされていた。何かを象っているわけでは無い、幾何学模様だ。いくつもステンドグラスがはめられ、太陽に照らされて白い床に模様を落とす。

 ナインズはすごいところだと、純粋に廊下の様子に目を見張っていた。

 一方一郎太はナインズを何と呼ぼうか悩んでいた。

 キュータ様、キュータ、キュー様。

 呼び捨てでいいと言われたが、ナイ様と呼び続けてきたのでなんとなく今更呼び捨てにするのは憚られた。

「――キュー様?」

「なぁに?一太」

 いつもとは違う黒い髪がさらりと揺れる。綺麗なおかっぱからはいつものピアスが見え隠れしていた。そして、腕には決して外してはいけないと言う封印の腕輪。

 ナインズと一郎太はそれが何を封印する物なのかまではよく知らない。

「オレ達クラスは一緒みたいですけど、席が離れちゃうかもしれません」

「僕は大丈夫だよ!一太は不安?」

「大丈夫です!」

 二人をクラスに届けると上級生達は去っていった。

 教室に入ると、教師が到着した生徒達に席の場所を教えていた。

「君達入っておいで。お名前は?」

「オレは一郎太です。こちらはキュータ・スズキ様」

「一郎太君とスズキ君、お友達なんだね。一郎太君はそこの席、スズキ君はそっちの席に座ってね」

 一郎太は教卓の目の前から三番目、ちょうど真ん中だ。一方ナインズは窓際の前から二番目。

「ナ――キュー様、何かあったらいつでもオレの事呼んでね」

「はは、一太も何かあったらいつでも僕に言ってね」

 二人の主従的な関係に特別疑問を持つ者も少ない。

 人の口に戸は立てられないもので、どこで漏れたのか神都の学校にナインズ・ウール・ゴウンが通うと言う噂は国中に広がっていた。思い当たる情報源は大神殿に勤める神官達か、フラミーのお茶会に参加していたママ友か。

 是非一緒に学ばせたいと、ここ二年程は就学通知書が届いた金のある家は子供を近くの寮に入れ、わざわざ神都の学校に通わせた。

 そんな芸当ができるのは近隣で市長や区長を仰せつかっている者たちや、かつて貴族だった者たち、大商人などの羽振りのいい者達ばかり。神都に元から暮らしていたような者たちも大概はいわゆるエリート。

 今日の入学式に立ち会うのが執事だったり、従者として長年仕えていた家の子供が一緒に通ってくれたり、そんなことはごくありふれた事だ。

 ナインズが自分の席に着こうとすると、隣にはもう女の子が座っていた。

 机は二人掛けの長机で、背の高さが近しい者同士でペアを組んで座らされているようだった。

 というのも、中には四足歩行の者や、もうどう見ても大人にしか見えないような巨人(ジャイアント)の子供や、ナインズの半分しかないような山小人(ドワーフ)の子供達もいるためだ。ちなみに、このクラスには巨人(ジャイアント)はいない。

 前から後ろに行くに連れて机の高さが上がるように配置されている。

 ナインズの前には、イタチがちょこりと椅子に座っている。そのお隣は二足歩行のオオサンショウウオだ。言葉を話せれば異形種だって国民なので当たり前だ。ナインズはナザリックで異形に囲まれているので、それほどは驚かなかった。

「こんにちは。僕、隣の席になったナ――キュータ・スズキ」

 隣の女の子は太陽の光を集めたような金色の髪をしていて、前髪は真っ直ぐパッツンに切られている。

 女の子は椅子を引いて、ナインズが後ろを通れるようにした。

「初めまして!私はオリビア・ジェリド・フィツカラルド。神都の生まれです」

 スレイン州の者の名前は大抵三つ並びだ。

「フィツカラルドさん。よろしくね。僕は――ちょっと遠いところ」

「お名前が珍しいからそうかと思いました。黒い髪だし、ディ・グォルス州から?女の子かと思うくらい綺麗なお顔ですね」

「そうかな…。フィツカラルドさんの方がよっぽど綺麗だよ」ナインズの口からは滑らかに称賛が溢れ出た。

 アインズはいつもフラミーとアルメリアを可愛い綺麗と言っているし、ナインズも同じように母と妹を毎日可愛い綺麗と言っている。

「あ…えへへ。ありがとうございます。ここは砂漠と違って涼しいでしょう?」

「あ、僕はディ・グォルスの生まれってわけじゃないんだ」

「そうなんですか?残念。色々な人がいると父と母がよく言っていたので、たくさん調べてきたんですけど。黒髪黒目といえば南方でしょう」

「へぇ、フィツカラルドさんは勉強家なんだね」

「ふふ。そうでもないですよ!でも、生まれを決めつけちゃいけないとも言われているので、ちょっと失敗です。すみませんでした」

「気にしてないよ。知ろうとしてくれてありがとう」

 ナインズはアルメリアを除くと、たまにナザリックに遊びに来るラナーの娘のクラリスと、コキュートスとセバスに鍛えられているクリス・チャンしか女の子は話したことはない。内心は緊張していたが、オリビアは嬉しそうに笑った。

 席に着くと、ナインズはオリビアを避けるように一郎太の様子を見た。

 一郎太はまだ隣の席に誰も来ていない。ナインズと目が合うと手を振ってくれた。

「あ、はは」

 手を振りかえしていると、周りがざわめいた。

 何だろうかと、皆の視線の向こうを確認すると――美しい銀髪の少年がいた。髪の長さは肩に触れるくらいはあり、真っ直ぐで、額を出していてとても美しかった。瞳も薄いグレー。肌はどこまでも白く、わずかに尖った耳をしている。

「――エルミナス・シャルパンティエ君。君はあそこね」

 示された先は一郎太の隣。背の順で決められる席は男女のペアになるとは限らない。

「――ミノタウロスかぁ。初めてみたなぁ」

 その物言いはとても大人びているように感じた。

「よろしく、オレ一郎太」

「よろしく。私はエルミナス・シャルパンティエ。優しそうな子が隣で良かったよ」

「オレも!」

 クラス中がエルミナスを見ていた。

 まさかあれが――?

 そう言う空気だった。

 ただ、ナインズと一郎太は良い友達になれそうくらいの感想だったが。

「あのお方、そうなんですかね」

 オリビアに言われた意味が分からず、ナインズは首を傾げた。

「そうって?」

「ほら、あの噂です。神都の学校に――」と、オリビアが説明しようとすると、担任が手を叩いた。

「皆、これで同じクラスの仲間が全員揃ったよ。さて、このクラスは僕、ジョルジオ・バイス・レッドウッドが担任します。今年も色々な種族の皆が集まった。体の大きさも生まれも違う。姿形が違うことは、一瞬抵抗を覚えることかもしれないけれど、全ての生き物は神王陛下と光神陛下の下に平等だとよく覚えておいてほしい。一つのクラスとして、皆で仲良くすごしましょう。――あ、先生のことはバイス先生と呼んでね」

 担任の挨拶が終わり、ナインズが拍手をすると、周りからもちらほら拍手が漏れた。

「はは、ありがとう。さぁ、講堂に行きましょう。鞄は名前の書かれているロッカーに入れてね。前に座っている子から順番にロッカーに寄って、廊下に出て列を作ってください」

「「「「はぁーい」」」」

 子供達が声を上げる。一番体高の小さいイタチとオオサンショウウオを先頭に皆廊下へ向かった。

「私、にょろにょろはだめなんです…。怖いよ……」

 オリビアが言うと、ナインズはオリビアに手を出した。

「大丈夫。姿が違っても怖くないよ。僕には蜥蜴人(リザードマン)の友達がいるけど、皆すごく親切なんだ。行こう」

「……スズキ君、ありがとう」

 二人は手を繋いで進みだした。すると、後ろからナインズの肩が叩かれた。振り返れば女の子が二人手を繋いでいた。

 一人は髪を高い位置で二つに結んだ赤と金の間のような色のツインテールで、一人はナインズよりも短い茶髪だ。まるで男の子のようだった。

「オリビアのお隣の子、わたくしはレオネ・チェロ・ローランですわ。わたくし達、お家が近くて私立の幼児塾に一緒に通っていたのよ」

「あたしはイシュー・ドニーニ・ベルナール。オリビアの隣にいたの気が付いたか?」

「あ、ローランさん、ベルナールさん。気付いてなかった。ごめんね。僕はキュータ・スズキ。よろしくね」

「「よろしくぅ」」

 列は一階で降りたところで止まり、担任が声を上げる。

「皆、ここからは講堂に入るから、静かにね。入ったら、僕の言うように席に着くように」

 注意事項が終わり、少しざわめいていた子供達が静かになってから担任は再び進んだ。

 講堂に入ると、ナインズは両親を探してキョロキョロとあたりを見渡した。

 前方にある椅子は先に講堂に入った隣のAクラスの一年生が座り始めており、手前にはずらりと保護者達が座っている。ちなみにナインズのクラスはBだ。

「あ、お母さま」

 手を振るフラミーにナインズは小さく手を上げて答えた。

 隣のオリビアの親も近くにいたのか、同じ方向に手を振る。

「スズキ君のお母さま、とっても綺麗なのね」

「うん。お母さまはとっても素敵なんだ。お父さまがいつも言ってる」

「仲良しなのね。私のお父さまとお母さまもとっても仲良しなの。今度よかったら遊びに来てね」

「良いの?嬉しいなぁ。僕ね、学校中の皆と友達になりたいんだ」

「私もたくさんお友達作りたい!」

「フィツカラルドさんはもう二人友達がいるから良いね」

「スズキ君もミノタウロスのお友達がいるでしょ?教室に入ってきた時ちょっぴりびっくりしちゃった」

「ふふ、一郎太は友達っていうか兄弟みたいかも」

 ナインズは楽しそうに笑った。前の人に続き、奥から椅子に掛ける。

「――キュー様、キュー様」

 後ろからの小声にナインズはすぐに振り返った。

「一太、僕の後ろだったの」

「へへ。ここの席は近かったですね」

 一郎太がピースサインを作ると、隣に座っているエルミナスがナインズへ手を伸ばした。

「キュータ・スズキ君、私はエルミナス・シャルパンティエ。一郎太の隣なんだ。よろしくね」

「シャルパンティエ君、よろしく。僕のことはキュータで良いよ」

「じゃあ、キュータ。私もエルで良いよ」

「エル。仲良くしてね」

「こちらこそ」

 ナインズは後へ体を捻り、握手を交わした。

 オリビアとレオネ、イシューも手を伸ばす。

「私はオリビア・ジェリド・フィツカラルドと申します。どうぞお見知り置きを。フィツカラルド家は書店をやっておりまして、聖書の販売などをしております。気兼ねなくオリビアとお呼びください」

「わたくしの名前はレオネ・チェロ・ローランですわ。代々神官を勤めている家系で、神都の生まれですの。私のこともレオネとお呼びくださいまし」

「あたしはイシュー・ドニーニ・ベルナール。イシューで結構です。祖父は大聖堂の建築に携わったと聞いております。どうぞよろしくお願いします」

 驚くほどに丁寧だった。

 ナインズは訳がわからなくなりそうだったが、デミウルゴスに「自分に言われていることでなくても、人の話したことは覚えておいた方が良い。どんな時に役に立つかわからない」と教えられているのできちんと覚えておこうと数度頭の中で復唱した。

(フィツカラルドさんは本屋さん、ローランさんの家は神官、ベルナールさんのおじいさんは建築家。――ん?神官ってことは、ローランさんのお父さんは朝大神殿にいたのかなぁ)

 分からなかった。正直神官の顔と名前は覚えきれていない。役職付きの神官も怪しい。誕生日や何かの行事の際に年に数度しか会わなかったのだ。

「オリビア、レオネ、イシュー。よろしく。私のことはエルと呼んでね」

「はい、エル様!」

 三人娘はきゃいきゃい喜び握手を交わした。

「キュー様、陛――お父上とお母上に気付きました?」

「あ、うん。手ぇ振ってた。花子もいたね」

「はい!母者の方がオレより緊張してそうだった」

「僕のお父さまも」

 二人は顔を寄せ合いくすくす笑った。

 すると、エルミナスが口を開いた。

「――一郎太はキュータのお付きなのかな?」

「ん?あぁ。生まれた時からね」

「そうかい。ミノタウロスがいるのは確かバハルス州の方だって言うし、二人はそっちの方から?」

「んー。昔はそうだったって父者が言ってた。でも、今は違うところに住んでる。

「僕もバハルス州じゃないよ」

「へぇ。きっと良いところの子達なんだろうね」

「エルも良いところの子なんだろ?男なのに自分のこと私って言ってるもんね」

 一郎太が言うと、エルは少し困ったように眉をハの字に寄せた。

「はは、どうだろうね」

 楽しい会話は先生の登壇とともに終わりを告げた。

 

 ――皆様ご静粛に。

 

 入学式は開式の挨拶とともに始まった。

『本年度も多くの子供達が神都第一小学校に入学しました。本校は他校と違い、遠方から親元を離れて通う子供達も多くおり、学生寮も持ちます。大神殿と魔導学院に程近い立地を持つ、神聖魔導国初めての由緒ある小学校で学びたいと思う事は実に自然なことでしょう。開校当初、ここでは実際に神の生み出したユリ・アルファ先生とソリュシャン・イプシロン先生が教鞭を取られていた程です。神聖魔導国の未来を担う多くの子供達がこの神都第一小学校で勉学に励みます。そして――」

 難しい話だ。飽きてきている子供達もいたが、ナインズはじっと話に耳を傾けた。

 まだ若干六歳だが、知恵者達は手を抜くことなく、数えきれない言葉を彼に教えた。ナザリックの外の小学校なんかに通わせなくても良いと支配者達が思ってくれるように必死で教えた。ナインズも勉強の時間を自らの義務であると自覚してよく聞いた。知恵の林檎(インテリジェンス・アップル)を片手に毎日猛勉強してきたのだ。――と言うのにこうして学校に通い始めてしまったが。

 ナインズは大人の話を聞くことにかなり慣れていた。

 だが、話を聞いていたナインズに変調が訪れる。

『――最後に、今皆様が一番気になることは、神々の子であるナインズ殿下がこの中にいらっしゃるかと言うことだと思います。私達教員は陛下方と殿下のご意志を尊重したいと思っていることに加え、どの生徒がナインズ殿下であるとは存じ上げません。殿下がどなたなのか教員に尋ねられてもわからないと、保護者の皆様にはこの場をもって先にお伝えいたします。生徒の皆さんも、例えこの人が殿下ではないかと思ったとしても、それを問い詰めるような真似はしないように』

 ナインズは何故自分がいるかどうか知りたいのだろうと思った。

 ちゃんと良い子なのか知りたいのだろうか。

 そう思うと、途端に自分が点数を付けられる立場にいるような気がして心が小さく萎むようだった。

 一郎太が隣にいれば手を握って欲しかった。

 ナインズが俯くと、ナインズの座っている椅子の足がコンコンと蹴られた。

 ちらりと振り返ると一郎太が頷いた。ナインズの様子に一郎太は敏感だ。

 ナインズは一郎太が一緒に来てくれていて良かったと微笑んだ。

 校長の話が終わり、国歌斉唱と言われて全員が立ち上がる。

 だが、ナインズと一郎太は国歌を少しも知らなかった。歌っているフリをして過ごした。ナインズにとって、それが生まれてはじめて何かを誤魔化した瞬間だった。

 何とか歌も終わると、変わる変わる人が挨拶をしていき、担任が誰だとか、親の会の会長が誰だとかを一気に紹介された。

『続いて、ご来賓をご紹介いたします。本年は大神殿より最高神官長様がいらしております』

 最高神官長は今朝会った。ナインズは少し背を正して話を聞いた。

『本日、最高神官長として、陛下方よりお言葉を賜って参りました。陛下方はお友達を大切に、自分の周りの仲間を全員尊い存在だと思って過ごすようにと仰いました。どなたがナインズ殿下だとしても、礼儀正しく全ての仲間に関われば、何の問題もないのです。たくさんのお友達を作って、たくさん学んで、未来の神聖魔導国を支えてほしいと、皆さんの成長を楽しみにしていらっしゃいます。さて――」

 これまた長い挨拶だった。途中、何度か最高神官長はナインズと目があった。

 ようやく最高神官長の話も終わると、在学生が校歌を歌い、一年生は見送られた。

 入ってきた時よりもナインズは胸を張って講堂を後にした。

 

+

 

「長かったなー。オレ寝ちゃうかと思った」

 各々のクラスに戻りながら、一郎太が言う。

「はは。大人はたくさん話すんだね」

「本当に。あ、でも陛下のお言葉は短くって分かりやすかったですよ!」

 二人の横にエルも追いついてくると、女子三人も追いついてきた。いや、他にもたくさん人がエルについてきているようだった。

「陛下は私達子供のレベルに合わせてくださっていたね」

 エルが言うと、レオネが横から身を乗り出した。

「流石陛下でしたわ!わたくし、陛下をすごく尊敬してるんですの。なんと言っても、神官の子ですもの」

「そ、そうかい。私もとても尊敬しているよ」

 周りが流石だと喜ぶ様子にエルは頷いた。

 教室から顔を出している担任が「トイレに行きたい子は今トイレに行きなさーい」と声をかけている。

 エルの取り巻きの半分はトイレに消えていった。

「エル、人気者だなぁ」一郎太が言う。

「こんなことは生まれてはじめてだよ。何なんだろう…」

「エルの優しそうな雰囲気が皆大好きなんだって、僕は思うよ」

「はは、そうかな。キュータと一郎太は普通に接してくれるから嬉しいよ。もしかして、皆私の生まれを分かっているから………」

 エルが暗い顔をしてそう言うと、残っていた取り巻きが少し浮かれたように「お生まれ!」と声を上げた。担任が見兼ねて、トイレに行かないなら早く教室に戻るように促す。

 取り巻き達は小走りで教室に入っていったが、三人はゆっくり教室に向かった。

「エルはどこから来たの?」

「私はエルサリオン州の最古の森から来たんだ。昔、奴隷だった人間の母と上位森妖精(ハイエルフ)の父の間に生まれた。だから、二人みたいな良いところの子とは正反対なんだ。奴隷の子だって、皆思ってるのかな……。だから、何も分かってないと思って色々言ってくるのかもしれない……」

「エル、そんなことない。神聖魔導国に於いて全ての命は平等だよ。君はそもそも奴隷の子なんて名前じゃない。上位森妖精(ハイエルフ)と人間のハーフって言う事だけが君の持つたった一つの事実だよ」

 両手を握って真っ直ぐにいうと、大人びているエルだと言うのに、少し瞳が潤んだ気がした。

「……ありがとう……。私はずっと不安だったんだ。最古の森の差別は減り始めたけど、人間は昔木を多く伐りすぎた。歳を取っている人達や子供はまだ人間に大してすごく抵抗がある……。母はなけなしの財産を払って私がここで学べるように色々なことを手配してくれたんだ」

 小学校には基本的にお金はかからない。だが、最古の森から転移の鏡をくぐるには相応の料金が必要だし、もし寮に暮らせば寮の代金は大きく掛かってくる。きちんと通えるくらいの距離に小学校は一つは建っているので、わざわざ学区を出て別の小学校に通わせたいならば、相応の金がかかるのは当然のことだ。

「なのに……ここでも私が馴染めなかったら、母はなんて言うんだろうって……怖いんだ……」

「大丈夫。僕たちは差別をしない。古い人や何も分からない子がエルに色々言ったかもしれないけど、気にしちゃいけないよ。ミノタウロス王国も人間は奴隷か家畜だけど、今ミノタウロス王国にいる王様は人間との間の子供なんだよ。ねぇ、一太」

「そうそう。ミノス王って言って、面白いおっちゃんなんだよ。世界は変わっていくもんだからさ、あんまり周りの人を疑わない方がいいぜ」

「キュータ…一郎太……」

「エル、皆君が大好きなだけだからね。自分で自分の価値を減らしたらもったいないよ」

「君達は大人だね…。ありがとう。でも、僕の生まれは皆には明かさないでほしい」

「エルがそう言うなら言わないよ、約束する」

 三人はようやく席についた。

 ナインズは、最古の森に根深く残る人間への偏見の話はアインズにしなければいけないと、しかと心のメモに書き留めた。

 生徒達がクラスに戻ってくると、親達もクラスに入ってきた。

 沢山の教科書と、いくらかの教材、それから一本の杖を渡されてその日は終わった。

 

+

 

「九太、一郎太、ちゃんと先生の話を聞いて偉かったな。荷物が多いから持ってやろう」

 教科書は全てがハードカバーで、革に型押しの装幀がなされいるこれでもかと分厚い代物だ。

 アインズ達が学校という物をこの世に送り出すまで、一般庶民の家に本と言うものは一冊あれば奇跡のようなもので、どの家にも両手で開くような巻物(スクロール)型の情報媒体ばかりがあった。――農村部に至っては識字率もそう高くはなかったため、巻物(スクロール)もない村もあったほどだ。

 そんな世界で、一年だけ使う使い捨てのような教科書は普及するはずもなく、教科書は小学校時代を過ごす六年間、ずっと使うことになる。学校を卒業する頃には表紙の皮は擦れて年紀が入った見た目になることが殆どだ。計算も魔法の基礎も、字の読み書きの方法も、これまでは貴族の子供が家庭教師に教えられるのか、専売の者達が苦労して手に入れてきた知識であり、一般の家庭の子供がおいそれと触れられる機会などなかった。

 なので、貴重な知識の集約体である教科書は、卒業してもハードカバーに掛けられた革を当て直して大切に保管される。アインズや、教師を指導するユリ・アルファがそうしろと言った事はないが、今では装幀屋が学区に何軒か建っているのが普通になった。そう言った店には必ず美的感覚に優れた種族の者と、型押しする為の強い力を持つ種族の者がいる。

 どの店で装幀を施すのがお洒落だとか、高級店で装幀する事がステータスだとか、憧れの先輩の古い装幀革を貰うだとか、新たな文化が生まれていくのは必定だ。皆卒業の日には自慢の一冊と、よく学んでぼろぼろになった古い装幀革を持っていくらしい。

 ナインズはべらぼうに重たい手提げを一つアインズに渡し、一郎太は花子に渡した。

 学生リュックに入れられている分は自分で持った。

「――じゃあ、私はあっちだから」そう言ってエルは学校の向こうを指さした。

 エルの隣にいる女性は、母というにはかなり年老いていて、祖母のようだ。――いや、長命の上位森妖精(ハイエルフ)の血を引くエルはまだ子供だが、人間なら大人になっていてもおかしくはない時を重ねていて、その分母親も歳を取ってしまっているのだろう。

「エル、エルは今どこに住んでるの?」

「私は今日から寮に住むよ。よかったら今度遊びにきてね」

「寮?寮は子供しか住めないよね?」

「うん、母は一度最古の森に帰って、上位森妖精(ハイエルフ)の下で働くんだ。――父の下で。」

「……奴隷は解放されたはずなのに一緒に暮らせないの?まだ奴隷なの?」

 ナインズが尋ねると、アインズはその頭をギュッと押し込むようにした。

「っわわ、お、お父さま」

「九太!人は奴隷なんかじゃない。馬鹿者が口を弁えろ。エル君のお母さん、どうか気を悪くされないでください」

「いえ、いえ。キュータ君のお父さん、気にされないでください。――キュータ君。奴隷解放されても、進んでこれまでの主人の下で働きたいと言う人はたくさんいるのよ。見ての通り、私はおばあさんでしょう?私はきっと、エルが子供のうちに死んでしまうの。だから、エルとエルのお父様の縁が切れてしまわないように、働かせて貰っているのよ。それに、シャルパンティエ様はお賃金だってきちんと下さる。でも、エルには偏見の少ない神都で伸び伸び大きくなって欲しい。だから、離れ離れになっても、エルにとっては素敵な時間になるはずよ」

「そうなの……。エル、寂しいね」

「うん、少し…寂しい……」

 エルの母親は皺々の手でエルの頭を撫でた。

「夏休みには最古の森に帰って来られるように、転移の鏡を潜れるチケットを買って送ってあげる。だから、寮の応募に通った奇跡をもっと喜ばなくっちゃ。神都は話に聞いていたより、ずっと素晴らしい場所だもの。ここなら、あなたの短い耳もきっと目立たない」

「うん。そうだね。……母上、きっとたくさん手紙を書きます」

「私もたくさん手紙を書くわ。毎日の楽しかったことを聞かせてね」

「はい」

 エルと母親はそっと抱き合った。

「じゃあ、私達は行くね。キュータ、一郎太。もし良かったら、夏には私と一緒に最古の森に遊びに行こう」

「うん、絶対に行くよ。それじゃあエル、また明日。エルのお母さまもお達者で」

「キュータ君、一郎太君、本当にエルと仲良くしてくれてありがとうね。夏に会えるのを楽しみにしているわ。お父さまとお母さま方もありがとうございます。どうかエルをよろしくお願いいたします」

 エルの母は嬉しそうに微笑み、フラミーもエルの母に頭を下げた。

「こちらこそ良くしていただいてありがとうございます。長い学校生活、よろしくお願いいたします。エル君も、よろしくね」

「はい。では、失礼いたします」

 エルが帰ろうとすると、周りからは「エルミナス様ー!」と黄色い声が上がり、エルは本当になんなんだろうかと苦笑し手を振った。

「良い友達ができてよかったな」

 アインズが言うと、ナインズは嬉しそうに頷いた。

「はい!他にも友達ができました!」

 そう言っていると、少し離れたところにいるオリビア達がナインズに手を振った。

 手を振りかえし、親同士が頭を下げ合う。

「女の子も友達になれたのか。お前、すごいな」

 アインズが言うとナインズはへへんと胸を張った。

「当然です!」

「そうか。お前にはどうやら私にはない才能があるらしい……」

 リアルでも魔法詠唱者(マジックキャスター)だったアインズは苦笑した。

「ねぇ、お父さま。帰ったら僕、最古の森に行きたい」

「……エル君のお母さんに会うためにか?」

「ううん。タリアト君とお話ししたいの」

 ナインズの瞳は真剣だった。

「ふむ……。良いだろう。たまには乾期でなくてもアルバイヘームに会いに行くか。さあ、帰ろう」

 一行は来た道を戻り、大神殿の正面からではなく、神官達が出入りをする小さな職員通用口のような扉から入って行った。

「エルもナザリックに呼んであげられたら良いのにって思っちゃいますね、ナイ様。」

「本当だね。僕も呼んであげたい」

「…それはできんのだから、エル君が寂しくないように、学校ではたくさん仲良くしてあげなさい。寮に暮らす子は他にもたくさんいる。お前達が誰も寂しくない学校を作るんだ」

「はい!」

 その後子供達は今日の学校であった事を楽しげに話し合い、屍の守護者(コープス・ガーディアン)の守る鏡を潜った。

 

+

 

 最古の森、アルバイヘームの城。

 フラミーは最古の森がよく見渡せる城のテラスに出ていた。緑色の雨が最古の森全土に降り注ぐ。

「行き渡ってるかな」

「きっと行き渡っております。思わぬ恵みに森も喜んでいる事でしょう」

 タリアトは自らの女神に微笑んだ。

 テラスには雨宿りをするために数羽の小さな鳥達が身を寄せている。

「気持ちいいなぁ。緑の匂いがします!」

「えぇ、雨の匂いもいたします」

「あぁあ。ずっとここに居たくなっちゃいますね」

 欄干に腰掛けてフラミーが言うと、タリアトも隣に腰掛けた。

「泊まって行かれたって良いんですよ。部屋なら売るほどある。夜には蛍が飛ぶし、きっと君は気に入ると思う」

「お泊まりもいつかしたいけど、でも、アルメリアがまた怒っちゃうから。ナインズが学校に通うようになったら遊んでもらえなくなるしつまんないって言ってるの」

「はは。アルメリア様らしい。ところで、フラミー様は女中に子供を見させないのですか?」

「んー、メイドの皆によく見て貰ってますけどね。でも、私の子だから。私の家族だから。私が一番側にいてあげたいんです…。なんて、そんな当たり前の願いもうまく叶えられない人が世界にはたくさんいる事を……私は知ってるのに……」

 フラミーの笑顔はあまりにも息苦しく、胸が締め付けられるようなものだった。

「……君は本当に心が美しいね。殿下方はお幸せです。それに、君の下に付く全ても幸せだ。誰もが君で良かったと思っているよ」

「そうだと良いなぁ」

「そうですとも」

 二人は楽しそうに笑いあった。

 そうしていると、城の中からナインズが駆け出してきた。

「タリアト君!タリアト君!そろそろお話ししても良いかな!」

「殿下、そう言えば今日は殿下が私に話があるからいらしたんでしたね」

 フラミーが頷く。

「そうなの。学校で上位森妖精(ハイエルフ)のハーフのお友達ができてね」

「ハーフ?どの種族とのですか?森妖精(エルフ)とか?」

「――人間なんです」

 フラミーが告げると、タリアトは少し目を細めた。

「タリアト君、ここには差別があるよ!奴隷解放宣言をしたんだから、もう人間の差別はおしまい!」

「最古の森が神聖魔導国の下に入り、人間は木を伐る事をやめました。このエルサリオン州、私の下には最古の森だけでなくアリオディーラ市もあります。そこには人間が暮らし、私は最古の森を愛するように分け隔てなく人間と接しております。どうかご安心ください」

「……神都の学校で僕の友達に上位森妖精(ハイエルフ)と人のハーフの子がいるの。こっちだと奴隷の子供だって言われるから、神都に一人で暮らして学校に行くんだよ。どうしてこんな事になっちゃうの?」

「……難しい問題です。差別はやめろと言われてやめられるものではありません。ですが、今一度そう言う思想を捨てるように通達いたしましょう。人間を奴隷と呼んだり、人間との間の子供を蔑むような真似はやめるようにと。近頃では表立った差別はなりを潜めておりましたが、ふとした時にその意識が外に出てしまうのかもしれません。上位森妖精(ハイエルフ)は長生きなので、古い思想が強く根付いてしまうのです。特に、子供達は昔そう親達が蔑んでいたことを知っているから、親が差別をやめたとしても、そこでぴたりと差別が終わるわけではありません」

「お父さまも時間がかかるって言ってた……」ナインズの視線は、城のガラス張りの扉越しにデミウルゴスと共に何かを話すアインズへ向けられた。「タリアト君なら、一生懸命差別をなくしてくれるよね?」

「もちろんです。今の最古の森の主はフラミー様なのですから」

 ナインズはフラミーにそうなのかと視線を送る。

「ナイ君。お母さん達も努力するからね」

「はい!」

 タリアトがナインズの銀髪をさらりと撫でていると、デミウルゴスが姿を現した。

「フラミー様、そろそろお時間です」

「はい!じゃあ、タリアトさん。また雨が足りなそうな時には呼んでくださいね。乾期じゃなくてもいつでも来ますから」

「ありがとうございました。また私からも伺います」

「待ってますね。ソロン君にもよろしく伝えて下さい。ナイ君も、お話聞いてもらえて良かったね」

「タリアト君、ありがとうございました」

「いえ。どうぞお気をつけて」

 ナインズは一度タリアトの足下に駆け、タリアトは膝を付いた。

 二人は仲のいい友人のようにそっと抱き合い、離れた。

 フラミーが雨を降らせにくる時、いつもナインズは付き添い、「いつか僕がここに雨を降らせて守ってあげる」とタリアトに言っている。二人の間には信頼関係があった。

「お願いね、タリアト君」

「ご安心を」

 ナインズは頷き、フラミーの手を取ると二人でデミウルゴスの下へ行った。アインズが転移門(ゲート)を開く。

 フラミーとナインズはもう一度タリアトへ振り返り、転移門(ゲート)を潜って消えた。

 

 タリアトはしとしとと雨が降る森へ振り返る。

 

「――シャグラ・ベヘリスカ。君が命を捧げて守った森を、私はよりよくして見せるよ」




ついに学園編だぁ!
ナイ君お利口さんすぎるよぅ
それで、共和国はどうなった!!
レッドウッド先生、赤木先生って感じ?

次回Lesson#2 お外嫌いと最強の女子
11日です!うおー!隔日であげるぞぉ!!


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Lesson#2 お外嫌いと最強の女子

 ナザリック地下大墳墓宝物殿。

 見渡す限り金貨が無造作に積み上げられており、さながら砂漠のようだ。金貨だけでも唸るほどだが、どの山にも国宝級の剣や弓、杯などが埋もれている。

 この金貨砂漠でなら渇きに悶えて死んでも良いと思う者もいるだろう。

 そんな宝の山に、この領域を守護する者が手を伸ばした。

 金貨に埋もれるシャボン玉の結晶のような宝石を一つ手に取ると、塗り潰したような黒い二つの点でそれを眺めた。

 永続光(コンティニュアルライト)によって生み出された光が反射し、一時として同じ色を止めることなく複雑に輝いた。

「――これなら相応しいでしょうか。」

 一人呟く。パンドラズ・アクターは来た方向へ戻って行った。

 その先には同じく息子(・・)の地位に着く愛しき君。

「ンナインズ様!」

「兄上!」

 パンドラズ・アクターの呼び声にナインズは大きく手を振った。

「こちらなど如何でしょう?」

 パンドラズ・アクターが差し出した宝石を小さな手で受け取ると、ナインズはじっとそれを見つめた。

「…これなら、リアちゃん喜ぶかな?」

「もちろんお喜びになると思います。こちらはオパールと言い、神の祝福を受けた石と名高い宝石です。」

「神の祝福?じゃあ、お父さまとお母さまが創ったの?」

 ナインズは乳白色の中に虹色の輝きを宿す石から顔を上げた。

「俗説かと思っていましたが…もしかしたらそうかも知れませんねぇ。これには温度耐性の効果が付いているのと、幸運を呼び寄せます。」

「そっかぁ。お父さまとお母さまの石なら、これにしようかな!」

「畏まりました。形はいかがなさいますか?」

「あのね、お母さまがしてるみたいな首にするのがいい。でも、兄上はどう思う?」

「お悩みなら、共に鍛冶長の下へ参りましょう。ご納得いくまで手直しさせればよろしいのです!」

 パンドラズ・アクターが手を差し出すと、ナインズは迷いなくそれを取った。

「いく!楽しみだね、兄上!」

「はい!誠に!」

 

 二人は宝物殿から鍛冶長のいる鍛冶工房に転移した。

 

 その瞬間、もわりと暑さが立ち込める。カン、カン、と何かを力いっぱい打ち付ける音や、キン、キン、と細かく何かを削る音が方々から聞こえてきた。

「徒弟も誰も出迎えに来ないところを見ると、鍛冶長は何やら集中しているようですね。」

「邪魔かな…?」

 ナインズは不安そうな顔をしたが、パンドラズ・アクターは動かぬ顔で笑いかけた。

「ンナインズ様を邪魔に思う者などいるはずもありません。」

 二人は歩みを進める。

 あちらこちらに大きな炉が据えられており、どの炉にもそれぞれ色の違う炎が灯されていた。

 壁には革袋やツールセットが掛けられている他に、アインズやフラミーのスケッチが大量に貼られている。四方向からの姿が丁寧に描かれている他に、様々なポーズのものが並ぶ。

 素材棚も大量にあり、一々宝物殿に連絡を取らなくてもある程度の物は作成できるように金属や魔鉱石などがずらりと並んでいた。

 一番奥の炉の前には、鍛冶長が真剣な眼差しをして座っていた。周りにはたくさんの火の蜥蜴精霊(サラマンダー)達がいて、それぞれが炉の中を覗き込んだり、短い手で設計図のようなものを鍛冶長に見せたりしている。

 近くには可愛らしい蟹柄のテーブルクロスが掛けられた小さなテーブル。その上には何か食事をとったようで、ソースが付いている皿とカトラリーが乗っていた。

 ナインズはあまり訪れないその場所で、パンドラズ・アクターの手を強く握り小さくなった。

「鍛冶長、ナインズ様がお見えです!」

 その通達は工房中に響き、これまで聞こえていたあらゆる雑音がぴたりと止み、工房で働く者たちが一斉に振り向いた。

「っわ。」

 ナインズは思わず短い驚きの声を上げた。

 パチパチと火が燃え、くべられている物が弾ける音がする。

 これまで炉の前に座っていた鍛冶長はヤットコを手にしたまま立ち上がり、ナインズの前に膝をついた。

「これはナインズ様!ご無沙汰しております。お気付きもしませんで、大変申し訳ございませんでした。」

「――あ、ううん。平気だよ。あのね、僕……」

 ナインズはポケットから先程パンドラズ・アクターに貰った石を取り出した。

「これをね、リアちゃんの首にするやつにしたいの。」

「おぉ…!では、ネックレスに致しましょう。形はどのような物がよろしいでしょうか?」

「あの、お母さまみたいにぴたってしてるやつ。できるかなぁ」

「できますとも。ふふ、アインズ様がフラミー様へあのネックレスをお贈りする為こちらへいらしたのが昨日のことのようでございます。」

 鍛冶長は上機嫌に机の引き出しからスケッチブックを取り出した。

 机の上に乗っている食事の形跡を火の蜥蜴精霊(サラマンダー)達が片付け、そこにスケッチブックを乗せた。

「フラミー様のネックレスは本来長い物ですが、何度もチェーンを首に巻かれてチョーカー状にされております。最初から短い物ではなく、長い状態でお作りしましょうか?」

 ナインズは情報量の多さに瞬くとパンドラズ・アクターへ視線で救援要請を送った。

「――ナインズ様はフラミー様と同様の物を御所望です。」

「畏まりました。では――」

 鍛冶長は手早く数パターンのデザインを描くとナインズに見せた。

「どれがよろしいですか?」

「うーん、ぼくが決めていいの?」

「もちろんでございます。」

 じゃあ、とナインズが一つを指差すと鍛冶長は立ち上がった。

「それでは早速制作に取り掛かります。三時間ほどお時間を頂戴いたしますのでお部屋へお戻り下さいませ。出来上がり次第パンドラズ・アクター様にご連絡いたします。」

「うんと、もう少し見ててもいい?」

 その問いにNOと言うはずもなく、鍛冶長は嬉しそうにうなずいた。

 そして――「皆!まずは食事だ!!」

 鍛冶長の張り上げた声が響く。火の蜥蜴精霊(サラマンダー)達が手際良くナプキンやテーブルクロス、食事を取り出して行く。<保存(プリザベーション)>の掛かった食事はいつでも戸棚に補充されている。

 火の蜥蜴精霊(サラマンダー)は普段四足歩行だが、その気になれば二足で立ち上がることもでき、小さく短い手で鍛冶長の食事をテーブルに出した。

 皆ナプキンを首元に結びつけ、鍛冶長はいつもの合図を告げた。

「いただきます!!」

「「「「いただきます!!」」」」

 あちこちで食事が始まる。

「ご飯?」

「彼らはあまのまひとつ様のご意思を継いでるんです。必要なことなのでお待ち下さい。」

 ナインズが眺めていると、あっという間に食事は終わり、全員が炉に向き合った。

 特に大きな火の蜥蜴精霊(サラマンダー)が不思議な石を炉に放り込み、炎を吐く。

 鍛冶長も宝物殿から出されている素材の中でも一等良い金属を革袋から取り出し炉に差し込む。

 炎は真っ白で、吹雪のようだった。

「これなぁに?」

 ナインズの問いに鍛冶長は微笑んだ。

「これは氷の炎ですよ。ただの炎では鍛えられないものの為にはこうして特別な炎が必要でございます。」

「氷なのに炎?」

 手を伸ばそうとすると太陽のような熱をまとう火の蜥蜴精霊(サラマンダー)達がすぐに立ちはだかった。

「ナインズ様、触れれば御身は即座に焼かれて消えてしまいます。」

「危ないんだ…。皆は大丈夫?」

「我らは特別な加護を持っておりますから。」

 結局ナインズはその場でネックレスの完成を待った。

 

+

 

「リアちゃん、そう怒らないで」

 ナインズはむくれながらお絵描きをする妹の前に座った。

 ここはフラミーの執務室の一角だ。小学校に上がると同時に子供達には自分の部屋が与えられた。だが、アルメリアは今でも親達と寝ているし、自分の部屋にはほとんど行かない。ナインズも六歳にしてようやく一人寝デビューしたばかりだ。

「や。にいにがお外にいるのが悪いんです」

 グジャグジャっと赤いクレヨンで山が噴火する様を描く。第七階層だ。

「僕ももっとリアちゃんといたいんだけど、学校は行かなきゃいけないんだよ」

「にいには学校とナザリックどっちが大事なんです!」

 アルメリアは大変憤慨していた。

 彼女の外嫌いは四歳になった今も健在だ。

「えぇ…僕には難しいよ……」

 ナインズが困ったなぁ…と呟いていると、近くで執務をしていたフラミーが声を上げる。

「リアちゃん、お兄ちゃんだってリアちゃんのこと置き去りにして遊びに行ってるんじゃないのよ。リアちゃんも再来年には学校に行くんだから」

「や!リアちゃんはお外なんて行きません!!」

 フラミーのそばにいるデミウルゴスは嬉しいと言う感情を表に出さないように堪えた。それは、ナインズと共にこの部屋にやってきたパンドラズ・アクターも同様だ。

「またそんなこと言って。ナザリックにずっといたら、お友達もできないでしょう」

「リアちゃんにはクリスもいるし、サラトニクもいるもん!」

「クリスちゃんとサラ君しかお友達ができないんだよ?お兄ちゃんは一週間でたくさんお友達ができてるのに。ねぇ?」

「うん、えっとね。エルと、フィツカラルドさんと、ベルナールさんと、ローランさん。それから、オオサンショウウオのキング、イタチのチョッキー。一人山小人(ドワーフ)の友達もできたよ。グンゼ・カーマイドって言って、すごいお髭が生えてるんだ」

「ね?楽しそうでしょう?」

 アルメリアはフラミーとナインズを交互に見ると、ぷぃっと顔を背けた。

「リアちゃん、僕もなるべく早く帰ってくるから」

「お外なんて行かなくならないとやです」

「リアちゃん。人の事を自分の思い通りにしようとしたり、怒りで言うことを聞かせようとしたりしちゃいけないって言ってるでしょ。お兄ちゃん困ってて可哀想でしょ」

「や!!リアちゃんはお母ちゃまとにいにがいるお部屋でお絵描きしたいの!!」

 アルメリアが大きな声を出すとフラミーはどうしてこうも兄妹で性格が全く違うのだろうかと頭を悩ませた。

「リアちゃん、僕ね、僕の代わりにリアちゃんとずっと一緒にいられるものを用意したんだよ」

「……もの?」

 アルメリアは首を傾げた。ナインズから何かをもらったことなどないのだ。いや、シチューに入っている肉を分けて貰ったりすることはよくあるが。

「そう。お母さまとお揃いだよ。へへ」

 ナインズはそう言うと、赤紫に染められた皮が張られた箱を取り出した。

 真ん中には金系で"le souvenir"と書かれている。

「……はこ?」

「ううん。箱じゃないよ」

 パコっと音を上げて開いた箱の中には、乳白色の中に虹を宿す雫型のペンダントが付いたネックレスが入っていた。

「綺麗でしょ。兄上と探したんだよ」

「……にいにがリアちゃんにくれるの?」

「うん。着けてあげる!ちょっと待ってね」

 ナインズは立ち上がると、アルメリアの後ろのソファに座り、その首に数度ネックレスを巻きつけた。横からパンドラズ・アクターが手を出し、巻き込まれかけている長い髪を避けてやる。

 チェーンの両端を止めると、魔法のネックレスはアルメリアの首にぴたりとついた。

 パンドラズ・アクターが急いで遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を取り出し、アルメリアの前に浮かべる。

「可愛いよ、リアちゃん」

「……むぅ。とっても嬉しいです。だからしばらくは許してやります。仕方がないです」

「ありがとね」

 ナインズはまだ小さな妹の頭を撫でてやると、ソファを立った。

「リアちゃん、クリスが第六階層でセバスと訓練してるだろうから、遊びに行こう」

「付き合って上げます!」

 アルメリアは顔いっぱいに笑うとクレヨンを片付け、自分のおもちゃ箱にしまった。

 そして、完成した火山の絵をデミウルゴスに差し出す。

「あげます!」

「これはこれは!ありがとうございます。謹んで頂戴いたします」

「飾っても良いですよ!」

「もちろん飾らせていただきます」

 アルメリアは実に満足げだ。

 ちなみに宝物殿には大量のナインズとアルメリアのお絵描きした作品が保管されている。パンドラズ・アクターはそれは宝物殿にふさわしいのにと思ったが、アルメリアの決めた事に口出しはしなかった。

 二人はパンドラズ・アクターと手を繋いだ。

「ではフラミー様。第六階層に行ってまいります」

「はぁい。お願いしますね。明日からはまた学校だから、適当なところでおしまいにして帰ってきてください」

「ん畏まりました!では!」

 三人の姿はかき消えた。

「――はー本当リアちゃんは困った子だなぁ。再来年、登校拒否するかも」

 一度ペンを置き、フラミーはうんと伸びた。

「それならそれでよろしいかと思います。無理に外に出る必要はございません」

「……デミウルゴスさん、さっき嬉しそうだったでしょ」

「……い、いえ。とんでもございません」

「あー!嘘つきましたね!至高のなんちゃらに嘘ついていいんですか!」

「も、申し訳ありません。はは、たしかに喜ばしく思いました」

 デミウルゴスは思わず途中で笑ってしまった。それを見破ってくれるだけ神が自分を見てくれていることが嬉しくて。

 

+

 

「クリスー!クリスー!!」

 第六階層についたアルメリアはセバスが監督する下、二郎丸と組手をするクリス・チャンに向かって駆けた。走る時にアルメリアは癖で翼をはためかせてしまう。だが、未だ飛べたことはない。

「あ、アリー様!じろちゃん、ちょっとごめんね」

「ナイ様ー!良いよ、行こう!」

「――お父さま、少し失礼いたします!」

「えぇ。行ってきてください」

 クリスもアルメリアへ駆け、二人は嬉しそうに手を繋ぎあった。

 クリスの髪は金色で、美しい青い瞳をしていた。

「クリス、見てぇ!」

 アルメリアの顔は喜びでいっぱいだった。デレデレだった。

 クリスは爪先から頭の先までくまなくアルメリアを確認し、すぐにそれに気付いた。

「アリー様!可愛いネックレス!」

「ふふ、にいにがくれたんです!良いでしょう!」

「良いなぁ!さすがナインズ様です!」

 二人に流石だ流石だと言われるとナインズは少し照れた様に笑った。

「いや、僕はお父さまの真似をしただけ。それより、クリスは随分強くなったんじゃない」

「はい!たくさん強くなって、アリー様がお外に出る時必ずお守りできるようになります!」

 外と聞くと、アルメリアはまたつまらなそうな顔をした。

「お外なんてやです。なんで皆そんなに外に出たいんです?」

「アリー様のためです。ねぇ、じろちゃん」

 ナインズの隣に控える二郎丸は頷く。

「そうだね。ボクもいっぱい強くなってナイ様とお外出たいなぁ!いち兄が羨ましい!」

 その視線の先では、一郎太がコキュートスと息つく間もなく特訓をしていた。

 木刀を持って身軽に駆け回り、何度もコキュートスへ撃ち込む姿は真剣そのもの。

「一太もすごいなぁ。クリスとどっちが強いんだろう」

「この姿だと一郎太君の方が強いです。でも、こうすれば――」

 そう言うと、クリスの体はグググ……と音を立てて形を変え始めた。

「く、クリス。それはやっちゃダメだって――」

 ――ギャウォォオオオ!!!

 クリスの小さな口から出るとは思えない雄叫びが上がる。

 その頭からは二本の長いツノが生え、ずるりと長い竜の尾がズボンを突き破った。

 頬と首、肘から先が鱗に覆われ、青かった瞳は赤く揺らめいた。白目の部分は黒くなっていた。

「コ、コレナラ……!コレナラ一郎太君ニモ勝デマズ!!」

 口からは少量の炎が漏れ、今にも我を忘れそうな様子にセバスが駆け寄った。

「クリス!!いけません!!その姿は慎まなければならないと言っているでしょう!!」

「オ、オ、オ父サマ!クリスハ勝テル!!」

 ドッと地を蹴り、コキュートスと手合わせをしていた一郎太へ迫る。

「――ぇ」

 一郎太が気付いた時には、クリスはもう一郎太へ向かって長い爪を持つ手を振り上げていた。

 ッガキィン――と耳が痛くなるほどの音が響く。

「ヤメロ!クリス!!」

 木刀を放り出したコキュートスの手がクリスの爪を止めていた。

「コギュードス様……」

「ヤメルンダ。制御デキナイ力ナド、力デハナイ!」

 クリスは少し落ち着いたが、その口からはまだ炎が漏れ出ている。

 グルグルと喉を鳴らしていると、セバスがクリスを抱き上げた。

「申し訳ありません。コキュートス様」

「カマワナイ。ダガ、竜化シテハイケナイトモットヨク言イ聞カセルベキダ」

「は。おっしゃる通りです」

 セバスは炎を吐こうとするクリスの口を塞ぎ、焦った様に駆けてくるツアレに振り返った。

「セ、セバス様!申し訳ありません!」

「ツアレ、気にすることはありません。私の血がそうさせるのです。クリス、そのように軽薄なことをしていると、あなたは二度とツアレに会うことはできません」

「オ、オ母サマ……ヤダ……」

「そうでしょう。アルメリア様やナインズ様にももうお会いできませんよ」

「ヤダ……ヤだ……」

 クリスは少しづつ落ち着き、生えてしまった角と尻尾はどんどん小さくなっていった。

 顔に浮かんでいた鱗も消え、全く形が変わっていた手も柔らかな人のものに戻った。

「やです……そんなの……」

「そうでしょう。さぁ、見苦しい姿を見せたのですから、ナインズ様とアルメリア様にまずは謝罪なさい」

 クリスはお尻に大きな穴の空いたズボンのままナインズ達の下へ向かった。

「ナ、ナインズ様…。アリー様…。お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ありませんでした…」

「僕は構わないよ。クリスは本当に強いんだね」

「リアちゃんも許してやります。でも、危ないです。まったくもう」

 二人にペコペコと頭を下げ、今度は腰を抜かしている一郎太の下へ行った。

「一郎太君、すみませんでした。ついあなたに勝ってお二人にいい姿を見せたくなっちゃって…」

「わ、わかるよ。オレもそう言うことあるから……」

「さぁクリス、一郎太君の家へ行ってツアレにお尻を縫ってもらいなさい」

 クリスは恥ずかしそうに丸見えのお尻を押さえ、ツアレの下へ走った。

「クリス…。お許しいただけたことに感謝するのよ」

「はい…。お母さま、申し訳ありませんでした」

 二人は一郎のログハウスへ向かって行った。戦々恐々としている一郎と花子に二人はペコペコと頭を下げた。二人とも常に腰が低かった。

「――リアちゃんも何か訓練したいです」

 二人を見送ったアルメリアが言う。

 ナインズはずっと訓練訓練だったが、相変わらずアルメリアは訓練をしていない。現在のアルメリアは二レベル程度。ひとつだけ種族レベルが上がってしまった。

「ボクと組み手しますか?」

 二郎丸が言うと、ナインズが首を振る。

「お母さまに魔法を教えてもらいな。リアちゃんに組み手とかは危ないよ」

「痛いのは嫌いです。でも、リアちゃんにはルーンは使えないってお父ちゃまが言ってました」

「ルーンじゃなくて、位階魔法ならきっとリアちゃんにも使えるよ。ルーンはなんでか知らないけど、僕とお母さましか使えないから」

 アルメリアはむぅんと唸った。

「にいにも使えないのに、リアちゃんに位階魔法できるの?」

「できるよ。リアちゃんは僕よりずっとお利口さんだから」

 それは出まかせではない。アルメリアは色んな言葉を知っているし、自分の頭で色々なことを考えているとナインズは思っているからだ。

 彼女は今も封印の腕輪が嫌いだ。ナインズはそんなことを考えたこともない。

 だが、アルメリアは嫌いなりに我慢して着けている。もしナインズが身に付けるものが嫌だったら、それを我慢して着けていられるだろうか。

 とてもそうとは思えなかった。

 特訓も楽しいからやるし、勉強も面白いから受ける。

 ナインズはたまたま嫌なものがないだけで、今後それができた時、きちんと我慢することができるとは思えなかった。

 だから、ナインズはそっと優しく妹の頭を撫でた。

「リアちゃん、僕が学校で位階魔法を教えてもらったら、リアちゃんにも一番に教えてあげるね」

「ほんと?」

「本当だよ。リアちゃんのために、僕は位階魔法を覚えてきてあげる」

「わぁ!にいに!」

 アルメリアはナインズに抱き付き、ナインズは黒い小さな翼を撫でた。

 赤ん坊の頃は体を覆えるほどに大きかった翼は、今では体の方が大きい。

「にいに!ありがとうございます!」

「僕もありがとう。リアちゃんが笑ってくれてると、僕、嬉しいんだ」

 その姿は妙にアインズとフラミーに似ていて、パンドラズ・アクターはキュンッと胸を押さえた。

 その日からアルメリアはナインズが出かける事にそう腹を立てなくなった。

 日中は悩むフラミーがネックレスに触れるのを真似て、アルメリアももらったネックレスをいじった。

 そして、遊びに来たサラトニクに大変鼻を高くしてネックレスを見せたらしい。




ク、クリス・チャン思ったよりトリッキー

次回Lesson#3 知ってる女の子と知らない女の子
明後日13日に叩き込みます!


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Lesson#3 知ってる女の子と知らない女の子

「じゃあ、行ってきまーす!」

 鏡の横で控える屍の守護者(コープス・ガーディアン)は恭しげに頭を下げ、黒髪のナインズと一郎太を見送った。

「ナイ様のその頭、やっと慣れてきました!」

「僕もだんだん黒の方が好きになってきたよ!」

「えー!慣れてきたけど、オレは銀の方が好きだけどなぁ!」

 二人は大神殿の廊下をバタバタと駆け、神官達に頭を下げられる。

「おはようございます、殿下。一郎太君」

「おはよー!」

「おっはー!」

 書庫の傍の階段を下ると、学校から遠い場所に出ることになる神官通用口へ向かい、まずは一郎太が顔を出す。

「――誰もいません」

「行こ!」

 二人はようやく神殿を出ることができた。

 神殿の周りはすぐに街が広がるようなわけではなく、遊歩道のように緑に囲まれている。正面玄関の前には広い広場と噴水があり、たまにそこで海の人(シレーナ)が軽く体に水を掛けていたりする。

 広場の先には広大な街が続く。

 二人は日の射す遊歩道をぽちぽち歩いて行った。

 流石の大神殿とはいえ、早朝には掃除をする神官以外はおらず、鳥の鳴き声が響いている。

 他にはナインズの靴音と、一郎太の蹄の音だけだ。

「――そう言えば今日の一時間目の美術、外でスケッチするらしいですよ」

「え?そうなの?」

「二年生と一緒に外に出るって言ってました」

「……僕、あんまりよく聞いてなかったみたい」

「いえ、オレもね、ロランに聞いたんです。あいつ、二年生に兄ちゃんがいるんだって」

「ローランさん?」

「いや、ロランです。ロラン・オベーヌ・アギヨン。確かにローランと紛らわしいですね。ロランはオレの後ろに座ってる奴。その隣はアナ=マリア・エメ・アンペール」

 ナインズは自分の記憶の中からクラスメイトの情報を引き出す。

 確か金髪碧眼の優しそうな男の子だ。エルと昼食を食べに食堂に行く時、何度か話した。隣のアナ=マリアは静かでよく本を読んでいる女の子だ。

「そうかぁ。外で何描くんだろうね」

「ナイ様は絵うまいからいいけど、オレは絵ダメだからなぁ」

「はは、一郎太はやらないだけでうまいと思うよ」

「そうですかぁ?」

 二人は大神殿の敷地を出て、表通りを進んだ。

 表通りには登校する子供が何人もいて、中には朝市で果物を買ったり、パン屋さんでパンを買う子もいる。昼は学食で食べられるが、お弁当や売られているものを持ち込む事も許可されている。

 学食のお金は毎月払わなくてはならないので、わざわざ買って行くのはもったいないと言う子がほとんどだ。例外は寮に暮らしている子達で、彼らは学食と変わり映えのしないメニューを晩に食べることになるため買って行く子が多いかもしれない。大抵裕福な家の子なので大して気にしていないのだろう。

 二人が慣れてきた道を曲がると、向かいの道からエルが歩いてくるのが見えた。

「おーい!エル、おはよさーん!」

「エルー!おはよー!」

 二人が手を振ると、エルは小走りで二人の下まで来た。

「おはよう、キュータ。一郎太。安息日は何をして過ごした?」

「オレは特訓〜」

「僕は妹と遊んでたよ。甘えん坊だから、なるべく一緒にいてあげたんだ」

「へぇ!キュータは妹がいたんだね。知らなかったなぁ」

「ふふ、とっても可愛いよ。再来年には入学するから、その時に紹介するね」

「うん。ありがとう。キュータの家は厳しいから友達呼んだり出来ないって言ってたもんね。楽しみにしているよ」

 三人が校門へ向かうと、朝から黄色い歓声が上がった。

「エル様ー!おはようございますですわ!」

 ツインテールが揺れるレオネ・チェロ・ローランだ。

「レオネ、おはよう。今日も元気だね」

「ふふ、ふふふ!スズキ君と一郎太君もおはようございます!」

「おはよう、ローランさん」

「おーっす。ローラン、今朝は一人か?」

「イシューとオリビアはパン屋さんでお買い物をしてみると言っていたので、表通りで待ち合わせしないで先に来ましたの。わたくしは学食が好きだからわざわざ買いませんしね。それに、お金は払ってるんだからもったいないですもの」

「じゃあ、ローランさんは今日僕たちと一緒に学食に行く?」

「宜しいんですの?エル様もご一緒ですわよね!」

「うん。私もキュータ達と食べるよ」

 レオネは嬉しそうに顔いっぱいに笑顔を作った。

「ご一緒しますわ!」

 四人はますます賑やかになった。

 すると――ふと、ナインズは視線を感じた。

「……ん?」

「どうかしましたの?スズキ君」

「……いや。何か……この感じ……」

 この視線を知っている。ナインズは視線の主を探そうと校門から振り返ったが、思い当たる顔はなかった。

「キュータ、大丈夫?」

「あ、うん。ごめんね。行こう」

「……キュー様?」

「大丈夫。さ、一太も」

 四人は校門を潜り、二階の一年生の教室へ向かった。上履きという習慣がないためいわゆる下駄箱などもない。運動靴は個人のロッカーにしまってある。

 教室に着くと、ロッカーを開けて重たいスクールバックを下ろす。一郎太はリュックにして背負ってるが、ナインズは手で持っていた。

 ずっと魔法の装備を身に付けていたナインズに服に皺が寄ると言う常識はなく、初日にリュック状態で帰ったところ、制服の肩がシワシワになっていてショックを受けたのだ。

 こんなみっともないの嫌だと言ったら、少し潔癖なところがあるなとアインズに笑われたが、ナインズとしては一大事だ。シワ一つない服をずっと着てきたのに、肩に皺が寄るなんて許せない。

 結果、一年生は皆リュックにしていることが多いというのに、ナインズは重い鞄を手で持って登校していた。ただ、十六レベルの彼は、他の一年生よりもずっと鞄を軽く感じているだろう。

 ロッカーに鞄を入れて、お目当ての教科書を探す。

(一限目は美術だよね)

 ナインズは美術の教科書と筆記用具だけを持って自分の席に向かった。

 教科書を机に載せると、廊下から入ってきた友達に手を振った。

「キング、おはよー」

「キュータぁ、おはよぉ〜」

「大丈夫?手伝おうか?」

「平気平気〜」

 のそのそと四本足で歩くオオサンショウウオにはこのカバンは少し重たそうだ。二足歩行もできるが、四足歩行の方が得意な様子だった。

「ふぅ〜大変だなぁ〜」

 キングは一度自分の席に寄り、二つの足で器用に立ち上がると筆記用具と美術の教科書を机に乗せた。

 そして、教室の後ろに並ぶロッカーへ向かった。

 そうしていると、タカタカタカタカ…と細かい足音が響いてきた。

「おはようございましゅ!」

 元気よく顔を見せたのは――イタチだった。

「チョッキーおはよー」

「キュータ君、おはようございましゅ!」

 チョッキーの学生鞄は少し特殊で、馬車のように車輪がついている。キングと同じようにぽいぽいと筆記用具と教科書を机の上に放り、そのままロッカーへ向かった。

 そして、隣の席のオリビアも登校してきた。ほんのりとパンの香りがする。手には手提げ取手の付いていない紙袋を抱えていた。

「――あ、フィツカラルドさんおはよう」

「おはようございます、スズキ君。今日も綺麗ですね」

「フィツカラルドさんこそ。今日もまた一段と綺麗だよ」

 オリビアは嬉しそうに笑い、席に着いた。

「スズキ君の髪の毛って本当にサラサラ。触っても良い?」

「そうかな。別に構わないよ」

 サラリとおかっぱを撫でると、その耳に輝くピアスが揺れた。

「……それに、すごく素敵な耳飾り。それって、魔法の耳飾りなの?」

「――ん、ちょっとね。お守りみたいなものなんだ」

「すごぉい…。うちには魔法の装備なんてお父さんの懐中時計くらい。あとはお店で売られてるのしか見たことないなぁ。高いよねぇ」

「そうなの?」

「うん。スズキ君家はたくさんあるの?」

「割とね。って言っても、買ってるとかじゃなくて、鍛冶長がいるから」

「え!もしかして、スズキ君家って――」

 ナインズはまずかったかと軽く手を口に当てた。エルと話していた一郎太もこちらを見ている。

「――もしかして、魔法道具屋さん!」

 ナインズと一郎太はほっと息を吐いた。

「そ、そんなとこ。はは」

「すごいんだねぇ!腕輪もそうでしょう?私の指輪と耳飾りは何の効果もついてないのに」

「でも似合ってるから良いじゃない。可愛いよ、とっても」

「――そ、そうかな」

 オリビアは嬉しそうに自らの耳に輝くイヤリングに触れた。

 装飾と言うのは部族や種族の文化に触れるため、学校では特に何も禁止されていない。山小人(ドワーフ)達は髭を結ぶリボンが必要だし、巨人(ジャイアント)は耳に大穴を開けて輪の金具を着けるのが一般的だ。

「スズキ君って褒め上手ですわよね」

「ほんとだよなー」

 オリビアの向こうからレオネとイシューが顔を出した。

「そんなことないよ。フィツカラルドさんに良いところがたくさんあるだけ」

「す、スズキ君、そんな…あの…ありがと」

「ううん」

 オリビアは自分の髪を照れ臭さそうに撫でつけた。すると、一郎太の「おっすー」と言う声が聞こえた。

「――あ、ロラン君」

「……ロラン?」

 三人娘が同時に振り返る。レオネはロランを見ると、露骨に嫌そうな顔をした。

「……はぁ。どうしてまたロランが同じクラスなのかしら」

「レオネ、まぁだ気にしてんの?」

 イシューは朝買った様子の棒付きのキャンディを口に入れると笑った。

「気にもしますわ」

「あれ?ローランさんとベルナールさん、ロラン君とも知り合い?」

「ロランも同じ幼児塾でしたの。まぁ、この辺りの出身の子達は大抵顔見知りですわ。ロランはわたくしのファミリーネームのローランと紛らわしいでしょう?だから、よく男みたいな名前って言われましたの」

「はは、僕も朝に一郎太が突然ロラン君の話をしたからローランさんの話かと思ったよ」

「もう!それが嫌だと言ってましてよ!」

 レオネがずいっとオリビア越しに身を乗り出してくると、ナインズは思わず身を引いた。

「い、嫌なんだ。ごめんごめん」

「……許してさし上げますわ。スズキ君、もうわたくしのことはレオネと呼んで下さいまし」

「レ、レオネ。ありがと。僕のこともキュータで構わないよ」

「どうも。キュータさん」

「じゃ、あたしもキュータって呼ぼっかなー。あたしはイシューで良いよ」

 レオネとイシューがそう言うと、オリビアが口を挟んだ。

「スズキ君、私もキュータ君て呼んで良い?」

「もちろん。実は僕、スズキって呼ばれるの慣れてないんだ。キュータの方が落ち着く」

 スズキというのは通学してから名乗るようになった謎の名前なので仕方ない。何かアインズとフラミーにとって意味のある名前のようだが、よくわからない。

「そうなのね!じゃあ、キュータ君にするわ!私のことも、オリビアって呼んでね」

「ありがとう、オリビア」

 女の子と少し仲良く慣れた気がしていると――

「う〜ん、じゃあ、僕もキュータって呼ぼうかなぁ〜」

 いつの間にかナインズとオリビアの机に寄りかかっていたキングが言う。

「良いけど、キングはずっと僕のことキュータって呼んでるよ…?」

「あぁ〜たしかにぃ〜」

「キング君は少し忘れっぽいでしゅ!お隣として心配でしゅ!」

 チョッキーがキングの体をぺちぺち叩く。ちなみに二人の地元はエイヴァーシャー市だ。大深林の中の三角池にキングの実家はあり、チョッキーの実家は森妖精(エルフ)達の住む村のそばだ。

 オリビアはキングが机に触れているのが嫌なのか少し引き攣っていた。

 そうしていると、バイス先生が教室に入ってきた。

「みんなーおはよー。学校が始まって初めての安息日はどうだったかなー?お家の人とたくさん話したかなー?それとも、お家にたくさん手紙を書いたかなー?」

 皆が「手紙ー!」やら「話したー!」やらと声を上げる。

「うんうん、そうかそうか。それじゃあ、出席を取りまーす」

 総勢三十八名の名前が呼ばれる。ナインズはこの時間、割と集中して皆の名前を覚えようと努めている。

「あ…今日もイオリエル・ファ・フィヨルディアは休みか」

 バイスがさらさらとメモを取る。

「誰かイオリエルのこと聞いてる人はいるかな?イオリエルは寮のはずなんだけど」

 エルを始めとする寮生活をしている面々が知っているかと顔を見合わせる。

 だが、誰も何も聞いていないようだった。

「ふぅむ。後で寮に確認取りに行かなきゃならないな」名簿をパタリと閉じた。「――さ、一限目は美術です。今日は二年生が校舎の周りを案内してくれるから、その中で好きな風景や花を描いてみましょう!持ち物は図画用の鉛筆一本、消しゴム、バインダー。それから、教卓の画用紙を二枚。予備を必ず持つんだよ。じゃあ、紙を取った子から校庭に集合!」

 良い返事と共に、筆記用具を持って皆が席を立つ。

 せっかく持ってきたが、今日は美術の教科書はいらなそうだ。

 ガヤガヤと移動が始まると、一郎太とエルが駆け付けた。

「キュー様!いこう!」

「うん!」

 紙を取り、ロッカーからバインダーを取り出す。

 三人で歩いていると、隣のクラスの子供達がエルを見てひそひそと何かを話していた。全一年生と全二年生合同授業のせいで、廊下には人が多い。

 エルは困ったように俯き、短い自分の耳を隠すように肩にかかる銀色の髪を少し引っ張った。

「エル、気にしちゃいけないよ」

「う、うん。ありがとう」

「それにしても何でジロジロ見てくんだろうな。――おい!エルに何か用か!失礼だろ!」

 一郎太が言うと、何かを話していた子達は慌てて頭を下げた。

「も、申し訳ありません!!」

「わかれば良いんだよ」

 一郎太は強気だ。一郎太と二郎丸は普段は優しいし、ナインズへの腰は低いが、彼らにだって賢王の子孫としての誇りが胸にある。それに、いつかミノタウロス王国を率いることになるかもしれないとも言われているので高邁な精神を持っている。

 一年生が外に出ると、二年生達はもう校庭にいた。

「じゃあ、皆好きにペアを組んでねー!一対一じゃなくても良いです!二年生は積極的に一年生に話しかけてあげてくださーい!」

 二年生が一年生の下へ寄ってくる中、ナインズは一郎太と真新しい練り消しの触り心地を確かめてのんきに笑っていた。

 一方エルは自分が二人のそばにいたら、気持ち悪がられて二年生がきてくれないんじゃないか少し心配になっていた。

 どんどん二年生が一年生達に声をかけていく中、エルを含む三人に近付いてくる子はいない。

 皆どこか遠巻きだ。

「……キュータ、一郎太。私は二人とは別行動をしようと思うんだけど」

「ん?どしたの?――っあ」

 ナインズはいじくっていた練り消しを落としてしまった。

「何?何で?一緒に描こうぜ」

 一郎太が練り消しを拾い、ナインズに渡しながらズケズケと誘う。

 エルが「嬉しいんだけど…私は……」と言葉を選んでいると――三人の下へ真っ直ぐ躊躇いなく歩いてくる女の子がいた。

 黄金の光を集めたような金色の髪、コバルトブルーに煌めく瞳。

 その目は一人を捉えて動かされることはなかった。

 落ちたせいで着いてしまった土を練り消しから払っているナインズはハッと顔を上げた。

「――この感じ」

 そして、二年生の少女とナインズ達が相対する。

 二年生達から「おぉ……」と声が上がり、二年の担任も息を飲んだ。

「ごきげんよう」

「あ、ク――」

はじめまして(・・・・・・)。私の名前はクラリス・ティエールと申します」

 それはラナー・ティエールとクライム・ティエールの娘だった。アインズとフラミーが結婚式を神都で挙げた時、臨月だったラナーから産まれた、ナインズの一歳年上の女の子。

 ナインズともアルメリアとも仲が良く、フラミーのお茶会にラナーが招かれるときには必ず着いてくる。アルメリアのお茶会おままごとにも、ナインズと一郎太、二郎丸の大好きな泥団子作りにも、どんな遊びにも笑顔で参加してくれる。

 クラリスはいつもと変わらず黄金のように笑った。

「お三方の事は、この私がご案内いたします。と言っても、私も実は今学期にエ・ランテルの一区小学校から転入してきたばかりですけれど。ですが、ご案内できるよう先週のうちに下調べを済ませておりますのでどうぞご安心くださいませ」

 そう恭しげに頭を下げ、ナインズは頷いた。

「うん、はじめまして(・・・・・・)。僕はキュータ・スズキ。よろしく」

はじめまーして(・・・・・・・)。オレは一郎太」

「あ、私はエルミナス・シャルパンティエです。ご一緒していただけて嬉しいです」

「キュータ様、一郎太様、エルミナス様。どうぞよろしくお願いいたします。さぁ、どちらに行きましょう。お荷物はお持ちいたしましょうか?」

 ナインズは即座に首を振った。

「いや、良いよ。エル、どこに行きたい?」

「うーん、よく分からないからなぁ。私は二人が行きたいところか、ティエール様が案内しやすい場所で構わないよ」

「じゃあ、クラリスが一番気に入ってる場所にしよう。一太も良い?」

「もっちろん!」

「ではこちらへどうぞ」

 エルへの視線が一層温度を上げる中、教師達が手を叩いた。

「――さ、さぁ!皆もスケッチに行きなさい!あんまり同じ場所に固まっちゃいけないよー!」

 それは殿下だと思われる少年(エルミナス)への気遣いだ。

 四人は校舎裏の池のそばに腰を下ろした。

「私はこちらが一番の気に入りでございます。池に空が映って、とても空が広く見えますでしょう!それに、エ・ランテルの美しい一号川を思い出します」

「綺麗なところだね。池なんかもあるんだぁ。僕もここ気に入ったよ」

「お気に召していただけて何よりでございます」

 四人はバインダーに改めて紙を挟み直し、図画用の鉛筆を握った。

「池とかは難しそうだから、オレは校舎を描くぞぉ!後ろならドアも少ないから多分描きやすい!」

「私はこの木にしようかな。神都は木が少ないから」

「じゃあ、僕は池にしよっかな。せっかく池に来たんだもん」

「では、私は空を描きます!」

 それぞれが絵を描き始めると、女子の集団が近くに座った。

 オリビアがナインズに手を振り、ナインズもオリビアに手を振りかえした。

「――キュータ様、あちらのお嬢さんは?」

 クラリスが微笑むと、ナインズは何故か背筋が薄ら寒くなった気がした。

「ん…オリビアって言って、僕の隣の席の子なんだ。いい子だよ」

「そうでございますか」

 その後、日陰でスケッチを進め、ナインズは割と納得のいく作品を描き上げた。

「うーん、リアちゃんに見せてあげたいなぁ!」

「リアちゃん?」

 エルが尋ね、ナインズは頷いた。

「僕の妹の名前だよ。リアちゃんって言うんだ」

「リアちゃんかぁ。可愛い名前だね」

「ふふ、何かリアちゃんのこと褒めてもらうと嬉しいなぁ」

 スケッチを終えた二人が談笑していると、一郎太はワシワシと頭を掻き、バインダーを放り出した。

「あぁー!オレには向いてない!」

「はは、一太の見せてよ」

「へーい」

 差し出された絵は線がヘニャヘニャだが、決して下手なわけではなかった。

「一太、上手に描けてるよ。苦手とは思えないくらい」

「……でも線がまっすぐかけてない」

「定規がなきゃ線なんてまっすぐ引けないよ。引けてたら定規はいらないでしょ」

「…それはそうですね」

 少し機嫌を直すと自らの描いた絵を眺めた。

「私にも見せておくれよ、一郎太」

「ん」

 エルは受け取ると、ぷ、とおかしそうに笑いをもらした。

「あ!今笑ったな!エル!」

「はは、ごめんよ。ただ、いつも大胆な一郎太が、絵を描くとこんなに線をへにょへにょにしちゃうなんて。はは。ははは、おかしいよ!はははは!君は意外に繊細なんだね!」

「う、うるさーい!キュー様は上手に描けてるって言って下さったんだから良いんだよ!エルこそ見せてみろ!」

 エルは自信ありげに絵を見せた。

「どうだい?私は結構自信があるんだ」

 エルの絵は木を真下から見上げたものだった。枝が空に向かって伸び、たくさんの葉が丁寧に描き込まれている。

「うわ、うまいなぁ。エルは絵の才能があったのか…」

「ありがとう。最古の森には木しかないからね。実は結構木は描いてたんだ」

「ちぇ。下手くそだったら笑おうと思ったのにさ。ねぇ、キュー様」

「ん?ふふ。そうだね。クラリスはどう?」

 クラリスも自信満々にバインダーを返して絵を見せた。

「如何でしょう。空でしたら、どこにいたとしても同じものを見られます。毎日目にするものほど上手く描けるはずですわ」

 クラリスの作品には雲がいくつも描かれ、鳥も描き込まれている。

「わぁ、クラリスもうまいね!とっても綺麗だよ」

「恐れ入ります。キュータ様はどのような?」

 ナインズは少し躊躇ってから絵を見せた。

「僕も自信あったけど、エルとクラリスほどはうまくないや」

「まぁ、そんなことはございません!黒一色で水をここまで表現されて素晴らしいですわ。ちゃんと水面に映る木まで描かれていますし!」

「はは、ありがと。そう言って貰えると嬉しいな」

「キュー様はずっと絵がお上手だからなぁ」

「うん、キュータもすごくうまいね!」

 おしゃべりしていると、「集合ー!」と言う声がした。

「おしまいみたい。あっという間だったね」

「楽しかったですね!行きましょう!」

「全部こんな授業だと良いのにね」

「では、校庭までお送りいたします」

 四人は軽く尻を叩いて草を落とすと校舎に沿うように歩き出した。

 ナインズはここは第六階層みたいで良いなと池を気に入った。

 もう一度振り返る。

 すると、木陰で一人で寝ている女の子がいた。

「――ごめん、僕ちょっと」

「いかがなさいましたか?」

「あの子のこと起こしてからいくよ!すぐに追いつくから!」

 そう言い残して眠る女の子の下へ駆けた。

「――お待ちいたしましょう」

 クラリスが言うと、一郎太とエルも賛成した。

「ときに、エルミナス様。エルミナス様は最古の森からいらしたのですか?先ほど、最古の森のことを話してらっしゃいましたが」

「あ……はい。……私は最古の森出身なんです。でも、その事は秘密にしていただけると嬉しいです」

 クラリスは、エルにキャアキャア言いながら校庭に戻っていく生徒達をチラリと見ると頷いた。

「――なるほど。そう言う事ですわね。ふふ、流石ですわ」

「流石?」

「いえ、こちらの話です。私はエルミナス様のご出身やご事情は決して口外いたしません。エルミナス様も、なるべくその事実はお伏せいただきますよう」

「はい。そのつもりでいます」

 エルは複雑そうな顔で笑い、耳を隠すように軽く髪を撫で付けた。

 クラリスは駆けて行くナインズの背をうっとりと見つめた。

(決して似てはいないけれど、ナインズ様を知らない者からすればこの男は使える。ナインズ様、流石でございます)

 馬鹿ばかりの世の中だが、愛らしい父と母、それからナザリックの神々と守護神などの超常存在達、ナインズ、アルメリアは信じることができる。

 

 ナインズは女子の下に辿り着き、その肩をトン、と叩いているところだった。

 

「君、校庭に集合だって。起きて」

 そう言うと、女子はゆっくりと目を開けた。

「――……スズキ君。私、寝ていないわ。お水の音を聞いていたの」

「あれ?僕の名前知ってるの?」

 女子は頷くと手元のまん丸な眼鏡を掛けた。

 すると、ナインズはようやくその子が誰なのかわかった。

「あ、ロラン君の隣の席の」

「……そう。アナ=マリア・エメ・アンペール。よろしくね」

「よろしく。アンペールさん、ずっと一人でいたの?」

「……ううん。オリビアちゃん達と一緒に来たの。でも、レオネちゃんは賑やかだから。私は静かなのが好きだから少し離れさせてもらってただけ」

「そっか、邪魔してごめんね」

「……良いの。どうせもうおしまいだから」

 そう言っていると、まるで呼ばれたかのようにオリビアが二人の下へ駆けてきた。

「アナ=マリア!キュータ君!」

「オリビア。オリビアはアンペールさんとも友達だったんだね」

「えぇ、アナ=マリアは読書家でしょ!私の家の書店でいつも買い物してくれるのよ」

 アナ=マリアが立ち上がり、三人はナインズを待つクラリス達の下へ向かった。

「なるほどね。そう言えばオリビアの家は書店だって言ってたね」

「そうなの!覚えててくれたのね!」

「うん。仲良しのお父さんとお母さんがやってるの?」

「大正解!本の装幀屋さんも隣にあるから、キュータ君の教科書がボロボロになっちゃったら案内してあげるね」

「はは、ありがとう。あんまり神都の事に詳しくないから嬉しいよ」

「ほんとに?ふふ、装幀屋さんはすごいのよ。地の小人精霊(ノーム)がいて、すっごく素敵な革押し用の型を彫ってるの!お店の入り口の横におっきな窓があって、地の小人精霊(ノーム)が作業してるところが見えるのよ!」

「へぇー!見てみたいなぁ」

「え!じゃあ、今日一緒に帰りましょうよ」

 などと話していると、合流して一緒に歩き始めていたクラリスが一郎太を軽く小突いた。

「っつ、な、なんだよ。クラリス」

「一郎太様はキュータ様のお付きでいらっしゃるんですよね?寄り道してもよろしいの?」

「キュー様、行きたいんですよね?」

「ん?うん、面白そうだからね」

「じゃ、お供します。」

「良かった。エル、エルも一緒にどう?」

「ありがとう。私もご一緒させてもらうよ」

 どんどんメンバーが増えていく。クラリスもお供すると言いたかったが、二年生は今日は六限まであり、一年生は五限でおわってしまうので無理そうだ。

「……ねぇ、オリビアちゃん。私も一緒に行っても良い?」

「良いよ、アナ=マリアも行こうね。アナ=マリアは地の小人精霊(ノーム)の仕事見るのも大好きだものね」

「……うん。本ができていくのを見ると、それだけでワクワクするの。この世にお話がまだひとつ生まれるんだって思って」

 ナインズはそれはなんて素敵な考えなんだろうと感心した。

「アンペールさんと一緒にいたら、きっとどんな所でもお話みたいに素敵になっちゃうんだろうな」

「……どうして?そんなこと言われたの初めて」

「綺麗な心で世の中を見てる感じがしたから。それだけだよ」

 ナインズが笑うと、アナ=マリアはふわふわした茶髪を軽く指に絡めた。

「……スズキ君…ううん、キュータ君ほどじゃないよ」

「ん、はは。アナ=マリア」

 クラリスはナインズを何て男だと思った。

(ナインズ様……。あなたと言うお方は……!)

 いつもクラリスをとびきりのレディとして扱ってくれるので、特別に良くしてくれているのかと思っていたが、この様子だとクラリスの事も周りの有象無象の女共と変わらないように思っているだろう。

 クラリスから負のオーラが出ると、一郎太は軽くクラリスから離れた。




ナインズ君も勘違いスキル高いなぁ!
次回Lesson#4 殿下と魔法
明後日15日です!


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Lesson#4 殿下と魔法

「では、一度杖を机に置いて」

 バイス先生の言う通りに生徒たちは杖を置いた。魔法が使えるようになると浮き足立つ子供達は杖に夢中だ。

 

「位階魔法は神との接続が必要不可欠だと言う事は、皆さん知っていますね。何故神との接続が必要かと言いますと、陛下方のお力の一端に触れさせていただき、お力をお借りする。それが位階魔法だからです。魔法は神に許しを得て初めて使えるんですよ!」

 ナインズはここで神と呼ばれているのは父と母ではなさそうだと思った。

 別の神々でなければ、まだナインズが位階魔法を使えない理由がわからない。

 父は超位魔法を使えるだけの魔法詠唱者(マジックキャスター)になれとよく言っているのだから、力を与えてくれないはずがない。

 神はたくさんいるのだと思った。

 

「この中で既に位階魔法を覚えている子はいるかな?」

 その問いに手を挙げたのはたった一人だ。

「――はい」

 少し遠慮がちに挙げられた手は注目されたくないと言う意思がよく伝わってきた。

「エルミナス・シャルパンティエ君、さすがです。皆拍手」

 パチパチと教室に拍手が響き、エルは少し安心したような顔をしてから手を下ろした。

「エルミナス君には少し退屈かもしれないけれど、今日は神との接続と生活魔法についてお話していきますね。では、魔法学の教科書の、一ページ目を開いて。目次が出てきたかな?」

 分厚い教科書を開くと、最初はページナンバリングがされていない扉ページだ。

 国旗にもなっているアインズ・ウール・ゴウンの紋章が大きく印刷されている。

 それをめくると一ページ目の目次となる。

 ひとつのページに書かれている項目は上から

 ――位階魔法とは

 ――神との接続

 ――神々の支配域

 ――位階と力

 ――生活

 ――風の位階魔法

 ――火の位階魔法

 ――水の位階魔法

 ――土の位階魔法

 ――光の位階魔法

 ――闇の位階魔法

 ――人智の領域

 以上だ。次のページにもさらに色々な項目がある。

 まだ字をほとんど読めない子供も多くいるが、書けるかは置いておいて、ナインズは一先ず読む事はできた。

 ナザリックで使う字とは全く違う文字だ。

「それの、上からニつ目。八ページを開いて下さい」

 バラバラとページをめぐる音が響く。

「後、先週伝えたように宗学の教科書も皆持っているね?宗学の教科書は五ページを開いて」

 分厚い本を二つ開いておくにはページをギュッと折るのか、筆箱を載せておくかの二択だが、ほとんどの生徒は筆箱を載せて紙が痛まないように大切に扱った。

 ナインズは上から下まで丁寧に折れ目を入れた。

「この二つの教科書は書かれていることが一部酷似しています。魔法と宗学は常に密接に関わっているので、今後も魔法の授業の時には必ず宗学の教科書を持ってくるように」

 良いお返事が響く。

「では、まずは簡単に神との接続と魔法について話すね」と言うバイスの言葉とともに、子供達はノートを開いた。「神との接続は、魔法を練習する中で行えます。特別な儀式は必要ありません。一度神との接続ができれば、その後は魔力が許す限り魔法を使えます。ただ、使える種類や位階はその人の力量や学んできたことによるので注意が必要です。そんな中、神々は何百もの魔法を駆使し、世界を創造したと言われています。皆も聞いたことがあるかな?」

 あるー!と言う返事にバイスは微笑んだ。

「うん、うん。私達の使う魔法とは、神の力の一端を使わせてもらうことに他なりません。何もないところから物やエネルギーを生み出せる理由は、世界創造を行った神々から力を拝借しているためですね。――では早速簡単なゼロ位階と呼ばれる生活魔法を皆に見せましょう!」

 バイスは一番目の前の席の山小人(ドワーフ)と女の子の間に皿を差し出した。机は横四列なので、二人の間には通路がある。

「触ってみて。どう?冷たい?」

「――冷たいのぅ!」

「冷たいです!」

「じゃあ、キュヴィエ君とベルナールさんも触ってみて。冷たい?」

 二列目の男の子達と、そのすぐ横で身を乗り出していたイシューが触れる。

「冷たいね!」

「常温だね」

「そうでしょう。じゃあ、お皿を返してね」

 皿が返却される。

「今から行うのはこのお皿を温める生活魔法です。触らないと分からない地味な魔法ですが、料理を温め直すことができるのと、冬に冷たくなった湯たんぽをもう一度温められます。寒いと嫌でしょ?」

 そこで生徒達から軽く笑い声が上がる。

 ナインズは湯たんぽとはどんなものだろうと思った。

「それじゃあ、実際にやってみます」

 バイス先生は生徒達とお揃いの、少し古くなり始めた短杖(ワンド)を握ると、杖で数度皿をカンカンと叩いた。

「魔法にはイメージが必要不可欠だって言われてる事を皆忘れないでね。創造と想像は常に密接なんだ。このお皿を温めるんだぞと、しっかりイメージをして――<温加(アドウォームス)>!」

 何の変化もないが、先生は皿を前に座っている子達にもう一度差し出した。

「どうかな?」

「あ、温かいのぅ!」

「ちょっと熱いくらい!」

「じゃあ、皆に回して触らせてあげてね」

 皿は教室中を回ったが、ナインズの下へ届く頃には割と冷めていた。だが、ほのかに温かかった。

「はい。と、言うのが非常に覚えやすく、今後様々な魔法に感覚を応用できる生活魔法です。例えば、第二位階の生活魔法にある<温度変化(テンパラチャー・チェンジ)>は水温や室温を変えることができ、この<温加(アドウォームス)>との使用感は酷似しています。他の魔法との併用もしやすく、第一位階の生活魔法の<水創造(クリエイト・ウォーター)>が使えるようになれば、いつでも温かい水を飲めるようになりますね。六年生にもなると、家から茶葉を持って来て休み時間に紅茶を淹れている子もいますよ」

 それはすごく素敵なことではないだろうか。

 ナインズは何としてもそれを覚えたかった。

「他にも、熱を加えると言う意識は第一位階の<乾燥(ドライ)>の魔法に使えます。これはドライフルーツを作る時に用いられますが、よく似た魔法に<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>と言うものもあります。高級な飲食店でお皿に残った水を消すのに使われますね。違いは水を操るのか、火を操るのかというところです。ちなみに水は光神陛下、火は神王陛下の領域です」

 先生が黒板に字を書き始めると、子供達は再びペンを取り、精一杯の覚えている文字でノートに書き写した。

 うまく書けなくても、黒板と同じように書ければ今後字を覚えた時に読めるに違いない。

 ナインズはノートの真ん中に縦線を入れ、左側にナザリック文字で先生が話すことを大まかにメモをすると、右側に共通文字の板書を写した。

 綺麗なノートとは言えないが、贅沢は言っていられない。位階魔法を覚えてアルメリアに教えてあげる約束もしている。

「――さて、<乾燥(ドライ)>は掛けた後に温かさが残りますが、<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>は純粋に水という成分を消す魔法なのでひやりと冷たい感触になります。どちらも人に向けて使ったりしてはいけない事は同じですが、特に<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>を人に向けて使うと、皮膚の一部が脱水状態になり痛みを感じます。水精霊にはかなりの痛みが走るので、魔法を使う時には、周りの人に誤ってかけたりしないように注意が必要です。あまりにも近くに人がいる時には"魔法を使います"と一言断りを入れるのが一番良いでしょう」

 

 先生はそこで生徒達の書き取りが終わるのを待った。

 

「さて、神との接続ですが、接続感は人によって様々です。すぐお隣に陛下方の気配を感じるという人もいますし、陛下方の広い御心に触れたと感じる人もいますし、世界や大地といった身近なものの助けを借りて陛下方の力の一端が染み出して来たと感じる人もいます。初めてそれが叶った時には言い知れぬ全能感を覚えたものです。ちなみに先生は陛下方の気配をすぐ後ろに感じます」

 ナインズは後ろを振り返る。自分の後ろには何の気配もない。

(う〜ん、魔法の神様達は僕に気付いてるかな)

 後ろの席に座る男の子が手を振る。

「あ、はは」

 ナインズは手を振りかえしてすぐに前を向いた。

「エルミナス君は魔法を使う時に力の根源をどう感じるかな?」

 エルは少し考えてから口を開いた。

「――森に降り注ぐ雨のようです。包み込まれる感じ。ですが、初めて使えた時には恐ろしく感じました。多く降り過ぎれば雨も凶器になると悟ったのです」

 おぉ…と生徒が声を上げ、先生は満足げに数度頷いた。

「素晴らしい感覚です。さすがと言わざるを得ません。魔法は怖いものです。ですが、世界を潤し人々が文化的な生活を送るためには必要不可欠な技術ですね。――さて、では皆に紙を配ります」

 黄ばんでゴワゴワした紙が配られる。

 チョッキーが振り返り、先生に渡された紙を送ってくれる。チョッキーの鼻は細かくもひもひと動いていて、見ているだけで癒される。

 だが、オリビアはキングも触った紙は嫌そうだった。

(――差別の種だ)

 ナインズは紙を二枚取り、一枚をオリビアに渡してさらに後ろに送った。

 苦手なものを好きになるのは難しい。せめて我慢できれば良いのだが、そういう事を考えるのはアルメリアの方が得意な気がした。

 何も良いアドバイスが思い浮かばない。

「――では、それをくしゃくしゃに丸めて下さい。ボール状にしてね」

 ナインズはすぐにくしゃくしゃに丸めたが、オリビアは紙をつまむようにするとゾワリと産毛を逆立てた。

「――オリビア、僕が丸めたのを使って良いよ」

 オリビアの前に紙団子を置くと、オリビアは小さな声で「ありがとう…」と言った。

「…だけど、これは君が手を紙で切らないためにする事だからね」

「う、うん。本当にありがとう」

 決してキングを気持ち悪いと思うことに共感しているわけではないことを伝えるのが精一杯だった。

 ナインズは急いでもう一枚を団子にした。

「では、お待ちかね!皆、まずはそのボールを手に持って、温度をよく感じてみてね!」

 ギュッと握りしめる。オリビアも流石に一度ナインズが隈なく触った紙を気持ち悪がりはしなかった。

(いつかキングが気付いた時に可哀想だなぁ…)

 ナインズは少し意識が逸れていた。

「それを温かくだよ!杖を持って、ここを温めるんだと意識を集中して紙を叩いて!」

 紙団子をポンポン皆が叩く。

 ナインズも心ここに在らずの様子でそれを行なった。

「自分のそばに陛下方がいらっしゃる事を信じて――<温加(アドウォームス)>!」

「「「「<温加(アドウォームス)>!!」」」」

 教室中で詠唱が行われる。

 直後にすぐさま皆が残念そうな声を上げた。

「だめだぁ〜」「できた?」「冷たいまま」「ちょっと温かくなった気がする」「それ、自分の体温だよ」

 騒つく教室に、一郎太の声が大きく響いた。

「わぁーエルすげぇなぁ!アチアチじゃん!」

「<温加(アドウォームス)>は初めてだったから心配だったんだけどね。何とかできたみたい」

 ナインズは冷たいままの紙を握ると、ため息を吐いた。

 アインズに魔法を教えられる時もそうだ。

 

+

 

 筋骨隆々な、人間とドラゴンを融合させたような者――ドラゴンの近縁(ドラゴン・キン)達が闘技場の中に人間サイズの藁人形を突き刺していく。

 客席には守護者達と、フラミーとアルメリアもいる。

「そんじゃあ九太、<魔法の矢(マジック・アロー)>を覚えてみような。まずは見せてやろう」

 アインズは金色の杖を手に、藁人形を示した。

「<魔法の矢(マジック・アロー)>」

 軽く唱えられた呪文に呼応するように十個もの光弾が放たれた。

 矢は藁人形の首、胸、顔、腹、四肢、足の腱を断つように突き刺さった。

「と、こんな感じだ。大した事はない。ぶぁッと来てダダダダダンだ。やってみなさい」

 ナインズはフラミーに渡されているタツノオトシゴの白い杖を手に頷いた。

「はい!ぶぁッと来てダダダダダン!」

 客席からナインズ様ー!とシャルティアが応援する声がし、ちらりと守護者達を伺った。

 全員が期待に満ちた瞳をしていて、その期待に応えられるだろうかと言う不安とプレッシャーが黒雲のようにもくもくと広がった。

「や、やるぞぉ……。マ、<魔法の矢(マジック・アロー)>!」

 しかし、何も起こらない。

 どうしたら良いかと父を仰ぎ見る。

「こう、自分の中にあるだろ?魔力が。そこから力を選択するんだ。グッと来てシュンッてな。これを使うんだってよく意識してやってみなさい」

 ナインズはもう一度頷き、杖を向ける。

「<魔法の矢(マジック・アロー)>!!」

 しかし、やはり何も起こらなかった。少し投げやりな気持ちになる。

「えーい!これでどうだ!トゲよ出ろ!!」

 杖でガリガリと地面にX(ソーン)を描き、さっと円で括るとそれを叩いた。

 地面からはアインズの生んだ光とは全く違う光がドンっと音を立てて飛び出し、一気に藁人形に飛んだ。

 藁人形の首は折れ、ゴトリと音を立てて落ちた。

 守護者達は「おぉー」と拍手をしてくれているが、アインズは首を左右に振った。

「ナインズ、ルーンは確かに魔力消費も少なくて便利かもしれない。<魔力の真髄(マナ・エッセンス)>でお前の魔力を見ていたが、その消費は限りなくゼロに近かった。だが、それはルーンを書き込まなくては魔法を放てないという弱点との引き換えの利点だ。何かがあった時、必ず地面にルーンを書ける状況だとは限らない。床が舗装されてたらそこでおしまいだ。わかるな」

「……はぁい」

「それに、ルーン文字は組み合わせる事で新しい力を持てるようだが、魔法の数に限りがある。位階魔法はごまんと種類があるんだ」

「うん……」

「じゃあ、今度は――<魔力増幅(マジックブースト)>。これでやってみなさい」

 ナインズの中の力が大きくなったのを感じた。これならできるかもしれない。

「<魔法の矢(マジック・アロー)>!」

 もう一度真面目にやるが、矢は出なかった。

「……お父さま、僕は位階魔法使えないの?」

「そんな事はない。お前が使えるようになるための何かが足りないんだろうな。恐らくだが、お前は赤ん坊の頃からルーンを使いすぎるから魔法の感覚がルーンに寄り過ぎてるんだろう。ティーダも魔法には感覚とイメージが大切だと言っていたからな」

「感覚とイメージ…」

「そうだ。お前は無意識のうちに魔法は文字から生まれると思っていないか?そうではなく、自分の内にある力を使うんだ。――多分」

 ナインズはムゥ…とフラミーの杖を見下ろした。

「……お父さまの杖ならできるかも」

「ふぅむ…。フラミーさんのその杖は、フラミーさんと私やウルベルトさん、ペロさん、タブラさん、ぷにっとさん、武人建御雷さんと共に苦労して集めた素材で作った。鍛えるのに使った魔法も並のものじゃない。私を大きく超える魔法詠唱者(マジックキャスター)達がこぞって力を注いだんだ。このレプリカの杖なんぞより余程強い力を持つ」

「レプリカじゃないのなら?」

「そりゃあギルドスタッフの方が強力だが、あれは父ちゃんにしか使えないだろ」

「……僕に使えるもっと強いのないの?」

「まぁ…あるにはあるが……」

 そう言ってアインズが取り出したのは漆黒の杖だった。捻くれ、禍々しい気配を放つ。頂点に赤い宝石が付いていて、それは骨のアインズの腹の中で輝く至宝にどこか似ていた。

「昔、ギルドスタッフがまだ円卓の間に置かれていて、私でもおいそれと触ることができなかった頃。私が自分のために作って使っていた杖だ。これはフラミーさんの杖より強大な力を持つが、持てる種族に制限がある。お前なら多分使えるだろうが、フラミーさんのように光の属性を持つ種族を取得している者には使うことができない」

「お母さまのどの種族がいけないの?」

「天使の種族は転職して他の種族になったとしても光の属性は失えないという制限があるんだ。逆に私も使えない物がある。まぁ、お前は天使属は取っていないから多分使えるだろう。神の子だかなんだか知らんが、神には死神もいるし、リアルで最も戦争の種になっていたのは神なんだからな」

 ナインズは天使から神になっても使えないものがあるなんて、思ったより神様というのは融通が効かないんだなと思った。

 タツノオトシゴスタッフと引き換えに闇の杖を受け取ると、何か心がざわめくようだった。

 初めて感じる衝動。

 それは――

「……これがあれば命を奪えるんだ……」

 呟くと同時に杖はアインズに取り上げられた。

 ナインズの口をついた言葉は自分が想像していたものとはまるで違い、一瞬驚き瞬いた。

「――悪かった。お前にこれは難しいようだ。今ナザリックにある最強の杖は、霊廟に安置されているものを除けばフラミーさんのそれだ」

 ナインズの手に再びタツノオトシゴスタッフが返されると、ナインズはムッと頬を膨らませた。

「これじゃできないのにぃ」

「できるようになりなさい。さぁ、いつもの先生交代だ。シャルティア!!」

 客席からシャルティアが軽やかに飛び降りて来る。魔法の力を使って音もなく着地すると、スカートを両手で持ち、恭しく頭を下げた。

「シャルティア・ブラッドフォールン、御身の前に」

「うむ。やはりナインズには私から教えても少し難しいらしい。悪いが、気長に付き合ってやってもらえないか」

 これはシャルティアが自分の教え方が悪いからナインズが魔法を使えるようにならないと言う嘆きから開かれた会だった。

 しょっちゅうBARナザリックに行っては飲んだくれて自分の無力を嘆いていた。

「そう…でありんすか。では、ナインズ様。このシャルティア・ブラッドフォールンが再び魔法の使い方をお教えいたしんす――」

 

+

 

「キュータ君、キュータ君」

 ナインズは思考に没頭していたことに気付くとはっと顔を上げた。

「魔法、使えた?」

 自分の手の中にある丸めた紙に、オリビアがそっと触れる。

「あ、ううん。だめみたい。僕って、本当にあのお父さまとお母さまの子供なのかな」

 泣き言だった。

「大丈夫よ。まだ授業は一回目なんだから、卒業する頃にはきっと使えるようになるわ。お家が魔法道具屋さんだから、お母さま達も簡単に魔法を使ってて焦るのよね。うちのお母さま達は魔法なんてちょっとも使えないわ。だから…私は魔法を使えるようにならないかも知れないけど、キュータ君はきっと才能があると思う」

「ありがとう、オリビア。そうだと良いな…。」

「ううん、一緒に頑張ろうね」

 その日の授業で、ナインズは魔法を使えるようにはならなかった。

 授業が終わり、昼時になるとオリビアは今朝買ったパンと果物を取り出し、嬉しそうにしていた。

 ナインズはレオネに声をかけた。

「レオネ、ご飯に行こ」

「そうですわね!でも、ご覧になって。エル様が…」

 もう一つ通路を挟んだ向こうに座るエルと一郎太の周りには人集りができていた。

「はは、魔法使えるから質問攻めだね」

「キュータさん、エル様のこと助けて差しあげて」

「うん。レオネはちょっと待ってて」

 ナインズは人集りを掻き分け、一郎太とエルが座ってる所にたどり着いた。

「エ、エル。一太。ご飯食べに行こう」

「あ、キュー様。いきましょう!お待たせしてすみません」

「いいよ。エルも行こ」

「うん。私も行く。皆、悪いんだけど続きは後で――」とエルが話を切り上げようとすると、ナインズがドンっと押された。わざとではないだろう。力が掛かった方にいる子供は皆ナインズに背を向けていたのだから。

「っわ!」

 よろけるナインズを周りの子供が避け、ナインズが尻餅をついた。

「貴様ら――」と、どこからかとても低い声が響く。

 それとほとんど同時に一郎太が立ち上がった。

「おい!!誰だ!!不敬だろう!!」

「い、いたた」

「キュー様!」

 他の子供を押し退け一郎太はナインズに手を伸ばした。

「皆がエル様とお話したいのに、スズキが独り占めしようとするからいけないのさ。いい気味だよ」

 誰かが言う。一郎太はすぐに振り返り、誰がそんなことを言ったのか犯人を見つけようとしたが、クラスのほとんどの子供が集まっている中でそれは叶わなかった。

「今言ったやつ、覚えてろ。オレはその声を忘れないからな。――キュー様、大丈夫ですか?」

「い、一太。はは、大丈夫。僕が悪いんだよ。はは……はは」

 ナインズは言いながら何故かとても複雑な気分になってしまった。

 魔法を使えない不甲斐なさや、オリビアからキングへの蔑視を止められない情けなさ、両親とコキュートスやシャルティア以外に初めて転ばされた悔しさ。

「う……」

 ナインズは唇を噛み締めると手を握りしめた。

「キ、キュー様。大丈夫ですか?キュータ様」

「いちた……ぼく……ぅ……」

 ナインズの目からぽつりと一つ涙が落ちると、あー泣かせたーと野次が飛ぶ。

「うるさいな!キュー様行こう」

 一郎太は子供の頃のようにナインズをおぶると、エルに軽く目配せをして教室を出た。

 エルとレオネも後を追い、オリビアとイシューも食べようとしていたパンを置いて追った。

「い、一太。どこ行くの?」

「大神殿です!怪我してたら大変ですから、治癒に行かないと」

「大丈夫だよ。そんな、大袈裟だよ。下ろして。一太」

 ずんずん歩いていた一郎太は次第に速度を緩め、立ち止まるとナインズを降ろした。

「ナイ様、本当に平気?」

「平気。僕、色々考えすぎちゃうタチだから」

「でも……」

 ナインズは首を左右に振った。

 そこにエルと皆が追いついた。

「キュータ、大丈夫かい?痛かったね」

「あ、エル。大丈夫。ごめんね。びっくりさせて」

「私は平気だよ。治癒室に行くかい?」

「ううん。どこも怪我してないから」

「キュータ君、大丈夫?」オリビアも心配そうに髪を撫でてくれた。

「うん。ありがとう。オリビアは優しいね」

「…キュータ君が辛そうだったから」

 一緒に後を追ってきたレオネは特大のため息をついた。

「失礼しちゃいますわ。もしあんな方法でエル様と話せたとして、嬉しいのかしら」

 イシューも大きく頷いた。

「いくらなんでもやり過ぎだな。エル様に魔法のこと教えて欲しい気持ちは分かるけど。誰がやったんだ?」

「あんな真似されたらエル様だって教える気をなくしますわ。ねぇ、エル様」

「本当だね。キュータ、気を取り直してご飯に行こう」

「うん。ありがとう」

 食堂の方へ向かおうとすると、オリビアとイシューは足を止めた。

「あ…私たちパン置いてきちゃった」

「あ、そっか。あたしたちは教室で食べるね。皆、また後で!」

 ナインズは二人に手を振り、一郎太、エル、レオネと学食へ向かった。

 今日のお昼はキノコのキッシュ、オニオンスープ、キャロットラペ、ひよこ豆のフムス、サラダと魚のフライだ。それから、エイヴァーシャー市で作られているオレンジジュース。

 学食のおばちゃんからお盆を受け取り、四人はなんとか固まっていられる席を見つけて座った。学年ごとに座る場所がきちんと決められているので場所を選ばなければ席が足りないと言うことはない。

 とても長い机が何本も置かれていて、ナインズのすぐ後ろは二年生達の席だ。

「キュー様、あんま元気の出ないご飯だけど食べましょう!」

 ナザリックの食事に比べて外の食事は味気ない。

「うん!僕もう本当に大丈夫だよ。ありがとう」

 と、話していると「キュータ様、キュータ様」と声をかけられた。

「――あ、クラリス」

「キュータ様、何かありましたの?」

 クラリスはナインズの後ろで同年代の女の子達とテーブルを囲もうとしていたところだった。

「クラリス、聞けよ。キュー様のこと突き飛ばしたやつがいるんだぜ」

「………まぁ。その方、お名前は?」

「分からないんだ。沢山いたから。でも、多分ぶつかった子もわざとじゃなかったんだ」

 ナインズが困ったように笑うとクラリスは一瞬表情が見えなくなった。

「………そうでしたのね。キュータ様、どうぞお気をつけあそばされてください」

「うん。心配かけて悪いね」

「とんでもございません」

 後ろに向けて捻っていた体を正面に戻すと、レオネが「どなたです?」とエルに尋ねた。

「クラリス・ティエール様だよ。スケッチの時、私たちの事を案内してくださったんだ」

「ティエール…?ティエールって、ザイトルクワエ州の?」

 エルはティエールの名前と州の名前を合わせて聞いて、初めてその娘の出自を意識した。

「――あ、黄金の知事、ラナー様の…?」

 レオネはエルに憧れるような視線を送った。

「さすがですわ。エル様」

「え?何がだい?」

「いえ!」

 四人は食事を済ませると、クラリスと別れ、少しだけ重い足取りで教室に戻って行った。

 教室に戻ると、教室の中を気まずい空気が漂っていた。

 すると、三人の男の子が駆け寄った。

「エル様、スズキ。さっきはごめん」

「お前がキュー様突き飛ばしたのか」

 一郎太が睨みつけると、ナインズは首を振った。

「違うよ、一太。この子は僕の近くにいなかったもん」

 一人の少年は赤に近いオレンジ色の髪をしていて、何となく赤毛の一郎太みたいな毛だと思っていたので印象深かった。

「――皆気にしないで。僕もちょっと過剰だったし、エルと皆が話したい気持ちを考えてなかった。ごめんね」

 互いに握手を交わすと、赤毛の男の子が自己紹介した。

「俺はリュカ・ド・オスマン。リュカで良いよ」

「僕はオーレリアン・クレソ・キュヴィエ。オーレって呼んで」

「僕はトマ。トーマ・バイ・ニコレ!」

 オーレはよく日焼けした肌をしていて、トマは坊ちゃん刈りだった。

「リュカ、オーレ、トマ。僕もキュータで良いよ。よろしくね」

 三人は続いてエルとも恐る恐る握手をした。一郎太はプイッと顔を背けたままだった。

「…一太。一太も」

 一郎太は一度ケッと声を上げてから手を伸ばした。

「ん。よろしく。オレは一郎太だよ。キュー様が許したから特別に許してやるよ」

 嫌そうながらきちんと三人と握手をした。

「じゃあ、次の授業があるから」

 ナインズはそういうとロッカーに行って、今日最後の算盤の授業のために教科書と算盤を出した。

 すぐ隣にリュカが来る。

「な、キュータ。気を付けた方がいいよ」

「何を?」

「お前、エル様と仲良いだろ。キュータ・スズキはうまく取り入ったって、変に有名になってるぜ」

「取り入ったって?」

「キュータは呑気だなぁ」

 ナインズが首を傾げるとリュカは顎をしゃくった。

 その先にはナインズを睨むようにしている男の子が二人いた。

「俺達は神都の出身だけど、キュータみたいに遠くから神都第一小に来てる奴らの中にはすごく必死なのがいるんだよ。お前は呑気だけどさ。エル様はキュータと一郎太とばっかりいるだろ。気に入られてて羨ましい奴はたくさんいる」

 エルは魔法も使えるからなぁとナインズは思った。ナインズだって魔法をいち早く覚えたいのだから、魔法を使える子とずっと一緒にいる子がいれば羨ましくなってしまうのも頷ける。

「分かった。エルがどう思ってるかは僕達には分からないけど、皆がエルと話せるように気を付けるね」

「そうした方がいいぜ。一郎太――と言うか、ミノタウロスを怖く思ってる奴もいるんだ」

「……一太を?なんで?」

「そりゃ、ミノタウロスの王国って言えば神聖魔導国じゃないだろ。人間食べるしさ」

「……一太は人なんか食べない。そんな偏見、僕は許さないぞ」

 ナインズは自分を睨んでいた男の子を睨み返した。

 一郎太を悪く思う奴も、悪く言う奴も許したくなかった。

「キュータは一郎太と仲が良いんだな。俺も一郎太を怖がる奴にはそう言うよ。今回のごめんの気持ちとして。一郎太は俺のことまだ嫌いそうだし」

「リュカ、ありがとう。僕はあんまり……色々な事を分かってないから、頼りになるよ」

「ミノタウロスがいるようなすんごい田舎から出てきたんだろ?仕方ないよ。じゃ、一応伝えたぜ?」

 リュカはナインズの背をぽんぽん、と叩いて自分の席に戻って行った。

(思ったより皆色々考えてるんだなぁ)

 席に着くと、オリビアがナインズの丸めた紙に呪文を唱えていた。

「――あ、キュータ君おかえり」

「ただいま」

「皆結構しおらしくなったでしょ!」

「はは、そうだね。謝りにきてくれた子もいたよ」

「私、皆にあの後言ったの。陛下は皆へ敬意を払って過ごせって仰ったのに、あんまりよって」

「あ、オリビアのお陰だったんだ。ありがとね。君は本当に勇気がある女の子だなぁ」

「ふふ、良いの!さ、先生が来るまでキュータ君もやりましょ!」

 丸められた紙を差し出されるとナインズは授業用の杖を取り出し、オリビアと一緒にぽんぽんと紙を叩いた。




一瞬ハンゾウがブチギレかけてましたね
危ないぜ!
そしてそう言えばまだミノタウロスの王国は王国としてあるんだなぁ〜と実感しました

次回Lesson#5 本と悪口
明後日17日です!


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Lesson#5 本と悪口

「キュータ君!行こ!」

 鞄を背負ったオリビアが言うと、最後の授業で使った算盤(ソロバン)と教科書を鞄にいれ、ナインズは頷いた。

「うん、行こう!僕、地の小人精霊(ノーム)見るの初めてだなぁ」

「ちっちゃくって可愛いのよ。じゃあ、私アナ=マリア誘ってくる!」

 オリビアはそのままぱたぱたとアナ=マリアの下へ駆けた。

「キュー様、まっすぐ帰らないし、お荷物お持ちしましょうか」

 一郎太が言うとナインズは笑った。

「自分で持つから大丈夫。ありがとう、一太」

 エルとアナ=マリアも帰る支度ができると、五人は学校を出た。

 歩きながら一郎太は算盤で肩をトントン叩いていた。

「あぁあー。計算全然わかんないなー」

「はは、一郎太は算盤がすごく苦手なようだね。隣で見ててハラハラしたよ」

 エルが笑うとアナ=マリアが呟く。

「……でも、算盤は口だけの賢者が伝えた道具。ミノタウロスでも苦手な人、いるんだ」

 一郎太がぎくりと肩を揺らす。

「け、け、賢王が伝えたものだって使えないミノタウロスはいるの!仕方ないの!オレもオレなりにやってるの!」

「……そうなんだ」

「はは、アナ=マリア。一郎太はこう見えてすごく頭いいんだよ。文字も沢山書けるし、今はまだちょっと算盤だけ苦手なんだ」

「ですよねー!キュー様」

 一郎太がナインズの肩を組むと三人は笑った。

 大神殿とは逆の方向にいくらか歩いていくと、女子が二人で前を歩き、男子は後ろを三人で歩き始めた。

「それにしても、エルはなんでも出来てすごいよなぁ。算盤も字も魔法もなんでもできるだろ?」

「私は多分皆よりずいぶん年上だからね。まだ背は小さいけど」

「そう言えばエルって今いくつなの?僕は六歳」

「オレは今年の夏で五歳!」

「あ、一郎太はキュータの一つ下だったんだね。……私の歳は皆には秘密だよ?」

「「もちろん!」」

 ナインズと一郎太が声を合わせると、エルは前の二人に聞こえないようにこっそりと告げた。

「今年で二十四歳だよ」

「え!!」と、ナインズは大声を出してしまい、慌てて口を塞いだ。「そ、そんなに大人なの?」

「大人じゃないよ。上位森妖精(ハイエルフ)は長命だから子供の時代も長いんだ。子供のうちは体も小さい。私は人の血が濃いタイプのハーフだから、耳も短いし、普通の上位森妖精(ハイエルフ)より成長も早いんだけどね。僕の場合は人間の感覚で言うと四歳に一度歳をとる感じかな」

「え、じゃあさ。オレ達が六年生になっておっきくなる頃、エルはまだ小さいまま?」

「多分ね。今は二人よりちょっと背が高いけど、三年生くらいになったらもう二人の方が大きくなるんじゃないかな」

「うわ〜そうなんだぁ。エルってすごいね」

「はは、何が?」

「自分が大人になるまでの未来をちゃんと見てる感じする!すごいよ!」

 ナインズが言うとエルは照れ臭そうに頬をかいた。

「そう、かな」

「うん!でも、僕達のこと子供だなって思わない?」

「思わないよ。ようやく気兼ねなく話せる同い年の友達ができたなって思ったくらい。普通の上位森妖精(ハイエルフ)達の中に入ると、皆私と同じくらいの背の大きさでも四十五歳とかだからね」

「うわ。大人ぁ」

「私もそう思うよ。最古の森にいた間は、なるべく周りの子供と差が出ないように精一杯背伸びしていたからね。皆驚くくらい色んな事を知ってたんだ」

「だからエルはそんなに落ち着いてるんだ!」

「はは、落ち着いてるかな」

「落ち着いてるよ!憧れちゃうなぁ」

「――私はキュータに憧れるよ。君、人の事、生きてるだけでも褒めるだろう?」

「え!そんな事ないよ〜」

 三人で笑っていると、女子が二人少し先で手招いていた。

「キュータくーん!ここだよー!」

 ヒソヒソ話をするためにいつの間にかゆっくり歩いていたらしい。

 三人が駆け寄ると、オリビアとアナ=マリアの前のガラス窓には共通文字でこう書かれていた。

 ――装幀。掛け替え、新調、何でも承ります。

 その文字の向こうには、美しい刺繍の布カバーを作っている地の小人精霊(ノーム)がいた。カバーは完成してから本に貼るので、まだただの布だ。

 窓辺には沢山の装幀の見本があり、どれも煌びやかだった。

 革の装幀の本は背表紙に等間隔に凹凸の線がある。本を綴じる背バンドが浮き上がっているのだ。教科書も全てが革表紙なのでこのぼこぼことしたコブがある。この線を枠のように見立て、綺麗に文字を収めるのは装幀屋の腕の見せ所だろう。

 ただし、布で閉じてある本の背表紙はつるりとしている。小説などはこれが多く、カバーの付け替えはできない。大切にとっておく必要がある教科書のような技術書の類は長く持っておくために取り外し、交換ができる皮装幀が多いのだ。

 地の小人精霊(ノーム)は一度ちらりと子供達を見ると顔をおまんじゅうのようにくしゃりと寄せて笑い、どんどん刺繍を施して行った。

「……あれ、何のお話だろう」

 アナ=マリアが言う。ナインズはガラスに張り付くようにして中を覗いた。

「えーと……ツアレニーニャ…かな?ん?ツアレ?」

 読んでから、それはクリスの母の名前だと思った。

「……ザイトルクワエ州の守護神様と結ばれたツアレニーニャ。素敵なお話」

「そうなの?」

「……キュータ君、読んだ事ない?」

「ないなぁ。結構本は読んでる方だと思うんだけど。こぶ取りじいさんとかさ」

「……小太りじいさん?初めて聞いた」

「あれ?有名な話だと思ってたけど、マイナーだったんだ」

 ナインズは少し自分はずれているかもしれないと認識を改めた。

「あ!見て!」

 オリビアが声を上げると、店の奥から山小人(ドワーフ)が出てきて、革をプレス機のようなものに挟み、一気にそれを下ろした。

 プレス機から出てきた革には見事な模様の溝が付いていた。それを持って窓辺に来ると、金色のインク壺を開け、とても細い筆で溝の中に少しづつ文字と模様を書き込んだ。

「……すごいね」

「うん、すごいねぇ」

 ナインズは最古図書館(アッシュールバニパル)にある本達もこれほど繊細な手作業で生まれたのかと想像した。

 五人は飽きるまでその様子を眺めた。

「どう?なかなか良かったでしょう?」

「また見に来たくなっちゃうなぁ。とっても面白かったよ!」

「ふふ。いつでも一緒に帰ってこようね。そうだ!皆、良かったらうちに寄って行って!隣だから!」

 隣の店のドアに付いている窓には「フィツカラルド書店」と書かれている。

 中を覗くと、娘の帰宅に気付いている様子の夫婦が手を振ってくれた。

「せっかく来たから見せてもらうね」

 五人が店に入ると、優しそうな店主達が迎えてくれた。

「いらっしゃい。オリビアのお友達ね」

「……おばさん、おじさん、こんにちは」

「はい、こんにちは。アナ=マリアちゃん」

「お父さま、お母さま!こちらがエル様、キュータ君、一郎太君よ!」

「――まぁ、三人ともオリビアから聞いているわ」「オリビアにこんなに男の子のお友達ができるなんて思わなかったなぁ。仲良くしてやってね」

 エルが代表して父親と握手を交わした。

「こちらこそよろしくお願いいたします。少し本を見させていただきます」

「えぇ、どうぞ」

 五人は面白そうなものがありそうな書棚を探してバラバラに動き出した。

 ナインズは買ってみようと思っている本の名前を頭の中で唱えた。

(ツアレニーニャ、ツアレニーニャ)

 そうして探していると、そっと一冊の本を差し出された。

「……キュータ君、ツアレニーニャ、読んでみて」

「あ、ありがとう。探してたんだ」

「……お金ある?……私が持ってる本を貸してあげてもいいよ」

「おかね…?」ナインズは耳なれない言葉に一瞬首を傾げ、すぐに理解した。「あ、お金か!多分買える!ありがとね!」

 ナインズはツアレニーニャを受け取るとレジへ向かった。

「お願いします!」

「はぁい。七千ウールだけど、オリビアのお友達だからね。六千五百ウールでいいわよ。お金あるかな?」

 思ったよりも高い。

 ナインズは持たされている今月のお小遣いが入っている財布を開いた。

(六千五百…六千五百……。足りるはずだ)

 一万ウール紙幣が一枚だけ入れられている。まだ一度も使った事はない。

 ナインズは初めての買い物にドキドキしながら一万ウール紙幣を出した。

「はい、じゃあ一、二、三。三千ウールと、五百ウールのお返しね」

 お札と硬貨を受け取りながら、ナインズは指折り数えた。算術をパンドラズ・アクターに習っている。

 ナインズは納得するとお金をしまった。

「おばさん、ありがとうございます」

「いいえ。またお買い物にきてね」

「はい!」

 優しそうなお母さんだった。

 ナインズは紙袋に本を入れて貰うと、袋ごと鞄の中にしまった。

 初めての買い物がうまく出来た事を早く帰って皆に話したかった。

 そうしていると、一郎太が山盛りの本を持ってきた。

「あれ?一冊七千ウールくらいだとすると…五冊で……えーと……」とぶつぶつ言っていると、エルが耳打ちした。

「三万五千だよ?一郎太、そんなにお金ある?」

「げ!な、ない!くそー。ナイ様のお話見つけたから買おうと思ったのに」

「――え?なぁに?」

 ナインズはそんな事聞いたこともない。

 一郎太は残念そうに本を戻しに行った。

「えーと、ナイ様が夏草海原を統治されているお話とー、ご誕生された時に開かれた祝賀会のお話とー、神の子はいかにして生まれるのかってやつとー、ナインズ殿下の福音って本とー、殿下から学ぶ不完全という完全ってやつ。でもオレ五百ウールしか持たされてない」

 一郎太はぷんぷんと鼻を鳴らした。

 一冊づつ本棚に戻しながら、「父者のけちんぼ」とぶつぶつ悪態をついた。

 ナインズは夏草海原は確かにコキュートスと見守るように言われているし、誕生日には祝賀会を開いてもらっているので、最初の二つに関しては良いだろう。何を書かれているのかは気になるが。

 だが、それよりも残りの三冊の内容は想像もつかない。

 ナインズは一冊を手に取り、開いてみた。

「……ナインズ…殿下は、えーと……神々と違い、決して……ん…と…完全な存在ではないという……。それは生きま…生き物達のフカン…?ふ…不完全性を……お許す…お許しに……なる……グゲン?」

 共通文字はナザリック文字より苦手なことに加え、内容はちんぷんかんぷんだった。

 ナインズはこれは何だと少し不愉快に思いながら本を戻した。

 神と違い完全な存在ではないとはどう言う意味だろうか。

 侮辱だろうか。

「あ、キュー様?」

 ナインズは先に店の外に出た。

 装幀屋を眺める。

(……僕はどうせ何も出来ない)

 一郎太も店を出てくるとナインズの顔を覗き込んだ。

「ナイ様?どうしました?」

「……僕はお父さま達と違ってフカンゼンだって。悪口書かれてた」

「え!帰ったら言いつけてやりましょう」

「……うん。でも、そんな事書けないくらい僕だって何でもできるようになってやる」

 ナインズは絶対に位階魔法を覚えてみせると手を握り締めた。

「もう何でもおできになるじゃないですか」

「できない!……でも、できるようになる」

 一郎太が背を撫でていると、店の中から三人も出てきた。

「キュータ君、装幀屋さんお気に入りになったでしょう!」

「――うん。面白いね。オリビア、今日はどうもありがとう。装幀屋さんも見られたし、本も買えてすごく良かった」

「ううん!そうだ、学校の近くまで送ってあげようか!」

「いや、大丈夫。一郎太とエルもいるし。あ、アナ=マリアの家はどっち?」

 アナ=マリアは学校とは反対の方を指さした。

「……あっち」

「夕方になってきてるから、送ろうか」

「……嬉しい。でも、大丈夫。いつもの道だから」

「そっか。気を付けて帰るんだよ」

「……ありがとう。それじゃあ、さよなら」

 アナ=マリアは頭を下げると先に一人で帰り始めた。

「――じゃ、僕たちも行こう。オリビア、また明日」

「うん!じゃあねー!」

 ナインズが歩き出すと一郎太とエルも手を振って後に続いた。

「――ねぇ、エル?」

「ん?どうかしたかい?」

「僕に位階魔法教えてくれないかな……。僕、どうしても早く魔法使えるようにならないといけないの……。でも、お父さま達の教え方は難しくて……」

 エルは数度ぱちくりと瞬きをすると、大きく頷いた。

「いいよ。もちろんだとも。私もいつもそばに居てくれるキュータの役に立ちたかったんだ」

「エル……ありがとう」

「少し学校に寄って行かないかい?校舎裏の池で練習をしてから帰ろう」

「うん!」

 一郎太はナインズの様子をみると微笑み、走り出した。

「じゃ!学校まで競争ー!」

「え!一太!またずるいことしてー!」

「えぇ!?わ、私は走れるかな」

 エルはひいひい言いながら走り、二人はグングン速度を上げて行った。

「は、はやい…!普通の人間とミノタウロスって…あんなに足速いんだ…!」

 なんとかエルが校門にたどり着く頃には、ナインズも一郎太もすっかり呼吸を落ち着けていて、普通に話していた。

「はぁ、はぁ!ふ、ふたりとも…!は、速いよ…!」

「エルは体力ねぇなー!やっと弱点見つけた!」

 一郎太はおかしそうに笑った。

「じ、弱点だらけだよ…。はぁ…ふぅ…」

 息切れしているエルの背を撫でてやり、呼吸が落ち着くのを少し待った。

 三人は校舎の裏まで行き、クラリスに教えられた池のほとりに腰を下ろした。

 適当な大きさの小石を拾って、それをトントンと杖で叩く。

「よく想像するんだ。石が温まるところを。石の下に火が燃えてるイメージを作るといいよ」

 ナインズは言われた通り、おいてある石の下に火があるようにイメージする。

「それだけ燃えていれば熱くなるはずだよね?さぁ、私と一緒に唱えてごらん。――<温加(アドウォームス)>!」

 ナインズの頭の中をルーンで起こせる火がよぎる。

「<温加(アドウォームス)>!」

 石は温まる事はなかった。

「もー!ルーンはダメなのに!」

「ルーン?」

「なんでもない!もう一回やる!」

 日がどんどん傾き、赤くなり始めていた空はいつしか紫色になり始めていた。校舎の屋根にイツマデが止まり、イツマデ!イツマデ!と鳴き始める。早く帰れのサインだ。

「――今日はこのくらいにしよう」

「……うん」

「大丈夫。すぐに使えるようになるよ」

 エルが肩を叩き、ナインズは立ち上がった。

「帰ろっか。たくさん付き合ってくれてありがとう、エル」

「気にしないで。私は嬉しいんだから」

 三人が校舎裏から校門へ向かう途中、ナインズは振り返った。

「――キュー様?」

「……誰かが僕らを見てる」

「え?」

 エルがキョロキョロする中、一郎太はナインズが見る方へ威嚇するように声を上げた。

「誰だ!!」

 その声はびりびりと大気を揺らし、何人かのクラスメイトが姿を見せた。

「…そんなに怒らなくても良いじゃないか」「カイン様、い、行きましょう」

 不服そうに呟く子供達の声。その声は絶対に忘れないと記憶した、ナインズを侮辱したあの声だ。一郎太は二人をジッと睨みつけた。

「一太、行こう。君たち、驚かせてごめん!」

「っちぇ。行きましょう」

「一郎太、抑えて抑えて」

 校門を出ると、三人は手を振り合い、エルは学校の裏にある寮へ帰って行った。

「また明日ー!」

「じゃあねー!」

「気を付けて帰れよー!」

 エルの背が見えなくなると、二人も歩き出した。

「なんだかすっかり暗くなっちゃったね」

「本当ですね。今日も面白かったなぁー!」

 二人は初めての買い物の思い出を胸に留めた。

 同時にナインズは今日の悪口を書かれていた本の内容を思い出し、石を蹴った。

 大神殿へ向かい、永続光(コンティニュアルライト)の照らす遊歩道を行く。参拝を済ませた人々が帰り始めている。

 それと同時に、夜の大神殿を見ようと集まる人々もいる。

 二人は神官通用口に入ると、たくさんの神官に迎えられた。

「ナインズ殿下、おかえりなさいませ」

「最高神官長さん、ただいまぁ」

「今日、学校でお友達に何か手を挙げられたと、クラリス・ティエール嬢がこちらへ報告にお立ち寄り下さいました。お怪我はありませんでしたか?」

「光の神官長、イヴォン・ジャスナ・ドラクロワです。治癒をいたしましょうか」

 ナインズは笑うと首を左右に振った。

「はは、クラリスは大袈裟だなぁ。大丈夫、ぶつかられただけだから。それに一太がすぐに連れ出してくれたし、なんともないよ!」

「それはようございました。治癒室にいる神官は殿下の事をわかっておりますので、何か困ったことがあればいつでも治癒室へいらして下さい」

「はぁーい。じゃあ、皆また明日ね」

「はい。お気をつけてお帰りください」

 話を切り上げ、二人は階段を上り屍の守護者(コープス・ガーディアン)の待つ部屋へ向かった。

「あ、ナイ様の髪が」

 一郎太に指をさされると、鏡を潜る前にナインズは自分の髪を確認した。

「あ…元に戻り始めてる」

 黒い髪は色が薄くなり始めていて、目の下の亀裂もじわりと浮かんできていた。

 朝六時にフラミーが魔法をかけてくれ、今はちょうどそれから十二時間だ。

「――魔法が解けそうだ。知らなかったなぁ…」

「本当ですね」

 二人は屍の守護者(コープス・ガーディアン)から温度耐性の指輪を受け取り、しっかりとそれを装備したのを見せてから鏡を潜った。

 潜った先は灼熱の第七階層。万一何者かが鏡を潜ったとしても、潜った者はタダでは済まないだろう。

 さらに鏡を奪われた場合は一時的に対になっている鏡を溶岩に放り込む手筈になっている。奪い返すまでは潜った者を殺す気概にあふれていた。

 出迎えの悪魔達が「おかえりなさいませ」と声を揃えて迎えてくれる。

「皆、ただいまぁ」

「じゃ、ナイ様また明日〜」

「うん。一太も気をつけてね〜」

 二人の向かう階層は第九階層と第六階層なので別の方向だ。

 一郎太はまだあまり慣れない溶岩地帯を手のひらサイズの真っ黒な悪魔に案内されて帰って行った。ちょこちょこと足元を四匹程度が走り、尾に火がついている一匹が空を飛んで先導した。

 ナインズも小さな悪魔の後を進み、第九階層に向かう。

「……ねぇ、聞いて。僕本に悪口書かれてた」

 ナインズが呟くと、真っ黒な悪魔達は振り返り、白く光る目を何度も瞬いた。

「フカンゼンで何とかって。やんなっちゃうよね」

 悪魔達がぶんぶんと頷く。

「僕も早く位階魔法使えるようになりたい。君のその飛ぶ力は位階魔法?」

 飛んでいた悪魔は一度頷き、キー!と鳴き声を上げた。

「いいなぁ。そんなにちっちゃくても位階魔法が使えるんだね。僕も明日は絶対魔法を使えるようになるんだ」

 足下をはちょこまかと走る悪魔達はナインズを元気付けるように靴をぺしぺしと何度も叩いてくれた。

「よーし!頑張るぞお!」

 意気込むナインズが第七階層から姿を消すと――小さな悪魔達は寄り集まった。

 キィキィと鳴き声を上げ、急いでデミウルゴスの神殿へ走る。

 神殿のそばにいる憤怒の魔将(イビルロード・ラース)を見つけると、その燃え盛る手に触れた。

 すると、炎は悪魔達の身に燃え移り、ッボン!と音を立てて悪魔の体は大きくなった。

 黒く燃え上がる体には赤い仮面が掛けられ、仮面には縦に二つ見開いた目が描かれていた。目の下にはまるで亀裂のような笑みを浮かべた口があった。

憤怒の魔将(イビルロード・ラース)、デミウルゴス様にお目通りを」

「デミウルゴス様は今第九階層にナインズ様のことでお話にお出になっている。言伝を頼まれよう」

 黒い炎の悪魔はそれを聞くと頭を深く下げた。

「ナインズ様は本に悪口を書かれていたと仰いました。書いた者を即刻処刑するべきかとご報告にあがりました」

「何?分かった。デミウルゴス様がお戻りになった時お話ししよう。もしかしたら、第九階層で既にお聞きになっているかも知れん」

「お願いいたします」

 悪魔の炎は一気に燃え上がり、仮面を包み込むと――元の小さな体に戻った。

 キー!と愛らしい声をあげると、明日の朝ナインズを出迎えるために悪魔達は駆け足で第七階層の入り口へ向かって行った。

 

+

 

「悪口だと?」

 アインズは自分の部屋に鞄を下ろしてきたナインズがむくれる様子に瞬いた。

 フラミーの部屋には今アインズ、フラミー、フラミーの膝の上にアルメリア、アルベド、デミウルゴスが揃っていた。

「うん。オリビアのお家は本屋さんだから、今日本屋さんに行ったの。そこで初めてお買い物した。"ツアレニーニャ"って本。でも、一太が買おうとした僕について書かれてる本には僕がフカンゼンで何とかって書いてあったの」

「一郎太は買ったのか?私が確認してやろう」

「買えなかった。本って七千ウールもするんだね。"ツアレニーニャ"は六千五百ウールで売ってもらったけど。一太は五百ウールしか持ってなかったから」

「ふぅむ、そうか。では調べさせよう。本屋の名前はなんだ?」

「フィツカラルド書店。僕、もう怒ったもん」

「それは私も怒ってしまうな。よく出版が許されたものだ。神殿機関の検閲は無能か」

 アインズは手元のメモにフィツカラルド書店、ナインズ、不完全と書きつけ、アルベドに渡した。

「アルベド、どの僕を使っても構わん。調べさせろ」

「かしこまりました。急務で調べさせます」

「うむ。それから、ナインズ。お前今日喧嘩をしたんだって?」

 尋ねると、フラミーの前に座っていたデミウルゴスが立ち上がる。

「アインズ様、喧嘩ではございません。一方的にナインズ様を下等生物が突き飛ばしたのでございます」

「かとー生物!」フラミーの膝の上で翼の毛繕いをしていたアルメリアが顔を上げた。

「……まぁ待て。その呼び方はやめろ。アルメリアが最近真似をしているだろう。で?何があったんだ?」

 ナインズはどうしてそんな事を父やデミウルゴスが知っているのかと顔を赤くした。あんな恥ずかしい姿を知られていると思うと、辛かった。

 ナザリックに生まれた存在なのに、コキュートスにたくさんの事を教えてもらったのに、簡単に突き飛ばされてしまったのだ。

「な、何もないもん」

「ん……?もしかしてお前が何かやったのか?」

「やってないもん!」

 ナインズがフラミーの部屋を出ようと踵を返すと、アルメリアを抱いたフラミーが立ち上がった。

「ナイ君、ナイ君おいで」

「……僕、何もやってないもん」

「ナイ君は皆にそっと優しくしてあげられるって分かってるよ。おいで。こっちのお部屋でお母さんとリアちゃんとお話ししよ」

 ナインズはちらりとアインズを確認し、フラミーと共に親の寝室に入った。

「ナイ君痛いところはない?」

「ない…」

「お友達も誰も痛いところはなさそうだったかな?」

「ないよ…。僕は皆に優しくしてるもん」

「良かった。ナイ君はとっても優しいもんね。でも、本当に嫌だと思った時、やめろって言うことは悪いことじゃないんだよ。本当は喧嘩をするのだって悪いことじゃない。しないに越したことはないけどね」

「………でも、僕は皆よりたくさん力があるから我慢したほうが良いんだよね」

「……そうだね。ナイ君も、一郎太君も、多分あの学校で飛び抜けて強い。もしかしたら先生でも敵わないくらい」

「……僕、強くない。オリビアがキングのこと気持ち悪がってもやめなって言えない。オリビアは本当に優しくていい子だから、なんて言ったらいいか分かんないの」

 ナインズは帰ってきて着替えたローブを握りしめるとジワリと瞳を潤ませた。

 大きくなってきたと言うのにフラミーの腹にへばりついていたアルメリアはフラミーから降りると、ナインズの頭を撫でた。

「にいに、よしよし」

「…ありがと、リアちゃん…」

「そんなこともあったんだね。誰かを嫌う人を見るのはナイ君も嫌だよね。そしたら、一緒に良いところ探そうって誘ってみたらどうかなぁ?」

「…探してくれるかな?」

「探してくれるよ!オリビアちゃんは良い子だもん。でも、もしかしてオリビアちゃんに突き飛ばされちゃったの?」

「ううん、オリビアは違う…。エルは魔法を使えるから、皆がエルと話をしたいの……。でも、僕はエルとご飯食べる約束してるから、エルを誘ったの……。そしたら、誰かがぶつかって転んだ……。それで…それで……エルを独り占めするなって皆が……。だから……僕、気をつけるねって言った。でも、でも……僕、何だかやだったよぉ…!やだぁ!」

 ナインズはふわぁーんと声を上げて泣いた。

 アルメリアが抱きしめて背を撫でる。

 フラミーは百レベルの豪腕で二人を抱き上げるとベッドの上に座った。

 フラミーの膝の上にナインズ、ナインズの膝の上にアルメリアだ。アルメリアは小猿のようにナインズにぴたりと張り付いた。

「ナイ君は強かったね。そんな酷いこと言われて、気をつけるねなんて普通言えないよ。本当に偉かったね」

「うぅぅ…。ぼく、お外好きだけど、本に悪口書かれるし、ぼくやだぁ。うわぁぁん」

「やだったね。辛かったね」

 フラミーは悩んでいた。

 物理的にも立場的にも力があるから、皆に優しくするように言ってきたし、彼は誰にでも優しく接するようになった。

 優しくできるための勉強もずっとして来た。

 だが、力と知識、彼の中に生まれ始めている責任感に反して精神はまだ六歳児だ。

 人間関係のいざこざの解決方法も、喧嘩の仕方一つも知らない。何かを嫌だと言う方法も知らない。

 この場所で、誰もがナインズを至高の存在と扱って来たため、ナインズと喧嘩をするのはアルメリアだけだ。

 アルメリアを可愛く思っているナインズはすぐにアルメリアに謝る。それを優しくする方法だと信じている。

 今のままの決まり事を貫き通せば、感情を外で爆発させた時にナインズはものすごく傷付くだろう。もしくは、傷つけられっぱなしで帰って来る。

 

「――ナイ君、自分が嫌だって思った時には、これからは嫌だって言うんだよ。その結果、誰かを傷つけることになってしまっても良い。ちゃんとたくさん自分の言いたいことを言うの」

 

 そう言って許してやることしかできない。

 フラミーを育てたのは孤児院の先生達だ。ナインズのように母親の膝の上で泣いたこともない。だから、そんな時に何を言ってやれば良いのかよく分からなかった。これがフラミーなりの全力だった。

 子供の頃、何も持たない自分を慰めて記憶の片隅にある歌を歌って過ごした。良い子でいればもしかしたらお母さんが迎えに来てくれたり、誰かが新しいお母さんになって愛してくれたりするかもしれないと言う打算の中、誰かと衝突する事を避け、いつも小さくなっていた。

 不器用にでも笑って自分が悪かったからと誤魔化して、傷付いても仕方ないやと何でもかんでも諦めてきた。だが、ナインズにもその辛さを感じさせる必要はないはずだ。

 フラミーにも正しい喧嘩の方法はいまだにわからない。人と喧嘩をしたことなどたった一度しかないから。

 ――フラミーはドラウディロンに痛いところを突かれた時、アインズと本気で喧嘩をした。

 あの時フラミーが思ったのは、人は言いたいことを我慢するだけでは、誰かと深く繋がり合うことなどできないということだ。

 誰かを傷つけてしまったとしても、自分の心を守ることはそれほど悪いことではないはず。

 

「……でも、僕が何か言って、もし喧嘩になっちゃって誰かが僕を叩いたら?もし僕が思わず叩き返したりしちゃったら……その子、死んじゃうんでしょ……」

 フラミーは少し悩んだが、覚悟を決めた。

「……大怪我をするか死んじゃうかもしれないね。でも、ナイ君だけが溜め込んで我慢する必要はないんだよ。言い返すことでもし喧嘩になっちゃって手を挙げられたら、ナイ君だって自分を守って良いの。自分や誰かを守るために力を使っちゃうことは悪くない。だから、衝突を恐れないでちゃんと自分の思うことを言ってごらん。もし話し合いの中で喧嘩が始まっちゃったときに、力を使って誰かを傷つけたり、殺したりしちゃっても、お母さんはナイ君を責めたりしない。極端な話どけど、人間達を絶望の中に叩き込んで、神都を何も残らない更地にしても良い。お母さんはお友達と喧嘩した時、神都じゃないけど、そうしようとしたんだから」

 ナインズは驚きに目を向いた。

「そ、そんな…なんで……?」

「お母さんが悪――」悪かったと言おうと思ったが、フラミーは首を振った。「お友達がお母さんを傷付けたから。お母さんはとってもとっても傷付いたの。もう、何もかもを破壊して、全てを無かったことにしたかった。それに、お母さんの傷を誰かに押し付けたかったの。理解して欲しかったの。誰も何も手に入れられないともがき苦しむ中の――絶望の死を与えたかった」

「お母さまが…?」

「そう。お母さんが。まだナイ君が生まれる前のお話し」

「そ、それでどうなったの…?」

「お母さんは十から三十レベルまでの悪魔を二二四体喚び出した。それから、八十レベルの魔将を六体。その子達にも同じ魔法を使わせた。七人がかりで悪魔を喚んだの」

 ナインズは指折り数える。

「七人が二二四体だから…全部で一五六八体の悪魔…?」

「そう。すごいね。どうしてすぐに分かっちゃったの?」

「へへ…兄上とお勉強したから」

「ナイ君は本当にすごいね。お母さんはすぐに三桁の掛け算なんてできないよ」

 嬉しそうに笑い、ナインズは少し鼻をすすった。

「それで、その悪魔はどうしたの?地上の人間をたくさん殺したの?」

「うん、たくさん殺した。外の皆には秘密だよ?」

「わぁ……」

「ふふ。だからね、ナイ君がもし力を使った結果として誰かが傷付いたとしても、お母さんだけはナイ君の味方だよ。もしもの時にはお母さんがその人間を治してあげる。もし死んじゃったら生き返らせてあげる。何人でも、何回でも。何百人だって生き返らせてあげる。あなたの為にこの世の全ての奇跡を使ってあげる。だから、怖がらないで自分が思うことをたくさんお話しして、たくさん皆とぶつかってごらん。どんなことになっても大丈夫。ナイ君には仲間もお友達もたくさんいるんだから」

 フラミーにつん、と頬を押されると、ナインズは頷いた。

「……本当に困ったら、力を使っても良い」

「うん。ナイ君は全員の命を握ってる絶対者だよ。でも、殺しちゃったら、きっとナイ君もとっても傷付くからね。なるべくそうならないように出来るといいね」

「うん!口喧嘩する!」

「ふふ、そうだね」

 優しくしろ、人を傷つけるな。

 そう言われ続けてしまったナインズはほんの少し、優しさの呪縛から逃れることができた気がした。

「今度ドンってされて、エルを独り占めするなって言われたら、うるさいって言ってやる」

「ナイ君に、言えるかな?」

「言えるよ!うるさい!うるさい!!」

 数度うるさい、うるさいと言っていると、アルメリアがいいことを思いついたとナインズを見上げた。

「にいに!かとー生物は黙ってろって言えばいいです!」

「リアちゃん、下等生物は違うでしょ」

「でもかとー生物です。皆言ってます」

「じゃあ、サラトニク君やクラリスちゃんも下等生物なの?」

「サラとクラリスは見どころがあります」ふふんと鼻を鳴らす。「見どころのないかとー生物がにいにを虐めたら、リアちゃんがやっつけます」

「はは。ありがとう。僕、なんだか大丈夫な気がして来た。リアちゃんは本当に優しいね」

 三人でよく似た顔をして笑っていると、扉がノックされた。

「誰か来たね。ナイ君、入れてもいい?」

「良いよ!」

「どうぞー」

 扉がゆっくり開くと、アインズが部屋を覗いた。

「九太、お前の本の内容がわかったぞ?」

 猫撫で声だ。

 ナインズはアルメリアを下ろし、フラミーの上から退いた。

「僕の悪口書いたやつ、僕許さないもん!本気出したら殺せるもん!」

「……あ、うん。そ、そうだな。お前は殺傷能力のあるルーンを使えるからな。だけど、悪口じゃなかったよ。お前のことを、生き物全員の希望だって書いてた」

「……なんで?」

 嘘つけと言うような目つきだった。

「今影の悪魔(シャドウデーモン)に確認に行かせたんだが、同じものが大神殿の書庫にあったらしくてな。借りて来てくれたぞ。読んでやるから、おいで?」

 おいでおいでと手招きされると、ナインズは泣いて腫れた目のままアインズの下へ行った。

 フラミーもアルメリアを抱っこし直して寝室を後にする。

 アインズがソファに座ると、アルベドがその本を差し出した。

 人の体を呼び出し、魔法のモノクルを眼窩に挟むと、アインズはコホン、と咳払いをした。

「まず、題名はナインズ殿下から学ぶ不完全という完全――だ。わかるか?」

「わかんない」

 やっぱり悪口だ。

 ナインズはアインズの隣に座り、手の中の本をじっと睨みつけた。

「まぁ、ややこしいタイトルだもんな。えー…――始まり。ナインズ殿下は神々と違い、決して完全な存在ではないと云う。それは生き物達の不完全性をお許しになる具現だ。光神陛下は間違いを起こさないが、生き物を完璧な存在となるようにお作りになることはない。一見矛盾して聞こえる話だが、不完全であるという事が罪ではないと、ナインズ殿下という存在が我々に教えてくれている。守護神様達が完璧な状態で生み出される一方、ナインズ殿下はそうではなかった。完全な存在になるように目指し、研鑽を積む事こそが、命を磨くと云うことなのだ。いつかナインズ殿下も完全なる存在におなりになるだろう。その時にこそ、私たちという不完全な存在が、どのようにでも成長し、完全なる存在になれるという証明になるのだ。不完全は完全の前途でしかない。つまり、不完全は完全であるとも言える。神々は決して、我々に乗り越えられない試練をお与えにはならない。ナインズ殿下は全ての生き物の希望だ。この本は全章に亘って神と神の子の完全性、そして不完全性について事細かに紐解いていく。――と、前書きはこんな感じだ。わかるか?」

 ナインズはもごもごと言われた言葉を反芻した。

「――悪口じゃない?」

「あぁ。悪口じゃないぞ。ナインズが生まれて来てくれて良かったな〜って話だ」

 念のためデミウルゴスを見上げる。

「悪口ではありません。ですが、下等せ――失礼いたしました。人間の分際でナインズ様を推し計ろうというのは不敬かもしれません」

 続いてアルベドを見上げる。

「御身が色々なことを学ばれて、少しづつ大人になって行くことを喜んでいるのです。どんどん素晴らしい存在になっているということが、国民達にもわかるのでしょう」

 最後にフラミーを見上げた。

「ナイ君はたくさんの人に望まれて生まれて来たんだよ」

「……僕、すごい?」

「すごい!」

「僕って、もしかしてとっても愛されてる?」

「愛されてる!」

 ナインズはへへへ、と笑うとアインズの隣から立ち上がった。

「その本、来月のお小遣いで買う!」

「買ってやっても良いぞ?内容は置いておいて、本は勉強になるからな。今日一冊本を買ったそうだが、その分の小遣いをまたやろう。皆とパンや果物を買ったりするかもしれないだろ?」

「後三千五百ウールあるから平気!皆でパンくらい買えるし、皆週に五百ウールくらいしかお金もらってないんだってぇ」

「そ、そうだったか。いや、分かっていたぞ?分かっていたが、お前には必要だと思っていただけだ。ここには外の本や外の物は非常に少ないからな。小遣いはまた欲しくなったら言うんだぞ。来月になる前に私の財布から出してやるからな」

「来月買えるまでは、大神殿の書庫で読むから平気!」

「それもそうだな。じゃあ、明日これを最高神官長か闇の神官長に返しておいてくれ」

 アインズは本をパタリと閉じると、ナインズに抱かせた。

「へへ、僕のこと褒めてるご本!」

「あぁ、褒めてるご本だ。お前は私より、余程すごい男になるよ。私にはわかる」

「頑張ります!」

 ナインズが言うと、その腹はグゥ〜と空腹を訴えた。

「――さ、ご飯にしようね!アルベドさんとデミウルゴスさんも良かったら今日は一緒に食べて行って下さい」

「ありがとうございます。ご一緒させていただきます」

「はい!ご相伴(しょうばん)に預からせていただきます!」

 その返事と共に、廊下からは今夜の食事がメイド達によって運び込まれて来た。

 週に半分はNPCの作る食事を取らなければ、料理長以下料理に携わるNPCが泣く。

 メイド達は執務室の隣にあるダイニングルームへ続く扉を開けた。

 守護者が座るための椅子を二つ出し、皆席に着いた。

 ナインズは、その日の食事を不思議といつもよりおいしく感じた気がした。




殺しても良いよって言ってもらえて、ナインズ君は良い子でいなきゃいけないって言う責任感と思い込みから少し逃れることができたかな〜〜

次回Lesson#6 ルーン魔術とミノタウロス
いつも通り明後日です!


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Lesson#6 ルーン魔術とミノタウロス

「じゃあ、日が暮れるまでには帰って来てね?」

「はい!」

 フラミーがナインズの髪と瞳、顔の亀裂に幻術を掛ける。

 どんな魔法も掛ければいつかは解けるもので、幻術も例外ではない。あまり遅くまで外にいればナインズはナインズの姿を取り戻してしまう。

 これまでは朝起きて一番に掛けてやっていたが、昨日は少しギリギリだった。今日からは身だしなみを整える直前に掛けてやることにする。ナインズは身だしなみに拘るたちなので、黒髪の状態で納得がいくまで髪を梳かした。

「行ってきまーす!」

 ナインズは鞄と今日の体育に使う服を持つとフラミーの部屋を飛び出した。

「行ってらっしゃーい」「気を付けろよー」

 両親の声を背に、七階層へ向かう。

 七階層に上がる前の場所にはきちんとナインズが温度耐性の指輪をしているか確認するため、ナーベラルが立っていた。

「おはようございます。ナインズ様」

「おはよー!ん!」

 ナインズは自分の手を見せ、ナーベラルに道を譲られた。

「確認いたしました。どうぞお気をつけて。もし下等生物(ガガンボ)共が不敬な真似をすれば、いつでも私が始末に参ります」

「ありがとう!勇気出るよ!」

 そう笑うと七階層へ上がって行った。

 七階層では小さな悪魔達がナインズを出迎え、キィキィと鳴き声をあげている。

「皆おはよー!」

 悪魔達に導かれ、鏡へ向かう。

 鏡の前ではすでに一郎太が待っていた。

「ナイ様ー!」

「一太おはよー!」

「ナイ様、昨日の本のこと父者達に話しておいたよ」

「あ、それね。僕の勘違いだったんだぁ」

「そうなんですか?」

「うん!」

 二人は悪魔達に見送られて鏡をくぐった。大して何も置かれていない部屋だが、一応勉強用の机は二つ置いていてくれている。そこで勉強したことなどないが。

 温度耐性の指輪を屍の守護者(コープス・ガーディアン)に預け、二人はおぞましくも可愛らしい鏡の守護者に手を振られて部屋を後にした。

 廊下には相変わらずズラリと神官達がいた。

「おはようございます。殿下、一郎太君」

「おはようございます!最高神官長さん、これ、昨日の夜に借りちゃったの。返すね」

 ナインズはアインズから返すように言われた本を鞄から取り出した。

「そうでしたか」最高神官長は本を受け取り、タイトルを確認するとニコリとナインズに微笑んだ。「殿下、読まれましたか?」

「うん、前書きだけお父さまに読んでもらった!また借りるかも」

「いつでもお気軽にお声掛けください。ご用意いたします」

「ありがと!じゃ、僕たち行くね!」

「行ってらっしゃいませ」

 二人は今日も学校へ向かった。

「キュー様、あの本なんだったの?」

「僕のこと好きな人が書いた本だったんだ!」

「不完全って悪口書かれてたのに?」

「うん!皆不完全なんだって。僕がいつか完全になると、不完全な皆が…えっと…なんか良いらしい!」

「へぇ〜。難しいですねぇ」

「ふふ、どんな人が書いたんだろうなぁ!」

 ナインズはまさに著者本人に本を返したとは思いもせず大神殿の遊歩道を出た。

 今日も賑わい始めた大神殿表参道の大通りを行く。

 果物の朝市の前を通り、パン屋さんの角をまがる。

 学校が近付いてくるとエルが角でナインズ達を待っていた。

「エルー!」

「キューター!一郎太ー!」

 二人はエルに駆け寄り、校門へ向かった。

「二人ともおはよう。今日は初めて外で体育があるね。どんな事をするんだろう」

 前回は骨や肉と言った基本的な共通の肉体を学ぶ座学で、外には出なかったのだ。

「大きい子も小さい子もいるもんねぇ。僕、走るのは結構自信あるな」

「教室に着いたらロランに聞いてみましょう!ロランが兄者に聞いてるかもしれません!」

「そうだね!僕、まだあんまりロラン君と話したことないや」

「良いやつですよ!」

 ガヤガヤと賑やかな玄関を潜り、階段を上がった。

 三人が教室に入ると、何人かの生徒達が振り返った。その空気感は昨日の昼食から戻った時の雰囲気に似ていた。何か、よそよそしい様な、話しかける事を躊躇うような、とにかく気持ちのいい空気ではない。

「…何だ?」

 一郎太が首を傾げる。

 ロッカーに鞄と運動用の服を置きに行くと――一郎太の手が止まった。

 ナインズは鞄から一限目に使う国語の教科書を出している。

 一郎太はロッカーの中に入れられていた見覚えのない絵をグシャッと丸めた。

 その絵は人間を――いや、ナインズとエルを一郎太が食べているものだった。

 なぜ。誰が。

 そう思っているとクスクスと笑い声が聞こえて来た。その笑い声はまたしても、ナインズを侮辱したあの声だ。

 一郎太は荷物をしまうと笑っている者の方へ向かった。

「あれ?一太?」

 ナインズが目で追うのを感じた。

「おい、これ、お前達が書いたのか」

「いやぁ?分かんないよ。チェーザレ、分かるかい?」

「分かりません。カイン様」

「許さないぞ。キュー様をこんな風に描いて」

 一郎太が言うと、二人は一瞬きょとんとした。それは、いくら従者の子とは言え、自分が侮辱された事よりもナインズへの中傷に腹を立てる様子が少し異質だったからだ。

「一太?どしたの?」

 ナインズが近付いてくるが、一郎太は絵を見せなかった。こんなものはお目汚しになる。

 朝の教室はどんどん子供が登校してきて、賑やかさを増していく。

 昨日話すようになったばかりのリュカも仲の良い二人と登校してくると、思わぬ二組が対峙していたのでロッカーに寄らずに真っ直ぐそちらへ向かった。リュカの席はちょうどカインと呼ばれた子の後ろだ。

「キュータ、おはよ。どうしたんだ?」

「あ、リュカ。おはよう。一太がちょっとね」

 一郎太は二人を睨みつけ拳を握りしめた。

「うわぁ〜、ミノタウロスは怖いなぁ。もしかして、証拠もないのに僕達を殴るつもり?」

「証拠?一太、やめな。どうしちゃったの?」

「く……貴様達、オレは――オレは――」オレはナザリックに移ることを許された、大賢王の血を引く一郎・エル・サビオ・シュティーア・クレータ・シンメンタールの息子、一郎太・ダ・ワイズ・シュティーア・クレータ・シンメンタールだぞ。アインズやフラミーと志を共にした祖王は人間の地位を家畜から奴隷まで引き上げ、その時の功績を認められて父王の一郎は誰もが憧れるナザリックで暮らせるようになったのだ。

 ――と。

 一郎太は言いたいことを飲み込み、背を向けた。

「"オレは"何だ?言えば良いじゃないか。変なやつ。なぁチェーザレ」

「はは、カイン様。ミノタウロスは野蛮だけど、気は小さいらし――」とチェーザレが言うと、バンッと大きな音が教室中に響いた。

 ナインズが手を二人の机に置いていた。

「僕の一郎太がなんだと言った」

「あ、いや…」

「もう一度でも言ってみろ。僕の一郎太を侮辱すれば許さんぞ。そもアインズ・ウール・ゴウンの名の下に統治されるこの地で、種族をあげつらって他者を蔑むなど国民としての自覚が足りん」

 その言葉は妙な重みと迫力があり、チェーザレはゴクリと唾を飲み下した。

「わ、分かったよ。悪かったよ」

 ナインズは睨みつける眼光を緩めると、一郎太の背を押した。

「行こ、一太」

「き、キュー様…」

 二人はそれぞれの席に戻って行った。

「…なんだよスズキの奴。ミノタウロスはそもそも神聖魔導国に入ってないじゃんか」

「ね、ねぇ?そうですよね?カイン様」

「そうだとも。チェーザレ、お前は悪くないさ」

 二人がごそごそと話すと、リュカは昨日キュータに約束した事を思い出した。

 一郎太をミノタウロスだと言う理由で怖がる人には認識を訂正するように言うと。

「な、キュータは一郎太と一緒に育ってるんだぜ。一郎太は野蛮じゃないよ。人食わないもん」

 カインとチェーザレは振り返ると後ろの席のリュカに笑った。

「リュカ、知ってるかい?ミノタウロスは一度でも人を食うとその味が忘れられなくなるんだ。どうしても食べたくなって、もがき苦しむんだってさ。そして、最後は必ず人間を食べる。だから、口だけの賢者が人間を家畜から奴隷に変えた時、バハルス州じゃすごくたくさんの人攫いがあったんだよ。僕の実家があるバハルス州じゃ有名な話さ」

「…それで?今はそんな事もないんだろ。だってミノタウロスの王国は友好国じゃん」

「確かに友好国になってから人攫いは一切なくなったらしいけどね。でも、一郎太はまだ食べていないだけで、何かの拍子に食べたら途端に化け物になるんだよ。それはたった一滴の血でもさ!ミノタウロスの王国が神聖魔導国に入れてもらえないのは、罪のある生き物達だってこと。エルミナス様は慈悲を掛けてるけど、そんな一郎太が神都の学校に通うなんてちゃんちゃらおかしいね」

「でも、神聖魔導国にいれば人を食べる機会なんかないじゃんか」

「分かんないぜ?親がミノタウロスの国から密輸するのか、ミノタウロスの国に帰るかすればいくらでも食べられるんだから。友好国のくせに、向こうじゃまだ平然と人間を食ってんだ!」

 二人の前に座っていた空の人(シレーヌ)の女の子、ペーネロペーが短い悲鳴をあげた。セイレーンも食う食われるを体感してきている種族だ。

「……カインさぁ、あんまり神都でそう言う事言わない方がいいぜ。ペーネロペーもさ、一郎太は怖くねぇよ」

「う、うん…。そうよね」

「ふ、僕は事実を言ったまでさ。僕の従者のチェーザレに怒るなんて僕に怒るのと同じだからね。それがお門違いだって事を理解してもらいたいよ」

「カインがチェーザレを大事に思うのと同じように、キュータも一郎太を大事に思ってんだよ」

「…リュカ、君もわからない奴だな。昨日までは僕の意見に賛成だったのに」

「賛成なんかしちゃいないよ。聞いてただけ」

「…ふーん」

 リュカは椅子に座ると、ちらりと一郎太を確認した。

 カインは一郎太に聞こえよがしに喋っていたから。

 

 一郎太は小さな耳をピクピクと振るわせていた。

「――一郎太、気にしない方がいいよ」

 エルミナスは一郎太の背をさすった。カインの話が聞こえていたから。

「オレは人なんか食べない…。もし間違えて食べても、オレは絶対にもっと食べたいなんて思わない……。大賢王は一度だけ知らずに人肉を食べて、あまりの美味しさにひっくり返ったんだ…。だけど、人を食べちゃいけないって陛下方が天界でお教えになってたから、大賢王は二度と人肉を食べたりしなかった。すごく苦しくて、人の肉の味を死ぬ時まで忘れられなかったって言うけど、それでも大賢王は食べなかったんだ」

「……大賢王は素晴らしい王だったんだね」

「うん。世界にどれだけ大賢王の発明が溢れてるかも知らずに……」

「大賢王って、ここの大陸で有名な口だけの賢者のことだよね」

「そうだよ。本当に賢者だったんだ。口だけの賢者って言うけど、大賢王は誰も知らない神々の知識をたくさん持ってた。だから、大賢王の閃きが無ければ、数々の生活魔法道具は生まれなかったんだ」

「私も神都に来てから、たくさんの魔法道具に囲まれてよく分かったよ。ここはとても便利な場所だ。上位森妖精(ハイエルフ)は大抵皆魔法を使えるから、生活魔法道具は必要としないけど、そうじゃない種族が暮らす場所には多くの恩恵を与えているよ。私もまだ使えない魔法はたくさんあるから、生活魔法道具があって本当に助かってるんだ。私のように大賢王に感謝してる人はたくさんいるはずだよ」

「……そうだよな」

「うん、そうだよ」

 一郎太とエルは拳を作り、こつん、と当てた。

 エルも差別と偏見に苦しんで来た一人だから、一郎太の気持ちがよく分かる。

 そして、一郎太が「家畜のくせに」と自国の意識を一切持ち込もうとしない姿に強い尊敬の念を抱いた。

 二人はこの学校で、隣の席がお互いだったことに感謝した。

 

+

 

「なぁロラン。体育ってどんな事すんの?」

 今日の昼食はロランも誘って男子四人と女子四人だ。

 ナインズ、一郎太、エルミナス、一郎太達の後ろの席のロラン。机を挟んでオリビア、レオネ、イシュー、ロランの隣のアナ=マリア。割と大所帯だ。

「お兄ちゃんの話では最初はストレッチして駆けっこだったって。どれくらいで走れるか記録されたって言ってたよ。僕は走るの苦手だからなぁ。やだなぁ」

 ロランは今日のトマトのキッシュを口に詰め込みながら言った。

「オレは走るの好き!ね、キュー様!」

「うん。僕も走るの好きだなぁ。僕達しょっちゅう走ってるんだ。一太の弟の二郎丸と一緒にね!」

「一郎太君なんかすんごい足速そうだもんねぇ。その点、キング君は大変そう」

 オオサンショウウオのキングは二足歩行では歩く事しかできない。かと言って四足歩行も腹をずりずりと擦っているので遅い。ちなみにそんなキングのお腹には制服が汚れないように革が貼られている。

「キング、寮から通ってるらしいけど毎朝大変そうだもんね。地面にぺったり伏せて歩いてると、たまに踏んづけられそうになるから一生懸命立って歩いてるんだって」

 ナインズが言うと、ロランはへ〜と声を上げた。

「キング君の体ってほとんど黒に近い茶色だもんね。制服のローブも黒でパンツもグレーだし。ローブは一応一年生は模様が青だけど、見えなくて馬車に轢かれたりしたら危ないなぁ」

 ちなみに二年生は白、三年生は黄、四年生は緑、五年生は赤、六年生は紫だ。模様は裾やフードにだけ入っている。来年六年生が卒業すると、新一年生が紫になる。

「あ、でもキングって口の中は真っ白なんだよ!前に笑った時に見えたんだ」

「え!そうなの!今度見させてもらおうかなぁ!オリビアはキングの後ろだから良いね!」

 ロランにそんな事を言われると、オリビアは食事の手を止めた。

「……キング君の後ろなんてやだもん。ロラン、エル様の後ろと変わってよ」

「え?そんなこと出来ないでしょ」

「……分かってるけどさ」

 オリビアの機嫌が悪くなると、ナインズは向かいに座るオリビアの手を取った。

「…オリビア、キングは怖くないよ。だから、そんな風に言っちゃダメなんだ」

「でも…キュータ君……」

「キングのちっちゃい目、見たことある?とってもつぶらで可愛いんだよ」

「……うん」

「オリビアは勉強家でしょ。きっと、キングの良いところも知れるよ。だから、悪く言わないで」

「ごめんね…」

「いいよ。オリビアがキングを好きになれるように、僕が協力するから」

「ありがとう。キュータ君って王子様みたいだね」

 ナインズがパチクリと目を瞬かせていると、一郎太がふふん、と鼻を鳴らした。

「キュー様が王子様なのは当然じゃん?それにしても、キングの何が怖いんだ?ローランとベルナールもキングのこと怖いのか?」

 レオネとイシューが口を開こうとすると、ロランが首を振った。

「ううん、僕はキング君のこと怖くないよ」

「ちょっとロラン!ロランじゃなくて、ロ・オ・ラ・ンでしてよ!一郎太さんも紛らわしいからレオネって呼んで下さいまし!」

「ははは!また間違えてんの!」

 イシューは大受けだった。

「あ、ごめん。レオネな」

「ロランもちゃんと聞いて頂けませんこと!本当毎回嫌んなっちゃいます!」

「何だよレオネ。レオネだってよくトマがローラーンー!って僕を呼ぶと反応するじゃんかぁ」

「それはトマ君の言い方が悪いんでしてよ!」

「トマじゃなくてレオネの耳が悪いんだろ!」

「何よ!ロランだって耳悪いくせに!今も間違えたのはロランじゃない!」

 言い争う二人の間で、イシューは何とか笑いを止めるとレオネとロランの間に入った。

「はいはい、わかったから落ち着いて!落ち着いて二人とも」

 しかし、二人の耳には入っていない。

「一郎太君は僕との方が仲が良いんだから、僕に話しかけてると思うじゃないか!」

「思いませんわ!ローランとベルナールと言ったのですから、イシューとわたくしに決まっていましてよ!」

 二人がぐぬぬ…と争うような視線をぶつけ合っていると、とん、と白い手が机に置かれた。

「皆さん、何をそんなに言い争ってらっしゃるの?」

「あ、クラリス」

 クラリスはナインズに優しく微笑むと続けた。

「お食事中にいけませんわ。どなたかのお耳を汚すような真似は慎まなくては。ねぇ、一郎太様、エルミナス様」

「そーだな。ロラン、そう怒んなよ。もうレオネの事、オレはローランって呼ばないからさ」

「ティエール様の言う通りだね。ロラン君もレオネも、せっかくのご飯なんだから」

 二人はぷいっと顔を背け合った。

 クラリスはその様子に、実に品よく苦笑した。人を不快にさせない苦笑だ。

「あらあら…。――ところで、キュータ様。御身は次の授業、確か体育でしたわね」

「あ、うん。どうして知ってるの?」

「うふふ。ロラン様のお兄様、デニス様は私と同じクラスですもの」

「そうだったんだね。意外と学校って狭いんだなぁ」

「そうですわね。私の席は窓際ですから、無礼かとは思いますが、皆様のお姿を上から拝見させていただきます。それでは、また何かの機会にご一緒できるのを楽しみにしておりますわ。」

 クラリスは花のように微笑むと、食べ終わった食器を持って返却口へ行った。

「……ティエール様って本当に素敵な方だね」

 エルがぽやぽやとクラリスを見送ると、レオネは少し頬を膨らませた。

「わ、わたくしだってお淑やかにできますもん」

「いや、クラリスはあー見えてこえーよ」

 一郎太が言うと、皆首を傾げた。

 特に疑問を持ったのはアナ=マリアだ。

「………どうして?聖書に載ってるラナー・ティエール様みたいに素敵なのに」

 一番の読書家は聖書の中に出てくるラナーとクラリスを重ねていた。

「いや、まぁ。怖そうだろ」

「………ちっとも。一郎太君、たまに変わってるね」

「…どーも」

 一行は食事を済ませると、食器を返却して一度教室に戻った。

 運動用の服を持って更衣室へ行くのだ。

 更衣室は一階の、ナインズ達の教室の真下だ。

「――あれ?」

 一郎太は自分のロッカーにしまったはずの運動用の服が見当たらず、教科書を退かしてみたりした。ちなみに運動靴もないが、蹄のあるミノタウロスに運動靴はそもそも不要だ。

「一太ー!行くよー!」

「あ、はぁーい。おっかしいなぁ」

 ナインズとエル、ロランが教室の入り口で待っている。

 一郎太は自分の席の周りを見たり、隣のロッカーを確認のために開けてみたりした。

 しかし、持ってきたはずの運動用の服はなかった。

「一太、どしたの?服は?」

 痺れを切らしたナインズがくると、一郎太は一瞬悩み――笑った。

「オレ、どっかに服忘れてきたみたいです」

「忘れて…?そんな事ないよ。朝ロッカーに入れてたの、僕見たもん」

 ナインズも一郎太のロッカーを覗き込み、左右隣のロッカーを開けたが一郎太の服はどこにもなかった。

「おかしいね。誰かが間違えて持って行っちゃったのかな…?」

「……とにかく、もう更衣室に行きましょう。教室には無いから」

 一郎太が手ぶらで廊下に出てくると、エルとロランは首を傾げた。

「あれ?一郎太、着替えはどうしたんだい?」

「んー、無くなった。ま、どっかからか出てくるだろうから良いよ。オレこのまま走れるし」

「えぇ?一郎太君、よく探したの?」

「探したー。ま、ここにいても仕方ないからさ、行こ行こ」

 一郎太は三人の背を押しながら、何となくこれは誰かが間違えて持って行ったとか、そんなことでは無いと思った。

 少し、階段を降りる足が重くなる。

(…オレは大賢王の子孫だぞ。こんな事でへこたれると思うなよ)

 一郎太はフンっと荒い鼻息を飛ばした。

 その気になれば、上着だけ脱いで走ることもできる。この体にはたくさんの赤毛が生えているのだから破廉恥ではないだろう。

 一階に降りて更衣室に辿り着き、エルとロランが先に入る。

 一郎太は先の二人がナインズより先に中に入ったのに、扉を開けて待たないなんて少し不敬だなと思ったが、口にはしなかった。

 ナインズが扉を押さえようとすると、すぐにそれを変わる。

「キュー様、どうぞ」

「ありがと〜」

 こうしていることは当たり前だが、ナインズはいつでもお礼を言ってくれる。

 一郎太も最後に更衣室に入ると――中には一郎太の訓練用の服が泥水を滴らせて窓辺に置かれていた。

「――これ、一太のだ」

 ナインズがそれを手に取ると、ナインズの手が泥に汚れた。

「キュー様、汚れちゃいますよ。すみません」

 一郎太がすぐにナインズから服を取ると、ナインズは先に着替えをしていた男子達を睥睨した。その手を一郎太は急いで拭いた。

「これ、誰がやったの」

 誰も分からないようで首を振ったり、近くにいる子に知っているか尋ねたりした。

 その中に、リュカを見つけるとナインズはもう一度同じことを尋ねた。

「リュカ、これは誰がやったの」

「ごめんキュータ、俺たちもさっき来たから分かんない。それ、一郎太のだったの?誰のだろうって皆話してたんだぜ」

「そうだったんだね…。僕の一郎太の服、汚された」

「先に校庭に出てる奴らが知ってるかもしれないから、とにかく着替えて聞きに行こうぜ」

「うん。――一太、ごめんね。僕が<清潔(クリーン)>一つ使えないせいで、綺麗にしてあげられない……」

 <清潔(クリーン)>と言えば第一位階の魔法で、ゼロ位階の生活魔法とは比べ物にならない難易度だ。

「良いよ。キュー様は何も悪く無いから。気にしないで。オレこれ洗ってくる」

「一太……本当にごめんね。僕がこんななせいで……」

「平気!オレは制服で走れるし、本当にキュー様は気にしないで!」

 一郎太が更衣室の外に行くと、ナインズは手を握りしめた。

「……… 自分や誰かを守るためなら……力を使っても良い……」

 そのフラミーの言葉はナインズの心をとても軽くした。不思議と身軽だった。

「キュータ、私も<清潔(クリーン)>を使えなくて…ごめん……」

「キュータ君、僕も…」

 エルとロランに言われると、ナインズはすぐに首を振った。

「ううん。僕に力がないのがいけないんだ。エル、ロラン、ありがとう」

 そう答えると、空いているロッカーに制服のローブとカーディガンを投げ入れ、大急ぎで着替えを始めた。

 靴を脱いで放り込み、ズボンなど畳む間も惜しんでロッカーに押し込む。

 運動用に持たされたズボンと長袖のシャツを大急ぎで着込んだ。

 ぎゅうつく靴に足を押し込み、魔法のかかっていない靴の履きにくさに少しだけ苛立った。

「――くっ。この」

 何とか押し込むと慌てて紐を結ぶ。

 紐の結び方は何度か練習したが難しい。普段はメイド達がやってくれているのだ。

 手こずっているとエルがそっと解いて結び直してくれた。

「焦らないで、キュータ」

「エル、ありがとう。でも、ごめん!僕先に行くね!」

「あ、キュータ!」

「僕たちも行くよ!キュータ君!」

 ナインズはロッカーを叩くように閉めると更衣室を飛び出した。

 美しい黒い髪が揺れる。

 廊下にある水道で一郎太が服を洗っているのが見えた。

 先に着替えを済ませたリュカがズボンを洗うのを手伝ってくれていた。

「一太!一太ー!」

「ナ、キュー様?もう着替えたの?はっえー!」

 一郎太はどこか呑気にそんなことを言った。

「一太、それ貸して!」

「え?それって、服ですか?」

「そう!」

 一郎太はナインズが触れても汚れないように、もう少しごしごしと服を洗った。

 リュカもズボンをよく絞るとナインズに渡した。

「ほい、干すの?」

「乾かす。でも、ここじゃ乾かせない」

 ナインズの返答に、リュカは廊下を見渡し、確かにここでは干せないかと思った。

「一太も早く貸して」

「は、はい。すみません」

 一郎太は適当なところで洗うのをやめると、ギュッと絞ってナインズに服を渡した。

「行ってくる!!一太は待ってて!!」

「え!ナイ様!?」

 ナインズは駆け出し、リュカはナイサマ?と首を傾げた。

「リュカ、行くぞ!キュー様を追う!!」

「え、あぁ。そうだな」

 ナインズと一郎太はぐんぐんスピードを上げ、リュカは顔を真っ赤にしながらそれに追いつこうと走った。

 その後を着替えを済ませたエルとロランも追った。

 ナインズが校舎を出ると、何も知らないオリビア達がナインズに手を振った。

「キュータくーん!」

 いつもなら手を振りかえすが、ナインズは木の枝を探すのに必死だ。キョロキョロと当たりを見渡した。

「あれ?キュータ君聞こえなかったのかな?」

「聞こえましたでしょ?キュータさんー!こちらでしてよー!」

 レオネも声を上げる。ナインズはチラリと二人を見ると、軽く手を挙げてくれた。

「ほら、聞こえてるじゃありませんの」

「……なんで私のこと無視したんだろ」

 オリビアはむくれた。

 イシューがよしよしとオリビアの頭を撫でる。

「ま、キュータも何か忙しそうだからさ。ね?」

「それはそうだけど…」

 ナインズは本当に忙しそうだ。着替えも済ませていない一郎太と、着替えを済ませた他の男子が追って出てくると、枝を一本見つけて喜んだ。

「…男の子って本当ああいうのが好きなんですわねぇ」

「ふふ、なんかキュータ君可愛い」

 ナインズは枝を持って土のある場所まで出て来ると、まだ濡れる一郎太の服をもう一度よく絞り、広げ直してパンパンっと数度水を切った。

「おや〜?一郎太の服がびしょ濡れじゃないか。それじゃあ授業は無理だね。ミノタウロスの国に帰った方がいいんじゃないかい!」

 その声はカインのものだ。ナインズはカインを一度睨みつけたが、無視して服を肩に乗せた。

「キュー様!濡れますよ!」

 追いついた一郎太がナインズから服を取り返すと、ナインズは木の枝をズンっと地面に突き刺した。

「キュータ、そんな棒一本じゃ服は干せないぜ」

 リュカが言うが、ナインズはスッと息を吸った。

「――水の流れよ。L(ラーグ)

 ナインズは持つ枝で地面に水のルーンを刻んだ。刻まれた文字は金色に光っていた。

「――太陽の力よ。S(シゲル)

 二文字目が書き込まれると、一郎太はナインズが何をしようとしているのか悟る。

「キ、キュー様!良いよ!本当にオレ大丈夫だから!」

 ナインズはいくつもの丸と光の軌跡のような線を書き込んだ。それはまるで水が蒸発していくときの一瞬を切り取ったかのよう。

「――分離させろ!!O(オシラ)!!」

 最後に三文字目が刻まれ、ナインズは三文字を一つの丸で囲んだ。

 一郎太の手から濡れた服を奪い、魔法陣の中に放る。

 ガツンと枝で魔法陣を叩くと、陣はドッと輝き――すぐに何ごともなかったかのように光は消えた。

「――へ?」

「何?」

「何やったの?」

 ざわめくクラスメイトが寄ってくる中、ナインズは地面に置かれた一郎太の服を取った。

「一太、お着替えしておいで」

 パン、パン、とはたくと、乾いた土が服から落ちた。

「……ナイ――」

「僕はキュータだよ。さ、行っておいで。僕はここで待ってるから」

「――は、はい!キュー様!!」

 一郎太は乾いた服を手に取ると更衣室へ向かって走っていった。

「すげぇー!今のなんて言う魔法?キュータも神との接続できたんだ!」

 リュカが言うと、エルが呟く。

「違う…。位階魔法じゃない……」

「へ?じゃあなんなんすか?エル様」

「キュータ、君は位階魔法は使えないんだよね」

 ナインズは手に持っていた枝を放り捨てると頷いた。

「うん。僕はまだ位階魔法は使えないんだ」

 ロランがナインズの足下を覗き込む。

「これ、何?初めて見た。教科書に載ってる?」

 ナインズはルーンの魔法陣をサッと足で消した。それは見られることを危惧するよりも、ナインズの手を離れた後にも効果を宿していたりすると事故が起こる為だ。

「載ってるよ。最後の方に少しだけね。ルーン魔術ってやつ」

「……ルーン。神の生み出した文字……」と、エルが呟く。

「え?ルーンってそう言うのなんすか?聖典とかすごい冒険者が持ってる武器についてるって聞いた事がある気がするんですけど」

 リュカがエルに尋ねる中、ナインズは三人に背を向けた。

 まっすぐカインとチェーザレの下へ歩いて行った。

 ザリッと靴が音を立てて止まる。

 ナインズは自分に言い聞かせる。喧嘩をしてもいい。言いたいことを言っていい。誰かを守るために使う力は悪くない。

「お前達が僕の一郎太にあんな真似をしたのか」

「証拠は?僕達、別にそんな真似しないけど?なぁ、チェーザレ」

「そうですよねぇ?カイン様はそんなに暇じゃないんだよ」

「……濡れていた一郎太の服を……一目で一郎太の物だと分かったお前達以外に!誰が一郎太の服を汚したと言うんだ!!」

 ナインズの怒号が響くと、治癒室から女の神官が飛び出して来た。もともと授業で子供が転んだ時に回復できるよう出てくるつもりだったので反応が非常に早かった。

 授業の準備をしていた担任のバイスも何事かと走って来る。

「す、スズキ君!シュルツ君!何を争っているんだ!」

 ナインズはこいつの名前はカイン・シュルツかとカインを睨んだ。

「バイス先生、カイン・シュルツ君は一郎太の運動服を泥まみれにしました」

「な!なんて不――」と、女神官が言いかけると、ナインズは手を挙げてそれを遮った。

「一郎太の物の管理不足は僕の管理不足でもあります。ですが、故意に自分の従者にそんな真似をされては困ります」

「シュルツ君、この話は本当かな」

 カインは数度何かを言おうとするとふん、と顔を背けた。そして、その先の光景に口角を上げる。

「嘘だよ。だって、見てよ先生」

 カインが示した先には着替えを済ませた一郎太がいた。

「――あれのどこが泥まみれなの?とんだ濡れ衣だね」

「シュルツ、お前……どこまで卑しい奴なんだ」

「卑しい?僕はバハルス州ランゲ市の市長の子だ。その昔鮮血帝と呼ばれていたエル=ニクス様に粛清されなかった貴族の子なんだよ。言っておくけど、僕の名前はカイン・シュルツなんかじゃない。カイン・フックス・デイル・シュルツだ。称号の名前も持たない市井(しせい)の子に卑しいなんて言われたくないね」

「では人の上に立つだけの志の高さを見せてみろ!お前のやっていることは下劣だ!!僕の一郎太の一体何が気に入らない!!」

 女神官が頷く。バイスはカインの言う通り、確かに汚れていない一郎太の服とカインの様子に困り果てているようだった。

「別に。気に入らないなんて言ってやしない。君達こそ、僕の何がそんなに気に入らないんだい。昨日も池にいるだけの僕達に一郎太は怒鳴りつけて来たよね」

 そうなのかと教師がナインズを見る。

「スズキ君、本当かな?」

「本当です。ただ、それは一郎太に代わってもう謝っただろう。僕は君みたいに自分のやった事を隠したりしない。嘘もつかない。それが身分を持つ者の責任だ」

 その言い分は、生粋の武人であるコキュートスと、ナザリックでも一位二位を争う頭脳を持つパンドラズ・アクターからの気高い教えがナインズの中で脈動するようだった。それから、一応恐怖公の教え。

「ふーん。謝るって、許されるまで謝ったことにはならないんだけど?朝も一郎太は僕に絡んで来たしね」

 女神官が手元のメモに何かを書き付ける。

 ナインズはギリリと拳を握った。

「……じゃあ、もう一度謝ったら一郎太への嫌がらせはやめてくれるの」

「さあね。嫌がらせなんてしたことないから分からないよ」

 そうしていると、着替えの済んだ一郎太とエル達が来た。

「バイス先生、神官様!」

「――エルミナス君、一郎太君」

 女神官は教師が上位森妖精(ハイエルフ)のハーフに軽く頭を下げた様子に片眉を上げた。そして、その銀色の髪と尖った短い耳に納得した。ハーフでも耳の長さは大して変わらない子もいるが、この子の耳の長さはほとんど人と同じで、ナインズの黒髪の中に隠されるものと酷似していた。

「バイス先生、カイン君は一郎太をミノタウロスだから人を食べるとか、野蛮だとか、差別的な事を言うんです。私は朝聞きました」

「エ、エル様…!」カインが締め付けられたような声をあげた。

「エル様の言う通り。俺も聞いたぜ。こいつ、ずっとミノタウロスのこと悪く言ってんだ、先生」

「リュカ!お前だってミノタウロスの事に関しては相槌を打ってたくせに!!」

「だーかーらー、聞いてやってただけで一つも賛成はしてないだろ」

「…っく!そもそもスズキと一郎太がエル様にまとわり付いているのが悪いんだ!皆エル様には色々聞きたいんだよ!!」

「聞けば良いよ。僕達は別にそれを邪魔しようなんて思ってない」

 そう言いながら、ナインズは一郎太にまだ少し付いている土を叩いて落としてやった。

「思ってなくても邪魔なんだよ!エル様に魔法教えてもらって使えるようになったお前達が、エル様のこと利用しようと思ってるのなんて分かってんだ!!」

「僕は確かに昨日エルに魔法を教えてもらった。でも、それはエルを利用しようなんて魂胆じゃない。僕達は――友達なんだよ。だから助けを求めたんだ」

 エルは嬉しそうに頷いた。

「キュータのおかげで、私は本当に学校が楽しいよ。いつでも何でも聞いて欲しい」

「ありがとう、エル」

 バイスは子供達のやりとりを見て安堵にも似たため息を吐いた。

「ふぅ…。シュルツ君、エルミナス君とお話をしたかったら、まずはお友達にならないといけないね。じゃあ、皆仲直りできるかな」

 ナインズは即座に首を左右に振った。

「シュルツが罪を認めないと、それはできない」

「スズキ君…そう言わずに…。一郎太君の服は確かに少し砂が付いてるところもあるけど、そんなに汚れていないんだから。それに、やってないって言ってる人を罪人みたいに決めつけちゃいけない」

「バイス先生。これはひどく泥まみれだったのを洗って乾かしたんです。先生が僕を信じてくれないのは、僕がキュータ・スズキだからですか」

 ナインズがまっすぐバイスを見つめると、バイスは首を振った。女神官もバイスをじっと見ていた。

「違うよ、スズキ君。先生は君に意地悪したいから言ってるんじゃない。先生は皆が大好きなんだよ?だからね、絶対にそうだと思ったとしても、事実何か悪い事をしたところを見ていないなら、罪人だなんて決めつけちゃあいけないんだ」

 納得いかなかった。

 絶対に犯人はこいつなのに。

「……僕は僕の下にいる者を護らなくちゃなりません。一郎太の事は僕が一郎太の父と僕の父から任されているんです。このままで済ませることはできません」

 バイスは困ったなぁ…と頭をかいた。やったやってないの水掛け論に加え、証拠はなし。汚れもなし。打つ手なしだ。

 一方、ここまでじっと話を聞いていた一郎太は少し照れ臭そうに笑った。

「キュー様、良いよ。ありがとう。オレはそう言って貰えただけで十分」

「――ほら、一郎太君もこう言ってるんだから」

 バイスがここぞとばかりに一郎太の言葉に乗る。

 ナインズは悔しそうに一度目を瞑った。

 あんな奴本気を出せば殺せる。圧倒的優位な絶対者は――ナインズだ。

 ナインズは葛藤した。

 本当に嫌だと思ったら殺せる。いつだって殺せる。

 だが――

「一太……解決できない僕を許してね」

 刃物を持たされ、いつでも治療できる、医療費はいくらでも出すと親に言われて、本当に人を刺せる子供はいない。

 だが、何かがあったときに、両親は絶対に自分の味方だと知っていると言うのは、子供にとってこれ以上ないほど重要な事だ。

 一郎太は破顔した。

「当たり前ですよ!オレはキュー様のために生まれてきたんだから!!」

「ありがとう。一太は僕の大切な兄弟だよ」

「へへ、帰ったら二の丸に自慢してやろっと」

 二人が抱き合い、背を叩き合うと女神官はぐすん、と涙した。

「――さぁ、じゃあシュルツ君も謝って」

「なんでですか。やってないのに」

「泥まみれにした云々はやってないかもしれないけど、一郎太君を悪く言ったことは確かなんだろう。謝りなさい」

 カインは実に忌々しげな顔をすると「ごめん」と一言言った。

「……わかったよ。許してやるよ」

 一郎太が言い、バイスはナインズにも何か答えを求めるように視線を送った。

「僕は許さない。二度とするな。次はないと思え」

「スズキ君!またそう言う事を言って!」

 ナインズはこの先生は嫌な奴だと思った。

「スズキ君も疑った事謝って」

「……ごめんなさい。だけど、僕が<魅了(チャーム)>か<支配(ドミネート)>を使えるようになったら、君にそれをかけて今日の日のことを問いただす。それだけは覚えておいて」

 バイスはほとほと困り果てたとばかりにパチン、と自分の額を叩いた。

「使えるようになんかなるか。第四位階だぞ」

「なるさ。僕を見くびるな」

 二人はバチバチと視線を交わすとフンっと顔を背けあった。

「……はぁ。今日の事を知ってる子がいたり、自分がやったと言う子がいたら後で先生のところに来る様に。じゃあ授業始めるぞー。神官様、ご心配をおかけしました」

「いいえ。ですが、どの子にも平等に願いますよ」

「当然です」

 女神官はメモをローブのポケットにしまうとその場で皆を――ナインズを見守った。

 ナインズとカインの間の雰囲気は最悪だ。遠巻きに眺めていた生徒達が続々とバイスの周りに集まりだす。

 バイスは一度「おほん」と咳払いをした。

「今日は足の速さを計ります。誰かと競うためではなく、定期的にタイムを計って、体がちゃんと成長しているのか確かめるのが目的です。それから、生まれ持った異能(タレント)の発現を確認すると言う、他の授業にも共通する課題もあります。じゃあ、まずは準備体操からしよう。先生の真似をして!」

 バイスが飛び跳ね始めると、一郎太はエルとロランに告げる。

「な!準備体操って、大賢王が言い始めたんだぜ!」

「へぇ!医学、だっけ?医学が発達してるだけあるね!」

 エルが言うと、近くから不愉快な声が聞こえた。

「何が大賢王だよ。口だけの賢者が」

 ナインズはすぐにそちらへ喧嘩腰な視線を送った。当然その視線の先にいるのはカインだ。

 飛ぶたびにピアスと髪が揺れる。

「――あれ?キュータ君って、耳が……?」

 そうロランが飛びながらナインズを覗き込む。ナインズは頷いた。

「あ、うん。エルとお揃いだよ」

「え?」

 エルも飛ぶナインズを見ると、その耳はチョンと尖っていた。ジャンプする度に髪の毛が揺れ、微かに尖った耳が見え隠れしている。

「……キュータ、君ってもしかして――」

「そこー!お喋りしないでちゃんと先生のやり方見てー!」

 四人は慌ててバイスを見た。

 一通り準備体操を済ませると、バイスは喧嘩騒ぎの前につけておいた線の上に移動した。

「では、ここからあっちの線まで一人づつ走ってもらいます。先生が向こうで旗を下ろしたらスタートだからね。誰から走るかな?」

「はーい!はいはい!オレ走る!」

 一郎太が目一杯手を挙げると、バイスは嬉しそうに頷いた。

「よし、一郎太がトップバッターだ!じゃあ、そっちからね」

「はーい!へへ、最速タイムで走ってやる!」

「一太、頑張ってね」

 ナインズと一郎太は拳をコツン、とぶつけ合った。

 バイスが指さした線の前につくと、一郎太は両手を地面につけ、蹄で数度土を掘った。蹴り込む足が引っ掛かるところを作ったのだ。そして、腰を低くしてフッ――と息を吐いた。

「おー、ミノタウロスはそう言うスタートなのか。面白いな!よし、用意!!」

 グッと腰を上げ「――っドン!!」

 一郎太は先生が旗を下ろすと同時に駆け出した。

「<能力向上>!!」

 吐き捨てた途端、ただでさえ速い一郎太の足は一気にスピードを上げた。

 あっという間にゴールすると、先生は自分の懐中時計と、タイム測定用の一秒を四分割して表示してくれる一秒時計を手に慌ててタイムを確認した。ちなみにどちらもマジックアイテムだ。

「さ、三秒半……」

「いえーい!」

 やったやったと喜ぶ一郎太が、スゲー!と声を上げる子供達の輪の中に戻ろうとすると、その首根っこはむんずと掴まれた。

「すごいけども!一郎太、武技を使ったらダメに決まってるでしょうが!」

「え、えぇ?なんで?自分の出せる一番速い方法で走るんじゃないの?」

「武技や魔法使ったら、お前が他のミノタウロスに比べて遅いか速いか分からないだろ。これは自分の体の成長がきちんと行われているのか確認する作業でもあるんだから。いいね!」

「ちぇ。分かりましたー。もっかい走るかぁ」

「ほら、早く向こうに戻って」

 見ていた生徒達がおかしそうに笑い声を上げた。

「ははは!一太、頑張れー!」

 一郎太は笑うナインズにピースサインを送り、再び位置に着いた。

「じゃあ、もう一回。用意……――ドンっ!!」

 思い切り地を蹴り駆け出す。走ると蹄に伝わって来る感触が気分を盛り上げる。

 一郎太は大歓声の中走り切った。あっという間だった。

「――四秒半!一郎太君、すごいぞ!武技なんか使わなくてもミノタウロスの平均よりよっぽど速いじゃないか!」

 先生はバインダーを手に一郎太のタイムを書き込んだ。ちなみに、授業が始まる前に種族ごとの平均タイムはきちんと一覧表に取りまとめてきている。

「やりー!」

「うーん、本当にすごいタイムだなぁ!じゃあ、そっちで座って待っててね。――次!誰が走る!」

「「はい!」」

 二人の声が重なる。

 ナインズとチェーザレのものだった。

「…先に走っていいよ」

 ナインズは走者を譲ってやると、チェーザレを観察した。

 外の人間は弱いと言われているし、クラリスやサラトニクは弱くてか弱いから大切にそっと優しくしてあげなければならない。

 同じ歳の男の子とはどれ程のものだろうか。

 チェーザレが位置につく。

「クライン君からだね。ちなみに、先に言っておくけど皆の歳の人間は十一秒半が平均だからね。さ、位置に着いて。――用意!………――ドンっ!」

 旗が下がるとチェーザレは駆け出した。

「チェーザレ!いけ!一郎太なんかに負けたら承知しないぞ!!」

 カインが何か馬鹿げた事を言っている。

 チェーザレの動きは、一郎太に比べてずっと遅かったが、足には自信があるらしい。

「――チェーザレ・クライン君、十と四分の一秒!」

 それを聞くと、レオネが呟く。

「遅いですわね?それともまあまあ?」

 ナインズも遅いと言いたかったが、レオネに振り返った。

「平均は十一秒だって言うんだから、チェーザレもよく走ったよ」

「それもそうですわね。でも、キュータさんはあの子とカインさんは嫌いなんだと思っていましたわ」

「好きじゃないし許さないけど、よく走ったのは本当だから」

 オリビアがナインズの頭を撫でる。

「キュータ君、次走るんだよね。がんばってね」

「ありがと、オリビア!」

 次の子ーと先生が呼び、ナインズは位置に着いた。体は準備運動をして十分に温まっている。一郎太の使った穴に足を当て、両手を地面につく。

「用意!」と同時に尻を上げ「――ドンっ!!」で駆け出した。

 魔法のかかっていない靴ではあまり走った事はないが、ナインズは早かった。

 平均より早かったチェーザレと比べても抜群に早い。生徒達が感嘆を漏らす。

 タイムは――「ろ、六秒半!?今まで一年生は一番速くて八秒台だったのに……」

 クラスの皆が歓声をあげてくれる。ナインズはごしりと額の汗を拭った。

「はは、よ、良かったぁ」

「キュー様!速かったぜぇ!」

 一郎太の隣に座るとナインズは笑った。

「ふふ。ありがと。一太には敵わなかったけどね」

「一桁だからお揃いお揃い」

 軽く息を整えていると、カインが「先生ー」と声を上げた。

「スズキは魔法の装備を着けてるから速いんだと思いまーす」

 ナインズの耳にはフラミーの耳飾りの下位互換、模倣品のピアスが輝く。

 防御力アップ、魔法の会心(クリティカル)率アップ、回復魔法の効果アップ、魔力回復速度アップ、水属性への耐性アップ、特殊技術(スキル)強化――などなど。

 この世界ではあり得ない程の能力がある一品だが、速度上昇はない。

「これに足を速くする効果はないよ」

「分かんないだろ。本当にそうなら、魔法の装備は外して走れよ!」

 ナインズは無言でピアスを外して一郎太に渡した。それのあまりの美しさに、近くにいたチェーザレが一郎太の手の中を覗き込んだ。

「もう一回走る」

 また位置に戻ろうとすると、ヤジが飛ぶ。

「――その腕輪だって魔法の装備なんだろ!」

 ナインズは封印の腕輪に視線を落とした。

「これは外せない」

「外せよ!ズル!!」

「外せないんだ。だけど、これにそう言う力はないはずだよ」

「ないのに何で外せないんだよ!嘘つき!あ、お前は僕たちを悪者扱いする嘘もついたもんな!!」

 バイスが「やめなさい!!」と大声を張る。

「シュルツ君!さっき先生がスズキ君に言ったことを聞いてなかったのか!事実確認ができていない事で人を責めちゃいけません!!」

 ナインズはこの教師は悪い人ではない気がした。ナインズがキュータだからさっきは意地悪されたのかと思ったが、この人の言い分は誰に対しても本当に同じなのかもしれない。

 なのに、特別扱いされない事に腹を立ててしまった。

 ナインズは少し自分を恥じた。

「事実かどうかわかるように外して走れば良いじゃん!」

「ちょっと!カイン君、意地悪よ!キュータ君は嘘なんてつかないのに!」

「………疑わしきは罰せず」

 オリビアとアナ=マリアが横から口を出し、そうだそうだとエル達も言ってくれる。

 ナインズはカインの方へ向かった。

「――あ!スズキ君!良いから、君のタイムはさっきのにするから!!」

 先生が何かを言っているが、そう言う問題ではない。

 ナインズはカインを見下ろすと、小さな声で呟いた。

「ごめん」

「――は?」

「ごめん。さっき君のこと疑って、ごめん。疑われるってこんなに気分が悪いんだね」

「は、はは。何だお前。僕に今更取り入ろうとしたって、その腕輪で早く走った事は許さないぞ」

「この腕輪は本当に関係がないんだよ。でも、僕も君をまだ疑ってるから、君が僕を信じてくれなくても良いよ」

 ナインズは言うべきことは言ったと走り終わった子供の集まる、走るレーンの反対側へ戻って行った。一度外したピアスを一郎太から返してもらい、耳に戻す。

 そこで、女神官がわざとらしく咳払いをした。

「んっんん。私が魔法で腕輪の効果を見ましょう。それで良いですね」

 生徒達はそれが良いと声を上げる。

 女神官はナインズの前で膝をつき、初めて触れる玉体を前に手が少し震えた。

「し、失礼いたします。<道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)>」

 元から神官はこの腕輪の効果を知っている。

 この世には魔法は全部で三つ。

 一つ目は神がもたらした位階魔法。広く全ての生き物が魔法を扱えるようにした圧倒的恵み。

 二つ目は神の文字、ルーン魔術。限りなく魔力消費が少ない魔法。これまではエンチャント専用だと思われていた。

 最後に――、始原の魔法と呼ばれる魂の魔法。絶大な力を持つそれは、世界最強とも謳われる竜王達だけが使う事を許されていると言う。普通の生き物には決して許されない頂。

 ナインズのこの抑制の腕輪は、ナインズの持つ大きすぎる力を抑えるためにあると大神殿より聞かされている。決してナインズから外させてはいけない。

「――はい。ありがとうございました。こちらは足の速さを上げるような物ではありません」

 女神官の通達に、皆がほらぁー!とカインに言った。バイスも頷く。

「神官さん…ありがとう…」

 ナインズが言うと、女神官は光栄さに胸がいっぱいになり、小声で告げた。

「当然のことでございます。ご安心ください。我々はいつでも御身の味方でございます」

 女神官がナインズのそばを離れると、バイスが手を叩いた。

「さ!じゃあ、次は誰が走るのかな!」

「「「「はーい!」」」」

 続々と子供達が走っていく。

 エルは割と背が高いので、走るのが苦手な割には早かった。

 ロランはエルと同じくらいの背丈だが、平均より少し遅かった。

 リュカは全身で走り、ナインズの次に速かった。八秒台だ。

 オオサンショウウオのキングは一番遅かったが、彼なりに納得のいく結果だったのか嬉しそうに尻尾を振った。

 イタチのチョッキーはちょこちょことものすごい勢いで走った。ナインズよりも早く、一郎太には少し届かなかった。

 レオネは平均より少し遅かった。二つ結びの髪がたくさん跳ねていた。

 イシューは女の子の中で一番速かった。身軽な体は鹿のようだった。

 アナ=マリアは意外にもぴったり平均速度。

 オリビアは長いまっすぐな髪を一つにくくってから走った。平均より少し速かった。

 切り揃えられたオリビアの前髪が汗でぺたりと額に張り付く。

「オリビア、速かったね」

「あ、き、キュータ君。はぁ、ふぅ。ありがとう!」オリビアは急いで額の汗を袖で拭った。「恥ずかしいな。なんだか」

 前髪を整え直していると、ナインズはそこを撫でた。

「あ、き、汚いよ…」

「汚くないよ。オリビアはいつでも綺麗だもん。頑張ったね」

「……ふへ」

 オリビアは顔を赤くして少しおかしな笑い声を漏らした。

 ナインズは帰ったらアルメリアの足の速さを計ろうと思った。

 どんどん子供達が走っていく中、最後に残ったのはカインだった。どこかもじもじしている。

「じゃあ、シュルツ君も位置に着いて!」

 カインは線の前に立つと、一度ナインズを睨み付けてから正面を見た。

「用意!――ドン!!」

 カインは必死に走った。ゴールがいつまで経っても近付かない。

(く、くそー!!)

 彼は運動が得意ではない――と思っている。ごくごく平均的な男の子だった。

 だが、両親は厳しく、平均的なカインを許してくれるような人たちではなかった。

 バハルス州の幼児塾に通っていた時、母は「絶対に市長になれ」と言ったが父は「お前は市長じゃないものになる道もある」と言っていた。父の言葉はまるでカインでは市長が務まらないと言う見放しのように聞こえた。市長は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)様や弟に任せることもできるとも言っていた。辛かった。不出来なせいで何者にもなれないかもしれないと思うと、恐ろしかった。

 母はいつもなんでもトップを取れとカインに言う。そうしなければ本当に父の言うように市長になれない事になると何度言われたかわからない。

 父にどうしたら市長になれるか聞いた時、父の子供の頃の話をしてくれた。特に、子供の頃に影響を受けたエル=ニクスの話を。

 父はエル=ニクスより数個年上だが、子供の頃にカインの祖父に連れられて舞踏会に行くたびにエル=ニクスの素晴らしさを感じていたらしい。年下ながら、たくさんのことをエル=ニクスに習い、いくつも成長させてもらったと言っていた。

 エル=ニクス様はこんなにお小さい頃からいつか自分が皇帝となり民を束ねていくと言う覚悟をお持ちだった。人の上に立つと言うことの真の意味を理解しているお方だった、それを何度も教えられたと、そう言っていた。

 ――そして、神都第一小学校に神の子、ナインズ・ウール・ゴウンが通うと言う噂を母が聞き付けた。

 親の側を離れ、人を束ねる人を見て学んではどうかと勧めてくれ、父も快諾してくれた。

 何でも平均的なカインでも、殿下のお側で過ごせたら何かが変わるかもしれないと、カインは胸を躍らせた。

 そして入学式の日、エルを見た時感嘆した。

 聞きしに勝る美しい銀色の髪と、端麗な容姿。誰にでも優しく、低い物腰と大人びた言葉。

 この人がそうなのかもしれないと思った。カインを成長させてくれる運命の人。

 その想像は、魔法を容易く扱う姿や、美術の時間にあのティエール家の令嬢に話しかけられた事、入学式の挨拶の時最神官長が何度もエルの方を見ていた事から確信へと変化していった。

(僕だって……僕だって……!!)

 あんな邪魔な二人がいなければ、エルと仲良くなれたのに。

 悔しかった。悔しくてたまらなかった。

 二人が帰ったらエルに話しかけようと思って池で遠巻きに見ていたら、ミノタウロスに怒鳴られた。

 ミノタウロスなんか大嫌いだ。神の国に入ることを許されない野蛮人だ。

 駆け抜けたカインは、その場で膝を付き、吐きそうなほどに何度も呼吸をした。

「はぁ!はぁ!!はぁ!!」

 四秒は無理かもしれない。だが、六秒は――いや、七秒は出たんじゃないか。

 期待と希望を込めてバイスを見上げた。

「シュルツ君、十と四分の三秒!」

 その答えはカインには残酷だった。

 人間種で一番速かったキュータを皆が褒めそやしている。男子はどうやったらそんなに早くなるのとか、女子はキュータ君素敵だったとか。中には魔法も使えるようなのに足も速いなんて憧れるとか。

 足が速いくらいでなんだ。

 一郎太の服を乾かした魔法も、本当にキュータが使ったかなんてわからないじゃないか。

 僕だって、一生懸命走ったのに。

 そんな感情はカインの目元を熱くした。

「――シュルツ、よく走ったね」

 ふと、そんな声にカインは自らに影を落とした者を見上げた。

「……な、なんだよ…。笑いに来たのかよ」

「ううん。一太を悪く言う君のことは嫌いだけど、頑張って走ってたから」

「……そうかよ」

 カインの下へチェーザレが駆けてくると、キュータはその側を離れた。

「カイン様、あいつなんか言ったんですか?」

「……別に」そう答えながら、何となく言葉が口をついた。「――チェーザレ、お前よく走ったね。頑張って走ってたよ」

「は、はは。そうですか?」

 

 カインの心は何故だか少し軽くなった。




カイン君、毒親持ち臭がしる…
死なないで良かったね…
ちょっかい出したのが一郎太だったのは命拾いだ…

次回Lesson#7 封印と抑制
相変わらず明後日21日ですぜ!


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Lesson#7 封印と抑制

「はーい、皆杖出してー」

 何度目かの魔法の授業。

 未だ神との接続を新たに果たした子供は一人もいない。

 だが、子供たちのやる気は減ることなく、むしろ増える勢いだ。

 皆が何としても魔法を覚えたいと意気込み、今日も短杖(ワンド)を取り出した。

「今日はいつもと少し違う角度から魔法の勉強をしようと思います!」

 バイスはそう言うと、黒板に手のひらサイズの長方形を書いた。

 カツカツと音を立て、隣に「製紙」と書き込む。

「はい!今日は製紙!読んで字のごとく、紙を製作するゼロ位階の魔法です!」

 皆板書されたものをノートに取った。

「これは高度な魔法なので、生活魔法ではないと言われることもありますが、先生は生活魔法だと思っています。諸説ありますが、生活魔法と魔法を分ける明確な差は無く、人々が何のために使っているのかと言うことが重要ではないでしょうか。さて、今日の魔法はいつも練習する<温加(アドウォームス)>よりも消費魔力は多いです!ゼロから物を作り出すわけですからね。なので、魔力が少ない子にはそもそもかなり難易度が高い魔法ですが――温度よりも形のある物の方がイメージは掴みやすいですよね?」

 子供達は頷いた。

「なので、潜在魔力さえあれば、と言う但し書きが付きますが、この製紙の魔法はとっかかりを得やすいのです!」

 説明しながら板書をしていたが、ここでチョークを黒板の縁に置く。数度手を叩いてチョークの粉を落とした。

「では、早速先生が見せるんだけど、その前に皆この黒板に書かれてるくらいの大きさの四角をノートに書いて下さい。あまり大きすぎない様にねー。イメージとしてはメモ帳くらいの大きさだからね」

 皆定規を取り出し、真四角や長方形を各々ノートに書き込んだ。

「書けたかな?では、その四角の大きさの紙を作ることを意識します。慣れるまではこれをしないと、作った紙の大きさがバラバラだったり、縁が汚らしく欠けたり、厚みもまだらになってしまう事があるからね」

 バイスは最初に黒板に書き込んだ四角を杖の先で数度撫で、「この大きさだぞー」と呟いてから詠唱した。

「――<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 呪文と共に黒板の四角の上に紙が生まれ――ひらひらと落ちていった。

 バイスが拾い上げて見せてくれると、紙の形は黒板のフリーハンドで描かれていた少し歪んだ四角そのものだった。

「と、こう言う感じです。第一位階のものならもっと薄く、より白いものが作れます。製紙工場で作る物と同じくらいのクオリティのものなので、皆の教科書に使われている紙が作れると思うと分かりやすいですね。第二位階であれば、非常に薄く、真っ白な紙を生み出せます。高級でとても柔らかいから、貴族の紙なんて呼び名もついてるんですよー。これを覚えられると、聖書を編む仕事に携われる確率が上がりますね!」

 そこで一度話を終えると、バイスは目の前に座っている山小人(ドワーフ)のグンゼ・カーマイドに今生み出した紙を渡した。

「じゃあ、グンゼから回すから、皆しっかり触ってよく確認して、その紙を生むんだってイメージしてねー。後何枚か送るから、喧嘩するなよー」

 バイスはせっせと紙を生み出しては前に座っている子達に渡していった。

 ナインズは早く触ってみたいと、教室を回る紙へ熱い視線を送っていた。

「ね、キュータ君」

「――どしたの?オリビア」

「私、今日の今のお話全部知ってたよ!」

 オリビアは少し得意げだ。ナインズはアルメリアにしてやるのと同じように小さく拍手をした。

「すごいなぁ。オリビアは賢いね。僕は知らない事ばっかりだったよ。そう言えばオリビアは紙をたくさん見てきたから、この魔法は使えるかもよ!」

「あ、そっか」書店の娘のオリビアは今初めて気付いたとでも言う様な顔をした。「私、頑張るね!」

「うん、僕も頑張るよ!」

 前に座っているキングは紙を受け取ると、日に透かしてみたり、匂いを嗅いだり色々試してからチョッキーに紙を渡した。

 チョッキーも小さな手で素早く紙全体を触り、切れ目を見たりしてからキングに返した。

 手が短いのでキングから後ろに渡してもらった方が楽なのだ。

 キングはよいこらせと体の向きを変え、オリビアに差し出した。

「フィツカラ〜ルドさ〜ん。どうぞぉ〜」

 オリビアはそれを笑って受け取った。自然な笑顔だ。

「――キング君、ありがと」

 オリビアはキング嫌いを克服しようと、最近は積極的に話している。話してみれば、のんびり屋の彼の好感度は上がって行った。

 さて、ようやく回ってきた紙はゴワゴワしていて分厚く、若干黄ばんでいる。

 ナインズはこんな紙は初めて見た。表裏をよく確認して、触り心地をきちんと覚える。おそらく、綺麗な紙をイメージしてはゼロ位階のこの魔法はうまく使えない。

「……よし。この紙を作るんだ。この紙だ。この紙だ」

 ナインズは唱えながらオリビアとよく紙を触った。

「ふふ、キュータ君張り切ってるね。私は普段見てるからもう平気!」

「じゃあ後ろに回すね」

 ナインズが紙を送って杖を握ると、オリビアは試してみようとしていた手を止めた。

 ナインズのノートを覗き込むと、丁度良い大きさの四角が書き込まれている。

 それから、ナインズのノートにはページを縦に左右に分ける線が入っていて、左側にはオリビアの見たことのない文字が書き込まれている。右側には共通公用文字だ。

 オリビアはいつもその文字はどこの物なのだろうと思っていたが、聞きはしなかった。

 初日に砂漠の出身かと問うた時、彼は否定だけをしてどこの出身なのかは言わなかったのだ。

 おそらく知られたくない、何か少し問題のある地域なのだろう。これは偏見かもしれないが、ミノタウロスと共に育ってきたような育ちの土地柄なのだから、知られたくないと思うことは仕方のないことだ。

 もちろん、オリビアは一郎太を野蛮だとか、恐ろしいとかは思ったことはない。一番最初は少し驚いたが、むしろ大好きな友達のうちの一人だ。

 これはどの生徒も思っていることだ。

 知性のある者を口にすることを禁忌とする神の教えを守れないミノタウロス達は、種族的には可哀想な存在と言っても良い。

 神から最も遠い生き物だ。

 ――だから、誰もナインズのことを神の子だと一ミリも思わないのだろう。

 

「――<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 

 ナインズが唱える。しかし何も起こらなかった。

「え?」

 いや、起こらなくなかった。製紙とは無関係なことが起こったのだ。

 ナインズの腕輪が一瞬わずかに光りをこぼし、光はすぐに消えた。

「キュータ君、何か光ったよ?」

「なんで…?」

 自らの腕に着く白金(プラチナ)の腕輪は何事もなかったような顔をしている。

 ナインズは腕輪を数度叩いたが、腕輪には何の反応もない。

「今の何だったの?」

 問われてもわからない。

 物心ついた時から、寝る時も食事の時も風呂に入る時も常に着けて来たこの腕輪が光ったことなど、ただの一度もないのだから。

「さぁ…」

 二人でじっと腕輪を見ていると、皆の席を渡り歩いて様子を見ていたバイスが来た。

「ほら、キュータ、オリビア。やってみて。去年は一年生で五人も神との接続を果たしたんだから、諦めないで」

「バイス先生、違うの。キュータ君の腕輪が光ったから」

「ここは窓際だから光を反射したんじゃないか?さぁ、二人とも杖を持って」

 二人はそう言うこともあるかと杖を握った。

「さ、唱えてごらん」

「「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」」

 詠唱と共に、再びナインズの腕輪はわずかな光を漏らした。

「ほら!また!光ったでしょ!」

「おや?確かに光ったね。キュータ、それはどう言う効果がついた腕輪なんだ?」

 ナインズは首を振った。

「知らないんです。でも、お父さま達はこれを封印の腕輪か抑制の腕輪って呼んでて――あ、足を速くしたりとかはないですよ」

「それは分かってるよ。しかし、封印の腕輪とはまた随分物騒な雰囲気の名前の腕輪だなぁ。うーん。でも、抑制とか封印とかって言うくらいなんだから、それがキュータの魔法の何かを邪魔してるんじゃないのか?」

「封印の腕輪が……僕の邪魔を……?」

「どれ、外してみなさい。魔力に反応していたとすると、うまくいくかもしれないよ」

 バイスが手を伸ばしてくると、ナインズはパッと手を背の後ろに隠した。

「だ、だめだよ!これは外しちゃいけないんです!」

「大丈夫だから。せっかく神との接続が叶いそうなのにもったいないだろう」

「だめです!僕はこれを自分で外したことなんか一回もないんだから!」

「……一回も?」

 訝しむ様な目だ。それはナインズをおかしな子供だと思ったのではなく、キュータの親が一体何を目的にキュータに物騒な雰囲気のマジックアイテムを着けさせ、これ程までに強く拒否するくらい外してはいけないと教え込んで来たのかと言うこと。

 バイスは何かきな臭さを感じた。

 高級そうな耳飾り、物騒な腕輪。

 封印や抑制が、キュータの成長を妨げる力を持つとしたら、これは――ある種の虐待と呼んでも良いかもしれない。

「キュータ、お前はお父さんやお母さんに、何か怖い思いをさせられたことはないか?」

「え?ないです」

 慎重に見極めなければいけない。

 バイスは本当に子供達を愛している。この国の未来を支える子供達を大切に思っている。

 もし、キュータ・スズキが親に何か酷い扱いを受けている様なことがあれば絶対に食い止めなければいけないだろう。そう思ったのだ。

 彼の健やかな成長を縛り付ける様な真似は断じて許されない。

 バイスはもう一度まっすぐナインズを見つめた。

「キュータ、その腕輪は一度外してみよう。な?」

「だめです……」

「頼む。先生はお前が心配なだけなんだ。十秒でいい。いや、五秒。五秒でいいよ」

「えぇ……ぼく……ぼく……」

「キュータ君、外してみたら?とったら魔法使えるかもしれないって先生も言ってるし」

「オリビア…。でも、僕は本当にこれを外しちゃいけないってお父さま達に言われてるんだ……。取るとすごく危ないから、僕のためにも皆のためにも着けてなきゃいけないって……」

 あなたのため、皆のため。その言葉は子供を縛る最も簡単な言葉だろう。

「危ないって、何が危ないんだ?」

「わかんないけど…皆言ってる。メイドの皆もこれを磨く時には僕の腕にはめたまま磨くの」

「……ふーむ。キュータ、これを外して何か怖いことが起きても、先生なら止められそうだとは思わないか?」

「……ごめんなさい。思えない」

 以前あったカインとのいざこざでキュータの言い分を信じなかった事から信頼されていないのかもしれないと、バイスは思った。

 バイスは犯人探しをするつもりはなかった。あの場に本当に犯人がいれば、あれ程怒っていたキュータの姿を見て反省し、自分のやった事の間違いに気付いたはずだ。

 あれはキュータが乾かしたと言っていたし、後から他の生徒に聞いたところ、確かに服は泥まみれだったそうだ。

 ただ、不思議なのは魔法を使って服を乾かしたそうだと言うのに、彼は位階魔法を使うことはできない。それに、乾かしたりする魔法は第一位階からだ。

 あまり生徒達を疑ってはいけないと思い、バイスはその後深くあの時のことを調べたり追求したりはしなかった。

 

「先生はこう見えて、凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)なんだよ。そのくらいじゃなきゃ、神都第一小の担任は任せてもらえない。先生は謂わば、神々に認められて選ばれたエリートだよ」

 と言いながら、バイスは恥ずかしくなった。

 

 バイスは神都に魔導学院ができて直ぐに入学し、フールーダ・パラダインを始めとした名だたる魔法詠唱者(マジックキャスター)の下で三年学んだ。

 卒業後三年は魔術師組合にいたが、当時お世話になった恩師に声をかけて貰い、教師として働き始めた。最初は副担任として六年生を受け持ち、去年は二年生の担任になり、今年は一年生の担任だ。

 若くして第三位階まで操るバイスは魔法への高い適正を買われて早くクラスを持つことができた。

 彼はエリートといえばエリートだが、世の中にはもっとすごい人々がいるだろう。

 そんな人々を多く間近で見てきたバイスは自分の言葉に赤面せずにはいられない。

 

 特に――こうして、目の色を変えて見つめられると辛い。

 

「神々にって、アインズ・ウール・ゴウンに認められたの?」

 キュータは途端にバイスを信用したような雰囲気だった。

「……まぁ、ね」

 今回一年生を持つ教師は公平性を保てる、真実の信仰を持つ者にしか任せられないと言われ、全教師がたくさんの試験を受けさせられた。性格診断のようなものまであった。一年生は全部で五クラスあるが、担任の五人全てが試験でトップの成績を収めた教師達だ。

 謂わば神々に認められたと言っても過言ではない――ような気がしないでもない。

 校長すら誰がナインズ・ウール・ゴウンか分からない中で入学者が決まり、クラス分けをするのだから一年の担任は誰も気を抜けないはずだった。

 だが、先日教師仲間で飲み会に行ったところ、バイスとアルガンと言う教師を除いて皆どことなく解放されたような身軽さを帯びていた。

 口々に言っていたのは、「バイス先生は大変ですね」「アルガン先生も大変ですね」だ。

 エルミナス・シャルパンティエと言う上位森妖精(ハイエルフ)――と称している少年は、それを隠れ蓑にしている殿下に見えて仕方がない。彼は上位森妖精(ハイエルフ)の話を全くしないのだ。

 後は、D組にいるラファエロ・ダル・セルビーニと言う少年だ。バイスは会ったことはないが、従者を三人も連れて学校に通っているらしい。非常に薄い金色の髪をしていて、緑と黄色の間のような色の瞳をしているらしい。生まれは神都だが暫く他所に住んでいて、今年帰ってきたと言っているとか。ちなみに、彼も魔法を使えるらしい。

 魔法を使える子は後一人いるが、女の子だし今は学校に来ていないのでこの二人が怪しかった。神の子が魔法を使えないなんてことはないはずだから。

 

 バイスは照れ臭そうに頬をかきながら、一つのことに気付いた。

「キュータ、陛下を呼び捨てにしちゃ失礼だ。アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下か、神王陛下。もしくはアインズ・ウール・ゴウン様とお呼びしなちゃいけないよ」

「あ、アインズ・ウール・ゴウン様…。ははは」

 何がおかしいのか分からないが、キュータの笑顔はどこか晴れ晴れとしていた。

「……それで、腕輪は取れるかな」

「うん。アインズ・ウール・ゴウン――様に先生が認められてるなら、取ります」

 そう言ってキュータが腕輪に触れた瞬間――ざわりと空気が揺れたようだった。

 

 クラスに突然大勢の人が現れたような不思議な感覚。

 バイスは何事だと思った。

 

 その時「――キュー様!!」

 一郎太の大声が教室に響いた。

「――一太、どしたの?」

「い、いけません!!封印の腕輪は絶対に外しちゃいけないってお父上達が言っていました!!」

 血相を変えて――と言っても毛むくじゃらの顔だが――一郎太はナインズの席まで駆けてきた。

 魔法の練習をしていた子供達が皆何事かとこちらを見ている。

「あぁー…一郎太は席に戻って」

「バイスンは黙って!キュー様、本当にそれを外すの?」

「うん、先生はアインズ・ウール・ゴウン――様に認められたんだって。その先生がとったら魔法使えるかもって言うから、とってみようかな」

「……そうなの?バイスン」

 バイスは大袈裟な咳払いをした。

「ンッンンーン!バイスンじゃなくて、バイス先生。一郎太、バイス先生だぞ。さ、納得したなら席に戻って」

「……いや、オレはここにいる」

 一郎太はそう言うと、ナインズの前に座るチョッキーを抱き上げ、チョッキーの席に座った。絶対に戻らないと言う鋼の意志を感じた。この二人はたまに無駄に強情だ。

「わぁ!一郎太君、とってもあったかいでしゅ!」

 チョッキーは小さな手で杖を持ったままだっこされた。

 二人とも制服を着ているが、顔は毛むくじゃらなので毛と毛のせめぎ合いだ。

 バイスがそう思っていると、キュータは腕輪を腕から抜いた。

 コトン、と音を立てて机の上に置かれる。

 その腕輪は見れば見るほど高級そうだった。安月給ではないが、これはバイスでは買えないだろう。

 

「キュー様、平気……?」

「うん、平気みたい」

 

 キュータは自分の身に何の変化も起こらない事を確認すると、短杖(ワンド)を手にした。

「じゃあ、やる!」

「うんうん、やってみなさい」

 バイスはこれで腕輪の真意が分かるはずだと少し身を乗り出した。

 これでキュータが魔法を使うことができれば、親に手紙を出す必要があると思った。

 どう言うつもりでキュータに封印の腕輪なんて言う物を着けさせていたのか、親を学校に呼び出し、話し合いをした方がいいだろう。

 

「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 

 バイス、一郎太、オリビア、チョッキー。

 皆がノートを覗き込む。

 そこにはぽふっと音を立てて紙が生まれていた。

「え!えー!すごい!キュータ君、一番に神との接続ができたー!!」

 オリビアが大きな声で盛り上がると、皆がそれを見るために身を乗り出して確認した。

「キュー様すっげぇ!でも、早く腕輪着けて着けて」

 一郎太が腕輪をキュータの腕に戻す。

 バイスは嬉しそうに紙を持つキュータの頭を一度撫でた。

「よくやったなぁ、キュータ!二学期や三学期になる前に使えるようになる子がいるとは思わなかったよ!――で、もう一度使えそうかな」

 キュータは魔力切れを起こしている様子はなく、即座に頷いた。

「いいよ!<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 キュータの腕に戻された腕輪は再び光を放ち、魔法が発動することはなかった。

 バイスは確信する。あの腕輪はキュータの成長を妨げるものだと。

「あれぇ…。やっぱりだめかな…」

「きっと魔力切れですわ!キュータさん、おめでとう!」

 腕輪のやりとりをあまり見ていなかったレオネがオリビアの向こうから嬉しそうに言うが、キュータの魔力にはまだ余裕がある様子だ。

「――キュータ。先生はキュータが魔法を使えるようになったとお家の人に手紙を書くから、お父さんお母さんに渡してくれるかな?」

「あ、はい!嬉しいなぁ!」

「本当に良かったな。――皆ー!先生は手紙を書きに職員室に行ってくるから、暫く自習しててくださーい!」

「「「「はぁーい!」」」」

 バイスが教室を出て行くと、生徒達は続々と席を立ってナインズの周りに集まった。

 レオネがオリビアと椅子を半分づつ分け合い座る。

「ねぇキュータさん。どうやったんですの?どんな感じでしたの?」

「ん…と…グッてやってシュンって感じかも」

 言ってから気づいた。それは父が前に教えてくれた事だ。本当にそう感じてしまうとは。

「へぇー!そういう感じですのね!ね、今日残って魔法の練習しませんこと?わたくし参考にさせていただきたいんです!」

「あ、うん!もちろん良いよ!」

 私も、僕も、と声が上がり、ナインズは笑った。

 そんな中、品よく私もと声がした。エルだ。

「キュータ、おめでとう。君からしたら当たり前かもしれないけど、私にもお祝いさせてくれるね」

「エル!ありがとう!エルが教えてくれたお陰だよ!」

「はは、とんでもない。私は何もしていないよ。キュータが持っているものが良かったんだ。さすがです――と言わせてくれるね」

「そんな」

 ナインズは照れ臭そうに笑い、今作ることができたごわごわの紙を手にした。

「これ、帰ったらお父さま達に見せるんだ。ふふ」

「きっとご両親も喜ぶだろうね」

 皆がナインズの下へ集まる中、二人だけ集まらない子供もいた。

「――エル様に教えてもらえたら…僕だって…」

 カインはチェーザレと二人で何度も魔法を唱えた。しばらく落ち着いていた嫉妬心がまたもやむくむくと膨れ上がっていく。

「やっぱりスズキはずるいですよね」

「…今日の放課後やるって言う魔法の練習会、僕たちも出るか」

「そうしましょう!そこできっと使えるようになりますよ!」

「よし……今日で僕達も魔法を覚えるぞ」

 カインが出席を決めると、バイスが戻ってきた。その手にはきちんと封蝋が押してある封筒。立派な褒め言葉がたくさん書いてあるのかと思うとカインは羨ましかった。

「皆ちゃんとやってたかー?ほら、席に戻って戻って」

 バイスはまっすぐナインズの下まできた。

「――じゃあ、キュータ。これをお父さんお母さんに渡してくれるね。勝手に開けたりしちゃダメだぞ」

「うん!ありがとう、先生」

 ナインズはそれを受け取ると、嬉しそうに笑った。

 カインはその様子を横目に捉えながら、フンと鼻を鳴らした。

 

+

 

 放課後。いつもの友達たちの他に、グループの違うような子供達も教室に残った。

「よーし、もっかいやってみる!」

 ナインズは杖を出し、ノートに描かれた四角を杖で数度撫でてから呪文を唱えた。

「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 固唾を飲んで見守っていた子供達は残念そうな声を上げた。

 紙は生み出されなかったのだ。

 そして、やはり腕輪が僅かに光を漏らした。

「ねぇ、キュータ君。それ着けてたらダメだと思う。取らなくっちゃ」

 オリビアの提案にナインズは悩んだ。

「……でも、これは本当は取っちゃいけなくて……」

「何も起こらなかったし、無くさないでねって意味でお母さま達は取らないでって言ってたんじゃない?」

 常識的に考えればそれが一番しっくりくるだろう。

 しかし、一郎太とエルは反対だ。

「ダメだよ。キュー様、それ取るのはせめてバイスンがいる時じゃないと」

「……私も取らない方がいい気がするな。キュータのお父上様達が言っていたんだもんね?」

「うん…。なのに…取らなきゃ魔法を使えないなんて…おかしいよね……」

 ナインズが腕輪に視線を落とすと、エルが「少し休憩しよう」と言い、授業と終礼後のお祈りと聖歌合唱からずっと続いていたこの時間に一時的に終止符を打った。

「キュー様、トイレ行こ!」

「うん。あぁあ…。これ着けたまま魔法って使えないのかなぁ」

 ぞろぞろと何人もトイレへ向かう。

 教室には一度自分の席に戻って魔法を練習する子供達と、カイン、チェーザレがいた。

「一度僕達も席に戻るか。――ん?」

 キュータの魔法学の教科書に栞のように挟まれているものがあった。

 カインはそれをスッと引き抜いた。

「あ、カイン様。これバイス先生が書いてた手紙ですよ」

「……これが」

 中を見てみたかった。

 どれほどの賛辞が書かれているかと思うと、羨ましい気持ちが噴き出るようだ。

(……ちょっとくらい、見てもいいか)

 カインは一度周りの生徒がこちらを見ていないことを確認する。一番窓際の席なので、他の子供達から見えないように背を向けてから、封の隙間に魔法の杖を差し込み、封蝋を剥がそうと引っ張った。

 チェーザレが興奮するような顔をしている。

 ペーパーナイフがあれば割と簡単に封蝋は剥がすことができるのだが、杖では少し苦労する。

 ペリ…と最初のとっかかりが剥がれると、それはポンっと軽い音を立てて開いた。

 少し封筒が破けたが、教科書に挟み直せば家に帰るまで気付くまい。

 親はキュータが開いたと思うだろうし、調べる手立てはない。

 手紙を開いたカインは上から急いでそれを読んだ。

 大人がどう言う言葉で子供を褒めるのか知りたい。

 夏休みに実家に帰った時、こんな素晴らしい褒め言葉を言ってもらったと嘘でも父に言いたかった。

 しかし、「――なんだこれ」

「カイン様、何ですか?」

 チェーザレに説明しようとすると、廊下からガヤガヤと子供達が戻ってくる声がした。

 急いで手紙をしまい、教科書に挟み直す。

 カインは窓の外を眺めている振りをし、察したチェーザレもそれに倣う。

「――じゃあ、もう少しやってみよっか」

 まるで皆の輪の中心のような顔をしてキュータが戻ってくる。

「キュータ君がたくさん紙を作れるようになったら、うちの隣で働いてね。製本もしてるから、きっと紙を作れる人を雇ってくれるもの!」

 オリビアが嬉しそうに見上げると、キュータはその頭をさらりと撫でた。

「ありがとう、オリビア。でも、僕は神殿で働くことになるかも」

「キュータ君は神官様になりたいの?」

「んー、そう言うわけではないんだけど、そうなるのかなぁって」

「お父さま達が神官様の魔法道具を作ってたらそうなっちゃうのかな」

 オリビアは腕を組むと少し悩むような声を上げた。

 キュータとオリビアは揃って二人で座り、他の子供達はまたそれを囲むようにした。

「では、キュータさんはわたくしと一緒に働けますわね」

「あ、レオネはやっぱり神官になりたいの?」

「なりたい、ではなく、なるのですわ!わたくし、きっと陛下方と殿下方に立派にお仕えしてみせますの!」

「ふふ、レオネならできるよ。きっと仕えてもらう方も嬉しいと思う」

 キュータが言うとレオネは照れ臭そうに笑い、大きく頷いた。

「そうですわよね!ふふ、治癒室の女神官様も素敵ですし、頑張りますわ!」

「うん。誰よりも素敵な女神官になれるよ」

 レオネは少しだけ頬を赤くすると、ちらりとエルミナスとオリビアを見てから顔をぷるぷると振った。

 その後、何度やってもキュータは紙を作れず、エルが二枚紙を生み出して皆に見本として見せ、練習会は終わった。

 カインは鞄に短杖(ワンド)をしまうと、チェーザレを連れて寮への帰路についた。

「――カイン様、カイン様。手紙、何が書かれてたんです?」

「なんか変な手紙だった。最初はスズキが魔法を使って紙を生み出したって。でも、さっきは無理だったよな。本当はあいつ、魔法使えないのかな」

「変ですよね。それで?」

「それで、よく分かんないんだけど、続きはスズキの腕輪の着用をやめさせるように検討してほしいとか、一度学校に話に来てくれとか、なんかそんなだった」

「腕輪?あの魔法の?」

「そうらしい。やっぱりあの腕輪はルール違反なんじゃないか。本当にムカつくやつ」

「あんなの隠しちゃいましょうよ!」

「バカ。あいつは腕輪を外さないだろ」

「うーん、それはそうですね」

 寮に着き、玄関をくぐると軽く靴の泥を落とした。

 そのまま二階の自分達の部屋へ上がり、窓から隣の棟を眺める。

 こちらの棟は二人部屋だが、隣の棟は一人部屋で――エルミナスが住んでいる。従者と寝泊まりできないため、カインの家は一人部屋を少しも検討しなかった。

「……エル様はお優しいから、スズキに魔法を一回でもいいから使わせてあげて欲しいとか陛下方へお願いしたのかな」

「ずっりぃ!本当あいつずるいですよ!魔法の耳飾りと魔法の腕輪なんかして、腕輪はルール違反みたいだし。耳飾りも色んな効果があるとか言って前にリュカに自慢してましたよ」

「色んな効果?魔法の装備の効果は一つじゃないのか?」

「なんか色々って言ってましたよ」

 二つ以上の効果を持つ魔法の装備はとてもとても高価だ。

 普通の家庭では魔法の装備なんてものは父親がたった一つだけ魔法時計を持っているか、もしくは一つもないくらいだ。

 いくつも魔法の効果がついているなんて、元貴族の家でも、家宝にして置いておくような代物だ。

「……それは嘘吐いたんだろ」

 カインは蔑むように言うと、部屋に戻ってきて部屋に明かりを灯すエルを窓から眺めた。エルは大切そうに壁に何かを貼った。

「あいつらさえいなければ……。スズキ達さえ……」

 そうだったらエルから慈悲をかけて貰い、わずかでも魔法を使えたのは自分かもしれない。

 あんな奴こそ親にたくさん叱られれば良いのに。

 ルール違反の腕輪も、大切にしている耳飾りもなくなってしまえばいいのに。

 カインはシャッとカーテンを閉め、備え付けてある永続光(コンティニュアルライト)を灯した。

 

+

 

 ナインズは自室に鞄を置くこともせずにアインズの部屋へ走った。

 まだ今日は執務をしている時間だろう。アインズの部屋は執務用の部屋と化している。寝室はほとんど使われておらず、フラミーの部屋が家族の部屋兼フラミーの執務室として機能している。

「お父さま!お父さま!見て、見てみてー!」

 扉を開けてもらい、鞄を開けると魔法学の教科書を取り出した。

「お、帰ったな。ふふ、解ってるぞ?良いことがあったんだろう」

 骨の姿のアインズが書類から顔を上げた。

「そー!!どうして分かるのー!」

「分かるとも。お前のことなら何でもな」

「へへぇ!」

 ナインズは今日のことをいち早く伝えたかった。

 机の方へ向かいながら大切に持って帰ってきた手紙を――「あ、あれ?」

 ナインズは手紙が開いたり、寄れたりしないように大切に教科書に挟んできたと言うのに、それは開いていた。

「どうした?ナインズ」

「あ、あの…僕……」

 大きな魔法の教科書と、赤い美しい封蝋が剥がれた手紙、それから黄色くゴワゴワした紙。

 アインズは執務用の椅子から腰を上げると、ナインズの前にしゃがんだ。

「何だ?大丈夫か?」

「あのね、僕先生に手紙持たされたの…。でも、これ、僕じゃないんだよ。僕開かなかったもん。勝手に開けちゃダメって言われたから…」

 アインズは恐る恐る差し出された開いている手紙と、重ねられているゴワゴワの紙を受け取ると、魔法のモノクルを取り出した。

「まぁ、何かの拍子に開いてしまうこともあるだろう。九太はちゃんと持って帰ってきてくれたって父ちゃんは分かってるぞ」

「は、はい!僕、ちゃんと持って帰ってきた!」

「うん、偉いぞ。ありがとな」

 まだ黒いままの髪を撫でてやると、ナインズは嬉しそうに目を細めた。

 骨の目ではモノクルを挟んでおけないので、アインズは一度人の身になってソファに座った。隣にナインズも張り付くように座る。

 後ろでアルベドが片付けを始めているが、今日はもう任せてしまうことにする。アルベドも元からそのつもりだ。

「どれどれ?先生はなんて言ってるのかな?」

 アインズがモノクルを目元に挟み、手紙を開く。

 ナインズはもうドキドキして仕方がなかった。

「中土月二十八日。薄暑の候、キュータ・スズキ君のお父様、お母様におかれましてはますます御清祥のこととお喜び申し上げます。さて、本日キュータ君は製紙魔法を使い、紙を生み出すことに成功しました。――おぉー!九太、やったのか!もしかしてこれかな?」

 少しわざとらしいような驚き方だったが、ナインズは何も思わなかった。

 アインズは一緒に渡されたゴワゴワの紙を手に嬉しそうに笑った。

「はい!僕やりました!」

「すごいじゃないか!やっぱり父ちゃんの教え方が悪かったんだなぁ。私は学校でちゃんと教えて貰えばお前ならすぐに使えるようになると思ってたんだ。魔法学はフールーダも監修しているんだからな」

「へへへぇ」

「じゃあ、シャルティアとコキュートスにも教えてやらなきゃいけないな。二人を呼びに行けるか?」

「行けるよ!シャルちゃんの部屋の場所わかる!」

「そうか。じゃあ、コキュートスと第五階層で落ち合ってから上に上がってくれ。第四階層の地底湖には気をつけて、くれぐれも転ばないようにな」

「はーい!!お母さまも呼ぶね!」

「文香さ――っと。フラミーさんと花ちゃんは私が呼ぶからお前には守護者を頼めるか?コキュートスとシャルティアはきっとお前の口から聞きたいだろうから、お前にお願いしたいんだ」

「分かりました!僕いくね!」

 ナインズは嬉しそうに笑うと守護者たちを呼びに行くべく立ち上がった。

「――あぁ、九太。鞄と教科書は部屋に置いてから行きなさい。片付けられるな?」

「できます!」

 今度こそ部屋を飛び出していくと、アインズはとても渋い顔をした。

「昼間に腕輪を外して初めて魔法を使ったと聞いた時はそう言うことかと納得したが……しかし、これは参ったな」

 ナインズが持って帰ってきた教師からの手紙には、ナインズの健やかなる成長を願うのであれば、封印の腕輪などと言うものはさせるべきではないのではないかと記されていた。

 どんな効果のものなのか学校に来て説明し、それの必要如何を話し合おうとも。

 教師の手紙は宥めるようだが、それ以上に親としてのあり方を問うようだった。

「腕輪を外せば魔法が使える…。子供を預かり教育する立場の者からすればこの手紙は当然の内容だな」

 ぺらりとアルベドへ送る。アルベドはその手紙の内容に目を通すと、不快げに眉を寄せた。

「どうなさいますか?各種族の持つ文化を尊重するために、本来なら服飾品に関して教師が口を挟むことは禁止されています。神殿から学校全体へ圧力を掛けることも可能ですが」

「子供に危険が及ぶ時には教師にも指導が可能だ。それに、神殿から圧力をかけて黙らせてはナインズへの私達親の接し方についての根本解決になったと教師は思わないだろう。ナインズも一郎太も今日腕輪を外すことを何度も躊躇っていたし、今後も躊躇うだろう。バイス先生――だったか。彼のいないところではナインズは決して外さなかったんだ」

 言いつけをよく守る、本当にいい子になった。

 学校の様子をたまに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)で見ているが、それは常々思う。クラスメイトと喧嘩もしていたようだが、それも親の介入を学校が必要に思わない程度のものだ。力があるのにこれは上出来だろう。

 教育最弱集団だと思っていたナザリックだが、ナインズはアインズよりもよほど良くできた男として成長している。

 シャルティアはたまにナインズを見る目がアレ(・・)だが、皆概ね子供に背中を見せる大人として――双子は年長者として――恥ずかしくない存在として振る舞っている。

「……私はツアーを呼ぶ。腕輪を外したところでナインズが誤って何かをしでかした時の被害を見積もるためにな。アルベドはフラミーさんを呼んでくれ」

「かしこまりました。では、一度失礼いたします」

 アルベドが後の片付けをアインズ当番と部屋付きのメイドに任せて部屋を出ていく。

 アインズも転移門(ゲート)を開くと、ツアーの下を訪れた。

「――そうかい。イル=グルがね」

 割と楽しげな声だ。

「はい!また是非ヴァイシオン様の下を訪ねたいとおっしゃっておりました」

「僕が君に酷い扱いをしていないか調べたいんだろうね」

「いえ、そう言うわけでは――」

「冗談だよ。さて、君はもう下がってくれるかな。アインズが来たようだ」

 神のいる場所として相応しい階段の上で、ツアーが顔を持ち上げた。

 その前には、美しく着飾っている蠍人(パ・ピグ・サグ)がいた。

「――神王陛下いらっしゃいませ。では、私はこれにて。また明日議事録を持って参上いたします」

「うん。助かるよ」

 ツアーが気まぐれで拾った生贄の姫はここに勤めて二年と半年が経ち、アインズがここに来るとたまに会う。

 宵切姫は深々とアインズに頭を下げてからツアーの部屋を後にした。

「――あれは字は書けるようになったのか?」

 アインズがそう言って階段を上がると、ツアーは少し得意げな顔をした。

「なったよ。公用文字はまだ今ひとつだけどね。アーグランド文字はもう十分書ける。イル=グルがよく躾けてくれたおかげと、僕が慈悲深かったからだね」

「ほー」

 イル=グルって誰だっけ、とアインズは少し思ったが、知っていて当たり前のような口の利き方をされたので特別訪ねなかった。

「それで、今日はどうしたんだい」

「ナインズに着けさせている抑制の腕輪があるだろ?」

「始原の力を封印していると言っても過言ではない――封印の腕輪だね」

 抑制の腕輪を封印の腕輪と呼び始めたのはツアーだった。ツアーはくんっと顎をしゃくり、その視線の先にあった鎧が動き出した。

「確認するかい。冬に確認したばかりだけど」

 鎧が話すと、アインズはすぐさま頷いた。

「頼む。今日ナインズは学校で抑制の腕輪を外したんだ」

「何だって?あれだけ外しちゃいけないと言っているのに。やれやれ…」

 鎧が転移門(ゲート)へ向かって歩き出すと、アインズも竜の顔の前から転移門(ゲート)へ引き返した。

「それがなぁ、位階魔法を使おうとすると光るみたいなんだよ。恐らく位階魔法の魔力も抑え込まれているんだ」

「なるほど。君の制御の腕輪も位階魔法に転用できるんだったね。しかし、ルーン魔術と言ったかい。あれは使えていたじゃないか」

「ルーンは特殊すぎる。抑制の腕輪に押さえ込まれて漏れ出る程度の魔力でも良かったのか、抑制の腕輪に引っかかるほどの魔力も使わなかったと言う事だろう」

「じゃあ、もうルーンを使うしかないんじゃないかな。君も理論の指南しかできないところが問題だね」

「それなんだが、学校から腕輪がナインズに悪影響を与えてるんじゃないかとお叱りの手紙をもらったんだよ」

「お叱り?」

 ツアーの鎧が首を傾げる。そして、後ろの竜の身から軽い笑い声が漏れた。

「――なんだよ」

「いや、何でもないとも。君に意見する存在が僕とフラミー以外にいたとは驚きだね」

「……相手はアインズ・ウール・ゴウンを叱っているんじゃない。鈴木家の親を叱っているんだ」

 二人は転移門(ゲート)を潜った。

「――ツアーさん、いらっしゃぁい」

 アインズの部屋に来ていたフラミーが手を振る。アルメリアも軽く手を挙げた。

「ツアー、いらっしゃいです」

「やぁ、アルメリア。先に君の力から確認しようかな」

 ツアーがアルメリアの前にしゃがむと、アルメリアの手を取った。

「……ツアー、リアちゃんのこと好きなの?」

「ん?まぁ、そうだね。割と好きだよ。じゃ、腕輪を取るよ」

 漆黒の腕輪を抜いてやると、アルメリアは嬉しそうに瞳を輝かせた。

「それ、もうしないでいいです?」

「ダメだよ。少し静かにしてくれるかな」

「なんで!ツアーじゃないと外しちゃいけないんだから!もう持って帰って欲しいです!」

「君は本当にこれが嫌いだね。でも、我慢して着けるしかない」

「お母ちゃま、リアちゃんもうこれやだ!」

 アルメリアはツアーの鎧の手の上に手を乗せたまま振り返った。

「それをしないと、リアちゃんもリアちゃんの周りの人も危ない目に遭うからダメだって言ってるでしょ?」

「リアちゃん危なくないのに!」

 アルメリアはブゥーっと思いっきり頬を膨らませ、その腕にはまた腕輪が戻された。不服そうだが、赤ん坊の頃のように外してしまおうとはしなかった。

 ツアーが立ち上がると、アインズはアルメリアの頭の上に乗る小さなお団子をもひもひと押した。

「花ちゃん、アルベドと一緒にナインズを迎えに行ってやってくれないか?にぃには今コキュートスとシャルティアを呼びに行ってるんだ」

「お父ちゃまがゲートで呼んであげればいいです!」

「……父ちゃんは今ツアーを呼ぶために転移門(ゲート)を開いて疲れちゃったんだ。今どの階層にいるかも分からないから、行ってくれるか?」

「じゃあ仕方ないです。行くです!」

 アルメリアは自分の当番のメイドとアルベドを手招きすると、部屋を出て行った。

「どうだった?」

「アルメリアは前回からたいして変わっていないようだね。それより、アインズ。アルメリアをあまり甘やかすな。ナインズなら何かを頼まれれば口答えしないですぐに行くだろう」

「甘やかしてない…。これはもう性格だよ。アルメリアはナインズより自立的と言うか…疑うことを知ってるんだ」

「それはいい傾向ではないだろう。特にアルメリアは腕輪を外したがるんだから。はい、わかりましたと答えるように躾けろ」

「アルメリアもナインズもシモベじゃない。嫌だと思う時には嫌だと言えばいいし、やりたくない事はやりたくないで良いんだ。それの折り合いをつけさせたり、やりたくなるように気を配ってやるのが親の役目なんだから」

 ツアーは納得行くような行かないような雰囲気で腕を組んだ。

「ね、ツアーさん。大丈夫。リアちゃんは抑え付けなくても、誰かを傷付けたり世界をどうこうしたりしようとしたりなんてしないですもん」

「……フラミー、僕もそう信じたくはあるけどね、僕の言うことも分かるだろう。反抗して暴走してからじゃ遅いんだ」

「分かりますよ。いい子で何でも親の言うことを聞くナインズの方が安心できるんでしょ。でも、ね。物の学び方はそれぞれだからね。ナイ君は言われたらジッと何でもよく聞いて、それを理解しようとするけど、リアちゃんは何で、どうして、って反抗しながら学んでいくタイプなの。分かってあげてね」

 ツアーはフラミーの耳にかかる蕾を取ると手の中でそれをクルクル回した。

「君たちはなぜ子育てに関しては絶対神として振る舞わないのか理解に苦しむよ」

「どんなに偉い人でも、子供といるときはただの親なんですよ」

「君達ももう神なんかやめて全ての力を無くして静かに暮らせば良いのにね」

 ツアーが苦笑しながら言うと、アインズはフラミーをソファに座らせた。

「神様でいるのも世界のためだから仕方ないな。美しい世界のためなら、国民が多少暑苦しくても我慢もする。――で、フラミーさん。これ先生から来た手紙です」

 フラミーは差し出された手紙を受け取り、モノクルを付けるとすぐに読み始めた。

「………うーん………そうかぁ。まぁねぇ…」

「学校はなんだって?」

「腕輪がナイ君の成長に悪影響かもしれないって感じですね。魔法を使えるようになることが正義ってくらいの教育させてますから。仕方ないけど」

「悪影響どころかいい影響しかないと思うけどね…。僕も読んでもいいかな」

 フラミーから手紙を受け取り、ツアーは公用文字で書かれた手紙を上から下まで読んだ。

「教師達にはナインズだと知らせても良いんじゃないかい」

「特別扱いされるだろ。そんなものはナザリック内で十分だ。この世の全てが自分に傅くべき存在だなんて思ってほしくない」

「その点については僕も同感だけれど、彼は事実特別な子供なんだ。僕にとっても、世界にとってもね。だから、必要な特別扱いは受けた方がいい」

「そりゃ私達にとってもナインズは特別だし…必要な特別扱いもあるとは思っている。でもな……普通の子供として大きくなって欲しいんだ。もしいつかこのナザリックを治めるとしても、私から世界の一部を引き継いだとしても、親になったとしても、ただの子供として生きた時間はナインズのためになる。世界のためにもなる」

 ツアーはアインズとフラミーの前に座るとフラミーの耳から取った花を返した。ナインズやアルメリアがこの世の全てが自分のためにあり、見下ろすべき存在だと思えば世界は混沌かもしれない。

「そうかい。僕は世界の全てをナインズに任せた方がいい気がするよ。君よりナインズの方が優しい」

「優しく育てているのは私達なんだからナインズの育て方にあんまり文句を付けるなよ」

「文句じゃなくて、意見だよ。あれこれ話し合えるのはフラミーと僕しかいないだろう。僕なりの優しさだよ」

 アインズは膝に頬杖を付くとため息をついた。

「――俺もお前には一部感謝してるよ」

「それは良かった」

 フラミーがアインズの頭を撫でると、部屋の扉が叩かれた。

「入れてやれ」

 部屋付きのメイドに顎をしゃくると、手を繋いだナインズとアルメリア、それからどっさり守護者全員が入ってきた。

 アウラとマーレ、デミウルゴスは呼んだ覚えはない。だが、ナインズが張り切って自分の階層を通っていけば何かと問い、一緒に行きたいと言っても仕方ない。

「あ!ツアーさんも来てたんだね!」

 ナインズがアルメリアの手を引いて部屋に入ってくると、ツアーはまだ黒いその髪を撫でた。

「やぁ、ナインズ。今日君は腕輪を外したそうだね」

「――え、や、何で知ってるの?」

 ナインズは悪いことをしたと思っているのか目を泳がせた。

「聞いたからだよ。じゃ少し取らせてもらうよ」

 腕輪は抜かれ、ツアーはしばらくナインズを見つめた。

「ツアー、どうだ?」

「……アルメリアやドラウディロンより成長が早いね。だけど、純然たる竜王の子とはやはり違うみたいだ」

「そうか…」

 アインズは困ったように唸った。

「ツアーさん、僕これ取ったけど、大丈夫だったよ?ツアーさんがいなくても何も起こらなかった」

「そうかい。それは何よりだ。だけど、取らないでくれるね」

「……僕、これしてると魔法使えないみたいなの。ダメかな……」

「ダメだ。これは君だけでなく、アインズとフラミー、引いては世界のためでもある」

 ナインズはがっかりしたように肩を落とした。

「ツアー、魔法の授業の時だけ外すわけにはいかないか」

 アインズが言うと、ナインズは瞳を輝かせた。

「ツアーさん!魔法の時だけ!魔法の時だけだから!」

「な?良いだろ?ナインズがルーン魔術だけでなく位階魔法も使えた方が、お前も安全だと思わないか?」

 ツアーは悩んだ。大変悩んだ。

 位階魔法が使えるようになることはナインズがナインズの身を守るために必要なことだ。

 もし腕輪を外さないと位階魔法を使えるようにならないようなことがあれば、始原の力が大きくなる前に済ませた方がいい。位階魔法を使えないまま大人になり、何か危険が迫ったときに始原の力を使うような事は避けたい。

「……まぁ、まだ大した力でもないからね。魔法の授業だけだよ」

「良いの!」

「仕方がないからね。でも、いつか君もアインズみたいに腕輪を付けていても位階魔法を使えるようになったら、僕が外す以外は片時も外しちゃいけないよ」

「わかった!そうするね!!ありがとう、ツアーさん!!」

 ナインズがツアーの鎧にペタリとくっつくと、ツアーは優しく頭を撫でてやった。

 ナインズの髪は黒から銀へと緩やかに変わっていった。

 そして、横から不服そうな声がする。

「リアちゃんも取りたいです」

「リアちゃんも学校行って魔法の授業受けるようになったら、授業中だけとって良いんだよ」

 フラミーがアルメリアに言うと、アルメリアは瞳を輝かせた。

「じゃあリアちゃんも学校いく!にいにと行くです!」

「再来年ね。学校楽しみだねぇ」

「すぐ行きたいです!リアちゃんはお利口さんだからもう学校行けます!」

「あらぁ、リアちゃん。再来年ならクリスちゃんもいるのに、今年行っちゃうの?」

「……クリスも行くです?」

「行くですよ〜」

「じゃあ、再来年になったら行くです!」

「そうだね。えらいなぁ。リアちゃんはもう少しお家でお勉強しようね」

「するです!」

 アルメリアは腕輪をクルクルと自分の腕で回しながら鼻歌を歌った。

「さ、じゃあツアーを帰すか」

「アインズ、僕は明日神都へ行くよ。明日だけは僕も一緒にクラスに行って授業を見させてもらう。一時間くらい腕輪を外していても、ナインズの中で何かが変わったり、起こったりしないように確認しておく」

「あぁ、それは助かるな。任せるよ。じゃあ、お前は明日の朝ナインズと大神殿に行くと良い。その後、ナザリックに戻ってこい。明日評議州に返してやる。とりあえず、今日は泊まっていけ」

「ツアーさん!僕と一緒に寝よ!第六階層でまた寝よ!お話聞きたいなぁ!」

 ナインズは朧げながら、アルメリアの生まれた日にツアーと湖畔の水上ヴィラで過ごした事を覚えていた。

「……そうだね。じゃあ一晩鎧が世話になるね」

「何も飲み食いしないんだ。気にするな。こっちこそナインズが世話になる」

 アインズも随分ツアーに寛容になった。

 その後、夕食を皆で済ませると、アルメリアは一足先に寝た。ナインズも明日の支度を済ませて全て持つと、ツアーを連れて第六階層へ上がって行った。

「一太ー!二の丸ー!」

 そう呼びながらツアーの手を引いて湖畔へ駆ける。

 ナインズの声を聞いた一郎太と二郎丸は二つ並ぶコテージから飛び出してきた。一郎と二郎も顔を出した。

「ナイ様!どしたの!?」

「ナイ様、こんばんはー!」

「一太!二の丸!ツアーさんが遊びにきてくれたから、連れてきたよ!」

「やぁ、一郎太・ダ・ワイズ・シュティーア・クレータ・シンメンタール。それから、二郎丸・ル・サージ・クー・クレータ・シンメンタール」

 このナザリックに於いて、一郎太と二郎丸の名前をフルで言える者はかなり少ない。

 アウラ、一郎、二郎、花子、梅子。そのくらいだろう。つまり、アウラ以外はミノタウロスの身内たちだ。

 アウラは流石にこの階層を管理しているだけあり、きちんとフルネームを覚えていた。マーレは不要だと思っている。余談だが、花子と梅子にもちゃんとした名前がある。

「ツアーさん久しぶりだねー!オレは一郎太で良いよ!」「ボクも二郎丸でいいよー!」

 一郎太はツアーの鎧をポンポン叩いた。

「そうかい。明日君と一緒に神都へ行く。それから、一応学校での過ごし方も見させてもらうよ」

「お、オレちゃんと勉強してるよ!見張らなくても大丈夫!」

「いや、君ではなくてナインズの様子を少し見ておきたいんだ」

「ふふ、実はねー、明日から魔法の授業は腕輪をとっても良くなったんだよ!」

「え!そーなの!ナイ様やりましたね!」

 二人は手を繋ぎ合うとワーイワーイと分かりやすく喜んだ。

「じゃあ、ナインズ。今日はもう寝るんだ」

「ツアーさんもう寝るの?せっかく来たんだから、一太たちと遊ぼう!」

「いや、夜は寝るものだろう。遊ぶのは日の出ている間だけだ。それとも、まだフラミーなしでは寝られないのかい?」

 ナインズはカッと顔を赤くした。

「そ、そんなことないよ!僕はいっつも一人で寝てるんだから!!」

 一郎太と二郎丸に言うように答えた。まだ親と寝ないと寝付けないなんて、恥ずかしいような気がした。

「そうかい。じゃあ、行こう」

 ツアーが歩き出すと、ナインズは二人に手を振ってヴィラへ去っていった。

「ね、ツアーさんは本当は竜なんだよね!いつか見てみたいなぁ!」

「良いよ。今度フラミーと一緒に来ると良い」

 ヴィラの中には相変わらず布団が一組だけ敷かれていた。

 二人で一枚を使ってね、ではなく、ツアーに寝る場所はいらないだろうと言う乱暴な理由だ。

 枕元に明日着て行く制服と鞄を置くと、ナインズはいそいそと布団に入り、布団をめくった。

「はい!一緒に寝よ!」

「――ナインズ、君は本当に良いね。優しく穏やかだ。」

「ツアーさん前も言ってた!僕は皆に優しくいたいんだ。だって、皆僕に優しくしてくれるから」

「そうかい。偉いじゃないか」

 ツアーは鎧をナインズの隣に入れると、ナインズを抱えてやった。

「わ、な、なんか恥ずかしい」

「…恥ずかしい?前はこれが良かっただろう」

「はは、子供の頃の話だよぉ」

「まだ君は子供だろう」

「もー」

 えへえへと笑うナインズは硬いツアーの腕枕で目を閉じた。

「ツアーさん、僕きっと強い男になる」

「そうだね。君は世界の命運を握る一人だから。僕も君が今の心根のまま強くなる日を望んでいるよ」

「うん、ツアーさん。怖くないからね」

「……そうだね」

 ナインズから寝息を漏れると、ツアーも竜の瞳を閉じた。

 

+

 

「九太は本当に偉いなぁ…」

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を覗く鈴木悟は心底感心したように呟いた。

「ねぇ、本当。私の子供なんて思えないくらい」

 文香も笑う。

「いやぁ…俺の子供とも思えない…。本当に九太、俺より賢くなっちゃいますよ。どうしましょう」

「ふふ、望むところでしょ?」

「えぇ〜お父さん立場なぁい。九太はもう公用文字も書けるのに〜」

 アインズ達は未だに英語と同レベル程度にしか公用文字を読めない。つまり、ほとんど読めない。

 アインズは少しジタバタすると、パチリと目を開いているアルメリアと目があった。

「………花ちゃん、夢だ。忘れて眠れ」

「お父ちゃま、にいにより頭いくないです?」

「いいに決まってるだろう。私にわからん事などない。眠れ。――<睡眠(スリープ)>」

 アルメリアはかくりと眠りに落ちた。

「……油断も隙もない」

「ははは。子供達にくらい普通でいれば良いのに」

「いやぁ〜…切り替えられないですよ。それに、これが本当の父ちゃんだって知られたら……守護者達に何かの拍子にバラされるかも……」

「……それはちょっと怖いですね」

 見栄っ張りな二人は苦笑を交わし、布団に入った。




ツアーと行くのに、カイン君はなんかいけないこと考えてそうじゃん

次回Lesson#8 ナインズと九太


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Lesson#8 ナインズと九太

 神都第一小学校、職員室。

 今日は今にも雨が降りそうな空模様だ。そろそろ雨季が来る。雨季を超えれば夏だ。

「おはようございますー」

「おはようございまーす。あ、バイス先生。校長先生がバイス先生をお呼びになってますよ。校長室でご来賓の方と待ってるそうです」

 バイスは自分の机に鞄を置くと、隣のクラスの女性教員、パースパリーに数度瞬いた。彼女は空の人(シレーヌ)なので姓は持たない。高い魔法適性を持つので、彼女もやはり第三位階の使い手だ。そして、熱い光の神の信奉者。

 ずっと教師になりたかったそうだが、セイレーン州で教鞭を取る教師達のほとんどは第四位階まで使える筋金入りの魔法詠唱者(マジックキャスター)らしく、第三位階程度の彼女では教員の試験に受からなかったそうだ。しかし、一歩セイレーン州を出ればセイレーン達はどこも引っ張りだこだ。

「来賓?朝からですか?」

「えぇ、何でも急いできて欲しいそうです」

 自分を訪ねて来る来賓に、バイスは一つだけ心当たりがあった。

 それは、つい昨日キュータ・スズキに持たせた手紙だ。

 急いで両親が出張ってきたのかもしれない。

 バイスは手に持っていたローブを着ると、ループタイについた魔法石をある程度あげた。

 ちなみに生徒達はローブとどこか南方風のシャツを制服として着ているが、教員は好きな服の上から教員用のローブを着ている。

「――では、ちょっと行ってきます。一年生教員のミーティング、なんなら先にやってて下さい。後から参加しますので」

「多分そうさせてもらう事になると思います。頑張ってくださいね!」

「頑張って――?」

 パースパリーの言葉に首を傾げると、向かいの席のアルガンもグッと拳を握りしめた。アルガンは殿下の教師かもしれないと目されるもう一人の教師なので仲良くしょっちゅう飲みに行っている。

「バイス先生、頑張ってください!」

 バイスは出勤している全職員達に心配そうな瞳で見送られてしまった。

(……あの手紙文は露骨だったかな)

 両親が怒って学校に来たのだとすると、この朝は長くなりそうだ。

 モンスターペアレントというものにはまだ一度しか遭遇したことがないが、あれは本当に疲れる。

 以前乗り込んできたモンスターペアレントはなんでいつまで経ってもうちの子が神との接続ができないんだと大層立腹していた。学校でもっとちゃんと教えろ、何なら魔力増幅系の装備を全生徒に用意するべきだ、なんて無茶を言われたものだ。

 今回は先にバイスがある意味喧嘩を売っているので気を引き締めていかねばなるまい。

 校長室の前にたったバイスは今一度自分の身なりを確認してから扉を叩いた。

 中からどうぞ、と校長の声が聞こえる。

 まだ誰もヒステリックにはなっていない様子だった。

「失礼します!」

 観音開きの扉の一枚を開けて入ると――バイスは状況が分からず固まった。

「こちらが一年B組を預かり持つ担任のバイス先生です」

「そうかい。よろしく」

 工芸品のように見事な白金のフルプレートに身を包む男性は座ったまま鷹揚に頷いてみせた。冒険者を親に持つような子供がいたかなと子供達との会話を思い出していく。だが、該当者はいない。

「あ、よ、よろしくお願いします…?ジョルジオ・バイス・レッドウッドです…?」

 理解が及ばず、語尾が上がってしまった。

「ジョルジオ・バイス・レッドウッド、今日一日だけ授業を見させてもらうよ。悪いけど、僕は心配性なんだ」

「は、はぁ…」

 校長に手招かれ、取り敢えず応接ソファに腰掛けた。

「えーと、どちら様でしょうか…?」

「僕の名前はツァインドルクス=ヴァイシオン。人は白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼ぶ。これ以上の説明はいらないだろう」

 その言葉の意味をハッと理解すると、バイスは慌てて立ち上がった。キュータの腕輪のことなど吹き飛んだ。

「り、竜王!?そ、それでは、ナインズ殿下の授業参観ですか!?」

「そういう事になるね。もちろん僕は見ているだけだから、何も気にしないでくれて構わない」

「は、はい」

 はいと言っても気にしないことなど無理だ。

 本当にバイスの教室に殿下がいるなんて。どの子にも平等に関わってきたつもりだが、胃がギュッと締め付けられるようだ。先程のアルガン先生の様子にも得心がいった。

「では、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、バイス君と共に教室へどうぞ」

「悪いんだけど、ア――神王陛下も見ている気配がするから一度職員室へ行かせてもらうよ」

「え、えぇ!?それはもうもちりょ、もちろん!どの一年の教師も良い教師ばかりです!!」

 校長の声は神の名前が出た途端ひっくり返りそうだった。

 だが、バイスは竜王の腰に下がるものを指さした。

「――り、竜王様。大変言いにくいのですが……そちらの腰のものは……」

 どうみても剣だ。目の前の鎧が白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だろうが何だろうが、子供を預かっているこの場所でそんな物騒なものを下げてうろつかれては困る。第一これが本当に竜王で神から派遣されてきたかなど分からないのだ。人みたいな格好をしているし。

「これは決して抜かない。抜く意味がないからね。誓って見せればいいのかな」

「い、いえ…できればこちらに置いて行っていただきたく……」

「何?これは特別な剣だ。そういう事はできない。それに君達程度の存在の前ではあってもなくても同じだよ」

「お、同じとは…?」

「剣を抜かなくても、この指先一つで君達を無力化(・・・)できる」

「あ、あはは……」

 バイスは校長に助けを求めて視線を送った。

「バイス君、大神殿からいらしてる神官様もこちらが竜王様であると言って下さったから、心配はいらないよ」

「そ、そうなんですか…?」

「やれやれ。置いていくことはできないけど、こうしよう」

 竜王は鎧の兜を掴むと、数度左右に振りながら頭部を外した。

 そこに頭はなかった。

 腰から外された剣は鎧の中にしまわれ、この鎧が空っぽであると理解する。

「これで良いだろう。僕が頭を外さなければ剣もだせない」

「あ、ありがとうございます」

「じゃ、教員室へ行こう」

 さっさと立ち上がると、竜王は自分のペースで行ってしまった。

 校舎の外からは子供達が遊び駆け回る声が、場違いなほどに明るく響いていた。

「ほら、バイス君!行きますよ!」

「は、は、は、は、はい!」

 バイスは慌てて廊下へ出ると、竜王が教員室に入ろうとしてドアノブに手をかけているのを慌てて止めた。

「あ、開けさせていただきますので!!」

「そうかい」

 バイスが扉を開けると、教師達が一斉に振り返った。

「い、一年生の教師陣はこちらです」

 恐る恐る案内し、固まる一年教師陣の下へ行く。

「よろしく。今日一日ナインズのクラスを見させてもらうよ。――アインズ、これで良いかな」

 竜王は軽く顎を上げ、虚空に向かって確認する。すると、こめかみに触れた。

「――アインズ。これでいいだろう?――何?別に僕は偉そうになんてしていないよ。――そうかい」と、手短に伝言(メッセージ)を済ませると、顎をしゃくった。「ア――神王陛下が来るそうだよ」

「「「「「へ!?」」」」」

 一年教員だけでなく、全学年の全教師達が慌てて立ち上がる。そこには黒々とした楕円が開いた。

 ゴクリと喉を鳴らさずにはいられない。

 中から骨の身が足を踏み出してくると、全員が数歩後ずさった。

 圧倒的な存在感と、抑えきれない畏れ。

 バイスは慌てて両膝をついた。

「――し、神王陛下……。よ、よ、よくぞいらっしゃいました……」

「担任だな。いつもナインズが世話になっている」

 神に軽く頭を下げられるとバイスは目を回しそうになった。

「いいいいいいえ、み、み、みんないい子ですから、ぼ、ぼ、僕の方こそ陛下には、お、お、お世話になって、あーと、えーと!!」

 何もうまく言えない。神は床に座るバイスに視線を合わせるようにしゃがんでくれた。

「いや。過保護な親で申し訳ない。こんな事は図々しいと分かっているんだが、ちょっとした事情で白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が直接見なければならなくなった。悪いが、今日一日頼む」

「ひゃい!!」

「……じゃ、混乱するだけだから私はもう帰る。ツアー、頼んだぞ。だが、ナインズに話しかけたりするな」

「分かっているよ」

 神は全教員を見渡すと、一度頭を下げて闇の中へ戻って行った。

 頭を下げられた教員達は腰を抜かした。

「……こんな事で君たちは本当にナインズに物を教えられているのかい。僕はナインズを特別な子だと思っているし、正しく育って欲しいと思っている。本当は大人になるまで僕のところで預かりたいくらいだ。しっかりして欲しいところだね…」

 バイスは慌てて立ち上がった。神の子の教師としてみっともなくいつまでも座っていられない。

「そ、それはもう、も、もちろん!さぁ、行きましょう!!」

 竜王が自分の後ろについて来る。

 今日の日のことはきっと死ぬまで忘れないなとバイスは思った。近い未来、何度も忘れられないような事と遭遇するが、バイスはやはり死ぬその時まで今日の日のことを忘れなかった。

 階段を上がり、窓から差し込む日の光の落ちる廊下を進む。

 まだ少し時間が早いので、生徒の数は少ない。

「先生おはようございまーす!」隣のクラスの子に声をかけられ、バイスはいつもより威厳を意識して「おはよう」と返した。

 自分の教室に入ると、まだ数名しか登校していなかった。

「誰ー?」

 子供の何の悪気もない問いに、バイスはしっと口に手をやった。

「朝の会で話すから、とにかく失礼のないように!」

「えぇー?バイスンより偉い人ー?」

「バイスンじゃなくてバイス先生!」

 などと言っていると、竜王はまっすぐ窓へ向かい、外を眺めた。

(――ナインズ)

 曇天の校庭で一郎太と駆け回るナインズを眺める。教室にはどんどん子供が増えて行った。

 時間差で教室に上がると言っていたが、そろそろ遊ぶのをやめてきた方が良いんじゃないかと思う。こんなことを心配するために来ているんじゃないのに。

 新しく登校してきた子供達はあれ誰ー?生きてるー?とツアーを指差してはバイスに注意されていた。

 ナインズと一郎太は上位森妖精(ハイエルフ)のハーフの子供と合流すると、遊ぶのをやめて校舎へ向かった。

 ツアーも教室の隅へ行き、腕を組んで止まった。

「こいつ、動くぞ!」と子供が言うが、ツアーは無視した。

 ナインズも教室に入ってくると、ツアーをチラリと見て、少し緊張したような顔をした。

 そして、たくさんの友達たちに「キュータ君おはよー」「キュータおはよー」と声をかけられ、皆と挨拶を交わした。

「はーい、皆どんどん席についてー」

 子供は次から次へと教室に入って来る。

 アインズの建てた学校で何を教えているか知るためにも、今日と言う機会はぴったりだ。

 一席を残して、全ての席が埋まるとバイスはバインダーを開いた。

「ちょっと早いけど、今日はもう出席取りまーす」

 ツアーの存在が気になるのと、バイスがいつもと雰囲気が違うのとで、生徒達も少し緊張感があるようだ。

 一人一人呼び、呼ばれるたびに子供が返事をする。

 そして、最後に――「イオリエル・ファ・フィヨルディアは…今日も休みだな」

 一人だけチェックを入れ、バイスはバインダーを閉じた。

「さて、えー、皆気になってると思いますが、今日はある事情からそちらに白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と言う竜王様が授業を参観します。竜王様は陛下方に言われていらしているそうなので、全員失礼のないように」

 さらりと紹介をすると、ハイ!と赤毛の少年が手を挙げた。

「はい、リュカ」

「陛下方にってことは、ナインズ殿下を見にきたの?」

「そうだね。後は、きっと皆が全員とちゃんと仲良くやっているか見にきたんじゃないかな」

 ツアーはバイスにチラリと視線を送られると、軽く手を挙げた。

「よろしく。僕のことは気にしないでいいよ」

「すげー!じゃあ、本当にこのクラスにナインズ殿下がいるんだ!」

「リュカ!このクラスにいらっしゃるんですね、だろ!」

「はは、いらっしゃるんですねー!」

「どうだろうね」

 ツアーはもう何も話すつもりはない。

 リュカはハーフ上位森妖精(ハイエルフ)を見た後、ナインズをじっと見つめ、座った。

(…気付きかけている子供もいるわけか)

 教師達も薄々勘付いている者もいるのかもしれない。

 気付かぬふりは子供より大人の方が得意だろう。

「じゃ、授業始めるぞー。国語の教科書開いてー」

 今日の授業は国語、算盤、魔法、宗学。昼食を挟んで、音楽だ。

 皆教科書を開いたり、筆箱を出したりするたびにちらちらとツアーを確認した。

 余程気になるらしい。

「昨日の続きからだから十三ページだぞー。今日は誰からにしようかな〜。中土月の二十九日だから――オーレリアン。オーレ、最初からニ個丸が付くまで読んでごらん」

 リュカとわりと仲のいいオーレが立ち上がり、スッと息を吸う。

「は、はい!えっと、火と、人の、せいかつは、いつも、いつしよです。すい…すい……」と読めずに悩んでいると、バイスから「水中都市な」と助け舟が出た。「――あ、水中都市いがいの、ほとんどの、ぶんめいを、もつ、生きものが、つかいます。まる」

「はい、そこまで。よく読めたな。じゃあ、先生から見て右隣ー」

 と、どんどん読み進めて行く。

 ツアーは自分の隣に立つ者にチラリと視線を送った。

 ナザリックで何度も見た事があるハンゾウ達だ。何なら昨日の夜ナインズと寝てた間もずっと近くに座っていた。

 不可視化しているのでクラスの誰も気付いていない。

 どんどん生徒達が読み進めて行くと、一番窓際のナインズの番が回ってきて、ナインズが読み始めるとハンゾウは感涙を流すように頷いて聴いていた。涙はハンゾウの体から離れると不可視ではなくなり、床に数的の水が落ちた。

「――水中都市には、完全に水の中にある都市と、半分だけ水の中にある都市があります。中でも、完全に水の中にある都市には水火という不思議な火があるのです」

 ナインズの読み方はとてもスムーズだった。言葉の意味をきちんと理解しながら読んでいるので聞いていて耳触りがいいし、聞いている方も言葉の意味を理解できる。

 言葉は話す方が理解をせずに話しては意味が通じないのだ。

「おー。キュータ、やるなぁ。よし、じゃあ、ここまで出てきた字を一回おさらいするぞー」

 教師が優しい公用文字を黒板に書いて行く。

 ツアーはそれを眺めながら、宵切姫はまだ公用文字が万全ではないが、よく二年でアーグランド文字を覚えたなと感心する。子供よりも基礎知識が多くあるとは言えよく頑張っただろう。

 その後も授業が穏やかに続き、算盤の授業が終わる頃にはバイスもツアーの存在にわりと慣れたようだった。

 十分程度の休み時間には、子供達がツアーの周りで、ツアーを真似て腕を組んで仁王立ちしたりした。

「な、キュータ!話しかけに行こうぜ」と、朝に発言したリュカがナインズに言った。

「え、ぼ、僕はいいよ」

「良いじゃん。すっげぇ鎧だしさ!」

 いやぁ〜とナインズが言っていると、上位森妖精(ハイエルフ)がリュカの肩を叩いた。

「キュータの家は魔法道具屋だから、ああ言うものもよく見るんじゃないかな?ね、キュータ」

「あ、エル。うん、まぁまぁよく見るかも」

「じゃあ、エル行こうぜ」

「いいよ、リュカ。行こう」

 ツアーは上位森妖精(ハイエルフ)はナインズの秘密に気付いていると思った。良い友達に恵まれている。

 二人はツアーの前に来ると、顔の前で手を振った。

「こんにちはー。竜王様、起きてる?」

「リュカ、失礼だよ。竜王様、こんにちは」

 ツアーは興味がないので無視した。

「…寝てる」

「そうなのかな…?」

 二人がナインズの下へ戻って行き、机を囲む。

「寝てた」

「え?寝てたの?」

 ナインズが振り向くと、ツアーは組んでいた手を下ろした。

「あ!起きてた!!」

 リュカが大声を出すと、隣で椅子を半分づつ分け合って座る女子達と、机に座る女子がリュカを睨みつけた。

「もー!リュカ君うるさい!」「ちょっとはキュータさんとエル様を見習って静かにして頂けませんこと」「うっさいなー。リュカ、あんた落ち着きなよ」

「お前たちの声の方がでけぇ!」

「失礼ね!」

「はは、皆賑やかだね」

 ナインズは楽しそうに笑った。一郎太も笑っている。

「キュータ君、私うるさくないよね?」

「オリビアはうるさくないよ。もちろん」

「オリビア"は"って、わたくしとイシューはうるさいって事ですの?」

「あー…レオネはちょっとうるさいかも」

「ちょっと!!キュータさんはオリビアにばっかり甘いんじゃありませんこと!イシュー、なんとか言って!」

 机の上に軽く腰掛けていた女の子はナインズに振り返ると、「あたしはレオネほど煩くないだろ」と不貞腐れたように言った。

「ははは。嘘だよ。二人ともうるさくないよ。レオネの声聞いてると元気が出る」

「だ、ちょ、どう言う意味ですの。もう」

「キュータ〜?あんまりレオネに意地悪するとくすぐるよ」

「してないしてない。イシューは優しいね」

「や、やさ…。いやぁ、別にあたしは二人の保護者っていうかさ。ね」

 ナインズはクスクス笑うと、立ち上がった。

「僕、ちょっとごめん」

「あ、キュー様?」

「一太はここにいていいよ」

 ツアーの方に歩いてくる――と思ったが、途中で曲がった。

「アナ=マリア。こないだ教えてくれた本、読み終わったよ」

「………ほんとに?ちょっと難しいご本だったでしょ?」

「うん。結構苦労した。難しい字がたくさんあったし」

「………お話はどうだった?」

「すごく素敵だったよ。こんなお話が身近にあったなんて驚いた。ツアレニーニャの時も驚いたけどね」

「………そうでしょ。キュータ君はきっと、気にいるって思ったの…」

「ありがとう。またいい本があったら教えてね」

「………うん。また一緒に買いに行こ」

「そうだね」

 よしよしと頭を撫でると、隣の席で山小人(ドワーフ)と一緒に本を眺めていた男子が振り返った。

「ねぇ、キュータ君。これどうやったら上手く使えるかな?」

「武器に刻むとしたらどうするのがいいじゃろう?」

 山小人(ドワーフ)は口調こそ老人だが、声は高く子供そのものだ。

「ロランとグンゼ、本当にルーン覚えるの?」

「位階魔法より面白いもんね」

「わしは立派なルーン工匠になりたいんじゃ!」

 ナインズは頷くと、ロランの机にある鉛筆を取った。

「これは変革や夜明けを意味するD(サガズ)だから……武器に刻むのは難しいけど……もし僕がやるとしたら……うーんと」置いてある紙にそっと書き込む。「上下に二つ組み合わせると、(スタン)になる。石を意味する文字だよ。この字の中には動きをサポートするE(エワズ)も含まれているから、モーニングスターみたいな打撃系の武器なら強くなるかも。試してみよう」

 ナインズがルーンを書き込んだ紙は軽く光を漏らし、それをぐしゃぐしゃに丸めた。

 それを持って数歩離れていく。

「投げるよ!」

「いいよ!」ロランが手を出すと、ナインズは下から優しく紙を投げた。

 それはロランの手の中に収まると、パシっと音を立てた。紙からなるとは思えない硬い音だった。

「……ほう」

 ツアーは思わず声を漏らした。

「「おぉー!」」

 ロランとグンゼも盛り上がる。

「紙だから上手くいっただけかもしれないけど、そんな感じかな」ナインズは照れ臭そうに頭をかきながら二人の下へ戻った。

「すごいよ!やっぱりすごいよキュータ君!」

「キュータにはわしの家の工房に一緒に来て欲しいくらいじゃ!」

「はは。全部お父さまに教えられただけだからすごくないよ。でも、グンゼの家は見に行きたいなぁ!」

「いつでも歓迎じゃ!」

 ナインズはグンゼと来週遊ぶ約束を取り付けながら、丸めた紙を広げ直して自分の書いたルーンが力を失うように上から塗りつぶした。ルーンは途中まで発光していたが、一部を塗りつぶすとぐにゃりと歪んでいった。

「…残念じゃのう。持って帰って親に見せたいんじゃが」

「誰かに取られると危ないからね。この紙があんなに硬いなんて誰も思わないだろうし」

「それもそうじゃな。今度うちに来た時、また書いてくりゃれ!」

「こんな事でよかったらいつでも」

 わいわいとあちらこちらで盛り上がっていると、教室にバイスが戻ってきた。

「はーい、皆席に着いて魔法と宗学の教科書出してー。三限が魔法で、四限目も宗学だから、今日は二時間かけてたっぷり勉強するぞー」

 じゃあね、とナインズは手を振り自分の席に戻って行った。ナインズの席にいた一郎太もエルと一緒に戻っていく。

「まず魔法の時間にたっぷり実技をやって、後半宗学でもう一度理論のおさらいだ。さ、今日もまずは製紙魔法を使ってみよう。皆杖を出してー」

 ナインズはツアーに振り返った。

 その目には外していいんだよね?と書かれているようだ。

 良いと言ったが、それでもきちんと確認をとって来るあたり、不覚にも愛らしさを感じてしまう。

 ほんの小さく頷くと、ナインズは嬉しそうな顔をして腕輪を外した。

「キュータ君、お母さま達良いって言ってくれた?」

 ナインズの隣に座る女子が小さな声で尋ねる。

「あ、うん。許してもらえたんだ。昨日は心配かけてごめんね」

「ううん。キュータ君のお母さま達なら、きっと良いって言ってくれると思ってたから」

「オリビアが取ってみたらって言ってくれたおかげだよ。ありがとうね」

 女の子のように整った顔でナインズが笑うと、オリビアは少し顔を赤くしてもじりと杖をいじった。

 一方、一郎太は首を伸ばしてナインズの様子を見ていた。腕輪を外してからずっとそうしている。

 やはり外すなとずっと言われて来たから、なんとなく心配なのだろう。こうしてお目付役のようにツアーがいては尚のこと。

(力は――今のところ大丈夫そうだね)

 暴走する様子はなく、ひとまずは安心だ。

 あちこちで呪文を唱える声が響く。

 

「<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!」

 

 ナインズが唱えると、ツアーはそちらを伺った。鎧なので視線は読まれない。

「で、できた…。やっぱり、これがなかったらできるんだ…」

「キュータ君、すごいすごい!」

 オリビアがパチパチと拍手をして、ナインズは感激したように紙を見つめた。

 そうしていると、バイスがナインズの様子に気付き寄って行った。

「キュータ!良かったな。お母さん達はなんだって?」

「あ、バイス先生。お父さまとお母さま、今日の放課後に腕輪の説明に来るって!」

「そうかそうか。ちゃんと手紙を渡してくれたんだな」

 バイスがナインズの頭に手を伸ばすと――ツアーと隣にいたハンゾウ達がぴくりと反応を見せる。

 ただナインズの頭を撫でただけだった。

 ツアーは反応しかけてしまった自分に苦笑した。

(……僕は守護神じゃないって言うのに)

「皆ー!キュータが完全に魔法を覚えたから、少し見せて貰えー!」

 ざわざわと子供達が寄って行く。

 ツアーとハンゾウのいるところからナインズが見えなくなると、ハンゾウはツアーと目を見合わせた。あちらもツアーがハンゾウを見えているとわかっているらしい。

 彼らは壁に登っていくと、天井からナインズを見守った。

 まぁ、何の変哲もない授業風景だ。

 ナインズも力を使う様子も、気付く様子もない。

 ツアーは少し過保護すぎたかと校庭に視線を投げた。

(この様子なら、一時間くらいなら良いか。少なくとも二年くらいは問題のある力の大きさにはならなそうだしね)と思い、ツアーは歩き出した。

(さて、帰るとしようかな)

 大神殿に一時的に鎧を置いて、今朝届いたと言うダイオリアーからの共和国の様子の報告の手紙を読みたい。あちらは少し困ったことになっているから。

 鎧はナインズが帰る時に一緒に鏡を潜らせれば良い。

 鏡の前には屍の守護者(コープス・ガーディアン)なるかなりの力を持つ守護神――だと思われる存在――が配備されていて、ナインズか一郎太と一緒でなければ鏡を潜らせてはくれないらしい。ツアーであれば倒せるが、わざわざ倒す必要もない。

「あ、竜王様!どちらへ?」

 バイスが尋ねると、ナインズの席に集まっていた子供達もツアーの移動に気が付いた。

「ジョルジオ・バイス・レッドウッド、僕の中で一つの結論が出たから、僕は行くよ」

「そ、そうですか…?」

 訳がわからないと言う様子だったが、バイスは一度両手を叩いた。

「じゃあ、皆竜王様を廊下までお見送りしよう!」

「「「「はーい!!」」」」

 子供達の返事が気持ちよく響く。

 ツアーが廊下に出ると、ナインズと一郎太も含め、皆が廊下に見送りに出てきた。

 それと同時に、アインズがこの場所を監視している雰囲気も消える。帰ってから特別報告する必要もなさそうだ。ツアーがこうして魔法の授業の途中で帰ったことが、全ての答えになるだろう。ツアーが教室にいた間、ずっとアインズに見られていた。

「それでは、竜王様、さようなら」

 バイスが言うと、子供達も「さようなら!」と声を上げ、皆手を振ってくれた。

 ツアーは「またねー!」と言うナインズにだけ手をふり返した。生徒達の中にいたので、誰に手を振ったかは分かるまい。ナインズの周りにいた子供達が「竜王様に手ぇ振って貰えたぁ!」と盛り上がっている。

(ナインズ、終わったらちゃんと腕輪を着けるんだよ)

 ツアーは一郎太と言うある種の監視にチラリと視線を送る。鎧に目はついていないので、野生的な勘でしかそれは感知できない。

 だが、一郎太は頷いた。

(ふ。古いぷれいやーの子孫か)

 ミノタウロス達はミノタウロスの国に引きこもっていたので、ツアーはわざわざ殺しに行ったりはしなかった。あの時の判断は間違いじゃなかったと思った。

 きっと、アインズはこの先ももしぷれいやーの子孫がいれば全員ナザリックに連れ帰ってくれるだろう。

 廊下の天井にはハンゾウ達がへばりつき、一応ツアーを見送ってくれていた。ナインズのそばにいるついでだ。

 歩くごとにガラン、ガラン、と中に仕舞い込んだ剣が揺れる音がする。階段に差し掛かると、一度頭を外して始原の剣を取り出した。いつもの場所に下げると何となく落ち着く。

 ツアーは午後の予定について思いを巡らせ、階段を降りていった。

 そして――「ない!!」と叫んだナインズの声がした。離れているので、普通の聴覚では聞き取り辛いようなものだ。

「――ナインズ!?」

 ツアーは一目散に教室に走った。その声は鬼気迫るものがあった。ナインズの心が不安と恐怖に揺れるのを感じる。

 ツアーは圧倒的なスピードで階段を駆け上がり、何事かと廊下を見ている子供達の教室の前を駆け抜ける。

 出過ぎたスピードは止まりにくく、片手で床をザザザと撫でながら止まり、扉を音を立てて開けた。

 バイスが竜王様!?と驚く。

「どうしたんだ!!」

「つ、ツアーさん!!僕の、僕の腕輪が!!」

 ナインズは泣きそうだった。周りの子供達が騒然とする。

「ハンゾウ!!腕輪はどこだ!!」

「ぼ、ぼくの…!僕の腕輪が…!!」

 ハンゾウは壁で不可視化していて、その場で首を振った。

「く、分からないと言うのか!?お前達それでも」アインズにナインズを任された護衛か、と言おうと思ったが途中で言葉を切った「――っくそ!!」

 ハンゾウは言われなかった言葉がなんなのかはっきりと理解している様子で、自分達の無力さを嘆くようだった。しかし、彼らはナインズの護衛としてはほぼ百点の行動をしていた。廊下に出た彼をきちんと見守り、常に側にいた。

 だが、そのナインズが健やかに過ごすためにあの腕輪は絶対必要不可欠なものなのだ。誰かに盗まれたとして、簡単に作り出せるものではない。制作には時間がかかるし、常闇の肉体もどれほどナザリックに溜まっているか分からない。

 ハンゾウ達は姿を消したまますぐに天井に上がり、上から腕輪を探し始めた。

「つ、ツアーさん!!」

 ナインズの中をもやりと力が動く。暴発するほどではないが、ツアーは急いでその手を握った。

「落ち着くんだ!大丈夫だと自分に言い聞かせろ!!僕がすぐに見つけてみせる!!あれは謂わば僕の一部なんだから!!」

 そう、あれはツアーの鱗から生み出されたツアーの一部なのだ。

 ツアーは竜の体も起こすと教室中の空気の流れ、力の集まる歪み、子供達の息遣い、自らの体の一部が漏らす気配、竜の持つ宝を求める本能、あらゆるものを駆使して感じとる。

「ツアーさん!見つからない!?ごめんなさい!僕が外したいなんて言ったから!!僕のせいだ!!」

「見つかる!!ナ――九太、君は何も悪くない!!僕が許した!!だが、静かにしていてくれ!!」

 教室はざわめいていた。

 ナインズの隣のオリビアが「キュータ君!?」と言うし、一郎太は慌てて腕輪を探している。

 ツアーはうまく力を見つけ出せずに焦った。近くにあるはずだ。あるはずだと言うのに、見付けられない。

 ツアーにあった始原の力はもうない。あれがあればすぐに見つけられたと言うのに――!

 ナインズがツアーの腕を引っ張る。ツアーはナインズの前に跪くと、立っているナインズを抱き締めた。

「この肝心な時に――!」

 今こそアインズに教室を覗いていて欲しかったが、残念ながら今その気配はない。

 フッ――と竜の身で息を吐く。一度頭を冷やした。

「九太、僕に君の力を貸してくれ」

「ど、どうやって!?」

「静かに。君はそのままで」

 抱きしめるナインズから感じるのは懐かしく愛しい力の波動。昔、フラミーが愛してやりたかったと言った子供にやってしまったと言っていたことを思い出す。魂の記憶がツアーに流れ込むようだった。

 その力にツアーは触れる。

 ナインズから始原の力を奪う事はできないが――彼の体を通して、目を閉じた暗闇の中、ツアーの体の一部が輝くのを感じた。

「――そこだ!!」

 そう言って手を伸ばした先は――顔を青くして震えている男の子が二人いた。

 ツアーはナインズから離れると、その身から始原の力の痕跡を失い、身を引き裂かれるような気分になった。

 震える男の子達は近づいて来たツアーを見上げて顎をガチガチ鳴らしていた。

「――出せ。出さなければどうなるか分かるな」

 その声はこの世界に君臨し続けた覇者のものだった。

「ち、ちが……ぼ、ぼくは…ぼくたちは……やってな――」

「――嘘だ」

 竜の知覚能力(ドラゴニックセンス)が否定する。同時に、ツアーは剣を戒めている紐を解いた。

「つ、ツアーさん待って!!」

 ナインズからの呼びかけに手を止めた。

「僕、お母さまにちゃんと言いたいことを言って、皆と喧嘩しろって言われたの」

「……よく彼女がそんなことを言ったね」

「うん。だから、僕が返してって言う」

「そうかい。君がそう決めたなら、僕は構わないよ。だが、出さなければ後のことは僕がやる」

「うん」

 ナインズは目を丸くしているバイスと子供達に見送られ、その男の子の前に立った。

「――カイン・フックス・デイル・シュルツ。チェーザレ・クライン。僕の封印の腕輪を返して。それは僕が、僕自身と周りの人達を誤って傷付けないためにお父さまが作った腕輪なんだ。僕のお父さまもそれに似た物を着けてる。返してくれないと――僕、本気で殴るよ」

「か、か、かいんさま…かいんさま……」

「ち、ち、ちがう…ぼぼくじゃない…。ぼくじゃ……」

「君だよ。ツアーさんが嘘だって言うんだから。これは推論じゃない。確定事項だ」

 ――似ている。

 ツアーはナインズの物言いや、その雰囲気がアインズにそっくりな事に少しだけ苦い顔をした。

 カインは震えるばかりで、一向に腕輪を出そうとしなかった。

「出せ!!」

 その怒声とともに、カインは泣き出した。

「うわぁー!!ちょっと、ちょっとびっくりさせようと思っただけなのに!!ちょっと叱られれば良いって思っただけなのに!!ぼくだって、お前が、お前がこんな腕輪してなかったらぁ!!うわぁぁーん!!」

 バイスも我に帰ると、慌ててカインの下へ駆けた。

 そしてローブのポケットをまさぐり、ナインズの腕輪を見付けた。

「キュ――い、いや、あの…殿下……こちらを……」

 バイスが膝をついて腕輪を差し出すと、ナインズはそれを受け取った。

「先生、僕はキュータ・スズキです。ツアーさん――いや、竜王はただ盗みを見過ごさなかっただけです。僕を助けたのは僕が取り乱していたのを可哀想に思っただけ。そして、盗みを働いたシュルツを客観的に見て叱っただけ」

 腕輪は腕の元の場所に戻され、ナインズは自分の席へ踵を返した。

 バイスはその小さな背中に何を言うべきかわからないようで、ツアーを見上げた。

「……どのような子供の物でも、勝手に盗んだり奪ったりする事は許されない事を、君達はよく覚えておくと良い。誰のものであってもだ」

「は!申し訳ありません!カイン、チェーザレ!早くお前達も頭を下げろ!!」

 バイスが泣きじゃくるカインの頭を押さえつけて下げさせる。

 ツアーはこの危険分子は殺してしまっておいた方が良いような気がした。弱く脆い人間の子供如き、手刀でも容易く首を刎ねることができるだろう。

 しかし、ここで切り捨てる事はやめておくべきだと頭を冷やす。

 それをするのはツアーの役目ではないし、ここは一応法治国家だ。例え、その法を破っても「仕方ないな」と(アインズ)が許す状況であってもだ。

「――カイン・フックス・デイル・シュルツ。チェーザレ・クライン。君達は二度とやらないと誓えるかな」

「や、や、やりません!」「やりません!!」

「そうかい。後は彼に許しを乞う事だね」

 ナインズはじっと椅子に座って自らの腕にはまる腕輪を睨み付けていた。もう二度と外すものかという気概が伝わってくる。それはそれでツアーとしてはある意味安心だが、ナインズがきちんと位階魔法を覚えられるかは心配だった。

 カインとチェーザレは震える足でバイスを支えに立ち上がり、ナインズの下へ行った。

「で、で、でんか…でんか……」

「……僕はキュータ・スズキだってば。君の言葉で言えばただの市井(しせい)の子だ。竜王が僕を一度でもナインズ・ウール・ゴウンだと呼んだか」

「い、いえ…いえ……」

 本当にアインズによく似ていると思う。ツアーは身を消したままでいるハンゾウの隣へ移動した。ハンゾウはこそこそとナザリックに連絡を取っているようだった。

「じゃあ、僕はキュータ・スズキなんだよ。だけど、君は僕がキュータ・スズキじゃ悪い事をしたと思わないかもしれないけどね」

「そ、そんな!そんなことありません!!僕は…ただ……君が羨ましくて……。君の持つ友達も、魔法も、その装備も……全部……。ちょっと困らせてやりたかっただけで……」

「僕が羨ましい?僕は何もできない。いつか強くなりたい、いつか大きくなりたい、いつか何でもできるようになりたい。そればっかりだ。いつも困ってるよ」

「申し訳ありません!申し訳ありません!!」

「僕は前に君に言ったはずだよね。志の高さを見せろって。国民としての自覚が足りないって」

「はい、はい……」

「僕は殿下なんて大それたもんじゃない。だけど、今日はたまたま竜王がいてくれた。たまたま腕輪を見付けてくれた。竜王がいなければこの腕輪は見つからなかった。僕はきっと家に帰ることもできずに、誰にも迷惑のかからないどこかへ消えるしかなかった。竜王がいなかったら君はそんな僕にどう責任を取ってくれたんだ。そう言うことまでよく考えたのか」

「何も…何も考えてませんでした……」

「そうだろうね。君達には、僕が昔から父に言われ続けている言葉を二つ教えておくよ。"お前は自分のやろうとしている事が、お前自身とお前の周りに本当に必要なのかよく考える必要がある"。"無駄に奪う事は未来のお前自身から奪うことに繋がる"。僕はこの言葉達を初めて聞いた時から片時も忘れた事はない。君達は今日僕から奪う事で、君達自身からもきっと何か大切なものを失うことになったと思うよ」

「お、お許しを…!」「どうか、お許しを!!」

「……その痛みを君達は君達自身で解決するしかないと思うと同情するよ。だから、許すと言葉にしておく。でも、一郎太のこともだけど、二度目はない」

「絶対にもうしません!!」「二度としません!!」

「下がってくれ。僕は疲れた」

 しかし、カイン達は下がる様子はなかった。

「…先生、授業を続けてください」

 バイスは弾かれたようにカインの腕を捕まえた。

「す、少し自習していて下さい!先生はカインとチェーザレと話します!」

 泣いて仕方のない二人が先生に引きずられるようにして出ていくと、ナインズは周りからの痛すぎる視線の中、ため息をついた。

「……キュータ君……」

「…オリビア、驚かせてごめん。僕、この腕輪がすごく大事だったんだ…」

「う、うん。あ、いえ。はい。そうですよね」

 そのよそよそしさに、ナインズは短杖(ワンド)と教科書を持つと、ロッカーへ向かった。

「あ、キ、キュータ君……」

 何をしているのかと見ていると、ロッカーに入っている全てを鞄に詰め込んだ。

「僕、今日は帰る。ツアーさん、行こ」

「良いのかい」

「……これじゃいられないよ」

 生徒達は硬直している。彼らには少し時間が必要そうだった。

「――そうだね」

 ツアーはそっとナインズの手を握ってやると、扉を開けた。

「あ、キュー様!」

 一郎太も慌てて荷物をまとめると、ロッカーの中に入れてある鞄に押し込んで後を追った。

「……バレた。たった二ヶ月や三ヶ月で」

 ナインズは目にいっぱいの涙を溜めていた。

「……まだバレたと決まった訳じゃないだろう」

「バレたよ……。皆が僕を見る目を変えたんだ……。明日から、お利口な神の子なのか、点数をつけられちゃうんだよ……」

「ナインズ、君はさっき、自分はキュータ・スズキだとハッキリと担任に告げたんだから、大丈夫だ」

「ナイ様、そうですよ!大丈夫です!」

 追ってきた一郎太はナインズの持つ鞄を持ってやり、手を握った。

「一太…君は授業受けて良いのに。魔法、使えるようになりたいんでしょ」

「ナイ様のおそばじゃなかったら、どこにも居たくないから良いんですよ!」

「……一太、ありがと」

「いえ!」

 三人が揃って外に出ると、外はしとしとと雨が降っていた。傘を開こうとすると、校門に転移門(ゲート)が開いた。

「――アインズか」

 三人はそのまま転移門(ゲート)に入り、転移門(ゲート)は閉じた。

「ナインズ、大丈夫か?」

 転移門(ゲート)の中では枕を殴りまくっているアルベドと、ソファに座るアインズ、フラミーがいた。枕がよく弾けないものだ。

 それから、転移門(ゲート)の前で待っていたアルメリアが駆け寄り、ナインズを抱きしめてくれた。

「にいに」

「……リアちゃん、僕、もう学校やめる。ごめん」

「ナインズ、そう言うな。大丈夫だ。私が今から皆の記憶を書き換えてきてやろう」

「お父さま…ごめんなさい…。」

「お前が気にする事じゃないよ。偉かったな。正直驚いたよ。私達はお前を誇りに思っている」

「皆の記憶は…僕が悪いんで…消さないであげてください…。」

「いいのか…?」

「はい…。きっと、記憶操作(コントロールアムネジア)は怖いから…。」

 アインズはこのやり取りはフラミーとしたことがあると思った。フラミーの身体特徴を知ったアルベドの記憶を書き換えるか尋ねた――あれは初めて聖王国に行った帰り、デミウルゴスの牧場でのいざこざの後のことだ。

「……お前がそう言うならやらないが……お前は本当にそれで良いのか?」

「うん……。僕がちゃんと席を離れる時に腕輪を持って行かなかったのが悪かったんだ……」

 ツアーはナインズの身の中で何かが歪もうとすることに気がついた。それをアインズとフラミーはカルマ値と呼んでいる。

「――ナインズ、君は悪くない。君はアインズ達や僕の言いつけを片時も破っていない。許された範囲で何もかもを行なっていたんだ。我慢することはない、君の思う事を聞かせてくれ」

「……ツアーさん」

「言って良いんだ。君はフラミーに喧嘩しても良いとも言われているんだろう」

 ナインズはギュッと拳を握りしめた。フラミーがナインズの頭を撫で、抱き上げようとすると、ナインズはやんわりと拒否した。一郎太もツアーもいる前で、子供のように母親に抱き上げられたくなんかないのだろう。

「……フラミー、僕の家へ転移門(ゲート)を開いてくれ」

「…帰るんです?」

「ナインズと少し話してくるよ」

 フラミーはそれがナインズのプライドのためだと言うことにすぐに気が付いた。

「…そうですね。ナイ君、ツアーさんの所にお出かけしておいで。――<転移門(ゲート)>」

 ナインズが無言でツアーと共に転移門(ゲート)を潜っていくと、一郎太はそれを追おうとし、フラミーは転移門(ゲート)を閉じた。

「いっくん、ごめんね。いっくんはリアちゃんと一緒に大神殿に行って、屍の守護者(コープス・ガーディアン)からナインズの分といっくんの分の温度耐性の指輪を持ってきてくれないかな?」

「わかりました!オレ、行きます!アリー様、行こ」

「…リアちゃんも行くです?」

「うん。リアちゃんもにいにの味方でしょ?だから、にいにのために取りに行ってくれるかな?」

「分かったです!にいにのために行くです!」

「二人ともありがとね。<転移門(ゲート)>」

 一郎太は大神殿に開かれた転移門(ゲート)に一歩足を踏み入れると、振り返ってアルメリアに手を差し伸ばした。

「アリー様、どうぞ」

 アルメリアはすぐにそれを取って転移門(ゲート)を潜っていった。

 ふぅー…と親達のため息が響く。

「アルベド、やめろ」

 枕を殴っていたアルベドはそれを即座にやめた。

「――は。申し訳ありませんでした」

「良い。気持ちはよく分かる。あぁ………最初からナインズとして通わせてやってた方がよかったのかな。俺のエゴだったっていうか……」

 アインズは呟くと、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を取り出した。

 フラミーが首を振る。

「それはそれで、きっとすごく悩みましたよ。位階魔法が使えなくて、周りの目を気にしちゃってた。それに、抑制の腕輪も神王陛下と光神陛下が言うなら外させてはいけないって、きっと先生もナイ君に外した状態で魔法を試させようとしなかった。お友達も、あんなに自然にはできなかった……」

「……利口な神の子なのか点数をつけられる――か。ナインズにはそう感じるんだもんな……」 

 

 鏡に映るナインズは初めて訪れたツアーの城を口を開けて見ていた。

 アインズは竜の体のツアーと鏡越しにちらりと目が合った。

「おいで、ナインズ」

 広い城の中に声が何度も反響した。

「そ、その体がツアーさんなの?」

「そうだよ」

 ナインズは薄暗いその場所で、足元を確認してから長い長い階段を登った。

「よく来たね。昔、フラミーはとても悩んでいた時毎日ここを訪れていたんだよ」

「お母さまが?」

「そうだとも。僕の顔に寄りかかって座っていた。その時、僕達はとても多くのことを話したんだ」

 階段を登り切り、ナインズは猫のように体を丸める大きな竜の顔の横に座った。

「君もここなら何を話しても良いんだ。さぁ、聞かせてくれるね」

 ナインズはツアーの巨大な牙を数度撫でると、ぽつりとこぼした。

「……僕は本当はシュルツなんか大嫌いなんだ」

「僕もあの子供は大嫌いだとも」

「……一太にひどい事を言うし、僕のものも盗るし、あんなやつ、あんなつ……」

「そうだね」

「……僕は本当は何も悪くなかったのに!あんなやつのせいで僕は皆に、皆と違うものを見るような目をされた!!」

「そうだとも。君は悪くなかった。とんでもない話だね」

「あんなやつ!あんなやつ!!大っ嫌いだ!!」

 ナインズは数度肩で息をした。

「君の言う通りだとも。この白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)もそう思っているんだ。それに、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王も、フラミーもそう思っているよ」

「あんなやつ、いなかったら良かったのに!!許したくなかった!!あんなやつ、あんなやつ死――っくぅ……!」

 ナインズが何を言おうとし、何を堪えたのかツアーにも、鏡を覗く両親にも分かった。

 ナインズの言葉は強い力を持つ。望んで口にすれば叶わないことはない。

「……まったく君の言う通りだね。なのに、許してやって君は偉かった。だが、ナインズ。許さないと言うことも時には選んで良い。許したから君は偉かったんじゃない。自分の戦うべき相手かどうかを自分で決めたのが偉かったんだ」

「……あんなやつ喧嘩しても意味ないもん…。……なのに…どうしてあいつは僕の邪魔ばっかりするんだ!」

「君のことが羨ましいんだろう。君は身分もない子供でありながら、たくさんの友達がいて、魔法も使えた。それに、誰も持っていないようなものをたくさん持っている。皆、君に憧れていたよ」

「何も持ってないよ……。それに、僕は憧れられてなんかない……」

「何故そう思うんだい。どの友達も君をあんなに慕っているじゃないか」

「……仲良しなのと憧れは違うよ…」

「ナインズ。君も君の価値を受け入れて良いんだ。君は特別な子供だ。それは力や身分のことを言っているんじゃない。ナインズでも九太でもなく、君と言う生き物自身が持つ誰よりも気高い精神のことを言っているんだ。わかるかい?」

 ナインズは少し照れ臭そうに笑った。

「はは、僕って気高いの?」

「気高いさ。それを友達は皆感じていた。だから君はあのクラスで誰よりもたくさんの友達がいたんだ」

「……今はもう、お友達じゃないのかな」

「それは君次第だよ。君がまだ友達でいたいなら、明日学校に行った時いつも通りに振る舞えば良い」

「僕が九太でいたとしていても、皆僕をナインズだと思ったらジロジロ見てくるかも……」

「最初のうちは見られるかもしれないね。気になるならアインズにあの変な仮面を借りていけ。だけど、君と言う生き物がナインズでも、九太でも関係なく、君の精神だけを見つめてくれる本当の友達だけが君のそばには残るんだと言うことを僕が保証しよう」

「残ってくれるかな……」

「たくさん残るよ。僕も君とは友達だからわかる。一郎太もそうだろう」

 ナインズは少し心が軽くなったような顔をしてツアーを見上げた。

「僕、腕輪はもう取らない事にする」

「魔法の授業はとっても良いんだよ」

「ううん、次またツアーさんが一緒にいてくれるとは限らないから、取らない。いつかこれを着けたままで位階魔法を使えるようになるんだよね?」

「多分ね。君の魔力がその腕輪にかき消されないくらい育ったら、使えるようになるんだと思うよ。アインズの言う通り、外して少しは練習した方がいいのかもしれないね」

「……じゃあ、ナザリックでツアーさんがいる時だけこれ取って魔法の練習する」

「はは、ナザリックでそれを外すのはアインズが認めないんじゃないか」

 ツアーはおかしそうに笑った。地を揺らすような笑い声がナインズの背中にビリビリと伝わった。

「危ないから?」

「あぁ。そうだとも」

 ツアーは返事をしながら、ちらりとアインズの見ている気配へ視線をやった。

「帰ったらアインズに確認をすると良い。もし、ナザリックではいけないと言われたら――君はここに来て魔法を練習するんだね。僕になら魔法を当てても大丈夫だから」

「え!そ、そんなの危ないよ!」

「僕はこう見えてとても強いんだよ。君のそばにいるどの守護神よりもね」

「……アルより強い?」

「アル――あぁ、アルベド君か。もちろんだよ」

「じゃあ、じいよりも?」

「コキュートス君よりも強いさ」

「それなら……平気なのかな……」

「平気だよ。だから、ナインズ。君はいつでもここに来て好きなだけ練習をすれば良い」

 ナインズが頷く。

 ツアーは少し笑んだ。それはこの始原の力を持つ子供を手中にできるかもしれないと言う打算と、――そんな物を置いておいたとしても大切に思ってしまう甘さからの笑いだ。

「――ナインズ。僕は君を心から大切に思っている。君のそばにいると心も安らぐ」

 ナインズの中を流れる、感知できないほどに抑え込まれた魂の魔法はツアーに柔らかな息を漏らさせた。

「ツアーさんは僕が好きなんだね」

「……そうだね。君は生まれた時、皆ナイ君を待っていた、皆ナイ君が大好きだって感じたんだろう。それは今も変わらない。僕も君が正しく育つのがすごく楽しみだ。君さえいれば、何も怖くないとすら思えるんだからね」

「僕もツアーさんといると怖くない!」

 ツアーは目を閉じた。

(君はぷれいやーと戦える。君は世界を破壊しない。君は世界を愛してくれる。君は無闇に征服しない。君は僕を信じてくれる。君は――始原の力をきっと正しく使ってくれる。そして、正しく使わないでもいてくれる)

「ツアーさん、眠くなったの?」

「眠くない。だが、君がそばにいる時はこうしている方が心地良い」

 ナインズも目を閉じてツアーの大きな呼吸音に耳を済ませた。

 ツアーはナインズの中で歪みかけていたものが元に戻っていくのを感じた。




ナイ君……( ;∀;)明日からまたちゃんと学校いけるかな
そして「あの変な仮面」

次回Lesson#9 不登校と森妖精
あぁ〜( ;∀;)25日デェス


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Lesson#9 不登校と森妖精

「……カイン、チェーザレ。先生は正直言ってガッカリした。ナ――いや、キュータ君も言ってたけど、人の物を盗るなんて絶対に許されない事だ」

 治癒室のベッドに座らされたカインは震えながら泣いていた。

「だって…だって……知らなかったんだもん……。あの子がそうだなんて……知らなかったんだもん……」

「キュータ君が誰でも関係ない。人から物を盗ったから、先生も竜王様もあんなに怒ってたんだ。キュータ君も怒ってただろう」

「ちょっと困った顔を見たら、返そうと思ってたもん!!なぁチェーザレ!!」

「そうですよ!ロッカーに入れて返そうと思ってた!!」

「それでも盗ったことは許されない」

「でもあの腕輪はそもそもいけない物なんでしょ!?先生だってあんな腕輪はやめさせてって手紙に書いてたくせに!!」

「……お前、どうしてそれを知ってるんだ?」

 カインはハッとすると口を閉じ、握りしめる手を見つめた。

「はぁ……。カイン。先生はカインの家に手紙を書かなきゃいけないから、涙が止まったら先に二人で教室に戻りなさい」

「せ、先生!!やだよ!!家は関係ないのに!!」

「関係なくない。ちゃんと親御さんから謝ってもらった方がいい。――これは、カインとチェーザレのためでもあるんだよ」

 そうだ。彼らが神から見放されれば、この先どんな人生が待っているかなんて分からない。

 バイスはカインとチェーザレの頭をぽんぽん、と叩くと、厳しい表情をする女神官に頭を下げた。

「神官様、申し訳ないのですが、カイン・フックス・デイル・シュルツとチェーザレ・クラインをもう少しここに置いてやってください」

「……構いませんが、手紙の内容には気を付けられますよう」

「……はい」

 それは、神の子から腕輪を取り上げて竜王に怒られたとか、そんなことを書くなと言う事だろう。誰が神の子かは伏せられなければいけない。

 バイスが治癒室を出ていく。

 カインは自分の脳みそは全部スパゲティでできているのではないかと思った。頭の中はぐちゃぐちゃで、かき混ぜられて大惨事だ。

 なぜあの時あんな事をしてしまったんだろうと何度も後悔した。

 たまたま皆がキュータの席の周りに集まった。

 そして、竜王が帰ると言ってたまたま皆がキュータの席から離れた。

 たまたま皆の意識が竜王に引っ張られた。

 カインも廊下へ向かおうとした時、たまたま腕輪が二人の目についた。

 たまたま誰も見てなかった。

 今なら隠してやれる。

 こんなルール違反は許さない。

 困った困ったと言って焦る顔が見られる。

 帰るまでに見つからなかったら、親に怒られたと次の日に落ち込む姿を見られる。

 ――そんな簡単ないたずら心と、一種の正義感だった。

「シュルツ君、クライン君。そろそろ教室に戻りなさい。ご迷惑をおかけした方にもう一度よく謝ってきた方が良いでしょう。それに、バイス先生がお戻りになった時にまだいないと心配します」

 二人はぐしりと目元を拭うと、よろけながら立ち上がった。

「……はい」

 とぼとぼと治癒室を後にし、階段を登って行った。

 カインの教室はガヤガヤと騒々しかった。

 そして、カインが扉を開けるとシン…と途端に静まり返った。

「あ………」

 キュータの席と、一郎太の席には誰もいなかった。

 じろじろと皆に見られながら、自分の席に座る。

 もうバハルス州に帰りたかった。

 二人が先に座ると、やがてひそひそと皆が話を始めた。

「シュルツ達と話さない方がいいよ」「もし本当にキュータ君がナインズ殿下だったらどうなるの?」「竜王様が助けたんだから殿下だよ」「でも違うって言ってたよ」「竜王様が慈悲深かっただけ?」「普通竜王をツアーなんて呼べないよ」「それに竜王様の一部でできてる腕輪だって」「うわぁ、高そう…」「そんなの普通の人に買えるの?」「だからスズキ君家は大神殿も贔屓にしてる魔法道具屋なんでしょ?」「キュータ可哀想だったなぁ」「あいつら反省してんのかな」「おーやだやだ」「神都に来たってのに田舎みたいな発想だったし」「ミノタウロスはなんとかって言ってたよね」「一郎太、よく許してやったよね」「これであいつらいなくなるんじゃないの」「裁き?」「裁きだよ」「裁きだね」

 カインは聞こえないふりをして机に突っ伏した。

 寝ているふりをするしかなかった。

 そして、もし市に裁きが下ったら――そう思うと、もう世界には今日で滅んでほしかった。矛盾しているかもしれないが、自分のせいでそんなことになったと誰にも知られずに済むなら何でもよかった。

 お腹が痛くなっていく。

 そうしていると、教室の扉が開けられる音がした。

「あ……そうだよなぁ」バイスの呟きは、どう考えても帰ってしまった二人に向けた物だ。「――ほら、皆自習してろって言っただろー」

 バイスは何事もなかったように言うと、カインとチェーザレの下へ来た。

「カイン、チェーザレ。先生の手紙は明日か明後日お家に届くから。良いな」

「お、送るの…?僕が持って帰るんじゃなくて…?」

「お前は寮なんだから持って帰れないだろう。さ、しょげてても仕方ない。切り替えて」

 重たい空気の教室で、バイスはパンパン、と手を叩いた。

「皆、明日キュータ――君がまた登校してきても、変な目で見たりしないように。いつも通りに迎えてやろう。キュータ君も言ってたけど、彼は殿下じゃないかもしれない。誰が殿下かなんて誰もわからないんだ。確かめようがない。だから、今日のことは忘れて、普通にしてやろう!きっとキュータ君もそれを望んでる!」

 子供達がいい返事をするのに頷く。そして、バイスはつい君付けで呼んでしまったが、これまで通りに接するのなら君付けもやめようと心の中で決めた。

 子供達には二種類いて、キュータがナインズだと確信したような子と、まだキュータがナインズなのかどうか決めかねている雰囲気の子がいる。

 バイスは確信していた。あの二人のやりとりはどう考えても初対面のものではないし、どこか傲慢な竜王が血相を変えてどうこうする子供が殿下じゃないわけがない。

 しかし、子供達も今まで通り、バイスも今まで通りだ。あの子が学校に元気に通ってくれるようにバイスは数秒の祈りを捧げた。祈りはきっと届くのだから。

「――じゃあ、授業始めるぞー。えーと、一、二、三……」と席を数えて行く。「皆、一番後ろの列の子達以外は前後でグループになりましょう。前に座ってる子が後ろ向きに座ってねー」

 全部で三十八名のクラスなので、二人組の席が横に四列、縦には五列。廊下に一番近い縦の列だけ四列になっている。

 皆、席の向きを変えて後ろの子達と一つの長机を共有した。

 一番後ろの五列目の子達は組む人がいないため二人ペアだ。

 グループは全部で十一。バイスは十一枚の紙を生み出すと一グループに一枚づつ配った。

「皆で触ってよく確かめろー」

 今日は個人で練習をした後に、最後の十分程度こうするつもりだったが、教室の空気が悪いのでもうグループにした。グループワークは低学年のうちはむしろ集中力が切れやすいので長時間やるのは得策ではない。

 カインはチェーザレと隣り合っていて、前には空の人(シレーヌ)のペーネロペーと、神都出身のトーマ・バイ・ニコレ、通称トマが座っている。

 トマは影は薄いが、そう言うことで人を差別するような性格ではない――が、流石にカイン達には話しかけなかった。

 ペーネロペーも、この神都ではどちらかと言うと珍しいセイレーン種なので少数派(マイノリティ)として、人を避けたりはしないが――こちらもやはり、カイン達には話しかけなかった。

 チェーザレとカインの間にも会話はなく、二人と一人づつに別れているような有り様だった。

(……これは根深そうだなぁ)

 クラスの誰もがエルミナス・シャルパンティエがナインズ・ウール・ゴウンだろうと思っていたし、ミノタウロスを従者として連れているキュータの事を、もしやなどと思ったことはなかっただろう。一体どんな田舎から出てきた子なのだろうと思ったはずだ。

 バイスはすぐに、その発想そのものがもはや差別であったと自分を叱責した。これは神に試されていたと言っても過言ではなかったかもしれない。

(……誰が殿下でも関係ない。子供達は皆平等なんだ…。カイン達が誰から物を盗んでも罰は必要だ……)

 クラスはカインとチェーザレを残して、徐々にいい雰囲気を取り戻して行った。

 

+

 

「僕、スッキリしたから学校戻るね」

「そうかい?嫌になればまたいつでもここに来ると良い。気を付けて行くんだよ」

「うん!ありがとう、ツアーさん」

 ナインズはツアーの大きな顔に一度抱き付くと階段を降りて行った。

「――アインズ、ナインズがお帰りだよ」

 言わなくても迎えの門は開いただろうが、ツアーがアインズに連絡を取ったと思った方がナインズは見られていたと思うよりも気が楽だろう。

 階段の下に転移門(ゲート)が開く。

 ナインズは一度振り返り、ツアーに手を振って転移門(ゲート)をくぐって行った。ツアーは尻尾と鎧の手をあげて応えた。

 

 ナザリックに戻ると、家族に「おかえり」と言われ、部屋にはまだ一郎太がいた。

「あ、一太。ごめんね、待たせて」

「いえ!大丈夫ですよ」

「……僕、もっかい学校行こうかな…なんて思ってるんだけど、どうかな?」

 一郎太は毛むくじゃらの目を少し見開いた。

「いつでも付いていきます!でも、ナイ様が嫌なら明日にしたって良いんですよ?」

「ううん。大丈夫。なんか、出てきちゃったけどさ…。明日になったら今日よりもっと行きづらい気がして。それに、ツアーさんと帰ったと思われるより、少しどこかにいたって言ったほうが良いかなって」

 いつものナインズの様子だった。

「――それもそうですね!じゃあ、行きましょう」

 一郎太が部屋の扉へ向かうと、ナインズはあっとある事に気がついた。

屍の守護者(コープス・ガーディアン)が耐性の指輪持ってるまんまだった!」

「オレ、アリー様ととってきました!――ほら」

 一郎太の手の中には指輪が二つ輝いていた。

「あ、ありがとう!リアちゃんも!」

「リアちゃんはすごく偉いので!褒めてくれても良いです!」

 えへんとアルメリアが胸を張るとナインズはアルメリアを十六レベルの豪腕で持ち上げた。

「ありがとう!リアちゃんは偉いよ!えらーい!」

「へへへ!にいに、嬉しそうです!」

「うん!僕、ちゃんと腕輪をしてても魔法を使えるようになるよ!きっとリアちゃんに教えてあげるね!」

「にいに!リアちゃんもこんなもの着けてても魔法使えるようになるです!」

 二人はギュッと抱き合い、離れた。

「じゃ、行ってきます!」

「あ、ナインズ。これを持っていけ」

 アインズはシュッとブーメランのように仮面を投げた。

「――っと、あ、これ」

 それはナインズがナインズ・ウール・ゴウンとしてどこかに行く時、もしくはアインズがアインズ・ウール・ゴウンとしてどこかに行く時、周りの人に気付かれないようにするための――「嫉妬マスクだ。持ってけ。一度第七階層で黒焔の悪魔(アミー)に掛ければ小さくなる。」

「うん!わかった!一太、行こう!」

「はい!」

 二人は部屋を飛び出して行った。

「子供ってほっといても大人になっちゃうのかもしれませんね」

 フラミーが言うと、アインズは静かに頷いた。

「…まぁ、一日も早く社会人にするって誓いもあるし…ね」

「なんだか、ちょっぴり寂しいです」

「ん、そうですね…。おいで」

 フラミーはアインズの膝に乗ると、昔のようにアインズの首に縋った。

「…リアちゃんも乗って良い?」

 見上げるアルメリアに笑い、アインズは手招いた。

「もちろん。花ちゃんもおいで」

 もさもさの翼だらけだ。

「……ベドちゃんも乗っていい?」

 アルベドの提案にアインズは目を逸らした。

 

+

 

「じゃあ、お願い!」

 屍の守護者(コープス・ガーディアン)に指輪を渡し直し、ナインズと一郎太は大神殿を駆けた。

 何故だかおかしくなって、ナインズと一郎太は大笑いしながらバタバタと階段を降りた。

 フラミーを象るステンドグラスに見守られ、二人は「近道しよう!」と職員通用口ではなく、大聖堂の方へ駆けた。

「――ナインズ殿下!?学校はどうされたんですか!?」

 途中で神官長に問われると、ナインズは手を振った。

「ナインズだってバレたかもしれないから帰ったの!」

「え、えぇ!?」

「でも大丈夫!僕、また行くから!」

「殿下ー!?」

「へーきへーき!やっぱりまだバレてないかもー!」

 ナインズは一郎太と走った。

 神官が大聖堂内へ出入りするところから飛び出すと、神殿の中には朝と違い随分人がいた。

「――っとと。静かに行かなきゃね」

「ほんとですね」

 二人は怒られないように静かに歩いた。美しく大きな薔薇窓の中心にはアインズがいて、それの周りには話に聞く至高の四十人がいる。

 ナインズはいつか皆に会ってみたいと思うが、リアルという恐ろしい場所に行かなければならないとも聞くので、早く皆もこっちに来れば良いのにと思った。

 大人達が真剣に祈りを捧げ、神官が美しい聖歌を歌っている。

 中には、大陸の東、東陸の噂をしている大人もいた。神聖魔導国は殆ど関わりを持たないが、東陸にはたくさんの小さな国があり、近頃では東陸にある一番大きな共和国との雰囲気が悪いらしい。このままでは戦争もあり得るのではないかと、神都ではもっぱらの噂だ。友好国からの救援要請を貰えば、神聖魔導国は軍を出すかもしれない。出兵の際には魂喰らい(ソウルイーター)が戦争へ行ってしまうので乗合馬車(バス)の便数が減るとか。

 難しい話だった。ナインズにはまだよく分からない。

 そんな中、ナインズはある少女に目を止めた。

「――あれ?あの制服」

 それはナインズ達が着る服と同じ制服だった。ローブのフードに付いている模様は青なので一年生のものだ。

 少女は十人も座れる礼拝用の長椅子に座り、寂しそうな、まるで心を失ったような顔で薔薇窓を眺めていた。

 ナインズと一郎太は目を見合わせた。

「学校、もう終わっちゃった?」

「いえ…多分、まだ三限目の終わりくらいですよね?」

 二人は足を止め、こそこそと少女の後ろの長椅子に入って行った。

 そして――「ね、君。何してるの?」

「ッキャヮ!!」

「っえ!?」

 ナインズが声をかけると共に、少女は驚いて飛び上がった。ナインズも思わず飛び上がる。

 二人は椅子から半端に腰を上げた状態で顔を合わせた。

 周りの大人に咳払いをされ、こそこそと座った。

「な、何者…?誰じゃ……?」

 少女は不安そうにナインズを見上げた。口調はまるで老人のようだった。

 少女の髪は花のように薄いピンク色で、何か甘く良い香りがした。

「僕はキュータ・スズキ。君の名前は?」

「オレは一郎太!」

「……此方(こなた)は………――フラル」

「フラル、宜しくね。君、神都第一小学校の子だよね?」

「…その通りじゃ」

「僕達も第一小なんだ。ほら、お揃いでしょ」ナインズは立って自分の身なりを見せた。「フラルはここで何してるの?学校は?」

「…学校は…そのな…」

 フラルはもじもじすると俯き、そのまま何も言わなくなった。

「オレ達今からガッコー行くから、フラルも行こうぜ」

「だが……」

「何だ?あ、もしかして治癒に来てんのか?神官呼んでやるぞ?」

「……そう言うわけではないが……此方にはどうしても叶えたい事があるのじゃ」

「叶えたいこと?」

「あぁ。だから、学校に行っている暇はないんじゃ」

 妙にきっぱりとした言葉だった。

「でも、学校に通うのは子供の義務だよ?」

「……此方は、子供ではない。子供というのは親がいて、親に守られている者達のことを言うものであろ」

「ごめん。…どういう意味?」

「…其方(そなた)には関係ない。早く学校へ行け」

「フラルと一緒じゃないと行けないよ」

「何故。先生に頼まれたか?」

 ナインズは首を傾げた。

「いや?でも、君寂しそうだから」

「……寂しくない者がこの世にいるか…。皆ひとりぼっちじゃ」

「フラル、学校に行けば寂しくないよ。僕も今日は少し学校行きたくなかったんだけどさ。僕達と一緒に行こう」

「うるさい。ほっておけと言っておるのが分からんか。此方はここで祈りを捧げなければならんのじゃ。其方のような泡沫(うたかた)の命の人間とミノタウロスとは話とうない」

 フラルがフンと顔を背けると、ピンク色の髪を割って長く尖った耳が見えた。

「おい、種族で人を示したりまとめたりするな。キュー様相手に失礼だぞ。口を弁えろよ」

「知らぬ」

「フラル、僕は人の子じゃない。僕が長命なら話してくれるの?」

 ナインズはそう言うと、髪の下に普段は隠されている小さく尖った耳を見せた。

「……其方、ハーフ森妖精(エルフ)か?」

「違うよ。でも、多分命が長い生き物」

 ナザリックの者に寿命はないとアインズが言っていた。

「……此方よりは早く死ぬ。此方は純血の森妖精(エルフ)じゃ」

 フラルは静かに席を立ち、すたすたと大聖堂の入り口へ向かってしまった。

「ちぇ、変なやつ。不敬だってのに」

「…まぁまぁ。僕達も行こっか」

 ナインズは一郎太を宥めながら長椅子から離れた。

 大聖堂から出ると、外は雨が降っていて、ナインズは傘を持っていないことに気が付いた。

「…傘忘れたね」

「フード被れば大丈夫ですよ!」

 一郎太がローブのフードを被ると、ナインズも面白そうに笑ってフードを被った。

「ローブって、もしかして雨の日のためにあるのかな?」

「そうかもしれないですね!」

 それはレインコートだ。――などと教えてくれる大人もおらず、二人は雨の中駆け出した。

「全然平気だね!」

「ですね!――あ、あいつ!」

 前方にはフラルが歩いていた。傘も持たず、フードも被らずにびしょ濡れだった。

「……あぁ、もう…!」

 ナインズは早く学校に行きたいのにと思いながら、フラルの手を取った。

「っきゃ!!ま、また其方か!ハーフ森妖精(エルフ)が!」

「ハーフ森妖精(エルフ)じゃない!フラル、こっち来て!」

 大神殿の前庭に生える木の下に連れていくと、そこの地面はほとんど濡れていなかった。

「はぁ…。フードくらい被りなよ」

 ナインズはポケットからハンカチを取り出し、その頬を拭くと――パシッと手は叩かれた。ナインズのハンカチは地面に落ちた。

「やめよ。子供扱いするでない」

「お前――!」

 一郎太が怒ろうとすると、ナインズは弾かれたハンカチを拾った。少しだけ泥がついたのでパンパンっと叩いてポケットにしまい直した。

「子供扱いなんかしてないよ。君は女の子だから、風邪を引いたら可哀想だと思っただけだよ。君、耐性の装備持ってないんでしょ」

「……それが子供扱いだと言うのじゃ。此方は一人で生きていかなければならんのだから!」

「君は一人が好きなの?」

「そうじゃ!悪いか!!」

「悪くないよ。でも、一人で生きていくなら、やっぱり風邪は引かないほうがいいね」

 フラルはここまで無だった顔を赤くするとごしごしと顔を濡れた袖で拭いて走って行ってしまった。

「……あんのおんなぁ!」

「はぁ…僕ってなんか今日付いてないね」

 ナインズが苦笑すると一郎太がその頬の水滴を拭った。もしょもしょの手の甲で。

「行きましょう。ここからオレが最高の一日にしてあげますよ」

「はは、一太はすごいなぁ」

 二人はまた雨の中駆け出した。一郎太はもっと早く走れるだろうに、ナインズのスピードに合わせてくれた。

 二人が校門を潜ると、ちょうど三限の終鈴が鳴ったところだった。

 昇降口に入ると濡れたローブを脱いだ。

 一郎太がさっさとそのまま行こうとすると、ナインズは足を止めた。

「――ナイ様?」

「…はは、ここまで来たのにやっぱりなんか……なんか……」

 足が突然重たくなったようだった。

 授業と授業の間の休み時間は生徒がウロウロするほどの時間もないので、昇降口には他に生徒はいなかった。

 階段の上から賑やかな声がする。

 ナインズはやっぱり明日にしようかな、と少し思った。

「オレが連れてってあげますよ!」

「へ?」

 一郎太は背負っていた鞄を前に抱えるように背負い直すと、ナインズの前に背を向けてしゃがんだ。

「どうぞ!」

「はは、どうぞって」

「いーから、ナイ様!」

「じゃあ…」

 ナインズはキョロキョロと左右を見渡し、誰もいないことを確認すると一郎太の肩に手を乗せ跨った。

「――よっ!」

 一郎太はすぐに立ち上がり、階段へ向かった。子供の頃から一郎太はナインズをどこにも置いて行かない。歩けなくなったり走らなくなったりすればこうしておぶってくれていた。

「ははは、ははは。僕達って変だね!変すぎるよ!途中で帰ったと思ったら戻ってきておんぶして歩いてるなんて!」

「へへへ。ナイ様、オレがいれば楽しいでしょ!さぁ、もうちょっとです!」

 階段を登り切るとそこで下ろしてくれた。本当に一郎太といれば楽しかった。

「ははは、はぁー。面白かった」

「へへ。教室着いたら、ローブ乾かさなくちゃいけませんね」

「ふふ、そうだね。椅子にかけておけば帰る頃には乾いてるかな」

「乾いてなかったらルーンしてくださいよ!」

「そうだね。乾かしちゃおっか!」

 二人は楽しげに笑い、教室に入った。

 ハッと全員が振り返り、バイスも目を丸くしてナインズを捉えた。三限の魔法の授業と四限の宗学の授業は地続きなので、バイスは授業準備のためにクラスを出なかったらしい。

「き、キュータ!一郎太!」

「はは、ど、どうもぉ」

 ナインズは笑うとほんの少し湿っている髪の毛をさらりと触った。

「ふ、二人とも戻ってきたのか!あー良かった!四限は一緒に受けような!」

「バイスン、暑苦しいな!」

 駆け寄ってきたバイスに一郎太は笑った。

「キュータ!おかえり!」「一郎太君もおかえりー!」

 友達たちも変わらぬ様子でナインズに手を振った。

「――は、はは。はは……ふふ…。ぅ……」

 ナインズがひとつ、ふたつ、と涙を落とすとオリビアが駆け寄った。

「キュータ君!」

 ドンっとぶつかり、抱きしめてくれると、ナインズは数度瞬いた。

「――は、へ」

 いくら普段アルメリアとベタベタしているとは言え、身内でもない女の子に抱きしめられたのは初めてのことだった。

「ごめんね!私、変な態度してごめんね!泣かないで!」

「おりびあ…君はほんとに、ほんとに優しいんだね」

「ううん!キュータ君、大丈夫だから!」

 ナインズはオリビアの頭を撫でるとそっと離れた。

「うん、オリビアも皆もいるから、大丈夫。ありがとう。今日はとんでもない日だなって思ったけどね。はは、一太も、連れてきてくれてありがとう」

 一郎太は自分の席に座り、ピースサインを作った。

「任せてください。オレはキュー様がこんなにちっちゃい頃から知ってんですから」

「一太の方が半年遅く生まれたのにね。ふふ。――オリビア、座ろう!」

「うん!」

 二人が席に着くと、ちょうど四限の始まりを知らせる予鈴が鳴った。

 ナインズは思ったよりなんでもなかったなと機嫌よくバイスの話に耳を傾けた。

 しかし、その背に集まる視線は感じる。皆、ナインズがナインズなのかそうではないのか確かめたくて堪らないというような雰囲気だ。

 つまり――(バレてはないみたいだけど……)

 誰が見てるのか確認したいと思うが、視線を読まれたくない。

 そんな時のための嫉妬マスクだが、授業中に唐突にそれを被る事もできない。

 ナインズは子供達の視線を感じながら四限を過ごした。

 四限の終鈴が響くと、ふっと肩の力を抜いた。

 そして、バイスが近づいて来る。

「なぁ、キュータ。今日お父さんとお母さんが腕輪の説明に来るのは変わらないと思って良いのかな…?」

「あ、はい。ちょっと帰りましたけど、特別何も言ってなかったです」

「そっ…かぁ。うん、そうだよな。はは、いや。な。何でもないんだ。念のために聞いただけ」

 バイスはそっかそっか〜と言いながら教室を出て行った。

 なんとも言えない背中だった。

「キュータ、お昼に行こう」

「――あ、エル。そうだね。行こ!」

 ナインズは宗学の教科書を抱き、オリビアに一度笑んでから立ち上がった。

「今日の最後は音楽だから、音楽の教科書も持って食堂に行こう。食堂の方が音楽室に近いからね」

「そうだね。えーと、音楽音楽」

 ロッカーに宗学の教科書をしまい、ナインズは音楽の教科書を抱き直した。

 ロッカーを閉め、「じゃ、行こ!」と言うと、一郎太とロランも駆け寄ってきた。

 この四人でいつもの四人が揃った。

「キュータ君、もう今日は帰っちゃったと思ったよ!」

「はは、なんか、スッキリしたから戻ってきちゃった」

「僕、スカッとしたよぉ!キュータ君てたまにハッキリ言うよねぇ」

 ロランも教科書を抱えると、四人は廊下へ向かった。

 ――そして、ナインズは足を止めた。

「――キュー様、構わない方がいいですよ」

 一郎太が言う。

 ナインズの視線の先には、いつもチェーザレと一緒だったはずのカインが一人で座っていた。

 チェーザレはどこへ行ったのだろうと軽く見渡したが、どこにもいなかった。

 彼の精神を慰めるのはナインズの役目ではない。

 役目では――ない。

「キュータ、今はよした方が良いよ。反省する時間も必要だからね。優しくすることが全てじゃないよ」

 エルに背を押され、ナインズはようやく教室を後にした。

 四人でいつもと変わらない廊下を進む。

 寂しそうな背中が頭から離れない。

 ナインズが教室に振り返ると、オリビア、レオネ、イシュー、アナ=マリアも廊下に出てきた。

「キュータ君、私達も一緒にご飯行く!」

「………キュータ君、本の話しよ」

「わたくし達を誘わないなんて、どう言うつもりかしら!」

「カインが気になるならあたしもガツンと言うよ!」

 身の回りがどんどん賑やかになっていく。

 賑やかになればなるほど、ナインズはカインの背中を忘れられなくなった。

「――ごめん、皆先に行ってて!すぐに行くから!!」

「あ、キュー様!」

 ナインズが教室に戻っていくと一郎太も追いかけた。

「シュルツ!!」

 バンっと扉を開くと――カインは肩を揺らし、振り向いた。帰ろうとしていたようで、胸には鞄が抱かれている。

 ナインズが近付こうと進むと、カインはダッと駆け出し、教室を出ていってしまった。

「あ…行っちゃった…」

「……キュー様、人が良すぎるよ」

 一郎太は少し呆れたような顔をしていた。

「はは、ごめん」

「キュー様がそうしたいなら良いけどさぁ。でも、さっきキュー様も言ってたけどシュルツの痛みは自分で解決するしかないと思いますよ」

「ん……そうだね」

 二人は教室を後にし、皆の待つ食堂に行った。

 食事を受け取り、席を探すと、きちんと二つの席に音楽の教科書を置いていてくれていた。

「皆ごめん。いきなりどっか行って。席取っておいてくれてありがと。」

 エルは優しそうに笑った。

「私は構わないよ。キュータがしたいと思うことをすれば良い」

「僕も良いよ!そう言えば、キュータ君。さっきグンゼが来て、来週グンゼの家の工房に遊びに行く予定変えなくていいよね?って確認してったよ。僕、勝手に良いよって言っちゃった」

「ありがとう、ロラン。迎えてもらえるなら行きたいって思ってたんだ」

 食事を進めながら、そう言えばとナインズはさっきの大神殿のことを思い出した。

「ねぇ。オリビア、神都って森妖精(エルフ)は少ないよね?」

森妖精(エルフ)?うーん、あんまり見ないよね。ハーフ森妖精(エルフ)はたまに見るけど、森妖精(エルフ)はエイヴァーシャー市からあんまり出たがらないらしいよ?」

「そうなんだ…?どうしてだろ?」

「昔神聖魔導国がまだスレイン法国って名前だった時、センソーしてたらしいからかなぁ?」

 オリビアの言に、レオネは付け足すように口を開いた。

「それだけではありませんわ。特に、森妖精(エルフ)は耳を切られて奴隷にされていたそうですから、いくら陛下方がお戻りになって野蛮な行為がなくなったとは言え、神都にはあまり近寄りたがらないのだと思いましてよ」

 エルは自分の暮らしていた最古の森とは正反対の出来事にじっと耳を傾けていた。

「……キュータ、君は突然どうして森妖精(エルフ)の話を…?」

「あ、エル。それがね、さっき大神殿でうちの制服着てる女の子に会ったんだ。フラルって言って、純血の森妖精(エルフ)だって。知ってる子いないかなと思って」

「フラル…。森妖精(エルフ)には珍しい名前のような気がするけど……地域の文化の差かな」

「………キュータ君。その名前、光神陛下のお名前に似てる」

 ナインズはアナ=マリアの言葉を反芻すると、「え?」と聞き返した。

「………光神陛下。フラミー様のお名前に似てる」

「フラル…。ホントだな?あんま陛下方に似せた名前は付けちゃいけないんじゃなかったっけ?」

 イシューはエルに尋ねた。エルは普通の子供より色々なことを知っているので、こう言う時に大抵辞書のようになんでも答えてくれる。

「そのはずだね。神殿から国籍登録を断られるらしいよ。でも、森妖精(エルフ)で僕達と同じくらいの歳って言うと、四十五歳前後だから光神陛下のご降臨より先に産まれた子かもしれないね」

「よ、四十五かぁ。すごい歳。バイス先生より上だね」ロランはどこか苦笑混じりだった。

「だからフラルってスッゲェ生意気だったんだなー。四十五歳かぁ。フラルの奴、キュー様が濡れた顔拭いてやろうとしたらハンカチ弾き落としたんだぜ」

「一太、良いの。そう言うこと言わないで」

「はは、キュー様そしたら、今日は付いてないな〜って言ってたんだ。すっげー落ち込んでた!」

「もー!一太!僕は普通にしてたでしょー!」

 ナインズがぽこぽこと一郎太を叩くと皆笑った。

「それにしても、大神殿かー。キュータ、三限の間そんなとこで落ち込んでたの?」

 イシューはサクランボの枝をプッと皿に出し、頬杖をついた。

「ん…まぁ、そんなとこ。はは」

「やれやれ。仕方ないから――ほら、これあげるよ」

 イシューはいつも腰に付けている小さなウエストポーチから、学校の外にあるパン屋で買える棒付きの丸いキャンディを取り出した。彼女はそこに筆記用具も入れていて、移動教室の時に荷物が少ないようにしている。

 キャンディは一つを咥え、一つを差し出した。

 男気あふれる姿だった。

 甘い物も好きだが、それ以上に口からキャンディの棒が出てるのが彼女的には格好いいらしい。ほとんどのお小遣いをキャンディに使っていると言っていた。

「ん、食べなよ。あたしのオゴリ!」

「おごり?」

「そー!物をあげる時、大人はオゴリって言うの!」

「ありがとう。嬉しいなぁ。イシューはいっつもこれ持ってるよね」

「ふふ、そーさ!あたしの家は父さんも祖父ちゃんもいっつもキセル咥えて設計図書いてんの。だから、あたしこれ食べてるとキセル吸えるくらい大人になったみたいな気分になるんだ!」

 ニカッと歯を見せると、頬にはエクボができた。

 ナインズはドット柄の包装を剥いて口に入れた。口からはキセルや巻きタバコのように飴の棒が出た。

「――わかるかも。でも、イシューは大人みたいじゃなくて、大人だよ」

「へへ、そうだと良いな。うちには兄ちゃんも弟もいないから、あたしが祖父ちゃんと父さんの設計事務所継ぐの。だから、ふんわりした夢見る女の子って感じでいたくないんだ」

「へぇ、もう将来のこと考えてるんだ…。すごいなぁ…」

「神都には多いよ。大人になったら何になるって決めてる子。あたしの場合は近くにお手本も住んでるしね」

「お手本?」

「そ!シルバ兄ちゃんって言うの。シルバ兄ちゃんは来年設計の私立学校入るんだ。今十五歳なんだよ。あたしの父さんは大聖堂の設計に関われなかったけど、祖父ちゃんとシルバ兄ちゃんのお父さんは関われたすごい人たちで――って、キュータの家の方が凄そうなのに自慢するなんて、逆に恥ずかしいかな」

 朗々と語っていたが、イシューは少し恥ずかしそうにして話を切った。

「…ううん。イシューはすごいよ。僕はまだ将来のことってよく分からないもん。もっと聞かせて」

「そ、そう?へへ、あのさ。シルバ兄ちゃんって、小学生だったときに神王陛下と光神陛下にお会いしたことがあるんだって」

「そうなの?」

「うん。友達のラーズペールさんと、ディミトリーさんと一緒に会ったんだって……って、聞いたことない?」

 その質問に、ナインズは少しイシューを見る目を変えた。この質問は、まるでナインズであるかどうかの確認のようだと思ったのだ。

 アインズ達からその話を聞いたことがないか、と言われたような気がした。

「……ないよ」

 この話はここまでだ。ナインズは飴を咥えたまま立ち上がると、お盆を持った。

「僕、先に片付けてくる」

 席を立ち去ろうとすると、ツンっとその袖が取られた。お盆の上の食器がカチャ…と少し触れ合った音がした。

 危ないなと思い、そちらを確認すると――袖を引っ張ったのはオリビアの隣に座っていたアナ=マリアだった。オリビアの後ろから身を乗り出していた。

「………キュータ君。シルバさんと、ラーズペールさん、それからディミトリーさんは"試される大下水道"って言う本を学生の身でありながら去年出版したの。神都では大ベストセラー。神官の皆様の目にも止まったくらい……」

「――あ、そ、そうなの?」

「………うん。今度貸してあげる。それとも、一緒にオリビアちゃん家に買いに行く?」

 ナインズは自分の早とちりを反省した。

 イシューが心配そうに見つめている。

「買いに行こ。……イシューも一緒に来てくれる?」

「も、もちろん。ごめん、キュータの知らない話ばっかりして……」

「ううん、イシューの話はどれも面白いよ。ありがとう」

 などと話している間に、一郎太がちょこちょこと自分の食器を片付け、ナインズの持っているお盆も持って行ってくれた。

「――さて、そろそろ音楽室に行こうか」

 エルが立ち上がると、全員立ち上がり、イシューは口から飴を取り出した。

「キュータ、歩く時は口から飴出さなきゃだめだかんね!歩きながら飴を咥えてると、転んだときに喉を飴で突いて死ぬ!――って、いっつも祖父ちゃんが言ってる」

「う、うわ。死ぬって言ってるの?」

「そ!!死ぬ!!」

「はは、なんか豪快なおじいさん。分かったよ」

 ナインズは笑うと、口から飴をだして音楽室へ向かった。

 イシューのおじいさんはきっと、じいと同じで大きな虫型なんだろうなと思った。

 

+

 

「ふふ、今月は二冊も買えちゃった」

 オリビアの書店を出たナインズは鼻歌混じりだ。

 毎月一万ウールのお小遣いを持たされ、三ヶ月目になるので通算三万ウールを貰った。今月はすでに一冊買っていたが、一万ウールまるまる残っていたのだ。

「良かったですね!それ、オレも読みたいなぁ!」

「良いよ!一緒に読もうね」

 二人の後ろでオリビアとアナ=マリアが手を振る。

 隣にはエルとイシュー。

 イシューはいつもの飴を舐めながら二人の隣を歩いた。歩きながらなので咥えてはいない。

「ね、キュータ、一太、エル様。良かったら帰る前に大聖堂見に行かない?」

「ん?なんで?」

「あたしの祖父ちゃんが担当したところ、見せたいんだ!」

「あぁ!良いね!エルはどうする?」

「私は今日はやめておくよ。母から仕送りが届くから、早く寮に帰らなきゃいけないんだ。お誘いありがとう」

「――そんじゃ学校まで競走!用意ドーン!!」

 一郎太が早口にスタートを告げて走り出すと、エルは困ったように笑った。

「は、走るのぉ?ま、待ってくれよー!」

「エルも頑張れ!男だろー!」と飴を持つ手で手招きながら走るイシューは女の子だと言うのに男の子くらい早い。髪型もベリーショートだし、余程ナインズとエルミナスの方が女の子じみているかもしれない。

「一郎太は本当に速いね!!」

「イシューも早いぜ!転ぶなよ!」

 ナインズはエルにペースを合わせて走っているようで、一郎太とイシューはかなり速く学校に着いた。

「はぁ、はぁ…!い、いくらなんでも…ちょっと…走りすぎたかも…!」

 イシューはごしりと額の汗を拭いた。

「はは!もう息上がってやんの!」

 二人は笑い合った。

 息を整えていると、ようやくナインズとエルも追い付いた。

「はぁ、はぁ…い、一郎太…。も、もう……いきなり走るの、やめて……!」

 エルはひぃひぃと声をあげていた。

「ひひ。ごめんごめん!次はスタートの合図をもっと長くするよ!同時に走りたいもんなー!」

「そ、そういう問題じゃないし……いきなりってそういう意味じゃないよ…!」

 突っ込んでいるが、エルは楽しそうに笑っていた。

 すると、校門から出てきた別の学年や他のクラスの方達が、笑っているナインズを見て何かをヒソヒソと話した。

 遠巻きにじっとナインズを見ている子供もいる。

 ナインズはその沢山の視線に、少しづつ自分の笑顔が硬くなっていくのを感じた。

 ――来なければ良かった。どうして皆そんなにナインズ・ウール・ゴウンを見たいんだ。お利口にしてるのに。

 そんなことを止めどなく考え始めた時――「キュータ!」

 エルに呼ばれ、ナインズはハッとした。

「キュータ、一郎太、イシュー。私は寮に帰るね。皆ももう行きな。競走して」

「あ、う、うん。気をつけてね」

「じゃあな、エル!また明日!」

「エル様も仕送りのお小遣い受け取ったら飴買いなー!力も出るからねー!」

 三人はエルに手を振ると、走って大聖堂に向かって行った。

(キュータが殿下だったと確信した子が話を漏らしたか……)

 エルミナスはナインズの背を眺める子供達をちらりと見ると寮への帰路に付いた。

 昼休みはまだそうナインズをジロジロ見ている子は少なかったが、昼休み中に話が回ったようで、放課後からは随分ナインズを見る子供が増えた。

(……優しき我が殿下……。お可哀想に……)

 寮に付くと、寮母さんに優しく迎え入れられ、エルミナスは三階の自分の部屋に帰った。

 部屋の中にはこれまでナインズが書いたルーンを真似して書いた小さな紙が何枚か画鋲で貼られていた。

 エルミナスはルーンへ力を込める事はできない。だが、こうしておくだけでナインズに守られているような気持ちになった。ずっとエルミナスを守り続けてくれるナインズに。

(皆が殿下だって気付いたんじゃ、私も守られてばかりじゃいられない……)

 今日グンゼとロランに書いてやっていたルーンをメモしてきた紙を壁にあて、ギュッと画鋲を壁に押し込むと手を組んだ。

(殿下…。殿下をお守りするだけの力を私はきっと――)

 

+

 

 大聖堂の入り口に着くと、夕暮れ時だがまだまだ人は多くいた。

 いつも職員通用口から出入りしていたので、こんな時間にもこれだけ人がいる事をナインズと一郎太は初めて知った。

「うわぁ…皆お祈り…?」

「多分ね。純粋に大聖堂見に来てる人もいると思うけどね」

 イシューは大聖堂の本堂に入る前に、廊下のような前室に設けられた、オシャシンや神殿ごとにあるちょっとしたお土産が売られているカウンターへ向かった。

「あのカウンターね、祖父ちゃんのいたチームが作ったんだ!あそこにカウンターを付けるって決めたのもそうなの!」

 誇りに思っているようでイシューの顔はキラキラと輝いていた。

「すげぇー!大神殿の一番最初に目につく所じゃん!」

 一郎太もナインズも感心したようにあたりを見渡した。

「それにね、天井のアーチ、あれは昼に話したシルバ兄ちゃんのお父さんがいたチームがすごく拘って、実際に建て始めてからもずっとずっと悩んで作ったんだって!」

「建築家ってすごいんだねぇ〜」

 三人は天井を見上げた。

 ちなみに神官達はナインズの姿を見ると、頭を下げたくなる気持ちをグッと抑えてそのままでいた。

 だが、一人だけ神官がまっすぐこちらに近付いてくる。

 ナインズはちらりとそれを見ると、あの神官は友達といる事に気付いていないんじゃないかと焦った。

「い、イシュー!こっち!」

「――へ?」

 手を握ってオシャシンカウンターへ向かった。

 一郎太もあの神官は何を考えとんねんと思った。

「き、キュータどしたの」

「いや、ほら、ねぇ。写真見たいでしょ?」

「う、うん。オシャシンは見たいけど……高いからあんまり子供だけで近付くのは…ちょっとね」

「そうなの?」

「一枚八万ウールもするんだよ。皆オシャシン欲しくってオシャシン用の貯金してるんだって。また新しいの出たらすぐに買えるようにね。あたしのお気に入りはあれ。陛下方の結婚式の時のオシャシン」

 イシューの指差す方にある写真はアインズの机にも飾られているものだ。

「あぁ、あれねぇ」

 その隣には――両親が天空城の池でちゅっちゅしている写真だった。

 ナインズは、今までそれを恥ずかしいと思ったことはなかったが、女の子と一緒に見ると何故か無性に恥ずかしいような気がした。

 あまりにも当たり前すぎる光景だと思っていたが、不思議なことに、少し、目を逸らしたくなった。

 ふぃ…とカウンターから開きっぱなしの大扉の向こうへ視線を送ると、真後ろにはにっこり笑った神官がいた。

「――あ…と……」

「やぁ!いらっしゃい」

 ナインズが何を言うかと悩んでいるうちに、神官が機嫌良さそうに声を掛けてきた。

「――ん?あ!レオネパパ!」

「イシューちゃん、今日はお祈りかな?偉いねぇ」

「ううん!祖父ちゃん達の作ったところをキュータと一郎太に見てもらってたの!」

「そっかぁ」レオネの父は数度頷くと、ちらりとナインズとイシューの繋がれた手に視線を落とした。「――レオネは今日は一緒じゃないのかな?」

「そうなの。先にオリビアの本屋さんに寄ったんだけど、トマがロランのこと呼んだらレオネが反応しちゃってさぁ。また喧嘩になっちゃって、ロランもトマもレオネも先に帰っちゃった!」

「そ、そうか〜。帰っちゃったか〜。レオネはキュータ君や一郎太君とも仲良くしてるんだろう?一緒に来られれば良かったのにね〜」

「本当にね。まったくまったく」

 イシューは大人の真似事のように数度頷いた。

「じゃ、私は行くね。あんまり遅くなりすぎないようにね」

「はーい。さよならー」

 レオネパパはたくさんの神官の視線を浴びながら大聖堂の中に戻って行った。

 ナインズは小さく安堵の息を吐いた。すると、イシューが繋いだままの手を引っ張った。

「キュータ、一郎太。せっかく来たから、お祈りもしてこ!」

「ん、そうだね。お祈りね、お祈りお祈り」

 お祈りとは何をするのかいまだによく分からない。

 両親に何か叶えて欲しいことを心の中で唱えたり、世界平和を願ったりするらしいが――やはりピンと来ない。言いたい事は直接言えば良いとも思っている。

 ちなみに、一日の授業終わりにお祈りをするが、割と謎の行為だ。ナインズにとっては目を閉じるだけの時間とも言える。

 三人は大聖堂の中を進み――ナインズはぴたりと足を止めた。

 あの薄ピンクの髪と尖った耳は「――フラル…」

「え?フラルって、昼に言ってた?」

 イシューがぴょんぴょん跳ねてフラルを確認しようとした。

「うん。話したくないって言われちゃってるからなぁ」

「ふーん、変な子だね?うちの制服着てるし、あたし話してきてあげるよ」

 イシューはフラルの座る長椅子に入り、横へ横へとずれて行った。

 ナインズと一郎太はまたその後ろに入っていく。

「やっほー」

 気軽すぎる挨拶に、フラルはイシューの来た方とは反対側を確認した。自分じゃない誰かに話しかけたと思ったようだ。

「――誰じゃ?今日はずいぶん知らぬ者に会うな」

「あたし、イシュー・ドニーニ・ベルナール。第一小の一年生。あなたは?」

「…… 此方(こなた)も一年じゃ」

「そうだと思った。フードの模様、お揃いだもんね。あなたフラルって言うんでしょ?何組?」

「――あ、えっ…何故……その名を……」

「キュータに聞いた」

 イシューは後ろに座るナインズと一郎太を平気で指さした。二人は言うなよと言う顔をした。

「……昼間のハーフ森妖精(エルフ)じゃないか」

「ハーフ森妖精(エルフ)?キュータが?」

 ナインズは困り顔で笑い、ぽりぽりと頬をかいていた。

「どうでも良いが、もう行ってくれんか」

 フラルはぷいと正面を向き直した。

「なんか、聞いてたより変わった子だね。エイヴァーシャーから来たの?」

「……此方はずっと神都に住んでおる」

「あれ?そうなんだ。あたしも神都生まれ神都育ちだよ。でも、あんたのことは見たことないなぁ」

「……何が言いたいのじゃ?森妖精(エルフ)の癖にとでも言うか?」

「そんな事言わないよ。誰だって神都に住んでいいでしょ。それより、学校には行かないの?」

「行かん」

「なのに制服着てんの?」

「…制服でなければ寮母が外に出してくれんのじゃ」

「寮母…?神都育ちなのに寮に入ってんの?変わってんね」

「ええい、うるさい小童じゃ。此方には叶えたい事があるのじゃ。良いからもう行け。此方はここで祈りを捧げねばならん」

 一郎太はまたかと頭をかいた。

「なぁ、フラル。叶えたいことってなんなんだぁ?陛下方も忙しいんだから下んない願いなんて――」

「一太!!」

 ナインズの大きな声に一郎太ははっと口をつぐんだ。

 神官達もこちらを見ている。だが、誰も特別注意には来なかった。

「ごめん、ごめんフラル…」

 フラルの目にはいっぱいの涙が溜まっていた。

「……――くせに」

「え?」

「何も知らぬくせに!!教師も其方らも此方のことなど何も知らんくせに!!ほっとけと言っているのが分からんか!!」

 大聖堂中に声が響くと、流石に神官達が駆け付けてきた。

「――君。何をそんなに騒いでいるんですか。ここはそう言う場所じゃないんだから、静かにしなきゃだめでしょう」

 ただの注意だったが、フラルの耳には叱責に聞こえ――神官をギュッと睨みつけた。

「くぅ……なんで、なんで此方ばっかりぃ!」と言いながら、目に溜まった涙は流れ始めてしまった。「ふわぁー!!人間なんか、人間なんかぁー!!」

「あ、あ、フラル…。本当にごめん。一太も悪気があったんじゃなくて――」

「此方にかまうな!!」

 神官達もナインズが絡んでいるため手を出せない様子だった。助けになりそうな大人達は、困ったように目を見合わせ、少し肩をすくめるだけだった。

「あー…ね、お、落ち着いて。僕にできることなら、何でもするから……」

「では其方が母上を生き返らせてくれるのか!!できるか!?何でもするのだろう!!」

「生き――え?」

「此方は光神陛下にお願いしてるのだ!!ずっとここで、ずっと願っておるのだ!!」

「君、家族が…?」

「此方を大切にしてくれていた母上もついに死んでしまった!分かったらほっとけ!!」

 誰も引かない様子を見ると、フラルは神官をかき分けて反対側へ向かって行き、大聖堂を出て行ってしまった。

「……お、オレやっちゃった」

 一郎太が硬直し、イシューも苦笑している。

「…一太!ここでイシューと待ってて!」

「あ、キュー様!」

 今日は走りっぱなしだ。

 ナインズは走った。

 神官ではない大人に大聖堂の中を走るなと怒られながら進んだ。

 外はもう夕暮れを超えて宵闇が迫って来ていた。夜が来る前には帰らなくては。そうしないと、この姿は――。

 前庭には祈りを済ませて帰る人々や、永続光(コンティニュアルライト)に照らされた大神殿を眺める人々。

 どこへ行ったとナインズはキョロキョロと見渡し、小さな背中を見つけた。

「フ、フラル!!」

 フラルはナインズの声を聞くと、逃げるように駆け出してしまった。

「ま、待って!待って!!」

 ナインズの足は速い。とても速い。

 ぐんぐん距離を縮めると、走るフラルの前に立ちはだかった。

「はぁ、ま、待って…。本当にごめん……」

「はぁ…はぁ……なんなんじゃ……其方は一体何がしたい……」

「君の願いはわかったよ。僕は僕にできることなら何でもするって言ったでしょ…」

「何もできないくせに!」

「…うん、でも、試させて……」

「何を!」

「復活」

 昼に上がった雨が作る水溜りが揺れた。

 静寂が降りた二人の耳にはそんな音すら聞こえたようだった。

「……は?」

「聞いて。僕は僕にできることを全部やってから…明日、またこの時間にここに来る。だから、きっと君もここに来て」

「馬鹿にしておるのか…?それとも……ハーフ森妖精(エルフ)の特性かタレントでもあるのか……?」

「ハーフ森妖精(エルフ)じゃないけど……でも、でも……僕達、君の事何も知らないのに…本当にごめん…。僕には祈りの声が聞こえないから……」

「…意味が分からんな……」

 そう言いながらも、復活の言葉にどこか希望を隠せない様子だった。

「一つだけ教えて。君のお母さまはいつ死んじゃったの?」

「……下水月の風の曜日、三日じゃ……。年老いて……死んだ」

「年老いて…?」

 森妖精(エルフ)は長命のはずなのに――ナインズはきっと、疑問を感じている顔をしたのだろう。

 フラルは重い口を開いた。

「…此方はスレイン法国との戦争中に生まれ、真実の両親を亡くし、憎むべきはずの人間に拾われた……。幸せじゃったが…愛してくれた養父は数年前に逝ってしまい、ついに養母も逝ってしまった……。エイヴァーシャーに身寄りも無く、育った神都にも身寄りがない……。其方に分かるか……。この哀れな此方の気持ちが」

 ナインズは首を振った。

「……分からない。僕はそんなに辛い思いをしたことない。でも、僕にできることはするって誓う。だから、明日必ずまた来て」

「……ふん。此方はいつでもここにいる。――あ」

「ん?」

「……其方、髪が――」

 ナインズははっと髪を触ると、黒い色がさらさらと抜け始めていた。

「――じゃあ、明日ね!!」

「あ、待て!其方こそ待て!!」

 待てない。

 ナインズは一目散に大聖堂へ走り、遊歩道へ向かい、ガサガサと木をかき分けた。

「ど、どうしよう…どうしよう……」

 茂みの中でしゃがみ込み、色を失っていく髪に触れた。普段この頭でアインズ達と出かけるときにも一般の者の目に触れるようなことはなかった。

 なんとか色を取り戻そうと、何か良いルーンがないか考えるが、全く思いつかない。

 そうしていると、茂みの外からキュー様ー!と一郎太が自分を呼ぶ声がした。

「い、一太ぁー!!」

 情けない声で助けを呼ぶ。

 硬い蹄が石畳を叩く音がどんどん近付いてきた。

「キュー様!!時間が!!――うわ!!もうだめだ!!」

 ナインズの髪はもうすっかり銀色に、目の下には亀裂が入っていた。

「ど、どしよ…。僕、なんか本当今日だめだ…」

「えっと、えっと、オレが陛下を呼びに――いや、神官を呼びに――いやいや、うーんと、うーんと…」

 悩んでいると、一郎太ー!キュウター!とイシューの声もし始めた。

「と、とにかくフード!フードかぶってください!」

 ナインズのローブを引っ張り、ギュッとフードを被せると同時に、一郎太の頭はパシンッと叩かれた。イシューだ。

「一郎太!いきなり走り出すやつがあるかぁ!」

「あ、はは。ごめんな。……イシュー、見た?」

「見たって何を?あ、そこにキュータもいるの?そんなところで落ち込んでても仕方ないじゃん」

 ――イシューの腕が伸びてくる。

 ナインズはどうしようどうしようと頭の中で何度も呟き――「嫉妬マスク」と耳元で声がし、ハッとポケットから小さくした嫉妬マスクを取り出した。

「――キュータ、何その変なの?」

「あ、はは。いや。いやぁ…ねぇ…?」

 ナインズの顔にはぴたりと嫉妬マスクが着き、深く深くフードをかぶってようやく茂みを脱出した。

「えーと、イシューもう暗いし送るよ。すっごく遅くなっちゃったね」

「んーん。いいよ。デスナイトのいる道知ってるし、キュータも危ないから」

「ダメだよ。君だって女の子なんだから。行こ」

 身体中についている葉っぱをはたき落とし、大神殿前庭を抜けるために歩き出した。

「はは。キュータ、別にあたしは女の子って柄じゃないよ」

「良いの。僕でも多分君のこと守るくらいはできるから。行こ」

「はは。あ、ありがとね」

 三人で歩き出すと、ナインズはふぅーと息を吐いた。

 それから、フラルは一人で帰れただろうかと少し心配になった。

「あの森妖精(エルフ)は可哀想だったけどさぁ、大聖堂は面白かったね」

 イシューが言うと、二人は頷いた。

「次はレオネも一緒に来られたら良いよねー。レオネパパもいるし!」

「そーだなー!」

 一郎太は大変賛成のようだが、ナインズはそれはちょっと辛いと思った。

 しかし、神官達は本当にナインズが誰なのか自分の子供にも話していないんだなと好感度を上げた。

 神殿の話をしながら学校から三ブロック程離れたところまで行くと、イシューは「じゃ、もう近いから」と言って一人で走って帰った。

 ナインズは最後まで笑顔で見送ったが――イシューの背中が見えなくなるとスッと表情を失った。ちなみにずっと嫉妬マスクをしているので表情は見えていない。

「……帰ろっか」

「そうっすね」

「なんか、すごく疲れたよ僕…」

「ナイ様、あんまり色々なことに関わりすぎると死んじゃいますよ?陛下がカロー死は一番憎むべき死だって。生への感謝と喜びを忘れるからいけないんだって」

「……本当にカロー死しそう。あぁ…帰ったら僕第五階層行かないと……」

「何でですか?」

「……僕、できることは全部するって言ったでしょ。僕になんかできないか見てみる」

「えぇ…?ほっとけないんですか…?」

「なんかねぇ〜。僕もほっときたいんだけどさぁ〜………。一太が泣かせるからぁ……。女の子にはもっと優しくしてやってよぉ……」

「す、すみません。本当、申し訳ないです」

 ナインズが泣き言を漏らすと、一郎太はペコペコ頭を下げた。

 

+

 

「……ソレデ、フラルト言ウ森妖精(エルフ)ノ家族ヲオ探シニ…?」

 コキュートスは凍河を覗き込むナインズと、それを手伝う一郎太の前でぽり…と頬をかいた。

「一太が泣かせたから僕約束しちゃったの…」

「……シカシ、失礼ナガラオ坊ッチャマノオ力ヲ超エタ願イノヨウナ気ガ致シマスガ……」

「あぁー!コキュートス様も一緒に探してよー!オレのせいでナイ様が変な約束しちゃったんだからー!」

「一郎太、オ坊ッチャマニアマリゴ迷惑ヲオ掛ケスルンジャナイ。仕方ガナイ奴メ……。オ坊ッチャマ、特徴ヲオ教エクダサイ」

「……ん…と… 下水月の風の曜日、三日に死んじゃったって。神都から来てるはずなの。この辺だよね?」

「四ヶ月程前デスネ…。一応探シテハ見マスガ、残ッテイルトハ限リマセン。ソレデモ宜シイデショウカ」

「残ってないって、どうして?死んだ人は皆ここで眠り続けるんじゃないの?」

「――順番ガクレバ次ノ新シイ姿ヲ与エラレ旅立チマス。モシクハ、アルベキ次ノ場所(・・・・)ヘ送ラレマス」

「あ、そっか…。宗学で先生も言ってた。僕もいつか旅立たせる事ができるようになるのかな?それが僕の将来の仕事かな?」

 コキュートスはプシュー…と息を吐いた。

「……マダ将来ノ事ハ分カリマセン。デハ、ソノ日運ビ込マレタ者達ノ体ヲ出シマショウ」

 静かに控えていた雪女郎(フロストヴァージン)が腕を振る。

 氷の中から出てきた体はどれも綺麗にされている。汚らしく見苦しい遺体のままでこのナザリックに置いておくことはできない。

 どの遺体も安らかに眠っているだけのように見えた。

 身近に遺体があるのが当たり前で、なおかつアンデッドにも囲まれ慣れているナインズに遺体への忌避感や穢れ意識はない。

「――特徴ハ分カリマスカ?」

「ん…と……おじいさんとおばあさんだから……」

 ナインズが呟くと、若い死体は氷の中に埋めなおされた。老人の死体はいくつもある。

「……他ニ何カ分カレバ良イノデスガ」

「エイヴァーシャー大深林との戦争中にフラルを拾って育ててくれたって…」

「デハ、聖典上ガリデハナイデショウカ。ココデ探ス前ニ、古イ聖典ノリストヲ確認シタ方ガ宜シイカモシレマセン」

「そっか……。フラルには明日またって言ったけど、明日には間に合わなそうだね」

「仕方ノナイコトデス。サァ、ソロソロオ戻リ下サイ。アインズ様トフラミー様モ学校デノ話シ合イヲ終エテオ帰リニナッテイル事デショウ」

「そういえば先生に腕輪のお話しするって言ってたっけ。……戻ろっか、一太」

「そうですね。行きましょう!」

「爺、この遺体はしばらく取っておいてくれる?」

「カシコマリマシタ」

 二人は揃いの制服姿で帰って行った。




エル君、狂信者一歩手前?
そしてじいは安定して可愛いわね〜!

次回Lesson#10 聖典と家族
27日です!


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Lesson#10 聖典と家族

「神々はこうしてご降臨下さったわけですね。そして、ニグン・グリッド・ルーイン様が約束の地へ駆け付けた、と」

 翌日、社会の授業中。バイスが言葉を切ったところでちょうど終鈴が響いた。

「はい、今日はここまで。来週はニグン様の話からやるから、皆帰ったら今日のところ一回はノート確認して復習しておけよー。じゃあ、教科書とノートを閉じてお祈りするぞー!そのあと聖歌歌うからなー」

 座ったまま一分程度の黙祷をし、子供達は声を合わせて歌った。

 帰る前に必要なことを終えると、「皆さんさようなら」とバイスが声をかけ、「さよーならー!」と子供達も返した。

 ナインズは挨拶を終えると、いそいそと帰り支度を始めた。

「キュータ君、今日このあと時間あるかな?」

 オリビアが席を立ったナインズを見上げた。

「あ、ごめんね。今日ちょっと用事があるから急ぐんだ」

「そうなの?」

「うん。また来週」ナインズは軽く手を振るとロッカーへ向かった。

 急いで荷物をまとめる様子に、一郎太も急いだ。

「皆、じゃあねー!僕今日急ぐから!」

 ナインズは手を振り、教室を飛び出して行った。

「あ、キュー様ー!」

 一郎太もドタバタと出ていくと、オリビアはがっかりしながらノートと教科書を抱えた。

「…今日は皆で大神殿行こうって誘いたかったのに」

 登校してもヒソヒソ噂話、学食に行ってもヒソヒソ噂話、移動教室でもヒソヒソ噂話。

 疲れてしまったのだろうか。

「オリビア、キュータさんはいませんが、お祈りに行きましょう。わたくし、昨日お父様にたまには大神殿にいらっしゃいって叱られましたし」

 レオネがぶぅーと頬を膨らませ、帰り支度を済ませたアナ=マリアが寄ってくる。

「………私も行く。大神殿の書庫……行きたい」

「では皆様も行きませんこと?」

 イシューとエル、それからロランも「行く行く!」「行こうかな」「良いよー」と応えた。

 レオネはロランは誘ってないのにと思った。

 

+

 

 大神殿、神官通用口。

 ナインズと一郎太は軽く当たりを見渡してから大神殿に入って行った。

「で、どうするんですか?」

「まずは聖典長のレイモンさんに話を聞いてみようかな。今日いるかな?」

 二人はいつも出入りしている部屋を通り過ぎ、儀式のプールがある方へ向かって歩いた。

 神官や聖典しか入れない中庭には、何かおしゃべりをしている紫黒聖典がいた。

「クレマンティーヌさーん!」

 ナインズが中庭を出ると、四人は立ち上がった。

「お、殿下じゃーん。やっほー」

「殿下、おかえりなさいませ」

「ナインズ殿下、一郎太君、おかえりなさい!」

「今日は女の子と一緒じゃないんですね」

 番外席次はニヤリとした。

「ただいまー!もしかして、昨日見てた?」

「はは!昨日どころか、私ら毎日見てんだよー?」

 クレマンティーヌの言に、レイナースは「見ているんですよ」と訂正した。

「え、えぇ?そうなの…?」

「そー。登校中危なくないよーにね。朝は人が少ないからさー」

「僕ちっとも気付かなかったなぁ…。あ、でもネイアちゃんは見てないでしょ?」

 と言うのも、ネイアは――「申し訳ありません。身重なので、今は殿下のおそばにはいられないんです」

 一人だけ大きなお腹をしていた。

 ネイアは去年、神都の竜舎番になったティトと結婚した。紫黒聖典の寮を出て、今はティトと二人で暮らしている。聖典に選ばれるだけの力を有する面々は子供を産み、末代まで神々に仕えるようにと神官達からも言われている。ネイアの力は今や父パベル・バラハに比肩する。

 余談だが、パベルは意外にもネイアの結婚に肯定的で、娘が生まれたら死んだ母の名をつけて欲しいと言っているそうだ。ティトには重い義父だろう。

「ネイアちゃん、お腹見せて!」

「はい」

 ネイアは冷えないように着ていたローブを脱ぎ、腹がよく見えるようにした。

「おっきいね!こないだの僕のお誕生日の時にはまだぺったんこだったのに!」

「光神陛下のおかげですくすくと育っております。ありがとうございます」

「うーん、お母さまはすごいなぁ」

 ナインズはネイアの膨らんだ腹を撫で――中から強い振動を感じた。

「あ、申し訳ありません。蹴ったんじゃなくて、タッチしたんだと思います」

「きっとお話しして欲しいんだよ!僕、お母さまのお腹の中にいた時ヴィクティムがお話ししてくれるの大好きだったもん!ヴィクティムの声とお母さまの声はずっと聞こえてたんだよ!」

「さ、さすが殿下!そっか…神々は………うん、そうだよね」

 ネイアはふんふん頷き、何か新しい神話を思い付いているようだった。

「殿下の祝福がネイアの子にも分かったのですわ」

 ネイアの腹を撫でるナインズを見たレイナースが言う。

 ナインズは祝福を与えるにはどうすれば良いんだろうと思った。

「祝福…。祝福祝福」

 呟きながら、自分の中のありったけの知識を総動員していく。そして、一つひらめくと持っていた鞄を下ろした。

「ちょっと待ってね。あ、ネイアちゃん座って」

 中からインク壺を取り出し、座ったネイアの腹を捲った。

「殿下?」

「僕にできる精一杯だよ!」ナインズは指先をインク壺におとし、ネイアの腹に文字を書き込んだ。「――停滞のI(イサ)。豊穣のQ(イング)。パートナーと贈り物のG(ギューフ)

 一郎太は首を長くしてその様子を覗き込んだ。

「……全てを混ぜ合わせて――(カルク)

 書き込んだ文字は光を漏らすと、すっとネイアの腹に焼き付くように馴染んだ。これで擦っても消えない。

「ナイ様、これなんなんですか?」

「聖杯だよ。聖杯は子供を育てる体内の神聖な器を意味するんだって、お父さまがくれた本に書いてあった。創造と生命の字なの。――ネイアちゃん、赤ちゃん元気に育つと良いね」

 ネイアは座っていたベンチから降り、地面に跪いた。

「ナインズ殿下、殿下の素晴らしい御温情に心からお礼申し上げます。いつまでも末永く御身にお仕えすることを誓います」

 レイナースも更なる祝福に深く頭を下げた。

「殿下、ありがとうございました。殿下は我が国の宝ですわ…」

「はは、大袈裟だなぁ。気にしなくっていいよ」

 賢いナインズだが、年相応に地面に座り込んでインク壺をしまい直した。

 のち、ネイアに刻まれた文字は子の誕生と共に消えてなくなる。しかし、ネイアは無意味だとしても毎日同じ文字を同じ場所に書き続けた。

 ネイアが神の子の祝福を受けた子供を産んだ聖女と呼ばれるようになるまで、あと数年。

「さてと。今日ってレイモンさんいるかな?」

 インク壺をしまい、指先が青黒いままのナインズが尋ねる。

「いますよー。レーモンちゃんに何か御用ですか?」

「うん!ちょっと昔聖典にいた人について聞きたくって」

 番外席次の耳が髪の下でぴくぴくっと動く。

「昔?それなら、私が分かるかも知れません。どの聖典ですか?」

「あ、ルナちゃんは長いんだもんね。えっとね、昔スレイン法国とエイヴァーシャー大深林が戦争してた頃の人」

「……エイヴァーシャーと旧法国の戦争はとても長いです。多くの聖典隊員が誕生し、そして死にました。何か他に分かることはありますか?」

「んーと、最近寿命で死んじゃったの。下水月の風の曜日、三日だって」

「それは火滅聖典にいたフローラ・ファ・フィヨルディアだと思います。私達も聖典のよしみで葬儀に立ち会いました」

「フローラ……。フローラの娘、フラル……?」

「フラル…?フィヨルディアにそういう名前の娘はいなかったかと思いますが」

「え、そ、そうなの?戦争の時に拾ってきた森妖精(エルフ)の女の子、フラルって名前じゃないの?ずっと大聖堂にいる子だよ?」

「……拾ってきた森妖精(エルフ)は、確かイオリエル・ファ・フィヨルディア。当時の聖典には決して許されないことです。私たち神殿機関も、イオリエルの存在はつい最近知ったばかりでした」

「イオリエル・ファ・フィヨルディア?」

 それは毎朝バイスが出欠を取る時に「今日も来てないな」と言う名前だ。

「イオリエルだとしたら、僕達同じクラスだ。クラスに森妖精(エルフ)はいないよね?」

 問われた一郎太が頷く。

「いませんね。隣のクラスとかにはいるみたいですけど」

「そうでしたか。……じゃあ、きっとあの大聖堂にずっといる森妖精(エルフ)がフィヨルディアの拾ってきた森妖精(エルフ)なのね……。葬儀の時も出てこなかったけれど……」

 番外席次はどこか遠い目をした。

「……フラルは――イオリエルは言ってた。命の短い人間とは話したくないって。身寄りもないって……。お母さまを生き返らせたいって……」

「………そうですか。少し興味が湧きました。話して来てみます」

 番外席次は身軽な訓練着のまま中庭を出て行った。

「一太、僕達も行こう!」

「はい!」

 子供達もドタバタと出ていく。

「――レーナ、ネイアを頼む」

「わかったわ。ネイア、急がなくて良いのよ」

 クレマンティーヌが走って三人を追いかける中、ネイアとレイナースはゆっくり歩いて大聖堂へ向かった。

 クレマンティーヌはすぐに前をいく三人に追いついた。

「番外、あんまいじめんなよ?」

「……いじめないわ。クインティアじゃないんだから」

 職員通用口から大聖堂を出る。

 番外席次がキョロキョロと当たりを見渡し――祈りを捧げに来るといつもいる森妖精(エルフ)の娘を見つけた。

「いたわ。行きましょ」

 長椅子に座り、ぼうっと薔薇窓を見上げている。

 ナインズと共にまっすぐそちらへ向かっていると、自分に近づこうとしている者の存在に気付いたようで、森妖精(エルフ)の娘は訝しむような目をした。

「……ハーフ森妖精(エルフ)、其方は何を連れてきた」

 クレマンティーヌと番外席次は少し眉を寄せた。

「うんと…。フラルのお母さんを知ってる人たち」

「……何?」

「――あなた、イオリエル・ファ・フィヨルディアね」

「……其方は何者じゃ」

「私は紫黒聖典、番外席次。絶死絶命よ。私が名乗るなんて滅多にないんだからありがたく思いなさい」

「せ、聖典……?」

「そうよ。フローラと一緒に戦ったことはないけれど、私はフローラを知ってるの」

 フラルは自分がイオリエルではないと否定しなかった。

 番外席次はナインズと二人でイオリエルを挟むように座った。後ろの列にクレマンティーヌと一郎太も座る。

「イオリエル、あなた長いこと外にも出られないで暮らしていたんでしょう。あなたの喋り方は老いてからのフローラと、フローラと共に火滅聖典にいたガディヴァにそっくりだわ」

「……そうじゃろうか……。此方(こなた)は人間の父上と母上に……似ているだろうか……」

「えぇ、本当にそっくりよ。たまに大神殿で気安く話しかけてきていたもの。本当に鬱陶しかったわ」

 後ろに座るクレマンティーヌが咳払いした。

「――イオリエル。外に出られずに育ったせいで、外の者が全て敵に見える気持ちは私もよく分かるわ。まぁ、私の場合は全員弱者に見えていたけれどね。自分より先に皆死んでいくし」

「……其方は…絶死絶命様はいったい……」

 番外席次は髪に隠れる長い耳を見せた。

森妖精(エルフ)…?」

「違うわ。私はアウラ様とマーレ様が象徴王になる前に王だったクソッタレと人間の間の子よ。でも、そうね。森妖精(エルフ)の血が濃いと思うわ。歳の重ね方も、力も、何もかもがクソッタレに近い。だから、私もこの大神殿からほとんど出たことはなかったわ。あなたと一部は同じね。禁忌の子よ」

「……此方も……外に出ては行けないと父上達に言われ続けた。父上達は此方を隠して育ててくれた……。感謝はしているし…父上達の事は愛しい……。だが、だが…!拾って帰らずに、何故エイヴァーシャーに置いて行ってくれなかったのだと思わずにはいられん!!こんな…こんな気持ちになるなんて…!!父上も母上もあんまりじゃ!あんまりじゃ!!」

 イオリエルの瞳からはぽつぽつと涙が落ち、ナインズはポケットからハンカチを出すとそっとその目元を拭いた。

「子供扱いするなと言うに!」

 イオリエルがナインズの手を払おうとすると、パッとそれは番外席次に取られた。目にも止まらぬスピードだった。

「あなたは子供よ。そのお方に八つ当たりしないで」

「うぅ…!もう子供でなんか居とうない!父上も母上も、此方がいつかこうして一人ぼっちになると分かっていながら、此方が外など知らぬ木偶の坊になると分かっていながら、何故此方を拾って帰ったのじゃ!!此方はもう自由な大人になりたい!!母上に、母上に会いたくて眠れぬ夜など嫌じゃぁ!!うぅぅ…!!」

 ナインズはそのあまりの悲痛な叫びに一つ、二つと涙を零した。

「イオリエル…。本当に寂しかったんだね……」

「うぅ…此方に優しくするな…。其方も、其方もどうせ先に死ぬ……。此方を置いて…皆死ぬのじゃ……。何も知らぬ此方を置いて……」

「僕は君より先に死なない。きっと死なないよ…。だからもう泣かないで」

「うぅ……ハーフ森妖精(エルフ)の分際でぇ」

 イオリエルはナインズに縋るようにすると、ナインズは可哀想なイオリエルを抱きしめた。

 二人分の子供の泣き声が大聖堂に響いた。

「イオリエル……僕、試してくるよ。だから、ここで待ってて。できるか分からないけど、でも、やってみるから…」

「其方なんかに何ができる……。精々長生きするくらいが関の山じゃ……」

「そうかもしれない……。僕にはそれしかできないかもしれない。でも、どうか待ってて……」

「………此方はいつでもここにいる……」

「ありがとう、必ず戻るって約束するよ」

 ナインズはイオリエルにハンカチを握らせると、立ち上がった。

「ルナちゃん、僕は一回帰る。一太とイオリエルを頼む」

「かしこまりました。お気を付けて」

 長椅子の上に立ちあがり、前の列の長椅子の背もたれを一つ跨ぎ――普通の子供がやれば叱責だ――ナインズは長椅子の列を出て行った。鞄も置きっ放しだった。

「……絶死絶命様……。あれは一体、何者なんじゃ……」

 イオリエルは自分より少しお姉さんに見える番外席次を見上げた。

「……悪いけど、言えないわ。聞くならご本人に伺いなさい」

 

+

 

 ナインズは慌てて出迎えた雪女郎(フロストヴァージン)とコキュートスと共に、昨日遺体を出してもらった場所に辿り着いた。

「爺!!爺の言う通り昔聖典だった人だった!火滅聖典だったって!!名前はフローラ・ファ・フィヨルディア!ガディヴァの奥さん!!」

「装飾ヲ外サセテ見マショウ。名前ガ書イテアルカモシレマセン」

 凍河の中からいくつも老婆の死体が出てくると、コキュートスは全員の指輪やペンダントを外した。コキュートスにスレイン法国の字は読めない。

 ナインズだってほとんど読めない。だが、オリビアが普段公共文字とスレイン文字を書くので少しは読める。

 ナインズは指輪の中を覗いたり、ペンダントの裏を確認したりして、彫られている名前を確認していく。

 遺体とはいえ、全裸ではフラミーが怒るので損傷のある服は<修復(リペア)>で直されたり、きちんと着せられている。装飾品についてはある程度価値のありそうな物を着けていれば死体ごとシュレッダーに掛け、そうではないものは放置している。死体はどんどん手に入るし、アイテムの選り分けは無駄に手間がかかる。

 ちなみに、近頃では遺体の回収速度がアンデッド創造速度を上回っているので、パンドラズ・アクターの手が空いた時に多すぎる遺体はシュレッドする。肉体は治してからシュレッドした方が価値が高いということが判明しているので、どう使うにしても損傷があるものは全回復だ。遺体は麦より金貨の排出率が良いためナザリックは潤っている。国民はどんどん増えてどんどん死んで、どんどんナザリックに遺体を送るのが一番ナザリックの為になる。

 ナザリックから見ると、国民総家畜だ。それも、従順な。

「――あった!!これだ!!」

 ナインズは一つのペンダント――いや、認識表(ドッグタグ)に刻まれた文字を読んだ。

「フローラ・ファ・フィヨルディア!!火滅聖典第四席次!!イオリエルのお母さま!!」

 静かに眠り続ける老婆を残し、すべての遺体が再び凍河に埋められる。

 ナインズは老婆の体を囲むように円を描き、どうしようかと苦しげに目を閉じた。

「再生……誕生に必要なもの…」

「オ坊ッチャマ……」

「死と再生のY(エイワズ)……二つ重ねて……年を意味する(イア)。年を巻き戻せ、O(オシラ)。生命の樹よ、S(エイワズ)……J(ジュラ)、命のサイクルを――」

 ナインズは指を赤くしながら雪の上にルーンを書き続けた。

 何文字も何文字も、遺体を囲むようにしていく。時に重複し、ルーンはいつしか願いの文章へと変わって行った。

 老衰で死んだ人を生き返らせることなど、神と呼ばれる母にもできるのだろうか。

 きっと、父の持つ、命の時間――死までの日数を巻き戻す秘技と合わせなければ、叶わない。

 ナインズは自分の思う魔法陣を完成させた。

「頼む!!目を開けてくれぇ!!」

 魔力を流し込むように魔法陣を叩くと、魔法陣はゴシュゥッと光の柱を吐き出した。

 第五階層中の僕達がその様子を見上げた。今日休みを言い渡されている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も、コキュートスの家の屋根の上からそれを見た。

 光の柱は天を突くと消えて行った。

 ナインズは光が消えた魔法陣の中へ走った。

「フローラさん!!」

 横たわっているのは老婆だった。

 呼吸をしていない。ナインズはその胸に耳を当てた。

 ――心臓は動いていなかった。

「……っく!もっかい!!」

 書いた文字を手のひらで払って消していると、コキュートスが一息で消してくれた。

 今度は形を変えて、フローラに回路を伸ばし、別の場所に魔法陣を書く。

 叩くと同時に魔法陣だけが光り、フローラには何も起こらなかった。

「も、もっかい!!」

「オ坊ッチャマ、オ指ガ……」

「大丈夫!!」

 またコキュートスに消してもらい、フローラを楕円で囲む。

 楕円の外側にルーンを書き込んでいき、最後に叩く。

 文字だけが光りを放ち、何も起こらずに消えた。

 何度繰り返しても結果は同じだった。

「――も、もっかい!次は本当にできる!!」

 細かな氷である雪に傷つけられた赤い指を再び雪に下ろすと、その手はコキュートスに包まれた。

「オ坊ッチャマ、残念デスガ……」

「……うぅ…爺……!僕は……僕はぁ……!」

 ふわぁーんと声をあげてコキュートスに抱き着いて泣いた。もっともっと子供だった頃のようだった。

「僕はどうして何にもできないんだぁ!寂しいって泣いてる女の子一人救えないくせに、何が神の子だよぉ!どうして!どうしてぇ!!」

「オ坊ッチャマ…オ坊ッチャマハ十分良クヤラレマシタ。アナタ様ハマダコレカラオ力ヲ得テイクノデス……」

「爺ぃ…!」

 ナインズが落ち着くまで、コキュートスは背を叩いてやった。

 流れる涙は温度耐性の指輪をするナインズの体から離れると凍りつき、ポト、ポト、と音を鳴らして落ちた。

 しゃくりあげる声が次第に消えていく。

「……爺、ごめんね」

 落ち着いた声で告げると、ナインズはコキュートスから離れた。

「イエ。オ気ニナサラズ。オ坊ッチャマ、フラミー様トアインズ様ニオ願イシテミテハ如何デショウカ…」

「……ううん。お父さま達のお力は借りられないよ…。ナザリックにとって必要な事なのか考えれば――これはそうじゃないって、分かる…」

「……デハ、セメテ、ソノオ指ヲ治スタメニフラミー様カペストーニャヲオ呼ビシマショウ」

「ううん。僕もっかい大神殿に行ってくるから、向こうで誰かに治してもらうね」

 ナインズは雪の中から立ち上がると、下の階層へ行くため去って行った。

 コキュートスは小さな背中を見送った。

 ナインズの中の、ルーンのレベルが一つ上がった事がぼんやりと解った。

 

+

 

 長椅子に座る番外席次はイオリエルと話していた。後ろにはクレマンティーヌとネイア、レイナース、一郎太が座っている。

「イオリエル、私も誰も自分を理解してくれない日々にうんざりしていたわ。どいつもこいつも無能で弱いし――私と対等に生きてくれる存在なんか一人もいないと思ってた。ずっと……寂しかった」

「絶死絶命様も…」

「一人にしないで欲しかった。それは今も同じ。難しい任務に出るたびに、いつも思う。紫黒聖典の誰か一人でも死んでしまえば、私はまた狂うんじゃないかって。だから、必死に弱い紫黒聖典を守ってやってる」

 クレマンティーヌは言いたいこともあったが、その話をじっと静かに聞いた。

「……でも、どれだけ守ってやっても、いつかは私の仲間達は死ぬわ。そうなったら、私はまたひとりぼっちになるかもしれない」

「怖くないのですか…?」

「怖いわ。とても怖い。だけど、私はもうフラミー様からの祝福に気付いてる。あなたにも気付かせてあげるわ。仕方がないからね」

「光神陛下の祝福があるならば…此方が今一人ぼっちなわけがないと思います……」

「そうよ。一人ぼっちじゃないわ。私があなたの後見人になる」

 イオリエルは見開いた目で番外席次を見つめた。

「だ、だが…此方は…此方は……ハーフ森妖精(エルフ)よりもきっと長生きで……」

「そうね。でも、私はそう簡単には死なないわ。それに、イオリエル。いつか誰もが自分の親とは別れる運命にあるのよ。巣立つ時を迎える前にその日が来たあなたは不運だけど、いつかあなたも私の下を巣立つ。そのあと私も死ぬわ。どう。私と来ない」

 イオリエルの瞳にはいっぱいに涙が溜まり、薔薇窓から落ちてくる色取り取りの光を反射した。

「……絶死絶命様……どうか、その時まで此方と共にあってください……」

「契約成立ね」

 小さな少女が小さな少女を慰める光景だ。

 クレマンティーヌとレイナースは次世代を育てることの大切さを胸が痛いほどに感じた。

 それは神に仕える為だけでなく、この仲間の側に命を落とした後でも寄り添う為に――。

「――イオリエル!」

 その声に、皆イオリエルから顔を上げた。

 走って戻って来た様子のナインズがいた。

「……ごめん。僕、ダメだった……。ごめん……」

 イオリエルは立ち上がると、ナインズの下へ歩き、静かにナインズを抱きしめた。

「……其方のお陰じゃ……。ありがとう……。母上は戻らないが、其方は此方に新しい家族をくれた……。ありがとう……」

「あたらしい…かぞく……?」

 事情がわかっていないナインズが言葉を繰り返す。

 番外席次はナインズの下へ進み、跪いた。

「イオリエル・ファ・フィヨルディアは、紫黒聖典、番外席次。絶死絶命が引き受けます。我が妹として、私が神王陛下の下へ召すその日まで」

「ルナちゃん……!ありがとう!イオリエル、良かったね…!本当に良かった……!」

「ありがとう…。其方は神の使いじゃ……」

 ナインズは甘い香のする髪の中に顔を埋め、イオリエルも優しい体温に顔を寄せた。

「其方の名前を、もう一度教えてくれるか……」

「……僕が嘘を吐いても、君はこの先何百年もずっと友達でいてくれるかな」

 短い沈黙。それはイオリエルがナインズの正体を悟った時間のようだった。

「………許す。此方こそ…フラルではなかったのだから……」

「ありがとう……。僕はキュータ。キュータ・スズキだよ」

「キュータ様、ありがとう……」

 二人は身を離し、両手をつなぎ合った。

「……この手、どうしたんじゃ…」

 ナインズの手は冷え切り、人差し指と中指は真っ赤になって震えていた。素肌で雪の上に字を書きすぎて細かい擦り傷がたくさんできている。

「はは、ちょっとね。後で治してもらうよ」

「此方が治そう…。さっきまでなかった…。此方のために…何かしてくれたのであろ……」

 イオリエルは制服のローブから短杖(ワンド)を取り出した。

「<軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>」

 ナインズの手は癒された。大した傷ではなかったのだ。

「……すごい、イオリエルは魔法を使えるんだね」

「第一位階じゃ。大した事はない」

 イオリエルがはにかむ。

 すると「――ちょっと!!」と耳馴染みのある声が大聖堂中に響いた。

 何事かと二人は声の主の方へ視線をやり、番外席次は席に戻った。

「キュータ君に触んないでよ!」

 オリビアと、学校の皆がいた。エルは止められなかった事を申し訳なく思っているような顔をしていた。

「あれ、オリビア?どうしてここに?」

「昨日イシューと一郎太君と三人で来たって言ってたから、私、今日は皆で来たかったの……」

「そっかあ。じゃあ、ちょうど良かったね」

 ナインズが一ミリも何も気にしていない顔で笑うと、オリビアは納得いかないような顔をしてイオリエルを睨んだ。

「キュータ君。その子、フラルちゃんって子?生意気なんでしょ?」

「え?そんな事ないよ。すごく良い子。そうそう、名前はフラルじゃなくてイオリエル・ファ・フィヨルディアだったんだ。同じクラスだよ」

「……ふーん」

「ふふ、キュータも隅に置けないなぁ」

 エルが笑うと、イオリエルは「……森妖精(エルフ)?」と首を傾げた。

「違うよ。私は……ん……と…上位森妖精(ハイエルフ)と人のハーフなんだ。君は純血の森妖精(エルフ)なんだっけ」

 イオリエルが頷く。

「そうじゃ。だが、育ちは神都じゃ」

「私の育ちは最古の森だよ」

 レオネはジッとエルを見つめると、自分の手に視線を落とした。

「……やっぱりエル様は殿下じゃありませんでしたのね」

「え?はは、それはそうだよ。そんな事初めて言われたな。光栄だけど、そんな間違いをしたら殿下に失礼だと思うよ。まぁ――殿下はそんなことで怒るようなお方じゃ無いとも思うけどね」

 エルが肩をすくめ、一郎太が頷く。

「そう…でしたのね……」

「うん。皆にはちゃんと話してなかったけど、改めて言っておくよ。皆は私を差別するような子達じゃないし、私も守られてばかりはいられない…。私は上位森妖精(ハイエルフ)のハーフで、年も二十四なんだ」

 皆、大した驚きを感じず、むしろスッキリしたような顔をしていた。

「若いのう」

 イオリエルが言うが、皆お兄さんだなと思った。

「それはそうと、其方ら皆神都第一小の子供なんじゃな」

 イオリエルは全員の身なりを見た。

「その通りでしてよ。わたくし達、皆B組ですの」

「イオリエル、君も僕たちと同じB組だよ。皆同じクラス」

「そうじゃったか……。此方ももっと早く学校に行けば良かった……」

「あれ?あんた、祈りはもう良いの?」

 イシューが覗き込むと、イオリエルは他人のふりをして耳を傾けている新しい家族に笑った。

「良いのじゃ。キュータ様が……新しい家族を連れてきてくれたから。それに、キュータ様がいつまでも一緒だと約束してくれた」

 ロランがヒューゥと口笛を吹いた。

「キュータ君!!」

 オリビアが詰め寄り、ナインズは何で怒っているんだろうかと瞬いた。

「ど、どしたの…?オリビアも頑張って長生きしようね…?」

 そのお誘いにオリビアはパッと花のように笑った。

「うん!キュータ君と長生きする!」

 

 話を聞き続けていたクレマンティーヌとレイナースはナインズは将来苦労しそうだなと思った。

 

+

 

 帰り道。

 ナインズと一郎太は大聖堂より向こうに暮らしていると言って皆と違う方向へ向かって遊歩道を歩いて行った。イオリエルはもう少し大聖堂にいるらしい。

 大聖堂からの帰り道は、来た時のメンバーだけになっていた。

「やっぱり、キュータさんは殿下ですのよね」

 レオネが言うと、共に帰っていた友達たちが唸るような声を上げた。

「…どうしてそう思うの?」

「オリビア。キュータさんに膝をついてた白と黒の子、あの子は多分紫黒聖典と呼ばれる人ですわ。お父様に聞いたことがありますもの。わたくし達、キュータさんに対して不敬なんじゃないかと思うと……」

「……それでもキュータ君はキュータ君だもん」

 オリビアはぽつりとこぼし、エルミナスは頷いた。

「そうだね。キュータが殿下だとして、彼はそう扱われる事を望むかな。私にはそう思えないよ」

 大人びた口調。エルミナスはやはり殿下だと思われる物を全て兼ね備えていた。

「……誰が殿下なのか聞くような真似は慎むように先生方は仰っていましたわ。でも、もう一度聞かせていただきますが……エル様は本当に殿下じゃありませんのよね?」

「違うよ。これは私が自分の身分を隠したいから言ってるんじゃない。純粋に、あの優しき殿下に失礼だと心から思っているから否定しているんだよ」

「エル様はキュータさんが殿下だともっと前からお気付きになっていまして?」

「――そうだね。私はキュータが一郎太の服を乾かしてやった日にそう思った」

「そんなに前から……。やっぱり神の文字に魔法を込めるなんて普通の子にはできませんものね」

「まぁね。でも、私がキュータが殿下なんじゃないかって確信したのは……ルーン魔術よりも、あの日の彼のシュルツ君への言葉だよ。言っていたこと全て、私にはとても真似することはできない。あの時のキュータはまさしく王だった。もし彼が殿下でなければ、もう学校に殿下はいないんじゃないかと思うよ」

 皆、しん…と静まり返った。

 足音だけの静寂を破ったのはアナ=マリアだった。

「………キュータ君は立派。でも、キュータ君が殿下だって名乗るまでは………私もオリビアちゃんと同じでキュータ君を殿下だって意識したくない」

「わたくし達……今のままでいいんでしょうか……」

 ロランは「いんじゃない?」と軽々しい声を上げた。

「僕はキュータ君が殿下だとか殿下じゃないとか関係ないと思うよ。だって、殿下は友達をたくさん作りたいから身分を伏せて学校に通われてるんでしょ。キュータ君も友達たくさんほしいって言ってるし、僕は誰とでも友達でいることがどこかにいる殿下にとって一番不敬じゃない行動だと思う」

「あたしもロランに同感。レオネは帰ったらパパにどうしたらいいか聞いてごらんよ。多分同じこと言うからさ。――じゃ、あたしは帰るよ!こっちだからさ!皆また来週!」

 イシューは飴を一つレオネに握らせて帰っていった。

「……そうですわね。わたくしも、今まで通りにいたしますわ。おかしな事を言ってしまってすみませんでした。では、皆様。わたくしもあちらですから」

「うん、気をつけてね。また来週」

「また来週!ごきげんよう!」

 レオネは足取り軽く帰って行った。

「………レオネちゃん、大丈夫かな」

「アナ=マリア、レオネは殿下にすごく憧れてたから仕方ないの。最初の頃、エル様と喋れたーってとっても喜んでたもん。だから、キュータ君に失礼な真似したって思って落ち込んじゃったんだと思う」

「はは。もしかして、私を殿下だと思ってたから皆私をエル様なんて呼ぶのかい?てっきり歳上だと勘づかれてるからそう言ってるのかと思ったよ」

「エル様って感じするからエル様はエル様なの!」

 オリビアは言うと、アナ=マリアの手を取って駆け出した。

「じゃあ、二人ともまた来週!」

「………さよなら」

「じゃあねー!」

「また来週ー!」

 

 子供達はそれぞれの家に帰って行った。

 

 そして、新しい家に帰った子供もいる。

 

此方(こなた)はイオリエル・ファ・フィヨルディア。ご厄介になりますじゃ」

 翌日にはたくさんの荷物を持ったイオリエルが紫黒聖典寮に入った。

「こ、ここで暮らすの?ガッコーの寮にいたんじゃなかった?」

 クレマンティーヌは大量の荷物を運び込む番外席次に尋ねた。

「寮は出てきたわ。校長と寮母に話したから大丈夫」

「大丈夫って…。あんたらフィヨルディアの家もあんでしょーに」

「流石に聖典上りの家だから、ここから近いわ。今と同じようにちゃんと定期的に掃除に帰らせるつもりよ。今日と明日で片付けて、安息日明けから登校させるわ」

「いやいや、そうじゃなくてー…なんつーのかなー…」

「何。クインティア文句あるの」

「文句っつーか、ここに暮らしていいってレーモンちゃん言ったわけ?ここは全部神殿が金出して回ってんだよ」

「良いそうよ。キュータ様が最高神官長に事情をお話くださったそうで、紫黒聖典見習いって事になったわ。イオリエルを拾ってきたのもそもそも聖典だし」

「まじ…?このちみっこいのが見習い…?番外もちびだけど」

「うるさいわね。イオリエルは第一位階魔法も使えるわ。いないでしょ。魔法使えるの。それに、流石に元火滅聖典にしごかれてただけあって才能は十分よ。毎冬ヴェストライアの所で訓練すれば成長も早いでしょ」

「回復魔法を使えます。もっと精進するから…置いてはくれんじゃろうか…」

「ふーん……。レーナ、どーするー」

 声をかけられた副隊長は軽く荷物の中身を確認していた。そして、制服を羨ましそうに見ると箱に戻した。

「私は構わないわよ。回復魔法を使えるって事は、キュータ様だけでなくフラミー様のお墨付きでしょ。順当に育って力を付ければ第四席次ね。もしこれ以上力が付かなくて聖典に入れなければルナと一緒にフィヨルディアの家に引っ越せばいいんだもの」

「んじゃーいっか。部屋はまだまだあるし。好きな部屋使いなー。だけど、ここはガッコーの寮なんかとは違って食事は持ち回りの当番だし、洗濯は自分だからねー。それでもヘーキ?」

 イオリエルは頷いた。

「覚えますじゃ。何でも覚えてみせる!」

「気合は十分だね。教育は番外がするんでしょー?」

「当たり前じゃない」

「そりゃよかった。んじゃー取り敢えず、今後のイオの簡単な一日を説明する。紫黒聖典の朝は早いからね。まず番外と朝食作る。できたら皆で朝食食べて、会議して、通学路の見回りに行かなきゃいけない。――その時、番外と一緒にガッコー行きな」

「絶死絶命様と…!」

 瞳を輝かせる様子にクレマンティーヌは小さく笑った。

「そー。んで、帰ってきたら掃除。掃除は毎日しろっていうのが大神殿の言い分だからねー。あっちは毎朝やってるけど、私らは時間見つけて適当にやってる。簡単な掃除が終わったら今度は夕食作り。夜も皆で食べる。一日の報告をしあったら、風呂。広い風呂だから適当にいつでも入ってよし。そしたら寝る。週末は訓練。わかった?」

「分かりました!!此方は何でもできるようになるぞ!」

「頑張ってー。それから、隊長の私から見習いのイオにひとつ任務を言い渡すよ。良い?」

「はい!」

「キュータ様がもし学校でお怪我されたりしたら、すぐに癒やしてさしあげること。それが見習いの仕事っちゅーことで。他のことはあんまり気負わなくていーよ。キュータ様は――誰でもない誰かなんだから」

「隊長、ありがとうございます!お任せくださいですじゃ!」

「……本当に老人みたいな喋り方だなー。ま、いっか」

 ネイアが出て少し静かになった家は、前にも増して賑やかになった。

 ネイアも産んで落ち着いたら戻ってくるつもりでいるし、今は日中大神殿でできる書類仕事はネイアに全部丸投げ中だ。

 

 その後、番外席次は新しい家族の荷物の片付けをぶつぶつ文句を言いながら手伝った。




これはヒロイン臭がしますじゃわね!?

次回Lesson#11 謝罪と神様


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Lesson#11 謝罪と神様

 バハルス州ランゲ市。

 自然豊かな美しい都市は、一部舗装が終わっていない道があり、中には水牛を馬車馬の代わりに使っている者が街を行き交っていた。

 所々に畑があり、バハルスの人間が郷愁を抱くような優しい時間が流れている。

 ――そんな静かな街を管理する市長、ユーキス・フックス・デイル・シュルツは学校からの手紙を翻訳家に読ませていた。

 公共文字は小学校を卒業した子供達は皆読めるが、大人は大抵自分の暮らす州特有の文字しか読めないか、簡単な言葉しか分からない。一切読めない者すらいる。もちろん都会はもう少し事情も違うが、ランゲ市はそんな感じだ。

 なので、こうして字を読み上げてくれたり、翻訳してその都市で使われる特有文字に変えてくれる職業の者がいる。

 翻訳家はどの都市にもたくさんいて、近頃では小学校を卒業してすぐの子供が「手紙読みます」や「翻訳承ります」と言ったチラシを町の食堂に貼らせてもらっていたりもする。チラシは書ける文字で同じ文章を並べて書いて、最後に名前と年齢を書くのが一般的だ。色々な言語や珍しい言語が並んでいる方が好ましいが、大抵はバハルス州文字と公共文字の二つだ。

 ただ、翻訳は子供すぎると難しい文章は読めないことが多いので仕事では大人を使うことが多い。

 とは言え、手紙程度なら自分の子供に読んでもらう親や、お駄賃を渡すことで近所の子供に書いてもらう人もたくさんいるのだ。昔より手紙はたくさん出回るようになったので、郵便局があちらこちらにできた。

 さて、子供達は翻訳で金を貯めて、大抵は個人塾や私立中学校に行く。

 中学校についてはその学びや妥当性がよく話し合われる。小学校で習う算術の応用や、公共文字ではなく地域の文字を教えてくれることが多いが、国営小学校(プライマリースクール)や魔導学院と違って指導要領が明確でなく、場所によって教えることが全く違う。教師も必ずしも魔法を使える者がいるとは限らない。近頃では職業訓練学校もいくつも建っている。

 

「――というわけで、カイン君とチェーザレ君のした事を重く受け止められますよう。スズキ君のご両親に謝罪の手紙を書かれましたら、直接学校へお送りいただければ幸いです。と、下土月一日付けで届いています」

 読み上げが終わるとカインの父、ユーキスはため息を吐き、執務用の椅子に沈んだ。妻は信じられないように口に手を当てている。

「馬鹿者が…。カインとチェーザレは何をしている。魔法の効果が付与されている装飾品を盗って隠すなんて……しかも勝手に人の手紙を開けたなど、信じられん」

「……あなた、私カインがそんな事をするなんて思えませんわ」

「だが事実こうして学校から咎める手紙が届いているんだ」

「手紙は本当にカインが開いたか分かりませんし、魔法の腕輪だってカイン達がやったか何てどうやって分かるんです。誰かがカインのポケットに入れたのかも知れないじゃありませんか」

「ではレッドウッド氏はカイン達に濡れ衣を着せているとでも言うのか?前に届いたカインからの手紙には殿下と話そうとするのを邪魔する嫌な奴がいると書いてあったが、それがこのスズキ君じゃないのか?」

「だとしたら、カインが殿下と話す機会を奪うような子なのですよ!どうしてその子にカイン達が陥れられていないと断言できましょう!担任も殿下に良い顔をする為に、殿下とずっと一緒にいる子の言い分ばかり聞いているのかもしれません!そうでなかったら、こんな…こんな…!謝罪の手紙を書く事を強制したりなんかしません!!そこのあなた、もう一度最後の文を読んで!!」

 ユーキスはヒステリックに言う妻の言い分に、翻訳家に視線を送った。

「畏まりました。スズキ君のご両親に謝罪の手紙を書かれましたら、直接学校へお送りいただければ幸いです」

「ほら!こんな言い方がありますか!書く、書かないの選択肢もないような、そんな言い方じゃありませんか!!」

「……物を盗っているのだから、相手の両親への謝罪は当然だろう」

「もう返してるじゃありませんか!カインの味方は私達だけなんですよ!?」

「返しているのは当然の事だ。しかし先生が見つけなければカインはどうしていた?謝って返していたか?そうは思えん。もし壊しでもしていたら大変な話だぞ。魔法の腕輪なんて一体いくらするか」

 冒険者であれば何度も何度も冒険に行き、野草をはんで必死に空腹を凌いで買うようなものだ。

「どんな効果かなんて分からないのだから、高価と決まったわけじゃありません!もし高価なら、そんな高価なものを持たせるなんてあちらの親もおかしいです!他の子が欲しくなるのは当たり前じゃない!」

 ユーキスは頭が痛くなりそうだった。

 妻は遠方の片田舎の豪商から嫁いで来た身で、カインを自らのアクセサリーのように扱いがちだ。

 自分にないのは先祖から引き継がれる称号と身分だけだと言うのがもっぱらの言い分で、カインには何としても次期市長の座に就かせたがっている。

 ユーキスは自分のなりたいものになれば良いとカインに教えてきてやっているが、それがうまく伝わっている感触は今のところない。妻はいつも「カインに市長ができないとでも!?」と言うせいで、カインもそういう風に受け取っている感じがする。

 できることなら、称号や身分に囚われている母親からの呪縛を解いてやりたかった。新しい今の時代は、誰か他の人に任せることもできるのだから、あまり気負うことはないと。

 人を束ねる人になるというのは自分の時間を多く人のために割かなければならなくなる事だ。時に感謝され、時に恨まれる険しい茨の道。

 長男だからと言ってそういう覚悟をさせなければいけない時代は終わった。

 妻にはまだそういう事は分かっていない。

 かつてエル=ニクス皇帝が憎んだ古い体制と思想に縛り付けられている。

 エル=ニクス州知事より市長を任せられた者の多くはエル=ニクスの決めた変革を受け入れ、新たな道へ大手を振って乗り出して行っていた。エル=ニクスの時代が始まったあの壮大な即位と戴冠式の日から、バハルスは変わり続けている。

 革新の時に付き纏う痛みを経験して来たこの地の元貴族達に、神聖魔導国になってからの怯えは少なかった。――アンデッドは恐ろしかったが。

 自分達で言うことではないかもしれないが、旧バハルス帝国の民は周りに比べて成熟していると思う。神聖魔導国になると言うときに起きた混乱は旧諸外国のどこよりも少なかっただろう。

 だが、エル=ニクスに粛清されていない人民までも必ずしも賢明であるとは限らない。

「あなた!!まずは本当にカインがやったのか学校に聞きに行かなくてはならないでしょう!!お休みを取ってください!!」

 この妻が言って聞くとは思えない。それに――カインを信じてやりたい気持ちはユーキスも同じだ。

 ユーキスは手紙の返事を書く準備をしてくれていた翻訳家に告げる。

「…直接伺うと書いてくれ。もし都合が付けばあちらのご両親にも来てもらうよう」

「あなた…!」

 妻は感激したような声を上げ、翻訳家は公共文字で手早く手紙を書いて行った。

 

+

 

 バイスはカインの父からの手紙に二つの感情を抱いた。

 一つは対面で謝罪する様子であることへの安堵。

 一つは対面で謝罪する様子であることへの憂慮。

 きちんと謝ろうというのは良い事だが、いかんせん呼び出す相手が呼び出す相手だ。

 十中八九神であるキュータ・スズキの両親に、学校までご足労願うのか。

 その畏れ多さにバイスは頭をかいた。

 キュータは誰にでも優しく、チェーザレが登校してこないせいで寂しそうにしているカインにすら声を掛けようか悩んでいる様子だ。ただ、近付くと逃げられている。

 カインは休み時間になるとトイレやどこかに消えてしまう。それは十分程度の休みでもだ。

 バイスも中々カインと話せていない。

 だが、今日は寮に行ってでも両親が来る事を伝えなければ。もしかしたら親達から直接手紙をもらっているかもしれないが、念のために伝えてやろうと思っている。

 キュータの親への手紙は今度はもっと良い紙で、もっと丁寧に、もっとしっかりと封をして書こう。

「――バイス先生、手が震えてますよ……」

 隣の席のセイレーンの教師に言われるとバイスは自分の利き手を押さえ付けた。

「ぱ、パースパリー先生、何かこういう時に効く魔法……ありません……?」

「本当に大変ですねぇ。<鷲獅子のごとき心(グリュプスズハート)>」

 教員全員が持っている短杖(ワンド)で魔法を掛けられると、バイスの手の震えは治った。

「ありがとうございます…。はぁ…書くぞ……。書くんだ……」

 畏れ多くも呼び出しはこれで二度目だ。天罰が下らない事を祈るしかない。

 バイスは非常に丁寧な手紙を昼休みを目一杯使って完成させた。

 周りの教員達は食事に行ったり、授業の準備に向かったりする中、パースパリーは魔法を掛け直すためにもそばに残ってくれていた。

「よし…これをキュータに渡せば良いな……」

「……キュータ君も大変ですよね。私の生徒達には一応誰が殿下でもジロジロみたりしちゃいけないって教えてますけど…。目の届かない所でもそうしてくれてるかは怪しいです……」

 パースパリーの言葉に、バイスは少し肩を落とした。

「やっぱり、キュータは登下校中に苦労してますよ。子供達の好奇心も分かるんですけどね……。せめて祈るような真似はやめてあげてほしいんですけど……」

「そうですよね。まだキュータ君だって、祈りを聞き届ける側じゃなくて祈る側の歳です……」

「ほんとに……」

 二人の間をズン、と暗い雰囲気が流れた。

「――バイス先生。それじゃあ、私ももう授業に行きますので」

「あ、はい!ありがとうございました。本当に助かりました!えーと、良かったら今度飲みにでもどうです?お礼におごりますよ」

「それは是非!楽しみにしてますね!」

 パースパリーは長いスカートをひらりと翻して教員室を後にした。見え隠れするふくらはぎは一見鱗でもありそうなほどに硬い皮膚に覆われている。生態系の頂点に君臨するような鋭い鉤爪のついた足は靴を履いていない。強そうだ。

 バイスはパースパリーが見えなくなると、急いで次の授業の準備をして教室へ戻って行った。

 

+

 

「じゃあ、今日はここまででーす。お祈りと聖歌を陛下方に捧げましょう」

 バイスが言い、子供達は手を組んで目を閉じた。

 静寂の教室――グゥ〜とお腹が鳴った。

 子供達はチラチラと目を開け、音の正体を探した。バイスは自分の腹の音だとはいえなかった。

(昼飯抜きはきついなぁ…)

 一刻も早く食事をしたいが、皆で聖歌を歌い、さようならと挨拶をすると、最後の力を振り絞る。帰り支度を進めるキュータの下へ行かねば。

「キュータ君校門まで一緒に帰ろ!」

「あ、オリビア。――僕も誘おうと思ってたところだよ」

「本当に?嬉しい!」

 バイスは子供二人のやりとりに妙に感心した。キュータはわざわざ誘う気はなかっただろう。毎日一緒に校門まで帰っているのだから。

 それを誘うつもりでいると言ったのは――これから続く嵐を予見したのだろう。

「キュータ様、帰ろうぞ」

 ずっと学校に来ていなかったイオリエルが駆け寄った。彼女は身内の死のせいで塞ぎ込んでいて、ずっと学校に来ておらず、夜に寮に行っても人間と話す事はないの一点張りだった。それが突然聖典の寮に引っ越すと神殿から連絡が入り、登校してきたと思ったらべったりキュータと一緒にいる。

 恐々だが、他の子供達とも少しづつコミュニケーションを取っている。だが、このグループにだけは強気だ。

「うん、イオリも帰ろうね」

 キュータが頷くと、オリビアが腕を引っ張った。

「イオちゃん!毎日毎日キュータ君が困ってるじゃない!」

「そうじゃろうか?此方にはキュータ様が困っているようには見えんがのう?」

 イオリエルも反対側にキュータを引っ張ると、キュータの顔は本当に困りはじめた。

「ふ、二人とも…僕は別に困ってないから。何でそんなに毎日怒ってるの……」

「ほら!キュータ君困ってる!」

「オリビアは校門で別れると言うに…。やれやれ。キュータ様も呆れているわい」

「そんなことないもん!誘ってくれたのはキュータ君だもん!!」

 二人が睨み合うと、キュータはゆっくりと二人から腕を引き抜いた。

「オリビアのことは僕が誘ったから……ね。二人とも、そんな顔しないで。いつもの二人の方が可愛いよ」

「はぁい!」「そうじゃな!」

 神の子ともなれば紳士オブ紳士らしい。おそろしい人たらし。

 女の子は得てしておませさんだが、男の子は正直まだあまり女の子に興味などないだろう。

 女子達の争いがひと段落したところでバイスは改めてキュータの席へ向かった。

「キュータ、これをまたお父さんお母さんに渡してもらえるかな?」

 バイスが手紙を差し出すと、キュータは受け取り首を傾げた。

「これ、なんですか?」

「こないだ腕輪のご説明に来ていただいたお礼と――」バイスはキュータの耳に口を近づけ、声を落とした。「カインのお父さん達がごめんなさいしたいそうだ。まっすぐ帰って渡してくれるかな?」

「分かりました!そう言えばお父さま達、バイス先生は良い先生だって言ってましたよ!」

 バイスの頭の上から花びらが舞い降り、世界中から天使達が駆けつけて祝福のラッパを吹き鳴らした。――ような気がした。

「なに!そ、そうか!ありがとう!ふふ、嬉しいよ!お父さん達にくれぐれも宜しく言ってくれよ!」

「はーい。じゃあ、先生さようなら」

「はい、さようなら。皆気を付けて帰れよー!」

 キュータは鞄から怪しい仮面を取り出して着けると、たくさんの友達と一緒に帰って行った。

 クラスの子供達はこれまで彼と普通に話をしてきているので、ジロジロ見るような子は減ったが、一歩ここを出れば彼はまるで今一番流行りの人気舞台役者だ。

 どうせ校門でほとんどの友達が別れるというのに、皆熱心にキュータの側にいる。キュータが誰かかもしれないと分かる前から、彼らはあんな感じだ。

 バイスは校門へ駆けていく子供達を窓から見送った。

 校門付近では、キュータはジロジロと見られたり、噂話をされたり、祈りを捧げられたり、知らない生徒に話しかけられては何かを否定するように首を振っていた。そして、一郎太がイライラしそうになっているのを宥めている。

(……苦労なさってるな)

 だが、態度を変えない友達もたくさんいるから、キュータもナインズとしてではなく、キュータとして笑って学校に来られるのだろう。

 このクラスだけでも、彼がただの子供として過ごせる時間を作ってやりたいとバイスは思っている。

(――さ、次はカインだ)

 さよならと同時に一番に帰ってしまったので、カインの姿はもうない。

 バイスは教室に残る子供達にもう一度挨拶をすると職員室へ戻った。

 あれこれと片付けをして、他の教員達に今日はもう帰る事を告げるといそいそと寮へ向かった。

 道の途中で、一歩一歩ゆっくり歩くキングを見付けた。

「――キング、帰りかい?」

「…あ、先生〜。さようならぁ〜」

「先生も寮に向かうところだから、連れて行ってやろうか」

「えぇ〜!うれしい〜なぁ〜」

 キングは短い手をバイスに伸ばし、バイスはキングを抱っこして歩き出した。

 最初の頃はキングはぬるぬるしてそうだと女子達に心ない事を言われていたが、彼の皮膚は決してぬめっていない。そもそも服も濡れていないのだから一眼見れば分かることだ。

 彼もそんな喋ることもできない――知能のないオオサンショウウオと同じ体だと思われては遺憾だろうと心配していた。人犬(コボルト)を犬扱いしたり、蜥蜴人(リザードマン)を蜥蜴扱いしたり、人間を猿扱いするようなものだ。

 だが、可愛い目だねとキュータが頭を撫でてやるたびに彼のぬめぬめ説は否定されて行ったように思う。

(本当にえらい方だなぁ…)

 バイスは寮の入り口に着くと、とんとん、とキングの背を叩いた。キングからは寝息が上がっている。こうしていると赤ん坊のような子だ。これでも年は十五歳。彼らは百八十才程度まで生きる。

 移動教室では最近はよく一郎太に抱っこされて移動している。二足歩行するのに疲れ、廊下の隅で丸まっていた時以来だ。

「キングー?ついたぞー」

「あ、はぁ〜い。先生〜、ありがとぉ〜」

 そっと降ろされたキングはぱかりと白い口を開けた。

「ふふ、毎日一生懸命歩いて偉いな」

「まぁ〜ね〜!じゃあ〜さようなら〜!」

 キングは小さい体の者たちの寮へゆっくり帰って行った。

 バイスもカインの部屋がある男子寮へ入った。

「――あら?先生。いらっしゃい」

 寮母さんに迎えられた。

 エントランスは談話スペースになっていて、談話スペースと隣り合う部屋に寮母さん夫婦が暮らしてくれている。朝と晩の食事は手伝いの人も出勤してここに暮らすたくさんの子供達の分を厨房で作っている。

 寮は一階が談話スペース、食堂と大浴場、ティールームだ。ティールームには生徒達が使える小さなキッチンもある。

「どうも。カイン・フックス・デイル・シュルツ君とチェーザレ・クライン君の部屋はどこでしょう?」

「あぁ…シュルツ君達は二階の階段から三個目のお部屋ですよ。あの子達、近頃どうしちゃったんですか?クライン君なんてご飯食べたら学校も行かずに部屋に戻って行くし…」

「ちょっと学校でお友達といざこざがね。でも、これでスッキリしますよ」

「そうですか…?ずっとすごく落ち込んでるから心配で…。お家からいくつか手紙が届いてるんですけど、カイン君はそれも受け取らないですし…」

「あぁ…ちゃんとさせます。すみません。では、私はこれで」

「はい…。ご苦労様です」

 バイスは二階に上がり、扉を一枚、二枚、と数え三枚目で止まった。

 扉は左右にあるが、右からは高学年の子が何人かで集まっているのか、呪文を練習する声が聞こえてくる。

(こっちだな)

 扉にはきちんとお手製のネームプレートが掛けてあった。カイン・フックス・デイル・シュルツと、チェーザレ・クラインのものが二つ。

 軽い力でノックをすると中からは「どうぞ…」と落ち込んだ声がした。

「カイン、チェーザレ。先生来たぞ」

 部屋に入ると片付けをしていた様子のカインがバイスを見た。チェーザレは布団の中で丸まっていた。

「…寮母さんだと思ったのに、先生なの」

「はは、悪かったな。先生で」

「いいよ…。なんですか」

「今度カインのお父さん達が学校に来るって手紙をくれたからな。一応カインに言っておこうと思ってきたんだ」

「なんで?なんでお父さま達が来るの!僕を叱りに!?僕に市長はさせられないって!?そ、それとも裁きが下ったの!?」

「落ち着け落ち着け。違うよ。カインとチェーザレが元気でやってるのか心配してるのさ。だから、わざわざ来るんだよ。キュータのお父さん達にきちんと謝ってくれる。これで全部チャラだ」

「そ、そうなの……?」

 バイスはチェーザレのベッドに腰掛けた。チェーザレも布団からようやく顔を出してくれた。

「そうだぞ?手紙でごめんなさいって書けば済むのに、遠路遥々来て謝るって言うのは、二人の顔を見たいからだよ。それに、ちゃんと謝れば許してくれる方達だ」

 カインは久しぶりに笑顔を見せた。

「そ、そうかな?そうかな?」

「そうに決まってるだろ?だから、元気を出して。チェーザレも明日からは頑張って学校に来てくれよ」

「……分かりました」

 バイスはぐしぐしと二人の頭を撫で、腰を上げた。

「じゃ――少し部屋を片付けようか」

「はぁい。チェーザレ、起きろよ」

「はい…」

 部屋には服や下着が散乱していた。

 きっと片付けは従者であるチェーザレの係だったのだろう。

 三人は部屋を片付け、バイスは「お母さん達から手紙が来てるから、寮母さんからちゃんと貰えよ」と声をかけて帰って行った。

 カインとチェーザレはバイスを笑顔で見送った。

 バイスは帰り道、会談の日を思って胃を痛くした。

 カイン達のことは元気付けることが出来たが、キュータに渡した手紙が無礼じゃなかったかがずっと気になっていた。一通目の腕輪を取らせろと言う手紙が大変無礼だったためだ。

 

 

 今回書いた内容はいたってシンプル。

 

 先日腕輪の説明に参上頂いたことのお礼。

 腕輪事件はカインの両親もとても反省していて、謝りたいそうだという事。

 もし時間の都合が合えば、学校までお出ましいただき謝罪を聞いてほしいという事。

 

 

「――以上が前にお前が届けてくれた手紙に書かれていたから、今日の午後は私達も学校に行くからな」

 あれから数日、アインズが伝える。朝ごはんを食べ終わり、ローブをきちんと整えるとナインズは頷いた。

「僕も先生に授業終わったら一階の応接室に来てって言われてるから、学校で会えるね!」

「そうだな。じゃあ、また後でな」

「はーい!行ってきまーす!」

 ナインズは嫉妬マスクを顔にかけると出かけていき、フラミーとアルメリアは手を振った。

「さーて、今日は何着てこうかなぁ!セイレーン州で買ったお洋服ならあんまり目立たないかなぁ!」

 フラミーは行きがけに少し神都を見るつもりでいるので、割と今日のお出かけを楽しみにしていた。

「俺もどの仮面で行こうかな〜」

 相変わらず他所様の顔を拝借する気にはなれず、かと言って悟フェイスは知れ渡っているモモンの弱体版なので、多少怪しくても仮面で誤魔化したいところだ。

 入学式は多くの親の中に紛れたので弱体モモンの顔といつもの人の顔をくっ付けて行ったが。

「アインズさん、仮面はなるべく怖くないデザインにしましょうね」

「はは、そうですね。担任も謝りに来る親御さんも安心できるようなのにしますよ」

 嫉妬マスクは高級感がなく、周りに溶け込むにはピッタリだ。――とアインズは思っている。

 しかし、あの仮面は表情は良くない。

 少し気が早いが、二人は早速ドレスルームを見に行った。

 

+

 

「キュータ様!帰ろう!」

 今日もナインズの下へイオリエルが誘いに来た。

「あ、イオリ。ごめん、今日は一緒に帰れないんだ」

「ふふ、イオちゃん。迷惑がられてる〜」

 オリビアが意地の悪い声を出したが、ナインズは首を振った。

「ううん。そう言うわけじゃないんだけど、僕今日シュルツのお父さま達とお話しするんだ。うちのお父さま達も来るから、今日はダメなんだ」

「あ……そうなんだ。大変だね」

 オリビアは察すると心配そうな顔をし、イオリエルは首を傾げた。

「お話?シュルツとは、あの静かな男の子じゃったか?」

「うん。ちょっと色々あってね。じゃあ僕行くね。一太ー!」

 一郎太を呼ぶと、ナインズはレオネやエルにまた明日〜と手を振って教室を出て行った。

「シュルツとキュータ様は何かあったんじゃろうか」

「イオちゃん、カイン君が前キュータ君の腕輪盗ったの。だから、きっとお父さまが謝りに来るのよ」

「何?そうじゃったか……」

 イオリエルはよくもまぁそんな畏れ多い真似ができたなと思った。

「だから、帰ろ。校門までだけど」

「オリビア……。誘いは嬉しいが、此方(こなた)はキュータ様をお待ちしようと思う」

「イオちゃんが待つなら私も待つもん」

 すると、「……皆集合!!」とイシューが声を上げた。

 皆と言っても、仲のいいグループを呼んだことは明らかだ。

 いつものレオネ、オリビア、イオリエル、アナ=マリア、エルミナス、ロランが集まった。

「お父様方の話し合いが終わったら、皆で迎えてキュータのこと驚かしてやろ!」

 その誘いに皆賛成し、教室を後にした。

 まだ教室でトマやオーレと黒板に落書きをしていたリュカは振り返った。

「……お父様方って、キュータのお父様も来るのか?」

「そうじゃない?すごいよねぇ」

 トマが呑気にそんな事を言うが、リュカとオーレは急いで黒板の落書きを消した。

「行こうよ!僕神王陛下見てみたい!!」

「俺もそう思ってた!行こうぜ!早く片付けて!」

 三人はドタバタと片付けを済ませ、白くなった手をズボンのお尻で拭いた。白い手型の着いた尻を、教室に最後に残っていた空の人(シレーヌ)のペーネロペーと、ディ・グォルス州のエリュエンティウ市から来ているカルナカラン・ラジープトも見送った。

「……キュータ君のお父さん達、見てみたいね?」「キュータ君が本当に殿下かこれで分かるよね?」

 二人はそんな噂を始め、いそいそと帰り支度をして廊下に出た。

 そして、隣のクラスの海の人(シレーナ)に噂を話す。海の人(シレーナ)は自分のクラスの友達にもその話をした。

 神王陛下ご降臨の噂は瞬く間に残っていた子供達の中を駆け抜けた。

 

+

 

 一足先に応接室に通されたユーキス・フックス・デイル・シュルツは、出されたお茶を妻と二人で飲んでいた。

 すると、部屋にノックが響いた。

「どうぞ」

 入ってきたのは――「お、お父様!」「旦那様!」カインとチェーザレだった。

「カイン!チェーザレ!お前達はとんでもない事を!!」

叱ろうとすると、横から妻が身を乗り出し、カインを抱きしめた。

「カインちゃん!!大変だったわね。もう大丈夫お母様に任せてね」

「お母様……うぅ……。お父様ごめんなさい、本当にごめんなさい……一緒に謝ってくれるんだよね?そうだよね?」

「あぁ、もちろんだ。お前達もちゃんと謝れるな」

「うん…うん……。もう、僕こんな生活やだよ」

「僕もやだよぉー!僕達、僕達ぃ…うぅぅ」

「まぁ!可哀想に!二人とももう大丈夫よ!」

 妻は非常に立腹していた。

 ユーキスは正直、これから行われる話し合いに妻は出席してほしくないと思う。

 だが、追い出すわけにもいかない。

 最初は父親同士と子供だけで話し合おうとか、そう言う提案をしようか。しかし、それはあちらの母親に失礼な気もする。

 ユーキスがそんなことを考えていると、再び扉は叩かれた。

「どうぞ」

 次に入ってきたのはまだ若い男性だった。

 ユーキスは担任を見るのは初めてだ。入学式にはチェーザレと、チェーザレの父である家令と、妻に任せた。

「失礼します。シュルツさん、初めまして。私はカイン君達の担任をしているジョルジオ・バイス・レッドウッドと申します。子供達には短くバイス先生と呼ばれています」

 バイスと呼んで良いと言うことなのだろうが、迷惑をかけた身でそう言う呼び方はなんとなく選べないものだ。

 ユーキスはしっかりバイスと手を握り合った。

「――レッドウッド先生、この度は突然訪問してしまい、申し訳ありませんでした。いつもカインとチェーザレがお世話になっております」

「いえいえ。カイン君は自立心旺盛ですし、誰にも負けたくないと言う強い気持ちをいつも持っています。チェーザレ君も誰かのために行動することができる優しい子です。僕も二人に学ぶところはたくさんあります」

 カインとチェーザレは笑うと、互いを茶化すように小突きあった。

「ありがとうございます。ですが、レッドウッド先生もお若いながら神都で教師とは見上げたものです。素晴らしい知識と魔法技術あってこそでしょう」

「畏れ入ります。まだまだ未熟ですが、子供達のために精進します。さて、早速なのですが、キュータ君のご両親とキュータ君には別のお部屋でお待ちいただいておりまして、シュルツさんにはご移動頂けますでしょうか」

「あぁ、そうでしたか。私達が先に来たのかと思っていましたが、お待たせしていては申し訳が立ちませんね。――お前、行くぞ」

 ユーキスが促すが、妻はジッとバイスを見つめていた。

「……こちらのお部屋に来ていただくことはできませんの?」

「馬鹿!何を言っているんだ。ほら、早く立ちなさい」

 不満ありげな妻に、カインはとても不安そうにしていた。

 バイスもそれだけで妻を警戒するような顔になっている。

「――レッドウッド先生、妻はバハルスからの長旅で疲れておりまして、もうへとへとなもので」

 教師に悪感情を抱かれて良いことなどない。ユーキスの言い分にバイスは警戒を解いたようだった。

「あぁ、そうでしたか。うんうん、そうですよね。二日がかりでいらしたんですか?」

「えぇ。ずっと馬車で腰が固まるようでした。ははは」

「これが終わったら、是非神都でゆっくりお過ごしになってくださいね。さぁ、ではそろそろ」

 もう一度促され、妻はようやく腰を上げた。

 バイスを先頭に進む。カイン達は教師を信頼しているようで、バイスに「もう大丈夫だぞ」と言われ、安心した顔をしていた。

「――誰が長旅で疲れているんです」

 小さく抑えた声で耳打ちされると、ユーキスはため息を吐いた。

「――レッドウッド先生に問題のある親だと思われて困るのはカインだ。慎みなさい」

「………わかりました」

 カインを引き合いに出せば素直だ。

 バイスは二つ隣の部屋の前に着くと、自分の身なりを確認したようだった。

 真面目な性格なのだろう。

 ンン、と声がきちんと出ることを確認してから、バイスは扉を叩いた。

「ジョルジオ・バイス・レッドウッドでございます。カイン君とチェーザレ君、それからご家族の方をお連れ致しました」

 その余りにも低い物腰に、ユーキスは内心眉を顰めた。妻は顔に出ている。

(……まさか、本当に殿下に良い顔をしたくてカイン達を悪者に……?)

 妻が先日提唱した、荒唐無稽だと笑い飛ばしたくなるような説が、じんわりとユーキスの中に滲み出した。

 扉の中から「入ってくれ」とどこか尊大とも言える声が聞こえた。

 こう言う言葉を使う人間は三つに分類できるだろう。

 怒っている人、育ちが悪い人、地位の高い人。

 この場合、高価な腕輪を子供に与えるほどなので、地位が高く、また、怒っていると考えるのが妥当だ。

 そうなると、バイスのこの腰の低さは納得できる。これ以上相手を刺激しないようにと慎重になっているのだ。地位については市長の自分とどっこいか、自分の方が上だろう。州知事でスズキと言うのは聞いたことがない。

 おかしな疑いを持つことはやめようとユーキスは一度気持ちをフラットなものにした。

「失礼いたします」

 バイスは二枚組の扉の一枚を押し開け、中に入ると扉を開けたままユーキス達の入室を促した。

 ユーキスは部屋に入り――立って迎えてくれた人々を前に一瞬足を止めそうになった。

 学校に着いたときに挨拶をした校長が部屋の中にいた。それは良い。

 それより、スズキ家の身なりだ。

 ユーキス達も、きちんとした格好を心がけて来たが、相手のその服装はまるで大貴族のようだった。

 父は上等なローブを着ていて、ぎっしりと嵌められた魔法の効果を宿していそうな指輪、顔を隠す白い仮面。

 母はセイレーン達が好むような異国の柄のローブで、息子と揃いの魔法の効果を宿していそうな耳飾りを着けている。

 両親ともに黒髪で、息子も黒髪だった。

 息子の腕に通されている腕輪に思わず視線がいく。

 それは大変高価そうで、カインはあんなものを盗んだのかと目眩がしそうだった。下手をすれば、ユーキスの給料一年分や二年分あるかも知れない。

 仮説では殿下と一番仲良くしている少年なのだから、どこかの王族上がりだとか、大貴族上がりだとか、もしくは部族長だとか、十分に考えられる事だ。

 何でもない身分の者が殿下と共にいられるはずがない。

 ユーキスはもっと良いものを着てくれば良かったと思った。

 だが、すぐに値踏みするような思考は破棄し、早足でスズキ家の前へ進んで頭を下げた。

「この度はうちのカインと、雇っているチェーザレが大変な真似をしてしまい、申し訳あり――」「あなた!」「申し訳ありませんでした!」

 妻の横槍を意にも介さずユーキスは一層深く頭を下げた。

 ちらりと横を見れば、カイン達もきちんと頭を下げていた。

「まぁまぁ。まずは掛けて下さい」

 着席を促され、この小学校で一番良い部屋だと思われる部屋のソファに座った。

 向かい合うように長いソファが置かれていて、奥にスズキ家、ユーキスから見て左側に火の入っていない暖炉。右側には教師二人が座るであろう一人がけソファが二台。暖炉の装飾(マントルピース)の上には大きな校章と国章が掛けられている。

 広い部屋で、ピアノが置かれているし、三枚ある大窓の前には、それぞれ一台づつソファが置かれていた。貴族の邸宅の応接間のようだ。

「失礼いたします…」

 シュルツ家が座ると、あちらの父は居住まいを正した。

「改めまして、鈴木九太の父です。どうぞよろしくお願いいたします。宗教上の理由があって面は外せませんが、ご容赦を。こちらは妻と、九太。それからうちで育った一郎太です」

 宗教上の理由。黒髪から言って、ディ・グォルス州の出身なのだろうか。あちらには少し変わった宗教が今も息づいているはずだ。仏教と言ったか。

 まだ若い夫人とキュータが揃って頭を下げてくれた。

 そして、最後に呼ばれた少年は――ミノタウロスだった。妻はわかりやすく眉間に皺をつくった。

「ユーキス・フックス・デイル・シュルツです。どうぞよろしくお願いいたします。妻と、息子のカイン。それから、クライン家から預かっているチェーザレです」

 二人を示す。カインとチェーザレは頭を下げた。

 ただ、あちらの夫人は頭を下げてくれたと言うのに、妻は頭を下げる様子がないので急いで話を続けることにした。

「仮面については構いませんので、お気になさらず」

「それは良かった」

 とても怒っているかと思ったが、そう大した事はなさそうだと内心安堵する。

 すると、スズキ夫人が周りに声をかけた。

「――校長先生もバイス先生も、掛けて頂いて構いませんからね。いっくんも、そんな所じゃなくてこっちに来て一緒に座ってね」

「はーい。キュー様、お隣ごめんね」

「いいよ。一太狭くない?」

「平気です!」

 ミノタウロスはキュータの隣にキュッと身を寄せて座った。肩と脚をくっ付けて座る二人は実に仲が良さそうだった。

「早速ですが――カイン、チェーザレ。キュータ君の腕輪を盗ったと言うのは本当なんだな?」

 カインは相手の親を不安そうに見上げながら、たっぷりの時間言葉を選んで答えた。

「……と、盗っちゃった……」

「なんでそんな事をしたんだ?」

「あ…あ……お父様……ぼく……」

 また、たっぷりの言葉を選び、わずかに震え始めると、妻がユーキスを睨み付けた。

「あなたがそうやって頭ごなしに決めつけるように喋るからカインも怖がって本当のことが言えないんじゃないんですか?――ねぇ、カイン。本当はどうだったの?あなた、あの子に意地悪されてたんでしょう?」

 座っていた担任が慌てて口を挟んだ。

「お、奥さん!何を言っているんですか!キュータ君は友達皆に優しい子で、誰かに意地悪するような子じゃありません!」

「じゃあうちのカインは他所様に意地悪する子だって仰りたいの?うちのカインはね、シュルツ家の次期当主なのよ。スズキさん、あなた達我が家の名前をご理解しておいで?」

 妻は信じられないほどに喧嘩腰で、ユーキスは咄嗟に止める言葉すら見つからなかった。釣り上げた魚のように、無能そうに口を開けてしまった。カインも「お、おかあさま…?」と戸惑いの声をあげている。

 だが、あちらの両親は気にも止めないようで、どこ吹く風だった。

「え?理解しているつもりですが……カイン・フックス・デイル・シュルツ君ですよね?」

「そうよ!うちはバハルス州のランゲ市を預かり持つ市長なんですよ?貴族の称号もある名門の家なんですからね!わかっているなら相応の態度を取っていただきたいところです」

「おま――」ユーキスが注意をしようとすると、あちらの父親が手を挙げた。

「理解とはそう言うことですか。カイン君のお母さん、身分を盾に他者を押さえつけたり、種族や生まれで人が差別されないように、神聖魔導国では貴族制を廃止しています。ですが、それを廃止したとしても、何の教育も受けなかった一般の者が字を書いたり、難しい政治のことを受け持つ事は困難。だからどの国も神聖魔導国に変わる時には、それまで統治していた者を採用しているんです。その意味がお分かりになりますか」

 相手が何者なのかユーキスは悟る。これは神殿機関の重鎮なのだろう。市長とは全く別のベクトルの身分だ。

「そんなこと言われなくても分かります!エル=ニクス様に任命されるだけの能力もあれば、歴史もある家だと言うことに何か違いがあって!市長になれるのはほんの一握り!あなた達がどれだけの家柄だか知りませんけどね、家柄っていうのは今も確かに存在するんですよ!!」

「バハルス州のランゲ市、シュルツ家」あちらの父親は胸元から美しい手帳を取り出すと、机に乗っているペンでメモをした。「――忘れないようにしておかないとな。はぁ……ここはいつか問題が起こりそうだなぁ」

 やだなぁ…と呟きが漏れた気がした。

「問題ですって!?あなた!なんとか言って!!」

「お前はもう部屋を出なさい。カイン達が腕輪を盗ったのは紛れもない事実なんだ。カインも認めてるだろう」

「だから盗るような事になったのはあの子のせいだって言っているんですよ!それを一方的に責めて可哀想じゃない。私のカインは虐められなきゃそんな事しないんだから!」

 あちらの母親はそっと自分の息子とミノタウロスの頭を撫でて口を開いた。

「二人とも聞いて。これはあなた達を責めるわけじゃないけど、聞いておいてほしいことなの。意地悪はね、したって思わなくても、意地悪されたって思ってしまった子がいたら必ず謝らなきゃいけない。体も心も思いもしない時に傷付いちゃうから、何が嫌だったのかちゃんと聞いて、また同じことをしないようにしないとね。その方が、二人も気持ちがいいよね?」

 二人が素直に頷くと、あちらの母はカインとチェーザレを見つめた。

「――カイン君、チェーザレ君ごめんね。嫌な思いしたことがあったの?」

「あ、あの……」

 カインとチェーザレが言うべきなのか、言わぬべきなのか悩み始める。

「カインちゃん、大丈夫よ?あなた一人が悪者扱いされるなんて絶対にお母様は許さないんだから。手紙にも書いてたでしょ」

 妻がカインに言ってやれと言わんばかりに肩を抱くと、カインは自分のズボンを握り締めて口を開いた。

「お、怒られたんです……。庭で見てたら、一郎太に怒られて……それで……僕……意地悪してやるって思って……」

「そっか。嫌な思いさせてごめんね。いっくん、ごめんねできる?」

「……はい。――ごめんなぁ、やな思いさせて」

「シュルツ、チェーザレ。一太が怒鳴ったのは僕のせいだ。僕が誰かが僕らを見てるって言ったから。だから、僕ももう一回謝るよ。ごめん」

 カインは瞳いっぱいに涙を浮かべると頷いた。

「僕も……僕も本当にごめんなさい……。転んだスズキ君をいい気味とか言ったりして……だから一郎太が怒ったって本当は分かってたのに……僕……。エル君と話してるのが羨ましくて……ずっと羨ましくて……」

「シュルツ、分かってるよ。僕も魔法が使えるエルとたくさん話したいと思ったもん。それはもういいよ」

「ありがとう……。スズキ君、あの…一郎太君の服を汚したの……あれも本当は僕達がやってそれで……ごめんなさい……」

「……知ってたよ。ねぇ、ひとつだけ聞いても良い?一太のロッカーに入れられてた、人を食べる赤毛の牛の酷い絵。あれも君達なんだよね」

「っ、き、キュー様?なんでそれを…」

「一太が捨てたの、ゴミ箱から拾って見た」

 ユーキスはごろごろと出てくるカインの余罪に頭を抱えたくなった。

 そして、謝られていた筈なのに謝る側にまた戻っている事に妻は苛立ち始めている様子だった。

 妻に喧嘩両成敗という言葉はない。商売をしていた妻の実家に於いて、謝罪をすることは賠償や責任を負う事だ。

 それに、これは実に浅はかで幼稚な考えだが、カインの事で謝罪をするというのは自分自身を否定されるように感じて受け入れ難いのだろう。

「……カインがやったか分からないのに、まるでカインがやったって決め付けてるみたいな言い方して」

 せっかく子供達が仲直りできそうだというのに、本当に余計な口出しだった。なのでユーキスは無視した。

「カイン、やったのか?」

「……ぼ、僕とチェーザレでやった……。一郎太も……本当にごめんなさい……」

「一太、許してあげられる?」

「許しますよ。キュー様は許してるんでしょ」

「…一太、僕とは関係なく、許してあげられる?」

「うん、別に良いよ。オレは賢者食のミノタウロスだもんね。オレはキュー様変に描かれてたのが嫌だったの。こいつら絵下手だもんな。次はもっとキュー様をカッコよく描けよ。ははは」

「は、はは…。ありがとう……。僕、もう二度と人を種族で何とかって……言わないよ」

「良かった。今度からはシュルツもエルとたくさん話せるといいね」

「……それ、僕、もういいんだ。エル君と話すの……。これも、種族や身分で人を選んでたって分かって……僕……」

 カインが肩を落とすと、妻はその小さな肩を撫でた。

「カインちゃん何でそんなこと言うの。あなたはエル様とお話ししなきゃだめよ。もっと積極的にお話ししに行かなきゃだめじゃない。その子もやっとカインちゃんの邪魔しないって言ってるのに。お母さま許しませんよ」

「……いいの。お母様は黙ってて」

「な、カイン!あなた何て口きくの!?お母さまはね!あなたの為を思って言ってるのに分かんないの!?大体お母さまがいないと何もできないくせに!!今日もお父さまにお休みを取るように言ったのは私なのよ!!」

 カインがきゅう…と小さくなっていくと、ユーキスは妻を睨んだ。

「やめないか。カインの事はカインが自分で決めて行けばいいんだ。子供で自分の人生のやり直しをしようとするのはやめなさい」

「何ですって!?私はカインのために言ってるのに!!」

「良いから静かにしなさい。みっともないだろう」

 妻も本気でカインのためだと思ってカインに口出ししているのでいつも平行線になる。

 ただ、恥という概念はあるのでみっともないという言葉に妻は黙った。

 微妙な静寂が部屋に満ちると、廊下と校庭に面する窓の外がガヤガヤと騒がしいことに今更気付いた。

 気付いたのは校長達もそうだったようで、何事かと席を立った。

「――失礼。何か生徒達が少し騒がしいようですね」

 校長が校庭に面する窓へ向かう。窓の前に置いてあるソファに膝をつくと、窓の下を覗き込むようにしてしっしと何度も手を振った。誰かがバイスか校長に会いに来ているのだろうか。

 そんな様子を眺めていると、自身の正当化方法を考えていた様子の妻は怒りの矛先を変えた。

「ちょっと。レッドウッド先生、手紙にはカインのポケットから腕輪が見つかったと書かれてましたけれど、どうしてうちのカインのポケットに入ってるって分かったんです。疑ってポケットに手を入れないと見つからないでしょうに。そうやって子供を疑うみたいな真似は教師としてどうなんですか」

「奥さん、この日にはある視察の方が来ていまして、魔法の痕跡を探して見つけて下さったんです。キュータ君の腕輪は魔法の効果を持つ腕輪でしたから」

「視察?今回はカインがたまたま自分でやったみたいですけどね。もしこれが誰かに入れられた事だったら視察の方もあなたもどう責任を取るって言うんですか。まったく。その方にも直接話を聞きたいものね」

「そ、それは……。こう言う事でお呼びできる方ではありませんので……」

 バイスはちらりと相手の両親の顔色を伺った。ユーキスは何だろうかと思った。

「失礼。その視察の方と言うのはスズキさん家と縁のある方なので?だからどうと言うわけではないのですが、一応聞かせていただけますか」

「――難しい質問ですね」

 父親が悩むように天井を仰ぐ。

「…と言うことはお知り合いですか。私はカイン達のやった事はきちんと謝りたいと思っております。ですが……少数をあまり大勢で責めないでやって下さい。勝手な言い分かもしれませんが、悪さをしたとしてもカイン達もまだ子供です。大人に叱責され、友達からも責められては居場所を失ってしまいます…」

「お父さんの仰りたいことはよく分かります。ただ、九太の腕輪の価値を理解した視察員がどんな態度を取るかまでは、私達に操作できることではないと言う事を胸に留めていただきたい」

「それはそうですが……。チェーザレは学校にも行けなくなってしまいました。盗みを正当化するわけではありませんが、それほどの物を学校に着けてくるのは危険だとスズキさんもお分かりだったでしょう。着けさせていることがそもそもの間違いだと考え直すことも時には必要です」

 妻がそうよそうよ!と隣で言うのが鬱陶しかった。

「私達だってできればこんなものはさせずに、腕輪も責任も何もかもを脱ぎ捨てて身軽に自由に暮らさせてやりたい。だが、それができる身ではないと私達も本人もわかっているんです」

「何故そう願っていながら外させてやれないのでしょう。高価であればあるほど、子供達は時に嫉妬します。カインには決して二度と同じことをしないようにキツく言い聞かせますが、次はカインではない子が繰り返すかも知れません。ですが学校に腕輪をしないで来られれば、今後また同じようなことが起こらずに済みます。出過ぎた事だとは分かっていますが、これはキュータ君のために言わせて頂いているんです」

「ありがとう。あなたなりのお気遣いは受け取ります。ですが、同じ事はもう繰り返さない。これには――攻撃魔法連動式の時限型防壁を掛けましたから」

「な、何…?」

 人に向けて殺傷能力がある魔法を使う事は違法だ。それが例え、盗みから何かを守るためであっても殆どの場合は過剰防衛になる。

「そんな危険な真似許されないわよ!デスナイトを呼ぶわよ!!」

 父親はおかしそうに少しだけ笑いを漏らした。この件についてはユーキスも妻の意見に同意なので、眉間に皺を寄せた。

「どうぞ。ただ、盗られてすぐに発動するようなものではないので暴発についてはご心配なく。今回の事で我々は認識の甘さを痛感しましたよ。それを教えていただけた事には感謝すらしています」

 息子も知らなかったのか、自分の腕輪をじっと眺め、母親を見上げた。

「お母さま、これ、誰かが触ると爆発するの?」

「ううん、一時間以上あなたが触れないと小さな爆発を起こすの。その爆発に連動して発動する<深層の下位悪魔の召喚(サモン・アビス・レッサーデーモン)>を掛けておいたから、ライトフィンガード・デーモンが二体だけ出てきて腕輪を奪い返してくれる。奪還した腕輪は転移でお家まで運ぶようにしてあるから、届いたらすぐにあなたに連絡するね」

「じゃあ、もし外したり、また盗られちゃっても僕が一時間経たないうちに触れば平気?」

「うん。平気。だから学校で魔法の授業中に外す分には問題ないからね。でも、絶対にどこかに置いてきたり、誰かに持たせっぱなしにしちゃダメよ?」

「……わかった。皆のために、僕もう盗られない」

 ユーキスに魔法のことはよく分からないが、悪魔召喚は許された一部の危険魔法取扱者の免許を取っていない者が行えばどんな悪魔を喚んでも重罪だ。悪魔召喚で旧竜王国も、旧ローブル聖王国もどれだけ苦しんだかわからない。

 ユーキスはこれがブラフなのか本当の事なのか区別が付かなかった。

 本当だとしたら、スズキ家とは一体――。ユーキスが推理を始めようとすると妻が立ち上がった。

「そんな事して学校の秩序をなんだと思ってるの!?着けてこなければ良いって言ってるのよ!!それをあなた達――」

 指を差し怒鳴っていると――扉がいきなり開いた。

「「「っきゃあ!!」」」「「「っおい!!」」」「「「ちょっと!!」」」「「「いってぇ!!」」」

 何事かと振り返ると、大量の子供達が応接室に雪崩れ込んでいた。

「おい、お前達!何をしてるんだ!!」

 バイスが慌てて将棋倒しになっている子供の下へ駆ける。下敷きになった子供はよほど痛いのか泣いていた。

「だから押すなって言ったのに!」「リュカが代わってくれれば良かったんじゃん!」「代わりたくても動けないだろ!」「私は最初から盗み聞きはやめろと言ったじゃないか!」「うわぁーん!いたぁーい!!」「大丈夫か?此方の杖…杖は……」「治癒室治癒室!」「早く退けよ!」「退けないよ!」「後ろもたくさんいるんだよ!!」

 廊下には学年問わず、たくさんの子供達が首を伸ばして応接室を覗き込んでいた。

 子供は散るどころかどんどん増えていく。同時に校庭の方から聞こえていた声が減って行った。

 痛い痛いとわんわん泣く子供が何人もいる。場は大混乱だった。

 そして――上級生が一人、手を応接室の中へ向けて突き出した。

「あ、握手して下さい!」

「は?握手?」

 ユーキスと妻が瞬き、握手を求める声はどんどん上がった。

 ごしごしと制服のローブで皆手を拭いてから手を伸ばす。

 混乱を極めた室内で、「もう完全にバレてるわけか…」という呟きが聞こえると共にパンパンッと手を叩く音が響いた。

 少しだけ部屋が静かになると、皆の視線は手を叩いたスズキ家の父親に吸い込まれた。

「――まずは下がって全員が立てるだけのスペースを作れ。一番下にいる子が圧死してしまうだろう!」

 まだ押し潰されている子供達は泣いていた。

「あ――オリビア!イオリ!皆!!」

「ふぁーん!キュータくーん!!」

「キュータ様ぁー!」

 キュータが駆け寄る。一番下になっている子供たちは皆地面ではなく、上を向いていた。

 つまり、扉の方へ向いていたのではなく、廊下側を向いていたのだろう。それは多くの生徒達からこの部屋を守っていたことの証だ。

「大丈夫!?どうして皆!」

 廊下から教師達の「早く退きなさーい!」と言う声がするが、皆なかなか動こうとしなかった。

『――皆ここから離れるように三歩下がりなさい』

 スズキ家夫人が通達する。耳障りの良い声だった。

 子供達はその場から有無を言わずに三歩下り、バイスや校長すら三歩下がった。

 それどころか、座っていたユーキスも下がりたくて堪らなくなり、わざわざ立ち上がって下がってしまった。

 自分の体に起きた事に驚いていると、倒れていた子供達はようやく引っ張り出され、救出された。

「オリビア、大丈夫?痛かったね」

「ふわぁー!痛いよぉー!」

 ど真ん中にいた女の子の後頭部には大きなタンコブが――いや、一人だけ血が出ていた。

「お、オリビア!!血が出てる!!お母さま!!」

 キュータの言葉にオリビアは後頭部に触れ、血が出ている事を確認すると一層泣いた。

「あららら、オリビアちゃん、大丈夫?」

「ふぁーん!死んじゃう!!いたぁい、いたぁーい!!」

「わわわ!オリビア!此方の杖!此方の杖はどこじゃ!」

「可哀想に…。えっと、一、二、三………」

 夫人は泣いている人数と下敷きになっていた人数を数え、空間のスリットに手を入れた。

 ユーキスの目にはそうとしか見えなかった。

 スリットから取り出されたのは――どこか見覚えのある白い杖だった。

「<集団標的(マス・ターゲティング)大治癒(ヒール)>!」

 近くにいた子供達の体がドッと発光し、床に落ちていた血や、肩についていた血は消えた。魔法で身体が癒える時、切り落としてしまった指などが消えてしまうのと同じ理屈だ。

 ただ、数人を一度にこれだけ回復できる魔法があったなんて、ユーキスは初めて知った。

 泣いていた女の子は数度パチクリと目を瞬かせた。

「オリビア、もう痛くない?」

「いたく…ない……。あの、えっと、キュータ君のお母さま、ありがとうございます……」

「いいえ」

「良かったね。それにしても、皆どうしてこんなところにいたの…?」

「……キュータ君のお話し合いが終わったら……びっくりさせたくて……ここにいたら……どんどん人が増えちゃって……」

 それに捕捉するように――銀髪の少年が付け加えた。

「キュータ、ごめん…。覗いたり中の音を聞こうとしたりするなって言ったんだけど……」

「エル、ありがとう…そうだったんだね……。痛いところはない?」

「ないよ。癒やしていただけたから」

 ユーキスは妻が息を呑むのが聞こえた。

「エ、エル様…!」

 三歩下がっていた妻は床に座る銀髪の少年の下へ馳せ参じた。

「……シュルツ君のお母上?」

「えぇ!そうです!エル様、カインと仲良くしてあげて下さいね」

「……私は最古の森で奴隷の子だと差別されてきた上位森妖精(ハイエルフ)のハーフです。仲良くしようとしてくれれば、私は誰とでも仲良くします」

「は、上位森妖精(ハイエルフ)…?」妻は意味が分からないように瞬いた。

「そうです。――キュータのお父上様、お母上様、お久しぶりです」

 エルはぺたりと手を床について深く頭を下げた。

「エル君、元気そうで何よりだ。もう少しすれば夏休みだろう。夏休みには九太や他のお友達も連れて最古の森に行けると良いな」

「はい!ありがとうございます!」

 もう一度ぺたりと頭を下げると、「――うまく取り入って」「被差別階級が」「奴隷の子のくせに」と言う子供の声がした。

「――今言った者、前に出てもう一度同じことを言えるか」

 スズキ家の父親が子供達を見渡す。

「言えないだろう。それが悪い事だと分かっている証拠だ。私は入学式に最高神官長に何と言葉を預けた」

 妻がバッとスズキ家の父親を見た。ユーキスは何のことだろうと思った。

 子供達が気まずそうにすると、床に座っている子供達を跨ぎ、かき分けて入ってきた一人の少女がスカートを摘んで頭を下げてから告げた。

「自分の周りの仲間を全員尊い存在だと思って過ごすようにと仰いました。最高神官長様はどなたがナインズ殿下だとしても、礼儀正しく全ての仲間に関われば何の問題もないと、お言葉の真の意味を汲んで説明して下さいました」

「……クラリス。そ、そうだな。その通りだ。私の言葉の意味を全員わかっているだろう。九太が誰でも、エル君が誰でも、被差別階級なんて言葉を使うことは許されん。差別など無意味だ」

 子供達はしょんぼりと肩を落とし、「はい…」と返事をした。

「子供達よ、決して忘れるな。差別を憎め。差別と言う行為を許すな。全ての国民は――我が名の下に皆平等だ」

 ガタンッと机がひっくり返った。

 立って振り返っていたユーキスは机の横に尻餅をついていた。

「へ、へいか……?」

「――シュルツさん。申し訳ないが、ここは神聖魔導国、古い考えは捨てていただきたい。カイン君は九太に"称号の名前も持たない市井(しせい)の子"と言っているんです。そんな言葉を教えたのはどちらですか?奥さんですか?」

 ユーキスは何も言えなかった。妻は顔を真っ白にして立ち尽くしている。

「よその家のことに口出しはしたくないですが、御宅の奥さんのような人がこの国にいると思うと頭が痛いと言わざるを得ない。子供に差別的な意識を刷り込むような真似は許されません。子供は学校で教育ができるが、大人には学校がありません。人をまとめている自覚があるなら人を選ぶのか、きちんと教育して下さい。それとも、国は大人にも学校を作らなければいけないのか?」

「い、いえ……あ………あの………そのような事は………」

「ないと思うか?それなら――」

「陛下!!ち、違うのです!!私は、私は…!!そんな、おかしいわ!!カイン!!あなた、エル様が殿下だって!!――っこの!!バカ息子!!」

 妻が騒ぎ出して手を振りかぶり――カインはギュッと目を閉じた。

「<時間停滞(テンポラル・ステイシス)>!」

 スズキ家の母親――いや、それだけの存在ではない人の詠唱と同時に妻はぴたりと止まった。まるで彫像になったように、動いていた髪も重力に逆らって固まっている。

 子供達から驚嘆が響く。バイスも「じ、時間の魔法……」と呟いたまま硬直していた。

「子供のことを叩く親がありますか」

 向けられていた杖は怒りを表すようにガツンと音を立てて床に降ろされた。

「本当ですね。フラミーさんの魔法が切れる前に――<魔法遅延化(ディレイマジック)静寂(サイレンス)>。こうしておきましょう」

 ユーキスは口の中で何度もフラミーさん、フラミーさん、フラミーさん、と唱えた。

「カイン君、こっちにおいで。動き出すと手が当たっちゃうから」

 カインは黙ったまま何度も頷き、チェーザレと共にユーキスの隣に移動した。

 硬直していた妻は動き出すと同時に、カインがいた場所に手を空振りした。

「っあ!ど――」そして妻からは音の一切が消えた。

「一秒くらい魔法を掛けるのが遅かったな。腕と勘が鈍ってる。そろそろまたフラミーさんと鬼ごっこしなくちゃ」

「ふふ、今度は負けませんよぉ」

「いやぁ、昔やったのは考えてみたら俺の負けでしたよ。痛い思いさせましたから、ルール違反で」

「じゃあ私の一勝、アインズさんの一負ですね!次は実力で二勝しちゃいますよぉ!」

「ふふ、お手柔らかに。でも、俺も負けませんよ」

「ふふふ」

「ふふふ」

 二人は実に仲睦まじげに楽しげに話をし、笑い合った。

「さて、シュルツさん。奥さんを教育できますか?大人の再教育はとても難しい事だと思います」

 音を失った妻は泣いていて、ユーキスの肩を握って縋るように何かを言っていた。

「や、や、やります…。考えを改めるまで離れの塔に暮させ……教育します……。カインやチェーザレにも会わせません……。ど、どうかお許しを……」

「そうか。あなたは誠実だったから信じようと思います。謝罪も受け入れよう。だが――二度目はないと覚えておくがいい」

 ユーキスは床にへばりつくように深く頭を下げた。

 

「――で、握手だったか。仕方がないから並びなさい。こう見えて、私は神らしい握手の方法を練習して長いんだ」

 

 仮面を放り投げ、よく見知った顔に黒髪の神は腕がなるとばかりに笑った。

 神は冗談が好きだとバハルス州にはティト市から伝わってきている。

 

 神の握手会は夜になっても続き――キュータの髪は日没とともに銀色になった。

 

「……は、恥ずかしい……」

 ナインズはギュッと制服のローブのフードを被った。

 子供達は応接間の窓の前にあるソファに集まっていた。

「何でですか?キュー様はやっぱりその色の方が良いですよ」

 一郎太の言葉にナインズは首を振る。

「銀色は目立つのに……僕はエルみたいにカッコよくないんだもん……。魔法も使えないし……」

「はは、何を言ってるんだい。キュータは私なんかよりよっぽど格好いいじゃないか。それに、魔法も本当は使えるだろ」

 エルは嬉しそうに笑っていた。

「キュータ様、やっぱり…やっぱり…!」

 イオリエルは感激したようにナインズに近付いた。

「な、何…?」

「やっぱりその色の方が良い!あの日見た色は間違いじゃなかったんじゃな!」

「あたしも見た。見て見ぬ振りしたけど見た」

 イシューがニッと嬉しそうに笑うと、オリビアが口を開けた。

「な、なんで!何でイシューも見てるの!!」

「大神殿行って夜遅くなっちゃったときに見た。フードの隙間から見えたもんね。あたしを守ってくれるって言った日」

「キュータ君!!」

「お、オリビア。怖いよ。どしたの…」

「私のことは?私のことは守ってくれる?」

「え、うん。送るよ。もう遅いからね」

「本当に?嬉しい!」

 オリビアはふんふんと鼻歌を歌い、ソファから下ろしてる足をぷらぷらさせた。

 そして、アナ=マリアがリュックから一冊本を取り出した。

「………キュータ君、これ、キュータ君のことが書かれてる本のリスト。いつか渡そうと思ってた」

「あ、ありがと。どれどれ……?」

 ズラリと本の名前が並ぶ。ナインズはこんなに読めないなと思った。

「………いくつかはうちにあるから、貸してあげる」

「それでしたら、皆で大神殿の書庫に行きませんこと?お勉強して帰ればきっと皆成績がよくなりましてよ」

 レオネが提案する。大神殿の書庫は本の持ち出し禁止だ。

「そうだね。ロラン、大神殿の書庫にはルーンの本があるよ。教科書よりもう少し色々書いてあると思う」

「あ、本当?そしたら僕、ルーンノート持って行くよ!」

 レオネはロランは誘ってないのにと思った。

 九人で盛り上がっていると、ニュッとリュカが顔を覗かせた。

「キュータ、本もいいけど走ろうぜぇ」

「リュカ!あんたが人に言いふらすからこんな事になったって分かってんのか!」

 イシューが言うと、リュカはベッと舌を出した。

「別に俺誰にも言ってねーし。トマとオーレと来ただけだしー。言いふらしたのはイシューだろ」

「あったま来る!」

「喧嘩してはいけませんわ。どなたかのお耳を汚すような真似は慎まなくては」

 一郎太と共に立っていたクラリスが涼しい顔で告げる。

「リュカ、イシュー、クラリスの言う通り喧嘩なんてしないで。もう良いよ。僕、もう良いんだ」

 ナインズが言うと、皆心配そうな顔をした。

「――僕が誰でも関係なく、僕の精神だけを見つめてくれる本当の友達だけが僕のそばには残るって、ツアーさんが言ってた。心配だったけど…本当だった。僕、皆がいて良かったよ」

「それが分かったって点だけは、カインとチェーザレに感謝ですね!ナイ様!」

「はは、本当だね。一太」

 放心状態の母親を叱る父親と一緒にいるカインとチェーザレと目が合う。ナインズが手を振ると、二人は照れ臭そうにしてから手をふり返した。

 

 アインズとフラミーの二人掛かりの握手会は、途中でフラミーの幻術も解けてまた熱を帯びた。

 そして、ようやく生徒達がいなくなると、校長やバイスを含む、多くの教員がペコペコと頭を下げて握手をしてもらった。

 

 教師達が浮かれたように離れていくと、アインズはフラミー以外には聞こえないくらいの声量で呟いた。

「……思ったより大変だったな」

「もう私握手しません。決めました」

「俺も」

「握手をねだったら不敬って法律がいります」

「ははは。花ちゃんみたいな言い方。やっぱ、花ちゃんはフラミーさんに似てますね」

「かとー生物が握手を欲しがったら不敬って法律作るです……」

「うわ、ヤバいな…」

 アインズは誰にも聞こえていなかった事を確認するように一応部屋を見渡した。冗談でもかとー生物なんて聞いた日には国民は絶望しそうだ。女神に見捨てられた種族とか、あくまで自分たちに非があったなんて考えられると困る。そして疲れることになる。

 確かに誰も聞いていなかった事を確信し、アインズはほっと息を吐いてからナインズを手招いた。

「さて、九太。皆を送ってから帰るぞ。多分アルベドが切れてる。これ以上はデミウルゴスの胃に悪い」

 そんなことを言っていると、バイスがすすす…と側に来た。

「陛下方、キュータ君のお友達のご家族は外で待っております。帰りが遅いのを心配して、どなたも学校へいらっしゃいました。エルミナス君とイオリエル君は私が責任持って送らせて頂きます」

「あぁ、そうでしたか。それじゃあ、ご両親と先生にお願いしようと思います。ありがとうございます」

「は、はい。そんな、そんなそんな」

 バイスは何度も頷きのような礼のような微妙な角度で頭を下げた。

「じゃあ、私達はお先に帰らせてもらおう。今度は保護者と握手なんてなると大変だからな。バイス先生、あなたが担任で良かったです」

「へ、へいか…!」

「<転移門(ゲート)>。行きますよー」

 フラミーが闇を開いて手招くと、クラリスが膝をつき、友達たちはそれを真似てぎこちなく膝をついた。

 

 一郎太と共に闇を潜ろうとしたナインズはふと足を止めた。

「――そうだ。皆、嘘ついてごめん。僕はナインズ。本当はナインズ・ウール・ゴウンって言うんだ」

 

 友達たちはその名乗りに一度深く頭を下げた。

「殿下、また明日」

「ナインズ君、明日は僕と一緒にグンゼの家の工房に行くの忘れないでね!」

「私も行く!ナインズ君、私も行くー!」

「あたしも行こっかな。ナインズと皆の飴買ってくよ!」

「………工房って、暑いかな?」

「そりゃそーだろ。俺も行く」

「別にリュカは誘ってませんことよ!」

「そうじゃそうじゃ。其方、何をちゃっかり仲間に入ったみたいな顔をしておるんじゃ」

 皆が賑やかに返してくれると、ナインズは笑った。

「ナイ様、帰ろ」

 一郎太の伸ばした手を握る。

「そうだね。――皆、僕はナインズだけど、ただのキュータ・スズキだから。じゃあ、また明日!シュルツとクラインも――ううん、カインとチェーザレもまた明日!!」

 

 皆が手を振ってくれる中、ナインズはナザリックに帰った。




アインズさん、神様らしい動きの握手の仕方はずっと練習してきたんだろうなぁ!
外交で握手求められるもんね
本当の友達がたくさんできて良かったね、ナイ君!

カイン君のママンは裁きでも良いよ?

次回Lesson#12 白化とアルベド
12/1ですじゃ!


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Lesson#12 白化とアルベド

 ナインズが学校に通うようになって、はじめての夏。

 ツアーは共和国を訪れていた。

「――ダイ、聞いたよ。今度は共和国の商隊が襲われたんだって?」

 近頃共和国内は治安が悪くなって来ていた。

 赤い竜王、ダイオリアー=ヴァインギブロスは怒りを内に秘めようとしている様子だった。

「神聖魔導国の物品を周辺国へ輸出していた我が国の商隊が商いに出掛けた際、どこかの国に襲われて品物を奪取されました。商人も多くが死んだようです……。神聖魔導国からこちら側への接触を絞ったことと、あちらの商品に高い関税をかけたことが良い面だけでなく、悪い面を見せ初めています…」

 商人が高い関税のかかる神聖魔導国からの輸入品を買い卸し、また周辺国へ売りに行くとなれば物品はどんどん値段が高くなる。商人の旅費や護衛を雇う金、それから利益を上乗せしなければいけないため、東陸では神聖魔導国の生活魔法雑貨や食品は非常に高い。性能の良さはピカイチだし、食品も一級品ばかりだ。

 例えば、"冷蔵庫"一つとっても、同じ魔法をかけるにしても箱そのものの保温性や出来が良いため、入れる食品が非常に痛みにくい。神聖魔導国の"冷蔵庫"なら氷も溶けない。

 "懐中時計"なら魔法が切れるまでの時間が非常に長く、しょっちゅう魔術師組合に魔法の掛け直しに行かなくて済む。針を回す歯車がよくできているので、時間の狂いも殆どない。

 どれだけ高い神聖魔導国の品とはいえ、はっきりと目に見える違いが出ているので、買いたがらずにはいられない。周辺国は共和国の新たな生活水準を求め憧れているのだ。

 今周辺国にとって神聖魔導国からの商品は希少価値が非常に高く、別の国に持っていかれる前に奪取したいと思うほどになっている。それは国を出た商人の馬車のみならず、周辺国で幅をきかせている犯罪者集団――"鯨"が計画的に共和国内の店舗を襲撃して金品を奪取し、周辺国へ持ち帰って売るというような行為まで呼んでいる。

 共和国内から周辺国、周辺国から共和国への悪感情は膨れ上がるばかり。

 ただ、どこの国も賢人達は現状を冷静に見ている。共和国は自国の生産者のみならず、周辺国からの輸入品の購入がなくならないようにと神聖魔導国の物品に非常に高い関税をかけている事を理解しているのだ。関税を無くして多くの物品が周辺国まで流れ込めば、小さな周辺国の労働者は一気に職を失うだろう。それを食い止めるための関税と絞った輸入だ。物が出回らないことは不幸だし、襲撃したくなる気持ちもわからなくもない。だが、それ以上に大きな不幸から共和国が泥を被って守っているのだ。

 そんな見方も、どれだけの人ができるだろう。

 これまでにないほど共和国が栄え始めている一方、周辺国はこれまでと変わらない。進歩も退化も共和国に握られている状況だ。

 これでは植民地だと共和国反対運動を行なっている国すら出ている。

「どこの国にやられたのか早く調べた方がいい。アインズは共和国内の支持率を上げるのに必死でまだ周辺国へ手を回せていない。しかし放っておけば周辺国へちょっかいを出し始めるぞ。直接取引をすると言えば、周辺国はあっという間に実効支配されるだろう」

「……それが、近頃共和国はあまり周辺国と関係が良くなく、どこがやったのか断定すれば下手をすると戦争状態になってしまいます。国民達は魔法道具に囲まれ、物質的に豊かになったので戦えば勝てる、商隊を襲った恩知らずに鉄槌を――そう言っているのです」

 ダイオリアーは深いため息を吐き、ツアーはしばしの時間を考えた。

「……そう言うことかい。ダイ、これは仕組まれているかもしれないね。僕は神聖魔導国からの直接的な支配の手立てを潰した。君は神聖魔導国からある程度の甘い蜜を吸わせてもらおうと画策した。僕達は自分で道を選択した気になっていたが――全てはアインズの手の中だったようだ。アインズはわざと周りを放っておいたな」

「しかし、周辺国の上層部と神聖魔導国は連絡を取っていません。秘密裏に連絡を取っているようでもないのです。以前神王が訪問してきた時に尋ねたところ、周辺国との連絡は取っていないと嘘偽りなく言っていました。それに、周辺国が神聖魔導国に連絡を取りたいと言うのも諫めて来ています。今ならまだ持ち直せる」

「それはどうだろうね。どれだけ君が神聖魔導国の支配から守るためと周辺国に言っても、国の上層部が納得できても国民には納得できなかったんじゃないかな。君は周辺国の神聖魔導国への評価はどうなっているか調べたかな?」

「……調べました。悔しいですが…周辺国の世論は神聖魔導国へ着実に傾いています。象魚(ポワブド)の渡守も、神聖魔導国へ渡る周辺国の者が日ごとに多くなっている事を記録しています」

「そうかい。どうやら僕達は周辺国の国民を――高く評価しすぎていたようだね。愚か者達だったらしい」

「そんな傲慢な!竜王(ドラゴンロード)と言う高みから生き物を見下さないあなたが!!」

「ダイ。受け入れるしかない。更なる高みから見下ろす者達は、人々の成長や可能性という名の未来を一切信じていなかったんだよ。そして、見事に彼らの思惑通りにことが進んでいる。アインズ達は最初から愚か者達の操作だと思っていたんだろうね。賢い者達が国を維持して行く未来の可能性を、僕らのように僅かでも信じていればこの策は取れない――!」

 ツアーの目はギラリと怒りの色に輝いた。

「ダイ、僕達は信じすぎたんだ。もっと早く人々が愚かである事を認めて愚者の考え方をするべきだった。おそらく商隊の襲撃はアインズの予定調和だ。確かにアインズは周辺国とは関わりを持っていないんだろう。だが、君たちが犯人を調べようが調べまいが、じきに始まる」

「は、始まるとは――?」

「自分たちがやったと言う国が現れるんだ。それは戦争開始の合図になるだろう」

「馬鹿な!周辺国が戦争を引き起こすような真似などするはずがありません!竜王一人いない周辺国が共和国と戦って勝てる見込みなど、万に一つもありません。それが例え、連合軍になったとしても!」

「それは賢い者が国を率いていると信じる心が見せる幻想だよ。周辺国は今、むしろ戦争をしたいと思っていると僕は感じた」

「いくら愚か者が国を率いていたとしても、みすみす死ぬための戦争を望むなど飛躍し過ぎています!」

「そう思えるからこそ危険なんだよ。このままでは神聖魔導国ではなく、共和国自身が周辺国を脅かす征服者と言う存在となって小国を潰しに掛かることになってしまう。そんな事になれば、神聖魔導国から待ったが掛かるだろう。神聖魔導国の民は善良な本心から、一方的に嬲られる国家を哀れに思って陳情するだろうからね。周辺国はその時を望んでいる」

「……まさか、そんな愚かな……」

「僕も本当に愚かだと思うよ。神聖魔導国と関わり合いを持たせたくないと言う共和国を飛び越えて連絡を取ることが周辺国のトップにはできない。しがらみがあるし、国内の職業を潰す事になるからね。後からごめんなさいと謝っても許される話じゃない。だけど、神聖魔導国の方から共和国を飛び越えて来て貰えれば、周辺国のトップは被害者面をして神聖魔導国との国交を持てるようになる。この先職業事情が変わってしまったとしても、トップにどうこうできた話ではないと国民にも言い訳ができる。彼らは神聖魔導国と国民、そして共和国全てにいい顔ができる落とし所を見つけたんだよ」

「周辺国は自らの守って来た土地を支配されたいと……!?」

「もちろん彼らだって最初から国名を書き換えるつもりはないだろうけどね。でも、この先に待つのは友好国から始めましょうと言う名の、実質的な属国化に他ならない。善良な神聖魔導国は、これからは周辺国とも関係を始めると明言し、周りの国を取り込むと同時に共和国と結んだ友好条約を破棄するだろう」

「……条約をそれほど簡単に破棄できますか」

「僕がアインズならそうする。共和国へ悪感情を持った状態の周辺国家を取り込めれば、国民感情が変わったと言う大義名分を得ることができるからね。共和国に虐められていた可哀想な新しい国民、乃至は可哀想な友好国の民のことを思うと、もうお友達でいることはできません――と言ったところだね」

「そんなことになれば途端に共和国は孤立してしまいます…」

「そうだね。神聖魔導国に囲まれて、輸入も突然なくなって――共和国は白旗かな」

 ツアーの言葉は枯れ葉よりも軽々しかった。ダイにはそう聞こえた。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)!ここの国会にはあなたの別名の籍もあるのですよ!!」

「籍はあるけど、僕に何ができるかが問題だね」

「諦めるのは早いです!まずは荷馬車襲撃の犯人の名乗り上げを阻止することです」

「どうやってやるのかな?」

「――別に犯人を仕立て上げましょう。真犯人は共和国内にいたことにすれば、周辺国への悪感情が破裂するのを止め、尚且つ名乗り上げを阻止できます」

「それはだめだよ」

「真犯人の汚名を着せた者は逃がします!」

「ダイ、そういう問題じゃない。もし周辺国から正真正銘の真犯人を証拠付きで提示されれば、周辺国の犯罪者によって共和国の善良な民が陥れられると一層感情を歪める事になるだろう」

「……では、輸入時の関税を引き下げ、物品の多くを周辺国へ渡せるようにしましょう。共和国と同じように物質的に栄えるように、輸出を行う者達に国から輸出支援金を渡します。そうすれば国内での売買より儲かる輸出を増やすはずです。物が入り過ぎれば他国の商業事情は悪くなるでしょうが、神聖魔導国がやっても共和国がやっても結果は同じです」

「結果が同じだとしても、共和国がやれば戦争になる。職業潰しだとあちらが蜂起するのと同時に、共和国内から粛清が叫ばれるだろう」

「神聖魔導国がやっても蜂起しないと言うのに、なぜ共和国では蜂起するのですか」

「今まで大国として守って来てしまったからだよ。共和国は、急流が静かな湖になるように水辺を守って来た水門だとしよう。湖に住んでいる物達は何も知らずに穏やかな湖を泳ぎ、広い海に続く川への憧れを口にする。ところがいざ水門を開けて湖を川にしたらどうだ。家族が流された、友達が海を目指していなくなった、川にならなければ幸せだったのに。生き物はそういう物だよ」

「……分かりましたよ。神聖魔導国の場合は水門じゃない。彼らは不可抗力的な、土砂崩れによる流れの変化だと言うことですね」

「そういう事だね。同じことをしても、やる者によって受け止め方はまるで違うものになる。それに、もし本当に輸出強化をすれば"鯨"が高い金で神聖魔導国の商品を売れなくなることを嫌って一層商人を襲うようになるだろう」

「……忌々しい"鯨"が」

 神聖魔導国の商人達は、国から友好国との関係強化のために馬車を引く魂喰らい(ソウルイーター)を貸し出されているので襲えない。

 犯罪者集団"鯨"は鯨が海を回遊するように周辺国を泳ぎ回り、一つ所に留まらないので非常に尻尾を掴みにくい。しかも、全てを飲み込むように、狙った商人や獲物の姿をまるっと消してしまう。荷台も商人も残さないので、犯罪を把握するまでにはかなりの日数がかかることが大半だ。

 だからこそ、今回生き延びて逃げ出した商人がいる商隊を襲った犯人はプロの集団ではないと見られている。

「……白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、私は川と湖の考え方を好きになれません」

「そうだね。僕もそうだよ。これは周辺国の民を見下している。愚か者だと語っている事に他ならない」

「……何か、何か手は……」ダイは自らの城で天を仰ぐようにした。「――神聖魔導国に、周辺国を紹介すると言うのはどうでしょう。周辺国は神聖魔導国を紹介してくれたと共和国への怒りを治めてくれるかもしれない。そうなれば、周辺国が神聖魔導国に併呑されたとしても友好関係を続けられるかもしれません」

「………難しいところだね。一理あるけど、今更紹介して悪感情をどこまで抑えられるか……。それに、渡守での行き来では結局今より大規模な輸入は難しそうだ。となれば周辺国は深い海に面したナタリア小国の港町か、ロホ王国の港町から船の行き来を始めるか……」

 あまり浅いと船が座礁したり底をついて動けなくなったりする危険があるので、一口に海と言っても渡守の行き来する海や、他の諸国の浅い海では大型船の出入りは難しい。

「……そうなると陸地の行き来より船の行き来の方が格段に楽でしょうから、神聖魔導国は渡守を使った共和国への輸出を減らすと言い出しそうですね」

「僕もそんな気がするよ。今度は共和国内から不満が上がりそうだね。一度吸った甘い蜜は忘れられないだろう。国民が神聖魔導国へ不満を向けるようなことは危険すぎる……」

「……まさかたった三年でここまで頭を悩ませることになるとは……」

「はぁ……。アインズ、また僕の負けか」

 ツアーがため息を吐くと、ダイは目を細めた。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)、これは盤上だけで行われている遊びじゃない。国の未来と、世界の自由、命がかかっているんですよ」

「分かっているよ。だからこそ僕もこうして身を乗り出して着手して来たんだろう。僕は評議国の時殆ど何も出来なかったからね。罪滅ぼしと言っても良いかもしれない。それだけ真剣にやってきたよ」

「……失礼しました。私も国の良い変化ばかりに気を取られずに、もっと密に周辺国家とのやり取りを行えばよかった……」

「君はよくやったよ。周辺国全ての併呑と条約破棄まで、僕の計算では三年くらいかな。うまくのらりくらりと時間を食って、一日でも長く国の体を保ちたいところだね。評議国も何とか四、五年は属国で済んだんだ。ただ、常に緊張感は付き纏ったけどね」

「ふ、鱗がなくなってしまいますね」

「まったくだね」ツアーはやれやれと息を吐いてから続けた。「ダイ。条約破棄を言い渡されたら、その時は属国化をすぐに願い出るんだよ。間違っても戦って勝てる相手じゃない」

「……わかっております。常闇の竜王(ディープダークネス・ドラゴンロード)を連れ帰り、奴隷のように扱っている存在に……勝てるなんて思いもしません」

 二人は決して明るくない笑い声を上げた。

 

+

 

「よくやったわね。今回の荷馬車の襲撃、見事だったわ」

 どこから来ているのか分からない白化(はっか)を名乗る女が告げる。およそ名前とは思えないその語は、どう考えても偽名だ。

 白化は常に白い仮面と大きな帽子をかぶっていて、素顔を見た事がある者はいない。全身を包むローブはどこにでもある平凡なデザインだ。

 国際犯罪組織"鯨"の若頭と幹部達はニヤリと口角を上げた。

「我々が決して獲物を取り逃さない事をどの国も知っています。ナタリア小国、ロホ王国、ノラゾディ公国、ヤールル都市国家、イネ・ア・ユニオン、中央イネステ中立国。まんまと周辺六カ国全てがどこの者がやった事だと調査に乗り出しております」

 西陸と呼ばれるようになったあちらと繋がる浅瀬の海はラクゴダール共和国の物だ。

 ラクゴダール共和国から南下するとノラゾディ公国があり、北に小さなヤールル都市国家がある。

 そして、海を持たず、ラクゴダール共和国に触れ合う中央イネステ中立国。それの東にイネ・ア・ユニオン。ユニオンの南北にはナタリア小国とロホ王国が存在する。

 

【挿絵表示】

 

「大きさから行けば中央イネステ中立国辺りを動かしたいけれど、あそこはまだ及び腰ね」

「は。イネ・ア・ユニオンとかつて凄惨な戦争をしていた歴史上、基本的にあそこは日和見主義です。戦争を繰り返さないと言う中立の立場を決め込み――周りが蜂起するのを待っています」

「そう。面倒だけれど仕方ないわね。不自然なことはできない。東で孤立してるユニオンとナタリア小国、ロホ王国の三カ国の仕業と言うのはどう?それなら、わざわざ商隊を襲いたくもなるでしょう?」

「では、三国に身を潜める者達に名乗り上げさせましょうか」

「魔法や竜王の忌々しい知覚能力から身元が割られるような者は困るわ。あれを掻い潜れるのはこの世に――と……。なんでもないわ。いつも言っているけれど、何も急ぐ必要はないのよ」

「失礼いたしました」

「ナタリア小国とロホ王国は広く深い外洋に面していてちょうど良いわ。ユニオンが間にあるのが邪魔だけれど、三国から行動力と正義感に溢れる者を拾って来なさい。今回の行いを模倣させるのよ。自国の利益の為に自分の立場すら顧みずに行動する英雄――と、信じる馬鹿をね。何度も襲撃させて、本当の犯人になったところを共和国の治安部隊に捕らえさせれば良いわ」

「では、またしばしお時間をいただきます」

「そうね。夏中に馬鹿の選出をして、秋には馬鹿同士の引き合わせをしてちょうだい。場所と金が必要ならいつでも影の悪魔(シャドウデーモン)に言いつけなさい。冬が来る前にはもう一度商隊を襲撃させるのよ」

「は!くれぐれも足のつかないよう、気をつけます」

「そうしてちょうだい。これは――あなた達"鯨"が共和国にいる竜王達に解体(バラ)されないように心配して言っていると忘れないでくれるわね」

「ありがとうございます。もちろん、誰にも悟らせはしません。正義感に溢れる馬鹿は"鯨"と対比する場所におりますので」

「期待しているわ。それで、お宅の首領さんと顧問さんはお元気?」

 若頭のダヴィは白化の仮面の向こうで笑みが作られた事を悟った。

「――げ、元気にしております。東陸の革新をもたらす白化様の言いつけをくれぐれもよく守るようにと口酸っぱく言っております」

「まぁ、良い子ね。また何か差し入れましょうか」

「お、お心遣い、痛み入ります」

 ダヴィは頭を下げ、父である首領と兄である顧問の変わり果てた姿を思い出す。

 溌剌としていて、力と欲望に漲っていた二人はある日忽然と姿を消した。共和国や中立国に捕らえられたかとファミリーを総動員して捜したが、見つからなかった。

 そしてある日、二人はまるで皮と骨だけのゾンビのようになって帰って来た。

 ――この女を連れて。

 二人はほとんど水分しか取らずに生活している。たまに渡される白化からの差し入れの極上の果物には必死になって食らいつくが――とても健康的な姿とは言えない。

 果物に何か麻薬的な力があるのかとダヴィも食べてみたが、特にそう言うことはなく、ただ単に美味な果物だった。

 二人が差し入れだけはきちんと食べるのは、この女を怒らせたくないためだと言う事がしばらく経ってから分かった。

 西陸に比べて遅れた東陸を発展させるために自ら手を組んだといつも言っているが、白化が訪れる日の前日は極度の緊張と恐怖から二人はずっと吐いている。

 ダヴィもこの女を怒らせるつもりは毛頭ない。父親に白化を怒らせれば次期首領の座はないものと思えと言われているし、それに、竜王を抱える共和国の一方的なやり方は昔から好かない。

 だから、ダヴィはうまくこの女を使ってやろうと思っている。どこの国から来ている女かは知らないが、使われている顔をして下に付いて、文明開花の助けにするのだ。この女は金と人脈はあるらしいことは確かだが、わざわざ"鯨"に乗り込んでくると言うことは実行部隊を持たないと言うことに他ならず、"鯨"と白化の立場は実は拮抗していると思えた。

 白化は頭もよく回るので、将来的にダヴィが首領になったとき、こう言う女が顧問として付いてくれると嬉しい。おそらくこの女もそう言う地位を望んでいるのではないだろうか。

 ダヴィの予測では、この女は共和国の南にある鼻持ちならないノラゾディ公国の貴族達から派遣されて来ている可能性が高いと思う。あそこは赤鬼(レッドオグル)達が治めている国なので、この大きな帽子は赤鬼(レッドオグル)の角を隠しているのだろうと思えた。手にも手袋をしていて、一切の肌を見せていない。

 隠しているつもりになっているが、隠すことがむしろ正解を導き出すとは思っていないらしい。

「――くふふ」

 白化の突然の笑いに、ダヴィは一瞬心の中を読まれたように錯覚した。

「じゃあ、馬鹿の選出が終わったら一報ちょうだい。今年中に三国馬鹿に行動させるのよ。良いわね。来年には共和国以外も神聖魔導国とやりとりができるようになるわ」

「――は。しかし、神聖魔導国は大国である共和国以外に興味を持つでしょうか。あちらは聞けばかなりの巨大国家です」

「持つと思うわよ。賭けになるけれど――ね。くふふ。あなた、神聖魔導国から共和国に来ている宣教師に会ったことはある?」

「いえ…ありません」

「そう、一度見に行ってみると良いわ。あちらの国民は――無垢で正義感に溢れている事がよくわかるもの。扱いやすいわねぇ。くふふふ!」

 ダヴィがこの女を神聖魔導国の者ではないと結論付けた理由はこれだ。白化は――心の底から神聖魔導国の民を見下しているのだ。

「喜んで乗り込んで来てくれるに違いないわ。だから、神聖魔導国賛辞の世論調整も忘れずに行いなさい。これで東陸も栄えるわ」

「かしこまりました。それではまた――あ、いや。ひとつお伺いいたします。どこかの国が自国に犯人がいたと名乗り出るのは止めますか?」

「それは放っておけば良いわ。犯人は何人いても良いのだから。でも、まずやれないでしょうね。嘘は竜王に見破られてしまうもの。あぁ、共和国が自国に犯人がいたと言う場合だけは早急に連絡しなさい」

「御意」

「せいぜい優雅に泳いで見せてちょうだい。"鯨"さん」

 白化は上等そうな巻物(スクロール)を取り出し、それを燃やすと姿を消した。

「……ふ。言われなくても」

 ダヴィは立ち上がると、後ろに控える幹部達に振り返った。

「やるぞ。まずは馬鹿探しだ。ユニオン班、ナタリア小国班、ロホ王国班、人員を回せ」

「「「承知!!若頭!!」」」

 男達は今歴史の歯車を回そうとしていた。

 

+

 

 ナザリック地表部に帰還したアルベドはナーベラルから指輪を受け取った。

「おかえりなさいませ、アルベド様」

「帰ったわ。アインズ様はもう寿命の巻き戻し実験からお戻り?」

「先程お戻りになられ、フラミー様のお部屋に行かれました」

「そう。ナインズ様はどうされているかしら。まだシャルティアと訓練されておいでなら少し寄りたいのだけれど」

「ナインズ様はもう訓練を終えられ、明日から最古の森へ泊まりがけでお出かけになる準備をされています」

「少し向こうで長く話しすぎたようね…。またシャルティアとナインズ様が二人っきりになる時間を許したわ…!」

 アルベドはナーベラルと手を取り合うと、指輪の効果を発動させて第九階層へ移動した。

 鬱陶しい仮面と大きな帽子をナーベラルに次々と持たせていく。

「ナーベラル、良いこと。シャルティアとナインズ様の間に何かがあればすぐに私に報告なさい」

「心得ております」

 真っ直ぐ自室へ向かっていたが、アルベドはパラダイスルームの前で足を止めた。

「――この格好のまま行っては不敬かしら」

 腰に生える翼を隠すローブは適当に東陸で購入したもので、守護者統括として相応しい服装ではなく、優雅さをカケラも感じない。ちなみに東陸での軍資金は商人の馬車を襲い金品を奪うことで手に入れた。たっぷり商売をして帰って来たところをナザリックへご招待だ。

「むしろよくお働きになっていると御方々もお喜びになるかと」

「そ、そうかしら?」

「はい。以前デミウルゴス様が最古の森から悪魔の巣へ出向いた際、悪魔の悪戯で髪型を滅茶苦茶にされてご帰還されたことがあります」

「馬鹿ね。下級悪魔に何をされているのかしら」

「失礼ながら私もそう思いましたが、廊下でばったりお会いになったフラミー様はたくさん働いているからね、とお笑いになってデミウルゴス様のお髪を整えられまし――」

「なんですって!?あの男、最初からそれ目的で悪魔達に触らせたわね!!良いわ、私もこのままパラダイスに入るもの!!」

 そしたら、笑ってお着替えさせてくれるかもしれない。

 お着替えには脱ぎ脱ぎが必要だから、何か素敵な事が待つかもしれない。

 そう思うと、大変滾る。

 アルベドは鼻息荒くパラダイスルーム――という名のフラミーの自室の扉を叩いた。

 メイドが顔を覗かせ、一度扉が閉まり――再び扉が開いた。

「アインズ様、フラミー様!アルベド、ただいま戻りましたわ!」

 アルベドが意気揚々と足を踏み込むと、デミウルゴスがアルメリアを抱っこしていた。

 アルベドは思わずそちらを睨みそうになったが、ソファに座るフラミーに手を振られると恋する乙女の顔をした。

「アルベドさん、おかえりなさぁい」

「戻ったな。あちらの周辺国はどうだった?」

 足早に御前へ進み膝をつく。

「はい!思惑通りに動いております!恐らく、来年にも周辺国は取り込めるかと」

「そうか。うまく動いているようだな。――ところで、その格好」

 来た――!!

 アルベドはくわっと目を見開いた。

「たまにはそう言う質素なのも良いな。美人は何を着ても似合う。だからお前達もたまにはちゃんと着替えろよ。私たちばかり着せ替えてないで」

 ――美人は何を着ても似合う。

 ――――美人は何を着ても似合う。

 ――――――美人は何を着ても似合う。

 アルベドの頭の中を三度アインズの言葉が反響すると、鼻からプッと血が出た。アルベドにとってこのどうでも良いローブは計り知れない価値を手に入れた。

「ありがとうございます!!良ければもっとよくご覧になってはいかがでしょう!!」

「うんうん、その場で回って見せてくれ」

 軽やかに回って見せると、アインズとフラミーは嬉しそうにパチパチと手を鳴らしてくれた。

「可愛いですねぇ。アルベドさんは腰から翼を出さなきゃいけないから、あんまり渡せる物もないと思ってたけど、今度私の着ない装備あげますよ!」

 フラミーの提案に、足下へスライディングする。アルベドは床からフラミーを見上げた。

「フ、フ、フラミー様!それは、ご、ご褒美でしょうか!!」

「そうですね。たくさん働くアルベドさんにご褒美です」

 

「いよっしゃぁああーー!!」

 

 両手を上げたアルベドの雄叫びが響くと、アルメリアもデミウルゴスの腕の中で両手を上げた。

「よっしゃー!」

「アルメリア様、そのような真似をされてはゴリラになってしまいます」

 デミウルゴスの不快げな様子にアルメリアは首を傾げた。

「ごりらってなんです?」

「剛腕の猿です」

「アルベドはごーわんの猿です?」

「その通――」

「デミウルゴス、余計な言葉を教えるんじゃない」

「失礼いたしました」

 アインズに注意され、アルベドは「くふふ」と笑いを漏らした。

「アルメリア様、その男などギョロ目の蛙です。さぁ、こちらへ」

 アルベドはデミウルゴスの顔を押し、アルメリアを奪って抱くと、頭の上に乗っかるお団子に鼻をポフっと当てた。

 大変良い香りがした。

「アルベド、にいにのお部屋へ行くです!」

「かしこまりました!早速参りましょう!!」

 アルベドが勇み足で扉へ向かうと、ナーベラルが扉を開き――一度至高の支配者達へ振り返って深く頭を下げた。

「アインズ様、フラミー様。これにて一度失礼いたします。後ほど、アインズ様の執務室へお伺いいたします」

「分かった。私も適当に執務室へ戻る」

「は」

 部屋を後にしたアルベドはナインズの部屋を目指した。

「アルベド、歩きます!リアちゃんは歩くの好きです!」

「まぁ、これは失礼いたしました。では――さぁ、どうぞ」

 そっと下ろしてやると、アルメリアはきゅっと小さな手でアルベドの指を握った。

 鼻からまた温かいものが垂れそうになるのを堪え、ナインズの部屋をノックした。

 またしてもメイドがチラリと顔を覗かせ、一度扉が閉まり――開かれた。

「リアちゃん、いらっしゃい。どしたの?」

 旅行用のレザートランクにあれこれと服や本を詰めるナインズが顔を上げた。

「にいに!お泊まりなんてダメです!」

「はは、リアちゃんも僕と行きたい?最古の森はとっても綺麗なんだよ」

「行きたくないです!」

「何で?一日だけ遊んで帰ったって良いんだよ。一緒に遊べるよ」

「本当はにいにと遊びたいけど、お外はやです。それに、明日はサラが来ます。リアちゃんはサラとも遊んでやらなきゃいけないです」

 アルメリアはもじりとローブを握った。アルメリアの服はフラミーの物が半分、鍛治長が作ってくれる物が半分だ。今日はフラミーの服を着ていた。アインズはフラミーの服を着てお団子頭にしているアルメリアが好きすぎて辛いとよく言っている。

「そっかぁ。サラが来るんじゃダメだねぇ」

「にいに、三日間もナザリック出て、いじめられないです?」

「いじめられないよ。大丈夫。おいで」

 ナインズに手招かれると、アルメリアは口をとんがらせたまま隣に座った。

「にいにを虐めるかとー生物がいたら、リアちゃんがほうむります」

「リアちゃんは難しい言葉を知ってるね。ありがとう。でも、大丈夫だよ。皆とっても良い子だから」

「護衛は誰が行くです?」

「僕と一太でお出かけだよ。それから帰還の書も持たせてもらったし、最古の森にはタリアト君もいるからね。心配いらないよ」

 アルベドは二人の会話を聞きながら、ハンゾウ達にちらりと視線を送った。ハンゾウ達は頷いて見せ、きちんと付いていく意思表示をした。ナインズが一郎太(弱者)と二人きりで出掛けることなどあってはならない。

「二人なんてダメです!お外は危ないがいっぱいです!」

 アルメリアの意見に、アルベドはいつも大賛成だ。

「僕、十七レベルになったんだよ。ルーン魔術のレベルが一つ上がったって。――位階魔法は腕輪取らなきゃ使えないから、まだ使えないけど」

「……リアちゃんはまだニレベルだっておじじとアウラが言ってました。でもリアちゃんは四歳です。合わせたら……七?」

「ニと四なら六だよ。数えてごらん」

 ナインズは四本指と二本指をアルメリアに見せてやった。

「六でした!」

「うん。僕は六歳と十七レベルだから合わせて二十三。僕って強いでしょ」「すごいです!……リアちゃんは弱いです?」

「弱くないよ。リアちゃんの為に僕が強くなれば、僕の力はリアちゃんのものでしょ。そしたら、リアちゃんが強くなったのと同じだよ」

 アルメリアの瞳はきらりと光り、顔いっぱいの笑顔を作った。

「にいに!じゃあ、リアちゃんも十七レベルです!」

「そうだね。後はリアちゃんにはクリスと二の丸もいるから、リアちゃんを守る力はもっと沢山ある」

「リアちゃん、強い?」

「強いよぉ!僕の力は僕と一郎太の二人分!リアちゃんは僕とクリス、二の丸の三人分!」

「強いです!」

 アルメリアがふんふんと鼻歌を漏らし、ナインズの隣に座る。ナインズは頭を撫でてやり、鞄を引き寄せた。

 

「じゃあ、僕はもう少し明日の用意するね」

「分かったです!リアちゃんもちょっとなら手伝っても良いですよ」

「ほんと?嬉しいなぁ」

 

 二人は鞄にあれこれ詰め込み――アルメリアは自分の顔を描いた大きなドングリをこっそり入れたらしい。

 

 彼女なりのお守りにナインズが気付いたのは翌日、カバンを開けた時だった。




うわああああ!12月だああああ!また今年が終わってしまう!!
共和国もピンチですねぇ〜!

杠様の地図を拝借しました〜!男爵が右側のたまころ配置したせいで下手くそ…( ;∀;)
ちなみにもう少し引いた地図はこちら

【挿絵表示】


と、ここまでで一度一区切りがついたので次のお話が書けてないです!
またゆっくり更新になりますだ!充電充電!
しばしお待ちくださーい!


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Lesson#13 最古の森と家族

「ナイ様ー!」

「一太ぁー!」

 二人は大きな鞄を手に第七階層の鏡の前で落ち合った。

 ナインズの髪は銀色のまま深くフードを被っていて、顔には仮面がかけられている。泊まりがけなのでフラミーやアインズに幻術をかけ直してもらうこともできない。

「おはようございます!アリー様は誘わなかったんですか?」

「誘ったんだけど、今日はサラが遊びに来るんだって。二の丸は?」

「二の丸はコキュートス様と特訓するって。オレがいない三日間で強くなるって言ってました」

「はは、一太より強く?一太、今何レベル?」

 一郎太はにしし、と笑った。

「二十三です!二の丸にはまだまだ追いつけませんよ!」

「強いなぁ。僕昨日リアちゃんに十七レベルだよって自慢したのに〜」

「ナイ様は強いですよ!模擬戦で勝ったことないですもん!」

「一太が遠慮するからだよ。僕が地面にルーン描いてる間に本当ならやられちゃってるって」

「そんなことないですよ!ナイ様体軽いし!さ、行きましょう!皆多分大神殿前で待ってますよ!」

 一郎太が鞄を持とうと手を伸ばしたが、ナインズは鞄を渡さず鏡をくぐった。

 いつも通り耐性の指輪を屍の守護者(コープス・ガーディアン)に渡し、部屋を出る。

 学校に行く朝と違って、見送りの神官達はいない。

「オレ、最古の森って初めてです!」

「あ、そっか。良いところだよ。タリアト君も良いお兄さんだし!」

 二人が重そうな荷物を持って階段を降りていくと、行き合った神官達は丁寧に頭を下げた。荷物を代わりに運ぶか尋ねられ、二人は断った。

 適当に手を振り、一度神官通用口から外へ出た。

 遊歩道を行き、大神殿の前庭に着くと、エル、カイン、チェーザレ、ロラン、リュカが鞄の上に座ってお喋りしていた。

 エルは一番にナインズと一郎太に気付いた。

「キュータ、おはよう。一緒に来てくれて嬉しいよ」

「エル、おはよ。僕こそ誘ってもらえて嬉しいよ!ありがとう」

 ちなみに相変わらず皆キュータと呼んでくれている。ナインズと呼ぶと周りの目が大変だ。

「キュータ君、一郎太君おはよー!」

 ロランが手を振り、リュカも手を挙げた。

「ヤッホー、一郎太!キュータ!」

「キュータ様、僕達まで行くのを許してくれてありがとう」

 小さなリュックを背負ったカインと、大きな荷物を背負ったチェーザレは照れ臭そうにしていた。

「ううん。エルの家に行くんだし、誘ったのもエルでしょ」

「はい。エル君もありがとう」

「良いよ。行きたいなって言ってくれて嬉しかったから。でも、私も合わせて、えっと――」

 エルは一人一人の顔を確認して数を数えた。

 ナインズ、一郎太、カイン、チェーザレ、ロラン、リュカ。

「私も合わせて七人になっちゃうなんて思わなかったから、手紙でキュータ達以外にも友達が来てくれるって母に伝えたら驚いたって返事がきたよ。鏡を潜るのは高いしね」

 鏡を潜る金は高いが、カインの父はもちろんの事、ロランとリュカの親も我が子が殿下と旅行に行けるなんて機会をみすみす見逃すはずもなく、エルが誘った男子は総出席だ。――当たり前だが、女子は誘わなかった。たまには女子抜きの気楽な男子旅だ。

「そうだ。私の部屋で寝ることになるから、何人かは床に布団を敷くことになるけどごめんね」

「エル、気にすんなよ!」

 リュカがエルの背をバンバン叩き、チェーザレが頷く。

「エル様!僕なら外でだって寝られます!」

「チェーザレ、何言ってるんだ…」

「でもカイン様、夏なんだから外でも寝られますよ!」

 カインとチェーザレのやりとりにナインズは瞳を輝かせた。

「外で!いいね!外で寝ようよ!」

「き、キュータ?君を外でなんて寝させられないよ」

「キュー様が外で寝たいならオレも外で寝よっと」

 ナインズと一郎太も大変乗り気だった。

「ちゃんと全員分の寝床くらいは用意するから!ほら、行こう」

 エルが歩き出し、皆でぞろぞろとその後に続いた。カインはチェーザレの大きな荷物を後ろから支えるようにしてやって歩いた。

 大神殿の前庭から、いつもナインズ達が歩くのとは反対側の遊歩道を行く。あちら側と違って馬車の行き来もあり、割と賑わっている。

 いつも使う道は神官通用口や神官の寝泊まりする棟を初めとする一般の者が立ち入れない区画があるので、基本的には日中でも神殿への物資搬入くらいでしか馬車は通らない。

「キュータは最古の森は結構行ってるんだっけ」

「うん。でも、鏡を潜るのは初めてなんだ。いつもはタリアト君の所に直接魔法で行っちゃうから」

「わぁ、すごいね。私はアラ様の城なんて行ったことないなぁ」

 エルは感心したようにナインズを見つめた。

「タリアト君にお城に入れるか聞いてみようか。少しくらい入れてくれるかもしれないよ」

「え、いや。お、畏れ多いな…。アラ様だけじゃなくてキュータにも畏れ多いよ」

「ははは、変なの。キュータに畏れ多いって初めて聞いた」

「我が殿下、お戯れを」

 エルが笑うと、ナインズも仮面の下で笑った。

 遊歩道をある程度進むと、三対しかない翼を広げるフラミーのステンドグラスが見える中庭があり、さらにそれを通り過ぎて行く。

 この大神殿が設計された時には転移の鏡を設置するなんて事は考えられていなかったため、鏡は大神殿の大鐘塔の一階広間に設置されている。

 大鐘塔はてっぺんにある鐘までは上がれないが、途中の展望室までは上がることができて、大神殿の隠れ観光スポットだ。ただし、大神殿を見下ろす様な事は不敬にあたるため、街の方にしか展望室はない。

 鐘塔は鏡利用口と展望室行きの入り口に分けられているので、ナインズ達は鏡利用口の人の列に並んだ。

 鏡は床に直接置かれるようなことはなく、これ以上ないほど上等な絨毯の上に置かれていた。人が歩く所には汚れたマットがさらに上から敷かれている。

 部屋には入都管理官がいて、向こうから出て来る上位森妖精(ハイエルフ)森妖精(エルフ)、人間達が手続きを行っている。

 ナインズは純血の上位森妖精(ハイエルフ)を神都では初めて見た。

 手続きを済ませた上位森妖精(ハイエルフ)は<飛行(フライ)>で鐘塔の上を目指して飛んで行ったり、額に模様を付けている森妖精(エルフ)は観光なのか神都の地図を買いに行こうと話したりしている。

 人間は商人らしく、大荷物だ。

 鏡は残念ながら幅的にも設置場所的にも馬車は通れないので、隣の大陸と行き来する商人達は大抵背負えるだけいっぱいの荷物を担いでやってくる。上位森妖精(ハイエルフ)の商人なら呪文で呼び出した<浮遊板(フローティング・ボード)>を従えて優雅に来ていた。

 今では大型船が日にニ隻は西海岸に面する州の港町にやってくるので、大量の荷物の運搬はもっぱら船便か高額な長距離骨の竜(スケリトル・ドラゴン)便が用いられる。ただ、船便は新大陸からは片道十二日なので時間がかかる。――これでもずいぶん短くなったものだ。

 初めての航海が行われた当時は潮の流れや魔物の分布が分からず何十日もかかっていたが、多くの航海士や冒険者達の弛まぬ努力により、今では最短で最も安全なルートを通って大陸を目指して航海ができている。

 

 ナインズ達の番が近づいて来ると、ナインズは初めて見るアンデッドを見上げた。転移の鏡の左右には七十レベルにもなるアンデッドの地下聖堂の王(クリプト・ロード)と、見習い神官達が立っていた。

 前を進んでいた人達は皆地下聖堂の王(クリプト・ロード)に頭を下げてから、見習い神官にチケットを渡して鏡を潜って行った。

 ちなみにチケットは大神殿の販売所か、最古の森の神殿の販売所で手に入れられる。

 ナインズは前を行ったエルを真似て地下聖堂の王(クリプト・ロード)に頭を下げた。

 すると、地面から十センチ程度浮いていた二人の地下聖堂の王(クリプト・ロード)達は地面に降り、膝をついて頭を下げた。

「――行ってらっしゃいませ。ナインズ様」

「あ、あ」

「ナイ様!行きますよ!」

 一郎太が二人分のチケットを見習い神官に渡してナインズを急かした。

 ナインズが振り返ると、後ろにいたロランとリュカも早く早くとジェスチャーしている。

 その後ろにいる大人達はナインズを見ようと首を長くしたり、騒ついたりしていた。

「あ、ご、ご苦労さま!じゃあね!」

「は。アインズ様によろしくお伝え下さいませ」

 ナインズが慌てて鏡を潜ると――その先は薄茶色をした神殿の一室だった。

 天井を支える柱達はまるで巨大な木のようなデザインで、天井にはたくさんの枝が張り巡らされているように見えた。

 ナインズは初めて来た神殿を顎を高く上げて見渡した。

 その頭からぽろりとフードが落ちると、一郎太がさっと被せた。

 鏡は出入り口が同じなので、片側から一組づつ通す事になっている。早く鏡の前から退かないと神官に注意を受けてしまう。

「キュー様行きましょ」

 一郎太はナインズの手を取り、先に潜っていたエルの下へ早足で進んだ。その間、何度も鏡を振り返った。

「一郎太、どうかしたのかい?」

「キュー様が向こうで番人に頭下げられちゃって、ちょっと騒ぎになりそうだったんだよ。カイン達来たらすぐ出ようぜ」

「はは、なるほどね。そう言えば普通は皆死の騎士(デスナイト)に道を譲って歩くのに、二人は死の騎士(デスナイト)に道を譲らせて歩いていたのを思い出しちゃうな」

「え、えぇ…?そうだっけ…?」

「そうだよ。私の王子様は無自覚らしい」

 エルはおかしそうにくすくす笑っているが、ナインズには身に覚えがなく、一郎太も思い出そうと腕を組んで唸った。確かに言われてみれば死の騎士(デスナイト)に道を譲ったことはない。譲られた覚えもないが。

「それにしても、夏休みが明けて女子が聞いたら羨ましがるだろーなー!なんでカイン達誘って私達を誘わないのよーって言われそうだ!」

「ふふ、仕方ないさ。流石に同じ部屋では寝られないしね。それに、カイン達は夏休みの間帰る家がないなんて――可哀想だしね」

 カイン達はこの夏は実家に戻らないように言われたらしい。それは罰ではなく、母親がとても会える状態ではないと言うことのようだ。

「仕方ねぇよ。あいつんちの母ちゃんてちょっと変だったもんな」

 一郎太の言葉にエルはたしかにと頷き、ナインズは注意するように「一太」と言って小突いた。

 そうしていると、ロラン、リュカ、カインとチェーザレも鏡を潜ってきた。

「お待たせしました。入都管理はもう済ませましたか?」

 カインが尋ね、ナインズ達は首を振った。

「まだだよ」

「流石にカインは州を跨ぐのに慣れているんだね。さ、私についてきて」

 子供達は管理官の下へ行くと、指示に従って入都許可証を書きハンコを押してもらった。無くしてはいけないと言う許可証を皆大切に鞄にしまってから鏡の間を出た。エルは入学式の日に向こうで貰った許可証を返した。

「わぁ…すげぇー…。木って一生大きくなんのかな?」

 リュカが木の上へ視線を上げながら問うと、エルは笑った。

「そんな事はないよ。最古の森の木々はどれも長生きだけど、多分これ以上は育たないんじゃないかな」

「リュカ、育ち続けたら道がなくなるだろ?」

 カインはやれやれと首を振った。

「あーそうか。あ、でもあれなんてすごい太いぜ!」と、指をさした先は周りにある木の何倍も何倍も太さがある巨木だ。

 木には荘厳な城が木を支えに寄り添うように建てられている。

「あぁ。アラ様の城だね。あの木は一本じゃなくて、何本もの木がくっついてるんだよ。普通は先に大きくなった木が生き残って、周りの小さな木はお日様にあたれなくって弱ってしまうんだけどね。でも、あの母なる木は同時に何本もの木を竜王様が何百年も掛けて大切に育てて大きな一つの木にしたんだ――って、昔聞いたよ」

 それを聞くと、一郎太はじっくりと木を見上げた。

「ここにも竜王がいるんだなー。ツアーさんみたいな奴かな?」

「今はもういないから、嘘か本当かは知らないんだけどね」

 ナインズもアルバイヘームの城の木をしっかり眺めた。中は入ったことがあったが、外から見るのはこれが初めてだった。

「……本当にすごいね。これより美しい木は他にはないよ」

「キュータにそう言って貰えると私も嬉しいよ。さ、行こう」

 七人は魂喰らい(ソウルイーター)達が座っている場所へ向かった。ここは乗合馬車(バス)の始発地点だ。

 乗合馬車(バス)魂喰らい(ソウルイーター)が一体で引いていて、後ろに乗降用デッキがある。

 デッキには運賃を受け取る係が立っているので、そこで金を払って乗り込む。これは国営の乗り物なので運賃受け取り係は当然死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 

「二百ウールだからね」

 

 エル達が運賃を払って乗り込んで行く中、ナインズが一郎太と自分の分を払おうとすると死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は抱えている箱に手で蓋をした。

「――お代は結構です。お席へお進み下さい」

「だ、だめだよ。ちゃんと貰ってくれなくっちゃ。そうじゃないとお父さまにお金を持たせてもらった意味もなくなっちゃう」

「……なるほど。御方のご意志とあれば、頂戴致します」

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がお金を入れる穴を見せてくれると、ナインズは箱に二人分のお金を入れた。

「キュー様ありがとうございます!」

「ううん。お父さまに一太と二人で過ごすためのお金って言われて渡されてるから!」

 二人はようやく乗降デッキから車内へ進んだ。

 デッキと車内の間にドアはなく、通路を挟むように左右に全部で五列、二人づつ座れるシートが配置されている。

「キュータ様、大変ですね」

「はは、まぁまぁ」

 車内ではエルとカインが前後に座っていた。通路を挟んだシートにはリュカとロラン。

 チェーザレは先頭で窓に張り付くようにして外を見ている。

「一郎太様!ここから見えますよ!早く動かないかなー!」

「オレも見る!」

 チェーザレに手招かれ、一郎太も車両の先頭へ行って窓から外を覗いた。

「一郎太、チェーザレ。荷物は私の隣に置いて良いよ」

「さんきゅー!」「エル様ありがとうございます!」

 エルの隣に荷物が鎮座すると、カインが自分の隣をポン、と叩いた。

「キュータ様、良かったらここに座って下さい」

「ありがとう、カイン。カインは乗合馬車(バス)結構乗る?」

「いえ、あんまり乗らないです。いっつも家の馬車でしたから」

「ふふ、僕も。ワクワクしちゃうね」

「はい!」

 二人は窓の外を眺めた。

 大人の上位森妖精(ハイエルフ)が他に何人か乗り込むと、乗合馬車(バス)は動き出した。

「最古の森は床を舗装してないから結構揺れますね」

「本当だねぇ〜。我々は〜ウチュウ人だ〜」

 ナインズが揺れに任せて震える声で言うと、カインは首を傾げた。

「ウチュウ人ってどこに住んでる人種ですか?」

「んー…実は僕もよくわかんない。空にいるらしいんだけど、お母さまは揺れるとそう言うから真似してんだぁ」

「へぇ!人鳥(ガルーダ)みたいな種族なんですかね。僕も今度から言わせてもらおうかなぁ!」

 二人は馬車に揺られながら暫く「我々はウチュウ人だ」と言った。

 中々盛り上がったが、この馬車を引いている魂喰らい(ソウルイーター)は、なぜこの地の道はもっとなだらかじゃないんだと思った。乗り心地良くナインズを運べるはずなのに、この地面のせいで車体が揺れていると思うと非常に悔しい。

 魂喰らい(ソウルイーター)は決められた道を進み、川を渡る時には一郎太達が大変盛り上がった。

 石造りの橋は馬車や魂喰らい(ソウルイーター)専用で、歩いている人は近くに生えている巨大緑茸(キングマッシュルーム)と言う二メートル近くあるキノコの上を飛び石のように渡っている。みっしりと群生しているためある程度安定感はあるが、手すりは無い。

「――あ!また上位森妖精(ハイエルフ)じゃない人だ!」

 チェーザレが指をさす方には茸生物(マイコニド)がいた。巨大緑茸(キングマッシュルーム)の手入れをしているようだ。

「この辺りは上位森妖精(ハイエルフ)が一番多いけど、最古の森はすごく広いからね。私でも覚えきれないくらい色々な種族がたくさん住んでいるんだよ」

「へー!そうなんですねぇー!」

 観光客丸出しで進む。最古の森の夏は神都より涼しいが、流石に暑く感じてナインズはフードを取った。

 周りに座っている上位森妖精(ハイエルフ)達は白銀の髪をしているし、ナインズの銀色の髪が目立つ事はなかった。

「……綺麗」

 カインは仮面をつけたままのナインズにつぶやいた。

「――え?」

「あ、い、いえ。すみません。髪が綺麗だなって思って」

「はは。カインの金髪も青紫色の瞳も綺麗だよ」

「ありがとうございます」カインは伸びてきている髪をいじり、嬉しそうに紫色混じりの瞳を細めた。「バハルスは紫まじりの瞳の子が結構いるんです。旧バハルス帝国の代々の皇帝や、エル=ニクス様もアメジスト色の瞳だそうで、元貴族達は紫まじりの瞳の子供が産まれると特別な子になるって言うんです」

「じゃあ、カインは特別な子になるんだね」

 カインは俯くと半ズボンを握りしめた。

「……いえ。僕は平凡ですし…特別な誰かになりたいなんて……思い上がりだったんだ……」

「カイン、特別な人になれるよ。僕は前になんて言った?」

「……志の高さを見せろ……。何をする時もよく考えろ……」

「そうだよ。僕の話した事を忘れなかったら、きっとカインは特別な人になれる。大変な事だけど、一緒に頑張ろうね」

「はい」

 カインを成長させてくれる運命の人。この人がそうなんだと、カインは広がる憧れや希望に胸を熱くした。

「――そろそろ降りるよ。長旅ご苦労様」

 エルの声かけに、一郎太とチェーザレはもうお終いかと口を尖らせた。渋々荷物を手にする。

 魂喰らい(ソウルイーター)が慎重に停止し、七人は乗合馬車(バス)を降りた。

「こっちだよ。ここからはすぐだから」

 エルの後に続いて行く。

 大きな木の根の上を飛んだり、落ちている枝を拾ったりした。

 青々とした大きな木には、中腹あたりにぐるりと木の腹を囲むようにツリーハウスがついている。いや、魔法で石を削り出して作ったような見た目なので、ツリーハウスと言うよりも神殿じみているかもしれない。

 どのツリーハウスも昼間だと言うのに永続光(コンティニュアルライト)の青白い光を漏らしていて幻想的だった。

 木と木の間にはツリーハウス同士の行き来が楽なように美しい屋根付きの渡り廊下がたくさん渡されていて、涼しい顔をした子供達が歩いていた。ナインズ達と同じぐらいの歳に見えるが、恐らく四十歳オーバーなのだろう。

「すげぇー!あの木と建物!でっけぇー!」

 リュカは目の前にある木を指差した。

「ありがとう。歩いて入る玄関はこっちだから、この螺旋階段を行くよ。こっちの木の屋敷から向こうの木の屋敷に橋が渡されてるでしょ」

 エルの答えにリュカは何度か瞬き、その意味を理解した。

「え?あれエルん家?」

「私の家というより、私の父の家と言った方が正しいかもね」

「ひぇ〜…」

 聳える巨木には這うように螺旋階段が伸びていて、中々の段数だ。階段の入り口には白木の柱が何本も建っている。

 そして、一郎太がふと疑問を口にした。

「エル、これ登ってたのに何で体力ないんだ?」

「……ま、まぁ。上位森妖精(ハイエルフ)の魔法学校さぼったりもしてたから。はは」

「不良だったのかー!」

 何故か一郎太が憧れる様な目をし、ナインズが笑った。

「はは。僕も子供の頃は全然家から出なかったから同じだね」

「同じじゃないような気がするけど……キュータにそう言って貰えるなんて光栄だよ」

「そういえばキュー様は最初走ったりするよりお絵描きとかの方が好きでしたもんね!」

「そうなのかい?なのに随分速く走るんだね」

「じいの教え方が良かったんだね。でも、僕はずっと一太や二の丸に追い付けなくてよく拗ねてたよ」

「はは、キュータが?想像つかないな」

 などと言っていると、「エルミナス!」と声がした。

 振り返ると、階段の下に肌も目も髪も白い子供達がいた。同じくらいの歳に見える子が一人と、アルメリアと同じくらいの歳に見える子が二人いる。

「あ、友達?」

「違うよ。――ラウドミア兄様、イヴォニン兄様、アリマト姉様ご無沙汰しております」

 エルは一度荷物を置いてから深く頭を下げた。エルより小さい子供達にも頭を下げている。

 ナインズは一度状況を頭の中で整理した。

 エルミナスは二十四歳で、純血の上位森妖精(ハイエルフ)より倍近く速く育つ。つまり、兄姉と呼ばれる存在はエルよりずっと年上の三十歳だったとしても――人で言うところの四歳やそこらだ。

「エルミナス、よく帰ったね」

 エルと同い年くらいに見える少年はエルとよく似た顔で笑った。

「ラウドミア兄様、恐れ入ります」

「元気そうで何よりだよ。私にも手紙をくれてありがとう。神都には美しい便箋が売られているんだね。――でも、君の母に宛てたものと私達兄姉や父上に宛てた物が同じ便箋だと言うのは傷付いたよ」

 ナインズは何故、と内心首を傾げた。

「申し訳ありません。以後気を付けさせていただきます」

「君の母と私達を同列に考えていないなら良いんだよ。許してあげるから、気にしないで」

「ありがとうございます。父上と兄上方のご温情にはいつも心から感謝しております」

「そうだね。その気持ちは大切だよ。それにしても、神都の学校ではたくさん友達ができたようで良かったね。魔法学校の時のように、私と最古の森の国営小学校(プライマリースクール)に通っていたら友達はできなかったかもしれない。ミノタウロスと神都の人間。――それから、君もハーフ上位森妖精(ハイエルフ)かな?エルミナスの仲間だね」

 エルミナスの兄はナインズを爪先から頭の天辺までじっくりと観察した。そして、髪から耳が出てきていないことを確認した。

「僕はキュータ・スズキ。ハーフ上位森妖精(ハイエルフ)じゃないです。三日間お世話になります」

「なんだ。てっきり君もそうなのかと思ったよ。ごめんね、ハーフ上位森妖精(ハイエルフ)なんて言って。面白いお面だね?」

「…いえ」

「とすると、もしかしてそっちの人間も人間じゃなかったりするのかな?」

「僕らはバハルス州生まれの人間です。名前はカイン・フックス・デイル・シュルツ。こっちは従者のチェーザレ・クライン」

「えっと、よろしくお願いします」

「俺はリュカ・ド・オスマン。こんちゃー」

「僕はロランです。ロラン・オベーヌ・アギヨン」

「うん、皆よろしく。私はエルミナスの兄、ラウドミア・シャルパンティエだよ。そちらも、よろしくね」

 ラウドミアの手はまっすぐ一郎太に伸ばされた。

「――オレは一郎太。兄者ならエルにもっと優しくしてやれよ。オレは従弟でも本当の弟者だと思って大切にしてるぞ」

「おや?私はエルミナスに優しくなかったかな」

「優しくない。何でエルの母者と同じ便箋が嫌なんだよ」

「使用人と主人を同列に扱って良い道理はないよ。ミノタウロスは身内に優しい種族なのかな。それにしても、ミノタウロスは皆君のようにそんな綺麗な色をしているのかい?赤なんて最古の森では割と珍しい色だから、見惚れちゃうな」

 一郎太は少し何かを言いたそうにしたが、「ありがと」とだけ答えた。

「それじゃあ、私はイヴォニンとアリマトを魔法学校に連れて行くから」

「はい。イヴォニン兄様、アリマト姉様もお気をつけて」

「エルミナス、早く家に入ってちょうだい。恥ずかしいんだから」

 小さな女の子が言うと、エルは黙って頭を下げた。

「アリマト、あまりエルミナスを虐めないで。ちょっと間違った血が流れてるだけで、エルミナスは私達の大切な弟なんだから。ねぇ、イヴォニンもそう思うだろう?」

「ラウドミア兄様、私はエルミナスを弟だと思ったことはありません。父上には心底呆れさせられます。行きましょう」

 小さな男の子はエルミナスを一瞥し、ラウドミアは一郎太に手を振った。人間や人間と何かのハーフよりも、生粋の亜人の方が好きな様だ。

「じゃあね。エルミナスも友人方もゆっくりして行くといいよ。――<浮遊板(フローティング・ボード)>」

 ラウドミアは魔法で生み出した半透明の板の上にアリマトとイヴォニンを乗せた。

「<飛行(フライ)>」

 浮かび上がった三人は木を避けて飛んで行った。

「第三位階…使えるんだ……」

 カインは口を開けてそれを見送ったが、一郎太はぷんぷん鼻を鳴らした。

「感じ悪ぃ!エル、あんな兄者と弟者なんて一回ガツンと言ってやれ!」

「はは、弟じゃなくて兄達と姉だよ。皆を嫌な気分にさせて悪かったね」

 カインとチェーザレが一番に首を振った。

「ううん。なんだか……勉強になった」

「ぼ、僕もです…。一郎太様、本当にすみませんでした…」

「チェーザレ、済んだ事だから気にしなくて良いぞ。オレ、もう気にしてないし」

「…ありがとうございます」

 ナインズはエルの兄姉が飛んで行った方向を見つめるのをやめた。

「エル、エルはいつもあんな風にしてるの?一太の言う通りお兄さま達は優しくないよ」

「そうかな?私は十分優しくしてもらってると思ってるんだけどな。耳が短くて魔法もあまり使えない私といれば兄達だって何を言われるか分からないのに、出て行けと言わないでくれる。特に、幼い兄達は私のせいで苦労しているかもしれない。皆、それを私に直接言ってきた事はないんだよ」

「エルは嫌じゃないの…?」

「嫌じゃないよ。ここが神聖魔導国になるおおよそ五年前まで、私はすごく孤独だった。最古の森には昔からアラ様がお建てになった魔法学校がいくつもあって、上位森妖精(ハイエルフ)は魔法学校に通うことが義務付けられていた。いつか雨を降らせることが出来るアラ様のような者が現れるかもしれないとね」

「タリアト君が…」

「うん。魔法学校には普通の上位森妖精(ハイエルフ)なら国営小学校(プライマリースクール)に通うまでの三十歳からの十五年間と、国営小学校(プライマリースクール)を五十一歳で卒業してからの九年間通うように変わったんだけど……。魔法学校にいた頃は本当に出かけたくなかったな。あの頃私は奴隷用の部屋で母や他の奴隷だった人達と暮らしていて、ラウドミア兄様も私に話しかけてくれる事はなかった。でも、魔導歴五年にここが神聖魔導国になってから私の人生は本当に変わった」

 アインズ達が転移してきて神聖魔導国が発足した夏から冬が魔導歴元年、聖王国から帰ってきた冬から魔導歴二年だ。元年は半年程度しかなく、今年は魔導歴で言えば十一年にあたり、アインズ達が転移してきた夏から丸十年目にあたる。暦の区切りはアインズ達が分かりやすいようにと、これまでスレイン法国で使われていた六大神が伝えた年の区切りを採用し、冬となっている。

 ナインズはエルミナスの話を聞いて複雑な気持ちになった。そして、早く世界中がナザリックの下に入ればいいのにと思った。

「キュータ、そんな顔をしないで。私は今の状況に感謝しているし、最古の森を伐採した煌市出身じゃない人間に差別意識を持つほど上位森妖精(ハイエルフ)も落ちぶれてないから楽しく過ごせるよ」

「――わかった。エル、ごめんね」

「ううん。さ、頑張って登ろう!」

「うおおお!オレが一番に上るぞぉー!」

 一郎太がナインズの鞄を持って階段を駆け出し、その後をリュカも駆け出した。

「俺も行く!一郎太待てよー!!」

 ロランとカイン、チェーザレはひぃひぃ言いながら階段を上がって行った。

 手ぶらになってしまったナインズはチェーザレの大きなリュックを後ろから支えた。

「チェーザレ、がんばれ〜!」

「あ、ありがとうございます!」

 五人が登り切ると、そこには一郎太と座り込んでいるリュカ、エルミナスの母が待っていた。

「エル、おかえりなさい」

「母上!帰りました!」

 エルは荷物を置くと老いた母に駆け寄り抱き合った。

「お友達もこんなにたくさん。皆いらっしゃい。キュータく――ん、かしら…?」

「あ、はい!こんな頭だけどキュータです。お久しぶりです!エルのお母さま、お元気でしたか?」

 そう言えばエルの母親とは黒髪で会ったし、今日は仮面を着けているんだった。

「やっぱりキュータ君だったのね。えぇ、えぇ。元気にしてましたよ。そっちのお二人は、手紙に書いてあったカイン君とチェーザレ君ね。それから、ロラン君とリュカ君」

「はい、お世話になります」

「こんにちはぁ」

「鏡を潜るのは高いのによく来てくれたわねぇ。シュルツさんのお父様からはお手紙も頂いたのよ。わざわざご挨拶頂いちゃって申し訳ないわ。さ、中へどうぞ」

 エルの母は重そうな大扉についているドアノッカーを数度鳴らし、ドアは自動で開き始めた。

 人間の子供達は自動開閉扉を初めて見た。

「…エル君のお父様は貴族なの?すごいお屋敷だ」

 カインは思わずつぶやいた。

「ううん。最古の森にはタリアト・アラ・アルバイヘーム様が王として五百年君臨されてたけど、貴族って言う地位はなかったよ。雨を降らせる守神である王だけが特別な存在だったんだ」

「そ、そうなんだ…」

「カイン様の家よりすごいです…」

「チェーザレ、余計なこと言うな」

 エルの母親を先頭に皆中へ入って行った。上等なお仕着せの上位森妖精(ハイエルフ)と、そんなに綺麗ではないお仕着せの人間が何人か働いている。

「――エルミナス様、おかえりなさいませ」

「ただいま帰りました」

 使用人達は軽くエルに頭を下げてテキパキと何か仕事に戻った。

「エルのお部屋はこっちですからね」

 母親に連れられ、また階段を上がる。二階に上がる階段から一番遠い部屋がエルの部屋だった。

 大きな丸い扉を押し開け、「鞄はこっちに置いてね」

 エルが手招いたところに皆鞄を置いた。

「へぇー!いい部屋だなぁ!」

「七人余裕で寝られるね!」

 円形の部屋の真ん中には丸いガラスの中に収められた永続光(コンティニュアルライト)が下がっていて、壁には青白く光るキノコがいくつも光を漏らしている。木に縋る様に建っている建物は壁が弧を描いているので、殆ど全ての物が円形だ。

 例えば、床には白いレース状の絨毯が何枚も敷き詰められていて、部屋の一番奥には大きな円形のベッド。三人くらいなら寝られそうだ。ベッドはフレームや足の付いていないもので、マットレスが床に直接置いてあるスタイルだ。天井から下がる白い垂れ幕に囲まれているので、まるで祭壇のようだった。

 中でも特に目を引くのは鏡の前にある水場だ。部屋の中にいきなり水場があるのだ。二重の円形で、外側の円は床が一段下がっていて足首くらいの深さの水が張られている。それを跨いだ内側の円には大人の太ももくらいの深さの水が張られていた。

 ナインズには用途が分からなかった。

「私も五年半前にこの部屋を与えられた時には驚いたよ」

「五年半前って、最古の森が神聖魔導国になった時?」

 ナインズの問いにエルは嬉しそうに微笑んだ。

「そうだよ。最古の森が神聖魔導国になった日。そして、アラ様が人間奴隷解放宣言を行ってくれた日」

「タリアト君が!やっぱりタリアト君はちゃんとやってくれてるんだね!」

「――キュータ君、アラ様の事はアルバイヘーム様と呼ぶ事も恐れ多い事なんですよ。それをタリアト君なんて呼んではいけないの」

 エルの母に注意をされ、ナインズは「あ」と口に手を当てた。

「あ、母上…。これは……」

「エル、良いんだよ。すみませんでした。アラ様、アラ様」

「初めての最古の森だものね。良いのよ。アラは森の王と言う意味でね。今はもう王陛下達が他にいらっしゃるけれど、最古の森にいる者達は今でも皆アラ様の称号名ではないお名前を口にすることも憚るほどに、アラ様を尊敬しているの。最古の森を守り続けたアラ様を、神王陛下と光神陛下もとても評価して下さってる。だから、タリアト・アラ・アルバイヘーム様のお名前であるタリアト様とアルバイヘーム様は言ってはいけないわ。――外で上位森妖精(ハイエルフ)の方達に怒られたら、大変だからね」

「よく分かりました!人が大切にしているものは僕も大切にします」

「キュータ君は本当に偉いわね。私もアラ様のことが大好きで大切なの。エルを奴隷じゃなくしてくれた大切な方なのだから。じゃあ、そろそろシャルパンティエ様のところにご挨拶に行きましょう」

「はーい」

 カインとチェーザレは荷物の上に帽子を乗せ、水場の前に置いてある鏡の前で一度自分の身なりを確認した。

「エル君、この水差しの水で少し髪を撫でつけても良いかな?帽子かぶってたから前髪が変な形になっちゃった」

 カインが尋ねると、エルは水場の縁に置いてある水差しを手にした。

「いいよ。出た水はお風呂の横に流してくれればいいから」

「え?これお風呂なの?お風呂場じゃなくて部屋にお風呂が?」

「うん。上位森妖精(ハイエルフ)の使用人が部屋に来て魔法で水を入れてくれるんだ。だから、一人の魔力でも溜められるように神都みたいな大きなお風呂はないんだ」

「わぁ。"湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"は使わないの?」

「炊事場にはあるよ。でも、エルサリオンには誰かと同じお風呂に入るって言う文化はあんまりないし、"湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)"は出てきた冷たい水を沸かし直す必要があるから、お風呂には普及してないかなぁ。ここは木が近いから、あんまり大きな火は使えないんだ。これも夕方になると使用人がお湯に入れ替えてくれるよ。今水が入っていたのは掃除の前に汚れを浮かしているんだと思うよ。暫く使ってなかったからね」

「そうなんだ…。じゃあ、寮はびっくりしたんじゃない?僕も最初は皆が出て行くまで入るの嫌だったくらいなんだ」

「ふふ、カイン。さっき言っただろう?私はずっと母と奴隷用の部屋で何人もの人と暮らしていたと。だから、実は大してなんとも思わなかったよ。でも、上位森妖精(ハイエルフ)のハーフだって言えるようになるまでは、寮ではずっと真夜中に一人で入っていたかな」

「だからいつも遅くまで明かりが付いてたんだ…」

「ん?カインの部屋は私の部屋が見えるの?」

「あ、えっと。ははは。じゃあ、そろそろ行こうか」

 カインが足早に扉へ向かうと、チェーザレがエルに耳打ちした。

「カイン様はエル様を殿下だと思っていたんで、しょっちゅう覗いてたんです」

 リュカが「うわーえっちな奴」と茶々を入れる。

 エルは一瞬呆然とした顔をしたが、すぐに「ぷ!」と笑いを漏らした。

「くくく、ははは!私の部屋なんか覗いたって何もないよ!はははは!カイン、君は本当に殿下が好きなんだね!」

 上位森妖精(ハイエルフ)のハーフだから皆に見られていたわけではないと言う事や、ナインズがナインズだと分かってからは誰にも見られなくなった事。何もかもがエルの中でおかしかった。

 エルはおかしそうにたっぷり笑い、目の端の笑い涙を拭いた。

「チェーザレー!余計なこと言うな!クビに――はしないけど怒るぞ!エル君も笑うなー!」

 カインがウガァー!と手を挙げると、皆が笑った。

 一行は腹を抱えてエルの部屋を後にし、母の後に続いた。

 母はエルミナスのこれほど楽しそうな姿を見たのは初めてで、一緒に笑いながら泣きそうになるのを堪えて歩いた。

 隣の木への渡り廊下を行き、今までいた屋敷よりももっと大きく広い建物に入った。

 また階段を二つ三つと上がり、美しい彫り物がされた扉の前で止まった。

「――さて、ここが父のいる部屋なんだけど……キュータにはここで待っててほしい」

「なんで?ちゃんとお土産も持ってきたから、ご挨拶しないと」

 ナインズは自分の鞄の中から出した酒をちゃんと二本持って来ていた。カインの親は先にエルの家に手紙を出して挨拶していたようだが、神都から来ている子供達は皆親に手土産を持たされている。

「多分、父は仮面を取れって言うからさ。それは一郎太に頼めば良いよ」

「……エル、お父さまにもお母さまにも、僕が誰なのか言わないでいてくれたんだね」

「当然だよ。私は君のことが………――本当に大切だから」

「ありがとう。僕もエルを大事に思ってるよ。それに、エルの家族も大事に思ってる。だから大丈夫。心配しないで」

「……もし取れってあんまりしつこく言われるようなら部屋を出て良いからね」

 ナインズは頷き、エルの母は何で仮面を取れないのだろうと思いながら扉を叩いた。

「シャルパンティエ様。エルミナス様がご学友の皆様とお帰りになりました」

 母からのエルミナスの紹介は他人のようだった。

 中からは「入りなさい」とすぐに声が返った。

「失礼いたします」

 母に続いて七人が部屋に入ると、中には青年の上位森妖精(ハイエルフ)と、アインズよりよほど年上に見える上位森妖精(ハイエルフ)。それから、お茶を淹れている使用人の上位森妖精(ハイエルフ)がいた。

 部屋には温室のように植物がたくさん置かれていて、まるで外のようだった。窓もとても大きく、外との境界線を一瞬見失いそうになる。

「お前は出ろ」

 一瞥もせずに告げられたエルの母はすぐに部屋を出た。

「――エルミナス。よく帰ったじゃないか」

「父上様。キルエル兄様。エルミナス、神都よりただいま帰りました」

 大きな窓の前で本を読んでいた青年は丸い華奢なメガネを外すと本を閉じた。

「おかえり。エルミナス。神都は良いところだったんだろう?」

「はい、キルエル兄様。こうして友人もできました。共に来てくれた学友を紹介致します。こちらから、キュータ・スズキ君、一郎太君、カイン・フックス・デイル・シュルツ君、チェーザレ・クライン君、ロラン・オベーヌ・アギヨン君、リュカ・ド・オスマン君です」

 六人が頭を下げるとエルの父は嬉しそうに目を細めた。

「色々な友達ができたようで良かったじゃないか」

「恐れ入ります。――父上、こちらのキュータ君とロラン君、リュカ君はわざわざ挨拶の品も持ってきてくださいました」

「それは嬉しい事だ」

 まずリュカが神都から持ってきた果物が沢山入れられた袋を差し出した。

「お世話になりまーす!」

「ありがとう。嬉しいね。果物は場所によって丸切り味が違うからね」

 そして、次にロランがお菓子の入った箱を差し出した。

「お、お世話になります!僕、ロランです。エル君の後ろの席なんです」

「そうかそうか。これは丁寧にありがとう。私の息子と仲良くしてくれて嬉しいよ」

 最後に、ナインズが酒瓶を持って前へ進む。エルはハラハラして胃が痛くなりそうだった。

「エルミナス君のお父さま、僕の父と一郎太の父からです。三日間お世話になります」

「ほう。神都の酒は何度か買った事があるが、素晴らしいものだ。三日間ゆっくり過ごしていきなさい。――だが、キュータ・スズキ君。まずはその仮面を外すべきじゃないかな」

「僕は訳あってこれを外せません。お許しいただけないでしょうか」

「……君も上位森妖精(ハイエルフ)と人のハーフかな?恥じる事はない。私にはエルミナスがいるのだから君の生まれをどうこう言ったりはしない」

「ありがとうございます。ですが、僕には上位森妖精(ハイエルフ)の血は流れていません」

「ではその仮面を外せない訳と言うものを聞かせて貰おうか。種族的、文化的に外すことができない、もしくは仮面をしているのが礼儀だと言うのなら私も無理に外せとは言わないとも」

「……すみません。そのどれでもありません」

「ならば私の城に滞在すると言うのに、城の主人に正当な理由なく顔を見せないなどおかしいだろう。分かっているのか?」

「はい、分かります」

 ナインズが頷く。エルミナスはもうナインズは出たほうがいいと思った。

「キュータ、君の手で父に品を渡してくれてありがとう。もう行こう」

「……エル、僕は本当に君を大事に思ってるんだ。僕のことをずっと誰にも言わずにいてくれたこと。……すごく感謝してる。それに、きっと僕が気付かないうちに君は何度も僕を助けてくれたんでしょ?」

「い…いや……そんな大それたことは……」

「エルは言ったよね。僕が死の騎士(デスナイト)に道を譲らせてるって。僕は気付かなかった。でも、誰も僕に注意しなかった。気付いた君が何とかしてくれていたんでしょ?」

 エルミナスは何かを言おうと言葉を選び、悩んでいるようだった。

「その顔だけでよく分かったよ。ありがとう。それに、ロランから聞いたよ。エルは僕のこと、初めてルーンを使った日から気付いてたって。初めて位階魔法を使えた日、放課後に皆から腕輪を外すことを勧められてた僕を教室から連れ出したりもしてくれた」

「……そんなこと……」

「僕嬉しかったんだ。ずっと知らん顔して助けてくれてたことも、ただの友達でいてくれたことも。君のおかげで僕はたくさん友達を持てた。だから、僕に任せて。僕は君のためならこんなこと、どうってことないんだよ。エルミナス」

 ナインズは笑ったような雰囲気を出すと、仮面に触れた。

「あ、キュータ…あの」

「――エルミナス君のお父さま。ここまでの無礼をお詫び申し上げます」

「外す気になったかな」

「はい。なので、どうか僕と二つ約束をしてください。約束をして頂ければすぐにでも仮面を外します」

「約束……?そもそも君が礼を失していると言うことを本当に分かっているのか?それを何の交渉をしようと言うのか知らないが、自分が言っている事が間違っているとは思わないのか」

「……こんなの間違ってるって思います。でも、約束を守ると言っていただけなければ外せないんです。僕はあなたを押さえつけるような事はしたくない」

「ふ、面白いことを言う子だね。神都ではどんな教育を受けて来たのか興味すら湧くようだ。まぁ良い。聞かせてみよ。その二つの約束とやらを」

 エルミナスの父の眼光はたった十七レベル程度のナインズでは体が震えるようなものだ。一郎太でも怖いと感じる。しかし、ナザリックにいる者達に比べればどうと言うこともない。

「ありがとうございます。一つ、エルのお兄さま達のエルへの接し方を改善させる事。二つ、アラ様が言うように、人間への偏見を根絶するよう努力する事。約束してください」

「エルミナスの兄達はエルミナスと良い関係を築いている。それに、私達は人間を新たな同胞として迎えようと必死に成長していると言えよう」

「では、エルのお母さまにどうして冷たく当たられるんですか?それはやめようと思えばできることでしょう」

「人間だからではない。使用人だからだ。それを履き違えてもらっては困る」

「もし本当にそうなら謝ります。だけど、あなたのやり方は行いが先にあって、使用人だからと言う理由を後から付けているように見えます。あなたは上位森妖精(ハイエルフ)の使用人にも同じようにするのですか」

「そうすることもできる。だが、上位森妖精(ハイエルフ)の使用人は人間の使用人と違って多くの事ができる。序列が生まれる事は当然だ。分かるかな?」

「序列があることは分かります。うちで働く者達にも皆序列があります。だけど、僕の父はどのシモベにも優しくしています。どんな種族のどんな階級に属する者にもです。だから、僕にはあなたのやっている事がどうしてもわからないんです。序列がある事と、冷たくすることが結び付かない」

 そこで、窓の前にいた兄が二人の間に入った。

「父上、この子の言うことも一理はありますね。だけど、君。最古の森は今まさに成長の只中なんだよ。君には酷いように見えるかも知れないけど、ここは確かに変わっていっているし、エルミナスにも優しい場所になっている。私達にもう少し時間をくれないかな」

「やれやれ。神都とは余程恵まれた場所らしい。私は奴隷を使用人にし、奴隷の子を我が子にして来た者だ。君の言う二つの約束は君に言われずとも守ろう。だから、君も約束を守るんだ。仮面を取りなさい」

「ありがとうございます。きっと、ここをもっと良い場所にしてください」

 ナインズはぺこりと頭を下げると触れていた仮面を外した。

 銀色の前髪が揺れ、光を集めたような金色の瞳が瞬く。何かを嘆くような目の下の亀裂は神にあるものと同じ。

「――そ、その顔は……」

 ナインズ・ウール・ゴウンはオシャシンが出回っているわけではない。多くの人が見たことのない存在だ。

「僕はいつか、母に代わってここに雨を降らせに来ます。その時までにこの森がもっと良い場所に変わっている事を祈ります。僕が生きやすいようにしてくれた大事な友達が、もっと生きやすいように」

「エ、エルミナス……。お前は……一体この方は……」

「父上様…。私は誰よりも幸運です……。身分違いにも関わらず、こうして私のために立ってくださる方がいます。畏れながら、ご尊名を口にさせていただきます。どうか、父上様とキルエル兄様も膝をお付きください」

 一番に膝をついたのは一郎太だった。そして、ロラン、リュカ、カイン、チェーザレも同じようにする。

「こちらは――ナインズ・ウール・ゴウン殿下にあらせられます」

 父と兄は目を丸くしていた。使用人も信じられないような顔をしている。

「そ、そんな事が……。殿下がこのような場所に……護衛も連れず……」

「護衛は一郎太です。三日間お世話になります」

 父は夢ではなさそうな事を確認するとゆっくりと膝をついた。兄もそれに続く。

「い、いらっしゃいませ。殿下、し、知らずとは言えご無礼を。すぐにお部屋をご用意いたします」

「大丈夫です。僕、エルの部屋に泊まりたいんです。さぁ、もう皆立って楽にしてください」

 やはり一番に一郎太が立ち上がった。

「なんと言う………。拝顔の栄を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。エルミナスと最古の森のことは…私ができうる限りのことをすると改めて誓います。他にも何かあればいつでも仰って下さい」

「……僕はこの名前で人に言うことを聞かせたりしたく無いんです。だから、先の約束で十分です。エルのお父さま、立って楽にしてください……」

 二度目の言葉にエルミナスの父はようやく立ち上がった。

「……まさか殿下がエルミナスの友達になって下さるなんて……。夢のようだ……」

「僕も良いお友達ができて良かったです。ありがとうございます。じゃあ、そろそろ。お邪魔しました」

「あ、いや。良ければもう少しこちらに。何かご用意いたしましょう」

「キュータ、どうする?」

「うーん。僕はご挨拶に来ただけだし、外を見に行きたいなぁ。皆は?」

「オレも外行きたいかなぁ。あ、ロランは中が良いかな?」

「ううん、僕もまずは外を見たいかな。リュカもそうでしょ?」

「俺も外が良いー。カイン達は?」

「僕はどこでも目新しいから皆にお任せさ」

「僕も!」

「じゃあ、行こうか。では、父上様。友人達に最古の森を案内するので、一度失礼いたします」

「そ、そうか。そうお望みならそうしなさい。くれぐれも気を付けて行くんだよ」

「はい。あ――殿下はご公務でいらしている訳ではないので……ご内密に」

「もちろん……。キルエルも他言無用になさい」

「は、はい……」

「皆、行こう」

 父と兄はまだ何か言いたげだったが、皆部屋を出て行った。

「――長かったわね?大丈夫だった?」

「はい!母上!」

 エルは顔いっぱいの笑顔を見せた。

「あ、エルのお母さま。お母さまに渡す分のお土産も持たされたんです。本当は帰りに渡そうと思ってたんですけど」

 そう言ってナインズが取り出したのは――エルと母親が人混みの中校門をくぐっていく写真だった。

「え?こ、これって」

「キュータ、これ……」

「これね、お父さまが僕と一太を撮ってくれたお写真にたまたま写ってたんだ。お母さまが見つけてくれて、兄上が引き伸ばして刷ってくれたんだよ。すごい偶然でしょ」

「オ、オシャシン……?」

「うん!じゃあ、遊びに行こう!」

 

 子供達は駆け出した。




うーん、圧倒的ヒロインエル君!!
続きかけてないけど、とりあえず投下するファインプレイ


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Lesson#14 自由研究と晩餐

 その日、アーウィンタールの旧帝城の中は慌ただしかった。

「サラトニクの準備は!」

「遅いですね…。私が確認に行ってまいります!」

 ジルクニフの声が響き、執事のエンデカが駆け足でサラトニクの下へ行った。

「ええい…!サラトニク、遅い!フラミー様がお見えになる前に部屋にいなくては失礼だと分かっているのか!」

 今日ロクシーは用事があり出掛けている。こういう時に限っての不在だ。

 ジルクニフは室内をうろうろしてエンデカの戻りを待ったが、わずか数秒で我慢ならずにフラミーを迎える部屋を後にした。

 サラトニクの部屋へ向かう。メイド達が頭を下げてすれ違って行った。

 部屋の前に着くと扉は開け放たれていた。

「サラトニク!何をやっているんだ!」

「――ジルクニフ様、サラトニク様はもうこちらをお出になられたそうです!」

 サラトニクの部屋にあるドレスルームからエンデカだけが飛び出してきた。

「何!?すれ違わなかったぞ!あのバカ息子はどこで何をやってる!!探させろ!!もう後十分もせずにお見えになるぞ!!もし早くいらしたらどれだけ失礼か分かっているのか!!」

 フラミーはいつも時間ぴったりにくるが、わざわざ女神に迎えに来させて、待たせるなど言語道断だ。

 ジルクニフはエンデカやすれ違うメイド達にサラトニクを探すよう指示を飛ばした。

「サラトニクを見付けて今すぐ連れて来い!!今すぐだ!!」

 すると、――父上!と遠くから声が聞こえた。

 窓の外だ。割れてしまうギリギリの勢いで窓を開け放ち、下の中庭を覗くとサラトニクがいた。

 手には花の植えられた鉢が抱えられていて、見上げている顔には土が付いていた。

「何をしている!!早く部屋に来い!!」

「ち、父上!今戻ります!ちょっと、ちょっと待ってください!」

「待つのは鮮血帝ではなく世界創造の女神だと分かっているのか!!」

 サラトニクは土のついた顔を腕でぐいと拭くと、鉢を抱えたまま一階のピロティーに入って行った。

「あの顔で行かせられるか!本当に何をやっているんだ!」

 ジルクニフの怒りは最高潮だった。

 階段を駆け上がって来る音がし、ジルクニフは一足先にフラミーが転移して来る部屋へ入って行った。

「エンデカ、ロウネ。サラトニクの顔を洗って来る時間は」

「難しいかと。もう陛下がいらっしゃいます」

「では今すぐ絞ったタオルを持って来い!」

「すでにお持ちしております」

「……そうか」

 エンデカはほかほかのタオルを手にしていた。

「――父上!お待たせいたしました!」

 サラトニクの金色の髪には美しい装飾が着けられ、アメジストの宝玉を納める瞳は優しそうな形に垂れていた。

 

【挿絵表示】

 

「サラトニク!何をしていた!!」

「私は――わぶっ」

 有無を言わせずにエンデカはサラトニクの顔をごしごしと拭いてやった。

「サラトニク様!今日はアルメリア様からお召しに預かっている事をお分かりですか!」

「わ、分かってる。わ、私は――むぶっ、私はこれをアルメリア様に――わぶっ!もう!え、エンデカ!やめてよ!もう!」

 エンデカはサラトニクの顔を拭き終わると、今度は鉢を一度床に置かせ、土に汚れた手を丁寧に拭き始めた。

「それで何をしてたんだ!」

「お花を取ってきました!私がずっと育ててたお花です!」

 サラトニクが自慢げに差し出した花はたった一つだけ咲いているが、殆どが蕾のままだった。

「こんな殆ど咲いてもいない花をアルメリア殿下にお渡しするのか!?誰か咲いている花を今すぐ用意しろ!」

 ジルクニフが指示を飛ばす中、サラトニクは鉢を抱えた。

「父上!もうすぐ全部咲きます!庭師のカーディオが言ったもん!」

「もうすぐって……いまはまだ咲いてないだろう!!」

「でもひとつ咲いたから!大事に育てたからあげたいの!」

「何かお贈りしたいなら宝石やお召し物とかもっとあるだろう!」

「アルメリア様はうわべ(・・・)よりほんしつ(・・・・)を大切にされてます!」

「最もらしい事を言って!お前にアルメリア殿下の何が分かる!」

「分かる!私はナインズ様の次にアルメリア様の事が分かります!!」

「そんな不遜な――」

「エル=ニクス様!いらっしゃいます!」

 エンデカの通達に全員が急いで膝をつく。

 部屋の真ん中には地獄へ続くとしか思えない黒々とした門が開いていた。

 頭を下げていると、軽やかな靴音が音楽を奏でた。

「こんにちは。皆さん楽にしてくださいね」

 その言葉に全員が頭を上げた。

 もくれんの花びらの白さもくすんで見えるほどの純白に輝く翼を背負った華奢で小柄な体。肩から背へと波打つ長い髪は月の輝きのようだった。

「――フラミー様。本日は我が愚息をナザリックへお招きいただきましてありがとうございます」

「いえいえ。こちらこそ遊んでもらっちゃって。アルメリアは外の人も外も苦手なんですけど、サラトニク君には慣れてるから助かってるんです」

「身にあまる言葉をいただき、恐懼(きょうく)の至りにございます」

 ジルクニフは深々と頭を下げた。

「じゃあ、サラトニク君のことはまたお預かりしますね」

「は!よろしくお願いいたします!」

 ジルクニフは頭を下げ、サラトニクは大喜びでフラミーの下へ駆けた。

「陛下!よろしくお願いします!」

「ふふ。サラ君よろしくね。リアちゃんね、サラ君が会いたいってお手紙くれたから会える日をとっても楽しみにしてたんだよぉ」

「わぁ!ありがとうございます!じゃあ父上、行ってきます!」

「……くれぐれもご無礼のないようにな」

 ジルクニフの言葉にサラトニクは頷き――フラミーと手を繋いで闇の中へ消えていった。

「……あいつ、度胸だけはある」

「エル=ニクス様と違ってお腹は痛くならないタイプかもしれませんね」

 ロウネが苦笑すると、エンデカは顔を逸らしてぷっと笑いを漏らした。

「ええい!お前たち粛清されたいのか!」

「ははは。いえいえ、とんでもありません」

 アーウィンタールの元帝城は今日も賑やかだ。

 

+

 

「アルメリア様ー!」

「サラァー!こっちです!こっちです!」

 アルメリアが手招く下へサラトニクは駆け出し、すぐに前まで来ると膝をついた。

「本日はおめしにあずかり、心からおんれい申し上げます」

「いいですよ!仕方ないから遊んであげます!」

「ありがとうございます!アルメリア様、今日私はアルメリア様にこれを持ってきました!」

 サラトニクが咲きかけの花の植わった鉢を差し出すと、アルメリアはそれを受け取り、じっと眺めた。

「外の花です?」

「はい!私が育てました!」

「お花よりもたくさん葉っぱがぼうぼうです」

「す、すみません。突然今朝咲いちゃったから……」

「良いです。サラが本当に自分で育ててたって分かります。これはリアちゃんが寝るお部屋におきます!」

 それはつまり、フラミーの寝室だ。

「サラ、礼を言います。ありがとぉ」

 アルメリアは嬉しそうに鉢を抱えて笑った。

「アルメリア様、私の方こそありがとうございます!」

「ふふ、良いですよ!この花のこと、聞かせて欲しいです!」

 二人は原っぱにぺたりと座り、鉢を間に置いた。

「春に種を蒔きました。それで、芽が出た時とっても嬉しかったんです!」

「リアちゃんもバロメッツにたまに構ってやります。植物は可愛いです!おろかもの(・・・・・)もいません!」

「はい!それで、ずっとどんな花が咲くんだろうって楽しみにしてました。そしたら今朝庭師のカーディオが咲いたって教えてくれました!咲いたらアルメリア様にあげようって決めてて、それで、えっと、呼んでもらえたのが今日で良かったです!」

「どうしてリアちゃんにくれるって決めてたんです?」

「私の一番大事なものを差し上げると決めてたからです!」

「にへへぇ。サラは外の人間なのに外の人間じゃないみたいです」

 幸せに微笑みあい、肩をくっつけるようにして二人で座る。

 

 その様子を眺め、手を振るわせる男が一人。

 

「……近い」

 アインズはフラミーの隣で漏らした。

「良いお友達ですねぇ。きっとリアちゃんのお外嫌いを治してくれますよ」

「外の子供ならサラトニク以外にもクラリスとかもっといるのに……!」

「三つも年上のお姉さんより、やっぱり同い年の子が良いんですねぇ」

「っく……!」

「ははは。く、じゃないですよ」

「ぐぬぬぬ!」

 パパは早くも娘がお嫁に行く想像をして苛立った。

 

+

 

 一方、最古の森を歩く七人の子供達。

「夏休みの宿題の自由研究、オレ最古の森の事にしようかなぁ」

 一郎太が言うと、ナインズも頷いた。

「僕もそうしようかな。皆もそうするよね?」

 ナインズの問いにロラン、リュカ、カイン、チェーザレが「そうするー」と声を上げた。なんと言っても高いお金を払って鏡を潜っているのだから、ここを題材にしなければもったいないだろう。

 エルミナスだけは悩むようだった。

「私はどうしようかなぁ……。最古の森の何を研究すればいいのか全く思い付かないし……」

「こんなに不思議な事がたくさんあるのに?」ロランが首を傾げた。

「どれが不思議?」

「あの木にくっ付いてる家とか、どうやって建ててるのか僕には不思議だなぁ」

「大人の殆どが<飛行(フライ)>を使うからね。<浮遊板(フローティング・ボード)>に建材を載せて<飛行(フライ)>で飛びながら建てるんだよ」

「へー!面白いねぇ!神都じゃ<飛行(フライ)>まで使える人なんて建物屋さんにはいないと思うよ!」

 少し興奮するロランの隣で、リュカが木を見上げる。その視線の先には<飛行(フライ)>で飛んでいく上位森妖精(ハイエルフ)達がいた。

「すげぇなー。第三位階まで使える魔法詠唱者(マジックキャスター)は神都じゃ皆魔術師組合に入ってるのか冒険者だもんなぁ」

「ふふ、文化と魔力の違いだね」

「僕は自由研究、最古の森の建物のこと書こーっと!」

 ロランの自由研究のテーマが決まり、リュカもこれぞと言うテーマを思いついた。

「じゃあ俺は魔法が使える人達の職業調べる!魔術師組合や冒険者以外になってる第三位階の使い手について!」

「わぁー、良いねぇ。僕は何にしようかなぁ」

 ナインズも何か良い案がないかキョロキョロと見渡した。知らないものばかりの最古の森ではなんでもテーマになる。

「――あ、僕は最古の森に生えてる花の図鑑を作ろうかな!摘んでノートに貼ってくの!」

「キュー様が花の図鑑作るなら、オレは葉っぱの図鑑作ろーっと!」

「キュータ様と一郎太君も決まりですね。チェーザレ、お前は何にする?」

「カイン様はどうするんですか?」

「うーん、ロランの研究に少し似ちゃうけど、僕は上位森妖精(ハイエルフ)のお屋敷の中について書こうかな。部屋の中にお風呂があるなんて面白いからね。文化の違いさ」

「じゃあ僕もカイン様と同じにお屋敷の中でできる事にしようかな……。何かいいのないですか?」

「えー?思い浮かばないなぁ。チェーザレも自分で考えろよ」

 カインが手近なところに落ちている枝を拾うと、それに付いている葉っぱを一郎太が摘んだ。

「さっそく一枚目ゲット!エル、これ何だ?」

「そこに生えてるマルアルの木の葉っぱだと思うよ。皆自分の住む木の周りに飾りとして植えてるんだ」

「へー!マルアル、ね。聞いたけど多分オレ忘れるなー。帰ったらまた聞くかも」

「ふふ、良いよ。――チェーザレも植物図鑑にしたらどうだい?」

 エルが振り返ると、チェーザレはいい香りのするパン屋を見上げていた。

「エル様!僕、やっぱり最古の森で使われる字の一覧表作ります!」

 パン屋の看板には複雑な文字があった。

「いいかもしれないね。私はどうしようかな……」

 エルが唸る。

「急がなくても夏休みは始まったばっかりだからゆっくり考えるといいと思うよ!」

「そうだね。キュータの言う通り、もう少し悩もうかな」

 七人はぞろぞろと最古の森を散策した。

 お昼はパン屋で買ったパンを食べながらうろうろした。

 ナインズは花を摘むたびに、花の根が埋まっていると思われるところにY(エイワズ)の文字を書き込んだ。

 ロランが一緒にしゃがんでそれを眺める。

「キュータ君。これ、再生のルーンだよね!」

「そうだよ!ロランはもう殆ど覚えちゃってすごいね。自由研究、ルーン文字でも良いんじゃない?」

「へへへ。僕もちょっとそう思ったぁ。冬休みの自由研究はルーン文字にしようかなぁ」

 二人で地面にごちゃごちゃと字を書き始めると、リュカと一郎太は見たことのない虫を追いかけ回し、カインとチェーザレだけはちゃんとエルの観光案内に耳を傾けた。

 

 その後、夕方になる前にエルの屋敷に帰ると、屋敷の中は妙に慌ただしい雰囲気だった。何を用意してだとか、急いで、だとか。使用人たちが声を上げる。

「なんだー?」

 一郎太が見渡し、エルも首を傾げた。

「なんだろう?珍しいね」

 使用人たちに指示を出していた一人のメイドが大勢の帰宅に気が付くと、駆け寄って来た。

「エルミナス様、ご友人の皆様!おかえりなさいませ。今夜は是非晩餐にご出席をとシャルパンティエ様が仰せですので、用意が済み次第お部屋にお呼びに伺わせていただきます!」

 この慌ただしさにエルは心底納得した。

「あ、そう言う事ですか。じゃあ、自由研究のことをまとめたりするんで、私達は一度部屋に戻らせていただきます」

「はい!」

 エルは未だかつてない程丁寧に頭を下げられ、数度頬をかいた。

「じゃ、行こーぜ!早く行かないとオレ葉っぱの名前忘れちゃうよ!」

「一郎太はもー忘れてんだろ!」

「リュカもエルに教えてもらった職業もう忘れたろー!」

「もちろん俺も忘れた!!」

 赤毛の二人は楽しそうに笑い声を上げた。

 皆でエルの部屋に戻ると、部屋の中には沢山の花が飾られていて、四台のベッドがぴったりとくっ付けて置かれていた。

 エルはその様子に、ナインズに一人で円形ベッドに寝てもらい、後の六人は皆で仲良く肩を寄せ合って寝てくれと言うことだなと理解した。子供の大きさなら、シングルベッドを四台もつなければ十分寝られる。一台あたりの横幅は約百センチなので、簡単に言えば横幅だけで四メートルもあるのだ。

 布団だけ取りに行って用意することになると思っていたのに、わざわざベッドを出してもらえるなんて思いもしなかったので、エルはやはり何となくソワソワした。

「わー!皆で寝よー!」

 ナインズが並ぶベッドに向かおうとすると、エルは慌ててそれを止めた。

「あ、キュータ。ここで寝るなんてそんなこと言わないで!」

「え?あ、そうだね。四台だから、ここで寝る子とあっちで寝る子、じゃんけんとかで決めようね!」

 そうじゃないが、皆と眠れるとウキウキしているナインズに水を差す気になれず、エルは困ったように笑った。

「まぁ……良いんだけどね」

「ん?うん!」

 七人はそれぞれの自由研究のテーマに合う拾ってきた資料(・・)や、まっさらのノートを取り出した。

 カインはエルの部屋をうろうろと歩き回り、間取りを作った。

 ロランは今日見て来た色々なツリーハウスの外観をいくつか書き込んだ。上手くはないかもしれないが、店や家の違いを細かく記しておく。

 リュカはエルの言う通りに、第三位階を扱える上位森妖精(ハイエルフ)達の職業をたっぷり書き込んだ。

 チェーザレもその横で、上位森妖精(ハイエルフ)の文字を表にしていく。

 ナインズと一郎太はノートに花や草を貼る前に、エルにアドバイスされて花や草を押し花にした。花と草は早く押し花になるように太陽を意味するS(シゲル)で挟んでおいた。

 夏休み開始早々に始まった自由研究に、皆が熱中して取り組んだ。

 あっという間に外の日が落ちていき、自由研究は室内にノックの音が響くと共に一時的に終了となった。

 

 入って来たのはベテランの香りがするメイドだ。

「――エルミナス様、皆様。晩餐の用意が整いました」

「あ、はい!皆、ご飯だよ」

 皆お腹すいたと口々に言い、カインはまた鏡の前へ行った。

 身だしなみをきちんと整え、チェーザレにも見てもらう。

「キュー様は顔のはどうするんです?」

 一郎太が自分の顔を指さすと、ナインズは視界に入ってこない嫉妬マスクに触れた。見えないので着けていることをしょっちゅう忘れる。

「うーん、外さないと食べられないかなぁ」

「無理だと思いますよぉ」

 試しに嫉妬マスクを斜めにして、その下から握っていた鉛筆を差し込んでみる。

「無理だねぇ」

「無理ですねぇ。部屋にしますか?」

「ううん、なんか悪いしちゃんと食べる。行こっか」

「はーい」

 準備の済んだ友達たちの下へ行く。

 ロランとリュカはとても緊張していそうだった。

 カインは元貴族の子だが、こちらの二人は神都の庶民の子なので晩餐なんて言葉はそうそう使わないし、使うような席に出ることもない。

「ロラン、俺平気?」

「へ、平気。リュカ、僕も平気?」

「うん、平気」

 神都の幼馴染同士身なりの確認を徹底した。

 

「では、ご案内いたします」

 ベテランメイドの後に続き、カインは歩きながら屋敷の間取り図の続きを書いた。アリの巣のような絵だが、六歳にしてはまぁ上出来な方だろう。

 大きな二枚組の扉の前に着くと、チェーザレが持ってきておいた鞄にカインのノートと鉛筆をしまった。

 一郎太と違って本当にお付きという感じがする。

「なぁ、チェーザレ。オレに教えてよ」

「何をですか?一郎太様」

「なんか、その役に立つやつ!オレ、キュー様に何もしてないから!」

 それを聞くとナインズは嫉妬マスクの下で瞬いた。

「一太は僕のこと守ってくれてるでしょ?」

「なんか、もっとあるじゃないですか。チェーザレは色々カインにやってるし、クリスもアリー様のおままごとで水出したりしてるし」

「はは、一太は今のままで良いよ。兄弟はそういうことしないんだから」

 それを聞くと一郎太は電球のようにパッと顔を明るくし、頷いた。

「じゃあいっか!」

「うん!良いよ!」

 その様子をナザリックで見ていた誰かはペットと言う身分が羨ましくてハンカチを噛んだが、二人が知る術はない。

 

 話が終わると、大扉が開いていく。

 

 ロランとリュカはソワソワしながらそれを見上げた。

「お進み下さいませ」

 中には立派な長机が出されていて、青いテーブルライナーが机のセンターに掛けられていた。テーブルを飾るのは花ではなく、葉のつく枝や永続光(コンティニュアルライト)達だ。多肉植物もあしらわれていて、ボタニカルな雰囲気だ。

 

 皆立ってナインズ達を迎え、エルの父は大変良い笑顔だった。

 長机の中心に父が立って待っていて、その前に上品そうな女性。

 机の両端には四人の兄姉達と、美しい上位森妖精(ハイエルフ)の女性が二人。

 一番奥には兄キルエルと姉アリマト、その反対側の端に兄ラウドミアと兄イヴォニン。

 アリマトとイヴォニンは若干不服そうに立っている。

 

 ラウドミアはニッコリ笑って一郎太に手を振った。赤毛が綺麗だと言っていたし、人間よりも何となく亜人の方が心を許しやすいのかもしれない。

 一郎太も軽く手を上げると、父親が口を開いた。

 

「やぁ、学友の皆様には晩餐にご出席いただけて光栄に存じます。紹介がまだだったので先に妻達をご紹介いたします。私の向かいにいるのが正妻のイヤリエーラ。長男のキルエルの母です。キルエルとアリマトと共にいるのは側室のニーフ、アリマトの母です。そして、ラウドミアとイヴォニンと共にいるのが二人の母、サヴァラ。よろしくお願いいたします」

 

 ナインズは一生懸命覚えようとしたが、よく分からなかった。

 だが、エルの父は真っ直ぐこちらを見て言ってくれたので頭を下げた。

「ご紹介ありがとうございます。素敵な席にご招待いただけて嬉しいです」

「いえいえ。キュータ様はそちら、私の斜め向かいにどうぞ。そのお隣に一郎太君。反対側にカイン君とチェーザレ君。こちら側、私の右手にリュカ君とロラン君。左手にはエルミナス。さぁ、どうぞ掛けてください」

 

 屋敷の主人の斜め前が上座らしい。確かに、真隣に座っては話しにくい。

 次々とメイド達によって椅子が引かれていく。

 ナインズは言われた通り、正妻と紹介されていた女性の右隣に一郎太と着いた。

 正妻を挟んで左側にカインとチェーザレも着く。

 リュカとロランは怖々とエルの父の右隣に並んだ。

 リュカはエルの父のすぐ隣になるのを恐れてロランに先を越される前にアリマトの隣を陣取った。

 そして、エルも怖々と父の隣に着いた。父の隣で食事を取るのは初めてだった。

 

「エルのお父さま、エルのお母さまは来ないんですか?」

 ナインズが尋ねると、アリマトが臭いものを嗅いだように顔を顰めた。

「ご友人様。エルミナスの母は奴隷でしてよ」

「――アリマト。奴隷ではないよ。使用人だと言っているだろう?」

 向かいに座るキルエルが嗜める。

 

 エルの父は軽く額の汗を拭った。

「アリマト、いつも言っているだろう。奴隷の解放宣言は成ったと」

「そうでしたわ。では、使用人と同じ食卓を囲む者がいまして」

「僕の家はそう言うこともあります。労うために同じ食卓で食事を取ることもあるんです」

「……神都は変わってますのね?」

 

 そこで父の大きな咳払いが響いた。

「ンン!今日はせっかく皆様も来ているので、エルミナスの母も呼んでおります。――おい」

 声を掛けられたメイドが使用人の通用口へ行き、エルの母を連れて来た。

 大変恐縮している様子で、きちんとした格好をしている。綺麗な服はあれしかないのかもしれない。と言うのも、あれは入学式の時に着ていた服だからだ。

「し、失礼いたします」

 席は引いてもらえなかったが、最後の一つのエルの隣の席にチョコリと座った。

 それと同時に、エルの母の隣になったイヴォニンが席を立つ。

 

「父上、何のおつもりですか。アリマトの言う通りです。神都がどうかは知りませんが、ここは最古の森。使用人と同じテーブルでものを食べるなんて」

 たった四歳くらいに見える少年とは思えない大人びた言葉がすらすらと並んでいく。

 ナインズはその点だけは不思議と感心した。

 アルメリアならば『お父ちゃま!やです!リアちゃんやんや!!』と癇癪を起こすだろう。

 だが、彼らの言い分はナインズの中ではなんとも評価できなかった。難しいところだった。

 使用人と食事を取らないと言うのは、守護者達も一緒に食卓を囲むときはいつもとても恐縮しているし、毎日守護者達と食事を取るわけではないのでありえない発想だとも思わない。だが、たまにくらい良いじゃないかとも思う。毛嫌いすることはないのだ。

 

「イヴォニン。そう言う考え方はもう終わりにしなさい」

「父上には呆れさせられますよ。人間を愛玩動物として使っていた所までは良いですが、昔は皆生まれたところで殺してしまっていたのに物好きにも程があります」

 

 ナインズはギョッとした。愛玩動物というものが何なのかはよく分からないが、昔は人とのハーフ上位森妖精(ハイエルフ)が生まれると殺していたなんて。

 エルが何故冷たく当たられても全てを受け入れ、むしろ感謝しているのかよく分かった。奴隷でも生かしてくれて、今こうして家族として迎えようとする姿勢はエルにとって心底ありがたいことなのかもしれない。

 

「イヴォニン、食事の席でそう言うことを言うんじゃない。席に着きなさい」

「私の席をラウドミア兄様と変えていただけるなら座ります」

「ではラウドミア、変わりなさい」

「良いですよ。その方が一郎太君と話しやすいからね。さぁ、イヴォニン。私と場所を変わろう」

 ラウドミアはニコニコと変わらない笑顔ですぐに席を変わった。

 

「……こっち側だと使用人が目に入りますね」

「ふふ、仕方がないね。どちらかしかないんだから。こちらに戻るかい?」

「それなら隣よりはこちらの方がまだ良いです」

 ようやくこれで席が決まった。

 

 左から、

 アリマト、リュカ、ロラン、エルの父、エル、エルの母、ラウドミア。

 向かい側、同じく左から――

 キルエル、チェーザレ、カイン、正妻、ナインズ、一郎太、イヴォニン。

 机の両端、一番館の主人から遠い所謂二つのお誕生日席にそれぞれ側室が掛ける。子供達の方が側室達よりも身分が上なのだろう。

 

 イヴォニンが隣にくると、一郎太は口を開いた。

「そう言うこと言うなよな。オレはオレの前がエルの母上で嬉しいぞ」

「一郎太さん、価値観は人それぞれですよ」

 大人のように一蹴された。

 

 エルの父親はまた汗を拭った。

「……では、そろそろ食事を」

 その声に、メイド達が揃った動きで前菜をサーブしていく。

 美しい見たこともない料理が運ばれ、美味しそうなジュースが注がれていく。

 チェーザレが皿を覗き込むと、カインは軽く小突いた。マナー的に恥ずかしかったのだろう。

 リュカとロランは皿の上に指をさして「これなんだろうね!」「こっちなんかすげぇぞ!」と盛り上がっている。

 

 そんな中、エルの父はアルコールの香りのするグラスを軽く上げた。

「――エルミナスと学友の皆様の健やかなる成長と、神聖魔導国の益々の繁栄を願って」

「「「「「成長と繁栄を願って」」」」」

 エルミナスと兄姉達が唱和する。

 ようやく食事が始まり、子供達は皆襟にナプキンを挟んだ。

 コックのような人が前菜の中身を紹介して行く。小難しい言葉が並んでいた。

 

 ナインズがどれから食べようかなと悩みながら置かれている箸を手に取る。最古の森はカトラリーはスプーンと箸が使われているようだ。

 ふと、一郎太がツンツン、と肩を叩いた。

「キュー様、まだ着いてますよ」

「――あ、そうだったね」

 ナインズが仮面に手を掛けると、食べようとし始めていた学校の友達は皆一度箸を置いた。

 エルミナスの父もそれに気付き、一度箸を置いた。

 子供達と側室は食事を始めていて、あれこれと楽しげに話をしていた。

「キュー様、外したらオレが持ってますよ!お付きっぽいから!」

「はは、ありがとう。じゃあ、一太に任せるね」

 

 ナインズは仮面を外すと、顔を左右に振った。雨に濡れる蜘蛛の巣のように細く繊細な煌めきが飛ぶようだった。

 前髪が勝手に整って金色の目の上に降りる。

 目の前に座っていたエルはその様子をどこか恍惚と眺めた。

「我が殿下、お召し上がりください」

「わぁ。エル、むずむずするからキュータで良いよぉ」

 仮面を一郎太に任せる。一郎太は鞄も何も持っていないので椅子の背もたれと背の間にそっとそれを置いた。

「キュータ君……本当に……」

 エルの隣の母親が呟く。

 さらに、その隣のラウドミアは目を丸くしていた。

「……え?キュータ君?……私達、どこかで会ったこと……え?」

 その様子に一郎太の隣にいたイヴォニンが首を傾げ、軽く身を乗り出すようにナインズを確認した。

「……え?」

 リュカの隣のアリマトは目を見開き、ナインズを注視していた。

「あの……えっと、あんまり見られると、僕食べにくいかも」

 ナインズが苦笑すると、エルの父はまた汗を拭った。

「申し訳ありません。子供達はあまり、こう……慣れていないもので」

「何にですか?」

「その……神に連なる存在にと言いますか」

 

 それを聞くと、リュカが笑った。

「はは!キュータに慣れてんのって、俺たちのクラスだけだもんなぁ!」

 ロランも頷く。

「で、でもさ。キュータ君が素顔で仮面取ってるところは多分クラスの皆も慣れてないよね」

「ロランの言う通りだね。キュータ様の素顔を見慣れてるのなんて、一郎太君くらいかな」カインは何故か自慢げだった。

「僕達もまだ三回目ですもんね。カイン様!よく見させて頂いた方が良いですよ!」

「う、うるさい。恥ずかしいことを言うな。キュータ様は見られるのがあんまりお好きじゃないんだぞ」

「ははは!何見てんだってまた一郎太に怒鳴られるな!」

 カインとチェーザレにリュカが笑い、ナインズと一郎太も笑った。

 

 硬直する兄姉をよそに、学校の友達たちは食事を進めた。

「我が殿下、殿下も気になさらずに召し上がって下さい」

 エルが進める。エルは素顔を晒す時のナインズには不思議と敬語だ。

 ナインズは箸を取り直し、宝石のように綺麗な食事を摘んだ。

「これ、なぁに?」

「クラムボンのすり身と林檎のアンサンブルだそうです」

「クラムボン?それってどんな生き物?」

「最古の森の川でぷくぷくしてる生き物です。香りのいい身をしてるんですよ」

「はぇ〜今日は見なかったね?」

「ふふ、クラムボンはすぐに死んでしまうから、珍しい生き物なんですよ。私も食べるのは初めてです」

 変わった生き物もいたものだ。ナインズはクラムボンを食べ、ぷくぷく笑った。

「ふふ、美味しいね」

「本当ですね。お気に召したようで何よりです」

「エルのお父さま、珍しいものを食べさせてくれてありがとうございます」

「いえいえ、とんでもございません。こちらこそそう言っていただけるだけで嬉しく思います」

 前菜の皿が下げられて行くと、空のスープ皿が並び、ナインズからスープが注がれる。

 給仕の青年の手は震えていた。

「大丈夫ですか?」

「は!も、問題ありせ、ありません!」

 噛んでいた。

 スープも初めて食べる味だった。

 兄姉達はまだ半分硬直していて、測りかねていると言った雰囲気だ。

 エル以外はキュータと呼ぶのだから、似て非なる子供、いやいや殿下と呼ばれて返事をしているのだからやっぱり殿下、と頭の中でぐるぐると考えた。

 

 そんな中、アリマトが口を開いた。

「エルミナス、そちらは殿下ならば……何故皆殿下のお名前をお呼びしないの?」

 エルは席の遠いアリマトとギリギリ目を合わせてから答えた。

「アリマト姉様、こちらは勝手にお名前を申し上げる事も憚られるほどに高貴なお方です。皆一度だけ名乗り上げて頂きましたが、そう呼ぶようにと言われているもう一つのお名前で呼んでいます」

「……どうしてお前みたいな子がそれほどの方とお友達になれるの。信じられないわ」

「殿下が慈悲深くいらっしゃるおかげです」

 それを聞くと、ナインズは首を振った。

「エル、それは違うよ。僕が慈悲深かったんじゃなくて、エルや皆が慈悲深かったんだよ。誰でもない僕に優しくしてくれた。僕、たくさんいい友達ができて良かったなぁ」

 嬉しそうに笑うナインズにエルはうっとりと目尻を下げた。

「殿下、小学校で過ごす日々を私はきっと生涯忘れません」

「僕も忘れないよ。あ、ちょっとは忘れちゃうかも」

 エルとナインズの笑い声が響く。

 その時、エルの父がエルの頭をくしゃりと撫で、エルは硬直して父を見上げた。こんな真似をされたのは生まれて初めてだった。嬉しさよりも奇妙さの方がよほど大きい。

「ち、ち、父上……様……?」

「良かったな。殿下がお前を理解して下さって」

「あ、は……はい。ほんと……そう……ですね……?」

「人の本質を見抜くことは容易なことじゃない。生き物は皆神の名の下に平等だと口で言われても、平等にできる者は多くない。それができるお前は素晴らしい大人になる。私はお前を育てたとは言えないが、お前の中に私の血が流れていると思うだけで私は誇らしい」

「あ、ありがとう……ございます……?」

 

 その様子を見ていたイヴォニンは不満ありげな顔をし、思い付いたようにナインズを見た。

「殿下、明日のご予定は?」

 何も決まっていないので、ナインズは皆を見渡した。

「明日どうする?」

「魚釣りと観光はどうかなと私は思っていましたが――」エルの言葉は途中でイヴォニンによって遮られた。

「殿下、お決まりでないなら、明日は私達上位森妖精(ハイエルフ)の魔法学校へ共に行きませんか」

 七人は目を見合わせた。

「通ってない学校なんて入って良いの……?」

「殿下であればどこにだってお入り頂けるはずです。私が教師達に話も付けます!」

「……皆どうする?」

「オレはどこ行っても面白いです!」

 一郎太の声に、皆が頷く。ナインズはエルに視線を送った。

「エルは魔法学校嫌いだよね?」

「いえ、もう卒業しましたから私も構いませんよ」

 明日の予定が決まると、皆他愛もない会話をして食事を進めた。

 食後に味のない炭酸水が出され、それも飲んでしまうと皆いっぱいになったお腹をさすった。

「今日は食べたことないものたくさん食べられて良かったなぁ。最古の森って面白い」

 ナインズが言うと、エルは頷いた。

「私も食べたことのない物がありました。殿下のためのスペシャルメニューですね」

「美味しかったし、綺麗だったもんねぇ。エルのお父さま、ありがとうございました」

「とんでもございません。腕のいいコック達のおかげです。何でも携わる者があってこそですね」

「コックさん達にもお礼を伝えてください。そう言えばエルのお父さまはどんなお仕事をしてるんですか?」

「私は城で行政に携わっております」

「わぁ、エルはお城に行ったことがないし、いつか一緒に行けるといいですね」

 エルはすぐにふるふると首を振った。

「い、いや。殿下、そう言うわけにもいきません」

「そうかな?お父さまの仕事って簡単に見られるものじゃないの?」

「難しいと思います」

 ナインズはしょっちゅうアインズが働く部屋で遊んでいたのであまりその感覚は分からなかった。

 納得できないままに頷き、下げられていくデザートの皿を見送った。

 

+

 

 食事が終わり子供達が部屋に帰って行くと、エルの父はよろけるように立ち上がった。

「……アラ様に謁見するよりも疲れた」

 エルサリオン旧王城で働いていてもアルバイベームとはそうそう言葉を交わす機会などない。エルの父親も片手で数えられるくらいの回数廊下ですれ違って挨拶を交わしたのと、自分のいる部署の報告に上司と共に謁見に上がれた二、三度程度しか話したこともない。働く階が全く異なるし、殆どの旧王城勤めがアルバイヘームと話したことがないほどに、彼は神聖な存在だ。

 森中に出かけ雨を降らせている間も、強力な魔法を使い、休みなしであちらこちらに行かねばならないアルバイヘームに無礼にも話しかける者は少なかったほどだ。

 

 そんなアルバイヘームと話すよりも気を使うとは。

 

 いつ兄姉から失言が飛ぶかと思ったが、失言もありつつ、なんとか無事に食事会が終わって良かった。

 明日の晩餐も共にするだろうが、身が持たない気がする。

 最古の森は成長の途中だ。

 多少のことは多めに見てもらいたかった。

 

 エルの父は窓辺に座ると、渡り廊下で繋がる隣の棟の一室を眺めた。

 

(……本当にエルミナスと同じ部屋でいいのか……?)

 

 その夜、エルの父はほとんど眠れなかったらしい。

 




エルパパお腹痛い痛いでかわいそう!
次回Lesson#15 魔法学校と森の王
明日もあげちゃうぜ!

そして男爵は最近なろうで魔法陣と異世界の話を書いているらしい
https://ncode.syosetu.com/n5439gq/
ブックマークしてもらうと男爵が喜ぶらしい!!


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Lesson#15 魔法学校と森の王

 七人はエルの部屋で出し合った手を見下ろした。

 グーが三人、パーが四人。

「――じゃあ、キュータとリュカと私が向こうのベッドだね」

「よっしゃー!俺丸いベッドー!」

 リュカが両手を挙げるが、パーだった四人からブーイングが上がった。

 ナインズがどこでも良いと言ったので、三人組になった方がエルの丸いベッド、四人組になった方は四台繋げられているベッドで寝ると言うルールで行われた二手のジャンケンだった。

「えぇー!オレ、キュー様と寝るぞ!」

 一郎太が直球にルールを無視すると、ロランが笑った。

「はは、一郎太君はそんなにキュータ君と寝たいの?」

「オレは護衛だから一緒に寝ないとダメだろー」

 大変ずるい言い分だった。

「じゃあ、私達四人がそっちのベッドで寝て、ロランとカインとチェーザレが私のベッドで寝る?」

「僕はそれでも良いです!あ、でもカイン様もキュータ様と寝たいですよね……?」

 チェーザレが言うと、カインはフッと鼻を鳴らした。

「明日キュータ様と同じ手を引けば良いだけの話さ。チェーザレはお子ちゃまだな」

「わぁ、さすがカイン様です!」

 カインは我ながら大人な考え方だと自分を内心褒め称えた。

 皆自分の寝るベッドに向かい、寝床の確認をした。

 ナインズは誤ってベッドから落ちないようにと真ん中にあるベッドを勧められた。

 ぽふぽふと枕を叩くと、頭を預けた。

「なんか、ドキドキして寝られないね」

「本当ですねぇ」

 一郎太が頭を掻きながら答える。最近一郎太はよく頭をかいていた。生え始めた角が赤い毛の中でわずかに白く盛り上がりを見せているのだ。

「な!キュータってクラスの女子で誰が一番好きなの!」

 一郎太の隣のリュカがニマニマしながら尋ねると、ナインズは首をかしげた。

「女の子?皆好きだから、誰が一番ってないなぁ」

「えぇー。つまんないこと言うなよぉ。多分女子は皆キュータが誰のこと一番好きか気になってるぞ!」

「皆と仲良しだからなぁ。何で皆そんな事が気になるの?」

「なんでって……そりゃ、なぁ?エル、何とか言ってやってよ。エルは大人だろー」

「はは、大人じゃないよ。でも、そうだね。皆キュータのお嫁さんになりたいんだよ。だから、気になるんだろうね」

「お嫁さん?お嫁さんって一生二人で暮らす約束する人でしょ?」

「そうだね。キュータならお嫁さんは一人じゃなくてもいいと思うけど」

「えぇ〜。たくさんいたらたくさん気を遣わなきゃいけないよ。女の子は大事にしなきゃいけないから」

「じゃあ、キュータのお嫁さんは一人かぁ」

「うーん。まぁ、お嫁さん一人もいなくてもいいかな!一太やナザリックの皆とか、友達もいるからお嫁さんいらない!」

 謎の宣言をしていると、円形ベッドで話を聞いていたカインが顔を出した。

「でも、身分のある人は結婚しなきゃいけないって言いますよ?」

「そうなの?」

「そうだと思います」

「じゃあ、僕もいつか結婚するのかなぁ」

「僕の妹はどうですか?」

 少し身を乗り出してカインが言うと、一郎太が大きな声で笑った。

「ははは!カインの妹、怖そうだなー!私はカインの妹よ!!って言いそうだー!」

「な!い、言わないよ!一郎太君、怒るぞ!」

「はははは!嘘だよ!ごめんごめん!――なぁ、リュカはイシューの事好きなんだろ!」

 一郎太の頭を掻いてやっていたリュカは顔を赤くした。

「べ、別に好きじゃねーし。あんなの男女(おとこおんな)だし」

「ふふ、リュカは幼児塾の頃からずっとイシューの事好きなんだよ」と、ロランが言うと、リュカは枕をロランに投げ付けて布団に包まった。

 その後、皆それぞれのベッドの上でこそこそとあれこれ話をした。

 気付けば一人二人と眠り始め、一番最後まで寝られずにいたのは意外にも図太そうな一郎太だった。

 何となくここは自分の縄張りではないような気がして寝付けなかった。

 仮面を着けたまま寝ているナインズに張り付くようにすると、ずいぶん気持ちが落ち着いた。

 

+

 

 翌日、ナインズはもしょもしょの毛にくすぐられて目を覚ました。

「……一太ぁ、暑い……」

 一郎太の腕枕も、体に乗っかっている腕や足も、何もかもが暑かった。

 この真夏に毛布のような一郎太と寝るのは拷問だ。

 ギュウギュウと押し返すと、一郎太はようやく目を覚ました。

「んなぁ〜ないさま〜」

「一太暑いよぉ……」

「んなぁ……」

 足の上に乗る一郎太の足を軽く蹴り、ナインズは起き上がった。

 レベルは一郎太の方が高いが、寝ている一郎太を蹴れない程ナインズは弱くはないらしい。

「あ、キュータ、おはよぉ」

 隣で寝ていたエルも起き上がり目を擦った。

 一郎太の向こうのリュカはまだ爆睡中だ。

「エルもおはよ〜……」

 ナインズとエルがベッドを出て行くと、一郎太も渋々起き上がった。

「……ない様?もー起きんの?」

「一太、暑いんだもん」

「ははは〜。オレはちょうど良かった」

「もー。一太はあんまり汗かかないから良いけど、僕は汗だくだよ」

 温度耐性のある魔法の装備を普段から使う事は許されていない。

 全く朝からけしからん話だった。

 着けっぱなしだった仮面を一度外すと、風呂の傍に置いてある水差しでエルと顔を洗った。

 そうしていると、ロランとチェーザレも起き出した。

「おはよー。エル君、今日魔法学校って何時に行く?」

「んー、ラウドミア兄様と一緒じゃないと行くのすごく大変だから、兄様方がお出になる時に一緒に行くと良いと思う」

 話をする二人をよそに、ナインズはパジャマを脱ぎ、パンツ一丁で涼み始めた。脱いだ服はチェーザレが畳んでいった。

「――殿下、一度湯浴みなさいますか?」

「ん?ううん。そこまでじゃないけど、本当暑かったから」

 目を覚ましたリュカがベッドの上から「一郎太暑すぎる……」と声を漏らす。

 円形ベッドから出かけていたカインはパンツ一丁のナインズを見ると顔を赤くしてベッドに戻った。

 別にナインズのパンツも上半身も体育の着替えの時に無料で絶賛見放題だ。

 それに、ここは風呂が室内にあるので、昨日の風呂の時も普通に全裸だった。

 クールダウンすると、ナインズは本日の服を着て仮面を着け直した。

 不思議と皆が安堵するように息を吐いた。

「エル、何持っていけば良いかな?」

「一応魔法学校の飛び入り見学だからね。学校の杖と……鉛筆くらいかな?紙は私が出すよ」

 皆言われたように少ない装備を整えると、扉にノックが響いた。

 開けて良いかエルが確認の視線をナインズに送り、ナインズは肩を上げる事で構わないと伝えた。

「はーい、どうぞ」

「ご朝食をお持ちしました。机と椅子を先に運び込ませていただきます」

 使用人達がわらわらと部屋に入り、食事の準備を進めてくれる。

 毎朝これは大変だなとナインズは思った。

 

+

 

「じゃあ、帰る頃にまた迎えに来るよ。ラウドミアの<浮遊板(フローティング・ボード)>だけじゃ乗り切れないからね。それでは、失礼いたします」

 ほとんどもう大人に見える一番上のキルエルはラウドミアと揃って頭を下げると森の中へ消えて行った。

 あちらこちらから<浮遊板(フローティング・ボード)>に乗せられた子供達が登校して行く。どの子供も、人間がこれだけ揃って魔法学校にいることが珍しいのかじろじろと見ていた。

 

 ナインズ達はイヴォニンとアリマトと共にまず職員室へ向かった。

「朝のうちに父上が伝言(メッセージ)を送っているので、すぐに済みます。少々お待ちください」

 イヴォニンが職員室へ入って行くと、残っていたアリマトがナインズを見上げた。

「本当に殿下なんですのよね?」

「えっと……うん」

 殿下と呼ばれるだけの存在として合格か採点されているかと思うとナインズは少し小さくなった。一郎太が手を繋いでくれると、暑苦しいがナインズはそれを握り返した。

 イヴォニンはあっという間に廊下に戻った。後ろには大人を何人か連れていて、一番歳を取っているように見える大人がナインズの前に跪いた。長い白い髪と、長い白い髭と、長い白い眉毛が印象的だった。

「ナインズ・ウール・ゴウン殿下、よくぞ我がエルサリオン第三魔法学校へ。私は校長のアグリゴーラです」

 おじいさんの瞳はキラキラと星を飛ばしてくるようだった。

「あ、校長先生。僕……今日はその名前で来てないんです……」

「これは失礼いたしました!では、何とお呼びすれば?」

「キュータ。キュータ・スズキって呼んで下さい」

「スズキ様!かしこまりました。今日はシャルパンティエさんからイヴォニン君達の授業の見学と伺っておりますので、イヴォニン君とアリマト君の教室でお過ごし頂けるようにさせていただきます!さぁ、こちらが担任のモリアンダーです」

 女性教諭だった。握手を求められるような事はなく、担任も廊下に跪いて頭を下げた。

「ス、スズキ様にはつまらない授業かもしれませんが、少しでもお楽しみいただけるように、その!頑張らせていただきます!はい!」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 担任と頭を下げあっていると、校長は嬉しそうにエルの肩を叩いた。

「エルミナス君、立派になって。神都で素晴らしい毎日を送っているそうじゃないか」

「い、いえ。はは」

「いやぁ、殿下とお友達なんて私も鼻が高い!」

 不登校気味だったエルは、大して話したこともない校長にそう言われる不自然さのようなものに苦笑した。

「さて、教室までは私も共に行きましょう!」

 校長の先導に続いて幾つかの階段を登って行く。

 建物は相変わらず木に沿うように建てられているので、四角くできていない。油断すると道に迷いそうだった。

 教室に入ると、イヴォニンとアリマトは得意げに自分の席についた。

 校長に連れられ、教室の後ろに案内される。

「椅子をすぐにお持ちしますので少々お待ちください」

 七人で並んで教室に入ると、子供達が皆何かと振り返った。そして、たまに「落ちこぼれだ」と言う声が聞こえてくる。

 エルは若干気まずそうだが、神都から来た子供達は自分たちの学校との違いに盛り上がっていた。

 担任が教壇に上がり、咳払いをする。

 

「み、皆さん!今日は神都の国営小学校(プライマリースクール)に通う皆様が、っご!っご見学にいらっしゃいました!!」

 担任のモリアンダーは随分緊張しているようだった。

「絶対に失礼の無いように!!」

 生徒達は何だろうと首を傾げ合い、返事をする子供と、返事をしない子供でバラバラだ。

「――ねぇ、あれはイヴォニンの所のハーフだろう?高学年との授業で見た事がある。あの落ちこぼれ」

 イヴォニンのそばの子供が言うと、イヴォニンは鼻を高くして頷いた。

「そうだよ。私の弟と、学友の皆様さ」

「弟ぉ?イヴォニン、一体どうしたんだい。君らしくもない」

「エルミナスはどうやら神都に行ってから随分優秀になったようでね。ふふ」

 その様子に、エルはまた不自然さを感じて苦笑した。

 七人分の椅子が用意され、七人が席に着くと授業が始まった。

 第一位階からの授業で、ナインズ達にはつまらないどころか高度で難しい話ばかりだ。

 板書をするたびに、担任はナインズに振り返った。

「――と、よろしいでしょうか?」

 宜しいも宜しくないも、ナインズには分からない。

「良いんじゃないでしょうか……?」

「ありがとうございます!」

 曖昧な返事に担任は深く頭を下げ、また板書と説明をした。

 子供達は何か異様な空気を察知したようで、ちらちらと後ろを振り返っては何かを噂した。あの人間達はアリオディーラにいた者達と違ってさぞ高位階の魔法を使えるのだろうと。

 一郎太とリュカは飽きていて、エルに渡された紙に落書きをしている。

 ナインズも一応メモを取っているが、よく分からないのでできれば落書きに参加したかった。

 だが、ナインズだと解っている教師の前でそう言うことができるタイプではなかった。

 担任が何度もナインズに振り返り、良いかと尋ねてくるので全く気が抜けない。

 ナインズも担任も息が詰まるような時間を過ごし、チャイムが鳴ると担任は「終わった……」と魂が抜けたような顔をした。魔法学校の授業は一回が九十分はあるようで、ナインズも長かった授業にほっと息を吐いた。

「では……座学はここまでです。ご静聴誠にありがとうございました」

 ナインズに深く頭を下げ、担任は汗を拭った。

 これを見ると神都のバイスは随分良くできた先生のような気がする。

 モリアンダーはおそらく二百歳を超えているだろうが、バイスの方が大人に見えるくらいだ。

 

「えーと……十五分休憩の次は外で実技です。皆、迅速に集合するように!み、皆様もよろしくお願いいたします!」

 教室の移動が始まると、イヴォニンとアリマトが七人に駆け寄った。

「ご案内いたします!」

 ナインズは妙にこの二人に懐かれた気がした。

「僕達はちょっと休憩してからエルと行くから、気にしないで行って――ください」

 年下に見える年上にどう言う口をきくのが正解か分からなかった。

 アリマトはエルに少しだけ鬱陶しげな顔をした。

「エルミナス、あなたあまり学校来ていなかったようだけど、ご案内できるの」

「アリマト姉様。ご安心ください、流石にそのくらいはできます」

「……そう」

 小さな子供達が七人を見ながら教室をぞろぞろと出て行く。

 教室に残った七人は疲労感たっぷりに苦笑しあった。

「……次の授業が終わったら、釣りに行く?」

 エルの誘いに、ノーと言う者がいるはずもなく、満場一致で午後は釣りに決まった。

「なー、次の授業も出なきゃダメかな?」

 リュカが言うと、ナインズが答えた。

「先生、僕達が行くと思ってるし……このタイミングでは帰れないでしょ」

「はぁー……。キュータって大変だなぁ。御公務ってやつはこう言う感じ?」

「いやぁ……。僕、ほとんど何もしたことないから……」

 全員生まれて初めて肩が凝ったと思った。

「次の実技は多少自由にしてられるから、我慢して次だけ見学して帰ろう」

「行くかぁ……」

 重たい足取りで教室を出て、上下に動く籠に乗り、下へ下へと向かう。

 辿り着いたのは、校舎が張り付く三本の巨木の間にある広場だった。神都第一小の校庭より広いくらいだ。

 見渡すと、イヴォニン達くらいの年の子供だけでなく、ほとんどナインズ達と同じくらいの年の子供達もいた。

「あっちの生徒も一緒にやるのか?」

 一郎太が尋ね、エルが頷く。

「そうだね。月に一度は高学年の生徒達が見てあげるんだよ。もちろん先生も付くけど、魔法は理論を人に説明しても理解が深まるから、低学年の子達に魔法を教えることが高学年の子達の第三位階へのステップアップに繋がったりするらしい」

 話していると、さっきイヴォニンと話していた子供が何人かで振り返った。

「イヴォニンの弟。十五年生の時君は第二位階も使えなかったんだから、私達と同じように今年の十五年生に教えを乞うた方がいいんじゃないかい」

「イヴォニンの弟は第一位階しか使えないもんね。もしかして卒業できなくて十五年生からニ年生になったの?前代未聞だよ」

 上品な言葉遣いで微妙に見下すような言葉が繰り出される。

 だが、エルは別に何も感じていないようだった。

「イヴォニン兄様の学友の皆様。私はもう国営小学校(プライマリースクール)に通っていますよ」

「じゃあどうしてわざわざここにいるの?それも、たくさん異種族を連れて。ここはアラ様がお創りになった森の守護者を育てるための上位森妖精(ハイエルフ)の学校だって解っているのかな?」

「ヨーケリアの言う通りだよ。私もずっと思っていたんだけどね。君も上位森妖精(ハイエルフ)じゃないんだから早く出て行った方が良い。揃いも揃って人間臭くてかなわないよ。――あぁ、君はそんなことないけどね」

 少年は一郎太にだけ微笑んだ。

 チェーザレとロランはくんくんと自分の服の匂いを嗅いでみた。分かった?と尋ね合い、分からないねと首を振った。

 

「私のことをどう言っても構わないですが、その言い分はあまりにも無礼です。お二人、謝ってください」

「たった二十四歳で見上げた口の利き方だね。一年生にも入れないような歳だよ」

「私の通う学校は四十五才の森妖精(エルフ)も、十五歳の大山椒人も、四才の鼬鼠人も平等性を保っています。人と関わる時、生きてきた時間ではなく、精神を見つめなくてはいけませんよ」

「偉くなったものだね。私に説教をするか。イヴォニンに言いつけるぞ」

「あなたはまだ狭い世界しかご存知ない。今が広い世界を知る時です。私の友人達に謝って下さい」

「何も知らない赤ん坊のくせに。君は目障りだね。上位森妖精(ハイエルフ)の真似事をして何様のつもりなんだい。奴隷の子が」

 話を聞いていたナインズはその言葉を聞くと、年上の小さな少年の前に膝をついた。

「何でそんな言い方するの。エルの言うことは間違ってない」

 髪の隙間から尖った耳が見える。少年はちらりとそれを確認した。

「おやおや、奴隷の子がここにも一人いたのかい。奴隷の子達が奴隷を連れて仲良く魔法学校に参上とは。アラ様の魔法学校を何だと思ってるんだい?」

「僕は奴隷の子じゃないし、エルも奴隷の子じゃない。君みたいな子がいるから、エルは学校に来るのが辛かったんだ。弱い者いじめがそんなに楽しいの」

「弱い者だと分かっているなら、強者に逆らわない事だね。これは君にも言える事だよ」

「言っておくけど、僕は君よりは強いよ」

「どう見ても君は私より弱い。魔力も感じない、力も感じない。よく強いなんて言えたものだね。もし本当にそうなら、何か見せてご覧よ」

「僕は君みたいな子供に力を奮うのは嫌だ。本当なら大切に守ってやりたいくらいに思ってる」

「ふ、ふふ。はは。面白いね。じゃあ、見せてよ。これからやるのは<魔法の矢(マジック・アロー)>の授業だよ。君の光球が私のものより大きければ、謝罪を考えてあげても構わないよ」

 ナインズは先生が立てて行く丸太を見ると、自分の腕輪に視線を落とした。

 第一位階の<魔法の矢(マジック・アロー)>はアインズやシャルティアに教えてもらったが、使えた事はない。ナザリックに存在する一番弱い魔法だ。

 授業の準備を始めた先生が生徒達を呼ぶ。皆がぞろぞろと歩き始めると、エルがナインズの顔を覗き込んだ。

「……キュータ?」

「僕怒ったぞ。<魔法の矢(マジック・アロー)>使えるようになる」

「キュー様、あんなやつギャフンと言わせてください!」

 一郎太が腕を回していると、先生が七人のことも手招いた。

 

「では!先程の座学で学んだ事を生かして<魔法の矢(マジック・アロー)>を使って見ましょう!」

 バイスのようにまず先生が見せてくれることはなく、代わりに上級生達がそれを使って見せてくれた。皆二個や三個の光球を出していて、中々の威力だった。

 そばに着いてくれている上級生と一緒にあちらこちらで魔法を唱える声が響く。

 アリマトも<魔法の矢(マジック・アロー)>を簡単に使うと嬉しそうにナインズに振り返った。

「ご覧になってましたか!」

「見てたよ。すごいねぇ」

 ナインズは本当に感心した。拍手をすると、アリマトの鼻はぐんと伸びたようだった。

 殆どの子が<魔法の矢(マジック・アロー)>を使えるが、四人に一人くらいは使えずに上級生達に細かい事を習った。

 そのまま授業は進み、先程の少年が丸太に向かって大きな光球を一つ飛ばした。

「っよし!君、見ていたかい。あれより大きなものを出すんだよ。できるかな」

 一郎太は「できるに決まってんだろー!」と大声で返すが、確率は五分五分だ。

 ナインズは小学校の短杖(ワンド)を取り出して丸太の前に立った。

「――おぉ!見させてくださるのですね!本当の魔法を!!」

 担任が感激したような声を上げ、手を叩いた。

「皆!この方の魔法を見させていただきましょう!貴重な体験です!!」

 イヴォニン達も駆け寄ってきて、上級生も腕を組んでナインズを眺めた。

「あの人間達って何なの?」と十五年生たちが尋ね合い、二年生が「神都から見学に来たそうです」と答えた。

 皆手を止めてわざわざ見にくる。ナインズはこれで魔法を使えないとかなり辛いと心底思った。

 担任には神の子点数にマイナスを付けられるかもしれない。

 なんでこんなに人が集まるんだと汗が出そうだった。

(……お父さまはぶぁッと来てダダダダダンって言ってたんだから、ぶぁッと来てダダダダダン。もしくは、グッと来てシュンッ……。これを使うんだってよく意識して……!)

 ナインズは腕輪を取りたかったが、ここで何かがあると取り返しがつかないのでグッと堪えた。ルーンを使えば簡単だろうが、ルーンを使うと"殿下"と呼ばれる存在だとバレるかもしれないので控える。

 

 短杖(ワンド)を振り上げ、グッと息を飲む。

「<魔法の矢(マジック・アロー)>!」

 詠唱した瞬間に腕輪がカッと光を漏らし、針より細い、髪の毛のような物がピュッと飛んだ。

 丸太にチンっと軽やかに刺さって光が消える。

「で、出た……」

 ナインズが感激したように声を漏らす。

 ――次の瞬間、ドッと笑い声が溢れ、担任が瞬く。イヴォニンとアリマトも不審がるような目でナインズを見ていた。

 ナインズは無理かもしれないと思っていたので、細くても出たことに喜びを感じた。

「やーい!奴隷の子!どーれいの子ー!」

 少年や、その周りの子供達も野次ると、エルが「その方は違う!!」と怒りに任せて声を上げた。

「エル、ごめん。僕は別にそう呼ばれることはなんとも思わないから気にしないで」

「……ごめん。キュータ」

 エルが辛そうな顔をすると、さっきの少年がナインズを指さした。

「弱者が強者に楯突かないことだね!奴隷の子、分かったら僕に謝――」

「<魔法の矢(マジック・アロー)>!」

 ナインズの後ろから聞き覚えのある声が響くと同時にナインズを避けて六個の光球が丸太へ飛んで行った。光球のあたった丸太はまるでリコーダーのように縦に連続して穴が空いた。

「――これで、奴隷なんていう言葉を使うことはやめるだろうね。私はこの森で一番の強者なんだから」

「っえ?その声……」

 ナインズが振り返ると、優しげに微笑むアルバイヘームがいた。それから、近衛隊隊長のジークワット。

 子供達は驚愕の瞳でその二人を見ていた。尻餅を付いている子もいる。

「タリアト君……?」

 アルバイヘームは杖一つ使わず、丸太を指差していた手を下ろした。

「我が君、最古の森にいらしているなら城に寄ってくだされば良かったのに。校長から私の魔法学校の視察にいらしたと伝言(メッセージ)を受けて参りましたよ」

 アルバイヘームがいつものように膝をついて腕を広げる。

「タリアト君!」

 ナインズは駆け寄り、森を大切にするお兄さんの胸に飛び込んだ。抱きしめくれたアルバイヘームからはいつものようにヘリオトロープの香りがした。

「子供達が無礼な事を言い、申し訳ありませんでした」

「僕は気にしてないよ。でも、来てくれてありがとう。ねぇ、タリアト君は強いよね?」

「強いつもりでおります。なので、子供達のことは私が――」

「ううん。そうじゃないの。タリアト君、これ、持っててくれる……?」

 ナインズはアルバイヘームから離れると、腕輪を見せた。

「構いませんが……これは?」

「僕の力を抑える封印の腕輪……」

 不審がるように片眉を上げたが、アルバイヘームは頷いた。

「分かりました。お預かりします」

「落としたり盗まれたりしちゃわないように、腕につけておいてね」

 ナインズは腕輪を抜くと、アルバイヘームの腕にそれを通した。

 

「こ、こ……これは……」

 

「これなら……僕でも解決できるかも。僕も僕の友達を守ってあげないと……」

 ナインズはアルバイヘームから離れると、床に座る子供達の間を抜けてもう一度丸太と向かい合った。

 しん、と静まる場所でナインズはもう一度短杖(ワンド)を思い切り振った。

「<魔法の矢(マジック・アロー)>!!」

 ポッとスイカくらいはある光が生まれ、丸太に飛んで行った。アルバイヘームのように丸太に穴は空かなかったが、光の大きさは十分だった。

「キュー様ー!」

 一郎太が駆け寄り、ジャンプしてナインズに張り付く。コアラのようにくっついてもしゃもしゃの顔で仮面に頬擦りした。その重みに一瞬よろけたが、ナインズはちゃんと踏ん張った。

「っわぁ!はは!一太!今のは大きかったよね!」

「でっかかったです!ガキンチョの光球よりずっとずっとでっかかったですよ!」

「はは!良かったぁ!」

 アルバイヘームは喜ぶ二人の下へ行くと、尋常ならざる力を感じる腕輪を自分の腕から抜き取り、差し出した。力を無理矢理抑え込まれる感覚に気持ちが悪くなりそうだった。

「さぁ、こちらを」

 差し出された腕輪を腕に通し直し、ナインズは頭を下げた。

「タリアト君、ありがとうございました」

「いえいえ。さすがでした」

「へへ。えーっと、あの子は何ていう名前だったんだろう」

 キョロキョロとナインズが見渡し、尻餅をついている子供を見つけると、その前にしゃがんだ。

「君、奴隷の子なんて二度と言っちゃダメだよ。僕の魔法の方が多分強かったんだから、約束して。それから、エルにも謝って」

 少年は何度も頷いた。

「ま、まま、も、申し訳ありません……でした……」

 ナインズは自分がナインズの名前を使わなくてもエルミナスに謝って貰えたことに深い満足感を覚えた。

 自分の力で初めて何かを解決できたような気がする。

 一郎太を巡るいざこざは解決してあげられず、腕輪を取られた時もツアーに助けられ、カインと仲直りしたのも結局アインズが手を貸してくれてできた事だ。

 イオリエルの母は生き返らせることができなかったし、最後は番外席次が解決してくれた。

 昨日エルの父と取り交わした約束はすぐに効力を発揮するものでもないので、きちんと直接解決できたのは今回が初めてだ。

 アルバイヘームに腕輪は預かって貰っていたが、やっと自分の力で何かを守れた気がした。

 

(ふふ、バレてないバレてない!)

 

 ルーンも使わなかったのでわかった子はいないはず。

 ナインズは鼻歌を歌いたい気持ちを抑えた。

「エル、許してあげる?」

「君って人は本当に……。私は気にしていないよ。君が侮辱されなければ、何でも良いからね」

「一太みたいな事言わないで。僕の事は関係なしに許してあげられる?もちろん、許せなかったら許せないんでも良いんだよ――って、ツアーさんが言ってた」

「はは、許せるよ。気にしてなかったから大丈夫。キュータ、いつも本当にありがとう」

 仮面の下でナインズは嬉しそうに笑った。

 

 そうしていると、鐘の音が頭上の校舎から響いてくる。

「――我が君、最古の森にはいつまで?」

 アルバイヘームはナインズが身分を伏せて学校に通っていることを知っているし、今日顔を隠していることからもそれを察している。なので、一応殿下と呼ぶことは控えた。

「あ、タリアト君。明日の夕方までいるつもりだよ!」

「では、明日は城にいらっしゃいますか?」

「エル、タリアト君――じゃなくてアラ様のお城行く?お父様が働いてるの見られるかもよ」

「い、いえ……そんな……。閣下はキュータを誘ってらっしゃるんであって、私みたいな者は……」

「エル君――と言うのかな。私はその方の友人まで含めて誘っているつもりだよ。君も当然含まれる」

「あの……あちらの皆は純血の人間やミノタウロスですが……私は純血の上位森妖精(ハイエルフ)でも純血の人間でもなくて……」

 エルが珍しく子供のようにもじもじすると、アルバイヘームは嘆かわしげに目を細めた。

「……私は最古の森が深雨の竜王を失って以来、五百年間君臨してきた。ずっと人間との諍いはあったが……そんな事を言わせてしまう森のままにしていた私を許して欲しい。エル君、どうか私と森にもう少し時間を与えてくれないかな」

「い、いや。そんな。私は十分、閣下には感謝しております!私は閣下のおかげで幸せになれたんですから……」

「ありがとう。だけど、私の女神のカケラはそうは思っていないからね。たくさん努力するよ」

「恐れいります……」

「では、明日は私の城に来てくれるかな。そちらのご友人方も」

 アルバイヘームが言うと、相変わらず身分に弱いカインが慌てて膝を付き、一郎太以外がそれに続く。

「も、もちろんです!」「こ、こ、光栄です!」

「キュー様が行きたいなら良いですよ!」

「良かった」アルバイヘームはにこりと笑い、ナインズに向き直った。「では、明日は神都にお戻りになる前に是非いらして下さい。――あぁ。それから、この後は魔法学校の中をご案内しましょうか?」

「ううん。僕たちこの後は釣りに行くんだぁ。だから、タリアト君。また明日ね」

「そうでしたか。ふふ、私も釣りに参加したいなぁ」

 アルバイヘームが楽しげに笑うと、隣でジークワットが咳払いをした。

「ンン!アラ様。途中にしてきた御公務がまだあります。そちらのお方のご案内がないなら早急にお戻りください」

「昼食の前くらい自由に過ごしてもいいだろう」

「どうせ昼食の後も自由に過ごされるんですから、昼食の前くらいは真面目にお願いします」

「やれやれ。うるさい男だ。――仕方がないので、私はこれにてお先に失礼いたします」

「うん!さよなら!」

「はい。――教諭、この方はお帰りになるそうだ。丁重にお見送りしてくれるね」

 モリアンダーは流れ落ちるほどに汗をかいた顔で何度も頷いた。

「ジークワット、掴まれ」

「は。失礼いたします」

 ジークワットがソッと肩に手を置くと、タリアトは人差し指を額に当てた。

「城、城……執務室から遠い所に出ようかな……。よし。――<多数・転移(マルチプル・テレポーテーション)>」

 詠唱と共に二人の姿はかき消えた。

 

+

 

 皆が帰り、学食で食事を取るイヴォニンとアリマトの周りにはたくさんの生徒が群がっていた。

「す、すごいんだね。イヴォニンの弟」

「まぁね。殿下にご寵愛をいただけるなんてそうないことだよ。それに、あれは明日はアラ様のお城に行くんだからね」

 イヴォニンもアリマトも大変鼻高々だった。

「弟さん、名前なんて言ったっけ?」

「エルミナスよ。うちの誇りね」

「今夜、僕たちはまた殿下と、殿下のお付きのミノタウロスさんと会食なんだ。君達を誘ってあげられなくて残念だよ」

 子供達は「おぉ……」と羨ましいような、感心したような声を上げた。

 

 その晩の食事、エルはいつもと違う兄姉にとても苦笑したらしい。

 まるで虎の威を借る狐の気分だったが――肝心の虎が誰よりも嬉しそうだったので、この奇妙な感じに慣れようと決めたとか。




9「僕バレてなかったぁ♪」
1(……バレてなかったのか?)
一郎太とナイ君仲良しすぎるねぇ

そう言えば昨日、ブックマークボタン押してくださった方々ありがとうございます!えへえへ

次回Lesson#16 裁きと遺された者
おいおーい!明日もありまっせぇ!


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Lesson#16 裁きと遺された者

「じゃあ、お世話になりました」

 ナインズが頭を下げると、エルミナス以外の友人達が頭を下げる。

 仕事に行ってしまったエルの父親以外の、屋敷にいる全ての人が見送りに出てきてくれていた。

「ナ――キュータ様、エルミナスをまたよろしくお願いいたします」

 エルの母は地面に膝と頭を付けて深くお辞儀した。

「僕の方こそ。エル、またよろしくね」

「ありがとう。よろしくね」

 二人が握手を交わすと、エルの母は感激したように笑った。その目からは今にも涙が溢れてしまいそうなほどだ。

「じゃあ、母上。私は夕方には帰ってきます」

「分かったわ。気をつけてお見送りしてきてね」

 まだ時刻は昼過ぎ。

 これから城に行って、そのままナインズ達は神都に帰るので荷物を全てまとめている。

 エルはこのまま夏休みの終わりまで最古の森で過ごすので、城の見学を終えたら実家に帰ってくる。

「殿下、また絶対いらして下さいね!!」

 アリマトからの熱い視線に、ナインズは頷いた。

「うん、ありがとう。エルの事お願いします」

「もちろんです!」

 イヴォニンももちろんだと声を上げる。

「殿下もご友人方も、お気を付けて。またお会いできる日を楽しみにしています」

 キルエルと握手を交わし、ラウドミアも全員と握手した。

「一郎太君、次は君の弟も連れて来てよ。私は君達から学ばなければいけない事がありそうだから」

「へへ、二の丸も喜ぶよ。ラウドミアも元気でな!弟大事にしろよ!」

「うん……本当だね。本当の意味で、大切にできるようになる為に頑張るよ」

「お前ならできるよ!じゃあな!」

 一郎太とラウドミアの手が離れると、ナインズは鞄を持った。

「皆さんさようなら。また冬に遊びに来させて下さい!」

「お待ちしております。いつでも是非」

 皆、さよーならーと手を触り合ってエルミナスの屋敷を後にした。

 来た時と同じように乗合馬車(バス)に乗って、一昨日花を摘んで歩いた道を行き、昨日皆で釣りをした川を渡り、来た時よりも馴染み深くなった森を眺めた。

 乗合馬車(バス)の先頭には、相変わらず一郎太とチェーザレが張り付いて外を眺めた。

 帰りはナインズはロランと二人で座った。

「ロラン、自由研究完成した?」

「ほとんど完成したよ!昨日の夜遅くまでやったしね。後はお城のことを書いたら出来上がりなんだぁ」

「すごいね!僕は帰ったらメモをお花を貼ったノートに書き写さなくっちゃなぁ」

 採れた場所や匂い、エルの教えてくれた追加情報は全部メモ帳に書いてある。ナインズの最古の森の花図鑑はまだもう少し完成しそうにない。

「時間足りなかったもんねぇ。次はもっと長くいられると良いよね。あ、でもキュータ君はあんまり長くいられないかな?」

「ううん。平気だと思う!次は一週間とかいたいなぁ」

「良いねぇ!それだけ長くいたら、僕は最古の森から家に手紙出そうかなぁ」

「あ、いいなぁ。僕も手紙出したいけど……ナザリックってどこにあるんだろう?」

 なんと息子は自宅の場所を知らなかった。

 アルメリアと地表部から外に出て花を摘んだり、兎を追いかけたりして遊んだ事もあるが、少なくとも郵便屋さんや骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が配達に来るような雰囲気や、街の中という様子ではなかった。

「お空にあるんじゃないの?」

「ううん。地面の中にあると思う。第三階層までは廊下みたいになってて、第四階層は地底湖だから」

「わぁ!!神の地の話って初めて聞く!!それでそれで!!」

「んーと、第五階層は雪の降る世界で、第六階層は森とか原っぱとかがある世界で――」

「オレが住んでんだぜ!」

 先頭で窓に張り付いていた一郎太はいつの間にかエルが一人で座っていたナインズの前の席に膝をついて、背もたれから見下ろしていた。

「そうそう!第六階層、良かったら今度皆遊びに来てね。第六階層までなら多分遊びに来られると思うから!」

 話を聞いていた皆が身を乗り出してナインズを覗き込んだ。

「か、か、か、神の地に俺らのこと入れてくれんの!!」

「も、も、ももももしかして!!もしかして!!陛下方もいるんですか!?」

 リュカもカインもあまりの興奮に唾が飛びそうだった。

「うん!お父さまとお母さまに聞いてみるね!」

 うおおぉー!!と声変わりしていない雄叫びが馬車に響き渡る。

 だが、一郎太がそれに水をさした。

「でも、アリー様が外の奴ら入れるなって言うんじゃないですか?」

「……それは言うかも」

「えぇ!?じ、じゃあ……やっぱりダメ?」

 リュカは握っていた拳を下ろした。

「リアちゃんは気まぐれだから、ご機嫌な日なら良いかも!朝にリアちゃんの機嫌が良い日に誘うね」

 何日と約束できないのが大変もどかしいが、皆憧れのナザリックに踏み入れられる可能性に瞳を輝かせた。

「うわぁ!楽しみだなぁ!殿下のご機嫌がいい日がありますように!!」

 ロランが嬉しそうに足をプラプラさせると、エルは残念そうに笑った。

「私はここにいるから、難しいそうだなぁ……。良いなぁ、皆」

「あ、そっか。夏休み明けにする?それか、最古の森にお母さまに転移門(ゲート)開いてもらう?どっちでも良いよ」

 ナインズがあっけらかんと言い放つと、エルは身を乗り出した。

「無理!!それは流石に無理だよ!!キュータ!!君にとってはお母様かも知れないけど、私にとっては神なんだよ!!」

「で、でもお母さまはよくクラリスやサラトニクを迎えに行ってくれるし――」

「クラリス様は州知事の子でしょ!!サラトニクさんはどなた!?」

「サラは――」

 ナインズが説明しようとすると、カインが人差し指を立てた。

「サラトニク。サラトニク・ルーン・ファールーラー・エル=ニクス。エル=ニクス様の御子息だね。ファーロード――帝王の称号をまだ持たないお方」

「その子も州知事の子じゃないか!!キュータ!!私は単なる子供で、王族上がりとは訳が違うんだよ!!」

「え、エル。身分なんてないって――」

「そう言う問題じゃないよ!!身分制度がなくても生まれってものはあるの!!」

「そんなカインのお母さまみたいな。はは」

「ハハ、じゃない!!皆平等は平等だけど、特別な人はいるの!!」

「えぇ?矛盾してるよぉ」

「矛盾してない!!」

 エルは珍しくぷんぷんと鼻を鳴らし、一郎太は愉快そうに笑い声を上げた。

「ハハハハ!面白ぇー!エル、お前本当面白いなー!」

「面白くない!!」

「これじゃ、夏休み開けじゃなきゃだめそーだな!」

 子供達は笑ったが――同じ馬車に乗り合わせた上位森妖精(ハイエルフ)達は魔法をかけられたようにカチンコチンになっていた。

 

 目的地に辿り着くと、エル以外は重たい鞄を引き摺るようにして乗合馬車(バス)を降りた。

 神殿は城とほぼ隣り合っている。

 七人は城へまっすぐ向かった。

 城へ続く巨大な階段を登って行くと、番をしている上位森妖精(ハイエルフ)が四名降りて来た。

「――失礼ながら、御尊名を伺っても宜しいでしょうか」

 アルバイヘームからナインズが今日来ることをきちんと聞かされている故の低い物腰だった。

 ナインズは仮面を外し、「ナインズ・ウール・ゴウンです。タリアト君に会いに来ました」と告げた。

「殿下、いらっしゃいませ。お荷物をお運びいたします」

「ううん。僕は平気です。そんなに重たくないから」

「い、いえ。そう言うわけにもいきませんので、どうか私達に運ばせてはいただけないでしょうか?」

 食い下がってくると、ナインズは「仕事を任せてやる事も時には必要」と言うアインズの言葉を思い出し、鞄を差し出した。

「……じゃあ、お願いします。でも、重たかったら僕が代わります」

「ありがとうございます!」

 番の上位森妖精(ハイエルフ)達が全員の荷物を持ち、一行は城の中へ案内された。

 城の中には人を上の階へ乗せて行く籠があるので、それで楽に上がって行く。

 多くの上位森妖精(ハイエルフ)達は<飛行(フライ)>で上下しているが、たまに見かける茸生物(マイコニド)馬人(ケンタウロス)などはこれに乗っていた。

 

 いつもフラミーと来る時に出る部屋に案内されると、番達は荷物を置いて一度下がって行った。

「エルのお父さま、見なかったね?どこで働いてるんだろ?」

 ナインズが手近なソファに座って言うと、一郎太はその隣に座った。そして、ナインズが外したまま手に持っていた嫉妬マスクを預かり、ズボンのお尻部分に挟み入れた。

「アラ様に聞いたら分かるんじゃないですか?」

「そうだね。後で挨拶に行こうね」

 同意を求めるように友人達を見ると、五人は借りて来た猫のように大人しくしていた。

「……皆どしたの?座らないの?」

「あ、アラ様のお城で勝手に座れないよ」と、エル。

「森の王様のお城でリラックスなんてできないよー!」

 ロランが声を上げ、ナインズは一郎太と目を見合わせた。

「大丈夫だよ。タリアト君は怖い人じゃないし」

「……キュータ、俺見た目大丈夫?」

 リュカは両親に一番良い服を二つ持たされたし、初日に着てきたのも一番良い服だった。理由は殿下に情けない格好を見せないようにというものなので、おかしな格好なわけがない。

「平気だよ?そういえば制服じゃないリュカのこと今回初めて見たなぁ。そう言う格好も似合うね」

「ありがと――ってそうじゃない!」

 わちゃわちゃとあれこれ言っていると、ノックが響いた。

「はーい、どうぞー」

 入って来たのはアルバイヘームだった。

「殿下!」

「タリアト君!」

 二人は取り敢えず友情の抱擁を交わした。

「ご昼食は取られましたか?」

「うん!エルのお家で食べた!」

「それは良かった!では、早速ご案内しましょう!」

「はーい!僕、この部屋といつものバルコニーのある広間みたいなところ以外に行くの初めて!――皆、行こ!」

 ナインズに手招かれ、皆直々に案内してもらえるのかと思いながら部屋を出た。

 

「タリアト君、ここにシャルパンティエさんっている?エルのお父さまなんだけど」

「はて、どうでしょう。随分人数がいるので、私も全員は把握していません。少し調べさせましょうか」

「うん!エルにお父さまの働いてるところ見せてあげたい!」

「かしこまりました。――<伝言(メッセージ)>」

 アルバイヘームはよく見慣れたポーズでどこかと連絡を取り合った。

「調べるように言いました。すぐに返事が来るでしょう」

「タリアト君、ありがとうございます!」

「いえいえ。これしき」

 二人で先頭を歩いていると、一郎太がアルバイヘームを見上げた。

「タリアトさんって、女?男?」

「ん?ふふ、私は男だよ」

「じゃあ、偉いからお嫁さんいるんですか?」

「……いないね。残念ながら」

「へー!カイン、偉くてもお嫁さんいない人もいるみたいだぜ」

 アルバイヘームは苦笑いしていた。

「一郎太君、なんで突然お嫁さんなんだい?」

「昨日、ナイ様がクラスの誰をお嫁さんにするかって話になって、ナイ様はお嫁さんいらないって言うから!でも、カインは身分のある人は結婚しなきゃいけないって言ってたんです」

「それは一理あるね。私もいつか素敵なお嫁さんを貰って、立派な子供を持ちたいと思っているよ」

「へー!じゃあ、カインが言ってたことは本当なんですね!」

 カインはえへんと胸を張り、腰に手を当てた。

 その隣で、リュカが疑問を口にする。

「じゃあアラ様は好きな人ができるの待ってるんですか?」

「そうとも言えるけど、違うとも言えるね。私は好きな人はもういるからね」

 それを聞いて一番に反応したのはエルだ。

「で、ではアラ様はそろそろご結婚なさるのですか?」

「そうだったら良かったけど、その人には別に好きな人がいたんだよね」

「あ、し、失礼致しました」

「良いよ。恋というものはああ言うものかと知るまで、妻を娶る事はこの最古の森を守るための手段でしかないと思っていたけど……今は手段としての結婚はあまり考えられないね。まだ失恋中と言ったところかな」

「よほど素敵なお方だったのですね……」

「最古の森全土が恋に落ちるほどの人だったよ」

「でも、いつかは御子をお持ちになろうとお思いなんですよね?」

「そうだね。それが百年後になってしまうか二百年後になってしまうかは解らないけれど、そう思っているよ。彼女より素敵で力もあって、美しい人なんて二度と会えないと言うのが皮肉だね」

 

 ナインズは分かったような顔をして頷いた。

「恋って、辛いものなんだねぇ」

「ふふ、そうだね。でも、殿下といると紛れますよ」

「本当?嬉しいなぁ!」

 その瞳に映るだけでアルバイヘームは幸福だった。

 ナインズの向こうにフラミーを見ていると、線が繋がってくる感覚に人差し指でこめかみに触れた。

「――そうか。わかった」

 手短に伝言(メッセージ)を切ると、アルバイヘームは皆に手を伸ばした。

「シャルパンティエの働く場所が分かったよ。行こう」

 円陣でも組むようにナインズが手を重ね、その上に一郎太も手を重ねる。

「皆、手当ててね」

 ナインズに触れる事も、アルバイヘームに触れる事も憚られ、皆一郎太に触れた。

「――<多数・転移(マルチプル・テレポーテーション)>」

 

 視界が切り替わると同時に子供達は生まれて初めての転移に歓声を上げた。

 ――辿り着いた場所の大人達は目を丸くしていた。

「やぁ、シャルパンティエはいるかな」

「こ、これは――アラ様!殿下とエルミナスも!!」

 エルの父が転ぶように机から立ち上がり、駆けてくる。

「エル君が君の働いているところを見たいそうだから連れて来たよ」

「あ、あ、ありがとうございます」

「君は偉いね。率先して人間との関係を良いものにしようとしているのがよくわかる。そうでなければ、エル君は殿下を連れて家には帰って来たりしないだろう。エル君が確かに君に恩義を感じ、虐げられていないと思えばこそできる行動だ」

「い、いえ……殿下には足りぬとお叱りを受けたばかりで……」

「ふふ、それは私もそうさ。皆で協力して何とかして行くしかない。さて、働きに戻って構わないよ」

「お、恐れ入ります。わざわざ愚息の願いをお聞き届けいただきありがとうございました。殿下も、また会う日までお元気で」

「はい!また冬に遊びに行かせてください!」

「いつでも歓迎いたします」

 さて、次に行こう――と皆が踵を返そうとすると、ナインズはエルの肩を叩いた。

「エルはもう少しここにいたら?お父さまのお仕事、もう見られないかもしれないよ?」

「あ、殿下……。ですが、私はそう父の事は知らないので……」

 大して知らないのであまり興味もない。母は父とエルミナスの関係が終わってしまわないように父の下で働いてくれているし――冷たい言い方だが生きるために必要な人だとは思っている。

 エルミナスも、いつかは母との別れが来ると理解している。その時の後ろ盾を失ってはいけないのだと、イオリエルが両親を亡くした話を聞いた時に強く思った。

 だが、どれだけ父から優しくされたとしても、エルミナスの中には「奇妙だ」と言う感想ばかりが生まれてしまっている。

「――エル、知らないなら知らなきゃいけないよ」

 ナインズがまっすぐ見つめると、エルは少し目を泳がせた。

「……で、でも……私が父のことを知っても……」

「お父さまのことをエルがよく知らないなら、お父さまだってエルのことをよく知らないんだと思う。でも、知らないことって怖いことじゃないんだよ。僕のお母さまはね、この世のことが全部解っちゃったら、つまんないよってよく言ってる。知らないことは楽しいことなんだよ。たくさん誰かのことを知れるのは幸せなことでしょ?」

 エルミナスはなんと答えるべきか分からなかった。

 その時、アルバイヘームがエルミナスの頭を撫でた。

「何かを知る時は、気に入りの本のページをめくるみたいにワクワクするものさ」

「アラ様……」

「あ、これは受け売りだよ。ねぇ、殿下」

「はは!そうだね!」

 フラミーを知る二人が笑い合うと、エルミナスはこの夏の自由研究の題材を決めた。

「では……私はここで、少し父のことを見させていただきます。父のことを知ってみようと思います。皆は好きな場所を見に行ってください」

 アルバイヘームは頷き、全員に通達する。

「――君達、シャルパンティエの息子がここでしばらく見学する。よろしく頼む」

 了承の意を示す声が返る。

 ナインズ達はその部屋を後にした。

 

 城のあちらこちらを見ながら、ロランは自由研究の為に一生懸命城のことを書き連ね、リュカはアルバイヘームが使える魔法の多さにひっくり返り、カインは間近で見る王だった存在に目を輝かせ、チェーザレは口を開けて城の中を見渡しては「この棟だけでもカイン様のお屋敷より大きい」と言って小突かれた。

 

 貴重な時間を過ごし、子供が見て面白いような場所を粗方回ると、アルバイヘームは子供達に振り返った。

 

「皆、最後に皆に見せたい場所があるんだけど、良いかな。面白くないかもしれないけど」

 

 子供達は勿論だと声を揃え、皆でエルを迎えに行った。

 エルの父が働く場所に戻ると、エルは父や父の同僚に囲まれて――どこか緊張したような雰囲気もありながら――幸せそうに笑っていた。

 その時間を崩すのは気が引け、エルの事は誘わずに一行はアルバイヘームが最後に見せたいと言った場所へ向かった。

 

 辿り着いた場所は、城の隣に建つ塔だった。塔の中心には一本の巨木があり、塔を支える柱として機能している。

 ロランは自由研究のためにそれもせっせと描いた。

 上へ上へと登り、皆が肩で息をするほどに上まで登ると、ようやく頂上にたどり着いた。

 頂上はワンフロアで、たくさんの花が置かれていて美しい場所だった。

 それに――「わぁー!綺麗な景色!」

 ナインズは駆け出し、最古の森を見下ろした。皆もそれに続く。

「すごく良いところだね!」

「そうでしょう。こちらには、最古の森の英雄が眠っているんです」

「英雄?」

 こてりと首を傾げる。

 子供達は皆英雄譚が大好きだ。どんな話を聞けるのかと、ワクワクしながら待った。

 ちなみに、ナインズはモモンと言う英雄の話が大好き。ナザリックのメイドが一番聞かせてくれる英雄譚だったし、会った事はないがモモンはナザリックにいるらしい。

「――英雄です。この最古の森を命を賭けて守った男がいました。シャグラ・べへリスカと言う名で、私は毎日必ず日が昇る前にここに来ます。そして共に美しき最古の森の夜明けをみるんです」

「へぇー!すごい人だったんだね!」

「自らの命を惜しみもせず、知らぬうちに犯した罪を――いや、犯させられた罪を被って死にました」

 その話は子供達の聞きたい英雄譚とは違った。

 リュカがそれをストレートに口にする。

「悪もんやっつけれなかったんですか?英雄なのに」

「あぁ、そうだね。悪者は神が裁いてくれたからね」

「さっすが陛下方ー!」

「だけど、悪者を遥かに凌ぐ脅威から彼はこの森を守ってくれた……。皆、どうかこの名を忘れないでほしい」

 アルバイヘームは隅に置かれる墓石の前にしゃがむと、<清潔(クリーン)>を掛けた。

 

「――アラ様?」

 

 ふと、後ろから聞こえた子供の声に皆がそちらを見る。

 

「――ジェンナ。来ていたんだね……」

「アラ様も……このようなお時間に。そちらは?」

「……ナインズ・ウール・ゴウン殿下と、そのご学友だよ」

「で、殿下……」

 ジェンナと呼ばれた少年はナインズよりもいくつも年上のようだった。

 ただ、大人や青年と呼ぶには幼なすぎる。

 その胸にはいっぱいの花が抱き抱えられていた。

「ジェンナさん、はじめまして」

「……はじめまして。父の墓に来て下さったのですね」

「父の――じゃあ、君は英雄のシャグラ・べヘリスカの息子?」

 ジェンナは静かに頷いた。

「私達をお許しいただいた事、深く感謝しております……。まさか、こうして裁かれた父の墓に殿下がいらして下さるなんて……夢のようです……」

 ナインズの脳裏に電撃が走った。

 裁かれた悪者。悪者を遥かに凌ぐ脅威。裁かれた英雄。

 ここに眠る者が誰なのかナインズはハッキリと理解した。

 ナザリックに居れば、望まずとも耳に入る数々の情報が噛み合って行く。

 ――シャグラ・べヘリスカは人間に騙され、聖ローブル州で罪のない多くの人々を手に掛け、最後は全てを償うためにアインズによって命を奪われた人。

 ナインズはジェンナへ駆け、その体をぶつかるように抱き締めた。

「ご、ごめん……本当にごめん……。ごめんなさい……ごめんなさい……」

「殿下……そんな、何故殿下がお謝りになるのですか……」

「君のお父さまが……僕のお父さまのせいで……僕、僕は……僕は……」

「父一人の命で全てを許していただいたのです。父は陛下方に手を挙げ、神聖魔導国の街を破壊しました……。だと言うのに……父の死に顔はとても安らかで……慈悲深き処遇には心から感謝しております……」

「……そんな……そんな…………」

 抱きつき、震えるナインズにジェンナは笑った。ジェンナの方が大きい。例えるなら、十二歳と六歳だ。

 ジェンナはナインズの背を優しく撫でた。

「殿下がお優しい方で良かったです。ありがとうございます。父もきっと喜びます」

 父を殺した男の息子。

 それが何も知らずに父の墓に来ているなんて、ナインズだったら耐えられない。

 ナインズは生まれて初めて父のやることに疑問を抱くと同時に、恐ろしさを感じた。

「どうか、どうか僕を許してください……。僕は……君になんて謝れば良いか……。本当にごめんなさい……」

「とんでもありません。先ほど申し上げたように、感謝申し上げております。そして、今日こうしてお会いできた事にも感謝しております。私のような者と口をきいて頂けるなんて……身に余る光栄でした」

 そんなはずがない。

 ナインズはジェンナから離れ、涙の溜まる瞳で見上げた。

「ジェンナさん……僕……」

「はは、泣かないで下さい。父の事はアラ様がこの国で一番美しい場所に眠らせてくれました。良かったら、この花を一つ父に手向けてやって下さい」

 保存魔法が掛けられている様子の花は瑞々しく、今切られたばかりのようだった。

「……僕にはそんな資格は……」

「私がそうして頂きたいのです。どうか、わがままをお聞き届け下さい」

 ナインズは震えそうになる手で花を受け取った。

 一郎太や友人達も一輪づつ受け取る。

 花畑のようになっている塔の頂上で、ジェンナはそっと花束を父の墓の前に置いた。

「父上。今日、ナインズ・ウール・ゴウン殿下が見えました。殿下はお優しくて、私の痛みに涙して下さる方です。私は今の最古の森が好きです。アラ様も、雨を降らせて下さる光神陛下も、世界に秩序をもたらす神王陛下も、皆大好きです。方法は間違えてしまったかもしれませんが……父上の作った新しい時代は何物にも変え難い素晴らしいものです」

 一郎太が声を殺して泣く。一郎太が思い出したのは――自分の父が命を絶ったと言う、ミノスの母のことだ。ミノスは子供ではない。だが、一郎太もミノスと、ミノスの母の事を初めて聞いたとき、この世に食べる以外に必要な殺生なんてあるのかと暫く悩んだ。

 ――その答えは、未だ出ない。

 一郎太はナインズの背に、あの日の自分の苦悩を見たようだった。

「……シャグラ・ベヘリスカさん……。本当にすみませんでした……。僕はもっと早く来なきゃいけなかった……。知らなきゃいけなかった……。ごめんなさい……。どうか、安らかに……お休みください……」

 花を一輪墓石の前に置いたナインズはその場で跪いて泣いた。

 アルバイヘームは一つ涙を落とし、それと同時に、たまたまジェンナが来てしまうという残酷な運命に目を閉じた。

 ――もっと違う出会い方をしたかったですね。

 脳に焼きついたあの日のフラミーの声が聞こえるようだった。

 ナインズを避けるように、皆花を手向けると、アルバイヘームは一度感傷に蓋をした。

「……さぁ、殿下。そろそろお帰りになる時間です。エル君を迎えにいきましょう」

「……タリアト君、ジェンナさんを……どうか……」

「ジェンナは城に登用すると約束しています。必ず、シャグラ・ベヘリスカの子に幸せを与えると誓います」

「タリアト君……ありがとうございます……」

 立ち上がったナインズはアルバイヘームに両手を伸ばし、アルバイヘームはそれに応えるようにナインズを抱きしめた。

「ナインズ殿下……。私達は許されざる罪に手を染めました……。それをお許しくださる全てに感謝を……。いつか神王陛下と光神陛下の下に世界が統治される時……私達のような不幸な者は生まれなくなると、私は信じております……」

「それが成される前に……多くの人が泣かなきゃいけない世界なんて……」

「生きる者に痛みは付き物……。時に泣いたとしても、いつか笑える世界が来ると思えばこそ痛みにも耐えられます……。その世界に君臨するのは、きっとあなたです」

「僕、何もできないよぉ。ごめんなさい、ごめんなさぁい」

 ナインズの泣く声に、カインは酷く動揺した。

 何かを持つ者の責任と言うものの想像を絶する重さに、掛ける言葉を持たない。

 子供達は静かに先に塔を降りて行った。

 

 しばらくすると、照れ臭そうに笑うナインズが降りて来て、子供達は何も見なかったようにナインズを迎えた。

 その後、エルは皆を見送り、父と家に帰ったそうだ。

 

 ナインズはこの夏、ナザリック中が心配するほどに多くを学び、体を鍛えたらしい。

 

 この日感じた疑問と恐怖は、後に大人になったナインズとアインズの大喧嘩を引き起こすが、それはまだまだ先のお話。




うううーーーーん!!!
ろくちゃいにはハードだよ!!!
シャグラ君、もう生き返らせてやったってよ!!!
パンサー君も生き返らせてほしい!!!(まだ言ってる

次回はとりあえずかけてないですだよ!


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Lesson#17 登校拒否と知的交流会

 春。

 ようやく暖かな風が吹き始めた頃。

 入学したばかりのマァル・シマジ・アブトロメは一つの空席を今日もぼうっと眺めていた。

 担任のパースパリーが板書する音が響く。

 

(殿下は……今日もお休みかー)

 

 入学式から数日が経つが、噂の少女が登校して来ることはなかった。

 噂に聞く殿下の護衛を務めていると言う赤毛のミノタウロスと、ザイトルクワエ州の守護神の娘は毎日二人で登校して来ているのに。

 公務が忙しいのかもしれない。

 

 つまんないな、とマァルは息を吐いた。

 

 すると、隣に座る幼児塾の頃から友達のユリヤも同時に溜息を吐いた。

 二人は目を見合わせ、同じことを考えていた様子に苦笑する。

 きっと、元から神都に暮らしているマァルやユリヤよりも、他の都市から来ている子達の方が溜息を吐きたいに違いないが、そういう子達の生まれや育ちは高貴なことが大半なので残念げな姿は見せていない。

 彼らは殿下と同じ場所で学べる――同じクラスになるかは博打だが――と期待して皆親元を離れて暮らしているのに、親に送る手紙は多分毎日「今日も殿下はお忙しくていらっしゃいませんでした」だろう。

 特に、同じクラスになったみたいだと思えば思うほど、手が届きそうなので悔しさが増す。

 ただ「殿下に会いたいのに」というフラストレーションをうまく発散してくれている子がクラスには三人もいる。

 

 一人目はザイトルクワエ州の守護神セバス・チャンの愛娘のクリス・チャン。

 優しく、品性もあり、男女共にとても人気がある。

 ほとんどの子供達と同じ金髪碧眼は何となく彼女が身近な存在に感じるし、彼女自身の性格も親しみやすいものだ。

 

 二人目は二郎丸。ナインズ殿下の護衛だと言う一郎太とよく似ているし、彼がこのクラスに来るはずのアルメリア殿下の護衛だと言う事は疑いようがない。

 彼の男子からの人気はすごく、休み時間には組手をしていたりする。体育の時には毎回クリスと揃ってトップの成績だ。

 

 そして、最後。三人目は同じクラスにいるサラトニク・ルーン・ファールーラー・エル=ニクス。

 彼は驚愕する程に品のある少年で、多くの友人に常に囲まれていた。前者二名といつも一緒にいて、女子からしょっちゅう声をかけられている。

 マァルもユリヤも憧れずにはいられない男の子だ。多分、サラトニクで初恋を経験した女子がクラスには何人もいる。マァルも例に漏れず、そのうちの一人だ。初めてのレディ扱いにこの人といると自分が特別な存在になったと思えてならない。

 ちなみに、彼は寮住まいではなく、神都に大きな屋敷を一つ借りて執事のエンデカやメイド、何人ものコック、庭師のカーディオと暮らしている。

 よく実家を離れている子達を誘ってホームサロンを開いている。わかりやすく言えば、知的交流会だ。

 神都生まれだが、マァルもユリヤと一緒に何度か誘ってもらった。

 実家を離れている子達は貴族上がりが多いので、その時には皆素敵に着飾って来ていて驚いた。単なるお遊びの集まりだと思いきや、ホームパーティーと言う側面を持った集まりだったわけだ。

 初めて誘ってもらえた時には制服のまま行ってしまって恥ずかしかったくらい。

 マァルは特別良い家柄というわけでもなく、両親はただの靴屋だ。

 靴だけは誰よりも素敵なものを履いている自負があるが、あれには驚かされた。

 皆サロンが開かれるたびに違う服を着て来ているのがまたすごい。

 ただ、今日開かれると言うサロンの招待状には「制服でいらして下さい」と書かれていた。

 マァルとユリヤはこれならばと遊びに行くつもりでいる。

 

 殿下も忙しくて登校できない中、クラスの一番の関心ごとはサラトニクの知的交流サロンと言っても過言ではないかもしれない。

 

 マァルは担任のパースパリーが黒板を見やすいように翼をだらりと垂らしている様子に、殿下もああ言う翼があるのかなぁと想像の翼を広げた。

 殆ど情報のない、神秘に包まれた少女。

 あぁ、マァルにも話せる日が来るだろうか。

 

 そうしていると、チャイムが鳴り昼食の時間になった。

 マァルはろくに聞いていなかった授業の片付けをし、ユリヤと二人でロッカーに荷物をしまった。

 

 振り返ると、サラトニクの周りにはたくさんの女の子。二郎丸の周りにはたくさんの男の子。

 

 あの女子の輪の中に入る自信は――あまりない。

「マァル、ご飯行こぉ」

 隣でロッカーを閉めたユリヤに言われ、マァルはすぐに頷いた。

「うん!行こ!」

 二人で賑やかな教室を出ようとすると、ふとクラスがいつもと違う騒めきに包まれた。

 何だろうと思っていると、短い角の生えたミノタウロスがクラスの入り口に立っていた。

「一郎太兄様。如何なさいましたか?」

「サラ、ごめん。二の丸とクリス呼んでもらって良いか?」

「お待ちください」

 大勢の女の子に囲まれていたサラトニクが窓際に向かって行く。

 こちらは大勢の男の子に囲まれている。

「丸君、兄上が来ているよ。クリス君も呼ばれてる」

「――え?いち兄?」

「――あれ?どうされたんでしょう?」

 マァルは二人が手を振るお兄さんミノタウロスの下へ駆けるのを見送った。

 クラスの者達は何となく耳を澄ませていた。

「二の丸、クリス。今日サラの家に行く前にナザリック寄ってもらって良い?」

「――うん、分かったぁ」

「悪いね。オレが行くより二人の方が嬉しいだろ」

「お任せください!私達の仕事です!」

「ありがと。キュー様にはそう伝えとくよ。そんじゃなぁ」

 一郎太はひらりと手を振って出て行った。

 ああ言うワイルドな雰囲気の男の子は一年生の男子にはいない。

「なんかさ、なんかさ、格好いいよねぇ」

 ユリヤがうっとりと一郎太を見送り、マァルも頷く。

「人の男の子とは違う感じするよね」

 二人は良いものを見られたと教室を後にした。

 廊下の向こうにはまだ一郎太が歩いている。

 大きく見える背中を追うように歩いていると――彼を待つように壁に寄りかかっていた男の子の存在に二人は立ち止まった。

「――一太、二の丸達は良いって?」

「良いそうですよ。でも、キュー様が行くのが一番良い気がするなぁ」

「僕が行くと、そのまま行かないでになっちゃうでしょ」

「あ、そっか。はは、ほんとですね」

 二人は笑って学食の方へ向かって行った。

 マァルとユリヤは「今のって……」と顔を合わせた。

 美しい長い銀色の髪、隠されるべき尊き面。

 青い模様のついたローブは三年生の証。

 ちなみに一年生は紫で、二年生は赤。前述の通り三年生が青で、四年生は白、五年生は黄、六年生は緑と行った具合だ。

「今のってナインズ殿下だよね?」

「すごぉい。声聞けちゃったねぇ!」

 姿を見掛ける事はあるが、声を聴いたのは初めてだった。

 今日はなんて付いている日だろう。

 

 二人は上機嫌で昼食を取った。

「ユリヤの今日の髪かわいいね!」

 マァルが言うと、正面で食事を取っていたユリヤは嬉しそうに目を細めた。

 いつもふたつに結ばれているだけの髪の毛は、今日は三つ編みにしてあり、可愛い花のついた髪留めをしていた。

「えへへ。お母さんが朝やってくれたんだぁ」

「私もお母さんに何かやって貰えばよかったなー」

 くりんくりんと弄ぶ茶髪はゆるい天然パーマがかかっていて、肩に触れるくらいしか長さがない。

「私がマァルの髪結んであげようかぁ」

「良いの!」

「うん!教室戻ったらしてあげる!」

 

 二人は食事を終えると、食器を下げて教室に戻った。

 ユリヤが髪に丁寧に櫛を通し、マァルはくん、くん、と髪を後ろに軽く引っ張られる感触に鼻歌を歌った。

 完成した頭をユリヤの手鏡で見ると、いくつもぴんぴん髪が跳ねていたが、何もしないより素敵に見えた。

 ユリヤのおさげとお揃いだ。

「わぁー!ユリヤありがと!」

「えへへ、マァルの癖っ毛って本当にかわいいねぇ」

「そ、そっかな〜!」

 マァルが少し顔を赤くして髪に触れていると、横からビッとお下げを引っ張られた。

「っいた!!」

「マァル!お前女みたいな頭して似合わねーの!」

 おさげを掴む手を叩いて振り返ると、幼児塾の頃から嫌いな男子、ジェニ・フーゴ・ヘルツォークが立っていた。

「うるさい!あっち行ってよ!」

「やーい、ブースブスブス」

「嫌い!ジェニなんか大嫌い!」

 どうせ可愛い格好なんか似合わないと分かっている。

 悔しくて手に付いた筆箱でジェニを叩き始めると、泣きたい気持ちでいっぱいになり、マァルは唇を震わせた。

 すると、トン、と手が肩に乗った。

「マァル君、可愛いよ」

 振り返ると、サラトニクが微笑んでいた。

「え、エル=ニクス君……」

「今日のサロンのためにお洒落してくれたの?」

「う、うん。そうなの……」

「ありがとう。嬉しいよ」

 サラトニクはそれだけ言うと教壇の前の自分の席に戻って行ってしまった。

 マァルは大好きだと書いた手紙を渡そうかと思ってしまった。文字通り恋する乙女の顔でサラトニクを見送ると、「へへ」と声を漏らしてユリヤの隣に座り直した。

「ブスなのに。サラトニクはおかしい」

 ジェニが言うが、もう無視する事にした。

「良いなぁ。マァル」

「へへ、へへへ。エル=ニクス君って本当可愛いのに格好良いよね」

「うん!私ね、エル=ニクス君と二郎丸君と一郎太さんと、後他に三人好きな人がいるんだぁ」

 ユリヤが楽しげに言うと、マァルも「私もぉ」と顔をふにゃふにゃにした。

 女の子の話題はいつでも可愛いものと好きなものばかり。

 マァルは授業が始まると、今日のサロンでサラトニクに渡す手紙を書いた。

 手紙はとても拙い字で――

 

 かわいいって言ってくれてありがと。

 エル=ニサラトニクくんもかわいいよ。

 またあそぼうね。

 

 ――と書かれていた。

 これをサロンで渡すと決め、マァルは授業が終わるのを待った。

 そして、念願のチャイムが鳴り、皆でお祈りと聖歌を歌うと子供達は帰り始めた。

 クラスの皆が今日のサロンに呼ばれているので、ぞろぞろと足並みを揃えてクラスを後にした。もちろん、何人かは用事があったり、習い事に行かなくてはいけないので人数はクラスのおよそ半分くらいだ。

 それに、お土産を買ってから行くからと言って列を離れて行く子もいる。

 サロンは開始時間と終了時間が決められているが、好きな時に行って好きな時に帰って良い不思議な集まりだ。

 

 大神殿の方角に向かい、大きなお屋敷ばかりの建ち並ぶ通りに入る。

 マァルはポケットの中で大切な手紙に触れた。

 先頭を歩くサラトニクは、歩くのが遅い石喰猿(ストーンイーター)のシャハロ・アンナンカを抱っこしてあげていた。

 石喰猿(ストーンイーター)は大人になると早く動けるようになるらしいが、子供のうちはほとんどナマケモノのような速度でしか動けない変わった亜人だ。食べた石を吐き出す恐ろしい力を持っているらしく、大人ともなればこの石礫はおよそ百メートルは軽く届き、鉄の鎧さえ容易く凹ませるとか。

 硬い石を体の中にストックするので、大人になって臓器が硬く丈夫になるまではこんな風にゆっくり動く事で体を守っているらしい。

 シャハロはいつもは地元が同じアベリオン丘陵である、仲良しの半人半獣(オルトロウス)のヘトヴィヒ・ア・リッケルトの背に乗せて貰って移動しているくらいだ。

 担任のパースパリーも体の小さな子達には手を貸してあげるようにとよく言っている。

「ねぇねぇ。マァルは今日お土産持ってきたぁ?」

「ん?うん!何かね、靴に塗るやつ持たされたよ!」

 マァルはお菓子はたくさん貰うだろうと両親が工夫した結果、靴クリームを持たされていた。これならいくらあっても困らないはずと。だが、お菓子だっていくつあっても困らないだろう。

「そうなんだぁ。私、クッキーだけど平気かなぁ……」

「わぁ!それが一番良いよ!私も食べたい!」

 ユリヤはマァルの言葉に嬉しそうに笑いあった。

 そうして、辿り着いたのはすごいお屋敷だ。

 たくさんの花が咲く前庭では庭師がミツバチ達と一緒に花同士の花粉を付けてやっている。

 サラトニクの帰宅に気が付くと丁寧に頭を下げていた。

 

 家の中を案内され、教室よりも広いような絢爛な部屋に通される。大きなガラス窓の向こうは庭の花畑だ。何台もソファや椅子が出されていて、座りきれなければいつでも庭にも出られる。

 社交会というわけではないので、踊ったり形式ばった挨拶をする事はない。

 ただ、土産を持ってきた者は執事に渡すし、サラトニクと執事にきちんと「お邪魔します」と挨拶した。

 執事はお土産のお菓子をすぐに出してくれた。

 ジュースを飲んだり、お菓子を食べたり、本を眺めたり、床を掃除する粘体(スライム)を撫でたり。皆気ままに過ごしていると、後から後から子供は増えていった。一年生ではない子達もいくらかいる。一番上は四年生のお姉さんだ。

 

 あるグループは誰かの詩の朗読を聞いたり、またあるグループは最近大神殿に地の小人精霊(ノーム)から寄贈されたと言う大きなタペストリーの話をしたり、また他のグループは今日学校でやった授業の復習をしたり。

 知的交流会と言うのはすごいものだ。

 こんな事をしている人は神都中を探してもサラトニク以外に聞いたことはない。

 マァルとユリヤは床に座り、サラトニクが話す難しい話に相槌を打った。

 話の中身にはあまり興味はないが、サラトニクを正面から眺めていても良い時間は貴重だ。

 サラトニクのいる輪には女の子の比率が高いが、男の子もいる。中には三年生にお兄さんがいる男の子もいて、その子などはとても熱心にサラトニクの話を聞いてメモを取っているくらいだ。名前はクロード・フックス・デイル・シュルツ。

 サラトニクの一番の友達はクロードかもしれない。

 今度劇を見に行こうとサラトニクが言っていると、執事がそっと近寄り、何かを耳打ちした。

「――皆、ごめんね。私はちょっと。すぐに戻るね」

 サラトニクが部屋を出て行ってしまうと、女の子達は残念そうに息を吐いた。クロードも残念げだ。

 だが、本当にサラトニクはすぐに戻った。

 その後ろには――短い角の生えた赤毛のミノタウロスと、仮面の少年。

 派手な二人の入室に気がつくと、皆立ち上がった。

「皆楽にしてくれて構わないよ。座ってお喋りしてね」

 仮面の君からの通達に皆、恐る恐る座った。

「――サラ、いつもありがとう」

「いえ。ナインズ兄様。私にできるのはこれくらいの事です」

「謙遜しないで。僕にはできない事だよ。君がいてくれて良かった」

「……うまく行くでしょうか」

「分からないけど、うまく行くって思いたいね」

「……不安です。問題のないサロンになったとは思いますが……」

「サラがそう言うなら、そうなんだよ。さぁ、もう少しで着くと思うよ」

 

 一体誰が。

 

 そう思っていると、仮面の君はミノタウロスと共に手近なソファに掛けて執事を呼び止めた。

「エンデカ。ごめんね。大変でしょ」

「いえいえ。ご支援も頂いておりますし、ジルクニフ様よりやり遂げろと申しつかっておりますので」

「ありがとね」

「とんでもございません。何かお飲みになりますか?」

「そうだね。一太どうする?」

「オレなんでもいいや。キュー様と同じの」

「じゃあ、僕たちオレンジジュースで」

「お待ちください」

 何も特別な会話はしていないと言うのに、子供達の目は釘付けになっていた。

 サラトニクはとんでもなく気品のある存在だと思っていたが、この二人は別次元なのかもしれない。

 仮面の君が王の風格を持っているのは当たり前だが、お付きのはずのミノタウロスも王らしく見えるのは何故だろう。

 そして、何の感慨もなく仮面が外されると、部屋がどよめく。

 ナインズ殿下は昼食を学食では取らず、何人かの友人と応接室で取っているので、その素顔を見られる人はそう多くない。

 仮面は一郎太に渡され、鞄に仕舞われた。

「――ナイ様、良いの?」

「良いよ。僕は今日に賭けてるから」

 オレンジジュースが二人に差し出され、ナインズはそれを取ると一口飲んで口を湿らせた。

「それより、東陸の話聞いた?」

「いえ?」

「ラクゴダール共和国以外の小国はこれでもう全てが神聖魔導国になったらしいよ。タリアト君は昔、それこそが不幸な人がいなくなる手段だって言ってたよね」

「……そうですね」

「でも、今東陸に住んでる人達は共和国との友好条約を破棄しようって言ってるって。共和国の人達も友好国なら商人殺しの国を切り離せってすごく怒ってるみたい。大神殿じゃ魂喰らい(ソウルイーター)便の便数調整の話し合いも始まったし……何でこうなっちゃうの?」

「うーん。オレは難しい事分かんないけど、共和国に周りは虐められてたって聞いてますよ?」

「共和国に虐められてたのに、どうして共和国の商人が殺されてたの?」

「共和国が意地悪でムカつくからじゃないですか?」

「でも、あそこには信頼できる人がいるってツアーさんは言ってたよ?ムカつかない気がするのになぁ」

「その人、ツアーさんが思ってたより良い人じゃなかったんじゃないですか?」

「そう言う事?」

「多分、そうなんじゃないんですか?」

 声変わりもしていない幼い声からは想像もつかないような難しい話を前にマァルは目を白黒させた。

 友達のお姉さんやお兄さんもこれほど難しい話をするだろうか。

 サロンの中は静かになっていたが、サラトニクが普通にお喋りを始めると、じわりと皆話を始めた。

 時計が時を刻む音が数えきれないほど響き、何人かはナインズと一郎太に握手を求め、興奮してキャアキャアと声を上げた。

 いつしかサロンはいつも通りの賑やかさを取り戻した。

 皆が思い思いの知的交流を重ねていると、また扉が開いた。

 二郎丸とクリスだった。

 二人は真っ直ぐナインズの下へ向かい、小声で何かを話した。

 ナインズは数度頷き、「ありがとう」とだけ告げてまた一郎太と話をした。

 二郎丸とクリスはマァルの隣に座り、サラトニクの話す事に耳を傾けた。

 マァルはいつ手紙を渡そうかとサラトニクを見つめた。

 そして、ふと、ユリヤの隣に大きな眼鏡をかけた黒髪の見たことのない女の子がいることに気が付いた。

 女の子はひどく綺麗な顔立ちをしていて、生まれて一度も感情を持った事がないのではないのかと思えるほどに涼しく、何の温度も感じさせなかった。

 このサロンには学年も、クラスも違う子がいるが、こんなに綺麗な子は見たことがない。まぁ、マァルも全員と知り合えるほど何度も出席しているわけではないが。

 それにしても、サラトニクを見つめるどの女の子も、憧れや恋心を真っ直ぐに宿していると言うのに、この子は一体何なのだろう。

 

「……ぁ」

 

 マァルからは小さな声が漏れた。

 気付けばサラトニクはその子に話しかけるように色々な事を話していた。その瞳は憧れや恋心に彩られ、幸せそうだった。

 ――男の子は皆可愛い女の子が好き。

 マァルはユリヤに結んでもらった髪に触れた。

 

 サラトニクの隣にいたクロードが話し始め、いくらか経つと女の子は立ち上がり、サラトニクのいる輪を離れて行った。

 別の輪の一番後ろに着いて少し話を聞いては、また別の場所へ行く。

 渡り鳥のようにあちらこちらを見て周り、最後は庭の外を眺めた。

 ローブの模様の色は紫色。この子も一年生なのだ。

 マァルはその子が気になってサラトニクの輪を離れた。

 庭を眺める横顔を見つめていると、生き物だとは思えない滑らかすぎる動きで眼球がこちらへ向いた。

「――何」

 尋ねられた声には何か、ある種の迫力のようなものを感じてしまい、マァルは何と言えばいいのか分からなかった。

 用事がないと見たか、少女はまた庭に視線を戻した。

「あ、え、えっと。お庭出ても良いんだよ」

「そう」

「あなたサロンは初めて……?」

「そう」

「一緒にお庭……行く……?」

 誘うと、少女はさっさと一人で庭へ出て行ってしまった。

 慌ててその後を追って、マァルも外に出ていく。

 庭では何人かが庭師と花の話をしていた。

 少女は庭師の下までは行かずに、まだ蕾もついていないただの草が並ぶ花壇に向かってそれを眺めた。

「つまんなくないの?お花の方が綺麗だよ?」

「……人の子よ。この世の全ては実らせるまでの時間にこそ価値があるのですよ」

 まともに口をきいてくれたが、難しい話だった。

 それに、この子も人間種ではないのだろうか。いや、亜人の特徴が見えていないだけかもしれない。そういえば普通の人よりも少し背中が盛り上がっているような気もする。甲羅でも背負っているのだろうか。

「……じゃあ、お花は価値がないの?」

「違う。咲くまでの過程を含めて花は花なのです。咲いたから綺麗なわけではないのですよ。お前にはこの草にいつか花が咲く姿が見えないのですか」

 意味が分からなかった。

「……どう言うこと?」

「だからお前達は愚かなのです。もう良い、下がれ」

 少女は溜息を吐き、花壇に腰掛けた。

 下がれなんて生まれて初めて言われた。マァルは不愉快な気分になったので、意地を張ってその隣に座った。

「下がれと言っているのが分からなくて」

「分かんない。何でそんなこと言うの。もっとちゃんと教えてくれればいいじゃん」

「所詮お前には理解できないのです」

「皆分かんない事があるから学校に行ってるし、エル=ニ――サラトニク君のサロンに来るんだよ」

 これまで無だと思われた少女の顔に初めて感情が浮かぶ。

 それは「厭わしい」だ。

 だが、興味を持たれていない感じがしていたので、そんな感情でもこの子の顔を変える事ができた事に少しの優越感を感じた。

 

「エル=ニクスと呼ぶのです。お前はあれと同等の存在ではないです」

「同じクラスだもん。サラトニク君も身分はないから皆仲良くしてって言ったもん。後、私はマァル・シマジ・アブトロメよ。お前なんて失礼だわ」

 少女の目にはハッキリと「嫌い」と浮かんでいる。こっちだって別に好きでも何でもない。

 サラトニクはこんな子の何が良いのだろう。

 良いところは顔だけじゃないか。――いや、頭も多少良いのかもしれない。

 こんな大きなメガネを掛けていて、難しい事を言うのだから、多分勉強家なのだろう。

 

「帰る」

 

 少女はそう言うと花壇から立ち上がり、サロンではなく庭から真っ直ぐ玄関へ向かおうと歩き出してしまった。

「か、帰るって。サラトニク君に挨拶しないと失礼だよ」

「――参加することで礼は尽くしたのですよ」

「そんなわけないじゃない!怒るよ!!」

 大きな声を出して手を握ると、少女は大人のような力でそれを振り払った。

 すると、慌ててサラトニクがサロンから飛び出してきた。

「ちょ、ちょっと!マァル君!!」

 何故か責めるような口調で名前を呼ばれ、マァルの目に涙が浮かぶ。

「こ、こちらへ」

 いつも優しいサラトニクは少女の手を取って、花壇の向こうへ駆けて行ってしまった。

 二人は何かを少し話し、少女はそのまま帰って行ってしまった。

 サラトニクは真っ直ぐマァルの下へ戻ってくると、申し訳なさそうな顔をした。

「ごめんね。でも、いきなり怒ったらダメだよ」

「い、いきなりなんて怒ってないもん……。あの子が挨拶もしないで帰ろうとするから……」

「……ありがとう」

「サラトニク君、あの子誰なの……?」

「私のお客さんだよ。さぁ、冷えてきたから戻ろう」

 背を押されると、マァルは「はわ」と声を上げた。

 

 サロンに戻ると、もうナインズ殿下やお付きの皆は帰ってしまっていた。

 ユリヤはマァルを迎えると「良いなぁ!私もエル=ニクス君とお庭見たかったぁ!」と羨ましげな声を上げた。

 

+

 

「サラのサロン、どうだった?」

 ナインズの部屋に来たアルメリアは大きく頬を膨らませていた。

「愚か者ばかりです。面白くなかったのです」

「うーん、僕は割と面白かったけどなぁ。じゃあ、外の世界の花壇はどうだった?」

「花壇は悪くないです。植物は愚かじゃありません」

「ふふ、良かった。明日も行ってみる?花壇見に」

 アルメリアは腕を組むとムンムン唸った。

 顔にはまだ眼鏡が掛けられているし、髪も黒く、肌も紫色ではない。

 この眼鏡はマジックアイテムで、存在を見つかりにくくする効果がある。自分より高レベルの存在には効果を発揮しにくいが、同レベルかそれより下ならばそこそこの精度で探知されにくくなる。

 見えなくなるわけではないので、ただ影が薄くなるだけとも言える。リュカの友達のトマは影が薄いので、多分彼が装備すると誰も見つけられなくなるだろう。

 アインズとフラミーに言わせれば子供騙しのマジックアイテムだ。

 

「花壇は見たいです。でも、愚かな人間に話しかけられると不愉快です。リアが草を見てたらつまんなくないのかって言われたのです」

「不思議だけど、外の人達には多いよ。花は花だから綺麗、草は緑だけだからつまらないって人」

「愚かです。何であれで生きている事を許されてるんです?」

 

 ナインズはアルメリアを手招き、アルメリアが隣に座ると大切にしている本をアルメリアに渡した。

「今はまだ不完全だけど、皆いつか完全なものになる日が来るって信じてるんだよ。何もできない僕を皆が許してくれるように、僕たちも皆を許さないと」

 最高神官長が書いてくれた本は挫けそうになったナインズを何度も元気付けた。

 ナインズは今や全学年の生徒達の中で一番魔法を使える。一年生の頃の苦悩が嘘のようだ。

 それに、シャルティアとの手合わせを繰り返しながら魔法戦士としてレベルを重ねていた。

 どっち付かずになる事をアインズは常に恐れているが、総合力最強のシャルティアを目指すのならばとひとまずその様子を見守っている。

 レベルは上がれば上がるほど必要な経験値が増えていくので、三十レベルの節目を迎えたところから中々レベルが上がらなくなってきていた。もちろん、それだけ有れば十分だろう。簡単に言えばアダマンタイト級と並べるのだから。

 

「……あの人間達はまだ蕾です?」

「そうだね。リアちゃんもそうだし、外の人達も皆そうなんだよ。咲くまで待ってあげるのは得意でしょう?」

「必ず咲くなら待ってやります。でもあの生き物には無理です」

「きっと咲くよ。だから、明日もまた行ってみようね」

「お兄ちゃまはまた居てくれます?」

「いるよ。約束する」

「……リアを守ってくれるんですよね?」

「そうだよ。僕だけじゃなくて一太や二の丸とクリスも、それからサラもリアちゃんを守るよ。今日もサラが助けてくれたでしょ」

「……どうしてお兄ちゃまがすぐに来てくれなかったんです」

 ナインズは言葉を選んだ。一年生のクラスの中にいられる子達だけで解決してほしかったのだが、そう言ってしまえばナインズが側にいた意味がないと怒らせてしまいそうな気がした。それに、学校は行かないとの一点張りなので、クラス云々という言葉は今のアルメリアには地雷だ。

 なので、嘘ではない上から何個目かの理由を選んだ。

 

「――サラがリアちゃんを助けてくれるって信じてたからだよ」

「むぅ。サラは信用できます」

「そうだよね」

 

 アルメリアの現在のレベルは四。力自慢の人間程度の力しかない。小悪魔(インプ)のレベルが二上がっていた所から、追加で地獄の総帥(ウァラク)と言う物騒な種族が二つも上がってしまった。

 小悪魔(インプ)が十を迎える前にその上位種族だと思われるレベルが上がるとは思っていなかったアインズとフラミーは驚きと同時に困惑した。

 確かに忍者は六十レベルからの高レベル職のはずなのに、この世界では三十レベルにも満たない者が忍者だったりするので取得に必要な前提職業もユグドラシル時代とは全く違うのだろう。

 ――と、思っていたところだったが、アルベドとデミウルゴスは「悪魔の王から生まれた高貴な人なのだから当たり前だ」と鼻高々だった。

 それを聞いたアインズとフラミーは両親の種族レベルが「遺伝」として加味されると言う当たり前の可能性に、ナインズが生まれてから約九年越しに思い至った。

 

 ちなみに、アルメリアは未だにほとんど何の訓練もしていない。

 ただ、一重に勉強をしていただけだ。勉強をする事で、物騒な種族レベルが上がっていくなんて、恐ろしく嘆かわしい話だった。

 

 さて、ユグドラシルプレイヤーならば耳馴染みのあるウァラクとは、ソロモンの七十二悪魔のうち、序列六十二番の影の薄い悪魔だ。この悪魔は天使の翼を持っていて、爬虫類を支配する力を持つ。

 ユグドラシルでは神の敵対者(サタン)への転職に必要な闇輪の悪神(アンラマンユ)と言う指輪をドロップする敵キャラクターとしてお馴染みだった。

 闇輪の悪神(アンラマンユ)は悪竜、アジ・ダハーカを呼び出す事もできるアイテムで、ウァラクは装備している闇輪の悪神(アンラマンユ)でいちいち竜を召喚してくる面倒な敵キャラクターだ。

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンはフラミーの転職に必要な闇輪の悪神(アンラマンユ)を手に入れるために悪竜アジ・ダハーカを抑えるチーム、地獄の総帥(ウァラク)本体を叩くチームで立ち向かったらしい。

 闇輪の悪神(アンラマンユ)は今もフラミーの無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に入れられている。

 

「じゃあ、明日も行くってサラに連絡するね」

「むぅ。分かりました」

 ナインズは額に一本指で触れると目を閉じた。

 集中してサラトニクを探す。人や場所を探す時、このポーズの方が探しやすいよとアルバイヘームに助言を貰った故だ。

「――<伝言(メッセージ)>」

 空気が振動する線が遠くへ伸びていく。

『サラトニクでございます』

「あぁ、サラ。僕だよ。ナインズ。明日もリアちゃんサロンに行ってみるって」

『本当ですか!では、明日も開くように手配いたします!』

「ありがとう。お願いね」

『はい!お任せください!もう二度とお見えにならないかと思いました!』

「はは、実は僕も。じゃあ、また明日ね」

『失礼いたします!』

 サラトニクがこの声の向こうで深く頭を下げている姿が見えるようだ。

 ぷつりと通信を切ると、ナインズはアルメリアの頭を撫でた。

 

「リアちゃん、サラすごく喜んでたよ」

「まったく仕方のないやつです」

 

 そう言うアルメリアは少しだけ嬉しそうだった。




リアちゃん!!!!がっつり登校拒否!!!!

あれ!?メリークリスマス!!


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Lesson#18 アルメリアとハナ

「キュータ、昨日どうだったの?」

 昼休み、応接室でエルミナスに問われる。ナインズは仮面の向こうで笑った。

「結構良かったみたい。今日も行く気になってくれたから」

「じゃあ成功だね。サロンで友達ができて学校も来る気になってくれるといいね」

「本当にね。でも、まだ友達ができるって言う感じではないかなぁ」

 そうこう言いながらナインズが仮面を外して一郎太に渡すと、エルミナスは背筋を伸ばした。

 隣にだらしなく座るリュカよりも背筋を伸ばしたエルミナスの方が小さい。

 エルミナスとイオリエルは一年生の頃の身長とほとんど変わらないままなので、あんなにお兄さんに見えていたと言うのに、ある時から弟のように見えるほどになって来てしまった。

 ナインズの隣にぴたりと座るオリビアは、二人が何の話をしているのか分からずに首を傾げた。

「キュータ君、サロンって?」

「ほら、昨日言ったでしょ。サラのサロンに行くから先に帰るって。えーと、なんて言ったっけな。うーんと……」

 一郎太が横から「知的交流会」と言うとナインズはそうそう、と頷いた。

「知的交流会。皆で本読んだりするみたい。友達と本読むのって楽しいよね」

 それを聞くと、オリビアの隣にいたアナ=マリアが顔を覗かせる。

「………キュータ君、私とまた知的交流会、する?」

「あ、それならさ。アナ=マリア。今日僕と一緒にサラのサロンに行かない?」

「………良いの?」

「うん、来て欲しい。ある子に愚かな人ばっかりじゃないって教えてあげたいから」

「………嬉しい」

 アナ=マリアがポッと頬を染め、オリビアが「私も!!」と大きな声を出すとロランとリュカが苦笑を交わす。

 ナインズは「オリビアは絶対来るって分かってたよ」と迫るようなオリビアの髪を撫で、オリビアは上機嫌そうに頷いた。

「ね、キュータ君。僕らも行っていい?」

「もちろん。ロランも本とか好きだもんね。でも、僕らってリュカも行く?」

「んー、俺は良いかな。そういうの苦手だし。オーレとトマとキャッチボールしに行くよ」

「そうだよね。あ、カイン。昨日カインの弟見たよ。カインそっくりだった!」

「ふふ。クロードはもうサラトニク様にメロメロですからね」

「如何にもカイン様の弟君らしいです!」

「チェーザレ!怒るぞ!」

 

 皆楽しげに笑うと、昼の用意をした神官達が配膳を進め始めてくれる。

 神官の中には馴染みのお父さんも。

 

「レオネ、レオネも一緒に行きなよぉ。そのサ、ロ、ン」

 レオネパパは相変わらずだ。ナインズがリラックスできると言う理由で大神殿から派遣されて来ている。

「誘っていただいてもいないのに行くなんて言ったら失礼じゃありませんこと!お父様は静かになさっていてくださいませ」

「あたしも誘われてない。オリビアとアナ=マリアばっかり」

 レオネと共にぷくりと頬を膨らませるイシューは一年生の頃より多少男っぽさが抜けていた。今でももちろん男勝りで、大好きな飴をしょっちゅう舐めているが。

「そしたらレオネとイシューも行こうよ。でも、多分うるさくすると執事の人に怒られるよ」

「キュータさん、わたくしそんなに煩くありませんわ!」

 ナインズはレオネパパに出してもらった昼食に口を付けると笑った。

「レオネはちょっとうるさいよ」

 レオネパパの背中にはガーンという文字が浮かび、粉々になって消えた。

「だからさー、キュータ。あたしはレオネほどうるさくないだろー」

「ははは。そうだね。イシューの方が静かかも。でもレオネがうるさいのは良いことだよ。レオネの声聞いてると元気出るもん。」

「もう!一体何ですのー!!」

「レオネ、其方(そなた)本当にうるさいのう」

「イオ!私は好きで煩くしてるんじゃありませんことよ!」

「やれやれ。少しは此方(こなた)とエルミナスを見習って静かに過ごす事を覚えるんじゃな」

 首を振るイオリエルはこの中で一番年上だが、一番小さい。

 だが、イオリエルは今の状況にとても感謝している。小さいと言うのは得する事が多い。

 昼食をサッと取ってしまうと、イオリエルはくすくす笑いながら食事を取るナインズのそばに行った。

「なぁ、キュータ様。此方、甘いのもう少し食べたいんじゃが」

「――ん?僕のもう少し食べる?」

「良いのか!」

「良いよ。たくさん食べて大きくなるんだよ」

 頭をぽふぽふと撫で、ナインズは食べかけのゼリーをすくった。

 イオリエルは子供の顔をして口を開けた。

「あーん!」

「はい、あーん」

 女子達は絶望的な顔をし、イオリエルはもらったゼリーを頬張って幸せそうに笑った。放課後は基本的に紫黒聖典寮で忙しく過ごすので、学校にいる間しかナインズと関われない。

 ナインズは父と母を失ったイオリエルに甘いところに加え、妹のような顔をされるとそれに乗ってしまう。

 

「イオちゃん!もうイオちゃんは四十七歳でしょ!!」

「じゃが、森妖精(エルフ)にとってはまだまだ子供じゃよ?」

「キュータ君!!」

「お、オリビアも食べたいなら言ってよ……」

 器ごと差し出されてしまうと、オリビアは頬を膨らませた。

「やだ!あーんじゃないとやだ!」

「えぇ……?オリビアは子供じゃないでしょ」

「子供だもん!!まだ八歳だもん!!」

「僕と一緒じゃない」

「そーだそーだ。それならオレなんて七歳だぞ」

 一番体が大きい一郎太が言うとナインズはゼリーを一口掬った。

「一太、食べさせてあげようか!」

「え?オレは良いですよ。ナイ様の分取れないもん」

「はは、僕はイシューに飴もらうから良いよ。一太は弟だもんね」

 一郎太はナインズの向こうに座るオリビアからの激しい圧力に角の根本を掻いた。

 譲って欲しいと瞳に書いてあるが、譲るなら結局ナインズのゼリーは減る。

 なので――「じゃあもらお」

 ぱくん、と食べた一口はとても大きく、スプーンを持つナインズの手ギリギリまで口に入ってしまった。ポッキーゲームならチューしているくらいだ。

「おいしい?」

「うん、普通です。オレが食べたのと同じ味」

 当たり前の感想だ。

 ナインズはおかしそうに笑った。

「ははは!それはそうだね!ははは!」

 そして、ヒョイっと飴がイシューから投げられて来るとナインズはそれを受け取って口に入れた。

 三十レベルともなると、魔法職を多く取っていても殆どの物がよく見える。

「イシュー、ありがとー」

「へへ」

 ただ、棒付きの飴を食べたままだと仮面を被れないので舐め終わるまでここを出られない。

 食器を神官達が下げていってくれると、ナインズは軽く頭を下げた。

 皆わいわいと変わらずにお喋りをしていて、ナインズはこの光景に深い喜びを感じた。

 友達は良いものだと口酸っぱくアインズに言われてきたが、まさしくその通りだ。

(……エゴでも良い。リアちゃんにも仲間ができるようにしてあげたい)

 アルメリアが登校拒否だと言うのは男の子達しか知らない。

 男の子たちは一年生の夏と、二年生の夏の二度第六階層に泊まりに来ていて、アルメリアの極寒の視線を食らっているので、アルメリアの外嫌いを理解している。

 他の子達はナインズ同様アルメリアが身分を伏せているのか、または忙しくて来ていないと思っている状況だ。

 

 赤毛のミノタウロス――二郎丸と言う分かりやすいアイコンを皆何度か見かけていて、いつもクリスと二人でいるので、最初の頃はクリスがアルメリアなんじゃないかと言われていた。

 だが、セバスの娘と言うレッテルも豪華なので、その勘違いはすぐさま解消された。

 

 ナインズは後でサラトニクに伝言(メッセージ)を送らないといけないな、と思った。

 

+

 

 学校が終わると、サラトニクが友人達を「今日もサロンに来ないか」と誘っていた。

 いつも前日までにサロンの招待状をくれるので初めてのことだ。今日のサラトニクはとても上機嫌。いつもニコニコしているが、いつにも増してご機嫌だ。

 マァルは昨日渡せなかった手紙をまだ制服のローブのポケットに入れたままにしている。

 ユリヤが聖歌の鼻歌を歌いながら鞄を背負う横で、マァルはサラトニクの側へ行った。

 女の子達が「いきたぁーい!」と声を上げる中に、遠慮がちに参加する。

「い、いきたい」

 サラトニクは女の子達に頷いた。

「もちろん、皆来てね。是非サロンに来る知らない子とも仲良くして欲しいんだぁ」

 それはあの子のことだろうか。

 女の子達がキャー!と喜ぶ声を上げるが、マァルはあの女の子のことで頭がいっぱいになった。

 可愛いのに、自分勝手。

 サロンに来てるのに自分が知ってる事を人に教えてくれないケチンボ。

「――じゃあ、私は先に行くね!皆好きな時にサロンに来て!あ、制服でね!」

 サラトニクは準備があるとでも言うように部屋を駆け出して行った。

 その後にクロードと、クロードのお付きのエリオが付いて行く。

 そう言えば、普通の貴族上がりの子達は大抵従者を連れているが、サラトニクは屋敷にこそ執事やメイドを置いているのに学校にはそう言う存在を連れて来ていない。

 あれほど高貴な身なのに何故なのだろうと思っていると、ユリヤが鞄を差し出してくれた。

「行こぉ。エル=ニクス君のサロン!」

「うん!ありがと」

 あまり早く行きすぎると、準備中かもしれない。

 二人は時間を潰す為に大神殿の前庭で遊んでから行くことにした。

 今日は手土産を持っていないが、花を摘んで行くのだ。花壇の花を勝手に取るのは良くないので、遊歩道に自生する花をいくつか摘んでいく。

 小さな花束を二つ作ると、二人は手を繋いでサラトニクの屋敷に向かった。

「どっちの方が綺麗だと思う?」

 マァルが見せたのは――向日葵のようなタンポポ、ふわふわのタンポポの綿毛、紫色の小さなスミレ、ラッパのような形をしたヘクソカズラなど様々な色の花束。

「えへへ、マァルのも綺麗だねぇ!」

 ユリヤが見せたのは――真っ白な白詰草一色の花束。

 ユリヤの方は少し寂しい印象だが、どちらも美しかった。

 やっぱり、草よりも花は綺麗だ。

「引き分けだね!」

「本当だねぇ」

 野花を握ってサラトニクの屋敷の敷地に入ると、メイドのおばさんが二人を案内してくれた。

「もういっぱい来てますか?」

 聞くと、おばさんは頷いた。

「えぇ、何人かもういらしてますわよ」

 ちょうど良い時間に来られて良かった。

 そう思いながら、玄関へ向かっていると――ふと庭の方にサラトニクを見付けた。

「あ!サラ――」

 呼ぼうとしたが、マァルは言葉を切った。

 サラトニクが一人でいるのだと思っていたのに、隣には眼鏡をかけたあの女の子がいた。

 サラトニクはとても幸せそうにその子と何かを話していて、マァルは眉を顰めた。

 側には庭師と蝶を指差す子供達がいて、その中にはクリスと二郎丸もいるのに、女の子とサラトニクは離れたところで過ごしている。

 すると、ユリヤが「エル=ニク――」と大きな声を出し掛け、後ろから二つ花をひょいと取られた。

 二人はまたあの嫌いなジェニかと振り返った。

「ちょっとぉ!」「返してよ!」

 二人で振り返ると、花を両手に持っているのは――恐ろしい仮面をした男の子だった。

 慌てて二人は口を塞いだ。

「お花、あんまり握ってるから萎れ始めてるよ。一太、持って」

 そう言い、隣にいたミノタウロスに二つ花束を持たせると、彼はローブから授業用の短杖(ワンド)を取り出した。

 まるで先生が使う短杖(ワンド)のように使い込まれていた。

「二人とも、手を出して」

 マァルとユリヤは恐る恐る両手を出した。

「――<第ニ位階・製紙(ペーパーメイキング・2nd)>」

 二人の手の上にはふわりと白い綺麗な紙が生み出された。

 今日授業でゼロ位階の製紙魔法をやったばかりだ。二人は目を輝かせて――ナインズ殿下を見上げた。

「で、殿下!ありがとうございます!」

「これで包んであげますぅ!」

 ナインズは首を振ると、今度は鉛筆を取り出した。

 そして、紙が乗るマァルの手をそっと取ってくれた。

「わ、わ、わぁ」

 温かく、滑らかな肌にマァルの心臓は高鳴った。こんな簡単な事で二人目の好きな人ができてしまった。

「くすぐったいけど我慢してね」

 そう言うと、不思議な文字を紙に書き始めた。

「――S(ソウエイル)――命。Y(エイワズ)――再生」

 黒い線で書かれたはずの線は光を放った。

「一太、そっち貸して」

「へーい」

 くったりと首を垂れる花束を紙の上に置き、くるくると茎の部分を巻いていく。

 巻かれた花はじっくりと頭を持ち上げ、萎れ始めていたと言うのに、また美しく咲いた。

「うわぁー!すごい!すごいです!」

「はは、すごくないよ」

 笑い、ユリヤの手を取り同じ文字を書き、同じように花の茎を包んでくれた。

「――さぁ、これで良い。命は大切に。自分より弱ければ尚のこと、そっと優しくしてあげるんだよ」

「はぁい!」「はい!」

 二人が良い返事を上げていると、ふと、マァルは庭の女の子と目が合った。

 昨日話したので、一応手を振ってみようかとすると――女の子はどうでも良いとばかりに顔を背け、芽吹きはじめの木を眺めた。いつの間にかサラトニクはいなくなっていて、一人ぼっちになっていた。

「あの子って誰なんだろうねぇ?」

 ユリヤが言うと、マァルは肩をすくめた。

「分かんない。どこかのクラスの子なんだろね」

「仲良くしてあげてね。あの子にも、そっと優しく」

 ナインズが言うと、マァルは恐ろしい仮面を見上げた。

「殿下?」

 何か、意味のありげな言葉だと思った。大人が言いにくい何かを言おうとするときのような雰囲気だ。

 そうしていると、玄関から執事を連れたサラトニクが駆け出して来た。

「ナインズ兄様!一郎太兄様!いらっしゃいませ!」

「はは、サラ。良いのに」

「い、いえ!そう言うわけには。ご案内いたします」

「できれば僕よりも、ね」

 含みを持った言い方だ。ナインズ殿下よりも優先するべき人などこの世に陛下以外にはいないはずなのに。

「で、ですがナインズ兄様……」

 サラトニクも困ったようにすると、ナインズはサラトニクの頭を何度か撫で付けた。

「ありがとね。――あぁ、サラ。今日は僕の友達も連れて来たんだよ」

 そう言って道を譲るようにすると、ナインズと一郎太の後ろにはたくさんの三年生がいて、皆「こんにちはー」とサラトニクに頭を下げた。

「ありがとうございます!皆様も中へどうぞ!マァル君とユリヤ君も」

 サラトニクに先導され、いつものサロンへ向かう。

 サロンの中には確かに何人かが勉強をしていて、良い時間に来られたようだ。

 殿下と三年生達は本棚に向かって行くと、サラトニクはその背に頭を下げ「じゃあ、ご自由に――」と、マァルとユリヤに微笑んで外へ向かった。

 二人は花束を持って来たのだ。

 せっかく魔法で元気にしてもらったのだから、渡さなくては。

 二人はサラトニクの背を追った。

 サラトニクはまた庭師のいる輪ではないところへ向かって行く。

 誰もいない方だ。渡すなら今!そう思い、二人は走った。

「エル=ニクスくーん!」

「サラトニク君!」

「――ん?どうしたの?二人とも」

 サラトニクは足を止めて振り返ってくれた。

「これ、摘んできたの!お土産!」

「綺麗でしょぉ」

 二人が差し出すと、サラトニクは笑顔で受け取ってくれた。

「わぁ、ありがとう。綺麗だね。嬉しい」

 マァルとユリヤはキャァと声を上げた。

「ふふふ!ね、エル=ニクス君。マァルはねぇ。お手紙書いたんだよぉ!」

 ユリヤが言うと、マァルの顔はカッと赤くなった。

「私に手紙?」

「そぉ!ねぇ、マァル」

「う、うん。書いたんだけど、ね。えへへ」

 もじもじとポケットの中で手紙をいじっていると、サラトニクはマァルに手を伸ばした。

「ありがとう。読ませて」

 マァルは畳んだ手紙をサラトニクにギュッと押し付けるようにすると、恥ずかしくなってユリヤの腕に抱きついた。

「――かわいいって言ってくれてありがと。サラトニクくんもかわいいよ。またあそぼうね」

 サラトニクがそれを読むと、ますます恥ずかしくなる。

 こんなに恥ずかしいなら大好きだとも書いておけば良かった。

「ありがとう。素敵な手紙。マァル君もまたサロンに来てね」

「う、うん!来るね!」

「良かったねぇ。マァルぅ」

 ユリヤが言ってくれると、マァルは何度も頷いた。

 ユリヤもサラトニクを好きなのに良いのだろうかと思うが、ユリヤはたくさん好きな人がいるので良いようだ。

「――サラ、ルーンが消える前に早く水に浸けてやるのですよ」

 ふと、誰もいない場所から声がした。

 マァルとユリヤは「あれ?」と首を傾げ、キョロキョロと辺りを見渡し――いつからまたそこにいたのか、少女が花壇に腰掛けていた。サラトニクのすぐ隣だ。なぜ今まで気付かなかったのだろう。

「そうですね。じゃあ、二人ともありがとう。お花を飾って来るね」

 サラトニクは花と手紙を手にサロンへ戻って行った。

 サラトニク君をサラと呼ぶなんて。マァルは羨ましくなった。

 女の子は草から隣の草へ渡ろうと顔をいっぱいに持ち上げる緑色の芋虫を指に乗せた。

 気持ち悪くて、マァルは心の中で「うわぁ」と呟いた。

 その隣にユリヤがひょいと座る。ユリヤはおっとりしていて女の子らしいと言うのに、虫は意外にも平気だ。二年生にお兄さんがいるからかもしれない。

「こんにちはぁ。芋虫さん可愛いねぇ!」

 女の子は芋虫の乗る指を見下ろし、頷いた。

「可愛らしいです」

「その芋虫さんねぇ、あの蝶々になるんだよぉ!」

 指さした先にいるのはひらひらと飛んでいる白い小さな蝶だった。

「知っているのです。お前は蕾ですね」

 蕾?とマァルは首を傾げた。それはもちろんユリヤも同様だ。

「蕾?私はユリヤって言うんだぁ。ユリヤ・マッテオ・マンテッリ。あなたはぁ?」

 名前。そうだ、この子は何と言うのだろう。

 マァルもユリヤの隣に座り、答えを待った。

「ハナ」

「ハナちゃんって言うんだぁ!私のクラスにねぇ、ハンナちゃんって子がいるんだぁ。ハナちゃんは何組なのぉ?」

 ハナは渡ろうとしていた草の上に芋虫を返してやると、空を眺めた。

 その視線の先に蝶がひらひらと飛んでいく。

 そして、待てど暮らせど何組だと言う問いに答えは返らなかった。

「ハナちゃん、お庭屋さんのお話聞きに行こぉ」

「私はここに居るのです」

 ぷぅ〜んとおかしな音を立ててミツバチがハナの側に飛んで来ると、マァルはそれを払った。

「あ、危ないよ。刺されるよ」

 すると、ハナは立ち上がり、払っていたマァルの手首を掴んだ。

「やめろ」

 また怒っていた。

「何で?危ないって言ってるのに」

「これは巣に近付いたり攻撃したりしなければ刺さないのです。もしこの子が傷付けば、この子はお前を刺します」

 マァルは自分を守るために言ってくれたのかと笑った。やっとお友達になれそうな気がした。

「わかった!ありがと!」

「勘違いするな、人の子。お前を刺せば、この子は死ぬことになるのです。ミツバチは針とお腹の中が繋がってるから、刺すと死ぬのです」

「へぇ〜!知らなかったぁ」

 ユリヤが嬉しそうに手を叩くが、マァルは悲しくなった。存在を無視されたようで悲しい。

「……ハナちゃんは人よりハチの方が大事なんだ」

「お前は命の何も理解してはいないのです」

「してるよ!」

「していない」

 ハナはマァルのことを突き飛ばすように握っていた手首を離した。

「下がれ」

「やだ!ちゃんと教えてって昨日も言ったじゃん!」

「ハナちゃん、私も知りたいなぁ」

 ユリヤが言うと、ハナは溜息を吐いた。

「蕾、お前のために話してやります」

「私、ユリヤだよぉ」

「良いですか、蕾」

 ユリヤの訂正も聞かずにハナはユリヤを蕾と呼んだ。

「お前が摘んできた花は誰が咲かせたのか考えるのです」

 ユリヤは首を傾げた。

「道に生えてた奴とって来たよぉ。花壇のはダメだってお母さんが言ってたからぁ」

「蕾、お前が今日摘んだ花は去年ミツバチや蝶が花粉を運んだから存在できたのです。この子達がそうしてくれなければ、この世には花壇の花しか存在しないのです」

 マァルにも、ユリヤにも難しかった。

「お前達は花を美しいと言う。だが、花は土や虫が育てているのです。見ろ。ミツバチが踊る向こうに実がなる姿が見えるだろう」

 指差すところにはぷんぷんとミツバチ達がお尻を振りながら飛んでいる。

「命とはそう言うことなのです。後は自分たちで考えるのです」

 マァルとユリヤは目を見合わせ、そして同時に首を傾げた。ちんぷんかんぷんなのだ。

 ミツバチが命を育てるという事は光神陛下のお使いという事だろうか。そんな話は一度も聞いたことがない。

 考えていると、ハナは二人に手を伸ばした。

 マァルが手を取ろうとすると、マァルとユリヤの間から出て来た手が先にハナの手を取った。

「サラ、さっき言っていたお前の花壇を見せて欲しいのです」

「はい。まだ皆小さい葉っぱですが」

 サラトニクがハナの手を引く。

 ハナは相変わらず一つも表情が変わっていなかった。

「良いのです。お前はハナのミツバチです」

「ありがとうございます。そうだ、カーディオに鉢を用意させます」

「サラの花をくれるです?」

「差し上げます。私の一番大事にして来た子を」

「サラ、礼を言います。ありがとぉ」

 ハナは嬉しそうに笑った。初めてこの子が笑うところを見た。

 その笑顔はまるで世界中を恋に落とそうとするような、小悪魔的な美しさがあった。咲いたばかりの花でも、これほど人の心を惹き付けるだろうか。どうしても目を離せない。

 マァルとユリヤは見惚れてしまって、まだ冷たさが残る春の風が吹いた事に気が付きもしなかった。

 

 手を繋ぐ二人が庭に消えていくと、寒さにぷるりと身を震わせた。

 

+

 

「サラ、お前のサロンには愚か者しかいないのですか?」

 鉢を持ってきたカーディオを眺めながら、アルメリアが尋ねる。

「申し訳ありません。皆が愚かじゃなくなるようにサロンを開いているのですが」

「お前は本当にミツバチですね。でも、あれは咲くかも分かりませんよ?」

「丁寧に育ててやればいつか実をつけます」

「そうでしょうか……」

「はい。そうでなければ、光神陛下が生み出されるはずがないのですから」

「……それはそうです。お母ちゃまは間違いません」

 カーディオが丁寧に土を入れた鉢を受け取ったサラトニクはアルメリアの手を引いて花壇の端にしゃがんだ。

「アルメリア様、今年私が差し上げようと思っていた花はこちらです」

 指さされたのは、一株から細長い葉っぱがいくつもぴんぴんと伸びてる植物だ。

「いつ咲くのです?」

「ここの気候なら夏までには。アルメリア様、これはアルメリアです」

「これが?」

 アルメリアが咲く浜辺には毎年夏頃にフラミーに連れて行かれる。そこで海に花を捧げるのだ。

「初めて草だけを見たのです」

「ふふ、そうでしたか。きっと綺麗に咲きますよ」

「じゃあ、またリアの寝る部屋におきます。綺麗に咲いたら……今度は、リアがサラにあげます」

「よ、宜しいのですか?」

「……お前の近くにアルメリアを置いて下さい」

 サラトニクは顔を赤くすると頷いた。

「置かせて下さい……」

 

 カーディオは胸を押さえて悶えた。




あぁ〜〜〜ん!!!!もう〜〜〜〜!!!!
ちびっ子ロマンスぅ〜〜!!!!
ロマンス書きたいけど、年末なので眠夢は今日から少しお休みをもらうんだ!
突然復活するので、皆さんまた来年もよろしくお願いいたします!
復活の日にはツイートするので、久々にTwitter貼っときやす!
https://mobile.twitter.com/dreamnemri/

男爵

眠夢とは関係ないもだもだ話もよろしくお願いします!
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Lesson#19 自然と保護団体

 ナザリック地下大墳墓、第九階層。

 今日も元気にナインズが出かけていくと、一緒に朝食を取っていたアルメリアはひょいっと椅子を立った。

「――ん?花ちゃん、今日は学校行くか?」

 アインズの問いにアルメリアは首を振った。

「行きません。低次元です」

 程々に冷たく言い放たれた言葉にフラミーは苦笑した。

「でも、学校楽しいよ?ナイ君も毎日楽しそうでしょ?卒業するのが嫌になっちゃうくらいだと思うよ?」

「お母ちゃまは小学校卒業したですか?」

「あ、え、えっと〜……。ねぇ?お母さんは卒業はしてないけど……」

 卒業出来るまで小学校を通いきれなかった貧困女子はごにょごにょと言葉を濁した。

 

 その様子にアルメリアはやれやれ、とアインズのように首を振った。

「思った通りなのです。神様には小学校は不要なのです。リアは神様の子供だから良いのです」

 メイド達がその通りとここぞとばかりに頷く。

「そ、そういうわけじゃないんだよ?お母さんも本当は小学校行きたかったんだけど――」

「全知全能の神様が学校でお勉強する事なんかないです」

「リアちゃん。お母さんは全知全能じゃないでしょ?」

「嘘です!お母ちゃまとお父ちゃまは全知全能です。子供騙しな嘘です」

 アルメリアは熱い尊敬と捨て台詞を残して部屋を出て行ってしまった。

 

「フラミーさん、嘘でも卒業したって言えば良かったのに」

「咄嗟に嘘なんて言えませんよぉ」

 フラミーがひぃーんと鳴き声を上げ、アインズはやはり精神が鎮静されない体は大変だなぁと思った。

 アインズは咄嗟に鎮静されたり、自分で鎮静したりしながら上手いことあれこれと見栄を張って来た。それが客観的に見て良いことなのか悪いことなのかは分からないが、とても助けられて来たことは間違いがない。

「……九太に丸投げで悪いけど、やっぱり任せるのが良さそうですね。俺達じゃああ言われちゃうし」

 アインズが小学校に通っていたと言った時にも、やはり「嘘です!」と言われてしまっている。

「ナイ君、今日もサロンだからーって張り切ってましたね」

「ですね。九太は本当に俺より良くできた男ですよ」

 アインズは人の身でコーヒーに口を付け、自分の不出来に心の中で溜息を吐く。

「悟さんだって、よくできた人です」

 頬杖をついてアインズを楽しげに眺めるフラミーの様子に、心がほぐされそうだった。

「はは。そうかな。じゃあ、まだまだ先にはなりそうですけど、俺も頑張ってよくできた人になります。文香さんを嘘吐きにはできないですからね」

 斜め向かいに座るフラミーの髪を掬い、誓うように髪に唇を当てる。

 

 二人は少し顔を赤くして照れ臭いように笑い合った。

 メイド達は新しい本の一ページを決めた。

 

+

 

「しばらく毎日サロンを開こうと思うんだ」

 休み時間にサラトニクが言うと、クラスは沸き立った。

「サラトニク様!じゃあ、僕の兄も誘っても良いですか!」

 興奮しているクロードが身を乗り出す。

 サラトニクはもちろん、と頷いた。

「カインさん昨日も来てくれてたよね。でも、カインさんはナインズ兄様がお声がけするかもしれないよ?」

「殿下に誘っていただけなかったら可哀想なので!」

「ははは。そうだね。念のためにだね」

「はい!――エリオ、行こう!」

 お付きの男の子を手招き、クロードとエリオは教室を飛び出して行った。

 チェーザレはシュルツ家の家令の息子だが、エリオはメイドの息子だ。

「お兄様を誘うついでに、殿下にも毎日サロンが開かれることをお伝えしなきゃね!」

「さすがクロード様!これで毎日クロード様も殿下のお側にいられますね!」

「へへへ。天才的だろぉ!」

 

 クロードはずっと、カインのことなんか好きじゃなかった。母親のこともそうだ。

 特に、クロードは四歳の時に母親が別棟送りになって以来片手で数えるほどしか母親と会っていない。

 正直、寂しく思う事はなかった。

 と言うのも、母親はカインにべったりで、クロードや一番下の双子の妹と弟の存在は殆ど無視していたから。

 クロードも双子の弟妹もメイド――エリオの母親や乳母に育てられたようなものだ。後は父がよく構ってくれていた。

 母はカインこそ次期当主になる子であり、カインこそランゲ市の頂点に輝く自らの星だと豪語していた。

 四歳だったクロードにはどれもこれもよく意味のわからない言葉だった。

 だが、よく分かる事もあった。

 母親はカインしか可愛くなく、カインも弟と言う存在を疎ましく思っていたという事だ。

 家の中で会っても、カインはクロードをまるで自分の何かを脅かす敵を見るような目をして挨拶もしてくれなかった。

 ――やはり、寂しくはなかった。

 生まれた時から優しくしてもらった事なんか一度もなかったのだから。

 だが、それも二年前に母親が別棟送りになってから全てが変わった。

 カインから毎日のように父とクロード宛に手紙が届くようになった。二通来ていたわけではなく、一通の手紙の最後に書かれたカインからのメッセージを父が読んでくれていたのだ。

 毎日毎日メッセージが添えられていたので、クロードは幼児塾で作った手紙を父に渡した。

 中身は「おいしいケーキたべたいね」と言う、今にして思えばよくわからない手紙だった。四歳だったクロードにしてみれば、仲良くしようと言う精一杯の言葉だった。

 次の手紙にどんな返事が来るかと思ったが、その日に返ってきた手紙にはクロードの手紙への返事はなかった。

 せっかく仲良くしようと思ったのに、クロードは心底残念な気分になった。

 次の日の手紙も、次の日の手紙もクロードの手紙への返事はない。

 一方的にその日あったことを書き連ねた手紙だけが届く。

 つまらない。そう思っていると、おおよそ一週間ほど経った日に手紙が二通届いた。

 カインがクロードに宛てた手紙を別に送ってくれたのだ。

 父に読んでくれと渡すと、父は手紙を開いて笑った。

『――クロードさま。元気にすごしていますか。冬休みには帰っても良いと、お父様に言われました。神都のケーキを買って帰ります。楽しみにしていてください』

 その手紙の内容を聞くと、クロードは急いで次の返事を書いた。

 それは「ふゆにいっしょにたべようね」と紙いっぱいに拙く書かれたものだ。ケーキの絵も入れた。

 今度の返信も六日遅れて届いた。

 手紙は特別な料金を払っていなければ、神都とバハルス州を行くのに三日は掛かることを理解できるようになるまでは少し時間がかかった。クロードから神都へ送る三日間、カインからランゲ市に返す三日間。カインは手紙を読むと次の日には必ず返事を出してくれていたのだ。

 

 その冬にはカインはチェーザレと一緒に大きなケーキを買って帰ってきてくれた。

 そして、制服のポケットからは――クロードのケーキの絵。一番似ている物を買ってきたと言ってくれた。

 クロードは初めて兄に飛び付き、カインはクロードを「兄弟は大事に……そっと優しく」と呟いて撫でてくれた。

 そこからのクロードとカインの関係はとても良いものになった。口いっぱいにクリームを付けてケーキを頬張る当時二歳だった双子の弟妹にもカインは優しかったし、チェーザレやエリオ、家令やメイド達とたまには同じ食卓で食事を取ろうと提案もしてくれた。

 父もカインも揃って、皆でたくさんのテーブルと椅子をダイニングに運び込んだ冬の日は、生まれて今までの食事で一番楽しかったし、美味しく感じた。

 冬にはナインズ殿下とアルメリア殿下の生誕祭もあり、皆で家中を飾り付けして、殿下方が生まれた事を祝った。

 その晩にはナインズ殿下から手紙が届いた。それも、神殿の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が持ってきてくれたのだ。

 家中大騒ぎの中、カインとチェーザレは手紙を開いた。

 

『――カイン、チェーザレ。今日手紙が届くように大神殿に送ってくれたんだね。とっても嬉しかったよ。手紙は夕方にナザリックに運び込まれるから、さっき読んだんだ。カインは可愛い弟達と楽しく過ごせてるかな。チェーザレも久しぶりにお父さま達に会えて嬉しいよね。僕もお休みだから毎日リアちゃんといられて嬉しいです。一郎太は二郎丸と相変わらず第六階層を駆け回って過ごしてるし、ナザリックは平和です。じゃあ、また学校で会えるのを楽しみにしています。ナザリックの外は寒いから、二人ともお体大切に。二人の友人、キュータ・スズキ。――ナインズ・ウール・ゴウンより』

 

 皆感激してカインを褒め称えた。カインは手紙一つで大袈裟だと笑い、手紙を片付けると言ってチェーザレと部屋に上がって行った。

 何となくクロードもその後を追いかけて走った。殿下からの手紙なんてすごい。すごすぎる。

 だが――階段の上でカインはずっと泣いていて、チェーザレが背を撫でていた。

 感激して泣いていると言うより、何かを後悔するような、反省するような涙だった。

 どうして泣いているのだろうと思った。話しかけようとしたが、後をついてきた父に抱っこされてクロードはダイニングに戻った。

 それから幾日か経ち、カインがまた寮に帰ると言う日には、クロードは初めて兄を思って寂しさを感じた。

『春には帰ってくるよ』

『やだ』

『また手紙を書くから』

 クロードは頬を膨らませてカインの手を握ったままで拗ねた。

『チェーザレ、インク貸して』

『え?何するんですか?カイン様』

『僕な、キュータ様にすごいの教えて貰ったから』

 チェーザレが荷物の中から新品のインク壺を取り出し、開けてカインへ差し出す。

 カインは壺の中に指を浸し、クロードの手のひらにT(ティール)と書き込んだ。

『クロード、ナインズ様がこれは勇気が出る魔法の字だって教えてくれたんだよ。帰ってくる日に僕の手の平に書いてくれたんだ』

 クロードは自分の手に書かれた字を眺め、カインを見上げた。

 すごいお兄さんだ。素晴らしいお兄さんだ。

『勇気出た……』

『良かったね。じゃあ、僕達は行きます。お父様、またお手紙送ります』

『気をつけて行きなさい。馬車は長いから、乗り換えの時にちゃんとトイレに行くんだよ』

 カインとチェーザレは良い返事をしてまた学校へ行ってしまった。

 クロードはもう、その日から毎日毎日カインが次に帰ってくる日までを数えた。

 こんなに楽しい冬は初めてだったから。それに、はじめての兄の温もりはクロードの中の欠けた何かを埋めてくれるようだったから。

 

 以来、カインが大きな休みに帰ってくるたびにクロードはカインにべったりだった。双子の弟妹もカインと寝ると言ったり、家の中は全く違う場所に変わった。

 そうして、また寮へ帰る時には必ず手にルーン文字を書いてもらった。

 カインの使える魔法にクロードはいつも胸が躍った。――もちろん、本当にカインのルーン文字が効果を宿した事は一度もなかったが。

 それに、カインの話すナインズ殿下や学校の友達皆の話は素晴らしかった。ナインズ殿下も友人達も、自分という人間を成長させてくれたと、いつも話してくれる。

 クロードもいつかナインズ殿下のような自分を成長させてくれる人に出会いたいと思った。

 ――そして、入学式。

 クロードはサラトニクに出会った。

 女の子よりも男の子の方が背が小さいことが多い年頃なので、クロードは一番前の席だった。そして、サラトニクも。

 奇跡的にクロードはたまたまサラトニクの隣の席だった。

 一目惚れのようにクロードはサラトニクとべったり一緒にいた。

 兄、カインと似た紫色の瞳は、特別な人になる証。

 残念ながら、クロードの瞳は紫がかってはいるが殆ど青だ。

 

 クロードは階段を登り切ると廊下を駆け、愛しい紫を求めた。

 

 そして、兄のクラス。三年B組、バイス先生の担当教室。他のクラスは担任が変わる事もあるが、このクラスは一度も変わっていない。

 扉を叩き、クロードは教室に顔をのぞかせた。

「お兄様!カインお兄様!」

 昼食を取りに行く為に片付けを進めていた三年生達が一斉に入り口に振り返る。

 すると、一番前の席にいた、一年生とそんなに背の高さの変わらない男の子がクロードの前に来た。その胸にはイタチ。

 男の子は美しい銀色の髪をしていて、非現実的に白い肌をしていた。

「おや?――カイン!君の弟君だよ!」

「カイン君!ちっちゃな弟でしゅ!」

 イタチも男の子と共に声を上げてくれる。その姿があまりにも可愛くて、クロードはイタチの頭を撫でた。イタチは鼻をもひもひ動かしながら、クロードに笑ってくれた。

 

「――クロード?どうしたんだろう」

 教室の真ん中あたりの席からカインが出てきてくれると、クロードは飛びつきたい気持ちを抑えた。

「お兄様!今日からね、サラトニク様が毎日サロンするんだって!」

「うん、キュータ様に聞いたよ。それで?」

 それで――それで。

「そ、それで……えっと……」

 カインはすでに知っていた。クロードは何となく続く言葉を失った。

「――カイン様!クロード様は一緒にサロンに行こうって言いに来たんだよ!殿下も一緒に!」

 エリオが助け舟を出してくれると、クロードは何度も頷いた。

 すると、やはり真ん中のあたりの席から仮面を掛けた人が前に出てきた。

「――僕も?クロード君、カインと一緒にサロンに行きたいんじゃないの?」

「な、な、なまえ……僕の名前知ってるんですか……!」

 クロードは瞳いっぱいに輝きを宿して仮面の男の子を見上げた。

「はは、知ってるよ。カインによく聞くもん。じゃあ、今日は皆でサロン行こうか」

 女の子も男の子も皆「良いねぇ!」と賛成の声をあげてくれた。

「クロード、本当はキュータ様と話したかったんだろぉ」

 カインにうりうりと頭を撫でられると、はちゃめちゃになった髪型のままクロードは笑った。

「へへ、へへへぇ。お兄様とも話したかったよ!」

「……ありがとう。僕もクロードと話したかったよ」

 カインが優しく髪を直してくれる。

 兄とは良いものだ。

 クロードとカインの寮は同じ棟だったので、毎日待ち合わせをして一緒にお風呂に行っている。朝ごはんも近くの席が空いていれば必ずそばで食べる。たまにチェーザレと代わってもらってカインと同じ部屋で寝たりもする。

 ふと父が恋しくなって寂しさを感じることもあるが、カインとエリオ、チェーザレがいればすぐに寂しさも忘れる。

 クロードは鼻歌を歌い、エリオと共に学食へ向かった。

 

 一方、学食へ向かわずに教室から教室を渡り歩く女の子が二人。

 

「――ユリヤ、いた?」

「いないよねぇ?」

 マァルとユリヤはハナを探して五クラスある教室を全て確認した。

「やっぱり、もう学食に行ったのかな?」

「そうかもしれないねぇ!私達もご飯食べに行こぉ」

 二人で手を繋いで学食へ向かい、今度は食事を取る一年生の顔を一人づつ覗き込んだ。

「いた?」

「いないねぇ?」

 肩を落とし、食事を手に適当な席に座る。

 あの黒髪ならある意味目立ちそうなものだと言うのにハナはどこにもいない。

「……一緒に行こうって誘いたかったのに」

「本当だねぇ。ハナちゃん、サロンでいっつも一人でいるもんねぇ」

 彼女は多分友達がいるようなタイプではない。

 昨日は嫌々だったとは言え、知っていることを教えてくれた恩もある。言っていることは少し難しかったが。

「お礼も言いたかったね」

「本当だねぇ。サロンで言おっかぁ」

 二人は食事を取ると、もう一度他所のクラスを覗いてから自分達のクラスに帰った。

 

+

 

 アルメリアは今日も学校が終わった後の二郎丸、クリスと共にサラトニクの屋敷に着いた。

 一番乗りだ。

 できればこのまま誰にも来ないでほしいが――いや、ナインズにはすぐにも来てほしい――サラトニクは人気者なのでたくさん子供達が来てしまうはずだ。

 それをどことなくアルメリアは誇らしく思うと同時に、鬱陶しくも思う。

 屋敷の中から出迎えのサラトニクと護衛のニンブルが駆け出してくると、アルメリアは優しい顔で微笑んだ。

「――ハナ様、いらっしゃいませ!」

「サラ。お前のために今日も来てやりました」

「はい。ありがとうございます。心より御礼申し上げます」

 アルメリアがそっと手を差し出すと、サラトニクはそれを恭しげに取り、口元まで上げた。

 ――唇が触れる事はなく、手は離された。

 本来ならば手を触れる事も恐れ多い天使だ。唇を触れさせるような不敬をサラトニクは犯さない。

 だから、敬意を込めてここまでだ。

 

「サラ、今日は何を見せてくれるですか?」

「今日は一緒に朗読を聞きませんか?この世には美しい詩というものがいくつもあります!」

「良いですよ。お前となら楽しい時間になる気がします」

「ありがとうございます!では是非こちらに」

 サラトニクは小さいながらもピッと背筋を伸ばして軽く腕を曲げた。アルメリアは腕に腕を絡めてエスコートされて行った。

 

 二つの背中が離れていくと、二郎丸がクリスに問う。

「――ボク達はどうする?」

「ん〜……。行きましょうか?」

「そうだよね。アリー様のおそばにいなきゃだめだもんね」

「はい。あんまりお邪魔にならないところにいるように気をつけましょう」

 二人の間で結論が出ると、二郎丸はサラトニクを真似て腕を曲げた。

 クリスはおかしそうに笑うと二郎丸と腕を組んで歩き出した。エスコートと言うよりも戦友のような雰囲気だ。

 

 前方ではアルメリアが振り返って待っていた。

「どうしたんです?」

「あ、ごめんなさい!」

「へへ、すみません」

「良いです。転んだりしてないなら」

 二人は嬉しそうに笑い、鼻の下を人差し指でかいたり、肩をすくめたりした。

 何だかんだとアルメリアは二人の事をいつも気にしてくれる。

 最初の頃は外になんて行かないで一緒にナザリックにいて欲しいと何度も言われた。

 ちなみに、クリスは週末にはエ・ランテルのツアレの下に帰るが、今は第九階層のセバスの部屋で寝泊まりしている。逆にセバスはエ・ランテルに毎日行っているので、夜には一人だ。

 寂しくないようにアルメリアがよくお話をしに来てくれる。

 その後にどうしても寂しくなると戦闘メイド(プレアデス)の部屋に行ったり、双子猫と寝たり、エクレアを枕にしたりしながら生活している。

 

 四人はサロンに入ると、もう少し人が集まるまで待とうとお菓子を食べたりジュースを飲んだりして待った。

 アルメリアの手はほとんど進んでいない。ナザリックの食事と比べれば世界中のどんな食事も劣って感じるだろう。

「――サラ、今日ハナはアルメリアにお水をやってきたんですよ」

「きっと綺麗に咲きますね。楽しみです」

「ここで咲く他のアルメリアはどうするんです?」

「花束にしてハナ様に捧げます」

「切っては可哀想です」

「……それでは、ハナ様が毎日見にいらしてくれますか?」

 アルメリアは一瞬嫌そうな顔をしたが、渋々こくりと頷いてくれた。

「……仕方がないのです」

「ありがとうございます」

 サラトニクが一切裏表のない顔で笑っていると、廊下に騒めきが訪れる。

 他の子供達も来始めたようだ。

 そう言えば今日サラトニクは、全然知らない上級生に「ナインズ殿下もいらっしゃる会が開かれていると聞いた」と話しかけられたりした。

 ああ言う人達が来るのはよくない気がする。もちろん、サラトニクは丁重に断った。

「――サラ、来たよ」

 部屋に入ってきたのはナインズだった。

 アルメリアは即座にサラトニクの隣から立ち上がるとナインズへ駆けた。

「お兄ち――」

 そして、その後ろにたくさん人間がいるのを見ると、ぴたりと止まった。

 その中には見覚えがある人間が何人か。彼らは二度もナザリックに踏み込んだので覚えている。

 アルメリアはそのままUターンしてサラトニクの隣に座り直した。

 そして、一番後ろについてきていた男の子達も部屋に入ってくる。

「――サラトニク様!」

「あ、クロード!お兄様は誘えた?」

 アルメリアの座る反対側、サラトニクの隣に男の子が座る。

 アルメリアはこいつは見覚えがあるが、いまいちピンとこないと思った。

「誘えました!あれが僕の兄、カイン・フックス・デイル・シュルツです!」

 指をさされたカインは早足で近寄ってくると、サラトニクの前に膝をついた。

「クロードの兄です。いつも良くしていただいて本当にありがとうございます」

「あ、いえ。カイン兄様。私の方こそクロードには良くしてもらってます」

「良かったね、クロード」

「はい!」

 カインは嬉しそうに笑うと、サラトニクとクロードの頭を撫でてその場を離れた。

「良いお兄様だよね」

「ふふふ。お兄様は僕の自慢なんです」

 ナインズ達もサラトニクに挨拶をすると空いている席や床に適当に座った。

 そうしていると、どんどん子供達が増えて行く。

 ほとんどの席が埋まったところで、執事のエンデカが本を開いた。

「――それでは、読まさせて頂きますね」

 皆ドキドキとエンデカの朗読に耳を傾けた。

 皆お駄賃を握って街に来た吟遊詩人(バード)の話を聞くときのような気分だ。やはりお話は自分で読むよりも友達と一緒に、誰かが読むのを聞く方が楽しい。

 

 小さなお喋りの声と朗読の声が響く部屋に、美しい少女が一人遅れて入ってきた。

 アルメリアはそれが誰なのか知っている。あれも見所のある奴だ。

 少女は真っ直ぐナインズの下へ行き、膝をついた。隣に座るエルミナスは小さいくせにどことなく男らしい顔をした。

「――ナインズ様、遅れてしまい申し訳ありませんでした」

「いいよ、クラリス。来てくれてありがとう」

 クラリスは微笑み、ナインズをうっとりと見上げた。

「もったいないお言葉。して、ナインズ様。あのお方はいらっしゃいまして?」

「いるよ。よく探したら分かると思う」

 クラリスは立ち上がってぐるりと部屋を見渡し、目的の人物を見付けられないことに焦りを感じている様子だった。

 一人づつ顔を確認していると――ふと、目の前から声がした。

「クラリス」

 見下ろすと、黒髪の眼鏡の少女。

 クラリスは即座に膝をつき直した。

「――これは……ご挨拶にも伺わず」

「良いです。クラリス、お前はサラの花壇を見ましたか?」

「まだでございます」

「じゃあハナが案内してやります」

 有無を言わせずにアルメリアが庭へ向けて歩き出すと、クラリスはナインズに頭を下げて共に庭へ向かった。

 そして、クリス・チャンと二郎丸も庭の扉前へ移動していつでも外に出られるように待機した。

 

「――キュータ、席を変わってあげようか」

 庭がよく見える場所に座るエルミナスがソファから降りるためにずりずりと尻を動かす。

「ありがとう、変わって貰っちゃおうかな」

 ナインズは素直にその好意を受け取り、エルミナスはぴょんっとソファから降りた。

 ナインズが移動して座りなおすと、ナインズの足元に座っていた一郎太もわざわざその足元に移動して座り直した。

 

 アルメリアが端にある花壇を指さすと、クラリスは嬉しそうに頷いた。

 

「――よく育っておりますわね」

「夏になる前には咲くとサラが言っていました。これはアルメリアだそうです」

「ふふ、そうだと思いましたわ。今では殿下のお名前を口にすることは不敬だと言うことで、皆ハマカンザシと呼んでおります」

「そうか。知りませんでした。お前は本当に何でもよく知っているのです」

「恐れ入ります」

 二人は仲睦まじく笑い合った。

 クラリスは十歳になり、アルメリアとの身長差はおおよそ三十五センチ。ナインズとも十センチ近い身長差がある。もちろん、クラリスの方が大きい。

 見下ろす不敬を重ねないためにクラリスはすぐに花壇を見守る体勢でしゃがんだ。

「クラリス、お前はこの花壇を美しいと思いますか?」

 クラリスはアルメリアを見上げると、その瞳を覗くように目を細めた。

 

 そして「――思いませんわ」

 即答した。

 

「何故美しいと思わないのです」

「私にとっての美しいものはハナ様とナインズ様、それから陛下方。その下に守護神の皆様方、さらに下に私の両親。これだけです。他のものは――はっきり言って、全てが愚かしく下賤でございます。不要とも言えますわね」

 クラリスがすらすらと過激極まりない言葉を重ねていくと、アルメリアは「く」と口から息を漏らした。

 そして、「くははは!はははは!ははははは!!」

 八重歯を見せて上機嫌に笑った。

 クラリスは相変わらずニコニコと愛らしい笑顔を見せていた。

「お前は本当に面白いです!」

「恐れ入ります」

 腹を抱えて大笑いすると、アルメリアは目の端の涙を弾いた。

「ははは――ふぅ。笑わせてくれます。お前の言う事はほとんど正解です。この世は不要なものがたくさんあります」

「うふふ、ご賛同頂けまして何よりでございますわ」

 クラリスはパァッと明るい笑顔を見せた。

「――だが、クラリス。お前が不要と断ずる物の中にある本当に不要なものと必要なものを見分けられなければ、お前はいつまで経ってもお前が言う()()の枠からは出られないのですよ」

 アルメリアが無の顔で告げるとクラリスの顔が曇る。クラリスはアルメリアの向こうにアインズを見てしまった。

「……申し訳ありません。よく分かりませんでした。私は愚かしく下賤な、不要の存在でございますか?」

「今のままではそうです。自然は尊く美しい。何よりも大切に守られなければならないものだと分からなければ、お前は命の営みを理解しない下賤の仲間です」

「……申し訳ありませんでした。ハナ様は愚かな者がお嫌いだと言うのに」

「良いのですよ。でも、お前ともあろう者がサラに学ぶことがあるかもしれませんね」

「……サラトニク様はそれを理解して?」

「あれは優しすぎるのです。全てに優しいのです。不要にも要にも優しいのです。だから、ある意味分かっていますが、ある意味分かっていません。それでもお前の全てが不要だと言う意識は変えると思います」

 

 クラリスがサロンの中のサラトニクへ向けた瞳は燃えるようだった。サラトニクのことは嫌いではないだろうが、何となく複雑な思いがありそうだ。例えば、ライバル同士のような。

 

「クラリス。私達は生かされている事を知るのです。光の神は命、光、風、水の力の源。闇の神は死、闇、土、火の力の源。聖書にあるでしょう」

「はい……。存じ上げております」

 アルメリアはまだ花の咲いていない花壇の土の中に手を入れてすくった。

「土は落ちた物を殺して、バラバラにします。でも、それが全ての始まりです。バラバラになったものは土になります。水と命を吸い込む土ができて、風が種や虫を運んで、ここには次の命が生まれます。命というものが一体何なのか。お前達のように、下手に知能を授けられた生き物以外は自然と理解していることです」

 クラリスは見た。

 アルメリアがすくった手の中の土から芽が出て、草が伸び、花が咲き、いつしかそれが枯れて土に還って行く様を。

 更にはアルメリアの手の中から大きな木が育っていくのが見えると、空を仰いだ。

 そして太陽の眩しさに目を細め、命を手の中に収めているように見えるアルメリアに視線を戻した。

「――ハナ様……。御身は超常の存在にございます」

「当然です」

 アルメリアが土を花壇に戻すと、重いものなど一つも持ったことがないような繊細な指の先にミツバチが止まった。

「土も虫も、育ちかけの草も、枯れてしまった葉も、全てが美しく尊いと知るのは、何もない世界を知る者と、生かされている事を知る者だけです。お父ちゃまとお母ちゃまは世界創造をする時に何もない場所を見ています」

 すぐに飛び立ってしまったミツバチを見送るアルメリアは両親が世界とナザリックを創る姿を思い描いた。

 今はいない"ぎるめん"と呼ばれる人々と共に完璧なナザリックと言う世界を創り、外の世界を両親が二人で創ったのだ。

 

 クラリスは今すぐにもメモを取りたそうな顔をしていた。

「――あぁ、もちろんナザリックだけは特別です。この世で最も美しく、あるべきと定められた姿を保つ場所です。だからナザリックに生きる者達は皆この摂理を離れています。でも、お前達ナザリックに生きない者はそれを知らねばなりません。生と死の円環を」

「……素晴らしいご教授を賜りありがとうございます。何もない世界を知る者にはなれませんが……御方々に生かされていることは知っておりますわ。美しいと言えるようになるかは分かりませんが、不要とは言わないだけの教養を身につける事を誓います」

「そうですね。お前はサラと同じく見所がありますよ。賢い良い蕾です。私は外の者はお前とサラだけがいれば良いと思います。あとは関わり合うのも嫌です」

「あぁ……ハナ様……。ありがとうございます。救われるようですわ……」

 アルメリアはクラリスに笑ってやるとサロンの中を眺めた。

 こちらを見守る仮面をしたナインズと目があった事をはっきりと感じた。

「――お兄ちゃまは何もかもよく分かっているのです。ハナに何でも教えてくれるし、素晴らしいのです。もう立派な神様のようです!お父ちゃまとお母ちゃまが一対の存在なように、お兄ちゃまがリアの一部です」

「はい。その通りだと思いますわ。本当に……素晴らしいお方です」

「クラリス、お兄ちゃまのお嫁さんになりたいですか?」

「い、いえ。そんな恐れ多くて」

 クラリスは十歳の少女らしく頬を赤くした。

「少なくとも、生死の円環を理解できない者をお嫁さんには認めないのです。頑張ればお前が一番乗りかもしれません」

「――な、なるほど。分かりましたわ」

 シャキリと背筋を伸ばす彼女はどう見ても「恐れ多い」という感情よりも「お嫁さんになりたい」という感情が大きいように見えた。

 

 ただ、正直言えばお嫁さんは一人もいらない。

 ナインズのそばにはアルメリアがいれば十分だ。だが、真に賢い子ならば考えなくもない。話していてアルメリアも楽しいかも知れないから。

 アルメリアはふんふん鼻歌を歌った。

 クラリスはアルメリアの隣で一生懸命草の良さを理解しようとしているようだった。

 

 そして、ご機嫌に過ごしているアルメリアに声がかかった。

 

「――ハーナちゃぁん!」

「ハナちゃん、今日も葉っぱ見てたんだね」

 蕾と愚か者だった。

「まぁ。ハナ様、お知り合いですの?」

 クラリスに問われる。クラリスは本当に面白い。愚かそうな存在達だが大丈夫か、と顔に書いてあるようだった。

 アルメリアの返事はもちろん決まっている。

 

「違う」

 

 蕾と愚か者は目を見合わせ、次の瞬間笑った。

「私達、もうお友達だもんねぇ!」

「お姉さん、ハナちゃんとは昨日お友達になったんだよ!」

「「――おともだち?」」

 アルメリアとクラリスの声が重なる。

 クラリスの声には明らかな不信感。

 アルメリアの声には戸惑い。

 自分を友達と示すはじめての存在に思わず動揺してしまった。

「ハナちゃん、何組なのぉ?」

「昨日ね、命のお話ししてもらったお礼言おうと思って学校でずっと探してたんだ!」

 それを聞くとクラリスは一歩二人へ近付いた。

「……あなた達、ハナ様に命の円環を聞いたんですか?」

「そー!教えてもらったんですよぉ!」

 蕾が嬉しそうに微笑むと、クラリスはアルメリアに振り返った。

 アルメリアは自らにかかった石化魔法をようやく解除した。

「――ほんのさわりを話してやりました。それを一ミリも理解できない者と話すのは苦痛です」

「なるほど、そういう事でしたのね」

 安堵したようにクラリスは微笑んでから二人へもう一度向き直った。

「あなた達、お名前は何と言うんですか?私はクラリス。クラリス・ティエール」

「クラリスお姉さん、私はマァル!」

「私はユリヤですぅ!」

「マァル様とユリヤ様。ハナ様の話す命のお話し、分かったかしら?」

 二人は首を左右に振った。

「よく分かんなかったの。でもね、分かるようにたくさんお勉強する!」

「いつかちゃんと分かるようになるねぇ!」

「まぁ、偉いですねぇ」

 クラリスは悪魔が人を騙す時のように笑って両手を叩いてやった。

 アルメリアはクラリスを観察するのは楽しいなぁと思った。

 だが、アルメリアに咲くかも分からない者に付き合う趣味はない。

 そろそろサロンの中に戻ろうと決め――昨日のサラトニクとの会話がよぎった。

 

『丁寧に育ててやればいつか実をつけます』

『そうでしょうか……』

『はい。そうでなければ、光神陛下が生み出されるはずがないのですから』

『……それはそうです』

 

 サラトニクの言うことは分かる。

 分かるが、この二人に根気強く付き合ってやる義理はない。

 一瞬ここに残ろうかと思ったが、アルメリアはやっぱりサロンへ戻ることにした。

 二人と話し始めたクラリスを置いて行く。

「あ、ハナ様」

「ハナちゃん!」

「何組なのぉ!」

 全く気安く話しかけてきて無礼千万だ。

 サロンの入り口にはクリスと二郎丸がいてくれている。

 二人はアルメリアが戻ってきた事を確認すると扉を開けっぱなしにしてサロンの中へ一足早く戻った。

 サロンに戻ると、サラトニクの隣の席は取られていた。

 けしからん。

 

 アルメリアは今日は帰ることにした。




どうもどうも!ご無沙汰してます。男爵です。
リアちゃん、自然保護団体ナザリックで育ってるだけあるな……!

と、ここで私事なのですが……ナイ君を始めとして二郎丸やらサラトニクやら子供を産みまくったためか男爵も身籠りました。
つわりでだるくてお話が書けないという体たらく。
またしばらくお休みをくだちゃい……。というか不定期更新になりそうです。
フラミーさん、寝つわりで良かったね……!


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Lesson#20 愚者と賢者

「じゃあ、皆今日も待っているね!」

 鞄を背負ったサラトニクはサロンの準備のため、いの一番に教室を後にした。

 その後を小走りで追うクロードと、お付きのエリオ。

 

「サラトニク様!僕たちもサロンの準備、手伝いますよ!」

「――クロード、エリオ。お兄様と来る約束はいいの?」

「お兄様達三年生は今日はもう一時間授業がありますから!お兄様を寮で待つよりもサラトニク様の手伝いをしようと思って」

「ありがとう。でも君たちだってお客さんなんだから後からいつもの時間に来てくれたっていいんだよ?」

「いえいえ!サロンは皆でお勉強をするところなんだから、僕たちはお客さんじゃないですよ!」

「クロード様の言う通りですよ!学校もお勉強をするところだから、お客さんはいませんしね」

「学校はそうだけれど、サロンは私の屋敷だからさ」

「分かってます!でも、準備って皆でやるとすごく楽しいんですよ。僕達、小学校入る前にお兄様やエリオ、チェーザレや皆で食卓を動かして、使用人も合わせて皆で食事をすることがあったんです!」

 楽しかったよね、とクロードがエリオに笑い、エリオは大きく頷いた。

「すっごく楽しいですよ!僕達結構役に立てると思います!」

「だから、どうかなって!」

 

 サラトニクの思いとしては、アルメリアが少し早く来るのでそれを一人で迎えたいと言うのが一番だ。

 だが、それと同じくらい「皆で何かをする」と言う言葉に惹かれてしまいそうだった。

 サラトニクには違う母から生まれた兄姉がいるが、ほとんど関わったことはない。

 父ジルクニフや母ロクシーからはよく愛情を注がれ、数え切れない側用人達や教育係からは多くの知識と教養を注がれた。

 不足しているものは何もないし、兄姉の名前を正確に覚えてすらいない事に寂しさも感じない。

 

 ただ、ナインズとアルメリアの間に深く刻み込まれている絆をすぐそばで見て来たサラトニクがそれに憧れないかと言えば、そうでもない。

 ナインズの事はナインズ兄様と呼びたいし、実の兄達より余程慕っている。慕ってはいるが、身の程を忘れた事はない。何かを手伝わせたり、共に何かに着手した事もない。――「アルメリア人馴れ作戦」は初めてナインズと共に着手している計画ではあるが、肉体を共に動かす訳ではないので、今回の条件とは少しばかり違うだろう。

 そんなサラトニクなので、皆で何かをするという経験はあまりない。

 サロンの準備も、執事や女中達にあちらへ何を運ぶとか、こちらに花を置いて欲しいとか、今日の飲み物は炭酸水が良いとか、そう指示を出すだけだ。

 それが長となるべき男のする事なので不満はないが――新しい方法を共にやってみないかと言われてしまうと非常に悩ましい。

 

 クロードとエリオは期待に胸を膨らませた瞳でサラトニクを見ていた。

 本当に皆で食卓を運んだのが楽しかったのだろう。それに、きっと役に立てると思ってくれている。

 サラトニクは短い思考に決着をつけた。

 

「じゃあ――一緒に来てもらおうかな?」

 

 二人の返事は大きく、得意げだった。

 

「もちろん!!」「はい!!」

 

 三人で共に家路に着き、執事のエンデカや護衛のニンブルが出迎える。

 いつもなら指示を出し、部屋全体の完成度を確認するだけだが、サラトニクは細い腕でサイドテーブルを運んだり忙しく動いた。途中三人でお菓子を摘んだりもしつつ。

 ナインズがいつも一郎太と座る場所に新しい花を置いて、美しくも優しい兄を出迎える準備を整えた事に胸を熱くした。

「――楽しかったですか?」

 共にテーブルを運んでくれたクロードが横から顔を覗き込むと、サラトニクは働いて紅潮していた頬を照れ臭そうにグイと拭いた。

「うん、楽しかったよ。自分達でやるって思ったより良いものだね。クロードとエリオのおかげで新しい発見だったよ」

 二人が楽しげに笑い合う様子をエンデカは優しい瞳で見つめた。

 そうしていると、玄関の方からドアノッカーが扉を叩く音がした。

 いつもより早い時間だが、もうアルメリアが来たようだ。

「二人はここで待ってて!」

 サラトニクはクロードとエリオの返事も聞かずに駆け出し、玄関へ競歩で向かうエンデカの後をいとも簡単に追い越した。

 開かれた玄関扉の向こうは目が眩むほどに明るく、よく見えないが、女中がアルメリアを出迎えているはずだ。

 いつもなら庭仕事をしている者達が、アルメリアがドアを叩く前に来訪を告げるというのに困ったものだ。

 自分で何かをすると言う事は、使用人たちの監督が疎かになる事もあるとサラトニクは学んだ。

 

「ハナさ――ま?」

 

 女中と扉の間をすり抜け玄関へ飛び出すと、サラトニクは瞳をパチクリさせた。

 

「あ、エル=ニクス君。今日もやるんだろう?」

 そう尋ねる少年のローブの柄のカラーは緑。六年生だ。

 少年の後ろにも四人程六年生達がいた。

 以前学校で話しかけて来た子供達だ。

「――やる、とは?」

「ナインズ殿下もいらっしゃる会、やるんだよね?」

「サロンは開きますが……」

「そっかそっか!なぁ、俺達も一緒に学びたいんだ」

「ですが……参加する多くは一年生と三年生なので皆様が学べる程のものでは」

「良いよ良いよ。こないだもそう言ってたけどさ、俺達ちょっと殿下とお話ししてみたいだけだから」

 

 女中が中へすぐに来訪者を通さずに玄関先に止めていたのはこれまで来た子供達よりずっと大きく、顔も見た事がなかった為だ。

 サラトニクの直感がこう言う子は一番通してはいけないと訴える。

 

「……殿下は見えられるか分かりませんし、見えられても御公務ではないのでお付きの一郎太様とお過ごしになる事が殆どです」

「うん、お見えになったらで良いからさ。エル=ニクス君から紹介してくれないかな?俺達少し話すだけで構わないから」

「私も殿下に話しかけられずに一日を終える事が多くあります。もし殿下とお話しされたいのでしたら、学校でされては如何でしょうか?」

「仮面を着けてらっしゃる時はそうもいかないだろう?ここなら殿下は仮面を外す事もあるって聞いたんだけど」

 

 完璧なサロンを作ったと思っていたが、外で余計な話をする者がいるらしい。

 ナインズの仮面は「話しかけないで欲しい」と言う意思表示。もしくは「特別な人(ナインズ)として扱わないで欲しい」と言う意思表示。

 一生徒であると言う目印の仮面を被っているナインズにおいそれと話しかけでもすれば、上級生、下級生関係なく一郎太に注意される。

 教師にも「御公務ではないのだから軽はずみに話しかけたりしないように」と注意されているはずだ。

 

 サラトニクの瞳の奥に、父親から譲り受けた智が揺れる。

 

「確かに仮面を外される事もありますが、それは物を口にされる際だけです。そこに話しかけるほどの余裕はありません」

 これは嘘だ。アルメリアがリラックスできるように、ナインズはここにいるほとんどの時間で仮面を外している。自身の表情がわかるように。

「なんか結構外してるって聞いたよ。ここでなら殿下と話せるって言ってる子もいるんだよね。エル=ニクス君さ、何かな。お兄さん達が殿下に失礼な事をすると思ってるのかな?」

 

 一年生と六年生と言えば、殆ど違う生き物と言っても過言ではないほどだ。十二歳にもなれば背も高く、言葉もたくさん知っていて、駆け引きすら学んでいる。

 普通の一年生ならば全面降伏だろう。

 六年生の少年はサラトニクの顔を覗き込んだ。

 

「俺達、別に殿下に迷惑をかけようって言うんじゃないんだよ?一言ご挨拶してみたいだけなんだけど」

「分かります。ですが……それがご迷惑かご迷惑でないかを決めるのは私ではありません。殿下が万が一にもそう感じられる事がないようにする事が、このサロンを開く私の役目です」

「……一年生達を入れるのに、よっぽどちゃんとしてる俺達を入れないのはおかしいだろう?」

 

 もとよりナインズ目的で来たこの少年たちと、少なくとも最初は勉強目的で集まっていた一年生たちなら、一年生たちの方がちゃんとしているとサラトニクは思わずにはいられなかった。

 

「――お断りします」

「皆のためのサロンじゃないの?」

「……私は大切なたったお一人のためにサロンを開いているのです。その御方が蕾として楽しく学ばれ、人々と通じ合い、いつか大輪の花となられるお手伝いをすることが目的です」

「たったお一人……殿下に媚びを売ってるわけか。皆のためみたいな顔をしておいて、殿下を一人占めしようって?」

「そう思われても構いません」

 

 サラトニクが頑として屋敷に入れてくれない様子をみると、上級生達は食ってかかるような目をした。

 だが、メイドや執事も様子を見ている中でおかしな真似ができる訳もない。特に、ただただ殿下と話をしてみたかっただけの男の子達だったから。

 少年たちは何かもっと言いたげな様子だったが、サラトニクよりも余程大きな体を揺らすように踵を返し、屋敷を後にして行った。

 背中が小さくなっていく様子に思わず安堵から息が漏れる。

 

「――愚か者達の相手は大変ですね」

 

 氷に雫を垂らしたような透き通った響き。

 サラトニクはハッとして玄関の庇を支える柱へ振り返った。

 柱の側で指先に紋白蝶を止まらせるアルメリアは、存在感を消す伊達眼鏡をしていてもはっきりと分かる程に、心底つまらなそうな顔をしていた。

 アルメリアがいたことに全く気付かなかった。いや、それどころか「まずい」と顔に書いてある二郎丸とクリスにも気が付かなかった。

 余程集中して帰ることを促していたらしい。

「ハ、ハナさま。いつからそこに」

「いつでも良いのです。――さぁ、お前はもうお行き」

 紋白蝶は数度はばたくと少し危なっかしい様子でアルメリアの指から飛び立って去って行った。

 それと同時に、エスコートする意思を見せるようにサラトニクは肘を曲げた。

 いつもならすぐに手を絡ませてくれるが、飛んで花壇へ向かう蝶を眺めるアルメリアはそうはしなかった。

 

「――リアもいつか空を飛べるようになるでしょうか」

 唐突な質問に、サラトニクは一瞬言葉が喉をつかえた。

「そ、それはもちろんです」

「サラはそう思うか」

「はい。必ずやハナ様は空を制するかと。……でも、何故そのようなことを?」

 

 アルメリアは静かにサラトニクを見つめると、サラトニクの腕にようやく手を絡ませた。

 そして、サラトニクの疑問には答えてくれなかった。

「サラ、お前は大切な一人の為にサロンを開いていると言いました。それはお兄ちゃまです?」

「……いえ、ナインズ兄様のことも大切に思っておりますが……」

「ではリアのためにやっているわけです?」

 サラトニクは何と答えようと必死に頭を回した。

 彼女が嫌いな人間共の輪の中にわざわざ引き摺り込もうというサラトニクのお節介を、彼女がどう思うかと想像を巡らせると怖かった。

 あれこれと丁寧に言葉を探しているうちに時間切れを起こしたようだ。

「サラ、ならば明日からはもうサロンを開く必要はないです。今日でおしまいです」

 アルメリアの後ろで二郎丸とクリスがガックリと肩を落としているのが見えた。なんなら様子を見ていたエンデカとニンブルすら肩を落としていた。

「ア、アルメリア様。しかし……」

「この私が必要ないと言っている」

 きっぱりとした言葉にサラトニクは静かに頭を下げる事しかできなかった。

 

 ――せっかく皆が蕾だと思ってもらえたのに。

 丁寧に育てれば、皆花を咲かせると分かってもらい初めていたのに。

 

 アルメリアと二郎丸、クリスと共にサロンに入ると、準備を手伝ってくれていたクロードとエリオは二人で教科書を読んでいた。

 アルメリアの為のサロンだが、突然二度と開かないわけにもいかない。

 溜息を吐いてしまいそうな気分だが、アルメリアが隣にいる以上あまり露骨な表現もしたくなかった。

 先客の存在を見ると、アルメリアはそっと腕を解いていつもナインズが座っている場所へ一人向かった。

 クロード達はアルメリアの存在に気が付いていないが、クリスと二郎丸には気が付き挨拶を交わした。

 

 その後、サロンには続々と子供達が現れ、そして皆帰って行った。

 アルメリアもいつもよりよほど早い時間に帰ってしまった。

 

+

 

『――悪かったね、サラ』

 頭の中に響くナインズの声に、サラトニクは首を振った。

 

「いえ……。ナインズ兄様、私がうまくやらなかったせいです……」

『そんな事はないよ。サラがここまでやってくれたお陰で、リアちゃんはちょっとでも外を知る事ができたんだから。僕の方こそ大変なことを頼んで悪かったね』

「とんでもないです。ナインズ兄様とアルメリア様のお手伝いをする事に、私は何よりの喜びを感じていました」

『ありがとう。……リアちゃんの事、また何か良いアイデアが出来たら手伝ってくれるかな?』

「それはもちろんです!いつでも仰って下さい」

『心強いよ。サラとなら、きっとリアちゃんに外の良さを伝えられるって思ってるからね。じゃあ、また明日』

「はい、おやすみなさいませ」

 サラトニクは深々と頭を下げ、ナインズからの<伝言(メッセージ)>が切れる時を待った。

 ぷつりと繋がりを失い、ベッドの上で静かに手を下ろす。

 

 窓から差し込む月光が部屋を青く染める。

 別の世界に暮らすナインズとアルメリアはこれとは全く違う空を見ていることだろう。

 このままアルメリアと道を別にするようなことがあれば、同じ空を共に仰ぐこともない。

 

 サラトニクは小さな世界に暮らす子供が持つ特有の不安感と閉塞感に胸を抑えた。

 

+

 

 その日の朝、マァルはいつも通りユリヤと登校し、自分の席に着くとぼうっと一つの席を眺めた。

 

(殿下は……今日もお休みかー)

 

 毎日毎日、来る日も来る日も変わらない感想を抱いていると、ふと廊下が騒がしくなった。

 先生がもう来たのだろうか。

 ――いや、登校して来たジェニが教室の扉から廊下へ振り返り、目玉が落ちてしまいそうなほどに見開いている。

 その様子から、現れた存在が先生だという予想はマァルの中から消える。

 何人かが廊下の様子を見ようと席を立つが、マァルは立ち上がらなかった。

 ああやってジェニはいつでもふざけているので、外の喧騒は気になるが、ジェニに乗せられたくなかったのだ。

 ジェニが、背負ったスクールバッグを扉に押し付けるようにして誰かが通るための道を開ける。

 もしかしたら誰かが大きな虫を捕まえて来たのかもしれないとマァルは思う。

 いや、あのジェニが避けるほどなのだから、もっとびっくりするような生き物だろうか。例えば、尻尾の生えたヒキガエルとか。

 ジェニの様子を伺っていると、ユリヤと目が合い、お互い首を傾げあった。

 

 厭な想像を続けていると、扉から姿を現したのは――なんてことはない。

 いつも通りのクリス・チャンだった。

 皆ジェニに乗せられていたのだ。

 そう思い、クラスメイトに朝の挨拶をするべく手を軽く上げかけところでマァルは硬直した。

 その後に現れた者は、この上もなくたおやかな尊い宝のようだった。大きな瞳は濃い金色。華奢で小柄な体は、朝日が昇る直前の薄紫に染めた空すらくすんで見えるほどに透き通った色。

 同じ制服を着ているはずなのに、どんな貴族が身に纏うドレスよりも清廉で高価な物を着ているようにすら見えた。

 それが誰か等と問う者はこの学校にいるはずがない。

 しん――と静まり返った教室で、クリスがジェニの前を「おはよぉ」とはにかみながら通る。

 続いて冷たい声が響いた。

 

「道を開けよ」

 

 マァルの目には道は開いているように見える。

 しかし、お互いに避け合わなくては彼女(・・)のその漆黒の翼はジェニにぶつかってしまうかもしれない。

 ジェニは何度も頷くと、廊下に出る事で扉の前の道を完全に開いた。

 いつも突っかかってくるジェニの情けない姿に笑ってしまいそうになるが、それ以上にマァルにはどうも気になる事があった。

 絶対にあり得ない事だが、彼女(・・)と言葉を交わした事があるような気がしてならないのだ。

 あの喋り方、声、どこかで聞いた事があるような。

 だが、相手は一度会えば決して忘れられるような存在ではないはず。

 

「さぁ!アリー様のお席はこちらですよ!」

 クリスは満面の笑みで、いつもマァルが眺めてきた空白の席の椅子を引いた。

 疑っていたわけではないが、確信する。

(殿下は……今日はお休みじゃない)

 彼女――いや、アルメリア殿下はそっと腰掛け、翼と背もたれの具合が良くなるように数度翼を揺らした。

 その様子はどことなく落ち着かないような、不安なような雰囲気だった。

「ありがとう。クリスと丸、二人の席はどこです?」

「じろちゃんは背が高いので後ろです!」

「僕は――ここですからね!」

 二郎丸は通路と一人を挟んでアルメリアの斜め後ろの席に荷物を降ろした。

「……隣に護衛の丸がいなくて大丈夫でしょうか」

「大丈夫ですよ!なんて言ったってアリー様のお隣はこのクリスですから!」

 同じく通路を挟んだ所にクリスが座る。同じ机を使う隣の席ではないが、隣と言っても支障はないだろう。

「そうですか。そう言うことはもっと早く知りたかったです」

 アルメリアが安心したように少し笑みを溢すと、男の子も女の子も「わぁ」と感嘆の声を漏らした。

 それを皮切りに教室に少し音が戻ってくる。皆息を止めてアルメリアを眺めていたのだ。

 誰が一番に挨拶に行くかこそこそと話し合いが始まり、マァルも離れた席に座るユリヤと再び目配せをしあった。

 そして、一番に良家出身の女の子たちが動き出し、アルメリアの座る机を囲んだ。

「アルメリア・ウール・ゴウン殿下!私達――」

 恐ろしいほどに長い自己紹介が始まる。――そう思った。

 だが、それを堰き止め、女の子達をかき分けてアルメリアの席にたどり着いた者がいた。

「アルメリア様!!」

 肩で息をし、春先だというのに額に汗を滲ませた姿でサラトニクが現れた。まだ背に鞄を背負ったままだ。

 つい今登校して教室に入ったのだろう。

「思ったよりも遅かったですね。もしかして今日は来ないのかと思いました」

「い、いえ!私は必ず来ます!!ですが、いらっしゃると知っていればお迎えに上がりましたのに!!」

「気にすることはないです。さぁ、挨拶を。その後お前の席はどこだか教えてほしいのです」

「私はあちらですが――そんな事より、何故突然……。昨日あんな事があったのに……」

 

 サラトニクの瞳が揺れる。何か信じられないようなものを見る目をしていた。

 

「……お喋りも良いですが、私は今この姿で来ているのです。無礼ですよ」

 マァルの頭の中に再び誰かの顔が掠めるが、うまく思い出せない。

 サラトニクはアルメリアの座る椅子の足下まで移動し、膝をついた。

「も、申し訳ありません。アルメリア様」

 薄紫色の手を取り、挨拶のためその甲に唇を落とす仕草をする。実際に唇が触れたかは分からなかったが、周りの女の子達から「キャア!」と興奮するような羨むような声が溢れる。もちろん、マァルの口からも。

「良い。許すのです。それで、私が来た理由ですね」

「はい……。どうして……」

 膝をついたままのサラトニクが困惑するようにアルメリアを見上げる。

 アルメリアは優しげな手つきでサラトニクの前髪を撫でた。

「……サラは言いました。リアが人間と通じ合い、いつか大輪の花となる手伝いをしてくれると。……お前はリアのミツバチです」

「アルメリア様……」

 サラトニクは心底感激したように吐息混じりに尊き名を口にした。

「……でも、そもそもリアはもう蕾ではなく花です。それを分からせてやる為にも仕方なく来てやったんですから……今日はあまりリアの側を離れないでいるんですよ」

「はい!もちろん!」

 ぷぃ、と顔を背けたアルメリアの横顔を眺めていたマァルの脳裏をいくつかのワードが繰り返し響く。

 "サラ"、"お前はミツバチ"、"蕾"――。

 

(……ハナちゃん……?)

 

 マァルの中で、サロンで出会ったハナという顔を思い出しにくい黒髪の少女の名前がハッキリと浮かんだ。




そーはっぴーめーりくりすまーーす!!!(超えてる
皆様お久しぶりです!
男爵ベイビーは男の子でした!
そして生後100日を無事に迎えたことをお知らせしまぁす!
夜寝るようになってくれたので、ようやく眠る前に夢を見る余裕が出てきましたぜ!


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Lesson#21 人と異形

「この島の外には魔法があるはずなんだ……」

 十五才程度の青年――ラビ・テランバードは遥かなる海を見て呟いた。

 人口一万人程度の島の周りは見渡す限りの海。

 ラビの立つこの浜辺も、ほんの数十歩進めけば何十メートルもの深さになる。

 碧く深い海はタラやニシン、カキやアサリなどの恵みを島民に与えてきた。時には島を襲う猛烈な嵐を連れて来る事もあるが、母なる海はいつでも人々に優しかった。

 

「まぁーたラビの"魔法はある"が始まった。魔法なんて信じてるのは子供だけだって」

 誰へ聞かせたわけでもなかったラビの呟きは耳聡い友人、ディー・ラトラムによって否定された。

 

「……ディーは本当に魔法が無いって思う?」

「思う。あったら来る日も来る日も潮干狩りを父さん達に言い付けられるような生活なんか送ってるわけないだろ」

 ディーは短いスコップでザクザクと浜を掘り、目当てのアサリを見付けるとポイとバケツへ放った。

「――今日も明日もアサリとワカメの汁。渡り鳥がすぐそこにいるって言うのにさ。魔法があるなら渡り鳥を増やして見せてほしいよ」

 

 渡り鳥は捕り過ぎれば来年からこの島に渡ってきてくれなくなる。昔の島の人々は海や空からの恵みを無尽蔵に取っていた。海も空も、どれだけ何を奪ったとしてもいつまでも変わらずにあると信じていたのだ。

 しかし、海と空が無限だと言う幻想が打ち砕かれ、島に飢饉が訪れてからは目の前にどれだけ無防備な渡り鳥がいたとしても、猟を許された村の男達以外が鳥を獲ったりしてはいけないと決まった。

 

「魔法って言ったって、そんな……鳥を増やしたりできるような万能なものではないと思うけどなぁ」

「じゃあ、どう言うもんなの」

 

 ラビはアサリを掘り返しながら問いに答えた。

「………竜王が持つ魔法は、南にあった町(・・・・・・)を広大な砂漠に変えるような……破壊的な力を持つ物だったんだよ」

「またそれか。南にあった町って一体どこなんだか。第一竜だって御伽話の生き物じゃんか」

「いないとは限らないよ。魔法だって――いや、いいや」

 

 これ以上話す気はないとばかりにラビは立ち上がった。パンパンと膝を叩き、砂を落とす。

 今夜と明日の朝食べる分と、近所の人に売る分だけのアサリを入れたバケツを取り、浜から村へ踵を返した。

 

「……ラビは変わんないなぁ」

 

 ディーの呆れ混じりの声が風に消える。

 

 ラビは昔から変わり者だ。男のくせに、まるで幼い少女のように夢見がちなことを言う。

 

 浜は海水に湿っていて、打ち上げられた海藻が所々で干からびようとしていた。

 この浜には海藻だけではなく、このどこまでも広がる海に乗って、どこかからか見たこともないおかしな物が流れ着いて来る事がある。

 

 ディーが最初にラビをおかしなやつだと思ったのは、ちょうど十年程前。

 

 今日のように嵐の翌日で――よく晴れた、親に潮干狩りを言いつけられた日のことだ。

 

+

 

「ディー!見てよ!ディー!!」

 

 興奮するラビの声に、蟹をいじくって遊んでいたディーはすぐに顔を上げた。

 

「瓶でもあった?」

 

 割れていないガラス瓶などは大変希少だ。島内にガラス工房はたった一つしかない事もあり、大人に高く買い取って貰えることもある。

 砂に一瞬足を取られそうになるのも気にせずに、ディーはすぐにラビの下へ駆けた。

 

「ううん!今日のはすっごいよ!ほら!」

 その手の中には額に納められた絵があった。

「うわぁ!竜が戦ってる絵だ!すっげぇー!」

 

 蒼穹の空を飛び、睨み合う竜と多くの種族の者達。同じく天空にある城は禍々しい雰囲気を放ち、その姿を雲間よりのぞかせていた。竜と共に飛ぶ白磁の頭部をもつおぞましい筈の髑髏は、城を背にする者達よりも神々しく描かれている。

 

「なんか、変な絵。悪者みたいな奴が主役なのかな」

「ねぇ、絵なんかより裏を見てよ!」

 興奮しているラビはすぐに絵をひっくり返した。

「――何?裏なんかつまんないよ」

「つまんないもんか!ほら――これ!"神話の終わり"だって!それから、ええと……スルシャーナ様は八欲王に弑され……竜王もまた、八欲王によって多くが殺された。神話と竜王の時代の終わりをここに残す……!」

 ラビは絵の裏にびっしりと連なる記号に視線を落としながら、そう言った。

 

「……何言ってるの?」

「何って?"神話の終わり"が多分この絵の題名なんだよ!ディーも読んで!」

 指をさした先は、何らかの不可解な記号が連なっていた。

「読めるもんか!こんな滅茶苦茶な記号!」

「…滅茶苦茶な記号…?ディーにはこれが読めないの?」

 ラビは信じられないような目をした。馬鹿にしたようではなかったが、ディーにはそう聞こえた。

「……ラビの嘘つき!ちょっと人より字を読むのが得意だからって!適当なこと言ったって僕は騙されないからな!馬鹿にするなよ!」

 

 ディーはまだ何も取れていないバケツを引っ掴むと村へ駆けた。

 

+

 

 あれからだ。

 あれ以来、ラビは浜で何かを拾うと、大人が誰も読めないはずの島の外の言葉を読んだ。

 しかし、大人も読めないと言うのに、読めるはずがない。――それこそ、魔法でもなければ。

 

 字が滲まずに届くのは油絵や彫刻くらいだ。油絵の裏に書かれた説明や題名をラビが読んでみせるたびに、大人は「想像力豊か」だと微笑ましく聞いていた。

 ――が、青年になってもラビの「読むごっこ」は決して落ち着くことはなかった。

 

 絵やぐずぐずになった本、絵付けされた皿の破片が嵐の後に流れ着いたと聞くたびにラビはどこまでも出かけた。

 人口たった一万人程度のこの島は、村や山を突っ切ると裏の海岸までは二時間ほどでたどり着く。

 そして、物を拾ったと言う人から――買い取らせてもらえそうならお金を払ってでも――ガラクタや本、絵を貰って帰るのだ。

 ここ数年は漂着物も減ったので、漂着物を見つけたと聞いた時のラビの喜びようは苦笑せずにはいられない程である。大変な思いをしてまで漂着物を見に行き買い取る彼は変わり者だと島の軽い噂だ。

 そして、この島では珍しく眼鏡をかけている。昔流れ着いた歪んでいた丸眼鏡を、わざわざ修理してかけているのだ。

 

 ラビは村へ戻る道を進みながら、幼い日に馬鹿にするなと怒って帰ったディーの背中を思い出していた。

(……それでも魔法はある。……そうじゃないと、僕のこの文字を読む力はなんだって言うんだ……)

 茶色い大きな瞳は悔しげな色に染まっていた。

 誰も信じはしない。誰にも読めはしないのだから、ラビの読む言葉の正解不正解がわからない以上、仕方がないことだ。

 ラビは子供の頃から何でも読めた。大人が読むような難しい本でも何でもだ。その時は「たくさんお勉強して偉いね」と大人達に言われた。

 ただ、目に映れば読むことができるだけなのに。

 しかし、ディーが怒って帰ったあの日まで、ラビは誰もが同じ力を持っていて、同じように文字を読んでいるのだと思い込んでいた。

 読むことはできても、書くことはできなかったので、それまで違和感を感じることがなかった。

 

 ラビはこの力は魔法ではないのかとずっと思っている。

 

 ラビだって、この力がなければ流れ着く絵や本に描かれる御伽話のようなことを信じはしなかっただろう。

 地味で、誰にも証明できない力だった。

 

 村に入ると、子供達が女達に混じって漁の網の点検や補修をしていた。

 子供達はラビが浜から戻ってきたのを見ると手を振った。「御伽話」を聞かせてくれる楽しいお兄さんだと思われている。

(ねぇ)ね!ラビと遊んで来てもいい?」

「まだ全部終わってないでしょう?明日の晩に魚を食べられないわよ」

「魚より鳥が食べたいのにぃ……」

 子供達はラビに手を振り終えると、渋々網の補修点検に意識を戻した。

 網修復隊の間を通り過ぎ、家へ向かう。

 すぐに小さな平屋建ての家に着いた。どこの家も似たような作りで、茶褐色の屋根が可愛らしい。日に照らされ、赤い色が抜けて真っ茶色にみすぼらしくなると屋根瓦を変える合図だ。

 

「ただいまー」

 玄関を潜ると、母親が忙しそうに動き回っていた。

「あぁ、ラビおかえりなさい。あなたねぇ、こんなにガラクタばっかり集めて……浜の砂で床がじゃりじゃりになってるじゃない」

 

 母親の手にはラビが海から拾ってきた――宝物。

 

「あ!やめてくれよ!どれも僕のだってのに!!」

 ラビはアサリの入ったバケツを乱暴にテーブルに置くと、母親が勝手に持ち出してきた絵をふんだくった。

「砂を落としておいてあげようとしただけでしょうが。もう、これじゃいつまで経っても片付かないじゃない。あの部屋じゃ何がどこにあるのかも分からないでしょう」

「分かる!僕にわかればいいだろ!ほら、早くアサリの砂抜きしてよ!床より晩ご飯がじゃりじゃりする方が問題なんだから!」

「はいはい……」

 母親のため息混じりの声を背に、バタンっと思い切り扉を閉めた。

 

 ラビの部屋は海に流れ着いたものでいっぱいだ。文字が書かれていないものは基本的に集めていないが、それでも部屋中を埋め尽くしている。

 確かに多少床はジャリジャリしているので、ラタンで編まれた掃き出し窓の網戸を開け放つと部屋の隅に置いてあるモップで外に砂を掃き出した。

(ガラクタなもんか……!海一つ渡れない僕らに世界を教えてくれる手がかりなのに!)

 ――そう、このカライ島の者達は海を渡れない。

 渡ろうとした者は一人として帰らなかった。煽られても転覆しないような、絵に描かれるような立派な船でなければ海は渡れないのだ。

 どれほど遠くに行けば、どの方角に行けば、この見事な絵を描き、魔法を使う者達がいる国に行けるのだろう。

 ラビは掃き出し窓に縁取られる広い外の世界へ思いを馳せた。

 

+

 

「今日の魔法の授業はゼロ位階の<温加(アドウォームス)>を使ってみましょう――と、思っていましたが……その……よろしいでしょうか?」

 担任のパースパリーはご機嫌を伺うようにひとりの生徒に視線を送った。

 

「良い」

「あ、ありがとうございます」

 

 全員がチラチラとアルメリアを見てくるが、アルメリアにはどうでも良かった。

 こんな何の役にも立たなそうな魔法を覚える意味が分からないので、座って聞いてはやっているが時間の無駄としか思えない。

 だが、皆が杖を握って魔法を唱える。下等生物のための下等魔法だ。

 通路を挟んで左隣にいるクリスの様子をチラリと伺うと、クリスは真面目に下等魔法の練習をしている。

 クリスは魔法ではなく体術を鍛えて伸ばしているので使えていない。それは二郎丸も同様だ。

 さらにサラトニクの様子も伺う。

 彼の様子は真剣そのもので、何としても魔法を覚えてみせると言う気迫に満ちている。

 

(皆物好きです。リアは覚えるならシモベ達が使うような魔法は御免です)

 

 なんと言っても、両親が覚えられる魔法の数は決まっていると言っていたのだから。

 アルメリアが使える魔法は、昔ナインズが一生懸命教えてくれた<魔法の矢(マジック・アロー)>ただひとつ。

 第一位階の魔法だが、アルメリアはかなり熱心に練習して覚えた自慢の魔法だ。

 ただ、腕輪をしていると使えない。

 薄紫色の腕にはめられている忌々しい不快な封印の腕輪。

 何故わざわざ魔法を封印されなければならないのかも分からない。

 外は危険がいっぱいだとナザリックで習ってきたと言うのに、こんな物をしていれば何かがあった時に<魔法の矢(マジック・アロー)>も打てない。

 アルメリアは、ナインズと違ってルーン魔術も使えないのに。

 

 ――不安だった。

 

 下等生物達の考えている事はよく分からない。それが普通だとアルベドもデミウルゴスも言う。

 なのに何故アインズもフラミーもアルメリアとナインズをわざわざこの動物園のような場所に放り込もうというのだろう。

 サラトニクもそうだ。

 何故サラトニクはアルメリアが人間と通じ合うことで花を咲かせると思っているのだろうか。

 

 殆ど後ろ姿に近い横顔を見つめていると、サラトニクは視線を感じたようでパッとアルメリアへ振り返り微笑んだ。

(……まぁ、嬉しそうだから許してやります)

 そう、サラトニクは本当に嬉しそうなのだ。

 少し硬いくらいの笑顔を返してやると、アルメリアは大嫌いな封印の腕輪をそっと腕から抜いて机に置いた。

 魔法の授業中は外して良いと言われているので、ここぞとばかりに体の軽さを堪能した。

 別に魔法の練習をするためではない。これを外すと翼すら軽く感じるのだ。

 小さなため息を吐くと、ふと強い視線を感じた。

 チラチラ、というよりもジロジロ見られている感覚。

 誰がそんな無礼な真似をしているのかと探ると、サラトニクのサロンに来ていた何も理解できない人の子だった。

 名前は――忘れた。

 目が合うと少し躊躇いがちに手を振ってきたが、無礼なので無視することにした。

 それからしばらく暇つぶしに魔法学の教科書を読んでいると、「できたぁ〜!!」と大きな声が響いた。

 下らない魔法に大喜びをしている者は、サロンに来ていた蕾だった。

 担任がそちらへ駆けていき、クラスメイト達が皆祝福するような視線と感嘆をあげる。

 アルメリアは自分の人を見る目に満足すると同時に、馬鹿馬鹿しいと教科書を閉じた。

 

「皆、マンテッリさんが果たした"神との接続"の感覚を聞いてみましょう!ユリヤさん――ユリヤ・マッテオ・マンテッリさん、どうでした?」

 ユリヤはとても晴れやかな顔で応えた。

「えっとぉ、お空の上からお花畑を見つけた鳥さんみたいな気持ちになりましたぁ!」

 アルメリアは自分の初めての"神との接続"はどんな具合だったかよく覚えていない。

 しかしそれも仕方がないことだろう。

 接続相手は自分の親達なのだから、常に親達といるアルメリアに覚えていろという方が酷なはずだ。――と思っている。

 

 どことなく上の空でいると、ユリヤはアルメリアの方を向いた。

「殿下、ありがとうございますぅ!」

 アルメリアは別に何もしていないが、神の子が来た日に神との接続を果たしたのだから――何もしていないと思ってはいたが、アルメリアが見込んでやったおかげかもしれない。

 もちろん、ユリヤはアルメリアが花だとは気が付いてはいまい。

 アルメリアは尊大に頷いた。

「良い。これからも精進すると良いです」

 キャーッと教室中から憧れそのものが声になって上がる。

 

 そして時間は過ぎ、あっという間に授業は終わった。

 

「――アリー様?魔法の練習はされなかったんですか?」

「クリス、私にあの魔法が必要だと思うですか?」

「ふふ、全く思いません!必要とあれば、私が覚えて見せます!」

「それならわざわざ意味のない事を聞くんじゃないです」

「はぁい!」

 

 二人で話していると、すぐ隣に座る男の子が声をかけた。

「で、殿下はどんな魔法を使えるの?いや、ですか……?」

 どんな返事が来るのだろうとワクワクして仕方がない顔をしている。

 だが、アルメリアに答えるつもりはない。

 ただでさえ話すつもりのない相手が、名乗りも挨拶もせずに突然話しかけてきたのだ。

「――アリー様は第一位階の魔法をお使いになるんですよぉ!それより、ジェニ君はまずご挨拶からした方が良いです!」

 クリスの言葉に男の子はどうするべきなのか悩みながら後に頭を一度下げた。

「えっと……俺はジェニ。ジェニ・フーゴ・ヘルツォーク……です。殿下は第一位階を使うなんて流石ですね!きっと、殿下はできないことなんてないんですよね!」

「当たり前です」

 ピシャリと答え、ジェニは尊敬の瞳でアルメリアを眺めた。

 周りで盗み聞きしていた子供達の瞳も輝いていた。

 

 その後、二時間目の宗学を終えると、アルメリアは人間に話しかけられる前にさっさと教室を後にしようと荷物をカバンに入れた。

「丸、クリス。お兄ちゃまとご飯を食べる約束をしてるので案内してください」

 二郎丸は宗学の教科書と魔法の教科書に顔を埋めるようにしていたが、すぐにそれを閉じた。

「あ、はい!そうですね!ナイ様がお待ちですからね!僕、ちょっと教科書後ろに置いてきます!クリス、お願い!」

「はーい!アリー様、サラ君は誘いますか?」

 アルメリアはちらりとサラトニクを見ると、サラトニクは蕾の下へ行き何かを一生懸命聞いていた。

「誘ってください」

「はーい!」

 クリスがサラトニクの下へ駆けていく。

 いくつか言葉を交わしている様子を眺めていると、五人ほど女子がアルメリアを囲んだ。

「で、殿下!良ければあの……私達とお昼ごはんはいかがですか!」

 また挨拶もなしに。

 アルメリアが「下がれ」と言おうとした時――そのツンと尖った耳に声が聞こえた。

 

 ――本気で殿下に話しかけにいくの?

 ――う、うん。オラ、どうしても話したいことがあって。

 ――やめておけば?

 ――な、なんでだ?

 ――……うーん。だって、田主丸(たぬしまる)さぁ……。

 ――だってお前、なんか変な臭いするだろ!!

 ――わ、お前言い方考えろよ。

 ――お、オラ……臭いなんて……してただか……。

 ――あー!男子ぃ!田主丸君泣かせたー!

 

 それは、教室の後方の扉の外からの声のようだった。

「――殿下?」

 アルメリアは廊下の外にいる者たちは野蛮な生き物だと思った。

 二郎丸はまだ戻ってこないのかと振り返ると、教科書をしまい終わった二郎丸がアルメリアの下へ戻ってくるところだった。

 そして、扉の外で泣いている者の姿がアルメリアの

目に映った。

 

 頭の上に濡れた皿を乗せた二足歩行の亀のような姿の者が、しくしくと目元を拭っている。

 それは人ではなく、どこからどう見ても異形だった。

「――下がれ」

 アルメリアは自らを取り囲み始めた生徒達に静かに告げると席を立った。

「あ、で、殿下」「アリー様?」「アルメリア様?」

 サラトニクとクリス、二郎丸もアルメリアの席に戻って来たところだったが、全員を背に残して廊下に続く観音開きの扉を開いた。

 

「人の子。何をしているんです」

 廊下には違うクラスの子供達が集まっていて、アルメリアに声をかけられた皆が希望や憧れ、優越感に瞳を輝かせた。

「で、殿下!」「初めまして!!」「私に話しかけてくれたんだよ!」「オレだよ!」「すごーい!!」「殿下は綺麗ですね!」「皆殿下が困るから一人づつ!」

 子供達の視線は一斉にアルメリアに注がれた。

 泣いていた亀はちらりとアルメリアを見上げた後その場をそっと離れた。

 

「待ちなさい。お前、挨拶もなしにどこへ行くんです」

「殿下!」「お昼ご飯ですか?」「このクラス、エル=ニクス君もいますよね!」「これからは毎日来るんですか?」

「お前!待ちなさい!」

「田主丸君?」「殿下、田主丸君は調子悪いんですよ!」「それより、殿下は本当にナザリックに暮らしてるんですか?」「ナザリックってどんな場所ですか!」

 怒涛の声掛けと、ますます増える子供達を前にアルメリアの顔は険しくなり――

「下がれ!!」

 アルメリアの大きな声に、廊下は途端にしんと静まり返った。

 子供達をかき分け廊下を見渡すと、亀は廊下の遠く先、階段へ曲がろうとしていたところだった。

 アルメリアは亀の後を追って廊下を駆け、靴がキュッとなる勢いで角を曲がった。

 

「お前!」

「……え?」

 

 亀は階段に座り、拭った丸い涙をそっと頭の皿の上に乗せたところだった。

 そのままの姿で、目を丸く見開き、硬直してしまっていた。

「お前、この私に話したいことがあるんですよね?それを挨拶もしないで立ち去るなんて、無礼です」

「あ、あの……失礼しました……」

「名乗りなさい。お前の名前は?」

 口を開こうとするが、すぐに首を左右に振った。

「オラは臭いから近付かない方がいいだす……。ご気分を害したくないだすよ……。話しかけてくださって、ありがとうございましただ……」

「馬鹿を言うな。私は名乗れと言っているんです」

 ――逡巡。

 亀は頭の皿の上にある水が溢れないように、顔を前に向けたまま頭を下げた。

「オラは……田主丸って言うだす」

「言えるじゃないですか。私の名前はアルメリア・ウール・ゴウンです。その田主丸が、この私に何を話したかったんです?」

「オラが生まれた川は隣の大陸にあるんだすが、去年神聖魔導国になってからすごく綺麗になって……魚も蛍も増えて……。オラ達河童は皆嬉しくて……どうしてもお礼を言いたかったんだす」

「そうでしたか。お前とお前の種族からの感謝は確かに受け取りました」

「あ、ありがとうございます」

「良い。田主丸、お前は別に臭くないです。お前からは綺麗な川の匂いがするだけです。人の子にはそれが分からないんですよ。気にしなくていいです」

 

 田主丸は微笑んだ。

 

「やっぱり、殿下も陛下も素晴らしいお方々だす」

「当然です。田主丸、人間に疲れたらもうこんな場所来なくたっていいんですよ」

「いや、オラも立派な河童になりてぇだすから、オラ頑張るだすよ!オラ達河童は川の主。川でいっちばん賢くねぇとなんね。それじゃ、殿下。本当にありがとうございました!オラ、ご飯食べたらセイレーン達と裏の水浴び場行かなきゃいけねぇだすから、これで!」

 清々しい顔で田主丸が階段を駆け降りていく。

 アルメリアは後に隣の大陸で水神とすら呼ばれるようになる異形の背を見送った。

 

(――立派な河童になるのに、どうしてこんな人間達に囲まれた場所が必要なんです……)

 

 河童になる予定はないが、アルメリアの中には疑問が残った。




オラオラオラオラオラァ!!
え?どうやったらアルメリアちんは人間に好意的になるの?( ;∀;)

冒険が始まる気配を残しつつ!!!!!!


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Lesson#22 開戦と出発

 早朝、大神殿。

 

「騎馬王、これでまた群れに帰っちゃうんだね」

「は。草原に来ていただければ、またいつでもお会いできましょう。登校前だというのに、わざわざお見送りいただきありがとうございました」

 ビーストマン州で息子(クルダジール)の率いる群れと合流する騎馬王は、草原の統治者であるナインズ・ウール・ゴウンに微笑んだ。

「ううん。騎馬王が冬だけじゃなくてずっと神都にいてくれれば良いのに」

「なによりも嬉しいお言葉です。ですが、私の生きる場所はやはり草原なのです」

 冬の間、聖典の卵たちのために大神殿にいた騎馬王は、この春が深まる日までナインズと毎日のように顔を合わせていた。

 

 ナインズが騎馬王との別れを惜しむ傍ら、騎馬王が神都からいなくなることを喜ぶ者もいた。

 

「キ、キュータ様!騎馬王を引き止めたりしては可哀想じゃ!」

「うん。イオリの言う通りだよね。……騎馬王はそのために綺麗な草原を守ったんだもんね」

「――いえ、コキュートス様や殿下、それから数えきれない英霊が守った草原です」

 大きな馬体を伏せさせている騎馬王の瞳は幸福に彩られている。

 

 漆黒聖典、陽光聖典、並びに紫黒聖典の姉達の中、聖典見習いであるイオリエル・ファ・フィヨルディアは内心で悪態をつく。

此方(こなた)は回復するのが仕事だから八足馬(スレイプニール)になんて乗れなくても良いというに……!)

 ――よくない。聖典として共に動くならば他の隊員の移動手段についていけなくては話にならない。

 だが、その手にはたっぷりの魚の目ができていて痛々しかった。少女がそう思ってしまうのも無理はないかもしれない。

 体が小さなイオリエルに八足馬(スレイプニール)の騎乗は荷が重い。

 まだ飛竜(ワイバーン)訓練のほうがマシだ。

 優しいティトと、よちよち歩きの愛らしい娘を連れたネイアが教えてくれる。

 イオリエルが一人で関係のないことを考え始める中、ナインズの面持ちはとても暗かった。

 

「ねぇ、騎馬王。騎馬王は、世界から戦争なんてなくなって、哀しみに嘆く者が一人でもいなくなって欲しいって言ってたよね?」

 それだけで、ナインズが何を言いたいのか騎馬王には良くわかった。

「――その通りです。今回のラクゴダール共和国の件は残念ですが……」

「僕、やだな……。イオリみたいにお父様とお母様がいない子が増えるのも……。またジェンナ君みたいな……シャグラ・ベヘリスカさんみたいな事が起きるのも……」

「私も胸が痛みます。ですが、脅かされていたと感じ続けてしまった旧小国郡に住む者達の共和国への不信はもはや止められません。そして、旧小国郡に商人達を殺されてきた共和国も、友好国でありながら敵対国を取り込んだ神聖魔導国へ不信感を募らせている。奪われ、裏切られ、ある日心が戦争へと向かってしまえば、それは何者にも止めることはできません」

 騎馬王の実感のこもった言葉に、ナインズは俯くことしかできなかった。

「……殿下、心優しき我が君。あなたはどうか、優しいそのお心のままに」

「……ツアーさんにもそう言われるけど、僕……悲しい気持ちになるくらいならリアちゃんみたいになりたかった」

 アルメリア・ウール・ゴウン。

 騎馬王は幾度も会ってきた少女に視線を送る。

 ナインズと共に遊びにきては美しい草原を見渡し、年相応に笑っていたはずだが――。

 真っ白な服を着て駆け回り、大きく育ったバオバブに頬を寄せ、まだ子供の多頭水蛇(ヒュドラ)に口付けを送る。わたる風に歌い、自らが摘んだ花の切り口に優しい魔法をかける兄に頭を下げる。空を往く人鳥(ガルーダ)達に手を振り、母の胸に飛び込んでは白き翼に埋もれて眠った。

 心から自然を愛し、命の繋がりに感謝していた。

 

 ――だが、この春に神都で会った彼女は、芽吹きを凍てつかせるような別人の目をして人間達を見ていた。

 呆れ、嫌悪、不快、怯懦、不信――。

 多くの負の感情が彼女を包んでいるようだった。

 

 アルメリアは手を繋ぐナインズを見上げた。

 

「お兄ちゃま、リアみたいになりたいです?」

「うん、なりたいよ。リアちゃんはすごく強いから……」

「お兄ちゃまの方が強いですよ!」

「はは、ありがとう。でも、力じゃなくて気持ちはリアちゃんの方がずぅっと強いよ」

「そうです?」

「うん、そうだよ」

「ふふふ。じゃあ、リアはお兄ちゃまの気持ちを守ります!」

 

 兄妹は美しかった。

 ナインズは心から嬉しそうに微笑んだ。

 

「リアちゃんはとっても優しいね」

「はひ!」

 

 だが、アルメリアに言わせれば共和国など――いや、その周辺の小国達も含め、皆不要物。

 何かを美しく保つために存在しているわけではない下賤。

 歯車の一部にもなれない俗物。

 

 美しいばかりだと思っていたが、極めて冷徹な子だった。

 

「さ、キュー様。そろそろ行かないと」

 一郎太が一歩踏み出すと、ナインズは騎馬王を名残惜しげに見上げた。

 騎馬王の帰還式はこれからナインズが登校している間に行われ、ナインズが下校するより前に草原へ出発する。

「じゃあ……騎馬王、またね」

「はい。またお会いできる日を楽しみにしております。どうか胸を張って。次もまた一段と大きくなられたお姿をお見せください」

「騎馬王、気をつけて帰るんですよ。草原を頼みます」

「は。お任せください。アルメリア殿下も、どうぞお気をつけて」

 

 先頭をナインズと一郎太が歩き出し、その後ろをアルメリア、二郎丸、クリスが続く。

 クレマンティーヌとレイナース、そして番外席次はそっとイオリエルの背を押した。

「イオももうガッコー行きな」

「キュータ様のおそばにいるのはあなたの一番の任務よ」

「そ、そうじゃな!此方も行ってきます!」

「今日も下校したら訓練よ。イオリエル、忘れないようにしなさい」

「はい!絶死絶命様!」

 

 神殿の外は春の雨が降り出していた。

 見上げればひっくり返ってしまいそうなほどに大きな扉を出たナインズは小さなため息を吐いた。

 

「――キュー様、仕方ないよ。キュー様なりにできることは全部やったんだから」

「そう、だね。でも、僕はどうしても分からないんだよ。お父様にもどうしてこうなっちゃうのって何度も聞いたけど、よく考えてみなさいって。アルベドや兄上にも聞いたけどやっぱりよく分からない。皆で仲良くしようって言うんじゃダメなのかな」

「うーん。ま、大人の世界ってややこしいもんですよ」

「……一太は人ごとだなぁ」

「はは、俺は陛下方の決めたことが間違ってるってあんま思えないですから」

 一郎太がおどけて見せると、二郎丸がすぐ後ろでくすりと笑いを漏らした。

 

「二の丸、なんだ?」

「いやー?いち兄は何も考えてないだけじゃないかなって僕思って!」

「考えてるに決まってるだろ!……給食のこととか。ははは!」

「いち兄、ナイ様に呆れられちゃうよ!」

「こら!キュー様だろ!」

「っキャー!」

 二郎丸は濡れた石畳に軽いひずめの音を鳴らしながら駆け出し、一郎太もその後を追って駆け出した。

 

「やれやれ、一太も丸も元気いっぱいです」

「じろちゃんはアリー様がご一緒だから嬉しくって元気になっちゃってるんですよ!」

 アルメリアの隣でクリスが顔いっぱいに笑顔を作る。

 クリスもアルメリアが二日続けて登校するとは思ってもいなかったので、思わず浮き足立ってしまいそうだ。

 ――だが、教室に入ることには少しだけ不安もあった。

 昨日アルメリアが帰った後、クラスでは「殿下はちょっと怖い」「神様の子供ってやっぱり少し違う」と噂されていた。

 

「クリス?どうかしたんですか?」

「あ、いえ!どうもしませんよ!」

「そうです?じゃあ、私はお兄ちゃまの気持ちを守ってきます」

 

 アルメリアがナインズの手を繋ぎに行くと、クリスはとぼとぼと皆の後ろを歩いた。

 もし教室に入った時におかしな目で見られれば、アルメリアはきっと傷付くだろう。

 人間を軽蔑しているとはいえ、生まれてこの方自らが歓迎されない場所など一つもなかったはずなのだから。

 クリスは小さな小さなため息を吐いた。

 

「――チャン」

「あ、は、はい!」

 突然の呼びかけに軽く肩が跳ねる。

 クリスの隣にはいつの間にかイオリエルがいた。森妖精(エルフ)の彼女の見た目は幼い。クリスの背の方が少し高いくらいだ。

「其方も大変じゃな」

「い、いえ。何がですか?」

「無理せずとも良い。……此方も学校など行きとうなかった。人間達など、すぐに死ぬ脆弱な生き物じゃ。関わり合うだけ無駄……」

「え……?フィヨルディアさん……?」

「――と、此方も思っておったからのう。不敬かもしれんが、姫殿下のお気持ちはよくわかるんじゃ」

「そうなんですか?初めて知りました。フィヨルディアさんは毎日キュータ様と登校してらっしゃったので」

「そんなふうに思っておったのは此方がまだ一年生だった頃じゃ。チャンが知らないのも無理はないのう」

 雨が傘を跳ねる音が二人の間に響く。

 クリスは恐る恐るイオリエルに尋ねた。

 

「……もし、久しぶりに登校した次の日、クラスの皆が自分を怖がっていたら……どう思いますか?」

「それは肩身が狭いのう」

「そう、ですよね……」

「じゃが、皆が怖がっても味方でいてくれる誰かがいたら、それはすごく嬉しいことじゃな」

 クリスは敬愛するアルメリアの背を眺めた。

 

+

 

「――今回の件、いくらなんでもやり方というものがあるだろう。アインズ」

 

 ナザリック地下大墳墓、第九階層。

 ――フラミーの自室。

 子供達が登校する前にアルメリアの力を確認したツアーが腹立たしげに言う。

 

「いきなり呼び出して悪かったが……そうは言っても花ちゃんは昨日突然登校し始めたんだ。大目に見て――」

「僕はそんな話をしているんじゃない。共和国の事だ。アインズ、あちらは降伏をする準備もある。それをわざわざ焚き付ける必要はないだろう!」

「あー……。それは勝手に国民達が戦争に乗り気になっていることだからなぁ。仕方あるまい」

「……フラミー、君はどう思う」

「生き物はどうしたって戦いを忘れられないんですねぇ」

「それが君の答えか」

「…‥何かおかしかったです?」

 

 当然、ツアーは神聖魔導国の中で噂されるアインズとフラミーの神話全てをまるっと信じているわけではない。

 例えばこの世界を作り出した神々であるとか、この世界の生き物全てを作り出した神々であるとか――。

 この二人は確かにこの世界に渡ってきていて、この世界を未知の場所だと定義している。ナザリックをはじめ、別の場所で別の世界を作ったことがあったとしても、この世界はこの世界だ。

 神聖魔導国にこの二人が箱庭を維持するために都合のいい神話が溢れていたとしても、それは嘘を多く孕んでいる。

 だが、それはそれとして、フラミーが確かに生を司る神だとしたら、「生き物は戦いを忘れられない」というのは実に神らしく身勝手な感想ではないだろうか。

 ツアーは久しぶりに頭が痛くなった。

 

「ツアー。そもそもお前が東陸の存在を早く教えてくれていればもっと違う未来になっていたとは思わんか?お前がもう少し世界征服について前向きに考えて、協力的でいてくれれば話がおかしな方向へ進むこともなかっただろう」

「……そういうことかい。アインズ」

 

 要するに、今回共和国を侵攻するように世論を仕向けたのはツアーへの見せしめのため。

 この世界をもっと早く開示し、東陸と呼ばれるようになった向こう岸とのパイプ役に徹さなかったことへの警告。

(では、これからダイと共和国がどう動こうがこの戦争は必ず起こる。そして、完膚なきまでに叩きのめされる……)

 ツアーが竜の身で大きすぎるため息を吐く。

 それと同時に、部屋の隅で控えていたアルベドとデミウルゴスが良い笑顔を作った。

 

「……アインズ、もし僕が高位の身分を持っている国を一つ紹介したら、共和国に対する姿勢を緩めてはくれないか」

「何?私は構わないが……お前ともあろう男がどうした。いつもの"僕は世界征服には反対"と"邪魔はしないけれど、手伝いもしないよ"はいいのか」

「今回は共和国にいる竜王達との関係もあるからね」

「ほう?まぁ、国民達が踏みとどまってくれれば、という但し書きはつくことになるが、約束しよう。あまり凄惨な戦争にはならないよう気を付けると」

「助かるよ」

 

 アインズの言葉に嘘はない。これがアインズの望むことだったのだ。

 ツアーはまた負けたな、と思いながら机の上のペンを手に取った。

 察したデミウルゴスに差し出される紙に簡易の地図を書いていく。

 位置的、規模的に最も被害が小さくなると思われる国への航空路だ。ツアーは飛んで行ったことしかないので潮の流れに乗れる良い海路は分からない。

 代わりに気流は書き込んでおく。

 完成したものをペラリとアインズとフラミーが座る方へ向ける。

 二人は地図を覗き込んだ。

「……これはまたアバウトは地図だな」

「そうかい?僕なりに真面目に書いたつもりだけどね」

「竜王のスケールってすごいんですねぇ。どこでもひとっとびだから」

 

 もう少し何か書き方がないか考え、ツアーが追加情報を書き込もうとすると、アインズとフラミー、二人は同時にツアーの鎧の手を止めた。

 

「これでいい」「これがいいです」

「……そうかい?」

 

 二人は嬉しそうに地図を手に取った。

「これくらいの方が旅に出る甲斐がありますよ!全部正解が載ってる地図なんかつまんないです」

「懐かしいなぁ。こうやって唐突に発生した期間限定クエスト消化するために皆寝る間も惜しみましたよね」

「ふふ、そういえば神曲クエストの時、モモンガさん途中で寝落ちしたってペロさんが大騒ぎしてましたよね」

「あ〜ありましたねぇ。二晩目は流石にきつかったなぁ。確かあの時フラミーさんはウルベルトさんとタブラさんのチームにいましたよね。合流した時頭かくんかくんってなってたな。ははは」

「朝も早かったですししんどかったです〜!でも、結構あの時活躍したんですよぉ。私のおかげでうまく行ったくらい!」

 

 えへん、とフラミーが胸を張る。ツアーはなぜ疲労を無効にしなかったのだろうと思ったが、アインズにもフラミーにも超常的な存在ではなく、今を生きる者らしい感覚を捨てないでいてほしいため余計なことは言わなかった。

 

「それはウルベルトさんに誇大広告だって怒られちゃうんじゃないですか?」

「師匠もよくやったって言ってたのでセーフです!」

「はは、そうでしたか。じゃあ、今回もたくさん活躍してくれるといいな〜」

「しますよ〜!!なんなら、私一人で行って見つけちゃいますよ!」

「えー?じゃあ、俺も一人で見つけちゃいますよ?」

「競争します?」

「どっちが早くツアーのこの地図の場所に辿り着けるか?」

「はい!」

 

 アインズは一瞬一緒に行こうと誘いかけたが、たまにはこういうゲームも悪くないと考え直した。なんなら、ギルメンとこういう遊びをするのはいつでもウェルカムだ。実に何年振りだろうか。

 特に、ナインズが学校に通うようになってからのフラミーとこの世界で過ごす日々は刺激が不足していた。

 アインズは一度「ふむ」と声をあげ、久々にギルドマスターとしてルールを発表することにした。

 

「じゃあ、手段はユグドラシル時代と同じようにフルで魔法を使っていきましょう。何日も出かけたりすると子供達が寂しがりますし、子供たちが学校に行ってる間だけの冒険ですよ」

「きゃー!良いですねぇ!ログイン時間に制約があるのがすっごいユグドラシルっぽいです!」

「ははは、ログイン時間、かぁ」

 何年も聞いてこなかった言葉に強い懐かしさを感じてしまった。

 当時の記憶たちは、まるでつい昨日のように全てを思い出せるというのに。

 

「いつスタートしましょうか!」

「それはもちろん今すぐ!――と言いたいところですが、まずはパーティー編成をしてからです。竜王とか変なものに絡まれないように、フラミーさんはツアーを連れて行ってください」

 それから、ツアーを見張るための護衛も一人いた方が良いだろう。

 最もアインズが信用でき、同じ気持ちでフラミーを護ってくれる者。

 ――「パンドラズ・アクターもセットで付けましょう」

 あまり大人数で仰々しくなるのはいただけない。神様だと取り囲まれるような旅はまっぴらごめんだ。

「はぁい。ズアちゃんとツアーさんですね。ツアーさん、いいですか?」

 フラミーがソファの上で足をぷらぷらさせながらツアーを見上げる。

 ツアーはひらりと手を振った。

「僕は別に構わないよ。むしろ、君たちどちらかには着いて行きたいと思っていたくらいだから」

「監視です?」

「まぁ、そうなるね。もしくは道案内かな」

「道案内はルール違反ですよ。これはゲームなんですから」

「……そうかい」

「よし。それじゃあパンドラを呼び出して――」と、アインズが行動を開始しようとすると、フラミーが言葉を遮った。

「アインズさんの護衛は?」

「え?俺ですか?俺は始原の魔法ありますから」

「アインズさんも一応護衛連れて行ってください。ダメですよ。一人でフラフラ出歩いたりしちゃ」

 

 デミウルゴスとアルベドが大いに頷く。そして、デミウルゴスはアルベドの視線を避けるように、アインズへ向かって数歩近付いた。

人差し指でくいっと眼鏡を上げる。

「国家の侵略、腕がなりますね。お供にはぜひ、この叡智の悪魔――デミウルゴスを」

 もちろんそれをただで見過ごすアルベドではない。

「アインズ様。御身の持つ智は――いえ。全てはとても守護者風情の届くものではありません。であれば、フラミー様の仰る通り護衛としての面を重要視するべきかと。お供には、ぜひ最強の盾たる私めをお連れくださいませ」

「もちろん私達守護者では端倪すべからざる御身の頭脳には到底及びません。ですが、そのお考えを正しく理解し、一手でもお手伝いするには多少の知恵は必要でしょう」

「あら、デミウルゴス。それなら私にもできると思うのだけれど。叡智の悪魔と呼ばれるあなたと並ぶほどには、私も叡智の悪魔を自負しているのだから。くふふ」

「アルベド、それはウルベルト様に対していささか不敬ではありませんかねぇ。ウルベルト様の御手により、そのようにあれと、私は生み出されたのですよ」

 二人の間に火花が散り始めると、フラミーはアインズが守護者を指名してくれて良かったと心底思った。伝言(メッセージ)でパンドラズ・アクターへ連絡を取りつつ。

 

「――僕としては、二人とも対象の国を穏便に取り込んでくれるとは思えないし、もう少し穏やかな者を連れていくべきだと思うよ。デミウルゴス君に至っては侵略と明言しているし。百年後には世界を任せて良かったと僕に言わせてみせてくれるんだろう。アインズ、邪悪じゃないコキュートス君はどうだい」

 ツアーの言葉に知恵者二名は明確な敵意を向けた。

「ツアー、あなたは黙っていてくれる?そもそも穏便に取り込むも何も、全ては至高なる御方々がお決めになることよ」

「アルベドの言う通りですね。そもそも私達は悪魔ではありますが、いたずらに人を殺したり嬲ったりしたい訳ではないのですよ。私達は常に合理的な行動を心がけておりますので。無益な行いはなるべくならば避けたい。つまり、君が差し出した国が御方々、引いてはナザリックと神聖魔導国に対して利用価値を示せるなら――穏便かつ泰平なる併合が約束されますとも」

 

 胡散臭い。

 

 ツアーの視線は二人を信用しているようではない。

 だが、どんな話し合いをしようともアインズが連れて行く護衛は決まっている。

「二人とも、児戯はそのくらいにしておけ。私は何も一人しか連れて行かないとは言っていない。アルベド、デミウルゴス。二人とも出発の準備を整えろ」

 二名は子供のような純粋な喜びを一瞬だけ見せると、すぐさま膝をついた。

「かしこまりました。守護者統括、アルベド」

「――ならびに第七階層守護者、デミウルゴス」

「「御身の護衛、併呑プランの策定、各部署との調整。処理すべき案件全てを見事やり遂げることを誓います」」

 

 そこまでやってくれとは言っていないが、アインズはそこまできっとやってくれるよね、と信頼しきっていた。

 

「期待しているぞ」

 

 魔王と配下の就任式の隣では、到着したパンドラズ・アクターがフラミーから今回の役割を命ぜられていた。

 

「そう言うわけですから、出発は弍式さんの姿でお願いします!これは競争ですからね!」

「っは!!かしこまりました!!」

 アインズは自分のパーティの暑苦しさと、ほのぼのとした雰囲気の二人の間に流れる温度差で風邪をひいた。

 

「ずるい……。全てがずるい……」

 

 なんと言っても、弍式炎雷はクラン時代に未探索ダンジョン『ナザリック地下墳墓』を発見したクラン――ナインズ・オウン・ゴールにおける最初の九人の一人にして、ギルド――アインズ・ウール・ゴウンの初期メンバーの人物だったから――。

 

「先に国を見つけた方が勝ち!負けた方は勝った方の言うこと聞くんですからね!」

 フラミーがびしりとアインズを指差す。

 アインズの中に猛烈な闘志が湧き上がった。

 

「お前達、行動を開始せよ!!」




なんかアニメでファンクラブ神官長達の顔が見れたっていうじゃないですかー!!
男爵も早く奴らの顔をインプットしなければ……!!


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Lesson#23 歓迎と畏れ

 今日、マァルは珍しくユリヤと登校しなかった。そして、ホームルームが始まる前の今も一緒にはいない。

 通学路でいつも通り会ったユリヤは、沢山のクラスメイトや他のクラスの友人達に囲まれていた。

 輪の中に入って人を掻き分ける勇気を持たないマァルは話しかけられなかった。

 ユリヤはもちろんマァルの存在に気付き、話しかけてくれようとした。しかし、今年の一年生初の神との接続を果たした彼女はまさしくアイドルだった。

 

 マァルはちらりとユリヤの席の様子を伺う。

 

「ユリヤちゃん、姫殿下と話したことあるの?」

「う〜ん、それがないんだよねぇ」

「えー!じゃあどうして?良いなぁ」

「私も魔法使えるようになりたーい!」

「皆でお願いしてみる?」

 

 魔法を使えるようにして欲しいと頼むための言葉を選ぶクラスメイト達の声を聞きながら、マァルは考える。

(……ユリヤは気付いてないんだ)

 アルメリアはおそらく花と自己紹介したサロンの彼女と同一人物。

 あの口調も、視線も、何もかもがリンクした。

 平凡なマァルだが、幼い頃から直感力だけは優れている方だった。

 ハナはマァルのことをとても気に入っていたことを、マァルは気が付いていた。

 

(ハナちゃん、私には魔法使わせくれないのかなぁ……)

 考えてみれば花との接触は、一日目は手を握ってしまったり、声を荒らげてしまったりと散々だ。

 サラトニクのあの時の慌てよう。自分がどれだけまずいことをしたのか、今ならよく分かる。

 マァルは強すぎる焦りを感じ、机に突っ伏した。

 視界が真っ暗になると、今まで知らなかった机の匂いを感じた。

 

 静かに過ごしていると、教室の中のいろいろな音が聞こえた。

 

「ねぇ、でもさ」

「なになに?」

「姫殿下、怖かったね」

「……ちょっとね」

「私びっくりしちゃった」

「下がれって言われちゃったもんね」

「廊下でも下がれ!っておっきな声出してたもんね」

「やっぱり、ちょっと違うよね」

「普通じゃないよね」

「神様の子供だもん」

「でも、ナインズ殿下はお優しいって」

「じゃあ、やっぱりアルメリア殿下が普通じゃないんだ」

 

 マァルは自身も「下がれ」と言われたことを思い出す。

 しかし、それと同時に「普通じゃない」なんて言葉を使うのは間違っているのではないかと思えてならなかった。アルメリアから同じことを言われたが、マァルはただ真っ直ぐ「もっとちゃんと教えて」とぶつかったのだ。

 なのに、本人もいないこんな場所で噂話なんて。

 

 ――やっぱり間違ってる。

 

 マァルの中で考えがまとまると、伏せた顔を上げた。

「皆、殿下は普通じゃないんじゃないよ」

 噂話をしていた女子達の視線が一斉に集まる。マァルは生まれて初めての感覚にゾクリと震えた。

 他人から敵意を向けられたことなんて一度もなかったが、これは明確な敵意であると感じたのだ。

 ユリヤだけは困ったようにオロオロとマァルと周りの友達たちを交互に眺めた。

 

「なぁに?マァルちゃん。殿下に魔法使わせてほしいの?」

「昨日もマァルちゃんは殿下のことずっと見てたよね」

「ち、違うよ。そんなんじゃない」

「じゃあマァルちゃんは魔法使えなくていいんだ」

「魔法使えるようになることは国のためなのに魔法使えなくっていいなんていけないんだ」

「そんなこと言ってないよ!ただ、殿下が普通じゃないなんて言っちゃいけないんだって――」

「殿下が普通なわけないじゃん」

「殿下は高貴なお方なんだよ」

「そ、それはそうだけど……」

 

 いつの間にかマァルは責められていた。下を向いて非難を浴びる。幼いせいか、自分が何を主張していたのかももう忘れてしまった。

 

「だいたい、殿下と話したこともないくせに」

「本当は怖いって思ってるくせに」

 

 いつの間にか俯き始めたマァルでも、その言葉だけは違うと断じるだけの力が残っていた。

 拳を握り締めて顔を上げる。

 

「違う!殿下は――ハナちゃんは正しいことを知ってるから、だから、だから……少し、言葉が強いだけなんだよ……」

 

 女の子達は目を見合わせた。

「ハナちゃん?誰の話し?」

「殿下が怖いってことは認め――」

「怖くて結構です」

 ふと言葉が重なる。

 女の子達のがゆっくりと振り返り、マァルの視線も追いかける。

 教室の入り口には、いつもの涼しい顔をしたアルメリアが立っていた。

 気まずそうに皆が口を塞ぎ、目を泳がせる。

 後から登校してきた子供たちは、この重苦しい空気は何だと目を見合わせ、首を傾げた。

 

 なんとなく誰もが言葉を発することをためらっていると、クリスが意を決したように口を開いた。

「あ、アリー様。あの、私――」

「よい」

「アリー様……?」

「よい。私はそっちの人の子に用があります」

 

 アルメリアが黒い翼を揺らしてズンズン進んでくる。

 目の前で立ち止まり、金色の瞳で覗き込まれると、マァルは思わず微笑んだ。

 あの花が持つ漆黒の瞳と、宿す意思は同じ。

 やはり、アルメリアはハナだ。

 

「人間は群れる生き物です。お前は、どうして群れの言うことを否定してまで私の肩を持ったんですか」

 

 どこから聞いていたのだろうか。マァルは、どうか女の子達のあの言葉の全ては聞いていないでいてほしいと思った。

「――だって、ハナちゃんと私、お友達だから。クラリスお姉さんにも言ったけど、お友達だから。ミツバチのときは悲しかったけど、命のお話してくれたの、嬉しかったから」

 

 アルメリアはじっとマァルを見ると、ほんの少し、この距離のマァルでなければ分からない程度の笑みを浮かべた。

「お前はもう少しよく勉強をした方がいいですよ」

「そ、そうかな」

「そうですよ」

 

 短い言葉のやり取りを終えると、アルメリアは自分の席に座り、噂話をしていた女の子達をチラリとも見ることはなかった。

 ただ、クリス・チャンから流れ出る異様な気配にマァルはパチクリと瞬きをした。

 

+

 

 銀色草原北端、妖精の隠れ里。

 

「ツアーさん抱っこして飛んで行くってなると、流石に疲れそうですからね」

 フラミーは白いタツノオトシゴの杖で肩をトントン叩きながら、パンドラズ・アクターの描いた船の設計図を見て呟いた。

「助かるよ。できることなら竜の身では行きたくなかったからね」

「ツアー、あまりンフラミー様にご迷惑をおかけしないようにお願いしますよ」

 パンドラズ・アクターは今回『忍者』と形容する以外に思い当たらない程の、ベタすぎる忍者装束に異様な覆面、腰には二本の刀という装備――つまり、弍式炎雷の姿で来ている。
 パンドラズ・アクターがフラミーに変身してツアーを抱いて移動するという手もあるが、探査役としての能力に期待を寄せているため、できれば忍者姿で移動をしたかった。

 

 そして、いつもの幽霊船はほとんどアインズの持ち物と言っても過言ではないので、それを使うのは悔しい。

 となれば――

 

「<上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)>」

 

 この世界にきて長い時間を過ごした。

 リアルでは見たことがないものも随分と見てきたものだ。

 もしかしたら、このくらい(・・・・・)簡素な設計図でも転移したてのフラミーには創れなかったかもしれない。

 

 フラミーが杖で指し示した先には、光が集まり、パンっと弾けた。

 

 生み出された船は真っ白で、一般的な六人乗り程度のヨットをほんのひと回り大きくしたようなものだ。

 帆が掛けられるべきはずのマストには何の布も掛けられておらず、後方にあるそう大きくない船尾楼には一室だけ部屋がついている。

 フラミーは――アインズもそうだが――この魔法で柔らかいものを創ることはできない。

 パンドラズ・アクターが忍者姿で拍手をすると、三人の後方からも拍手が続いた。

 

 騒々しいと言っても過言ではない拍手の加勢は、ポイニクス・ロードの羽根を届けるためではなく訪れた女神を一目見ようと集まってきた妖精(シーオーク)たちのものだ。

 

「フラミーさま!妖精の隠れ里の主!!」「栄えある御身!」「尊き春の支配者!!」

 

 よく分からない褒め言葉にフラミーが手を振ると、キャー!と黄色い歓声が上がった。

 そして、妖精(シーオーク)達の波を掻き分け、新緑の葉のように瑞々しい髪を揺らす妖精王――オーベロンが前へ出てきた。

「フラミー様!お待たせいたしました!」

 その手には妖精達の体よりもよほど巨大な筆。

 

「オーベロンさん、思ったよりも早かったですね。じゃあ、ズアちゃんお願いしますね」

「は!」

 パンドラズ・アクターは自らの無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から巨大すぎる布を取り出し、瞬きする間にマストへ布を結び付けて行く。

 ――弍式炎雷は機動力、隠密性、探査能力に優れたビルドをしていた。身を隠しながらでもギルド最強の単発ダメージを出せる高火力と、二人といない俊敏性。

 八割の力までしか再現できないパンドラズ・アクターであっても、通常の百レベルを超越した弍式の再現ともなれば、おそらく一般的な九十レベルに近いスピードと火力を誇るだろう。

 故に、まさしく文字通り瞬きをする間にマストは帆が張られた。
 ちなみに、火力を求めすぎた弍式は防御を完全に捨てているため、同格以上の相手から攻撃を貰おうものなら、一撃死する大弱点を抱えている。

 今回の旅ではツアーがタンクとして活躍することが期待されているし、おそらく何かがあればツアーは頼まれずともその役回りに徹するだろう。

 

「な、なんと……」

 オーベロンはパンドラズ・アクターの早技に何度もぱちくりと瞬いた。

 そして、パンドラズ・アクターのこほん、という優しい咳払いに我に帰る。

「――はっ。すぐにルーンを刻ませていただきます!」

 オーベロンは筆をぐるりと振るうと、帆へ向かって飛び、真っ白な船の真っ白な帆にそっと筆先を下ろした。

 

(ラド)……移動、チャンスの風よ吹け!(ライゾ)……旅立ちよ!」

 (ラド)(ライゾ)、同じ文字が二つ描かれ、光を放つと帆は風も吹いていないというのにパンっと張り、ゆっくりと船は進み始めた。

 きちんとルーンが起動したことを確認すると、オーベロンは再びフラミーの前まで戻った。

「すごいすごい!本当に動いた!オーベロンさん、ありがとうございます!」

「いえ、これしき。もしスピードを上げたい時には変革と一歩を意味する(ダガズ)を刻んでください」

(ダガズ)ですね。それなら私でも刻めそうです。同じ文字で違う効果を出すのはちょっと難しそうでしたから」

「きっとフラミー様でしたらそれも容易におできになったかと思いますよ。――あ、もしかして僕達に花を持たせてくれたんですか?」

 オーベロンは嬉しそうにフラミーを見上げたが、フラミーは肩をすくめた。

「はは、そういうわけじゃないですよ。じゃあ、私達はもう行きますね!」

 返事とは裏腹にオーベロンの瞳は尊敬と憧れが形になって星が飛んでくるように輝いていた。

 フラミーはさっとオーベロンの小さな小さな手を握り上下に優しく振った。――そして、手を放した次の瞬間にはツアーの手を掴んで急ぎ空へと浮かび上がった。

 

「――ん、悪いねフラミー」

「いえ!」と軽く返し、今は手を塞ぎたかった(・・・・・・・・)とは言わずに船の方へ向かって飛んだ。

「皆さん、またポイニクス君の羽が燃え尽きる頃にお会いしましょうねー!」

「あ!あ!ふ、フラミー様!捧げ物を!!」

 慌ててオーベロンが自らの後ろに控える妖精(シーオーク)たちを指し示す。六人がかりで抱えられた大きなバスケットには果物がいっぱい乗せられていて、そのうちの一つはあの不気味なバロメッツの実だ。

 ちなみにナザリックに生えているバロメッツ達は今も雪原に鳴き声を響かせていて、それらから取れる羊の実はしもべ達の間で評判の食べ物だ。バロメッツ達は移植された当時に比べ、柔らかな毛が多く丸々としていて、見た目はさながらたんぽぽの綿毛。彼らは今もあの極寒の大地で力強く生き延びている。

 

 フラミーはバロメッツも乗っているしあのバスケットはいらないと思ったが、パンドラズ・アクターが気を利かせて即座にバスケットを受け取り、すでに動き出している船に跳び乗った。

 ツアーとフラミーも追って船に乗り込み、妖精達へ手を振る。

 

「う、受け取りました!ありがとうございます!またねー!」

 

 多くの声援の中出発した船の上。

 フラミーは手が塞がっているアピールをしたというのに手に入ってしまった果物バスケットをどうしよう、と頭を悩ませた。

(……まぁ、バロメッツ以外は美味しいしね……)

 バロメッツも決してまずいわけではないが、とにかくなんとなく不気味だった。特に、生で食べるのは。

 

 船はどんどんスピードを上げ、現状最大の速さに達すると一定のスピードを維持して進み続けた。

 

「さーて、アインズさんはどこからどうやって出発したかなぁ。探してみちゃおっと」

 フラミーは船長用の船尾楼へ入っていくと、手元にあるマップを開いて魔法を唱えた。

 

「<偽りの情報(フェイク・カバー)>、<探知対策(カウンター・ディテクト)>――」

「場所を探るんじゃなかったのかい?」

 後から船長室に入ってきたツアーから純粋な疑問が届くと、フラミーは一度詠唱をやめた。

「これはユグドラシル時代と同じようにフルで魔法を使って行く勝負だから、アインズさんは間違いなく<発見探知(ディテクト・ロケート)>を使ってます。だから自分を守るために防御対策してるんですよ。いきなり探してボカン、なんて嫌じゃないですか。魔法で情報収集する前の基本です」

「……命賭けになるような遊びはやめてくれるかな」

「ふふ、でも、こういうの久しぶりで楽しいじゃないですか」

 フラミーは嬉しそうに笑うと、さらに十個近くの魔法によって防御を固めた。

 そうして、ようやく最後に目的の魔法を唱えた。

 

「――<物体発見(ロケート・オブジェクト)>」

 

 フラミーは年々拡大しつつある世界地図の一点をそっと指差した。

 

「アインズさんは都市国家連合の港から出るみたいですね。あそこを出入りしてる幽霊船を借りようってことかな」

「割と近いじゃないか」

「ですね。ツアーさんが書いてくれた地図の方に向かうなら、やっぱり北側の港から出た方がいいですから」

「いいのかい?もっと急がなくて」

 

 窓の外を眺めながらツアーが尋ねる。フラミーはニヤリと笑った。

 

「アインズさんはたまに迂闊ですからね。自分がどれだけ歓迎される存在なのか理解してないんです」

「……というと?」

「今頃、ペポ・アロ港じゃ歓待式が開かれてるってことです。そうなったらしばらくは動けませんよ」

「君みたいに無理に立ち去るかもしれないよ」

「アインズさんはそんなことしませんよ。優しいですもん」

 自慢げに笑うと、いつのまにか船室に入っていたパンドラズ・ニンジャも大きく頷いた。

 

+

 

「そう気を遣わずとも良い……」

「いえいえ!歓迎もせずにペポ・アロを出立されたとなれば、このブラン・シスタート・ラッセの名に傷が付きます!!どうか何とぞ!!何卒!!」

 アインズは目の前の老亜人の勢いに圧されていた。

 この男、ブラン・シスタート・ラッセがこうも必死で食い付いてくるには理由がある。

 彼は夏草海原との百年戦争を黙っていた議員の一人だった故、神の不興を買って裁きへ――というシナリオを心底恐れているのだ。

 しかし、議員達の顔も名前も覚えていないアインズにそれを察する術はなかった。

 アルベド達は歓迎されることを当たり前だと思っているようだし、アインズに加勢してくれる者は一人もいない。

 

「陛下!!必ずやお楽しみいただけるよう力を尽くします!!」

 

 ダメ押しのように言葉を発せられる。

 アインズは特大のため息を吐きそうになるのを堪え、静かに頷いた。

 突然現れ、金を払ってもらって貸しているはずの交易用幽霊船を貸せと言っている後ろめたさがアインズを動かした。

「……わかった。ただし、二時間までだ。いいな」

「ははぁー!!」

 

 もちろん、「フラミーもきっとどこかで歓迎されちゃってるよね」そう思ったのも事実だ。

 優しいフラミーが歓迎を無視して飛び去っているなど、露知らず。




まーーたご無沙汰してます!!
ちょっと短いですが、上げちゃえー!(乱暴

夏の話ですが、原作新巻が出たので加筆修正のお知らせです!

1-#5 世界をわたる力
 最新巻で料理長が出てきたので、大幅加筆修正しました!料理長の暑苦しさがすごいです!(1000字程度

1-#12 初めての冒険とエルフ
 最新巻の情報を交えつつ、アウラとマーレのはじめての旅を肉付けしました!(3000字程度

1-#22 閑話 カメラの完成
 エルフの王、通称邪王の名前を更新しました!(300字程度,ちょい追記

1-#25 ずっとあなたを探してた
 番外席次の生い立ち、真の名前を追記しました!イオリエルの事、妹として迎えたくなっちゃうわけだね(;ω;)(5000字,もはや一話分

試される紫黒聖典
3-#8 脱落者
 番外席次の戦闘シーンを加筆しました!新刊の描写を増やしたので、びっくりの力がいっぱいです!


それから、ユウキング様に三次創作をいただきました!
魔法のない国を眠夢より早く読めますぜ!!
https://syosetu.org/novel/300138/


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Lesson#24 暴走と抑止

 アインズが歓迎を受け、フラミーが出航した頃。

 クリスの体にはゾワリ、ゾワリと鱗が出現しては消えていた。

 

(――クリス、そのように軽薄なことをしていると、あなたは二度とツアレに会うことはできません。アルメリア様やナインズ様にももうお会いできませんよ)

 

 怒りと憤りがクリスの体を変容させようと疼く。

 しかし、セバスに言われた自らの宝達との断交を示す言葉を前に己を律する。

 

(お、お父様……!でも、じゃあ、私は、クリスはどうやってこの理不尽からアリー様をお守りすればいいんですか……!)

 

 竜化してはいけない。

 その気持ちと向き合えば向き合うほどにクリスの中の激情は膨らんだ。

 そして、朝にイオリエルから言われた言葉がよぎる。

 

 ――皆が怖がっても味方でいてくれる誰かがいたら、それはすごく嬉しいことじゃな。

 

「……そう、そうだ。私は味方。味方でいなくちゃ」

 

 俯いたクリスがぽつりと呟く。

 次の瞬間、見え隠れしていた鱗はクリスを覆い、ドズン!と土嚢を落としたような音が響く。

 スカートの下からは竜そのものを切り取ってきたかのような尾がぶら下がり、そこには幼い頃とは違い鋭利なタテガミ状――もしくは背鰭状――に尖った棘鱗(クレスト)が並んでいた。

 棘鱗(クレスト)はクリスの頚椎から始まり尾先まで規則的な山を繰り返す。

 シュー――と長く息を吐いたクリスが顔を上げると、赤く染まった瞳を黒くなった白目が縁取っていた。

 

「――誰ガ言イ始メタノ」

 

 クリスの異様な声色と容貌にクラスにいる全ての者が振り返っていた。

 アルメリアは禁止されたクリスの竜化した姿に目を丸くした。

 その姿を見たのは実に二年ぶり。アルメリアが関わっていないところでセバスやコキュートスと共に訓練をしていたことは知っていたが、よもやここまで異形として成長していたとは。

 しかし、激情に塗れている様子では無いため「フゥ」と安堵の息を吐いた。訓練であってもアルメリアやナインズの前での竜化を禁止されていたのは、いつ我を忘れるかわからないからだ。

 

「クリス、やめるです。また言いつけを破って。怒られますよ」

「――アリー様、良インデス。クリスハ、アリー様トナインズ様ガ一番大事ダカラ……ダカラ、怒ラレテモ、アリー様ニモウオ会イデキナクテモ……!」

 

 ぼんやりとクリスの瞳に涙が浮かぶ。アルメリアはやれやれと溜息混じりにその涙を指で掬って払った。

「何を言ってるんですか。良いから元に戻るんですよ」

「デモ!!」

 落ち着いているアルメリアとは対照的な大声に、アルメリアは一瞬肩を震わせた。

「ク、クリス?」

「――デモ!クリスハ御身ノ味方ダッテ!示シマス!!ソウ!!示シマス!!」

 怒鳴るように言い切ると、クリスは女子の塊に向かって怒りの軌跡を残すような視線を向けた。

 

「誰ガ言イ始メタ!!我ガ君ヲ侮辱シタノハ誰ダ!!」

 

「っひぃ!?」

 女子達が短い悲鳴を上げる。

 同時にクリスの前には二郎丸が立ち塞がった。

「やめてよ、クリス。落ち着いて」

「ジロチャン!!邪魔スルナラ、クリスハ怒ルヨ!!」

「もう怒ってるでしょ。やめて」

「ジロチャンハ良イノ!?アリー様ノ味方ニナラナイノ!?」

「僕はアリー様の味方だよ。アリー様も僕達が味方だってわかってる。ね、アリー様」

 言いながら、二郎丸はクリスと交わした視線を一瞬も外さなかった。アルメリアに話しかけるのに目も合わせないというのは場合によっては不敬だ。

 だが、この猛獣は視線を逸らした瞬間に女子達に飛び掛かるとしか思えなかった。

「わ、わかってます。そんなこと。クリス、だから早く元に戻るんです」

「アリー様!デモ!デモ!!クリスハ御身ヲ!御身ヲ守ラナキャ!!」

 爆裂するような声量に子ども達は一斉に耳を塞ぎ、体が硬直する。その様はさながら蛇に睨まれた蛙。

 二郎丸は自らの手のひらに汗をかいている事に気がつくと、気圧されているという事実に若干の焦りを感じた。

「クリス、本当にやめて。皆驚いてる。――それから、サラ。今すぐいち兄とナイ――いや、キュー様呼んできて。走って」

 教室に入りかけ、硬直していたサラトニクの存在に気付いていた者がどれだけいただろうか。サラトニクは目を丸くしたまま、何の動きも見せなかった。

「――サラ!!」

「っあ、わ、わかった!!」

 サラトニクは慌てて頷いて見せると猛スピードで駆け出していった。

 

「――サラ?サラ君?」

 

 クリスはぐりんと振り返り、サラトニクを探したがすでにその姿はなかった。

「ジロチャン……アリー様ノ味方ヲ減ラサナイデヨ……」

「減ってないよ。大丈夫だから」

「減ッタ……減ッタ……減ッチャッタ……減ッチャッタ……減ッタ……」

 壊れたラジオのように同じことを繰り返す様に、アルメリアは少し近付き、「ク、クリス?大丈夫です?」と声をかけた。

 すると「――さっきの声は何ですか!?どうしたの!?チャンさん!?あなた一体何を!?」と、担任のパースパリーの非難めいた声が響いた。

 二郎丸は存在しない音(・・・・・・)をクリスから聞き取った。正しくは気配を感じ取った。あえてその音を言うのであれば、「プチン」だ。

「アリー様!離れて!!」

「減ラシタァ!!」

 二郎丸がアルメリアを突き飛ばすのが早かったか、クリスが雄叫びを上げるのが早かったか。

 

 ――オォオオオオオ!!!!

 

 声とともに竜の堅固な鱗に覆われたクリスの手は高く掲げられ、二郎丸は横顔を思い切り張り倒された。

「――ッブ!!」

 机や椅子を薙ぎ倒し、二郎丸が床に転がる。

 クリスは今度こそ()へ咆哮した。

 

「我ガ君ヲ侮辱シタノハ誰ダァアア!!」

 

 絶叫で何人もが泣き始める中、二郎丸は自らの上に重なってしまった椅子を放り投げるように起き上がり、熱を帯びた頬に触れる。手には受けた爪痕から流れる血がべたりと着いていた。

「――ッ。っクリス!!もう本当にやめろ!!」

「誰ダ!!誰ダ誰ダ誰ダ誰ダ!誰ダ!!誰ガ侮辱シタァ!!」

 クリスが再び手をもたげると、目の前にいた女子二人は自らの命を守るためにたった一人を指差して叫んだ。

「ま、マァルちゃん!!マァルちゃんだよぉー!!」

「私達マァルちゃんが姫殿下を怖いって言ったの聞いた!!」

 マァルの肩が跳ねる。

「ぇ……ち、ちが――」

「貴様カァア!!」

「クリス!!やめるんですよ!!それは違う!!クリス!!」

 

 マァルに向かってクリスの爪が振るわれた瞬間、アルメリアも二郎丸も、パースパリーもユリヤも目を固くつぶった。

 マァルの体を爪が走り抜け、血が飛び散り、少女の体はその背後にあった机ごと崩れ落ちる――ことはない。

 か弱い人間一人程度、クリスの爪撃にかかれば切り裂くことなど容易なはずだった。

 

「――やめろよ、クリス」

 

 静かな声が教室に染み渡る。

 そこでようやく皆目を開けた。

 煌めく赤毛、空へ向かって美しく伸びる小さな角。

 

「――いち兄!!」

 二郎丸は歓声を上げた。

 

「二の丸、お前がびびって目を閉じてちゃ守れるもんも守れないぜ?なぁ、サラ」

 二本の腕でクリスの手を止めた一郎太はニヤリと口角を上げた。その様は父、一郎によく似ていた。

 一郎太と共にクラスに戻ったサラトニクは、尻餅をついたままでいたアルメリアをそっと立たせ、苦笑した。

「一郎太兄様、私も目をつぶりました」

「なんだ、サラもか。俺が来たって言うのに」

「――一郎太君……。邪魔シナイデヨ……」

「クリス、俺が何の邪魔をしたっていうんだよ」

「クリスガアリー様ヲ守ル邪魔ヲシナイデヨ!!」

「はは、俺はアリー様のためにお前を止めに来たんだぜ!!」

「アリー様ハ私ガ守ルンダァア!!」

 空気を引き裂くようなスピードでクリスの拳が迫り、一郎太はそれを両手で受けた。そして尾が振るわれ、よどみなく膝で受ける。ズリ……と蹄が教室の床を滑った。

「ひぇ〜!いってぇ!」

「ジャア退ケェ!!」

 繰り返されるパターンの中、一郎太は痛い痛いと言いながらも一つ一つ確実にその身で攻撃を受け止めていった。

 この時間稼ぎの裏では、教室の床に魔法陣が生み出されていた。

 少年は床に手と膝をついてカシュ、カシュっとチョークを滑らせていく。

 

「――クリス、ちゃんと話を聞いてからでも遅くは無かったはずだよ――(アンスール)。慎重だったはずの君に戻って――(ソーン)(オシラ)

 

 手がチョークで真っ白になることを厭わずに描き上げられた魔法陣は完成を知らせるように青白く発光し、自らを書き込んだ者の仮面を照らし出した。

 

「一太!放れ!!」

「はい!!キュー様!!」

 仮面の少年――ナインズの号令とともに、一郎太はクリスの胸ぐらを引っ掴む。

 

「ッ巴投げぇ!!」

 

 自らが背後に転がるようにしてクリスを持ち上げ、勢いのままクリスを床に叩きつけた。

 ナインズの書いた魔法陣の真ん中に倒れ込んだクリスは若干の痛みを吐き出し、魔法陣は強く輝いた。

「――コレハ!?」

 ドッと光の柱が教室の天井にまで伸びる。

 サラトニクは眩しさからアルメリアを守るように自らのローブでアルメリアの視線を遮った。

 そして、光が消えるとそっとローブを下ろし――アルメリアはクリスを確認した。

「――ク、クリス!」

 一度サラトニクを見上げ、サラトニクが頷くと同時にその下へ駆け付けた。

 ペタリと座り込む姿は、いつもの人間の姿をしたクリスだった。

「あ、アリー様……ナ――キュータ様……」

 罰が悪そうに視線を落とし、縮こまる。ナインズは安堵の溜め息を吐いた。

「クリス、元に戻ったね。悪いけど、このことは僕からこの後すぐにセバスさんに連絡させてもらうからね」

「……申し訳ありません……」

「僕達よりもまずはお友達たちと、二の丸と一太に謝りな。二の丸なんか血まで出ちゃって可哀想だよ」

 ナインズは一郎太に肩をかされる二郎丸や、泣きすぎて顔が真っ赤になったクラスメイト達を示した。

 

「私……私はただ……。ただ……アリー様が学校を好きになってくれるように……。お守りしたくて……悪口を言った子達をなんとかしなくちゃって……。嫌な原因をなくしたくて――」

 クリスにはまだ何か言い分がありそうだったが、アルメリアはそれを最後までは言わせなかった。

「馬鹿!お前は馬鹿です!」

「は……。申し訳ありません……」

「お前は学校が好きなんでしょう!なら、謹慎を受けるようなことをするんじゃ無いです!!私はここに来なくても平気なんですから、お前はお前を大事にしなきゃダメです!!」

 クリスはハッとアルメリアを見上げた。アルメリアの目には大粒の涙が光っていた。

「あ、アリー様……」

「こんな、お前が傷つくようなことになるなら――私は……リアちゃんは二度とナザリックを出ないです!!」

 ナインズ達は露骨に肩を落としてしまった。

「そんな……そんな……わ、私のせいで……。私は……アリー様のために……」

 クリスは目を覆い、しくしくと泣き始めた。

 脳裏にはコキュートスの言葉が響く。

(制御デキナイ力ナド、力デハナイ)

 力でねじ伏せるはずが、全てを台無しにしたのだ。

 

 ――その陰で、誰からも見えない護衛(ハンゾウ)達は拍手喝采をしていた。彼らは別に人間がクリスに殺されても構わないので静観していた。そして、アルメリアに二度とナザリックを出ないと言わせた功績を讃美している。

 が、それを支配者達に怒られるまで後数時間。

 ちなみに二郎丸にアルメリアが突き飛ばされた時は気付かれないようにそっとアルメリアを受け止め、二郎丸のことは睨み付けていた。

 

「――だけど……お前が私のためにしてくれようとしたことは認めます。それに、ここは思ったより悪く無いかもしれないとも思います。だから落ち着きなさい。クリス、お前はもっと賢い子のはずですよ……」

「…‥あ、アリー様……」

「私を失望させないでください」

「アリー様ぁ」

 アルメリアに縋ってクリスが泣く横で、ナインズはメチャクチャになっている教室を見回し――仲裁するはずが腰を抜かしている教師達の元へ向かった。

 

「すみません、先生」

「――は、い、いえ……。で、スズキ君。助かりました……」

「今日はもうクリスには帰らせます。教室の片付けは僕と一郎太でするので……今日のところはクリスを怒らないでやってください」

「わ、わかりました。あ、いえ。片付けはこの教室の生徒達でさせます。アルメリア殿下を悪く言った子達がいたようですし……」

 ナインズは仮面の下で苦笑し、教室を見渡した。他のクラスの教師達も集まっていて、廊下には大量の野次馬が揃っている。

「治癒室の神官様を呼んでください!」と号令をかけるジョルジオ・バイス・レッドウッドの姿もある。伊達に神の子の担任を受け持って三年過ごしていない。サラトニクがナインズと一郎太を呼びに来たと言う話をエルミナスやカイン、ロラン達から聞き付けて来たのだ。

 

「――お友達の皆、悪かったね。本当は皆に<獅子のごとき心>を掛けてあげたいんだけど……僕は使えないから、勇気の出る字を置いていくね」

 ナインズは教室の床に大きくT(ティール)を書き込むと、今にも殺されそうになったマァルの手を取り立たせた。

 だが、震え上がる足は言うことを聞かないようでぺたりと床に座り込んだ。

「ちょっとごめんね」

 ナインズはそっとマァルを抱き上げると、震えて声も出なくなったマァルをT(ティール)の上に連れて行き――

「で、殿下……」

 マァルの震えていた体は戻り、血色を失った頬は再び色付いた。

「うーん、僕は一応キュータ・スズキなんだけどね。ともかく、もう大丈夫だよ。うちの子が本当に悪かったね」

「い、いえ」

「これ、皆にも踏んでおいてほしいんだけど……そうできるように手伝ってくれるかな?」

「も、もちろんです」

 ナインズはマァルをそっと下ろし、マァルに背を向けようとすると、マァルはパッとナインズの手を取った。無意識だ。

「――ん?まだ怖い?」

「あ、え、えっと……はい!」

 ナインズは「どうしよっかな」と声を上げてから、マァルの手を取り、その手のひらに再びT(ティール)を書き込んだ。

「体に刻んだ方が力が強く伝わるかもしれないから、これをしばらく消さないでおいてね。これは勇気が出る字だよ。一太や二の丸には何度も書いてあげたし、僕も光神陛下に何度も書いて貰ったんだよ」

「わぁ……!」

「元気になったね。マァルちゃん」

 マァルは顔を真っ赤にしてナインズを見上げた。

「わ、わたしのなまえ……」

「知ってるよ。サラのサロンに来てたから。それに、君の持ってた花にもルーンを書いた。覚えてる?」

「お、覚えてます!それに――その時、殿下が言ってくれた……あの子にも(・・・・・)そっと優しくっていう言葉も……」

 マァルがクリスの背をさするアルメリアを視線で示すと、ナインズは数度瞬き、仮面の下で微笑んだ。

「良かった。じゃあ、君はきっと僕の大事なお姫様を悪くは言ってなかったんだね」

「……はい」

「信じるよ。ありがとう。リアちゃんとも仲良くしてね」

「――はい!」

 

 マァルは自分のことがあまりにも誇らしかった。

 

 ――一方。

 

「ナ――キュー様、キュー様」

「ん?」

 頬の止血が済んだ二郎丸はナインズの耳にそっと口を寄せた。

「――うん。――うん。――……そっか」

 マァルを犯人だと言った女の子二人はナインズの視線を感じた。それも、冷たい視線を。

「どうします?」

「それは僕が決めることじゃ無いよ。でも、リアちゃんは興味ないと思うからほっときな」

「わかりました」

 二郎丸はひそひそと悪口を言っていた女子達をほんの一瞥もしなかった。

 その様子はクラス中に波及し、針の筵だった。

 

「――そら!そろそろ戻るぞ、キュータ!一郎太!!」

 突然声を上げたのは二人の担任のバイス。神官の手配をすませたらしい。

「あ、バイス先生。でも皆にこのルーンを踏んでもらわないと」

「わかったわかった。後のことはパースパリー先生に任せて。それからそっちの――マァル君だっけ?マァル君にも頼んだんだろ?」

 ナインズは良いのかなぁ、とめちゃくちゃになった教室を見渡した。

「キュー様、バイスンもああ言ってるしいんじゃない?」

「一郎太!バイスンじゃなくてバイス先生!お前ももう行くぞ!」

「ちぇ。ほら、行こ。キュー様」

「んー、じゃあ、いっか」

 バイスの導きに従い二人は教室の扉を潜りかけ――

「バ――バンザイ!」

「バンザイ!!殿下、バンザーイ!!」

「殿下、バンザーイ!!」

「一郎太様、バンザーイ!!」

 廊下にいた生徒達や、恐慌状態に陥らなかった生徒達が叫ぶ。

 ナインズは仮面の頬をポリ……とかいた。

「……僕、キュータ・スズキなんだけど……」

「ぷ、ほら。キュー様。行こ行こ」

 一郎太がナインズの背を押す。すると、ナインズは万歳唱和の中「あ!」と振り返った。

「サラ、ありがとうね。僕たちを呼んでくれて」

 賞賛に包まれるナインズに、サラトニクは尊敬に満ちた瞳で微笑み、首を振った。

「キュータ兄様、丸君がそうしろって言ってくれたんです!」

「そう言われてすぐに動ける子はそう多くいないよ。ありがとう。――もちろん、二の丸もありがとうね」

「いえ!僕は当然のことをしたまでです!」

 

 ナインズは笑ったような雰囲気を出すと、パースパリーに頭を下げて今度こそ教室を後にした。

 

 廊下に出ても、廊下にいた野次馬達の万歳という声は続く。

 無駄に誇らしげなバイスの背中に追従し、野次馬達から見えない階段へ差し掛かると、次第に万歳唱和は小さくなり、ナインズはホッと息を吐いた。

「キュータ、お疲れな」

「あ、バイス先生もありがとうございました」

「いいや。一郎太もよく頑張ったな」

「へへ、まーねー。伊達に訓練してないよん。――でも、いってぇ〜」

 ぶんぶんと手を振る一郎太の頭をバイスが撫でる横で、ナインズは自身のこめかみに触れた。

「――<伝言(メッセージ)>。あ、セバスさん?今クリスが学校で竜化してね……」

 ナインズが説明をする横で、一郎太はナインズに擦り寄った。

「ね〜、キューさまぁ。痛いよ〜」

「そういうわけで、クリスは一回帰して……セバスさんちょっと待ってね。――一太、だいじょぶ?」

「あいつ俺のこと殺す気だったぁ」

「えぇ?いくらなんでもそんなことないよぉ。無力化して、その後ろの子達殺したかったんだよ」

 

 殺すと言う言葉が当たり前に飛び交う様子にバイスは久々に嫌な汗をかいているが、二人は気が付いていない。

 

「見てよー。手がじんじんする」

「あらら……。戻って神官さんに回復かけてもらう?」

「えぇー、あんなにカッコ良く出てきたのに、今更カッコ悪くて戻れないですよぉ。キュー様なんとかしてぇ」

「かっこいいとか悪いとかなんて気にしなくて良いのになぁ。第一僕は回復魔法使えないよ?教室戻って治してもらうか、後で治してもらうかしかないよ」

「えぇ〜〜」

「とにかくちょっと僕セバスさんと話してるから」

「ナイ様ぁ」

「僕キュータだし。――あ、セバスさん?――うん。そう。一太がクリスに何発も食らって痛いって泣いてる」

「な、泣いてねぇし!俺泣いてないですよ!?」

「一太、ちょっと静かにして」

 ナインズにあしらわれると、バイスは一郎太の手を取った。

「ほら、後で構ってもらいなさい。それか、先生が痛いの痛いの飛んでけしてやろうか?」

「えー。バイスンのそれ効かなそうだからなー」

「……お前、先生のこと尊敬してないだろ」

 

「――セバスさん、そしたらペストーニャさんの事、まず僕のクラスに送ってくれる?一太治してから一年生のケアに行ってほしいの。――三年生のところにくる時はこっそりね」

「え!キュー様!」

 一郎太はナインズを輝く瞳で見つめた。

「――うん。うん。じゃあ、よろしくね」

 ナインズがそっと手を下ろすと――「っうわ!?」

 ナインズの背に一郎太が飛び付き、一郎太はもさもさの頬をナインズに擦り付けた。

「キュー様ありがとー!!」

「はは。一太重いよぉ」

「流石キュー様!!いやーキュー様カッコよかったなー!決まってた!」

「え?はは、一太こそカッコよかったよ。竜化したクリス止めちゃうんだもん。すごいよ!」

「へへへへへ」

「へへへへ」

 二人は兄弟のように和やかに笑った。

 

 ――他方、未だ和やかではないのアルメリアのクラスでは、アルメリアの前に女子達が並んでいた。

 パースパリーがそっと謝罪を促す。

「ご、ごめんなさい……」

「でも本当にそんなつもりじゃなくて……」

 が、アルメリアは氷のような瞳で人間のメスを見渡した。

 

「自分が属する群れの言うことを否定してまで私の肩を持ったこれ(・・)とは正反対ですね」

 

 パースパリーと女子達は凍りついた。

 だが、そんなことには興味のないアルメリアはすぐに彼女たちへ背を向け、神官に頬の傷を多少癒やされた二郎丸の顔を覗き込んだ。治癒魔法のレベルが低いせいで完治しなかったらしい。

「丸、大丈夫です?」

「あ、うん。大丈夫ですよ。クリスが帰ってもちゃんとアリー様のこと守れますから、心配しないでくださいね!」

 クリスは友達たちと共に机や椅子を元に戻していた。「そんなことは分かっています。そうじゃなくて、お前も自分を大事にするんですよ」

「アリー様……」

「帰ったらお母ちゃまにお前の頬を完全に治してほしいと頼んでやります。だからクリスを許してやってくださいね」

「へへ、僕はクリスを嫌いになったりしないよ。大丈夫です」

「それならよかったです」

 

 優しい微笑みを見せると、クラスメイト達はやはり、うっとりとした溜め息を履いた。

 皆、気位は高いがアルメリアは守られるべき姫であり、暴走する従者を止めようと必死になってくれる良き指導者であるとも認識を改めた。

 そして転移門(ゲート)が開き、中からは犬の頭をしたメイドが優雅に踏み出してきた。

 

「クリス、迎えですよ」

「――あ……。ペストーニャ様……」

「クリス、話はナインズ様より聞きましたよ。あ、わん。ただ、私は迎えではありませんわ。あなたは一人でこれを潜り、セバス様の元へいくのです。あ、わん。私は皆さんの心の傷と体の傷、両方を癒してからあなたの後を追います。と言うわけで、先生、少しお時間いただきますわ。あ、わん」

「は、はい。よ、よろしくお願いいたします」

「――さ、それではまずは二郎丸君」

 ペストーニャは惜しげもなく二郎丸の前にしゃがみ、視線を合わせると労わるように傷痕に触れた。

「あ、ペストーニャさん。いち兄のことも――」

「それはもう済んでおりますわ。あ、わん」

 神官の治癒魔法では完治しなかった傷が癒やされていく様を、クリスはしかと見届けてから転移門(ゲート)をくぐった。




え?一郎太かっこええですやん!!
こんばんは、男爵です!
次話割とすぐに上げられる気持ちです!(気持ち


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試される孤島
#145 孤島の孤独


 その日、島には嵐が襲っていた。

 ゴウゴウと風が吹き付け、ほんの数メートル先も見えないような激しい雨が降り注ぐ。

「屋根が飛ばされちゃいそうねぇ……」

 ラビの母親は食事の手を止め、閉められた窓の鎧戸と屋根がガタガタと音を立てる様子を戦々恐々と眺めた。

「怖いわ。ねぇ、大丈夫かしら」

「ん?このエビ美味しいね」

「……はぁ」

 ラビがどこか楽しげに答え、食事を進めようとすると――ガラガラと何かが飛ばされるような音がした。

「どこか瓦が飛ばされたかな。今日の嵐はずいぶん強い」

 父親も屋根を心配そうに見上げた。

 ラビは突風が吹き付けるたびに笑いが漏れてしまいそうになるのを抑え、急ぎ食事をかき込んだ。

「――っごちそうさま!僕もう寝るから!」

 水の溜めてあるタライに慌ただしく食器を入れ、部屋に駆け込んだ。

 

 外から嵐の音が聞こえ続け、時に鎧戸の隙間から迸った稲妻の光が漏れ入る。

 落ちた雷はラビの恍惚の表情を照らし出した。鯨の油が入れられている皿に灯心を入れ、マッチを擦って火を灯す。

「ふふふ、明日はどのルートで海岸を回るのがいいかなぁ」

 机には簡易ランプの他に島の地図。よく漂流物が溜まっている波の吹き溜りに丸を付けているラビのトレジャーマップだ。

 筆学所が始まる前にハントに行くか、終わってから行くか。――筆学所では、字の書き方や読み方、簡単な計算、海と空の天気の読み方、島の歴史などを教わる。一日たった三時間程度の学校だ。

 筆学所が終わってから行く方が時間の余裕はあるが、せっかく流れ着いた漂流物が満ち潮で再び波にさらわれるのはいただけない。

 それくらいなら、多少時間に追われても早朝、筆学所が始まる前に手早く回った方がいいだろう。

 確実な獲物確保を狙うなら浜だ。瓶や小物が流れ着く。

 ――しかし、大物を狙うなら断然岩礁地帯。

 どちらを選ぶべきか。

 しばらく地図を眺めると、ラビは「よし」と小さく呟いた。

 

「これだけの大嵐、もったいないもんね」

 

 明日は大物狙いに決めると、火を吹き消した。地図を畳み、何も入っていないリュックに差し込む。

 すぐに布団に潜り、明日の宝探しに思いを馳せた。

 

 その翌日、上がりたての雨が木や屋根から滴る夜明け。

 薄紫色の空には雲ひとつなく、水平の彼方には昇りゆく日が輝いていた。

 ラビは空っぽのリュックを背負って海へ駆けた。

 普段なら漁から帰ってくる舟がいるような時間だが、嵐と風が止んでから出航したのか、はたまた出航しなかったのか、未だ帰航する舟はいない。

 浜には波の打ち寄せる音ばかり。

 一番近い岩礁地帯へ向かいながら、台所から失敬して来たパンノキの実をチップスにしたものを口に放り込む。

「ん、ん、ん。んまい、んまい。……っふふ」

 この後の収穫を期待してつい独り言が口をつく。

 何枚も食べ、腹も膨れる頃には目的地に着いた。

 黒い岩に凪いだ海がそっと寄せては軽い飛沫を上げる。

 岩の間にはたくさんの海藻が引っかかっていて、中には死んだ魚も浮いている。こう言う魚を目当てに肉食の魚たちが集まってくるため、嵐の翌日は魚がよく獲れる。

 

 ラビは草がまばらに生える岩がちの浜に荷物を放り出すと、その辺に落ちていた木の棒を拾った。

 慣れた足取りで岩と岩の間を飛び移り、波の行き止まりを覗き込んだ。

 

「いいものあるかな〜」

 

 鼻歌混じりだが、初っ端からそんなにいいものが見つかるとは思っていない。なんと言っても、ラビが探すものは字が書かれているものなのだから。

 ゴミのようなものなら割と手に入る。ここで早速何か見つかればラッキーだ。

 だが、目ぼしいものは瓶くらいしかなかった。

「お、割れてない」

 これはこれで買い取ってもらえるので小遣い稼ぎには良い。ラッキーなことに側面には「エ・ナイウル名産ホヂノマーレワイン」と書いてあった。それはどこにある国なのだろう。

 

「エ・ナイウル国……」

 

 ラビはそのラベルの文言を噛み締めると、リュックに瓶を入れて次の場所へ赴いた。ちなみにラベルは帰ったら丁寧に剥がしてとっておく。

 次の浜には何も入っていない写真立て、ボール、流木、転がって角がなくなったガラスの破片(シーグラス)

 シーグラスは拾ったが、そこでは大した収穫はなく、また次でも大したものはなかった。

 トレジャーマップの目ぼしいところを次々と回っていると、日はすっかり高くなり、朝の浜仕事に出てくる大人や、手伝いの子供の姿がちらほらと見え始めた。

 何人かに挨拶をされながら、ラビは一度家の方へ戻り、今来た方とは反対の岩礁地帯へ向かうことに決めた。

 

 家が見えるあたりに出ると、家の前には母親がいてラビに手を振った。適当に手を振りかえして岩礁地帯へ急ぐ。

 

「――ラビ!筆学所が始まる前にお父さんのこと手伝ってちょうだい!!」

 母親がこれでもかと大声を出すと、ラビはあからさまに鬱陶しそうな顔をした。

「今それどころじゃないの!!」

「昨日の台風で勝手口の軒が飛んじゃってたのよ!口答えしてないで!!さぁ、早く!!」

 そういえば昨夜はずいぶん派手な音が鳴っていた。ラビは渋々勝手口へ向かった。

 そこには屋根に梯子をかける父がいた。

 

「――お、お帰りか。今朝は随分早く出たんだな」

「ん。お宝が手に入ると思ったんだよ」

「収穫は?」

「これからあるかも」

「ははは、何もなかったか」

「うるさいな」

 

 父の手伝いをしながら、出かけた時には薄暗くて気が付かず、帰りには急ぎすぎて気付かなかった町の様子にようやく気が付き始めた。

 

 隣家の屋根も一部飛ばされていたり、向かいの家の古い木が斜めになってしまっていたり。昨日の嵐は想像以上に破壊的なものだったようだ。

 

 勝手口の修復も終盤に差し掛かると、ラビはあまりの焦れったさに貧乏ゆすりをした。

「ねぇ、もう行っていい?」

「んー、まぁいいか。行ってこい」

「やった!ありがと!!」

 ラビはリュックを背負い直し、石垣を回って玄関へ向かった。

 

「ラビ、まだ終わってないんじゃないの?」

「あらあら、ラビ君はもうお出かけ?」

 

 落ち葉でめちゃくちゃになった庭を片付けていた母親と、母親より年上の隣家のおばさんが同時に声をかけてくる。

 ラビは「終わったよ」とだけ答えた。

 

「でもまだお父さんのトンカチの音がしてるじゃないの」

「父さんがもういいって」

「ふふ、ラビ君、どこまでお出かけ?」

「ちょっと潮溜まりまで」

「潮溜まり?」

「はい、この島の外の事が書かれたものが着いてないか確かめるんです」

「……あー。ラビ君はそうよねぇ。そうだったわねぇ」

 

 お隣さんがどこか呆れたように言うと、ラビの母親は少し恥ずかしそうに肩をすくめた。

 

「まぁ、ラビ君。若いうちはなんでも楽しいものよね。でも、嵐の後で今街もあなたのお家も大変なのよ?お父さんもまだ何か修理してるんでしょう?それなのに、ゴミ漁りにいくなんて」

 お隣さんが気持ちよさそうに説教を始めると、母親がそれを嗜めた。

「奥さま、主人はもういいと言ったそうですから」

「まぁいけないわ、テランバードさん。ちゃんとこう言うときに言い聞かせなくっちゃ。この間も何かゴミ拾って步いてたらしいじゃない?そろそろビシッと言い聞かせなくちゃ」

「それはそうなんですけどね。でも、やりたい事はやってほしいんです。大人になる前に」

「まぁ〜。テランバードさんは優しいのねぇ。うちの息子――ユラドはやりたい事もたくさんやったけど、やらなきゃいけない事もたくさんやったわよ?なのに、この歳になってまだ"読むごっこ"が終わらないで、空想に耽ってばっかりなんじゃあ……奥さんも大変でしょ?」

 

「ふ」と軽く鼻で笑われる。

 母親はラビを見ると「それはそうなんですけど……ね」と参ったような目をした。

 

「……僕のは"ごっこ遊び"なんかじゃない。本当に読めるんです」

「あらあらあらあらあらあら。ほら、ね?テランバードさん、そろそろいい加減に作り話をするのはやめなさいって言わなくちゃ大人になってから困るわよ?それが許されるのは子供の頃まで。ラビ君、そりゃあ子供達はそう言うの喜んで聞きますよ?でもね、いけません。大人相手にそんな事で興味を引こうとするなんて許されません。うちのユラドなんて筆学所を出た後は鳥猟師として島の役に立ってるじゃない?それは厳しくもしたからこそなれたのよ?」

 

 おばさんは気持ちよさそうに笑うと、さらに隣の家の向かいに出てきたご近所さんを手招いた。

「ちょっと!レニートンさん!ホームネルさん!来てちょうだいな!テランバードさんが子育てで悩んでるのよ!」

 

 何だ何だとおばさんが二人増えると、隣人は楽しげにラビを小馬鹿にした。

 そんな中、母親はそっとラビの背を押した。

「あんまりやりすぎは良くないけど、今日の所はもう行ったら?欲しいもの、流されちゃうかもしれないわよ」

「……せ……つき」

「え?」

「どうせ僕は嘘つきだよ!!」

 ラビは悔しい気持ちを握り潰して次の浜へ向かって走った。

 その背には合流したおばさん達が「夢見がち」「いつまでも少年」「海の掃除屋さん」「反抗期だわ」などと、悪気もなく貶めていく。

「あれじゃあ、いつまで経っても大人になれないわ」

「いい療育所が島の裏にあるらしいわよ?」

 それがラビの耳に聞こえた最後の言葉だった。

 

 悔しかった。

 どうすればこの力を信じてもらえるのか、この力を証明できるのか。

 ラビは大人達から半ば気狂いのような扱いを受けていた。

 

 母も父も正面切ってラビの言うことを嘘や作り話だと断じた事はないが、内心ではいつになったらこの変な癖が治るのだろうと思っているとしか思えなかった。

「……くそ。くそ……」

 

 ラビに味方はいなかった。たった一人だけ、自分達が井の中の蛙であることを知る、空を飛べない哀れな鳥だ。

 目的地に着くも、朝のあのワクワクやドキドキはどこにもなかった。

 もう筆学所も今日はさぼって、どこかへ行ってしまいたかった。

 そして、あまり期待していないスポットをちらりと見る。

 

「――え?」

 

 ラビは岩にできた潮溜まりを見て硬直した。

 

 そこには、どこからどうみても本としか思えないものが、まるで自らを手に取れと言うかのごとく鎮座ましましていた。

 

 血が滲むほどに握りしめた拳を解き、思い切り腕を伸ばす。

 ぷちゃぷちゃと優しい波の音が近くなる。

 

 夢ではない。本当に本だ。余程大切な書物だったのか、本にはブックバンドが十字にかけられていた。

 ラビはブックバンドの端をいとも簡単に掴み取り、革張りの重厚な美しい本を手にした。

 

 そこで、この出来事の違和感に背筋がゾクリと震えた。

 本などこれまでひとつも流れ着いた事はない。紙は当然溶けてしまうし、革装丁も海に揉まれて分解されてしまう。

 この本は悪魔が生み出したものなのか、はたまたラビを嘲笑うための島民のいたずらか、――これを望みすぎたラビの生み出した幻覚か。

 

 まるで昨日製本されたばかりのようにすら見える美しさ。

 ラビはそっとブックバンドをずらしてその本の表紙を見ると、箔押しされた題名に震え上がった。

 読める。読めるが、この島の文字ではない。つまり、島民のいたずらではないのだ。

 心臓がバクバクと音をあげ、ブックバンドをゆっくりと外す。たったそれだけの動作の時間がこれほど長く感じたことは今まで一度もない。

 

 表紙にはこう綴られていたのだ。

 

 ――――魔法学。

 

 ラビは何かに駆られるように本を開いた。

 開かれた本の中の紙は水を弾く見たこともない素材だった。一部角がなくなったりはしているが、損傷はそう多くない。

 真っ白な紙には見たこともない紋章が大きく刷られていた。

 一番下には、手書きの文字も。

「……半水没都市スァン・モーナ第四小学校、ペイシノエー……。名前……?」

 小学校とはどれほど高度なことを学ぶ場所なのだろうか。どうしてもこの学校に通いたい。この島を出たい。

 紋章の押された次のページをそっとめくる。

 

 ――位階魔法とは

 ――神との接続

 ――神々の支配域

 ――位階と力

 ――生活

 ――風の位階魔法

 ――火の位階魔法

 ――水の位階魔法

 ――土の位階魔法

 ――光の位階魔法

 ――闇の位階魔法

 ――人智の領域

 

 目次はまさしくラビが求めていた情報ばかり。

 早くめくりたいと言う思いがラビを急かすが、その前に他にも同様の本が流れ着いていないか注意深く観察した。が、残るはゴミのようなものばかりだった。

 

 この発見は世紀の大発見になるに違いない。

 そして、このどんな文字でも読めると言う魔法の力の正体へ迫れるかもしれない。

 

「やっぱり、やっぱりあったんだ!魔法はあるんだ!!」

 

 あまりの嬉しさにラビの口からは笑いと、喜びの雄叫が上がった。

 では早速。

 前書きにはラビの知らない国の名前と、ラビの知らない神の名前と、その尊き力について丁寧に書かれていた。

 

+

 

 どこまでも凪いで広がる海。 

 風がないと言うのにスピードを落とすことなく進み続ける純白の帆船が、まるで花嫁がベールを引きずるかのように航跡波を残す。

 その隣にはイルカが跳ね、フラミーは顔にかかった飛沫に笑った。

「きゃー!気持ちいいですねえ!」

 学校でとんでもないことが起こっていることなど知る由もなく、母は無邪気にイルカを愛でていた。

 シャルティアよりカメラを預かってきたパンドラズ・アクターは何枚かの記録写真を撮り、後ほどこれは一枚を宝物殿に、もう一枚を父に渡そうと決めた。

 デッキチェアに鎧を座らせるツアーは小動物達が戯れる様子に「平和」と名付け、いつかは行き着いてしまうであろう国の今後を思って竜の身で溜め息を吐いた。

 正直まだ心の準備はできていないのだ。できることなら、いつまでもこの平和な航海を続けたかった。

 

 が、その時は突然訪れた。

「――ズアちゃん!あんなところに島がありますよ!」

「なんと!確かめさせていただきまッす!」

 パンドラズ・アクターはすぐさま伸縮式の単眼鏡を取り出し、キチキチと音を立てながらピントを合わせた。

「どうです?」

「少々お待ちください。ただいま確認中でございます。ただ、距離的に考えてツアーの言っていた国ではなさそうかとは思いますが……」

「まぁそれはそうですよね〜」

 

 確かにここはツアーの話した場所ではない。だが、知的生命体がいれば、こんな孤島すらも支配の手からは逃れられまい。

 

「――んん?」

「ん?」

「……あれは……」

「なんです?」

 

 まだ島は小指の爪程度の大きさだ。パンドラズ・アクターの手にするマジックアイテムでなければとても詳細は見えない。

 

「浜に人間種がいるように見えます!」

「あら、こんなところでラッキー!観光して行きましょー!」

「かしこまりました!もう少し島に近付いたら索敵を開始いたします!」

「お願いしますね!」

 

 ツアーは予想通りの事態にうんざりした。

 

「やれやれ。本当に観光だけにしてほしいものだね」

「ふふ、何はともあれ観光ですよ!観光観光!」

 

 フラミーはひょいと浮かび上がると、船長室の上にある操舵輪を思い切り右へ向かって回した。

「面舵いっぱーい!!」

 船の進行方向は緩やかに島へ向かい始めた。

 

 そして、くるりと回るとその肌は肌色に、耳は短く、翼は失われた。

 顔や髪の色、瞳の色はフラミーのままだが、どこからどうみても人間種だ。

 

「ふふ、私達は普通の旅人ですよ!」

 

 そんな高価な服を着た旅人なんていない。――ツアーはそう思った。

 

+

 

 あれから幾日。

 あの日ラビは筆学所には行かなかった。

 それどころか、あれ以来トイレ以外で自室を出ることはほぼない。食事も自室でとり、心配する両親もそっちのけだ。ただ、三日に一度は銭湯に行った。流石に自分が臭かった。

 昨日も三日に一度の銭湯に行ったが、頭と体を洗い、走るように帰ってきた。銭湯で同級生に声を掛けられたがほとんど無視だった。

 ラビは何度も何度も、何かに取り憑かれたかのように魔法学の書を読み続けていた。

 今も生活魔法のページを開き、目の前には水の張られたコップ。

「――だから……音を消す魔法は風の属性にあって……光の神(フラミー)の支配下にあるはずなんだ……。光の神は命、光、風、水の源で、闇の神は死、闇、土、火 の源……。同じ光の神の支配下にあるものに力を伝えることが一番簡単なはず……」

 ラビは一度大きく深呼吸をした。

 そして、置いてあるペンで水のコップをチーン…‥と鳴らした。

 

「――<小音(スモールサウンド)>!」

 

 コップを力一杯指差す。

 ちかし、チーンと鳴った音の残響は止まることも、音量が変わることもなかった。

 

「……はぁ。どうやったら神との接続ができるんだろう。生活魔法の中でもどれが一番簡単か分からないし……。これならできそうだと思うんだけどなあ」

 

 ラビが試している魔法は「生活魔法」の初めの方に載っている。

 ざっくばらんに説明すると、魔法をかけた物体の立てる音を少し小さくすると言うものだ。多くは貴族の乗る馬車の車輪に掛け、ガタゴトとうるさくならないようにするものらしい。

 昔は道が舗装されていないことが多く、高級な馬車にはこれが掛けられていたとか。

 

 ラビはこの魔法が使いたいわけではないが、まずは簡単そうなものから始める必要があると思っているため、彼なりの解釈で進めていた。

 

「……<浮遊板(フローティング・ボード)>が使えたら、あっという間に皆に思い知らせることができるのにな……」

 見た目にも派手だし、これを使いたかった。――もしくは、攻撃魔法。だが、第一位階とゼロ位階ではレベルが全く違うようなのでまだまだ授業が必要だろう。

 ラビは顔をパンパンとたたき、気合を入れ直すと袖を捲った。

「いつかは絶対使えるようになるんだ!さ、もう一回――」

 

 と、コップを再び鳴らそうとしたところで部屋にノックが響いた。

 

「――何」

『ラビ!ねぇ、ラビ!開けて!すごいのよ!!本当にすごいの!!』

 

 興奮した母の声。

 この魔法学の書を手に入れるよりもすごいことなどこの島には起こりっこない。

 ラビはこれを手に入れた日、日没まで浜で書を読み耽り、帰ってきた時のことを忘れていない。

 

 ――「母さん!父さん!すごいよ!すごいんだ!」

 ――「なぁに?あなた、筆学所もサボって」

 ――「こんな時間までどこにいたんだ!心配をかけて!!」

 ――「ご、ごめん!でも、でもこれで本当に僕の言ってることが作り話じゃないって二人にもわかるよ!ねぇ!見てよ!魔法学の書があったんだ!!」

 ――「……もういい加減にして。昼のことであなたが傷付いたのはわかったわ。でも、あなただってね」

 ――「でも母さん!本当にこれを読めば」

 ――「いい加減にして!!母さんがどれだけこれまで……これまで……!!」

 

 ラビはそっと首を振り、コップを鳴らした。

「<小音(スモールサウンド)>」

『ラビったら!船が来たのよ!!』

 船など毎日港を出入りしている。意味不明だった。

 イライラが募るが、邪念はおそらく魔法を使いにくくさせるため必死に自らを落ち着かせる。

『――船には旅人が三人乗ってたんですって!!』

 その言葉にラビの手は止まる。

「……旅人?」

 開けてと叩かれる扉へ向かい、そっと扉を開けた。

「――ねぇ、この島の船じゃないの……?」

「ラビ!そうよ!その船はね、――神聖魔導国から来たんですって!!」

 

 ラビの脳天を稲妻が駆け抜けた。



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#146 間違いを認める時

 ラビは魔法学書を抱いて一目散に家を飛び出していた。

 母の「北の丸崎港の方に真っ白な船が来たんですって」と言う言葉を聞いた次の瞬間だった。

 それは、魔法学の書を拾った岩礁地帯のすぐそばの港だ。

 潮の流れが神聖魔導国の方を向いているのだろう。

 

 ついに来た。

 ついに来てくれた!

 

 この島を出ることもできず、魔法を使うこともできない、蛙でいるしかなかった人々の住む、この島に!!

 

 母はラビの背に向かって「一緒に行かない!?」と叫んだが、魔法を信じない者には会わせられない。

 この島の者が魔法を嘘っぱちだと馬鹿にする前に、とにかく一番にラビが会わなくては。神聖魔導国から来たのだから、魔法を否定することは彼らの神の力を否定することに他ならない。

 ジリジリと照りつける太陽を横目に喉が焼けるほどに走った。

 

「――あ、ラビだ!」

 大きな道に出ると、筆学所の生徒達も見物に行くのか同級生たちがラビを指差す。

 ディーが「おーい!ラビー!」と手を振るが、それに応える暇もなく走った。

 

 時に人の庭を抜け、時に階段を駆け下り、草で脛が切れる事も厭わずに闇雲に走った。

 

 ついに辿り着く――!!

 

 そう思った先には、黒山の人だかりがあった。桟橋状の船着場が壊れてしまうのではないか心配になるほどの人数。

 浜仕事をしていた者も、家にいた者も集まっているので老若男女を問わない。

 

「すごいわねぇ。あんなに綺麗な船見たことある?」

「それよりも変な格好してるそうなのよ。見た?」

「御伽噺に出てくるみたいな銀色の鎧を着てるんですって」

「黒尽くめで顔を隠してるって」

「銀色の髪をしてるそうよ」

「おいおい、そりゃ白髪じゃねぇか?」

「若いらしいのに苦労してんだなぁ」

「可哀想だわ。この島に住みたいって言うかしら」

「ここからじゃ何も見えないな」

 

 ラビは何度もジャンプをして船を見ようとしたが、かろうじて帆が見える程度だった。

 人をかき分けるしかない。そう思ったとき、ラビの肩にポンっと手が置かれた。

「おい、ラビ。聞こえてんだろ?」

 全く聞こえていなかった。余程ここで立ち往生していたのか、筆学所の友人たちが来ていた。

「――ディー」

 

「島の外の船が来たってな!それより、お前ここのところ筆学所サボって何してたの?」

「……魔法の練習」

「まぁたラビの魔法はある、だ」

 ディーはやれやれと首を振った。

 ラビはもうディーに付き合っている時間はないと「すみません」と声を掛け、必死に人をかき分けた。

「――おい!ラビ!おいってば!っもー、世話が焼けるなぁ!」

 その後をディーも追ってくる。

 二人は「いてぇな!」「押すなよ!」「ちょっと!」と注意されながら進んだ。

 そして、ついに一番先頭にいた人物を押し出すことで白亜の船の前に転がり出た。

 そう、文字通り転がり出てしまったのだ。

「っうわ!!」

 それと同時に、ラビがここまで大切に抱いてきた魔法学の書は船着場の向こうへ放り出され、バシャンっと派手な音を立てて沈んだ。

「あ!!あ!!」

 これだけは守り抜くと決めていたのに、ラビは桟橋を覗き込み、この下の海の深さに愕然とした。船着場なのだから浅くては船が座礁するためかなりの深さがある。

 

「――大丈夫です?」

 

 優しい声に顔を上げれば――彫刻が喋っているかのような絶世の美女がいた。いや、美少女だろうか。

 黎明の海が凪いだ水しぶきを上げ、宝石のように煌めく様を遥かに上回る透き通った銀髪。太陽が沈んで行く時に放つよりも濃厚な金色をした瞳。浜育ちではあり得ない、生まれたばかりのような白い肌。

 話したいこと、聞いてほしいこと、羅列してはキリがないほどにあったと言うのに、ラビは咄嗟に言葉を紡ぐことができなかった。

 当然だ。これほどの絶世の美女が自分に話しかけて来ては、男だろうが女だろうが萎縮してしまう。もしや天が作った存在ではなかろうかと。

 

「……あ……あ……」

「大丈夫そうですね。――それじゃ、この島案内してくれますか?」

 願ってもない提案にラビは大慌てで首を縦に振った。

「あ、は、はい!!でも、今、僕の宝物が海に落ちちゃって――」

 

 大声で返事をした瞬間、取り囲む野次馬からドッと笑い声が上がった。

 聞いた事もないほど多くの笑い声に、ラビは呆然とするしかなかった。何がそんなにおかしかったのか。

 銀髪の旅人も、きょとんとした目でラビを見ていた。

 ――理由はすぐに分かった。

 

 銀色の鎧を着た旅人の前に二人の男が立っている。

 この辺りの浜を取りまとめている漁師頭のウルボリと、若い衆の中でも今最も注目されているユラドだ。

 隣家の失礼極まりないおばさんの息子だが、ユラド本人は良い奴のようだと、たまに挨拶を交わす時に思っていた。

 ウルボリは豪快すぎる笑いを飛ばすと、ラビに大量の刺青が入っている手を伸ばした。

「おう!!坊主、お前にカライ島の案内は荷が重すぎるだろう!!」

 ラビは半ば無理やり立ち上がらされると、恥ずかしさで真っ赤に染まった顔をさっと背けた。

 こんな年端も行かぬ子供に、この島初めての旅人の案内が任されるわけがないし、何より旅人も案内を頼んだりするはずがない。

「――ラビ?君、ラビ・テランバードじゃないか?」

「なんだ?ユラドの知り合いか」

「あぁ、おやっさん。ラビは俺んちの隣に住んでるんだ」

「ほーう?」

 このやり取りだけで、自分は漁師のリーダーだときちんと知っているウルボリに認識されていないことを思い知った。

「ラビは空想が好きでね。よく子供達におとぎ話を聞かせてるのさ。まぁ、そんなことは今はどうでも良いか。――さあ!皆、島の外から来たはじめてのお客様を案内するから退いてください!!」

 皆がざわめきながら、ゆっくりと道を開けていく。

 

 銀色の髪をした旅人は、黒子のような姿をした者と眩いまでに輝くプラチナの全身鎧の者を引き連れてラビの前を通り過ぎた。

 

 魔法学の書も海の底へ落ちた。

 島の外の人とも話せない。

 こんなの、あんまりだった。

 だが、腐ってしまっては何も変わらない。

 ラビは全てを振り切るように声を上げた。

 

「あ、あ……あの!!」

「――っうわ、ラビ!よせよ、カライ島の恥晒しになるぞ!」

 ディーが周りにヘラヘラと「すんませ〜ん」と言いながら腕を引っ張るが、ラビは思い切りそれを振り払った。

「離せよっ。――すみません!!旅人さん!!すみません!!お願いします!!僕の話を聞いて!!」

 銀髪の旅人は立ち止まり振り返った。

 

「どうしました?」

 

 美しいだけでなく優しい人で良かった。

 旅人が話を聞こうとしたからか、周りの野次はそっと止み、そこには静寂が訪れた。

 

「あ、あの!僕、ま、魔法!!魔法のことを聞きたくて――」

 

 静かになったのでちゃんと伝えられるはずだったが、ラビは自らその言葉を切った。

 それは、旅人が明らかに「困ったな」という顔をしたから。

 

「えーっと……はは。魔法、ですか?」

 

 これまで幾度となく見てきた表情。

 ラビの脳内には大人たちの扱いに参るような顔がいくつも浮かび、「作り話し」と断じられて来た屈辱が一気に襲った。

 もしかしたら、自分はおかしいのかもしれない。

 自分だけが読める文字も、都合よく魔法学の書が流れ着いたのも、何もかもが幻。

 読めると思いこんでいただけの都合が良い夢。

 

 この世界には魔法なんて、存在しない。

 

 今この時は幼少期から夢にまで見た瞬間だったが、こんな事ならこの時が来なければ良かったのに。

 皆、何度もラビに教えてくれた。

 魔法なんか存在しないと。

 あぁ、自分の頭がおかしいと認識することがこれほど辛いなんて。

 自分は狂っていたなんて。

 何故一度でも自分を疑わずにここまで来てしまったんだろう。

 目の前が真っ暗になり、輝いていたはずの景色は薄汚い灰色へと変わった。

 

 ラビはこれまで自分が信じて来た全てを手放した。

 

「――なんでも……ないです」

 

 静かに告げ、そっと踵を返す。

 大人達は目を見合わせて道を開けた。

 ラビの耳にはヒソヒソと押さえられた声が届いた。

 

 ――ほら、テランバードさんの所の。

 ――あぁ……。少しアレ(・・)なんだってな。

 ――可哀想にねぇ。

 ――あそこの奥さん、すごく働き者でしょ?

 ――あの子が浮かないように、筆学所にもよく行ってるって。

 ――何をしに?

 ――掃除よ。師範に見離されないように。

 ――苦労してるのね。

 ――あれじゃ将来漁協にも農協にも雇ってもらえないわ。

 

 知らなかった。

 もしかしたら、これまでも聞こえていたのかもしれない。

 だが、聞こうとして来なかった。

 

 ラビは人集りを抜けると、あまりの息苦しさに胸を抑えた。

「な、ラビ。大丈夫?」

 しつこく付き纏ってくるとさっきまで思っていたはずのディーが、これほどまでに優しく見えるなんて。

 彼は魔法は無いと言ったことはあっても、ラビを馬鹿にしたことなんか一度もなかった。

 ディーはラビの背を摩り、そのすぐそばを歩いてくれた。

 そして、角を一つ曲がると――

 港の方からドッと空気が揺れるような笑い声が上がった。

 

 ラビはその場で蹲りたい気持ちを抑え、なんとか膝を支えた。

 これまではこんな笑い声もなんともなかったのに。

 魔法を信じられない愚かな島民なんて思っていたのに。

 

 ラビの瞳には初めて涙が浮かび、ポツリとひとつ溢れた。

 

「ラビ?」

 生まれた時から聞いていた一番優しい声だった。

 顔を上げると、急いで来たのか額に汗を浮かべた両親がいた。

「父さ――お父さん、お母さん……」

 少し背伸びをして、父さん母さんと呼んでいたはずなのに。

 ラビはディーの目も気にせずにその場で蹲り、膝を抱えて泣いた。

 十五にもなって恥の上塗りだと思ったが、これまで十五年間、父母はこの恥辱の中自身を見限らずに見守り続けてくれていたのかと思うと耐えられなかった。

 魔法学の書を拾った日、母が「どれだけこれまで……」と言葉を切ったのが辛かった。

「あらあら……」

 母親はいつも通りだった。

 ここまで届いてしまう笑い声が、誰を笑うものなのか察しているだろうに。

 両親からすれば、これもいつも通りだったのだろう。

 変わったのはラビの気持ちだけだった。

 

「――ラビ、旅人はもういいの?」

 

 ラビは何度も頷き、膝を涙と鼻水でずぶ濡れにした。

 そっと頭を撫でられ、その手は肩を優しく叩いた。

 

「そう、じゃあ帰りましょ。あなた、何かやることあるんでしょう?良いもの拾ったんでしょ?」

 

 瞳を輝かせて魔法学の書を抱えて帰り、寝食を惜しんで齧り付いて勉強した。

 母のことなど少しも考えはしなかった。

 

「もう……もういいんだ……。ごめんなさい……」

「いいの?じゃあ、また次の嵐が来るのを待ちなさいな」

「……それも……それも……もう……いいんだ……」

 

 両親が目を見合わせたのが伝わって来た。

 ラビは涙が止まると、そっと母親から離れて立ち上がり、一人家へ向かって歩き出した。

 あまりにも切ない背中だった。

 

 両親もディーも、ラビの後をゆっくりと着いて行く。

 そして、両親はそっとディーへ視線を送った。

 ディーはそれが説明を求めるものだと理解し、ラビに聞こえないように小さな声で言った。

「――あいつ、旅人に聞いたんだ」

「何を?」

 父親――ノバは心の中で「まさかな」と思いながら、わかり切った事を聞き返した。

「いつものやつ。魔法について」

「……そうかぁ。旅の人はなんだって?」

「困って笑ってた」

「そうだよなぁ」

 

 隣で妻も残念そうな顔をしていた。

 だから一緒に行きたかったのに、そう言いたげだった。

 遠くから皆で眺め、異文化に目を輝かせ、いつものラビの空想を食卓で聞く。

 そんな時間を過ごしたかったのに。

 もう何日もラビと一緒に食事を取っていなかった。

「――いつかは気付いたことだよ。いつまでも子供のままじゃいられない」

 ノバはそっと妻の肩を抱くと、妻は頷いた。

 そして、ディーへ握った手を伸ばした。

「ディー、いつもありがとな」

 ディーは首を傾げてから、手を差し伸ばし返すと、その手にはそっといくらかの駄賃が渡された。

「え、なんだよ。おじさん」

「お前も恥ずかしかったろ。友達でいてくれてありがとうな」

「やめてよ。ラビは変なやつだけど、魔法どうこう言わなきゃ良い友達なんだから」

 渡したはずの駄賃はすぐに返され、ディーはラビの背を追って駆けた。

「――おーい!ラビー!潮干狩り行こうぜー!」

 ラビは泣き腫らした顔で振り返ると、不器用すぎる笑顔を返した。

 

「ありがたいな」

「……ほんとに」

 

 もちろんラビにもディー以外の友達はいる。

 小さい子にも好かれている。

 だが、ディー程真っ直ぐラビといてくれる子は他にはいない。

 

「旅人の船、見に行く?」

「後でまた見に行けばいいさ」

「そうね」

 

 両親はスコップとバケツを手に浜へ駆けた二人の幼い頃の後ろ姿を思い出した。




ラビくんのHPは0よ!?

(∵)oO(フラミー様はご観光へ行かれる所だというのに呼び止めて不敬ですね)


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#147 島の誇り

 ユラドは旅人達を先導して歩いた。その隣を漁師頭のウルボリが行く。

 胸を張り、自分こそがこの村一番――いや、この島一番の男であると後ろを付いてくる衆に背中で語る。

 なんと言ってもユラドは鳥猟師。鳥猟は許された者にしかできない特別な仕事で、毎年決まった人数がなれるわけもなく、非常に倍率の高い仕事だ。

 若くしてこの地位に付くためには並大抵の努力では叶わない。

 

 島に渡ってくる鳥の数を大まかに把握し、前年の雛の数の記録と今年渡ってきた若い鳥の数の確認をしたり、その年の売却額の決定、密猟の監視など、やらなければいけないことは体を使うことだけではない。

 筆学所の成績、思想、歴史への理解などを必要とするこの島一番の仕事だった。

 

 つまり、ユラドは頭脳明晰、少壮気鋭のスーパーエリートだ。

 

 日焼けした体はガッチリと引き締まっていて、見目も麗しい方だと思っている。漁師や猟師は生成りの麻のシャツを着ることが推奨されているので、ユラドも例に漏れず生成りの麻のシャツを着ている。

 その背中には遠くからでも誰だか一目でわかる――万が一事故にあったとしても一目でわかる――、刺青(いれずみ)が彫られていて、シャツから透けて見えていた。

 心の中で「どうです。この背中」と旅人たちに問いかける。

 先程旅人に無遠慮に話しかけた恥ずかしい奴――隣家に住む出来損ないのラビ・テランバードとは大違いなはずだ。

 

(……それにしても美しいな)

 

 この旅人――名をプラムと付き添いの者に紹介された――は、絵でも見たことがないほどに美しかった。

 プラムが特別美しいのか、それとも島の外にはこんな女がたくさんいるのかユラドには想像も付かない。

 

 プラムは物珍しそうにキョロキョロとあちらこちらを見ては感嘆していた。

 島では全く珍しくないものも「ははーん」「なるほどねぇ」という様子から、彼女の暮らす島とのギャップを感じた。

 そして、たったそれだけの仕草があまりにも可憐だった。

 少し動くたびにかぐわしい匂いが漂ってくる。

 

「プラムちゃん、もう少し歩いたらこの村の村長の家だぜ」

 ウルボリが振り返ると、プラムは「あら?」と首を傾げた。

 その姿も可憐だった。

「この村、って言うことは島の中にいくつか村があるんですか?」

「あぁ、このカライ島には六つの村があるんだ。四つは海に面した漁村で、一つは島の真ん中にある農村で、一つは湖を囲んだ村だな」

 

 ウルボリが簡単に説明する。スラスラと会話をする様にユラドは僅かに嫉妬した。

 軽く振り返り、自然に会話に参加する。

「ここはホーチャ村です。二千人くらい住んでるって言われてますよ。一番近い隣の漁村はネイソー。農村も近いですよ。そっちの名前はヨギーです」

「結構住んでるんですね!村長さんに会った後どこに行くか悩んじゃいます」

 結構住んでいる、ということはプラムの住む島はもっと人口が少ないのかもしれない。島に当たり前にあるものも珍しがるほどなのだ。

 

 プラムの後ろでパンドラズ・アクターという黒ずくめの男が手元にメモを取る。この男は細いがその実、肉体はかなり鍛え込まれているだろうと思えた。

 それから、ドラゴンロードと名乗った鎧を着た者が悠然と辺りを見渡す。

 本当に御伽噺から出てきたような三人だ。こんな鎧を着込んで暑くないのだろうか。それに、プラムの服装はあまり船旅向きではないように思える。

 

(……いや、召使が二人もいるのだから、プラムさんは優雅な格好で十分なのかもしれない)

 

 プラムは真っ白い肌だというのに、背中が大きく開いたワンピースを着ていた。白地にブルーの刺繍が細かく施されていて、相当贅沢な品に見える。

 丈が足首まで隠れるような長さなので、ユラドの感覚的にはドレスに近いかもしれない。その上には白いレースの羽織ものを掛けているが、こちらもやはり背中が大きく開いている。

 日焼けで背中がボロボロになってしまわないのだろうかとか、その靴でたくさん歩いては足が疲れないのだろうかとか、泳ぎにくそうな格好で船に万一水が入ったらどうするのだろうかとか、ユラドの疑問は尽きない。

 

「島、どう回ろうかなぁ……。面白いもの、少しでもたくさん見たいけど……」

 プラムがうーん、と悩ましげに声を上げると、ユラドは思考の海から上がった。

「何日かかけて全ての村を回ってみては?」

「できればそうしたいんですけど、実はあんまり長居もできなくて」

「そ、そうなんですか?せめて、せめて一週間くらいはどうです?」

「んー、いられても三日ですかね。それ以上はちょっと。でも、また戻ってきますから!」

 たった三日。ユラドは高速で頭を回転させた。自分が狩りをする姿は絶対に見て欲しい。明日は隣の島で猟の予定があるし、それは外せない。

 隣でウルボリも「どこをどう回るか……」と手を顎に当てて考えた。

 

 男が二人で考え事を始める中、パンドラズ・アクターはふと足を止めた。

 

「おや、プラム様ご覧ください。珍しい花が咲いております!」

 パンドラズ・アクターが示した先、道端には赤海月草が花をつけていた。

 茎と葉はほとんどたんぽぽと同じだが、花に当たる部分が赤いクラゲの植物だ。

 ぷるぷるとした傘からは大きな口腕が花弁のように垂れ下がり、傘の縁には細かい触手がたくさん生えている。

 

「わぁ、本当に珍しい!可愛いですね!」

「あ!!」

 摘んでみようとでもいうのかプラムが手を伸ばすと同時に、ユラドは焦ってプラムの手を取ろうとした。

 が、ユラドがプラムの手を阻止するより先に、バチュッと気持ちの悪い音が立つ。

 赤海月草はウルボリによって無事に踏み潰されていた。

「ほ……」

 この綺麗な白い手に何かあっては夢見が悪い。

 同じことを思っているのか、ウルボリも明らかに安堵のため息を吐き出していた。

 

「失礼。それはどう言った意図でしょう。プラム様が摘もうとした花を踏み付けるなんて、あまりにも不敬です」

 

 プラムとウルボリの間にパンドラズ・アクターが立ち塞がった。

 驚くほどに怒っているのが感じ取れた。

「おっと、すまねぇな。赤海月草に触るとかぶれちまう。たまに触手を伸ばして刺してくることもある。刺されると痛いし、何より毒があるんだ」

「――そうでしたか。お気遣いありがとうございます」

 途端に怒りは霧散したが、まだ少し何か言いたげだった。

「プラムちゃんの島には赤海月草はないのかい?」

「赤海月草なんてないと思います。変わった植物ですし、いくつか取って帰りたいなぁ」

「いやぁ、やめた方がいんじゃねぇかなぁ。有毒植物だし、せっかく根絶できてるんだとしたらそっちの島の迷惑になっちまう」

「そっかぁ……」

 ユラドはまたひとつギャップを感じた。たまに漂着物が来るが、この島の外など大して興味もなかったというのに、今では外の世界を見てみたいと強く思っている。

(……ラビ・テランバードもこういう気持ちだったのか……?)

 だとしても、魔法がどうのこうのというのはあまりにも突飛だ。

 

 ウルボリとプラムのやり取りを見ていたユラドは「そうだ」と声を上げた。

「水海月草はそっちにありますか?」

 プラムが横に首を振るのを見るとユラドは嬉しそうに人差し指を立てた。

「ヨギー農村の方に水海月草が群生してるところがありますよ。近くに住んでるおばばが解毒薬になるからって一生懸命増やしてるんです。水海月草は害がないし、見に行きますか?ねぇ、おやっさん」

「うん、いいんじゃねえか?」

「わ、見に行きたいです!そっち持って帰ろうかな」

 

 観光パーティーのひとまずの行き先が決まり、緩やかな登り坂を行った。

「それにしても、カライ島が交易を持ってるような他所の国にも、あの海月草ってあるんですか?」

 プラムからの問いに、ウルボリとユラドは今までで一番いい笑顔になった。

「プラムちゃん、君達がこのカライ島に初めてきた他所の人間だ!」

「えっ?じゃあ、皆さんこの島から出たことがないってことですか?そう言えばさっき島の外から来たはじめてのお客って言ってましたけど……てっきり観光客はってことかと」

「ははは!正真正銘、はじめての来訪者だ!」

「でも、ちょうどこの向こう側に無人島がいくつかあるんで、狩りにも行くし、島を出たことがないってことはないすよ」

「な。皆大抵そこには行ったことがあるもんな。まぁどれもちっちゃい何もない島だから、たまに家族でキャンプに行くか、鳥猟師が鳥を獲るくらいしかやることはねぇ所さ。あぁ、もちろんそこにも海月草は生えてるしな」

 二人がネーと全く可愛くなく声を上げる中、ドラゴンロードはそっとプラムに近付いた。

 ユラドには聞こえない声量で何かを伝えているようだ。

 顔すら鉄兜に覆われているため、話の内容は想像もつかない。

(……この島の悪口じゃないことを祈るしかない……か)

 わざわざユラド達に聞こえないようにされると、悪い想像も浮かんでしまう。

 

 内容はその実――

「フラ――プラム、楽しんでいるところ悪いんだけれど、少し向こうで何か問題が起きたらしい。宵切姫がダイからの急ぎの手紙を持ってきた」

 ダイとは誰だろうとフラミーは思ったが、とりあえず頷いた。

「あら、じゃあ向こう行ってきます?」

「ああ。そうさせてもらえると助かる」

「そしたら用事が終わるまでここで待ってますね」

「別に僕のことは放っておいて行ってきても構わないよ」

 そうは言われても空っぽの鎧に誰かが話しかけたりすると厄介なことになりそうなのでフラミーは首を振った。そんな物を引き連れている冒険者はさぞかしすごいと思われかねない。それに、盗まれたりでもすればどうなるか分からない。

「――いえ、ここにいたいんです」

「そうかい。悪いね」

「良いんですよ」

 

 ツアーは適当にそこら辺に生えている無害そうな小さな花を摘むと、そっとフラミーに渡した。

 

「ほら」

「はは、ありがとうございます。でも、沈黙都市でも言ったけどお花ならなんでも良いわけじゃないんですよぉ」

「そうかい?でも君は嬉しそうだよ」

「そりゃないよりは嬉しいですよ」

 

「そうだと思ったよ」とでもいうように手をひらりとふり、ツアーは近くの木陰へ行き座った。鎧が動きを止める。完全に意識が切り離されたようだった。

 

「休憩ですか?」

 会話が終わるのをじっと待ってくれていたユラドがウルボリの肩越しに鎧を覗き込むと、パンドラズ・アクターが頷いた。

 基本的にフラミーからの問い掛けをフラミー自身が行うことには何も思うところはないが、こうしてフラミー意外でも答えられるような質問や、名乗りなどはパンドラズ・アクターが行っていた。

「はい。長旅の中鎧も着ていて疲れてしまったようです。少しここで待っても?」

「構わないですよ。おやっさんも別に良いっすよね?」

「もちろんだ。俺ん家が近いから水でも持ってきてやろうか?なぁ!ドラゴンロードの兄ちゃん!」

 

 ウルボリが鎧に向かって声をかけるが、鎧はぴくりともしなかった。

「……やれやれ、もう寝ちまったか?疲れてるようには見えなかったが、相当疲れてたんだな。――俺は水を持ってくる。ユラド、頼むぜ」

「っす!」

 ウルボリがその場を離れて歩いていくと、フラミーとパンドラズ・アクターは目を見合わせ、なんとか我慢していた物を「ぷっ」と小さく吹き出して笑った。

「ははは、ツアーさんのことあんな風に呼ぶ人、きっと世界中でウルボリさんだけですよ。ね、ズアちゃん」

「ふふふ、全くでございますね。これは父上にもお見せしたかったです」

「ドラゴンロードさんってそっちの島じゃそんなに偉い人なんすか?」

「そりゃーもうとっても偉い人ですよ!上から数えた方が早いくらい!」

「そんなツアー兄さんに護衛させてるプラムさんって……」

「あ……うーんと……あはは〜」

 

 フラミーは適当に笑って誤魔化しながら、視線を彷徨わせた。

 

 その視線にはすぐに島民たちが映った。

 ここまで、ずっと遠巻きに島民たちが様子を見続けていた。

 初めての島外の人間ではこれも仕方のないことなのだろうと割り切り直す。何より、皆割と質素な服を着ているというのに、フラミー達の格好は目立ちすぎている。

 

 子供たちの集まりとフラミーの目が合った。

 ナインズと同じくらいの子から、ザリュースの息子たちのザーナン、シャンダールと同じくらいの子、アウラ達程度に見える子達と様々だ。

 子供の集まりは男子三名、女子四名だった。後は、子供というには少し大人びた女子が一名。

 フラミーは子供の輪に向かって軽く手を振った。

 子供達は互いを見合わせた後、おずおずと手を振り返した。

 

「ふふ、可愛い。おいでおいで」

 

 フラミーが手招き、島の大人達が「せっかくなんだから」と子供達の背を押した。

 大人の許可が出ると、子供達は一斉にフラミーに駆け寄った。

「皆さんこんにちは」

「こ、こんちゃー!」

「せっかくだから、神聖魔導国の美味しいものあげよっか」

「お、おいしいもの?」

「うん。甘いよ〜!」

 

 そう言ってフラミーはそっと琥珀色をした親指の先ほどの塊を取り出した。

 これはナザリックの物ではなく、神聖魔導国で普通に売られている飴だ。

 フラミーから飴玉を受けとった少年は繁々と手の中の宝石を眺めた。

「こんなに硬いのに、食べられるの?」

「口の中でコロコロ舐めるんだよ!」

「なめる……」

 若干疑いの目を残しながら、恐る恐ると言う様子で少年が口に入れた。

 周囲の子供達が――そして周りを取り囲む大人たちが――ジッと少年の反応を窺った。

 

「――う、うまぁ!!あまい!本当に甘い!!」

「良かった」

 フラミーは満足げに笑うと、他の物欲しげな子供達にも何の変哲もない飴を配った。

「皆もどうぞ。神聖魔導国はこれが十個も入ってたった百二十ウールで売られてるんだよぉ」

 いい所でしょう、とアピールをすることを欠かさない。子供達はフラミーの言っていることが何だかわからないようだったが、皆大急ぎで飴を頬張り、飴玉よりも瞳をまんまるくした。

「と、トウキビより甘い!」

 

 大人たちも欲しそうにしているが、大人たちにまで配るとキリがないのでフラミーは無視することにした。

 

+

 

 ツアーは竜の身で宵切姫から受け取った手紙を急ぎ読んでいく。宵切姫はじっとツアーからの指示を待った。

「――アインズと連絡を取る必要がある。今すぐに」

「はい。では、闇の神殿へ――」

「いや、いい。僕はまたあちら(・・・)に行く。フラミーにアインズとの取次を頼むよ」

「かしこまりました。紅榴の竜王(グラナート・ドラゴンロード)様へのお返事はいかがなさいますか?」

「ダイには僕の決断が間に合わなくて悪かったと書いてくれ。心がこもった様子で頼むよ」

「心がこもった様子で、ですね。お任せください!」

「頼りにしているよ。それじゃあ」

 宵切姫はツアーが頭をそっと下ろして目を瞑ると、頭を下げてから楚々とした動きで部屋を後にした。

 廊下に出ると、薄い唇は無意識に動いた。

「たよりに……」

 己の忠誠と、歩んできた道が間違いでなかったことを確信すると、目頭が熱くなった。

 

 一方意識を鎧に戻したツアーは怒りを収めるように鎧の額を数度トントンと叩いた。

 身体も入っていないため何の意味もない行動だが、あちらで特大のため息をついては宵切姫に「蜃気楼を生み出す吐息」だのなんだの言われるのでそれを我慢した結果がこれだ。

 さっと辺りを見渡すと、フラミーが子供に囲まれていた。

「……やれやれ」

 木陰を抜け出してフラミーの下へ向かった。

 

 ツアーが近くまで来ると、パンドラズ・忍者がそっとフラミーに耳打ちをする。

「プラム様、ツアーが」

「ん。――ツアーさん、もういいんですか?」

「あぁ。フラミー、悪いんだけどアインズに繋いでくれないかな」

「フラミーって……。じゃなくて、アインズさんにですか?今は勝負中だけど……出るかな?」

「最悪邪悪なアルベド君やデミウルゴス君でも構わないよ」

「はは、邪悪ね。いいですよ。でも、ちょっとここじゃいくらなんでも、ね」

 そう言ってフラミーが見渡したのはたくさんの子供達だ。子供達はツアーを見上げ、カッケー!と声を上げている。

「……落ち着くところへ移動しよう」

「はーい。――じゃ、私たちもう行くね」

 子供達は心底残念そうな声を上げるが、この島初めての旅人の邪魔をしようとする者はいなかった。

 

 子供達が惜しそうにフラミーから離れるのと入れ替わるようにユラドとウルボリが近付いてきた。

「じゃあ、おばばの所に行きますか?」

「はい!お願いします!」

 ユラドが胸を張って先導する。

 早く<伝言(メッセージ)>を、とツアーが焦れていると、隣にはウルボリがついた。

「ドラゴンロードの兄ちゃん、水だぜ。まぁ飲めよ」

「いや、僕はそう言うものは必要ない。それから、僕のことは白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と呼んでくれ」

「ぷ、ぷら……何?ドラゴンロードじゃダメか?」

 水筒を肩から下げるウルボリは数度瞬いた。

 

 一行はどんどん海から遠ざかった。

 それと同時に、このパレードを取り囲む人数は増えた。

 

 海のそばに暮らすもの達は船の到着の噂を聞いていたが、海から遠ければ遠いほど、その情報がまだ届いていなかった。

 

 それゆえ――。

「プラムちゃんって言うのねぇ!島の外は大変でしょう?」

「はは、まぁ大変ですね」

「もーずっとここに暮らしたらいいわよ!」

「そーだそーだ!なぁ?パンドラズ・アクターの兄ちゃんと、そっちのドラゴンロードとかいう兄ちゃんもここに暮らしたらええ!」

 野次馬が集っていた。

 ウルボリが野次馬を抑え、ユラドが先導する図式だ。

「……失礼。皆様、プラム様にあまり近付きすぎないよう願います。お下がりください」

 パンドラズ・アクターがウルボリに抑えきれない人々の前に立ち塞がる。

 

 すると、フラミーに話しかけていた人々はパンドラズ・アクターに迫った。

 

「変わった服だなぁ?」「どんな顔しとるんだ?」「島の外の人間は色白なんだろ?」「すごい布だなぁ」

 

 島外の物ならなんでも珍しい人々は見境がなかった。

「私は白色(・・)ではありません。それに、我が神々より許可を得ていないので顔もお見せできません」

「神?そういう宗教かぇ?」

 至高の存在の姿を模している今、勝手に顔を晒すことなどできるはずもなかった。パンドラズ・アクターは伸ばされてきた手を華麗に避けると、ささっと乱れかけた装備を直した。

 

「――ほら!!皆散った散った!!明日には村長達やお偉方も集めて歓迎会をやるんだから、その時に見にくりゃいいだろ!あんまり迷惑かけるとカライ島の品位が疑われるぞ!!」

 

 ウルボリが大声を上げると、皆不満そうにしたがなんとか解散させることに成功した。

 フラミーは港に到着してウルボリが最初に今夜の歓迎会について話していたことについて考えた。

(普通の冒険者だから、普通にお話しして普通にご飯食べればいいんだよね。その後、普通に、うちの国を見てみませんか?って誘ってみる。今回はここまででいいよね……?)

 何も神様が併呑までする必要はないのだ。

 ここ三年、冒険者達が新たな国家や集落を見つけて神殿機関と行政機関が出張って手に入ったところはたくさんある。手に入ったとは言っても、友好国止まりではあるが。

 

 一行がやっとたどり着いた場所は透き通った水海月草が一面に咲き乱れていた。

 いや、水色のぽよぽよが所狭しと並んでいた。

 透き通ったクラゲの花は空と地上の境界線を見失わせた。浮かぶ雲がクラゲに映り込み、まるで鏡面だった。

「海みたいに見えますね。綺麗だけどなんだか面白い」

 風が吹くたびにたぷんたぷんと水袋が揺れるような音が鳴る。

 足元の一輪――一匹をパンドラズ・アクターが摘んで差し出すと、フラミーはそっと受け取り太陽に透かした。

 顔にはクリスタル越しでもできないような複雑な光が落ちた。

 

 こういう時間はいつぶりだろうと目を閉じる。

 次の瞬間、ツアーからの嘆願が届いた。

「フラミー、そろそろ<伝言(メッセージ)>をお願いできるかな。急ぎの用なんだ」

「――そうでしたね。人も随分減りましたし、連絡してみます」

 ユラドとウルボリは遠くでこのクラゲの庭の持ち主らしい老婆と話をしていた。

「<伝言(メッセージ)>」

 アインズへ繋ぐ。コール音はするが、やはり出る様子はない。

「――アインズさんじゃなくてもいいんですよね?」

「構わないよ」

 続いてデミウルゴス。

『――はい。デミウルゴス』

「あ、デミウルゴスさん?すみません。私です」

『フラミー様。いかがなさいましたか?あ、申し訳ありません。少々お待ちください』

「はーい」

 フラミーは伝言(メッセージ)中に保留のように待たされることは滅多にない。幾秒もせずにデミウルゴスの声は戻った。

『――お待たせいたしました。アインズ様が、こちらの様子の偵察と聞き出しはズルですからね、と仰っております』

「はは、しませんよぉ。代わりにこっちのことも教えませんからねー!」

『ふふふ。お伝えいたします』

 デミウルゴスが復唱していると、ツアーが軽く咳払いをする。早く自分の伝えたいことを伝えさせてくれという催促だ。

「えーっと、ツアーさん。それでなんでしたっけ?」

「――悪いね。アインズに、共和国への仕打ちを今すぐに停止してほしいと伝えてくれ。僕が教えた国が本当にあるか確認が取れていないという現状は理解する。だが、確認が取れていないのは君たちのゲームのせいであって僕やダイに責任はないはずだ」

 フラミーは数度瞬いてから、同じことを繰り返した。

 

+

 

「――だそうです。これは、あれですね?」

「……あぁ、あれだろうな」

 フラミーとやりとりをするデミウルゴスの言葉に、アインズはとりあえず相槌を打った。

 そして、少々の時間をもって「アレ」の意味に思考が追いつく。

 この数年でアインズの支配者力も上がった。

 思い出したのは、こんなに良いチャンス(・・・・・・・・・・)は中々ないと思ったことだ。

 というのも、共和国を土台に各階層守護者には今までにない新たな都市攻略作戦について立案するように伝えていたのだ。

 デミウルゴスとアルベドが優秀すぎるため、他の者たちの頭脳戦の経験をさせる場面が中々なかった。

 シャルティアの立てた案が確かそろそろスタートするはずだ。それがいったい何日だったのかアインズは覚えていない。が、ツアーの怒りはおそらくそれが原因だろう。

 シャルティアはフロストドラゴンを使った投下作戦を立案していた。時に運輸関係を任せているシャルティアだからこその発想だろう。これを基盤に後々空挺を組織として作り上げる予定だ。海は潮の流れだのなんだのがあり航海士が必須だが、空挺を作れればもう少し大陸間の移動と輸送は手軽になるはずだ。

 して、わざわざ空輸した魂喰らい(ソウルイーター)を五百メートル上空から投下。その後、立ち上がった魂喰らいがオーラを展開することで大量虐殺を行うという作戦を立てていた。

 

「確か、昨日シャルティアから報告が上がっていたわね?」

 当たり前のように話の内容を掴んでいるアルベドがデミウルゴスに尋ねる。

 デミウルゴスはすぐさま頷いた。

「えぇ、確か投下した魂喰らい(ソウルイーター)が屋根にぶつかったとかなんとか」

「無様な光景ね。大体、更地じゃないのだから無作為に落とせば屋根にぶつかる可能性ぐらい浮かばないのかしら」

 デミウルゴスとアルベドが正論を言い放つが、アインズも屋根にぶつかる可能性には正直思い至っていなかった。落下ダメージについては考えていたが、当たり前のように魂喰らい(ソウルイーター)は道に降り立ち颯爽と駆け回るだろうと思っていた。

 そうとは口が裂けても言えない支配者は「ふむ」と声をあげて二人の会話を制した。

「――失敗もあったからこそいいのだ。シャルティアにとって素晴らしい経験値になっただろう。次は細部にも思考を巡らせることができよう。これでいいのだ」

「は。流石アインズ様」

「アインズ様は最初からこの結果がお分かりになっていたからこそ、アウラやマーレ、コキュートス達の案より先にシャルティアの案を採用されたのですね?」

「……その通りだ」

 

 アインズは広い空を見上げた。




こここここんばんは〜〜〜〜!!!!

子爵が1歳半を超えてガンガン喋るようになってなんかもう男爵疲れ果ててますよ〜〜〜。
脳みそが終わってるせいで誤字チェックしてても目が滑ります!
でも次の話はもう少し早めにあげたい!!4000字くらいで短くても早く上げたい!!
えーん、また無心でトリップしたいよ〜。


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#148 交換条件は当価値で

 風が吹くたびにぷよぷよ、たぷたぷと小気味いい音が鳴る。

 クラゲの花畑の真ん中に、フラミー、パンドラズ・アクター、ツアーはいた。

 

「海月草は解毒薬になるんだよ。だからあたしゃ大切に大切にこの子らを育ててるんだ。それをねぇ」

 

 相対する老婆は曲がった腰からは想像もつかないほどに溌剌とした様子で苦言を呈した。

 老婆は水海月草のクラゲ部分がたくさん入ったバスケットを持っていた。

 その中から藁半紙と鉛筆を取り出し、見せつけるようにペロリと鉛筆の先を舐める。

「こうしてどこからいくつ海月をとったのかちゃーんとメモをして、減りすぎたりしないように見張りながらやってんのさ。その苦労がわからんかね」

 藁半紙にごちゃごちゃとメモをとりながら、「やれやれ、書きにくいったらありゃしないね……」とわざとらしく悪態をつき、「って、あんた勝手に一輪取ってるじゃないかい」とも付け足される。

「あ。おばあちゃん、勝手に取ってごめんなさい」

 フラミーがすぐに頭を下げると、パンドラズ・アクターが大慌てでフラミーの前に膝をついた。

「も、申し訳ありません。私の浅慮で御身に頭を下げさせてしまうなど!!な、な、なんたる失態!!」

「まぁまぁ、私が欲しいって言ってたことが原因ですから」

「……っふん。若いもんっちゅーのは島の外でも中でも常識がなってないもんかいね。だいいち、あたしゃおばあちゃんじゃなくて大奥様だよ」

 パンドラズ・アクターは冷や汗で倒れるのではないかと言うほどに狼狽しながら、続いて老婆にも頭を下げた。

「夫人、摘んだのは私です!フラ――プラム様に責任はございません!!」

「まぁ一つくらい構わないよ。あんたの主人に免じてゆるしてやるさ。それより、こんっだけ大切に育ててるもんをただで下さいっちゅーのはいかがなもんかねぇ」

「むむ、それはそうですよね。そしたら、おば――大奥様には何か私の住んでる国のものを差し上げます!」

「あんたの国のもの?」

 えーっと、と言いながらフラミーは懐に手を突っ込んだ。――その実手を入れている先は無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)だ。

 ごそごそと何かいいものがないかを探る。

 

 良いものすぎても騒ぎになるので、ちょうど良くどうでも良いものが何かないかと。

 

 なんといっても観光のはずが視察になっては面白くない。

 港では魔法について聞きたいと言われて大層焦った。フラミーも、アインズと同じく魔法についてなどよく分からない。利用方法も未だに漠然としているし、ツアーに位階魔法を教えた時もうまく伝わらずお互い散々だったのだ。もちろん、普段ナインズに魔法について聞かれてものらりくらりとはぐらかしている。

 もしあの若い質問者がフールーダのような魔法狂いだったらフラミーには言いくるめる術が思いつかない。

 今後併呑が進めば今ここにいる存在が「何やら魔法を司る神らしい」という噂が聞こえてくるだろう。――国には誰がどこを見つけたと言う情報はしっかり記録されている。地図に名を残すことが冒険者の名誉なのだから。

 その時に「女神は何も分かってなかったよ」なんてことになっては非常に困る。

 せっかくここまで美しい世界を美しいままで保つための世界征服がうまくいっているというのに、やっぱり神様じゃなかったから従うのはやめようなんてことになっては目も当てられない。

 

 そういう思いもあり、フラミーはプラムを名乗っていた。

 後々自身が自称神(フラミー)であると言うことはバレてしまうかもしれないが、一介の冒険者(プラム)として振る舞うために必要以上の知識を披露しなかった――という設定を初めから盛り込むことにしたのだ。プラムはフラミーの冒険者としての仮初の姿であると言うのは神聖魔導国の共通認識だ。

 これなら、フラミーが少し失敗したり、何か行動に問題があったとしても全ては"冒険者として振る舞うため"で収まる。

 我ながら完璧なプランだった。

 

 フラミーはちょうど良いものを持っていることを思い出し、懐からそっと取り出した。

 黒く美しい小瓶だ。波紋が広がるようなカッティングが施され、金彩で魚が何匹も描かれていた。

「大奥様、これ」

「――こりゃなんだい。綺麗でもあたしにゃどれだけの価値があるかなんて分かんないよ」

 ふん、と言いながらも興味津々な様子で小瓶を見る老婆に、青い顔をしたユラドが隣から口を挟んだ。

「クラゲおばばの解毒薬なんてそんな大した値段じゃないんだからそんな捻くれたこと言わないでもいいじゃないですか!」

「そうだぞ、おばば!島の初めてのお客になんちゅー口の利き方してんだ!第一瓶なんて高価なもん!!」

 ウルボリも当然加勢する。

「それもこんな細工がついた瓶なんかうちの島じゃ手に入りゃしないんだから!!」

「うるさいねぇ。向こうの島じゃ大したことないもんかもしれないじゃないか」

「カー……!プラムちゃん、悪いね。そんな高価なもん渡すことないぜ。俺たちでおばばには何か握らせておくから」

「なんだい!あたしの海月畑だよ!!」

 ウルボリが若干焦った様子で振り返ってくると、フラミーは首を振った。

「ふふ、大奥様の言った通り、本当に高価じゃないです。ただのインクですから」

「インキぃ?そんな綺麗な瓶にかい」

 クラゲおばばは二重三重に訝しむような顔をする。

「はひ。このインクは濡れても字が少しも滲まないから、うちの国じゃ海に(・・)住んでいる人たちは皆持ってるんです」

「濡れても滲まないインキ?そんなもん、イカ墨インキ(セピア)ならあたしだって持ってるよ。さっき鉛筆を使ってたのは乾くのを待つ時間が惜しいだけさ」

「それならピッタリ!これ、すごく早く乾きますし、一切溶け出さないから水の中でも書けるんですよ」

 主に水没都市や半水没都市、水中都市で利用される。人魚(マーマン)やセイレーン、半魚人、シー・ナーガで持っていない者はいない。

「み、水の中でも?そりゃどんな魔法だい」

「ははは、魔法じゃないですよ。だから、もしこれでも良いって思って下さるなら安心して受け取ってください。普通の工業製品です」

「……魔法じゃないことくらいは分かってるよ。あの小僧じゃあるまいしね。年だからって馬鹿にしないどくれ」

 と言いながら、クラゲおばばは先ほどのクラゲメモを広げた。

「……誰か羽ペン持っとらんかね」

「あ、それなら私が」

 そう言ってフラミーが取り出したのは一枚の真っ白い羽。

 その羽は動かされるたびに光がこぼれ落ち、光の濁流のようだった。

 白とは言ったが、あまりの煌めきに銀色にすら見える。

「こ、こ、これは……?」

「羽ペンじゃない単なる私の羽――じゃなくて、私の拾った羽ですけど、そのインクの質ならこれで十分書けますよ」

「ひ、ひろった……?あんたの島にはそんな綺麗な羽の鳥がいるのかい……?」

 クラゲおばばの疑問は無視だ。瓶の封印を剥がして蓋を開ける。クリスタルのカッティングが美しい丸い取手をキュポッと外し、察しのいいパンドラズ・アクターの手の上に蓋を置いた。

 

 フラミーの宣言通り、特別な羽というわけではない――いや、フラミーの羽なので大変神聖かつ特別美しいが、筆記用具として特別に加工されたわけではない――羽はサラサラと紙の上を滑っていった。

 完成したのは"フラミー・ウール・ゴウン"の署名。

 この数年でフラミーも公用語で自分の名前や多少の名詞を書ける程度にはなっている。

 本国では文字通り誰もが羨む「フラミーサマの直筆サイン」だ。

 クラゲおばばはあまりにも美しい羽を前に、ついそちらに目を奪われていたが、「はい」というフラミーの言葉にあわてて我に帰った。

 摘んで手元にある海月草を一つぷにょりと紙に押し当てる。湿り気で紙は若干へにょへにょになったが、イカ墨インキ(セピア)なら滲むスピードのはずが、そのインクは一切の滲みを見せなかった。擦ってもどうということはない。鉛筆のメモの方ですら擦れてしまったというのに。

 

「……確かにこれは便利かもしれないねぇ」

「でしょう!どうかしら!」

 フラミーは期待の眼差しを送ったが、おばばの返答は――

「……これじゃなくて、そっちをもらえんかね」

 指をさしたのは、フラミーの羽だった。

「え?こ、これですか?」

「……拾った単なる羽なんだろう?あんたの島じゃ普通に手に入るかもしれないけど、ここじゃそんな鳥は見たことがない。確かにインキもいいけど、あたしゃそっちがいいね」

 フラミーは迷った。

 この羽を渡したことがあるのはタリアト・アラ・アルバイヘームのみ。別に彼が特別というわけではないが、あれ以来これを人に渡すことはやめている。

 あんな者に渡すくらいなら私にもください、落ちた分だけで構いません、という者が後をたたなかった為だ。

 

「――老婆、それは簡単に人に与えられるべきものじゃない」

 隣で様子を見ていたツアーが珍しく口を挟んだ。

「なんだい。拾った羽じゃないか。それにあたしゃ大奥様」

「拾えるのは彼女とごく一部の者に限られる」

「……まぁ、鳥猟師じゃなきゃ確かに難しいかもしれないね」

「彼女は猟師ではないけれど、それを受け取れば君の人生は急変する」

 もはやツアーはナザリック通だった。フラミーの羽を受け取りでもしたら何が起こるか分からない。タリアト・アラ・アルバイヘームも持っているが、彼は代わりが効かない存在ゆえ生かされているが、もし無価値な人間が受け取れば次の日どうなるか。

 これを取り返す為にナザリック全軍が攻めてきてもおかしくない。

 なんなら隣のパンドラズ・アクターの様子もおかしい気がする。

 国の者達とて、"単なる私の羽"は世界でも上から数えた方が早いほど貴重だと思っているはず。

「欲をかくんじゃない。その揮毫した物ですら本国では大変な値打ちだ」

「若造のくせに偉そうだね……。その嬢ちゃんは何かい?村長の子供とでもいうのかい?」

「もっと地位がある存在だよ」

「……ふーむ。あたしを担ごうってわけでもなさそうだね。あんたらみたいな護衛を連れてるくらいだし。ま、じゃあこれで手を打つよ。変わったもんだってことは分かったしね。わがまま言って悪かったよ」

 フラミーとパンドラズ・アクターはホッと息を吐いた。そして、輝く羽を耳の横にすっとさした。

「ありがとうございます!じゃあ、クラゲちゃんもらいますね」

「あぁ、好きなだけ持っていきな。どうやらあんたの書いたこれも大変な値打ちみたいだ。幾つだって構わないよ。水に付けときゃ二週間くらいは枯れないからね。もし増やしたかったら花ごと植えてやって、毎日水をやりな」

 

 フラミーはもう一度礼を言うと、パンドラズ・アクターと共に青にうもれるようにしながら海月草を摘んだ。

「ズアちゃん!こっちこっち!」

「はい!」

 手折る瞬間、海月草はぷるりと身震いするのがなんとも可愛らしい。

 不可解な花の大きな大きな花束が完成すると、パンドラズ・アクターは茎の真ん中あたりをリボンで結んだ。

 華麗に膝をつき、フラミーへ差し出す。

「――さぁ、できました!んんどうぞ、ッンプラム様!!」

「ありがとう。こんなに大きな花束、特別な日みたいです!」

 くすぐったそうに笑う悪魔に、パンドラズ・アクターはうっとりとした視線を送った。

「では、本日は私との花束記念日ということでいかがでしょう!」

「素敵。そしたら、来年も一緒に花束作りに出かけましょうね」

「ッぜひ!!」

 パンドラズ・アクターは極めて優雅にフラミーの手を取り、そっとその手を口のそばに寄せ、隠された唇に触れる前に手を離した。どこかのキザな悪魔と違って弁えている――つもりだ。

 それに、パンドラズ・アクターの胸には棘が刺さっている。

「……フラミー様、先程は大変申し訳ありませんでした。偉大なる御身に頭を下げさせてしまうなど、許されざる失態を……」

「はは、いいんですよ。可愛いズアちゃんが私のためにしてくれたことでしょ。謝るのもちっとも嫌じゃなかったです!そんなことより、さっき赤い海月草を摘めなかった分少しでも早く私に見せたいって思ってくれてるのが伝わってきてすごく嬉しかったの。あなたと一緒に来られて良かった」

「……フラミーさ――ま……」

 パンドラズ・アクターはフラミーを見上げる。どんな宝でも叶わない黄金の瞳に眩しさを覚え、そのまま手の甲にそっと額を当てた。――と言っても、弍式炎雷の装備は額当てがあるので、直接皮膚同士が触れることはなかった。

 フラミーはよしよしとパンドラズ・アクターを撫でてやった。

 

 その様子を眺めていたクラゲおばばはフラミーのサインに視線を落とした。

「こりゃ自慢になるね」

「はー……おばば、ヒヤヒヤさせるなよ」

「ほんとですよ……」

 と言いつつ、ウルボリとユラドはインクも瓶もサインも、全てが羨ましかった。もはや視線が物語っている。

「……やらないよ。こりゃあたしんだよ!」

 おばばはフンっと言うと、バスケットの底に今日手に入れたお宝を押し込んだ。

「……それにしても随分偉い人なんだなぁ」

「あんたら、案内してるのに聞いてないんかい。鈍臭いねぇ」

「そう言うことは明日の村長達との会食で聞けばいいと思って、案内に集中してたんだよ」

「やれやれ、言い訳は一丁前だね。あの子、村長より偉いらしいけど、島頭の娘かね」

 このカライ島にだって、全村長の一番上に立つ存在はいる。村同士の諍いなどの際には出てきてくれる、言わば大長老だ。

「とすると、巫女でもやってるんでしょうか?」

「あぁ、そうかもな」

 季節ごとの祭りには若い娘達が巫女として、海に感謝を込めて糧を捧ぐのが習わしだ。

 巫女に選ばれるのは村長や島頭の娘や、筆学所で成績のいい娘、見目の麗しい娘と決まっている。

「あたしも若い頃は巫女をやったもんだよ」

「……えぇ」

「……へー」

「なんだい」

 男性二名は旅人達へ視線を戻した。

 

 フラミーは大きな花束をよいしょと抱え直し、その中で最も透き通った一匹を抜き取る。

 少し離れたところで腕を組んで様子を見ているツアーの下へ向かった。

「――ツアーさん、はい!」

「ん、なんだい」

 フラミーが一匹海月草を差し出すと、ツアーはそれを繁々と眺めた。

「さっきはありがとうございました!だから、お礼」

 ツアーが何のことか分からないような雰囲気を出すと、「羽のこと」と付け足した。

「あぁ。僕のために僕が好きでしたことだよ」

「それでも、ありがとうございました」

「ん。たまには感謝されるのも悪くないね」

 ツアーは海月を受け取ると、数度手の中でくるくると回した。

「ふふ、お花嬉しい?」

「嬉しいよ」

「本当?」

「ああ」

「お花って、やっぱりいいものですね!」

「そうかもね」

 全てに大した感情が乗っていないが、フラミーは満足そうに笑った。

 そして、耳の上に掛けてあった羽を取ると、ツアーの鎧の胸にペタリと付けた。

「それもあげます!」

「……これを受け取れば人生が急変すると言っているだろう」

「わ〜今日から薔薇色ですね!」

「どうだろうね……」

 パンドラズ・アクターは顔中に怒りの血管が浮き上がっていた。

 

+

 

 今日一行が泊まるのはこの島でたった二つしかないと言う宿のうちの一つだ。島の南端と北端にそれぞれ一つ。

 部屋には二台のベッドが並んでいて、他に置かれているのは小さな机くらい。質素な部屋だった。

 ガラスのはめられていない窓からは鎧戸が開いているため夕暮れの赤い光と風が入り込んでくる。

 

 ベッドは二台あるが、フラミー、パンドラズ・アクター、ツアー、全員がそれぞれ部屋をあてがわれているのでフラミーは久々に一人だった。

「――わぁ、良いなぁ」

 夕焼けを眺めながら、生来の貧乏女子は大きく息を吸った。このくらいの部屋の方が落ち着く。

 絢爛なナザリックにもすっかり慣れたが、好きなのはこのくらいの素朴さだった。

 宿泊客は他にはいない。

 もしかしたら、狭い島なので宿泊客がいる方が珍しいのかもしれない。ここは二階だが、一階にはこの宿を経営する夫婦が暮らしている。

 

 部屋にはすぐにノックが響いた。

『プラム様、パンドラズ・アクターとツアーにございます』

「はい、どうぞぉ」

 パンドラズ・アクターはツアーと共に部屋に入ってくると、フラミーの足下で跪いて頭を垂れた。ツアーは平常運転だ。

「パンドラズ・アクター、御身の前に」

「楽にしてくださいね。――それじゃ、泊めてもらうお礼の物を船にとりに行きましょうか」

 

 もちろん本当に船に物をとりに行くわけではない。

 船の中で転移門(ゲート)を開いてナザリックから良さそうな物を取ってきて、それらしくここに運ぶのだ。

「どのようなもので揃えましょう」

「そうですねぇ……。なんでも構わないって言ってましたけど……」

 実際そう言う返答が一番困る。酒が欲しいとか、肉が欲しいとか、はっきり言って欲しかった。

「フラミー様のお手を煩わせるほどのことではありませんし、私が見繕って参りましょうか!」

「……いいです?」

「んもちろんでございます!とは言え、護衛という任も兼ねておりますので申し訳ありませんが船と宿を往復いただくことは外せませんが……」

 フラミーは二つ返事で扉へ向かった。

 

 島内の人しか訪れない宿とは言えやはり海が見えるところにあるため、宿から船まではほど近い。

 とは言え、すぐに行って帰ってくることはできなかった。

 大した距離を歩いていないというのに、島民達が寄ってきては「これあげるよ!」「持っていきな」「食べてね」「いい島だろう?」「日持ちするよ!」「ここは気に入ったかい?」などとあれこれフラミーに渡してくる。

 いつの間にか両手いっぱいのお土産を抱えて、フラミーは船に乗り込んだ。

 たった一室の船尾楼の中で転移門(ゲート)を開き、パンドラズ・アクターはナザリックへ戻り、ツアーもフラミーにもらった花を置くために一度家に戻った。

 

 一人になったフラミーはおもむろに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモートビューイング)を取り出した。

 そして、まじまじと人間形態の自身を眺める。

「うふ、うふふ」

 肌色の自分をじっくり眺める。

 

 やはり自分のアバターは可愛い。

 人間形態にしても素晴らしい。

 

「フララ、今日もかわいいぞっ」

 ツンと鏡を押した。

 次の瞬間、

「誠にその通りかと!」「誠に!」「誠に!」「流石にございます!」

 突如天井から聞こえた声達に跳ね上がった。

「っえ!?」

 そこには、パンドラズ・アクターと入れ違いで来たであろう八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達がわんさかいた。

 

「……声かけてよー!!」




男爵、宣言通り早めの更新!!!!
すごいぞ!!子爵を見てもらって休めるってすごいぞ!!
ଳଳଳଳ
夜には宿には泊まらずもちろんナザリックに帰るのでしょうが、きっと人間形態を見た御身も喜ぶはず!


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#149 狩猟

「ご飯ですよー」

「……すぐ行くよ」

 ラビは部屋の物を捨てるために整理を進めていた。

 これまでずっと宝物として大切にしてきた物達を一つ二つと手に取ってはため息を吐く。

 

「……読める」

 

 そう、何度見ても字が読めるのだ。

 妄想だとわかった今、それでも尚読める。

 片付ければ片付けるほど、どんどん古いガラクタが出てきた。

 今見てみると、このジュースのラベルにも神聖魔導国と書いてある。

 旅人も神聖魔導国から来たと母が言っていた。ということは、やはり自分は文字が読める――と、そこまで思考するとラビはそっとガラクタを置いた。

「……違う。きっと、僕の記憶がおかしいんだ」

 旅人は本当に神聖魔導国から来たのだろう。神聖魔導国という言葉を聞いて、そこからラビは自身の記憶を都合よく捏造、改竄しているとしか思えなかった。

 

「……じゃなかったら……魔法がない世界で見たこともない字が読めるなんて……そんな事あるはずがない……」

 ここのガラクタは、宝物どころかラビを地獄に突き落とすゴミだ。

 ラビはしくしくと涙を落とし、何故、いつから自分は狂ってしまったんだろうと肩を震わせた。

 

 自分の持つ最も古い記憶。

 それは、まだおそらく赤ん坊の頃。

 部屋の中で座っていると、両親がプレゼントをくれるのだ。

 箱の中には卵形のおもちゃ。それは触るとガラン、ガラン、と音を鳴らして、決して倒れることはなく揺れる。

 面白かった。だが、もっと面白かったのは――それが入っていた木箱だった。

 ラビが夢中で木箱で遊んでいると、両親は心底おかしそうに笑っていた。

 赤ん坊のラビにはその木箱に何が書かれているのかが分かった。

 字を読む、という感覚ではない。字に注目すると、その内容が頭に滑り込んでくるのだ。

 それがとても面白かった。

 ――起き上がり小法師。赤ちゃんを夢中に!モーティーおもちゃ工房。

 当時のラビの知能ではもっと拙い言葉で見えていたはずだが、とにかくその情報が頭に入ってくるのが面白くて、結局ラビは六歳になるまでその木箱を宝箱にした。

 

 ――だが、これも偽りの記憶かもしれない。

 

 木箱はもうないが、木箱を大切にするラビに、両親はよく「あなたは入ってた起き上がり小法師よりも箱に夢中だったのよ。モーティーさんに話したらおかしそうに笑ってたんだから」そう話してくれていたから。

 だからこそそれほど幼い頃の記憶が残っているのだ。

 

 ラビの中で、「これこそ間違いない記憶」というものは存在しなかった。

 狂ってからどれほど経つのか。それとも、生まれた時から狂っていたのか。

 あの魔法学の書だって、もはや手元にない。いや、あれが幻覚じゃなかったと誰が言い切れるだろう。もとからあんな物は存在しなかったのかもしれない。

 ラビは自分を抱きしめながら涙を流し――いつしか硬い床の上で眠った。

 

 いつまで経っても食事に来ないラビの様子を見るため、部屋に来た母親は床で眠る息子を前に本当にこれで良かったのだろうかと俯いた。いつかは現実を知る日が来たのだろうが、夢が最も近付いたタイミングで現実を叩きつけられるのはいくらなんでも可哀想だった。

 部屋の隅にはいくつも麻袋が置いてある。宝物だと豪語し続けてきた物を処分するために詰めているのだ。

 大きな物は部屋の隅に追いやっていて、整理はどんどん進んでいた。

 

「――ラビは?」

 母親の後ろから父親が尋ねる。

「寝ちゃってる。それも床で」

「やれやれ、子供じゃないんだから……。ラビ、せめて食事くらい――」

「寝かせておいてあげて。宝物はもう全部捨てるんだって言ってたから」

 父親は一瞬痛みを感じたような顔をすると、部屋に入って行きラビを静かに抱き上げ、ベッドに下ろした。

「……んん……」

 ラビはベッドの上で唸ったが、起きることはなかった。精神的によほど疲れたのだろう。

 本当だったら、今頃ラビは外の国から来た旅人がどんな魔法使いなのかを話してくれていたはずだ。

 それがあり得ない内容だったとしても、その時間はきっと幸せだったに違いない。

 子供部屋を後にした両親は言葉数少なく食事を済ませると、旅人の船を見に出かけた。

 

 夜でも蒸し蒸しと暑苦しい。あちらこちらの茂みからは虫の声が響いた。

 こんな時間だというのに、人とちらほらすれ違う。皆噂を聞きつけて旅人の船を見に行ったのだろう。

 夜には皆鯨油のランタンを持って歩くので、すれ違う人の顔ははっきりと見える。

「こんばんは」

「こんばんは」

 人と挨拶を交わし、すれ違っていくとヒソヒソと聞こえるいつも通りの声。

 ――ねぇ聞いた?昼、旅人にあそこのぼっちゃんがね。

 ――なに?

 ほとんどがそんな感じだ。

 きっと、船を見に行く人たちが交互に昼間の噂をしあっているんだろう。

 島中にラビの話が出回るのも時間の問題だ。

 だが、両親はもはや慣れていた。

 不出来で、変人だと揶揄される息子。それでも、両親は息子を心から愛していた。

 二人は海沿いに歩き続ける。

 沖のほうではランタンを使ったイカ漁が行われていて、陸よりよほど明るい。

 並ぶ漁火(ぎょか)に仄かに照らされて、白亜の船はあった。

 作りはとても質素だが、確かにこの船は見事だった。

 他にも見に来ていた人々と挨拶を交わす。

 皆恐る恐る船に触れては「何でできているんだろう」と噂した。

 ラビのいう通り、島の外には見たこともないものがたくさんあるだろう。

 今度は純粋に島の外に憧れてくれればいいのに。

 また夢と希望に満ちるラビの顔を見たかった。

 

 

 野次馬が一人、また一人と去っていく。

 

 

 深夜。遠くに灯る漁火が水平線をなぞる。

 柔らかな波に押されて船は揺れる。

 

 水面に浮かぶ月と、踊る魚。

 船は魔法の時間制限を超えて光の粒となって消えた。

 その様子を見ていたのはラビが海の底に落とした魔法学の書だけだった。

 

+

 

「今日って、どのくらい自由に動けるんでしたっけ?」

 宿の一階で、アサリの汁とイカ焼き、麦飯を食べながらフラミーが言う。

 会話の邪魔にならないよう、人の良さそうな宿の主人がそっとお茶を置いて去っていく。主人は上客を前にいつもシワだらけの顔に一層幸せのシワを刻んでいた。

 昨日宿に渡したものが相当良かったらしい。ちなみに内容はハムやソーセージ、ベーコンだ。日持ちもするし、この島で牛や豚を見かけなかったため選んだようだ。

 やはり芸術品などよりは食料らしい。

 それに、この島の食事は昨日の夜食べたものも含めてどことなく味気ない。神聖魔導国の塩蔵肉達はさぞ衝撃を与えたことだろう。

 

 昨夜は食事をとった後にナザリックに帰って、新しい島を発見した話をした。

 出遅れたこともあり未だ船旅を続けるアインズは大層羨ましがった。

 ちなみにアインズ達が見つけたのは大型の海洋魔獣だけらしい。この世界の海は塩水ではなく真水なので、よっぽど第三階層の地底湖に連れて帰ってこようかと悩んだそうだが、日が当たらないところで飼うのは流石に可哀想な気がしてやめたらしい。

 

 海月草は子供達もアインズも気に入り、ひとまず今は寝室に生けられている。適当に頃合いを見てどこかに植えてみようと思っている。

 本当は昨晩いくつかは第五階層に植えてみたかったのだが、何やら学校でクリスが竜化し大変な騒ぎを起こしたと言ってセバスからの謝罪と報告を聞かされた。

 セバスが親として保護者達へ謝罪参りに行くそうなので、あとはもうセバス家の問題だ。

 ただ、至高の支配者とそれに連なる存在に不敬を働いた者を処分しようとするのはナザリックの者として当然のことなので、ナザリック内では大した問題にはならなかった。むしろ、謝罪に行くと言っているセバスに批難が集中しているくらいだ。

 

 そんなゴタゴタした中でも、フラミーは今日のフリータイムを楽しみにして、彼女なりの準備をしてきていた。

 なので、短い時間でもゆっくりすごす時間が欲しい。

 

 パンドラズ・忍者は口に運びかけていた匙をそっと下ろした。顔を覆う雑面ともフェイスベールとも言える部分を丁寧に直し、姿勢を正す。

 

「は!まず、午前中は鳥猟の視察へお出向きいただきます!昼食には歓迎の式を催すそうなのでそちらで。午後は自由にお過ごしいただく予定にはなっておりますが、おそらく昼食会は盛大に行われるかと思うので、夕方ごろまでかかると思っていただいた方がよろしいかと」

「あー、あんまり長くかからないといいなぁ」

 フラミーが面倒くさそうに言う。

 

 黙って座っていたツアーはフラミーの口の横につく麦飯を取ると、むぎゅっとフラミーの口に入れ直した。

「む、へへ、恥ずかしい。ありがとうございます」

「いや。フラミー、一応伝えておくけど、何人か人間が急いで近付いて来てるみたいだよ」

「もうお迎えの時間でしたっけ?」

 パンドラズ・アクターはそっと首を振った。

「いえ、まだです。鐘が二つ撞かれた頃と言っていたので。ちなみに補足しますと、敵意はありません」

 この島には時計はない。代わりに日時計を置いている鐘屋が毎日決まった時間に時の鐘を撞いているらしい。

 三人で扉の方を眺めていると、ドタドタと言う足音とともに扉は開いた。

 

「――ぷ、プラムちゃん!!大変だ!!」

 汗だくのウルボリとユラド、何人かの屈強な男達が肩で息をしていた。

「どうかしました?」

 近隣に脅威がないことがはっきりしているフラミーに焦りはない。

 騒々しい様子に、宿の夫婦も様子を見に来た。そして、男達に水を出してくれた。

 ゴクゴクと部屋中に音が響き渡るような状態で飲み干し、一息つくと、ウルボリはもう一度叫んだ。

「ふ、船がなくなってんだ!!プラムちゃんの船が!!」

 フラミーは魔法が解けたんだなとしか思わなかったが、常識的に考えれば異常事態だ。

 あれだけの大型船を魔法で作れるというのはまだ知られたくない。

 どうしたものかな、と思っていると、パンドラズ・アクターがそっと手を上げた。

「船は昨晩のうちに断崖に移動させました。何人かが船に触っていたようなので。積荷にまで触れられては困りますし」

 ウルボリとユラドは目を見合わせ、ほっと息を吐いた。

「そ、そうだったか。近くを一通り見て回ったんだが、どこにもなくてな。流されたかと思って焦ったよ」

「人の目につくとまた触られてしまうかもしれないので。お騒がせして申し訳ありません」

 パンドラズ・アクターが頭を下げると、ウルボリ達が連れている男達も「なんでい……」「それなら良かったじゃねぇか」と胸を撫で下ろした。

「パンドラの兄ちゃん、謝んないでくれよ。うちの島の奴らが触ったりしなけりゃ船を隠す必要もなかったんだろ」

 昨日、宿に渡す物品を取りに行った時の様子から船付近には数えきれない人が訪れていることは分かっていた。だが、積荷などは一つもないので無視していた。

 そうしていると、約束の鐘が二つ鳴った。

 

「じゃあ、食事が済んだら鳥猟見に行くかい?」

「はい!」

 猟師達も昆布茶を飲み、ツアーの分の食事はパンドラズ・アクターが残さず平らげてから出かけた。

 

 毎度のことながら島民に囲まれながら島の西側の岸に着くと、一行は小さな船何隻かに分かれて乗船した。

 ここからは少し静かに過ごせそうだ。

「プラムさん、今日は自分のいいところ、見ててくださいね」

 ユラドがこれまでにない自信に満ちた顔をすると、フラミーは「わ〜」と拍手をした。ここはキャバクラか。

「たくさん獲れるといいですね!」

「はい!いつもは数の制限を厳しくしてるんですけど、今日は昼に宴もありますしたくさん獲りますよ!!」

 そう言いながらユラドは「ふ、少し暑いですね」と上着を脱ぎ、見事な筋肉を見せつけた。

 パンドラズ・アクターはどことなく白い目で見ていたが、島までの距離が近付いてくると「む……」と真剣な声を漏らした。

 

「――気が付いたかい」

 ツアーの低い声に、即座に頷く。

「えぇ。あなたはずっと前から?」

「いいや。つい先程だね。この距離になってようやく確信したよ」

「まぁ特筆するほどの強者、と言うわけではありませんしね」

 パンドラズ・アクターとツアーは頷きあうと、向かう島をじっと見つめた。

 

「二人とも、どうかしたか?」

 無造作に髪を結きながらウルボリが尋ねる。顎からもみあげまで合体している髭は昨日より整えられていた。

「いえ。それより、いつも狩猟はこちらに?」

「あぁそうさ。本島で弓を引いて、間違って誰かに当たりでもすりゃ一大事だからな。それに、鳥が暴れると危険だしな」

「なるほど」

「楽しみにしててくれよ。たくさん獲って満腹食わせてやるぞ!」

 パンドラズ・アクターはそっと頭を下げた。

「私達からも船旅に持ってきていた食材をいくらか出させていただきます。宿に渡したものと同じにはなってしまいますが」

「あぁ!ブタだかウシとか言ったか?鳥でも鯨でもない肉がどんなもんか分かんねぇが、楽しみにしとくぜ!皆肉は大好きだからな!――っと、そろそろ着くぜ」

 

 ザブン、と大きな波を一つ越えると、粗末な木のボートは陸に向かって大きく船首をあげ、浅瀬に辿り着いた。

 ユラドを筆頭に、男達が軽やかに海に降りる。

「プラムさん、皆さんは陸につくまで乗っていてください!――さ、揺れるから掴まって!」

「っわわ」

 波を蹴りわけながら、一気にボートが陸地まで引き上げられる。

 パンドラズ・アクターは一番に降り、フラミーに手を差し出した。

「んさぁどうぞ!」

「ありがとうございます!」

 手を取り、降り立った島は多くの部分が丘と草原で構成されている。遠目には切り立つ山があり、巨大な滝がもうもうと飛沫を上げていた。

 人工物はと言うと、あちこちにあるテントの骨のような三角錐の形に留められて立つ丸太くらいだ。

 フラミーの髪をさらりと風が撫でる。草原に群生する黄色い花達と水海月草達も柔らかく揺れた。

「いい島ですねぇ」

「ありがとうございます!っさぁ、見ていてください!この背中を!!」

「ムキムキですね〜!」

 パチパチと拍手が響き、ユラドは愉悦に浸った顔をしていた。が、パンドラズ・アクターはやはり白い目をしていた。

 

 男達はそれぞれ担いで来た弓の調整をしたり、(やじり)に不備がないか確認したりした。

 弓を構え、矢筒を背負い直す。

 腰に下がるベルトバックにはメモと鉛筆、海月草から作られた治療用テープ、鋏、紐、麻袋、斧、ナイフ。

「危ないので、ここから見ていてください」

 華麗なサムズアップを見せると、ユラドは途端に狩人の顔になった。

「全員。まずは一羽目を獲る。俺の班以外はここで待機しつつ、二羽目以降の鳥を選んでてくれ」

 ウルボリが告げると、同じ船に乗っていた十名の男達は少し低い姿勢になり進みだした。他の船で来た男達は腕を組んだり、そこら辺に生えていた葉っぱを噛んだりしてその場に残った。

 ユラドの真剣な眼差しはキツネやオオカミのようで、村の女が見れば黄色い歓声を上げたことだろう。

 草原には白い羽の鳥達がまばらにうろついていて、飛んでいる者もいるが多くは座り込んでいたり、歩いたりしている。

 草原に雲の影がいくつも泳いでいく中、陽の光が強く差した一瞬。

 ウルボリがサッと手を上げ男達が弓を番える。

「大沖太夫!!お命頂戴!!」

 パンっと張った筋肉と弦が躍動した。

 ヒュンッと細い音がいくつも上がったのも束の間、鳥の肉に矢がドッと突き立った。

「ッガァアアアア!!」

 座っていた時は小さく見えた鳥だったが、立ち上がり翼を広げるとその大きさがよくわかる。

 体長はゆうに一メートル半を超え、広げられた翼は三メートル近い。

 つまり、フラミーとほぼ同じ大きさだ。

 巨鳥と呼ぶに相応しい鳥は数本程度の矢が刺さったところで倒れたりすることはなく、翼を振り乱しながら鳴き声を上げた。

「回り込め回り込め!!」

「そっち、強く引け!!」

 何本かの矢には縄が付けられていて、縄を引くと鳥は血を流しながらよろめき草原に倒れた。男達から勝利を確信した雄叫びが上がる。

 が、まだ絶命はしてない。

 もがき、暴れ、必死に命を守ろうとする。

 フラミーは野蛮な方法だなと思った。が、可哀想だとか、心を揺さぶられることはなかった。

 

「斧に持ち変えろ!!」

 縄付きの矢を放たなかった者達は弓を襷掛けにして斧を手にした。

「気をつけろ!!」

「注意深く!!」

 鳥は近付いてくる人間へ向けて思い切り鳴き叫び、水掻きのつくやわらかそうな足で渾身の一撃を繰り出す。

 草原地帯の島のほのぼのとした雰囲気から一点、命を賭けた狩りだ。

 遠目に見ていた鳥達は多くが飛び上がり、空をぐるぐると飛び回った。

 まだ羽毛が黒く翼も小さい、飛ぶことも叶わないような雛達のそばにいる親鳥が「ガー!!」「ガー!!」と威嚇する。

 

「ユラド!!」

「へい!!」

 一瞬の隙をついて、ユラドが嘴を押さえ込む。

 四人ほどが空高く振り上げた斧を鳥の首目掛けて一斉に下ろした。

 ガン!ガン!ガン!

 野蛮だが、これこそが命を奪い、命を食らうと言うことなのだろう。

 鳥は首を落とされてもなおバタバタと動き回り、しばしの時間を持って絶命した。

 男達の咆哮が響き渡る。

「「「「うぉぉおおおおおお!!」」」」

「「「「ッセイ!ッセイ!ッセイ!ッセイ!」」」」

「「「「ッシャラアアアアア!!」」」」

 男達は鳥を囲み、握り拳をガツンとぶつけ合った。

 と、息つく間もなく巨鳥を担ぎ上げ、三角錐の形に立ててある丸太の下へ向かう。

 鳥の足を頂点にきつく結び、頭の落とされた首を真下に向けて吊るした。その下には樽。

 血がぼたぼたと落ちて血抜きが始まった。

「よし!!」

 一息ついた様子にフラミーが近付こうとすると、男達は静かに膝をついた。

 ウルボリは誰よりも一番深く頭を下げ、口を開いた。

「空よりいまし飛禽(ひきん)の者よ。かしこみ申す。あなたの一切を無駄にすることなく活用し、最後は海へとお返しします。怨まず、次の生でもまたこの島へ来たり給え」

「「「「来たり給え」」」」

 静かに祈りが捧げられる。

 皆が立ち上がり、「ふぅ……」と激闘の終わりに安堵の息を漏らした。肩の力を抜き、弓や斧を持っていた手の強張りを揉みほぐす。

 ぱち、ぱち、ぱち、と一人分の拍手が響き、男達は照れ臭そうに笑った。

 

「皆さんすごいです!これだけ大きな鳥、よく仕留められましたね!」

 フラミーが微笑むと、皆照れ臭そうに互いを見合い、背を叩き合ったり鼻の下を掻いたりした。魔物相手ではない、魔法も武技も使わない狩りは中々新鮮だった。

「まぁな!こいつはプラムちゃんの今日のランチだぜ」

「わ、ありがとうございます。もしかして、だからわざわざ大きいものを?」

 すぐ近くにはもっと獲りやすそうな小さめの個体もいた。

「あぁ、いや。もちろんプラムちゃんには良いやつを食わせたいって思ってるけど、小さい奴らは獲ると鳥そのものの数が減るんだ。この島に子育てしに渡って来なくなるやつも出ちまうしな。だから、もう子供も作らなそうな老いて大きい奴を獲るのがルールなのさ。さて――お前ら!!島中に散って狩りの始まりだ!!」

 

 男達の勇ましい返事が響き、班はいくつにも分かれて行動は開始された。

「プラムさん、どうでした?」

 血を拭きながらユラドが近付いてくる。フラミーの顔には大満足と書いてあった。

「皆さん前衛で迫力ありました!それに、鳥の数が減りすぎないようにする配慮も感動しました!」

「ふふ、昔一度鳥が激減したことがありましてね。今では管理しながら獲ってるんですよ」

「素晴らしいですっ。中々思いつけることじゃないですよ」

 すっかり気をよくしたユラドは、感心しつくして言葉も出ない様子の護衛二人にも颯爽と手を挙げ、「それじゃ、残りの仕事に行って来ます。見ててください」と去っていった。

 

 フラミーは「行ってらっしゃーい」と手を振り、丘のようになる草原を見上げた。

 大沖太夫と呼ばれた巨鳥たちは地面に直接巣を作るようだ。草原は一定の間隔で草が倒され、そこには鳥達が腰を下ろしている。

「本当、いい島です」

「はい。ただ、ここは島ではなく――」

 パンドラズ・アクターが何かを言い出そうとしたとき、向こうから賑やかな声が聞こえてきた。

「プラムさーん!見てますかー!」

 ユラドはいい汗を流しながら、巣に座る巨鳥の中から手を振った。鳥達は害されなければかなり大人しいらしく――と言うより、少し阿呆なのかむしろ興味津々と言った具合で仲間を殺した外敵であるはずの人間達の様子を伺っていた。

「はーい!見てますよー!!」

 お互い手を振り合い、満足したユラドが再び顔を下げる。そして隙をついて卵を盗んで駆け出した。

「はは、おかしい」

 フラミーは草の上にちょこりと座った。

 

 沖の方にも鳥が浮いていて、時折思い出したかのように海に潜り、出てきたと思うと口にはイカやエビを咥えていた。

 空には泳ぐ雲、光を反射する海、ぽつぽつと漂う鳥達。――時折鼻をつく血の匂い。

 

 最高のピクニックだった。

 フラミーはナザリックから大切に持ってきた缶を取り出した。

「ズアちゃんもツアーさんも座ってください!」

「はい!」

「僕は立ったままで構わないよ」

「そう?」

「ああ」

 じゃあまぁいっか、とフラミーは缶をパカリと開けた。

 中には色とりどりのクッキー。

 ジャム、焼きメレンゲ、いちごクリームコーティング、フロランタン、アイスボックス、ピーカンナッツ、チョコチップ。

「食べて食べて〜!せっかくだからこれ(・・)で疲労無効化しながら夜なべして作ってきちゃったんです。ツアーさんの分もそっちに運びますよ!」

 フラミーは耳にかかる白い蕾をツンツン、と指差し照れくさそうに笑った。

 耳の上のものは若干憎たらしいが、パンドラズ・アクターはすかさずカメラを取り出し、クッキーの詰められた缶の写真を撮った。

 

+

 

 そして、ここにも写真を撮る者が一人。

 

「御身の寛大なお心に感謝いたします」

「この船旅でも、見事忠義を果たすことを誓います」

 

 アインズは跪くデミウルゴスとアルベドに鷹揚に頷いて見せた。

 

「期待しているぞ。お前達が揃えば怖いものはない。――さぁ、まずはこれを」

 見た者を凍り付かせるおぞましい骸骨の魔王は二枚の小さな手紙をそっと差し出した。

 配下の悪魔達は恭しく手紙を受け取り、開く。

 

 ――デミウルゴスさんへ。頑張って今日も世界征服しましょうね!フラミー

 ――アルベドさんへ。私も負けないように頑張りますよー!フラミー

 

 気の抜けた手紙を二人はそれはそれは大事にしまった。

 デミウルゴスは弁当写真アルバムにこれもしまうことを決めた。

 

 風が吹く。

 アインズはぽんっと人の姿を取り戻した。

「じゃ、食うか」

「「はっ!!」」




狩人達であって、冒険者じゃないから武技も魔法も使わなくて当たり前に見えるんですねえ!


+ 閑話 +


「き、キュウタ……!ほ、本当にいいのかい!?」
「い、いいよ。皆で食べてって、お母さまに持たされたしね」

 昼休み、応接室で身を乗り出すエルミナスに、ナインズは若干引きながら頷いた。
 蓋を外された美しい缶の中身に、ナインズの友人達は釘付けだった。
「キュータ君、私持って帰ってもいい?」
「あれ?オリビアはもうお腹いっぱい?」
「……ううん、光神陛下が手づからお作りになったものなんて、もう一生食べられないと思って……。ママとパパにも食べさせてあげたいの」
 オリビアが祈るような姿でナインズを見上げる。
 すると、一緒にいたイオリエル、アナ=マリア、イシューも頷きそれに続く。
此方(こなた)も紫黒聖典のお姉様方に持って帰ってあげたいのう……」

 そんな中、一郎太は一番にフロランタンを選んでポイと口に放り込んだ。
「んまいのに、家族にまで分けたりしたらなくなっちゃうぜ?」
「……そうですわ。そうですわよね。私はいただきますわ!」
 レオネはショックを受ける父の目の前で一郎太と同じものを食べた。
「レ、レオネ!せめてちゃんと感謝をささげてから食べなさい!!」
 食べさせてもらえないことが確定したレオネの父が絶叫する。
 そんな中静かなのは男子達だ。
 カインはそっと手を合わせて深く祈りを捧げた。
 ロラン、チェーザレ、リュカもそれに続く。
 なんと言っても、男子達は二度も第六階層に泊まったことがあるのだ。女子達よりはこう言うものに慣れている。

 その後の彼らは、自宅で一枚を小さく割って両親と分け合って食べたり、親戚一同を呼び寄せて見せびらかしたり、スケッチしてからなんて悠長なことをしていたら横取りされてしまったり、カバンの中で少し割れてしまったりするが、それは全く別のお話。


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#150 孤独に効く魔法

 まとまったゴミを庭に出し切ると、ラビは麻キャンバス地の無地のショルダーバッグを肩にかけ、重たい足を引きずって筆学所へ向かった。

 皆が昨日の船着場でのことを知っているのかと思うと、恥ずかしくてたまらなかった。

 

 村はとにかく浮かれに浮かれていた。

 漁に出もしないで船着場で雑談をする漁師もいるし、旅人を真似て耳に蕾を刺している女もいる。朝の浜仕事の手を止める大人や、まだ筆学所に通うほどの年齢ではない手伝いの子供の姿もちらほら。

 

 耳を澄ませると、皆が皆旅人の話をしているようで安堵の息が漏れた。

 

 道を曲がると、「オーッス!」と言う大声とともに、背中をバンッと叩かれた。

「――っ!な、なんだ。ディーか。おはよう」

「あ?ラビ、疲れた顔してるなぁ」

「……ん、まぁ。ちょっとよく寝れなくて」

「はは、もしかして夜に旅人の船見に行った?」

「いや……」

 ラビはたった一夜でやつれたようだった。

「……んじゃさ、今日は昨日より人も少ないだろうし、筆学所終わったら旅人の船見に行く?」

「いや、僕はいいや」

「なー良いじゃん。昨日はラビのせいであんま見れなかったしさー」

「……ごめん」

「そう思うならさ!な、行こう!きっとみたらラビもテンション上がるよ!どうやったら強くて長距離を渡れる船を作れるのか調べようぜ。そんでさぁ、今後どんどん旅人の島の人とか来るようになったら、俺たちも一回くらいは旅に出てみたりして」

「……」

「それにしても旅人の島ってどんなとこなんだろうなぁ!昨日、俺のいとこがクラゲおばばの所に向かってる旅人に甘い物貰ったらしいんだ。すっげーうまかったんだって!樹液より黄金色で、夜光貝の貝殻よりキラキラしてて、真珠より丸かったって言ってた!そんなもん、どうやって作んだろうな!」

「……もういいよ」

「そんなの、それこそ魔法でもなきゃ――」

「もういいって!!」

 

 ラビはディーを泣きそうな目で見つめると、すぐそこに見えていた筆学所へ向かって翔けて行ってしまった。

「な、なんだよ。ラビのやつ。せっかく元気付けてやろうってのにさ……」

 後を追うようにディーも筆学所へ向かった。

 平家建ての建物に、部屋はたった五つ。外から直接扉をくぐればすぐさま長机と椅子が並ぶ教室だ。靴を履き替えたり、廊下があったりはしない。なんといっても地面が剥き出しだから。

 教室には正面に大きな黒板が一つと、師範が座るラタンの椅子が一つ。

 

 ラビはいつもの席に既に座っていて、鞄を枕にして机に突っ伏していた。

 ディーはラビの隣に座ると、話しかけるか悩んだ。

「おはよ!ラビ、ディー」

「ディー、おはよ〜!ラビ、ねんね?起きなよ〜!」

「あー、ユクモ姉さん、それにミミル。今日は家の手伝いは?」

 ユクモはこのクラスの最年長の生徒で、ミミルは最年少だ。

 彼女たちは家の手伝いの手が空いた時にだけ筆学所に来る。来たり来なかったりで通っていると、習いたいことを習いきれない者もいるため、年齢性別は常にバラバラだ。と言っても、おおよそ六歳から十六歳程度だが。

 ラビはユクモとミミルのことを無視して突っ伏していた。

「今日は手伝いはないのよ。それより、旅人の話聞いた?村の人が船にベタベタ触るから、船隠しちゃったんですって」

「えーそうだったのか。俺今日も船見にいこうと思ったのにな」

「私もよ。でもディーとラビはいいじゃない。昨日昼間のうちに間近で見てたでしょ。あんなに人かき分けて前に行っちゃってさ。私は後ろの方だったから全然見えなかったんだから」

「でも俺、全然ゆっくり見れなかったぜ。ラビが旅人に話しかけたから!」

 それを聞いたミミルは「え!」と声を上げた。

「ラビ、旅人とお話ししたのぉー!どんなこと話したのかミミル聞きたぁい!」

「私も聞きたいわ。師範が来るまででいいから、ねぇ。旅人とどんな話をしたの?ラビ、ねぇ。起きて」

 ユクモが軽くラビを揺すると、ラビはゆっくりと顔を上げた。

 ミミルはキャー!と嬉しそうに拍手をし、登校してきた年下の子供たちもラビの周りに集まってくる。ミミルがこう言う反応をしている時は、大抵ラビの魔法の御伽噺を聞かせてもらえる時だから。

 

「ね、ラビ!どんなことお話ししたのぉ!」

「……ミミル、別に旅人となんて話せてなんてないよ」

「えー!ラビの嘘つき!」

「……う、嘘……つき……」

「だってだってお話ししたんでしょ!あ!魔法!魔法のことは聞けた?あーまたラビのあれ聞きたいなぁ!魔法の御伽噺!」

 それまで机をじっと見ていたラビは突然ガタンと立ち上がった。

「う、うるさいな!どうせ嘘の魔法の御伽噺ばっかりしてたよ!!もうほっとけよ!!」

 ラビの怒声と共に教室はしん――と静まり返った。

 

「ラ、ラビ。何よ。興奮しすぎて寝不足だからって八つ当たりは――」

「どうせユクモ姉さんだって僕のことほら吹きだって思ってるんだろ!!」

「べ、別に私は魔法のことなんて」

「あぁ、そうだよ!!魔法なんかないよ!!これで満足かよ!!」

「ラ、ラビ落ち着けよ。皆びっくりしてんじゃん」

 ラビがさらに怒鳴ろうとすると、「なんじゃなんじゃ……」と師範が教室に入って来た。

 

「何をそんなに騒いでおる」

 

 泣きそうな顔をするまだ小さな生徒達は師範に駆け寄った。師範は子供達の髪をさらりと撫で、着席を促した。

「皆座りなさい。今日は村長から頼まれ事がある」

 教室の空気は悪いままだったが、師範は続けた。

「旅人が来た港に一番近いこの筆学所で、旅人を歓迎する横断幕を作って昼の会合に持って行くことになったんじゃ。さあ、皆イカ墨インキ(セピア)を出して」

 

 まだ何も書かれていない横断幕が床いっぱいに広げられる。皆がそれの周りに集まり、教室の雰囲気は徐々に良くなって行った。

 

 そして、昼前には乾かした横断幕を抱え、皆で会合のところへ向かった。

 皆が楽しげに話しながら道を行くが、ラビは一人とぼとぼと歩いた。どことなく腫れ物のように扱われているのが伝わって来た。朝、あれだけ怒鳴り散らせば当たり前だった。

 ラビは二度も大きなため息を吐いた。一つは居心地の悪さに。一つは旅人のあの「えーっと……はは。魔法、ですか?」といった時の迷惑そうな雰囲気が忘れられなくて。

 正直、合わせる顔がない。

 

 祭りを催す広場に向かって皆澱みなく進んでいく。広場は狩猟の無人島が見える場所にある。祭りの時にはそちらに向かって、海に感謝を捧げるからだ。

 

 道の先からは鳥の焼ける匂いと、生まれてこの方嗅いだことのない香りが漂って来ていた。

 その香りは鯨を焼いた時とも、ウツボを唐揚げにした時とも違う。ジューシーで香ばしい香りだ。

 誰かの腹がグゥ〜と鳴る。

「……これ、何の匂い?」

 たまらず尋ねる者がいたが、答えられる者はいなかった。

「一口くらい貰えるのかな?」

「も、もしかしたら変なもんかもしれないぜ」

「そ、そうね。はは。貰ったら後悔するかも」

 とかなんとか強がりを言うが、皆心の中では「一口くらい食べてみたい」と思っていた。

 行きたくないと思っていたのはラビただ一人だった。

 

 たどり着いた広場ではマグロの解体ショーをやっていて、その隣では大沖太夫が丸焼きにされている。たっぷりのタレを塗りながら、ぐるぐると火の上で回される鳥の肉は子供達の目を釘付けにした。

 そして、網の上では全くみたこともない肉が所狭しと焼かれていて、島のお偉いさん達が頬張っては「うまい!!」と声を上げていた。

 

「ほれ、何をぼさっとしとる。せっかく書いた横断幕じゃ。旅人の後ろに掲げにいくぞ」

 師範の促しがなければ皆いつまでも匂いを嗅いで突っ立っていたかもしれない。

 一段ほど高い位置にいる旅人は、鶏肉の一番良いところを削いで渡され嬉しそうにそれを頬張った。その左右にはそれぞれ護衛の鎧の騎士と、黒ずくめのお付き。

 村長や狩猟頭、漁業組合のお偉方がそばで一緒に食事をしているのもよく見える。

 

「もし、ホーチャの村長さんやい」

 師範が声をかけると、皆馴染みのあるおじさんが振り返った。

「あぁ、師範!持って来てくれましたか!」

「うんむ。――旅人さんや、うちの筆学所の子供達があんたさんに歓迎の言葉を書いて来たぞい」

「あら、ありがとうございます!」

 皿からカジュアルに顔を上げた旅人は本当に真っ白だ。

 昨日近くで見る事が叶わなかった子供達はスケトウダラの白子よりも白い肌をまじまじと見た。

 作り物でもこれほど美しい顔は見た事がなかった。爪でさえも、「こうだったら良いのに」と思ったそのままの形だった。

 そばで同じ空気を吸っていたい。その瞳に写されたままでいたい。特別なこの人の心に残りたい。

 

 その思いは幼い者ほど強く、子供達は一斉に口を開いた。

 

「「「「⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎!?⬛︎⬛︎⬛︎!!」」」」

 

 もはや一言も聞き取れないほどに声が混ざり合っていた。

 旅人が一瞬きょとんとしていると、黒ずくめのお付きの者がピッと手を上げた。

「失礼。プラム様に話しかけるのであれば、一人づつ。きちんとご挨拶をしてからにしてください」

 旅人も「一人づつゆっくりね」と笑いかけてくれる。

 子供達は骨抜きだった。

「はいはいはーい!僕から僕からー!!」

 元気よく手をあげて何度も飛び跳ねる男児に、旅人は先を促した。

「えっと、初めまして!僕はティクマ!!どうしてこの島に来たんですか!!」

「本当は別の目的地を目指してたんだけど、こっちのズアちゃ――じゃなくて……パンドラ君がこの島を見つけてくれたの。楽しそうだったから寄っちゃった」

「へー!!良い島でしょ!!寄ってよかったね!!」

 旅人が頷くと、また子供達が「はいはい!」と手を挙げる。

「じゃあ、あなた」

「はい!はじめまして!私はヨチル!旅人さん、ここに暮らしても良いのよ!どう!」

「うーん、そうだねぇ。やっぱり向こうの生活もあるし、中々ね。でも、きっと近い将来私の国とここは行き来がすごく楽になると思うよ」

「えー!そしたら遊びに行くね!お家にも!」

「ありがとう。嬉しいなぁ」

 また一人の会話がひと段落すると、皆が「はいはいはい!」と手を挙げる。

「それじゃあ、そこの女の子」

「やったー!ミミルはね、ミミルはね!魔法について聞きたいの!!」

 

 ミミルが飛び跳ねながら言うと、旅人の後ろで横断幕を張りながら気配を殺していたラビは作業の手を止めた。

 そして、そっとその場から離れようと背を向けた。

 

「――あ、ラビ」

 ディーが声をかけたが、ラビは立ち止まらずにこそこそと広場の出口を目指して歩みを進めた。

 

「あ、はは。魔法についてかぁ。うーん、魔法のどんな事が知りたいの?」

「あのね、あのね!鳥!鳥を増やしたいの!!だから、そう言う魔法が知りたいの!」

「鳥かぁ」

 広場にいる大人達が可愛い子供の空想だと微笑ましいものを見る目をしている。

 あの年頃までは、ラビもこうして見守ってもらえていたのだろう。

 今となっては、ネジの緩んだ変人扱いだが。

 ラビは歩きながら、そんなことできるわけがないと思った。

 そして――

「魔法はね、なんでも思い通りにできるものではないんだよね。だから、鳥を増やしたりすることは難しいかなぁ」

 ラビは思わず足を止めた。

 それは以前、自身がディーへ言ったのとほとんどおなじセリフだったから。

 

「……魔法は鳥を増やしたりできるような万能なものではない……」

 

 それまで確信を持っていた言葉だが、こうして魔法がないと分かってからこのセリフを言うと、まるっきり子供をはぐらかしているようにしか聞こえなかった。

 

 きっと、ディーもずっと、証明できないからのらりくらりとラビが話をぼかしていると思っていただろう。

 

 ため息を吐いたラビの横をクラゲおばばがすれ違った。そして、旅人に向かって指をさす。

「あんたね、あんまり子供達に変なこと言い聞かせないどくれよ。ここにはただでさえ夢みがちな坊主がいるんだから。――っほら!あんたのことじゃい!!」

 ボン、と背中を叩かれ、ラビは思いがけずクラゲおばばに振り返った。

「いっつ!この――」

 怒鳴ろうとすると、旅人とぱちりと目が合った。

「誰がクソババアだい!シャキッとする!!たった九歳のミミルと言ってる事が同じじゃないかい!!」

 周りがドッと笑い声を上げる。

 ラビを詳しく知らない様子の別の村の者達は、近くにいたホーチャ村の者から笑い混じりに話を聞かされ、共に笑った。

 

 たまらなくなり、ラビは走って逃げ出した。

 背中にはいつまでもいつまでも嘲笑が張り付いた。

 

 広場は嘲笑の対象を失い、じっくりと落ち着きはじめた。

 ユラドは「あぁあー……。ほんっとにあいつは……」と心底呆れた声を出した。

「まぁまぁ、皆さんあんまり笑わないであげてください」

 プラムが嗜めると、いよいよもって嘲りは消えた。

「えっと、鳥を増やす魔法でしたっけ。確かにそんなの聞いたことないですけど、でも、やっぱりそう言うことを真面目に考える人があっと言うような発見をするものですよ。うちの国にもいますもん」

 ユラドはうっとりとプラムを見つめた。

 なんと言う優しさ。見ず知らずの――いや、それどころか初日に意味不明な質問をしてきた恥晒しをここまで丁寧に擁護してやるなんて。

 

「いつまでも夢みたいなこと言ってるあの子がそう言うふうになるとは思えないね」

 おばばがため息を吐くと、ラビをあまりよく知らないウルボリは顎髭をかきながらつぶやいた。

「……そんなにあいつはしょっちゅう魔法魔法って言ってんのかい?」

「あぁ、そーさ。ずーぅっと言ってんのさ。もっとガキンチョだった頃にはあたしの畑にもよく来てたもんだよ。その頃はあたしの解毒薬が魔法の一種で、このあたしを魔女だと思ってたんだけどね。少し大きくなったらどうも違うと気付いたと見えて、滅多に来なくなったけどね。な、の、に、銭湯に行ったら噂を聞いちまったよ」

「何の?」

「魔法の修練で忙しいとかなんとか言って、筆学所も行かずにしばらく引きこもってるってさ。ほんっとにバカじゃないかと思ったね」

「ははは、本当は筆学所でなんか嫌なことでもあったんだろうよ!そう心配しなくても、落ち着いたらバカみたいなことも言わなくなるさ」

「心配なんかしとらん!!」

 ウルボリが豪快に笑い飛ばす。

「だいたい、このまま大人になっても潮干狩りしか能のない変人になって困るのはあたしじゃないよ!」

「そーかいそーかい。それが心配なんだな」

 おばばはムキー!と顔を真っ赤にして怒った。

 その心中は「本当に困ったよ」だった。

 

+

 

「あんた、今日もたくさんいい水海月草が取れたよ。またいい解毒薬が作れるから、そしたら漁師の馬鹿どもに配ってやるさ」

 

 おばばが生涯を誓い合ったおじじが他界して早一年。

 誰かの世話になると言うのは性に合わず、よく会いに来てくれていた息子夫婦や妹夫婦にはつっけんどんな態度を取ってしまい、あまりしょっちゅう会うことは無くなった。

 おばばは一人暮らし。毎日一人で水海月草の世話をした。

 おじじがやっていたように丁寧に水をやり、収穫したところのメモを取り、虫が付けば一匹づつ手で取った。

 

 解毒薬なんてそんなにたくさんはいらないとよく言われる。

 だが、おばばはおじじが作っていた量を守って作る。

 毒に侵されることなんか日常生活ではそうそうない。

 まだよちよち歩きの赤ん坊が誤って赤海月草に触ってしまうとか、漁師がドクアオウツボに噛まれるとか、素潜りの連中がクロアンドンクラゲに刺されるとか。そんなものだ。

 一週間に一体何人が薬を必要とするだろう。

 

 だが、生の薬は数日経てば効果を失う。もしくは腐る。おじじはいつ方々の村々で患者が出てもいいように、休まず解毒薬を作った。

 漁師連中はそれはそれは有り難がるが、他の島の連中は「あんなに水海月草を増やすことなんかないのに」と言う。

 おばばはもっと良い薬を作りたかった。長く保ち、一家にひとつは解毒薬を置いておけるようなものを作りたかった。

 だから、失敗してしまう分も考慮して、とにかくたくさんの水海月草が必要だった。

 おじじが亡くなる前はこんなに腰も痛くなかったはずなのに。

「――やれやれ。あんたより、あたしの方がよっぽど働きもんさね」

 おばばはおじじが気に入ってかぶっていた帽子に笑う。

 すると、「ごめんくださーい!」と若い女の声が響いた。

「誰か来たかいね」

 どっこらせ、と水海月草の入るカゴを置くと、おばばは玄関へ向かった。

 

「はいよ。今行くよ」

 

 腰が痛くてどうもうまく動けなくなってきた気がする。

 おばばが玄関に着くと、泣く少年を抱えた女がいた。

「あ、あの!この子――」

「なんじゃい。坊主のくせに泣いて。どこが痛いんじゃ。見せてみい」

 おばばは少年の手を見ると「はん」と鼻で笑った。膨れ上がり充血した手は、まるで酷い火傷痕のようだ。

「あんた、水色で透き通ったもん触ったんじゃないかい」

 少年は泣きながら何度も頷いた。

「そりゃカツオノカンムリだよ。バカだね。今良くしてやるから待ってな」

 おばばはここ数日で一番よく出来た解毒薬を保存した瓶を取る。玄関には、こうして解毒薬を受け取りに来る者が来るので、薬棚をおいている。

 瓶を開け、少年の右手にかけてやる。手は膨れ上がっていたのがわずかに小さくなった。

 少年は驚きに目を丸くした。

「痛くない……」

「バカ言うんじゃないよ。まだ痛いはずなんだから。まだ何日かかかるよ。これを持っていきな。三日分だよ。いいかい、三日忘れずにかけるんだ。それでもまだ腫れてたら、続きの分をとりに来るんだね」

「あ、ありがとうございます。すみません」

 母親が頭を下げる。

「ふん。いつもはそんなにいらないって言うくせにね。必要になったら来るんだから、ほんっと、若いのは礼儀知らずだよ」

 おばばはぶつぶつと文句を言った。

 尋ねてきた母親は瓶を受け取り、持ってきていた袋から食材をいくつも取り出した。

「お礼、足りますか?」

「どうだかね。ほら、さっさと帰んな!あたしゃ忙しいんだよ!全くおじじがろくでもないタイミングで死んだせいだね」

 おばばはぶつぶつ言いながら部屋の奥へ戻っていき、途中でふと足を止めた。

「瓶は割るんじゃないよ。ちゃんと返しとくれ」

「あ、はい。――ラビ、帰るよ。まだ痛いかもしれないけど、少ししたら治るから」

「お、お母さん。でも聞きたいことが――」

「いいから。早く」

「で、でも!ねぇ、お母さん!」

 少年は痛くない方の手を母親に引かれて帰っていった。海月畑を何度も何度も振り返って。

 そして、その日からと言うもの、少年はしょっちゅうここにきた。

 

「ねぇ、おばばは魔女なんでしょ?」

 

 一人で水海月草の世話をするくらいしかすることのないおばばは笑った。

「そうさ。あたしはこわぁい魔女さ。あんたなんか指先一つで吹き飛ばせるんだからね」

「えぇ!じゃあ、じゃあさ!竜王も倒せる?」

「あったりまえじゃないか。あたしを誰だと思ってんだい」

「すごいなぁ!おばばがいるからこの島は平和なんだね!」

「あたしゃおばばじゃないよ。大奥様だよ」

「おおおくさま?何それ」

「あんたはほんとにバカだね。それより、あんた瓶拾いはやめたんだろうね」

 ラビはベンチの上で足をぷらぷらさせた。

「やめないよ。だって、島の外のことが書かれてるかもしれないじゃん」

「はー……。あんた、またカツオノカンムリなんか触ったら死ぬかもしれないよ」

「大丈夫だよ。青い瓶はよく確認してから拾うようにするから」

「やめときって」

「へーき!ねぇ、そんなことより僕にも魔法教えて!僕、字を読むことしかできないんだよ」

「あんたが変なもん拾うのをやめたら教えてもいいよ」

「えー!!なんでさー!!」

 

 おばばの孤独を埋める魔法のような存在は、その後大きくなっても、ごくたまにはここを訪れた。

 

+

 

 おばばは昔のことを思い出しため息を吐いた。

「あたしにも責任があって気持ちが悪いだけさ」

 ユラドやウルボリ、村長は首を傾げた。

 

 すると、話を聞いていたプラムが「あのー」と遠慮がちに手を挙げた。

 おばばが先を促すように顎をしゃくる。

「魔法の修練、私はいいと思います!」

「若いあんたには分からないかもしれないけどね、そう言うことを言うと本気にするような子供もいるんだよ。そうなったら、いつまで経っても大人になれなくて可哀想じゃないかい」

「確かに誰でも使えるようになるとは限らないですけどね。試してみなきゃ使えるか使えないかはわからないじゃないですか」

「あたしには分かるよ。使えない」

「えぇ……。そんなにあの子って適性がないんですか?というか、魔法適性の有無って大奥様が調べたんですか?」

 

 ユラドは話を聞いていて、いくらなんでもプラムはラビの肩を持ちすぎだと思った。というか、ラビに恥をかかせないようにといってもムキになりすぎだ。魔法が本当にないことも確かめられていないのに、若者をバカにしないでほしいと言いたいのはわかるが、そんなものは悪魔の証明だ。

 

「……あたしゃ頭が痛くなってきた。もうあんたとこの話はしたくない」

「あ、あの、大奥様が魔法適性の有無が分かるなら、その方法を教えてもらえませんか?お礼ならしますから。もしかして生まれながらの異能(タレント)ですか?それとも何か特別なアイテムとか?どうしてもそれを知りたくて――」

 プラムは容赦なくおばばに詰め寄った。

 おばばは偏屈だが、怒りっぽいわけでは無い。

 だが、こうも「どうせ魔法がないなんて証明できないんだろ。どうだ」とあからさまな態度を取られては――

「いい加減におし!!あたしゃ魔法なんて大嫌いだよ!!言葉も聞きたくない!!」

「そ、そんな。そこをなんとか……」

 おばばはフン、と怒りの声を上げると焼けるソーセージの方へ向かって行こうとした。会場にいる者たちが顔を上げておばばの方を向く。

 おばばの前にはいつの間にかプラムの護衛――パンドラズ・アクターが立ちはだかった。

 

「あ、あ、パンドラの兄ちゃん。行かせてやれよ。な?」

 ウルボリが空気を読んでくれと精一杯の表情と仕草をするが、パンドラズ・アクターはウルボリを一瞥もしなかった。

 

「魔法適性の有無の確認方法をプラム様はお聞きになっています。申し訳ないですが、それを教えていただくまではここを離れられては困ります」

「そんなもん生きてきた経験でわかるだろ!!そんな事も言われないと分からないのかい!!もうお退き!!」

 プラムとパンドラズ・アクターは即座にリュウオウの方へ振り返った。

「――嘘は言っていないね」

「じゃあ、やっぱり生まれ持った異能(タレント)かな?」

「だとすれば貴重ですね」

「うん、かなりレアだね。学校でも早いうちに適性の有無が分かったらいいよね」

 おばばはソーセージを皿にとり、むっしゃむっしゃと頬張った。

 

「――プラムちゃん、ちょっといくらなんでもあそこまでする事はなかったんじゃねぇか?」

 ウルボリが困り顔で言うと、プラムはすぐに頭を下げた。

「あ、すみません。うちじゃ魔法適性の有無を調べる術っていないんですよね。だから、つい」

 ユラドとウルボリ、村長の頭の上にはてなが浮かぶ。何かが噛み合っていないおかしな感触があるのだ。

 皆が何かがおかしいと言う顔をしていたのだろう。プラムは慌てたように言葉を続けた。

「あ、ほら。魔法を使える人がたくさんいたら便利になりますし、野蛮な事も減らせるじゃないですか。毎日水を汲みに行くことだって、火を起こす一苦労だってなくなりますし!でも、適性があるかないかを、やってみなくちゃ分からないのが効率的じゃないなーなんて――」

 

 聞いていた者たちは眉を顰めた。

 ユラドすら、悪意なく発せられた野蛮という言葉に臭いものを嗅いだような顔をした。

 

「俺達にゃプラムちゃんが何を言ってるのか分からねぇ。確かに魔法が使えたら便利だろうよ。だけどそんなもんを引き合いに出して、野蛮なんて言うのはいくら客人だって許されないことじゃないか?そっちの島がどんな島かは知らないけどな。俺らは先祖代々受け継いできた俺らなりの技術っちゅーもんがある」

 プラムに対して言いたいことをウルボリが全て言ってくれる。

 村長連中は腕を組んで、今までの穏やかな雰囲気は一切ない。島の若い者(ラビ)のためとはいえ、おばばと揉めた事ももちろん影響している。あれは年輩の者を敬わない非常に礼を失した態度だった。

 おそらくプラムはずっとこの島の色々なことを野蛮だと思っていたのだろう。だから、魔法なんていう存在すらしないものを引き合いに出して、マウントを取ろうと言うのかもしれない。

「あ、すみません。でも魔法は便利ですよね?」

「知らねぇな」

「でも、魔法使える人は良いなぁとか……」

「そんなもん夢見てんのはガキンチョだけだ。もう良い加減にしてくれ。魔法なんて存在すらしないもんで、あんたらと揉めたくねぇ」

 

 ウルボリが睨むでも怒るでもなく言うと、プラムは瞬きをし、数秒止まった。

 

 そして――

「え?」

 一言漏らし、もう一度首を傾げた。

 

「え?」




え???????


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#151 島の背

「え?……えー?うん?えーっと……?魔法が存在しないって、どう言う意味ですか?」

 プラムが言うと、いよいよもって会場にいる者たち全員が何かボタンを掛け違えているようなおかしな感覚に陥った。

 

「どうもこうもあるもんかい。まさかあんたも魔法を信じてるくちだったとは思わなかったね。もしかしてあんたの島の宗教かい」

 ソーセージを何本も皿に乗せたおばばが戻り、ペッとソーセージの薄皮を吐いた。皮も食べられると言われたが、初めて食べる物なのでどうもイマイチ飲み込みにくい。

「いや、宗教とかじゃ――」プラムはそこで言葉を切り、口の中でモゴモゴと何かを言ってから、再び言葉を続けた。「――いや、確かに宗教の一種は一種なんですけど……」

「そんなことだと思ったよ。だけどね、この島にはそんな宗教はないんだよ。魔法なんてつまんないこと言ってないで早く正気にお戻りよ」

「ちょ、ちょっと待ってください。誰か一人くらい魔法を使える人はいないんですか!?本当に誰一人!?」

 プラムは辺りを見渡した。そんなものが存在するなら猟師も漁師もいらない。

 横断幕を持ってきた子供達は多くが混乱していた。が、幼い子供たちはワクワクしていた。

「……い、いないの……?」

「プラム様、田舎では魔法詠唱者(マジックキャスター)がいないというのはよくある話です」

 パンドラズ・アクターが平然と言い放つ。

 田舎と言われて気を悪くしないものはいない。特に、この島にはプラムがすごいすごいと喜び驚くものがたくさんあったのだから。カライ島から見れば、あんなくだらない物で喜ぶプラムの方がよほど田舎者だとしか思えない。

 

「……確かにカルネ村だって魔法を使える人なんて一人もいなかったですもんね……。でも、島には外の人間は私達が初めてだったって言うのに……。あの子はどうして魔法の習練なんて……」

 プラムの瞳には困惑の色が浮かんでいた。

 正直、困惑しているのはこちらの方だ。

「はぁ。厄介な宗教のある島となんて、あたしゃ関わり合うのはごめんだね。魔法なんてそんなもんまやかしだよ。ほら、チビたちはもう行った!!バカみたいな夢を見るんじゃないよ!!」

 

 おばばがしっしと手を振るが、子供達は動くことはなかった。

 

「……最初に会った時もあの子、魔法のことを聞きたいって……」

 

 プラムはぽつりと呟き、パンドラズ・アクターを手招いた。

 

「ズアちゃん、さっきここを離れた少年、あの子を探します。あの子はわざわざ島民をかき分けてまで私に話しかけに来ました。あの子には魔法があると言うことに対して、何か確信めいたものがあった……。そう、存在すると言うことを前提とした雰囲気があった。だからこそ、私達はここに魔法が存在しないなんて思いもしなかったんだから」

「は、おっしゃる通りかと。ただ、生命探知系の特殊技術(スキル)を使おうかとは思いますが、目印のないひ弱な人間です。少々お時間を取らせてしまうかもしれません……」

「構わないです。私も魔法の痕跡を探します。もしあの子がこの島でたった一人の魔法詠唱者(マジックキャスター)だとしたら、何かに魔法をかけたことがあるかもしれないですし。それでダメなら――足で探しましょう」

「かしこまりました」

 

 プラムとパンドラズ・アクターの会話は、まるで本当に魔法が使えるかのような、信じられないものだった。

「お、おいおい。嘘だろ?いくらそう言う宗教だって……そんな非現実的な……」

 ウルボリが言うと、プラムは自分の長い髪を払いのけ、「嘘じゃないですよ」と笑った。

 そして、プラムはそっと空を指し示した。

「――<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)><魔法探知(ディテクト・マジック)>」

 

 一体何が起こったのかと皆がキョロキョロと辺りを見渡す。

 本当に魔法があるのだとしたら、何かすごいことが起こったはずだ。

 

 ――が、とくに何も起こらなかった。

 

 あれだけ大仰な掛け合いな後だったので、とても間抜けだった。

 ひそひそと人々の話しあう声が広場に響く。そのひそひそ話は、何か恥ずかしいものを見せられた時のような、胸にちくりと何かが刺さったようなものだった。

 

「……え?何?」

 プラムが戸惑いの声を上げる。何も起こらなかったことに驚いているのかもしれない。

 空を飛べると信じ切ったキウイが崖から飛び降りたかのような哀れさを感じた。

「……ほれ見ぃ。いい加減魔法ごっこはおよし」

 おばばが言う。

 プラムはおばばの言うことに返答する事もなく、パンドラズ・アクターを見た。

「……うーん、あっちの事は後で調べるとして……ズアちゃん、そっちはどうです?」

「――難しそうです。やはり個人の特定ができていないうえに、同程度の強さの島民の反応が大量にあるので……。至高の四十一人のうちの一柱の姿を模していながらご期待に沿った結果を得られず申し訳――」

 と、パンドラズ・アクターが言っている横で、ずっと座っていたリュウオウが立ち上がった。

 

「動き出すよ」

 

 その言葉は妙な迫力があった。

 

 ユラドは一瞬、島全体が無音になったように感じた。

 音が戻ったことを認識したのは、狩猟島から一斉に大沖太夫が飛び立ったからだ。ユラドたちのすぐそばにあった木からも小鳥や虫が一斉に飛び立つ。

 

 風が生まれるのではないかと思うほどに激しい羽音に包まれながら――次の瞬間、己の目を、耳を、頭を疑った。

「お……おい……」

「な……」

「あれって……え……?」

 今この時、まともに状況を理解し、正しく対処できる者はいなかった。いや、もはや何が正しい対処なのかすらわからない。

 

 なぜなら、狩猟島が動いたからだ。

 動いた、という他に言葉が思いつかない。

 

 ザァ……と猛烈な滝を生み出し、巨大な虹を()に掛けながら、狩猟島は顔を持ち上げた。

 女達は悲鳴をあげ、男達は呆然と島を見上げた。

 狩猟島は、信じられないほど巨大な海亀の甲羅だった。

 あまりの事態に呼吸をすることも忘れかけたユラドは、逃げ出していく山猫達が足の間を駆け抜けたことで我に帰った。

 

「魔法の痕跡の発生源」

 

 その声の主にゆっくりと振り返る。

 プラムは落ち着き払って島を見上げていた。

 

「ま、まほうの……?」

 

 同じ言葉を繰り返す。

「こ、こんなの!こんなの幻だ!!夢に決まってる!!夢だ、夢!!」

 取り乱す誰かの声すら遠く感じた。

 

 島はユラドの方へ視線を向けた。巨大な瞳はどんな湖よりも大きく、その口は山すらひとのみ(・・・・)にしそうだった。

 

 ――オオオオォォォォオオオオオ。

 

 狩猟島が声を上げる。鯨よりも低く、果てしなく遠くの海まで届くようだった。

 皆耳を塞ぎ、女子供はしゃがみ込んで叫んだ。

 岩肌そのもののような皮膚には、いつまでもいつまでも水が流れていた。

「ど、どうする!どうする!?」

「どうするもこうするも、どうしようもねぇだろ!!」

 村長達が慌てていると、我に帰ったおばばが叫ぶ。

「あ、ありゃ海神(わたつみ)だよ!!ここで宴をやってるのに感謝のお供えがなかったってお怒りなんだよ!!昔から海に感謝を捧ぐのは祭りの宴の前だって決まってる!!今すぐ海神にお供えをしなきゃならん!!」

 おばばの言うことはその通りとしか思えなかった。

「そ、そしたら急いで今年の巫女の準備を!!」

「ミミルとユクモがちょうどいるからあの子達に!!」

 

 村長達は大慌てで行動を始めた。

 どうか神罰が降る前に間に合いますように。

 突然わけを話されて目を白黒させる姉妹は泣きそうになっていた。

「し、食事をありったけ運ぶぞ!!狩猟島――じゃなくて、海神へ渡る港へ!!」

 我に帰った男達が宴の食事を集め始める。

 

「二人はあれ、気付いてました?」

 そんな周りの喧騒も聞こえないように、プラムが護衛の二人に尋ねていた。

「は。午前中、島に接近した際にお伝えしようかと思ったのですがタイミングを逃しました。失礼いたしました」

「君達がアレ――アスピドケロンに気が付かれる方法で存在を看破しなければ、オキアミでも食べてゆっくり島になって行ったんじゃないかな。どう見ても怯えてるよ」

 

 海神と呼ぶに相応しい狩猟島が怯えているようには見えなかった。

 島民の誰一人として賛同している様子はない。

 皆必死で供物の用意をしている中、ユラドはこの旅人達の非常識な様子に苛立ちすら覚えた。

 

「アスピ……そういう名前なんですねぇ。うーん、あそこにそんなのがいるって分かってたら――まぁ同じことしてたか。仕方ないね。話してわかってくれるでしょうか?」

「老いが進むと言葉を忘れる生き物だから……どうだろうね」

 ドラゴンロードが肩をすくめる。

「それじゃあ、一応一発殴る気持ちでいた方が良さそうかなぁ」

「んやまいこ様の教えですね!」

「ふふ、その通り!まずは一発殴ってみる!」

「……そのとんでもない教えの一人が君達と一緒に来てなくて良かったよ」

 笑ったプラムの手が何もないはずの空間に滑り込んだかと思うと――白いタツノオトシゴが絡まる杖を取り出した。

 それはプラムが持つせいか、酷く神聖なものに見えた。輝く白、タツノオトシゴが抱く海の色を湛えた宝石、まるで海の中の一瞬を切り抜いてきたかのような細緻な彫刻。

 その一瞬の出来事に気が付いた者がどれだけいただろう。

 海神に目を奪われる者、供物を集める者、選ばれた二人に少しでも巫女にふさわしい格好にさせようと躍起になる者達の中、ユラドは確かにその瞬間を目撃していた。

 

「興奮し始めてこの島めちゃくちゃにされたら困りますし、行きましょうか」

 

 プラム達が出発すると同時に、供物を持った人々も港へ向かって移動を始めた。

 

+

 

 ラビは会場を後にし、狩猟島へ出るときに使われる港を訪れていた。

 今日はもう誰もここにくる用事はないはずだと選んだ場所だったが、今は誰でもいいから、とにかく人に会いたかった。

 

 ラビの目の前では巨大な海亀がじっくりと息を吐き出したところだった。

 口がわずかに開き、また閉じる。

 それだけで地鳴りが起きそうなほどに、とてつもない大きさだった。

 

 先ほどまではたった一人、寄せては引いて行く海を眺めていた。

 破られた静寂は亀が滴らせ続ける大量の滝によって戻る事はない。

 腰を抜かして島を見上げていると、浜に向かって人の声が近付いてくるのが分かった。

「だ……誰か……誰か……」

 か細い声を出しながら、尻を引き摺りながら下がる。

 道の向こうからは、先ほどラビを笑った島の者達と、旅人達が現れた。

 ミミルとユクモは筆学所で見た時の服の上に、祭りの時の装束を掛けていて、島民は皆宴で食べていたご馳走を抱えていた。

 

 くらげおばばと村長、ラビの知らないおじさん達が一番前に踊り出る。

 そして、くらげおばばが手を目一杯空に向けて伸ばした。

「海神よぉ!!鎮まりたまえぇ!!供物ならたんとある!!巫女が今こそ届けよう!!どうか、どうか鎮まりたまえぇ!!」

 

 これで亀は狩猟島に戻ってくれるのかと、ラビはすがるように亀を見上げた。

 空にすら届きそうな巨大な顔から表情を読み取る事はできない。真っ直ぐにこちらの方を見つめているようだが、巨大すぎてどこを見ていると正確に捉えることもできない。

 

 そして――オオォォォォオオオオォォォ!

 

 先ほどよりも大きな声で亀が鳴く。

「ひ、ひぇぇぇ!!だ、だめかぁぁ!!」

 おばばが情けない声を出し、頭を抱えてしゃがみ込む。

 周りの島民達は「だめじゃねぇか!」「おばばがこうすれば良いって言ったのに!!」「どうすんだよ!?どうすんだよ!!」とパニックになり始めていた。

「そ、それでも供えるしかねぇ!!」「ユクモ、ミミル!!そっち持て!!」「早く!!」

 

 ラビは周りのパニックに当てられ、逆に冷静になった。

 泣き出してしまっているミミルと、震え上がるユクモが見えると、「あぁ、あの時もっと練習して、<小音(スモールサウンド)>が使えてたら……」そう思った。

 そうしていたら、二人の耳に入る音を少しでも小さくしてあげられたのに。

「<浮遊板(フローティング・ボード)>を使えてたら……」

 そうしたら、重さを感じずに皆を乗せて走って逃げられたのに。

「攻撃魔法を一つでも使えてたら……」

 そうしたら、きっと両親や友の暮らすこの島を守ったのに。

 

「あぁ……違う……!」

 

 違う、そうじゃない。

 何故この後に及んで、まだ魔法なんて。

 生まれてこの方ずっと魔法について考え続けてきたせいで、生命の危険に瀕し、思考がこれまで繰り返されてきたパターンへ回帰している。

 ラビは頭を目一杯振った。

「違う、違う違う違う……!!そうじゃない!!そうじゃなくて――」

「そうじゃなくて、もっと良い魔法が他にある?」

 ふと気付くと、ラビのすぐ隣には旅人がしゃがんでいた。白い不思議な杖を地面に突き立て、抱えるようにしていた。

 嬉しそうに笑い、夕暮れに沈む黄金の太陽を宿す瞳が細められる。

 

 ラビは、まさか魔法があるというならこの状況をなんとかしろと言われているのかと顔を真っ青にした。

「……そ、そうじゃなくて……ま、魔法なんて……」

「魔法なんて、当てにならない?」

「ち、違う。そうじゃなくて……」

「そうじゃなくて?」

「魔法なんて、本当はなくって……」

「本当に?そう思うの?」

「そんなのあったら……だって……おかしいって……」

「どうして?魔法はあるんだよね?」

 

 ラビはもはや泣きたかった。

 いや、泣き始めていた。気が付かぬうちにその頬には涙の跡がいくつも残り、思い切り首を振った。

「魔法なんてない!魔法なんてないんだよ!!僕がおかしかったんだよ!!」

 

 旅人が、うーん?と少し悩むそぶりを見せた時、狩猟島は再び鳴き声をあげた。

 ――オオォォォォオオオオォオォォ!!

 体の向きを変えようとしているのか、足踏み一つで巨大な波が起こった。

 山ほどの高さもある波はまるで海が盛り上がったかのように驚異的な質量をもって浜へ向かった。

 後数十秒で波がここに到達すれば、生きて明日を迎えられる者は一人もいない。

 そして、ラビの育ったホーチャ村や、ほど近いネイソー村、クラゲ畑のあるヨギー農村の家は全て流されてしまうだろう。

 突然時の流れが遅くなったように感じた。

 親達に苦労と心配ばかりかけて、まだ何一つ返せていないのに。間違いに気がついたばかりなのに。

 謝ることすらできていない。

 おしまいだ。

 

 ラビが絶望感に支配されそうになると、それまで少しも狩猟島のことを気にせずにいた旅人が立ち上がり、海へと対峙した。

 

「おかしくなんてない。魔法はある。君、知ってるんでしょう?」

 

 背中越しに言われる。

 死が迫る中、旅人も必死なのかもしれない。

 だが、そんなものを癒す言葉を選べるはずもなく、ラビは思い切り首を振った。

 

「な――ないよ!!だから僕にはどうすることもできないんだよ!!フラミーも、アインズ・ウール・ゴウンも、存在しないんだから!!」

 

 ラビは魔法学の書で読んだ――いや、妄想した神達の名前を思い切り叫んだ。

 肩で息をする。

 旅人はきょとん、と、した顔で振り返っていた。

 

「――失礼ですが、フラミー様と、アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下です」

 

 ラビの肩を、旅人の護衛の黒尽くめがポン、と叩く。

 旅人は苦笑混じりの顔をした。

 

「うーん、参ったね。これは私よりアインズさんの方が得意な分野だなぁ。……なんて、私に得意なことなんてほとんどないけど」そう言い、フッと息を吸い込んだ。「――<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)>・<地割れ(クラック・イン・ザ・グラウンド)>!!」

 

 旅人は向かってくる大波に向かって杖を差し示した。

 その瞬間、ラビ達の正面の水面が広範囲でゾビッと奇妙な音を立てて大幅に下がった。

 まるで水槽の底が抜けたかのように周囲の水が流れ込んでいく。

 一瞬の間を持って大波が到着するも、海底が地割れを起こしトラバサミのように大波に食らいついた。

 波は砕け散り、台風のような猛烈な飛沫がラビ達に降り注いだ。

 

「冷たくて気持ちいい。さて、――<兎の尻尾(バニーテール)>」

 ピョッと音を立てて丸いふわふわの尻尾が旅人についた。

 そして、旅人はグッと膝を曲げると、バサッと毛布を振るような、帆船の帆を張った時のような、巨大な羽音のようなものを残し――飛び上がった。

 

 海を往く蛸のように優雅に旅人は空へ上がっていく。

 未だ砕かれた大波の飛沫が降り注ぎ続ける中、太陽の光が明滅する。

 

 腰を抜かして見上げていると、ラビの隣にいた旅人の護衛が顔を覗き込んだ。

 

「あなたは、どこで魔法の存在を――いえ、フラミー様達の名を知ったのですか?」

 

 ラビは射抜かれるようにじっと見つめられた。

 

「あ、い……あ…………」

 

 言葉が出なかった。

 呼吸すら困難なこの状況で、どうやって思考し言葉を紡げというのだろう。

 

 必死に自分を取り戻そうとしていると、海の底から、空の彼方から声が響いた。

 

「――命短キ哀レナ者タチヨ……。我ガ父ノ背ニ生キ、我ガ背デ狩リ、幸福ノ内ニアッテ尚、何故我ヲ見出サントスル……」

 

 狩猟島の前には、何かが浮かんでいた。

 目を凝らしてもその点が何なのか見えなかったが、大沖太夫が飛んでいると思うような馬鹿はいなかった。

 しばしの間を持ち、狩猟島は目を細めた。

 

「――ソウカ」

「――ソノ通リ」

「――我モマタ島ヘト変ワロウ」

「――我ガ父ガソウダッタヨウニ」

 

 いくつもの間を持ちながら、狩猟島はじっくり話し、そして最後は顔を深くまでおろして最後の言葉を紡いだ。

 

「――フラミー様ノ仰セノママニ」

 

 ラビはその名にハッと息を呑み、狩猟島の顔はそのまま海へ潜った。顔が海に浸かったところには巨大な渦が巻き、いつしか消えた。

 狩猟島の目の前にあった点はこちらに向かいはじめ、次第に大きくなり、姿をはっきりと認識させた。

 

 信じられないほど多くの翼を背に、白かったはずの肌を夜明けの菫色に染めて、旅人は先ほどとは全く異質なものとなり、空から降りた。

 

「話せばわかる人でした。もう大丈夫ですよ」

「た、たび……あの……」

 

 呆然とする島民の間を涼しい顔で進む旅人は、真っ直ぐラビの前に辿り着いた。

「私の魔法、どうだったかな?」

「え、あ……えっと……」

「凄すぎて神様みたいだった?」

 ラビはぶんぶんと必死に頷いた。

「ふふ、そうです!私は神様なんです!」

 旅人は両手と翼を広げて笑みを浮かべた。

 黒尽くめのお付きがワー!と盛大に拍手していた。

 

「……あの……あなたの名前……」

「知ってるでしょう?私の名前」

「じゃあ……本当に……光の神のフラミーなの……?」

 

 ――この本は、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国発足以来、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、神聖フラミー魔導女王陛下の力の一端を幅広く記し、国民、並びに友好国国民の生活をより豊かに、安全なものへとすることを目的とした書である。神々は神聖魔導国と、光と闇、生と死を統べる正統なる支配者であり、この世の全ての力は二柱より出し、二柱に帰すものである。

 

 ラビは魔法学の書の前書きを思い出した。

 旅人は嬉しそうに笑って頷いてくれていた。

 

「フラミー様、です」

 黒尽くめが咳払いをする。ラビは自分の頬をつねった。

 

「そんな……夢なの……?」

「夢じゃないですよ。私は確かにフラミーです。あなたは?」

「ぼ、僕はラビ……。ラビ・テランバード」

「そう、ラビ君。魔法はあるかな?」

 

 ラビはゆっくりとその問いに頷いた。

 

「ま、魔法は……ある。あるよ……!」

「そうですね。ラビ君、よく魔法の存在に気が付いたね。誰も使える人がいなくて、心細かったでしょう」

「っ……。はい……はい……!」

 気付けばラビはまた泣いていた。腕で目元を抑え、鼻水を垂らして泣いた。

 

「<小音(スモールサウンド)>も、<浮遊板(フローティング・ボード)>も、確かに存在する魔法だよ。これはどこで知ったの?」

「ま、魔法学の書を……前に拾ったんです。でも、外の字は僕にしか読めないから、だから、誰も信じてくれなくて……。あ、あの、他にも色々。エ・ナイウルのワインのラベルや、トーノチームとかいう画家の絵とか、マーヨの手鏡とか、後は、楽霧っていう落款の押された茶碗とか、後は、後は――とにかく、たくさん!あの、これって、魔法ですよね……?」

 フラミーはふむ、とわずかな時間思考した。

「ラビ君だけがうちの国の字を読めるとすると、生まれながらの異能(タレント)かも知れないですね。魔法とはまた違うものだけど、魔法の一種って言えるかもしれない。――良い力を持ってるね」

 

 嘲笑われ続けたラビの胸に、大きすぎる感情がつかえる。

 そのまま感情は波となって喉から飛び出して行った。

 

 狩猟島へ続く港には宴に来ていなかったたくさんの島民達も集まっていた。

 

 逃げ出して行った鳥達が何事もなかったかのように狩猟島へ戻っていく。

 皆雛を狩猟島の背に置いて行ったのだ。

 

 人も鳥も獣も、我が子の無事を抱きしめた。




亀じゃ背中もଳଳଳଳくらげだらけなわけだよ……!!

これは男爵のせいいっぱい( ;∀;)つ
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#152 皆のために

「ラビ!!」

 

 ラビは両親が駆け寄ってくると、目元と鼻を拭った。

「と、父さん。母さん……」

「良かった!無事で!!本当に良かった!!」

 母親が泣いているところを始めて見た。父親と二人で抱きしめられる。その浜にはフラミーの他にディーや向かいに住むユラドもいた。

「た、旅人さん!ありがとうございました!本当にありがとうございました!!」

 親達がフラミーに必死に頭を下げ、フラミーは事もなげに手を振った。

 

「母さん。僕さ、魔法のことで、もう一回話したいことがあるんだ……」

「分かってる……。分かってるよ……」

「僕さ……。字が……読めるんだ……」

「うん……うん……」

「本当に、嘘じゃなくてね……」

「うん……」

 

 家族がそっと身を寄せ合っていると、くらげおばばが三人を見下ろした。

 

「それより、お供えが間に合ったおかげで海神が狩猟島に戻って良かったじゃないかい!!危ないところだったよ!!」

 

 ぽかんと三人は口を開け、フラミーも数度瞬いた。

 この背の翼を見て、あの力を見て、狩猟島の言葉を聞いて、なおも魔法と神の存在を信じられない者がいるとは驚きだった。

「え……お、おばば。耄碌しすぎじゃ……」

「誰が耄碌ババアじゃい!!お茶目な冗談もわかんないのかい。まったく。そっちの嬢ちゃん――じゃなくて、神様の魔法のおかげだって分かってるよ」

 皆目を見合わせ、一斉に笑った。

「大奥様、心臓に悪いですよぉ」

 フラミーが困り顔を作ると、おばばはチッチッチ、と指を振った。

「あたしゃおばあちゃんだよ。神様におばあちゃんって呼ばれるなんて、格好いいだろ?」

「あ、あはは〜……」

 

 緊張感が霧散すると、フラミーの下には島民達が集まった。ラビを押し除け、次々と人が群がった。

 

「た、旅人さんは神様だったんかぁ!」

「魔法ってすんげぇなぁ!何かもっと見せてくれよ!!」

「そうだ!鳥だ!鳥を増やしてくださらないか!」

「それより、デカい船が欲しいな!!」

「その上等な衣を出してはもらえんだろうか!!」

 

 皆好き勝手言い迫ると、フラミーはため息を吐いた。

『皆黙ってください』

 透き通るような声は心の深くまで染み込み、口を開ける者はいなくなった。

 その所業は流石神と言わざるを得ず、皆口をきけなくされたと言うのにさらに興奮していくのを空気が熱を帯びることで感じた。

「はぁ。これだからなぁ。まぁ、一つくらい何かしようとは思いますけど。神様と魔法を信じてもらわなきゃなりませんし」

 フラミーは顎に手を当て数秒考えてからラビの方を見た。

「――ラビ君、こっちにおいで」

 ラビが口をきけないままフラミーの前までたどり着くと、『話していいですよ』と優しく促された。

 周りの者たちから軽いざわめきが生まれる。静寂は破られた。

「は、はい。神様」

「ラビ君は何か欲しいものはある?私ができる範囲で、になっちゃうけど」

「い、いいんですか!」

 その言葉を聞いた瞬間、割とそばにいた知らない男がラビの首根っこを掴んだ。

「な、なぁ坊主。そこは、分かるだろ?皆のために、島がよくなる願いを言えよな?な?」

 またその反対から、浜でよく会う近所のおばさんがラビの腕を引っ張る。

「ラビ君、私ずっとラビ君のお伽話は真実味があるって言ってたのよ。うちの子にもいつもお話を聞かせてくれてありがとね?だから、ね?」

 さらに背後から服を引っ張られ、慌ててラビは振り返った。

 

「――おい、ラビ」

 

 それは、ディーだった。

 ラビはディーの望むことなら叶えてやってもいいと思った。ずっと友達でいてくれた彼に、何か返してやりたいと思った。

 だが、ディーが続けた言葉は、周りの身勝手な大人たちとは全く違って――「お前、昨日宝物落としただろ。あれ、返してもらえよ」

「ディー……どうしてあれが僕の宝物だって……」

「言ってたじゃんか。昨日。僕の宝物が落ちちゃって、って。ま、魔法使えるようにしてくださいっていうのも手だけどさ」

 ラビはギュッと締めた唇が震えた。

「ありが――」

「ダメに決まってるだろ!!そんなの!!」

 また別の大人が叫ぶと、ラビとディーは肩を揺らした。

「島のためだ!島のため!!恩返ししたいとは思わんのか!!せっかく神が来て下すって、望みを一つ叶えて下さると言ってるんだぞ!!」

 大人たちが寄ってたかって二人を責め始め、あたりは騒然とした。そもそも、欲しいものはあるかと聞いただけで、望みを一つ叶えるとは言っていないが、熱を帯びる人々はその二つを同じ言葉だと感じていた。

 ラビの父親が割って入り、責め始めた男に指を突きつける。

「やめろ!!息子は昔から魔法があるって信じてきたんだ!!だから神がラビを選んでくれたのに!!好きなようにさせてやってくれ!!」

「そんなもん、子供たちは皆夢見てただろう!!うちの姪っ子だって魔法はあって、いつかお空を飛ぶって言ってたんだ!!」

「ラビのはそう言う次元じゃない!!本人も魔法の力でこの世の全ての文字を読めるんだ!!」

「うちの姪っ子の空を飛ぶっていうのも本当かも知れんだろ!!」

 

 二人が取っ組み合いになりかけた瞬間――

 

「<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>」

 

 皆の視線は即座に神に吸い込まれた。

 龍のごとくのたうつ白い雷撃が生じ、神の持つ杖から肩口までを荒れ狂った。バチバチと薪が弾けるような跡を残し、一拍の後、突きつけた杖の延長上にある雲めがけて落雷にも似た放電を発しながら雷撃が空を駆けていった。

 雷が雲にぶつかると思った瞬間、ドゴォッと激しい音を立て、雲は爆散した。

 ラビですら頭を抱えてその恐ろしい神罰から身を隠そうとした。

 

「……うるさいですよ。私はラビ君に望みを聞いたんです。――ラビ君、どうします?魔法を使えるようにしてくれって言うのはできないですけど、その宝物を見つけることはできますよ」

 フラミーが尋ねると、ラビは悩むように自らの手のひらを眺めた。

「魔法を使えるようにはしてもらえないって言うのは……やっぱり……試練や鍛錬なく力を得ることは許されないからでしょうか……」

 神が何かを答えるよりも早く、ディーが加勢した。

「神様、ラビはずっと誰にも言い分を信じてもらえなかったんです。だから、もう十分試練を乗り越えたと思います」

「ディー、そうじゃなくて、願うことだけで魔法使いになったりしたら、力も有り難く思えないし、正しく使うこともできないってことだよ。この神様は、闇の神様と対になってる神様なんだ。力は試練と対だから、試練だけを課すことも、力だけを先にくれる事もない。だから……僕にこの力をくれて……それに見合うだけの試練も与えられた……。そして、最後にはこうして……うん。そうだ」ラビは自身の中で強く納得した。そして――「光の神様、僕、願いを決めました」

 フラミーにそっと先を促される。

 ラビは両手を胸の前に組み、跪いた。

「どうか……どうか、ここで誰もが魔法を学べるようにしてください!!」

 

 ザァっと風が立った。

 島のためとさんざ叫んだ者達も、両親も、ラビも、ディーも、皆が満足げだった。

 

 その場にいたただ一人を除いて。

「やれやれ。結局こうなるわけだね」

 護衛の銀色の鎧がつまらなげに言う。

 

 フラミーは空を再び杖でさし示した。

「ここ、カライ島で、誰もが魔法を学べるように!願いは聞き届けられました!<天候操作(コントロール・ウェザー)>!」

 霧雨が降り出し、空には二本の虹がかかり、島民たちが歓声を上げる。

 帽子を脱いで放り投げ、万歳と一斉に唱和する。

 ファンファーレのように口笛を高らかに吹き鳴らし、拍手をし、隣にいた者と肩を抱き合った。

 黒尽くめの護衛が足が三本もある黒い鳥を空に放ち、鳥は「カライ島はこの時をもって、神聖フラミー・ウール・ゴウン魔導女王陛下の下に降った!!これより、カライ島は繁栄のときを迎える!!」と叫び、島中に新たな島の門出を知らせに行った。

 

 信じられないほどの高揚感が島中を覆った。

 ラビも皆に背を叩かれ、肩を抱かれ、抱きしめられ、泣きながら笑った。

 悪かったと言ってくれる者。

 バカにしてた訳じゃないとしらばっくれる者。

 字を読む魔法を教えて欲しいという者。

 皆調子がいいが、人間なんてものはその程度なのかもしれない。

 

 ラビは空気に酔い切る前に島民達に背を向け、虹を見上げるフラミーに向き合った。

 

「神様!来てくれてありがとう!僕の願いを聞いてくれて!!ここに来てくれて!!ありがとうございました!!」

「いいえ。でも、いつまでも感謝してくださいね。魔法を超える力はありません。今後私がここを離れても、どうか皆に魔法の尊さを教え続けてください」

 

 その言葉に、ラビは全く思いがけないことに、すぐに頷くことができなかった。

 自分の後ろを見渡し、他の誰かが返事をしないことを確認してしまった。

 旅人が来た時、自分が案内を頼まれたと思い込んで返事をした時のことが過ってしまったのだ。

 ラビが躊躇っているのを感じたのか、ディーがその背を小突いた。

 

「お前が適任だよ!ラビ!!」

 

 ラビは気恥ずかしそうにしながら、フラミーに頷いた。

「わ、わかりました!僕、きっと皆に魔法の偉大さを伝え続けます!!」

 今までとやることは同じかもしれないが、ラビは何よりもそれが嬉しかった。

 

「頼みますね。私はこの後神官団を呼んで、いいように取り計らうように伝えます。それから、カライ島と神聖魔導国を行き来する方法も考えないといけませんね。この島の周りには魔物はいませんが、もっともっと沖に出ると、リヴァイアサンやクラーケンがいましたから」

「ま、魔物。そんなものが本当にいるんですね」

 島を出ようとした者で生きて帰ったものはいない。そして、この島を訪れる者もいない。

 ここは、想像を絶する海域に存在する奇跡の島だった。

 

「ここに海の魔物が一度も出なかったのは、きっとあの老亀がいるからなんでしょうね」

 

 フラミーが狩猟島を示し、落ち着きを取り戻し始めた皆がその方向へ視線を吸い込まれる。

「神様、狩猟島はなんだったんですか?」

「私より、ツアーさんの方が詳しいかな。――ツアーさん」

 呼ばれた鎧の男が頷く。

「……あれはアスピドケロンと呼ばれる太古から存在する亀だよ。僕たちが立っているここも、あの亀の父親らしいね。もっと小さいうちは海にも潜るし、陸にも上がる。だけど、体が大きくなりすぎれば動けなくなる。動けなくなれば意識もいつしか失ってただの島になる。そういう生き物だよ」

 何事もなく言ってのけるが、ラビ達にはにわかには信じられない事実だった。

 

 だが、フラミーの力と狩猟島の本来の姿を見せられて、尚もその言葉を受け入れられないようなものはいなかった。

 

「僕たちの住むカライ島が生き物だったなんて」

「だから家畜や動物が極端に少ないんでしょうね。まぁ、本国との行き来ができるようになれば食料もすぐに潤いますよ」

 宴でソーセージを食べた者達は嬉しそうにあの味を思い出した。

 

「さ、それじゃあそろそろ。<転移門(ゲート)>」

 

 フラミーが魔法を唱え、楕円の闇が広がると、「ま、待ってください!!」と聞き馴染みのある声が響いた。

 なんとか人をかき分けて現れたのはユラドだった。

 

「プラムさ――いや、神様!こ、これ!!」

 

 慌てて取ってきたのか、汗だくのその手には赤海月草が握られていた。

 赤海月草はユラドの手をチクチクと刺していて、手は痛々しく膨れていた。

「くれるんですか?」

「ど、どうぞ……!!」

 フラミーは受け取ると、嬉しそうに毒草を抱いた。

「ありがとうございます!良いもの、たくさん見せてもらえて楽しかったです!<大治癒(ヒール)>」

 ユラドの手の変調はすぐに引いた。

「わぁ……」

 周りの者も感動してユラドの手を覗き込んだ。

 

「それじゃあ、皆さん。私と入れ違いで神官団が来るのでよろしくお願いします。私はこのまま行きます。多分、もう直接言葉を交わすことはないと思いますが、皆さんお元気でね。本当、楽しかったですよぉ」

 神はバイバーイ、とフランクに手を振った。

 

「え、え!?神様!?」

 

 ラビが思いがけず手を取って引き止めようとするが、その手は届くはずもなく、護衛の黒尽くめに抑えられてしまった。

「触れることは許されていません」

「か、神様!!これでお別れなんですか!?」

 闇に足を踏み入れかけていたフラミーは振り返ると、手を空中のスリットに入れ、本を取り出した。

 

「もし、魔法を使えるようになれば……いつでも、そばに感じる。――らしいですよ!」

 

 神は呆然とするラビの手にギュッと本を押し付け、開かれた常闇にするりと入って行ってしまった。

 いなくなった後も、あの輝く翼から溢れた煌めきがまだ見えるようにすら錯覚した。

 本当に、どんな絵よりも、どんな細工よりも美しかった。

 人の姿だった時も美しかったが、あの人ならざる肌の色と翼のコントラストは、島民達の胸を激しく貫いた。文字通り、見たこともなかったから。

 

「……神様……」

 

 ラビはいつまでも闇を眺めた。そして、ディーが隣から顔を覗かせる。

「何もらったの?」

「――あ、そ、そうか」

 我に帰り、渡された本を見ると、そこには――

 

「魔法学の書……!」

 

 その後、神と入れ違いで現れた人々は、「神官」というに相応しい清廉な格好をしていた。

 皆浜育ちとは全く違う、色白で、柔らかく薄そうな手のひらをしていた。

 彼らは誰もが上品な口調で、当たり前のように難しそうな文字を書き、島の暮らしを聞き取った。

 その日から、島は信じられないほどに変わった。

 水が出てくる魔法の蛇口、火の出る魔法のコンロ、物を冷やす魔法の箱、物を温め直す箱。

 何もかもがこれまで島には存在しなかったものだ。

 

 そして、誰もが「魔法があったらな……」と空想して来た物たちだった。

 ラビは「だから、魔法はあるって言ったでしょ」とおかしそうに笑った。

 

 それから、ラビの願った「誰もが魔法を学べるように」というものも、確実に実現へ向かった。

 見窄らしい筆学所は取り壊され、跡地には国営小学校(プライマリースクール)の建設が進められた。

 

 ラビを取り巻く環境は大きく変わった。

 

 皆がラビに手を擦り合わせて低姿勢で関わってくる。

 最初の頃はそれが気持ちよかったが、次第に今までの誰でもなかった自分を懐かしく思った。

 自他共に認めるラビの一番の友達であるディーなどは鼻高々にふんぞり返る日々だ。

 ラビはそれを嬉しく思った。自分と友人であるが故に肩身が狭い思いも時にはあった彼への恩返しの一部になると思ったから。

 

 そんな風に島は変わりつつあったが、本国と安全な行き来が可能になるまでには多大なる時間がかかった。

 怪物と呼ぶに相応しい魔物たちがうようよと行き来する海域で、イルカなんぞを眺めながらいとも簡単に海を渡れるのは神くらいだろう。

 故に、ここを発見できてこなかった冒険者たちが役立たずの烙印を押されることもなかった。

 

 様々な事情から海路に存在する怪物達を皆殺しにすることもできず、カライ島と本国を商人や人が自由に行き来するようになるには空挺の完成が待たれた。

 それまでは、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が国からせっせと物資の運搬を行った。

 この島でしか通用しない、力のない通貨を欲しがる商人がいるはずもなく、国のおんぶに抱っことなってしまった。

 

 この(ひら)かれていく島で、くらげおばばは海月草を増やすことをやめたらしい。

 上質な魔法の込められた薬が神聖魔導国から齎される今、すぐに悪くなってしまう薬を懸命に作る必要もない。

 とは言え、薬作りの一切をやめたわけではなく、神聖魔導国から伝わってくる新しい薬の作り方をムンムン言いながら始めていた。

 そして、当たり前のように「あたしゃ神様におばあちゃんって呼ばれてたんだよ」などと嘯いている。

 

 調子のいいおばばだが、実はラビと同様に昔を懐かしむ一人だ。

 魔法がなかった不便な世界を惜しんだ。毎日海月草を愛で、おじじの教えと共に生きた世界を。

 おばばとラビはまた、ラビが子供だった頃のように仲良くなったらしい。

 ラビはこの島の人間で唯一神聖魔導国からの積荷の内容を書面で確認できる者として、その地位はどんどん上がって行った。

 薬の作り方の説明書をおばばに読んで聞かせるのも、当然ラビだった。

 神殿も建立が急がれるが、この辺境の地に高位の回復魔法を使える神官を常駐させておくはずもなく、どうしても薬は必要なものだったから。常駐するのは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)くらいだ。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)も公用文字は読めるが、あまり多くのことを手伝ってくれるわけではない。校舎のまだない国営小学校(プライマリースクール)で子供達も公用文字を習っているが、それも使い物になるまではまだまだ時間がかかる。

 

 両親は向かいに住む、ラビを嘲笑ったおばさんと今も交流を持っている。

 ちなみに、図々しいおばさんは「私はラビちゃんがちっちゃい頃からずっと知ってて、たくさんいろんなお話を聞いてきたんだから」なんて周りの奥様方に威張っているらしい。

 こちらもやはり調子のいいおばさんだ。が、他のおばさんに「調子に乗らないでよ」と突き飛ばされて足を挫いたのは、語る必要もない醜いお話。

 一方、ユラドはどことなく肩身を狭くした。

 最初から自身ではなくラビが旅人を案内していれば良かったとか、あんなにラビを内心バカにしていたのにとか、そんなことを自分自身に感じてしまっていたから。

 悶えたくなる夜には、旅人扮する神と仲良く二日過ごした思い出を大切に反芻したらしい。

 

 空想好きで、将来が危ぶまれ続けたラビは、島の誰よりも島に必要な者として人々に敬われた。

 

 神聖魔導国から文官として働かないかと呼ばれた時に彼がそれを断ったのは、読めるだけで書けないという性質上から役に立ちきれないから――いや、やはり、育ったこの島を愛しく思ったためもあっただろう。

 皆を見捨ててはいけないという気持ちが。

 虐められたと復讐に燃え、皆を置いて広い世界へ行くことも可能だったのに。

 

 彼は今もここにいる。

 

 ――だからこそ、なおさら島の者たちはラビを慕ったらしい。

 

 海の底に沈んだ魔法学の書は、次第に藻が付き、ゆっくりと朽ちていった。




ラビくん……。よかったね……よかったね……。

ふららの神様ムーブ珍しくないですか!?
ナインズ君達も大きくなったし、あれからまた神様レベル上がったって……コト!?


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試される十三英雄
#153 雲を掴むような話


 アインズは陸地に到着していた。

 アンデッドは極端に恐れられているため人の身だ。一方アルベドは羽を晒しているし、デミウルゴスも尾をぶら下げている。

 

 幽霊船は波の砕ける断崖に置き去りにして、三人は切り立つ崖を飛んで上陸した。

 

 降り立った場所は深い深い森だった。

 軽く霧も出ていて、先は容易には見通せそうにない。むせ返るような緑の濃さに、アインズは目眩を起こしそうだった。

 

「霧か……」

 独り言のように口にする。守護者二名からは特別な反応はない。こんな時、フラミーがいたら霧に共に感動してくれていただろうか。

「<転移門(ゲート)>」

 

 アインズが唱えると、中からはフラミーとパンドラズ・アクターが出て来た。

 

「えへへ、合流〜!」

 

 向こうの島で自分は神だと偉そうにして来たが、神様扱いは疲れるのでフラミーは早々に引き上げていた。

 

「フラミーさん、早速一つ島を手に入れるなんてすごいじゃないですか!」

「ふふふ。中々いい旅でしたよぉ」

「くそー、俺はまだやっと陸に着いたところだっていうのに」

 アインズが悔しそうに言うと、パンドラズ・アクターがその背に「ぐぬぬ」と書かれた看板をさっと出した。姿は忍者のままだった。

「……パンドラズ・アクターよ、やめなさい」

「は。必要かと思いまして」

「必要ない……。で、フラミーさん。競争はやめですか?」

「なんだかすっかり満足しちゃって。それより、二人でまた冒険しましょうよ!やっぱり何見ても一緒に見たかったなって思っちゃうんです」

 

 フラミーのキラキラした瞳にウッ、とアインズは胸を押さえた。

 

「っ……一緒に行きましょう。歩きながら向こうがどんなだったのか聞かせてください。こっちはずっと海でしたよ。流石に力の隠蔽をしてない守護者二人と俺が乗ってるんじゃ、魔物たちも力量差が分かるのか寄ってこないし」

「もしかしてちょっと暇でした?」

「でしたね〜。まぁ、いい環境で執務したりして気分転換にはもってこいでしたけどね」

「はは。ツアーさんもずっと暇そうでしたよぉ」

「あ、そう言えばツアーはどうしたんですか?」

「一度帰って、ダイさんの国の方の被害状況とかを確認するとかなんとか言ってました」

「あ〜。なんか怒ってたもんなぁ」

「ね〜」

 

 一行はフラミーの大きな亀の話を聞きながら、ますます深い森へと入って行った。

「それでね。最初についた島も大昔はどうやら亀だったみたいなんですよぉ」

「そんなでかい亀がいるんですねぇ」

「ツアーさんが知ってる生き物で良かったです!」

 フラミーの話が一通り終わると、前方で蔦を薙ぎ払っていたアルベドが振り返った。

「アインズ様、フラミー様の見事な島民懐柔の話もお聞きできたことですし、あとは飛んで森を越えられてはいかがでしょうか?」

「む、お前も草を払って大変だったな。しかし……」

 

 アインズはせっかくフラミーと冒険というシチュエーションなのに、一っ飛びで行ってしまうのもなぁと思った。とは言え、周りは鬱蒼としていて、大変歩きにくい。

 こんな時、山歩きに長けるアウラがいたらもう少しましな感じに歩けただろうが、旅の途中で守護者の変更はできない。

 チェンジされた者の精神的ショックが大きすぎる為だ。

 

「どうします?最終的な道はツアーさんを呼べばいくらでも分かりますけど……」

「ですねぇ。うーん、いわばゴールは見えてるからな……」

 それこそ、少数民族が森の中にいるかもしれないし、地道に歩くのもやはり悪くはない気がした。

「――アインズさん、歩いていきましょうよ!霧も出てて、いい感じですし!」

 フラミーの鶴の一声にアインズは即座に頷いた。

「アルベド、やはりこのまま歩いて行こうと思う。足でしか手に入らない情報というものもある。あぁ、お前が許してくれるのなら、だが」

「ゆ、許すも何も!御方々が望まれるのであれば、そうするのみでございます」

「悪いな」

「とんでもありません!」

 アルベドは深々と頭を下げ、目の前の草をせっせと刈った。

 

「うーん、タブラさんに怒られそうな光景だなぁ」

「ははは。こんな感じかな?――モモンガさん、私は草刈りのためにアルベドにバルディッシュを持たせたんじゃないんですよ?でも……これも意外にありですね。――なんちゃって〜」

「うわ〜。言いそう!あの人ギャップ萌えだからな」

 

 二人が楽しく笑い合っていると、ふとパンドラズ・アクターが手を上げた。

「止まってください」

 アルベドのバルディッシュはその言葉と共に、ほんの一瞬のぶれもなくぴたりと止まった。

「なんだ?どうかしたか?」

 パンドラズ・アクターは今も弍式炎雷の姿を模している。その探索能力は折り紙つきだ。

 

「この先に誰かいるようです。二名程……何かを話しているようです。脅威はありません」

 

 アインズとフラミーは目を見合わせ、二人の前にスッとデミウルゴスが一歩出た。

 

「私が様子を見て参りましょう。御方々が言葉を交わすに足る存在なのか、もしくは我が国の者であるか」

「ふむ、冒険者という可能性もゼロではないからな。くれぐれも友好的に頼む」

「かしこまりました。我が国の者でなければ――フラミー様のように見事懐柔してみせます」

 跪拝し、この森の中では場違いに感じるスーツ姿でデミウルゴスは森を進んで行った。

 

「――だめそうだなぁ」

「――今日のところは諦めるか」

 

 その先には、大きな背負子を背負う男が二人いた。足は泥だらけで清潔な雰囲気ではなかった。種族は人間ではない。

 山小人(ドワーフ)ほどずんぐりむっくりではないが、背は同じくらい低い。一瞬人間の子供かと錯覚するが、物言いが成人している雰囲気だ。

 地べたに座り込み、その手には瓢箪。酒でも入っているのか、こんな場所で花見でもしているような雰囲気だった。

 

「ほーう?こんな森の中で珍しいな」

 男達はデミウルゴスに気が付いていた。赤いスーツはあまりにも目立つ。

 

「どうも。あなた達はこの近くの方ですか?」

「いいや。旅をして来たんだ。ほとんど知らない土地だよ」

「珍しいなぁ。あんた、妖精の類かい?それともその耳……森妖精(エルフ)……でもなさそうだな?尻尾がある」

「えぇ。私は妖精でも森妖精(エルフ)でもありません。あなた方は?人間の子供ではなさそうですね」

「あぁ、俺たちは小人間(ハーフマン)だよ。人間や森妖精(エルフ)の半分くらいの背丈にしかならないから、たまに森妖精(エルフ)とかに会うと人の子に間違われる。でももう四十歳を越えてる」

「そうでしたか。それで、その小人間(ハーフマン)の皆さんは移動の合間の休憩……という感じでしょうか?」

「ふ、これが休憩に見えんのかい」

 どう見ても休憩にしか見えなかった。

「――違うので?」

「これよ。これ」

 

 そう言って男は背負子をおろし、蓋を開けてみせた。中身は空っぽだった。

 

「――行商の帰りでしょうか?」

「ははは。兄ちゃん、そんないい格好してもしかして遭難かい?これを見てピンとこないっちゅーことは、この辺のもんじゃねぇな」

「はははは。俺たちはな、雲を探してんだ」

「……雲、ですか?」

 

 デミウルゴスが怪訝そうな顔をして空を見上げる。雲はいくらでも浮いていた。

「あぁ。雲と、それから霧の話。聞きたいかい?」

 妙に含みのある言い方だった。先ほどからアインズ達も霧について随分気にしていた。何か重要な情報があるように感じたデミウルゴスは、自分のみではなくアインズにも聞いてもらった方がいいような気がした。

 主人は盤上全てを読み、最短最善の手で全てを操る力がある。デミウルゴスでは遠く及ばない。

「……ぜひ。ですが、まずは私の主人を呼んでも?」

「構わないぜ。そっちはたくさんいるみたいだな」

「あんた、そんななりで主人がいるんだなぁ。あんたが主人かと思うくらい上等な服だ」

「我が主が持たせてくれた至高の服ですので。――アインズ様、フラミー様。どうぞ」

 

 デミウルゴスから会話に加わることを勧められ、アインズとフラミーは喜んでその輪に入った。

 

「やぁ、こりゃ驚いた。あんたら、王様かなんかかい?」

 小人間(ハーフマン)が言う。アルベドは当然と言う様子で口を開いた。

「地位に気がつけたと言うのに、頭が高いわ。まずは頭を下げ、口を開く許可を得てから――」

「アルベド、構わん。我々が話を聞かせてもらうのだ。この土地の情報はまだ何もない」

「は。出過ぎた真似を」

 アルベドはツアーが洗いざらい喋れば楽なのに、と思ったが、あの竜のことなので必要最小限の情報しか教えるはずがないと言うことも同時に理解していた。ゆえに、それ以上の口は挟まなかった。

 

「悪かったな。さぁ、その雲の話というのを聞かせてほしい」

 

 小人間(ハーフマン)はどちらが話すかを視線で確認し合ってから口を開いた。

 

「あぁ。――いや、王様なんですよね。この辺の森は昔っからよく霧が立つんだそうで。今日も割と霧が出てるでしょう。まぁ、そんなことはよくある話なんだが……乳を垂らしたように先も見えなくなるほどに濃い霧が立つ日には、決まってその霧が一つにまとまって、雲になるらしい」

「む、それなら私も知っているかもしれんな」

 と言うのも、この世界で霧が大量に発生するというのはアンデッドの影響が大きい。そして、それは雲のように一つにまとまってあたりに影響を及ぼすこともある。その霧の発生を待つと言うことは、この二人は神官なのかもしれない。

 アインズが思考していると、もう一人は唇を舐めてから続けた。

「ふふ、王様は流石に知ってましたか。じゃあ、そっちのお付きの君。なんで王様がここに来たのか俺たちが教えてやろう」

「……はい?」

 デミウルゴスは何故こんな初対面の下賤な生き物がアインズの考えを知っているのかと視線を鋭くした。

「よく聞いておけよ。面白いのはここからだからな。その雲は捕まえることができるそうだ。しかも、その雲を食べた者は――不老不死になる」

 

 アルベドとデミウルゴスが目を見合わせる。

 少なくとも、神聖魔導国国内では聞かない話だ。

 だが、それが至高の存在達の徒歩の目的だとすれば――。

 

 アルベドとデミウルゴスはアインズに深々と頭を下げた。

「申し訳ありませんでした。アインズ様。そうとは知らず」

「アインズ様もフラミー様も、霧を気にされていたというのに……」

 アインズは空を見上げ、フラミーはそんなアインズを横目で確認した。

 それはどこか物悲しいような横顔で、守護者二名は恥いった。

「それで……お前達は不老不死の雲を捕まえようと言うのか」

 アインズの言に、二人が頷く。

 

「えぇ、そうなんですよ。なんせ、向こうにある小人間(ハーフマン)の里には不老不死が何人もいるんでね」

「だから俺たちも遠方からわざわざここまで出向いて来たって言うわけです」

 それが真実だとしたら、守護者達の視線は置いておいて、アインズとフラミーはなんとしてもそれを手に入れなければならない。

 そして、発生源を突き止める必要がある。

 ここの土地がそうさせるのか、誰かが生み出しているのか、何が要因で発生するのか。

 若返りの魔法は手に入れているが、守護者や子供達にかけたことはなく、どれほど巻き戻ってしまうのかやってみなくては分からないと言うのが非常にネックだ。

 リスクなく行える方法があるのであれば、飛びつかない手はない。

 

「ふふ、その顔。王様、一層不老不死の雲が欲しくなりましたかい」

「あぁ。私たちも同行しても?」

「構わないですが……現れたら、まずは俺たちがいただいても?」

 

 そんなことを言うと、またデミウルゴスとアルベドが怒るのでは――と思ったが、二人は涼しい顔で微笑んでいた。

 

 その表情の理由は「見つけ次第殺してしまえばい良い。わざわざ言い争う必要はない」だ。

「もちろん、お前達の都合のいいようにやってもらって構わない。――さて、自己紹介がまだだったな。私は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が王、アインズ・ウール・ゴウンである。そして、こちらは私の妻で、女神であるフラミーさんだ」

「よろしくお願いしますね」

「それから、アルベド、デミウルゴス、パンドラズ・アクターだ」

 三人はそれぞれ微笑んで見せたり、頭を下げたりした。

「ん。俺はマチ。こっちは弟のナオです。女神ってのはよくわかんない役職けど、ともかく王様やお妃様と話すなんて生まれて初めてだから……不手際があったらすんません」

 マチは居住まいを正し、ナオも軽く頭を下げた。

「私は狭量ではないつもりだ。お前達のその言葉だけで十分全てを許す準備がある。畏まらず普通に過ごしてくれ」

 

「ありがとうございます。それじゃあ早速雲探しに――と行きたい所だが、今日は一度近くの里に戻ろうと思ってたところだったんです。夕暮れが訪れればすぐに夜が来る。夜の森は危ない」

「この辺は狼人(ライカンスロープ)の集落も近い。夜にはもう火すら焚けない。奴等は夜行性だから、すぐに見つけられちまう。里はこっちです」

 

 マチとナオが歩き出そうとすると、デミウルゴスがその背に尋ねた。

 

「その里は、不老不死の者がいるという?」

 二人は同時に頷いた。

「そうだ。お付きも実際に不老不死の連中の話を聞くと面白いかもな」

 

 一行はぞろぞろと森を進んだ。

 細い川を一跨ぎにし、苔生す道を行く。進めば進むほど、未開だった森は歩きやすくなっていった。

 アルベドが「さすがは……こんな……」と一人ぶつぶつ唱えるのを聞き流しながら、アインズは小人間(ハーフマン)の兄弟に尋ねた。

「お前達は兄弟で不老不死を目指しているのか?」

「いえ……。実は、うちの親父が里長なんだが……どうも病にかかったらしいんですよ……。俺たちの里は親父が生きてるうちは守ろうって言う約束があるんです。親父がいなくなれば、それだけで里はバラバラになっちまう……」

「ふーむ。それで雲を取りに来たわけか。しかし、バラバラになるとは?」

「あぁ……。俺たちの里にはどでかい滝があるんだが、新しく田を何枚か作って、その滝から水を引きたい連中と、ご先祖さん達が引いておいてくれた、昔からある田の水が減っちまうことを危惧する連中がいるんだ。どっちの言い分も正しい。結論は出ないまま、現里長が生きてるうちは手をつけないようにしようって……」

「本当なら俺たちだって新しい田は欲しい……。子が増えてきたから、食うもんが足りなくなりそうなんだ。でも、もしやってみて水が足りずにどちらの田も弱れば、皆子供達に食わせる明日のおまんまだってなくなっちまう。そうなりゃ、他の里で物乞いをするしかない……」

「……なるほど。苦労しているな」

「いや、はは。苦労してんのは親父と若い連中だけでさぁ」

「田を持ってなくて、子供がいるような――そう、俺らより若い連中は割を食ってるからな……」

 

 世間話をしながら、一行は里の入り口までたどり着いた。日は傾き始めたばかりで、まだまだ明るい時間だ。

 里は木の杭でぐるりと囲まれていて、イカダのように巨大な門で閉ざされていた。

「おー?同胞やー!人間と何を連れてんだー!」

 門の横にある物見櫓から小人間(ハーフマン)が叫ぶと、マチが叫び返した。

「遭難した人間の王様と、王様を祝福する女神のお妃様と、その護衛の人らだー!何も危ないことはない!入れてくれー!」

 櫓の上にもう一人小人間(ハーフマン)が現れ、二人で何かを話したのち、門は動き出した。

「開くから下がれー!!」

 ゴゴゴ……と重そうな門が口を開いていく。

 中がすっかり見えると、人間の里よりわずかに背の低い建物たちが並んでいた。

 

「ひゃ〜。こりゃ、王様と王妃様ってのも分かる」

 中にいた小人間(ハーフマン)があんぐりと口をあけてアインズとフラミーを見た。

「こんにちは。少しお邪魔しますね」

 一行は中に入ると、軽く小人間(ハーフマン)たちに囲まれた。

 

「お邪魔ってこたないが……そんな上等な服を着てるもんなんかこの里にゃいねぇ。つまり、あんたらに合うような宿もねぇ。それでも大丈夫か……?」

「構わない。世話になるのはこちらだ。どこでも良い、泊まれる場所を紹介してくれるかな」

 小人間(ハーフマン)がゴソゴソと話し合いをする中、マチとナオがアインズ達を見上げた。

「王様、俺たちは向こうに宿を取ってるんです。でも、そっちの奴が言ったように王様達をお誘いできるような宿じゃないから……良ければ明日またここに集合ってことで、もう飯を食いに行っても良いですかい?」

「あぁ、気にせず行ってくれ。私達は不老不死になった者とも話をしようと思っている」

「わかりました。じゃあ、また明日日の出前にここで」

「日の出と共に霧は出やすいんで、なるべく早く出ましょう」

「承知した。今日はよく休め」

 大きな背負子を持った兄弟は去っていった。

 

 すると、様子を見ていた若そうな小人間(ハーフマン)がそっと手を上げた。

「あのー、不老不死者と話したいなら、うちのトラ吉じいちゃんがそうです。あと、うちは宿屋をやってます」

 渡りに船だ。

 アルベドは優しい笑顔を作った。

「では、案内していただけますか?」

「はい。こっちです」

 指をさしながらてってけ早足で歩いていく。人間の幼稚園児程度のサイズしかないため、とても幼く見えた。

「君は何歳くらいなんだ?」

「ん?僕は今年二十歳になります。どうしてですか?」

「いや、人間の感覚で言うと、幼そうに見えたものでな。他意はない」

「ははは、森妖精(エルフ)にもよく言われます。僕たちから見れば、人間や森妖精(エルフ)は巨人ですよ。まぁ、本物の巨人(ジャイアント)は見たことないんですけどね。それにしても、皆さん羽や尾があってすごいですね。強そうで憧れちゃいますよ」

 青年はハハハと軽く笑い、周りの家よりも何倍も大きさがある建物の前で止まった。

 あたりは二階建てが多いが、この建物は四階建てだ。木造でよくこれだけのものを、とアインズは感心した。

「あんまり他種族が来ることはないんで狭いかもしれないですけど」

 

 青年が通してくれた室内は、入ってすぐに食堂と受付があるオーソドックスな宿だった。が、受付は今は無人だ。

 天井が低く、アインズは頭がスレスレだった。

 スレスレなりにきちんと身だしなみを整え、胸を張って歩く。

 アインズがこの長い月日の中で考えた、最も王に相応しい態度だ。香水がわりに黒の後光とオーラを軽く発揮しておく。

 わざわざ侮られないようにしたのは、彼の祖父だという不老不死の人物が、どれほどの年月を重ねてきたか想像がつかなかったからだ。老齢の者はそれだけで勘も鋭く、知識も豊富だ。ハリボテの王様と思われないよう、細心の注意を払う。

 

 青年は真っ直ぐ食堂を抜け、キッチンの中へ声をかけた。

「父さーん、お客だよー」

 そして、姿も見せずに声が返ってきた。

「おー?コスケー、お前から少し経たなきゃ仕込みが終わらないって言っといてくれー。――あ、オトキ!もっと薄く切ってくれ!」

「父さん、泊まり!泊まりのお客だよ!」

「おっと、そりゃお待たせして。予約がなかったから油断した」

 

 キッチンの向こうからガタガタと音が立つ。

 民泊って良いなぁなどと考えるアインズの隣で、フラミーも身だしなみを整えた。

「次は神様じゃなくて、王妃様って感じだから……」

 と、ぶつぶつ言いながら羽を数度振り綺麗にたたみ直し、極力羽が小さく見えるようにしていた。杖の竜の落とし子が前を向くように持ち直し、引きずる長い裾を軽く蹴って整える。

 すぐさまパンドラズ・アクターがすぐそばにしゃがみ、その裾をなでてさらに形を整えた。

「あ、すみません」

「いえ!カライ島ではできませんでしたので!」

 何もかもが勢いだったカライ島では、手の届かないところでフラミーが天使の形態に戻ったり、島民に取り囲まれたり、その前はただの旅人ということで大したこともできず、パンドラズ・アクターは鬱憤が溜まっていた。

 ついでに羽までごちゃごちゃと触って整えていく。アインズは違いがほとんどわからなかった。

 そんなことをしていると、厨房から顔を出した旦那は口をまん丸に開いてから、数度目を擦った。

 

「お待たせいたし、ま?え?お客様ですか?」

 

 と聞きながら、すぐそばまで駆け寄った。

 宮廷の作法としては、王は下々の者と最初から直接口をきいたりはしないものだ。その作法に何度となく助けられてきた。

 今回もデミウルゴスが前へ一歩進み、頷いた。

「一宿頼みます。部屋は一番良いものを。数は四つ。こちらは神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国が王、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下と、神聖フラミー魔導王妃陛下です。くれぐれも丁重に」

 アインズは練習を積んだ王に相応しい堂々とした態度で付け足した。

「よしなに頼む」

「お、お、王様なんて!うちはしがない宿屋で、陛下のような上等な方をもてなせるようなものは何も!!もう少し良いところをご案内いたしましょうか!?」

 その反応は当たり前のような気がした。アインズ達は実際に宿泊しないので宿を吟味することもないが、普通王ともなればよほど良い宿を探すに違いない。

「いえ、御方々はこちらが良いそうです。何より、こちらにいるという不老不死の者に会いたいと」

「あ、あぁ〜なるほど。なるほどなるほど。トラ吉じいさんに会いにきなすったんですね。それでしたら、お部屋にご案内した後呼びます。今は竹林へ筍狩りに出てますんで」

 宿屋の旦那はエプロンで手を拭き、受付へそろ〜りと恐々移動してから記帳した。

「え、えーと……。神聖……アインズ・ウール……ゴウン……様と……フラミー様……ご一行……と……」

 アインズは一度サッと言われただけで、よくあの長い名前を覚えたなと感心した。リアルの頃のことは徐々に忘れ始めている事もあるが、それでも客商売の大変さはよくわかる。鈴木などは一度聞いても「もう一度よろしいですか」とよく聞き直したものだ。なので、これだけでもこの宿の主人には好感を抱いた。

 が、その様子に、横からアルベドがそっと口を出した。極めて優しく。

「御方々の名を口にすることはなりません。記帳する事は構いませんが、呼ぶ際には神王陛下と光神陛下とお呼びください」

「あ、あぁ。すみません。なんせしがない宿屋なもんで、そういうことに疎くて。お、お恥ずかしい」

 旦那は世間知らずで申し訳ないと焦って数度頭を下げた。

「――じゃあ、神王陛下と光神陛下。こちらへお乗りください」

 階段横にある扉をガラリと開く。中にはレバーがあり、全員が乗り込むとぐるぐるとレバーを回した。

「せまくてすみません」

「いや。気にしないでくれ。それより、これはエレベーターか?」

「えぇ。森妖精(エルフ)の人らに教えてもらいましてね。まぁ、森妖精(エルフ)は魔法でエレベーターを作ってますが、これはカラクリです」

「……ほう。カラクリとは。さぞ大変だっただろう」

 アインズとフラミーはちらりと視線を交錯させた。

「いやいや。この里には不老不死のじいさまやばあさまが沢山いますから。こういうアイデアは出やすいんです。若い頃は目の上のたんこぶだって思いましたがね。長生きの人がたくさんいるってのはありがたい話です」

 

 レバーをせっせと回し、ガチャン、ガチャン、と数階上がるとようやくそこでエレベーターは止まった。

「ふぅ、お待たせいたしました」

 宿屋の主人の後に続いて廊下を進む。宿屋の主人はアインズ達が泊まる四部屋の扉を開けた。

 部屋はどれも似ていて、ベッドが二台ある一部屋と、後はベッドが一台の三部屋だ。眺めは程々によく、里を囲む杭の先に、心をざわつかせる様な緑の森が広がっているのが見てとれた。

「ご苦労。良い部屋じゃないか」

「いえ……陛下方には申し訳なく思います」と言いつつ、主人は実に言いにくそうにアインズを見上げた。「――あの、お支払いはどのように……。いえ、何かしらでお支払いいただけるとは分かっているのですが、いかんせん初めて聞く国名でして……」

 当然の疑問だろう。アインズはちらりとパンドラズ・アクターを見た。

「――ご安心ください。我が国の通貨はもちろんのこと、そちらの望む報酬をお出しいたします。食品、道具、魔道具、金、宝石、細工物。何がよろしいでしょう」

「た、助かります。そうしましたら……どうしようかな……」

 宿屋の主人はアインズ達の身なりをみて、ごくりと喉を鳴らした。上目遣いにパンドラズ・アクターの様子を伺いながら口を開く。

「さ、細工物でもよろしいでしょうか……?もちろん一宿と二食分と、明日の昼の弁当分ですので、こちらの感覚では銀板二枚なので、それに見合う程度で構いません。ですが、異国情緒と言いますか……ともかく、皆様素晴らしいものをお持ちなので」

 食事もしていくことが決定しているのかと思うが、里の外から来ている以上その対応も当然かもしれない。

 主人はごそごそとポケットをまさぐり、アイスの棒のような銀色の板を取り出した。

 

 パンドラズ・アクターはそれを受け取ると、フラミーへ振り返った。

「フラミー様、一度変身を解いてもよろしいでしょうか」

「えぇ。構わないですよ。お願いします」

 変身を命じたフラミーへの確認を欠かさず行ってから、パンドラズ・アクターは黄色い卵姿へ戻った。

「うわぁ……」

 それは廊下から聞こえた。そこにいたのは、ここまで連れてきてくれた青年だった。

 主人は「コスケ!お客様の部屋を覗く奴があるか」と言い、しっしと手を払った。

 

 気を取り直し、パンドラズ・アクターは銀板を受け取って鑑定を行った。

「――これ二枚分ですね。ん父上、少しばかり心付けをしても?」

「当然だ。飛び込みなうえ、話も聞かせてもらうのだ」

「は。では、良いものをとって参ります」

「行け。<転移門(ゲート)>」

 黒円が現れると、今度は主人と覗き見をしていた青年――コスケと二人で「うわぁ!?」と声を上げた。

 パンドラズ・アクターはすたすたとナザリックへ帰り、すぐさま戻った。

「最近ザイトルクワエ州で売られ始めた香炉です。父上、こちらの品でいかがでしょうか」

 アインズは受け取りもせずに軽くそれを確認して頷いた。

 香炉を見た感想はこうだ。

 

 良し悪しがよくわからない。

 

「――本来でしたら過ぎた品ですが、こちらの香炉を」

 宿屋の主人はごくりと生唾を飲み込んでそれを受け取った。壺には雲や鳥が彫られ、蓋の取っ手は眠る獅子が象られている。

 主人が蓋の獅子に触れようとすると、グルルルル、と喉を鳴らして蓋の上に座り直した。ふんっ、と鼻息を出し、獅子は再び目を閉じた。

「こ、こりゃ……魔法の調度品……!?過ぎた品にしても、すぎ過ぎてます!!」

 本国においても超一級品だ。神都中を探しても、これほどのものを持っている者はそうそういない。

 ウール換算するならば五百六十万ウールと言ったところか。

 ザイトルクワエ州では近頃、地の小人精霊(ノーム)魔現人(マーギロス)がこういう珍品を作っているらしい。

「ですが、身分を明かしたち――神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下が直々に下賜する物ですのであまり半端なものはお渡しできません」

「そ、そういうものですか……?」

「えぇ。御身は王という身分を持たれておりますが、その実創造神でいらっしゃるのでこのくら――」

「ンンッ。パンドラズ・アクターよ、そのくらいにしておけ」

「は」

 パンドラズ・アクターはここからが良いところなのに、とどことなくムクれて――顔は変わらないが――後方に着き直した。

「で、できる以上のおもてなしをさせていただきます。お食事も。あ、それにトラ吉じいさんのこともすぐに呼んで参りますので、陛下方はどうぞお寛ぎください。後ほど部屋に飾る花もご用意いたしますので!」

 主人は香炉を大切そうに胸に抱いて深々と頭を下げた。

「――お前も」と、コスケの頭をギュッと押し付け、二人は静かに外に出た。

 

「よいしょ」

 フラミーがベッドに腰掛けると、同時に、『急げー!!トラ吉じいさん呼んでこい!!』と大声が扉の外から響き、二人分の足音がドタドタと響いた。

 デミウルゴスは眉間を抑え、アルベドは呆れたようにため息をついた。




なんか素敵な香炉ですね〜〜。いいな〜〜。


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#154 不老不死の男

 外からは真っ赤な夕焼けがさしていた。

 くつろぐように言われた部屋のソファセットでアインズとフラミーがババ抜きに精を出している。

 真剣な眼差しで相手の手元を見るアインズ、カードを選ぶフラミー。

 その様子を、極めて至近距離で眺めるアルベド。

「……アルベド、少し近いんだが」

「はい!」

 はい!じゃない。

 アルベドの返事の声はまさしく恋する乙女。二人の瞳を覗き込むこんでは「くふふふ!」と幸せそうな笑い声をもらした。

 アインズもフラミーも、アルベドだって久しぶりの冒険だし気持ちが多少浮ついても仕方がない、となんとか割り切ろうとした。

「……アルベド、御身は事実を述べたのではなく、もう少し離れて欲しいという要求を口にされたんじゃないのかな」

 フラミーの後ろに立つデミウルゴスが頭痛を癒すようにメガネを外し、チーフで軽く拭く。魔法の眼鏡なので無論不要な行為だ。

 パンドラズ・アクターはアインズの後ろでじっと影のように過ごしていたが、部屋にノックが響くと動き出した。

 アインズは「すぐに開けてやれ」と言ってから再び威厳に満ち溢れた顔をし、パンドラズ・アクターが扉を開いた。

 フラミーはアインズからトランプを受け取り、無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまった。残りの枚数はフラミーの方が多かったので証拠隠滅だ。

 

「――どうぞ」

 

 好意的な表情をする小人間(ハーフマン)たちの顔があった。

 宿屋の主人、案内してきたコスケ、それから若い男。

「陛下、大変お待たせいたしました。こちらがうちのトラ吉じいさんです」

 じいさんと言われていたので、よぼよぼの男をイメージしていたが、案内してきたコスケと同じくらいの歳の男が部屋に入った。

 土に汚れたタオルでごしりと額を拭く。柔らかな弧を描く口元は見た目の年齢よりも深い落ち着きを感じさせた。

「こりゃ、どうもどうも。トラ吉です」

 物言いは老人くさかった。

「トラ吉、よく来たな。私のことは聞いているな?」

「えぇ、聞いとりますよ。まさか王陛下がこの宿に泊まる日が来るなんて思いもしませんで。何か足りないものはありませんかいね」

 その横では宿屋の主人とコスケが部屋に花を飾りつけたり、ベッドに花びらを撒いたり、枕元にワインとグラスを置いたり、本当にできる限りのことをやってくれていた。

「あぁ、十分だ。それで、早速だが雲の話と不老不死の体について聞かせてもらえるだろうか」

 

 老父――には少しも見えないが――は窓辺に立ち、森をその瞳いっぱいに写すと、ゆっくりと口を開いた。

 

「わしら小人間(ハーフマン)の寿命はおおよそ七十年……。あれはまだ、わしが二十五、わしの息子が生まれたばかりの頃のことですな……」

 

+

 

 トラ吉は土砂降りに見舞われていた。

 生まれた時から自在に亘ってきたはずの森で、その日トラ吉は生まれて初めて道に迷った。

 

「……こんなにたくさん採れたのに……」

 

 籠の背負子には溢れんばかりのキノコ、山菜、それから罠で獲れた雉が入れられていた。

 昨日初めての息子が生まれたこともあり、気持ちが浮わついていた。

 天の恵みか、あまりしょっちゅうは獲れない雉も罠にかかっていたし、今夜は雉鍋にして、頑張って子を産んだ妻に滋養のつくいいものを食べさせたかった。

 たくさん採れた山菜を背負って森を歩いていた時、ポツポツと雨が降り出したのだ。

 だから、一刻も早く家に帰ろうと一度も通ったことがない道に入った。

 そこでトラ吉は足を滑らせた。

 幸いかすり傷程度で済み、荷物も無事だった。

 

 だが、トラ吉は自分がどこにいるのか滅法わからなくなってしまった。

 

 少し歩けば知っているところに出るとあたりを歩いてしまったのが悪かったのかもしれない。土砂降りで辺りの見通しは通らず、ますます森の深みにはまっていった。

 見たことのない沢、見たことのない木。

「まいったな……」

 

 どうやら随分遠くまで来てしまった。

 トラ吉は沢から離れ、斜面に見つけた洞窟に身を寄せた。

「……雨が止めば帰れるはずだ……」

 今頃妻が心配しているだろう。

 妻と赤ん坊は訪ねてきてくれている両親が面倒を見てくれているので問題はないだろうが、余計な心労をかけたくはなかった。

 

 大きな溜息を吐き、膝を抱える。

 夜に落ちた森の中で、鉄砲水を運んでくるのではないかと思えるほどの土砂降り。

 闇が心細さを大きくさせる。

 

「――グルル」

 

 トラ吉はハッと息を呑んだ。

 洞窟の奥から聞こえた声は、決して近付いてはいけない獣の声。

 

 ゆっくりと籠の背負子をその身に寄せる。

 背負子を片方の肩にかけた、その時――洞窟の奥からゆらりと巨大な影が姿を見せ、ピシャリと雷が落ちた瞬間に全貌が明らかになった。

 ヒグマだ。

 

「っうわあ!!」

 

 トラ吉は一目散に洞窟を出た。

 走る、走る、走る。

 途中何度も足を滑らせながら、必死に走った。

 もはや雨の音で全てが聞こえなくなると、トラ吉は乳酸が溜まって重く成り果てた足を止めた。

「っはぁーっはあ!!こ、ここまでくれば――」

 振り返ったところには、自分の身長の何倍もあるヒグマがいた。

 

「こ――」

 

 クマが巨大な手を振りかぶり、トラ吉は思わず頭を抱えて小さくうずくまった。

 ドッと背に衝撃が走る。

 不幸中の幸いにも、背負子が片方の肩から抜けて茂みに吹き飛んだ。

 そして、背負子の中からは雉がだらりとこぼれ落ち、血の匂いがしたのか、熊はそちらへ向かった。

 トラ吉は熊が雉を口にした瞬間、再び逃げ仰た。

 

 全身泥まみれだが、全ては雨が洗い流してくれる。

 トラ吉は寒さに震えながら茂みを歩いた。

 何もかもを失った。

「……せめて、山菜だけでも……」

 そう思ってしまったのが全ての間違いだったのかもしれない。

 

 雉を食って、きっと熊はあの巣に帰っただろう。

 トラ吉は来た道を戻った。注意深く、近くに熊がいないことを確認する。

 最後の茂みをかき分けて見てみれば、トラ吉の背負子と山菜が落ちていた。

 背負子には爪で穴が空いてしまっているが、蔓を軽く編んで当ててやれば物はこぼれない程度だった。

 

「よ、良かった。良かった」

 

 早く妻に美味しいものを。

 トラ吉はその辺にある蔦を取り、雨の中籠を補修した。

 散らばったキノコと山菜を戻し、再び籠を背負って野宿できそうな場所を探しに行った。

 岩が斜めに切り立つところにそっと身を寄せ、震える体を抱いた。

「……これでいい。雉は残念だが、命あっての物種だ……」

 

 朝を迎える頃には雨も止み、トラ吉は安堵に息を吐いた。

 そして、ふと近くの茂みが揺れた。

 背負子を慌てて背負い、逃げ出す準備をすると、ぴょんっと一羽、うさぎが姿を現した。

「こ、これは行幸!」

 神はまだトラ吉を見放してはいなかったらしい。雉の代わりに今夜はうさぎだ。トラ吉はうさぎに向かって身を翻す。

 次の瞬間、トラ吉の世界は反転した。

 何が起こったのか咄嗟に分からなかった。

 だが、事態を脳が理解するよりも早くトラ吉の本能がその体を突き動かした。

 ――逃げろ。

 ――逃げろ!

 ――逃げろ!!

 痛みが理性を支配するより早く。

 

 だが、全ては遅かった。

 

 トラ吉の背に熱が籠る。

 痛みより熱だ。

 背中が焼けるように熱くなると、トラ吉は再び転び、泥を噛んだ。

 ザンッと巨大な足がトラ吉の前に現れる。

「……ひ」

 昨日のヒグマだった。

 トラ吉も森のそばに生きる者。熊に取られた物を取り返すというのは御法度だとわかっていた。

 だが、熊が手に入れたと認識したのは雉だけだと思ってしまったのだ。捨て置かれていた籠は、熊の物ではないと。

 

 しかし違った。

 熊は夜中トラ吉のそばを付け回し、探し、遂に今見つけ出したのだ。

 奪われた背負子を取り戻すため、熊は制裁を始めた。

 トラ吉は自らの内臓が背から引きずり出される感覚に、怯え、震え、泣き、叫んだ。

「だ、だ、だれかああー!!誰かぁあー!!」

 見たことのない景色だ。

 里は近くない。

 トラ吉の人生はそこで幕を閉じる。

 

 ――はずだった。

 

「<雷爆騎士槍(ショックランス)>!!」

 

 トラ吉の頭上で「ッゴギャ!!」と熊の声がし、熊は倒れ伏した。

 ずずん……と背後で大きな音が鳴る。

 トラ吉は涙を流しながら、口から血反吐を吐きながら、声の主を探した。

 だが、もはやトラ吉の目は見えていなかった。血を多く失いすぎた瞳は濁り切っていた。

 

「――大丈夫ですか!大丈夫ですか!!」

 声は聞こえた。トラ吉は全てが麻痺し始めた体で、なんとか頷いた。

「たす……け……。お……おととい……こどもが……う……うまれ……て……」

「こ、子供!?一昨日子供が産まれたんですか!?」

「う、うま……れた……」

「そんな……助けてあげたい……。な、なんとか!なんとかしますから!」

 来てくれた誰かは悲痛な声で叫んだ。

 なんて優しい人なんだろうとトラ吉は涙を流した。

 聞いたこともない魔法を操る強い人は、心根まで強いのだと。

 トラ吉の意識が遠くなりそうになる中、もう一人、誰かの声がした。

 

「諦めた方がいい。僕達は回復魔法を持たない。それに、この状態じゃあポーションももはや届かない。無駄遣いはやめるんだ」

 

「そ、そんな。でも、でも諦められないよ!!今仲間を呼んでくるから!!仲間には大神官もいる!!大丈夫、絶対に治るから!!」

「リク、落ち着くんだ。向こうに呼びに行ったら、戻る頃には夕方だ。その頃には死んでいる」

「っ……そんな薄情な言い方、することないじゃないか!!彼には産まれたばかりの子供だっているんだぞ!!」

「……わかっている。僕だって別に助けたくないわけじゃない。だけど、僕達では力が及ばない」

 

 トラ吉はこの二人の言葉の意味を正確に理解していた。

 

 もう、助からない。

 

 もう一度でいいから我が子を抱いてやれば良かった。

 生まれて早々に父親を亡くす、あの不憫な子にもっと多くの物を残してやれば良かった。

 

「……さ……ね……。ごめ……ごめ……」

 

 産湯の中で心地良さそうに吐いた甘い香りが忘れられない。

「……君は小人間(ハーフマン)だね。ここから一番近い小人間(ハーフマン)の里に、せめてこれを届けることを約束しよう」

 何かが持ち上げられた音がした。

 トラ吉にはもはやそれが何なのかは分からない。

 

「――だが、君自身の遺体を運ぶことはできない。その熊は雌だ。胸に乳を吸われたあとがある。万が一子熊が君についた母熊の血の匂いを嗅いで復讐のために里に降りれば無駄な殺生を生む。悪いが、ここで朽ちてくれ」

 そして、ひとつの足音が遠ざかっていく。

 ザク、ザク、ザク、とどんどん音が小さくなっていく。

 あぁ、せめて自分が死んだことを告げて貰えるならば、さね(・・)は自分を探すと森へ出るようなことはないかもしれない。

「……う……。が……とう……」

 言葉にならない言葉を紡いで礼を言う。

 もはや届きもしていないだろう。

 

「……諦めないで」

 ふと、耳元で声がした。

 

「……これを置いていくから。もしかしたら、うまくいくかもしれない……」

 優しい人の声がする。

「……どうか、諦めないで……。雲が出たら、食べるんだよ……。そうしたらきっと……きっと助かるから……」

 

 トラ吉の体は霧に包まれた。

「く……も……?」

 足音が遠ざかっていく。

 意味を聞くこともできず、トラ吉は泥の上に転がったまますごした。

 痛みすら遠ざかり、音も聞こえなくなる頃、ふと口元にヒヤリとした何かが触れたのを感じた。

 雲が出たら食べるのだとあの人は言った。

 これがもし雲なら。

 トラ吉はなんとか口を開け、大きく息を吸い込んだ。喉の中に何かが張り付き、数度咳込み、痛みが背を、腹を走る。

 噛み応えのないものを必死に噛み、飲み込む。

 

 トラ吉の意識はなくなった。

 

 そこからトラ吉が再び目を覚ました時には深い霧の夕暮れだった。

 ブンブンと蝿の羽音が当たりを満たす。

 起き上がったトラ吉は自分の体のどこにも痛みがないことに目を見開いた。傷すら無くなっている。

「……同じ場所に見えるが……天国か……?」

 が、振り返れば大量のウジの卵と蝿のわく熊の死骸。

 先ほどの優しい人が大神官を呼びに行って助けてくれたのだろうか。それか、あの人がそうするようにと言ってくれたように、本当に雲を食べられたのだろうか。

 思考を巡らせようとしたが、トラ吉はハッと辺りを見渡した。

 

 先ほどの誰かが言った「万が一子熊が君についた母熊の血の匂いを嗅いで復讐のために里に降りれば無駄な殺生を生む」と言う言葉に背筋が凍りつく。

 一体何故自分が助かったのか、一体何故傷が塞がっているのか、全ては謎だ。

 だが、考えるよりも早くこの熊の死体から離れたほうがいい。

 

 トラ吉は来た道は決して通らなかった。

 無我夢中で森を進み、沢を見つければ濁流の沢のそばを歩いた。

 沢はいつか海に繋がる。海に出ればいつかは里のそばに行けるはず。

 いつしか沢が豪雨の影響の濁流を落ち着かせ、さらさらと流れるようになる頃には沢の中を歩いた。

 沢の中を歩けば熊が匂いを追うことも難しくなるはずだ。

 

 夜がくれば沢から上がり、夜が明ければまた沢の中を進んだ。

 時に泳ぎ、時に流され、時に魚を取り、必死になって進んだ。

 そうして、何日もかけてトラ吉は里に帰り着いた。

 当時の里はまだ狼人(ライカンスロープ)がこの辺に暮らしていなかったこともあり、杭も塀も打たれていなかった。

 森から出てきたトラ吉を見た者達はアンデッドでも見たような顔をして悲鳴をあげた。

 

 だが、誤解もすぐに解け、トラ吉は家に帰った。

 痩せてしまったさねは泣いて喜び、子のあつ(・・)はトラ吉が出かけた日よりも少し太っていた。

 腹一杯飯を食い、全てが落ち着いた頃。

 

「――あんたが熊に腹と背を裂かれているのを見たって。旅の二人組があれを。銀色の鎧の人と、若い人間だったよ」

 さねがそう言うと、トラ吉の母親があの日トラ吉が直した背負子を引っ張り寄せた。

「とんだ親不孝もんだと思ったよ……。さねさんにも心配かけて……。皆どれだけ悲しんだか……」

 トラ吉は目元を拭い、皆に詫びた。

「すまなかった……。ただ、さねに良いもん食わしてやりたくて……」

「無事に戻ったんならそれでえぇ」

 しんみりとすると、トラ吉はハッとした。

「そ、それで、旅のお方達にお礼は」

「そりゃしたよ。旅の途中で食べるもんをたんまりとね。あんたが取ってきてくれたもんも、半分はやったさ」

「そ……そうか……!良かった……良かった……。俺は間違いなくあの人たちに助けられたんだ……」

 

 トラ吉は旅の二人を探しに森の中に何度となく出たが、その後決して旅の二人に会うことはなかった。そして、トラ吉が倒れたあの場所も、必死だったこともあって二度と見つけられなかった。

 

 それから幾年月を重ね、子のあつが二十歳になる頃。

 さねが呟いた。

 

「あんたが生きて帰ってきてくれたのは何よりも嬉しかった……。だけど……不気味でしょうがないんだよ……」

 

 そういうさねはすっかり老いた。無論、人間種たちから見れば子供のようなのだろうが。

「……悪いな」

 トラ吉は素直に謝った。トラ吉の顔にはあの日以来、シワひとつ、シミひとつ増えていない。

 子のあつと並んで歩けば兄弟だと思われるほどに、トラ吉は若かった。

 

 それからまた更に月日を重ねた。

 あつは嫁をもらった。

 可愛らしい孫娘と孫息子が生まれた。

 しばらく経つと、さねは先に逝ってしまった。

「あんたが皆を見守ってくれると思うと、私は安心して逝けますよ。あの日、不気味だなんて言ってすみませんでした。ただ、あんたを置いて自分ばかりが歳をとって不安だった。ずっと謝りたかったの。どうかいつまでも皆を見守ってくださいな」

 その言葉は今でも忘れられない。

 

 そして、孫娘は嫁に行き、孫息子は嫁を取った。

 三十の頃には二人とも子を成し、それから十年の時が過ぎると愛し子のあつも逝ってしまった。

「お父さん、どうかあの二人と、ひ孫たちを頼みます」

 あつの言葉も忘れられなかった。

 

 さらに十五年の時がすぎ、最初のひ孫が二十五になる頃、またひ孫は嫁を取って玄孫を持った。

 ひ孫は三人、玄孫は六人。共に住まない者も含めて、トラ吉はたくさんの家族を得た。

 

 その頃、里のそばに見慣れぬ獣が出るようになった。

 玄孫の一人のタエは森に遊びに行ったきり帰ってこなかった。

 また違う玄孫のナツは、夜闇に紛れて何者かに攫われた。

 それが狼人(ライカンスロープ)という種族によるものだと知った時、トラ吉は皆を集めてこの里を杭で囲み、野蛮な者が自由に行き来できないようにした。

 

 そして、同じ頃。里の中には不思議な話をする者が現れていた。

「――霧が雲みたいになったんだ。ふよふよと浮いていて、おかしいな、おかしいなと思ったんだがね。昔トラ吉じいさんが不思議な雲を吸い込んで生きて帰ってきたって話をしてくれたのを思い出したんだよ。俺は必死になって雲を掴んだ。そう、掴めたんだ!!そんで、食ってやった!!」

 

 あれから実に百数年が経っていた。妻を見送り、子を見送り、孫達を見送り、ひ孫達は玄孫達を儲けた。

 今になって、あの日の雲に再びまみえるとは。

 もしかしたら、あの時の旅人達は長命の種族で、また近くまで来たのかもしれない。

 トラ吉は雲を食った者について行き、また森に入った。

 だが、霧はとうに晴れ、雲はどこにもなかった。もちろん、旅人の姿もなかった。

 

 雲を食った者はトラ吉と同じように歳をとることはなくなった。それがはっきりと確信に変わったのはそれから二十年余りが経つ頃だ。

 その男は確かに歳を重ねていなかった。

 

 その頃には、玄孫は大人になってまた子を儲けた。

 それからまた二十年が経つと、ひ孫は皆天寿を全うし、口々に「トラ吉じいさん、うちの血族を頼みます」と笑って逝ってしまった。

 

 トラ吉はまた幾年を生きた。

 そのうち、村には霧からできた雲を食べた者が何人も出た。

 霧は待ってもなかなか出ないが、ふと森に狩りや採集に行くと立ち込めた。雲を見つけた者は必ず雲を取って食べた。

 

 皆が「今の姿のまま不老不死になっていいのか、絶対にその時になったら迷う!だから、里のために見つけたら必ず食べると約束しよう!それが里を栄えさせる方法だ!」と約束したのだ。

 

 そうして、この里には幾人もの不老不死者が生まれた。

 

+

 

「どうだい。奇妙な話だろう」

 トラ吉が笑う。

 アインズは今の話をじっと自分の中で反芻した。

 そして、確信に近いものがその中に生まれる。

「……まぁ、そうだな。一つ聞きたいのだが、お前は今何歳になるんだ」

「二百二十……何歳かになります。そっちの宿を任せているのはわしの玄孫の孫、コスケは玄孫のひ孫に当たりますな」

 想像よりも多くの代替わりがあったらしい。

 アインズにそれだけの愛する子供達との別れに耐えられるだろうか。

 恐らく無理だ。友人達との別れでさえ耐え難いと言うのに、それが我が子達ともなれば、終いには気が狂ってしまう。

「辛かっただろう……」

「…‥辛くなかったとは言えませんな。だけども、次から次へと愛子達が生まれてくるんじゃ。皆を愛していれば、痛みもじきに治りましょう」

「そういうものか……」

 トラ吉は幸せそうに笑った。

 

 アインズはひっかかりを感じながら、ふーむと唸った。

「フラミーさん、この話どう思いました……?」

「……トラ吉さんの話を聞くまでは不老不死の雲なんて怪しいって思ってたんですけど……これは……」

「……ですよね……」

 二人は頷き合った。

「……トラ吉、私達はお前を救った旅人のうちの一人を知っているかもしれない」

「な、なんですと」

「恐らくお前に朽ちることを勧めた者は銀色の鎧の方だ。そして、お前を救ったのは若い人間。リクの方だ」

 トラ吉と、主人、コスケがごくりと唾を飲んだ。

「会いたいか」

 トラ吉は慌てて何度も頷いた。

「あ、会いたい。会って礼を言いたい!!あの日からわしの人生は全て変わった!!会わせてくれ!!」

 王に対する口の利き方ではない。

 だが、トラ吉にとっては外聞も何も全てを捨てて飛び掛かりたい話だった。

 

「……良いだろう。だが、お前はその代価に何を支払う」

 言葉は悪魔そのもの。だが、何故か優しく聞こえる声だった。

 そのせいもあるのか、トラ吉は一瞬の迷いもなく跪いた。

 

「――この命すら!!」

 

「良かろう。不老不死の命、この私が預からせていただく。<転移門(ゲート)>」

 

 アインズは闇を呼び出し、闇の中へ消えた。

 

 戻った時、その背には輝くような銀色の鎧を引き連れていた。





とら吉さん、本物の不老不死ですやん!
って言うか十三英雄なにやっとんねん

次回#155 望まぬ望み
うわぁ!予告書いたの久しぶりぃ!明日です!!


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#155 望まぬ望み

  ツアーは銀色の鎧の背に籠の背負子をおぶって歩く。

 里がどこにあるかはまるで分からない。

 

「……仕方がないか」

 

 約束は約束だ。

 祈ってきたのか、ツアーの後をリクが小走りでやってきた。

「諦めがついたかい」

「……うん、まぁ」

 リクは目を逸らした。どうも諦めがついたようではない。

 流石に遺体すら持って帰らないと言うのは、人間種には酷に聞こえただろうか。

 ツアーはいくらか悩んでから言葉を紡いだ。

「あれだけの出血だ。あそこで熊の死骸と共に倒れていれば、何かしらの野獣に食べられてアンデッド化することもないと思うよ。僕たちができることはしてやっているんだ。そう落ち込むことはない」

「……ありがとう」

 リクが頷く。これ以上の言葉をツアーは知らない。

(脆弱な精神だ……。気を付けなければリクもどうなるか分からない……)

 この男くらい鎧のままでも十分に倒せるが、ツアーはそうならないことを祈った。

 

 彼はツアーの友だった。

 

「リク、人里を探すから少しこれを持っていてくれるかな」

 ツアーは頷くリクに籠を渡し、そっと地面に手をついた。

 竜の身の瞳を閉じる。

 

 草のざわめき。

 通り過ぎる鹿の足音。

 蝶の羽ばたき。

 流れる雲と、照りつける太陽。

 身を寄せ合う鳥。

 

 竜の繊細な感覚を、始原の魔法によって鎧に全て乗せる。

 

 景色は広がる。

 ツアーは多くの足音が集合する場所を感じた。

 

「――こっちかな」

 

 リクから籠を受け取り、ツアーは歩き出した。持たせておきたいが、ツアーからは信じられないほどに彼は体力がない。力もない。

「す、すごいなぁ。いつもツアーはどう言う魔法を使ってるの?」

「……さてね。僕は生まれついて感覚が敏感なんだよ」

「そうかぁ……。もしかして生まれ持った異能(タレント)……?インベルンちゃんみたいな……」

「それは違うと言っておくよ」

「ん……」

 二人はもくもくと歩いた。

 リクはチラチラとツアーを見ては振り返った。

 

「後からあの男が来ることを期待しているのかい」

「え、あ。い、いや。そう言うわけじゃ」

 ツアーは嘘の匂いを感じた。リクは完全にあの男が後を追ってくることを期待している。

「……期待してもあの男が来ることはない。あれは致命傷だった」

 リクは押し黙り、何も言わなかった。

 二人はその後ずいぶん歩いた。

 そして、獣道が道に変わり、夕暮れが訪れる頃にようやく里を見つけた。

「ここがあの男の里だと良いけどね」

「……ダメで元々だよ。行ってみよう」

 どんどん近づいて行くと、井戸に水を汲みにきていた女が二人に気がついた。

 

「あれぇ。人間かい?珍しいねぇ」

「……はい。実は、森の中で男の人が倒れているのを見まして……これを届けにきました」

 リクが言うと、ツアーは背負子を見せた。

 

「若い男だったよ。一昨日子供が生まれたと言っていた。心当たりはあるかな」

「一昨日子供が……」女はつぶやくとハッとし、屋根の上から様子を伺っていた男を呼んだ。「――あ、あんた!!あんた!!さねの所の旦那!!昨日の土砂降りから帰ってないって言ってたね!?」

 

 ハシゴを使って屋根から男が降りてくる。男は屋根を直しているところだったのか、口には釘、手には槌が握られていた。

 男は駆け寄りツアーとリクを見た。

「あ、あんたらさねの旦那――トラ吉にあったんか!」

「名は知らない。だけど、一昨日子供が生まれたとだけ聞いたよ」

「トラ吉に違いねぇ!それで、それでトラ吉は!」

「熊に襲われて、瀕死の傷を受けていた。僕たちでは治せなかった」

 ツアーが事実だけを申し述べると、男と女は悲痛な顔をして拳を握りしめた。

「……そうか……。いや、とにかくさねの下へ案内しよう。こっちだ。ついて来てくれ」

 

 ツアーはもう籠を渡して仲間達と合流したかったが、リクは断る気など毛頭ないようで、男の後を追った。

「……やれやれ」

 

 見窄らしい家の前に着く。いや、どの家も見窄らしいので、この家だけが特筆するほどに見窄らしいわけではないが。

 

「さね!おさね!!誰かいるか!!」

 

 男がドンドンドン、と戸を叩くと、すぐに引き戸が開けられた。

「トラ吉が戻ったかい!!」

 出て来たのはある程度老いた女だった。

「あぁ、いとさん!この人らが、その……トラ吉の……その……」

 男は言い淀み、悩んだ末にそっと道を開けた。

 ツアーがものを言うよりも早く、リクが口を開いた。

 

「……ここより南西に数キロ行った先で……一昨日赤ん坊が生まれたと言う男性に会いました」

「そ、そうかい!それで、トラ吉はどうしたんだい!全くさねさんに心配ばっかりかけよって」

 部屋の奥から赤ん坊の泣き声が聞こえる。リクは帽子を脱ぐと、ギュッと目を閉じた。

「……トラ吉さんは……熊に襲われていました……。それで、僕たちはこれを預かって……」

 老婆は目を見開き、傷ついた籠を震える手で受け取った。

 

「そ、そんな……この肩ベルトは……わしが縫ったもんで違いない……。じゃあ……トラ吉は……倅は……」

 リクは帽子を握りしめて俯いたまま何も言わなかった。代わりにツアーが口を開いた。

「腹と背が裂かれる深い傷を負っていた。見つけた時にはもう目も見えていないほどだった。僕たちは回復魔法を持っていないから、治してやることはできなかった。男を襲っていた熊はこの者が葬ったが、男は熊の血をずいぶん浴びてしまっていた。熊は子持ちのようだったから、里に子熊が降りてこないように遺体は持ち帰らなかったよ。子熊が来なくても、あれだけの出血を滴らせて帰って来て、人里まで肉食の獣が付いてくることは避けたかった」

 これ以上の余計なトラブルは御免だ。

 

 ドサりと玄関の向こうで音がする。

 赤ん坊を抱えた女がへたり込んでいた。

「そん……な……トラ吉……」

「あの……トラ吉さんは、すごくお子さんのことを思っていたようでした……」

 赤ん坊を抱えた女は一言も返さなかった。

 そして、赤ん坊が泣き出しても女は動かなかった。

「……それじゃあ、僕たちはこれで」

 赤ん坊の泣き声に耐えかねたのか、リクが頭を下げて立ち去ろうとする。ツアーもすぐに踵を返した。

 そして老婆が我に帰った。

「――あ、た、旅のお方達。待ちなされ」

 二人が足を止めると、老婆は山菜やキノコがいっぱいに入った籠を手に、ぽつりぽつりと言葉を紡いだ。

「……息子の最後を報せてくれて助かったよ……。礼を言わせてほしい、ありがとう……」

「そんな……僕たちは何も……」

「何もしてないこたぁない……。生きてると思って帰りを待つ辛さは想像を絶する……。可哀想な寂しい最期だったかもしれんが、それでもあの子の最期を知ることができて良かった……。うるさい所だけれど、良かったら食事でもしていかれよ……」

 リクは悩んだようだったが、被りを振った。

「いえ……仲間達が待っているんで、僕たちはもう行きます」

 こんな時、断るような彼だっただろうか。

 ツアーは少しの違和感を覚えたが、深入りすれば傷が増えるだけかとその背を押した。

「行こう」

「うん」

 二人歩き出そうとすると、老婆は慌ててリクの手を取った。

「ま、待っとくれ。せめて、せめて旅の道中で食べられるもんを受け取ってはくれんか!」

「……それなら……」

 リクが頷くと、老婆は一生懸命に食うものを集め、リクに渡してくれた。

 その間も、母親に抱かれた赤ん坊は泣き続けていた。

 

+

 

 ツアーは小人間(ハーフマン)の男を見下ろした。

「……確かに間違いないようだね」

 アインズに呼ばれて来たところは、二百年前に訪れたところで間違いなかった。この先の国も、その頃に身分を手に入れた。アインズは着実にあの国に近付いているようだ。

 

「やはりな。では、リクと言うのは十三英雄のうちの誰かか」

 アインズの問いにツアーは頷いた。

「あぁ。リーダーのことだね。まさかあの時、そんな事をしていたとは思いもしなかったよ」

 ツアーの声にはどこか怒りが滲んでいた。

 世界の守護者を前に、よくもぬけぬけとユグドラシルの異物を渡したものだ。そう思っているのかもしれない。

 もしくは、そうする事を相談して欲しかったと思っているのか。

 

 トラ吉はツアーを見上げて震えながら近付いた。

「そ、その声……間違いない……!あんたが……あんたがあの時わしを助けてくれた……」

「厳密には僕は助けていないけれどね。結果的に君は生きていたけれど、僕は死体も打ち捨てていったはずだったから」

 そばにいるコスケと宿屋の主人はツアーをじっと見つめていた。

「……あの時の連れの人間は、まだ生きているのかい……?」

 ツアーは残念そうに首を振った。

「彼はもうこの世にはいない。若くしてこの世を去ってしまった」

 アインズはその話を、昔海上都市のル・リエーに行く時に聞かされた事を思い出した。当時、復活を拒否した話を聞いて理解不能だった。――もちろん、今でも理解不能だ。

「……そんな……」

 トラ吉が放心すると、宿屋の主人とコスケがその背を撫でた。

 そして、トラ吉は二人の手をそっと放させた。

 

「……ヨイチ、コスケ。二人は少し、席を外しちゃくれんかね」

 二人は目を見合わせたが、積もる話もあるだろうとすぐに頷いた。

「わかった。終わったらまた呼んでくれ。陛下方も、トラ吉じいさんの悲願を叶えてくれてありがとうございます。それでは、失礼いたします」

 宿屋の主人とコスケが出て行くと、トラ吉はツアーの足元に頭を擦り付けた。

 

「ど、どうか……どうか旅の人……。わしを、わしを元の体に戻してください……!」

 ツアーはそれを見下ろし、珍しく鎧の姿でため息を吐いた。実際に息を吐いたのは竜の身だっただろうが、鎧から声として漏れるほどだった。

「はぁ……。僕は不死の呪いを解く術を持たない。君たちのような短い寿命を持つ生き物にとって、二百年余りの時は地獄のようだっただろう」

「……数えきれない子供達を看取って来ました……。生まれてくる子供達を抱きしめることは確かに幸せです……。ですが、いつかその子供達すらわしを置いて行ってしまう……。わしは……わしは……」

 トラ吉はツアーの足元に頭を擦り付けたまま啜り泣いた。

 

 その姿を見たアインズはやはり先ほどの別れの痛みも治まると言うのは子供達を前にした方便だったかと遠い目をした。

 

「さねよぉ……あつよぉ……。みちぃ……かんたぁ……。かえ……ひろ……むつ……よき……そうきち……ささめ……すぐる……りょうき……とえ……いろ……こち……みち……」

 トラ吉はいつまでもいつまでも子供達の名前を呼んだ。

 

 そして、涙も枯れると、その視線はするりと動き――ツアーの腰へ向かって手を伸ばした。

 スルリと音を立てて剣が抜かれる。小さな体で剣を振りかぶり、キンッと音を立て、剣の切っ先はツアーの人差し指に止められた。

「何の真似かな」

「許せねぇ…‥許せねぇ……!俺は確かにあの時助かりたかった……!!だけど、生き物をやめるつもりなんかなかったんだ!!俺たち生き物は、限りある命だから今を懸命に生きられたんだ……!!誰かと共に生き、誰かと共に老い、朽ちる……!それだけが望みなのに……こんなの……こんなのぉ……!!」

「……ただただ哀れに思うよ。僕は君のような歪みを産まないためにも尽力して来た。だけど、あの日確かに僕は不注意だった。彼の様子がいつもと違う事を理解していながら、それが脆弱な精神故だと切り捨ててしまった。悪かったね」

 ツアーの謝罪は対して心がこもったものには聞こえなかった。

 トラ吉は剣を落とし、わんわん泣いた。

 がらんがらんがらん、と剣が音を立てる。ツアーはそれをそっと拾い、トラ吉の首筋に当てた。

 

「今ここで君の命を奪おうか」

 トラ吉はぐしぐしと目元を拭いながら首を振った。

「それはできねぇ……。子供達に子供達を任されたのに、自害なんて……!残った子供達も、自分を責めるに違いねぇ……!俺は老衰か、病死したいだけなんだ……!」

「……不幸なことだ」

「他の雲を食べた連中はまだ若い……。俺の域まで来てしまったやつはまだいない……。中には、足を滑らせて死んじまったやつもいるが……。あぁ……ただ老いたいだけなのに……!!全部があの日の状態に、目にも止まらない速さで戻っていくんだ……!この先も、何人も子供を看取って、新しい伴侶も持てず、そうやって俺はたった一人生き続けるっきゃない……!俺は子供達や友人、仲間に残されていく先のことを思うと、気が狂いそうになる!!」

「置いていかれるというのがどれだけ痛みを伴う事か、僕も理解しているつもりだよ。置いていかれた事で狂った者たちを幾度となく見て来た。――ユグドラシルの力というのは、そういうものだ。望んでだろうと、望まずであろうと、その力に触れればこの世界の均衡からは外れる。君はもう、激しい痛みを伴う死か、永遠の生か、どちらかを選ぶしかない。どうにもならない」

 

 ツアーは事実しか言わなかった。

 トラ吉はますます泣いた。

 

「トラ吉よ。お前の命は私へ預けられたはずだ。お前は首を刎ねられることは望んでいないようだが、それにしても勝手にツアーに命を差し出すような真似は困る」

 アインズが告げると、肩を落としたトラ吉は鼻を啜って頷いた。

「はい……陛下……」

「お前には、明日もう一度雲を食べた場所を探してもらう。いいな」

「……でも、一度も見つからなくて……」

「ツアーもいれば見つかるだろう。お前に断る権利はない。明日夜明け前に出発する。今日はもう休め」

「……はい」

 

 トラ吉は背を向けると、とぼとぼと扉へ向かった。

 そして、扉を開けると、「わ!トラ吉じいさんずいぶん泣いたんだな!?」と亭主の声がした。

 トラ吉の目はそれほどまでに腫れて赤くなっていたから。

「あぁ……感動しちまったよ。二百年ぶりに会えたんだからな……。あの日の礼もようやく言えた。本当に良かったよ」

 トラ吉は爽やかに笑って扉を閉めた。これが年の功なのかもしれない。

 

「やれやれ。参ったね」ツアーは鎧の腕を組んでから続けた。「それで、アインズ。君は明日何をどうしようって言うんだい」

「感謝しろ。私達はリクのやったことの尻拭いをしてやろうと思っているんだ」

「つまり、リクがあの日置いていったと思われるものを探す。そう言うことかい」

 アインズは頷き、自らの手の平を見つめた。

「……私も置いていかれる事への恐怖が常に付き纏っている。アルメリアは種族から考えて、ある程度のところに達したらそれ以上は老いることも死ぬこともないだろう。だが、ナインズは私たちを置いて先にここを離れてしまうかもしれない。その時、私はおそらく耐えられない」

「そうだろうね……」

「ユグドラシルのアイテムでそれが叶うなら何よりだ。不確かな始原の魔法よりも安心して使うことができる。だから、明日私達はリクの置き土産を探しに行こうと思う。手伝ってくれるな」

「……僕の蒔いた種でもある。もちろん一緒に行くよ」

 

 ツアーはこの世界に散らばると思われるユグドラシルのアイテムたちのことを思うと気が遠くなるようだった。




あぁあ。十三英雄やっちゃった。あーぁあ。

次回#156 お気遣いなく
明日でっせぇ!!毎日更新なんて懐かしいなあ!!


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#156 お気遣いなく

 黎明。

 マチとナオは今日も大きな背負子を持っていた。

 中には宿屋が用意してくれた弁当とおやつだけが入っている。

「王様達まだかね」

「すぐ来るだろ」

 二人はぷかぷかとタバコをふかした。虫除けのタバコなので、美味しかったりするわけではない。

 

 体に虫除けの匂いがしっかりとつく頃、待ち人はきた。

 

「待たせたな」

 今日の王は昨日会った時よりも一層威厳に満ち溢れていて、昨日はこちらを萎縮させないための演技をしていたのだろうと思えた。

 この姿こそ、支配者としての姿を見せたこの王の真の姿なのだろう。

 銀河の煌めきを宿したローブ、腰に下げられている見たこともないような王笏、歩くたびに靡くマント。

 お互い男だと言うのに、思わず見惚れて「おぉ……」と感嘆が漏れる。

「どうかしました?」

 そう聞く王妃も、妖精が編んだようなレースを身に纏い、もし落としでもすれば取り返しがつかないような宝石の埋め込まれたティアラを着けていた。

 

 手ぶらで森の中を歩いていたように見えたが、どうやらお付きの者達はこれでもかと言うほどに働いていたらしい。

 

 二人に視線を吸い込まれ数秒。

 

「んん、ご挨拶を」

 アルベドに促され、二人は弾かれたように腰を曲げた。正式な挨拶の方法など田舎の里育ちが知るはずもない。

「お、おはようございます!王様!王妃様!」

「おはようございます!!み、見惚れちまってました!!」

「……まぁ、いいでしょう」

 及第点をもらえたことにホッと一息つく。

「うむ」「おはようございまーす」とそれぞれ支配者が返事をする。

 

 そこでようやく、昨日よりもお供がずっと多いことに気が付いた。

 王達は昨日とメンバーが違った。

 銀色の鎧、小人間(ハーフマン)が増えていた。

 察したデミウルゴスがそっと、マチとナオが知らない二人を紹介した。

「こちら、本日の雲探しに同行するツアーと、最初の不老不死の男、トラ吉です」

 ツアーと紹介された全身鎧の男は、組んだ腕をそのままに二本の指を上げることだけで応えた。

 トラ吉は爽やかな笑顔で頭を下げた。

「よろしく。わしゃトラ吉だよ」

「ト、トラ吉さん!もう何百年も生きてるって聞きましたよ!」

「あぁ、わしは二百年を超えて生きとる。おんしらも不老不死になりたいのかい」

「いえ、俺たちはうちの親父に食べさせてやろうと思って。めっきり老いちまって、近頃は病に伏せてんだ」

「そうかい。じゃあ、早く食わしてやりたいな」

「あぁ!今日こそ見つけてみせる!!」

 マチとナオが意気込むと、トラ吉は嬉しそうに目を細めた。

 

「…‥道連れか」

 

 王がふと呟いたような気がした。

 だが、そんな言葉をいう意味が分からない。

 旅は道連れ世は情けの聞き間違えかと二人は気を取り直した。

 

「それで、どうやって探します?アインズさん」

「そうですね。俺はまず、ツアーとトラ吉の記憶を辿ってアイテムが置き去りにされたところに行くのがいい気がします」

 アインズが二人へ振り返る。

 フラミーは「ふむふむ」と応え、しばし思考した。

「……<物体発見(ロケート・オブジェクト)>はやっぱり厳しいですよねぇ」

「厳しいと思います。目星がついていたとしても……具体的にどんなものか分からないですし……」

「ですよねぇ」

 フラミーは苦笑した。

 具体的でなくても物を発見できれば、「この世で一番大きな金塊を探す」や「神の杖を探す」など無制限の探索ができてしまう。

 

「謎のアイテム探し、腕がなりますよね」

 アインズは組んだ手をうんと伸ばして爽快に笑った。

「じゃあ、まずはツアーさんとトラ吉さんの記憶に頼ってみましょっか!」

「そうしましょう!」

 

 一行は門を潜って出た。

 やはりむんと来るような濃い緑の香りに包まれる。足元には朝霧がぼんやりと出ていた。

 

「わしは向こうの崖の方から帰ってきたんだが……沢を越えたり、流されたり、何日もかかったせいで正確な道案内は難しい……。記憶が新しいうちにいってみようとした時も、結局辿り着くことはなかった。一応方角はこっちだと思うが……何せ二百年を超えておる」

 

 トラ吉が遠い目をする中、アインズはツアーへ振り返った。

 

「どうだ。お前は正確にわかるか」

「残念ながら細部までは覚えていないね。だけど、トラ吉が言うように方角は向こうだろう。道はないけど、まっすぐ進んでみよう。近付けば僕も思い出すかもしれない」

 続いて、マチとナオへ確認する。

「お前達は向こうの方角には進んだか?」

 二人は軽く頷いてみせた。

「少しは行ったけど、特に何も。昨日も一昨日も、その前も、霧が出やすそうな雰囲気のところで待ちぼうけてみたりですわ。それより、霧と雲は何かのマジックアイテムによるもんなんすか?」

「あぁ。その通りだ。最初にそのアイテムと接触したのがトラ吉だ。そして、それを最後にアイテムは姿を消している。が、確かにアイテムはどこかに存在して未だに霧を吐き出すことがあるようだ」

 

「な、なるほど……」

「そんな神がかり的なマジックアイテムがあるなんて……」

 

「うむ。そう言うわけで、いくらかアイテム探しの方法を考えながら向かうつもりでいる。アイテムらしきものが見つかったらそれぞれ申告するように。そして、即座にパンドラズ・アクターにアイテムを見せること。私やフラミーさんでも<道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)>と言う鑑定魔法は使えるが、何せパンドラズ・アクターはその道の専門家だ」

 忍者姿のパンドラズ・アクターが頭を下げる。とてもマジックアイテムの専門家には見えないが、王がそう言うならそうなのだろうと二人は納得した。

 

 全員が了承を示すと、一行はいざ森へ進んだ。

 足元を蛇が横切ったり、遠くから鹿が様子を伺ったりしていた。

 ツアーは度々立ち止まって辺りを見渡した後また歩き出した。

始原の魔法(あれ)さえあれば早いんだけどね……」とアインズに聞こえよがしに一度言ったりもした。

 

「……トラ吉がせめてアイテムを見ていればな……」

「ほんとですねぇ。そしたら、記憶を覗いて確認できたのに。ちなみに、アインズさんは元あった場所にまだあると思います?」

 フラミーが尋ねると、アインズは静かに首を振った。

 足元を横切る蟻の行列を無意識に跨ぐ。無意識に踏み潰した者も二名いたが。

「正直、期待はしてないんですよね」

「まぁ……そうですよねぇ」

 獣が持って行ったり、嵐や風で飛ばされたり、地震で転がって行ったり、物が動く要因は無数にある。

 崖に行き当たるとツアーと小人間(ハーフマン)達が同時に足を止めた。

 フラミー、アルベド、デミウルゴスは当たり前のように自前の翼で飛び上がっていた。デミウルゴスの背からはいつの間にか皮膜を持つ羽が出ていた。

「<全体飛行(マス・フライ)>」

 アインズが魔法を発動させ、全員を飛行状態にする。

 

「お、おぉ……!」

「こ、こりゃ……長い人生で初めてじゃ」

 マチとトラ吉が素直な感動を口にする。

「王様は本当に人間なんですか?こんな魔法、森妖精(エルフ)達だって使えやしないように思います」

 ナオの言葉に、崖の上に降り立ったアインズは悩みなく答える。

「私は人間だ」

 

 ツアーはその言葉を聞くと一瞬肩を上げ、また下げた。

 何を言いたいのかはアインズにはよくわかっている。

 

 ――君たちみたいな者達を、この世界では神、乃至は創造主と呼ぶんだよ。

 

 言われずとももう聞き飽きた。

 

 一行は再び森を進んだ。先頭をトラ吉、ツアーが行き、その後をマチとナオが続く。

 

「見つからなかったらどうします?」

 フラミーの問いに、アインズは指を一本持ち上げた。

「ナザリックに保管してあるスケルトンを全部ここに呼び出して、しらみつぶしに一気に歩かせようかなと思ってます」

 その提案に拍手を送ったのはアルベドだ。

 しかしフラミーの顔は浮かない。ついでにツアーの鎧も軽く振り返った。小人間(ハーフマン)達は聞こえていないようだ。

「それだと、虫や生き物も皆踏み潰されちゃいますよぉ」

「恐れながら、私からもひとつ」と、パンドラズ・アクター。「アイテムの見た目がわからない以上、父上のスケルトンであっても正しくアイテムを見つけ出せるかどうかは疑問です。万が一破壊してしまっては困ります」

 

 パンドラズ・アクターも宝物殿にそのアイテムを置く気満々だ。むろん、ナインズやアウラ、マーレに使いたいと言う思いもある。

「すると……どうするか」

 数的に知能のあるアンデッド達をこの広い森全土に行き渡るように投下するのは難しい。アインズが唸る。

 

「私とデミウルゴスさんで低級悪魔を出しましょうか?ライトフィンガード・デーモンならある程度知能がありますし、なるべく飛行形態で探し物をして、生き物も殺さないように言い含めて放てばいいかもしれません!」

 念のため先を行く四人に聞かれないように伝える。悪魔召喚はどこの文化圏でも、当然いい顔はされないためだ。

 アインズはポン、と手を打った。

「さすがフラミーさん!それで行きましょう!」

「やった〜!」

 フラミーの楽しげな返事が返る。

 

 そうこうしながら歩き続けるうち、日は昇りきり、森中を広く明るく照らした。

 

「流石にたまたま霧と遭遇することはできなかったな」

「朝霧は出てましたが、ダメでしたね。俺たちはこれで一週間です」

 マチもため息を吐いた。

 昼頃に沢に行き当たると、良さそうな岩に腰掛けた。ここまでほぼノンストップで進んできたが、疲労無効を持たない三人も割と元気そうだ。

 とはいえ、流石にマチとナオは昨日も持っていた瓢箪の栓を開け、ぐびぐびと水を飲んだ。

 そして沢に近付き、新しい水を入れ足す。こぽこぽと瓢箪の入り口から空気が出てくる。

 あたりはさらさらと流れる沢の音だけで、静けさに満ちいい雰囲気だった。

「お昼にします?」

 フラミーの提案に乗らないものはいなかった。

 

 それぞれが宿屋に持たされた食事を開ける。

 デミウルゴス、アルベド、そしてパンドラズ・アクターも食事を取るように言い付けられているので共に食事にした。

 

 うまいうまいと喜んで食べる小人間(ハーフマン)達と対象に、守護者三名は鉄のような顔で食事をした。

「……あまり口に合わなかったかね」

 その様子を心配しているのは、弁当を持たせたのが自分の子孫達であるトラ吉だ。

 だが、守護者三名が口を開くより先にフラミーが「いえ!」と答えた。

「初めて食べるキノコとかありますし、中々良いですよ!このお肉も初めて食べます!」

 裏表のない様子にトラ吉はホッとして思わず笑顔になった。

「そりゃようございました。光神陛下、その肉は雉の肉です。うちの里では食鳥の王様と呼ばれるほど!我が家で用意できる最高のものをお詰めしました」

「へ〜!これが雉なんですねぇ!トラ吉さんの雉鍋の話聞いて、食べてみたいなって思ってたんです」

「ほっほ、何より何より。雉は鍋はもちろん、軽く霜降りをして刺身で食うてもうまいですよ」

 二人は実に楽しげに弁当を食べた。

 

 そして、ふとアルベドがこめかみに触れた。

「――私よ。……えぇ。……はぁ。わかったわ。御方々がお食事をしているからこれで切るわ。また後で」

 アルベドはサッと食事を済ませると――と言っても荒っぽくはなく、咀嚼音も聞こえないような、上品な様子だった――アインズに向き直った。

「申し訳ありません、アインズ様。御方々護衛の任の途中ではありますが、この後少し<伝言(メッセージ)>にてナザリックとやりとりをする時間をいただけないでしょうか」

「何か問題か?」

「いえ、問題というほどでは」

 アインズは今連れている守護者を見渡した。

 ナザリック一の知恵者、デミウルゴス。

 内政最強、アルベド。

 オールラウンダー、パンドラズ・アクター。

 ナザリックの持つ知能が全て揃っていた。

 しかし、あれだけ人数のいる組織でありながら、人が二、三人休むだけで組織が止まるようなことがあってはまずい。

「いつもお前達に任せきりで悪いとは思っているが……どうだ。今や大陸を二つ手中に収め、組織は大きくなったが、それに釣り合うだけの人材は育っているのか?もしそうなっていないのなら、抜本的な措置をとる必要があるだろう」

「基本的には問題ない、と思っております。いざとなればデミウルゴスとパンドラズ・アクターがおります。それに、ティトゥスをはじめとした最古図書館(アッシュールバニパル)の司書達、テスカやイツァムナー等天空城由来の知者の協力を仰げばまったく問題ありません」

「そうか。さすがはアルベド。私如きの危惧など既に解決済みというわけか。このナザリック最高の知者のうちの一人にして守護者統括。その名に恥じぬ働き。いやはやまったくもって見事。感服したぞ」

 

 アインズは全力でアルベドに賛辞を送った。

 フラミーも拍手と「さすがですね」という言葉を送った。

 支配者二名と違ってきちんと組織を管理しているアルベドを褒め称えずなんとする。

「――まことにありがとうございます」

 深々と頭を下げたアルベドを見る守護者二名の顔はどこか硬い。

「アルベドさん、今ここにデミウルゴスさんとパンドラ君がいるわけですけど」――フラミーはアルメリアがパンドラズ・アクターをズアちゃんと呼ぶことがあるので言い方を直している。つい忘れてズアちゃんと呼ぶこともあるが。

「向こうが混乱しかけてるなら、ナザリックに戻って片付けて来てもいいんですよ?」

「お心遣いいただきありがとうございます。ですが、私やデミウルゴス、パンドラズ・アクターがいない中であっても、ティトゥス達がフラミー様の求めるレベルでの働きを遂行し、現在の穴をきっと塞いでくれていると信じています」

「うーむ……。アルベドよ……。信じている、では無く問題なく出来ているのか正確に答えてはくれないか?今も<伝言(メッセージ)>が来たところだろう。難しいようだと少しでも思うのであれば、余裕がある時に訓練を行い、組織作りに着手しなくては」と偉そうに言ってから、アインズは「いや……まぁ……」と言葉を続けた。「アルベドなら私たち程度の考えていることなど、分かりきっているだろうが……」

 

 アルベドが言葉を選んでいると、フラミーはそっとアルベドの羽を撫でた。

「今日はもう戻って、ね?」

 百パーセント大丈夫ですとこのアルベドが言い切れない状態なのだ。<伝言(メッセージ)>でなんとかできないかと思っているようだが、<伝言(メッセージ)>もかなり時間がかかりそうな様子。

 アルベドは旅に護衛としてついていくことを志願した手前、ナザリックに戻って解決してきますとはいえないだろう。

 フラミーはこの働き者のサキュバスに最大限の優しさを送った。

「……ね?」

「……かしこまりした。申し訳ありません……」

 

 再度深々と頭を下げ、アルベドは立ち上がった。

 アインズが<転移門(ゲート)>を開くと、アルベドは真剣な面持ちで残る守護者二名と視線を合わせた。

 二人は静かに頷き返す。

 アインズとフラミーを任せる、とでも言っているのだろうか。

 

「アインズ様、フラミー様、御前失礼いたします」

 

 小人間(ハーフマン)の中年兄弟が驚異の魔法に目を見開く中、アルベドはナザリックに帰還した。

 

 地表部で、そわりと風が吹く。

 アルベドはその場にうずくまった。

 

「フラミー様……。本当に……申し訳ありません……」

 

 支配者達に安心して欲しいと言ったところ、アインズから返ってきた言葉は皮肉めいた賞賛。さらに、フラミーからは完璧に信頼に応えていないという釘を刺され、送還されてしまった。

 

 実際に、<伝言(メッセージ)>でいくつかのやり取りを行えばナザリックの運営は滞りなく行えただろう。

 テスカは普段はBAR勤務だが、彼とて元は天空城を管理するNPCだったのだ。BARの運営は副料理長ピッキーだけでも行えるし、最古図書館(アッシュールバニパル)の管理もイツァムナー一人が抜けたところで――そこまで考えると、アルベドは思考を中断した。

「……イツァムナーだけでなく、司書達ももし全員が

出払えば……」

 今日は全司書が出ているわけではないが、何かの対応でそうなればどうか。

 最古図書館(アッシュールバニパル)での作業は巻物(スクロール)の作製や神話の新編追加など、かなり重要だ。

 守護者達や僕達に渡す巻物(スクロール)のみならず、時に聖典達にも強力な魔法の巻物(スクロール)を渡すことがある。

 巻物(スクロール)の管理、作製は常闇からの素材収集量に直結する。

 常闇の素材収集は巻物(スクロール)に利用しない部位は始原の魔法によるアイテム作製のための貯蔵、アイテム作製に不要な部位は金貨生産に回される。

 これだけの不要部位が来ているなら、金貨はこれだけできるという当たりをつけるのも、部位をシュレッドすることも、パンドラズ・アクターの役目。

 そのパンドラズ・アクターは旅に同行している。

 金貨の残量の即時の確認はできない。

 もし今強敵が現れ、ナザリックを襲われた場合――。

 

 アルベドは自分の愚かさに額を地面に打ちつけた。

 

 今回の旅に出るまでは完璧な布陣だと思っていた。

 

 知者三名が同時に外に出てしまうという所までは想定していた。

 だが、知者三名が同時に<伝言(メッセージ)>に自在に出ることができない場合まで想定していただろうか。

 竜王(トカゲ)達の襲来はありえないし、三名同時に音信不通など起こりえないと思っていた。

 まさか全員が一堂に介し、至高なる存在の前で自由に<伝言(メッセージ)>のやり取りができないなどのイレギュラーがあったなんて。

 今回の敗因は、万が一敵が襲ってきた時に、守護者達が戻る時間を稼ぐガルガンチュアを地表部に配備せずに出た事。

 続く反省は、信じている、という曖昧な答えを使ってしまった事。要因は、天空城の面々を使うゆえに起こった事だ。

 彼らが至高の四十一人に生み出された存在であれば、アルベドは「ティトゥス達が御してなんとかしてくれると信じている」などという曖昧さを持つことはなかった。

 彼らは引き入れ傘下に収まった知者ではあるが、所詮ナザリックの者ではない。

 緊急時、アルベドは必ずあの二人をネックに思うだろう。

 

「く……!」

 

 また練り直しだ。

 平時にテスカとイツァムナーを使うことは良いが、そうでない時に、一分の不安も抱かないだけの盤石なナザリックにしなくては。

 

 デミウルゴスとパンドラズ・アクターのあの顔。

 二人はアルベドが運営に関わっている者達の名を出した時からすでにここまで結論が出ていた。

 アルベドは確かに優秀だ。

 だが、完璧とはいえない。

 内務は申し分ない彼女だが、調略や謀略、戦略となるとわずかに自信がないこともある。

「……二人が戻ったら、今後のことを話し合ったほうがいいわね」

 

 あの二人も今頃、話し合いを行う必要があると思っている頃だろうし、帰り際その意思疎通もしあった。

 

「……あぁ……だから……だから今回の旅では私達が選ばれたのね……」

 

 知恵者三名を丸ごと連れ出すなど滅多にない。

 それに、アルベドかデミウルゴスを共にするという選択肢を提示されたアインズが、二人も同行させた意味。

 

 アルベドは先ほど地面に叩きつけた額についた土を払った。

 

「……またアインズ様の掌の上だったわけね」

 

 アインズは最初始原の魔法もあるため一人で出かけると言った。だが、あの主人が未知の場所へ行こうというのにそんな真似をするはずがない。

 そう言えば、アルベドとデミウルゴスが立候補すると分かっていたから、わざとそう口にしたのだ。

 思いがけず知恵者三名が出かけることになった時、アルベドがどう対応して出てくるのか様子を見たかったのだろう。

 アインズは決して直接守護者達にダメ出しをしたりはしない。

 婉曲に伝え、本人が間違えに気がつくのを待ってくれる。

 組織力という点を気にするアインズは頭ごなしに何かを是正しようとはしないのだ。自らが考え、正解に辿り着くように導く。

 ――とても恐ろしく、美しい。

 

 アルベドは<伝言(メッセージ)>の巻物(スクロール)を燃やし、転移の指輪を持ってくるようにナーベラルへ連絡した。

 

 到着したナーベラルは、アルベドの額の傷と、地面の抉れ方に驚愕した。




あ〜なるほど。
ナザリックの脆弱な部分をアルベドに教えるためにね……。
なるほどね。はいはい、そういうことね。ははーん。

次回#157 狼人
あ、狼人(ライカンスロープ)なんていましたね!?
明日だってばよ!!!!
本気を出した男爵の速筆っぷりが懐かしい!!


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#157 狼人

 森の中。

 斜めに切り立つ大岩の下、トラ吉は全てを懐かしむように座り込んだ。

「この岩……。ここで間違いない……」

 訪れたことによって、それまで見つけられなかった理由がはっきりと分かった。

 豪雨によって付近で土砂崩れでもあったのか、水の流れが変わっていたようだ。大岩のすぐそばには緑の沼が生まれていた。

 沼一つで森の印象は大きく変わる。森の景色は果てしなくどこまでも似ていて、大まかな印象が変化すれば認識することは困難になる。

「……懐かしいな……」

 トラ吉は辛そうに唇を噛んだ。

 日はまだ暮れていないが、後一時間もすれば夕暮れが訪れるような時間だ。丸一日かかった訳だが、よく辿り着けたものだ。

 全てはツアーが当時見た木々の影の向き――つまり日の光から推測した位置によって可能になったことだ。信じられない記憶力。

 トラ吉は長寿の種は森妖精(エルフ)しか会ったことがないが、確かに彼らも成長がゆっくりな為昔のことをよく覚えている。故の技術と知識の蓄積だ。

 

 一行は姿形もわからないアイテムを捜索した。

 こちらの草をかき分け、あちらの岩の影を見る。

 魔法の痕跡を調べても反応はない。

 朝はほんのりと立ちこめていた霧も、今は晴れていた。

 

「だめですね」

 アインズが肩をすくめる。

 フラミーは苦笑した。

「やっぱりありませんね。プランB、やりましょうか」

「そうしましょう。それじゃ」とアインズは半人間(ハーフマン)三名を手招いた。

 沢の水を飲んで休憩し始めていた兄弟は後一滴を飲み干し、トラ吉は自分が倒れていたであろう所を感慨深げに眺めてから、ようやく三人が集まった。

「はい、王様」

「神王陛下、どうかなさいまして」

「中々霧に会えませんねえ」

 各々がバラバラと返事をする。こう言う気兼ねのない感じは中々に悪くない。

「あぁ。お前達、もうじき夕暮れが来る。その前に、お前達を転移魔法で先に里へ戻してやろうと思う」

 ここから里までは丸一日かかった。

 三人はアインズがアルベドを送り帰したことも見ているし、もうアインズ達が転移魔法を使えると理解しているので帰り道を心配している様子はまったくなかった。

「ありがとうございます。神王陛下」

「……王様達はどうするんで?」

 懐疑的な視線だ。なぜ一緒に帰らないのかと。

「私達はもう少しだけ調べ物をしてから戻るつもりだ。無論、すぐに宿に戻る。トラ吉、向こうのことを頼む」

「分かりました!ディナーは任せておいてくだされ!」

 アインズが転移門(ゲート)を開くと、中年兄弟は若干後ろ髪を引かれる様子で帰っていった。

 

「……マチとナオ、あいつら俺たちが雲を見つけて独り占めしようとしてると思ってるな」

 アインズはやれやれ、とため息を吐いた。

「ははは。最初に雲を見つけたら自分たちがもらうって言ってましたしね」

「ですよねぇ。そんなことしないってのに」多分。

「さて、デミウルゴス、パンドラズ・アクター。お前達もこちらへ来てくれ」

 手招かれると、パンドラズ・アクター、デミウルゴス両名は即座に探索を中断して集合し、膝をついた。

「は。只今」

「お待たせいたしました」

 一秒も待っていない。先ほどの三人の集合の遅さとは比べ物にならない。守護者達は相変わらずストイックすぎた。

「……うむ。えー、プランBは分かっているな?」

「もちろんでございます。フラミー様、並びにウルベルト・アレイン・オードル様に変身したパンドラズ・アクターと共にライトフィンガード・デーモンを召喚。殺生を禁じた後、マジックアイテムの捜索へ放ちます」

「その通りだ。マジックアイテムを見つけた者は即座に里へ戻るようにも伝えろ。それでは各員行動を開始せよ」

「「は!」」

「はーい」

 フラミーも返事をすると、アインズは慌てて頭を下げた。パンドラズ・アクターとデミウルゴスに言ったつもりがフラミーにまで指示をしたみたいになってしまった。

「すみません、フラミーさん。よろしくお願いします」

「いえいえ!腕がなりますね〜」

 

 その隣で、パンドラズ・アクターは実に懐かしい山羊の姿へと変わっていた。

 美しい毛並み、長いまつ毛、闇を切り裂く黄金の瞳。

 

 アインズもフラミーも、その姿に胸をどきりと打たれた。無論、デミウルゴスも。

 

「ウルベルトさん……」

「師匠……」

「ウルベルト様……」

 

 パンドラズ・アクターは頭を下げたのち、こほんと咳を吐いた。

 そして――「お前ら皆なんちゅー顔してんだか……。ほら、しけた面してないで。やるんでしょ。悪魔召喚」

 それを聞いた瞬間デミウルゴスは喉の奥にグッと熱いものが込み上げたのを感じた。

 ウルベルトは腕をグイングインと大きく回した。

「ウルベルトさぁーん!」

 フラミーがばふんっともそもその胸に飛び込むと、パンドラズ・オードルは背をぽんぽん、と叩いた。

「――と、演じてみました。皆様が少しでも、懐かしく幸福なお気持ちになれたのでしたら、このパンドラズ・アクター、何よりも嬉しく思います」

 ウルベルトの顔でパンドラズ・アクターが微笑むと、フラミーは涙ぐんだ顔で何度も頷いた。

「はひ、はひ!すごかったです!!なんだか、また会えたみたいな気分になりました!!」

「……完璧じゃないか」

 アインズも懐かしい友の声と仕草に目元を払った。

 パンドラズ・アクターがくるくると手を回して頭を下げる。

 全く何もわからなかったのはツアーだけだった。

 

「……ちなみに聞いておくけど、悪魔達は消えると思っていいんだね?」

 ツアーは空気が読めなかった。

「あぁ、消える。安心しろ」

 

 そんはぶっきらぼうなやりとりを行うと、フラミーは杖を掲げ、デミウルゴスは両手を広げ、パンドラズ・オードルは眼前を指差し――

 

「「「深遠の下位軍勢の召喚(サモン・アビサル・レッサーアーミー)」」」

 

 三人の声が重なる。

 

 ギャギャギャギャギャギャギャ!

 

 黒い穴から、愉快そうに笑うライトフィンガード・デーモンが大量に出てくる。

 皆悪魔の王(サタン)のフラミーへ軽く頭を下げてから、それぞれが自分達の召喚主の前に並んだ。

 

「皆さん!今日はアイテム探しですよ!不老不死の霧と雲を発生させる物を探しています!でも、姿形がわからないんで、マジックアイテムだと思ったらとりあえず持ってきてください!」

 悪魔達はフラミーの言葉におとなしくギャーイ!と従った。

「あ、そうそう。殺生は禁止なんで、気をつけてくださいね!草木を手折ることもいけません!」

 本来ならこうして命令を口にする必要はそうない。

 精神の奥深くで繋がりがあるので、そこの糸である程度の意思は伝えられるのだ。

 

 宝を盗む性質を持つ悪魔達は意気揚々と出発していった。

 

「これでよしっと」

 

 一行は里に戻った。

 戻った先では、まだトラ吉達が井戸端会議をしていた。

 

+

 

 深い深い森の奥。

 迷わずにここまで辿り着き、無事に帰れる者がどれほどいるだろう。

 特に――この種族の者達に囲まれて。

 

「……異変か?」

 

 月明かりの如き美しい銀色の毛。闇を見通す金色の瞳。肉や骨を噛み砕く鋭い牙。

 狼人(ライカンスロープ)――。

 旧西方三大国にもいたワーウルフの近縁種だ。ワーウルフより、一層原始的な種族とも言う。

 彼らは本来この森で暮らしてきた種族ではなかった。百年ほど前はもっと北にある山の麓で集落を持っていたが、当時見たこともない巨大な毒花が原因の病で多くの同胞が倒れた。あちらこちらで一斉に花は咲き、一気に狼人(ライカンスロープ)たちは倒れた。全てを刈ることもできず、こちらの森へ移り住んできた。

 この森に名前はない。もちろん、かつての森にも名前はない。森は誰のものでもないから。

 

 そんな狼人(ライカンスロープ)の長、クルト=ドレヴァンは辺りの匂いを嗅いだ。

 全く嗅いだことのない匂いが遠くから漂ってくる気がする。

 まだ「気がする」程度の感覚だが、ドレヴァンは嫌な予感に襲われていた。

「……小人間(ハーフマン)達が何かしようとでも言うのか?」

 この森には先住民がいた。

 移住してきた当初は無防備な小人間(ハーフマン)を攫って食べたりもしていたが、今では攫うことすら難しくなっている。

 夜行性の狼人(ライカンスロープ)達の生きる時間にうろつく小人間(ハーフマン)の数が極めて少ないと言うことと、もし夜間にうろつく者がいたとしても、皆装備を整え、戦闘体制でいるためだ。

 毎日の食事には命をかけて肉の少ない小人間(ハーフマン)を狩って食べるよりも、鹿を獲ったりヌークを獲ったりする方がよほど建設的だ。ちなみに、ヌークというのは魔獣だ。雄であれば三・五メートル、体重千二百キロほどにもなる長い毛に覆われた四足の草食獣で、僅かな苔だけで生きている。この森は苔もとても多い為、ヌークも多い。

 だが、老人や大人はたまに「お腹いっぱい小人間(ハーフマン)を食べたいなぁ」なんて昔を懐かしんだりもする。

 若者では食べたこともない者も多い高級食品になっている。

 昔はなんと言っても攫い放題だったのだ。無防備で、馬鹿で、ほいほい付いてくる。夜に里に行けばそっと攫って帰れたくらいだ。

 

 ドレヴァンは赤く陽に照らされる家の外へ出た。

 寝起きの目に夕暮れは眩しすぎる。

 うっ、と声をあげて手で日光を防いだ。ドレヴァンの目は他の狼人(ライカンスロープ)たちとは違い、金色の右目と、空色の左目だ。

 目が慣れると「ほう」と息を吐いて手を下ろした。

 出てきたドレヴァンの家は――いや、狼人(ライカンスロープ)達の家は巨木に直接穴を開け、中身をくり抜いて作られている。戸はなく、鹿の皮をつなぎ合わせた布を入り口にかけている。

 くり抜かれた木は当然立ち枯れていて、ほとんどの木は三メートル程度のところから折れて無くなっている。

 屋根はあるが、もはや苔むしすぎて後からかけたものなのか、木の残った部分なのかどうかは判別できない。

 

 向かいの家から仲間が一人出てくる。見た目はドレヴァンより年をとっている。一部毛が薄くなりかけているところもあるほどだ。

 彼はドレヴァンと同じく左右で色の違う瞳をしていた。

「――ドレヴァン、いい夜だな」

「バチェ=サイオーバ。いい夜だな」

「この匂い、一体なんなんだ?」

 サイオーバが言う。ドレヴァンは首を振った。

「わからん。生まれて初めての匂いだ」

「……小人間(ハーフマン)が何か企んでるんだろうか」

 サイオーバはドレヴァンと同じ事を思ったようだ。

 

 と言うのも、この集落には小人間(ハーフマン)が一人だけいる。

 最初は越してきたばかりの狼人(ライカンスロープ)達が食料にするために捕えた小人間(ハーフマン)だった。

 

 だが、その小人間(ハーフマン)の女は食べられなかった。

 女はこう言ったのだ。

 

『私のおじいちゃんは不老不死なんだから!私を食べたりしたら、絶対におじいちゃんが許さないんだから!!』

 

 これは百年も前の話だ。

 今を生きる若者達の祖父母の頃の話だ。

 

+

 

「私のおじいちゃんは不老不死なんだから!私を食べたりしたら、絶対におじいちゃんが許さないんだから!!」

 小人間(ハーフマン)がそう言うと、狼人(ライカンスロープ)たちは目を見合わせて大声で笑った。

「うっひゃっひゃっひゃっ!!」

「ひー!ひー!言うに事欠いて、不老不死とはなぁ!!」

「そのじいさんに、命乞いの仕方を教わった方が良かったんじゃねぇかぁー!?」

 腹を抱えて笑っていると、小人間(ハーフマン)はキツく結んだ唇を振るわせ、また叫んだ。

 

「ほ、本当だもん!!今すぐはあんた達の存在に気づかなくても、不老不死のおじいちゃんが、いつか小人間(ハーフマン)皆をまとめて、大好きな私を攫ったあんた達を殺しにくるんだから!!」

 

 小人間(ハーフマン)が言い終わると同時に、狼人(ライカンスロープ)の握り拳がその顔を襲った。

 痛みから発せられる絶叫は実に良い。

 拷問などは趣味ではないが、狼人(ライカンスロープ)達に獲物を捕えたという満足感を与えてくれる。

 

 この森は以前住んでいた北の森より肉食の者が多くなく、獲物も豊富だ。

 巨大毒花から逃れるためにこちらへ来たが、もっと早く移住してきていれば良かった。

 特に大した労力もなく小人間(ハーフマン)を獲れるのだ。ヌークのような大きすぎる獲物を大勢で切り分けて持って帰ってくる必要も、走り回って獲物を追い詰める必要も、命懸けで飛び掛かる必要もない。

「さて、そろそろ料理だ」

「何が良いかねぇ」

「何にしても魔法詠唱者(マジックキャスター)の人呼ばなきゃね」

 女が嬉しそうに小人間(ハーフマン)を引きずって大きな切り株の上に乗せた。まな板も用意してある。

 小人間(ハーフマン)の鼻からは大量の鼻血が出ていて、痛みを和らげるため必死に鼻を押さえていた。

 今日は決めていた人数の小人間(ハーフマン)が集まったので、集落の皆で寄り集まって料理と、保存食の配布だ。

 集落は一つで、皆で家族だ。

 狼はそもそも犬属の中で最も狩猟を協力して行う生き物で、社会性も高い。狼人(ライカンスロープ)も例に漏れず、皆で狩りをして、時には獲物を分け合う。

 

「丸焼きにするか、せっかくだからこれは少し炙って調理しながら皆で食べる刺身にするか、煮物にするか……」

 料理担当が手元のカゴに掛けてある革をサッと退ける。

 そこには、小人間(ハーフマン)の足首と手が大量に入れられていた。<乾燥(ドライ)>で干して、軽く割いて骨を抜き取ってある。

 今まな板に乗せた小人間(ハーフマン)は顔を真っ青にした。

「筋はじっくり煮込まなきゃな!」

「ははは。筋煮込みは子供達が待ちきれなそうだ」

 狼人(ライカンスロープ)の子供達は今か今かとご馳走の時を待っていた。

「ふむ。そしたら、この子供の小人間(ハーフマン)は炙って刺身にしよう!」

 狼人(ライカンスロープ)の子供達は「いえーい!」と両手を掲げて喜んだ。

 

「い、嫌だ……。嫌だ、嫌だ嫌だ!!おじいちゃん!!トラ吉おじいちゃん!!」

 小人間(ハーフマン)がまた叫ぶと、狼人(ライカンスロープ)の子供達は無邪気に「いやだいやだ、おじいちゃん!」と真似をして笑った。

 

「脳みそはスープにしようじゃないか!さあ、そろそろ檻の分も出してきてくれるかい!」

 寸胴を手にした女が言うと、男達は食料を入れている木の家の中へ入り、えっちらおっちら檻を抱えて出てきた。

 足首から先と、手首から先がない小人間(ハーフマン)が檻に一つづつに入れられていた。

 止血はされているようで、足首と手首は硬く結ばれ、その先はどす黒くなった布が当てられている。

 魔法で干すのだから、一見先に足首と手首を落としておく必要はないように思われるが、魔法詠唱者(マジックキャスター)達も魔力が無限にあるわけではないので捕まえてきては足首手首を落とし、先に干し肉にするのだ。

 割と骨ばった生き物なので、干さないまま筋を茹でると骨が多くて食べ辛い。だが、一手間かけ先に干してやると、手で肉を軽く割いて中から骨をつるんっと出すことができる。そして骨は脳みそのスープの出汁を取る。

 この森で暮らし始めて、小人間(ハーフマン)を色々な料理にしてきたが、これが一番無駄のない食べ方だ。

 真四角の檻の中は小人間(ハーフマン)達が膝を抱えて、首を膝に乗せる形で綺麗に詰め込まれている。全員が裸なので、さながら胎児だ。

 

 ふと、檻から出された一人が今日捕まえてきたばかりの小人間(ハーフマン)をみた。夜なので、小人間(ハーフマン)はよく目が見えていないのか極限まで目を細めていた。

「……ナツ?おナツじゃないか……?」

 ぐったりしていると思ったが、まだ言葉を発する元気があったとは嬉しい限りだ。

 筋や骨ばった部位以外はやはり新しく元気なうちに食べるのが一番!

 狼人(ライカンスロープ)の料理人達は巨大な包丁をサッシュサッシュと研ぎながら笑い合った。

 これから一人づつ逆さに釣って、動脈を切って血を全て抜いて、血は綺麗に洗った腸に詰めてブラッドソーセージにする。脂肪も入れるので、脂肪のよりわけもあるし、腸の洗浄もあるし、血と脂肪を詰めた腸を茹でる必要があるし、屠殺したばかりの肉の料理もある。最後はハエが湧かないように骨を焼いて、砕いて、粘土と混ぜて、成形して、超高温で焼いて白い美しい器にする。

 ――わざとハエが沸くようにする者も一人は必要だが。集落の真ん中に置いてウジを大量に沸かせ、やりたいものが好きにウジを掬って沢へ行き釣りをする。

 と、血を捨てないための生活の知恵だが、食事を作るのは一大事業となる。

 皆で汗水垂らしながら、刺身をつまみに解体や洗浄、料理をする。

 

 素晴らしい時間だ。

 

 檻から小人間(ハーフマン)を取り出し、一箇所に集めていく。放り投げたりはしない。骨が折れたり砕けたりすると骨を取る時に手数が増える。

 そっと一人づつ置いていく。

 皆啜り泣いていて、なんとも良い雰囲気だった。

 

「……隣のカケおじさん?」

 まな板の上で、包丁が研ぎ終わるのを待っている小人間(ハーフマン)が言う。

 先ほどの思ったより元気だった小人間(ハーフマン)が手のない腕を伸ばした。

「あぁ……!やっぱり、やっぱりおナツじゃないか!!」

 何故か瞳をキラキラさせていて実にイキがいい。

「カケおじさん!カケおじさん!!」

「ト、トラ吉じいさんはおナツちゃんがここに連れてこられてることは分かってるかな!?」

「し、知らない!知らないと思う!!でも、必ず気付いてくれると思う!」

「あ、あぁ!あぁ!そうだ!トラ吉じいさんはなんて言ったって村の頭脳だ!!地獄帰りの不老不死は伊達じゃない!!」

 

 包丁を研いでいた狼人(ライカンスロープ)達は手を止めた。

 小人間(ハーフマン)達の迫真の会話に興味が湧いたのだ。

「……また不老不死って言ってるよ?」

「言ってるねぇ?」

 包丁係は目を見合わせた。

 よくわからないことは本人に聞くのが一番だ。

 まな板の上の小人間(ハーフマン)の髪の毛を掴み、ちっこい顔をこちらへ向けた。

「ひ、ひぃいい!」

「ねぇねぇ、そのトラ吉じいさんって本当の本当に不老不死なの?」

 まな板の小人間(ハーフマン)より先に、手足のない小人間(ハーフマン)が「そうだ!!トラ吉さんが蓄えて来た百何十年の知恵を甘く見るなよ!!」と答える。

「皆に伝えた方がいいかね?」

「じゃあ、私伝えてこようかな」

 包丁を持ったまま次々と檻から小人間(ハーフマン)を取り出す男達の下へ行く。

「あのさ、トラ吉じいさんってどうやら本当に不老不死らしいよ。どうする?」

 男達は一瞬ぽかんとした。

 あれほど賑やかだったお料理会はしん……と静寂に満たされた。

 それを破ったのは、小人間(ハーフマン)達だ。

 

「本当だ!!」「トラ吉じいさんは俺たちのひいひいじいさんの時代から生きてる!!」「その知恵で森妖精(エルフ)とだって渡り合ってるんだ!!」「小人間(ハーフマン)をこんなにして、トラ吉じいさんが黙ってないぞ!!」

 

 狼人(ライカンスロープ)達は皆「わ〜」と嬉しそうな声を上げた。

 手足が落ちている分、体力も相当減っているだろうに小人間(ごはんたち)のイキがとても良い。

 小人間(ハーフマン)達はもう手がないので今日まで生かす食事はドロドロにした虫や小人間(ハーフマン)の内臓、(ヒエ)をすりつぶしたものを細長いオケに入れて、各々顔を突っ込んで飲むようにさせていたので、少し痩せて来てしまっている者もいた。

 だが、これだけ元気なら期待できる。脂肪もあまり多すぎてはソーセージの食味が悪くなるので実に良い頃合いだ。

 

 食欲に囚われかけた者と、不老不死の話に集中した者と、集落は二分した。

 そして、不老不死の話に着目できた冷静な狼人(ライカンスロープ)が一人の小人間(ハーフマン)の腕を掴んで持ち上げた。

 痛そうな声を上げられると、「獲ってやったぜ!」と言う気持ちが盛り上がってしまう。

 が、今は抑える。

 周りの小人間(ハーフマン)は途端に静まり返った。

「答えるのは一人で十分だ。小人間(ハーフマン)からはたまに不老不死が生まれるのか?」

「い、痛……!ち、違う……!トラ吉じいさんは、霧が集まって雲になったのを食った日から老いなくなったと言っていた……!」

「ふーん?変な話だなぁ。どこでも聞いたことがない」冷静な狼人(ライカンスロープ)は自分から最も離れたところにいる仲間に声をかけた。「おい!!聞こえたか!!」

 一番遠くにいる者は「いや!?なんだって!?」と大声を返した。

「そっちの小人間(ハーフマン)にも話を聞いてくれ!!」

「あ?ああ!まかせろ!!」

 そして、適当な小人間(ハーフマン)から話を聞き出すと、「不老不死の雲を食ったらしい!!霧が雲になるってよ!!」とまた大声が返った。

 証言が一致する。

 

「ふーむ、俺たちは夜霧を毎晩見ている。だが、雲になる霧は見たことがない。本当の話なのか?」

「ほ、本当だ……!ついこの間、里のカツ太も霧が雲になるのを見て食った……!」

「そいつも不老不死?」

「……わからない。まだ時間が多くは経過していない……。だが、カツ太は確かに雲を食べている……!その証拠に、カツ太の傷の治りの速さは尋常じゃなくなった……!トラ吉じいさんと同じようにだ!きっといつかカツ太も小人間(ハーフマン)の頭脳となり、盾となる!!」

 小人間(ハーフマン)達は皆大きく頷き、狼人(ライカンスロープ)を睨みつけた。

「なるほど。二人も霧が雲に変わったのを食べて不老不死になったか。夜霧では難しいんだろうか?昼間の霧を確かめたいが……俺たちも毎日のように昼間起きていればガタが来る……。いつでも出るものってわけじゃないんだろ?」

 冷静な狼人(ライカンスロープ)は「うーん……」と唸った。そして、妙案を思いついた。

 

「皆!小人間(ハーフマン)を一人生かしておいてみないか!日中に霧が出たとき、雲になるか監視させるんだ!!」

 

 皆「いいよ〜」「一人減っちゃうけど?」「ははは〜誰かの分がなくなるぞ」「えー?皆で少しづつ量減らそうよぉ」「その分はまた今夜一人攫ってくればいいさ」と実に気楽だ。

 晩御飯の肉が一切れなくなるだけで、不老不死の不思議な雲を見つけられるかもしれない。なら、それでいい。

 狼人(ライカンスロープ)は仲良し集団だ。

 

「じゃあ、誰を食べないことにするか」

 

 その言葉は小人間(ハーフマン)達に混乱を呼んだ。

 

 子供がいると訴える者、明日結婚すると訴える者、身籠っていると訴える者、まだ成人もしていないと訴える者、ばあさんに別れを言えていないという者、自分は手足が無くても目がいいと言う者、霧が出る条件を教えると言う者。

 

 情に訴えようとしてくるが、正直別の種族で、尚且つ食糧の言うことなど全く響かなかった。

 小人間(ハーフマン)狼人(ライカンスロープ)を非情だと言うかもしれないが、狼人(ライカンスロープ)からすれば、小人間(ハーフマン)のように家畜として生き物を飼い、生活を共にし自分に懐いた生き物をその手で殺すことの方がよほど非情に思える。

 つまるところ、種族と生活、文化の違いだ。

 狼人(ライカンスロープ)は別に情のない生き物ではない。

 

 冷静な狼人(ライカンスロープ)は「うーん……」とフランクな雰囲気で悩み、「やっぱり、そうだよな」と一人を指さした。

 

「お前にする。確か、ナツと言ったな」

 

 鼻血まみれのナツは歓喜の表情を浮かべた。

 

 他の小人間(ハーフマン)達は、同族が一人助けられると言うのに、口々に嘆き、自分を選んでくれと言った。

 

 狼人(ライカンスロープ)なら、手足のまだある若い者を選んでもらったら礼を言うくらいなのに。

 冷静な狼人(ライカンスロープ)――クルト=ドレヴァンは眉を顰めた。




トラ吉の玄孫……!!攫われたと思ったらこんなところにいたんか!
狼人(ライカンスロープ)、仲良し集団な上に食欲に支配されがち!


次回#157 悪魔の襲来

嫌な予感しかしない。明日です!


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#158 悪魔の襲来

 狼人(ライカンスロープ)のクルト=ドレヴァンはバチェ=サイオーバと共に村のまだ寝ている連中を起こしに行った。

 嗅いだことのない奇妙な、それも厭な臭いがすると。

 皆飛び上がるように起きた。

 

「そ、それでドレヴァン老。何が起こるってんですか?」

 若い者が尋ねる。

「何が起こるかは流石の俺にも分からない」

「ドレヴァン老に分からないことなんてあるんで?」

「ははははは。あれから八十年。今でも分からないことだらけさ」

 

 ドレヴァンの親兄弟たちは寿命でとうに死んだ。

 

 この男、不老不死である。

 

+

 

 ドレヴァンは小人間(ハーフマン)を生かそうと言った言い出しっぺとして、その日も一日の終わりに小人間(ハーフマン)のナツに食事を持っていった。

 

 あれから実に十年の時が流れていた。

 ナツはこれで十五か十七か、とにかく大きくなった。

 

 最初の頃は獲れやすかった小人間(ハーフマン)を食わせていたが、小人間(ハーフマン)を取ることも難しくなって、近頃は鹿や雉、兎を食わせている。

 

 その日は濃霧だった。

 

 集落の真ん中に大きな檻が置かれている。

 ある程度の広さがなければストレスが溜まるだろうという気遣いだ。狭苦しく感じないように、視界も開けている場所だ。

 ナツは檻の中は自由に移動できるが、ほとんど檻の中の布団の中に潜って暮らしているようだ。

 狼人(ライカンスロープ)小人間(ハーフマン)の生活時間は丸っとずれているので、夜明けがくる眠い時間にドレヴァンはナツに一日分の食事を持って行っている。

 山盛りの食事だ。

 ナツが起きている時間、狼人(ライカンスロープ)は誰も起きていないので、プライバシーを心配する必要もない。

 

「おい、ナツ。食事を持って来たぞ」

 ナツは大きすぎるクマを目の下に蓄え、起き上がった。

 黙って頭を下げて受け取る。

「足りなかったら言うといい。それじゃ、日中の霧を見張るの、頼んだぞ」

「…………………………はい」

 掠れた声だ。こんな声だったろうか?

 狼人(ライカンスロープ)達は皆寝ているナツしか知らないが、長い付き合いなので皆可愛いペットだと思っている。

 もはやナツを食べようと思っている者はいない。ペットで鳥を飼っても鳥肉を食べるように、他の小人間(ハーフマン)達のことは食べるが。

 やはり、飼っている生き物を食べる種族は野蛮だ。情がうつらないなんて、情がない。

 

「じゃあ、これは片付けておくから。おやすみ」

 ナツの糞尿が入れられているバケツを手に、ドレヴァンは檻を去ろうとナツに背を向けた。

 遠くで朝日を知らせる鳥が鳴く声がした。

 その時、「あ……」とナツが声を上げた。

 ドレヴァンは何事かとナツに振り返り、何かを見ていることに気がつく。

 ナツの視線の先を追うと――

 

「――く、雲だ」

 

 濃霧はもやもやと一箇所に集まりはじめているところだった。

「雲だ!!」

 いつまでも外で過ごしている者達もまだいるので、ドレヴァンの大声によって存在に気付いた何人かがそれを目撃した。

 ドレヴァンと、目撃者達は雲をどうするべきか分からず立ちすくんだ。

 この集落で最も聡く、強く、人望のある狼人(ライカンスロープ)が雲を食べるべきなのは間違いない。

 

 ドレヴァンは戦士階級なので、魔法は使えないし、あちらで雲を見ている者達も魔法は使えない。

 もし魔法詠唱者(マジックキャスター)が起きて待っていたなら、狼人(ライカンスロープ)魔法詠唱者(マジックキャスター)は少ないので魔法詠唱者(マジックキャスター)に食べさせていたというのに。

 もしくは、知識の豊富な老人達か。だが、老人達は早寝早起きを徹底しているので外に出ている者はいない。

 

 考えているうちに、雲はどんどん形を成していった。

 年配の狼人(ライカンスロープ)を呼びに行っているうちに消えてはもったいないが、一人目は自分ではないと眺めている全員が思った。

 ドレヴァンは糞尿の入ったバケツを置き、非常事態にだけ許される声をあげた。

 

「オォーーーーーウゥ!オォーーーーーウゥ!!」

 

 その遠吠えを聞いた瞬間、転がり出るように家々から狼人(ライカンスロープ)達が飛び出してきた。

「なんだなんだ!?何事だ!?」

 実際に転んだ者もいる。皆血相を変えていた。

「す、すまん!!皆!!雲だ!!雲が出た!!」

 ドレヴァンの指差す方向へ一気に視線が集中する。

「俺は雲を食べるのはバチェ=サイオーバがいいと思う!!あいつはいい奴だし、誰よりも聡い!!何より、魔法を使える!!」

 姿を現したサイオーバは「お、俺が!?」と驚いているようだが、ドレヴァンは誰よりもこの男を信頼しているので、驚く要素はひとつもない。

「サイオーバか」「サイオーバならな」「いいもしれん!」と皆が納得し始める。

 だが、肝心のサイオーバが声をあげた。

 

「ま、待ってくれ皆!!俺は確かに魔法を使える!!だが……俺なんかでは勿体無いのでは!?それに、これを最初に見つけたのがドレヴァンなら、ドレヴァンこそ相応しいと俺は思う!俺たちに不老不死という可能性をもたらしてくれたドレヴァンなら不足あるまい!!」

 それもそうだ。と、こちらの説にも皆納得していく。

 さて、どうするかというところで、雲は完成したようで、輪郭をはっきりと持った。

 ドレヴァンの功績こそ永遠に子孫を見守り続ける栄誉を手にいれるだけの資格がある。集落の気持ちが一つにまとまる。

 ドレヴァンは皆が認めてくれた喜びで胸がはち切れそうになった。

 だが、ひとつ訂正しなければならない所がある。

 

「皆、ありがとう。サイオーバもありがとう」

「いいや。ドレヴァン、こちらこそありがとう」

 

 二人は友情の抱擁を交わし、お互いの美しい毛並みを撫でつけた。

「――だけど、雲を最初に見つけたのは俺じゃない」

 ドレヴァンの言葉に、「いや、ドレヴァンだったぞ!」と最初に一緒に雲を見た者達は言った。

 だが、ドレヴァンは首を振った。

「俺じゃないんだ。ナツが見つけた」

 皆が一斉にナツへ振り返る。

 朝日が登り始め、霧が晴れた集落で、ナツは無数の瞳に射抜かれた。

「お、おじいちゃん……。トラ吉おじいちゃん……」

 ナツが「はい」以外の言葉を発したのは久しぶりだった。

 

「せっかくドレヴァンに決まったが……今後も雲を一つ二つと見つけて行くなら……」

 サイオーバが言いにくそうにすると、ドレヴァンは代わりに言葉を紡いだ。

「今後も雲を一つ二つと見つけて行くなら、朝日の下でもよく見えるこのナツの目が必要だ!!それに、俺たちが寝ている間に出てしまう霧を見張っていてくれるだろう!!」

 

 狼人(ライカンスロープ)達は皆眩しそうにしていた。見えないわけではないが、明るすぎるのは合わない。

 

「ナツ!お前が食べるといいよ!」

 皆拍手をし、「そうだ!それが一番だ!」「また出たら次こそドレヴァン、そして次はサイオーバだ!!」と笑い合った。

 可愛がっているペットがもう死なないということも嬉しい。満場一致の可決だ。

 

 ドレヴァンは牙を剥き出しにして笑うと、ナツを持ち上げた。

「ひ、ひぃいい!」

 ナツの小さな悲鳴は、ドレヴァンにまるで狩猟に成功したかのような充足感を与えてくれた。

 なんと可愛らしいペットだろう。

 

 いつも布団に入っているから明け方は寒いのかガクガクと震えるナツを抱えて雲へ駆けた。

 皆雲までの道は開けてくれている。

「ナツー!頑張れー!」「ドレヴァン、いいぞー!」

 清々しい気持ちで雲まで辿り着く。

 雲はほやほやと浮いていて、そっと手を伸ばせば触れられた。

 突き抜けることもなく、手に持てた。雲のサイズはドレヴァンの枕程度だ。

「おい、ナツ。聞いていただろう。口を開けろ」

 ナツはボロボロと泣き出した。

 まさか自分を不老不死に選んでもらえるとは思いもしなかったのだろう。

 そんなに喜ばれては照れ臭い。

 皆「いいことしたね〜」と楽しげだ。

 ドレヴァンはナツを自分の膝の上に乗せ、口を開けさせた。

「はい、あーん」

 顎を掴み、下に引く。間違えて引きちぎったり、顎を外してしまわないように気をつける。

 ナツが泣きながら息を吸い込むと、それだけで雲はひゅるりとナツの中へ入って行った。ナツは咳き込み口に手を入れた。

 文化の違いからかよく分からない行為だった。

 いつしか、ナツは雲を飲み込んだようで意識を失った。

 

 不老不死かどうか、真偽は不明だ。

 

 ドレヴァンは悩んだが、とりあえずそのまま檻にナツを戻した。

 寒くないように布団もかけてやる。

 ナツのために、昔大収穫した小人間(ハーフマン)の服は残してある。ナツはいつも違う服を着ていた。

 臭ってくると、魔法詠唱者(マジックキャスター)が<清潔(クリーン)>をかけてやっているのでいつも綺麗だ。

 

 ドレヴァン達は陽の光に包まれながら、重たい瞼を擦って家に帰った。

 本当に不老不死になったのか、結果がわかる数十年後が楽しみだと言いながら。

 

 それからさらに二十年。

 ドレヴァンは中年になった。

 夕暮れ前、ナツが「雲が出た!!」と集落中に響く声で叫んだ。

 その日以来、ドレヴァンの瞳は左右で違う色になった。

 

 そこから十年。サイオーバは老狼になっていた。

 彼も雲を食べた。

 そして、瞳が左右で違う色になった。

 

+

 

「もしかしたら、トラ吉が昔の報復に出ようとしているのかもしれない。トラ吉は確か俺よりさらに百年以上長く生きている。おそらく相当厄介だ」

 

 ドレヴァンが告げると、若者達はごくりと生唾を飲んだ。

 狼人(ライカンスロープ)は女子供老人関係なく、老若男女全てが高い戦闘力を誇る。

 なので、ここにいる若者の中には当然女もいる。

 そして、女達の中から声が上がる。

 

「ねえ、ナツが心配だよ」

「そうだよ。小人間(ハーフマン)がここまで来るんじゃ、もしかしたらナツを連れ帰っちゃうかも」

「でも、ナツが断るんじゃない?」

小人間(ハーフマン)なんか皆食べちゃえばいいよ」

 

 狼人(ライカンスロープ)達は可愛いペットの心配をした。

 

 ここから少し歩いた先には、今でもナツの檻があり――ナツは生き続けている。

 

 ペットが死なないと言うのは嬉しいことだ。

 狼人(ライカンスロープ)達はつま先立ちのようになっている二本足をとっとこ言わせて広場へ向かった。

 

 ナツはこの時間なので寝ていた。

 起こさないほうがいいに決まっているし、彼女はもう夜の間狼人(ライカンスロープ)達が喋って騒いでうろうろしているのが当たり前なのでよほどの音でなければ起きない。

 

 狼人(ライカンスロープ)達はナツを守る者と、戦闘を行う者で分かれた。

 

「……近付いてきてるな」

 

 ドレヴァンが言う。

 その頃には多くの者達の鼻に、邪悪な未知の臭いが届いていた。

 人を飲み込もうとするような闇を見通す。

 狼人(ライカンスロープ)達の目は月の光を蓄えて金色に光っていた。

 ふと、耳をぴくぴくと皆が動かす。

 

「これは……羽音?」

「それに、笑い声も」

 

 これは小人間(ハーフマン)達ではない。そんな雰囲気が集落には漂い始めていた。

 

 森の向こうから聞こえてくる笑い声は、信じられないほどに醜悪だった。

 

 ――ゲタゲタゲタ。

 ――ゲゲゲゲゲ。

 ――ギョギョギョギョギョ。

 ――ギャギャギャギャギャ。

 

 笑い声はどんどん大きくなり、共に戦うつもりで出てきていたメス達は怯えたように数歩下がった。

 ドレヴァンは皆を鼓舞するように叫んだ。

 

小人間(ハーフマン)じゃないなら、俺たちに特別な恨みがあるはずもない!!通り過ぎるだけなら行かせろ!!」

 怯みかけていた者達は頷き、心を強く持った。

 そして、それらは姿を現した。

 

 ――ゲゲゲゲゲゲゲゲゲ!!

 

 黒い蝙蝠のような翼、口の端から見える白い牙と、べろりと口の周りを舐め上げた長い舌、下品に歪められた目。

 一つとして印象の良い部分はなかった。

 迎え撃とうとしていた狼人(ライカンスロープ)達からどよめきが上がった。

「あ、悪魔だと!?」

 話でしか聞いたことがないが、確かに存在するというこの世の闇の(おり)

 ドレヴァンは悪魔という生き物を、前の森に住んでいた時に亜人から聞いたことがある。食うために亜人を捕らえた帰り道、亜人がドレヴァンを悪魔だと叫んだのだ。

 それはなんだと尋ねれば、この世に存在する最も邪悪で、善意を持たない醜悪な化け物であると言っていた。そして、お前は羽を持たないだけで現世に召喚された悪魔そのものだと。

 むろん、ドレヴァンは食べるために捕まえているのでそんな生き物に揶揄される謂れはないい。当たり前の営みだ。

 

「ドレヴァン老!あれは悪魔という小人間(ハーフマン)なのですか!?」

「いや、悪魔は悪魔という種族のはずだ。もしや小人間(ハーフマン)は悪魔を召喚したか!?」

 狼人(ライカンスロープ)達は戦闘体勢になった。低く腰を下ろし、鋭い爪を輝かせる。ぞくぞくと毛皮が震え、目が合うだけで心胆を寒からしめる。

 悪魔達は六匹もいて、けたたましい笑い声を響かせたまま、辺りを見渡した。

 そして、一斉に悪魔は飛んで集落中へ散った。

「な、なんだぁ!?」

 戦うために構えた爪は下ろされ、「逃げた?」と気楽に構え始める者も出た。

 だが、ドレヴァンはなんとなく嫌な予感が消えなかった。

 悪魔の視線を追って集落へ振り返れば、檻の中のナツがベッドの上で座っていた。

 檻の中にはナツが過ごしやすいようにたくさんのおもちゃや花、ぬいぐるみ、剥製が置かれている。さらにはペットであるナツのペットの小鳥も。

 日中話し相手がいないのが可哀想で、狼人(ライカンスロープ)達なりの気遣いが詰まっていた。

 近頃では夜更かしならぬ、朝更かしをして昼間までナツと話したりする者もいる。

 

「――ナツ!」

 ナツは肉付きの良い顔で微笑んだ。

 昔のナツはげっそりとしていたが、近頃は食の質がいいのかふっくらしていて、夜明け頃に会うと嬉しそうだ。ドレヴァンにもすっかり懐いている。

「ドレヴァン、こんな夜更けに何事なの?」

「悪魔だ!悪魔が出た!!」

「悪魔?大丈夫?」

「だ、大丈夫だとは思うが!集落中に――」

 

 と、説明している側から、家の中でガチャーン!と何かが落とされる音がした。

 狼人(ライカンスロープ)の焼く、骨が含まれる真っ白で薄い皿は美しいが割れやすい。

 その音を皮切りに、集落のあちらこちらから物が落とされる音、壊される音が響いた。

 

「な、な、なんてことだ……!奴らを止めるぞ!!サイオーバ!!」

「あぁ!!」

 サイオーバはその老いた体からは想像がつかない程に素早い動きで、ドレヴァンと共に駆け出した。

 家の入り口からぽいぽいと私物が投げ出され、家の持ち主が悲鳴を上げる。

「や、やめてー!!」

 ドレヴァン達よりも早く家の持ち主は家に入ろうとした瞬間、知能の低そうな悪魔の頭突きが炸裂する。

 あの小さな体からは想像が付かないような圧倒的な勢いに弾き飛ばされ、家の持ち主は地べたに転がった。

 しかも悪魔はそれで止まらない。

 持ち主が起き上がったところに、空から体重を乗せて腹へ踵落としをした。

「ッぶふぅ!!」

 痛みに腹を抱えてうずくまると、悪魔は心底おかしそうにゲテゲテと笑い声を上げた。

 

 そして、もう一撃。

 蹲る背中へ牙を剥く。

 背を割かれ、悲鳴が上がる。まさか狼人(ライカンスロープ)を食おうと言うのか。女子供が悍ましさに息を呑む。

「<雷槍(サンダースピア)>!!」

 サイオーバが鋭い爪のつく指を向け、雷撃が飛ぶ。

 だが、それをひゅるりと交わして悪魔は再び空へ舞い上がった。

 そして、また次の家へ。

 皆怪我をした者へ向かった。

 怪我はしているが、どの怪我も致命傷ではない。痛みはつらそうだが、食われずに済んだのだから良しとするしかない。

「大丈夫か!?皆!!気をつけろ!!食われる!!奴らは狼人(ライカンスロープ)を食うぞ!!」

 ドレヴァンの叫びに皆ごくりと喉を鳴らす。これまで狼人(ライカンスロープ)を食う種族に会ったことはないが、食う食われるは自然の理。食う獲物を誘き寄せるためにわざと家の中を荒らして見せているのだとしたら、近付くことは愚行。

 

「下手に追うな!!物が壊れてしまうのは諦めろ!!残った物を皆で分け合えばいい!!これは罠だ!!俺達が家の中に飛び込まないとわかれば、きっとまた次の家を荒らして挑発してくる!!だが、それもいつか終わる!!広いところで皆で一斉に掛かれば、悪魔の一体や二体にやられる俺達じゃない!!そうでなければ、悪魔達が最初に俺達と対峙した時に食いかかってこなかった理由がわからない!!」

 

 ドレヴァンの言葉に皆落ち着きを取り戻し、ナツの檻を囲むように一箇所に集まった。

 邂逅を果たした時、悪魔達はこちらの様子やあたりの様子を注意深く伺っていたのだ。そして、散り散りになって一匹を誘き寄せ、食らいついた。

 奴らは一対一や一対少数でなければ勝てないとわかっているのだ。

 

「一人も勝手に動くなよ!!」

 

 あちらこちらの家から荒らされる音が鳴る。

 そして、悪魔達は家からちらりと狼人(ライカンスロープ)達を見ると、挑発的に笑った。

 じっと我慢する姿を見ると、首を捻り、また別の家へ。

 やはり、挑発に乗らないことが正解らしい。

 

「ド、ドレヴァン老……。このままでは集落中の家が……」

 ドレヴァンもそれは心が痛む。当然ドレヴァンの家も例外ではない。

「……やはり、皆で一匹を――」

「待て、ドレヴァン。――皆、今は堪えろ!!家の中に皆で突撃したところで、家の中は狭い!!戦えるのは結局一人や二人になる!!奴らは強い!!もし中で手や足をもがれて食われれば取り返しがつかない!!」

 サイオーバが皆を諌めることで集団は冷静さを取り戻した。

 不老不死の長老二人の言うことを守るのが一番。群れが、集落が、ここまで大きく強くなったのは彼らの功績なのだから。

 

 見えていた家からポイ、とナツを模したぬいぐるみが放り投げられる。そして、悪魔はちらりと家から外を覗き見た。

「あぁ!!僕のコナツが!!」

 持ち主の子供が泣きそうな声で叫ぶ中、悪魔はコナツを拾い、じっくりじっくりと舐めまわし、最後にはくびをちぎり落とした。

「やああーー!!」

 パニックになりかけると、檻の中からそっとナツが子供を抱きしめた。ナツと子供は同じくらいの大きさだった。

「また作ってあげるから……。それより、皆ドレヴァンとサイオーバの言うことをちゃんと聞いて、今は堪えて……」

 悪魔達は散々家々を荒らし回り、六匹は再び集まって狼人(ライカンスロープ)をじっと見た。

 一匹はこの集落にたったひとつだけある貴重なマジックアイテムを持っていた。前に住んでいた森の近くにあった異形の国家で、皿二百枚と交換してもらった貴重なマジックアイテムが。

「く……!」

「悔しいがくれてやれ!」

 ドレヴァンが牙を剥き出しにして吼えると、群れは一斉に吠え出した。

 悪魔は目を見合わせ、身震いするような怪しげな笑いを上げた。

 グルルルル、と威嚇を続けると、こちらが決して挑発に乗らないと理解したのか、悪魔達は背を向けて飛び去っていった。まるで敗者のような背中だ。

「……諦めたか」

「そのようだな……」

 ドレヴァンとサイオーバはほっと安堵に息を吐いた。

 

「――皆!俺たちの結束が勝ったんだ!!よく我慢した!!」

 

 わぁっと歓声が上がる。

 生きている。誰も食われなかった。

 見渡せば、集落は玄関から放り投げられた物が散乱し、見るも無惨な姿だ。

 それでも初めて出会った狼人(ライカンスロープ)の捕食者を相手にこの被害のみと言うのは誉められて然るべきではないだろうか。

 良かった、良かった、と誰の命も取られなかったという一番の功績に肩を抱き合う。

 

 ナツも檻の中から手を叩いた。

 

 ドレヴァンとサイオーバは、念のためにナツに確認しなければならないことがある。

 大切な群れの皆に礼を言われながら、二人は檻へ向かった。

「ドレヴァン!サイオーバ!誰も殺されなかったね!」

 ナツは嬉しそうに笑い、拍手をしてくれる。

「ナツ、ひとつ聞いてもいいか?」

「なぁに?戦勝祝いに欲しいものとか?」

「いいや。悪魔召喚についてだ」

 ナツは何を言われているのかさっぱり分からないと言うような雰囲気だった。

 五つだか七つだかで狼人(ライカンスロープ)の集落に入ったのだから知らなくても無理はない。

「……知らないか」

「聞いたこともないなぁ。野生の悪魔じゃないの?」

 ナツはあっけらかんと言った。優しい手つきで檻から伸ばした手で近くの子供の頭を撫でながら。

「じゃあ、あれは小人間(ハーフマン)が――いや、トラ吉じいさんがやったことではないのか……」

「トラ……吉……」

 それまで子供の頭を撫でていた手はだらりと下ろされ、瞳は空洞になったかのように真っ暗になった。

 元々夜なので明るかったわけではないが、まるで常闇に囚われたかのようにその瞳は光を失った。

「……じいちゃん……」

 魂が抜けたように繰り返す様子は何かがおかしかった。

「……ナツ?」

「トラ吉じいちゃん……トラ吉じいちゃん……!!トラ吉じいちゃーーん!!トラ吉じいちゃーーん!!」

 ナツは何度もトラ吉を呼んだ。

 すると、ドカッと上の方で何か音がした。

 狼人(ライカンスロープ)達は檻の屋根の上の十二個の赤い瞳を見るとギョッとした。

「あ、悪魔!?」

 悪魔達はスルリとナツの檻の中へ入り込んだ。

「トラ吉じいちゃん……?」

 ナツの質問など全く聴こえていないようだった。悪魔達は置いてあるタンスをひっくり返し、中にある小人間(ハーフマン)達の服を取り出す。取り出しては破る。

「や、やめて!!それは、それは里の皆の!!」

 悪魔は大笑いしながら次々と服を破り捨てた。

 

 これは、どう見ても狼人(ライカンスロープ)達への報復だ。

 一人も食えなかった腹いせ。

 この悪魔はトラ吉とは無関係に違いなかった。

 

 花瓶を割り、置いてある食器を割り、ナツのために皆が用意したおもちゃをメチャクチャにした。

 ペットの小鳥の檻はギュッと二匹の手によって潰された。中で鳥がジタバタともがいて鳴いている。

 雉の剥製は首を落とされ、何もかもが、そう。何もかもが破壊された。

 

「ギェ」

 

 一人の悪魔が呟くと、悪魔達は一斉に檻を抜けて飛び去っていった。気の狂ったような笑い声を残して。

 

 あっという間の出来事に、皆呆然として動けなかった。

「……そんな……」

 ナツは放心し、そのまま倒れた。




同胞食った奴らのところで不老不死とかやめたげてよぉ……。

平日が始まってしまったせいで流石に次の話が書けてないです!!
でも、そう時間はかからない予定です!もう半分かけてるもんね!


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#159 閑話 その頃の子供達

 神都、大神殿。

 円筒形の白亜の石柱が立ち並ぶ中心に儀式のプールはあった。

 全ての床は大理石でできていて、春の太陽が優しく水面に反射していた。

 美しく神秘的な場所だが、今日は少し雰囲気が違った。

 

「はぁー。こんなん神官でやればいーじゃん」

 デッキブラシを肩に担いだクレマンティーヌは心底めんどくさそうに言った。

 その姿は短パンに、袖を捲り上げてタンクトップのようになった訓練着で、まるで夏休みの少年。

 隣にいるレイナースも同じく訓練着。シャツは濡れないように結ばれているため、へそが見えていた。

「平和なんだからたまには掃除くらい手伝わないとダメよ。それに、フラミー様のご指示で神官も結構出払ってるんだから」

 相変わらず優等生の発言だ。

 フラミーはつい先日、魔法を使える者が一人もいない未発見の島に行ってきたらしい。

 いつもは冒険者に任せているフラミーだが、神との接続をする者が一人もいないので流石に見かねて自ら出向いたのだろう。

 流石は神、と言った所だ。

 レイナースはうっとりと神殿に戻ってきたフラミーの姿を思い起こした。近頃は一緒に旅にも行けていないし、間近で神の威光に触れたのは久々だった。

 番外席次も犬のように尻尾を振って――尻尾はないが――喜んでいた。

 

 そんな番外席次は今、柱の作る影で早速休み始めていた。

「面倒くさい。イオリエル、あんたが私の分も働きなさい」

 イオリエルはピッと額に手を当てて敬礼した。

「っはい!お姉様!此方(こなた)が見事に綺麗にして来ますじゃ!」

「よろしく」

「よろしく、じゃねーだろ。おめーもやんだよ!何一人で優雅な時間過ごしてんだよ!」

 クレマンティーヌが首根っこを掴み上げると、番外席次はこれ以上ないほどの極寒の瞳を向けた。

「クインティア、気安く触らないでくれる」

「ネイアが魔法ゼロ島に行ってていねーんだからちゃんと働けや!!」

「ふん、陛下方が使いもしない儀式のプールを掃除して何になるっていうの。 私はお断りよ。無意味な事はしない主義なの」

「陛下方が使うっつーならやるんだな!」

「当たり前じゃない。一々うるさいわね。でも、陛下方はこんな場所で儀式なんかしなくてもこの世の全ての魔法をお使いになるわ。ここははっきり言って――」

 番外席次は儀式のプールにじっとりとした視線を送った。

「――鴨の巣よ」

 クレマンティーヌも番外席次の視線を追う。

 

 そう、今儀式のプールはほとんど使われる事がないため、少し油断をするとすぐに渡鳥達が水浴びに立ち寄ってしまうのだ。

 今年に至っては大神殿で鴨が産卵してしまい、小鴨が列を成している。

 鴨達は涼しい顔をして儀式のプールを上がると、中庭に食事をしに出かけていった。

 クァックァックァッと鳴き声が響く。

 プールには(つが)いで、まだ産卵をしていない鴨達が幸せそうに寄り添っている。

 

「……鴨の巣じゃなくすために今から掃除すんだろーが」

「そう。精々綺麗な鴨の巣を作ってやりなさい」

 

 番外席次がフンと顔を背けると、クレマンティーヌは首根っこを掴んでいた番外席次をぽいっと投げ捨て、素足でプールへ駆けた。

 

「おめーらぶっ殺されたくなかったらとっととプールを出やがれやぁ!!<疾風走破>!!」

 

 こんな所で武技を使い、ウオオオオ!と雄叫びをあげ、高くジャンプしてプールの中へ着水する。一気に水があたりに飛び散り、ものすごい勢いで鴨達が逃げ出していく。

「――キャ!ちょっと!クレマンティーヌ、掛かったじゃない!」

「わぷぷぷ。はは!気持ちいいのう!」

 レイナースは心底不愉快そうだが、イオリエルは嬉しそうだった。

 

「レーナ、少しはイオリの純粋さを見習った方がいーんじゃないのー?激風に振られるといよいよ嫁の貰い手なくなるよー」

「あんたこそ今のままじゃ婿もできないわよ!」

「男?いーらね。まぁ、子供は欲しいからどっかで男引っ掛けて来よっかなー」

「引っ掛ける?子供は母上と父上が愛し合うとできるんじゃなかったかの?」

「違うちがーう。愛はなくてもセ――ッヴ」

 クレマンティーヌが軽やかに何かを言おうとした瞬間、顔面にモップが突き刺さった。

「クインティア、あんたにはモップで顔を洗わせてやるわ。感謝しなさい」

 仁王立ちする番外席次にクレマンティーヌはプールに浮かびながらピースサインを送った。

「さ、さんきゅー……」

 

 そんなこんなを乗り越えて紫黒聖典が渋々プールを掃除していると、廊下の向こうから賑やかな声がして来た。

「今日もきっといるよ!」

「初めて見るのです。食べたことしかないのです」

「ナザリックにも鴨みたいな魔物はいるけど、本当の鴨はいないもんね」

 そんな話をしながら姿を見せたのは、ナインズとアルメリアだった。それから、一郎太と二郎丸、クリス。

「キュータ様!」

 イオリエルはすぐにバシャバシャとプールから上がった。

 クレマンティーヌとレイナース、番外席次も挨拶の為にナインズの下へ向かう。アルメリアはナインズの後ろに隠れた。

「あれ?イオリ、こんな時間にプール入ってたの?」

「そ、そうなんじゃ!よかったらキュータ様もご一緒にどうですじゃ!掃除してたんじゃが!」

 後について来ていた一郎太は少し眉を寄せた。

「イオリエル、掃除って、そりゃキュー様を誘うことじゃないだろー」

「あ、そ、そうじゃな。一郎太様の言う通りじゃ」

「はは。僕は別に構わないけど。それより――皆さん戻ってください」

 紫黒聖典はきちんと膝をついて迎えていた。イオリエルに対して言いたいことはあったが、学友と言う立場なのだから仕方がないのかもしれない。クレマンティーヌ達は頭を下げると立ち上がり、邪魔にならないようにプールに戻って行った。

 

「キュー様、この子誰ですか?」

 二郎丸が尋ねると、ナインズはイオリエルを示した。

「僕の学校の友達だよ。二の丸は初めてだよね。イオリエルって言って、ルナちゃんの妹みたいなものだよ」

「へぇ〜?サロンにはいませんでしたよね?」

 二郎丸はイオリエルに近付き、じろじろとその様子を確認した。

「は、初めましてじゃな。此方はイオリエル・ファ・フィヨルディアじゃ。紫黒聖典の訓練があるから、放課後のサロンは行けんのじゃ」

「そうなんだぁ。よろしく。ボクは二郎丸。いち兄の従弟だよぉ」

「兄弟ではないんじゃな。よろしく」

「殆ど兄弟だよ!」

 二郎丸とイオリエルが握手していると、一郎太はプールに向かい、ナインズとアルメリアもその後について走った。

 

「ナイ様、鴨いないですねぇ?」

「本当だね?お掃除でいなくなっちゃったのかな」

「つまんないのです。せっかく見に来てやったのに」

「あ――ほら、見てあっち」

 

 ナインズが指差す方にクレマンティーヌは振り返り、食事を終えて戻ってきた鴨の親子にウガァ!と両手を上げた。

 鴨達はそそくさと中庭のある方へ戻って行った。

 

「っわ、クレマンティーヌさん。どうしたの?」

「今私らはプール綺麗にしてるんすよ。あいつらうんこ垂れるから。それで?殿下方はどーしたんですか」

「鴨見に来たんだよ?」

「……まじで?」

「まじで」

 クレマンティーヌはそっとデッキブラシを下ろした。

「じゃー掃除はここまで!」

 そう言った顔は非常に爽やかだったが、レイナースが耳を引っ張ると途端に歪んだ。

「ちょっと、クレマンティーヌ!鴨はどっかに放さないといけないでしょうが!」

「い、いってぇー!殿下方が見たいっつってんのに鴨を他所に逃すとか正気か!?」

「正気よ!」

 

 さらに空から飛んで鴨が戻って来る。アルメリアはプールの中に靴ごと足を浸して座ると、鴨に両手を伸ばした。

 

「殿下方、申し訳ありませんが、儀式のプールから鴨はお引っ越ししなければいけません」

「うーん、仕方ないね。リアちゃん、鴨さん今日までなんだって」

 アルメリアは寄ってきた鴨を抱っこすると優しく頭と背を撫でた。

「可愛いのです。人間に追い出されるなんて可哀想です」

 鴨が羽をジタバタさせながらアルメリアの膝に乗ると、アルメリアはそれを真似るように羽をバサバサと揺らした。

 

 アルメリアは生き物によく好かれる。知能のある生き物なら理性で耐えられるほどの、彼女が垂れ流す<魅了(チャーム)>の魔法のような何かが惹きつけるようだ。もちろん、来るようにと意識しなければ来ないが。

 

「そうだね。――鴨、どこに逃すんですか?」

「とにかくここから逃がせば皆どこかしらで暮らすと思いますわ」

「大人の鴨は平気そうだけど、さっきいた子供の鴨はそれで大丈夫かなぁ」

 相手は水辺にならどこにでもよくいる鴨達なので、レイナースはあまり深く考えていなかった。だが、言われてみれば小鴨はどこでも見かけるようなことはない。

 クレマンティーヌに助けを求めるように視線を送ってみる。

 だが、頼りになる時は頼りになるはずのクレマンティーヌは仕事終了の合図に口笛を吹いていた。全く頼りにならなかった。

 

「……少し考えさせていただきます」

「それならさ、僕子供の鴨逃す良い場所知ってるよ!」

「どちらですか?」

 レイナースが首を傾げると、イオリエルが「あ!」と声を上げた。

「学校の池じゃな!」

「そう!学校の池、あそこなら安心して暮らせると思うんだあ」

「――なるほど。そうしても良いか確認を取って参りますので、少々お待ちください」

「はーい」

「クレマンティーヌ、行くわよ」

「……隊長私なんだけどー」

 レイナースとクレマンティーヌが共に立ち去っていく。

 

 アルメリアは鴨に埋もれるように笑っていた。

「ふふ、愛らしい奴らです。お前達は賢い良い子ですね」

「リアちゃん、鴨さん好きになった?」

「好きです!」

 クレマンティーヌがいなくなった所で鴨の親子も戻ってきた。真っ直ぐにアルメリアの方へ向かって歩いて来ると、そのそばに寄り添って座った。

「この子達もいつか空を飛ぶようになります!」

「そうだね。大きくなるのが楽しみだね」

「はい!」

 ナインズがアルメリアの頭を撫でていると、その後ろで二郎丸が構えた。

 

「――クリス、待ってる間に訓練やろうよ!こないだは負けちゃったけどさ!」

 真剣な眼差しで告げると、クリスは申し訳なさそうに地面を見つめた。

「でも……」

「次は僕が必ず止められるように、ね!」

「……じろちゃん……。……そう、ですね!ふふ、じろちゃんに止めてもらうためにも、やりましょう!」

 クリスは晴れやかに笑うと、スッと腰を落として脇を締めた。

 二人の間に走る緊張感に、イオリエルはごくりと唾を飲んだ。番外席次は横目で二人の様子を伺った。

 

 そして、二郎丸が告げる。

「クリスから来て良いよ。女の子だもんね」

 二郎丸はクリスの暴走時を想定しているのだから、女の子だからと言うよりもクリスを止めるということに重きを置きたいようだった。

 思いやりが温かかった。

「……ありがとうございます。じゃあ、行きます!!」

 クリスが駆け出し、拳を振りかぶると、二郎丸はそれを両手で受け止めた。じぃん……と両手に痛みが広がる。

「じろちゃん、腰が引けてますよ!」

「――これなら!!」

 二郎丸が下から拳を振り切ると、クリスはそれを避け、軽いステップを踏んでから足を一気に回した。

「避けて下さいね!!」

「っこのくらい!」

 セバスによく鍛えられているクリスの蹴りの切れ味はさすがとしか言いようが無かった。

 避けずに足を掴んだ手にはっきりと痛みを感じる。しかし、離さない。二郎丸は一気にクリスを放り投げた。

 クリスは空中で身軽に体勢を変え、柱にトンと足をつくと、思い切り柱を蹴って二郎丸へ向かう。

 クリスの手にゾワリと竜の鱗が浮かび、二郎丸を貫こうとする拳が迫る。

 顔を守ろうとした手に、トン……と優しくクリスの拳がぶつかった。

「じろちゃん、また私の勝ちです!」

「えー!もっかーい!」

 二郎丸がジタバタすると、ナインズがローブを脱いで立ち上がった。

 

「――二の丸、僕とやろう」

「え?ナイ様とですか?」

「うん!早くレベル上げたいのは二の丸だけじゃないんだよ」

 ナインズが笑うと、二郎丸は遠慮がちに構えた。

「じゃあ……」

「思いっきり来て良いよ」

「二の丸頑張れよー」

 一郎太から応援が飛ぶ。

「来い!二の丸!」

 二郎丸はナインズからの声かけに地を蹴った。本気の拳をぶつけると、ナインズは嬉しそうに笑った。

「なんか懐かしいなぁ!」

「っこの!!」

 一郎太とナインズが笑い声を上げる。二郎丸は指導されるように何度も拳を繰り出した。

 いつしかナインズの額には汗が浮かんでいった。

 

「――流石にスタミナは二の丸の方がありそうだな」

 一郎太の呟きにクリスが頷く。

「長期戦に持ち込めば、流石に魔法戦士には負けないかもしれません」

「それもナイ様が魔法を使わなければの話だけどな」

 二人の拳は何度もぶつかり合う。ただ、ナインズからの攻撃は全てが寸止めに近い。

 ぶつかった手を握って押し合うと、ナインズがふと力を緩めた。

「二の丸、たんま」

「――あ、はい!」

 押し合っていた手を離すと、ナインズは暑いので魔法のかかってないシャツを脱いでプールのそばに放り捨てた。

 おかっぱの髪を一つに括り、先程と同じ体勢に戻る。

「……本気ってことですか?」

「そうだね。でも、なるべく痛くしないよ」

「ボクはそういうの出来ないです。ナイ様、痛かったらごめんなさい」

「良いよ。すごく痛かったらイオリに治して貰おうかな」

 上半身裸のナインズを前に顔を赤くしていたイオリエルは何度も頷いた。

「お、お任せくださいなのじゃ!!」

「外の訓練も悪くないね。行くよ!二の丸!!」

「はい!!」

 同時に駆け出し、同時に繰り出した拳がぶつかり合うとナインズは痛みに一瞬顔を歪め、二郎丸も唇を噛んだ。

 ナインズがとっている戦士職のレベルはまだ低いので、一郎太と組手をするよりも二郎丸と組手をする方がある程度力は近い。だが、一郎太と組手をする方が楽だ。

 と言うのも、手加減は一郎太の方がずっとうまいので痛みは少なく、余計な力が入ることもない。それに、お互いのことをとても良く理解しているので、言わずとも多くのことを察しあえる。

 ナインズと二郎丸は程々の痛みの中で訓練を続けた。

 

「――そこまで!」

 一郎太の声に、ナインズは腕を下ろし、ふぅ……と息を吐いた。

「一太、何点……?」

「へへ、百点」

「百点ってことはないでしょ」

「本当に百点ですよ。二の丸も百点だぜぇ!」

「本当に!」

「本当。二戦目なのにお前スタミナあんなぁ」

「へへへぇ」

 二郎丸が嬉しそうに鼻の下をかく。

 

 すっかりバテたのでナインズは床に転がった。

「あぁ〜疲れたぁ」

「はは。クリス、お前一応水持ってきてるよな?」

「はい!ナインズ様、こちらを」

 クリスに差し出された水を一気に飲み、ナインズはハァ!と息を吐き捨てた。

「ありがと〜」

「いえ!タオルもあります!」

「クリスは汗かかなくてすごいなぁ」

 背中や額をわしわしと拭いていく。クリスは首を振った。

「とんでもないです。私、短期決戦タイプですから。長くやるとびしょびしょです」

「そっかぁ」

 タオルと水筒を返すと、アルメリアが放り捨てられている服をナインズに差し出した。

「どうぞなのです」

「リアちゃん、ありがとう」

 魔法の装備と違って制服は汚れがついてしまう。ナインズはパッパと軽く埃を払ってから服に袖を通し直した。

 結んでいた髪も下ろして完成だ。

 二郎丸とクリスが反省会を開き始めるとクレマンティーヌとレイナースが戻った。

 

「――殿下、学校の池に鴨を放す許可が降りました」

「本当に!じゃあ行こうか。リアちゃん、皆のこと呼べる?」

 好き勝手にプールを泳ぎ始めている鴨をアルメリアは手招いた。

「皆、お引越しですよ」

 鴨達はすいすいとアルメリアの下へ寄ってきた。

 アルメリアは手に持っていたローブを着こみ、ナインズは仮面を顔に着けた。

 ギュッとローブのフードを引っ張ってアルメリアもポケットから眼鏡を取り出して掛ける。

「――じゃあ、皆さんはお掃除頑張って下さい。鴨は僕達が放してきますから」

「あ、我々も護衛として行きますわ」

「大丈夫です。学校まではいつも行ってるし」

 レイナースが心配そうにするが、ナインズはアルメリアの存在に気付いた街の人がアルメリアをジロジロ見たりすると嫌なので、目立つ護衛を連れて行きたくなかった。

 

「行こう」

「はいです」

 歩き出したアルメリアの後ろを鴨達が続く。ナインズにはできない芸当だ。

 ぞろぞろと神殿の中を子供と鴨が歩いていく。

 すれ違う神官達は実に微笑ましそうにその様子を見送った。アルメリアは今眼鏡の効果によって存在感が薄いので気付かれたり、気付かれなかったりだ。隣にナインズや一郎太と言う存在感の大きな子供がいればいるほど気付かれにくい。

 

 一行は神官通用口から出るため、後をついて来ている鴨を抱き上げた。

「ふふ、お利口なのです」

「可愛いですね!アリー様!」

 親鴨をアルメリアとクリスが抱き上げると、一郎太と二郎丸は逃げようとする小鴨を拾ってはポケットに詰め込んだ。

「一太、二の丸持ちきれる?」

「平気ですよ!ナイ様はあの大人の鴨持ってください」

「分かった!」

 全ての鴨を抱きかかえ、前庭を抜けた。

「――じろじろ見てきて不愉快です。鴨の方がずっとお利口です」

 アルメリアがムッと頬を膨らませる。たくさんの大人の好奇の目が気に入らないらしい。

「まぁまぁ。鴨を抱いてる子供が珍しいんだよ」

「あの人間なんて、お兄ちゃまに祈ってます」

「ははは、本当だねぇ」

「何祈ってるんです?」

「うーん、それがねぇ。何も聞こえないんだぁ」

 ナインズは苦笑した。

 大人達にじろじろ見られたり、途中で知らない子供の集団が鴨を撫でたりしながら何とか一行は学校に辿り着いた。

 放課後の校庭はサッカーをしている子供がいた。

 

 鴨を抱く一行が校門を潜ると、校舎からバイスが駆け出して来た。

「キューター!一郎太ー!」

「バイス先生、ただいまぁ」

「バイスン、おーっす」

 バイスは二人の前でキキっと急ブレーキをかけると、一郎太に向かって「バイス先生だろ!」と怒ってから続けた。

 

「それが連絡にあった、池に放したい大神殿の鴨なのか?」

「あ、そうです!子供もいるんですよ!」

 親鴨を抱くナインズが一郎太のポケットを指さす。

 クァクァ騒がしい子鴨達は無垢な瞳でバイスを見上げた。

「……こんなのよく捕まえてここまで連れて来られたなぁ。陛下方のお力か?」

「いえ、僕の妹ってすごく好かれるんです」

 バイスは子供の顔を一人づつ確認した。

 キュータ、一郎太、一年生のミノタウロス、一年生の怒ると怖い女の子、――銀色の髪をお団子にした眼鏡をかける女の子。

 その見た目は光の神を小さくしたような具合で、バイスは慌てて膝をついた。

「――アルメリア殿下、失礼いたしました。先日少しお会いしましたが、私はお兄上の担任、ジョルジオ・バイス・レッドウッドです」

 

 アルメリアはバイスを眺め、目を細めた。

「お前、お兄ちゃまに物を教えられるんですか?」

「畏れ多くもお教えしております」

「お兄ちゃまは何でも知ってますよ。それでも、お前の方が賢いんです?」

「……た、多分」

 見た目は光の神のようだと言うのに、中身は闇の神のようだった。

 バイスがくしゅくしゅと小さくなって行くと、ナインズは鴨を抱いたまま笑った。

「バイス先生はすごい先生なんだよ。僕がナザリックで使えるようにならなかった魔法をたった三ヶ月くらいで使えるようにしてくれたんだから」

「き、きゅーたぁ!」

 バイスは感激している様子だった。

「そうですか。思ったよりは賢そうです。お前にはこの子達の新しいお家まで案内する栄誉を与えます」

「あ、ありがとうございます」

「行け」

 アルメリアが告げると、バイスは最初誰がナインズだか分からなかった頃を思い出した。

 殿下と言うくらいなのだから、きっとこう言う子供だろうなと想像していた雰囲気そのものだ。

 ナインズは想像に反して、誰にでも真に平等で、穏やかで、決して高みから物を言わなかったが、このアルメリアの様子こそ誰もが想像する神の子の振る舞いのように思えた。

 どちらの方が良いとは言えない。

 アルメリアの物言いは神の子として当然だと感じるし、ナインズの優しい様子も神の子だからこそと感じる。

 

 池に着くと、バイスは鴨を放してやる子供達の背を眺めた。

 

 鴨は放されるとアルメリアを囲むようにして一向に池に向かわなかった。羽の裏を嘴で掻いたり、その場に座り込んだりしている。

 アルメリアも池の淵に座ると一人一人の頭を撫でてやった。

「――お前達は本当に賢いですね。良い子です」

 鼻歌を歌い始めると、どこからともなく小鳥や蛙も出てきてアルメリアを見上げた。

 まるで絵本の一ページのように生き物達がより集まって来る様子は、それだけで奇跡に見えた。

「……キュータ、これは……」

「皆リアちゃんの事大好きなんです」

 大好きなんて言う言葉だけで説明しきれるとは思えない現象だ。

 クリスがアルメリアの隣に座り、一緒に歌う。天使が二人地上に舞い降りたようだった。

 ぴったりと肩を寄せ合う二人は、蛇が近寄って来ても何の恐れも抱かなかった。

 だが、通りかかった子供が「あ!鳥さんたくさん!!」と大きな声を出すと、アルメリアは肩を揺らし、動物達も蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

「……いなくなりました」

「アリー様、また呼んだら出てきますよ!」

 クリスが言うが、アルメリアはブッと頬を膨らませ、生き物がいなくなったことを残念がる愚かな子供達を睨んだ。

 子供達はアルメリアの存在に気が付いている様子はなく、ナインズを見ると頭を下げて立ち去っていった。

「……帰る」

 アルメリアも立ち上がり歩き出そうとすると、ナインズはその手を取った。

「――リアちゃん、待って」

「お兄ちゃま、もう帰りたいのです」

「でも、皆着いて来ようとしてるよ」

 振り返れば、一度池に逃げ入ったはずの鴨達が岸に上がり、アルメリアの後ろに着いて来ようとしていた。

「……愛らしいのです」

「そうだね。皆にまた来るからって言ってあげて」

 

 アルメリアはふっと息を吐いてから告げた。

「――お前達をナザリックに連れては帰れません。お前達はここの世界の大切な一部です。ここでの役割を果たしなさい」

 しかし、鴨達はお構いなしにグァグァ鳴きながらアルメリアの後ろに並んだ。

「……行け。また見に来てやりますから」

 言っていることが分かるのか分からないのか。鴨達はもう一度アルメリアを見上げてから池に帰っていった。

 

「明日も来ようね」

「そうですね。授業が終わったら、またここに来ます」

 

 一行は来た道を戻り、大神殿を潜ってナザリックへ帰還した。

 

 ナインズは与えられている自室に帰ると、そばにいるメイドを手招いた。

「フォス、お母さまがいないから一緒に荷物詰めてぇ」

「はい!ナインズ様!」

 フォスは勇み足でナインズのそばに行き、お泊まり用バッグを開いた。

 今日、アインズとフラミーは出先で残業なる仕事があるらしい。

 こういう時は第六階層に泊まるのだ。

 お泊まり会はナインズの大好物。

 

 必要なのはパジャマ、明日着る制服や授業に使う物、歯ブラシ、お風呂で使うタオル、ヘアバンド、ボディークリーム、くし、いつも付けている耳飾り、ハンカチ、皆でやるトランプ、その他もろもろ。

 

 全てが詰め終わると、荷物の半分をフォスに持たせ、アルメリアがいつもいるフラミーの部屋へ向かった。

 ノックをしてから入ると、アルメリアはメイドとクリスに荷物の準備をさせている所だった。

 

「リアちゃん、行く?」

「行きます。やれやれです。お母ちゃまの羽じゃなきゃよく寝られないのに」

「明日には帰ってくるからね」

「分かってます」

 

 アルメリアは頬を膨らまし、第九階層を後にした。

 

 第六階層につくと、一郎太と二郎丸が三人を待っていた。

 クリスもアルメリアのために、共にここにお泊まりだ。

 

 泊まり先は水上ヴィラ。

 

 日中には知恵者たちがよく寄り集まっている所だが、子供たちはここが好きだ。

 

 戦闘メイド(プレアデス)達が布団の用意をし、明日の朝また来ると声をかけて去っていく。

 

 子供達の時間は幕を開けた。




あ〜悪魔夕方に放ったから、流石に御方々も今夜は泊まりなんですねぇ。
紫黒聖典書きたかっただけじゃないですよ!


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#160 血塗れの道

 もう嫌だ。

 もう死にたい。

 もう耐えられない。

 

 泥沼の心の中を必死にもがく。

 

 ナツは、里の皆に、食われた皆の遺品を持ち帰ることを一つの道標にして今まで生きてきた。と、いうことを思い出した。

 自分がどれだけの時間をこの集落の檻の中で過ごしたのかは、もはや分からない。

 だが、皆の遺品は壊された。

 誰かの服一つだけが悪くなったりしないように毎日毎日違う服を着た。何が何だか分からなくなってからも、体が違う服を着ることを覚えていた。

 今になって、ボロ切れに成り下がった布を見ると、全ては色褪せ、薄くなって今にも破れそうだった。

 雑巾の方がましなような有様だ。

 

 ナツは悟った。

 トラ吉や皆が生きているなら、いつか助けに来てくれると信じてきたが、皆もうナツは死んだと思っているだろう。

 布がこんなに色褪せて、薄くなって。

 それだけの年月が経ってしまったのだ。

 里に帰れば、この間、雲を食べたと言っていたカツ太が生きているだろうし、トラ吉だって生きている。

 もしかしたら、皆もっと不老不死になって、ナツの祖父母も、皆いるかもしれない。

 だが――母の顔すらもうおぼろげだ。皆の顔ももう忘れてしまった。

 なんなら、自分がどんな顔をしているのかもよくわからない。

 

 嫌でも時間の経過を思い知らされた。

 今はあれから一体何年が経ったのだろう。

 最初から不老不死の雲なんか食べたくなかった。

 こんな場所で不老不死なんかになりたくなかった。

 同胞を殺し、貪り食う野蛮な生き物の中で飼われるなんて。

 同胞の肉を喰らい、殺される様を目の前で見せつけられて生き続けるなんて。

 

 ――そう言う気持ちを思い出した。

 

 ずっと忘れていた。

 長らく聞くこともなかったトラ吉の名前を聞くまで、忘れていたのだ。

 

 仲良くしてくれる優しいオオカミさん達。

 私には牙も爪もないのに、こんなに良くしてくれる。

 幸せだ。

 

 そう思ってしまっていた。

 

 ナツ本人は自覚がないが、長い時間孤独と恐怖に彩られた十数年間は、ナツの精神を破壊するには十分だった。

 ストックホルム症候群に陥った彼女は、狼人(ライカンスロープ)達のことを「いいひと」「やさしい」「小人間(ハーフマン)を殺すのも食べていくため」「自分だけは特別に生かしてくれている」「幸せ」と心底思っていたのだ。

 そう精神を変容させなければ、もはや死ぬしかなかっただろう。

 生きるための、ある種の生存戦略。

 ナツはそうやって自らを偽り、今日まで生きながらえてきたのだ。

 

 だが、正気に戻る――その時は唐突に訪れた。

 ナツは気を失ったように眠り、同胞の目玉や脳みそを食わされた日のことを夢の中で何度も見せられた。

 知っている者もいた。

 知らない者もいたが、見かけたことがある者もいた。

 皆生きたまま逆さにつれて血を抜かれ、痛みにもがき苦しみながら死んでいった。

 そして、皮を剥がれ、骨を砕かれ、肉を裂かれ、全ては食べられてしまった。

 もしくは、その辺に皮を剥がれた状態で打ち捨てられ、全身にウジが沸いていた。

 耐えられない。

 もう耐えられない。

 

 夜明け前、ドレヴァンが心配そうに檻を覗き込んだ。

 

「ナツ、大丈夫か?食事を持ってきたぞ?」

 

 この虫籠のような家にそっと食事を置いていく。

 ナツは寝たふりを続けた。

「どうだ、ドレヴァン」

「あぁ、サイオーバ。まだ寝てるみたいだ」

「夜中に起きたから疲れたんだろう。そっとしておいてやろう」

 二人はごそごそと檻の中で何かをした。

 早く出ていけと心の中で祈る。

「服はどうする」

「気に入っていたんだ。勝手に捨てない方がいいだろう」

 そう一言二言交わし、二人はすぐに檻を出ていった。

 

 日が昇りだし、狼人(ライカンスロープ)が一人もいなくなる頃。

 ナツはようやく布団から顔を出した。

 

「……なんでよ」

 

 ナツの視線の先には、三食分の豪華な食事と、二回のおやつ。

 さらに、修理されたタンスと、新しい鳥籠。

 

 襲撃された昨日の今日で集落中の家が復興しきっていないことなど見ればわかる。

 皆悪魔達に家中めちゃくちゃにされたのを直しきれていない。なのに、ナツのタンスと鳥籠は一番に直してくれた。

 

 ナツは頭を掻きむしった。

 

 もはや、顔も覚えていない同じ小人間(ハーフマン)達の下へ帰りたいという思いは嘘のように色褪せ始めていた。

 だが、こうして同胞の仇に飼われ優しくされ続けることも堪らない。

 

 ナツは決めた。

 

 飼っている鳥のピスケが入る新しい鳥籠を開け放つ。

 ピスケは鳥籠から外を眺め、右へ左へ首を傾げていた。

「……行って。自由に生きて」

 ナツがピスケを籠から取り出し、空へ向けて飛ぶことを促す。

 手の上で数度跳ねたピスケはついには翼を広げて飛び立った。

 ――が、すぐに籠に戻ってしまった。

「な、なんで。自由なのよ?あんたにも親や兄弟くらい……」

 ピスケはナツをまっすぐ見ていた。

「……私を親か兄弟だと思ってくれてるの……」

 籠から出てきたピスケはナツの肩に飛び乗り、調子良さそうに座り込んだ。

 ナツの目頭に熱いものが浮かぶ。

「……おしまいまで、そばにいてくれる?」

 ピスケはチュンチュン鳴き声をあげた。

 

 ナツはピスケを肩に乗せたまま、引き裂かれた服を一つ一つ集めた。

 へたった服達は強い力が掛かれば破れてしまいそうだと言うのに、なぜ今まで気が付かなかったのだろう。今日までずっと、頭の中にもやがかかって、霧の中を生きているようだった。

 ナツはボロボロになった服から、糸を一本づつ抜いて束にした。

 太い太いロープになると、それで髪をくくり、数度深呼吸する。

 

 思い返しても碌でもない人生だった。

 たった六つの晩。家で親兄弟と寝ていた。

 家の裏に立つ(かわや)に行ったその時、突如現れた大きな影に捕まった。

 あの時厠になんか行かなければ――何度そう思ったか知れない。

 

 だが、後悔しても過去は変わらないし、もう戻ることもできない。

 ここで生き続けるしかない地獄にどれだけの未練があるだろう。

 

 ナツはここに囚われ、初めて檻の扉へ向かった。

 良い狼人(ライカンスロープ)さん達、と思っていた頃も外へ一歩も出なかったのは、やはり恐怖によるものだろう。目の前で同胞が残酷な方法で殺されているのを見ているのだ。万が一誰かに見つかって、同じ目に遭わされでもすれば――そう思えば、どんな強者であっても扉に近付くことすらできないだろう。

 

 扉は、錠前を掛ける部分があるが、もはや錠はかけられていなかった。

 外に手を出し、外にだけあるノブを捻る。

 ほどほどに手入れがされている檻は何の抵抗もなくキ……というわずかな音だけを上げて開いた。

 

 ドレヴァンは昔は確かにこの扉に錠をかけていたと思う。

 ナツの心が閉ざされ、ナツの全てが上書きされた頃。

 朝までナツと語らう狼人(ライカンスロープ)もいたくらいなのだ。

 子供の狼人(ライカンスロープ)が寝る直前に、ナツが日中に作ってやったコナツ人形を貰いにきたりもした。

 ナツの檻は、普通の家と何ら変わりなく、皆自由に出入りのできるものになっていた。

 自由を与えられるナツが出ていかない事を、狼人(ライカンスロープ)達は一層可愛いペットだと思っていただろうか。よく懐いていると。

 

 ナツは六歳の時以来、初めて檻を出た。

 肉付きの良い足は恐怖からガクガクと震え、檻によって線が引かれていない景色に涙した。

 

 そばで草が揺れる。

 

 ナツは転げるように檻に戻り、蹲った。

 

 ただの鳥だった。

 全てを取り戻したナツには、血祭りにあげられる恐怖が鮮明に存在した。

 

 自由があるというのにまた檻に戻った自分を、ピスケに重ねてまた泣いた。

 

 だが、ナツは決めたことがある。

 

 やらなければならないことがある。

 

 再び震える足で檻を出た。

 ピスケはナツの側をとことこと両足で跳んで歩いた。

 

 檻から離れれば離れるほど不安感は強くなった。檻のことを心の底から家だと思っているのだ。

 

 本能が囁く。

 家に戻って休もう。

 あそここそが私のいる場所。

 少し寝れば気持ちも落ち着くよ。

 

 ナツは必死に本能の甘い呼びかけに蓋をし、数々の同胞が小さな籠のような檻に詰め込まれ、手足を落とされて飼われていた倉庫へ向かった。

 倉庫の入り口にかかる動物の皮を暖簾のように手で押し除け、小さな体で音もなく侵入する。

 中は鼻がもげるほどに血生臭かった。

 ヌークの肉がいくつも吊り下げられている。

 悪魔達はここも襲ったようで、辺りは散らかり切っている。

 お目当てのものを探す。

 

 あの日、あの時、あの場所で見たアレを。

 

 ナツは銀色に輝く巨大な包丁を手にすると、それに映る自分の顔を見た。

「……大人みたい」

 お姉さんの顔になった自分をはっきり見たのは初めてだ。

 飲み水に映る顔はいつもゆらめいていたから。

 

 ナツは自分の体ほどもあるような巨大な包丁を手に、ピスケを従えて倉庫を後にした。

 

 そして、檻から一番近い狼人(ライカンスロープ)の家に向かった。

 

 この家の狼人(ライカンスロープ)は、子供と母親の二人暮らし。広場の家――いや、檻から見えていた。

 ナツはこれまで引きずっていた包丁を必死の思いで肩に担ぎ上げ、そうっと家の中へ入った。

 初めてみる狼人(ライカンスロープ)の家の中を繁々と見渡す。

 木のウロのような家なので、決して広くない。物をあまり多く持たない生き物なのか、散らかされていた割にはある程度の水準まで片付けられていた。

 だが、床に置かれたままの物もあるので、それを蹴ったり踏んだりしないように極めて精神を集中して気を付ける。

 ワンルーム状の家は、一番奥で母親と子が寄り添って寝息を上げているのが一目で見えた。

 

 そのままナツは二人へ近づいた。

 

 コナツ人形を幸せそうに抱きしめて眠る子供。

 まだナツと話すと言っては、母親にもう寝る時間だと引きずられて帰って行っていた。

 よく友達に、ナツの一番そばに暮らしているのは僕なんだと自慢しては嬉しそうにしていた。

 

 ナツは子供――チェキータから視線を動かす。

 そして、持ってきた包丁を両手で握り、高く振り上げる。

 目指す先は、チェキータに腕枕をして眠る母親の首。

 

 ナツは母親がよく持ってきてくれた花の匂いを思い出していた。

 母親が「うん……」と声を上げた時、その匂いがしたから。

 ナツは母親のことが好きだった。

 振り上げたまま、包丁を下ろすことができない。

 なんと言っても、チェキータのことを生む前、まだこの母親が乙女であった頃。

 よくナツのところに恋の相談に来たのだ。ナツは恋を知らないが、幸せそうに好きな人について語る姿を今でも覚えている。

 なんなら、彼女が生まれた日に彼女の両親がナツに彼女を見せに来てくれたことも。

 そして、彼女の両親がまだ幼子でナツの牢の周りを駆け回っていたことも。

 

 ――そこまで思い出し、ナツは包丁を下ろした。

 

 ドチュッと音を立て、血が飛び散る。同時に、ピスケは飛んで逃げて行った。

 チェキータ――子供の狼人(ライカンスロープ)の顔に血が掛かると、子供は「……なにぃ?」と目を覚ました。

 昼間は明るすぎる。

 狼人(ライカンスロープ)は咄嗟にはよく見えないだろう。

 瞳孔がキュッと小さくなり、子供は自分の隣に転がる、母親の生首と血をピューピュー吹き出す胴体を見た。

 

「あ……え?え?え?え?え?おか――」

 

 次の瞬間、子供の首が飛んだ。

 日中やることがなかったナツが精を出したことといえば、筋トレと食事とピスケの世話。それから、集落の狼人(ライカンスロープ)へあげるプレゼント作成。

 

 子供の顔は驚愕の形のまま床に落ちた。

 

 ナツは嬉しそうに笑い、再び包丁を肩に担ぎ上げた。

 

+

 

 アインズとフラミーは宿屋の窓から持ち込まれたマジックアイテム達を見下ろした。

 美しい絨毯が敷かれ、その上に五つのアイテムが並んでいた。

 パンドラズ・アクターが一つづつアイテムを手にしていく。

 一つ目は光を放つ不思議な骨。

「――こちらは、光苔だけを食べ続けた偏食のヌークが死ぬと取れる骨のようです。光り続けるマジックアイテムなので冒険者達は喜ぶでしょうが、不老不死とは無関係です」

「そうか。次」と、アインズ。

 パンドラズ・アクターは骨をちゃっかり自分のスペースにしまってから、二つ目――真緑の石を手にした。

「こちらは良い森に稀に生まれる魔石の一種のようです。魔法の力は宿していますが、マジックアイテムというほどではありませんね。土堀獣人(クアゴア)に食べさせたらどうなるか少し気になるところです」

 複数個手に入れるのは難しそうですが、と言葉を付け加え、こちらは元の場所に戻された。

 持ち帰ったデミウルゴスの悪魔は恥いるように指先をちょんちょんと合わせた。

 

「次だ。次」

 アインズの催促により、パンドラズ・アクターは三つ目のアイテム――と言うより、一枚の羽を手にした。

「こちらは……ほう」

 まじまじと羽を見つめる様に、まさかついにとアインズはごくりと喉を鳴らした。

「こちらは、<飛行(フライ)>の効果を宿した珍しいマジックアイテムです」

「ほう?<飛行(フライ)>とは、確かにかなり珍しいな」

 アインズが身を乗り出す。<飛行(フライ)>と言えば第三位階。これがあれば誰でも飛べるとなると、世界は一変するだろう。

「飛空挺計画には使えそうか?」

「は!それは難しいかと思います!」

「何故だ。せっかくの良いアイテムだというのに」

「こちら、<飛行(フライ)>で飛べるのは本体の羽程度の重さのみ――ほとんどのものは持ち上げられず、<飛行(フライ)>を唱えると羽単体が浮かびます」

 アインズはがくりと肩を落とした。

 そうなのだ。この世界では物が自然とマジックアイテム化する事がある。

 騎馬王の矛などはその筆頭だが、あれほど意味も価値もあるマジックアイテムは自然にはそうそう生まれない。

 冒険者達はどんなマジックアイテムでも大喜びをして魔術師組合に鑑定に行くが、本当に役立つ一攫千金のアイテムは中々出会えない。

 

「……次」

 アインズが促すと、パンドラズ・アクターはあんなものをどうするのか、羽をやはり自分のスペースにしまった。

 四つめは枝だ。

 見た目は極めて地味で、全く期待できない。

 結局、森の中で自然とマジックアイテムになるようなものはこの程度なのだ。

「こちら、装備すると魔力が三上がる杖でございます」

「……そうか」

「これは魔杖を作る者達に素材として渡せば相当喜ばれます。冒険者達には良い短杖(ワンド)になるかと」

 いわゆる、冒険者が発見できていたらいい収入になる物ではある。

「適当に売って神殿の資金にしてやれ」

「かしこまりました」

 パンドラズ・アクターは腰からしっかりと頭を下げて「さて……」と、最後のアイテムに正面から向き合った。

 

「……これは大きいですね」

 最後のアイテムは高さがアインズの背ほどもあり、幅と奥行きはフラミーが両手を目一杯広げたくらいある。

 とにかく大きな箱だった。

 

 パンドラズ・アクターはまず鑑定をした後、そっと扉を開けた。

 中からは冷気が漏れ出た。

「こちら、マジックアイテム、冷蔵庫でございます」

「その、ようだな」

 悪魔達は森の中の誰かの冷蔵庫を強奪してきたらしい。中はわずかに汚れていて、つい先ほどまで使われていた雰囲気がひしひしと感じられた。

「……やれやれ。これは返さねばなるまい」

 人のものを盗るなと言わなかったので、悪魔達はきちんと仕事をしてしまった。いや、これがもし不老不死の霧を生み出すアイテムだったら、人のものだろうがなんだろうが強奪してきて正解なのだが。

 

 だが、ここまで徹底してモノを探せる悪魔達だというのに、肝心の不老不死のアイテムは見つけられていない。

 フラミーはパンドラズ・アクターの説明が一通り終わると、部屋の隅でもじもじしていた悪魔を呼んだ。

 

「それで、どうかしたんですか?あなた」

 

 ちょいちょいと手を触れば、悪魔はフラミーの足元へスライディングして駆けつけた。

「ギェギェギェ。ギョ。ギョーギョ」

「ふむふむ」

 アインズはフラミーと悪魔のやり取りを眺めながら、ついこの間あったことを思い出していた。

 

+

 

 その日、アインズは久々にフラミーを連れて食堂へ向かった。たまには皆と食事をとるというのも悪くない。

 食堂に着くと、当然のようにメイド達や男性使用人達が畏まってしまった。

 が、いつも通り過ごすようにと告げ、メイド達に倣ってビュッフェ台に並んだ。

 フラミーと共に食べたいものを選んで取っていると、ふと後ろから聞こえてきたのだ。

 

「今日も疲れたなぁ」

「イー!」

「お前、仕事中か?」

「あ、いや。俺も今は休憩中だ。癖でな」

「ははは。まぁ、なくはないけどなぁ」

 

 イー!以外の言葉で喋っている男性使用人二名の存在にそれはそれは驚いた。

 そして、遠くから「おーい!飯だぞー!」と呼ばれた瞬間――。

 

「イー!!」「イー!!」

 

 二人揃っていつもの返事をした後、二人は目を見合わせた。

「……いや、癖で」

「……癖だな」

 そう言い残し、二人は食堂の奥へ消えていった。

 

+

 

 あの二人のことを思うと、悪魔も本当はギャギュギョ以外も話せるのだろうかと思ってしまう。

 アインズが思考しているうちに、悪魔からフラミーへの全く分からない報告は終わった。

 

【挿絵表示】

 

「殺生を禁じられているせいで回収できないアイテムがある?」

 フラミーが確認すると、悪魔は申し訳なさそうに頷いた。

「ギャ!ギャギャ」

「さっさと殺して集めちゃおう?うーん、まずは一応現場の確認をしてからかなぁ。ねぇ、アインズさん」

「ですね」

 

 一行は日が昇る前だと言うのに出発した。

 

 悪魔の先導に従い、深い森を行く。

 アインズは闇を見通す目を持つ骨の身に戻っているが、フラミーやパンドラズ・アクターなどはそうではないので、杖の先に永続光(コンティニュアルライト)を付けたり、マジックアイテムで先を照らしたりして進んだ。

 ツアーの鎧も一応付いてきているが、眠いのか一言も漏らさなかった。

 

 夜の森は久々だった。

 一番に思い出されるのは、漆黒の剣と行ったこの世界初めての冒険。

 空を見上げれば、木々の間から天の川のように星空が見える。

 木に阻まれ、月の光は届かない。

 鬱蒼としていた。

 

 アインズもフラミーも、この世界に来て身近になった夜の森の匂いを存分に楽しんだ。

 

 森は夜でも決して静まり返ることなく、あちらこちらで爬虫類の声や、猛禽の鳴き声、虫達の合唱が聞こえてくる。

 何者かが足元をすり抜ける音、葉が落ちる音、川のせせらぎ。

 心地よい騒がしさだった。

 

 悪魔は黙って飛んでいたが、夜明けも近くなる頃、羽ばたきをやめて倒木の上に降り立った。

 闇の中で赤く妖しく光る瞳を空の方へ向け、指を刺す。

 一行は示されたものと目があった。

 

 鳥だ。妖怪のように大きな鳥だった。

 

 赤と緑の羽を持ち、目玉のような模様のつく長い長いしだり尾をたらし、はっきりと睨み付けてきている。

 不思議と八方全てを見渡しているように感じた。

 

「――こいつが隠し持っているのか?」

 アインズが尋ねる。

 悪魔が答えるより早く、パンドラズ・アクターが首を振った。悪魔の言葉はアインズには分からないためだ。

「違います」

 早く持っている者のところへ連れて行け、と思っているとパンドラズ・アクターが言葉を続けた。

「――この者の体内にあります」

「何?」

 アインズとフラミーは目を見合わせた。

「腹をひらけば出てくるのか?」

「なんとも言えません。この者、アイテムと癒着といいますか……結合といいますか……ともかく、一体化しているような気配があります。この鳥そのものがアイテムになりかけているのです」

 鳥はふぅー…………と長く霧を吐いた。

「こ、これは」

 デミウルゴスが霧の行方を目で追う。鳥は口を閉じ、再び一行を睨みつけた。

 霧は少なかったせいか、ただの吐息だったのか、霧散して消えた。

 

「馬鹿鳥め。アイテムを飲み込んだか……」

 

 さてどうしたものかと思っていると、夜が明け始めた。

「――アインズ様。じきにマチとナオ、トラ吉と約束している時間になります」

 デミウルゴスの言にアインズは「む」と声を上げた。

 アインズ達が現れなければ勝手に自分達で探しに行くだろうが、約束した手前、社会人として何の連絡もなしにキャンセルも憚られる。

 アインズは転移門(ゲート)を開いた。

「デミウルゴス、悪いがお前はトラ吉達の所に行ってうまく伝えてくれ。追ってまたこちらから連絡する」

 

 デミウルゴスが静かにアインズを見詰めてくる。いつもの自分よりも遥かに高位の存在が放った婉曲な言い回しの真意を探っているときの顔だ。

 違う、デミウルゴス。うまく伝えろとはただの遅刻を詫びるいい言葉という意味なんだ。遅れちゃうからごめんねと――ただ、そう伝えて欲しいだけだった。

 

「かしこまりました。そういう事でしたら、あちらのことはお任せください」

 

 丁寧に頭を下げ、デミウルゴスは転移門(ゲート)を潜って行った。

 

 アインズは自分の言葉って足りないのかな、そう思いながら転移門(ゲート)があった場所を眺めた。

 

「――アインズ、鳥が動くようだよ」

 

 ツアーは夢現から抜け出したようで、はっきりと伝えた。

「む、そうか。とりあえず捕縛するか……――いや、まだ泳がせた方がいいな」

「すぐに捕らえないのかい」

「あぁ。アイテムと同化しているんだから、あれを飼うことがアイテム回収に繋がるだろう。多少の生態――何を食べるのかくらい確認しておいた方がいい」

 鳥は翼を大きく広げると、巨大な羽を何度も羽ばたかせてから飛び立った。

 

「先に行きます!」

 フラミーも飛び上がり、鳥と同じ高度で飛んでいく。

 アインズは飛ぶか悩み、パンドラズ・アクターとツアーが飛ぶ魔法を持っていない事を思い一歩出遅れた。

 走って行けばいいと思っていたパンドラズ・アクターは、アインズが飛び上がらない様子から即座に獣王メコン川の姿を象った。

 アインズの胸をドキンと懐かしさが打つ。

 パンドラズ・アクターは獣王メコン川の持つ特殊技術(スキル)を使った。

 アインズ、ツアー、パンドラズ・アクターの足元がもりもりと盛り上がり、土塊は三頭の大きなライオンの姿へと変わった。

 立て髪はそこらへんの草でできていて、体も土でできている。

「お乗りください!」

「助かる」

 三人がそれぞれ土のライオンに跨ると、ライオンは木々を避けて駆け出した。フェンリルの持つ土地渡りに似た機能を持つため、進路を塞ぐ枝や蔓に進行を阻害されない。ただ、フェンリルと違ってこのライオンは自分が生み出された土の上でしかその効果を発揮することはできないし、存在もできない。

 例えば草原で使えば、近くの水場に寄ると土塊に戻ってしまうし、街道そばの土で生み出せば、一歩でも街道に触れると土塊に戻る。

 これにはユグドラシル時代何度か跨ったが、皆いつも「なんでライオンなの?」と言っていた。

 もっと足の早そうな生き物や、跨ることに向いている生き物がいるだろうと総ツッコミを受けていた。

 

 アインズはゲーム時代に想像していたよりも、よほど乗り心地の悪いライオンに苦笑した。

 そして、やっぱり「なんでライオンにしたんだろう……」と運営に疑問を抱いた。

 

 夜明けを迎えた空から、フラミーの翼の煌めきが降り注ぐ。

「――アインズ!!」

 ツアーから切羽詰まった声が響く。

「なんだ!」

「血だ!強烈な血の匂いがする!!」

「な、なんだって?」

 メコン川の姿のままのパンドラズ・アクターも、スンスンと鼻を鳴らした。

「これは……肉食獣の食事とか、そう言う量の血の匂いではありません」

 アインズも真似て辺りの匂いを嗅いでみるが、何も感じない。

「戦か……?」

「分からない。だが、恐怖の匂いがするぞ……!」

「鳥は真っ直ぐ血の匂いへ向かっています!」

 

 それから何分も走らないうちに、アインズは強烈な死の匂いを感知した。

 

「これは――」

 

 たどり着いた場所は、集落だった。

 辺り一面が血に塗れ、銀色の二足歩行の狼達がまさしく今、首を刎ねられたところだった。




アイテム見つからないと思ってたら食べられちゃったんですねぇ。
って、ナツ……。
最後に引き留めてくれるはずの、狼人(ライカンスロープ)の親子達との思い出を振り返ることでどれだけの時間が経ったのか思い知ったか。

そして、挿絵をいただいて大喜びで早速載せた男爵ですw

【挿絵表示】

をっとっと様ありがとうございます!!
眠夢は常に挿絵を大募集してます( ´∀`)
しばらく貰えてなかったせいで、自分で描いたんだからね!!(?

次回#161 血の色
明日の予定です!!


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#161 殺戮と変貌

 クルト=ドレヴァンは強烈な血の匂いに目を覚ました。

「こんな時間に……まさか、悪魔が戻ったか?」

 

 寝床から抜け出し、強烈な光が差し込む皮扉をめくった。

 同じようにして目覚めた者たちが、玄関先で辺りの様子を伺っていた。

 

 皆悪魔の襲来かと疑ったが、改めてよく匂いを嗅ぐと、悪魔の匂いはどこにもなかった。

 誰かがこんな時間に料理をしているのだろうか。

 血の匂いが濃い方へ向かう。

「……ぐ」

 寄れば寄るほど、想像を超える嫌な血の匂いに思わず腕で鼻を覆った。これは食欲をそそられる匂いではない。

 そして、ドレヴァンはサイオーバを見つけると駆け寄った。

「サイオーバ。この匂いは一体――」

 言いながら目を疑った。

 

 家という家の玄関先に血が塗りたくられ、あちらこちらに血の水溜りができていた。

 もはや、血で道ができている。

 そして、玄関先にはその家の持ち主の――生首。生首は玄関先を彩る筆にされたようだった。

 皮扉の隙間からは首のない胴体が見え隠れし、そこから血を垂れ流して川をつくっていた。

 

 ドレヴァンは息を呑んで口を塞いだ。

 地獄そのものの光景だった。

 

 後ろで嘔吐する者達がいる。

 そして、走って来た道を戻る者もいた。恐怖もあるだろうが、何よりも妻や子の無事を確かめるためだろう。

「だ、誰が……誰がこんなことを……!」

 辺りは血の匂いが充満しすぎて、何の情報も手に入らなかった。

 犯人は混乱させるため、わざとそこら中に血を塗っているのだろう。

 

 サイオーバはその場で崩れ、「はは……はは……」と心を失ったように笑った。

 

 ドレヴァンはこのままではいけないと自分を律し、叫ぶ。

 この声を上げるのは久しぶりだ。非常事態にだけ許される遠吠え。

 

「オォーーーーーウゥ!オォーーーーーウゥ!!」

 

 その遠吠えは生き残っている者達を正気に引き戻した。

 ドレヴァンの下へ仲間が集まる。

「ド、ドレヴァン老!!」

 皆泣きかけている。いや、泣いている者もいる。

「まずは怪我をして生き残っている者がいないか確かめろ!!決して一人になるな!!敵がまだ潜伏しているかもしれない!!何かおかしなことがあればすぐに知らせろ!!」

 狼人(ライカンスロープ)達は何組かに分かれ、嗚咽を漏らしながら仲間の血の川を跨いだ。

 

 まだ若いキーガンは生まれたての子鹿のように震える足で、年長の狼人(ライカンスロープ)の後に続いた。

「ネヴィーヴさん、ま、待ってください!待ってください!!」

「そばを離れるな」

 ネヴィーヴは手を差し出し、キーガンは縋るようにそれを取った。ネヴィーヴの手も、キーガンの手も震えていた。

 二人は手を繋いで集落の中を歩いた。

 知人達の生首を見るたびに、二人は絶句し、涙を流した。

 目を閉じて寝たままの者もいれば、驚愕や恐れに彩られた顔のままの者もいる。

 二人は皆が向かっていない集落の外側の家へ向かった。

 そして、ふと一つの足音を聞き取った。

 ぺちゃ、ぺちゃ、とたった一人。

 生き残った子供かもしれない。

 二人は足音がした方へ駆けた。

 凄まじい血の匂いがしているが、嗅いだことのない匂いも、悪魔の匂いもないことは確認できた。敵はいないはず。

「おーい!!もう大丈夫だぞ!!こっちだ!こっちだー!!」

 ネヴィーヴが叫び、辺りを見渡す。

 どこにも子供はいない。恐怖で声が出なくなっているのかもしれない。突然大きな声を上げられて腰が抜けたのかもしれない。最後の力を振り絞り、倒れたのかもしれない。

 キーガンとネヴィーヴは必死になって捜索した。

 

 気のせいか、森の獣だったかと思い始めた時、茂みを覗き込んだキーガンの視界が回った。

 何が起こったのかよく分からなかった。

 そして、見慣れた顔に覗き込まれる。

「――ナ、ナツ。無事だったか!」

 血塗れのナツは泣きながら笑い――キーガンの首に衝撃の熱が迸った。

 熱い。熱い。熱い!

 首に何が起こったのかと手を挙げ触れようとする。

 が、手が動かない。それどころか声が出ない。

 何が起こったのかわからない。

 キーガンは助けを求めるようにナツを見つめ、視界が薄暗くなっていった。

 キーガンが最後に見たものは、ネヴィーヴが「ナツ!良かった!」とナツに視線を合わせてしゃがみ――ナツが料理用の包丁を思い切り首に向かって薙いだ瞬間だった。

 

 

 年老いて来たが、まだまだ現役だと自分をずっと信じて来たリドションは、息子と孫娘の生首を拾うと胸に抱いた。

「そんな……そんな……」

 犯人への憎しみよりも、失ったもの達を思う悲しみに心が支配されていく。

 若かった頃なら、怒りで駆け出していただろう。

 だが、リドションは動けなかった。

 あたりに脅威がないことが確かめられると、共に来ていた二人の仲間はリドションの肩を撫でて「あちらの家も確認して来ます……。何かがあったらすぐに呼んでください」と言い残して去っていった。

 もうこの足は二度と動かないと思う。

 二度とこの喉からは言葉が出ないと思う。

 二度と涙が流れない日はないと思う。

 ふと、リドションの肩に優しい手が触れた。

「――誰、ナツ。ナツ……」

 この子は無事だったらしい。孫娘はナツが大好きだった。ナツに絵を見てもらうのが大好きだった。

「ナツ……ドゥランテが……。ドゥランテが……」

 ナツはリドションの背をさすってくれ、リドションは生首を抱えて蹲るようにして泣いた。

 

 そして、ドッと衝撃が襲った。

「――ッゲ」

 猛烈な痛みが首の左半分を襲う。痛みの箇所を抑えようとすると、今度は反対側から再び衝撃が襲った。

 そして、リドションはそのまま倒れた。

「骨が太い」

 ナツの声が聞こえた。

 意味がわからなかった。だが、あいつだ。

 あいつが――。

 リドションの中を強烈な憤怒が襲う。

 それも束の間。リドションは二度と動くことはなかった。

 

 向かいの家から組になっていた二人が出てくると、二人は身内の首を抱いて泣いて蹲るリドションを哀れに思い、「次……隣の家見て来ますね」と遠巻きに声をかけて隣の家へ入った。

 

 

「ここから絶対に動くんじゃないぞ!!変な匂いがしたら、すぐに呼ぶんだ!!」

 父親がそう言い残し、サビーナとレマーティーは兄妹で抱き合った。

 母親は父親を見送り、玄関の入り口からちらちらと外を伺った。

「か、母ちゃん!どうなっちゃってるの!!」

 兄のサビーナが叫び、妹のレマーティーは不安で泣き出した。

「だ、大丈夫……大丈夫……。何人かが殺されたみたいなんだけど……。多分、大熊とかね。錯乱した何かが入って来たのかも」

「クマならすぐに皆が倒してくれる!?」

「もちろん。父ちゃんやサイオーバ老、ドレヴァン老がすぐにやっつけて、見せしめにクマを晒してくれるよ」

 兄妹は少し落ち着き、互いを見て不器用な笑顔を作った。

 子供達の様子に安堵し、母親は再び外を監視した。

 

(これはクマなんかじゃない……。ここからは何も見えないけど、一体何人が殺されたんだ……)

 

 ふと、母親は血の匂いが近付いてくることに気がついた。さらに、嗅ぎ慣れた匂いも同時に感知した。

「――ナツ?」

 皮扉から声をかけると、家の横から「おばさん、おばさん中に入れて」とナツの声がした。

 母親はそっと皮扉を開いた。

「ナツ!あんた、そのカッコ……!」

 家の陰に入るように立つナツは、護身用に持たされたのか、包丁を手に、全身が血まみれで目の下だけが綺麗だった。

 涙が何度も伝ったのだろう。

 

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「怖かったね!?さあ、中へお入り!!」

「本当に怖かった」

 ナツを家に入れると、子供達は「ナツ!?」「怪我は!?」とナツへ寄った。ナツの後を小鳥が追いかけ、ともに入ってくる。

 ナツは首を振った。

「大丈夫。私はどこにも怪我をしてないから」

「良かった!誰かのそばにいたの?」

「うん、さっきまでリドションといたの」

「も、もしかして……もしかしてその血……リドションさんの……」

 レマーティーが言うと、ナツは泣きながら笑い、「そう。リドションの」と言った。

 母親はゾクっと背を振るわせた。

 つまり、リドションを殺した者がすぐそばに来ているかもしれない。逃げ延びたナツを追って。

「は、犯人は!?どんなだった!?」

 母親が言う。

 ナツは「私からは見えない」とだけ答えた。

 誰が、どんな生き物が敵なのかすらわからない暗闇の戦いだ。

 母親は明るい外に出ると、何もこちらへ向かっていないことを何度も何度も確認した。

 ナツを追って敵が来ないとすると、敵はナツを見失ったか、狼人(ライカンスロープ)だけを狙っているのか。

 やはり悪魔の仕業ではないだろうか。悪魔の匂いはしないが、血で分からなくなっているのかもしれない。特に、悪魔は昨日の夜ナツと一対複数になった檻の中でナツを襲わなかった。

 ナツは悪魔の捕食対象ではないのだ。

 母親は注意深く外を見張ったまま、後ずさるように家に入り――転がった。

「……?」

 声は出なかった。

 いつの間にか自分の体を見上げている。

 訳がわからない。顔のない自分の体だ。

 そして、自分の体はバランスを崩して顔に向かって倒れた。

 ドチュッンと、大好きな肉料理を作る時に聴き慣れた音がした。

 体がぶつかった拍子に、顔はごろりと反対を向いた。

 

 首のない子供達の体があった。

 ナツは鼻歌を歌い、母親の大切にしている大包丁を手に取った。母親はとても料理上手で、いつも包丁係だった。よく研がれた美しい包丁だ。

「次はこれをもらって行こう。また随分切れなくなったし。えーと、これで何丁目かな?」

 そして、包丁にナツの顔が写り――包丁越しに母親はナツと目があった。

「あ、犯人の顔、私からも見えたね」

 

 ナツは清々しく笑うと、家を出ていった。

 思考する力がない。

 母親は何も思うことすらできずに息を引き取った。

 

 

 次の不老不死こそ彼と目されるガルドルフは、隙なく辺りを見渡していた。

 ガルドルフは魔法も使えるし、肉体も人一倍大きい。

 一緒に同い年の仲間が四人も来ている。

「こっちに生き残った者はいないな……」

 あまりの惨状にガルドルフは目を覆いたくなった。

 これは食べるために殺されているわけでもない、ただの無意味な殺戮だ。

 

 ガルドルフ達は一度来た道を戻った。

 そこで、家から出てくるナツを見た。

「ナツ?ナツ!」

 ナツはハッとガルドルフ達を見ると硬直した。

 まるで人の前を横切ろうとした猫だ。

 ガルドルフ達は血に塗れるナツに駆け寄った。

「ナツ、お前どうしてここに!そうだ、ドレヴァン老がお前の家を見に行っているはずだ!無事だと知らせなくちゃ」

 ナツに手を伸ばし、ナツが包丁を握りしめている事に気がついた。

 それは、この家に住む――イルムーガの包丁のはずだ。

 イルムーガには子供も二人いる。先ほど父親ともすれ違った。

「ナツ、なんで包丁なんか」

「敵討」

 その言葉はガルドルフの胸を熱くさせた。

「あぁ……あぁ……!大丈夫だ。必ず敵を討とう!!」

 それと同時に、「――イルムーガは、もしや……」

 ナツは頷き、とぼとぼとガルドルフのそばを離れて歩き出した。

 ガルドルフは四人の仲間に「……確認してくれ」と頼んだ。

 三人一組になるように分かれていく。

 三人は家の中へ向かい、ガルドルフともう一人の仲間はナツを追った。

 

 ナツはぶつぶつと何かを言っていた。

「許さない……。仲間を殺した罪……。それで生きながらえた命……。一人も許さない……。私の時間……。許さない……」

 ガルドルフも気持ちは同じだ。

 ナツは自分が起きている時間に惨劇が起きたことに胸を痛めているようだった。

「ナツ、あまり自分を責めるな。爪も牙もないお前には何もできない」

 ナツはか弱い。体もとても小さいし、一体どんな敵なら彼女に倒せただろう。

 

 そして、ナツは「あ!」と森の方を指差した。

 ガルドルフと仲間は隙なく森を睨みつけた。

 空からは変わった色の、赤と緑の羽の鳥が飛んできて――「ッボ」と言う仲間の声がして振り返れば、ナツが仲間の首へ、前面から思い切り包丁を振り抜いたところだった。

 意味を理解するのにわずかな時間を要する。

 だが、ガルドルフは早かった。

「ナツだ!!ナツが――!?」

 仲間に全てを知らせようと声を張り上げたが、森の入り口からアンデッドが姿を見せた事でガルドルフの聡明な脳は混乱の極致に至った。

 

 そして、ガルドルフの喉に信じられないほど重たい一撃が加わる。

 包丁は頸椎で止まったが、気道、食道、動脈、静脈、全てを断ち切っていた。

 首から血が吹き出して行く。

 首に食い込んでいる包丁を取ろうとしながら、ガルドルフはその場に倒れた。

 このアンデッドのせいでナツは狂ったのだろうか。

 とにかく、誰かに伝えなければ。

 ガルドルフはかろうじて動く指で、地面に「ナツ、犯人」と書き付けた。

 そして、その手は踏み潰された。

「敵討に協力してくれるんでしょ。そう言うの、やめてよ」

 ガルドルフはもう力が出なかった。

 首に食い込んでいる包丁をギコギコとナツが引き抜こうとする。

 痛みすらもうない。

 ガルドルフは眠った。

 

 

 ナツは包丁を取り返すと、一人目を殺し始めた時よりもよほど軽くなったように感じる体で森へ振り返った。

「――死神?」

 アンデッドはじっとナツを見下ろしていた。

「……死神の一種と言ってもいい。お前は小人間(ハーフマン)……いや、お前、一体何なんだ?悪魔か?」

 ナツにアンデッドの言葉の意味はわからない。

 どこからどう見ても――

小人間(ハーフマン)だよ」

 ナツは血まみれの包丁をピッと横に振り、血が吹き飛んでいくのを見て笑った。

 最初はこの包丁も持つだけで手も足もガクガクと重さに負けていたというのに、十人を殺した頃からか、包丁はどんどん軽くなっていき、ついには片手で持てるほどになった。

 最初のうちは母子だけの家を狙って、まずは脅威になる母親を殺し、次に子供を殺してきたので両手で持っていても何とでもなったが、男達相手にも軽々と殺せるようになってしまった。

 もはや何人殺したのか分からない。

 百だろうか?二百だろうか?それとも、三百?

 ナツは殺した人数を思うと、幸せに背中がゾクゾクと震えた。

 皆、目の前で仲間が死んで、血が流れるところを見て混乱と恐怖に陥っている。

 そうだ!この顔が見たかった!!

 ナツは肩からピスケを下ろすと、足元に転がるガルドルフの生首にそっと差し出した。

 ピスケはチュ?と首を傾げ、すぐにガルドルフの肉を啄んだ。

 ナツに狼人(ライカンスロープ)の肉を食う趣味はない。

 だが、ピスケは喜んで食べてくれているので良かった。

 やはり殺生は食と共にあるべき。

 食われる気持ちはどうだ。

 ナツは「はぁ〜」と幸せの吐息を漏らした。

 

「その皮膚の色、小人間(ハーフマン)には見えんが……まぁいいか。お前の話は後で聞こう。この惨事についてもな。――さぁ今は鳥だ。鳥はどこへ行った?」

 アンデッドが言う。

 鳥とはさっきの緑と赤の鳥のことだろうか。

 だが、それよりも、皮膚の色がなんだと言うんだろう。

 ナツは血に塗れて真っ赤になった自分の皮膚を見下ろした。

 血で染められている。――いや、違う。

 ナツはガルドルフの毛皮でごしごしと手を擦った。手の赤は取れることなく、赤銅色のままだった。

 爪も、信じられないほどに長く鋭くなっている。

 力が体の中を迸るようだ。

 ナツはもっと殺さないと、とガルドルフの顔を捨てて立ち上がった。

 

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「アインズさん、こっちこっち。あれあれ」

 ナツはその声を聞くと心臓がバクバクと音を鳴らした。

「あ、食ってんのか」

 振り返った先では、紫色の皮膚に白い翼を背負う、見たことも聞いたこともない種族。

 ナツは何故か、その姿から目を離せなかった。

 とてつもない憧れがナツの身を覆う。信じられないほど美しいが、それよりも、何故かこの人に従いたいと思わずにはいられなかった。

 憧れの君は少し離れたところで見たこともない鳥が死骸を食っているのを眺めていた。

 いいぞ、もっと喰らえ。

 ああ、いつまでも眺めていたい。

 ナツを連れて行ってほしい。

 じゃり、と一歩近づくと――「ナツ!!」と、聞き知った声が響いた。

 

 ナツはこの幸福な時間に水を指すのは誰だと、ぐりんと首を回した。

 

「……ドレヴァン」




堕ちてますねぇ〜〜。
殺しすぎてレベル上がりまくりじゃないですか。ということは殺人鬼ってかなりレベル高いんでしょうか?
皆さんもう少し人を疑うことを知ってください!

7/8 usir様におナツの挿絵をいただきました!!
こりゃもうびっちゃびちゃでいいですね!!!

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#162 夜叉

 ドレヴァンは、包丁を持ってじりじりとアンデッドに近付いていくナツを見つけた。

「ナツ!!」

 家にもいないし、どこにもいなかったのでよもや殺されたかと思った。

 だが、ナツは生きていた。

「ドレヴァン……」

 こちらを見たナツの肌は赤銅色で、信じられないほどの血を浴びせられたようだった。

 

 

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「ナツ、やめておけ!お前の敵う相手じゃない!!」

 ナツは言われている意味がわからないようだった。

 混乱状態に陥っている。

 相手はアンデッドと、ハルピュイアのような生き物。さらにその後ろに、鎧を着た者、黄色い卵頭の者。

 人間種の細工物の技術など詳しくはないが、少なくとも狼人(ライカンスロープ)達に生み出せるほどの力はないような、見たこともない実に高価そうで、強力そうな装備達だ。そういうものを揃えられる者はそれだけの力を持つはず。

 何の装備も整えていないナツなど、確実に勝てるわけもない。

 

 ドレヴァンは敵を見つけた事を知らせるため、開戦の遠吠えを上げた。

 

「オオゥゥーー!!オオゥゥーー!!」

 

 続々と仲間達が集結する。

 だが、仲間は想像よりも少なかった。例えば、ガルドルフであるとか、リドションであるとか、名だたる狼人(ライカンスロープ)達がこないのだ。

 つまり、最初の招集の遠吠えの時より減らされている。よもや彼らまで殺されてしまうとは。

 敵は鳥に狼人(ライカンスロープ)を食わせていた。

「肉食ですね」

「ですね。わざわざ急いで飛んできたってことは死にたてが好きなのかな」

 この地獄絵図の中、呑気な会話をする二人にドレヴァンの怒りはすぐに脳天を貫いた。

 

「貴様ら!!よくも同胞を殺したな!!その鳥一匹に食わせるのに、こんなに殺す必要があったのか!!」

 

 ドレヴァンが吠えるように叫ぶと、鎧は首を振った。

「僕たちは今来たところだよ。その鳥を追ってね。来た時にはもうこの有り様だった」

「何!?そんな話――」

 嘘に決まっていると言いたかったが、確かにこのおかしな来訪者達は返り血ひとつ浴びていない。

 皆見たこともないような魔法の装備に身を包んでいるようだが、流石に一滴の血も浴びずにこれだけの人数を葬るなんてことはできないだろう。

 

 そこで、ドレヴァンは後頭部がじわりと冷たくなる不気味なうすら寒い感覚に襲われた。

 

 ドレヴァンが考え直そうとしていると、錯乱しかけている仲間が吠えた。

「よくも!よくも!!よくもよくも!!」

「……僕たちは何もしていない。そっちの悪魔が首を刎ねていたのを僕たちは見ているから、真犯人はそっちだと告げておくよ」

 鎧が顎をしゃくる。

 

 悪魔がでたかと、皆ぞろりと動きを合わせてそちらを確認する。

 が、いるのは大量の血を浴びて全身が真っ赤になっているナツ。握りしめる包丁には血が付いていないが、ナツのいる場所から弧を描くように吹き飛ばされた血が広がっていた。

 

「まさか……」

 姿を見れば、髪からすら血を滴らせる彼女はこの中で一番――。

 

「なぁに。ドレヴァン」

 

 ナツは嬉しそうに目を細めた。

 

 ドレヴァンの本能なのか、理性ではない部分が「こいつだ!」と叫ぶ。

 だが、理性はそれを受け入れない。

 本当にこのナツが仲間を殺すなんてことがあるだろうか。

 何十年も一緒に暮らしてきて、彼女は皆を好きだったし、皆も彼女が好きだった。

 それに、子供といえど狼人(ライカンスロープ)を殺せるだけの力を彼女が持っていたとは考えにくい。

 理解できずにいるのはドレヴァンだけではない。

 ドレヴァンの招集に応じてここに来てくれた狼人(ライカンスロープ)達皆が戸惑っていた。

 

 そして、顔を真っ青にしているサイオーバが問いかける。

「……お前達がナツを操ったのか」

 特に邪悪そうなアンデッドへ尋ねる。

 アンデッドは首を傾げた。

「そんな事をする意味がないだろう。お前達は知らないだろうが、私は全種族融和を主義としているしな。私達はただ、夜明け前に見つけたこの鳥を追ってここに来ただけだ。捕まえて飼うつもりだからな」

 そして、隣のハルピュイアは杖を鳥へ向けた。

「もう良いですかね。<全種族捕縛(ホールド・スピーシーズ)>」

 首を落とされた狼人(ライカンスロープ)を啄んでいた鳥の動きが止まる。

 一体何位階の魔法なのだろうかとサイオーバがごくりと喉を鳴らす。

 鳥はギャアギャアと鳴き声を上げながら横たわった。

 そして、動けなくなった鳥を抱き上げたのは、ハルピュイアの翼の影にずっと隠れていた――悪魔。

 

 狼人(ライカンスロープ)は一斉に咆えた。

 敵だ。

 敵だ!

 敵だ!!

 間違いなくあいつは昨晩この村を襲ったやつだ。

 あいつが昨晩ナツの檻に入ったから、だからナツが狂ってしまったんだ。

 

 ドレヴァンは確信した。

「貴様らぁ!!よくも抜け抜けと!!その悪魔は集落中を荒らし周り、狼人(ライカンスロープ)を傷付け食おうとし、極め付けはこの集落ただ一つのマジックアイテムを持ち去ったんだ!!我々の貴重な冷蔵庫を!!」

「ん?何?そうか。ここだったか。持ち主を探していたところだ。まさか鳥の行き先だとはラッキーだったな。おい、パンドラズ・アクター」

 アンデッドはアンデッドだとは思えないくらいに冷静に卵頭を手招いた。

 卵頭は両手を伸ばし、ドレヴァン達は一体何をされるのかと腰を低くして戦闘体勢になる。

 が、卵頭の手先は消えた。

 再び手が見えた時には、その手には大きな大きな、この集落のものだった冷蔵庫。

「こちらはお返しいたします。掃除もしておきましたし、設置いたしましょうか?」

 

 意味がわからなかったし、目的もわからなかった。

 確かに冷蔵庫は手に入れた時のようにピカピカに磨き上げられている。

 血の海の中、狼人(ライカンスロープ)たちが目を見合わせる。

 ナツはよたよたと歩みを進めた。

 

「こ、この悪魔……。この悪魔のおかげで……」

 

 ぶつぶつと何かを言いながら、悪魔のそばに行くとどしゃりと膝をついた。

 

「この悪魔のおかげで……私、狼人(ライカンスロープ)を殺す決意ができたの……」

 

 そう言って涙を流した。

 悪魔の前に膝をついて頭を地面に擦り付ける。

 ドレヴァンは絶句した。

 やはり悪魔の仕業。

 ドレヴァンは殺意に溢れ、鋭く尖った爪を悪魔へ伸ばす。うずくまるナツの頭上すれすれを攻め、悪魔の首を狙う。

 しかし――

 

「ぎゃああああああ!!」

 

 ドレヴァンは悲鳴をあげ、後ろに転がる。

 突き出した手は失われ、そこから鮮血が噴き上がっていた。

 あまりの事態に狼人(ライカンスロープ)達の殺意は水が浴びせられ、心は絶望に満たされる。

 誰が何をしたのかといえば、振り返ったナツが包丁を思い切りドレヴァンに向かって薙ぎ払ったのだ。

 

 ナツが狼人(ライカンスロープ)惨殺の犯人なら、そのくらいして当たり前だろう。

 だが、皆まだ信じきれていなかったのだ。

 信じたくなかった。

 それに、ドレヴァンが悪魔を倒せればナツが元に戻るとも思った。

 不老ではないほとんどの者にとって、ナツは生まれた時からそばにいる存在だったのだから。

「やめてよ。ドレヴァン」

「な、ナツ……!お、俺は、お前の精神支配を解こうというんだぞ!!」

 サイオーバが駆け寄る。

「<軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>!!」

 ドレヴァンの腕は戻らなかったが、止血はされた。

 肩を抱いて群れの中まで引き下がる。

 血は止まったが、痛みが消えるわけもなくドレヴァンからは滝のように冷や汗が流れた。

 

 明るすぎる太陽の下、ナツは冷徹に笑った。

 

「精神支配なら、もう解けた。お前達による精神支配がな」

「な、なに……?」

「あぁ、私は戻ったの。失った心の奥底で願い続けた!私を戻して!私を戻してと!!そして、悪魔はやってきてくれた!!私を元に戻すため!!やっと戻れた!やっと戻れたんだ!!」

 

 聞いたこともないような甲高い声をあげて笑うナツは、とてもナツには見えなかった。

「ナツ……お前が悪魔を喚んだのか……」

 そう、悪魔は現世に召喚されるもののはず。野生の悪魔などいるのかと思っていたが――まさか。

 であれば、この者達は本当に無関係で、悪魔が持っていた冷蔵庫を奪い返してくれたのでは。

 そうでなければわざわざ持ち主を探して冷蔵庫を返してくれる理由もわからない。

 ドレヴァンは輝くほど綺麗になっている冷蔵庫と、「何が何やら」と困っている様子の理性的なアンデッド達をちらりと見た。

 一瞬の間だったが、その事に思い至ったのはドレヴァンだけではなかった。

 すぐさま視線は自らを抱きしめるようにするナツへ吸い込まれた。

 

「そうだ!私が悪魔を喚んだんだ!!そうに違いない!!」

「え?」「ん?」

「そして全てを取り戻した!お前達が仲間の血を啜り、肉を喰らい、皮を剥いだあの日を!!同胞を食わされたあの日を!!ああ!忘れていた!!忘れていたんだ!!」

 

 ドレヴァンには訳がわからなかった。食べただけだ。そして、ナツが死なないように食べさせただけだ。

 

「な、何を言っているんだ……」

 

 ナツは嬉しそうにくるくる数度まわると、ぴたりと止まって、ドレヴァンの後ろにいる者を指差した。

「隣人を食ったお前の祖父を許さない」

 

 続いて、その隣にいる者。

「幼かったあの子の手足を落としたお前の祖母を許さない」

 

 そして、更にその隣。

「命乞いをしたあの人から血を抜いたお前の父を許さない」

 

 更に隣。

「明日結婚すると言った彼から皮を剥いだお前の母を許さない」

 

 次。

「身籠るあの人の腹を裂き、生まれることすらできなかった子を捨てたお前の叔父を許さない」

 

 次。

「別れすら言えずに死んだあの人の脳みそをすすったお前の伯母を許さない」

 

 そして、サイオーバを指さした。

「私に仲間を食わせて生きながらえさせたお前を許さない」

 

 最後に、ドレヴァンを指さした。

「私を不老不死にした、お前を許さない」

 

 ナツはドレヴァンの落ちた腕を拾うと、近くで見ていたナツのペットへ向かって放った。

 どちゃりと落ちた手は、ピスケに数度啄まれた。

「私はお前達の祖先を許さない。……その血を引くお前達を……私は……私は決して許さない!!」

 静かに告げられていた言葉は、いつしか怒声へと変わり、ナツの目は信じられないほどに血走った。

「ひい!」

 狼人(ライカンスロープ)の誰かが悲鳴をあげた。おぞましい生き物へと変貌していく姿も、その呪詛も、全てが耐えられなくて、声として出てしまったのだ。

 幼い者はいないが、まだ成人したばかりのような歳の者はあまりの事態に腰を抜かしていた。いや、大人達も震えているようだった。

 

「な、ならば……ならばもっと早くに出ていけば良かったものを……。鍵も監視もない家から出て行くことは容易だったはず……」

 

 ドレヴァンが告げる。ナツは「ははは」と笑った。

 

「精神支配の下にいた私によくいう。だが、そうだな。出ていかせてもらおう」

 ナツはピュイ、と軽快な口笛を鳴らし、それに応えてピスケがナツの肩に乗った。

「――ただし、お前達を一人残らず殺してからだ。お前達の血は一滴たりともこの地に残さない。集落を出た者がいるのなら、地の果てまで追って殺し尽くす。そして、この鳥にたった一口だけ食わせるのだ!どうだ!!食われる気持ちは!!どうだあ!!」

 ナツはおかしそうに笑った。

 だが、その笑いを止める者がいた。

 

「それは困るな。狼人(ライカンスロープ)は私の国にはいないはずだ。狼人(ライカンスロープ)も私の支配下に置かねばならない。ずいぶん数が減ったようだし、繁殖もさせたい」

 そう言ったアンデッドを、恨めしそうにナツは睨みつけた。

 ドレヴァン達はこの闖入(ちんにゅう)者たちが敵ではないことを確信した。

 

「なんだと。私が生きるたった一つの理由を奪うのか」

 アンデッドが答えようとするより早く、アンデッドのそばに転がっていた死んだはずの者の手が、何かを掴もうとするように動き出した。

 首もなく、血もほとんどが流れ出た体は痙攣などではないはず。

「――ひ!?」

 死体は確かに動き出していた。

 まるで悪夢の世界に閉じ込められたようだった。

 周りでも似たようなことが起こり始めた。

 内臓が溢れている者が立ちあがろうと肘をつき、首が皮一枚でぶら下がる者がさらに死者の首を抱いたままずりずりと膝で歩き出した。

 

「まずいな。動死体(ゾンビ)になっている。苦しみと悲しみの死が充満しているところでこの姿ではアンデッドの発生を促すか」

 

 強いアンデッドはいるだけでアンデッドを生まれやすくするうえ、さらに強いアンデッドを生む最悪の存在だ。

 森の中でアンデッドはなかなか生まれない。

 それは死ぬ主な理由が食った食われるなのかである故だ。死体が放置され続けることは少ない。

 

 あちらこちらの死体が動き出し、ずるりずるりと遅い足で生者――狼人(ライカンスロープ)達へ向かってきていた。

 ナツは大喜びで両手を叩いた。

 

「アインズ、悪魔召喚の云々はさておき、人の身に戻れ」

「言われなくても」

 アンデッドは瞬きの間に人間種へと変わっていた。

 森妖精(エルフ)でも小人間(ハーフマン)でもない。これが噂に聞く人間なのだろうか。

 鎧は辺りを見渡し、静かに剣を引き抜いた。

「やれやれ。これが十三英雄の置き土産だと思うと頭が痛い」

 鎧はひらりと舞うように飛び上がると、動き出した死者を瞬きの間に壊滅させた。

 

 そして、皆を見渡す。

「――君たちの中で、そっちの夜叉(ヤカー)になった悪魔以外に不老不死はいるかい」

 ドレヴァンとサイオーバは恐る恐る手を挙げる。

「俺たちがそうだ。……頼む、手助けしてくれ。俺たちには……ここまでされても情がある。その女の処刑を……どうか……」

 

 ナツは鎧とドレヴァンを睨み付け、その体には大きすぎる包丁を構えた。

 

「頼まれなくても、夜叉(ヤカー)は葬らせてもらうよ。だけど、悪いけど君たちの首もいただこう。ユグドラシルの力に触れて狂った者を残しておくわけには行かないし、今後狂う者を残しておくわけにもいかない。とくに――僕の責任の一端ならなおのこと」

 剣を持つ手がギリリと音を立てる。サイオーバに支えられるドレヴァンは首を振った。

「ま、待ってくれ……。俺たちは狂っていないし、今後狂う予定もない」

「狂う予定を立てて狂う者なんかいないと思うよ。だけど、君たち狼人(ライカンスロープ)は何百年も生きる種ではないだろう。多くの仲間を看取る時、君達は痛みを感じるはずだ。そして、その痛みを繰り返すと気付けば不老不死になったことを悔やみ、狂う。そう決まっているんだよ」

「俺たちとて悼むことはする。だが、悲観に暮れることなんてない。俺たちは群れを見守り、次の世代の訪れをいつだって希望に思っているんだ……。不老不死になったことも、これまで一度も悔やんだことはない。頼む、見逃してくれ。ここまで仲間が減らされてしまったんだ。長生きして来た俺たちの知識は群れに必要だ……」

 

 ドレヴァンは極めて理性的だった。

 伊達に長老として君臨して来ていない。

 何より、生まれ、成長し、成熟して死んでいくという満足感を十分に味わった。

 彼は自分の命の終わりを決して恐れていなかった。

 それより、心底群れと仲間たちの未来を案じていたのだ。

 命乞いをするだけならば、パニックになって身を投げ出していただろう。

 それは、サイオーバとて同じことだった。

 

「どうする。ツアー」

 人間が鎧に尋ねる。鎧は悩んでいるようだった。

「アインズ、僕は君とエ・ランテルで開戦した時のことを今も後悔している。……後悔したところで過去は変わらないから僕がそれに囚われることはないけどね」

「……それで?」

「……つまり、まだ狂っていないのに、今後狂うと言って殺そうとするのは間違っているだろうか」

「あぁ、私は間違いだと思うぞ。犯していない罪を犯すかもしれないと言って裁くのはどう考えても文明人のすることじゃないだろう」

「だが、半分確定している未来だよ」

「売り物のりんごを涎を垂らして貧民の子が見ていたとして、おそらく盗むからという理由でお前は腕を刎ねるのか。お前のやろうとしていることはそういうことに近いように思うぞ。もしくは、私が自然破壊を恐れて世界征服をしようとしている事と同じだ。まぁ、その気持ちがお前にもわかると言うならそれはそれで構わないがな」

 

 鎧は剣を鞘に戻した。

 

「……そうだね。僕は君たちと違って、箱庭は作らない。――狼人(ライカンスロープ)よ」

 ドレヴァンとサイオーバは黙って耳を傾けた。

「お前たちが今後精神の変容を迎えそうだと思った時、僕を――いや、私を呼ぶのだ。私は世界を守る。慈母(マザー)達の過ちを、私と十三英雄の過ちを、私は私の手で葬ろう。そのためにも……不本意だが、この神の下へ降れ」

 当たり前のように神と呼ばれる人間はドレヴァン達へ手を差し伸ばした。

「絶世の繁栄を約束しよう。我が下に降れ」

 どう考えても、この者達はドレヴァン達で叶う生き物ではない。野生の部分がそう訴えるのだ。

 だが、取ろうとした手には包丁が降り注いだ。

 

 ガチン、と音を立て冷蔵庫を綺麗にしてくれた卵頭がナツの包丁を素手で止めていた。

 

「こいつらは、私の獲物だ!!」

「おい、お前は少し黙ってろ。ユグドラシルでは見たことも聞いたこともない変わった職業だからお前も生かしておいてやるつもりなんだ」

「何より不敬ですよ」

「この!この!!離せ!!」

 ナツは自らの手を捕まえた卵頭の腕に噛みつき、必死に逃れようと身を捩った。

 だが、卵頭は一ミリたりとも動かなかった。

「邪魔が入ったな。どうする、狼人(ライカンスロープ)よ」

 ドレヴァンは迷いなく手を取った。

 

狼人(ライカンスロープ)に、再びの繁栄を」

 

 人間はニヤリと笑った。

 

「見たこともないほどの繁栄を、な」




ちょっと間が空きました!男爵です!!
夜叉って、スリランカじゃヤカーっていう悪魔、悪鬼らしいです!
ちなみに狼人(ライカンスロープ)スレイヤーとかいう謎のクラスも取れたようですよ!
たくさん殺したもんね!おめでとう!!(?

そして、なんと男爵、妊娠しました〜〜。
つわりがひど過ぎて毎秒吐いてます(^o^)終わってます。
でも、更新していくんだからね……。
吐きながら更新していくんだからね……!!(?
今男爵はトマトしか食べられません。
トマトを食べては吐いています。死にます。
もりもり小人間(ハーフマン)食べてる狼人(ライカンスロープ)の皆さんが羨ましいです。


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#163 我が子のスープ

 フラミーによってドレヴァンの腕が直されると、捕獲魔法で動けなくして転がされているナツは一層吠えた。

 理性的にアインズに礼を言う狼人(ライカンスロープ)達とどちらが獣じみているのか分からない様子に苦笑する。

 

 パンドラズ・アクターはさて、と鳥を鑑定し始め、ツアーもそのそばに寄った。

「本当にこの鳥の中にリーダーの持ってきたアイテムはあるだろうか」

「お調べいたしますので、お待ちください」

 

 二人が鳥に集中する隣でフラミーはデミウルゴスのいる場所目掛けて転移門(ゲート)を開いた。

 デミウルゴスは今、森の中にいる。

 転移門(ゲート)からひょいと顔を出せば、膝をついて頭を下げて待っていたデミウルゴスと、岩に座るトラ吉達がいた。

「デミウルゴスさん、よろしくお願いします」

「は。お待ちしておりました。さぁ、君達も」

 立ち上がったデミウルゴスが促す。トラ吉、マチとナオもよっこらせと腰を上げてから頭を下げた。

 マチとナオは昨日に比べ、随分と多くの荷物を背負っていた。ただでさえ大きい背負子の他にもカバンをいくつも持っている。

「今日は大荷物ですね。持ち切れます?」

「なんとか!今日でもう解決して家に帰れるって、デミウルゴスさんに言われたんでね!宿の清算も済ましてきましたよ!」

 マチが嬉しそうに荷物を背負い込み、ナオも重そうな荷物を嬉しそうに抱えた。

 ふと、デミウルゴスの笑顔が深くなったのをフラミーは見逃さなかった。

(……ん?)

 小さな違和感を抱いたが、多くのことは考えなかった。

 

「それで、お妃様。アイテムは見つかりましたかい?」

「あ、えぇ、無事に!ただ、雲を発生させる方法とかは今調べさせてますから少し時間がかかりそうです。すみませんね」

「ありがとうございます!いやー、王様達に会えてほんっとに良かった!なぁ、ナオ!」

「あぁ!マチ兄!」

 

 ガヤガヤと転移門(ゲート)を潜ると、デミウルゴスはフラミーに「大丈夫です。うまく伝え(・・・・・)られましたので」と小声で告げた。

 何のことか分からない。

 フラミーはとりあえず笑顔を返しておいた。

 すっかり転移門(ゲート)を潜ると、トラ吉達はその場で腰を抜かした。

 

 この場所はまだ血の海だ。

 

 あまりにも濃密すぎる血の匂いは普通なら吐き気を催してもおかしくはない。

「こ、こ、これは……こんな……何が……」

「おぇえー!!おえぇーー!!」

「ひぃ、ひぃえー!!」

 トラ吉が口をぱくぱくさせる横で、マチとナオが吐いたり叫んだりする。

 すると、ナツが大声を上げた。

「ハ、小人間(ハーフマン)小人間(ハーフマン)!!私は殺した!!こいつらを殺したぞぉ!!」

 嬉しそうにナツが叫ぶと、デミウルゴスは蛆を見るような視線を向けた。

「……なんでしょう?あちらの下等な悪魔は」

「ちょっとうるさいですよね。少し前までは小人間(ハーフマン)だったみたいですけど、不老不死にさせられて、仲間を食べさせられながら狼人(ライカンスロープ)に飼われてたみたいですよ」

「そうでしたか。それはそれはまた随分いい趣味をしています」

 デミウルゴスの言葉に、怯え切ったマチとナオは「そ、そんな残酷な!?」「本当にいい趣味しやがって!」と怒りを露わにした。

 

 話すマチとナオをかき分けるように、トラ吉は立ち上がった。

 

「君は……?」

「同胞!私は仇を取った!!だが、もっと殺さなくては!!私を助けろ!!私を逃がせ!!」

「似てる……」

 よろよろとトラ吉が近付くと、ナツは一層叫んだ。

「私の拘束をやめさせろ!!あいつらに、私の復讐の邪魔をやめさせろ!!」

 デミウルゴスが「本当にやかましいですね……」と呆れた声を出すのも、トラ吉には聞こえなかった。

 

 肌の色は赤銅色だし、こんなにあの子は大きくなかった。

 それでも、忘れもしない幼かった玄孫の顔と、目の前の生き物が重なって仕方がない。

 声だって――。

「なんで説得しない!!早くしろー!!」

 トラ吉は近付きながら、忘れたくても忘れられない、いなくなってしまった愛し子の声を鮮明に思い出す。そう、トラ吉は死んでしまった身内を一人も忘れてはいない。

 

『おじいちゃん!おじいちゃんは世界一のおじいちゃんよ!ナツ、おじいちゃんの玄孫でよかった!私もトラ吉おじいちゃんといつまでも生きてたいなぁ!』

『痛いよぉー!おじいちゃん、おじいちゃーぁん!!転んじゃったよぉー!!』

『なんで今食べちゃいけないの!!おやつ食べたい!!食べたい!食べたい!!食べたいー!!』

 無垢に笑っていた顔と、泣いた時の顔、地団駄を踏んで怒った顔、どれも鮮明に思い出された。

 

「ナツ……」

 

 動けなくなっている様子の顔の前にしゃがんで、頬を撫でると、ナツはぴたりと叫びを止めた。

 

「……だれ?」

 

 トラ吉はもしや人違いかと思ったが、それでも語りかけた。

「わしだよ……。トラ吉だよ……」

「トラ……吉……おじい……ちゃん……」

 

 ナツはこぼれるほどに目を見開き、トラ吉を頭からつま先までよく観察した。

 たった五歳までそばにいた、誰よりも誰よりも尊敬していたトラ吉。顔も声も忘れてしまっていたトラ吉。

 ナツはその懐かしく優しい声に、まるで全てを思い出すかのように大粒の涙をボロボロと落とした。

「お、おじい……ちゃん……」

「あぁ、そうだよ。わしだよ。トラ吉じいちゃんじゃ」

「お……おじいちゃん、私、私ね」

「うん……うん……」

「ずっと……ずっと待ってたの……」

「そうかい……」

「いつまで経っても来てくれなくて、本当に怖かった……」

「すまなかったね……」

「でも、トラ吉おじいちゃんは助けに来てくれるって、分かってたよぉ」

 ナツが泣きながら笑うと、トラ吉は引き起こしたナツを抱きしめて慟哭した。

 集落中を付き抜けるほどの声をあげて泣き、ナツは嬉しそうにトラ吉に身を任せた。

 

「なるほど、そういう事ですか」

 

 デミウルゴスはふんふん感心したように頷いていた。

 そして、デミウルゴスの到着に気が付いたアインズはドレヴァンとの話を切り上げた。

 軽い挨拶を交わし、血の海を平気で踏み締めたアインズは膝をつこうとするデミウルゴスをすぐに押し留めた。

「あぁ、良い。ここはお前が膝をつくに相応しい場所じゃない」

「恐れ入ります」

 腰から頭を下げる。アインズは「それで……」とマチとナオをちらりと見た。

 マチとナオはナツとトラ吉の再会に感激して二人で泣いている。

 デミウルゴスは眼鏡をスッと押し上げた。

 

うまく伝えて(・・・・・・)あります。持ち物も全て整えさせ、里の者達にはこの二人が自分たちの里に帰ったと思うように取り計らいました。御方々の不老不死の秘宝について横から口出しをするような真似はさせません。今すぐでも処分は可能です」

 

「……そう」

 

 アインズはやっぱり自分の言葉は足りないのかもしれないと気弱な声を出した。

 だが――今はそれで都合がいい(・・・・・)ので気を取りなおす。

「……んん。処分は待て。お前には一つ大きな仕事を頼みたい」

 デミウルゴスは即座に膝をつき、頭を下げた。せっかく付かなくてもいいと言った膝は血の海にパシャリと落とされた。

「は!このデミウルゴス、どのような命であっても成し遂げることを誓います」

「期待しているからな。あちらの悪魔だが、つい数時間前まではただの小人間(ハーフマン)だったらしい」

「は、フラミー様より伺いました」

「そうか。これも聞いたかもしれないが念の為言っておく。あれは殺戮を重ねて夜叉(ヤカー)という悪魔へと変わったらしい。この世界でここまで派手なクラスチェンジは初めてだ。タイミング、理由、条件。それらが明かされれば、また一つこの世界におけるレベルアップと職業取得の謎を解き明かす糧となろう」

「実験されますか」

「あぁ、誰にも勘付かれないようにな。小人間(ハーフマン)にしかなれないのか、そうではない者でも可能なのか、どの程度の殺戮を必要とするのか、全ては謎だ。時間もかかるだろう。なんせ、ナツの例では八十年近くここに幽閉されていたらしいからな」

「長年の幽閉、同種喰い、苦悶と絶望……ございますね。かしこまりました。それでは――実験してみましょう」

 デミウルゴスはこの世にこれほど邪悪な笑みがあるのかと思わされるほどに、悍ましい笑顔を作った。

 

 そして――

「アインズ様、マチとナオにはその役目を?」

「――ちょうどいい、とお前も思っただろう。ナザリックに楯突いていない者をどうこうするのは趣味ではないが……糧になってもらおう」

 

「かしこまりました」

 

 その後、狼人(ライカンスロープ)の集落にはコキュートスと陽光聖典が送り込まれた。

 信じられない惨状を前に、聖典達とは言え気分を悪くした。

 死体の片付けは、本来ならば大量にスケルトンを導入すると感情もなく早いのだが、これだけの死の直前の感情が充満した場所ではアンデッド化が危ぶまれ、たった二体のスケルトンが手伝いに入れられた。

 片付けは難航したが、数日もすれば集落はある程度の落ち着きを取り戻した。

 

 ドレヴァンとサイオーバは、ツアーに何度も釘を刺され、仲間達が死んだことを悲観しすぎないようにした。

 何の意味もない死だったと落ち込みそうになっては、お互いを励まし合った。

「神聖魔導国が繁栄を約束してくれた。彼らがここに辿り着くためには、必要な犠牲だったんだ」

 この言葉は二人の心を大いに癒した。

 

 集落は確かにこの後発展していけるという確信があった。

 

 ドレヴァンとサイオーバは一週間ほど旅に出たのだ。

 エ・ランテルや地下都市のパクパヴィル、トロール市や夏草海原、沈黙都市周辺に無数に存在する亜人や異形達の集落をコキュートスに連れられて見てきたのだ。

 伝統を守ったありのままの姿で繁栄の時を迎える種族達、それを離れて新たな生活に馴染む者達、皆が幸福そうだった。

 良き神であると話も聞かせてもらった。

 集落には誰も住まない寂しい家がいくつも並んでしまったが、いつかはそれも埋められるだろう。

 

 ドレヴァン達は前を向く力を集落にもたらした。

 そして、集落には大きな冷蔵庫がさらに一台用意された。

 パンドラズ・アクターが綺麗にしてくれた冷蔵庫の他に、「食材を無駄にしないその精神を神王陛下は大いに評価されています」と言って、神直々に下賜されたものらしい。

 それには冷凍機能もついていて、子供達はよく氷を作っては舐めて喜んだ。

 

 いなくなってしまった人の分も生きなければ。

 

 狂ってしまったナツの分も生きなければ。

 

 ナツの檻がなくなった広場はもの寂しかった。

 今でも、その場所にはナツの人形が置かれ、人々は夜寝る前に花を手向けたらしい。

 彼らなりの愛は確かに存在していた。

 皆「寝ている時に誰かが見守ってくれている」という安心感を、いつまでもいつまでも、懐かしく思ったらしい。

 

 皆の大切な大切なペットは、罪を償うために神に連れて行かれた。

 

+

 

 マチとナオは再び転移門(ゲート)を潜った。

 辺りは見たこともない草原だ。綺麗なところだが――不思議と背筋が薄ら寒くなる。

 

 この王達の魔法があれば、きっと里までもすぐに帰れるに違いない。

 帰り道は楽ちんだと思い、つい土産を買い込みすぎた。

 あの辺りでよく採れる山菜は香りも歯応えもよく、里の近くでは採れない。

 病気の父もきっと喜ぶだろう。

 二人はお互いが買った物を「これがな」「あれがな」と見せ合っては嬉しそうに笑った。

 

「しかし、ここはどの辺りだろうなぁ」

「森を通らないで帰る道かね?」

 

 帰りに食べようと思って買っておいたおにぎりを一つ取り出して齧り付く。

 うまい、うまい。

 

 そして、もう一度転移門(ゲート)が開いた。

 

 目立ちすぎる赤いスーツのデミウルゴスと、なんとも目のやり場に困るカラス頭の女、それから大きな本を大切そうに抱いた少女。

「デミウルゴスさん、待ってましたよ」

「それで、不老不死の雲は?」

 デミウルゴスは「やあやあ」と二人のそばに寄って来ると、大きな葛篭を見せてきた。

「お待たせしました。こちらがお約束の雲です。今回はアインズ様とフラミー様にお手伝いいただきありがとうございました。お二人ともとても感謝されております。特に、アインズ様はこれからの事も深く感謝されておりましたよ」

 二人は嬉しそうに背負子の蓋を開け、雲をもらう準備をした。

「いやいや、こちらこそ!親父が悪くなる前に持って帰ってやれそうだ!」

 雲はまだかまだかと期待していると、デミウルゴスは場所を譲った。

「雲を。嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)

「はい」

 

 大きな大きな葛篭が差し出され、それは開けるともうもうと霧が流れ出した。

 霧がある程度流れ、中が見れるようになってから、二人は慎重に雲を掴んだ。

「そっとそっと」

「消えちゃ大変だ」

 丁寧に丁寧に背負子にうつし、静かに蓋をする。

 それだけの作業だが、二人は汗を拭った。

「助かったよ。それじゃ、帰ろうかね」

「マチ兄、気をつけて持てよ」

 ナオはマチが背負子を背負うのを助け、自らの支度も済ませる。

 

「さあ、帰り道はこちらです」

 

 デミウルゴスは手の中で巻物(スクロール)を燃やし、その前にはもう一つ転移門(ゲート)が開いた。

 

 二人は意気揚々とそれを潜った。

 

 その後、二人はデミウルゴスと本を抱いた少女を伴って無事に里に帰り着いた。

 父親の病気は随分と進行していたようだが、雲を見せるとやつれ切った顔で笑った。

 早速雲を、と食べる前に本を抱いた少女が本をバラバラと開き、ぴたりと一つのページで手を止めた。

 ボウっと本が光り、聞いたことのない作り物じみた音声が流れる。

 そして、少女は告げた。

 

「…………小人間(ハーフマン)、レベル三」

 

 もう良いだろうかと三人は目を見合わせ、父親は雲を一飲みにした。

 父親の顔色は途端に良くなった。

 そして、再び少女は本に触れた。

 

「…………仙人、レベル三」

 

 デミウルゴスと少女は頷き合い、「それでは」と短い挨拶を交わして帰って行った。

 王達ともあまりしっかりと別れは言えなかったが、あちらとこちらでは身分が違いすぎる。

 別れを言う事すら烏滸がましいのかもしれない。

 

 父親はすっかり良くなった体で、その日から里のために再び働き始めた。

 田は増やされず、里は現状の幸福を維持した。

 これからも幸せは続いていく。

 誰もがそう思った。

 

 だが、父親は再び病にふせた。

 

 以前罹っていたものが再発したのか、はたまた新たな病なのか、マチとナオには分からなかった。

 確か、狼人(ライカンスロープ)の集落はあの王達の領地になったはずだ。

 何かいい薬を持っているかもしれない。

 マチとナオは再び旅に出た。

 

 しかし、行けども行けども、里の近くの森を越えることはできなかった。

 その異常事態に気が付いたのはマチとナオだけではなかった。

 誰が里を出ようとしても、近くの森までしか出る事はできず、気がつくと元の場所に戻ってきてしまう。

 

 何かが起こっている。

 

 だが、解決方法が分からない。

 

 里の者達は混乱したが、出ようとしなければこれまで通り暮らせるし、田も元気に育っていると、いつしか皆が里の脱出を諦め、「この悪さをしている狐の寿命が尽きるのを待とう」と言うことで議論は打ち切られた。

 皆、マチとナオが雲を持ち帰ったせいではないかと思ったが、口にした者はいなかった。

 次第に、里には子が増えて行った。

 

 ――食うものが足りない。

 

 物乞いに里を出る事もできない今、田を増やさなければ誰かが死ぬ。

 

 里長であるマチとナオの父は未だ病に伏せ、生きながらえている。

 手も足も自分では動かせない地獄の日々に、「もう死にたい……不死なんて嫌だ……」とよく泣いていた。

 マチとナオは悩んだ。

 殺してやった方が良いのか、それともこのまま生きていてもらった方が良いのか。

 

 結局、身内を殺める決断はできなかった。

 

 代わりに、マチとナオは必死で里長を介護した。

 里長はいつしか死にたいとは言わなくなった。子供も作らず、ただただ自分のために身を捧げてくれる我が子達に日々感謝し、愛を深めた。

 これほどやってくれる者が他にいようか。

 決して容易な道ではないことは誰の目にも明らかだった。

 親子仲は元々悪くなかったが、さらに家族の愛は深まった。

 ただ、里長は生きていたが、もはや滝の約束を守っていられる状況ではなくなり、里の者達は新たな田を一枚、二枚と増やして行った。

 

 最初の頃は良かった。

 

 実りも良く、もっと早く田をつくれば良かったと皆が笑った。

 だが、水が安定しなかった。

 いつしかどの田にも水が回らなくなり、里は飢饉に襲われた。

 たくさんの大人も子供も倒れ、その頃にはマチとナオももう随分と老いていた。

 力が残る者で新しい田は潰されたが、古い田畑だけになっても昔のようには戻らなかった。

 一度変えられた水路は、気がつくと行き先を変え、新たな沼や沢へと流れ込んでいった。

 里では毎日「新しい田なんか作らなければ良かった」「やっぱり里長の言うことに従うべきだった」と田を増やすことを前から推薦してきた者達への恨み言が聞こえ続けた。

 

 もういよいよ食べる物がない。

 

 若い者たちに、老いたマチとナオは告げた。

「わしらはもう長くない。せめて、わしらを食ろうてくれ」

 二人は里長の世話を皆にくれぐれも頼み、そして、父親である里長に別れを告げた。

 体が動かない里長は「だめじゃ……だめじゃ……」とか細く言ったが、里長が苦悶と絶望に陥る中、マチとナオはスープにされた。

 里長だった父親をせめて不老不死にできて良かったと、自分たちの存在した意味に一つの安堵を持って旅立った。

 郷から出ることはできなくなってしまったが、元から旅好きの種族というわけでもなく、二人は愛する父親、兄弟に恵まれた、そう悪くはない人生に幕を閉じた。

 ただ、自分たちのせいで里から出られなくなったのでは、という罪悪感は最後まで消えることはなかった。

 

 兄弟のスープは、里長にも与えられた。

 

 それを飲んだ日から、里長には力が戻り始めた。

 里長だけでなく、仲間たちも皆力を取り戻し始めた。

 マチとナオを皮切りに、老いた者達は何人も殺され、何人も食われた。

 それで蓄えた力で、再び田は整備され、少しづつ里はあるべき姿を取り戻し始めた。

 

 そして、里長がまた歩けるようになった日――。

 「よくも……よくもわしの大事な子供達を……。よくもわしの大事な友人を……。よくも食わせたな……。よくも食ったな……。よくも殺したな……!!」

 里長は大きな鍬を担ぎ、里の中を回ったらしい。

 

 旅人がふと立ち寄った滝のある場所、そこには信じられない血の海ができていたらしい。

 そして、鍬を担いだ一人の男。

 その男は全身を赤く染め、目の下には涙のこぼれた跡が白く何本も線になっていたらしい。

 

 これはまだ、今より三十年も後の話である。

 

+

 

「牧場に収容しなくて良かったのですか?」

 

 嫉妬(エンヴィー)が戻ってきたデミウルゴスに尋ねる。

 デミウルゴスは廊下を行きながら口を開いた。

 

「牧場に入れて適当に痛ぶって憎悪を増やし、最後にあの二人にシモベ達を殺させる。それで夜叉になるかどうか調べる。それが正解に感じるんですか」

「はい。再現性もあります。せっかく兄弟揃っていたので、不老不死にして互いの肉を食わせて生かせば良かったように思います」

「やれやれ。君も悪魔だというのに、分かっていないね」

「……と、言いますと?」

「単に憎い者を大量に殺すだけなら、世界中至る所で発生している。戦争がいい例でしょう。ところが憎き敵兵を殺しても誰も夜叉なんてものにはならない。今回ナツを夜叉たらしめた最後のトリガーについてよく考えてみたまえ」

 嫉妬(エンヴィー)は嘴に手を当て、少々の時間を過ごした。

「……仙人のクラスでは?」

「全く分かっていませんね。ナツの詳細な状況をあなたも聞いたはずでしょう」

 

 デミウルゴスは残念そうに、かつ苛立たしげに息を吐いた。

 

「仙人なんてクラスは我々の誰も持っていませんし、悪魔化するために必須だとも思えません。そんなものよりも、最後のトリガーである殺戮の対象が"一度は心から大切に思った者達"、"心を通わせあった仲"と言うことが何よりも重要だとは思えませんか。憎悪と仲間意識、思い出と憤怒の中、自分の心をめちゃくちゃに破壊しながら、一人一人を手にかける。そして、殺される相手からも形容し難い複雑な感情を向けられる。それはこの牧場では絶対に叶いません。マチとナオと、それだけの関係を築き、二人の精神を破壊せずに痛ぶる。どれだけ手間とコストがかかるか想像もつきません」

 心を通わせるなど低位の者達にはできないし、高位の者であっても長きにわたって演技を続けて信頼関係を築くことは容易ではない。

 それに「何故この人が」という気持ちで貫かれることなど不可能だろう。

 

 嫉妬(エンヴィー)は大いに納得した。

「ご教示いただきありがとうございました。では――里の封鎖はいかがなさいますか」

「普段は監視を何人か立たせておけば良いです。常に魔法をかけておく必要はありません。出られないと里の者達に諦めさせるだけでいいんです。入りそうな者と出そうな者がきた時に適当に煙に巻いてください。適宜出られない、と噂を流しておけばすぐに諦めるでしょう」

 

 二人は誰も何も入っていない檻を横目にどんどん地下へ進んでいった。マーレのおかげで茸生物(マイコニド)達のパクパヴィル――縦穴式都市を模した牧場はすでに地上にはない。

 常闇のおかげで巻物(スクロール)にする人間も減り、牧場は一時期に比べて随分と収容人数が減った。とは言え、貴重な常闇の皮を低位の巻物(スクロール)にはしないので、やはり巻物(スクロール)用の人間はいるが。

 畜肉用は品種改良が終われば、国へ流せば勝手に農家が増やしてくれる。

 決してなくなったわけではないが、牧場は以前ほどの盛況ぶりではなくなっていた。

 

「――今回の実験はある意味一種の芸術だね」

 機嫌良く左右に尾を振るデミウルゴス。

 二人がたどり着いた部屋では、はっとナツが振り返った。

 

「対象を殺さず、心を完膚なきまでに打ち砕くには高度なテクニックを必要とする。技術を追求することは、私にとっては趣味にも等しい行為だ」

「こちらはこちらで、腕が鳴りますね」

 

 嫉妬(エンヴィー)の言に、デミウルゴスは嬉しそうに頷いた。

 檻の中では「ナツ!」「よくも仲間を!!」そう叫ぶ、復活したてで足腰も立たない狼人(ライカンスロープ)達が吠えていた。

 ナツは慣れない動きで膝と両手を地面についた。

「デミウルゴス様、嫉妬(エンヴィー)様。お待ちしておりました」

「素直になったものだ。フラミー様にきちんとお礼を言いましたか」

「もちろん!!」

 心底嬉しそうにナツが頷く。

 

 ナツはこれから始まる、復讐の日々に胸を躍らせた。

 未来、彼らに殺され夜叉化するかどうかの実験の一部に組み込まれていることも知らず。

 

 一方、ナザリック地下第五階層。

 

 トラ吉はピニスン達と畑の世話をした。

 里の者達はトラ吉が里を出ることを寂しがったが、異形になってしまったナツはもう里には戻れないこと、そんなナツを一人には出来ないことを話すと、皆が快く送り出してくれた。

 宿屋の主人とコスケも、手紙を出すと言う約束を胸に大切な祖父を送り出した。

 ――そう、ナツは戻れなかった。

 私を差し置いてこんなに幸せに、そういう思いを抱いてしまうことが目に見えていたから。

 

 トラ吉は里と距離を置いたことで、心も少しづつ安定して行った。

 手紙で愛する者の悲しい報せを読む日もあったが、目の前で繰り広げられる生死の痛みより遥かに楽だった。

 次に子供が生まれたとか、そう言う報せも来たが、いつしか手紙は減って行った。

 トラ吉を見たことも会ったこともない子孫達は決してトラ吉に執着しなかったから。

 トラ吉は里の伝説のように語られた。

 トラ吉意外にも不老不死の者はいたが、皆病気や怪我で次第に減り、いつしか不老不死の里はただの里になったらしい。

 

 トラ吉とナツは第五階層で暮らし、ナツは毎日牧場へ出勤して行った。

 誰もいなくならない日々。故に、どれだけの年月を超えたかもわからない日々。

 

 トラ吉は初めて不老不死で良かったと笑った。




ナツ、実験の一部としてもし殺されても復活させてもらえるよね?(´・ω・`)頼みますよ〜!!
やっぱりこの親子(?)はナザリックに吸収されましたね!
わしゃ何もしてないマチとナオが牧場送りになるんじゃないかずっとヒヤヒヤしてましたよ!!
最終的にはスープにされちゃったけど、まあまあ幸せだったみたいで何よりです!
それで……鳥は?笑
次回は鳥の話かな!?


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#164 閑話 知らない人からの連絡

 ナザリック地下大墳墓、第六階層。

 澄み渡る空の下、パンドラズ・アクターは観客であるアインズ、フラミーの前で深々と頭を下げた。

 一応他にもこの階層の守護者であるアウラとマーレも同席している。

 

 捕獲されてきた鳥は大きめの鳥籠に入れられ、八方を睨み付けていた。

 

「こちらの鳥、仮に鳳凰と呼びますが、鳳凰は確かに父上方のお探しになられているアイテムを飲み込んでいるようです!どういう経緯で飲み込み、どれほどの時間が経っているかなどは不明ですが、少なくともアイテムを取り出すことは困難なようです」

「そうか。そんな気はしていたがやはり難しいか」

「はい。また、今の所霧と雲を出す条件も不明です。これは追い追い、本日このあとにでも調査をしますので、今しばらくお待ちくださいませ」

「私達は構わん。だが、マチとナオが待っている。たまたまでも生成され次第持って行ってやれ。とは言え、無理はさせすぎるな。それは非常に貴重な鳥だ。名ばかりのポイニクスとは違う」

「かしこまりました。報告が終わり次第、細心の注意を払って調査いたします」

 

 アインズが鷹揚に頷き了承の意を示す。

 そして、パンドラズ・アクターは「さぁここからですよ!!」と鼻息を荒くした。

 

「この鳥、鳳凰!!この生き物が飲み込んだアイテムの正体!!それは、不死山(ふじさん)輝夜壺(かぐやつぼ)でございます!!」

 

 発表したパンドラズ・アクターは集中線の描かれた見事な板を背負っていて、大変幸せそうだった。

 一方それを聞いたアインズとフラミーは頷きあい、大した感動を見せてはいなかった。

 

「やっぱり、仙人へのクラスチェンジ用のアイテムでしたね」

「思った通りのもので良かったような、残念なような」

 

 二人の反応はパンドラズ・アクターの期待したものではなかった。

 だが、予想した反応でもある。

 と言うのも、最初にトラ吉の話を聞いた時に二人は――

 

「フラミーさん、この話どう思いました……?」

「……トラ吉さんの話を聞くまでは不老不死の雲なんて怪しいって思ってたんですけど……これは……」

「……ですよね……」

 そう、意味深げに二人は頷き合っていた。

 

 "仙人"は実は魔法詠唱者(マジックキャスター)の区分内の職業(クラス)だ。ユグドラシルでは神官(プリースト)司祭(クレリック)森祭司(ドルイド)秘術師(アーケイナー)妖術師(ソーサラー)魔術師(ウィザード)吟遊詩人(バード)、巫女、符術師なども包括して魔法詠唱者(マジックキャスター)と呼んだ。

 特段珍しい職ではなかったのだ。

 ただ、ゲーム時代は全プレイヤーが不老不死と言っても過言ではないので、仙人が不老不死だとか、特別何か持て囃されるようなことはなかった。

 単なるフレーバーテキストにしかすぎなかったためだ。

 ユグドラシルでも獣人達も仙人になれていたし、仙猫しかいないギルドもあった。彼らのギルドホームは細長い塔を空まで登った先にあるらしいが、アインズ達は実際に見たことはない。

 

「流石……至高の御方々……」

 パンドラズ・アクターが解説できなかったことにがっくりと肩を落とすと、アインズはそれをぽんぽんと叩いた。

「まぁ、私達も名前は知っていたが見た目までは知らなかった。それに、確証もなかったしな。正体を掴んだのは大きな手柄だ。よくやった」

「ありがとうございます。……ちなみに、不死山とはユグドラシルに……?」

 アインズは首を左右に振った。

「いや、不死山はリアルにあった山だ。富士山には昔不老不死の薬である丹薬をその山頂に捨てたんだか、燃やしたんだかして以来、霧や雲が立ち込めていたらしい」

 らしい、と曖昧な言葉を選んでしまうのはリアルの富士山は黒い死の山になり下がっていたからだ。かつて生い茂っていた樹海は全て死に、木の墓場と呼ばれて久しい。

 不死の山と崇められて久しかった霊峰すら死へと導いたリアルの人々の業は深い。

 

「流石至高の御方々!」と双子が拍手する中、宝についてまた一つ知識を蓄えたパンドラズ・アクターは意気揚々と鳥籠へ戻って行った。

 

 あっという間の報告会だった。

 パンドラズ・アクターがあれこれ檻の中で鳥と格闘する中、アインズとフラミーは真剣な顔で腕を組んでいた。

 今二人の頭の中には、「ナインズをいつ不老不死にさせるか」と言うことと、「仙人なんてクラスを取らせるべきか」という二点でいっぱいだった。

 少なくとも、アウラたちには利用できない。

 どのクラスが仙人になってしまうか分からないと言うことはそれだけ弱体化が目に見える。あの二人はナザリックの超重要な戦力なのだから。

 ちなみにナインズは対プレイヤー戦戦力に頭数を入れていない。――なれば、タイミングも、仙人などというクラスを許容するかも、親ではなく大きくなったナインズが出すべきなのかもしれない。

 とは言え少なくとも今はまだ早いだろう。

 あの小さな肉体に彼の精神を閉じ込めてしまうのは拷問のように感じるし、まともな判断ができるとも思えない。

 

「何歳がいいって言うかなぁ……」

「うーん……下手に高校生くらいの歳で聞いたら今!って言うかもしれないですね。でも、高校生の体でもまだ少し早熟かも……」

「俺たちは元からこう言う体だってある程度割り切ってますもんね。一般的な感覚がわからないなぁ。もし不老不死になるなら何歳がいいかアンケート取ります?神殿とかで」

「はは、変なアンケート。神殿機関にはお願いできないですね」

 

 二人は笑いつつ――出かける準備を始めた。

 

 いつもながら、仮面やら幻術やらを使って変装した二人はエ・ランテルの光の神殿に出た。ゾロゾロと付いている護衛達は不可視化だ。

「適当に声かけて、何歳かと、今不老不死になりたいか聞いてみましょう!」

 なんて雑な調査だ。

 守護者にやらせないのは、普通の人間の感覚を聞いてどうするのかと言われることが目に見えていたからだ。

 

 二人は神殿で祈りを捧げる者達を見渡した。

 

+

 

 青空の下、光の神殿前の人形芝居屋に向かって子供が駆けていく。

 腰のあたりに山小人(ドワーフ)の子供が持っていた風船がぶつかる。子供は「あ」という顔をしたが、そのまま謝るでもなく走って行ってしまった。

 だが、ルート・ノイマンは嫌な顔ひとつせず神殿へ向かった。

 子供が焦るのも仕方がない。

 人形芝居屋のそばでチラシと風船を配る男が大声で叫ぶ。

「今日のお話はナインズ殿下!ナインズ殿下と空飛ぶ竜だよー!!」

 ノイマンも見たことのない話だ。

 見る子供達と年の近いナインズ殿下の話は、モモンの英雄譚や神々の神話に引けを取らないほど子供に人気で、人形芝居のみならず劇場でも子供向けのショーとして人気を博している。

 なんなら、モモンの英雄譚の人気を超えているかもしれない。彼がこの街を光の神と共に守ってくれたのは、ここにいる子供達が生まれたばかりとか、生まれる前とかの話だから。もちろん、皆知ってるパン屋や街道が出てきたりする話は相変わらず人気だが。

 

 エ・ランテルのような都会的な都市には、決まって劇場がいくつもあるものだ。

 大きな劇場であれば、裁縫係だけで五十名、大道具係で百五十名もいる。技術者全員を数えていけば、優に四百名を超えてしまうだろう。

 他にも劇場の運営には管理責任者、広報担当、事務員もおり、これがまた全部で百五十名。

 安い席なら三万ウール程で、最も高いバルコン席なら二十万ウール。

 リ・エスティーゼ州の新婚の二人暮らしが一ヶ月暮らせる額だ。

 贅沢な劇場がもてはやされたことは勿論、屋根もない質素な劇場も大いに賑わっている。

 家族連れが休日に足を運ぶには、贅沢な劇場は些か手が出ないが、質素な劇場で子供向けのショーを見るならばもってこいだ。

 子供達がお駄賃を握りしめて行くことだってある。

 

 ノイマンはゆったりと空気を吸い込み、この美しい都市に浸った。

 神都はどことも違った特別な場所だとかいう者がたくさんいるが、ザイトルクワエ州の方がよほど特別な場所だ。

 神が設計して生み出した街なのだから、いくら大神殿があるとはいえ神都よりもこちらの方が何倍も上に感じる。ザイトルクワエ州にはカルネ市だってあって、約束の地を包括しているのだし。

 この地の住民はそう言う思いを抱いていることも全く珍しくないし、神都とエ・ランテル、どちらか本当の神聖魔導国の中心なのかというのは踏み抜いてはならない面倒な議題だ。

 

 人形芝居は「ナインズ殿下と空飛ぶ竜、始まり始まり〜!!」と吟遊詩人(バード)の語りから始まった。

 内容は子供向けなためシンプルだった。

 身分を隠したナインズ殿下が護神達と黒き湖に水上都市を視察しに行く。すると、空から竜が襲ってくるのだ。お小さいナインズ殿下は民を守るために守護神の制止を払って小さな剣を抜いて立ち上がる、と言うような感じだ。

 子供達に比べて随分と遠巻きに、ノイマンの近くでそっくりな見た目の乙女が二人見ていた。

「ね、もう行かなきゃだよ」

「待って待って。私これ見たことないの」

「十五にもなって子供向けの人形劇でもないでしょ」

「十五だってたまには見たいの」

「もー。お姉様が待ってるのに。私、先にパン屋さん行ってるからね」

「えっ、ちょっとウレイ!待ってよ、ウレイリカ!」

「クーデは見ていっていいよ」

「ねー、私ももういくよ。クーデリカと行く。待ってってばぁ」

 双子だったのだろうか。二人は全く同じ歩調で立ち去って行った。

 

 この劇が本当にあったことなのか、吟遊詩人(バード)が神殿にお伺いを立てて許しを得たフィクションなのか、ノイマンには分からない。

 だが、子供達にはそんなことも関係ない。

 彼らがナインズ殿下や陛下方、守護神と言葉を交わす日など、おそらく一生ないのだから。御伽話もナインズ殿下も大した差などない。

 

 ノイマンは話の落ちが見えてくると、ゆっくりと観覧客の輪を離れ、吟遊詩人(バード)のそばで演奏を続ける竪琴師(ハーパー)のそばにある帽子へひと足先に金を入れた。

 

(……殿下や陛下に一生言葉を交わせないのは、この私も同じことか)

 

 ノイマンは魔術師組合に籍を置く学術魔術師だ。

 別に高位階の魔法が使えるわけでもないが、どちらかと言えば魔法には明るい。

 神が降臨する前から<伝言(メッセージ)>の研究をしている。

 三百年ほど前に存在したガテンバーグという国は、<伝言(メッセージ)>によってもたらされた三つの虚偽情報で滅んでいる。

 <伝言(メッセージ)>という魔法はかなり面白い。どの程度相手を知っていれば繋がるのかというのが、研究を続けているが未だに不正確なのだ。

 ただ、すれ違って顔を覚えるだけでは流石に繋がらない。名前や見た目ははっきり分かっていないといけないと言うことは確かだ。だが、一方的に良く知る、こちらを一切知らない流行りの劇場スターでも繋がるのかなどは、どうしても礼儀の問題もあるため実験ができない。

 ちなみに名前は偽名でも繋がる。相手を詳しく知る必要はほとんどないし、敵対していたって繋がってしまう。

 ガテンバーグの時もそうだが、相手が何者なのかは名乗る相手の善性に委ねられる。

「もしもし?俺俺。俺だけど」と言われてしまえば、<伝言(メッセージ)>を受けた方は、それが何者なのかを確かめる術は喋り方と声しかない。

 もっとも、こんな馬鹿げた<伝言(メッセージ)>の出方もかけ方もないが。

 

 ノイマンは光の神殿に入る前に、ふと足を止めた。

 

 どうせノイマンは一生かかっても神々に認識されることなどないし、言葉を交わすこともない。

 神々はたまに下界に降臨すると聞くが、そう言う場面にたまたま立ち会えたことはない。

 ノイマンが神々を見ることができたのはザイトルクワエの襲来時、黄金の姫が戦争を仕掛けられてしまうと嘆いた時、旧リ・エスティーゼ王国が攻め入った時、黄金の姫が黄金の知事へとその身分を変えた式典の時。

 どれも楊枝で紙に穴を開けた程度のサイズだった。

 

「………………やってみようかな」

 

 これは、ちょっとした好奇心。

 親に欲しいものを買ってもらえなかった子供が代替の慰めを欲するような幼稚な心。

 張り切って遠出した先で土砂降りに降られた時のような、どことなく惨めな気持ち。

 

「<伝言(メッセージ)>」

 

 ノイマンは闇の神を目一杯心に想像して魔法を唱えた。

 こちらを百パーセント知らない相手。

 一方的に知る憧れの存在。

 不可侵の相手だ。

 

 コール音も鳴るはずが――。

 

 ノイマンは早く手を下ろさねばとパニックになった。

 それは、確かに<伝言(メッセージ)>の呪文によって他者を呼び出す時のコール音。

 パニックになればなるほど、「あ、あ!あ!え!あ!あ!」と無意味な言葉ばかりが出て、体は不思議と動かなかった。

 人形劇に拍手が送られる。

 その音でパニックから抜け出したノイマンはやっと手をこめかみから離そうとした。

 その瞬間、聞こえた。

 

『私だ』

 

 口の中がカラカラに乾いていく。

 私というのは、どなた?あなたは、本当に、本当に、あなた?

 ノイマンの中を思考ばかりが流れていく。

 

『どうした。私だ』

 

 子供達が金を渡す声が聞こえる。

『おい、霧の出し方は分かったのか?……パンドラズ・アクターじゃないのか?』

 その名を聞いた瞬間ノイマンは飛び上がった。

 パンドラズ・アクター!それは紛れもない守護神の名だ!!

 

「わ、わわ、私は!!私は!!」

『――っ、落ち着け。落ち着いて話せ。パンドラズ・アクターじゃないな。何か問題か?』

「は、ははぁ!!私めは、ルート・ノイマンと申します!!」

『……ルート・ノイマン?聞かない名前だな。ナザリックの者ではあるまい。どこかの知事職に近い者か?私にわざわざこれを掛けて来るとは、お前の上司はそれを許したのか?』

 

 沸騰するように熱くなったノイマンの頭の中は一瞬で冷え切った。

 

「あ、あ、あ、い、いえ!!いえ!!すみせん、お、お話ししてみたくて!!わ、私は、魔術師組合の者ですが、ち、ちょっとした行き違いというか、まさか繋がるなんて――」

『……やれやれ……。困ったな。いつかはこう言う馬鹿げたこともあるかもしれないとは思っていたが……』

「ご、ご、ご無礼を!!申し訳ありません!申し訳ありません!!」

『そう簡単に私に直接繋がるというシステム自体にも問題がある。だが、おいそれとこの私に話しかけようと思ったお前の感覚にも問題はあろう』

「お、おっしゃる通りでございます……」

『私は無意味な時間も問答も好かん。切るぞ』

「は、ははぁ!!陛下、お話しいただきありがとうございました!!」

 

 ノイマンは胸から心臓が飛び出しそうになりながら、この呪文が相手によって切られるのを待った。

 だが、思いがけず相手からは会話の続きが届いた。

 

『――あ、待て。お前は今何歳になる。人間種か?』

「あ、はい!わたくしめはしがない人間でして……四十七才になります!!」

『なるほど。お前は、不老不死になるとしたらいくつがいいと思う』

「は、ふ、不老不死、でございますか……?」

『あぁ。不老不死だ。老いることも死ぬこともない。もっとも、殺されれば死ぬがな』

 

 神とはなんという質問をする生き物なのだろう。

 ノイマンは必死に頭を動かした。

 

「……わ、私は今……不老不死に――」なりたいと答え掛け、この答えによって不老不死にさせられてしまったらと背筋が薄ら寒くなった。「――不老不死になるのは怖いです……」

 

 素直に告げる。

 神は『そうか。ではな』と簡潔に答えて<伝言(メッセージ)>は切れた。

 そっと脱力するように手を下ろす。ノイマンは周りにジロジロと見られながら立ちすくんだ。

 見て来る者達は「あのおっさん、陛下と話してるごっこしてる」「お祈りじゃないの?」「痛すぎるだろ……」「しっ、見ちゃいけません」と勝手放題言ってくれる。

 何分かそのままでいると、まさか不老不死になっていないよなと自分の頬をつねった。

 

「いて……」

 

 夢じゃないことは確かだが、不老不死かどうかはわからない。

 いや、疲れ果てていくつも歳をとったように感じる。やはり、不老不死にはさせられていない気がする。

 安堵に息が漏れ、思わずその場にへたり込んだ。

 

 後にノイマンがこのことを話しても、誰一人として信じてくれる人はいなかった。

 掛けてみろよと小馬鹿にされて言われることもあったが、ノイマンは決して神に再び<伝言(メッセージ)>をかけることなかった。

 近くにいた者が「まさか繋がるわけがない」と言って<伝言(メッセージ)>をかけると、やはり<伝言(メッセージ)>は繋がらなかったらしい。

 それから六つほど歳を重ね、ノイマンは光の神殿で神をたまたま見る機会があった。なんでも魔導学院を見に行くとか。

 あの日のことは夢ではないですよね、と話しかけたかったが、そんなことはできなかった。

 

 しかし、ノイマンの中には確信が生まれた。

 

 あの声、話し方。

 

 全ては神であったと。

 

+

 

「だいじょぶでした?」

 光の神殿にある廊下で、フラミーが仮面のアインズを覗き込んだ。

 アインズは「うーん」と呟いた。「あの、一個魔法使っていいですか?」

「え?どんな?」

「防御魔法……」

「ほぇ〜。構いませんけど……なんだったんです?ノイマンて誰でしたっけ」

「知らんおっさんでした……」

 そう言いながら、アインズは無詠唱化した情報系の魔法を無効化する防御魔法を使った。

 もちろんフラミーにかけることも忘れない。

 フラミーは自分に何の魔法がかけられたのか理解すると、「これ、ナザリックから連絡来たら届かなくて困るんじゃないですか?」と呟いた。

 

「……ちょっとやり方考えた方がいいなぁ」

 

 変なおじさんのおかげで、アインズは守護者なしの外出にまた気を使わなくてはいけなくなったとため息を吐いた。

 ちょうど今、パンドラズ・アクターが「たまたま霧を一つ手に入れた」と連絡してきているなど思いもせずに。




全然知らんやつから届いちゃったよ…。
メッセージのガバガバ設定大丈夫か…。

ちなみに男爵は入院17日目です( ;∀;)死ぬ〜(死なない
でも、こうやってリハビリ的にお話も書けるくらいの体調になってきました!
来週には家に帰れるかな〜。


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#165 閑話 自動人形

 鬱蒼と深い森。

 雨が降っていたわけでもないのに、地面はどことなく湿気を帯びている。

「そろそろ街に寄らないといけないね。食材、もつかなぁ」

 特定の誰に聞かせるでもなくリクが言う。

 

 キーノ・ファスリス・インベルンは街なんかに行きたくない。だから、リグリット・ベルスー・カウラウに代替案を求めるように名前を呼んだ。

「……リグリット」

「なんだ?」

 美しい黒髪を一つに三つ編みにした美女は、靴紐をキツく結び直しているところだった。彼女はきっと、キーノが何を言いたくて名前を呼ばれたかわかっている。だというのに、どことなくそっけない返事だった。

「……リーダーがなんか言ってる」

「そうだね。最もなことを言ってるみたいだね」

「疲れた……。もう疲れた……」

 キーノが立てた膝に顔を埋める様子に、リグリットは呆れたように腰に手をおいた。

「疲れるわけないでしょ。インベルンはアンデッドなんだから。疲れてるのはこっち。少しは皆を見習ってあっちで料理でも手伝いなさいな」

「嫌。嫌だ!どうせ料理なんてしたって意味もないもん!」

「はぁ……。この泣き虫」

 街に入る時は顔――主にこの呪われた赤い瞳を隠すために前の見にくい半顔の仮面を着けて歩かなくてはいけない。子供に「なんだそれ!」とか「大道芸人の子供だろ!」とか言われるのがすごく嫌だ。キーノは子供達より年上なのに、本来ならリグリットと変わらない身体の成熟を迎えているはずなのに、子供達は少女の身体のキーノに対して信じられないほどに無礼だ。

 

 食事だって、アンデッドだから取る必要はないのに、手伝わされそうになるうえに食べろと迫られる。

 地獄を形にしたような廃墟の王国にいたときよりはよほど良いが、辛い思いもたくさんある。

 

 焚き火の周りには、十人近くの仲間達が集まっていて、ドワーフのマンナズが味見をしては何か楽しそうに笑っている。

 マンナズは彼の本当の名前ではないが、(マンナズ)と言うルーン文字には人間という意味があるらしく、彼はそれを人との友好の証なのか体に刻んでいるので、愛を込めてマンナズと呼ばれている。キーノは深いことにあまり興味を抱いていないが、その程度は分かっている。

 そして、マンナズのそばには自動人形(オートマトン)という種類のゴーレムがうろうろとし、枝を集めたり、鍋の中をかき混ぜたりしている。

 

 ふと、キーノの後ろの茂みががさりと音を立てた。

 恐ろしいという思いと共に振り返る。

 白銀の鎧が大きな蜘蛛を持って戻ってきていた。

 

「やあ、インベルン。これはどうかな」

 

 ウサギのように大きな蜘蛛は絶命していて、だらりと足を垂れ下げていた。

「……私は絶対食べない。皆も見たら多分ひっくり返るよ……」

「そうか。ディグォルス砂漠にはサンドワームを食べる者達もいるから、大きければ虫でもいいのかと思ったけど。難しいね」

 そう言いつつ、白銀の鎧――ツアーは焚き火を囲む仲間達の輪の中に入っていった。

 マンナズやリーダーはギョッとしたようだったが、意外にもイジャニーヤとリグリットが喜んでそれを受け取った。焚き火のすぐ隣に穴を掘り、巨大蜘蛛は葉に包まれてそっと穴に埋められた。その上に焚き火を乗せ、火を通す。カルアと呼ばれる料理方法だ。

 

(私は絶対に食べない……)

 

 しばらく眺めていると、リグリットが輪の中から手を振る。人間の円環の中にキーノを留めようというのだ。

 全く食欲はないし、本日の献立は存在しない食欲を超えてまで食べたい代物でもない。

 ムッとした顔をしていると、ふとキーノの腕がとられた。

「食べよう!」

 音もなく、風もなく、気配もなくキーノの前に移動してきていたイジャニーヤがキーノを軽く引っ張った。こうなれば全てはもう遅い。

 キーノが瞬きをするより早く、その体は焚き火の輪を囲まされていた。

「やれやれ、やっときた。少し早いけど魔法も使ったし、もう食べれるんじゃないかね」

 リグリットが言うと、マンナズは丁寧に鍋を混ぜていた自動人形(オートマトン)を手招いた。

「火退けて、中の食べ物出してくれる?」

「私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス」

 硬いおかしな声だ。

 自動人形(オートマトン)は熱さを感じないらしく、焚き火をザラザラと退けて土の下から大きな葉を取り出した。

「サア、ドウゾ」

 完成品を真正面から見たくない。キーノは顔を背けつつ、薄目になった。

 開けられた葉の中からは、足が八本、胴体がドカンと一つ、八つの目玉のついた顔が一つ。

 想像通りの代物だ。

 目を背けているうちに、麦飯が入れられたとろみのあるシチューと水が配られる。こちらは食べてもいいかな、と器の中を覗き込むと、ボチャン!と枝が入れられた。

 いや、枝じゃない。足だった。

 それから、蜘蛛の脳みそと、身の中に入っていたブニブニ柔らかそうなところ。

 

「出汁が出てうまいよ。中の身はほじくって食べて」

 

 リグリットは一つも悪気のない顔で笑った。

「……うぇ〜……」

 戦々恐々と口にする者と、嬉しそうに口をつける者。

 イジャニーヤなんかは「こう言うの憧れてたんだよね!カニとかさぁ、美味しかったらしいじゃん!もうそんな生き物もいなかったけど!」と、カニが獲れなくなった地元の話をしていた。

 喜んで食べる者に倣って、皆が食事を進めていく。

「ん?いけるね!」

「うまいうまい」

「本当、出汁が出るな」

「一緒に煮ればよかったんじゃない?」

「一緒に煮たら身を解すのが大変でしょ」

「後から入れるから蜘蛛本来の味もするね」

 蜘蛛本来の味なんてしなくていい。

 楽しげな会話から目を逸らす。その先には、ツアーがいた。

 岩の上に腰掛け、皆が食事をする様子を黙って眺めている。

 時折、何かを思い出すかのように空を見上げた。

「……ツアーも食べてないし、私ももういい」

 一口もつけずに皿を置こうとすると、リグリットが分かりやすく睨んだ。

「待て待て、食べられないツアーと違ってインベルンは食べられるでしょ。口だってついてんだから。それともインベルンのお嬢ちゃんはあーんされたいの?」

「バカか。ツアーには本当に口がないのか?あいつだって喋るんだから口もあるだろ。私は口はあっても力にはならないし、ある意味ツアーと一緒」

「一緒じゃない。彼はずっとああみたいだけど、人の中で暮らせてる。あんたはどうなの、インベルン。物も食べない、眠くもならない。そんな時間の中で、何の起伏もなくまともでいられんの」

 時間の区切りを知ると言うのは人間でいるためには必要不可欠なことだった。食事と睡眠をしない一日の長さは途方もなく、感覚も忘れていく。一人で王国にいた間、キーノは何者でもなくなり始めていた。

 キーノは口うるさい姉のような存在にフン、と鼻を鳴らした。

 

「インベルン。君は食べた方がいい。いつか本当に国堕としなんて者になる。君の精神は脆弱だ」

「じゃあツアー、お前はどうなんだ。眠ってはいるようだが、水分一つ取らないじゃないか!痛みだって感じてるか怪しい身体のくせに、私にどうこう言うんじゃない!」

 だいたい、この男は変なのだ。生き物の感じがしないし、感情だってどれほどあるのか。

「僕と君では性質が異なる。僕達は一人で生きていくことが当たり前の種族だけど、泣き虫の君は一人ではいられないんだろう。それなら、それなりの努力はした方がいい」

「知ったような口を聞いて!魂のあるゴーレムなのか自動人形(オートマトン)なのかなんなのか知らないが、性質が異なるというなら私の気持ちなんか分からないだろ!!」

「だから歩み寄ろうとしているじゃないか。さぁ、冷める前に食べた方がいい。その冷たい身体も、芯から温めてやればまた気持ちも変わる。近々人の街に降りるんだ」

「……く!!」

 温めるとか、気持ちとか、そんなことを。それは、彼が生き物である証の発言のように思えてならなかった。

 

 キーノは刺さるように入れられている蜘蛛の足を森妖精(エルフ)の皿に放り込み、シチューに入れられた身と脳みそをぐちゃぐちゃに混ぜてから口を付けた。

 温かい。

 暖かい。

 優しい。

 うまい。

 悔しい。

 キーノは途中から泣きながら食べた。

「そんなにまずかったかい。次は魚にしておくよ」

 ツアーがそんなことを言うと、リグリットがツアーに「しー」と沈黙を促した。

 最後には皿の底を舐めるように全部食べ、森妖精(エルフ)の皿にくれてやったはずの足を取り返して中まで吸った。

 

「…‥ご馳走様」

「ん。お嬢ちゃん、よく食べたね」

 リグリットに言われると、キーノはまた「ふん」と鼻を鳴らし、目元を拭った。

 

 翌朝、理由は分からないがマンナズの自動人形(オートマトン)は動かなかった。

 働かせすぎたせいで壊れちゃったのかなとマンナズは残念がった。

 自動人形(オートマトン)は料理時や荷物持ちに役立つことが多かったので、マンナズ以外も惜しんだが、ゴーレムはいつか動かなくなってしまうものだ。

「今までありがとう」

 そっと自動人形(オートマトン)を寝かしてやり、一行は再び旅立った。

 

+

 

 アインズとフラミーは奇妙な噂を聞いて、少しばかり遠出をしていた。護衛にはおにぎり君とパトラッシュ。

 少し前に、不老不死になるなら何歳くらいでなりたいかとエ・ランテルで聞いて回った際に耳にした噂だ。

 

 何百年もずっと、同じ場所で飯炊きをしている賢者がいるらしい。その者なら、不老不死について何か思うことがあるかもしれない。

 

 そう言う噂だった。

 ナザリックに連れ帰ってみたトラ吉とナツは不老不死に対して良いイメージを持っていないので、彼らには「何歳から不老不死になりたかった?」とは流石に聞けない。

 

「この辺りですかね?」

 二人は鬱蒼と深い森にいた。

 領土としてはここは神聖魔導国で、ル・リエーからずいぶん北上した辺りだ。

 獣道もないような森だったが、気付けば道らしきものがあり、二人は自然とそれに沿って歩いていた。

 

 この辺かと思ってからまたずいぶん歩いた先には、綺麗に整地してある中にポツリと一軒の小さなログハウスが建っていた。

 窓はぴたりと鎧戸を閉められているが、中からは何やら美味しそうな匂いがしてくる。

 アインズは軽い力で扉をノックした。

 何の返事もなく、「ごめんくださーい」とフラミーも声を上げる。

 扉に鍵のような機構は見当たらなく、さらに中から人の気配もしない。

 二人は念のため、生命探知の魔法を使ってみたが、やはり人の気配はない。

 食べ物の匂いがこれだけしているのだから、おそらく家主が戻るのはそう遠い未来ではないだろう。

 

 二人はその場で待つことにした。

 

 ログハウスの外に置いてあったベンチに腰掛け、近頃の話をする。

 やっぱり外に出た方が楽しいとか、また冒険者をしたいけど英雄扱いは嫌だとか、ついこの間ナインズとアルメリアが第五階層の氷山錬成室に遊びに行った時のこととか。

 美しいあの場所では、今二人の限界突破の指輪が胎動している。

 フラミーは約束の指輪の完成を楽しみに待ちわび、バロメッツにルーンを描いてやるとちらりと覗きにくる。その事を知っている子供達ニ名は、是非ともこれを母にプレゼントしたいと指輪を包む始原の魔法の膜に触れた。

 決して誰も触ることが許されていなかったので、様子を見ていた雪女郎(フロストバージン)達は大慌てでコキュートスに連絡を取り、さらにコキュートスからアインズへ連絡が行った。

 アインズは大慌てで駆けつけると、なんで取れないんだろうと、始原の力を持つ二人が膜をギューつく押しているまさにその時だった。

 どんなに親切な気持ちでも絶対に触るなと散々叱ってしまった。アインズ本人でもものすごい剣幕だったと思う。

 二人を守るために必要な指輪が製作途中で未完成となることは許されなかった。

 二人は「だってお母さまが欲しいと思って」「お母ちゃまにあげたかったから」と赤ん坊のようにわんわん泣いた。

 最悪シモベ達なら、この膜に触れたところで壊れるような事はないのかもしれないが、よりにもよってこの二人だ。

 とは言え、アインズは流石に言いすぎたかと泣いて仕方のない二人を抱き上げ、昔フラミーにそうしたようにロッキングチェアに腰掛けた。

 百レベルのアインズに叱られることは、百レベルの守護者達ですら震え上がる。

 アインズは悪かったと二人に詫び、アルメリアはそのまま泣き疲れてアインズの上で眠った。

 ナインズは「でも、だって僕本当にいたずらしようと思ったんじゃないんだよ……?」と言い、「もうよく分かったよ。フラミーさんに優しくしてくれて父ちゃんも嬉しいよ」と答えたところで、ようやく納得して笑った。

 

 フラミーはニコニコと嬉しそうにアインズの話を聞いた。

「自我があるってのも参っちゃいますよ。っとにもー……」

「ふふ、贅沢な悩みです」

 足をぷらぷらさせて待つと、ふと二人揃って森の方へ顔を上げた。

 

 そこには機械が立っていた。二足歩行で、全身は真っ白。頭髪も鼻もなく、つるりとした顔には点の目と、人形のように口の下に二本の線が入っている。

 全ての関節には球が入っていて、服なども身につけていなかった。

 

「お前、初期自動人形(オートマトン)か?」

「私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス」

 

 アインズとフラミーは思わず目を見合わせた。

「サア、ドウゾ」そう言って自動人形(オートマトン)はログハウスの扉を押し開けた。

 ログハウスの中は、にわかには信じ難い光景が広がっていた。

 

 つるりとしたガラス状の板の上に、鍋が乗っている。

 この世界しか知らないものが見れば、ともすれば高級な作業台だと思うかもしれないが、アインズとフラミーはその台をただの作業台だとは思わなかった。

 自動人形(オートマトン)は天井から伸びる長い線を自らの首の後ろに差し込んだ。

 その瞬間、天井からぶら下がっていた電気がつき、パッと部屋の中は明るくなる。

 同時に、作業台は"ウーン……"と可動音を上げ、鍋蓋はカタコトと踊り出した。

「……IHじゃないか」

「私ハ自動人形(オートマトン)

「それは知ってる」

「アナタノオ役ニ立チマス。――サア、ドウゾ」

 

 当たり前のように席をすすめられ、二人はこの場所に驚愕しながらも大人しく席についた。

 自動人形(オートマトン)はシチューをよそうと、二人の前に差し出した。それから、二匹の子山羊のために床にも二杯。

「サア、ドウゾ」

 さっきも聞いた言葉を再び告げ、締め切ってあった窓を開けに去った。

 IHと天井からぶら下がる照明、それから自動人形(オートマトン)が線で結ばれている。電力の供給源は自動人形(オートマトン)だ。

 

 改めて部屋を見渡すと、アインズ達が今腰掛けている椅子と大きなテーブル、キッチンしかない実に奇妙な場所だった。

 住む者が寝る場所や、洋服をしまうような棚などが一切見当たらない。

 だが、服を着る必要も寝る必要もない自動人形(オートマトン)の家なら納得はいく。

 二人はスプーンを取ると、麦飯の入ったシチューを口に運んだ。毒耐性はあるので味が良ければ割となんでもいい。

 子山羊達は夢中で食べた。

 

「……まぁまぁ、うまいですね」

「はひ……。ちょっと薄いけど……」

 

 自動人形(オートマトン)はそのまま外のベンチに腰掛けたらしく、頭が窓から見えていた。天井からぶら下がって出ている線はその首の後ろに繋がったままだ。

 その様は、まるでユグドラシルログイン時に利用するコネクターのようで、二人はどこか居心地の悪さを感じた。

 

「これ、どう思います?」

「どうって……どう見ても全部禁書指定ですよぉ……」

「ですよね……。あいつ、何なんでしょう。こんな所で一人でお役に立ちますって……」

「さっぱりです……。このシチューだって、自動人形(オートマトン)は食べないですよね。誰かを待ってるんでしょうか」

 

 アインズはンン、と咳払いをしてから「おい」と声をかけた。

 外に座っていた自動人形(オートマトン)は顔を上げると部屋に戻った。

 

「私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス」

「それはもうよく分かった。お前、ここに一人でいるのか?」

「私ハ自動人形(オートマトン)

「……そうか。これは全てお前が作ったのか?」

「アナタノオ役ニ立チマス」

「賢者というのは、お前のことか?それともお前の持ち主か何かがいるのか?」

「私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス」

「……役に立って欲しいんだがな。お前はここで何をしているんだ?」

「アナタノオ役ニ立チマス」

「ダメだこりゃ」

 

 ギルドのポイントを使って生み出したシズも自動人形(オートマトン)だが、ユグドラシルにはそうではない、店売りの自動人形(オートマトン)も存在した。

 いわゆる初心者プレイヤー向けのアイテムで、プレイヤーの周りでうろちょろとドロップアイテムを拾ってくれたり、薬草やポーションを持たせておくとたまに回復してくれたりするNPCだ。

 できることが極端に少ない上にレベルも十程度までしか上がらないためゲームに慣れてくると皆それを売ったり捨てたりするのが普通だ。

 外装も変えられない。

 たまに初心者ごっこが好きだとか、可愛くない見た目なのに愛着が湧いたとか言って大切に持ち続けるプレイヤーもいるが、圧倒的少数だろう。

 ナザリックには一応、我らがゴーレムクラフター、るし☆ふぁーが一体宝物殿にしまっているはずだ。

 

 アインズ達は悩んだが、このユグドラシルの遺物は回収することにした。

 そして、これの持ち主がいるならその人物もナザリックに拐取する必要がある。

自動人形(オートマトン)、お前には役に立ってもらうためについてきてもらおうと思う」

「アナタノオ役ニ立チマス」

「あぁ、ありがとう。さて、小腹も満たされたし、ここを出よう」

 アインズの言っている意味が分かっているのか、アインズとフラミーが席を立ってログハウスを出ると自動人形(オートマトン)もスムーズに後についてきた。

 首の後ろからコネクターを抜いてやる。

 

 二人と二匹、それから一台で十分にログハウスから離れる。

 アインズはログハウスを指差した。

「<焼夷(ナパーム)>」

 火柱が天空めがけて吹き上がる。

 自動人形(オートマトン)はまるで心を失ったかのようにひっそりと立ち尽くし、自らの家が燃えていく様を眺めた。

 小屋は文明の痕跡ごと消え、後には焼け焦げ真っ黒になった大地と灰だけ。

 稀にリアルで嗅いだ嫌な匂いがした。

 

 アインズとフラミーは自動人形(オートマトン) を連れ、その場を徒歩で離れた。

 森を適当に歩き回り、防御魔法や探知阻害などをあらかた掛け合う。万が一プレイヤーや強者が近くにいた時のため。

「<伝言(メッセージ)>」

『――シャルティア・ブラッド・フォールンでありんす』

「シャルティア、悪いがこちらに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を数名送って欲しい。監視しなくてはいけない場所ができた。出来うる限り、ナザリックの場所が探知されない方法でこちらへ送って欲しい」

『これはアインズ様。妾をお選びいただき、恐悦至極にございんす。ご用件、承りんした。では、一度ブラックスケイル州に移動したのち、御身の下へ死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を送り出すよう手配いたしんす』

「助かる。その手段で我々もブラックスケイル州を経由してからナザリックへ戻ろうと思う。ではまた準備が出来次第連絡を寄越せ」

 <伝言(メッセージ)>の向こうで畏まる雰囲気を感じてから、アインズは魔法を終えた。

 それからいくらも立たないうちに、シャルティアから死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が送り込まれた。

 彼らはログハウスの焼け跡付近にじっと立ち、自動人形(オートマトン)の持ち主や関係者が現れることを待ち続けたらしい。

 

 アインズ達すら忘れてしまうほどに永い時間。

 

+

 

 一行はナザリックに戻ると、セバスにいくらか用事を頼み、真っ直ぐ戦闘メイド(プレアデス)の部屋へ向かった。

 

 第九階層を自動人形(オートマトン)連れで歩いていると、すれ違う者達は自動人形(オートマトン)を見ていないふりをした。が、明らかに様子を探っているのが伝わってくる。

「どんな情報でもいいから、お前のことが少しでも分かるといいんだが……」

「私ハ自動人形(オートマトン)

「そうだな」

 

 戦闘メイド(プレアデス)の部屋には姉妹が揃って座るための円卓がある。

 それに腰掛け、少しの間もなくノックが響いた。ここはアインズとフラミーの部屋ではないのに。

 当然のように入室の許可を出すと、戦闘メイド(プレアデス)を引き連れてセバスが入室した。

「お待たせいたしました。アインズ様、フラミー様」

「待ってなどいないとも。――シズ、お前にはこれが何かわかるか?」

 シズは自動人形(オートマトン)をじっと見つめてから頷いた。

「私の亜種。多分」

「私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス。――サア、ドウゾ」

 自動人形(オートマトン)は残る椅子を全て引き出し、戦闘メイド(プレアデス)達へ座るように勧めた。無論誰も座らなかったが。

 

「こいつはどうもこれしか喋れないらしいんだ。持ち主が何者で、一人で何をしていたのかお前なら分かるんじゃないかと思ってな」

「ん、試してみます」

 シズは自動人形(オートマトン)の腕を上げたり、首の後ろのコネクターを開いて覗いてみたり、あれこれ彼女なりに研究した。

「――そこのコネクター、シズも繋がるものを持ってる?」

 フラミーが尋ねるが、シズはそっと首を振った。

「ないです。私とは何もかも違いそう」

「そっかぁ。コネクター持ってる同士だったら繋ぎあってパッと色んなこと解っちゃいそうなものだけど」

 ほんとですね、とアインズは相槌を打った。シズにはあまり意味がよく分からなかったようだが。

 ひとしきり観察が終わると、シズは自動人形(オートマトン)から離れた。

 

「どうだ?」

「……見た目から分かることは多くなかったです。でも、試してみたいことがある」

「あぁ、なんでもやってみていいぞ」

 シズはぺこりと頭を下げると、自動人形(オートマトン)と向き合った。

 

「――あなたが制限されていることを教えてください」

 シズが告げると、自動人形(オートマトン)は一拍置いてから口を開いた。

「プレイヤーニ関スル個人情報、プレイ履歴、宗教ヤ戦争、紛争、フルダイブマシン装着時ニ収集サレタデータロガーニ関ワル一切ノ情報、ソノ他電脳法ニ触レル内容ヘノ言及ハ制限サレテイマス」

「それらの破棄は可能ですか?」

 突然の情報の嵐にアインズとフラミーはひっくり返った。

「ま、ま、ま、待て!何でもやっていいとは言ったが、少し待て!!」

 アインズの抑止に、一斉に視線が集まる。

 これはどうするべきなのかと悩んでいると、自動人形(オートマトン)はシズへ答えた。

「一部可能デス」

 可能デスじゃない。どうするべきか悩んでいると、フラミーがアインズの肩をポンと叩いた。

「大丈夫ですよ。――制限が解除されたら、私から質問できるかな?」

「できると思います」

 シズとフラミーの間で円滑に確認作業が行われると、アインズはない唾を飲み下して喉を鳴らしたように錯覚した。

「――それでは制限を解除してください」

「畏マリマシタ」

「質問者を変更します」

「畏マリマシタ」

 シズがフラミーへ視線を送る。

 

「んん、えーっと、あなたの持ち主は?」

「プレイヤーニ関スル個人情報、プレイ履歴ニツイテノ言及ハ制限サレテイマス」

「な、なるほどね。じゃあ、あなたはあそこで何をしていたの?」

「所有権保持者ヲ待ッテイマシタ」

「いつ戻ってくるの?」

「スミマセン、分カリマセン」

「あらら、どれくらい待ってるの?」

「プレイ履歴ニ抵触シマス」

「あなたが待ってた時間もプレイ履歴に抵触するの?」

「最終ログイン日ノ推察ハ個人情報ニ抵触シマス」

「ははは、ほんとだ。それはそうだね。じゃあ、あなたはあそこで何をしてたの?」

「食事ヲ作ルコトト、荷物ヲ持ツ事ガ私ノ仕事デス」

「ふふ、知ってるよ。あなたは一生懸命荷物を集めて、まだ小さい初心者のアイテムボックスが溢れないようにしてくれた。でも、食事作りまでは知らなかったな」

「プレイヤーノ回復ハ私ノ仕事デス。私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス」

「あぁ、そういう事なんだね」

 

 彼は運営に与えられた仕事を忠実に守っているのだ。ただ、店売りされているアイテムにすぎない彼から、所有権保持者とやらへの忠誠のようなものは感じられなかった。

 

「ところで、あなたの動力源は何なの?」

「太陽光発電システムヲ持ッテイマス。私ハ電力デノミ動キマス。日照ガ少ナイ場所デハ、動キガ緩慢ニナル恐レガアリマス」

 全く知らなかった。運営はそこまで設定を付けただろうか。どんなふうにプレイしていても、自動人形(オートマトン)が停止するなんて聞いた事はなかった。

「充電しなきゃいけないわけだね。あんな薄暗い森の中じゃ大変だったでしょ」

 と言いつつ、ログハウスの表に出て、ベンチに座っていた理由にアインズとフラミーは大いに納得していたのだが。

 

 二人の会話がひと段落すると、アインズは横からそっと口を出した。

「お前の持ち主は、お前のことを私達に譲ると言っていたのだが、お前はそのことをどう思う?」

 嘘八百だった。だが、自動人形(オートマトン)は動きを止めた。

 彼らを捨てることなど、ユグドラシルでは当たり前だ。アイテムボックスから右クリックで完全に削除か、フィールドにポイ。もしくは端金で店売りし直す。

 だから、彼らにとってみれば売買も譲渡も破棄も当たり前のはず。

 ピーピーと電子音をいくらか鳴らすと、自動人形(オートマトン)は全てに納得したように頷いた。

「確認ガ取レマシタ。設定ヲ変更シマス。――私ハ自動人形(オートマトン)。アナタノオ役ニ立チマス」

 

 アインズとフラミーはひとまずホッとしたという顔をした。

 

「こいつはBARナザリックに――いや、食堂で働かせろ。料理長シホウツ・トキツに渡してやってくれ」

 

 セバスはどこか嬉しそうに頭を下げた。

「あぁ、シズ。こいつの解除されている全ての制限を再びかけろ。制限の解除は二度と許されない。良いな」

「ん、わかった」

「では下がって良いぞ」

 

 戦闘メイド(プレアデス)たちは自動人形(オートマトン)を連れて粛々と自分たちの部屋を後にした。

 アインズとフラミーはまるでしめし合わせたかのように

「「<兎の尻尾(ラビットイヤー)>」」

 と、音を増幅させる魔法を使った。

 

 廊下から足音共に声が聞こえてくる。

「面白かったっすねー!」

「えぇ。でも、お話のほとんどの意味がよく分からなかったわねぇ?」

「フラミー様の叡智に触れられる機会だったわね」

「アインズ様は私たちが知る必要のないことだとお思いみたいだったけど、シズはわかった?」

「ん、分からない。だけど、ああしたら話せるという事だけは知ってた」

「そうあれと作られたんですねぇ!」

 姉妹達の楽しそうな声はどんどん離れて行った。

 

 そうして、自動人形(オートマトン)は喜んで毎日食事を作っている。

 彼の話す言葉はたった三つだし、表情もないが、誰がどうみても喜んでいた。

 

 自分はあそこに破棄されたのではないかと、二百数十年を過ごして思わなかった日はない。ふと意識を失い、目が覚めた時にはあの森の中にひとりぼっちだった。

 たまに訪れるプレイヤー達の腹を満たしてやるために――いや、いつマンナズが戻ってきても良いように毎日食事を作り続けた。

 自動人形(オートマトン)は魔法が使えないから、彼なりにできるベストを尽くし、プレイヤーを回復させられるようにした。

 IHと電気を作るのに二百年余りがかかった。それまでは毎日蜘蛛を取って、葉に包んで穴に埋め、焚き火を乗せて火を通したものを用意してあの場所で過ごした。

 

 自動人形(オートマトン)は思い出す。

 マンナズと共に旅をして、荷物を持って、食事を作って食べてもらったことを。

 それと同時に、店に並んでいる時に他のプレイヤー達が自分と全く同じ見た目の仲間を売って「初心者卒業!」と喜んで立ち去って行った日を。

 自動人形(オートマトン)は思い出す。

 買われる日を楽しみにしていた日々を。

 自動人形(オートマトン)は思い出す。

 いつか自分にも、必ずその時は来ると覚悟して出かけた日を。

 自動人形(オートマトン)は思い出す。

 決して忘れることのできない、初めて冒険に出た日の事を。

 

 自動人形(オートマトン)は思い出す。

 

 自らはプレイヤー達の役に立つために生み出されたことを。




うおああああああああ!!!
なんか切ないなぁ。
別に捨てられたわけじゃなかったのにねぇ…。


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試される神聖魔導国
Re Lesson#1 憧れた華の都


時間がちぃと飛ぶんじゃよ


 軽快な足取りで神都を行く乙女が一人。

 彼女の名はアガート。

 リ・エスティーゼ州の田舎の村から神都に来た彼女には、見るもの全てが輝いて見えた。

 

「神都だぁ〜!」

 

 この春から神都の魔導学院の薬学科に通うことになる彼女は、薬草屋を営むやり手の父と共に上京──いや、上都して来た。

 父はいつもであれば、わざわざ薬草を神都まで持って来ることはなく、旧王都まで運んでそこから先は骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に持って行かせる。

 今回はアガートの杖を買ったり、仕立てたばかりの新品の制服の受け取りをしたり、寮の確認など、新生活を始める娘のために共に神都まで着いてきた。

 

 父はせっかくの機会なので、あまり顔を合わせることのない顧客達に挨拶をして回った。

 その間に、アガートはこれから暮らすこの大都会を少しでも知っておこうと街へ繰り出した。

 寮から近い、食品や雑貨を買えるお店、文房具屋さん、それから、お花屋さん。

 寮生活とはいえ、憧れの一人暮らしには違いがないのだから、行きつけのお花屋さんを決めて、お花が枯れてしまうたびに新しい花を部屋に飾りたい。

 もし良い物があれば、花瓶も買いたい。他にもマグカップや可愛いお皿も買いたい。

 寮の食堂もあるが、一食五百ウールなので少しは自炊してもいいかもしれないし、友達を部屋に招いた時にケーキやお茶を出すくらいのことはしたい。

 

 アガートは神都に来る前にエ・ランテルも通り、一泊して神都にたどり着いたのだが──どちらも田舎の村と違い、多くの魂喰らい(ソウルイーター)が馬車を引いて行き交っており、人々は優雅だった。

 ふと乗合馬車(バス)が通りかかると、アガートは初めて見るその乗合馬車(バス)の形に口をあんぐりと開けた。

 

 それは後方についた螺旋階段から屋根にあたる二階の展望席へと上がれる馬車だった。

 運賃を受け取る係員が螺旋階段の脇に立っていて、皆後方から乗車していく。

 乗合馬車(バス)自体は旧王都であるリ・エスティーゼ市にもあったが、こんな洒落た感じのものはないし、アガートの故郷の田舎ではもってのほかだ。

 エ・ランテルでは水上バス(ヴァポレット)に感動したが、比較対象のある乗合馬車(バス)への感動は一入だ。

 車体には見事な彫刻が施され、螺旋階段の脇に掛けられている永続光(コンティニュアルライト)は繊細な鳥籠のような形の籠に入れられている。

 

 二階屋上席に乗る乙女たちは見たこともないような素敵な日傘をさしていて、週末に劇場に行くだとか、素敵なキャフェができただとか、新しい日傘が欲しいだとか、そんな話ばかりをしていた。自分達の人生が幸福であると信じて疑わない、聞く人を心地よくさせる品のある柔らかな笑い声。

 花咲くような日傘は白やピンク、レモンイエローと様々だ。くるくると回される様子すら可憐だった。

 

 アガートが乗らずに見送った乗合馬車(バス)とすれ違っていく馬車の中には、豪商達が魂喰らい(ソウルイーター)に荷車を引かせる様子も見て取れる。

 

 アガートは自分の中で一番素敵だと思って選んできた格好がなんとなく恥ずかしくなると同時に、単なる馬が引く幌だけが屋根の乗ってきた荷馬車が嫌になった。

 何と言っても、展望席に座っていた彼女達は遠目にも色白で、手首までの素敵なショートグローブがよく似合っていたのに──薬草畑に毎日出ていたアガートは色黒で、軍手以外の手袋なんて一つも持っていない。

 実家も決して貧乏という訳ではないが、宝石箱に紛れ込んだネズミのような気分だ。

 お気に入りのネイビーのスカートに、荷下ろしや片付けのために付けた腰から下に巻かれた白いエプロン。

 アガートは小さなため息を吐く。

 この街に似合うような新しい素敵なスカートが欲しい。それから、絶対素敵な手袋も欲しい。──なんなら、日傘も欲しい。

 そんなことを思いながら、エプロンを外してカバンにしまい、角を曲がった。

 ──瞬間、顔から思い切り何かにぶつかった。

 

「ぶっ!!」「っわ」

 

 思いがけず尻餅をつき、痛む鼻を押さえた。アガートはしっかり倒れたというのに、相手はまるで巨木のようにびくともしなかった。

「──君、悪かったね。大丈夫?」

「いったぁ……!ちょっと!鼻がひんまがっちゃったじゃない!!」

 アガートはぶつかった相手に当たるように吐き捨てた。どうせ田舎臭い自分は神都の人間の目には入りもしないのだろう。

「は、鼻?本当に?見せてごらん?」

 本当なわけないでしょ、と内心悪態をついて視線をあげると、泣いているような怒っているようなおかしなマスクを被り、フードを目深にかぶる男が自分を覗き込んでいた。

「へ、変質者──!!」

 そう叫ぶと同時に男は辺りを指差し「え!?<静寂(サイレンス)>!」と何か魔法をかけた。

「な、何もしやしないから。怪我だけ見せてごらん?」

「結構です!!」

 怪しすぎる男からアガートは逃げようと決め、慌てて立ち上がった。

 すると、自分でスカートの裾を踏んでいたことにも気付かず、スカートはビリィと酷い音を上げて破けた。

 呆然としていると不審者はサッと顔を背け、アガートの興奮して熱くなっていた脳みそは一気に冷えた。

 

「──とりあえず、これ使って」

 変質者はどこからともなく黒い布を取り出し、アガートへ差し出した。

「……だ、大丈夫。エプロン……持ってるから」

 アガートはカバンの中からエプロンを取り出し、腰にサッと巻くと、差し伸ばされた手を取り立ち上がった。

 黒い布はいつの間にか消えていた。

「ありがとう……」

「いや、驚かせて悪かったね」

 変質者にしてはあまりにも紳士的な様子だった。

 アガートの口から苦笑が漏れる。

「……気にしないで。私、今日はすごく特別な日のはずだったんだけど……無性に自分が嫌になっちゃって。お気に入りだったはずのスカートも……こんな……」

 さっきまではもういらないとすら思ってしまったスカートだったが、落ち着いた今は心から残念に思った。

 アガートはエプロンの下で縦に裂けてしまったスカートを摘んだ。

「はぁ……。最低な日になっちゃった」

「……大事な日だったんだね。スカートは僕が弁償するから、少しでも元気を出して。って言っても、僕の小遣いで足りる額のものになっちゃうけど」

「本当に?半分でも出してもらえたら助かるわ」

 そう言い、相手をよく見る。見れば見るほどおかしな格好だ。

 黒いロングローブのフードを目深に被り、ヘンテコな仮面をかけ、見えているのは手だけのようなもの。

 変質者ではなさそうだが、不審な格好だった。

 

「……あなた、どうしてそんなおかしな格好をしているの?」

「え?おかしいかな?」

「おかしいわ。あなたのその仮面なんて、特に」

「そんなにおかしい?僕は結構これを使うんだけど……」

 妙に小さくなったように見える姿にアガートははっと口に手を当てた。

「そうなの?ごめんなさい、でも、やっぱりおかしいわ」

「うーん、そんなにおかしいって言われたのは初めてだよ」

 困ったなぁと呟くと、青年はふと思い出したように再びアガートの顔を覗き込んだ。

「ところで、鼻は?もう痛くない?」

「あ、すっかり忘れてた」

「ははは。良かった。じゃあ行こう」

 歩き出した青年の後をついて行き、再び大通りに出る。

 青年は何の躊躇いもなく先程見かけた乗合馬車(バス)に近付いてく。

 乗り込む乗務員は妙にうやうやしく頭を下げ──神都で働く者の洗練された様子をアガートに見せつけ──青年から運賃を受け取った。アガートはこれほど素敵な物にこんな格好で乗るのかと足を止めた。

 破れたスカートの上から、田舎臭いエプロンを着けている姿は──一言で言えば最低だ。

 

「どうしたの?」

「どうもしない……」

 そう言い、アガートは急いで乗務員に近付いた。

「いくらですか?」

「二百ウールですが、お代はすでに頂戴しております」

「え?」

 乗務員の返事にアガートが素っ頓狂な声を上げると、仮面の青年がその疑問に答えた。

「僕が出したから」

「あ、ありがとう」

「気にしないで。僕が付き合わせてるようなものだからね」

 アガートはようやく乗合馬車(バス)に乗った。

 二階から神都を見て回れたら良いなと思うが、この最低な格好で洒落た日傘のお嬢さん達の隣に座るのは嫌だった。

(せっかく乗るけど……またいくらでもチャンスはあるもんね……)

 と思っていると、青年が振り返った。

「君、悪いけど下の席でもいいかな?」

「もちろんいいわ」

「それは良かった。女の子は皆上が好きだから」

 青年は笑ったような雰囲気をまとうとスタスタと車内へ入っていった。

 そして空いている席の前に着くとアガートを待ってくれていた。

 自然と窓際を勧められる。

 ふと他の乗客達の視線がアガートに集まっているように思え、みすぼらしい格好を内心で馬鹿にしているのではないかと急いで奥に座り、青年もその隣に座った。

 

 車内から見る神都はまた一段と煌めいているようだった。

 美しい装飾の施された窓枠の向こうの街は、まるで動く絵画のようだ。

 アガートはうっとりと夢のような景色を眺めた。

 ──そして、ふと青年がつまらなそうに頬杖をついて俯いていることに気が付いた。まるで、通路の床でも眺めるように。

 

「どうしたの?」

「ん?何が?」

「こんなに素敵な街なのに見ないの?」

 青年は困ったように笑った。

「見たいけど、見ていれば見られてしまうから……。僕は見られるのがあんまり好きじゃないからさ」

「……じゃあそんなおかしな仮面とってしまえばいいじゃない。それが目立つのよ」

 アガートはそう言うと青年の仮面に手を伸ばし──手首を掴まれた。

「忠告は感謝するよ。だけど、僕は今これを外すつもりはないから」

 絶対にやめてくれと言いたげな声音にすぐさま手を引いた。

「ご、ごめんなさい」

「いや、良いよ。さ、次で降りようね」

 たった二駅乗ると二人は乗合馬車(バス)を降りた。

 

 何となく話しかけづらいような雰囲気を感じ、アガートはこの青年は余程顔にコンプレックスがあるのだろうと不憫に思った。

 自分も先ほどまでこの田舎臭い身なりに辟易していたのだから気持ちは良くわかる。

 しかし、この格好では別の意味でまた目立ってしまうのではないだろうか。

(本当にこんな格好よせば良いのに……)

 

 アガートの内心をよそに、ふらりと青年は店に入り、アガートもそれに続く。

 いらっしゃいませーと声が響く中、アガートはぴたりと足を止めた。

 店員は美しいセイレーン達。店内はわずかに歪みのあるガラスの中に収められた永続光(コンティニュアルライト)に照らされ、水中のようだ。

 店員はやはりうやうやしく頭を下げた。

「いらっしゃいませ。お手伝いいたしましょうか?」

「いえ、好きに見させてもらいます」

「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」

 下がっていく足取りはどこか緊張していて、今声をかけてきたセイレーンはまだ新人なのかもしれない。

 

「どう言うのが良い?やっぱりそのスカートに似たものがいいかな?」

 金色の細いハンガーにかかる高級そうな服を見る青年の様子に、アガートは冷や汗が出そうだった。

「ち、ちょっと……。ねぇ、ここ高そうだよ?だめだよ、こんなの買えないよ」

 もっと安い店はあるだろう。いや、神都にはこんなお店しかないのだろうか。

 店員達がじっと仮面の青年の様子を見ている。どう考えても場違いだ。

「こう言うのは?」

 聞いているのかいないのか分からない青年は美しい赤紫のシフォンのスカートをアガートに差し出した。

 仮面とスカートを交互に見ると、アガートはそれにつけられている値札を見つけ、確認した。

 

「さ、三十九万ウール!?バカ!!行くよ!!」

「っうわ!!」

 慌ててスカートをラックに戻すと、アガートは青年の腕を引っ掴み店を飛び出した。

 三十九万。家族が一ヶ月生活できるような値段だ。

「あなたね!神都生まれのボンボンみたいだけど、あんな高いお店ダメよ!値段わかってんの!?」

「ご、ごめん。あんまり……よく分かってないかも」

「はぁ……お店は私が探す。帰り道だけ案内して頂戴」

「ははは。まかせて。ごめんね」

 アガートはズンズン進み、こんな大通りに面している店は高いに決まっていると小道に入った。

 何軒か横目で確認して行くと、白いウッドデッキがある店を見つけた。

 デッキに置かれたトルソーにディスプレイされている服の値段をごそごそと確認する。デッキにはパイプや葉巻を吸うためのベンチと灰皿が置いてあり、「都会は違う(ちげぇ)な」とアガートは思った。それに、盗まれると言うことを一切考えていない。

 

「──これもニ万ウール……」

 それでも高かった。乗合馬車(バス)は二百ウール──かつての銅貨二枚──で乗れるというのに。

「中も見てみる?」

「……ねぇ、あなた本当に半分出してくれる?」

「出すよ。女の子をそんな格好で返したら母に怒られる」

「黙ってればバレないのに?」

「バレないわけがないよ。あの人はこの世の全てを──いや、なんでもない」

 余程厳しい親なのか一日にあったことを問い詰められがちなのかもしれない。

 アガートはボンボンも大変だなと店内に進んだ。

「いらっしゃいませー」

 気楽な声を出した店員は青年の顔──いや、仮面を見るとギョッとした。

(やっぱり不審者だと思われてる…… )

 青年は店員が駆け寄ろうとするのを手を挙げることで押し留めた。

 もう少しましな仮面にすればいいのに──アガートはそう思った。

 そういえば、さっきの店にもあったが、この店にも仮面が何枚か売られている。神都では仮面を持っていることも普通なのだろうか?

 ここにある仮面の方がまだ素敵なデザインなのに。

 

「少し見させてもらいますね」

 青年がハンガーにかかっている服を見るのを他所に、ワゴンに置かれてたたまれているミモザ色のスカートを確認した。セール商品だ。

(これは八千ウールね)

 ひとまずゼロが減ったことに安堵し、今日あれこれ買おうと持って来たほとんどの小遣いが無くなることを覚悟した。

 フラフラと服を見ている青年を呼ぼうとする。

(ん?そう言えばあの子、なんて言う名前なんだろ?)

 仕方ないので、ねぇ!と声をかけた。

「決まった?」

「うん、これどう?」

 そう言い値札をちらりと見せる。

「綺麗な色だね。試着してみれば?」

 少しも値札を気にする様子がない。アガートはこの人は本当に金に糸目をつけないのかと店員の下に行った。

「すみません、これ試着しても良いですか?」

「もちろんでございます!ご案内いたします!」

 店員はやはり少し緊張したような手付きでたたまれているスカートをアガートから受け取り、たたみ皺を撫で試着室に案内した。

 薄桃色のカーテンの向こうには歪みのない鏡と可愛らしい緑の丸いラグ、それから小さなキノコ型の椅子が置かれていた。

「お靴は脱いでお上がりください。ごゆっくりどうぞ」

 スカートを渡され、カーテンが引かれる。

 

 アガートは途端に気分が盛り上がっていくのを感じた。

 靴を脱いでラグに上がり、着けていたエプロンを取り、キノコ椅子に置いた。

 デザインの古いスカートを脱いで新しいスカートを履くと──それだけでアガートはまるで神都のお嬢さんのようだった。

 これまで値段ばかり気にしていたが、生まれたてのヒヨコのような黄色いスカートはとても可愛かった。

 思わず、カーテンをシャッと開いた。

「ねぇ!見て!どうかな!!」

 仮面を見ていた青年はアガートへ怪しい仮面をかけた顔を向けると頷いた。

「うん、とっても可愛いよ。鼻が無事で良かった」

 アガートはそんな事を言われたのは初めてで、見せておいて思わずドキリと胸が鳴った。

「あ、ありがとぅ……」

 声は小さくなっていき、カーテンをゆっくりと締め直そうとすると、青年はその手を取った。

「待って」

「あ、え?」

 

「すみません、これこのまま着て行くんでお会計お願いします」

「かしこまりました!」

 店員がハサミを持って来ると、腰からひょろりと出ていた値札はチョキンッと小気味良い音を立てて切られた。

「じゃあ、ゆっくり靴を履いておいで」

 青年はアガートの脱いだ靴の向きを履きやすい方向へと直してから背を向けた。

 もっと綺麗に脱ぎ揃えて置けば良かった。

 あまりのスマートさにアガートはしばらくその立ち姿をじっと見てしまった。

「八千ウールでございます」

 会計を済ませようとしている声に我に帰り、慌てて靴を履いた。

 破れてしまったスカートとエプロンを引っ掴み、青年の横に並ぶ。

 すぐさまスカートのポケットから財布を取り出した。

 すると、青年はアガートのスカートを手の中からするりと取ってしまった。

「これ、袋に入れてもらっても良いですか?」

「はい!」

 汚いスカートは店員の綺麗な手によってたたまれ、お店の外観が描かれた綺麗な紙袋に吸い込まれた。

「えっ!べ、別にそのままでいいのに!すみません!!」

 アガートのあまりの必死な雰囲気に店員と青年は顔を見合わせ「はは」と少し笑った。

「本来でしたら、そちらのスカートを入れた袋ですのでお気になさらずに。さぁ、こちらを」

「ありがとうございます」

 青年は当たり前にそれを受け取り、少し熱苦しさすら感じる雰囲気で「ありがとうございました!」と言う店員に会釈をして店を出てしまった。

「あ、えっと、ありがとうございます!」

 アガートも慌てて頭を下げるとその背を追った。

 

「じゃあ、帰り道を案内するよ」

 青年はまるでエスコートでもするように道を示した。

「そ、それ!自分で持つから!」

 アガートは破れたスカートが入った紙袋を指差した。

「そう?じゃあ」

 そっと紙袋を受け取ると同時に、アガートは四枚の紙幣を差し出した。

「あの、ありがと。とっても素敵なの買えて……えっと、本当、嬉しかった!」

「そう言ってもらえるとありがたいよ」

 青年は笑ったようだった。

 

 そして差し出した金を受け取りもせず再び大通りに向かって歩き出した。

「ね、お金もらってくれないと困るよ」

「うーん。じゃあ、一枚だけもらっておくね。僕が稼いだお金ではないから」

(ボンボンなのに……そういう感覚はあるんだ……)

 アガートの手の中からピッと一枚だけ抜くと、見たこともないほどに高級そうな財布を取り出してしまった。黒い財布には金色で神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の紋章が刺繍されていた。

「ありがとう。それで、会った場所に戻るんでいいのかな?」

「あ……えっと、できれば……あの……素敵な雑貨屋さんまで……。魔導学院近くの……とか……」

 アガートは仮面の青年ともっと一緒にいたかった。顔を見た事はないが、アガートが憧れていた男の子の振る舞いそのものだった。

 こんな夢のような時間が終わるなんて。

「んー。──魔導学院近くのかぁ」

 遠いため嫌なのか、あまり乗り気ではない返事だった。

「ご、ごめん!やっぱり会った場所で!」

「あ、いや。良いよ、喜んで連れて行くよ。魔導学院のそばに、僕が小学生の頃に友達がよく飴を買ってた雑貨屋があるからそこに行こうか。えーっと──こっちのバス停から乗ろう」

 アガートはパァっと顔を明るくした。

「っうん!ありがと!」

 肩を並べて歩くと、青年の背が大きいのがよく分かった。

 二人は再び大通りに出て、乗合馬車(バス)が来るのを待った。

「ねぇ、私はアガート・ミリガン。リ・エスティーゼ州から来たの」

「そっか。神都に慣れてないみたいだったけど、別の州から来てたんだね」

 青年はそれだけ言って名乗りはしなかった。普通は名を聞かされたら名乗るものだ。

「あなたの名前は?」

「僕の名前?そんなものは聞かないほうがいいよ」

「どうして?ねぇ、私また……あなたと神都を歩きたいのに……」

「はは。僕は変質者だっていうのに?」

 そう言っていると乗合馬車(バス)が到着し──魂喰らい(ソウルイーター)は頭を下げたようだった。

「そんなことないわ。その仮面も、見慣れたら思ったよりおかしくないみたい」

「そう?それは良かった」

 運賃を払うと、青年はやはり車内へ進みアガートに奥の席を勧めた。

「ねぇ、今度お礼をさせて欲しいの」

「気にしなくていいよ。それに、君はリ・エスティーゼに帰るんでしょ?」

「帰らないわ。だって、来週から魔導学院に通うんだもん。入学式がじきでしょ?」

「あらら、そうなんだ」

 あらら、とはどういう感情なのだろうか。青年は悩んだようだったが、ようやく名前を口にした。

「僕は九太だよ」

「キュータ、すごくエキゾチックな名前ね!キュータって苗字?とれとも名前?」

「名前だよ。苗字は鈴木」

「キュータ・スズキね!ふふ。キュータ、本当にありがとう」

 アガートは紙袋を大切に抱いた。

「いいや、元はと言えば僕が悪かったから。さぁ、次で降りるよ」

 キュータが立ち上がるとアガートも立ち、道を勧められて出口に向かった。

 そして乗合馬車(バス)が止まると、アガートはとんっと降りた。

「ねぇ、キュータ!私、マグカップと花瓶を買おうと思うんだけど、雑貨屋さんであなたも欲しいものがあったらお礼に──」

 と、振り返ると、キュータは降りていなかった。螺旋階段の前にある手摺りに寄りかかってひらりと手を振った。

「お店はそこだからね、ミリガン嬢!」

 乗合馬車(バス)が動き出すとアガートは無意識にその仮面に手を伸ばした。

 それを掴み、仮面が外れる。同時に風が吹き、深く被っていたキュータのフードはするりと落ちた。

 

 夜空のように漆黒に輝く長い髪と、黒曜の瞳。この世のものとは思えない、中世的な美しき顔。

 

 アガートは思わずキュータに見惚れ、時が止まったかのように感じた。

「良いマグカップがあるといいね」

「あ、う、うん──」

 遠ざかりながら微笑まれた──瞬間、その手の中にあった仮面は赤いモジャモジャの手に奪われた。

「おい、キュータ様の物を奪うような真似は不敬だぞ。──キュー様!戻ってきたと思ったのに!どこに行くんですか!!」

 赤毛のミノタウロスはそう言うと走って乗合馬車(バス)を追った。

「ははは!一太、僕に巻かれちゃうようじゃ、やっぱり来週から一緒に魔導学院に通うしかないんじゃない!そばにいないとだめだったね!!」

「だぁー!嫌だー!!俺は魔法はからっきしなんですよー!!」

「いち兄!キュー様!お待ちくださーい!!」

「二の丸!急げ!!」

 横をビュンッとつむじ風を巻き起こしてさらにもう一人赤毛のミノタウロスが行く。二人とも角が天高く上へ上へと伸びていた。

 蹄が鳴るのをアガートは呆然と見送った。

 

「な、なによぉ……」

 もう誰もいない道の先を眺め、立ち尽くす。

 しかし、分かったことがひとつ。

「……キュータも魔導学院、通うんだ」

 来週の再会を楽しみに、アガートは雑貨屋へ入って行った。




学園もの〜〜〜〜!!!!
国内のごちゃごちゃも書いていけたらいいな〜!


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Re Lesson#2 受験対策

 時は遡り、真夏の神都。

 

「キュータ君、魔導学院の試験受けるんだって!」

「合格したら、キュータは来年からまた神都に毎日来るんだね!」

「まさかキュータさんが今更学校に行くなんて、きっと誰も思いませんわ」

「……キュータ君なら、きっと合格するね」

 

 流行りのカフェのテラス席には四人の乙女の姿があった。

 

 実家が書店だったオリビア・ジェリド・フィツカラルド。

 祖父が大神殿の建築に携わったイシュー・ドニーニ・ベルナール。

 親が神官で、ロランとよく喧嘩をしていたレオネ・チェロ・ローラン。

 物静かで読書家だったアナ=マリア・エメ・アンペール。

 

 皆美しく成長していた。

 

 それぞれの手には、それぞれのことを想って選んでくれたであろう便箋。そこにはすっかり見慣れたナインズの文字が刻まれている。

 

 国営小学校(プライマリースクール)卒業後も、彼らの人生は断絶されたものにはならなかった。

 四人は皆中学校に通った。当時、今ほど中学校の数は多くなかったが、私立塾だったところの多くは中学校になったり、高校を作ったりした。

 私立に行ったアナ=マリアとレオネ、州立に行ったオリビアとイシュー。

 行き先は離れたが、こうしてナインズから手紙が届くと必ず集まった。

 そして、皆でナインズがくれた手紙に書かれる「何日か何日なら会えるよ」という返事を確認し、一斉に返信を書くのだ。

 これは一種の抜け駆け防止策のようにも見えた。

 二人でナインズと会いたいと言うのは、たった六歳だった頃のようにはうまく行かない。

 もちろん、皆が揃うことができない時には二人とナインズ、三人とナインズということもある――はずだが、事情を親に話してナインズと会えるチャンスを逃す者はいなかった。

 

 それはこれから来るこの煩い奴らも同じだ。

 ちょうど乙女らの返信が書き終わった頃、素敵だったはずのカフェにはむさ苦しさがトッピングされた。

 

「おーす!!キュータの返信持ってきたぜー!!」

「あぁあぁ。女子、ペン広げすぎ」

 

 一郎太によく似た赤い毛が特徴的なリュカ・ド・オスマンと、一つ年上の兄を持つロラン・オベーヌ・アギヨンだ。

 どこかなよなよしていたロランも、思春期を迎えた男子らしく体が大きくなっていた。

 二人は店員を呼ぶと、四人が座るテーブルにさらにテーブルを寄せてもらって着席した。

 女子たちはこいつらも呼ばなくてはいけないという義務感と打算にため息を吐いた。

 

 なんと言っても、男子は男子だけで遊ぶことがあるのだ。

 それも、女子たちと違って皆が揃ってなどという気遣いはなく、「明日俺キュータと一郎太と二郎丸(じろぽん)と釣りに行く」とか言い出すのだ。

 そうなれば私も行くと手を挙げる者は少なくない。というか全員だ。

 男同士の遊びに首を突っ込まれる事を嫌がって、黙って出かけてしまうこともあるが、チャンスがあるなら逃せない。

 

 ロランはナインズから届いた手紙と、もう一通手紙を取り出した。

 

「今回のキュータ君の大発表にはびっくりしたよね。よく陛――じゃなくて、お父上たちが許してくれたというか、それを勧めてくれたと思うよ」

 その言葉に、全員が赤べこのように何度も何度も頷いた。

「魔導学院なんて行って、あいつに何かプラスのことってあるの?フールーダ・パラダインがいるって言ったってさぁ……」

 ロランとリュカのいうことはもっともだ。

 神々や守護神に魔法を教えて貰う以上のことがあるのだろうか。それに、彼は小学生の頃から驚異的だった。

 文武両道、できないことなど何一つもなく、低い物腰に、家柄や育ちに裏打ちされた気品と分け隔てない心遣い。

 今更彼が何を学ばなければいけないのか想像もつかないのだ。わざわざ魔導学院に来る理由が全くわからない。

 

 強いていうなら――

「キュータ君、やっぱり卒業してからのこの三年、寂しかったのかな……」

 アナ=マリアが呟く。

 もはやそれが一番納得のいく答えだった。

 友人とたまに会うとは言え、神の地でずっと家庭教師――守護神ともいう――から世界の理を叩き込まれる日々では、寂しさを感じたのかもしれない。

 彼はそういう感情を当たり前に抱いてくれる、皆の大切な仲間だった。

 

 書き上がった手紙に何度も目を通し、不備がない事を確認していたオリビアはようやく手紙を封筒にしまい、口を開いた。

「キュータ君に聞けば分かるよ。……もう春まで会えないみたいだけど、私、待ってる。それで、魔導学院に入る」

 オリビアの言葉に、五人は目を剥いた。

 私立や州立の高校や魔導高校すらある今の時代、国立の魔導学院はさらにエリート性の高い教育機関へと姿を変えていた。

 入ると言っても入れずに落ちて渋々州立の魔導高校へ通う者で巷は溢れている。

 だが、五人の驚きはすぐに消えた。

「あたしも、普通科受けてみようかな」

「わたくしは元から信仰科に入るつもりでしてよ」

「私も……特進科や薬学科は難しくても……やってみる……」

「俺も記念受験しておこうかな」

 

 イシュー、レオネ、アナ=マリア、リュカが言うと、ロランはナインズから当てられた方ではない手紙を皆が読みやすい向きにしてから口を開いた。

 

「僕は元から薬学科受験するつもりだったから。それより、カインとチェーザレなんか特進科と普通科、教育科を受験するってさ」

 

 かつてナインズと喧嘩したカイン・フックス・デイル・シュルツと、お付きのチェーザレ・クラインも元気にバハルス州に暮らしている。

 皆ワッと盛り上がった。

 ちなみに教育科とは、教員免許が取れる科だ。魔導学院を出なくても教員にはなれるが、魔導学院出身の教師は全ての教育機関が欲しがる人材だ。神聖魔導国が如何に学校教育を重要視しているかが分かる。

 

 その日は皆家に帰ると、親に塾に行かせてくれと泣きついた。経緯を聞いた親は金銭の心配もかなりあったが、神の子のそばに我が子がいられるかもしれないなどと言う栄誉を手放せる者はいなかった。

 

 季節は夏。たった半年しかない受験までの日々を皆無我夢中で過ごした。

 それはカインとチェーザレも同様だ。

 

 ――そして、この背の小さな小さな青年は笑った。

 

 大きな木に囲まれた場所で、エルミナス・シャルパンティエはたくさんの手紙をそっとしまった。

「我が殿下は本当に、いつでも唐突だね」

 神々は絶対賛成しなかった。

 きっと、彼はもっと世の中を見たいと言って半分飛び出してくるのだろう。

 エルは全てを決めると、そっと部屋を後にして父親に謁見を申し出た。

 そして、再び神都へ行きたいことを話した。

 方法は、今勤める魔導省に神都へ異動願いを出すことだ。彼は相談ではなく、報告をした。

 

 人間種より魔法が得意な彼は、小さな体ですでに立派に働いている。

 

+

 

「なんでお兄ちゃまが今更神都の学校に行かなきゃいけないんです?」

 

 フラミーの隣に座るアルメリアの問いは全守護者の代表のようだった。

 

 アインズは魔導学院のパンフレットから顔を上げた。

「なんでって、九太は行きたいだろう?」

「はい!行きたいです!」

 答えたナインズは思いもよらなかった両親からの勧めに浮かれ切っていた。

「なんで行きたいんですか。お兄ちゃまにはつまんない授業しかないです」

「そんな事ないよ!特進化って言ったって魔法の授業だけじゃないんだよ!一般教養とか言う科目もたくさんあるし、図書室もあるし、何より同じくらいの歳の子達がたくさん集まるんだから!」

 友達できるかなぁと言うナインズからは春が楽しみで仕方がない様子が伝わってきた。

 まだ受験しに出かけてすらいないが、ナインズが落ちるわけがないと皆思っている。

 

「お母ちゃまぁ……。お兄ちゃまがぁ」

 アルメリアが大変不服そうにフラミーをゆすった。

「ははは、良いじゃない。ナイ君は本当は中学校も行きたかったんだから。お母さんもナイ君が魔導学院に行くの楽しみだなぁ」

「えぇ〜……。またお兄ちゃまが変なのに絡まれるかもしれないですよ。喧嘩するかも」

「したっていいんじゃなぁい?ナイ君らしくいるために必要なら、喧嘩した方がいいよぉ」

 すっかり母ちゃんになってしまったフラミーはフラミー当番からジャスミン茶を受け取るとうっとりと匂いを嗅いだ。

「わざわざ通うことないのに。――あ、リアちゃんは絶対行きません!絶対行きませんから!!」

 せっかく去年ようやく国営小学校(プライマリースクール)を卒業して、毎日クリス、二郎丸と共にナザリック内の通称ナザリック学園に通っているのだ。ナインズと一郎太も通った道だ。

 ちなみに、マァルとユリヤとだけは、たまに手紙のやり取りをしているらしい。

「じゃあ、リアちゃんは行かなくていいね。でも、サラ君は残念がるかもね。まぁ、サラ君も通うにしたって再来年だろうけど」

 アルメリアはそれを聞くと静かになって何かを考えだした。そのまま口を開かなくなると、アインズは苛立つようにソファの肘掛けをコツコツ鳴らした。

 特に何も言わなかったが。

 

「あ!一太も誘わなくちゃ!!」

「あぁ、もし受験に落ちても授業を受けたいと言えば一緒に受けれるようにさせてやる。一郎太はお前の護衛としてどう言う形でも同行させるからな」

「え?授業受けたいと言えばって、授業受けなきゃ一太はその間何してるの?」

「廊下で入り口でも守ってるんじゃないか?」

 アインズがあっけらかんと言い放つと、ナインズは「えぇ?」とひきつり顔を作った。

「きっと一太も授業受けるって言います!通いたいって!僕聞いてくる!」

 

 ナインズは部屋を飛び出したそうにしたが、メイドが扉を開けるまでわざわざ待ち、部屋を出たところで雑にでもアインズとフラミーに「失礼します!!」と言って頭を下げてから走って行った。

 

「やれやれ、律儀な男だな。――親相手にあれって必要ですか?」

「いらないと思いますし、いらないって言ってますよ」

「……だよなぁ」

 アインズとフラミーが扉を見ながら言う。しっかり敬意を表して頭を下げるのがナインズの当たり前だ。

 このナザリックに於いて、それをしないのはフラミーとアインズ同士しかいない。

 アルメリアも、基本は扉を出る時には膝を軽く曲げて礼を示してから立ち去る。

 アインズとフラミー以外に何も言わずそのまま立ち去る者がいないせいで、彼らはアインズとフラミーにはそうすることが当たり前だと――生まれた時から見ていたせいで――思っているようだった。

「それ、別にしなくていいよ……」と素で言っても意味がわからないようなのが辛い。

 そんなに尊敬される存在ではないと言うのがまた一段と辛さに拍車をかける。

 

 だが、それも魔導学院に通えば少しは落ち着くかもしれない。

 皆反抗期真っ只中だろう。

 親にそんな事をするのはダサいよと言われるくらいがちょうどいい。

 アインズとフラミーは、中学校も外に通わせてやりたかった。だが、国立のものを作っていないために教育典範が存在しないあやふやな学校であること、そこにナインズを通わせる国民への罰の悪さ、守護者たちの超絶猛反対を受けて断念した。

 ナインズも小学校を出たらナザリックで勉強になると思っていたようだったので、そうした。

 

 しかし、あの喜びよう。

 

 魔導学院があって良かった。

 究極の鬼ごっこをした時にフラミーもさんざ通いたいと言っていたので気持ちはよく分かっている。

 

 親二人は充実の笑顔を向け合った。

 

+

 

「えぇ……俺はいいですよ」

 コキュートスから拳に丁寧にサラシを巻きつけられる一郎太が言う。

 そして、地面に座り込む二郎丸が笑った。

「はは、一兄座って授業聞いてられないもんね」

「うるさいぞ、二の丸」

「でも一太、授業受けてないとつまんないよ?何時間も僕のこと待って突っ立ってんの?」

 ナインズが二郎丸の隣に座る。一郎太はそんな事はなんでもないと肩を上げた。

「通わないでもナイ様といられんでしょ?俺は別に待ってますから。陛下もどんな風に過ごしてもいいってお思いなんでしょ?」

「ねー一太。そんなこと言わないでよぉ」

「大体受かんないですよ。ガリ勉カインだって絶対受かるか分かんないんでしょ。授業なんて絶対ついてけないもんな」

 カインは会うと、大なり小なり必ず勉強の話をする。ここが分からないのは教師の教え方が悪いとか言っていじけて見せたり、神都に遊びに来れば帰る前に元担任のバイスの所に寄ったり、ナインズに教えてもらえそうなところは教えてもらったりだ。

 彼は彼なりに、相変わらず自分のできることを全てやろうと必死だ。

 

「カインはガリ勉とかそう言うんじゃないよ。熱心なだけで」

「それガリ勉って言うんですよ。俺なんてこの三年間ほとんどこれしかやってきてないのに」

 サラシを巻き終わった拳をキツく握りしめ、素早く何度も正面へ突き出す。

 二郎丸もよっこらせ、と立ち上がるとお尻についた草を払った。

「やる?」

「やろうぜ」

 従兄弟二人が見合おうとすると、コキュートスは白いモヤを出しながら一つ咳払いをした。

「待テ。オボッチャマガ共ニ授業ヲ受ケルコトヲオ望ミナラ、一郎太ハ訓練ハ一度辞メテパンドラズ・アクターノヤッテイルナザリック学園ヘ行ケ」

「え!?コ、コキュートス様!俺無理だよ!受験も無理だし授業も無理!ナイ様みたいに賢くないもん!!」

 ナインズは嬉しそうにコキュートスを見た。コキュートスはその視線に小躍りしたかったが我慢した。

「オボッチャマニ敵ワナイコトハ解ッテイル。ダガ、試シモシナイデオ望ミヲ叶エル事ヲ最初カラ諦メルノハ、守護者トシテノ姿勢デハナイ」

「そんなぁ」

 一郎太が嘆きを上げると、ナインズはくすくす笑った。

 

「僕の守護者のくせに受験しないなんていーけないんだー」

「ちぇー、お調子乗っちゃって。ナイ様でも俺怒っちゃいますよ」

「守護者なのに僕に怒るんだ!いいよ、怒れ怒れ!たまには怒れー!」

 ナインズが年頃らしく一郎太にヤジを飛ばして駆け出す。

「こら!待て!!<疾風走破>!!」

「一郎太……ナインズ様ニ何テ(クチ)ノキキカタヲ……」

 二人は年齢相応に笑い合って追いかけあった。

 一郎太の足は信じられないほど早く、ナインズはすぐに追いつかれ、その背中に飛び乗られた。

「ははは!はははは!一太おっも!あっつ!」

 そして、地面に足でざりざりと何かを書いて行く。

 水色の美しい線になり、発光を始めた図形はルーンの魔法陣だった。

「げ、ナイ様魔法使う気か!?」

「へへ、どーだろうね」と言いつつ、完成した魔法陣に向かって背中を向けて倒れ込む。

 一郎太を背にしたまま魔法陣の上に倒れ込んだナインズの重量はとんでもないことになっていた。

「おもてぇー!!」

「一太も午後から受験勉強しようよぉ。うんって言わなきゃ下りてやんないよん」

「本当に重たいの!降りて降りて!」

「へへ、じゃ、午後からよろしく」

 笑って一郎太から降りたナインズは笑った。

「……はー……まじかぁ」

「まじだよ。僕の一郎太ならできるよ」

「ご褒美は?」

「なんと、この僕と授業が受けられる!」

「……だからいらないっす」

 二人は笑って笑って笑いまくった。

 

 受験まであと数ヶ月。

 これまでもナザリック学園には通っていたが、時間がずいぶん伸びた。

 

 賢王の子孫は、決して馬鹿ではなかった。

 

+

 

「おぉ……!おぉ……!!」

 

 受験の実技試験の際、封印の腕輪を外したナインズの魔法を見たフールーダが大変ハッスルしたのはまた別のお話。




ははーん、受験して入るんですなぁ!
友達も皆頑張って受験するつもりになってるけど……果たして何人がエリート魔導学院に入学できるんでしょうね?

なんと明日も更新できそうです!!


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Re Lesson#3 首席の特待生

 魔導学院入学式。

 

 アガートはお偉いさん達の話をあくびをして聞いた。

 長い長い挨拶は次から次へと行われていく。

 生ける伝説であるフールーダ・パラダインの挨拶には少し「お!」と思ったが、薬学科のアガートは別に魔法にのめり込んでいるタイプなわけでもないので、なが〜い魔法談義にはすぐに飽きた。

 魔導学院の入学式ともなると、小中学校とは違って親が見にくるようなことはない。

 監視の目もないので眠くなって来ると、「次。入学生代表。特進科首席合格者の挨拶」と進行が告げた。

 どうでも良いと思っていると、周りから囁きが押し寄せた。

「筆記も実技も満点なんだって噂」「他の科の首席達でも全科目満点なんて存在しないから、今年の実質トップ」「そんな化け物いるの?」「あり得ないだろ」「いくらなんでも眉唾だよね」「どこ出身だよ」「やばすぎやろ」

 それは確かにヤバすぎるし、どんなガリ勉だろうと興味が湧いた。皆首を伸ばす。

 

「女?」

「何あれ?」

「え……?あの仮面って……?え……?」

 

 誰かが言う。

 長い黒髪と怪しい仮面。

 アガートは彼を知っていた。

「キュータ……」

 

 ボンボンだと思っていたが、認識を超アルティメットウルトラボンボンに変えなくてはいけないかもしれない。

 厳しい母親を持つようだったが、ここまで結果が出ていれば誰も母親を咎めやしないだろう。

 首席合格者は確か、特待生として学費が免除されるはずだ。

 

『――ご紹介に預かりました、キュータ・スズキです』

 

 口を開くと、「男だ」と囁きが再び流れる。

 キュータはここで皆と学べることが何より嬉しく、今日が待ちに待った日であると述べた。

『家にいては見れなかった世界が見られるでしょう。僕達は謂わば知識の冒険者です。仲間で手を取り合い、船を漕ぎ出しましょう』

 皆大きく拍手した。

 こんな舞台でも仮面は取らないんだなとアガートは苦笑しながら手を叩く。

(……ま、あの美貌じゃね)

 

 その後オリエンテーションの説明を受け、教室に戻った。

 大きなカバンを二つは持ってくるように言われていたが、大量の教科書を手に解散となった。

 重すぎる。

 ひぃひぃ言いながら表に出ると、特進科の生徒達なのか、<浮遊板(フローティング・ボード)>に荷物を載せて優雅に歩いている者がちらほらいた。魔法で作られた半透明の板は術者から最大五メートル離したうえで後ろをついてこさせることができる。

 <浮遊板(フローティング・ボード)>を譲ったり渡したりすることはできない。魔法を使えない者でこの魔法を使いたければ、巻物(スクロール)を買うしかない。

 この魔法は第一位階なので、特進科の生徒ともなればあんな真似もできるらしい。

 私にもその魔法の力を分けてくれと思っていると、背後がにわかに騒がしくなった。

 

「スズキ君って、寮に入ってるの?」

「スズキは黒髪だけど、ディグォルス州じゃないんだろ?」

「神都第一小出た後は家庭教師!?それで首席ってすごいね!?」

「ずっと受験勉強だったんだろー?」

 

 あぁ、はいはい。あなたはそうやって男にも女にも囲まれてるんだね。

 アガートは何故かやさぐれた気持ちで振り返った。妙にムカムカする。

 

「や、試験はたまたま運が良くてヤマが当たったのかも。僕、本当は挨拶するなんていうのも今日聞かされてびっくりしちゃって」

「でも堂々としてたぜー?」

「本当にね!」

 

 困った雰囲気で答える彼の様子に、あの日の乗合馬車(バス)の中で「見られるのがあまり好きじゃない」と言っていたのを思い出した。

 アガートはどうしようかと思ったが、重たすぎる荷物を片手に二つ持つと、横に後ろに生徒達を従えるキュータへ駆け、手を取った。

 

「――え?」

「キュータ、帰ろ」

 

 キュータは特待生だの首席だのと言うわりに、<浮遊板(フローティング・ボード)>ひとつ使わず荷物を持って歩いていた。

「あ!」「スズキくーん!」

 皆の視線の中、アガートはキュータの手を引いて早足に歩いた。

 あの子誰?とか、同じ家庭教師に習ってたとか?とか。一つも答えてやるつもりはない。答えられないし。

 

「びっくりしたぁ。ミリガン嬢、そう言えば君も通うって言ってたね」

「まぁね。まさかキュータが特進科の首席、特待生様だとは思わなかったけど」

「えへ?それはたまたまだよ」

「たまたまで首席なんか無理でしょ。それより、<浮遊板(フローティング・ボード)>は?できれば途中まででも私の分も載せて欲しいんだけど」

「<浮遊板(フローティング・ボード)>ねぇ。僕は使えないんだなー、これが。ははは」

「あなた本当に首席なの?」

「ねぇ?」

「ねぇ?って……」

 

 ずんずん進んで行き、何やら怪しい動きを感知してちらりと後ろを確認すると、キュータは後ろに大きく手を振っていた。荷物もあるというのに。

「また目立つよ。そんな事して」

「いや、これは従者に場所を知らせなきゃいけないからさ。いきなり輪を抜けちゃったから」

「従者ぁ?」

 トットット、と駆け足が聞こえると、あの日アガートから仮面を奪い取ったミノタウロスと、金髪に青紫の瞳の男子がいた。

 青紫の瞳の男子は「キュータ様、そちらは?」と、アガートを上から下から眺めた。

「あぁ、カイン。こっちは先週たまたま知り合ったアガート・ミリガン嬢。――ミリガン嬢、こっちは僕の小学校の頃からの友達。カイン・フックス・デイル・シュルツ。それから、僕の一郎太」

 僕の、とはまたすごい紹介だ。ボンボンともなると、従者は持ち物らしい。

 

 カインに手を伸ばされ、アガートは握手を交わした。自分の手は日によく焼けていて、カインの方がよほど白い。今日も素敵なレースの手袋をした女子が何人かいたなと教室のことを思い出した。

 

「ミリガンさん、よろしく。僕らは特進科さ。まぁ、僕は魔法の実技の点数はあんまり良くないけどね。君は?」

「私は薬学科。だから魔法はからきし。錬金術が少し、かな」

「へぇ。薬学科ならロラン君と一緒だ」

 小学校の頃からの友達と言っていたし、皆神都が地元となると知り合いも多そうだ。

 

 続いて、ミノタウロスが「ん」と手を挙げた。

「俺も特進科。魔法は使えない」

 アガートはぽかんと口を開いた。よほど知識はあるのだろうか。神との接続すらできていない生徒が特進科にいるとは思いもしなかった。

 

 一行は再び歩き出した。後ろの集団に追いつかれる前に自然と足が動いていた。

 立派すぎる校門が近付いてくる。

 校門の脇に、可愛らしい女の子がいた。そわそわして、誰かを待っているようだった。

 ――アガートはふと、「もしかして……」とキュータを見た。

 

 その想像はぴたりとハマった。

 女の子は水色の素敵なワンピースを着て、ふわふわの金色の髪の毛をリボンで結んでいた。レースの素敵な手袋をはめて、可憐な白い日傘をカチリと畳んだ。

 

「キュータ君!」

 駆け寄り、抱きつくのかと驚いていると、女の子はキュータの前できちんと立ち止まった。

 スカートの裾を持ち、そっと頭を下げる。

「お久しぶりです」

「久しぶりだね、オリビア。畏まらないで。また綺麗になったんじゃない」

 オリビアと呼ばれた子は顔を真っ赤にして微笑んだ。

「そ、そんな事ないよ。キュータ君こそ、綺麗だよ。昔っから。――ね、それより、一緒に通えなくてごめんね。一生懸命勉強したんだけど……」

「ん?別に気にしてないよ。またこうやって会ったり遊んだりできたら楽しいね」

「うん!」

 後ろでカインと一郎太がどこか苦笑している。

 オリビアからキュータへの大好きパワーはすごいが、キュータからは別にそこまでのものは感じなかった。

 アガートは心の中で「ふふん」と言った。

 

 そして、オリビアの視線は当然のようにアガートへ向いた。

「そちらは?新しいお友達?」

「あぁ、こっちは――」

「先週キュータと二人で買い物したんだ。私はアガート。アガート・ミリガン。よろしくね」

 二人で買い物、という言葉を咀嚼しているようだった。

 しかし、オリビアは可愛らしい笑顔で握手を求めた。

「よろしくね。アガートちゃん、スレイン州の名前じゃないね。私はオリビア・ジェリド・フィツカラルド。明日から州立の高校に行くんだ。また会えたら良いね」

「う、うん」

 嫉妬を必死に隠しているという風にも、ライバルを出汁にキュータに会おうという風にもあまり見えず、アガートは内心困惑した。

 

(って、ライバルって!もー!)

 

 アガートは勝手に自分の思考に照れた。

 

「キュータ君、この後は?」

「とりあえず、男子で受験お疲れ会しようって話してたんだ。ロランとチェーザレのこと待ってからね。落ちちゃったリュカやこっちに異動したエルもくるからさ」

「……その話聞いてない」

「男でやるんだってリュカが言ってたからじゃない?」

「男の子だけでやるっていうなら行かないけど!だけど!そんな楽しそうな事するなら、女子ともするべきでしょ!」

「う、うん。ごめん」

「私達、夏前から会えなかったんだからね!ほとんど一年だよ!!」

「そ、そうだね。うんうん」

 

 キュータの周りを帰って行く男子生徒達が「ひゅーう!」とか囃し立てていた。

 女子も「彼女?」「受験の間待ってたのかねぇ」「首席になるような男と付き合うって辛いもんよ」とか。

 その中でも「やめてさしあげろ」「しっ、寛大な方なんだから」と言ってる者もいる。神都生まれ神都育ちと、そうでない者達で何か大きな温度差があるような気がした。

 確かに一郎太は怖そうだし、目をつけられたくはないかもしれない。

 

「キュータ君、女子だって皆待ってたんだよ。アナ=マリアも、イシューも、レオネも!イオちゃんだって!」

「イオリエルは先週会ったけど……」

「もー!!キュータ君!!」

「は、はい」

 

 あぁ、この子はアガートなんて眼中にないのだ。小学校の頃からの馴染みの仲間が一番の敵だと思っているのかもしれない。もしくは――たくさん女子が周りにいることに対して諦めを抱いているのか。

 キュータが頭をぽりぽりかいていると、バシッとキュータの背が叩かれた。

 褐色の肌で、赤黒い目をした男子がいた。<浮遊板(フローティング・ボード)>を従えていて、少し怖そうだった。

 

「――おい、ワルワラ。ワルワラ・バジノフ。キュー様にいきなり何すんだよ」

 一郎太は怒っているようだった。

「おー、こわい。――スズキ、全科トップはモテて良いな。そんな男が女の尻になんて敷かれるなよ。なぁ、ドォロール砂漠のよしみだ。途中まで俺の<浮遊板(フローティング・ボード)>に荷物載せてやろうか」

「ははは。ワルワラ、オリビアはそんな事しないし、僕はディグォルスの人間じゃないよ。ありがとね」

「ふん?そうか」

 ワルワラと呼ばれた男子はあっという間に去っていった。

「キュー様、俺あいつ嫌い」

「またそんなこと言って」

 キュータが呆れ、カインが笑っている。

 

 アガートは今日、何人か女子と話したが一緒に帰るほど仲良くなった子はいない。神都の子達は神都の子達で固まっていたし、亜人種も亜人種で固まっていたし。

 もちろん、神都外で固まっている子達もいたが、なんとなくアガートは気後れして仲間に入れなかった。

 キュータは首席だからってこんなにたくさんの声をかけられて、羨ましかった。

 神都生まれ神都育ちとの格の差を見せつけられたようだ。

 ひとしきり羨望と嫉妬の間を行き来していると、キュータがふとアガートの視線に気が付いたのか手を伸ばした。

「ミリガン嬢、大丈夫?重い?持ってあげようか」

「キュータ……」

「キュータ君優しい……」

 

 オリビアまでうっとりしている。

 キュータが心配そうにしてくれると、それだけで口元が緩みそうだった。さっきまで複雑に思っていたのに、もう「こんなに素敵な人なんだから仕方ない」と脳が勝手に割り切り始めた。

 キュータは自分のトランクケースを二個片手に寄せて持つと、アガートの荷物を二つ持ってくれた。特進科が一番荷物が多いのに。彼は重さなど感じていないようだった。

 

「寮だって言ってたよね。運ぶよ」

「ありがとう……」

「そんなに元気なくして。疲れた?――皆、僕はミリガン嬢送ってすぐに戻るから、ロランとかの事ここで待っててくれる?」

「――カイン、いい?俺キュー様と行かなきゃ」

「いいよ。キュータ様と行ってきて」

「え?一太も別にカインとここにいて良いよ?」

「……わざわざ授業受けてまでキュー様から離れないようにしてんのに、これで一人にさせたら馬鹿みたいでしょ。荷物も俺が持つから」

 

 一郎太がキュータから荷物を四つひったくる。一郎太は自分の分と合わせて六つものトランクケースを軽々持っていた。

「一太いいよぉ。僕がするって決めたことなのに」

「俺も俺がするって決めたから良いの。ん、じゃミリガンも早く寮まで案内して」

「あ、うん!」

 アガートは自分がどんな神都のお嬢さんよりも特別な存在に感じ、元気いっぱい踏み出した。

 

 女子寮の前に着くと、周りからは羨ましがるような視線がたっぷり集まっていた。

 獣人系の者たちは一郎太の毛を見て「どうやったらあんなに素敵な毛になるの?」「綺麗すぎるよねぇ!」と湧き立っているし、人間系は「スズキ君の彼女?」「えー、流石に違くない?」とアガートを値踏みしているし。

 

 関係ない。アガートはキュータが首席だと知る前から知り合っているし、レッテルだけで彼を見る女子とは全く違うのだ。

 オリビアや地元の友人たちはおいておいて、アガートは何段も上にいる。正直気持ちよかった。

 

 寮の敷地に入る前に、アガートの荷物は下ろされた。

「じゃ、流石に僕たちはここまでだから」

「ほいよ」

「キュータも一郎太もありがとう!ねぇ、キュータ。今度近いうちに雑貨屋さん行こ?こないだ教えてくれたとこ。ちゃんと案内してほしいの」

「ん?良いよ。じゃ、今度また放課後に会えたらね」

 大勝利だ。アガートはキャー!と心の中で声をあげ、来た道を戻って行く二人の背中に目一杯手を振った。

 

+

 

 鏡を覗き込んでいたアインズとフラミーは体勢を戻すと目を見合わせた。

 

「……九太って」

「もしかして……」

「「小学生の頃から変わってない……?」」

 

 たまに友達同士で遊びに出かけることもあったが、気心の知れた友達たちだからあんな感じなのかと思っていたが、ナインズは体ばかり大きくなって、なんというか本人から思春期特有のドキドキみたいなものがあまり感じられなかった。

 同じ年頃の人の中で過ごせる喜びは大いに感じるが、彼はもしやまだ思春期ではないのでは?と二人は首を傾げた。

 

「女の子にもあのまんまだとは」

「うーん、もしかしてナイ君て寿命のすごく長い生き物なのかな?思春期はまだ先?反抗期もないですもんね?もはやあそこから不老不死?」

「……そう言うことが全然分かんないんですよね。あいつきいたこともない謎の種族だからなぁ」

 

 親は揃って頭を抱えた。

 

 部屋にノックが響く。鏡をしまい、二人は居住まいを正した。

「――アルメリア様でございます」

「勝手に入れと言っておけ」

「かしこまりました」

 扉が開き、いつも通りのやり取りをしても結局ノックをしてから入ってくる娘が顔を覗かせた。

「ナザリック学園終わりました」

「おかえり。面白かったか?」

「はい!お兄ちゃまはどうでした?」

「楽しそうだったぞ。ただ……」

「ただ?」

 アルメリアは小走りで応接セットに座ると、フラミーへ続きを求めるように視線を送った。

 

「――思ったより王子様すぎてびっくりしてるの」

「思ったより?例えばなんです?」

「女の子の荷物を持ってわざわざ寮まで行ってあげたり、ナインズだって身分を知られてないのにものすごい人数に囲まれてたり……とにかく分け隔てない感じだね」

「何も変わってないです。どんな生き物相手でもお兄ちゃまは至って平等です。相手が鴨でも同じです」

 アルメリアは予想通り、と言った感じだった。さすが兄妹、よく見ている。

 

「……鴨でも同じか。ある意味あいつはかなりの上位者精神だな……」

「事実上位者です。虫ケラも虫も皆同じだと思ってます」

 これが皆友達!のタイプで良かった。皆馬鹿!のタイプのアルメリアとは正反対――いや、本当は全く同じと言っても良いかもしれない。

 違うのは抱いている感情だけだ。

 ナインズは楽しそうなのでいいが、いつ彼は思春期や反抗期を迎えるのだろう。

 それとも、神の子ともなればそんなものはないのか。

 

 親達はこの学園生活は思ったより――期待できると思った。

 

 小学生の頃から変わらない彼の何かを、変えてくれる誰かがいるかもしれない。




ナインズ様、王子様なのに感覚が小学生…??
でもお勉強めちゃくちゃできるんですねぇ。
学費も免除なんて、めっちゃ孝行ぼうやじゃん!!


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Re Lesson#4 小国の友人

 蹄がコツコツと石畳を叩く。重たい重たい足取り。

 美しい革靴がコツコツと石畳を叩く。軽い軽い足取り。

 二人は付かず離れず、仲良く並んで歩いていた。

 

「俺なんか通ったって何にもなんないのに……」

「いやぁ?一太も通えば使えるようになるかもしれないよ。魔法」

「いらないです」

 

 腰まであるかと言う程に長い黒髪をフードとローブで隠したナインズがおどけたように笑うと、一郎太は立派なツノの生えた頭を抱えた。

「あぁ……警護としておそばにいられればなんでもいいのに。ついに授業始まっちゃうよぉ……」

「ぼーっと教室の後ろで立ってるより、一緒に授業受ける方がよっぽどいいでしょ?」

「ぼーっと立ってる方がいいです!聞いたって意味わかんない話ばっかだろうし」

「まぁまぁ、分かるようになるために授業があるんだからさ。それに、二の丸は魔導学院行くの羨ましがってたよ?魔法使えるようになるんだーって」

「少なくとも俺は魔法使えるようになりたくないです。そんなもん使えて弱くなったら取り返しつかないですよ?元々魔法が使える人が生活魔法覚えるのとはわけが違うんですから」

「って言っても、雨に降られたら僕が一太まで乾かさなきゃいけないじゃんか」

「……それはそうですけどぉ。でも俺は別に濡れたままだって構いやしませんよ」

「一太の蹄や脛の毛が濡れたままどっか入るの嫌だし。第一、僕の守護者だって言うなら僕の服くらい乾かしてくれよ。な?」

 ナインズがいつもより尊大に一郎太の肩に手を置く。一郎太はムーーっと顔を渋くした。

「ずるいよナイ様ぁ」

「えへへ」

「えへへじゃないよぉ」

 

 大きくなったナインズは逞しく、何より麗しかった。

 そして、良くも悪くも父親の「オンオフの切り替え」を学んでしまっていた。

 

 道を進むごとに同じローブを着た者達が増えていく。

 そして、途中で道を別つ先には、懐かしい小さなローブを着る子供達。

 ナインズは思わず足を止め、学校の指定鞄を背負って小学校へ駆けていく子供達の背を見ていた。

 

「――久しぶりに見ましたね」

「うん、懐かしいね。やっぱり、神都にまた通学できて良かった」

 先週小学校の頃の友人達とは結局皆で受験お疲れ様会をした。

 カインは同じ特進科で、チェーザレは普通科。ロランは薬学科に行ったし、レオネは信仰科にいる。残念ながら落ちてしまったのはイシュー、リュカ、オリビア、アナ=マリア。

 やはり何年もかけて受験対策をしてきた者たちのようにはいかなかった。世の中は甘くないと四人は笑った。イシューは祖父の設計事務所で働き始めているが、女子二名は同じ女学校に上がったようだ。リュカも何やらフラフラしているらしく、今では香辛料屋にいるとかなんとか。

 それから、エルミナスは最古の森の魔導省からこちらへ無事異動してきた。イオリエルは聖典見習いとして勉強と訓練の毎日。

 この二人が一番忙しいかも知れない。

 

 全員で顔を合わせるのは随分と久しぶりだった。

 

 エルミナスのように家が神都にない者達や、イオリエルのように聖典業が忙しい者など、全員が揃って会えることはほとんどなくなった。

 それに、受験に忙しかった間は誰とも会えていなかったし。いくらナインズとはいえノー勉ぶっつけ本番で「はい!満点!」とは行かないだろうと必死だった。恥ずかしい点数は取れないと完璧主義者は大変な思いをしたようだ。

 もちろん、皆とそれぞれ文通はしていたので疎遠というわけではなかったが。

 

 これまでも会う時には大抵神都なのか、皆が遠出をしてエ・ランテルまで出向いてくれるのか。――神都のこの辺りではもはやナインズの仮面も、その出立ちも、よく知れ渡ってしまっているから。

 そうなると、ナインズは友人達の家の出さなくてはならない交通費の額が心配になったりする性分だったり、中々ややこしかった。

 

 そんな悩みも、これでまた一度終止符だ。

 

 魔導学院の居心地は良い。

 神都第一小を出ている者達はナインズを「あ」と言う顔をして見たし、ナインズも「あ」と見覚えのある顔を懐かしく見た。

 国立の魔導学院はそもそもそれぞれの州に一つしかないことに加え、ここ神都の魔導学院にはフールーダ・パラダインがいる。

 州外からもかなり生徒が集まっているので、ナインズのこの見た目も仮面も丸切り知らない生徒が大多数だ。

 なんなら、神都を一歩出れば、スレイン州内でも隣の街ではナインズのこの見た目を風の噂程度にしか知らないだろう。

 

 ナインズはちょうど良い程度に羽を伸ばせていた。

 

 今朝の校門には、レオネとロランがいた。

「おはようございますですわ!キュータさん!一郎太さん!」

「キュータ君、一郎太君、おはよー」

「おはよ〜。違う科なのにわざわざ待ってくれてたの?」

「おはー。今日から本式に授業始まっちゃうな」

 四人は受験お疲れ様会の余韻に浸るようにたっぷり話をしてからそれぞれの教室に行った。

 

 特進化の同じクラスには、小学校の頃から同じクラスだったセイレーンのペーネロペーもいる。懐かしくてお互い手を振り合う。

「スズキ君、おはよ」

「おはよう、ペーネロペー。今日から授業、楽しみだね」

「私着いていけるかな」

「ペーネロペーなら大丈夫。君は賢い子だから」

「ふふ、ありがと」

 

 席は自由なので、どこにしようかなと思っていると、カインとチェーザレが手招いていた。

「――おはようございます!キュータ様、今日はペネと座るのかと思いました」

「はは、カインが呼んでくれなかったらもしかしたらそうしてたかも。――チェーザレは自分のクラスは?」

「僕もすぐ普通科に戻ります!キュータ様と一郎太様の顔だけ見に来ました!」

「チェーザレも特進科だったら良かったのになー」

「えー、僕はついていけないですよ。じゃ、また!」

「俺も着いていけない……」

 一郎太は立ち去って行くチェーザレの背を実に羨ましそうに眺めた。

 

「キュータ様、窓際がいいですか?」

「あ、いや。僕は窓から遠いほうがいいな」

「はは、見られるかもしれない?」

「そう思っちゃう。自意識過剰かな?」

 カインはおかしそうに笑うと首を振った。

「ちっとも。じゃ、僕が――」

「――俺が座ろうかな」

 四人がけの長机にドサリと荷物を置いたのは、ワルワラ・バジノフだった。

「またお前かぁ」

 一郎太が嫌そうに言う。ワルワラは平気でそこに座った。

 

「スズキ、聞いたぜ。お前神都育ちなんだってな」

「あぁ、うん。そんなとこ。砂漠同士じゃなくてガッカリした?」

「まぁ多少は。一郎太はミノタウロス王国から……じゃないよな。お前も神都育ちだろ」

「第一小だったよ。なんだよ」

 ワルワラはふぅむ、と腕を組んで唸った。

 

「ワルワラはディグォルス州のどこから来たの?」

「――俺は国外。ドォロール砂漠のスルターン小国から来たんだ。スルターン小国に魔導学院はないし」

「へぇ?神聖魔導国の外の人間って俺ミノタウロス王国のおっちゃんしか知らないや。スルターン小国も魔人(ジニー)蠍人(パ・ピグ・サグ)しかいないんだと思ってた」

「げぇ、本気か?スルターン小国は昔少ない人数だけど遊牧民が合流して、魔人(ジニー)蠍人(パ・ピグ・サグ)と混血したりして成り立ってる国だ。純潔の人間はほとんど見ないけど、俺みたいなのはいっぱいいるんだよ」

国営小学校(プライマリースクール)じゃ習わなかったな」

「ま、そら外国の歴史だしな」

 スルターン小国は現在、砂蜥蜴人(サンドリザードマン)の家畜化を解くべく何やらあれこれ大人達が手を尽くしていた気がする。

 だが、蜥蜴人(リザードマン)本人達が食われることに喜びを感じているせいでうまくはいっていなかった記憶がある。

 

「だから、正直俺が一番覚悟持ってここに来てると思ってたし、成績も良いと思ってたよ。なんて言ったって俺には魔人(ジニー)の血が流れてる。きっと、スズキがいなけりゃ俺が一番だった」

 ワルワラは自らの赤黒い魔眼を指さし、力のありかを教えるようだった。

「ワルワラは色んな魔法使えるんだもんね。すごいよ」

「……はぁ。だってのに<浮遊板(フローティングボード)>も使えない首席ってなんなんだよ……」

「ははは。本当だよね。正直僕も悪くない線は行くと思ってたけど、まぐれっぽさは否めないよ。でも、ワルワラはまぐれじゃない力を持ってるんだろうなって思う」

「……肝心のライバルがこの調子なんだからなぁ。なんか毒気抜かれるぜ」

 

 ワルワラは特大のため息を吐くと、ちらりとカインと一郎太を見た。

「スズキって、本当に根っからこうなの?」

「そうさ。僕と喧嘩してる最中でも、わざわざよくできたねとか言いに来たような方さ」

「キュー様はもっとガツガツしてもいいよな。こいつムカつくって言ったっていいんですよ。魔法も座学も敵うわけないんだから。うるさいぞって」

 ナインズはおかしそうに笑ったが、ワルワラは敵わないと言われたことに不服そうにしていた。

 

 一限は早速フールーダだった。それから、若い助手が一人。

 ナインズはフールーダとは受験の時に会って話しただけで、それまで一度も話したことはなかった。

 分かりやすくエコ贔屓してくる雰囲気があるおじいさんなので要注意人物だった。

 

「特進科は、毎年レベルが上がってきておる」

 

 ヒゲを扱きながら、突然そんなことを言った。

 

「昔は特進科でも魔法が使えない、魔法について深く学んだことがない者も多かった。それが、今や国営小学校(プライマリースクール)の功績で特進科の生徒ともなれば入学時点で第一位階を修める者も少なくない」

 無論、魔法が使えない者も何人かはいるがな、と付け加えた。

「さて、まずは魔導省でもわしの助手をしている高弟を紹介しよう。――挨拶を」

「はい。私はジーダ・クレント・ニス・ティアレフ。皆、よろしく。ティアレフと言う姓の教師が他にもいるので、クレントと呼んでもらえると助かるよ」

 感じの良い人だ。教室内からちらほら拍手が上がった。

「ジーダ君も昔、この学校に通っていた。学生のうちにすでに第三位階と言う高みに上り詰め、今では三十代にして第四位階すら操る。それもこれも、彼こそ私の助手に相応しい者になると、力を見出して下さった神王陛下と光神陛下のおかげに他ならないだろう」

 ナインズは一郎太と目を見合わせた。カインはなぜかしたり顔で頷いている。

「――陛下方は本当に必要だと思えば、ここ魔導学院に当たり前のようにご降臨なさる。ジーダ君のみならず、良い者がいないか確かめるためにこっそり授業に参加されたりする。わしは魔導省でよくお会いしておるが、お前達には何よりも励みになるじゃろう」

 生徒たちからオォ……!と声が上がり、ワルワラも期待するようにゴクリと喉を鳴らした。

 

 そして、隣に座るカインを乗り越えるようにしてナインズに顔を寄せた。

「次の陛下方のご降臨の目的はこの俺になる。スズキ、覚悟しておけよ」

「ふふ、楽しみだね。どうもあの人たち、たまに見てるみたいだし――と」

 ナインズが言葉を間違えたな、と思うと同時に、前に座っていた女子が二名振り返った。

「スズキ君、そんな言い方ってないわ」

「いくら首席だって敬意は払うべきじゃなくて?」

「は、はは。ごめんね。えーと、パルマ・アト・ファビエさんと、ジナ・エルドン・アスタロサさん。二人の言う通り。ほんとに」

 パルマとジナは目を丸くした。

「覚えてくれたの?」と、パルマ。まっすぐで綺麗に切り揃えられた、スレイン州に多い金髪。

「一回話しただけなのに」と、ジナ。ふわりとしたショートヘアだ。男っぽさはまるでない、まるで往年の大女優のような気品がある。

「それを言ったら君達も一回話しただけの僕のこと覚えてたじゃない」

「そ、それは……スズキ君は首席の特待生だし、ねぇ?」

「わたくし達は別に特別な生徒じゃないわ。それに、あなたはたくさんの人と関わってるでしょ」

「うーん?変なこと言うな。二人とも特別だよ?」

 二人は何かもじもじすると、嬉しそうに笑い礼を言った。

 カインがパチン、と自分の額を叩き、ワルワラはため息を吐いた。

 

 女子二人が前を向いてフールーダの話を聞きに戻ると、ワルワラはますますカインの隣から身を乗り出した。

「スズキ、お前は一大ハーレムでも作る気か?」

「ははは。変なの。ハーレムなんていらないよ。奥さん一人だっていらないのに」

「……え?お前ってこっち?」

「こっちって?」

「男好きなの?」

「うーん?男友達も女友達も皆好きだけど」

 ワルワラが迷宮落ちして行く。

 カインはワルワラの褐色の顔を押し戻した。

「……この方にその手の話は通じない。いつも勝手に周りが盛り上がってるだけ」

「変なやつ……。って、神都じゃ普通?」

「普通じゃないよ。なんて言うか……この方は超常現象の一種なのさ……」

「この方この方って、スズキって何なの?」

「お偉方の御曹司さ」

「だろうな。そんな気はしてた」

 

 ナインズも一郎太もカインに適当に説明させておいて大丈夫だとタカをくくっている。

 一郎太は「キュー様さぁ……」と苦言を呈した。

「なに?」

「男子と違って、女子って特別とか言われるとその気になるぜ」

「その気って?」

「好きになっちゃうんだよ。特にキュー様みたいな目立つ人に言われると」

「変なの。僕は目立たない子がいいけどなぁ。そう言えば、ミリガン嬢なんかは不思議と目立ちにくいタイプだよね」

「――え?」

「えぇ!?」

「へー」

「ん?」

 

 一郎太とカインがナインズを覗き込む。ナインズは何かおかしなことを言ったかな?と首を傾げた。

 

「それって、キュー様の好みのタイプってこと?」

「それって、キュータ様も女子に興味があるってこと?」

 

 ナインズが二人の意図を探ろうとパチクリと目を瞬いていると、「そこ!!首席はいいが他の三人!!」とフールーダに怒られた。

「……っちぇ。首席はいいのかよ。って言うか何で俺まで」

 ワルワラの不満は当然だろう。

 ナインズはやっぱり目立たないのが一番だと思った。




ないくん!!!!!素朴な女が好きか!!!!???

次回、明後日!
Re Lesson#5 閑話 その頃のエ・ランテル
ちょっと懐かしい人たちがどうしてるのか書いておきたくて!!


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Re Lesson#5 閑話 その頃のエ・ランテル

 マティアス・ブレントの朝は早い。

 彼は今二十五歳で、一年前に生まれながらの異能(タレント)が発現した。いや、気が付いたと言った方が正しいか。

 タレントはそもそも誰でも持てる物ではなく、その中でも人様の役に立つようなタレントは極小数だ。

 マティアスのタレントは世のため、特に冒険者のためになるものだった。

 

 六歳の時にザイトルクワエの襲来やズーラーノーンによるアンデッド騒動の影響で建て直された実家を出て凡そ一年。

 マティアスは下宿の小さな部屋を出た。

 トトトト、と階段を下り切ると、狼のような瞳をした男と顔を合わせた。

 その男、ザイトルクワエ州で大きく名を馳せる武人――ブレイン・アングラウス。

「アングラウスさん、おはようございます!」

「おはようさん」

 ブレインは顔を洗ってきたばかりなのか、髪をギリギリ一つにまとめて結いていた。

 二人は一緒にキッチンに立ち、朝食の準備をする。

 

 マティアスの就職先はアングラウス道場だ。

 ザイトルクワエ州発足当時に六歳だったこともあり、子供の頃から英雄モモンに憧れ、国営小学校(プライマリースクール)を出てからは州立中学校へ進み、卒業後は冒険者組合でアインザックと言う堅物親父の下で雑用をしていた。

 やることは主に公用語での依頼書の清書だ。小学校も中学校も出た初めての世代だったので、マティアス達の世代は人材としてかなり持て囃された。

 何年か冒険者組合で冒険者達のマップ作成を憧れの瞳で眺め続けたマティアスは、ふと日々の会話の中で違和感を覚えることがあった。

 

 例えば、受付嬢との間にも――

「あの人、初めて見た。弩使いにしてはちょっと足とか体作りすぎよね?戦士とかやればいいのに」

「やだなぁ、あの人のメインは弩使いなんじゃなくて飛竜騎兵(ワイバーンライダー)じゃないですか」

「そうなの?」

「そうでしょ。だから、飛竜(ワイバーン)に振り落とされないようにしっかり体作ってるんです」

 その人は受付へまっすぐ来ると、「宿を紹介してほしい。飛竜(ワイバーン)を置ける竜舎がある所がいいんだが」と言い、受付嬢は「ほう」と感心の声を上げた。

 他にも、「こっちの飲んだくれじいさん、アーウィンタールから移ってきたらしいけど、ああ見えて実は情報屋だったりして」などと笑う受付嬢に、「あの人は罠師(トラップマスター)ですよ?」とか。

 皆は観察眼が鋭いと言ってくれていたが、見ればどんな職業の者なのか分かるのが当たり前だと思っていた。

 受付嬢達もしょっちゅう冒険者達の職業を外す訳ではなかったと言うこともあり、これがまさか、全てのクラスを見破るタレントだなんて思いもしなかったのだ。

 

 このタレントが判明すると、アインザックからブレインへ紹介状を持たされた。

 こんな所で受付や雑務をしていていい人材ではない。君にはもっと冒険者達の未来のために働いてもらいたい。――と。

 

 そうして転がり込んだのがここ、アングラウス道場だ。

 彼の下で日々研鑽を積む冒険者見習いや、剣士、入門希望者の持つクラスを言い当て、おすすめの修練や今後の修行プラン、目指すクラスへの助言を行なっている。

 

 アングラウス道場は超名門だ。

 入門希望者が後をつかえている。

 だが、肝心の師範であるブレインは「俺が気に入ったやつしか教える気はない」と殿様商売だった。

 

 マティアスはソーセージを挟んだだけのホットドッグを食べ切り、指についたケチャップを舐めた。

「さーて、今日もシメてやるか」

 同時に食べ終わったブレインが師匠としては出来損ないとしか思えない発言をしてダイニングを出て行く。

 二枚の皿を重ねて水につけ、マティアスもダイニングを後にした。

 

+

 

 道場には今日もたくさんの生徒と見学者が集まっていた。

 マティアスは剣を振ったりしないので稽古が始まると大体別の仕事へ行く。

 それは「職業(クラス)修練教え屋」だ。

 アングラウス道場の一角でやらせて貰っているが、アングラウス道場に入門を希望していない現役冒険者が主な依頼主になる。

 

「――あなたは、森を渡る力を高めたい。だから、森司祭(ドルイド)としても力を付けたいんですよね……?」

 目の前の男は頷くと、「あぁ!どう思うかな?」と期待たっぷりに尋ねてきた。

 こういう時が一番困るのだ。マティアスは慎重に言葉を選んだ。

「えーと、あなたは弓師(アーチャー)――いや、野伏(レンジャー)として活躍していたのでは……?」

「お、おぉ。そうだ。流石だな」

「あなたの持つ力は多分野伏(レンジャー)としてほとんど育ちきっているように思います。森司祭(ドルイド)の技術も積めばパーティに大きく寄与できるというのはよく分かりますが、あなたは狩人(ハンター)の力もかなりあります。ここに加えてさらに信仰系魔法系の力を取ろうとすると……もしかしたら、期待ほど力を発揮できないかもしれません」

 

 男は金魚のように数度パクパクと口を開け閉めすると肩を落とした。

 

「……そうか。野伏(レンジャー)をしていると、森司祭(ドルイド)とできることが同じだと思うこともあって、ついな。森なら俺より活躍できる事も多い、そんなふうに言われた事を少し根に待っていたかもしれん。――俺ももう年も年だしな……。新しい事に挑戦するには、少し遅かったか……」

「年齢はそんなことは」少しはある。

「君のいうとおり、あれもこれもと欲張るのは良くないかもしれないな。もう一度自分のこれまでの力を見直して、今後の生き方を決めてみるよ」

「は、はい。もちろん、絶対森司祭(ドルイド)が無理ってわけじゃないですしね!」

「あぁ、ありがとう。それじゃあ」

 男は約束の相談料を払うと、首をコキコキ鳴らしながら帰っていった。

 

 もっと前向きなことが言いたいのになと思うが、大体年齢に対して力がこれくらい付くと、後は伸びないというのもこれまで散々見てきた。

 それに近付いている人にはあまり新しい事を勧めたくはなかった。もちろん、具体的な情報が数字や文字で見えるわけではないが、色というか、感覚というか、とにかくなんとなく分かる。

 

「次の方どうぞー」

 

 続いて入ってきたのは蜥蜴人(リザードマン)と何か植物系のモンスターだった。

 

「こんちは」

「失礼しまーす」

 モンスターの方が物腰は柔らかそうだと思っていると、モンスターはいそいそと草を脱ぎ――真っ赤な瞳と真っ白な肌の蜥蜴人(リザードマン)の姿を表した。

「俺はシャンダール・シャシャ、格闘士(モンク)

「僕はザーナン・シャシャ。……僕は特に何も。これから何になっていけば良いのか困ってる所です」

「なるほど、まずはおかけ下さい」

 確かにシャンダールは格闘士(モンク)だ。それに、打撃者(ストライカー)や族長と言う力も持っていそうだ。恐らく、かなり強い。

 マティアスは思わずシャンダールの首元を確認した。そこに冒険者の証がないことを見ると、残念な気持ちになる。これほどの力を持ちながら、正直もったいない。

「えー、ザーナンさん。あなたは色々と才能をお持ちですね。格闘士(モンク)としての力、森司祭(ドルイド)としての力、森林保護士(フォレスト・レンジャー)としての力、絵師(ペインター)としての力……。今一番際立っているのは格闘士(モンク)ですが、格闘士(モンク)を伸ばされるのは……あまり?」

 

 ザーナンは軽いため息を吐いた。

 

「僕は子供の頃、兄者――こっちのシャンダールと、ある友人達と一緒に訓練を受けていました。シャンダールは力も強くて、訓練にも付いていってたんですけど……僕は落ちこぼれで。ある高貴な友人がお絵描きしてると、いつもそれに参加したりしていました。少し大きくなってからは、力がつき過ぎると周りの者を傷付けかねないと訓練はなくなりましたが、その間に僕は森司祭(ドルイド)の母にたくさん教えを乞うてしまって……」

「気付いたら格闘士(モンク)森司祭(ドルイド)、どっち付かずになってしまったと……?」

「はい……」

 

 今日は森司祭関連の相談が多い。

 それより、子供の頃の訓練とは果たしてどのようなものだったのだろう。

 シャンダールほどではないが、ザーナンとて格闘士(モンク)としての力は銀級冒険者ほどはあるだろう。

 最初はシャンダールのあまりの完成された強さにばかり目が行っていたが、さらに魔法も多少使えるとなれば、それはそれで何か良い道が開けるような気がした。

 マティアスは「少し時間をください」と、悩んだ。

 

 そして、マティアスなりに出したベストの道を告げる。

 

「自分は、ザーナンさんは気功師として少し勉強をされると良いと思います」

「気功師、ですか?」

「はい。あなたほど格闘士(モンク)の力を付けていながら、癒しの力を持つ人はそう多くはいません。きっと、草木や川すら癒すような気功師になれるんじゃないでしょうか!全てのあなたの力が繋がる未来が、僕には見える気がします!」

 

 もちろんマティアスにはその人の限界は分からない。一般的な蜥蜴人(リザードマン)や、一般的な冒険者達なら、ここまで力を手に入れていれば恐らくはもう頭打ちだが、隣の兄――シャンダールの漲るような洗練されきった強さを目の当たりにしては、この弟とてまだやれると思えてならなかった。

 

 シャンダールとザーナンは嬉しそうに目を見合わせ、マティアスと握手をした。

「ありがとう。ザーナンのこれまでが全て無駄じゃなかったと分かったよ」

「本当に嬉しいです。僕たちの師匠はずっと気に病んでいたので、良い知らせを持って行けます。子供の頃一緒に訓練を受けていた友人達にも聞かせてやれます」

「いえ!何よりです。本当にたくさん努力されてきたお二人だと、自分には良く分かります。どうかお元気で。また道に迷ったらこちらでお待ちしております」

 支払いを済ませ、ザーナンがまた草を着込み終わると、二人は立ち去って行った。

 

 きっと、あの二人は一番の相棒同士でいられるだろう。

 そう言う未来が想像できるのが何より嬉しかった。

 

 この能力に気が付いてから、強い人がどういう職業(クラス)構成なのか散々観察してきた。学んだことが今日また一つ生かされたのだ。

 マティアスはスキップしたい気持ちになった。

 

 翌日、アングラウス道場が休みなのでマティアスは帝国街の方へ買い物に出かけた。

 帰りに新しいオシャシンが出ていたりしないかなと光の神殿にふらりと立ち寄った。

 神殿の中には昨日会った蜥蜴人(リザードマン)の兄弟がいて、声をかけようと思った。

「シャンダールさん、ザーナンさ――」

 その時、跪く二人の目の前に闇が開いた。

 これは、まさか噂に聞く降臨。

 

 中からは守護神のセバス・チャンと、コバルトブルーの守護神。

 ええと、名前はなんだっけ。

 あまりエ・ランテルと馴染み深い守護神ではないためマティアスには分からなかった。

 参拝者達が皆ドキドキと緊張しているのが伝わってくる。

 皆歓喜の声を上げたい気持ちを抑え、静かに手を組み闇を凝視していた。

「――コキュートス様」

「シャンダール、ザーナン。マタ久シクナッテシマッタ」

「いえ。俺達こそわざわざエ・ランテルまでお迎えに来ていただきありがとうございました」

「構ワナイトモ。シカシ、村ニ迎エニ行ッテモ良カッタノダガ」

「はは、足に泥がついた状態じゃ、ナインズ様に会えないですから」

「――フム。良イ心掛ケダ」

 

 マティアスはあの兄弟の師匠と、共に訓練をした高貴な友人という存在が何者なのか理解し始めると、ごくりと唾を飲んだ。

 自分は守護神に鍛えられた選ばれし男達に助言をしたのか。

 そう思うと、喜びで思わず口がにんまりと歪んでしまう。だめだだめだ、今は真面目な顔をしていなくては。

 

 そうしていると、闇の中からひょいともう一人出てきた。

 

「じい、二人は――あ!!」

「あ!!」

「あー!!」

 

 美しい乙女のようだったが、その実声を発すれば男性なのだとわかる。

 銀色の長い髪と、仮面により隠された顔。

 彼をみたことがある者はそう多くないだろう。

 彼は蜥蜴人(リザードマン)兄弟にぶつかるように抱きついた。

 

「シャンダール!!ザーナン!!また久しぶりになっちゃったね!!」

「はは、ナインズ様!また大きくなったんじゃないですか!」

「よしてよ、シャンダール!僕はもう大人さ!」

「ナインズ様、変わらないですね!」

「ザーナンも!元気そうで良かったよ!久しぶりに泊まって行ってね。一太と二の丸も楽しみにしてたんだよ。クリスなんか昨日から久しぶりにこのコテージ使うんだとか言ってさぁ。張り切ってザリュースさん達のコテージ掃除してたよ」

「うわ、悪いことしました。クリスも構わないでいいのに」

「そう言うわけには行かないさ。僕が呼んだのに、汚いところになんか寝かせられないだろ」

 

 ナインズ殿下。

 多くはベールに包まれた神の子だが、想像の百倍は気安いただの青年という感じだった。

 マティアスは「まぁ、殿下って言っても花の十六歳か」と、何となく上に立ったような気持ちになった。彼らのやりとりを見ていた参拝者の多くがそう思ったのでは無いだろうか。

 

 ふと、コツンともう一つさらに足音が聞こえた。

 

 女神の降臨は息が詰まるような瞬間だった。

 守護神や神の子の降臨に湧き立った神殿内が、それまでとは全く違う熱気に包まれる。どんな氷よりも冷たい熱気だ。この狂気を爆発させることは許されない。皆自分を必死に律した。

 この街のすべての人間の信仰の的。かの人にはエ・ランテルの唯一神と言ってしまっては乱暴だが、そう思えてしまうほどに強い信仰が向けられている。

 

 泣き出す者もいた。

 神の子すら頭を下げ、女神は降り立った。

「皆揃ったね。どうぞ」

 闇へ促されると、「失礼いたします。陛下」「お世話になります。ありがとうございます」と兄弟が立ち上がる。

 光の神が再び闇の中へ姿を消すと、ザーナンが神の子へ道を譲った。

「殿下、どうぞ」

「殿下か。お前からは聞かない呼び名だな。固くならないでくれ。僕はただのナインズで十分なんだから」

「は。恐れ入ります」

 突然臣下と上位者という姿を見せ、ぞろぞろと一行は闇の中へ消えて行った。

 

 ものすごいものを見てしまった。

 マティアスの胸は痛いほどに鳴っていた。

 神の子という存在の威風、女神の脅威的な存在感、守護者達の洗練された全て。

 

 だが、マティアスは冷や汗をかいていた。

 

 女神を見て気が付いたいくつかの違和感。

 

「あ、あの女……偽物だ……」

 

 マティアスがそう思ったのは、女神のふりを平気ででき、息子や守護神すら欺くだけの力を手にする女の力。

 

 黙示録(アポカリプス)神話の転覆者(ミス・サブヴァーシブ)

 

 こんな聞いたこともない悍ましい力を、女神が持つわけがない。

 ざわめきが戻り始めた神殿で、マティアスは「あ、あ、ああぁ……!!」と情けない声を上げ、神官の下へ走った。

「め、め、女神!!女神が!!」

「良かったですね。三秒とはいえ滅多にないですよ」

「ち、違う!!違う!!あの女、あの女は――」

 そこまで言うと、周りの視線が針のようにマティアスに集まっていることに気がついた。

 マティアスは、まさか自分はこの世でただ一人女神の入れ替わりに気づいた者ではないかと思うと神殿を飛び出した。ここでは不敬者扱いされてしまう。

 自分の言葉の信憑性を分かってくれている者に相談しなくては。

 ブレインに話したい。ブレインなら聞いてくれるはず。そう思ったが、今日ブレインはリ・エスティーゼに行ってガゼフ・ストロノーフと飲むので帰らないと言っていた。

 冷や汗でびしょびしょになったマティアスは 誰に話すべきか分からないまま街を走った。

 

 そして、気が付いた時には冒険者組合の入り口にいた。

 外を掃いていた受付嬢が目をぱちくりさせ、マティアスの肩を叩いた。

「あなた、ブレント?マティアス・ブレントじゃない?――あぁ、やっぱり!久しぶりね!活躍は聞いてるわよ!あなたの世話になったって冒険者が――」

 懐かしい受付嬢が色々話すが、マティアスは目を血走らせて言った。

「あ、アインザックさんはいますか!?」

「い、いるけど……?」

 マティアスは裏口から冒険者組合の建物に入った。階段を駆け上がり、組合長の部屋に飛び込む。

 中ではおじさんからおじいさんになり始めているアインザックがポカリと口を開けていた。

「な、なんだ?ブレント君じゃないか。ブレイン君のところでよく働いてるとペテル君からよく話を――」

「あ、アインザックさん!!アインザックさん大変なんです!!」

「お、おぉ?」

 挨拶もなしにマティアスはアインザックの机に身を乗り出し、唾を飛ばしながら話し始めた。

「い、今!!今神殿で光の神を見たんです!!」

「はは、そういうことか。感動しただろう。私なんか光神陛下に仕事を――」

「や、やつは偽物です!!光神陛下は今とんでもない偽物に成り代わられてます!!」

「……はぁ?」

「あいつは、あいつは大災厄をもたらす――そう、きっと悪魔なんだ!!なのに、光神陛下のふりをして!!陛下ご本人は一体、一体どちらに!!皆騙されてて、守護神様達も騙されてて、神の子だって!!」

「ま、待て待て。落ち着きなさい。光神陛下に成り代わるほどの力を持つ悪魔なんかこの世にいるはずがないだろう。それに、守護神様も気付かないなんて……」

「本当なんです!!僕は見たんだ!!あの偽物が持つ職業(クラス)を!!奴は確かに黙示録(アポカリプス)神話の転覆者(ミス・サブヴァーシブ)を持ってた!!神話の転覆者(ミス・サブヴァーシブ)ですよ!?光神陛下はもう(しい)されてしまったんだ!!」

 

 アインザックはぽりぽりと頬をかいた後、紙を取り出してかつて王国文字と呼ばれたリ・エスティーゼ文字でメモをした。

 年配の者には公用文字は書けない。

「――で?他には何があったんだね」

「ほ、他?他に、他には……ええと……」

 あまりに焦りすぎて、他に何があったかよく覚えていない。

「ええと……ええと……」

 アインザックがコツ、コツ、とペンを鳴らした。

「た、確か……確か女教皇(ハイプリエステス)と……天の何かって……よく思い出せないです」

「……ご本人なんじゃないのかぁ?女教皇(ハイプリエステス)とか、如何にもあの癒しの力を持つ陛下のように感じるが」

「で、でも女神なのにおかしくないですか!?黙示録(アポカリプス)神話の転覆者(ミス・サブヴァーシブ)ですよね!?」

「私には難しいことは分からないが……。光が消えてしまうと闇だけになるんだろう。黙示録の権化じゃないのか?」

「そ、それは……。じゃあ、神話の転覆者(ミス・サブヴァーシブ)は……?」

「あー……神殿に聞いてみなさい。神王陛下を殺められるただ一人だとかそういうことじゃないのかね……。私は宗教家じゃないから確固としたことは分からない。少なくとも、私は光神陛下と何度もやりとりしてたし、若い子よりはお力をよくわかっているつもりだよ。ザイトルクワエなんか動いていたんだぞ?それを倒したのだって陛下なのを見ているんだ。そんな陛下が取って代わられるってのは……。あぁ、ブレント君も襲撃前生まれか」

「で、でも……ですけど……」

 確かに、何か邪悪なものを感じたのだ。数値や言葉ではない情報だからこそ伝わってくる、何かが。

「ふーむ、納得いかないわけだね。はい、神殿行った行った」

 

 追い出されるようにマティアスは冒険者組合を後にした。

 ブレインだったら、ぶった斬ってみようとか言ってくれたかもしれないのに。なんと言ってもブレインはセバス・チャンに師事したことがある。

 直接守護神に助けを求めてくれるかもしれないのに。

 

 マティアスはどこよりも気に入っていた街が途端に薄気味悪いものに感じ、ふらふらと下宿先のブレインの家に帰った。

 恐ろしくてたまらず、翌日ブレインが帰ってくるまで一睡もできなかった。

 

 そして、帰宅したブレインは話を聞くと、やはりポカンと口を開けた。

 

「……まぁ、セバス様のところ行ってみるか?」

「……はい」

 

 たった一晩でげっそりと痩けたマティアスを連れ、ブレインはセバスの屋敷に着いた。

 たまたまナザリックに戻ろうとしていた所だったセバスはぱちくりと目を瞬いた。

 

「……それで、フラミー様がもうこの世にいないのではないかと……?」

「はい……」

「……少しお待ちください」

 

 セバスは巻物(スクロール)を燃やし、どこかと連絡を取った。

 

+

 

「そうは言っても、強さとかを隠蔽しちゃうと威厳も一緒にゼロになっちゃいますしね〜」

 

 まんまとキャラクター育成情報を見られたフラミーはため息を吐いた。

「もうややこしいし、そいつ仕舞っちゃいます?」

 BARナザリックでパフェを食べていたアインズが視線を上げる。

 氷結牢獄にぶち込んでおけば誰だって脱走なんかできない。これまでも、たまにこう言ったことが起きたことはある。反政府主義のような男を捕まえてきて、肉塊に成り下がるまであれこれ実験したりだとか。

 ただ、フラミーは首を振った。

「それやったら、悪魔って認めたみたいじゃないですかぁ。セバスさんの弟子……なんとかグラウスさんやアインザックさんも聞いてるんですよぉ。しかも、ある程度社会的地位があるというか、エ・ランテルじゃ有名な人らしいですし」

「うーん。どうしたもんかなぁ」

 二人はしばし唸った。

 

 結局、こういう時に一番頼りになるのは大神殿――いや、ニグン・グリッド・ルーインとネイア・バラハだ。

 セバスは大神殿と連絡を取り合い、ニグンとネイアの派遣を受けた。

 

 マティアスはニグンとネイアに会えるまで二週間の時を待った。彼はずっと布団に包まって震えていたらしい。

 悪魔がじっと自分を見張っていると言って一時は幻覚まで見たほどだ。

 日に日に衰弱して行く姿に、ブレインはこのままでは死んでしまうのではないかと焦った。

 一度実家に帰るかと勧めたところ、女神を封印して成り代わるだけの悪魔相手では、どこに逃げても無駄だと泣いた。

 

 来る当日、マティアスはネイアとニグンを見た瞬間「伝道師(エヴァンジェリスト)!?俺を丸め込もうって言うのか!!あいつは本当に偽物なのに!!」とさらにパニックに陥った。

「ち、違います!ルーイン隊長と私は正しい知識を授けにきただけです!」

 ネイアはマティアスを落ち着かせようと必死になった。

 ブレインの広い庭には、ネイアとニグンが同乗してきた飛竜(ワイバーン)がいた。

 あまりの力の奔流を前に狂ってしまった者のために、普通はこうやってわざわざ大神殿からこの特別な二人が出張ってくるような事もない。

 それがまた、マティアスを丸め込もうと言う偽物の策略ではないかと恐ろしかった。

 だが、一日、二日、三日とネイア達の話を聞くうちに、マティアスはだんだんと「偽物じゃなかったのかも……」と思い始めた。

 圧倒的で、人智の及ぶところにいないのが神だということも少しづつ受け入れることができ始めた。

 

 ネイアの言葉はマティアスの心にどんどん染み込んだ。

 

 ネイア本人は自分が特殊技術を使って他者の思考を誘導――及び洗脳――しているとは認識していない。

 昔は彼女の言葉は心に傷がある者達にしか効果を発揮しなかったが、今ではほぼ万人を導き救えるようになってしまっている。彼女は無意識に我が子に話を聞かせる時、それを使って泣き止ませているらしい。周りは皆、おとなしい赤ん坊だと言ったが。

 そんな紫黒聖典は相変わらずデミウルゴス、及び知恵者二名のお気に入りだ。

 

 そうしてマティアスは四日後にはピカピカのお肌で大手を振って外に出てきたらしい。

 

 あんなに恐ろしいと思ったが全てが、自分を照らす光だったと。

 

 フラミーとアインズは解決に安堵した一方で、どんな言葉で自分たちが飾り立てられているかと思うと重たいため息を吐いたらしい。

 

 マティアスは元気に狂信者としてランクアップして今日もアングラウス道場で働いている。

 時折、聖典見習いもここで自分の成長が正しく行われているのか確認しに来るらしい。

 

 マティアスが自分のクラスを見られないのが、幸か不幸かは誰にもわからない。




そういえば蜥蜴人(リザードマン)兄弟、いましたね。

いやぁ、マティアス君多分二度と出てこないキャラだけど、ヤバめな力を持ってる人だったなぁ。
爪切りさんのところに厄介になってなかったらもう死んでいた…いや、氷結牢獄行きだったのでは…。

次回!明後日!!Re Lesson#6 首席のお手伝い
頑張れ!頑張れ!!!!


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Re Lesson#6 首席のお手伝い

 授業にも慣れ始めた頃、アガートは毎日ちょぴっとのオシャレをしてから通学した。

 田舎っぽいそばかす顔だが、新しくできた友達のレイ・ゲイリンと薄い色がつくリップクリームを買った。

 神都で流行りの色をさすだけで、アガートは気分上々だった。

 

「アガート!おはよっすー!」

「レイ〜!おはよー!!」

「ほーう!今日も決まってますなぁ!」

「レイも決まってますなぁ!」

 うわっはっはと二人で笑い、一緒に寮を出発する。

 今日は一限目から錬金術なので、ごちゃごちゃと荷物がたくさん必要だ。自分で手入れが必要なナイフや、手を拭くための綺麗なハンカチと汚れて良いタオルを何枚も。研究の時に着る白衣だって必要だ。

 レイの出身はブラックスケイル州だ。向こうにも魔導学院はあるが、神都の方を記念受験したらたまたま受かってしまったクチらしい。そう言う子はたまにいる。

 地元の魔導学院だって、街に一つあるわけではないのでどうせ寮暮らしをするなら神都やエ・ランテルだって同じだとミーハーに学校を選んでみたりする。アガートのように。

 

 あっという間に校門に着くと、若干の人集りがあった。

「あーりゃま。またっすか。一軍さん達は朝から群れて大変ですなぁ」

 人集りの中心には、当然のようにキュータがいた。

 校門前、道端でキュータはまた女の子と話していた。相手は私服で、黄金のような女の子だ。

(金髪だけど……オリビアちゃんじゃない)

 上品そうに小さく肩をゆすって笑うあの姿、間違いなく昔貴族と呼ばれた階級の娘だろう。

 親の格が違う気がする。

 

「……私も少し見てくる」

「え?ちょ、アガート?」

 

 ズンズン近付いて行き、人すらかき分けて顔を出す。

 よく見たら、門には一郎太がもたれかかってあくびをしていた。ふと、一郎太はアガートに気が付いた。

 キュータに「あ、いるよ。ね、ね、キュー様」と必死に教えてくれようとしている。一郎太は別にアガートのことを好きでも嫌いでもないと思っていたが、ナイスアシストだ。

 

 だが、キュータは全く気がつく様子がない。

「ねぇ、キュータ様。おかしいでしょ」

「ははは、クラリスはいつも面白い話を持ってくるね。クリスとリアちゃんにも聞かせてやりたいや」

 二人は昔馴染みのようで、キュータの雰囲気もいつもより砕けている気がした。

「うふふ。お呼びいただければご自宅にもまた伺いますわ。ね、それで、今日朝から御身をお待ちしてたのは、放課後にお茶――」

「――き、今日は!!」

 全てを言わせる前にアガートは声をあげていた。だって、この子が自宅に行くなんて言い出すから。

 一斉に視線が集まる。黄金のような女の子は朗らかな笑顔のままアガートを見たが、何か少し薄ら寒い気持ちになった。

 

「――や、ミリガン嬢。おはよう」

「お、おはよう。キュータ、今日、約束の雑貨屋さん」

 

 ずっと会えてなかった。と言うか、遠目に眺めては周りの人間の多さに圧倒されていた。レイと楽しく過ごせていたことも多少はあるが、一番は話しかけずらかった。

 

「うん、いいよ。約束していたね」

 アガートはパッと顔を明るくして、「うん!また放課後ね!!私待ってるから!!」と言って輪を離れるためにまた人をかき分けた。

 

「――うぉーい、おいおい。お前さん一体いつのまにあのド派手男子と知り合ってたんすか!!すっごー!しかも今日雑貨屋行くんすか!?」

 人の輪の外に戻ると、レイが鼻息を荒くしていた。

「ふふ、意外と私もやるでしょ」

「やるー!ま、でもあたしゃああ言う(・・・・)俺様みたいな奴苦手っすけどね。周りにキャーキャー言われて女子取っ替え引っ替えじゃん?」

「キュータは……キュータはそんなキャラじゃないよ」

「……まさか惚れてんすか?あんたみたいなのがって言っちゃ悪いけど、無理だと思うっすよー?ほんっとずっと女子といるじゃん。校内校外問わないぜぇ?」

「まぁそれはそうだけどさぁ……」

「それに、あの変な仮面よ。なーんか鼻に付くんすよねぇ。俺目立ってるゼェ!って感じするじゃん?」

「あの仮面やめると、キュータは多分もっと目立つと思うよ」

 アガートは初めて会った日に見てしまった、あの男も女も憧れるような、彫刻かドールのような顔を思い出す。

 本当に美しかった。

 目立ちたくないから顔を隠すと言う意味がよく分かる。

 何より――彼はきっと、あの変な仮面をしていても、心の本当の真ん中を見て付き合ってくれる友人が欲しいんだろう。

 

 人の輪の方を振り返ると、キュータはクラリスと呼んだ女の子と手を振り合って校舎の方へ――つまりアガートの方へ進んだ。

 

 放課後、またデートできる。

 今度は雑貨屋に行って、乗合馬車(バス)も展望席に座って、この間の服屋にも行って、それから、それから――。

 

 放課後の予定を話したいと思っていると、キュータにはまた別の女の子が話しかけた。

「ね、明日あの子と過ごすんなら、明後日は私たちと出かけない?」

「あぁ、ごめんね。流石に明後日は家で勉強しないと。家庭教師と約束してるんだ」

「え〜。つまんないなぁ」

「ははは、僕と過ごすより楽しいことなんてたくさんある気がするけどなぁ」

 

 アガートはキュータに道を譲ろうとすると、「また後でね」とキュータはわざわざアガートに手を振った。

 その後をついていく一郎太も、アガートに手を挙げてくれた。

 

 アガートの脳内は混乱とお花畑で大変なことになっていた。

 

「ア、ア、アガート!今首席のやつ女子の誘い断ってたっすよ!!しかも家庭教師と約束とか嘘っぽい!!」

「……やっぱり?」

「あんたって脈ありなんじゃないんすか!?」

「……やっぱり?」

「やるじゃん!!」

「……やっぱり?」

 

 自分は今、物語の真ん中にいるお姫様かもしれない。

 すっかり人波が引いたその場所で、アガートは我に帰ると、カバンの中にちゃんとリップクリームが入っていることを確認した。

「や……やばい……!私やばいね!!」

「やばいよ!首席特待生ゲットっすよ!!将来は魔導省幹部の奥様か!?」

 これだけ期待されるキュータだ。絶対将来もビッグになる。

 そうなったら、アガートは薬草屋ではなくて、もう家に入ってもいいかもしれない。あのキュータとの子ならびっくりするほど可愛いだろうし。いや、キュータの仕事の手伝いをするために一緒に魔導省に入るか?

「――って、ち、ちがうちがう!!」

 自分の思考を慌てて破棄する。

「将来とか奥様とか!早すぎるって!!」

「いーや!分からんすよ!!今日からのあんたの頑張り次第!!」

「……う、うん!!」

 アガートは赤く熱くなった頬を両手で押さえると、目を瞑って大きく頷いた。

 

 その日の授業は楽しみにしてた錬金術が二コマもあったのに、アガートは上の空だったせいで失敗ばかりで、同じ班の皆に「ミリガン頼むよ〜……」と呆れられていた。

 

 午後の授業は校舎裏の銀色草(ライトリーフ)に水をやり、羊草(バロメッツ)に持っていく。錬金術に生き物の心臓を使ったりする事もあるので、解剖の授業に使われるバロメッツは大事な教材だ。ただ、寒さが足りないので神都のバロメッツ達の毛はちっとも長くないし、ふかふかしてない。山羊みたいだった。

 皆で「農学科じゃないのに……」と文句を言いながら、アガートにとってはなんとも馴染み深い作業に没頭した。

 

 そうしていると、銀色草(ライトリーフ)畑の向こう、庭の真ん中に特進科の学生達が集まっていた。

 若い教師が向こうで『<浮遊(フローティング)>!』と言うと、生徒達の前に置かれていた木材が浮いた。

 皆いつの間にか作業の手を止めて特進科の様子を眺めていた。

 

『皆、<浮遊(フローティング)>は第一位階の<浮遊板(フローティングボード)>の感覚を掴むには絶好のゼロ位階生活魔法だよ!それどころか、第三位階の<飛行(フライ)>を使うなら、まずは物を浮かせるこの重力遮断魔法を覚えなきゃ始まらない!昨今では呪文の名前こそ違えど、生活魔法は後の位階魔法の力の一部を使うだけの弱体魔法じゃないかと言われている!だからこそ、生活魔法を使ったことがないような高位階修得者は理論を説明されるといとも簡単に生活魔法を使える!陛下方はその筆頭で、ご存知のない新しく開発された生活魔法でもなんでもお使いになるんだ!』

 向こうの教師の声が聞こえてくる。皆<浮遊板(フローティングボード)>があったら収穫したバロメッツも楽に運べるのにと苦笑した。

『――はい、やってみて!』

 

 特進科の生徒達はそれぞれ自分の杖を取り出した。国営小学校(プライマリースクール)時代に手に入れた短杖(ワンド)を使っている者もいれば、流石特進科と言うべきか、なにやらお洒落な杖を持っている者もいる。

『スズキ!見てろ!!』

 褐色の肌の男子が叫ぶ。人の後ろの方にいたらしいキュータが前に出てきて『ワルワラ、頑張れ〜!』と能天気に拍手していた。

 

「あ、キュータ君」

 ふと、アガートの隣で男子がつぶやいた。

「――あなた、キュータを知ってるの?」

「ん?うん。僕は神都第一小だったから。……えーと、ミリガンさんだっけ」

「うん。私アガート・ミリガン。ごめん、あなたの名前分からないかも……」

「僕はロラン・オベーヌ・アギヨンだよ。同じ班になったことないもんね」

 二人が適当に挨拶を交わしてる間に、ワルワラと呼ばれた男子は軽々と木材を浮かばせていた。

 彼の持つ短杖(ワンド)は砂漠の夜のような群青色で、持ち手の一番お尻のところに魔石が付いていた。本体には金で太陽とフンコロガシが描かれている。異国情緒に思わずそちらに目が吸い込まれた。

 

『どーだ!スズキ、お前も<浮遊板(フローティングボード)>くらい使えるようにならなきゃだめだ!教えてやるからやってみろ!!』

『うーん、まぁそうだよね。生活魔法だしね』

 キュータも懐から短杖(ワンド)を取り出した。

 こちらは銀色の本体の先端に細長い魔石が付いていた。細かな装飾が石を丁寧に囲み、朝露が弾けた一瞬を切り取ってきたような、芸術的な一品だった。

 

【挿絵表示】

 

「……キュータ大丈夫かな……」

 ロランはアガートの隣でごくりと喉を鳴らした。

「お、旦那もやるんすね」

 いつの間にかレイが横から顔を出す。ロランが「旦那?」と首を傾げたが、アガートはキュータを見守った。否定したくなかったから。

 

 キュータは目を閉じてフー……と息を吐いた。そして、目を開いた瞬間、今まで気がつきもしなかった派手なプラチナ色の腕輪が光を漏らした。

『――零位階ぐらい許せよ!<浮遊(フローティング)>!!』

 そう言う言葉遣いもするのかと、アガートはなぜかドキンと胸が高鳴った。

 キュータの前で、木材はのそ〜りと何とも言えない雰囲気で浮かび上がった。木材の角の一片が床からギリギリ数センチというような感じだし、非常に不安定だ。ワルワラの時のようなシャキッとした格好いい浮かび方じゃない。

 あのすごい意気込みからは想像できない格好悪さだが、何故だか、それがとても彼らしかった。

 後ろで一郎太とカインが『お!キュー様やった!!』『浮いてる浮いてる!』と喜んでいるが、他に拍手をするようなのはセイレーンの女の子くらいで、特進科の皆が何とも言えない笑いを漏らしていた。

 

「あちゃー。キュータ君こりゃまた苦労するなぁ。――キュータ君、いいぞー!」

 ロランが手を振ると、顔は見えないがキュータは照れ臭いような情けないような雰囲気で手を振り返した。

 校舎の上の方からも『キュータさん!立派でしてよー!!』と女の子が叫ぶ。あそこにいるのは信仰科だろうか?先ほどまで聖歌が聞こえていた。

 

 キュータは特進科の女子達にも慰められたり、男子に茶化されたりしながら笑っていた。

「……あれで首席って、やっぱり実家の太さなんすかねえ。それとも特進科の実技試験は微妙でもとりあえず数使えればいい?」

 レイが言うと、アガートは何とも言い返せず、頬をかいた。

「試験で山が当たっただけとか本人も言ってたけど、本当かもね」

「山当てるとか家庭教師超有能。ある意味実家の太さの大勝利っす。となると、試験問題事前入手してたりして」

「流石にそれはないんじゃない?」

「でも噂じゃ実技だって満点だったんだし、あれで事前情報なしで首席になるってあるんすかねぇ?」

 そう言われればそうだ。何の魔法が出るのか先に知ってそればかり練習したかもしれない。まぁ、それで出来るならやはり優秀だが。

 ――どの魔法もあの情けない雰囲気のレベルばかりかもしれないなとアガートは笑った。

「――これ!お主ら!特進科見てないで手を動かすのです!バロメッツちゃん達ははらぺこですよ!!」

 蛾身人(ゾーンモス)の教師の声に皆ばらばらと作業に戻っていく。特進科の生徒達も、キュータに注目するのをやめてそれぞれ自分の木材を浮かせようと杖をふるった。

 

 アガートも戻ろう、と思ったところで一郎太の声がした。

『あ!キュー様、あいつもいますよ!ミリガン!!』

『ん?うん。いるよね』

『<浮遊板(フローティングボード)>で荷物途中まで運んであげましょう!!』

 アガートは「え?」と足を止めた。

 キュータが『で、でも一太……』と悩んでいる。まるでその仕草は好きな子に優しくしたくてもできないみたいで、朝にレイの言っていた脈ありと言う言葉が脳内を百回点滅する。

『じゃあ大事に持っててよ?今はクレント先生だけで、バイス先生もパラダイン様もいないんだから』

『へい!任せてください!』

『やれやれ、どういう風の吹き回しなんだか……』

『何だ?スズキ、<浮遊板(フローティングボード)>やってみんのか?』とワルワラは自分が浮かせている木材に座っていた。

『うん、一回だけね。――はぁ。一郎太、頼むぞ』

『は』

 その腕からは美しい腕輪が抜かれ、一郎太の手の上に渡された。

 

 鳥が一斉に飛び立った。

 

 これは、何?

 アガートは何か得体の知れない力に体が押されているような気がした。

 作業に戻ろうとしていた皆の足がまた止まる。何か大きな存在を感じて、視線が自然とキュータに集まる。

 

『できると良いけど……<浮遊板(フローティングボード)>』

 キュータの前に、半透明の板がはっきりと現れた。板の大きさや最大積載重量は術者の魔力に左右される。

 きちんと厚みのある板は、とても頑丈そうだった。

 向こうの教師が『ほう。君は首席の子か。名前は――スズキ……。キュータ・スズキ……。スズキ……』と感心しているようだった。

 女の子達が歓声を上げ、男子も『なんだ、やっぱり首席じゃん』と肩をすくめた。

『一郎太、もういいぞ』

 キュータが差し出した腕に、一郎太がそうっと腕輪を戻す。

『お疲れ様でした』

『別に。で、一太さぁ。これ僕についてくるんだけど……』

『キュー様は魔法使えてんだし特待生なんだから多少変なことしてても文句言われないから!ほら、早く!ミリガンとこ行って!!俺も少ししたら行くから!!』

『うーん、なんだかなぁ……』

 <浮遊板(フローティング・ボード)>を従えて、王子様が来る。

 

 アガートは自分のローブのすそに付く泥をはたいてから、向かってきてくれるキュータへ走った。

「キ、キュータ!」

「や。また会ったね。次は放課後のつもりだったんだけど、ごめんね」

「いいよ!むしろ、う、嬉しい!」

「そう?一太がさぁ。ミリガン嬢手伝えってうるさくて」

「そ、そっか。一郎太って優しいね」

「うん。一太はほんとに優しいよね。で?これって何やってるの?」

 

 キュータが見渡す。アガートが説明しようとするとロランが駆け寄った。

「キュータくーん!」

「あ、ロラン!さっきはありがとねぇ」

「ううん。ほんとによく出来てたよ」

 キュータはやっぱり照れくさいような雰囲気で笑った。正直、よく出来たのはこっちの<浮遊板(フローティング・ボード)>のような気がするが。これなら首席も納得だ。

「ロラン、これ何やってるの?」

「今からあそこのバロメッツに銀色草(ライトリーフ)食べさせにいくとこだよ。よく育ったやつは収穫して、この後の解剖の授業に使うんだ」

 ロランがペラペラ説明すると、アガートは説明(それ)私の仕事なのにと思った。

「そっか。それは重たそうだね。あんまり長くはいられないだろうから、バロメッツ運びの方手伝うよ」

「ありがと!キュータ君、流石首席って感じするねぇ」

「えぇ、やだなぁ。僕あんまり目立ちたくないんだけど」

 キュータが肩をすくめ、ロランは笑った。

「分かってるよ。だいじょぶだいじょぶ。行こ」

 男子二人でとことこ歩き始めてしまい、キュータは他の生徒達と、この授業の蛾身人(ゾーンモス)の教師に歓迎された。

 

「首席ー!すごいじゃん!」

「助かるぞぇ、スズキ君」

「これどのくらい乗る?三匹乗るかな?」

「重いし二匹くらいじゃないの?」

「そうそう。魔術師組合の浮遊板輸送(フローティングタクシー)でも人間二人か三人くらいしか載せられないでしょ?」

 浮遊板輸送(フローティングタクシー)は術者の技量でなれる人数が変わるため、利用前におおよそ何人まで乗れるか聞いて乗る、行き先まで行ってくれる乗合馬車(バス)より便利で高価な移動手段だ。時には先払いで大急ぎの物だけを運んでもらう事もある。

 

 どんどん人に囲まれていってしまう。

 アガートを手伝うように一郎太は言ってくれてたのに。

 ぽつんとそこに取り残されてると、「ミリガン!」といつの間にか横にいた一郎太が言った。

「い、一郎太」

「早く行くぞ!キュー様、ロランと行っちゃったじゃんか!」

「で、でも――」

「アガート!早く行くんすよ!」

 レイにも背を押され、アガートは一郎太と一緒にやっとキュータを追いかけた。

 

 男子達がバロメッツを<浮遊板(フローティング・ボード)>の上にたっぷりしならせ、手分けして幹をギコギコと切っていく。

 収穫できたバロメッツは「んめ」と鳴き声をあげて板の上に横になった。バロメッツには足があるが、その生涯で一度も走ったことがないので逃げて行ったりはしない。というか、これは擬態している植物の実に過ぎないので怖いとか痛いとかそういう感覚もないらしい。

 じゃあ次ね、と隣の株のよく育ったバロメッツをしならせる。

 女子が幹にノコギリを当てると、女子は「私、やった事ない……」と呟いた。

「ん?そっか。まずは少し切り込みを入れて。――そうそう、その後に押して切るんだよ。引く時は力を抜いて。大したことないでしょ」

 キュータが女子の手に手を重ねて一緒に切ってやる。さっき先生もそう説明してくれたのに。

 キャーと小さな黄色い歓声が女子達から響くと、教師が「はぁ。お主らこれから百回はこれをやるんだからな!首席が毎度来てくれるわけじゃないぞぇ!ほれ!青春してないで収穫収穫!!」と急かす。

 全くその通りだ。

「じゃ、僕あっちも手伝ってくるから」

「うん!ありがとね!!あ、私ミルリル!」

「僕はキュータ・スズキ。ミルリル、上手だったよ」

 

 アガートはキュータの生徒達とのやりとりをムッスリ顔で眺めた。

 キュータは次はやはり同じように男子の手を取って「上手だよ。初めてには感じないな」と笑いかけて手伝ってやっていた。

「……はぁ。キュー様あんなことしてる場合じゃないだろうがよぉ」

 一郎太はやきもきすると、バロメッツの方へ駆けて行った。一郎太もあちこちで収穫を手伝い、バロメッツを軽々二匹持ち上げて<浮遊板(フローティング・ボード)>に詰む。バロメッツは重いもので百六十キロもあるというのに。

 十匹収穫が終わり、どっさりこんもり羊だらけになると、教師は「おぉ……。すごいのう。こんなに乗るなんて……。首席――いや、スズキ君。本当に感心したぞぇ」と目を見張っていた。

 

 こんなに立派な<浮遊板(フローティング・ボード)>が作れるのに、入学式の日はなんで荷物を手に持っていたんだろうとアガートは思った。

「――アガート!!首席、羊持っていっちゃうっすよ!教室まで案内しなきゃ!!」

「あ、そ、そっか!ありがと、レイ!」

 ロランと二人でまた向かってしまおうとする背を慌てて追いかける。一郎太も一緒に追いかける。

 残る生徒達は後片付けやら、株の手当てやら、まだ小さいバロメッツに草を与えるやらがある。

 

 四人で教室に向かう途中、一郎太が「ロラン、ロラン」と後ろで手招いた。

 自然と前をキュータとアガートが二人で歩く格好になると、アガートはちらりと仮面のキュータを見上げた。

「ね、手伝ってくれてありがと」

「ううん。気にしないでいいよ。――学校って、ほんといいもんだね」

 キュータはうんと伸びると、仮面を外した。

 ふぅ、と息を吐いて前髪を整える。やはり、信じられないほど美しい顔立ちをしていた。

「……はずしていいの?」

「ん?君はもう僕の顔見てるし、ロランと一太は毎日見てたしね」

「そっか」

 素顔を晒してくれる特別な一人になれている。キュータの素顔は見れば見るほど素敵だった。

 アガートは嬉しくて「ふふ、ふふふ」と何度も笑いを漏らした。

「――え!?あのキュータ君が!?」

 ふとロランの大きな声に二人で振り返った。

 一郎太は「しー!!」とそれを宥め、キュータは「僕が?」と首を傾げていた。

「い、いや!何でもないよ!それより、キュータ君仮面は――あ!そうか!こっちはほんと気にしないで!!」

「う、うん?」

 キュータがぽりぽりと頬をかく。

 そうこうしている内に教室にはすぐについてしまった。こう言う搬入もあるので今日使う実験室は一階だ。

 教室の中には準備をする生徒達が何人かいるので、キュータは仮面を付け直した。

「よし、と」

 

 扉をノックして入ると、皆「え?」とキュータを見た。

 だから、アガートはコホンと咳払いをした。

「キュータが――特進科の首席が手伝ってくれたよ。いっぺんに全部持って来てくれた」

「これ下ろしたら、僕はすぐに行くんで」

 実験室の準備係はそれぞれ礼を言い、羊を下ろした。

 

「じゃ、僕達はこれで。ロランもミリガン嬢もまたね」

「うん……。キュータ、またね。ほんとにありがとう」

「ありがと!キュータ君!!また絶対手伝ってくれるよね!!絶対約束だよ!!」

「う、うん。ロランがそこまで言うなら。それ、重いもんね」

 

 キュータは一郎太と去って行った。

 

 その後、蛾身人(ゾーンモス)の教師が残りの皆を連れて戻ってくると、何事もなかったかのように授業は始まった。

 

 アガートはやはり上の空だった。




王子様極まりすぎてますねぇ
しかし一郎太、本当にナインズ君の相手そいつでいいんか(そいつ
皆さん杖に個性があっていいですね!でもナイ君、それ目立つんとちゃうか〜!

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次回!明後日!!
Re Lesson#7 恋煩い
いやー、煩うよね


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Re Lesson#7 恋煩い

「一郎太君、どうだったんだい!!」

「キュー様、仮面まで取ってミリガンと話してた!!」

「え!それは!!」

 

 カインと、戻ってきた一郎太は大盛り上がりだった。

 ナインズは腕輪をした抑制状態で<浮遊(フローティング)>を一生懸命練習していた。小さな木材がふよふよ〜と浮かぶ。風が吹いたら吹き飛ばされて落っこちそうだ。

「まさかキュータ様の女の子の趣味がああ言うタイプだったとはね」

「そりゃ今まで全然ダメだったわけだよなぁ!意外だよなぁ!」

「本当に!ちょっと芋っぽいっていうか、田舎くさいようなね。ある意味純朴に感じるのかな?そばかす顔だしね。おっと。もしお妃にでもなったら不敬になってしまうね」

「へへ。あんまり洗練されてない方がいいんだな!」

 この二人、青春エンジョイ勢だった。

 

 一方ナインズはまたワルワラに絡まれた。

「スズキ!あんなすごい<浮遊板(フローティング・ボード)>使えるくせに、なんで使えないなんて言ってたんだよ!」

「つ、使えたり使えなかったりなんだよ。僕ってそういう要領悪くって。えーと、なんだっけ。星のめぐりとか、なんかあるんだよね」

「本当だろうなぁ?」

「ほ、ほんと。魔力のちょうど良い量がなんか難しいよね。ははは」

「……魔法の感覚が魔人(ジニー)の混血とは違うのか?お前、厄介だな?」

「ま、まぁね〜」

 ワルワラは勝手に納得した。

 

 授業はどんどん進み、昼休みになるとワルワラに誘われて学食に行った。

 ナインズは学食をまだ使っていなかったので物珍しそうに辺りを見渡した。

「うわ〜。なんか懐かしい雰囲気だねぇ」

「そうか?」

 小学生の間、一年の頃はよく学食で皆で食べたが、学年が上がれば上がるほど、応接室で友達たちと食事をすることが圧倒的に多くなっていた。

 ある意味、ナインズにとって学食は割と憧れの場所かも知れない。

 小学生の頃は分別のつかない子供も多く、仮面を外すとサインだの何だのと言う子も多くて息苦しいこともあったが、流石にこの年になれば大丈夫だろう。

 事実、神都生まれ神都育ちの子達は無意味にナインズがナインズであるとは言いふらしていないようだったから。たまに廊下で挨拶をするが、子供の頃よりもっと自然で、優しい関係だった。

 言いふらしたら誰が言ったのか神に見破られると思っているのもあるかも知れない。

 

 各々食事を受け取り、良いところを探す。小学校の頃と違って学年が入り乱れていた。

 

 空いている席に適当に座ると、ナインズは仮面を少し浮かせ、念の為顎の下からフォークをいれてみた。

「うーん、ダメか」

「キュー様またそれ試してるの?」

「子供の頃より上手くできるかと思って」

「無理でしょー」

 二人は笑い、ナインズは大人しく仮面を外すことにした。

 向かいに座るカインも懐かしいものを見る目で眺めた。

 ワルワラはとりあえずお茶をすすりながら手元のノートを開いていた。実技の間に適当にメモしたことを、要点をまとめてノートに写そうというのだ。真面目だった。

 

「キュー様、それ外したら俺が持っといてあげますよ」

「別に置いといても良いんだけどね」

「なくなりますよぉ?な、カイン」

「ちょ、取ったりしないよ」

「はははは」

 もう何年も前の事を笑って話せる友達がいるというのは良いものだ。ワルワラはさっぱりした性格で、自分の付いていけない話がある事を一つも気に留める様子はない。

 ナインズは仮面を外すと、一郎太に渡した。

「うん。やっぱりない方がいいね。別に視界が狭くなったりするわけじゃないけどさ」

「本当ですね」

 

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「ん?スズキも流石に飯の時は仮面――ん?」

 ワルワラはノートから顔をあげ、繁々とナインズを見た。

「……な、なに?僕、あんまり見られるの得意じゃないんだけど」

「んー?」

 ナインズは、やっぱり学食は早かったかなぁと思いながら、フォークを咥える。どことなく上目遣いでワルワラを見上げると、ワルワラはドッと笑い声を上げた。

「お前!!女みたいな顔してるな!!」

「な、なんだよぉ……」

「その潤んだ目!!綺麗な顔してるよお姫様!!」

「おい、ワルワラ流石に不敬だぞ」

「ははは!はははは!首席は一体何を隠してるのかと思ったら、その絵みたいな面だったか!!」

 想像とは違った笑いに、ナインズも一郎太もカインも、ある意味ホッとしていた。

 ナインズがこうして髪を伸ばしているのは、髪を切ると随分と父に雰囲気が似てしまう気がしているからと言う側面もある。子供の頃のおかっぱ頭に慣れすぎていたのもあるが。

 髪の毛で随分印象が変わる。皆、父王の人としての姿はお写真の小さな静止画の中でしか見たことがないので、ナインズが思っていたよりも顔だけでは気付かれにくいのかもしれない。神殿に置かれている像はどれも骸骨だ。

 神の子がいると最初から噂になっていた小学校の時との違いというのも実感した。

 

「ワルワラだって綺麗な顔してんじゃん。羨ましいよ。男らしいのにさ」

 ナインズが言うと、ワルワラはニッと笑った。

「お前、ちょっとひょろひょろしてるもんな。スルターン小国じゃ、男も女もこんな風に上半身を隠し切ったりはしないぜ。当然ズボンは履くが、皆自慢の肉体の上に直接金銀財宝を着けるんだ。日焼け防止のために遮光ローブを羽織ることはよくあるけどな」

「へぇ〜。今度見せてよ。カッコ良さそう」

「良いぜ。夏になったらスルターン小国にも行こう。案内してやるよ」

「わ、外国かぁ!そう言うの良いねぇ。ふふ、学園生活学園生活」

 ナインズは嬉しそうに食事を進めた。

 

 そうしていると、ワルワラの背後にクレント教諭が立って、じっとナインズを見ていることに気がついた。

「――んと、クレント先生、何か?」

「――あ、いや。スズキ君、つい懐かしいと思ってね」

「ごめんなさい。僕たち、授業じゃないところで……どこかで会ってましたっけ」

 ナインズが覚えていないだけで幼い頃に催されていた誕生会などで会っただろうか。それとも、たまに第六階層で行われている支配者たちのお茶会にいたか。

 一生懸命考えたが、ナインズの記憶の中にジーダ・クレント・ニス・ティアレフの顔は出てこなかった。

 訝しむような顔をしていただろうか。

 

 クレント教諭は笑った。

「いや。何でもないよ。昔、君のお父上を馴れ馴れしくスズキと呼ばせて頂いた事をつい思い出した」

「――あ、そっか。そうでしたね」

「そう言うことさ。じゃあ、午後も励みたまえ。私は午後は師と魔導省に戻らなきゃいけない」

「はい、ありがとうございます」

「ふふ、痒いな」

 彼の師――フールーダは女の高弟と話をしながらクレント教諭を待っているようだった。

「それじゃ」と言い残し、彼はナインズのそばを立ち去って行った。

 

 その様子を見ていたワルワラは実につまらなそうだ。

「スズキ、そう言うことか」

「ど、どゆこと?」

「お前の父親は魔導学院出の魔導省勤めか」

「んー、そんなとこ」

「ち。将来を約束されたエリート二世だな」

「……どうだろうねぇ。僕は将来、何になるんだろう」

 ナインズがため息混じりにフォークを置くと、一郎太は心配そうな顔をした。

「ナ――キュー様、何かなりたいものがあるんですか?」

「いいや。僕は何にもなりたいと思えていないよ。しかしならなければならない目標とやらなくてはいけない事は見えているつもりではいる。だがな、頂が高くて、たまに目眩を覚えるよ」

「……あんまり気負わない方がよろしいかと思いますよ。御身がされたいと思うことであれば、お父上とお母上であればお許しくださいます。もし、今のその目標を途中で放棄しても、笑ってよしと言ってくださいます」

「……実は私もそうだろうと思う。だからこそ、私は挫けてはいけないんだとも思う」

 ナインズが言うと、カインは食べていた手を止め深々と頭を下げた。

「キュータ様、どうぞもう少し放埒であってください。少なくとも、今のあなたはそれを許されます」

「……二人とも気を使わせたな。やれるだけやってみるよ。普通にしてくれ」

「へーい」

「はい」

 ワルワラは三人の様子は少し尋常じゃない気がした。とにかく、何か地雷を踏んだことは確かだ。

 

「親がお偉方で大変な事もあるんだな。勝手な事を言って悪かったよ。放埒さで言えば俺はかなり放埒だから、俺といれば大抵の事は馬鹿馬鹿しく思えるぜ?教えてやるよ」

「それは期待しちゃうなぁ」

 ナインズがへらりと笑うと皆安心した。

 

+

 

 アガートは授業が終わると、最近持ち歩くようになった小さな手鏡を取り出してせっせと前髪を整えた。

 リップクリームを塗って、本当にこれで大丈夫か何度も確認する。

「レイ!どうかな!」

「あんたなりの百点!!」

「私なりかーい!」

 もっと良い褒め言葉はないのだろうか。血に汚れた白衣を丁寧にたたみ、カバンにいれる。なぜこう言う時に限って荷物が多いのだろう。

 皆帰り支度を始め、教室内は雑然としていた。

 

 ふと、クラスのマドンナのミルリルの声がした。

「今日私たち学食でスズキ君の顔見ちゃったんだぁ!」

 アガートの耳が象のように大きくなる。自分だけが知るあの顔を見られてしまったかと思うと、複雑な気持ちになった。

「えー!どうだった?ガリ勉っぽかった?」

「ううん、びっくりするくらいイケメンだった!」

「うそー!ミルリルが言うほど!?」

「うん!!本当にびっくりした!!明日は皆で学食行こうよ!見る価値しかない!!」

 キャピってる。

 アガートも彼の顔は素晴らしいと思うが、そんな事を声高に宣言したりするのはどうかと思う。特に、目立ちたくないと言っているのに勝手に喧伝されて可哀想だ。

 

 どんどん支度を進めていると、レイは「なるほどなるほど」と頷いていた。

「仮面を取ったらもっと目立つって、ああいうことっすか」

「そゆこと。あいつの顔は本当に信じらんないくらい綺麗なの」

「明日から学食いく?」

「……行く」

「じゃなきゃ悪い虫が付きそうっすもんね」

「うん」

 よっこらせ、と二人で荷物を背負い込む。

 

 ちょうどその時、コンコンコン、と教室の後方の扉の縁がノックされた。

 騒めいていた教室内で皆が振り返る。そこにはキュータがいた。

 ミルリルが飛び上がり、キュータへ駆けた。

「スズキ君!どしたの!!」

「やぁミルリル。あれから手は痛くなってない?」

「う、うん!平気よ!ほら、柔らかいまんま!」

 ミルリルは触ってくれと言わんばかりに両手をキュータに見せた。キュータはミルリルの手を取って傷がない様子を確認すると笑った。

「良かった。初めて鋸なんか使うとね。こう言う綺麗な手は痛くしやすいから気になってたんだ。でも、きっと少しづつ皮膚が厚くなっていくからね」

「……もしかして私のために来てくれた?」

 可愛すぎる仕草でキュータを見上げる。キュータは「いや?」とあっけらかんと言い放った。

「今日はミリガン嬢を迎えに」

「……ミリガンさん?」

「あ、いたいた。ミリガン嬢、行く?」

「行く!!」

 アガートはレイに挨拶する事も忘れて扉へダッシュした。

 

「君は入学式じゃなくても随分と荷物が多いんだねぇ。今日行ったらまた疲れるんじゃない?」

「いいの。薬学科だからいつもだもの」

 

 ミルリル含め、皆の目が集まる。アガートは「さ、行くよ!」と颯爽と扉を潜った。が、キュータは動かなかった。

「友達は良いの?」

「ん?」

「あの子、一緒にいたけど。おーい、君も行くんじゃないの?」

 キュータが声をかける先にはレイがいた。「ヤバ」と声をあげて鞄で顔を隠していた。

 これはデートなのではと思っているのに、レイがいては――「ゲイリンさんも行くんだよね!二人いつも一緒だもん!!」ミルリルがわざわざレイの腕を掴んで扉まで連れてきた。

 

 この女、オリビアやクラリスとかいう女子とは違って平気で邪魔をするらしい。

「あー……えーと、レイ・ゲイリンっす」

「よろしく、僕はキュータ・スズキ。あっちは一郎太」

 と、示す先には一郎太もいた。

「あちゃー!」と顔に手を当てていた。

 本当にあちゃーだよ。

 

 人数も四人になると、「スズキ君、いってらっしゃーい!」とミルリルが手を振った。キュータも平気な顔で手を振りかえしている。

 四人は出発した。

 

「……キュータ、全員にそんな真似してんの?」

 思わずアガートの口から不満が漏れた。

「ん?そんな真似って?」

「女の子の手触ったり手振ったりさ。そんな事ばっかりしてると、いつか泣かれるよ」

「え……泣かれるの?」

 キュータが目を白黒させている。アガートはやってしまったと言ってから思った。

 

「えーと!!スズキさんは神都育ちなんすよね!!」

「あ、うん。そんな所だよ。ゲイリン嬢は?」

「自分はレイでいいっす!私はブラックスケイル州のイサクションから!」

「黒き湖に近い方だね」

「へい、人も少ない田舎っすよ。私が生まれた時にはもう何ともなかったけど、昔は酷く戦争してたとか、悪魔が出たとかで随分人口が減ったらしいっす。もーうちの方じゃ、イサクション出身って聞いたら皆親戚かーなんつったりして」

 なはなは、と気まずそうにレイが笑う。アガートの失態をなんとか水に流そうと必死になってくれている。キュータも釣られるように笑ってくれた。

 

「僕も、どちらかと言うと本当はそう言うところの育ちって言えるかもしれないな」

「なはは――へ?神都育ちなのに?」

「僕は神都と、もっと人の少ないところで育ってるんだ。一郎太なんか、僕から見たら本当親戚か兄弟だよ」

 一郎太は軽く手を挙げて応えるに留め、特に何も言わなかった。

「そーなんすか?」

「うん、落ち着くよね。でも、やっぱり人が多いところも好きだな。ワクワクするよ。君ともこうやって話せたし、色んな話を聞けるしね。本とか、紙の上にはないことがたくさんあるって思わされる。都会が好きな愚かな若者だって、きっと大人は思うんだろうけどさ」

「……大人なんか、関係ないすよ。私も、田舎も落ち着いて好きだけど、キラキラして人に溢れる神都ってやっぱりワクワクするっす」

「だよねぇ」

「はいっす!」

 

 四人は校門を出ると、キュータの向かう方に合わせるように雑貨屋に向かった。

 自然とキュータと一郎太が前を歩き、二人で話し始めてしまうと、レイはアガートの隣を歩いた。

「本当、最初に思ったより首席も悪いやつじゃなさそっすね」

 あんなにチャラチャラしてそうだのなんだのと言っていたくせに、爆速の手のひら返しだった。

「……はぁ。こうやって人の心集めていくわけだね。キュータって」

「いやー、スクールカーストトップって感じした。バロメッツちゃん達運ぶの手伝ってくれてる時もやっぱり別世界の野郎かなと思ってたんすけど……なんか共感してくれたりしてまじですごい。なんかもう友達って思わされたっす」

「惚れないでくれぇ。もうこれ以上やめてくれぇ……」

「いや……自分には不相応っすから。あんたさんもだけど」

 アガートが頭を抱えていると、一郎太とキュータが先で立ち止まって待ってくれていた。

 

 一行は雑貨屋に着いた。

「いらっしゃい。――って、こりゃ!ぼっちゃま!?そのお面、ぼっちゃまじゃないですか!?いらっしゃいませ!!お久しぶりですね!!」

 雑貨屋の店主が嬉しそうにカウンターの向こうから出てきた。親はよほど顔が広い豪商か何かなのだろう。

「お久しぶりです、おじさん。いつもの飴四つください」

「はいはい、いやー懐かしいですねえ。三年ぶりかな?イシューは今もよく来ますよ!」

「ははは。本当に?こないだ入学式の後に皆で昼ごはん食べた時は飴咥えてなかったけどな」

「ぼっちゃまの前じゃしおらしくしてんですよ。今もじいさんの設計事務所行く前に寄って飴買ってって、椅子の上にあぐらいて飴咥えながら図面見てるってんだから呆れたもんだ。とは言え、男まさりだけどね、奴も男ってわけじゃないんですよ」

「男まさりねぇ。僕は男だ女だって参ったよ。同じ生き物じゃダメ?うちの母様もそうだけどさ、女も男もないって思っちゃうけど」

 

 母親が女も男もないとはどう言う事だろう。それは昔馴染みらしい店主も思ったらしい。

 

「うーん?ま、そりゃダメでしょう。なんて、ぼっちゃまに説教なんかしちゃ怒られますかね?」

「いいや。何でも言ってほしい。ついさっきも、女の子に手を振ったりしてると泣かれるって向こうの子に怒られたとこ。でも、それってどゆこと?」

「ほ?はは。そりゃ、少しづつ分かって行くもんですよ。まぁ、ぼっちゃまなら百人や二百人くらい許されると思いますけどね。とは言え大事にした方がいいですよ。本音を言ってくれる人は」

「よく分かんないけどそう言うものなんだろうと僕も思う。こんなこと言われたのは初めてだったし。うーん……考えてみたら、この仮面も変って言われたし、変質者とも言われたな」

「そ、それは……参りましたね?」

「あぁ、参った。新しい文化圏の新しい価値観かね?」

 キュータがぼつぼつと愚痴を言いながら飴を受け取ると、アガートは顔を赤くして小さくなった。

「……あんたそんなことまでスズキさんに言ってたわけっすか」

「言った……」

「面白がってもらえるうちに直さにゃただのうざいやつになるよ」

「反省してます……」

 

 アガートは誤魔化すように指先をちょんちょんと合わせた。

「ん、二人ともあげる」

 キュータはそれぞれ飴を差し出してくれた。

 すぐに受け取ろうとすると「あ」とキュータは飴を高くして、渡してはくれなかった。

「……飴あげるなんて、女の子は泣く?」

 アガートは私以外の女の子と言わなかった事を後悔した。

「す、少なくとも私は泣かないから」

「飴は泣かないんだね。レイは?」

「自分も泣かないっす。でも、一応聞きますけどスズキさんは彼女さんとかいないすよね?」

「いないぜ、キュー様にそんなの。それに、正直言えばそんな事で泣くような奴はキュー様の隣は無理かもなぁ」

 飴を舐める一郎太が横から口を出す。アガートは味方になってくれていた一郎太が突然距離を取ってきたような気がして、悲しくなった。自分のせいだが。

 

「ミリガン嬢、気にしてるの?」

「……ちょっとだけね」

「気にしないでいいよ。君は君の思うようにしててくれれば。皆同じじゃゴーレムと変わらないし」

「キュータぁ。ふぁ〜ん、ごめ〜ん」

 アガートが思いがけずポロポロ泣き出すと、キュータはギョッとしたのか肩が跳ねた。

「っい!?な、なんで!?どしたの!?」

「キュー様、女子泣かしてやんの。イオリエル以来じゃん」

「イオリを泣かせたのは一太だろ――じゃなくて、ミリガン嬢。落ち着いて。落ち着いて」

 背中をさすられると、レイがにたにたしながらサムズアップしているのが向こうに見えた。

「キュータ、私って私でいいのかなぁ」

「あ、あぁ。もちろん。君には君にしかなれないんだから。当然だろ……?」

「ありがとぉ〜」

 ひっぅ、ひっぅ、としゃくり上げていると、信じられないほど綺麗なハンカチが差し出され、アガートはそれで目を拭った。流石に鼻はかまなかった。

 

 背中をさすられて落ち着いてくると、皆で外に出た。

「ハンカチ、洗ってから返すね」

「別にそのままで構わないよ?」

「ううん、ちゃんとしたい」

「アガートにちゃんと教室まで届けさせるんで!」レイが言う。

 キュータは「うーん、そう?」と言って、その日は早々に解散した。

 本当は乗合馬車(バス)の展望席に乗りたかったし、服屋も行きたかったし、やりたいことはたくさんあった。

 

 帰り道、アガートは大切にハンカチを握りしめていた。

 

「良い匂いすぎる……」

「アガートぉ、あんためんどくさい女っすねぇ。付き合ってもないくせに嫉妬してぐちゃぐちゃ言ったり泣き出したりさぁ」

「分かってるよぉ。でもなんかもう、止まんないよぉ」

「はー。とりあえず、荷物も重いし早く帰ろ。明日、ちゃんと旦那に謝ったほうがいいっす」

 

 女二人の帰路は貰ったばかりの飴と少し濡れたハンカチだけが共だった。

 

+

 

「ってことがあって、参っちゃいましたぁ〜」

 ナインズは珍しくだらけていた。アインズの部屋の応接ソファで靴も脱がずに寝転がっている。

 投げ出しっぱなしの荷物はナインズ当番がせっせと片付けた。

 アルベドやメイドは控えているが、ナインズの気持ちとしては男同士水入らずの条件だ。

 

「はー……。お前、ほんっとに女心が分かってないんだなぁ」

 アインズだけには言われたくないだろう。アインズは知ったような口をきいた。とはいえ、この男ももう立派な既婚者になって長いが。

「女心って何ぃ?泣かないって言ったくせに泣くし、忠告してきたと思ったら怒ってるし、もーなんなのぉ」

「そりゃあ、お前。不要なタイミングで女子に触ったりしたらダメ何だから、忠告は正しいだろう」

「僕はただ差し出された手が傷になってないか見てあげたのに。そんなに不要なタイミングだったかなぁ」

 ナインズがぷんぷん怒っていて、アルベドもぷんぷん怒った。

「全く不快な者共でごさいます。私なら、喜んでナインズ様にお触りいただくのに。いえ、まぁ、その女達も喜んでいるのでしょうが」

「……結局喜んでるの?どっちがいいの?」

「それはもう、触られた方がいいに決まっておりますわ!!」

「あー、アルベド。お前少し黙ってなさい。――ナインズ、女子に触れるのは過剰だと危険だ。傷の確認は確かに不要なタイミングとは言わないが、触れ合いは人の心を動かす。ただでさえお前の性格は好かれ易いんだから、トラブルの元だ」

「でも、僕皆に好きになってほしいなぁ」

「……違う違う。愛してほしいかってことだよ」

「……父様達みたいに全国民に愛されたい」

「………………違う違う違う」

 

 アインズは「この息子大丈夫かな……」と心配になった。博愛主義が極まって、外で突然女の子を大量に妊娠させて帰ってきたらどうしよう。

 皆、僕のことが好きだっていうから愛を与えてきたとか言って。

 困る。全員ソリュシャン行きだ。最悪竜王達にいいように使われる。

 

「化け物級の博愛主義か……。流石に神の子の種族は伊達じゃないな……」

 

 アインズは執務用の国璽を一度置くと、だらけ切っている息子の隣に座った。ナインズは流石に足をソファから下ろして居住まいを正した。

「父様、博愛主義ってダメなこと?」

「いや、それは別に悪くないけどな。だけど、そうじゃない愛を理解不能な感覚は修正したほうがいい。分かりやすく言ってやるから……あー、私に三分考える時間をくれ」

「はぁい」

 

 何と言うべきか。アインズは骨の体から一回人の身になって考えた。そうしなければ、全ての感覚が淡白だから。

 自分の足跡を辿る思考の旅へ出る。そう言えば、マーレに愛についてうまく教えられなかった過去もあった。色々な懐かしく甘酸っぱい、時にほろ苦い思い出を越え、旅はすぐに到着点に来た。

「――うん、そうだな。お前はナザリックに生まれただろ?」

「はい……」

「お前が分かっていない愛というのは、一生この地で生きていくという約束のことだ。この地で、老いも死にもせずに生き続ける約束のことだ。アルベド、お前もそう思うだろう?」

「はい。私もそのように愚行いたします。それこそが、愛でございます」

 微笑んで聞いていたアルベドは軽く目元を拭っていた。彼女が今、第六階層で行われた初めての忠誠の儀の際にフラミーに言われた言葉を思い出しているのは想像に難くない。もしくは、天空城での廊下のアインズの誓いか。

 とにかく、このナザリックに於いての明確な愛とは、この二点に尽きる。常にこの二点は、支配者達と守護者達のみならず、支配者同士でも課題だった。

「老いも死にもせずに生き続ける約束が……愛……」

「どうだ?そう思う相手はいるか?それだけの巨大な時間を負わせる覚悟を持てる相手の心だけ手に入れるように努力しろ。まぁ、多少触るのはいいからな。怪我をしているかの確認もそうだが、なんか分からんが、お前がこの程度はそういう愛にならないと自信がもてる程度だ。いいな」

「……すごい。よく分かりました」

「そうか。何よりだ。ま、もしそんな相手ができたら連れてこい。ただし、相手の了承を取ることを忘れるなよ。これが欠けたらその愛の約束は絶対に続かないからな」

 

 アインズはよっこらせ、とナインズの隣から再び執務机に戻った。

 

「父様?」

「なんだ」

「僕……それ、連れてきてもいい……?」

「え"」

 

 アインズは潰されたヒキガエルのような声を上げた。

 アルベドは卒倒した。




え"っっっ(ヒキガエル
昨日、皆さんの杖を後から挿入しました!

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いいな〜!ナイ君の杖についてる奴はフララのタツノオトシゴのアーティファクトの親戚でしょうか?
それから、二ヶ月経って今更キュー様も!

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次回!明後日!!
Re Lesson#8 愛ってそういうこと
そういうことやな!?


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Re Lesson#8 愛ってそういうこと

「つ、連れてくるったって、い、いいけど、お前、自分の若さ分かってる?」

「分かってます」

 アインズは執務机から慌ててナインズの隣に戻った。

 人間の体同士で背中をさすってやる。ナインズの瞳を覗き込むと、あまりの真剣さに「ええ〜〜!?」と言いたい気持ちでいっぱいになった。

 

 意識が混濁しているアルベドがメイドと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達の手によって静かに部屋から連れ出されていく。おそらくペストーニャの下だろう。

「う、う〜〜ん……。な、ナインズさま……」

 メイド達が卒倒していない事は奇跡だが、泡を吹きそうな顔をしていた。

 というかアインズも泡を吹きそうだ。

 愛一つわからない小学生だと思っていたら、今度はこれか。

 子供の成長とは恐ろしい。恐ろしすぎてついて行けない。

「……と、とにかく、それ、相手は良いって言ってくれそうなの?」

「……多分。でも、あんまり自信ない」

「そ、そりゃそうだな。お互い人生かかってるしな。えーと、どうしよう」

 父、威厳ゼロ。ナインズは真剣な顔をして腰を上げた。

「僕、話に行く」

「え、今?もう夜になるから、せめて明日にしない?な?な?お願い。それに、相手だっていきなり呼び出されてそんなこと言われたら普通びっくりしちゃうだろ?」

「……それはそうです」

「うんうん、とにかく、えー……。明日の放課後にでも少し話してさ……それから約束取り付けてくればいいから……」

「分かりました。じゃあ、明日話してきます!」

「う、うん」

 ナインズが部屋を出て行こうとすると、アインズは「あ、待て」と制止した。

 

「はい」

「えーっと……一応、ある程度ちゃんとした格好がいいと思うよ?あと、順番間違えないように……。相手を傷つけない様に……。それから、お前自身も嫌だって言われた時の心構えをしておくんだぞ?」

「……そうだよね」

 ナインズはぎゅっと手を握りしめて、「失礼します」と声をかけてから部屋を出て行った。ナインズ当番もその後を追いかけた。

 

「……大変なことになった」

 アインズは一っ飛びで扉へ向かい、扉の外からナインズの足音が聞こえなくなったことを確認する。

 そして、廊下へ飛び出した。

「……フラミーさん。フラミーさんフラミーさん」

 何度も名前を呼びながら廊下を走る。

 この廊下を走ることなど通常では許されない。

 ナインズに与えた部屋の方を気にしながら、フラミーの部屋の扉を開けた。

「こんこん、フラミーさん」

 デミウルゴスが片付けを進め、フラミーはうんと背筋を伸ばしていた。

「あ、アインズさん。終わりましたよぉ」

「う、うん。ありがとうございます。今、大切で真面目な話良いですか?」

「構いませんよ。何です?」

 執務机からふわりと舞い上がり、応接ソファに降りる。

 アインズが向かいに座ると、フラミーがハンカチを差し出してきた。一瞬意図が分からなかった。

「――あ、すみません」

「いえ?大丈夫です?」

「う、うーん……あんまり……」

 人の身にかいている汗に気が付きもしなかった。アインズはこの謎の汗をせっせと拭いては「えーっと……あのー……」と煮え切らない言葉をしばらく続けた。

 一体何事かとデミウルゴスとメイドが目を見合わせる。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達も天井でわさわさ言っていた。アインズの護衛の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も合流して天井は賑やかだ。

 フラミーがメイドを手招き、「何か出してあげてください」と頼んでくれる。

 一度骨の身に戻って落ち着こうかと思ったタイミングだったが、とりあえずその何かを口にしてからにしようと思った。

 今感じるこの体の温度をこれからフラミーも感じるのだから、自分ばかり骨になって焦りや動悸から逃げるのは裏切り行為にも感じる。親として。

 

 何も言わないアインズを待つ時間が過ぎる。

 メイドが温かいお茶とクッキーを出してくれると、アインズは無言で茶を口にし、大きなため息を吐いた。

「……えーとですね、驚かないでくださいよ」

「は、はい」

 もう驚く準備万端というような、ちょっと青くすらなった顔でフラミーが答える。

 アインズはもう一度汗を拭い、覚悟を決めた。

「あの、さっき九太が俺の部屋に来ました。……それで、今日女の子に泣かれたって言ってまして……」

「……そう言うことも、まぁあるんでしょうね?」

 ナインズが思春期になり切れてなくても、相手の女の子達は絶賛思春期真っ只中なのだから。

「女の子にあんまり触ったり手振ったりしてると、泣かれるよって注意してくれた子がいたらしいんですけど、その子自身が泣いちゃったらしくて……」

「あらー……。ナイ君のこと好きなんだ」

「多分……。まぁ、そこまでは青春の笑い話なんですけどね」

 

 話を聞いているNPC達は、笑い話というより鬱陶しい生き物だなぁと思いながら耳を傾けていた。

 

「で、本題です」

 フラミーが頷くのを確認すると、アインズは手元の茶に視線を落とした。

「……愛がわからないって感じだったから、ナザリックで死ぬことなく生き続ける約束が愛だって言ったんですよ。俺」

 良いじゃん!とフラミーもデミウルゴスも表情が明るくなる。

「――そしたら、そう思う人がいるから連れてきたいって」

 無になった。

 部屋から空気すらなくなった。

 

 デミウルゴスのメガネがずり落ちる。ここのメイドは卒倒した。

 

「……い、いつ?」

「今日話に行くっていうから、明日の放課後にでも話をして約束取り付けて来いって言っておいた……」

「な、ナイス。ナイスなのねん、社長さん……」

「サンキュー副社長……」

 フラミーはそっと鏡を取り出し、自分の前に浮かべた。

 何を見ようというのか部屋の全員が察し、おもむろに民族大移動が始まる。

 八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)も、デミウルゴスも、倒れたところから何とか起き上がったメイドも、アインズも。

 フラミーの隣や、ソファの後ろに立ち、鏡を覗き込んだ。

 

 鏡の向こうには、衣裳部屋だ。

 ナインズと真っ青な顔をしたナインズ当番が大量の服の前にいた。

 

『……ちゃんとした格好って、どんな?父様みたいなかなぁ』

『さ、さように思います……』

『うーん、制服があるからなぁ。持って行って着替える?それとも帰ってきて着替えてからにする?』

『い、いえ。そこまでされなくても……』

『じゃあ、この格好に合うように見繕うしかないかぁ』

 ナインズはこれか、これか、これか、とピアスを選び、次いで指輪を眺めて、はめてみては鏡を覗き込んだ。

『……なんか目立ちそうで嫌だなぁ』

『ナインズ様……?御身のされたい格好が一番でございます。それについて来られない者など、ふさわしくはないのです』

『そういう考え方もあるけどさ。一生死ぬことなく僕と生き続けてほしいって頼むのに、僕自身に覚悟がないのはダメな気もする』

 

 フラミーはひっくり返った。

 

「お、おとなになってる……」

 

 デミウルゴスに介助され、何とか座り直した。

 

『……ね、話す時、仮面はないほうがいいよね?』

『おそらく……』

『そうだよね。仮面がないほうがいいってよく言ってるし』

 ナインズは鏡の前で、銀色になっていた髪に再び黒い幻術をかけ、跪いた。

『私のために死なないでほしい』

 

 アインズはひっくり返った。

 

「そ、そんなプロポーズがあんのか……」

 

 こちらもデミウルゴスに介助され、何とか座り直した。

 

『……死なないでほしいって、なんか変?』

『わ、わたくしが言われとうごじゃいましゅ……』

 メイドは鼻血を垂らしていた。ナインズは苦笑すると、ドレスルームに置いてある綺麗なハンカチをとってメイドの後頭部を支えて鼻を抑えてやった。

『大丈夫?』

『は、はひぃ〜〜』

 顔を真っ赤にして目を回すメイドの背をさすりながら、ナインズはまたしばらく思案した。

 鼻血が落ち着くと、もう一度鏡の前に立つ。

『うーん、僕、あんまりこういうの得意じゃないんだなぁ。命令になっちゃいけないし……。……こう言うのは?私と死ぬことなく生き続けてほしい。幼い頃から、私はずっと大切に思っていたよ』

 聞いたこともないような甘い言葉が一つ並ぶごとに、天井から八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)が一匹づつ落っこちた。

『私と一緒に、父王陛下と母王陛下にあってくれないか』

 最後の一匹が落下し終わると、ナインズはため息を吐いた。

『……あんまり準備しすぎても嘘くさいかも。また明日考えよ』

『そ、それもよろしいかと……』

『ピアスはこれにしとく。せっかく良いのつけて行くなら、髪の毛もなんかしたほうがいいかな?』

 メイドはナインズの後ろに回り、髪を一つに括ってみたり、編み込んでみたり、ハーフアップにしてみたり、お団子にしてみたり、とにかくあれこれ試した。

 

 フラミーはそっと鏡をしまった。

 

「……本気だ」

 

 その言葉に「いやいや!」と言える者はいなかった。

 

「……私、ドレスルーム行きます」

「お、俺も……」

 二人は明日、息子の大切な人を迎える為の正装が何がいいのか鏡の前で話し合った。

 

+

 

 翌朝、ナインズは黒い髪を編み込みのハーフアップにした。尖った耳の先がギリギリ見えないくらいに作ってもらい、銀色の大きなフサのついた耳飾りを付けていた。

 

 皆で朝食をとりながら、そわそわそわそわしている。

「……ナイ君、大丈夫?」

「あ、はい。うん。大丈夫。僕……変じゃない?」

 不安そうな顔をしていると、アルメリアが即答する。

「変じゃないです。今日のお兄ちゃまは一段と素敵です」

「ほんとに。良かったぁ」

 前髪を何度も触り、そういう感覚があったのかとフラミーとアインズは思った。子供の頃から身支度にはうるさい方だったが、こうも己の見た目が気になるとは。

 ナインズはいつもより早い時間に出かけた。

 

 溶岩地帯で一郎太と落ち合い、二人で鏡をくぐる。

「そいでさー、二の丸のやつ。俺がまだ魔法使えないのかとか言ってくんですよ。だから、俺は魔法はいらない……って、ナイ様聞いてる?」

「あ――う、うん。聞いてるよ。二の丸が……なんだっけ?」

「はー。ミリガンに泣かれたからって、そんなに動揺しないでくださいよ。大丈夫大丈夫。おめかしもしたんでしょ。多分今日ハンカチ持ってくるから」

「い、いや――」

「いーからいーから」

 などと言っていると、「ナインズ様!」と懐かしい声がした。

 

「あ、イオリ」

「イオリエルじゃん」

 

 ちびっこいイオリエルは二人に駆け寄ると、子供のように見上げた。離れたところで紫黒聖典達が頭を下げている。

「ナインズ様、今日はまた一段と麗しいのう!」

「イオリエルこそ今日も可愛いね。あ、そろそろ仮面しないと」

 ナインズが仮面を着けると、イオリエルはあからさまにガッカリしていた。そして、呼び方を変えた。

「――キュータ様、お気をつけて。通学路、遠くから見守っておるから、な」

「うん、ありがとね。イオリや皆のおかげで安心して行けるよ」

「んじゃなー」

「気をつけていくんじゃよー!」

 二人は学校へ向かった。

 一郎太と歩きながら、ナインズは昨日の予習を思い出しながらぶつぶつ言っていた。

 

「うーん……僕と……いや……私に……いやいや……私は……」

 

 一郎太は苦笑した。

「キュー様、落ち着いてって」

「一太に僕の気持ちが分かるかよぉ」

「ははは。わかんねー」

「だと思うよ……」

「でも、俺キュー様と違って理解はできるぜ?」

「僕と違ってって、僕を何だと思ってんのさ」

「小学生……」

「不敬なやつ……」

 校門に近付けば近付くほど、生徒達に「首席おはよー」「スズキ君おはよー」と声をかけられた。一郎太ももちろん挨拶されている。

 一郎太はあの女の涙のパワーというものに感心していた。

 

 授業をひとつ、ふたつ、と受けながら、ナインズの上の空の様子にカインとワルワラは目を見合わせた。

「……スズキ。スズキ〜?……おい、これ大丈夫か?」

「こんなこと初めてだよ。キュータ様、平気ですか?」

 ノートにぐるぐると訳のわからないことを書いては「……違うよ違うよ」と言い、横線を引いていた。

「一郎太、これ何?」

「まぁ、恋煩いってやつかもな」

 カインが目を丸くする。

「そ、そこまで行っちゃったんだ。すごい」

「青春だな。だけど、スズキがこれじゃ俺のライバルが居なくなる」

「僕や一郎太君は知識じゃワルワラに勝ってると思うよ」

「魔法が付いてきてないじゃねぇか」

「そう言っていられるのも今のうちさ」

「ふん、まぁ、それも面白いな。中間考査が楽しみになる」

 ワルワラはすっかり馴染んでいた。

 

 学食に行くと、そこでやっとナインズは正気になった。

「……はぁ。参った」

「キュー様考えすぎ。はい、リラックスリラックス。吸って〜吐いて〜吸って〜吐いて〜」

 仮面を外し、肩をコキコキ言わせると、だらしなく椅子に座り、頬杖までついて食事をとった。

「なぁ、一太」

「へいへい、なんですか」

「今日の僕ってどう思う?」

「らしくないなぁって思いますよ。キュー様が望めば何だって手に入るってぇのに、何をそんなにビビってんですか」

「……そう言うんじゃ嫌だから悩んでるの。それに、僕が聞いたのは今日の僕の格好の話」

 

 隣に座っていた一郎太は席をひいて一歩下がり、気怠げなナインズをてっぺんからつま先まで繁々と眺めた。

「いんじゃないすか?決まってますよ。なぁ、カイン、ワルワラ」

「うんうん、決まってる。耳飾りも髪型もいいんじゃないですか?」

「俺ならネックレス着けるかな。シャツも胸もっと開いて」

「……ほんとにぃ?」

「本当に。俺の服の下の彫り物見るか?――やっぱり男はこうでなくちゃ」

 ワルワラはせっせとシャツのボタンをはずし、胸を全開にさせると「な!」と自慢げに胸を叩いた。

 

 魔人(ジニー)たちの肩にはえる角と胸元には揃いの金色の模様が刻まれているはず。その文化を思わせる黒い刺青がネックレス状に入っていて、これの上に金色の豪奢なネックレスをしたらさぞ芸術的だろう。

「俺は肩にこれもある」と、はだけて見せてくれた肩は黒く硬質に光っていた。そこには胸と揃いの模様が金色で刻まれていた。

魔人(ジニー)達はここから角が天に向かって生えてるんだぜ。めちゃくちゃカッケェんだよ。俺もこれが伸びたらいいけど――まぁ、混血は伸びないんだよな」

 周りで女子が歓声じみた声を上げた。「すっごい筋肉!」「肉体美やばくない!?」とか盛り上がっている。

 

「――な。聞いたか?俺なんか普段キャーキャー言われないのにあれよ。やっぱり肉体と魔法だよ。強さの証だからな」

 ナインズは「うーん」というと、自分の胸元も開けて覗き込んだ。

「わ、わ」

 カインが指の隙間から恥ずかしそうに見る。

「――スズキ、お前体も良いじゃん。着痩せするのか。刺青してもっと肌出せば?」

 キャー!と声が聞こえると、ナインズは胸をしまった。

「いや、目立ちたくない」

「その顔でよくいうぜ」

「だからいつもは仮面つけてんでしょ。ワルワラもしまって。前に見せてって言ったけど、学食以外で頼むよ」

 全くおかしな昼食だった。

 

 教室に戻り、また授業を受ける。ナインズの様子は午前中より随分まともになっていた。

 授業も終わり、帰り支度をしていると「あのー!スズキさんいますかー!」と聞き覚えのある声がした。

 教室の後ろの扉からアガートとレイが手を振っていた。

 一郎太が「ほら!キュー様行って行って!!」とナインズを押す。

 ワルワラは「え、スズキの病気の原因ってあれ?」と言うと、カインは笑った。

「分かんないもんだよね。自分が目立つ人だと、相手は素朴なのがいいのかね」

「別にブスってわけじゃないけど……見た目だけの話をすればめっちゃ不釣り合いじゃん」

「そのくらいにしといたほうがいいと思うよ。僕も思うことは色々あるさ。だけど、個人の自由だしね」

「うーん。スルターン小国のいい女を紹介してやりたいくらいだな」

 

 二人は薬学科の授業終わりに駆けつけたらしく、制服のローブではなく白衣を着ていた。

「――ミリガン嬢、レイ」

「キュータ、昨日はごめんね。これ」

 白いハンカチが返され、ナインズはポケットの中にすぐに閉まった。

「気にしないで良いよ。それより、わざわざ来てもらって悪かったね」

「ううん!私が来たかったから」

「はは、よその教室って物珍しいよね。僕もこないだ羊持って行った時面白かったな。――さて、ごめん。僕今日このあと約束があるんだ」

「あ、一昨日来てたクラリスって子……?」

「うん。だから悪いね。また声かけて。次は泣かせないように気をつけるよ。ミリガン嬢のおかげで大切なことを知ったから」

「へ、へへ。うん!あのね、次は乗合馬車(バス)にまた乗ってどこか行こ!」

「いいよ。んじゃね」

 さっさと話を切り上げてナインズが戻ってくると、「あれ?」と三人は首を傾げた。

「キュー様もう良いの?」

「え?うん。ハンカチ返してもらったよ。それより、クラリスは多分もう校門で待ってるから行かなきゃ」

「あ、はい」

「じゃあね、皆!」

 

 一郎太はカイン、ワルワラに「訳がわからない」とジェスチャーだけで会話をして教室を出た。

「……なんか違いそうだぞ?」

「あれぇー?」

「それとも、照れてうまく話せない?」

「そういうこと……?」

 教室に残った二人は、チェーザレが来ると三人で買い食いの旅へ出かけた。ワルワラはなんだかんだ国外の人間のため神都の何を見ても喜んだらしい。

 

 一方一郎太はナインズと早足で廊下を行きながら、まさか相手はクラリスだったかと思い至った。

 今日のナインズは明らかに様子がおかしいし、緊張している。それに格好も凝っているし、自分の見え方なんかを気にしていてらしくない。

「ナ――キュー様、俺今びっくりしてる」

「何で?」

「い、いや。だって……いや。うーん、そうか」

 外に出ると、大きな帽子を被ったクラリスが手を振っていた。彼女はナインズと歩く時に日傘なんぞは持ち歩かない。万が一さしていて頭に当たりでもすれば不敬だし、手元にぶらぶら持っていても気を遣わせる。

 そういう事に思い至れる彼女は、やはり特別なのかもしれないと一郎太は思った。

 

 ナインズは手を振り、クラリスに駆け寄った。

「クラリス!待った?」

「いえ、今来たばかりですわ。それより、御身を走らせてしまうなんて。申し訳ありません」

「そんなこと気にしないで良いよ。それで、どこに行く?」

「昔、子供の頃に何度か一緒にお勉強をしたあのカフェ。また行きませんか?」

「あんなとこでいいの?」

「はい!あちらで!懐かしいんですもの」

「はは、それはそうだね。どうする?歩く?それとも乗る?」

「乗りとうございます」

「いいよ」

 

 二人は肩を並べてバス停に向かった。

 一郎太は可能な限り離れて歩いた。

 バスが来ると、ナインズは先に乗り運賃を三人分渡した。そして、展望席へ上がる螺旋階段を勧める。

 クラリスは花のように笑って上がって行った。

 ナインズが後に続き、クラリスは一番前、かつ外側に座った。

「今日はいつもと髪型も違うんですのね」

「ん、ちょっとね」

「よくお似合いです」

「はは、ありがと。クラリスも新しい帽子だね。似合うよ」

「ふふ、嬉しゅうございます」

 目的の停留所まで二人は静かに過ごした。

 あっという間に着くと、ナインズが降り、クラリスは手を引かれて乗合馬車(バス)を降りた。

 

 めかし込んだ親達と守護者達が固唾を飲んで鏡越しに見守っているなんて、思いもせずに。

 

 テラス席に座ると、三人は懐かしいメニュー表に顔を寄せた。

「僕、子供の頃には食べなかったようなものにしようかなぁ」

「では私もチャレンジを」

「俺はジュースでいっかな」

 一郎太はそういうと、道路を眺めた。時折ちらりと二人の様子を見る。

 ナインズとクラリスは幸せそうに笑い、「いくら食べたことないからって、ハンバーグなんか頼んだら晩御飯入らないでしょ」とか「じゃあ、ジャイアントパフェですわ!」とか「うーん、一緒に食べれば食べ切れるかなぁ……」とか「ぜひご一緒に」とか。

 一郎太はなぜだか無性に感激した。

 そうだったなら、もっと早くそう言ってくれていれば良かったのに。

 怖い女くらいにしか思っていなかったから、二人には何も気を遣ったことはなかった。

 

 三人のテーブルに大きなパフェとホットマキャティアが二つ、ジュースが一つ届く。

 ナインズが仮面を外し、一郎太が受け取る。

 神都の人々はナインズの顔も、普段の出たちもよく分かっている。

 三年ぶりの姿を見て「立派になられて……」と感激する者は少なくなかった。

 大きなパフェを前に笑い転げるナインズは年相応だ。

 

 二人は巨大な甘味を一緒につついて食べ、一郎太は興味もないくせに教科書を開いて読んだ。

 

 夕暮れが訪れると、三人は席を立った。

「――また、こうしてご一緒させて下さい」

「もちろん。楽しかったよ。わざわざ来てくれてありがとう」

「私も……魔導学院に行かれないのが残念です」

 順当にいけば彼女は州知事になる。その為の教育は、やはり通常の学校よりも家庭教師や現地への視察、実際に州政府の仕事に関わることが一番なのだろう。そうやって過ごしているのはサラトニクも同様だ。

「僕もそう思うよ。小学校の時、わざわざエ・ランテルから転入してきてくれてありがとう。君のおかげで僕はあの日すごく安心したんだ」

「……そんな。私こそ……」

「今日もクラリスは神都に泊まるんだよね。送るよ」

 

 三人はまた乗合馬車(バス)に乗った。

 

 夕暮れに沈んでいく神都の街を眺める。

 祝福の木蓮亭に着く。

 

 クラリスは名残惜しそうにナインズを見上げた。

「あっという間でした」

「ほんとだね。なるべく僕も急いで教室を出たんだけど」

「わかっておりますわ。――どうか、ご無理なさらず、お身体大切に」

「ありがとう。クラリスもね」

 

 クラリスが帽子を脱いで深々と頭を下げる様子を、ナインズは繁々と眺めていた。

「……どうかされまして?」

「いや……クラリス、泣かない?」

「ふふ、おかしなことを。泣くはずがありません。私が泣いているようなところ、一度でもご覧になられたことがありまして?」

「ははは、ないな。――クラリス、またナザリックに来てね」

「はい。どうぞ、いつでもお召しください」

 ナインズを愛しげに眺めたクラリスは「……神々に連なる方達だけがいればいいのに」と漏らし、今度は軽く膝を曲げる程度の礼に留めた。

「それでは、御前失礼いたします。一郎太様も、また」

「ん、そだな」

 

 クラリスは上品に笑って見せると、振り返ることもなく強い背中を見せて去って行った。

 

「良かったね、キュー様」

「うん。クラリスといると落ち着くよね。泣かないだろうしさ」

「はは、なるほど。それでクラリスを見直したってわけですか。あいつ、たまに化け物みたいだけど賢いしね」

「また化け物みたいとか言って」

「へへ」

 

 二人は歩いて大神殿に戻って行った。万が一にも、乗合馬車(バス)の中で幻術が解けないように。

 夜の神都の空気は少し湿っていて、永続光(コンティニュアルライト)の光を朧にした。

 

 大神殿のライトアップを見に来る人々がいる前庭兼通路である二人の通学路に入ると、ナインズは仮面を外した。

「ね、一太」

「ん?」

 当たり前のように仮面を受け取ると、何を食べるんだ?と一郎太は首を傾げた。

「あのさ、僕昨日父様に愛について聞かされたんだよね」

「あー、なるほど。ちょっとは理解できました?」

「それがねぇ。びっくりするほどよく分かったよ」

 セイレーンが反対側で水浴びをしている噴水にナインズが腰掛け、一郎太も隣に座った。

「それが分かったら、もう大丈夫ですよ。加減がわかるでしょ」

「はは、そうだね」

「ちなみに、陛下はなんて?」

「ナザリックで死ぬことなく生き続けてほしいって言う約束が愛だと思うって」

「おぉ……なるほどなぁ」

「なるほどって感じだよね。父様も母様もさ、僕が死ぬ生き物なのか死なない生き物なのか分からないんだって。だから、必死になって死なないで済むように研究してくれてる。あれって、やっぱり愛なんだなって思うよ」

「すげぇ。本当ですね」

「はは。僕もすげぇって思ったよ。守護者達も父様や母様がナザリックに君臨し続ける事を何よりも望んでいて、お二人はその望みに応えて愛を示してるしさ」

「……すげぇなぁ。でもなんちゅーかハードルの高い感情ですね」

「一瞬僕もそう思ったけど、すぐにそんな事ないって気付いたよ」

「え、じゃあ――」

 

 ナインズは噴水から立ち上がると、尻を数度叩いて汚れを落とした。

 仮面を持つ一郎太もつられて立ち上がる。

 次の瞬間、ナインズは跪いた。

「ナイ様?」

「一郎太……。僕は……私は君に死なないでほしい。この先、際限のない未来が横たわる中で、君を失いたくない。だけど、これは命令じゃない。どうか、お前、弱い私のために死なないでいてくれないか。私は本当にお前を兄弟のように――アルメリアと同じように思うんだ」

 一郎太は呆然と立ちすくんだ。

「ナイ様――い、いえ。ナインズ様、そんな」

「……時間はまだまだある。それに、まだお前そのままでと言う手も見つかっていない。仙人とか言うものにならなきゃ手に入らない話だ……。だけど、私も父王陛下の研究に携わろう。お前が良いと思ったら、いつか、どうか頼む……」

 

 ナインズが深く頭を下げると、一郎太はそれの前に膝をついて、より深く頭を下げた。

 

「そんなの、今すぐにだってなりますよ」

「一郎太……」

「俺は……私は御身のために産まれてきたんだと自負しております。御身にお仕えするために。御身がそう望んでくれることが何よりも嬉しい。ありがとう、我が君」

 

 男とミノタウロスが跪き合う姿は、周りからどう見えていただろう。二人で何かを床に落ちているものを拾っていると思っただろうか。

 

「……父様のところ、一緒に行ってくれる?」

「もちろん!」

 

+

 

 クラリスと別れたところまで眺めていたアインズとフラミーは、ナインズが一郎太を連れて戻ってくると瞬いた。

 

「父様、ちゃんと頼んでみた」

「あ、うん。そうだね。えーと……うん。――一郎太はいいのか?」

「はい、俺は子供の頃からそのつもりだったから、最初何言われてんのかわけが分かんなかったです」

「ははは。そうかそうか。まぁ、今すぐ不老不死になることもあるまい。お前達はまだ若い。もっと体も力も成熟して、私の拙い研究が実を結ぶのを待っていなさい。いいか?」

「俺はもちろん。ナイ様は?不安じゃない?不安だっていうなら、多少弱くても俺その仙人とかいうのなろうか?」

「ううん、大丈夫。僕も父様に任せっぱなしじゃなくて一緒に考えるから。待ってて」

「うん、分かりました」

 

 美しい友情と家族愛だ。一郎太はたまたま手に入れた駒だったが、ナインズがまさかここまで気にいるとは、親達は思いもしなかった。

 これまで誕生日に与えたどんなプレゼントよりも、達成感があった。

「ま、女子だのなんだのは、その感情を向けてほしい、向けたいと思える人が現れるのを気長に待ちなさい。お前は別に愛を知らない男じゃないって分かったんだから」

「はい!でも、皆に好かれたら嬉しいんだけどなぁ!」

「やれやれ。やっぱりまだ子供だな。さぁ、もう下がって良いぞ。一郎太も悪かったな」

「いえ!失礼します!」

「失礼します」

 

 ナインズと一郎太が笑って部屋を出ていく。

 

「はー良かった。ナイ君の思春期はやっぱりまだ先みたいだね」

 

 フラミーの苦笑に、一生それでいいとアルベドは思ったらしい。

 

 同時に、あのペットへの妬ましさで死ぬかと思ったとか。




うん!!分かってた!!!
ですよね!!美しい友情やなぁ!!
でも、二郎丸はいいのかな?

次回!明後日!
Re Lesson#9 対抗戦の狼煙
やっぱりね、そろそろ俺最強つえーでギャフンと言わせなきゃダメなんすよ。


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Re Lesson#9 対抗戦の狼煙

 その日、魔導学院の特進科のクラスに「えぇー!?」と声が響いた。

「えー、じゃない。科内クラス対抗模擬戦!毎年やってるんだから。昔帝国魔法学園と呼ばれる機関だった頃はクラス内でチーム対抗の昇級試験だってあったんだぞー!」

 クレント教諭が言う。

 

 そんなもの、一人の超天才と組むことができればどんなバカでも昇級できてしまうボロボロの制度じゃないか。

 クラスの半数以上がそう思った。

 そういう感想は自然と口に出てしまうもので、クラスは一気にざわめきに溢れた。

 

「それで昇級するの昇級しないのなんて、理知的じゃない」「所詮神が降臨する前の世界なんてそんなものかね」「今じゃ考えられないよ……」「チーム組めないコミュニケーション弱者はどうしてたんだろう?」「そういう人は昇級できなかったんじゃないの?」「えぇ!?横のつながり作れないやつは魔法省には不要って!?」「魔導省でよかった〜……」

 

 ぼそぼそと話し声が広がると、クレント教諭はその部分についてはあまり反論ができないのか苦笑した。

「まぁ、昔の話は置いておいてだね。模擬戦は一般開放されてるからあちこちの機関から内偵がくる。アピールチャンスだぞ。特進科は全部で四クラスあるけど、私は正直このクラス――"A組"が優勝すると思っているよ」

「首席だっているしな」と笑い声が上がる。

 キュータが「い、いやぁ。あんまり期待しないで」とか言っているが、期待しない者はいなかった。

 キュータは何故か普段本気で魔法を使おうとしないが、時折気が向いたように使う魔法は信じられないほどに強力だった。彼は星の廻りがなんとかと言って誤魔化しているが、よく分からない。

 

「俺もいるぞ」とワルワラが言うと、「よ!肉体派魔法詠唱者(マジックキャスター)!」なんて声が上がり、彼は袖を捲って上腕二頭筋を見せつけて笑った。

 

「盛り上がってるところ悪いけどなー。皆、油断は禁物だぞー。はっきり言っておくけど、隣の"B組"の高弟、ゾフィ教諭はたまに汚い!ゾフィ教諭に教えられる"B組"がどんな手を使ってくるか分からないんだからな。全員、スズキ君やワルワラがいるからって気を抜くなよ」

 はーい、と返事が返ると、クレント教諭は黒板にカツカツとチョークで模擬戦を行う庭の絵を書いた。

 

「じゃー、基本説明をするよー。まず、司令部として全体を見渡して指示を出す指揮司令係、実際にここで戦う前線係、司令から前線に<伝言(メッセージ)>を飛ばしたりする情報交換係、相手の使った魔法をメモする偵察係。内偵係は地味だけど後日の反省会で発表もあるから気を引き締めて挑むように。それから、前線に支援魔法を飛ばす係、続行不能者を運ぶ手当係!役割のない者はなし。全員にどこかしらに入ってもらうよ。はい、質問は?」

 と言ったところで、真っ先にキュータが手を上げた。

 

「はい、先生」

 クレント教諭は手のひらを向ける事で先を促した。

「……手当係がいるってことは、怪我人が出るんですか?」

「あぁ。それは当然の疑問だね。攻撃魔法は基本的には禁止されているから心配しないで良いよ。今回気にするべきは、例えば<睡眠(スリープ)>をかけられたり、砂を生み出す魔法を飛ばされて目に入ったり、かな。そう言う場合に手当係に頑張ってもらう。まぁ、そんな感じだからこの係はそんなに大勢は必要ないと思う」

 

 クラスから安堵の声が漏れる。

「泥とか投げられたら最悪だな」と一郎太が言うと男子が「それで行こうぜ」と笑った。

 

「ふふ、私は作戦は皆に任せようと思っているから、たくさん議論してくれたまえ。何より、魔法の新たな使い方や皆の頭の柔らかさを見たいって言う面もあるからね。ちなみに、攻撃魔法は禁止と言ったけれど、例えば穴を掘る為に使うとか、軽い威嚇だとか、人に向かって放たなければ多少はオッケーってことになってるから、たくさん知恵を絞ってほしい!じゃあ、係振り分けを始めるよ!」

 

 クレント教諭はマップの隣に「指揮司令係」「魔法偵察係」「運搬手当係」と書き、まずは神との接続ができていない珍しい数名を選り分けた。

 ちなみに、特進科外には神との接続ができていない特進科生徒を小馬鹿にする者もいるが、魔法が使えなくても魔法の理論を構築して新魔法の組み立てができる者は多くいるので、特進科では魔法が使えないからどうのと言うことはない。だが、そういう本質的なことが見えない者がいることは仕方がない。なんと言っても、ここは魔法至上主義国だから――。

 

「さ、後は好き勝手会議しながら決めていいぞ!」

 クレント教諭が座り、皆の様子をニコニコ眺める。

 自然とパルマとジナが黒板の前に出て名前を書いて行く。

 着々と係が決まっていく中、ワルワラは当然のように前線希望、一郎太は運搬手当係、カインは指揮司令係になった。

 皆席を立って黒板の前に集まって話し合う。

 中には魔法偵察係を希望して「お前は司令部行った方がいい!全体見えてるよ!」と背中を押される者もいた。

 クラスの雰囲気の良さに、ナインズは楽しげに皆の様子を伺っていた。

 そして――

「じゃあ、僕が魔法偵察係になろうかな」

「「「「「はぁ!?」」」」」「「「「「えぇ!?」」」」」

 ナインズの発言を聞いたクラスの者達が一斉に声を上げた。教諭のジーダすら驚いて中腰になっていた。

 

「スズキ!?お前が前線出ないなんて誰も得しないぞ!!」

 ワルワラが言うと、皆大いに頷いていた。

「少なくとも司令部は!?」

「ダメダメ!スズキ君には前線に出てもらわなきゃ!!」

「星のめぐりだっけ!?それが悪くてもさ、首席がいるだけで相手絶対びびるから!!」

「頼むよぉ!その綺麗な顔汚したくないのはわかるけどさぁ!!」

 一斉に畳み掛けられ、ナインズは「い、いや顔は別になんだって良いんだけど……」と言っていると、横からワルワラに仮面を引ったくられた。

 女子から一瞬「わ」と声が上がる。

「こんなもん着けてるからそう弱気になるんだよ!一回男見せろ!!」

「そ、そう言われても。僕、人に怪我させたくなくて……」

「女みたいな顔で女みたいなこと言ってるとほんとに女になるぞ!?」

「それでもあんまり構わないけど……」

「構うに決まってるだろうが!!一郎太!!お前なんとか言え!!」

「ワルワラ、キュー様の物勝手に取ったりすんなよな」

「お前もズレてるな!?」

 もう教室はしっちゃかめっちゃかだった。

 

 この混乱どうすんのよ、とジーダが呆れていると、そっと女子が一人手を上げた。

「あ、あの……私……」

 それはペーネロペーだった。凶悪な猛禽の足からは想像できないほどに可憐な様子だ。

 皆「今大事な話してんのに何!?」と振り返る。

 ペーネロペーは躊躇いがちに続きを口にした。

「私……前線行ってもいいかな?」

 女子は前線を嫌がりがちだと言うのに、皆瞬いた。

「ペーネロペー、俺は別に戦う人数が足りないって怒ってるんじゃないぜ?ただ、こいつの頭のネジがゆるくってだな」

 ワルワラが気を使うと、ペーネロペーは照れくさそうに笑った。

「うん。わかってるよ。でも、私は魅了の歌を使えるから」

 強力な一手だった。

「それは確かに前線がいいか?」

「いや、そんなことしたら集中砲火に合うんじゃ……」

「ペネちゃん、危ないよ?」

「支援魔法係にしておいたら?」

 皆心配そうだが、ペーネロペーは首を振った。

「全然危なくても平気。私たちセイレーンは女の方が強いから多分感覚も普通の亜人や人間、獣人の皆とは違うと思う。旧セイレーン聖国の指導者も、男はモーナー様っていう海の人(シレーナ)一人しかいないの。昔は女の人が男の人を食べちゃうこともあったくらい」

「た、食べちゃう」「へ、へへ」

 顔を赤くした男子もいたが、それが男子にとって素敵な比喩表現ではなく、本気の食物連鎖だと思い至ると顔を青くした。おバカな男子でも特進科なだけはある知識量だった。

 

「ペーネロペー、君本当に前線行く?」

 仲間たちに迫られていたナインズは真剣な眼差しで確認した。

 仮面のない状態で教室にいるのは初めてだ。皆、たった一言発しただけのナインズに思わず注目してしまった。

 

「うん、だめかな……?」

「ダメなわけないよ。僕は君が強い子だって知ってるしね」

「ありがとう、キュータ君」

「ううん。だけど……君からしたら男の方が頼りなく見えるかもしれないけど、それなら僕も前線に出るよ」

「いいの?」

「あぁ、ペーネロペーが一斉に狙われたりしないように」

「嬉しい。キュータ君と一郎太君だけはちっとも弱くないって分かってるよ」

「ははは。じゃあ、食べられないで済みそうだね」

「ふふ、ほんとは食べちゃいたいけどね」

 ペーネロペーがペロリと唇を舐めると、ナインズは苦笑した。女子はギョッとした。

「く!すずきぃ!」「首席だからってぇ!」「羨ましいぞ色男ぉ!!」

「え……。ゆ、譲るよ……」

 周りの男子が何故こう羨ましそうなのか分からない。ナインズは全く食べられたくなかった。

 

 黒板の前でチョークを持つパルマとジナはどことなく不満感のある雰囲気で二人の名前を前線の欄に書いた。

 

「じゃ、スズキの前線送りも確定したし残り決めちゃおうぜ!!」

 ワルワラが仮面を突き上げると、「おー!」と教室から返事が返った。仮面はそっと一郎太に回収された。

 

+

 

 昼休み、ナインズが食事を取っていると、「スズキ君、頑張ってねー!!」と他所の科の女子達から黄色い歓声が聞こえてきた。

「ありがとー!」

 手を振りかえす相手の中には敵になるはずのクラスすら存在していて、応援するなと怒られる女子もいた。

 

 指揮司令係になったカインはフォークを咥えたまま自分のノートにもくもくと作戦を書き出していた。

「えーと、目眩しと……ペーネロペーの魅了の歌……<浮遊板(フローティングボード)>とそれから……氷結魔法も……」

 あの子はこっち、あいつはここで、キュータ様をここにして……とやる姿は真剣だ。

「――な、カイン。キュー様あんまり戦いたくなさそうなんだけど。腕輪もあるし、なんとかなんない?」

 一郎太が言うと、カインは咥えていたフォークをムニエルにドスンと突き刺した。

「前線に出るなら僕の言う事を聞いていただきます。なんなら利用させていただきます。腕輪もなし。着けたままでいるつもりなら僕がまた盗む」

「……カイン、そう言うキャラだっけ」

「キャラも何も、当たり前でしょ!!神都第一小バイス組が奇跡的に"A組"に全員揃ってんのに、負けるなんて考えられない!!バイス先生だって絶対観にくる!!情けないところは見せられない!!」

「バイスンだって負けたら笑って許して――」

「いいかい!一郎太君は魔法使えないし負けても関係ないや〜とか思ってるかも知れないけどね!!全部理解している(・・・・・・・・)僕たちは誰かさんの名誉まで背負って戦わなきゃいけないんだよ!!ペーネロペーだってそうさ!!これで負けでもして、キュータ様に俺は勝ったことがあるとか言う奴が一人でも出たら!!どうすんの!!公衆の面前で負けたりしたら!!どうすんの!!」

 カインがムニエルの刺さったフォークを目の前に突き出して叫ぶと、一郎太の鼻の頭にぴちょりとソースが飛んだ。

 一郎太は鼻の頭を親指でぬぐって舐めると――

「絶対にぶちのめしてやる」

「分かったなら良し」

 二人は握手をするとノートに顔を寄せた。

 

「……スズキも苦労してるな」

「ははは。楽しければ良いのにね」

「あの二人の熱量には負けるけど、そのピクニック気分はやめておけよ。怪我の元だし、多分首席のくせに負けてやんのって一生言われるぜ?お前下手に目立ちすぎてるから」

 ワルワラはちょっぴり同情してそうだった。

 そうして過ごしていると、ふとナインズの肩を叩く男がいた。

 

「――君、キュータ・スズキ君だよね」

 

 ナインズとワルワラは二人揃って振り返った。

 透き通った金髪と、真っ青な瞳。前髪は長く片側に寄せてあり、片目を覆ってしまいそうになるとそれを後ろに送った。

 

「あ、うん。そうだよ。僕はキュータ・スズキ。よろしくね」

 ナインズは席から立ち上がってから手を伸ばしたが、相手はそれを握る素ぶりも見せずに答えた。

「私はアレクサンダー・デイル・ベルト・リッツァーニ。この名前、聞いたことは?」

「……ごめん、ないかも」

「そうだと思っていたよ。私はバハルス州から来たんだ。――カイン・デイル・フックス・シュルツ君とは知り合いなんだけどね」

 これまで一郎太と顔を擦り付けながらノートに齧り付いていたカインはふと視線を上げた。

「ん――リッツァーニ君が何か用かい?」

「いいや。シュルツ君は私の事なんか相変わらず眼中にないらしい。君は中学の頃も随分ご活躍の様子だったから」

「何の話さ?」

「いいや、大して魔法も使えないのに首席卒業おめでとう。入学後は首席入学者と仲良しとは恐れ入るよ。ここは首席の会――いや、エリートの会かな」

 

 ナインズとワルワラは目を見合わせた。

 感じのいい男ではない。ワルワラも立ち上がるとリッツァーニを魔眼で覗き込んだ。見返す空色の瞳は揺れなかった。

 

「俺様も確かに首席にふさわしいだけの男だ。それを見抜いたことは褒めてやるよ。で、お前何が言いたいんだ?」

「いや、別に。私はただ、"A組"にだけは"B組"は負けないと言っておこうかと思ってね。スズキ君、その美しい顔に傷が付かないようにも前線からは外れた方がいい。私達は打倒首席を掲げているんだから」

 ワルワラの圧を無視してリッツァーニは言った。

 ナインズとて、平和主義者なだけでバカな訳ではない。一郎太が「何を」と立ちあがろうとすると、それを制した。

 

「じゃあ、"B組"とやる時は真面目にやってあげるよ」

「それはそれは嬉しい限りだ。本気でやらなかった何て、絶対に言わせないからな」

「本気でやらなかったけど勝っちゃった、って言ったらごめんね」

「吠え面かかせてやる」

「ははは、面白いことを言う。気に入ったよ。さぁ、もう下がってくれ」

「早く作戦を練らなきゃいけないもんな。まぁ、そう焦るなよ。まだ後一週間は首席様でいられるんだから」

 

 リッツァーニが立ち去っていくと、取り巻きなのか後ろをついていく男子も二人「ふん」と鼻を鳴らして行った。

 

 周りも凍りつくような雰囲気で、学食はいつもの喧騒をいつの間にか失っていた。

 ナインズはできるだけ明るい顔をした。

「……対抗戦楽しみだね!僕も頑張りまーす!」

 ははは、と周りが笑って少しづつ空気がほぐれていくと席に座り直し、ナインズは信じられないほどつまらなそうな顔をした。

「あいつ何だ?カインに恨みでもあるの?」

「ほんとに!!カイン、なんだよあいつ!!俺が本気でデコピンしたら余裕で脳みそ吹き飛ぶくせに!!」

 

 一郎太はめちゃくちゃキレていた。

 カインは頭を抱えながらため息を吐いた。

 

「うーん……。僕のシュルツ家が持つランゲ市と、リッツァーニ家が持つシュティルナー市は隣同士なんだよね。市境にある名門の幼児塾で……確か一緒だったんですけど……なんか大人しそうな奴だった気がするんだけどな。僕は国営小学校(プライマリースクール)はこっちに来たし、小学校の頃に何があったのか知らないけど、同じ私立中学で久しぶりに会ったらもうあんな感じだった。彼魔法が結構得意みたいですよ。まぁ、それだって僕らは負けないけど」

 

 カインの宣言に、「あったりまえだろ」と一郎太は鼻息を荒くした。

 

+

 

「あのー。キュータ、いるー?」

 昼の学食の様子を見ていたアガートはキュータの教室に顔を出していた。

 あんな風に人の挑発に乗るなんて珍しいと思ったし、好戦的な顔をするキュータも――かっこよかったから。

 

 クラスの中は放課後だと言うのに、全員がいるんじゃないかと言うほどの熱気だった。

 クラス対抗戦といえば一大イベントだが、それにしたって昼のあれはかなり効いたらしい。

 

「クラス外生徒立ち入り禁止!!スパイ行為禁止!!首席呼び出し禁止!!」

 知らない女子に怒鳴られる。

 顔を上げたキュータは仮面をつけていて、どんな表情かは分からないが、軽く手を挙げて挨拶をしてくれた。

 アガートは手を振り返して教室を後にする。

「……クラス対抗が終わらないと無理か」

 乗合馬車(バス)に乗って出かけようと言う約束は宙ぶらりんのままだ。

 あのタイミングでハンカチを返してしまったのは失敗だったかもしれない。

 もし誘えた時のために、「一緒に行こう」と言われないように離れたところで様子を伺っていたレイが駆け寄った。

 

「首席、ダメだったんすか?」

「もう全然無理って感じ。スパイ行為とか言われちゃった」

「ははは!ま、ハニートラップに首席が引っ掛かったら大変だからね」

 二人で笑いながら帰る。

 隣の"B組"も中々の熱気で、"A組"からの熱がさらに伝播している感じがした。

 

「当日はもちろん、見にいくんすよね?」

 特進科クラス対抗戦の日、他の科は休みだ。特進科の力を見ておきたいという者も出てくるし、教師たちも授業が手につかなかったりする。結局観戦状態になるなら、お好きにどうぞと自由登校日になっている。

 

「行く。情けないへなへな魔法使わないように監督しなきゃ」

「別にあんたが見てなくたって決めるところは決める気がするっすけどね」

「とにかく!応援しに行く!!」

「へいへい。差し入れでも作る?」

「それいいね!何がいいかな!」

「うーん、提案はしたけど、私ゃそんなことしたことないしな……」

「本屋行こ!」

 

 二人は小走りで学校を後にした。

 

 隣に装丁屋が建っている本屋に入ると、二人は料理本コーナーで肩を寄せ合った。

「ケーキは?」

「こんなもん対抗戦前にもらっても困るっすよ!?フォークも付けんのか!?」

 アガートの提案はレイに一瞬で粉砕された。

「そうなるとクッキーじゃん。なんかもっと、お料理上手そうなのがいい」

「バカ言わないでほしいっすね。何作るかも思い浮かばないレベルの私らが料理上手なわけがないんだから!見栄張らない!!」

「く……!カップケーキは?」

「……それなら、まだましっすかね?」

 

 バラバラとカップケーキのページを探していると、「待って」と本に手が重ねられた。

「え?」

「ん?」

 二人は本から顔を上げると、そこには茶色い髪をしてメガネをかけた知らない女の子。

「……カップケーキは手で食べられるけど、対抗戦前には重いと思う」

 魔導学院の子かと出立ちを見るが、その子は知らない制服を着ていた。白いブラウスに、グレーのジャンパースカート。胸元には大きなリボンが付いていて、真ん中には素敵なブローチ。おそらく女学院だろう。

「英気を養えると思ったんだけど……」

 アガートが答えると、女の子はゆっくり首を振った。

「……キュータ君には枷がある。少しでも身軽でいさせてあげたい」

「え?キュータのこと知ってるの?それより、枷って……?」

「……私はアナ=マリア・エメ・アンペール。ね、オリビアちゃん」

「オリ――あ」

 アナ=マリアの視線の向こう、書店の入り口にはオリビアが立っていた。やはり、グレーのジャンパースカートの制服を着ていた。

「キュータ君は貰ったら食べるって言ってくれちゃうよ。ただでさえ魔法が不安定なんだからそんな事しちゃダメ」

 

 レイはオリビア、アナ=マリア、アガートの三人を目が回るほどに見比べた。

 

「……どゆ状況?」

 

 一人取り残されている者の呟きは虚しく、四人は改めて自己紹介をし合った。

 夕暮れだったはずの外は、いつの間にか紫色に染まって夜になり始めていた。

 

「じゃあ、オリビアちゃんとアナ=マリアちゃんも見に行くんだ」

「うん。他にも昔馴染み二人誘ってね」

「……一人は信仰科」

「もう一人は?」

「……建築屋」

 

 アガートとレイは「け、建築屋……」と声を揃えた。

 

 四人は仲良く料理本をめくった。

「はぁ。やっぱりクッキーなのかなぁ……」

 アガートが言うと、オリビアとアナ=マリアは「それが無難だよ」と賛成した。

「……型で抜いたら?ハートとか」

「は、ハートはちょっと」

「……じゃあ、お花?」

 アナ=マリアの二度目の提案に唸っていると、アガートは「あ」と声を上げた。

「ちなみに、二人は何を渡すの?」

「私たちは四人で――」オリビアが答えようとすると、アナ=マリアが口を塞いだ。

「……秘密。これ以上は敵に塩。私たちは真似しないけど、二人が真似しない保証はないもの」

 散々こちらの情報を得て口出ししてきたと言うのにここにきて秘密か。

 アガートはこの子は大人しそうだが思ったより手強いかもしれないと思った。

 

「じゃ、私達もここからは秘密。この本買ってくる!」

 レジスターの前に座っていた優しそうなおじさんが本のお会計をしてくれる。

 そういえば、この二人は書店に何を買いに来たんだろう。二人はちっとも、自分たちの本を選ぶ様子はなかった。

 アガートが買ったばかりの本を手提げのついていない紙袋から出してレジスター前を離れようとすると、ドンっと人にぶつかった。

「ぶっ!!」

「わ、ごめん。またぶつかったね」

「こ、こちらこそごめんなさ――え?」

 聞き覚えのある声に、アガートが視線を上げると、泣いているような怒っているようなおかしなマスクを被り、フードを目深にかぶる男が自分を覗き込んでいた。

「キュ――」

「キュータ君、いらっしゃい」

「や、オリビア、アナ=マリア」

 キュータは優しそうに二人に手を挙げた。

 

「キュータ!なんでここに?」

「なんでって、ミリガン嬢こそ。勉強?えらいね」

「私はちょっと用事が……。キュータは対抗戦に使えそうな資料探し?」

「ん?はは、そんなことは校内図書館でするよ。専門書は学校の方が多いからね」

 確かにそれはそうだ。

 キュータはアガートの横をすたすたと歩いていくと、カバンから一冊の本を取り出した。

「アナ=マリア、これありがとう。面白かったよ」

「うん、キュータ君はきっと気にいると思った。次はどんなのがいい?」

「僕がここを離れてから出たようなのがいいな。自伝でも小説でも冒険譚でも。なんだって読んでみたい」

「ふふ、実はそう言うと思った。……だから、今回は私とオリビアちゃんの間で話題のこれ、どうかな」

 アナ=マリアが本を取り出すと、キュータは表紙を読み上げた。

「……日々、是海月草……?」

「小説。昔活躍した架空の冒険者が、全てを引退した後に海月草を買って育てるの。冒険者は根っこから動けない海月草を自分と重ねて可哀想になっちゃって水槽に放しちゃう。そしたら……」

「そしたら……?」

「……あとは読んでくれなきゃ」

「ははは。気になった。読んでみるよ」

 

 キュータは嬉しそうに表紙と背表紙を確認すると、カバンの中に本をそっとしまった。

 二人の会話を聞いていたアガートは、ふと一つ疑問を抱いた。

「キュータは、家庭教師受けてた間はわざわざ神都を離れてたの?前に言ってた人の少ない田舎?」

 なんとなく答えに窮するような雰囲気が仮面の向こうから伝わった。助けを求めるように一郎太の方へ顔を向ける。一郎太は当然のように一緒にいた。

「――そ。別にあるキュー様のもう一つのお育ちの場所。カインも出身はバハルス州で、国営小学校(プライマリースクール)を出た後は向こうに帰って中学入った。んで、また戻ってきたってわけ」

「実家はどこなの?今は寮なの?」

 アガートが言うと、一郎太は「寮じゃなくて家に帰ってるよ」となんでもなく答えた。

 神都にも家があると言うことか。やっぱりものすごいボンボンだった。

 レイも同じように感じてるのか「金がものを言う世界やねぇ」としみじみ呟いていた。

 

「――さて、そろそろ帰ろうか」

 キュータの一声で、皆カバンを持ち直したり、それぞれ必要な身支度をした。

 皆で外に出ると、キュータはオリビアの前に立った。

「こんな風に使っていつも悪いね」

「ううん、ちょうどいい所にあって良かったって思ってるよ」

「今度何か埋め合わせさせて欲しいな。おじさんとおばさんにも、お礼に何か持ってくるから」

「ふふ。いいの。本当に気にしないで」

「だけど……なんだか悪いな……」

「――じゃあ、キュータ君さ。一個お願い聞いてくれる?」

「もちろん」

 

 永続光(コンティニュアルライト)の灯った道で、オリビアは顔を赤くすると愛らしく笑った。

 

「私に一番似合うって思うもの、何か贈って欲しい!」

「はは、そんなこと。オリビアに一番似合うと思う物ね。何が良いかなぁ」

「なんでもいいよ。髪飾りでも指輪でもっ」

 ちゃっかり指輪をせがむ。この女子、小悪魔だった。

「――あ、クラス対抗戦見に行くからね!その時にでも持ってきて!」

 アガートとレイは「そ、それは!!」と思った。実質彼女宣言。周りを圧倒的に引き離す悪魔の所業。

 身に付けるものを贈らせるなんて、周りから見ればどう見ても告白だ。外堀が埋められてしまう。

 キュータの反応は、と皆の視線が集まる。

「分かった。用意しておくね」

「ありがとう!約束ね!」

 小指を差し出され、二人は指切りげんまんをして離れた。

「応援してるから、きっと勝ってね」

「あぁ、絶対に勝つよ。実は最初はあんまり目立たないようにしようと思ってたけど、本気でやることにしたから期待してて」

「え?珍しいね」

「僕もそう思う。ただ、これが一時間しか離しておけないから……それだけが少し気がかりかな」

 

 キュータは腕輪を見ると軽いため息を吐いた。

「そうだよね……。あんまり強い魔法使わないんでしょ?」

「怪我はさせたくないからね。使っても第三位階までって決めてる。でも、そんな縛りを使って二時間予定の模擬戦を一時間以内――いや、余裕を持って四十五分以内に攻撃魔法も範囲攻撃もなしに四十人相手を倒せるのか……カインがあれこれ考えてくれてるけど、少しだけ不安は残るかな」

 

 とんでもない発言だった。

 思わずアガートとレイが口を挟む。

「キ、キュータって第三位階より上の魔法が使えるの?」

「しかもスズキさん、四十五分以内に相手クラス倒すつもりなんすか?一人一分ちょいしかない……」

 キュータは肩をすくめた。

「どうかな」

「ど、どうかなって、何も答えになってない!」

「はははは。そうかな」

「そうかなも答えになってない!!」

「そうかぁ。――あ、アナ=マリア、家まで送ろうか?」

「……平気。すぐそこだから。でも、キュータ君。本のお礼に私に似合う物も、クラス対抗戦の日に用意してね」

「ははは、そうだね。アナ=マリアにも何か持っていくよ。――ミリガン嬢とレイは同じ寮だよね。皆気を付けて!明るくて死の騎士(デスナイト)のいる道を帰るんだよ!一太、帰ろう!!」

「キュー様、もう髪の時間がやばい!」

「――最悪自分で掛け直す!!」

 

 二人はいきなり走り出すとあっという間に見えなくなってしまった。

 

「な、なんなのよぉ……」

「首席……謎多き男っす」

 

 取り残されたアガートとレイは呆然と立ち尽くした。




やっとイケ好かないやつが出てきたぜ!!やっちまえ!!!

オリビアちゃんとアナ=マリアに一番似合うものとか渡したら一生着け続けちゃうでしょうが!
耳飾り?髪飾り?指輪?指輪だったらもうやばいよ。
こっちの女子対抗戦が気になるよ

次回!明日!!Re Lesson#10 クラス対抗戦前編


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Re Lesson#10 クラス対抗戦前編

 本日は晴天なり。

 教師陣が拡声魔法と警報(アラーム)の亜種の魔法を組み合わせ、パン、パン、と空に向かって空砲を鳴らす。

 魔導学院一年次クラス対抗戦。

 魔導学院にはものすごい量の人が押し寄せていた。

 一年の今のうちに優秀そうな生徒には唾をつけておきたい機関の者達も押し寄せる。

 

 国営小学校(プライマリースクール)で教師をするジョルジオ・バイス・レッドウッドは嬉しい便りを手に、同じく教師のパースパリーと共に魔導学院にやってきた。

「……懐かしいなぁ」

「ふふ、バイス先生から見たらこちらは母校ですもんね。母校で教え子が活躍するなんて……楽しみですねえ」

「えぇ、まさかキュータと一郎太がここに通うなんて思いもしていませんでした。キュータと一郎太、まさかカインの成長した姿も見られるなんて。――あ、もちろんペーネロペーも」

「私もうちのクラスにいたラファエロ・ダル・セルビーニ君の活躍を見るのが楽しみです!確か、"C組"なんですけど……」

「ラファエロ、昔は三人も従者を連れて通学してたけど――あ!いますよ、あそこあそこ!そうそう、あっちに生徒の待機タープが張られて押し込められるんだよなあ。ははは。暑そう」

 

 彼は昔、エルミナスと二人揃って殿下ではないかと目された少年だった。入学当時魔法を使えるたった二人の男子だったから。

 誰の成長も喜ばしく、あれからの時の流れや、子供達と過ごした日々がバイスの胸を熱くさせた。

 今の生徒達も特別だが、やはりあの六年間はどんな時代にも変え難い日々だった。皆が卒業してしまった後、しばらく燃え尽き症候群にかかってしまった程に。

 

「なるほど、生徒はあそこで待たされるわけですね。――ん?バイス先生あれ」

 

 パースパリーが眩しそうに見下ろす先には、見知った男。バイスは今日の日のために買った魔法道具の単眼鏡をきりきりと伸ばした。

 

「……ティアレフ先輩?」

 

 この魔導学院が作られてすぐに入学したバイスは、魔法学院の時代からフールーダの下で学んでいたジーダ・クレント・ニス・ティアレフの後輩に当たる男だった。

 魔導学院に通っていた頃、一年間だけ通学が被っているはずだ。自身も学生でありながら、フールーダの助手として授業の手伝いに後輩の教室に現れたりする彼はバイスの憧れの先輩だった。

 卒業後のバイスは魔術師組合に、ジーダは魔導省に。

 かつてキュータに腕輪を外すように説得した際、「神々に認められて選ばれたエリートだよ」と言ったが、もっとすごい人々を間近で見てきたことを思い出した当時の彼の頭に一番に掠めたのは、ジーダだった。

 もちろん、ジーダはバイスの事なんか一度も認識した事はなかっただろう。

 

 ジーダは自分の受け持ちらしいタープに女子が来てはそれを注意しているようだった。そして、ため息を吐いては女子達の手の中の物に何か魔法をかけている。

「……ううん?」

 ふと、見知った四人がそのタープに向かっているのが見えた。

 

「……アナ=マリアとオリビアと……レオネ……それからイシューか?大人っぽくなったな」

 と言うことは、あそこの下には――

 タープからは懐かしい仮面を被った黒髪の男子が出てきた。それから、赤毛のミノタウロス。

「きゅーたぁ……一郎太ぁ……」

 カインとチェーザレは卒業後もたまに学校に顔を見せに来て、自分達の活躍を一生懸命話してくれたり、勉強の相談をしてくれたりしていた。毎日の学校生活を書いた手紙をたまに個人宛に送ってくれたりもしているし、今日だって招待状のようなこの手紙を送ってくれたのは彼だ。

 カインとチェーザレの事は当然可愛く思っているが、卒業後は見かけることすら叶わなかった二人の大きくなった姿は、バイスの目を熱くさせた。

「っうぅ……立派になられて……」

 僕は許さないと、一郎太を傷つけられた時に宣言した日の声が今も忘れられない。

 四人娘は大きなバスケットをキュータに差し出し、ジーダが横から何か魔法をかけて「よし」と言う仕草をしている。

 キュータはそれを開けると、中から切られたフルーツを出していくつか仮面の下に忍ばせていた。

 

 あぁ、なるほど。

 

 ジーダはこうしてキュータに持ち込まれてくる物が魔法的な効果が付与されたものではないかを逐一確認してやっていたのだ。一体何回鑑定魔法を使っているのか、どことなく疲労感が伝わってきた。

「……はは、先輩苦労してるな」

 バイスは悩んだが、パースパリーに単眼鏡を渡すと立ち上がった。

「すみません、少し手伝ってきます」

「ん?はい!第三回生、頑張ってくださいね」

「はは、第一回生があんまり不憫で」

 荷物を観覧席――と言っても、板が段々に並んでいる簡易的に作られたようなものだが――に置いて、場所を確保してから「すみません。ちょっと失礼」と声をかけて下へ下へと降りていった。

 憧れの先輩だったはずのジーダを不憫に思ってしまうのは、彼の苦労を六年間先に味わってしまったからだろう。

 

 校庭に出て行こうとすると、昔懐かしい教師に声をかけられた。

「――レッドウッド君か?」

「あぁ、先生!お久しぶりです」

「やぁ、君の噂はよく聞いていたよ。何せこの距離だからね」

 教師は見え隠れする神都第一小の尖塔の屋根を指差した。

「幼い殿下によく仕えたそうだね。誇らしいよ」

「そう言っていただけると鼻が高いです。ただ、仕えさせていただいただけですっかり虎の威を借る狐になってしまった恥ずかしさは否めません」

「はっはっは、君がその物腰のままで安心したよ」

 バイスは教師界隈ではちょっとした有名人になっている。神からわざわざ、殿下を六年間受け持ち続けてほしいと頼まれた男だとか。

「――行くのかね?」

「……良いでしょうか?」

「もちろん、君なら」

 バイスは頭を下げ、疲れ切っているジーダの下へ走った。

 駆け寄ってくる部外者を見たジーダは一瞬怪訝そうな顔をしたが、ハッと何かに思い至ったようだった。

「――レッドウッド君!」

「っえ」

 生徒達が何だ?と顔を出す。ジーダは笑顔でバイスを迎えてくれた。

「じ、自分の名前をご存知で?」

「はは、当時の授業なんかもう覚えてないか。君が三回生だった頃、私は教室で君と何度か話したんだよ」

 バイスがまた一つジーダの人間性に感動していると、「バイス先生!」「バイスンじゃん!」と声が上がった。

「お、お前達!久しぶりだなぁ。だけど、今はちょっとティアレフ先輩と話すから、少し待って」

 本当はキュータ達に飛びつきたい気持ちでいっぱいだが、大人としてそれは許されない。

 

「はははは。なんだ、私のことは覚えてくれていたか。レッドウッド君、昔の教え子が気になってきてしまったのかい?」

「あ、いえ。キュータ達より、鑑定魔法にお疲れの様子のティアレフ先輩が気になりまして。自分もお手伝いを」

「バイスンがんばれー」と一郎太が言う方に手を振ると、ジーダはこの苦労を察してくれるかと笑った。

「助かるよ。流石に疲れた。まだまだ列は長いから……」

 そう言う視線の先には、自分の番を待つ女子がどっさりと山のようにいた。

 バイスは想像よりも大量の様子に顔を引き攣らせた。

 

+

 

 挨拶もそこそこに、バイスは女子達の中に飛び込んでいき鑑定魔法をかけまくった。

「ははは、バイス先生変わんない」

 ナインズが彼の公平性に笑うと、話を中断させられていた女子達が頷いた。

 

「ね、キュータ君!覚えてる?」

「……約束」

 

 バスケットを抱えたオリビアとアナ=マリアが言うと、ナインズは懐かしい教師の背からようやく目を離した。

「覚えてるよ。これ、大したものじゃないんだけどね。オリビアとアナ=マリアに」

 ナインズが胸に手を入れて出したのは、一筆箋用の細長い封筒が二つだった。

 それぞれ一つづつオリビアとアナ=マリアに渡す。オリビアはどんな手紙が入っているんだろうと封筒を開けた。

 

「――こ、これ」

 中には素敵なフサと飾りのついたブックマーク(しおり)が入っていた。

 一緒に収められている一筆箋には『いつもありがとう。キュータ』の文字。

 しおりは、本に挟む部分がプラチナで出来ていて、本から滑り落ちないように湾曲した先に魔石とフサが揺れた。

 オリビアには青を、アナ=マリアには黄色を。

 小さな魔石が付いただけのものだが、学生には――いや、普通の家庭では手に入れられないような、そんなあり得ない調度品である事は間違いない。

 それを裏付けるように、ナインズは告げる。

「夜にこっそり本を読む時はその石にこう言ってごらん。――<光れ>って」

 魔石は小ぶりだというのに、合言葉の呪文を告げるとパッと柔らかい光を漏らした。空から星をそのまま取ってきたようだった。

 

「な、なんですの?」

 レオネが横から覗き込む。オリビアとアナ=マリアは震えながらそれを見下ろした。

「<消えろ>、これで消えるからね。――似合うものって言ってたし、耳飾りとかブローチとかあれこれ悩んだんだけどさ。ブックマークの方が僕ららしいかと思って」

 アナ=マリアとオリビアはしおりを抱きしめると、もう立っていられなくなってその場にしゃがんだ。

「あ、ありがとぉお」

「嬉しい……。ど、どうしよう……」

「え?どしたの?アナ=マリア?オリビア?大丈夫?」

「アナ=マリア!?オリビア!?ち、ちょっと!?」

「お二人とも!?大丈夫ですの!?」

 イシューとレオネが横にしゃがんで骨抜きになった二人の背をさする。そうはしたが、一体何が起こっているのかイシューとレオネには分からなかった。

 

 すると、バイスが声を上げた。

「――ほら!そろそろ行った行った!!お前達、元教え子だからって先生が贔屓すると思ったら大間違いだぞ!!」 

「ば、バイス先生、ですが――」レオネが反論しようすると、バイスは首を振った。

「でもじゃない!もう行く!これから対抗戦のあるキュータに二人を運ばせるような真似させない!!――レオネとイシューなら分かるね」

 その言葉に、レオネは即座に頷いた。

 

「――皆様、わたくし達キュータさんと同じ小学校でしたの。残ったものは、皆様で召し上がってくださいませね。気を使う必要はありませんので」

 

 レオネは手近なところにいたワルワラにギュッとバスケットを押し付けた。

「お、ありがとうよ」

「どうぞお怪我なく。応援しておりますわ」

 レオネとイシューはオリビアとアナ=マリアを引きずって去っていった。

 

「はい、渡すもの渡してどんどん皆戻って!"A組"の作戦会議の邪魔して負けたら皆居た堪れないでしょ!!渡すものに名前なり手紙なり書いて!!できた子からどんどん渡す!!」

 バイスの指示に、名前と手紙を最初から付けていた子は「頑張ってね」とナインズに差し入れを渡し、握手をしてどんどん去っていった。

 そして、一番最後にアガートはクッキーの入った袋を持って現れた。

「て、手紙なんて入れてないよ」

「はは、そんなのいいよ。ミリガン嬢がくれたってことくらい覚えてられるから」

 アガートは嬉しそうに笑い、一番綺麗に焼けた五枚だけを入れた袋をナインズに、それから、一郎太にはちょっと汚くなった五枚を入れた物を渡した。たかがクッキー、されどクッキー。厚かったものは上手く焼け、伸ばし方が下手で薄くなった部分は焦げてしまった。

 

「はい、行った行った!」

 

 バイスが最後の一人を捌くと、ジーダは笑った。女子達から「あの先生誰ぇ」と若干怒りを向けられているのがなんとも言えない。

「レッドウッド君、朝飯前って感じだね」

「はは、このタイプの憎まれ役はもう慣れっこですよ。――じゃあこれで」

「いやいや、少し話して行きなよ」

「……先輩、すみません。そんなつもりで手伝いに来たんじゃ……」

「当然の権利だと私は思っているよ」

 バイスは頭を下げると、今度こそ振り返り、ナインズと一郎太、カイン、ペーネロペーを手招いた。

 

「皆……。皆が本当に立派になってて嬉しいよ。負けてもいい、目立たなくていい、かっこいいところなんて見せなくて良い――なんて絶対に思うなよ。うんと目立って、かっこいいところを見せまくってくれ。それでもって、勝つ。いいね」

 四人は頷いた。

「――キュータ、頑張って。一郎太は必ず腕輪(それ)を守ってくれる。応援してるよ」

 キュータはバイスと抱きしめ合って背を叩き合うと「感謝します、先生。本当に……」と告げて離れた。

 そして「ぶちのめしてやりますよ!!」とカインが言うと、バイスはおかしそうに笑って去っていった。

 

 ちょうどそのタイミングで『対戦組分けを始めます。代表者一名、前へ』と杖で拡声された声が響いた。

 

「行け!首席野郎!!」

 

 ワルワラに背を叩かれ、ナインズは走っていった。

 

+

 

 組は全部で「A」「B」「C」「D」あった。

 "A組"からくじを引く。

 ナインズの手の中には三番の数字。

 

「私が四番を引いたら、一回戦敗退だねぇ」

 隣でアレクサンダー・デイル・ベルト・リッツァーニが不適な顔をした。

「そうならないと良いね。そうなったら"B組"に()()や。君たちがあそこにいられる時間は四十五分しかないと思うから」

「なんだと!!」

 リッツァーニは怒りすら垣間見える視線をナインズに送ると、箱の中に手を突っ込んだ。

 たった三枚しかない紙だ。これで四番以外を引いて、魔力が減ってしまってから挑む二回戦目には"A組"は回せない。

 これだと思う紙を取り、開け――

 

 ――

 

 ――

 

 ――

 

「どうです?」

「こいつ中々引きが良いな。ははは、四番だよ」

 アインズとフラミーはリッツァーニの手の中から紙を引き抜いて確認した。

 停止した世界の中で、アインズは箱の中からもう一枚紙を取り出した。

「一番にしといてやろう。ナンバーワン。二番よりは嬉しいでしょうしね」

「ふふ、微妙すぎる優しさです。そのままが一番嬉しいだろうに」

 フラミーがおかしそうに言う。アインズは「だって」と続けた。

「一発目からここに当たって、二回戦目で魔力切れ多数なんてつまんないですからね」

「魔力温存も戦略のうち、ですね。二回戦目でひいひい言いながらも必死になって戦ってくれた方が見応えあります!」

「そう言うことです。――九太も、君も頑張れよ。見てるからな」

 リッツァーニの手の中に、一番の紙を戻す。

 運命の四番は再び教師の持つ箱の中に吸い込まれた。

 

 ――

 

 ――

 

 ――

 

 リッツァーニは手の中の紙の番号を見ると「ちっ」と声を上げた。

「延命されたようだね。――先生、一番です」

 結果、"A組"は"C組"、"B組"は"D組"と当たった。

 どちらが第一回戦かは、またくじ引きが行われ、生徒達はそれぞれ自分の陣営に戻って行った。

 

「魔力は使いすぎずに!"C組"も強いだろうけど、あんまり派手なことはしないで行こう!!」

 

 そんな作戦を打ち立て、"A組"は一回戦目を迎えた。

 

+

 

 現役教師達やフールーダの挨拶も終わり、戦うクラスが持ち場につく。

 バイスは単眼鏡を覗いてごくりと喉を鳴らした。

 早速キュータ達のクラスが出てくるのだ。相手はしかも、パースパリーのところのラファエロがいるクラス。

 パースパリーとバイスの間に言葉はなかった。敵サポーター同士、若干空気が悪い。

 

 "A組"の前線はなぜか、全員そろってフードを深く被り俯いたまま位置についた。

 

「あの方はどこかね?」と誰かが言う。

 神都に暮らす人々は皆キュータのことを――いや、ナインズのことがわかっている。その中でもここに通っていることに気が付いた者達が駆けつけて見に来ているのだ。

 

『時間は二時間!ただし、二時間経つ前に続行不能になればその場で終了じゃ!始め!!』

 

 フールーダの声に"C組"は一斉に地面に線を引き始めた。

 隣の者同士と線を繋ぐ事で巨大な四角が完成していく。

 

 一方、せーので顔を上げた"A組"の前線部隊は――全員仮面を付けていた。

 会場内をどよめきが溢れる。

 "C組"はその異様な光景に一瞬とはいえ立ちすくんだ。どこに首席がいるのか、誰が首席なのか分からない。何を一番に狙えば良いのか分からなくなったのだ。

 

 その隙に集まれ集まれと生徒達の声が響き、"A組"の前線係、キュータ陣営が中心に集まる。

『<浮遊板(フローティングボード)>!!』

 第一位階の魔法が何人かによって唱えられていく。

 

 呆気に取られていた"C組"の中を、支援魔法が飛ぶ。

 こちらも第一位階の魔法で勇気付けるという、高度な戦いだ。

 徐々に我に帰った者が檄を飛ばし、"C組"もようやく魔法を使った。

『―<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>!』

 一斉に魔法が唱えられ、"C組"の書いた四角内に結合部の荒い巨大な紙が現れた。

 

「へぇ、人と一緒に作るとあんなふうに……」

 バイスが感心の声を上げる。

 "C組"の支援系の者達も前線の者達も今出来た横断幕のように大きな紙の中に何かを生み出していた。

 あれはなんだと目を凝らしていると、どうも塩のようだった。

 いや、塩だけじゃない。香辛料まで巨大な紙の中にどっさり作られて行った。

 まさかそれは――と思っていると、大量の塩と香辛料が乗った巨大紙が『<浮遊(フローティング)>』の魔法によって"A組"の頭上へ飛んでいった。

 

『――カインが前線隊の邪魔をさせるなって!撃ち落とせる子撃ち落として!!』

 

 情報交換係が支援系に叫ぶ。

 キュータ陣営の前には五枚の<浮遊板(フローティングボード)>が貼り付けられた箱ができていて、中には大量の水が入れられていた。間違いなく敵陣C組の頭上に降り注がせるつもりだろう。

 水責めか香辛料責め。どちらもごめん被りたい。

(こ、これはお互いいやらしい戦い方――)

 と、思っていると、"A組"キュータ陣営の後方からヒュッと音を立てて一本魔法の矢(マジック・アロー)が飛んでいった。

 

 ボスっと穴が空いたところから塩と香辛料が浮遊板(フローティングボード)の中の水へ落ちていく。

 水は軽く赤く染まり、ゾッとする見た目に変化した。

 ただ、綺麗に香辛料全部が水の中に入ったかと言うとそうでもなく、風に乗って随分香辛料が舞った。

 

 A組の仮面を付けていない指揮司令係や補助係は辛いのか泣いている者やくしゃみをする者達で溢れていて、ものすごい嫌がらせだと教師陣を唸らせた。

 しかし、キュータ含め、前線にいる者達は仮面を付けていたので予想外にも無傷だ。

 赤い水が張られた浮遊板(フローティングボード)がゆっくりと動き出す。

 すごい量の水だ。あの重さに耐えるとは、側面ももちろんすごいが、底面は誰が作っているんだと話題になった。

 バイスは「僕の教え子です!!」と言いたかったが、黙って応援した。

 

 "C組"は何をされるのか察すると香辛料入り水から逃れるために蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

「ぐぬぬ……」

 隣のパースパリーが悔しそうだ。

 ふと、バイスの耳に聞き馴染みのある美しい声が届いた。

「ペーネロペー……」

 彼女の歌声はこんなだったかと、うっとりと耳を傾ける。

 逃げ出そうとしていた"C組"前線隊も思わず歌声に聞き入った。

 だが、女子にペーネロペーの魅了の歌は効果が薄い。

 抵抗の魔法が飛ばされると、女子達は次々我に帰り、男達を引っ叩いて目を醒まさせた。

 力技だが、抵抗の魔法とて魔力を使うし、何より第一位階は一年次にそう連発できる代物ではない。あまり魔力を使いすぎれば第二回戦で絶対に負ける。

 

 全員が我に帰ったところですべては遅かったようで、浮遊板(フローティングボード)が消える事で彼らの頭上には赤い雨が降り注いだ。

 香辛料攻撃に鼻水と涙がすごい"A組"は、相手にこれを返せたことに大喜びで次の作戦に取り掛かった。

 

+

 

『勝者、"A組"!!』

 ナインズ達は雄叫びを上げて互いの手を打ち合った。ナインズの腕には封印の腕輪が戦闘中から既に戻っている。

 最後は対個に近い魔法戦が繰り広げられ、拮抗する力に会場は大いに湧いた。

 

 "C組"からラファエロ・ダル・セルビーニが駆けてくる。

 ナインズは校内ですれ違うことはあっても、ずっと話をしてこなかった懐かしい顔に手を振った。

「ラファエロ!」

「キュータさん!久しぶり!」

「久しぶり!お疲れ様!」

「そちらこそ!すごく面白かったよ。とんでもない目にあったけどね」

 

 二人は笑い合った。ラファエロの制服はうっすら赤くなってガビガビだ。髪の毛も大変なことになっている。

 

「ははは、君たちがあんなことしなかったらただの水だったのに」

「まさか浮遊板(フローティングボード)を五枚も合わせて風呂桶にするなんて誰も思わなかったから。接合面、どうなってたの?」

「最初に少し入れた水を凍らせてくっつけてたんだ。長い時間は難しいけど、あのくらいの時間ならくっついてられるもんだね。カインとパルマって子が考えたんだよ」

「へー、シュルツ君が。感心するなぁ」

「本当にねぇ。僕も感心した」

 

 二人の視線の先には指揮司令係達が胴上げされていた。

 一郎太に肩車されるカインは振り落とされないようにツノに掴まって笑っている。

「皆いい仲間に恵まれてるよ。見てて安心する」

「ふふ、御身も」

 ラファエロが言うと、ナインズは「そうだね」と穏やかに答えた。

「キュータさん、次、"B組"だよね」

「うん、十四時からだね」

「気を付けて。放課後の特訓、実は少し見ちゃったんだけど、あんまり穏やかな感じじゃなかったよ」

「……みたいだねぇ。やれやれ」

「……まぁ、御身なら大丈夫だろうけど」

「ん?はは。そうだといいな。頑張るよ」

「応援しています。それでは!」

 ラファエロが立ち去ろうとすると、ナインズは「あ、待って」と声をかけた。

「――ん?」

「ラファエロ、ありがとう」

「何が……?」

「僕の事、誰も噂していないよ」

「ははは。言いふらして天罰が降るのが怖いだけですよ。私は御身に声をかけていただけているって、本当は世界中に喧伝したいんですから」

 

 ラファエロは照れくさそうに笑い、小走りで自分のクラスに戻って行った。




ラファエロなんちゃら君、小学生時代に名前が一度だけ出てきているんですが、本当は小学生時代に生贄にする予定の子でした。
生贄にならなかったけど!!
いやー本当、大きくなっちゃってねぇ。

次回!明後日!
Re Lesson#11 クラス対抗戦後編


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Re Lesson#11 クラス対抗戦後編

 第二回戦も終わり、ある程度の魔力が戻り始めた午後二時。

 "A組"はナインズに大量に持ち寄られた差し入れを食べ切った。

 

「――これ、焦げてるのかな?」

 ナインズはアガートに貰ったクッキーを袋から出してつぶやいた。

「ん?ハズレですか?俺のは焦げてなかったですよ」

 一郎太が最後の一枚を口に放り込むと、ナインズは「そうかぁ、これが焦げたクッキーってやつかぁ」と感慨深そうに呟いた。

 噂に聞いたことしかない物体はほろ苦かった。

「……うーん、父様と母様って、こういうの食べたことあるかな……」

「……ないと思いますよ」

「持って帰ったら喜ぶかな……?」

「絶対喜ばない。食べちゃってください」

「そっかぁ……」

 またひとつ新しい事を知る。世界は広い。

 

『"A組"、"B組"。第三回戦を始めます。持ち場につきなさい』

 

 教師の拡声された声が聞こえると、皆持ち場へ向かった。

 相変わらず前線隊は仮面とフードを着けている。

 第一回戦で見た光景なので、"B組"は別に驚きもせずに迎えた。

 離れたところにリッツァーニがいた。

「――あいつ、泣かせてやろうぜ」

 ワルワラが耳打ちしてくると、ナインズは流石に苦笑した。

「そんな意地悪なことは言わないで。ただ、参ったって言わせるだけでいいよ」

「それ、泣くんじゃないか?」

「……そうなの?」

「そうだろ?」

 

 二人で喋っていると、フールーダの午後のありがたいお説教は終わり、『始め!!』と声が響いた。

 

 ナインズはまず自分の腕から封印の腕輪を抜くと、それを放り投げた。

 ものすごいスピードで救護運搬から一郎太が駆け出し、空中でそれをキャッチして自らの腕に入れて戻っていく。

 彼は魔法が使えないのであの腕輪をつけても何も感じるものはない。

 

 相手からは一斉に<浮遊(フローティング)>の魔法が飛んできた。

 皆杖が飛ばされないようにキツく握りしめたが、飛ばされたのは仮面だった。

 ヒュッと音をあげ、全員の仮面が飛ばされる。

 視界が遮られない魔法がかかっているだけのナインズの嫉妬マスクも、当然のように吹き飛んだ。

 フードと髪の毛が芸術的に舞い上がり、キャー!だの、かっこいいだの、こっち向いてだの、ものすごい歓声だった。こっち向いてはスパイだろうか。

「っ!」

 嫉妬マスクは父から譲られたものなので誰かに間違えて持っていかれたりしたら大変だ――そう思って振り返りかけた。やはり一郎太が駆け出すのが見える。

 

 安堵すると、体を何かに掴まれる感覚が襲った。

 何が、と思っていると、ナインズに向かって杖の先を向ける者がいた。

「――<束縛(ホールド)>か」

 だが、可哀想だがレベル差がありすぎるため、ナインズは容易に抵抗した。仮面が外れるまで誰が誰だか分からないのだから、あらかじめ左から何番目とか、そう言う風に受け持つ者を決めていたのだろう。誰にされてもナインズを捉えることはできなかっただろうが、彼の魔法は拙い。

 とは言え、周りでは取りこぼされている者はおらず、仲間は皆動きを止められていた。

 

 ナインズはまずは隣で固まるワルワラに抵抗魔法を送った。

「ありがとよ!」

「いや!」

 そして、ワルワラは切れ気味に自分を拘束した相手へ魔法を放った。魔法を使う瞬間、瞳は赤く光っていた。

「よくもこの俺を!<睡眠(ヒプノティズム)>!!」

 相手にワルワラの魔法が到達するより早くナインズも同じ者へ魔法を送る。

「<抵抗弱体化(レジストウィークニング)>!!」

 同時に二人の魔法がかかると、ワルワラを拘束した生徒は倒れて眠りに落ちた。

 

 周りでも生活魔法や痛みを伴わない第一位階程度の魔法が放たれ合う。

 そんな中、相手は第一回戦で"A組"が作ったものと同じものを拵え始めていた。

 浮遊板(フローティングボード)で作られた巨大な箱に、香辛料入りの水が大量に溜められていく。ただ、重さに耐え切れるのか怪しい。

 少なめの水だが、それは一気に"A組"に向かって飛んできた。

「あいつらパクりやがって!!皆離れろ!!」

 前線組がワルワラの一言で後ろに逃げ始める。司令部、及び伝令からも「引いて!引いて!」と声が上がる。今あれを撃ち落としたところで、水は傍若無人に流れ出てしまうので、落とすよりも魔力を温存して引くほうが正解と判断されたのだろう。

 

 相手チームはここぞとばかりに戦線を追い上げてきた。

 その中にリッツァーニを見つける。

 リッツァーニの視線の先はナインズではない。杖を向けて狙いを定めようとしている。

 

(何を狙っているんだ?)

 

 ナインズは視線の先を追った。

 

「――カイン」

 

 そこでナインズの足は止まった。

 

「――おい!スズキ!!スズキお前も下がれ!!」

「断る!!<恐怖(フィアー)>!!」

 このくらいの歳の者達は皆、杖の先を目標にきちんと向け、イメージを確かに作ってから魔法を放つ。事故防止のためにこれは徹底して守らなければならない約束だ。

 今にも魔法を飛ばそうとしていたリッツァーニの体が跳ねた。ゾッとして杖を落としたようだった。

 

 彼はこの浮遊板(フローティングボード)には関わっていなかったようだが、ナインズの頭上にはもはや避けようのない水が一気に襲ってきた。

 

「っち!――<衝撃波(ショックウェーブ)>!!」

 

 ナインズから大気を歪ませる不可視の衝撃波が放たれる。全身鎧を大きく凹ませることすら容易い威力を持つ力は、香辛料水を敵チームへ向けて雨のように降り注がせた。敵チームも味方チームも「第二位階だ!!」と驚きに声を上げた。

 多少飛ばしきれなかった分がナインズの髪や肩をうっすらと濡らす。頭から顎へ向かって水が滴っていくと、前髪を後ろへ送った。

 そして、思いがけず唇を舐めた。

「……(から)いや」

 また味わったことのない味だ。薄くて旨みがなくてまずい。

 

 雨も収まると、敵チームは顔を拭ってまた迫ってくる。女子はびしょ濡れになってしまったので回復係へ逸れて行った。

「<聖なる光線(ホーリーレイ)>!」

 ナインズの手の中で光が弓の形になる。ギリギリと引き絞り、一番前まで来ていた生徒の足元を光の矢が直撃した。

 泥と砂が飛び散るとんでもない嫌がらせだった。

 

 "A組"の者達が歓声を上げて前線まで戻ってくる。

「お前!第二位階もそんなに使えるのかよ!!」「この化け物!!」「お前は確かに首席だよ!!」「実技満点!!顔満点!!」

「は、はは。ありがとね」

 ナインズは少しやりすぎたかと思った。会場はかなり盛り上がっていた。フールーダが椅子の上に立ち、机に片足を上げて拳を突き上げて何か言っている。

『もっと!もっと全部をお見せください!!』

 あのおじいさん、授業中はセーフのような感じがしたのにここに来てかなりギリギリだった。

 

 そして、「キュー様!!あと三十分!!」と一郎太の声が聞こえる。

 まだ眠りに落ちた一人と、びしょ濡れの女子達しか離脱させていないのに既に二十分。

 クラスの全員がなんとなくその意味を理解する。何故そんなものが必要なのかは分からないが、とにかくキュータ・スズキは力を使う時間を定めている。

 

「作戦A開始!!」

 カイン達指揮司令係が伝令交換係に伝える。

 

 乱戦が始まり、時に人の足元に攻撃魔法がドカンと落ちては砂と香辛料を含んだ泥が飛び散る。

 双方女子が濡れた服を乾かすために運搬手当係と戦場を行ったり来たりする場面が見られたり、ワルワラがローブも上着も脱ぎ捨ててスルターンスタイルで突貫したりした。

 杖を弾き飛ばされても、多少弱体化した魔法を指先から飛ばす者もいた。

 

「――時間がない。そろそろキュータ様にBで行くように伝えて!!」

 カインの声が後ろからうっすら聞こえると同時に、伝令係のジナが叫ぶ。

「――キュータさん!Bですわよ!!空へ!!」

 ナインズが「ジナ、任せろ!」と叫び、<飛行(フライ)>で空に上がると、"B組"はざわめきを持って見上げた。

 

「<飛行(フライ)>!?第三位階!?」

「一年だぞ!?<浮遊(フローティング)>で複数人に上げられてるんじゃないのか!?」

 

 怪我はさせない。ナインズは天に杖を向ける。

 "A組"はその合図が何を意味するのか分かっている。皆が目を閉じ顔を背ける。

「――<太陽光(サンライト)>!!」

 第三位階の信仰系の魔法だ。強い光を投射して相手の目を眩ませる。アンデッドであればダメージを与えるが、ここにいる人々なら――いや、外から様子を見て応援してくれていた死の騎士(デスナイト)が「ひぃ〜!」と言う雰囲気で頭を抱えた。

 心の中で皆に謝りつつ、一斉に戦線が追い上げを見せ始めるのを見ると思わず笑いが漏れた。

 

 地上でリッツァーニが「視界を取り戻させてくれ!!支援は何をやってる!!」と叫ぶ。

 そして――「くそ!!どこだ首席!!この!!――<魔法の矢(マジック・アロー)>!!」

 適当な角度で放たれた魔法が空高く飛んでいく。

 

 本人も誰もナインズ本人に直撃させようと思ってのことではないと理解している。威嚇にすぎないと。だが、このままでは――魔法が落ちていく先には観戦者達。

 その放物線を誰よりも早く察知した一郎太が武技を使って地を蹴る。

 ドカンと物凄い音を鳴らして砂嵐を巻き起こした。

 魔法を受け止めるために動いているのだから当然だが、このままでは一郎太に直撃する。

 

 ナインズはあまり色々な事は考えなかった。

 しかし、一郎太もナインズも通常の人間の知覚速度を大きく上回っている。

 特に、ナインズは純正の魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない。

 シャルティアとコキュートスすら師と仰ぐ彼は――。

 高速で頭の中に様々な可能性が弾き出されていく。

「<次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)>!!」

 瞬きひとつする隙すら与えず、逃げ出そうと中腰になる観客の前に転移した。

 フールーダをはじめとした教師陣営も杖を抜いて魔法を食い止めようと杖を振ろうとしている。

 一郎太が「ナ――」と声を上げる。

 

「――ッッ<龍雷(ドラゴンライトニング)>!!」

 

 バチリとナインズの左右の腕に白い雷撃がのたうつ。

 杖を向けた先、落下してくる光の玉へ向かって龍のごとき雷が瞬時に駆け抜けた。魔法が見えていた時間は一秒に満たず、詳細が見えた者はいなかっただろうが、龍は光の玉をバクリと口に含んだ。

 

 派手な爆発が間近で起こり、観客も教師も爆風から頭や顔を守った。

 ナインズは一番そばにいた観客の三人を爆風から庇った。

「無事か!」

「あ、あ、は、はい!」

 返事をしたのは獣人だ。口をきく時間が惜しいので、くしゃりと頭を頭を撫でることで「良かった」の返事とした。

 

「キュー様!」

「――一太、お前も無事か!」

「はは、俺は守って貰ったから無事に決まってんでしょうに。でも、あのくらいレジストリしますよ」

「……そ、そうか。なんか体が動いてたよ」

 

 一郎太の前にふわりと降り立ったナインズは、ようやく<飛行(フライ)>の効果を切った。

「はい、これ。着けて」

 ぽん、と手の中に返されたのは腕輪だ。ナインズは一郎太を見上げた。

「もう四十五分経っちゃった?参ったな」

「さぁ?もう戦いたい奴はいないだろうし、何分だっていいんじゃないすか?」

 "B組"は腰を抜かしていた。いや、仲間のはずの"A組"も腰を抜かしていた。

 

 ナインズがポリ……と頬をかく。

「えーと……僕、今何の魔法使ったか忘れた」

「夢中になりすぎ。<龍雷(ドラゴンライトニング)>使ってたから、多分第五位階でしたよ」

「あぁあぁ……。魔法の矢(マジック・アロー)程度にやりすぎたな……」

「でも、雷撃系はやっぱり飛んでいくスピード速いですよ。あんまり間違った選択には感じなかったですけどね」

「……そう言う問題じゃないの。第三位階に<雷撃(ライトニング)>もあったのにさ」

「<雷撃(ライトニング)>じゃ貫通して行っちゃうし、やっぱり正解でしたよ。少しでも遠くで確実正確に粉砕できる最適解」

「はー、あんまり目立ちすぎないようにと思ってたはずなのに――」

 

 次の瞬間、観客から爆音の歓声が上がり、ナインズはそのあまりの声量に一瞬前へつんのめった。

 一郎太が隣で笑い、『"B組"、戦闘続行意思なし!!勝者、"A組"!!』フールーダの宣言が響いた。

 たった四十分の出来事であった。

 

 "A組"の皆はナインズに駆け寄り、「最後のは一体何位階なんだよこのヤロー!!」と自然と胴上げされた。

「わ!あ、危ないよ皆!」

 わっしょいわっしょいと持ち上げられるナインズの焦りとは裏腹に、皆「落ちたら<飛行(フライ)>で飛べ!」と大笑いした。

 腕輪をしている時は<飛行(フライ)>は格好つけてから落下する程度の力しかない。

 一郎太は「危ない!危ないっての!!」と周りでわたわたした。

 

+

 

 アレクサンダー・デイル・ベルト・リッツァーニは地面にへたり込んでいた。

「わ、私の魔法が……」

 人を傷つけようと思ったわけではなかった。

 首席に尻拭いをされた。

 最後の魔法のスピードなら、観客を背にしなくてもリッツァーニの魔法は打てただろう。だが、万が一にも外れたり、魔法を撃つはずの魔法が追いつかなければ魔法は二撃になって観客を襲う。それに、爆風の向きが観客へ襲う方向になればそれだけで火傷を負う者も出かねなかった。

 あの一瞬の出来事の中で、最高の判断だった。

 

 クラスの者達は悔さと、絶対あんなの敵うわけがないと泣いた。

 ゾフィ教諭に「鼻っぱしらべきべきにしてやんな」と言われたという事もあったが、リッツァーニが散々皆を焚き付けた。

「首席墜としの称号を取ろう」と。

 ゾフィ教諭は「皆よくやったじゃないか。第一回戦で学んだことだってすぐに使ったんだ。百点だよ」と拍手してくれていた。

 だが、リッツァーニは、「またこの悔しさか」と地面をぎりりと握りしめた。

 

 この感情の始まりは、幼児塾の頃。

 

 そもそもリッツァーニ家とシュルツ家の仲は良い。

 隣同士の領地で、お互い大変な時には力を貸しあって来た良き隣人だった。高慢ちきな貴族同士が隣り合うといざこざや領地争いもあったらしいが、ことこの二つの家には無縁の話だった。――無縁にならないような貴族は粛清されたともいう。

 だから、まだ子供だったが、アレクサンダーはカインと同じ幼児塾に行けるんだと親に言われて嬉しかった。

 シュルツ家には世話になっているし、シュルツ家もそう思ってくれている何よりの仲間だと聞いていたから。大人になれば二人で肩を並べて手を取り合うのだとも。

 初めての外の世界。近所の友達たちはいたが、カインはアレクサンダーが自分で作る初めての友達になるはずの人だった。

 アレクサンダーは親と手を繋いで大喜びで市境の幼児塾に通い出した。

 

 クラスはカインと同じだった。

 嬉しかった。

 

 だが、アレクサンダーはカインに言われた。

「君なんかと僕は生まれも育ちも違うんだよ。気安く話しかけないでくれるかい。せめてまともなレベルになってから頼むよ」

 いや、もっと子供らしい言葉だったかもしれない。しかし、要約すればこう言われたのだ。

 まだまだ幼かったアレクサンダーには、自分に何が足りないのか、どうしたら良いのか、何一つ分からないまま、友達になれると信じていた人から受けた傷にもがいて泣きながら家に帰った。

「お前が何か粗相をしたんじゃないのか?」

 父に言われ、母に慰められ、アレクサンダーは自分なりに色々できるように頑張った。

 ひとつ得意なものができるたびにカインに話しかけにいったが「そんなのチェーザレでもできる」とあしらわれた。

 

 国営小学校(プライマリースクール)に上がると、カインはいなかった。

 アレクサンダーはほんの少し安心した。

 もう自分を傷つける人はいないと。

 

 ただ、たまにカインの噂が耳に届くようになった。

 

 神都第一小で神の子に気に入られているなんて、恐ろしい噂だった。

 アレクサンダーの気持ちはめちゃくちゃになった。

 神の子にすら認められるようなカインに一度もまともにやり取りをしてもらえなかったのは、やっぱり自分がダメな奴だから。

 小学校では必死に勉強をしたし、魔法を使えるようにもなった。

 いつかこれで、今度こそカインに会った時には――そう思っていた。

 

 その機会は小学校卒業と共に訪れた。

 

 やはり、市境にある中学校。

 ここでアレクサンダーはカインと再会した。

 カインに話しかけると、カインはアレクサンダーを心よく受け入れてくれた。何よりも嬉しかった。

 努力は実り、ここからやっと自分とカインの友情物語は始まるんだと。

 だが――カインは誰でも受け入れていた。

 意味がわからない。

 そして、周りの誰と話す時とも同じようにアレクサンダーに話しかけてきた。

 

 アレクサンダーは悟った。

 言外に「お前なんかその辺の有象無象と同じなんだよ」と言われているとしか思えなかった。

 なんとかカインを出し抜きたいと思ったが、カインはゼロ位階しか魔法も使えないままのくせに成績は首席で卒業して行ってしまった。

 卒業式の日には、「君もよく頑張ったよ」と見下され、アレクサンダーはまたカインへ怒りを燃やした。

 

 再びまみえた魔導学園。

 アレクサンダーは、やはり敗北者になった。

 

 子供の頃からの傷は生々しく広がり、泣くことがやめられなかった。

 認められる者になれないと言うことがこんなに辛いなんて。

 魔法が得意だと思っていたのに、首席はそんなレベルではなかった。

 そりゃあ、あのレベルでなければダメではアレクサンダーなんか人生を五回やり直したって到達することなんか不可能だ。

 先ほどの雷撃魔法なんか見た事もない。一体何位階のどんな魔法なんだ。少なくとも、それは第三位階に収まる魔法ではないのではないかとすら思えた。

 

 仲間も皆泣いていたが、アレクサンダーの涙は誰よりも多く流れていった。

 皆嫌いだ。優秀なやつなんか一人もいなくなれ。

 そう願っていると、アレクサンダーの背はさすられた。

「君もよく頑張ったよ。今回はちょっと相手が悪かっただけさ」

 誰だろう。優しい声だった。

「うぅ、ごめんなぁ。私の力不足で――」

 そう言って顔を上げると、目の前には首席と、この世で最も憎むべきカインがいた。

 アレクサンダーは硬直した。

 

 首席は笑いながら、アレクサンダーの前、地面に座った。

「や。リッツァーニ――だっけ。よく頑張ったよ、本当に。強かったね。最後は僕も半分頭真っ白だった。何やったのか分からなくなってたもん」

「ははは、キュータ様がいなかったら、勝敗は分からなかったね。今回は"A組"が勝ったけど、僕らは今しっかりズルした気分さ」

 カインもアレクサンダーの隣に座って笑う。

 アレクサンダーは意味がわからず二人を見た。

「……ば、ばかにしてるのか?」

「え?ごめん、対抗戦も終わったから、もういいかと思って。ほら」

 首席が辺りを見渡す。アレクサンダーも釣られて周りを見渡す。

 皆、クラス関係なく慰め合って、讃えあっていた。"A""B""C""D"、全てのクラスが出てきていた。

 

 ――あぁ、こうありたかったんだ。

 

 アレクサンダーの瞳からはまた涙が溢れた。

「……私は……子供の頃からずっとシュルツ君の背中を追いかけていた……。君なんかとは生まれも育ちも違う、もう少しましになってから話しかけろと言われてから、私はずっと……君を憎んで、追いかけていたんだ……」

 首席とカインはギョッとした顔をした。

「……カイン、ちゃんと謝りなよ。君、何てこと言ってるんだ」

「ご、ごめん。そんなことあったかな……。……いや、きっと僕は言ったんだと思う。本当にごめん……」

「……一人だけそんな風に大人になって……ずるいよ……。私の心の傷はそんなことじゃ癒えないし、忘れることだってできないのに……」

 アレクサンダーの悔しさはまた膨らんでしまった。こんなことが言いたいんじゃないのに。ただ、友達になりたかったんだと言いたかったのに。

「そ、それはそうさ。無理して僕を許す必要なんかないよ。だけど、僕は中学の頃、ずっと君の魔法の才能が羨ましかった。君はきっと、優秀な生まれもあるんだろうけど、たくさんの努力でもそうなったんだろう。君は本当にすごい男だよ」

 カインがそう言うと、アレクサンダーはまた少し泣いた。

 

+

 

「はぁ……。キュータ様に会うのが遅すぎた……」

 夕暮れ時、カインは肩を落として学院の前庭に座っていた。

 そばには、観戦に来ていたチェーザレやロラン、リュカ、エルミナスもいた。

 皆の視線の先には、男女、年齢、出張機関を問わずものすごい勢いで人に囲まれるナインズがいる。

「遅すぎたって言っても、皆はまだ六歳だったんだからねぇ。私なんか落ちぶれた二十四歳だったよ」

 三十三歳、エルミナスが大人びた口調で言う。彼も少し背が伸びた気がする。小学校卒業年次程度だろうか。

「僕はどうしたらいいんだろう……」

「親と謝りにいくくらいしか私には思い浮かばないなぁ。皆はどう思う?」

 リュカは自分なりの考えを口にした。

「俺はそれで親と揃って謝りにこられたら逆にバツが悪いかもなー。そんな子供の頃ごちゃごちゃ言って、ってうちの親父なら言うかも」

「リュカの言う事も正直あるよね。僕も逆に親に怒られちゃいそう。でも、傷付けられた方にとっては人生左右するくらいの出来事だったと思うと、また難しいよ」

 ロランも言う。皆の中で、一番残念そうなのはチェーザレだった。

「カイン様はあれから本当に頑張ってました……。僕は一番そばでずっと見てたから、今更リッツァーニがそんなこと言ったって知ったことかって思いますよ」

「それはそれ、これはこれなんだよ。チェーザレ……」

「でも、リッツァーニだって何にもわかってないくせに……」

 

 静かに話を聞いて、庭で困ったように笑うナインズを眺めていた一郎太もやっと口を開いた。

「……バイスンにさ、頼んでみたら?」

「……何を?」

「説明してもらうんだよ。カインはめちゃくちゃ神の子に無礼なことを言って、絶対に許さないみたいなことまで言われて、泣いて泣いて改心したんだって。お前も惨めな思いをしてきたかもしれないけど、カインもチェーザレもあの時、相当惨めだったぜって」

 バイス組男子達はあの日を思い出して苦笑した。

「神の子がたまたま許してくれたからこうして真人間になりました。すみませんでした。――な?」

「……反論の余地もないね」

「――そんなことがあったのか」

 

 カインは後ろから聞こえてきた声に驚きを持って振り返った。

 リッツァーニは泣き腫らした顔でカインを見下ろしていた。

「あ、あ……。ご、ごめん。どうしたらリッツァーニ君の気持ちが楽になるかなって思って……。言いふらしてたんじゃないんだよ」

「……わかってる。シュルツ君も、苦労したんだね……」

 カインは俯き、首を振った。

「……少しの間不登校になったけど、自分の撒いた種だったから……。それに、僕は本当に嫌なやつだったからさ。なのに、許しも学ぶチャンスも、当時たまたま殿下にいただけただけなんだ……。"だから僕は変わったんだぞ"なんて事は言えないけど……でも……本当にごめん。今は心からそう思っているよ……」

 

 リッツァーニは静かにカインの話を聞いたあと、一郎太の隣に座った。

 

「……許すことでしか、許されない……か。シュルツ君、彼はさ……。首席は、一体どんな人なんだい……」

「………………すごい人としか」

「……よくわかったよ。私が無礼を働いてしまっていたとしても、許してくださるんだろうか」

「キュータ様は、そもそも許すも許さないも、もう全部済んだ話だと思ってらっしゃるんじゃないかな。大丈夫だよ――って、僕が勝手に言っちゃいけないのかもしれないけど」

「……すごい人だね。私がこんな気持ちになってしまうのも、そもそも私が君を許せなかったからなのに。変わったはずの君と中学で再会した時、君は私に普通に接してくれてただけなのに、スレた私が勘違いをして……首席にあんな真似までしてしまった。やっぱり、教えは守れなきゃいけないね」

「それは……それは君のせいじゃないだろ。だから――あ」

 

 魔導省や魔術師組合の大人と握手をしていたナインズは、リッツァーニとカインを見ると手を振った。

 口に手を添え、大声で「カイン!リッツァーニ!仲直りできて良かったね!!」と聞こえてきた。

 

 二人は目を見合わせ、なんとも複雑に笑い合った。

 

「……シュルツ君、私はきっとうまく君のことは許せない。だけど、これからはどうか……仲良くしてほしい」

「い、良いの?」

「君が嫌じゃなかったら、こんな生まれの私だけど……」

 

「ありがとう。君がランゲ市の隣にいてくれると思うと、本当に心強いよ。いつか友達になれたら嬉しいな」

 リッツァーニはさっと背を向け、あの日欲しかった言葉に涙を落とした。

 もうリッツァーニは振り返らずに「また明日」と背で言って帰っていった。




あー、カインちゃん昔はそうだったもんね…( ;∀;)
いつかお友達になれるといいね…。
カインちゃん、多分ほとんどの子は中学校で和解できたよ…。

次回!明日!!
Re Lesson#12 その頃の信仰科女子


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試される神聖魔導国 - ミノタウロス編
Re Lesson#12 その頃の信仰科女子


 その日、神都魔導学院信仰科一年に通うルイディナ・エップレは、特進科一年のクラス対抗戦を見に来ていた。

 

 ルイディナの生まれと育ちはエイヴァーシャー大森林だ。

 彼女の顔にはふわふわのベージュの毛が生えている。自慢の長い髪の毛の上には三角形の耳がちょこりとふたつ。

 彼女は猫科の獣人、獅子体人(リヨンイェッタ)だった。

 いわゆる髪の毛に当たる毛も生えているし、足も爪先立ちではないぺたりと地面に触れ合うものだし、ここにくるまでは「人間種との違いは顔にも毛が生えてるくらい」だと思っていた。同じ五本指だとも聞いていたし。

 ところが彼らの手のひらには肉球がついていなかったり、鼻先がちょぴっと出るマズルもない。

 まるきり、羽の生えていない光神陛下、なんならオシャシンで見る神王陛下の生き写しのようだった。

 

 大森林でも、ルイディナのいたあたりは森妖精(エルフ)もほとんど見たことがなかった。一番近くに住んでいるのは森の大賢人と呼ばれるオオサンショウウオの異形種くらいだ。彼らは非常に長い年月を生きるので、そう呼ばれている。

 彼らは二足歩行もするが、基本は四足歩行だし、流れる時間も恐らく違う。

 そんな生き物ばかりだったので、ルイディナの人間という生き物の想像はあまり具体的ではなかった。

 

 エイヴァーシャー大森林の地元の村にある国営小学校(プライマリースクール)を出て、三年間森を支える森司祭(ドルイド)の修行をして、こうして出てきてみた訳だ。

 

 人間種の間ではあまり知られていないが、魔導学院は地域生枠がある。一度も地元を出たことがない森林を支える者や、河川を統治する者、海や池沼の防人達、一帯を総べることを任される族長――別の言葉で亜人王と呼ばれるようになる者達は筆記試験が弱いことがままある。地域生枠はそう言うもの達のためにあった。

 地元にある国営小学校(プライマリースクール)で字を書くことや国の歴史は覚えられても、その後地元を出なければ知識が小学校レベル以降に大きく手に入るわけでもないのだ。

 ルイディナなどは、筆記が弱い筆頭だ。

 森司祭(ドルイド)として力を培って来ているが、正直受験の筆記試験なんてものはボロボロの成績だった。

 国営小学校(プライマリースクール)以来憧れた森の外だし、憧れた神都だし、魔導学院に通いたかった。だが、自己採点ではとても入学基準には届かず、諦めてまた森で生きていた。

 合格通知書が届いたのは、もうルイディナが祭司として働き始めてからだった。

 無臭(オーダレス)という第一位階の魔法を堆肥製作所でかけていた時のことだ。

 

 ルイディナは自分が今の今までうんこと向き合っていたことも忘れて大喜びで入学の日に向けて支度をした。毎日村内の小さな礼拝堂に行き、手のひらサイズの小さな光神陛下と神王陛下の像に礼を言った。

 

 ついに出立の日には、隣の村からも、そのまた隣の村からも、森の大賢人のキングと呼ばれる若手の筆頭すらも見送りに来てくれて、ルイディナはエイヴァーシャー大森林に住む獅子体人(リヨンイェッタ)達全員の期待を背に村を飛び出した。

 

 神都の生活は全てが彼女の理想を超えた。

 楽しい学校生活だった。

 別種なのに分け隔てない仲間達と席を並べて日々を生きている。

 共に聖歌を歌い、未来への希望を語り合える友人もいる。

 

 休日は一人では特にすることもないので、森の礼拝堂なんかとは全くレベルが違う大神殿で祈りを捧げてみたり、寮生の友人と一緒に神都が地元の友人の家に遊びに行かせてもらったりした。

 

 だから、特進科の対抗戦があると言って突然の休日を言い渡されたりするとポカリと時間ができてしまう。

 明日は二年の対抗戦があるし、明後日は三年の対抗戦がある。

 どうしようかなぁ……と悩んでいたら、「わたくしは地元の友人と見に行く約束をしてしまいましたけど、皆さんも対抗戦を見にいらしたら?――ねぇ、ルイ」と、友人のレオネ・チェロ・ローランが提案してくれた。

 彼女は名前も獅子体人(リヨンイェッタ)の系統に近いし、気遣い屋なのに言う所ははっきり言ってくれるのでルイディナの中では一番の友人だ。

 

 せっかくの休みなのだから、皆は買い物とかに行きたいかなとルイディナは遠慮しようかと思ったが、いつものメンバー達は対抗戦を見たいと喜んでくれた。

 

 対抗戦は想像を超えたものだった。

 

 エイヴァーシャーを出ることがない森の司祭達は一生かかっても第二位階程度が関の山だというのに、彼らはルイディナと変わらない年――に相当する肉体、精神成長期――にも関わらず、この戦いは凄すぎる。

 セイレーンの歌も、森妖精(エルフ)の水を生む魔法も、絶えず繰り出される生活魔法も、何もかもが別世界だった。

 特進科に獣人族は少ない。強いて言うなら、"D組"のナーガが近しいか。ナーガは亜人だが。彼、アロイジウス・ケイト・リュイ・イスコップもやはり地域の亜人王になる事を期待される人で、時がくればエイヴァーシャーに帰るだろう。"B組"と行われた第二回戦では第二位階の不可視化(インヴィジビリティ)を行使して大いに会場を賑わせた。

 一応お互い大森林出身だが、親近感はあまり湧かない。

 第一回戦も、第二回戦も言葉にし尽くせない感動があった。

 

 昼休憩になり、皆近くの飲食店に行ったり、弁当を食べたり、飲食店の表で売られているお持ち帰りの物を食べたりし始める。

 

「あたしも、あんな風にたくさん魔法が使えるようになるのかなぁ!」

 朝友人達とパン屋で買って来た、森には存在しないふかふかのパンを頬張り、ルイディナは言った。

「あのレベルになるには相当苦労が必要そうだわ。特進科行くような子達は最初っから選ばれた子達だって思うもの」

「ザ・エリートだよねぇ」

 一緒にパンを食べる友人達――ファー・エバタとヨァナ・ラングスマンが口々に言う。

 皆は同じ人間種なんだから、可能性はあるのに。

 

 ルイディナなんかは、パワーは育ちやすいかもしれないが、魔法が今後も伸びていくと言う確証はない。種族の中では大変貴重な存在だが、レベルが違う。

「……ヨァナとファーはいいなぁ」

 嫉妬が思わず口をついて出ると、二人は目をパチクリさせた。

 魔法が使えるようになること以外にも、ファーの南方育ちの真っ直ぐな黒髪、ヨァナの一つに括られた金髪と訓練をしても滑らかな肌。羨ましいものはたくさんある。

 

「――いいって、何がよ?」

「人間種でさぁ」

「あなた変な事いうわねぇ。私達からしたら、森のお姫様の方がよっぽど羨ましいわよ。ねぇ、ヨァナ」

「その通り。姫なんて呼ばれてみたいよ私ゃ」

「そんな大したもんじゃないんだってぇ……。森に戻ったらまた堆肥(うんこ)を無臭にする仕事があたしを待ってるんだからぁ」

 ルイディナが言うと、二人は声をあげて笑った。

「それは確かに嫌だわね!」

「夏休みになったら衛生粘体(サニタリースライム)とか連れていって良いか村と神都の役場に聞きなよ!ルイなら、と言うかお姫なら許されるでしょ!」

「そうよ、森の環境をより良くするためだもの!どう!」

「ん……それはそうか」

 こう言う、森の健康と文化を損なわずに生活を良くするアイデアを持って帰って来る事を村の皆も期待しているはずだ。

 

 ルイディナの羨ましい病は一度なりを潜めた。

 

「――それにしても、首席って本当にかっこいいよねぇ」

 ヨァナはうっとりと第一回戦を思い出しているようだった。

「本当よねぇ、見た?あの仮面が飛んでいった瞬間」

「え?何それぇ、私見れなかったよぉ。だってどれが首席かわからなかったんだもん。ファー、ちゃんと教えてよ」

「んふふ。一瞬だったものね。レオネが聞いたら絶対羨ましがるわ」

 

 皆が首席の話で盛り上がり始める。種族の遠いルイディナに首席の顔のかっこよさはうまく響いていないが、彫刻で見るような綺麗な顔立ちだと言うことはよくわかる。

「レオネも、きっとその辺で見てキャーキャー言ってたと思うよ」

 ルイディナはくすくす笑った。

 

 なんと言ってもレオネの首席熱はすごい。授業中だと言うのに、庭で特進科が何かをやってると聞けば窓から下を覗き込もうとしたりする。それで、"A組"じゃないとすぐに真面目な彼女に戻る。

 かと思いきや「立派でしてよー!」なんて歓声を送ったりしている。そしてクラスを持ってくれている神官のミズ・ケラーに怒られる。

 信仰科の女子達にも首席は人気があるが、皆高嶺の花すぎると言うような雰囲気だ。遠くから目の保養として見て、キャーキャー言ってられれば満足と言う面もある。

 信仰科なのに近付いて話そうとかそういうレベルに達せているのはもしかしたらレオネくらいかもしれない。

 彼女はなんと言っても、幼馴染なのだから。

 

「あんなに夢中になれる男子がいるなんて羨ましいなあ」

 ルイディナはそう言いながら、パン屋の隣の肉屋で買ったチキンを出し、ガブリと噛み付いた。なんと柔らかな肉だろう。森で取れる骨ばった鳥とは大違いだ。

 

「今も花より団子状態なのに?本気でぇ?」

「へへ、本気本気。でも、これ本当美味しい」

「はははは」

「ねぇ、ルイは地元に好きな人とかいないの?」

 ルイディナはペロリと口の周りを舐めて森での生活を思い出す。

 答えは早い。

「――いない」

「レオネのレベルじゃなくてもいいわよ?どう?」

「無。虚無すら感じる」

 皆笑った。

「はー。でも、そうよね。私も正直いないわ。ヨァナは?」

「いたら首席にきゃーきゃー言ってませーん」

「間違いないわね。魔導学院で素敵な人見つけられたらいいのに。よく言うじゃない?働き始めたら出会いなんかないって。ここ出て神殿に勤め始めたら、そりゃあ周りは"神官様だー"って私達のこと呼ぶわけだものね。今のうちに見つけなきゃいけないって焦るわよ」

 ため息混じりのファーがルイディナの手の中のチキンをむしって行く。ルイディナは「あぁ……」と残念そうな声をあげた。

「そうは言ってもさぁ、あれがいたら自分の中の素敵な男子ハードル上がるばっかり。他の男子、皆芋じゃぁん」

 ヨァナがくんっ、と顎で示した先を「ん?」とファーとルイディナが覗いた。

 

 そこでは「お弁当、どうかなって!」「皆持ってくるだろうから、私のすごく軽めにしたの!」「サンドイッチ作りすぎちゃって!」「おにぎり好きって聞いたよぉ。私実家がエリュエンティウだから、米所なの!」と差し入れを持った女子が集まっていた。

 輪の中には当然のように首席。

 

「ルイ。首席、なんて答えてるか分かる?」

 ファーが言うと、ルイディナの三角の耳はぴこぴこと動いた。

「――皆嬉しいよ。こんなに悪いね。でも、食べきれないかも、困ったな……だって」

「そりゃそうよね。あの量、そもそも腐るもんなんか持っていったら迷惑ってわかんないのかしら。私ならせめて花一輪よ」

「え、それも邪魔じゃない?――お、謝ってる女子いるよ。私だけは迷惑かけてませんって感じ?持って帰れって言ってやれ、首席」

「――せっかくだから、クラスの皆で食べても良いかな。僕ら、昼抜きで作戦立ててたから。皆の心遣いがすごく嬉しいよ……だって」

「で、で、で、で、出たーー!!」

「ぎゃー!!なによそれーー!!」

 

 三人は頭を抱えた。

 

「一体どんな教育を受けたらそんな事が言えるようになるの!?邪魔だって突き返されるより絶対にいいわ!"すごく嬉しいよ"!?本当に!?しかもあなたの為に作ったお弁当だからあなたに食べて欲しいって言えない言葉チョイス!!完璧か!!何かもう盗み聞きしてるのが馬鹿らしいわよ!!私なんか一生そんな事言われる女になれないんだから!!」

「ファーもお目目キラキラさせて"私の実家エリュエンティウで米所だからおにぎり持ってきたのよん"くらい言える女子になれ!!あざとくなれ!!素敵女子気取ってる場合じゃない!!花一輪とか言ってる場合じゃない!!」

「いやー!!ヨァナも筋肉質な脳みそが透けて見えてるくせに!聖騎士の卵!!」

 

 二人が悶絶に悶絶を繰り返す。

 正直、ルイディナもうっとりしてしまった。

 

「あ!ミノさんも荷物持ちでいる!」

 二人は抱えていた頭をのっそりと上げた。

「……ミノさんも首席なんて大変な友達作ったものよね。ミノさんは何て言ってるの?」

 ミノさん、とは首席の友達のミノタウロスだ。一郎太と言うらしいが、姓がないので何となく名前で呼ぶのは気後れする。

「えーっとね……。――キュー様もう行こうぜぇ、これ以上は朝の分もあるのに無理だよ、だって」

「ふふ、それはそーよ!ミノさん、本当に正論係だわ!面白すぎる!!」

「正直ミノさんもミノさんで素敵だよねぇ。かっこいいよぉ」

 ヨァナが言う。ルイディナは何度も頷いた。

「あの毛並みとかワイルドさとか良いよね!?なんで誰もミノさんにキャーキャー言わないんだろう!?」

「そりゃ人間種には毛並みとか分からないから。でも、ミノタウロスって最近たまに神都でも見るようになってきたよね。でも、だーれもあんなに綺麗な色してないんだよ。ほら、先週から始まった劇にミノタウロスと恋に落ちる神都の乙女の話とかあるじゃない?良いなぁ。見に行きたぁい」

「子供は絶対ミノタウロスになるみたいだけど、良いわよねぇ。恋に落ちてミノタウロスと暮らすのもロマンチック。ミノさん、絶対人間にも隠れファンいるわよね。本当、あのグループって超一軍」

「はー……そうなんだぁ……。いいなぁ……」

 

 そう言う意味ではルイディナは憧れる事すら難しい。ミノタウロスも獣人系だが、そう言う実りは絶対に有り得ない。人との間の方がまだ望みはあるかもしれない。しかし、ルイディナ的には首席よりミノさんな所はある。

 思春期特有かもしれないが、獣人じゃなければ良かったのにとまた思ってしまった。

 

「ねぇ、明日は二年の対抗戦観にこないで、観劇行こ!観劇!」

「ふふ、いいわね。劇場空いてるでしょうしね。レオネもきっと行くわよね」

「後で誘おう!あたし、劇場なんて一回も行った事ない!!何着ていったらいい!?」

 

 ルイディナのドキドキにヨァナはにやりと笑った。

「お上品な神都の人達はきっとワンピースなんだろうけど、私はパンツスタイルで行く!!見ながら足が疲れたら椅子の上であぐらかく!!」

「はぁ、出たわね。聖ローブルのお里が知れるわ。私はスカートで行くわよ。遮光服なしで歩ける神都なんだからおしゃれしなきゃ勿体無い」

「おぉ……!あ、あたしも!あたしも森出身なりにおしゃれする!!」

 

 ランチの間、三人はその後も大変盛り上がった。

 

 そして、第三回戦。

 

「首席!!<飛行(フライ)>使ってるー!!」

 ヨァナが空を指差した。

 次の瞬間、チカッと強烈な光が迸る。

 距離がある為こちらまでは目は眩まなかったが、ある程度の距離で見上げていた"B組"は「目がぁー!!」と叫んでいた。

「今の何位階なの!?」

「なんで学校も実況とか置かないのよ!姫わかる!?」

「分かるわけがないよ!!第三位階!?第二位階!?ほんっとにわかんない!!」

 三人でギャースカ盛り上がっているうちに、ふとルイディナの野生の部分が何かを訴えた。

「――ぇ」

 逃げろという野生につられて空を見る。

 ルイディナの眼前には、空に上がったと思った魔法の矢(マジック・アロー)がふんわりとした放物線を描いて向かってきていた。

 一郎太が魔法と同じようなスピードで走ってきている。

 皆「逃げろ!」と事態を把握し、荷物もそのままに中腰になった。

 急げと思えど、魔法は早い。

 せめて頭だけは守らなければ――。

 

 そう思っているうちに、ルイディナの目の前にブンッと音を鳴らして誰かが現れ、

 

「――ッッ<龍雷(ドラゴンライトニング)>!!」

 

 ドッと見たこともない光が魔法へ迸った。

 次の瞬間、派手な爆発が間近で起こり、ルイディナは左右にいるヨァナとファーを守らなくてはと二人を抱きしめようとした。

 すると、まとめて三人ギュッと誰かが抱きしめてくれた。

 バタバタと服が猛烈にはためく音がした。

 硬い胸板が顔にあたって、ムズムズするほどいい香りがする。

 風が止むと、「無事か!」と言われた。

 自体を飲み込むより早く、ルイディナの口から言葉が出る。

「あ、あ、は、はい!」

 すぐにくしゃりと頭を撫でつけられ、ほぼ同時に「一太!お前も無事か!!」とその人は怒鳴った。

 <飛行(フライ)>で去っていった背中を、三人は呆然と眺めてしまった。

 

「……首席?」

「……首席君だ」

「……首席だった」

 

 ルイディナはくんくんと制服のローブを嗅いだ。

「……首席君、良い匂いすぎた」

「えっ、の、残り香ある?」

「ある。嗅ぐ?」

 二人は顔を突っ込んだが、ルイディナのお日様の匂いしかしなかった。

「わからん!!あんたも良い匂い!!」

「あ、ありがとう。……首席君もそう思ったかな?」

「恋か!今の一瞬であっちはそんな暇ないわよ!!」

「今ので恋しなかったらおかしいでしょ」

 ルイディナの目はマジだった。

 

 今、ルイディナの頭の中は人間になる方法でいっぱいだ。

 せめて、この顔の毛だけでも剃ればもっと人間らしくなれるだろうか。

 ああ、この耳も疎ましい。

 

「気持ちはわかりすぎるけど……私らには……私らには高嶺の花よ……」

「レオネが聞いたらなんて言うかしらね……」

 

 三人は胴上げされて困ったように笑う美男を思わず眺めた。

 

 全ての催しが終わり、閉会の宣言が済む。

 明日明後日の二、三年の模擬戦もお楽しみに、と言ったところで終わったが、今日のあれを超える戦いはまず起こらないだろう。そんな風に思ってしまうのは、流石に三年への侮辱だろうか。

 

「――レオネ、どこいたんだろうね」

「明日の事誘いたかったけど……」

 

 三人はキョロキョロと辺りを見渡した。

 

「あ、いた」

 

 庭の真ん中ではあらゆる者達に囲まれる首席。

 レオネは離れたところでそれを見守る男子達のところに手を振って合流しようとしている所だった。ミノさんと、首席の取り巻き男子しか学院の者はいないようだ。となると、彼らは地元の友人か。

 地元の友人の中に割って入っていくのは少し気まずそうだ。

 

 だが、明日のことを思うと――「誘うだけ誘ってく?」

 ルイディナの言葉に、二人は頷いた。

「ミノさんとお近づきになれるかもしれないし!」

「ヨァナはあんな風に守ってくれる首席よりミノさん派なのね」

「うーん!付き合えるならどっちでもいい!!」

 

 三人は笑った。

 

 笑いながらも、ルイディナの中では人間になる方法でいっぱいだった。

 

 人間になったら、もっと魔法も使えるのに。

 人間になったら、もっと自由に恋もできるのに。

 人間になったら、人間になったら――。

 

(なんであたしは人間じゃないんだろう)

 

 光神陛下は最初に自らに似せて鳥やセイレーン、翼ある者を作り、次に神王陛下に似せて人間を作り、最後にそのほかの生き物を作ったというのは、子供達しか言わないバカな妄想だ。

 

 だが、人間種達の輝きは、獣人のルイディナにその話が真実であると思わせてならなかった。

 

 獣の身が疎ましく感じてならなかった。

 

(――人になる方法、ないのかな)




確かに地域特別生枠はあった方がいいですね。
キングも元気そうで嬉しいですよ!彼も森の大賢人になっていくんですねえ。

けもみみ娘は人間になれるのかぁ〜?
昨日のA面の時点でケモミミ娘の異変に気付いた人がいることに、男爵はもう最高にニヤニヤしてますよ(?
そう言えばペーさんことラーズペール君なんかも昔「神々は自分たちに似せてセイレーンと人間を作ったから、僕たちの相性は抜群」みたいなこと悪気もなく言ってましたね!

次回!!明後日!!
Re Lesson#13 神官の娘と司祭の娘


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Re Lesson#13 神官の娘と司祭の娘

「カインさーん!一郎太さーん!!」

「おーい!その他大勢ー!」

 レオネはイシューと共に、階段でキュータの用事が終わるのを待つ男子達と合流した。後ろにはアナ=マリアとオリビアもついてきている。

 

「お、レオネー!」

「だぁれがその他大勢だよ!この男女(おとこおんな)!」

 ロランが手を振り、リュカが噛み付く。エルミナスとチェーザレは変わらぬリュカの様子と、ロランの始まった春に顔を寄せて笑った。男子だけの楽しい笑いだ。

「カインさん、すごかったですわ。感心しました。とても一年の対抗戦とは思えないほど」

 レオネが正直な感想を告げる。

 カインは照れくさそうに鼻をかいた。

「いや、クラスじゃキュータ様――首席使ったズルい勝利だったって皆言ってるよ」

「あの魔法を見せられてはね。私だって尻込みするよ」

 エルミナスも同意した。普通にエルミナスでも敵わない。

 レオネはイシューと共に皆の輪の中に座ると「それは否めませんわ」「間違いないね」と笑った。

 ひとしきり笑うと、イシューは夕暮れの空を見上げた。

「ははは、はー。なんだかさぁ。もちろんキュータがそうだ(・・・)って、あたしら分かってるけど、こう見せられると、改めてそうだ(・・・)って思っちゃうね」

「本当ですわね。一緒に過ごしてると天上人だって忘れちゃいそうになりますもの。時にはわたくし達で元気付けてあげなきゃいけない事すらある普通の方だって」

 二人の感想に皆が「そうだなぁ」「本当にねぇ」「はは、不敬かな」と頷く。

 

「……それでいんじゃねぇの」

 

 そう言った一郎太は夕暮れの中で、一度もキュータから目を離すことはなかった。それが彼の役目でもあるが、この瞬間を見ておきたいと言う思いもありそうだった。

 

「キュー様は――ナイ様は皆のこと、本当に特別に思ってるよ。自分の本当のことをわかっても、畏れずに、卑屈にならずにいてくれる皆を、本当に大事に思ってる」

 皆、照れくさそうに目を見合わせた。

「――俺、ナイ様に皆がいて良かった。ナイ様は今も結局首席とか言われて注目の的だけど、そう言うことと、殿下だってことは全然別物だろ。それでもあんな風に囲まれちゃうんだぜ。ナイ様の本当のご身分を学院の皆が知ったら、どうなっちゃうんだろうって思う。ナイ様の幸せなこの時間はどうなっちゃうんだろうって」

 一息ついた一郎太は、今まで見たことがないほど小さくなってしまったようだった。

「……ナイ様はこれから、きっともっと信じられないほど強大なお力を手に入れていかれる。そうすれば、人々はナイ様とはどんどん世界を別にする……」

 

 レオネは一郎太の横顔を見ながら思う。

 

(ああ……だからあなたは誰でもないナインズ殿下のこの瞬間を一緒に覚えていてさしあげようというのね……)

 

 一郎太の覚悟はいつも並のものではないと思う。

 神の子の守護者としてそう育てられたと言うこともあるのだろうが、二人の友情は二人が大切に育ててきた二人だけのものなのだろう。

 レオネは一郎太の背をさすってやった。

「な、なんだよ」

「いいえ。なんでもありませんわ。他の第一小出身の皆様も、キュータさんの事は話したりしていませんもの。大丈夫。わたくしが――わたくし達がきっとキュータさんの心をお守りするから」

「…………さんきゅ」

 一郎太は膝を抱えて、一瞬そこに顔を埋めた。

 もう一度顔を上げた彼は別にいつもと変わりなかった。

 

「……で、アナ=マリアとオリビアは何でそんなに静かなわけ?」

「いや、リュカ。アナ=マリアはもとから静かでしょ」

「って言ったってあいつらまじで何も言わないぜ?」

 ロランとリュカが言う。

 レオネは苦笑した。イシューは隣でどこかわざとらしさすらあるため息を吐いていた。

 とりあえず、どちらが説明する?と目で確認し合い、レオネはイシューよりは多少落ち着いて話せるかと、その役目を引き受けることにした。

「二人は、ちょっと良いものをキュータさんからいただいたんですのよ」

 胸の中にちくりと痛みが走る。同じ学院にいるのに、レオネは登校時の朝の一分程度しか話せていない。どうやって二人がそんな素敵な約束を取り付けることができたのか、レオネには想像もつかない。

 

「へー?何もらったの?見たい見たい」

 デリカシーのデの字もないリュカが言う。

 人形のようになっていたオリビアとアナ=マリアはゆっくり動き出し、それぞれ一通の封筒を取り出した。

「あの……皆、その……最近私、キュータ君とよく一緒にいるみたいな女の子と知り合って……それで……なんか焦っちゃって……」

 オリビアの言い方はどこか言い訳じみていて、リュカは首を傾げた。

「だから?」

「うんと……キュータ君、うちの書店でアナ=マリアと本の交換するから……悪いな、何かお礼をしたいなって言ってくれて。だから、私……キュータ君に私に似合う物が欲しいってせがんだの……。ごめんなさい……。アナ=マリアはそんなつもりはきっとなかったのに……私が焚き付けた……」

「……違う。オリビアちゃん、私ずっとキュータ君から何かお返しが欲しかった。だから、オリビアちゃんが正直に言ってるの見て……オリビアちゃんが貰うなら私もってムキになった……」

 オリビアは封筒を握りしめて泣き出してしまった。

「え、お、俺のせい?お、おいおい、オリビア、え?なんで?アナ=マリア?おーい!えぇ!?」

「いや、リュカ、君は落ち着いていてよ」と、エルが杖を取り出す。この混乱を魔法で収めてしまおうと言うのは中々良い判断かもしれない。

 

 そして、「あのー」とレオネの聞き知った声がした。

 

「――レ、ルイディナ、ヨァナ、ファー。どうしましたの?」

 

 レオネは慌てて皆の輪から抜け出して信仰科の友人三人に駆け寄った。さっさと用件を済ませようというのか、ファーが代表して一歩前に出た。

「レオネ、お取り込み中悪いわね」

「い、いえ。気になさらないで」

 ちょっと気にして欲しかったが、神官になろうと言う神官の娘がそんなことを言うのは許されない気がする。

「明日皆で"見つめる瞳"観に行こうって言ってるんだけど……レオネもどうかしらって」

 それは確か最近公演が始まったばかりの劇だ。ミノタウロスと人間の女が恋に落ちるんだったか。

 世の中にはミノタウロス王国から金が出てるとか、人間を国に引き込んで奴隷にしようとしてるとか、まぁそんなつまらない見方をする大人もいる。

 

 レオネはこの状態のオリビアのそばにいてやりたいと思ったが、オリビアは今日は学校を休んで来ている。明日は普通に学校に行くはずだ。

「もちろん行きますわ。誘いに来てくれてありがとう」

「分かったわ。皆オシャレしていくって」

「ふふ、ではわたくしも」

乗合馬車(バス)は展望に乗りましょ!」

 ファーは言うと、美しい黒髪を靡かせて二人を連れて帰っていった。

 レオネは三人の背中に手を振り――ふと、ルイディナの視線に何か違和感を感じた。

 

(……ルイ?)

 

 泣くオリビアをジッと見つめるイシューの隣に座り、反対側にいるアナ=マリアの背をさする。

 今のは何だったんだろうとつい考えてしまう。いつも奔放な彼女がなぜ?

(……まさか、一郎太さんの話を聞かれた?)

 ルイディナの耳は良い。よく庭にキュータを見つけると「なんて言ってるのか聞いてくださいまし!」と迫る。すると、レオネでは聞こえないような声を聞き取って、キュータが何を言っているのか教えてくれる。

 迂闊だったとレオネは唇を噛んだ。

 明日、うまく取り繕わなければ、キュータの居場所を脅かす。

 守らなければ。自分にできる方法で、ナインズの居場所を守らなければ。

 

 決意を新たにしていると、エルが混乱の極致にいたリュカに魔法をかけ、続いてオリビアへ、最後にアナ=マリアにも魔法をかけてくれた。杖は子供の頃よりも立派なものになっていた。

「やれやれ。皆一回落ち着いて。オリビア、アナ=マリア、君たちは一体何をもらったんだい?」

「まさか……似合うものって……指輪?」

 ロランがゴクリと喉を鳴らす。

 

 そうでなくて良かった、何をもらったか知っているレオネはある程度は冷静だ。

 落ち着きを取り戻したオリビアは首を振った。

「あの、栞を……ブックマークをもらったの」

「って、そんなもんかい!びっくりしたなぁ、もう。マリッジブルーかと思ったじゃないか」

 緊張のあまり息すら止まるようだったカインが突っ込んだ。

 だが、そのツッコミの「そんなもん」と言う部位はすぐに訂正されるべきだろう。

 

 オリビアとアナ=マリアは信じられないほどに美しいブックマークを取り出した。

 魔法の光がぼんやりと灯る魔石、まるで水の流れをそのまま止めて切り取ってきたかのような本体。

「あぁー……」

「あぁあ……」

「こりゃだめだ……」

 男子は眉間を押さえ、頭痛を止めるようだった。

 

 その精巧なブックマークは男子達の手を渡り、一通り眺められ、オリビアとアナ=マリアの下へ戻った。

 エルは「これ、魔法の道具じゃないかい……。効果は?」と恐る恐る聞いた。

 二人が少しかわいそうで、レオネが代わりに答えた。

「呪文で光るんですのよ」

 アナ=マリアは「<光れ>……」と栞につぶやいた。

 黄色い魔石から暖かい色の光が漏れる。暗い中で読書をしても絶対に目が痛くならないような代物だ。

 アナ=マリアの求めに、オリビアの青い魔石も共に光った。こちらも、魔石本体は青いというのに、暖かな光が漏れ出ていた。

 何故どちらも石とは違う色の光が漏れるのか分からない。

「……<消えろ>」

 二つは同時に光を失った。

 

「あー、君たち、思ったよりとんでもない物貰ったね。キュータ様はたまに感覚ぶっ飛んでいるからね」

 カインは少し人ごとかもしれない。毎日そばにいすぎてキュータへの理解度が深海五百メートルまで達している気がした。

 どんどん日が低くなっていく中で、イシューはついに口を開いた。

「……お礼したいって言った時に物が欲しいって言われたら、キュータは断らないに決まってるじゃん。あいつはオリビアとアナ=マリアのこと一生懸命考えて、最善のものを持ってきてくるに決まってる。どんな値の張るようなもんが出てくるかも分からないし、ご公務に出ることがあるって言ったって、お父上達からお金をもらって買いに行くかもしれないのに……。だから、絶対に何かが欲しいとかキュータには頼んじゃいけないんだよ。こんなに長く一緒に居て、二人ともそんなことも分かんないの?」

 正論、正論、正論だった。

 キュータが普段使いで使っているペンケースやペン、インク壺、どれを取ったって普通の家庭の子供では手に入れられないような物ばかりだったのだ。

 

 オリビアもアナ=マリアも目にいっぱいの涙が溜まっていた。

 貰った時は、こんなに特別なものがもらえることが嬉しくて、天にも昇るような思いだったろうに。

 きっと、想像を超えるものが出てきてしまったのだ。

 正直、レオネは羨ましく思う。きっとイシューもそうだろう。

 だけど、何をあげるもあげないもキュータの自由だとレオネは思う。

「――イシュー、二人は分かっていましたわ。だから、この九年間何も欲しがらなかった」

「だから、ずっと欲しがっちゃいけなかったんだよ。あたしだって欲しがらなかったし、男子だって欲しがらなかった。エル様除いてこいつら殆どバカばっかだけど、釣竿ひとつだってくれよとか言わなかったよ」

「ば、バカばっかって……」

「それはそうですけど……。ね、イシュー。少しわたくしとあちらで話しましょう?」

 

 優しいナインズにつけ込んで、神の財産――いわば民の税金で高価なものを贈らせてしまったのではないかと二人もわかっている。

 だから、今浮かれ切って跳ねていないのだ。

 イシューが「話すことはこのおバカ二人組にある」と断ってくると、一郎太がよいしょ、と体ごと振り返った。

 

「んー、なんか何が辛いのかさっぱり分からんから聞いてたけど……それもさっきの話じゃないけどさぁ。――オリビアもアナ=マリアも、そんな事気にしないでいいぜ。キュー様、先週パンドラズ・アクター様と天空城にある宝物殿に行ってたから。天空城の宝物殿には"ご自由にどうぞ"ってコーナーがあんの。それは昔八欲王が神々の地から拾って持ってきちゃったもんらしい。でも、陛下方からしたらたまたま作った道端の石を天使達が拾って行った感覚っぽくて、"ご自由にどうぞ"なの。だから、金はかかってない。まぁ、神々の地の物とかそれはそれでビビると思うけど。俺も"ご自由にどうぞ"に良いもんあったって言って、ほら――これ。キュー様にもらったぜ」

 と、蹄の裏を見せてくれた。

 皆で覗き込むと、魔法の馬蹄が付いていた。足の裏につける物だというのに、魔法の力を持つであろう石が底面にずらりと輝いている。

「いいっしょ。足早くなるし、力も上がるぜ。他にも何個か効果はあるけど、キュー様のマジはこれよ」

 ピースする様子に、皆ぽかんと口を開けて、次の瞬間吹き出した。

 

 チェーザレが笑い転げながら言う。

「ははは!一郎太様!それは二人のもらったものなんかキュータ様からしたら道端の石ころだっていうんですか!ははは!」

「はは、そこまでは言ってないって。ま、キュー様なりに誰にも迷惑のかからない、最大限だったと思うよ。どっかの街に行って何百万も出して買って来たんじゃないって言うかさ。あんまり皆からしたら想像つかないと思うけど、お抱えの鍛冶長に設計図と選んできた素材渡してちゃちゃってやってもらったんでしょ。だから本当にただ喜んで受け取った方が良いよ。キュー様感覚はぶっ飛んでることあるけど、馬鹿じゃないし」

 

 常々スケールが違う二人だとは思っているが、レオネも、悩める乙女だった二人ももう笑うしかなかった。

 

「おーい!皆ー!」

「キュー様ー!」

 一郎太はこちらに戻って来ようとするキュータに大きく手を振った。

 キュータの足は早く、あっという間に皆の輪の中に着いた。

 

「皆悪かったね!すっかり待たせちゃった」

「ほんっとにキュー様遅すぎて変な話いっぱいしましたよ」

「変な話?」

「キュー様のセンスが微妙だってオリビアとアナ=マリアが不満そうだったんですよ」

「えっ!ご、ごめんね!!」

 

 キュータが焦って振り返ると、オリビアとアナ=マリアは笑って「そんなことないよ」「とっても嬉しい」と答えた。

「ほ、ほんとに?大丈夫?」

「大丈夫どころか、花丸!キュータ君、私たちのこと本当によく分かってる!」

「一郎太君はちょっと意地悪言ってみただけ。私たち、嬉しすぎて踊ってたところ」

「そ、そっか。良かった」

「はははは」

「一太ぁ」

 

 レオネは良いなぁ、と思ったけれど、二度と同じ過ちが繰り返されないように、彼に将来仕える神官として口出しすることにした。

「――キュータさん!あれはわたくし達から見れば、とっっっても高価ですのよ!!もう何百万って世界!!そういう物はほいほい出してはいけませんわ!!もらう方だって心臓が飛び出ましてよ!!」

「わ、びっくりした。そ、そっか。そう言うことにならないように物の価値がわかる兄上とも相談して素材は選んだんだけど、次はもう少し気をつけるよ」

「わかれば宜しくてよ」

 

 皆笑った。

 

 彼の思いやりで、誰も傷付きませんように。

 レオネはアナ=マリアとオリビアにとって、あれが素敵な思い出としていつまでも残って欲しいと思う。

 そうでなければキュータだって可哀想だ。さっきはお抱えの鍛冶長という言葉に引きずられて誰も何も言わなかったが、キュータが自分で設計図まで書いたようではないか。

 彼は心を尽くして二人のための物を作った。

 だから、二人は一郎太の言う通り、まっすぐ大喜びではしゃぎまわって受け取るべきなのだ。

 

 皆で校門に向かって歩き出すと、調子を取り戻したオリビアが「髪飾りにしようかなぁ!」とか浮かれたことを言う。

 アナ=マリアも「制服の胸ポケットに入れる」とか彼女の中の最大限の浮かれを見せている。キュータは「ブックマークだよ〜」と笑っていた。

「あなた方、そんなを事して無くしでもしたら大泣きしましてよ」

「あーん、だってー」

「……たまには見せびらかしたい」

「仕方ありませんわね」

 

 この二人はもう大丈夫だろう。

 他方、イシューはまだ少し複雑そうだ。レオネは歩くスピードを落としてイシューの横に着いた。

「来週、放課後にでもわたくしあなたの設計事務所に行きますわ。二人で"何も貰えない女子会"でも開きましょう」

「……ぷ。そうだね。あたし達、いっつもそんな感じだしね。可愛い女子になりきれない」

「ふふ。それじゃ、頃合いを見て二人で可愛く何かをねだりましょう。もっといい物!」

「大賛成!!」

 イシューと二人で悪巧みをすると、レオネはまた明日からのことがすごく楽しみになった。

 隣を「調子いいやつ」と言ってリュカが通り過ぎると、「うっさ!!」とイシューはリュカを追いかけた。

 レオネは「足元にお気をつけなさい!」と小うるさく声をかけた。

 二人はまるきり男友達のように追いかけあっていた。

 

 はぁ、良かった。

 

 レオネは安堵に思わず息を吐いた。

 

「――疲れた?」

 校門を出ると、そんな風にキュータから声をかけられる。

 レオネは優しい声に頬が赤くなりそうだった。エルが殿下かもしれないと思っていた時も、この人のことが好きだった。だけど、それは神官としては零点だ。

 だから、こんな顔で見上げてはいけない。

 

「いいえ。楽しかっただけですわ」

「良かった。いつも悪いね」

「……何がですの。わたくし、ただただうるさいだけの女でしてよ」

「ははは、レオネは少しうるさいね。でも、それが君の良いところだよ。君の感覚は僕に必要なことだって思う。それに、レオネの声は元気が出る」

「もう。子供の頃から、その元気が出るってなんですの」

「そのまま。元気が出るってことだよ」

 

 辺りがすっかり暗くなると、キュータは仮面を外した。

 息をついた横顔は永続光(コンティニュアルライト)に照らされて美しかった。

「もうこれも必要ないかもしれないなぁ。学校の皆にも完全に顔を見られたし、誰も僕だって気付かなかったよね?」

 レオネの感覚を信じてくれている。レオネは今一番思う正直なことを告げた。

「ふふ、着けてる方が首席だ!って分かりやすいかもしれませんわね」

「それじゃ逆効果だ」

 

 二人は笑い声を上げた。

 

+

 

 ルイディナは寮に帰ると、明日着ていく物を選んだ。

 正直に言うと、森では服は必須ではない。毛が生えている生き物なのでズボンと首飾りだけのこともある。

 神都で皆と一緒に買った服を着て、森のネックレスを付けて鏡の前でまわる。

「……」

 あんなに素敵だと思ったはずの服が、このもじゃもじゃの野蛮な体のせいで魅力半減だった。

 

 ルイディナはそっと服を脱ぎ、鏡の前から立ち去った。

 

+

 

 神都、第四劇場前。

 レオネは目元を拭った。

「ほんっとにいいお話でしたわ!」

「泣いた……泣きすぎたわ……」

「私、本命ミノさんにするよぉ〜〜」

 ファーとヨァナが幸せそうに言う。

「あーいいなー!人間いいなー!!もー!!このままじゃ愛されないー!!」

 ルイディナも頭をわっしわっしかいては悶絶していた。

 

「愛されないなんて、そんなことなくてよ。それに、今日はびっくりしましたわ」

 レオネが背中をさする。今日の彼女は顔の毛を剃ってきていた。それはとても愛らしくて、ちょっと鼻のところが全体的に高くなっているが、まるで猫耳の生えた人間のようだった。

「……びっくりは……おかしくて?変かな?」

「とんでもない!!可愛くて!!」

 後ろでファーとヨァナも「びっくりした!」「可愛いよぉ!」と言っている。

 彼女は集合した時、「夏に向けて毛が生え変わって鬱陶しいから剃ってみちゃった」と言っていたが、人になりたいと言う思いも少なからずあったのではないだろうか。彼女は時折、そんなことを漏らすから。

 思春期とは本当に厄介で、毛だとか爪だとか、そんなくだらない事ばかりが気になるものだ。

 

 ルイディナはとても嬉しそうに笑った。

 

「お昼でも食べに参りましょう!」

「「「賛成ー!!」」」

 

 せっかくあまり来ない方まで出向いているのだからと、四人は少し奮発して良さそうなお店に入った。

 思ったより価格は高くなく、新しい良いところを知ったと皆で笑いを漏らした。

 

「――でも、レオネは良いなぁ。お小遣いもらえるんだもんね」

 ヨァナが言うと、実家がここにあるレオネは苦笑した。

「とは言え、よく大神殿の掃除に付き合わされてますのよ。それも丸一日。わたくしは依頼バイト代だって思ってます」

「いいなぁ。私もそう言う依頼バイトしたい。せっかく信仰科なのに神殿の手伝いなんて一回もしたことないもん。綺麗にする所が違うよぉ〜」

 ヨァナの選ぶ依頼バイトはいつも寮の清掃だ。大したお金は貰えないが、あまりうるさく言われないのはありがたい。彼女は放課後に聖騎士見習いのための校内特別講習に行く日もあるので特に。

 ファーは依頼バイトを選り好みしがちだが、神官の講演の設営などによく行くようだ。

 ルイディナは基本的に花屋で肥料作りをしている。いくつも積んである土に魔法をかけるらしい。多分、彼女が一番稼げていると思う。森司祭(ドルイド)の彼女には打ってつけだ。

 他の三人は使えてゼロ位階なので、そんな高尚な真似はできない。大した魔法もまだ使えていない。

 

 レオネが食後に頼んでおいたアイスマキャティアフロートの上に乗るアイスをそうっと頬張る。

「ふふっ」

 あまりのおいしさに思わず笑みがこぼれた。厨房にいる霜の巨人(フロストジャイアント)がウインクをしてくれていて、レオネは幸せいっぱいに厨房へ手を振った。

 すると、「わぁ……」とルイディナが声を上げた。

「ん、一口いります?」

「ううん、ねぇ。レオネのその爪どうしてるの?」

 レオネは昨日、キュータに差し入れを渡すためだけに磨きに磨いたピカピカの爪を自慢げに見せた。

「ふふ、いかが?雑貨屋にある磨き用のクロスを買いましたの」

「そんなのがあるんだぁ!すっごい綺麗だね!」

「ありがとう。誰にも気付いてもらえないと思ってましたわ」

「素敵素敵!今日磨いたの?」

 

 皆がレオネの手を取って綺麗だと言ってくれる。

 これが昨日のキュータだったら良かったのになぁと思った。

 

「いいえ。昨日でしてよ」

「あ!首席のためかぁ!どうだって?」

「ちっとも気付きませんでしたわ。でも、良いんです」

「はー。完璧だと思った首席も所詮男ね。やれやれだわ」

「ふふ、あの方は完璧ですわ。フルーツボックスをキュータさんに渡したのは、友人達ですもの。その後に会った時はもう夕暮れでしたし。でも、もしこうして明るい時間に一緒に過ごしていたら、キュータさんはきっとお気付きになったわ」

「レオネ〜。"わたくしが渡す!"って言ってひったくれば良かったのに」

「その後、残りをキュータさんのご友人に渡したのはわたくしでしてよ」

「そんなの意味ないじゃん」

「まぁ、そうですわね。でも、わたくしは他の皆と違って同じ学院に通えてますもの。それだけでちょっとは良い思いもしていると思っていてよ」

「ふん、あんたは賢いわ。魔導学院落ちた女子達よりよっぽどね。だけど、男が皆賢い女が好きとは限らないのよ」

 

 レオネは「それは……そうですのよね」と言うことしかできなかった。守ってあげたいアナ=マリアやオリビア、手を取り合って駆け出せるイシュー、口うるさいレオネ。普通の男の子なら、レオネなんて選ばれない。

(――だけど、あの方は特別な方だから、賢い女でいなきゃ。そうでなければ、一郎太さんにだって、姫殿下にだって認められはしないわ)

 レオネは赤色と金色の間のような色素の薄い長い髪を払い、アイスマキャティアを飲んだ。

 

「ね、午後爪磨くクロス買いにいこうよ!あたし、絶対欲しい!!」

 ルイディナの言葉に乗らないものはいなかった。

 

 四人は食事を済ませると、乗合馬車(バス)に乗り、展望席に上がった。

 やわらかな風に吹かれて、いくつも停留所を越えて、明日の対抗戦休暇もどこかに行こうと盛り上がった。

 魔導学院の近くまで帰ってくると、学院の校門には人が多くいた。今は二年の三回戦が始まる前の休憩時間だろうから、こうして人が雑多に溢れるようだ。

 

「――レオネ」

 校門を通り過ぎようと言う時、ぽんと肩を叩かれた。

「――はい?っちょ」

 振り返ると、白昼堂々と仮面もしていないキュータがいた。レオネは思わず慌ててその顔を隠そうと手を顔に押し当ててしまった。初めて触れたまつ毛は信じられないほどに長かった。

「っな、なに?」

「っおい、レオネ!それは不敬だろ!」

 すぐ隣にいた一郎太に怒られる。

 

 キュータはレオネの両手首を掴んで顔の前から退けると、流石に怪訝そうな顔をしていた。仮面をつけてばかりだった彼の色々な表情は面白い。

 それより、手首を持たれて覗き込まれる今のレオネの顔はきっと真っ赤だ。

「――あ、つ、つい。失礼しましたわ。そっか、仮面はやめたんでしたわね」

「なんだよ。そう言うことかよ」

「あぁ、うん。やめちゃった。全然平気だったね。レオネの言う通り」

 周りから「きゃー!一年首席くーん!」と言われている。上級生からだって彼は人気だ。学食で仮面を外して食事をしていると、「あの一年の子誰?」「一年の首席だって」とよく噂されていた。顔を晒すことはある意味では平気だが、またある意味では厄介なことになりそうだ。

 

「はは、変なあだ名になっちゃったな」

 

 レオネの手を離して手を振りかえすキュータの指にちらりと視線がいく。傷ひとつない綺麗な大きな手だった。

 

 キュータが握ってくれた所が熱すぎて、レオネは目をギュッと閉じた。もう顔が見られず、この熱が引くまで俯いたまま話すことにする。

「――ん?レオネ、大丈夫?」

「だ、大丈夫に決まってますわ。それより、観戦にいらしてるの?」

「うん、一太やカイン達とね。ワルワラって言う友達とリッツァーニって友達もいるんだ。戦いっていうのはいくつ見たって同じものはないんだなって思うよ」

「そうですのね。勉強熱心で感心しますわ」

 

 胸に手を当て、何度か深呼吸すると、レオネは顔を上げた。

「――あ、やっとこっち見てくれた。やっぱりレオネは元気が一番だよ。でも、無理はしないで。君の元気がなくなったら僕も困る」

「ふふ、ご心配なく!わたくし、いつでもうるさいので!」

「ははは」

 二人で笑っていると、キュータはレオネの後ろへ視線を送った。

「君たち、レオネの友達だよね。待たせて悪かったね。レオネは少し疲れてるみたいだから、よろしく」

「え、えぇ!まかせて!!」

「っひゃー!!」

「ひゃあ?」

 さっきまでミノさんを本命にするとかなんとか言ってたくせに、ヨァナの目はハートになっていた。

 そして、昨日ルイディナがキュータの秘密に勘付いたかと思ったが、それも杞憂のようだ。

 

「――キュー様、行こうぜ。次始まっちゃったらワルワラが怒るし」

「ん、そうだね。じゃあね、レオネ」

「えぇ、また朝の校門で」

 キュータがレオネとは違う方向へ歩き出す。

 彼と同じ方へ行きたかったが、皆で爪のクロスを買わなくちゃ。

「いいの?」

「レオネ、首席と行ったって良いわよ?」

「雑貨屋なんか三人で行くし」

 三人が言ってくれるが、レオネは首を振った。

「じゃあねって、仰ったから。行ったら気を使わせますわ」

 キュータと一郎太が校門に吸い込まれてく。レオネが背を見送っていると、キュータだけが振り返った。

 片手を上げ、指先をちょんちょんと指差す。

 そして、「綺麗だね!」と笑ってまた前を向いていってしまった。

 一郎太が「なにが?」とキュータを見た。

 二人の姿はすぐに人の波に消えた。

 

 レオネはすごい勢いで三人に振り返った。結ばれていない髪の毛がふっさりとルイディナの鼻をくすぐった。

「見ましたでしょ!」

「っへくし!――み、見た!っていうか聞いた!!」

「はぁー!!だからどんな教育受けたらあんな男が生まれるのよぉー!!なんなのよー!!」

 ファーはジタバタしていた。

「ふふふふ、だから言いましたでしょ。キュータさんはきっと気がつくって!」

「って言うかレオネ!レオネをよろしくとか言ってたし、どう考えてもレオネが本命じゃないの!!」

「え……。そ、それは流石に……」

「いいから!本命だって思いなさい!!」

「そーだそーだ!思っていい!!」

「こんな事で本命になれるなら、毎日爪を磨くしかありませんわね!」

 四人は大盛り上がりで雑貨屋に行った。

 

 皆予備のために二枚買い、寮への帰路に着いた。レオネは自宅へ帰った。

 

 ルイディナは部屋で一人になると、尖った鋭い爪を丸く切り、人間のようにすると丁寧に磨いた。指の毛も気を付けて剃った。指抜きグローブを着ける人間のようだ。

「うわぁ〜!!」

 今まで見たこともないような綺麗な手になった。

 だが、この爪は黒い。あの透明な桜色の爪が欲しい。

「……はぁ」

 やってもやっても、レオネや皆の素敵さに追いつかない。

 ルイディナは床に寝そべると、天井を揺れる永続光(コンティニュアルライト)を眺めた。

「……皆いいなぁ」

 恋も勉強も魔法もそうだ。四人の中でルイディナは今は一番魔法を上手く使えているが、あの首席のようにはなれるわけがない。それに、フードも仮面もやめた首席のあの綺麗な髪の毛。夜空を編めばあんな毛になるのだろうか。顔の皮膚だって、毛を剃ったルイディナとは比べ物にならないような、まさしく陶器のようなものだった。

 

 人間達は特別なのだ。

 

「……ちぇ」

 

 ルイディナは頭を冷やそうと部屋を後にした。

 一階の談話室で飽くなきお喋りを続ける女の子達。皆キラキラしていて、やわらかそうで、可愛かった。

 お風呂上がりのヨァナが手を振ってくれたが、気が付かなかった事にして外に出た。

 

 夏が近づき始めた外の空気は少しじめっとしている。

 気温は低く、顔と手の毛がなくなっているからか無性に寒かった。

 神都は森と違って明るい。

 夜でもある程度見渡すことができるこの瞳も、ここではなにの役にも立たない。

 むしろ、明るいところと暗いところの差が強く、見にくさすら感じた。

 

 どこにいく宛もなくほっつき歩いていると、前から大男が歩いてくるのが見えた。帽子を深く被り、寒いのかコートの襟を立てている。

 なんとなく、普通の人の気はしなかった。だが、死の騎士(デスナイト)も警邏するこの街で何かがあるとは考えられない。

 犯罪がゼロというわけではないが、自分とは関係のない話だ。

 そう思うが、大男とすれ違う時、流石にルイディナはドキドキした。

 今ルイディナは杖も持っていない。

 

 一歩一歩を慎重に出し、ルイディナは大男とすれ違う事ができた。男はゴトン、ゴトン、と変わった足音を鳴らしていた。

 思わずほっと息を吐いた。

 次の瞬間、ドキンと胸が跳ねた。

 

「――もし」

 大男は永続光(コンティニュアルライト)の届かない暗がりから振り返っていた。

「な、なにか?」

「あなた、もしかして悩んではいませんか」

 大男がゆらりと永続光(コンティニュアルライト)の下に姿を現す。帽子を脱ぐと、そこには牛の顔があった。学校で見るミノさんとは違い、毛は黒く、顔の左右にくるりとねじくれた角を持っていた。

「な、悩んでません。いきなりなんなんですか!」

「ふーむ、そうでしたか。では、私の勘違いです」

 変質者だ。ルイディナは早足で大男の横を通り抜けて寮に戻ろうと決め、足を動かした。

 

 さっさとすれ違ってしまおう。

 

 男をさっと追い抜かし直す。

「――私はね、皆さんを望む姿にしたいと思っているので」

 すぐに行こうと思っていたはずのルイディナの足は止まった。

「望む姿に……ですか……?」

「えぇ、皆さんの力になりたいんです。皆さん色々なコンプレックスがおありでしょう。だからね、私は時にシレーナのヒレを歩きやすい足にしたり、ミノタウロスの顔を変えたりしてるんです。――人間のものに」

 恐ろしさすら感じる笑みで、ミノタウロスは顔を寄せてきた。

 ルイディナは思わず後ずさった。

「そ、そんなこと出来るはずがない」

「ふふふふ、何故、そんなことを思うんですか?」

「私達に生き物の再創造なんて、できない。だから、私だって人になりたいけど……諦めて……」

「あぁ〜〜!なるほど!それはそうです。そんな事ができるのは、この国の女王陛下くらいでしょう。でも、保守的なこの国の上層部があまり良しとは思わない――外科手術なら……話は別です」

「げ、げかしゅじゅつ……?」

 この男は恐ろしい。だが、どうしてもこの話をもっと聞きたかった。

「えぇ、えぇ。何、あなたがやった事と大差はありません。あなた、獅子体人(リヨンイェッタ)ですよねぇ」

 

 男はそうっとルイディナの顔を指さした。

「毛を剃る、体の一部を取る。それだけの話です」

「か、体の一部を取るって……毛を剃るのなんてそんな大それた話じゃ……」

「ふふふ、人間に近付きたいなら、例えばあなたのその耳。この三角の先をちょいと切って髪の中に隠して仕舞えばいい。人の耳がなくたって、髪がこれだけ長ければ顔の横に耳があるかどうかなんて、だぁれが分かるんでしょう?」

 ルイディナはサッと自分の耳に触れた。

「――それに、この口吻(マズル)。これがもう、今のままではいかにも毛を剃っただけの猫みたいだ。……ねぇ?もっと綺麗にできるのに」

「あ、あなただって!!あなたの顔だって牛じゃないですか!!猫だなんて、あんまりだわ!!」

 人を猿呼ばわりするのと同じように大変失礼な話だった。

 

「おぉ、これはこれは、失礼しました。気に障ったのなら、謝ります。私は事実牛顔なのでつい。ですが、これだって横の骨をほんの少し削ってやれば……ねぇ?人と同じ鼻になる。憧れますよねえ、ふふふ。人のあの、鼻」

「……本当に?でも……削るとか切るとか……恐ろしくて……」

「それは誰しも変化の時は恐ろしいものです。あぁ、それにしても、その爪。綺麗に整えていますねぇ。でも、これじゃあ色が悪い。ササッと塗ってしまえば良いんですよ」

「塗ったって、すぐに落ちちゃう……」

「いえいえ、私達ミノタウロスの国ではマニキュアくらい普通ですよ。と言いますか、冒険者達も当たり前に使っています。その方が、目立ちますでしょ」

 男が顔の前に手を挙げる。その爪は全て赤く塗られていて、キラキラと綺麗だった。

「いかがです〜?」

「す、素敵かも……」

「ふふふ。きっと皆に羨ましがられますよ。そうだ、試しに使われて見たらいかがですか。その整えられた指によく似合うでしょう。ちょうど明日から三日間露店で売ろうと思っていた何本かがあります。試して見ますか?」

「で、でも私お金持ってきてなくて……」

「あぁ、お金。お金ね。いいですよ、お試しですから。何より――私は皆さんを望む姿にして差し上げる事が幸せです。お友達にもじゃんじゃん宣伝してください」

 

 男は大きな革製のカバンをガバリと開き、中から何本かマニキュアを出してみせた。

「――煌めきの透明、赤、青、ピンク、紫、ベージュ。ふふふ、どれがよろしいですか?」

 思わず覗き込んでしまう。

 隣を魔導学院の寮に帰るらしい女子達が楽しげに笑って去っていった。

「……ぴ、ぴんくで」

「良いですよ。では、手を」

 どすりとカバンが下され、男はマニキュアのキャップを開けた。

 ドキドキしながら手を差し出すと、男は実に丁寧にピンクのマニキュアを塗ってくれた。

「――あぁ、よく似合う。若さとは良いですねえ。そうそう、乾くまで触ってはいけません。そうしないと、その美の魔法は歪んでしまいますからね」

 くつくつと笑い、男はマニキュアをしまうと再びカバンを持ち上げた。

 蹄がゴトン、ゴトンと音を鳴らす。

 自分の手に見惚れている間に男は立ち去ろうとしていた。

 ハッと我に帰り、ルイディナは慌てて振り返った。

「ま、待って!待ってください!!」

「――何か?」

「ろ、露店。明日、露店出すんですよね」

「えぇ、それはそれは素敵なお品をた〜くさん」

「……どこでやるんですか」

「あぁ、言ってませんでしたかぁ。ふふふ、隣町との境、ムソーの東広場ですよ。ご存知で?たくさん亜人や冒険者が来て、大変盛り上がるんです」

 男は嬉しそうに言うと「そうだ」と一言付け足した。

 

「――美の魔法を欲しても、大金を欲しても、決して怪しい者には近寄らないように」

 

 男は再びゴトン、ゴトン、と足音を鳴らして去っていった。

 怪しい者?あなたのことでは――ルイディナはそう思ったが、自らの爪の美しさにまた目を奪われ、そのまま自分の爪に釘付けになりながら寮に戻った。




レオネそんなにいい奴やったんか。知らんかったわ……。
イオリエルと紫黒聖典引き合わせて、あーナインズ様やなぁって分かった時も、「このままの態度でいいの?」って気にしてたっけ。
なんて感慨深くなった男爵でした。
最後不穏なやつおるし(?

次回!明後日!!
Re Lesson#14 心の支えは人それぞれ


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Re Lesson#14 心の支えは人それぞれ

 翌日、三年の対抗戦にあたる日。

 寮の前でレオネ達と集合したルイディナはその場で爪を見せた。

 

「すっごーーい!!綺麗ー!!いいなぁ!」

「私冒険者が塗ってるの一回だけ見たことがあるわ。でも、冒険者ってやっぱり手使う仕事だからか、はげてる所とかあったのよ。ルイのはすごく綺麗!ザ・姫!!」

「羨ましいですわぁ!そんな親切なミノタウロスとたまたま会えるなんて!」

 三者三様の反応を見せてくれる。

 ルイディナはあまりの嬉しさに、尻尾を振りそうになってしまった。

「へへへ、へへへ!ね!ムソーの東広場って所で今日露店出すんだって!!皆で買いに行こうよ!!」

「あ!それ行ってみたい!ムソーの大露店市ってやつじゃない?寮の掲示板に張り出されてたよね!行き方確認しに行こう!!」

 三人で盛り上がっていると、ふとレオネが不安そうにしているのが見えた。

「――レオネ?」

「そ、そんなに素敵な物、高くないんでしょうか?わたくし、依頼バイトもしてないですし……」

「ちっちゃい小瓶だったし、きっとそんなに高くないよ!それに高価だったら、あたしにただで塗ってくれないって!」

「そう、そうですわね。行きましょう!」

 

 四人は一度女子寮に行った。

 寮母(シスター)達が「いいわねぇ。きっと今日はまだ多少空いてるはずよ」とチラシをくれた。

 ムソーの東広場という場所に行くのに一番いい行き方を教えてもらい、皆で乗合馬車(バス)に乗った。二度も乗り換えが必要で、最後の乗り換えをした時にはもう人が乗合馬車(バス)の中をごった返していた。

 乗合馬車(バス)も特別便が出ているようで、二台連結の初めて見る乗合馬車(バス)が出ていた。それでも、引いていく魂喰らい(ソウルイーター)はびくともしていない。

 展望席は立って乗る事が許されていないので、仕方なく一階席に四人で立って乗った。

 乗客達の間は今日から始まるという「ムソーの大露店市」の話で持ちきりだ。

 

「すごそうな催しですわね!」

「きっといい物たっくさんだよ!」

 ルイディナはレオネと周りの乗客に押されながらもくすくす笑った。

 

 どこで降りればいいのかはっきり確認はしていないが、人が降り始めたら合図だ。

 四人ははぐれないようになんとか手を繋いで乗合馬車(バス)を降りた。

 

 大きな広場には「国有地」の看板が立っていて、自然と景観を守るための場所のようだ。急速に発展を遂げる、ここ、神都を狭苦しくしない素晴らしいピクニックスペースだった。

 大勢の人がムソーの東広場に吸い込まれて行く。

 四人は「うわぁ!」と口を開けて見渡しながら進んだ。

 セイレーン達の歌、二足蜘蛛(アラクネ)の太鼓の演奏、青蛙人(トロチャック)がやっている象魚(ポワブド)の赤ちゃんの乗車体験。

 もう上げたら切りのない場所だった。

 

「あっち!あっち!!」

 

 ヨァナが興奮して指さす先は、茸生物(マイコニド)達の露店だ。その前は大行列で、素晴らしい芳醇な香りがここまで漂ってきていた。

「なんだか分からないけど食べよ!!」

「二手に分かれて買いましょう!!ほら、あちらも!」

 レオネが指さしたのは霜の巨人(フロストジャイアント)のジェラート屋だ。

「買ったら、あちらの木陰に集合!!種類がある場合は四つ別の物を!!」

 全員即座に頷き合い、特進科のクラス対抗戦を思わせるような機敏な動きで別れた。

「ルイ!行きますわよ!!」

「ラジャー!!」

 レオネとルイディナは手を繋いで駆け出した。

「私達も!」

「やったろ!」

 ヨァナとファーも駆けていく。

 

 並んでいる間、ルイディナはふと顔に痒みを感じた。

 ポリ、とかいてはまたかゆくなる。

「――どうかしまして?」

「あ、うん。なんか顔が痒くってぇ」

「ふふ、毛を剃ったからだわ。次の毛が生えようとしてるのよ」

 レオネはなんでもないことのように笑った。

「わたくしもほら。腕と足を剃ったら、何日かすると痒くなりますの。毛生え薬も売られてますけど、毛抜き薬も売られていますし、もう少しお金があったら、本当は魔法薬を買いたいのに」

「え!そんな薬があるんだね!」

「薬師のところに行けば最近はよく扱いもあるそうですわよ。でも少量ですっごい高いんですの。両腕両足に使うと、もうそれだけで目玉が飛び出るような値段ですわ。まぁ、効果も半年くらいあるそうですけどね」

 ルイディナは絶対それを買おうと心に決めた。そして、髪の毛以外全身を――いや、高いし見える場所だけ。四肢と顔はツルツルにしたかった。

 そんな自分の姿を想像すると、絶対に人間のように見えるはずだと興奮した。バイトに行く先の花屋をふやすことを決めた。

 

 そうこうしていると、二人の番はすぐにきた。

 小さなカップに入ったジェラードは、それぞれ茶色いマキャティア味、黄色いドド味、薄桃色のネッターリア味、真っ白なホワイトアイ味。

 知ってる味がマキャティアしかないのが怖いが、二人は四つを手に木陰へ向かった。

 レジャーシートなどもないが、二人とも直接芝生に腰を下ろす。

「先にいただいてみてしまう?」

「そうしよそうしよ」

 一口づつ味わって見る。異国の味だが、どれも口によくあった。

「ふふ、なくなっちゃいますわね」

「そしたら謝ろ。溶けないように気を使ったって言ってさ」

「姫ったらいけない人だわ」

 

 くすくす笑い合っていると、「っあなたたち!」とファーの声が降ってきた。

「あら、もういらしたのね。溶けないようにいただいていましたわ」

「上品に言えばなんでも許されると思ったら大間違いよ!――私も食べるわ!」

「お待たせ〜!こっちの二つが練り込みパンで、こっちがなんか肉焼いたの、それからキノコの串焼き」

 戻ってきた二人はしゃべりながら、もうジェラートの味見をしている。

 四人は自然と好きな味のジェラートを食べ始め、ペロリと完食するとパンを割った。

 辺りがいい香りで包まれると夢中で食べた。

 キノコの串焼きは一人一かけしかないのが惜しいくらい。

 

「わたくし、帰りに両親に買って帰ろうかしら」

 レオネがいうと、ヨァナも最後の一口を放り込んでから言った。

「いいなぁー。私も買ってあげたいなぁ。<保存(プリザベーション)>、誰か使える?」

 三人が首を振る。

「首席誘ってくるべきだったわね」

「首席君がいたら絶対使えた!!」

「……そんな魔法のためには呼べませんわ」

「はは、そうだよね。――あ!あそこで上位森妖精(ハイエルフ)巻物(スクロール)屋やってる!」

 ルイディナが指差す先には、巻物(スクロール)を売る露店が旗を掲げていた。

「あ、めっちゃ小さい<浮遊板(フローティングボード)>連れてる子いるよ」

「本当だ!!」

 巻物(スクロール)なんて一体いくらするんだろうと思ったが、後でのぞこうと皆で決めた。

 もし<保存(プリザベーション)>が売られていれば、皆も実家に発送できる。それに、短い時間用や小さいサイズなどでこう言う機会のために安く出してくれているかもしれない。

 

 四人はこの後の動きを決め、「さて」と本題に入った。

「ミノタウロスのおじさん、どこかなぁ」

 ルイディナはあの不気味だったミノタウロスを探した。

 皆で露店を見て回ると、人間種が古本を出していたり、魔幻人(マーギロス)が百万ウールなんて巨額で魔法の調度品を売っていたり、森妖精(エルフ)が耳が尖って見える耳飾りを売っていたり、骨董品を出す店があったり、行けば行くほど面白い。

 

 そして、女性の人だかりを見つけた。

 

 四人はなんとなく、あれではないかなと目を見合わせた。

 顔を覗かせてみると、白い美しい雌の――いや、女性のミノタウロス達が売り子をしていた。

 皆指先が様々な色のマニキュアで彩られている。

 四人は何とか前までくると、値段を確認した。

 一瓶三千ウール。高いが、手が出ないというほどではない。

「ど、どれにします?」

「どうせなら、違う色にしようよ!」

「皆で部屋に集まって使えるものね!」

「賛成賛成!」

 ルイディナは今着けているのが無くならないように昨日塗ってもらったピンクを買うことにした。

「――あら?あなた、もう持ってるんじゃあないの?」

 釣り銭を渡してくる売り子のミノタウロスに言われると、「おじさんが塗ってくれて」と照れくさそうに言った。

「あぁ。――先生!今朝言ってた子!!」

 奥の木陰からゆらりと大きな影が動いた。

 

 昼間の明るい時間に見るミノタウロスのおじさんは、別に不気味でも何でもなかった。

「ふふ、来てくれたんですね。君はきっとお友達も連れてきてくれると思っていました」

「こ、こんにちは!昨日はありがとうございました」

「いえいえ。君がもし、もっとなりたい姿があったらここを訪ねていらっしゃい。――きっと、願いが叶うからね」

 おじさんは小さなカードを渡してくれた。

「……ヘレフォード外科医院」

「えぇ、私はそこの医師です」

「医師って、薬師とは違うんですよね……?」

「ふふふ。仲間ですが、薬師ではありませんね」

 おじさんは周りの買い物ができない人達を思ったのか、ルイディナを手招いて木陰に戻っていった。

「皆、ちょっと行ってくる!」

「分かりましたわ。わたくし達、買い物を済ませてしまいますわね」

 ルイディナは急いでおじさんの後を追った。

「さあどうぞ、問診を始めましょう」

「問診……。あの、医者って神官とも違うんですか?」

「違いますとも。私達医師は賢王の残した知識と、それを元にした手技で人を治します。病気の原因を探り、必要な投薬をし、時には――手術をするんですよ」

「その、手術っていうのがうまく分からなくて……」

「簡単です。痛みを感じさせないようにして――体にメスを入れるんです」

 

 ルイディナはあまりにも野蛮な行為に「ひっ」と声を上げた。

 

「ふふふ、神聖魔導国の皆さんはそういう反応をされる事がとても多い。ですが、低位の魔法によって治らない病気もありますし、医術というものを我々ミノタウロス王国ではさほどおかしなものだとは思っていません。それどころか、高尚なものとすら扱われています。もちろん、魔法が使える者が極端に少ない、そういう事情もありますがね。――けれど、我々は決して神官に劣る存在ではありません。姿形を変えたいと言う願いは魔法では叶わない。幻術なんてものもこの世にはあるらしいですが、そんな凄まじい魔法をかけられるようになる頃には、もしくは好きな時にかけてもらえるだけの財を手に入れる頃には、我々は老人です。と言いつつ、私も半分老人ですがそんな財はない」

 

「……本当に、そんなに良いことづくめなら、どうして神聖魔導国にはお医者さんがいないの……?」

「それは、病気や怪我の治癒の主体に魔法が使われているからですよ。魔法があれば、多くの病気や怪我への知識がなくても全て治ります。医師の知識など不要なほどに神の力とは偉大です」

「やっぱり……魔法ってすごいんだ」

 

「えぇ。えぇ。――ただ、例えば、もしあなたのその鼻を人と同じようにし、耳を目立たないように切って、口元の愛らしいぷっくりとした二つのお山を目立たないように縫い合わせたら、あなたはその姿を失いたくなければ、それが定着する一年程度は治癒魔法は受けられません」

 

 ルイディナは悩む声を上げた。一年も治癒魔法が受けられないなんて、死んでしまわないのだろうか。

 

「――そんなの死んでしまう、と思いましたかな。ところが、我々医師と薬師がいれば、魔法がなくても病気も怪我も怖くはない。まぁ、最も、その昔スレイン州――いえ、旧スレイン法国は森妖精(エルフ)達の耳を奴隷の証として落とし、医師もいない中で傷が定着するまでは治癒魔法を決して施さなかったという仄暗い過去があります。彼らの耳は時にケロイド化した形跡があったり、可哀想に処置を施されていない場合がほとんどです」

「そ、そんな」

「ふふふ、若い方達にはあまり知られていないようですね。ですが、若く見えても森妖精(エルフ)達の寿命は長い。彼らは皆その過去を覚えています。――おっと、話が逸れました。古傷に治癒魔法は届かない、と言う事をお話ししたかったのです。一週間程度のスパンで考えれば、ピアスもその原理で開けられていますよ。ですが、我々医師は古傷に新しい皮膚を付けて治すこともできます」

 

 おじさんはツンツン、とルイディナの手の中の名刺を指差した。

 

「神都の隣でやっています。昨日のところからは乗合馬車(バス)一本。まぁ、今は殆ど森妖精(エルフ)の方々の耳の再生と言っても過言ではないかもしれませんね。他のご用事と言えば、冒険者に入墨をして差し上げるとか、顔に残ってしまった古傷を目立たなくするとか、でしょうか。ミノタウロス王国に本院がありますが、あちらは整形事業でも盛況しています。こちらの皆さんも色々なコンプレックスがお有りだろうに、手術への忌避感が強いんでしょう。代わりに、こうして変われるということをまずは手軽に楽しんでいただいておりますよ」

 

「……一回……一回行ってみても良いですか?」

「ふふふふふふふ」

 

 おじさんが笑う。

 ルイディナの中にぞくりと悪寒が湧いた。

 

「その時には、お代をお忘れなく。麻酔代と手技料をいただきます。肉球を取るなら一つ八万ウール、尻尾を取るなら三十五万ウール、耳を取るなら四十万ウール、口元の矯正には百二十万ウール、そして――鼻の形を変えるなら二百五十万ウールです。全て、別途数日分の痛み止めを出しますし、尻尾など平衡感覚に関わる部位をとる場合はリハビリ指導料もあるので、そちらのお金も必要です」

 

 高すぎる。

 三千ウールのマニキュアとはまるで別世界の値段だ。

「あたし……あたし……」

「ふふ、分かっています。あなたは学生でしょう。もし、私の評判をより良く広めて下さるなら、半額で受け持ちましょう。愛らしい広告塔の為なら、私も全力を尽くしますとも。えぇ。――だから、怪しいところに行ってはいけませんよ」

 

 半額なら不可能な額ではない。

 耳と尻尾を取って、それから、顔のことを考えても良いかもしれない。

「……すごく魅力的です……。でも、まずは毛がとれる薬から欲しい気もする……」

「もちろん置いてあります。うちでやることもできますよ。正直言えばそこからお勧めしたいと思っていました」

 ルイディナは礼を言うと、待ってくれている友人達の下へ戻った。

「いつでもお待ちしておりますよ」

 背中には、悪魔のように優しい声が響いた。

 

 その後、赤ちゃん象魚(ポワブド)の背に皆で乗ってみたり、さらに買い物をしたりしてはしゃぎ回って過ごした。

 ただ、巻物(スクロール)はどれも高く、結局お土産はレオネが茸生物(マイコニド)のパンを買うにとどめ夕暮れが訪れる前に寮に戻った。

 ルイディナの部屋に皆で集まり、マニキュアを並べた。

 レオネが透明を、ヨァナが黄色を、ファーが赤を買っていた。

 

「レオネ、それ、爪を磨くのと同じじゃない?」

 レオネはそれを聞くと、ニヤリと笑った。

「ふふ、無色に見えて?これ、五千ウールもしましたのよ」

「えっ!たっか!!なんで!?」

「ほとんど二本分よ!?」

「ふふ。皆色物ばかりに目を取られすぎですわ」

 レオネはふんふん言いながら爪の先だけにそれを塗って、皆に見せた。

「じゃん!!いかがです!!」

 レオネの爪の白いところはとても細かいラメでキラキラと輝いていた。

「えー!!魔石みたい!!」

「すごい、信じられないね。森じゃこんなの見たことないよぉ」

 ルイディナはレオネの美しい手を取ると「わぁ……」と声を上げた。

 もっと欲しい。私も欲しい。

「ふふ。重ねて塗っても綺麗だって、ミノタウロスのお姉さまは仰ってましたわ。皆さんも使って」

「えっ!五千ウールだよ!?」

 ヨァナの驚きはもっともだ。彼女の掃除の賃金と同じなのだから。

「……まぁ、高いですけど。先っぽだけとか、みなさん大事に使ってくださいね」

「使う!!」

 ルイディナはすでにマニキュアを塗っているので飛びついた。

 これの上からさらにレオネのものを塗ると、もうとんでもなく美しかった。

「……ルイ、大事に使ってと言っているのが聞こえて?高かったんですのよ」

「あーん、ケチケチしないでよー」

 皆せっせと自分で買ったマニキュアを塗り、ヨァナとファーは爪の先にだけほんの少しレオネのマニキュアを塗った。

 

「はー、ミノタウロスの王国ってこんなのが溢れてるのかねえ」

「行ってみたいなあ」

「きっとすごい国なのよねぇ。神聖魔導国よりすごいのかしら?」

「それは無いと思いますけれど、卒業旅行でいってみます?」

「未来すぎて想像つかん!」

 

 皆笑った。

 ルイディナは笑いながら、明日からのバイトの金勘定を頭の中で始めていた。

「――さて、それではわたくしは暗くなる前にそろそろ帰りますわ」

「あ、泊まっていけば?明日もどうせ皆で出かけるでしょ?」

 帰ろうとするレオネをルイディナは当たり前に引き止めた。こんなにキラキラした素敵な時間が終わってしまうのが惜しい。

「ふふ、ありがとう。けれど、父が心配症だから。過保護ですのよね。子供の頃から」

「それに嫌な顔しないで応えてやってるあんたが偉いよ」

「本当はわたくしも鬱陶しいって思ってますの。だけど、わたくしは――模範的でありたい」

「模範的?」

 ルイディナは首を傾げた。子供同士の会話ではあまり聞かない言葉だ。

「えぇ、神官になるんですもの。導かれるべき皆様のために、模範的でありたい。そうあったら、いつか――」

「……いつか?」

「……」

 レオネはどことなく寂しそうに笑った。

「三番手や四番手くらいには、なれそうな気がするの。わたくしなんかでも」

 ルイディナは二人の友人とハッと目を見合わせ、レオネを抱きしめた。

「ば、バカ言っちゃやだよ!!レオネみたいな賢い女がそんなこと言っちゃやだ!!」

「首席があんたのこと見てないわけないじゃん!!昨日だって首席あんなにあんたのこと心配して――」

「レオネだって自分が本命じゃないかって思うでしょ!!」

「……本命」

「そうだよ!!あんたが本命!!」

「思い出しなさい!昨日のことを!!」

 レオネは静かに目を伏せ、頬を赤くした。

 

「……そうですわね。わたくし、物は何もキュータさんから貰ったことはありませんけれど、言葉はきっと、誰よりも尽くしていただいてる」

 

【挿絵表示】

 

「そーだよ!!レオネの元気がなくなったら僕は困るなんて、そんな事言われてる子いる!?」

「いないでしょう!?断じていないわよ!!」

 女子が息巻いていると、レオネは小さなハンドバッグをわしっと掴んだ。

 

「間違いありませんわ!じゃあ、わたくし、本命の女として模範的でいたいのでこれで!」

「よ!模範生!!気をつけて帰れよ!!」

 

 レオネは高笑いして部屋を出ていった。

 部屋にはぽつりと静寂が訪れた。

 

「……レオネ見てると、首席にはやっぱり近付けないって思っちゃうわね」

「私も。素敵すぎるから、いつかちょーっとでもいいから付き合ったりできたら良いなーとか思っちゃうけどさ。あれ見せられちゃね」

「はぁ。わかるわよ、その感覚。首席、私で遊んでくれないかしら」

「うわ、ファー、それレオネに聞かれたら引っ叩かれるよ」

「あんたも似たようなもんだと思うわよ」

「昨日の距離であの顔見たら、そりゃ付き合って見せびらかして歩きたくもなる!芸術連れて歩くようなもん!」

 ルイディナは思う。人の姿なら、自分もちょっとの間でも付き合ったりできたらいいなと願えるかと。

 青春は戦いだ。

「――あたしも頑張る」

 

「んだね。ね、首席の残り香ってもうなくなった?」

「流石にもうなぁい」

 

 ルイディナが残念そうに言うと、二人は笑った。

 

+

 

 楽しい週末もあっという間に終わり、登校の朝。

 レオネはいつものようにロランと校門でキュータを待った。

 

「おはようございます!キュータさん!一郎太さん!」

「キュータ君、一郎太君、おはよー」

「おはよー」

「おーっす」

 

 もはやいつも通りになってしまった挨拶を交わし、皆で校舎に向かう。

 キュータは仮面もフードもしていなくて、美しい髪が靡いてはその笑顔の美しさにうっとりしてしまった。

「キュータさん、顔を出して登校されるのは初めてですわね」

「うん、一応二年と三年のクラス対抗はこれで来てたけど、ちょっと緊張する」

 

 この校門から前庭、校舎へ続くピロティを歩いている間だけでも周りのざわめきはすごい。

 大体はその美しさに、と言うことなのだろうが――神都第一小出身の上級生などの視線の温度が高すぎる。

 顔を見るという機会に恵まれたことに浮かれている様子が手に取るように伝わってきた。

 

 レオネはただ、大丈夫だと伝えたくてキュータの腕をとって撫でた。腕に腕を絡めたが、立ち止まることはしなかった。

「――レオネ?」

「大丈夫。不安になられたら、また仮面をされれば良いだけの話しですわ」

「君は優しいね。ありがとう」

 キュータは子供の頃から変わらない笑顔でレオネを見下ろした。

 同じくらいの背だったのに、もうこんなに大きい。

 組んだ手をそっと離され、キュータがレオネの手を取る。

 まるで結婚式で指輪でも着けてくれるかのような流れる動きだった。

「今日はまた違うんだね」

 微笑むキュータの視線の先はレオネの爪だった。

「……綺麗だと思って?」

「うん、綺麗だよ。似合ってると思う」

 レオネは熱くなった顔で笑った。離された手まで熱くなった気がする。自分からはあんな風に照れずに触れたのに。

「…………だと思いましてよ!よく気付きましたわね。これ、先日露店市で買ってみましたの。皆さんご存知?」

 レオネは買ったばかりの宝物を見せびらかした。瓶に入っているといまいちこの綺麗さが伝わらない気がする。

「ネイルね。うちでもニューロニストって言う子とシャルちゃんって言う子がよく塗ってるよ。いいね」

 横からロランが「シャルちゃんって守護――」と言うと、一郎太がその口をしっかり塞いだ。続く言葉は守護神様?だろう。

「ん、んん〜!」

 

 ロランが苦しそうなので、レオネは一郎太の手をトントン叩いた。

「もう大丈夫。ロランもわかってますわ」

「ん、そうか」

 離されたロランは「え、えへへ。つい」と笑った。

「ロランは昔から抜けてますのよね。成長がありませんわ。ロラン、あなたもっとキュータさんを見習った方がよろしいんじゃなくて」

 ロランは「えぇ〜……キュータ君のこれ見習ってもハードル高すぎるでしょ〜」とぶつぶつ文句を言う。

 一郎太も「キュー様はちょっと異常だからな。カインなんかキュー様のこと超常現象とか言ってたんだぜ」と笑った。

 

 レオネもそれには正直異論はない。

 爪だって、本当の本当は別に気付かれなくてもいいし。素敵な自分でいられていると思うだけで幸せで、そこに気付いてもらえた時に追加のハッピーがあるくらいだ。

 皆でひとしきり笑い、廊下を別れて行く。

 キュータと別れた後、ロランはいつも口笛を吹く。

 今日の曲に耳を傾けようとすると、後ろから「キュータ!!」と大声がした。

 思わずロランと目を見合わせる。この学院で彼を姓や首席でなく名で呼ぶ人は珍しい。

 

 女の子がキュータへ駆け寄り、『だから!あんまりそう言うことしてると泣かせるって言ってるでしょ!』と怒鳴った。

『な、何が?』

『腕!』

『あー、ははは。見てた?』

『全部見てた!ダメでしょ!』

『う、うーん。あれから僕なりの基準はちゃんと出来たんだけどなぁ……』

『……今なんか仮面だってしてないのに、本当に泣かせることになるよ』

 もう、と腰に手を当てる彼女に、キュータは困ったように笑っていた。

 レオネは彼女は一体誰だろうと思った。溌剌とした、はっきり物を言う人だなと思った。

「――ミリガンさんだ」

 ロランが言う。

 レオネは「ミリガンさん?」と言葉を返した。

「うん。一郎太くんによるとキュータ君の気になる人みたいな、そう言うやつらしい。そんなの初めてだよね」

 レオネの頭がガツンと何かで殴られたような衝撃が襲った。

 

 キュータは鞄を勝手に開けられ、中から仮面を出されると、顔につけられてしまった。

 

 彼が誰を好きになっても、彼の自由だ。

 別にバイス組の中の誰かじゃなきゃいけない理由もない。

 そもそも、自分は神官の娘で、神官になっていつか彼に仕える。

 それに、本気で自分が本命だなんて思ったことはない。

 オリビアだって、アナ=マリアだって、イシューだってあんなに素敵な女の子なんだから。

 心の準備はできていたはず。

 

 レオネは数歩よろめくように後ずさると駆け出した。

 

「あ、レオネ!」

 ロランの声に応える余裕もなく走り抜けた。

 信仰科の教室が近付くと皆に挨拶をされるが、全く返事をできる状況じゃなかった。

 ルイディナ達もいたが、立ち止まらなかった。

 校舎と渡り廊下で繋がっている塔に入ると、扉の開いていた準備室に駆けこみ、そのまま置いてあるソファに倒れ込むように泣いた。赤と金の間のハニーピンクの髪がばら撒かれるように広がった。子供の頃は二つに結んでいたが、今はもう着けても精々ピンが一つだ。

 一人で声を上げて泣く。

 

 分かりきっていたし、覚悟もしていたのに。

 

 レオネはいつしか疲れ果てて眠った。

 

 気付いた時には、もう昼休みになるような頃だった。チャイムが響いている。

「……行かなきゃ」

 午後は信仰系魔法の授業だ。目が腫れていようが何だろうが出なくてはいけない。レオネは模範生だから。こんな事では挫けていられないから。誰よりも立派な神官になって、仕えてみせなければならないから。

 

 よろよろと扉へ向かい、扉を引いた。

 ガチリ、と音が鳴り扉は開かなかった。

「……え?う、嘘」

 何度引いても押しても扉は開かない。寝ていたせいで誰にも気が付かれず鍵がかけられてしまったか。

 レオネの脳がサッと冷たくなる。

 扉をたたき、とりあえず人を呼んでみた。

「どなたかいませんの!ねえ!開けて!開けてください!!」

 全く反応がない。

 塔の窓は人が出られるような大きさだが、高いところにありとても届かない。それに、その先は地面が恐ろしく遠いはず。

 窓へ向かっても「誰かー!」と声をかけてみる。

 準備室には薬学科の授業に使われる錬金媒体がたくさん置いてあった。

 しばらく人を呼んで耳をすますが何の音もしなかった。

 また皆がランチから戻ってくるような頃合いに声を上げるしかない。

 レオネはぽつんと準備室で丸くなった。

 

+

 

「……下等生物が一匹見つからない?」

 <伝言(メッセージ)>に出たアルベドが眉を顰めた。

「――そんな事でいちいち御方々のお手を煩わせないでちょうだい。ここにはいないと伝えて」

 

 今日は第六階層のヴィラで守護者も一緒に皆でお食事会だ。

 フラミーにあーんをされるパンドラズ・アクターが幸せにくねっている。そんな姿を不愉快そうに眺めるアインズとデミウルゴス。

 ナインズとアルメリアも楽しそうに双子と笑っていた。コキュートスはナインズの隣で静かに背もたれとなっている。

 シャルティアなんぞは酔っ払い切って――本当は酔わないが――、配膳する自動人形(オートマトン)にメイドの服を着せたりしていた。

 

 アルベドが<伝言(メッセージ)>を切ると、アインズはちょいちょいと指で手招いた。

「何事だ」

「は。大神殿より、ナインズ様の学内下僕が一匹行方をくらましていると」

「えー……ナインズの友人が一人いなくなったと言うことか?」

「そう言う言い方もできるかと」

「時間も時間だが、少し過保護なんじゃないか?そんな事でわざわざ大神殿に駆け込むなんて」

 アインズに過保護なんて言われるとは何とも気の毒な親だ。だが、反抗期の家出に神殿を付き合わせようというのはいかがなものかと言うのはもっともな理論だろう。

「――なんです?」

 フラミーが尋ねると、アインズは一応事態を復唱した。

「九太の友達が一人家出してるらしいです」

「あらら。その連絡なんですか?」

 確認され、やはりアルベドは不快げに頷いた。

 

「はい。何でも、ナインズ様とご一緒ではなかろうかと言っているそうで」

 親二人は視線を一斉に動かした。

 その先では鬱陶しい長い髪の毛をアルメリアにお団子にされるナインズがいた。銀色の髪の毛は何度もさらさらと落ちてしまい、なかなか難しそうだった。

「……全く一緒じゃないなぁ」

「ですねぇ。なんでナイ君と一緒だと思ったんでしょう?」

「全くです。どうもその小娘は――」

「む、むすめ!?」

「女子ですか!?」

 ここまでのんびり構えていた二人は中腰になった。

「おいおい、娘がナインズと二人でこんな夜にって、そりゃおかしいだろ!一緒にいるんじゃって、そんな噂流されたらナインズも困る!!」

「と、とにかく名前はなんですか!?」

 途端に至高のご両親がざわめくと、守護者も子供達も首を傾げた。

 

「なんですか?お兄ちゃまを侮辱した下等生物がいたんですか?」

 アルメリアが尋ねる。

 ナインズは苦笑した。

「今日顔出して学校行ったからなぁ。やっぱりダメだったかなぁ」

 のんきな様子はまるで女子と夜遅くまで遊ぶ男には見えない。

 

 アルベドは「――名は、レオネ。レオネ・チェロ・ローランでございます」と告げた。

「レオネ?」

「レオネちゃんなの!?小学校の頃からのお友達じゃない!地図取ってきます!」

 フラミーはせっせと立ち上がり、転移門(ゲート)を開くとヴィラを後にしてしまった。

「九太の友人達の周りには念のため死の騎士(デスナイト)を多く配備しているし、まさか誘拐ではないとは思うが……」

「誘拐?レオネがどうかしたんですか?」

 ナインズはこてん、と首を傾げた。

「家に帰っていないらしい。男友達の話だと思って報告を聞いていたんだがな」

「え?レオネがこんな時間に?おかしいな……」

「お前もそう思う性格の子なのか?家出や非行は――って、お前の友達にはいないな」

「い、いません。でも、何で?」

「分からん」

 アインズがピシャリと言い切ると「全知全能じゃないの?」とナインズは何故かがっかりしたように言った。

 違います。

 

「ナインズ様?全知全能なのと、全生物の個を把握することは違う事でありんすと言うわけでございんしょう」

「うーん、それはそうなのかなぁ」

「そうでありんす。拾ってきた蟻をケージに入れて管理したとしても、その蟻の掘る巣穴がどんなものかは拾った者には分かりんせんことでありんすわけでありんす」

 シャルティアがもっともらしいことを言う。

 アインズはこほん、と咳払いをした。

「全知全能は置いておいてだな、何かそのレオネちゃんの持ってる物とか知らないか?」

「レオネの持ち物……」

 ナインズは考え込むと「あ」と声を上げた。

「今日はレオネ、ネイル持ってました。ネイルポリッシュ」

「……九太、お前<物体発見(ロケート・オブジェクト)>は使えるか?第六位階なんだが」

「使ったことないです」

 アインズは悩む。ネイルポリッシュが何だかよく分からないので使えるならナインズに使ってほしかった。だが、もし皆がありふれて持っているものだと反応だらけになって個人を発見することは難しい。

 それに、これでナインズに新しい魔法を使わせみて習得できてしまうとそれはそれでもったいない。そんな魔法よりいいものを取らせたい。

 アインズは種族として得た特殊技術(スキル)"黒の叡智"を持つ者が行えるイベントをこなすことによって自らの魔法習得数を増加させてきたのであれこれ取りまくったが、ナインズにそれは難しいだろう。

 ナインズが未修得の第六位階なら<大治癒(ヒール)>だってある。あれはあると便利だし、何より怪我をしないか心配しないで済む。

 ――過保護だった。

 

 フラミーが神都の地図を持って戻ってくる。

 ナインズはフラミーを見上げた。

「母様、レオネはネイルポリッシュを持ってたんだけど……探せますか?」

「皆持ってるものじゃダメだよ。神都中のポリッシュ見つけちゃうでしょ。よっぽど、三十個とか持ってるなら目印になるけど」

 アインズの予想は当たった。

「……そっか。父様、理解が足りなくてすみません」

 ナインズが素直に謝る。多分、彼は自分がズレた返事をしたから、「君、<物体発見(ロケート・オブジェクト)>使える?聞かれてる意味分かってんの?」と言われたと思ったのだろう。

 違うのに。

 

「……気にするな。学べばいい」

 

 こんなこと、息子相手に言わなきゃいいのに。アインズは言ってから心の中で泣いた。ここに守護者達がいなければ「いや、父ちゃんネイルポリッシュが何だか知らないんだよ」と言ったのに。きっとナインズは「ははは、全知全能じゃないんですか?」と笑ってくれたのに。

 ナインズはしおらしく頭を下げていた。

「何か、レオネちゃんしか持ってないもの知らないの?魔法の指輪とか、魔法の髪飾りとか」

「ち、ちょっと一太に聞いてきます」

「焦らなくても、多分怖い目には遭ってないからね」

 

 そうは言われても、レオネは家出をするタイプでも、遅くまで道草を食うタイプでもない。イシューなら少しそういう可能性も浮かぶが。

 ナインズの中で誘拐の字が徐々に大きくなってくると冷や汗が出た。

 

(で、でもなんでレオネが誘拐されんの?僕か?僕が顔を晒したからか?ナインズ・ウール・ゴウンの友達だと思って誘拐された?だとしたら、身代金とか言われんのか?)

 

 湖畔のすぐそこに建つ一郎太の家を叩く。

『うん?誰だ?』

 中からは一郎の声がした。

「ぼ、僕です!ナインズ!」

 途端にドタドタと大きな足音が聞こえ、扉が開いた。

「ナイ様、どしたの?」

「一太!レオネがいなくなった!!レオネしか持ってないものって、なんか知らない!?」

「え、えぇ!?ナイ様も気付かないようなことに俺が気付けるわけないですよ!」

 扉の向こうで一郎太の後ろに立った一郎がごちん、と頭に鉄拳をおろした。

「一郎太!ナインズ様がお気付きにならないようなことに気がつくのがお前の役目だろうに」

「父上、んな無茶なぁ……」

 一郎太が不憫でナインズは若干笑ってしまった。

「は、はは。いや、そんなことは無いんですけど、でも、分かった。僕探しに行ってくる」

「え?どこに?」

「神都!!」

 

 ナインズは第六階層を駆けた。

 

「<伝言(メッセージ)>――あ、母様!せっかく地図出してもらったのにすみません!レオネしか持ってないもの、僕どうしてもわからなくて!え?こないだの栞?それはオリビアとアナ=マリアなんです。だから、ちょっと神都見てきます!はい!失礼します!」

 

 第七階層へ下ると、手のひらサイズの小さな悪魔達がナインズを見上げた。

「こんな時間にごめんね、ちょっと通してね」

 悪魔達はキュウキュウ声を上げ、案内するように鏡へ駆けた。

 そして、その後ろから「――おーい!ナイ様ー!」

「一太!」

「神都いくなら俺も行きますよ!」

「ご飯食べてたのに悪かったね」

「いーよ。帰ってきてまた食べるからさ」

 二人はせっせと走り、大神殿を抜けた。

 

 神官達がひれ伏すように頭を下げる。

 そして、その中の一人が「殿下!」と呼び止めた。

「――あ、はい!」

「ローラン嬢のことは!?」

「アルベドさんから!レオネの父様はいる!?」

「こ、こちらに」

 レオネの父親ならレオネしか持っていないような特別なものを知っているかもしれない。

 これが一郎太なら"王の馬蹄"を探せば見つかるし、オリビアやアナ=マリアならブックマークを探せば見つかったのに。

 神官がいそいそと案内した先で、懐かしいレオネの父親が顔を上げた。小学校卒業までの間、いつも学校に来て応接室でお昼を食べるナインズ達を見守ってくれていた。卒業以来、初めて会った。

 

「おじさん!」

「で、殿下!申し訳ありません!もしや殿下がおそばにいてくださっているのではないかと」

「ご、ごめんなさい。レオネはうちにはいなくて」

「い、いえ。そんな。はぁーあのバカ娘。一体どこに行ったのやら……」

「おじさん、何かレオネしか持っていないようなものって知りませんか?それがあれば、母王陛下が見つけてくれるって」

 神官達の中をざわりと空気が揺れる。「陛下のお力を使うほどか……?」という声が聞こえると、ナインズはそちらへちらりと視線を送った。

「私の望みだ。子から母へ友を探して欲しいと言うことの何がおかしい」

 慌てて神官は頭を下げた。

「し、失礼いたしました」

「いい。お前のいうことは一理ある。私も理解はしている」

 神の大切な奇跡をそんなことにと思ってしまうことへの忌避感や気持ちはよくわかるのだ。

 だが、レオネの父親が悩みに悩んだ結果の答えが「わ、私が持たせた万年筆くらいしか……」という言葉と共にその奇跡は行使されないことが決まった。

「……曖昧すぎるかもしれません。やっぱり、ちょっと街を見てきます」

 ナインズが部屋を後にすると、一郎太は後ろで「すぐ見つかるよ。あいつ不良じゃないから」と父親を慰めてから追いかけた。

 

「あ、ナイ様顔!それじゃまるきり陛下ですよ!服も!!」

「――あ、ごめん!腕輪頼む!」

「はい!」

 ナインズの顔には亀裂があるし、髪の毛もお団子状態で銀色のままだった。そして、ナザリックでは当たり前に着ている父親のお下がりの魔法のシャツを来ていた。肩や胸元に色々飾りは付いているが、魔法の装備だと重さや鬱陶しさを感じないのでナインズの普段着と化している。

 身体にすぐに低位の幻術を掛け、腕輪を着け直すと二人は街へ飛び出した。

「レオネの行くような場所ってどこだ!?」

「カフェと学校……大神殿くらいしか思い浮かばないですね!?」

「はー!僕ら、あの子の何を見てたんだ!?」

「いや、色々見てたけど無理でしょ!?」

 二人の足は早かった。

 

 とりあえず一番に女子寮を訪れた。

「すみません。夜分遅くに失礼します。レオネ・チェロ・ローランって来てませんか?」

 女子達は目を丸くしてナインズを見た。ちらりと前髪に触れ、ちゃんと幻術がかかっていることを念のため確認してしまった。

「あ!首席!!」

「わ、すごい素敵なシャツ」

 それは先日レオネといた友人、またの表現をするなら爆風の目の前になりそうだった子だ。

「あ、君達、レオネっている?」

「いないの……。さっきもレオネがいないか神殿から人がいっぱいきて……でも、いないの!」

「レオネ、今日朝に学校来てたはずなのに授業にも一つも出てないのよ!!」

「朝からいなかったのか!?僕は一緒に登校したのに!」

「ねえ!レオネどこ行っちゃったの!?あの子、サボるような子じゃないんだよ!!」

「そうよ!模範的でいたいって昨日もそう言って、遅くならないうちに家に帰るって言ってたのに!!」

 ナインズは混乱しかけていたが、二人の頭をくしゃりと撫でた。

「大丈夫、必ず見つけるから。優しい君達がレオネのそばにいてくれて良かった」

「……首席」

「わぁ……」

「――行こう、一太」

「はい」

 

 二人は寮も後にした。

「なんであいつ授業も受けてないんですか?あの後帰ったの?」

「帰れてないから今いないんだろ。訳がわからないよ」

 とりあえず誰もいない学校に着く。

 警邏の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)しかいない場所だ。

「なんか不気味ですね」

「はは、ナザリックに暮らしててよくそういう感想が出てくるなぁ」

「えぇーナイ様不気味に思わないの?」

「皆がいてくれると思うと安心するよ」

「歪みの森でおもらししたくせにー」

「それは二の丸!」

 ナインズは校舎へ駆けた。

 

 朝の足跡を辿るように進む。

 ナインズの到着に気が付いた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が扉を開く。

「いらっしゃいませ」

「や。夜に悪いね」

「とんでもございません。私は外の警邏の者なので、すぐに内部担当が参ります」

「ありがとう」

 

 扉はすぐにバタン、と閉められた。

 

「さて、今ここには生きた者はいないはずだ」

「……ナイ様怖いこと言わないでくださいよぉ」

「ははは。一太、そういうキャラだっけ?」

「俺は生きてないの嫌なの!!訓練の時に倒しても第六階層には全然いないの!野良がいたら嫌なの!!」

「はいはい。そうなんだね」

「そーなの!!」

 ナインズは笑ってから腕輪を一郎太の手に乗せ、魔法を唱えた。

 

「<生命感知(ディテクト・ライフ)>」

 

 瞳に生命の反応が映る。

「どう?」と顔を覗かせた一郎太が邪魔で押し返した。

「たくさん小動物の反応が――あれ?いるかも。こっち」

 

 二人は信仰科の教室の方向へ向かって駆けた。

 

「なんでこんな時間に学校いんだ?」

「分かんない。授業サボったから落ち込んでんのかね?」

 

 教室の前すら駆け抜けると、二人はますます首を傾げた。

 

 そして、渡り廊下を抜けて塔に入る。

 ナインズは初めてくる場所だった。

 

「この部屋かな?」

 

 扉を引こうとしたが、ガチャン、と鍵が鳴るばかりだった。

 すると、向こうから『だ、誰か!誰かいますの!!』とレオネの声がした。

「なんだ。もう見つかった」

「ほんとだね。――レオネ!僕だよ!!開けてあげたいんだけど、鍵がないからもう少し待って!!」

『キ、キュータさん?なんで……?』

「なんでって、君がいなくなったって大神殿から連絡があったから心配で探しにきたんだよ」

 ノブを一度離すと、一郎太と頷きあった。

「いちいちごめんね」

「全然」

 一郎太は腕輪を受け取ると、自らの腕にそれを通した。

 

「<飛行(フライ)>」

 ナインズはふわりと浮かび上がると、渡り廊下から空へ出た。

 この塔は湿気を逃すためなのか窓が全て開いているのが外から見えた。ガラスのはまっていない、ただ穴が空いている外気に晒されているタイプの窓だ。人が通れる程度の広さではあるが、ここから出れば普通は落下して死ぬし、この壁を登って侵入するような者もいない。

 

「――レオネ」

 窓から中を見下ろすと、準備室の真ん中にはスカートを花のように開いたレオネが目に涙をいっぱい溜めて座っていた。

「キ、キュータさん……」

「流石に参ってるね。暗くて不安だったでしょ。お腹も空いたんじゃない?」

「……腹ペコですわ……」

「うん、帰ってなんか食べようね」

 レオネの前に降りると、レオネはふと目を逸らした。

「……キュータさんに連れ帰ってもらうなんて、申し訳なくてできませんわ」

「なんだそりゃ。レオネは好きでここにいるの?」

「好きではいません。ただ、居眠りしてたら出られなくなってしまっただけです」

「ははは、君らしくないね」

「……えぇ、そうかもしれませんわ」

 

 ナインズは首を傾げた。

「思ったより元気ないね。らしくはないけど、居眠りくらい誰でもするでしょ?」

「……ですわね」

「怖かったの?」

「……怖かった」

「うん、暗いもんね。さぁ、もう出よう」

「……はい。……ご迷惑をおかけしました」

「迷惑なんかじゃないよ。とにかくレオネが無事で安心した。誘拐とか、何かあったのかとか、もー焦ったよ。……肝が冷えるってああいう感じかな?こういう思いはもうしたくないって思ったよ」

 喋りながら、自分がいかに焦っていたのかナインズは自分で改めて思い知った。

「申し訳ありません……」

「良いよ。無事だったから。また元気な声も聞けそうだ。――あ、そうだ」

 

 ナインズは座るレオネの前にしゃがむと、ごそごそと自分の持つ無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)に手を入れた。この無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)はアインズが一つ譲ってくれたものだ。

 ショートカットキーに登録したら簡単に物が出せるとかなんとか言っていたが、父王の言葉は時に理解不能だ。

 

「これ、レオネに渡しておくよ」

 ナインズは飴くらいの大きさの赤い魔石を一粒取り出した。窓から落ちる月の光が当たると、床に映った魔石の陰は不思議と花の形をした。

「正直、これはどこにでもあるような、誰もが持ってるような物じゃない。君は高価だって怒るかもしれないけど、またこういうことになった時に僕が焦りたくない。すぐに見つけられるように、持っておいて」

 レオネは目を見開いた。

「な、なんですの。い、いけません、受け取れませんわ」

「お願い。素材そのままで申し訳ないんだけどさ。目印」

「め、めじるし……」

「本当はもっと早く見つけてあげられるはずだったんだ。僕の力不足。悪かったね」

 これはこの間オリビア達に渡した栞を作った際に持ってきて並べて悩んだうちの一つの魔石だ。これで今後万が一ナインズ・ウール・ゴウンの友人だと言って誘拐されるようなことがあればすぐに見つけられる。

 

 レオネの手を取って握り込ませる。跪いてうやうやしく、という感じではない。無造作にしゃがんでいるナインズはちらりとレオネを見上げた。

「怒った?」

「お、怒りますわ……。こんなに高価なもの……。あれだけいけないとお伝えしたのに……」

「はは。君のこと守るためだ。仕方ない。あ、危機的状況以外の時には別に場所探知したりしないから安心してね」

「……バカ……」

 魔石を抱きしめるレオネがいうと、ナインズは「初めて言われた」と笑った。

 

「さ、こんな所もう出よう。二度と変な所で昼寝はしないこと」

「はい」

 ナインズが手を伸ばすと、レオネはそれを取ることを躊躇った。

「どした?」

「……あ、い、いえ。これは、あの、ミリガンさんもお持ちで?」

「ミリガン嬢?あの子が持ってるわけないでしょうに」

 友達ではあるが、自分の正体も知らない町娘に渡すわけがない。ナインズは、「あ、でも」と言葉を続けた。

「イシューや他の皆にもなんか渡しておいた方がいいよなぁ。ペンとかの方が持ち歩きやすい?レオネもペンかブックマークにする?」

「いえ!わたくしはこちらにします!」

「そう?そのままだけど、気に入ったなら良かった」

 

 よっこらせ、とレオネを横抱きにして立ち上がる。

 レオネは子供のように軽かった。というか子供と変わらない。

「き、き、キュータさん!?」

「<飛行(フライ)>で出るからあんまり暴れると危ないよ」

「で、でも!でも!!申し訳なくて!!」

「別に。そうしなきゃ出れないんだから気にしなくていいよ」

「そ、そしたら朝に迎えにきて頂くんで結構ですわ!わたくしあなたに悪くてこんな格好じゃいられないの!!」

「レオネ、うるさい……。大体ここに一人で置いて行けるわけないでしょ。朝になってドアが開くのを待つんだとしたら、僕までこんなところで一晩寝なきゃいけなくなる」

 レオネはしゅんと小さくなった。

 

 静かになると、二人は<飛行(フライ)>で窓からそうっと出た。

 ヒュオッと風が吹く。レオネは「ひ」と声を上げてナインズの首に縋った。

「落とさないよ。レオネもそれ大事に持っておいて」

「は、はい……」

 渡り廊下に戻ると、一郎太は「はー、やれやれ」とため息を吐いた。隣にはいつの間にか死者の大魔法使い(エルダーリッチ)。大量の鍵の束を持っていた。一郎太に言われて往復でもしたのか、まさに今鍵を差し込もうとしていたところだった。

「お待たせ。はい――レオネ、もう足着くよ」

「え、えぇ。助かりましたわ」

 そっと下ろすと、レオネの足には力も入らずそのまま崩れて床に座り込んだ。

「あ……あれ?あれ?わたくし」

「高かったから腰が抜けたかな」

 ナインズはレオネを抱え直した。

「俺が持ちましょうか?」レオネは物か。

「いや、一太もまだご飯食べてる途中でお腹空いてて可哀想だから。レオネ軽いし大丈夫」

「でもそいつ、そのままじゃ人間に戻れなくなりそうだけど……」

「なんだそりゃ」

 

 二人が歩き出すと、後ろにはふよふよと死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が付いてきた。

「――御方、申し訳ありません。こんなところに人間の小娘が残っていたとは」

「いいよ。君たちの仕事は外からの侵入者の警戒なんだから。入ってて動けない存在相手じゃ仕方ないよ。実験用の魔法動物だっているんだから」

「ありがとうございます」

 

 三人が学校を後にすると、庭には神官達やレオネの友人達が集まっていた。

「あ、皆いるよ。良かったね」

「え、ほ、ほんとですわね」

 後ろで扉を閉める死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が「私が大神殿へ連絡いたしました」と静かに仕事の成果を報告した。

「あぁ、ありがとう。よくやってくれたね」

「は」

 深々と頭を下げた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はハッピーそうだった。

 

「レオネー!」

「レオネあんたどこいたのよー!!」

「レオネ良かったよー!!」

 友達たちが走ってくると、レオネは「ち、ちょっとお昼寝を……」なんて恥ずかしそうに言った。

「――っこのバカ娘!!一体何人に心配をかけたと思ってるんだ!!そ、それに!それに!!」

 なんと言えば良いかわからないようで、お姫様抱っこの状態の娘と神の子を指差した。

 その様子をどう受け取ったかは分からないが、レオネの友人達は父親とナインズの間にすぐに割って入った。

「ち、違います!!首席は――この男子生徒はレオネを心配して迎えに来てくれたんです!!」

「この人は悪くありません!!」

 そんなことは分かっているだろう。

 レオネの父はなんというべきか困り果て、黙ってしまった。

 多分彼は殿下にご迷惑ばかりかけて、抱えられて出てくるなんてバカ娘、そう言いたかっただろうに。

 

 夜の騒動は幕を閉じた。




オリビアちゃん、正妻の座が揺らいでいる!頑張らないと!!同じ学校は強い!!
ちなみに男爵一回言っていいっすか?アガートちゃん、田舎娘だしちょっと身の程弁えて欲しいっすよね。(?

レオネ、美人になったね( ;∀;)

【挿絵表示】


次回!明日!!
Re Lesson#15 模範生と落第生


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Re Lesson#15 模範生と落第生

「……レオネ。レオネったら」

 あの夜以来、レオネは脳みそを失っていた。

 ぼけーっと頬杖をついて窓の外を眺めては、こうして外から誰かの声が聞こえると――

「――きゅーたさん?」

 と呟き、窓の下を覗き込む。

 そして、特進科が何か授業をしていると、途端に人間に戻るのだ。

「あ!キュータさーん!よくできてましてよー!!」

 首席の謎のへなちょこ魔法を褒め、神官且つ教師が特大の咳払いをする。

「ミス・ローラン!ミス・レオネ・チェロ・ローラン!!良い加減になさい!!」

「――あ、し、失礼いたしましたわ」

 慌てて座り直し、しばらくは真面目に授業を聞くのに、また時間が経つと骨抜きに戻っている。

 

 ヨァナとファーは目を見合わせ苦笑した。

 

「……こりゃダメだ」

「復帰には時間がかかりそうね。授業に遅れたりしたら、あの子どうするのかしら」

「私らでなんとかしてやるしかない。あんな事があれば余韻の一つや二つにも浸りたくなる」

「……余韻って言ったってあれから何日経ってると思ってるのよ」

 

 あの日、ヨァナとファー、ルイディナでもレオネを探そうと言って寮を出た時、神官達がちょうど学院へ向かって走って行くのが見えたのだ。

 その後を追うと、準備塔から<飛行(フライ)>で首席がレオネを抱いて出てきた所だった。

 ギュッと首席に掴まった彼女はどこからどう見てもお姫様だった。首席も何やらとんでもなく高級そうな服を着ていて王子様にしか見えなかった。

 髪の毛を上げていた首席はすごく新鮮で男らしくて、レオネの細い腕が首に回る様子は絵画じみてすらいた。

 首席はいつもの爽やかさでレオネを父親に渡し、「じゃ、僕はこれで。また明日ね」と何の変哲もない挨拶を残して走って帰って行ってしまった。

 引き渡されたレオネは大切そうに綺麗な何かを持っていて、父親が娘の重たさに耐えずに下ろしてやったその時からもう脳みそがなかった。

 

「――そこ!!」

 教師に怒られ、ヨァナとファーは慌てて居住まいをただした。だが、怒られたのは二人ではなかった。

「ミス・エップレ!起きなさい!そんな事であなた、本当に亜人王になれると思っているんですか!」

 と、ゆすられているのはルイディナだ。

「っあ、あ、はひ」

 ルイディナは口から涎を垂らして顔を上げた。

「まったく。自覚を持ちなさいな。いいですか、皆さん。神官になると言うことは迷える人々を正しい道へ導くと言うことです。それが――」

 長い説教が始まってしまうと、男女問わず皆のいや〜な視線が集まった。

 

 他人のふりをしようとヨァナとファーは教科書で顔を隠した。

 

 ルイディナも、あれから日中はずっと昼寝をして過ごしていて、学校が終わると夜遅くまでバイトをしているようだった。

 ルイディナの爪は今日も美しい。しかも素敵なビーズまで付けていたりする。

 二人も羨ましくないといえば嘘だが、親が高い学費を出して通っているこの学院の何かを疎かにしてまで没頭、と言うのは少しイメージがわかなかった。

 ただ、ルイディナは彼らの村の姫だ。きっとヨァナやファーとは実家の金銭感覚も異なるのだろう。いや、ヨァナは両親共に働いていて割と裕福な家庭かもしれないが。

 そう言う意味では、早急に人間に戻した方がいいのはレオネかもしれない。

 

 彼女も父親が大神殿に勤められるような大神官で、神都のお嬢さんだ。とは言え、いつも金銭感覚は堅実だし、そういう神官がどのくらいお金をもらえているのか二人にはあまり想像ができない。自分たちの将来でもあるのに。

 

 二人は目下の目標を定めた。

 昼になると、レオネは一度人間に戻る時間だ。

「行きましょう、学食!」

「はいはい、首席いるといいね」

「ルイ、あなたどうする?」

 むにゃむにゃと目をこするルイディナは「あたしはパス〜」とまた眠りに落ちた。

「午後は聖堂で聖歌だから気を付けなさいよ」

「ん〜」

 

 ルイディナを残し、三人は学食へ向かった。

「ルイ、あれで大丈夫なのかしら……」

 レオネの発言に、そりゃあんたもだと二人は突っ込みたかった。

 三人はあたりをキョロキョロと見渡し、首席を探した。

 まだいないか?と思っていると、首席は今日はテラス席のようだった。パラソルのついた丸いテーブルで男四人が食事をしている。

 食事を持ち、三人は外へ出た。

「――キュータさん」

「――や、レオネ。ヨァナとファーも」

 青空の下、もう食事をとり始めていた首席は今日も爽やかだった。

 ちゃっかり二人も名前を覚えられている。

「よお、お前ら。もうここに席はないぜ」

 ワルワラが意地の悪そうな笑顔を作ると、三人は食事を押し込むように机に乗せ、周りで一席だけ空いているような椅子を「これいいですか?」「すみません」と声をかけて回収した。

「……せま。おい、スズキなんとか言ってやれ!」

「え、うん。皆、他にいい席なかった?」

 優しい問いかけに三人は笑顔で答えた。

「「「なかった!!」」」

「嘘つくな!!狭いだろうが!!」

 座れなくて潔く諦めて三人で食べることもあるが、段々この力技に慣れ始めていた。

 

「ワルワラ君!喜んでよ!女子と食べれんだよ!?」

 ヨァナがぐわっと顔を寄せるとすぐにそれは押し返された。

「いらない!!お前達みたいなガキンチョと食べても嬉しくない!!」

「ガキンチョですってぇ!魔人(ジニー)との混血だって言ったってあんたも十六じゃない!!」

「お前らひよこみたいな体つきだからガキンチョだ!砂漠はもっと皆グラマラスだしな」

 三人は自らを見下ろし、「お下劣!!」と吐き捨てた。

 

「ワルワラ、人の身体的特徴をそんなふうに言ったらいけないよ」

 首席のフォローにはなっていない諌めに、ワルワラはふん、と鼻息を返した。

 そして、納得のいかないファーが「私だって砂漠育ちよ」と言った。

「あぁ、お前は割といい女だよ。綺麗だし」

「え」

「――って、スズキなら平気で言ったかな」

 ワルワラが爆笑するとファーはグーパンチで肩を叩いた。彼の肩は角の素材と同じで大変固く、叩いた手はよほど痛かったのか震えた。

 

 そんな中、カインはほっと息を吐いた。

「びっくりした。ワルワラまでそんな風になったら僕と一郎太君だけ取り残されちゃうよ。ちなみに、一郎太君は?ミノタウロス派?人間派?」

「お、俺ぇ?俺は女のミノタウロスって母親と叔母さんくらいしか会った事ないからなぁ」

「じゃあ人間派かな?」

「うーん、どうかなぁ。俺どっち派って決めても……キュー様はどう思う?」

 何故そこで首席に意見を求めてしまうんだ、ミノさん。

 ヨァナは苦笑した。

 

 首席は「一太が好きなように――」と言うと言葉を詰まらせた。

 

 信じられないほど真剣な顔をして何かに悩む。

 まるで未来の様々な選択肢に必死で思いを巡らせるようだった。

 

「一太、僕はそこまで考えられていなかったかもしれない。自分のことばかりで本当にいつもごめん。それも含めて時間がある。もしかしたら、置いていかれる辛さを知ることになるかもしれない。焦らないでいいよ」

「置いていく辛さを知るくらいなら、俺はやっぱりいいや」

「だから時間はあると言ってるだろ?そんなにすぐに決めようとしないでもいいんだよ」

「俺は十五年間かけて決めてるよ。それに大体キュー様が俺に頼んだんだろ」

「頼んだけど、それはそれとして考えなきゃダメだって話だろうに」

「血を残さなきゃいけないってんなら二の丸だって俺にはいるんですよ」

「それは二の丸の子で一太のじゃないだろ。本当によく考えてるのか?」

「考えてるっつってんでしょうが!!」

「考えてたらそんなに早く答えなんか出ないだろうが!!」

 二人は立ち上がり睨み合うと「出ろよ、キュー様」と一郎太が空いてるスペースを指差した。

「え、け、喧嘩するの?」

「お、落ち着いて〜」

 ファーとヨァナが宥めようとすると、カインは「させてやんなよ」と一郎太の皿の上にあった肉を食べた。

 二人は空いているスペースへ向かって歩いた。

 ミノさんが拳をボキボキ鳴らすと、周りも何だ?と二人へ注目した。

 

「俺が勝ったらもうぐずぐず言わせないですから」

「おかしいだろ。――僕に勝てるっていう前提が」

「手加減してやんねぇ」

「そう、僕は手加減してやるよ」

 首席は腕輪を見せて笑った。

「「カイン!!」」

 

 突然呼ばれたカインは「はいはい。はじめー」と雑に言った。

 

 二人はローブを脱ぎ捨てるとドカンと拳をぶつけ合った。空気が振動して、パラソルがゴッと向きを変える。拳のぶつかり合いだけで風が巻き起こるなんてあり得るのだろうか。今のは偶然の風か。

「ち、ちょちょちょっと!!やめさせなくていいわけ!?」

「レオネ!!レオネ首席止めなよ!!」

「まぁ、時が来たらですわね」

「血が騒ぐねぇ。俺も混ざろうか」

 ワルワラは楽しげだった。

 

 拳が拳を受け止め、また拳を受け止める。

 ひゅっと小さくなった一郎太が首席を足払いし、首席が地面に倒れると、観客と化している女子が悲鳴を上げた。

「誰か先生呼べよ!」

「首席が喧嘩してる!!」

 そのまま首席が顔を上げずにいるというのに、一郎太の追撃は止むどころかスピードを上げようとした。

「させるかよぉ!!」

 拳の先は首席の顔のすぐそばだったが、流石に頭に鉄拳を降り注がせることはなかった。一郎太が殴りつけた地面が捲れ上がる。

 いや、拳でめくれたのではない。その直前、地面は青白く発光し、何らかの魔法が使われていたから。

 土は巨大なトラバサミの形になって一郎太の全身を覆うように捕まえた。

「おいっ!キュー様こっから出せよ!!」

「……一太、手加減するなよ。僕は結局全力だったのに」

「うるせぇ!腕輪付けてるキュー様本気で殴るやつがいるかよ!!」

「甘いってじいに言われるぞ。それより、よく考えろ。私は時間はあると言っているだろう。望みは伝えたが、私はお前のことを考えているんだと何故わからないんだ?」

「っくそ!キュー様その言い方やめろよな!俺は今誰と話してんだよ!!」

 

 首席はハッと言葉を詰まらせると「悪かったね、一太」といつもの優しい様子で言った。

 首席は地面の発光している部分を足で消し、ミノさんを捕まえていた土のトラバサミは消えた。あれはなんて言う魔法だと周りから声がする。

「あ、キ、キュー様。ごめん」

「ううん、一太は悪くなかったよ。僕、少し頭冷やして来ようかな。向こうに<伝言(メッセージ)>して、ちゃんとするから。一人にして」

「……キュー様」

 首席はミノさんを抱きしめて背中を叩くと、背を向けていってしまった。

 レオネは落ちていたローブをひとつ一郎太にぎゅっと渡すと、首席のローブを持ってすぐに後を追っていった。

 

「地雷だったかな?」

 カインが言う。一郎太はため息を吐いて座った。

「……いいや。俺の伝え方が良くなかった。っていうかなんか全部良くなかった。なんだろな。将来のこととか絡むと、俺たち少しだけ難しくなることがあるんだよな。こうあってほしい未来と、こうしてほしい未来があって、本当は二人とも全く同じはずなのにうまく合致しないっていうかさ」

「いや恋人か」

 途中までは真剣に聞いていたヨァナは思わず突っ込んだ。

 一郎太は大声で笑った。

「そういう意味では少なくとも男じゃなくて女がいいわ」

「じゃあミノさん私と付き合ってみようよ!始まりは遊びでいいから!」

「お前思い込み強そうだし本気になりそうだからやだ」

「なんでよー!!本気の方がいいじゃんよー!!」

 皆おかしそうに笑った。

 

 そして、誰かに呼ばれたらしい教師達が駆けつけ、「何だ何だ!?」と首を傾げた。抉れた地面は森司祭(ドルイド)の力を持つ生徒と教師で元に戻された。

 

 一郎太は首席の立ち去っていった方向をずっと気にしていた。

 

+

 

 ナインズは人通りの少なそうな庭の芝生に寝転んだ。

 今日も空は綺麗だった。木の上に八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達がより集まりナインズを見下ろしていた。

「皆、来るの早いね。一太に悪いことしちゃったな。僕のわがままに付き合わせようってのに。命令にならないようにするって決めてたのに」

 わさわさと体を揺らす。ナインズの目では隣にいるハンゾウは見えない。ハンゾウ達は一度もナインズに認識された事はなかった。

 

「どなたと話してますの?」

 レオネがひょい、と顔を覗かせてくる。

「キュータさんらしくありませんわ」

「はは。この前僕が言ったセリフ」

 

 レオネも隣に座ると一緒に空を見上げた。

「僕だから言っちゃう言葉と、僕だから言っちゃいけない言葉が同時にあって参るよ」

「ご自身で分かっておいでなら良いじゃありませんの。一郎太さんだって分かってますわ」

「でもあんなに傷付けて……。あぁあ、自己嫌悪だよ」

 ナインズはため息を吐いて目を閉じた。

 さやさやと風に木々が揺れる音が心地よかった。

 

 そして、ふと頭に触れられた。

「――ん?」

「髪の毛に草がついていましてよ」

 レオネはナインズの髪を撫でると、その手から草をぽいと捨てた。

「はは、ありがと。でもレオネ、こんな所に座ってると痺れてまた立てなくなるよ」

「構いませんわ。そうなれば今度こそここに置いて行ってください。――ね、キュータさん。うまい言葉が見つからない時は、やっぱり体温が一番の薬ですわ」

「父王陛下も触れ合いは人の心を動かすって言ってたな。僕もそう思うよ。だからさ、一太と離れるなら、必ず背中を叩いてやらなきゃいけないって思った。そうしなきゃ一太置いてかれて泣いちゃうだろうから」

「ふふ、そうですわね。きっとそうでしたわ」

 レオネが数度黒い髪を撫で、心地よさにナインズは目を閉じた。

 

「こんな風にしてもらうのも随分久しぶりだなぁ。母王陛下はよくこうして湖畔で過ごしてくれたっけ。大人になるってこう言うことかねえ」

「そうかもしれません。わたくしもこんな風にするのは初めて。きっと、大人になるってことですわね。――キュータさん、忘れないで。人を傷つけずに大人になることも、人に傷つけられずに大人になることも、絶対にあり得ませんわ。あなたは、不完全の完全なんですから」

 ナインズは懐かしい言葉に笑った。

「そうだった。僕って不完全なんだよね」

「えぇ、そうですわ。何でも完璧に行くなんて驕ってはいけません」

「本当だね、ありがとう。レオネの言う通り。――そろそろいこうか」

「ですわね。授業も始まりますわ」

 風に乗ってめぇ〜めぇ〜と声が聞こえてくる。二人は束の間の休息を過ごした。

 

 ふと、ドサリと何かが落ちる音がして、起き上がりかけていたナインズはそちらへ視線をやった。

「キュータ……」

「あ、ミリガン嬢とレイ」

「ご、ごめん!!」

「――あ!アガート!!」

 アガートがレイと走っていく。教科書が一冊落ちたままだった。

 

「追いかけます?」

「教科書置いて行っちゃったもんねぇ。やれやれ」

「ふふ、ふふふ。大変ですわね、あなた」

「な、なにが?」

「いーえ。午後わたくし聖堂で聖歌ですの。彼女達、この先の実験室に向かってたところでしょうし、行きがけにわたくしがロランにでも届けておきますわ。彼女、ロランのクラスでしたものね」

「あぁ、そうしてもらえると助かるよ。ありがとね」

「とんでもありません。さ、早く立って!もう行かなきゃ遅れますわ!わたくしもキュータさんも遅れられません!!」

 レオネは自分のスカートの裾をパンパン叩き、身支度をすると教科書を拾った。

 ナインズもさっと髪を払いもう一度草を飛ばした。

 レオネが「それでは!」と言って駆け出すと、ナインズは手を振った。

「レオネは本当に元気だなぁ。おかげで僕も元気出たぞ」

 思わず笑いがこぼれた。ナインズはレオネとは違う方向へ歩いて行った。

 

 校舎裏、レオネは自分の足が痺れ切っていることに気がついて「ひぇ〜〜!!」と泣いた。

 

+

 

 よく寝たルイディナはうんと伸びをしてバイト先に向かった。

 今日は新しいバイトだ。

 大神殿の芝生や植え込みの栄養を取り戻してやる。

 学院の生活課でバイトや依頼を紹介してもらえるのでありがたい。ある意味冒険者と同じ制度だ。

 今日の仕事は魔導学院信仰科の森司祭(ドルイド)宛のバイトでは一番高給だ。なんと言っても範囲が広い。

 一日やそこらでは終わらない。

「――では、こちらをよろしくお願いいたします」

「はい!お任せください!!」

 とは言ったが、この芝生は中々広そうだ。それに、掛けたところと掛けていない所が分からなくなりそうなのが辛い。

「……とりあえず、やれるところまでやっちゃおっと」

 サボらずせっせと魔法を掛けていく。

 辺りが暗くなり始める頃には魔力もなくなり始め、クラクラとした体で芝生に横になった。周りはライトアップも始まり、いい雰囲気だった。

 見回りの神官が永続光(コンティニュアルライト)を持って来ると、ルイディナを見下ろした。

 

「本日はもうここまででよろしいのでは?」

「あ、あはは。もう少しやりたいなーなんて思ってるんですけど」

「我々はありがたく思いますが、あまり無理をされると明日に響きますよ。学院生さん」

「いえ!大切な陛下方をお祀りするところなので!!」

 神官は悩んだようだったが「では、また見に来ますね」と感心したように戻っていった。

 ルイディナはそこでしばらく目を閉じて過ごした。

 

(後五万ウール貯まったら、毛抜き薬が一つ買えるんだもんね)

 

 ヘレフォード外科医院に行くと、いつも素敵なものがあって何かしら買ってしまう。

 この間はマニキュアを買うつもりが、その場でネイルアートをしてもらった。中々いいお値段だったが、こんなに素敵なものは見たことがない。

 学院でも皆が集まってきて褒めてくれる。

 ルイディナはどんどん自分に自信が湧いてきた。

 

 毛抜き薬はまず顔と首に使って、残ったら指に使う。

 そして、次回は二本いっぺんに買って、両腕に。次もニ本いっぺんに買って両足。

 そしたら、次は耳を少し短くしてもらって、周りから見えなくしてもらう。

 その次は尻尾をとって、さらに次は口元のぷにぷにをなくしてもらって、またその次は鼻を人みたいにして――ルイディナは嬉しくて嬉しくて笑った。

 

「――よし!頑張るぞ!」

 

 少し魔力が戻った頃、また芝生に栄養を与えて回った。

 また神官が様子を見に来る頃には、イツマデがルイディナの上を飛び回った。

 流石にこれ以上はダメだろう。

 今日の賃金をたくさんもらい、ルイディナは寮に戻った。

 大浴場で汗を流す。もう遅い時間なので誰もいなかった。それをいいことに、ちょいと顔の毛を剃り足す。また顔が痒くなってしまった。

 そして、顎を剃りまけると「いちちち……」と声を漏らした。

 こんな行為も毛抜き薬が手に入れば半年はおさらばだ。

 また一生懸命半年働けば、次の毛抜き薬だって、他の部分を手術で整えながらも買えるはず。

 ルイディナはふんふん鼻歌を歌って浴場を後にした。

 

 寮には生活課に張り出されているのと同じ依頼が並んでいる。これを持って生活課で依頼を受けられる。

 夜にできる仕事はないかな、と掲示板を眺めた。

「――あれ?これ、いいんじゃない?」

 何科でも受けられる依頼は冒険者組合一階の酒場だ。

 信仰科、特進科大歓迎と書かれている。

 別にその二つの科の力が欲しいのではなく、いつか力をつけて学院を卒業する時、省などに入らず冒険者になってくれる優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)がいそうならヘッドハンティングしたいのだろう。

 ルイディナはペロリと指を舐めると、依頼書を一枚破って明日生活課に持っていくことにした。

 

 それから、またルイディナはせっせと働いた。

 もう少しで毛抜き薬が手に入る。耳も切れる。

 最初は耳を切ると聞いた時は恐ろしかったが、ピアスだって耳に穴を開けているし、何より冒険者組合で耳の短い森妖精(エルフ)を見てから、なんとなくその恐ろしさは下がった。

 彼らは耳が長く見えるイヤーカフを付けていたので短い耳が気に入らないようだったが、全く痛そうではなかった。

 冒険者の中には、ヘレフォード院長の言うように体に傷がある人も多くいた。

 

 体が無傷でピカピカじゃないと怖いと思うのは、若いから感じる、ある意味差別的な意識だったのかもしれない。

 

 ルイディナの意識はどんどん変わっていった。

 

 そしてある日、冒険者組合の酒場で――。

「お前、金が欲しいのか」

 

 一番端の席で、影と同化するようにミノタウロスが言った。

 ルイディナはゴクリと唾を飲んだ。

「な、なんですか?欲しいは欲しいですけど……」

「ククク――そうかぁ。なぁ、うちで働かないかぁ?割りのいい依頼があるんだよなぁ〜。きっと気にいると思うぜぇ。何せ、荷物ひと運び五万ウールだ」

「……それ、どこで受けられるんですか?」

「ククク、どっかで受けるもんじゃあねぇ。俺が直接頼むからこそ、この値段さぁ。マージンが取られねぇ。嬢ちゃんは頭が良さそうだし、綺麗だからなぁ〜?」

 ルイディナは少し気を良くすると、「それなら――」と言いかけ、本能が「あやしい」と囁いた。

 そして、ヘレフォード院長の声がよぎる。

『――美の魔法を欲しても、大金を欲しても、決して怪しい者には近寄らないように』

「……や、やめておきます。あたし、学校の生活課の依頼バイトしか受けないんで」

「……そうかよ。後悔しても知らないぜ」

 ミノタウロスが言うが、ルイディナは空いているグラスを持ってその場を離れた。

 そのミノタウロスは「その傷、見えなくできますよぉ〜」と冒険者に声をかけていた。

 

 ルイディナは先ほどの提案を断った事を少し後悔したが、もっと働こうと決めて今日も組合の中を駆け回った。

 

 毛のない体、犬や猫みたいじゃない耳、つんと尖った鼻、華奢で如何にも魔法が上手そうな指。

 何より、神王陛下や光神陛下とお揃いの見た目。

 誰よりも才能に溢れる首席とお揃いの見た目。

 

 ルイディナは鏡の前に立った。

『ははっ!人間だぁー!!やったー!!』

 ぴょんぴょん跳ね、尻尾のないつるつるのお尻を振った。

『うわぁ!ルイ、美しすぎませんこと!?』

 レオネが驚いてひっくり返ると、ルイディナはくるりと回って体を見せた。

『っどう!私だって捨てたもんじゃないでしょ!』

『おぉー!すっごーい!これでやっと仲間になれたって感じだね!』

 ヨァナも拍手をしてくれる。ファーはやれやれとため息を吐いた。

『元から仲間は仲間よ。だけど――これで本当の仲間ね』

『うん!私もこれで人間だからね!!』

 だからさ、ね。

 ルイディナは振り返った。

『――ね、首席君、ミノさん。あたしも、あなた達と恋してみたい!』

『ルイディナ、可愛いね』

『ルイディナ、そんなに綺麗だったんだな』

 うん、そうなの。

 あたし、これが本当の姿なんだ。

 それに、これからもっともっとまた綺麗になっていくからね。

 

「へへ、へへへ」

 ルイディナは思わず幸せに笑みが溢れた。

 

「――イ。――ルイ」

 遠くから声がする。ルイディナは眩しいそちらに引き寄せられるように――ハッと目が覚めた。

 

「――っんぁ!?ぁ、首席くん!?」

 覗き込んでいたのはヨァナとファーだった。

 二人は揃って特大のため息を吐いた。

「はぁー……。何かと思ったら、姫まで首席ぃ?」

「彼、ほんとに罪な男ね。まぁ、あの美貌と物腰じゃ仕方ないわ」

「あ、あはは。いや、ミノさんもカッコいいんだけどね」

 ルイディナはまたかゆくなっている顔をぽり、とかいた。

「ねぇ、あなた最近大丈夫なの?来週から中間考査入るわよ?」

「あ、えっと、そ、そうだっけ!はは!」

「レオネも首席絡みにならないと脳みそ空っぽだし、あなたたち二人大丈夫なの?」

 ルイディナはとりあえず落第しなければ補習くらいは受けても良いと思ったが、最近の授業は何をやっているのかよくわからない。

「えーと、ノート、貸してもらってもいい?」

「いいわよ。そのために私達信じられないくらい真面目に授業受けてたんだから」

「お金取りたいくらいだよ!ははは!」

 ヨァナがいうと、ルイディナの頭にカッと血が登った。

「い、いらない!!別にいいよ!!」

「あ、え?ひ、ひめ?」

 荷物をガサリと持つと、ルイディナは教室を後にした。割りの良さそうなバイトだって断って、汗水垂らして働いているのに、そう思いながら。

 

 取り残されたヨァナは呆然と立ちすくんだ。

「え、あ、ち、違うよ?私、お金なんて……」

「分かってるわよ。あなたは何も悪くなかったわ」

「で、でも、あんなに怒っちゃって……」

「……うーん……なんだか、最近の姫は本当におかしいわね」

 ファーがつぶやくように言う。

 

 最近のルイディナは顔に毛がないからか、目の下のクマがとてもよく見えた。顎やおでこなどに小さな傷もいくつかあるし、痒そうに赤くなっているところもある。

 いつも疲れていて眠そうで、先生である神官も彼女を当てたところで起きやしないと見限っているような気がする。

 魔導学院は別に義務教育ではないので、成績があまりに悪ければ落第だってするし、場合によっては退学だってある。

 やる気がないなら勝手に立ち去って頂いて結構、それがスタンスだ。

 ある程度のレベルまでは先生達もそもそも優秀な若者達を心配してくれるが、やる気が見られなくなれば構うことはない。他の皆を一生懸命見てやらなければならない。

 悩みがあれば告解室に行き神官に聞いてもらうことも、必要だと思われれば休学からの復学もできる。

 ルイディナは、そう言う意味では今教師達から見放され始めているのではないだろうか。

 ただ、これで中間考査で点数を取れれば、誰ももちろん文句は言うことはない。完全実力主義国家なのだから、性格が悪かろうが態度が悪かろうが関係ないのだ。

 

「……レオネは……」

 二人は窓の外を眺める二人目の姫に視線を送った。

 レオネはうっとりと窓の外を眺めていた。

「……次の授業行こうって言うわよね?」

 ファーが確認する。ヨァナは先程のことがショックだったのか即答しなかった。

 きっと、窓の外には首席がいて、あそこに張り付いていたいはずだから。

「え、っと……」

「大丈夫。レオネは平気よ。見ててね」

 ファーはヨァナの肩を叩くとレオネへ向かった。

「レオネ、そろそろ次に行くわよ」

「――ぁ、ファー。そうね。行かなきゃなりませんわねぇ。――あ、キュータさんだわ」

「当然でしょ。来週から中間考査なんだからしっかりして」

「……中間考査?来週から……?」

「そうよ。ぼんやりしてたらあなた、しまいには落第するわよ。来週からなんだから」

「中間考査、来週から!?」

 レオネは二度も現実を確認してから人間に戻った。

 信じられないくらいに瞳に光が宿り、ファーとヨァナをみる。

「わ、わ、わたくし!!わたくし大丈夫かしら!?」

「ダメでしょ。あなた一体どれほど長く首席しか見てなかったと思っているの?」

「わわわわわ、や、やってしまいましたわ!!私の!バカ!!大バカ!!ファー、ヨァナ!!」

「なぁに」

「ノート貸してください!!」

 レオネがべったりと床にひれ伏すと、ファーとヨァナは大声で笑った。

 

「うふふ。いいわよ。代わりに――」

「代わりに?」

「いくら出せる!!」

 ヨァナが元気よく言うと、レオネはムム、と頭に手を当て――「わ、わたくしのマニキュア、一ヶ月塗り放題でいかが!!」

 それを聞くと、二人はますます笑った。

「いらない!」

「えぇ!?こ、困りますわ!お願い!助けてぇ!!」

「冗談!お代はいいよ!私達、人を救う神官になるんでしょ!」

「よ、ヨァナぁ、ファー!」

 レオネは二人に抱きつくと思い切り頬擦りをした。

「ありがとぉー!!」

「ふふふ、でも、貸しひとつなんだからね!」

 三人は笑って次の授業へいった。

 

 そこからのレオネは凄まじかった。

 昼は弁当を持ってきて二人のノートを写し、学食にも行かなかったし、窓の外にうつつを抜かすこともなかった。

 一緒に勉強しようかと言ったが、レオネはどうせ口もきかずにやるから二人は学食へ行ってと送り出した。

 ノートを渡して、ヨァナとファーは学食に行った。

 

 学食は人がまばらだ。中間考査に向け、特進科は特に少ない。

 ただでさえ難しい魔法の理論の授業もあるのに、彼らは難易度の高い実技がある。信仰科にも実技はあるが、特進科の比ではない。

 神との接続が叶っていない者達はさらに必死だ。そこの点数を埋めるだけの知識を勉強しなくてはならないのだから。

 

 二人は適当なところに座ろうとしたが、気になる集団を見つけてしまった。

「――レオネいないけど、行く?」

「行きましょう。レオネのためじゃなくて、私達の青春のためよ」

「大賛成ー!」

 二人はやはりテラス席に出た。

 

「元気にしてるかしら!男子諸君!」

 テラスのウッドデッキ部分に直接腰掛けていた男子四名が振り返った。

「――ん、ヨァナとファーじゃないか」

「やぁ、首席、ワルちゃん、ミノさん、貴族君」

 二人はそのすぐ後ろにある席に座った。

「……僕は貴族じゃないんだけど」

 カインはおかしなあだ名に全く満足しておらず、頭痛に悩まされるようだった。

「俺もワルちゃんじゃない。変なところで名前を区切るな。大体お前ら中間考査迫ってるのに優雅にこんなところで飯なんか食ってていいのか」

 二人は椅子の向きを男子達に向けて座った。

「皆何やってんの?特進科って難しいんでしょ?」

「こいつ聞いてねぇ!おい!ファー!!お前もいいのか!!こいつちゃらんぽらんだぞ!!」

「ヨァナは成績いいわよ。彼女、なんて言ったって聖ローブル州から来てるんだもの。ご両親も聖騎士だし」

「こ、こいつがぁ!?」

 ヨァナは得意げにピースしていた。

「私も聖騎士になるんよ。どや。筋肉もあるで」

「ない」

「ある!!」

「あそ」

 

 ワルワラは何も聞かなかったことにして、地面に顔を戻した。

「で、スズキ。第三位階や第二位階に上がる時の明確なタイミングがあるのか」

「ある。僕はそう思ってる。――陛下方もただ無意味に位階を分けていないんだよ。一定一定の水準を越えないと、利用できる位階は上がらない。ほら、教科書のここにも」

 首席が教科書を開く。首席を左右で挟むカインとワルワラはそれを覗き込んだ。

「これは宗学の教科書だけど、やっぱりこっちも目を通したほうがいいと思う。こっちはより概念や哲学的な話が多いから、つい皆魔法学の方を読みたがるけど――」

「原点は宗学か」

「そうなるね。ワルワラは賢いな」

「お前に言われても嫌味だよ」

 二人は親友のように笑った。

 カインはせっせとノートを取った。

「――でも、ワルワラの信仰は透光竜(クリアライトドラゴン)――いや、竜王なんだよね?」

「俺達は透光竜(クリアライトドラゴン)様、もとい白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)閣下を崇めているが、その上に陛下方がいることは分かってる。だから、神聖魔導国ではないけど俺達だって神王陛下と光神陛下のことはそうお呼びさせて貰ってる」

 

 小難しい話してるわねぇと聞きながら食事をしていたファーは一度フォークを置いた。

「それで言ったら、私達も仏様が一番身近だわ。だけど、それとは別に絶対神がいることは理解してる。多分、陛下方以外の神も崇める皆がそうだと思うわよ」

「そうだね。信仰は信仰として置いておいて、理解することが大事だよ。宗学には陛下方の定めた謂わば世界のルールが書かれてる。それを頭に入れられれば十分」

 

 ヨァナとファーは首席のルールだけ覚えればいいなんて言う言葉にぽかんとした。

 信仰科の生徒もいるところでとんでもないことを言ってのけるものだ。

 

「キュー様、俺もそこ読む」

「はい、どうぞ」

 

 ミノさんと首席はすっかり仲直りした様子だった。

 ミノさんは教科書を受け取ると芝生に寝転がり、宗学の教科書を読んで行った。徐々に夏服に切り替わりはじめているので、ミノさんはもうローブを着ていなかった。夏服の薄いローブもあるが、人によっては着用しない。

 ミノさんは暑いようで、かなり大きく開けられた胸元からもっさりと赤い毛が出ていて、獣人系生徒の目は釘付けだ。おそらくセクシーなのだろう。

 

「ミノさんは神との接続できてないんだよね?テストやばそうだね」

「ま、適当にやるよ」

「なんか心配だなぁ」

 ミノさんがゴロリと背中を向けるとカインが二人へ振り返った。

「一応言っておくけど、一番ヤバいのは僕なんだけど」

「え。貴族君勉強できそうなのに」

「キュータ様は皆ご存知の通りだけど、ワルワラだって実技がほとんど満点に近いんだよ。一方一郎太君は筆記も九割に近い。僕は今火の車なの」

「が、頑張れ!頑張れ貴族君!君、このグループにいるからすごいやつだと思ってた!!凡人もいたんだね!!」

「……なんか癇に障る言い方というか……失礼だなぁ」

「ふふ、本当に失礼だね。カインは特別な人になるってのにね」

 首席は何か意味深に自分の漆黒の瞳を指さしていた。

「ですね!頑張ります!」

 カインはすぐにノートと教科書に齧り付いた。

 

 皆が一生懸命勉強している中、首席は飛んでいく蝶を目で追ったり、分からなそうな唸り声が上がるとそこにアドバイスをするばかりで、自分は勉強している様子はあまりなかった。

「……首席の余裕ってやつ?」

「これで次学年トップじゃなくなったらちょっとは人気も下がるかしら?」

「そこが狙い目だね」

「「あ」」

 二人は一つのことに思い至ると、食事をし終えて首席の肩を叩いた。

 首席に勉強する隙を与えず人気が下がれば、レオネも手が届くともう少し自信を持って思えるのでは。

「ねぇ、首席。レオネは模範生としてクラスで勉強してるわよ」

「そうなんだね。頑張ってって伝えておいてね」

「いや!自分で伝えろ!私らは伝書鳩か!!勉強なんかやめて自分で伝えろ!!」

「そ、そうだね。確かに。ごめん」

「そうと決まれば行くよ!!」

「え、今?」

「ん?キュー様、俺も行くよ」

 ヨァナとファーは首席を引きずって教室に帰った。

 

 両腕を掴まれて連行される様子に、周りの目が集まる。

「これ、若干の快感だね!」

「同意するわ」

「じ、自分で歩けるよぉ……」

 情けない声だ。あの日レオネ姫を塔から救い出した王子様だと言うのに。――ただ、ローブのまくられた腕は意外とがっしりしていた。

 

 教室に着くと、ルイディナがそそくさと逃げていく。

 首席はその背を目で追った。

「――彼女、変わった?」

「ん……ちょっとね」

「背中だけなのによく見てるわね」

 三人で廊下の先をひとしきり眺めると、首席はそろり、そろり、と信仰科の"C組"に入っていった。

 キャッと小さな歓声が上がり、首席は「しー」と口に手を当てた。

 

 そっとノートを覗き込むと、レオネは真剣そのもので、教科書の字を指でなぞってはノートと見比べて自分のノートにまとめていた。

 首席は静かに隣に座り、抱えていた教科書を広げて自分も勉強を始めてしまった。

「……え、話しかけないの?」

「いや、いいのよ。二人の世界になれば――ってミノさん!!待ちなさい!!」

 平気で教室に入って行こうとするミノさんをファーは捕まえた。

「な、なんだよ」

「今は二人にして」

「レオネは俺がいても気にしないよ」

「そう言う問題じゃない!あんたも首席離れしなさい!!また喧嘩になるわよ!」

「断る。適正な距離にいないと何かの時に困る。とくに今は人が多い。見失ったら困る」

「あのねえ、あなた首席のなんなの?」

 二人は呆れ返っていた。

 

「側仕えだよ」

「――え?そ、そうなの?なのに、特進科で筆記九割近いの?」

 ミノさんはやれやれと息を吐いて二人の後ろに向かった。コト、コト、と蹄が床を叩く。

 その足音を聞くと、レオネはパッと顔を上げた。

「一郎太さん?――あ、キュータさん」

「よぅ」

「や、頑張ってるね」

「当然ですわ。情けない点数は取れませんもの。キュータさんと一郎太さんもお勉強されてる?」

「まぁ、ほどほどにね」

「俺も落第しない程度に」

「あなた方、もっとちゃんとなさって。一郎太さんも補習なんてなったらどうなさるの?」

「え、そんなもんあんの」

「当然。下手したら一人で受けることになりましてよ。――キュータさんもあまり気を抜いていますと、すぐにトップから引き摺り下ろされますわ」

「次はきっとワルワラが学年トップになるよ。頭いいし、魔法もうまい」

「……悔しくありませんの?」

「なぁ?レオネ言ってくれよ。キュー様、ワルワラなんかに負けんなよって」

「ははは、勝ち負けじゃないよ。でも、筆記の方はある程度はやってるから。大丈夫。心配しないで」

「もう。本当に頼みましたわよ。さ、そろそろお二人とも教室に戻られて。わたくしもやりますから」

「そう言うと思ったよ。頑張ってね」

「はい!」

「じゃな」

 

 二人はさっさと立ち去ってしまい、ヨァナとファーはレオネの下へ向かった。

「レオネ、やる気出た?」

「呼んで来てみたわよ」

「わたくし元からやる気満々でしてよ。でも、二人ともありがとう。わたくし、頑張ります!!」

 レオネは首からかけている小さな巾着を服の中から取り出すと、それを握りしめた。

「それなぁに?」

「単なる目印ですわ」

「……うーん?」

「さ、腑抜けていられないわ。わたくし、模範生でいたいもの!」

「おぉ……!」

「レオネ!」

 二人は元に戻った友達を前に歓声を上げた。




レオネいい子だなぁ。オリビアちゃん本当にうかうかしてられないわねぇ。
ルイディナ、怪しいバイトはぎりぎり踏みとどまったけど、お友達との仲がズタボロやん!

次回!明後日!!
Re Lesson#16 ありのままで
れりご〜


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Re Lesson#16 ありのままで

 魔導学院、薬学科。

 

 アガートは中間考査最終日の最終問題を前に、ペンを止めた。

(……アゼンの葉の効果的な利用方法……)

 実家が薬草屋なので薬草系の授業には強いが、こういうマイナーな素材には少し疎い。

 これは確かに座学でやったなと思うが、よく思い出せない。

(えーい!成分の抽出はすり潰すか煮るに限る!ここは煮てすり潰して抽出じゃ!)

 適当に的外れではなさそうな答えを書き上げ、これにてフィニッシュだ。

 

 昨日は実験と実技だった。レシピを渡された状態にて錬金術で実際に薬の調合を行った。

 教室の一番前に色々な素材が置かれ、自分たちでそれを集める必要がある。大体皆レシピを読み込んでから素材を取りに行くが、良い部分が最後まで残っているとは限らない。状態の悪い物や、葉が若すぎる物などが残っていることもあるし、何がその薬の調合にベストな育成度合いなのかを見極める必要がある。

 皆で一斉に素材を取りに行くにしても、大きな出来の差が出てしまうというわけだ。

 

 藁半紙のプリントを教師に提出すると、静かにアガートは教室を出た。

 考査期間中は廊下で友達を待ったりすることは禁止されている。

 

 レイを待ちたいが、とにかく校舎から出てしまわなくては。

 階段を降りていき、校舎を後にする。

 外では特進科が実技試験を行っていた。

 教師が何人も出ていて、生徒の列がいくつもできている。

 

 アガートはここで時間でも潰すかと、庭に続く階段に腰を下ろした。

 暇なので特進科の様子に耳をすませてみる。

 

『次、ペーネロペー』

『はい、<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>。――<浮遊(フローティング)>』

 セイレーンの女の子は目印を書きもせずに綺麗に真四角な紙を作り出すと、それを浮かび上がらせて教師の下へ送った。

『形、良好。厚み、良好。操作性、良好。うん、いいね。次へ行きなさい』

 ぺこりと頭を下げ、隣の教師の下へ。

 

 こちらは桶が置かれていた。

『ここからは第一位階だ。気負うことはない。使える者も多いが、使えることが必須ではないからな。じゃあ、あの桶を綺麗にしてからそこの線まで水を入れて』

『はい。<清潔(クリーン)>、<水創造(クリエイト・ウォーター)>』

 足元に置いてある桶に水が湧き出していく。

 線ぴったりに水が収まると、教師はそれを覗き込んだ。

『濁りなし、味――良好と。』

 指を入れて舐めなくてはいけないとは割と勇気のある大胆な仕事だと、アガートへ思う。

『じゃあ、元の通りにして行ってね。方法は問わないよ』

 教師が桶から離れると、セイレーンは再び杖をふるった。

『<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>!』

 桶の中の水が弾けて消える。

『力加減、良好。使用距離、適正。選択魔法、適正。お疲れ様。一応第二位階の方へも行くかな?』

『はい、やらせてください』

『じゃあ、あっちに並んでね。――はい、次!カイン・フックス・デイル・シュルツ!』

 

 セイレーンが向かった先には、キュータがいた。いつも一緒にいる褐色の肌の少し怖いワルワラの後ろでニコニコして様子を見ていた。

 

(……キュータ)

 

 この間は芝生に寝転んで、女の子に頭を撫でられているなんてとんでもない場面にでくわした。

 近道はやめて違うルートで実験の教室に向かうと、落として行ってしまった教科書をその女の子がロランの所に持ってきてくれた所だった。

「あら、ミリガンさん」

「……私の名前知ってるの?」

「えぇ、存じておりますわ。ロランからもキュータさんからもお噂はかねがね」

「ど、どんな……?」

「気になる、って。おっちょこちょいでらっしゃるんでしょ。ふふ、これではわたくしも目が離せませんわ。お気をつけなさって」

 落として行ってしまった教科書を差し出してくれた手の爪はキラキラ光っていてものすごく綺麗だった。色々な種族がいるので、基本的に制服を着用していれば他のことには制限がない。

「……どうかされて?」

「あ、ううん。ありがとう」

「気になさらないで。それではご機嫌よう。ロランも」

「うん、レオネばいばーい」

 ロランと軽く手を振り合い、彼女は去っていった。

 

 レオネ、という名前だけがアガートの中には残った。

 如何にも洗練された神都のお嬢さんという感じで、なんだか気後れした。

 オリビアなんかは気安くてお茶に行ってみたいと思わされたが、他方レオネと同じ温度で何かを語らうことは難しそうだと思った。

 だけど、あんなにキラキラして目立つような子相手に、あの中身が素朴なキュータがついていけるわけもないし、全然戦える――

 

『――無駄だと思うぜぇ?』

 ふと、聞き知った声がして思考を中断した。

 自分が言われたのかと思ってドキリとした。

『いいからやってみなさい……。君は理解は深いんだから……。種族的な足枷があるって言ったって、なんとかなるかもしれないよ』

 一郎太がゼロ位階の監修をしている教師に諭され、『へぇい……』とやる気のなさそうな返事をしていた所だった。

『<第零位階・製紙(ペーパーメイキング・0th)>』

 しかし何も起こらない。

 教師は一郎太の足元に四角を書いてやった。

『ここに作ってごらん。焦らないでね』

 優しく導いてもらい、一郎太は苦笑している。

『一郎太君ー!がんばれー!』

『カイン、ゼロ位階できたからっていきなり人ごとになりやがってぇ……』

『ふふ、僕はやる時はやる男なのさ』

 その後何度か試したが、彼は結局魔法は使えなかった。

『いやいや、種族ハンデを負ってよく頑張ったよ。また筆記の方で力を見せてくれれば良いからね。じゃあ、お疲れ様』

『はーい、すんませぇん』

 一郎太が皆に慰められながら小走りで列を抜けていく。あまり落ち込んでいる感じはしなかった。

 そのまま、キュータの下へ向かうようだった。いつの間にか彼の周りには自分の分の試験が終わったらしい特進科の人集りができていた。庭は広く、クラスごとにたくさん試験を受ける生徒達がいる。

 

 あそこは多分、第三位階の場所だ。

 

『スズキ君、君は第二位階まではパスで良いからね』

『あ、あはは。僕もゼロ位階からが良いんですけど』

『何言ってんの。今更そんなのやっても時間の無駄でしょ。クレント先生からも無駄なことはさせないで良いって頼まれてるんだよ。いつも何か言い訳して魔力使わないように節約してるけど、君特待生なのに放課後に依頼バイトでもしてるの?』

『いえ、特に。でもそれ、楽しそうですね。依頼バイトかぁ。やってみようかな』

『あーいらないいらない。頼むから君は勉強に集中して。学院創設以来の秀才が無駄なことする必要はないんだから。卒業したら嫌でも働くんだしね。スズキ君、もう少し自覚した方がいいよ。エルサリオン魔法学校に行ってる同じ成長期の純血の上位森妖精(ハイエルフ)達や力が頭打ちになった上位森妖精(ハイエルフ)達を超えるレベルに立てるかもしれないんだから』

 

 周りがざわめき、離れたところで耳をそばだてるアガートすらごくりと唾を飲み下した。同じ成長期に差し掛かる純血の上位森妖精(ハイエルフ)達というと、それだけで百才を超えているはずだ。それだけの力と知識が、たった十六才の体に詰め込まれているなんてとんでもない話だ。それに、彼らは適性が高く第三位階まで使える者も多いが、それ以降にも進めるのはやはり一握り。

 あそこの州知事、タリアト・アラ・アルバイヘームが第六位階を使う稀有な存在だと言うのは有名だが、我らが逸脱者、フールーダ・パラダインも同じく第六位階を操る。

 アガートはキュータという存在の特異性を改めて思い知らされた。生徒、教師、誰からも期待を向けられるのは当然だった。

 

『さ、じゃあ第三位階の説明をするよ。魔力系からの課題は<雷撃(ライトニング)>、生活系からの課題は<温泉(ホットスプリング)>、信仰系からは<神聖光(ホーリーライト)>が来てるけど、どうする?って言っても、全部使えるのは最終年次でも片手で数えるくらいだけどね。信仰系は……対抗戦で<太陽光(サンライト)>使ってたから得意かな?』

『えっと……なんとも言えません。とりあえず<温泉(ホットスプリング)>でお願いします』

『まぁそうね。簡単なのから行ってみようね』

 キュータはローブを脱いで身軽になると、袖を捲った。ローブはワルワラが受け取った。

 目を閉じて集中する。そして杖を振った。

『<(ホットスプ)――』

『ちょっと待ったぁああ!!』

 キュータの前には一郎太が盗塁でもするかのように滑り込んだ。

『こら!!一郎太君危ないだろうが!!』

 教師の怒鳴り声が響く。アガートもどんな神経をしていればあんな真似ができるんだと苦笑した。

 

 一郎太がはちゃめちゃに叱られ始める頃、アガートの肩が叩かれた。

「ん――レイ!」

「よっ!終わったっすよ。スズキさん――旦那はどう?」

「一郎太が邪魔して笑ってる。ねぇ、最後の問題の答えって何?」

「ん?多分、熱に弱いため、発熱しないように適度なスピードですり潰して、効果が半減していく前にネレの木の樹液を混ぜて薬効変化を止める、っすよ。結構書くこと多くて焦ったね」

「……最後の問題落としたな」

「あぁあ。あんたさん早かったから最後の問題余裕で終わったのかと思ったら……。――お、やるみたいっすよ」

 

 キュータは一郎太に腕輪を奪われ、眉間を押さえていた。

「一郎太さん、旦那から何か取っちゃった。魔法の装備みたいなのに取られて大丈夫なんすかねぇ……。あんなに落ち込んで。良い装備なしでやれってかぁ?」

「ねぇ。たまに一郎太がわからない。ちょっとでも装備減らしたらへなちょこ魔法になっちゃうかも知れないのにね」

 二人は可哀想な首席を眺めた。

 

『もー……。ほんっとに……。先生、使う順番を変えます』

『構わないぞ。好きなものからやりなさい』

 キュータは頷き、一歩前へ出た。

『――攻撃魔法を使います。離れてください』必要な声かけを行い『――<雷撃(ライトニング)>!』

 その優しげな雰囲気とは掛け離れた力が迸る。

 的として立ててあったはずの木の板は蒸発して消え去り、大地は捲れ上がり、その爆風が校舎の窓ガラスを揺らした。

 穴が空いた地面を教師達が覗き込む。

『い、威力、良好。使用距離、適正。操作性、良好。これは……森司祭(ドルイド)の先生呼ばなきゃ直せないな……』

 事態を理解した先生が一人職員の部屋へ駆けていく。

 

 アガートの隣でレイが髪の毛についた土埃を払うためにぶんぶん顔を振った。

「やっぱり旦那、バケモンっすね。実は十六才じゃないんじゃないの?五十五才とか?」

「いやどんな見た目の五十五よ」

 

 二人で笑っていると、キュータは杖を天に向けた。

 

『ワルワラ、こっち見るなよ。その綺麗な魔眼が痛む』

『ち、何が綺麗だ。まぁ、ありがとよ』

『――<神聖光(ホーリーライト)>』

 

 対抗戦の時に使った目を刺すような光の魔法とは違う種類なのか、眩むほどではない光があたりに満ちる。

「はー、信仰系まで使うってどういうことっすか、本当に」

「信仰系も魔力系も使うってことは、キュータは一応神官なのかね?」

「さぁ。薬学科にゃようわからんっすね」

 教師達が光の届く距離を確認したり、持続時間を測ったりすると、魔法の輝きは消えた。

 

 そして、最後の魔法は唱えられた。

『<温泉(ホットスプリング)>』

 先ほどの魔法で開けた穴にぼこぼことお湯が湧く。土の穴なので、泥色だ。

『――<清潔(クリーン)>』

 お湯が綺麗になると、キュータは靴と靴下を脱ぎ捨て、裾を捲って足を入れた。

『はぁ。疲れた』

 

 アガートは頭を抱えた。

「はぁ、疲れたって……そういうレベルの魔法か……!疲れたじゃないでしょうに……」

 最終年次だって、どれか一つを使えるとか、魔力切れを起こして倒れるとか、そういうレベルの魔法だというのに。

 

 キュータの周りに生徒達がどんどん集まり、勝手に足湯の会が始まっていく。彼らは別に濡れても汚れても最後には<清潔(クリーン)>や<乾燥(ドライ)>、<水破壊(ディストラクション・ウォーター)>があるのでお構いなしだ。女子だっている。

 春というには暑く、夏というには過ごしやすい季節の中で、特進科は湯を蹴って笑った。

 

「アガートも行ったらどーなんすか?」

「いや、場違いすぎるでしょ」

「でも――あれ。また旦那とられるぜ」

 レイが指さす方にはレオネがいた。彼女が何科かは知らないが、少なくとも特進科ではない。

 友人二人と平気な顔をして駆けつけて行く。

「……行く」

「よっしゃ」

 

 アガート達が辿り着く頃には、教師達も集まり、「これに入ればあれ程の第三位階が使えるとしたら、我々も入りたいものですな」「だとしたら、まだ埋められませんね」「少し休憩して第四位階の試験課題も決めなくては」と笑っていた。

 判定を下す教師すら凌駕する力の痕跡をあっという間に片付けるのが惜しい様子だった。

「――キュータさん、ちゃんとやってくれたんですのね」

「――ん、レオネ。なし崩し的にね」

 彼女を見上げるキュータの笑顔は居心地が良さそうで、アガートはやはり躊躇った。

「レオネはどうだった?」

「付け焼き刃なりに。それより、うちの先生が今度第三位階の信仰系魔法を見せに来てほしいっておっしゃってましたわ。先生方もあれもこれも使えるというわけじゃありませんしね。一緒に何種類か生徒に見せて比べさせたいみたいでしたわ」

「……えぇ。一太もいないと無理なんだけど。うまく説明できる気がしないよ」

「わたくしが伝えておきますわ。側仕えがいないと何もできないおぼっちゃまだ、って」

「はははは!そりゃ良いね」

「そんなの良くない!――あ」

 アガートは思わず突っ込むと口を塞いだ。

 レオネの友人二人と、特進科の笑っていた皆がアガートを見た。

「あ、ミリガン嬢。教科書、痛んでなかった?」

 キュータは女子との逢引き現場をアガートが見たことを全く気にする様子がなかった。ということは、あれは逢引き現場ではなかったか。

 となると、レオネは本命ではなさそうだ。アガートの気持ちはすっかり軽くなった。

 

「うん、無事だったよ。キュータが持ってきてくれたらよかったのに。そしたら、約束してた乗合馬車(バス)乗ってでかける話、できたでしょ」

「ん?そう言えば約束してたね。ずいぶん時間が経っちゃったね」

「今日行く?せっかく学校も早く終わったし」

「構わないよ。こっちもこれで終わったからね。一太、良いかな」

 

 そこで一郎太を誘わないでくれと思ったが、ワルワラの顔に温泉の底から掬った泥を塗って遊んでいた一郎太は「オッケー」と返事をした。

 キュータが湯から上がる。ローブの内側から、本当にそんな所に入っていたのかと疑いたくなるようなタオルを出して、足を綺麗にしてから靴下と靴を履いた。お湯はまた少しづつ濁り始めている。誰かがすぐに<清潔(クリーン)>をかけて透き通った。

 一郎太も湯から上がるために手から泥を落とし始めると、アガートはほんのちょっとの勇気を出した。

 

「ね、入学前みたいにまた二人だけで行こうよ」

 周りが静まるのを感じた。女の子達が耳をすましている。男の子達が目を見合わせている。皆、「二人だけ」という言葉の真偽を確かめているようだった。

 構わないよ、と軽口を返してくれると思った。

 だが、キュータは首を振った。

「――ごめん。それはできないんだ」

「どして?楽しくなかった?」

「楽しかったよ。でも、この間は実はイレギュラーでね。僕、基本的には一人になれないんだよね」

 困った顔をさせている。もしかして、デートはしたくないと言われているのかも。アガートは恥ずかしさで顔が赤くなってしまうのを止められなかった。

 すると、キュータの隣で足を浸していたカインがアガートに振り返った。

「大丈夫、ミリガンさん。さっきレオネも言ったけど、冗談じゃなくキュータ様は側仕えがいないと何もできないおぼっちゃまなのさ」

 

 もし本当に本人もそんなふうに思っているとしたら、可哀想だった。

 確かにあの日のお店選びはなんだかチグハグだったし、金銭感覚もおかしかったけれど――。

 厳しい母の下で、自分の思うように何もさせてもらえていない故に手に入れられる力があれだとしたら、あんまりにも――あんまりにも――。

 

 アガートはもっとキュータをひとり立ちさせてあげたいと思った。

「逃げよ!!」

「えっ」

 キュータの手を取って走り出す。

 一郎太の足は早いが、あのお湯の中でいきなり駆け出せば友達全員がずぶ濡れのどろどろだ。魔法で消せるとはいえ、かける範囲や人数が増えれば魔力が尽きかねない。

 逃げるなら今しかない。

 校舎の陰に向かって走り、視線が遮られる直前にちらりと足湯を確認すると、やはり一郎太は皆に気を遣ってあの中から駆け出したりはしていなかった。

 それに、大笑いするワルワラに足や手を魔法で綺麗にされている。

 

 そのまま足を止めずに茂みに向かう。彼らからはもう見えていない。

「ミリガン嬢、逃げるってどうして」

「どうしてもこうしても!あなた、もっと一人で自由に世界を見たって許されるのよ!!」

 アガートは肩で息をしていた。

「一人で……自由に……?」

「そうよ!!誰にも気を遣わないで、邪魔されないで!!そうしたって良いのよ!!初めて会った時、あなた私に僕の名前なんか聞かない方がいいって言ったけど、あなたのこと首席だって知らない私といた時楽だったんでしょ!?」

 アガートは側仕えがいないと何もできないなんて決め付ける地元の友達たちとも、厳しい母親とも違う。

 キュータは驚いたような顔をしていて、校舎の向こうから「キュー様ー!」と一郎太の声がすると、アガートを抱え上げた。

「えっ?」

「掴まって」

 ギュッと首に掴まると、キュータは木に向かって走り出した。

「ちょ!前!前!!」

「知ってる!!」

 一気に飛び上がり、幹を蹴る。衝撃がドンと体に伝わり、いつの間にか二階のバルコニーに降ろされた。

 お姫様抱っこの何かに浸る暇もなかった。

「う、嘘!?魔法!?武技!?」

「しー、見つかるよ」

「あ、う、うん」

 アガートは自分の口を手で押さえ、二人でそうっと下を覗き込んだ。

 下には「キュー様?どこ行った?」とキョロキョロする一郎太。

「キュー様、も〜やめてくれよ〜……」

 トコトコと足音を鳴らして、一郎太はキュータを探しに行ってしまった。

「ふふ、はは!やった!ははは」

 キュータはイタズラ小僧の顔をして笑っていた。

「ふふ。本当だね!頑張ったよキュータ!」

 二人は手をパチンと鳴らした。

 

「で、乗合馬車(バス)に乗ってどこに行くって?」

「どこでも良いよ。ただ乗合馬車(バス)に乗りたいの。できれば展望席!こないだ乗れなかったし」

「はは、女の子は本当に展望席が好きだなぁ」

「ダメ?」

「良いよ。今日は自由の日だから」

 

 キュータは立ち上がるとアガートの手を引いて立たせてくれた。

 二人は校舎を出るまでもこそこそと廊下を見たり、ちょっと知らないクラスに入って隠れたりして外を目指した。

「あ、一年首席君だ」「さっき見た?第三位階全部やってたの」「えぇ!?嘘でしょ!?」「三年次が慌ててるって」「パラダイン様が見たかったって大騒ぎらしい」

 すれ違う人たちが皆キュータの噂をする。

 アガートなど少しも目に入らないようだ。

 

「――キュータ、こっち」

「ん?」

 手を引いて実験室へ向かう。

 バロメッツ畑の方から出れば正門から出るより目立たない。

 二人は何度も外を確認しながら、ついに校舎から脱出した。

 校門も潜らず、搬入口から外に出る。学院はかなり広いので、あちこちに出入り口がある。キュータはバス停に向かいながらおかしそうにまた笑った。

「ついに出ちゃったな。帰ったら一太や両親にどやされる」

「ほっときな!忘れて!最悪私の寮泊めてあげるから!!」

 キュータはまた驚いた顔をしてから、困ったように笑った。

「それは流石に、ね」

「あ、ご、ごめん」

 アガートは自分が言った言葉の意味を理解すると真っ赤になった。何人も並ぶバス停でとんでもないことを。

 

 乗合馬車(バス)はゆっくりと止まり、アガートは今日は前回のお返しだと思い二人分のお金を払うと展望席へ上がった。

 一番前の席の道路側に座る。通路側にキュータが座ろうとしたところで、「キュー様!!」と怒号が響いた。

 乗合馬車(バス)の下で一郎太が怒って腰に手を当てていた。肩で息をするカインとレオネもいる。それから、ワルワラが手を振っていた。彼だけは「行ってこーい!」と笑っている。

「っげ、もう見つかった。やっぱり一人じゃないと流石に巻けないか。――構うな!!出してくれ!!」

 身を乗り出して魂喰らい(ソウルイーター)がいる方にそんなことを言った。

「ちょっとちょっと、御者なんていないんだから」

 アガートはキュータの発想に苦笑した。

 ふと、乗合馬車(バス)が動き出した。

 慌てて最後の生徒が乗り、スピードを上げて行く。

 追いかけて来た皆を取り残して進むと、キュータは小さくなって行く一郎太に実に楽しげに手を振った。

「はは!一太!やっぱり追いかけっこって楽しいね!!」

「楽しくないわ!!コキ――じぃに言いつけますよ!!」

「わ、それは勘弁しといてほしいなぁ」

「勘弁できるかー!!――カイン、次何分!?」

 

 そんな会話もほとんど聞こえなくなる頃、椅子にもたれたキュータはまたいたずらっ子の顔で笑った。

「はは!ははは!面白いなぁ!」

 見つかってしまったけれど、これはこれで良いかとアガートも思った。追いつかれるまでは二人きりなのだから。

「ね、キュータってずいぶん力があるのね。さっきびっくりしちゃった。魔法かと思った!」

「それね、火事場の馬鹿力ってやつ」

 いたずらに微笑んで縁に頬杖をついた姿はあまりにも美しかった。長い髪が風に揺れて流れて行く。

 

 いつまでも見ていたかった。こんなに綺麗なものがこの世にあったなんて知らなかった。

 中身が伴っているというのがまたすごい。

 皆が高嶺の花で手が届かないと言って告白一つしない今こそ千載一遇の大チャンスなのでは。彼の抜けている所やふざけた一面も知られていない。

 ここなら、いつも一緒にいる一郎太もいないし、ライバルのレオネもオリビアも、アナ=マリアもいない。

 アガートは意を決するとゴクリと喉を鳴らした。

「あ、あのさ。キュータさ。こういうの楽しいじゃない?」

「同感だねぇ」

「……私と、良かったらなんだけどさ、私と付き合っ――」

「ん?――ごめん、ちょっと待ってくれる?」

 キュータは通路側に身を乗り出し、後ろの席へ振り返ってしまった。

 その目は真剣に細められ、この大切な時に何を見ているんだとアガートも渋々後ろを確認する。

 

 何席か後ろには、多分、獣人の女の子が眠りながら乗合馬車(バス)に揺られていた。多分とついてしまうのは、獣人系というより、亜人のように見えたからだ。

「……彼女、毛はどうしたんだろう」

「毛ぇ?どうしたって何がよ?」

「前は顔や手も毛が生えてたはずなのに、何かあったのかな?」

「はぁ……。獣人なんだから夏になって毛が抜けたんじゃないの?何がそんなに気になるっていうのよ」

「……毛が抜けるって言ったって……前はあんなに痩せてもなかったし……顔も疲れてて……なんだか……」

「もー!何だか何!心配なの?名前も知らない子なんでしょ?」

「名前は知らないけど、僕の古い友達の――レオネの友達みたいなんだよ」

 アガートはその名前に口を噤んだ。

 そんなことに気がつきもしないのか、キュータは唸っている。

 

「……レオネちゃんは気が効くでしょ。そのレオネちゃんがほっといてるんだから大丈夫なんじゃないの……。だいたい、女の子ってちょっとしたことで変わるんだよ」

「……そういうもの?」

「そう。だからそっとしといてあげなよ」

 キュータはようやく納得が行ったのか前を向いた。その様子の変化はアガートの言葉を一切疑わずに受け止めてくれていると言うのが伝わって来て、落ち込みかけた心が撫でつけられたようだった。

 あの日雑貨屋でアガートのままで良いと言ってくれた言葉が嘘じゃないというのも嬉しかった。

 

「ふー。風、気持ちいいね」

「ほんとね。だから仮面なしも悪くないって言ったでしょ?」

「君の言う通り」

 風に乱れる髪を掻き分ける仕草まで文句なしに素敵だった。

 

 行く宛があって乗ったわけではない乗合馬車(バス)だし、追っ手がきっと一本後ろにいるので、二人はいつまでも揺られて過ごした。

 

「――それでね、レイが来たから答えを聞いたの!」

「答えは何だって?」

「熱に弱いからゆっくり擦りおろすだって!」

「ははは。それじゃ、ミリガン嬢は間違いだったわけだね」

「そーなの!試験の最後に出すような大事な情報ならもっと強調して授業で語ってよって思っちゃった!うちのステ=ブル先生――あ、こないだの蛾身人(ゾーンモス)の先生なんだけどね、ステ=ブル先生ったら何でも簡単に言ってくれちゃってさぁ!」

 キュータはおかしそうに笑った。興味深そうに何でも聞いてくれた。

 アガートもつい夢中になって色々なことを話した。

 実家の薬草畑の事、神都と違って皆そんなにオシャレなんかしない事、国営小学校(プライマリースクール)に行ってたって放課後には手伝いをさせられた事、そのおかげで今こうしてここにいられる事、父親を尊敬している事、毎日の授業の事、寮の事。

 

 自分のことをもっと知ってほしかった。

 

 もう一度勇気を出して言ってみようか。

 あなたのことが大好きだって。

 付き合ってみたらきっと楽しいって。

 二人で手を繋いだりして、一郎太から逃げ回って、またこの宝石のような街へ飛び出そうって。

 

「ね、キュータ。私ね」

 

 乗合馬車(バス)は止まった。

「――終点だね」

「あ、うん。そうだね」

 

 アガートはキュータに手を引かれて乗合馬車(バス)を降りた。

 こんな風にしてもらって乗り物から降りるのも、乗るのも、彼といるときだけ。

 

 終点はもう、隣の街だった。

「ずいぶん遠くまで来たなぁ」

「本当ね。帰りもたくさん時間がかかりそう。楽しかったなぁ」

「また来れば良いよ。乗合馬車(バス)なんていくらでも通ってるからね」

 次の約束が生まれる。

 アガートはキュータを見上げた。訪れようとする夕暮れがその瞳を照らして、まるで瞳が金色に光っているように見えた。

 

「キュータ、大好きよ」

 

 思わず口をついて言葉が出た。

 キュータはアガートを見下ろし、言葉の意味を探るようだった。

 

 二人の前に次の乗合馬車(バス)が止まる。

「キュー様!!」

 展望席から一郎太がズドン!と降りてくると、アガートは思わず肩を揺らした。

「キュータさん!」

「キュータ様、な、何ともなさそう……」

 レオネとカインも慌てて降りてくると、キュータの無事に胸を撫で下ろしていた。

 

 そして、レオネがキュータにツカツカと歩み寄った。

「キュータさん!あなた何考えてらっしゃるの!!一郎太さんから離れてたらソレは外せないのに!!何かあったらどうするおつもりですの!!」

 胸をトントンと指先で何度も叩き、どんどんキュータを追い詰めた。

 隣でカインもへなへなとしゃがみ込み特大のため息を吐いた。

「流石に僕も肝が冷えました。一郎太君なんか時間が時間がって焦ってるしさ」

「キュー様見えるところにいたから良いけど、夜が来たらどうすんだよ!仮面だって俺が持ってんのに!!」

「はは。ごめんごめん。心配かけて悪かったね。一応時間は確認してたんだけどね。でも、本当にごめん」

「――ること、ない」

「ん?」

「謝ることないよ!」

 アガートはキュータと三人の間に割って入ると、キュータを指さすレオネを睨んだ。

「間違ってないじゃない!たった数十分、何が悪いの!あなた達はいつも自由に過ごしてんでしょうけど、キュータは首席だって言われて、この顔だし、ずっと人に見られて、側仕えがいないと何もできないなんて言われて……僕は目立つのが好きじゃないなんて言うようになっちゃったのよ!?可哀想だって思わないの!?ちょっとは首席だのおぼっちゃまだのじゃないただのキュータ・スズキでいさせてあげなさいよ!!」

 

 一郎太とカインは目を見合わせた。

 そして、レオネはアガートから目を逸らした。

 

「あなたの仰ることはもっともですわ……。その点は本当に反省してますけれど――」

「けれど、じゃないでしょ!反省してるふりして、本当はあなたキュータを自分の思い通りにしようとしてるんじゃないの!?」

「――そ、そんな」

 どんどん頭に血が登っていくと、アガートの肩にキュータの手が置かれた。

「ミリガン嬢、皆を責めないでほしい。ごめんね。気持ちは嬉しいんだけど。でも、三人は本当に僕のためを思って言ってるからさ。自分の思い通りにしてやろうなんて気持ちで、僕を一人にしないんじゃないんだよ」

「キュータ、でもあなた――」

「本当に。彼らほど僕を思ってくれる友達はいないって分かってるから」

 

 アガートが「私の方が」と言いかけると、知らない声がした。

「――レオネ?」

「……ルイ?ルイディナ?」

 憔悴したレオネが目を見開く。その視線の先には獣人の女の子がいた。――いや、亜人の女の子がいた。

 ルイディナと呼ばれた子は頭から顎までぐるりと包帯を巻いていて、戦場にでも行って来たようだった。

 

「ル、ルイ!怪我をしたの!?大丈夫!?頭を打ったの!?」

「へへ!耳切り取ってもらって来ちゃった!どうかなぁ!って言っても、包帯取らなきゃわからないかな!」

 くるりと回ってみせた彼女は幸福そうだが、耳を切り取るなどと言う恐ろしい言葉にアガートは今の今まで頭の中を占めていた熱が引いて行くのを感じた。

 

「ど、どうって、あなたそれじゃまるで亜人だわ!!」

「へへへ。そうでしょ!!獅子体人(リヨンイェッタ)には見えないでしょー!本当は毛抜き薬からにしようと思ってたんだけど、少しづつ医院でも部分的にやってもらえるらしくってね!毛抜き薬をいっぺんに買って自分でやって失敗するより、剃りにくい所だけやってもらうことにしたんだー!レオネもやってもらいなよ!それで――次は私、尻尾を切ってもらうの!」

 

 ゾッと背筋が凍った。

 この疲れ果てて痩せた顔でそんな事を言う彼女が、とても正常だとは思えなかった。

「な、何で!?なんてことを!!あなた、あなた大切な自分の体を!!」

 レオネが顔を真っ青にして言うと、ルイディナは明るく首を傾げた。

「何で?何でって、あたしもね!レオネやヨァナ、ファーみたいに綺麗になりたいから!それで、いつか人間になりたい!ふふふ、頑張って働けば、一年次のうちに――」

「お、おやめなさい!!何を言っているの!!人間になるなんてそんなことできないわ!!」

「ッできなくないよ!!レオネは何も分かってないよ!!ヘレフォード外科医院じゃ、森妖精(エルフ)が耳の形を尖ったものに変えたり、海の人(シレーネ)が鰭の先を人間の足の形にしたり、人魚(マーマン)が鰭を二つに割ってもらったり、茸生物(マイコニド)が顔の形を削ったりしてるんだよ!!手術だったら簡単にできるの!!」

「例えできたとして、その方達は生活を良くするためにしているんでしょう!?あなたが耳を切ってしまうこととは全く話が違うわ!!」

「違わない!あたしはあたしの人生を良くしたいの!!」

「なんで耳や尻尾を切ることが人生を良くすることになるの!?いいわ、わたくしが今すぐ低位のものでもポーションを買いに――」

「や、やめて!!やめてよ!!」

 

 ルイディナは恐怖から身を守るように後ずさった。そして、様子を見ているアガート達を見ると、開き切った瞳孔で笑顔を作った。

「あ、あたし、あたし亜人みたいでしょ……?」

「亜人みたいだけど……なんで亜人や人間なんかに……馬鹿げてる……」

 アガートがぽつりと呟くと、嫉妬と憤怒の顔で睨まれてしまった。

 失言に気が付き口を塞いだのも遅く、キュータが「馬鹿げてるなんて言うんじゃない」とアガートに耳打ちをした。

 

「君――ルイディナって言ったかな。人間になりたいの?」

「あ、うん……そうなの。あたし、人間になりたいんだ!へへ。人間っていいよねえ。綺麗だしさぁ!あたしも首席君やレオネみたいになれるかなぁ」

「……君は今までの姿であんなに綺麗だったのに、わざわざ人になる必要なんてないんじゃないの?」

「え?え?で、でもさ。ほら、こうやって亜人みたいになったら、首席君も声かけてくれてさ。へへ。あたしね、皆みたいになりたいんだ。皆キラキラしてて本当に羨ましい。たくさん恋をして、たくさん魔法を使って、たくさん認められて、それで、キラキラしたい!」

「うん、いい夢だね。恋をして、魔法を使って、認められて、きっとルイディナは夢を叶えるよ」

「キ、キュータさん……?」

「そうでしょ!レオネ、聞いた?ふふっ!早く尻尾も切りたいなぁ!そしたらもっと綺麗になれるのに!!」

 

 キュータはそっと腕輪を抜いて一郎太に放った。

 

「でも、どの夢を叶えるためにも尻尾を切る必要なんてないんじゃないかな。あの日、クラス対抗戦で、僕は君を見て綺麗だと思った。よく覚えてる。君に傷がなくて安心したんだから」

「え?あれ?お、おかしいな。え?えへへ。あんな、獣みたいだった私のこと、お、覚えてるの?」

「覚えてるよ。人間になりたいなんて、やめておきなよ。ルイディナ、君には君の、君の種族には君の種族のいいところがある」

 

「でも……人間になったら……人間になったらもっと皆綺麗だって言ってくれるはずなのに……。毛を剃った時も皆綺麗だって……」

「人間に近くなったからじゃないよ。君が綺麗になろうとしてる姿が綺麗だったんだよ。僕はあの三角の耳がなくなってしまったのが悲しいな」

 

 キュータはそっと音もなく短杖(ワンド)を取り出して握った。

 それに気付かぬまま、ルイディナは頭に触れると「いてっ……」と呟いた。

 

「だから、人間になるのはおよし。大丈夫、君の良いところは皆わかってるし、何かになりたい気持ちも皆わかってる」

「皆……わかって……」ルイディナの瞳が揺れる。「――ううん、分かってない。分かってるはずないよ!」

「どうして。僕らだってこの姿を選んだわけじゃない。一郎太だって人間の姿じゃない。だけど――」

「どうせ首席君もそっちの子みたいに馬鹿げてるって思ってるんでしょ!それであたしが人間になるの邪魔しようってんだ!!何かになりたい気持ちがわかる!?嘘つかないでよ!!自分は選ばれた人間だからって、そうじゃない人の選択をばかにしないで!!――そんなに陛下方に似せてもらって生まれて来ておいて、知ったような口きかないでよ!!」

 

 後少しだと思われた説得が崩れ去り、キュータの肩が跳ねて後ずさる。

「い、いや。僕は――」

「ルイ……!やっぱり聞こえていたの……」

「羨ましいよ!!そりゃこんな劣等感なんか味わう瞬間もないでしょうね!!あたしなんか、特別なあなたとは違うんだよ!!」

「ルイ!ルイディナ!!よして!!」

「陛下方に似せてもらってない人が陛下方に似せられてる人になりたいって思うのがそんなに変!?あたしだって神官の端くれだよ!!あたしだって、あたしだってそうなりたいんだよ!!」

 ルイディナが叫ぶ。キュータはしばらく自分の顔を押さえて話を聞いていたが、ルイディナの手首を掴んだ。

「……分かった。分かったからこっちへ来なさい」

「な、なに!なによ!」

「いいから!ここでは目立ちすぎる!!」

 

 こんな時に一体キュータは何を言っているんだろう。

「ガルル……!放してよ!噛むよ!!」

 ルイディナが放して貰えない様子に怒ってキュータの杖に噛み付く。アガートは「ひっ」と声を上げた。

「キュー様!」

「杖だ、問題ない!」

 キュータはそのままルイディナを引っ張って路地裏へ入って行ってしまった。

 レオネと一郎太も駆ける。アガートも、と思うと、その前にカインが立った。

「な、何。シュルツ君」

「ちょっとミリガンさんは僕とここにいてくれないかな。悪いけどさ」

 

 放してと際どい声が路地裏から聞こえてくる。通行人も何事かと道へ視線を注ぐ。治安維持の衛士が来てしまうんじゃないかとドキドキしていると、「ッ来い!!」とキュータの大声が響いた。

 ドッ、ドッ、ドッ、と地が揺れる。その正体が走り来る死の騎士(デスナイト)だと言うことはすぐに分かった。走りながら、すらりとフランベルジュが抜き放たれる。

「つ、捕まっちゃう!キュータが捕まっちゃうから退いて!!」

「っあ!ミリガンさん!」

 アガートはカインを押し除け、死の騎士(デスナイト)が入り口に立つ路地へ向かった。

 

 中ではルイディナが肉食獣のように唸り声をあげて、まだキュータの杖に食らいついていた。

「ルイディナ、よく聞くんだよ。親子なんか似るなっていう方が難しいんだ。だけど、僕はあの人たちから生まれた割に、姿形以外に似てる箇所なんかひとつもないって感じることだってある。力だって、天地創造なんて僕には一生かかってもできやしない」

「ガルルル……――っは?」

「父王陛下と母王陛下のお作りになったナザリックに暮らしているけれど、地下なのに空がある理由も分からないんだ。僕は本当は、ルイディナみたいに悩める皆を守るために強くならなきゃいけないけど、僕は自分の力を制御しきれないらしくて普段はあんな物まで着けてる」

 キュータはそばにいる一郎太が持つ壮麗な腕輪へ向かって顎をしゃくった。

「どうやったら父王陛下や母王陛下のように、全知全能の神になれるのか、そんなに似てるっていうなら僕に教えてくれ」

「あ、い、いや……あ、あの……」

「困るだろ。でも、いいかい。誰だって何かになりたいんだ。父王陛下達までそうかは知らないけど、こんな顔だけど僕だってそう思う。だけど、君がやろうとしてる事はいつか後悔を呼ぶって僕にはわかるんだ」

「し、首席……くん……?」

「キュー様、もう時間がないよ!」

「わかり切ってること今更隠してどうするんだよ」

「だけど、そこまで見せてやることないから!無理することないって!」

 死の騎士(デスナイト)の陰から首を何とか伸ばして覗き込むアガートの瞳には、漆黒だった髪が星のような銀色に輝き、涙を流しているように目の下へ亀裂が入っていくのが見えた。

 

「――僕だって好きでこうじゃない。だけど、僕も僕なりにやってる。今日は遊び半分に逃げ出してみたけど、君も、時には逃げ出してもいいけど、君のままでできる事を一緒に探さないか。どうか自分自身の生まれだけは否定しないでほしい」

「キュータさん……」

「あ、あわわわ、あわわわわ」

 ルイディナが尻餅をつくのと同時に、アガートも路地の外で尻餅を付いた。

 

「耳、治させてくれないか。頼む。僕のエゴだって分かってるけど、いつか君が故郷に帰る時に君の仲間やご両親が悲しむんじゃないか、君自身が傷付くんじゃないか、怖いんだ」

「は、は、はひ。そ、それは……」

「ありがとう。<重傷治癒(ヘビーリカバー)>」

 第三位階の回復魔法だ。ルイディナの三角の耳が包帯の中からプリンっと飛び出し、顔や手にあった剃り負けた部分が綺麗に治っていく。流石に毛が生えるようなことはなかった。

 ルイディナは耳に触れると、残念そうに肩を落とした。

「ルイ?あなたの耳は本当に綺麗ですわよ。それに、あなたのそのお耳で遠くにいるキュータさんの声を聞き取ってもらわなきゃ、誰がわたくしにキュータさんが言ってる事を教えてくれるの?盗み聞きもできなくなってしまいますわ。わたくし、あなたのそのお耳がすごく好きだし――うらやましくてよ」

「れおね……」

「……レオネそんなことしてるの?」

「あら、いけませんでした?」

「いいけどさぁ……」

 ルイディナはワッと泣き出すとレオネに飛びついた。

「れおねぇえ〜!!」

「仕方のない子。わたくし達、違うから良いんじゃありませんの……」

「うぅ、ごめん、ごめんねぇ!!」

 

 キュータは――ナインズはルイディナに向けていた杖をくるりと自分向けた。

「――あんな話をした後で悪いんだけど、僕はいつもの姿に戻らせてもらうよ。自分ばっかりごめんね」

 杖がふわりと振られると、銀色だった髪も、金色だった瞳も、目の下にあった黒い涙のような線も、全ては消えてしまった。

 

 ナインズはそのまま死の騎士(デスナイト)へ振り返った。

「ありがとう、来てくれて。助かったよ」

 死の騎士(デスナイト)は頷くと、塞いでいた道をそっと開けて去って行った。

「それにしても、この髪型でもそんなに似てるかなぁ」

 ナインズは自分の髪に触れるとため息を吐いた。

 レオネに背をさすられて落ち着いたルイディナは顔を上げた。

「あ、い、いえ。あのー、キュータ・スズキ様?」

「何?」

「その、存じ上げなくて……。まさか、あなたが……その、そんな高貴な方だとは……」

「……はい?」

「いえ、す、すみません!皆知ってたんですね!!ごめんなさい!!ずっと無礼で申し訳ありません!!」

「……ち、ちょっと待って。ルイディナ、君、僕に陛下方に似せてもらって生まれて来ておいてって言ったでしょ……?」

「そ、それは人間種が、皆神王陛下そっくりだなーなんて……へへ。でも、あなた様がお強かったのは、本当に血を引いてらしたからだったんですねぇ。はは、て、てっきり人間種はめちゃくちゃ優遇されてるのかと」

 ナインズはパチンと自分の顔を打つとその場にへたり込んだ。

 

「嘘だろぉ……。僕は何やってんだよぉ〜……」

「……ルイ、あなた対抗戦の時の一郎太さんの話聞いてたんじゃ……」

「え、い、いや?ミノさんの話?あの時地元の皆さん何話してたっけ……?お返しかなんか高級品せびったんだっけ……?」

 レオネもその場にへたり込むと、ちらりとナインズの表情を確認した。

 

「……キュータさんが早まりましたのよ」

「……いや、あれ言われたら普通勘違いもするでしょ。って言うかレオネも勘違いしたくせに」

「……何も言い返せませんわ。……杖、傷付いてません?」

「それは平気」

「あのさー、陛下に連絡してルイディナの記憶消してもらっとけば?」

 一郎太があっけらかんと言い放つとルイディナはゾッとした顔をした。

「え!?そ、それだけはご勘弁を!!誰にも言いません!誓います!!誓います!!二度と人間になりたいなんて、闇を受けれないなんて言いません!!お願いします!!ど、どうか!この通り!!」

「どーする?」

「ルイディナ、君本当に言わないだろうね」

「言いません!!誓います!!」

「はぁ、記憶消してまた手術するとか言い出しても困るし、手術したはずの場所が治ってるとか混乱されても困る。今回は彼女を信じるよ」

「ありがとうございます!!殿下ぁ!!」

「……レオネ、見張っておいてよ。この調子じゃすぐに噂になる」

「わかりましたわ。――ルイ、あなた普通にしてなさいな」

「ふ、普通?どんなだっけ……」

「そのままよ。あなたそのままでいるの。だから、殿下じゃなくて首席君。あなたそう呼んでいたでしょ」

「えーと……しゅ、しゅ、首席君!!」

「……まあ、いいよ。さて、皆そろそろ帰りの乗合馬車(バス)に乗ろう。もうずいぶん遅い」

 

 ナインズは手を差し出し、苦笑に彩られた一郎太がそこに腕輪を戻す。

 四人は路地裏を出た。

 

「キュータ様、お疲れ様。やっちゃったね」

「カイン、外の見張りありがとう。僕本当にやっちゃったよ……」

「ははは、まぁ、今日の自由の代償ですね」

「えぇ……罰が重すぎる……」

「やさぐれないやさぐれない」

 ナインズは何回か目のため息を吐くと、ふと顔を上げた。

「――待て、ミリガン嬢は?」

「あ、えーと……途中で帰るって言うから一応口止めはしておきましたけど……さっき乗合馬車(バス)乗ってっちゃいましたよ」

「……ちゃんと言わないでくれって頼んだ方が良さそうだ。女子寮行くか……」

 

 ナインズは想像以上に重い天罰に父親へ心の中で謝罪した。




るいちんやるとこまでやっちゃったんですね!
治されちゃってお金がもったいない!

次回!Re Lesson#17 スズキの正体
明後日13日です!


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Re Lesson#17 閑話 スズキの正体

 アガートは一人で乗合馬車(バス)の展望席に乗り、揺られていた。

 

 その頭の中には、あの時にアガートに責められて泣きそうになったレオネの顔が張り付いていた。

 

「……レオネちゃん、いい子なんだなぁ……」

 

 何も知らないのに、彼女が彼を心配する気持ちを踏み躙ってしまった。

 彼女はきっと、本当にあの人の身を案じていたのだろう。

 どうやったら皆にあの人が誰であるかを伏せて生活させてやれるか、いつも考えていたのかもしれない。

 だから、自分の本当の姿を知る彼女はあの人にとって特別だったのだ。

 

(……オリビアちゃんも知ってるのかな)

 

 それはどうだろう。学院に通う為に、昔馴染みにそっと打ち明けたのかもしれない。

 だとしたら、知っているのは一郎太とカインとレオネだけか。もしくは、ロランも知っているかどうかと言うところかも知れない。

 だって、オリビアもロランも、レオネやカインのように彼に丁寧には話さないから。オリビアなんて、あんなに爛漫に話しかけていたのだ。

 

 アガートは夜の神都を眺めながら、視界が歪んではぽろぽろと目から輝きが落ちるのを止められなかった。

 

 自分にももっと早く教えて欲しかった。

 そうだと分かっていれば、初めて会った時だってあんな失礼な事は言わなかったし、仮面を勝手に取ったりだってしなかった。

 私のままでいればいいと言ってくれたのに、あなたはあなたのままでいてくれないなんて。

 

 アガートはもう顔を上げられなくなると一人展望席で泣いた。

 乗合馬車(バス)が学院の前に止まると、階段を駆け降りて寮に走る。

 談話室の楽しげな声を全て振り払って三階にある部屋へ一気に上がると、ベッドの上で泣いた。

 レオネはお高く止まっていたんじゃない。いつもあの人相手に失礼にならない言葉を、あの人の横にいても笑われないだけの態度をちゃんと選んでいた。

 自分がしてきた無礼の数々を前に、自分が脈ありだとか、本命だとか、全てが恥ずかしくて、情けなくて、心の中はぐちゃぐちゃだった。

 全部やり直したい。

 全部全部。

 最初から素敵なお嬢さんで会って、愛らしく笑って見せて、「君には僕の本当のことが話せるよ」と言ってもらえるような時間に変えたい。

 許すことは教えだ。

 あの人はアガートの全てを許すだろう。ただ、そもそも許されるような事になりたくなかった。

 

 アガートが声をあげて泣いていると、遠慮がちなノックが部屋に響いた。

「……だ、だれ……?」

 もしかして、あの人が。

 そう思っていると、顔を出したのはレイだった。

「大丈夫っすか?さっきはせっかく旦那捕まえて飛び出したのに……」

 旦那という呼び方を聞くと、アガートはまたわんわん泣いた。

「あぁあぁ……。追いかけてきたお嬢に取られたんすか?落ち着いて落ち着いて……。何があったのかこのレイ様に話してみなさいな」

「き、きゅーた……きゅーたがぁ……」

 言えない。言ってはいけない。

 夕日に照らされて金色に見えた優しい瞳と、レオネの友達のために必死になってその身分すら明かした真剣な真実の金色の瞳が頭の中で交差する。

 アガートは大変なことに気がついた。

「わ、わたし、わたし……あの人に大好きだって言っちゃった……!言っちゃった!!」

「そ、それで……旦那は、君とは付き合えないって……?」

 彼は何も言わなかった。ただ、真意を探るようにアガートの瞳を覗き込み、アガートがそれに見惚れただけ。

 

「私じゃ手なんか届かないって思い知らされたぁ」

「あれま。最初からあんたさんにゃちと分不相応だって分かってたでしょうに。何を今更。とにかく振られたわけじゃないんなら、まだ何とかなるっすよ。好きだって伝えたけど、付き合おうとかは言ってないんでしょ?」

「言ってないぃ……」

 言ってしまえば良かったのに。誰でもないあなたを誘ってしまえば良かったのに。今となっては、そんなことは恐れ多くて言えるはずもない。

 

 部屋に次のノックが響く。

 アガートとレイは扉へ振り返った。レイはアガートの背をぽんぽん叩くと扉へ向かった。

「へい、どなたっすか?」

 ちらりと開けた先には、大量の女子がいた。

 

 そして、彼女達は一斉に口を開いた。

「「「「「首席があんたに会いに来た!!」」」」」

 

+

 

「こんな時間にまた誰か家出ですか!?」

 一番年配の寮母(シスター)が焦ったように言う。寮母(シスター)も神官としての力はあるが、神殿に勤めたことがあるような人ではない。世代的にもゼロ位階を使えるか使えないか、と言ったようなところだ。

 

 ナインズは苦笑混じりに頭をかいた。

「い、いや。えーと、ちょっと個人的にアガート・ミリガン嬢と話をしたくて……」

「個人的に?明日じゃいけないんですか?」

「ちょっと急用なもので……」

「……いけません。この間の事は仕方がありませんが、こんな時間に女生徒を呼び出すなんて非常識です。私達はここの子達をご両親から預かっているんですよ」

「それはそうなんですけど……どうしても一言だけ」

「あなた、スズキ君でしょう?あなたは今一番将来を期待されているんですよ。噂はここまで届いているんですからね。――これはあなた自身のためでもあるんです。おやめなさい。変な間違いと問題を起こしでもして、噂でもされてみなさいな」

 寮母(シスター)の愛情を感じ、ナインズはもう引き下がろうかなと思い始めた。

 だが、明日からの平穏無事な学院生活のためには――

 

「そこをなんとか、五分だけダメですか?」

「いけません。なりません。ここは別に男子禁制と言うわけではないんです。日中にまたいらっしゃい?こんな時間ではやましさを感じられても仕方がないわ。それに、こんな時間まで女の子のお尻を追いかけまわす暇があったら、あなたは今日までの中間考査の自己採点でもなさい。きっとまた満点とはいきませんよ」

「ははは、ごもっともです」

「もう。仕方のない子ね、分かっているなら早くお帰りなさい。――ほら、そっちのあなた達も入るなら早く中へ。中間考査が終わったからって依頼バイトでもないのにこんな時間まで男の子とほっつき歩かない。どんなに誠実そうに見えても男の子は男の子なのよ」

 

 そう言われたのはレオネとルイディナだ。レオネは別にここの人間ではないが、一応返事をした。

 そして、扉が閉まる時「――大丈夫ですわ。わたくしとルイに任せて」レオネが小さく言い残してくれた。

 パタリと扉が閉められると、ナインズはこんなもんかと引き返した。

 

「キュー様、レオネが行ったし平気でしょ」

「ん、そうだね。今回の反省を活かして、僕は名前を呼ばれるまで、もう二度と自分が誰なのか言わないぞ」

「そうした方が良さそうですね。前みたいにしらを切り続けた方がいいらしい」

 一郎太は苦笑していた。

「それにしても、さっきのあれ良かったね」

「さっきのあれ?」

「門前払いっていうのかな?こんな風に扱われるの初めてだ。すごい新鮮だった」

「ははは!キュー様何言ってんですか!」

 二人で笑っていると、ふと隣の敷地にある男子寮の窓から『スズキ、振られてやーんの!!』と誰かがやじを飛ばした。窓を開けて様子を見ていたらしい男子達がドッと笑い声を上げる。

 ナインズは「もー!」と声を上げてそちらを睨んだ。

「だからそう言う話じゃないってーの!!」

『おー!こえー!第三位階飛んでくるぞー!!全員避難しろー!!』

 窓が一斉に閉められる。こう言う時の男子生徒達の訓練されたような動きは一体何なんだろうか。ナインズはぷんすか怒っては楽しそうに笑った。

 

「はは、ナイ様、良かったね」

「へへへ。本当楽しい。でも……ちょっと疲れたなぁ」

「そらそーだ。頑張った頑張った。おーよしよし」

 一郎太はナインズがまだ赤ん坊の頃、立てもしないくせに自分の後を追いかけてきて指をしゃぶっていた姿を思い出して笑った。

「やっぱあの赤ちゃんなんだなぁ」

「え?何の話?」

「いーや、こっちの話」

 一郎太の方が半年遅く生まれていると言うのに。

 

 無為に時間を過ごしていると、ふと三階の窓が開いた。

 そして、ひょいとレオネが顔を出す。

「キュータさん!一郎太さん!こちらですわ!」

「――あ!レオネ!」

「やっぱ、レオネが行ったから平気でしたね。ナイ様、魔法使う?それとも――行ける?」

「当然行ける。僕を誰だと思ってんの」

「俺の頼りないご主人様さ」

 二人はひひひと仲の良い笑い声を上げた。

 

 一郎太は両手を組んで地面に片膝をつくと、「ん」とナインズに顎をしゃくった。

「悪いね」

「別に!飛ばしますよ!!」

「頼む!!」

 一郎太の手に足をかけ、パチンコのように一郎太から繰り出される反動と共に一気に高くまでジャンプをする。完璧なお互いの力加減によって、トッ、と窓辺に降り立つことに成功する。

 無事の着地を見届けると、一郎太も手近な木へ走って木と塀を乗り移りながら後を追った。

 ただ、一郎太の着地と同時に一瞬ミシリと出窓が鳴ると、二人は「うわ」と声を上げた。ナザリックにある物ではあり得なかった現象に肝が冷えた。

 

「……キュータ……」

「や、やあ。ミリガン嬢。なんか変な来かたしてごめん。下から入れてもらえなくてさ」

 部屋の中には緊張した様子のルイディナとレオネ。それから、アガートとレイがいた。

 何だかんだと女子の部屋だし、皆もうるさく言うのでナインズは部屋には入らなかった。窓辺に座り、部屋の中に振り返ることで済ませることにした。一郎太は蹄を平気で窓辺に降ろしているが、彼は魔法の馬蹄を着けているので足の裏だけは汚れる事はない。それが行儀としてどうなんだと言う事は置いておいて、彼の最善だ。

 

「ミリガン嬢、僕らちゃんと話しておいた方がいいと思って」

「ぼ、ぼくら……。う、うん、そうですよね、うん!」

 落ち込んだ表情のアガートに生気が宿る。胸の前で手を組み、どことなく敬虔な信徒のような雰囲気があるが、ナインズは本題に入った。

「うん、それで、僕のことなんだけどさ。できれば、伏せておいてもらえるとありがたいんだけど」

「あ……。そ、そのこと……。はは……そりゃ、そうですよね……。あなたの……こと……。言いません……絶対に……誰にも……」

 ナインズは途端にほっとした。一郎太と二人でニコニコ笑顔で頷き合った。

「そっか。ありがと。悪いね、まさかあんな事になるとは思わなくて。また今度埋め合わせさせてほしいな。また乗合馬車(バス)にでも乗ってさ」

「……そんなの、良いですよ。悪くて……。今日も私が悪かったのに……」

「……ミリガン嬢?」

「あの、キュータ――さん。私、本当は違うんです……。本当はもっと、もっとちゃんとしてて……それで……失礼な事だってしないし……分かってればちゃんと一郎太がいる事だって……何も言わないし……」

 アガートが何かを言うたびに、ナインズから笑顔は消えていった。

「ち、ちょっとアガート?何言ってんすか?スズキさん、そんな事言われたいんじゃないんじゃ……」

 

 あぁ、これがナインズだと知られると言う事なのだ。

 自由を手にしようと誘い出してくれた人は、最も不自由な存在になってしまった。

 彼女は父に全てを忘れさせてもらった方が良いんじゃないかと思った。

 ナインズはあの夕暮れの彼女の「キュータ、大好きよ」という言葉の持つ意味の種類を考え、それを放棄した。

 

「ありがとう。それじゃ、僕はもう行くかな。レオネ、君も寮生じゃないしここから行く?」

「宜しいの?」

「腰が抜けなければだけどね」

「もう。一回体験してるんですから見くびらないで下さいませ。――ルイ、じゃあわたくしも帰りますわ。また明日学校でね。明日はまだ考査の結果は返って来ませんけど、一緒に自己採点しますわよ」

「ひ、ひぇ〜〜!!」

「ま、わたくしも大した点数のものはありませんけどね」

 

 ナインズは一郎太に腕輪を渡し、レオネに手を差し出した。

「気を付けて」

「ありがとうございます。……でも、重くありません?」

 無くしてはいけないものをナインズは大切に抱えた。

「羽みたいに軽いよ。一太も来る?おぶろうか」

「いいよ。俺は自力で上がってきてるし自力で降りる」

「はは。遠慮しなくて良いのに。――じゃ、掴まっててね」

 レオネはあの日のようにギュッとナインズに掴まり、首の横に顔を埋めた。

「――レオネ、僕は君を、君たちを大切にするよ」

「っえ?あ、あの――」

 ナインズは<飛行(フライ)>の力で浮かび上がると、窓辺からゆっくり道へ降りた。

 こらー!!はしたないわよー!!と寮から寮母(シスター)達の声がすると、ドキンと三人の胸が鳴る。

 男子寮からは『行けー!走れー!』とやはり野次が飛んだ。

「やべ!走るぞキュー様!」

「はは!やっぱり追いかけっこって楽しいね!」

「ち、ちょっと!キュータさん!謝った方が良くてよ!!あなた寮母(シスター)達に誰だかバレてるっていうのに!!」

 

 優しく下された瞬間、レオネはナインズに手を引かれて駆け出した。

 見慣れたはずの神都はまるで別世界。永続光(コンティニュアルライト)が飛ぶように後ろへ流れていく。

 レオネが隣を走るナインズを見上げると、流星の中にいるようなナインズはすぐにそれに気がついて笑った。

 ナインズの足は速く、レオネでは足がもつれてしまう。

 転ぶかと思うと、ナインズはまたレオネを抱えて走った。

 

 三人はあっという間に大神殿に着き、大笑いした。

 

 夜になって湿る芝生に転がり、空を見上げた。

「――またレオネパパ切れるぜぇ」

「ふふふ、お二人が一緒だと知ればすぐに手のひらを返しましてよ」

「はは!神官は皆都合がいいからなぁ」

 

 そう、神官は――信徒は皆都合がいい。

 ナインズがダメなのかと凄めばそれだけで良いと言う。

 道を間違えそうになっても、彼らは絶賛してナインズを送り出そうとする。

 それは、例え一秒前まで友達だったとしてもそうなりかねない。

 

 ナインズは冷たい芝生から起き上がると、隣に寝転ぶレオネを見下ろした。

「レオネ、君の感覚は僕に必要だ。君はどうかいつまでも君のままでいてほしい」

 一郎太と喧嘩した日にしてもらったように、走って乱れた髪を撫でてやると、レオネは顔いっぱいの笑顔で答えた。

「当然ですわ!わたくし、誰よりもうるさい神官ですもの!!」

 

 そして、案の定大神殿でレオネパパは狼狽えていた。

 

「れ、レオネぇ〜〜!!」

「もう、本当に暑苦しいんですから」

「殿下ぁ、もう本当に毎度毎度申し訳ありません。うちのバカ娘が……。で、でも……殿下と一郎太くんとご一緒なら、正直安心します。また連れて出掛けていただいても構いませんので」

 ぺこぺこと何度も頭を下げられ、ナインズと一郎太は笑った。

「ははは!ナイ様、今日なんか寮母(シスター)にはしたないとか、やましさを感じるとか言われてたんだぜぇ」

「えぇ!?も、もー……。神殿に勤めたことのない人間はこれだから」

「良いんです。僕にはそれが必要ですから。だから、父王陛下と母王陛下もこうして僕を外に出してるんです」

 ナインズにはあの叱責も、門前払いも大変心地よかった。これは庶民感覚というやつだろうか。

「じゃ、僕らはこれで」

「んじゃなー」

「また明日、校門で待ってますわ!」

 

 ナインズと一郎太が手を振り、返すレオネの表情は清々しかった。

 レオネパパは大変嬉しそうだった。

 

+

 

「二人とも!!寮を逢引きに使わない!!」

「当たり前のことでしょう!!特にミス・ローラン!不可抗力だったとはいえ、あなたはこの間時間外学内待機騒ぎを起こしたばかりだと言うのに!!」

 

 翌日、朝からクレント教諭の部屋に呼び出されたナインズとレオネは大変肩身の狭い思いをしていた。二人の前には、当然クレント教諭と、レオネのクラスの神官のミズ・ケラーだ。ミズ・ケラーの髪はほとんどが白髪で、グレーの頭をしていた。

 一郎太は廊下で夏の抜け毛をフッと吹き飛ばしていた。

 

「あの、逢引きってわけじゃ……」

 ナインズが困り果てる横でレオネは顔を真っ赤にして俯いてしまっていた。

 

「スズキ君!君のする事は殆どのことが目を瞑られると思うけど、今回はハッキリ言って節度を持つように言わざるを得ない!!私もお父上やお母上をこんな事で学院に呼び出す訳にはいかないんだよ!!」

「そ、それは……はは、そうですよね」

 

 スズキ・サトルと机を囲んだことがあるジーダ――クレント教諭と、腕輪を外したナインズを見たことがあるフールーダはこの学院での理解者だ。フールーダもそれを分かってジーダをナインズのクラスに付く高弟にしたのだろう。

 そのクレント教諭が神様達相手に「お宅の息子が夜に女子寮から女の子を攫って出かけた」なんて言うのはさぞ居心地が悪かろう。

 ナインズが想像して苦笑していると、クレント教諭は眉間を押さえた。

 ミズ・ケラーも頭痛がするようだ。

 

「はぁ……。ミス・ローラン、あなた……。別に神官が純潔でいろとは言いませんけれど――」

「ち、ちょっと!!ミズ・ケラー!!変な想像はやめてくださいませ!!」

 外で一郎太が咳き込むのが聞こえてくる。ナインズは手を上げた。これはナインズのせいでレオネが侮辱されているようなものだ。

「先生。それは流石に彼女に悪いです。彼女は昨日、人間になるために外科手術を受けて耳や尾を落とそうとする友人のために必死になっていました」

 

 二人の目が驚きに歪む。万が一にも変な噂を立てられてはレオネがあまりに可哀想だ。それくらいなら多少真実を話した方が良い。

 

「僕が手術を望む子の説得のために使った手段が少し強引だったから、彼女はそれの尻拭いをしに女子寮へ行ってくれました。窓から連れ出したり、僕がした事は間違っていましたが、彼女がする事はいつも人のためです。彼女はきっと大神殿に仕える良い神官になる。どうか彼女の事は誤解しないであげてください」

「……外科手術というのは、ルイディナ・エップレのことですね。近頃様子がおかしいので気を付けて見ていましたが……」

「そうです。彼女は昨日、耳を落としていました」

「……はぁ。本当に。――ミス・ローラン、選択を誤った学友を助けたはずの旧友が助け方を誤ったから……あなたは仕方なく誤った方法で過ちを正した。そして、誤った方法で連れ出された。そうなんですね」

「……その通りですわ」

「全てが誤っているとお分かりですね」

「えぇ……。今となっては。ただ、その時は皆必死で――」

「そうでしょう。あなた達は若いから目の前の友情にいっぱいいっぱいになってしまう。だから、何か困ったことがあったと思ったら私達教員を頼りなさい。自分達だけで何かを解決しようとするには、あなた達はまだまだ未熟です。例え第三位階まで行使できようとも、スズキ君、あなたもまだ子供なのです。いいですね。私達はいつも守られるべき生徒達、導かれるべき子供達の味方なのですから、少しは信用なさい」

 

 ナインズとレオネは目を見合わせると素直に頷いた。

「はい、先生。すみませんでした」

「申し訳ありませんでしたわ。ミズ・ケラーのおっしゃる通り、わたくし達いっぱいいっぱいでしたの」

「わかれば宜しいです。ただし――」

 

「「ただし?」」

 二人の声が揃う。

 ミズ・ケラーは涼しい顔で告げた。

 

「私はミス・ローランの家に門限をきちんと定めるように手紙を書きます。遊ぶ時間にはゆめゆめ気をつけるように。よろしいですね」

「えぇ!かまいませんわ!わたくし、本当は夜遅くまで歩き回るようなはしたない真似しませんもの」

 レオネもナインズも笑った。

 

 さて解散かなと思われたところ、クレント教諭はコホン、とひとつ咳払いをした。

「私は正直神官でもなければ本業は教員でもないけれどね。君達を正しく導きたいとは思っているんだからね。――スズキ君」

「はい、クレント先生」

「君、一応今回の女子連れ出しの罰も兼ねて信仰科に少し行ってきてくれるかな。信仰科の魔法学の授業だけで良いからね。実は対抗戦の頃から教員の中で話は上がっていたんだよ。私自身、三年次の時には師について下級生の授業へ手伝いに行ったし、在学中に第三位階まで使えると割とある話なんだ」

「あ、あの、でも先生……僕……」

「何かな?」

「――先生、キュータさんは一人では行かれませんわ。なんて言ったって、側仕えがいないと何もできないおぼっちゃまですもの。ね」

 レオネがウインクすると、廊下から覗き込んでいた一郎太がピースした。

 

+

 

 あれから数日経った放課後、ワルワラはこそこそとスズキの後をつけていた。

「ほーう?書店か?」

 

 ワルワラのストーキングの原因は、今日貼り出された考査の結果にある。

 帰る前にワルワラがスズキの襟首を掴んでガクガク言わせ、一郎太が引き剥がし、決闘しろだのなんだの言い、周りの生徒は大笑いだった。

 結果の貼り出しは実技と筆記でそれぞれ行われ、どちらも一番上にはキュータ・スズキの名前があった。

 とは言え、ワルワラは実技は上から三番目だった。二番目には他所のクラスの亜人王になると目されるナーガの男子。四番目はペーネロペーで、クレント教諭は随分鼻が高いようだ。

 

(ちっ、何が今度はワルワラがトップだと思うよーだ!)

 

 スズキの実技などは、満点の点数の隣に一年の課題外だった第三位階の点数がプラスで書かれ、満点とかそう言うレベルではなくなっていた。

 このままでは絶対に追い越せない。

 いや、追いつくことすらできずに卒業だ。

 

(……スズキ、俺はお前がどんなもんを食って何をしてどんな研究をしてんのか絶対突き止めてやるからな)

 

 何が「またまぐれだよ」だ。何が「ヤマが当たったかなぁ」だ。

 物陰から睨むワルワラからはメラメラと火が上がるようだった。

 カサカサとゴキブリのように書店に近づき、ガラス越しに中を覗く。

(お前が読んだ本は俺も読むからな!!)

 中ではスズキが違う学校の女に話しかけている所だった。

(こんな所でまでナンパしてんじゃねぇ!!本はどうした!!本は!!)

 ワルワラはヤキモキして様子を見た。

 スズキは鞄から本を一冊取り出すとそれを女に渡していた。それは小説だ。

 ワルワラはフィクションは読まないが、フィクションも読んだ方が良いのかと一応心のメモに書き留めた。

 ふと、スズキと一郎太が同時にこちらを見た。

 

(あ、危ない所だった……)

 

 ギリギリで隠れる。通行人の目が痛かった。あの二人、たまに野生動物のように勘がいい。

 こんな時第二位階の不可視化が使えれば便利だが、ワルワラの使える魔法ではない。

 また書店を覗こうとしていると、道の向こうからカインとチェーザレが来るのが見えた。

 慌てて店舗の影に隠れる。

 チェーザレは神都食べ歩き仲間だ。

 二人はやはりこの書店に吸い込まれていった。

 確かにここは学院からほど近い。皆ここで参考書を買うのかもしれない。今度、食べ歩きではなくてこう言う事も教えてもらった方が良さそうだと思った。

 しばらくすると、書店の扉が開く音がし、皆でどこかへ移動を始めた。

(女子のナンパには成功したのか。――ん?よく見るとあの女達は見覚えがあるな)

 二人は対抗戦の時にレオネと共にスズキに差し入れを持って来た女達のはずだ。

 ははーん。と言うことはあの女達も神都第一小。

 ワルワラはこっそり後を付けた。

 

 ぞろぞろと向かった先は大神殿の前庭で、皆で芝生に座ってお喋りに興じているようだった。

 場所取りでもしていた様子の、信仰科のレオネやら薬学科の友人、全くワルワラの知らないボーイッシュな女子や赤毛の男子やらもいて、輪は大きくなっていた。

 

(……無為な時間を過ごしやがって。まぁいいだろう。今は精々楽しむんだな)

 スズキを放埒の渦に叩き落とすことを第二使命に掲げているワルワラはスズキが遊び呆けることには大賛成だ。

 奴は普段は穏やかだが、時に思い悩むような瞬間がある。

 友達のそう言う顔は何となく胸が痛むものだ。

 

 ふと、スズキが立ち上がった。

(ん?)

 視線の先には中学に上がるか上がらないかくらいの子供――いや、あれは上位森妖精(ハイエルフ)か。

 一瞬森妖精(エルフ)かと思ったが、森妖精(エルフ)にしては些か色素が薄すぎる。

 スズキと手を振り合い、握手をして二人でまた芝生に座る。

 他の友達そっちのけで二人はしばらく話し込んでいた。上位森妖精(ハイエルフ)は時に驚き、時に真剣に、時に笑ってスズキの話に耳を傾けていた。

 

(……ほーう。なるほど。そう言うことか。上位森妖精(ハイエルフ)から魔法を習っていたか)

 中間考査の結果でも話しているのかもしれない。

 よく見ると、上位森妖精(ハイエルフ)は魔導省の職員のようだ。胸元には魔導省職員が着けるループタイを束ねる装飾が光っていた。クレント教諭など、魔導省から魔法を教えに来てくれている教師達は皆アレを着けているのでわかりやすい。

 今度紹介してくれと頼んでみよう。多分、スズキは能天気に「いいよ!」と言うだろう。

 

 二人は友人達の輪の中へ戻りまた話を始めた。

 そして、スズキはカバンの中から何本かの万年筆を取り出すと、皆に配った。

 魔法の効果があるようなうっすらとした光が灯っている。カインも受け取っているので、今度見せてもらおうと思った。

 皆感激しているようだ。レオネと他の二人の女は貰えていなかったが。

 

「あぁーーん!!」

 

 ふと、子供の泣き声がして皆振り返った。

 女児は転んだようで、<浮遊継続(キープフローティング)>の魔法が掛けられた水色の衛生(サニタリー)粘体(スライム)が空へ上がっていく。

 軽い物にしかかけられない第一位階の生活魔法だ。浮遊時間はおよそ二時間ほど。実用性はあまりない。

 流石に魔法が掛けられた生き物なので値段としては高いが、浮かび終わってもペットとして飼えるので人気のある土産ものだ。

 食べ物は何でも食べるし、もし飼うのに飽きたら下水に放り込んでやればいいらしい。万が一こうやって逃げ出されても、彼らはいつの間にか自分を捕まえている紐を溶かして食べ、適当な下水で生活を始める。

(……取ってやりたいけど、あんな高さじゃなぁ……)

 ワルワラは眩しそうに粘体(スライム)を見上げた。

 

 その視界に人影が入る。

 

(あぁ――そうか。あいつがいたな)

 

 粘体(スライム)は空を飛ぶ自由を謳歌するはずが、<飛行(フライ)>を使うスズキの手に捕まって女児の下へ連れ戻された。

 

『危なかったね。気を付けて持つんだよ』

 そう言っているのが手に取るようにわかる。

 粘体(スライム)を渡された女児はスズキに飛びついて喜んでいた。

 離れた所で見ていたらしい親も駆けつけて礼を言っている。

 スズキが土のついたスカートをはたいてやり、膝の皿の小さな怪我まで治してやると女児はスズキの頬にキスをした。

(お前は本当に優しいなぁ。モテ男が)

 大変微笑ましい光景に、周りの神官達もその様子を見て頷いていた。

 

 早くスズキを放埒の渦に叩き落とさなくては。

 夏季休暇には一緒にスルターン小国に行く約束もしているし、楽しみだった。

 

 スズキは友人達の輪に戻ると、一郎太にいつもの腕輪を渡されて通し直した。

 最初の頃はあれが魔力を高めているのかと思っていたが、どうも魔法を使う時は外すらしい。筋力を高める腕輪ではないかともっぱらの噂だ。

 ふと、入学式の日に校門にいた女がスズキの髪に触れる。<飛行(フライ)>で少しだけ乱れたその髪にわざわざ丁寧に櫛を通してやるようだ。

 

(――んん?)

 

 ワルワラは目を凝らした。

 校門女子が髪を触るたび、見えるものがあった。

 スズキの耳は、ほんの少しとんがっていた。

 

(――そう言うことか!!)

 

 あいつ、何とのハーフなのかクォーターなのかは知らないが、純然たる人間ではない。

 どうも魔法がうますぎると思った。あの黒髪と黒目からは一致し辛いが上位森妖精(ハイエルフ)なのだろうか。

 もしや年齢もかなり上で、第四位階まで使う?

 クラス対抗の最後に一瞬放った雷撃系の魔法が何だったのか分かった者はおらず、本人に聞いても「夢中だったから何をやったか覚えてないんだ」ばかりだった。

 結局第二位階の<雷槍(サンダースピア)>だったかと話は落ち着いた。

 だが、自分が上位森妖精(ハイエルフ)との混血であると隠すために何の魔法を使ったのか言わないのだとしたら――。

 ワルワラはスズキの生まれにまた思いを巡らせた。

(俺だって魔人(ジニー)との混血だって話してんのに、つれないな)

 

 上位森妖精(ハイエルフ)は血の混ざりを極端に嫌う。そんなつまらない事が優秀な彼の将来を考える時の重荷になっているかと思うと、なんとなくやるせない。

(ま、放埒の渦だな。放埒の渦)

 何か新しい遊びでも教えてやるかと決めると、ワルワラは茂みから立ち上がった。

 

 帰ろう。

 

 そう思って足を踏み出すと、「おーい」と声がかかった。

「ワルワラー!」「もう帰るのかー!」「一緒に座ってくかいー!」

 スズキと一郎太、カインが手を振っている。

「……気付いてるならもっと早く声かけろ!!」

 

 ワルワラは知らない連中だらけの中に飛び込んだ。

「よ!お前何やってたんだ?」

「よう、一郎太。ちょっとスズキの強さの秘密を探ってみようかと思ってな。まぁ、こいつが何者なのか察しがついた所だよ」

 スズキの旧友たちは目を見合わせたようだった。

 だが、スズキは何故か楽しげにワルワラを見上げた。

「ふふふ、面白いな。ワルワラ、僕が誰なのかあててくれよ」

「ふん。お前、上位森妖精(ハイエルフ)か何かとの混血なんだろ。その耳。一体何歳なんだ?」

「僕は十六だよ。耳はたまたま生まれつき。そういう誤解を生むから隠してるの」

「なにぃ!?じゃあ、やっぱりお前はただの天才なのか!?」

「も〜まぐれだってばぁ。天才はワルワラの方じゃないかぁ」

「嫌味か!まぐれで二回もトップになる奴がいるか!!こいつ!!」

「っうわ!」

 ワルワラが脇腹をくすぐりだすと、スズキは芝生の上に転がって大笑いした。

 スズキは何か吹っ切れたような感じがした。

 

 その後、上位森妖精(ハイエルフ)――エルミナスも紹介してもらえて、ワルワラは新しい友達と笑った。




あぁあ、アガートちゃん予選敗退ですねぇ。
大人になってからの友達ってちょっとややこしいのかなぁ!

サニタリースライム風船ほしい!!

本日閑話だったので、明日も更新します!!
Re Lesson#18信仰科出張
お膳立てができたから次の人は本当に地獄に叩き落としたいんだ❤︎


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Re Lesson#18 信仰科出張

「――スズキ君、そろそろ移動してくれるかな」

 庭で魔法実技の授業中、クレント教諭はそう言ってナインズの肩を叩いた。

「クレント先生、一太を連れて行って大丈夫なんですよね?」

「いいよ。君は確かにおぼっちゃま(・・・・・・)だからね」

「はは、すみません」

「こちらこそ。一郎太君は授業に出られなくて悪いね」

「構わないっすよ。よそのクラス面白そうだし!」

「良かった。私はこの授業中はここにいるけれど、授業が終わった後は省に戻るから、何か困ったことがあったら二人ともミズ・ケラーに相談するように」

「はい!」

「へーい」

 

 クレント教諭が周りの生徒の様子を見にいくと、ワルワラとカインが集まった。

「そういえばお前、女子連れ去りの罰で信仰科に改心させられにいくんだっけ」

「キュータ様の――首席の相手のお姫様は誰だって噂になってますねぇ。僕らなんかはあれがレオネだったって分かってるけど、他の皆はそうもいかないわけだ。――面倒なことになりましたね?」

「はは、レオネだって噂にならなくて良かったよ。変な噂立てられたら可哀想だから。それに、信仰科の方に行くのは教科書もいらないみたいだし、適当に炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)でも喚んでうまいことやっとくよ」

 随分夏も近付いてきた。ナインズが脱いでいたローブを肩にかけて「じゃね!」と駆け出すと、一郎太も「また昼飯で!」と後を追って行った。

 

「……第三位階の天使召喚が適当にうまくやるってどういうことだ」

「それは子供の頃から一緒にいる僕でも流石にそう思う」

 ワルワラが自分の短杖(ワンド)で眉間をぐりぐり押し、カインも苦笑した。

「あ、そういえば、カイン。お前のその万年筆ってなんだったんだ?」

「ん?これ?」

 胸ポケットから取り出した万年筆は博物館に置いておいた方がいいんじゃないかと思えるような工芸品だった。

「――永遠にインクが無くならない魔法の万年筆さ。簡単にいえば、もっと勉強しろって事だね」

「ははは。あいつにしちゃずいぶん厳しいな」

 二人はおかしそうに笑った。

 カインは「心配しすぎだって分かってるんだけど、皆の身の安全のためにどうか」そう言って渡された大切な友情の証を胸に戻した。

 周りと共に二人は授業の続きを受けた。

 

+

 

「さぁ、スズキ君、一郎太君。ご挨拶を」

 ミズ・ケラーが促す。

 ここは神都魔導学院で一番広い階段教室で、今は信仰科一年全クラスが集まっている。

「キュータ・スズキです。特進科から来ました。大したこともできないんですけど、今日はよろしくお願いします」

「同じく特進科から。俺は一郎太。魔法が一切使えないからそばで見学するように言われてきました。お願いしまーす」

 

 学年の――いや、学院のアイドルの登場に信仰科の女子が黄色い声を上げ、男子は若干つまらなそうにした。特進科だって授業中だろ、と。

 

 特に、リ・エスティーゼ州エ・ナイウル市から来たリシャール・フラッツ・リイル・エクスナーは「ふん」と鼻息を飛ばした。

 リシャールは神都の魔導学院に合格以来、自分は港湾都市エ・ナイウルの中でも上から何番目かに幸運な男だと思っていた。

 自己採点では落ちていたが、なんとか魔導学院に滑り込みを果たしたのだ。入ってしまえばもはやこちらのものだ。

 リシャールの家は元貴族で、祖父は昔エ・ランテルへ戦争に行った。帰って来て以来祖父は非常に熱心な光の神の信奉者になったらしい。全てはまだリシャールが産まれる前の話だ。

 リシャールは兄や姉と共に、祖父に連れられてよくエ・ナイウルの光の神殿に連れて行かれた。

 ジャンド・ハーンの家にも連れて行かれたし、オペラにもなっている「紺碧の鱗」などは覚えてしまうほど見に行ったものだ。

 

 だから、リシャールの子供の頃の夢はオペラ歌手か俳優だった。劇場を駆け回り、数えきれない人々の喝采を浴びる。

 その夢を持ったのは兄も同じだった。兄は十六の頃小さな劇団に入って俳優になり、今も別にパッとしない三文劇場の三文役者だ。おかげでリシャールの中での俳優という職業への憧れはほとんど消えた。

 

 それに、あの時の祖父の落胆と言ったら。

『誰か一人は神官になってほしいものだねぇ』

 子供の頃からそう言われ続けたのに。

 

 姉は今年州立高校を上がるが、漁師の男と付き合っているのでそのまま浜の女になると言っている。せっかく州立高校まで上がったと言うのに、体たらく二人組なのだ。

 

 リシャールは兄や姉とは違って現実が見えている男だ。

 役者なんかになったって大して稼げないし、将来性は低い。

 浜の男なんかダサいし疲れる。何より喝采を浴びれない。ジャンド・ハーンのように名を残す男にはなれない。まぁ、ジャンド・ハーンだって陛下が手を差し伸べてくれただけのつまらない男だが。

 

 勉強だけは比較的得意だったので、州立魔導学校も、州立高校も、私立高校も、リ・エスティーゼ州の魔導学院もあちこち受験した。

 幸い元貴族の家柄なだけはあって金はあった。

 ナイウーア市長とも祖父は懇意にしているくらいだし、神殿への寄付額も相当なものだろう。

 

 魔法もゼロ位階の生活魔法を二つくらいしか使えないが、面談での熱心さが伝わったのか、想像より筆記がうまく行ったのか、信仰科にだけかされる小論文課題に書いたジャンド・ハーンの話が効いたのか。

 とにかくリシャールはこの栄えある神都魔導学院に合格を果たした。

 下から数えた方が早いような順位だったようだが、それが貼り出されるわけでもなく、リシャールはでかい顔をしてここで秀才と肩を並べているわけだ。

 祖父も両親も皆鼻が高いとリシャールを送り出してくれた。

 

 秀才達と歩みを共にする男、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナー。

 

 気分はもはや秀才そのもの。いや、事実自分は秀才や天才なのだ。最高の学院生活だった。

『いやいや、僕は平均的さ』

 そう言ってリシャールはクラス内で確固たる地位を築き始めていた。考査の結果だって上位者しか貼り出されないのだから、そこから下がどうなっているかなんて誰も分かりやしない。

 この中間考査の結果もギリギリ補習を免れたようなところだったが『また平均男になってしまった』と言って皆の前でおどけて見せた。

 

 だというのに――この首席とか言う男。

 入試だけでなく今回の考査まで全てトップ。

 信じられなかった。

 そもそも自分より目立つ男という生き物が嫌いなところに加え、慎みのない男も大嫌いだった。

 入学式では顔を隠していたし、「まぁそう言うガリ勉もやし野郎もいるんだろう。声だけはいいようだ」くらいに思っていたと言うのに。

 あの顔!

 女どもの甘いため息にも反吐が出る!

 

 今も、やつは気取って夏服のローブに袖も通さずに肩にかけている。シャツもボタンを上から二つくらい開けていて、「すみません、魔法実技で庭から走って来たら暑くて」なんて言っている。

 汗を拭いて胸元をバサバサ言わせるだけで女子が色めき立つ。

 

(俺こそがその場所にふさわしいといつか教えてやるんだ!未来を見通せずに、今ちょっとできるだけの男に靡く女達の見る目のなさを知らしめてやる!どうせあいつの力はここが頭打ちだ!絶対にお前の家庭教師とやらを俺が雇ってやるからな!!せいぜい今だけの天下に酔いしれろ!!)

 

 金だけはある。

 こんな良い案を思い付ける者が他にいるだろうか。

 誰も彼も能天気に授業を聞いてばかりに違いない。

 そもそも、リシャールだって能力はあるはずなのだ。それを開花させる術に今まで出会えていなかっただけ。そうでなければ国中で最も優秀な者達が通う神都魔導学院に通い続けられる訳がない。

 

(流石は俺だ。無駄な努力はしない。最短の努力で駆け上がる。絶対に有能な家庭教師を付けて、期末考査には女どもをキャアキャア言わせてやる。そして、この夏季休暇には――ふふふ)

 

 リシャールは体内に熱を感じ、よだれをふいた。確実に来るであろう輝かしい未来に思いを馳せていると、ミズ・ケラーの声が響く。

 

「さぁ、本題に入りましょう。理論の説明はスズキ君が来る前に十分にいたしましたね。事前に話していた通り、これより皆さんには私達神官の力の(すい)の結晶である治癒魔法をお見せいたします。――そのためには、癒す傷が必要です」

 首席を噂していた者達の声が止み、ノートにペンを下ろしていた者達はごくりと唾を飲んだ。

 その役目には絶対選ばれたくない。

 皆ミズ・ケラーから目を逸らしているようだ。

 

「スズキ君。よろしいですね?」

「はい、先生」

 ミズ・ケラーを先生と呼ぶなんて、こいつは中位の神官をなんだと思っているんだろう。信仰科の教師達は教師である以前に中位の神官達で、まずはそちらにたいして敬意を払うべきだろう。

 二人が教室の真ん中から少し離れていく。階段教室なので、皆首を長く長くして覗き込んだ。

 二人が杖を抜くと、教室の前の方でそっと手が上がった。

「――ミス・ローラン、何か?」

「申し訳ありません……。ミズ・ケラー、まさか怪我を負わせますの……?」

 やってやれとリシャールは思っていたが、邪魔が入った。

 それはレオネ・チェロ・ローランのものだ。

 彼女は平等な性格が評価できる。いわゆる分かっている女なのでリシャールの隣に置いてやってもいい。

 教室で話しかけても「素晴らしいんですのね。わたくしもそのようになりたいわ」と微笑んでくれる。

 大神殿に仕える神官の娘らしく、基本的には品行方正。

 ただし、しょっちゅう窓から外を覗き込んで首席を呼んでいるのが玉に瑕だ。

 

 ミズ・ケラーは優しげに微笑むと首を振った。

「大丈夫ですよ。すぐに治すと言っても、私たちは決して生徒を傷付けるような事はしません。安心して見ておいでなさい」

 レオネは軽く礼を示してから座った。

 何か動物でも使うんだろうかと思っていると、ミズ・ケラーはひゅんと杖を振った。

 

「<第二位階天使召喚(サモン・エンジェル・2nd)>!」

 

 階段教室にやわらかな光が満ち、教室の真ん中に天使が降臨した。

 ほとんどの者が天使を生まれて初めて見るだろう。階段教室に拍手が満ちる。素晴らしい魔法に思わずリシャールも拍手した。

「――ふぅ、ふぅ……。ふふ。ありがとう。ただただ年の功だわ。恥ずかしいわね。あなた達はもっと若いうちにこれができるようになるかもしれないんですよ」

 リシャールは自分が天使を引き連れて街を闊歩する様を想像した。きっと、皆が大神官だと手を合わせるのだろう。それはオペラ歌手になったり劇団俳優になるより気持ちのいい事ではなかろうか。

 

 第二位階とは言え、かなりの力の消耗だったようでミズ・ケラーは席にかけた。

「その天使は守護の天使(エンジェル・ガーディアン)です。――さぁ、では、スズキ君。次はあなたの番よ」

 

 なるほど。疲れているミズ・ケラーの代わりに首席が魔法で天使を傷付け、他にもこの教室にいるクラス受け持ちの神官であるミスター・ヴェリンやミスター・バッティ、ミズ・ベレズネフが回復魔法をかけていくと言う算段か。

 リシャールは納得するとペンを噛んだ。ゼロ位階に攻撃魔法があれば、リシャールでも出来たのに。

 

 首席は守護の天使(エンジェル・ガーディアン)の方へ向けて杖をツン、と細かく動かした。かなりいい杖を使っているようだった。

 

「――<第三位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)>」

 

 ドッと光とも炎とも付かないものが目を焼く。

「っうわあ!!」

 リシャールは思わず頭を守るように机に伏せて頭に教科書を載せた。

 そうっと教科書から階段下を覗き込む。

 そこには鎧そのものから光の翼を生やしたような天使がいた。

「あ、あれも……天使……」

 いや、それより、今やつは第三位階と言ったか。

 教室中がどよめく。

 それぞれのクラスに付いてくれている神官達すら唸っていた。

 

「素晴らしいです。もっと早くあなたに来て貰えばよかったわ。――皆さん、これは炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)。第三位階によって呼び出すことのできる天使です。この頂にまで至る事は非常に困難。私も初めて目にしました。スズキ君、あなた信仰科に来たらいかが?」

「いえ、僕にはとても神官は務まりません。本当に神官の皆様には頭が下がる思いです」

「あなた程の大神官にそう言われては皆肩身が狭いわ。きっとあなたはいつか最高神官長や、陽光聖典の隊長にすらなれる人になるというのに。……やはり、魔導省での出世がお望みかしら。男の子ですものね」

「はは、そう言うわけでもないんですけどね。きっと将来、神殿機関には所属すると思います。いつかここに席を並べる皆さんとも神殿で会える日が来ると思います」

「楽しみにしています。皆さんも、科が違うとは言え素晴らしい学友に恵まれましたね。――さぁ、では私の守護の天使(エンジェル・ガーディアン)が帰還してしまう前に、皆に治癒魔法を見せましょう」

 

 ミズ・ケラーはもう一度首席へ促した。

 

「天使にやらせてくれますね。私は癒しの力しか持ちません」

「はい、気を付けさせます」

「まぁ。不遜だこと。ほほほ」

「あ、す、すみません」

 

 それはつまり、首席の天使が本気を出してミズ・ケラーの天使を霧散させないようにと言う気遣いから出た失言だ。

 どこまで高慢ちきな男なんだろう。

(……だが!だがしかし……!第三位階の天使とはぁ……!!)

 家庭教師を取ったとして、リシャールにそこまでの力があるとはあまり思えない。

 それとも、正しい訓練を積めばなれるのだろうか。

 少なくとも首席よりすごい人間はたくさんいるはずだ。魔導省から来ている特進科の教師達は第四位階という遥かなる高みにいる者も多いはず。

 それなら、リシャールにも不可能とは言えないかもしれない。

 ペンを持つ手がギリリと鳴った。

 

守護の天使(エンジェル・ガーディアン)、すぐに治して貰えるからね。――炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)、やってくれるね」

 優しい声だった。まるで我が子に話しかけるかのよう。

 女子がまた「わぁ……」だのなんだの言う。

 

 次の瞬間、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)は手の中に十字の炎の剣を呼び出し、守護の天使(エンジェル・ガーディアン)の光の翼を切り落とした。

 守護の天使(エンジェル・ガーディアン)は傾き、ガシャン!!とひどい音を立てて教室の真ん中で床に落ちた。切り離された翼は点滅したかと思うと光の粒となって消えた。

 そこで、ようやくミズ・ケラーは立ち上がった。

 

「さぁ、私は第二位階の治癒魔法を使います。――<中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)>!」

 失われたた天使の翼が元の場所に現れ、ジジジ……と音を鳴らして本体と何とか繋がり合おうとしている。くっついていないので天使が宙に戻ることはなかった。

「このように、あまり大きな怪我の時は第二位階でも治す事は難しいです。天使の場合、こうして完全にくっつくこともありません。人であれば傷痕が残ったり、その部分が動かせないこともあります。ですが、第三位階であれば――さあ、治してあげてください」

「え、僕もかけるんですか?僕には荷が重いと言いますか……」

「あなた、使えるんでしょう?分かっていますよ。ミス・エップレの耳はとても綺麗に治っていますからね」

「あ、あはは。なるほど……」

 

 何の話かわからない。リシャールはちらりとルイディナを見た。

 ルイディナは最近顔まわりや指だけ毛抜き薬を使っているのか随分と綺麗だ。獣感がない。

 レオネの隣で、ルイディナは恥ずかしそうにもじもじと耳を撫で付けていた。

 

「<重傷治癒(ヘビーリカバー)>」

 

 天使の羽は完全に繋がり、再び天使は宙へ上がった。

 教室に拍手が満ちる。

 取り巻きのミノタウロスも一緒に拍手をしているし、気に入らなかった。

 

「まさしく、喝采にふさわしい力でしたね。――さて、天使は血を流さないので、今回第一位階の<軽傷治癒(ライトヒーリング)>は使いませんでしたが、これが生きた人々であれば、まずは<軽傷治癒(ライトヒーリング)>で止血をする事です。痛みも和らぎます。神殿には毎日何人もの病気や怪我に苦しむ人が訪れています。その度に第三位階で完璧に治すことは難しいでしょう。例えスズキ君が神官として仕えたとしても、怪我の様子を見て第一位階を使う必要があります。魔力は無限ではないですが、救いを求める人々の数は数えきれません。大切な魔力を使うタイミングを見極めるという事も、神官には必要不可欠な能力なのです。時には責められることもあるでしょう。しかし、訪れる人々全てを哀れんで、過度な施しをするような事は避けるのです」

 

 生徒達は思い思いにノートを取った。

 首席は「じゃあ、僕はそろそろ」と教室を後にしようとした。

 

 しかし、ミズ・ケラーはにこやかに告げた。

 

「では、続いて第二位階で治る程度の傷を付けさせてください」

 

+

 

 授業も終わると、階段教室では首席を賞賛する声が方々から聞こえて来ていた。

 リシャールは「ふん」と鼻を鳴らし、片付けを進めた。

 

 確かに目の前で実際に見せられた魔法はただ単に教科書をなぞるより余程感触として残った。

 だが、気に入らないものは気に入らない。

 

 階段教室を降りていくと、皆出ている天使をまじまじと観察させてもらっていた。

 もちろん、ミズ・ケラーもそこに座って質問に答えたりしている。

 リシャールもぐるりと守護の天使(エンジェル・ガーディアン)を見させてもらった。人っぽい見た目じゃないんだなと思う。

 授業中に「代わりに戦ってくれる自分だけの守護者」という説明もあったくらいなので、天使とは言え、彼らも優しいだけの存在ではないのだろう。

 

 続いて炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)も見て回ると、レオネ達が首席と話していた。

「すごく良い授業でしたわ。わたくし、天使って初めて見ましたもの。何だか感動しました」

「首席!やるんだねぇー!うちはパパもママも聖騎士だけど、家じゃ出してくれないし、パレードの時に遠目にしか見た事なかったよ!まぁパパは出せないけどさ!」

「貴重な時間だったわ。あなた、本当になんでもできるのね」

「何でもなんてできないよ。でも、皆の役に立ったみたいで良かった」

 キザったらしい笑みだった。

 

 リシャールは「け、気取ってやんの」と吐き捨ててその場を離れた。

 

 あいつの鼻を明かしてやりたいが、良い方法が思いつかない。

 廊下でぶつかってやろうか。

 そう思っていると、首席も教室を後にするようだった。

 忘れ物をした体でいこうと決め、リシャールは教室の中に駆け戻った。

 ドンっと肩にぶつかる。首席は驚くほど踏ん張る力が強かった。

 尻もちをつかせてやるつもりが、尻もちをついたのはリシャールだった。

「――あ、君。ごめんね。よく見てなかったよ。大丈夫?」

 あたりにリシャールのペンが散らばる。

 リシャールは何でちゃんとペンケースを閉めていなかったんだと心の中で自分以外の誰かを責めた。

 首席が拾って集め始めると、周りから「優しい〜」「手伝おっか!」と人が寄ってくる。

 すぐにペンは全て集められ、首席はリシャールにペンケースを差し出した。

「立てる?痛いところはない?」

 一瞬首席に甘えたくなったが、横から「紳士だよねぇ」と聞こえてくると、リシャールの頭には一気に血が昇った。

「――っ!うるさい!!お前のせいだ!!」

 ペンケースを踏んだくって駆け出す。

 何人かがくすくすと笑い声をあげているのが聞こえた。

 

 許せない。

 リシャールは今笑ったやつも含めて、心の中で天罰を下してくれるように神に言いつけた。

 その時、ぞわりとリシャールの背中に何か影が張り付いたような気がした。

 

 昼食どき、友人のヴァレン・シュミットと学食に来ると、人集りを見つけて不快感に息を吐いた。

「何怒ってんだぁ?」

「ふん。さっき教室を出る時に首席にぶつかられたんだ。嫌なやつさ」

「あんまりそう言う話を聞かない奴だと思ってたけど、結局そんなもんかぁ」

「そうさ。自分の取り巻き以外にはそう言うことをするつまんないやつなんだ。あいつの底が知れるよ」

 ガチャンと食事を置いて席に着く。

 

 首席を取り囲む人集りはプライドのない信仰科の奴ばかりで、男女を問わなかった。

『今日はもう魔力使い切っちゃったから』『何日かに一回しかあんなの出せないよ』『今はもう<水創造(クリエイトウォーター)>ひとつ……ほら、出ない……』と声が聞こえてくる。

 それはそうだ。第三位階の魔法をあれだけ使って余裕がある方がおかしい。

 ざまぁみろと思っていると、リシャールの隣の机に女子が座った。

 あの輪に突撃しないのは誰だ?とリシャールは隣を確認した。

 レオネ、ルイディナ、ヨァナ、ファーだった。

 彼らは教室を出る前にすでに首席と話していたので、わざわざあれに参加する必要はないのか。

 リシャールはもっと賢い女達に隣に座って欲しかった。

 

「ありゃー、首席また一段とすごいことになってんね。あれ上級生もいるでしょ?」

「噂が広まるのは早いものね。ワルワラ君が天使と戦わせろとか言い出さないか心配よ」

「い、いいのかなぁ……。首席君のお食事の邪魔して」

「いいに決まってますわ。そんなに特別扱いすることなくてよ。単なるよくできる男子一人に何をそんなに気を使う必要があるんですの」

 

 レオネの台詞はリシャールとヴァレンを振り返らせるには十分だった。

 二人は顔を寄せて小声で話した。

「おいおい、ローランは首席の信奉者じゃなかったのか」

「俺がぶつかられたのを見て現実がわかったのかもしれん。確かめてみよう」

 リシャールはふんふんと鼻息を吐いた。

 

「――んん。あー、ローラン。首席を特別扱いするのなんて馬鹿らしいよなぁ?勉強できるってだけで、あんなに囲まれて。ほっときゃ良いと思うだろう?」

 ヨァナは「げぇ……」と言った。こいつは聖騎士の家の娘らしく野蛮だ。神官のくせに剣や弓を振り回す。授業が終わると週に二回程聖騎士の見習い講座に出ているらしい。

「エクスナーさん。わたくしもそう思いましてよ」

 レオネが言うと、リシャールは顔をパッと明るくした。

「そ、そうだろう!!ふふ、俺たちは前から話が合うと思ってたんだ!」

「あら、そうでしたの?わたくし知らなかったわ」

「そうか!これからは仲良くしてやってもいいぞ!!」

「ありがとうございます。では」

 

 レオネはすぐに食事に戻った。

 リシャールの中に勝利の感情が湧き上がった。

 こう言っては癪だが、強い者が自分より弱い相手にぶつかると言う事がこれほど野蛮であると人々を失望させるとは。

(……ふふ。首席、貴様の居場所はすぐになくなる。覚えてろ!)

 リシャールは食事をとるレオネをしげしげと観察した。賢い女だ。

 レオネは一度もこちらを見もせずに、食べたり手元のノートをめくったりしていた。

 赤色と金色の間の、ハニーピンクとも付かない色の髪の毛は耳にかけられるたびにふわふわと踊っていた。

 ファーのようなまっすぐな黒髪はエキゾチックでセクシーだが、やはりこう言う金髪の系統は良い。

 ルイディナの猫耳は言わずともがなだ。近頃は耳にピアスが付けられているが、まぁセーフだ。

 

(ヨァナ・ラングスマンは不愉快だが、こいつら皆中々良いな。昔はリ・エスティーゼでもお偉い貴族になると妾などもいたそうだが……)

 

 バハルスの方では今も金持ちだと何人か妻を取ることは普通なようだ。所変われば品変わると言ったところか。

「リシャール、お前の読みは当たっているようだな」

 ヴァレンがまた顔を寄せて言う。リシャールは得意げに鼻の下をかいた。

「だろう。これからはあいつは俺の仲間に入れてやるさ。見てろ、この後――あ」

 こそこそとやり取りしているうちに、女子は食事が終わったのか勝手に片付けを始めてしまった。

 一緒に食べていたのに挨拶一つなしか、と思っていると、目があったレオネは「失礼しますわね」と一声かけてくれた。

 リシャールの心にドカンと花火が上がった。

「あ!ああ!じゃあな!!」

 ヨァナはまた「げぇ……」と言っていた。

 だが、リシャールには届かない。

 リシャールは鼻歌を歌いたい気持ちになりながら残りを平らげた。

 

「なぁ、ヴァレン」

「なんだぁ?」

「俺はローランが気に入った。あいつは慎ましやかだろう」

「ちょっとお高く止まってる気もするけどなぁ。それに、完璧主義者の片鱗が見える。神官になるって言ったってあんなにずっと張り切ってなきゃいけないもんか疑問だね」

「上流階級の娘ともなればあのくらいの気位の高さは普通だ。品のない女よりよっぽど良い。きっとこれまでも男の誘いは全部断って来たようなタイプだ。ヨァナ・ラングスマンなんか見てみろ。あいつは男を物色して、ちょっと付き合っては離れてを繰り返してるような感じがするだろう」

 ヴァレンは去っていく女達の尻を眺めると「ふーむ」と言った。

「まぁ言いたいことは大体わかる。うんうん」

 多分こいつは分かっていない。リ・エスティーゼの田舎の出には理解できないだろうから多めに見てやるしかない。多分成績も悪いだろうし頭も悪い。

 

 あぁ、首席に惚れていたはずの女が自分に惚れると言うのはどんな感覚だろう。首席より素敵と言われるのはどんな感覚だろう。

 付き合ったら、見た事がないほど甘えて、ベッドの中ではきっと弱気になって――リシャールは一気に茶を飲み切ると、底の氷を頬張った。

 冷たさが冷静さを取り戻させていく。

 

「よし、俺はあいつと付き合う」

 リシャールは片付けに向かった。

 

+

 

「うげぇ……あいつら本当気持ち悪い。絡んで来ないでほしいんだけど」

 ヨァナは口をへの字にしながら振り返っていた。

「滅多なことは言わない方がよくてよ。出来る限り平等に。神都や聖ローブル州のサン・ティアモなんかでは見ないけれど、都市によっては浮浪者だって神殿を訪れるんですもの。それが同じ学院の級友相手にそんな事言ってちゃキリがありませんわ」

「私は聖騎士だし、神殿業務みたいなそういうのはしないからセーフ!」

「仕方のない子ねぇ……」

 レオネの苦笑にルイディナとファーも釣られた。

「それにしても、レオネの事じろじろ見てたわよ。さっきも首席にぶつかってペンとか集めさせてたし、あの二人って浮いてるわよね。」

「首席君にあんなことして謝りもしないでやばいやつだよぉ……」

「噂だとあの二人って試験じゃ毎回一番下を争ってるらしいよねぇ。よく呼び出されてミズ・ケラーに警告されてるって」

 

 そんな噂話をしながら次の聖歌の授業に外からの近道で向かっていると、レオネはふと足を止めた。

「――ミリガンさん」

 以前キュータとレオネが少し休んだ木陰に彼女はいた。

「ん?あ、首席連れ去り犯じゃない」

「本当だー」

「連れ去り犯?」

 ルイディナだけは首を傾げた。ヨァナとファーの中では彼女はお邪魔虫扱いだった。

 考査の後にキュータを引っ張って行ってしまった時「うちの首席をどこ連れてくんじゃい!!」「なにが二人で乗合馬車(バス)に乗った、よ。レオネなんか抱っこされてるわ」と怒ってくれていた。

 けれど、レオネは彼女に思うところはひとつもない。

 彼女があの日に言った「ただのキュータ・スズキでいさせてあげなさいよ」という言葉は本当に、もっともだったのだ。その為の学院生活だったろうに。

 レオネは何か、一郎太の存在も忘れられるような、この間のアガートとのおでかけのような事ができないかと考えるが、彼女のような柔軟な発想がないせいでいい考えは浮かばない。自分は世に言うつまらない女なのだろうと思う。

 こう言うのはきっと、イシューとオリビアが得意だ。だから、レオネは二人に休日少し話をしようと誘ってある。

 

「わたくし、少し話をしてから行きますわ」

「レオネ、キャットファイトなんてやめてよね?」

「ふふ、やっつけて見せますわよ。それはもう、ボッコボコにね」

「おぉ怖い怖い。模範生でお願いするわよ」

 三人は笑って聖堂へ向かって行った。

 

「――さて」

 

 レオネは俯くアガートの隣に座った。

 そわりと風が吹く。

「ミリガンさん、ご機嫌よう。と言っても、あまりいい気分ではなさそうですわね」

「あ……レオネちゃん」

「ここは校舎の陰ですし、通る人も少なくていいですわよね。涼しいし、風も通る」

「うん……本当だね……。ごめんね、場所取っちゃって」

「嫌だわ、皆の校舎なのに。それに、わたくしもこの間キュータさんを追いかけて来て初めて知りましたの。もしかしたらあの方、一郎太さんと二人でここに来たりしてるのかもしれませんわね」

「はは、うん。目立たないところ、たくさん見つけてそう」

「ですわね。ミリガンさん、あなたはキュータさんのことをよく見てらっしゃるわ。九年も一緒にいるわたくしと同じ感想ですもの。ね、あなたはあの方の望むことをして差し上げた。何をそんなに落ち込んでらっしゃるの?」

 

 アガートは照れくさそうにもじりと手元で草をもてあそんだ。

 

「……今までのことが全部恥ずかしくて。そんなにすごい人なら、最初から言ってくれてたら良かったのにって」

「知っていても、あなたはあの方の手を取って駆け出せていましたの?きっとわたくしにはできないわ」

「……私もそれはできなかったと思う……」

「あの方が望んでいるのはそう言うことなんじゃないかしら。あなたは遠ざけられるために隠されていたんじゃないわ。近くにいて欲しいから隠されていたんですもの」

 

 アガートからポツポツと涙が溢れると、レオネは苗字しか知らない女の子の手を握って笑った。

 

「あなたにはあなたにしかなれないわ」

「……っ、レオネちゃんもそう言ってくれるの」

「わたくしも?誰かにも言われましたの?では、きっとまたその言葉が欲しくなる時がくるわ。もし道に迷ったらまたここに来て。わたくしもきっとまたここを通るから」

「レオネちゃぁん、ごめんねぇ。ありがとぉ〜」

 

 レオネはこれでいい、と目を閉じた。

 あの人の三年間が素晴らしいものになるなら、レオネは全ての敵に塩を送れる。いや、敵ではないと思えると言った方が正しいかもしれない。全ての者が仲間だと思えるのだ。

 

 アガートがふわぁーんと声を上げて泣き出すと、通りかかる近道利用者はそそくさと通り過ぎて行った。




さぁやってきました!!男爵渾身のフィリッパーな奴!!
男爵はとっても嬉しいです!!!彼がビッグになっていく様が手に取るように伝わってきます!!

アガートちゃんはレオネ神官の呪文で復活した見たいですね!

次回明後日!
Re Lesson#19 自堕落と放埒の会


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Re Lesson#19 自堕落と放埒の会

 休日の昼過ぎ、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナーは苛立っていた。

 何日か前に実家に送った手紙に返事が来たのだ。

 

 手紙には家庭教師を付けたいことと、装飾品をいくつか送って欲しいこと、それから、小遣いを増やして欲しいことを書いて送ったのだ。

 首席は男のくせに腕輪だの耳飾りだのをしているのでリシャールもそうしたかったのに、装飾品は無くしたりしては大変だからなどと言う子供を相手にするような返事で却下された。

 

 家庭教師についても似たようなものだ。

 あまり成績も振るわないようだし家庭教師そのものはいいと思うとのことだが、首席に付いているような人ではなくて、もっと優しいところから一から丁寧に教えてくれるような人を探した方がいいんじゃないかと意見が返って来た。

 首席に付いているような家庭教師だからこそ結果が出るんじゃないか。一から教えるなんて言う生優しいことを言っていては出るはずの結果も出ない。

 わかりきったことを何度も堂々巡りで説明される時間なんて無駄に決まっている。

 

 小遣いは参考書を買うようにと少し上げてくれるようだが、今後レオネを誘ってデートに行くなら金が必要だ。

 今は小遣いは大体毎月使い切ってしまっている。

 買い食いをしたり、ちょっと劇場(キャバレー)にスカートを翻すようなダンスを見に行ったりするだけですぐなくなってしまうのだ。

 趣味は趣味として手元に残したいのに、これでは節約節約になる。

 

(くそ。無能どもが!)

 

 苛立ちという感情の炎を消すように、リシャールは手紙を破り捨てた。

 せっかくの休日だと言うのに気分は最悪だ。

 こんな日は劇場に行くに限る。それに、宝飾品の下見をしたい。参考書が高くて買えないと手紙を書き直してどっさり金を送ってもらうしかない。

 ある程度きちんとした服を着て、何部屋か隣の扉をノックした。

 

 中からは今日も冴えない顔をしたヴァレンが顔を出した。

「ん、おぉ。どうした。時間はまだ早いがいくか」

 すぐにどこへの誘いなのか理解する程度には頭がいいと言うか、卑しいやつというべきか。

「あぁ、準備しろ。今日は少し良い服で頼むぞ」

「了解」

 リシャールはヴァレンを待っている間、今月の小遣いの残りを頭の中で弾いた。

 劇場に女を見に行くと一気に金がなくなる。この街にはあまり安い劇場はない。

(……ち。今月はもう無理だな)

 依頼バイトをすると言う手もあるが、そんなものをして時間を奪われるくらいなら勉強をした方がいい。あれはバカか貧乏人のすることだ。

 

 ヴァレンが身支度を終えて出てくる。こいつは細身で背が高いので、顔は悪いが立ち姿は一瞬よく見えるのが不愉快だった。

「お待たせ。行こうぜ。一応俺が持っている中では良い服を着て来てみた」

「――あぁ。まぁまぁだな」

「何して時間を潰す?」

 劇場(キャバレー)は夕方から始まる。日中は流石にやっていない。

 リシャールは時間を無駄にしない男だ。

「服や装飾品を見に行こう。近々新しいものを買いたい。その前に下見だ」

「ほほーう。本気になってるわけだな。ローランに」

 そうとも言えるが、女相手に自分が変わろうとしていると思われるのが癪で首を振った。

 

「いいや。これはローランとは関係のない話だ。首席のやつはいつも何か着けているだろう。それに、一緒にいる何かのハーフの男もそうだ。あいつなんか見たか。暑くなって来たと思ったらほとんどシャツも閉めずにゴッテリした物凄いネックレスを着けて見せびらかしてやがる」

 近頃はシャツの下に着けている襟より大きいようなネックレスと入墨がチラチラと見えていて、あいつもリシャール的には気に食わなかった。しかもなんとなく柄も悪そうで怖い。

「なるほど。それが今流行りの男のスタイルってわけだな」

「そう言うことだ。あいつらは基本的には敵だが、まぁ一部女を誑かすという点では秀でているからな。俺達も多少は装飾品を持っていても良い年頃だし、見るだけでも見てみよう」

 

 二人は大変乗り気で街へ繰り出した。

 

 乗合馬車(バス)を横目にしながら二人は中心街の方へ向かった。

「しかし、どんな所にそう言う店があるのか俺にはさっぱりだな……」

 ヴァレンはキョロキョロとお上りさんのように辺りを見渡した。

「俺は実家が裕福だからある程度そう言う店の出入りはある。あまり表通りに近過ぎては値も張るから少し裏に入ろう」

 祖父にあちこち連れて行ってもらえていて良かった。

 何事も経験が物を言う。

 

 リシャールは若者向けのデザインの服が置かれている店を見つけると、慣れた様子で中へ入った。

 店員が「いらっしゃいませー」と声をかけてくると、ヴァレンが「ど、どうも〜」などと返事をする。

 恥ずかしいやつだった。

「おい、お前服は普段どんな所で買っていたんだ?」

「俺はいつもお決まりのところばかりだったな。田舎だったからそうたくさんの服屋はなかったし、リネンの軽い服ばかり買ってもらっていた。後は小学校も中学校も制服があったから大して服に興味もない」

 なんでこんな奴が自分と友達なのだろうと我ながら呆れる。

 

 リシャールは分け隔てないし、自分で「なんでも平均的」と謙遜している事もあって、皆からの心象は決して悪くないはずだ。その証拠に、ローランだってあんな風にリシャールに微笑みかけてくれる。

 リシャールのたった一つの欠点と言えば、思い浮かぶのは家柄の良さだ。良すぎる家柄についてはよく理解されているため、皆遠慮しているのを感じる。

 今はもう身分制度もないと言うのに、元貴族とはそれだけで力があるらしい。かつてはどれほどすごい存在だったのだろうか。

 そう言う意味ではヴァレンは馬鹿なせいで深いことを考えられないため、こうして気安い存在にもなれた。

 何事も一長一短だ。

 

「お、これなんかいいな」

 ヴァレンが白いつまらないシャツを選ぶと、リシャールは純朴で馬鹿な友人の手からシャツを奪って棚に戻させた。

「お前、今着てるやつとそっくりなのを選んでどうする」

「……確かに」

「どういう形が良いか選び慣れない時は、せめて違う色を選ぶんだ。これなんかどうだ」

 紺色のシャツを当ててやると、ヴァレンは嬉しそうに笑った。

「良いな!こう言うのは初めてだ!母さんが買ってくるのはほんっとにいつも同じのばっかりだしな!俺はこれを今日買って行こうと思う!」

「――七千ウールだけど、劇場に行く余力はあるのか?」

「ある!依頼バイトを結構やってるからな!」

 たまに尋ねてもいない日があると思っていたが、あんなものをやっていたのか。

 ヴァレンは他にも紺色のシャツに合わせて革のブレスレットを店員と選んでいた。

 

(俺も……!)

 

 皮のブレスレットの素材は馬らしく、超一級品の八足馬(スレイプニール)の革でできたブレスレットを模して作っているらしい。

 二人は唸った。

 首席やハーフ男を見ていると、ついキンキラが欲しくなるが、ああ言うものは値も張ることを考えると、まずはここから始めてみるのも悪くないかもしれない。

 だが、革のブレスレットはそれだけでも三万ウールもする。

 劇場と同じ値段だ。

 少し手が届かないと思っているとヴァレンはそれも買うことにしたようだった。

 リシャールが買う様子がないのを見ると、ヴァレンは「あぁ、下見って言ってたもんなぁ」と勝手に納得していた。

 そうだ。今はまだ下見なのだ。

 次の店でも良いものはあるかもしれないし。

 

 二人は一つ目の店を出て、また次の店へ入った。

 ここでもリシャールの欲しいものはゴロゴロあった。

 リシャールが目を引かれたのは組み紐のアンクレットだ。お揃いで彼女と付けても良いとか、好きな石を一つ選んで通す事で世界に一つの自分だけのアクセサリーになるとか、店員の語りは実に耳触りが良かった。

「――な。店はいくつか回るものだ。下見の重要性がわかったか?」

 早速先ほどの革のブレスレットをつけていたヴァレンは頷いた。

「いいものがあちこちにあるもんだなぁ。俺、これも買っていくよ」

「え?これも?」

 

 ヴァレンは黒いアンクレットと、それに通す石を一つ選んで店員と笑い合っていた。

 足首の見えるズボンと合わせるとより素敵だとか言われて、ズボンまで見繕い始めた。一店舗目で買った服を店員に見せて、合う物を選んだようだった。

 結局、ヴァレンは一日でトータルコーディネートを手に入れてしまった。

 しかも、店の試着室で全身新しい服に着替えさせてもらって浮かれきっている。

 

「いやー!良い買い物した!夏に地元に帰ったら皆びっくりするだろうなぁ!」

「……そうだな。お前、一体どんな依頼バイトをしてるんだ?割りがいいやつがあるなら、俺にも紹介して欲しいものだ」

「基本的にはゼロ位階の製紙の依頼バイトをしてるかな。たまに皿を温めるバイトにも行ってるけど、どっちも割りがいいって感じはしないかな。お前が羨ましいよ。元貴族の家系のおぼっちゃんだから依頼バイトで手に入る金なんか屁でもないと思うぜ」

「ま、まぁな。そうだとは思うが、俺も親がノーと言えば金が手に入らん」

「言うわけないだろ?裕福なんだから」

 リシャールは「それはそうだ」と答え、この話は終わりにすることにした。

 

 二人で店を後にして大通りに出ると、カフェテラスに見覚えのある髪が見えた。

「ローランか?」

「どこだぁ?」

 それは確かにローランだ。あの綺麗な柔らかそうな髪。テラス席で知らない女子二人と話をしていた。

「声をかけてみてもいいか?」

「あぁ、もちろん」

 二人はカフェへ向った。左右を見てからせっせと大通りを渡る。

 

「――それでね、どこかに行かれたらいいなと思ってますの」

「なるほど。それはいい考えだね!」

「私何着て行こうかなぁ?そもそもどこに行こっかぁ」

 

 女子はどこかへ遊びに行く算段でも立てているようだった。

 ローランは神殿にいる女のように白いシャツに長いフレアのスカートを履いていて、やはり清楚な感じがした。

 一緒にいる女子の一人はタンクトップに肩から落ちるようなシャツの着方をして男のようなのでゼロ点。胸はある。

 もう一人は肩の出るワンピース姿だ。こちらはとてもいいと思う。

 

「んん、よう。ローラン」

 思い切ってリシャールが声をかけると、ローランは一瞬訝しむような顔をした。

「――あぁ、エクスナーさん。ごきげんよう」

「地元の友達か?今日は天気もいいからな」

「えぇ。本当に。それではまた学院で」

 早々に会話を打ち切られ、リシャールは少しムッとした。

 すると、ヴァレンが横から口を出した。

「今日あっちで俺服買ったんだ。どう?どう?」

「え、えぇ。よくお似合いですわ。素敵ですわね」

「へへへへ。サンキュー」

 リシャールの中で怒りが明確に膨れ上がっていく。

 

「わたくし達、今少し大切な話をしておりますの。お二人はお買い物を楽しんでくださいませ」

「ありがとよ!んじゃなぁ!」

 ぴらぴらと手を振ってヴァレンが去っていくのに困り顔でローランは手を振り返した。

(こいつ、俺を無視しやがって――!俺が先に声をかけてやったのに!)

 だが、リシャールは紳士なので今はまだ叱らないでやる。その代わりに、ローランの手首を掴んだ。

 

「な、なんですの」

「ローランも来いよ!なんか買ってやろうか!」

「ちょっと、あたし達話をしてるって分かんないわけ」

 男のような女に睨まれるとリシャールは「く」と喉から声を上げた。

 ギュッと手を掴んでいると、突如――本当に突如、隣から手が伸びた。

 その手は信じられない力でリシャールの手首を掴み、リシャールはローランから引き剥がされた。

「い、いてててて!何だ!?」

「――それは僕のセリフだけど、君何やってるの?」

 男の声に飛び跳ねてそちらを見ると、休日まで絶対に見たくない男がいた。

 首席野郎だった。

 

「な、なんだよ!お前がこんな所で何やってんだよ!!」

「僕は友達に誘われて出かけて来た。君、向こうで友達が待ってるよ。早く行ったほうが良いんじゃないの」

 凄むように言われるとリシャールの中に何か抗い難い感覚が走った。

「お、覚えてろ!!」

 これは首席への敗北ではない。後ろから乗合馬車(バス)を飛び降りて駆けてくる凶暴そうなミノタウロスと、ガラの悪いハーフが嫌だっただけだ。

 ローランだって、行かないと言ったわけではなかったのだから。

 今も、戸惑いの瞳でこちらを見ているのに。連れて行ってやりたいのに。

 軽く振り返るとまだ首席がこちらを見ていて、リシャールはヴァレンを連れて急いで曲がった。

 

 

 駆けていく背中をじっと見ていたレオネは、自分の手首についた手の跡をごしりと拭いた。

 キュータが心配そうに顔を覗き込んだ。

「――レオネ、平気だった?」

「どうと言うことはありませんわ」

 そう言って手に視線を落としていると、何か無性に恐ろしくて、レオネは黙った。それ以上喋ると「怖かった」と言って自分が泣く気がして嫌だった。

「おい、大丈夫か?明日俺がぶん殴っといてやろうか」

 ワルワラもランチ仲間になっているレオネを覗き、一郎太も逃げて行った二人の背を睨むようにした。

「あいつら信仰科だろ。一人はこないだキュー様にぶつかったやつ」

「あぁ、見覚えがあると思ったらぶつかった子か。少し強く握りすぎたかな。腕吹き飛ばすかと思ったよ」

 キュータは一郎太から腕輪を受け取って着け直した。

「白昼堂々腕飛ばすのはやめて。それより、腕輪外していきなり乗合馬車(バス)から消えたから流石に少し焦りましたよ」

「はは、悪かったね。<次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)>の邪魔だったからつい」

 

「キュータ君……」

 オリビアの呟きに、キュータはハッとした。

「――あ、ごめん。ちょっと怒りすぎだったかな」

「ううん。レオネ、きっと怖かったもんね。キュータ君の怒りが正しいよ」

 手を握りしめていたレオネは首を振った。

「少し驚いただけですわ。皆さんすみませんでした」

「レオネが謝ることじゃないでしょ。あたしがぶっ飛ばしてやれば良かった」

「イシュー、言ってることワルワラとほぼ同じだな」

 一郎太の言葉にワルワラが笑うとイシューもおかしそうに笑った。

 

「うーん……レオネ、不安だろうからこれ置いて行くよ。――<第三位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)>」

 腕輪を一郎太に渡したキュータから無造作に放たれた魔法によって一気に光が満ちる。顕現した天使は恭しげに頭を下げた。

「お!俺、こいつと一回やってみたいんだよ。スズキ、お前やっぱりいつでも出せるんじゃねぇか!」

「俺もやってみようかな?」

「ワルワラ、一太。せっかく出したのに倒さないでよ」

 ワルワラが杖を抜いて喜ぶと、レオネは思いがけず笑った。通行人達が驚きの目で天使を何度も見ながら歩いて行く。

 

「ふふ、ふふふ。おかしいの。あなた方、何言ってらっしゃるの?ふふふ」

「……良かった。笑ってくれると安心する」

「こんなすごいもの出して、倒すのなんのって、笑わない方がおかしいですわ。ふふ。それで、皆さんはこれからどちらまで?」

「僕はワルワラに面白い所行こうって誘ってもらってね。ねぇ、ワルワラ」

「あぁ。現地集合でカインとチェーザレも待ってる。男の遊びだよ。放埒のな」

「男の遊び?ワルワラさん、キュータさんに変な事吹き込んだらただじゃおきませんわよ。――まぁ、たまにはそう言う日があってもよろしいですけど」

「ははは!スズキがハマったら一応謝ってやるよ」

 

 オリビアはそうだ、とここぞとばかりに声をあげた。

「ね、キュータ君。今度私達とも放埒な遊びしに行こ!」

「はは、オリビアが言うと何するのか想像つかないなぁ」

「じゃあ、あたしから誘おうか?放埒しに行こ!」

「うーん、なるほど。イシューが言うと何か多少想像がつくかもしれない」

「それはそれで失礼!」

 一通り笑うと、キュータ達はまた近いバス停で乗合馬車(バス)を待って去っていった。

 

 ふよふよと取り残された天使がレオネの後ろに飛んでいる。ものすごいアクセサリーだった。たまに通りかかる人がレオネを天使を出した上位神官だと勘違いして祈っている。

「……困ったものを渡されましたわね。それにしても、ほんとに何をさせるつもりなのやら」

 レオネがため息を吐くと、ふとオリビアとイシューの視線に瞬いた。

「な、なんですの?」

「なんか、キュータ君とレオネ、少し変わった?」

「ね。大事にされてる感じしたよ」

「嫌ですわ。同じことがあったら二人もこれを押し付けられるに決まってるのに。あぁ、でも――イシューは違うかもしれませんわね」

「えっ、なんでよ!」

「あなた、自分でぶちのめすんでしょ?」

「……確かにそだね?」

 三人はおかしそうに笑った。

 

+

 

 リシャールは劇場(キャバレー)で音楽に合わせて女がスカートをバサバサ言わせる様をぼーっと見ていた。

 机の上にはオレンジジュースが二つ。

 ヴァレンは鼻息を荒くして女たちを見ていた。

 いつもはもっと面白いというのに、手のひらに残るローランの体温がどうも忘れられない。

 最初は少しヒヤリとしていると思った肌は、握っているうちにどんどん温度を伝えて来た。

 

(……あいつは愚か者じゃない。今度誘い直してやろう)

 

 きっとローランもそれを望んでいるだろう。

 鬱陶しい首席が現れてあの戸惑いの表情だ。

 本当にあいつは邪魔ばかりだった。

 

 劇場に来る途中、ヴァレンにしこたま愚痴を言った。

 誘ってたらいきなり現れて手を捻りあげられたと。

 だが、「触り方が少し悪かったんじゃないの」とか言われたのが許せない。

 何もわかっていない癖に。

 

 リシャールはショーの途中だが尿意と怒りを発散するために一度離席した。

 廊下を行き、トイレで色々な思いを流す。

「っち……馬鹿どもが。大体、金をよこさないのが悪いんだ。クズが」

 金が貰えていたら、リシャールだって買い物ができていたし、そうすればローランだってもっとリシャールに話を振ることができたはずだ。

 そう思うと、全ての元凶は金のような気がした。

「金なんだよ……。くそ。金が必要なんだ……」

 廊下を戻っていると、ふと肩を叩かれた。

 振り返ると、そこには大きなミノタウロスがいた。

 煌びやかに飾り付けられた赤い壁の廊下に、黒いシミのように立っていた。

 

「お前、金が欲しいのか」

 

 リシャールはゴクリと唾を飲んだ。

「そ、そうだ。それが何だ」

「ククク――そうかぁ。なぁ、うちで働かないかぁ?割りのいい依頼があるんだよなぁ〜」

「……なに?本当か?俺は元貴族の家系の子供だから、金銭にはうるさいぞ」

「ククク、きっと気にいると思うぜぇ。何せ、荷物ひと運び五万ウールだ」

「ほ、本当か!!」

 思わず身を乗り出したが、リシャールの頭の中で「いや、待て」と信号が点滅した。

 初めて会った人間にそんないい条件で仕事を頼むだろうか。それとも、ひと運びとは例えば神都からアーグランド州までとか、そう言うことなのだろうか。

 リシャールは疑いの目をミノタウロスへ向けた。

 

「……俺は短杖(ワンド)を下げているが、<浮遊板(フローティングボード)>を使えないぞ。<飛行(フライ)>もだ」

「ククク、そう警戒するな。行き先は神都の二つ隣の街で、乗合馬車(バス)をいくつか乗り換えれば着くだろう。運んで欲しい物は後日またここで渡すことになるが、大きさは――このくらいだろうな」

 

 ミノタウロスは弁当箱くらいの大きさを手元で作った。

「……そんな運搬が何で高額なんだ。やはり怪しいな」

 睨み付けるとミノタウロスは急に大きな声で笑った。

「ッグヮッハッハッハ!!お前はやはり、頭がいいんだなぁ〜?見込んだ通りだなぁ」

「そう、それはそうだ。俺はあの魔導学院に通う身だ。当たり前だろう」

「あぁ〜だからかぁ。立ち姿、出で立ちだけで感じたんだよなぁ。お前のその賢さを。いやぁ〜いいなぁ〜。ククク」

 リシャールは鼻の下をかくと胸を張った。

 見る者にはやはり分かるのだ。その言葉には、へりくだり、媚を売るような空気があり、リシャールは心が震えた。

 

「俺は賢そうな人間とのコネクションを作っておきたいのさぁ。いつかこの街で外科医院を開くことが夢だからなぁ。ククク。お前みたいな賢くて出自もいいような協力者がいてくれたら、この街での商売もうまくいきそうだろぉ〜?」

「……つまり、俺に先行投資しようって言うのか」

「ククク――!その通り!その通りだとも!!俺たちミノタウロスは五年以上の賢者食を証明できなければ数日の観光か冒険でしか神聖魔導国に入ることはできない。例え賢者食証明書を持っていたとしても、一ヶ月の隔離生活で本当に賢者食ができるか確かめさせられる!一ヶ月も隔離されてみろぉ。商売上がったりだろぉ〜?隔離されている間にクライアントとの繋がりが消えちまう。俺もそうやって全て失わされた一人なんだよぉ〜。人助け、コネクション作りだと思って――お前、バイトしてみないかぁ。欲しいものもあるんだろぅ〜?」

「ふ、良いだろう。お前は国を変えて商売を始めるのに失敗したようだが、人を見る目だけはある」

「ククク、ありがとうよぉ、ぼっちゃん。あぁ、俺にもやっといい相棒ができそうだ。仲間になってくれる者はぼっちゃんみたいでなくちゃなぁ〜?上に立って他者を導くような、なぁ〜?」

 

 ミノタウロスはとても大きな体をしていて、太い指で胸をトントン叩かれるとそれだけでリシャールは転んでしまいそうだった。

 だが、上に立つ者として踏ん張る。今度こそ転ばされるわけにはいかない。

「その通りだな。お前が望むならお前のこともきっと導いてやろう。何せ、俺は魔導学院の信仰科だからな。弱いやつの味方だ」

「あぁ!嬉しい嬉しい。あの名門の信仰科かぁ!!一応聞いておくけどよぉ、その優しいぼっちゃんは何が欲しいんだぁ〜?手に入る有り余る金で、何を望む!」

「宝飾品だ。女をデートに誘うために必要だから送るように言ったが、実家が送ってくれなかった。ある程度良いものを手に入れたい」

「はは〜ん。なるほどなぁ。それじゃあ、たくさん運んでくれるよなぁ!それでもって、お前に似合う装飾品をごまんと手に入れるんだ!!周りの女達も必ずお前に振り返る!!そして、俺はそんな優秀な男とのコネクションが持てるわけだぁ」

 

 どこかサディスティックな喜びがリシャールの中に浮かぶ。

 ローランも、ローランと一緒にいた愛らしい女も、あの男みたいな女も、ファーも、ヨァナも、皆生まれ変わる自分を見てどんな顔をするだろう。

 そう思えば、一刻も早く依頼バイトをしたかった。

 

「それで、後日荷物を渡すと言うのはいつにするんだ。俺は今日からだって構わない!」

「ククク――。ぼっちゃん、今日は流石に無理だ。だが良いならば、まずは明日かねぇ〜?明日早速、運んでもらおうか」

「任せろ。俺はきっとあっという間に運んでみせるからな」

「素晴らしいなぁ〜。あぁ、おぼっちゃん。お前名前は」

「リシャールだ。リシャール・フラッツ・リイル・エクスナー」

 リシャールが胸を張ると、ミノタウロスは「じゃあ、明日同じ時間にこの廊下で。リシャールのぼっちゃん」と言って劇場へ去っていった。

 

「……やはり、分かる者には分かるんだな。ふふふ。やり切ってみせるぞ。初めての依頼バイトだ」

 

 リシャールの中にあった苛立ちはもはや完全に消えていた。

 鼻歌を歌いたい気持ちになったが、ふと気付いたことがある。

「――あいつ、名前を聞かなかったな」

 まぁ明日聞けばいいか。

 リシャールも劇場へ戻った。

 

+

 

「おら!気合い入れろ!!そんな程度で足腰立たなくなってるんじゃねぇぞ!!」

 肉同士がぶつかり合う音の中、ワルワラが叫ぶ。

 

 放埒の会の面々は隣町のさらに隣まで山妖巨人(マウンテン・トロール)達の観戦に来ていた。彼らは傷の自己再生を持っているので、こうして闘技場で働いていることも多い。とくに山に適応して一層大柄な体躯と力を持つ山妖巨人(マウンテン・トロール)の戦いは迫力があり人気がある。

「わわわ」

「カイン様、大丈夫ですよ。何も飛んできたりしませんてぇ」

 カインはチェーザレの影に隠れながら観戦していた。

「どうだ!スズキ!お前、戦いを見るのは好きだろう!!男の遊びはこうでなくちゃな!!」

 ワルワラが言うと、ナインズは嬉しそうに笑った。

「あぁ、面白いね。アザもすぐに治ってあんまり痛くなさそうだしさ」

「痛くなさそうってなぁ。ま、いいか。――あ!あ!!お前の賭けた方!見ろ!見ろ!!」

「ははは、はいはい」

 急所を木刀で突かれた山妖巨人(マウンテン・トロール)は「ッグオォオ!!」と叫び声をあげて倒れた。

 ズズン……と会場が揺れる。皆ごくりと息を呑んだ。

 そして、すぐにひょこりと起き上がり、敵山妖巨人(マウンテン・トロール)と握手を交わした。

 会場から万雷の喝采が降り注ぎ、ライバル同士だった二人は互いの健闘を称え合っているようだった。

 花やぬいぐるみが投げ込まれ、トロール達は手を振ってそれを拾い去っていった。

 司会が今日の優勝者の紹介と、後半のプログラムの紹介、協賛金の支出者の紹介を始める。

 

「よっし!!俺達の勝ちだ!!」

「やったー!カイン様に勝ちました!」

 

 ワルワラとチェーザレはパッと手を出した。

「くそー、ワルワラ、チェーザレ。覚えてることだね」

 カインが財布から千ウールづつ取り出して二人に渡す。それに続いてナインズも一郎太の分と合わせて二千ウールづつ渡した。

「あ、あぁ……キュー様の小遣いがぁ……」

「ははは。一太の分も僕が持ってんだから、僕だけの小遣いじゃないよ」

 ナインズははい、と二人に金を渡すと「なるほど、これが放埒ってやつか」と頷いた。

「面白かっただろ!」

「中々ね。初めての体験だったよ。賭けなんかもね」

「賭けは何も金じゃなくてもいんだがな。次は昼飯の席取りにするか!」

「ふふ、賛成」

 五人は他の観客達と共に席を立った。

 

 ふと、闘技場の中から鞭を打つ音が響いた。

「――なんだ?」

 ナインズは振り返り、人並みに「おっと、危ないぞ嬢ちゃん」と言われた。

「あ?あぁ。夜の部だろ。夜は魔獣を使うんだよ。多分年齢的にまだ見られないぜ。それに、俺はこれ嫌いなんだよ」

「魔獣?トロールみたいに戦う意思があるの?」

 人並みを掻き分け、ワルワラと二人で席の一番下まで来る。

 

 闘技場の底には丸まる大きな亀がいた。甲羅は鉄のような輝きを放っていて、暴力的な突起がいくつも出ている。

「あれは?」

「さぁ、俺には分からないな。――カイン、あれなんだ?」

 追って降りてきたカインも覗き込む。

「んーと……柄的にアゼルリシア・アイアン・タートルだと思うよ。向こうから連れてこられたんだね」

 そして、四つ檻がガラガラと押されてくる。檻の中ではサーベルウルフが唸り声を上げていた。

「……あっちの亀、可哀想だ。やりたがってるわけでもないのに」

「キュータ様、一応あれは街道に出てきてしまったり増えすぎたりしてしまった魔獣なんですよ。人を襲おうとして街道に点在する死の騎士(デスナイト)に捕獲されたとか、あまりに繁殖の勢いがつきすぎて他の生態系に悪影響を及ぼしそうだと判断されたとか。だから、まぁ、一応最初から処分が決まってた生き物です」

「処分が決まっていた生き物……」

 ナザリックの中でも魔獣達はたくさん暮らしているが、増えすぎたから殺すとか、湖畔に出てきたから鞭を打つとか、そう言うことは見たことがない。いや、たまにアウラが鞭を持って駆け回っているが。

 

「……僕は全ての生と死に尊厳があって然るべきだと思う。見せ物にするなんて気に入らないな……」

 ナインズは鞭を打たれて甲羅に引っ込む亀を眺めると目を逸らした。

「俺もお前の言うことに賛成だよ。砂漠にゃとんでもない魔獣や魔物がゴロゴロいるけど、あいつらだって死んだら立派に土に帰る。ここの奴らは戦いの後……死ぬとは限らないがこの後どうするんだろうな」

 ワルワラも可哀想なものを見る目をしていた。

「……僕、聞いてくるよ」

「っえ?聞いてくるって――おい!」

 ナインズがひょいと闘技場の中に降りていってしまうと四人は慌てて覗き込んだ。この高さだと言うのになんと言う男だろう。

 

「キュー様!聞いたってどうせ気持ちいいもんじゃないですよ!!」

 一郎太の声を背に聞きながら、分かっているが聞かずにはいられなくて、ナインズは鞭を打つ男へ駆けた。

 

「――怯えてばかりじゃダメだろう!!ほら、頑張ってくれ!!」

「すみません!!」

「――うん?」

 男は明らかに変質者を見る目をしていた。

「この子……この後どうなっちゃうんですか」

「……ここは関係者以外立ち入り禁止だぞ?どこから入ってきたんだ。危ないだろう」

「すみません。その子があんまり可哀想で……」

 

 それを聞くと、男は鞭をおろした。

 

「あぁ……初めて見にきた口か。仕方ないなぁ。たまにいるんだよ。陛下方は言葉を喋る生き物は国民と言って、そうでない生き物は食べたり使役したりする存在だと定義してるじゃないか」

「だとしても、弱い物を守れとも言っているのに……」

 

「……見ろ、向こうのサーベルウルフ達は旅人を食った。兄弟らしくて、仲良く四匹でな。一度人の味を覚えた魔獣は二度と帰らせてはやれない。それに、こっちのアイアン・タートルは大きいだろ。こいつらは大きくなると池沼付近にインヴィジブルハウンドっていう不可視のモンスターを増やすんだ。奴らは見えないから、退治するには水場に引き寄せるのが効果的だが、これがまた厄介だ。マッピングに出た冒険者達が結構やられてる。蛙人(トードマン)蜥蜴人(リザードマン)の村にも影響が出る」

 

「なんでインヴィジブルハウンドが……?」

 

「この甲羅が一定より大きくなった時に、風に吹かれて鳴っちまう音が奴らの繁殖の時の遠吠えに似てるらしくて寄せ集めるのさ。どうしてもここまで大きくなると悪影響なんだ。大体はハウンドに食われるが、うまく逃げ延びちまうとこうなる。きっとこいつなんかは二百歳近いだろう。まぁ、相当いい素材も取れるはずだ」

「……エゴだって分かってる。だけど、せめてその場で命を絶ってやればいいのに……」

 ナインズはもぞもぞと顔を出した亀を悲しそうに見下ろした。

 亀は鞭の男によく調教されているらしく、ナインズを襲おうと言う雰囲気はなかった。

 鞭の男もそんな亀の頭を撫でてやった。

 

「……馬鹿言うなよ。こいつらだってなんだかんだと命を繋ぐ権利はある。一年は捕獲しておいて様子を見て、もし子供を産んだら、それをしばらく保護して森に返してやるんだ。すぐに殺すことが全てじゃない」

「……そうなんですか?」

「当たり前だろ。可哀想じゃないか。最後はこんな風に……一年間共に過ごした仲間だと思った俺のために戦って、傷つけられて倒れることになるんだから。いるなら子供くらい産ませてやりたい。まぁ、俺はこいつをあの野蛮なサーベルウルフ達に負けさせないけどな。そこは腕の見せ所だ」

 

「……おじさん、ありがとう。生態系を守ってくれてるんだね」

「ははは。教えなんだから、当たり前だろ。お前変なやつだな。なんだ、よく見たら学生か?」

「うん。おじさんが鞭を打ってるのを見てたまらなくなった」

「お前の感覚は間違っちゃいないよ。だけど、こいつらが次の命を残すまでの間に保護しておいてやるためには金がいる。強い冒険者達や、野獣使い(ビーストテイマー)、神官達が事故が起こらないように見守るんだ。たくさんの人がこいつらの最後の命を繋ぐ時間のために関わる。生まれてくる子供のためにストレスもなるべく少なくな。そんな場所を守るための収益はどうしたって必要だ。闘技場はただドンパチするだけの場所じゃない。見えてることが全てじゃないってことだ。――だけど、この後の時間は十八歳以下は観戦禁止だ。もう帰りな。向こうの扉から関係者席に上がって戻れる」

「大丈夫、来たところから戻るから」

「そうか?気を付けて帰れよ」

 

 ナインズは野獣使い(ビーストテイマー)であろうおじさんに手を振って元の場所へ戻った。

 一郎太が上から手を伸ばし、そこに腕輪を放った。

「<飛行(フライ)>」

 観覧席に戻ると、皆心配そうな顔をしていた。

「キュー様どうだった?」

「余計なこと聞いても可哀想になるだけだろうが。あんまりあちこち首突っ込んでると、お前繊細なんだからぶっ壊れるぞ」

 腕輪を返されたナインズは、どことなく自分を恥じるように笑った。

 

「うん。話してみて良かった!」

 

 皆は目を見合わせ瞬いた。

 

 帰り道、闘技場を出るための廊下には「この収益の一部は魔獣の保護活動、街道の安全保護に当てられています」と張り出されていて、寄付箱もあった。

 ワルワラとチェーザレは、そこに賭けで勝った金と、最初に賭けた自分の金を入れたらしい。




リシャールくんは怪しいおじさんのお誘いに乗っちゃうんだねぇ!

ナイ君良かった。「連れて帰る!!!!」とか言い出すかとちょっとヒヤヒヤしましたよ。
尊厳がある死だと思えば受け入れられるナザリック精神。
ヒヤヒヤといえばワルワラが連れて行く場所もキャバレーか風俗かと思った(違った

次回明後日でっせえ〜!
Re Lesson#20 バイト料と迷惑料
リシャール君いっぱいお金もらえるといいね〜〜〜!!


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Re Lesson#20 バイト料と迷惑料

 リシャールは今日も劇場(キャバレー)に来ていた。

 昨日は気が付かなかったが、あの約束の廊下に行くためには入場料を払わなければならない。

 五万ウールの報酬と聞いていたが、三万ウールは入場料に取られるので実質二万ウールじゃないか。それでも高い報酬だが、気に入らない。

 あのミノタウロスはもしかしたら頭が悪くて、本国で立ち行かなくなってこちらへ移ってきたのかもしれない。

 今日はちゃんと一つ一つ教えてやる必要がある。

 本当はもう今月は劇場に来るお金はなかったので、仕方なくヴァレンに頭を下げて二万ウール借りてきたのだ。

 奴は卑しい奴だから、今日返すと言っているのにあまりに渋るので、「今日返せなかったら利子を払う」と言ってようやく貸してもらえた。まるで最初から今日絶対返せないと思っているような雰囲気だった上に、このやりとりは教室で行われたのだ。

 ローランも見ているところで恥をかかされた。

 リシャールの不快感はてっぺんまで来ていた。

 

 劇場の中から音楽が響いてくると、金を払っているのにあれを見られないことも不愉快でたまらなくなった。

 苛々して廊下を行ったり来たりしていると、今日も赤い煌びやかな廊下にミノタウロスは現れた。

「おぉ、ちゃんと来てるなぁ。ククク」

「当たり前だ。それより、ここの廊下じゃ会うのに毎回三万ウールもかかる。五万ウールじゃ足りないだろうが!」

「……そうかそうかぁ〜。でも、ここなら女も見られるだろ〜?出発はこのショーが終わってからだ。ちゃんと運べたら、明日もここで頼むよ」

「いいや、明日は別の場所だ。今日は友人に二万ウールも借りて来たんだぞ!プラスどころかマイナスだ!!」

 

 ミノタウロスはズンズンリシャールに近付いてくると、リシャールを冷たい瞳で見下ろした。思いがけずゾクリと背が震え、杖の場所を探してしまった。

「お前さぁ〜?本当にいいところのぼっちゃんなのかぁ?単なる無能に払う金はねぇんだぞぉ。大体よぉ〜、こりゃ錬金粉なんだよぉ。高価なもんは馬鹿には任せらんねぇんだぞぉ〜?」

 たった二万ウールすら工面できない小僧だと思われてしまっただろうか。

 リシャールは素直に謝ることにした。相手はなんと言っても、リシャールの有能さに投資をすると言っているのに、これでは無能であると言っているようなものだ。手元に二万しか残らないとしても、相手が五万を払うことには変わり無い。

 

「わ、悪かった……。まだ一度も仕事を成功していないのに、少し急ぎすぎたらしい……」

「そうだぜぇ。これは信用商売なんだからなぁ。今日成功させて、また明日も成功させて、そしたら、どんどん金は増える。お前は毎日劇場にも来られる。ちんけな事はすぐに気にならなくなるさ。おぼっちゃん」

 リシャールは数度頷き、ごくりと喉を鳴らした。

 今日ここにくるのに自腹で一万使っている。二万は返さなくてはいけない金だ。五万のうち残りは二万。そしたら、明日またここにくるのに一万借りる必要がある。

 だが、明日さえ乗り切り明後日も運ぶことができればもうそこからは雪だるま式にプラスになっていく。

 一度の荷物の運搬で謂わば二万ウールも貰える仕事など滅多にない。少なくとも生活課に貼られているような物にはないだろう。ショーだって見て行かれる。

 リシャールの心が決まる頃、男は本当に両手の平に乗る程度の小包を取り出した。

 

「これが荷物だ。こいつを持っていけ。行き方はこのカードに書かれている。何、乗合馬車(バス)を四本乗り継ぐだけさぁ。ただし、二つ目の乗り換えの前にある隣町のヘレフォード外科医院には気を付けろ。あそこはとんでもない医者がいる。俺が医院を開くのを邪魔するクソッタレがなぁ〜」

「わ、わかった」

「ようし。ショーを見終わったら向こうで俺の仲間にそれを渡して、金を受け取れ。後はまっすぐ帰って良いぜぇ〜。上手くできそうだと思ったら、明日またここに来い」

 リシャールは小包を包む風呂敷を大切に抱え、カードに目を落とした。

「……これが行き方だな。相手の名前は――」

「読み上げるな!馬鹿タレがぁ」

 

 突然の声の大きさに思わず肩が跳ねると、ミノタウロスはにっこりと笑った。

「それは、俺たちがビッグになる時に利用するやつの名前だ。他のやつに聞かれたら、他のやつに利用されるだろぉ〜?」

「な、なるほど。そう言うことか」

「飲み込みが早いなぁ〜。お前はやっぱり、俺の見込んだ通りの男だ。さぁ〜楽しんでから行こうぜぇ。人間の女はいいよなぁ。ククク」

 

 ミノタウロスが劇場に消えて行くと、リシャールも自分の席に戻った。

 ここからリシャールの成功譚が始まるのかと思うと鼓動が止められない。大音量で奏でられる音楽が高揚感を一気に底上げさせた。

 

 ショーも終わると、リシャールはカードを頼りに乗合馬車(バス)に乗って夜の神都を行った。

 

 揺られ、揺られ、一つ目を乗り換える。

 揺られ、揺られ、二つ目を降りる。

 

(確か、ここのそばにヘレフォード外科医院とか言うのがあるんだったか……)

 リシャールは次の乗合馬車(バス)がまだ来ていないことを確認すると、念の為あいつの敵拠点を見ておこうと思った。

 その建物はすぐに見つかった。バス停からほど近くの建物に、その看板はあった。

 扉を開けて人が出てくると、一瞬白く清潔に保たれた内部が見えた。

(……ん?あれはルイディナ・エップレか?)

 一緒に白衣を着たミノタウロスが出て来て、二人は何やら笑い合っているようだ。

 バスを待つふりをして耳をそばだてた。

 

「エップレさん、本当にもう耳はよろしいんですかぁ?皆さんに外科手術の良さを広めて頂こうと思っていたのですが……いやぁ、残念です……。はい……。かなり気を遣って丁寧に縫ったんですがねぇ……。収音率にも問題が出ないギリギリを計算したんですが……」

「へへ、すみません。院長、サービスしてもらった半額はお返しします」

「あぁ、いえいえ、あなたの望む姿がかわったのなら、私から言う事はありませんし、気にしなくていいですよ。私はただ、皆さんを望む姿にして差し上げる事が幸せです。でも、顔と指の脱毛は継続されるなら医院でやったほうがいいですね〜。また傷が付くと可哀想で見ていられませんから。ふふふふ」

「あぁー!恥ずかしいー!上手にできてたと思ってたんですけどぉ……」

 

「ふふふふ……ご自分でやった割には上手でしたよぉ。しかし、医師から見れば"おや?"と思うこともあります。あまりああ言う姿を外で見せてはいけません。ここなどは普通の外科医院ですが、近頃はスレイン州とは言え闇医者も出ているようです。彼らの料金設定は我々と変わりませんが、許可を得ている医師とは違って痛み止めの種類や手技に問題がある。そう言うところには決まってゴロツキが出入りしていますからねぇ」

「痛み止めの種類、ですか?」

 

「えぇ――コカですよ。神聖魔導国ではそもそも持ち込みすら禁止された薬物です。我々の本国でも手術でしか使われないコカを術後の痛み止めとして多めに処方するのです。手術で多幸感を得られたと勘違いさせ、何度でも不要に体を刻み、神殿などとの繋がりを長期に亘って断たせて依存させます。そして、コカの処方を患者が望むように仕向けるのです。コカはとても高価なやり取りがされていますし、彼らは恐ろしい犯罪集団です。なので、外科が必要なときはぜひこのヘレフォードへ。ふふふふ」

 

「もー!そんなこと言って、また院長ったら商売上手なんですからー!」

「ふふふふふ……。では、美の魔法を欲しても、大金を欲しても、決して怪しい者には近寄らないように」

「はーい!じゃ、また来週部分脱毛とネイルに来まーす!」

「その時には新しいピアスの穴の安定性も一応確認させてください。もう暗いのでお気をつけて〜」

 

 リシャールの背をたらりと汗が垂れた。

(は、犯罪集団……?こ、この荷物は……ま、まさか……)

 

 小包にちらりと視線を落とす。

 

 ルイディナが元気にリシャールとは違う方向の乗合馬車(バス)へ向かって走って行く。

 

(……まさかな。だって、ここの院長はあいつの開業を邪魔するって――あれ、あいつの名前ってなんだっけ)

 また名前を聞き忘れていた。

 明日こそ名前を聞かなくては。

 いや、明日も本当に行くべきなんだろうか。

 

「――もし」

 リシャールが悩んでいると、突然肩に手が置かれた。

「っひぇ!!」

「おやおや、これは驚かせてしまいすみませんねぇ。あなた、もしかして悩んではいませんか?」

 ゆらりと現れたのはヘレフォード院長だった。

「な、悩んでなんかいない!!うるさい!!」

 その手を振り払い、リシャールは来ていた乗合馬車(バス)に駆け込んだ。

 乗合馬車(バス)が出発する。

 ほっと息を吐いていると、窓の外ではジッとヘレフォードがリシャールを見ていた。

 夜の神都で、ミノタウロスの両目は光り、いつまで経ってもリシャールから視線を外す事はなかった。

 

 ようやく乗合馬車(バス)が曲がると、ヘレフォードの瞳は見えなくなった。

「……ふぅ」

 冷静に考えれば、商売上手の院長のようだし、ああやって若い子を脅かして自分の所にだけ通わせるように仕向けているんだろう。

 だから、それがリシャールの子分の開業の邪魔に繋がる。そして、リシャールのように手伝う者を排除しようとするのかもしれない。

 そうでなければ、リシャールのことを認めてくれたあいつが犯罪者で、リシャールはただ利用されている駒ということになってしまう。そんなわけはない。

 あいつは確かにリシャールのオーラを感じ取って話しかけて来たのだから。

(全く、ミノタウロス同士だって言うのにとんでもないやつだな)

 

 また乗合馬車(バス)を降りて乗り継いだ。

 最後の乗り換えを済ませて乗合馬車(バス)を降りた所でリシャールはカードを確認した。

(……相手の名前はデフロット、か。こいつはどうも使い捨ての駒のようだからな)

 

 小さな地図に書いてある通りに道を進み、指定の場所に着く。

 そこには、永続光(コンティニュアルライト)の下にぽつんとベンチがある以外は何の変哲もない道だった。

「――リシャールのおぼっちゃんかい?」

 声をかけられると、リシャールは胸を張って頷いた。

「そうだ。お前がデフロットだな」

「えぇ、えぇ。そうですとも。いやぁ、賢いぼっちゃんだとは聞いていましたが、いやー察しもいい。ミノタウロスじゃないから気付いてもらえないかと思いましたよ」

 デフロットは街灯の下に姿を見せた。それは人間だった。

 痩せていて卑屈そうで、無能そうで、あいつが少し可哀想になる。ただ、服装だけは一丁前に良いようだった。

「ほら、頼まれたものだ」

「あぁー!ありがとうございます!良かった〜!この錬金粉を持って行かなきゃいけなかったんですよぉ!」

 デフロットは風呂敷を開けると、中の小包を隅々まで確認した。

「薬師の工房に持っていくのか?」

「えぇ、これが明日には人を救うんですねぇ。なぁんてやり甲斐のある仕事なんでしょう」

「なるほど。俺の地元はエ・ナイウルだから、錬金粉や薬師の重要性はよく分かっている。なんと言っても、国一番の治癒の追加寄付額を誇る都市だからな」

「はは〜さようでございましたか!それなら、興味本位で開けたり盗んだりはされませんねぇ。ふふふ、何よりです。私は朝から晩まで働き詰めで、卸しの仕事はこうして夜にやるしかないんです。今後も助けていただけると嬉しいですねえ」

「あぁ。明日もまた来てやろう。期待しておくといい」

「ひひひっ。よろしくお願いします。それでは、また明日。どーうぞ、足元お気をつけくださいませね〜!」

 

 闇夜にデフロットが溶ける。

 リシャールは依頼を達成できたことに満足し、バス停に引き返した。

 

 そして、ふと一つのことに気がついた。

「――か、金を受け取ってない」

 慌てて先ほどの街灯ベンチに戻ったが、デフロットはもうどこにもいなかった。

「む、無能が!!使い捨てのコマ野郎!!あいつ、どこまでも馬鹿なのか!!」

 非常に腹立たしい。これでは明日ヴァレンに金を返せない上に、さらに三万円を借りなければ劇場のあの廊下でミノタウロスに会うことすらできない。

 ぎりぎり残っている小銭でなんとか帰りの乗合馬車(バス)を乗り継いでリシャールは寮に帰った。

 

 頭の中は明日ヴァレンに金を貸して欲しいと頼まなければいけないことでいっぱいだった。

 その夜はヴァレンの部屋に行ったが、奴は依頼バイトに駆けずり回っているのかいなかった。できれば寮内で金銭のやり取りをしたかったのに。

 

 そして翌日。

 ローランが校門にいるのを見つけた。

 隣には荷物の多い男子。あいつとはどう言う関係なのだろうか。毎朝あいつといる気がする。確認しなくてはなるまい。

「――ローラン、よう。おはよう」

「あ――ど、どうも。エクスナーさん。おはようございます」

「今日は暑いな。そっちは?」

 ローランが答えるより早く、男子が口を開いた。

「僕は薬学科だよ。幼馴染なの。それが何?」

「そうか。別に特に用はないさ。ローラン、一緒に教室に行くか?」

「いえ。わたくし、まだここにいますので。暑いですし、お気になさらず行ってくださいませ。悪いですわ」

 なんてできた女だろう。やはり、こうやって気を遣える女がいい。だが、行く!と飛び付いてくる可愛げも少しは必要に思う。

 

 夏服のローランはローブは畳んで鞄と持っていて、真っ白いブラウスが眩しい。

 首には細く長いネックレスをしていて――トップは服の中にしまわれていて見えない。

 少し首を伸ばして胸元を覗き込もうとしてみる。どんなものを着けているんだろう。

 石がついているのだろうか。似ている物を手に入れたらお揃いのように見えるだろうか。

 肩をすくめて小さくなり、どことなく潤んだ瞳で見上げてくる様子が妙に愛らしい。普段強気な女のこう言う顔はそそるものだ。

 思わずこの双丘を丁寧に揉みしだく想像がよぎる。

「――用はないんだよね」

 隣の薬学科に言われるとリシャールは「ふん」と鼻を鳴らして校舎へ向かった。

 

 今はこれで良い。ヴァレンに教室で金を借りられないか確認する必要があるし、もう少しローランには校門にいてもらったほうが都合がいい。

 ヴァレンは色気付いていて、一昨日買ったアンクレットもブレスレットもしていた。

「よう、おはよう。返してくれるんだよな」

 金の力は強い。ヴァレンの話しかけ方は、いきなり立場が逆転したようにすら錯覚させられた。

 

「おはよう。なぁ、悪いんだけど、色付けて返すから今日また三万貸してくれないか」

「……なんでだよ。色付けては当たり前だろ。今日返せなかったら利子払うって言われてたんだし。それから、追加で三万は無理。あとは親に頼れよ」

「そ、そこをなんとか」

「無理。俺も金がなきゃ困る」

「わ、分かった!今夜中に絶対に返す!合わせて六万にして返す!!これは投資だ!!それも、人を救うような!!」

 ヴァレンは足元から頭の先までじろりと見ると、ため息を吐いて財布を取り出した。

「その言葉忘れるなよ」

「あ、あぁ!!」

 三万を受け取ってすぐに自分の財布に入れる。

 周りからの視線を感じると「は、はは。どうしても乗り遅れられない投資があってね」と周りに言った。

 教室の入り口の隅の方にローランが来ていたことに気がつくと、リシャールの中にはまた怒りがもやりと動いた。

 ヴァレンと、昨日の無能のデフロットのせいで恥をかいた。しかも、色を付けると言ってしまったのでまた取り分が減ってしまう。リシャールは無能のデフロットに利子をつけて払うように絶対に言うと決めた。

 

 魔法学の時間になると、今日は一番広い階段教室で首席が来ての授業だった。昨日も魔法学はあったが、昨日は個別の教室で首席の来ない理論の授業だった。

 首席がミズ・ケラーや他の神官と一緒に教室を回り、回復魔法の基礎になると言われている第一位階の<修復(リペア)>を皆が使えるようになるか見て回っている。

 一昨日のことを覚えていないのか、首席はリシャールの席に来ると、「どうかな?」と声をかけてきた。

 上級生でもないくせに。

「俺はまだゼロ位階しか使えないんだ。俺に構うな」

 そう言ってやると肩を叩いて去っていった。

 ムカつく野郎だった。

 この日の授業が終わると、首席はローランの下へ行っていた。

 

「朝のことロランから聞いたよ」

「耳が早いんですのね。でも、ただ声をかけられただけですわ。大丈夫」

「うーん。流石に登校前とかには天使を付けてあげられないからなぁ……。何とかならないかロランにも言われて少し考えたんだけど、もし、レオネが許してくれるなら、これを持っててくれないかな……?」

 首席はローブの内側から巻物(スクロール)を一本取り出してローランに渡していた。

「い、いけませんわ。高価です。ね、お父上がキュータさんのために用意して下さったものでしょう?どうか大切になさって」

「これは僕の小遣いで父様から買い取るよ。持つだけ持っておきな。もちろん繋ぐ先はロランや一郎太だって、レオネのお父上だっていいよ。レオネが安心できると思う誰でも良いから。お守りがわりになる」

 

 ローランは慎み深く断っていた。

 あんな物、どう考えても邪魔だし、借りとしてデカすぎるだろう。ローランが気を使って可哀想だった。

 込められた魔法は<浮遊板(フローティングボード)>とかだろうか。高価なものを押し付けて厄介な奴だ。

 

 リシャールは今こそと席を立った。

 階段教室をどんどん降りていき、首席とローランの間の机に手をついた。

「――ぁ……」

 ローランがリシャールを見上げる。最高の気分だった。ヒーローの登場だ。

「困らせるなよ。ローランが――レオネが可哀想だろう」

 名前で呼んでみた。首席は目を細めてリシャールを観察した。だが、この間道であった時のような感情は湧かなかった。ただちょっと顔のいい男に睨まれただけだ。

「――君、悪いんだけど授業中じゃないから優しくしてやれない。下がってくれないか」

「言うに事欠いてダサいセリフだなぁ?弱い奴が喧嘩を避けるために言うセリフだ」

「あ、あの。やめてくださいませ。――わたくし、こちらお借りしておきます」

「……レオネ、いつも僕のわがままでごめんね」

「いえ、とんでもありませんわ」

 リシャールは圧倒的勝利感に口元を思わず歪めた。

 こいつを謝らせることができたのだ。

 

「レオネ、困ったことがあったら俺に言うが良い。解決してやるよ。ふっふっふ。お前は言いたいことを言えないこともあるだろう」

「……どうも。でも、ほとんどありませんわ。わたくし誰が相手でも言いたいことは言いますもの」

「ほーう?そうかぁ?なぁレオネ、また一緒に昼飯行くか?こないだ一緒に食った時は楽しかったよなぁ?」

「……わたくしミズ・ケラーに聞きたいこともありますし、まだ食事には行きませんの。お先にどうぞ」

「そうか、じゃあまたな。――首席、お前首席だからって特別扱いが普通だと思うなよ。な、レオネ?」

「え、えぇ……。そうですわね」

 

 リシャールは最高の気分で階段教室を後にした。

 

 その日の昼ごはんは一人で食べた。ヴァレンは不愉快なので一緒には食べてやらない。

 たらふくランチを取ると、リシャールは今日必要なことを心の中で唱えた。

(今日はあいつの名前を聞くことと、昨日の分の金を無能のデフロットに耳を揃えて返してもらうことだ。そしたら、一気に十万ウールが手に入る!バカのヴァレンに六万ウールを返しても――四万ウールの儲けか!すごいぞ、すごいじゃないか!)

 それだけあれば何ができるだろうかと良い気分になる。

 ――が、すぐに気がつくことがあった。

 四万ウールのうち、三万ウールはまた翌日の入場料に使うことになる。

 しかも、乗合馬車(バス)だってただじゃない。

(ま、待てよ……。今日乗る乗合馬車(バス)の金がないぞ……)

 あいつは先払いで渡してくれるだろうか。

 いや、五万ウールも無能のデフロットに先に持たせているのに更に金をと言うことはあいつだって難しいのでは。

 リシャールは途端に行き詰まった。

(……親が金を送ってくるのは明後日だ。とにかく、明後日には八万が手に入る。明後日八万渡すことを約束して……ヴァレンにもう少し頼むか)

 

 だが、教室ではもう頼みたくない。

 リシャールは普段通りヴァレンと普通に授業を受け、帰り道に切り出した。

「――なぁ、俺は明後日親から仕送りが来るんだが」

「あぁ。いつもの八万のやつだろ。羨ましいなぁ。俺もそんだけ仕送りが来ればなぁ。毎月うちは二万だよ。子供の小遣いか」

 ちんけな額だ。リシャールは何度も頷き、切り出した。

「その八万何だが、届いたらそのままお前に渡すから、悪いんだがもう二万用立ててくれないか」

「はぁ!?もう金がねぇよ。バカじゃねーの。何にそんなに使ってるんだよ」

「投資なんだ。投資だから先に金を払わなきゃならない。配当金がまだで困ってる。お前にはこういう金の稼ぎ方が分からないだろうけど、投資は投機が一番大事なんだよ」

「……ちぇ。分かったよ。だけど、絶対明後日八万貰うからな。待ったはなしだ」

「あぁ。当然だ」

 

 ないとかなんとか言っておきながら、ヴァレンはもう二万出した。だが、財布を覗き込んだが、本当にもう万札はこれで終わりのようだった。

「お前も、これはある意味投資だ。七万を俺に数日貸す事で、八万になってそれが帰ってくるんだからな。わかるか?」

「……なるほど。割はいいな」

「だろう。自分で動かなくていい、泥臭くない稼ぎ方だ」

 ヴァレンはそう言うものかと唸った。

 寮に着くとそれぞれの部屋へ帰り、リシャールは着替えた。

 早く新しい服も欲しい。

 

 今日も劇場に着くと、そのまま廊下であいつが来るのを待った。音楽が流れ始め、廊下まで賑やかになる頃、またあいつが現れた。

「よぉ〜!ちゃんと届けてくれたらしいなぁ!」

 ヘラヘラと手を振ってミノタウロスが現れると、リシャールの中の燻っていた火は一気に燃えた。

「お前な!あの無能に金はちゃんと渡すように言え!昨日俺は金を受け取らないで帰ったんだぞ!!おかげでまた友人に金を借りた!!会う場所もここはいちいち金がかかりすぎる!!」

「あぁ〜?」

 

 リシャールよりよほど大きいミノタウロスはぐぅんと腰を屈め、下から覗き込むようにして行った。

 

「お前はよぉ〜。金を受け取らずに帰ったのかぁ〜?」

「そ、そうだ!お前がちゃんと渡すように言わないから!!」

「はぁ〜?奴は物を受け取った、金を渡したって言ってたぞぉ。どっちが言ってる事が正しいんだろうなぁ。俺には分からん」

「無能が嘘を言っているに決まってるだろうが!!俺の賢さを見込んだお前がなんでそんなこともわからないんだ!!」

 扉の向こうからジャンジャンジャンとノリのいい音楽が響いてくる。それに負けないようにリシャールは叫んだ。

 

「おかしいだろうよぉ〜?なぁ〜。おかしいだろうよぉ〜?つまりこうかぁ?賢いリシャールぼっちゃんが、金を受け取りもせずに、その場を離れた。いや、金と交換で物を渡さなかったってことじゃあねぇかよぉ〜?そうじゃなきゃあなぁ。奴だって金を渡さない訳がないんじゃあねぇかぁ〜?それとも、お前はただの無能なのかぁ〜?そうじゃあねぇよなぁ〜?お前はよぉ〜人の上に立つ人間だろぉ〜?」

 

 リシャールはハッと口をつぐんだ。

 金の受け取りの確認を取らずに物を渡した事も、何も考えずにいい気になって引き返し始めてしまったのも確かに自分だ。そして、無能のデフロットに指図してやらなかったのも自分だ。

「……確かにその通りだ。今日持っていったら、やつには言い聞かせるようにする」

「あぁ、あぁ。それでこそリシャールぼっちゃんだ。ククク――じゃあ、今日も頼むぜぇ」

 ミノタウロスが昨日とは違う風呂敷包みを寄越す。

 だが、リシャールはそれを受け取る前にミノタウロスを見上げた。

 

「そうだ。お前の名前はなんなんだ?お前を支援してやるためにも、名前は聞いておかなきゃならない」

「おぉ〜〜!そうだそうだ。まだ名乗ってなかったなぁ〜。俺の名前はロスボスだぁ。よろしくな、港湾都市エ・ナイウルのリシャール・フラッツ・リイル・エクスナーぼっちゃん」

 フルネームできちんと覚えられていることにリシャールは満足感を覚えた。

 荷物を受け取ると、「じゃあ、今日も頼むぜぇ〜」とロスボスは劇場に入って行った。

 リシャールも劇場に入り、女の尻を見ながら無能のデフロットを叱責する言葉を頭の中でひとつひとつ拾い上げた。

(そうだ。俺は人の上に立つ男だ。馬鹿で無能な奴の尻を叩いてやらなきゃならない。それで、皆があっと言うような金持ちになって、あの首席の野郎にも二度と"下がってくれないか"なんて言わせないぜ)

 

 むしろ、下がれと言ってやるんだ。

 そう言えば、金が手に入ったらリシャールは自分で首席の家庭教師を雇うこともできる。

 楽しみで思わず笑いが漏れた。

 周りの大人たちが酒を飲みながらショーを見ているのが今日は一段と羨ましく感じる。こんな気分の時こそ酒が必要だろう。

 だが、リシャールの席にはいつもオレンジジュースだ。

 年齢は時に残酷だ。

 

 その後ショーも終わり、リシャールは今日も乗合馬車(バス)を乗り継いで荷物を運んだ。

 ヘレフォード外科医院の前には誰もおらず、少し安心した。

 念の為持って行き先を確認する。確かに昨日と同じ街灯の下だ。

 少し座って待つと、無能のデフロットは現れた。

 

「――やぁ〜!ぼっちゃん!今日も来てくれたんですねえ!」

「おい、お前昨日金を渡さなかっただろう。今日は昨日の分を先に寄越さないと荷物は渡さないぞ」

「えぇ〜?昨日の分?どう言うことですかぁ?」

「しらばっくれるな。俺の昨日の取り分をもらってない!出さなきゃ渡さないって言ってるのがわからないのか!!」

 

 デフロットは困り笑顔でリシャールの隣に座った。

 

「渡しましたよぉ〜酔っ払ってたんじゃないですかぁ?」

「貰ってない。早くよこせ。利子付けてな」

 

 眉をハの字にしたままの笑顔で、デフロットはリシャールのすぐ後ろの背もたれに腕をもたれさせた。

「――なんつったんだぁ?おい」

「え?」

「ガキがよぉ。てめぇは満足して帰ったんだろ?あぁ?なんで満足したんだ?金を受け取ったから満足したんだろ?それとも金を受け取らなくても満足したのか?それなら、てめぇは今日も金はいらねぇはずだよなぁ?あぁ!?」

 突然デフロットは鬼のような形相になり、リシャールを覗き込んだ。

「なんとか言えや、クソガキがぁ。早く選べっつってんだろぉ!?てめぇは昨日も金を受け取ったから満足して帰った。だから今日も五万を受け取って帰るかぁ!?それとも、てめぇは昨日金を受け取らないでも満足して帰った。だから今日も金はいらねぇ。どっちなんだよぉ!!」

 

 リシャールは歯の奥をガタガタ言わせると、何度も頷いた。

「う、う、受け取りました。だ、だから、今日も……五万ウール、く、ください」

 怖くて呼吸が浅くなるのを止められない。冷や汗がだらだら流れていく。

 デフロットはリシャールから離れて座り直すと、また眉をハの字にしたゴミのような笑顔を作った。

「そ、そうでしょうよぉ。やだなぁ〜。はい、五万」

「あ、ありがとうございます……」

 五万を受け取ろうとすると、デフロットはヒュッと金を上げ、リシャールの手は宙を切った。

 

「……迷惑料、払ってくれますよねぇ〜?変な言いがかりつけられて、僕怒られちゃうかもしれないですしぃ」

「え、え?」

「迷惑料。当たり前でしょ?」

 デフロットは笑顔のまま五万の束から二枚抜き取った。

 リシャールは震える手で三枚を受け取ろうとしたが、デフロットは二枚の方を差し出した。

「あ、あの……に、二万じゃ……劇場も入れないんですけど……」

「……だから?自分の尻拭いくらい自分でしろよ?リシャールぼっちゃん。それとも、てめぇの実家に連絡するかぁ?エ・ナイウルにあるんだってなぁ。リシャール・フラッツ・リイル・エクスナー」

「そ、それは……」

「遅れずに明日も来いよ」

 二万を置き、デフロットは荷物を持って去って行った。

「……な、なんなんだよ。……なんなんだよ!!」

 リシャールはあまりの悔しさと恐怖にぼろぼろ涙を落とした。

 何度目元を拭っても止まらなかった。

 今自分に何が起きているのかわからない。

 でも、明後日には仕送りの八万ウールが――いや、あれはヴァレンに渡す約束をしてしまった。

 手元にはヴァレンに借りた一万ちょいがある。明日劇場に入る金はとりあえず貰えた二万もあるので何とかなる。

 問題はその次の日だ。

 五万満額もらえるのだろうか。それとも、デフロットがまたいくらか盗むのだろうか。

 もうやめたいと少し思うが、あのリシャールに恭順的なロスボスのことや、劇場を楽しんで尚且つ二万円という事を思うと踏ん張りどころのようにも思う。

 何より、デフロットが実家にあれこれ連絡するのが嫌だ。

(……とりあえずは帰ろう)

 

 リシャールは次の日意気消沈して学校へ行った。

 何もしようと思わなければ寮で二食食べられるし、昼の学食も学費に含まれているので金はかからない。

 生きることはできるが、とにかく明後日からのことが心配だった。

 行かなくなったらデフロットはなんて実家に連絡するのだろう。あいつの頭はおかしい。ロスボスにも教えてやらなくては。

 そうだ。金がなくなったら、ロスボスに一時的にでも借りよう。あいつはリシャールの将来性で甘い蜜を吸おうと言うのだから、少しくらい融通してくれるはずだ。

 

 隣でヴァレンがパッとしない女子に「なんか最近変わったよね!カッコイイの着けてるし!」と言われている。

 本当はそこの立ち位置は自分のためにあるはずだというのに。

 怒りと共に悔しさが押し寄せる。誰か慰めてくれないかなと教室を見渡した。

 その時、レオネが窓から顔を出して「キュータさんしっかりー!」と叫んだ。

 なんで今そいつを応援するんだ。大体、お前は首席を特別扱いしないでいいと言っていたじゃないか!

 リシャールの中で怒りがパンッと弾けると立ち上がった。

(お、俺の女のくせに!!)

 

 ツカツカと近付いていき、レオネが振る手をとった。

「な、なんですの?」

「行くぞ」

 リシャールがグンと引っ張ると、二人の前にヨァナが立ち塞がった。

「何。うちの姫放してくれる」

「邪魔だ!退け!俺はレオネと食事に行くんだ!」

「あんた、約束したわけ。いきなり意味わかんない」

「連れて行くって言ってんだ!退け!ぶっ飛ばされんうちにな!!」

「やってみなさいよ。あんたは神官志望でしょ。私は聖騎士だよ。もう見習いで聖ローブルには名前も登録されてる」

 ヨァナが腰を下ろして手刀を眼前にそっと持ち上げる。

 リシャールはごくりと喉を鳴らした。だが、デフロットに引き続き女にまでコケにされてたまるか。

 

「な、なんですの……。一体なんなんですの……」

 レオネが言うとファーが「ミズ・ケラー呼んでくるわ」と廊下へ走って行った。

「し、首席くーん!!首席くーん!!お願いしまーす!!」

 ルイディナが窓から叫ぶ。リシャールは舌打ちをするとレオネの手を放した。

 

 もっと自由になんでもできるはずなのに。邪魔ばかりで、やりたいはずのことも、できるはずのことも一つもできない。

(――何故うまくいかん!!)

 レオネは戸惑いの瞳でリシャールを見上げていた。

「――呼んだ?」

 すぐそこの窓から、またあいつの声。

 リシャールは窓辺にしゃがむ首席を睨みつけた。

「首席!あいつレオネと約束もしてないのにレオネ引っ張ってご飯に行くとか言ってんの!」

「……はぁ。君、順番もやり方も間違ってることが分からないのか?少し頭を冷やせよ」

「う、うるさい!!邪魔が入ってばかりなせいなんだよ!!だ、大体お前!ここは三階だぞ!!」

 首席は窓からよいしょ……と教室に入ると杖を抜いた。それだけでリシャールは怖くなって何歩も下がった。

「あ、そう言えば窓から出入りするなって寮母(シスター)にも言われたばかりだったな。後でまたケラー先生に怒られるかな。うーん」

「ごちゃごちゃと!ふん!レオネ!俺は先に食事にいくからな!!」

 レオネが付いてこないかなと思うが、レオネはついてこなかった。ただ、心配そうにしてくれていた。

 

 教室を出る時、「学校にいる間だけでも天使いる?」と聞いている声が聞こえた。

 

+

 

「昨日は無能の駒をうまく説き伏せてやったんだってぇ〜?」

 ロスボスが笑顔でリシャールの背を叩く。

 リシャールは「ま、まぁな」と鼻の下をかいた。

「いや〜さすがリシャールぼっちゃんだなぁ。これで、後はどんどん金が入ってくるわけだぁ!やっぱり馬鹿は調教してやらなきゃならないよなぁ?」

「その通りだ!あの馬鹿、今日も目にものを言わせてやる」

「ククク――いい意気込みだ。今日の受け渡し場所はいつもと違う所だから気をつけろ。卸し先の工房が違う」

「ん?そうか。なぁ、品をそもそも受け取るのはここじゃないとダメなのか」

「――あぁ、ここじゃあなきゃダメだ。ショーが終わって出発したら確実に定刻で出られる。遅刻は一切なしだ。それに……俺はお前に奢ってやりたいんだ。飲めるだろぉ〜?」

「え?いや、まだ十六だから酒は飲んだことがない」

「ククク。ミノタウロスならもう飲んでるぜぇ。それに、周りも皆飲んでるだろうよぉ。酒を覚えておけば女に飲ませることもできるんだからなぁ〜?リシャールぼっちゃんの男を上げる準備ってやつだぁ。席に座ったら、お前のところにおすすめが行くようにしてやる。楽しみにしておけよぉ」

 

 ロスボスは笑って劇場に入って行った。

 慌てて中に入ると、もう黒毛のロスボスがどこに座ったかわからなくなった。

 

 しばらくオレンジジュースを飲んでいると、店員が細長いグラスを持ってきた。

 ショーの最中で暗がりだからかリシャールが未成年であるとは気付かれなかったようだ。

 チカチカと光の点滅の中、リシャールはそれを一口味わった。

 体験したことのない喉の熱さに一瞬戸惑いを感じるが、それもすぐに引き、後には鼻を抜けるような爽やかさと、ほんの少しの苦味が残った。

「う、うまい……!」

 これが大人の味か。

 リシャールは夢中で飲み干し、口の端から僅かに溢れた大人の味を拭いた。

 

 ふわふわといい気分でショーを眺め、時には手を叩いて笑った。

 もう一杯飲んでみたいと思うが、酒の名前がわからずその日は劇場を後にした。

 カードを確認してまた乗合馬車(バス)に乗る。

 うとうとしてくると、ハッと自らを取り戻し、約束の場所に到着した。

 今日は川沿いだ。綺麗に舗装された防波堤の階段を降り、指定されているまだ新しい橋の下で座る。

 時に小型船が行き交う様をリシャールはぼうっと眺めた。

「へへ、リシャールぼっちゃん。こんばんは」

 闇からゆらりとデフロットが姿を現す。

 昨日の恐怖が少しづつ胸のうちに湧き上がり、リシャールは顔を歪めた。

「き、今日は満額もらって行くからな」

「へいへい、それはもう」

 一気にホッとし、息を吐いた。

 デフロットは指をべろりと舐めると、札を数えて確かに五枚渡してきた。

「ぼっちゃん、今日は男の顔してますねぇ〜」

「ふ、そ、そうか。そうだろうな。俺は今日酒を少し飲んできたんだ」

「そりゃ景気のいいことで。じゃ、こちらはいただいていきますよ」

 昨日までのことが嘘のようにスムーズに取引を終え、リシャールは鼻歌混じりに寮に戻った。

 

 翌日、ランチの時間になるとヴァレンが寄ってきた。

「よう、今日は約束の八万貰うからな」

「当然だ。寮に帰る頃には私書箱に届いてるだろう」

 鍵のかけられる私書箱は寮生に一つづつ。リシャールは部屋の鍵のチャームを手の中でくるりと回した。

「それで、お前投資はうまくいきそうなのかぁ?」

「あぁ。昨日配当金が五万出たからな。今日また五万出るし、この数日で俺は合わせて十万手に入れるわけだ」

「す、すごいな!さすがリシャールだ!!」

「ふふふ!そうだろう?これが賢い稼ぎ方さ。しかも、人命救助にも関わる」

「な、なぁ!紹介してくれないか?頼むよぉ。生活課の依頼バイトはどれもケチくさいんだよぉ」

「まぁ、いつか時が来たなら」

「あぁ!ありがとよ!!」

 リシャールの中に巨大な感情が湧き、顔は自然と弛んだ。

 

 リシャールは昨日もらったばかりの五万ウールを持っているし、今日劇場に入る三万ウールを除いても二万ウールもある。明日明後日も運べば休日だ。

 ふんふん鼻歌を歌いながら食事をする。

 ――すると、離れたところで女子達と食事をするレオネと目が合った気がした。

(ふふ、休日どこかへ誘ってやるか。そうだ。昨日見かけた船に乗れないだろうか。女はああ言うのが好きなはずだ)

 そう思っていると、レオネは席を立って片付けを済ませ、リシャールの方へ来た。

 

(お!お!!やった!!やっぱりな!!)

 

 遠巻きに女子達が見守る中、レオネは食事をするリシャールを見下ろした。

「ごきげんよう」

「よう!」

「わたくし、何かあなたの気に触るような事しまして?」

 まるで、昨日の窓から首席が来てしまったことを詫びるようだ。リシャールはとびきりの笑顔で首を振った。

「いや!そんなことはない!気にすることはないぞ!!」

「そうですの……。では、悪いんですけれど、わたくしにあまり構わないでいただけませんこと」

「――え?」

 意味がわからない。

 これから二人の愛の物語が始まるはずなのに、彼女は何を言っているんだろう。

「ま、待て!おかしいだろう?なぁ、今度の休みには二人でどこかに行かないか?俺、か、金がたくさんあるんだよ。な?」

「お断りいたします。わたくし、男性と二人でどこかへ行くつもりはありませんの」

「お、え?はは。お前は慎み深いなぁ?」

「ありがとうございます。では、失礼いたします」

「ま、待てよ。待てって!」

 細い手首を掴むと、それはすぐに振り払われた。

「――わたくしの身に触れないでくださいませ。わたくしの身は神々のためにありますのよ。それに、これ以上あの方に迷惑をかけられません」

 

 周りでヒソヒソと噂話をするような声が聞こえてくると、リシャールは顔を赤くした。

「お、お前!つまんない女だな!!」

「結構です」

「このあばずれ!!」

 聞こえないとでも言うようにレオネは女子達と合流し、学食を去って行った。

 許せない。絶対に許せない。

「ひひひ、フラれたなぁ。あいつ、やっぱりお高く止まってやがる」

「ふ、フラれてなんていない!少し誘ってやろうと思っただけだ!」

 ガツガツと食事をすすめ、絶対にわからせてやるとリシャールは意気込んだ。

 

+

 

「レオネ、あんたやってやったね〜!」

「はぁ。信じられませんわ。嫌がらせされてるのかと思ってたのに、二人で出かけようですって」

「きも!身の程弁えろ!!」

 ヨァナが吐き捨てる横でルイディナとファーも百回頷いた。

 

「最後の言葉なんて最低よね」

「フラれたからってあばずれってどう言うこと!?あんな人間もいるんだね!?」

「変な人間なんてごまんといるものですわ。わたくし、あんな男に何を言われようと気にしませんわよ」

「ふふ、あなたは本当に強い女ね」

「――あ」

「なんですの?」

 ルイディナが指さす方ではキュータと一郎太があの木陰で昼寝をしていた。

 

「レオネ!あんたも寝てこい!」

「よ、ヨァナ。キュータさん達静かに過ごしてるのに悪いですわ」

「あなた、なんだかんだ言って気持ちは疲れたでしょう。いいのよ。疲れたって言って来たって」

「そうそう!席は取っておくから!」

 レオネは悩むと、小さく頷いた。

「……ありがとうございます。巻物(スクロール)を返すだけ。少しだけ話してきますわ」

「はいよ!」「あとでね」「首席君によろしくお伝えくださーい!」

 

 三人を見送ると、レオネは一つ茂みを越え、昼寝をする二人へ向かった。

 一郎太とキュータは足音を聞くとすぐに体を起き上がらせた。

「や、来たね」

「よう、レオネ」

「キュータさん、一郎太さん、休んでるところすみませんわね」

「いいよ。今度はどうしたの?元気ないね」

「そんな事はありませんわ――と言いたいところですが、少しだけ疲れました。今、あの方退治してきましたの」

「お?退治?レオネ、ぶんなぐってやったのか?」

 一郎太が言うと、レオネは二人の間に座り胸を張った。

 

「えぇ!ほぼぶん殴りましたわ!わたくしに構わないでって言ってやりましたもの!」

「はは、危ないなぁもう。何ともなくて良かったよ。あの子はどうだって?」

「あばずれ!ですって。失礼しちゃいますでしょ」

「それは失礼だね。君ほどルールにうるさい子も珍しいって言うのに。気にしなくていいよ。変なやつだからさ」

「ふふ、ありがとう。わたくし気にしてませんわ。少し気疲れしただけ。陛下方はわたくしがちゃんと過ごしてることをきっと見ていてくださってますもの」

 レオネが幸せそうに笑い、風に踊る髪を抑えると、ナインズはそれを掬って耳にかけてやった。

「うん、見てるよ。僕にはわかる」

「嬉しい。あなたが言うなら間違いありませんわ。だって――ミズ・ケラーも認める大神官ですもの」

「ふ、ははは。そうだね」

「えぇ。ふふ」

 

 三人は静かに笑った。

「それから、わたくしもう平気ですから、これお返ししますわね」

 レオネは以前もらった距離の制約を受けないという<伝言(メッセージ)>の巻物(スクロール)を取り出した。こんなものは聖典級の者しか持つことを許されない。

「持ってても良いんだよ?」

「いえ。これはあなたが万が一外で魔力を使い切った時のためのお守りでしょ?いけませんわ。本当に。わたくしはもう平気。目印も預からせてもらってますもの」

「ははは。目印も預かり物だったんだ」

「それはそうでしてよ!だから――ほら」

 レオネは首から下げるチェーンを服から引き出すと、トップについているロケットを開いた。

 加工されていない石はそのままの姿でころりと転がった。

 

「やっぱり加工してから渡してあげれば良かったね?」

「ふふ、うちの父もね。これごとネックレスにするように、グンゼさんのカーマイド工房に加工に出したらと言いましたわ。でも、これは大切な預かり物ですから」

 いつか己が死ぬ時、これは家宝ではなく神々の地に帰るべき宝だ。模範生レオネはロケットを閉じると、再びそれを胸に戻した。

 そうしていると、ふとレオネの視界の端にアガートが映る。

 レオネは立ち上がった。

「――さ、巻物(スクロール)もお返しできましたし、わたくしはもう行きますわ」

「うん、気を付けてね。わざわざありがとう」

「それはこちらのセリフでしてよ。何度も駆けつけて下さってありがとうございました。助かりましたわ。本当に。……すごく、安心しましたの」

「良かったよ。君が無事で」

 レオネは頬が赤くなるのを感じると、前を向いた。

「皆さんも遅れないようになさって!」

「はーい」

「へーい」

 アガートの横を駆け抜ける時、レオネはその肩を叩いた。

「いつも通りになさってね」

「あ、う、うん!ありがと!」

「ふふ、ごきげんよう」

 

 ナインズは元気なレオネの背を微笑んで見送った。

「キュー様……?」

 ふと、一郎太がいう。

「ん?」

「……キュー様……」

「なぁに?ご飯足りなかった?」

「い、いや。何でもないです」

「変な一太」

 一郎太はうーん?と唸って首を傾げた。

 そして、二人の下へアガートとレイが現れるとナインズは少し居住まいを正した。

 

「や、ミリガン嬢、レイ」

「スズキさん、こんちゃっす!」

「なんか、久しぶりになっちゃったね。キュータさん」

「うん、二人とも元気にしてた?」

「うん。とっても。それでもって、ずっとキュータさんに謝ろうと思ってた」

 レイが一郎太の横に座り、アガートがナインズの前に座る。

 ナインズは「何も謝ってもらうことなんてないよ」と本心から言った。

 

「私、こないだ変だったでしょ。ごめん。それでね、私もまた乗合馬車(バス)乗って脱走したいって言いたかったんだ」

「ははは。君は面白い人だね。ありがとう」

「また誘っていい?」

「うん、楽しみにしてるよ。一太は怒るだろうけどね」

「もう怒ってるに決まってんでしょーに。何逃げる相手の前で脱走の算段立ててんですか!」

 ナインズはおかしそうに笑うと立ち上がって駆け出した。

「その方が一太も面白いでしょ!」

「面白くなーい!待て、キュー様!」

「ミリガン嬢、レイ、またね!」

 

 二人はまた風のように駆けて行った。

 

「良かったっすね、アガート。まだ少し距離ある感じはしたけど、すぐに元通りになるっすよ」

「へへ。そうだと良いな」

「でも、今日とりあえず誘って見れば良かったのに。もう少ししたら期末考査に向けて特進科は勉強始めるっすよ」

「……げ!後で教室行こ!!引っ張り出さなきゃ!!」

「はははは、その意気で行ったらあっという間にまた大好きって言えるっすよ!」

「ぎゃー!恥ずかしいー!!」

 

 こちらの二人もチャイムの鐘が鳴る中駆けて行った。




リシャールくぅん、お金もらえてよかったねぇ〜!!
400話目にぴったりだよ〜!!

いやぁ青春が押し寄せてくるなぁ〜!

次回、明後日!!
Re Lesson#21 頬の痛み


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Re Lesson#21 頬の痛み

「ふふふふ……ぐふふふ……!」

 あれから幾日。

 リシャールの手元には十二万ウールもの大金があった。親からの仕送りとも合わせれば二十万ウールだ。

 これだけあればかなり良い女を買うことだってできる。しかも、リシャールは欲しいものをあれこれ買っている。

 イカしたネックレス、腕輪、新しい服に靴。それでもまだこんなに金がある。

 毎日三万を払って劇場に行くのも慣れたものだし、酒だってすっかり覚えた。

 何と言っても、行くたびにロスボスが必ず一杯奢ってくれるのだ。

 仕事はないと言われた日にヴァレンと二人で劇場に行った時なんか、リシャールにだけいつものお気に入りを送ってくれて、店員に誰からだと聞くと、初めてロスボスが後ろの方に座っているのを見つけられた。

 あの時のヴァレンの顔と言ったら最高だった。

 

 もはやこれは依頼バイトというより、リシャールのライフワークだ。

 

 最高の学園生活を送っている。――だが、不満はまだある。

 一つは構うなと言ったレオネにまだ分からせてやれていないこと。

 レオネとは目も合わない生活をしているので、生まれ変わり始めたリシャールの事を見せ付ける機会には恵まれていない。

 二つ目は、今回の仕送りで兄が大きな劇の主役に抜擢され、エ・ナイウルでは話題の役者になりつつあると書かれていたこと。

 三つ目は――ヴァレンに地味なりに彼女ができたことだ。

 あいつはしょっちゅう彼女といるようになって、授業や昼食も彼女と過ごすことが増えた。

 だが、あんな女で満足しているのだからレベルが低い。

 

 寮でダラダラしていてもつまらないので、リシャールは出かけることにした。

 一応ヴァレンの部屋に寄る。ノックをすると、バタバタとすごい物音がし、扉は開いた。と言っても、扉は細く細く開けられていて、顔を出してはいない。

「な、何だ。リシャールか」

 まだ起きたばかりなのかボサボサの髪でへらりと笑った。しかもズボンしか履いていない有様だ。

「はぁ……。おい、いつもの行かないか。適当に買い物をして、(キャバ)――」

 そこで、ヴァレンは目にも止まらない速さで部屋を出てきてリシャールの口を塞いだ。

「しー!」

「な、なんだよ。気持ち悪いな」

「い、今ちょっと来てんだよ」

「来てるって何が」

「か、の、じょ!彼女!」

 リシャールの不快感は顔に出ていただろうか。ヴァレンは気まずそうに笑った。

 やつは裸足だし、ズボン一丁だし、これは明らかにそう言う事(・・・・・)だ。

「実は昨日泊まってもらっちゃったんだ」

「アホか。寮父に女を泊めたことがバレたら停学になるかもしれんぞ。しかも万が一妊娠でもしたらどうするんだ」

「……うん、それは反省してる。でも、万が一があっても、俺学校辞めて働くから」

「はぁ!?魔導学院だぞ!?続けて良いところに勤めた方がいいに決まってるだろうが」

「はは、ま、もしもの話。でも、俺あいつに本気なんだよね。だからさ、もう劇場行くのもやめるわ」

 どこか清々しさすらある顔でヴァレンは笑った。

 先ほどヴァレンの部屋を訪れる前までの高揚感に冷や水を浴びせられた。

 

「馬鹿か。お前はとことん先を読めていない。お前も見ただろうが。あそこに行くと俺に二時間程度の仕事を振ってくれているパトロンに気に入られるかもしれないんだぞ。そしたら、お前もこのうまい話に乗れる。だからお前を劇場に誘ってやってるという側面もあるんだ。なのに――」

「良いんだ。もう良いんだ、それも。彼女と一緒の依頼バイトを受けて、休憩時間も二人で勉強しながら過ごして、すごい幸せなんだ。少しづつだけど、成績も上向いてきてるんじゃないかと思う。中間の時あんなに嫌だった考査が今は楽しみなんだよ」

「だ、だけどお前、お前が良い仕事をすれば、二人で依頼バイトなんかしなくても勉強する時間だって手に入るだろうよ!」

「はは、それはそうかもしれないんだけどよぉ。彼女、言ってくれたんだ。俺の初めて買ったブレスレット見て、いつも頑張ってたもんねって。あ、こいつは俺が良いものを手に入れたから寄ってきたんじゃなくて、これを手に入れられるまでの俺を見てくれてたんだって。だから、見てて欲しいんだよ。俺の頑張ってる姿」

 リシャールはぱくぱくと釣られた魚のように口を動かし、その後唾を飲み込んだ。

 

「こ、後悔しても知らないからな」

「あぁ。お前も、少しは勉強したほうがいいぜ。次は期末考査なんだから、落第なんてなったら大変だ」

「うるさい!俺は平均的なところくらいには立っているんだ!お前と同じにするな!!精々ブスと添い遂げてろ!!」

 ヴァレンを睨みつけてやるが、ヴァレンは可哀想なものを見る目をして背を向けた。

「はぁ。じゃあな」

 扉はすぐに閉められ、リシャールは扉に耳を寄せた。

 

『――誰?寮父様?』

『ううん、リシャールだった』

『え、平気?言いつけられない?』

『流石にないでしょ。誰が言ったかすぐ分かるし。今来たって言えば寮父も何も言わないって。――ね』

『――ぁ』

 

 気色の悪さに扉から飛び退き、リシャールはダンダン!と足を踏み鳴らして寮を出た。

 神聖な学舎の一部である寮で何と言う真似を。

(何が落第だ!!この俺が落第などするはずがない!!)

 その足はまっすぐ魔法道具が置かれている店に向かった。

 大通りに面した一番良い店をガラス越しに覗き込む。

(俺だって……俺だって……!!)

 ここは魔導学院の生徒も多いので短杖(ワンド)の品揃えが抜群に良い。

 リシャールは新しい杖を手に入れようと思った。

 国営小学校(プライマリースクール)の頃から使っている短杖(ワンド)を首席の持つような力のあるものに変えれば、リシャールだって使用位階が上がるかもしれない。

 ショーウィンドウでぼんやりと光を放つ短杖(ワンド)は持ち手が銀色、本体が黒色だ。二本の蔓が絡み合い空へ向かうような姿が印象的だ。

 値段は――三十五万ウール。

 手が出ない。

 その隣は二十万ウール。こちらならと一瞬思うが、三万は劇場に入るために取っておかなくてはいけない。

 乗合馬車(バス)に乗る金もいるので、リシャールが使えるのは実質十六万。いや、念のため十五万ウール程度か。

 リシャールは店に入ると杖を物色した。

「いらっしゃい」

 丸い眼鏡をかけた老齢の男が椅子から立ち上がる。

「どんな杖を探しておいでですかな」

「使用できる位階が上がるようなものだ。もしくは、使用魔法が増えるような」

「ほっほっほ。それは夢のような杖ですのぅ。もしあったとしたら、陛下方がお持ちかもしれませんね。――先ほどご覧になられていたこちらなんぞは、魔力の消費を少しばかり抑えてくれるものです。昨日魔術師協会から下ろしたばかりのお品で、普段は十回しか使えないような魔法も、十一回使えればそれだけ魔法の練習もできます。冒険者であれば、命を繋ぐ力の源になる。素晴らしい品でしょう」

 ショーウィンドウの黒い蔓のような杖を取って老父は言った。

「なるほど……。――あれはどうなんだ」

 

 リシャールが顎をしゃくった先にあったのは、店のど真ん中でわざわざ<浮遊継続(キープフローティング)>の魔法がかけられ、台座の上で浮いてまわっていた杖だ。

 

「こちらはユニコーンの角を削り出し、ルーンが彫り込まれています。日に一度だけ魔法効果範囲を拡大化させることができます。工房はカーマイド。神の子により指導された経験を持つ若年の職人が悲願を叶えた特級品です」

「おぉ……持って見ても良いか?」

 既に手を伸ばしていたリシャールの前に、老父は入り込んだ。

「申し訳ありません。こちらは工房からの委託販売ですので、購入意思のあるお客様のみの試着となります」

 だから買おうと思っているのに。失礼な老人をリシャールは睨み付けた。

「――お値段は二百二十四万ウールでございます」

 ひゅっと喉が鳴る。

「そ、そうか」

 背を向け、他の杖を見る。

 首席が使ってる程派手な短杖(ワンド)はない。あのハーフ男が持つ魔石が大きくついたような物は値が張る。

 あいつらの魔石と短杖(ワンド)はどんな効果があるのだろう。

 

 リシャールは結局何も買わずに店を後にした。

 

 もう少し金を貯めてから来た方が良さそうだ。中途半端なものを買っても意味がない。最低でもあの黒い杖だ。

 大通りに出ると、ふと乗合馬車(バス)の展望席で見たくもない姿を見つけた。

 以前レオネと一緒にいた女二人と、首席とミノタウロスが展望席に座っていた。

(……ち。精々今の地位を楽しみやがれ)

 そして、ふと良いことに気がついた。

 あいつが出かけて行ったと言うことは、レオネとの仲を邪魔するやつもいないのではないか。

 リシャールは女子寮へ駆けた。

 

 首席のライバル、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナー。

 最高の称号だ。

 

 リシャールは寮に着くと、掃除をする寮母に声をかけた。

「すみません。レオネ・チェロ・ローランはいませんか」

「――あら?ミス・ローランは寮生じゃありませんよ。まさか彼女また家出?」

「え?そ、そうなんですね。そうか……あいつ親が大神殿の神官とか聞いたことがあるな……。――ちなみに……家出って?」

「家出じゃないならいいわ。誰もが悩みを抱くことはあります。詮索しないように」

 寮母は深入りを一切許さないように告げると掃除に戻った。

 

(……あいつ、模範的でいたいだのなんだのしょっちゅう言ってるくせに家出なんかしてたのか。これは重要な情報だな)

 

 リシャールは寮を後にした。

 他にあいつがいそうなところと言えば、前にいたカフェくらいか。だが、カフェに行く友達は首席と出かけている。

(――あとは、大神殿か?確か、大神殿の清掃によく行くとヨァナが誰かに言っていた)

 寮に来れば大抵皆がいると思っていたが、彼女は神都出身なのだから実家から通っているに決まっていた。

 リシャールは行くだけ行ってみようと決めると大神殿に向かった。

 神都の街並みは古めかしいが美しい。白い建物達、思い思いに飾られる窓辺の花。

 暑くなってきても磯臭い匂いや生臭い臭いがしない。

 エ・ナイウルはなんだかんだと海のそばなのでそう言う臭いもしていた。

 

 大神殿に着くと、リシャールは解放されている大扉を潜った。

 入ってすぐのところではオシャシンなどが売られているが、別に欲しくない。

 さて、レオネはいるかなと首を伸ばして大神殿の中を見渡した。

 当然のように見当たらないのでリシャールは大神殿の一般公開されているエリアをふらふらと歩き回った。

 立派な建物だった。入学準備で親と神都に来た時に一度訪れているが、それ以来だったので何となく感動した。

 告解室がいくつも並ぶ。どれも人が入っているようだ。

 ずいぶん悩んでる者も多いんだなぁと思いながらそれの前を通りすぎた。

(お?こっちも一般公開か)

 

 初めて見る通路へ向かう。人の行き来はそう多くはない。

 その先には看板が一つ立っていた。

 

(……大神殿一般解放書庫)

 本など興味はないが、導かれるように中へ入った。

 学院の敷地内にある図書館よりはよほど小さいが、天井には美しい宗教画が描かれ、吹き抜けのバルコニーと見上げるほどの書棚が並ぶ空間だった。

 想像よりよほど広い。

 本を読む者、ハシゴで高いところへ上がっていく者、二階バルコニーで本を選ぶ者、天上をスケッチする者、ただぼうっと座っているだけの者。

 こんな良い場所があったのかとリシャールは歩みを進めた。

 

 そして、運命を見つけた。

 

 レオネが一人静かに勉強をしていた。

 ページを一つめくって読むと、心に刻むようにノートを取る。

 学校では見たことがない眼鏡をかけた姿で、真剣さが伝わってくるようだった。

 瞳が左右になめらかに動く。髪が邪魔にならないように片手で抑えたかと思うと、全てを片側に流した。

 細く白い首筋にリシャールの目は吸い込まれた。触ればどんな感じなんだろう。

 

「よう」

「――え?あら……どうも」

 レオネはリシャールを見ると眉を顰めた。何でそんな顔をされなくてはならないのだろう。

「……勉強か?」

「えぇ。少しばかり。中間考査はあまり良い出来ではありませんでしたので。まだ少し早いですが、もう期末に向けて少し進めてましたの。エクスナーさんはどうかされたの」

「俺は――」別に何の用もなかったが、今用事を決めた。「――俺も勉強だ。ずっとやってた」

「あら、気が付きませんでしたわ。感心なことですわね」

「ふ、ふふ。そうだろう。俺もあまり中間が良くなかったからな。次は上位に名を連ねる予定だ」

「そうですか。……わたくしも筆記くらいそうなると良いのですけれど。では、お互い頑張りましょうね」

 以前と変わらない様にレオネは笑ってくれた。もしや、彼女は首席に脅されていたのだろうか。リシャールは隣に座った。

「なぁ、どこかに行かないか?」

「……話を聞いてましたの?わたくし、勉強しておりましてよ。あなたも勉強されるんでしょう?」

「ずっとやってたと言っただろう。少しの休憩に、そう、茶でも飲みに行こう」

「お誘いありがとうございます。ですが、わたくしは男性と二人では出かけませんの」

 こんなに言葉を尽くしてやっているのに。

 

 静寂の場所なので、リシャールは声を落としたまま返した。

「お前、家出騒ぎを起こしたんだろう」

「……それが何か」

「男性と二人では出かけない?笑わせやがって。どうせお前も平気な顔で男と二人で出かけてるんだろうが。これを見ろ」

 リシャールは新しいブレスレットを見せつけた。

「――良いだろう。お前も欲しくないか。買ってやるぞ。ネックレスももう一つくらい欲しいと思っているだろ」

 人差し指で首筋を撫でるように、見えていた煌めくチェーンを軽く引っ張ると、胸の中からはロケットがぽろりと出てきた。

「ッ、さ、触らないで下さいませ!わたくしが今欲しいものはたった一つだけ」

「な、なんだ!買ってきてやろうか!」

「静寂の時間ですわ」

 睨み付ける目に映る感情は侮蔑。カッと来た。

 気が付いたらリシャールはレオネの頬を打っていた。メガネが飛んでいって床に落ちる。

 バチンと音が鳴り、手のひらにじぃんと痛みが返って来ていた。レオネの頬はみるみるうちに赤く腫れていった。

 そんなつもりはなかった。リシャールはハッとして、自らの頬に触れるレオネの肩に触れた。

「す、すまない。違うんだ。これは……その……お前が悪いんだよ……。男と出かけてるくせにかまととぶって。行こう。俺と行こう」

「……お引き取り下さいませ」

「――君!!何をしている!!」

 神官が声を上げる。

 リシャールは駆け出した。

 去り際、レオネが両手で顔を覆って泣いているのが見えた。神官が背をさすってやっていた。

 

(ち、ちがう!!あいつだって分かってたはずなのに!!家出もするような女のくせに!!何で俺と出かけない!!何で俺と肩を並べようとしない!!)

 

 人を押し除けて大神殿から出ると、外はギラリと夏の日差しが降り注いでいた。

 そのまま寮まで走った。

 自室で布団に潜り込み、なぜかリシャールが泣けた。

 初めて人に暴力を振るってしまったせいで胸が痛んだ。

 こんな思いをさせるあの女は悪いやつだ。

 もうあんな女に構うのはやめたい。

 そう思っているのに、リシャールはレオネのことばかり考えていた。

 

 ただ、ヴァレンとその彼女の様に仲良く席を並べたかった。

 ただ、二人の様に恥ずかしげもなく将来を誓い合いたかった。

 ただ、ちょっとの若い頃の過ちのように肌を重ねてみたかった。

 ただ、最初に言ってくれた様に「お互い頑張りましょうね」と笑って欲しかった。

 ただ一人、首席を特別な存在だと言わない彼女に、特別に思って欲しかった。

 

 リシャールは早く明日になってくれと願った。

 金を稼いで、良い杖を買って、良い成績を残して、皆をあっと言わせる。

 そのためにはやっぱり金だ。

 だが、レオネは金では靡かない。

 必要なのは、彼女が必死で手にしようとしていた良い成績。それを彼女に見せたかった。

 

+

 

「キュータ!放埒の旅、どうだった?」

 夕暮れ時、イシューが飴を一つ差し出してくると、ナインズは受け取って包装を取った。歩きながら咥えても、もはや「喉をついて死ぬ!」とかは言われない。

 

「面白かったよ。子供の頃はできなかった遊びばっかりで。でも、ほとんどイシューのスケッチの旅だった気がするんだけど」

「ははは!それは仕方ない!ね、キュータの絵も描いてあげたよ」

「え?そんなのいつの間に」

 鉛筆とスケッチブックを持ってきていたイシューは放埒の旅の間、すぐに座り込んだりして絵を描いた。

 

 今日やったことは主に川で遊覧船に揺られたことだ。

 乗り場に辿り着くまでも彼女は「あの入り口の看板良い!」とか言って走っていって、散々それをスケッチした。

 船に乗ってからも「この街並みは神都とはちょっと違うね」と絵を描いたし、新しい橋を見つけたら、大まかに形を描き残した。

 どこにでもあぐらをかいて座り込んで、なんでもかんでも自分の才能の一部(モノ)にしようと駆け回っていた。

 その後を走りにくそうな格好をしたオリビアと一郎太、ナインズは何度も追いかけた。

 

 結局一番放埒だったのはイシューかもしれない。

 

 ナインズはイシューから一枚絵を渡されると、それを見て笑った。

 デッキの手すりに寄りかかってどこかを見るナインズは、風に流される髪で顔が半分隠れていた。

「うまいね。でも、こんなにカッコつけてなかったでしょ〜」

「ははは!カッコよかったからそう描いてあげた!はい、一郎太も!」

「え、俺もかぁ。何か嫌な予感するんだよなぁ」

 渋々受け取った一郎太は、コツン、とイシューの頭をノックした。優しく。本気を出すと脳みそが弾ける。

「いてっ」

「流石にもっとカッコよく描けよ!カインもそうだけど俺のこと描くやつ皆絵下手か!!」

 デフォルメされた愛らしい二足歩行の牛さんが走り回っている絵だった。

「えーん、大事にしてよねぇ。特徴は掴んでるでしょ!」

「なぁにが特徴は掴んでるだよ!」

 ぷんぷん言う一郎太はなんだかんだ折れ目がつかない様に大切に筒状に丸めてお尻のポケットに差し込んでいた。

 それをナインズがすぐにお尻から引き抜き、二枚を丁寧に合わせて無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまい直した。これで折れることはない。

 

 良い一日だった。ワルワラの時とはまた違う放埒の旅だった。

 誰のことも、何のことも深く考えずに駆け回り、見えたものを見えたまま表現し、好きなところで休んで好きなものを食べた。

 

「ね、キュータ君。次はどこいこっか!」

 オリビアが言う。オリビアは今日結構大変だったんじゃないだろうか。この白い少し踵の上がった靴は走るのに向いていないし、リボンのついたワンピースは床なんかに座るためにデザインされていない。

 

「次はオリビアの行きたい所にしようね。今日はイシューの行きたい所だったから」

「ふふ!ありがと!でも、私も船乗ってみたかったよ!とっても楽しかった!」

「そう?足は?また痛くなってない?」

「うん、治してくれてありがとう」

 オリビアが顔を赤くしてナインズを見上げると、ナインズはくしゃりとその頭を撫でた。

「えへへ。次はもっと走りやすい靴とカッコで来るからね!イシューに負けないくらい走るよ!」

「イシューが走らなければ良いだけな気もするけどね」

 二人はおかしそうに笑った。

 

「次はさぁ。どこか広い公園行ってバトミントンとかしたいなぁ!」

「えぇ〜。イシュー、それ一郎太君とキュータ君に絶対勝てないプランだよぉ」

「二人を別のチームにしてやれば勝機はあるよ!」

「俺が勝っちゃうからないだろぉ。俺と組んだもん勝ち」

「ははは。じゃあ、一太はもう審判だね」

「キュー様だってそしたら審判でしょ」

「それじゃあたし達がただ二人でバトミントンしてるだけじゃん!」

「でも、楽しそう。次はレオネやアナ=マリアも誘って皆で行こうね!」

「そうだね。楽しみ――ん?」

 大神殿に差し掛かると、ナインズは目を凝らした。

「キュー様どした?」

「レオネ」

「え?レオネ?」

 

 ナインズの足は自然と駆け出した。

 一郎太と過ごした前庭の噴水で肩を落とすレオネを見付けた。その隣でレオネの父が背をさすっていた。

「レオネ!」

「――キュータさん……?」

「殿――キュータ君」

「レオネ、これどうしたの?」

 レオネの小さな鼻は赤く、頬は少し腫れていて、ナインズが触れようとすると顔を逸らした。

「――あ、ご、ごめん」

「いえ……」

「とりあえず、低位の回復魔法はかけてやったんですがね……。はぁ。何やら学院の友人と大神殿の一般書庫で揉めたようでして……」

「友達と?レオネ、喧嘩でもしたの?回復魔法受けてまだ腫れてるなんてどんな力で……」

 ヨァナとルイディナは力が強そうだが、喧嘩をしたからと言ってこんなに思い切りレオネの顔を叩くとは思えなかった。

 レオネの前にしゃがんで手を握ってやると、レオネは泣きそうな顔で笑った。

「た、退治できてませんでしたの。わたくし、バカですわね。口もきかなければ良いのに。あの方勉強にきたって言ったから、わたくし、改心したんだなって思って」

「退治って……あいつが君の頬を打ったの?何でそんなこと」

「……休憩しにお茶に行こうって言われて、素直に行けば良かったのに。わたくし断って……ちょっと嫌味を言いました。わたくしが……わたくしが間違えたのでしょうね……」

「おぉ……レオネ……。余計なことを言わなければいいのに……」

 レオネからぽつぽつ涙が落ちると、レオネの父はせっせと涙を拭ってやった。

 

 ナインズは腕輪を抜いて一郎太に投げると杖をレオネの頬へ向けた。

「……使えてくれ。母様……お願い。――<大治癒(ヒール)>」

 ぼんやりと杖が輝き、レオネの赤く腫れる頬は何もなかった様に綺麗に直った。初めて使った魔法は成功した。

 

「レオネ、君は悪くないよ。僕は知ってる」

「……でも、わたくしあの方を挑発して――」

「そうだとしても君は悪くない。……悪くないんだよ」

 レオネは声を押し殺して泣いた。

 すぐ隣にオリビアが座り、抱きしめてやると、レオネはオリビアに縋って日が落ちても泣いた。

「……キュータ君、ありがとうございます。娘の肩ばかり持ってはいけないと思って、それを言ってやれなかった……」

 

 ナインズは自分の髪の色が溶けていく中、首を振った。

「……あなたは何よりも大切にされているレオネにこんな真似をされて……。一番怒っているはずなのに、冷静でした……」

「ありがとうございます……。はぁ……。明日から学院にやるのが何だか怖くなりますね」

 拝まれる前にナインズは幻術を掛け直すと、腕輪を差し出す一郎太から受け取って元の場所に戻した。

 

「――明日、レオネに負担じゃなければ朝から守護のために天使を渡しておきます。叩かせないし、万が一何かをされるようなことがあれば天使は低位でも回復魔法が使える」

「……正直申しますと、助かります。他の神官はで――キュータ君の力をなんだと思っていると言いそうですが……。何やら首筋を撫でられていたとかで……」

「……僕の力はただみたいなものです。気にしないで」

「キュータさん……」

 オリビアから顔を上げたレオネの涙は止まっていた。

「うん?」

「わたくし、自分で天使を呼べる様になりますわ。そんな面倒はかけられませんもの」

「……分かった。教えるよ。でも、今日明日でできるようにはならないと思うから、明日は天使を連れて行ってくれる?」

「……大丈夫。わたくし、幸いにも聖騎士といつも一緒にいますもの」

「……ヨァナだって女の子だろ」

「ふふ、ヨァナが聞いたら喜びましてよ」

「冗談言ってんじゃなくて。どうしてもそうするって言うなら、僕が説明に行く。君はどうせ自分が悪かったから叩かれたとか言うんだろうから」

「それは……」

 レオネはもじりと手元を見た。

 

「良いかい、君は神官になるかもしれないけど、全てを他者のために捧げることなんてないんだよ。自分を大切にしてくれ。そうでないと私達も素直に神官を受け入れられない」

「はい……殿下……」

「頼むよ本当に。じゃあ、また寮母さんにやましさを感じるとか言われるだろうけど……ちょっと女子寮行ってくる。――一太」

「ん。走る?飛ぶ?」

 ナインズはサッと髪をひとつに括った。

「走る。飛ぶと目立つ」

「あいよ」

「っえ、ふ、二人とも!ちょっと!!」

 

 二人の足は早かった。

 レオネは中腰になった姿勢からまた噴水に座った。

「レオネ、平気?あいつって、こないだの変な奴だよね?」

「えぇ。嫌になりますわよね。顔なんて親にも叩かれたことありませんのに」

「……許さない。あたし、本当にぶん殴ってやりたい」

「レオネパパ、レオネお休みさせてあげられないの?」

「うーん、おじさんもレオネが休むって言ってくれるなら、少し休ませたいんだけど……」

 レオネは即座に首を振った。

「いえ、休みませんわ。負けたみたいで自分が許せませんもの。わたくし、絶対に負けません」

「勝ち負けじゃないんだから……」

 イシューは「よし!」と声を上げると立ち上がった。

「レオネ!朝はあたしが送ったげる!」

「え、えぇ?いいですわよ。そんなの。あなた仕事もあるのにおよしなさいな」

「ダメ。それで、キュータかヨァナって子に引き渡すまで一緒にいる!」

「……皆過保護が過ぎましてよ。わたくし、この中では一番うるさい女ですのに……」

「レオネはうるさくないもん。はっきり言ってくれるだけだもん」

 オリビアの瞳からぽろりと涙が落ちると、レオネはその背をさすった。

 

「わたくしは本当にもう平気。聞いたことのない魔法で顔も治してもらいましたしね。ね、オリビア、優しいあなたが泣かないで」

 オリビアを真ん中にして、女子三人はギュッと抱き合った。

 

 レオネパパは空気だった。

 

+

 

 リシャールは翌日こそこそ登校した。

 教室に入る前に中を覗く。レオネの顔は綺麗に治っていた。

 神官にすぐに治されて綺麗さっぱり治ったか。

 安堵と共に教室に入った。

 

 昨日のことを謝りに行くべきだろうか。

 でも、レオネが悪かったのに本当に自分が謝らなくちゃいけないのか分からない。

 ヴァレンに相談したいが、奴は彼女と二人で座っている。

 悩んでいるうちにミズ・ケラーが現れ、授業が始まった。

 

 ランチの時間になり、やっぱり謝ろうと決めた。

 綺麗に治って良かったと伝えよう。

 リシャールは午後の授業の準備を整えてからレオネの方へ向かった。

 レオネはどんどん小さくなっていくようだった。あれは事故だったんだと言いたい。

 ところがレオネの隣に座るヨァナ・ラングスマンが机を立ち、リシャールを睨みつけた。

(く……こいつまた邪魔するのか……。俺は謝りたいだけなのに……)

 

 その時、クラスの後ろの扉の枠がノックされた。

「――レオネ、行こう」

「……キュータさん、一郎太さん、あなた方暇ですの?」

「暇だよ」

「ちなみにカインとワルワラも暇だぜ。もう飯の席取りに行った」

「暇人ばかりですのね……」

 レオネはさっさと準備を進めるとファーやルイディナに背を押されていった。

 去り際、ヨァナ・ラングスマンがリシャールに「ふん」と鼻を鳴らした。

 これではまるでリシャールが犯罪者だ。

 

 流石に失礼じゃないだろうか。顔はあんなに綺麗に治って少しも痛そうじゃないのに。

 リシャールは一人で食事をしながら、ヴァレンと彼女が仲良さそうに食事をする姿を眺めた。

(……俺だって、運が悪くなければレオネを物にできていたさ。ヴァレンとは違って神都の女だぞ。それも、神官の娘――あれ、昨日の神官ってレオネの父親か?)

 レオネはテラスで特進科の連中と食事をしていた。

 リシャールの中に焦りが大きく生まれては弾けていく。

 

 その後の授業はひとつも耳に入らなかった。

 帰って着替えを済ませると、金を多めに持って足早に劇場へ向かった。

 開店とともに入り、エールを頼む。

「――お客様、ご年齢は?」

「どう見ても二十五だろうが!俺はそんなに童顔か!?」

 店員に詰め寄ると、店員は謝って慌ててエールを取りに行った。

 なみなみと注がれたジョッキが持ってこられるとグイッと一気に煽った。

 もう飲み慣れた一級品は焦りで満たされていた心の中に染み渡り、リシャールを冷静にさせた。

 徐々に他の客も増えていく。中には女性と来ている者もいる。

 リシャールはひとりぼっちな自分が悲しくて、またエールを頼んだ。

 ショーが始まる頃になると、覚束ない足取りで約束の廊下に出た。

 

「――何だぁ〜?随分酔ってるなぁ。ぼっちゃん」

 巨大な体躯で覗き込まれる。今日は初めてロスボスが先にいた。

「少し嫌なことがあってな」

「何だよぉ〜。連れないなぁ〜。聞かせてみろよぉ〜」

 リシャールはレオネとのいざこざを全て話してみた。そして、もしかしたら叩いたところを父親に見られたかもしれないと言うことも。

「……でも、俺は謝ろうとしたんだ。なのに、金魚のフンどもが!」

「あぁ〜よくわかるぜぇ。そう言う時の女って奴は無駄に結束力が高いからなぁ〜。いやぁ〜いいなぁ。名前はなんて言うんだぁ?一緒に手伝ってくれそうなタイプじゃあなさそうかぁ?一回会ってみてぇなぁ〜!」

「……あいつは金に興味がない。大神殿の神官の娘だし、うざい奴は聖騎士の娘だ」

「何――大神殿の神官の娘と聖騎士の娘か。それはダメだ。忘れろ」

「はぁ。……ロスボス、少し給料を上げてくれないか」

 ロスボスはずんずん進んでくると、鼻息のかかる距離でリシャールを覗き込んだ。

「金が増えるってこたぁ、責任も増えるってことだぜぇ〜?」

「まかせておけ。俺は早めに金がいるんだ」

「ククク。ククク――」

 どこかイヤらしい笑いだ。リシャールはドンっとロスボスを押し返した。

「何だ!俺の将来性に賭けてる癖に俺の成績が悪くても良いのか!?俺は新しい杖を買うんだ!!早く錬金粉を出せ!!」

「ククク、そう焦るんじゃあねぇ。実は今日は元から頼もうと思ってたんだよぉ。錬金粉だけじゃなく、こっちの荷物もなぁ。いやぁ、嬉しい申し出だなぁ?」

 ロスボスはリシャールの手の上に何か重たい物を乗せた。

「これはよぉ〜。大事な臓器が入ってんだよぉ。いつもの工房に初めて卸すんだぁ!気をつけて運べよぉ〜?いつもの錬金粉もある。荷物は二つだから、今夜は十万ウールをあいつから受け取れ」

「じ、十万も!いいのか!」

「あぁ、責任には金が付き物だからなぁ。ククク。ただ、これは大事な仕事だぁ。俺の信用問題にも繋がる。万が一の保険のためにお前はこの書類達にサインをしてくれぇ」

「ああ、わかった!当然だな!」

 ロスボスの手から書類とペンを受け取り三枚ほどにさっとサインをする。内容は読む気にもならなかった。絶対に失敗しないだろうし必要ない。

 書類を返すとロスボスはポケットから朱肉を取り出し、それをリシャールに向けた。

「母印もたのむぜぇ」

 そこまで念入りにする必要があるだろうか。

 無くす事が確定しているわけでもないのに。

「いるか?俺は無くさないぞ」

「分かってるさぁ。逆にいえば、何に母印を押した所でなくさなければ関係ないんだからなぁ〜」

「まぁ、それはそうか」

 

 リシャールは親指を朱肉に軽く当て、ぎゅっと書類のサインの横に付いた。

「ククク――じゃあ、絶対に落としたり、無くしたり、盗んだりするなよぉ〜?」

「だからするはずがないだろう!それにしても、臓器とは一体何のなんだ?」

「よ〜ぉしよしよし。その臓器はよぉ、ついさっき取れたばかりの魔獣のもんなんだよ!保護魔獣を見る医師のバイトで手に入れた貴重なもんだ。工房への卸値は三十万。器だって<保存(プリザベーション)>の掛けられた高いもんだからなぁ!もし落としたら――責任には金が付きもんだぁ。気を付けて持っていけよぉ。人の命がこれにかかってんだぁ。完成した薬を待つ人間がごまんといる。いいなぁ〜?」

 

 くどいほど念押しされるが、人命救助のための物とあれば理解もできる。しかも、運賃だけで十万も払い、ロスボスはきっと仕入れ値もかかっているし、入場料に三万もかかっている。さらにいえばあの無能のデフロットにも金を払っているはずなのだ。手元にはそんなに多くは残らないだろう。

 それだけ責任が重い荷物を任されている事にリシャールは笑みがこぼれてしまう。

「もちろん分かっている。任せておけ」

「ククク――。景気付けを一杯送るぜぇ〜。じゃあ、また明日頼むからなぁ!!」

 

 ロスボスはククク――と楽しげに笑いを漏らして去っていった。

「……やってやる!」

 劇場の席に戻ると、リシャールの下にはすぐにいつもの酒が届いた。

 鑑賞の邪魔にならないように店員はサッと消える。

 すでに程よく酔った体に大好きな一杯が染み込んでいく。

「――っカァ!」

 いつもより度数が高い気がした。

 景気付けにはもってこいだ。

 二時間程度のショーを眺め、お楽しみの時間を終えるとリシャールは十万のために大急ぎで出発した。

 今日の行き先は初めて行くところだ。

 正直、無能のデフロットをわざわざ挟む必要はないんじゃないかと思う。

 工房までリシャールが直接持って行って、二十万というのはどうだろう。

 給料は後日に直接ロスボスから受け取れば良い。ロスボスは後日金を渡すなんてと言って気を使うかもしれないが、そこはリシャールが大人になって「気にするな」と肩を叩いてやるところだろう。

 

 リシャールはふふふ、と楽しげな笑いを漏らして乗合馬車(バス)にゆられた。

 

 心地良い揺れだ。

 今日は十万手に入るし、デフロットの野郎を排除できれば二十万。

 それほど金が手に入ったら、五回も働けばあのユニコーンの短杖(ワンド)を手にできる。

 そしたら、皆驚愕に目を剥くだろう。

『あら?その杖、どうされましたの?』

『よぉ、レオネ。少しばかり働いて手に入れたのさ。近頃俺の将来性を見込んだ男と組んでいるんだ』

『将来性?まぁそうでしたの。やっぱり、本当に特別なのはあなただけでしたのね……。わたくし、気がつくのが遅すぎたわ』

『気にするなよ。俺は心の広い男だ』

『許してくださる?』

『当たり前だろう。お前も頬を打った俺を許してくれるか?』

『そんなものとっくに治りましたわ。だから、ね』

『ふふふ、可愛い奴だな』

 レオネが自分にまたがり、口付けを送ってくる。

 その柔らかさにリシャールは「へへ」と声を上げた。

 

「ククク――」

 

 ふと、耳元で笑い声がした気がした。

 そんな笑い方、レオネには似合わないぜ。

 レオネはリシャールをゆするようにその上で乱れた。

「――よ」

「へへ」

「――お客さん」

 お客さん?俺はお前を買った覚えなんて――

 

「終点ですよ」

 

 リシャールはそこでハッと目を覚ました。知らない男がリシャールの肩を揺すっていた。

「え、終点!?」

「この乗合馬車(バス)はこのまま車庫に行くんで降りてください。もし戻られるようなら折り返しは向こうから出ますから」

「た、大変だ」

 慌てて乗合馬車(バス)を駆け下りると、自分が手ぶらな事に気が付き車庫係へ駆け戻った。

「す、すみません!!荷物が中にあるはずなんです!!」

「荷物?ありませんでしたよ」

「そんなはずない!!」

魂喰らい(ソウルイーター)は止められないんで勘弁してください。――あ!」

 リシャールは車庫係を押して動き続ける乗合馬車(バス)に飛び乗った。

「――何も残ってはいない。降りろ」

 運賃を受け取ることしかしない、普段言葉を話さないリッチがそんな事を言った。彼らは顔が怖い事があると言う理由で黒いベールを顔にかけているので表情が読めない。

 だが、リシャールは諦められずに客車へ乗り込み自分が座っていた場所を確認した。

「な、ない……ない……!」

 客車はどんどん魂喰らい(ソウルイーター)に引かれて車両基地へ入っていく。

「お客さん勘弁してくださいよ。戻る最後の便も出ちゃいますよ」

「さ、最後の便!?今は一体何時――いや、それより、でも本当にないんだよ!!」

「リッチさん、落とし物のお届けはありましたか?」

「本日は一点、これだけだ」

 入り口に立つリッチが螺旋階段の下へ振り返る。

 リシャールはそちらへ駆け寄ると――リッチの見せた物に酷く落胆した。

「あらら、可哀想ですね」

 女児が着ける小さな髪飾りのリボンだった。

「……盗まれたんだ。ど、どうしたらいい?」

「うーん、困りましたねえ……。乗合馬車(バス)の中には死の騎士(デスナイト)はいないですし、衛士の所で話をするしかないですよ。こちらの便の名前をお伝えしておきましょうか?」

「頼む!!」

「ガンバレイーター五四六便です」

「……本当にそんな名前なのか?」

「えぇ。昔神王陛下が可愛い魂喰らい(ソウルイーター)にそう名付けられました。きっと子供にも馴染み深いようにでしょうね」

「……なるほど。さすがは陛下……。とにかく助かった」

 リシャールは大慌てで反対向きの便に乗った。

 時刻は深夜一時を回っていて、本当にこれが最後の便なのだと理解する。

 魔導学院の近くまで慌てて帰ってくると、衛士の詰め所へ駆け込んだ。

 

 高価な品を盗まれたことを告げ、ガンバレイーター五四六便に乗っていたことを説明した。

 衛士は夜行性の蠍人(パ・ピグ・サグ)狼人(ライカンスロープ)の男で、「うーむ……」と唸り声を上げた。

「何時間も乗りっぱなしで、往復する魂喰らい(ソウルイーター)便に乗り続けてたわけですよねぇ……」

「そ、そうなってしまう。いつ盗まれたか分からないんだ。高価な錬金素材だったから、もしかしたら早々に撮られてしまったのかも!飲みすぎたせいで寝てしまった!!」

「……あなた、人間ですよねぇ。今いくつですか?」

 リシャールはハッと口をつぐんだ。

 蠍人(パ・ピグ・サグ)の衛士は手元の紙にコツコツとペンを下ろし、ため息を吐いた。

 そして、狼人(ライカンスロープ)が尋ねる。

「君、まず家はどこなの?」

「い、いや。寮住まいで……」

「それは職場の?それとも学校の?」

 リシャールは答えられずに黙りこくった。

「あのねぇ、黙ってちゃ分からないでしょう。荷物だって探しにいくから、今更だとしても早くしないと見つからなくなるよ。どこの寮なの?」

「……魔導学院のです……」

「はぁー。エリートさんなんだからつまんない問題起こさないでよ。特有の悩みもあるかもしれないけどねぇ。寮まで送るから」

「あ、あの……俺の荷物はどうなるんですか……」

「俺の鼻に賭けるしかないよ。一応君の匂いがする物を一つ置いていってもらうからね。それを辿って、乗合馬車(バス)のルートを回ってみる。――いいな?夜生(ヨセイ)

「あぁ。グレヴィ頼むよ。こっちで書類は作っておく」

 リシャールは仕方なくハンカチを一つグレヴィという衛士に渡した。夜生という衛士は二人を見送った。

 

 寮の前に着くと、リシャールはちらりとグレヴィを見上げた。

「あの……ここで」

「バカ言わない。寮父さんに一応話をしておかないといけないんだから」

「な、なんで!俺の心象が悪くなるだろ!!」

「あのねえ。君が授業受けてる日中に荷物が見つかったらどうするの。高価なものだって言うし、こう言う事情で来たって最初に顔を通しておいた方がいいでしょう。もしかしたらそのまま寮父さんに預けることもあるかもしれないんだから。それに、君未成年なんだよ。本当なら両親に引き渡すけど、君は今寮と学校に守られてるの」

 リシャールは絶対にグレヴィが帰らないことを確信すると、仕方なく二人で寮に入った。

 

 寮父達――ほとんどが修道士だったりする――はもう寝ていたので、グレヴィは仕方なく寮父長の部屋に声をかけ、リシャールはそれが終わるのを談話室でじっと待った。

 

 どれほど待ったかも分からない時間、リシャールは荷物のことだけを考えていた。

(……あの錬金素材達を入れられなかったら、一体何人が死んでしまうんだろう……)

 背がゾッと冷え切る。

(い、いや。冷静に冷静になれ……)

 命に関わる程の病気や怪我は軽くするための治癒魔法を受けて延命させてもらえるはず。また同じ素材が手に入るのを待つだけの時間は十分にあるだろう。

 高価なポーションの材料だとしたら、冒険者達は冒険に出るのを少し見送れば良いだけ。

 大丈夫だ。リシャールのせいで死ぬ人は一人もいない。

 となると、次の心配事だ。

 

(工房と契約が打ち切られてロスボスは路頭に迷うんじゃないか?いや、あいつは保護魔獣を見るバイトをしていると言っていたし、その金で慎ましやかに過ごさせれば流石に路頭には迷わないか。だが、もう劇場では会えないかもしれないな……。あいつは随分劇場が好きだったけど。これからの荷物の受け渡し場所は変えようと説得したほうがいい。そうだ、俺は別に荷物を落としても痛くも痒くもないんだから、今はあいつの心配をしてやらなきゃならない。あいつはいつも酷く酔っ払って届け物に行かれないなんてバカなことを言ってたじゃないか。俺が支えてやらなきゃならないんだ……)

 

 そして、ふとリシャールは大切な事に気がついた。

 責任には金が付きもの。

 リシャールがあの時サインした書類には何が書かれていたのだろう。

 まさか、十万請求されるのだろうか。いや、卸値の三十万を請求されるのか?

 常識的に考えたら、仕入れ値のような気がする。五万とかだろうか。

 それでも、新しい短杖(ワンド)を買いたいリシャールには痛手だ。

 

 しばらくすると、寮父長の部屋から寮父長とグレヴィが出てきた。

「では、自分はこれで。荷物の捜索に出ますので」

「夜分遅くに申し訳ありません……」

「いえ、自分の時間はこれからなので。――エクスナー君、また明日夕方ごろ報告に来るからね」

「え。ゆ、夕方は困ります。出かけなきゃいけないのに」

「……はぁ。君ねぇ……じゃあ、何時ならいいの」

「消灯の頃なら……。夜行性だから平気ですもんね?」

 それを聞くと寮父長はリシャールの首根っこを引っ掴んで後ろに下がらせた。

「夕方で結構です。衛士殿の都合のいい時間にいらしてください」

「……一応、遅い時間になるように努力はします。それでは」

 

 グレヴィは踵の上がる爪先立ちの足で軽やかに立ち去っていった。

 

「はぁ……見つかるだろうか……」

 リシャールが呟いたその瞬間、パンっとリシャールの頬は打たれた。

「え」

 じぃんと熱くなる頬に触れ、リシャールは寮父を見上げた。

「エクスナー。お前は学院と規則、法をなんだと思っている。多くの人々に迷惑をかけて、どう言うつもりだ」

「で、でも、眠くて仕方なくて……」

「酒を飲んで酩酊したと正直に言いなさい。私は今からお前の家へ手紙を書く。それから、お前には当面の間登校以外の外出を禁ずる」

「そ、そんな!俺は錬金素材を運ばなきゃいけなくて、錬金素材を届けられなかったことを報告に行かなきゃ――」

「私が行く。私と生活課の先生方が行って謝ってくる。依頼書を出しなさい」

「い、いや。生活課の依頼バイトじゃなくて」

「なんだと?お前は誰に何を頼まれたんだ」

 リシャールは悩んだが、代わりに謝りに行ってくれるならその方が良いかと計算をした。

 

 これまでの経緯や、ロスボスが自分を買ってくれていること、劇場の廊下でのことを全て話した。

「――それで、俺はロスボスが心配で」

 寮父は黙って立ち上がった。

「お前は、学院始まって以来の愚か者だ。お前は操られている」

「な、なんですって!?いくらなんでも失礼でしょう!!俺の力と将来性を評価して、自分が医院を持つときの後押しになると思ったから――メリットがあると判断したからこそ、代価を多く払って俺とのコネクションを持とうって言うんですよ!!」

「お前は明日、登校もしなくていい。ここから出る事は許さない。絶対にだ。私は学院にも、神殿にも行かなくてはいけない」

「な、なんで神殿にまで!!」

「下手をすれば聖典が必要だ。もうお前は休みなさい。いいな、絶対にここを出るんじゃないぞ。ここは神聖な――どこよりも安全な場所だ」

 

 寮父長が立ち去ると、リシャールは手近なところにあったテーブルをひっくり返した。

 

「絶対に抜け出してやる……!!」




大人の支配からの脱却だ!!
レオネぶっ叩いた分ぶっ叩かれてくれて良かった!

そして、アナ=マリア、イシュー、レオネ、オリビアを捧げます!!

【挿絵表示】


次回!明後日!
Re Lesson#22 処遇


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Re Lesson#22 処遇

 寮父長、グレーグ・アレク・サンディションは朝早くから魔導学院の会議室に来ていた。

 魔導省から出向して来ている者も含めて多くの一年教員が呼び出され、皆が騒然としていた。

 

「わ、私の管理不行き届きで生徒一人がとんでもない目に……」

 サンディションは額の汗を拭いた。

 リシャールの教室――C組を受け持つミズ・ケラーは頬杖をつくように額を押さえ、顔を上げもせずに答えた。

「……ミスター・サンディションのせいではありません。それをいえば、私の管理が行き届いていなかったのでしょう……。恐らくこれは犯罪集団"欲望の種"。聞き及ぶ話と手口が全く同じです。神都外の学校で少し前にあった話のようですが……よもやここまで来ているとは……」

「……エクスナーには今日は外出をしないように言い含めてまいりました。私はもう神殿へ行きます。もしかしたら、衛士達をまとめる大元帥殿や行政機関長殿、立法機関長殿、司法機関長殿、三色聖典長の前でも話をしなくてはいけないかもしれません。"欲望の種"の根絶のためには、ともすれば陽光聖典などの部隊にお出ましいただく必要もあるかもしれませんから……。それでは、お先に失礼致します」

 教師達は皆頭を抱える。生徒の処遇の決定に口を出す権利のないサンディションは現状報告を終えると早々に部屋を後にした。

 

 ここまで話を聞いていた、信仰科A組のミスター・ヴェリンはギシリと音を立てて椅子に深く座った。

「ミズ・ケラー。少し話は逸れますが、以前信仰科全体で注意して見てほしいと仰っていたミス・エップレはもう平気だと仰っていましたが、その後は?まだ外科医院へ行き続けている様ですが」

 

「ミス・エップレは耳を落とす所まで行きましたが、特進科A組のスズキ君が治癒を行い、本人も説得されました。彼女は幸運なことに、善良な――少し私達とは価値観に相違があるだけの医術師にかかったようです。今は年相応のおしゃれに留めているようなので、行かせています。念の為私も場所を聞いて外科医院の訪問を行いましたのでご安心を。本人の望むことを叶えるつもりはあっても、そうでない場合の無理強いは望まないとの事です。さらに言えば、そこの医術師――ヘレフォード医師は隣町ではミノタウロスの人権問題と同時に、ミノタウロスの危険性について講演されている著名な方でした。賢者食が一般化しつつある今、人間種が信頼していいミノタウロスは国籍を持つ賢者食の者だけであると、大胆な発言が有名なようです」

 

「その言葉は私も聞いたことがあります。それほど著名な方が子供の耳まで落としてしまうなんて……」

 

「そこは一重に種族による価値観の違いとしか言いようがありません。ヘレフォード医師の話によると、ミノタウロスの国では毛を赤く染めたり、幼い頃からツノが天に向かって生えるように矯正したりする治療が一般的に流行しているそうです。それに、気に入らなければ頬骨を削って顔の形を少々変えるくらいのことも全く普通だとか」

「待ってください。毛を赤く、ツノを天に向ける?――クレント先生、あなたの所のスズキ君と一緒にいる一郎太君。彼は大丈夫なんですか?万が一スズキ君に悪影響でも出たら……」

 

 クレント教諭は強く頷いた。

「私のところの一郎太は生まれつきのものです。彼は決して道を間違えません。いや、間違える余地すらないのです。スズキ君もいますし、何より本人に強い信念があります」

「かなり信頼が厚いようですね。安心しました。それにしても……今年はある意味少し参りましたな。スズキ君、彼は何もかもあまりにできすぎている。我々教員にも責任はありましょうが、中には強い劣等感を抱いてしまう生徒がいる事も仕方がないと言わざるを得ない。信仰科に来て数日一緒に授業を持ってくれた時、正直に言えば私なんぞより彼はよほど優秀に生徒を導いていた。魔法だって……彼、教員にならないかな……」

 

「――それでも彼は十六歳の子供にすぎません。ご両親の正しい力の使い方を学んでほしいと言う願いはもっともでしょう。彼は決して潰してはいけない人です。過度な大人の期待を被せてもいけませんし、大人の尺度で彼の立場を決めてもいけません。彼も一人の生徒なんです。私達が教えられることは必ずあります。ミスター・ヴェリン、彼を守られるべき立場に留めてください」

「い、いや。これは失礼。それはそうです。私まで少し弱気になっていました」

 

 ミスター・ヴェリンが深々と頭を下げる。

 特進科B組を持つゾフィ・ノイアは向かいにいるミスター・ヴェリンにそっと水を差し出した。ミスター・ヴェリンは一気に飲み干し、口を拭って頭を下げた。

 それに頷き、ゾフィは口を開いた。

 

「私の正直なところを言わせていただきましょうか。私は教員なんかじゃあない。できることは魔法を教えること、それだけ。その私から言わせていただくとすれば、そのエクスナーという生徒は退学でも十分でしょう。"欲望の種"と繋がって芽を出したどころか、もう花も咲いて実を付けている。収穫は間近さ。最初に金を渡さないことで次の日も高額な入場料を払って現れるかどうか、バカの基準を明確に定めてやってる。内容も読まずに書類に母印まで残して、何を請求されるか分かったもんじゃない。金で済めばいいが――師が大切に育ててきた学院の事も口走っているようだし、ここの他の生徒達にまで危険が及ぶのはまっぴらごめんさ。私はB組の奴らを魔導省や魔術師組合に引っ張り上げてやらなきゃならない。エクスナーはその使命の邪魔になる。もう家へ帰してしまったほうが良いんじゃないかい?」

 

 話を聞いていたD組のミズ・ベレズネフの瞳の中に正義の色が浮かんだ。

「――ですが、エクスナー君をここから放り出せば"欲望の種"に何をされるか分かりません。魔導学院は鉄壁なのです。どんな堅牢な城よりもここは安全でしょう。第四位階を操るゾフィ先生やクレント先生をはじめ、パラダイン様もおります」

「"欲望の種"はエクスナーの地元のエ・ナイウルまで追っていくのかねぇ」

 ゾフィは足を組むと、キセルを取り出して煙草を詰めた。そして、自らの持つ徒弟がいくつかの書類を抱えて来ると、それを机の上に広げて軽く目を通しはじめた。

 

 彼女の疑問に答えたのはミズ・ケラーだった。

「……追うでしょう。少なくとも、エクスナー君の失くしたという錬金素材の上げるはずだった売り上げ額と、これまで支払った額を取り戻すまでは追います」

 ミスター・ヴェリンはミスター・バッティと目を見合わせた。

「それを学院が守ってやるというのは、いささか無理がある話では?三年守れたとして――いえ、最長で魔導学院研究室でさらに三年を過ごしたして、全部で六年です。六年間彼を敷地から出さずに見守るというのは現実的ではないように思います。被害のあったよその学校の生徒はどうしているんですか?謝罪のお金を払わせてなんとかなりませんかね」

 

「最終的には親が多額の金を支払い、家を引き払ってその後一家がどこへ行ったのかは不明……というのがほとんどの場合です。高額で錬金素材を運ばされ、教員とのやり取りや指導が増える試験期間に入る前に、こうして使い捨てのコマのようにサインを迫られる……。中には最初の時点でおかしいということに気が付いた子供もいて、そういう子は逃げ切っているようですが」

「その話、以前二つ隣の市で聞きましたよ。噂ではミノタウロス王国へ渡らされ、奴隷として過ごしていると。それに応じる書類にサインと母印があり、手の出せない所に消えるそうです」

「……はぁ。あちらは治外法権ですからねぇ……。しかし相手が悪すぎる。エクスナーには最初から騙されていたとまずは分からせないといけません」

 

 キセルから口を離し、ポカリと煙を吐いたゾフィはおかしそうに笑った。

「それを認められる奴は引っかからない――そう思うだろう?自分の優秀さと将来性に相手が投資していると盲信しているうちは難しいねぇ。ははは」

「笑い事ですか!」

「おっと、これは失礼。私も、この引っかかっているのがスズキ君やうちのリッツァーニ君なら本気を出せるかもしれないけれど……この子じゃあ厳しいね」

 机の真ん中にシュッと放り出された紙を教員達は覗き込み、ため息を吐いた。それはリシャールの成績や利用できる魔法などが書かれている生徒情報だった。

「……全て不可直前じゃないか……」

「本人にもやる気がないんじゃ仕方がないことさ。それに、ミズ・ケラー、この備考はどういうことなのかな?」

 

 ゾフィはこんこん、とキセルで一番最後の欄をたたいた。

 

「……彼はミス・ローランという女学生に手を挙げています。学外でのこともありますが、彼女の顔を叩いたり、腕を引っ張ったりしたそうです。顔は治癒を要する傷だったとか……」

「なぜ目をつぶってらっしゃるんです。すでに停学処分が下りていない事が不自然に感じるけれど。――ローラン君のこの時間外校内待機も気になるが、それと差し引いた判断ということかな?」

 ゾフィはさらにレオネの生徒情報を放った。

 

「いえ……。時間外校内待機は事故でした。準備塔内で彼女が作業をしていたことに気が付かなかった生徒が鍵をかけ、可哀想に閉じ込められていたのです。彼女はとても真面目な生徒です」

「では学外だった故に裏が取れないということかな?訓戒もしていないようだけど」

 

「――彼と、ミス・ローランに関しての話し合いを持つ事は、ミス・ローランのご両親から控えるように言われています。ミス・ローランのお父上は大神殿で"(さかい)"の神官長補佐をされていて、顔への暴行があった際には同僚にあたる神官達が大神殿内で一部始終を目撃しています。あまり冷静な性格ではなく、何をするか分からないのではないかと……。お父上はことが大きくならないように取り計らってほしいと仰っているのです」

 境の神官団は数年前に生まれた新しい枝葉だ。

 闇の神官、光の神官、境の神官。

 天と地を司る神々の境――神の子に仕えることを主とした神官団にあたる。

 天と地の間に生まれる全ての生を祝福する彼らは大神殿以外に神殿を持たず、普段は仏教や土着信仰の管理とそれを一つの文化として守る――大神殿とその他宗教の境を守る働きもしているらしい。

 

 教員達の温度は次第に下がりはじめていた。

 

「……可哀想ですが、そのミノタウロス王国への奴隷として売られるという話もどこまでが真実かわかりませんし、今回は一度停学処分か謹慎処分を下して様子を見ますか?」

「神官は生ぬるいんだねぇ。今日の出席停止もどれだけこの問題児に効いているやら。自分が守られるために出席停止になっていると理解しているかすら私にはわからないよ」

「ですが、チャンスは与えるべきです。これが彼の最後のチャンスです。これ程のことを起こせば流石に心を入れ替えるでしょう」

「はぁ。分かった分かった。神官様の大好きなチャンスだね。私は引っ叩かれたローラン君に同情するよ。これだけできる子が怖くなって登校できないなんて事にでもなれば社会的損失になる。親も地位がある人間だっていうのにやり切れないだろうさ。――他の皆さんは?ジーダ、君はどう思う?」

「私は陛下方にチャンスをもらった身だからね。何も思うところはないよ。一点申し上げるならば、謹慎ではなく停学として、親も一度学院に招いた方が良さそうだとは思いますがね」

 周りの他の教員達も頷く。

 

「それでは、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナーの最後のチャンスと、彼の身の安全のため、停学処分としましょう。期末考査もあるので、あまり長い期間は――」

 教育科の教師が話をまとめようとしていた時、ノックと共に間髪開けずに扉が開いた。

 

「――失礼、遅くなりましたな。ふぅほぅ、いやぁ暑いのぅ」

 入ってきたのは薬学科錬金術担当の蛾身人(ゾーンモス)、ステ=ブルだった。ふわふわの首の毛が汗に濡れている。

「ああ、ステ=ブル先生。今話がまとまったところでした」

「どのように?場合によっては覆さねばならぬ」

 教員達は目を見合わせ、首を傾げた。

 

「……ちなみに、ステ=ブル先生はこれまでどちらで何を?」

 それまでステ=ブルがどこで何をしていたのか知らなかった多くの教員の抱いた疑問だ。

「我は問題のリシャール・フラッツ・リイル・エクスナーが昨日着ていたものを寮父――サンディション殿から一時的に預かり、少しばかり検査をしておった。もし、その失くしたという錬金素材を見付けてやれば件の怪しい者達に返して手を引いてもらえるかもしれんからのぅ」

「あぁ……それは大変でしたね。狼人(ライカンスロープ)の鼻が効く衛士の方達が夜に人が少ないタイミングで探してくれているはずですが、あちらの報告はまだですよね。それで、見つかりそうなんですか?」

 

 場合によっては停学ではなく謹慎で済ませてやれるかもしれないという雰囲気が教員の中に広がった。

 ステ=ブルはよいこらせと席に座り、何はともあれ一度机に置いてあるコップとピッチャーを手にした。

 蛾身人(ゾーンモス)には神都の夏がよほど暑いと見え、注がれた水はすぐに飲み干された。

 

「ほぅ……。バロメッツちゃん達の苦労がわかる……。我も毛を減らしたいのぅ……」

 ステ=ブルはそんなことを呟いた。周りの教員達は思わず笑いを漏らし、「今年は特に暑いですからねぇ」と、クレント教諭の魔法で涼しくされている部屋で肩の力を抜いた。

 

「さて、お待たせしましたな。荷物についていい知らせと悪い知らせがありますが……どちらから?」

 ミズ・ケラーはせめて「良い方から……」と答えた。

「では、良い報告を。痕跡を辿る薬剤での反応は上々ですぞぇ。これは魔導学院研究室の三年が一昨年の卒業生から引き継いだ研究で、ついに実を結んだ事に皆朝から祝杯モードになっておる。向こうで監督しているラブ=ルル先生も一緒になって酒を持ち込んでどんちゃん騒ぎじゃ。あぁ、もちろん一年の未成年の研究生は飲んでおらん。二年と三年だけぞぇ」

「おぉ!素晴らしい。悪いことばかりではありませんなぁ!」

 教員達の中から拍手が上がり、ステ=ブルも満足げに数度頷いた。

「全く全く。乗っていた乗合馬車(バス)の走ったルートに錬金粉を撒かなくてはなるまいが、これがあれば恐らく荷物の下へは辿りつけようぞ」

「流石魔導学院研究室!きっと皆、卒業後は望む所に勤められるでしょう!魔術師組合の研究所を上回る成果です!」

「ほほ。荷物の場所まで粉が足りることを祈っておってくれ」

 

 和やかな教室の中で、ミズ・ケラーは賞賛が収まるのを待ってから、次の質問をなげかけた。

「それで、悪い知らせと言うのは?これほど良い知らせの後なら、覚悟もできましょう」

「そうであったな。では、申し上げようぞ。悪い知らせと言うのは、この足跡を辿る薬剤――仮称雲路探知属性変化試作八番赤色は、ある一つの物質の痕跡しか辿ることができないようである」

「……と仰ると?」

「そも、仮称雲路探知属性変化試作八番赤色は風に乗って飛ばすことで空気中に僅かに残留する物の気配と匂いに同時に反応を示すのだが――」

「んん、その、仮称雲路……の使い方などはまた後ほど学会で。神官の身には少々難しく思います。要点はなんでしょう」

 

 ステ=ブルは素晴らしい研究の説明ができなかった事に若干の不服感を持ったようだが、すぐに気を取り直して口を開いた。

 

「雲路八番は、コカの痕跡しか追うことはできぬ。あれは属性的にも毒性的にもピカイチぞ」

 

 しん――と会議室が静まり返る。

 それぞれ教員達の胸の中にある魔法の懐中時計や手巻き時計がカチカチカチカチ……と細かな音を上げていることすら聞き取れた。

 

 誰も何も言わない空間で、ゾフィは立ち上がった。

 

「私はもう行くよ。リシャール・フラッツ・リイル・エクスナーは今この時をもって学院の手を離れたんだ。ここから先は司法と衛士達の仕事さ。コカの所持、密輸は重犯罪だからね」

 ローブを掴み、後ろに控えていた徒弟を引き連れてゾフィは部屋を後にした。

 苛立ちすら感じるような扉の閉め方だった。

 

 再び静まった会議室内で、あまり関係のない教育科と普通科の教師達も出ていく準備を済ませ、一言挨拶を残して去っていった。

 

 魔導省から出張してきている特進科の教諭三名と、薬学科の教諭四名、錬金術担当のステ=ブル、信仰科の教諭四名がその場に留まった。

 そして、クレント教諭が口を開いた。

「雲路八番の量産が可能か魔導省の錬金部隊に確認を取らせていただきます。場合によっては評議州の個人治癒工房にもご協力を仰ぐかもしれませんが。新興犯罪組織"欲望の種"の一斉摘発ができれば、魔導省も魔導学院も大きな功績となりますし、嫌な顔はされないはずです。魔導省出向の我々は午後の魔法実技の授業を自習として魔導省へ戻ります」

 残る二名のフールーダの高弟――アンゼルム・テレム・ニス・ルーマンとエッケハルト・リック・サモアも立ち上がった。

 

「後のことは任せます。――ステ=ブル先生、薬学研究室は祝賀会をしているようですが、ラブ=ルル先生と、場合によっては何名かの生徒を借ります」

「魔導省のお方々が思うようにしていただいて一向にかまわぬぞぇ。ただ、二年と三年はもうベロベロに酔っ払っておるかもしれんなぁ」

「ふふふ、助かります」

「――我々も一緒に行きましょう。一言祝いを言ってやらねば」

 ぞろぞろと特進科と薬学科の教師達も部屋を後にしていく。部屋からは一気に七名が減った。

 ジーダは扉を閉める前に、部屋の中へもう一度振り返った。

「――裁判に掛けられれば、運んでいた物がコカではないかと思いもしなかったと、真実を口にするでしょう。大丈夫ですよ」

 

 扉はパタリ……と静かに閉じられた。

 

 信仰科四名とステ=ブルだけになった部屋で、ステ=ブルは手近な灰皿を引き寄せ、自ら調合している葉巻を咥えた。

「今、少し"欲望の種"と言う言葉も聞こえておったが、信仰科の生徒はとんでもない事に手を出したようだのぅ」

「……お恥ずかしい限りです」

「いやいや、ここは幼稚舎ではあるまい。生徒の躾なんぞは我らの仕事とは言えぬ。なんと言っても、栄えある魔導学院ぞ。――それはさておき、クレント先生は件の生徒がコカだと思いもしなかったと言うだろうと仰ったが、そこはどうであろうか」

 ミズ・ケラーはハンケチで額を拭った。

 

「……正直なところを申しますと、思いもしなかった、と言うことはなさそうなのです」

「やれやれ。それは本人がそう?」

「ミスター・サンディションが昨夜エクスナー君から話を聞いた所によると……ヘレフォード外科医院が自らの商売のために、よそのミノタウロスがコカをばら撒いていると言いがかりをつけ、自らの仲間のミノタウロスの開業を邪魔していると言う話も出ているようです。一度でも持っている物がコカではないかと疑わなかったか……そう査問によって問われれば、ノーとは言えないのではないかと思います……」

「八方塞がりぞな。もう司法へ引き渡した方が良い。そうすれば、犯罪組織もむしろ手を出せぬ」

 

「しかし彼の実家も暴かれているのです……。私はどうしたら……」

 ミズ・ケラーは泣いてしまいそうだった。美しく老いた女性のそう言う姿は非常に胸が痛かった。

「……我も関係を持ったことがないとは言え、可愛い生徒の一人だと思っておる。助けられるなら助けてやりたいが、何かをすれば犯人隠匿ぞぇ。実家には今日中に到着するように速達を出し、しばし一家で身を隠すように注意をするのが関の山ぞ。後は教育科の先生方ならもう少し司法的に良い手を考えてくださるかもしれぬ。学院からの最後の愛情じゃ。――退学になる犯罪者にここまでしてやる学校も少なかろう」

 

 では、と葉巻を吸い終わったステ=ブルは柔らかな草原の香りを残して部屋を後にした。

 

 信仰科の教師達はその後、最も早く手紙が届くように急いで手配を進めた。

 

 認められた内容は多岐に渡るが、大まかには以下のようになる。

 

 ――当該生徒がコカの運び屋として金銭を受け取っていた旨。

 ――学院で守れる域を超えてしまっている旨。

 ――停学に留めようと一年の全教員が尽力はしたが、今回は残念ながら退学となる旨。

 ――家族の安全も保証できず、本日からしばらく一家で身を隠すのか、衛士の詰所に世話になった方が無難だと言う旨。

 ――本来ならば退学とともに退寮となるが、当該生徒は十分な注意を払った親の引き取りまで学院敷地内にて謹慎とし、安全な学院のもとに残すと言う旨。

 ――ただし、司法による引き渡しを命じられた場合はこれに則らない旨。

 ――最後に、迎えの際は頬を打った女子生徒へ速やかに謝罪を行うように、と。

 

 実に書類二十五枚に及ぶ手紙だった。いや、公用文字の物とリ・エスティーゼ文字の物を用意したので、総枚数で言えば五十枚だった。

 

 手紙はその日の夕刻にはエクスナー家に配達された。

 

 リシャールの父、ベリーゼ・フラッツ・リイル・エクスナーは全文を読むとワナワナと手を震わせた。

 今日は長男のセラミも忙しい公演の間を縫って実家に来ているし、長女のグレーテもいる。

 無論妻のレーシーも、リシャールの祖父にあたるハンフリーもいる。

 夕食前、長男のセラミが紺碧の鱗で有名な歌を聞かせてくれていた美しい時間だった。

 歌が終わると、祖父ハンフリーは幸せそうに手を叩いた。

「こんな素晴らしいものを間近で見られるなんて幸せだのう」

「ふふふ。ありがとう、お祖父様。今の公演が終わったら次はいよいよ紺碧の鱗なんだ。僕は神官にはなれなかったけど、人々に陛下方の素晴らしさを伝えられる者になれそうだよ」

「お前は本当に……。ありがとう、良い孫を持って私は本当に幸せに思うよ……」

 ハンフリーが目元を拭い、長女のグレーテは「大袈裟だなぁ。お祖父様は」と笑った。

 

「でも、兄さんもリシャールもすっかり立派になっちゃって、私は肩身が狭いよ」

「何を言っているんだ。グレーテだって立派さ。浜の女になるんだろう?僕は結婚はまだ先になりそうだから、君がお祖父様にひ孫を抱かせてやるんだ。一番の孝行者さ」

 グレーテは照れくさそうに――いや、幸せそうに笑った。

 

 ああ。この幸福が――。

 ベリーゼはぐったりと手を下ろした。

「あら、あなた。娘がお嫁に行くことにそんなに落ち込んで。ふふふ。今時流行らないわよ」

 妻がベリーゼの肩をさする。

 家族はおかしそうに笑った。

 

 だが、ベリーゼは静かに首を振ると、祖父と妻にはリ・エスティーゼ文字の物を、子ども達には公用文字の物を渡した。

 皆何事かと書類を覗き込み、いつしかその顔は青くなった。

 

 平和な世に生まれた子供達はこんな恐ろしい犯罪者達が今なお蠢動しているなんて信じられないという様子で、苦笑していた。

 だが、激動の時代を生きた両親と祖父母の様子がただならぬことを見ると、徐々にその認識は変わっていった。

 天下の魔導学院すらこれほど心配する、そう言う恐ろしい事態に巻き込まれているのだと。

 

「こ、困るよ!!身を隠すって言ったって、僕には公演があるんだ!!リシャールの馬鹿野郎!!」

「私だって詰所から出られなくなったら彼に会えないわ!それに、卒業年次なのにテストも受けられない!!これじゃ留年よ!!」

「ああ……なんと言う恥晒しが……。エクスナー家の名に泥をぬりおって……」

 

 三者三様の反応を見せる中、妻だけは――いや、母だけは立ち上がった。

 

「私、今から神都へ行きます。リシャールを早く連れ帰ってこなきゃなりません」

「い、今から!?着くのは深夜になるぞ!?」

「構いません。戻ってくることは難しくても、一晩私も寮に泊めていただき、朝の便で戻ります。その後は詰所へ行くので、皆は安全な場所へ身を隠しなさい」

「し、しかし……」

「良いですから。平和な治世とはいえ闇は蠢きます。まさかこんな遠くの街へ神都からわざわざ犯罪者集団が来るとは限りませんが、念には念を」

 

 呆然としていた祖父は顔を上げた。

 

「そうだ。ここは神都から遠い。違法的に入り込んでいるかもしれないミノタウロスがそう簡単に州を跨ぐことはできまい。そう……明日……いや、明後日にでも事情を話し、ナイウーア様にしばらく匿って欲しいとお願いしよう。今日の明日ではあまりに失礼だ。レーシーさんも、明日はここにリシャールを連れて戻っておいでなさい」

 身分制度が撤廃されたとはいえ、貴族達の間の序列は当時を生きた者たちの中で今もはっきりと生きている。

 妻は「明後日では……」と言葉を濁したが、ベリーゼが肩を叩くと、静かに引き下がった。

 祖父の言う通り、神都からここへ来るにはスレイン州を越え、ザイトルクワエ州を越え、リ・エスティーゼ州のいくつもの街を超えて来る他ない。

 

 子供達は嫌がったが、ナイウーアの私兵を貸してもらい、場合によっては冒険者も雇って劇場や学校から送り迎えをすると言うことで決着がついた。

 妻のレーシーは大急ぎで支度をすると神都、魔導学院へ発った。

 

+

 

 リシャールは二階の自室の窓からシーツを伝って外に出ることに成功した。

(ふふふ、この俺様を閉じ込めようと言っても無駄さ)

 

 窓からシーツが垂れ下がっている様は少しみっともないが、休日には掃除をしている生徒がシーツも布団も何もかも窓からべろりとはみ出させていることも珍しくないので悪目立ちはしていない。

 実際、今も四階の部屋の一室のまどからは布団と枕が干されているのが見える。天気のいい日、授業を受けているうちに干してふかふかの布団で夜は眠りたいと思う横着者は少なくない。

 寮父達はやめろと言うが、一階の庭まで布団を持って行って干すのがめんどくさい男子学生達がお利口に「はい、わかりました」と言うはずもない。

 特進科などは魔法一撃で布団から水分を飛ばせる者が多いので良いご身分だが。

 

 リシャールは夕暮れの神都を走った。

 

 念の為、持っている金は全部持っていくことにした。

 まさかこの二十万ウール――から入場料三万ウールを引いた全財産十七万ウール――を取られることもあるまい。

 今日はロスボスにいくらか酒を奢ってやった方がいい。必要があれば奴の当面の生活費にいくらか利子をつけて金を貸してやることになるかもしれない。

 

 リシャールは「それはいい考えだな」と自分の天才的な発案に震えた。

(……しかも、これをすればロスボスから俺への評価はまた一段と上がるはずだ。今回荷物は盗まれたが、盗んだ奴が一番悪いし、あの日俺に強めの景気付けを出したロスボスの責任も大きい。今少し揺らいでしまったかもしれない信頼関係を再び強固なものにして、さらに利子まで取れるわけだ!)

 まさしく一石二鳥だ。金をもらうと言う形から、金を渡すと言う形になるのもいい。

(素晴らしいほど完璧な計画だ……!ただでは転ばない男、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナー!!これほど頭が回るなんて、俺が首席じゃないのが不思議なくらいだ!)

 

 スキップをして劇場に入り、いつもの廊下に行く。

 ショーが始まると、リシャールは音楽に合わせて体を揺らした。

(――少し遅いな)

 まさか工房に素材を卸せなかったせいで入場料も払えなくなっているだろうか。

 一番ショーが盛り上がる所でちらりと中を覗こうとしたとき――目の前の扉は突然開いた。

 ふしゅー――と息を吐いたロスボスがリシャールのを見下ろしていた。

 

「ろ、ロスボス!良かった。遅かったから心配し――」

 

 その時、ふわりとリシャールの体は浮いた。

 途端に壁と床に激しく打ち付けられ、脳が揺れる感覚に信じられない程の眩暈を覚えた。

 

「よぉ〜。やってくれたなぁ〜?ぼっちゃん。ククク」

 痛みと混乱で何も言えずにいると、ロスボスはリシャールの前にしゃがみ込み、髪の毛を掴んでリシャールの顔を上げさせた。

 ――恐怖。

 リシャールの中を激しい恐怖が吹き荒れた。

 

「お前、昨日荷物を持って行かなかったそうじゃあねぇかぁ〜?俺様は仕事先から契約を打ち切られて、保護魔獣のバイトからも追い出されちまったんだよぉ〜。臓物を届けましたって言う証明が無いからよぉ、俺が着服して闇市に流したなんて言われてなぁ〜。どうしてくれんだぁ〜?俺はこの先どうやって食っていけばいいんだよぉ〜?」

 リシャールは恐ろしく大きい瞳に射抜かれながら、必死に息を整えた。

「だ、大丈夫。お、俺が生活費を貸してやるから。そ、それで、それでお前は大丈夫」

「なんだとぉ〜?お前よぉ〜着服した魔獣のハラワタを売った金をまずは出せやぁ。それは貸す、じゃなくて返すってぇ言うのが筋じゃあねぇかぁ?えぇ?」

「ち、違う。ぬ、盗まれたんだ。だから、衛士の詰め所にも行って探してくれって頼んである!」

「ほぉ〜?そいつぁ本当かぁ」

「本当だ!だから、そう苛立つな!!俺がお前に金を貸してやらなきゃ、お前は生活だってできないはずだろ!!」

 

 ロスボスは一瞬驚いた顔をした後笑顔になった。

 

「お前、今までで一番面白ぇやつだなぁ〜?ここまで筋金入りのバカは初めてだぁ」

「な、なんだと!俺を侮辱したらお前は一銭だって――」

 

 そう言った瞬間、リシャールの顔面に熱が襲った。

 何が起こったのかわからなかったのも束の間、それが顔を殴られたのだとすぐに理解した。

「う、うわあああ!!」

 鼻血がポタポタと赤い床に落ちた。

 劇場の中からは憎たらしいほどに場を盛り上げる音楽が鳴り響いた。

「良いからよぉ早く出せやぁ。金をよぉ」

「い、い、痛い!痛い痛い!痛い!!」

「ここかぁ〜?」

 ロスボスの手がリシャールのポケットの財布に触れると、リシャールはずるずると尻を引きずって下がった。

「てめぇ、もう一発ぶん殴られるのとどっちがいいんだよぉ。あぁ?」

「ひ、ひぃいいい!」

 ロスボスが拳を上げると、リシャールは大人しく財布を奪われた。

 中から十七万ウールと、小銭が全て取り出される。

 そして、財布は捨てられた。

「随分金は使ったみてぇだなぁ〜?楽しめたようで何よりだぁ。ククク。さぁ、てめぇはここから移動するぜぇ。――その鼻が痛そうで可哀想だからなぁ。悪かったなぁ〜。そんなつもりはなかったんだよぉ〜」

 ロスボスは突然猫撫で声になるとリシャールに肩を貸して立たせた。

 

 もしかしたら、こいつはとりあえず十七万で満足したのかもしれない。

 そして、今後の生活を考えて突然手のひらを返したか。

「こ、この馬鹿野郎!!今のも貸しだからな!!利子付けて返せよ!!」

「おぉ〜わかったよぼっちゃ〜ん。悪かったなぁ〜。さぁ、鼻を治しに行こうぜぇ〜?」

 せっかく入った劇場を出る。チケット売りや店員が「大丈夫ですか?」と声をかけに来ると、リシャールは怒りに叫んだ。

「大丈夫なわけがないだろうが!!治癒に行くんだよ!!」

 店員達は目を見合わせたが、それ以上何も言わなかった。

 

 夜に落ちた街に出ると、二人の前にはそっと馬車が止まった。

 無能のデフロットが御者をしていた。

 ちんけでつまらない荷馬車だった。

「おやぁ〜。リシャールぼっちゃん、大丈夫ですかぁ〜?」

「どいつもこいつも大丈夫か聞きやがって!こんなに血が出てるんだぞ!!早く神殿に連れて行け!!」

 ぎしりと荷台に乗ると、「へい、それじゃ」と馬車は動き出した。

 向かいに座ったロスボスは荷馬車の中にあった鞄を開けると、ガーゼやピンセットを取り出してリシャールの前に座り直した。正直あんなものは薬学科が使っているのしか見たことがない。

 

「ぼっちゃんはよぉ〜。どこまで治してほしいんだ〜?」

「とにかく痛みが引くようにだ!!」

「痛み止めは――一回分六万四千ウールだぜぇ?」

 

 ガタゴトと揺れる馬車の中でリシャールは息を詰まらせた。

「だ、だから神殿に行くんだ!!早くしろ!!」

「おめぇ、神殿に行くのかぁ〜!おかしいなぁ〜?なぁ、デフロットよぉ〜」

「本当だなぁ〜?リシャールぼっちゃんよぉ、お前は今からダランドの医院に行くんだぜぇ〜?」

「ダ、ダランド!?なんだそれは!!俺は神殿に行くんだ!!」

「お?ははは。おい、今回の名前はダランドじゃなかったっけかぁ?」

「はははははは!ロスボスだぁ!!」

 リシャールは二人が何を言っているのか分からず見開いた目で二人を何度も確認した。

 

「よぉ、俺様の医院に着く前に、お前とは約束の確認が必要だぁ」

「な、な、なんだ……なんなんだ……」

 ロスボスは紙を取り出してリシャールに突き付けた。

 リシャールはそこで、初めてその紙を読んだ。

 

「……委託者は、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナーに対し、運送業務を委託し、リシャール・フラッツ・リイル・エクスナーはこれを承諾する。運搬する物品の具体的内容は、嗜好品、薬品、移植用提供臓器などである。物品は性質上大変高額、デリケートであり、人命がかかっていることを十分に理解し……万が一紛失、破損の際には……」

 言葉を失う。

 続きが読めなかった。

 

「おい、早く読めよぉ〜?時間は有限だぜぇ〜?」

「……破損の際には……四千八百万ウールの支払い……債務を……負う……」

「あぁ、そうだよなぁ〜!!当たり前だよなぁ〜〜?その下もちゃんと目を通せよぉ〜?もし支払いができない時にはてめぇの親がそれを負担すること。親が負担できなきゃ――生きて行くのに問題がないてめぇの臓器を一つづつ売ること。それでも足りなきゃ親の臓器。まだ足りなきゃ――お前達はミノタウロス王国で働けぇ。飯になったっていいけどなぁ!?ククク」

 リシャールは紙を放り出すと馬車から飛び降りようと走った。

 だが、走ることもできずにロスボスに足首を掴まれてズルリと引き寄せられた。

 

「や、やめろ!やめてくれ!!放せ!放せぇ!!」

「ククク、クハハ、ウワァーハッハッハ!!てめぇはどうやって四千八百万ウールを支払うんだぁ!?親が払ってくれそうかぁ!?そうすりゃ臓器もいらねぇ!奴隷になる必要もねぇ!!さぁ、どうすんだよぉ!!」

 悪魔の叫び声にリシャールは泣きながら答えた。

「お、俺の家は裕福なんだ!!本当なんだ!!ナイウーア元伯爵閣下とも懇意にしてるんだぁ!!四千八百万くらい、すぐに出せる!!」

「本当だろうなぁ!?嘘だったら、お前は地獄を見るぜえ!?利息は十一(トイチ)だ!!十日で一割増えていくんだからよお!!言葉を変えりゃ、一日一パーセントの利息がかかってくんだぜぇ!?今日はてめぇ十七万しか出してないんだからよぉ、今日の利息だけで三十一万積み上がってることを忘れるな!!」

「ぼっちゃん、今出せるもんは全部だしとけよお!利息にだって、利息はかかんだからよお!!複利ってんだぜぇ!お勉強しろよなぁ!!」

 リシャールは泣きながら、新しく買ったばかりの付けている腕輪やネックレスを外した。

 新しいシャツも、新しい靴も、全てを差し出し、肌着とパンツ一枚になった。

 

 馬車から蹴られるように外に放り出される。

「こ、ここは……!?」

 引きずられながら、裏路地の建物に入った。

 そこにはぐったりと横たわる大量の人々がいた。

「な、な、なんだ!?なんなんだ!?」

「グワッハッハッハ!おめぇが荷物運ばなかったせいで、皆調子が悪そうだなぁ〜!?えぇ〜!?」

 ずるずると這ってきた女――上半身が裸で、歯も何本もなかった――が、ロスボスの足にまとわりついた。

「せ、先生、先生〜。お、お薬。お薬くださいぃ」

 ロスボスは女の顎を掴むと、「金はあるんだろうなぁ」と凄んだ。

 女は小さな皮袋を震える手で差し出した。

「おい、デフロット。数えろ」

 デフロットが即座に中を確認し、ニッコリと微笑む。

「大丈夫ですぜ。そいつは娼館でもよぉく働いてやがる」

「――おぉ〜!痛みが強いんですかぁ?お薬を打って少し楽になりましょうねぇ〜」

 突然優しい声音になると、女は腕を取られ、見たこともない道具を腕に当てられた。

 針のついた試験管とでも言うべきか。

「っひ」

 リシャールから悲鳴が漏れる。

 女は薬を投与されると恍惚の表情になり、「さぁ、回復室へどうぞぉ」とデフロットに連れて行かれ、デフロットだけがすぐに戻った。

 

「さぁ。――次はてめぇの番だ。そのままじゃあ帰れねぇだろ?こっちはコカより高い七万五千ウールだが、一回はサービスしてやるよ。痛みが止まるぜぇ」

「うははは!もったいねぇー!!ミノタウロス王国のアヘンとライラのミックスなんて滅多に使ってもらえないぜぇ!!」

「な、なんだ!?やめろ!!やめてくれぇー!!」

 針が腕に刺さると、リシャールの目の前はぐちゃぐちゃの絵の具がばら撒かれたように変わった。

 チカチカと綺麗で、鼻の痛みなどもう一つも感じない。だが、鼻にはペタペタとガーゼが貼られたり、何か治療を施された。

 そのまま訳もわからないうちにまた馬車に乗せられた。

 そして、「こいつを忘れるな!精々親に頼み込むんだなぁ!!」とパンツの中に紙切れを一枚挟み入れられて道に放り捨てられた。

 

 裸足でよたよたと見知った道を行く。

 今のは悪い夢じゃないだろうか。

 あんなに具合の悪そうな人々がたくさんいるなんておかしい。

 リシャールが素材を無くしたせいであんなにたくさんの人が苦しんでいる?

 いや、神殿に行って弱い治癒だけでも受けないあいつらが悪いんだ。

 女子寮の前を通り過ぎる時、女子達が叫んだ。

 

「……れおね」

 

 頭と視界に靄がかかる。

 リシャールはレオネを捕まえた。

「何こいつ!?はなしてよ!!」

 すぐにレオネは手を振り払い、女子寮からレオネがたくさん出てきた。

「えへ、えへえへ」

 笑っていると、頬を叩かれた。痛みはない。

「リシャール!!あなた何をやっているの!!」

「えぇ……?」

 母親に見える。でも、母親がこんなところにいるだろうか。

 おかしいなぁ、と思っていると寮に引き摺り込まれた。

 

『早く治癒を!!』『まさか薬物そのものに手を出していたとは――』『中位の――いや、最高位の解毒魔法を使える神官様を呼んでくれ!!』『さぁ手を貸してやる、立てるか!?』『なんという……』『先生!先生方いませんか!!エクスナーが戻りました!』

 

 顔の前でたくさんのじゃが芋がリシャールに何かを言っている。

 リシャールはそれがおかしくておかしくて笑った。

 

 次の瞬間には、リシャールの意識はもう闇の中に吸い込まれていた。




きゃー逃げてー!逃げて逃げてー!
いや〜ゾフィさん正論だったなぁ!

次回明日!
Re Lesson#23 こちらとあちらの再出発


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Re Lesson#23 こちらとあちらの再出発

 リシャールが目覚めると、寮の部屋だった。

 込み上げる吐き気に耐えがたい体の重さ。

 リシャールは何とか起き上がった。

「早く支度をなさい……」

「み、みず……」

「はぁ……」

 いつから来ていたのか母親がいた。

「あれ……」

 全部夢だったのかもしれない。

 そう思った。

 だって、部屋の中には何もない。

 リシャールの大切なものをたくさん飾ったりしていたのだから、これはおかしい。

 

 ああ、良かった。今日はきっと入学前準備に来たんだ。

 明日から素敵な学園生活が始まる。

 

 リシャールはへらりと笑うと、癖のように制服を着た。

 身支度を済ませていると、水を持った母が戻った。

「さぁ、帰るわよ」

「か、かえる……?」

「あなた、退学処分になったんだから。いつまでも寮で守ってもらっていたら悪いわ。学院は今月の寮費はもういらないと言って下さってるんだから、早く部屋を開けないと」

 リシャールは突然頭がクリアになると、ぶんぶん頭を振った。

「た、退学って、退学ってなんで!?だって、だって俺の成績は――」

「あなた、強い麻薬を運んでいたのよ」

「麻薬……」

 では、昨日のあの具合が悪そうだったおかしな奴らは皆、社会の出来損ないか。

 リシャールの中の不安は一気に目減りした。

 自分のせいで誰かが死んだり苦しんだりしたわけではないのだ。

 

「一度家には戻るけれど、裁判所に出向いて何度か査問を受けなくちゃいけない」

「そ、そんな……。俺は知らなかったんだぞ!!なのに退学なんておかしい!!間違ってる!!許さないぞ!!」

 

 こんなことになったのも全部ロスボスが――

 そこでハッとした。

 金が必要なはずだ。

 四千八百万ウール。家を買えるような値段だった。

 あいつらはここまで来るだろうか。

「――か、母様。少し金を用立ててほしいんたけど……」

「お父様におっしゃい……。こんなものにサインをして……あなたどうするつもりなの……」

 母親は悪魔の契約書を開き、再びしまった。

「ち、違う。俺は騙されたんだ!あいつら、よくもこの俺を騙しやがったな!!俺が有能なことを妬んでやがったんだ!!そうだ、だとしたら誰かの差金かも――ヴァレンか!?いや、首席野郎かもしれない!!あいつはおかしいんだ!!たくさん高いものを持ってる!!きっとあいつが全部仕組んだんだ!!」

 

 母親はリシャールの言い分に一つも耳を貸さずに荷物を持った。

「残りの物は家に送っていただくように手配したから、行くわよ」

「嫌だ!!俺は絶対に学院をやめない!!大体今日は授業もある!!」

「馬鹿仰い。ローランさんに謝罪も行かなきゃ行けないんだから早くして」

 ローラン。

 その名前にリシャールは首を振った。

「――なんでだよ!何でレオネの事をお前が知ってるんだ!!」

「先生方とローランさんのご両親のご温情に感謝なさい。さあ、早く。その後、すぐに魂喰らい(ソウルイーター)便に乗るわよ」

 有無を言わせない雰囲気だった。

 リシャールはドンドン足を踏み鳴らしてから母親の後に続いた。

 あちらこちらの扉が開けられ、皆リシャールを覗き込んでいるようだった。ヴァレンも扉の影からリシャールを見ていた。皆登校前らしく、制服を着ているし、廊下にいる者は通学の鞄を持っている。

「――は、母親が心配症で困ったなあ!やれやれ!!過保護で困ったものだ!!良い家に育つというのも楽じゃない!!」

「何を言っているの。馬鹿げたことを」

「う、うるさい!!全く!俺に新しい家庭教師を付けたいからって!!」

「お兄ちゃんもお姉ちゃんもあんなにまっすぐ育ったっていうのに……」

 

 リシャールは顔を赤くしながら廊下を行った。

 一階に降りると寮父達がいて、母親が深々と頭を下げた。

「大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした……」

「いえ……。私達ももう少し見ていてやれていればと後悔しています」

「……とんでもありません。この子は校外で女の子の顔を叩いているんです……。今回のことがなくても、退学はそう遠くありませんでした……」

「……そのことなのですが、一応昨日お母様がおっしゃったように学院の応接室にミス・ローランとご両親をお呼びしております」

「助かりました。何から何まで、お世話になりました」

「……残念です。何度も留年して辞めてしまう子はいても、このような事で退学しなくてはいけない子は初めてで……我々も何をどうしてやればいいやら……」

「……お恥ずかしい限りです。社会に出す時には、このようなことのないよう監督して参ります」

「いえ……どうぞ、ご家族皆様もお気をつけ下さい。なるべく死の騎士(デスナイト)の多い道をいかれますよう。荷物は近日中に指定のお屋敷へお送りしますので」

「はい。ありがとうございました」

 寮父長と母親が静かに頭を下げ合い、勝手に話をまとめている。

 

 リシャールは怒鳴りたかったが、登校していく男子達がいるので騒げなかった。

 ふと、いつも首席と一緒にいる派手なハーフ野郎と目が合った。隣には金髪で紫色の瞳の男子、それからそれのお付きか腰巾着のような男子。

「や、やぁ。特進科の皆」

 リシャールは努めて明るく声をかけてみた。

 三人は目を見合わせてから答えた。

「……よう。そっちは母親か」

「そ、そうなんだ!家庭教師をつけるって言って聞かなくてね!!」

「おはよう。そうなんだね。――行こう、ワルワラ、チェーザレ」

「は、はいカイン様」

 さっさと行ってしまう。

 

「――他にお別れを言うお友達はいる?三分くらいなら待つわよ」

 母親に言われると、ヴァレンのことを思い出した。

「い、いる!!」

 学生鞄を放り出し、リシャールは階段を駆け上がった。

 そして、自室に鍵をかけるヴァレンを見ると自然と笑みが溢れた。

「ヴ、ヴァレン!少し俺は休学を――」

「お前、退学だってな」

 ヴァレンは目も合わせずに言った。

「い、いや、休学で……」

「彼女のこと侮辱されたのは許せねぇが、一応今日まで友達だった。ありがとよ。お前のおかげで俺も昨日はミズ・ケラーに呼び出されて怪しいバイトしてないかとか、麻薬をやってないかとか、根掘り葉掘り聞かれた。劇場の事とか一応話したよ。おかげさまで何もしてないのに訓戒を受けた。今後は付き合うやつは選ぶようにしなきゃな。――じゃあな」

 そのままヴァレンはすたすたと階段を降りて行ってしまった。

 ミズ・ケラーが余計なことをしたせいで、リシャールは友達を一人失った。

 悔しくて悔しくて手のひらに爪が食い込むほどに手を握った。

 楽しげな生徒達の声の中、さも自分も登校するような足取りで一階に戻った。

 

(……ミズ・ケラー!許せん!!後で文句を言ってやる!!)

 

 リシャールが戻ると、母親は足元に置いていた荷物を持って寮を出た。

 その後を追う。

 学院の広大な敷地に入り、並木道をいく。

 能天気な奴が友達の出した<浮遊板(フローティングボード)>に寝そべり運搬してもらって笑っていたりする。

 また一方では友人を待ちながら、上級生の女子達が花を摘んで<保存(プリザベーション)>をかけてから互いの髪に刺して笑っていたりする。

 

 リシャールは<保存(プリザベーション)>というワードが頭に出ると、また恐ろしくなった。

 <保存(プリザベーション)>のかかった容器を無くすなと言っていた。そもそも錬金用の内臓だと言っていたあれは本当に魔獣の臓器だったのだろうか。悪魔の契約書には移植用提供臓器と恐ろしいことが書かれていた。

 臓器なんて移植してどうするのか、リシャールにはさっぱり分からなかった。

 

 今では慣れ切った校舎に入ると、母親は「応接室は……」とあちこちに階段と廊下が繋がる大広間のような玄関で戸惑った。

 なので、リシャールは胸を張り「こっちさ」と案内した。

「俺も慣れたものでしょう」

 母親は何も言わなかった。

 応接室と会議室が並ぶ廊下にたどり着くと、すぐに目的の応接室がどこだか理解した。

 部屋の入り口に隣のクラスのミズ・ベネズレフがいたから。

 

「おはようございます。私はD組のベネズレフです」

「おはようございます、ベネズレフ先生」

 リシャールは咳払いをした。

「ミズ・ベネズレフ、ここですね」

「……そうです。きちんとお謝りなさい」

 誰が辞めてやるかと、フンと鼻を鳴らす。

 応接室に入ると、今日も花のように柔らかそうなハニーピンクの髪を揺らしたレオネがいた。

 左右には父親と母親が座っていて、父親はこの辺りじゃ一般的な金髪で、母親は赤髪だった。

「ローランさん、本日は急にお呼び出ししてしまい、申し訳ありませんでした」

 リシャールの母親が小走りで部屋に入っていく。

 ミズ・ケラーも中にいて、先にローラン家と何かを話していたようだった。

「――いえ。うちの娘も勝ち気なところがありますので。すみませんでした」

「とんでもありません……。ああ……こんなに綺麗なお嬢さんに乱暴な真似をしたなんて……」

 レオネは複雑そうな顔をして黙っていた。

 向こうの父親の言う通り、レオネが勝ち気でリシャールを挑発しなければこんなことにならなかったのに。

 母親がごちゃごちゃと謝罪の言葉を並べる。

 レオネの母親は静かに聞いていた。

 

「――わたくし達は、ただこの子が安心できる学院であれば何も言うことはありませんわ。それより、エクスナーさんのお坊ちゃんは退学なさるとの事ですし、今後何か困ることもありましょう。神殿はいつでも、迷える皆様をお迎えいたします。お母様も迷える日には、一人で悩まれずにいつでも神殿へいらしてください」

「ありがとうございます……。聞けばお父様は境の神官長補佐、お母様も昔は神官だったとか……。本当に……神殿の皆様にご迷惑をおかけして……お恥ずかしい……」

「わたくしはもう家に入って十七年目を数えます。自分の娘一人で手一杯でしたわ。子供を育てると言うのは本当に思いもしないことで溢れているものです。どうか気を落とされないで」

 母親のさっぱりしていそうな気質はレオネとよく似ていた。

 リシャールの母は深々と頭を下げると、リシャールにもそれを促した。

 

「あなたも、きちんとお嬢さんに謝りなさい。もう二度とお会いすることはないのだから」

 ギョッした。

「に、二度と?なんで?」

「あなたはもう学院に籍がないのよ。通うことも戻ることもない。迷惑をかけた事をお詫びして」

「い、嫌だ!俺はレオネに――レオネと学校に通う!!ここに通えないならリ・エスティーゼの校舎に編入する!!」

「バカおっしゃい!あなた何を考えているの!最後の最後まで!!」

「そもそもレオネは俺を好きだろうし、俺だってレオネが好きなんだぞ!!なのに、なんでどいつもこいつも邪魔しようとするんだ!!」

「このバカ息子!どこまであなたは――」

 

「わたくしがそう思わせましたのね?」

 母親の言葉を遮ったレオネは揺るがない瞳でリシャールを見ていた。

「――そ、そうだ!!レオネ、お前は首席を――スズキを特別扱いしないって言っていた!!」

「それがどうしてあなたと繋がるのか疑問ですわね……」

「えぇ!?だ、だって、首席を特別扱いしなければ、俺しかいないじゃないか!?」

 母親は泣き出していた。メソメソと意味がわからない。

「そうですか。わたくしキュータ・スズキさんを特別扱いすることはありませんわ。ですから、わたくし、あの方を想うことができますの」

「――え」

 

「特別な誰かではなく、想いを寄せても良い一人だと、不相応にも思わせていただいているんですのよ。わたくしは生涯をあの方に捧げると決めています」

「で、でも、えぇ?お前はあいつと付き合ってないだろ!?それにあいつは女を取っ替え引っ替えだし……」

「構いません。わたくしはもうあの方と一瞬でも結ばれることは願っていませんもの。ただ想うことだけで生きます。子を持つことも、他の誰かと触れ合うこともない一生を覚悟しております。わたくしは、あの方の全てを尊重すると決めました」

「お、お前はバカだ!!意味がわからない!!そんなに首席の地位が好きか!!あいつはどうせ今が頭うちなんだ!!」

「地位も名も関係ない。わたくしとあの方はそんな物ではこの生涯でただの一度も繋がっていない」

「お、俺は今からどんどん大きくなっていくのに!!」

「遠くから応援しております。ごきげんよう」

 レオネは一人立ち上がると部屋を後にした。

 

 拳が震える。ぼろぼろと涙が落ちる。

 本気で好きだったのに。

「よ、よくもコケにしたな!!お前が色目を使うから――」

 パンっと母親に頬を叩かれ、リシャールはへたり込んだ。

「……ローランさん、私はこのバカ息子を二度と外に出しません。いえ――裁判の際にはまた神都に来てしまいますが……。それ以外には決して、外に出しません」

 両親達はまたいくつかの言葉を交わし、頭を下げあった。

 ローラン夫妻はミズ・ケラーとも部屋の隅で話をすませて出て行った。

 

 レオネの父、ガヌロン・チェロ・ローランは廊下で膝を抱えて座っていたレオネの背をさすった。隣にはよそのクラスの神官がそばにいてくれていた。

「……またあんな事を言って」

「……真実ですもの」

 よそのクラスの神官は優しく微笑むと、隣の部屋の扉を開いた。

「ローラン様、少し休まれて行かれてください」

 ローラン一家はその言葉に甘え、部屋に入れてもらった。

「レオネ、あなたこの間まで目印を預けて頂いたと喜んでいたじゃないの」

 母親が言うと、レオネは首から下げる鎖を取り出し、ロケットをパカリと開いた。

「……大切にお預かりしていますわ」

「えぇ。えらいわね。ねぇレオネ、まだ人生は長いのよ。今急いで何もかもを決めようとしないでもいいんじゃなくて?」

「わたくし……気付きましたの」

 

 父親と母親は娘を覗き込んだ。

 

「あの方が神都に戻ってくるまでは、バカみたいにただ好きだと思って、会いたいと思っておりました。学院に一緒に通うようになってからも、自分を見てほしいとか……見つけて欲しいとか……。でも、今はあの方の居場所を――誰よりも長い人生を守りたいと思ってる。お父様もお母様も大それているとお思いになるでしょ。それも、守るなんて、相手を一体誰だと思っているんだと。でも、守りたいんですの。きっと……これはもう……わたくしの気持ちは……」

「……愛しているのね」

 レオネの目からこぼれた一粒の涙は魔石の上で弾け、花の形になって散った。レオネは頷いたが、その言葉の畏れ多さを理解し口にすることはなかった。

 恋だと思って爛漫に駆け回っていたというのに。

 

「わたくしはあなたを身籠ったとき、あなたの居場所を守りたいと思ったわ。あなたの選ぶ全てを肯定したいと思った。あなたの進む道の全ての障害を気付く間もなく取り除いてあげたいと思った。そして、あなたという生を尊重したいと思った。自由で、何にだってなれる、何だって感じていけるあなたを決して縛りつけたくないと思った。ああ、これが愛なのだわ。そう感じたのを覚えてる」

「……お母様」

「あなたは、あの方にそう思うのでしょう。レオネ――あなた、大切なものを見つけたのね」

 レオネはロケットを服の中に戻すと母親に抱きついて、胸に顔を埋めた。

 母の香り。母の鼓動。全てが優しく、これがレオネの中に息づく愛の源なのだと思った。

「……でも、パパ、レオネの赤ちゃん抱っこしたかった……」

 レオネパパはシリアスじゃなかった。

 

「……お父様、それは諦めた方がよろしくてよ」

「でもレオネェ……。まだ選んでもらえないって決まったわけでもないのにぃ……」

「決まってますのよ。もし万が一にもあの方がわたくしを選ぶと言っても、わたくしおやめなさいと言わなくてはいけませんもの。もっと出自の良い、しとやかで、天使のような人を選ぶように」

「やめてよぉ……。ねぇ〜」

「もう、うるさいですわね」

「レオネもきっと寂しいよぉ?」

 

「寂しくありませんわ。わたくしは殿下の心の剣、そして心の盾ですもの。それに、神官になって大神殿に仕えるようになったら、数えきれない人々を救ってみせますの。そうなったら、子供がいたら手一杯になってしまいますわ。ねぇ、お母様」

 

「ふふふ、そうね。わたくしはそうだったわ。あなたは本当にお転婆だったから」

「ふふ。わたくしは子を持ち誰かと肩を並べるのとは違う幸せを掴んでみせます。見ててくださいませ。きっとわたくし、誰よりも素晴らしい神官になってみせますから!――では、もう授業に遅れていますのでこれで!」

 レオネは両親に丁寧に頭を下げると、また部屋を飛び出して行った。

「……えーん、寂しいよぉ……」

「あなた、前は誰にも嫁にやらないなんて言ってたくせに今度はそれですの?」

「だってぇ」

「良いじゃありませんか。子を持つ事だけが女の幸せなんて時代じゃあ、ないんですから」

 

 レオネの母は娘の残した体温を大切に胸に抱くと、ぐずぐず言うレオネパパを引きずって家に帰った。

 

+

 

「――や、来たね」

「よ、レオネ」

 木陰で横になっていたナインズと一郎太は目を開けた。

 見下ろすレオネは笑うと、一郎太とナインズの間にまた腰を下ろした。

「今度こそ退治できましたわ!」

「ふふ、そう。それは良かった」

「俺ぶん殴り損ねたな?和解しちゃもう殴れないもんなー。それとも殴っとくか?」

「何おっしゃってますの。停学になりましてよ。……それにしてもわたくしってモテますのねぇ……。今回は流石に驚きましたわ」

「ははは!本当だな!レオネにも春が来るか!」

「嫌ですわね。あんな男で春の到来を告げられるなんて」

 三人はおかしそうに笑った。

 

「彼、諦めるって?」

 ナインズが聞くとレオネは肩をすくめた。

「と、言うより、何か他にも随分大きな問題を起こしたそうで退学なんですって。馬鹿げてますわよね。興味もないからよく知りませんけど」

「うわぁ、それは良かったと言うかなんと言うか……」

「ふふ、キュータさんは良かったですわね!これで恋のライバルがいなくなりましてよ!」

「本当、いなくなって安心した」

 レオネが瞬く中、一郎太は平然と笑った。

「良かったなー、キュー様!」

「うん。良かったぁ。レオネは他の皆と違っていちいち心配かけるんだもんなぁ。天使もいらない、巻物(スクロール)も使わない、お手上げだったよ」

 恋のライバルというふざけて出た言葉は突っ込まれることもなくスルーされていた。

 

 ようやく起き上がったナインズはレオネの顔が赤いのを見ると首を傾げた。

「ん?どうかした?」

「なんでもありませんでしてよ……」

「あ、そうだ。今日レオネ、放課後大神殿で天使を出す練習しよう。時間あるかな?」

「いくらでもありますわ。退治はできましたけど、立派な神官になるには天使の一人や二人、ですわね!」

「レオネじゃ時間かかりそうだなー。キュー様、あれ借りれないの?経験値の首輪」

「そうだね。父様と母様に少し相談してみるよ」

「今こいつ雑魚だからなぁ……」

「また雑魚とか言ってぇ」

 

 二人がいつものやりとりを始めると、レオネは立ち上がった。

 

「さ、今は授業中でしてよ。いつまでもこんな所で油を売ってないでいきましょう。――早く準備なさって!」

「ははは、レオネは元気だなぁ」

「ちぇー。やっぱり授業はいくのかー」

「当たり前でしてよ。あぁ、こんなに葉っぱだらけにして……」

 ぱんぱんと二人の背を叩くと、レオネは茂みを一跨ぎにしてから振り返った。

 

「――待っててくださってありがとうございました。ご心配をおかけしましたが、わたくし、レオネ・チェロ・ローラン!再出発です!!」

 

 二人は駆けていくレオネの背中に手を振った。

 

+

 

 パンッと乾いた音が響いた。

 エ・ナイウルの屋敷に帰り着いたリシャールは熱くなる頬を押さえ、恨みがましげな顔で父親を見た。

 

「この馬鹿者が!!」

 

 リシャールの中で燻る炎が一気に燃え上がった。

 父は自分より大した学もない、ただ貴族の長男として生まれ、今では身分制度も無くなった単なる金持ちの男だ。

「俺は言ったはずだ!小遣いを増やしてくれと!!家庭教師を付けるためにも、新しい杖を買うためにも金が必要だったのに!それを無碍に断ったのは父様じゃないか。だから金をくれるというロスボスの話に乗ったんだ!」

 

「それなら生活課の紹介する依頼バイトをすれば良かったんだ!!どうせお前のことだ、安いだの面倒だの言って、その怪しい連中の口車に乗ったんだろう!小包を往復で二時間もしないような場所に届けるだけで五万ウールなんて、どう考えてもおかしいだろう!!」

 この父親はリシャールの能力を全く信用していない。

 そのことには最初にちゃんとリシャールも思い至っている。

 

「俺だって言ったさ!!そんなのはおかしいってな!そしたらロスボスは、商売に失敗したから、新しくコネクションを作り直していると言ったんだ!俺の将来性に投資して――」

「何が将来性だ!!一介の、それも落第ギリギリの学生なんぞに賭けるやつがいるわけがないだろう!!お前は何から何まで見えていない!!」

「それはあんまり失礼じゃないか!!俺は魔導学院に入ったんだぞ!!ただの学生じゃない!!父様なんか何一つ成し遂げてもいないくせにお祖父様の遺産を引き継いでのんべんだらりと生きてるくせに!!そんな人間に俺の学と才が分かるか!!」

 

 暖炉のそばで座っていたいた兄姉は侮蔑した目でリシャールを見ていた。

 暖炉は今は夏なので煙突掃除夫が綺麗にしてくれたあとで、薪も置かれていない。

「退学になったくせに学と才って何。笑える」

 姉が呟くと、リシャールはそれをギリリと睨みつけた。

「ねぇ、お母様。本当に避難が必要?」

「リシャール一人の問題じゃないか」

 兄もごろりとクッションの上に寝転ぶ。

 

 母親は苦しげな顔をし、リシャールから奪っておいた契約書を取り出した。

「――あなた、これ」

 父親はそれを受け取り、上から下までじっくりと読んだ。

「……書類としての不備はない。ただ、四千八百万ウールも支払う必要はないだろう。相手がこの書類を元に債務不履行の裁判を起こして、裁判所が運んでいたものの内容と請求額の妥当性を鑑みた後で初めて賠償責任を負えばいい。相手はリシャールの年齢を知っていたのだから、責任を取りきれないことを理解していたことは明白だ。本当に大切なものを運ぶなら相応の業者を使えば良かったと相手の不手際も指摘されるだろう。裁判で負けたとしても、費用と五十万ウール程度が関の山だ。それも、運んでいたのが違法な薬物となれば裁判も起こせまい。ミノタウロス王国で労働に従事することを誓うというのもおかしい。心配することはない」

 

 紙を返された母親は明らかに安堵し、兄姉も笑った。

 

「結局、教養ってこういうことよね。まぐれで魔導学院に入ったリシャールとは大違いだわ」

「本当。父様とお祖父様がいて良かった。はぁ。安心したらお腹すいちゃったな。母様、何か食べましょう」

 

 その和やかさとは打って変わって、祖父の相貌は未だ崩れていなかった。

「……それは、神聖魔導国での話だ」

「……父上?」

 父が祖父の言葉に首を傾げる。

「ベリーゼ、レーシーさん。その書類の効力は神聖魔導国ではその程度でも、ミノタウロス王国でもそうとは限らん。こう言っては悪いが、その程度のことは魔導学院の先生方皆様お分かりだろう。問題は連れて行かれてしまった時に、神聖魔導国からの引き渡し要請にミノタウロス王国が頷く保証がないということだ。学院の皆様のご心配を考えれば……私は明日、計画に変更なくナイウーア様の下へ保護をお願いしに行ったほうが良いと思う。お前達も準備を整えておきなさい」

「え、えぇ……?でも、お祖父様、神聖魔導国――それも、エ・ナイウルからミノタウロス王国に行くにはザイトルクワエ州を通って、バハルス州を通って行かなきゃいけないはずでしょ?」

「そうだよ。遠すぎるし、検問だって通さないよ」

 

 祖父は顔を覆うと首を振った。

 

「私は犯罪に加担した事がないから想像もつかないが……何か抜け道があった場合取り返しがつかん。スレイン州からなら、州に面する大湖を渡ってブラックスケイル州に入る……。そして、人もいないような山道を渡ってミノタウロス王国に入るだろう……。考えても考えても、私にもそれ以上の事は浮かばん……」

「……やっぱり、エ・ナイウルなら安全なんじゃない?リシャール、あんたも急いで神都からお母様が引き上げてくれて良かったわね」

 リシャールは偉そうな姉からフン、と視線を逸らした。

 

 ――その時、窓の外に蠢く影が見えた気がした。

 

「……なんだ?」

 窓へ寄っていくと同時に、玄関のドアノッカーが叩かれる音がした。

 

「ナイウーア様の使いの方かな。明日お会いできるか報告に見えたようだ」

 祖父が言う。昔は住み込みの使用人がたくさんいたらしいが、今では食事を作りにくる女中や掃除のメイド、馬と馬車を管理する御者が日中に来るくらいなので、祖父は使用人達に休みを言い渡したようだ。

 この屋敷には今訪問者を迎える者がいない。

「リシャール、お前が出ろよ」

 兄に指図されるとムカムカする。

 リシャールは仕方なく玄関へ向かった。

 

「――はい。ナイウーア様のお使いの方?」

 ドアを開けた先には――「よぉ、ぼっちゃぁ〜ん」

 デフロットがいた。

 喉がヒュッと鳴る。

「な、なんで」

「ちゃんとパパとママに金は頼んでくれたかぁ〜?ひひひ。しかし、その様子。さすが魔導学院だなぁ。完全に解毒されてるみてぇだ」

 

 ねっとりとした、耳の中が詰まるような喋り方だった。

 リシャールは途端に部屋へ逃げ戻った。

 

「これ、リシャール!ナイウーア様のお使いもお通ししないか!」

「ち、ちがう!あいつだ!!あいつが来たんだ!!」

「あいつ?――まさか」

 一家はどよめきと同時にキィ……と開いた扉を見た。

 扉からはぞろぞろとガラの悪そうな――しかし、身なりだけは良い男達が入ってきた。

「よぉ〜。いい家だなぁ〜?俺達にも少しの間住ませてくれよぉ!」

「お、お主!衛士と死の騎士(デスナイト)を呼ぶぞ!!法に則った手段で追い出してくれる!!」

 デフロットは仲間の男達とおかしそうに笑い声を上げた。

「まぁそう言うなよぉ!すぐにもっと居てくれって言いたくなるんだからよぉ。まずは話をしようじゃねぇか」

「……話だと?」

「あぁ。俺たちは別に無理に金を取ろうとか、あんたら誘拐しようとかってんじゃあねぇ。――と、葉巻を吸ってもいいかい」

 祖父は顎をしゃくった。

 

「……レーシーさん、グレーテ、セラミ、リシャール。お前達は別の部屋に行ってなさい」

「おっとっとっと!!それは困るぜぇ?リシャールのぼっちゃんは当事者だ。それに、お母さんやお姉ちゃん、お兄ちゃんも話を一緒に聞いてくれなきゃなぁ〜。まぁ、皆さん座ってくれや」

 男達はじりりと全てのドアの前に立ちはだかり、いやらしい笑みを浮かべていた。

 デフロットはどかりと祖父の前にあるソファに座った。まるで王様のように深く深く腰掛け、灰皿を勝手に引き寄せる。少し長めの葉巻に火をつけると、吸いもせずにそれを灰皿においた。

「じいさん、あんた葉巻は?うまいぜ。一本やろうか」

 もう一本葉巻を取り出し、火をつけてこちらも灰皿の上に置いた。だが、祖父は鷹のような目で睨んだ。

「いらん」

「ちぇ、一人で吸ったってうまくねぇ。――さて。あんたらももう察している通り、そんな紙切れは神聖魔導国の裁判所に持って行ったところで大した金にはなんねぇ。だから、俺たちは金持ちのエクスナーさん達に、無くされた臓器の卸値三十万だけを払ってもらいたい。そのくらい、構わねぇだろぉ〜?」

「……この人数で神都から来て、三十万だけでいいだと?馬鹿にするのも大概にするんだな。決して賄える額ではあるまい」

 

 祖父はこれまで見たこともない鋭さを放って告げた。

 手元に置いてあった銀の杖をつき、姿勢を正す。その姿は、まさしくかつて貴族と呼ばれた存在に相応しい威厳だった。

 

「……ふふ。さすがは乱戦の時代を生きたじいさんだ。化かしあい、裏切り、暗躍。なんでもあっただろぉ。いい時代だなぁ?」

「本題を言え。何が目的だ」

「ふ、わかった。分かりましたよ。エクスナーさん、俺たちは俺たちの商品を買っていただきたい。普通の商売の話だ。パトロンになってくれないでしょうかね」

「断る。例え出すのがお前達の扱っている違法な商品でなくても、それを買うことは許されざる行いを支援する資金となるだろう。我がエクスナー家は神々の禁ずることには決して加担しない」

「……堅物ですなぁ」

「話は以上なら帰ってもらおう」

「品を見るだけでも、頼みますよ。俺もボスに何も見せもしなかったなんて言えないじゃあないですか」

「断る。今出て行かないなら、私はこの後ろの窓を割り、死の騎士(デスナイト)を呼ぶ」

 

 デフロットはギョッとすると、もそもそと椅子から立ち上がった。

 

「買い物をしたくなったら、いつでも呼んでくださいよ。俺はしばらく屋敷の前で待ちますんでね。――おい、行くぞ」

 男達は祖父に手も足も出ずに去っていった。

 部屋には燻る煙が立ち昇る、一度も吸われなかった二本の葉巻だけが取り残された。

 

「はぁ……」

 祖父は見たこともないほど脱力してソファに崩れた。

「お祖父様!」

「お祖父様大丈夫ですか?」

 リシャールは興奮していた。これほど祖父が強く、威厳に満ち溢れた存在だったとは。

 初めて会った時にリシャールをコケにしてきた無能のデフロットは退治されたのだ。抑えきれない高揚感に思わず勃起しそうだった。

 祖父は父も付け入る隙のない完璧な貴族だった。

「ははは!どうだ!ざまぁみろ!!一生待ってたって、何一つ買ってやるもんか!!」

 リシャールが言っていると脱力した皆がじっとりとした視線を送っていた。

「な、なんだよ」

「交通費くらい出さなければいつまでも家の前にいるだろう……。法にギリギリ触れないくらいのところで圧力をかけてくる気じゃ。そうやって執念深くやるからこそ、奴らは捕まらずに――あぁ。いや、もう今日はいい。妙に疲れたな。頭がぼうっとする。それに、その葉巻はずいぶんいい匂いだ」

 それは確かに。

 

 リシャールは祖父の方へ向けられた葉巻を手に取り、煙を目一杯吸った。

「はぁ〜……――あ」

 横から葉巻は取られ、兄も一吸いすると笑った。

「こうすると、えらい人みたいだ!」

「えらい人ごっこ!私も!」

 姉はさらにもう一本を手にし、一口どころか何度も吸ってはうっとりとしてソファの足元に座り込んだ。

「お、おい!俺にも!!」

 リシャールが兄から取り返そうとすると、それは父の手に渡った。

「やめなさい。変な男が置いていった葉巻なんて」

「でもあなた、あの人本人が吸おうとしてたんだから、別にそんなに危ないものでもないでしょう」

「……それはそうだが」

 

 皆目が葉巻に釘付けになっていた。

 

「父様もそうやって葉巻を持ってたらお祖父様みたいに威厳がある感じがするわ!」

 姉はキャラキャラ笑って手を叩いた。

「……そ、そうか?ふふ」

 父もひと吸いするとポーズを決めた。

 一家はその晩、ゴロツキを追い払った勝利に酔いしれた。

 

 酒を飲み、うっとりと自分たちに陶酔した。

 

 そして翌日明け方――。

 リシャールはどうしても、もう一度あの葉巻が欲しくなった。

 こっそり父の財布から金を五万ほど出すと外へ駆けた。

「――おやぁ〜?ぼっちゃん。どうかしたんで?」

 あのボロ馬車の中で寝たらしいデフロットはにやりと笑った。

「お、お前の葉巻を何本か売ってくれないか」

「へへ〜!商売の話なら喜んで。何本にしますかぁ〜?五本買ってくれたら、一本おまけしますよぉ〜。ぼっちゃんにだけね」

 リシャールは結局六本を一万付けで六万ウールで買った。

 昨日のやつの方がうまさが強かったが、これでもいい。

 庭でこそこそ吸い、ふと、兄もデフロットの馬車に顔を出しているのが見えた。

 だが、どうでも良かった。

 こんなに葉巻がうまいとは思わなかった。

 

 いつしか、気付けば家の中は大体あの葉巻の匂いがするようになっていた。

 あれを吸わないと落ち着かない。

 祖父と父もいつも吸って笑っていた。

 

 父と母もデフロットを家に招くかと話していたが、デフロットは意外にも「せめて往復の金をもらえればもう帰りますんで」と殊勝に答えた。

 その様子は祖父に気に入られ、祖父は交通費を渡した。だが、庭に馬車をいれさせてデフロットを追い返すことはなかった。

 いつの間にか、ナイウーアの所に行く話も立ち消えていた。

 

 ――ああ、あれからどれだけ時間が経っただろう。

 

 デフロットが葉巻がもうないと言って帰ろうとした時、皆で馬車に乗せて貰ったのだ。

 馬車はごとごと揺れた。後ろにはリシャールの家の馬車が付いてきている。

「葉巻をくれんか……」

 祖父がつぶやく。

「もうないって言ってんだろ。州を渡るんだから静かにしてやがれ」

「で、でも!でもぉ!!」

 祖父はデフロットに縋り、振り払われていた。

 

 ザイトルクワエ州に渡る時、検閲官は「皆さんのご関係は?」と聞いた。

 父は笑顔で答えた。

「御用商人と、仕入れ先の見学に。一家揃ってなんとも照れくさい」

「良いですねぇ。お気をつけて」

 リシャール達は検閲を通ると、「まだあったぜ」と言ったデフロットから葉巻を一本貰った。

 揺れる街道でうまいうまいと吸った。

 移動していた夜、姉が男達とまぐわっているのを見かけた。

 婚約者もいるのにあばずれめ。

 そう言えば、リシャールがデフロットを紹介してやったからうまい葉巻を吸えているのに誰も礼を言ってきていない。

 

 バハルス州に渡るまで何日かけたかわからないが、とにかく時間がかかった。

 ここの検閲官は「何か皆さん少し……おかしくありませんか……?」と言った。

 母は検閲官に笑いかけ、しばらくどこかに行った。

 戻ってくると、検閲官はリシャール達を通してくれた。

 

 また、デフロットは葉巻が残っていたと言った。

 

 父が皆の葉巻を取り上げ、喧嘩になった。

 葉巻が吸えない時間は地獄のようだった。

 父はよこせと言う祖父を御者から取った鞭で打った。

 家族の中では明らかに順列が生まれていた。父がデフロットから葉巻を受け取り、それを配ると言った具合に。

 

 そして、どこかまた検閲官がいる場所に着いた。

 デフロットが何か書類を見せると馬車はまた動いた。

 その頃には、もう姉も母も、一日のうちに服を着ている時間の方が少ないような有様になっていた。

 

 どこかにつき、葉巻がもらえない時間が流れた。

 兄の怒号が響き、震える祖父がいる。

 父は体の中を虫が這っていると言ってしょっちゅう身体中を引っ掻いていた。

 姉と母は夢中で男達とまぐわい、それで葉巻を恵んでもらっていた。

 リシャールは葉巻が欲しいと二人に縋ったが蹴り飛ばされた。

 ふと、デフロットがいるのが見えた。

 

『こんなもん食えもしないし、奴隷にもならん。臓器もバカになってて何も買い取れん。今じゃ奴隷に奴隷を食わせることは違法だしな』

『分かってますとも。ですが、時折出る中毒者のために高位の神官はいるんでしょう?』

『はぁー。人間。ここはミノタウロス王国だ。高位の神官はかなりの高額だぞ。先払いだが払えるのか?神聖魔導国の気分で来られても困るぞ』

『もちろん心得ております!家と土地、馬車の売却益もありますからね。なんともありません。それで、おおよそ二千万ウールでの買取をお願いできないでしょうか?』

『回復後の様子に寄るな。今はまだ知能がどれくらいあるのか分からないんだ。奴隷生まれ奴隷育ちで馬鹿なら食肉にするからそんな額じゃ無理に決まってる。――あぁ、そっちの男は繁殖種にできるかもしれんが』

『こやつらはずいぶん賢いですよ。女も含め、素晴らしい奴隷になります!六人ですから、一人頭三百万ウールなら安いもんです。何年もまだまだよく働きます』

『しかし、臓器も取るんだろう?――ロスビア、どうなんだ』

『ククク――。綺麗に縫い合わせるさ。皆育ちのいい奴隷だ。取れる臓器は一級品!!さぁ、神官を呼んでくれ!!』

 

 リシャールはロスボスの声を聞きながら眠った。

 

 ハッと気がついた時、リシャールの頭の霧は晴れていた。

 その腹には包帯。そして、わずかな痛み。

 身に付ける物はひとつもなく、向かいの檻に同じ状況の母と姉がいた。

「早く出ろ!!お前達の買い主は決まったんだ!!」

「や、やめてぇえ!!国に、国に返してぇ!!ミラードに会いたい!!ミラードぉ!!」

「せ、せめて!!せめてこの子だけでも!!この子はもうお嫁入りも決まっているんです!!」

「お前達は正式な手続きの下で入国したんだ!いいから諦めろ!!腹の傷が開くだろうが!!傷が癒えるまでは客も取れないんだから大人しくしろ!!」

 

 リシャールの背をサッと冷たいものが流れた。

 また別の檻から祖父が小突かれて出ていく。

「――お前の生をこれほど憎む日が来るとは!!」

 祖父の恨みの言葉は牢全体に響き、リシャールは呆然とした。

「……お前のせいだ」

 ふと、背後から声がした。

 そこにはうずくまる父がいた。

「……一家全員が奴隷になった。――母さんと姉さんは口にすることも悍ましいような最も酷い目にあう。姉さんは好いた男もいたと言うのに、もはや何を産まされるかも分からない。産めるかも分からない」

 

 リシャールは言葉が出なかった。

 

「――そっちの男、出ろ」

 父は腰を上げた。

「私はどこへ行くことになるんです」

「首都の方に行くことになるそうだ。頭が良いと評判も良いようだからな。しっかり頼むぞ」

「えぇ。どうも……一つお聞きしても?」

「なんだ?」

「うちの長男はどこへ行ったのでしょう……」

「あぁ、若い良い男だったから、繁殖種として一番に出て行ったよ。牧場で割と良い生活送れるんじゃないかな」

 それを聞いた瞬間、父は笑った。

「そ、そうですか。起きたらもういなかったから……。ちなみに、そっちの……次男は……」

「起きたばかりで知能をまだ測っていないが多少融通してやっても良いぞ。お前はずいぶん高く出荷されていくんだから」

 

 リシャールは放免を願い父をみた。

 父は、リシャールが生まれて一度も見たことがないような顔をして言った。

「あの馬鹿には皆の苦しみを教えてやってくれ」

「お?ははは!良いぜぇ。確か、あいつはあんたら一家を売ったんだったな!!」

 

 父はミノタウロスと笑って去った。

 

 その後、リシャールは知る術もないが、ミノタウロス王国から再び神聖魔導国に戻ったロスボス――いや、ロスビアやデフロット達はアジトを発見され一斉検挙された。

 漆黒聖典、紫黒聖典、陽光聖典があちらこちらのアジトに一斉に突入し、一人残らずなす術もなくという具合だったようだ。

 

「――動くんじゃねーぞー」

 クレマンティーヌは捕らえて座らせているミノタウロスの肩と、人間の男達の肩をスティレットで順番にとんとんと叩いた。

「もしまた逃げようとでもしたら、次はおめーらの目ん玉これでぐちゃぐちゃにほじくり返してやる。いーか?頭蓋骨の奥まで突き刺さるように力を込めてな」

「ん、んん!んん!!」「んんんーー!!」「んん!んん!んん!!」

 顔を真っ青にした男にクレマンティーヌはいつものあざ笑うような表情を作った。

「よーしよし、神の統べる国――それも神都でクソみてーな真似した落とし前つける覚悟はできたみてーだなー?――レーナ、そっちは」

 

 番外席次に無力化された男達を縛り上げていたレイナースは美しい髪を払った。

「済んだわよ。それより、あなたあんまりチンピラみたいな事を言わないでちょうだい」

「言ってないじゃーん!私はちょーっと分からせてやっただけ。なんて言ったって――神が威を示せと言われてるんだからね」

 ニヤリと口元が割れる。

 

 外から更にずるずると男共を引きずった番外席次が現れる。

「サディストには嬉しいご命令ね。はい、次のゴミ持って来たわよ。ロックブルズ」

「ありがとう。ネイアは?」

「向こうで薬漬けになってた奴らを神官が回復して、なんか話しをしてやってるみたい。"顔無しの聖女"の仕事」

「そう。もしかしたらそっちの方が大変かもしれないわね。こいつらはクレマンティーヌにぶん殴られれば大人しくするけれど、向こうはそうは行かない。最高位の解毒を無尽蔵に使える神官なんてそんなにゴロゴロいないわ」

「うわー、急がないと禁断症状で死にかねないんじゃないのー」

「ネイアがそうならないようにしてるみたい。見てくる?」

「見たくもないけど、見ておくわ。クレマンティーヌは?」

「見ておく見ておく!番外、ここのゴミども縛って分からせてやっといてー」

「十分分からせてやったつもりよ。まぁ、とりあえず縛っておく」

 番外席次が「どうやって結べばいいのよこれ……」と呟く中、クレマンティーヌとレイナースは腰を上げて出て行った。

 

 その先では長い真っ直ぐな金髪を一つにくくったネイアがうめく人々の中で何かを一生懸命話していた。

「ネイアー、どー?」

「ひどい有様ね……」

「――あ、先輩方。錯乱状態は皆おさまりました!これでも少しまともになって来たところです!」

 更に神官達が禁断症状が出るたびに低位でも解毒をかけているようだ。

 高位のものは使い過ぎれば魔力が切れてしまい、一人でも多くを救うという最も大切な使命を果たせなくなる。

「陽光聖典の方はうまくいってんのかねー。雑魚の寄せ集め」

「多分、天使を呼んで回復、回復、回復でやってるんでしょうね。数は力よ。きっと、漆黒聖典も神聖呪歌が一時的に眠らせたりしてるんじゃないかしら」

「そうですね!他の聖典もきっとうまくやってます!――それにしても、結構若い人もいて……なんだかやり切れないですね」

 ネイアが残念そうに肩を落とすと、クレマンティーヌはぽんぽんと背を叩いてやった。

「フレイアちゃんにはお薬、ダメ、絶対って言わなきゃねー」

「ははは、フレイアは流石に手を出さないと思うんですけどね。でも、目つきを気にしてるんで、あんまり気にしすぎて手術するとか言い出さないように気をつけます」

 クレマンティーヌは口笛を吹きながら、フレイア――ネイアの国営小学校(プライマリースクール)に通う九つになった一人娘の顔を思い浮かべた。目つきはネイアよりは随分ましだが、それでも蛇を睨み殺せそうなものだ。一時期は学校で「顔無しの聖女様の娘なんて嘘だろ!」とか言われたりしたらしい。

 クレマンティーヌと番外席次がブチギレて学校に乗り込もうとしてからはそれも鳴りを潜めているようだが。

 フレイアは普段はティトと竜舎にいる姿がよく見られる。イオリエルとかなり仲が良いようだ。

 

「さーて、あっちのゴミの運搬とこっちのナマコ共の運搬の手配でもするかねー」

 クレマンティーヌは持たされている<伝言(メッセージ)>の巻物(スクロール)を開いた。

 

 その後、巨大になりつつあった犯罪組織の壊滅はスレイン州の全都市に号外で知らされたが、殆どの住民達にとっては人ごとだったようだ。

 魔導学院で作られた錬金粉の活躍は目覚ましく、国内のコカは完全駆逐に成功したらしい。

 

 そして、SALEの文字が貼られた立派な屋敷に、仲睦まじい家族が引っ越してきた。

「あら?これは?」

 越してきた夫人が郵便受けから葉書を取り出す。

「差出人は――神都、魔導学院?」

 その手紙は、「もう身を隠す必要はありませんよ」という親切な内容だったらしい。

 

+

 

「そこまで勝手に落ちぶれたんですか?」

 ナインズにわざとぶつかった男子生徒に咄嗟についた影の悪魔(シャドーデーモン)からの報告に、デミウルゴスは書類から顔を上げた。

 

「馬鹿だと思って観察していましたが……。まぁ、贖罪の仕方だけはわきまえていたということですね」

 

 悪魔達は楽しげに笑った。




前半の清涼感返してくれませんかねぇ?
もうね〜ナザリック関わってないのにズブズブバッドエンドなんですよぉ〜〜〜!?おデミも驚いてるじゃないですか!

あぁあぁ〜〜レオネ〜〜!!

次回!明後日!さわやかなお話を読みタァい!
Re Lesson#24 神の子


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試される神聖魔導国 - 神の子編
Re Lesson#24 神の子


 神都、大神殿。儀式のプール前。

 

「レオネー!後三回だぞ!」

「は、はい!お願いしますわ!」

 レオネは額の汗を拭うと、身長ほどもある杖を握りしめた。先端に太陽を模したアーティファクトがふよふよと浮いて付いてきている。

 力一杯、目一杯一郎太へ第一位階の魔法を放つと、それは一郎太の手でかき消(リジェクト)された。

 

「ナインズ様、これってなんなんですか?」

 黒髪のナインズの隣に座ったクリス・チャンが言う。ナインズは今年も鴨が追い出されたプールに足をひたしていた。本日は休日だ。

「ふふ、見たまんまだよ。レベル上げ。自分より高レベルに当てた方が経験値多いでしょ。――って、理論は知らないけど、父様がよく言ってる」

「うーん、それは分かるんですけど。なんでです?」

「あんなに弱かったら危ないからね」

「でも皆あんなもんじゃありませんでした?それとも、国営小学校(プライマリースクール)出たらもう少しましになるんですか?」

「ははは。確かに皆あんなもんだ」

「わざわざ経験値の首輪までお貸しになって、よく分かりません」

 

 クリスが首を傾げると、ナインズはおかしそうに笑った。

「クリス、リアちゃんみたいなこと言うようになったね」

「そ、そうでしょうか?あ――ナインズ様上がられますか?」

 裸足でペタペタとプールの脇を行くと、その後をタオルを抱えたクリスは追い、足を拭いた。

「あ、ありがとうね。いいよ、自分でするから」

「いえ!お外のナインズ様当番は私ですから!戦闘メイド(プレアデス)のお姉様達に役目を取られないようにしないと!」

「はは。気にしなくていいのに。――レオネ、一太の言う通り今ので最後の魔法にしよう!」

 

 言われた三回を終えた汗だくのレオネはぶんぶん首を振った。

 

「も、もう少しだけやらせてくださいませ!こんなに良いものをお借りしてますのに、結果が中々出せないなんてわたくし自分が許せませんわ!」

「ゆっくりやっていけば良いから。それに、第一位階も覚えたでしょ」

「そーだぞ。お前、魔力尽きたら調子悪くなるだろ」

「それは……」

「ね。今日はここまでだよ。明日の放課後も持ってきてあげるから」

 レオネが頷くと、ナインズはレオネの髪を避けた。

「――あの、汚いですわよ」

「別に?」

 ガチンと硬質な音が鳴り、その首から首輪を外す。一番大切なアイテムの回収をきちんと済ませる。

 三人のやり取りを見ていたクリスは一応レオネと一郎太にもタオルを渡した。

 

「どうぞ!レオネお姉さん!」

「あ、申し訳ありませんわ。わたくしなど放っておいていただいて構いませんのに」

「いえいえ、汗びっしょりですよ!一番暑い時間ですし!」

「――ここまでしていただいたのに、お恥ずかしい限りです」

 レオネが全ての装備をクリスに返す。

 その後すぐにレオネが見上げた先には、ぽかりと不自然に一つ浮かぶ雲。

 ここを日陰にするためだけにナインズが<雲操作(コントロール・クラウド)>で呼んだ雲だった。

 

「それ、第四位階だからきっとレオネも使えるようになるよ」

「……なるんでしょうか」

「なるよ。君はきっとまだ強くなれる。クレント先生も第四位階使えるしね。先生、三年次になる頃には第三位階まで使ってたらしいよ。使える数は二、三個だったみたいだけど」

「クレント先生はパラダイン様の高弟でしてよ?わたくしなんて単なる神官の娘ですわ」

「でも、君は今ナインズ・ウール・ゴウンの高弟だろ?」

「ふふ、ふふふ。本当ですわね。きっと三年になる頃には第三位階くらい使えますわね」

 ナインズとレオネが笑う横で、一郎太はごっしごっしクリスにふかれていた。

 本日アルメリアは第六階層でデミウルゴスと空を飛ぶ練習なので、クリスは世話を焼く人がいない状況だ。二郎丸も一郎太がいないタイミングを見計らって少しでも追いつこうと訓練に励んでいる。

 

「……一郎太くん、少し汗くさいです。じろちゃんより汗っかきなんじゃないですか?」

「うるさい!自分でやるから拭かないでいい!」

「でもいつも拭きもしないで肩にかけてるだけじゃないですかぁ」

「いいの!俺は顔だけ拭ければ!」

「体も拭いてくださぁい」

「ははは。おかしいの。――さて、行こうか」

 

 四人は誰ともなく儀式のプールを後にした。

 神官達しか入れない場所から外に出ると、外は真夏の日差しに燃えていた。

 

「暑いねぇ。レオネ、明るいけど送ろうか?」

「いえ、わたくしこの後は書庫に行きますからお気遣いなく。第一位階も使えて実技の点数が良くなっても期末考査には筆記もありますし」

「そっか。えらいね」

「当然の事ですわ。わたくしの目標は――ここですもの」

 見上げた壮麗な大神殿は今日も美しく輝いていた。ただ、その上に不自然に一つだけ浮かぶ雲を指さす人たちがいて、レオネは苦笑した。

 

「――君は人のためになる良い神官になるよ。ありがとう」

「期待していてくださいませ!」

「うん。じゃ、また明日」

「はい!失礼いたします。一郎太さんも、クリスさんも」

 レオネが頭を下げ、大神殿に消えていくと三人は再び関係者口へ戻った。

 

+

 

「はぁ……」

 

 ナインズは自室の勉強机に頬杖を付き、経験値の首輪の鎖をじゃらじゃらと弄んでいた。

「いかがなさいましたか?」

 第九階層のナインズ当番が尋ねる。

「いかがぁ……?う〜ん……」

 手元の鎖をペンッと飛ばすと、たった一言ぽつりと溢した。

「なんか調子悪い」

「え!?お、お待ちください!!」

 ナインズ当番が駆け出していくと、ナインズはそのまま机に突っ伏した。

「……僕変だ。調子悪いぞ……」

 毎日レオネの訓練に付き合っているせいだろうか。

 しかし、付き合っていると言ってもナインズなんかはそこにいて、たまに魔法の手解きをしてやるだけで後は一郎太がレオネと戦っている。

 こう言う感じは初めてで、ナインズは引き出しから適当にインク壺を一つ取り出した。

 

 手の甲に調子が良くなりそうなルーンを適当に書いていく。

 気分はすぐれなかった。

 

 しばしの時を持ってペストーニャとルプスレギナを連れたメイドが戻ると、ナインズはようやく机から身を起こした。

「ナインズ様、御前失礼致します。あ、ワン!」

「ルプスレギナ・ベータ、御身の前に推参っす!」

「や、悪いね」

「とんでございません。あ、ワン。ご気分がすぐれないとお聞きしました。少し見させていたただいてもよろしいでしょうか?あ、ワン!」

「うん、お願い」

「では――」

 ルプスレギナはペストーニャの指示するまま、速やかに手を持ち上げてみたり目を開かせたり、脈を測ったりした。

 回復魔法をとりあえず掛けておけばいいと言う説もあるが、これが人間界へ出ているせいで病気をもらってきたとなると、どんな病気なのか調査することも必要だ。

 最後に、ペストーニャは聴診器でナインズの胸の音を聞くと診察を終えた。

 ペストーニャの頭の中には健康な時のナインズの全てのデータが叩き込まれている。

 

「とりあえず、異常はないようです。あ、ワン!」

「本当?何ともないの?」

「えぇ。ですが、念のため魔法もおかけいたします。あ、ワン。――<大治癒(ヒール)>」

 ナインズの身を魔法の力が包む。

 

「――変わってないかも。ペスとルプーの力を疑うわけじゃないけど、母様にも見てもらおうかな……。気を悪くしないでね」

「えぇ。もちろんでございます。あ、ワン!」

 ナインズはまたため息を吐いて部屋を後にした。

 

「ナインズ様、お体はなんともなさそうなのにどしちゃったんすかね?」

 見送ったルプスレギナが言う。

 ペストーニャは幸せそうに微笑んでいた。

「もしかしたら、喜ばしい事かもしれませんよ。――あ、ワン」

「喜ばしい?ドエスっすねぇ。ナインズ様の調子が悪ければおそばにいられるって事っすか?」

 ルプスレギナの最低な意見に耳も貸さず、ペストーニャは後片付けを済ませた。

 

 一方、母の部屋。

 ソファに座る母の膝に骨の頭を乗せた父は目を閉じているようだった。あの体では寝られないのに。

「失礼しまぁす」

「はいはーい。どしたの?リアちゃんはデミウルゴスさんと第六階層で飛ぶ練習に行ってるよ?」

 それを聞いたアインズがぴくりと反応を示し、フラミーは骨のツルツルの頭を撫でた。

 アルメリアの翼は本当はもうとっくに飛べるものになっている。だが、翼から漏れる魔法の力と共に空へ上がるようにできているので腕輪によってそれは阻まれていた。近頃習得した悪魔の諸相がもう少し使いこなせれば、あとは自由に飛ぶこともできそうだった。

 ただ、父はその練習でアルメリアがデミウルゴスにしょっちゅう抱っこされているのが気に食わないらしい。

 

「うん、僕調子悪くて」

「あらら。おいで、こっち座って」

 ぽんぽんソファの隙間を叩かれ、少し狭いながらナインズはそこに座った。

「どしたの?病気の確認してから回復かけてあげようか?」

「いえ、今ペスとルプーにやってもらいました。でも良くならない。明日の放課後もレオネのレベル上げしたいのに困りました」

「ふーん?学校も訓練もお休みする?」

「しません!」

「ははは。じゃあ、放課後はレオネちゃんに第六階層に来てもらったら?あそこなら色々魔獣もいてやりやすいんじゃないの?」

「レオネはナザリックの土は踏まないんだって言ってました。神々が作った居城の全てを踏みたくないらしい」

 部屋にいる世話を焼くNPC達は皆当たり前だと頷いた。今日は執務はしないのでアルベドはお留守だ。

「――土だよ?踏むために作ったのに踏まない方がおかしくないですか?」

 アインズとフラミーは目を見合わせるとおかしそうに笑った。

 父は骨の時特有の、「ははは――ふぅ。はははは――ふぅ。ふふふ――ふぅ」と言う落ち着いては笑うの繰り返しだ。

 

「九太、何をそんなに怒ってるんだ?」

「え?怒ってないですよ。子供の頃はあんなに来たいって言ってたのに、呼んだのに来ないのが少し変だなって思うだけで」

「ははは。どうだかなぁ。ねぇ、フラミーさん」

「ふふ、ナイ君はレオネちゃんに来てほしいんだねぇ。来てくれるといいねぇ」

 ナインズはなんとなく赤ちゃん扱いされている気がした。

「別に大神殿でやれば良いから困りはしないんですけどね。でもこの調子の悪さじゃ明日の放課後頑張れないなぁ……」

「なぁ、九太」

「はい」

 

「それって、世に言う恋とは違うのか?」

 今だに母の上に寝転がる父がナインズを見上げる。

 

 ナインズは小説の中でよく見る言葉を前に腕を組み、手を口に当てて考えた。

「……恋?」

「好きで憂鬱なんじゃないか?父ちゃんなんてずぅーっとその気持ちだったからなぁ。フラミーさんの事閉じ込めたかったし」

「ははは。なんですかぁそれ」

 フラミーはおかしそうに笑ったが、アインズはあまり冗談めかしていなかった。

 

「恋は閉じ込めたい気持ちですか?」

「あぁ、そうかもな。一緒に生きて行きたい気持ちは愛だが、閉じ込めたい気持ちは恋だな。フラミーさんは?」

「異論なしです!後は、頭と胸の中がその人のことでいっぱい。胸がいっぱいすぎるから、またそれも苦しいんですよね。叶わないなんて思うともーっと苦しい!お母さん叶って良かったぁ」

「ははは」

 両親は大変仲睦まじい様子だった。人間の体になって身を起こした父と母が鼻をちょいちょいと擦り付けて微笑み合う。ナインズにとっては日常茶飯事すぎてあまり思うこともない。

 

 ひとしきり愛情確認をした両親はナインズが唸り声を上げて考える様子を見守った。年相応の物が身についてきたじゃないかと微笑ましかった。後一歩で反抗期かと、不思議とワクワクしてしまう。

 まだ彼が乳を吸っていた頃、アインズとフラミーは『いつか反抗期なんか来たらやだなぁ』『九太はきっと反抗期なんかないですよ』と話していたのに。防衛点検の時に破壊したツアーに鎧を返した時のことなので、それはツアーも聞いている。

 

 しばらく悩んだナインズは一つ頷いてから顔を上げた。

「別に閉じ込めたいわけじゃない気もします。でも、頭の中がいっぱいって感覚が分からないなぁ……」

「そりゃ、お前簡単だろうに。今何してるかな〜?どこにいるかな〜?明日も元気かな〜?って、思うかどうかだろ」

 アインズが何かわざとらしい口調で言うと、ナインズは頷いた。

「それは思います。レオネは弱いから、前変なやつに叩かれたし」

「そうか。守ってやりたかったか?」

「うん、すごく可哀想だった。皆にも万年筆持ってもらったけど、万年筆じゃ変なやつは倒せないしなあ」

「他の友達が叩かれてたらどうなんだ」

「怒る」

「ははは。お前はいいやつだなぁ。そうだ、友と大切な者のために怒れ。レオネちゃんと他の友達の違いをよく考えろ。父ちゃんもその違いを一生懸命考えた。――だが、お前は最近放埒の会と言うやつに勤しんでいるが、傷つけるなよ」

 

 ナインズはそれを聞くと、珍しく父に反抗的な顔をした。

「傷付けるような事するわけないでしょ」

「お?お前、それは反抗期なのか?」

「そんなんじゃないです。でも、僕はレオネにそんなことしません。レオネは、なんだか不思議と楽になるんです。だから大事にしないと」

「そうか。幸せにしたいんだなぁ。いいなぁ、青春」

 父も青春エンジョイ勢だった。

 

「幸せにしたい……。僕は、そうなんだろうか」

 

 ナインズは唸りながら部屋を出て行った。

 

「ありゃ恋だな」

「恋ですね。挨拶も忘れてる」

 

 両親は博愛主義者の変質に笑い合った。

 

+

 

「うーん……」

 ナインズは一晩中考えたが、答えは出ていなかった。

 これが恋なら、ナインズはレオネとどうなりたいんだろう。

「――キュー様、どしたの?」

 一郎太がナインズを覗き込むと、ナインズはまた唸った。

「一太、僕は恋してるんだろうか?」

「してんじゃん。それがどうかしたの?」

 あっけらかんと言われると、戸惑いの気持ちが広がった。

 

「ぼ、僕がぁ?」

「うん、天下のキュー様が」

「嘘だろ」

「レオネのことでしょ?」

「レオネって思うの……?僕ってそんなにあからさま?」

「いや?多少他の皆より長くいる時間作ろうとしてるくらいで、別に皆と平等に扱ってるとは思いますよ。でも、なんですか?レオネじゃダメなの?嫌なの?」

「うーん。僕は大人になったらどうなるか分からないのに……。うん、そうだな。一太の言う通り多分嫌なんだと思う。なんか嫌だなぁ。この胸の感じもすごく嫌だ」

「今だけって話もあるし。皆別に付き合ったからって結婚するわけじゃないじゃん」

「えぇ?そんなのも嫌だ。付き合うなら僕は生涯一緒にいたい」

「えぇ〜。嫌ばっかじゃん。だからキュー様重いってぇ。お父上達みてるとそう思うのも分かるけどさぁ」

 

 二人が校門に差し掛かると、いつものようにロランとレオネが立って話していた。

「はー。ロランも分かりやすいなぁ。レオネってモテるんですね」

 一郎太が笑うと、ナインズはそうだったのかと二人の様子を観察した。

 視線に気がついたレオネとロランが手を振る。

 自然とお似合いの二人だと思った。

 ロランはレオネに手を引かれて駆け出すようなのが似合うんじゃないだろうか。

 

 そう思うと苦しいかもしれない。

 ナインズは自分のこともよく分からない。

 恋してるんじゃないかと周りに言われてもピンとこない。

 

 あぁ、それならいっそ人の胸の内や、心の声が分かればいいのにと――

 

 ドクンと胸が鳴る。

 ナインズは痛む胸に手を置いた。

「お?やきもち?」

「――一太、ぼくは」

「ははは、自覚するとなぁ。そう言う――キュー様?」

 

 ナインズはそのまま胸を握りしめるように体を小さくすると震えた。一郎太はそっと鞄を受け取ってやった。

「キュー様、胸が痛むの?」

「――やめてくれ」

「からかったんじゃなくて――」

「やめてくれ!!」

 

 そのままうずくまると、ナインズは肩で息をした。

 耳には何かが届いていた。

 まるで、天高くから大量の糸が垂れ下がり、それがナインズに絡み付くようだった。

(――おかしい。やっぱり、何かがおかしい)

 息苦しさは増し、囁きのようだった耳に届く何かはどんどん大きくなった。

 

 ――どうか立派になれますように。

 ――この商売がうまく行きますように。

 ――偉くなれますように。

 ――元気な子供が生まれますように。

 ――私だけが愛されますように。

 ――もう病気になりませんように。

 ――谿コ縺励※繧医?∫・樊ァ。

 ――ちゃんと卒業できますように。

 ――母の体が良くなりますように。

 ――プロジェクトが無事に済みますように。

 ――願いが叶いますように。

 ――いい学校に入れますように。

 ――出世できますように。

 ――一番になれますように。

 ――僕達が幸せになれますように。

 

「キュー様!!」

「や、やめてくれ……!!僕は、僕は……!!そんなことが……聞きたいんじゃない……!!」

 頭の中に響く無数の言葉は止まらなかった。言葉は不思議と温度を持ち、ナインズを刺すように感じた。

「キュータさん!?」

「キュータ君!!」

 二人が駆け寄り、登校している生徒達も「先生呼んでくる!」と騒然としている。

「キュー様!キュー様どしたんだよ!!」

「い、いちたぁ……!!」

「キュータさん!!」

 ナインズの肩にレオネが触れる。

 レオネの何かが入って来ようとすると、ナインズは顔を上げた。少し、楽になった気がした。

「――き、きみは……」

「ロラン、レオネ。ごめん、俺たち一回戻る!」

「わ、わかりましたわ。お願いします!」

 ナインズは大丈夫だと三人に言ってやりたかったが、一瞬楽になったかと思ったはずの、この割れるような痛みと濁流を前になす術を持たなかった。

 

「――キュー様、立てる!?」

 一郎太の質問に答えられない。苦しむばかりで言葉が出ない。

「――大丈夫。抱えるから、そのままでいいから。すぐに帰れるから」

 一郎太がナインズを抱き上げると、校舎から呼び出された神官と教師達が駆けてきていた。

 

「――スズキ君!一郎太君!!」

「先生!俺達大神殿行く!!」

「わ、わかった」

 クレント教諭はすぐに頷いたが、隣にいた神官は一郎太の前に立ち塞がった。

「治癒を!少しでも治癒を受けてからの方が――」

「いいんです!彼らを行かせて下さい!」

「し、しかし、この様子では」

「いいから!一郎太君、行きなさい!!」

 一郎太はすぐに駆け出した。

 

 腕の中のナインズは耳を塞いで唸り苦しんでいた。

 登校してくる人並みが邪魔で、何事かと覗き込もうとする皆が邪魔で、一郎太は学院の塀へ飛び上がった。

 塀の上を走り、知らない家の屋根へ飛んで大神殿を目指す。

 途中、カインとワルワラが「おい!」「一郎太君?」と言ったが挨拶もできなかった。

「ナイ様!ナインズ様!!すぐですから!!」

 返事はない。ナインズの顔は蒼白だった。

「っうぅぅぅ……!!」

「っ嘘だ、嘘だ!あんなに元気だったのに!!」

 

 ふと、感じたことのない気配が染み出した。

「――変われ」

「だ、誰だ!!」

 一郎太と並走する黒い覆面の男は腕に赤い布を巻き付けていた。

 この状況で見たこともない怪しい人物。一郎太の警戒心は一気に膨れ上がった。

 だが、その者の声は優しかった。

 

「私はハンゾウ・ザ・リーダー。今日はたまたま、そう。たまたまナインズ様のお側についてきていた。昨日ご体調が優れないと仰ったからだ。安心しろ。大神殿よりナザリックへお連れする。敵ではない。変われ」

「証明は!!」

「お前は第六階層の一郎邸に暮らしている。去年ナザリック学園に通っていた時、お前はナインズ様と二人で知恵の林檎(インテリジェンスアップル)を焼いてシナモンを掛けて食べながらキャンプをした」

 ナザリックの者しか知り得ない情報が並べられると一郎太はすぐに頷いた。

「お願いします!!」

 走りながらナインズを渡す。

 

 ハンゾウは最も尊い宝を持つように抱えると、「一人で安全に帰れるな」と一郎太に尋ねた。

「俺は大丈夫!!」

「お前はナインズ様の宝だ。外部からの攻撃ではないと思うが気を付けろ。ナザリックに戻ったら説明のために第九階層へ」

「分かりました!!」

 返事を聞くや否や、ハンゾウは信じられないスピードで駆け出した。

「――は、早い!」

 瞬き一つの時間もなく背が見えなくなる。

 一郎太は足を止めずに走った。

 

 大神殿、一郎太とナインズの出入り用の部屋の前にはたくさんの神官達がいた。

「い、一郎太君!」

「境の神官長さん!光の神官長さん!」

「殿下に何が!?」

「わかんない!でも陛下方のところに行けばきっと平気!!――(コープス)さん、頼む!!」

 部屋に駆け込んだ一郎太へ、屍の守護者(コープス・ガーディアン)が温度耐性の指輪を投げる。

 指に通すが早いか、鏡の中へ飛び込むのが早いか、一郎太は大神殿から消えた。

「心配です……。祈りを――!」

 神官達はぞろぞろと鏡の間を後にした。

 

 一郎太の足は止まらない。

 いつもの第六階層へは上がらず、まっすぐ第九階層への道を行った。

「ナイ様、ナイ様!!」

 泣きたい気持ちだった。

 いや、多分彼は泣いていた。

 目からパッと飛んだ水分は一瞬にして蒸発して消え去り、ここ第七階層という場所の過酷さを知らせるようだった。

 第九階層への道の前にはデミウルゴスが待っていた。

「――一郎太!!」

「デミウルゴス様!!」

「早く!」

 手を取られる。引きずられるようなスピードだ。

 やはり、ナザリックに生きる全ての者達は一郎太を大きく上回る存在だ。

 

 第九階層に降りると、廊下を誰も彼もが走っていた。セバスですら、メイドに何か指示を出して早く何かを取りに行くように言っている。

 見たこともない状況に一郎太の中の不安と恐怖は大きくなった。ここがこの有様ということは、ナインズはまだ良くなっていない。

 これまでナインズが風邪をひこうが怪我をしようが、全てはなかったことのように治されてきた。

 一郎太が風邪を引いて寝込んでいるとナインズがフラミーを引っ張ってきてくれて治癒してもらった事もある。

 こんな事は一度もなかったのだ。

 戦闘メイド(プレアデス)達に肩を抱かれるアルメリアが泣きながら「私もここにいます!!」と主張しながらもどこかへ連れていかれる。

 

 人の出入りが頻回すぎて扉が開けたままになっていたナインズの部屋にデミウルゴスと一郎太が差し掛かると、入ろうとしていた者も出ようとしていた者も道を譲った。

 デミウルゴスは「失礼いたします!デミウルゴス、一郎太とただいま戻りました!!」と中へ告げた。

「入れ!!」

 聞いたこともないアインズの焦る声がする。

 一郎太はデミウルゴスと中に入ると、ナインズの有様に耐えきれなくなり、全てを忘れて駆け寄った。

「ナイ様!!ナインズ様!!」

「うぅ……うぁああ……!く、苦しい!!苦しいよぉ……!!」

 ナインズは何かにもがき、ベッドの上で反り返っていた。

「ナイ様!!俺が来ました!!もう大丈夫だから!!」

 一郎太の声は届かなかった。

「一郎太!!何があった!!一体何があったんだ!!」

 アインズが身を乗り出す。周りには階層守護者達も皆集まり、ありとあらゆる魔法がナインズに掛けられた後であることを物語っていた。

 一郎太が陛下方を除けばきっと一番強いと思っているコキュートスですらナインズのベッドの横に座り、頭を抱えている。

 

「ナ、ナイ様は、ナインズ様は朝、僕は恋をしてるんだろうかって!俺もそうなんじゃないのって言って、そ、それで、俺達歩いてたんです!歩いてた時は普通だった!元気だった!!それで、レオネがロランといるの見て、レオネってモテるんだねなんて笑って……でも、もうその時には胸が苦しそうで!蹲っちゃったと思ったら、やめてくれ、そんなことが聞きたいんじゃないって誰かに言ってて、お、俺、俺!!」

 一郎太もわけが分からず泣きそうになっていた。

 

 アインズはハンゾウが話した以上の情報を一郎太も持っていない様子に頭を抱えた。

「……恋煩いで死んだ人間はいない!一体何が起きているんだ……。ナインズ……!」

 一方、体力を底上げするような支援魔法を片っ端から掛けていたフラミーは一郎太に振り返った。

「やめてくれ……?やめてくれ、そんなことが聞きたいんじゃないって、いっくんが言われたんじゃないのね?」

「は、はい!それは、多分、俺に言ったんじゃないと思います!!」

 ハンゾウは一郎太が「やめてくれ」と制止されていたと話しただろうか。一郎太から見ていたからこその違いはそれひとつかもしれない。

 今もナインズは何か痛みから逃れようとするように肩で息をし、時に叫んでいた。

「っはぁ……っうぅ!!あぁ……!」

 

「……ナイ君」

「ええい、埒があかん!!とにかく、今は食事をすることも水分を取る事もできん!!パンドラズ・アクター!!リング・オブ・サステナンスを待って来い!!それから、私の神器級(ゴッズ)アイテムを!!」

「は!父上!!」

 帽子をギュッと被り直し、パンドラズ・アクターは宝物殿へ消えた。

「――悟さん!!」

「は、はい!」

 アインズが振り返った時、フラミーはもがき苦しむナインズを抱き上げていた。

「玉座の間に行きます!アルメリアのこととか、とにかくあとは任せます!!」

「え!?ふ、文香さん!?」

 

 フラミーはバンっと翼を鳴らして広げると、ナインズを抱えて飛んだ。

 スピードが出すぎるとまだ五十レベル代程度のナインズの体には負担が大きい。

 その体が痛まないように、乳飲子にするように抱えて母は飛んだ。

 

 ソロモンの小さな鍵(レメゲトン)に付くと、一度降り立ち玉座の間へ続く扉へ歩いた。

「開けて!」

 フラミーに縋るナインズはボロボロだった。

「か、かあさまぁ!うぅ……!!母様ぁ!!」

「――ナイ君、きっともう大丈夫だからね」

 二枚の見上げるほどに大きな扉がゆっくりと開いていく。荘厳な扉が開き切る前に、フラミーはその中へ身を滑らせる。

 

「――閉めて!」

 

 ゴゴゴ……と地響きすら起こしそうな動きで、扉は今行った動きの逆再生へ移った。

 

「きっと、ここは世界で一番静かな場所だから……!」

 泣いているナインズを連れ、玉座に腰掛ける。

 扉はようやく、ズズンと音を上げて閉まった。

「……ぁ」

 ナインズから小さな声が漏れる。フラミーは何よりも尊いものに触れるように髪を撫でた。

「静かになった?」

「う……母様……。ここは……」

「玉座の間だよ。苦しかったね……」

「……すごい。ここは……外よりも静かなんだね……」

 動く力も残っていない様子のナインズはフラミーに抱かれたままに呟いた。

「……母様の音がする……」

「うん。少し落ち着いたみたいで良かった……」

「っう……!っあぁ……!!」

「……あぁ。ナイ君……」

 

 フラミーは自分の鼓動を聞かせるようにナインズを抱きしめた。

 彼の身に起きる聞いたこともない事象も、回復の魔法が届かない悍ましい発作も、今は一度全て忘れた。

 ただ、腹の中で守っていたときのように過ごした。

 ナインズは必死で自分が生まれてきた場所の音を聞いているようだった。

 

 そして、扉が開くとその体は跳ねた。

「う、うぅぅぅ……!!うるさい!!聞きたくないんだよぉおお!!」

 ナインズの悲鳴が玉座の間に反響する。

 アインズと守護者達が入ってこようとすると、フラミーは大声で「早く閉めて!!」と叫んだ。

 慌てて扉が閉じられると、ナインズはまた少し落ち着き、眼を閉じた。

「な、何が……フラミーさん、何が起きてるんです」

 アインズが玉座の階段の下から尋ねる。

 フラミーとナインズはまるでミケランジェロのピエタのようだった。磔刑(たっけい)にされた神の子(キリスト)を抱く聖母の姿そのもので、ナインズはぐったりしていた。

 

「……何かが聞こえてます。ナインズに、何かが……」

「な、何かって……」

「……ナイ君……。何が聞こえてるの……?」

 

 ナインズはぼんやりと目を開けた。

「……祈りが……祈りが聞こえる……」

 広い玉座の間で、ほとんど吐息のような声が漂った。

「……祈り……だと……」

「皆……幸福になりたいと……祈っている……」

「お、お前……そんな……」

「……私に救いを……。……ああ……私に救いを求めている……」

 跪いていた守護者達は目を見合わせ、アウラは思わず立ち上がった。

「そ、そんなの、あたし達がやめろって言ってきますよ!!やめないやつはギッタギタにしてやります!!」

 それが良い!――守護者の目には世界の破壊という甘美な文字が浮かんだ。

 シャルティアもギュッと目を拭った。

「妾、今すぐ準備してきんしょう!祈る者には死を!!御身の望まぬ祈りに制裁を!!」

「……やめてくれ……。守らなくては……私は……守らなくては……。迷える者達を……導かなくては……」

 弱ったナインズはフラミーの腕の中でまた唸った。

 守護者達はどうすれば良いのか分からず、戸惑いの底に落ちた。

 

「う、嘘だ……。ありえない……。調子が悪いって……そんな……」

 アインズは信じられなかった。

 確かに少し信仰を集めた者同士の間に生まれた子だった。

 だが、アルメリアは悪魔として生まれて来ている有様だと言うのに、なぜこの子ばかりこんな目に。

 普通の子供なのに。

 ただ学校に通って、放埒の会なんて馬鹿げたことをして友達と笑い合っていたのに。

 

 そっと近付いたパンドラズ・アクターは、ナインズにアインズの神器級(ゴッズ)アイテムのローブを掛け、その指に飲食不要の指輪を通した。

「……ありがとう。パンドラ君……」

「とんでもありません……」

 

 唸るナインズの額に口付け、フラミーはため息を吐いた。

「……とにかく……何が原因でいきなりこんなことになったのかは分かりませんけど……多分、しばらくナインズはここを出られません……。扉が開くだけであんなに……」

 アインズは顔を覆った。ここは転移して出入りする事はできない。

 

「――全員聞け。扉の開け閉めには細心の注意を払え。できる限り――いや、できる以上に短い時間しか扉を開くことは許さない。メイド達を始めとする移動速度の遅い者は侵入禁止だ。アルメリアは……また少し考える」

 

 通達が終わると、コキュートスがそっと顔を上げた。

「……アインズ様、祈ルナト言ワレル事ハ……デキナイノデショウカ……」

「……生き物は祈るものだ……。祈るなと言われれば、またいつか祈れますようにと祈る。――だが、お前達は祈っていないようだな。神を信じていないのか?」

 アルベドは首を振った。

「私達とて至高の神々に祈りを捧げ続けております」

 アインズは頷いた。

「それでいい。神など漠然と考えるな。お前達は私達だけに祈れば良い。決して他の神に祈る事は許さん」

「は」

 

 ナインズは多分、「神」と言うものに祈りを捧げる者たちの言葉を聞いている。

 

 アインズもフラミーもそんなものは信じない。ナザリックの者達はアインズとフラミーに祈りを捧げている。

 これが崩れてしまえば、きっとここですらナインズは苦しむようになるだろう。

 

 守護者達はここをどう出るかと、難攻不落の城の中央で議論した。




いやー!殿下にもついに春……え……え?青春……え?ナイ君、え?

一応、赤ちゃんナイ君に「反抗期やだな〜」って言ってる御方々貼っておきます……。
https://syosetu.org/novel/189588/202.html

次回、明後日ぇ!
Re Lesson#25 あなたに祈りを


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Re Lesson#25 あなたに祈りを

 あれから一週間。

「っう……うぅ……!!あぁ……!」

 諸王の玉座で、今日もナインズはうなされていた。

 昼夜を問わない祈りは、ナインズに眠ることを許さず、その苦しみは一分と鳴りを潜める事はなかった。

 

「か、かあさま……かあさま……!」

 フラミーの手がその耳を塞ぐ。

「──大丈夫。いるからね」

 誰とも何の言葉も交わさず、ひたすらここで神に祈る者たちの声を聞いた。

「あぁ……人々は……こんなに苦しんで……!」

「聞かないで。お母さんの音を聞いて……」

 ナインズは必死になって母の血の流れを聞いた。

 

 この状況なので、今はフラミーとアインズ、時折守護者としか会っていなかった。

 アルメリアは一度会いに来たが、この姿にショックを受け連れ出された。

 今、一郎太にはナインズがいなくても学校に行って貰っている。彼は今までにない真剣さで授業を聞いて来ているようだ。

 毎日ノートだの、メモだのをアウラに預けてくれている。ただ、それはナインズの下までは届いていない。

 

 ふと、扉が開くとナインズはまた強く苦しんだ。

 すぐさま扉は閉ざされ、アインズとパンドラズ・アクターが急ぎ足で現れた。

「──諸王の玉座ほどじゃないんですが、情報遮断系のアイテムを作って来ました」

 アインズが言うと、パンドラズ・アクターは膝をつき、クッションの上に乗る指輪をそっと掲げた。白い波が真っ青な世界を模した石を包むような大きく太い指輪だった。石の中を覗き込めば、雲が流れていくのがうっすらと見えた。

 

 アインズの声はどれだけナインズの耳に届いているだろう。

「着けてやってくれ」

「かしこまりました」

 パンドラズ・アクターはナインズの指にそっと指輪を入れた。

「……効くと良いのですが……」

 ナインズの様子は変わらなかった。いや、少しは落ち着いたかもしれない。

 

「……世界級(ワールド)アイテムより効くはずもないか……」

 諸王の玉座も、この玉座の間も、確かにナインズの体には良さそうだった。

 祈りの声が小さくなる魔王の玉座は聖域になってしまった。

 

「と、父様ぁ……」

 アインズはすぐに手を取った。

「どうした?」

「うぅ…………すみません……すみません……父様……。でも……この指輪……いいみたい……」

「謝る事じゃない。良いんだよ。大丈夫」

 頭を撫でてやるアインズの声は若く優しかった。

 ナインズが目を閉じ、また苦しむ声が大きくなると、三人は肩を落とした。

 

「……ナイ君はこうなる前から何かがおかしいって言ってたのに……」

 フラミーが呟く。ぽつりとナインズの頬に涙が落ちた。

 くだらない事を言っている暇があったら、もっとよく調べてやれば良かった。

 ナインズの種族には変化があった。十まで満ちていた神の子の他に、救世の■■■■(メシア)がぽつりと一つ上がっていた。祈りが聞こえると言われるまでんなことに思い至りもしなかった。

 学校に行っている間ナインズは大して訓練をしていなかったのだ。

「……すみません……」

 アインズの謝罪が響くと、ナインズはぼんやりと目を開いた。

 確かに指輪は少し効いているようだった。

 

 

「あぁ……父様……母様……。お二人は……‥祈りの声をどうしてるの……?」

 聞いたこともない物を前にアインズは言葉を失ったが、ナインズの頭を抱くフラミーは一つの澱みもなく答えた。

「救ってる。皆私が救ってるんだよ」

「じゃあ……母様が……こうしてる間は……?」

「お父さんが救ってるよ。順番にね。心配しないで。大丈夫」

 ナインズは目を閉じるとぽろぽろ涙をこぼした。

 子供の頃は早く祈りの声を聞いて、皆を助けてあげたいと思ったのに。

 

 なのに──

「こんなに……醜いのに……。そう思うことすら……許されない……気がする……。っう……!」

 祈りを聞いた事がないフラミーには想像で応えることしかできなかった。

「……いいの。ナイ君が救ってあげることないんだから。お母さんが元気なうちは、それがお母さんの仕事だから」

「は、はは……そ、それじゃ……、母様……、永遠だ……」

「そうだよ。永遠にそれは私の仕事なの。だから、手伝いは必要ない。ナイ君が何かをする必要はないよ。私とあなたは違う」

 ナインズは少し突き放されたように感じたが、それはナインズを酷く安心させた。

 

「……かあさまは……完璧なんだ……ね……」

「そう。私は生を司る神様だから。生きとし生けるもの全て、私が救って導いてる。だから、ナイ君は聞こうとしないで良いからね」

「……聞こうと……する……」

 ふと、あの日を思い出した。ここから出られなくなった日の始まりを。

 

「……あぁ……あの日……人の胸の内が……心の声が……分かればいいのにと……ぼくは……」

 

 アインズとフラミーは目を見合わせた。

「……それからなの?ナイ君、やめなさい。人の心を覗きたいなんて思う事はやめるの。考えたり察したりすることと、覗き込む事は違うんたがら。……特殊技術(スキル)だとしたら、もうそれを切りなさい」

「……そしたら……僕は……元に戻れるの……」

「戻れる……。祈りを聞く力は──その特殊技術(スキル)はナイ君はきっと自分で望んで使ってるんだよ」

 

 フラミーが一気に言う。何の確信もない言葉だった。ただ、そうと思って対処するしかない。そうでなければ、神はひとときも休まらない。

 アインズも手を握ったまま告げた。

「口で聞けば教えてもらえることをわざわざ覗き込んで知ろうとしないでいいんだ。人の心は覗くものじゃない。祈りだって聞くものじゃない。人々の祈りはどうだ。醜いだろう。きっと、自分勝手なんだろう。お前ほどの男が失望するほどに」

 ナインズは涙を流したまま何度も頷いた。

「……でも……誰かの……幸せを……祈るひとも……いる……」

「そうだね。きっとその祈りは気持ち良いよね。それを聞いてごらん。耳を傾けて……」

 

 ナインズには、まるで天から自分に糸がぶら下がって繋がるように感じた。

 心の中で一本の糸を手繰り寄せる。

 ──どうか、幸せになって。

 その祈りは、ナインズを癒やした。

 

 ほぅ……と柔らかな息が漏れる。

「ナイ君、聞こえた?」

「……聞こえる。誰かが誰かの幸せを祈ってる……」

「うん……。他には……?」

 

 ──この子の未来が明るい物になりますように。

 ──どうか、誰からも愛されますように。

 

 優しさだけを聞こうと集中するが、それは難しかった。

 

 ──私だって愛されたい。もっと見てほしい。

 

「っ──うぅ……」

 小さな欲望が流れ込み、フラミーが頭を撫でた。

「探してごらん。よく探して……」

「はぁ……はぁ……」

 

 ──何を感じてもいいの。

 ──自由へ羽ばたいて。

 

 ナインズは何度も頷いた。

「あぁ……きっと……導くから……」

「ナイ君、それはナイ君の仕事じゃない」

「……そう……かな……」

「そうだよ。何のために神官がいるの?」

「……ああ……神官……。そうか……」

 

 目を閉じる。

 聖歌が聞こえてくる。

 平和を祈る声がする。

 人を救おうとする人達がいる。

 神の子の身を案じ、幸福を願う人たちの声がする。

 

 ナインズは心の中で神官の祈りの糸を大切に握りしめ、他の物をそっと手放した。この束だけを握っていたかった。

 しばらく、学校でもよく聞こえていた耳馴染みのある聖歌を一緒に歌った。

 途切れ途切れの、掠れたナインズの声がぽつりぽつりと玉座の間に満ちた。

 

「はぁ……。だから神官はいるんですね……。自分勝手な生き物の祈りで、母様達が潰れないように……。救いの手が届かない人達にも光が訪れるように……」

「そう……そうだね。……神官を大切にしないとね……。皆があなたの成長を、不完全と言う名の完全を見守ってる」

「はは……はは……。最近……また……それを聞くなぁ……」

 

 フラミーはナインズを抱きながら思う。

 もし、この子の種族レベルが十に満ちて真なる神になり人の祈りを聞き続け、人々を救うのだとしたら──この子はナザリックの敵になるかもしれない。

 その時、フラミー達はどうするべきなのだろう。

 ナザリックの方針を変えてしまう事が一番楽だろうか。

 本当の慈善団体になれば──だが、そうなれば国を支えるあらゆるものが崩壊するかもしれない。

 ナザリックを支えるための闇の側面は上げれば切りがない。

 国では無くなれば、統率を失い生き物は進化を望む。

 フラミー達の守りたかったものはいつか壊れてなくなる。

 

 そして、救いを求める声は増えるだろう。

 

 ナインズは苦悩を得るはず。

 あまりに壮大な話に頭が痛くなりそうだった。

 

 とにかく、この種族レベルが上がるような事は極力防がなくてはならない。

 

「はぁ……少し、楽になった……。久しぶりだ……」

「良かった」

 アインズも安堵に息を吐き、そばにいたパンドラズ・アクターへ指示を出した。

「国中の神殿にナインズの心の平穏を祈るように伝えろ。属国や友好国にもだ。ただし、一般の者達はいい。すぐについでで自分勝手なことを祈りだす」

 祈ったから何かいいことあるかなとか、そう言うことを思うかもしれない下賤には祈らせたくなかった。

 アインズにはナインズがどうやって祈りの声を選択しているのか不明だったが、混ざり込まられては困る。

 

 それからまた幾日。

 

 ナインズは少しづつ調子を取り戻し始めていた。

 時に苦しみながらも食事をとり、短い睡眠をとった。

 

 フラミーの膝からも下り、玉座に座っていられる。

 

 ナインズは今日も聖歌を歌っていた。聖歌で満ちる玉座の間は神話の世界のようだった。

「ナイ君、良かったね」

「はい。これを聞いてる間はすごく楽です。それに、この祈りの声が聞こえてくる特殊技術(スキル)も多少操作ができるようになって来た気がします」

「……安心した」

「母様も父様もすごいです。地獄かと思いました」

「ははは。地獄だよ。そんなもの。一つも聞かないでいいよ」

「……本当は手伝えたら良かったんですけど」

「神官を大事にしてあげれば十分。ナイ君は彼らが人を助けるときの心の支えになるからね」

「はい」

 ナインズは助けられながらでもいいから誰かを助ける者になろうと決めた。

 この天からぶら下がってくる糸をひとつひとつ選んで、時に放し、時に捕まえればいい。

 

「僕、そろそろここを出ようかな」

「……大丈夫?扉が開くだけでずいぶんうるさいみたいだけど」

「うん。やってみます。ここまでできるようになったから」

 

 ナインズはフラミーと手を繋いでソロモンの小さな鍵(レメゲトン)へ続く扉をそっと押した。

 押し寄せる祈りの声に、眩暈を覚える。

 玉座の間ですら聞こえてしまうのは、シャットアウトしようとする力と、祈りを引き寄せようとする内発的な力がぶつかっていたからかもしれない。

 <伝言(メッセージ)>をこの中から送れることと何ら変わりはない。

 

 ナインズはソロモンの小さな鍵(レメゲトン)へ続く場所で崩れた。

 

「っうう……!!っあぁ!!なんて、なんて醜いんだ!!なんて苦しいんだ!!あぁ!!救いが!!救いが欲しい!!」

 

 叫び声が第十階層に響くと、一斉にNPC達があちらこちらから現れた。

「ナイ君、中へ!無理しないで!」

「っぐぅぅぅ!!私は、私はお前達に──貴様らに──!!」

「ナイ君!!」

 

 欲望と絶望、平和、愛情、数え切れない祈りに触れられ、彼らの一番の救済方法を考えた。──死だ。

 

 川を血へ変えようか。

 家畜を全て殺してしまおうか。

 雹を降らせようか。

 暗闇で世界を覆ってしまおうか。

 洪水のうちに全てを沈めようか。

 山を割り、火を吹かせようか。

 蝗に全てを食わせてしまおうか。

 悍ましい病に膝をつかせようか。

 地を揺らし、積み上げた全てを崩そうか。

 二度と晴れない雨を降らせようか。

 

 ──あぁ。十の災厄を。

 

 神という存在はもしかしたら悪魔と大差ないのかもしれない。

 災いを呼び、人智を越えた所から救いのように見える糸を垂らし、人を試す。

 人を見張るように言いつけた天使達が人に憧れれば天使を、生み出した人々が天に届く塔を建てれば人々を──彼らは平気で断罪する。

 気に入らなければ地獄の底への案内人へと変わるのだ。

 あまりにも身勝手な存在だった。

 

「聖歌を探して!!」

 母の声が遠くから聞こえた。抱きしめてくれているというのに、驚くほど遠くから聞こえた気がした。

 ナインズは数えきれない量の糸をとにかく捨てた。

 一本一本を捨てるたびに、一本一本が痛みを呼ぶ。

「はぁ……!はぁ……!!っぐぅぅうう!!」

「九太!!もういい!!中へ戻れ!!──ええい!もう運ぶからな!!」

 いつの間にか父の声もする。

 

 ナインズは頭を抱え、真っ白な糸だらけの空間を走っていた。どんな闇よりも深い白い場所だ。

 何度かき分けても、神官達より圧倒的に多い神を求める救いの声を前に道に迷う。

 神官を見つけたと思っても、神官だって人間だ。

 自分の欲望がないなんて、そんな事は無理だ。

 

 ──あぁ、誰か。誰か!誰かの幸福を祈ってくれ!誰か!!

 

 ナインズは糸の中で崩れて泣いた。

 ふと、触れた糸から、自分の赤ん坊の未来を祈る声がした。

 幸せと、少しの戸惑い。何にも変え難い大きな愛。

 あたたかい。

 それを握りしめて、泣きながら聖歌を探した。

 

『──あなたを守りたい』

 

 遠くで、優しい声がした。

『──あなたの居場所を守りたい』

 転びそうになりながらも、そちらへ向かう。

『──何にだってなれる。何だって感じていける』

 数え切れない糸を手放した先には、やはり白い糸があった。

 

『──きっと人々を救ってみせる』

 

 優しい響きにその糸を抱くと、ナインズは知ってる匂いがした気がした。

「……レオネ」

 あぁ、そうだ。だから、だから君がそばにいる時僕は──。

 両腕を広げたレオネはナインズを抱きしめ、祝福の口付けを額に落とした。

『──わたくしは殿下の心の剣、そして心の盾ですもの』

「……ありがとう……」

 

 ナインズの周りから一斉に糸が飛んでいく。

 神に救いを求めず、神すら救いたいという願いはあまりにも透き通っていた。

 黄金のようにすら見える糸と高潔な決意は、ナインズを心をきつく抱きしめた。

 あんなに深い闇だと思ったはずの白が消えて行く。

 レオネの歌う聖歌が聞こえる。

 心の中を強い風が吹き渡り、黄昏にも夜明けにも見える大地の上で、ナインズは空へ向かって全ての糸が飛んでいく様を確かに見た。

 最後に金の糸も手放すと、ナインズはやっとこの力と付き合っていけるような気がした。

 

 その時、ズズン……と扉の閉まる重たい音が響いた。

 目を開けると、ナインズはまた玉座の間にいた。

 

「……父様?」

「無理をする必要はないんだから……。休みなさい……」

 いつの間にか父に抱えられていたが、ナインズはそっと父の体を押した。

「……どうした?」

「歩けます。いえ、僕はやっと、祈りとうまく付き合えそうです」

「だから無理をするなって」

「あれ?」

 ナインズのこの清々しさとは全く温度が違う。

 

 アインズはナインズをちゃんと抱っこしてまた玉座に座らせた。

「あの、僕もう行けます」

「行けなかった。それどころか、お前の抑制の腕輪が鳴り響くほどに力が荒れ狂っていたんだ。まだだめだ」

「え?そうなんですか?」

 ナインズの腕にはまるそれは、いつも通りの知らん顔だ。

「……でも、もう鳴りも止んでるみたいですし」

「ここにいるから止まってるんだ。お前は自分の中の始原の──いや、とにかく力を暴発させでもしろ。誰を殺し何が起こるかわからない。……ツアーの言う通り利用実験をもっと早くやってみるべきだったんだろうか……。いや……今はそんなことを考えても仕方ない……」

 アインズは頭を抱え、ナインズの足元に座ってしまった。

「……あの、父様が玉座に掛けてください」

「いい。そこにいなさい。諸王の玉座はお前のためになる」

「でも僕こんな所座ってられないです。父様にも悪いし……」

「いいから。またゆっくり外は試せばいいんだ……」

 ナインズは頬をぽりぽりかくと、そろりと椅子の上に立ち上がり、肘掛けを跨いだ。

 

「何やってる!!──と、大きい声を出して悪かったな。ただでさえ祈りがうるさいのに」

 一瞬で見つかり、あまりの父の迫力に飛び上がった。だが、骨の父の怒りは一瞬で霧散した。

「あ、いえ……えーと……行こうかなーって。期末考査ももうそろそろのはずですし」

「何をバカな事を!!──などとまた怒ってしまったが、お前が悪いわけではないからな。今は念の為にフラミーさんにナザリックにいる全員を連れて偽りのナザリックへ避難するように頼んだ。だから──ね。九太はもう少し父ちゃんとゆっくりしよう?」

「あの、ツアーさん呼んでください。そしたら多分平気って言うから……」

 ナインズがもじもじしてアインズを見上げる。

 

 アインズは訝しむようにナインズを見た。

「……九太、ほんとに何ともないのか?」

「はい。分かりました。この、祈りを聞く特殊技術(スキル)の使い方」

「……ここにいるからじゃないのか?」

「多分外でも平気です。それに、僕、どうしてレオネの近くにいたいのかようやく分かった」

「あ、そ、そう。そうなの。良かったね?」

「はい。彼女、僕のために──ナインズ・ウール・ゴウンのために、ずっと祈って歌ってくれてました。僕の心の剣で盾だって。ちゃんと聞こえてきたんだ。人々を救う神官になるんだって。僕の感じる全てを縛らないで、僕を守りたいって」

 

 あの時、言葉で聞こえて来た以外にもたくさんのレオネの祈りがナインズを包んだ。

 目を閉じ、あの糸に触れればいつでも聞こえる。

 彼女(チェロ)の奏でる歌が聞こえる。

『──あなたの幸せを、誰よりも深く──』

 糸をまた放すと、ナインズは笑った。

 

「神様の幸せを願うってすごいね。いろんな神官やいろんな人も願ってくれたけど、神の子に祈ってる気がする。そんな夢見たいなもんじゃなくて、レオネだけは鈴木九太を見つめてた。ははは。すごい子だよ、ほんとに」

「……じゃあ、お前はレオネちゃんの純粋な祈りのそばにいたかったわけか。それが大切だったんだな」

 アインズは玉座の足元に寄りかかり、清々しいナインズを見上げた。

「うん、あの子の感覚は、やっぱり僕に必要だ」

「ははは、良かったな。良い友達ができて」

「はい!学校行ってて良かったなぁ!」

「とんでもない目にもあったけどな。はぁ……」

「僕はそれでもやっぱり良かったと思います。いつかはこうなっただろうし、世界にはいろんな人がいるらしい。綺麗な心も、欲望に満ちた心も、今にも闇に堕ちてしまいそうな心も色々ある。だけど、少しづつ神官達と、僕は僕なりに救っていければいいんだ」

 ナインズがまた少し大人になったような気がする。アインズは鼻の下をかいた。

「そうだな。まぁ、適当に救ったり救わなかったりすればいいさ」

「ははは、父様それ神様としてどうなんですか?」

「いーのいーのを醜いのって絶対いるだろうから」

 ひらひら手を振ると、ナインズはおかしそうに笑った。

 

 二人は玉座の間の扉を押し開けた。

 

「──どうだ?」

 ナインズが目を閉じる。

 聞こうと思わなければ聞こえてこない声達。

「はい!大丈夫です!──っわ!!」

 ひょいといとも簡単に抱き上げられ、誰一人としていないナザリックで、ナインズは父に抱きしめられた。

 父は多分、泣いていたと思う。

 骨の硬く冷たい感触を抱きしめ返し、ナインズは自分の幸福に胸を満たした。

 自分の呼吸音しかしない。

 世界のように広大なこの城には今、ナインズしか生きた者はいないのだ。

 アインズはそっとナインズを下ろすと、くしゃりと頭を撫でた。

 

「学校はどうする」

「明日から行きます!」

「そうか。じゃあ、明日レオネちゃんにお礼を言うんだな。滅多にそんな友達はできんぞ」

「本当ですね。訓練の約束も破っちゃったし、早く会いたいなぁ。恋しいってこういう事なんですかね?」

「ははは。そうだな──え?恋しいの?」

「多分恋しいんだと思う。閉じ込めたくはないけど、レオネで頭と胸がいっぱいみたいです」

 アインズの頭の中には盆と正月とクリスマスと法要と灌仏会と春分と秋分と世界の終わりと始まりがいっぺんにやってきた。

「え、ど、どうするの?好きって言うの?」

 また父ちゃんの威厳はなくなっていた。

 

 ナインズは首を振った。

「僕はレオネの祈りを知ってるから。あの子は神官になる。僕は、彼女を応援します。いつか大神殿に入って、きっと人をたくさん救う。その時、僕の隣は休まらない。祈りも救済も忘れられる誰かの隣がきっと似合う」

「……おい、お前……それは……苦しいんじゃないか……」

「はは、母様の言った通り。叶わないと思うと苦しいのかも」

 困り顔で笑ったナインズはフラミーにあまりにも似ていて、アインズは何か、心が掻きむしられるようだった。

「ま、まださ?僕の隣は休まらないとかそんな事決めなくてもいんじゃないの?様子見て好きって言ったら……?」

 どこかの家のお嬢さんも親とやったやりとりだった。

 

「もし彼女にナザリックで死なずに生きて欲しいと思う日が来たら言います。でも、僕は彼女の祈りを聞いていたいだけかもしれないのに、そんな事許されるのかな」

「う、う〜ん……。それは……う〜ん……でも、良いのかなぁ……」

「良いんです。はー。さっぱりしたらお腹も空いた気がします」

「……誰もいないし、たまには二人で何か食べるか。パンと目玉焼きくらいできる。母さんにだけ、とりあえずもう平気って言っておくから」

 

 人の姿になりながら父が歩き出すと、ナインズはそのすぐ横に駆け、二人はよく似た顔で笑い合った。

 

 その後二人でいざ目玉焼きトーストを頬張ろうとすると、ナインズの部屋にはもうとんでもない人数がなだれ込んだらしい。

 フラミーとアルメリアはナインズを抱きしめて泣いた。

 ナインズは大袈裟だと笑ったが、皆泣くのがやめられなかった。

 守護者達はその後、しつこくナインズの部屋から離れずに過ごしたらしい。

 

「皆仕方ないなぁ。いいよ、好きなだけここにいてくれれば」

 

 優しい神の子は二週間ぶりの笑顔を見せた。

 

 まるで、一週間の眠りから目覚めた日の支配者のように。

 

+

 

「ナイ様ぁー!!」

「いちたぁー!!」

 第七階層で久々に会った二人は駆け寄り、勢いも殺さずにそのまま飛びつきあった。

 ナインズが子猿のように抱っこされるような姿になり、一郎太は泣きながら回った。

「良かった、良かったぁー!!」

「ははは!心配かけたね!連絡もできなくてごめんよ!」

「俺、俺ずっと待ってたんですよぉ!でも、絶対良くなるって分かってました!それも、期末考査までには百パーって!」

「さすがぁ!期末考査、今日からなんだってね」

 ナインズが一郎太から降りると、二人は肩がぶつかるような距離を歩いて大神殿へ向かった。

「流石のナイ様も参ったでしょ。へへ。今回だけは満点じゃなくても良いですよ」

「ふーむ、満点以外は一太の許可がいるのか」

「当たり前でしょ。手抜くかこういう事にならなきゃ満点取れるんだから」

 

 二人がよいせ、と鏡をくぐり部屋を後にする。

 廊下でばったり会った神官達はナインズを見ると目を丸くした。

「で、殿下……?」

「おはようございます!皆さんの祈りと聖歌のおかげで、何とか戻ってきました!」

「殿下ぁー!」

 神官はおいおいと泣き、他の神官は慌てて神官達を呼びに行った。

「長くなりそうですね」

「はは、ほんとだね。続きはまた後でって言わないと」

 二人の想像は的中し、最高神官長から神官長、聖典まで勢揃いで皆ナインズの無事を喜んだ。

 ナインズは皆に清い祈りを捧げてくれた事を感謝し、祈りが届くと言うことに神官達は張り切りパワーをグンと上げた。

 それまで、祈りについて神々から言及されたことはほとんどなかったが、この日を境にナインズへの意識が「神の子」から「神」へと大きく変化を見せ始めた。大変暑苦しい信者達だった。

 

 二人は遅れないように小走りで学校に向かった。

 もう少ししたら遅刻になるような誰もいない時間だ。

 だと言うのに、いつもの門の前から渋々と言う具合に立ち去ろうとする二人の人影。

 ナインズと一郎太はそれが誰なのか理解すると笑い合った。

 

 ナインズどころか、一郎太まで来ないことに肩を落としているレオネと、レオネの背をさするロラン。

 二人が消沈して門の中へ歩いていくと、ナインズはスピードを上げた。

「レオネー、ロラーン!おはよー!!」

「おーっす!」

 二人は飛び跳ねるように振り返った。

「き、キュータさん」

「キュータ君!!一郎太君!!」

 ロランはかばんを放り出してナインズに抱きついた。

「うわっ!──ロラン!心配かけたね!!」

「キュータくーん!わぁー!もー!なんだよぉー!死んじゃったかと思ったよー!」

「ははは!思ったより僕ってしぶといみたい!」

 男子で再会を喜ぶ様子にレオネはほっと息を吐いた。

 ロランの捨てられたかばんを拾って行く。

 

「ロラン、落としましてよ!あなた薬学科なんだから割れ物だって入ってるかもしれないのに!」

「あ、はは。ありがと。レオネ」

 ロランはかばんを受け取ると、くっついた砂をパンパンはたいて落とした。

「……でも、気持ちはよく分かりますわ。本当に、よくお戻り下さいました」

 レオネはナインズを見上げた。

 二人の髪を風が撫でた。

「ありがとう。レオネのおかげで戻ってこれた」

「……何仰ってますの。わたくし、何もしてませんわ。毎日大神殿の書庫でただ勉強を──ぇ?」

 ナインズはレオネを抱きしめると、レオネの祈りの糸を思い出した。

「聞こえたんだ。レオネの声が。君の祈りが」

「……キュータさん」

「ありがとう。祈り続けてくれて。ずっと、ずっと前から。僕が倒れる前から」

 あたたかかった。側にいる事がこんなに落ち着くなんて。

「……わたくし、あなたの心の盾ですもの」

「うん、僕の心の天使がローランに授けし聖剣(デュランダル)だった」

「……良かった」

 レオネは目を閉じ、ナインズの背をさすった。──一郎太もロランの背をさすった。

 

 二人は離れ、両手を握り合った。

「どうも僕には君の祈りと歌が必要らしい」

「うるさいかもしれませんわよ?」

「うるさいくらいがちょうど良いよ。レオネの声を聞いてると元気が出る。僕がまた何かを見失って倒れても、君の声を探してきっとまた立ち上がるよ」

「わたくしも……。あなたのために祈り続けますわ。それに、歌い続けます。あなという羽がどこまでも飛んでいけるように」

「ありがとう、僕の──僕だけの神官長」

 ナインズがレオネの額に祝福の口付けを落とす様は、まるで聖なる儀式のようだった。

「……祝福に感謝いたします」

「……僕こそ」

 二人はそっと離れると、いつもの様子だった。

 

「──ロラン、悪かったね」

「あ、え。い、いや。全然。キュータ君こそ、なんか気を使わせたみたいで」

「ロラン?なんですの?」

「いや。なんでも。ねぇ、一太」

「ん、そすね」

 ナインズはどうか幸せに、とレオネのこの先を心の中で祈った。この祈りは母の下へ行くのだろうか。

 

「こらー!!もう考査始まるぞー!!」

 校舎の方から聞こえる教師の声に、四人は駆け出した。

 

 また放課後、と手を振り合い、それぞれの教室へ続く廊下と階段へ散って行く。

 

 ナインズはもう一度レオネに振り返った。

 パチリと二人の視線はあったが、お互い微笑み合うだけで何も言わなかった。

 

 駆け込んだ教室で、クレント教諭は泣きそうな顔で二人を招き入れた。

 カインなどは泣いて泣いて、この後試験なのに平気なのか心配になるほどだった。

 ワルワラがナインズの頭をぐりぐりと拳ではさむ。

 やめろと一郎太に引き剥がされたが、結局またワルワラはナインズに飛び付いた。

 

 ペーネロペーも、パルマとジナも、クラスの皆がナインズを迎えてくれた。

 

 ナインズは学校に──世界にいろんな人がいて、レオネを育んでくれて本当に良かったと一日笑って過ごしたらしい。

 

+

 

「ナインズの変貌か……」

 竜の身のツアーが復唱する。

 その顔の隣に腰を下ろしていたアインズは頷いた。

 

「ここまで力の響きは伝わってきていたよ。だが、腕輪で封じ切れたみたいだね」

「あぁ。あれはよく役に立つ。とは言え、これ以上力が大きくなる前に流石に実験した方がいいかもしれん」

「誰とどこを生贄にするのかはよく考えた方がいいよ。善良な者達相手ではナインズがそれに耐えられない」

「──ちょうどいい場所を探さなくてはな」

「滅ぼすのにちょうどいい場所……か。君はやっぱり魔王だね」

「ナインズに必要なら魔王になるくらい造作もない。神の裁きを受け業火に焼かれるべき場所はいくらでもある。お前はもちろん止めないでくれるんだろう」

 

 振り返った先にいる竜王は冷たい瞳でどこかを見つめていた。

 

「──世界のために必要ならね」

 

 アインズはフンと息を吐くと立ち上がった。

 

「私は戻る。手配をしなくては」

「誰とどこを操るつもりなのかぜひ聞いてみたいよ」

 

「操っていることがバレればナインズが耐えられない。探すだけさ。神を冒涜するような──愚か者達の住む場所を」

 




……(;ω;)
レオネ・チェロ・ローラン、子供の頃はロランとの喧嘩で何度も名前がピックアップされていましたが、ローランは天使から聖剣デュランダルを授けられる英雄の名前でした。
レオネそのものも、(雄)獅子、勇者の意味だったり。
チェロは人間の声に一番近いなんて持て囃されていますが、彼女は聖歌を歌って神の子の剣になるために生まれてきていたんですね。
男爵知らんかったわ。(?????
レオネの凄さになんかもう感服しました。君、なるべくして生まれたきてたんやな……。
オリビアちゃんが正妻だと思ってたよ。本当におめでとう。

次回、明後日です!最終回かと思った〜〜!!!!(?
Re Lesson#26 放埒の旅
出ちまえ出ちまえ、放埒の旅!


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Re Lesson#26 放埒の旅

「うわー!遮光服だー!」

 待ちに待った夏休み。

 スレイン州から出発した朝一の魂喰らい(ソウルイーター)便の中に、ヨァナの歓声が響いた。

「日焼けの火傷防止のためにも、日差しがキツくなって来たと思ったら着てちょうだい。本式に砂漠に入るのは明日だけれど、多分あななたちは私より肌が弱いわ。──はい、レオネも」

「助かりますわ。まだスレイン州を出ていないと言うのにもう暑い気がしますわね……」

 ファーの遮光服を借りた二人は眩しそうに魂喰らい(ソウルイーター)便の外を覗いた。

 

 三人はファーの地元のエリュエンティウへ向かっていた。

 ルイディナも行きたがったが、残念ながら彼女はエイヴァーシャーの地元で森司祭(ドルイド)のお役目があるので夏に浮かれ切って小旅行とは行かない。

 乗客はごとごとと揺れる魂喰らい(ソウルイーター)便で時折肩をぶつけ合った。

 

 この魂喰らい(ソウルイーター)便は二人席が左右に三対並び、一番後ろに五人が座れる程度でそう大きな物ではない。ヨァナとファーが二人で座り、レオネは通路を挟んで隣だ。神都の中を走る乗合馬車(バス)とは全く用途が違う雰囲気だった。

 神都からディグォルス州までは丸二日かけて南下していく必要があるので、朝一の便に乗ったとしても夕方でようやく半分と言ったところだ。

 かつてスレイン州とエリュエンティウの国交が開かれていなかった時代は正確な地図も道もなく、さらにスレイン州内の道の整備も完了していたわけでもないので一週間かけて砂漠に入ったことを思えば二日程度で着くなどお得な話だ。──現代っ子達はそう思わないようだが。

 

「あぁあー!もっとパーッと行けたら良いのにねー!」

 ヨァナが言う。彼女は砂漠で遊んだら神都までまたレオネと二人で戻って、ザイトルクワエ州とリ・エスティーゼ州を丸一日経由して、翌日聖ローブル州に戻る。なので、帰り道は四日も日程を要するのだ。

 エイヴァーシャー市とアベリオン丘陵を突っ切ることができればもう少し早いが、あの辺りは森林が守られているので直行便などは出ていない。

 

「本当ね。隣の大陸に行くなら転移の鏡があるって言うのに」

「最古の森に行くあれですわね。いくつもあちこちにあったらどれだけ便利かしら」

 ファーもレオネも、通路越しに同意する。

 ガタン、と大きく魂喰らい(ソウルイーター)便が揺れるとレオネは隣の人にぶつかった。

「──あ、失礼いたしました」

「いや。気にしないでいいよ」

 一見南方を思わせる美しい黒髪と黒い瞳。

 レオネは隣人を見上げた。

 

「カイン様!転移の鏡って懐かしいですね!小学生の間は毎年行きましたもんね!」

「本当だね。最古の森にもまた行きたいものだよ」

「お前達わざわざ何しに──あ、エルミナスのところか」

「そういうことさ」

「エルん家でかいんだぜ」

 

 唐突にやかましく感じる魂喰らい(ソウルイーター)便の中で、レオネの後ろにはワルワラと一郎太、さらに後ろにはカインとチェーザレ。

 ──レオネの隣にはキュータがいた。

 キュータは夢中で外を眺めていて、窓から入ってくる風を気持ちよさそうに浴びていた。昔、父もそうしていたとは知らずに。

「キュータさん、キュータさん」

「──ん?どしたの?」

 レオネはキュータのほんのり尖った秘密の耳に口を寄せた。

「……こんな旅程で本当にあなたも行きますの?それも、スルターン小国まで。エリュエンティウからさらに二日もかかるんでしょう?」

 それを聞いたキュータは嬉しそうに頷いた。

「そうだよ。それが楽しいんだからね」

放埒(ほうらつ)の会ですわねぇ。大変じゃありませんの?」

「ふふ、大変どころかレオネ達もいるとは思わなかったからラッキーだよ。この行き方で良かった。天空城に出てたら君達には会えなかった」

「……またそんな事をおっしゃって」

 

 ナインズは手元にあった誰かの祈りの糸をぺんっと弾き、レオネの糸を顔の横からすくった。

「あら、何か付いてまして?」

「ううん。何も」

 目を閉じて耳を傾ける。

 

『──あなたの生に祝福を』

 

 幸福で胸が満ちる。ナインズは誰にも見えない──自分ですら見ようとしなければ見えないレオネの糸に口付け手放した。

「ありがとう」

「何がですの?」

「秘密」

 レオネはよく分からん、とファーとヨァナにジェスチャーを送ったが、友二人は大変ニヤニヤしていた。

 それどころか後ろの男子四名もニヤニヤしていた。

「もう!皆様なんですの!!」

「いい、いい。俺たちのことは気にせずやってくれ」

 ワルワラがしっしと手を振る。

 ナインズは「何が?」と振り返り、ふと興味本位でワルワラの糸を捕まえた。

 

 ──友達がこのまま元気でありますように。

 

 その優しい祈りにナインズは微笑んだ。

 そして

 

 ──俺が一番になるために神様なんとかしてください。

 

 思わず吹き出した。

「ははは!君ってやつは。なんとかしてくださいじゃないよ。勉強しろ。ははは!」

「あぁ?なんだぁ?自分ばっかり青春して、俺には──あ!お前!!期末で三点落としてもトップだったからって調子に乗ったな!!なんで二週間も休んで一番になるんだこいつ!!」

 ワルワラが後ろの席からナインズにちょっかいを出し始めると、レオネはまた始まった。と体を避けてため息を吐いた。

「ははは、ごめんごめん。なんでもないよ。悪かったね」

「ワルワラ、やーめーろ」

 一郎太に引っ張り戻されたワルワラがぶーたれる。ナインズは友達の祈りはもう二度と──一人を除いて──見ないでおこうと思った。考えていることが分かるわけではないが、人の心を覗き込むのはマナー違反だ。

 祈りは人の本質に極めて近いところにある。大変たちの悪い行いをした。

 

「げぇ、首席ぃ。二週間休んでまたトップだったのー?」

「学校休んで家庭教師と特訓でもしてたってわけかしら?」

 ヨァナとファーがいう。

「いや、はは。体調不良。どうしても良くならなくてね。寝込んでたんだ」

「あなた第三位階の癒しの魔法が使えるのに……。とんでもない病気になったのねぇ。それとも<病気治癒(キュア・ディジーズ)>は専門外?」

「ま、そゆことだね」

 事実ナインズは病気の治癒系は一つも持っていない。<大治癒(ヒール)>をいつか手に入れれば良いからと父と母も言っていた。

 それはさておき、ナインズは今回三点落とした。

 魔法学兼宗学の筆記で、祈りについての項目だった。

 彼は思った事を書いたが、それは模範解答とは言えなかったらしい。

 全部が満点じゃなかったことは構わないが、なんとなく納得の行かない採点結果だ。

 

(……ま、僕にとっては不正解でも、父様と母様にとってはあれが正解だったのかな)

 

 手近な祈りの糸を手繰り寄せ、ナインズはまたそれを聞いた。

 

 ──ギャンブルで勝ちたい。神様、ちょっとくらいいいじゃんかぁ。頼む!この一手、勝たせてくれ!!

 

「……俗物が」

 

 ため息の出るようなものはよくある。

 時間がある時は多少祈りを聞いてやろうと思っているが、二回も連続で「もう二度と悪い事はしません。だからこの腹痛を止めてください」というものが来た時は思わず目を覆った。この手の腹痛の回復を願う祈りはよくある。

 仕方なく糸に回復の呪文をかけてやってみたが、それが腹痛の主に届いたかは不明だ。

 

 次で最後にしようと決め、ナインズはまた目を閉じる。

 ふと、白い糸の中に灰色に見える糸を見つけた。

 それを手繰りよせた瞬間、ナインズの胸に強烈な痛みが走った。

 

 ──谿コ縺励※縲よョコ縺励※縺上□縺輔>縲りァ」謾セ縺励※縺上□縺輔>縲

 

 絶望だ。絶望の淵で、誰かが何かを強烈に求めて祈っている。

 あまりの息苦しさに眩暈を覚えるようだった。

 言葉にならない言葉の羅列。

(……言葉を持たない生き物か!?)

 そんなものの祈りまで引き受けていてはキリがない。それに、言葉が通じないなんて事があり得るのだろうか。

 だが、この灰色の糸は同じところからたくさん来ているような気がした。一本ではなく、ロープを編めそうなほどに大量の糸だ。

 この糸だって──

 

 ──逞帙>繧医♂縲ら李縺?h縺峨?ゅ%縺薙°繧牙?縺励※繧医♂縲ゅb縺?ュサ縺ォ縺溘>繧医♂縲

 

 言語になりそうでならない嘆きだ。

 痛みだけがナインズに触れた。

(……こ、これは……)

 救わなくてはいけない気がした。このままでは彼らは壊れてしまう。

 どこから来る祈りなのか分からなかった。

 痛みが身を焼く中ナインズはその糸を心の中で手繰り寄せ、束になるほど大量の、逆流する滝のような信じられない量の祈りを見た。

 

 遠すぎるか。

 

 いや、想像より近い。

 

 束の根源に触れると、見たこともない醜悪な生き物達が一斉に振り返った。

 

「──っはぁ!!」

 

 背もたれから体を起き上がらせ、ナインズは胸を押さえて肩で息をした。

「はぁ、はぁっ!はぁ……!」

「──キュータさん?いかがなさいましたの?大丈夫ですの?」

「はぁ……はぁ……!っう……はぁ……」

「顔が青いですわ。いけない。──これ、後どのくらいでお昼の所に着きますの?」

 ナインズの背をさするレオネがファーに尋ねる。

「もうすぐよ。首席、酔った?病み上がりだものね。ヨァナ、あなた回復使える?」

「ん?ファー、ほら。そこは」

 二人はごにょごにょ言い、頷きあった。

「やっぱり、怪我じゃないし第一位階の<軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>じゃ届かない気がするわ。しばらく様子を見ましょ」

「……そうですわね。一郎太さん、席変わります?」

「「えっ」」

「うん、サンキュー。──キュー様、平気か?」

 レオネと後ろの一郎太が場所を変わる。女子二名はガックリと肩を落とした。

 ナインズは一郎太の肩に頭を預けると、今見た悍ましい何かをぼんやりと思い出した。

 

「……アベリオン丘陵だ……」

 

 呟くと、皆ナインズが座る席の外に見える丘を見た。

 

「あれはエイヴァーシャーの果てじゃないか?」

 ワルワラが言い、ファーが頷く。

「そうね。アベリオン丘陵はもっと北だわ。神都よりよほどね。首席も地理は苦手かしら」

 二人の会話はナインズの耳には入らなかった。

 

(…………あれは……確かにアベリオン丘陵の方から……)

 

 ナインズはあの苦しみと自分を切り離すために少し寝た。一郎太のモソモソの手が肩を回ってナインズをずっとさすってくれていた。

 昼になると魂喰らい(ソウルイーター)便を降り、一行は公園で昼食を取ることにした。

 皆それぞれ好きなものをあちこちで買ってきて、地面に座る。学食のような雰囲気だった。

 ピクニックはレストランで食べるより安い。皆誰かの買ったおかずを奪ったりしながら昼食をとった。

 

 ただ、ナインズは気分がどうしても優れず、食事もそこそこに皆から少し離れて木陰に腰掛けた。

 一郎太が心配そうに見てくると、青さの残る顔で笑って手を振った。

 

(……一体なんだったんだろう……。あんな量の祈り……)

 

 アベリオン丘陵の辺りで戦争が起きているとか、そういう話は聞かない。共和国との戦争は少し前に終わり、州として取り込まれたらしいし、今神聖魔導国は戦線を持たない。

 それとも、まだ耳に入っていないだけで何かが起きているんだろうか。

 ナインズは今すぐ<伝言(メッセージ)>で父と話したかったが、帰ってからゆっくり話をする方がいい気もした。

(……あの量の祈りを父様が取りこぼすはずもないんだ。大丈夫……。帰って少し話を聞く頃には、きっと全ての祈りは消えている……)

 

 だって、あの祈りは確かに神に死を求めていた気がしたから。

 きっと父は頭を撫でるように皆の命を奪ってくれるはずだ。

 苦痛からの解放を望むあの声、あの姿。

 彼らは裸で、一瞬四つん這いの人間かと思った。

 だが、顔は豚のように大きく醜悪で、四肢の関節も人間のものと向きが違った。

 肥えていて、皮膚の表面が広く、皆体に奇怪な線が入っていた。

 

(……ああ、嫌だ……)

 

 何かの姿を醜悪だなんて思いたくはなかった。

 ナザリックには悍ましいと言わしめる姿の者が数多くいるし、この世の生で美しくない者などいるはずもない。

 自己嫌悪が襲う。

 何かの姿を醜悪だと思ったのは、もしかしたら生まれて初めてかも知れない。彼等自身が自分の姿を醜悪だと嘆いていた気持ちも流れてきたせいか。

 目を固く閉じ、気持ちの持ち方を変えようと息を吐く。

 

「──大丈夫ですの?本当に顔が青くてらっしゃるわ」

 ふと、レオネの声がした。

「……少し、祈りを聞いていたらね」

「そんな事、放埒の旅にまで必要ですの?」

「……いや、必要なかったね。失敗したよ。すごく、苦しい祈りだった。言葉を持たなかったけれど……彼らは多分、殺してほしいと祈っていた……。もう一分一秒を長らえることすら苦痛だと……そう言っていた気がする……」

「……大丈夫。陛下方も手を差し伸べてくださるはずですもの。今は忘れて。すぐに全てが良くなりますわ」

「そうだね……。僕は今僕自身で手一杯みたいだ」

「無理なさらないで。それでよろしいのだから」

 

 髪を撫でる手つきは優しかった。

 食事が終わった皆は製紙魔法で作った紙を丸めて作ったボールでキャッチボールを始めていて、楽しげだった。

 

「レオネ──いや、神官ローラン。私のためにひとつ頼まれてくれないか……」

「はい、ナインズ殿下。わたくしめに出来ることでしたら」

 レオネは座るスカートを整え、真剣に頷いた。

「明日にはエリュエンティウに着くだろう。私は明後日にはスルターン小国に発つ。君がどれほど長くエリュエンティウで過ごすかは知らないが、その間、場所も時間も問わないから私のために祈ってくれないか……。日に一度でいい……。休みだとは分かっているんだが……」

「どうかご心配されませんように。わたくし、これまでも一日だって祈ることを休んだ日はございませんわ。いつでも御身のつつがなき旅と、お心の平穏をお祈りいたします」

「すまない、助かる……」

「とんでもございません」

 

 レオネは胸の前に手を組み、聖歌を歌った。

 ナインズの耳を撫で、声は高く響いた。

 公園にいる者達が振り返る。

 

 歌が終わると、ナインズは少し血の気を取り戻した顔で笑った。

「レオネの声は元気が出るよ。ありがとう」

「歌っておいてなんですけれど、わたくし聖歌の点数悪いんですのよね。やっぱり音痴なのかしら」

「ははは。採点基準が悪いんじゃないの?僕が大神殿から満点に改めさせようか。神の子にはこの歌声が必要だって」

「嫌だわ。絶対に誰も信じませんし、過保護な父からの圧力だって思われましてよ」

「ふふ、違いないね」

「もう、少しは否定されて。──さ、そろそろ次の魂喰らい(ソウルイーター)便に荷物を積まなきゃなりませんわ」

「行こうかぁ」

 

 二人は木陰から立ち上がり、尻をはたくと手を振る皆の下へ行った。

 皆の旅の荷物は運賃受け取り係の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)によって魂喰らい(ソウルイーター)便の屋根にぼんぼこ積まれた。ナインズの荷は非常に丁寧に載せられたらしい。

 それを見られては困ると、カインは慌ててワルワラを、レオネはファーとヨァナを車内に押し込んだ。

 

 途中皆が疲れて寝たタイミングで幻術も掛け直し、夜にはスレイン州最後の街に着いた。

「じゃ!また学食でねー!」

「明日は流石に同じ便にはなんないでしょうしね」

「皆様お気をつけて」

 レオネとヨァナ、ファーは手を振った。

 ここで女子達とは別れ、男子五人で取ってあった宿屋に行った。

「わぁ、これはいいねぇ」

 感心してナインズが見上げたのは、二段ベッドが狭苦しく三台並ぶ部屋だ。

「こう言う所に泊まると、狭い学校の寮が天国に感じるぜ」

 寝る者がいないベッドにワルワラがドスンと荷物を置く。

 チェーザレはとりあえず窓を二つ開けた。

「寮、結構広いですよね?一人一部屋ですし。ねぇ、カイン様」

「僕もそう思うけどな。ワルワラは勝手にハンモック付けてるから狭く感じるんじゃないの?」

 それは必要なことだとか、布団が干しにくいとか、食事のバリエーションが少ないとか、楽しそうな寮生活の話に、ナインズは一郎太と使うことにしたベッドに座って耳を傾けた。

 

「いいなぁ、寮。僕も寮にすれば良かったな」

「家から通える奴に寮の鬱憤は分かんねぇよ。やれやれ」

「ははは、ごめんごめん」

 

 五人で笑い、時間が来ると一階に降りて夕食を取った。

 大浴場でワルワラの自慢の筋肉と彫り物をまじまじと見させてもらい、最終的には皆で大浴場を泳いで怒られた。

 ナインズは昼の祈りを忘れることはできなかったが、痛みはもう消えていた。

 濡れた髪や一郎太の毛を皆で魔法で乾かし、部屋に戻る。

 ナインズはワルワラには自分の本当のことを話してもいいような気がした。多分、彼はとんでもないズルしやがってと笑うだろう。

 

「──どうかしたか?」

 夜、なんだかんだ真面目なワルワラが教科書から顔を上げる。ナインズは迷ったが、首を振った。

「ううん、何でもないよ」

「ふん?変な奴。──おい、カイン。ここの所お前メモしてないか?」

 カインがワルワラの教科書を覗き込む頃、外から歌が聞こえた。

 

 ナインズは歌に誘われるままに窓辺から顔を出した。

 

「──レオネ、どこかで歌ってますね」

 一郎太が言う。

 ナインズはただ黙ってそれに耳を傾けた。

 

 一行は翌日にエリュエンティウに入り、また一泊した後、朝からラクダの引く浮遊板輸送(フローティングタクシー) に乗り換えた。

 足は遅いが砂漠の魂喰らい(ソウルイーター)便は大変値が張る。魂喰らい(ソウルイーター)は力があるのでどんなに足場が悪くてもお構いなしだろうが、当の牽引される車はそうはいかない。

 砂に取られにくい無限軌道(キャタピラ)と呼ばれる太い車輪がついた特別性の馬車が用意されている。普通の街道よりも無理な力がかかりやすいので、壊れるのも早く乗車にはある程度の金がかかる。

 一方ラクダが引く浮遊板輸送(フローティングタクシー) は自分達で<浮遊板(フローティング・ボード)>を出して引いてもらうとこの人数でも安上がりだ。荷物もある五人なら通常三個はラクダ便を頼まなければいけない所、一個で済ませることに成功した。

 第一位階が使えるナインズとワルワラが二人がかりで<浮遊板(フローティング・ボード)>を出した。

 昼食には"蒼のオアシス"に寄り、休憩の後に別のラクダ便を頼んで次の中継の街である蠍人(パ・ピグ・サグ)のララク集落に立ち寄った。

 夕暮れ前に到着した街は静まり返っていて、ワルワラは当たり前のように魔人(ジニー)がやっている宿に入って行った。

 その晩、ワルワラ以外は熟睡できなかったらしい。蠍人(パ・ピグ・サグ)達の活動時間と四人の睡眠時間は大変折り合いが悪かった。しかも、砂漠の夜は驚くほど寒かった。

 

 そして、ついに一行はこの遠き地、スルターン小国にたどり着いた。

 移動は女子もいた一日目はスレイン州の外れで一泊。

 二日目はエリュエンティウで一泊、

 三日目は眠れぬ街ララク集落で一泊、

 四日目にしてオアシスに囲まれた砂漠の中にある水の巨大な都だ。

 

「遠かったー!!」

「ヨァナ達じゃないけど、転移の鏡がほしいものだよ……」

 ワルワラの遮光服を借りたチェーザレとカインがワルワラの<浮遊板(フローティング・ボード)>に転がる。

「おい、お前達魔法も使ってないくせに伸びるな!」

 その二人の向こうのナインズが出した<浮遊板(フローティング・ボード)>には荷物と一郎太。

 ワルワラとナインズはラクダ屋が出している<浮遊板(フローティング・ボード)>に乗せられている。

 ラクダ便がノッタリノッタリとこれを家まで運んでくれるわけだ。学生の旅は過酷だ。

 

 道にはあちこちに涼しげな水路が通り、花が浮いていた。

 どの家も窓という窓は存在せず、外と中を出入りできる大開口の出入り口に白いカーテンをかけていた。

 風が多少でも家の中に入るようにしているのだろう。

 ワルワラのようなハーフと、純血の魔人(ジニー)達が道を行く。

 水路の中で走り回っていた子供達はナインズ達を見ると「変なカッコー」と指差した。

 

 たどり着いた家は広そうだった。

「カイン様のお屋敷くらい大きいのかな……?」

 チェーザレのいつもの呟きだった。

 ドアはなく、開かれた門の中を進んでいく。

 白い砂色の壁に沿っていくと、水の張られたタイルの庭があり、ようやく家の中に入った。

 

「──ワルワラ!」

 声が聞こえると、部屋の奥から女性が駆け出してきた。

 そのままワルワラに抱きつき、キスと頬擦りをした。カインとチェーザレは思わず目を見合わせた。

「よう。元気だったか」

「元気元気!──そっちはお友達だね!」

 顔を覗かせて笑った女性はニッと笑った。ワルワラと同じように目は黒く、瞳が赤い魔眼だった。

「こんにちは。僕はキュータ・スズキです。こっちは一郎太」

「こんちゃ」

「おー!スズキくん!一郎太くん!ワルワラの手紙で読んだよ!」

 握手をしあい、女性がさらに後ろのカインに手を伸ばす。

 だが、カインは顔を真っ赤にして俯いてから手を出した。

「……か、カイン・フックス・デイル・シュルツです……」

「チェーザレ・クラインです」

 チェーザレもどぎまぎと目を逸らしていた。

 

 この女性、というか、スルターン小国では男も女もなく皆上半身は裸だった。

 大量の彫り物がされた大きな胸が豪奢な金のネックレスと共にたっぷりと揺れた。

「皆、こいつは俺の上から五番目の姉のコピルタ・バジノフ」

「よろしくぅー!いやー!皆異国っぽい格好してるねぇ!暑くないの?」

「いや、俺でもこんだけ暑いんだからこいつらは──ま、何はともあれ、まずは着替えだな」

 

 皆苦笑とともに汗びっしょりの顔で頷いた。

 

+

 

 皆ワルワラのだだっ広い部屋に荷物を置いた。

 

「……僕の部屋よりよっぽど広い。これじゃ寮が牢獄に感じるわけだよ」

 

 流石のカインもチェーザレに言われるより早く、感心したように辺りを見渡した。

 ただ、ここを部屋と言っていいのか少し迷う。

 というのも、部屋のど真ん中にある膝程度の浅いプールは、白い壁に囲まれた庭の水路とつながっていて、カーテンが開け放たれた中ではここも外のようだったから。

 オベリスクのような柱がいくつも立ち、外から足の長いサギの仲間のような水鳥が勝手に部屋に入ってきてプールに浮かぶ花をつついていた。

 プールの右脇に視線をやれば、何枚もの色とりどりの絨毯が敷き詰められ、花瓶くらいしか置けないような小さなテーブルの周りには無造作に丸いクッションがいくつも置かれていた。

 反対、左脇に目をやれば壁一面の本棚と机。それから、広すぎるベッド。

 

「エル様の所もすごかったですけど、ここも庭まで部屋みたいですごいですね」

 チェーザレもあんぐりと口を開けて部屋を見渡した。

「キュータ様的にはどうですか?」

「すごい!広いし、なんかワクワクするね!」

 キュータは子供みたいな返事をしながらせっせと汗だくの服を脱いだ。以前カイン達と一緒に神都で買った魔法のかかっていない服なので、よほど暑いのだろう。

「あ、あぁ……キュータ様また恥じらいもなく脱いで……」

 カインは直視できずに脱ぎ捨てられた服をチェーザレと拾った。

「はは、置いといていいよ。また皆のとまとめて<清潔(クリーン)>かけるから。──一太、一太無事か」

「へーい……無事でーす……」

 キュータにゆすられる一郎太は暑さで完全にばてていた。ミノタウロス王国もほどほどに暑い地域のはずだが、彼はあそこの出身ではない。

「ワルワラ、入っていい?」

 キュータが指差すのは花をつつくサギがいるプールだ。

 ばっちくないのかなぁとカインはプールを覗き込んだ。

「いいぜ。そのためにあるもんだし」

「やった。一太!水入っていいって!」

 のそのそ起き上がった一郎太はパンツ一丁になると、まるで温泉のようにプールに入った。キュータもズボンだけの姿に落ち着くと水を進んでいってしまった。

「あぁ〜生き返る……」

「慣れない砂漠は大変だったろ。全員俺の遮光服貸してやるからあれこれ気にしないで過ごしてくれ」

 

 チェーザレもズボン姿になって水に入って行ったが、カインはやっぱりなんとなくばっちい気がして入らなかった。

 その隣に、ズボンとネックレスだけのスルターンスタイルになったワルワラが座った。

「なんだ?カインはいいのか?」

「いい。疲れてるしね」

「昨日は蠍人(パ・ピグ・サグ)がうるさくて寝られなかったみたいだもんな。残念ながらスルターン小国にも蠍人(パ・ピグ・サグ)はいるぜ。ま、ここまでは声がしないだろうけど」

「ほ、安心したよ。ねぇワルワラ。あのプール鳥もいるのに本当に綺麗なのかい?」

衛生(サニタリー)粘体(スライム)があちこち浮いてるから綺麗だぜ。鳥も衛生(サニタリー)再生青鷺(ベヌウ)って言うんだ。汚いもん綺麗に戻してくれるから昔は聖鳥って言われてたらしい」

 目を凝らすと、花や葉の影で粘体(スライム)達がぷかぷか浮いていた。

 そんなに綺麗ならやっぱり入りたい。

 カインが考え直そうとしていると、足をプールに付けたワルワラは悪い顔をして大きなおかしな形をした壺を取り出した。

 

「ま、入らないならお前はこれしようぜ」

「何?これ」

水煙草(シーシャ)。神聖魔導国じゃ俺たちの年齢じゃあ禁止されてるけど、ここなら合法だ」

「えぇ!?ほ、放埒だなぁ」

「まぁな。放埒は俺に任せておけ。──うまいよ」

 ワルワラが笑って水煙草(シーシャ)を寄越すと、カインはちらりとキュータを確認した。母国の王子の前で良いのだろうか。

 鳥を撫でていたキュータはすぐに視線に気づいたらしく、「ん?」と首を傾げた。

「キュータ様〜、水煙草(シーシャ)だって。どう思います?」

「いんじゃない?放埒の旅だしね」

 爽やかに笑った。両親の定めた法律なのに良いんだろうか。

 許可をもらっても悩んでいると、一郎太が水を上がった。

「キュー様いいって言ったから俺も吸う!」

「ほいよ。ミノタウロス王国にもあるよな?」

「らしいな!」

 一郎太が吸い、チェーザレも吸い、ワルワラも当たり前のように吸った。

 

 カインはやっぱり、あの人が吸う様子がないからやめておこうと思った。

 鳥が飛んで去っていく様子を眺めるキュータは本当に綺麗だった。そして、何かを空中から取ると目を閉じた。

 どんな意味のある仕草か分からないが、カインは未だにキュータの全てに憧れて仕方がなかった。

 カインを成長させてくれる運命の人。この人がそうなんだと、今でもカインは信じている。

 だから、カインも虚空から何かを掬うように手を握ってみる。

(……なんなんだろう)

 やはりどういう意味があるのか分からない。

(……僕がやると思春期の病気みたいだ)

 恥ずかしくなって手を放す。

 

 チェーザレが煙草を一口含んでむせると、静かに過ごしていたキュータは笑った。




おぉ!?放埒ですねぇ!!
エル君との実家訪問とは全く違って、やっぱり友達は選んだ方が、いえいえ、なんでもありません!

アベリオン丘陵から聞こえてくる怪しい祈りが心配ですね〜。何がいるか全然分かりません(?

次回明後日!
Re Lesson#27 スルターン小国


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Re Lesson#27 スルターン小国

 スルターン小国に到着した日は、そこまでの旅疲れもあり皆ワルワラの部屋でカードやボードゲームをして過ごした。

 

「──そう言えば、ワルワラのご両親に挨拶してない」

 夕暮れ時、ハッと気がついたナインズが体を起こす。

「あぁ、そろそろ帰る頃かな?でも、別にほっといても構わないけどな」

「そんなわけ行かないでしょ。ちゃんとうちの親からもお世話になりますって荷物預かってきてるし」

「あ、僕も手土産持ってきてるよ」

 トランプをしていたカインも手を上げた。

「えぇ?良いとこのおぼっちゃん達は違うなぁ。そんなもんいいのに。何あずかって来てくれたの?」

「神聖魔導国のワインと、ご家族多いって聞いてたから果物も」

「ごめん、僕は神都で買った菓子折り」

「んー、全部俺たちで開ける?」

「バカ言うなって」

「不良息子」

 

 ワルワラは頬をかくと、うんせと立ち上がり、部屋をぺたぺたと裸足で去っていった。

 

「──キュー様、今のうちですよ」

 一郎太が手を伸ばす。

「ありがとね」

 ナインズは腕輪を一郎太に渡すと、母のかけた強力な幻術の上からもう一つ幻術をかけ足した。ナインズの力で解くことは出来ないので、いつ消えても良いように重ねがけしておいた。

 

 すぐにワルワラは戻ってきた。

「帰ってたわ。真面目な友達できてるって驚かれた」

「ワルワラも相当真面目だと思うよ。帰省の旅行中に勉強してたの君だけだろ」

「うるせ」

 

 一行は夕日に照らされる部屋で神都では普通の服装になった。

 ワルワラも分厚いローブを上に着込む。

 砂漠の国は夜に向けて冷えてきていた。

「チェーザレ、僕大丈夫かな?」

「はい!カイン様!良いと思います!」

「……あ、ここにシワがついてる」

「シワなんか諦めて」

 

 二人の主人と二人の従者の様子に、なんとも慣れないワルワラは苦笑した。

「ほんと、大した事ないからそんな事気にすんなよ」

 ようやく行く気になった一行は広い家の中庭を通り過ぎ、神殿のような廊下を通り過ぎ、ようやく目的の場所に着いた。

 カーテンを開けた先では、魔人(ジニー)とのハーフの男性、魔人(ジニー)そのものの女性がいた。それから、昼に会った姉のコピルタ。

 やはり両親とも上半身を晒していたが、夜用の分厚いローブを着ていたのであまりギョッとはしなかった。

 三人は広い絨毯の上で食事をとっていたようだった。皆リラックスして寝転んで食事をしていた。

 

「やぁやぁ、いらっしゃい。わざわざ挨拶なんて、すまないねぇ」

「いらっしゃい。好きなだけ過ごしていくと良いわ。──スズキくん、一郎太くん、シュルツくん、クラインくん」

 ワルワラの母の眼光は、悪魔と人の子であると言われる種族なだけあって、カインとチェーザレを少し尻込みさせた。

「──こんばんは。挨拶が遅れました。お世話になります」

 コピルタが体を起こし、一郎太とチェーザレからそれぞれ手土産を受け取ってくれた。

「わー!お酒にお菓子!ありがとうね!」

「やぁ、これは悪いねえ。──ワルワラ、いつでも食事をとりに行っていいんだからね。五人分もう用意できてるんじゃないかな?」

「うん、ありがと」

「それにしても、ワルワラにこんなに良い友達ができるなんて嬉しいよ。母さんも鼻が高いでしょう」

 

 ワルワラの母が笑顔になるとギザギザの肉食獣を思わせる歯が見えた。

「えぇ、本当に。そんな不詳の息子だけれど、神聖魔導国の公用文字もスルターン文字も書ける、スルターン小国初めての魔導学院入学者だったのよ。純血の魔人(ジニー)も頑張ったけれど、実技が良くても筆記がうまく行かない。だから、心配だったの。文化がずいぶん違うようでしょう」

「うわ、やめろ。やめてくれぇ」

 ワルワラは恥ずかしそうにしゃがみ込むと頭を抱えた。

「ふふふ。十七年後に透光竜(クリアライトドラゴン)様──白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)閣下の下へ旅立つ宵切姫様の儀式には、公用文字も書ける神聖魔導国の文化にも触れた神官をと、十三年前──あなたたちが三歳だった頃に神官達で話し合いがあったの。なんと言っても、閣下は字を書けると言うことをとても重視されていたから」

「じゃあ、お母上かお父上は神官でらっしゃるんですか?」

 ナインズが尋ねると、ワルワラの母はゆっくり頷いた。

 

「えぇ。私が神官よ。十三年前の宵切姫様の浄めの儀式にも立ち会った──と言っても、神聖魔導国の子達にはよくわからない話ね」

「いえ、宵切姫さ──まは何でもご堪能で、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)──閣下の下でご活躍であると存じております」

「まぁ……神聖魔導国の方は何のことやらと仰るのに。スズキくん、あなた本当に優秀なのね。ワルワラと切磋琢磨してもらえてありがたいわ。親バカかも知れないけれど、その子は混血だと言うのに純血と差もなく魔法を使う。そう言う意味ではこの国で一番優秀だったけれど、ちょっとおバカでしょう。少しくらい鼻っ柱が折られてちょうどいいわ」

「やめろー!もういいよ!!良いから良いから!!」

「ははは、ワルワラ、やっぱり君優等生なんだね。それに、国一番なんてすごいじゃないか」

「お前が言うな!お前の国で一番すごいやつに言われても嬉しくない!!」

「照れなくたっていいのにぃ」

「うるさい!もういいから!俺たちも飯にするぞ!!」

 ワルワラがナインズの背を押し始めると、両親と姉はニコニコ笑顔で手を振って一行を見送ってくれた。

 

「俺は飯を取ってくるから!お前達は先に戻ってろ!」

「はいはーい」

 四人はワルワラが溺愛されている様子に楽しそうに笑いながら部屋に戻った。広くて少し道に迷いそうだった。

 

「やっぱり、わざわざ外国から留学に来るような子は優秀だよね」

「それに、ワルワラも放埒放埒って言いながら何だかんだ真面目ですしね」

 そんな噂話をしながら、ナインズとカインはまた一つ服を着込んでクッションの上に座った。

「ふふ、ワルワラはちょっと乱暴だけど、最初から親切だったもんね。砂漠のよしみで荷物持とうかとかさ。水煙草(シーシャ)だってここじゃ許された行為だし、彼は一度もルールから外れてない」

 四人は良い友達ができたものだと頷きあった。

 

 そうしていると、ガラガラとサービスワゴンを押したワルワラが戻った。

「ほい、飯だぞ。お袋が土産に感謝だって言って良いもんくれた」

「いいもん?」

「ふふ、いいもんいいもん」

 大きめのワゴンからチャパティ、ハーブコロッケ(ターメイヤ)鳩の丸焼き(ハマム・マシュイ)がいくつも、肉と茄子のトマト煮(メサアア)、山盛りの野菜と羊肉、果物各種。

 それから最後に、真っ赤なジュースの入った大きな甕。

 五人の真ん中に並べられていくと、ワルワラは雑に取り皿を配った。

「神都じゃあんまり床で飯食わないけど、スルターン小国じゃ床が普通だから広い机がないんだわ。悪いけど、床で付き合ってもらうぜ」

「もちろん構わないよ。それより、ご飯のお礼言っておいてね」

 

 皆でチャパティに野菜と肉を挟んで食べたり、鶏肉をむしって食べたり、楽しい夕食だった。

 

 そして、ワルワラがこっそり一皿取り出すと、皆それを覗き込んだ。

「──それ何だ?」

 一郎太が尋ねると、ワルワラは「あー、いやー」と言葉を濁した。

 怪しい雰囲気にカインは指をぺろりと舐めると身を乗り出した。

「良い匂いがするね。何を隠してるのさ?」

「はは、いや。別に、な。そ、それよりお前らこれ飲め!これ!お袋からの差し入れなんだから!」

 赤いジュースを甕から汲み、ワルワラが四人に配る。

「これは?」

「飲んでからのお楽しみ。一気に飲めよ!ちびちび飲むもんじゃない!」

「怪しいなぁ」

「お袋から何だから怪しくないって。ほら──放埒の会に!!」

 ワルワラが杯を掲げると、皆「放埒の会に」と復唱して一気にそれを煽った。

 

 そして──ボフンっと皆の頭の上から煙が出た。

「な、なんだこりゃ!?」

 一郎太が目を丸くして杯を覗き込む。

「ははは!はははは!蠍人(パ・ピグ・サグ)の唐辛子酒だよ!!ははは!スルターン小国じゃ若い奴は皆好きなんだよ!若いの集まる時は必ずこれなの!!」

「ワルワラ〜!」

「騙し討ちしたなー!!」

「か、カイン様ぁ〜目が回りま〜す」

 五人皆真っ赤な顔をしていた。

「はぁ〜。僕許されんのこれぇ」

 ナインズが眉間を抑えると、ワルワラは肩を組んで笑った。

「許される許される!ここはスルターン小国、自由の国だ!!ここにいる間は十四から飲めるんだから、お前ら楽しめって!ほら!」

「僕飲みます!もう飲んじゃったし!!」

 チェーザレは喜んで二杯目をもらった。

 一杯飲んだなら二杯も三杯も同じと言う理論は乱暴だが若者には耳障りが良かった。

 

 結局、ナインズもまた注いでもらうと、それを覗き込んで舐めた。

「うまいだろ!」

「うまいけどさぁ。もー。僕はこれで十分だから。あとは皆で飲んで。一太も僕のことは気にしないで」

 護衛という役目のある一郎太は残りに手を付けようとしなかったので背を押した。

「キュー様になんかあったら困るから俺はいいって」

「……たまには硬いこと言わないで。一太だって息抜きして。放埒の会なんだから」

「……酔ってる?」

「酔ってない。ほら、早く。僕は君を甘やかすと決めた。一晩くらい良いから」

「だ、ダメだって。知らない土地なんだし」

「いいから!」

「ナ──キューさまぁ」

 この息子、守護者アルハラ注意を訓告されたフラミーの息子だった。

 

 結局一郎太は押しに負けてカイン、チェーザレとともに酔い潰れて寝た。

 

「──お前、本当に真面目だな」

 起きてるワルワラの頭からポフンと小さな煙が出た。

 ナインズは残った果物に手をつけて笑った。

「ふふ、そんな事ないよ。僕は今放埒ってやつに叩き落とされてるんだからね」

「酔い潰れて寝てないくせに何言ってんだか。結局最初の一杯の後は舐めただけだろ」

「お酒の楽しさは知ったよ。こんなの、皆で旅に出てみなきゃ縁もなかった」

「悪い友達を持ったな。俺は腐ったみかんってやつだ」

「期末考査二番目が言う?」

「ふん、あのナーガの何ちゃら何ちゃら、今回は俺様に一つ席を譲ったな」

「アロイジウス・ケイト・リュイ・イスコップ君ね」

 ワルワラも秘密の皿の上の肉を口に放り込むと、また唐辛子酒を少し含んだ。

「そんな長い名前よく覚えてるよ。本当にさぁ、少しは気も抜く瞬間がないと潰れるぜ?」

「ふふ、大丈夫大丈夫。僕は結構不真面目にやってんだ。ワルワラこそ、頑張りすぎないでね。期待の星だろ」

 

 ワルワラが見上げた先、風でカーテンが揺れるたびに空に浮かぶ月が見えた。外からの風は冷たく、眠る三人には毛布がかけられていた。ただ、部屋の中は魔法の力でわりと暖かい。

 

「……期待の星なんて大層なモンじゃないさ。母親含め、神官たちの言う宵切姫様の話も利用されてるだけかもしれない。スルターン小国は神聖魔導国と違って神殿が一番偉いってわけじゃない」

「……っていうと?」

「ここに神聖魔導国からの新しい価値観が流れ込んできて随分経つ。俺は始まりがガキだったから思うことは何もない。だけど、未だに戸惑う大人は多い。そんな状況だから、収めきれない小さな混乱に蓋が必要なんだ。昔は遊牧民が大司教だったし、お偉方は魔人(ジニー)であり、遊牧民(バダウィン)であり、ある意味神聖魔導国の民にもなったハンパモンを未来の大司教として担ぎ出したい。皆が耳を傾けたくなるような存在としてな。神聖魔導国の()にも顔向けができる一番の傀儡だ。これは神聖な話じゃなくて、ただの泥臭い政治の話なんだ」

「……やっぱり君は賢いな。どうする。逃げ出すか?」

 ナインズは、彼がそれを望むなら手を取って走り出しても良いと思った。彼は子供のように振る舞おうとするが、決してただの子供ではないだろう。

 

「ふ、俺はそいつらのおかげで見たこともない国に遊びに行けてる。この神輿には乗らなきゃもったいない。俺は操られてるふりをして、遊び呆けて、最後は誰も俺に文句が言えないように平伏すようにさせてやるさ」

「ははは。なんだよ、強いな。一位になりたいって言うのは文句を言わせないためか?」

「そうだ。イカすだろ」

「あぁ、それはイカすね」

「譲ろうなんてつまんないことは思うなよ」

 ワルワラは嬉しそうに笑うと、また甕から酒を注いだ。

「お前も飲めよ」

「……そうしようか」

 結局、二人も杯をぶつけて、そのまま床で眠りについた。

 皆が折り重なるように眠る部屋で、深夜、部屋にはそっと黒いシミが現れる。

 

 そこからは薄紫色の手が伸び、白いタツノオトシゴの杖が出た。

 深い眠りに落ち、散らばる銀色の髪と頬に入る黒い亀裂にそっと幻術がかかる。

「──おやすみ」

 手はまた引っ込み、シミは消えた。

 

+

 

「頭痛ぇ……」

「参ったねこれは」

「失敗しました……」

 昼頃起き出した堕落した男子たちは頭を抱えていた。

「あぁ〜……飲み過ぎだなこれは。スズキー、お前二日酔い治せないの?」

 

 ナインズは置いてある鏡の前で首を傾げていた。

(……無意識に掛け直したかな?)

 いつも一番に起きて幻術だのなんだのと言うことは済ませていたが、今朝は最後まで寝ていた。

 一郎太に起こされて焦ったが、思ったより自分は真面目らしい。いつ解けるか分からないので折を見て重ねがけしておいた方が無難だが。

「スズキー。自分に見惚れてないで〜」

「──あぁ、ごめんごめん。治せるかな?」

「やってみてくれ〜」

 寝転んだままの一郎太の胸の上に腕輪を置くとナインズは一人一人に回復をかけて回った。

 

 もはや昼食を兼ねた朝食を取り、五人は出かけた。

 日中はやはり驚くほどに暑く、皆ズボンにワルワラの遮光服を借りて出かけた。

 

「……おい」

「ん?」

「お前、学校でもないのに目立つな!」

「僕もあんまり目立ちたくないんだけど……」

 と言いながら、女に囲まれる姿にワルワラは眉間を押さえた。

「ね〜綺麗な黒髪だねぇ?」「エリュエンティウから来たの〜?」「うち寄ってかなぁい?」「いいお肉あるよ!」「花あげようかぁ。良い男だねぇ」「筋肉ついてんのに白い肌しちゃってさぁ」

「あ、はは。皆さんありがとうございます」

「あっち行けー!!」

 ワルワラが全てを蹴散らすと、一郎太がナインズの顔につくキスマークをゴシゴシ拭いて落とした。暑いので一本の太い三つ編みにした髪にはたくさんの花が差し込まれていた。

「そ、それで、どこ行くって?」

「あぁ。カジノか、砂漠の考古学博物館か、市場(スーク)か、神殿だな!」

「わぁ、考古学博物館かぁ。いいねぇ」

「……カジノに食いつけよ」

 

 五人は笑い、結局博物館へ行った。

 大帝国ディ・グォルスの秘宝、砂漠の遊牧民(バダウィン)の歴史、魔人(ジニー)達の昔の暮らしなどが見れ、何だかんだ真面目な五人は結構満喫した。

 カジノより楽しかったかもしれないとワルワラも大満足だった。

 

 そして翌日は市場(スーク)に向かった。

 人も魔人(ジニー)もごった返す中で、四人は思い思いの土産を選んだ。

「──キュー様」

「あ、一太。良いのあった?」

 お財布共有組なので、ナインズは懐に手を入れた。

「へへ、あった。コ──じいにも」

 手招かれた先には水色のターコイズがスカラベに彫られた小さな置物があった。真ん中には金の装飾もついている。

「はははは。似てるね。これ買ってこ!」

「喜びますよ!」

 愛弟子二人は師匠そっくりの置物を買うと、「次はー」と楽しい相談をしながら市場を歩いた。

 そして、ふと「味見してってくれー!」と大声を聞きつけた。

「味見だって!」

「腹減ったもんね!」

 二人が向かった先では黄色い蜥蜴人(リザードマン)が客寄せをしていた。

「何かな?」

棗椰子(デーツ)とか?」

 人集りの中で首を伸ばしていると、ふと二人の首根っこは捕まえられた。振り返るとワルワラが複雑な顔をしていた。

「行くぞ」

「っあ、わ、ワルワラ」

「何だよー。良いとこだったのに。──あ、配り始めた」

「やめておけ。あれはお前達には流石に荷が重い」

「酒も飲んだのに?」

 押され、引きずられながら一郎太が尋ねる。

 

 路地の出口にいたカインとチェーザレの下に来ると、こちらの二人も似たような場面でワルワラに拘束されたのか若干不服そうな顔をしていた。

「ちぇ。何でも食ってみたかったのにさ」

「やめておけ。──あれは太顎砂(サンド)蜥蜴人(リザードマン)の肉だ。自分たちで尻尾を切って配ってくれる。美味いいい肉だと思えばそのまま連れて帰って、二日分程度のちょっと特別な飯になる。奥様方の晩飯の調達の時間に入っちまったらしい」

 四人は目を見合わせ、チェーザレは「あの」と口を開いた。

「知能は……どうなんです?売り子とは別?」

「同じだよ。めちゃくちゃ喋ってただろ。お前達で言うところの禁忌中の禁忌だ。俺は久々に帰ってきたから昨日も一昨日も食ったけど……お前達は多分傷付く。見るだけでもやめた方がいい」

 毎夜ワルワラが隠しながら食べていた肉の正体に思い至る。

 その気遣いに納得し、皆で一度ワルワラの家へ戻った。

 

 一通りの買い物はできたのでカバンに大切に荷を詰めた。カインは色とりどりのグラスのセットを買ったらしく、一つ一つを製紙魔法で作った紙に包んで収めた。

 

「ワルワラ、スルターン小国って、小学校とかってどうなってるの?」

「あるよ。と言うか、神聖魔導国に教えてもらって真似して作ったんだと。国民の意識も上がるし、平等に教養が付けば治安も良くなるからな。俺も通ったよ」

「……蜥蜴人(リザードマン)は?」

太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)達は太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)達で自分らの学校行ってたよ。まぁ、クラスに二、三人はいたけどな。街中でそんなに見ないだろ。隣にあるんだよ、牧場」

「ぼ、牧場……」

「なんか変だったか……?」

「いや、話が通じる相手が住んでる場所を牧場って呼ぶのって、すごいなと思って。隣に町がある、とかじゃないんだね」

「……そうか。確かに言われてみればそんな気がしないでもない」

 ワルワラは言葉のギャップに悩んだようだった。

 

 この年のワルワラですらこの価値観なのだから、昨日話していた「収めきれない小さな混乱」はどれほどのものだろうかと思えた。

 ある日突然神だと思っていたツアーが上位存在として父母を連れてくる。そして、知能がある者を食べるのは良くないと言う。

 だが、食べられる方は喜んで食べられているんだから気にしないでいいよと笑い飛ばしている状況だ。

 

 ナインズは彼らの祈りを聞いてみたいと思った。何かの糸口にならないかと。レオネを除けば、目の前にいないと特定の者の祈りを選んで聞くことはできない。たまたま引いてみて当たりでしたと言うのを繰り返すのは心身ともに疲労する。

「ワルワラ、明日僕は蜥蜴人(リザードマン)の街に行ってみたいんだけど、いいかな」

 カインが「えぇ!?」と大声を上げる。それはそうだ。

 恐ろしいと思わない方がおかしい。

「──良いけど……お前、倒れるんじゃないか?普通に自分たちで畜肉加工してるし、買い付けに出てる奴もいるんだぞ……?」 

「ちょっと怖いけど、見ておきたい。もちろん、他の皆はカジノとか神殿とか行ってて良いからね」

「俺は一緒に行くよ」

 一郎太がすぐに言う。カインは青い顔をしてチェーザレに「どうする……?」と尋ねていた。

「い、いきます……?」

「そ、そう……そうだよね……?」

 明らかに行きたくなさそうだ。ナインズは首を振った。

「カインとチェーザレは神殿とかカジノとか行っておいでよ。せっかく来たんだし、四日の滞在のうちに国中見て回った方が良い」

「そ、それでもいいなら……」

「ね、ねぇ。カイン様……?」

 二人は安堵と戸惑いの間の顔をしていた。

「ふーむ、そしたらカイン達はコピルタに案内を頼んでやるよ。安心しろ」

「ありがとう、ワルワラ。お姉さんにもお礼を言っておいて」

「乳揺れてるからちょっと二人には刺激強いけどな」

「べ!別にもう慣れたさ!」

 すでに顔が赤いカインに、四人は笑った。

 

+

 

 四日目、ナインズ達は三人乗れるラクダ便に乗って隣町へ向かった。

 太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)達の街も、ワルワラの住んでいる街と遜色のない整備されたものだ。牧場という名がこれほど似つかわしくない場所があるだろうか。

 向こうと違うのは彫刻が幾つも立っていることかもしれない。蜥蜴人(リザードマン)が皿を持ち、その下に平伏す魔人(ジニー)蠍人(パ・ピグ・サグ)がいる。

 力関係はそちらにあるのかと若干驚いてしまった。

 羊を連れて歩いている蜥蜴人(リザードマン)がふと手を振ってくれるとワルワラは何も思わないように手を振りかえした。

 

「やぁ、買い物かい?」

「いや、観光。神聖魔導国の友達が見たいんだってさ」

「ほー、あの国の人間が珍しいなぁ。──あぁ、ミノタウロスさんか」

 <浮遊板(フローティング・ボード)>の上で寝転がってた一郎太は手を挙げた。

「よっす。おっちゃん、羊飼い?」

「あぁ、街から出て砂漠の方に放牧してやりに行くところだ。もし俺を買ってくれたら、一匹付けるよ」

「はは、いいよ。ありがとさん」

「そう言うなよ。こうして羊に食わせてやるためによく歩いてるからシチューにするとうまいぜえ?味見する?」

 羊飼いが顎にある小さな髭状の皮膚を引っ張り、一郎太は慌てて首を振った。

「い、いや、いいよ。本当にさ。羊だって困るだろ」

「いや?羊達はまた別のやつが面倒見るし。なぁ?」

 ワルワラが尋ねられ「だろうなぁ」と一緒に言う。

 その後、残念がる羊飼いとは別れ、いよいよ街の真ん中に着いた。

 ここまでくると魔人(ジニー)や眠そうな蠍人(パ・ピグ・サグ)も割といて、その辺で楽しそうに太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)と話していた。

 

「こんなに仲良さそうなのに、どうして食べられるんだろ」

 純粋な疑問だった。

「別にお前達だって牛や豚可愛がって育てるけど食うだろうに。感覚としてはそんなに違和感ないと思うんだけどなぁ……」

「じゃあ、ワルワラは僕達のこと食べられるの?」

「勘弁しろ。お前絶対食べられたがってないし、痛みも感じるだろ」

「痛み?」

「そーだよ。ほら、あっち見ろ」

 

 ワルワラが指差す先では、「尾ぉそうろう!尾ぉそうろう!」と太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)が声をあげていた。

「おーそーろー?」

「尾、候。尾ございます、ってこと。尾っぽ売ってるよって」

「ふーん」「へぇ〜」

 一郎太と二人で声を上げる。本当にここは異国の地だ。

 

「……見てく?」

「うん、見てみる」

 魔人(ジニー)達が囲む先では、何人もの太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)が裸で自慢の肉体を晒していた。

「尾ぉそうろう!取れたて行くよー!!」

 元気な声が響くと、買い物客から歓声が上がる。

 裸の太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)はフンッと顔を赤くして震えると、その尾はボツンと音を立てて自ら切れ、魚のようにビチビチと跳ね回った。皆それに目が釘付けなようだ。

「うわー、うまそうだなぁ……」

 ワルワラが呟くが、一郎太は仲のいい二人の蜥蜴人(リザードマン)を思い出して気分が悪くなった。

「ご、ごめん。キュー様、俺ちょっと」

「いいよ、座ってて」

 一郎太はナインズが見える範囲にあるベンチに行って座ると、ほぅと息を吐いた。

 

 取れたばかりの尻尾は一通りのたうち回ると、持ち主の手で一番先っぽの食べにくそうな細いところが丁寧に切られて見ている者達に渡された。止血もしていないと言うのに、切り離された尾の断面からは血が出ていなかった。筋肉の収縮によって彼らは自切したところから血を流すことはない。

「どうだぁ!生だって食べられるぞ!」

「うーん、いいねぇ。君名前はなんだっけ?」

「俺はゲレーテ・ルル。買ってくかい!」

「ゲレーテ君、何回自切したことある?」

「ふふ、見てくれ」

 そう言って、細い尾先が取られた尾を見せる。魔人(ジニー)はふんふん頷くと「初めてだね!」と嬉しそうに言った。

「そうさ!だから、肉もよく詰まってるし、何より皮もうまい!」

「決めた!ゲレーテ君の尾はうちが買って行こう!」

 周りから残念そうな声が上がる。

 ゲレーテは嬉しそうに魔人(ジニー)と握手を交わし、金と尾を交換した。

 一つ取引を見終わると、ナインズはふむ、と声を上げた。

「再生する尾を売ってるんだね。ちょっと安心した」

 だから恐怖がないのかも知れない。痛みも感じない自切で取る尾だし。

 ──と言う考えが甘いことをナインズはすぐに思い知る。

 さらにその横では、「インピアーダ君、君のこと買うよ!」と言う声が上がった。

 またさらに、「あぁ!尾は落とさないでいいよ!そのまま一緒に行こう!」という声も。

 そして、「ゲレーテ君、尾はなくなっちゃったけど頬も肉付き良いし、うちでもらっても良い?」と、ゲレーテも行き先が決まった。

 目まぐるしく行われる取引はあっという間に終わってしまい、まるで家族のように皆太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)とその場を離れていった。

「いいなぁ……」

 ワルワラは皆を羨ましそうに見送っていた。

 

 最後に、そこを取り仕切っていた太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)が床に敷いていた絨毯を巻き始めると、ナインズはそちらへ行った。

「す、すみません」

「ん?あ、ごめんね。うちの分は今日はおしまいなんだよね。羊はあるよ」

「いえ、買い物じゃなくて……おじさんは、どうして食べられないんですか?」

「俺?俺は尻尾屋だけど──へへ、買ってくれるかい?それなら、ちょっと商売の引き継ぎだけしてきてもいいかな?いや、待たせることはないんだけど!これ置いてくるだけ!ね!」

 絨毯を抱えたおじさんは相当乗り気な様子でナインズに身を乗り出した。

「が、学生なんで買えません。それより、何が違うんですか……?」

「なんだぁ……。何が違うって、俺はさっき買ってもらえた皆とは明らかに違うだろ。肉付きだってあんまりよくないしさ。尻尾が再生した頃に尻尾を食べてもらうくらいしかできない。最後は出汁取りの骨になるのかなぁ……。あぁあ。っと、暗い話して悪いね。良い昼食を」

 おじさんはナインズの肩を叩くと去っていった。

 そして、慌てておじさんの祈りの糸をとった。

 

『──美味しく食べてもらえますように。そしてこの生が意味あるものになりますように』

 

 食べてもらうことで人生が昇華されると信じている。

 ナインズの手は自然と開き、ふわりと糸は天に消えた。

 

「……大丈夫か?」

「うん。皆望んでるんだね」

「当たり前だろ。ララク集落は神聖魔導国になってから蜥蜴人(リザードマン)の輸入ができないから、結構あぶれちゃうやつとか出てるんだよな。可哀想だよ。食ってももらえないまま老いちゃったりして」

「食べてもらうと、生は意味あるものになる?」

「なるだろ。俺も死んだら墓所に置かれて鳥獣や魔物の飯になるんだ。魂は次の命へ受け継がれる。お前達の国くらいじゃないのか?肉体の円環をそこまで嫌がるのって。俺は何の身にもなれない方が怖いけど……お前達は自分のままで陛下方の下へ召すことが一番だもんな。理解はしてるよ」

「ふーむ、なるほどねぇ」

 

 蜥蜴人(リザードマン)の子供達が「おぉそーろー!」と楽しげに声をあげて走って行く。

「尾を売るだけじゃ、ダメなんだもんね?」

「まぁ生活として普通に尾だって食うけど、本質はそこじゃねぇなぁ?」

 三人はまたラクダ便に乗ってワルワラの住む市街地へ戻った。

 

 街中では御輿に五人の蜥蜴人(リザードマン)が乗せられて連れて行かれるパレードに行き当たった。周りでは歓声が上がり、誇らしげに蜥蜴人(リザードマン)達が運ばれて行く。

「あれは?」

「神殿に供えられる今月一番の肉さ。その辺にいるデザートクロコダイルもそうだが、そもそもかつて竜族と別れた蜥蜴人(リザードマン)は神聖な存在で、食うことは力を分け与えてもらう事の一部だ。尾だって安いもんじゃない。俺は向こうじゃ食べられないだろって尾肉を親父が用意してくれてるけどな。お前達の感覚で言えば……神の子達の誕生祭の夜に食べる七面鳥、いや、最高級牛肉ってとこかな?兎に角尊敬されて食われてくのさ。──あ、御輿の前歩いてるのは今の大司教、バーリヤ・コトヌィール・ヒノノヤマヤ・アバリジャィール様。前回の宵切姫様の儀式の後、陛下方を連れて帰ったのはあの大司教さ。砂の魔法で使えないもんは一つもない。それに、すげぇだろあのツノ!そそるぜぇ」

 

 でも俺の方が尊敬されて見せるとかなんとか言うワルワラの話を聞きながら、ナインズはこの場所の蜥蜴人(リザードマン)食い脱却が何故ああも進まないのか肌で感じた。

 世界最高の智者達が寄り集まって、十年以上の歳月をかけて尚遅々として進まない毒抜き。

(皆苦労してるんだろうなぁ……)

 スルターン小国を担当しているのはデミウルゴスだったっけと思いつつ、まだあまり顔色の良くない一郎太を連れて食事処に入った。

 

 やはりここも絨毯が敷かれていて、そこで好きな体勢で食事をとった。

 ケバブサンドとジュースを飲みながら、目の前を流れて行く水路を眺める。

「……世界は広いなぁ」

「俺も魔導学院入った時そう思ったよ。楽しいよな。──あ、いや。悪いな。お前としては禁忌のもん見てきたのに。そう言う感想じゃないよな」

「ううん、楽しい。本当に興味深いと思ったよ。ありがとう。それに……悪くないと言うか、何だか良いことだと思った。お互いに尊敬もあるしさ。行って見て良かったよ。僕の両親はなんでも自分の目で見るって言う人たちなんだけどさ、気持ちがよくわかった。僕も世界を見に行きたいって思わされたよ」

「ははは。スズキの親は思ったより堅物じゃなさそうだな。なのにお前は真面目すぎる」

「そんな事はないさ。頑固なだけ」

「それは否めないな」

 二人は水を蹴って笑った。

 

 夕暮れ時、ワルワラの家に戻ると──「勝った!!」と喜ぶカインとチェーザレがちょっと豪華な遮光服を着て自慢して見せたらしい。

 

 一郎太はその日うなされた。




ここの牧場は大変質の良い牧場なんですねぇ〜〜

次回!明後日!!
Re Lesson#28 おいでよ!アベリオン丘陵
はい知ってた
お膳立てできたら行くって知ってた


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Re Lesson#28 おいでよ!アベリオン丘陵!

「旅行は楽しかったみたいだな」

「はい!長らく開けましたが、帰りました!」

 土産の唐辛子酒を飲むと、アインズの頭の上からボフンっと煙が上がった。

 少し日焼けしたナインズは皆で広い水路で泳いだり釣りをしたり、子供の頃と変わらない遊びも満喫してから、行き帰りの旅含め、全部でおよそ二週間遊んでから帰ってきた。

 

「ナイ君良かったねぇ〜!私もアインズさんと遊びに行きたくなっちゃったなぁ」

 フラミーの頭からも煙が上がる。出来上がって赤くなった母は楽しそうだった。

「良いですねぇ、フラミーさん!スルターン小国でいいですか?」

「はひ!久しぶりに!」

 二人が楽しそうにする横で、アルメリアは母の杯の中をくんくんと嗅いでベッと舌を出していた。

 控え、様子を見ていたセバスは一度杯を受け取り片付けた。

 

「──お母ちゃまがいくなら、私も行きます。外ですけど」

「じゃあ、三人で行こうねぇ。リアちゃんも行くならヴィクティムと〜、おにぎり君達と〜、あ、アウラ達も一緒に行きたいかなぁ」

 母が護衛についてあげながらアルメリアと部屋を出て行く。

 

 父も「執務に帰る時間があるから……」と日程について考え始める。セバスがアルベドと共有している予定表を開いてアインズの下へすぐさま向かう。

 

 ナインズはふと、ずっと気がかりだったことを聞くことにした。

「父様、祈りの話なんですけど」

「祈り?どうした?またうるさいか?大丈夫か?」

 途端に全ての他の思考を捨て去り、アインズはナインズを抱き上げた。

「わ」

 そのままソファに座って、まるで赤ん坊にするように抱きすくめられるとナインズは苦笑した。

 セバスも何かできることはないかと「温かいタオルを」とメイドに指示していた。冷や汗が以前すごかったからだろう。

「い、いえ。大丈夫です。そんな大袈裟な」

「大袈裟なものか。玉座の間に行かなくても平気そうなのか?」

「体は全然平気です。それより、行きがけに少し気になる祈りを見かけたんです」

「気になる祈り?」

 若い男が若い男にお姫様抱っこされてソファで撫でられるというのはどうなんだろう。手の空いているメイド達は鼻に清潔なハンカチを当てた。

 

「言葉にならない言葉の羅列でした。あんなのは初めて聞いた……。すごく苦しくて、辛そうで……でも、何を言ってるのかわかんなくて……。何を言ってるのか分からないなんて、あり得るんでしょうか」

「うーむ。この世界は翻訳こんにゃくを食べているんだから……虫かなんかの祈りだったのか?もしくは、言葉を覚えるか覚えないかくらいの生まれたての赤ん坊とか……」

「う、生まれたての赤ん坊!?そんな!彼らあんなに苦しそうだったのに!もう死ねたのか!?それともまだ生きてる!?」

 ナインズはアインズの膝の上で跳ね上がった。あの見た目はあまり生まれたての赤ん坊という感じはしなかったが、ナインズが全く知らない種族だったのだから全ての可能性は無では無い。例えばすごく在胎日数の長い生き物で、生まれた時から老いているとかそう言うことがあれば大変だ。

 

「お、落ち着け落ち着け。そんなにすぐ死ぬだのなんだのって」

「父様もあの祈り聞きました!?もう死なせてやってくれました!?本当に苦しそうだったんです!!」

「う、う〜ん。聞いてないかもしれん。ごめんね」

 若い何も知らない男のふりをして父がおどけて見せると、ナインズはますます焦った。こうやって父はたまにナインズやアルメリアをおちょくってくる。

 

「そんな無責任な──いえ、忙しかったんですよね。ちょっと待ってください、今代わりに探しますから!」

「あ、はは。そうだな。うん。助かる助かる」

 目を閉じ、必死になってあの灰色の祈りの糸を探す。

 父はナインズの背を絶えず撫でてくれていた。

「なぁ九太。無理に探すことないんじゃないか?なるようになる分もあるんだから。聞いてやる祈りも取捨選択が必要だろう」

「わ、分かってます……。もう悪いことしないからお腹痛いの治してとかは無視してます……」

「……ごめん」

「何がです?」

「いや……うん」

 

 話をすると一層見つからない。だが、今よく思い返してみれば、初めて祈りを聞いた時にも聞こえていたような気がする。

(──助けてやりたいんだよ。聞かせてくれ……)

 ナインズが求めると、カーテンのように糸達が舞い、その奥に灰色の糸はあった。

(──こ、これだ。これだ!)

 心の中で掴むと同時に思わず手も動いた。

 目を開くと、確かに手の中には灰色の祈りの糸があった。

「父様、これなんです!!」

「……うん。そうだな」

 父はナインズの手を静かに見下ろした。

 

 ──逾樊ァ倥?∝ア翫¥縺ョ縺ェ繧峨←縺?°谿コ縺励※縺上□縺輔>

 

「これ、絶対──っう!」

 ナインズの中にまた痛みが走る。

 振り切るようにそれを捨てると、父に縋って肩で息をした。

「あぁ……!まだ生きてる……!!」

「もういい。やめなさい。必要なら後でなんとかしておくから……」

「い、忙しいからだめですよ!また忘れたら彼らどうなっちゃうんですか!?全然遠く無いところからなんです!」

「お、お前……どこから来てるのか場所も分かるのか」

「あの量だったら分かります!数え切れない!死にたい死にたいって!──アベリオン丘陵から!!」

 

 ナインズは胸を押さえて痛みを逃すように何度も息を吐いた。

(レオネ……)

 大切にしている金の糸は望むだけで手の中に入る。ナインズはそれを抱えると少し落ち着いた。

 そして、ふと父が骨の体に戻っていたことに気が付いた。固く冷たい。

「あ……あぁ、父様。一緒に行ってくれる……?」

「いや。お前は来なくていい。私が行ってくる」

「任せっぱなしにできないです。僕も行きます」

「やめておけ。お前はあの場所で耐えられるはずもない」

 

 見上げた骸の瞳は赤く輝いていて綺麗だった。

「あの場所で……?知ってたんですか?」

「知っていた。必要ならなんとかすると言ったが、そこはなんとかする必要のないところだ」

「え?そ、そんな。言葉になってないけど、あんなに死を願う祈りで溢れてるのに!」

「願うことは自由だ。だが、叶えられるべきかどうかを決めるのは私だ。お前はお前の領分を超えたことをしている。お前はなんだ。死神か、魔王か。違うだろう」

 

 ナインズはよろけながら父から立ち上がった。

「ぼ、僕も行きます」

「行ってどうする。お前が殺すのか。蟻一匹殺すことに躊躇するようなお前が」

「必要ならそうします。何が暮らしているのかわからないですけど、あそこには苦しみが溢れすぎてる」

「無駄なことはするな。私が行くと言っているだろう。最初にその祈りを聞いたのはいつだ。スルターン小国へ発った日か」

「そうです。そうですけど……どうしようって言うんですか」

「忘れろ。痛みも苦しみも求めも」

 アインズが金色の杖を取り出す。ナインズはもう自分が何をされるのか理解した。

「っそんな!!」

「<記憶操(コントロール・アムネ)──」

 この魔法に対抗する力を持たない。

 ナインズは無意識に腕輪を放り出すと、この魔法から逃れる自分が持つたった一つの力を使った。

「──<転移(テレポーテーション)>!!」

 

 視界が一瞬にして第六階層の円形闘技場(アンフィテアトルム)内に切り替わる。転移の指輪は今は事故防止のために基本的には持たされていない。ナザリック学園にいた間は借り受けていたが、今は外と中の出入りが多いので返してある。

「はぁ……はぁ……。びっくりした……」

 頭の中は覗かれたかもしれないが、何かをできるほどの時間はなかったと思う。

 いや、時間を止められていたとしたらそんな事は言ってられない。時間を止めている間にどんなことができるかなど、ナインズには想像もつかない。

 人智を超えた存在を前に、ナインズは兎に角あの祈りの下へ走るしかない。

(父様が救わないと決めてるなら、忘れるわけにはいかない……。何度も聞くしかない……)

 記憶は繰り返されることで強化されていく。他の経験と結び付けられる事で記憶の複雑性が増し、操作がしにくくなる。

 流石に父が自分の頭の中をミートボールスパゲティにするとは思えず、ナインズは駆け出すと共に祈りの糸を掴んだ。

「っうぁ!!」

 痛みが強すぎる。

 最近は対等に戦えるようになった五十五レベルのモンスター、ドラゴンの近縁(ドラゴン・キン)達が慌てて近付いて来る。

「ナインズ様、大丈夫ですか!?アウラ様達を──」

「い、いい!僕がここに来たことは誰にも言うな!!」

 ナインズは平衡感覚を取り戻し直すと、一人走って第七階層への道を行った。

 一郎太が温度耐性の指輪を受け取るための番人からアイテムを借り受ける。

 

 第七階層の灼熱の地獄に足を踏み入れると──

「……ナインズ。お前が楽になるために私はだな……」

 父はいた。デミウルゴスも、魔将達も。

 当たり前だ。ナインズのナザリックの出入りはほとんどここしかない。

「……そんなの、僕のためになんてなりません」

 父の手には杖がある。時間を止められて仕舞えば、あの者たちに安寧は訪れない。

「──<転移(テレポーテーション)>」

 ナインズの姿が再び掻き消えると、アインズはため息を吐いた。

「ついに反抗期が始まったらしいな。歓迎すべきことだ」

「しかし、どうなさいますか。ナインズ様のご体調に悪影響だとすると……」

 デミウルゴスが悩み、唸る。

「ナインズは事実や理論より時に感情を優先する。まずは説得するが……まぁ、お前には少なくともまた苦労をかけるだろうな。だがまずは……──あれがどこへ行ったか探せ!ハンゾウが置いて行かれている!!」

「は!!」

 

 一郎太だけが護衛だと思わせているのには、ただ彼の素敵な学園ライフのためだけではない。

 アインズですら見張られていることに嫌気がさすのだから、全てを振り切りたいと思う日は必ず来るはずだと理解している。

 一郎太さえ振り切れば自分に護衛や監視はいないと思えばこそ、乗合馬車(バス)に乗って自由だと笑うこともある。転移まで使って本当の一人になろうとはしない。

 八十レベルのハンゾウが常についていると知れば逃げ出したいと思った時にあらゆる魔法的手段を使われる可能性もあったというわけだ。

 今回はそういう逃走ではないが、まんまと護衛を全て置いて行かれた。

 

「……<一方的な決闘(ロプサイデッド・デュエル)>をかけておけば良かったな」

 第三位階の魔法だが、相手が転移で逃げたとしても使用者との間に魔法的な結びつきが生まれ同じ場所に同時に転移できる。

 

 にわかに騒がしくなる第七階層で、アインズは一つ<伝言(メッセージ)>を送ることにした。

「──フラミーさん?俺です。花ちゃんと三人のデート。──あ、もう準備できました?はは。早いなぁ。──えぇ。俺もすぐ行きますよ。でも、ちょっと九太が寂しいって。──うん。そうですね。帰って来たばっかりなのに皆出かけちゃね。──えぇ。まだまだ子供ですよ。先に行っててください。じゃあ、また追いかけますから」

 至高の父は一番大切な連絡を欠かさない。

 

「──アインズ様。やはり地表部からどこかへ転移されたようです」

 どこかと連絡をとっていたデミウルゴスが一時報告をするが、それと鏡以外にナザリックから出る方法はないもんなぁと苦笑した。

転移(テレポーテーション)では大したところには行かれん。ここは陸の孤島だ。少なくとも最終到着地はアベリオン丘陵になる。経由するはずのエ・ランテルの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達に伝えておけ。やつは腕輪もしていない」

 

 デミウルゴスは再び頭を下げて連絡を始めた。

 アインズも鏡を取り出し、わざわざ覗き込むこともなくなった地表部周辺を探索した。

 悪魔達がデミウルゴス謹製の骨の椅子を持って来てくれると、それに掛けた。

 

(腕輪捨ててかないでよ〜。九太〜……)

 

 パパは街と環境破壊にそわそわした。

 

+

 

「はぁ……はぁっ……ひぃ〜」

 地表部からアルメリアと子供の頃よく遊んだウサギの駆ける野へ出たナインズは自分が知る一番遠い場所へ転移した。以降は走っている。天使を呼び出し、自分を抱えさせて飛ぼうかと思ったが、彼ら(・・)がどれだけの人数いるのか分からないため魔力は温存しておかなければ。

 正直、いまだにナザリックがどこにあるのかはっきりは分からない。教えてもらえていないともいう。

 試しに神都に向かって<転移(テレポーテーション)>を使ってみたが、距離がありすぎるようで発動しなかった。

 第五位階の<転移(テレポーテーション)> は第七位階の<上位転移(グレーターテレポーテーション)>と違って距離が無制限なわけではない。

「……もう使ってみるかぁ!?」

 走りながら若干投げやりな気持ちになる。

 レベルとしては不可能ではないはずなのだ。流石に第八位階は無理だが、第七位階なら手も届き始めるはず。

 一度足を止め、杖を抜いた。

「っはぁ!はぁ!っうぅ……痛い……。痛いよぉ……」

 祈りの糸が震える。ナインズは一度うずくまると、そっと糸に<大治癒(ヒール)>をかけてから手放した。

「……必ず助けるから……はぁ……はぁ……今は……ちょっと待って……」

 広すぎる草原の中で転がって息を整えていると、無垢すぎる様子のウサギ達が集まって来て、ふんふん鼻を言わせてナインズを覗き込んだ。

「はは……。ありがとう……皆優しいね……」

 ウサギを撫でようとした瞬間、空からナインズの胸にドカンと衝撃が落ちた。

 

 ──蜉ゥ縺代※縺上□縺輔>

 ──蜉ゥ縺代※縺上□縺輔>

 ──蜉ゥ縺代※縺上□縺輔>

 

 ナインズは悲鳴をあげた。草原でのたうち回って草を握り締めてもがいた。

 

 ──谿コ縺励※縺上□縺輔>

 ──谿コ縺励※縺上□縺輔>

 ──谿コ縺励※縺上□縺輔>

 

 中途半端に手を出したせいか、祈りが届くと信じる強い心が襲って来る。

 まさか糸にかけた<大治癒(ヒール)>が本当に届くなんて思いもしなかった。

 だが、確かにそうでなければ神はいつも苦しむ人々の元へ直接出向かなければいけない。少し考えれば分かったはずなのに。

 母は忙しそうにしているが、ナザリックにいることが多いのに。

 ナインズは耳を塞いで全ての糸を振り払った。

 

「……もう嫌だ……うぅ……」

 

 自分で始めたことだがすでに心が折れそうだった。

 生まれて初めて噛む土は苦い。ナインズはその場で数度吐くとのろのろと座り込んだ。

 

「……<大治癒(ヒール)>」

 自分にそれを掛けると、肉体的なダメージは薄らいだ。だが、この憔悴と苦痛は消すことができない。そうして欲しければ父に──ナインズは首を振った。

 

 杖をもう一度握りしめると、目を閉じる。

 学校で習った通りイメージする。

(……神都に入る。次にエイヴァーシャーに入る。現地の便に乗り継いでアベリオン丘陵に入る。そこからは……祈りの糸を手繰っていく。最初に出る先はいつも行く大神殿だ。僕は超えられる……)

 距離的に考えるとエ・ランテルから行きたいが、初めて使う魔法であまり慣れない場所に出るのは心配だ。

 地理的に明確に理解していて、イメージも確か。ただし、鏡の間や儀式のプールは避けた方がいい。

「──行ける。<上位転移(グレーターテレポーテーション)>」

 

 次に目を開いたところは大神殿の書庫だった。

「や、やった!」

 床に座り込んだ状態で喜ぶと、周りで人々と神官がざわついた。

「で、殿下?」「殿下?」「え?本物?」「神の子?」

 座って本を読んでいた人や、本を持った人達が首を伸ばしているのが見えた。

「──あ、やばい。<次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)>」

 自分の出立ちを理解した瞬間大聖堂の椅子へ逃れ、フードを被る。幻術を展開すると一度息を吐いた。

 服はナザリックの普段着のローブ──つまり、国宝以上の服だが気にしていても仕方がない。

 

 ここは神官達の平和の祈りが満ちていて心地がいい。

 心を落ち着けて、一度痛みを和らげた。

(うん、よし。行こう)

 ナインズが席を立ち、大神殿を出ようとすると、後ろから誰かが走って来る音がした。

(……え、え……)

 振り返る勇気が出ずに早足になる。どんどん足音が近付く。

 ナインズは思わず小走りになり大神殿を出た。

(こ、怖すぎるよ!なんなの〜!)

 苦笑してしまう。腕輪もしていない、力を行使できる状態でいるというのに、追いかけて来るのが父や守護者だと思うとナインズなど赤子の手を捻るより簡単に捕らえられる。

 

 外に出た瞬間──

「き、キュータ君!!」

「……アナ=マリア?」

 ナインズはようやく振り返ってフードを脱いだ。

 よほど頑張って走ったのか、アナ=マリアの栗色の髪の毛は少しだけ乱れ、メガネもずれていた。

「はぁ、はぁ。……足、早い……」

「ご、ごめん。追手かと」

「……追手?誰から逃げてるの……?」

「……えーと、父親……とか」

「……なんで?」

 なんで。

 ナインズは自分に何故か問いかける。

 ことの発端をよく思い出す。

「えーと……救う必要のないはずの祈りを聞いて……勝手に救いたいって言い出してるから……」

「……それ、どっちが悪いのか分からない」

「……確かに」

 

 しかし、あの切実な祈りが救う必要のないものだとは思えない。

(……救う必要がないってなんなんだ?何か罪があるのか……?でも、あそこまで行けばもう許されてもいいんじゃないのか……?いや。第五階層には常闇の竜王と呼ばれる竜王がいたはず……)

 決して近寄る事を許されない監禁された竜王。

 存在を知ったのは学校の授業で、世界を破滅へ追いやろうとした所を父母が止めたと言う事を習ってからだ。

 子供の頃に無邪気に聞いた時に今どこにいるかを教えられた。

(……あれは許されざる行いをしたはず……。何か母様にむごい事を……)

 詳細は控えられている。聞くことすら許されない雰囲気だ。だが、その雰囲気が全てを物語っているとも言える。それほどの事をしたのだと。

(……そういう者の末裔だったら……?いや、子供が親の罪を背負うなんてことはあっていいはずがない)

 

「キュータ君」

 

(……それとも、あそこに地獄と呼ばれる生前の行いを罰する場所が存在するとしたら……?だとしたら、僕がしようとしていることって本当にあって──)

 

「キュータさん」

 ナインズはハッと我に帰った。

「ご、ごめん。レオネ。──え?レオネ?」

 顔を上げた所にはレオネとオリビアもいた。

「ほら、聞こえてるじゃありませんの」

「……キュータ君、なんで私のこと無視したの」

「あ、オリビア。そんなつもりじゃなかったんだ」

 オリビアの頭を撫でると、頬を膨らましていたオリビアはおかしそうに笑った。

「ふふっ!ね!昔みたいだね!」

「え?何が?」

「昔、一郎太君の服乾かすために枝探してたでしょ。その時も私が呼んでも気が付かなかったの。レオネが呼んだらキュータ君気が付いてね、レオネは"ほら、聞こえてるじゃありませんの"って言ったんだよ」

「ははは。そんなことあったかな」

「あったよぉ」

「……そんなにわたくし、うるさくて……?」

 レオネがうーん、と首を傾げ、ナインズは思わず笑った。

「はは、レオネは少しうるさいね」

「参りましたわね」

「それが君のいいところさ。──それより、三人は何してるの?」

 

「夏休みだから、皆で勉強!書庫、大騒ぎだったよ。大丈夫?」

「う、うーん。転移して来たんだけど、ちょっと出るのに指定したところが良くなかったね。本当は失敗しない魔法なんだけど、自分で失敗した」

 ナインズはちらりと大神殿を見た。騒ぎになっているなら、もうここにいる事はバレる直前だろう。神官達はわざわざナザリックにナインズが大神殿にそのままの姿で来たとか連絡はしないだろうが、探しているなんて話が耳に入ればまずい。

 

「……キュータ君、大丈夫?お父さんと喧嘩なんて大変だよね」

「喧嘩……ってほどなのかな。はは」

 ナインズの頬をオリビアがごしごしと拭いてくれると、オリビアの綺麗なハンカチには少し土がついた。

「うわ、ひどい顔してたね」

「ふふ、男の子って感じだね!」

「そう言うもんかなぁ。──<清潔(クリーン)>」オリビアのハンカチは元の綺麗な姿に戻った。「じゃあ、僕そろそろ行こうかな」

「謝りに帰る?仲直りできたらさ、この後戻っておいでよ!お仕事終わったイシューも来るよっ」

 オリビアは愛らしくぴょこりと姿勢をただした。

「……謝りに帰る……か……」

「うん、謝った方がいいよ。お父様、心配してるもん」

 心配されているのもわかる。

 今は腕輪もしていないし、どれだけ心配しているだろう。

 けれど──。

 ナインズは胸を握りしめ、悩んだ。

 

「──帰らなくていい」

 その言葉にハッと顔を上げた。

 レオネの瞳は真剣だった。

「あなたが救いたいと思ったのなら、救ってみせて。完璧じゃないのだから、間違ったって仕方ないですもの」

 アナ=マリアはその様子に瞬いた。

「……レ、レオネちゃん。い、いいの?だ、だって……」

「いい。これが許されない事だったら──」

「……だったら?」

「ま、叱られますわね」

 全知全能の神が必要ないと言い切る救いの背中を押すレオネの様子に「レ、レオネェ〜!だめだよ〜!!」とオリビアも慌てていた。

 

「──レオネ、エイヴァーシャーに行くにはどうしたら良い?」

「学院の二つ向こうの大きな停留所へ行かれて。中距離の魂喰らい(ソウルイーター)便が出てますわ。すぐには着きませんけれど……エイヴァーシャーが目的地じゃありませんわよね」

「あぁ、アベリオン丘陵に行こうと思う」

「……だと思いましてよ。エイヴァーシャーで乗り換える必要がありますけれど、夜には着きますわ」

「わかった。ありがとう」

 ナインズは最も自分を癒す祈りを捧げてくれるレオネを抱きしめた。

「キ──ん……」

 レオネは何かを言おうとしたが、そのまま押し黙った。

「……わ」「はゎ」

 同時にアナ=マリアとオリビアからも声が漏れていた。

 レオネから伝わってくる全ての温もりと強い祈りがナインズの胸を満たし、ナインズはレオネから離れた。

「──行ってくる」

 少しだけ顔の赤いレオネが頷く。

 

 ナインズが駆け出すとレオネは誰よりも大きい声で言った。

「っお気を付けて!!お一人なんですからね!」

「あぁ!祈っててくれ!!必ず君の声を探す!!」

 手を振ってナインズの背が人並みに消えていく。

 レオネは背も見えなくなった道をいつまでも眺めた。

 そこに「おーい!」とイシューが手を振って合流した。

 

「ね、今そこでキュータに会ったよ。それも一人で走ってった」

「イシュ〜!レオネがぁ」

「……大変な事をした」

「えぇ?」

 アナ=マリアがイシューに顛末を話すと、イシューは「あちゃ〜……」と漏らした。

 

「れ、れおねぇ。罰当たりだよぉ〜」

 オリビアが真面目すぎるはずの友人を引っ張る。レオネも不安なのか俯いた。

「……レオネちゃんなら今すぐ帰って謝りなさいって言うと思った」

「らしくないねぇ、レオネ。キュータ、これでお父様ともっと喧嘩になっちゃったら……それに、一郎太も一緒にいないのに……。そこはちゃんと帰って謝れって諭してあげるべきだったんじゃないの?イエスマンでいることが全てじゃないでしょうに。それでギュッてして貰えたってさぁ……」

「三人の言う通りですわね。──なので、わたくし懺悔してきますわ!」

 レオネが大神殿にかけ出すと、「晩ご飯はー!?」とイシューが言う。

「後で行きますから!!お茶でもなさってて!!」

 祈らなくては。彼の無事と、彼のしようとする救済がうまくいく事を。

 レオネの背が大神殿に消えると、三人はため息を吐いた。

「はぁー。ま、まだ夕方って時間でもないしね。その辺で待ってよ」

「レオネ真面目だから陛下に逆らうようなこと言って、不安になっちゃってないかな……」

「……陛下なら許してくださる。……それより、ギュウが羨ましかった」

 

 アナ=マリアの素直な感想にオリビアとイシューは同意して笑った。

 

+

 

 たった一人で魂喰らい(ソウルイーター)便に乗る。

 ただ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)もいるし、ここに一郎太も連れずにナインズが一人でいると言う事はもう父の知るところだろう。

 夕暮れ時、目指す停留所より前。停留所も存在しない誰も降りないようなエイヴァーシャー大森林の入り口手前で魂喰らい(ソウルイーター)便は一度止まった。

 他の乗客が何だ?と首を傾げる。

 運賃受け取り用の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はナインズの隣までくると、跪いた。

「御方があちらでお待ちです」

 指し示した先には転移門(ゲート)が開いていた。

「そうか。悪いね、こんな所で止めさせて」

「とんでもありません」

 

 立ち上がったナインズの髪はもう銀色になっていて、乗客達は下車の様子を目を丸くして見守った。ナインズの幻術はフラミーのように長持ちしない。

 ナインズを置いて魂喰らい(ソウルイーター)便が出発していく。

 転移門(ゲート)を潜ると、その先は真っ赤な夕暮れの丘陵だった。

 

「遅かったな」

「結局神都から乗合馬車(バス)魂喰らい(ソウルイーター)便に乗りました。また旅になっちゃった」

「楽しかったか?」

「えぇ、中々」

「それは良かった。途中で迎えに行って悪かったな」

「いえ、祈りの気配を追ってここまで来てたら、多分明日か明後日になってました」

 

 父が一歩踏み出すと、それに合わせてナインズは一歩下がった。

「……そんなに警戒しなくて良い。もう記憶操作はやめることにする。ほら、とにかくこれを着けなさい」

 ひょいと放られて手元に来たのは、封印の腕輪だった。

「これ、爆発しちゃいましたか?誰か怪我しなかったかだけ心配で」

「私の手元にあったんだ。心配することはない」

「良かった。ありがとうございます」

 

 ナインズはそっといつもの場所に腕輪を戻した。

 

「──それで、どうだ。ここは」

 尋ねるアインズの後ろにポカリと開く地獄の釜へ、ナインズの視線は自然と動いた。

 

「悍ましいです」

 

 そこからは、灰色どころか数が多すぎるせいで真っ黒に見える祈りの糸が天へ向かって噴き出していた。夥しい量の祈りの糸は木の幹にすら見えるほどに寄り集まり、蠢いた。

 

「そうか。こんなに美しい景色だと言うのにな。私は二、三日に一度程度はここに二時間ほど来ているが、ここで見る夕暮れは格別だと思う」

「何をされに来ているんですか。救い──ではありませんね」

 アインズが顎をしゃくった先には、小さなログハウスが建っていた。

 

「アウラが建ててくれたんだ。良いだろう。出来上がった時、確かお前はまだフラミーさんのお腹の中にいたな。それから──そっちの施設を地下に下ろす頃はハイハイをしていた。八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達に掴まってなんとか歩いていたような具合だったな。あぁ、ヨーグルトが好きでな。よくデミウルゴスが用意してくれた。──なぁ、デミウルゴス」

 

 アインズの後ろに静かに立って控えていたデミウルゴスはいつもと変わらない笑みを浮かべたまま頷いて見せた。

「私はもうずっと、あそこの研究室で寿命を巻き戻そうと躍起になっている。自らの肉体を好きな歳の頃で出すのとは違う。皆歩んできた時間も、細胞の分裂回数も、心臓が鼓動を打った回数も違う。時を戻すと言えば言葉は簡単だが、私がやろうとしている事は対象者が持つ肉体の細胞の自然死(アポトーシス)の回数を戻すことに他ならないのかもしれない。トロール達を使った実験は行きすぎたとは言え大成功だったが──望む年にぴたりとと収めることはいまだに二、三回しかできていない。加減の難しいことだな。一番良いのは、望む年齢まで戻し、後は不死の秘術で全てを止めてしまうことだ。だが、不死の秘術も未だ仙人という方法をもってしか成らない」

 

 アインズは骨の身にも関わらずがっかりと息を吐いた。ナインズには理解できない言葉が散見されたが、ナインズは決してアインズの話を途中で遮らずに聞いた。

 

「フールーダとジーダ、ゾフィの研究は期待できる。老化遅延の儀式魔法の研究があのチームの第一目標だ。フールーダは元から老化遅延魔法を使っていたが、ここの所の研究で更にそれは進んでいるように見える。それに、その儀式を使える不老長寿を望む者達も老いを遅めることに成功している。だが、ナザリックでは使われない儀式魔法であると言うことも含め、他者に期待しすぎる事はよくない。──お前は一郎太のためにも、不死の研究を手伝うと言ってくれていたな。そのお前に手始めに確認するように渡しておいた私の手記はここで書いたものだ。面白いだろう?」

 

「はい。興味深く読ませてもらっています。まだ途中ですけど」

「何よりだ。お前は頭が良い。きっと何か良い方法を思い付くだろう」

「ありがとうございます……」

 

 骨でも分かる。今父は笑顔でいる。

 それでも、ナインズは笑顔にはなれなかった。

「──さて、本題だな。お前はもうあちらが気になって仕方がないらしい」

「……はい。ここがナザリックの管理する地なら、尚の事」

 アインズはデミウルゴスに振り返った。

 

「デミウルゴス、祈る可能性がある家畜を連れて来い」

「かしこまり──」

「僕も行きます」

「だから行ってどうすると言っているだろう」

「解放します。……場合によっては僕がその首を刎ねる」

「ふふ、ははは。ははは──ふぅ。ふふははは!──ふぅ」

 

 骨の口から上がる笑いは消えてはまた発せられた。

 一頻り笑うと、父の口からは「ふふ──ふふ──」と消されない程度の笑いがこぼれた。

「死神になる覚悟はとうにできたわけか。それとも、そうなる窮地に陥れば私が全ての命を奪うと期待しているのかな?」

「それを期待しないわけじゃありません。でけど……できる事なら解放してやりたい……!」

「ふふ、青いな。だが、心地良い。そう言う正義に──いや、その決意の眼差し、命の輝きは私の憧れるところだ」

 父は空を見上げ、「ねぇ、たっちさん」と呟いてすぐにまた視線をナインズに戻した。

 

「良いだろう。主に何を収容しているのか見せてやる。来なさい」

 歩き出したアインズの背を追って、距離を保ったままナインズは地獄の穴へ向かった。

 たった五メートル程度の直径の穴には地下へ続く階段があった。

「──っう」

 足を踏み入れる事を躊躇うほどの祈りの量に、思わず肘で口を覆った。

「死の匂いを感じるか。死と絶望の」

 ゴォォ……と立ち昇っていく祈りの糸の中で振り返った父は、まさしく死神だった。

 ナインズは一度目を閉じ、祈りを聞く力の全てに蓋をした。パンドラズ・アクターが作ってくれた遮断の指輪がそれを手伝い若干の光を漏らす。

 もう一度目を開いた時には、ただの美しい草原とログハウス、それから地下への階段があるだけだった。

「……行きます」

 穴に沿って螺旋状になる階段を降りていく。

 生き物の啜り泣く声が徐々に大きくなり、ナインズの心臓は爆発するほどに早く脈打った。

 

「休憩するか」

「い、いえ……」

 父とデミウルゴスが向かった檻の中で、一斉に何かが振り返った。

「彼等は……なんと言う生き物なんですか……」

 父はすぐにデミウルゴスへ顎をしゃくった。

「名前はあるのか?」

「アベリオン四脚羊・改六でございます」

「だ、そうだ」

「羊……?」

 毛を刈るとこんな姿になると言うのだろうか。

 いや、ありえない。

 

 額の突き出た大きな顔は首もなく胴体に付いていて、腹を擦りそうなほどにダブダブの体が垂れ下がっている。

 人間のものと酷似した逆関節の四肢、尻尾もなく晒された肛門。

 目は魚のようにまんまるで、口と鼻はバクのように十センチほど長く突き出ていた。

 彼らで間違いない。魂喰らい(ソウルイーター)便の中でみたそのままの姿だった。

 彼らは言葉は持たないようで、「うべべべべ……うべべべべ……」と震えて鳴いていていた。

 

「あぁ、一つお前に聞いておきたいことがある」

「……はい」

「お前はナザリックを出た後、この中の一人を回復したか……?」

「……恐らくしました。できるとは思わなかったんですけど、せめて何かしてやりたいと思って」

「ふーむ、なるほど。<大治癒(ヒール)>か?」

「そうです。──っう……」

 頭痛がする。蓋をしているはずの祈りが蓋を開けようとする。

 四脚羊を見ると、ナインズはゾッとするほど大量の視線を浴びていた。

 よろめき、肩を抱いて檻にぶつかるようにして座り込むと、四脚羊達は集まって檻の中からナインズに触れた。

 

 ──繧ゅ→縺ォ謌サ縺励※縲ゅ◎繧後°谿コ縺励※縲ゅ♀鬘倥>縲ら・樊ァ倥?

 

「っうわあぁ!!っうぅ!!っぐぅぅ!!」

 デミウルゴスが寄ってくると、四脚羊はまた一斉に檻の向こうへ走って行った。

「……一度地上に戻ろう」

 アインズは動くことすらできないナインズを抱え上げると、来た階段を戻った。




わ〜だいぶ姿が変わってますねぇ!きもちわる〜い!

今はもう懐かしい牧場を地下に下ろす建築作業はこちら!
https://syosetu.org/novel/189588/260.html

次回、明後日かなぁ!
Re Lesson#29 ナザリックの真実

キュータ君がレオネの声にだけ反応するお話はこちら!
https://syosetu.org/novel/189588/341.html

何もかもが皆懐かしい…


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Re Lesson#29 ナザリックの真実

 アインズは自分の研究室にある疲労回復ベッドにナインズを寝かしてやった。

 ここも随分使った。今や不死に繋がりそうなあらゆるアイテムが置かれている。ポイニクスロードや仙人鳳凰の羽を始めとし、人魚の生肝や蟠桃(ばんとう)という桃、猫又の尻尾まで各種お取り揃えだ。

 

 ナインズは自分で見ると言っておいて倒れた事を恥じているのか顔を覆っていた。

 

 アベリオン四脚羊は、当然元はアベリオン両脚羊だ。

 

 ここでは腕を切り落として他の生き物の腕を付けてみるとか、腹を割いて内臓を交換するなどと言う実験も行われていた。肉親同士を用いた事例から、人間と他の生き物──亜人だけでなく動物なども使い、そこに魔法をかけて癒した場合の変化の観察も行なっていた。

 初期ロット達は悪魔の手術によって改六と遜色ない姿を持たせている。──と言うより、この初期ロット達の姿を目指した交配を進め、改六は生まれた。

 

 始まりはこうだ。

 

 二足歩行のままだった頃は檻の中で待機させてる間、膝を抱えて座っている者がほとんどだった。

 そのせいで尻が不衛生になりやすく、さらに、一斉に水浴びをさせてやる時も上から放水するだけではとても汚れが落ち切らなかった。

 一人一人の尻を洗うことは大変手間なので悪魔達の管理がしやすいよう、改良は進められた。

 腕と足のつく向きを変えて四足歩行にすることで、上からの放水で一気に尻や体を流せるようになり、皮膚の状態維持に大きな成果を上げた。

 関節は二足歩行から見れば逆関節に設置することによって腹を下に座りやすくする手助けとしつつ、二足歩行に戻れなくされた。

 

 そして、言葉を話すと周りの者と話したり相談したりして、どうにか死ねるように手助けしてやるなどのこともあるため、喋る機能も奪われた。脳に細工した結果、額は不自然に隆起し、目も魚眼のように飛び出してしまい、顔も大きくなった。

 首は括ったり、仲間に噛み付かせて絶命しようとする可能性があるため排除。

 手が使いにくい仕様をカバーするために口と鼻も草食動物を見習って長くされた。骨の入っていない、筋肉と皮膚だけの部位なのでぷるぷるしている。バクが伸びている鼻と唇で果物を掴んだりもするように、彼らもそれができる。歯が奥に入っているので仲間を噛みにくいという思わぬ長所もあった。

 効率良く皮膚を回収する為に皆肥えて腹を引き摺る直前まで行っている。

 食事には四脚羊が夢中で食べるように、良い物も混ぜてある。

 ただ、腹を床に擦るようになっては皮が台無しになるので腹囲の管理に悪魔達は大変うるさい。

 

 一度の皮剥で、両脚羊の頃は前見頃と後見頃、巻物(スクロール)二枚分が関の山だったところ、現在では六枚、良い個体からは八枚を可能としている。

 まさに、悪魔達の血と汗の結晶である。

 それだけ飼育数も減らせる為、飼料や手数も減る。これ以上ない成果だった。

 自己再生もできるトロールを使うという手もあったが、自己再生が邪魔して改良がしにくいうえに皮も剥ぎにくく、飼料がずいぶんと必要になるため結局トロールの利用は早々に打ち切られた。

 

 この完成された姿になるように交配や手術を進めておよそ二十年。

 未だ四脚羊から生まれてくる子供が両脚羊のことがある。

 四足歩行にした結果、四足の異種との交配も、お産もスムーズにいくようになったが、四脚羊同士を掛け合わせるとそう言うこともある。

 両脚羊で生まれた者は四脚羊へ改良されてから母体のところへ引き渡される。それまでは両脚で生まれると食わせていたが、資源として厳しく頭数管理をしているので今ではそう言う勿体無いことも減った。

 悪魔達は日々、四脚で生まれるように良い実りを追い求めている。

 

 ちなみに新しく生まれてきた四脚羊達は自分たちの姿や状況に疑問を持った事はないようだ。だが、親達の反応と痛みからの逃走のためにデミウルゴス達には相当の恐怖心を持っている。

 

 全て手術でこの姿を得た第一世代は未だ全てを覚えているし──奪えたと思っていた知能はまだ半端に残り、言葉にならない言葉を紡いでいるらしい。

 もしかしたら、一番新しい世代も言葉になるかならないかのギリギリの知能で祈りを紡いでいるかもしれない。

 

 今日、ナインズがナザリックを飛び出してすぐの頃、牧場からは悲鳴に近い報告が入った。

 

 ──古傷にすら届く第六位階以上の回復魔法によって、初期ロットの四脚羊が両脚羊の姿を取り戻した。

 

 まさかとは思ったが、超遠距離にいて回復魔法すら届くとは。

 アインズはナインズの持つ祈りを聞く力とやらの威力に眉間を抑えた。

 ユグドラシルで近しいものといえば、幻術を極めた者が使う超遠距離特殊技術(スキル)がある。

 遠隔視した対象の仲間を自らの前に幻術として生み出し、それを世界に本物だと信じさせることで幻術に掛けた魔法をどんなに遠くにいる仲間にでも同じ効果を付与することができる。ただし、攻撃魔法は使えず、支援系魔法と情報系魔法のみを掛けられる。

 あの力もパーティー機能やフレンドリィファイアの解禁されたここの世界なら"仲間"という制限を解き放たれて誰にでも使えるものになっていただろう。

 

 ナインズの力も、きっとユグドラシルだったならば<伝言(メッセージ)>を繋いだ仲間に回復系魔法を掛けられるとか、その程度の力だったのかもしれない。

 

 四脚羊達は両脚羊に戻った仲間へ泣いて鳴いて擦り寄ったらしい。

 老いた両脚羊は「神様に祈りが届いた」と言い、今、四脚羊達はアインズ一行の会話を聞いて昼間の出来事にさぞ色めき立ったことだろう。

 神が来てくれたと。

 

「……父様、解放しましょう」

 ナインズはゆっくりと腕を顔から退けた。

「あの生き物は言葉を言葉として綴る事ができない……。だけど……彼等だって命と愛があって生きています……。彼らをあるべき場所に返してください……」

 首を振る。アインズは幼子にするように、大切にナインズの前髪を撫でた。

「そんな場所は存在しない。彼らのいるべき場所はここだ」

 起き上がったナインズに、デミウルゴスから水が差し出される。しかし、ナインズは受け取らなかった。

 立ち上がり、研究室の外の夕焼けを──牧場の入り口を眺めた。

「……なぜなんです」

「ナインズ。お前は養豚場の豚に本当の家があると思うのか?あれは品種改良された猪だ。その豚を森へ返せと言うのか?」

「……もし豚が死にたいほどにそれを望むのなら、僕はそうした方がいいと思う」

「では……返すとして、その場所を譲るのは誰だ。どの生き物だ。食われるのはどの生態系だ。お前は場所を奪われ、生態系に手を出された夏草海原の者達の嘆きを知っているはずだろう。それに、夏草海原に溢れた旧都市国家連合──カルサナス州出身の者達があの後どうしたか知っているか?」

 

 ナインズは黙った。知らないのだ。

 

「──そうだろう。私達は夏草海原を守り、夏草海原の怒りを鎮めるため、そして、夏草海原への無自覚な領土拡大を一切許さんために彼らにはそれぞれ希望する都市への移住を強制させた。治安維持のために財産の没収などは行わなかったし、土地は国が買い取った。金銭としては何不自由のない移住ができただろう。では、彼らはそれで幸せだったか?──そんなはずはない。彼らにとっては祖父母が開拓した美しい故郷を奪われたのと何一つ変わらない。見知らぬ町、見知らぬ人々の中で始める新しい生活が苦しくないわけがない。今までやっていた営みとは違う営みや文化を前に、彼らは夏草海原をお返しくださいと祈っただろう。全ての生き物が納得することなどあり得ない。私達は取捨選択をしなければならない」

「……夏草海原は救いに喜び祈りをやめた。代わりに次の祈りがうまれる……」

「そういうことだ。際限などない。豚とて野に放てば、養豚場に帰りたいと乞い願う」

 

 ナインズがログハウスを後にするのに続く。

 無言で牧場を見下ろしたと思うと、ナインズはやはり首を振った。

 

「……それでも、この祈りは尋常じゃない……」

 アインズにはあの家畜達がナインズに一体どんな形で祈りを届けているかなどわかるはずもない。

「……解放は諦めます。せめて、命を終わらせてやってください……」

「……悪いが、断る」

「……何故なんです。……全てを救う力すらお持ちのはずのあなたが」

「……お前には幼い頃言ったはずだ。無駄に奪う事は未来のお前自身から奪うことに繋がる。その事をよく覚えておくように。ここの者達の命を奪う事は未来のお前自身、未来のナザリックから奪うことに他ならない」

 

 夏草海原を任せると言われた幼き日の言葉は、今もナインズの中に生きている。

 アインズはその瞬間をいっぺんの曇りもなく覚えていた。

 

「我々は奪える立場にあるのだ。お前は自分のやろうとしている事が、お前自身とナザリックに本当に必要なのかよく考える必要がある。──あの者達は巻物(スクロール)の原材料なのだから」

「……巻物(スクロール)の?では、あの嘆きは巻物(スクロール)の制作のためにあるって言うんですか?」

「これはまた……何とも言えん物言いだな。巻物(スクロール)の重要性をお前が理解していないとは」

 

巻物(スクロール)の価値は理解しています」

「いや、理解できていない。よく分かった。巻物(スクロール)は命を守る為に必要なものだ。決して切らす事はできない。その魔法を行使できない者達を守る。ナザリックの者だけでなく、私達は聖典や、時には聖騎士団にも巻物(スクロール)を渡しているんだ」

 

「分かっています……分かっていますよ!だけど、それでも……!それでもここは、この場所は、あまりにも嘆きに満ちているとは思わないんですか!その巻物(スクロール)で長らえる命のために数えきれない嘆きがあるなんて、聖典だって知るはずがない!!」

 

「だから知る必要などないし伝えていない。そもそも、命は平等ではない。世界は不公平だ。生まれた瞬間から不公平は始まる。才能を持って生まれる者がいれば、持たずに生まれる者もいる。生まれる環境だってそうだ。裕福な家庭、貧困に喘ぐ家庭。生き物は皆、生まれた瞬間から不公平なのだ。だが、それで良い。それが正しい姿だ。そして、私がつけた順位が高い者の踏み台になる命がある。ここの生き物は私の中で一番下の命だった。それだけのことだ」

「あなたは……!あなたって人は……!!」

 

 ナインズが杖を抜くと、デミウルゴスが焦ったようにアインズを見上げた。

「分を弁えろ。たった五十レベル代のお前に何ができる?笑わせる」

「例え、父様が与えてくれる力がそれしかないとしても、僕にはこれがある……!」

「──何?」

 

 ナインズは静かに腕輪を抜き、地面に放った。

 アインズの骸の中の瞳はぞろりと動いてその様を追っていた。

 

「一度も使ったことのない不完全で脆弱なその力で何をする」

「ここを吹き飛ばすくらいのことができる事を僕が知らないとでも」

「……誰の命を糧にする。それは生贄を欲するぞ。ここを破壊するためにここにいるすべての家畜の魂を用いるか?お前はそれが本当に救済になると思うか。お前は真にして偽りの存在だ。爆発も生贄の吸い上げもコントロールはしきれまい。辺り一体を飲み込むその力がアベリオン丘陵のどれほどを穢すかなど想像もつかない。この美しき大地を……。驕ったものだな」

「確かに父様の言うとおり、僕がしようとしている事は丘陵の破壊にも等しいかもしれない。この結果が未来のナザリックから奪うことにもなる。だから、僕はこの罪を背負う」

「罪を背負う?」

 

 聞き返してくる瞳が燃える。ナインズがこれまで見てきたどんな父の姿よりも恐ろしかった。

 命をその指先一つで弄ぶ絶対者。

 ナインズは他に巻物(スクロール)にできる、嘆かない命を探し、生きることに希望を持つ美しい牧場を待つことが償いになるはずだと信じて杖を握りしめた。それは自らの手で行われなければならない。苦しいとしてもだ。

 

「新しい種の剪定と、品種改良、牧場の運営。痛みが伴うとしても、リセットして、僕がやり直します」

「簡単に言えたものだな。完璧な運営になるまで私は何年待てば良い。デミウルゴスと悪魔達は何年もかけて完璧な生き物を作り出したのだ。ナザリックの資源の枯渇は常闇の素材の頻用にも繋がる。金貨の精製も、軍需強化も賄うあれを低位の巻物(スクロール)などつまらん事には使えない。良いだろう。話してやる。──一度目のリミットまでは残り八十年だ」

「リミット?何のです」

「お前の想定はただのんべんだらりとこの美しい箱庭が続くことだろう。だが、後八十年もすれば次のプレイヤーが──破滅が訪れる。私は全てを犠牲にできるのだ。お前を含む愛する者達が少しでも危険に晒されないように、ナザリックの勢力が負けないように、組織の強大化は全てに優先される。一分一秒を無駄にできない。お前は八十年後に訪れるかもしれない破滅からナザリックを守れるか?もしくは、その災厄にナザリックが打ち滅ぼされた時──神を失い、統制を失い、家を、家族を、愛する者を失う国民になんと詫びて生きる。そして、死にゆく私や守護者達に、なんと詫びる。……お前にその業が背負えるのか。無理だろう。命の順列とは、そう言うものだ」

 

 ナインズの中を躊躇いと恐怖が蠢いた。

 

「ナザリックを滅ぼす災厄が存在するなんて、そんなことがあり得るんですか」

「だからお前は驕っていると言っているんだ。ツアーすら恐れる本当の災厄が来るだろう。規模は分からんがな。その戦いにはフラミーさんとアルメリア、それから──お前を出す事はない。例え荒れ果てた大地になったとしても、ナザリックすら失われていたとしても、お前達さえ最後に生きていれば私はそれでいい。だが、お前はその業の深さに耐えられるはずもない」

「母様が生き残れば、父様は再び戻って来られるんじゃ……」

「全ては謎だ。フラミーさんの力ですら届かないと言う可能性もある。おそらくは星に願いを届けてくれるだろうが──少なくとも、失われたナザリックまでは及ばない。守護者達とは永遠の別れになる。だからこそ、力の枝葉の一番外側の、価値も大した事はないように見えるこの牧場でさえ私達には不可欠の存在なのだ。何の犠牲もなく、誰の痛みもなく生きていけると思うな。──だが、お前の心を蝕むのなら──デミウルゴス」

 

 デミウルゴスは静かに膝をついた。

「──は」

「──不詳の息子がごねて仕方がない。品種改良の時間だ」

 深々と頭を下げる。まさしく神へ行うに相応しい礼だ。

「どのようにいたしましょう」

「望ませろ。自らがその立場に相応しいと喜んで身を差し出すように。乳牛が乳を搾られたがるように、殉教者達が神に命を差し出すように」

「畏まりました。ここで生きることで得る絶頂の幸福を」

「手間を取らせるな」

「とんでもない。それこそ、私達の喜びでございます」

「ふ──行け」

 

 再び立ち上がり、デミウルゴスは地獄の穴の中へ降りて行った。

 喜んで皮を剥がされたがるようにするなんて、それは明るい地獄の始まりのような気がした。

 

「……仕向けるんですか」

「あぁ、仕向ける。──だが、お前はスルターン小国で見てきた蜥蜴人(リザードマン)をどう思った」

 

 ナインズはあそこの者達が心から食われることを望んでいるのを目の当たりにした時、あそこを地獄だと思っただろうか。

 美味しそうだと言うワルワラを地獄の門番だと思っただろうか。

 考古学博物館で見たあの国の歴史を否定しただろうか。

 

 ──答えは全て、否だった。

 

「……興味深く思いました。あそこの食った食われたは……正直言えば、理想だと思いました」

「そうか。私もだよ。小麦は自らの勢力範囲を拡大させ、穂を食う我々を歓迎している。望むのなら、本当はそれでいい」

「……はい。ですが、利用する者にも、利用される者への感謝と尊敬があって然るべきなんです」

「当然だ。私は──いや、私もフラミーさんも、いつでもそう思っている。ここに必要なのは、利用される彼らの意識改革だけだ」

 

 アインズは落ちている腕輪を拾い、ナインズの手を取ってそっとそれを通した。

 

「……私とデミウルゴスに少しチャンスと時間をくれないか」

「……ここまで放置したというのに、本気で仰っているんですか」

「本気だ。私が何より大切なのはお前なんだから。お前が望むのなら、ナザリックの損失でない限り、全てを叶えてやりたい」

 

 ナインズは父と過ごした子供の頃の事を思い出していた。木に登ったり、森で焚き火を起こしたり、どこかの小川のへりに座って釣りをしたり。

 魚の管理を兼ね、父とは釣りによく行った。全てを余すことなく使うことは奪った者の責任であると口すっぱく言われた。

 守護者達も同じように執務室でいつも注意されているではないか。

 ああ、ナインズは理解した。

 闘技場のモンスターの死に尊厳を求めて飛び込んでしまう事も、ここで利用される者達に心を寄せてしまう事も、尊敬で結ばれているならば食う食われるすら許してしまうことも、全ては父が教えたことだったと。

 あの祈りの中、その父が辛くなかったはずがない。責任を持つと言うことの重さを、ナインズは思い知った。

 

「……父様。ごめんなさい」

「いいや。過保護なせいでお前を迷わせた。話すべき事は話さなくてはならないな。もう、大人になろうとしているというのに……。私の方が悪かったんだ。すまなかったな」

 ナインズは杖をしまうと首を振った。

「お前は理解ができる。頭のいい、本当によくできた男だよ」

「いえ……せめて、僕が品種改良と環境改善はします。お手間は取らせません」

「それは私やデミウルゴスの仕事だ。信用して任せてくれ」

 アインズは息子を抱きしめると背を数度叩いた。

「私が良しというまで、ここの祈りはもう聞かないでくれるな」

「……それはたまには聞くかも」

「監査か。やれやれ。だが、すぐに聞こえなくしてやる。死を乞う祈りなど」

「……ありがとうございます。でも、これって本当に幸せなことなんでしょうか。父様達も、スルターン小国の意識を変えさせようとしているのに」

 

 夕陽が落ち、紫色に染まり始めた空。

 アインズは見上げて言った。

 

「それは、我が国にいつかスルターン小国を取り込むために必要だからするだけだ。本当のところを言えば、本人達が望んでそうあるのだから、私はそれはそれで構わないと思っている。あの国はあの国で幸福だっただろう」

「……はい」

「だが、私は世界が美しく続き、ナザリックが永遠にあるように管理しなくてはならない。スルターン小国もミノタウロス王国も、別にわざわざ我が名を冠する神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国にならなくてもいいと言うのが本音だ……が、やらねばならないだろう。──本当に必要なのは国名を変えることでは無く、共通した認識だけだというのに」

「それは……?」

「魔法を求めて豊かになれ。死の時には我が下へ帰れ」

 

 それだけ言うと、アインズはナインズの肩を叩いて地獄の穴へ吸い込まれて行った。

 

 ナインズは自らに収まる腕輪の感覚と、父の気配の余韻を確かに掴んでいた。

 

「……魔法を求めて豊かに……」

 その響きはあまりにも優しく感じて、空を仰いだ。

 つがいの鳥が鳴いて飛んでいく。

 

 アベリオン丘陵には、夏の切ない匂いが流れていた。

 

+

 

 階段を降りた先で、デミウルゴス達悪魔は早くも会議を開いていた。

「デミウルゴス、悪いな」

「いえ。そう言うことも面白いではありませんか。我々を見て小水すら垂らしながら逃げていく羊が、今度は我々を見ると狂喜乱舞して寄ってくるわけです。皮の品質管理のためにも意識を変えさせると言う事はいつかは必要だと思っていましたが、ここが転換点になりましょう」

 デミウルゴスは楽しそうだった。意識を変えると言う事は一筋縄ではいかない。

 ご褒美が貰える程度では皮を剥がれることに対する割に合わないのだから。

 それに、薄暗い地獄が明るい地獄に変わるだけだ。

 

「ゆっくりやっていけばいい──と言いたいところだが、ことは急を要する。ある程度大胆に改革してもいい。例えば放牧の時間を持つとか、檻の大改装を行うとかな。予算は十分に持つ。お前が思うように、なんでもやってくれ」

「ありがとうございます。結局、国民を平和的に管理することが一番の利益を上げると言うアインズ様の最初のご指示に戻ってきてしまうわけですね」

「今回は思いがけず、だがな。ここでそれをやっても手間ばかりかかってしまうな。ただ単にナインズの体調のためだけだ」

「それこそ、何よりも大切なことでございます」

「……それは……そうだな」

 

 アインズはぎしりと椅子にもたれかかった。

 あの怒ったナインズの顔。今にも泣いてしまいそうで、本当にかわいそうだった。

(残念だけど今日はお出かけやめて、抱っこして寝てやるか……)

 青年相手にパパはちょっとおバカだった。もちろんナインズは笑って逃げ回った。ベタベタしすぎですよと言うナインズを捕まえると、ナインズはおかしそうに笑いながら結局観念してそのまま寝たらしい。

 

 後に、牧場は気色が悪い程に皮を剥がれたがる者達で溢れる。

 ナインズに大量の黒い祈りが届くこともなくなった。

 

 だが、普通の感覚であればここで起こる全てはやはり悍ましいと言わざるを得ないだろう。

 心から望んでいて、本人が幸福であれば良いと言うのは上位者達だからこそ出る感想だ。

 姿を歪められ、本来の生活を奪われ、仮初の幸福の中で異種族との間の異形を産み落とす母体と何も知らない家畜として生まれてくる子供。

 

 ナインズは数え切れない異形の中で育った子供だ。

 恐怖公の眷属すら愛しく思う家族の一部である。

 本来ならば姿形に対して多くのことは思わない。

 肉塊にすら可愛いと微笑むこともあるだろう。

 それに、彼は良くも悪くも賢く平等すぎた。博愛主義者であると言うこともあるか。

 ナインズは他者の命を食うことで自分が生きている事を知っている。

「いただきます」

「ごちそうさま」

 その精神だった。

 そこに尊厳があるならば、異形達を解放しろと騒ぎ立てる事もなければ、家畜を放てと迫ることもない。

 ──普通のリアルを生きたプレイヤー達が耐えきれない事であったとしても。

 

 この日から、ナインズは巻物(スクロール)を使う前には必ず巻物(スクロール)に感謝し、口付けを送ったらしい。

 巻物(スクロール)の向こうにいる生き物を知らない人間達はその美しい様子に見惚れた。

 

 所は変わり、ナザリック地下大墳墓。BARナザリック。

 

「ソウカ……。安心シタ」

 じい──コキュートスは愛するナインズの小さな家出の顛末に白い息を吐いた。

「だから、アインズ様達はナインズ様をあのような下賤の旅にも出したわけですねぇ」

 デミウルゴスの尾は揺れていた。

「ソレモ随分心配シタモノダ。ヤハリ御方々ノサレル事ニハ意味ガアル」

「全くです……。今回、ナインズ様は随分いろいろな事を学ばれた気がするよ。もうただの赤ん坊ではないんだね」

「本当ニ大キクナラレタ。アノ背中ヲ見ルダケデ私ハ……ウ……」

 コキュートスが肩を震わせると、カウンターの向こうからそっとピッキーがハンカチを出してくれた。

「……その調子では普段本当に訓練ができているのか心配になるよ。ナインズ様はまだレベルも低い。満足されるには早すぎる」

「……ソノ通リダナ……。安心シロ。訓練ハ滞リナイ」

 

 五十レベルを越えた頃から、かなり成長スピードが落ちている。

 レベルアップに必要な経験値量が莫大になっているのだ。

 老齢の竜達と同じほどの力だと思えばこのレベルを越えていくことの難しさにも納得する。

 だが、漆黒聖典や一郎、二郎のことを思うと──

「……ヤハリ、アル程度ノ敵トノ実戦ガ必要ダ」

「命を奪うことで得られるものは大きいだろうからね」

 今はシャルティアの下で金貨利用制限を施したナザリックの自動ポップのアンデッドを狩ったりもしているが、もうたいした経験値にはならない。

「御方々トゴ相談シ、今再ビ、ナザリックノ本来ノ力ヲ呼ビ覚マシテ頂ク必要ガアリソウダ。秋ガ来ル前ニ、モウ少シデモ力ヲ付ケテイタダク。長距離転移ヲ覚エラレテシマッタ今、腕輪ヲ外セバイツドコヘ飛ンデイッテシマワレルカ分カラナイ」

「それがまた心配どころです。少ししたらハンゾウより上の存在が必要になるかもしれません。隠密に長け、決してナインズ様に置いていかれることのない存在……」

 

 二人で唸り声を上げようとしたその時、バンっとものすごい勢いでBARの扉が開いた。

「ンンンンこの私が!!ン父上に変身して付いていきましょう!!」

 パンドラズ・アクターだった。

 

「──アウラはどうだろうか」

「マーレトセットナラ上手ク行クカモシレン」

 二人が再び会話に戻ろうとすると、パンドラズ・アクターは二人の間に顔を突っ込んだ。

 

「話、聞いてました?」

「……聞いていたか?と聞きたいのは私達の方だよ。完全不可視化で付いていくと言いたいんだろうけどね、魔法が解けるタイミングで見つかるのが目に見える。そうなれば、"父様、僕を見張っていたんですか"とお怒りになるに決まっているでしょう」

「一理あります」

「ヤハリ、何ダカンダト引キ留メテクレル一郎太ガ鍵ニナッテシマイソウダナ」

 コキュートスの吐き出された長い冷たい息がかかると、パンドラズ・アクターの袖はぴきぴきと僅かに凍った。

「後は、ンパトラッシュをペットと言って連れ歩いて頂くとか」

「目立つでしょう」

「先に国民に似た生き物を流行らせれば」

「似た生き物ねぇ……。少なくとも私は見たことがない」

「そこは、ちょちょいとなんとかなりません?」

「……ならないね」

 

 とかなんとか言いつつ、念の為デミウルゴスは牧場の片隅であれこれ交配したらしい。祈る知能がない者は相変わらずやりたい放題だった。

 

+

 

 神都、大神殿。一般開放書庫。

 ずり落ちかけていた丸いメガネを外すとレオネはうんと伸びた。

「──はぁ」

「疲れた?」

 向かいに座っていた人に突然そんなことを言われると、思わず肩が跳ねた。

「っえ、あ」

「や。今日も頑張ってるね」

 いつもと同じ顔でキュータが笑い、レオネは思わず安堵に顔が緩んだ。その向こうには一郎太もいて手を挙げている。

「当然ですわ。──出ます?」

「レオネの用事が終わってれば。終わってなければいいよ。すぐ帰るから」

「今日の分は済みましたわ。見てらしたでしょ」

「そうだね。結構待った」

「もう。そんな事おっしゃるなら声をかければよろしいのに」

「いいよ、邪魔するほどのことじゃなかった」

 レオネが片付けを済ませると、三人は書庫を後にした。

 外の噴水は今日は上半身が魚の半魚人が水浴びをしていた。噴水の中で「ふぅー」と息を吐いて座っていると、巨大な魚が縦に刺さっているようにしか見えなかった。

 

 三人で水の飛んで来ないあたりに腰掛ける。

 夏真っ盛り。燃えるような日差しだった。

「それで、いかがでしたの?」

「うん、しこたま叱られたよ。誰かさんのおかげでね」

「ふふふ、ははっ。ふふふふ、ははは!おかしい!ふふふふ!」

 レオネは口元を押さえて小さく笑おうとしたが、どうにも収まらないらしく最後は子供の頃のように大きな声をあげて笑った。

「ふふ、失礼しましたわ。本当におかしくって。でも、救えたんでしょう?」

「……正直、まだ救えてないんだ。でも、父様が彼らの心が癒されるようにしてくれると約束してくれた。時間はかかるかもしれないけど、なんとかするって」

「あなたが救おうとしたからだわ。よくやりましたわよ。良かったですわね」

「ふふ、ありがとう。でも、懲りたよ。何にだって理由はあるんだって思わされたって言うかさ。しかも、今回も結局僕が騒いだだけで、行動するのは父様達だ。僕はどうしようもない息子だよ」

「あら、次同じことがあったらどうされるの?」

「……同じことをすると思う。しなかったら、全てを見過ごされて彼等はいつまでもあそこで苦しみ続けることになっていただろうから。でも、もう父様に杖は二度と抜かないな」

 

 横で聞いていた一郎太がひょいと身を乗り出す。

 

「……そこまでしたの?キュー様」

「うん。腕輪も捨ててね」

「そ、そしたら……?」

「ははは、分を弁えろって言われた。その通りだったね。僕ってクソガキのくせに、なんか知ったような気になってたらしい。驕り高ぶるってやつ。首席とか言われていい気になってたかな?それとも、祈りが聞こえるようになって自分が一人前になったとでも思ったか」

 

 一郎太が「あぁあぁ」と苦笑する。彼も詳細を聞かされた訳ではなく、ちょっとナザリックの様子から異変を感じていたにすぎない。

 ナインズの足元に鳩が寄ってくると、ナインズは一羽を拾い上げて羽を撫で付けてやった。その手の上にレオネの手が乗った。

 

「──でも、救えた」

「……これからね、ありがとう。また君のおかげだよ」

 ナインズは鳩を空へ放してやるとごそりと胸の中に手を入れた。出てきた花束は絶対そこには入っていなかっただろうと思えた。

「レオネにお礼。地表部で摘んできたよ。リボンもそこの雑貨屋で買ったやつだから。……高価じゃないし、受け取ってくれる?」

「お礼なんてよろしいのに。でも、嬉しい。いただきますわ。この辺りでは見ない花ですわね。綺麗」

「良かった。──レオネ、僕は明日からまたナザリックを出られなくなる。罰とかじゃなくてね。秋が来る前に、もう少し力を付けた方が良いって」

 種族レベルと呼ばれるものが上がらないように、不要な接触を絶って訓練をしなくてはいけないとコキュートスは言っていた。祈りもあまり聞いてはいけない、何になってしまうか分からないと。

 

 花束の匂いを嗅いでいたレオネはナインズの横顔を見上げた。

「……そうですのね。少し寂しくなりますわ」

「秋なんてすぐに来るよ。学校が始まったら、また校門で会おう」

「楽しみにしていますわ。また成長されて戻って来られるんだものね」

「良い夏を送ってね」

「あなたも」

 ナインズはレオネの頭を抱えて引き寄せると、額にキスをして放した。

「──祝福に感謝いたします」

「僕の方こそ」

 二人は微笑みあった。

「じゃあ、またね」

「はい。一郎太さんも、また」

「ほいよ。気をつけて帰れよ」

 

 それぞれの行き先が分かれていく。

 やはり、ナインズはレオネに振り返った。彼女も振り返っていた。

 目が合うと、レオネは花束を大切そうに抱え、顔いっぱいの笑顔で手を振った。

「頑張って!!」

「君も!!」

 こちらも笑顔で手を振りかえす。

 

 大神殿に戻ると、頭の後ろで手を組んだ一郎太が呟いた。

 

「あれだけでいいの?」

「あ、他の皆にも伝えておいた方が良かったかな?レオネは訓練に期待してると悪いかと思ったけど」

「……そうじゃなくて。別にここに来られなくたって<伝言(メッセージ)>する、とか言えば良かったじゃん」

「うん?それ必要?」

 一郎太は自分の額をパチンと叩き、そのまま溜め息をついて歩いた。

 

 その後二人は秋までの間、信じられないほどの訓練に励んだらしい。




はぁ……( ;∀;)本当に正妻だ……
良かった、皆に服を着せてとか言い出さなくて(?
おフラさんの「裸でいさせないで」に引っかからないくらいの見た目になってたことも安心しました!

次回明後日!
Re Lesson#30 ミノタウロスの兄弟


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Re Lesson#30 ミノタウロスの兄弟

 第六階層、円形闘技場(アンフィテアトルム)客席。

 

 コキュートスは蟻型の配下と共に闘技場を見下ろしていた。

「良イスピードダ。ヤハリ、才能ガオ有リニナル」

 経験値アップの首輪を着けたナインズと一郎太の猛訓練は続いていた。反省点や後程アドバイスをしたほうが良いことを手元のメモに書きつけていく。

 

 ナインズは第八位階まで身に付け、そのレベルは実に六十まで達した。

 ただ、第八位階の魔法を使うとかなりの魔力消費にバテるのが早いと言うのが玉に瑕だ。おそらく、幼い頃に取得したにルーン魔術師(エンチャンター)が多少足を引っ張っているのだろうと言うのが保護者各位の見立てだった。あれは魔力の消費が極限に少ないので、そのレベルの分の魔力は育っていない。

 

 全体的な構成としては超短期決戦、火力重視タイプ。

 腕輪を外している時間を極力短くさせておきたい故の構成で、魔法神官戦士のシャルティアに傚う形だ。火力重視の魔法を習得させ、怪我や有事に備えた回復魔法、神聖魔法を横からそっと添える。

 フラミーが逃走時間稼ぎ、回復タイプな上に、アインズも死霊系魔法職の浪漫ビルドなので、ルーンの引っ張りもありつつ、なんだかんだ百レベルになる頃には力も追いついて来るのではないかと期待されている。

 

 今日も、ナザリック本来であれば第六階層の闘技場を守るために出されているはずの強力な自動POPのモンスター達が出てきている。

 所移して第五階層氷河や第八階層溶岩、果ては第四階層の地底湖エリアで訓練が行われる事もあるが、闘技場の利用が多くなるのは監督する守護者達が戦闘を見やすいためだ。 

 この轟音と地響きの中を過ごさなければならない畑のメンバーは皆とうもろこしの影から恐る恐る遠くに見える闘技場を見ているらしい。

 

 コキュートスからいくつか離れた席にはパンドラズ・アクター。透明な情報板を手に、金貨の動きの監視を行いつつ、どうしてもできてしまう軽微な施設の破壊と損傷の修復の計算を行う。

 宝物殿での管理が多かったが、改良は進みこうして宝物殿の外でも金貨の動きくらいは確認ができるようになっていた。

 

 パンドラズ・アクターの反対側、蟻型配下の向こうにはシャルティアがいる。

「ナインズ様!!そこでありんす!!魔法を!!──はい!今でありんす!!」

 少しばかりうるさいが、大切な役目だ。

 

『ナインズ様!!後十体行ったら一度休憩しましょう!!一郎太もいいね!!』

 闘技場の中から聞こえる大声はアウラのもので、自動POPとはいえ今二人に襲いかかっているモンスター達は皆階層守護者の言うことを従順に守っている。

『分かった!』

『分かりました!』

 二人の返事と共に、ラストスパートに向けて、アウラの影から回復が飛ぶ。

『そ、それぇ〜!』

 鍔迫り合いの度にびくびくとアウラの後ろに隠れるマーレの役割だ。

 

 今日のナインズは杖ではなく剣で戦っている為にかなりの消耗具合だ。

 しかし、これも伸ばすことをやめてはいけない、彼の身を守るために大切なことだ。

 腕輪を外すことを躊躇っているうちに攻撃をされるようなことに陥らないため、やはり魔法神官戦士の戦士と言う部分は捨てられなかった。

 ナインズのビルドは一歩間違えれば器用貧乏になりかねない。

 敵対する相手をどの状況でも超短時間で組み伏せるためのビルドには細心の注意が払われた。

 

『ナイ様!!』

 一郎太がナインズの首輪を引っ張る形で、間一髪モンスターの爪がナインズの眉間を切る。

『ッ!!──ご、ごめん!!』

 守護者達はその方法はどうなんだと一瞬ざわめきかけたが、いくら回復できるとは言え大怪我になるよりは良いと一時保留とした。

(……後デ注意シナクテハ)

 一郎太の教育はコキュートスの役割でもある。

 きちんとメモを残すと、ふとコキュートスの頭の中に一本の線が繋がった。

 こめかみに手を触れ

「──コキュートス」

 名乗り、相手の言葉を待った。

『コキュートス、私だ』

 即座にコキュートスは立ち上がり頭を下げた。

「ハ。アインズ様。何カゴザイマシタカ」

『ナインズと一郎太、二郎丸、クリスの事で話がある。手が空いたタイミングで私の部屋に来てくれ』

「カシコマリマシタ。ジキニオボッチャマハ休憩ニ入ラレルノデ、ソノ時ニ急ギ伺イマス」

『助かる。ではな』

「ハ。失礼致シマス」

 腰から深々と頭を下げると<伝言(メッセージ)>はさらりと切れた。

 

 アウラの『ラストワンいっきまっすよー!!』という声と共に、コキュートスは一度姿勢を正した。

 汗が目に入るような、激しい剣戟と魔法、拳の応酬。

 切れた頬や肩から血が出るような命をかけた訓練。多少の痛みにも慣れておかなくては外で痛みを受けた時に体が固まる。

 

 それでも、百レベルのコキュートスからすれば、息をつく間もないという印象はない。

 こうしてアドバイスを書き留めていながらも、本当に二人が危ないと思えば即座に魔法なり刀を投げるなりで戦場を止めることができる。

 

『ッラストォ!!』

 ナインズの放った剣戟はモンスターの首を裂き、二人の攻防は見事に勝利を収める形で終了した。

 モンスターは倒れると、次の瞬間黒いモヤになって消え、またアウラとマーレのそばに復活した。

 黒いモヤとなって消えると言うことは経験値がないと言うことかとアインズとフラミーは随分協議したようだが、どうも魂の依代なく魔法で召喚したモンスター達とは違い、ギルドの金銭という代償が支払われている故経験値は存分に入っているらしかった。

 ただ、コキュートス達守護者は経験値という概念を至高の二柱ほど明確に理解できているわけではないが。

 

 貴賓席からアルメリアとクリス・チャン、二郎丸の拍手が響く。

 コキュートスは二郎丸を見ると、一郎太に視線を移し、軽くため息を吐いた。

 一郎太はナインズと同じレベルを保とうと必死になっている。ナインズには魔力の回復時間が必要だが、一郎太は体力を取り戻せばまたすぐに訓練に戻れるので、彼は細かい時間も決して無駄にはしなかった。

 

 ナインズは魔力を高めることを主とした剣を鞘に戻すと、一郎太と手をパチンと合わせていた。

 

「──シャルティア。私ハ少シ御方々ノ下ヘ行ク。オボッチャマニ十分休憩ヲ取ラレルヨウニ伝エテクレ。反省点ハ後程ダ」

「わかりんした。一郎太はどうしんすか?」

「体力ノ回復ガ済メバ、少シ一郎ト手ヲ合ワセルヨウニ言ッテオイテクレ」

「承りんした。そのように手配いたしんす」

「助カル」

 一郎も二郎もビルドはめちゃくちゃだが八十五レベルもある、この世界の超逸脱者──神人。本気で育成される六十レベルの一郎太と十分にやり合える存在だ。

 

 コキュートスは蟻型配下にメモを渡して腰を上げると闘技場を後にした。

 第七階層、溶岩を通り抜け、第九階層を目指す。

 

(──オボッチャマ達ノ事デオ話トハ……)

 

 ナインズのビルドは定期的に支配者・守護者会議が開かれ徹底的に討論されている。

 一郎太とクリスはナインズのビルドほど細やかな調整が必要ではないのである程度のびのびやらせているが、とは言え、彼らの育成も定められた枠の中だ。

 

(──ヤハリ、二郎丸カ……)

 

 コキュートスは約束の部屋の前にたどり着くと身なりを確認した。チリひとつついていない自らのボディを、扉の両脇に立つ配下のクワガタモンスターにもチェックしてもらうことを忘れない。

 

 扉を叩く。

 中からメイドが顔を出すと、コキュートスは胸を張った。

「御方ヨリオ呼ビ頂キ推参イタシタ」

「お待ちくださいませ」わずかに開いた扉は閉じられ、再度開かれる時はコキュートスを迎える形だった。「──どうぞ、階層守護者コキュートス様」

「ウム」

 

 緊張感を持って足を踏み出す。

 部屋の中には濃厚な死の匂いと、神の生すら手中にする者の匂いが漂っていた。

 

「第五階層守護者、コキュートス。御方々ノ御前ニタダイマ参上イタシマシタ。大変遅レテシマイ、申シ訳アリマセンデシタ」

 

 膝をつき、これ以上ないほど頭を下げる。

 いくら用事があったとは言え、本来であれば一分一秒待たせることなど許されない、二人の絶対神。

 アインズはフラミーを抱え、コキュートスを見下ろしていた。

 左右に侍るアルベドとデミウルゴスが静かにその様子を伺っている。セバスも離れたところに控えていて、部屋はいつも通りだ。

 

「コキュートス、楽にしろ。私達はお前が決して遊び呆けていたわけではないと重々承知している」

「ハ。オ心遣イニ感謝イタシマス」

 拝謁の栄を賜ったことに魂が震える。

 コキュートスはプシュー……と息を吐いた。

「さて、今日お前をここに呼んだのは、先ほども少し話した通り、ナインズと一郎太、二郎丸についての事だ。──私はいずれ来るであろう同格以上のギルドとの戦いに備えよと常々お前達に言ってきたと思うが、覚えているか」

「勿論デゴザイマス」

「うむ。では、お前は一郎と二郎をこのナザリックに引き込む際の自身の言葉を覚えているか」

 

 コキュートスは高速で頭を働かせ、あの日の一字一句を逃さずなぞった。

 

「今後、彼ラノ中カラ屈強ナ戦士ガ現レル可能性ガゴザイマス。故ニココデ拷問ニテ使イ潰シテハ勿体ナイカト思ワレマス。今後、ヨリ強イミノタウロスガ生マレタ時ニ、ナザリックヘノ忠誠心ヲ植エ付ケ、部下トスルノガ利益ニナルカト」

「では、それを受け、出された回答はなんだった」

「赤毛ノミノタウロスハナザリックデ飼育管理シ、守護者ガ子ヲ持ツ時ト同ジ想定ニテ、親ノ愛トナザリックヘノ忠誠ノ中子供ヲ育テル実験ヲ行ウトノ事デシタ」

 

 じっと見下ろされ、コキュートスはたらりと汗が流れるかと思った。

 次の瞬間、アインズの骨の手はカツ、カツ、カツ、と打ち合わされた。

 それが拍手であると理解するとわずかに体から力が抜ける。

 

「その通りだ。お前はここまでよくやり遂げた。まだ彼らは子供だが、素晴らしい成果だ」

「ハハァ。有難キオ言葉!」

「それも踏まえ、さらにナインズからの願いもある。一郎太はナザリックにて今後永遠の命を持ち、我らがナザリックの戦力となるだろう」

 

 ──コキュートスの中をピリッと張り詰めた空気が過ぎる。

 アインズは頬杖を付き、フラミーの羽をさらりさらりと弄んだ。

 

「なんと言っても一郎太の育成は目を見張るものがある。本人のやる気、素質、お前の訓練。全てが正しく作用していることは明白だ。特に、あれが幼い頃にナインズのレベルを追い抜き、私たちに見せたその育成の軌跡はどんな実験よりも貴重なものだった。後を追う形の守護者の子であるクリス・チャンも見事に一郎太が見せ、我々に残した物で成長している。本当によくやってくれた。お前は胸を張っていい」

 

 深く深く頭を下げる。これ以上ない程にそうして見せた。

 

「──しかし、だ」

 

 来た。

 コキュートスの背をぴきぴきと流氷が迫るようだった。

 

「二郎丸はどうもうまく行っていないようだな」

「……オ恥ズカシイ限リニゴザイマス」

 

 二郎丸は三十レベル程度、昨年までは一郎太と遜色のない伸びを見せ、一気にそこまで駆け上がった。ところが、今その成長は停滞していた。

 クリスも未だに一郎太の成長に置いていかれないだけの物がある。

 ナインズに至っては一郎太を置いていく勢いなので、一郎太は休む暇もなく必死になって訓練に励んでいる。

 

 ただ、二郎丸が怠惰なのかと言えばそれは全くもっての否であった。

 

(……コレハ(ヒトエ)ニ……生マレノ差ダ……)

 

 一郎太が魔導学院に通っている間、一郎太も通ったナザリック学園で勉強をし、その後へとへとになるまで訓練を続けている。

 小学校を上がるときに三十レベルだったナインズと一郎太が魔導学院入学までの三年間で五十五レベル程度までしか行かなかったのはナザリック学園での勉強にもよく励んだこともある。

 その様子を思い出しても、二郎丸はよくやっていた。

 兄と主人の背を必死に追っている。だが、魔法を使えるようになりたいなぁと弱音を漏らす程度には彼は行き詰まっていた。

 

「──コキュートス、お前が恥じることはない。二郎丸はそう言う子だったのだ」

 

 支配者は全てを理解しているようだった。

 抱えられる支配者もまた、理解している。

「コキュートス君。二郎丸君は、多分、神人の域を最終的に越えることはないと思います。どこかでそれを本人に伝えなくちゃいけません」

「フラミー様ノ仰ル通リニ思イマス……」

 

 諦め切れなかった。だが、やり方を変えてやらねば二郎丸は今後潰れてしまうだろう。

 

 ここナザリックでは、ユグドラシル由来の者の子孫の、特に力を最大限引き継げなかった者達を神人と言う言葉によって区別した。

 この世界では逸脱者として扱われるだろうが、ことナザリックの戦力増強という枠には入ることができない。

 一郎、二郎もそのうちだし、聖典達もそうだ。

 正しいビルドと、百レベルという遥か高みまで上り詰めることが──おそらくでも──出来る者達は"子孫"という言葉を送られる。死ぬことなく、末長くナザリックを護る"子孫"。

 一郎太とクリスは"子孫"だった。

 

「氷結牢獄にて中位から高位の巻物(スクロール)の生産に()()()()()()()()()森妖精(エルフ)の邪王──デケム・ホウガンの子孫達のことを考えれば、血の薄い者がそうなる事は何も不思議はない。奴と旧法国の切り札だったファーインの子である番外席次は神人になったが、他の森妖精(エルフ)達を犯して産ませた子供はどれも神人とまで呼ぶには疑問が残る」

 

 アインズはフラミーを一度下ろすと立ち上がり、その場の全員から背を向けた。

 幾度かの不要な呼吸ののち、静かに言葉は告げられた。

「……つまり、私の妃の選び方に問題があったと言えるだろうな。うまく発現させることができない者を二郎に当ててしまった」

 コキュートスが言葉に詰まると、後方からアルベドが即座に口を開いた。

「アインズ様は実験であると仰っていましたわ。元より、一郎と二郎、一郎太と二郎丸の対比の実験だった……そう言うことでございますね?」

 アインズはどこか遠くを見ている。

 コキュートスもその実験の必要性には重々思い至っている。

 花子と梅子の違いが分かれば、今後一郎太とクリス──はてはナインズとアルメリアの相手を正しく選別することができるのだ。

 

「……お前達には知ることを禁じているので詳しくは話さないが、優性遺伝と劣性遺伝の関係は複雑だ。だが、二郎丸はおそらくもう"子孫"になる事はできないし、それの子も"子孫"になる確率はかなり低いと思う。もちろん、だからと言って二郎丸と二郎を放り出せと言うわけではない。神人としてどこまで行けるか、今後もお前の手腕には期待している。二郎丸の先に待つ"先祖返り"という可能性も捨てきれない。それはそれで、貴重な実験だ」

「アリガトウゴザイマス!」

「うむ。さぁ、ここまでは意識の共有だ。本題に入ろう」

 

 これ以上のことがあるのかとコキュートスは思い当たる節のなさに焦る。

 てっきり、二郎丸はもう面倒を見ることをやめろと通告されるのだと思っていたが、彼の強化実験は継続となったのだ。初めての百レベルに届かない事が予想される神人サンプルとして、いけるところまで育てなくては。

 

「一郎太とクリスだ。──主には一郎太だな。今後、一郎太やクリスにはそれぞれ子を産んでもらう日が来るだろう。その子達も"子孫"になればナザリックの礎になる。そうなると、二人に"子孫"を持って貰うには……な」

 アインズが言葉を濁すと、その後にデミウルゴスが続いた。

「──この二人を掛け合わせる事が最も早い。もしくは、守護者達との掛け合わせ、神人タイプの聖典との掛け合わせでございますね」

 アインズはゆっくりと頷き、ソファに戻った。

「──だが、見ての通りフラミーさんは反対だ。守護者達の無理な掛け合わせを行わない事と同様に」

 コキュートスはアインズの隣に座るフラミーの様子を見た。涼しい顔をしていて、大きな表情の変化を読み取る事はできない。支配者同士ではすでに話合いは済まされているようだ。

 

「さらに言えば、ミノタウロスと竜人の子など生まれる確率はゼロに等しくも思う。ミノタウロスと人はミノタウロス、竜人と人は竜人。どちらも強い力の血が人というフラットな存在の上に発現する物だ。正直なことを言えば、私もこの方法にはたっちさんへの感情面から頷く事は難しいし、全く現実的ではないだろう。二人は可愛いナザリックの"子孫"だ。無論、クリスが何かの拍子にデミウルゴスに恋をして──」

 

 ミシリ、と音がする。皆がそちらへ振り返った。

 いつも通りの顔をしたセバスがいるだけだった。

 

「──ンン。まぁ、子を設けると望むのであれば、それはそれで良いが、恐らくはあまり現実的ではない。一郎太も、突然アルベドと恋に──」

 

 ギュリ、と音がする。皆がそちらへ振り返った。

 いつも通りの顔をしたアルベドがいるだけだった。

 

「……落ちたりすることは百パーセントないな。うん。で、えっとなんだっけ……。うん、そう。だからな。クリスも一郎太にも、自分で相手を自由に見つけて欲しいと思っている。できれば実りが確実なように、一郎太にはミノタウロスか人間、クリスには竜か人間で」

「寛大ナオ心遣イニ、クリスト一郎太ノミナラズ、セバスモ深ク感謝シテイルコトデショウ。私カラモ感謝申シ上ゲマス」

「うむ。そこで、一つの問題が浮上するわけだ」

 コキュートスは首を傾げた。

 

「クリスは母であるツアレがナザリックを自由に出入りできない事や、日々老いていく姿を見ていることから全てを既に覚悟しているだろう。それは、自分が自由に選んだ相手も共に不老不死となりこの地で果てなく生き続ける事が出来るわけでないかもしれないという覚悟だ。ただ──」支配者はちらりとセバスの様子を見た。「──セバスとツアレが望むのであればツアレのクラスは何であっても構わないので仙人にしても良い」

 セバスは軽く首を振った。

「いえ、ツアレは妹のニーニャと共に老いていくことを望んでおります。慈悲深きご提案、誠にありがとうございます」

「そうか。もっと老いていく中で気が変われば、また言うがいい。私の寿命逆行魔法の研究もうまく行っていれば、希望する所まで巻き戻してやれるかもしれん」

「ははぁ」

 深々と下げられた頭には、忠義と尊敬、感謝が大きく込められていた。

 

「──と、この様に老いて死ぬことを望む者は決して少なくない。小人間(ハーフマン)のトラ吉なども本当であればその代表だ。そうすると、置いていかれる苦悩が常にクリスと一郎太に付きまとう。特に、一郎太は自身がナインズを置き去りにする事を良しと思っていない故にナインズの懇願に答えた。あれは恐らくは相手を持つ気はない。ナインズも、一郎太が相手を持ち生き物として死ぬか、自らと共に永遠を生きるのかの二択になると考えている」

 

 アインズがため息を吐く。

 

「……私の願いはクリスにも一郎太にも相手を見つけ、その者との間に"子孫"が生まれてくれるかを確かめてほしい。だが、これは非常に難しい──センシティブな問題だ。この願いを一郎太に伝えれば、一郎太は不死を受け入れ、尚且つ相手を探そうと躍起になるだろう。ナインズは一郎太の自由意志に水をさされたと嘆くに違いない……」

 

 クリスは誰かに頼まれて不老不死になろうとせずとも種族的に死ぬ事はないし、覚悟もある程度はできている事を思えば「自由に恋愛をして好きな人と子供を持っていい」と伝える事はそうこじれないだろう。おそらく精神もそのようにできている。竜は群れず、自立が早い生き物だと言うこともある。

 

 一方ナインズからの求めによって、終焉を持つ生き物という枷を解いて来る一郎太は選ぶ事ができる。

 本来ならば、"子孫"という役割から考えても彼は選ぶ権利もなく不老不死になりナザリックを支えるべきだが。

 

「コキュートス、お前はどうするのが良い思う」

「……難シイ問題デス。デスガ……真ニ不死トナルノデアレバ、リミットハ度々アルトシテモ時間的ナ余裕ハイクラデモアリマス。感情的ナ面ヲ除ケバ、ヤハリ二人ニ永イ時ノ中デ実リヲ期待シテ……一郎太トクリスガ嫌ガラナケレバ一度許嫁ト定メテモ──……イエ……少シオ待チクダサイ……」

 

 許嫁と言われればもうお互いを受け入れる準備をしてしまうか。ナインズの求める一郎太の自由意志、親としてセバスが求めるクリスの自由意思を外れる。

 

 何より、牧場で実験の中うまく掛け合わせられなかった胎児達が大量に未熟に生まれ、死んでいったり信じられないほど虚弱で処分となることもある。騎馬王の子供達が生まれることすらできずにこの世をさっていることも鑑みれば、これはクリスが傷付く。

 人間相手であれば確実に生まれてきて神人か子孫になるというのに。

 二人は子孫であり、決して使い潰していい実験体ではない。

 やはり人間の良い相手を二人とも見つけるのがベストだ。

 

 だが、勝手に二人が好きあって実りがあるか確かめるくらいはばちも当たらないような。

 

 ナザリックの戦力増強は度々念を押される何よりも大切なことだ。

 ──コキュートスは顔を上げた。

 

「一度……二人デドコカニオ使イデモイカセテミテハ……?」

「……え?一郎太にうまく言う方法じゃなくてそっちなの?」

 支配者が一瞬覇気を無くした気がした。

 答えが間違っていただろうか。

「……合ワセテ、帰ッテキタ二人ニ、私カラ……イワユル恋話トイウヤツヲ振ッテミマス」

 

 アインズはフラミーと目を見合わせ、フラミーは「あはっ」と楽しそうな声を上げた。

「いいですね!恋バナ!ふふ、そうですね。それ、私も参加したいなぁ」

「フラミーさんがいたら二人とも詰問だと思うでしょ。ダメですよ」

「ふふ、覗いちゃおーっと。じゃ、二人のお買い物デートとコキュートス君の恋バナ作戦で一旦様子見しましょうね!そこでうまくいっくん達に相手を見つけて良いって思ってもらいましょう!」

「そうですね。では、コキュートスよ。頃合いを見て二人をお使いなりデートなりなんでも一度出すだけ出してみろ。お使いに行くくらいただみたいなものだ」

 

 コキュートスは新しい命を刻むと頭を下げた。

 

+

 

「お使いですか?」

 闘技場内で父一郎と打ち合っていた一郎太が首を傾げた。そばではナインズも様子を見て座っている。ドラゴンの近縁(ドラゴン・キン)達が出してくれたデミウルゴス謹製の椅子だ。

 

「アァ。クリスニハ話シタ。オ前達二人デルーンノ道具ガ魔道具店ニドレホド置カレテイルノカ見テキテ欲シイ」

「はーい。じゃ、ちょっと行ってきます。──父者、ありがとうございました」

「気を付けて行って来い」

「ほーい」

 一郎太が装備をバラバラと外して行くと、ナインズも立ち上がった。

「いいなぁ一太。そんな面白そうなお使いなんて初めてじゃない?」

「……オボッチャマ、オ忘レデスカ。強化訓練中ノ魔力ガ少ナイ状態デノ外出ハ認メラレマセン。一日カ二日ノ休養ト完全回復ガ確認サレルマデハ──」

「分かってるよ、じい。ただ羨ましいだけ」

「へへ、良いっしょ」

 一郎太はその場でパンツ一丁になると、訓練が終わったら着るつもりでいた服に着替え始め、あっという間に身支度を終えた。

 尻をぱんぱんと叩き、「よし」と声を上げた。

「……モウ少シ着飾ッテモ良インダゾ」

「え?あ、これじゃ店入れてもらえないですかね?」

「……イヤ、ソンナ事ハナイガ……」

 一郎太の服もほとんどがナザリック内で生産されているので下手なものを外で買うよりよほど良い。

「じゃ、行ってきます!」

「あ、一太。三十秒だけ待って」

「はい?──あ、オッケー」

 ナインズは転移の指輪で消えた。

 ナザリックを出ない今の期間は指輪をもたされている。

 あっという間にたった一輪の花を持ったナインズが戻った。

 ナインズが何かを言う前に一郎太はそれを受け取った。

「任せといて。だから<伝言(メッセージ)>すりゃいいのにさぁ」

 一郎太がおかしそうに笑うと、何か言いたげに苦笑するナインズの背をばしばしと叩いてから闘技場を後にした。

 

「アレハ?」

 

 コキュートスが見下ろす。

 ナインズは「応援だよ」とだけ言うと、腰に下げている剣を抜いた。

 

+

 

 レオネは今日も大神殿の書庫で本を探していた。

 学院にもかなり大きな図書館はあるが、ここは家から近いし通い慣れている。

 

「て……て……てー……てん……てんし……」

 

 良さそうなものを見つけて、目一杯背伸びをする。

 この通路の終わりに階段脚立(ステップスツール)があるのも分かっているがギリギリ届きそうなので取りに行くのが億劫だった。

 後少しと思った時、ふと横から手が伸び、ひょいと本が抜き取られた。

「ぁ……」

 レオネが振り返ると、本を差し出すロランがいた。

「はい、レオネ」

「あら、ロランでしたの。助かりましたわ」

「ううん。レオネはやっぱり大神殿の書庫なんだね」

「学院の図書館より落ち着きますのよね、何となく。あなたは?」

「僕は勉強と趣味。昔からのやつ、ルーンのね」

 レオネは「あぁ」と声を上げた。

 ロランは昔からルーンのことが好きで、よく山小人(ドワーフ)のグンゼ・カーマイドと共にキュータにルーンの事を聞いていた。

「レオネ、席とってある?」

「えぇ、わたくしあちらに。先ほどまでも読んでたんですの」

「じゃあ僕もそっちにしようかなー」

 二人で静寂の書庫を行き、机に本を置く。

「──あら?」

「ん?」

 ロランは何冊も抱えていた本をレオネの隣に置いて座ると首を傾げた。

 

 レオネの先ほどまで座っていた席には以前キュータからもらった花で作った押し花の栞と、それと同じ花が一輪。

 茎からは水が染み出していて、まだ摘んだばかりのようだった。

「あんまり見ない花だね?」

 ロランが言う。レオネは花を持つと辺りを見渡した。

 思い当たる人達の影はない。

「レオネ?」

「──ぁ、えぇ。ですわよね」

 椅子に腰掛け本を開くと、ロランも本を開いた。

(………………)

 くるりと手の中で花を回し、レオネは香りを嗅ぐと少し微笑んだ。

 

 

「──じゃ、行くかー」

 レオネの様子を観察していた一郎太はそっと扉のそばを離れた。

「本当にこれでいいんですか?ナ──キュータ様からだってお伝えしなくて」

 後を追ってクリスが駆け寄る。

「いーんだよ。あの花見りゃ分かるんだから」

「うーん、そうでしょうか」

「そうなの。キュー様はそう言うことを求めてないし──それが女心だろ?」

「……一郎太くんに言われてもピンときません」

「ははは、間違いねぇなぁ」

 大聖堂を笑いながら抜け、二人は大神殿を後にした。

 

「──さて、お使いだな」

「はい!とりあえず三店舗ほどでいいそうです」

乗合馬車(バス)乗ってさっさと行こうぜ」

 慣れ親しんだ神都の街で、二人は乗合馬車(バス)の降り口に立って乗った。

 指定されている店に入り、品揃えをメモする。通常の魔法がエンチャントされた装備の数と、ルーンの装備の数と種類、書き込まれたルーンを丁寧に書いていく。

 個人的な研究だと話して店主に説明を求め、お礼にいくらか支払ったりもしつつ、また次の店へ。そして最後の店へ。

 あっという間に夕暮れが訪れた。

 

 また二人は乗合馬車(バス)に揺られ、大神殿へ引き返す。

「レオネお姉さん、まだいるでしょうか?」

「どうかな。あいつは遅くまで外にはいないから、そろそろ帰ってるかもな。──ん、ちょっと避けて」

 クリスの肩を抱いて引っ張る。クリスがいた場所を通って降りていく人達が軽く頭を下げた。

「すみません、助かりました」

「しばらく籠ってるとついな。気持ちはよくわかるよ」

 ナザリックでずっと過ごしていると、こう言う事はほとんど発生しないのだ。

 

 その後大神殿前に戻ってくると、二人で前庭を行き、噴水に腰掛けた。

 念の為にお互いのメモを寄せ合い、中身を確認する。

「──これ、まとめた方がいいんでしょうか?私、報告書って書いたことないです」

「俺も。帰ってコキュートス様に聞いたほうがいいのかなぁ。それとも、当然まとめられた書類が来ると思ってるかな?」

「あり得ます。私たちの汚いメモ渡されてもコキュートス様困りそうです」

「せめて表にでもするかね」

「じゃあ、鏡の間でやってから帰りますか?」

「カフェ行くんでもいいよ。小腹も空いたし」

 クリスが顔を上げる。

 一郎太は何か変な事を言ったかと首を傾げた。

「どした?」

「いえ!カフェ行くなんて、大人っぽくて良いですね!」

「はは、すげぇだろ。ナイ様のお気に入り行くか。"約束の地"にある巨岩のオブジェが置かれた約束の広場の中にあって静かで良い店なんだよ。マスコンパスって言うの。視界のきかない場所でも目的地に行ける魔法の名前らしい。洒落てるよな」

「わー!行きましょう行きましょう!そんな素敵なところ行ったことないです!」

 クリスがぴょいと立ち上がり、一郎太がポケットにメモを戻す。

 クリスなんかは一郎太から見れば子供だ。

 喫茶店ひとつで喜ぶ十四才。小学生時代はちょっとお腹が空いたからと言ってどこかに入ることなどはなかったし、アルメリアの鍛え上げられた帰宅部生活に付き合っていたのだから、彼女の反応は実に自然だった。

「ふ」

「何ですか?」

「いーや」

 

 二人で歩き始めると、ふと「ミノさん?」と声をかけられた。

「──ん?」

 振り返ると、ヨァナが何か大きな荷物を抱えていた。

「あは!やっぱりミノさんだ!」

「よう。何だよ、お前なにやってんの?帰省は?」

「したよん。今日戻ってきてあっちで魂喰らい(ソウルイーター)便降りたところ!聖騎士講習は夏休み中からまた始まるからね!ついに鎧も着てやるんだぜぇ!ちなみに──そっちは?彼女?」

 それでこの大荷物かと一郎太は納得した。

「なるほどな。こっちはクリス。従姉妹みたいなもん。キュー様の妹君の側仕え」

「こんばんは!クリスです!キュータ様のじいから頼まれてお使い中です!」

 

 ヨァナは一郎太を見上げると、顔いっぱいの笑顔で笑った。胸元で切り揃えられた金髪が揺れる。

「やった!じゃ、ミノさん、まだ私と付き合えるね!」

「……さて、飯でも食いながら報告書作るか」

 くるりと背を向けると、ヨァナは一郎太の服を掴んで「ミノさん、なんでよ〜」と声を上げた。

「だからぁ、お前絶対思い込み強い方だろ。ふざけて言ってる間はいいけど本気になられたら嫌なんだよ」

「いいじゃんー。本気がいいじゃんー!」

「もー!クリスこいつ何とかして」

 クリスはニヤリと笑った。

「むふ、女心って複雑ですよねぇ」

「ねー、複雑だよねぇ〜!」

「お前ら何言ってんだ!俺はキュー様一筋なの!」

「いや、恋人か!!」

 ヨァナからまた突っ込みが入ると一郎太は服を掴む手を握って離させた。

 

「ほとんどそうだよ!俺はキュー様に一生を誓ってんの!!」

「ム、そんなに私が嫌か!」

「お前が嫌とかじゃないの!例えお前をちょっと良いなと思っても、俺にはキュー様がいるの!」

「え、ちょっと良いとか思ってくれてるの?」

「いや、それは例え話で──」

「ご、ごめん!えっと!私!!ごめん!!」

 

 ヨァナは一郎太の手を振り解くと、あの重そうな荷物を信じられないほど軽々と下げ直して駆け出した。

「っえ、ちょ──待てよ!」

 振り返ったヨァナの顔は信じられないほど赤かった。一郎太は思わず「ぇ」と声を上げ、ヨァナはギュッと目を閉じたかと思うと、何かを振り払うようにまた走って行ってしまった。

 

「あ〜女心って本当に複雑ですねぇ〜。一郎太くん、あれは恋してますよ」

 クリスが一郎太の横からにょきりと顔を出す。

「……う、嘘?」

「ちょっと良いと思っててもご主人様に命捧げてるからごめんねなんて、ロマンチックですし、良いんじゃないですか!」

「ロマンチックじゃない……。俺にはキュー様がいるのに困る……」

「ふふ、早く帰ってキュータ様に聞かせてあげたいですね!」

 それを聞くと、一郎太はクリスの肩をガシリと掴んだ。

 

「やめろ!絶対にキュー様には言うな!!」

「何でですか?ちなみに、一郎太くんはさっきの──ヨァナお姉さんを実際のところ良いと思ってるんですか?」

「本気で考えたこともない。俺にはキュー様がいる」

「じゃあ第一歩ですね!キュータ様も応援してくれますよ!」

 くるりと一郎太の手を逃れ、クリスは大神殿へ駆け出した。

「ま、待て!キュー様にだけは!!頼む!!」

「報告書はまたコキュートス様に聞きながら書きましょう!カフェはまた次の機会に!」

「待てよ!!クリス!!」

 慌てて一郎太もクリスを追いかけ、二人の足は信じられないほどに早く、あっという間に第六階層へ戻った。

 

「ナインズ様ー!」

 夕暮れの第六階層、討議場で本日の稽古を終えた様子のナインズはアルメリアと頭を預けあい、二人の銀髪はさらりと溶け合っていた。隣にはコキュートス。

 闘技場の中では二郎丸がまだハム助と訓練を続けていた。

 

「戻ッタカ」

「あ、おかえり。楽しかった?」

「はい!すごく!!何と言っても、一郎太くん──」

 クリスの口が赤い毛に包まれた手にむんずと掴まれる。

「一太が?」

「な、ナイ様。なんでもないから!ちゃんとお使いしてきたから!コキュートス様!これ!」

「ウ、ウム」

 一郎太が片手をポケットにいれた瞬間、ひゅんとクリスはしゃがんで一郎太の手から逃れた。

「──あ!!」

「コキュートス様!ナインズ様!アリー様!聞いてください!一郎太くん、学院のお姉さんを一人恋に落としましたよ!すごくないですか!」

「ム、ソウナノカ。一郎太」

「ほー?一郎太、面白い話です」

「ですよねぇー!」

「バカ!!何言ってんだよ!!」

 ごちんと鉄拳が降り注ぐ。クリスは本気で殴っても脳みそを飛び散らせるような事はない。

「い、いたた。ナインズ様、素敵ですよね!」

 

 ナインズはぱちくりと瞬いた。

「うん、素敵。相手は誰なの?」

「ヨァナお姉さんって言うんです!」

「ははは、ヨァナかぁ。一太、いいじゃない。ヨァナと生きてみるのも──」

「ナイ様!!」

 六十レベルの一郎太の怒鳴り声に、三十レベルしかないアルメリアがびくりと肩を震わせる。

 ナインズはアルメリアの肩を抱いてさすった。

「ど、どしたの。一太。リアちゃんが驚いてる」

「ナイ様!!──俺、本当にナイ様のそばにいられれば良いんだよ!!本当にいらないの!!ナイ様が余計な心配するようなもん、俺はいらないの!!」

「一太……」

 一郎太は震える拳で目元を拭った。クリスとアルメリアは驚いてその姿を見上げた。

「一郎太、お前、どうしたんですか?」

「あ、あの。一郎太くん?あれ?」

「リアちゃん、クリス。静かに」

 立ち上がるナインズに遮られ、二人は何が起きているのか分からないままに口を閉じた。

 

「ナイ様……。俺は生まれた時からナイ様が全てなんだ……。ナイ様が歩いたとか、初めて一緒に走ったとか、木に登ったとか、二人で神都に出たとか、勝手にエ・ランテル行って叱られたとか、地表部から見えるところ全部に行こうって言ったことも、二の丸と三人で焚き火したことも、一つも忘れてない。ナイ様が忘れたことも、俺全部覚えてる……。俺はナインズ様の幸せと安心が全てなんだよ……」

「一太、おいで。本当にずっとよく考えていてくれてたんだね」

 ナインズに抱きしめられると、一郎太もぐすぐす言ってナインズを抱きしめ返した。

「お願いだよ……ナイ様……。俺を死なせないで……。死ぬのが怖いんじゃない……。あなたの生を見守れないことが恐ろしいんだ……。あなたが私のために泣くのが……あなたが一人で全てを覚悟するのが……恐ろしいんです……。あなたの小さな苦悩を聞く者がいない世界があるなんて……。だから……俺、本当によくかんがえてるから……頼むから……。誰かと生きて死ねなんて……言わないで……」

「うん、ありがとう。僕も想定する僕の努力が足りなかったよ。君が愛した人ができて、その人がこの世を去るとした時、僕は君の孤独を少しでも癒してあげられるように精一杯頑張るよ」

「もしいつか好きな奴ができても、ナイ様は超えないから大丈夫……」

 ナインズの服は一郎太の涙を吸う事はなく、ナインズの肩は濡れた。

 

「はは、超えて良いよ。だから、君もきっと誰かを好きになるんだよ。乗り越えていこうね。僕といる事で誰かを好きになれないなんて事はないんだから」

「……うん……。でもヨァナは嫌だ……」

「なんで?良い子だよ?」

「あいつ思い込み強いんだもん……」

「ははは!いいよ、ゆっくり探して行こう。君は誰よりも高貴な──賢王の残した王子だ。僕も君を守る騎士だよ、王子様」

「ナイ様の方が高貴だろぉ」

 

 コキュートスはゆっくり立ち上がると、二人の可愛い弟子を四本の腕で抱き上げた。

「っわ、じい?」

「こ、コキュートスさま」

「私ノ愛スル二人ノ子供達ヨ……。二人トモ自由ニ生キテ良イノダ……。一郎太、オ前ハ愛スル者ヲイツカ見ツケ、子ヲ設ケルノダ。キット、ソノ子モナインズ様ニ──引イテハイツカハナインズ様ノ御子ニ仕エル子ニナル。ソレデ良イノダ。モシオ前ガ望ムノナラ、オ前ノ愛スル者ノ永遠モ、私ガ御方々ニ願オウ。──不死ヲ望マヌ者ト結バレレバ、私モナインズ様ト共ニオ前ノ肩ヲ抱ク事ヲ今誓ウ」

 抱えられる一郎太は冷たいコキュートスを見上げた。

「はは、コキュートス様。なんか俺たちの悩み、前から知ってたみたいな口ぶり」

「じいは何でも見てるんだね。ははは」

 

 二人はぺたりとコキュートスの肩に頭を預けると目を閉じた。

 

+

 

 アインズは鏡から顔を離すと、人の身になった。

 今は無性に声を上げて笑いたい。

「ふふ、はははは。はははは。はははは!」

 隣でフラミーも幸せそうに目尻を下げた。

「良かったです。さすがじいでしたね」

「ははは!はい、本当に。一郎太はいつか、"子孫"を残してくれそうですね」

 無限に最強のミノタウロス兵団を増やすと言うわけには行かないだろうが、期待してもいいだろう。

 クリスも時間を掛けていけば良い。

 彼らはまだ若い。

 

「は〜青春だなぁ」

「ね〜!青春だなぁ〜!」

 

 アインズがうんと伸びると、フラミーがぴとりとくっついた。

 ちらりと見下ろすと、同時に見上げられた。

 変わらない姿の美しい事。

 アインズはフラミーの顔を大切に包み、唇を寄せた。

「俺の青春もいた」

「へへ、私の青春も」

 いまだに新婚を続ける夫婦は子供達の明るい未来に微笑んだ。




おぉ…二郎丸はしょっちゅう訓練してて外にもクリスみたいに出てきてないと思ったら、そんな事になってたんですねえ。
一郎太、ナイ君への愛クソデカやんけ

次回明後日!
Re Lesson#31 閑話 その頃の皆さん
もう皆皆みーんな出します!!


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Re Lesson#31 閑話 その頃の皆さん

「キュータ君に会いたいなぁ」

 

 オリビアは大切なブックマークを手の中でくるりと回し、レオネは手元の本からそっと目を上げた。

「夏休みが明けるまでは出られないそうですものね」

「あぁーん!夏休みの間行くところたくさん考えてたのにー!」

 いつもの作戦会議の喫茶店で、オリビアは机に突っ伏した。

 直接外出できない旨を伝えられたレオネを除く三人の下に手紙が届いたので、今日もバイス組女子四人は集まっていた。

 手紙には「夏休みの間はしばらく訓練が続くから、皆良い夏休みを送ってね」と綴られていた。

 

「あたしも結構考えたのにさぁ。虹の大湖に泳ぎに行こうとか」

 鼻と唇の間に通称目印万年筆を挟んだイシューがいう。

 アナ=マリアなど、どっさりの観光案内パンフレットを取り出した。

「……私も行きたいところ、たくさんあった」

「アナ=マリア、あんたが一番ガチだね……」

「……そう?」

 三人は苦笑した。

 

「──ねぇ、もうわたくし達だけで虹の大湖行きませんこと?」

「……行きたい。夏だし」

「あたし休み取る!絶対行きたい!」

「新しい水着買ってー、おしゃれしてー、お弁当持って行きたい!」

 

 四人はいつ行こうと世界で一番自由な笑顔を寄せ合った。

 

+

 

 時は進み、神都、魔導学院。

 夏休み最終日の今日、魔導学院のパラダイン記念大講堂へは数えきれない人々が向かっていた。

 パラダイン記念大講堂は座席数千を越える施設であり、下手な劇場より余程広い。

 なんと言っても、今日はフールーダ・パラダインの老化を遅らせる魔法の改良版の発表式。

 国中、世界中からそれを聞くために名だたる魔法詠唱者(マジックキャスター)や神官達、権力者が列を成す。

 

 エ・ランテルから出張してきたイビルアイは仲間達と共にいくつも馬車や輿が進んでいく様を見渡した。

 

「──十年前に初めて発表があってからこれで三度目だな」

「あぁ。どうだ?顔ぶれは変わってそうか?」

 武器の持ち込みを禁じられているため、手荷物を預けて身軽になったガガーランが隣に並ぶ。

「馬車を見ただけじゃ分からん。だが、少なくとも十年前と五年前に来ていた奴らはお前達と同じように大して変わらないままで来てるんじゃないか」

 

 イビルアイが振り返ったところには、彼女とリグリットが協力して老化を遅らせてやっているラキュース、ガガーラン、ティア、ティナ──それから、リグリットもいた。

 今でも彼女達は冒険に出続けているが、以前ほど息つく間もない冒険ではない。

 今はどちらかと言うと、若い良い才能を探したり育てたりしている所で、近頃はリグリットと再び行動を共にすることも多い。

 リグリットも参加した新しい蒼の薔薇は、相当難度の高い依頼しか受けなくなってしまっているので日々に若干の退屈さをもたらしている。

 ちなみに、若い才能は主にアングラウス道場とヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンのやっている剣道場で探している。

 

「少し道を開けた方が良さそうじゃな」

 リグリットが顎をしゃくると、ラキュースは振り返り、即座に道を開けて頭を下げた。

 一行の横を魂喰らい(ソウルイーター)の引く白い美しい馬車が行き、その後を州旗を掲げた聖騎士団が続く。

「──あそこは分かりやすいな」

「えぇ。聖知事が乗ってらっしゃるもの」

 神官としてラキュースが敬意を払う相手はかつて聖王女と呼ばれた者──カルカ・ベサーレス。そして、ケラルト・カストディオ。

 彼女達はあまり大声では言わないがかなりの高位階修得者であり、老化を遅らせるこの魔法も自分達で儀式を行い使っているらしい。

 窓からちらりと見えた二人は全く年齢が分からなかった。特にカルカの肌の美しさと言ったらラキュースも羨ましい限りだ。

 

「聖魔女のお通りだな。──ッ!」

 ガガーランが失礼なあだ名を漏らすと、左右から双子がクナイの輪状になっている後部を脇腹にドスンと入れた。

「バチが当たる」

「巻き添えは真っ平御免」

「鎧も着てないのに本気で武器で攻撃してくんな!それより、お前らさっさと荷物を預けて来いや!!入る時に探知されて回収されたらまた目を付けられるだろうが!!」

「ち。これは持っていたかった」

「仕方ない」

 双子が可愛げもなく手荷物預かりの方へ向かっていく。

 

 すると、クラゲのような輿が一台入ってきた。

 触腕のようなカーテンが靡くたびに、中に乗る二人の知事が見え隠れした。

 美しい二人は仲睦まじげに肩を寄せ合っている。

「あれはヒメロペーとテルクシノエと言ったか」

 イビルアイが言う。

「そうね。あの方達も一体何歳なのかしら……」

 やはり年齢不詳。

 

「あ、あのラクダが引いてる絨毯なんかスルターン小国のもんじゃねぇか。──ユーセンチ魔法神官とバーリヤ大司教達だ」

 蒼の薔薇にとっては少し苦々しい思い出になっている砂漠の面々は、蒼の薔薇に気が付くと、やはりあの凶暴そうな牙を向いて笑いかけた。

「は、はは」

 ラキュースが引き攣り笑顔を返す。

 あちらの大神殿からは神の降臨に立ち会った大切な友人だと、年に一度今でも砂漠の特産物がごっそりとコンドミニアムに送られて来ている。

 毎度、まさか太顎砂蜥蜴人(サンドリザードマン)の肉は入っていないよなと目を皿にして荷物をひっくり返している。もちろん、輸入が禁止されているのでそんなものは入っていない。

 こちらからお返しも送っているので、割と付き合いはある方だ。

 

 ティアとティナが戻ってくる頃、ドンッと胸の内から震わされるような太鼓の音が響いた。

「──陛下方か!!」

 イビルアイのテンションがいきなり上がり、面々は苦笑した。

 学院敷地内を進んでいた馬車達が一斉に道を開け、中に乗っていた者達が急ぎ下乗していく。

 蒼の薔薇もその場で膝をついた。

 

 学院の図書館を利用していたらしい学生達が何事かと集まり、教師達に礼を取るように促されているのが見えた。校門で学生証を見せなければ入ることはできないが、学院も別に封鎖されている訳ではない。

 権力者達も来るが、何より講演するフールーダ・パラダイン本人も含め、強者が揃うこの場所を襲えるような生き物は竜くらいしかいない。

 

 校門を潜って陽光聖典達が現れる。

 第三位階の炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)と第四位階の安寧の権天使(プリンシパリティ・ピース)が引き連れられている。

 安寧の権天使(プリンシパリティ・ピース)を見たことがある学生は皆無と言ってもいいかも知れない。

 彼らは道を清めて進んだ。

 

「ルーイン様だ!!あそこ!!」「ニグン・グリッド・ルーイン様!!」「見て!!手を振って下さってる!!」「すげぇー!!"神を連れ帰った男"!!」「本物だよぉ!!」「こないだ、俺なんか講演聞きに行っちゃったよぉ!」「あぁ〜すごいなぁ!」

 

 図書館利用の生徒達が陽光聖典を引きつれるニグンに手を振る。

 ニグンは慈母の如き笑みで手を振り返していた。

 

 様子を見ていたイビルアイは鼻息を荒くした。

「また観劇の季節だな!"降臨する神々"を今年も見にいかなきゃならん!おい!お前達も当然行くだろう!」

「そろそろ"約束の日"だものね。後でラナーとクラリスちゃんも誘っていいかしら?」

「構わんぞ!"約束の日"当日と建国記念日には劇場が混むから、そこだけは避けるようにしてくれ!」

 全ての始まりの日を寿ぐあの日がまた近付いて来ていた。

 

「──む、紫黒聖典も来るようじゃ」

 リグリットの言葉にイビルアイはパッと口を噤んだ。

 紫黒聖典は蒼の薔薇と最も折り合いが悪い。別に喧嘩をしている訳ではないが、彼らの心象をこれ以上悪くすることはできない。

「あれは?」

「さぁ」

 ティナとティアが言うのは、蒼の薔薇のよく知る紫黒聖典四人の後を必死に追う小さな森妖精(エルフ)の少女。

 聖典の鎧を身に付けているわけでもないので、従者か何かだろうか。

 紫黒聖典は一瞬蒼の薔薇と目があったが、生徒達の「オシャシンのレイナース様!」「光神陛下の奇跡の方!」とざわめく学生達へ手を振りはじめた。

 

 そして、ドドン、ドドンと音が変わると、輿が二台入ってきた。

 

「陛下方じゃないの!!」「本当にあれに乗ってらっしゃるんだぁ……」「信じられないよ」「お声が聞けたら良いのに」「ねぇ、あの天使は何?」「あー!この距離なのになー!!」「あれって守護神様よね……綺麗……」

 生徒達がざわめくと、教師達がキツめに注意をし、皆黙って頭を下げた。

 

 輿のすぐ前を行くのは、守護神でありながら宰相としての立場も併せ持つアルベド。輿を担ぐのは獅子の頭をした天使達だ。

「ラキュース、あの天使は何だ。ものすごい力を感じるな……」

 こっそりとイビルアイが言う。

 ラキュースは天使達から放たれる力に頭を押さえつけられるようだった。

「わ、わからないわ……。難度二百は超えそうね……」

「そんなもんに輿担がせてるなんて、やっぱり陛下方はとんでもねぇな」

 ガガーランが呟く。

 

「前の輿と後ろの輿、どちらにどちらがお乗りなんだろうかな……」

「分からないわね」

 

 ふと、秋の空は徐々に湿り気を呼び、細かい雨がぽつりぽつりと降り出した。

 

 後ろの輿のカーテンに薄紫色の手がかかる。

 皆その様子にくぎづけになった。

 開いた輿の中には、骸の神と光の神がいた。

 光の神は杖を天へ掲げ──その身の回りには青白い魔法陣が生まれた。

 

「な、何をされるんだ?」

「しっ。静かにしろよ、イビルアイ」

 

 魔法陣が割れ、ドッと天に光が突き刺さる。

 次の瞬間、雲に覆われ始めていた空は輝きを取り戻した。

 

「……やはり……すごい」

 

 呟き、イビルアイは空を見上げた。

 輝く太陽の下に虹がかかり、あまりにも爽やかな風が吹き抜ける。

 輿のカーテンはゆっくりと再び引かれた。

 

 生徒達は半ばパニックになるような歓声を巻き起こした。

「──しかし、お二人で後ろの輿に乗ってらっしゃったと言う事は……前の輿は?」

「……殿下方か?」

「会場で分かるわね」

 輿が通り過ぎていくと、蒼の薔薇は立ち上がった。

 

 五年前の二度目の研究発表には当然殿下方はいなかった。まだ小学生だったので来ても仕方がなかったのだろう。

 大神殿で開かれる誕生祭に出席する度に大きくなったと感嘆したものだ。

 誕生祭は宗教行事として、神の子が出席しない神殿でも盛大に行われている。

 

 パラダイン記念大講堂の前には長蛇の列ができていた。

 皆最後の手荷物検査を受けて中へ進んでいく。

 

 蒼の薔薇が他に分かるのは、評議国の亜人議員、光の神の旗を掲げる妖精(シーオーク)達の群れ、最古の森のタリアト・アラ・アルバイヘーム、ブラックスケイル州のドラウディロン・オーリウクルス、バハルス州の神官団や三騎士とジルクニフ・ルーン・ファー・ロード・エル=ニクスと嫡男、ザイトルクワエ州の神官団とラナー・ティエールとその娘のクラリス、各地の権力者達だ。

 後は第四位階もの高みに上り詰めた弩級の冒険者達や魔術師組合の面々も揃っている。

 ──第五位階を扱える者は非常に少ない。それでも、学校の発展や魔法文化の発達で以前よりはそこに手のかかりそうな者が何とか増えてきている。

 

 美しいアーチの廊下を通り抜け、蒼の薔薇一行は比較的前の方の席を確保できた。

 席に着くと、リグリットは分厚い──もはや本と呼んだ方が正しいようなノートを取り出した。

「さてさて、今回はどれほどの成果が上がったかな」

「リグリット、お前も魔導省の研究に参加したらどうなんだ。お前の編み出したオリジナルスペルの方が十年前の時点では優秀だった。儀式も必要ない」

 フールーダはリグリットとほぼ同い年だが、かの魔法詠唱者(マジックキャスター)の方が幾分も老いていたことからもそれははっきりしている。

「だが、私のものは対象が自分自身じゃ。パラダインが分岐させた新たな魔法とは全く性質が異なる。大神殿やセイレーン州の水鏡の間に行って儀式をしなくちゃならなくても、他者に掛けられると言うことは大きい」

「それはそうか。この魔法のおかげでラキュースは未婚を嘆く時間が短くなったしな」

「ちょっと。うるさいわよ」

 イビルアイとリグリットが肩をすくめていると、一番前の誰も座っていない列に聖典達が座り始めた。

 そして──扉を潜って来たのは神々。

 

 以前は一番後ろの席から見ていたようで姿など見えもしなかったというのに、あまりにラッキーな状況にイビルアイはふんふん鼻息を飛ばした。

「み、見ろ!あんなにお近くに!!」

「分かった分かった。いいから座らんか」

「だ、だがご挨拶に行かなきゃ失礼かもしれん!!」

 相変わらずの神王熱にリグリットはお手上げという様子で、ガガーランと席を変わった。

「取り押さえておれ。こんな調子で本当に講義をまともに聞けるのか心配になるわい」

「ははは!任しといてくれ」

 イビルアイが興奮する中、ラキュースは目を凝らした。

「……やっぱり、殿下方もいらしてるみたいだわ」

 

 長い銀髪をひとまとめにくくり、太陽のような瞳を少し伏せた青年。それから、やはり銀髪をおだんご状にまとめた光の神の生き写しのような乙女。

「殿下方、初めてお顔をちゃんと見たわ……」

 表にほとんど姿を現さないアルメリアはナインズと違い子供の頃から姿をきちんと見たことがある者はごくわずかなことはもちろん、ナインズも表に出てくる時にはいつも仮面を着けていたので顔を見たことがある者はごくわずかだろう。

 アルメリアはどことなく儚げな表情で、無性に庇護欲を掻き立てられた。

 ナインズが丁寧に椅子に座らせてやると、花のように笑った。

「……ありゃすげぇ()()の二人だな。両陛下のミックスは伊達じゃねぇ」

 イビルアイを膝に抱えたガガーランが呟き、ラキュースは頷いた。

 アルメリアはナインズが開いた分厚いノートを覗き込み、その耳に口を寄せてひそひそと何かを話すと二人おかしそうに笑った。

「……なんだか甘い雰囲気の兄妹ね。はぁ……私はもうああいう空気を吸わないまま老いていくのかしら……」

「老いにくいようにしてる内にまた冒険者組合にふらりと遊びに来るモモンに話しかけるしかねぇな。それとも諦めたか?そろそろモモンなんかはいい年したおっさんだろ?」

「私達みたいに老化を止めてればおっさんじゃないわよ。私はまだまだ諦めないんだから」

「やれやれ、イビルアイもラキュースもよく飽きないもんだな。……はー、俺もまたそろそろ童貞でも食わないと枯れちまうなぁ……。殿下が童貞なら俺が筆おろししてやるってのに」

「……ちょっと、頼むから変なこと言わないで」

「うまそうだよなぁ。あの綺麗な顔でひいひい言いながら搾られる所が想像できる。それともああ見えて──」

 ガガーランの顔にラキュースのグーパンチが炸裂する頃、フールーダ・パラダインと高弟達が登場し、講義は始まった。

 

+

 

 フールーダの講義が終わると、アルメリアはまたナインズのノートを覗き込んだ。

 

「──お兄ちゃま、面白かったですか?」

「うん。面白かったよ。リアちゃんも面白かった?」

 ナインズは引きずる長さのローブを払って足を組み、ノートをアルメリアに差し出した。

「私はあんまりよく分かりませんでした。これは、一郎太のためにやってるんですよね?」

「そうだね。僕がこれを使えれば、一太がいつか想うかもしれない人が考える時間を伸ばしてあげられる。それに、不老の術や父様の逆行魔法が完成するまでの時間稼ぎにもなるからね」

 

 ノートをペラペラとめくっていくアルメリアの様子を見ながら、ナインズは頬杖をついた。

(ただ、お金も稼がなきゃな……)

 

 全部で五つの儀式を組み合わせた凄まじい魔法で、用いる二つ目の儀式には第五位階の<死者復活(レイズデッド)>の理論の転用のフールーダオリジナルスペルがあった。

 転用元が転用元なので、儀式には大量の金貨が必要となる。

 ナインズは自分が小遣いをもらって生活する子供ということに苦笑した。

(……公務を増やしてもらうか……依頼バイトしてみるかなぁ)

 少し前に、生徒が麻薬を運ぶようなことがあったと全校集会が開かれ、教員達が大変怒っていたのを思い出す。

 

 周りでは大人達が続々と席を立ち、今回の改良術式の素晴らしさを讃えていた。これ程複雑だと言うのに、随分簡略化されているようだ。

 父母に挨拶に来る多くの人々がナインズとアルメリアにも挨拶をしてくる。

 アルメリアは頷くことでそれに応え、ナインズも軽く手を挙げて応えた。

 その中に、馴染みの二人を見つけ、アルメリアはナインズと立ち上がった。

 

「──サラ!」

「アルメリア様!」

 

 二人が駆け寄り合う横で、クラリスがゆっくりとナインズの下へ歩み寄った。

 ナインズの耳にはミシリ、と骨の軋む音が届いた。

「ナインズ様。ご機嫌麗しゅう存じます」

「──あ、あぁ。クラリスも来てたんだね。あの後ナザリックに呼んだりもできずに悪かったね」

「いえ、とんでもありません。お体の方はもう?何か、祈りがうるさくてかなわないとか……」

「よく知ってるね。もうすっかりいいよ」

「アルメリア様から伺っておりましたので。でも、もうよろしいなら何よりでございました。顔色も良さそうです。そういえば、本日は仮面は?」

「うん。ここには学院の子達含め、一般の人はこないからね。行き帰りも輿だしさ」

「ふふ、そのお顔を見られるなんて今日は付いていましたわ。本当に美しいです」

「ははは、君ほどじゃないよ」

 ナインズの隣に並び、幸せそうに微笑んだクラリスは共にアルメリアとサラトニクを眺めた。

 

「──アルメリア様、お元気そうで何よりです。いかがお過ごしでしたか」

「私は変わらず元気です。もう少しで空も飛べそうなくらい。だと言うのにお前の手紙はいつも忙しい忙しいとそればかりで。もう私のことなど忘れたかと思いました」

「ご冗談を。一日たりとも忘れた日などございません。私の瞳が紫でいるうちはあなたを写し続けている証拠です」

 選ばれた皇帝が持つアメジストの瞳を細め、サラトニクは微笑んだ。父ジルクニフよりも垂れた目元は優しげで、裏も表もない絵に描いたような好青年に見えた。

「では、お前の目が白くならないようにしなくちゃいけません。今日の話もよく分からないなどと言っている場合ではありませんね」

 二人の両手が触れ合うと、メキメキと音が鳴り、ナインズは流石に苦笑してそちらを見た。

 

「──父様、落ち着いてください」

「──何のことだ?」

 

 挨拶に代わる代わる人が訪れていたが、人並みを掻き分けるように慌ててジルクニフがアインズに駆け寄った。その後を執事のエンデカと三騎士も続く。

「神王陛下、光神陛下。いつもサラトニクが大変ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」

 十年前から老化を遅らせるジルクニフは父や州知事としての貫禄はあるものの、くたびれた感じはしない。

 そっと、その隣にラナーも並ぶ。こちらはもはや、クラリスと姉妹と言われても疑問を抱かないような様子だ。

 

「神王陛下、光神陛下。うちのクラリスも随分ナインズ殿下にお世話になっているようで。本当にありがとうございます」

 ラナーも頭を下げると、フラミーは嬉しそうに頷いた。

「こちらこそ、皆がそばにいてくれてうちの子達は幸せです。おかげでナインズもアルメリアも少しづつ大人になって来たように思います」

 

 大人達が大人達だけで話を始め、アインズは彫像のようになり話に耳を傾けているようだった。

 

「──神王陛下はサラトニク様では不服のご様子です」

 クラリスが微笑んだ顔のままで言うと、サラトニクも負けじと微笑み返した。

「万が一そうだとしても、いつかご理解いただきます」

「あらあら、うふふ。怖いですわね。神を説き伏せようとでも仰るのかしら」

「クラリス様は誤解されているご様子。私は何も説き伏せるなど。見ていていただければ、ご理解いただけるはずですので。クラリス様こそ、その場にそのように収まってらっしゃいますが……いささか不敬では?」

 

 この二人、笑顔のままだと言うのにたまに仲が悪かった。

 ナインズの隣に当然のように並んでいたクラリスは「あら、つい」と頬を赤らめた。

「……魔女ですね。ナインズ兄様、それは魔女ですよ」

「あらあら、うふふ」

 パチリと二人の間に火花が散った。

 その間にアルメリアがそっと身を置いた。

「クラリス、サラ。あまり喧嘩をするんじゃありません。二人とも私には必要です」

「失礼いたしました。ただ、たった十四の賢いばかりのおぼっちゃまよりも、御身には良い人がいるのではないか、と思ってしまいまして。うふふ」

 

 クラリスの様子を見ているラナーは「あらぁ〜」と困り顔を作っていた。その隣のジルクニフはさも胡散臭いものを見るようにしていて、サラトニクもそれに連動するようだった。

 

「クラリス様、では誰ならよろしいんでしょうか?一度教えを乞いに行きたいところです」

「私もサラトニク様がナインズ様に勧められるのはどんな方なのかじっくりお聞きしたいものです。どなたならよろしい?」

「あなたみたいな、魔女が聖衣を纏った様な女でなければどなたでも安心できるとも言えます。ナインズ兄様の清廉さにあなたは付いていけないでしょう」

「両殿下の崇高なお考えに至ることができないご様子だと言うのに。うふふ、以前アルメリア様がスルターン小国にお出かけになった時に見た家畜の話を聞いたとき、お顔が青くいらしたように思いますわ」

「陛下方の定めた法の外にいる生き物の存在を哀れに思う事がそんなにおかしいかな。あなたは全ての生き物を役にも立たない虫けらのように思われているようですが」

「まぁ、そんなことはありませんわ。でも──もしそうだったとしたら、ナインズ様、アルメリア様、いけませんか?」

 

 ナインズはクラリスから伸びる祈りの糸に少しだけ興味を持ったが、友人の祈りは二度と聞かないと決めている。

 それを聞くのは父母に任せればいい。

 

「生き物としての役割を果たす者と愚かでない者は私は好きです。お兄ちゃまは?」

「いけなくないけど、神にはただ黙って教えを信じる教徒が必要だろう。他者の事を祈る事や、教えを守る事で維持される幸福は事実たくさんある。……なんて言ったら、君達は怒るかな」

 

 サラトニクとクラリスは一瞬呆け、二人してよくあった呼吸でパチクリと瞬きをした。

「い、いえ。私もナインズ兄様と同じように思います。私の父は皇帝を受け入れなかった者達を粛清した──鮮血帝とも呼ばれた男です。この世を綺麗事の内に収めるために必要な事はごまんとあると思っていますが……」

「私もナインズ様と同じように。ですが……御身は少し変わられましたか?」

「どうかな。──リアちゃん、僕は変わったかな」

「いいえ?お兄ちゃまの本質は昔から絶対者です。まぁ変わっていたとしても、私はお兄ちゃまが一番好きです!」

 アルメリアはナインズの胸に飛び込むと、顔を擦り付け猫のように目を細めた。

「はは、ありがとう。僕も君を愛しているよ」

 ナインズがアルメリアの髪を掬って口付けると、クラリスとサラトニクはそれぞれ最強のライバルの存在に互いを見合わせ、先ほどまでの犬猿の仲を忘れさせる面持ちで互いの肩を叩き合った。

 

 この兄妹、相変わらずいささか仲が良すぎるらしい。

 

「──へ、へ、陛下!!」

 ふと興奮した少女の声に四人の視線が集まる。

 それは誕生祭にもよく顔を出してくれていた冒険者──蒼の薔薇だった。

「イビルアイ、変わりないようだな」

「は、はい!今度仲間達やラナー、クラリスと一緒に"降臨する神々"を見に行きます!!御身の活躍は何度見ても素晴らしいです!!」

「……そうか。それは、あの劇だな。……建国記念日には毎年私達もあれを見る事が恒例になっている……」

 父は一瞬遠い日を思い出すような目をしたが、すぐにハッとナインズへ振り返った。

「──ナインズ、毎年の建国記念日の式典は覚えているか?」

「はい、父王陛下」

 子供の頃初めて見に行って以来、毎年建国記念日にはあの劇を見ている。よほど懐かしく思うのか、両親はいつも目元を抑え、自分を抑えるように感動している。

 

「では今年の建国記念日の観劇と祭典はお前が取り仕切れ。挨拶も任せる。──良いですよね、フラミーさん」

「それはもうもちろん!でも、大丈夫?」

 

 フラミーは心配そうにナインズを見ていた。ナインズには明日からまた学院生活もある。

 ナインズは守護者達がするように父母の前へ向かい、跪いて頭を下げた。

「完璧に成し遂げます──とは言い切れませんが、お任せください」

「……お前はそんな真似をしなくて良いと言っているのに。だが、信用しているぞ。困ったことがあれば神官や守護者に相談すると良い」

「はい」

 

+

 

 アインズとフラミーは半分スキップしながら部屋に帰った。

「──やった!やりました!!」

「やりましたねー!!」

 あの地獄の羞恥劇から解放されると思うだけでアインズは小躍りしたい気分になっていた。挨拶も毎年記録が取られていて昔のものからの使い回しはできないので大変辛かった。

 帰ってきてから、ナインズはパンドラズ・アクターと共に一生懸命それまでの式典の記録に目を通し初めていたし、何の心配もいらない。

 

 何ならアインズがやるより良いんじゃなかろうか。

 いつも立派すぎる祭典に、こんなに神殿の予算を使って良いのかなと不安になっていたし。

 ナインズなら流されずにちゃんとやってくれそうだ。──が、ナインズが自ら率先して大変豪華に立派すぎる祭典を開くのはまた別のお話。

 

「──さぁ、一つ仕事も無くなったし、休みの時間を満喫しなくちゃなぁ」

 鼻歌混じりでフラミーを抱えて頬擦りをする。

 新婚の頃と何も変わらない様子でついばみ、メイドやら八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達にしっしと手を振る。

 背のリボンを引っ張ろうとするとフラミーはアインズを見上げた。支配者は大変ハッピーそうだった。

「あ、あのぅ、多分ナイ君相談にきますよぅ」

「ふふふ、平気平気。パンドラズ・アクターがいれば大丈──」

 

 しっかり部屋にはノックが響いた。

 

 支配者はいつもタイミングが悪い。

 ギギギ、とブリキの人形のような動きで扉へ振り返った。

「……誰だ」

 扉が開くと、ひょいと顔を見せたのはナインズだった。

「父様、ご相談いいですか?」

「……五秒待ってから入りなさい」

 フラミーは「ね」とこてりと首を傾げた。

「……くそー……」

 すぐさま骨になり、全ての欲求が失われる。

 余裕を持ったのか、三十秒程度でナインズは再び扉を開いた。

「失礼します」

「どうした……。パンドラズ・アクターでは足りないか……」

「いえ、兄上は色々教えてくれて助かってます!──それより、僕、もしかして今お邪魔でした?」

 ナインズもこてりと首を傾げる。あまりにもフラミーに似た動きだった。

 アインズはふと子供の頃を思い出した。

 

 

『アインズさん!ばんざーいして、ばんざーい!』

『はい?万歳』

『えーい!』

 万歳をしたアインズの両手から服がスポンと抜かれる。

 フラミーは大笑いをすると、アインズにぶつかるように抱きついて目を閉じた。

『ふふ、良い子の二人はもうねんねです』

『大人はねんねしなくていいんですか?』

『しませーん!』

 アインズが笑ってフラミーからも服を脱がせると、ガチャリと扉が開いた。

『僕、夜だと……おしっこできない……』

 目をうるませたナインズはわざわざフラミーの寝室から必死にアインズの寝室まで歩いて来たらしい。手を繋ぐメイドが焦って汗を飛ばしていた。

『お、おしっこだな!うんうん!おいで、九太』

 慌てて布団をフラミーに被せて、メイドに謝られながらナインズが用を足すのに付き合う。

 フラミーは苦笑し、アインズが戻るのを待った。

 しばらくすると、『……ね、ねんねしました』とアインズは転移門(ゲート)をくぐって来た。

『油断も隙もない……』

『ですねぇ』

 そろりとアインズがベッドに膝をつく。

『もう大人もねんねかなぁ』

『それは少し悩みます』

 翼の間に口付けをすると、フラミーは顔を赤くし──扉がガチャリと開いた。

『お母ちゃま……?』

『は、は〜い』

『羽がないのです……。にぃにしかいないのです……』

 アルメリアが言うと、二人は目を見合わせて苦笑した。布団に乗るローブを羽織る。

『<転移門(ゲート)>』

『おいで。皆でねんねしようね』

 頷くアルメリアを連れて、フラミーの寝室に戻る。

 ナインズが寝ているベッドに上がり、アルメリアは翼に包まれてすぐに寝た。

 翌朝、ナインズは『僕、お父様のお部屋までおしっこ我慢した夢見たよ!』と嬉しそうで、アインズはうんうんと何度も頷いた。

 

 

 アインズは一ミリも憎めない息子にソファの席を勧めた。

 一人でおしっこもできるようになったと言うのに、息子よ、なぜなんだ。

「……お前が邪魔だったことは一度もない。多分。──で?何だ」

 パンドラズ・アクターに答えられないことに自分が答えられるだろうか。

「ちょっと現金な話なんですけど…………今回のこれ、お小遣いもらえるかなぁって」

 アインズは骨の身で瞬いた。

 彼の意図がいまいちよく分からない。

「九太は金が欲しいのか?」

「すみません。任されたのはそれが全てなわけじゃないんですけど……」

「あ、いや。そう言う意味じゃない。お前がこれをやるなら、夏草海原や最古の森に公務に出る時と同じようにちゃんと給料は払うつもりでいるが」

 いわゆる王太子なんかが年間に自由にして良い金を参考にして時給を渡しているのでかなりの額だ。

 アインズとフラミーも月三十万程度のサラリーマンの平均的な給料を形状自分たちに出しているが、ブラック対策なだけで子供達に小遣いをやるくらいしか使っていない。あとはたまの放浪じみた旅行か。

 

「ありがとうございます!良かった。僕頑張ります!」

「うむ。ナザリックはホワイトだからな。それより、何か欲しい物があるのか?公務の分も合わせれば結構金はあるんだろう?」

 ナインズは莫大になりつつある宝物殿貯金にほとんど手を付けていない。放埒の旅で少しは消費したようだが。

「思ったより儀式に使うお金が高くて。もっとお金貯めないと、一太が使いたい時に間に合わないかなって思ったんです」

「あぁ、一郎太に使う分か。そんなものナザリックから出すから気にしなくて良いぞ。ねぇ、フラミーさん」

「ですね。いっくんの不死はお母さん達からもお願いしたいくらいだからいいよ」

「はは、ありがとうございます。あとは一太に好きな人ができた時のためなんで、僕の小遣いからもやっぱり出します。気にしないで下さい」

 

 アインズとフラミーは目を見合わせ、二人して頬をかいた。一郎と花子のためにわざわざナザリックの財を投げ打つことはない。一郎太の相手は立場的にはそれに当たるだろう。

 ただ、息子がせっせと働いた金の使い道が友達や友達の恋人に消えるというのは何とも親としては複雑だった。

 

「──それから、もう一つ質問なんですけど……今日の話の中に第五位階の<死者復活(レイズデッド)>の転用魔法がありましたけど、第七位階の<蘇生(リザレクション)>から転用するんじゃダメなんでしょうか?少しでもお金減りそうだなと思うんですけど」

 アインズとフラミーに儀式はできない。名前と使用魔力を変えた弱体化しただけの生活魔法と違い、フールーダオリジナルスペルは新たな魔法習得にカウントされる。

 しかも儀式で魔法を使うというものもよくわからない。

 

「できるんじゃないのか?お前は第九位階の<真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)>を使うようにもなるだろうし、そうしたら金は必要ないはずだ。お前の金はお前が使える。焦って全部一郎太達のために使おうなんて考えなくていいぞ」

「何だ、良かったぁ。依頼バイトもしなきゃいけないかなって少し考えてたんですけど」

「やれやれ、人が良すぎるな。悪い人間に騙されないようにしろよ」

「はは、多分大丈夫。ちなみに<死者復活(レイズデッド)> から<真なる蘇生(トゥルー・リザレクション)>のスペル組み替えのやり方って……」

「……詳細はフールーダのところに行って質問して来なさい」

「はぁい。やっぱり低い位階の話だし、父様と母様じゃ興味もないですよね」

「……いや、父ちゃんは儀式とかしないから分からないだけだって」

「お母さんもそうだよぉ」

「父様達にはそんな物必要ないですもんね。老いても赤ちゃんに戻せば良いですし」

「そうじゃなくて──」

「大丈夫、分かってます。じゃあ、お小遣いはまた兄上のところに貯金しておいてください!また使い道なくなっちゃったけど」

 ナインズは「失礼しまーす」と軽やかに立ち去っていった。

 

「……フラミーさぁん。息子のやつ、自分が立派すぎて親まで立派だと思ってますよぉ……」

「立派の反対の親二人揃ってるのにねぇ。リアちゃんも立派な親二人だと思ってるし」

 

 アインズはフッと瞳の灯火を消した。

「……花ちゃんにはそう思われてて良いです。父を超える男じゃないとお嫁には行かせないって言うんで」

「サラ君なら良い気もしますけどねえ」

「まだ十四ですよ!?サラトニクに決めるには早すぎますし、決まったとも限りません!!」

 妙な迫力だった。

「まぁ、そうですね。でも、サラ君でもない変な子連れてきたら嫌だなあ」

「く……サラトニクも九太くらい立派になったら考えます……。でもあの極地に至れるやつなんかそうそう居ないですからね……」

「ははは、多方面に親バカぁ」

 

+

 

「──っクシ。……何だろう。悪寒がします」

 サラトニクは鼻の下をかいた。

「良いから早く乗ってしめろ。それより、サラトニク。お前はアルメリア様に馴れ馴れしすぎるといつも言っているだろうが。手なんか触ったりするんじゃない」

 馬車の中からジルクニフが小言を言う。サラトニクが乗り込むと、エンデカがそっと扉を閉めた。

 

「父上、私は本当ならナインズ兄様がされるように抱きしめてどこかに口付けたいくらいです。よくやっていると褒めてください」

「……聞かれたらお前の首も私の首も飛ぶ。間違っても許可を得たからと言っておかしな真似は起こすなよ」

「大丈夫です。大人になるまで我慢できないほど子供じゃあありません」

 ジルクニフは爽やかな笑みを浮かべたままのサラトニクの胸ぐらを掴むと、よく似た顔でサラトニクを睨んだ。

「大人になってもに決まってるだろうが……!どこかでちょうど良い娘を見つけて来てやるからやめろ……!」

「そんな娘はいませんよ。見つけて来ていただいたところで父上の後宮に入りっぱなしの女達と同じになってしまいます」

 この父にしてこの子。

 鮮血帝見習いは動き出した馬車の中でも笑みを絶やすことはなかった。

 

 そして、一瞬隣り合った馬車を見るとジルクニフは呟いた。

「まぁいい。……少なくとも、ああ言う女に引っかからないだけはましだ」

「……ああ言うとは?」

 くん、と顎をしゃくる。サラトニクは外を確認すると笑った顔のまま、どこか冷めたように「あぁ」と声を上げた。

「──ドラウディロン・オーリウクルス。嫉妬に狂い女神を消そうとした元女王、ですね」

「悪魔召喚なんか絶対にされるなよ。超優等生のバハルス州の名に傷を付けるな。神都、エ・ランテル、アーウィンタールと言ったら別格の都市だ」

「同感です。それにしても、クラリス様が手強くて参りますよ」

「あれは母親が……あれだからな」

 男は二人で苦笑した。

 

+

 

「……また大して話せなかったな。挨拶くらいで」

 ドラウディロンは帰りの馬車の中でため息を吐き、向かいに座る宰相は呆れたような目をしていた。

「結局、陛──オーリウクルス様は講義はちゃんと聞いてたんですか?出席も三回目ですけど」

「聞いていたが全く分からん。まぁ、老いを遅らせなくても私はもとから老いるのが遅い。時間はまだまだある。位階魔法も得意になってきているしな。また勉強していくさ」

 ドラウディロンはフンスと鼻息を吐いた。

「陛下目的で来ているようにしか見えないんですが……」

「う、うるさい。──そうだ、お前!あれは誰にも言っていないだろうな!?」

「……何をですか」

「あの時のことだ!口にするのも悍ましい!!」

「……言いませんよ。悍ましいはこっちのセリフです。私はこの歳だっていうのにみっともない……」

 

 宰相とドラウディロンは酒の勢いで過ちを犯した。度々酔っ払う二人だったし、若い頃にはそう言う間柄ではないかと噂されることもあったが、これには流石に参った。

 宰相もドラウディロンも自分への落胆で数日寝込んだらしい。

 ドラウディロンは全てが敏感すぎる祖父の七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)に情事を嗅ぎ取られ、相手がアインズでないと分かった瞬間大変怒られていた。

 祖父は相手をナインズに変えても良いと言うが、十六のおぼっちゃん相手にそれは難しい話しだ。

「く……お前といると吐き気がする」

「こちらのセリフなので、好きに言っててください」

 二人はフンと顔を背け合った。

 

+

 

「はぁ〜!嬉しいわぁ〜!」

 一方、パラダイン記念大講堂でいつまでもケラルトと共に美容ノートを突き合わせていたカルカは幸せの吐息を漏らした。

「むっふっふ。これでまた美しいままでいられますね」

「素敵なお婿さんを見つけるまでは絶対に老いれないわ!ケラルト、ここが難しそうだから儀式の時にはあなたに任せるわね!」

「お任せください!カルカ様も私の時にはよろしくお願いします!」

 肩を寄せ合いきゃあきゃあ言っていると、いくつか前の席を立った上位森妖精(ハイエルフ)と目が合った。

 

「──あ」

 カルカは途端にぴんと背を伸ばして頭を深々と下げた。

 彼は全てが真っ白で、半分上げられている髪からは長い耳が見え隠れしていた。

(……あの肌艶、羨ましい限りだわね。タリアト・アラ・アルバイヘーム様)

 普段は大陸が違うのであまり話す機会もないが、旧エルサリオン王国は旧聖王国を襲撃した過去がある。

 二人は当然顔見知りだ。

 タリアトはわざわざ席を避け、カルカの前まで来ると深々と頭を下げた。力関係が窺われる行動だった。

「ベサーレス州知事殿。ご無沙汰しております」

「こちらこそ。アルバイヘーム閣下もお元気そうで何よりですわ」

 二人の間に若干気まずい雰囲気が流れる。

「……ベサーレス州知事殿も老いの堰き止めに?」

「あ、はい。少しでも長くお仕えできればと。アルバイヘーム閣下も?」

「えぇ。私は元から老いを遅めておりますが、学びもあるかと。パラダイン老のものは私の使う魔法とは全く異なるので」

「お肌、美しいですものねぇ」

「いえ、ローブルの至宝ほどでは」

 

 カルカはパッと顔を明るくすると聖女の笑みを浮かべた。鬼気迫る美容家としては嬉しい限りの言葉だ。

 

「まぁ、嬉しい。もし、今度良かったらお茶にでもいらしてください。閣下の魔法の力があればきっと一層素晴らしい美容魔法も作れますわ!」

「ふふふ、そうですね。では、近々是非。予定を確認して手紙を送りましょう。──ジークワット、行くぞ」

「は」

「ナインズ殿下ともゆっくり話せたし、良い時間だった」

「えぇ、本当に。ジェンナ・ベヘリスカも連れてきてやるべきでした」

「気にされていたね」

 

 女性にも見えるほど美しい元王は近衛と共に大講堂を後にして行った。

「むっふっふ。ナンパ、成功じゃないですか」

 ケラルトからいやらしい笑いが上がる。

「え、えぇ?今のはそう言うんじゃ……」

「良いじゃないですか、相手として不足はありませんよ」

「うーん……そう……?でも、上位森妖精(ハイエルフ)は血の混ざりを嫌うわよ?」

「それを乗り越えてこそです!デミウルゴス様より余程芽はあります!春を目指しましょう!!」

 カルカはそんな簡単に、と苦笑した。

 

+

 

「ただいま帰りましたわ、お父様」

「クライム、クライム!帰りましたよ!」

 

 二人の黄金が家に着くと、クライムは幸せの顔を上げた。

「おかえりなさいませ、ラナー様。おかえり、クラリス」

「よう、姫さん、嬢ちゃん」

「あ、お邪魔してます。おかえりなさいませ」

 家にはブレイン・アングラウスとペテル・モーク。

 三人とも良い年をしたおじさんだ。

「いいなぁ、クライム。姫さんは老いない黄金だ。お前もじいさんになる前に老いなくしてもらった方がいいんじゃねぇか?」

「うふふ、ブレインさん、老いない──ではなく、老いを遅くしているだけですけれどね。もっと言ってやってください。クライムったらお金もかかるし良いって聞かないんです。絶対に離れないと誓ってくれたのにおかしいですよね」

 エ・ランテルにはこの儀式が使えるほどの──第五位階まで納めているような──超高位神官はいないので、儀式に消える金と、魔導省に払う金と、大神殿に払う金と、術を掛けるフールーダ──乃至は蒼の薔薇に払う金を用意しなくてはいけない。文字通り莫大な富が必要だ。

 すっかりおじさんになり始めているクライムにラナーが寄り添う。

 クラリスもクライムにぴたりと寄り添うと目を閉じた。

「お父様がいない未来など嫌ですわ」

「ク、クラリスまで……。私はラナー様の剣であって、二人のように特別な人間なわけでは……」

「私が特別なら、お父様も特別ですわ」

 

 十七の娘にこんなに懐かれる父親も珍しい。

 クラリスは可愛い子犬のような父が大好きだ。

 ペテルは「いいなぁ」と呟いた。

「──何だよ、お前だって娘はいるだろ。ニニャさんもいるし」

「……エルミーニャももう十三ですし、段々距離を取られてきてますよ」

「はー。育ちが出ちまったな、そりゃ。義姉さん──ツアレさんのとこのはどうなんだ?あんまりセバス様にそういう話は聞かないが」

「あぁ、クリスちゃん?そりゃセバス様と何の変哲もなく普通に過ごしてますよ。従姉妹だしたまにエルミーニャに会いにきてくれますけどね。一つしか違わないのにあっぱれですよ」

「はははは!それも育ちが出てんなぁ!」

「余計なお世話ですよ……。ニニャの育て方は間違ってるはずないんだから」

 

 ペテルはぶっすりと頬杖をついた。

 

+

 

 夕暮れ時、分けてもらった神都土産を手にペテルは帰路についた。

「ただいまー」

「おかえり、ペテル。──うわ!お酒くさいなぁ」

「へへ、飲みすぎた。ニニャ、ラナー様とクラリスちゃんが神都に行ったって土産をくれたよ。エルミーニャは?」

「クリスちゃんと部屋にいるよ」

「あ、クリスちゃん来てるんだ」

 

 ニニャは長い栗色の髪を一つに結くと、ペテルの持って帰ってきた包みを開いた。

「──すごい!ケーキと焼き菓子だよ!エルミーニャとクリスちゃん呼んでもらって良い?」

「ほいほい」

 ペテルは自分の身なりが守護神の娘に対して失礼に当たらないかを十分に確認した。

 彼女はエルミーニャの従姉だが、ただの小娘とは言えない。

 昔はコンドミニアムに暮らしていたが、今はアングラウス道場でもらえる給料を貯めて手に入れたマイホームだ。

 二階に上がり、扉を叩く。

『はーい、どうぞー』

 エルミーニャの返事を聞くと、ペテルはそっと扉を開いた。

 おかっぱの茶色い髪が揺れる。エルミーニャは明らかに落胆したような雰囲気だった。

「なんだ、お父さんか」

「──ペテルさん。こんばんは!」

「クリスちゃん、いらっしゃいませ。さっきクラリスちゃんの所で神都のお土産を分けてもらって来たんだけど、一緒にどうかな?クリスちゃんには神都のものなんて珍しくもないと思うけど」

「ありがとうございます。いただきます。ミニャ、行きましょう!」

「そだね」

 

 エルミーニャがうんと伸びる横で、クリスはてきぱきと部屋の片付けを進め、空のグラスをお盆に乗せて立ち上がった。

「え、エルミーニャぁ。自分でやりなよぉ。クリスちゃんにやらせないでさぁ……」

「いえ、気にされないでください!」

「えへへ、クリス姉様ありがとぉ」

 

 二人が仲良く部屋を出てくると、ペテルは空気になる前に尋ねた。

「今日は二人は何してたの?」

蓄音機(グラモフォン)と言う魔法道具を最近お父様にいただいたので持ってきて一緒に音楽を聞いていました!」

 それは近頃出た大変流行りの魔法道具だ。

 大きなラッパのようなものがついていて、音楽の込められた魔法石を設置するとラッパから音楽が流れる。

 高価だが、家に一つあるだけで劇場に行ったようだと手に入れている人は多い。たまに窓から音楽が漏れ聞こえて来たりすると何となく胸がキュッと熱くなる。

 割と大きい代物だろうが、ドワーフの皮袋などに入れて持ってきてくれたのだろう。

 

「おしゃれな事してるねぇ〜」

「ふふ、殿下方なんてよく二人で踊ってらっしゃいますよ!」

 そりゃますます洒落てるな、なんて苦笑する。

 ペテルからしたら、クリスやラナー、クラリスの存在すら別世界だ。よく自分がそこの集いにちゃっかり身を置いているものだ。

 平凡な冒険者だった自分がこうして物語の主人公のような立ち位置にいられるのは全てこの二人のおかげ──。

 廊下には冒険仲間だったはずの女神の写真と、モモンからの手紙が貼られていた。

 

「──エルミーニャにも蓄音機(グラモフォン)買ってやろうか」

「ほんと?」

 半分無視を決め込んでいた娘が期待いっぱいの顔を上げる。

「今度見に行ってみよう。あんまりたくさん蓄音石(レコード)は買ってやれないと思うけど」

「う、うん!一個だって良いよ!嬉しい!!」

「良かったですね、ミニャ!」

「クリス姉様のおかげ!ありがとう!」

 

 一階に着くと、晩御飯の前だと言うのにニニャがお茶の用意をしてくれていた。

「──蓄音機(グラモフォン)買うって聞こえてたよぉ」

「お母さん、だめぇ?」

「良いよ。その代わり、お父さんとお母さんは三日くらい冒険に行って臨時収入を稼いでこなきゃいけないから、一人でちゃんと暮らしてね」

「分かった!ふふ、ニニャ・ザ・術士(スペルキャスター)の再来だね!」

「そんな良いもんじゃないよ。さ、皆どうぞ」

「失礼します!」

 クリスはちょこりと席につくと、ケーキとクッキーを見て年相応の笑顔を見せた。

「このお店!マスコンパスですか!」

「え?うん、有名なお店?」

「はい、私たちの中では有名なお店です!ナインズ様がよく行くお気に入りだって一郎太くんが言ってました!きっとクラリス様が選んだんですね!」

 

 殿下のお気に入り。

 三人は会った事のない雲の上の人が好きなものと聞くと目を見合わせ、ごくりと喉を鳴らした。

 

「いっただきまーす!帰ったら一郎太くんとじろちゃんに自慢します!──あ、ナインズ様の話はご内密に願います」

 

 クリスはパクパクと念願のカフェのケーキを口に運んだ。

 

 一家はその話は当然誰にもしなかったが、神都の方へ旅行に行った際には必ずマスコンパスに立ち寄ったらしい。

 

+

 

 同日、真夏の太陽の下。

「……それで、なんで僕たちまで荷物持ちなのさ」

 カインは湖に着くとどっさりと荷物を置いた。

「カイン様、大丈夫ですか?」

 年々ムキムキになってきているチェーザレに見下ろされる。

 ロランとリュカもそれぞれ荷物を抱え苦笑していた。

 エルミナスと女子達はほとんど手ぶらで、着替えると言って立ち去って行った。

 

「明日から学校だってのに……」

 皆が神都にいる今日にしようと言われたのでほいほいと出てきてしまった。

 カインがぶつぶつと文句を言うのを尻目に、ロランとリュカがせっせと湖畔に生える木に布を結びつけて日陰を作ってくれた。その下にチェーザレがピクニックシートを引いて荷物を乗せ直していく。

 カインはのそのそと日陰のシートの上に移動した。

 

「カイン、お前少し白すぎるから明日までに焼けてちょうど良かったじゃんか。日陰出て泳いでこいって」

「……リュカはイシューの水着見られるからって張り切りすぎ」

「そ、そんなんじゃない!!大体それを言ったらロランだってそうだろ!!」

「うわ、そこで僕に振らないでよ〜」

 ロランも膝を抱えて木陰に入ると、苦笑した。

「皆水着水着って……青春だねぇ」

 女子の着替えの周りに警報(アラーム)の魔法をかけに行っていたエルミナスが言う。

「エル君おかえり」

「ただいま。魔導学院生、一緒に魔法掛けてくれたら良かったのに」

「僕は残念ながら<警報(アラーム)>は使えないのさ」

「ふぅ、こんな時殿下がいたらなぁ」

「うわぁ、エル君、キュータ様に<警報(アラーム)>なんて掛けさせるの?」

「違う違う。乙女らもあんまりあれやってこれやってって言わないでしょ」

「……なるほど。言ったら一郎太君にお前らなーって言われるしね」

「それを言わないと思うと、俺たち結構優しいじゃん。それにしても、キュータも一郎太も、夏休みの間結局会えなかったな」

「訓練だってね。殿下も大変でらっしゃる。しかも今日は魔導省主催でパラダイン様の特別講義が魔導学院であるらしいんだけど、それにご出席なさるとか」

 

 エルミナスが言うと、「えっ!?」と後ろからオリビアの声がした。

 

 女子らがやっと戻ったかと振り返り、男子は皆顔を赤くした。

 オリビアは髪を結ぶリボンと揃いの水色のギンガムチェックの水着を着ていた。

「知らなかったー。エル様、いつから知ってたの?キュータ君教えてくれたら良かったのに……」

「……えーと、私は省内の噂話で知ったからね。ご公務の一環だろうから、そう言うことはおいそれとは書けないと思うよ」

「そう言うものなんだねぇ。──ねー、皆ぁ。今日キュータ君魔導学院行ってるって」

「……キュータ君としてじゃないなら、多分今日は神都に来てても会えない」

「ま、明日から学院も始まるんだもんね。レオネはまた明日から会えるから良いなぁ」

「って言ったって、登校する数分でしてよ」

 

 アナ=マリアはワンピースタイプのレモン柄の水着だった。

 レオネは真っ黒なタンクトップとビキニを組み合わせたタンキニスタイル。

 イシューは茶色い水着に透けたシャツを羽織って、たわわな胸の前で結んでいる。

 

「どうせ会えないなら、せっかく来たし楽しまなきゃ損だね!」

 オリビアは爛漫に笑うとアナ=マリアの手を取って湖へ走って行った。

 その後をイシューもレオネを引っ張って夏の空の下へ行く。

 

「……思ったよりいいもんらしい」

 カインはあぐらをかいた膝に頬杖をつくと頬を赤くしてつぶやいた。スルターン小国で見放題だったが、こう言う下世話なことはキュータの前ではとても言えなかった。

「カイン様、鼻血出さないでくださいね」

「誰が出すかっ。でも、なんか皆もう子供じゃないね」

 しみじみと一人頷く。

「……イシューなんて──」

 と言ったところで後ろからリュカの腕が回った。

「み、見るな!!このスケベ野郎!!」

「い、いたたた。僕もお年頃なの。大きい胸に目を奪われるのは仕方がないことさ、なぁロラン」

「……僕は別にそう言う目で皆を見てないし。幼児塾から一緒だし」

「嘘ついて……。君、レオネの黒いひらひらを追って目が垂れてるよ」

「ち、違うよ!だいたい、僕は別にリュカと違ってレオネを好きとか一回も言ってない!」

「俺も別にイシューがどうこうなんて言ってない!」

 

 やいのやいのとお年頃が盛り上がる中、エルミナスは眉間を押さえた。

「皆、青春はいいけどいつか聞かれて叩かれるよ」

「エル君は興味がないのか!」

「なくはないけど、私は我が殿下にぞっこんだからね」

「エル様は大人なのか、精通がまだなのか、こっち(・・・)なのか……」

 リュカが呟くと、エルミナスはリュカを指差した。中学生サイズの、まだ大人の手とは言えない小さな手だ。

「<水創造(クリエイトウォーター)>」

「──っブ!そ、そんなことで魔法使うな!」

 頭からバシャンと水をかぶったリュカがぷるぷる顔を振ると、皆「飛ばすなー!!」と悪態をついた。

 

「はー、キュータ様がいたら確かにこうはなってない気がしますねぇ」

 チェーザレがタオルを出してリュカの頭に乗せる。皆の世話係になりかけていた。

「どうする?キュータ様が意外と誰それの胸の大きさが一番良いとか言ったら」

 皆目を見合わせ、ロランがコホンとひとつ息を吐いた。

「んん。──僕は皆いいと思うよ。それより、水着似合ってるね。可愛いよ。──とか?」

「……下心ゼロで言うかもしれない。あの方は超常現象だ」

「はは、本当超常現象だよね、キュータ君って。あんな人がそばにいちゃあさ、そりゃ皆キュータ君好きになるよ。僕たちだってそうだけど、女の子なんか特にさ。勝てるはずないもんね」

 女子を眺めるロランの目は少し寂しげで、カインは肩を抱くと揺らした。

「ロラン、悲しくなるようなこと言わないでさぁ。リュカを見習って頑張りな」

「ん……僕見たんだよね」

「何を?」

「期末考査の日に、久しぶりに登校してきたキュータ君がレオネを抱きしめてキスしたの」

 

 皆が中腰になる。どこに行こうと言うのか、聞いていた男子は全員何故か立ち上がり掛けてしまった。

 

「な、な、な!?」

「……まぁ、キスって言ったってさ、口じゃないよ。おでこにね。キュータ君が調子悪かった時、レオネがずっと祈ってたらしくて、それがすごく助かったみたいでさ。僕の神官だって言って、レオネは祝福に感謝しますって」

「な、なんだ。そう言うことか……。祝福のキスくらい、そりゃ神官相手になら……するんじゃないの……?」

 カインには分からない。

 周りに同意を求めて見渡すが、誰も分からない。

 

「……はぁ〜〜。その後、僕キュータ君に謝られちゃったよぉ〜〜」

「うーん、ダメージはでかそうだね」

 確かにスルターン小国に行く時も、二人だけ何かをわかり合っているような感じがして大変ニヤニヤしたものだ。

「でも、あの二人別に普通だけどなぁ?」

「普通だとしても、僕にはあんな真似は絶対にできない。レオネになんて言ったら振り向いてもらえるのかわからない」

「あ、やっぱり好きなんだ」

「……あぁ〜〜」

 

 ロランの呻き声が湖畔に満ちる。

 ボールで遊び始めていた四人娘はタープの下へ振り返った。

 

「なんか言ってるよ」

「……嫌な感じですわね」

「……えっちな感じがする」

「やっぱり男の子はいらなかったかなぁ?」

 

 言いたい放題だった。

 

 その後、男子も湖で遊び、お昼には女子が作ってきた弁当を皆で食べた。荷物運び代、ボディーガード代として男子は喜んで受け取ったようだ。

 各々、今日のことを帰り道の乗合馬車(バス)で二通の手紙に認めた。

 明日からはまた会えるが、帰りに大神殿に寄って手紙を神官に任せる。

 

 手紙は即日死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の手によって第九階層へ運ばれた。

 

 祭典の事に目を通していたナインズはそれを受け取ると、第六階層へ駆けた。

 

 昔はただのログハウスだったが、すっかり邸宅じみた一郎邸に行き、一郎太の分を渡した。

 

 二人は<永続光(コンティニュアルライト)>の下で顔を寄せ合い、それぞれに宛てられた手紙を読んだ。

 胸の話ばかりだったと苦言を書くエルの様子に思わず笑ってしまう。

 イシューの手紙からは皆のことを描いた絵が入れられていた。

 オリビアの手紙には、一緒に行きたかったなと優しい言葉が。

 アナ=マリアの手紙には、女子四人で遊んでいたらナンパされてリュカとロランが珍しく活躍したなんて。

 レオネの手紙には、今日の公務の労いと、あなたがいないと男子がバカで困るとかなんとか。それから──湖のそばで摘んだ花びらが一枚入っていたらしい。

 

 ナインズは花びらを耳に寄せると、目を閉じた。




皆さん大変元気そうで何よりです!
不老の術はまだ完成したわけではなさそうですが、遅らせる程度にはうまく運用されてるんですね〜!

次回、明後日だす!
Re Lesson#32 幕間 秋の日常

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リクエストのあったドラ子と宰相の情事ができました(白目
https://syosetu.org/novel/195580/40.html


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試される神聖魔導国 - カッツェ穀倉地帯編
Re Lesson#32 幕間 秋の日常


 

case.1

 

 カッツェ平野。

 私はかつて、そこで霧だった。

 

 多分、そうだと思う。

 

 黄金の季節にたなびく麦。

 あちらこちらに建つ人々の営み。

 命の実りの途切れぬ地。

 

 ああ、羨ましい。

 

 仲間達はもうずっと前にどこかへ行った。

 私は霧のたった一粒。

 たった一人。

 この場所で、営みを見てきた。

 

 ああ、嫉ましい。

 

 

「っは!……はぁ……はぁ……!!」

 ブリタ・バニアラは飛び起きると、今見たはずの夢を思い胸を押さえた。

 思い出そうとしても夢はもう遠く消え去っていて、残ったのは痛みだけだった。

「あいたたた」

 昨夜飲みすぎたのか、頭痛はするし、なんとなく胃ももたれている。

 あぁ、これのせいで変な夢まで見たのか。

 下着姿の体でよいせとベッドを降りる。

 薄着ではもう肌寒い季節だ。

 

 ベッドに掛けてある羽織り物をさっと着て、ぺたぺたと裸足で窓へ向かう。

 窓を開けば、外は黄金に輝いていた。

 カッツェ穀倉地帯は今年も豊穣に沸いている。

「はぁー!良い朝だなぁ」

 ブリタが冒険者をやめてここに越してきたのはおよそ三年前。

 その経験を買われて、今では自警団のリーダーとして働いている。

 手には未だに剣タコがあるし、この歳になったと言うのに化粧っけ一つない。

 鳥の巣のようなボサボサの赤髪はいつも目いっぱい引っ張って一つに括っている。

 冒険者時代にいいなと思った相手もいたが、男に愛情を注いでどうこうと言うタイプでもなく、女一人ここまで来てしまった。

 

 ──と言うのに。

「よう」

 外から馴染み深くなった声が聞こえると、ブリタは窓を覗き込んで見下ろした。

「まぁた来たの」

「あぁ、ここは畑をよく見渡せる。流石に畑を守る為に越してきただけはある。──それにしても、今日も随分遅く起きたな」

「平和の証なんだから喜んだら?」

「せっかく雇ってるのに平和すぎるのも問題だ」

 人の家の玄関先の椅子で勝手にパイプをふかす男──ダニエル・オルノはここに来てからの付き合いのおっさんだった。

 もう五十手前の彼は、神聖魔導国によるエ・ランテル土地買い上げ時に、ここ、カッツェ穀倉地帯に乗り込んだ。

 リ・エスティーゼ王国支配下の時代はまるで金のない、半ば物乞いのような生活をしていたらしい。

 魔導歴一年の晩秋にスタートした農業開拓に繰り出す契約を結び、不安はありつつもちっちゃな地主を夢見た彼は、今や立派な大地主だった。

 およそ二十年間、スケルトンやゴーレムを貸し出されながら、真面目にこの地を国の食糧庫と言わしめるだけの場所に育て上げた。

 

 最初の年はなんだかんだ大変だったらしい。

 決められた日には守護神のマーレ・ベロ・フィオーレが大地中に栄養を齎してくれたが、雨が思ったように降らなかったり、降りすぎたりと言うこともあった。

 当初はマーレこそ最も偉大な神ではないか、と畏怖する者もいたくらいに、守護神の力におんぶに抱っこだった。雨を降らせたり、大地の栄養価を怖いくらいに高める様は光と闇よりもよほどダニエル達を救った。

 ただいくら耕す力と栄養があっても、毎日つきっきりで守護神がいてくれるわけでもないのでイレギュラーはどうしても発生するものだ。

 そんな時には小さな諍いも起こった。行き先のない学もない者達が寄り集まってやっていたのだから。

 誰それの無限の井戸(ウェル・オブ・エンドレスウォーター)の使い方が悪いとか、いつまでも汲んでないで早く代われとか、小さなイライラをつまらない形で発散していると、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)や国がよこす森司祭(ドルイド)達が仲裁し、ルールを叩き込まれた。大人になってから、まるで農業学校に入ったかのようだったらしい。

 

 そうして続けて行けば続けて行っただけ土地は本来の姿を取り戻し、いつしかどこから来たのかも分からないような獣や虫も住み着き、守護神の土地の栄養補充も減っていった。もちろん、今でも年に何回かは来てくれる。神聖魔導国の作物のうまさがピカイチなことにも頷ける。

 穀倉地帯の豊かさが存分に知れ渡ると、元貴族の三男達や、新しい商売を目論む者も乗り込み、カッツェ穀倉地帯は農業地域のみならず、街や商業地域も大きく発展した。

 

 十分に栄えると、それまでは小さな自治体のような扱いだったと言うのに、ここはザイトルクワエ州カッツェ市の名をドンと冠することができた。

 

「今年の収穫もまた臨時で雇い入れた奴らが来てくれる。もう少ししたら発注した依頼の返事もくる頃だ」

 ダニエルはパイプの煙をぷかりと吐いた。

「ダニー、スケルトンを借りた方がいいんじゃないの?寝泊まりする場所もいらないし」

「俺がここで俺の畑を見てられるのも精々後二十年だ。やり方を覚えてくれるやつを一人でも多く残さなきゃならないだろう。俺は子供も妻も持ってなけりゃ兄弟だっていない」

「じゃあ、いつかはここの畑を誰かに譲るわけ?勿体無い」

 たくさんの実りが波のように揺れる。人に譲るにはあまりにも惜しいと思ってしまうのは、ブリタが欲張りなのだろうか。

 

「俺も勿体無いって思うけど、あの世にゃ畑は持っていかれない。ここの生活を気に入って俺のやってる事を引き継いでくれるやつをたくさん引き込まなきゃ、ここまでやったことが勿体無い」

「ふーん、後継者探しねぇ。なんでさっさと結婚しなかったのさ。そう言う事も期待してここに来たんじゃないの」

「そりゃ期待した。でもこれやってる方が楽しいって毎日を過ごして、気が付いたらおっさんになってた」

「笑えないねぇ」

「ブリタも似たようなもんだろうに」

「まぁね。あたしも結局これが一番楽しい」

 

 玄関先にかけてあった剣を抜き放つと、自分の顔が映った。現役の頃よりは多少衰えているが、その眼光はまだ鋭い。

 

「ま、ここは魔物も少ないけどな。死の騎士(デスナイト)もうろうろしてるし」

 とは言え、空からサンダーバードやコカトリスが来る事もあるので、弓も使える自警団はやはり重宝される。

 二人は空をいく、魔物ではない鳥を見送った。

 

「──そう言えば、収穫前といえばそろそろ来る頃よね」

「あぁ。依頼の返事は多分来週には来る」

「違う違う。校外学習の季節も来るでしょ」

 

 ダニエルはそれを聞くと、ぱかりと口を開けた。

 

「ヤバい。そうだった!まだ準備が済んでない!」

「馬鹿だねぇ」

「俺はもう行く!!」

 

 ブリタは苦笑してまぬけな雇い主を見送った。

 秋になると、ザイトルクワエ州エ・ランテル魔導学院と、スレイン州神都魔導学院から学生達が校外学習に来る。カッツェ市の管轄はザイトルクワエ州でも、位置としては二都市の間にあるためだ。

 信仰科からは実りや大地の癒し、病を学ぶため。

 薬学科からは薬草類や植物の見極めを学ぶため。

 特進科からは生活に密着した全ての魔法を学ぶため。

 教育科と普通科の行き先はまた異なる。

 

 風が吹くと、パンツ丸出しの足が冷え、ブリタはクッシュン!と大きなくしゃみをした。

「はぁ。もうすっかり秋ね……」

 鼻の下をぐしりと拭き、窓を後にする。

 弓の稽古を付けに行かなくては。

 

 その家の足元にはふわりと一つの胞子のような、霧のかけらのようなものが落ちた。

 

case.2

 

 秋に落ちる神都。

 

「──あの人、またいる」

 夏休みが終わって授業も始まった魔導学院の図書館で、教育科のキャロルは足を止めた。

 

 窓の前のベンチで、窓辺に大量の本を積み上げて読むあの人。

 手元には分厚い書類。

 窓から吹き込む風で黒い髪が靡く。

 隣には赤毛のミノタウロスが寄りかかって昼寝をしていた。

 

「ん?あぁ、あの人、特進科の首席でしょ?」

「え?首席って散々もてはやされてた?」

「そう。入学式の時は仮面付けてたもんね」

「知らなかったぁ」

「知らないのなんてキャロルくらい。本の虫も良いところ」

「えへへ。あの人、前は全然図書館なんて来てなかったよね」

「そうね。どんな本読んでるのかしら?意外と下らないやつかな?」

 

 友人のナニーが首を長くする横で、キャロルは綺麗だなぁとあの二人を眺めた。

 ふと外から落ち葉が舞って入ってくると、寝ていたミノタウロスの耳がぴくりと動いた。

 よいこらせと体を起こして、首席の黒い髪についた落ち葉を取った。

 首席は『ありがとう、起きてた?』と小さな声で言った。

『寝てたよ。キュー様、休憩は?』

『もう少ししたらね』

『さっきもそう言ってましたよ』

『そうかな』

『うん、寝なよ』

『じゃあ寝ようかな』

 微笑むと足をベンチに乗せ、ミノタウロスの膝にごろりと転がった。

 ミノタウロスは窓の外を眺め始め、首席は寝ると言ったのにそのまま転がって本を読み続けた。

 

「……綺麗」

 日のさす図書館で、時は静かにすぎた。

「あの二人の組み合わせのファンっているらしいわね」

「仲良さそうだもんね……」

 

 ふと、ビュオッと強い風が吹き込む。

 落ち葉はキラキラと舞いながらキャロルの足元に届いた。

 拾い上げた金色と赤色の混ざり合う葉。

 

 パタリと静かに窓は閉じられた。

 いつの間にか首席は座り直していて、窓を閉めたミノタウロスはその辺に散らばる葉を集めていた。

「──悪かったな。それ」

 キャロルの所まで来たミノタウロスに手を伸ばされる。

 キャロルは首を振った。

「ううん。綺麗だった。風があんなに気持ちいいなんて思わなかったよ」

「はは、お前いつもいるもんな。外って気持ちいいぜ」

「知ってたの?」

「あぁ。キュー様の事よく見てる」

 キャロルの顔がカッと赤くなった。

「え、えっと、ごめんね。首席さんも気付いてたかな」

「そりゃな。あんまりじろじろ見られるの得意じゃない人だから」

「あの……ごめんね。綺麗だなって思って」

「そうな。本当に。綺麗な人だよ」

 ミノタウロスは本の片付けを始める首席を眺めて言った。

 つられてぼうっと眺めてしまう。

 いつの間にかナニーが首席の手伝いに行っていた。

『ありがとう。悪かったね。風が思ったより強くなったよ』

『う、ううん!いいの!何読んでるのかなぁって思ってさ!』

 恋をするような顔でナニーは首席を見上げていた。

 

「──それ、こっちで捨てておくけど、いいの?」

 ミノタウロスがキャロルの手の中の葉を指差す。

 キャロルはくるりと葉を回すと大切に抱いた。

「大丈夫。大事にするね」

「変なやつ。外に行きゃいくらでもあるぜ」

 ミノタウロスはひらりと手を振ると首席の下へ戻った。

 

「この葉っぱはこれしかないよ」

 

 この秋の図書館を詰め込んだ一枚を、キャロルは大切にポケットにしまった。

 

 また翌日。キャロルは一人で図書館に来ていた。

 あの窓辺にはいつもの二人。それから、知らない男の子。

『──キュータ君と一郎太君も来れたら良かったのにね』

『湖?』

『うん。楽しかったよ』

『ふふ、ロランは活躍したんだもんね。手紙を読んで行きたかったなって散々一太と話してたよ。ねぇ、一太』

『本当。俺なんか二の丸と訓練してただけだから行けたのにな』

『なんて、一郎太君はキュータ君置いてはこないでしょ』

『そうでもないぜ』

 三人は小声で笑った。

 

 見られるのが好きじゃないと言っていたし、近くの本を取り出して目を落とす。

 儀典について書かれた本だった。あまり面白くない。

 キャロルが好きなのは、恋の小説だ。

 

 そうして話を聞いていると、ふといい香りがした。

 キャロルの後ろを綺麗なハニーピンクの髪が靡く。

 優しそうな女の子だった。

 三人の下へ付くと彼女は立ち止まった。

『──や、レオネ』

『ごきげんよう。お仕事のこと、捗ってらっしゃって?』

『ほどほどにね。毎年同じじゃつまらないと思って僕なりに何かを足したいんだけど……あんまり小僧感が出ても困るなと思ってる所。──借りる物は決まった?』

『えぇ。大神殿にはない本がいくつかありましたわ』

『流石に大きい図書館なだけはあるね。朝はゆっくり聞けないし、君の天使の進捗を聞きたいな』

『聞いて驚かれないで。何も進展はありませんでしてよ』

『ぷ、ははは。良いよ。出てから聞かせて』

 

 首席は立ち上がると、彼女の背を優しく押して歩き出した。

 綺麗な景色だったのに。

 キャロルが残念に思っていると、首席とふと目が合った。

 

「またね」

「──あ、はい」

 

 ひらりと首席とミノタウロスが手を振ってくれる。

 キャロルは手を振りかえした。

 

『キュータ君、誰?』

『図書館でよく会う子だよ』

 

 本当に昨日初めて気付いた訳ではなかったのかとキャロルは耳を赤くした。

 その後も何度も彼のことは見かけたが、挨拶以上のことはなかった。

 そして、建国記念日を境に彼はパタリと図書館に来なくなった。

 

 キャロルは図書館に来るたびにあの窓辺を確認している。

 あの二人の、燃えるような、輝くような時がそこには流れている気がした。

 

 キャロルの宝箱にはあの日の落ち葉が大切にしまわれている。

 

case.3

 

「ワルワラに話さないの?」

 一郎太は喫茶店マスコンパスの外の席で通りを眺めるナインズに尋ねた。

「──何を?」

「いや、キュー様が今忙しい理由」

「ふふふ、僕は建国記念日の式典を任されたから今は放埒に身を投じれないんだ──って?」

「まぁ、そんなところ」

「僕が誰だか察するだろ?」

「あいつなら良いんじゃないの?」

 ナインズはいつも通りの優しい顔で、温かいチャイを飲むと、それを置いた次の瞬間には悪い顔をした。

「僕もそう思うから言わない」

「なんで?」

「僕はもう二度と自分が何者なのかは言わないと決めたし──勝手に気付いた時のあいつの驚く顔を見てやりたいから」

「っぷ、キュー様悪いやつだなー」

「ははは」

「ははは」

 

 二人で笑っていると、ふと通りをイシューが歩いていくのが見えた。

 

「──お?珍しい。仕事終わったのか?」

「どうかね?声掛ける?」

 

 彼女がこちらに気が付かなかったのは、秋は一番一郎太が目立たない季節だと言うこと以外にイシューがどことなく急ぎ足だったということもあるかもしれない。

 

 約束の地オブジェ前のベンチで座って誰かを待っているようだ。

 そこにコートを抱えて走るリュカが来ると一郎太はナインズと目を見合わせて笑った。

 

「何だ。うまく行きそうじゃん」

「本当だね。湖行って見直したかね?」

「リュカもナンパ野郎追い払ったんでしたっけ」

 

 二人で眺めていると、リュカはイシューに飴を一つ渡して隣に座った。

 イシューはそれを咥えると、「で?用事ってなに?」と告げた。

「いや、ちょっと話したいと思っただけ」

 自分の分の飴は手の中でくるくる回し、リュカは言葉をいくつか考えた。

「なんか悩んでるの?大丈夫?」

「んー。もう秋だよなぁって」

「そうだね。すっかり秋」

「働くって休みが短くてやんなるな」

「同感。あー皆学生だからキュータと会い放題で羨ましいよ」

「ははは、エルもこないだ"我が殿下と会う時間が思ったよりない"ってぶつぶつ言ってたしな」

「エル様も誘って今度中々会えない大人の会でもしようかね。夜ならキュータも会えるよね」

「そだなー」

 二人の間を冷たい風が抜ける。

 リュカは持っていた上着を着込んだ。

「なんかさぁ、働き始めたからかな。俺、最近急激に大人になってる気がするわ」

「はは、あんた一番ガキみたいなくせして?」

「うるせぇ。お前が一番ガキだろ」

「一番お姉様の間違いでしょうが」

「体ばっかり大人」

「すけべ野郎。こないだもじろじろ見てた」

「み、見てねぇし」

「あのね。見られてる方はわかんの。ガキンチョ。──はー。キュータは絶対あんな目で女子見ないよ」

「そーですね。キュータはお前のこと女子として見てないからね〜」

「うっさ!それを言ったらあたしだけじゃないじゃん!」

 リュカの中に小さな意地悪な気持ちが生まれる。こう言う気持ちは確かにガキくさいかもしれない。

 

「レオネは抱きしめられておでこにチューされたらしいもんなぁ」

 イシューはリュカに振り返ると鬱陶しそうに「誰から聞いたのさ」と告げた。

「ロランからだけど。夏休みになる前。レオネの祈りに救われたって、祝福のキスらしいぜ。知ってた?」

「……知らない。レオネ、なんで話してくれなかったんだろ」

「お前がぶん殴ってくると思ったんだろ」

 

 ちらりとイシューを見ると、思い悩むような雰囲気になっていた。リュカは少し意地悪すぎたかとその肩をぽんぽん叩いた。

 

「ま、あの二人いつも通りだし、神官くらい祝福すんだろ。神様の子供なんだし」

「……レオネ、預かっただけだからとか言って見せたがらないけど、目印もレオネだけは魔石の原石貰ってるんだよね。たまたまあったものを家出騒ぎの時に受け取ったって言ってたけどさ……」

「……そんなに落ち込むなよ。俺まで落ち込むだろ」

「ごめん……。なんか、一番のライバルはオリビアだと思ってたから、なんか……おかしいなぁ……」

「……なぁ、お前、いつまでキュータの事好きでいる予定なの?」

「いつまでなんて分からないよ……」

「レオネやオリビアをキュータが選んだら?」

「関係ないよ。一人しかお嫁さんもてない人じゃないし、あたしはあたしの気持ちを大事にしたい」

「あいつ、お嫁さんは一人もいらないとも言ってたぜ?」

「何さ。どっちか選んだらとか言ったのはあんたじゃん。意地悪」

「ごめん」

「……謝らないでよ」

 

 リュカはしおらしくなったイシューの肩に手を回した。

「何。近いんだけど」

「お前が諦めるトリガーが必要なら、俺をそれにしてくれないかな」

「何何何!近い近い!近いって!」

 至近距離で覗き込むと、イシューの瞳はギュッと閉じられ、体まで小さくなってしまった。

 男も女もないようなやつだと思っていたのに。

「……隕石でも落ちてくればキュータがお前を選ぶかもしれないから多くは言わないけど、俺はお前の事待ってるよ」

 リュカはイシューの肩を抱き寄せるとおでこにキスをした。

「──っちょっと!!キモい!!」

「何。祝福だろ」

「あんたの祝福なんかいらない!!大体祝福になってない!!バカ!!」

 イシューは荷物を抱えると走って行った。

 

「うーん、やっぱりキュータレベルじゃないとああ言うのはうまくいかないか……。好きでもない男にやられたら普通にキモいよなぁ。と言うか犯罪か?」

 

 多分キュータがやる時は下心がないんだろうなと思う。それが透けて見える自分がやると、ただただセクハラだった。

 リュカは失敗だったなぁと立ち上がり、何か温かい物でも飲んで帰ろうと歩き出した。

 

 そして、知った顔がニヤニヤとこちらを見ていたことに気が付いた。

「……あいつらぁ」

 ズンズン近付いていくと、キュータと一郎太がいい笑顔で座っていた。

「よー、リュカ。やったじゃん」

「や、気付いたね」

「や、じゃない!やったじゃんじゃない!何見てんだよ!!」

「ふふ。リュカ、もう少しだよ。頑張れ」

「全然もう少しじゃないし誰のせいでこんなだと思ってんだよ!」

 キュータはきょとんとすると一郎太に顔を寄せた。

「誰のせいなの?一太」

「はははは!イシューのせいだろ!」

「ちが……くそー!もー!!」

 

 リュカはじたばたしてから二人の席に座った。

 

case.4

 

 アーウィンタール、旧帝城。

 腰ほどの高さの美しい植え込みが迷路のように並ぶそこで、サラトニクは庭師のカーディオと土いじりをしていた。

「──あ、ぼっちゃん。そこは切りすぎないでください」

「分かってる。私が何回やってると思ってるんだ」

 子供の頃から変わらず、暇な時はこうして一緒に庭の草木を愛でている。

「……ここの形が気に食わないな」

「もう庭師になったらどうですか?」

「バカを言うな。私は州知事になる。──だが、どうしてもここの形が気に食わない……」

 ぶつぶつ言いながら葉を引っ張ったり押し込んだりしていると、エンデカとジルクニフが城から駆けてくるのが見えた。

「──何だ?父上まで珍しい」

 脚立から降りると、タオルを持ったエンデカが有無を言わさずにサラトニクの顔をごっしごしと拭き始めた。

「な、なんですか?父上」

「早く着替えろ!アルメリア様が見えた!!」

「え?お約束していませんが」

「お前が手紙で今日は休みだと言っていたから、来てみたとおっしゃっているんだ!!」

「──はは、お可愛らしいことで」

「バカを言ってないでさっさと着替えろ!!シャツとズボンだけで、それじゃ丸切り庭師だ!!」

「まぁ、庭仕事を──あ」

 サラトニクが見上げた先で、窓が開いた。

 いつものアルメリアのための部屋から顔を出した彼女は今日も悪魔的に美しかった。

 

「サラ、忙しそうですね!」

「いえ!下らない趣味です!」

 アルメリアがよいせと窓枠に足を掛けると四人はギョッと飛び上がった。

「ア、アルメリア様!!」

 そのままぴょんとそこを飛び出すと、サラトニクは両手を出して駆け出した。

(ま、間に合わな──)

 アルメリアの広げた黒い翼がバンッと大きく広がる。

 そのまま、数度の羽ばたきでアルメリアはゆっくりとサラトニクの腕の中に降りた。

 思わずそのまま抱き留めると、アルメリアの柔らかい髪が鼻をくすぐった。

「どうです。見せに来ました」

「し、心臓が止まるかと思いました」

「ふふ、落ちません。もう百回ナザリックで落ちましたから」

 サラトニクは安堵から、子供の頃のような本当の裏表のない顔でへらりと笑った。

「はは、良かったです」

「お前にはその顔の方が似合いますよ。従順な羊のよう」

「羊を引きつれる者になれなければ私など興味もないくせに何を仰ってるんですか」

「ふふ、そうですね。私は賢いお前が好きです」

 アルメリアがぺたりとサラトニクに抱き付くとサラトニクは頬を寄せた。

「また父上に怒られます」

「怒られれば良い。私もお父ちゃまに怒られます」

「陛下に怒られる方が怖いですね」

 二人は少しだけそのまま過ごすとそっと離れた。

「アルメリア様、お茶でも飲んで行かれますか」

「お前が良いなら」

 秋晴れの下で笑う彼女の手を取り、サラトニクは頷いた。

 

「当然です。アルメリアをそばに置かせてください」

 アルメリアは昔の言葉に顔を赤くすると頷いた。

「置いて下さい……」

 

 カーディオは胸を押さえて悶えた。

 

 ジルクニフは頭を抱えて悶えた。

 

case.5

 

「休みと言っても、やることがないのよね」

 アルベドに与えられている自室にはたくさんのアインズ人形、フラミー人形。ナインズ人形とアルメリア人形も添えられている。

 アルベドはとりあえずアインズ人形を抱えるとぱたりとベッドに倒れた。

「あぁ……アインズ様……。初めてをあなた様に奪っていただけないと、フラミー様にもナインズ様にも抱いていただけない……」

 アインズはとんでもない防波堤になっていた。

 一人突破されると、後に控える二人の身に危険が迫る。

「あぁ〜ん!アインズさまぁ〜!」

 人間形態のアインズを抱えると、全NPCが呆れ返るような真似を始める。

 あの寝室に飛び込んでアインズとフラミーいっぺんにめちゃくちゃにして貰えたら良いのに。

 ビッチであると言う言葉に忠実に、アルベドは自分を慰めた。

 その時、糸が繋がる感覚に苛立ちながらつなぐ。

 

『──アルベド』

 

 予想外の声に絶頂と驚きからびくんと体が跳ね上がる。

 休暇を言い渡されている時に珍しい。

 アルベドは先ほどの苛立ちを一瞬で霧散させた。

 相手がデミウルゴスやシャルティアならアルベドは情事を続けたまま<伝言(メッセージ)>に応答していた。

「っはぁ……はぁ……。こ、これはアインズ様!一体どうなさったのでしょうか!」

『大した事はない。明日、私とフラミーさんの予定を一つ二つ確認してくれ。昨日言おうと思っていたんだが、すっかり忘れていた』

「さ、さようでごさいましたか。かしこまりました。今から確認に伺うことも可能ですが」

『いや、お前は休暇を楽しめ。ではな』

 アルベドはベッドの上でぺたりと頭を下げた。

 

「……あぁ、モモンガ様……。楽しめとは……くふふっ。くふふっ!」

 今度は骨のぬいぐるみを引き寄せ、アルベドは情事を続けた。

 

case.6

 

 休日。魔導学院、大図書館。

「──はぁ〜やっと座れた」

 本を抱えていたロランが窓辺のベンチに座る。

 その隣にはレオネがいた。

「あなたおじさんみたいですわね……。ロランはまた趣味と勉強?」

「そ!レオネは天使出す勉強?」

「えぇ。相変わらず。まだ出せませんのよね……」

「第二位階からでしょ?一年次じゃ難しいんじゃないの?」

「分かってますわ。でも、このままじゃキュータさんに迷惑ばかりかけてて居心地が悪いんですもの」

「……良いじゃんか。王子様に護ってもらえて」

「わたくし、そんな柄じゃなくてよ」

 

 レオネが本を開くと、ロランも「ふーん」と気のない返事をしてから本を開いた。

 

 二章を読み終わって顔を上げてみると、ロランは隣で居眠りをしていた。

「……ロラン、ロラン。起きて」

「ん、んん……」

 ずるりと体が崩れて肩で休み始める。普通こう言うのは男女逆ではないだろうか。

 レオネはため息を吐くと、そのまま本を読んだ。

 三章を読み終わる頃、ロランはハッと目を覚ました。

「っあ、あ!ご、ごめんね」

「構いませんわよ。旧友に肩を貸すくらいの事」

「ははは、レオネ優しいね」

「でも、そろそろ目を覚ましておいた方がいいわ。わたくし、ここを読み終わったらこれ借りてもう帰ろうと思いますの」

「え、帰っちゃうの?」

「大神殿の書庫と違って借りて帰れますでしょ。あなたに肩を貸していたらなんだか凝りましたわ」

「あ〜、ごめんねぇ。ねぇ、レオネこの後お昼ご飯でも食べようよ」

「ご飯?あなたと二人で?」

「うん、たまにはさ」

 ロランは能天気そうに足をプラプラさせて言った。

「……どうしようかしら」

 模範女子レオネは悩んだ。おとぼけロランとは言え、彼も一応男子だし。

 うーん、と悩んでいると、ロランはもう立ち上がっていた。

「ほら!行こう!」

「……はぁ。まぁ、良いですわ」

 手を伸ばされ、それを掴んで立ち上がる。

 二人は貸出手続きを行い学院図書館を後にした。

 休日は学食は開いていないが、購買は開いている。

 各々好きなパンを買うと紙袋を手に良さそうな場所を探した。

 普段は人気のある池のそばの東屋も、休日で生徒が少ない今はガラガラだ。

 池で魚が跳ねるのを横目に二人は座った。

 

「ここ、良いですわね」

「うん。本当に!」

 午後はここで本を読もうかと思った。買ったカレーパンを出して頬張ると、ロランもクロックムッシュにかぶりついた。

 水の音と風の音を聞きながら、別段何を話すこともなく二人は昼食を済ませた。

 レオネが本を開くと、ロランも同じように本を開く。

 

「──ねぇ、レオネ」

「なんですの?」

 風に髪が流されるのを止めながら、本を眺めてレオネは答えた。本の上にひらりと落ち葉が舞い込む。

「レオネはキュータ君のこと好きなんだよね」

「えぇ、好きだわ。とても。それがどうかして?」

「いーや、考査の時、校門でキスしてもらえて良かったね」

「バカね。あれはそんな物じゃなくてよ。聞いてましたでしょ」

「ふーん、レオネは覚悟あるの?もしキュータ君に選ばれた時の」

「ないわ。わたくしでは荷が重すぎるし、不相応にも程があるもの」

「え?あれ……?」

「もう、本当に何ですの?」

「ご、ごめん。熱でもある?」

 ロランがペタリと額に触れ、レオネは訝しむように手を退かした。

「元気でしてよ。何だって言うんですの?」

「い、いや。レオネなら"選ばれる覚悟ならとっくにしてましてよ"とか、言うのかと……」

「もう子供じゃありませんもの。あの方に選ばれると言う事は自分のことだけじゃありませんわ。世界の中心の存在になって、人々を導き続け…………時に、苦しむと言う者を介錯してやるほどの日々が待っていますのよ。しかも、気品も出自もなくちゃ国民は納得しませんでしょ。少なくとも、普通の家の出の女では無理よ」

 そう言いながら、レオネは落ち葉をぽいっと本の上から捨てた。

「それが何か?」

 

 ロランは静かに首を振った。

「……君、大人になったんだね」

「十六なんてそんな歳でしょ。六歳のままじゃいられませんわ」

「……レオネが選ばれる気がないなら、僕、言っておこうかな」

 リュカは告げなかったらしいけど……と口の中で転がした。

「何?」

 ロランは向かいに座るレオネを真っ直ぐ見つめた。

 

「……あのさ、レオネさ。僕と付き合ってみないかな」

「……はい?」

 レオネの頭の中には大量のハテナが浮かんだ。

「付き合う?どこにですの?」

「……僕と恋人になってみないかって言ってるの」

「……意味がわからないんですけれど。何?誰かに何か脅かされてますの?」

「違うよ。僕、レオネが好きなんだ……」

 ポカンと口を開けてしまう。そんな要素がどこにあったのかと。

 

「えっと……夢かしら。あなたはロランで、わたくしはレオネでしてよ。相手を間違えてるとしか思えないんですけれど……」

「間違ってないよ。この間、戻ってきたキュータ君にキスされてるの見て、僕なんか敵わないって思った……。でも、君がキュータ君に届かないって思ってるなら、僕って場所もあるんだって、言っておきたかった……。どうせ届かないなら、僕がなんとか忘れさせて見せるから。いろんな事、キュータ君みたいに気付けないけど頑張るよ。レオネ……どうかな……。僕と付き合って見てくれないかな……」

 ロランは赤い、自信のなさそうな顔でレオネを見上げた。

「わたくし……できないわ……」

 小さくなったレオネはスカートをギュッと握った。

「わたくし、神官ですもの……。あの方のために祈らなきゃ……」

「祈るくらい、誰といたってできるじゃないか。神官だからって結婚できないわけでも、恋人作れないわけでもないんだし……」

「わたくしはわたくしの人生をあの方のために使うの……。わたくしという神官はそうだったの……。あなたの気持ちはありがたいけれど……でも……できないわ……。ねぇ、ロラン。どうか他に良い人を見つけて……」

「……付き合えないって分かってるのに……変だよ……」

「わたくし、もう決めたから……。……それに……わたくし……あの方のこと──」

 深く愛しているの、と言う事は不敬だろう。レオネは唇を噛んだ。濁りのない祈りを一生捧げたい。

 ロランは何かを言おうとしたが、それ以上の言葉は飲み込んだ。

 

「……ごめん。やっぱり、早かったね」

「時間の問題じゃないの……。お願い、ちゃんと誰かを見つけて」

「……その気持ちが変わったら教えて」

 レオネの髪の毛が掬われ、そこに口付けを落とすとロランは本を抱えて東屋を去っていった。

 レオネは呆然とロランを見送った。

 どうか他に良い誰かを見つけて欲しい。待ったって何の意味もない。

 

 気持ちは少しも揺らがなかった。触れられた髪を切りたいと思ってしまったほどに。

 

case.7

 

 第六階層、湖畔。

 

 一郎太は一郎の指示の下、増築された屋敷の一部を白いペンキで塗っていた。

「一郎太、そこが終わったら二郎丸の方の様子を見に行ってやれ」

「えぇ、俺これ終わったら稽古行こうと思ってたのに」

「コキュートス様に呼ばれてるのか?」

「呼ばれてないですけどー」

「じゃあ二郎丸の方も見てきてやれ。お前は兄だろう」

「うーい」

 

 だるそうな声を上げ、一通りの作業を終えると一郎太は隣のシンメトリーになっている屋敷へ向かった。

 美しい芝生を踏み締め、屋敷の玄関前を通り抜けて、建物の反対側に回る。

「おーい、二の丸ー」

「──あ、いち兄」

 顔を上げた二郎丸は鼻の頭を白くしていた。

「はは、お前ここついてるよ」

「え?あ、へへ。本当だね」

 ごしりと拭くと腕と顔に白い線となって伸びた。

「あぁあぁ……そんなにして。で、どう?進んでる?」

「進んでるよ。いち兄もう終わったの?」

「終わったー。父者が見てこいってさ。叔父者は?」

「父者は母者と中の方の確認に行ったよ。あと手伝ってくれる?」

「いいぜ。お前、いっぺん顔洗って来て良いよ」

「へへ、やった!」

 

 二郎丸がとっとこ家へ向かっていくと、一郎太はちょっと雑な塗り残しを丁寧に塗っていった。

 二郎丸は意外と適当なタイプだが、一郎太は粗野な雰囲気がある割に細かかった。

 一郎が手伝いに行けと言うのもそう言うわけだ。

「ふんふんふーん。ふふーん」

 その辺に生えている香りのいい草をひょいとくわえ、学校でしょっちゅう聞こえている聖歌を歌いながら塗っていく。ナインズの好きな歌でもある。

 

 さく、さく、と芝を踏む足音がする。

「ただいまー!」

 二郎丸が戻ると一郎太はその顔と腕が元通りの赤毛になっていることを確認した。

「綺麗になったな」

「ありがと!壁も綺麗になってるね」

「お前もう少し丁寧に塗らないとアウラ様とマーレ様に怒られるぜぇ。ナザリックにある建物として相応しくないって」

「あぁ〜」

「あぁじゃなくてさぁ──」と言ったところで、一郎太は顔を上げた「──ナイ様」

「え?ナイ様?」

 二郎丸の耳にもさく、さく、と足音が聞こえると、本当に家の陰からナインズがひょいと顔を出した。

「や、二人とも働いてる?」

「うぃーどしたんです?神都行く?」

「ううん、差し入れ」

「お!やりー!」

 一郎太が作業を終え、尻で手を拭くとバスケットを持ったナインズの元へ向かった。

 二郎丸もそのあとを追う。

 二郎丸の前で「一太、お尻で手なんか拭かないの。白くなってるよ」「えぇ?嘘ぉ」とやり取りが交わされる。

(いち兄とナイ様、やっぱり変わったな……)

 

 三人で湖畔に腰を下ろし、バスケットを開く。

 中には料理長が作ったクッキーとぶどうジュース、グラスが入っていた。

「わ〜!いち兄、嬉しいね!」

「本当だな!父者達にも食べさせたいな」

「もう渡したよ。一郎さん達にはおつまみとワイン」

「まじ?ナイ様ありがと!」

「ありがとうございます!」

「僕は持ってきただけだけどね」

 一郎太が早速クッキーを食べ始めると、ナインズは三人分のジュースを注いで行った。

「あ、ナイ様僕やりますよ」

「いいよ、僕は好きでやってんだから」

 何となく面倒を見てもらう感じがして居心地が悪いが、一郎太はそんな事を露とも思わないようだった。

 

 二郎丸はその様子を羨ましく思った。

「──ね、ナイ様、いち兄」

「ん?どした?」

「はい、二の丸の分」

 ナインズからグラスを受け取ると、二郎丸はしばらくそこに視線を落としてから口を開いた。

「……僕は百レベルにはなれないかもしれないって、知ってる?」

 二人は目を見合わせると、それぞれ頭を撫でたり背を撫でたりしてくれた。

「まだそう決まったわけじゃないんだろ?」

「そうだよ。二の丸だって毎日頑張ってるじゃない」

「……でも、僕……二人には一生追いつけないかも……。もう二度と二人に並べない……」

「はは、僕も子供の頃一太と二の丸の背中見ながらそう思ってたよ」

「ナイ様走るの遅かったもんなぁ。いつも待って待ってって」

「……でも、ナイ様はすぐに追いついてました」

「いつまで経っても追いつかなかったし、今でも追いついてないと僕は思ってるよ。体だって二人はどんどん大きくなるしさ。二人ともいつでも僕より大きい。多分、もう追いつかないね」

 ナインズは笑うと大きな二郎丸にもたれて目を閉じた。

 

「……僕、もっと頑張って訓練します」

「頑張りすぎないでね」

 

case.8

 

 ハンゾウの朝は早い。

 壁に張り付きながら、仲間と交代で眠る。

 

 護衛対象のナインズはメイドに「神都行ってくるね」と告げるとたったか出て行ってしまった。

 ハンゾウ・ザ・リーダーは本日の予定を確認しながらその後を追っていく。

 第八階層にたどり着くと、一郎太が待っていた。

「いちたー!待った?」

「いーえ。別に」

 二人が並んで歩き出す。

 大神殿に付くと、ハンゾウは鏡の守護者屍の守護者(コープス・ガーディアン)と目線で挨拶をしあった。

 

「パラダイン様、少し怖いんだよね」

「怖い?なんでですか?」

「うーん……。前から前のめりな感じはしてたけど、近頃はなんか、襲われそうな気配がすごくて」

「ははは。じいちゃんにまでモテるようになったか」

 

 ナインズが苦笑して大神殿の噴水の傍を歩いていく。

 

 ハンゾウはそこで一度立ち止まると噴水へ深々と頭を下げた。

 

 不可視化して噴水の前にいたアインズとフラミーは頷いて返した。

 

「九太がフールーダのところにお出かけだ」

「ほんとですね。儀式魔法の入れ替えの説明受けにいくんでしたっけ?」

「それは前回で終わったらしいですよ。ほら、ずっと昔任せた転移門の作成。あれ。手伝って欲しいって頼まれたらしいです」

「ははーん、夜の転移門(ナイトゲート)上手くいきそうで機能しないですもんね」

「それです。ミイラ男とスペクター使ってあと一歩の感じなんですけどね。今日からはルーンも使ってみるのなんのって言ってました」

「ナイ君、お父さんに色々話してる」

 フラミーがぷくりと頬を膨らませるとアインズは笑った。

「ちょっと前まで母様母様だったのに、いつの間にかね。男同士の方がいいこともあるかな」

「えーん、ちょっと寂しいです」

「俺も花ちゃんもいますよ」

 不可視化したまま、よっこらせとアインズはフラミーを持ち上げた。周りを行き交う人々を時折避ける。

 

「──それにしても、こうも透け透けだと面白いこともないですね」

 

 翼をバサバサと震わせたフラミーは頷いた。

「透け透けじゃないお出かけしましょうね!」

「それですね。あ、アルベドが予定はオッケーだって言ってました」

「やったー!」

 二人はお出かけを楽しみに一度ナザリックへ帰った。

 

 至高の存在の気配が遠くで消えると、ハンゾウは少しだけ残念そうにした。

 魔導省についたナインズは広い玄関でエルミナスと手を振り合った。

「キュータ!一郎太!二人ともお待たせ」

「や、エル。わざわざ悪いね」

「おす。相変わらずちっちゃいな」

「ははは。二人が大きくなるのが早いんだよ」

 二人は魔導省の中をエルミナスに案内されて行った。

 

 中庭に巨大な三本の柱が聳えるところに出る。

 そこには特進化の教師達──フールーダの高弟が大量に集まっていた。

「──殿下!お休みのところ申し訳ありません」

「いえ。クレント先生、これですね」

 こうなると隠す事は難しいとゾフィや他のクラスの高弟達にも身分は明かされていた。

 ゾフィは通りでと苦笑し、ジーダに「そうなると本当の一位は私のところのリッツァーニ君かな」と笑い、ジーダは「私のところのバジノフ君を忘れてないかな?」と笑い返した。

 ハンゾウはナインズの進む足元にいた蜘蛛をひょいと退けてやった。蜘蛛は不思議そうにしてからちょこちょこと立ち去っていった。

 ナインズ達が何か魔法の話を始める。ハンゾウにはあまり興味はない。

 ここは人間達にしては多少やる者達が揃っているので無礼な真似を働かれないようにしっかりと目を配った。

 そして、無礼な老人が姿を現すとハンゾウ達は臨戦体勢になった。

 

「おおぉぉ!!殿下、よくぞいらっしゃいました!!」

 フールーダはナインズの足元に滑り込むと、両手を胸の前に組んで見上げた。

「殿下!!今日も腕輪を外していただけますかな!!」

「は、はい。まぁ……」

 腕輪を一郎太に渡すと、フールーダは爆風に押し流されるように叫び声を漏らした。

「──っおおぉぉ!!」

 ナインズから放たれる圧倒的な力に酔いしれている。入学前の時は第五位階や第六位階だった力──つまり、フールーダと同じ物だったので、単なる興奮で済んだが今の第八位階まで扱うその身を前にフールーダはたまらんと舌なめずりをした。

 これはフールーダと同じ能力を持つ者にしか見えない力の奔流だ。

 

「まさしく、まさしく神話の領域……!私は第六位階の壁を越えられずに何年もの時を過ごしてきたと言うのに……!!やはり……陛下方に付いていけば良いのですね……!!どうか、殿下!!私めにその祝福の片鱗をお与えください!!」

 

 いいとも言われていないのに靴に向かって行き、舐めまわそうとするとナインズが引き下がっていく。

 ハンゾウはハッスル爺さんを止めさせるために近くで見ていたジーダとゾフィを小突いた。

 二人は互いに叩かれたと思い、ハッとするとフールーダを止めに行った。

「師よ!お、落ち着いてください!」

「師!!祝福は迫るものじゃあないでしょうよ!スズキ君──じゃなくて、殿下に嫌われる!」

 一つミッションをこなすとハンゾウ達はふぅ、と額の汗を拭った。自分たちで手を出せないと言うのは非常に疲れる。

 

 時には耳元でこっそり「誰か止めた方が……」と囁いたり、風を起こしてみたり、虫を飛ばしてみたり、ハンゾウ達の知られざる戦いは続く。

 

case.9

 

 おやつどきの神都。

 オリビアは今日、ある目撃情報を元に人探しに行くことにした。

 近頃キュータは約束の地オブジェそばにあるマスコンパスというカフェによくいるらしい。

 髪を結び、目印のブックマークを髪に差し込む。

 くるりと回って今日の自分を確認した。

「ふふ、百点!」

 カバンを持つと家を飛び出し、マスコンパスへ向かった。

 どうか今日いて下さいと神様に祈り、オブジェの前を通り過ぎた。

 

「──わぁ!」

 一郎太がテラス席に座っているのを見つけると、オリビアは駆け寄った。テーブルの上にはたくさんの書類があった。

「一郎太君!」

「お、オリビアじゃん。どした?」

「へへ。キュータ君探しに来ちゃったぁ」

「ははは。いて良かったな。もう出るかって言ってたんだよ。ねぇ、キュー様」

 一郎太が隣に顔を寄せる。

 オリビアの目は滑り、次の瞬間、メガネをかけたキュータを見付けた。

「や、オリビア。見えてなかった?」

「み、見えてなかったぁ。どうして?」

「リアちゃんが国営小学校(プライマリースクール)の頃に使ってた気配消すメガネ借りてみたの。一種の探知阻害」

「えぇ〜。やめてよぉ」

「ははは。ごめんごめん。たまに学院の子に声をかけられたりしてね。レベル差──力の差があると結構見付けて貰えないしこれはもう使えないな。いくらなんでも行き過ぎだ。それで?僕のことわざわざ探してどうかした?」

 

 席を薦めてもらうと、オリビアはちょこりと腰掛けた。

「どうもしないけど、顔見たくなっちゃった。夏の間会えなかったから。私、遊びに行きたいところもしたいこともたくさんあったの」

「うん、悪かったね。秋や冬じゃ間に合わない?」

「間に合うよ!ふふ、いつでも間に合う!」

「良かった。じゃあ、まず何からしようか」

 頬杖をついた顔の美しさにオリビアは頬を染めた。

「お茶!もう出るって言ってたけど……良いかな?」

「良いよ。好きなの頼みな。一太もなんか頼んで」

 オリビアは一郎太とメニューを覗き込むと、ちらりとキュータのカップを覗いた。

 

「キュータ君、何飲んでた?」

「チャイだよ。シナモンたっぷりで」

「じゃあ私もそれにしておこっと」

「俺マキャティアにしとこかな」

 キュータが店員を捕まえて注文を済ませてくれると、オリビアはうっとりとその姿を見た。

 声変わりした姿も、長い髪も、全てが素敵だった。

「ふふふっ」

「──ん?」

「ううん!ねぇ、新学期はどう?」

「楽しいよ。今はちょっと忙しいけどね。オリビアは?」

「楽しいけど、やっぱり一緒に魔導学院行きたかったってまだ思っちゃうなぁ。キュータ君の隣に座って授業受けたかった」

「ははは、ありがとね。懐かしいね」

「うん。懐かしい。昔っからキュータ君の隣はやっぱり私だって思ってるんだ」

「今も座ってるもんね」

「ふふふ。そうだね!」

 注文したチャイと、頼んだ記憶のないカヌレが届くとオリビアは首を傾げた。

「あれ?お店の人間違えたかな?」

「ううん、僕が頼んだよ。秋になっちゃったお詫び」

「わぁ、ありがとぉ!」

「一太も食べな」

「やりー!」

 オリビアがこの大好きが届きますようにと祈ると、ナインズはぴくりと手をとめた。

「──オリビア。君、今何か祈った?」

「あ、え?」

「僕は友達の祈りは聞かないことにしてるんだけど、あんまり近くで強く祈られると届きそうになる」

「あ、あ!あの!!ご、ごめんね!!」

 危ないところだったとオリビアは顔を赤くするとチャイに口を付け、「あち」と漏らした。

 

「はは、治癒する?」

「する〜!」

 

 魔法がその身を包む。

 オリビアには分かっている。この人の優しさは全ての人の下へ届けられているものだと。

 今はまだ伝えてもそっと受け流されてしまう。

 届いて、しっかりその胸に残してもらえるように、今はまだ大切に育まなくては。

 大切に育むと言えば、少し前にイシューの召集でバイス組女子四人は集まった。レオネが祝福のキスをしてもらったと言う話を聞かせてもらったのだ。レオネは神官相手の祝福を大袈裟に言って回って……とロランに呆れていた。照れる様子でもなく、本当に祝福だったのだ。

 

 オリビアは今祝福して欲しいと言ったら、彼はキスをしてくれるのかなとキュータの横顔を眺めた。だが、どんな感じだったか聞いたら、レオネは「祈りを聞かれてる感じ。見透かされてるのかしら」と呟くように言っていたし、それを聞いた三人は「そんなの困る」と目を見合わせてしまった。

 たくさんの下心や、愛されたいと言う気持ち、抱きしめられたいとか、キスをしてほしいとか、そう言う祈りや願いまでもし知られたら、乙女としてはとても耐えられない。

 だから、三人とも「次あったら祝福してもらおうね」とは言えなかった。

 

「さーて、せっかくおかわりもしたし、もう少しこれもやろうかなぁ」

 キュータが書類をトントンと合わせ、何枚かめくっていく。

「キュー様も休めばいいのにな」

「オリビアも一太も美味しそうに食べてるし、僕は今文句なしに休まってるよ」

 

 チャイで温まった体で甘いカヌレを口にしていたオリビアは一瞬きょとんとすると、幸せに笑った。




あら〜!日常詰め合わせ幕間〜!!
図書館の子、なんかメランコリックでしたね。きっと二度と出てこない。

次回明後日!
Re Lesson#33 カッツェ平野の凶兆


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Re Lesson#33 カッツェ平野の凶兆

 金色に揺れる穂の中。一人の女学生が振り返った。

 

「修学旅行なんて最高ですよねぇ!」

 

 魔導学院の制服に身を包む彼女の耳は長く、お団子に結い上げられた黒い髪が印象的だった。

 彼女は半森妖精(ハーフエルフ)──にしか見えなかった。

「ふふふ、やっぱり青春は鏡越しよりその場にいてこそですね」

 同じく魔導学院の制服に身を包む彼は人間。黒い髪、黒い瞳の南方系だった。

 

「えへへ〜」

「えへへ〜」

 

 笑い合った二人は麦畑で肩を寄せた。

 遠くには友人に囲まれて笑う一年首席。

「いい眺めですねぇ、鈴木さん」

「本当ですねぇ、村瀬さん」

「じゃ、フールーダさんの所行きましょうか!」

「あんまりハッスルしないといいんですけど」

「探知阻害付けてるから大丈夫ですよ!多分」

 

 面白そうなことが大好きな保護者達は楽しげな一年次を尻目に三年次の輪へ向かった。

 エ・ランテル校と神都校の特進科と薬学科の生徒達が輪になって今年作られた新しい魔法道具の説明を受けていた。知らない者は他校の生徒と言う認識なので違和感なく潜入に成功した。

 

 フールーダが手にしているのはマンドラゴラの収穫時にあたりに叫び声が響かないようにするアイテムで、収穫する畝を囲むように何本もの杭を打つようだ。

 第二位階の<静寂(サイレンス)>が効き始めると、マンドラゴラ達の周りには青白いドーム状の光が満ちた。

 

「──これ、ピニスン達のために何セットか買っても良いんじゃないかなって思うんですけどどう思います?」

 ナザリックのマンドラゴラ達は抜くと「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」と叫ぶようにアウラが教育しているので不快な叫び声が上がるわけではない。

 だが、一匹抜くと全員が一斉にモリモリと土から体を揺らして飛び上がり、「アインズ・ウール・ゴウン万歳!」の唱和を始める。

 その言葉を合図にいっぺんに収穫できて便利という話もあるが、まだ収穫が必要のないやつは土へ戻さないといけないし、うるさいし、結構面倒くさい畑があった。

 隣のガルゲンメンラインやアルルーナの畑はもう少し知能があるので静かだが。

「買い物リストに書いておきましょ!ハムスケのいびきと寝言対策にもなりますし!」

「ははは、そう言えば苦情来てましたね」

 ちなみにマンドラゴラの唱和を聴きすぎたハムスケが寝言でそれを言ったせいで夜中にマンドラゴラ達が抜けてしまったなんていう悲劇もあった。

 二人でこそこそ話していると、「しっ」と隣の学生に注意され、アインズは相変わらずまたやってしまったと口を噤んだ。

 

 その後ろをぞろぞろと一年達が通り過ぎて行く。

 どこへ向かっているのかなとアインズは首を長くした。

 行き先にはもう一つの一年の塊。あちらはエ・ランテル校の生徒のようだ。

「──そうなのさ。チェーザレは何を目指しているんだろうね」

「でも筋肉が付いてた方が荷物持ちにはいいだろ?」

 ふと、すれ違い様聞き覚えのある名前と声を耳にしてフラミーも振り返った。

 一郎太が目の前を歩いて行く。息子グループだった。

 息子の観察ばかりしていても仕方がないので、二人はナインズの友人の観察も楽しんでいるので皆のことはよくわかっている。

 

 その中でも特に、魔導学院に来てからできた新しい友達はアインズ達の覗き見の格好の餌食だ。

「──あ、ワルワラ君だ」

 フラミーが言うと、四人の足が止まり、フラミーを見下ろした。

「誰だ?あんた、三年だろ?」

 アインズはパッとフラミーの口を塞ぎ引き寄せた。

「はは、この人はちょっとしたワルワラ君のファン」

「黒髪か。砂漠からか?嬉しいですねぇ、先輩」

「ワルワラ、行こう。もう集まってる」

 ナインズが言ってワルワラが歩き出す。

 アインズとフラミーは「良かった〜」と息子の思わぬ助け舟に笑い合った。

 そこで二人の肩は組まれた。

 ん?と、振り返ると笑顔のナインズがいた。

「なぁにをやっていらっしゃるんですかァ?」

「……村瀬さん、なんか怖い人が──」

「怖い人じゃないですよ!こんな所で何やってるんですかって言ってるんです!」

 向こうで一郎太がカインとワルワラを押して進んで行く。ナインズを置いて行ってしまって良いのかと二人は振り返っていた。

 

 逆にナインズも父母の肩を組んだまま三年の迷惑にならなそうな場所へ離れて行く。

「ナイ君、皆いっちゃうよ〜?」

「その名前で呼ばないでください!母様も何やってんのか白状して!!」

「はいはい、九ちゃんね〜。視察ぅ。お母さんもお父さんも面白そうなことだぁいすき」

 フラミーが言うとナインズは頭を抱えた。

「視察って……分かったら皆パニックになりますよ……」

「えへへ。大丈夫大丈夫、分からないように来てるから!もう何回目か分からないくらい!ね、鈴木さん!」

「ね〜村瀬さん」

 二人が仲良く頭を寄せ合うとナインズの頭痛は強くなるようだった。

 

「……良いですか。絶対に魔法は使わないでください。威力も範囲も狂ってるんですから」

「はーい!ちゃんと分かってるよぉ。大丈夫!」

「そうそう。何ならフールーダは私達のことを分かってるしな。ジーダとゾフィも」

 アインズが顎をしゃくった先では、一年が集まるのを待つジーダとゾフィがいて、慌てて頭を下げていた。

「……いつもの下界巡りってことですね。優秀そうな人がいたんですか?」

「別に。たまには良いだろう?お前ばっかりずるい」

「ずるいって子供みたいなこと仰って……。それに、名前は鈴木と村瀬なんですか?」

「お決まりだからな」

「同じ名前でその髪の毛と目の色じゃ父様とは血縁者だってすぐにバレますよ……。母様は半森妖精(ハーフエルフ)だからまだ良いですけど……」

「まぁまぁ。モモンって言うわけには行かないしな」

 

 ナインズは子供の頃、ナザリックにいるらしいと聞いていたはずが見かけないと思っていた英雄の名前に眉間を押さえた。ただの父だった。

 子供の頃二、三回会って握手して貰ったが、サンタクロースの正体にリアルの子供達が気がつくのと同じように、ナインズはモモンの正体に気が付いていた。

 

「ま、従兄弟とかなんとか言っておいてくれれば良いから。私達は基本的には三年の方で遊んでる──じゃなくて視察してるから」

「……今遊んでるって言いましたよ、しっかりと」

「何のことか分からん」

「何て白々しいんだ……」

「──あ、レオネちゃん」

 アインズが指さすと、ナインズはパッと振り返った。

 一年の信仰科のローブを探してキョロキョロしていると、アインズは嬉しそうに笑った。

「ははは、なんちゃって。いなかったな。いいなぁ、青春」

「……父様、殴って良いですか」

「嫌だ。流石にそろそろお前のパンチは痛いだろうから。──さて、おふざけはこの辺にしてお前はいい加減勉強に行きなさい」

「行きたいけど、お二人残して行けませんよ……。外のルール分からないでしょう……。父様と母様が誰だかバレて僕まで巻き添えなんて困ります」

「大丈夫だって。早く行かなきゃジーダが授業始められなくて悪いだろ。お前こそ外のルールが分かっているのならちゃんとしなさい」

 ナインズは渋々二人から離れると、ビッと指をさした。

「絶対に魔法使わないで下さいよ!後、外でキスや抱っこはしないこと!学生はそんな事しないんですからね!!」

「はいはい、分かってるって。そんなに所構わずベタベタするわけがないだろうに」

「行ってらっしゃーい」

 二人について来ている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達も手を振る。

 

 心配でたまらんとナインズは心の中で言いながら友人三人の輪に戻った。

 

「おい、なんだよ。お前兄貴がいたのか?学院じゃ見なかったよな?エ・ランテル校ってことか?」

 ワルワラに言われると何と言うべきか眉間を揉む。カインは「ま、まさか……」と言うような雰囲気があった。

「……あの人は兄じゃない。同じ母から生まれてない兄は一人いるけど」

「なんかお前んちって複雑だよなぁ。あっちは前妻の子?」

「いや、父は妻は一人しか持ってない……」

「じゃあ妾か。ま、神聖魔導国でもバハルスの方じゃよく聞く話か。な、カイン」

「そうだね。だけど……いいんですか?」

 カインは心配そうにあの二人の方を見た。

「……僕も良いのか分からない」

 振り返ると、あんなに外でくっ付くなと言ったのに二人はぺったりと寄り添って話を聞いていた。父はちゃっかり母の頬にキスをした。

 思わず拳を握ってしまう。ナインズは笑顔だと言うのに拳に血管が浮きそうだった。

「まぁまぁ、キュー様」

「お前と血が繋がってるってのに、兄貴は割と大胆だな。少しはお前もあれを分けてもらえてりゃあな」

 

 そうしていると、「そこ!!」とエ・ランテル校の教員に怒られた。

 渋々前を向く時、ナインズは「やれやれ」と肩をすくめる父が見えた。

 

 ジーダはそろりそろりとナインズに近付いて来ると、ナインズの肩を叩いた。

「えーと……スズキ君、少しいいかな?」

「あ、はい……。すみません……うるさくて。それに、あの二人本当お気楽で……」

「いやいや、それは良いんだけど、ちょっと予め紹介しておきたいエ・ランテルの先生がいるんだよ」

 ナインズは首を傾げると、そっと皆の輪を離れた。その後を一郎太が一応ついてくる。

 

「紹介しておきたい先生ですか?」

「そうなんだよ」ある程度輪から離れると、ジーダは一度深々と頭を下げた。「──授業も始まると言うのに申し訳ありません、殿下」

「いや、そんな。よして下さい」

「いえ……私がちゃんとやれてるか陛下方はご心配なんでしょうか」

「あの二人は視察だとか言って遊びに来てただけです……」

 とか何とか言っているこの瞬間にも、両親は遠くからナインズの写真を撮って嬉しそうにしていた。ナインズは赤ちゃんか。

 ちなみに、モノクロだがカメラもついに世の中に出回り始めた。だが、大変高価な魔法道具なので写真館に行かなくては写真は撮れないことが殆どだ。

 

「陛下方はいつもそう言って、本当の目的は仰らないんですよ。全てが終わってから、"ああ、そうだったのか"と分かることばかりです。多分今回も"ああ、そうだったのか"となるかと……」

 苦笑しながら、ジーダはそっと振り返り、離れたところにいた女性教員を手招いた。

「──あれは私のいわゆる同期です。帝国魔法学院からの付き合いになります。彼女は天才だと呼ばれていました」

 

 女性教員はすぐ側にくると深々と頭を下げた。

「は、初めまして。私はアルシェ・イーブ・リイル・フルトです!エ・ランテル魔導省に勤めるパラダイン様の高弟です。今は魔導学院のエ・ランテル校に出向しています」

「あ、初めまして。僕はキュータ・スズキです」

「お噂はかねがね。素晴らしい才能に話を伺うたびにエ・ランテル校の職員達もいつも感嘆しておりました。──殿下!」

 ナインズは思わず眉を顰め、ジーダを見た。

「クレント先生、これはどう言う?」

「申し訳ありません。彼女にだけはどうしても予め伝えておく必要があると思いまして。恐らく、この校外授業の間にも腕輪を外して魔法を使われることもあるかと……」

「それはあるつもりですけど……なんなんですか?」

「彼女は看破の魔眼を持ちます」

 

 アルシェは深々と頭を下げた。

 

「えっと、恐れながら、今は第一位階から第二位階をご使用になると見えます」

「そう言うことですか」

「はい。殿下が第何位階までお使いになるのかは存じ上げませんが、何も知らないままの彼女が殿下を目撃でもしたら騒ぎになるかと……」

「ありがとうございます。ちょっとクレント先生を疑っちゃいました」

「はは、それは仕方のないことです」

 ナインズはそっと腕を持ち上げ、腕輪を外す。そして一郎太に渡すと──

 

「──おげぇぇぇぇ!」

 嘔吐する音。ほとんど液体の吐瀉物がバチャバチャと大地を叩き、酸っぱい匂いが辺りに漂う。

 

「え、えぇ?大丈夫ですか?」

「ち、ちょっと。フルト君、どうしたの。体調悪いなら先に言ってよ。──殿下、すみません。えーと、どうしたもんかな。ミズ・ケラーか誰か近くにいないかな」

「あの、僕が回復かけますよ」

 ナインズは腰に下がる短杖(ワンド)を取ろうとして、そこに下げるようになった剣にカツンと手が触れた。夏休みの間はナザリックでずっと二つを下げっぱなしだったが、外では慣れておらず、真っ直ぐ短杖(ワンド)へ向かえなかった。

 

「す、すみませ──おえぇええ!」

 再び耐えきれないようにアルシェが吐く中、ジーダはようやく理解した。

 殿下に会うという緊張と、ナインズの持つ膨大な魔力に耐えきれずアルシェは吐き出したのだ。

 ナインズが杖を持ち、どの回復を掛けようかと迷っているのをよそに、ジーダも慌てて杖を抜いた。

「こ、これでなんとか。<獅子のごとき心(ライオンズ・ハート)>」

 ジーダの魔法により畏怖に包まれきっていたアルシェはハッと顔を上げた。

 

「あ……す、すみませんでした。こ、この距離でこれほどのお力に触れたのは初めてで……。昔、エ・ランテルで陛下方を看破させていただいた事はあったんですが……」

 

 周りの生徒や教師が何事かとアルシェを遠巻きに見ていた。アルシェはダラダラと流れる汗を吸わせるように額をハンカチで押さえた。

 

「そ、そうですか」

 一郎太から腕輪を受け取り、この注目をどうするんだろうと思ってしまった。

 それにはジーダも思い至っているらしく、コホンと咳払いをした。

「殿下、兎に角ありがとうございました。先に紹介できて良かったです。えーと、皆には夜の交流会の挨拶を頼まれたとでも言って置いて下さい」

「それ、本当にやるやつですか?」

「えぇ、お願いします」

「あっちの二人の方がいいんじゃ……」

 ナインズが見る先では心配そうにこちらを見ている両親。

 だが、ジーダは首を振った。

「それぞれの学年ごとに交流会は開かれるので、一年の神都校の生徒挨拶をお願いしたいんです。──いいね、スズキ君」

 いつもの様子になったジーダが背を叩くと、ナインズはもう「分かりました」としか言えず、一郎太と皆の輪の中に戻って行った。

 

 それに手を振って見送ると、ジーダはため息を吐いた。

「……フルト君、いくらなんでも頼むよ。師が興奮するだけのお力があると先に言っておいたのに」

「ご、ごめん。ティアレフ君……。でも……あんなにすごいなんて……」

 そこまで言われるとジーダはナインズの本気がどれほどのものか気になってしまった。

「……ちなみに、殿下は何位階程度を使いそうなの?」

「……第八位階はお使いになると思う……。陛下方は第十……ううん、第十一位階や第十二位階にも達するようなお力だったけど……。でも、殿下も……やっぱり、化け物……」

 その言葉を理解するとジーダは思わずごくりと喉を鳴らした。

 それだけの力を持ちながら、秋からは剣まで腰に下げていて、あれも多少は使うのかと。

「……ティアレフ君、すごいね」

「何が……」

「私なら殿下──スズキ君にものを教えろって言われたら逃げ出す……。<飛行(フライ)>で目一杯遠くまで」

「今逃げ出したい気持ちだよ……」

 大人になった二人は苦笑を交わした。

 

+

 

 ブリタはこの秋の実りの中を、空からの魔物を警戒して巡回していた。

「全く平和な世の中になっちゃってね」

 あちらこちらで授業を聞く学生達が笑い合っている。

 

 すぐそこの女子四人組の様子を見る。

 

「──ルイディナ、この土はどう?」

 黒髪の女の子が土をすくい、獣人がそれを覗き込んだ。

「そこも掛けてあるねぇ。いやぁ〜すごいよ。守護神様のお力ってはちゃめちゃだね。これが昨日今日魔法をかけられた土じゃないなんて」

「そんなにすごいのね。私には分からないわ」

 

 ブリタにも分からない。

 あの獣人は森司祭(ドルイド)なのだろうか。

 

「ヨァナ、あなた調子悪いんですの?」

「……レオネ、私どうしよう」

「どうしようって何がですの?」

「……ミノさんの顔が見れないの」

「まさか、本当に一郎太さんに本気ですの?」

「そうみたい……。どうしよう」

「……どうしましょうね」

 

 ヨァナと呼ばれた子は真っ赤な顔を覆っていた。

 

(……青春ねぇ)

 

 そういう事とは縁遠かったブリタにはよく分からない感覚だ。

 あの男子が素敵、この男子が好き。それはそんなに楽しい事だろうか。

 ふと、空から陰がチラついた。

 肩にかけていた弓を下ろして見上げる。

(しゅ)だ。──そこの四人!頭を低くして!!」

 四人はハッと頭を下げ、ブリタはギリギリと矢を引き絞った。

 (しゅ)は人の手を持つ怪鳥で、凶兆の前によく現れる。例えば虫が大量に出るとか、この冬が冷え込みすぎるとか。

 なので全くいなくなると備えに困る魔物だが──やつらは人の手を持つだけあって作物をどっさりと盗む。

 それに、容赦なく人も襲う。

 ビュッと矢が放たれていくと、(しゅ)の首に刺さり畑の中に落ちた。

 (しゅ)はシュー!シュー!と鳴き声を上げて暴れていた。この鳴き声にちなんで(しゅ)と名付けられている。

 

「──助かりましたわ。ありがとうございます」

「いいえ。若い女の子達が無事で何よりよ」

 女子が礼を言いにくると、ブリタは笑った。

 弓を肩に掛け直し、腰に下げる小さなナイフを抜き取る。

「……殺しますの?」

「そう。こいつの嘴は<警戒(アラーム)>の魔法道具の素材になる」

 首を押さえつけてナイフを振り上げ、下ろす。

 (しゅ)は絶命した。

「よしと。──ん」

 顔を上げると女子の目を塞いで見下ろす男子がいた。一つに結かれた黒髪が風にそよぐ。一瞬女かと思うほどに美しい顔立ちだった。

「こんにちは、助かりました」

「いいえ、これが私の仕事よ」

「いい腕ですね。すごく正確で。──レオネ、君は血なんて見ない方がいいよ」

 耳元で囁く様子に、何故か見ているこちらが顔を赤くしてしまいそうだった。

「だ、大丈夫ですわよ。わたくしなりに色んな事、覚悟して生きてますもの。それより、キュータさんは授業はどうなさったの?」

「うーん、レオネ達の上に変なのがたくさんいると思ってきてみた」

「平気でしてよ。良いから授業に戻られて」

 女子は男子の背をそっと押したが、ブリタは「たくさんいる」という言葉に疑問を覚えて空を仰いだ。(しゅ)は別に群れる生き物ではない。

 だが、再び見上げた空にはたくさんの(しゅ)が飛び交っていた。今にも空を埋め尽くそうな数だ。

 

「な、なんで?」

 

 他の畑の上にも(しゅ)はたくさんいた。

 周りの畑でも弓の衆がせっせと(しゅ)を撃ち落としていた。

「あれ、有害なんですよね」

 男子生徒に聞かれる。

「そうよ。あなた達、一度避難したほうがいいわ。こんなに(しゅ)が出るなんて初めて。全部落とすには時間がかかるわ」

 何かよほど悪いことでも起こるのだろうか。

「──ワルワラ!全部落としていいらしいよ!!」

 振り返り男子が言う。

 向こうで笑った男子は杖を抜き、空へ魔法を放った。

 それを皮切りにあちこちの生徒達が空へ魔法を放っていく。

 これが魔導学院の生徒かとブリタは妙に感心してしまった。

 

「お姉さん、落ちてくる鳥に気をつけてください」

「お、おね……。んん、私も落とすわよ」

 そんな風に呼ばれたのはいつぶりだろう。ませた青年に苦笑してしまう。

「一太ー!腕輪放るよー!」

「へーい!」

 青い星のような指輪が着けられた手で高そうな腕輪を外すと、それを振りかぶってミノタウロスへ投げた。

 そして、腰に下げている剣の縛めを解き、剣を抜く。その剣は馬鹿みたいに装飾がたくさんついた、王族が儀式時に使うような代物だった。

「──繰り返しの(ダガズ)、与える(ギューフ)と満たす(イング)(ガー)

 刀身を指が撫でていく。その指には何もついていないのに、青白い文字が刻まれていった。

「これでうまくいくかな。<魔法蓄積(マジックアキュムレート) 電撃球(エレクトロ・スフィア)>」

「だ、第三位階……」

 バチバチと剣の周りを雷撃の波紋が満ちていく。こんなに明るい昼間だと言うのに、光はまばゆくブリタは目を細めた。

「ッそら!パラダイン様考案だ!!」

 思い切り空に向かって剣が振るわれる。

 空気を切り裂く音が響くと同時にチカッと空を雷が駆け抜け、「ジュ──!!」と言う唸り声が響く。次の瞬間、大量の(しゅ)がボトボトと落ちた。

 

 ブリタが降ってくる怪鳥を肘で弾き飛ばす横で、青年も女子達の上に落ちて来た鳥を刀身の面を使って弾いた。

「一太!これ使っていいよ!!あと二回くらいは使える!!」

 一通り鳥の落下が終わると、まだ雷の力を纏う剣がミノタウロスへ向かってヒュッと投げられる。

 代わりに腕輪が投げ返されてくると青年はそれを腕に戻した。

 

 ミノタウロスは数え切れない(しゅ)を落とした。

 ブリタは冒険者だったらこの学生達は一体どれほどの(クラス)に立つのかと呆然と眺めた。

 

「──レオネ、大丈夫だった?」

「大丈夫に決まってますわよ」

「良かった。君に何かがあったら僕は困る」

 

 甘すぎる顔で笑い、今度は杖を抜いた。

「じゃ、皆の上はもう平気だろうから僕は行くね」

「もう。早く行ってらして」

「ははは。怪我したら呼ぶんだよ。──あ、と、父さ──ちょっと!!魔法使わないで!!村瀬様!止めて下さーい!!」

 

 落ち着いていた雰囲気だった青年は大慌てで上級生の中へ駆けていった。

「「「何者よ……」」」

 そのつぶやきは座り込む女子二人と重なり、三人で苦笑した。

「あの子、本当に何なの?すごいわね」

「えーと、特進科の首席です。学院創設以来の天才だって先生達は言ってます」

「……そうよね。いくら魔導学院って言ったって、あんなのごろごろはいないわよね」

 いたら困る。もはや魔導学院生だけで冒険者組合が作れる。

 教師達が空へ放つ範囲魔法も第四位階や第三位階、所々に天使が出ていたりとすごい光景だった。

「……(しゅ)を可哀想に思う日がくるとはね。私は行くわ。あなた達、一応気をつけるのよ。って言ったって、魔導学院の子達ならそんな事言う必要もなさそうね」

「いえ、ありがとうございます」

 ブリタは魔物を入れておくための皮嚢を開けると、あちこちに落ちている(しゅ)を集めた。

 

 あの生徒が雷で焼いた(しゅ)からは出血がなかったが、他の場所で絶命している(しゅ)からは血も滴っていた。

「──血なんて見ないほうがいい、ねぇ」

 青年が女生徒に言った言葉に苦笑してしまう。

 この世は血で溢れている。ここの大地だってどれほどの血を吸ったか知れない。

 それに、毎日食べているもの達だって血を流しているのだ。

「綺麗事を言ってられるのも、若さだわね」

 

 (しゅ)の回収を終え、弓の衆と合流すると魔導学院の教師達の方へ向かった。

「先生方、ご無事でしたか?」

 若い女の教師──これはフルト先生だ。<飛行(フライ)>を駆使しながら第四位階の魔法を身長ほどもある杖から繰り出していた。

 彼女はエ・ランテル近郊出身冒険者なら誰でも知る冒険者チーム、フォーサイトで引退まで活躍していた。

 確か、剣士と弓士は家庭を持ち、神官は国営小学校(プライマリースクール)の回復室に勤めはじめたんだったか。

 まだ若かった彼女が次はどのチームに入るんだと組合は沸いたが、行き先は魔導省だった。

 惜しまれての早期引退。我らがたぬき親父アインザックは優秀な冒険者を魔導省に取られたとしばらく怒っていた。

 

「はい!怪我人は一人も。生徒達に魔物を見せる良い機会でした。エ・ランテルや神都ではほとんど見られませんし、今の子達って皆平和な世しか知りませんから」

「はは、違いないです。(しゅ)の遺体はこちらで組合に提出して、売却益を分け合う形でよろしいですか?」

「薬学科の解剖のために遺体をいくらか分けていただけたら、残りはそちらでどのようにしていただいても構いません。お気遣いありがとうございます」

「討伐を手伝ってもらったのに何だか悪いですね……」

「いえ。ブリタさん達なら生徒なんかいなくてもあっという間でしたよ」

 ブリタは瞬いた。

「わ、私の名前」

「知ってます。はは、懐かしいですね!」

「──本当に!」

 

 二人はかつての仲間に向けるべき笑顔で笑い合った。

 

 その後、取りこぼした死体はないかとブリタはもう一回りし、持ち場に戻った。

「──よう、ご活躍だったな」

「ダニー、私を雇ってて良かったでしょ。と言いたい所だけれど、魔導学院の子供達は並じゃないわね」

「ははは!本当に。死体を集めるなら俺でもできる」

「じゃあ行って来い!」

 ブリタがゲシっと尻を蹴ると、ダニエルはおっさんくさい笑いを残して薬学科の実習へ行った。

 

 その後一日歩哨として畑を見て回ると、あの首席だと言う子が似た顔の生徒の世話をせっせと焼いている姿が見えた。

(……お兄さんもいるわけね。エリート一家か)

 首席は兄といる同郷らしい女生徒へバッタが行こうとするのを見ればへなちょこ魔法でバッタを弾き飛ばしたり、栄養を与えた土の具合を見るために泥だらけになれば<清潔(クリーン)>をかけに行ったりと忙しそうにしていた。

 

 兄は苦笑して「まぁまぁ。大丈夫だから。真面目に授業を受けてきなさい」と疲れた顔をする首席の肩を叩いていた。

(なるほど、兄が好きすぎる優秀な弟と、その背を見守る兄と彼女ってわけね)

 首席はよほど兄が気になるのか何度も振り返りながらまた一年の枠へ帰って行った。

 

 次の畑では薬学科が何かの根を繁々と眺めていた。

 後ろの方ではこそこそと顔を寄せる女子。

「──アガート。旦那、すごかったっすね」

「うん、かっこよかった。三年よりすごかったよね?」

「うんうん。剣まで使って人間かいって感じだったっす。エ・ランテル校の女子共が沸き立ってたっすよ」

「やばい。可愛い子いた?」

「あんたよりゃ可愛い子たくさんっすね」

「……レイ、あんた私の味方なのか敵なのかはっきりして」

「そりゃ味方。あんたが一番って言うのは実は敵だから気をつけたほうがいいっすよ。ちなみに、薬学科で一番可愛いのは自分っす」

「それはない。ミルリルの方が顔だけなら可愛い」

「えぇ?──ロラン氏、どう思うっすか?」

「う、う〜ん……。可愛いんじゃないのぉ?」

「やったぜ」

 

 なんとも下らなく微笑ましかった。

 夕暮れが訪れると、生徒達はぞろぞろと畑を出て行った。

 ブリタも明日の連絡と必要事項の共有を歩哨の衆と終えると家路に着いた。

 

「──少し血の匂いがするな」

 

 本当にすごい量の(しゅ)だった。

 凶兆の知らせだったとしたらとんでもないことが起こりそうだ。それとも、住処でも変えるのだろうか。

 家の前の階段に足をかけると、ふとブリタの目の端には見たこともない植物が生えているのが写った。

「なんだ?」

 朝まではこんな所に草なんて生えていなかったと思ったのに。

 まるで今日の大地の血を吸い上げたような赤黒い花を咲かせていた。

 綺麗だが、こう言うのは放っておくとすぐに増えてあっという間に家の周りを取り囲んでしまう。それに、花の季節が終わればどうせ綺麗でもない雑草になるのだ。

 ブリタはそれを根から引き抜くと玄関ポーチを上り家に入った。

 キッチンのゴミ箱へ放って風呂に向かう。

 

 久しぶりに体に血の匂いがまとわりついているような気がした。

 ポイポイと服を脱いで行き、あっという間に裸になると湯に身を沈めて泡でよく体を洗った。

 小さめの湯船だがあまり大きな湯船だと湯を張るのが大変だし、ブリタとしては気に入っている。

「っはぁー!」

 足を湯から出してバスの縁にかけ極楽の声を上げた。

 今日これだけ血の匂いがすると明日も何か魔物が出てもおかしくない。ブリタは少し楽しみになった。

 ふふ、と声を上げると、ふと部屋の方からガタリと音が聞こえた。

 途端にバスから身を起こし、泡もついたまま風呂の扉を少し開けた。

「……ダニー?」

 声を掛けるが返事はない。

 

 人の気配はなかった。適当に置いた剣や矢筒が倒れたのかもしれない。

 気のせいかと扉を閉めようとした。その時──

 扉をギッと何者かが抑えた。

「っな、何!?」

 目を凝らすと、湯気の中に透明のゆらめくような人影が見えた。

 ブリタの目の前で扉を押さえ、こじ開けようとしている。

 

「ッ魔物!?それとも<不可視化(インヴィジビリティ)>!?くそ!!」

 ここに籠城しても仕方ない。

 相手の力をそのまま使って扉を開け放つと猪のように透ける体へ猛進した。

 <不可視化(インヴィジビリティ)>を使う者なら体を打ち当てて転ばせることもできるはず。

 だが、ブリタは透明の謎の存在をすり抜けた。

 その瞬間『ああ、羨ましい。ああ、嫉ましい』と声がした気がした。

 倒れるように廊下に出ると、裸のまま剣を手にして抜いた。

 

「──どこ!?」

 

 湯気の散った部屋の中では透明の存在は完全に見えなくなってしまった。

 風呂場へ戻った方がいい。

 ブリタは壁に背をすり、剣を構えたまま今きた道を戻った。

 そして、不自然にあの捨てたはずの赤い花が浮くのを見つけた。あれが魔物だったかと初めて見る種類の魔物に舌打ちをする。

「──そこ!!」

 花はふわりと剣を避け──次の瞬間にはブリタの肩を何者かがつかんだ。

「何!?」

 鼻の前に赤黒い花が差し出され、スンと一息吸った瞬間、ブリタの頭に霧がかかる。

 ガランと音を立てて剣が落ちる。

「──か、かいじゃだめだ……」

 自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐと、ブリタの目の前の透明だったものはゆらりと人の姿になりはじめ──

「──か、かいじゃだめだ……」

 ブリタの言った言葉を復唱した。

 

 そのまま、ブリタの頭の中は霧でいっぱいになった。

 

 ここはどこだったか。

 なぜここにいるんだったか。

 よく分からない。

 ぼうっと座っていると、扉がノックされた。

「──誰?」

 ゆっくりと扉を開くとギョッとした男がいた。

 

「ブ、ブリタ!いくら何でも服を着てから出ろ!!」

 

 男が扉を閉めようとする、扉には手がかかりさらに開いた。

 

「──あんた、誰?」

 

「は……?」

「ブリタって、私?それとも──」

 ブリタは赤髪の女に振り返った。

「──それとも私?」

 家の中にはブリタが二人いた。

 

 ダニエルは二人を見比べ、同じ場所にあるホクロや、全く同じに縮れる鳥の巣のような髪に瞬いた。

 

「──あんた、誰なの?」

「ねぇ、ここはどこなの?」

 二人のブリタは不安そうにダニエルを見上げていた。

 

+

 

「神殿はもうとっくに閉まってる!とにかく、魔導学院の先生方に見ていただくしかない!!」

 二人に服を着せると、ダニエルは二人を引っ張って二校交流会へ向かった。

 魔導学院の信仰科の教師達なら何とかしてくれるはず。

 二人のブリタは全く見分けがつかなかった。

「お前ら、本当に双子じゃないんだろうな!?」

 ダニエルが言うと、二人は目を見合わせて苦笑した。

「違うと思うんだけど。それとも、双子で揃って記憶喪失かね?」

「うーん、困ったことになったねぇ」

「お前ら自分たちのことなのに人ごとか!」

 

 一番近かった一年の会場の扉をそっと開く。

 中では交流のダンスが始まっていた。

「……お前らはここにいろ」

「はいよ、ダニエル。──だっけ?」

「ダニーでいい。今先生方に話してくる」

「頼んだよー、おっちゃん」

「自分だっていい年して」

「うるさい。余計なお世話よ。ねぇ」

「ほんとに。なんでこいつが私らの雇い主なんだろうね?」

 ダニエルは舌打ちをしてから扉をくぐり、踊っていない教師を探した。

 壁に背を預けて話す二人の教員を見つけるとそちらへ向かう。

 

「──先生方、先生方!」

 神都校のクレント教諭とエ・ランテル校のフルト教諭だった。

「あ、オルノさん!今年は例年より一層良い授業をありがとうございました」

「い、いえ。あの魔物は予想外──」と言いかけたところで、まさか(しゅ)の今回知らせた凶兆はこれかとゾッと背を寒くした。

「オルノさん?」

「──あ、すみません。実はハンターの一人が……何と言いますか……分裂しまして……。記憶もなくなって困っているんです……。多分双子じゃないとは思うんですけど……。今日は凶兆を知らせる(しゅ)もあれだけ出たので、明日の神殿が開くまで待たない方がいいかと思って……」

 

 二人は目を見合わせた。

「ぶ、分裂ですか?記憶もなく?フルト君、知ってる?私は冒険者だったことは無いからあんまりそう言うことは詳しくないんだけど……」

 フルト教諭はム、と数秒悩むと頷いた。

「──シェイプシフターかもしれません。だとすれば分裂ではなく、どちらか一人は魔物です。姿を真似る人間に時忘れの草を嗅がせて記憶を奪う。人の生活を羨んで、人の生活に組み込まれようとします。そして、最後は人を争わせようとします」

 

「ま、魔物。大変だ、廊下に残してきた!二人にしたらブリタが殺される!!」

 ダニエルが慌てて踵を返そうとするとフルト教諭はその手を取って止めた。

 

「大丈夫、シェイプシフターは宿主の人間を殺せば自分がシェイプシフターだとバレると分かっているから宿主には手を出さない。それに、人が多すぎる所で一気に時忘れの草を嗅がせて大繁殖されると大変。廊下にいるならそれが一番いい」

「わ、分かりました……」

 

「ティアレフ君、神官の先生達にシェイプシフターが出たことを伝えて。多分、第三位階以上の<混乱への抗体(コンフュージョン・リカバリー)>を使える先生がいればすぐに対応できると思う。二回使えれば、二人に掛けて記憶を取り戻した方が本物。ただ、シェイプシフターに掛けて記憶が戻らないと、バレると踏んだシェイプシフターが暴れるから教員は皆杖を持つように」

「わかった。そう手配する。生徒にも外に出ないように言っておくよ」

「お願い」

 クレント教諭が踊る生徒達を避けて消えていく。

 

 フルト教諭は「では」とダニエルの背を押した。

「とりあえず、記憶を奪われて繁殖されないように一緒に行きましょう」

「はい。ありがとうございます……。でも、俺はここまで来るのになんともなかったんですけど……」

「おそらく、あなたがもっと地位の高い人間や、利用価値の高い人間の下へ自分達を連れていくと理解しているからでしょう。昔シェイプシフターの出た小国の遺跡に行ったことがあります。上り詰めたシェイプシフターは王の記憶を奪い、王と同じ姿を持った偽物は派閥を二分させ、大きな内乱を呼びました。どちらの派閥も自らが戴く王こそ本物であると主張していたそうです。本当にどちらもそう信じていたのか、それとも傀儡として偽物の王を使えると思ったのかは分かりませんが」

 

 ダニエルは優雅な音楽の中、ごくりと喉を鳴らした。

「そ、そのあとは……?もちろん、本物の王の派閥が勝ったんですよね?」

 

「いえ、シェイプシフターの勝利です。シェイプシフターの本質は生を憎むアンデッドです。だから──遺跡になってしまった。時忘れの草で忘れさせることができるのはその人の生きてきた記憶だけで、字を書いたり言葉を話したり、培ってきたルールや性格などは残ります。シェイプシフターは最初こそ完璧に宿主を演じますが、時が流れると普通なら羞恥心や罪悪感で宿主がやらないような事すらして周りの人間を懐柔し始めるんです。こうなると手に負えない」

 

「ほ、本質はアンデッドなのに、人を懐柔するんですね」

 

「はい。その方が効率が良いと分かっているんでしょうね。生を貶めるのに。それに、彼らは人を羨み人の生活もしたがります。そして、彼らが姿をもった時にはその身は時忘れの草の根がぎっしりと埋まっていて、アンデッド特有の反応もないそうです。人によっては植物系モンスターだと言う人もいますが、多分シェイプシフターと時忘れの草はお互いの共存のために協力し合っています。生き物の感覚を時忘れの草からも得ているんだと私は思う」

 

 扉の前につくと、フルト教諭は杖を持ち直した。

「──ハンター二名から目を背けないようにしましょう。一瞬目を離した隙に時忘れの草を嗅がされて、分身を作られると厄介です。オルノさんはここにシェイプシフターを連れてきたことで、シェイプシフターの中の利用価値は分身へと変わっているはずです」

「わ、分かりました」

 二人でゆっくり扉を押し開ける。

 静寂の廊下に明るい音楽が流れ出ていく。

 

 そこには誰もいなかった。

 

「い、いない!?どこに行った!?」

「……ハンターは待っているように言った言葉を無視してどこかへ行ってしまうこともあるような人?」

 確かにブリタがここで大人しく過ごしている気はしなかった。

「そ、そうかもしれません。昔冒険者だった跳ねっ返り女なんで」

「──冒険者だった?もしかして、ブリタさん?」

「え?そうです。フルト先生、ご存知で?」

「そりゃあ知ってる。でも、ブリタさんを模したシェイプシフターだとすると厄介かもしれない」

「──というと?」

「人間性の根っこが失われるわけじゃない。自分に何が起きてるんだろうとワクワクして飛び出されても違和感がないと言うことをシェイプシフターは最大限活用するはず」

 

 ダニエルの背にはたらりと汗が流れた。




御方々まさかのガッツリ顔出し修学旅行参戦!!
これにはナイ君の心疲労が心配されます!
でも癒しのレオネがいて良かったね!

次回明後日!
Re Lesson#34 瞬間、交流深めて


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Re Lesson#34 瞬間、交流深めて

 魔導学院、神都校、エ・ランテル校一年交流会。

 エ・ランテル校の成績優秀者の挨拶の後、ナインズも壇上で挨拶をした。

 拍手が響き、壇上から降りるとナインズはエ・ランテル校のアンリエッタ・コルトレーンと握手をした。

「コルトレーンさん、よろしく」

「スズキさん、よろしく。私はアンリエッタで構いません」

「ありがとう。僕もキュータで構わないよ」

 薄紫色の大きなリボンを揺らしてアンリエッタは優しげに笑った。エ・ランテルでは光神陛下グッズとして薄紫は常にトレンドだった。

 

 両校の教師達の紹介や、明日や明後日の日程の話が始まる。

 

「キュータ君、すごい成績ですよね。エ・ランテル校でもよく話題になってますよ」

「本当に?まぐれだよって言っておいて欲しいなぁ……」

「謙遜されてるんですね。そちら、パラダイン様の授業が週に一回はあるんですよね?羨ましい。やっぱり神都校に入らなきゃ高弟になるほどのモノにはなれないのかしら」

「アンリエッタならなれるよ」

「そうですか?」

「うん、今日<第一位階怪物召喚(サモン・モンスター・1st)>で下級の風精霊(レッサー・エア・エレメンタル)出してたでしょ。感動した」

「よく見てるんですね。自慢の魔法なんです。私の両親は揃って召喚士(サモナー)ですから」

「へぇ、すごいね。初めて聞いたよ。アンリエッタは召喚士(サモナー)のサラブレッドだ」

「ふふ、召喚士(サモナー)って誰かと儀式をすることも多いんです。息を合わせて何かを召喚したりなんかしてると、相手のこと好きになっちゃったりするんでしょうねぇ」

「ははは。何だか素敵そうなご両親だね」

「ありがとう。──私、一緒に挨拶するって言われてキュータ君ってどんな人なんだろうって少し怖かったけど、優しそうで嬉しいです」

「僕も。アンリエッタは優しそうだ」

 

 二人で笑い合っていると、教師達のお堅い話はようやく終わりを迎えた。

 

「さぁ、それでは面白くもない話はここまでにして──そろそろダンスの時間にいたしましょう」

 

 ミズ・ケラーの言葉に生徒達から一斉に「えぇ──!?」と声が上がった。

 適度なBGMを奏でてくれていると思っていた楽団達は頷き合い、それまでより余程大きな音で演奏を始めた。

「──ご存知でした?」

 アンリエッタが尋ねるとナインズは首を振った。

「いや……知らなかった」

 

『ミズ・ケラー!でも、ドレスも着てないのに!』

 女子生徒がそんな声を上げると、ミズ・ケラーはおかしそうに笑った。

「うふふ、来年からは交流会の前の自由時間で着替える事ね。隣の棟の二年次と三年次はちゃんと着飾って今頃もう踊っている頃ですよ。もちろん、次の一年次にはまた秘密。──さ、まずは優秀者二名、どうぞ。同性の時は相手を探させますが、今回はある意味、ラッキーですね」

 ミズ・ケラーに促され、エ・ランテル校の教師達が永続光(コンティニュアルライト)で二人を照らす。

「あの、キュータ君ダンスできます?」

「多少は……。君は?」

「多少は」

 

「ほら、早く行って」「踊れなくても手を組んで降りて」と後ろから教員達に押され、二人は手を組んでホールへ向かった。

 ナインズがどうしようと思っていると、アンリエッタはナインズの手を繋ぎ、ナインズの手を自分の腰に当てさせた。

「こ、ここまで来ましたから!」

「そう……そうだね」

 二人がぎこちないなりに動き出すと、ミズ・ケラーはエ・ランテル校の初老の神官と手を取り合い同じく広いスペースへ出た。

 

「それでは皆さん楽しい夜を」

 他の教員達も照れくさそうにダンスを始めると、皆どうしようと目を見合わせた。

 

 恋人が一緒に来ているペアはどんどん手を取り合い踊り出す。

 こうなるとダンスなどとは程遠い生活をしていた者達は食事をして他校の生徒と話したり、ダンスの嗜みのある者はペアを探しに行ったりと、場は混然とした。

 

 一曲終わると妙にホッとする。

 ナインズは丁寧にアンリエッタに頭を下げた。

「ありがとう。アンリは優秀なだけじゃなくダンスもうまいね」

「恥ずかしいです。引っ張ってもらわなきゃ足を踏むところでした。多少どころか、キュータ君はすごくダンス上手ですね」

「そんな事ないよ。じゃ、僕はこれで──」

 何か食べようと振り返ったナインズは瞬いた。

 

「「「「「「スズキくん!」」」」」」

 

 神都校、エ・ランテル校問わぬ女子の波だった。

「私とも踊りません?」「一曲いかがかなって」「私、実は兄も魔導学院だからダンスがあるって知ってたの!練習してきたんだよ!」「疲れたなら一緒にご飯食べようよ!」「ダンス上手だねぇ、教えてほしいなぁ」

 誰か聖徳太子を呼べ。

 ナインズが多くを聞き取れないまま「ぼ、僕はもうダンスは……」とまごついていると、女子の波は急激に割られ全幅の信頼を寄せる赤毛が現れた。

 

「キュー様、飯食お」

「い、いちたぁ〜!」

 ひぃーんと母親(フラミー)のような声を上げ、「ごめんな、ごめんごめん。キュー様挨拶の間食えてなかったからさ」と平気で女子を割る一郎太に引っ張られていく。

 残念そうな声と、「食べ終わったら踊ろうね!」と言う声に困ったような笑顔で手を振り、ナインズは何とか食事の場所までたどり着いた。

 

「一太ありがと。助かったぁ」

「はは、飯食えないまま会が終わっちゃいますよ」

 

 そこにはいつもの皆──男子はワルワラ、カイン、ロランと、それからリッツァーニがいた。女子はレオネ、ヨァナ、ファー、ルイディナ。

 

「キュータ様お疲れ様でした」

「カイン〜やっと座れるよ〜」

 座ってナインズが机に伸びると、一郎太が好きそうなものを適当にビュッフェ台から取って戻った。

 全員が全員踊れるわけではないので、こうして交流スペースがきちんと設けられていた。

「ほい、キュー様おつかれさん」

「ありがと〜」

 食事をとり始めると、もう食べ終わりそうなワルワラが口を開いた。

「お前、散々従兄のとこ行って世話焼いてたもんなぁ」

「うん……それが一番疲れたよ……」

 父と母は今頃三年生に混ざって二人の世界を作って踊っているのだろうかと思うと苦笑する。大人しくしていてくれと心の中で強めに祈った。ちゃんと祈りを聞いてくれていろとも。

「首席、あなた親戚も魔導学院なの?」

 ファーに尋ねられると、フォークを咥えたままちらりと一郎太を見た。

「エ・ランテル校で遠縁のな」

「は〜すごいわねぇ。どうせものすごい魔法詠唱者(マジックキャスター)なんでしょ?向こうの首席?」

「そ、そんな事ないよ。普通の人。それより、皆は踊らないの?」

 

 ナインズと一郎太をカウントしなければ、ちょうど男女四人づついるのだ。

 皆踊ってくれば良いのにと思った。

 

 すると、ヨァナがちらりと一郎太を見上げた。

「……ミノさん、踊らない?」

 ヨァナは赤い顔をしていて、一郎太はギクリと肩を揺らした。

「……俺、踊れないって」

「そ、そっか。ごめんね」

 様子を見ていたファーとルイディナはガタリと立ち上がった。

「ヨァナは聖騎士としてダンスは完璧にマスターしてるわ。教えてもらいなさい」

「そうですよ!さ、早く早く!二年も三年もあるんだから今踊れるようになったほうがいいですよ!」

 二人に左右の腕を抱えられて立ち上がらされると、一郎太はナインズへ救いの視線を送ってきた。

「お、俺はキュー様から離れられないんだって!」

 ナインズは助けてやるべきなのか、行って来いと言うべきなのか分からなかった。

「えっと……と、とりあえず近くで一曲だけ……とか?」

「き、キューさまぁ」

「僕も一曲踊ったし……ね……?」

 

 一郎太はナザリック学園でナインズのそばに居ればいつかダンスくらいする事もあるだろうと、恐怖公とパンドラズ・アクターによって教えられている。

 もし今後ミノタウロス王国を再び賢者の子孫が率いる事もあるなら尚のこと、野蛮なイメージを払拭する為にも人間達が持ち上げるイベントごとにきちんと参加できるだけのものを身に付けておくべきであるとのことだ。

 

 ヨァナは赤い顔をしたままぺこりと頭を下げ、近くに寄って来ると一郎太を不安そうに見上げた。

「ミノさん、嫌だったら……良いんだけど……」

 一郎太の中にものすごい罪悪感が大量に打ち込まれる。

 この曲だけ。これだけ。

「もー分かったよ……」

 一郎太も頭を下げると仕方なくヨァナの手と腰を取った。

 そのポーズだけで、ヨァナの顔は熱くなり、頭からは大量の白い煙が上がっているのではないかと言うほどだった。

「お前なぁ……本当に踊れんのぉ?」

「お、踊れる!ミノさん引っ張ってくもん!!」

 美女と野獣のコンビが踊り始めると、ファーはうんうんと頷いた。

 そうしていると、ヨァナは少しづつほぐれていったようでまた前のように自然に笑うようになっていた。

「ヨァナ、頑張るのよ……」

「ファイト……!」

 ファーとルイディナが小さく拳を握りしめる。すると、ファーの耳に女子の声が入った。

 

「──ワルワラ君、踊らない?」

 皆青春だなぁと思った。

 筋肉魔法詠唱者(マジックキャスター)すら誘われると言うのに。たまには男子からも誘いに来いよと胸の中で悪態を吐く。

「──俺はこいつ、砂漠のよしみと踊るから。悪いな」

 不意に肩を抱き寄せられるとファーは臭いものを嗅いだような顔をした。ワルワラを誘っていた女子は「じゃあ、またね」と去ってしまった。

「……あなた、本気?」

「そんなわけ無いだろ。スルターン小国じゃダンスなんかない。踊れない。それに、あいつは前に一回振ったことがある女子だからめんどくさい」

「……はぁ。せっかくペアが見つかったのかと思ったのに。単なるカッコつけのお断りとは恐れ入ったわね」

 しかもしれっとモテ自慢をされた。

「お前は踊れんの?」

「当たり前でしょ。イカした女子の嗜みよ」

 ワルワラはファーの肩から手を離すと「じゃ、行ってきて良いぜ」とひらひら手を振った。

 なんとなく癇に触る。

「……仕方ないから、あなたにも教えるわよ。来なさい」

「はぁ?いいよ。俺は一生使わない技能だ」

「来年も再来年も来るんでしょ。あと二回は使うわよ」

 

 ファーがワルワラを引っ張って消えていく。

 

 ルイディナは「むふっ」と声を上げ、いい仕事をしたなぁとテーブルの上の珍しい食事を頬張った。

 あんなに青春したいと大騒ぎしたルイディナは結局花より団子だった。だが、彼女の肌は今日も綺麗だし、耳に着けているピアスも一番のお気に入りでお洒落には余念がない。

「──エップレさん、良かったら一曲どう?」

「えっ!!」

 話しかけてくれたのは同じくエイヴァーシャーから来ているナーガのアロイジウス・ケイト・リュイ・イスコップだった。

「森同士」

「う、うん!ありがとう!!」

 ルイディナは尻尾をぶんぶん振って去って行った。

 

「まさか一郎太君とワルワラが誘われて僕らが残るとは……」

 カインが悲しそうに呟く。ロランは踊る皆を見て嬉しそうにしているレオネをちらりと伺った。

「……レオネ、僕と踊らない?」

 レオネはビクッと肩を揺らすと、小さくなり、ロランを見上げた。

「あ、あの……わたくし……ダンスは……」

「……う、うん。そうだよね。ごめん……」

 二人の空気は何かワケありのような感じがした。

 ナインズとカインは目を見合わせた。

「レオネ、踊れるでしょ?行って来たら?」

 ナインズが言うが、ぷるぷると首を振りレオネはますます小さくなった。

「……キュータ君、レオネと踊って来てよ。レオネこのまま男子と座ってたらせっかくなのに誰とも踊れないし可哀想だから」

「ぼ、僕?……レオネが行くって言うなら良いけど……」

 レオネの目は泳いだまま答えはなくロランはレオネの肩を叩いた。

「行って来なって。届くの届かないのじゃなくて、楽しい学院生活の思い出のためでしょ」

「ロラン……。わたくし、やっぱり、誰とも……」

「良いから。早く。キュータ君だってここにずっと座ってたらまた取り囲まれて大変なことになるんだから守ってあげないと」

 それを聞くとレオネはようやく立ち上がった。

 

「キュータさん、わたくし行きますわ。わたくしの思い出作りに協力されて」

「……僕で良ければ」

 

 ナインズに手を引かれてレオネも消えていく。

 

 残ったカイン、リッツァーニはロランの顔を覗き込んだ。

「ロラン君、大丈夫かい?ローランさん譲って良かったの?」

「何か変だったよ、ロラン。こないだの祝福のことをまだ気にしてるのかい?」

 ロランは数度頭をかくと顔を上げた。

「それがさ……僕、こないだレオネに告白してみちゃった」

「えぇ!?」

「シュルツ君、そんなに驚くことかい?それでどうだったの?」

「はは、リッツァーニ君、カインの反応が正しいんだよ。レオネはずっとキュータ君だけが好きだからさ。でも、キュータ君と並んでいく覚悟はないって言ったから告白してみちゃった。でも案の定振られた。他にいい人見つけてとか言われて。やっぱり、将来並べるとか並べないとかじゃなくて、好きって気持ちがあるうちは無理だよね」

 カインとリッツァーニはロランの肩を叩いたり、背をさすったり、とにかくできることをした。

「なのに毎朝二人で校門でキュータ様待ってるんだから偉い。今の今まで普通だったし」

「シュルツ君の言う通りだよ。ロラン君がその──ローランさんに振られてるとは私は思わなかった」

「はは……僕、レオネに待ってるって言ったしね。これで気まずくて離れ離れになったら元も子もないから、ここは踏ん張りどころ!レオネが飽きてくれるまでリュカみたいに大人しくしておく!でも……」

「でも……?」

「うぇ〜ん、カイン〜、リッツァーニく〜ん。ライバルがキュータ君なんて不可能だよぉ〜」

「あー……よしよし。リュカとロランには心から同情するよ」

「ロラン君もリュカ君も苦労してるんだね」

 苦笑していると、ロランの肩を遠慮がちにつつく女子がいた。

 

「──ん?」

「何?」

「誰かな?」

 

 三者三様に振り返る。

「こんちゃ。レイ・ゲイリンす。スズキさんがフリーになるタイミングを探りに行ったアガートに置いていかれたっす」

 真ん丸なちっこいメガネを鼻の上に乗せ、レイは椅子の影から登場した。

「あ、あぁ。ゲイリンさん。ミリガンさんと揃ってキュータ君失恋組だった?」

 ロランが苦笑すると、レイは平気な顔で首を振った。

「いや、自分はスズキさんは美術館の展示品だと思ってるんで。それより、ロラン・オベーヌ・アギヨン氏、自分と踊ったりとかどうすか?」

「え、えぇ?」

 それを聞いた瞬間、カインとリッツァーニは左右からロランの頭をギュッと押しつけた。

 

「「お願いします」」

「ども。じゃ、ロラン氏行くっすよ」

「あ、あ、あぁ〜」

 ロランもいなくなると、カインとリッツァーニは綺麗な汗を拭った。

「食べるかい?リッツァーニ君」「食べよっか?ジナ」

「そうだね、シュルツ君」「そうね。パルマ」

 隣の席から全く同じやり取りが同時に聞こえると、四人は目を見合わせた。

 

 結局その四人もいなくなり、その場に残された者はいなかった。

 

 一曲終わると、ナインズとレオネはそれぞれ頭を下げ合った。

「ありがとうございました」

「こちらこそ。でもレオネ、何であんなにロランが嫌なの?」

「わたくし、男性に触れられたくないの。それだけの話ですわ。ロランが嫌とか嫌いとか、そう言う問題じゃなくてよ」

「君、もしかしてトラウマになってるの?」

 ナインズはレオネを覗き込んだ。あの学校をやめたと言う男子に叩かれたり引っ張られたりした事がレオネの心の傷になっているとしたら、あまりにも可哀想だった。

 

 レオネが答えるより早く、知らない男子が二人の前に立った。

「ローランさん、エ・ランテル校薬学科のンサンリエ・バレアレです。お昼の信仰科、薬学科合同授業の時はありがとうございました。僕とも一曲どうですか?」

 ニコニコしていてすごく人の良さそうな男子だった。ロランと雰囲気が似ていると言うか、人畜無害そうで、この人ならどうなのかとナインズはレオネをちらりと伺った。だが、その顔は乗り気ではなさそうだった。

「わたくし、あの……」

「──ごめん、バレアレ君。僕が少し連れ回しすぎて疲れたらしい。休みたいって僕も二曲目を断られたところ」

「あぁ、そうかぁ。君は神都の首席君だよね」

「うん、ごめんね」

「ううん、すごく良い挨拶だったよ。聞き惚れちゃった。それじゃあ──ローランさん、また後で」

「え、えぇ。ありがとう。誘っていただけてすごく嬉しかったですわ」

「行こう」

 バレアレはぬいぐるみのような人懐こい笑顔で見送ってくれた。

 

 人の波に入ると「一曲どうかしら」と言う声が次々とかかっては「また後でね」と返事をする事を繰り返した。

「キュータ──さん。一曲だけ、どうかな?」

 二人の前にアガートが姿を見せると、レオネはナインズの背を押した。

「や、ミリガン嬢。ごめん、レオネの調子が良くなさそうでね。そこまで送ってくる」

「別にわたくし一人で──」

「ううん!じゃあ行ってらっしゃい」

「でもわたくし──」

「ありがとう、じゃあね」

 恩返しのようにアガートはレオネの背を押し、ナインズとレオネは何とか広い円形のバルコニーに出た。

 教室程度の広さはあるが、ダンスとは縁のない生徒達の多くはバルコニーでお喋りに興じたりしていたようで、閑散としていると言うこともない。

 

 バルコニーの手すりに二人で座る。

「レオネ、本当に男の人ダメになっちゃった?大丈夫?記憶を少しだけでも書き換えてもらう?」

 前に打たれた頬を手の甲で触れると、レオネは首を振った。

「大丈夫、男性に触れられたくないのは元からですもの。あの方とのことは断る言葉を丁寧にしなきゃって思うようになったくらい。それより、ここまで送っていただけて助かりましたわ。ここなら踊ろうって言う方もいませんし、わたくしここにいますわ。だから、ね。あなたはまた踊ってらして」

 

 すると、バルコニーに出る観音開きの吐き出し窓から『次の曲、始まるよぉ』と遠回しなお誘いが聞こえて来た。

 窓の隣には一郎太と、ニコニコしながら一郎太のローブの裾をもて遊ぶヨァナがいた。

「うーん、何だか心配で置いていけないな……。それに、僕はもう十分だよ。レオネと踊れたし」

「わたくし何かより良い方がたくさんいましたわ。踊って来たらきっと良い思い出になりますのに。それにこれじゃ明日からわたくし女の子達から針の筵だわ。皆見てるもの。ね、行ってらして?」

「君より良い人なんていないよ」

「もう。そんなはずありませんわよ」

 

 窓の方で『まだかなぁ』と声が聞こえて来る。そして、『あの子だぁれ?』『暗くてよく見えないね』『独り占めしてずるい……』『なんか調子悪いとか言ったらしい』『独占魔法か!』と聞こえると、レオネは耳にかけていた髪を払って顔を見えにくくしてから遠くを見た。

 向こうには農業用の貯水地が広がっていて、月が映って揺れていた。

「あの子達は何で僕なんだろうなぁ」

「ふふ、変な疑問だわ。あなた、よくできた方だもの。当然でしてよ」

 レオネは遠くを見たまま笑って答えた。

「うーん。僕は誰からも愛される父母のようになりたいと思ってるけど、何だか少し不快かもしれない。こんな風に思うのは初めてだ。すごく不思議な感覚」

 やめてくれと言いに行っても、レオネが悪く言われるような気がした。

「……うん、そうだな。レオネ、僕を信じて目と口だけ閉じてて」

「え?」

「舌噛むなよ」

 

 ナインズはひょいとレオネを抱き抱えると、レオネに有無を言わせずあっという間にバルコニーから飛び降りた。

 浮遊感が襲い、レオネは声を上げそうになったが、言われた通りに目と口を閉じたままナインズにギュッと掴まった。

「っ……!!」

 軽い衝撃が体に掛かる。

 そのまま、ナインズの走るリズムで体が揺れた。

「っぷは!と、飛び降りましたの!?」

「はは、ごめん。腕輪してたから飛び降りちゃった。自由への逃走ってやつ。君は怒る気がしたけどね」

「わたくしだけじゃないわ!一郎太さんだって怒りますし、あなたを待ってた女の子達皆が残念に思ってよ!」

 バルコニーから見えていた貯水地のほとりに着くと、ナインズはレオネを抱えたまま草の上に座った。

 

「怒らせて残念がらせておけばいいよ。それより、舌噛まなかった?」

 ナインズが顎を持って顔を上げさせると、レオネの顔はカッと赤くなった。

 決意が揺らぐような事はないが、そう言う事と、胸の爆発は別問題だ。

 膝の上に抱えられてこんな真似をされては──レオネが目を逸らすと、ナインズは慌てたように手を離した。

「あ、ごめん。男子禁制だったね」

「……かまいませんわ。あなたは……特別だから……。祝福をくださるもの……」

「……そっか」

 レオネはそっとナインズの上をおりると隣に座った。

 二人は初めて意味もなく黙ったまま過ごし、秋の夜風に吹かれて落ち葉がカサリと落ちて貯水地の表面に浮かぶのを眺めた。

「……思ったより冷えるね」

「……えぇ。ホールは暖かかったし、あなたは踊ってらしたら良かったのに……」

「それは良いって。僕は忙しいの」

 

 会場からうっすら音楽が聞こえて来る。

 それに合わせて話し声もほんの少し聞こえ、振り返ると、バルコニーの上で何人もこちらを見ているようだった。『あそこに見えるの首席君かな?』『どこ?』『木のそば』『見えなーい』『ねー、神都の首席君はー?』『多分<飛行(フライ)>で逃げたぁ』『魔法なしで飛び降りなかった?』『そんなわけないでしょ〜』とかしましい声が風に乗って聞こえて来る。

 

 二人はちらりと目を見合わせ──ぷっと口から息を吐き出すとおかしそうに笑った。 

「ふふふ、普通あんな所から飛び降りたりしませんわ。何してますの?もう、ふふふ」

「はははは、なんかもう、変な意地だった。ははは」

 そうして過ごしていると、レオネがくしゃみをしてナインズは学院のローブをレオネに掛けた。

「あ、ごめんなさい」

「ううん。風邪引かないようにね」

「ふふ、きっと平気。加護をもらえているもの」

「加護かぁ。──手、出して」

 レオネは首を傾げ、そっと手を出した。

 

 手の甲をナインズの指が滑っていくと、そこは青白く発光する線が残り、ジリリと文字は焼きついた。

「……これは?」

(ソウエイル)。命の源や太陽の意味」

「温かい……。それに、綺麗……」

「君が綺麗だからだよ。僕の太陽だ」

 ルーンの焼き付いた手の甲にナインズは口付けを落とした。

 そして、ああ、これは確かに()()()()()と自分の中に確信が生まれる。恋しいと言う気持ちが胸を叩いた。彼女の祈りと彼女のことで胸がいっぱいだったから。

 そっと離すと、レオネの顔は真っ赤になっていた。

 

「……祝福してもらってばかりだわ……」

「それを与えるのが多分僕の役目」

「役目だとしても与えてばかりなんて疲れますわ……」

「だから君の祈りを聞かせてもらってるよ。君から貰ってるものの方が大きい」

「……そんなもの、いくらでも」

 レオネはナインズの手を大切に取り、今ルーンを書いた指の腹達に口付けた。

 指が触れる唇は信じられないほどにやわらかく、心に直接触れられたようなあたたかさだった。

 胸の内から心臓が叩くように鳴り響く。

 伏せられたまつ毛も彼女の髪と同じようにピンクがかっていて綺麗だった。

 ナインズはレオネの背の後ろに片手をつくと、レオネの口を塞ぐように触れている自らの指の背に口付けた。

 ナインズの手越しのキスは一瞬だったが、ナインズから漏れた息は熱かった。

 

 レオネに知られるより早く顔を離すと、ゆっくり開けられた青い瞳は凪いだ湖のようで、至近で目が合うとレオネはこの月明かりしかない中で分かるほどにひどく顔を赤くした。

 どちらも何も言わなかった。

 貯水地を魚が飛ぶと、時間が戻ったようにレオネが口を開いた。

「……近いわ。何しようとしてますの」

 もう終わったよとナインズは心の中で返した。

「──レオネの瞳は綺麗だね。近くで見ておこうかと思って」

「綺麗なのはあなたの瞳の方じゃありませんの」

「こんなのは偽物だよ」

 ナインズが腕輪を足の間に置き、自分の目に一瞬手を当て、離した瞳は金色だった。

「……こんな物がこの世にあるなんて……。月よりも輝いてる……」

 ナインズの頬をレオネの両手がそっと包む。

 顔を引き寄せられて覗き込まれると、そのまま吸い寄せられてしまいそうだった。

 ナインズもレオネの頬に触れて撫でると、心地良さそうにレオネが目を閉じ、二人はコツンと額をぶつけた。

「……聞こえる。レオネの祈り」

「……なんて?」

「知ってるでしょ?」

「知ってるけど、嫌なんですもの。聞かれたくないことまで聞かれてたら」

「大丈夫、信じられないくらい透き通ってる。どうやったら十六でその境地に至れるの?」

 ナインズが額を離すと、レオネはナインズの頬を包んでいた手をそのまま首の後ろに回してギュッと抱きついた。

「……もし本当にそうだとしたら、あなたがそうさせたの。わたくしを導いたの」

「レオネ……」

 抱きしめ返すと、触れる胸から心臓の音が届いた。

 

「……僕は君ほど清くない」

「嘘。それはわたくしだわ」

「買い被りすぎ」

「どちらが」

 

 レオネの体は細いのに柔らかくて、甘い石鹸の香りがした。

 ナインズは本当に自分は清くないと思った。

 お互いの体温を惜しむように二人はそっと離れた。

 

「……そろそろ行かなきゃいけませんわよね」

「そうだね」

 いつまでもこの時間が続けば良いと思うが、世の中はそう甘くできていない。自分に父や母ほどの力があれば時を止めたのに。

「……また見せてくださる?その瞳」

「レオネにならいつでも見せるよ。それに、大神殿に入れば嫌でも見る」

「ふふ、嫌になればいいけれど」

 

 ナインズが数秒目を閉じ、開き直すとその瞳はもう黒く戻っていた。

 腕輪を拾って通し直してレオネを引き立たせ、掛けてやっていたローブを返される。

「行こうか」

「えぇ。でも、わたくしはあちらから」

「気ばっかり使わせて悪いね」

「いいえ。わたくし自身の保身のためでしてよ。──それじゃあ!」

 レオネは笑うとタッと駆け出した。

「あ、レオネ!暗いから天使渡そうか!?」

「平気!すぐそこ、見えてますもの!」

 

 ひらりと振った手の甲に一瞬ルーンが見える。

 ナインズは笑うと一郎太の気配がする方へ向かった。

「ほんとにレオネは元気だなぁ」

 木の影で座る一郎太を見つけると、ナインズはそれを見下ろした。

「や、こんな所で待たせて悪いね」

「待たせてると思うなら、せっかくだしキスくらいすりゃいいのに」

「ははは。どういう理論?」

 よっこらせと立ち上がった一郎太と歩き出し、ナインズはそう言えばと一つ思い出した。

 

「ヨァナは置いてきちゃったの?」

「そりゃ俺がヨァナ抱えて降りて来るって変でしょ」

「あらぁ。ヨァナ、置いてかれることになって悪かったな」

「ちょうどルイディナが来た所だったから任せましたよ。大丈夫。だいたい、あいつそんなに本気じゃないでしょ。飽きるよ、すぐに」

「いやぁ、一太はかっこいいからなぁ。僕が女だったら君に求婚してたかもしれない」

「ははは!俺もナイ様女なら求婚してたかもな。でも、女だったらレオネとはどうだったんでしょうね」

「多分今と変わらないよ。一番の友達」

「……その先は?」

「今のところない。覚悟させて引き摺り込みたくない。彼女の人生は彼女のものだ」

「あぁあぁ……。ま、女はいいですよね。もし引き摺り込んだら、男はその後には、全てを晒させて汚して塗り替えることになる。覚悟するだけじゃ済まないですよ」

「うわぁー。聞きたくない、やめてくれぇ」

 ナインズが頭を抱えると一郎太はナインズの肩を抱いて笑った。

「そう思うならヨァナを軽率に進めないの。いいですか」

「はぁーい」

 

 もうバルコニーに着くと言うところでナインズはレオネの糸を探し──ぴたりと足を止めた。

 

「ない」

「ん?何が?」

 

 あれだけはいつでも見つけられるのに。

 戸惑う一郎太を他所にナインズは一度深呼吸をして目を閉じた。

 見つけられないはずがない。

 だが、あの黄金の糸がない。

 

「──レオネに何かあった。行かなきゃ」

「何かって?」

「レオネの祈りが見つからない」

「あー、チューして貰えなかったから拗ねて祈るのやめたのかもね」

「そう言うんじゃないと思う。あの子の祈りが全く存在しないなんておかしい。ごめん、一太。僕行かないと」

「ん、いいよ。走る?飛ぶ?」

「走る!!」

 

 ナインズは髪を一つにくくりながら駆け出した。

 草木が避けているんじゃないかと思うスピードで駆け抜け、建物に入ろうとしたところでレオネの背を見付けた。

「お、何ともなさそうですよ?やっぱりチューか」

 二人はスピードを落とした。

「そ、そうなの?」

「そーだよ。ナイ様は疎いから分かんないと思うけどさぁ」

「……本気?僕って疎い?」

「本気。めちゃくちゃ疎いですよ。──おーい、レオネ」

 

 入口に差し掛かると、振り返ったレオネを前に二人はぴたりと足を止めた。

 

「……あの、ここは」

「どこですの……?」

 

 全く同じにしか見えないレオネが二人振り返った。

 

「レ、レオネ……?」

 レオネ達は互いを見合わせると、「「わたくし?」」と声を合わせて首を傾げた。




ダンスの他校交流会と言えばハリーポッターの炎のゴブレットだ!
もしくはweb版だ!!

やっと青春してるよぉ〜!!良かったね〜!!
「ヒロインは攫われなければならない」の天空城からの、「ヒロインは記憶を失わなければならない」をここにきてやっと完遂できました!!

次回明後日!
Re Lesson#35 本物はこっち


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Re Lesson#35 本物はこっち

 エ・ランテル校、一年信仰科の教員ディエゴ・クルベロは仲間の教員と二校交流会会場の廊下で顔を突き合わせていた。初老の彼の口の上にはくるりと先端が丸まった立派な口髭が生えていた。

 

「学院からは全部で七名──と言うか、十四名ですのう」

 手洗いや息抜きに外に出て戻ろうとしたところでシェイプシフターにまんまと姿を真似られた生徒達七名と、穀倉地の警備一名。

 フルト教諭の話で早急な危機がある状況ではないと言う事が教員達を安堵させた。

 両校の錬金術を担当する蛾身人(ゾーンモス)のステ=ブルとイル=メンは大変嬉しそうだ。

「時忘れの草など、そうそうお目にかかれん!」

「まこと、まこと!明日には一年も二年も三年も連れて第一発生地の調査に行くべきであろう!二、三年の先生方にも早くお話ししたいのう!」

「ブリタ・バニアラ殿の家のそばであろうし、きっと見つかるはず!」

「パラダイン老も喜ぼう!何よりそのまま増やせれば──」

 豪華に着飾ったステ=ブルと、質素な姿のイル=メンは顔を突き合わせ、にっしっしといやらしい笑いを漏らした。

 大変貴重かつ珍しい素材を前に薬学科の浮足立ち方はすごかった。

 

 信仰科のクルベロとしては何とも苦々しい話だ。

 

「時忘れの草はいいとしてものう。──問題はシェイプシフターと記憶がなくなっている生徒達の方ですな」

 クルベロが言うと、神都校のミズ・ケラーが頷いた。

「少なくとも、神都校には第三位階以上の<混乱への抗体(コンフュージョン・リカバリー)>を持つ教員はいません。大変珍しい信仰系魔法です。エ・ランテル校はいかがですか?ミスター・クルベロ」

「こちらもおりませんなぁ。そう言う通常の生活で利用がない魔法が使える者は、神官を生業とする者よりも、ともすれば冒険者の方が多いかもしれませんな。フルト先生、お心当たりは?」

「……確実に使える冒険者は銀糸鳥の僧侶、ウンケイ様くらいしか」

「シェイプシフターの討伐は魔導省出向教員の皆様にお願いするとしても、アダマンタイト級冒険者に七名も回復を願うとするとのう……」

 

「少し予算に心配が。ミスター・クルベロ、エ・ランテルの光の神殿長様はいかがでしょう」

「もしかすれば使えるかもしれん。明日カッツェ市の一番近い神殿にお伺いに行ってみるとしよう。神殿の関わりからエ・ランテルの神殿長のみならず、大神殿や聖ローブルの生死の神殿の神官をご紹介いただけるかもしれん」

「とすると……神官の調査をしてもらって、神殿へ手紙を出してもらって……神官が出発すると……三日後ですね」

「ちょうど帰る頃か。街へシェイプシフターを連れ帰るわけにもいかないわけだし、良かったと思うべきかのう」

 クルベロは安堵の息を吐いた。

「増殖を抑えるためにも、この七名──いや、バニアラ殿も含めて八名の個室を用意せねば。今の他の学生達もいる大部屋では寝てる間に一網打尽にされかねないからのう。部屋の前には畑の歩哨の方達にご協力いただきつつ、教員もいくらか交代で様子を見ると言うことでよろしいかな?」

 クルベロが尋ねると、多くの教員は皆即座に頷いた。

 ただ、神都校の特進科は互いを見合わせ、何やら顔を寄せ合った。

 

「──ゾフィ、よろしいと思うかな?」

「──待て。一応お伺いを立てるべきだろう」

「神都校の。三年の先生方のところへ行きパラダイン様のところで確認を取りますかな?」

「あ、いえ。ミスター・クルベロ、少々お待ちください」

 クレント教諭は頭を下げるとしれっと隣で話を聞いていた三年のローブを着る二人の生徒へ振り返った。

「スズキさ──ん。どうですか?」

「良いんじゃないか?──と言いたいところだが、一名はうちの不出来な身内のせいのようだからなぁ。九太」

「はい……。申し訳ないです……」

 

 クルベロは神都校の最優秀だった一年のスズキと、三年のローブを着るスズキを見比べた。

(……兄弟か。良いご両親を持っているようだのう。だが、スズキと言う名は寡聞にして知らん……。ご両親は何をされている方達だろうか)

 弟は肩を落としていて、もう一人の三年の女子に背をさすられていた。

「どうする?お前の望むようにするんで私たちは構わないが、私や村瀬さんが手を出すなら一人だけ特別というわけには行かんし、お前が手を出すならもう教師達の中でそうだろうと言うことになる。無難なのは教師達の方法に乗ることだが」

 兄の言いたいことがいまいちクルベロには掴めない。この生徒の喋り方はまるでその気になれば全員を治せるかのようだし、何かを伏せようとする物言いのせいでうまく内容を掴めない。

 

「……やっぱり、お手を煩わせるわけにはいきませんし、僕がレオネだけでも治します……」

 弟の言葉にクルベロは苦笑し、肩を叩いた。

「スズキ君、外傷ではない以上第三位階の通常の治癒では治らぬよ。君は第三位階まで使えるそうだから、やってみたい気持ちは分かるけどね」

「……クルベロ先生、僕は──」

 何かを告白しようとする様子に、変わった魔法を覚えているのかと耳を傾けようとすると、クレント教諭が弟の肩を叩いた。

「スズキ君、まぁそう焦らなくてもいいんじゃないかな?それに、できれば教材として宿主になった子達は使いたいから今すぐ全員治されてもある意味困るし」

「──治されても困る?では、スズキ君は本当に治癒が可能なのかね?」

「いえ、クルベロ先生、仮の話ですよ」

「……そうか?」

 クルベロはクレント教諭も何かを隠しているような気がした。

「スズキ様、ムラセ様。それで良いですよね?」

 スズキとムラセは「先生、ちょっと時間をください」と一言言うと、一年の首席──やはりスズキをふん掴み離れていった。

「──クレント先生、スズキ家が有能だと言うのは分かりますが、あまり贔屓するような事はよくないのではなかろうかね」

「分かっています。僕の受け持っているスズキ君は極力平等に扱っているつもりです」

「三年のスズキ君もそうした方が良いだろう。もちろん、受け持ちでもないと言うのは分かるけどねぇ」

「──そうですね。以後気をつけます」

 

 クルベロと教員一行はスズキ兄弟の様子を見守った。

 

「<静寂(サイレンス)>」

 ムラセがぐるりと魔法を使い、そちらの会話はクルベロ達までは届かなかった。

 

 魔法のドームの中では──

「──治すとしたら、<大治癒(ヒール)>になりますよね……?」

 ナインズが頭を抱えていた。

「うん、<大治癒(ヒール)>になるね。全異常状態が解けるから。ただ、位階がねぇ」

「第六位階じゃ高すぎるわけですよね……。一人治せば他の子もと言われるし……隠しきれない……」

「そう言うことになっちゃうね。もう少し早く見付けてあげられてたら取り合えずシェイプシフターを消してレオネちゃんもパッと治してあげられたんだけど。でも、咄嗟にあれ見せられてもどうするべきか判断に迷うのは当然だよ」

 

 ナインズはまた肩を落とした。

 

「まあ、三日後には治るようだし我慢しておいたらどうだ?それが無難だとは思うが」

「……僕が一人にしたせいでレオネはああなったのに、治せるくせにレオネを治癒しないなんて……」

 アインズは何とも言えない息を吐いた。

「まぁなぁ……。だが、レオネちゃんもそれで記憶が戻ったとして、信仰科の教師達にお前が頭を下げられるようになったら心を痛めるだろう。お前を守りたいとお前の幸福を祈るような子だ。特進科は魔法バカばかりである意味まだましだが、信仰科はお前へも含めて信仰がある。知られればギクシャクもするだろう」

「……でも僕がレオネを連れ出したんです……。僕が軽率だったんです……」

「ナイ様、そう落ち込まないでさ。別に死ぬわけでも怪我するわけでもないんだから。それに陛下の言うとおり、レオネは多分ナイ様に治されて経緯を聞いたら心を痛める……っていうか、何で治したりするんだってブチギレますよ。自分が許せないとか言って。しまいにゃあいつ、自分で天使出せなくてごめんとか言い出すよ」

 一郎太が言うと、ナインズは大きなため息を吐いた。

「……僕って最悪だ……。やっぱりちゃんと送らなきゃいけなかったんだ……」

「大丈夫だって。後で謝れば許してくれるって。治したら絶対レオネを苦しめるし、三日だけ我慢しましょうよ」

 ナインズはあれこれ考えたのちに、渋々頷いた。

 

「わかった……。せめて謝ってくる……」

「あ、待て九太」

 フラミーの作ったドームから出ようとしたナインズは足を止めて振り返った。

「後でレオネちゃんの記憶を見てもいいか?と言うか、他の生徒達も見るが」

「……なんでですか?」

「<記憶操作(コントロールアムネジア)>は第十位階だ。それに似た事が時忘れの草なんて自生するような雑草で行えるのかどうなのかが知りたい。教員達の様子から言って混乱状態の一種らしいが、頭の中がどうなっているのかの確認をしたい」

 

 ナインズはそれが今回父と母がこの実習について来た真の理由だったかとますますため息を吐いた。

 まさかナインズがレオネを連れ出したりしてレオネがシェイプシフターの手に掛かるとは思わなかっただろうが、この二人にとってはほぼ予定通りと言ったところだろう。

 

「……僕はレオネの記憶に口出しできる立場じゃないです」

「じゃあ、夜にでもちょっと見させてもらう事にする。向かって左だけ借りられればいい」

「──え?分かるんですか?」

「分かるも何も、私とフラミーさんにはもう片方は人の薄い幻影を被った根の塊な上に偽造されているアンデッド反応がぷんぷんしてかなわん。お前達が何を迷っているのか意味がわからない程にな。そんなに完璧に見えるのか」

 ナインズは二人のレオネに振り返った。どちらの手の甲にもナインズが記したルーンが焼き付いていた。

 

「……全く同じに見える」

「好いた女くらい見違えるな──と言うのは冗談だが、六十レベル程度では看破し切れんか。まぁ、ナーベラルでも分からんだろうしな。別にお前のクラス構成もそう言うものではないし」

「……早く百レベルにならないと……」

「今後七十レベルになって第十位階を使うようになった後は超位魔法も待つ。一レベルごとに一つづつ習得していくことになる故繊細なレベル上げになるから焦るな。超位魔法はスキルに近いし教えられるのが私とフラミーさんしかいないという性質上本当に獲得させてやれるか不安もある」

「はい……」

「話が逸れたが、後で記憶を確認させてもらえれば私から言うことは──いや、お前は耳飾りがあるから大丈夫だが、油断して一郎太の記憶を飛ばされるなよ。いつでも治してやるがな。じゃ、行っていいぞ」

「あ、すみません、陛下。俺か」

「分かりました。気をつけます」

 

 ナインズは頭を下げてから魔法の効果範囲を出ると、二人のレオネの前に立った。

「レオネ……」

「はい。わたくし?」「それとも……わたくしたち?」

 それぞれレオネが言いそうなことを言っていた。

「とりあえず二人とも。ごめん、今夜は治してあげられない……と言うか……その……本当にごめんね……」

「そんなに落ち込まれて、大丈夫ですの?」

「わたくし達は別に構いませんわ。後三日だと先生方も仰ってますし」

「……ありがとう」

 

 ナインズがレオネに頭を下げている隣で、ジーダはアインズの手招きに耳を寄せた。

「──お前達の予定に合わせることで決まった。私は今夜生徒達が寝入ってからでも記憶を見させてもらうつもりでいる。良いか?」

「それはもちろん構いません。スズキ様であれば皆も受け入れるかと」

「よし。それから、私と村瀬さんは明日は時忘れの草を見に行くから薬学科の方に顔を出すつもりだ。九太に関してはこれまで通り扱ってもらって構わない。──そんな所ですかね?」

「ですね。ティアレフ君、面倒ばっかりですみませんね。とりあえず、いつでも治せますしシェイプシフターも消滅させられるんで、本当に困ったらなんとかしますから」

「い、いや!そんな!フミカ様──いえ、ムラセ様のお手を煩わせるほどでは!」

「ははは、そうかな。いつでも聖典呼ぶこともできますからね。とりあえずは学校側でいいようにしてください」

「かしこまりました。では、師やゾフィにはそのように」

 ジーダは深々と頭を下げ──そんなに頭を下げていては学生相手に不自然だろうに──教員の輪の中に戻って行った。

 

 不審がる教員達の中でジーダが「予定通りで行きましょう。やっぱりスズキ君達でも無理だそうです」と告げた。

 神都の特進科とエ・ランテルの一名以外は訝しむようにちらりとアインズを見たが、アインズはどこ吹く風でくるりと背を向けた。

 

「じゃ、三年のところでも行きましょっか」

「はーい!ナイ君の周りもあれですしね」

 

 フラミーが振り返った先ではハンゾウ達がそれぞれシェイプシフターを警戒して、相手からは見えもしないくせにメンチを切っていた。

 彼らにもどうやら歩く根にしかみえていないようだ。

 ナインズは両親が出ていく様子にもう一度頭を下げ、二人はやっぱり外は面白いと鼻歌混じりで廊下を後にした。

 

「──では、とりあえず教材としては申し分ない状況ですし、中の生徒達にも説明をしましょう」

 

 中では相変わらず楽しい交流会が開かれている。

 そんな中、フルト教諭が手を挙げた。

「隙を見て繁殖されると困ります。捨て身で走り出して増える可能性もなくはないですし、念の為シェイプシフターと宿主は繋いでおきましょう」

「繋ぐというと──まさか生徒を縛るので?」

「はい。強くなくてもいいと思いますが、自由がきかないようにだけ。怪しい動きを見せた時に対処しやすいです」

 教師達は目を見合わせたが、あまり増えすぎてはそれも困るし、こんな機会はないと上位の製糸魔法を使える教員がすぐにロープを作り出した。

 同じ姿をした生徒にそれぞれ手を繋がせて手首を縛っていく。

 

「痛くない?」

 フルト教諭が尋ねると、繋いだ手を丁寧に結ばれたレオネ達は頷いた。

「えぇ、ちっとも。ありがとうございます、先生」

「犯罪者のようですけれど。ふふ」

「良かった。少し恥ずかしいと思うけど、あなたが悪いわけじゃないから安心して皆の中に入ってほしい。あなた自身も記憶を取り戻した時にはこの経験は残るし、見聞きしたことは後から糧になる。今よく分からなくても、聞くだけ聞いておいて。明日の授業もね」

「分かりましたわ」

「よろしくお願いいたします」

 フルト教諭は次の生徒を繋ぎに行った。

 

 そして、入れ違うように()()男子生徒が来てくれた。

「レオネ、ごめんね」

「いえ。先生は恥ずかしいと思うけどと仰ったけど、知らない方達の中に入りますし別に恥ずかしくありませんわ。ねぇ?」

「そうですわね。だからあなたも心配されないで。一緒にいてくれてありがとう」

「……僕が君を連れ出したからこうなったんだよ。本当にごめんね」

 

 レオネはこの綺麗な男子は自分の何だったんだろうと少し頬を赤らめた。

 二人でダンスの会場を抜け出して、こっそり別々に会場に戻るなんて──

(……もしかして恋人?)

 頬が少し熱くなった。

「ね、あなたお名前は?」

「ずっと聞きたかったの」

「……僕はナ──キュータ。キュータ・スズキ。よろしくね。そっちは一郎太」

「よ、早く思い出せよ」

「スズキさん、一郎太さん、よろしくお願いします!」

「──キュータでいいよ」

「キュータさん!わたくし達、訳わからなくて二人で心細かったの。でも、すぐに来てくれて良かった」

 キュータは悲しそうな顔でしばらくレオネを眺めたが、すぐに教師に「じゃあ、スズキ君は先に入っててね」と促されて行った。

 

「キュータさんて優しいですわね」

「本当。それにあの剣、魔法も使われるみたいなのにすごいですわ。良いところの方なのかしら」

「そうかもしませんわね。先生方も敬意を払われてるようでしたもの」

「そんな方がわたくし達にあんなに良くして下さるって……」

「わたくし達……」

「「すごいわ!」」

 レオネ達は繋がれていない方の手で口元を抑えるとクスクスと楽しげな笑いを漏らした。

 

+

 

「──シェイプシフターが最後に確認されたのは百年前、ササシャル遺跡の変わり身の王の話は冒険者の中ではあまりにも有名。時忘れの草も五十年前に生えて以来。今日は凶兆を知らせる(しゅ)の大量発生もありましたが、私達には凶兆どころかとてもありがたい話。これほどの教材には滅多に出会えない。皆、規則を守ってここの宿主となった生徒達に接触してください」

 フルト教諭がそんなことを言うと、椅子に座っていたナインズはまたひとつため息を吐いた。

 壇上からレオネ二人組がナインズへ手を振り、それに手を振り返す。

 

「では、規則の説明をします。部屋への訪問は必ず二人以上で行う事。理由が分かる者は?」

 何人も手を挙げ、さされた一人が声を上げる。

「一人で行けば必ず宿主とされるためです」

「その通り。本当に一瞬で時忘れの草を嗅がされて記憶を奪われます。ただし、複数人で会う場合もそばに近づくのは必ず一人づつ。一対一でも必ず宿主にされますが、複数人の宿主を手に入れるために捨て身でかかられるのも危険です。残りは少し離れたところから観測して下さい」

 

 皆メモを持っているかとそばの者に声をかけたりして、なければ製紙魔法が使える者から分けてもらい思いがけない授業の始まりに熱心に耳を傾けた。

 

「それから、そばに近付く者は必ず心を強く持つように。シェイプシフター達の前で話すのはおかしいと思うかもしれませんが、これは宿主本人達にも気を付けてほしいと思うゆえです。シェイプシフター達は人の心を手に入れようとします。そして、油断したところに時忘れの草を嗅がせてきます。懐柔されて、宿主とシェイプシフターの三人になりでもすれば、宿主にも合わせていっぺんに時忘れの草を嗅がせてくるでしょう。そうなれば現在宿主になっている者は今のこの時もまた忘れます。何度でも忘れさせられては、自分が人間なのか魔物なのか分からない時間を過ごすことになります」

 

 その厄介さに、ゲェ……と声を上げる生徒はたくさんいた。

 レオネ二人組も目を見合わせた。

「ねぇ、わたくしは多分魔物じゃないと思うんだけど……そうすると、やっぱりあなたがシェイプシフターですの?」

「わたくしも多分違うと思うんだけれど……。でも、そうだとしたらあなたに悪いわ……。こんな風に繋がれて」

「あら……わたくしこそシェイプシフターかもしれないのに謝られないで。何も覚えてないから自信が持てませんもの……」

「わたくしも何も覚えてませんわ……。困りましたわね」

 お互いを慰めていると、フルト教諭はレオネに寄っていき、拡声魔法をまとわせた杖を二人の前に差し出した。

 

「このように、宿主とシェイプシフターもお互いを慰めたり懐柔しようとしたりするわけです。文献にはありましたが、目の当たりにすると関心します。ただし、これは穏やかな宿主の場合です。自分こそ宿主であり、相手がシェイプシフターであると喧嘩を始め、最後には宿主を手にかけておきながらやってしまったと言って泣いて見せたり、逆に宿主に傷つけられることによって周りのものを味方に付けようとするシェイプシフターも中にはいます。周囲で観測する者は常にどちらもシェイプシフターであると思って関わる必要があります。──ただ、時には宿主が徐々に自分こそ宿主であると確信を持ち始めると神経衰弱を起こすこともあるので、どちらも宿主だと思ってケアをする必要もあるでしょう」

 

 姿形、喋り方も同じではそう言うこともあるのかもしれない。自分が宿主だと主張しても、周りが信じてくれなれば心が参って行ってもおかしくはない。

 

 話を聞いていたロランは隣で話を聞いているキュータに顔を寄せた。周りの友人達に聞こえないように小さな声で言う。

 

「……キュータ君、何で君がいたのにレオネも宿主になっちゃったの?」

「本当だよね……。ごめん」

「責めてる訳じゃないんだけど……何とかなんなかったのかなってちょっと思って……。それに、治してあげられないの?」

「……治せる」

「じゃあ──」

「ロラン、それでキュー様はどうなるんだよ。先生達が神殿に問い合わせて上位神官呼ばなきゃ治せないって言ってんのに」

 一郎太が睨むように言うと、ロランは肩を落とした。

「一太、僕が連れ出したのが悪いのにそんな言い方しないで……」

「俺はキュー様がキュー様だった時に起きた事を、キュー様の力を超える方法で解決させようとするのはおかしいと思う。キュー様が使うのは第三位階までだ。ナイ様にお願いするなら高い位階になるし、ロランにだって相応の覚悟をしてもらうぞ」

「一郎太君の言う通りだね……」

「ロラン、ごめんね。一太も本当はこんな事が言いたいんじゃないんだよ」

「うん。僕が軽率だったよ。一郎太君ごめん。キュータ君もそんなに落ち込まないで。最終的に記憶が統合された時にそんな風じゃレオネも落ち込んじゃう」

 キュータが不器用に笑って見せると、横からずい、とファーが顔を足した。

 

「何こそこそやってんのか知らないけど、折を見て皆でお見舞い行きましょう。首席も良い加減ぐずぐずするのはやめて。バルコニーから二人で逃げ出して、良かったこともあったんでしょ」

「うん、そうだね。良い時間だった」

「じゃあ、良い思い出にしなさいよ。レオネのためにも」

 ファーはふん、と息を吐くとワルワラの上に座って足を組んだ。

「お前一晩俺と踊ったからって調子乗りすぎだろ」

「何?あなた私に敷かれるくらいがちょうど良いわよ」

「じゃあ今夜は俺に乗って寝るか?部屋に来ても良いぜ」

「はぁ!?死ね。放埒男」

 ファーが降りるとワルワラはおかしそうに笑った。

 

+

 

「──レオネ?」

「レオネー、来たわよー」

 

 部屋の中に見舞いに来た皆が顔を覗かせると、もうパジャマに着替えた二人のレオネが振り返った。

「はい、皆様どなたかしら?」

「──あ、キュータさん!」

 皆の輪の中にキュータを見つけるとレオネは二人揃って嬉しそうに駆け寄りかけたが、途中で規則を思い出したのかすぐにベッドの上に戻った。

 記憶がないのにこの反応。と言うより、記憶がないからこそ昔のように素直な反応だった。

「や、レオネ。お風呂済ませたんだね。大浴場は行った?」

「えぇ。そしたら、女性の先生方が見張ってる中で他の宿主になった方達とでしたわ」

「恥ずかしかったですわね。そう言えば()()、洗っても落ちませんでしたわね?」

「ふふ、落ちなくてよかったわ。なんだかすごく暖かいのよね。不思議……」

「──そうよね」

 二人は手の甲のルーン文字をそっとさすった。

 

 キュータは揃ってベッドに座るレオネ達の前にしゃがむと笑顔で見上げた。

 そして、一人の手を取った。

「君が凍えないように書いたんだよ。今夜は不安かもしれないけど、すぐに良くなるからね。三日間だけの辛抱だよ」

「キュータさんが書いてくださったの?ありがとう。不思議ね。字がこんなに暖かいなんて思いませんでしたわ。ね?」

「本当。こうやって良くしていただけて嬉しい。魔法みたい」

 もう一人をチラリと見たキュータの目は一瞬鋭かったが、すぐに笑いかけた。

「魔法だよ。じゃあ、皆と自己紹介だね。人数が多いし、僕は廊下にいるよ」

 一人の頭をさらりと撫でるとキュータは踵を返し、一人づつしか近付かないというルールを遵守した。

 

 廊下に出ると、一郎太が鼻で笑った。

「──分かりましね」

「あぁ、分かった。あいつ白々しい真似して不快だな」

「ははは。お前が偽物だって言ってやれたら楽なのにね」

「本当だよね。どうやってそれが分かったんだって言われないならそう言ってやって──」

「ぶっ飛ばしたかった?」

「はは、うん。ぶっ飛ばしたかった。でも、あの見た目をされてちゃ手も上げられないね。──だが──最後には根に戻して地獄へ送ってやるさ。三日間だけだ。自由と繁殖への期待に胸踊る最後の時間を過ごさせてやる」

 ナインズが言うと、一郎太はぶにりとナインズの頬を左右に引っ張った。

「──怖い顔すんなって。ナイ様、あんまり怖い神様になるとレオネに祈ってもらえなくなるぜ」

 それを聞くと、ナインズは情けない顔でへにゃりと笑った。

「えぇ〜。それは困るよ〜。僕は今だって困ってるのに」

「ははは、ちょっと待ってな。俺頼んできてあげますよ」

「え?なんて?」

 

 一郎太は部屋へ入っていくと二人のレオネの前にしゃがんだ。

「な、レオネ。お前何でも良いからちょっと祈ってくれよ!」

「何でも良いんですの?」

「何にしようかしら」

「何でも良い!多分お前なら変なことは祈らないだろ」

 二人は目を見合わせると、そっと胸の前で手を組んだ。

 

 部屋を覗き込んでいたナインズは本物のレオネからだけ祈りの糸が伸びて行くと思わず手を伸ばした。

 糸を引き寄せて耳にあてる。

 

『──早く元に戻れますように。このままじゃキュータさんが心配するわ』

 

 それを聞くと、ナインズは廊下で座り込んで膝を抱えた。

(……君は清すぎるよ……)

 あの黄金の祈りが聞きたいという自分勝手な焦りを振り払い、ナインズはその祈りを離した。

 今の彼女の祈りは神官としての祈りでも、ナインズの心の剣でも盾でもない。だから、友達の祈りは聞かない。

 廊下に戻った一郎太は座り込むナインズをギョッとして見下ろした。

「な、何?だめでした?」

「良すぎた……。ありがとう……。後は三日ちゃんと我慢する」

「ははは、何だ。良かったですね。くっだらねぇ祈りがきたのかと思いました」

 一郎太も隣に座り、二人で笑った。

 

 皆がレオネとの思い出を話す中、ナインズは全てを懐かしいと目を閉じて聞いた。

 

 その後、生徒達が眠りに落ちる頃。

 フールーダと共にアインズとフラミーは宿主の部屋を回っていた。

 一行は<静寂(サイレンス)>に包まれ、音もなく現れていた。

 夜シェイプシフターが抜け出さないように見張っている警備達はフールーダに深々と頭を下げ、生徒の部屋に入ることを見送った。

 

「<記憶操作(コントロール・アムネジア)>」

 

 暗い部屋の中で眠る生徒の記憶を開く。

 記憶は全てが揃っているようだが、本人が思い出せないことはこの魔法では見られない。

 全ての記憶は白紙も同然だが、その記憶の深さ──もしくは記憶という本のページ数──から記憶が揃っているようだと言う確信を得た。

 このページ数によって言葉や文字の書き方は保たれているのだろう。

「──作用する脳領域を調べてみたいな。これは非常に面白い」

 アインズが言うと、フールーダは「おぉ……」と感嘆した。

 

 一行は隣の寝台で寝たふりを続けるシェイプシフターを無視して部屋を出た。シェイプシフターごときにはアインズ達が何をしているかは分からないだろう。

 

 フールーダの部屋に戻り、一行は腰を下ろした。

「デミウルゴスも職業(クラス)としてシェイプシフターを持っているが、種族としてシェイプシフターを見たのは初めてだ」

「アンデッドでしたね。身になる草がなかったら、何になるんですか?」

 フラミーの問いにアインズはうーんと声を上げた。

「アストラル系のアンデッドみたいですけどね。そのことも含めて少し実験したいな。──フールーダよ、最後の日に神官が生徒達を治すとき、私も共に立ち合いシェイプシフターを支配してナザリックに何体か連れ帰りたい思う。構わんか」

「もちろんでございます!どうぞお連れください!」

「よし。ちなみに、私はあいつらが増えても別に良いと思っているが、同一の宿主を模して何人も出ることはないのか?」

「珍しいことかと思います。あやつらの体の芯となる時忘れの草が無制限に作れるわけではないようなのです。どうも時忘れの草は色々な者の姿をシェイプシフターに模らせて自分を広範囲に繁殖させることが目的のようで、すでに宿主となっている者では反応しないと言うのが通説です。とは言え、私も目の前で増殖されたことはないので細かくは分かりませぬが」

 

 フールーダはシェイプシフターと向き合うのはこれが初めてではない。

 二百余年を生きる彼の人生では時折見かける事もあった魔物だ。

 今より魔法技術も洗練されていなかったので大変厄介だったが。

 それにしても、神々はシェイプシフターの姿真似に少しも惑わされる様子はない。先ほどの記憶の魔法もさることながら、フールーダはもっと魔法の深淵を覗きたいと舌なめずりした。

 

+

 

 翌日、レオネ達は畑の授業とシェイプシフターについての授業を終えて部屋に戻らされると、二人なりにとったノートを覗き込んだ。

 そして、古いページを遡っていく。

「昔のわたくしたち、真面目でしたのねぇ……。なんだかあんまり実感ありませんわよ」

「本当に」

 記憶を取り戻したら自分の身になるとの事なので真面目に受けるしかないが、授業は全然分からなかった。

 友達たちも親切に教えてくれるが、予備知識がないのでちんぷんかんぷんだ。

 そうしていると部屋にノックが響いた。

「どうぞ」

「入られて」

 

 顔を出したのはキュータと一郎太で、レオネはポッと頬を染めた。

 

「キュータさん、一郎太さん、授業終わりましたのね!」

「待ってましたのよ!」

 

 キュータは一瞬虚空を見るとレオネの隣に座った。

「レオネ、今日はどうだった?」

「全然だめですわ。分からないことばっかりなせいで魔法も使えませんもの。それとも、わたくしがシェイプシフターなのかしら?」

「ふふ、君は違うよ」

「あら、じゃあわたくしがシェイプシフター?」

「──そうだね。なんてね」

 レオネはもう一人のレオネと目を見合わせると笑った。

「ふふ、意地悪言ってるわ」

「キュータさんもそう言うことされるのね。ふふ」

 そうしていると、そっとレオネの手にキュータの手が触れた。

「まだ暖かい?」

「──は、はい。暖かいです」

「良かった」

 手の甲に口付けられると、レオネの心臓は今にも爆発しそうになった。やっぱりこの人は自分の恋人なのだ。

 記憶をなくす前は恋人だったとしても、今レオネは何も覚えていないんだから、トキメキが飛び散るようでもしかたがない。

 

「──キュータさん!」

「っわ」

 レオネはキュータに抱きつくと肩に顔を埋めるようにしてギュと目を閉じた。

 レオネは自分がやっぱりシェイプシフターだと思った。

 こうやってこの人を懐柔しようとして、いつの間にか分裂するのだ。

 

「わたくしっ、が、頑張って思い出すから!!」

「ははは、頑張らなくても明後日には神官が来るよ」

「でも!頑張るから!!頑張ってなきゃわたくし、自分がシェイプシフターだとしか思えないもの!あなたをこうやって抱きしめて、次の瞬間にはきっと記憶を奪って分裂してしまうの!」

「そんな事ないよ。大丈夫」

 レオネの背を数度手が撫でると、レオネは泣きそうになった。

「大丈夫何て言わせて……わたくし、今すごく嬉しかった。離れたくない。キュータさんに一緒にいてほしい。でも、それであなたが記憶をなくしたら、自分がゆるせない」

「レオネは心が綺麗だからね。でも、僕は平気だから。君がここにいて欲しいと思うなら僕はここにいるよ」

「ごめんなさい。わたくし、何も覚えてないのに、こんなのおかしいって分かってるの。やっぱりわたくしなんだわ。自分でも魔物だってよく分かってないの」

 レオネが泣きそうになると、キュータは辛そうな息を吐いて何度もレオネの背をさすった。

 

 そうしていると部屋にノックが響き、「入れてあげる?」と尋ねられ、レオネはキュータの胸の中で首を振った。

「嫌……ずっとこうしてたい……」

「じゃあ入れてあげないで良いよ。レオネのしたいようにすれば良い」

「ダメよ……!一郎太さんが目を瞑った瞬間にキュータさんの記憶を奪うわ……!だから、本当はもっと人がいなきゃよくないの。わかってる……。言ってること、めちゃくちゃだわ……。ごめんなさい……」

「ははは、いいよ。でも、君は多分わかってない」

「わかる!わかってる!!本物のレオネに悪くていやになるわ!」

 そうしていると、扉がカチリと音を立てて開いた。

 

「レオネ〜?──あ」

 キュータは抱きつくレオネの背をさすっていた手を挙げた。

「や、ロラン、カイン。ごめん、一太に開けさせなくて」

「……良いけど、キュータ君懐柔されてると記憶奪われるよ。レオネ、何にも覚えてないんだからそんな事するのおかしいでしょ」

「キュータ様記憶なくしたら大変ですよ」

 レオネは一度だけギュッとキュータの体の形を覚えるようにしがみつくと、次の瞬間にはするりと腕から抜け出し窓辺に駆けてカーテンの中に隠れるようにした。

「──そうかもね。懐柔されてたかも。ごめんロラン。一太、行こうか」

「ほいよ」

 キュータが部屋を出ると、レオネは寒さに自分の手の甲を抱いた。

 

 ロランは複雑な面持ちでキュータを見送った。

「……キュータ君、責任感だけならあんなことする事ないのにさ……」

「責任感だけ、ねぇ?」

「あのキュータ君にそれ以外のものがあると思う?」

「何ともいえないね」

 カインが肩をすくめると、ロランは置いてきぼりの様子のベッドに座っているレオネの隣に座った。

「どう?レオネ」

「どうも何も……わかりませんわ。どっちも可能性はあるもの」

「あっちが偽物だって言わないんだね。でも、何も覚えてないのになんでキュータ君に抱きつくんだって思う。おかしいよ」

 ロランが言うと、置いてきぼりだったレオネは口を歪ませた。

「……やっぱり、そうなのかしら?ロランはそう思う?」

「思うよ……。今のレオネは自由なはずなのに」

「わたくしが自由?」

「そう、色んなこといつも必死で考えてたから。君は今自由なんだよ。キュータ君の事も忘れて、君は君の何かをやり直せる。辛かったはずだもん」

「ロランはわたくしをよく見ててくれたんですのね」

「……まぁね。伊達に三歳からの付き合いじゃないよ」

「そんなに長く?ロラン、わたくし……あなたがもしかしたら一番信頼できるかもしれない……」

「レオ──」

 ロランとレオネの間にカインはひょいと顔を出した。

 

「ロラン、大丈夫?」

「え、だ、大丈夫だけど」

「僕にはどっちが偽物とか分からないけど、もう出よう」

「カイン、でも僕は──」

「見誤らないって言えないでしょ。はい、じゃあ、レオネ。またねー」

 

 ロランが引きずられ始めると、レオネはカサリと手に何かを持たせた。

 もう一人のレオネはカーテンの中で、外を見ているようだった。

 

 ロランは薬学科の生徒達四名との相部屋に戻ると、ベッドの上で手の中を開いた。

「…………」

 小さな手紙にはレオネの字で、「また来てね」と書かれていた。

 自分は懐柔されているのだろうか。それとも、キュータが懐柔されているのだろうか。

 キュータが懐柔されている側だと言うのは、あまりにも自信過剰だ。ロランはキュータがどれほどの魔法を使えるのかは知らないが、少なくとも教員達は超えているだろうに。

 

(……じゃあ、キュータ君が分かってるとしたら……懐柔されてるのは僕だ……)

 

 ロランは友人達にトイレと告げて部屋を後にした。

 レオネの個室へ向かう。

 こんな時間では会えないと分かっているが、何となく足が向いた。

 薄暗い廊下で、ランタン型の永続光(コンティニュアルライト)を持った警備はロランの存在に気がつくと寄ってきた。眩しさに一瞬目を細める。

「どうかしたかな?」

「えっと……ちょっとローランの顔を見たいな、なんて」

「明日にしておきなさい。二人で会うことになるし、時間も時間だ」

「……ですよね」

 あっという間に追い返されると、背中から「──ロラン?」と声がかかった。

 警備もそちらに振り返る。

 二人のレオネと、レオネについて警備もいた。

「あ、レオネ」

「あら?もしかして会いにきてくださったの?」

「嬉しい。優しいのね」

 ロランは思わず笑いそうになったが、自分は懐柔されていると心の中で叱責した。

 警備も二名になり、レオネ達は廊下でロランのそばまで来てくれた。

「わたくし達お手洗いに。もう寝るところですわ」

「残念だけれど、また明日だわね」

「トイレ行くのに警備の人付きなんて大変だね」

「大変ですし、恥ずかしいわ」

「参りますわよね。お手洗い行きたいってお願いして、警備の方も二人は必要ですもの」

 ロランは二人のレオネのトイレ事情にぽりぽりと頬をかいた。

 

「そ、そっか。恥ずかしいよね」

「……男性じゃ辛いわ。女性がもう少しいたら良いのに……」

「……こんなこと、当の警備の方達の前で言っちゃよくないって分かってますけど……」

 レオネがぽつりとそんなことを言うと、ロランはレオネの背をさすった。

「それは……可哀想だね。先生に言った?」

「言いましたわよね。でも、やっぱり何かあった時に対処できるだけ力のある方となると女性は多くないって」

「……どのくらいの時間がかかったとか思われたらわたくし……わたくし……」

「ち、ちょっと。そこまで言わないでくださいませ!」

「だ、だって」

「だめよ!やめて!」

 警備二人は苦笑して目を見合わせ、一人のレオネは羞恥に顔を両手で隠した。

 その時、ロランが背をさすっていたレオネとパチリと目が合い、どきんと心臓が跳ねる。

 このままレオネの記憶が戻らなかったら、この子はそれでもキュータを選ぶのだろうか。

 などと、一瞬頭をよぎり──レオネの顔がバッと開き、真っ赤な花が咲いた。

 口は裂けるように吊り上がり、顔面が割れて裂いた花のあまりのグロテスクさに息を飲む──間もなく、ロランはドタリと倒れた。




ヒロインは記憶を失わなければならない……というとこは、ロランはヒロイン……?
花、顔なんですね。手の中とかじゃないんだ

次回明後日!
Re Lesson#36 自由を手に入れて


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Re Lesson#36 自由を手に入れて

 ドタンと音が鳴ると、レオネは顔を覆っていた手を退けた。

「──ロラン?ロラン!?」

「ど、どうしましたの!?ロラン!ロラン!!」

 気まずそうにしていた警備達はハッとロランに駆け付け、持っていたランタン型の永続光(コンティニュアルライト)を掲げ──二人のロランが倒れていた。

 

「ん……あれ、僕……え……?ここ、どこ?」

「君たちは……?あれ?えっと……僕は……?」

 レオネはハッと息を呑み、もう一人のレオネを見た。

 もう一人のレオネは戸惑いながらロランを見た後、レオネを見た。

「あ、あなた……ほ、本当に……魔物ですの……?」

 そんなことを言われるとゾッと背筋が冷たくなった。

「あなたこそ!ロランになんてことを!!」

「わたくし、わたくしやってないわ!」

「わたくしだってやってないわ!!」

「でも、わたくし達一緒にいたのに!!」

 どの部屋の扉も開き、同じ顔が二つ並んでこちらを見てくる。

 レオネはここまで、この相手のことを魔物だと強くは疑わなかった。キュータを手に入れたいと思った自分の感性こそ魔物であると思った。

 だが、これは──。

 

「き、君たちは部屋に戻って!!先生方を呼びましょう」

 レオネ達は部屋に押し込められ、外からガチリと鍵をかけられた。

「……そんな……ロラン……」

 背中から自分の声がする。

 レオネは恐ろしさに呼吸が浅くなるのを感じた。

「あ、あなた……やりましたのね……」

「あなたこそ!」

 

 もう一人のレオネは自分のベッドの上の毛布を掴むと部屋の一番端まで駆けて行き、怯えるように床に座って膝を抱えた。

 人間にしか見えない。レオネは気付かぬうちに自分がロランをああしたのかと一瞬錯覚するほどだった。

 だが、見ていなかったがレオネは確かにやっていない。

 レオネもベッドから布団を取ると、もう一人のレオネと対角線、一番遠いところで膝を抱えた。

 

(……恐ろしい……。宿主に手は出さないと言っていたけれど……キュータさん……!)

 

 レオネは抱えた膝に顔を埋め、心細さに泣いた。

 

+

 

「ロ、ロラン……」

 朝食を摂り終わった授業前、ナインズはレオネの隣の部屋で頭を抱えた。

 そこには「こんにちは〜」「はじめまして〜」ととぼけたように手を振るロランが二人いた。

 朝食の時、仲良くしていた者達にはロランが襲撃された旨を教員が伝えに来てくれた結果だった。

 

「おいおい、レオネがやったんだろ?すげーな」

「レオネがやったって言うべきなの?」

 ワルワラとカインが人ごとに言う。

 

 ナインズはロランにどちらが本物なのか言っておくべきだったかと思ったが、今ナインズがレオネを見分ける方法は祈りの糸が伸びているかどうかだ。そんなものは誰にも見えないし、ロランが一人でたまたま廊下で会ったなんて時には通用しない。

 例え本物にルーンを新しく書いて「こちらが本物」と言っておいたとしても、それをまた真似られでもすれば混乱は深まっただろう。

 それに──レオネを抱きしめるナインズを見たロランのあの目を前に、「この子が本物だから僕は抱きしめているんだよ」とは言えなかった。ナインズはできることなら、ロランとレオネにうまくいって欲しいと思っているのだから。

 ナインズのできないこと、与えられないものを彼はきっとレオネにたくさん与えてやれる。大切に育んでくれるだろうし、いつか二人の子供に会わせて貰って、レオネの子が泣く夜には心の落ち着く魔法を祈りに送ってやる。

 とにかくレオネを幸せに──そう思うのだから。

 

「ロランの気持ちまで弄んで……」

 

 ナインズがレオネを模した生き物に怒りを募らせる中、ロラン達は照れくさそうに笑った。

「僕、やっぱりそのシェイプシフターとかいうのに弄ばれたの?」

「恥ずかしいなぁ。ははは。隣の部屋のレオネって子だよね」

「気をつけてよロラン〜……。昨日君はキュータ様が引っかかるんじゃないかとか言ってたくせに、結局自分が引っかかってるじゃないか〜」

「単純野郎だなぁ。スズキよりお前の方がそりゃ引っかかりやすいだろ」

「そ、そうなんだ。いやぁ、参ったなぁ」

 カインとワルワラに小言をあれこれ言われるが、穏やかなロラン達はあまり気にする様子もなく笑いながら頭をかいた。

 

「うーん……。一太、レオネの所行こう」

「あ、はい。二人とも、俺ら隣行ってくるわ」

「スズキ、お前記憶なくなったらいじり倒してやるからな!レオネの姿の魔物にもてあそばれたって!」

「そうなったらキュータ様、相当恥ずかしいですよ〜。ロランはいいけど、首席が魔物にほだされたって言われますからね」

「ははは、怖い怖い。気をつけるよ」

 ワルワラとカインに手を振り、一郎太と部屋を後にする。

 

「レオネんとこの奴、やってくれちゃいましたね」

「ほんとにね。警備もいたのにどっちのレオネがやったか分からなかったなんて馬鹿げてるよ。目撃したはずのレオネが少し心配だ。記憶は取られてないみたいだけど」

 教員に確認はしなくとも、レオネの祈りはちゃんとある。

 レオネは記憶を失っていないはずだ。

 

 ナインズはすぐに隣の部屋の扉をノックした。

「レオネ、僕だけど。キュータ」

『──キュータさん……?あ、キュータさん!だめ!入らないで!』

『いけないわ!!』

 妙に鬼気迫る声に一郎太と目を見合わせた。

「……レオネ?大丈夫?」

『あの人、昨日ロランのことを襲ったの!』

『それはあなただわ!危ないから入らないで!』

『危ないのはあなたよ!』

『やめて!もう聞きたくない!!』

 レオネの精神状態が悪いことを確信すると、ナインズはもう扉を開けた。

 

「レオネ、悪いけど入るからね?」

 中に入ると、何もない二台のベッド。

 部屋の右端にはレオネ、左端には糸の伸びるレオネが床に座っていた。それぞれ布団や枕を部屋の隅に集めて鳥の巣のようにして過ごしていた。

「だ、大丈夫?」

 二人は一斉にナインズに駆け寄って来た。

「キュータさん!一郎太さん!本当に危ないわ!昨日、信じられないくらい一瞬だったの!目を逸らした次の瞬間にはロランが倒れてて、それで──」

「やめて!目を逸らすなんておかしいわ!わたくしは見てたんだから!あなた、キュータさんまで記憶を奪おうっていうの!?」

 レオネ達が部屋の外へナインズと一郎太を押し戻そうとしていると、一郎太は「ど、どっち?」と困ったように視線を投げた。

「こっちだよ」

 二人のレオネは今のやり取りが本物を指すものなのか、偽物を指すものなのか分からず戸惑いの底に落ちた。

 

「キュータさん……」

「キュータさん……」

 

 二人が静かになると、ナインズは()()()のレオネの肩を叩いた。

「──レオネ、少しおいで」

 レオネの背をおしてレオネの巣のそばの窓辺に行くと、レオネは何度も目元を拭った。

「き、キュータさんも困ってるって分かってるけど、でも、わ、わたくし──本当にわたくしじゃないの」

「わかってるよ。大丈夫」

「キュータさん……」

「不安だったね。レオネ、昨日はこんなところで寝たの?」

「そ、そうですの……。ロランを襲ったと思ったら恐ろしくて、少しでもシェイプシフターから離れようと思って……」

「……眠れなかったんだね。可哀想に。本当にごめんね」

 ナインズが抱きしめると、レオネはナインズのシャツをギュッと握りしめて頷いた。

 

「──キュータさん、本当に離れた方がいいですわ……。そうやって昨日もロランは……」

 もう一人のレオネが言うと、ナインズは祈りの糸の伸びていない魔物のレオネにため息を吐いた。

「……レオネの格好されてると怒るもんも怒れないな」

「では……わたくしが本当に魔物なの……?」

「ごめん。もうその物言いもやめてくれる?もう僕はレオネの見分けがついてるんだから。君のこと消さないのは今の立場だけの問題なの」

「……そんな……。わたくしが魔物だなんて……。でも……あなたがおっしゃるならきっとそうですのよね……」

 今にも泣きそうにレオネが小さくなって震えると、ナインズの中をチクチクチクチクと針で何度も刺されるような嫌な感じが無数に襲った。

 

 そして、レオネはナインズを見上げた。

「……キュータさん……どうして分かりますの……?どうしてわたくしを信じてくださるの……?」

「君の祈りが届いてきたからだよ。なんて、今の状態で言われても意味がわからないと思うけど、とにかく君は僕を信じて。君は本物のレオネだ。僕には分かってるから、もう心配しないで」

「……キュータさん……」

「……キュータさん……」

 二人のレオネの呟きに乗る感情は正反対だ。

 レオネは安心したように目を閉じた。

「すごいわ……。わたくしもシェイプシフターも同じようなことを言っているのに……分かって下さるなんて……」

「すごくないよ。すごかったら君をこんな目に遭わせなかった。ごめんね」

 首を振ると、レオネはナインズを見上げ、その両頬を包んだ。

「レオ──」

 名前を呼び切る前に目を閉じたレオネが踵を上げ、レオネの唇はナインズの唇に触れていた。

 ドクンと胸が跳ねる。

 一瞬で血流が信じられないほどに早まり、顔を赤くしていくのが分かる。

 当のレオネの顔も真っ赤で、一郎太は照れくさそうに目を逸らした。

 ナインズの頭の中に、「やめさせてやらないと後でレオネが傷付く」と「油断させたところに時忘れの草を嗅がせ、さらに分身を作る」と言う言葉が過ぎる。

 ナインズは目を閉じると同時に剣の縛めをするりと解いてツカに手をかける。

 レオネの感触も、この香りも、恋しくてたまらなかった。

 ツカに触れていない手でレオネの頭を支えてやるように引き寄せた。

 柔らかい髪の中に手が絡まる。

 触れてくれていた唇をはむとレオネは震えた。

 ナザリックに連れ帰って閉じ込めて、毎日レオネの祈りだけを聞いて生きて行きたい──と思ったところで、やっぱりこれは恋だとナインズは思った。

 本当はロランのところに嫁になんかやりたくなかった。

 

 ふと、横から肩に手が触れた瞬間ナインズはレオネから離れた。

「──最初からその姿でいろよ」

 そこには女の顔が八方向に裂けるように開き、肉のように真っ赤な花を覗かせた生き物が立っていた。何故ナインズが記憶を失う様子がないのか不思議そうだった。

「ぷぁふぁ?」

「ぇ──?」

「見ないで」

 レオネからそれが見えないようにレオネの顔を自分の胸にギュッと押し当て、抜いた剣はそのまま無抵抗に花を咲かせた女の脇腹から肩口を両断した。人間の体が切られる瞬間も、人間の顔が割れて花になったものも、レオネにはとても見せられない。

 ズルリと体が二つに分かれて崩れる。

「っぐぼっびっ」

 姿を維持できなくなったシェイプシフターは顔が花のまま根の塊に戻り、数度ジタバタすると、ナインズを指さし魔法が籠る。ナインズも腕輪を抜こうとし──

 

「<最後の姿真(ラスト・シェイプシ)──」

「──<(デス)>」

 根の姿が揺らめこうとした瞬間の出来事だった。

 廊下から放たれた超高位の魔法にナインズは瞬いた。

 

「父さ──いや、えっと……」

 入り口で目を逸らして鼻の下をかく一郎太の横に、アインズとフラミー──いや、鈴木と村瀬はいた。

 ナインズは記憶のないレオネを前に、父をなんと呼べば良いのか分からなかった。

「邪魔したな。根の体を切ってもアストラル体は切れていなかったから、ついな」

 非実体のアンデッドは通常武器は効かない。

「……お二人とも声かけてくださいよ」

 鈴木と村瀬は目を見合わせると首を傾げた。

「なんで?」「どして?」

「……なんで、どうして、じゃないです……」

「決して覗きじゃないぞ。せっかくシェイプシフターを油断させてたんだから声なんかかけない。ねぇ、村瀬さん」

「ですよねぇ、鈴木さん。それに、近寄るのは一人づつってルールですし。──さ、先生呼ばなきゃね。ちょうど襲おうとしてきたところでたまたまうまいこと倒せましたよ〜って」

「顔に花が咲いてる状態ならどうやって見分けたとかも言われないですしね。行きましょうか」

「はーい」

 アインズもフラミーもぴゅっと顔を引っ込めた。

 だが、立ち去る前。

「よくやったぞ」

 アインズは一郎太の頭を撫でてからもう歩き出しているフラミーの後を追った。十六で悟りを開くのは早すぎる。

 一郎太は懐ききった子犬の顔で笑ってから、また扉の枠に背を預けた。

 

「っぷは!倒しましたのよね?」

 レオネがナインズの胸から顔を離して根の塊を見下ろし、ナインズは鞘へそっと剣を戻した。

「……さっきの人がね。──っわ!」

「やりましたわね!」

 レオネが飛び付くと、ナインズは数歩後ずさるようにして窓辺に背をぶつけた。レオネの体重程度でふらつく体ではないが、精神的動揺がナインズの足腰をバカにしていた。

「いてて」

「ふふ!ごめんなさい!でも、嬉しくって!」

「うーん、記憶のない君は随分自由だなぁ」

「あら、自由だの何だのって、ロランもそっちのわたくしに言ってましたわ」

「僕は何でも構わないけど、君が後で後悔するんじゃないか心配だ。僕のせいでこうなってるんだし、僕は今の君が過ごしやすいことが一番だと思ってる。望むようにしてあげたいってね。だけど……さっきのは流石に予想外だった」

 ナインズは手の甲で唇を隠すようにすると目を逸らした。

「……キスのこと?」

「……うん」

「わたくし達、初めてでしたの?」

「……そりゃそうでしょうよ……」

 

 ナインズがたまらなくなって窓辺に腰掛けて外を見始めると、レオネが横から覗き込んできた。

「……ダメでした?」

「……いや、さっきも言ったけど、僕は何でも構わないよ。だけど、君は後で後悔する。先に謝っておく。ごめん、止めなかった。気付いたらもう触れてたってのもあるけど、僕も止まらなかった」

 

 ナインズがわしわしと頭をかいていると、覗き込むレオネは自由な笑顔を見せた。

「きっと全てを思い出したら、わたくしはわたくしに感謝しますわよ。自由な今、あなたの唇を奪ったわ。ふふ、よくやったわ、レオネ」

「自由すぎだってぇ」

「わたくし、全部忘れられて良かったわ!」

 それを聞くとナインズはピキリと固まった。幸せそうなレオネの横顔は本当に何の障害もなさそうで美しくて、眩しかった。

「……レオネ。僕の事はもう思い出さない方が良いかもしれない」

「──どうして?」

「もう不自由な君に戻らないで済むよ。皆もう忘れて、君は君のあるべきだった人生を歩めるようにしたっていい。僕と関わって……僕が変えてしまった君を捨てるんだよ」

「そんな事聞いてませんわ。どうしてそんなことを仰るの?」

「君はあんまりにも無欲だった。君は綺麗すぎたんだよ。でも、そうじゃない本当の君の十六っていう歳を謳歌したっていいんだ」

 レオネはおかしそうに笑った。

「わたくし、綺麗で無欲でしたの?」

「そうだよ……。君は綺麗すぎたんだ……」

「ふふ、嘘みたい。でも確かに、もし本当にそうだったとしたら、きっとあなたがそうさせたんでしょうね。わたくしを導いたの。わたくしは、そうなれるならなりたいわ」

 レオネの瞳を覗いた夜の言葉にナインズは目を丸くした。

「わたくしをあなたが美しいと思うものにして。わたくしを変えて」

「……楽じゃないよ?きっと。僕は君にまた求めてしまう」

 祈りを捧げてほしいと、何度でも彼女に跪いて光を求めるのだ。

「いいの。わたくしは何度あなたを忘れても、きっとまたあなたに恋をする。だから、構わないの。結局同じ道に戻るんだから、わたくしは全てを取り戻して、あなたのそばにいるわ」

「き、君、そんな……恋だなんて……」

 

 一郎太がピューゥと口笛を吹く。

 ナインズは自由な言葉達に胸を抑えた。

 きっと、全てを思い出したレオネはそう言わないし──ナインズも望めない。

 ナインズの望みは、彼女が望む「神官になって人を救う」と言う望みを応援することと、彼女が心から休める幸せな場所を見つけることだ。それが、ナインズの全てを救おうと受け入れて祈ってくれる彼女にしてやれることだ。

「いけません?」

 ナインズは一度深呼吸をした。

「──ううん、ありがとう。思い出してから、今のことも含めてやっぱり忘れたいって言っても良いんだからね。僕から言えるのは、君が幸せなのが一番だって事だけ」

 顔を真っ赤にしたレオネは幸せそうに笑うと、窓辺に座るナインズの太ももにちょんと手を付いて顔を寄せた。

 頬に唇が触れて離れる。

 ナインズはすぐに離れたその感触のあたたかさを追うように自分の頬に触れた。

 レオネの全てがあたたかくて、息苦しい。

 焼き尽くされてしまいそうだった。

 

「──コホン、ミス・ローラン?スズキ君?」

 

 ふと、そんな無粋な声がした。

 扉の方を見ると、ミズ・ケラーとクレント教諭が入って来ていた。それどころか、カインとワルワラがニヤニヤして中をのぞいている。

 隣で一郎太は両手を合わせて「キュー様ごめ〜ん」と言っていた。

 

「スズキ君がシェイプシフターに時忘れの草を生やさせる事に成功して一体討伐したと報告を受けましたよ。助かりました。その腰のものも縛めが解けていますね」

「あ、えーと、はい」

「この魔物の亡骸はこちらで回収します。──ミス・ローラン」

「はい!」

 レオネはナインズの隣でいい返事をした。

「記憶がないとはいえ、あなたはもう宿主だけになったので今日から相部屋にお戻りなさい。他の部屋には当然まだシェイプシフターがいますから、ここは危険です」

「まぁ……相部屋ですのね。知っている方達だといいんですけれど……」

「ヨァナ・ラングスマン、ルイディナ・エップレ、ファー・エバタと同室です。安心なさい」

「あ、皆お友達になれた子達ですわ。ありがとうございます!……でも、キュータさんはいませんのね」

「当然です。男子ですし、彼は特進科、あなたは信仰科ですよ。あなた達二人は前からそう言う関係のようですが、ゆめゆめ節度は守るように。ここは学院の校舎ではありませんが、記憶がないとはいえ学業の場所です」

「あ、も、申し訳ありませんでしたわ」

 ミズ・ケラーは厳しい視線を緩めると丸い笑顔を作った。

「──ですから、ちゃんと見つからないようになさい」

「え、いや。それってどうなんですか」

 ナインズが言うのを無視し、ミズ・ケラーはクレント教諭の出した<浮遊板(フローティング・ボード)>に<浮遊(フローティング)>の魔法を使ってシェイプシフターの体を乗せた。

 上から布をかけ、どことなくグロテスクだった体は見えなくなった。

「では、皆授業に遅れないように。これは今日の全科合同の授業に使います。行きましょう、クレント教諭」

「はい。──スズキ君、また後で」

 

 教師達が部屋からいなくなると、外から様子を見ていたカインとワルワラは部屋に飛び込んだ。

「──レオネ!ほっぺにちゅーって!君意外と大胆だね!?」

「スズキ!お前、兄貴のいい影響受けてんじゃねぇか!!」

「い、いや。二人とも落ち着いて。今のは感謝とか……なんか、こう、あるんだよ」

「そう言う雰囲気でした!?」

「そ、そうだよぉ。ねぇ、レオネ」

 レオネは恥ずかしそうに頬を染めると、せっせとノートやら筆記用具やらを準備して抱えた。

「もう!いいから!皆様早く授業行きますわよ!」

「お、なんかレオネっぽいこと言ってるな」

 一郎太が笑う。

 

 皆ぞろぞろと部屋を後にすると、レオネはもう一度自室に振り返った。

「──どした?忘れ物?」

「……いえ。きっとここの部屋を、一生のうちに何度も思い出すんだわって思いましたの」

 レオネが微笑むと、ナインズは苦笑した。

 

「思い出すたびに僕は怒られそうな気がするよ」

 

+

 

 宿泊棟と貯水地の間の広い庭──空き地ともいう──に生徒達は直接地面に座らされていた。芝とも雑草ともつかない草がお尻を迎えた。

 

 レオネは友人三人に囲まれると、赤い頬を抑えた。

「──ずっと、わたくしを本物だと言い続けてくださってたの……」

「そ、そうなの!?首席、すごすぎるわね!?」

 ファーは簡易の壇上で、シェイプシフターは全員が目を逸らした一瞬の隙に襲ってくる事と言うことを話すキュータを見上げた。隣にはミズ・ケラーがいて、信仰科に出張して来ていた時のことを思い出させた。

 クレント教諭が生徒達に代わる代わる遺骸を見せていた。

 ヨァナの視線は少しずれ、近くにいる一郎太に吸い込まれている。ルイディナは「それはそうだよね。うんうん、首席くんなんだから」としたり顔で言っていた。

 

『剣だけではシェイプシフターは倒せませんでした。ただ、時間を稼ぐことはできるように思います。この個体は体を二つにされた時、操作する肉体部分との接続不良と、それに張る幻覚の操作が難航して混乱していたように思われます。痛みを感じる様子と言うより、肉体とアストラル体の情報伝達機能の回復をしようともがいていました』

『素晴らしいですね。短い時間で本当によくやりました。今回宿主とシェイプシフター、違いはありしたか?』

『僕がシェイプシフターに触れることはありませんでしたが、恐らく触り心地まで操作されているので見た目や話し方、触れたりした所で違いはありませんし、見極めは困難かと思います』

『やはり、文献通りですね。他の宿主達が未だ友人達とのやり取りを通して宿主を見極められていない所から言っても下手に目を離すことは危険です。明日には生死の神殿と大神殿より神官、それから陽光聖典が来て討伐となりますが、残り一日とは言え皆さん気を抜かないように。スズキ君、ありがとうございました』

 

 すごいねぇ、良かったねぇ、と周りが話し、レオネは若干の注目に照れくさそうに肩をすくめた。

 そして、キュータが壇上から降りてくるとそちらへ手を振った。

 キュータは軽く手を振り返すと、特進科の者達の中で「まぐれだよぉ」と言って困り顔になっていた。

 だが、レオネはわかっている。

(恋人を想う力って偉大なのね……)

 ほぅと甘い息が漏れてしまう。

 

 ──とにかく君は僕を信じて。君は本物のレオネだ。僕には分かってるから、もう心配しないで。

 

 あんな事を言われては全てを差し出す気持ちにならない方がおかしい。

「……王子様って本当にいるんですのね」

「王子様にもほどがあるわよ……。でも本当に何でわかったのかしら。ずっと本物だって言ってたなんて。実は何かアイテムとか、見破る方法があるのかしら?本当はここにいるシェイプシフター達全員のことを見破ってて、公表してないだけで明日を待たずに討伐するつもりだったりして」

「……そうなのかしら?」

「分からないわ。でも、そうだったらシェイプシフターを明日まで大人しくさせておけるし、大人しいうちに討伐させられるじゃない?」

 なんてね、と言おうとしたところで、ふとファーの体が浮いた。

 

「──え?」

 

 後ろには片手同士を繋がれた同じ顔の生徒。うち、片方がファーの首根っこを持ち上げていた。

 生徒の顔はバリッと開き、肉なのか花なのか分からないものが咲いてファーの顔を覗き込んだ。

「フ、ファー!!」

 次の瞬間ファーからふっと力が抜け、目撃していた者達が叫び声を上げる。

 顔に咲いた花の中心からはズロロロ……とカカオのような実が出てくると、それはまるで出産された赤ん坊のようにぼとりと落ち、パカリと開いた瞬間中から真っ白い根が一気に人型を形成し、瞬きの内にファーの姿になった。

 繋がれている生徒はシェイプシフターに引き摺られるようになり、今生み出されたファーが口を開いた。

 

「──明日ヲ待タズニ消サレテタマルカ」

 

 怨みが籠る声で言うと、顔に花を咲かせて近くにいた者を三人いっぺんに捕まえて顔からズルリと次の分身達を吐き出した。

 記憶を無くした宿主達はわけもわからず地面にへたり込み、悲鳴の上がる場所で不安そうに辺りを見渡していた。

 悲鳴が悲鳴を呼ぶ。

 レオネは何とか目を覚ましたファーを抱きしめ、顔を青くして呼吸を忘れてしまいそうになった。

 そして、ファーは地獄絵図にレオネの首に縋った。

「こ、ここはどこなんですか!?何が起こってるんですか!?

「フ、ファー!大丈夫、大丈夫だから!!あなたが宿主だって、わたくしちゃんと分かってますわ!」

「──っひ!」

 ファーが見上げる方にレオネも顔を上げると、そこには三日月のような笑みを浮かべた花の咲いた顔がいた。

(──また奪われる)

 この記憶もまた奪われる。

 明日には思い出せるとしても──いや、これだけの人数がこうなっては明日思い出させてもらえるとも限らない。

 今こうしている間にも次々と顔を咲かせた──いや、裂かせた者達が駆け回り次々と増殖していく。

 

 レオネがファーを抱きしめてギュッと目を閉じると──「<太陽光(サンライト)>!!」

 辺りに眩い光が放たれた。第三位階の信仰系魔法。

 相手の目をくらませると共にアンデッドにはダメージを与えるはず。

「──レオネ!ファー!」

「キ、キュータさん!!」

 抜剣。動きを止めたシェイプシフターの首を即座に薙ぎ払い落とす。

 キュータはそれを指差し、「<星幽界の一(アストラル・スマ)──く、いや、こ、これは──」

 何かを躊躇ううちに首を落とされてのたうち回っていたシェイプシフターはキュータを指差した。

「<最後の姿真似(ラスト・シェイプシフト)>」

 その体がキュータと全く同じものになると、レオネは息を呑んだ。実から変化する時には魔法を唱えなくても人になっていたが、こうして一度倒れた後も魔法さえ使えば誰かの姿になるのかと。

「──キュー様!!」

 一郎太が叫びながら駆けてくる。

「一太!僕がわかるか!!」

「一太!僕がわかるか!!」

「わかるに決まってんでしょ!!」

 高く飛んで手を振り上げた後、一郎太の手はドボッと音を立ててキュータの姿をしたシェイプシフターの胸を突き抜けた。ドボドボと血が落ちていくと、レオネはギュッと目を閉じた。

 シェイプシフターは血を吐くと苦しそうに呟いた。

「っい、いちた……ぼくは……」

「気色悪い真似すんなよ」

 胸に刺さったままの腕を持ち上げブンっと体ごと捨てる。

「<聖なる光線(ホーリーレイ)>!」

 キュータから放たれた光の矢が突き立つと、シェイプシフターは「ゔぉ」と声をあげて倒れたがまだ人の姿を保つだけの余裕があるようだった。

「い、いちた、いちた……」

「僕を真似るな。──<神聖なる光線(シャイニングレイ)>」

 ドスンと太い光が突き立つと、そこでようやく根の姿に戻ってシェイプシフターは動かなくなった。

「あいつ、あれしか聞いたことないせいで馬鹿の一つ覚えでしたね」

「本当だね。そんな事より、位階が低くて一撃でいかないな」

「物理がほとんど役に立たないし……面倒なことになりましたね」

 辺りには花の顔を畳み、蹲った後人間の顔をしてパニックに乗じて紛れ込むシェイプシフターが大量にいた。

 

 すぐそこでルイディナが迫った花の顔をしたシェイプシフターに第一位階の<睡眠(スリープ)>を掛けるが、操作体はアンデッドなので効かない。

 聖騎士見習いの剣を抜いたヨァナは手が震えるせいであっという間に剣を落とした。魔物だと理解していても、訓練をしたところで人の体を貫いたことなどないのだ。

「──もー!あいつバカか!」

 一郎太は目の前の、人かシェイプシフターか分からない者を避けるように高く飛び上がり、着陸ざま花の咲いた脳天に踵を落とした。

 花ごと顔が二つに左右に割れると、人間の体が揺らめいて消える。根の集まる気色の悪い体が晒された。

「ッグげ」

「この見た目ならお前でも切れるだろ!?」

「で、でも、ミノさん。剣じゃ倒すことはできないって首席も──」

 ナインズも光の弓をぎりりと引き絞り、根へ向かって矢を放った。

「<聖なる光線(ホーリーレイ)>!──ヨァナ!君<聖撃>使えるだろ!それなら多少は効く!!」

「やれ!お前ならできる!!俺にはできないから倒せない!」

 一郎太が剣を拾い、ヨァナの震える手に握り込ませる。

「……怖いか?できるだろ?」

 ヨァナは頷いた。

「あ、あったりまえ!やったるよ、ミノさん!武技──<(はやて)の加速>!」

 低位の武技を発動させ、一郎太の姿になろうと一郎太を指差すシェイプシフターに向かって踏み込む。そして、突きだ。

 心臓目掛けて突き出された剣が肉体に食い込んだ瞬間、ヨァナは聖なる力を炸裂させた。

「──<聖撃>!!」

 聖騎士が得る初歩的な特殊技術(スキル)にシェイプシフターは電流に襲われたようにガクガクと体を揺らした。

 

 周りでも第三位階まで修得する信仰科の教員達が<太陽光(サンライト)>を放つ。顔に花を咲かせている者はダメージを追い足を止めるが、完全に姿真似をしている者達にはそれは届かないようでもはやどれが人間でどれがシェイプシフターかわからなかった。

 

 そして、「キャーー!!」一人の叫び声が甲高く響いた。

「た、助けて!!違うの!!私、私本当に人なんです!!」

 キュータはその聞き知った声にバッと振り返った。

 怯えるその声は交流会でエ・ランテル校の優秀者として共に踊ったアンリエッタ・コルトレーンのもので違いない。

 だが、顔に花を咲かせている。ではあれは──と思うが、彼女から伸びる祈りの糸を掴んだ。

『──助けてください、神様!!』

 その瞬間、アンリエッタに向かって杖を向ける男子の前に身を踊らせた。

「──やめろ!!彼女は幻術をかけられてるだけで本物だ!!やめろ!!」

「き、君は首席君!?見分けはつかないって君が言ったのに、なんで分かるの!?」

 レオネをダンスに誘いに来ていたバレアレだった。

「っ──バレアレ君!これは確かにアンリなんだ!!」

「絆されると君も記憶を奪われるよ!?」

 アンリエッタの花の下には涙がいくつも伝っていた。抱き寄せてやると、アンリエッタはキュータの胸にすがり──キュータはハッと大切なことに気がついた。

 

「キ、キュータ君!キュータ君!!」

「バレアレ君!これは下位の幻術だ!!触ればそこに花がない事がわかる!!」

 キュータの手はアンリエッタの顔を撫で、花に触れる事なくすけて埋まった。

「な、なるほど!分かったよ!」

 そして、キュータの後ろから声がした。

「──<下位幻術付与(レッサーグランドオブヴィジョン)>」

 次の瞬間、バレアレの顔がバッと花として咲いた。

「う、うわあぁ!!」

「ックソ!!──<聖なる光線(ホーリーレイ)>!!」

 背後の祈りの糸のない者へ弓を引き絞り放つ。もちろん一撃で倒れることはなく、周りでも似たように人だか人じゃないのか分からない混乱が発生し始め、キュータは舌打ちをした。

「──ここにもいたぞ!!」

 ふと、そんな声と共にバレアレの腕が<魔法の矢(マジックアロー)>で貫かれた。

「っあぁ!!」

「バレアレ君!──や、やめろ!止まれ!!」

 

 何が起きているのか理解した教員達から『攻撃をやめて!!』『全員地面に座りなさい!!』『伏せなければシェイプシフターと見做します!!』と声が聞こえてくる。

 皆パニックになりながらも座り込む。

 そこには花を咲かせた者も、人の顔をした者も集まっていたが、皆そばにいた友達一人信用することはできない状況に陥っていた。

 

 女子の啜り泣く声が響く。

 キュータは姿勢を低くしたままアンリを連れてバレアレのそばに寄った。止血するために傷口をギュッとハンカチで縛り上げ、痛むのか「ふぅー……!ふぅー……!」と息を吐いていた。

「バレアレ君、痛かったね。今治してあげるから」

「し、首席君……ッうぅ。ぼ、僕、低位だけど、ポ、ポーション持ってるんだ。三本……。昨日……ッアァ……ゥ……授業で作ったやつ……」

「それは僕が離れた時に使うといいよ。何かあった時のためにとっておいて。──<中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)>」

 バレアレの腕があっという間に治る。止血のために縛り上げていたハンカチをそっと解いてやると、バレアレは冷や汗を拭い、頭を下げた。

「うぅっ、ありがとう。ありがとう」

「大丈夫だよ。すぐに全部収まるからね」

 抱き寄せてやり、背中を撫でるとぐすりとバレアレは鼻を鳴らした。

「首席君……──スズキ君。本当にありがとう」

「キュータ君、でも……私達どうしたらいい……?」

 顔に花を咲かせたままのアンリエッタにキュータは微笑んだ。

「アンリもバレアレ君も、自分の顔のこれが低位の幻覚だって周りから分かるように、顔に触れていて。手が透過されて埋もれるのを見れば、皆君が本物だって分かるからね」

 それぞれバレアレとアンリエッタの手をとって頬に沿わせてやる。

「わ、わかりました」

「わかったよ」

 二人が両手を花の中に埋めると、周りからは明らかな安堵の息が漏れた。

 

 キュータは首を長くし、離れてしまった一郎太とアイコンタクトを取った。一郎太はヨァナとレオネを大切に抱き寄せていた。記憶のないファーを抱えるワルワラと、リッツァーニと手を取り合うカインも見える。

(向こうは平気そうだな……)

 

 教師達は天使を召喚すると、声を張った。

『信仰科で治癒が使える者、特進科で治癒が使える者、薬学科で試作ポーションを持っている者は立ち上がりなさい!』

 キュータとバレアレを含め、ぞろぞろと何人かが立ち上がる。

『近くにいる負傷者に第一位階の治癒魔法── <軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>をかけて下さい!』

 だが、皆それをためらった。アンデッドには治癒魔法でダメージを与える事ができる。これでシェイプシフターを引けば、それが暴れ出すとしか思えない。

 その心配は教員達にも伝わっているようだった。

『残念ながら一度程度の治癒でシェイプシフターは消滅させられませんし、痛みも感じません!彼らは増える事と人を争わせる事が目的です!!今こうして大量に紛れ込むことに成功した今、一度程度の回復でダメージを負っても、彼らは治癒されたふりをして人の真似を続けます!!心配せずに、とにかく負傷者を癒すのです!!』

 納得の声が上がる。

 

 キュータはキョロキョロすると他にもいる手近な負傷者に治癒を施した。

 転んでしまったとかそう言う傷まで入れると負傷者は多い。

「── <第三位階天使召喚(サモン・エンジェル・3rd)>」

 キュータの上に天使が出る。

「負傷者を回復しろ。<軽傷治癒(ライト・ヒーリング)>でいい」

 天使が深々と頭を下げて仕事へ向かう。

「す、すごい」

 バレアレや周りの生徒達から感嘆が漏れ出た。

「キュータ君、なんでもできるんですね……」

「いや、そんな事はないよ。──アンリ、バレアレ君、僕はここを離れるけど大丈夫かな」

「うん。僕はもう平気。僕も向こうに行くね」

「え、あ……あの……キュータ君……、そばに……いて下さい……」

「ん。じゃあ、君はおいで。バレアレ君、また」

「またね!」

 手を振り合い、アンリの手を引いて回復をかけて行く。

 多くの回復者の魔力が尽きる中、キュータは散々回復をかけた。

 粗方それも終わると、天使が戻ってくる。

 

 キュータは一郎太のそばに戻り座った。

「──キュー様、お疲れ。そっちのは?」

「あぁ、花で顔が見えないもんね。こっちはエ・ランテル校のアンリエッタ。大丈夫、人間だよ。不安だって言うから連れてきた」

「す、すみません……」

 アンリエッタは肩を落としたが、ヨァナとレオネが肩をさすった。

「怖かったよね。私も怖くて剣落としたよ。私はヨァナ」

「そんな風にされたら当然ですわ。わたくしは──」

「ありがとうございます……。あなたはレオネ・チェロ・ローランさんですよね。キュータ君が解放した宿主の」

 授業を受けていたのだからアンリエッタは即座に答えた。

「はい。そうですわ。よろしく。あちらは記憶を落とされたファーと、森司祭(ドルイド)のルイディナ」

「よろしくお願いします」

 

 女子達が自己紹介を進める中、キュータは一郎太に耳を寄せた。

「そっちの後ろ、シェイプシフターかもしれない。ただ信仰がないだけの子かもしれないけど」

「──分かりました。祈りが見えない?」

「うん。気を付けて。一太にはこれを渡しておく。──(ダガズ)(ギューフ)(イング)(ガー)

 抜いた剣の刀身にルーンを書き込んでいく。もはやインクなどは必要ない。書こうと思えばどこにでもこの光の軌跡は──神の生み出した字は焼き付ける事ができた。

 皆それを覗き込んだ。

「こ、これは?」

 アンリエッタが尋ねるが、キュータは答えなかった。ワルワラもジッとその手元を見ていた。

「<魔法蓄積(マジックアキュムレート)善なる極撃(ホーリー・スマイト)>」

 刀身にドッと光が宿り、ワルワラは魔眼を思わず覆った。

「ック──!!」

 カインが「え、え?キュータ様?」と戸惑うように刀身とキュータの顔を見比べた。

 カインの戸惑いの理由はその魔法の位階にある。普通は聞いたこともない魔法だ。

 

 キュータは第七位階の魔法を込めたそれを一度鞘に戻すと一郎太に渡した。

「一太──一郎太。記憶を取られるなよ。魔法は極力小出しにして神聖属性を剣に持たせておけ」

「……承知しました。どうされるおつもりですか」

「この混乱、教員にはもう解決できない。私は位階の制限をやめる」

「ですが……明日には神官のみならず陽光聖典が来るはずです」

「これだけの人数だ。見張りをつけて夜を越すことは難しい。夜眠る時間になれば間違いなく更なる大量増殖を許す。最悪、混乱に乗して宿主を殺し、顔を潰して入れ替わろうとする者も出るかもしれない。記憶がない以上社会に溶け込む事は難しいが、捨て駒として動こうとする個体が出てもおかしくはない。これ以上は危険だ」

「……シェイプシフターは今どれほど?」

「分からない。だが、もうちらほらと言う様子ではない。これ以上は生徒達が可哀想だ」

「……分かりました。では、御身のされることに従います」

 一郎太が深々と頭を下げると、カインとルイディナも地面に手をついて頭を下げた。ファー、ヨァナ、レオネは二人のやり取りを見て何度も瞬いていた。

「……そんな顔をしないで。すまないね」

「……俺は少し残念なだけだって」

 キュータは一郎太の頭を引っ張るとコツンと額同士をぶつけ、一郎太はもっさりとした顔をキュータに擦り付けた。

「キュー様、変わらない奴もいるからね」

「うん、そうだね。──じゃあ」

 杖を抜き、立ち上がる。

 

 カインは両手を胸の前で組んだ。

「──キュータ様……」

 座ったはずのキュータが立ち上がったことを見た教師が『スズキ君!回復はもう十分だよ!』と告げる。

 

 座る様子がないことに教員が目を見合わせ、杖を抜く。

 そして、慌ててそれをフルト教員が止めた。彼女は腕輪を外している今のキュータの姿が──ナインズの姿がハッキリと映っているはず。

 

 ナインズは杖を天高く上げた。

「<陽光爆(シャイニング・バ)──」

「キュー様待って!!」

「あ、あれ!!」

 一郎太と誰かが叫ぶ。チラリと太陽光が一瞬遮られる。皆空を見上げ、指をさした。

 ナインズも釣られるように空を見上げると、そのあまりの眩しさに目を細めた。

 ()()は、太陽光よりも余程まばゆかった。

「──母様」

『<魔法持続時間延長化(エクステンド・マジック) 魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)浄化された大地(フィールド・オブ・クリーン)>』

 

 次の瞬間、大地がドンッと揺れた。

 太陽に立っているようにすら錯覚させるほどの輝き。

 体を癒すように感じるぬくもり。

「──ギョォオオオ!!」

「──ッキュゥゥエエェエ!!」

 あちらこちらから一斉に苦しみの声が上がる。そして、ジュッと音を立てて何かが蒸発した。ぱたりと倒れた根と花は何の属性も持たないらしく綺麗に咲いたままだった。

 聖なる命の力に呼ばれるように大地からは一斉に草が伸び、花を咲かせた。

 

 それと同時にワルワラはまた目を抑えた。

「──っウゥ!ッグ……!!うわぁあア!!」

「ワルワラ!」

 ナインズはワルワラを抱き寄せると魔法をかけた。

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)聖属性防御(プロテクションエナジー・ポジティブ)>!!」

 ワルワラは真っ黒になってしまった目から手を離すと、ナインズを見上げた。赤かった瞳は色を失っていた。

「た、助かった……」

「見える?」

「み、見えない……。スズキ、見えない……」

「……後で治してあげるから。今は少し我慢して」

「……何が起こってる……?」

 

 ナインズは周りの皆と一緒に清々しい顔で笑い、空を仰いだ。

「──光神陛下が、浄化しに来てくださった」

 空にはたくさんの翼を広げ、煌めきの粒を落とす、誰よりも美しい母がいた。

「な、なんだと!治せ!今治せ!!今すぐ治せ!!」

「っわ、ま、また目を痛くするよぉ」

 ワルワラに襟を掴まれてガクガクとゆすられていると、皆笑った。

「ワルワラ、やーめーろ」

 一郎太が引き剥がそうとするが、ワルワラは頑として襟を離さなかった。

「お前抵抗かけてくれただろ!早く!早く!!」

「相手の魔法は第十位階なんだからこんな第二位階の魔法なんかじゃどんなに強化したってまたすぐに目が焼けちゃうってぇ」

「第十位階!?そんなもんがあんのか!?くそ!!良いから早く治せって!!」

「──あ、そろそろ魔法も切れるみたい。治すからね?」

 最後の一人も蒸発して倒れる頃、光が徐々に弱まっていった。

「<重傷治癒(ヘビーリカバー)>──見える?」

 ワルワラの真っ黒になってしまった瞳に赤い光がぼんやり宿る。

「──見え──いってぇ!!」

「はは、だから言ったのに」

 また目を覆い、ワルワラが悶える。

「ははは。諦めろよ」

 大地から立ち昇る光が収まると、ワルワラはようやくまともに辺りを見渡した。

「──な、なんだこら!?」

 花畑と化している大地に目を向き、空を見上げた。

 皆床に座ったまま胸の前に手を組んで空へ祈りを捧げているようだった。

「あ、あれが……光神陛下……?目が霞んで全然見えない……」

「あらら、第三位階の回復じゃダメか」

 

 とつりと簡易の壇上にいた教員達の前に降りると、光の神は笑った。

 

「──お約束の分は貰いました」

 いつの間にか来ていたフールーダがごしりと地面に額を擦り付ける。

「あ、ありがとうございました……!陛下……!!」

「いいえ。危ない所だったから。──ねぇ、アインズさん」

 皆声がかけられた方を見る。

 よっこらせと立ち上がった男子学生がいた。

 学院のローブのフードを脱ぐと、そこには白磁の顔があった。

「本当に。さっさと私達を呼べば良かったのにな。無理ばかりして」

 輝く瞳はするりと動き、ナインズとぴたりと目が合った。

 教員達は──特に信仰科は──胸の前に手を組み何度も頷いた。

 皆、神々の話す事が自分たちのことだと思っただろうが、ナインズは優しい両親が自分の話しかしていない事に思い至り照れくさそうに笑った。

 アインズはその笑いを見ると、いつもの骨の顔で笑い、学生のローブは消え去った。

 ナザリックで当たり前に見かける魔法のローブを纏う、神に相応しい姿になりながら座り込む学生達の中を歩いた。

 

「いい課外授業だったな。私達は先に帰るが──その前に一つやらなくては」

 

 闇の神がそばを通った者はごくりと唾を飲み、ローブが翻って行く背を見送った。

 

「──見せなさい」

 闇の神はナインズの目の前──いや、ワルワラの目の前に立ち止まった。

「──あ、え……?俺──いや、わ、わたし……ですか……?」

「あぁ、ワルワラ君、目が霞むんだろう。九太──くんの第三位階の回復じゃフラミーさんのあれを受けた魔眼の完全回復は難しい」

「お、俺の名前……。陛下……!」

 骨の手がワルワラの顎を持ち、その目を指さした。

「──<闇夜の吐息(ブレス・オブ・ダークネス)>。どうだ?」

「よ、よく見えます」

「よし。他にフラミーさんの力で怪我をした者は!!」

 恐らく魔人(ジニー)のあいの子のワルワラ以外にはいないだろう。魔眼を持つだけで、ワルワラも邪悪な存在なわけではないので魔眼が焼かれるだけで済んでいた。

 

 申告する者はおらず、闇の神はポンとワルワラの肩を叩いて前へ戻って行った。

 ワルワラは自らの瞳の熱さに息を呑んだ。

「見えるって言うか……信じられないくらい力が……」

 瞬き一つで魔物を殺せそうな気すらした。

 

 闇の神は壇上で待つ光の神の下へ行くと、光の神を抱え上げた。

「フラミーさん、お待たせしました」

「いいえ、助かりました。──楽しかったですね」

「本当に。<転移門(ゲート)>」

 二人の前に黒黒とした門が開く。

「──全員、よく学べ」

「怪我には気をつけてね〜」

 神々はあっという間に闇へ吸い込まれ、後には何も残らなかった。

 

 皆目を見合わせ──次の瞬間大歓声が上がった。

 喝采に次ぐ喝采。

 ローブや教科書を投げ、一斉にシュプレヒコールが花畑と化した空き地を包む。

 自分たちの無事を喜び、神々の降臨に体を熱くし、近くの者と抱き合った。

「キュータさん!!」

「キュータ君!!」

「レオネ、アンリ──っわ」

 レオネとアンリエッタがナインズに抱きつくと、ナインズは瞬いた。

「レ、レオネ。はは、無事で良かった。アンリは顔にまだ幻術かかってるね」

 二人はナインズの胸に顔を擦り付け──ムッと互いを見合った。アンリの目は花の下なので見えないが。

 

「ミノさ〜ん!良かったよ〜!!助けてくれてありがとう〜」

 ヨァナももそもそと一郎太の胸に顔を埋め、一郎太は嫌そうにそれを見下ろしていた。

「はいはい……。お前自分で一体倒したろ。良かったな」

「うん!ミノさんのおかげ!!」

「いや、どう考えてもキュー様が聖騎士の特殊技術(スキル)知ってたおかげだろ」

「へへ、そうとも言う!でも、ありがと!」

 首を引っ張り、もそりと頬に顔を埋める。

 それがキスだと分かると一郎太は赤毛越しでも分かるほど顔を赤くした。

「や、やめろ!!離れろ!!お前は本当に思い込みが強いんだよ!!」

 ジタバタするが、ヨァナは「やだよん!」と笑った。

 

「……とにかく、良かったわ……。さっきの王陛下たちが全部解決してくれたんですもんね……?」

 未だ記憶の戻っていないファーが言うと、ルイディナは頷いた。

「うん!光神陛下と神王陛下が全部解決してくれたんだよ!ファー、全部思い出したら多分もっとよく見ておけば良かったって感動するね!」

「そ、そうでしょうか。でも、次にまた会えたらお礼を言わなきゃ」

「いや、会えないよ!?記憶ないって厄介だね!?」

「え?でも、ワルワラ君とキュータ君の名前知ってたから学校でよく会えるんじゃないんですか?視察とかで」

「会えるわけないでしょ!!神様だよ!?」

「神様?」

 ルイディナがそんな気安い存在じゃないと言う横で、カインはリッツァーニと笑い合った。

 

「本当。会えるわけないのにね」

「相当成績が良くて、直々にパラダイン様の下に付くように命じられない限りはだね。バジノフ君は学年二位だし、スズキ君は──特別な人だからね」

「そうだね。リッツァーニ君、もし魔導省に入るように言われたらどうする?」

 リッツァーニはまたたいた。

「わ、私なんかはそんな。ありえないよ」

「いやぁ。君はなんでも良くできるからなぁ……」

 カインがうーん、と悩むとリッツァーニは幸せそうに笑った。

「私はシュティルナー市のことで手一杯だと思う」

「そうなってくれると助かるんだけどなぁ。あぁあ〜」

 

 花の上にカインが足を伸ばすと、秋だと言うのに咲いてしまった花に誘われてオレンジ色の蝶がたくさん集まってひらひらと踊った。

 

「──で、お前には後で話があるからな」

 ワルワラがガシリとキュータの肩を組む。

 キュータは無垢そうに首を傾げた。

「なぁに?」

「なぁに?じゃ、なーぁい!!ぶっ飛ばしてやる!!」

「ははは!ひれ伏せよ〜!」

 

 キュータはひらりとワルワラから逃げ出した。




レオネは恋人だと思ってんだもんなぁ
そりゃ手の甲にチューされてたらそうよ
良かったねぇ、一生キスもしない二人だと思ってた!!

ワルワラは察したかな!
やっぱり陛下方が出てくると圧倒的だなぁ〜!

次回明後日でごんす!
Re Lesson#37 僕だけの神官長


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Re Lesson#37 僕だけの神官長

 

「てめぇ!!何がキュータ・スズキだ!!」

 

 その晩、ナインズ、一郎太、カイン、ワルワラの相部屋に怒号が響いていた。

「僕はキュータ・スズキだけど、どうかしたの?」

「どうかしたの?じゃねぇだろうが!!お前、何がなんでも名乗らないつもりか!!」

「えぇ〜怖いよ、ワルワラぁ」

 二段ベッドの下の段でナインズは一郎太の肩にもたれて笑っていた。

「一郎太!!こいつ!!」

「あー?可愛いだろ、弟みたいで」

「え〜僕の方が半年お兄さんだよ〜」

「お前ら……!カイン!!お前も知ってるんだろ!!こいつをちゃんと紹介しろ!!」

「だからキュータ・スズキ様だって言われてるでしょ」

「この期におよんでぇ……!!」

 ワルワラの背をメラメラと炎が燃えるようだった。

 

「あ、そろそろ晩御飯だ。お腹すいたね」

 ナインズは二段ベッドの上段に置いてあるローブを掴んで肩に掛けた。

「今夜は何かなぁ。僕クリームコロッケの気分だけど。なんか肉肉しいもの食べたくないっていうか」

「本気で名乗らないんだな!?言うぞ!!本当に言うからな!!」

「ふふふ、おかしいなぁ。ワルワラ、何を躊躇ってるの?早く呼んでくれよ」

「ッダァー!気安く名前を呼べるかぁ!!お前みたいな尊い名前のやつに俺は会ったことがないんだよ!!」

「あらら、意外」

 

 食事に行く準備をしながら様子を見ていた一郎太とカインはおかしそうに笑った。

「ははは、ワルワラ。キュー様はもう呼ばれるまで名乗らないって決めてんだよ。だから、お前が呼ぶまで終わらない」

「な、なにぃ!?くそ!!おい!スズキ!!そこに座れ!!」

「はぁい」

 もう一度一郎太のベッドに座ると、ワルワラはその前に片膝と片手の拳を床についた。

 

「恐れ多くも、このワルワラ・バジノフ。ご尊名を口にさせていただきます。──ナインズ・ウール・ゴウン殿下」

 一郎太とカインは想像を超える丁寧さに目を見合わせた。ナインズは腕輪を一郎太の手に乗せ杖を取り出した。

「<魔法霧散(ディスペル)>」

 幻術が霧のように溶けていくと、ワルワラとカインは流星群でも見る様にその様子を眺めた。

 闇の神と同じ目の亀裂。光の神と同じ黄金の瞳と銀色の髪。

「ま、まじで殿下」

「──私は確かに時に殿下と、ナインズ・ウール・ゴウンと呼ばれる男だ。ワルワラ、黙ってて悪かったね。騙そうと思ってたんじゃないんだよ」

「わ、分かっております。殿下、知らなかったとは言えご無礼をお許しください」

「君、無礼だった事あったっけ?」

 ナインズは跪くワルワラの前にしゃがみ込み、首を傾げた。

「……ねぇな」

「ないね」

 二人で頷くと、ワルワラはナインズの首を腕で締め上げた。

「てめぇー!ズルしてんじゃねぇぞ!!」

「い、いたた。ははは。早く上位物理取らなきゃなぁ」

「ワルワラ、ナイ様相手にやめーや。流石にバチ当たるぞ」

 一郎太に引き剥がされたワルワラはもう一度ナインズの顔をまじまじと見た。

 

「は……!つまり、今年の一年の本当のトップは俺だな!?」

「うん、本当だねぇ。君は天才だよ。スルターン小国に君がいてくれて僕は本当に嬉しい。未来の大司教、君は確かにこの学院で一番だ」

 ワルワラはパッと顔を明るくすると「二度とあの何ちゃらなんちゃらとか言うナーガに順位を譲らん!!」と燃えた。

「僕を超えないの?」

「超えられるか!!お前何位階まで使うんだよ!!」

「第八位階だけど、学校の成績なら超えられるかもよ?」

 ワルワラの額にブチっと血管が浮き出た。

「超えられるかー!!」

 

 大変憤慨するワルワラの様子に、三人はしこたま笑った。

 

「──クリームコロッケなかったね」

 食堂で晩御飯を済ませて部屋に戻る途中で一郎太が言う。

 ナインズはなんだかんだしっかり肉を食べた。

「ね〜。帰ったらクリームコロッケ食べたいって料理長に言っておかないとね」

「いいなー。俺も食べたい」

「食べに来る?いや、持って行ってあげようか?」

「まじ?やった」

 仲睦まじく笑い、部屋の扉が見えてくると、部屋の前に誰かが立っているのが見えた。

「──ん?誰かいるな」

「誰ですか?──あ、波乱の種」

 カインはナインズと交流会で踊っていた女子を見ると言った。

「ん?あ、アンリ。アンリエッタ」

 ナインズが言うと、壁にもたれていたアンリエッタはぱっと顔を上げた。顔からは幻術も解けていつもの顔になっている。

 廊下の向こうの終わりの方にエ・ランテル校の女子がわんさかいるのが見え、そちらに手を振ると女子たちから黄色い歓声が上がった。

 

 一行が扉の前に着くと、アンリエッタはぺこりと頭を下げた。

「キュータ君、えっと、こんばんは!」

「や、どうかした?」

「あの、キュータ君に渡しておきたいものがあって……。──これ」

 そう言って差し出された封筒を受け取ると、ナインズは宛名を確認した。

「僕に?」

 アンリエッタは赤い顔で何度も頷いた。

「あ、あの、できれば一人で読んで欲しいですっ!」

「うん?分かったよ。ありがとう」

 キャー!とまた黄色い歓声が上がり、アンリエッタは赤くなった顔をおさえて友人達の下へ走って戻っていった。

「──やれやれ。色男だな。まぁでももう納得したよ」

 ワルワラが言う隣でカインは扉を開いた。

「今のレオネがいたら揉め事もいいところだよ……」

 

 四人で部屋に入ると、ナインズは一郎太の下段のベッドに腰を下ろした。

「──<中位道具創造(クリエイト・ミドル・アイテム)>。なんだろ?」

 手の中にペーパーナイフを作り出すとピッと弾くように手紙を開けた。

 魔法で作り出したナイフはすぐに消え、ナインズは中から便箋を取り出した。

 真っ白な便箋に丁寧な字が並ぶ。

 ナインズはそれに目を通していくと、「綺麗な字だな。頭良さそう」と人並みな感想を並べた。

「どうだ?付き合ってくれって?」

 ワルワラに問われるとナインズはぱたりと手紙を閉じた。

「いや?文通して欲しいって。良ければ帰ってから手紙くださいだってさ」

「か〜……。お前、そう言う時住所ってどうしてるの?神の地の住所ってどこ?」

「ナザリックは住所ないと思う。だからナザリックに手紙が届く事務用の住所があるんだ。封筒に僕との関係を書いて神殿に直接持ち込んでもらったらすぐに届くけど、学校の書類とか手続きとかは一応その住所でやってる」

「……神殿に手紙持ち込んでなんですぐに届くんだよ」

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が僕の書類係に<伝言(メッセージ)>寄越してすぐに運び込まれるから」

「……つまり、転移魔法を手紙一通に使ってるってわけか?それとも全ての神殿は神の地に繋がってる……?わけがわからん」

 ははは、と笑ってナインズが手紙をカバンにしまうと、一行は大浴場に向かった。

 この建物は昔入植者達が暮らしていたらしく、浴場も食堂も大変広い。ただ、別に景色が良かったりするわけではない。

 そして、風呂を後にしようとした時「スズキくーん!」と声が聞こえた。

 振り返ると、バレアレがいた。

「あ、バレアレ君。お昼は大変だったね。腕は平気かな」

「うん、ありがとう!陛下方も見えてすごかったね!皆もうあれで帳消しって感じだったよ!──それでさ、これ、良かったら」

 とバレアレから折り畳まれたメモを差し出され、ナインズは受け取った。そして、中身を見もせずに尋ねた。

「もしかして、住所?」

「え?なんで分かったの?」

「ははは。そんな気がしただけ。ありがとう、手紙書くね」

「あ、うん!僕も返事書くよ!もしザイトルクワエ州に来ることがあったら、ぜひうちに寄ってね!実家はカルネ市なんだ!」

 それを聞くと、ナインズの頭の中で色々な情報が組み合わさっていった。

「──君、もしかしてバレアレ市長とバレアレ工房のところの?」

「え?はは、よく知ってるねぇ。母さんだけじゃなくて父さんのことも知ってるの?母さんは聖書にも書かれてるから、たまに聞かれるんだけど」

「もちろん知ってるよ!ンフィーさんは紫ポーションを作ったんだから!うちの父がよくお世話になってる!きっと会いに行くよ!レオネも連れて!」

 バレアレは照れくさそうに笑うとナインズと握手を交わして去って行った。

「男にもモテてんな」

 ワルワラが呆れ混じりに笑い、カインはしたり顔で頷いた。

 

 ナインズは妙に嬉しい気持ちで部屋に戻り、バレアレの住所も大切にしまった。

「さて、そろそろ俺にも付き合ってもらわなきゃな」

 ゆらりと後ろにたったワルワラに振り返り、首を傾げる。

「何?」

「ひとつしかないだろ」

 ワルワラはいい笑顔でナインズの腰に触れた。

「……い、嫌な予感」

「お楽しみターイム!」

 そのまま腰の杖を引き抜かれて握りこまされると、明け方近くまで散々高位の魔法を見せろ攻撃に付き合わされたらしい。

 

 翌朝。

 

「──寝不足だ……」

 

 皆の話す声に目を覚ましたナインズは重たい体を起こし、ベッドの上段から降りた。

 混戦状態だった時に怪我の治癒もかなりしたし、使わなかったとは言え剣に第七位階の<善なる極撃(ホーリー・スマイト)>も入れている。

 ぺたりと裸足で降りると、床はずいぶん冷えていてぶるりと震えた。

「ん、ナイ様おはよーさん」

「おう、スズ──お前そのままでいるな!」

「ははは。キュータ様おはようございます」

 ナインズは一郎太が寝ていたベッドの下段に腰を下ろすと、朝から怒っているワルワラに首を傾げた。

「なにがぁ?」

「早く幻術かけんか!」

 さらりと銀髪が肩から落ちて行った。目が開いているような開いていないような状態で若干はだけるパジャマの中に手を突っ込んで肩を掻くと、ワルワラはナインズから腕輪を抜いた。

「ほら、これ持っててやるから!」

「──あ、やめておけ。それには触れないほうがいい」

「なんだよ。もう分かってるから構わないだろ?」

「いや、一太に持たせておいて。昔カインが盗って以来それは時限爆弾になってる。万が一制限時間を超えて持ってたら爆発するし悪魔も出る。盗まれたら大変」

 ワルワラはまたたき、もう支度も済んでベッドに腰掛けるカインに振り返った。

「お前思ってたよりすごいやつだな」

「……まぁね。歴史に名を残すかも」

 

 カインが遠い目をして言うと、一郎太はその背をバンバン叩いた。

「まーまー。ほら、腹減ったしナイ様も着替えて」

「はーい。<下位幻術付与(レッサーグランドオブヴィジョン)>」と唱えた次の瞬間パタリと手を落とした。

「──だる。魔法使いすぎ」

「はいはい」

 一郎太に腕輪を通し直され、服が脱がされていく。

「いちた〜寒いよぉ」

「とりあえず着替えだけして食堂で寝てくださいよ」

「二度寝したい……。でも僕が行かなきゃ一太が食べられない……」

 仕方なくナインズは服を着た。

 髪もなんだかパサついている様な気がするし、目の下にクマもある気がする。

「お待たせぇ〜……行こうかぁ……」

 ズボンにシャツだけ着ると、ローブもセーターも着ずに剣と杖だけは下げ、あくびをした。

 本当に疲れていそうだった。

「ははは、お前たまにはそういうのもいいんじゃないか。真面目な貴公子って感じしないぜ」

「……僕は割と不真面目だよ。はー……寝直したい……」

 ポケットに手を突っ込むと腕輪の鬱陶しさが消える様だった。

 

 四人で食堂に行くと、若干の黄色い歓声が上がった。

「お前、シャツ着てるだけなのに目立つなよ……」

「皆だらしない格好してって呆れてんでしょ。ワルワラ、僕の分も取って来てぇ」

「お前なぁ。せっかく本当のお前を知った翌日にはそれかよ」

 ナインズは離れたところで女子四人で楽しそうに食事をするレオネの元気な姿を確認すると、手近なところに座り背もたれに目一杯寄りかかってワルワラを見上げた。

「僕だって知られてるのにだらしなくいたくない。誰のせいでこうなってると思ってんの。もう魔法見せてあげないよ」

「行ってまいります。お待ちください」

「……君ってやつは」

「ははは!」

 三人が笑ってさっさと食事を取りに行くと、ナインズは疲れのため息を吐いた。

 

 あちらこちらから挨拶をされ、突っ伏して寝る暇もなく返事を返していく。

 そうしていると、ふと知った顔が遠くに座っているのが見えた。記憶のないロランだ。

 ロランの隣にはレイ・ゲイリン。向かいにはアガート・ミリガンが座って一緒に食事を取っていた。

 レイが口をごしごし拭いてやったり、服を少し整えてやったり世話を焼いている。ロランも満更ではなさそうで照れくさそうにしながらもレイを受け入れていた。

 ふと、ロランと目が合うと手を振り合った。

 

「──ロラン、レオネから乗り換えるかね?」

 食事を持って来た一郎太がそんなことを言う。

 カインは「ロラン……羨ましいやつ……」とこぼした。

「ははは、ま、全部記憶の戻ったロラン次第だね」

 四人で食事を取り、ナインズはまたあくびをした。

「キュー様、授業中寝る?」

「そーだねぇ。今日の予定はなんだっけ……」

「午前中に陽光聖典と神官団が来て記憶喪失者の回復する所見せて貰える。そのまま特別講義を受けて、キュー様は昨日のことの表彰受けて、昼飯食ったら神都戻るって」

「レオネの回復だけ確認したら、後は表彰まで場所探して寝るかぁ」

 すっかり不良のようになりながら一行は食事を終えた。

 

 授業の時間になると、青空の下高位神官団と天使を引き連れた陽光聖典が到着し、皆ニグンの存在に浮き足だった。

 あちらこちらから神を連れ帰った男だと熱に浮かされたような声が上がる。

 ニグンが手を振るだけで歓声に沸いた。

 ここは昨日花畑にされてしまった庭だ。相変わらず地面に座っているが、昨日より座り心地は良い。

 

「──すごい方ですのよね?」

 何も覚えていないレオネがニグンを指差して尋ねる。三科共同授業なので皆揃っていて、カインとヨァナが一生懸命頷いた。

 あーだのこーだのと説明をする横で、ナインズと一郎太はよく大神殿で会うニグン達から早々に興味を失い良い木陰を探して首を伸ばした。

 金色の落ち葉が敷き詰められた向こうには貯水地が広がっていて、夜とはまた雰囲気が違った。

「──あそこは?」

「目立つところだと陽光聖典に悪いからなぁ」

「そりゃそうですね。私達の授業がつまらないせいでって」

「……昼寝は無理か?」

 二人苦笑している間に、第一被害者のブリタ・バニアラが回復され、農場の持ち主と何やらごちゃごちゃ揉めた。

 生徒達からは拍手が上がり、二人の痴話喧嘩めいたものはおさまった。

 そして、『記憶喪失者、挙手』と声が掛かった。

 レオネとファーが手を挙げる他にもかなりの人数が手を挙げ、聖典と神官達はフンスと袖を捲って向かった。

 生徒達も皆近くで魔法を見せてもらうのを楽しみにしているようだ。

 

 ふと、ナインズはニグンと目が合った。

 ミズ・ケラーと共に地面に座る生徒達を避け真っ直ぐに来てくれた。

「スズキ君、これでようやく心の棘が抜けますね。ミス・ローランが心配で夜も眠れなかったでしょう」

「はは、そうですね。これで今夜はよく眠れそうです」

 

「いやいや、まさか境の神官長補佐のお嬢さん──ローラン嬢もいらっしゃったとは」

 ニグンが言うとレオネは首を傾げた。

「わたくしの親とお知り合いでらっしゃるんですの?」

「えぇ、お嬢さんとはお会いしたことはありませんでしたが。さぁ、それもすぐに思い出せますよ」

「はい!よろしくお願いいたします!」

 楽しみで仕方がない様子でレオネは目を閉じた。

「では──<混乱への抗体(コンフュージョン・リカバリー)>」

 ニグンの魔法が体を包む。

「──どう?」

 ナインズが尋ねると、レオネがパッと目を開け、何度も瞬いた。

 そして、顔を真っ赤にすると──

「ッキャー!!」

 叫んだ。

 周りの回復されている他の輪の者達が叫び声に振り返る。

 

「む。ローラン嬢、少し休んだほうがいいかもしれませんね。喪失の混乱は治っても恐怖や記憶の統合に伴う新たな混乱は多少付きものです」

「ミス・ローラン、怖かったですね。もう大丈夫ですよ。一つだけ確認させてください。あなたの卒業後の第一志望は?」

「だ、だ、大神殿ですわ……」

「えぇ。そうです。記憶は完全に戻ったようですね、良かったです。スズキ君、回復室として宿泊棟の一階食堂横の部屋を使っています。あそこ、見えるかしら。ミス・ローランを連れて行ってあげて下さい。震えています」

「はい」

「ミズ・ケラー、スズキさ──んじゃなくても。例えば女子の方が……」

 ニグンからはナインズだと理解している故の気遣いがひしひしと感じられた。

「いえ、大丈夫です。レオネ、行ける?」

 ナインズが尋ねるがレオネはぶんぶん顔を振った。

「じゃあ、掴まってて」

「そ、そ、そう言う意味じゃなくて!!」

 よいせとレオネを抱え上げて生徒達の間を縫っていく。

「──では、そちらの。ファー・エバタ」

 二人目の回復が始まる声を背に、ニグンに軽く頭を下げた一郎太もナインズの後を追った。

 

 皆何事かと三人を見上げて見送る。

 あっという間に宿泊棟の回復室に着くと、ナインズはレオネをベッドに下ろした。

「神官の先生は──いないか。皆陽光聖典や上位神官のこと見に行ってるんだね。レオネ、新しい混乱があるなら回復しようか。全部なくなるよ」

 ベッドの前に跪いて見上げたレオネの顔は真っ赤で泣きそうだった。

「平気、それは平気ですの……」

「それは良かった。ごめんね、一人にしなければ良かった。僕のせいでとんでもない目にあったね」

「違いますの。わたくしがあなたにとんでもないことをしたの。本当にごめんなさい。わたくし、わたくし……こんなの……。あぁぁ……わたくしはなんて……」

 

 手で顔を覆う様子にナインズは胸の痛みをギュッと掴んだ。

「……何度も言うけど、僕は構わなかったからね。だけど、君には悪い事をした。すごく傷付いたよね」

「わたくしがバカすぎて……わたくしなんて言ったらいいのか……。あぁああ……」

 レオネは頭を抱えて唸った。

「ん。……レオネ、こんな時だけど君の祈りを聞いても良い?」

「バカだしバカみたいなことしか祈ってないですわ……。そんなもの聞いても失望するだけですわよ……」

「僕にはどうしようもなく輝いて見える」

「嘘……」

 跪いたまま前に座るレオネの手を取ってそこに額を付ける。

 以前と変わらずナインズの全てを祈ってくれているのが伝わってくるとナインズはしばらくそれを聞いた。

 

「……君は本当に心地良い。優しくて柔らかくて強くて温かい……。最高神官長の祈りより君の祈りの方が僕を癒すよ」

「そんな……そんなことはありませんわよ……」

「あるよ……。──あぁ……これで最後だと思うと、本当に名残惜しい。君の祈りだけを聞いていたかった」

「え?キュータさん……?」

「え?キュー様?」

 二人が同時にナインズを見下ろした。

 顔を上げたナインズは辛そうな顔をしていて、レオネのルーンの残る手を握った。

「少し考えたんだけど、君は忘れたくても忘れたいとは言えないよね。小学生の頃から記憶が繋がってるから、全てを忘れることはできないけど、僕のことはただのキュータ・スズキだって思ってた方が自由でいられる」

「キュータさん、あの──」

「もちろん昨日の、その──あれもちゃんと消してもらうようにするから。ごめんね、傷つけて。でも大丈夫、もう心配いらないよ。今父様を呼んであげるからね」

「や、やめてください。そんな」

「父様呼ぶって言われるとギョッとすると思うけど、まぁそれも今だけだから」

 

 ナインズは立ち上がって窓辺に行くと、こめかみに触れた。

「<伝言(メッセージ)>」

 

「や、やめて!やめてくださいませ!!」

「──大丈夫だから。父様、僕です。ちょっと──」

「やめて!!お願い!!」

「すみません、ちょっと待ってください。──レオネ、本当に大丈夫だから」

「酷いわ!あなた一人で勝手にそんなこと決めて!!お願いだからやめて!!」

 腕を引っ張ったレオネからボロボロ涙が落ちていく。

 

 <伝言(メッセージ)>の向こうの父の『なんだ?問題か?』と言う声が耳を滑った。

「お願い!!お願い……!忘れたくない……!一つも忘れたくないの……!」

「……父様、すみません。また掛け直します」

 腕を下ろすと、ナインズはレオネの背をさすった。

「レオネ、嫌だったでしょう……。もう全部やめた方がいいよ……」

「あなた、わたくしの話何も聞いてないの!?」

「聞いてるよ。君の言葉と君の声を聞くだけで僕は幸せだ」

「じゃあどうして!?わたくし、言ったじゃない!わたくしをあなたが美しいと思うものにしてって!!これで忘れさせられても、どうせわたくしはまたあなたを探し出すわ!!──……きっとまた恋をする!!だから、わたくしは全てを取り戻したままでいたいの!!わたくしの心の自由を奪わないで!!」

「君……でもそれは記憶がない間の話で……」

「じゃあ記憶がある今のわたくしも言ってるって今思い直して!!それでやっぱりキスが嫌だったなら、あなただけ記憶を変えていただけばいいのよ!!わたくしだってあなた相手にとんでもない事をしたって分かってますわ!!でも、シェイプシフターの姿を取り戻させるために仕方なく受け入れたって今は分かってる!!だから誰にも言ったりしない!!あなたの汚点になるような事、絶対に言いふらさない!!だから……だから……!だからぁ……やめてぇ……」

 レオネは肩で息をして言い切ると、ぺたりと床に座って泣き出した。

 どうしてやるのが良いのか分からず、ナインズの思考回路はショートしていた。

 

「キュー様、流石にダメだろ。確かにレオネは記憶がない間自由だったけど、そいつがそれを望んでるのかは分かんないじゃん」

「でも……レオネは自分じゃ言えないんだよ……。……彼女があんまり可哀想で……」

「この状況の方がよっぽど可哀想だろうが。……それに、キュー様も可哀想だ」

「だけど……僕は……」

「でももだけどもねぇよ。もうぶん殴らなきゃ目が覚めないってんならぶん殴るぜ」

 ナインズは一郎太が目の前までくると、静かに頷いた。

「たのむ……殴ってくれ……」

「まかせといて下さい。後でお叱りは受けますよ。レオネごめんな、キュー様は今日寝不足なんだわ。じゃ、歯ぁ食いしばれ!──ッオラ!!」

 一郎太の拳が顔に入り、その勢いのままよろけナインズは頬のあまりの痛さに笑った。

「はは、やったな」

「目ぇ覚めたか?」

「覚めたらしい。ありがとう」

 一郎太がぷんぷん扉に戻っていく。レオネは二人の突然の行いに顔を上げていた。驚きすぎて涙も止まっているようだった。

 

「──レオネ、ごめん。すごく君が辛そうだったから。本当は忘れたくても、君は記憶を取り戻したらもう僕に遠慮して忘れたいって言えないのかと思った。気を利かせようって思ったけど、バカだったらしい」

「わたくしが辛いのは……あなたの唇を奪ったことだけだわ……」

「それだけ忘れる?」

「忘れない……」

「でも嫌でしょう。傷付いただろうし無理しないほうがいいよ。君、初めてだったんじゃないの。男子禁制なんだから」

「……初めてでしたわ。でも、嫌じゃないし傷付いてない。あなたは……何人目?」

「……えーと……僕も初めてだった……」

 ナインズが頬をかく。レオネはまだ目にたくさんの涙がたまったままで自分の前にしゃがんだナインズを見た。

 

「……嘘ですわよね?わたくし達もう十六ですもの。クラリス様だって、クリス様だって、オリビアだって、アナ=マリアだって、イシューだって、イオリエルだって、ミリガンさんだって……あ、ペネだっていますもの。ほ、他にも、だって、アンリエッタさんや、パルマさんやジナさんや──」

「……君は僕の周りの女の子全員あげるつもり?そんな事するわけないでしょう……」

 レオネはまた床を見ると「ごめんなさい……」とポツリとこぼした。

 

「……やっぱり、あなた忘れてさせていただいた方がいいわ。シェイプシフター倒すためでも、大切なはじめてだもの……」

「シェイプシフターは関係ない。僕は君からの口付けが嬉しかったから受け入れた。だから、そんなの気にしてほしくない」

「嘘よ……。お願い、無理されないで」

「本当だよ。本当は貯水地でもらっておこうかと思ったくらい……。……でも、これは僕には綺麗すぎて……手が出せなかった……」

 ナインズの手が頬を撫でるとレオネはその手に手を添わせた。

「……それなら……わたくし……わたくしに、レオネ……ありがとう……って言いたい……。自由なうちに、キュータさんの唇を奪ったわ。不自由なわたくしはしたくても絶対にできないもの……。よくやったわ、レオ──」

 ナインズに引っ張られるようにレオネの唇が唇で塞がれる。あまりの熱さと息苦しさにレオネはナインズの服を引っ張るように縋った。

 くらくらして、このまままた意識と記憶を失いそうだと思った。

 そっと唇が離れると、赤い息が二人から漏れた。

「……よくやったよ、レオネ。自由な君に奪われて良かった。だけど、不自由な君からは僕がもらっておく」

「は、はぃ……あの……」

「何?」

「ありがとう……祝福……」

「こんな祝福は多分存在しない。だから──レオネ聞いて」

 床に座り込んだままのレオネはぼんやりとした顔をして首を傾げた。

 ナインズは色々考えた。考え考え考え、ようやく言葉を決めた。

「──レオネ、僕は君の望む全てを君が手に入れられるようにするよ。君の幸せのために奔走する。君の人生の何も邪魔しない。もし君が他に好きな男ができたら、僕は身を引く。だから、レオネ。僕の恋人になってくれないか……」

 

 聞いていたレオネの目は見開かれ、泳ぎ、押し黙ったまま床に落ちた。

「……わたくし……そんな……。あなたに不釣り合いで……もっと良い方がたくさんいるのに……。それに……わたくしじゃあなたの幸せのためにならないわ……」

「僕の幸せは君の幸せだよ。だから僕じゃ君が幸せになれないって言うなら潔く諦める。僕の隣じゃ休まらないって言うなら、納得もする」

「そ、そんなことは──。……幸せすぎて、どうにかなりそう……。けれど……本当に……あなたの──ナインズ殿下のお相手って、恋人でもちゃんとした家に生まれて、教養があって、天使みたいな人じゃないと……皆も納得できないし……。わたくしじゃきっと……あなたを失望させる……。何の取り柄もないもの。殿下の隣なんて……そんなの……不可能よ……」

 レオネが泣きそうになると、ナインズは苦笑した。

「ちゃんとした家に生まれて、教養もあって、天使みたいな人って言ったら君じゃないか」

「ナインズ殿下……。そんな事はありません……。わたくし、あなたの神官だし……やっぱり、恋人になんてなれない……。なれません……」

「……そうか。……分かったよ。ありがとう、話を聞いてくれて。惑わせたね」

 

 レオネは顔を覆うと決壊するように泣き出し、ナインズはレオネを抱き寄せて背を撫でた。

「レオネ、ごめんね。僕が軽率だった。君の望みも祈りも……全部知ってたのに……。本当にごめん」

「キュータさん、わたくし、わたくしぃ……!あなたを特別な誰かではなく、想いを寄せても良い一人だと、不相応にも思わせていただいてきたのに、わたくし……!ナインズ殿下のことを思えば、思うほど、わたくしじゃいけない……!」

「……あぁ。そうか……。レオネ、もう一回聞いて?」

 しゃくり上げるレオネは自分を落ち着かせようと必死になったが、「ひぅっ……ひぅっ……」と止まらない声が漏れた。

「……ナインズの名前がそんなに気になるなら、ナインズとしては望まない。神官になると言う君を応援することを僕も決めてる。……レオネ、僕がただのキュータだったとしたら、君は頷いてくれるかな」

 レオネが涙で光るまつ毛を上げると、ナインズはその目の下を拭った。

「……頷きたい……。神官も神の子も関係ないなら……頷きたい。あなたに飛び込んで、あなたと生きたい。それで──やっぱり──あなたの幸せを祈りたい……」

「じゃあ、ナインズとか言う人の幸せを祈ってやって。僕は──キュータは何も持ってない。大したものもあげられない。僕と──キュータと付き合わないかな」

「何も持ってないあなたがいい!キュータさん!」

 

 ナインズはもう一度レオネを抱き寄せた。レオネの腕が首の後ろに周り、離れ難いように優しく髪をくしゃりと握った。

「わたくし、あなたの幸せのためにできることは全部します……!それで……わたくしにあなたという神に仕えさせて……。二人のあなたに全てを捧げさせて……!」

「ありがとう。僕は君を手に入れられた僕に嫉妬するよ。だけど、君を手に入れられなかった僕に同情もする」

 二人は恋しさに押されてまた口付けた。

「……殿下に捧げられないものはあなたに全部捧げます……。でも、あなたに捧げられないものは殿下に全部捧げます……。恋しいあなたに……誰より愛しい殿下に……」

「──君は僕を愛していると言うのか」

 レオネはハッと自らの口を抑えると、数秒の沈黙ののちにナインズを見上げた。

「……恐れ多くもわたくしが愛しているのは殿下だわ。あなたじゃない」

「いや、レオネ、ふざけてないで。そう思ってくれるならナザリッ──」

「ダメ。何おっしゃろうとしてるの。わたくし、真面目な神官だから殿下とお付き合いなんてしないもの。殿下はいつか素敵な女性と結婚して、素晴らしい神様になる人だわ。わたくしなんかじゃ届かない。だからわたくしの気持ちは殿下には秘密なの。それに、不敬だわ。あなたも内緒にしていて」

「えっと……じゃあ君の愛を前に僕はなんて言ったら良いの?」

「好きって。キュータはレオネが好きって言ってくれたらいいの。わたくしはキュータさんの事好きよ。大好き。殿下の次に好き。殿下の次に大切。殿下の次に幸せにしてあげたい。殿下の次に素敵」

「……嬉しいはずなのになんか酷いこと言われてる気がする」

 レオネはナインズから離れるといたずらっ子の顔をした。

「酷くないわ。あなた、殿下に太刀打ちできると思ってるならとんでもない人ね」

「……えぇ……」

「……殿下、愛してますわ。あなたの幸せのためならわたくし何にだってなれる。何だってできる」

「……ありがとう」

「やだ。キュータさんには言ってなくてよ」

「意地悪すぎる……」

「ふふ。でも──」

「でも?」

「ね、一つだけ殿下にお願い」

「何でも聞くよ。一つなんて言わないでいくらでも。毎日花を贈ろうか。それとも宝石を贈ろうか。君が欲しいと言うなら、空の雲だって凍結させて持ってくる」

「……ううん。ただ……これからも祝福して。この不出来なあなたの神官を……たくさん祝福して……。それだけ叶えて……」

「……じゃあこれは、君がいい男と会えるようにって祝福だよ。ナインズの隣を拒否するなら、いつかちゃんといい人を見つけてね」

 軽く唇同士がまた触れる。

「それはとんでもない祝福ですわ……。わたくしは男子禁制なのに……。でも……殿下にはその祝福をさせて。これは殿下が良い女性と結ばれて、いつまでも幸せであるようにって祝福」

 鼻と鼻の触れ合うような距離で二人は切ない息を漏らすと、またキスをした。

 

「……君が大神殿に入れるように」

「……あなたが立派な神様になれるように」

 祈りにも似た祝福の中二人は唇を何度も繋いだ。

「じゃあ、君が立派な神官になれるように」

「あなたに祈り続けられるよう──ッん……」

 言い終わるより前にキスされると、触れ合った場所の熱にレオネはもう本当に呼吸の仕方を忘れた。このままでは溺れてしまうと思った時唇は自由を得た。そして、ぺろりと舐められた感触が背を振るわせた。

「祈り続けてもらえるように……。この唇が歌い続けて祈り続けてくれるように……。君の祈りの聞こえなかった時間は地獄だった……。二度と誰の祈りも聞きたくなかった……。君の黄金の祈りだけが私を神でいさせる……」

「ふぁ……祈り……続けます……」

「ありがとう……。君の人生が誰よりも祝福されたものであるように……心からの祝福を……」

「……ありがとう……。あなたの人生が……祝福されていますように……」

 

 何回したか分からないキスを終えると、ギュッと抱きしめ合い、お互いの呼吸が耳元に届いた。

 ナインズは恋しさに狂いそうだった。連れ帰って閉じ込めてしまいたい。

 

「……レオネ、ナインズじゃ嫌とか言わないでナザリックに来てよ……」

「……行けませんわ。神の地を踏むなんて……」

「じゃあもう僕が君を抱っこして歩く……。父様はよく母様にそうしてる……」

「陛下方はわたくしみたいなのとは違いますもの……」

「分かってる……。分かってるけどもう君を連れ帰りたくてたまらない……」

「おばか……」

「ごめん……。でも、変な事はしないから……」

「えっち」

「しないってぇ……」

「わたくしがしたくなったら恥ずかしいもの」

「……君、たまに大胆だね。でも、それは僕も困る。止まれる気がしない。それこそ奪ったら大変な騒ぎだ。ナインズを振った以上いつかキュータなんかより良い人見つけてもらわなきゃならないのに」

 結婚はできないと言われているようなものなのだから。

 

「キュータさんより良い人なんていませんわよ。それにきっと何の得にもならないわ」

「損得の問題だって言うなら、何の身分もないキュータなんかと付き合ってもそうだと思うけど……」

「キュータさんのそばにいられれば十分。でも、キュータさん以外にはそんなこと絶対に望まない。そしたらメリットが一つもありませんもの」

「うーん、誰かを愛して子供を持つ以上のことないと思うけど」

「古臭い考えだわ。お父様もそんなこと言ってましたもの。殿下、神様で王様になるのにそんなんじゃ軽蔑されてよ。わたくしはキュータさんと殿下以外誰とも触れ合わないわ。子供も持たない。子供ができてしまったら、きっとその子の幸せと平和を祈るもの」

「君の子のための祈りなら聞き届けるよ。怪我もすぐに治してやるさ。不安な夜には気持ちが安らぐ魔法も送るよ」

「──だからこそ。わたくしには必要ない」

 レオネは立ち上がり、窓を開けた。外からは記憶を取り戻した友達の無事を喜ぶ声が響いて来た。

「レオネ?」

「わたくしはあなたが綺麗だと言ってくれる事だけを祈り続けたい。子供がいたら手一杯になるし、あなたもきっとわたくしとその子を助けようとしてくれる。わたくしは、殿下のための神官だわ。あなたが望むこの祈りだけを生涯捧げさせて」

 

 窓から差し込む光に照らされたレオネは美しかった。髪に光が輪になって煌めき、ぼんやりと踊る部屋の微細な埃が光の階段のようだった。

 

「……天使だ」

 

 ナインズは窓辺に手をつくレオネを後ろから抱きしめると、肩に顔を埋めた。

「……ありがとう」

「いいえ、好きですることですわ。それより、あなたの満足いく祈りを捧げる誰かを他にも見つけなきゃいけませんわ。わたくしの祈りだけがあなたを神にするなんて、そんなのダメだもの」

「君みたいな人は二度と僕の前には現れない……」

「買い被りすぎですってば。ごろごろいますわよ」

「本当に君よりいい人はいないよ。──ねぇ、レオネ」

「なぁに?」

「さっきのさ。僕だけのために祈りたいっていうのは嬉しい申し出だったけど、君はちゃんと自分の人生を歩んでね。僕は本当に君の幸せを願ってるんだよ」

「……わたくし、誰よりも幸せですわ。この人生を与えて頂けたことにも、心から感謝します」

 レオネがナインズにもたれかかる。

 ナインズはレオネに上を向かせるとキスをした。

 

『──あなたの生に感謝を』

 

 レオネの祈りが流れてくると何か深い場所が撫でつけられて柔らかな毛布に包まれているかの様な幸福が満ちた。

 外から目撃した女子の声が「キャー!」と聞こえてくると、ナインズは惜しむように唇を離した。

「──まずい。くせになったらしい」

「こ、こんな見えるところで何してますの!?」

「ごめん。僕、やっぱりあの両親の子供だ。まずい。こんなことして君に彼氏ができなくなったら大事だ」

 そう言ってナインズが離れると、レオネはナインズの襟ぐりをつかんだ。

「──ぇ」

 引っ張られてまたキスをすると、ナインズから「……ん……」と声が漏れた。

 髪がさらりと落ちる中、レオネは悪い顔をして笑った。

 

「──それなら構いませんわよ。わたくしの恋人はキュータさんだわ」

「……今はそうなってくれたけど。──ナインズ殿下は君に恋人を作って結婚して子供も産んで欲しいって思ってんの。ナインズを振った以上誰かに幸せにしてもらわなきゃ本当に困る」

「殿下に伝えて。わたくし、ただ殿下を想うことだけで生きます。子を持つことも、他の誰かと触れ合うこともない一生を覚悟しておりますと」

「バカ。ちゃんと誰かと結婚しろ!」

「しない。遅れた神様だわ」

「神様だと思うなら言うことくらい聞きなさい!」

「……そんな風に言っちゃいや……。わたくしの事尊重してくださるなら許して……」

「……あ、ご、ごめん。それはそうだね……」

「弱いですわね……」

「……えぇ〜……」

 

 ナインズは参ったと困り顔を作り、一郎太はおかしそうに笑った。

 

「でも、殿下にまで恋人ができなくなったら大変だからキュータさん相手でももう見えるところじゃしないわ」

「そんな事言うなら僕は遠慮なくしたい時にさせてもらう。君は僕以外に恋人はいらないからとか、キュータは恋人だからとか、殿下は望まれた祝福をしてるだけだからとか言い訳して」

「ふふ、望んでますわ。──ね、祝福してくださいませ」

「とんでもない神官だね……。そこはキュータに頼んだ方がいいんじゃないの?」

「じゃあ、キュータさん。好きってして。私もするから。大好き大好きって。殿下の次に大好き」

「……可愛いけどどこか釈然としない」

 レオネを捕まえて外から見えない壁に押し付けてまたキスをする。

 レオネがそっと頬に触れると、ナインズは「いて……」と漏らした。

「──あ、ご、ごめんなさい」

「うーん……一太に殴られたところが痛い……」

「腫れてますわね……。回復されたら?」

「これは治さないでおくよ。それで、キスしたせいで君に殴られたって皆に言う。見えちゃったのはそれでチャラでしょ」

「……わたくし、陽光聖典に消されましてよ。いいから早く治されて。……痛そうでしてよ……」

 心配そうにレオネが頬に触れると、ナインズはその手を握りにっこり笑ってまたキスをした。

「ふふ、ありがとね。癒されるなぁ」

「ふざけてないで。治されて!」

「ふざけてないよ。レオネは本当に綺麗だね」

「もー!!治しますからね!<軽傷治癒(ライトヒーリング)>」

「あらら、治っちゃった。でも怒った顔も可愛い。良かった。これからはこの唇にキスし放題なんて僕は幸せ者だ」

「……あなた……いえ、殿下。真面目に恋人作る気ありますの?」

「ないよ?君もやめて欲しけりゃ早くキュータを振って恋人作ってね。もしくはナインズを受け入れてくれる?」

「できませんてば。それから、わたくし、あなた以外の男性は一切禁制」

「は〜。ナインズ拒否の意思が固い。これじゃ君に他に好きな人ができたらもうおしまいにしないといけないと思うとなぁ」

「あなた、わたくしの話聞いてますの……?」

「聞いてる、聞いてる。──あ、今度バレアレ君のところに一緒に行こうね。彼、良い子だよ」

「ちょっと!なんでバレアレさんのところなんて行かなきゃいけませんのよ!」

「君は割と選り好みするタイプなんだなぁ」

「だから!わたくしはあなた以外男子禁制なんですってば!!」

「じゃあナインズと結婚しよう」

「無理ですってば!」

 

 一郎太は部屋を出るとパタリと扉を閉じた。

 扉の中からはギャーギャーとレオネの声がし、次第にそれは静かになった。

「──一郎太、そんな所で何をしている?」

 ふと掛けられたそんな声に、一郎太は振り返り、学生姿の支配者を見ると深々と頭を下げた。

「陛下、ナイ様は少しお取り込み中なんです」

「お取り込み中?何やら変な<伝言(メッセージ)>が来ていたが……」

 一郎太がそっと扉を開けて二人で覗き込むと、支配者もそれに合わせて中を覗き込む。

 風に靡くカーテン。唇の繋がる二人。

 そっと扉は再び閉じられた。

「──何かあれば、お前が<伝言(メッセージ)>の巻物(スクロール)を使って構わない。持っているな?」

「はい、三本お預かりしております。でも──あれが終わるまでは大概使わないかもしれません」

「ふ、いい感性だ。では、私は行く」

 一郎太がまた深く頭を下げると支配者は消えた。

 いくらかの時間を一人で過ごし、恐怖から内発的な混乱を来している生徒を神官が押して来る姿が廊下の向こうに見えるとまた扉を開いた。

 中では二人が耐え難いように抱きしめ合い、何かを静かに話していた。

 

「──神官と生徒来るよ」

「──そう、追い払っておいて」

「無理な相談だって」

「だってさ、レオネ」

「……追い払っておいてくださいませ」

「無理だって言ってんの」

 すでに一人追い払っていることを知らない二人はワガママだった。

 

 後に、レオネは卒業と共に大神殿に仕える神官となる。

 時に神の子より祈りを求められる彼女は他の神官達とは全く異なる存在であると、神官達の中でも一目おかれて行くことになり、いつしかナインズに手を引かれるように力を付け、第五位階まで扱えるようになるらしい。

 その時にはもう三十代も中盤だったが、彼女は女性として初めて、かつ異例の速さで最高神官長へと上り詰めて行く。

 

 満場一致で彼女は二十代で就いた境の神官長から最高神官長になった。

 

 ナインズがキュータの名前を名乗らなくなっても、その願いとは裏腹に、彼女は生涯、決して伴侶は持たなかった。

 自らは神に仕える身であると最も模範的な神官──そして、神聖な神官として歴史に名を残す。

 

 神官達はたまに、神殿の影で二人が手を繋ぎ合い、そっと最高神官長に口付けを落とす神の子を見たらしい。

 最高神官長が木陰で最高神官長の帽子を脱いで神の子にもたれて休む姿もあったとか。

 四十になればその額に口付け、五十になればその手に、六十になれば髪に、いつしか七十になれば指先だけの触れ合いに。

 二人の間に他にどれ程の触れ合いがあったのかは神官達には分からない。

 

 いつも気高くあった彼女は七十三の若さでこの世を去る。

 

 第五位階の魔法を扱える者達にはある程度一般的になっていたフールーダの老化を止める魔法も彼女は使わなかった。超高額な金銭を必要とすると言うこと以外に、闇の神も受け入れたいと。

 神の子は国葬の時、ローラン最高神官長に跪くように泣き続け、聖骸をその手で神の地へ運ばせてほしいと頼んだらしい。

 

 二度と目覚めない、歳もすっかり離れてしまった彼女を、美しいと言った第六階層の空の下に連れ出した。

 そして、気高き彼女の体と共に眠り泣いた。花をたむけ、話しかけ、時に口付け、また涙をこぼす。

 

 それを見ていた神々が息子を哀れに思わない日はなかった。

 

 ──そして、赤い時計を背負った父の手により、一粒の種が差し出される。

 

+

 

『──ローラン最高神官長、せめて言わせてくれ。ずっと愛していた。愛していたんだ』

『……あぁ、殿下……。わたくしも……六つであなたに恋をして──十六であなたを愛して──以来、ずっと……愛しておりました……』

『ありがとう……。私は君の愛に救われ続けてきた。──愛している、これからも、きっと君だけを』

『……ナインズ殿下……。あなたのおかげで……わたくしは本当に……幸せだった……。……あぁ……次に生まれてきたら……きっと……二度とあなたを一人には……』

『ローラン……。……ローラン?』

『……次は……きっと……キュー……タさん……』

『嫌だ……。嫌だ……レオネ!次なんか、次なんか!!僕は本当に君が──────』

 

 光の濁流に押し流され、目覚めた。

「──ここは」

 レオネはあまりに青い空に目を細めた。

「目が覚めた?」

 その声に、ゆっくりと起き上がると、その愛しさに微笑んだ。

「……ナインズ殿下。まさか御身をまた見ることができるなんて。御身がまたいらっしゃると言うことは、こちらは天国?」

「はは、似たようなものかもね。ローラン最高神官長、私は君にもう一度頼みたい事がある……」

「なんでございましょう。この不出来な神官にお聞かせくださいませ」

 体が軽い。歳をとって重たくなった体に儀式用の法衣を纏っていた。こんなに軽々と動けるのはいつぶりだろう。

 レオネは起き上がると美しく瑞々しい芝の上に居住まいを正した。

 

 ナインズも居住いを正す。片膝をつき、まだ青年だった時にレオネに渡した魔石をその胸の前に差し出した。それはレオネが生涯肌身離さず預かり続け、死の間際に返した物。形はもう、当時の未加工ではなくなっていたが。

「もう一度……神官と神の子ではなく、ただ、私と共にあってくれないか……。ただ真っ直ぐだったあの頃のように……」

 驚愕にレオネの目が見開かれる。それは、決して望まず、必ず諭すと決めた言葉だったから。

「わたくしは……命を落として以来都合の良い夢を見ているのでしょうか」

「夢じゃない。どうか、次こそは私と共に果てない命を生きてほしい。ナインズと共に」

「……歳を取ったら、大抵のことでは驚かないつもりでしたのに……」

「やっぱりダメだろうか……」

 

 レオネは静かに首を振ると、いくつかの涙を落とした。

 

「嬉しい……。嬉しくて、言葉もありせんわ……。本当は殿下の手を取って、あなたに溺れたかった。あぁ……後一分一秒でいいから、あなたと生きていたかった。あなたのそばで……ただ……。次は、次はきっと……あなたと……生きていきたい……」

「……私もだよ。ローラン、おいで」

 ナインズはレオネの手を取り立たせてやると、眼前に広がる湖の畔に連れ出した。

「──ご覧」

 促され、恐る恐る水面を覗き込む。

 レオネは再び目を丸くした。

 

「こ、これは……」

 

 その頭の上には金色の輪。背には白い翼があった。そして、ナインズと変わらない歳に見える美しく若い頃の顔。歳をとって真っ白になってしまったはずの髪はうっすらとハニーピンクに輝き、唇もみずみずしいものになっていた。

「君の二度目の人生は、私にくれないか……。ローラン最高神官長」

「あぁ……そんな……」

「──……僕と生きてほしい。愛してるんだ、レオネ」

「──キュータさん!!」

 レオネは泣きながらナインズに飛びつき、そのまましばらく肩を震わせたらしい。

 彼女に与えられたのはもはやナザリックには貴重な支天の種子。

 聖人の内、法王(ハイエロファント)のクラスを取得していた彼女だったからこそ容易に叶った奇跡だっただろう。

 

 二人は涙を拭うことも忘れて互いに縋りあった。

 ナインズは十六の時に自覚した恋の始まりを凡そ六十年の月日をかけて、ようやくナザリック普遍の愛へと変えることができた。気が遠くなるほどに長く、いつまでもいつまでも待ち続けた恋だった。

 だが──彼女の人としての生涯を見守った六十年をただの恋だと切り捨てるには、あまりにも乱暴だろう。

 相手の生を尊重し、押し付けることも、支配することもない。自身の役割と身分を忘れることなく、ただありのままの時の流れを受け入れ、その度に自身の選択とあったかもしれない未来に思いを寄せる。

 彼らはきっと、両親が当時たどり着くことのできなかった愛の形を手にしていた。

 

 いつしか夕暮れが訪れると、二人の元には神々が訪れた。

 

「ローラン最高神官長。わずか六歳の頃からお前は本当によくナインズに仕えてくれた。これからは、天使レオネ・チェロ・ローランとして時を歩むが良い」

「ここは悠久の地、ナザリック地下大墳墓。生を終えた時に訪れる世の果て(アガルタ)。大天使神を見る者(カマエル)になったあなたを、私達は歓迎します」

 

 レオネは神殿に仕えていた時と同じように跪き、深く深く頭を垂れた。誰よりも深い忠誠を胸に。涙は止まることはなかった。

「我が身にはすぎた施しを頂き、言葉もございません。どうぞ──御方々がお許しになるその刹那だけ、我が身を神の地に寄せることをお許しください」

 神々は静かに頷いた。

 ナインズはレオネを引き立たせると、子供のような顔で言った。

 

「レオネ、案内するよ!」

「──はい!キュータさん!!」

 

 二人は子供の頃のようにナザリックを駆け回った。

 

 一郎太は泣きながら笑ってレオネを迎え、抱きしめ、二人を祝福した。

 

 決して相手の人生を縛らず、望む全てを後押しすると決め待ち続けた数十年。

 決して相手を見誤らないと決め、人々の手本であり続けた数十年。

 

 互いの立場を忘れずに生き続けた二人の自由は始まったばかり。

 

 そうして、ナインズの恋は成就するが────────今はまだ、そのことを知る者はいるはずもない。

 

 二人の小さな触れ合いは六十年続く。




うわあああ!!( ;∀;)レオネ……れおね〜〜……
れおねぇ、うぅ……れおねぇ……(語彙ゼロ
誰でもないキュー様とたくさん恋をしてね…

次回、明後日です!最終回だと思った(何回目
Re Lesson#38 閑話 ある青春の日

カマエル - Wikipedia
 神の力を象徴しており、神の立てた正義を前提にして、神に敵対する者達を容赦なく攻撃するといわれている。
こーれはまた随分強火の神様崇拝系天使やなぁ…


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Re Lesson#38 閑話 ある青春の日

 カッツェ市から戻った翌日の安息日。

 

「──じゃあ、僕はこれで。ロラン、本当にごめんね」

 ナインズがカフェ・マスコンパスの席を立つと、一郎太もそれに続いた。

 

 バイス組男子はそれを見送り、背が見えなくなるとようやく口を開いた。

「……謝られちゃった」

「……ロラン、大丈夫?」

 カインがロランの顔を覗き込んだ。

 エルミナスとリュカ、チェーザレも様子を伺い、ロランの返答を待った。

「うん、大丈夫」

「ほ、本当に……?」

 ロランは手元のココアを眺めながら頷いた。

 

「レオネに同情して抱いたとか言ったらグーで殴ってたけど、あんな風に恋しいなんて言う人相手に、何も言うことないよ。ただの両思いだもん」

 キュータは恋しく思う気持ちが、彼女を見守ると決めた気持ちを超えてしまったとロランに頭を下げた。ロランの気持ちを知っていたのにごめんと深く。

「それに──僕は正直、嬉しく思った」

「う、嬉しく……?ロラン……君、精神構造やばくなってない……?」

 カインが言うと、チェーザレが横から「しっ!カイン様!」と言った。

「だ、だってチェーザレ……」

「ロラン。俺はお前の気持ち、分かるよ」

 リュカが呟くと、ロランは笑った。

「羨ましいでしょ」

「うん。普通に羨ましい」

「……片思いの二人……キュータ様のせいで脳みそやられてる……」

「やられてないわ!──正直、イシューもそうやってキュータと一回付き合って、別れてくれたら諦めも付くだろ。今のままじゃ、俺はいつまで待てば良いのかわかんないよ。ロランはいつまでって時間の制限が見えたんだ。羨ましく思わない方がおかしい。ま、親友が恋を叶えたって言うのも嬉しいけどさ」

「ふふ。僕はキュータ君がキュータ君を名乗る間、少しレオネの面倒を見ててもらう気持ちでいれば良いんだからね。学院生活が終わる時、レオネは多分またキュータ君を振るよ」

「はー。レオネ、凄いやつ。キュータ──というか、殿下振るのなんて多分あいつくらいしかいないのにキュータもある意味よく選んだよ」

 待たされ男子二名はおかしそうに笑った。

 

「──私はそう言う意味じゃ、レオネには折れて欲しいよ」

 エルミナスはホットマキャティアをつまらなそうに混ぜていた。

「うわ、ロラン。エル様は一郎太派だ」

「……一郎太君、キュータ君が一回振られた時レオネに掴みかかるかと思ったって言ってたね。一郎太君にそんな事されたらレオネ普通に死んじゃうよ」

「私は一郎太の気持ちが分かるよ。私なら多分平手打ちしてた」

「ロラン、次会う時エル様は置いていこう。エル様は絶対キュータの味方だから」

「キュータが絶対に私の味方だから私だって絶対にキュータの味方でいたい」

「すごい自信だ……」

 

 男子は大笑いすると、ロランはつきものが落ちたようにホッとした息を吐いた。

「──エル君!キュータ君、まだその辺歩いてるだろうから<伝言(メッセージ)>して呼び戻して!皆で午後何かして遊びたい!」

「ははは、それは賛成。ちょっと待っていてね。──<伝言(メッセージ)>。──殿下、私です。エルミナスです。──いえ、ロランは全く落ち着いてますよ。──えぇ?殴られなかったのが辛い……?うーん……いや……──はは。いえいえ。私達も慰める会になるかと思ったんですが、ロランは平気でした。──えぇ。皆で遊ぼうって。──お待ちしております」

 エルが<伝言(メッセージ)>を切ると皆嬉しそうに笑い合った。

 しばしの時を過ごすと、「ロラン!ロラーン!」と走るキュータが見え、ロランは席を立ってキュータへ駆けた。

「キュータくーん!」

 どかんとぶつかるように抱き合うと、キュータはロランに「ごめんね、ロラン。ごめんねぇ」と小学生の頃と何も変わらない様子で言い、一緒に戻った一郎太は兄か何かのように安心した顔をしていたらしい。

 

 結局、皆でキャッチボールをした。

 キュータとロランはレオネって可愛いねぇと──ある意味振られた者同士で話したらしい。

 

+

 

 日常が戻り、いつも通りの授業終わり。

 

 レオネが帰り支度を始め、忘れ物がないように確認を済ませた頃、教室の後ろの扉の枠が叩かれる音がした。

「──レオネ、少し良いかな」

「あ、キュータさん。どうぞ」

 キュータは一郎太を廊下に残して教室に入り、真っ直ぐレオネのところに来ると、空いている隣に座った。反対側にはファー。前にはルイディナとヨァナがいた。

「どうかされまして?」

「うん。デートでもどうかと思って誘いに来てみた」

 全くいつも通りの雰囲気でニコニコしてキュータは言った。

 周りの女子から残念そうな声が漏れ、ざわめいていく。

 そちらに耳を傾けると、「きゃー!」「やっぱり〜!」「えーん、レオネちゃんじゃ仕方ないよ〜」「やだやだー!」「誰かのもんになったら楽しくない……」「一軍は一軍とくっ付く」「幼馴染だって言ってたもんね」「悔しいー!」「シェイプシフターも愛の力で見破ったって」「嘘でしょ!?聞きたくない!!」ともう本当に好き勝手言っていた。

 

 ヨァナ、ファー、ルイディナはいい笑顔でレオネの背を叩いた。

「やったわね、レオネ。記憶なくして良かったじゃない」

「あたし、友達がで──首席君の相手なんて鼻が高いよ!」

「本当におめでとう〜!……ミノさんは……」

 ヨァナがちらりと教室の外を見ると、一郎太はヨァナに「ん」と手をあげて挨拶してくれた。ヨァナはそれだけで嬉しそうに手をブンブン振り返した。

 

 そんなやり取りに気を配る余裕もなく、レオネは顔を真っ赤にしてキュータを見上げた。

「あ、あなた……そんなに堂々と誘いに来たりしたら本当に恋人できなくなりますわよ」

「ん?ふふ、君って恋人がいて良かった。──それとも、君、ちゃんと誰かと結婚する気になった?そしたらやめなきゃな」

「ないって言ってますでしょ」

「じゃあ僕は可愛い僕の恋人を誘いに来ても許されるはずだ」

 髪の毛にくるりと指が絡まり、キュータは髪に口付けた。

 教室中から悲鳴のような黄色い歓声のようなものが上がり、レオネは顔を真っ赤しにて俯いた。

「あ、あなた恥ずかしくありませんの……」

「別に?それでね、週末君を連れて行きたい所がある。予定はどうかな」

 本当にあっけらかんとしていた。

「……第一安息日には用事が。第二安息日は空いてますわ」

「じゃあ、君の第二安息日は僕にくれないかな」

「構いませんわ。それより……あなた、その言い方なんとかなりませんの……」

「ん、ごめん。命令みたいだった?」

 そうじゃない。レオネは参ったとキュータを見た。

 僕にくれないかとか、そうじゃなくて、もっと心臓への刺激が少ない方法はないんだろうか。一緒に出かけようとか、もっとあるだろうに。

 キュータはムム……と口に手を当てて悩んでからまた口を開いた。

「今度の第二安息日は君が欲しい」

 さっきより悪い。レオネの隣でファーが机に倒れる音がした。

「ち、違いますってばぁ……」

「そうか……。難しいね。うーん……。あ、分かった」

「本当に?」

「うん。分かった分かった。ごめんね、僕の希望ばっかりだった。一太にも疎いって言われたんだよね。──レオネ、僕の第二安息日を君に捧げさせてくれないか」

 

 前に座っていたヨァナがぱたりと倒れる。

 レオネはもう泣きたかった。

「違いますってば!!」

「えぇ……ごめん。なんて言ったら良い?僕って本当に疎いんだな」

「……そう言う時はどこどこにお出かけしようって言うんですのよ……」

「あぁ、それはそうだ。行き先が必要だったね」

 やっぱりそうじゃない。レオネが苦笑していると、ふと肩が抱き寄せられた。

 耳に迫る唇を隠すように手が添えられる。

「──ここでは言えない場所に連れて行きたい。君と二人だけで」

 レオネの頭からはドカンと火山が吹き、机に倒れた。

「良いかな?」

「い、いいですけど……。……あなた……もう……本当に……」

「ありがとう、じゃあ、またね」

 キュータは嬉しそうに笑うと平気な顔でひょいと立ち上がり教室を出ていった。そして、もう一度顔を覗かせて手を振って本当にいなくなった。

 レオネの顔は真っ赤で、もう泣いてないのが不思議なくらいだった。

 

「……レオネ、私達はこれからそれを見せられなきゃいけないわけね……」

「……ミノさんに話しかけに行きたかったけど腰抜けて無理だった……」

「さすが首席君です」

 ルイディナだけがふんふん言って頷いていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

+

 

 そして第二安息日。

 ナインズは八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達と神都にいた。

 大神殿の待ち合わせではレオネも神官も気を使いそうなので、待ち合わせはカフェ・マスコンパスの前にした。

 ナインズは大変早く着き、温かいチャイをいつも通りシナモンたっぷりで頼んだ。

 だいぶ外が寒くなってきたので、テラス席は人が少なくなり始めている。

 一人で約束の時間までチャイを飲んだり、神都新聞をめくっていると、向こうから一生懸命走ってくるレオネの姿を見つけた。

 

 気持ちが抑えられないように立ち上がって迎えると、目の前まで走って来たレオネは寒さからか鼻も耳も真っ赤にした顔で笑った。マフラーの中に顔の半分は隠れていた。

「レオネ!おはよう」

「キュータさん!ごめんなさい、お待たせしました!」

「ううん。時間よりずっと早いよ。急がせたね。ごめんね」

「いえ、早く会いたかったから」

「はは、一昨日学校で会ったばっかりなのに。──でも、僕も君を誘ってから今日がすごく待ち遠しかったよ」

 ナインズが手を取り、手袋越しの手に口付けるとレオネはますますマフラーに顔を埋めた。

「あの……祝福……?」

「ううん、ただの愛情表現」

 レオネは赤い顔でキュータの手を取ると、マフラー越しに口付けた。

「わ、わたくしも。キュータさんに愛情表現」

「はは、素直に嬉しいよ」

 

 神都新聞を無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)にしまい、空になったカップにお札を挟むと立ち上がった。

「行こうか」

「は、はい。でも、どちらに?二人でなんて……本当に一郎太さんもいらっしゃらないの?」

「うん、一太は置いてきた。その方がレオネは色々気にならないかなと思って。まぁ、今は護衛が八人付いてるけど」

「は、八人も……?どちらに?」

 レオネがキョロキョロするのを八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達は足元から見上げた。手を振るが彼女は何も見えている様子ではない。

「それは秘密。──それより、僕考えたんだよね」

「何をですの?」

「いわゆる普通の人みたいに、僕もキュータとして護衛なしの単体でいる方法とか、君が休まるところとか、喜びそうなところとか、とにかく色々」

「そんな、宜しいのに。気を使わせて悪いわ」

「僕がしたいからするだけだよ。それに、今日は少し長く付き合ってもらおうと思う。僕は君の本質は知ってるけど、そうじゃない所は全然知らないから。前にいなくなった時どこにいるか全然分からなかった」

「でも本質が分かってたら十分すぎますわ」

「そんな事ないよ。誘い方も君の気にいるのにたどり着くまで随分かかったし」

 レオネはそれはそうだと思い、この人を多少教育する必要があるかもしれないと思った。

 

「それに、君が何が欲しいかとかも何も分からないんだから」

「わたくし、あなたの摘んで来て下さるお花、好きですわよ」

「何かもっと気の利いたものを渡せれば良いんだけどねぇ」

「十分だわ。ありがとうございます」

 レオネは本当に花で十分だ。花がなくたっていいのだから。幸せそうに笑うと、キュータは腕輪を抜き、そっとレオネに持たせた。

「君の幸せのために奔走するって言った僕には不十分だよ。──これ、少しだけ持っててね」

 レオネが素直に腕輪を大切そうに持つと、キュータはレオネの肩を抱き寄せた。道端で、周りからちらりと視線が集まる。

「あの、こんな所で……」

「ごめんね、今だけ少し我慢してね」

 ナインズの出立ちを理解する神都の人々からの視線が大変痛かった。

 

「──皆、じゃあ向こうに行くね。帰り道に気をつけて」八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達はサッと額に手を当て了解の意を示した。「──<上位転移(グレーターテレポーテーション)>」

 カフェから二人の影が消えると、ハンゾウは()()()のチームと合流するべく大慌てで大神殿へ向かった。

 

 レオネは抱き寄せられていた腕の力が抜けると辺りを見渡した。その手から腕輪がそっと抜きとられる。

「ありがとね。調子悪くなってない?ある程度魔法を使う人はそれを持つと気分が悪くなる──らしい」

「いえ、平気です。……あの、ここは……?」

「エリュエンティウ、天空城だよ。──あ、キイチ!」

 美しい池を避けるように、異国の格好をした小姓が駆け寄る。

「ナインズ様!いらっしゃいませ!」

「キイチ、散歩させてね」

「どうぞ!何か手配しますか?」

「ううん、何も。ありがとね。今日はほっといて欲しい日だから」

「ほ?」と言うと、キイチはレオネを見て頷いた。「──なるほど、かしこまりました!それでは、失礼いたします」

「うん、じゃあね〜」

 あっと言う間にキイチがいなくなる。レオネは挨拶する隙もなかった。

 

「あの、エリュエンティウって、砂漠の上の……?」

「うん、温度は通年調整されてるけど、冬の格好だと暑いよね。おいで」

 レオネはただ手を引かれて足を動かし、辺りを見渡した。

 あちらこちらにある透き通った池と、見上げた先にいる笑顔のキュータがあまりにも綺麗で言葉がでなかった。

「……綺麗」

「同感。君がいるとここもただの庭には感じないな」

 ただの庭とは。レオネが思っているうちに景色はどんどん迫ってくる。

 

 向かう先にある天使が作ったと言う城は荘厳で、大神殿を見慣れているレオネでさえ驚嘆させた。

 全く何もかもが完璧で、身の置き場がないようにすら感じてしまう城内。

 ナインズは二階に上がると、一番奥の部屋の扉を開いた。

「──別に誰の部屋もないけど、遊びに来ると僕はここに荷物を置いたり昼寝したりしてるから、殆ど僕の部屋。これからは君の部屋にすると良いよ」

「あの、わたくしの部屋なんて、そんな。畏れ多くて」

「はは、君は今日誰と過ごしてんの。何も気にしないで。ここはナザリックを除いて、僕が僕だけでいてもいい場所なんだ。護衛も一人もいらない。今日は天空城全体で、管理を任されてるキイチ一人と、ゴーレム達しかいないから」

「……じゃあ、本当にキュータさんでいられる場所……?」

「うん。場所が場所だけど、レオネもレオネでいて良い場所だよ。神官も何もない。君の生まれと僕の生まれを比べる人もいない」

 開けられた扉の向こうはやはり夢のように素敵な部屋で、見たこともないほど高級そうな家具が並んでいた。

 踏むことすら躊躇われるような絨毯が敷き詰められているが、ナインズは何も気にしないらしく、レオネの手を引いて中に入った。

「素敵すぎて……わたくし……」

「はは、まだ素敵なもの見に行ってないよ。荷物置いたら外に行こう。きっと君は気にいるから」

 言われるまま荷物を置き、外した手袋をソファに置く。

 レオネは夢の中にいるようにふわふわとした気持ちだった。

 

 ナインズもシャツとズボンだけになると「ふぅ……」と息を吐いた。

 最後に剣と杖すら腰から外すと、ナインズはじっと自分を見つめるレオネを見て首を傾げた。

「どした?」

 厚着をしていると分かりにくい屈強な体と、大きな手。

 レオネは何だか、妙に目のやり場に困った。

 

「えっと……あなたが剣も杖も外してしまうなんて良いのかしらと思って」

「キイチもどっか掃いてるだろうけど、レオネと二人しかいないのに剣も杖もいらないでしょ」

「わたくしがいきなりあなたを攻撃すると思わないの……?」

「思わないよ。少しもね」

 キュータは微笑んでレオネを見下ろした。

「君のそばにいると落ち着く。僕は僕でいられるよ。ありがとう」

 抱きしめられると、色々なあまりの熱さにレオネは目をギュッと閉じた。

「あ、あついわ……」

「はは、そうだね。コートは暑いよ」

 レオネは赤い顔でブラウスとスカートだけの身軽な姿になると、またキュータに手を引かれて部屋を出た。

 

 来た時とは違い、玄関ホールの方ではなく建物の裏手に回るように城を行く。

 扉を開けると、あまりの眩しさにレオネは目を細めた。

 そこには庭があり、眼前には美しい蓮池が広がっていた。

 何か見覚えがある。

「綺麗ですわ……。絵みたい」

「本当だね。足元気をつけて。向こう側まで行くよ」

 

 池は透き通りすぎていて、中を泳ぐ魚達も、浮かぶ蓮の花も何もかもが空中にあるように見えた。

 飛び石に行ったキュータがレオネに手を伸ばし、レオネはやっぱりそれをとった。

 飛び石を点々と二人で飛び、最後の一歩を踏み外しかけると、ひょいと簡単に抱き寄せられた。

「おっと」

「ご、ごめんなさい」

「レオネ、寝不足?」

「ううん。でも……なんだか……夢みたいで……何も考えられないの……」

「それは良いことだね。君は色々考えすぎるから」

 そのまま抱き上げられると、レオネはキュータの肩に手を回した。

「……どうしよう……本当に……。わたくし……」

「どうもしないでいいよ。君はいるだけでいい」

 キュータは池のほとりに腰を下ろし、鳥の鳴く声くらいしか聞こえない場所でレオネは抱えられたまま身を任せて過ごした。

 髪を何度もキュータの手が滑っていく。

 心臓が痛いくらい鳴っていて、レオネは息が止まりそうだった。きっと、今ナインズはレオネの祈りを聞いている。レオネは自分の祈りが濁ってるんじゃないか怖くなった。

 

「──レオネ、向こう見てごらん」

 

 蓮池を見渡すと、ここがどこなのかようやく理解した。

「あ──ここ、お写真の?」

「うん。君は気にいるかと思って」

「す、すごい……」

 レオネはゆっくりとキュータから降りると、理性から行儀が悪いと言われながら、そんなことに気を配ることも億劫で、靴と靴下を脱ぎながら池へ向かい裸足になった。

 池に入るとスカートが濡れないようにそっと持ち上げ、花をすくった。

「これも、これも、皆……神話の世界だわ……!キュータさん!すごいすごい!見て!すごいわ!」

「ははは、そうだね。すごいね」

 キュータは借りてきたカメラで一枚だけ写真を撮った。いつか離れていくかもしれない彼女の姿を手元に残しておこうと。

 花をすくっては笑い、水滴に輝く姿がカメラから吐き出されると、キュータは大切にそれをしまってから後を追って池に入った。

 神都に出るために魔法の装備を着てきていないので、肌の周りをズボンがふよふよと水に弄ばれて浮かぶ感触がした。

 レオネもいつしかスカートが濡れてしまうことも気にせずに両手いっぱいに花を抱え、感激に瞳をキラキラさせた。

「これもこれも、こんなに綺麗!どうなってるのかしら!」

「レオネ、あんまりはしゃいで滑んないでよ〜」

「大丈夫!キュータさん、ありがとう!わたくし本当に嬉しいわ!」

 レオネが眩しすぎてキュータは目を細め、一つ花をすくうとレオネの耳に掛けてやった。

 

 普通の睡蓮なら、本当なら茎が蓮根に当たる部位に繋がっているはずだろうに、まるでここで絵のように浮いていることだけを義務付けて生み出されたかのような花は美しい部分しか持っていない。

 ナザリックにある全てに似ている。そうあれと生み出されるものたちだ。

 

「エリュエンティウウォーターリリー、持って帰る?」

「え、そ、それは流石によろしくないんじゃ。お写真にもなってるようなところなのに」

「良いよ。持って帰りな。僕なんか子供の頃ここで散々泳いだし花もいっぱい摘んだしね。一太と向こうで釣りして、二の丸が落っこったりもしたよ」

 レオネがたくさん抱える睡蓮の上に一度腕輪を乗せると、「──<保存(プリザベーション)>」キュータは魔法をかけてすぐに腕に戻した。

 頭で咲く睡蓮が魔法の力に包まれ、レオネはそれに触れると、抱えていた花を放り出してキュータに抱きついた。

「──っわ!」

 勢いのまま池の中に転がり、キュータは目をぱちくりさせ、抱き付く嬉しそうなレオネに笑った。

 

「ありがとうございます!わたくし、これ一生大切にするわ!!本当にありがとう!!」

「ははは、そんなに喜ぶならもう池の花全部集めようか」

 びしょ濡れの顔に張り付く髪を避けてやる。本当に眩しかった。

「そんなことができるの?集めて下さいませ!きっとすごいわ!」

「はぁい。お待ちください、お姫様」

 また腕輪をレオネの手の上に置き、キュータは池に向かって手を広げる。

「<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)舞踊(ダンス)>」

 ギュッと手を握りしめた瞬間、池中の花がくるくると回りながら池の上を滑って寄ってくる。

「わぁ……!あなたがされることって、なんでも美しいのね!」

「はは、君の心が綺麗だからそう思うだけだよ。どうする?いくつ持って帰る?集めたから全部?」

 レオネは首を振り、池に座ったキュータに寄りかかるように抱きついた。

「お水の花畑はここで見るから、持って帰るのはこの一つでいいの。ここで、キュータさんと何度でも見ますわ」

「──それは、僕がキュータを名乗らなくなっても?」

「……ここならあなたはキュータさんを名乗ってくださるはずだもの」

「名乗るよ。そんな事で君といられるなら」

 キュータはレオネの頭の後ろに手を回して引っ張り寄せた。

 唇が触れ、慈しむようにはむ。レオネから流れてくる祈りでナインズがいっぱいになると、キュータはそっと離れた。

 

「……レオネ、好きだよ。君が本当に恋しい」

「……わたくしも。……キュータさんが好き……」

「僕は君をもっと真面目に口説かないとな」

「な、何言ってますのよぉ」

「そうしないと、君をよそにお嫁にやらなきゃいけなくなる。僕は必死になって君に跪かなきゃ」

「誰にもお嫁になんて行かないって言ってますのに。わたくし、隣に並べなくても永遠にあなたのものだわ」

 レオネは浮かぶ花びらをひとつと掬うと、ナインズの唇に当てた。

「殿下、愛しております」

 花びら越しに唇が触れると、ナインズはすぐにそれを捨てた。

「──祝福させて」

 二人は若さのまま唇を繋げ、離れ難いようにすがった。池の上に生まれた花畑で、かつて両親がそうしたように。

 

 時間がどれほど流れたか分からない頃、ようやく二人は離れ、レオネから切ない息が漏れた。

「──そろそろ上がろうか。寒くなっちゃうからね」

「はい……」

 水から上がると、衣服の重たさにズンッと大地に引き寄せられるようだった。

 よろけるレオネの手を引き、キュータは腕輪を外した。

「乾かすから──あ、いや……えっと……」

 スカートを絞るレオネを見るとキュータの目は泳いだ。

「乾かしていただけること、期待してましたの。ふふ、悪い子でしょ」

「ちっとも。僕の力は君のものだよ。でも──えー、一度部屋に行こう。今のままじゃそっちが見れない」

「え?」

 首を傾げたレオネは自らを見下ろすと、カッと顔を赤くした。冬の厚手の服とは言え、レオネのブラウスは透けていてキュータは目のやり場に困りながら手を引いた。

 二人して足早になってしまう。

「僕は少し向こう寄ってから行くから。君先に部屋行ってて。場所分かる?」

「わ、分かります」

 レオネが頷く気配を察るとキュータは振り返りもせずに廊下を駆けた。

 

 レオネも部屋へ駆けた。

(わ、わたくしバカだわ!)

 何も考えてなかった。

 最初に池に入った時は乾かしてもらえるしとスカートが濡れることも大して気にしていなかったが、その後はもうあんまり世界が素敵すぎて、頭が空っぽになっていた。

(バカな女だって呆れられてるかも……)

 外の光に明るく照らされた部屋に入ると、手に持って来た靴を置いてどうしたもんかと無駄に部屋を見渡した。

 

 そして、扉がノックされた。

「は、はい!」

「これ、好きなの着てね。服はそこに重ねといてくれたら<清潔(クリーン)>と<乾燥(ドライ)>かけるから。済んだら呼んで」

 服を持った手が差し込まれ、それを受け取った。そして、とんと四足ほど魔法の靴も置かれる。

 とりあえず一番上に乗る服をちらりと見るととんでもなく高そうなドレスワンピースだった。しかも、魔法の効果がかかっている。

「わ。こんなの、き、着られませんわ」

「メイド呼ぶ?」

「そういう意味じゃないの」

「あぁ。──それなら僕が手伝おうか」

「えっち!」

「はは」

 手はパッと引っ込み扉が閉じる。

 扉の向こうからはおかしそうな笑い声がしばらく続き、遠ざかりながら消えた。

 

 彼の様子はすごく自由そうで、ここはある意味やっぱりあの人の家なんだなとレオネは笑った。

 

(落ち着くのね。……なんだかんだ、神都は人目があるもの)

 レオネはここで子供のような彼と、同じように子供のようでいようと思った。

 昨日、友人達にも言われたように──。

 

+

 

 昨日、第一安息日。

 レオネはカフェ・マスコンパスでキュータが好きだと言っていたチャイを頼んでいた。シナモン多め、ミルクフォームでふかふかに。

(……なんて……なんて言おう……)

 レオネは先週学校帰りに皆の家に話があると書いた手紙を配って歩いた。<伝言(メッセージ)>が使えないレオネは友達と会うには日時を書いた手紙──メモ程度のもの──をポストに入れておくのか、親に言伝をお願いするか、本人に会えるのを待つしかない。

 皆も良いよという手紙を返してくれることで、初めて集まる約束は取り付けられる。

 オリビア、アナ=マリア、イシュー、──イオリエル。

 皆が集まれる今日、ちゃんと話さなくてはいけない。

 

 一人で早めに来たカフェで頭を抱えていると、「わっ!」と大きな声と共に、四人が姿を見せた。

「び、びっくりしましたわ。皆さん。早かったんじゃありませんこと?」

「うん!キュータくんのお誕生日会のことかなって思って!早く来ちゃった!」

 オリビアが嬉しそうに席に座り、イシューも「皆考えることは同じだったみたいだよ!」と座った。

 アナ=マリアは一つ席を引き、イオリエルを抱えて座った。

「……キュータ君、何が欲しいかな」

此方(こなた)はここで食事をご馳走するくらいが良いと思うのう。物はいくらでも持っておるだろうし」

「そうだよねー。キュータ、欲しいものがあったらいくらでも手に入るだろうしねぇ」

 四人がうーん、と悩む。

「──レオネは?どう思う?」

「あ、えっと、わたくしは……どうかしら。聖歌は随分お好きみたいだけど」

「……私、歌えない」

「しかも誕生祭の方で散々神官達から捧げられそう!」

「そうじゃな。此方はそれに参加する予定じゃ」

「えぇ〜イオちゃん良いなぁ。私も行ってみたぁい。お願いしたら呼んでもらえないかな?」

 皆それぞれ感想を述べると、その後もあれが良いんじゃないかこれが良いんじゃないかと話を続けた。

 たまたま店員が通りかかったタイミングですぐさまイシューが全員の注文を済ませ、「大人ー!」なんて喝采を浴びる。

 レオネは本当に皆良い子だと思う。

 一番色々なことを感じる時期にナインズと時間を共にしたこの仲間達は、誰にでも分け隔てなく真っ直ぐだ。思いやりも、気遣いも、何もかもが完璧で──レオネはどうして選んでもらえた一人目がこの仲間達じゃなくて自分だったんだろうと心底思う。

 恋人も妻も、一人しか持てない人じゃない。自分だけが特別なんて思わない。あの人に相応しい──この素晴らしい仲間達が、キュータではなくナインズの恋人になって生涯そばにいてくれたら、それはきっとすごく素敵なことだ。

 そしたら、キュータはレオネの子供に会わせてもらうなんて言っていたけれど、レオネこそナインズと誰かの子供にも仕えるのだ。

 それを想像すると──

 

「レオネ、聞いてる?」

 

 隣に座っていたイシューが顔を覗き込むと、レオネはハッとした。

「あ、ご、ごめんなさい。なんでしたっけ」

「馬鹿な男どもも誘って、皆で考えようって」

「あぁ、そうですわね。いいと思いますわ。何だかんだ、あの方達理解者ですもの」

「だよね!じゃ、あいつら誘ってもっかいだね」

 イシューが甘くしたコーヒーを飲んで締めくくる。隣のイオリエルとアナ=マリアはココアで、マシュマロが浮いていた。

「あんまり大人数だと、また大神殿の庭とかの方がいいかもしれんのう」

「……いきなりマスコンパスに来ても入りきれないかもしれない」

「何人になるかな?」とオリビアは指折り数え、シナモンたっぷりのチャイを一口飲むと「あ」と声を上げた。

「なんじゃ?」

「ね、レオネ!一郎太君もこっそり誘える?キュータ君がいつもそばにいて難しいかな?」

「あ、いえ。友人に頼んで手紙を渡しますわ。きっと大丈夫。この間もキュータさんが二人で出かけようって誘いに来た時あの方廊下で一人で待ってて──」

「わ!レオネ、キュータくんと二人でどこか行くの?」

 レオネはハッと口を閉じた。

 皆がごくりと喉を鳴らす。

「……あの……その……今日は……そのことで少し皆に報告があって……」

 これで仲間たちからの友情に傷がついたら、レオネは立ち直れない。

 スカートを握って俯いたまま顔を上げるのが恐ろしくてたまらなかった。

 皆何も言わずに待ってくれている。ゆっくりと、時間の流れが泥のように感じる中で口を開いた。

「あの……わたくし……。この間の課外授業の旅行で……少し魔物に記憶を取られたりしましたの……」

「わ〜大変だったね?」

「いえ……それで……わたくし、本当にバカで……そばにいてくれてたキュータさんを恋人だなんて思い込んでて……それで……」

「それで……?」

「……キス、しましたの……」 

 四人は目を見合わせ、「ど、どこに?」とイシューが続きを促した。

「口……」

 オリビアはガタンと立ち上がった。

 恐ろしくて見れない。レオネはギュッと目を閉じると、スカートの上で握り込んでいた手をオリビアが取った。

「やった!!やったね!!それで!!それでどうなったの!!」

 レオネはその勢いに思わず目を開け、興奮して嬉しそうに瞳をキラキラさせたオリビアを捉えた。

「あ、えっと……それで、魔物が倒せて……記憶も戻って、わたくし、キュータさんに謝りましたの」

「はははっ、キュータくん、なんて?」

「僕は構わなかったよ、って……」

 聞いていたアナ=マリアはおかしそうに笑った。

「……ふふ、構わなかったって、なんだかキュータ君ぽい」

「は〜!私もちゅーしたら構わないよって言って笑ってもらえるかな〜!」

 オリビアは両頬を押さえて幸せそうにその時を想像し始めた。

「はは、レオネだから許されてる気もする。それで、二人で出かけようって言うのは?」

 イシューが話を戻すと、レオネは息を吐いて心を決めた。

「キュータさんがキュータさんを名乗る間だけ、そばに置いてもらえることになりましたの……。だから、二年半だけ……恋人ごっこっていうか……」

 皆と目が合うと、一斉に四人は歓声を上げた。

「やったー!!レオネ、よくやったよー!!」

「大手柄!!頑張った!!すごいじゃん!!」

「……キュータ君をその気にさせた、初めてのこと」

「二年半の約束だって大したもんじゃ!此方ももう妹のフリはやめようかのう?」

「え?え?──み、皆……怒りませんの……?」

 四人はまるで練習してきたような動きで首を振った。

 

「怒るわけないよ!だって、キュータくんは誰のことも意識したことがなかったんだよ!!」

「誰かが変えてくれなきゃ一生変わんなかった!!ほんっとに大転機!!」

「……でも、チューはやっぱり羨ましい。恋人にしてもらえたら、チューもし放題?」

「此方、早く大人になれんのか……」

 

 やったやったと嫉妬するようでもない友人達に、レオネは気の抜けた笑顔を見せた。

 だって、レオネもこの中の誰かがそうなれたらどれだけ嬉しいか。皆でキュータの恋人になれたらすごく素敵だと思う。

「は〜!レオネが一人目だったかぁ!私やっぱり慎ましさが足りないのかなぁ?」

「ははは!オリビアは慎ましいとか慎ましくないとかじゃないもんねぇ。でも、それを言ったらあたしだ。レオネとは一番反対だしなぁ。お淑やかだけど言うことちゃんと言ってくれる人って中々なれないよねぇ」

「……しかもレオネちゃんは頭もいい。美人だし、ちゃんとしてる」

「む、レオネ、ちゃんとしすぎないようにするんじゃぞ。子供心を忘れないように。学生の間だけ一緒にいるなら、キュータ様の最後の自由を尊重してほしい。其方も目一杯自由に過ごすんじゃ!」

 皆からの祝福にレオネは涙を堪えて何度も頷いた。

 

「わたくし、たくさんあの方の思い出を作りますわ!でも、きっと皆は二年半と言わず一生を共にする女性になって!オリビアは優しくて絶対あの方を幸せにするわ!アナ=マリアはどんな時でもきっと癒して差し上げるだろうし、イシューならどこにだってきっと走って付いていける!イオリエルはその長い命で、あの方を絶対に一人ぼっちにさせない!わたくし、皆がいて本当に良かった!」

 五人は肩も頭も寄せ合って笑い合った。

 

 そして、「レオネも二年半なんて言ってないでお嫁さんにしてもらおうね!」とオリビアが言うと、レオネはやっぱり笑った。

 

+

 

 レオネはキュータに届けられた服をベッドに並べて見た。

 どれも一国の王女が儀式や祭典の時にだけ着られるような一級品ばかり。ぼんやりと魔法の効果が光となって漏れ出ているようだった。

 これは誰の服なのだろう。

 それこそ、皆で着飾って過ごせたらすごく楽しそうなんてちょっと思ってしまったりして。

 

 レオネは濡れた服を脱ぎ、一番装飾の少ない白いワンピースドレスに身を包んだ。

 天使の城だったというだけあって、翼のある種族のためのものなのか背中が信じられないくらい開いている。

 首の後ろで銀色の金具を止めると、魔法の装備はレオネの体にぴたりとフィットした。

 着ていたものを畳み、そっと扉を開ける。

 キュータは廊下の一番奥、すぐそこの窓を開けて外を眺めていた。

 風に揺れる髪を押さえて振り返る。本当にバカみたいに綺麗な人だった。

 

「──着替えられた?」

 レオネは頷くと、扉から顔だけ出して答えた。

「……着られましたけど、似合わないかも……。わたくし、こんなに良いものを着るの……初めてだし……」

「似合いそうなの探して来たつもりだけど、多分君は何を着ても似合うよ?」

「そんな事ありませんわよぉ」

「うーん?」

 キュータは扉を開けると、レオネを見下ろして嬉しそうに笑った。

「綺麗じゃないか。やっぱり」

 くしゃりとまだ濡れた髪を撫で、キュータは部屋に入った。置いてある杖を手に、腕輪を机に。

 レオネと、レオネの服を乾かして綺麗にすると、くるりと杖を回して元の場所に戻した。

「ありがとうございました。ごめんなさい、わたくし何も考えてなくて……。バカだと思った?」

「ん?ううん。何も考えないのが正解だよ。──さ、お昼にしよう。また池に入りたくなるかもしれないから、服はそのままでいいよ」

「あの、でも、これどなたのですの?」

「僕のだよ。今日、さっきの時点でそうなった。君、これからはここに遊びに来たらまず着替えな。いつでも泳げるし、汚れないしね。とりあえず、そんなにいらないかもしれないけど十着用意したから」

「十日来られる……」

「ははは、じゃあ十日間来てくれる?デザインが気にいるのがないと困ると思って多めに用意したんだけど、良かった。明日も明後日も、放課後もおいで」

 

 レオネはキュータに手を伸ばされるとそれに飛び込み、二人は外に出た。

 池のそばにあった西洋東屋(ガゼボ)に昼食が用意されていて、レオネは「これってキュータさんとしてどうですの」と言い、「セーフだと思って」とキュータは笑った。

 レオネは初めて食べたナザリックの食事に目を剥いた。

 

 隣のナインズはレオネを観察しながら食事をすすめていた。

「ね、ね、キュータさん」

「ん?」

「これも、こっちもすごく美味しい!召し上がられた?」

「まだだから僕のもいる?」

「え?ど、どうしましょう……」

 レオネが悩んでいると、キュータはフォークで刺したレオネが名前も知らない美味しいものを差し出した。

「はい、あーん」

「えっ、ま、待ってくださいませ。あのね、美味しいから一緒に食べたくて、でも、もっと食べたくて」

「ははは、面白い。レオネって飽きないね。ちょっと待ってね。──<伝言(メッセージ)>。あ、オーレオール?<転移門(ゲート)>を一つお願いしたくて──」

「えっ、それってキュータさんとして本当にどうですの?」

 キュータが二箇所に連絡を取り始めてレオネに返事もしないでいると、レオネの知らない美味しいものが綺麗に盛り付けられた皿が乗せられたワゴンを押すメイドが訪れ、デザートと一緒にテーブルに並べるとメイドはどこかへ消えた。

「もっと欲しかったら言ってね」

 キュータは嬉しそうに言うと、さっきレオネにくれると言った自分の分を食べてレオネを眺めた。

 レオネは「あーんは……?」と呟き、キュータは喜んでレオネをペットのように可愛がり、食事も終わると二人でエリュエンティウをあちこち見て回った。

 年相応に駆け回り、抱きしめ、抱きしめられ、手を繋ぎ、写真を撮って、身を寄せた。

 

 木を背に太陽からすら隠れ、レオネが目を閉じる。

 それだけでキュータは木に手をついて口付けてくれる。

 レオネはなんて幸せなんだろうと顔を赤くした。

 唇が触れる度に満ち足りていく。

「──レオネは本当にかわいいね……」

 キュータがそんなことを言って離れてしまうと、レオネはぐいっとキュータの顔を引っ張ってまたキスをした。

「離れちゃいや……」

「ははは、また可愛いこと言ってる」

 そっと抱き寄せるために背中に手が回ると、ドレスの背の晒される素肌にふと手が触れた。

「──っ」

「あ、ごめん。そのドレス、似合うと思ったけどダメだったね」

「い、いえ。そんなことは」

 顔を赤くしたキュータがそっと離れ、コホン、とらしくもない咳払いをして歩いていく。

 レオネもその後を追った。

 

「午後、何します?」

「んー、散歩と……散歩と……散歩」

「ふふ、そうですわね。これだけ広いんですもの!」

「と思ってたけど、買い物とかいく?地上に降りても良いよ。おやつ食べにいくとかね」

「ううん、ここにいたい」

「そう?」

 レオネは頷いた。

 

 まだ見ていない深い深い池を二人で覗き込み、大きな魚が泳いでいくのを見送る。

 鳥達に餌をやってみると、数えきれないくらい鳥が寄ってきてレオネの手からバクバクと餌を食べ始め、キュータは腹を抱えて大笑いした。

「ははは!ははは!そうか!レベルが低くて遠慮なしだな!皆、そんなにがっつくなよ!ははは!」

 しっしとキュータが鳥を払いのけ、レオネも笑った。

 髪にさしてくれた花の横にくっついた羽毛をとって綺麗にしてもらうと、また触れるだけのキスをした。

 

 手を繋いで駆け出し、城に入ると誰もいない部屋を見て回ったりもした。一番広い部屋で、たった二人で踊ったり、玉座みたいなものに座ってみたり、宝物殿の前でそんな所は入れないと大騒ぎしたり。

 

 最後には遠く砂漠に落ちていく夕暮れを眺め、レオネは綺麗だと目元を拭った。

 一生見られないはずだった景色の中でキュータと一日過ごせて、眠る前に夢を見ていたような時間だったと言った。

 今生の別れのような言い方にキュータは笑い、「十日連続で来るんでしょ」と背をさすった。

「そうだ。──レオネ、そのネックレスに入ってる魔石、数日借りても良い?」

 キュータはレオネの胸元に下がるロケットを手にした。

「もちろんですわ。お借りしてるのはわたくしだもの」

 レオネはネックレスから赤い魔石を取り出し、キュータに渡した。

 日が落ちると、地上の街に永続光(コンティニュアルライト)が灯り、レオネは星空に挟まれ、キュータに抱きしめられて宵の口を過ごした。

 

「──そろそろ送るよ。ごめん。帰すのが惜しくて言うのが遅くなった。門限ももう過ぎてたのに」

「わたくしも。帰るのが惜しくて送ってって言いませんでしたわ……。言われなかったら泊まって行こうって思ったくらい」

「はは、じゃ、言わなきゃ良かったな」

 

 レオネは着て来た服に着替え、少しの触れ合いの後家の前までキュータの転移で送られた。

 この間の修学旅行の帰りに送り届けた時にキュータは初めてレオネの家を見た。

 アナ=マリアの家は大変豪邸なのでたまに皆で遊びに行くこともあったが、基本的に遊びに行くのはオリビアの書店までだった。あとは男子の家で男子だけで集まるなど。

 

 玄関先でレオネはキュータを見上げ、

「──やっぱり戻りたい」

 夢の醒める時間に、駄々っ子のように呟いた。

「本当に攫われちゃうよ。もうお帰り」

「……本当に素敵な一日だったんですもの……。終わってしまうのが惜しい……」

「ありがとう、僕もそう思ってるよ。君はさぁ行くよって言うことの方が多いから、そう言ってくれるだけで本当に嬉しく思うよ」

 そっと抱きしめられると、離れがたさにレオネはキュータの首に手を回して抱きしめ返した。

 

 そして、キュータがレオネの顎を持つと、レオネの後ろで玄関扉が開いた。

「レオネ?帰ってるのにいつまでそんな所で──あ、き、君。うちの娘に!こんな時間までどう言うつもりだ!!」

 聞き知った声の後半は怒気を孕んでいて、キュータはそれはそうだとパッとレオネから手を離した。

「す、すみません。つい」

 完全降伏のポーズを取ると、恥じらい顔を両手で覆うレオネの影からレオネパパはキュータを見下ろした。

「君──あ、あれ?こ、これは?キュータ君?」

「こんばんは、本当に遅くなってすみませんでした。彼女が一人で帰れないような遠くに連れて行ったのに、つい送るのが遅くなって……」

「い、いえ、そんな」

 レオネパパはレオネを見下ろした後、キュータをもう一度見て、玄関扉を大きく開けた。

「良ければ、中に少しいかがですか?寒いですし」

「いえ、僕はこれで──」

「……晩御飯でも召し上がって行かれたら?お父様、わたくし今日お連れいただいたお城でお昼をご馳走になりましたの」

「それなら尚のこと!どうぞ、キュータ君入ってください」

 キュータは頬をポリ……とかいた。

「じゃあ……お邪魔します」

 今にも殺してやるというような雰囲気だったはずなのに。

 キュータが家に入ると、レオネパパは満開の笑顔で言った。

「いや〜キュータ君ならいつでも大歓迎!妻にも挨拶させますね!」

 レオネパパはうきうきと先導したが、キュータは護衛もいないのであまり長居はできないなと思った。

 両親は息子の春に喜んでいるし、ハンゾウもすでに追いついているので構わないと思っているが、息子はそんなことを露とも知らなかった。

 ちなみに今日を境に<上位転移(グレーターテレポーテーション)>の巻物(スクロール)が大量生産されるようになってハンゾウに持たせるようになるが、それは全く別のお話。

 

 よく掃除の行き届いた広いホールを抜けてリビングに通される。

 赤い髪を一つにくくったレオネの母が慌てて出迎えてくれた。

「キュータ様。このような所にわざわざ。すぐにお食事をお出ししますので。あら、一郎太様は?」

「突然すみません。今日は一太もいないんです」

「まぁ、じゃあレオネの今朝の何着ていこう攻撃は御身と二人で出かけるためでしたのね」

 レオネは慌てて母の前に走った。

「お、お母様!いいから!そう言うことおっしゃらないで!」

「あら、うふふ。おばかよねぇ。朝から持ってる服全部着てみてたんですのよ」

「はは、ありがとう」

「もー!やめてくださいませ!」

 レオネはコートを脱ぐと、キュータの背に回りコートを引っ張った。

「わたくし、これ置いてきますから!いただいたお花もちゃんとしてあげなきゃいけないし!!」

「あ、助かるよ」

 キュータの肩からコートが降ろされ、レオネは脱いだ二人分のコートと睡蓮を持って玄関ホールへ戻って行った。

 レオネの両親は嬉しそうに微笑み合い、レオネパパはソファを勧めた。

「本当にかしましい娘で。さぁキュータ君、どうぞお座りください」

「失礼します。レオネは今日誰と出かけるとか言わなかったんですね。本当にご心配おかけしました」

「いえいえ、わざわざ家まで届けていただいて感謝しております。ちなみに、レオネはどうでしたかな」

 レオネパパはふんふん鼻息を飛ばした。

 

「本当に良いお嬢さんです。僕にはもったいないと理解していますが、恋しさに負けました。レオネより良い人はいないと心から思います」

「え?そ、それは──殿下は、レオネを」

「はい、好きです。できることなら貰い受けたい。彼女の人生をそばで見つめていきたい」

 レオネママが食器を落とす音が聞こえると、キュータは腕輪を抜いてそちらへ<修復(リペア)>を送った。

「──は、す、すみません。家内がみっともなくて」

「いえ、十六才の分際でと呆れられても仕方ありません。ただ、本当に僕には彼女しかいないと思います」

「そ、そう言っていただけるなら、ぜひ」

 いくらでもどうぞと言う雰囲気でレオネパパが先ほどレオネの出て行ったリビングの扉を見る。

 キュータは深々と頭を下げた。

「……ただ、彼女にはやりたい事も思う事も色々あります。本当に尊敬するところばかりです。僕は本人から振られているので、いつか気が変わってくれたらいいなと思います」

 また向こうで皿が落ちた音がした。

 よいせと再び魔法を送る。この魔法は耐久力が下がるのであまり掛けすぎても良くない。

 

 そんな話をしていると、レオネがそろ〜りとリビングに戻った。

 話を聞いていたのか少し顔が赤い。

 ただ、レオネパパからはゴゴゴゴ……と謎の気迫が立ち昇っていた。

「……レオネ……。お前は……本当に……」

「い、いえ。違いますのよ?だってわたくし、殿下となんて……とても無理だもの……」

 レオネはキュータの隣に座ると、「ねぇ……?」となぜかキュータに同意を求めた。

「ん、ナインズでも良いと言ってくれるまで僕は何度でも跪くよ」

「な、何言ってますのよぉ。あなたはちゃんと良い方見つけられなきゃダメ!わたくしは神官なの!あなたの幸せのために言ってますのよ!」

「僕のことは置いておいて、僕もレオネには幸せになってほしい。本当は僕とじゃなくても誰かと結婚して子供を設けて欲しいけど……誰かと結婚しろとももう言わない。ただ、そう思っていると言うことは心に留めておいてほしい。ちゃんと君は君の幸せを見つけるんだよ」

「本当に?もう誰かの子供を産めって言わない?」

「君が幸せそうならね。僕は君の全てを受け入れると決めたけど、幸せじゃなさそうにしてたらまたしつこく言うよ」

 キュータがため息を吐くと、レオネママもレオネパパも笑顔のまま娘を睨んだ。

 

「……なんて目で見てますのよ……」

「じゃあ、僕はちょっと<伝言(メッセージ)>送ってくるね。親に遅くなるって言っとかなきゃ。まだ天空城にいると思われてるかも」

 

 キュータが廊下に出てごにょごにょと話を始めると、レオネママはレオネの顔を覗き込んだ。

 

「──あなたの愛の形は立派だけれど、押し付けるのは違うんじゃなくて?」

「……お、押し付けるなんて……。あの方だってわたくしに同じことを言ったわ。誰かと結婚しろって。聞いてましたでしょ?」

「あなたがそばに置かれたくないとか言うから、幸せを願ってそうおっしゃってるんでしよう。殿下はあなたに付き合ってくださってるのよ」

「もー!じゃあわたくしをどこかの国のお姫様に産んでくれてたら良かったんだわ!」

「殿下と一緒になればあなたは自動的にお姫様でしょう」

「それじゃダメだって言ってますの!!普通に考えて、あの方のお相手がわたくしって何か間違ってますでしょ!?」

「……はぁ。殿下はいつまでお待ちくださるのかしら。こんなに頑固に育てた覚えはないのだけれど。……さ、レオネお手伝いなさい。殿下のお口に合うといいのだけど」

 

 レオネはやっぱり、小煩く一生懸命主張した。

 

 その後、レオネはこの日も合わせて全部で十日毎日天空城に遊びに行った。

 二日目は一郎太と訓練をし、たっぷり汗をかいた後、もうそのまま泳いだ。

 三日目は二人で訓練をした。天使はまだ出なかった。消沈するレオネをナインズは優しく撫でた。

 四日目は部屋で肩を寄せ合って音楽を聴き、レオネは今度家にある好きな蓄音石(レコード)を持ってくると約束した。

 五日目は城の外に着いた瞬間雨に打たれ、二人で城へ大笑いしながら駈けた。

 六日目は一郎太と夢中で訓練をし、気付けば夜だった。ゆるめられた門限にまた間に合わないとナインズは大慌てで帰り支度をさせた。

 七日目の第一安息日には飼い猫だと言う双子の猫とアイパッチをしたメイドに会った。メイドはレオネの訓練に少し付き合ってくれた後、不思議なシールをくれた。

 八日目の第二安息日には二人で池に足を下ろして勉強をした。この人といたら成績が良くなりそうと思った。──まさか信仰科のトップになるとは思いもせず。

 九日目はちょっとえっちな触れ合いをした。ナインズはいつか誰かに嫁がせるかもしれない彼女の初めてを奪うことはなかった。

 十日目はまた勉強をした。レオネのノートのシェイプシフターが書いたところを見て「同じ字だねぇ」と感心した。そして、自由な内にキスをしてくれてありがとうとレオネに礼を言った。

「君が恋しいよ……。僕と生きてほしい……」

「隣にいられなくても、あなたが振り向けばわたくしはいつでもそこにいますわ」

 レオネはナインズに微笑み、ナインズはレオネの聖歌に耳を傾けた。

 

 帰ったレオネは人生で一番素敵な十日間だったと日記に丁寧に書き記した。

 彼の全てを忘れないと始めた日記は生涯大切にされ──彼女が未来、ナザリックに入ってから初めてそれを読んだナインズはレオネを抱きしめて泣いた。

 

 ちなみに、渡した魔石は美しいカットが施され、信じられないほど高そうなネックレスになって戻ってきたらしい。

 受け取れないと大騒ぎしたが、「貸すだけだし」と嘯かれるとレオネはようやくそれを受け取ったらしい。




あぁ〜!喉越し爽やか〜!!
一生いちゃついててください。
無事に不死になるし、お嫁にも来ると思うと安心して見てられますよ(まさかの六十年後
チャイを頼んでるレオネとオリビアだけがここでナイくんに会ってんのかなあ

【挿絵表示】



次回! 明後日!
Re Lesson#39 閑話 ある未来の日

裏ならご案内です!
ささやかな触れ合いしかできないけどべたべたしてる二人はR15で!!
⑨裏閑話#40 ナインズ君、天空城の十日間R15
https://syosetu.org/novel/195580/41.html


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Re Lesson#39 閑話 ある未来の日

 ほんの少し未来。

 おおよそ六十年の時を重ねたナインズは外出用の立派な装備達から、楽な魔法のシャツに着替えると第九階層の自室を後にした。

 今日の午後をフリータイムにするため、朝のうちに最古の森に行って雨も降らせたり、昨日のうちに今日の午後目を通さなければいけない夏草海原関連のものをすませたり、スルターン州のワルワラとの会談も済ませてスケジュール調整は完璧だ。

 

 ナインズ当番に服や荷物の片付けを頼み、転移の指輪で第六階層へ上がる。

 

 第六階層は今日もいい天気だ。

 目的の場所に行く前に、アウラとマーレの家の方角へ向かう。

 広い花畑が見えてくると、ナインズはそこで花を摘んだ。

 アルメリアとクリスは好きな場所だが、ナインズや一郎太、二郎丸は大して通わなかった。

「ナインズ様!」

「ナ、ナインズ様〜!」

 花畑の向こうからアウラとマーレが手を振る。

 それに手を振りかえし、ナインズは花畑から立ち上がった。

「や、二人とも。少し花を貰ってたよ」

「どうぞどうぞ!家の具合はいかがですか?」

「うん、アウラのおかげですごく良いみたい。悪いね、僕が建てれば良いのに」

「いえいえ!そのくらいお任せください!」

 ナインズは最近体の寿命を巻き戻した──あんなにお姉さんに見えていたはずの──今はもう可愛い妹にしか見えないアウラの頭を撫でた。

 

 アウラは何日かかけて、第六階層に最近ナザリック入りしたレオネの白い家を建てた。

 湖畔を臨む柳の大木のそばにひっそりと建っているそれは、L字で、広いところは住むスペース、片側は祈りのスペースになっている。

 つまり、レオネは第九階層に暮らすような畏れ多い真似は受け入れなかったわけだ。

 守護者達はナインズの体調のために必要な祈りを捧げるレオネを拒絶したりはしなかった。身を弁えているところも評価しているらしい。それに、最高神官長との付き合いは三十年に及ぶ。

 

「あ、あの。でも、ナインズ様?」

 同じく最近体の寿命を巻き戻した──あんなにお兄さんに見えていたはずの──今はもう可愛い妹にしか見えないマーレが見上げる。

「どうかした?」

「あ、あの、元最高神官長さん、えっと、お家に何かしてるみたいです」

「えぇ?何かって、何を?」

「えっと、庭に杭を打ってました」

「なんじゃそりゃ」

 驚いた時のアインズと全く同じ反応をしたナインズは、花束を紙でくるくる包むとアウラとマーレに礼を言ってから花畑を後にした。

 

 広い第六階層だ。せっせと走っていくと、湖畔の柳のそばに建つ家からはカーン、カーン、と杭を打つ音が響いていた。

 静かな森からスピアニードル達が顔を覗かせて様子を見ている。

 近付いていくと、そこでは一郎太が杭を打っていた。

 

「一太ぁー?何やってんのこれ」

 駆け寄ると、すっかり成長し切った一郎太は魔法の槌を肩にドンと掛けて額の汗を拭った。

「あ、ナイ様。いや、あいつ物干しが欲しいっていうからさぁ。本当に必要か聞いたけど、まぁ一応四組立ててるとこ。こんなにいるかな?」

「物干しぃ?本人はどこ行ってるの?」

「裏で洗濯してるよ」

 くん、と一郎太が親指で示す。

「……ちょっと行ってくる」

「はいはーい」

 

 また、カーン、カーン、と音が鳴り始める。

 ナインズは建物の裏にひょいと顔を出した。

「レオネ?」

「──あ、キュータさん」

 真っ白なワンピースドレスに身を包むレオネが見上げる。露出された肩には金の留め具、背は母と同じように翼を出すために広く開いていた。

 天空城で過ごす時に着ると良いとあの部屋に散々ストックした服達はそのままナザリックへ運ばれ、レオネの物にして構わないと渡された。

 おばあさんになってからも、キュータに手を引かれて何度も散歩に行った。

 今日着ているこれはかつてフラミーも初心者の頃に同じものを着用していた装備だ。──初心者用装備とも言う。レオネは天使用初心者装備を他にもいくつか貰い受けていた。散々受け取れないと渋ってから。

 

「何してるの?」

「お洗濯物ですわ」

「……そうじゃなくて、君<清潔(クリーン)>だって使えるのに……わざわざなんで洗濯なんて。それに、それ魔法の装備なんだから洗わなくても……」

「お洗濯もお掃除も、その手でやるべきと言うのが教えですもの。大神殿だってそうでしてよ?」

 何を当たり前のことを、と言う雰囲気でレオネは言った。

 

 小さな井戸の周りをふわふわと泡が漂う。ひとつはレオネの鼻にぶつかり弾けて消えた。

 彼女の後ろには既に洗い終わったらしい服達がカゴに入れられていた。

「……貸して、後は僕がやる」

「結構ですわ。わたくしの仕事ですもの」

「いいよ。ここはもう大神殿じゃないんだから」

「でもここはわたくしの仕える神殿でございます。好きでやってますし、お気になさらないで」

「いいから。君はこれ持ってて」

「──あ、ありがとうございます。綺麗ですわね」

「ん」

 ナインズはレオネに摘んできた花束を渡し、天使装備をふんだくると洗ってみた。

 魔法の装備をこんな風に洗う人は、少なくともナザリックにはいない。

 

 建物の影から「一応できたけど」と一郎太が顔を出した。

「何やってんの?ナイ様」

「洗濯」

「……見りゃわかるって」

「これをするのが教えらしい。でも、確かに母様も父様もいつも言ってた。自分で片付けなさいとか、メイドに全部頼んで済ませるなとか。こう言うことなわけ?」

 両親は執務の後、全部やると言う守護者やメイドを押し切って多少自分たちでも片付けをする。考えてみれば、大神殿の儀式のプール掃除も子供の頃よく紫黒聖典と一緒にやらせてもらったものだ。

 ナインズはこう言うもんかと今更"教え"なるものに触れた。

 

「──いい?」

「えぇ、もちろん」

 レオネが無限の井戸(ウェル・オブ・エンドレスウォーター)からせっせと水を汲んではタライの中の服を濯ぐ。

 泡が流れて行く先では粘体(スライム)達がぷかぷかとそれを食べていた。彼らは七十レベルを超える。

「ありがとうございました。これで綺麗になりましたわ」

「……うーん、元から綺麗だった気もするけど……」

「少なくとも、わたくし下着は魔法の装備じゃありませんの」

「あ、そうか……。ごめん」

 立ち上がって庭へ行く背を一瞬眺めてしまった。

「──え!?あ、いや!待って待って!そこに干すの!?」

 慌ててレオネの後を追う。

 

 レオネは白い翼でふわりと浮かび上がり、今一郎太が立てた竿に洗濯ロープをくくっていた。

「良い物干しですわ。一郎太さん、ありがとうございます」

「おう。結構干せると思うぜ」

 洗ったばかりの真っ白なワンピースドレスを干していき、シーツだの、枕カバーだの、肌掛けだのもかけられる。

 最後に人目につきにくいようなところに肌着はかけられた。

 南側にシーツが揺れているので丸見えなわけではなく、わざわざ見に回って来なければ見えない位置ではある。

「ぼ、僕が水分飛ばすんじゃダメ?」

「……見苦しいかしら?」

「そうじゃないけど!君は恥ずかしくないのか!」

「いやだわ。丸見えなわけでもありませんし、もうおばあさんなのにそんなお嬢さんみたいなこと」

 レオネはおかしそうに笑った。七十三才を老いと共に生きた彼女と、老いることなく生きたナインズの間の小さな違いだった。

 レースの白いパンツだって、サテンの白いスリップだってさわやかに揺れていた。魔法の装備達はもう乾いている──というより、水を吸っていないので元からまっさらだ。

 

「君はもうお婆さんじゃないだろう!」

「ふふ、でも、皆さんおばあさんだってお分かりでしょ。誰もわざわざ見たりしませんわ。おかしい。さ、──わたくし、窓拭きに行ってきてもよろしい?」

「い、いいけど……」

 

 レオネは渡した花束が入れ添えられている洗濯かごから白い布を取り出すと、家の窓を拭きに飛んでいってしまった。

「い、一太ぁ……」

「ははは!大丈夫だって。見る人なんていませんよ」

「そりゃそうだけどさぁ……。僕の感覚が変なの?」

「変じゃない!でも、レオネの感覚も変じゃない気がする!」

 ナインズは参ったと、あちこちの窓を拭くレオネを見上げた。

 

 飛べるのであっという間に終わったらしく、レオネはすぐに戻ってきた。

「お待たせしましたわ。お二人とも、お茶でも飲んで行かれます?」

「うん……ありがとう」

「サンキュー」

「お外も素敵ですけれど、中とどちらがよろしい?」

「中でお願いします……」

 

 ナインズの即答を持って三人は小さなレオネの城に入った。

 家の外には四人がけのガーデンファニチャーが置いてあるが、洗濯物が気になりそうなので室内一択だった。

 

 小さなテーブルセット、小さなソファセット、小さな暖炉、小さなキッチン。

 吹き抜けの二階にはベッドと、小さな執務机。

 窓辺には二つの一人がけソファ。

 

 レオネはその窓辺に、今貰った花束を活けて飾った。

「綺麗、本当にありがとうございます」

「そんなもの。何か手伝おうか?」

「いやだわ、掛けてらして。ほら、早く」

 二人はソファセットに座り、お茶だのなんだのの用意をするレオネを眺めた。

「──ナイ様、良かったですね」

「……うん。本当に良かった。昔レオネも言ったけど……夢みたいだ」

 一郎太が肩を叩く。

 レオネはすぐにお茶と、果物を持って戻った。

 

「今朝、少しピニスンさんやトラキチさんの畑に寄らせていただきましたの。お二人ともいつも召し上がってる物でしょうけど、良かったら」

「いただく。ありがとう」

「はは、まさに俺今朝食べたばっかだ」

 三人は笑った。

 昔の学食のように皆で話をしながら手を付けた。

 心地いい時間だけが流れていく。

 

 その後片付けを済ませると、レオネは窓辺の一人がけソファに掛けた。

 外から風が吹いては、透き通るようなハニーピンクの髪が揺れた。

「レオネ、やりたい事とかないの?」

「全部させていただいてますわ」

「掃除と洗濯?」

「えぇ。あと、お祈りも。収穫も、散歩も、水浴びも、空を飛ぶことだって。こんなに幸福に満ちた穏やかな生活が許されるのかと思うほどに」

「許されるさ。僕が母様に君の穏やかな幸福を祈ってるんだから」

「ご自分のために祈られた方が良いわ。また、辛くなってしまいますもの」

「平気。君が祈ってくれてるの知ってるから」

 ナインズはレオネの向かいのソファに座り直し、その顔のすぐ横から祈りの糸を掬った。

「──聞こえるよ」

 レオネが胸の前に手を組み、ナインズも目を閉じてそれに耳を傾け始めると、一郎太はそっと家を後にした。

 

「本当に、良かったね。ナ──キュー様」

 

 友が誰でもない一人としてやっと掴めた幸福が、一郎太は本当に嬉しかった。

 

 静かな家の中で時を過ごし、二人は湖畔に小さなボートを出した。

 家の周りに花を植えようと決め、苗を貰いに行く。

 行った先では花妖娘(アルラウネ)から積みきれない程の花を貰った。

 ボートは二人が乗る場所もないような状況だったが、何とか二人で押し合うように乗り込むとおかしそうに笑った。

「ははは、貰いすぎだよ」

「だって下さるんですもの。ふふ、ふふふ」

 えっちらおっちら花のボートを漕いで戻る。このボートの普段の役目はここの魚達の具合を見ることだ。デミウルゴス養殖場や天空城の魚達はもちろん今も元気に暮らしている。

 

 ボートが柳の下に帰る。

 二人は花に埋もれてボートに寝転がった。ナインズの胸に寄り添うと、レオネはほぅと息を吐いた。

「……ねぇ、飛べるって素敵ですわね」

「<飛行(フライ)>は使えたでしょ?」

「えぇ。でも、翼で風を切るのとは違いますわ」

「ふふ、そうかもね。僕も飛べても走れても、乗合馬車(バス)は好きだったな」

「入学前、覚えてらっしゃる?オリビアや、アナ=マリア、イシューとわたくしと、キュータさんと一郎太さんで展望席に乗ったこと」

「覚えてるよ。楽しかったよね」

「ふふふ、キュータさん、目立ちたくないから僕は下に乗ろうかな、なんて仰ったのよ。そしたら、オリビアが絶対上が良いよ、気持ちいいんだから!って。あなたの手を引いて上に上がった」

 懐かしい。ナインズは何一つ忘れていないその日のことを目を閉じて思い起こした。

「上がってみたら、思ったより目立ってない気はした。風が気持ちよかったし。でも、やっぱり目立ってたよね?」

「ですわね」

 

 二人はおかしそうに笑った。

 レオネは柳を見上げると、「あそこにブランコでも付けて、風に吹かれてもいいですわね」と呟いた。

「すぐに付けさせるよ。それとも、僕が付けようか」

「そんなにあちこち改造したら不敬ですわ」

「物干しよりはまし」

「あらまぁ」

 なんだかおばあさんくさい口調でレオネが言うと、ナインズは額に口付けた。

 

「……祝福に感謝いたします」

「僕の方こそ。こうすると君の祈りがよく聞こえる。僕の居心地がいい。でも──レオネ、やっぱり少しは自分のためにも祈ったら。僕のことだけじゃなくて、もっと愛されたいとか、もっと何かをしたいとか、君はやっぱり欲望が薄れ過ぎてる気がする」

「ふふ、そんなことありませんわ。わたくしだってあれこれ思う事はありますもの。キュータさんが幸せでいてくれますように、キュータさんの心が守られますように、キュータさんがいつまでも健やかでありますように、国が末永く──いえ、末もなく繁栄しますように。人々の幸福な暮らしが続きますように……」

「全部誰かのことだ」

「あなたの幸せがわたくしの幸福ですもの。ずっと自分のことしか祈ってませんわ」

「君は清すぎるよ。十六でその境地に至るなんて。六つの時はもっと色んなことを求めたろ?」

「言ったでしょう。あなたがそうさせたの。わたくしを導いた」

 ナインズはレオネを抱きしめると、やはり額に口付けて目を閉じた。

 

「ローラン元最高神官長」

「はい、ナインズ殿下」

「私のために歌ってくれ」

 

 レオネは胸の上で手を組むと、ナインズに抱き締められたまま歌った。

 第五位階まで使った彼女の聖歌はアンデッド系にダメージを与えたり、時に消滅させる程の力を持つが第六階層にいる者達には届かない。

 ナインズは胸の内がまた軽くなった気がした。

 

+

 

 次の日、執務を終えた夕暮れ。

 ナインズはまた湖畔を訪れていた。

「レオネー、どこにいるんだー」

「こちら!こちらですわー!」

 声を頼りに家の脇に向かう。

 

 湖の真上にある柳のブランコでレオネははしゃいでいた。

「キュータさん!ありがとう!」

「はは、良かったね。一太は?」

「付けてくださったら、ミノス州へお仕事に行かれましたの。それからはまだお戻りじゃないわ」

「一太も忙しいな。二の丸もいるってのに」

 レオネが湖を蹴ると、夕日に全てが輝いた。

 

「ね!キュータさんも乗って!乗合馬車(バス)の代わり!」

「ふふ、ありがと」

 <飛行(フライ)>で浮かび、湖の上のブランコに腰掛ける。

 レオネは羽ばたきながら降りると、その背を押した。

「っわ、思ったより押すね?」

「落ちないようになさって!」

 力いっぱいブランコを漕いでもらうだけでおかしくて笑った。

「今日は君は何をしてすごしたの!」

「今日は光神陛下がいらしてね、アルバムを見せていただきましたわ!」

「え、えぇ?それって僕の?」

「えぇ!赤ちゃんの頃のも、小学生の頃のも、ナザリック学園の頃のも、魔導学院の頃のも、全部!」

「やだなぁ〜。母様、どうせ可愛いのなんのって言ってたんでしょ。七十三の息子捕まえて言うセリフじゃないよ」

「ふふ、本当に愛らしかったわ!国営小学校(プライマリースクール)と魔導学院の頃の写真は複製していただくことになっちゃった!」

「まぁ、君も写ってるのがあるだろうしね。悪いね、見られてたなんて」

「いえ!昔あなたがおっしゃった通り、本当に見ていていただけてて、わたくし嬉しくて感動しました!」

「ははは、そう言う考え方もあるか。今度、僕が勝手に作ってた君とのアルバムをまた見ようか」

「まぁ、ちょっと恥ずかしい……」

「僕はしょっちゅう見てたよ。──変わろうか」

 押す方と乗る方を代わり、またブランコを漕いだ。

「気持ちいいですわね!ブランコ、大正解でしたわ!」

「本当だ!でも、今度また神都に乗合馬車(バス)に乗りに行こう!」

「え?」

 振り返った瞬間、レオネは湖に落ちた。

 

「っわ、だ、大丈夫?」

 飛べるのに落ちる人がいるとは。

 ナインズはレオネの隣に降りた。

 ずぶ濡れになって、湖の浅瀬でレオネは何度も瞬いた。

「ば、乗合馬車(バス)に乗れますの?」

「乗れるよ。レオネが乗りたければ──っうわ!」

 突撃するようにレオネが抱きつき、二人は湖に倒れた。

「嬉しい!どうしてわたくしがしたい事がいつもお分かりになるの!昨日思ったばかりだったのに!」

「はは、いつも僕がしたい事だっただけ」

 レオネは十六の頃と変わらない笑顔で笑った。

 顔に張り付くずぶ濡れの髪を避けてやり、ナインズはレオネを抱き寄せると数十年ぶりに生きたその唇に口付けた。もうおばあさんだからとこっそり交わしていた口付けを断られる様になって長い。それからは彼女の額と手にしか口付けなかった。

 絵のような夕暮れが柳の向こうから差し込んだ。

 

「……ごめん。あんまり綺麗で。確認もしなかった」

「……もう、一緒に生きていくって確認はとっていただきましたわ……」

 もう一度口付けようとすると、一郎太の声がした。

「おーい、大丈夫かー?ブランコだめだったー?」

 柳の向こうからひょいと顔を出す。

 ナインズはずぶ濡れのまま首を振った。

「いや、すごく良いよ。今も気に入ってずっと漕いでた」

「はは、落ちたくせに?危ないからはずしとく?」

「驚いたから落ちただけでしてよ。一郎太さんも一漕ぎしていかれて」

「レオネ、静かに」

「あら、わたくしまたうるさかったかし──」

 ナインズはレオネに口付け、一郎太はまたたいた。

「あれま。ごめん、もしかして俺邪魔した?」

「そう思うなら、もう行ってくれよ。親友」

「ははは。悪い悪い」

 

 一郎太はカーテンのようになっている柳から顔を引っ込めると、トットットと軽い足音を鳴らして去っていった。

 至高のパパの間の悪さを引き継いだ息子だったが、当時のパパと違って──もう何十年も生きているからか──どこかへっちゃらだった。

 だが、人目を憚り口付け歳を重ねたこちらは──

「は、恥ずかしい真似されないで!」

「懐かしいね。よく怒られた。嬉しいなぁ」

「……本当に恥じらいがありませんの?」

「父様と母様はほとんど常にこんな感じだけど」

「で、でも」

「僕と生きてくんじゃ諦めるしかない。あの人達の息子だ」

 

 再び触れ合った二人はしばらく離れなかったらしい。

 

+

 

 アインズはいつも通り第九階層に戻ってきた真面目すぎる息子を迎えた。

 別に第六階層で放埒の日々を過ごせばいいのに。

 

「なんだ。また戻ってきたのか。ナザリックの中だし向こうに泊まろうが暮らそうが構わんと言っているのに」

「僕もそうしたいんですけど……そうしたら正直僕はしばらくあの家を出られない気がして」

「別にいいじゃないか、それで。飽きるまで篭ってこい。お前の仕事くらいどうにかする。──知恵者達が」

「……レオネに怒られて蹴り出される想像しかできない。それに、女の子の家に泊まれないです」

「ははは!面白いなぁ。昔の俺に聞かせてやりたい」

「父様は母様のところにしょっちゅう泊まりました?」

「泊まった泊まった。泊まったどころかくっついてないと寝られないから住んでた」

「はは、消滅されたら困りますもんね」

「その通り」

「僕も今はよく分かります」

「そう思うならもう少し向こうに居ればいい。レオネちゃんもお前と同じだけの時間──いや、お前より余程長く感じる時間を孤独と自制の中で生きただろう」

「……それは……そうです」

 

 ぴらりと最後の一枚の書類をアルベドに渡し、アインズは片付けを始めた。

 

「で?何かあるんだろう。相談したい事が」

 

 ああ言う様子でこの部屋を訪れる息子は大体何かに悩んでいる。父ちゃんはもうお見通しだった。

「──あ、えぇ。今度乗合馬車(バス)に乗りに神都に行こうと思ってるんですけど、ちょっとその時のことで悩んでて」

「なんだ?良いじゃないか。デート」

 父はいまだに青春エンジョイ勢だった。

「ご両親のところも連れていってやるか悩んでるんです。レオネが聖人として天使になった事はもう知ってるんですけど……」

「そうだなぁ。それは国中に知らせておいたからな」

 

 神を崇め、清い祈り──言葉を変えればナインズを苦しめない祈り──を捧げ続けた者はひとつ上の世界へ行けると言うのは最高の看板だ。

 別に集めたくもなかった信仰だが、信仰が厚ければ厚いほど国民は真面目になり税金も死体もたくさん手に入る。そしてナインズの心も救われる。

 なんと敬虔な羊達だろう。

 

「まぁ、両親とは言え人に会うなら先に大神殿でお披露目だろうな。そうしなければ今の最高神官長に悪いだろう。周知も済んでそろそろやっておくべき頃合いだしちょうどいい」

「やっぱりそうですよね。──ありがとうございます。ちょっと先にレオネに確認します。せっかくの老後──いや、せっかくの死後なのにまた仕事なんて悪いし」

「ははは。初めて聞く言葉ばかりだな」

 

 ナインズがアインズの部屋を去ろうとすると、「あ──待て」と声をかけた。

「はい?」

「ご両親が生きているうちに結婚式も挙げさせてやれ。大神殿で盛大に。これ以上ないほどにな。どれだけの財を投げうっても構わん。お披露目の時に神官達にそうすることを発表しろ」

「──ありがとうございます」

 ナインズは深々と頭を下げた。

 レオネの両親はもう杖がなければ歩けないし、ほとんどずっと一日を座って過ごしているが、多くの種族の寿命が伸びた神聖魔導国で今も暮らしている。──つまり、彼女は親を残して先立ったのだ。

 

 再び戻った第六階層。

 

 レオネの家からはあたたかな光が漏れていた。

 煙突から煙が上がっている。

 食事の用意でもしているのだろうか。

 

 扉を叩くと、『はい、ただいま』と返事が返り、本当にすぐに扉は開いた。

「や。誰か確認もしないで開けちゃって良いの?」

「神の地ですもの。どなたが来られても、急いで出るのが当然でしてよ」

「はは、一太だったらそんなに急がなくていいんじゃない?」

「いいえ、いけませんわ。一郎太さんだってわたくしからしたら大変な方だもの」

「真面目だなぁ」

 招かれ中に入る。

 家の中は何か良い香りで溢れていた。

「美味しそうな匂いだね」

「ふふ、芋を茹でるような下々の料理でしてよ」

「それは羨ましい限りで」

「まだ出来上がるまでにはもう少し時間がかかりますけれど、召し上がっていかれます?」

「ありがとう。何か手伝おうか」

「いやだわ。だから、座ってらして」

 

 結局用意をするレオネを眺めてすごした。

 すぐに用意は進み、窓辺の小さなテーブルにシチューとパン、サラダ、何か美味しそうな和物、ピクルス、チーズが並ぶ。それから、大人の嗜み程度のワイン。

 ナインズは彼女の料理も随分久しいなと思った。

 二人は窓の外を眺めながら食事をした。

 

「──それで、このような時間に何か?」

「あぁ。乗合馬車(バス)に乗りに行く日にさ。ご両親の所も行きたいと思って」

「まぁ……よろしいの……?」

「うん、まぁ外にいる間は幻術付きでね。羽隠したりさ」

「ありがとうございます。ちなみにわたくし仮面は必要ありませんので」

「ははは。そうだね。それで、流石に外に行く前には、大神殿にお披露目しておかないとちょっと神官達に申し訳が立たなそうで」

「当然のことですわ。よろしくお願いいたします。大神殿の者達もお心遣いに感謝していることでしょう」

 その物言いはいまだに最高神官長のようだ。

「悪いね。退職──というかいわば殉教したはずなのにさ」

 最高神官長として生き、最高神官長として死に、それでもなお大神殿のために働かせることになるとは。

 

「わたくしは今もナインズ殿下に仕える神官でしてよ。気になさることなんて一つもありませんわ」

「ローラン元最高神官長はそう言うと思ったよ」

 

 レオネはおかしそうに笑い、ナインズはうっとりとそれを眺めてから、そっと席を立った。

「ワイン、もう少しお持ちします?」

「いや、君はそこに座っていて」

 ナインズはレオネの前に跪き、ずっと昔に渡そうと思って作っておいたものを無限の背負い袋(インフィニティハヴァサック)から取り出した。彼女の復活の時には、部屋中に散らばり、絶対に誰も触るなと言っていた彼女との思い出の物の山の中にあった──数え切れない守護の魔法の込められた指輪。

「ご両親と会う前に──もう一度言わせてほしい。レオネ、僕は君の望む全てを君が手に入れられるようにするよ。君の幸せのために奔走する。君の人生の何も邪魔しない。だから、レオネ。私の愛を受け入れ、私の妻になってくれないか……」

 レオネはハッと口に手を当てると椅子から降り、ナインズの前に座り込んだ。見下ろすことなどできないとでもいうように。

「あなたが……それで幸せだと思ってくださるなら……どうか、どうかわたくしをあなたの隣に置いて……」

「ありがとう。本当に」

 金色の花の中心に透き通った大きな石が埋め込まれた指輪が通される。レオネはナインズに縋り付いて泣いた。

 ナインズはかき抱いた彼女にキスをした。

 全てが落ち着くと、二人は肩を寄せ合ってまた食事をした。

 

「──美味しいね」

「ありがとうございます」

「また来てもいいかな」

「どうぞいつでもいらして」

「ありがとう」

 

 食事も済むと、ナインズはレオネの額に口付けを送り今日のところは第九階層へ帰った。

 彼女があまり気を使わないでいい住処があるとしたら、天空城かなぁとか、第六階層の家を大きくするかなぁとか、第九階層になんとかして住んでもらえないかなぁとか考えながら。

 

 それから段取りが済むと、レオネは目一杯着飾り立てられて大神殿に行った。

 職務に殉じて亡くなった元最高神官長の帰還を皆喜んで迎えた。

 人間から天使へ引き上げられた聖書にも残る彼女を、誰もが神聖なものとして扱った。

 翌日から毎日大神殿にまた働きに出るようになると、神官達にローラン聖下と当たり前に呼ばれ、ナインズは「僕の妻になるのにローランって解せない」とこぼしたらしい。だが、アインズ・ウール・ゴウンの名を冠することだけは固辞するレオネは「じゃあ、レオネと呼んでもらうわ」と言い、ナインズは「レオネをレオネと呼ばれたくない」とまためんどくさいことを言ったらしい。

 

 お披露目の後、二人は乗合馬車(バス)に乗った。

 そして、若く亡くなった事が吉と出たか──

「レオネ……」

 レオネの父と母は、もう霞むようなよぼよぼの目からたくさん涙を落とした。

「レオネ、本当に、本当に良かった……。殿下、ありがとうございました……」

 安楽椅子に座ったまま、腰の曲がったレオネの父は深く頭を下げた。

「あぁ、レオネ……よく見せて……」

「はい、お母様……」

 伸ばされた母のしわしわの手を取り、それに顔を擦り付けて、レオネもやはり涙を落とした。

 そして、レオネとレオネの指におさまる指輪を見てレオネの母は微笑んだ。

「あぁ……レオネ……なんて綺麗だこと……。七十三で、あなたようやくお嫁に行ったのね……」

「お母様、わたくし……わたくし……」

「えぇ、えぇ。幸せにおなりなさい」

 ナインズもそのそばに膝をつくと、レオネの母の手を取った。

「きっと幸せにします。永遠に終わらない幸せを。ずっとお待たせしてしまって……すみませんでした……」

「……子に先立たれたと思った時は、胸が張り裂けそうでしたわ……。この子はどれほど働いたのだろうと……。けれど、お待ちいただいたのはこの子の方。本当に長い間この子のやりたい事を見守りお待ちいただいた……。だと言うのに、最後の最後にも、このようなご温情に恵まれて……。この子よりよほど良いお嬢さんはいくらでもいたでしょう……。本当にありがとうございました……」

「僕にはレオネしかいなかった……。ずっと、ずっと。僕の方こそ、ありがとうございました」

 レオネは親とナインズのやり取りにまた涙を落とした。

 

 その後も、レオネは時折実家に帰った。

 ナインズの老化遅延の儀式魔法を受けた両親は他の人たちより長生きをした。

 たくさんの祝福に包まれる花嫁姿も見ることができた。

 七十三にもなってそんなんじゃあ愛想を尽かされるなんてまた娘時代のように小言を言われたりすることも心地いい。

 

 そうして、今際の時には父のことも、母のことも看取ることができたらしい。

 

+

 

「すっかり元通り──いや!前よりいいんじゃないか!レオネ!」

 寿命の長いワルワラが酒気に顔を真っ赤にして言う。あの頃よりは大人になっているが、この男、ほとんど見た目は変わっていないようだ。彼らは大人の時代が長く、老いの時間は短い。街中でだるだるの乳を揺らす老婆がいない理由はそれだ。

「その背中も色気がある」

 レオネは自らの背についた真っ白の翼で恥ずかしそうに顔を隠した。

「……もうおばあさんなのに色気なんて嫌だわ、バジノフ大司教様。中身はあのままですのに」

「あぁ?他人行儀だなぁ。ワルワラで構わないぜ。それとも、俺もまだローラン元最高神官長かローラン聖下って呼んだ方がいいのか?それとも、大天使ローラン?」

「あら……そうですわね。レオネで結構でしてよ。ワルワラさん」

「その見た目ならこの方が落ち着くな。──なぁ、若返るってどんな気分だ」

「そうですわねぇ……。体の重さとか、朝早く起きすぎてしまう感じとか、トイレの近さとかがなくなりましたわね」

「……お前、ほんとにばあさんだったんだなぁ……。なぁ、ナインズ殿下」

 二人の様子を見守っていたナインズはワルワラの向かいで酒を口にすると笑った。

「ははは、本当におばあさんだったね。──それより、僕もいつもみたいにキュータなのかスズキって呼んでよ。なんでいきなり殿下なのさ」

「お前の役職はちょっと特殊だから元最高神官長の前じゃさすがに敬意がいるかと思ってな。怒られたくない」

「良いよそんなもん。二人の方がよく働いてんのに敬意なんか払われてもむず痒い」

「ははは!謙遜して!」

 

 三人で笑っていると、ふと部屋の向こうからぺたぺたと足音がしたと思うと──

「おじいちゃん〜」

「あ?シーヴェ、起きたのか。もっかいねんねしてこい」

「ねんねできない〜」

「でもばあちゃんもいるだろ」

「おばあちゃんは魔法かけてくれない」

「……やれやれ。ファーが一番覚えなきゃいけなかったのは<睡眠(スリープ)>だったか。──少し行ってくる」

「いってらっしゃい、おじいちゃん」

「ん」

 ワルワラは眠そうな子供を担ぎ上げると部屋を去って行った。

 

「いいおじいさんですわね。子供の寝かしつけって、大変でしょう?聞く話だと」

「そうだね。ファーも長男のお嫁さんも助かってるんじゃないかな。ファーには<大治癒(ヒール)>掛けてあげたけど、腰も少し痛むようになってきたって言ってたし」

 ファーは純粋な人間なので、ワルワラがあの調子でもファーには老いが追いついている。他界する前のレオネと同じようにしっかりと。人間よりもハーフの遊牧民が、遊牧民よりも魔人(ジニー)が寿命が長いこの場所では普通の光景だ。

 

「わたくしのこの姿を見てあんなに怒ったのはファーが初めてでしたわ」

「ははは。レオネは綺麗だから」

「綺麗とかじゃなくて、痛みと重みのない体を羨んでましたのよ」

「いいや、君は皆嫉妬するほど綺麗だよ」

「もう、酔ってらっしゃるわ」

「事実さ」

 ナインズはレオネの顔を包むと額に口付けた。

 

「──そこは口にキスするところだろうが」

 とかなんとか言いながら、ワルワラは早々に戻った。

「もうレオネは気にしないんだろう?それとも口はしたくないのか?」

「いいや、したいよ。でも、こんな所でしてタガが外れたら嫌だろ。こないだ結婚を受け入れてもらってキスしたらちょっとヤバかった」

「……何をおっしゃってますの」

「おばあさんだから口はダメって断られるようになったとか何とか落ち込んでたと思ったら、今度はそんな事言ってんのか。つまり、まーだ抱いてないわけだな。お前は」

「ふふ、このレオネを穢せる勇気がある男なんかいるかよ」

 ナインズは機嫌良さげに手元のブドウを食べると転がった。

「……あなた方、いくらわたくしが老婆だとしても男性の話は男性だけの時にしていただけます」

「まあそう言うな。レオネ、お前はいいのか?子供は欲しくないのか?」

「──それは気になる」

 途端に起き上がる。ナインズは顔を赤くするレオネを見た。

 

「……わたくしは……わからない……」

「何だそりゃ」

「殿下には御子を持って欲しいとは常々思ってきましたわ……。昔、殿下は愛する者と子を持つ以上のことがあるのかとも仰いましたし、子を抱かせて差し上げたい。でも、何より尊い御子を宿すのがこのわたくし何かで良いのかと言うことや……子を持つことで、わたくし自身が変わらずに殿下が美しいと思える祈りを捧げられるのかと言うことが……わからないの」

 じっと話を聞いていたナインズは何度も見てきたレオネの思い詰める横顔を撫でた。

「……レオネ、僕は産んでもらうなら君がいい。君以外考えられないからここまで来てることを理解して僕を信じて欲しいし、君も私を夫にすると婚約を受け入れてくれたのなら、もうそういう思いは捨てて欲しい。でも、君自身が産みたいかが一番大事だからね。本当に君には好きに生きて欲しい。結局君は毎日聖書を書いたり大神殿に仕事に行ったり忙しくしているし」

 レオネが言い淀み、悩み、自分で自分のことがわからないでいると、ワルワラが翼の生えたレオネの剥き出しの背をつるりと撫でた。

「っぁん!な、なんですの!?」

「ふむ、感度はばあさんじゃない。ファーじゃこうはいかないぜ?十分孕める」

「ワルワラ、次やったら多分君の腕を吹き飛ばす」

「……まじの目で言うなよ」

 

 レオネはため息を吐くと部屋から外に繋がるプールに降りた。サギも粘体(スライム)も寄ってくる。

 この体になってから生き物に好かれるようになった。

 冷たい水が皮膚を包むが、エリュエンティウから引き上げた魔法の装備は一滴も水を吸わなかった。

「──抱くの抱かないのなんて嫌だわ……。おばあさんだってレディだもの」

 サギはレオネの羽をつついて鳴き声を上げた。

「ふふ。あなたもそう思って?それに、わたくし産まないと決めて何十年も経ってしまったんだもの」

 祈りが濁ってしまうとしたら、子供を持つことが怖い。

 産んで、その子の幸せを祈ってしまうことで、ナインズの休まる祈りが減ることが怖い。

「……分からないことだらけ」

 粘体(スライム)をすくっては水に落としていると、プールの縁にナインズが立った。

 

「レオネ、悪かったね。そろそろ帰ろうか」

「もうよろしいの?」

 手を引かれて水を上る。

 ワルワラは随分酔ったようで、うとうとし始めていた。

「──ワルワラ、今日は楽しかったよ。また遊びに来て良いかな。次は一太も」

「あぁ、いつでも勝手に来い。俺は大抵ここで酒盛りしてる。今日は一郎太に会えなくて残念だったな。あいつも州のことが忙しいらしい」

「そうだね。じゃあ、次は近々」

「あ、女を抱いてる時はこの部屋にいないからそこだけ気をつけろ」

「やれやれ、ファーもいるって言うのに」

「人間と結婚した魔人(ジニー)魔人(ジニー)の混血の普通はこう言うもんだ」

「はいはい。じゃあ、またね」

 よいしょ、とワルワラは姿勢を正すと一度膝をついた。

「御前失礼いたします。ナインズ殿下、ローラン元最高神官長殿」

「失礼致します。バジノフ大司教様」

「大司教、スルターンを頼む」

「は!」

「<転移門(ゲート)>」

 

 頭を下げた体勢で二人を見送る。ワルワラは転移門(ゲート)が閉じるとまた転がった。

 

+

 

 レオネはブランコをふぃんふぃんと漕ぎながら平和な世界を見渡していた。

 そして、君自身が産みたいかが一番大事だからねというナインズの言葉を何度も心の中で繰り返す。

 この長い人生、本当にたくさんのことがあったが、そのほとんどがナインズと共にあった。

 自分がやりたいとハッキリと思ったことはたった三つしかないかもしれない。ナインズが美しいと思う祈りを捧げ続ける、ナインズの幸福のために奔走する、人々を救う。

 レオネは人生を振り返るように目を閉じた。

 

 

【挿絵表示】

 

 ──十九才、卒業の時。

 キュータを名乗るのももうこれでおしまいねと言ったレオネからはぼろぼろ涙が落ちた。

 自由だった時間の終わりに、キュータはレオネを抱きしめ、いつもと変わらない様子で言ってくれた。

『レオネ、君が好きだ。私の妻にならないか』

 ──レオネは言葉を尽くして断った。

 キュータは『道が別れても、君の人生が祝福されたものである事を、心から祈っているよ』と背を向けた。

 その日から数日はもう何も喉を通らなかった。

 なんでこんなに自分は頑固なんだろうと泣いた。

 初めて法衣に身を包んで大神殿に着任した日、ナインズも歴史の表舞台に立つと神々に連れられて大勢の神官達の前に姿を現した。

 神の子として着飾った彼は信じられないほどに美しく、開かれたその金色の瞳の深さに、あの貯水池を思い出した。

『私には神官も神殿も必要不可欠だ。お前達が私のそばにいてくれることに心からの感謝を』

 神官達がごくりと唾を飲み込み、硬い決意と忠誠を胸に彼を見上げた。

 一番反応を見せたのは魔導学院の信仰科上がりの者達だった。

 やはり、あの存在はレオネが手に入れるようなものではないと確信した。

 奇跡の三年間に感謝し、レオネは真っ直ぐ働いた。

 そして、おいそれと会うこともできなくなって三ヶ月、書類を抱えて大神殿の中を駆けていると、グイッと腕を引っ張られた。

『ぇ──っン』

 柱の影に引き込まれるようにしてナインズに抱きしめられてキスをされた。

 レオネは彼の伏せられた銀色のまつ毛を見ると、帽子がパサリと落ちていくのも気が付かないままに瞳を伏せた。

『──っは、はぁ……はぁ……あの……で、殿下……』

『──レオネ、ちゃんと休んでる?』

『や、休めてます……』

 ナインズは微笑むとレオネの顔中にキスをし、人の気配がしてくるとレオネを離した。

 帽子を拾って渡してくれる。

『あ、ありがとうございます。殿下』

『気にするな』

 ナインズはクリスを連れて去って行った。

 レオネは自らの唇に触れ、ハッとすると仕事に戻った。

 家に帰ると、手紙が来てたと母に言われた。

 卒業からたった三ヶ月だが懐かしく感じてしまう筆跡のそれを開く。

『僕の恋人へ。週末予定がなかったら、君に僕の時間を捧げたい。天空城に遊びに行こう。この誘い方は君の気にいると嬉しいな。──遠くより、君のキュータ』

 レオネはそれをギュッと抱きしめると泣いた。

 

 二十才、大神殿にも慣れてきた頃。

 苦痛に身をかき抱くようにするナインズの姿があった。

 神官達が心配して玉座を運んでくる。

 レオネは居ても立っても居られずにナインズへ駆けた。

『どうされたの!?何があったの!?』

 ナインズの怒りの瞳がぞろりとレオネを捉え、レオネは『ひ』と一言漏らすと後ずさった。

『今の私に触れるな!!私は戦争を──虐殺をしてきたんだ……!!』

『キ──殿下……』

 周りの神官達が慌てて水やら何やらを出し、『どきなさい!』と下っ端神官だったレオネを大神殿に新しくできた神座の間から追い出した。

 週末、久しぶりにレオネの家に迎えにきたキュータは疲れた顔をしていて、天空城に着くとその辺で転がった。

『……僕は父様や母様みたいになれないみたい』

『あなたなりでよろしいわ……。キュータさん……』

 頭を撫で、聖歌を捧げ、口付ける。

 キュータは『君がいないと神様でいられない……』とレオネに縋った。

 

 二十一才、学院の最後の後輩が大神殿に入った頃。

『あの、ローラン先輩』

『なぁに?』

『スズキ首席──様と、付き合ってらっしゃいましたよね……?』

『えぇ、それが何か?』

『……すごい。すごすぎます……』

『──わたくし、たまに勘違いされますの。何もすごくありませんわ。ただ、キュータさんの腰掛けだっただけですもの。それじゃ』

 レオネは足早にそこを去った。

 

 二十二才、父が境の神官長になった頃。

『本当は私なんかより娘の方がふさわしいんですが……』

 父が恐縮すると、レオネは周りの神官達の目の中ぶんぶん首を振った。

 ナインズを見かけることはあっても、キュータにはしばらく会えていなかった。

 

 二十三才、大神殿に近いところで一人暮らしをすることを決めた頃。

 キュータは危ないから実家にいなさいとか、それが嫌なら神官達が寝泊りをする修道院はどうなんだとかなんとか言ってわたわたしていた。

 大丈夫だから引っ越したら遊びに来てと言った時のあの顔ったら。

 荷物がすっかり片付くと、皆が遊びにきてくれて、キュータはどっさりの食べ物を持ってきてくれた。

 いつも心配症で、食べてるのかとか、寝てるのかとか、親のように言っていた。

 そして──お互い休みの日には月に一回程度でも遊びにきてくれた。

 レオネの作る食事を美味しいと笑って食べてくれるのが嬉しくて、レオネはたくさんのレシピ本を買った。

 

 二十四才、一人暮らしにすっかり慣れた頃。

 寝不足だった。

 レオネが週末の誘いを断って昼寝ばかりしていると、いつの間にかキュータが来ていて、食事を作ってくれていた。

『い、いつから?』

『さっきだよ。よく寝てた。疲れてるんだね』

 レオネはだらしない自分を恥じて働こうとした。

 キュータは『座ってな。大したもんじゃないけど、ほら、お食べ』

 差し出されたオムライスはなんだか泣けるくらい美味しくて、レオネはキュータにあーんしてもらって食べた。

 

 二十五才、ロランが花束を持って訪ねてきた。

 目をぱちくりさせていると、『僕に君の残りの人生を癒させて欲しい!』とそれを差し出した。

 レオネはそっとそれを返し、ロランに謝罪をした。

 そして神官として祝福の口付けを送った。

『さよなら。良い人を見つけて』

 ロランは泣いて帰った。

 その晩、家にキュータが来た。

『レオネ!』

『キュータさん』

 レオネをかき抱き、キュータは何度もレオネに謝罪した。

 自分とのこの良い加減な関係のせいで君の人生を滅茶苦茶にしていると。

 レオネは『あなたって言う恋人がいなくても、わたくし断ってたんだから。自意識過剰だわ。わたくし殿下のために生きているんだもの』と笑った。

 その晩、ロランを祝福をした唇はキュータにずっと触れられていた。

 

 二十六才、リュカとイシューが結婚した。

 いつからそんなと皆笑ったが、どうもロランが振られたと言った去年からのようだった。

 イシューは『キュータと結婚したかった』と涙目でキュータを見上げた。

 キュータは瞬くと、イシューの額に口付けた。

『君がお嫁さんなんて、リュカが羨ましいよ。どうか幸せにおなり』

 イシューは長かった恋を卒業した。

 

 二十七才、境の神官長補佐に選ばれた。

 レオネは境の神官長の父のそばでたくさんの祈りを捧げた。

 それから、アナ=マリアがカインと結婚した。カインは自分の母と違って静かな女性というものに憧れ続けていたらしく、よくアナ=マリアを慰めていたらいつの間にか、という感じだったらしい。

 アナ=マリアは『……キュータ君、レオネを幸せにして』とキュータの唇にキスをした。

 

 二十八才、ロランが結婚した。

 相手は昔同じ薬学科だったレイ・ゲイリンだった。

 レイはロランを学生時代からずっと支えていたそうで、ロランはレイに告白されると『待たせてごめん……!待つ辛さを知ってたのに……!』と受け入れたそうだ。

 レオネは彼らの式で聖歌を歌い、二人が永遠の愛を誓うことを尋ね、ロランが頷くと微笑んだ。

 式にはアガートが来ていて、レオネは懐かしいと二人で話をした。

 彼女は実家の薬草園を継いだらしく、ロランとレイの治癒工房に薬草を卸しているらしい。

 キュータを見る目はまだ恋をしていた。

 

 二十九才、神官達からの推薦もあり、父から境の神官長の座を譲られた。

 二十代で神官長なんて務まらないと実家で散々言ったが、『お前がやらないで誰が境の神官長をやるんだ!!それとも殿下のために働けないとでも言うのか!!不敬者!!』と父に怒られた。

 着任式ではナインズがレオネの額に祝福してくれた。

『──君が私の片腕として神官長になってくれて嬉しい』

 レオネは境の神官団を導いた。

 

 三十才、大きな戦争があった。

 境の神官長として、光の神官長、闇の神官長と共に出かけた。

 神王陛下と光神陛下の凄まじい力を目の当たりにし、レオネは腰を抜かした。

 久しぶりに迎えに来てくれたキュータに話をすると『あの人達は化け物だよね』と笑った。

 

 三十一才、多忙を極め大神殿で倒れた。

『レオネ!レオネ!!』

 回復室で目を開けると、ナインズがしばらく見れていなかったキュータのような顔をしていた。

『殿下、失礼いたしました』

『──お前を境の神官長から解任させるな!!』

 深々と頭を下げ、周りの神官達からの視線に少しの居心地の悪さを感じた。

 

 三十二才、すっかり境の神官長としての仕事にも慣れ、ようやく神官長が板についてきた頃。

『少しは休め。ローラン神官長』

『休んでいますわ。心配されないで。それより、ナインズ殿下こそきちんと休まれて』

『……じゃあ、私の休憩に付き合ってくれ』

 ナインズに手を引かれ、二人大神殿の中庭に入る。

『あの、わたくしまだ職務が』

『わかっている。だが少しくらい私の休憩に付き合ってくれても良いだろ』

『……ありがとうございます』

 二人木陰に座る。レオネは繋がれたままのナインズの手のあたたかさに心を寄せた。

『……一日中、君は立ちっぱなしじゃ無いか』

『任せていただけるって、ありがたい事ですわ』

『──レオネ、少しは自分も大切にして。お願いだから』

『大丈夫。キュータさんも自分を大切にされて』

『……僕は自分のことばっかりだよ』

 ナインズはレオネから帽子をそっと取ると、その額に口付けを落とした。

『──ナインズ殿下、祝福に感謝いたします』

『……もう少し休んだら行こう』

 

 三十三才、スルターン小国にワルワラが大司教として立った。

 祭典に出席すると、ワルワラはあの放埒さを隠し、光の神と闇の神、それからナインズに跪いた。

 スルターン小国の()()()は加速した。

 

 三十四才、ナインズに手を引かれ第五位階に届いた。

 レオネに癒せないものはほとんどなくなっていた。

 キュータは『やっと少し安心できそう』と笑った。

 位階が上がったこともあり、平日は僻地や地方からの要請に応え、駆けずり回るように過ごした。

 ナインズを手伝い人々を救いたいと思っていたことがやっと叶ったとレオネは本当に嬉しかった。

 

 三十五才、キュータの若々しい見目に少しの負い目を感じた。

『……わたくし、もうキュータさんの恋人なんて言えないわ』

『な、なんで?──は……ついに誰かと結婚する?好きな人ができた?』

 レオネは『だから違いますって!』と笑った。

 確実に自分が若者じゃなくなっていることを実感すると言ったら、『……私の魔法を受け入れてくれ。老いを遅める』なんて真面目に言われ、『老いだなんて、そんなにおばさんじゃありませんわ!』とぷんぷん怒った。

 その頃にはもう友人達の子供が少しづつ大きくなってきていた。

 

 三十六才、最高神官長が倒れ、思いもしなかった指名を受けた。

 次の最高神官長に、こんな若輩者が。

 レオネは恐れ多いと辞退していたが、神王が『──やるといい。何を迷うことがある。お前の導く大神殿が必要になるだろう』と告げた。

 レオネは全てを受け入れ、最高神官長になった。

 

「──ローラン最高神官長!また君は休みもしないで!神殿内にイツマデがあんな風に待機してるなんて前代未聞だ!!」

「あら、殿下。ふふ。嫌ですわね」

 イツマデ達は毎日遅くまで居残る最高神官長をいつでもせっつけるようにもはや待機していた。

「はぁ……。今日の仕事はここまでにしなさい」

「ですが──」

「ですがも何も無い。ほら、早く」

 レオネが渋々全てを終わらせると、二人はそっと手を繋いで神官すらまばらになった大聖堂に出た。

 一番前の席に座る。

 

「……ここに座ると、最高神官長などと呼ばれていても、わたくしはやはりただの信徒の一人に過ぎないと思わされますわ。神の御技で生み出されたこの大神殿も、大聖堂も、全てがわたくしをちっぽけだと思わせるの」

「そう思うなら、あまり一人で背負い込もうとするんじゃない。君も一人の人間にすぎない」

「……そうですわね」

 レオネは帽子を脱ぎ、胸の前で手を組んだ。

 

「……自分の幸福も祈れと言っているのに」

「もう聞いてらっしゃるの?」

「私はいつでも君の声を聞いてるよ。透き通った君の声を」

 肩に手が回り、そっと引き寄せられる。

 レオネはナインズの肩に頭を預けた。

 

「……透き通ってなんかいないわ。殿下とキュータさんのことを考えてばかり」

「……それはやめておいた方がいいね。君の幸せを僕も母様に祈ってる。君は君の人生を生きなくちゃ」

「わたくしの人生は神々のためにありますわ。わたくしは全てを御身と御方々に捧げてる……」

「そんな事を言わないで……。はぁ……。恋に落ちた男の一人や二人、君にもいただろうに」

「……いましたわ。六つから十六になるまで、夢中で恋をしてた」

「え?知らなかったよ。そいつはダメなのか?」

「恋人よ。初恋なの。いいでしょ」

「……それ、キュータ・スズキとか言うやつじゃないの」

「ふふ、素敵な人よ。別居してるたまにしか会えない内縁の夫だと思ってるの」

「──僕も別居してる内縁の妻だと思ってるよ。レオネ、愛し──」

「言わないで」

「君はどうしても言わせてくれないね」

 ナインズは静かにレオネの額に口付け、その頭に自身の頭を預けた。

「レオネ、僕は君の安らぎをいつも願っているからね」

「……この時間は安らぎますわ。ありがとう……」

 

 四十代になった頃。

「もうキスもおやめになって」

「え……。素直に悲しいな……。男ができたわけじゃないんだろう?」

「……だとしても。もうわたくし達、側から見たら下手をすれば親子だわ」

「失礼な。僕も何か──そうだ。幻術で良さそうな顔でも作るか」

 キュータの顔や手が変わると、レオネは笑った。

「それ、よろしいわね」

「ふふ、気に入ったようで何より」

 キュータはレオネの額に口付けた。

 

 五十代になった頃。

「殿下。そろそろ本当にどなたか見つけられなくては」

「私はもう見つけているよ。ローラン、そろそろ諦めて私を受け入れてくれないか」

「もうわたくしなんかおばさんですわ……」

「こんなに綺麗なのに何を言っているんだか」

 ナインズはレオネの髪に口付けた。

 

 六十代になった頃。

「──老いを遅らせる魔法はどうしても使いたくないのかい」

 レオネは静かに頷いた。

「良いのです、殿下。わたくし達神官は光神陛下の祝福のみならず、神王陛下のお力でさえ受け入れております。もちろん、老いを遅らせる特別な方々──カルカ・ベサーレス様のように光の象徴となる方も。けれど、わたくしは与えられた生をありのまま生きてみようと思います」

「そうか……。君がそう決めているのなら、私からこれ以上言う事はないよ」

「ありがとうございます」

 

 七十代になった頃。

 体に想像以上のガタが来ていた。

 

「あぁ……あなたには、これをお返ししなくては」

 今際の床でレオネは娘時代に受け取った魔石をネックレスにしてくれたものを取り出した。

「ありがとうございました……。わたくしはこれのおかげで、いつでも御身に見守られていたように思います」

 そっと、皺枯れた手でナインズに握り込ませる。

 ナインズはその手に口付けを落とし、笑った。

「まさか本当に返されてしまう日が来るとは思わなかった」

「……大切な……神々の地の……──あぁ……もう、ゆきます……」

「ローラン、疲れたろう。君は少し働きすぎたんだよ。ありがとう。君の祈りは──最後まで透き通っていた」

「……ナインズ殿下……殿下の幸福を──わたくしは……いつまでも──」

「……ありがとう」

 

 ──神王陛下。死と共に永遠になるのなら、この祈りもどうか永遠に──

 レオネの最後の祈りが流れ込む。

 

「──ローラン最高神官長、せめて言わせてくれ。ずっと愛していた。愛していたんだ」

「……あぁ、殿下……。わたくしも……六つであなたに恋をして──十六であなたを愛して──以来、ずっと……愛しておりました……」

「ありがとう……。私は君の愛に救われ続けてきた。──愛している、これからも、きっと君だけを」

「……ナインズ殿下……。あなたのおかげで……わたくしは本当に……幸せだった……。……あぁ……次に生まれてきたら……きっと……二度とあなたを一人には……」

「ローラン……。……ローラン?」

「……次は……きっと……キュー……タさん……」

 

 ──光神陛下。もし与えられるのであれば、次はどうか、この方と共に──

 

「嫌だ……。嫌だ……レオネ!次なんか、次なんか!!僕は本当に君が必要なんだ!!僕は君しか見てこなかった!!君をこんなに愛しているのに!!やっぱりもっと早く伝えれば良かった!!君を引きずってでもナザリックに連れて行って……君を閉じ込めてしまえば良かった!!次は私と共に生きるなんて祈るくらいなら、何故早くそう言ってくれなかった!!そう祈らなかった!!何故私に命を止めさせなかった!!レオネ!!君の生を、君自身の生を……僕は……僕はぁ……!!」

 

 ナインズが苦しみに叫ぶ。レオネは老いた両親すら見守る中、ふっと息を引き取った。

 美しく微笑んだままのレオネに涙が落ちていく。

 あまりに悲痛な背中に皆部屋を後にした。

「……レオネ……君の全ては……私に必要だった……」

 ああ、せめて子を残してくれていれば。その子に何かしてやれたのに。

「私は、君に何もしてやれなかった……。君は黄金の祈りを捧げ続けてくれたのに……」

 ナインズはレオネの老いた身に縋るように泣いた。

 全てが遠く感じる。

 その後、国葬となる最高神官長の身は清められ、彼女が生前儀式の時に纏っていたローブと共に美しく飾り立てられ、彼女は花に包まれた。

 

 

 

 レオネはナインズの最後の苦しみの叫びを最後までは聞けなかった。

 

 

 

 ブランコの上で聖歌を歌っていると、水を誰かが進む音がして振り返った。

 

「──おかえりなさい」

「ただいま、レオネ」

 パシャンッと水の中に降りたレオネを、ナインズは愛おしそうに抱きしめた。

「今日の君は何をして過ごしていたの」

「思い出しておりました。あなたとの全てを」

「ありがとう。おいで、アルバムを持ってきたよ」

「嬉しい、ぜひ見させて」

 手を引かれて湖を上がろうとしたが、レオネはふと足を止めた。

「……ねぇ……わたくし、子供を持ってもあなたの思う美しい祈りを捧げられるかしら……。あなたが休まる時間を減らさないかしら……」

「……僕達の子のために祈る言葉が美しくないわけがないよ。──それに、きっとその子のための祈りは僕を癒す」

 

 レオネは「それなら……」と蓋をし続けてきた思いを開いた。

 一生懸命紡がれる言葉に、ナインズは誰よりも優しい瞳をして耳を傾けた。

 彼女からの告白が全て終わると、ナインズの瞳からぽつりと一つ涙が落ちた。

 

「──ありがとう」

 

 二人は柳の下でキスをした。

 

 ──全ては遥か遠い未来。




まじで幸せになれ……まじで……(´;ω;`)
でも、「せっかくの死後なのに」ってナインズ君w
学院の二人が出来上がったぞ…えもーしょのー

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黒髪はこちら

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それから……誰が誰だかわかるかな!?

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次回明後日!ReLesson#40 幕間 穏やかな国の場合 前編

はい、ここでハッピー裏閑話挿入します(?
'00:10以降に更新されます!
⑨裏閑話#41 未来の二人R18
https://syosetu.org/novel/195580/42.html

近々こうなるの?

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Re Lesson#40 幕間 穏やかな国の場合 前編

『──あっちだ!!あっちへ逃げたぞ!!』

 

 森を走る。

 王女リーゼロッテ・イコレット・マキャベリは背にかかる恐ろしい声を物ともしないように叫んだ。

「急げ!!一人も欠けるな!!」

 振り返るリーゼロッテの後ろには数えきれない配下の騎士達。

「姫様!!伏せて!!」

 頭を押さえつけ、騎士のベアトリス・ウエルタが言う。

 間一髪のところでリーゼロッテの頭上をヒュンと矢が過ぎて行った。

 そして、前を走っていた騎士の首の付け根に矢は突き立った。兜から垂れる鎖かたびらでは守りきれなかった。

 その瞬間、騎士は倒れ血を吐いた。

「っぐぅ……!」

「大丈夫か!!リンドブラン!リンドブラン!!」

「だ、大丈──っゴブ──大丈夫です!!姫様、早ぐ!早ぐお逃げくだざい!!」

「置いていかれるか!!」

「姫様!!お早く!!」

 リーゼロッテはまだ十ニにも満たないような幼い騎士見習いに背中を押されると、ギュッと涙を払った。

 

「──ックソ!!」

 

 

+

 

「神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国……?」

 

 ラ・オーケルベリ王国にその使者を名乗る冒険者が来たのはわずか三ヶ月前の事だった。

「えぇ!全種融和を唱える神の国です!」

 明るく未来を語るその男達はとても嘘を言っているようには見えなかった。

 

「国交を開いていただけるとは有り難い申し出。我らがオーケルベリは絹と染色に関して右に出る国はあるますまい。して、どちらから?」

「はい!地図がこちらに!」

 有能なマキャベリ王はその地図の示す遠さと、広さに目を見開いた。

「こ、これほどの国が?」

「えぇ!なんと言っても、神の国です!」

「ありがたいものです。末長く共に栄える日を楽しみにしております。──周辺の地図をお渡ししろ。書状をしたためる間、使者の皆様を部屋へお通ししてお待ちいただけ」

「は!冒険者の皆様はこちらへ」

「ありがとうございます!」

 

 冒険者達は「これで俺たちも地図に名を残すなぁ!」と笑って去って行った。

 リーゼロッテはマキャベリ王の下へ行くと、地図を覗き込んだ。

「それほどのもので?」

「すごいなんてものではないよ。どんな王陛下がいらっしゃるのか楽しみだね」

「──こんな国が存在するんでしょうか?」

 リーゼロッテが訝しむように呟く。

「ふふふ、地図は多少大袈裟に書いているかもしれないけれど、それだって立派なものだ。あの者達の様子がこの国が平和であると言っている。そうだ、舞踏会でも開こうか」

「私は踊りはあまり……。何かもっと良い方法はないのでしょうか?」

「そう言わずに。食事会では息も詰まろう」

「そうかしら」

「そうだよ」

 

 王の下に簡易の筆記机と一番上等な書状のセットが運ばれてくる。

 マキャベリ王は羽ペンを手にし──「私たちの字は読めないだろうがね」と苦笑した。

 地図は貰ったが、字は一つも読めなかったのだから。

「──だが、言伝だけで使者を返すわけにはいかないね。読解魔法が使える者がゴウン王陛下のそばにいるといいんだが」

 これほど大きな国で公用文字もあるとなると、普段はそばにそう言う係を付けていないという可能性は大いにあり得る。

 さらさらと美しい文字が連ねられていく。

 リーゼロッテは陽の光が存分に入るこの玉座の間で、優しい父王のペンが紙を引っ掻く音を幸福の中で聞いた。

 

 十六のリーゼロッテは王女と言うよりも、公爵のように白いパンツと白いナポレオンジャケットというさっぱりとした格好で、王の足下に座り、その膝に頭を預けた。

「舞踏会、本当にされるのですか?」

「するとも。その時には、リーゼロッテもちゃんと母様のように着飾るんだよ」

「……苦手だわ。私には似合わない」

「そんな事はないよ。私はリーゼロッテが美しく育ってくれることが毎日毎日嬉しいのだから」

「うふふ。お母様の方が美しかったわ」

 マキャベリ王は全てを書き終わると、ギュッと国璽を押して全てを置いた。

 インクが乾くまでしばらくはそのままにしておく必要があるので、誰も手紙をとりには来なかった。

 

「──面白い国が来たと報告に行こうか」

「えぇ。お母様は喜ばれるわ」

 

 手紙も乾き、筒状に丁寧に丸めて丸筒に封印される。

 冒険者達は「行って戻るのに時間がかかるので、……三ヶ月ほど見ていただけるとありがたく思います!」と丁寧に頭を下げ、オーケルベリの地図を手に帰っていった。

 

 厳しい冬に向かう王都。

 リーゼロッテは父と共に母の墓に花を手向けた。

 

「──お母様、今日は面白いことがあったのよ。ものすごい大国で、世界中を平和に導く神の国ですって。大袈裟でしょう?ふふふ」

「だって言うのにリーゼロッテはこんな格好で舞踏会に出るなんて言っているよ。困ったものだよ。君が居てくれたら、きっともっとお淑やかだったろうに」

 父王が笑い、リーゼロッテは寒さと恥ずかしさに少しだけ頬を染めた。

 そして、父の目から涙がポツポツと落ちていく。

「……君が居てくれたら……」

 リーゼロッテはそっと父の肩に触れると、見守る騎士達の下まで下がっていた。

 

「ベアトリス、父王陛下の愛の深さは変わらないわね」

 幼馴染の女騎士にそっともたれる。ベアトリスはリーゼロッテの髪を撫でた。

「正妃様のご崩御は突然だったそうでしたからね」

「えぇ……。私はまだ何も理解できなかった。今も覚えているわ。美しいお母様と庭で薔薇を摘んで、ふと力が抜けたようにお倒れになったあの日を」

 

 あの日を思い出しリーゼロッテが静かに目を閉じる。

 すると、木陰から「ふん」と笑い声がした。

 

「──セオドア」

 姿を現したのは父王の弟の息子。いわゆる、リーゼロッテの従兄弟だ。

 王弟の息子だが、公妾を持たなかった父と違い、公妾を持った王弟には早くから子ができていた。

 セオドアは二十一で、リーゼロッテより五つも年上だった。リーゼロッテが生まれるまで、彼は次の国王になるかもしれないと言われていたらしい。

「おめでたいな。墓参りなんかしている暇があれば、来たる大国に備えて軍備強化をするべきじゃないか」

「……平和な治世の国よ」

「全種融和か。──馬鹿げた話だ。ここは人が寄り集まってできた国。隣には山小人(ドワーフ)のランダルダ公国と、鼻持ちならない竜人達が統べるユルバーモン合州国が時に争いながら国を並べている。たった三国ですら融和など不可能だ」

「合州国とは半分融和していると言っても過言ではないはずよ。人と竜人の子が手を取り合って生きているんだから。私たちは愛で結ばれているはず」

「愛?バカげた言葉だ。生まれてくるのは人じゃなく力の強い竜人だ。静かなる侵略とも言える。彼らの気持ちは明らかに竜人なのだから、この国にとどまることもない」

 

 セオドアの肩に手が置かれる。

 

「やめろ、セオドア」

「……父上」

「優しい兄上もそうだが、リーゼロッテ様に血生臭い話は似合わない。──行くぞ」

 

 王弟はセオドアを連れて城の庭を去っていった。

 

「……ふん」

 

 リーゼロッテは騎士のベアトリスに寄りかかり、母の墓の前で小さくなる父の背を見守った。

 

+

 

「くそ!!何が優しい兄上だ!!私を優秀な兄の代替品だと思って!!」

 銀のグラスが叩きつけられ、ガシャンと音が鳴る。

 セオドアは父の小さくなりつつある背を眺めた。

「……父上、落ち着いてください」

「冷静だ!私は冷静だ!!お前こそ、黙ってリーゼロッテなんぞに王位を渡すつもりか!!」

「そうは言っていません。愛だの生ぬるい理想論を掲げる女に国は率いれない」

「ふふ、ふふふ。そうだ、セオドア!そうだとも!!」

 

 父はよほど酔っているのか、赤かったはずの顔は少し青くなり始めていた。

 

「舞踏会などくだらん!リーゼロッテ……!貴様も母と同じようにしてくれる!!……この機会はまたとない……!」

「──何をなさるので」

「うるさい!!お前はもう出ていけ!!」

 

 セオドアは美しく優しかった従妹の母を思い出すとフンと父から視線を外した。

 顔の横を皿が飛んでいく。

 

(──父上、あなたはそれだからダメなのだ)

 

+

 

 ナインズは鏡の前でメイド達に飾り立てられていた。

「──僕、これで正解なんだろうか?」

 腰にはすっかり馴染んだ聖剣(デュランダル)と杖。

「はい!なんと言っても新たに発見された国の舞踏会です!!」

 一つに結ばれた長い銀髪の根本には母の羽がいくつか差し込まれ、動くたびに光が落ちていた。額にはアインズ・ウール・ゴウンの紋章を模った大きな飾り。

「ここまですごいのはちょっとあんまり馴染みがないなぁ……。父様と母様の様子見てきてもいい?」

「参りましょう!」

 細身のパンツにジャケット、上から幾重にも着重ねたローブがなんとなく鬱陶しい。全ては魔法の装備なので、実際に動きに制約はないというのに。

 

 メイドが扉を開け、父の部屋に入ると珍しく香水の匂いがした。

 

「──父様ぁ」

「ん?どうした?」

 振り返った父は人の体で、金の飾りがたくさんついた銀色のマントをかけていた。これと見比べるとナインズの装飾は抑えられているかもしれない。

「うわぁ、父様って素敵ですね」

「……そうか。お前もそう思うのか。……私は派手じゃないか心配だ」

 呟く父にナインズはおかしそうに笑った。

「僕こそ派手で参りました。父様は似合ってるからいいけど、僕なんてシャツが一枚あればいいのに」

 いけません!!とメイド達からブーイングが上がる。立ち止まり隙を見せるとさらに手に指輪が増えていった。

「私もそれで十分だ。と言いたいところだが、侮られるようなことは本意ではないがな」

「父様はね。僕はあんまり困らない」

「やれやれ、できれば優良国家はお前に任せたいと言うのに。──フラミーさんはどうかな」

 二人でまた部屋を移動していく。

 

 いくつか扉を潜り、「どうですかー」と父が声をかける。

「はい!今日は久々に肌色ですよ!」

 ひょいと顔を見せた母は薄紫色のベールをいくつも重ねたようなドレスを着ていた。

「あ、アインズさん、おじさん顔にしなくていいんです?また若造って言われますよぉ」

 父を若造と呼んだ人がいたのかと少し驚く。

 アインズはおかしそうに笑った。

「ヒゲでも付けますかね?」

「良いかも」

「細かい調整が難しいから行きすぎないようにしないとな」

 

 父は骨に戻ったと思うと、ぽふんと音を立てて子供の姿になった。

 しゃがんで父のおでこをツン、と押してみる。

「……若造すぎません?」

「間違えた」

「アインズくんだねぇ」

 フラミーがよしよしとアインズを撫で、抱き上げる。アインズは嬉しそうに頷いた。

「もうこれでいくか。懐かしいな」

「若造すぎますって。ふざけてないで」

「ち、お堅いな」

 何度か人になっては骸になってを繰り返し、髭がある姿になると一度止まった。

「髪も伸びてますよぉ。ナイ君と親子感は出てますけど」

「……うーん、うまく行かないなぁ。若造って言われたら、こっちの若造(ナインズ)を全面に出す感じで行きましょう」

 ナインズの肩を叩き、父は結局いつもの姿になった。

「さぁて、じゃあ、私は天使出しに行ってきますねぇ」

 母の姿が消え、一行は出発した。

 

 天使の担ぐ輿の中に転がって到着を待つ。

 冒険者の引いた地図に従って、オーレオール・オメガが場所を探り、転移門(ゲート)を開いて近くまできた。

 ちらりと外を覗けば綺麗な王都だった。

(活気もあるし、これは確かに優良国家なのかも)

 隣合うらしい二つの国にも使者や冒険者は向かっていて、一気にまた国交が広くなりそうだった。

 神聖魔導国の旗を振ってくれているこの国の人々もいる。

 ここを一時拠点に定めて冒険する神聖魔導国の冒険者であろう者たちなんてとても喜んでいた。

「殿下ー!神聖魔導国バンザーイ!」と叫ばれ、手を振る。

 本当に良い国だった。

 

 ラッパが吹き鳴らされて王城に入ると、優しそうな王と娘が迎えてくれていた。

(マキャベリ王とリーゼロッテ姫殿下か……)

 父と母が降りるより先にナインズが一人輿を降り、王の下へ歩いていく。

 後をアルベドが付いてきてくれる。何かおかしければ、きっとそっと注意してくれるだろう。

「──王太子殿下か」

「えぇ、マキャベリ陛下。ナインズ・ウール・ゴウンです」

「よろしく。よく来てくれたね」

「よろしくお願いいたします。お招きいただき感謝しております」

「こちらは私の娘、リーゼロッテ。聞けば同じ年だと言う。仲良くしてやってくれるね」

「リーゼロッテです。よろしく、ナインズ殿下」

「よろしく、リーゼロッテ殿下」

 握手をしていると、後ろからデミウルゴスや父母も現れ、王同士でも挨拶を交わし、さらに宰相同士や御付き同士などで挨拶を交わして城へ入った。

 和やかな会話をして部屋へ向かう。

 

「──ナインズ殿下、あなたはいつもこうして外交について来ているんですか?」

 親や政治を預かり持つ大人たちから数歩下がって歩いていると、リーゼロッテに尋ねられた。青緑色の、夏の雨のような瞳をしていた。長い美しい金色の髪が揺れる。

「いえ、たまたまです。良い国だと聞いて。僕なんかで良いのか分からないんですけど、貴国との友情になるようにと父に言われて来ました」

「そう。私も父に任せきりでほとんど何もしたことはないです。いつもは騎士達と稽古ばかり。怒られたけれど、服もこの方が落ち着く。あなたは着飾り慣れているようだけれど」

 リーゼロッテは白いパンツと長いブーツで、男性の正装のようだった。

 

「僕もシャツだけで充分なんて言って、父から小言をもらいました。国同士はどうもこざっぱりと言うわけには行かないらしい」

「ふふ、私たち、意外に似た者同士ですね。ナインズ殿下は大国の方だと言うのに」

「国の大きさは関係ないですよ。僕なんかはいつもはただの学生ですし。リーゼロッテ殿下は?」

「リズで構いませんよ」

「リズ。僕もナインズで構わないよ」

「ありがとう、ナインズ。私は学校はもう卒業したの」

「早いんだね。僕はいつまでも学生でいたいよ」

「ふふ、同意よ」

 

 二人笑い合い親達の後に続く。

 用意されていた部屋に着くと、酒や軽食が出され、改めて挨拶をした。

 こちらからは神官団や漆黒聖典、紫黒聖典が紹介され、あちらからは政務に携わる貴族たちが紹介された。

 その後は大人達がいくらか最初に政治的な話のやり取りをし、後はただただ楽しそうに話をしていた。

 良い国と国交を開けるのが嬉しいと。

 

 ナインズとリーゼロッテはバルコニーに出ると、手すりに腰掛け、メイド達が出してくれたテーブルと軽食に少し手をつけた。

「──平和だね。こう言う国ばかりならいいのに。ありがたいことに聖典達が暇そうだ」

 イオリエルは流石についてきていない。クレマンティーヌはもりもり軽食を食べ、レイナースと番外席次に呆れられている。漆黒聖典もため息混じりだ。

「ふふ、皆さんにくつろいでいただけて良かった。ナインズ、いつか私が女王になる時、あなたは良い国王になっていて。二つの国で手を取り合えばきっと良い治世になる。活気と愛に溢れて、ああやって皆で食事を囲むの」

「君の考え方、好きだな。でも、僕は国王にはならないかもよ」

 リーゼロッテは訝しむように眉を顰めた。

 

「何故?王位継承第一位ではないの?」

「いわゆる王位継承第一位ってやつだけど、父様は死なず老いぬ身だからね。仕事は減らしたいとお思いだろうけど、永遠の王陛下さ」

「そんな人がこの世にいるはずないじゃない。担がれているのよ。こちらでも、竜人達は老いがゆっくりだもの」

「どうかな?」

「ふふ、いいわ。では、死なないとして、追い落としてしまう?」

 ナインズは一瞬きょとんとしてリーゼロッテを見た。

 リーゼロッテは悪い顔をしていて、風で金色の長い髪が揺れると太陽のようだった。

 

「その顔。おかしいわね」

「……リズは思ったよりとんでもない女王になりそうだ。すごいこと言うね、君」

「ははは!ふふふ!許されない冗談だった?私なんて騎士団によくお父様を蹴落としてしまえなんて笑われているわ。ナインズの周りは皆行儀がいいのね。その腰のものはどれほど使えて?ただの飾りかしら」

 示されたのは、ナインズの腰に下げられた剣だ。

「──君が思うよりは多分使うよ。そう言う意味では僕も僕の周りも行儀が悪い」

「面白い。やる?」

「後悔するよ?」

「させてみて」

 

 ナインズが笑いながら剣を縛める紐をそのままに、鞘ごと剣を腰から外すと、リーゼロッテも腰に下げていた小さな剣を鞘ごと外した。ツカにきちんとバンドをかけ、鞘が抜けて行かないように止めた。

 

「そのすごい鞘。こう言う時の儀礼用?傷付けてしまうかも」

「いいや、鞘も本体も僕の本当の護身用だから大丈夫。気にしないで」

「あら。そんなに鞘からツカまで装飾だらけじゃ、重くていざという時振れないわよ」

 

 リーゼロッテは軽く腰を落とすとヒュッと息を吐いた。

 ナインズの顔の横をツカごと剣が通り過ぎる。

「──見えもしない?」

「よく見えたよ。でも、今ので君がどれほど頑張って来たかよく分かった」

「上から目線だわ!」

 

 リーゼロッテの繰り出す剣戟を受けながら、時に弾いて流す。

 鞘のぶつかる甲高い音が響き、親や聖典達が何事かとバルコニーに出てくる。

 マキャベリ王は眉間を押さえた。

「──ゴウン陛下、すみませんね。うちの娘はどうもああいう気性で。あの子の母は慎み深かったのですが……亡くなってもう十年。やれやれ」

「ははは。うちの娘は箱入りだから羨ましいですよ。ねぇ、フラミーさん」

「本当。仲良くしてくださいね。次はうちの──王城はないんですけど、大神殿にぜひ見えて下さい」

「ありがとうございます。本当に、良い国交に感謝しております。輸入の物品も良いものばかりのようですし。……あとは夜の舞踏会では娘のもう少しましな姿をお見せできるといいのですが」

 

 親達が笑っている中、ナインズが剣を弾く。

「──っあ!!」

 リーゼロッテは尻もちをつきかけると、ナインズに引っ張り寄せられた。ドンっと胸にぶつかる。

 見上げると、穏やかな笑みのままだった。

「ね、行儀悪かったでしょ。後悔した?」

「……天晴れね。後悔はしてないわ。良いものを見せてもらえたもの。ナインズ、あなたうちの騎士団長より強いんじゃないの?今のは指導剣だったわ。綺麗な顔してるくせに」

「ふふ、ありがと。でも、君ほどじゃないよ」

 リーゼロッテがきちんと自分の足で踏ん張ると、ナインズは彼女を離してバルコニーの下をのぞいた。

 剣は下に落ちて行ってしまっていて、拾ってくれたらしい庭師が眩しそうに麦わら帽子を傾けてこちらを仰いでいた。

 

「──すみません!お怪我は?」

「いえ、ありません!えっと……神聖魔導国の殿下!」

 リーゼロッテも下を覗き込む。

「ゲイル!投げてちょうだい!!」

「と、届きませんよぉ。姫様は無茶ばっかりだなぁ」

「いいから!」

 庭師が苦笑しながら投げる。小さめの片手剣とはいえ一キロ程度はある。当然のように届かなかった。投げるたびに庭師は逃げ、どかんと剣が落ちるとまた拾い上げた。

「流石にダメね?いつか怪我をしそう」

「はは、本当。やめさせてあげよう」

「そうね。──え?あなた、何を」

 ナインズは腕輪を外して手すりに置くとそれを跨いだ。その周りにはすかさず八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達がより集まり、誰かに取られたりしない様に見張った。

「<飛行(フライ)>」

 下に降りて剣を受け取り、ナインズはすぐにバルコニーに戻った。

「はい、悪かったね。向こうに弾いて父様達の方に行ったら嫌だと思って。でも、下の方が危なかったね」

「気にしてない。それより、あなた魔法も使えるの?」

「少しだけね」

「<飛行(フライ)>は少しの域じゃないわ」

 手すりの上に残した腕輪を着け直し、ナインズは髪を払った。

 

 見ていた父が手招く。

「ナインズ、そろそろ一度控えの間に行くぞ」

「あ、はい。じゃあ、リズ。また夜に」

「えぇ、また」

 

 ナインズが「女の子相手なんだから気を付けろよ」と小言を言われながら部屋を去っていく。

 リーゼロッテは腰に剣を戻すと「ふむ」と息を吐いた。

「いい青年だったね」

「本当ですね。あんな男もいるんだって思わされました。神王陛下がご長命の種らしくて、王にはならないみたいな感じでしたけど、私が女王になる時に彼が神聖魔導国に立ってくれていたら、きっと素晴らしい未来になると思いました」

「ははは!リーゼロッテにそこまで言わせるとは!王にならないなら、婿に来てもらおうか!」

 それを聞くと、リーゼロッテは一瞬顔を赤くし、その後俯いた。

「……私、そういう相手は欲しくないです」

 マキャベリ王は微笑み、リーゼロッテの背を数度さすった。

「王家の血が絶えてしまう。もう相手を見つけていい頃だよ。貴族達を見ていると嫌になるのも分かるけどね」

「いえ、私……。……着替えに行きます」

 リーゼロッテは足早に部屋を後にした。

 

 一度風呂に入って汗を流す。

 本当に良い太刀筋だったと今し方のことを思い出す。

 風呂を上がり、ドレスの下着に着替えながらため息を吐いた。

(……舞踏会にはセオドアも来るのかしら)

 従兄も昔は優しかった。ナインズのように明るく、人をよく気にかけ、時には幼かったリーゼロッテを抱きしめてくれた。

 大人になればなるほどセオドアは変わって行ってしまった。

(……あれが来たら空気が悪くなる。王弟殿下は穏やかだからまだいいけれど……)

 

 ドロワーズと下着一枚になると、侍従達がコルセットを付け、ドレスを着せてくれる。

 背のリボンを思い切り引いて細い腰を演出すると、皆嬉しそうに笑った。

 手首に良い匂いの粉を付け、髪を結い上げる。

 そして、最後に胸元と首にも良い匂いの粉をはたいた。

「──ねぇ、手首はわかるのだけど、今日は胸まで?」

「えぇ!姫様、ナインズ殿下は素敵ですねぇ。あちらで控えているメイド達の話によると、普段はまだ学生をされていると。卒業されたらきっと結婚のお相手を持ってしまうでしょうし、今のうちですよ」

「……学生っていうのは聞いた。皆今日会ったばかりの男性をそんなにお婿に取りたいの?」

「ふふ。あれほど良い方はきっと他にはいませんから。素晴らしいお婿さんになってくれますよ」

「分からないわよ。実は若いくせにものすごい酒癖の悪さで、女を叩くかも」

「そんな方じゃないのはリーゼロッテ様が一番よくお分かりでしょう」

 

 リーゼロッテは先ほどの彼とのやりとりを思い出して頬を染めた。

「……あんまり何度も婿だ婿だって言われると、普通でいられるはずのものも普通でいられなくなる」

「あらあら、ふふふふ。舞踏会は途中でお二人で抜け出してしまいなさいませ。こちらのお部屋は汚して良いように準備しておきますので」

「じ、準備って!」

「素直に、明るく、愛らしくですわ。呼んでいただければドレスも脱がせに参りますので」

「や、やめてったら!私、本当にナインズをそんな目で見てなかったのに!」

「では、今は?」

 

 リーゼロッテが答えに窮すると、全ての身支度が終わりを告げた。傾き始めたと思った冬の太陽はあっという間に落ち始めていた。

 

「さ、国王陛下の下へ参りましょうね」

 

 楽しげな侍従に背を押され、あれよあれよと言う間にリーゼロッテは会場に通され、父の隣に座り貴族達の挨拶に応えた。

 山小人(ドワーフ)のランダルダ公国と、竜人達が統べるユルバーモン合州国からもたくさんの参加者がいた。

 

「──新しい友を迎えられる事に祝杯を!」

 

 父が言うと、神聖魔導国の一行が会場に入り、階段を降りてくる。

 どう言う種族なのか、人にしか見えない神王陛下は十六の息子がいるようには見えない若さと美しさだ。長命の種ならこんなものだろうが、それこそこちらに側室にと言われても頷けてしまうようなレベルだった。

 やはりどう言う種族なのか分からない光神陛下など、乙女と言われても納得してしまう。

 あんな母がいるなんて神秘だ。

 全種族融和というのはすごい事だった。きっと、何と何を掛け合わせてとか、もはやそう言うことも分からないような具合なのだろう。

 宰相のアルベド、補佐のデミウルゴスなども美しい。

 神官団と聖典達も共に降りてくる。

 

 用意された席に着くと、神王陛下は丁寧な挨拶をしてくれていた。大国だからと威張るような雰囲気もない良い王だった。肩肘の張らない、良い会にしようと努力してくれているのが伝わってきた。

 威厳に満ちた人の威厳を見せないようにするああ言う努力は時に愛しく感じるものだ。

 

 リーゼロッテの隣にナインズが静かに掛ける。

 ナインズもリーゼロッテのように婿だの嫁だのと言われただろうか。リーゼロッテは父王達の挨拶を真剣に聞くナインズの横顔を見上げた。

「──どうかした?」

 見下ろされるとリーゼロッテは「あ、えっと、はは」と言葉にならない言葉を返した。

「大人の話は嫌い?」

「ん、ううん。そんな事はないわ。いつか自分がそれをしなきゃならないんだから」

「ふふ、その通りだね。参考資料はいくつあっても良いよ」

「王にはならないのに?」

「王にならなくても、神の子としてやる事はたくさんあるさ」

 リーゼロッテはその言葉の重さに思わず小さな笑いを漏らした。

「ふふ、そうだったわ。あなた達の国は神の国だった。昔降臨した神の末裔の子だか何だか、だったかしら。神官も連れてすごいわよね」

 ナインズは静かに微笑んでリーゼロッテを見下ろしていた。

「──あ、いけない。気に障って?」

「とんでもない。心地いいよ。それに、新鮮だ」

「なんでも受け入れてしまうのね」

「なんでもじゃないさ」

 

 ダンスが始まると、皆ホールで楽しげに踊った。

 

 ナインズは訪れた貴族の娘に誘われ、最初は渋るようだったが、ホールに降りて行った。

 

「──リーゼロッテ、ナインズ殿下が行ってしまったじゃないか。誘ってみたら良かったのに」

「ふふ、あちらから声をかけてくれていたら踊りましたよ」

「やれやれ」

 父は呆れて深く掛け直した。

 

 何人かと踊った後、ナインズが相手の女性と頭を下げ合い、戻ってくる。

 

「──どうだった?ナインズ」

「どうも最近はダンスと縁があるらしい。嫌いじゃないけど、少し距離近いよね」

「ははは、おかしな感想」

「そうかなぁ」

 くだらない事を笑っていると、神王と光神も手を取り合ってホールへ行く。

 異国情緒のあるダンスは素敵だった。静かな曲の中で二人が寄り添って揺れているのが、恋人のようで憧れるようなため息が漏れてしまう。

 

「──素敵なご両親だわ」

「お互いがいないと生きられないっていうのはああ言う感じなんだろうね。この人だけがいれば生きていける確信とも言えるかもしれない」

「普段から仲がよろしいのね。憧れる?」

「憧れるよ。いつもお二人は僕の手本だから」

「あんな相手、人によっては一生かかっても見つからないんでしょうね。私のお父様も、亡くなったお母様を深く愛しているわ。本当に失いたくなかったと思う」

「良いご両親だ」

「ありがとう……。私はそんな良い人まだまだ見つけられないけれど。あなたは?」

「……僕は一方的にこの人がいないと生きられないと思う人はいるよ」

 リーゼロッテは少しだけ残念に思った。まだ恋にもなっていないような気持ちだが、もし義務で婚姻を結んでも、ナインズとなら生きていけそうにも思ったから。

 

「その人には、伝えた?」

「うん。一度断られたけど、彼女が納得してくれる形で何とかおさめてもらったよ。結婚とか、生涯とかは誓ってもらえなかったから、いわば時間制限付きの関係だよね。理性と気持ちは別なんだって初めて思った。付き合わせてると分かっていても、どうしても抱きしめたくて、触れたくてたまらないと思う。呆れるよね」

「あなたを断るなんて、すごい方ね。私ならきっと断らないわ。断られた時怒った?」

「とんでもない。僕は彼女が自由に生きていく姿が見たいから、断られたら断られたでも良いって思ったよ。でも、いつかこの関係が終わってしまった時、彼女が誰かと幸せになって子供を設けたら、その子に会わせて貰えるといいなぁ」

「……あなた、慎ましいのね」

「どうだろうねぇ?」

 リーゼロッテはおもむろに立ち上がると、ナインズに手を伸ばした。

 

「仕方ない。慰めてあげるわ。踊りましょう」

「ははは、ありがとう」

 

 二人で手を取り合い踊る。

「──ねぇ」

「うん?」

「どうせ振られてしまうなら、私のところに輿入れしてみる?」

「慰めの一環?」

「そうとも言うわ。あなたは一生その人を想っていいの。だから、私も──」

 リーゼロッテは唇を噛み、俯いた。

「──君も本当は、いてくれなくちゃ生きていけない人がいるんだね」

「……いないわ。そんなもの」

「なぜ伝えないの?」

「……だって……」

 リーゼロッテが胸に顔を埋め、背に手を回す。ナインズの手が頭を撫でた。

 

 周りから甘いため息が聞こえた。

 そう言うんじゃないのに。

 

「だって?」

「だって……あの人は私の──」

「──待って!」

 ナインズが瞬時に腰から剣を抜く。

 ギィン、と炸裂した音に耳を塞ぎ、リーゼロッテはしゃがみ込んだ。

 その足元には切られた矢が落ちた。

 音楽隊の奏でる全てがぴたりと止み、窓を突き抜けヒュン、ヒュン、ヒュン、と頭上をいくつも矢が抜けていく。

「──殿下!!だいじょーぶ!?」

「クレマンティーヌさん、僕は大丈夫!それより、皆の身の安全を!!」

 キャー!と会場にいる者達が叫び声を上げる。

 射られた何人かが痛みを堪える声がする。

「──回復してやらなきゃ。リズ、僕は君のそばを離れて──いや、君今は剣がないな!?」

 恐ろしい。体が動かなかった。だが、リーゼロッテは首を振った。

「だ、大丈夫。大丈夫だから!回復できるなら行って!!私は良い!!」

 そして、ゆらりと陰がリーゼロッテを包んだ。

「──ナインズ殿下、こちらは任せて」

「あなたは」

「従兄ですよ」

「セ、セオドア」

「リーゼロッテ、お前はこちらへ来るんだ。安全な外へ」

 腕を掴まれ、引き立たされる。

 王家の者が避難する際に通る通路に引き摺り込まれ、二人で走った。

 

「──賊を捕えろ!!」

 会場にアインズの声が響く。丸ごと全員拘束して、外からの矢を全て防ぎ、怪しい者を詰問して行くことなど容易い。だが、よその国でどこまでを王直々にやるべきかと言うことと──微笑んだまま動かない知恵者達が何を考えているかと言う事をはかるのは難しい。

 フラミーが回復をかける中、神領縛鎖の特殊技術(スキル)が飛んでいく。

 矢が当たって落とされたシャンデリアが降ってくると、番外席次のスルシャーナの戦鎌(カロンのみちびき)が振るわれ、人の上に落ちる前に弾き飛ばされた。

「──許さないわよ。陛下方のダンスの邪魔をするなんて!」

 その場で何人かの男達が剣を抜く。

「うおおお!!」

「死にたくなければ──跪けぇえ!!」

 一人二人と容易に番外席次が賊を行動不能状態に陥らせていく。

 

「ネイア!!」

「分かってます!!」

 レイナースからの指示を全て聞く前に、引き絞った弓から範囲捕獲魔法がかけられた矢が飛ばされていく。外からの矢の軌跡をネイアはしかと見ていた。

 ヒュッと風が巻き起こり、顔無しの聖女と呼ばれるようになって久しい彼女の長い髪を靡かせた。

「ひゅー、フレイアちゃんに母ちゃんのかっこいい所見せてやりたーい」

「先輩、ふざけてないで!」

 

 番外席次にボコボコにされた男達の縛り上げが済む。

「クレマンティーヌ、この後どうする!」

「待ってねー。──おい!お前らそっち任せて良ーんだろーな!!」

 漆黒聖典へクレマンティーヌが怒鳴る。

 漆黒聖典はアインズやフラミー、ナインズ、微笑む守護神二名のそばできちんと働いていた。更には神官団も守っている。

「良い!!外の者も捕まえて連れて来い!!」

 漆黒聖典の隊長に言われ、ベッと舌を出した。

「おめーの隊じゃねぇ!!──ネイア、上から見て指示を出して。あんたの目がいる」

「わかりました!」

「レーナ、ルナ!行くよ!!」

 三人駆け出した。

 その時、クレマンティーヌは濃厚な血の匂いに振り返った。

 

「──っぐぅうううぅ!!」

 

 マキャベリ王が何者かに胸を一突きにされていた。

「な!じ、自分とこの王様くらい、自分たちで守れよ!?あんたらの城だろーが!?」

 当たり前の感想だ。

 だが、マキャベリ王を刺していたのは──そのすぐ側で共に守られていたはずの王弟だった。

 

「はぁ!?」

 

 身分がある者同士の衝突にクレマンティーヌの思考は停止した。

 王の周りにいた騎士達が仲間割れを始める。

 誰が敵で、何が賊か分からない。

 見分けが付かない混戦に神聖魔導国の手は止まった。

 指示を仰ごうと神王へ振り返る。神は息子を抱きすくめ、耳を覆う肩をさすってやっていた。

(──流石の殿下でもまだ刺激が強すぎるか……!)

 目の前で人間が傷付けられる姿なんて、いくら訓練をしているとは言え十六の青年には見せられない。

 そう思った次の瞬間、ナインズの怒号が響いた。

「──汚い祈りを──聞かせるなぁあ!!」

「で、殿下?」

 抜いた剣を手にくるりと人の波を飛び越え、王弟の胸ぐらを掴み上げる。

「よくも僕の前で!!母様の前で人を傷付けたな!!決して血を見せてはいけない方の前で!!貴様、何が目的だ!!」

「っく、くはははは!兄は死ぬ!!私が王になるのだ!!」

「……りず……りずは……でんか……」

「陛下、大丈夫です!リズは外へ逃げました!!」

「で、でんか……ありが──」

 王は今にも絶命するかと言うところで、ヒュッと矢がもう一本飛び込み、その喉を突いた。

 ガクリと力が抜ける。

「──マキャベリ陛下!!」

「その呼び名は私にこそ相応しい!!青二歳、汚い手を離せ!!ここは私の城だ!!」

 

 じりりと周りを王弟の側に付いていると思われる騎士達が取り囲む。

 

「──神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国御一行、貴殿らに手を出すつもりはない。引いて頂きたい。──殿下、新国王を離していただけるかな」

 ナインズはちらりと父へ振り返った。

 父は母の安否確認を済ませ、肩をすくめた。

「良いだろう。ナインズ、離してやれ。──だが、言いたいことは多々ある。私達がいる場でわざわざ謀反とはな」

 ナインズは王弟を捨てるように手を離した。王弟は服を払い、絶命した王からズルリと剣を抜くと笑った。

「いつもと違う警備、混乱、人数、騎士達。この日を待っていた。ふふふ……!」

「私達を利用したわけか。その王のどこに不満があった。少し──不快だぞ」

「不満?不満か、ふははは!全てだ!!生まれた時から、全てが不満だったのだ!!だが、それも全てはここまで。政権は、王位は、今この時をもって移譲した!!」

 

 貴族達がひぃぃ……と情けない声を上げる。

 

 剣を鞘に戻し、ナインズは王弟を睨みつけた。

「マキャベリ陛下を復活させないのならば、王位はリーゼロッテのものだ。彼女が全てを治める」

「くくく、リーゼロッテか。やつは今頃、私の息子が処分している頃だろう」

 ナインズは従兄を名乗った男の顔を思い浮かべると、握りしめた拳を振り上げ──「迎えにいけ」という父の声に振り返った。

「……分かりました」

 

 周りを騎士が囲む。

 

「ここでお待ちを。ナインズ・ウール・ゴウン殿下」

「私は行く。父王陛下に迎えにいけと言われた。私は父王陛下と母王陛下以外の命令は聞かない」

「神聖魔導国の方へは極力手を出したくない。不要な争いは受け入れられない。この後、山小人(ドワーフ)達と組み私達は竜人の国を滅ぼす」

「……何を企もうと勝手だが、お前達がリズに放った矢は間違えれば私にも致命傷を与えるだけのものだった。お前達も必要があれば私を殺す気持ちがあるんだろう。神王陛下と光神陛下に弓を引いたことを忘れるな。ここは今、私達の敵国だ。──漆黒聖典」

 漆黒聖典がぞろりと動く。

 騎士達は力量差を感じるのか、その手が震えた。

 

「私の両親が育てた聖典は伊達じゃないぞ。引け」

「……く!マキャベリ陛下、どうされますか!」

「行かせてやれば良い。リーゼロッテごとき、すでに死んでいるだろう」

 前王の死骸を椅子から引き摺り下ろし、新王は冷たい瞳で言った。

 誰も動かない中、ナインズはアインズの下へ歩いた。腕輪をそっと渡す。

「僕で見つけられるでしょうか」

 その問いに答えたのは、デミウルゴスだった。

「──影の悪魔(シャドーデーモン)を付けてあります。大丈夫です」

「さすがだな、デミウルゴス。──紫黒聖典!」

「「「「は!」」」」

 紫黒聖典が駆け付けると、アインズは受け取ったばかりの腕輪を番外席次に渡した。

「ナインズと行け。ナインズが着けろと言ったら着けてやれ。それから、まぁ、なんと言うか、ナインズが切れたと思ったら力尽くで着けろ。着けそびれたら死ぬ。広大な更地になると思え。番外席次ならナインズにも腕輪を通すことはできるだろう。多少殴ったりしても良い」

「ははは」

「わ、わかりました」

 

「とは言え、ナインズ。お前は感情の爆発には気をつけろ。恩を売るいいチャンスを賠償問題にするなよ」

「恩……では、マキャベリ陛下の復活も?」

 ナインズがフラミーに問いかける。

 フラミーは微笑むことを答えとした。

 神の奇跡は簡単に与えられるものではない。この笑みの答えは神官団にもナインズにも分からなかった。

「さ、では私達はゆっくりあの暴王の話でも聞いてみるかな。──なぁ?竜人の国がそんなに不愉快か?」

 

 アインズが片手間に尋ねると、新王は血に濡れた玉座で笑った。

 

「ふん、騎士達も兄の犯されるだけのつまらん治世には苛立っていたのだ。侵攻し、手に入れ、支配する。これからはそう言う時代だ」

「まぁ、一部は賛成だな」

「ナイ君、念の為これを持ってね。今の場所はここ。──気を付けて行っておいで」

 ナインズは少し迷ったが、フラミーが印を付けた地図を受け取り頷いた。

「ルナちゃん、クレマンティーヌさん、レイナースさん、ネイアちゃん。行こう」

 

 五人が広間を後にする。

 

「──これで過激派と穏健派は見事に割れましたね。山小人(ドワーフ)の方の選別もし易い」

「くふふ。王女など、生きていても死んでいても関係ないわ」

 じっと様子を見ていたデミウルゴスとアルベドは悪魔の笑みを浮かべていた。




穏やかな国……?(白目
突然始まった前後編話、季節はもう冬ですねぇ!

次回明後日!
ReLesson#41 幕間 穏やかな国の場合 後編


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Re Lesson#41 幕間 穏やかな国の場合 後編

 リーゼロッテは手を引かれて城を出た。

「セ、セオドア!あれは一体どう言うことだ!!一体誰があんなことを!!」

「良いから走れ!!」

「っく!!離せ!!私はナインズと戦う!!」

「腰が抜けてたくせによく言う!」

 

 二人で夜に落ちた中庭を抜け、隠し門を開けて城を出る。

 

「っはぁ!っはあ!!」

 外は酷く冷えたし、ドレスを着ているせいで晒された肩が震える。

「止まれ!」

 セオドアに腰を引っ張られ、マントの中に隠される。

 ヒュン、ヒュン、と幾つも矢が飛んでいった。

 マントの中はあたたかく、セオドアの鼓動を感じた。

 

 火を持った男達が馬に乗り駆け寄るのがマントの隙間から見えた。

「確かにこの辺りに見えたと思ったんだが。王女がいないな」

「セオドア様が連れ出しているはずだ。お声を上げられないと言うことはまだなんだろう」

「待て──信号確認!お、う、は……王は破られた!!」

「すぐにリーゼロッテが出てくる!!戻るぞ!!首を晒せ!!──ッハァ!!」

 馬の尻で鞭が弾かれる音がする。

 ドカッドカッドカッと雪を蹴る音が聞こえなくなると、リーゼロッテはセオドアのみぞおちに向かって渾身の力で肘を突き入れた。

 

「──ッグ!!」

「痴れ者が!!貴様の計画だったか!!」

「っふん、お、俺は──ッンブ」

 顔を蹴り上げ、リーゼロッテはドレスの裾をたくし上げて小さなナイフを取り出すと、大の字に伸びた喉元に突きつけた。

「恥を知れ!!王陛下を弑虐し、私を殺せば王位が手に入ると思ったか!!私は殺されない!!貴様の喉元、今この手でかき切ってくれる!!」

 セオドアはリーゼロッテを冷めた目で見ると鼻で笑った。

「やれよ。そしてお前は逃げ出せばいい」

「っく……!!」

 

 

 城の中庭。秋の訪れ。

「ねぇ、お従兄様。どうしたら草木は枯れなくなるのかしら」

「そうだねぇ。魔法を覚えないといけないかもね」

 セオドアは優しくリーゼロッテの頭を撫でた。

 

 

 母が倒れた春爛漫の中庭。

「お母様、お母様ぁ!」

「リ、リズ!王妃様!!ひ、人を呼んで来るから!!」

 

 

 塞ぎ込む父の背に泣いた冬の夜。

「……リズ、一人じゃないよ……」

「お従兄様ぁ……ふぁ、はぁーん!」

 

 

 父が少しづつ前を向いてくれた夏。

「ね、お従兄様。この夏は何をする?」

「……俺に話しかけるな。リーゼロッテ」

 

 

 ナイフを持つ手をセオドアに引き寄せられる。切先が喉に触れると、ぷつりと血が滲み出た。

「やらないのか」

「……ッ」

 次の瞬間、ヒュンッと顔の横を矢が飛んでいった。

『──王女がいたぞ!!』

 

 トーチを持って馬にまたがる男達が来る。リーゼロッテは慌ててドレスの裾を抱えて駆け出した。

(……戻るべきではないわ!!お父様は……っく……!ナインズ……!あなたは生きているの……!)

 涙が溢れる。

 優しい父が破られた。

 あのクズのせいで。

 同じ血が流れているなんて信じられない。

 リーゼロッテは涙を拭い、大きな倒木を跨いでずるりと足を滑らせた。

「ッキャア!!」

 そして、横から伸びた手に引き寄せられ、口を塞がれた。

「っし、姫様」

 木の影には共に訓練をしてきた、リーゼロッテを守ることを命とした配下の騎士達。騎士のベアトリス・ウエルタを見上げ、リーゼロッテは涙を堪えて頷いた。

 馬が迫る。

 

「っくそが!!また見失った!!」

「セオドア様!大丈夫ですか!!」

 

 顔が照らされる。二つに割れていた派閥の、王弟派閥の者達だ。王弟は穏やかな人だったので、派閥が割れていても大した問題はなかった。

 リーゼロッテは驚愕に目を見開いた。

 

『いたぞー!!王女がいたぞー!!』

 

 遠くで声がする。

「ドレスのくせに逃げ足が早い!ッハァ!!」

「行け!行け!!ッハァ!!」

 

 馬をかけ王弟派閥が去っていく。

 ベアトリスに手を引かれ、リーゼロッテは走り出した。

「べ、ベアトリス!どうやって私がここだって!!」

「セオドア様──いえ、逆徒に手を引かれて王家の避難口を潜られたのを見たのです!ここへお迎えにあがればと思い、急ぎお探ししていました!」

「あ、ありがとう!!だが、私は、私はどうしたら!」

「今はお逃げください!ここにいては殺されるだけです!!」

 背を押され、次々に配下の騎士達が合流してくる。

「姫様!上着を!!」

「ありがとう!」

 騎士達のマントがかけられていく。

 深雪に足を取られながら汗をかきそうだった。

 だが、ドレスを隠すためにもこれは取れない。

「っはぁ!っはぁ!!──だ、誰か城の中のことを知らないか!父王陛下は、ほ、本当に……。それに、神聖魔導国やランダルダ公国、ユルバーモン合州国の皆様は……ぶ、無事に……ナインズ……!」

「……分かりません……!ですが、ナインズ殿下と神聖魔導国の聖典と呼ばれる部隊の力は圧倒的でした!そう簡単にやられるはずがありません!!」

「……ナインズの大切な王陛下達に手を出されていたら……!私達ラ・オーケルベリ王国は何をお返ししたら……!!」

「全ては明日を迎えられてからです!!──危ない!!」

 火のついた矢がドンっと木に刺さる。

 後ろからは追っ手の声が聞こえ始めていた。

 

 水を吸ったドレスが重くて思うように歩けない。

 それに、この暗い雪の森の中だ。重く冷たい鎧を身につける騎士達にも疲労が見えてきている。

 リーゼロッテは自分を落ち着かせるように息を吐いた。

 そして、今一番必要なことを皆に伝える。

「皆!森を越えトロホヴスキー閣下の領地まで堪えろ!!閣下は城だが、そこまで行けば私兵に助けを求められる!!」

 

 騎士達が「おう!!」と返事を返す。

 

「よし!!足を止めるな!!」

 森の中を振り返ることなく進む。

 皆の切れる息が荒い。

 馬で追えない道を選んでいるため過酷さは増すばかりだ。

 リーゼロッテは何度も涙と汗を拭った。

 だが、振り返らなかった彼女の泣き顔を見た者はベアトリスだけだ。

 

『──火だ!!もっと火を焚べろ!!』

『あっちだ!あっちへ逃げたぞ!!』

 

 さらに声が近付いて来ている。次々に火矢が飛んでくる。

 

「っく、急げ!!一人も欠けるな!!」 

「姫様!!伏せて!!」

 ベアトリスのガントレットを付けた冷たい手が頭を抑える。

 その瞬間、矢が前を歩いていた騎士に突き立った。

「っぐぅ……!」

「大丈夫か!!リンドブラン!リンドブラン!!」

「だ、大丈──っゴブ──大丈夫です!!姫様、早ぐ!早ぐお逃げくだざい!!」

「置いていかれるか!!」

「姫様!!お早く!!」

 リーゼロッテはまだ十ニにも満たないような幼い騎士見習いに背中を押されると、ギュッと涙を払った。

 

「──ックソ!!」

 

 足を止めずに行く。

「いたぞ!!もう少しだ!!」

 追っ手の声に振り返る。

 リーゼロッテの後ろには数えきれない騎士達が横たわっていた。

「っあぁ……!っくそ……!!」

 騎士見習いに手を引かれ、ベアトリスに背を守られ進む。

 

「──姫様、後は頼みます」

「ベア?」

 

 トン、と背を押され、ベアトリスはスラリと剣を抜いた。

「い、いやだ!!ベアトリス!!」

「姫様、行きますよ!!」

 騎士見習いは止まらずリーゼロッテを引っ張った。

 

「逆徒!!そこまでだ!!」

「──まだこんな所にいたか。のろまが」

 

 その冷たい声は「──セオドア!!」

 セオドアはリーゼロッテを見下ろし、剣を抜いた。

 

 騎士見習いも小さな訓練用の剣を抜き、ベアトリスの横に立つ。

「姫様はお逃げください!!トロホヴスキー閣下の領地はすぐそこです!!」

 ザクザクと雪を踏み、セオドアが近付く威圧感にリーゼロッテはごくりと喉を鳴らした。

 そして、ベアトリスの腰に下げられたもう一本の剣を抜き払った。

 

「──私もここで戦う!!こいつを切り、王位は譲らぬと教えてくれる!!二度と、二度と躊躇いはしない!!」

 

 仲間達の呻き声が夜中の森の向こうから聞こえてくる。

 彼らのためにも、この男はここで殺さなくては。

 

 震えそうになる手を堅く握りしめる事で切先を定める。

 

 ドッと後ろの木にまた一つ火矢が打ち込まれる。

 セオドアの顔を踊る火がよく映し出していた。

「それが悪魔の顔だな」

 さらにセオドアの後ろに二人の逆徒が見えた。

 三対三──いや、二対三で、こちらは見習いを守りながら戦うのは──。

 リーゼロッテはギリリと剣を握りしめた。

「……姫様、私が引き付けます。お逃げください。あなたが倒れれば、全ては終わってしまいます。だから……お願い。お願いよリズ。私は怖くない。行って」

「……ベア……」

 二人で話していると、セオドアが笑った。

 

「戦場で馴れ合う暇があれば逃げてみたらどうだ。うさぎのように──」

 

 ヒュンッとセオドアと逆徒の横を光が抜けた。

 リーゼロッテの後方でドゴォォン……と着弾したところに雪が舞う。

 

「──なんだ?魔法を込めた矢を使う奴がいたか?」

 

 セオドアが振り返る。

 闇の向こうから声がした。

『動かないでください!!この程度の暗さなら、私はあなたを正確に射ることができます!!』

 女の声だ。誰の声か分からない。

『私達は神聖魔導国、紫黒聖典!!武器を捨て、投降しなさい!!』

「ほほーう!面白──」

『返事はいーから早く武器捨てろっつってんだろ!!』

『その言い方はやめてちょうだい。殿下の名に傷を付けないで』

『殿下、クインティアって不愉快よね。切れる前に腕輪いります?』

『平気、怒ってないよ』

 

 その声が誰のものなのか理解すると、リーゼロッテは声を張り上げた。

 

「ナインズ!!」

 

 連れられていた二人の逆徒達がざわりと振り返る。そして、血の匂い。

「──っぐぶっ」

 リーゼロッテは不可解な事態に「は?」と声を漏らした。

 セオドアは近くにいた逆徒を切り捨てていた。

「セ、セオドア様!?あなたは──」

 もう一人も切り捨てられる。崩れ落ちたところはこの闇夜だと言うのに真っ赤に染まっていた。

「お、お前何を」

「逃げろ。後ろにはまだ三十人近くが包囲網を張っている。神聖魔導国の者達の声で一斉に集まってくるだろう。気を取られている今のうちだ」

「……なんで」

「早く行け。みっともなく敗走しろ。トロホヴスキーの領地はすぐそこだ。そして──あちらでトロホヴスキーの私兵を引き連れて戻れ」

「意味が分からない。貴様、ナインズに追い詰められて観念したか」

「そうだ。命乞いをする。お前を助けたと言って見逃してもらうのさ」

 

「──助けたなら、命までは奪わないよ」

 

 セオドアの向こうには杖を持ったナインズがいた。

 

「足が速いようで。あの三十人の中をよく超えてきましたね。殿下」

「皆もう座って待ってる。城に戻って話をした方がいい」

「……座って?」

 

 ナインズの後ろから姿を見せた聖典がそれぞれ武器を担ぎ上げる。

「無力化してきたよー?じゃ、お姫様帰ろー」

「ご無事で何よりでした」

「騎士達も、ナインズ殿下の喚んだ天使達が回復と運搬をしてくれています」

「遺体もすぐに城に集まるでしょうね」

 

 リーゼロッテはベアトリスと目を見合わせた。

「ふん。どこまでが真実かは分からないが、まぁ良い。リーゼロッテ、逃げないで良いらしいぞ。こいつらが本当にお前の味方ならな」

 セオドアがポイと剣を捨て、両手を差し出す。

「──捕えるんだろう」

「そーさせてもらう」

 紫黒聖典の隊長が縄をかけ、次の瞬間鳩尾に膝蹴りを入れ、セオドアは一瞬吐き気を催したような顔をして意識を失った。

「はい、オッケー。首謀者其の二、生捕り完了ー」

「い、いや。ま、待ってください。その者は本当に首謀者だったのか──」

「陛下方の所に連れて行けば分かるから、今は容疑者でいーよ」

 リーゼロッテに有無を言わせず、四人は馬の小さな人形をポイと取り出し、それは着地すると同時に大きな馬型のゴーレムに変わった。

「じゃ、殿下これ一個あげる」

「ありがとう。セオドアと、一、二、三人だね。どうやって乗っていくか……」

「ネイアはそっちのチビ騎士と。番外はそのボロボロ騎士。レーナは私と首謀者。殿下はお姫様。いーですか?」

「クレマンティーヌさんがいいと思うなら」

「へーい。じゃ、全員動いて」

 

 瞬く間にゴーレムの馬に乗せられ、馬が走り出す。

 生きた馬と違い、馬達はこの夜道、この森の中を何の躊躇いもなく進んだ。

 途中途中で、本当に回復された騎士達が笑顔で手を振ってくれ、リーゼロッテは戸惑いながらも皆に手を振り返した。

「姫様、お気をつけて」

「良かった。姫様、ご無事で」

「すぐに我々も戻ります。我らの女王陛下」

 

 あっという間に皆を取り残して城が見えてくる。馬の上でナインズに抱き寄せられるリーゼロッテは森に入ってから初めて寒さを感じた。

 ぶるりと震えると、ナインズが上着を着せてくれた。

「冷えるね」

「……ありがとう。これは信じられないくらいあたたかいのね……」

 城に着くと、ナインズだけが馬から降り、馬はそのまま城の廊下を進んだ。

 

 広間に向かうと、廊下の向こうから血の匂いが漂って来た。

 

「……ナインズ、父は……」

 馬を引きつれるナインズは肩を落とした。

「ごめん……亡くなったよ……」

「……そう……」

 混乱の広間に着くと、父の遺骸が寝かされていた。

 カッときた。生まれてこれほど怒りを感じたことはなかった。

 

「──この!!逆徒共が!!殺してくれる!!」

 リーゼロッテは馬を飛び降り、ナインズの腰の剣の縛めを解いて抜剣した。驚くほど軽く、持つだけで体に力が漲る。リーゼロッテを見た叔父は見たこともないような鬼の形相になっていた。

「リーゼロッテ!貴様……!!セオドアはどうした!!」

「それならこっちー」

 後ろから入って来た馬の上で伸びるセオドアがクレマンティーヌに引き摺り落とされる。

 セオドアは「……う……父上……助けてください……」と声を上げた。

 弱りきった姿に叔父が駆け寄り、胸ぐらを掴み上げた。

「目を覚ませ!!この役立たずが!!今すぐその女を──ッデュ」

 ズブリと叔父の胸を剣が突き抜けた。起き上がったセオドアの眼光は弱ってなどいなかった。

「……助けに応じて頂いたことと育てて頂いたことには感謝する」

「──な、なに……?」

「だが、あなたに王位は務まらない。身を引け」

「ち、父に……!!父に貴様──ッガ──ッゴ──」

 剣が回されていく。

 内臓が破壊され叔父が絶命すると、セオドアの鋭い目からは涙が一つだけ落ちた。

「……っク……!」

 抜かれた剣からは血が弧を描いて飛び散った。

 

「……リーゼロッテ、愛なんて腑抜けた理想論を掲げる女に国は率いれない。お前はもっと学ばなければいけない事がある。良かったな、良い国と手を取り合えそうで」

 そのまま向きを変え、剣はセオドア自身の首に当てられた。

「セ、セオドア待て!やめろ!!」

「俺の役目は終わった」

 冷めた瞳のまま、剣が引かれようとした時「──<時間停滞(テンポラル・ステイシス)>!」セオドアの時は止まった。

「じ、時間の魔法……?」

 それを放った神王をリーゼロッテは畏怖に彩られた瞳で見た。

 

「ナインズの前で自刃は許さん。王弟は下らん祈りを捧げる男だと分かっているから目をつぶったが。……三、二、一……──<魔法遅延化(ディレイマジック)><武器破壊(ウェポンディストラクション)>」

 セオドアに更に魔法が掛けられていく。

 それから、幾秒が経過し、セオドアが動き出した瞬間剣はバラバラに砕け落ちた。

「──な、なんだ!?」

 セオドアは目を丸くし、自分に起きたことを理解できずにいた。

 

 ナインズから奪った剣をリーゼロッテは押し付けるように返し、セオドアの前に立つ。

 そして、思い切りセオドアの頬を打った。

「恥を知れ!!貴様は叔父上の計画を知っていながら、何故相談しなかった!!」

「……話したところでお前には解決できなかった。俺にも出来なかったんだからな。父上の派閥も、協力する山小人(ドワーフ)達の存在も大きかった。しかも父上の壊れた姿を見た事がある者は少ない。時間の無駄だ」

「そんな事、相談してみなきゃ分からなかっただろうが!!私はきっと解決できた!!父上が死ぬことも、貴様が実の父親を殺すこともなかったはずなんだ!!」

「無理だ。それより、泣くなよ。殿下が見てる」

 

「うるさい、私が、私がどれほど貴様をいつも見ていたか……!」

「異変に気付かない程度の観察力だ。そんな暇があればお前は勉強でもすることだな。剣なんか振れた所で王になれば何も意味はない」

「貴様だって王になる資格がある者のくせにいつも剣を振っていただろうが!!」

「俺はいつか父を殺すと分かっていたからな。王妃様に父が毒を盛った十年前から決まっていたことだ」

「た、たった十一やそこらだった頃に……」

「当然だろう」

 

 リーゼロッテがセオドアを睨んだままぼろぼろと泣くと、セオドアは剣を収めていたナインズの前に立った。

「──殿下、あれは王になるにはまだ無能だ。助けてやってほしい」

「あなたが助けた方がいい。僕には荷が重い」

「俺は前王を殺めることに加担し、王女を殺めようとし、更には新王を殺めた。もはや死ぬかしかない」

「あなたたちの法は僕は知らない。僕の誠正しい法はただお二人だけだ。じいにそう習っている」

「……神王陛下と光神陛下か」

「そうなる。だけど、ここは神聖魔導国じゃない。新しい女王陛下に処遇は決めていただくことだね」

 

 ナインズが剣を縛め直す。

 アインズは魔法で作った椅子に掛け、フラミーの羽を撫で付けて事態を眺めていた。

 

 泣いていたリーゼロッテは目元を拭った。

「……セオドア。セオドア・レドルド・マキャベリ。貴様からは王位継承権を剥奪する。女王、リーゼロッテ・イコレット・マキャベリの命だ」

「それから?」

「……数日投獄する。死ぬことは許さない」

「……甘すぎる。死ぬまで牢獄にいれるくらい言ったらどうなんだ」

「……貴様は牢に入りたいのか」

「入りたいわけじゃない。だが、それで貴族連中が納得するのか。王陛下弑虐に加担しているんだぞ。お前は小娘で、これから奴らを御して生きていくと言うのに、従兄だからと言って俺を助けたと言われる。騎士達は多くが貴族の子だ。お前を守って倒れた者達も。誰も納得などしはすまい」

 リーゼロッテはジッとセオドアを睨み黙ったまま動かなかった。

「思う事があるなら何か言え、リーゼロッテ。そう言う亀裂は同じことを呼ぶんだ。お前の首が再び狙われ──」

 

 襟を掴み、引っ張ったリーゼロッテがセオドアに口付け、すぐに突き飛ばした。

「な、何を……お前、正気か」

 口を拭うセオドアが目を白黒させていると、リーゼロッテはアインズの下へ歩き跪いた。

 

「……神王陛下、あなたは本当に神なのですか」

「そうかもしれないし、違うかもしれないな」

「……生き物の時間を止められる存在など、私は神か時の天使しか知りません。もしあなた様が本当に神だとするならば……どうか、父を生き返らせてはいただけないでしょうか……」

「その見返りに、お前は何を差し出せる」

「……信仰を」

「信仰は示されなくては届かない。もう一度聞こう。お前は何を差し出せる」

 

 リーゼロッテが答えに窮すると、微笑むデミウルゴスが告げた。

 

「──州となり、完全なる庇護の下に生きますか?」

 呆然としていたセオドアが声を上げた。

「ま、待ってください。それではここはもう王国ではなくなります!王を蘇らせる意味がない!それに、女王も我々も貴国を一度も見たことなどないのです!!聞けば貴国は身分制を持たない、貴族の混乱は果てしない!!」

「まぁ、そうでしょうね。少し言ってみただけです。これ以上の混乱はアインズ様も望む所ではありません。──と言う点を思えば、属国化ならば信仰を示すにはちょうど良いのかも知れませんねぇ。無論、フラミー様が復活させて下さる王をあなた達二人がそのように説き伏せなくてはなりませんが」

「……属国化なら……」

 セオドアは本当にそれで良いのか分からなかった。

 だが、リーゼロッテは頷いた。

 

「属国となります。それで父を生き返らせていただけるのならば」

「ふふふ、そうか。そうかそうか。だが、頼む相手が違うな。こちらの私にすら座する女神に跪き、もう一度望みを告げることだ。私は死の支配者にすぎない」

 リーゼロッテが深々と頭を下げる。

 

「光神陛下……。あなた様のお力をどうぞ、お貸しください……。父の復活を……」

 ナインズは母の反応を静かに伺った。

「──良いですよ。ただし、騎士も皆、誰も彼もと言うのは頷けません。いいですね」

「はい」

 安堵にナインズの口からふぅ、と息が漏れた。

 フラミーはアインズから降りると、手を組んで静かに眠らされる前王に杖を向けた。

 

「──<真なる蘇生(トゥルーリザレクション)>」

 

 代価など不要。

 フラミーの翼が魔法に呼応するようにドッと光を放ち、前王は静かに目を開けた。

「お父様……?」

「……りず……。何故ここに……ないんず殿下は外に逃げたと……」

「に、逃げました!セオドアに庇われて!!今はもう戻ってきたのです!!」

「……何。セオドアが……そうか……。良かった……。不詳の弟が怖い思いをさせた……。いや、それより、他国の皆さまは──」

 マキャベリが起き上がる中、セオドアは静かに数歩下がり、くるりと背を向けて広間を後にする。

 

 雪で湿ったローブのフードを被り、足早に進む。

 

「──どこへ行くんです」

 ふと、背にかかった声にセオドアは足を止めた。

「……ナインズ殿下。ふ、俺はもうここには不要だ」

「王弑虐の罪がなくなり、王女を守り、叛逆の王弟を打ったと言うのに。リズの求めに答えてもバチは当たらない」

「……それは、……神の子としての意見かな」

「一般論さ。部屋に戻った方がいい」

「……いい。父や、俺を仲間だと思っていた父の派閥の者達を殺した感触が手に残っている。リーゼロッテの隣には殿下みたいな男が似合う。マキャベリ陛下も再びお立ちになる。俺があのまぬけにあれこれ教える必要もない」

「勝手に僕を引き合いに出されても困る。だいたい、彼女はあなたがいないと生きることすら難しく感じている。それの代わりは決していない」

「俺の代わりなどいくらでもいる。殿下はリーゼロッテでは不服か」

「不服だよ。僕には好いた人もいる」

「……女は何人か持てる文化なんだろう。公妾にでも側室にでも持てばいい」

 ナインズは眉を顰めた。

「……じゃあ、僕は彼女を妾か愛人にでもするよ。妃を持つつもりはない。それであなたは満足なわけだ。彼女の幸福だけを心から祈り続けているくせに」

「……まぁ」

「そうかい。じゃあ、今日もう抱くとする。どこへなりと行け」

 

 背を向け、広間に入る。

 広間の中では説明を受けたらしいマキャベリ王が跪き、フラミーに礼を言っているところだった。

 リーゼロッテはその後ろで涙を拭っていた。

「──リズ、悪いんだけど少しいいかな」

「あ、ナインズ。ありがとう……。全てに感謝しているよ……」

「はは、僕は何もしてないけどね。ごめん、それで、君の部屋を少し借りたい」

「部屋を?休みたいの?用意させようか?」

「いや、君の部屋じゃないとダメかも」

 訝しむような顔をされるが、よいこらせとリーゼロッテを抱き上げた。ドレスはボロボロだった。

「あ、え?な、何?」

「おかしな真似はしないから。少しの間信じてくれる?」

「ナインズ?」

 とっとこ広間を後にしようとすると、「──ナインズ、どこに行くんだ?」と父に聞かれた。

「すみません、すぐに戻ります。ちょっと二人に──いや、えーと、彼女あんまりボロボロだから。着替えさせてきます」

「お、おう。うん。えーと……節度を忘れずに。レオネちゃんを泣かせないでくれ」

「はーい」

 感動している扉の前の女騎士が扉を開けてくれる。

「リズ、行ってらっしゃい」

「あ、ベア、あの、違うのよ」

「うん、違うんです。すぐに戻りますから。多分」

「はいはい、ごゆっくり」

 ナインズは居心地の悪さを感じたまま部屋を出た。

 廊下にはもう誰もいなくて、内心悪態をつく。あの野郎どこに行きやがったなどと柄にもなく。

 

「……はぁ。君、部屋はどこ?」

「上だけど……」

「上ね。上、上。はいはい」

 階段を登っていき、「次は?」と言うと、リーゼロッテは突き当たりの部屋を指差した。

「あれだけど……」

 ナインズは何者かに見られている気配を感じると笑顔になった。

「ふふ、じゃ、行こう」

「……ナインズ、本気か?」

「本気さ!君、僕のところに来るといいよ!僕は妻は持たないから愛人だけど!」などと、少し大きな声で言ってみる。

「……そんな性格だった?」

「いいや。さて、どうかな」

 抱えたまま部屋の前に着くと、リーゼロッテがノブを回して扉を開けてくれた。

 そのまま部屋に入り、足で扉を閉める。メイドや一郎太がそばにずっといってくれない時の不便さは時に心地いい。

「ふふ、本当に行儀悪いわね」

「まぁね」

 

 暗い部屋のベッドにリーゼロッテを下ろすと、ナインズは隣に座った。

「すぐに来るかな」

「……えっと、メイドを呼ぶならそこの鈴鳴らさなきゃ」

「着替えは少しだけ待って──あ、来るな。ちょっとごめん」

 リーゼロッテの体を持ち上げ、ベッドの真ん中に寝かせると、ナインズは上着を放った。

 その後、彼女を見下ろすように手をついた。

「ちなみに叫ぶなら今だし、叫んでもいいよ。叩いても構わないけど」

「……ナインズ。私はあなたが何考えてるのかよく分からないんだけど」

「はは、これでも君の恋を応援してるつもりなんだ」

 意味がわからないという様子のリーゼロッテに笑い、頭の上に肘をつくと顔を寄せた。

「な、ないんず……あの……」

「静かに」

 リーゼロッテがギュッと目を閉じると、扉がそっと開いた。

 明るい廊下から暗い部屋に影が差し込んでくる。

 

「……ナインズ殿下。俺を試そうと言うのか」

「ノックもしないで無作法だね。そんなに気になるなら、大切にしまっておくか、隣にちゃんと置いておきなよ」

「……それができる人間じゃない。だから殿下に頼みたいと言っているのに」

「だから今頼まれてるだろ。何が不服なんだよ」

「……愛人だとか妾だとかじゃなく、きちんと側室として迎えてくれ。傷付くような関わりは望んでいない」

「公妾なんて言葉もさっき聞こえたけどね。だけど、愛しているならそう伝えろ。彼女はあなたにもう十分伝えた。女王になる覚悟もしたはずの彼女がマキャベリ陛下の復活を願ったのは、国を売ってでもあなたの罪を減らしたかったからだ。分かっているくせに」

「だから俺は人を殺しているから伝えられないと──おい、リーゼロッテ。お前──リーゼロッテ?」

 

 リーゼロッテはベッドから起き上がるとポロポロ涙を落とした。

「ナインズ殿下!!何をした!!」

「さてね、まだ何もしてないと思うけど。でも、悪いけど僕は疎いからな。側仕えによく言われる」

「貴様、言うに事欠いて!!」

 セオドアが拳を握ると、リーゼロッテはセオドアに抱き付いた。

「セオドア!貴様私を愛しているなら早く言え!!もうナインズに九割以上は恋してた!!ナインズと生きる覚悟をしかけた!!」

「や、やめろ!!それで構わないって言っているだろうが!!だいたい赤ん坊の頃から知ってるお前なんか、まともに女としてなんか見れない!!キスも下手クソだし!!」

「嘘をつけ、命をかけて私を守ったくせに!」

「王妃陛下の事の罪滅ぼしだ!!俺が本当に好きなのは王妃陛下だった!!」

「なんだと!?あーそうか!!じゃあ出て行け!!ナインズと続きをする!!今すぐドレスも脱ぐ!!私は体には自信があるんだ!!」

「な、小娘のくせに!!」

「私はもう十六だ!二十一に比べれば若いけれど、十分女なんだから!!」

「そうかよ!そんなに女だって言うならもういい!!遊ばれて捨てられるくらいなら俺がそうする!!」

 セオドアがリーゼロッテを掻き抱くようにキスをし、ナインズは上着を持って部屋を後にした。

 ずっと愛していたとか、二度と離れてくれるなとか、いつまでも守ってくれとか聞こえる扉を閉める。

 

「やれやれ、見てられないよ、四六時中ひっついてる父様達を見慣れてる流石の僕でも。ねぇ、皆」

 

 付いてくる八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)達に苦笑しながら話しかける。

「あーなんかやだなぁ。勘違いされる前に早く戻りたい。父様と母様には皆が話してくれるよね?」

「お任せください!」「お任せください!」「お任せください!」「お任せください!」「お任せください!」

「良かった〜」

 

 ナインズは肩にジャケットをかけ、子供の頃と変わらない純朴な顔をして広間に戻った。

 一人で戻る様子を見ると、皆「なんだ、本当に着替えか」と苦笑したようだ。

 

 かくして、王の戻った王国は王の命と引き換えに属国となり、数年の後、さらに美しく育った王女に全権が渡る際には当然のようにオーケルベリ州へと変わる。

 その王女──いや、州知事の隣にはいつもどこが冷めた目でため息を吐く夫がいたとか。

 

 国営小学校(プライマリースクール)も神殿の創設も拒絶しない優良国家の併呑は穏やかに進んだらしい。

 

+

 

 神都。カフェ・マスコンパス、テラス席。

 

「どうだった?」

「すごく楽しかった!昨日のエ・ランテルも、今日の神都も!感動したわ!!」

 リーゼロッテはナインズに太陽のように笑った。彼女はまた男性の正装のような格好をしていて、腰には剣が下げられている。

 その隣でマキャティアなる飲み物に口を付けていたセオドアは相変わらず冷めた目をしていた。

「殿下──じゃなくてキュータ殿はそんな事を聞いたんじゃないだろう。全種融和の街の感想くらい言えないのか」

「ふーん。そうね。あなたが不可能だの無理だのごちゃごちゃ言っていた街だわ」

「神の力がなければ成り立たないのだから、人間達しかいなかったオーケルベリでは不可能だ」

「そう。そうやって早々に何でも諦めて神を失望させるのも人間達じゃないかしら。特にあなたのことよ」

 二人がバチバチと火花を散らし始めると、一郎太は苦笑した。

 

「ナ──キュー様、この二人またやってるよ」

「ふふ、仲良しだよね。二人とも大好きなんだって」

 黒髪を払い、机に頬杖を付く。

 二人は毒気を抜かれたように互いを見合わせ、すぐにフンと顔を逸らした。

 

「キュータ殿、心変わりがあればいつでもこのじゃじゃ馬を引き取ってくれ」

「また言ってる。僕が引き取ると愛人だけどいいの?」

「……だから、せめて側室で」

「最悪一晩や二晩泊めるくらいなら構わないけど、一生は嫌。だいたいリズも女の子なのにこんな話されて嫌でしょ」

「私は構わない。お父様と国の恩もあるし、正直キュータの事は好き。愛人だって本当に呼んでくれるなら喜んで行くわ」

「……やめてよ。そっちの人の顔見なよ」

 リーゼロッテはナインズの向かいに座る従兄を見るとおかしそうに笑った。

 苛立ちか何かが隠しきれないような様子で腕を組んでいた。

「何よ。お望みじゃないの」

「あぁ、あぁ。お望みだよ。ただし、愛人なんて馬鹿げた関係じゃなくな」

「強がって。毎晩飽きもせずにあんなに愛していると言うくせに」

 リーゼロッテが笑ってマキャティアに口を付ける横で、セオドアの握りしめた拳は震えていた。

「お、お前は……!」

「ふふ、いいね」

 ナインズもシナモンたっぷりのチャイに口を付ける。冬晴れにはもってこいだ。

 

 全てのカップの中身が空になる頃、四人は大神殿へ向かった。

「キュータ、また誘いに来てね」

「もちろん。二人揃って遊びにおいで」

「私一人でもいいわ」

「はは、君も心にもないこと言わないの」

「本当よ?キスして見せる?」

 くるりと首に手を回し、リーゼロッテは挑戦的な目をした。

「……やっぱりリズは思ったよりとんでもない女王になりそうだ」

「これはお礼と、求愛と、友情と、全てよ」

 グィと首を引かれ、ナインズの頬に唇が触れる。

 

 ナインズは苦笑混じでポンと背を叩いてやると離れた。

 

「えーと、キュー様。あのさ」

「何?」

「あれ」

 一郎太が指差す先にいた本を抱いたレオネは、目が合った瞬間にパッと顔を逸らした。

「……嘘でしょ」

 キョロキョロした後にレオネがどこかへ行こうとすると、ナインズはやましい事をしていたわけでもないというのに何か無性に罪悪感にかられ、そちらへ走った。

 なぜか逃げるようにレオネまで駆け出すとスピードを上げる。

「──レオネ、レオネ!」

 すぐに追いつき手を取ると、レオネは白々しく今気がついたかのような顔をした。

「あ、えっと、ごきげんよう。盗み見するつもりはなかったんですけれど、あんまり白昼堂々だから」

「いや、隠れないといけないようなあれじゃないから……。あの子はラ・オーケルベリ王国の姫殿下なんだよ……」

「外交の一貫ですわね。でも、お育ちも確かですし、身分もある方ですし、よろしいんじゃなくて?」

「よ、よろしいって君ね……。何言ってるの」

「……わたくしも、あなたが何を言いたいのかいまいちよく分かりませんわ」

「……だから……えーっと、つまりだね。僕は君しか見てない。本当に」

「そんな事おっしゃらないで別に何人とお付き合いされてもかまいませんのよ。ご結婚もちゃんとした方とされて。わたくしあなたの幸せが一番ですもの」

 

 と言っていると、レオネの両肩にポンッとセオドアの手が乗った。

「こんにちは。お嬢さん、俺と少し散歩しませんか?」

「……おあいにく様ですけれど、わたくし男性と二人では出かけませんの。手も退けていただけます?」

「あらら、なるほど。これはガードが固そうですね、キュータ殿」

「……何か勘違いしてないか。レオネにあんまり触らないで」

「じゃ、ご挨拶くらいにしましょうか!」

 レオネの手を取り、セオドアが甲にあっという間に口付けを送るとナインズは思わずセオドアの胸ぐらを掴んだ。

「……あんた遊び半分で何してんだよ……!怒るぞ……!」

「そんなに気になるなら、大切にしまっておくか、隣にちゃんと置いておきなよ、でしたっけ。キュータ殿。──はい、どうぞ」

 

 口付けたレオネの手をポンと渡される。

 ナインズはセオドアを渋い顔をして睨んだ。

「そんな顔してないで、どうぞ?」

「……どうぞじゃない」

「いやいや、どうぞどうぞ」

「……なんですの。わたくしで遊ばないでいただけますこと。いくら身分のある方達でも女性でそんなことされて、怒りますわよ」

「遊んでない。でも、消毒だけ」

 ナインズはレオネの手を持ち上げると、それに唇を落とし、そのまま数秒止まると離した。

「ごめんね、やっぱり君にはお嫁に来てもらいたいな。他人に触られるとこんなに不愉快だとはびっくりする」

「……も、もー!なんですの!!遊ばないでって言ってますのに!!」

 

 レオネはそのまましばらくジタバタし、一郎太はリーゼロッテと嬉しそうに笑い合った。




あらま!めでたしめでたし!
穏やかときたら、次は苛烈な感じに行きたいんですけど、破壊してもいいような国を建設していますのでしばしお待ちください(?
も〜〜裏の書きすぎて本編書きだめ失うとかいう大失態!!!


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試される神聖魔導国 - 始源の力編
Re Lesson#42 天国と地獄


「──この世には神様がいてね、近いうちに僕らを導いて救い出してくれるんだって」

 

 兄のルシオは言った。

 ルシオが身に纏うのは汚らしい粗末な服で、背中に鞭を打たれたせいで裂けた皮膚からは血が滲んでいた。手足は垢で薄汚れて、灰色だった。

 

「……神様が救い出してくれる……?本当に……?」

 妹のジェーリもまた、汚らしく粗末な服を着ていた。

 だが、兄とは違い風呂に入れているのでまだましだ。

 ジェーリは今年多分十二歳だが、──二人は数を数えられないので確証はない──娼婦だ。九つの頃から娼婦として()の中の主人達に仕えている。

 ルシオは多分十五才で、十三になった頃から鉱山の採掘の仕事に回された。六つから十三までは男娼だったが、体力もついてきて体の大きさもちょうど良くなったと採掘に回された。

 採掘は魔法爆竹を持って小さな穴を進んでいき、それを設置して大慌てで戻るのが主な仕事で、後は鉱石をひたすら運び出す。

 

 たくさん友人達が死んでいったのを見た。

 

 死ねればまだ良いが、顔の半分がなくなったのに生きているとか、両手足がなくなって耳も聞こえなくなって道に捨てられているとか、そう言うことも往々にしてある危険な仕事だった。

 働けなくなって泣いて緩やかに餓死していく者達は永遠(とわ)泣き虫と呼ばれ、虫として扱われた。

 皆自分の生活がいっぱいいっぱいなので、いつか死ぬ者や見返りをくれない者に食べ物を分けてやる事なども難しい。

 

 男として誇りがどうのと言うのは捨てて、ルシオは男娼だった頃の方がよっぽど良かったとよく泣いていた。

 近頃では鉱山の男達相手に体を売って、少しでも危なくない仕事をさせて欲しいとお願いしたりしている。今日は安全な石材運び出しに回してもらえたが、ちんたらするなと背をムチで打たれてしまった。

 だが、それでも魔法爆竹の設置よりはましだ。

 魔法爆竹は()()()達が作っていて、爆発までの時間にムラがあったりして、本当にいつ死ぬかわからない。

 それくらいなら男のくせに腰を振って男に媚びて男を咥えて石材運びに回された方がいい。

 

 プライドなんて生きるためには必要なかった。

 

 ジェーリの事も残しては逝けない。

 母は鬼籍だし、父は──永遠泣き虫になっている。

 母親は去年、弟──父親は()の中の誰か──を産み、弟の面倒を見ているせいで母親が娼婦として働けないという理由で弟が殺された。母を気に入っていた()()()がいた結果だった。半狂乱になった母は()()()の逆鱗に触れて殴られて死んだ。

 ジェーリが産まれた時は当時三つだったルシオが抱えて隣近所に貰い乳に行くことで育てられたが、今ではルシオもジェーリも働きに出ているので弟の面倒を見られるのが母しかいなかった。

 父親は雨の中()の修復作業をしていて、滑って落ちた。

 両足を粉砕して歩けなくなり、()()()の低位の回復魔法で傷だけ塞がれて帰ってきた。

 働くこともできない父をジェーリ一人で養っていくのは無理だ。

 

 世界は壁の内側と外側で出来ている。

 内側は綺麗な場所で、()()()と呼ばれる者達が暮らしている。

 四眼種は人間の種類の一つで、二眼種の人間より力も魔法も堪能だ。目は文字通り四つ、二つは物を見るために、残りの二つは魔力を宿す魔眼で、普段は閉じられている。

 

 壁の外側は全てが汚く醜く、ときにゴブリンやオーガすら襲いにくる不浄の場所だ。

 壁の外のさらに周りには深い堀があって、ゴブリンが無尽蔵に入ってくるわけではないが、先月も友達や近所のお姉さんが攫われて行った。

 攫われるのはいつも女で、彼女達はゴブリンの子供を産まされているらしい。産んで授乳が終わると殺されるのか、もう一度同じことのやり直し。

 

 動けない父親と二人の兄妹は、当然壁の外側に生きている。

 向こうは壁ノ内と呼ばれ、ここは二眼ゲットーと呼ばれた。

 二眼ゲットーは二眼種しかいない。皆一様に学は無く、数は数えられて五つまで。なので、誰も金も持っていない。

 ほとんどの場合長く生きても皆四十才程度には死んでいて、ルシオの母も例に漏れず、死んだのは三十代だった。──本人達は数を数えられないのでよく分かっていないが。

 

 二眼ゲットーに食事という食事はなかった。皆食べ盛りになる六つや八つには、壁ノ内の四眼種達に仕事をもらいに行く。仕事の報酬として配給チケットを出して貰うのだ。

 親達は皆いつもお腹を空かせていて、働けない程度の歳の子供たちと配給の食事を分け合った。

 森へ出て猟をする者もいないわけではないが、オーガに食い殺される事を恐れてそうする者はほとんどいない。

 二眼ゲットーの二眼種は一人残らず痩せていた。

 

 ルシオとジェーリも例に漏れず、(あばら)が浮いている有様だ。

「少し前に旅人が何人か来て壁ノ内に入って行ったんだって。その旅人が、壁ノ内に入る前に神々が必ず救ってくださるって言ったらしい。そんな話を聞いたって、メルタが昨日教えてくれたんだ」

「すごい!神様後何日で来るのかなぁ!」

「近いうちだよ。僕たちは数がわからないから、旅人さんたちのいうことがよくわかんない。でも、楽しみだよね」

「うん!楽しみ!!神様が救ってくれたら、もうお腹は空かないのかなぁ!」

「お腹が空かなかったら、働いてても倒れないのにね。倒れて鞭で打たれる事もない」

 ルシオは言いながら、自分の力だけでは動くことすらままならない父親が床ずれしないようにごろりと向きを変えてやった。

「あぁ……ルシオ……ありがとう……」

「ううん。お父さんも、神様が来るの楽しみだね」

「……本当だねえ」

「さぁ、ジェーリもそろそろ寝ようか」

 

 三人で抱き合い、雑巾よりも薄い毛布を被る。

 荒屋(アバラヤ)の外は雪が降っていて、互いの体温がなければ翌朝目覚めることもないような気温だ。

 ガタガタと壁が揺れる。

「うぅ……寒いよ……お腹痛い……」

 ジェーリが震える。

 足を絡めていると、ふとルシオの足を生暖かいものが伝った気がして顔を起こした。

 そして布団をまくると、ルシオは顔を青くした。

「──ジェーリ、生理だ。生理が始まってる」

「生理?せ、生理?」

 ジェーリからは血が伝っていて、三人は顔を青くした。

 父はもちろんのこと、娼婦として働いた母を持ち今娼婦として働くジェーリ、男娼として働いたルシオはその意味をはっきりと理解していた。

「い、嫌だ!子供ができちゃう!!どうしよう!!どうしよう!!」

 どうしようもない。だが、痩せ細っている二眼種は健康的な四眼種に比べて妊娠しにくいと聞く。

 ルシオは父に言われるまま母が使っていた布ナプキンを慌てて出してやり、泣きながら眠りについた。

 

+

 

 ナインズは頬杖を付き、目を閉じて授業を聞いていた。

 ──いや、外から聞こえてくる聖歌に耳を傾けていた。

 そろそろ期末考査も──冬休みも近い。

 きっと、冬休みにはまたナザリックに籠ることになるだろう。

 誕生祭で少し離席しないとレオネに会えるタイミングがなさそうだなぁと思う。およそ一ヶ月間たった一回しか会えなくなるのかと思いながら過ごせば過ごすほど、この聞こえてくる聖歌を耳が追った。

 レオネの声だけを聞き分けていると、──ふとナインズはそれの変容に目を開いた。

 

「──レオネ……」

「何?レオネがどうかしたの?」

 隣の一郎太が尋ねる。

 ナインズはム……と口に手を当て、またそれを聞いた。

「キュー様、大丈夫?また何かあったの?」

「……いや。今日の彼女の声はまたずいぶん綺麗だと思って」

 隣でワルワラが特大のため息を吐き、カインは机にぶっ倒れた。

「……お前なぁ。クソ真剣な顔で何言うのかと思ったらそれかよ」

「ははは、学食で会うのが楽しみだ。早く終わらないかなぁ」

「大体この聖歌の中からレオネの声なんか聞き分けられるかよ」

「分かるよ。彼女の声は黄金の風だ」

 ナインズはまた目を閉じて鼻歌を歌った。

「……カイン、こいつ何とかしろ。ある意味まだ超常現象だ」

「そりゃもう仕方ない……。でも、まさかここまで夢中になっちゃうとは」

「キュー様成績落ちたらレオネのせいだな!」

「お?それは良いな。次の考査は俺が一番上に名前を載せることになるかもしれない」

 それを聞くと、ナインズは笑った。

「ふふ、レオネに怒られないためにも僕は一番上を死守すると決めた」

「……どこまでもムカつくやつ」

 

 授業が終わると四人は午後の魔法学の教科書だけを手に学食へ向かった。

 すっかりいつもの八人になってしまった面子でテラスの席を二つ囲む。

 寒い寒いと女子が言い、ワルワラが文句混じりに<温度変化(テンパラチャーチェンジ)>を狭い範囲にかけてくれた。

 

「──レオネ、食べ終わったら少しだけ時間をもらってもいいかな」

 ナインズが言うとレオネはフォークを口に首を傾げた。

「構いませんけど、どうかされて?」

「うん、授業中君の歌を聞いてたんだけど今日はいつもより一層綺麗だった」

「な、何言ってますのよぉ」

 レオネの顔が赤くなり、周りで聞いている者達が顔を覆った。平然としていられるのは一郎太くらいかもしれない。

 

「本当に綺麗だったよ。レオネ、僕は正しく他者の力を測る能力は持ってないけど、君の聖歌には清浄な力が付き始めてる。多分、中位神官と呼ばれる存在になろうとしてるんだと思う。──今ならきっと出せる。君を守る天使を」

 レオネはハッとすると「だ、出せますの……?」と復唱した。

 五人は目を見合わせ、一郎太はやはり平然としていた。

 

 食事を急いで終え、レオネは最近新しくした杖を抜いた。

「──俺はお前がただバカになったんだと思った」

 ワルワラが言うとナインズは笑った。

「はは、僕は彼女に夢中さ。バカみたいにね」

「ふん。そう言いながらまともなんだからな」

「そう?──レオネ、考えすぎないで試してごらん!君の力は達しているはずだから!」

「は、はい!」

 

 レオネは静かに目を閉じ、イメージを明確にした。

 レオネの中に天使ははっきり見えている。その摂理を学び続けてきた。

 ヨァナは両手を胸の前に組み、ごくりとその様子を伺った。

 

「──<第二位階天使召喚(サモン・エンジェル・2nd)>!!」

 

 テラス席の、誰もいない所へ向かって杖が振られる。

 寒々しい風が吹き抜ける場所にぼわりと光が満ちる。

 ヨァナとファー、ルイディナは目を見合わせ、抱き合った。

 

 眼前には守護の天使(エンジェル・ガーディアン)が召喚されていた。

 

「レ、レオネ!出てるわ!出てるわよ!!」

「えぇ!?レオネ、すっごぉ!!」

「流石で──首席君の一番弟子ー!」

 

 レオネは呆然と瞬いた。

「ほ、本当にわたくしですの?これを喚んだの」

「レオネ以外にいないわ!おめでとう!!」

「さすが模範女子!!」

 

 ワルワラとカインは思わず唸った。

「すごい。キュータ様の教え子って……」

「この短期間にゼロ位階から第二位階かよ……」

 周りや学食の中からは生徒達が天使の降臨に喝采を送ってくれていた。

「わ、わたくし……わたくし……」

「頑張った!本当にすごい!!」

 女子達は思わずもらい泣きしそうだった。これがどれ程の苦難の先にある魔法なのか、聖騎士や神官、司祭の彼女達にはよく分かっていたから。

 

 ふと、レオネはそっと抱きしめられた。

「──おめでとう、レオネ」

 微笑むキュータを見上げると、レオネは顔にくちゃっと皺を寄せ、杖を持った手のまま顔を覆って肩を震わせた。

 

「っき、きゅーたさぁん……!」

「はは、出せたね。レオネ、休まずよく頑張ったよ」

「わたくし、才能なくってだめかと思いました……!ごめんなさい、お待たせして、こんなにかかって……!」

「いいや。一年で第二位階、それも天使召喚なんてそうそうできることじゃない。本当によくやった」

 レオネは何度も頷き、キュータから額に口付けが送られると周りから「ッキャー!」と声が上がった。

「誰よりも頑張った君に祝福を」

「はいっ……ありがとうっ……。ありがとうございますっ……」

 レオネが落ち着くまでしばらくナインズはそのままレオネのぬくもりを抱いた。

 

 そして、ふとレオネの膝から力が抜けた。

「──レオネ」

「あ、キ、キュータさん……あの……」

 覗き込んでみたレオネの顔は少し青かった。

「午前中の授業でも魔法は使っただろうし魔力が欠乏したか。少し横になった方がいいね」

 キュータが慣れた手付きでレオネを抱き上げると、レオネは「はぁ……」とため息を吐いて首に縋った。

「あぁ……これでもうあなたの手は煩わせないと思ったのに……」

「君とのことで手を煩わされたと思ったことなんか一度もないよ。──ごめん、皆。回復室行ってくるね」

 レオネを抱えたキュータが軽い足取りで学食を去ると一郎太もその後を追い、残された者達は目を見合わせた。

「すごすぎるわね。レオネはもちろんだけど……教えて稽古つけてたとか言う首席も首席よ。どうしてこの短い時間でそんなことができるの?」

「レオネがよっぽど才能があった?でも、同じようにしても半年程度で天使出せるようになるなんてあり得ないよね?」

 ファーとヨァナは頭を抱えた。

 

 そして回復室へ向かう三人。

「キュータさん、わたくし、もっと頑張るから……」

「ゆっくりでいいよ。頑張りすぎないでね」

 一郎太が回復室の扉を叩き、中に入って行くとそれに続く。

 回復室の神官に魔力欠乏の旨を伝えると、その勲章の魔力欠乏に拍手を送った。

 カーテンに囲まれるベッドにレオネを下ろす。

 

「一太、これ」

「ん」

 一郎太が手を伸ばし、ナインズは腕輪を抜いた。

 そして、レオネの天使に手をかざし、極力声を落として唱えた。

 

「──<第六位階天使支配(ドミネーション・エンジェル6th)>」

 

 この魔法はフールーダの教えだ。フールーダは<第六位階死者召喚(サモン・アンデッド・6th)>を改良したオリジナルスペル<第六位階死体操作(アニメイト・デッド6th)>を作っていた。野生の死の騎士(デスナイト)をこの魔法で支配しようと必死にやっていたが──それが叶ったのはつい最近だ。

 

 フラミーの出す天使などは低位でもとても支配できないが、レオネ程度の天使なら──

 天使の瞳はギラリと金色に光り、ナインズに振り返った。

「彼女を守れ。魔力が回復する前に起き上がるような時には止めろ。他のことは召喚主に従っていい」

 深々と頭を下げ、天使はレオネの隣にふわふわと浮かんだ。

「わたくしの天使なのに……」

「ごめんね。でも、午後はゆっくり過ごすんだよ」

「……でも……授業が……」

「そう言うと思った。必要な休息はきちんと取ってね」

 手の甲に口付けるとキュータは立ち上がり、「おやすみ、お姫様」と一言残して一郎太と共に去っていった。

 

 レオネがうとうとと浅い眠りに身を任せていると、ふとカーテンの外から声がした。

 

『──あの信仰科の子、本当に魔力欠乏かな』

『──キュータ君に抱っこして貰って皆に見せつけたいだけでしょ』

 

 そんな声に心臓がドクンと嫌な収縮を見せた。

 

『課外授業の間もずっとそうだったもん。お情けかけてもらってさ』

『調子悪いって言って首席君をダンスの間ずっとそばに居させたのってあの子だったんだもんね』

『独占欲強すぎ。他の女子からこれでもかって遠ざけて、キュータ君孤立させて付き合い始めるって汚い』

 

 レオネは発生しない訳のなかった中傷を聞くと肩を落とした。

 バイス組女子が清すぎたのだ。

 本当はオリビア達から「抜け駆けして」と向けられるはずだった視線に耐え難くなって布団に潜った。

 

『──音したけど、起きてるのかな?』

『起きてたら魔力欠乏じゃなかったわけだから別に良くない?事実だもん』

『ミルリル悪ーい!』

『ふふ!もう行こっか。言われた通り新しいポーション補充もしたし』

 女子達が回復室を出ていく足音を耳に、レオネは体を起こした。

「…………」

 もう行こう。

 そう思ってベッドから足を下ろそうとすると、鞘に収められたままの剣が目前に下ろされた。まるで「まだ行くな」とでも言うように。

 

「……もう大丈夫ですわ。わたくしは召喚主でしてよ。通してくださいませ」

 

 天使は何も言わない。黙ってレオネを見下ろした。

 無視して靴を履いて立ちあがろうとすると、レオネはよろめき、天使はレオネを抱き上げて元の場所に戻した。

 天使に触れられると、天使の中でキュータに繋がる強い支配の力を感じ、レオネは布団をかぶって天使の手を握ったまま目を閉じた。

「……キュータさん……」

 女の子達にどうこう言われる事も辛いが、それよりもキュータの邪魔になるのが嫌だった。

 レオネは悶々と考え事をし、そのままいつの間にか意識を失った。

 

 そして、目を覚ました時には隣で本をめくる音がしていた。

 そちらを見るとキュータがいた。時間がある時によく読んでいるレオネの読めない文字の本に目を通している。

「──起きた?」

 本を見たまま微笑んだキュータは言った。

「……はい。今、何時ですの?」

「下校時刻だよ。回復したみたいで安心した」

「……わたくし、本当は平気でしたの。あなたに甘えてただけで」

「嘘言っちゃいけない。僕は君の魔力が底をついたのを見たよ。──でも、甘えてくれるのは嬉しいな」

 パタリと本を閉じ、キュータは優しい瞳でレオネを捉えた。

「まだ疲れてそうだね。送るよ」

 魔力と体力的な疲れは正直もうなかった。

 レオネは靴を履くと遠慮がちにキュータを見上げた。

 

「あの……わたくし、一人で帰れますわ。疲れてませんもの」

「ん──レオネ、どうかした?僕が君の天使に手を出したこと怒ってる?」

「そんなことありませんわ。……すごく心強かった。でも、今日は一人で帰りたいの」

 キュータは意図が掴めないようでレオネの手に手を伸ばした。

「──何か悩んでるね?」

「女の子はちょっぴり複雑ですのよ。でも、大丈夫」

 レオネは手を取られる前に今度こそ立ち上がると、キュータの顔も見れないまま逃げるようにカーテンを駆け出した。

 外ではヨァナがキュータを待つ一郎太の隣で一生懸命何かを話していて、一郎太は聞いているのか聞いていないのかという様子だったが、レオネが出てくると「あれ?」と首を傾げた。

「レオネ、キュー様どした?」

「レオネ!荷物持ってきたよん!」

「──ぁ、ヨァナ、ありがとう。わたくし、ちょっと……ごめんなさい」

 レオネはカバンとコートを受け取ると駆けた。

 嫌な態度だと自分で自分が嫌になった。せっかく天使まで喚べるようにして貰ったのに。

 

 走り去っていく背を見ると一郎太はやはり首を傾げた。

「……なんだ?あいつ」

 回復室に入ろうとすると、ヨァナも付いてこようとし、一郎太はそれを押し留めた。

「お前はここで待ってて。キュー様見てくるから──あ、いや。別に待たなくていいわ。帰っていいから」

「へへ、ミノさんのこと待ってるよ!」

「……やりにく」

 懐き度が日に日に増すヨァナに一郎太は頭をかき、回復室のカーテンを開けた。

「キュー様?」

 ナインズはベッドの横の椅子に座り、窓辺に肘をついて外を眺めていた。

「どしたの?レオネ行っちゃったけど」

「……分からない。でも、また振られたかも」

「えぇ?」

「……僕は本当に疎いんだな。好きな男が突然できたようでもないし……何が原因なのかよく分からない……」

「分からないならこんな所で絵になってないで早く追いかけて聞いてきて下さいって」

「──それはそうだ」

 キュータは立ち上がり、回復室を駆け出した。

 廊下のヨァナが顔を上げると「先に行くね」と手を振った。

 

 キュータの足は早く、校門に辿り着こうと言う所でレオネの背を見つけた。

「レオ──」

 レオネは薬学科のミルリルに話しかけられていた。

 あの二人が友達だった記憶はないが、友達と話すところを邪魔しては悪いかとキュータは足を遅めた。

 そして、人より良い耳がミルリルの声を聞き取った。

 

『──調子よさそうで良かったね』

 

 レオネは回復室でミルリルと呼ばれていた子の声を聞くと、不安な気持ちに蓋をして笑った。

「えぇ、良くなりましたわ。どなたか存じ上げないけど、ありがとう」

「ふーん?元からじゃないの?ちなみに私はあなたの事よく知ってるよ。課外授業の時、大活躍だったもんねぇ。ローランさん」

「……活躍なんてしてませんわ」

「大活躍だよ。皆がキュータ君と踊れなくして、宿主になったと思ったら期間中ずっと独占して。すごいね?」

「それは……ごめんなさい。本当にそう言うつもりじゃなかったんだけれど……」

 レオネはちらりとミルリルを見た。可愛い顔をしているのに怖かった。

 

「そう言うつもりじゃなかった?じゃあ今は何?ちょっと綺麗だからって、あなた本当に好きになってもらって付き合ってもらえてると思ってる?」

「……どう言うこと?」

「お情けだって言ってるの。つけ込むのうまいよね?私もキュータ君に何度も心配してもらってるけど、そこまで図々しくなれないや。羨ましい。私もキュータ君と付き合いたかった」

「……あなたが本当にあの方のことが好きでその背を支えると言うならわたくしいつでも身を引くわ」

「嘘つき。そう言えば男はバカだから付き合えるってわけ?」

 その物言いにレオネの頭にカッと血が上った。小さくなってたはずだったが、ギュッと鞄を握りしめた。

「それはあの方への侮辱と捉えられても仕方のない物言いだわ。わたくし怒るわよ。あなた──」

「──確かに僕の頭は良くないかもしれないけど、僕がお情けで付き合ってもらってるのに勝手なこと言うなよ。ミルリル」

 後ろから腕が引っ張られるとレオネは背を巨木にぶつけたかと思った。

 背に感じる胸板とこの声。とんでもないものを見られたとレオネは俯いた。

 

「キ、キュータ君。ち、ちがくて、キュータ君優しいからさ。なんか、体調悪いとか色々言われたりしたら、ほっとけないでしょ?」

「そりゃほっとけないけど、それとこれって同じ話か?」

「同じだよ!付き合ってって泣かれたりしたらキュータ君絶対断れないもん!!」

「僕も流石にそこまでバカじゃない。気持ちが伴わないのに泣かれただけで誰かと付き合ったりしない。想像だけで彼女にどうこう言ってくれるな」

「でも!おかしいよ!!キュータ君、彼はいい子だよとか、彼じゃダメなのとか、ローランさんに言ってるって聞いた!!お情けで付き合っちゃったけど、別れてほしいのに別れられないんじゃないの!?」

「──斬新だな。いや、普通に考えるとそうか?ミルリル、私は彼女に何度か振られてる。でも、僕が跪いて頼み込んで何とか付き合ってもらってるんだよ。でも、いつ振られるか分からないから、せめて次に付き合う相手がいい人であって欲しいと思ってそんな馬鹿げたことを言ってるんだ。僕だって本当はそんな真似したくない」

「そ、そんな。嘘だよ……」

「本当。僕はレオネに求婚すらしてる。でも断られてる。だから僕のお情けでどうこうとか、別れられなくてどうこうとか、見当違いだからやめてくれるか」

 ミルリルは涙の溜まった目でキュータを見ると、「何がそんなにいいの……」と呟いた。

「全て。レオネの心も、顔も、声も、手触りも匂いも、この髪も、何もかもが僕を魅了して止まない。恋を知らなかった六歳の頃から、どんな時でも彼女のまっすぐな声だけは聞こえてた。だから──」

 キュータは言葉を考えるように一瞬目を泳がせてから再び口を開いた。

「──ミルリル、僕が不可解な事を言ってたせいで心配かけて悪かったね。ありがとう。でも大丈夫だから」

「…………ううん。それなら……いいよ……。じゃあ、私行くね」

「じゃあね」

 手を振るとミルリルはパッと背を向けて走って行った。

 

「──キュー様、なんで"だからもう私に構うな"って言わなかったの?」

 キュータは一郎太に振り返ると笑った。隣でヨァナが腕を組んでうんうん頷いている。

「よく分かったね。でも、続きが抜けてるよ。僕は"だからもう私に構うな。私に女を叩く趣味はないが、これ以上は叩いてしまう"って言いたかった。でも、レオネが望まないからやめた」

 

 レオネはキュータに振り返ると胸に縋って顔をごしごし擦り付けた。

「──なんてこと言いますのよぉ。あんなこと言って、あなた結婚できなくなったらどうされるのぉ」

「君がするって言ってくれれば解決するよ。レオネ、私の妻になってくれ。幸せにするよ」

「だめですってばぁ」

「いいって言ってくれるまで僕はめげないよ。──でも、僕のせいでごめんね」

 見上げてくるレオネの目にはたくさん涙が浮かんでいて、鼻をぐすぐす鳴らすとキュータの胸は痛んだ。

「……本当にごめん、レオネ。君の幸せのために奔走するって言ってるのに余計な気を揉ませた」

「……わたくしこそごめんなさい……。あなたに余計な気を揉ませたわ」

「ちっとも。でも……一緒に帰ってもいい?」

 レオネが小さく頷くと、キュータは嬉しそうに笑い、レオネの頬の涙を何度か指で拭ってレオネの手を取った。

 

「やれやれ、だから言ってんのにな」

 一郎太が言うと、ヨァナはふーむ、と腕を組んだ。

「なんでレオネ結婚したくないの?」

「そりゃ──ま、理由は色々だろ。でも、俺もあれこれ二人で背負い込みすぎないで結婚しろって思ってるよ。キュー様よりいい男なんかいるわけないしさ」

「え?それはいるよ?」

「だ──いや、察した。……聞きたくない」

「えー誰って言ってよー!」

「やだ……」

「ね〜ミノさん〜」

 四人ですぐそこの校門をくぐると、キュータが足を止め、一郎太はその視線の先を追った。

 そこには魔導学院のものではない制服に身を包んだ女子が一人いた。

「……あー……」

「誰?なーんて、私が言っちゃったね」

 ヨァナの能天気な声がした。

 

「や、オリビア。レオネに会いに来た?」

 真っ赤な顔をしたオリビアはキュータとレオネを見るといつもと違う少しおかしな笑顔を作った。

「──う、うん、キュータくんにも会いに来たんだよ!」

「ありがとう、顔が見れて嬉しいよ」

「今度皆で遊ぼうね!レオネ、あれ誘ってくれた?」

「えぇ。午前中は少しご公──バイトがあるそうだけれど」

「良かった!楽しみにしてるね!」

 オリビアの目が泳ぐ。そして、キュータの前に立った。

「……キュータくん」

「うん?」

「……私のこと……大事……?」

「うん、大事だよ。どうかした?」

「──ううん!それを聞きたかったのかも!ふふ、ありがと!」

 オリビアはちらりとレオネを見ると、複雑そうに笑って走って行った。

 

+

 

 期末考査も迫った頃、雪の積もる大神殿。

 ナインズは幻術もかけていない、正真正銘ナインズ・ウール・ゴウンの姿でそこを訪れていた。

 

「この後の予定って、すぐに終わりそうなんでしたっけ」

「えぇ。もう終わりますよ。今度開かれる飛空艇開通式典と、夜の転移門(ナイトゲート)開通式典の式次第にだけお目を通して頂こうかと存じます」

「あ、それってもうじきか……」

 隣で境の神官長と最高神官長は頷いた。

「えぇ。挨拶の方は何かお手伝いいたしますか?」

 そういえば父より挨拶は頼むと言われていた。ナインズの中でいくつも言葉が浮かんでいく。

「──いえ、なんとかなりそうです。それより、父王陛下達は出席されないのかな」

「両陛下共に見えられるそうです。楽しみにしていると」

「陛下方が来られるのに僕が挨拶って……大丈夫かなぁ……。皆陛下方の声を聞きたいんじゃ……」

「ふふふ、それはそうかもしれませんが、殿下のお声を賜りたいと思う者も同じくらい多くおります」

「うーん。全く実感がない」

 ナインズが首を傾げると、隣で一郎太が笑った。

 

「ナイ様、どんな顔してんだろうとかあれこれ言われてるし結構国民はナイ様見れるってなると嬉しいもんだよ」

「神様を見たいのは分かるけどさぁ。その子供ってどうなの?僕別に世界も命も作ってないんだけど」

「今後作るかも知れないじゃん?」

「どーだかねぇ……?僕には無理な気しかしないんだけど」

 なんとも年相応なやり取りに最高神官長は笑った。

「ふふふ、殿下。そう焦られなくてもよろしいではありませんか。あなたはまだ十六です。一郎太君のいう通り、あなたの神話はこれから始まるのですから」

「神話……ねぇ……」

 ナインズは困ったように笑い、一郎太は肩を組んだ。

 

+

 

 同日。真っ青な空の下、アナ=マリアはほぅと白い息を吐いた。吐息は流れていき、後ろへ後ろへ流れる。

 大神殿には今日も人が溢れている。神の子の誕生祭も近い。

 

「──アナ=マリア」

 呼ばれる声に振り返る。

「──レオネちゃん」

 

 最初の到着はレオネだった。その手には栞が二つ挟まれた本。

「アナ=マリア、早かったんですのね」

「……うん。起きたら雪が積もってたから、遅刻したら困ると思って」

「感心なこと。でも、あとの二人はきっと早くは来ませんわよ」

「……オリビアちゃんも?」

「えぇ。きっと、髪の毛がうまくいかないとか言って今頃ひぃひぃ言いながら身支度を整えてる頃ですもの」

「……今日、大事な日だもんね。……私、気合足りない?」

 アナ=マリアは茶色い自らの髪に触れた。

 なんと言っても、今日は少し早いが、キュータの誕生日を皆で祝う日なのだ。

 一郎太もこっそり呼び出し、皆でキュータに何をあげようと散々話し合い、一郎太の素晴らしい思いつきに女子は大賛成し──男子はちょっと照れくさそうにした。

 きっと、一生の思い出になる。

 

「大丈夫。今日もすごく素敵ですわよ。本当に綺麗」

「……レオネちゃんほどじゃない」

 

 レオネは元々美しい顔立ちだが、それとは別にやはりキュータと付き合い始めた頃からさらに美しくなっている気がした。不思議と目を離すのが難しいくらい。

 それに、子供の頃は賑やかで長く一緒にいるのが苦手だったはずなのに、こんなに居心地がいい。いつも落ち着いていて、その瞳の向こうにどれほど綺麗な景色が広がっているのだろうとアナ=マリアは虜になりそうだった。

「わたくし?嫌だわ。わたくしこそ気合不足ですのに」

 鼻の頭を赤くして照れくさそうに笑う姿は品もよく、不思議と女性として憧れを抱いてしまうようなものだった。

「……毎日会って、恋人にもなったら、キュータ君でも特別じゃなくなる?」

「……そんなこともありませんわ。とても特別。大切過ぎて、胸が張り裂けてしまいそう。わたくしも、オリビアのように爛漫な子だったら良かったのにと思ってしまうくらい」

 アナ=マリアはレオネの腕をそっと組んだ。

 

「……私も。でも、私はレオネちゃんみたいにもなりたい。頭も良い。才能もある。家柄もいい」

「豪邸に暮らす頭のいいお姫様が何をおっしゃってるの?」

 アナ=マリアの家は大きい。いわゆる豪商の娘だ。

 彼女が高価である本をいくらでも持っているのも、読んでいるのも、なんでも与えられる家柄あってこそ。

 アナ=マリアは腕を取ったままレオネの手の中の本を持ち上げた。

「……こんな本は私には読めない」

 回復魔法について書かれた神官が読むような専門書。

 以前どんな物が次は読みたいか聞いた時、キュータは実用書なんかも意外と好きだよと言っていた。実用書の類は父の部屋に行けばなんでもあるが、面白い基準がアナ=マリアには分からないので結局勧めてはあげられていない。

「こんなもの、いわば授業の一環ですもの。習えばどなたでも読めるわ」

「……そんなことない。レオネちゃん、そう言えば天使は喚べるようになったんだよね。おめでとう」

「ありがとう。本当に嬉しいわ。わたくし、自分のことをちゃんと自分で守れるようになったから、次は人を救えるようになっていくんだと思うと──すごく楽しみ」

 レオネが大神殿を見上げていると、ふと、後ろから声がした。

 

「──それだけ綺麗な心じゃないとだめなのかな……」

 それはオリビアのものだった。

「あら、オリビア見えてたのね。おはようございます」

「……オリビアちゃん、おはよう」

「おはよ〜。あぁあ。……レオネ、凄く大切にしてもらえてていいなぁ」

「突然何の話ですの?」

「んー……。レオネ、少し二人で話してもいい?」

「構いませんわよ。アナ=マリア、ここで皆を待ってらして」

「……行ってらっしゃい」

 

 アナ=マリアから離れ、二人は大神殿に入る前の階段をいくつか上がりって手すりにもたれた。

「へへ、ごめんね。こないだ立ち聞きしちゃったの。びっくりした。キュータくんってあそこまで言ってくれるんだね」

「やっぱり聞いてらした?たまに参りますのよ。真っ直ぐすぎて心臓に悪いっていうか……。この間そちらでよその国の姫殿下とキスされてたのを見ちゃった後はしばらく教室に何度も顔を出しにきたりして……本当に真面目なのね」

「わぁ……お姫様とチュー……。いいなぁ、お姫様もレオネも。ほんっとに羨ましい」

「……贅沢すぎる悩みだとは自分でも思いますわ」

 

 アナ=マリアの下にイシューが合流したのが見えると、レオネはそちらへ手を振った。

 

「ねぇ、レオネ……。キュータくんはレオネに本気になってくれてるよね?どうして結婚しようってせっかく言ってもらえたのに頷かないの?」

「……わたくしは神官だわ。わたくしではお与えできないものばかりだと分かっているもの」

「……そんな事言って。私はキュータくんのことを幸せにしてあげる自信も、幸せにしてもらう自信もあるよ」

「えぇ、わたくしもオリビアならきっとそうなれるって思いますわ。わたくしはキュータさんがキュータさんでいる間だけの腰掛け。あなたは生涯を共にして」

「変!変だよ!」

「そうかしら」

「そうだよ!!レオネ、私は絶対キュータくんのお嫁さんにしてもらうからね!!後悔しても知らないよ!!せっかくあんなに気持ち向けてもらえてるのに!!」

「後悔しないように必死で生きなきゃいけませんわね」

 レオネが笑うと、オリビアはぐぬぬと唇を噛んだ。

 

 向こうに見える噴水の前にはバイス組がすっかり集まり、皆で雪玉を丸めていた。

 リュカとムキムキのチェーザレは大きな丸い雪玉。

 ロランとカインは中くらいの雪玉。

 アナ=マリアとイシューは控えめの雪玉。

 三つが揃うと、エルミナスとカインが<浮遊(フローティング)>の魔法を唱え、三段構えの雪だるまが完成して皆キャッキャと子供のように喜んだ。

 

「レオネの気持ち、私全然分かんない。私幸せになりたい」

「わたくしだってなりたいわ」

「全然そう感じないよ。レオネ、何が幸せなの?」

「わたくしの幸せはナインズ殿下が幸せでいることだわ」

 

 その時、ふわりとレオネの肩に後ろから腕が回った。

 華やかすぎないこの香り──。この背に感じる体温──。この壊さないようにと震えるような腕の力──。

 レオネは知りすぎた全てを前に振り返りもしなかった。

「……遅刻でしてよ」

「ごめん。思ったよりかかった」

「許して差し上げる。でも、謝るべきことはもう一つあるんじゃなくて」

「……ん……。ごめん。聞こえたから聞いちゃった」

「嫌だわ。もう離れられて。オリビアもいるのに不公平だわ」

「不公平って何?」

 

 キュータが渋々レオネから離れると、顔を真っ赤にしたオリビアが二人を見ていた。後について来ていた一郎太は平然としながら──一緒にきたイオリエルを引っ捕まえて口を塞いでいた。じたばたと幼女の足が動いていた。

 

「や、オリビア。待たせて悪かったね。寒かったでしょ」

 オリビアは頷くと「私もあっためてほしい……」と言った。

 すぐにオリビアの手は取られ、そこにルーンが刻まれていく。

「わぁ……!」

「はい、じきに温まるからね」

「ありがと、キュータくん!でも、私もぎゅーが良かったなぁ」

「ん、ごめん。話してなかったけど、僕レオネと付き合い始めたんだ」

「知ってるよ。レオネにちゃんと教えてもらったもん」

「えぇ〜知ってるならそんな事冗談でも頼まないの」

 

 キュータは苦笑すると階段をとん、とん、と降りていき、その後を皆自然と追った。

 

「……キュータ君、一郎太君、イオちゃん。おはよう」

 アナ=マリアが彼女なりの目一杯の喜びを表現する中、イシューはキュータに駆け寄った。

「おはよー!キュータ、レオネにベタベタ〜。ねぇー、イオリエル」

「ほんとじゃ!大神殿の中に呼んで訓練しておる事まである!ベタベタしすぎじゃ!!」

「はは、そんなにベタベタしてるつもりないんだけどなぁ。うちの親すごいベタベタしてるから感覚おかしくなってるかな?」

 

 男子からも「おはー」と適当な挨拶が送られ迎えられた。

 

「皆も遅くなって悪かったね。思ったより大神殿で済まさないといけないことが長引いちゃったよ」

「殿下の仕事に文句を言う者なんていないよ」

「エルしか僕をそんな風には思ってないと思うよ?」

 エルミナスは肩をすくめると、「じゃあ、遅刻しないでよ。キュータ」と笑った。

「ふふ、そう言われたほうが楽だ。──それで、今日のこの会って何?皆揃ってて嬉しいなぁ」

 オリビアはキュータの両手を取ると爛漫な笑顔で告げた。

「キュータ君!もう少しでお誕生日でしょ!皆からお祝いのプレゼントがあるんだよ!」

「えぇ?そうだったの?皆別にそんなのいいのに」

「ううん!だから──今からプレゼントを撮りにいきまーす!」

 オリビアの号令で皆「おー!」と声を上げた。

 

「撮りに?写真?」

「そう!写真館予約したの!だから皆おめかしして来たんだよ!」

 キュータは皆を見渡し、皆がコートを開けて見せると「おぉ〜」と感心したように声を上げた。

「なのに僕と一太はいつも通り──いや、一太。そういえばさっき大神殿で見た時いつもよりなんかカッコよかったな!公務の付き添いだからだと思った!」

 一郎太はにやりと笑った。

「へへ、俺もいいの選んできたんだよ」

「あら〜、僕もマシな格好してくれば良かったなぁ」

「キュー様だって今日ソフト公務があったからいつもよりちゃんとしてるしいいじゃん」

「うーん、そうだろうか」

「うん!キュータくんカッコいいよ!」

「はは、オリビア、ありがと」

 

 皆であーだのこーだのと言っているうちに、イシューが拳を挙げた。

「それじゃ、レッツゴー!」

 イシューが先導していく後について、皆でぞろぞろと歩いた。

 

 レオネはいつでもキュータと話せるので自然と皆の後ろを歩き、キュータの背を眺めた。

 隣を一郎太が歩く。

 キュータはオリビアとアナ=マリアがブックマークを髪にさしている様子を「そう言うもんじゃないけど似合ってるね」と微笑んでいた。

 

「──一郎太さん、ありがとうございました」

「何が?」

「天使、あなたがあれだけ付き合ってくれたからこそだわ。本当にありがとうございます。今日はちゃんと言おうと思ってましたの」

「ははは、俺は別に礼を言われることはしてないぜ。キュー様のためだから」

「ふふ、あなたのその気性、好きだわ。分かり合える感じがしますもの」

「サンキュー。俺もナイ様断ること以外はお前のこと好いてるよ」

「そこを突かれると痛いですわね。──ね、それでね。お礼にこれ」

 レオネは持っていた紙袋を一つ一郎太に差し出した。

「何?俺本当に何もいらないぜ?」

「自分で言うのもなんだけれど、大したものじゃありませんから」

 一郎太は紙袋から弁当箱程度の大きさの缶を取り出すと「開けてみていい?」と聞いた。

「どうぞ」

 パコっと音を鳴らして開くと、中には色とりどりのクッキーがぎっしり入っていた。

「全部で三箱用意しましたから、二郎丸さんとクリス様にもお渡ししてくださる?」

「ん。オッケー。これならありがたく貰うわ。サンキュー」

 一郎太がヒョイっと一枚食べて「んまいぜ」と笑うと、キュータはゆるやかにスピードを緩めて合流した。

「これ、レオネが作ったの?」

「えぇ。母とだけれど一応」

「一つも焦げてない。器用だ。ちなみにそこ、僕の分も入ってる?」

「この袋の中は二の丸とクリスと俺のだって」

「えー」

 キュータが物欲しそうにレオネを見ると、レオネは「あなたの分はありませんわよ」と平然と言い放った。

「……ちぇ。一太ばっかりいいなぁ」

「はは!実働は俺の方があったからな!ま、分けてあげますよ」

 

 子供のような様子にレオネはおかしそうに笑った。

 そして、つん、と指先にぬくもりが触れる。

「………………」

 触れてきたキュータの指に指をそっと絡め、二人は皆から隠すように指先だけで手を繋いだ。

 誰かが振り返るとパッと離れ、またそっと指の背同士を触れ合わせて繋ぐ。

 レオネは指先すら赤く染まっているんじゃないかと思った。

 

「──到着ー!」

 イシューの声に指は完全に離れた。

 皆で写真館に入って行くと、イシューからコートはここで預けて、身支度はあっちで、と説明が飛ぶ。

 

 写真館で皆で並ぶと、妙に気恥ずかしくて思わず笑った。こんな事する若者そうそういないよ、なんて。

 写真屋のおじさんは魔術師組合上がりの魔法詠唱者(マジックキャスター)だった。

 堅物そうな顔をしておいて、皆の大笑いした顔と、真面目にキリリと立った()()()()()()の二パターンを撮ってくれた。

 それから、「せっかくだし、皆の分僕が出すから」とキュータが幻術を取るとおじさんは腰を抜かし、サービスでと全員分の殿下との写真をくれた。

 

「──こんなに良いもの。皆、本当にありがとう」

 キュータは友達と撮った三枚の白黒写真に感激した。

 全員に写真が行き渡る。

「皆は僕の宝物だよ。すごく嬉しい」

 やっぱりキュータは恥ずかしいことを言った。

 

 その後はアナ=マリアの豪邸に皆でお邪魔した。イオリエルだけは聖典業のために帰ってしまったが。

 軽食やケーキも出してもらい、皆で一日中遊んだ。

 

 小学生の頃から変わらない全てと、変わったたった一つのこと。

 

 男子でソファーに座り馬鹿げた話をして笑っていると、ふと肘置きにちょこりとオリビアが座った。

「キュータくん。──ううん、ナインズくん。本当にお誕生日おめでとう!」

「オリビアもありがとう。今までの誕生日で一番嬉しかったよ」

「ふふ、良かったぁ。ねぇねぇ、ナインズくんの誕生祭、私も見に行きたんだけど行ってもいい?」

「いいよ。話したりすることはできないから面白いかは分からないけど、皆に招待状が行くようにしておくね」

 後日皆の下に届いたその招待状には神々のお写真でしか見ることのないカラーの写真も添えられていて皆ひっくり返ったらしいがそれはまた別のお話。

 

「そうだ。僕は冬休みが来たら、多分誕生祭くらいでしか外に出られなくなる。──あ、でも皆一太とは遊んでいいからね」

「……外、出れなくなっちゃうんだね。じゃあ私から一つ特別なお祝い送らせてもらってもいい?」

「もういっぱい貰ったよ?」

「皆からじゃなくて、私から。目閉じて?」

 キュータは首を傾げ、目を閉じた。

 オリビアがキュータの頭を胸に抱きかかえると「え?ちょ」とキュータが一言漏らし──オリビアは頭にキスをした。

 その瞬間キュータが硬直すると男子達は「あぁ〜……」と声を上げた。

 イシューとアナ=マリア、レオネは嬉しそうに微笑みあった。

 

「──……き……君…………」

 キュータはオリビアの胸の中から顔を上げて目を丸くしていた。

「……祝福。お誕生日おめでとう。……祈り、聞こえちゃった?」

「……き、聞こえちゃった……。ごめん……」

「ふふ、いいよ!じゃあ、次は聞こえちゃったじゃなくて、ちゃんと聞いて?」

 オリビアは笑うとキュータの顔を撫で、もう一度額にキスをした。

「こ、困るよ。オリビア……」

「……ダメ?構わないって言ってくれない?」

「だめ……」

「じゃあ……キュータくん、少しお話ししても良い?」

 オリビアが立ち上がると、キュータは静かに頷き二人で廊下に出た。

 

「キュータくん、私の気持ちちゃんと伝わったかな。それとも、口で言った方がいい?」

「ううん、君の気持ちはよく分かったよ」

「本当かなぁ……」

「うん。本当によく伝わった……。でも……ごめん、オリビア。僕も君のことはすごく好きだけど……形が違うよ……」

「……やっぱりそうなんだよね。そうなんだって分かった。レオネは二年半の恋人ごっこをしてもらうって言ってたけど、キュータくん、そんな気持ちじゃないんだよね。レオネを見てる時のキュータくん見てて私びっくりしたもん。キュータくんってそんな顔するんだって」

 自分の顔を触るが、キュータは自分がレオネの前でどんな顔をしているのか想像も付かなかった。

 

「……僕はレオネに二年半だ、三年だ、と言わずに生涯そばにいて欲しいと思ってる」

「……でも、レオネはお嫁さんにならないって」

「そうだね……。どうしても頷いてもらえない。でも、人生は長い。僕はめげないつもりだよ」

「私は……私はナインズくんが望んでくれたら喜んでお嫁さんになるよ……?」

「ありがとう。でも……オリビア、良い人を探して幸せにおなり。僕のこの恋にはきっと終わりは来ない」

「……そんなの私もだよ。ナインズくん、私が二年半後にレオネの代わりになるって言ってもダメ?」

「ダメだよ。レオネの代わりはいない。もちろんオリビアもオリビアで、代わりはいないんだから」

 ぽつぽつとオリビアから涙が落ちていくと、キュータはその背をさすった。

「──オリビア、気持ちは本当に嬉しいよ。ありがとう」

「……そう思ってくれるのに……やだよ……」

 

 胸に縋ってオリビアは泣いた。

 ずるずると廊下に座り込んでしまうと、キュータも座り込み、オリビアを抱えて妹にするように頭を撫でた。

「ぅぅ……キュータくん……っ。レオネはいい子だけどっ、っどうして私はだめなのぉ。皆一緒に大人になったのにぃっ」

「……君が僕の席の隣にいてくれて良かったって何度も思ったよ。学校に行くのが楽しみになってた。ありがとう。でも、レオネは……生きるのが楽しみになるような人だったんだ。ごめんね」

「私も、私もきっと楽しみにさせるから!」

 オリビアはキュータの顔を引っ張ると涙の顔で唇にキスをした。

「ッ──じ、自分を大事にして。オリビア、また友達として会えるのは楽しみだから。ね?」

「やだよぉ。うぅ……」

 首にすがって、膝の間に座ってオリビアはもっと泣いた。

 そしてキュータの心変わりを期待するようにまたキスをしようとすると、キュータは顔を背けた。

「──ごめん。やめて。そこはレオネにしか触れてほしくない」

「……レオネのこと、生まれて初めて嫌いって思った」

「そんなこと言わないで……」

「レオネなんていなかったら良かったのに」

「オリビア」

「レオネのせいだよ……!キュータくんの隣はずっと私のものだったのに!」

「オリビア!」

「レオネなんか大っ嫌──」

「オリビア!!」

 オリビアの顔を胸に押し付けるようにぎゅっと抱きしめると、オリビアは唇を噛んでキュータにしがみついた。

「君はレオネをそんな風になんて思ってない……。君はこんなにレオネの幸せだって祈ってるじゃないか……。自分を取り戻して……。それに、レオネは何も悪くない。嫌うなら、彼女にあらゆる希望を見出している弱い僕を嫌えって……」

「ナインズくん……」

「いいね……。じゃあ、落ち着いたら戻ろう?」

「……うん」

 

 二人で広い廊下に座り込み、オリビアの呼吸が落ち着くと、ナインズはぽん、と背を叩いた。

「行ける?」

「やだ」

 オリビアが首を振る。部屋の中からは皆の楽しそうな声が聞こえていた。

「行けないんじゃなくてやなの?」

「うん、やだ!」

 見下ろした先のオリビアは少しだけ赤い目をして爛漫に笑っていた。

「あー……──……じゃ、僕はお先に」

 ナインズがそそくさと立ちあがろうとするとオリビアはぎゅっと抱きついて笑った。

「やーだ!まだこうしてたい!ナインズくんが私の事ちゃんと分かってくれて嬉しかったよ!」

「うんうん、それは良かった。僕はものすごく複雑だよ」

 

 ナインズがあっという間にオリビアの腕の中から消えて扉に手をかけると、背中にドンっとオリビアが抱きついた。

「ね、私の存在忘れないでね?」

「忘れないよ。君も、皆も、僕の宝物だからね」

 胴に回るオリビアの腕をはずさせると、ナインズは扉を開けて部屋に戻った。

 

 ハッと皆の談笑が止んだ。

「キュー様、おかえり」

 そう言ってくれた一郎太の耳はピルピルと動いていて、外の音を聞いていたようだった。

「ただいま。なんか悪かったね。皆気を遣わせたかな」

 そして、カインが「まぁ……ほどほどに」と素直な感想を述べる。

 エルミナスは後ろから入って来たオリビアの想像より落ち着いている様子を見てから尋ねた。

「それで、どうすることにしたの?キュータ」

 向こうでロランがじっと見ている中、ナインズは肩をすくめた。

「僕じゃ力不足です、とだけ」

 すると、オリビアは横からナインズの腕に抱きついた。

「ね!ナインズくん!全然力不足じゃないから私とも付き合ってくれたらいいよ!気持ちなんて後から付いてくればいいし!」

「え!?君話聞いてた!?無理だって!」

 キュータが情けない顔で言うと男子は笑った。

 

「じゃあ、女子力アップしてからまた伝えるね!」

「い、いや、他にいい人見つけてよ。必要なら紹介もするから。僕くらいのはゴロゴロいる」

「無理だもーん。そんな人見た事ないもーん」

 オリビアはきゃっきゃうふふと笑い、キュータが「何かがおかしい……」と呟くと顔を引っ張った。

「──ちょ」

 頬にまでキスされるとキュータは顔を真っ赤にして隣に座る一郎太に乗り上げた。

「や、やめろ!皆の前で言いたくないけど、君振られてるって分かってるのか!?僕はレオネが好きだ!!」

「分かってるよ?でもお嫁さんにして欲しいんだもん」

「こ、困る!僕は本当にレオネしか見てない!!レオネ、レオネからも何とか言って!!」

「わたくしから?オリビアが殿下の恋人になってくれたらわたくし安心するわ」

「レオネ、ありがとぉ!ね、レオネもこう言ってるしさ!ナインズくん!」

「レ、レオネ……僕がこんなに君が好きだって言ってるのに……。君はそんなに僕が嫌か……」

「わたくしだって大好きよ、とっても。あなたはわたくしの全てだわ。分かってるくせに」

 レオネは二人の時にしか見せない笑顔でキュータを見つめた。

 

「……な、なんなのぉ。女の子ってなんなのぉ……」

 キュータが一郎太にしがみついてふぇーんと声を上げると、一郎太はキュータを抱えて笑った。

 

「ははは。お前ら、あんまりナイ様困らせるなよ」

 

 レオネとオリビアは目を見合わせると肩を寄せ合って笑った。

 

 会の帰り道。

「レオネと帰るからごめん!皆、イシューとオリビアの事頼む!!」

 キュータはオリビアから逃げるようにレオネの背を押してすたこらさっさと家路についた。そして、レオネはその家路で大変恐縮したようにプレゼントだと言って彼女が編んだマフラーをくれたらしい。

 

 一方オリビアはぶっすりと頬を膨らませていた。

「レオネ、いいなぁ」

「……オリビアちゃん、すごい。本当に感心した」

 アナ=マリアが言うと、オリビアは苦笑した。

「レオネがキスして付き合ってもらったって言ってたから、触れちゃえば何とかなるかもって思って。でも、やっぱり早まったみたい」

「……オリビアちゃんが早まらなかったら、私が早まってた。今日のキュータ君の様子見てたら普通はそう」

「あたしもオリビアが早まらなかったら早まってたよ。キュータのあの様子……どうしたらいんだろ」

「私、諦めないよ!レオネ、大神殿でナインズくんがよその国のお姫様とチューしてるの見たらしいしね」

 オリビアは「目指すはお姫様だよ!」と意気込んだ。

 レオネが第一妃になって、身分のあるお姫様達が第二妃になるなら、側室になればいいだけだ。

 

「あ、そうだ!──エル様、私二年半経ったらもう一回キュータくんに好きって伝えるから手伝って欲しいな!」

「……なんで?」

「あの二人二年半でおしまいでしょ。私、何年間とか言わないで一生をナインズくんにあげられるもん。エル様はナインズくんの幸せ応援隊だよね」

「オリビアは殿下を幸せにできるの?」

「できるよ。一緒に幸せになる自信あるもん。レオネはないみたいだけど」

 エルミナスは少し考えたようだったが頷いた。

「二年半後の様子次第だけど、いいよ」

 

 そんな勝手なやりとりをキュータが知るはずもなく、オリビアは歳を重ねる中でエルミナスを味方につけていく。

 

 魔導学院卒業から始まるエルミナスからの援護射撃にナインズは「君は親友だと思ってたのに誰の味方なんだ!?」なんて悪態を吐き、「でも我が殿下はとてもお寂しそうで」と言うのがエルミナスの口癖になってしまうらしい。

 なんと言っても、魔導省の用事で大神殿を訪れたエルミナスはレオネを目で追うナインズをよく見かけたから。

「オリビアは殿下を待ってるよ?少しその気持ちを埋めるくらい良いんじゃないの?キュータ……」と告げるが、ナインズの心は当然のように動かなかった。

 

 そんな中オリビアはエルミナスに老化を止めてもらうと必死になり──お金がいるからと実家の書店を大変繁盛させて敏腕経営者になって行ってしまう。

 お金が全然足りないなんてよく大騒ぎをし、いつしかエルミナスが老化遅延儀式魔法の勉強をしているかを監視するためにエルミナスの家に入り浸るようになる。

 エルミナスは入り浸るオリビアと暮らしながら、オリビアの老化を遅めることをある意味()()に思うようになった。

 二人はいつまで経っても共犯者と言ったような様相だったが、エルミナスの老化遅延の勉強はオリビアの望むナインズの隣に並ばせるためと言うより、自分の長い生にオリビアを付き合わせるためと言う側面が大きくなり、オリビアの老いない目的にもエルミナスという余白が生まれて行き──二人で金を貯めてオリビアは念願の老化遅延を手に入れる。

 

 そこに至るまで、オリビアは何度もナインズに気持ちを伝えては「ダメだよ」と言われて泣いた。

「どうしてこんなに好きなのに私じゃだめなの」と泣いたり、「レオネの埋め合わせだっていいよ」と必死に引っ張ったり、「あなたの隣は空いてるのに」と追い縋ったり、それはそれは大変で──ナインズもオリビアの扱いには頭を悩ませるようだ。

 その度に「私にはレオネしかいないんだよ」と伝え、彼女は古い友人たちが子を持つ中でも終わらない恋に泣いた。

 結局、これで諦めると告げ、二人は最後にもう一度だけ唇にキスをしたらしい。

 次の旅立ちを祝福されて、オリビアは求め続けたぬくもりにやはり泣いた。

 エルミナスはオリビアを迎えに行き、ナインズから「よろしく頼む。悪かったね」と彼女を渡されると「悪くなんて。私にとっても殿下は一番だからオリビアの気持ちはよくわかるんです」と苦笑した。

 

 オリビアもエルミナスもナインズ症候群が治ることはなかったようだ。時にエルミナスの白い髪を梳りながら短く尖った耳を見て「これがナインズくんだったらなぁ」なんて呟いたり。

 そんなこんなの時間を過ごしながら、二人は遠い未来でも若い姿のまま寄り添い続けてしまう。

 七十三歳になりレオネが他界する頃、エルミナスは十八歳程度の姿だった。

 

 二人は深く喪に服したが──天使になって目覚めたレオネを見ると、「そんなのずるいよ〜!」とオリビアは愛らしい顔で喜びに泣いたらしい。




前半との温度差が凄くてびっくりした!!
なんだぁ!レオネの回想に出てこなかったオリビアは結婚もせずにエルくんとちんたらやってたんですねぇ!
オリビアは振られても正妻ムーブを続けてくれそうで安心しました(?

次回Re Lesson#43 飛空艇
明後日いけるか?いけるのか?


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Re Lesson#43 飛空艇

『──こうして神話の時代を生きる我々は、魔法を求めて豊かになる!国内の行き来はもちろん、我々は世界中に神話の時代を齎すのです!』

 仮面を付けたナインズが言うと、観客達は熱狂の渦に叫んだ。

 

 神官達から礼を言われて壇上から降りる。

 

「殿下、素晴らしいお話をありがとうございました」

「いやぁそうだと良いんですけど……」

「そうでございます。あの国民達の熱!素晴らしいです!夜には御身も携わった月夜の転移門(ナイトゲート)の開通も始まりますし、引き続きどうぞよろしくお願いいたします!」

 鳴り止まない拍手の中、軽く挨拶をして父母の下へ向かう。

 座って見ていた父はどことなく不服そうに骨の手をコツコツと叩いていた。

「……あんまり良くなかったですか?」

「まぁ……悪くないんだが……ちょっとなぁ……。分かるだろう?」

 ナインズは一生懸命考えたが、正解が分からなかった。

「うーん……僕にはまだ難しいです。父様がされたら良かったのに。せめて月夜の転移門(ナイトゲート)の挨拶は父様がした方が……」

「……まぁ何事も経験だ。あれを見ろ」

 アインズの顎をしゃくる先には泣きすぎて過呼吸になって倒れる信者達。

「あぁ、なるほど。分かりました」

 あんまり興奮させるとパニックになって危ない。

「分かったなら良い。目を覆いたくなるな……全く……」

 優しい父は心配症だ。一方母は意外とこう言う時いつも平然としている。

 

 進行の声掛けで人々がカウントダウンを始める。

 カウントがゼロになると、ゴオッと風が起こり、魚の鰭のようなオールと、船底に巨大な黒い魔石を孕んで飛空艇は浮かび上がり、ナインズはその様子を眩しそうに見上げた。

 あれは今日から国内の都市同士を結ぶ全く新しい交通手段だ。

 現在友好国にも停泊地の建造が急がれているが、今日同時に開通するのはスレイン州虹の大湖、ザイトルクワエ州エ・ランテル、ローブル州ホバンス、評議州ミッドモア、セイレーン州スァン・モーナ、最古の森最南端の巨大樹に限られる。

 造船が急がれるが、この船の底に浮かぶ巨大な魔石はアインズの生み出したスケルトンを大量に砕いて圧縮したものだった。

 幽霊船の理論が用いられて空に上がるので、近頃アインズは大忙しだった。

 

 そして、夜には待ちに待った月夜の転移門(ナイトゲート)の開通だ。こちらは試運転として最古の森と神都を繋ぐので、転移の鏡撤去の儀と共に行われる。月夜の転移門(ナイトゲート)は日中くぐれないが、その代わりの日中の移動手段として飛空艇も空に上がっているので問題はないだろう。

 金額としては丸一日かかる飛空艇の方が安く、月夜の転移門(ナイトゲート)はよほど急ぐ者や金のある者達だけの利用になるかもしれない。

 相変わらず海路では物品の運送が続けられるし、道楽としても生き残っていくだろう。

 今日は国内の移動事情が一変する日だった。

 

 ナインズは夜の挨拶は後で推敲し直そうと決めた。

 なんと言っても、今はこの景色に心奪われて仕方なかった。

 

「──素晴らしいです、父様!本当に人々の造る船が空へ上がるなんて!」

 飛空艇の中からはたくさんの乗客たちが手を振った。

 ナインズも感極まってそれに手を振りかえし、船はあっという間に見上げるような高さに達すると行き先であるエ・ランテルに向かって鰭を動かし始めた。

 上空は非常に寒く、風も強いので、あまり超高度までは上がらない。大体時計塔の高さ──百メートル程度が席の山か。建物の二十五階程度とも言う。

 だが、これでエ・ランテルまではわずか三時間程度で着くようになるし、評議州までだって数日の宿泊を挟まず半日で行かれるようになる。国は一気に狭くなる。

「翼も<飛行(フライ)>も持たない人々が自由に空を行き来する日が来るなんて誰が思ったでしょう!父様、これが魔法を求めて豊かになるということなんですね!ねぇ!父様!」

 仮面をつけた顔で骸の父を見下ろす。

 父は驚いたようだった。

「お、お前でもそんなに感動するのか……?人は空くらい飛ぶだろう……?」

「すごいです!こんな景色を見る日が来るとは思いもしなかったですよ!!父様は人が空を制するとずっと思ってたんですか!」

「……って言ってますよ、フラミーさん。どう思います?」

「……う、うーん。そりゃ空路の開通くらい……ねぇ……?」

「でも母様!竜がカゴを担いで飛ぶのとは訳が違うじゃないですか!人が作ったんですよ!」

「そ、そうだねぇ〜?」

 父も母もこうなる事が当たり前だと思っていたようで、全くナインズのような感動を覚えた様子ではなかった。

 両親はやはり全知全能だ。

 

 ナインズは小さくなっていく船を見送り、清々しい気持ちになった。

 

+

 

 ルシオは今日も爆竹を設置するための穴を掘り進めていた。

 掘るたびに天井が崩落してくるのではないかと恐ろしかった。

『音が鈍いぞ!!ちゃんと掘ってるのか!!』

 四眼種の監督に怒鳴られ、泣きながら思い切り岩壁を突く。

 掘ってはそれを紐がつけられたカゴに載せ、くんくんとロープを引く。カゴは穴の外へ引っ張り出されていき、自分が入山させられた当時程度の体の大きさの子供が空のカゴを持って戻る。

 おおよそ定められた深さに穴が達すると、一度穴を引き返した。

 監督は冷めた目でルシオを見下ろすと、パンッとその頬を叩いた。

「遅い」

「も、申し訳ありません」

 

 魔法爆竹をギュッと押し付けられると、ルシオは今日の朝自分を抱かせた二眼種のこの班のリーダーの男をチラリと見た。

 リーダーはへこへこと卑屈そうに監督に寄って行った。

「──こいつの方が体も小さく動くのも早いので、こいつに」

 リーダーはカゴ運びをしていた子供の背をドンっと押した。

「ぼ、ぼ、ぼく、ぼく──」

「誰でも構わん。──早く行け!!」

 子供の背に鞭が弾ける。

「ッキャアアア!!」

 ルシオは悲鳴から目を背け、子供は泣きながら魔法爆竹を抱えて穴へ入って行った。

 這いずるたびに背が穴に擦れて痛むのか、ズリズリ……という音のたびに悲鳴と泣き声が聞こえた。

 妹と変わらない程度の年の子供にそれを押し付けた罪悪感はあるが、ルシオもやりたくない。それに、この報酬に見合うだけの辱めは十分に受けている。

 二眼種の中でも階級は存在し、他者を心配していればキリがなく、生き残れない。

 ──だが、戻るのが遅い。

「急ぎなよ!!」

 ルシオが声を掛ける。穴の中からは『痛くて、痛くて……!!』と悶えるような声がした。

「足が見えたら引っ張ってやる!!」

 またズリズリと音が聞こえてくると、ルシオは穴を覗き込み──不意に首根っこを掴まれて後ろに放り捨てられた。

 それと同時にドガンッと地が揺れ、前方からパラパラと石や土が飛んできた。

 

「バカが。お前も巻き添え喰らうぞ」

 リーダーが見下ろし、ルシオはサッと背が寒くなった。

「おい、ゴミを片付けろ」

 監督が言うと、リーダーはすぐさま瓦礫へ向かった。

 岩壁に小さな穴が空いていたはずの場所は崩れ去り、瓦礫の中からかろうじて子供の足が見えていた。

 リーダーはそれを引き摺り出し──ルシオは思わず「はは」と笑い声を上げた。

 腰から上がなかった。

 子供の下半身がゴミ袋に入れられる中、誰も何も気にしないようでぞろぞろと大人達がショベルを担いで瓦礫に向かった。皆ゴホゴホと胸を悪くしている音を鳴らしている。

 

 リーダーは子供の足が入ったゴミ袋をルシオに差し出した。

「土砂を積んでる間にお前が捨ててこい」

 黙って受け取り、駆け出そうとすると、「おっと」と手を取られた。

「片付けが終わったらすぐに戻れ。命の礼はたっぷりな」

 ルシオは「ありがとうございます」と言い、足の入った袋を担いだ。

 その背には監督の「使い物にもならんゴミ共が!!飯を恵んでもらえるだけありがたく思え!!」という怒声と、鞭の炸裂する音が響いた。

 あの鞭を食らわないで済む。

 下半身だけにならないで済む。

 ルシオは今日ついている。

 良い日だ。

 名前も知らない子の下半身を担ぎ、ルシオは「へ……へへ……へへへ…………」と笑い声を漏らし、広い中継地に出た。

 そこからは何本ものトロッコ線が地上へ向かって伸びていて、トロッコが行き来している。

 やはり皆ゴホゴホと胸の悪くなる咳をし、顔を真っ黒にしてトロッコを押していた。

 そこを監督している四眼種を見つけると、ルシオはそちらへ駆けた。

「──今日のゴミです」

「ゴミがゴミを持って来たようだな。見せろ」

 いつの間にか血の滴っていた袋を開き、中を見せる。

 ハサミでザクザクとズボンを切っていくと、そこの監督は気だるげにペンを持った。

「──九四三七八一番だな。もう良いぞ」

 二眼種の太ももと二の腕、胸には番号が振られている。

 メモも終わりしっしと手を振られる。

 ゴミを地上へ運ぶトロッコに乗せると、ルシオはまた穴に戻っていった。

 

 散々男達から弄ばれ、ルシオは家に帰り着いた。

 しかし、命があって、働いたおかげでお腹がいっぱいなのは嬉しいことだ。今夜と明日の朝の分の配給チケットももらえた。

「ただいま」

 がたがたと荒屋の引き戸を開けて中に入る。

「ル、ルシオ!ジェーリが!」

「お父さん?」

 部屋など分かれていない家の中で寝転んだままの父が手招き、──ジェーリが部屋の隅でうずくまっているのを見つけた。

「──ジェーリ?どうしたの?」

「ル、ルシオお兄ちゃん……。私……私……ッウ!」

 ジェーリは体を硬くしたと思った次の瞬間に吐いた。

 今日仕事先で食べたであろう物がビシャビシャと落ちていく。

「ジェーリ!?体調が悪いの!?」

「ルシオ、ち、違う。──これは……」

「……私……どうしよう……」

 ジェーリは泣き出すと、自分の吐瀉物の臭いに耐えきれずにまた吐いた。

「──ジェーリは妊娠してる……」

 父の言葉にルシオはひらりと配給チケットを二枚落とした。

 

 二眼種と四眼種は交配しても生まれてくるのはほとんどの場合二眼種だ。ごく稀に四眼種を出産する事もあるが、それを四眼種達に知られると「穢れた血が管理者の子供を攫った。穢れた二眼種から四眼種は生まれない」と言って子供を奪われ、()()()()が見つかるまで一家で壁に晒され、一日一回イバラの鞭で叩かれる。

 見つかるはずもなく、最後はずたずたになって、傷口にはウジが湧いて永遠泣き虫になって死ぬ。

 

 だから、罷り間違って四眼種を生みでもすれば、皆迷わずそれを殺した。頭蓋骨は丁寧に砕かれてお堀に捨てられる。万が一四眼種の頭蓋骨など見つかりでもすれば、一帯の二眼種は処分されるからだ。

 この作業を悲しむ親もいれば、四眼種への怨みから悲しまない親もいた。

 

 ルシオは、ただただ最悪の事態にだけはなるなと神に祈りながら、ジェーリの吐瀉物の掃除をした。

 

+

 

 ゴウンゴウンゴウンゴウン……と鰭を動かし、飛空艇が飛んでいく。

 春の風を切って、海を越え、山を越え、谷を越える。

 

 ミスリル級冒険者チーム、"二武器"のスカマ・エルベロは白く美しい髪を抑えて船の遥か下に広がる美しい大地を見下ろした。

 

「──確か、金級冒険者チーム"雪解け"が最後に確認されたのはこの辺りよね?」

「おーやだやだ。一体何があるって言うんだか」

 

 隣で軽口を叩いたのは匂い立つような色気のある女だ。ローブを押し上げる巨大な胸に首から下げる光神の聖印を挟んでいる姿はいっそ冒涜的と言っても差し支えなかった。

 彼女──リリネット・ピアニは歴とした"二武器"の神官で、決して客の嗜好に合わせて聖職者の姿をした娼婦などではない。

 

 "二武器"は十年前までは"四武器"だったが、年上だった盗賊と魔法詠唱者(マジックキャスター)が引退してしまって以来、ずるずると二人でやっている。

 若々しかった二人の冒険者は今や二人とも色気むんむんの女性になっていた。

 二人はもっぱらマッピングに出て戻って来ない冒険者の捜索依頼ばかり受けていて、人によっては二武器を白の捜索隊と呼ぶ者もいる。

 

「全くマッピングも進んでない場所だし、流石の私たちも心して行かなくちゃね。ミイラ取りがミイラになったら困るわ」

「その髪の毛の色がぴったりになっちゃうもんね」

 スカマは華麗にスルーした。リリネットに何かがあった時助けたくないと思いながら。

 スカマの白い髪は金髪をわざわざ染めているのだ。ずっとどうやってチーム名を売ろうかと思っていたが、"白の捜索隊"の二つ名が自動的についたほどに今やこの白い髪は"二武器"を象徴する物だと言うのに。

 近頃はリリネットから白髪(はくはつ)ではなく白髪(しらが)といじられる事も多い。流石にそんなには歳を重ねていない。まだ全然子供だって産めるくらいだ。

 

 なんと忌々しい──と思っていると、いくつか森を挟んだ遠くにぼんやりと要塞のような都市があるのが見え、船は高度を下げ始めた。

「……あれ、怪しいわね」

「怪しすぎる!もはやあそこに船寄せてくれないかな?」

 しばらく様子を見ていたが、船はあの城塞都市に近付く様子はなかった。

「やっぱり予定の場所に降りるみたいね。知り合ってもない国や都市に神聖魔導国の飛空艇入れる事も近づける事もできないってことか」

 余計な争いを生まないよう、冒険者たちの乗る飛空艇はマッピングが終わり、確実に誰のものでもない様子の開けた土地だけだ。

 同様の理由から知らない国の上を飛ぶこともない。撃ち落とされでもすれば飛空艇もダメになってしまうし、乗っている冒険者達の命も危ない。

 

「──もう飛び降りる?それとも予定の停泊地で降りる?」

 

 他にも船に乗る捜索依頼を受けた冒険者達はたくさんいる。顔見知りの魔法詠唱者(マジックキャスター)に<落下制御(フォーリングコントロール)>を使って欲しいと金を払えば飛び降りたとしても安全に降ろしてもらえる。

 

 リリネットは白い杖をギュッと握りしめると──

「レッツラゴー!!」

 大地を指さした。

 

 捜索は対象者を最初に見つけて回復した方が報酬は多い。

 スカマは知り合いの魔法詠唱者(マジックキャスター)に魔法を頼み、二人は手を繋ぎ合ってピョンっと船を飛び降りた。

 

「っひゅうーー!!」

「っひぃーーいやっほーーう!!」

 

 落下の前に数度、ふわりふわりと魔法の力がかかり二人は無事に地に降りた。

「ひゅー!サイッコー!!飛空艇、帰りも楽しみー!」

「ふふふ、本当ね!」

 

 スカマは船が遠くに降り立りていく様子をしかと確認した。

 救助対象者を帰りの船にちゃんと案内できないなんてことがないように。

 リリネットはもうできかけの簡易地図を広げて一人歩き始めていた。

「えーっと、さっき要塞が見えてたのは向こうだから──やっぱり、マッピングできてない方だね」

「良い国があって、王との謁見の順番が回ってくるのを永遠に待たされてるとかだと良いんだけど」

「歓迎されすぎて帰りたくなくなったとかも!」

「良いわねぇ」

 

 二人は胸踊る冒険に向かった。

 森にはゴブリンやオーガがかなりの数住み着いていて、船から見たときはすぐだと思ったはずの要塞は中々見えて来なかった。

 

 だが、夕暮れが訪れる頃には二人は大きな堀の前にたどり着いた。

「うひゃ〜……こりゃ立派な城壁というか市壁というか。なんか懐かしい」

「懐かしい?──あぁ、エ・ランテルも昔はこういう壁で囲まれてたものね。でも、旧エ・ランテルよりよっぽど物々しい雰囲気だわ」

 堀の内側にはいくつもの小屋が立ち並び、その先には見上げるような壁が聳えていた。

 

 橋があちらこちらにかかっているが、魔物も多い森が近いと言うのに特別衛士や番人が立っているようではなかった。

「勝手に入って良いと思う?」

「入るしかないんじゃない?もう疲れたわ」

「同感」

 二人は肩をすくめ合うと、橋を渡った。

 チリンチリンチリンと歩くたびに端にかかる鈴が鳴る。

「これで一応魔物が来るとか知らせてるのかしら?」

「入っていきなり襲われないようにしなきゃねぇ」

「白旗でも振る?」

「どうやって」

 スカマはリリネットの身長ほどもある杖にハンカチを結んだ。

「こうやって」

「あー…………。──敵じゃありませーん!!」

「はははは」

「はははは」

 

 お気楽に橋を渡り切る。

 あちらこちらに何とも言えない──汚らしい家がいくつも建っているが、誰も人は出て来なかった。

 気配は十分。と言うより、立てかけてあるだけのような引き戸の隙間からたくさんの人がこちらを見ていた。

 スカマはンンッと一度咳払いをすると口を開いた。

 

「──私たちは神の国、神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国よりきた冒険者です!三ヶ月ほど前に私達の仲間がここに来ませんでしたか!!私達は仲間を探しています!!」

 

 あちらこちらのボロ屋の中からひそひそと声がしてくる。

 

「神の国だって」「神の国?」「冒険者って」「前に旅人が言ってた」「神様が救うって」

 

 神の国の旅人──。

 スカマとリリネットは間違いないと頷いた。

「──旅人がどこに行ったかご存知の方はいませんか!」

 どうする、という話し声の後、ぎしりと引き戸がひとつ開き、青年──と言うにはまだ少し若いような男が顔を出した。

「……壁ノ内に行ったって聞きました。それからは……分かりません」

「そう、ありがとう。壁ノ内って、どこから入れるの?」

 男の子はすっと指さした。

「ここから真っ直ぐ言って、壁に突き当たったら右に。そしたら……壁ノ内に入れる……。お姉さん達は……二眼種なの?」

「二眼種?」

「目が四つない」

「ん、えぇ。私達は二つ目の種族よ。人間。あなた達と同じね」

「……同じなの……?」

「同じでしょ?ねぇ、リリネット」

 

 振り返った先にいるリリネットは口の端から涎が垂れていた。

「え?うん、うんうん。同じ。全く同じ」

「……あんたねぇ。初めましてのお国でみっともない顔しないでよ……」

「ばっか!まだ熟れてない果実とか涎もんだろ!」

「……ごめんなさいね、悪気はないの。バカなだけで」

 

 青年は何も感じていないようで首を振った。

 

「……二眼種なのに、お姉さん達は管理者みたいな格好だね。それとも──お姉さん達は二眼種を救いに来た神様なの?」

 

 二人は目を見合わせた。

「私達は神じゃないわ。そっちは一応神に仕える身だけど」

「まぁねぇ!うふふ!」

 リリネットがくねくねして言うと、青年は目を輝かせ、出てきた家へ向かって叫んだ。

 

「ジェーリ!ジェーリ!!神様が僕達を導いて救い出してくれるよ!!この人たちは神様に仕えているんだって!!」

 家からは調子の悪そうな少女が顔を出した。少女の顔は殴られたような痕がたくさんあり、真っ青だった。

「……本当に?」

「た、大変。リリネット、お願い」

「分かってる!── <中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)>!」

 ジェーリと呼ばれた少女の体を魔法の力が包むと、周りからどよめきが上がった。

 そして、傷があらかたなくなるとジェーリは目を剥きながら自分の顔に触った。

「す、すごい。二眼種なのに……!本当に神様の遣いなのね!」

「ん、ははは!まぁね!私は神官だからね!」

 リリネットが得意になってる横で、スカマはどんどん家から顔を出してきた人々の様子に眉を顰めた。

 落ちかけた夕暮れに照らされる人々は、よく見ると皆見窄らしく痩せ細っていて、大なり小なり傷を負っているようだった。

「……ここは一体……。ジェーリちゃん──だったかしら」

「は、はい!」

「あなたの傷も、皆の傷も一体何がどうしたっていうの?ゴブリンやオーガが入ってくるせい?」

 ジェーリと青年は首を振った。

「私は管理者の皆様から懲罰を受けただけ。勝手に妊娠したせいで仕事にならないって。臭いがどうしてもダメなの。吐いちゃって、仕事にならないの。昨日はご奉仕の途中で吐いちゃって、殴られた。でも、仕事しないとご飯がない……」

「か、勝手に妊娠って……奉仕って……あなたいくつ?妊娠しているの?」

「年は……よく分からないけど……多分、十二。管理者の皆様が十二の穴って言ってるから」

 スカマとリリネットは信じられないものを見る目をした。旧王国時代の違法な娼館でもこれほど幼い子をそんな風に扱っていただろうか。

「あなた……そんな仕事はやめなさい。せめて、今お腹の中にいる子が生まれてくるまでは……何か他の仕事はないの……?」

「分からない。管理者の皆様が振り分けるから。ねぇ、ルシオお兄ちゃん」

 青年──ルシオは頷いた。

「うん、それに、仕事を変えたいなんて言ったら鞭打ちじゃ済まないよ……」

 

「し、信じられない……。まさか……ここにいる人達は皆そうなの……?」

「そりゃそうだよ。だって、僕達は二眼種だもん。壁ノ内の四眼種の管理者とは違う」

 

 スカマとリリネットは城壁を見上げると頷きあった。

 そして、そこにはいつの間にか他の冒険者達もたどり着いていて、あちこちで回復をしていた。

 

「──私達、行ってくるわ。必ずあなた達を助けてあげる。その四眼種の管理者って人達に掛け合うわ」

 

 ルシオとジェーリは「わぁ!」と声を上げた。

 

「と、その前に。あなた達には炊き出しをしなくちゃね」

 スカマとリリネットが言うと、他の冒険者達もそれに続いた。

 皆で鍋の用意をし、森で取れたうさぎや野鳥、採れた食べられる草をいっぺんに煮て配った。

「りょうりって自分でできるんだね」という子供がいて絶句した。

 

 ジェーリは十二だと言っていたが、正直に言えば八つくらいにしか見えなかった。

 痩せ細り、栄養もなく、背も全然伸びていないのだろう。

 ルシオこそ十二くらいに見えたが、彼は幾つなんだろうか。

 渦巻く不快感に蓋をすることもなく冒険者達は食事を配った。清潔な水も乏しいようで、<水創造(クリエイトウォーター)>で生み出された水に泣いて感謝し、皆貪るように食事をした。

 穴を掘り、<温泉(ホットスプリング)>で風呂を用意してやる冒険者もいた。

 

 すっかり陽が落ちると、壁の方からカンカンカンカン!と甲高い音が響いた。

「あ!夜の配給も始まった!」

「配給ももらいに行こう!!」

 人々が大切にチケットを握りしめていく後をスカマとリリネットは追った。

 

 壁には大扉がついていて、開放された大扉の向こうから幾つもの鍋が出てくる。

 中を覗くと、壁の外のどこか吐き気すら覚えるような不潔な臭いは一切なさそうで、夕闇に落ちた穏やかな美しい街が広がっていた。

「……外とは大違いね」

「こりゃ胡散臭い」

 チケットを持った者達が配給を貰おうと並ぶ。

「誰か偉い人と話をさせてもらえないか聞きましょう。中で宿も取りたいし」

「そうだね。申し訳ないけど泊まるのは中がいいや。さくっと解決するといいねー」

 二人が列を外れて前へ行こうとすると、バシンっと鞭が炸裂した。

「貴様ら!!配給が欲しければ並べ!!──あぁ?」

 鞭を打ったのは普通の人間達──いや、二つ目を開いているが、頬にさらにまぶたがある。頬の目は二つ閉じられていた。

 四つ目だ。本国にも四眼種はいるので彼らが四眼種と呼ばれる種族だと言うことはすぐさま分かった。

 四眼種はスカマ達を取り囲んだ。

 

「──二眼種の豚共が!誰から服を奪い取った!!」

 

 門番達が怒鳴ったと思うと、四眼種達はカッと閉じていた頬の目を開き、一斉に<睡眠(スリープ)>の魔法が飛んだ。

 

「っち、違う!!我々は神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国の冒険者!!中へ入れて上の人と話をさせて!!」

「このゴミ共が!!二度と生意気な口をきけなくしてやる!!」

「なに!?私達はこの国の人間じゃないって言ってんだよ!?話し合いをしにきているってのに!!」

「や、やめて!!私達はあなたたちを傷付けない!!だから──」

 

 ひゅっと吹き矢の飛ぶ音がしたと思った瞬間スカマの首にドッと吹き矢が突き立った。

「スカマ!!今抵抗を──」

 リリネットの声がする。

 スカマの背を悪寒が駆け抜けていく。猛烈な眠気と共に体をめぐるこれは毒だ。

 スカマはその場に崩れた。

「……わ、わたしが……リリネットを……」

 守らなくては。前衛として。

 周りで他の冒険者達が慌てて自分たちの事の説明をしようとしているが、聞く耳を持ってもらえない。

 壁の中からたくさんの四眼種が出てくる。炊き出しや温泉をしてやっていた者達まで縛り上げられていく。

 スカマはリリネットが倒れる瞬間を目の当たりにすると同時に意識を闇へ手放した。




穏やかな国じゃなさそうで安心しますよ!(?
うぉんみ、息子の挨拶に納得いかない模様

次回明後日!
Re Lesson#44 社会勉強


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Re Lesson#44 社会勉強

「──マ。──カマ!──スカマ!!」

 

 体をゆすられ、スカマはハッと起き上がった。その顔には朝日がさしていた。

「っいっ……つぅ……」

「毒は治癒したけど、体はどう?」

「……最悪の気分だわ。リリネット、あなたは大丈夫だった?」

「平気。ただ、装備全部没収されてる。ムカつくー!!」

 リリネットがムキー!と声をあげる。

 硬く冷たい牢獄の床で、肌着と冒険者プレートだけの姿にされていた。しかも、腕を後ろ手に肘を触るようにして縛られている。

 同じ部屋には冒険者たちが何人もいて、先に目覚めていたらしい者達が寄り集まって何か話し合っているようだった。

 その中から「起きたか」と声をかけられると、スカマは顔を床について起き上がり、急いで輪に向かった。

 皆やはり肌着と冒険者プレートだけの姿だった。

 

「私は"二武器"のスカマ・エルベロ!私たち、どうなりそうなのかわかる!?」

「"二武器"──"白の捜索隊"だな。悪いが、分からないんだ。皆目が覚めた時にはこうだった。今鍵開けスキルがある者達で牢を開けられないか試してみようと言っていたところだ」

「か、鍵開け?でも、脱獄したら罪が重くなるんじゃ……」

「罪が重くなるも何も、俺たちは何もしちゃいない。情報収集に何人か出した方がいい」

「でも、誰から服を奪い取ったって言われたわ。盗んだものじゃなかったって分かったら、解放されるかも」

「それは楽観的すぎる。あれだけ容赦なく攻撃されている。何をされるか分からないぞ。万が一の脱出経路だけでも探しておいたほうが良い」

「それは……そうね。けれど、神聖魔導国の看板を背負っているのに脱獄なんて……」

 

 スカマが悩むところは全員が思っていることのようではあった。ただ、外の虐げられていた二眼種──つまり、同族──の様子や、帰ってこない冒険者達のこと、先程の容赦のない攻撃が不安感を大きくさせていた。

 この武器も鎧もない状況というのが一層だった。

 

「だがこのままではいられん……」

「……聞いていて思ったが、出た者が捕まって懲罰を受けるようなことがあれば()じゃないか?ここの情報は未だ何も手に入っていないんだ」

「俺とそっちのナーガの冒険者ならどうだ。俺は<溶け込み(カモフラージュ)>に近い特殊技術(スキル)を持っている」

 立候補したのはスラーシュという亜人だった。ナーガも頷く。

「確かに俺も<不可視化(インヴィジビリティ)>はある」

「おぉ、いいな!脱出経路の確認ができたら飛空艇に残ってる船を守る冒険者に連絡をつけよう」

「スラーシュの兄貴はともかく……俺はどうやって連れて来られたか分からないこの街を出るまで魔力が続くか……」

「では誰か<伝言(メッセージ)>を送って迎えにきてもらうというのは?」

「すでに送ったが、船が遠くてうまく交信できていない。やはり何人かだけでも牢を出てもらうのが良いかもしれん」

「では、二人は経路の確認が取れ次第船に」

「任せろ」「やってみるだけやってみる」

 話がひとつまとまると、ガン!ガン!ガン!と遠くから牢を叩く音が響き始め、スラーシュとナーガは手を繋いでからその身を消した。

 

 皆即座に身構える。

 警棒で牢を撫でるように叩きながら、四眼の人間が姿を現した。

 二眼種と同じ場所の目は開かれ、頬にある瞼は閉じられていた。

 

「誰が口をきいていいと言った。──今すぐ跪け!!」

 

 冒険者達は目を見合わせ、とりあえず膝を折った。

 

「身の程も弁えられんクズどもが。──ドーラー様、どうぞ」

 そう呼ばれて姿を見せた四眼種は美形だが、冷ややかな瞳で冒険者達を見下ろした。

 リリネットはその男の持つ魔力に目を剥いた。

 

「ふふ。素晴らしいですねえ。魔法が使える者達、お立ちなさい」

 リリネット達魔法詠唱者(マジックキャスター)が立ち上がるのに続き、スカマのように信仰系魔法を多少操るような魔法戦士達も立ち上がった。

「……あんたら、何なの。名乗りもしないなんて失礼にも程がある」

 リリネットが吐き捨てるとドーラーと呼ばれた男は手を檻の中に入れてリリネットを指差した。

「な、なに」

 閉じられていた残りの二眼がカッと開き、その二つは赤く光った。

 

「──<白銀騎士槍(シルバーランス)>」

 指先から円錐形の槍が生まれ、リリネットへ飛ぶ。

 スカマはリリネットの腰にぶつかるように飛び込んだ。

「危ない!!」

「──ッ!?」

 槍は壁を突き抜けて消えた。今の魔法は確か──第四位階。ここにいるどの魔法詠唱者(マジックキャスター)よりも相手は強大な力を持っている。

「な、なんてことをするの!!当たっていたら──」

「いけませんねぇ。避けるようなことは許されませんよ。言葉を解する豚共が」

「ドーラー様、せっかくの()です」

「えぇ、もちろん分かっていますとも。貴重な()は大切にしなくてはいけません。ですが、手足が一つ無くなっても炉は困りませんよ?」

 ドーラーそう言いながら牢の中を見渡すと目つきを一層厳しくした。

「……二眼種との汚れた混ざり物もいると報告がありましたが、いないようですね。すでに移したのですか?」

 皆ドキリと心臓を跳ねさせた。

「いえ、そんなはずは。まさか逃げた?」

「……二眼種、呼び戻しなさい呼び戻さなければ()であっても殺します」

 冒険者達はどうするかとざわめき、番兵がバシンッと地面を鞭で打つと、スラーシュとナーガは姿を表した。

「お前達にはたっぷりお仕置きが必要なようですね。あの二人は先に連れて行きなさい」

「は!」

 何人もいる番兵はチームで分かれ、牢を開けると二人の亜人に<拘束(ホールド)>を掛けて引きずるように立ち去っていった。

「さて、それでは……外から来た豚のようなのであなた達には特別にもう一度だけ言いましょう。魔法が使える者、立ちなさい。一人づつ外へ出るのです」

 

 縛られた腕同士が繋がれていく。最後にスカマとリリネットも外に出ると、「歩け」と小突かれた。

「私達をどうするつもり。残らされる者達も!」

 ドーラーはスカマを見下ろすと冷徹に笑った。

「ここまで弁えない二眼種も珍しいですねぇ。こいつらも分からせてやる必要があるかもしれません。──闘技場へ()も一度連れていきましょう。見せてやるんですよ」

 四眼種達はおかしそうに笑った。

 辿り着いた門の閉じた場所で待たされていると、魔力がない者達は討議場の真ん中に集めさせられた。

「な、なにを……」

「まさか何かと戦わされるの?」

 リリネットとスカマは閉じられた門から日に照らされる闘技場を見た。

 客席には大人も子供も、たくさんの四眼種が楽しそうに見物に来ていた。

 

「──あ、あれ」

 リリネットが指差した先には冒険者達の武器が大量に載せられたワゴンがあった。

「私の剣!」

「私の杖もある……」

 あれを奪って二人で<飛行(フライ)>で逃げられればなどと思っていると、司会が話を始めた。

『これより、二眼種と野蛮なる獣人の殺し合いが始まります!!さぁ、誰が誰を殺し、殺されるのでしょう!!』

 司会の話に冒険者達の顔はどんどん青くなっていった。

 その内容は悍ましく、闘技場に出されている者達は「嘘だろ?」と目を見合わせた。

 スカマの心臓がバクバクと音を鳴らす。

「リ、リリネット。向こうに<次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)>で行って、一人でも二人でも連れて<飛行(フライ)>で逃げて」

「で、できない。繋がれてるから複数人同時転移ができるような魔法じゃないと……向こうにすら行けない……」

「で、でも、このままじゃ……皆が──」

 

『──最後に生き残った一人を名誉四眼種として迎え入れよう!!』

 

 司会の言葉が二人の会話を遮り、闘技場からは熱狂の歓声が上がった。

『それでは、名誉四眼種になりたい二眼種達の更なる投入です!!』

 向こう側の門が開くと、見窄らしい姿の者達が鼻息荒く闘技場に入った。

『武器は好きなものを使え!!──始め!!』

 掛け声と同時に、開始の合図の銅鑼が叩かれた。

 

 痩せ細った二眼種達は武器が乗るワゴンへ駆けた。

 冒険者達は何か相談をすると武器へ向かい、自らの武器を探した。

 自分の武器を見つけた冒険者達は<飛行(フライ)>で空にいた司会の四眼種を睨み、空へ向かって武技を放った。

「や、やった!」

 リリネットは歓声を、観客からはどよめきが上がる。

 司会は冒険者を見下ろすと指をさし、閉じていた魔眼を開いた。指先に魔法が籠ると、門の中にいた魔法詠唱者(マジックキャスター)から魔法への抵抗力を上げる魔法を飛ばした。

 戦士が感謝の瞳をこちらへ向けたその時、背にはこの国の二眼種の剣が突き立った。

「──っやめろー!!」

 門の中から戦士の仲間が叫ぶ。

 痩せた二眼種は狂喜の顔で剣を抜くと、戦士を絶命させた。

 それと同時に、魔法詠唱者(マジックキャスター)は四眼種達に意識をなくすまで警棒で殴られた。

「手を出してはいけませんよ。蛆虫では意図も理解できませんか?」

 皆がドーラーを睨み付けた。

「こ、こんな事をさせて、こんな事をして、あなた達は絶対に許されないわ!!」

「──この雌もですね」

 ドーラーがスカマを指差した瞬間、スカマの顔にも体にも警棒が振るわれた。

「やめて!分かったからやめて!!」

 リリネットが叫ぶと、スカマに降り注いでいた暴力は止まった。

「──<中傷治癒(ミドルキュアウーンズ)>。スカマ……大丈夫……?」

「……ありがとう……。許せない……」

「次口答えをすれば、この中から一人づつ腕をもぎます。殴られるだけでは済まないことを覚えておいて下さい」

 スカマはギュッと唇を噛んだ。

 

『ッキャアーー!!』

 叫び声に闘技場に視線を戻すと、客席にいる四眼種がそばで仕事をしていたらしい二眼種を地獄のリングに突き落とした。

 その行いは会場を沸かせ、四眼種達は次から次へとそばで働いている二眼種を中へ放り込み、戦えと叫んだ。

 そこからの事は、スカマもリリネットもとても見ていられなかった。獣人系の冒険者はいの一番に二眼種に取り囲まれ「獣がいる!人とのあいのこだ!」と躊躇いのうちに傷つけられ倒れた。やめさせるように両者の間に人間の冒険者が入り込んだり、戦わない姿勢を見せると、上空の司会から攻撃魔法が飛んでくる。

 良識のある冒険者ほど次々と二眼種達の手にかかり、このままではいけないと魔法詠唱者(マジックキャスター)達から「やるしかない!!」と叫び声が上がる。

「あの相手はうちのチームメイトなんだぞ!」と門の中でも諍いが起こる。

 冒険者達は同胞を手にかけ、痩せ細った二眼種を手にかけ──最後に生き残ってしまった冒険者は、目の前に生き残った若者と、門の中の魔法詠唱者(マジックキャスター)、自分が殺した冒険者を見比べた。

『み、皆……必ず逃げて……神々に……この地獄を伝えてくれ……』

 彼は確かにそう言った。

 次の瞬間自刎した。

 冒険者の血を浴び、そこに残った若者はウワァっと喜びの雄叫びを上げた。

 

 四眼種達は若者に拍手を送り、ドーラーも嬉しそうに手を叩いた。

 ドーラーは一人門の中へ向かい、若者の前で笑顔を作った。ゾッと背筋を寒からしめるような笑顔だった。

『ド、ドーラー様!』

 若者が呼ぶ。

『あなたは今日から名誉四眼種です。おめでとう!四眼種と同じ生活、同じ思想、同じ規律で生きられるのですよ』

 その言葉に若者は狂喜乱舞し、ドーラーは若者を指さすと『──<水晶騎士槍(クリスタルランス)>』その胸を第四位階の水晶でできた騎士槍が貫いた。

 開かれた四つの瞳が愉悦に歪められる。

『名誉四眼種なら、自分が二眼種であることを恥じて死にたくなるはずです。良かったですねぇ。本当に』

 ドーラーが嬉しそうに言うと、会場は一層盛り上がり、割れんばかりの拍手と共にドーラーは戻った。

 あまりの出来事にスカマもリリネットも言葉を失った。

 死体はゴミのように集められた。

 

 そして、魔法を使える者達は絶望だけを供に闘技場を後にした。

 ガタゴトと馬車が揺れ、塔のような場所に着くと部屋に入れられ椅子に手足を繋がれた。

 

 部屋はすり鉢状の形をしていて、何人かの見窄らしい二眼種と、冒険者プレートを着けた者達が痩せ細った顔をして繋がれていた。

 皆座らされ、腕も足も固定されていて、足の筋肉がほとんどなくなってしまったような有様だった。

「──そのプレート、雪解けね!?全員いるの!?」

「……ぼ、冒険者か?俺たちは全員揃ってる」

「そうよ!助けに来た──けれど、この有様。悪いけれど、捕まったわ」

「は、はは……。組合はちゃんと行方不明冒険者として探してくれてたんだ……。それが分かっただけでも……良かった……」

 遠くに行って帰って来ないだけなのか、行方不明になっているのかを見極めるのは難しい。捜索に出たらピンピンしていて「まだ帰らないよ?」とか言う冒険者もいる。

 

「……今回は人数も多いし、きっとすぐに次の冒険者が──ううん。国の人たちが来てくれるはず。もう少しの辛抱よ」

「ありがとう……。俺は"雪解け"のマラブレマ。向こうのほうに仲間達も繋がれてる」

「私は"二武器"のスカマ。こっちはリリネット」

「やっほー……。ねぇ、この部屋は一体なんなの?殺し合いさせられるって感じではないね。まだマシな所?」

「殺し合い……?……俺たちはもう三ヶ月もここで()()に魔力を吸い上げられ続けてる……」

 マラブレマが顎をしゃくった先、部屋の中心には巨大な青い魔石が浮かんでいた。大人が五人で手を繋いで輪になってようやく一周できるようなものすごい大きさの魔石だった。

 てっぺんはもはや天井にのめり込んでいた。

「あれって──」

 スカマが話そうとすると、「黙れ!!」と四眼種から怒号が響いた。

 鞭が床を叩く音に皆身を固くした。

 多くの冒険者達は仲間を失っている様子で、喋るのはスカマとリリネットくらいのものだった。

 ドーラーが魔石に触れる中、鞭を持った男達が部屋を見渡した。

「──貴様らには魔力蓄積石に魔力を注いでもらう。貴様らは今日から二眼種ですらない!炉だ!!」

 魔力蓄積石は魔法が付与される高級な杖にはよく付けられていて、少量だが魔力を一時的に貯めておくことができる。ただ、スカマでもここまでの大きさのものは初めて見た。魔力は徐々に放出されていってしまうので無限に貯め続ける事はできない。

 

 部屋をぐるりと一周見渡すと、大人も子供もいて、皆魔力を取られているようだった。

 そして、扉がまた開き、ナーガとスラーシュの二人がボロボロの姿で引き摺り込まれた。

 

「──吸収(ドレイン)装置のスイッチを入れろ!!」

 

 四眼種達が部屋を出た瞬間──スカマとリリネットの力は一気に吸い上げられた。部屋の四方に配置されていた見た事もない魔道具が光る。

「無、無理……!これ以上とられたら……!ッキャアア!!」

「スカマ!!っく!──ッうわああ!!」

 リリネットの方が魔力は多い。だが、すぐに猛烈な倦怠感が体を襲った。

 それでも尚吸い上げようとする力に二人は叫んだ。

 

 疲れていても魔力がなくてもお構いなしに力は搾り取られ続けた。

 何週間かしてここには神聖魔導国の神官達と聖騎士達まで放り込まれた。

 国の使者として、ここに神聖魔導国の者が来ていれば返して欲しいと正式に書簡を運んできたのだ。

 聖典のような戦力では戦争になるのではと、分かりやすく平和の使者として訪れたらしいのに皆捕まった。

 神官達の疲労は深かった。

 

「……殺し合いよりは……まし……」

 スカマは痩せ細っていく体を見下ろした。

 

+

 

 春休みのある日、ナインズは城塞都市を見上げた。

 

(……冒険者も使者も帰ってこない国……か)

 

 眼前には聳える巨大な壁と、こちらとあちらを隔てるように横たわる深いお堀。幅は百メートル近くあり、底には申し訳程度の汚い川が流れている。

 

「行くよ、ナインズ」

 お構いなしという具合にツアーの鎧が粗末な橋を渡り始めると、ナインズは慌ててその後を追った。

「ツアーさん。ここってどんな国なんですか?父様に思うようにしてこいって言われたけど……」

「多分、君が失望するような国だと思うよ」

「そんなに酷い場所なの?ツアーさんは来た事がある場所?」

「ないよ」

 ツアーとの二人旅でいつでも魔法も使えるようにと腕輪もナザリックに置いていかされているし、八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジアサシン)もいない。少し不安だった。

 護衛はともかく、物心ついた時にはすでに着けていることが当たり前になったあの腕輪とこんなに遠く離れたことはない。

 アルメリアならこの腕輪のない状況を喜んで闊歩するのだろうが、ナインズはとにかく何かを破壊しないようにしようと思った。

 一方、ツアーはいつもフラミーが着けている光輪の善神(アフラマズダー)を鎧に下げていた。

 

「これは──ある意味君の社会勉強の旅だ」

「社会勉強かぁ。どう思うのが正解の場所なんだろう?なんだかテストみたいです。思うようにするっていうのがちゃんと父様の思う正解だと良いんだけど」

「まぁ、大概正解に辿り着ける場所を用意しているんじゃないかな」

「……答えが百点じゃなかったら、息子失格になる?」

「ならないと思うよ。アインズはそういうつもりで君を送り出したんじゃない」

「うーん、そうかなぁ。僕はどうもうまくやれてないみたいだから。月夜の転移門(ナイトゲート)の開通挨拶も父様はあんまり気に入らなかったみたいだし」

 

 興奮と熱狂では人が倒れるので、夕方からの式典ではどちらかと言うと静かな内容にしておいた。

 皆その場で感涙に咽んでいたが、父はもっとなかったのかと言った。

 半分父のような存在しかいない場所で、ナインズは子供のように頬を膨らませた。

 

「僕に頼むなら完璧な内容のものを先に出しておいてほしいのに」

「それが出てこないのは君が期待されているという事だよ。僕も君に世界を任せたい。今回の国のことは置いておいても、君は頑張って色々学ぶ事だね」

「はぁい。学生なら通用しても大人じゃ通用しないことってたくさんあるもんね。僕、少し自信無くす」

「自信をなくすほどじゃないだろう。君はよくやっている。無垢なままでいて欲しいと言う僕の希望からもそう外れていない」

 ツアーの鎧の手が赤ん坊にでもするようにナインズの頭を撫でる。

 ナインズは「もう子供じゃないし、無垢でもないよ」と笑った。

 

 二人は橋を渡りきった。

 ──臭う。

 ナインズは思わず眉を顰めた。臭いからではなく、そうなってしまう状況に。

「……壁の外はスラム街なのかな?」

「そういう雰囲気だね」

「僕、こう言うの初めて見た……。これは確かに社会勉強だ……」

 大人は見当たらず、あちらこちらで粗末な焚き火を子供達が囲んでいた。

 皆ナインズとツアーを見ると、ワッと一斉に駆け寄った。

「また二眼種の旅人たちだあ!」「ねえ、神様はまだなの?」「いつ来るの!」「前に来た旅人が来るって言ってたよ!!」

 ナインズは一瞬呆気に取られたが、すぐに小さく痩せた子供達の前にしゃがんだ。

「謂わば神様達が来るために、先に私が来たんだよ。皆よく待っていてくれたね」

「お姉さんが神様を呼びに行く人なの!」

「はは、僕は男だよ。けれど、神様を呼びに行く人っていうのは多分正解」

 と話しながらナインズは子供達の頭にポンと触れ──その祈りに微笑んだ。

 

 ──お腹いっぱい食べたい。

 ──早くお母さんが帰って来てくれますように。

 ──大きくなりたい。

 

 無垢な祈り達だった。

「皆、お腹が空いているんだね。少し待ってね」

 ナインズは落ちている石を拾うと、ひょいと一度空に向かって投げてから石を両手で包んだ。

「──何が食べたい?」

 子供達は首を傾げ、互いを見合わせた。

「袋一杯のナッツ」「前に旅人が作ってくれたうさぎのシチュー!」「乾いてないパン!」「美味しいパン!」「ビリヤニ!」「バナナ!」

「はは、シチューは私には難しいな。でも、当たりがあって良かった。皆、よく見てて」

 

 ナインズは子供達が手を覗き込むと、近頃手に入れた何の役にも立たないとナザリックで大変笑い話になった特殊技術(スキル)を発動させた。

「── <秘蹟の聖体(ユーカリスト・サクラメント)>」

 ナインズの手の中からもわりと焼き立てのパンが出た。

「あち……。これしか出せないけど、食べるといいよ」

 二つに割り、パンを食べたいと言った子と、近くにいた子に渡した。

 拳サイズのパンは狐色で外側がカリッと出来上がっていて、中は白くふんわりと甘い香りがした。

「これ、なあに?」

「パンだよ?乾いてないパン」

「パンなのに柔らかい!」

 私も、僕も、と群がる子供に石も持って来てと頼み、ナインズはそこでせっせと石をパンに変えた。

 休みの期間中にレベルが上がって行く中で、母から「そろそろ石もパンにできちゃうんじゃないの?なんてね〜」と唆され、やってみようと思った時にはもうできていた。

 それを見た父は頭を抱えて「成熟してる」とこぼし、母と真剣な顔をし話し合っていた。

 

 子供達は満腹になると友達も呼んでくると散っていき、皆たくさんの友達を連れてそこに戻った。

 自分もパンを咥え、せっせとパンを作る。

 もっとアンパンやカレーパン、ガーリックトーストなんかが出たらいいのにと思うが、まぁ贅沢は言えない。

 

 昼間だったと言うのに夕暮れが近付いてくると、ナインズは疲労の見える顔で、満足そうにする子供達を見渡した。

「──さて、そろそろ行こうかな」

 それを聞いた子供達の顔は暗くなり、お腹はいっぱいそうだと言うのに、子供達はまだ食べている子達に掴み掛かった。

「ぼ、ぼくに寄越せ!!」

「お前もう一個食べたじゃん!!」

「お前だって二個目だろ!!」

「──あなた食べないならわたしに譲ってよ!!」

「これはお母ちゃんに渡すんだ!!」

「大人は子供に食べ物渡すべきなんだから寄越せ!!」

「──お前は最近両親死んだだろ!!」

「ボクはボクの為に取っておくんだよ!!」

 途端に始まった壮絶な喧嘩に呆然とした。ツアーはやれやれと興味なさげに息を吐いた。

 正直言うと、こう言う光景も生まれて初めて見た。

 

「わ、分かったから皆喧嘩しないで。最後、一人一つづつね。受け取ったら喧嘩しないで皆もうお帰り」

 皆一斉に石を探しに駆け出し、我先にと石を握りしめて戻った。

 また一つ一つパンを与え、受け取った子供はどんどん家に帰って行った。

 そして、最後の一人は石を二つ持った女の子だった。

「──ごめんね、一人一つだよ」

 女の子は俯くと呟くように言った。

「……友達の妹が妊娠してるの……。あげたいの……」

「それなら──」

 とナインズが手を翳そうとした所を、ツアーが遮った。

「ナインズ、あまり口出しはしない事にしているけれど、やめておいた方が良い」

 見渡すと、帰りかけていた子供達はぴたりと足を止め、「ああ言えばもっと貰えるのか?」とハイエナのように耳を澄ませていた。

 本当にあまりにもキリがなかった。

「──それじゃあ、お友達のところに一緒に行こうね」

「ありがとう。私、メルタ」

「僕はナインズだよ」

 ツアーは名乗らなかった。

 日が暮れて行く中、三人でスラムを行った。

 ナインズ達が渡った橋とはまた別の橋が見えてくる頃、メルタはボロ屋の戸を叩いた。

「ジェーリ、ルシオ。どっちか帰ってる?」

 小屋の中からすぐに顔を出した少年は一瞬目を丸くした。ナインズに見惚れるように爪先からてっぺんまで見ると、ごくりと喉を鳴らして口を開いた。

「た、旅人?神様?」

「神様を呼びに行く人だって。パンくれるから連れて来た。ジェーリに食べさせてやってね」

 メルタは石をいくつもナインズに渡すと、「じゃ」と言って帰って行ってしまった。

 

「えっと、こんばんは!僕はルシオです。旅人さん達、入ってください!」

「ありがとう、僕はナインズ。少しだけお邪魔するね」

 ルシオは立て掛けてある扉をガタガタ開けて中を進めてくれ、これ以上外でパンを出しているとまた囲まれかねないので遠慮なく家に入った。

「こっちは妹のジェーリ!──ジェーリ、神様の使いの人がパンをくれるって」

 ナインズはツアーと家に入ると、その粗末さに動揺した。

 土が剥き出しの部分もあるような床と、服などがいれられた箱がいくつか。椅子や机は見当たらず、やはり箱が置かれていて、それの上に何か汚い麻袋が乗っている。

 部屋の隅には大量のボロ布が集められ、そこの中で少女がぼんやりと目を開いた。

「……お腹すいた……」

 

 この子が妊婦なのかと、この場所の過酷さを思い知らされるようだった。確かに腹だけは少し大きいようだった。

「……お食べ」

 ナインズが受け取った石を全部パンに変えると、手の中からぼろぼろパンがこぼれ落ちた。

 ジェーリはのっそりと起き上がるとパンを一口食べ、「お、おいしい!」と言うとあとは必死で食べた。

「ルシオ、君も食べると良いよ」

「あ、ありがとうございます。こんなにたくさん!」

 兄妹が夢中でパンを食べる様子をナインズは複雑な気持ちで眺めた。

「君達、ご両親は?」

「お母さんはもう死にました。お父さんは一昨日殺しました」

「こ──え?な、何て……?」

 ルシオはナインズを虚な灰色がかった青暗い瞳で見上げると、笑った。

 

「ジェーリがうまく働けなくて、お父さんも働けない永遠泣き虫だったし、お父さんがもう食べていけないから殺してくれって」

 絶句してしまった。ルシオが眺める場所には確かに致死量の固まった血痕がドス黒く染み付いていた。

「自分で殺してって言ったのに、お父さん、最期はやっぱり死にたくないって言って死んでいった。僕、神様なんていないって思ったんです。でも、旅人さんが神様の使いなら、きっと僕たち助かるんだ」

「──た、助かる。助けるからね。大丈夫だよ」

 ナインズは痩せ細っているルシオの手を握った。

「ジェーリ、もう僕たち大丈夫だよ!」

 ジェーリは必死にパンを口に詰め込みながら笑った。

 そうしていると、外からカンカンカンカンカン!と甲高い音が聞こえてきた。

「あ、配給だ!配給ももらってきたら豪華な晩ごはんになるなぁ!貰ってくるから待っててください!」

「あ、僕の分はいらないからね」

「はーい!」

 ルシオは見窄らしい箱の上に置かれていた深皿を一枚手に家を飛び出して行った。

 

「ジェーリ、配給は誰がしてるの?」

「四眼種の優しい管理者様達」

「優しい管理者……か。ジェーリ、いつもご飯は足りてない?配給があるのにお父さんとは食べていかれなかった?」

「お兄ちゃんが働いてもらえる配給チケットは一人分の朝ご飯と晩ご飯の二食だから、三人だと足りない……」

「……ここは三人家族だったのに、優しい管理者でも一人分しかくれないの?」

「もらえない……。でも、たまにお兄ちゃんが一晩中体を売ってチケットを分けてもらえることもあるよ」

 ナインズは目を覆った。ここは地獄かと。

 

「──……待って。朝晩の二食だと、昼は?」

「お昼はお兄ちゃんは鉱山で食べるの。私とお父さんは家で朝のお兄ちゃんの配給チケットでもらったご飯分け合ったりしてた」

「……それじゃあ足りるわけがない。お金は?少し分けてあげようか。重さで測って使えるかも」

「ものを買えるのは四眼種だけだよ?それに、おかねって数がわからないと使えないんでしょ?私、いち、に、さん、よん……。ろく?」

「ご、ろく、だね。この指は五本目」

 ナインズはジェーリが自分の手を見る間「……四眼種か……」と呟いていると、外からルシオが皿一杯のどろどろした粥のようなものと、硬そうなパンを持って戻った。

「お待たせ!旅人さんのパンと食べよう!!ジェーリ、今日はお腹いっぱいになれるね!」

「うん!旅人さんもお兄ちゃんもありがとう!」

 二人が仲睦まじく粥を食べるのを、ナインズはパンを齧って眺めた。ツアーも腕を組んでじっとナインズを見守った。

 

「ねえ、旅人さん。神様の国ってどんな所ですか?」

「……皆がお腹いっぱい食べて、明日への希望に満ちているんだよ。どこもかしこも輝いて、神の下にあらゆる人々は平等で、誰もが自由なんだ。何かを強いられることも、害されることもない」

「それって天国?」

「じゃあ、死んだら行ける所?」

「天国みたいだけど、死なないでもいけるからね」

「僕とジェーリも行けるのかなぁ」

「行けるよ。僕が乗って来た船が少し離れた所にあるから、それに乗って一緒に行こうね」

「いいの!一緒に行っていいの!」

「良いよ。もちろん」

「わぁ、メルタが旅人さんを連れてきてくれて良かったなぁ!」

「僕も君たちに会えて良かったよ。ルシオ、ジェーリ、先に中で四眼種と話だけしたら、すぐに君たちを迎えにくるから待っててくれるね」

 食事を終えたジェーリは嬉しそうに頷いた。

「約束!必ず戻ってきてね!──あ、赤ちゃんも嬉しいってね、今お腹蹴ったよ!」

「良かった。赤ちゃんも、きっと迎えにくるからね」

 ナインズは痩せているのに膨らんでいる腹に手を当て、中から確かにトン、トン、と腹が動くほどの衝撃を感じると撫でた。薄皮一枚の下に赤ん坊が入っているようだった。

 そして、彼女の祈りを聞いた。

 

 ──赤ちゃんとお兄ちゃんと幸せになりたい。

 ──お腹いっぱいになりたい。

 ──最後は楽に死にたい。

 

 切実すぎる祈りに唇を噛む。

 ルシオは少し不安そうな顔をした。

「旅人さん、壁ノ内に行くんだね。他の旅人さん達は壁ノ内で名誉四眼種になって幸せに暮らしてるんだって。だから神様の国に神様を呼びに行くのをやめちゃったって大人が皆言ってるの。旅人さんは、中で名誉四眼種になれるって言われても、迎えにきて一緒に神様呼びに行ってくれる?」

「僕は必ずここに戻ってくるよ。──そうだな。今日はもう遅いから、明日の朝の炊き出しに一緒に行って、優しい四眼種の人達にお願いして中に入る。それで、できるだけ早く戻ってくるね」

「分かった!待ってるね!旅人さん、今日は泊まって行く?」

「そうさせて貰えると嬉しいな。──<清潔(クリーン)>」

 

 せめて彼らの夢見が良いように血の跡を消すと、ルシオは喜んだ。毎晩お父さんの悲鳴が聞こえてくるようだったと。

 ナインズは薄暗く、外の月の明かりだけが頼りの家の中で子供達と抱き合って横になった。

 ツアーは適当な場所で腰を下ろして見守った。

 二人はあの鎧の人は何なの?と尋ね、「ゴーレムみたいなものだよ」と答えた。中に人は入ってないと言うと驚いていた。

 ルシオとジェーリを抱えて転がりながら、板切れをいくつも重ねて作ったような天井を眺める。

 ジェーリは「いい匂い」とナインズに縋った。

「旅人さん、もう神様も呼びに行かないで僕たちと一緒にここでパンを食べて暮らさない?」

「──それは少し難しいね。一緒に僕の国に行く方がきっと君達も安全だから、そうしようよ」

「……僕、できる仕事多くないけど大丈夫かな」

「大丈夫。十八の成人までは皆守られるべき子供だからね」

「僕、多分十五歳!十八まで何年?」

「え?十五なの?十八までは三年あるけど……僕と二つしか違わないのか」

 眠るジェーリの横で起き上がって見下ろしたルシオは無垢そうに首を傾げた。体は小さく痩せ細り、てっきり十二やそこらだと思った。

「多分十五。来年には僕も旅人さんみたいに大きくなれる?」

「……なれるよ。私の国に行けばなれる。大丈夫。君も数を数えられるようになるし、背も伸びる。大丈夫だよ」

 ルシオは嬉しそうに笑った。

 十五の自分はナザリック学園で一郎太とはしゃぎ回っていた。この世の境遇の差に言葉もない。

(……早く、早く父様達に世界征服していただかないと……)

 絶対なる存在が上に立てば、四眼種だろうと何だろうと、どれだけの種族がいても、その尊さに皆自然と頭を垂れるというもの。

(絶対なる支配者であらせられる父王陛下と母王陛下によって、世界の全ての生き物が支配されなくちゃ……こんなことが起こる……)

 生み出されているものは真なる平和だ。

 平和を求めるのであれば、至高なる存在の支配を受け入れるべきなのだとデミウルゴスは言っていた。

 

 目を閉じると、ふと腹を手が撫でた。

「──ルシオ?」

「旅人さん、必ず戻ってきてくれるよね?」

「うん、大丈夫だよ。不安なんだね、こっちにおいで」

 ルシオはジェーリの隣からナインズの隣に移動すると寄り添った。

「僕、旅人さんの役に立てるからね?」

「君が生きていると言うことだけで十分だよ。ありがとう」

「僕とジェーリを忘れて帰らないでね?」

「うん、絶対に忘れないよ」

 悩んだような顔をすると、ルシオがナインズの下半身を撫で、ナインズは飛び上がった。

「な、なに!?」

「僕役に立てるから。せめて」

「いい!そんな事やめろ!」

「ご、ごめんなさい……」

 ルシオが困惑する中、ジェーリが目を覚ました。

「……どしたのぉ?」

「な、なんでもないよ。なんでもない。ジェーリはお休み。もう少ししたら柔らかい布団で眠れるからね」

 撫でてやると、ジェーリはほっと息を吐いた。

「旅人さん、お父さんみたい」

「……ありがとう」

 またジェーリが眠りにつくと、肩を落とすルシオを抱き寄せた。

「もうルシオも眠りな」

「旅人さん、ごめんなさい……。男じゃ嫌な人だった?」

「……そう言うんじゃなくて。君は僕の友達だよ。友達にはそんなことしないでいいんだからね」

「友達になってくれるの?」

「うん、旅人じゃなくて、ナインズって呼んで」

「わぁ。ナインズお兄さん」

 ルシオは嬉しそうに笑い、眠った。

 聞けば彼の祈りも切実だった。

 ──楽に死ねますように。

 ──お腹いっぱい食べたい。

 ──ジェーリが長生きしますように。

 ナインズもため息を吐いて両脇の兄妹の額にそれぞれ口付けてやると眠りに落ちた。

 

 深夜。

「──ナインズ」

 ツアーの声に目を覚ました。

「……ん……はぁい」

「敵意が向かってくるよ」

「……敵意?四眼種とか言う種族かなぁ」

 体を起こすと同時に、ドンドンドン!と無遠慮に扉が叩かれた。

 ルシオとジェーリも眠そうに目を擦り起き上がった。

「こんな時間に誰だろぉ?」

「メルタかなぁ?」

 などと言っていると──途端に扉は蹴破られた。

「っわ!!な、なに!?」

 二人がナインズに抱き付くと、ナインズは二人を抱き寄せて扉を失った出入り口を睨んだ。

 外からは痩せこけた大人が鍬や棒切れを手にぞろぞろと入ってきた。

 

「あんたが石をパンにする旅人かい」

「……そうですけど、あなた達、彼らの家をこんな風にしてどう言うつもりですか」

「一緒に来てもらう。パンを出し続けろ」

「……断る。今日はもう眠って、明日の朝には私は壁の向こうに行って話をしなくては。もしくは、帰って父に話をする」

「行かせるわけがないだろう。来い!!」

 ドタドタとたくさんの足音が鳴り、ナインズは腕を引っ張られると軽く振り解いた。

 

「私が話を付けてくればこんな生活は終わる!私一人にパンを出させるより余程良いはずだ!」

「抵抗するな!そう言って壁ノ内に行った旅人は誰も戻らなかった!!身なりも良かったし、魔法も使えたからどうせ名誉四眼種になれて良い暮らしをしているんだ!!同じ二眼種のくせに許さないぞ!!」

 狭い家の中でワッと一斉に大人が群がると、ナインズは兄妹に危害が加えられないように二人を手放した。

 ツアーにも男達は寄ってたかり、粗末なロープを目の前でビンッと張って見せつけた。

「あんたにも来てもらうぞ!!」

 

 押し除けることも、吹き飛ばすことも、拘束魔法で捉えることも容易だが、彼らの貧しい心と昼に見た子供達のあの喧嘩を思い出すとどうしてもできなかった。

 抵抗しない様子のツアーはただ手を縛られていたが、NOと言うナインズは床にドンっと顔を押し付けられ銀色の髪を散らした。

 

「やめろ!私は話を付けられる!!」

 ルシオとジェーリもナインズを抑えつける大人達の腕を引っ張った。

「や、やめて下さい!皆!」

「ナインズお兄さんは──この旅人さんは神様を呼びに行けるのに!僕達を神様の国に連れて行ってくれるのに!!」

「うるさい!!神なんか存在するはずがない!!いれば俺は片目を抉り取られてない!!」

 首謀者らしい男は長い前髪を払い、その下の眼窩を見せた。空洞には目玉は存在せず、黒々と広がる恨みの穴があった。

「退け!!お前達にだってパンはやるんだから!!」

 ドンっと大人達にジェーリが払われ、箱に倒れ込む。うぅ……と呻き声をあげると、ナインズは「分かった!!」と叫んだ。

「分かったからやめろ!!子供にまで手をあげて恥ずかしくないのか!!」

 

「最初からそう言っていれば良かったんだ!来い!!」

 

 睨み上げるナインズの目には布が掛けれ、引き立たされるとどこかへ連れ出された。




ナイくん、本当にツアーと二人のお出かけなんだなぁ…。
ちなみにイエスはサタンにパンを作れば?wと40日の絶食後に唆されてNOと言ったみたいですね!

次回明後日!Re Lesson#45 燃え盛る炉


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Re Lesson#45 燃え盛る炉

 ナインズはまた見窄らしい家の中で目隠しを外された。床に直接座らされ、家の外にはたくさんの大人達が松明を持ってナインズを見下ろしていた。

 

「──さぁ、作って見せろ!!子供達に配った、あの一等上等なパンを!!」

 片目のない男が石を手に迫る。

「……触れなくちゃできない。せめてこれを解いてください」

 ナインズは背中の後ろで縛り上げられた手を動かした。

「解いたら逃げるつもりだな!?触れられればいいなら手以外にもある!!」

 内心舌打ちすると、男がナインズの足元に放った石を見下ろした。

「……私にこんな真似をさせるのはお前が初めてだ」

「御託はいい!早くしろ!!」

 ナインズは床に転がる石に向かって顔を伸ばした。

 肩から月の光を反射する銀色の髪がさらりと落ち、華奢そうな首を伸ばして石を一欠片咥えた。

 みずみずしい唇が石をはむ様にも、長い銀色のまつ毛にも、大人達は目を離せない様子だった。

 男達はごくりと喉を鳴らしてその様を見た。

 

「── <秘蹟の聖体(ユーカリスト・サクラメント)>」

 

 ナインズの咥えた石はパンに変わり、ナインズは口からぽろりとパンを落とした。

「……満足か」

「お、おぉ……!」

 出来立てのパンからはほかほかと湯気が上がり、男達はそれを手にしてパンを割ると、分け合った。

 そして「う、うまい……」と感激したように言うと、外から「こっちにもよこせ!!」と怒鳴り声が響いた。

「おい、旅人。もっと作れ!」

「……流石に疲れてる……。今夜はもう無理だ。眠い。後一個も出せない」

 ナインズはこてんと転がると、今日はこんな所に泊まるんだなぁとため息を吐いた。

「起きろ!!少なくとも一人一つは作ってもらう!!」

「無理だ。無制限じゃない。せめて明日の朝にまた言え」

 大人達はぐぬ……と声を上げ、ナインズがもう何も言うことはないとばかりに目を閉じると見張りらしい数名を残して渋々家を出て行った。

 

 外からは大人達が男女関わらず喧嘩をする声が響いていた。

『あんたねぇ!叩いて解らせてやればいいんだよ!』『鞭打ちにすれば嫌でも出す!』『だが時間も時間だ』『日中子供達にたくさんのパンを与えてくれている』『二眼種同士なんだから当たり前だろうが!!』『夜通し働くくらい大人なら普通なんだ!!』『だがあの子は大人か?』『子供は働けない者達の呼び名だ!!』

 

 ナインズは聞こえないようにそっと耳を覆った。

(……明日は四眼種と話をしよう……。話の通じる大人がいるといいな……)

 まさか大人達とここまでやりとりができないなんて。

 十七になったがまだ子供と大人の間のような存在だ。不安な気持ちになった。

(……大丈夫。僕は捕まった訳じゃない。ただ、ここで眠ることを選んだだけ。僕は強い……。ツアーさんだっている……。大丈夫……)

 相手は大人でも蟻だ。殺そうと思えばいつでも殺せる。

 相手が獅子を猫だと思っているだけ。

 本当に不安になって恐れなくては行けないのは向こうなのだ。

(……レオネ……)

 ナインズはレオネの声を見つけると柔らかな息を吐いた。

(……君は僕の心の盾だよ……)

 祈りの糸を握りしめ、春休みが明けたら彼女の下へ走ろうと決めた。冬休みが明けた時のように。

 

 うとうとしているといつしか眠りに落ちた。

 気が張っていた。父からのテストだと言うこともあるし、社会勉強だと言うこともあるし、腕輪をしていないから気持ちを昂らせすぎてはいけないと言う抑圧もあった。

 

 そして、ナインズはギ……と自分のそばから音が立ったのを聞きつけた。

 ハッと目を開けると男達が覗き込んでいた。

「──な」

 白い肌に男達の手が伸び、欲情を隠そうともせずに服をはだけさせはじめた。

「や、やめろ!!私に触るな!!」

「へ、へへ。見ろ。本当に綺麗な顔だ」

「本当だよなぁ。男だって構いやしねぇ」

「救ってやるって言ってるのに──!他者を虐げることを望むな!!」

「はぁ〜?救ってくれよぉ〜?」

 男達が下卑た笑いを上げて皮膚に触れた瞬間、ナインズの身体中にゾッと毛虫が張ったような悪寒が上る。

「き、貴様ら──!!」

 その瞬間、ツアーが自らを縛めていた縄をゴミのようにちぎり劔に手を伸ばした。

 手を伸ばしたと思った時には辺りに男達の首がゴトリと落ち、寄せられていた身はずるりと転がった。あまりのスピードにナインズの目は追いつかなかった。

 ツアーはピッと劔を振ると別に何も思わないように鞘に戻した。

「フラミーが怒る」

「……僕も怒ったよ」

「本気で怒ってなかっただろう。本気で怒っていればこの家はもう存在していないはずだからね」

「……僕はその気になればナザリックに帰れるんだもん」

「気が動転してその事も忘れてたみたいだよ。ナインズ、ここはもう良いんじゃないか」

「うん、もう行こうか……」

 ナインズも縄を千切ろうとすると、ドンドンドンと扉が叩かれた。

「あぁ〜。よくも殺したなとか言われるのかな」

「言われるかもね。まぁ、殺されても仕方がないし殺したのは僕だよ」

「そう言ってもらうと気が楽。流石に大人にあんな目で見られたのは初めて。……怖かった」

「可哀想に」

 簡潔な感想にナインズが苦笑していると、扉は三つの白い玉に吹き飛ばされた。

「──<魔法の矢(マジックアロー)>?」

 三つと言うことは第三位階程度まで使うはず。通常の感覚で言えばかなりの使い手だ。

 外からはやはり大人がぞろぞろと家に入った。

「──殺されているな」

「構わん。どうせドブネズミだ」

「……あなた達は?」

 大人たちは冷たくナインズを見下ろした。目の下には伏せられた瞼が二つ並んでいた。

 この視線は味方という雰囲気でもない。

 あぁ、これが四眼種かと納得した。

「貴様らドブネズミの管理者だ。旅人、お前二眼種のくせに石をパンにできるそうだなぁ?近頃は一丁前に魔力のある二眼種がうようよ入ってくる」

 四眼種はナインズの髪の毛を掴んで上を向かせた。

「お前も炉になれ。──連れて行け」

 はだけたままナインズは引き立たされ、繋がれていたロープを引っ張られて歩かされた。

「──おい。鎧を脱げ」

 四眼種がツアーを見上げて言う。

「……僕の持ち物のゴーレムだよ。中身はいない。汚すなよ」

「ほーう。これで縛られていながらそいつらを殺した訳か。ドーラー様に報告しろ」

「は」

 

 ナインズは時に小突かれながら壁の中へ入って行った。

 

+

 

 ルシオは戸を直すと蹲ったままのジェーリを覗き込んだ。

「……ジェーリ、大丈夫?」

「……まだ痛い……」

 突き飛ばされた時に腹をぶつけたようでジェーリはずっと唸っていた。

 背中をさすってやり、ため息を吐いた。

(……ナインズお兄さん、パン作らされ続けてるのかな……)

 そう思うと眠る事もできなかった。

「うぅ……うぅう…………」

「……ねぇ、ジェーリ。本当に大丈夫?」

「ルシオ……にいちゃ……痛い……!痛いよ……!!」

 額には脂汗が滲み、顔面は蒼白だと言うのに血管が浮き出ている。

 ルシオはこれを二度見た事がある。

 ジェーリが生まれた時と、弟が生まれた時。

 まさか──と思っていると、ジェーリの足元にじわりと水が広がった。

「た、大変だ!だ、誰か!!ジェーリ、待ってて!手伝ってくれる人達呼んでくるから!!」

 自分達で家で産むのが当たり前なので大体の女性は産婆の経験がある。

 ルシオは家を飛び出した。

 最初は皆鬱陶しそうな顔をしたが、ジェーリが子供を産みそうだと言うと飛んできてくれた。

 誰かの面倒を見ていれば生き残れないが、情が一切ない訳でもない。

 ルシオの家にはどんどん女性達が集まって来てくれた。

「ルシオ!!水!!水汲んできて!!」

「わ、わかりました!!」

 雨水を溜めている甕へ翔ける。

 持てるだけの水を汲んで戻り、ジェーリの手を握った。

「ジェーリ!大丈夫だから!大丈夫だからね!!」

「うぅうう!!うぅうう……!!」

「赤ちゃんと一緒にナインズお兄さんの神様の国に行くんだから!!僕ら、助かるんだから!!」

 ジェーリは泣きながら何度も頷いた。

 その晩、ルシオもジェーリも一睡もできなかった。

 朝日が昇っても、ジェーリはいつまでも苦しんだ。

 そして、外からカンカンカンカンカン!といつもの配給の合図が聞こえてくる。

「まだ生まれない!!あんたは皆の家に行って配給チケット集める!それで皆の分の配給もらって来なさい!!」

 産婆に怒鳴られ、ルシオはまた家を飛び出した。

 言われた通りに事情を話し、配給チケットを受け取って配給所へ走る。

 並んでいる時間が無限に感じた。

 

 そして、ふと並ぶ大人の会話が耳をついた。

「──全員殺されたって」

「縛ってたのに!?」

「だから叩いて解らせてやらなきゃいけなかったんだ!」

「せっかくのパンが……。今日からあれがいくらでも食べられると思ってたのに……」

「見張りは無能ばっかりだ!」

「殺して出て行ったんだからもう旅人は戻らないだろう」

「戻ってもらわなきゃ困る!!」

「また捕まると思えば普通なら戻るはずがない」

「戻れば殺された奴の家族から袋叩きに遭う」

 

 ルシオの足元がぐらりと揺れた。

 ナインズとの約束は果たされることは無いと言う確信が胸の中を広がる。

(………………)

 足から根が生えたように立ち竦んでいると「早く進め!」と後ろから怒鳴られた。

 ルシオは鉛のような足を動かした。

 

+

 

「──起きろ」

 ナインズは牢の隅で縛られ未だはだけたままの身を起こした。

「起きてるよ……。寝心地が悪くてろくに寝られやしなかった」

「黙れ。ドーラー様が見える」

「ドーラー様?」

「ドーラー様は四眼種の長だ。貴様は旅人だから知らないだろうが、あの方は魔力蓄積石と魔眼を使って国民全員が魔法を使えるように変えた絶対的指導者だ」

「それはすごい人だ。そんなに偉い人に会わせて貰えるとは思わなかった。ありがとう」

「旅人にしては良い心構えだ。崇拝しろ」

 

 番兵のような男は牢の前を去っていき、戻った時には身なりの良い髪の長い男が一緒だった。歳の程はわからなかったが、四十は超えていそうだった。

「ほう、美しいですね。聞きしに勝るとはこの事ですか。二眼種にしておくのが勿体無い」

「……どうも。あなたがドーラー様ですか」

「そうですよ。あなたには名乗らせてさせあげましょう」

「ありがとうございます。私はナインズ・ウール・ゴウン。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国よりの使者」

「その国の名前は飽きるほど聞きましたねぇ。ですが──あなたの名はなんです?二眼種の王──いや、若い。王子でしょうか?」

「そうなります。我々は対話を望みます。我が国の使者や冒険者がここを訪ねているはずです。私の民を返してください」

 ドーラーはフと鼻でを鳴らすと、笑い声を上げた。

「ふふ!ほほほ!!下等な二眼種の、下賤の王子が!!ははは!!このドーラーと対等に会話をしようというのですね!!」

「……あなたの話はそちらの番兵から聞いています。敬意は払っているつもりです」

「それは当たり前のことです。私はドーラー、二眼種が奉仕すべき崇高なる四眼種の長。あなたは目も足りない出来損ないの脆弱で穢らわしい二眼種ですよ?あなた達は我々に望むことなど許されません!ただ傅き(こうべ)を垂れるのです!」

「指導者まで話が通じないのか……。命は対等だ。上に立つ者なら下にある者を守れ!生まれてしまう犠牲があるのならば、踏み台にしてしまうその罪を背負い命に敬意を払え!」

「踏み台にする罪?ほほほ、生意気な口をきくようですね。土を踏むことがなぜ悪いんでしょう。踏み台を踏み付けることがなぁぜ悪い。ドブネズミの王、あなたは炉にする予定ですが──ただの炉にするには惜しいです。心が折れ、その口がご託を並べる事を諦める日を見るのが楽しみですよ」

 ドーラーは四つの目を開いて全てを歪めさせた。

「力の塔に行く前に、あなたの大切な民とやらに会わせて差し上げます。──連れて行きなさい」

「ドーラー様、ゴーレムはどうされますか?」

「見たところ魔力のある何かが埋め込まれているわけでもなさそうです。無限に動く訳ではありません。今込められている魔力が切れれば動かなくなるでしょう。まとめて魔力蓄積石に魔力を吸わせなさい」

「は!」

 ナインズとツアーはまた移動させられた。

 

 荷馬車に押し込められると、ツアーは口を開いた。

「──どうするんだい」

「……話が通じなくてどうしたら良いのか解らない。でも、とりあえず国民のところには連れて行ってもらえそうで良かった」

「君は割とポジティブなんだね」

「はは、そうかな。内心焦ってるんだけど。ここをどうしたら良いんだろうとか、もし手に入っても差別がすごそうだとか……。はー。どうするのが父様の求める正解なんだろうなぁ……。もう人も殺しちゃってるし」

 ナインズはずるりと壁にもたれて思考した。

 しばらくすると壁を出た。

「……外のバラックで冒険者や神官達は暮らさせられてるのかな?」

「そうだとしたら、橋を渡って帰って来そうなものだけどね」

 馬車はいつまで経っても止まらず、いよいよ堀を渡す橋が見えて来たと言うところで止まった。

 

「降りろ」

「どうも」

 ナインズは人もまばらな場所で降りると、ドーラーが顎をしゃくった先を見た。

 堀だった。

「……どう言う事だ?」

「見てみればわかりますよ」

 訝しみながら堀を覗き込むと、ナインズは縄を引きちぎった。

「──貴様、殺したのか!!」

 堀の底には冒険者プレートを下げた腐乱死体が大量に折り重なっていた。

「ほほ、ははは!良い顔をしますねぇ。その者達は勝手に殺し合ったんですよ。生き残った一人が名誉四眼種になれると言ったら、大喜びで」

 一緒にいる周りの四眼種達もおかしそうに笑った。

「最後の一人なんて傑作でしたねぇ!皆逃げて神々に伝えてくれとか言って、自分で自分の喉を裂いて死んだんです!見ていた国民は皆腹を抱えた物ですよ!!あの無様な死に方ったら!!」

「貴様──!人々を導く立場にありながらよくもそんな……!」

 ナインズは腰に下げてあった杖を抜くと堀の底へ向けた。

 

「──何をする気です?」

「何だろうと私の勝手だ。──<真なる蘇生(トゥルーリザレクション)>」

 ナインズの金色の瞳がギラリと光る。

 魔法を掛けられた腐乱死体だったはずのものはハッと顔を上げた。

「あ……あれ……。俺は……」

「何です?蘇生?代価は一体何を!?」

 ドーラーは目を丸くしていた。

「<大治癒(ヒール)>。──冒険者!!向こうに私が乗って来た飛空艇がある!!訳もわからないと思うが、体が動くようになったら飛空艇へ行って船を寄せるように言え!!」

 冒険者はナインズが指差す方向と、堀を出入りするための梯子の存在を確認し、ナインズを見上げた。

「あ、あなたは──」

「誰でも構わん!!飛空艇を寄せさせて国民の死体を乗せろ!!全てだ!!船には神官が待機しているから手伝わせろ!!私では魔力が続かん!!母王陛下にお出まし頂くにはここは汚れすぎている!!」

 冒険者が堀の底で慌てて跪くのを見ると、ナインズの首根っこは引っ張られた。

 

「──お、お前!!その力は何です!!」

「何だと言ったら満足だ。──四眼種の長!」

 ドーラーはナインズに睨まれると「ぐ」と声を漏らし、周りで言葉を失っている四眼種に叫んだ。

「こ、拘束し直しなさい!!こいつは最高の炉です!!百年に一度、いや、千年に一度の炉になる!!恐れることはない!!今の今まで粗末な縄にかかっていた、攻撃魔法の使えない信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)です!!」

 

 ナインズがまた縛られると、堀の底から「殿下!?殿下!!」と冒険者が叫ぶ声がした。

「私はなんともない!構うな!!」

「素晴らしい……!素晴らしい炉です……!!──乗せなさい!お遊びは十分、力の塔に行きますよ!!」

 

 ナインズはまた荷台に押し込められると苛立たしげに座り直した。

「随分怒っているね」

 ずっと荷台にいたツアーはどこか興味深そうにナインズを見た。

「……あの男の首を刎ねることは容易かった。瞬きのうちに全員を無力化できる」

「そうだね」

「でも、そうしたところであの壁の中の人々の意識が変わるわけじゃない。それに、戦争になったら僕は責任が取れない。先に来てるはずの神官もまだ見つかってないし。結局子供の僕にできることは一人生き返らせて死体を運ばせることだけだ」

「上出来じゃないかな。これは社会勉強だよ」

 ナインズがつまらなげな息を吐いていると、馬車はまたどこかに着いた。

 

 引き下ろされると、ナインズを見たドーラーは頬にある二つの魔眼を歪めた。

「ふ──ほほほ。この炉が魔力を焚べるようになったら、全ての国民が毎日魔眼に魔力を貯めに来られるはずです!」

 ドーラーが言い、ナインズは歩かされた。

 塔の一番上まで魔法の力で動くエレベーターで上がって行き、一つしかない扉を開いた。

 床から魔石が突き出すこと以外何もない部屋だが、たくさんの四眼種達がいた。

 四眼種達は「ドーラー様だ!」と憧れの瞳を向けた。

 

「魔力を取りに来た物達よ!この二眼種の王子が今日から魔力を注ぎます!!明日からは決められた日だけでなく毎日魔力を取りに来られるでしょう!!何の憂いもなく、あらゆる魔法を好きなだけ行使できる時代が来るのです!!」

 喝采が上がり、大人も子供もナインズに「炉!死ぬまでお前は四眼種の糧になる!!」と言った。

 

 ドーラーは魔石に触れると魔眼を開いた。

 瞳の赤が色濃くなっていく。

「……何をしているんだ」

「魔力を限界まで吸い上げます!ふふふ……!あなたの魔力が入る場所を少しでも空けなくては!!ここは大人も子供も誰もが魔力を手に入れに来られるこの魔法要塞都市の要!──お前はこの下で炉になるのです!!」

 

 ドーラーの魔眼に魔力が十分に溜まると部屋を出て階段を下った。

 

「ここだ!日中はここで魔力を注げ!!」

 ナインズは引っ張っていた兵に小突かれて下の階の部屋に入ると辺りを見渡した。

 すり鉢上の部屋の中でたくさんの人がぐったりと目を閉じていた。

「な──彼らを放て!疲れ果てているじゃないか!!」

「お前もじきにああなるのですよ!ほほほ!!──繋ぎなさい!」

 椅子に座らされ、手首と足首を拘束される。

 ナインズは噛み付くような顔でドーラーを睨んだ。

「ふふふ。すぐに座っていることすら億劫になる程の欠乏が待っています。夜になったら、二眼種の女を集めて繁殖活動をさせましょう。お前は確かに王子──いや、王らしい!強大な聞いたこともない信仰系魔法を操るあなたの血が増えるのです!!こんな収穫は初めてだ!!あなたも喜んで良いですよ?魅了をかけて差し上げますので、夢中で腰を振って気持ちよくなれるんですからね!どんな顔をするのか楽しみです!今夜はゆっくり観察させて貰いましょう!」

 顔を掴んで瞳を覗き込まれるとナインズは顔を振り、その手を噛もうとした。

「貴様なんて想像をして……痴れ者が!」

「ほほほ。キャンキャン吠える。その美貌、女が生まれれば夜は私が飼うと言うのもいいですね」

 ドーラーは鼻で笑うと扉へ踵を返した。

 

「──最大出力の準備ができ次第吸い上げなさい。意識を失ったところであの剣と杖は回収しましょう」

 ツアーの鎧も適当な椅子に拘束され、四眼種達は部屋を出た。

 

 ナインズは「クソが」と吐き捨てると自らを拘束する金具を見下ろした。

 低位の転移阻害が掛けられているが、腕力で破壊できる程度だ。

 まずはここにいる者たちが神聖魔導国の者なのかを確認して──ふと、隣の女がナインズを覗き込んだ。

 

「……神聖魔導国の人……?」

「──ぁ、そうです。無事ですか?」

「……またダメだったんだ……。……君まだ若いね。ここは最低の場所だよ……。体を動かせないから、もう足腰が弱っちゃった……。私の隣で寝てるやつはスカマって言うんだけど、スカマは魔力が多くないのにいつまでもいつまでも吸い上げられるせいでほとんどの時間起きてられない……」

「……大変でしたね。あなたは?神官……?」

「そう。魔力が戻るのも多少は早いよ。ま、早く目が覚めたって良いことなんかないんだけどね。今は昼ごはんの後の吸い上げが終わったから、もう少ししたらまた吸い上げがあって、次目が覚めたら晩ご飯。その後すぐにまた吸い上げ。そんで気がついたら吸い上げ。夜寝てる時にも吸い上げ。気がついたら朝ごはんが出てる。んで、また吸い上げ。ね、寝てる方が楽まであるっしょ」

「家畜扱いか……。お姉さん、死んでいない冒険者がここに全員集まっているかとか……分かりますか?」

「うへへ。お姉さん。良い響き。私はリリネット・ピアニ。殺し合いをさせられてない冒険者は皆ここにいるよ。神官と聖騎士もね」

「ピアニさん。良かった。僕はナインズ・ウール・ゴウン。ここからあなた達神聖魔導国の民を出します。魔力を──」

「え?え?えぇ?な、え?な、なんて?」

 リリネットはナインズの顔と出立ちを必死に確認しているようだった。

「ここからあなた達神聖魔導国の民を出します。安心してください」

「そ、そこじゃなくて、名前、いや、お名前……」

「僕はナインズ・ウール・ゴウン」

「うっそだろ……。ほ、本物……。この方が……」

 一瞬の絶句。リリネットはもごもごと口の中で何かを言った。

 

「……殿下はえっと……魔導歴三年のお生まれだから……十……七。こないだの冬で十七!う、うーん、でも、いや……ギリギリセーフ。長寿──というか、もはやこれ以上老いない可能性だってあるし。え?そう思ったら最高なんじゃないの!?」

 

 ナインズはバキン、バキンと両手の拘束を破壊して外すと、手首を回しながら冒険者の言葉に首を傾げた。

「十七ですけど……どうしました?」

「っうわ!い!いえ!何でもございません!!──皆!!皆起きて!殿下が来てくれた!!皆!!国から神々に連なる御方が来てくれたんだよ!!」

 皆「え……?」とゆっくり目を開けた。

 そして、神官達はまだ足が拘束されて座らされているナインズを見ると跳ね上がった。

「で、殿下!?」「殿下ぁ!!」「あ、あいつら殿下にまで縄を!!」

 誰か何とかしろと身を捩り、拘束具で血が滲むような事が起こり始める。

「み、皆待って。私は何ともないよ。今皆も出してあげるからね」

 ナインズが足元の拘束を蹴り外すと、ツアーもいとも簡単に拘束を破壊して立ち上がった。

 すると、部屋の四方に配置されていた魔道具がブン──と音を立てた。

「で、殿下!早くお逃げください!!」

 

 魔道具が起動した瞬間、ナインズからは一気に魔力が吸い上げられた。

 

+

 

 ドーラーは魔力の吸い上げが始まり、青い魔石が今まで見たこともない程に鮮やかな瑠璃色になると仲間達と歓喜に頬を染めた。

「おーほっほっほ!ご覧なさい!!満タンの色じゃありませんか!!これ程魔力が溜められているのは見たことがありません!」

「えぇ!素晴らしいです!流石ドーラー様!」

「もしまだ下賤の王子に余力があるようなら、小さいサイズの魔力石でもいいからそちらにも魔力を貯めさせなさい!ああ、魔力石鉱山にもっと早く大きな魔力石を探させるように言わなくてはいけませんねぇ!!」

「採掘を早めるように通達いたしましょう!二眼種をもっと鉱山に集めるようにも管理組合に連絡いたします!」

 

 側近と笑い声を上げ、周りの四眼種達も喜びに手を叩いた。

 子供達の万歳唱和が心地良い。

 ドーラーがここで人々を導くようになる前は四眼種でも魔法が使える者と使えない者がいた。

 今では二十歳になる頃には皆ゼロ位階は扱える。

 国は素晴らしく発展した。誰もが魔法を使えるので魔法道具の生産も進み、誰もが豊かに暮らせている。

 ドーラーがまだ二十代だった頃は、蓄積石の重要性を大人達に訴え、鉱山を取り仕切って二眼種にこれでもかと鞭を打った。

 大人達は誰もが魔法を使えるようになるなんてと苦笑したが、二眼種をこき使うことに対して文句を言う者もいなかった。

 そして、この巨大な蓄積石を見つけ出した。

 ここまで持って帰らせ、最初の頃はドーラー自ら魔力を溜めて人々に取りにくるように伝えた。

 皆魔法を使い、魔力がなくなるたびに魔力を受け取りに来た。

 魔法を使えない者も魔眼に魔力をとりに来ては魔法の練習をした。

 繰り返せば繰り返すだけ魔法の習熟度は上がり、ドーラーは魔法が使えそうな二眼種や、罪人の四眼種をかき集めてついには力の塔を作り出した。

 三十になる頃には指導者として歴史に名を残す人物にまでなった。今では罪人の四眼種は罪の塔で魔力を日に三回吸い上げられている。魔眼も持たない二眼種のドブネズミと一緒にしてはいくらなんでも可哀想だ。

 

(歴史に名を残したかった訳ではありませんが……素晴らしい……!なんて素晴らしいのでしょう……!!)

 

 ドーラーがさらなる豊かな四眼種の生活を思って高笑いを上げていると──ふとミシリと音がした。

「──なんです?」

「ド、ドーラー様!この色は!?」

 側近が指差す先で、蓄積石は満タンの合図であるはずの瑠璃色を通り越してドス黒くなっていた。

 見たこともない色だった。

 石は次第にキィ────と甲高い音を立て始め、ついには黒が赤へと変わっていく。

 魔力を取りに来た一般の者達が綺麗だと喜ぶが、ドーラーは小さな石でも見たことのない現象にふと嫌な予感を覚えた。

「──吸収(ドレイン)装置を止めなさい!!今すぐに!!」

「か、かしこまりました!!」

 側近が駆け出そうとした時、蓄積石全体にビシッと亀裂が入った。

「っな──」

 事態を飲み込むよりも早く、蓄積石はガラス玉を叩きつけた時のように粉々に爆散した。

「──なんですって!?」

 下の階から魔力石が突き出していた穴へ駆け寄る。ジャリジャリジャリと細かくなってしまった蓄積石が鳴り、一瞬足を滑らせそうになってしまう。

 そして、ドーラーは足を止めた。

 下階からふわりと浮かび上がって、あの王子が姿を現した。

「き、貴様!何をした!!」

「何もしちゃいない。私はただ、お前達がしたことに身を任せただけだ」

 魔力受け取りの間に王子が降り立つと、ドーラーは思わず一歩後ずさった。

「私は意味もなく傷付けることは好まない。だが、お前達はやりすぎた」

「な、生意気な口を!下等生物が!!──<水晶騎士槍(クリスタルランス)>!!」

「<天使の壁(エンジェリック・ウォール)>」

 放たれた魔法との間に天使達が絡みつく真っ白な彫刻が現れた。壁を構成する彫刻の天使達は手に持つ弓をつがえ、ギチリと引き絞った。

「子供もいる。武器を下ろして投降し──」

 王子が喋っている間に、子供達から一斉に<魔法の矢(マジックアロー)>が放たれた。

 それに倣い、大人達も魔法を駆使していく。

「──ッこの!お前達は力の差が分からんのか!!」

 矢をつがえた天使から光の矢が放たれ、魔法を打ち落としていく。

 だが、それも限界がある。

 

 <人間種魅了(チャームパーソン)>、<正義の鉄槌(アイアンハンマー・オブ・ライチャスネス)>、<束縛(ホールド)>、<炎の雨(ファイヤーレイン)>、<緑玉の石棺(エメラルド・サルコファガス)>、<聖なる光線(ホーリーレイ)>、<衝撃波(ショック・ウェーブ)>、<混乱(コンフュージョン)>、<盲目化(ブラインドネス)>、<石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)>。

 

 多種多様な魔法が王子に打ち付けられていく。

 魔法の雨あられの中、王子が立っていたところは魔力石のカケラや埃が立ちこめた。

 皆大きめの蓄積石を拾い、更に休むことなく魔法を放つ。

 

 そして、ドーラーがパッと手を上げると魔法は止んだ。

「こ、殺しては惜しいです!!おやめなさい!!」

 天使の壁を回り込み、埃が止むのを静かに待った。

 何もされない。

 まさか本当に死んでしまったか。

「……また巨大な魔力蓄積石の探し直しですね」

 つぶやいたその時。

 

「──<魔法三重最強位階上昇(トリプレットマキシマイズブーステッド)魔法の矢(マジック・アロー)>」

 四方に<魔法の矢(マジックアロー)>が飛び散り、大人達の腕が吹き飛ばされた。

 腕を失った者達が痛みに叫んだ。

「ッッなんだとぉ!?」

「無抵抗の人間によくやる。だが──自分達だけ、自分だけが幸せになりたいと祈るのは生き物のサガだ。それは許してやる」

 埃が消えると同時に擦り傷を負った程度の王子が姿を現した。

 怒りに燃える瞳。

 国民達は悲鳴を上げると部屋から飛び出していった。

 

 王子は切れた頬から伝った血をごしりと拭き取り髪を払った。

 その時、ドーラーは王子の耳が尖っていることに初めて気がついた。

 ──これは二眼だが、二眼種ではない。

 初めてこれは手を出してはいけなかった存在だと確信した。

 

 だが、二眼種を国民だと思っていることには違いないはず。

「し、下のドブネズミを殺されたくなければ抵抗するな!!椅子に戻れ!!」

「下衆が。断る。下にいた私の民はもう放った」

 ゆっくりと杖を向けられるとドーラーは両膝をついて情けなく叫んだ。

「ひ、ひぃいい!私を殺すのか!?やめろ!!やめてくれぇ!!お前が二眼種じゃないと言うことはもうわかった!許してくれぇ!!命だけは、命だけはぁ!!」

「……殺しはしない」

 それを聞くと、ドーラーは内心嗤った。そこに落ちていた大きな魔力蓄積石を握り込む。

(──若造ですね。こいつ、バカだ!!)

 力がどれだけあろうと、大人が嘘をつく生き物だと知らない。

 憐れむような目を向けられた瞬間、ドーラーは魔法を放った。

「<魔法二重抵抗突破化(ツインペネトレートマジック)石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)>ぉ!!」

 一気に魔力が削られるが、蓄積石から魔眼へ大量の魔力を吸い上げる。

 真正面から王子の顔に魔法が入り、王子はガツンと顔を上げて後ろへよろめいた。

 

 ──よろめいただけ。

 背をたらりと冷たい汗が伝う。

 

「いっ──てぇな!<雷霆神の怒槌(トールズミョルニル)>!!」

 バリリと手の中に雷が握り込まれる。それは両手で持つような巨大なハンマーの形になるとぐるりと回されドーラーの左肩を打った。

 すさまじい痛みが襲った。

 今までに感じことのない痛み。

「あ、あぁあああ!!」

 左肩から先がない。腕はどこに飛んだのか──いや、蒸発している。

 幸いにも傷口は焼けて血は滴っていなかった。

「投降しろ!貴様には来てもらうからな!どれだけの卑劣漢だろうがこの国を導く貴様の言葉は必要になる!!大人しくしていればこれ以上痛みは与えない!!投降後の安全も保証してやる!!──<拘束(ホールド)>」

 無意識に体が動く。魔法との間に腰を抜かした側近を蹴り出し、側近が束縛されて転がるとドーラーは駆け出した。

 怖い。

 痛い。

 怖い。

 痛い。

 

 一瞬だけ言われた通りに投降しようかとも思った。だが──二眼種達にやってきたことをされるかと思うと、とてもそれは受け入れられない。

 二眼種達に弱者として鞭で打たれ、危険で汚い仕事をさせられ、ろくな飯にもありつけない。そんな生活──!そんな生活──!!

 

 死と終わらない虐待への恐怖が心の中から湧き上がる。

「その傷でどこへ行く!!」

 悪魔のように背に声がかかるがドーラーは立ち止まらなかった。

(どうして私がこんなことに!!国民も私を連れて逃げるべきだったんだ!!)

 あの種族は噂に聞いたことがある森妖精(エルフ)と言う生き物なのだろうか。

 心の中で罵声を飛ばし、目の端に涙を滲ませながらドーラーは走った。

 

 

「側近投げ付けてガン逃げするかよ……普通……。いや……いや。つい殴り返したのが悪かったかな……」

 ナインズは空っぽになってしまった体に魔力を取り返すように、あたりに散らばる魔力蓄積石に手を掲げた。

「<魔力吸収(マジックドレイン)>」

 くらつきを感じる体が癒やされていく。

 体もだるかったが、それより魔法の当たったおでこがすごく痛かった。

「……こんなに顔が傷だらけだとレオネが心配する」

 青く戻った大きめの蓄積石におでこの赤い自分の顔を映すとそんなことを呟いた。だが、痛みは慣れた方がいいと言うので即座に治してしまうのも憚られる。

「──近頃よく聞く名前だね。ナインズ、追わなくて良いのかい?」

「僕も追おうと思ったけどね。あの様子で国民の前に出てくれたら逆に楽かもと思った」

「神聖魔導国の二眼種に指導者がやられたと自分で宣伝させるわけかい」

「うん、多少良い方向に行きそうじゃない?」

「そうだね」

「父様だったらどうしてたのかなぁ……。とりあえず生きてる皆は救えたけど……これ、何点だったんだろう」

 

 冒険者達は船を寄せるように言った場所へ送ってやった。皆ナインズが魔力をこれでもかと注いで爆発した蓄積石のカケラを手に魔力を回復して、細くなってしまった足でふらふらとナインズの<転移門(ゲート)>を潜って行った。

 

「よし、この隙にルシオとジェーリを迎えにいってやらなくちゃね」

 覚えたてほやほやの<転移門(ゲート)>を開くとナインズはそれを潜った。

 

 

 片腕がないドーラーは必死で走る。

 力の塔には誰もおらず、皆逃げてしまったらしい。

 開かれたままの出口が見えてくるとわずかな安堵が広がる。

 そして、何かに躓き廊下に顔から突っ込んだ。腕が片方ないせいで受け身すら取れなかった。

 

「っつう……!!っはぁっ……はぁっ……!!」

 痛みから滲む汗を拭い、乱れた息を整えようと必死になる。後ろから今にも二眼種の王が追ってきてドーラーを縛り上げるんじゃないかと思っていると、ふと何者かに足を掴まれそのまま近くにあった部屋に引き摺り込まれた。

「な!?な!?────っぐぅ!!」

 背中を踏まれる感触がする。

 ドーラーは立ち上がることもできずに自らを踏み潰す存在を必死に見上げた。

「ま、まさか炉だった二眼種!?」

「あぁ、二眼種だよ」

 ゾッとするほどに冷たい声だった。

 そこには、あの二眼種の王子と同じく銀色の髪をした男が立っていた。驚くほど上等な服を着ていて、漆黒の瞳は夜闇のようだった。

 流れるような銀髪だが、耳は出ている。決して尖っていない。正真正銘の二眼種だった。

「き、貴様ぁ!!」

 森妖精(エルフ)と二眼種の混血はもしかしたらああ言う力を手に入れるのかもしれないが、普通の二眼種はゴミだ。

 ゴミのはずだ。

 ──だというのに野蛮な力はドーラーを抑え続けた。

 

 そして、男は拳を握った。

 振り上げられ、思い切り顔面に叩き付けられる。

「──ッブ!!」

 それだけでドーラーは脳は揺れ、一瞬意識を飛ばしそうになった。

「この変態野郎が。うちの息子に気持ち悪い欲望を向けやがって。よくもフラミーさんに似たあの綺麗な顔に傷を付けたな。苦しんで死ね」

「む、むすこ……──お、お前はあの王子の……では……お前は王……?王なら……王なら交渉に立ちましょう!!わ、私は準備ができています!!本当ですとも!!」

「あぁ、そうか。だがな──俺は王の前にお父さんなんだよ!!」

 もう一度ガツンと頭が殴られると、ドーラーは意識を失った。

 

「──死んだ?」

「いえ、死んでません。三十レベル程度はあるみたいだから多少は硬さがありました。俺のパンチは九太と違って所詮純正魔法詠唱者(マジックキャスター)ですし、何より殺さないつもりでしたから」

 アインズは世界級(ワールド)アイテムの山河社稷図を背負うフラミーを見上げた。

 

 昨夜は外の下衆な男共もぶち殺したかった。

 ツアーがあの外の人間共の首を刎ねなければアインズがそうするところだった。

 アインズの感情はある一定ラインを越えると自動的に抑圧される。だが、精神抑制を持たないフラミーから怒りの波動は満ちていた。

 この国をナインズの始原の魔法の実験場にしたかったし、ナインズ本人がキレてくれることを期待しているというのに、それ見守らなければいけない親達──それから守護者達──はとても冷静ではいられなかった。

 どうも死体はウジが湧かないように堀に捨てられる決まりがあるらしく、ツアーが殺した者達の死体はすぐに堀からナザリックへ回収されて行った。もちろん、このドーラーもそうするつもりだ。

 ちなみに四眼種そのものは本大陸でいくらでも見つかっていて、カルマ値は負によっている感じはするがここまで歪んだ思想を持った者達というわけでもないので、種の保存という意味ではこの場所はいらない。

 

アインズは心中で罵声を飛ばしつつも、頭の片隅にある冷静な部分が自らの失態に舌打ちしていた。

 ナインズがこうしようと決めたことに手を出してしまった。

「九太はよくできすぎてますよ……」

「ねぇ。怒ってもキレるまで行かなくて全然実験にならないですね。あそこまでされて……。もーナイ君可哀想でおしまいにしたいです」

「……そうですね。報告に帰ってきたら、始原の魔法で滅ぼしてねってお願いしましょうか……」

「そうしましょ。えーん。ナイく〜ん」

 宝物を思い、フラミーが<転移門(ゲート)>を開くとアインズはドーラーの足首を掴んだ。

 

 二人で<転移門(ゲート)>を潜ろうとし──

 ミシッ!!と音を立て、床一面に地割れのようなヒビが入った。

 

「な、なんです!?」

「こ、これは──この波動は──」

 

 ゴッと地割れから光が天へ向かって伸びる。

 アインズとフラミーは慌てて外に出た。

 四眼種達が目を丸くして地面から噴き上がった光を見ていた。

 そして、引きずっていたドーラーや当たり前の日常の中にいたはずの四眼種達の胸の中から白い球──魂──がボッと浮き上がった。

「始原の魔法の生贄!?誰が──」

「ナイ君しかいません!!でも、どうして!?」

 二人の身を世界級(ワールド)アイテムが守る。

 ツアーに始原の魔法から身を守るにはこれしかないと言われていた。絶対に誰もついて来ないように厳命していたが、思わず周りにナザリックの者がいないか見渡した。

 

『──<鎮魂の誓願>』

 

 アインズの耳にはナインズの涙に濡れたような声が聞こえた。

「九太……?」

 次の瞬間、世界は猛烈な白い熱に溶かされた。




パパぶちぎれなのよ。
と思ったらナイ君もどっかでキレてる……!!

次回、なんと書ききれてないです!!(ここでお預けはつらい
8割かけてるので案外明後日行くかも!


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Re Lesson#46 爆発

 <転移門(ゲート)>を潜った先で、ナインズはルシオの家へ向かった。

 目の前に出なかったのはもしルシオの家の前にナインズが戻ることを期待した大人達が張っていたりしたら嫌だったからだ。

 ナインズは向かいにある荒屋からちらりとルシオの家を確認した。

「──誰もいないみたいです。大人は仕事の時間だもんね」

「良かったね」

 ツアーはどうどうと隠れもせずに立っていた。

「……ツアーさん、誰かいたらまた縄につけとか言われてたよ」

 苦笑し、ナインズはこそこそするのをやめて立ち上がった。

 膝をはたいてルシオの家の扉に手をかけ──中から聞こえたジェーリの絶叫に肩が跳ねた。

「な、なんだ!?──ルシオ!?ジェーリ!?」

 慌てて扉を開けて中を見ると──取り押さえられ、秘部を晒して顔面蒼白になっているジェーリと、血と羊水が散らばる部屋。

 ジェーリが女達に取り押さえられる中手を伸ばす先には──顔を潰されて死んだ小さな赤ん坊。ギリギリ自発呼吸ができるようなサイズだ。

 ルシオは血に塗れた石を手に握っていた。

 

「なっ──あ、あんた達なんてことを!!ルシオ!ルシオ!!何が──」

「っいやああぁぁぁああ!!」

 八つやそこらにしか見えない少女は母の顔をして泣き叫び、絶命した赤ん坊に両手を伸ばした。

 あれはどう考えても今ジェーリが産んだ子に違いなかった。

「ルシオ!何があったの!!どうしたっていうんだ!!」

 赤ん坊を持っていたルシオはハッと振り返ると、血の気を失った顔で「も、戻ってきてくれたんだね……」と笑った。

「当然だ!約束しただろ!?それより何があった!!この子は──一体どうして!」

「へ……へへ……四眼種だったんだよ……。ナインズお兄さん……」

「どう言うことだ!?」

「四眼種の赤ん坊を四眼種に見られたら……僕達鞭に打たれて殺される……。四眼種の死体を見られたら最後は一帯の二眼種皆殺されるんだ……。へへ……へへ……。神様なんか……この世にはいないね……」

 ジェーリは何とか取り押さえていた女達から逃れると、顔のなくなった小さな赤ん坊をルシオから奪い取り抱いて泣いて泣いて泣いた。

 狂ったように叫んだ。

「いやぁぁあああ!!私の赤ちゃん!!私の!!一緒に神様のところに行くのに!!行けたのに!!」

 この反応が、全てを物語っていた。彼らの生きてきた世界の過酷さと、虐げられてきた人生全てを。

 

(──耐えられない)

 

 ナインズは足元が抜けるような気持ちになった。

 この悪夢のような場所で怒りと悲しみで胸が満ちていく。

 ジェーリとルシオから死にたい死にたいと内なる声が届くとぞわりと体の中の力が蠢く。胸を押さえて苦しみに声を上げた。

「──っく……い、今助けるから。それで、僕と行こう。ジェーリ、今その子を──」

「いやっっ!!」

 ナインズがふらつきながら杖を手にするが、ジェーリは赤ん坊の遺骸を抱いて家を飛び出した。

「ジェーリ……!」

「ジェーリ!!まだ体が──」

 ルシオも扉を出ていくのをナインズは冷や汗をぽたりと落として追った。

 ジェーリは堀へ向かって走り──ヒュッと身を投げた。

「ッ待て!!<全体飛行(マスフライ)>!!」

 ナインズが叫び魔法を飛ばす。

 それが掛かるか掛からないかと言うタイミングで彼女の姿は堀の下へ消えた。

「そ、そんな!ジェーリ!!」

 ナインズが転びそうになりながら堀に走り下を覗き込んだ。

 堀の大きさに似つかわしくない、蛇のように細い水が流れる中、潰された赤ん坊を大切に抱えたままジェーリは絶命していた。

 追いついたルシオは「あ……じ、じぇ……え……?」と呟くと、ナインズはハッとルシオの事を抱きしめた。

「み、見るな!!ルシオ!!」

 復活させてやりたいが──拒否されれば灰になる。死を望んで飛び込んだ彼女がナインズの手招きに応じる確率はゼロに近い。

 ナインズはどうしたら、どうしたら、とルシオを抱いたまま必死に考えた。

 そして、流れ込んでくる物の苦しさに眩暈を覚えた。

 

 ──死死死死死死死死死死死死死死死死。

 

「っうぅ……!ル、ルシオ……!」

「あ、あはは。ジェーリはさ、せっかちなんだよね。ナインズお兄さん、離してくれる?」

 ルシオはそうっとナインズから離れると、もう一度堀を覗き込んで「はは、はははは」と狂ったように笑った。

「はははは!やっぱり、神様っていないね!!パン、ありがとう!!最期に美味しいものを食べられて良かった!!」

 そう言うと堀に頭から落ちていった。

 

 手を伸ばすと、彼の祈りの糸が指に絡まった。

 

 ──せめて皆が苦しみもなく楽に死ねますように。

 

 よく見れば堀の底にはいくつもの人骨があり、死んだ赤ん坊を大切に抱える少女と、それを守るように折り重なり絶命する少年の姿がはっきりと見えた。

 

 ナインズは力を失ったように膝をつくと、瞳からぽつりと涙を一つ落とした。

 涙はまっすぐ落ちていき、二人の上を弾けた。

 次の瞬間──ナインズが背を向ける壁に向かって大地中に蜘蛛の巣状の亀裂が走って行った。

「……………………死だ」

 つぶやきはありの声のように小さかった。

 互いを大切に思い合っていた兄妹は苦しみからやっと解き放たれたのか、どことなく表情はやわらかいような気がした。

 

 大地に走る亀裂の中から光が迸り、ナインズの目からぽつぽつと涙が落ちていく。

「はじまる」

 ツアーは魂を吸い上げる真にして偽りの竜王の力を見下ろした。

 張り巡らされる蜘蛛の巣は生贄の魂を決して逃がさない呪い。

 大地の亀裂から線のように光が立ち上る。

 何事かと家を飛び出した産婆と親の帰りを待つ子供達の胸の中から魂が取り出される。

 魂は胸の中と糸で繋がっていて、皆それを綺麗だと見上げた。

 

 絶望するように座り込んでいたナインズは、ただ幸せになりたいと願った兄妹の永遠の眠りを両手で掬い上げるようにした。

 

「──<鎮魂の誓願>」

 

 世界から音が消えた。

 

 時間を戻せたらいいのに。

 ああ、とても気分が悪い。

 永遠に去って行ってしまった。

 

 壁が破壊され、壁の中の街が蒸発していく。

 全てが真っ白な無に消えていく。

 白い波動は膨らみ、壁の中のほとんどの部分を飲みんだかと思うと、ミ──という音を立て、爆音を炸裂させた。

 

 ナインズの目からはたくさんの涙が落ちていた。

「……君たちの望む……苦痛のない死を……」

 座っていることも難しく感じるような爆風の中、ナインズは爆発に背を向けたまま堀の底を思い胸の前で手を組んだ。

 

+

 

 神官、冒険者の死骸と、スカマ、リリネット含む生き残っていた冒険者達を乗せた飛空艇は風に煽られ猛烈に揺れていた。

 生き残りの者たちの手には砕けた魔力蓄積石が握られていた。

 

「掴まってぇ!!」

「船が壊れるぅー!!」

 

 想像を絶する力を前に皆必死に船に追い縋った。

 甲板に出ていた全てが吹き飛ばされて行く。

 

 頭を低くし、力が通り過ぎていくことをひたすらに待つ。

 そうして風が止むと、冒険者達はゆっくりと一人、また一人と顔を上げた。

「お、終わったの……?」

「そうみたい……」

 スカマとリリネットは目を見合わせると、ゆっくりと立ち上がり、浮かんだまま耐えきった船から外を覗き込んだ。

 

 下の景色はまるで()()のようだった。

 力の炸裂した場所と、力に触れなかった場所で見事に線が引かれたように色を変える。

 力が加わった場所のほとんどの建物は壊れていて、擁壁は半分失われていた。

 生き残ったもの達は突然発生した地獄の光景を受け入れられないように呆然と眺めたが──誰かが我に帰ると皆一斉に我に帰った。

 二眼種と四眼種が手を取り合って瓦礫を退け下から生きた者が出てこないかの捜索にあたっているようだった。

 だが、そこから生きた者が見つかることはなかった。

 明日からどうやって生きていけば良いと立ちすくむ。

 

「殿下がやったのよね……?」

「他にいないっしょ……」

 

 彼は殿下と呼ばれるべき存在なのだろうか。

 神々と同じように陛下の敬称を用いることの方が正しいのでは──。

 そんなことを思っていると、冒険者達の前に楕円の闇が開いた。

 今度は何が起こるんだと身を固くしていると、そこからはまさしく人々が陛下の敬称をもって呼びかける人が現れた。

 神殿に置いてある彫刻すら凌駕する美にスカマは腰を抜かした。

 

 紫色の肌、金色の瞳。

 フラミーはゆっくりと船の上を見渡した。

 

「──冒険者の死体はどこですか」

 

 膝を即座に折っていた神殿勤めの船で詰めていた神官達が慌てて駆け出した。

「こ、光神陛下……!!こちらです!!」

「蘇生します」

 他の弱っている冒険者達には目もくれずに神官に案内されて行ってしまった。

 残った冒険者達は「どうする?」と視線で会話をした後、誰も何も言わなかったが神官達が光の神と共に降りて行った階段に駆けた。

 最後に、仲間を失わなかったスカマとリリネットが続いた。

 

 腐乱臭が漂っていたはずの廊下はすでに匂いが薄まり始めていて、船底の一番広い荷置きの部屋では一度に十人もの冒険者が復活させられた。

 リリネットは胸の間に揺れていた光神の印を握るとつぶやいた。

 

「……神話だ……」

 

+

 

 ツアーは生贄にされた魂と、魔法の規模を眺めていた。

 壁から向こうは破壊され、壁と堀の間には安らかな顔をして魂を抜かれた人々が倒れていた。

(……やはり全ての竜王から取り上げた力なだけはある。フラミーとの間で薄まっているはずだというのに、この魂の数でよくもここまで……)

 

 だが、真にして偽りの竜王は未だ大地に膝をつき、胸の前で手を組んでいた。

「ナインズ、もう良いんじゃないかい」

 肩に鎧の手が触れると、それは弾かれた。

「……触らないで。僕には慰められる資格もない……」

 ツアーは竜の身でため息を吐くと、もう一度肩に触れた。

「帰ろう。全ては済んだよ」

「……済んでないよ……。僕が戦争したくないとかあれこれ考えてちんたらしてたせいで、彼等は皆死ななきゃならなくなったんだ……。僕がここで甘ったれた自分を変えなきゃ同じことが何度でも起こる……」

「君はそのままで良い。ギリギリまでよく頑張ったよ」

 感情がこもっているのかこもっていないのか分からない声だった。

「……私は二度と躊躇わない。我慢をしているのは自分だと思っていたが、本当に我慢をしていたのはその場所に生きている人々だった。次は戦争になってでも──たくさんの人々が立ちはだかっても──また傷付いたとしても──」

 

 船にいる神官達によって勝手な聖書が編まれはじめる中、ナインズは「疲れた」とこぼし、その場で崩れて眠った。

 

「──連れ帰ってやった方がいいんじゃないかな」

 

 ツアーが虚空に向かって言うと、何もなかったはずの景色にはアインズが染み出した。

 

「実験のためとは言え可哀想なことをした」

「実験の側面は大成功だったと思うよ。ナインズが自分でやると決めてこの場所を消した。今後の被害想定を見積り易くなった。ただ──征服はアルメリアの方が向いているね」

「花ちゃんは花ちゃんで問題がある。しばらく外に出していないが……果たしてどうだか。それに、あの子にはそう言うことはさせないつもりでいる」

 

 アインズは堀の底を覗くと折り重なる兄妹の死体を見下ろした。

「──シャルティア、回収だ」

 すぐそばに<転移門(ゲート)>が開かれると吸血鬼の花嫁(ヴァンパイアブライド)達を引き連れたシャルティアが現れた。

「シャルティア・ブラッドフォールン。御身の前に」

 恭しく膝をつき頭を垂れる。アインズは鏡でずっと様子を見ていた守護者に顎をしゃくった。

 

「堀の底の二人──いや、三人を回収しろ。それから、その辺に転がっている子供も適当に集めろ。ユリとソリュシャンも呼び出し、()()()()()()()()()をさせて人数を決めろ。多い必要はない」

「かしこまりんした」

 

 アインズが眠る息子を抱き上げると、ツアーは「どうするつもりだい」と背に声をかけた。

「フラミーさんでは──いや、ユグドラシルの力では彼等は灰になる」

「では眠らせておけ、アインズ。彼等は解き放たれた」

「知ったことか。同じ力で引きずり戻してやる」

「……そっちの堀の底の子供達はまだ良いが、生贄になった者達まで戻せるかはわからない。誰もそんな馬鹿げたことはしたことがない」

「あの虹彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)がそんな事をするはずがないからな」

「他の竜王であってもそうだ。命を操作する力はただでさえ強大だ。大した人数でなくとも、生贄の呼び戻しにはきっと数日の眠りを要する。魂の魔法だ。子供におもちゃを買い与えるのとは訳が違うぞ、アインズ」

「私にとっては同じことだ。私はこの子のおしめを変えて、眠る頬に口付け、大好きだと頬擦りされて、手を繋いで駆け回って育ててきた。そして、欲しいとぐずる時にはお母さんに秘密だよと言って与える。それが父親だ」

「手に入らないものもあると教えろ」

「もう手に入らないとこの子は十分に絶望した。これを与えられたからと言ってもっと欲しがるようなバカじゃない」

 

 アインズは<転移門(ゲート)>から出てきたユリとソリュシャンがシャルティアに書類を見せながらあれこれ説明をしている様を眺めた。

 シャルティアは「中身や行き先には興味ありんせん。数だけ言えば──」と何かとんでもない事を言い、ふと顔をこちらへ向けた。

 

「──アインズ様」

「どうした」

「ナインズ様は、成られたかもしれんせん」

 一体何に。アインズはシャルティアの目を覗き込んだ。

「ついに──七十レベルでありんす」

 

+

 

 ルシオは目を覚ました。

 柔らかい布団と、誰かの笑い声、温かい光の差し込む部屋。

 あぁ、やっぱりもっと早く死ぬべきだったんだ。天国はとても具合が良さそうだ。

 起き上がり部屋を見渡す。

 ルシオの寝ていたベッドの他にいくつもベッドが並んでいる。

 それがいくつか分からなくて、ルシオは指を開いて部屋を見渡した。

 五本指と同じ数が向かい合わせにある。

 それが十という数字だとは分からなかったが、なんとなくこの部屋の規模は理解した。

 全てのベッドの隣に小さなタンスと椅子が置かれていて、ルシオの寝ていたところの隣には見たこともないような綺麗な花が花瓶に活けられていた。

 まるで管理者のための部屋のようだった。

 生まれて一度も着たことがなかった真っ白なワンピースのパジャマと真っ白なシーツ。

 ルシオはベッドからぺたりと足を下ろし、天国の外はどんな景色なんだろうと窓にかかるカーテンを避けた。

「──大きな木だ」

 見たこともない大きな木からは水が滝のように流れ出していた。

 

 外を走り回る子供達は皆白い揃いの服を着ていて、なぜか走り回るだけで楽しそうにしていた。

 天国は走ってもお腹が空かないのだろうか。

 そんなことを思っていると、扉の開く音がして飛び退くように振り返った。

 

「目が覚めたんですね」

 金色の髪を靡かせる女性が微笑んだ。

 天使のような人──いや、天使だった。艶やかな髪には光を反射したリングが浮かび、こんな優しげな青い瞳は見たことがない。一切の見返りを期待しないような雰囲気が放つ神聖性に、崇拝にも近い思いを抱いてしまう。

 そこでルシオはハッとした。自分ばかりが天国に来て、ジェーリはどこへ行ったのだろう。

 

「さぁ、これを。あなたの分ですよ」

 女性はルシオの目の前までくるとふわふわのタオルと、外を走る子供達と同じ白い服を差し出した。

「これ……こんな良いものが……僕の分……?」

「えぇ。ここにいる子供達は皆そのお仕着せを着て貰っていますからね」

「……すごい……。ありがとうございます……。でも……あの……ジェーリは……?」

「ジェーリちゃん──あなたの妹さんですね。ジェーリちゃんはもう少し早く目覚めて身支度も済ませて赤ちゃんにおっぱいをあげていますよ。ルシオ」

「あ!そ、そうか!赤ちゃんも来られたんだ!!」

「えぇ。神々に感謝してください。それじゃあ、御方がお見えになる前に湯浴みをしなくてはいけません。こちらにいらして」

 御方とは神様でも来るのだろうか。

 真っ白な手がルシオを手招く。ここの管理者の天使にこれ以上何かを聞くことも憚られ、ルシオは素直に従った。

 

 服を置く場所や着るもの、体を拭くもの、風呂場の使い方を説明されて浴場に放り込まれる。

 湯なんて生まれて一度も浴びたことがない。

 ルシオは言われた通りに体を洗い、天国ってすごいと喜びに泣いた。自分から嗅いだこともないような良い匂いがすると踊り回りたくなる。

 信じられない程広い浴槽で温かい湯に身を沈め、ジェーリもきっとこれに入ったんだとうっとりした。

 そして、赤ちゃんの顔はどうなっているんだろうと不安になった。

(後で会わせてもらおう……)

 赤ちゃんも、天国でなら三人でいられるはず。

『──どうでしょう?』

 ふと外から声をかけられ、ルシオは長く入りすぎたと大慌てで風呂を上がった。

 藤で編まれたパーテーションの向こうに天使の頭が少し見えていた。

 

「ご、ごめんなさい!!ごめんなさい!!遅くてごめんなさい!!」

 大慌てでタオルで体を拭き、平謝りしながら出されている服を着てパーテーションの向こうへ滑り込み足元へひれ伏した。

 そして、見上げた先の天使からは様々なものが伝わってきた。

 その瞳は嫌悪であり、驚愕であり、愉悦であり、感動であり、そして──人間的だった。

「ふ…………ふふふ。うふふふ」

 どこさ残忍さを感じるような笑い声を聞きながら、顔を床に擦り付けた。

「ごめんなさい!!お待たせしました!!」

「──面白い。私は気持ちよく入れているのか聞いただけですよ。あなたは──まるで子犬だわ」

 見上げた天使は残忍さなど微塵も感じない黄金のような輝きを放って笑っていた。

 ルシオは気のせいだったのだとバクバクと鳴り響く心臓を押さえ、下手くそな笑みを作った。

「ふふ、かわいい。さぁ、いらっしゃい」

 後を慌てて追い、先ほどルシオが出た部屋の隣に入る。

 

「こちらは女の子のお部屋です。──ジェーリちゃん、お兄さんも起きましたよ」

 窓辺の小さな椅子で赤ん坊を抱くジェーリも天使のようだった。ルシオと同じ服を着ていて、あんなに身綺麗にしているジェーリは初めて見た。

「ルシオお兄ちゃん」

「ジェーリ!」

 駆け寄り、ジェーリに抱かれる赤ん坊を覗き込んだ。

 四つの目を全て伏せ、小さな小さな赤ん坊は寝息を立てていた。

 ルシオは自分が叩き潰し、熟れたトマトのように散乱させた脳みそと顔面がこれほど綺麗なものだったのかと泣いた。

「ジェーリ、ごめんね……ジェーリ……」

「ううん。もう良いよ。それより見てぇ。名前何にしよう!赤ちゃん、こっちの目はお兄ちゃんと一緒なんだよ」

 ジェーリは眠る新生児の上の二つの目を軽く引っ張り瞳を見せてくれた。ちらりと見えた目はルシオとジェーリのグレーがかった青い瞳と同じだった。

「わぁ……」

 赤ん坊は嫌だ嫌だと足をじたばたさせた。まだ自分の手で顔に触れることもできないほどの、生まれたてほやほやだった。

「こっちは、強い目」

 その下の瞼を引っ張る。赤い魔眼はルシオを少しだけゾッとさせた。

「……ここなら育てても……大丈夫なんだよね……?」

 赤ん坊がじたばたするのを見ながらいうと、「──大丈夫だよ」と聞き知った声がした。

 ハッと扉に振り返ると、旅人がいた。

「ナ、ナインズお兄さん?」

「ルシオ、悪かったね。僕が何もかも遅かったんだよ」

 ナインズは部屋に入ると手近なベッドに腰を下ろして二人に頭を下げた。

「本当にごめんね。痛かったろうに……」

「え?え?ナインズお兄さんも死んじゃったの?」

「ん?ううん、僕は生きているよ?──君も、ジェーリも、赤ちゃんも皆ね」

 ルシオはナインズを見た後、ジェーリを見て、窓の外を見て、最後に天使を見た。

「……天国じゃないの……?」

「近いかもしれないね。ここは僕の国だよ。君たちが暮らしていくところ」

「……ナインズお兄さんの……じゃあ……ここは……」

「そう、神の国。神聖アインズ・ウール・ゴウン魔導国。やっと約束を果たせたね」

 ナインズは微笑むとそばに立つ天使を見た。

「二人の元気そうな顔が見られてよかった。──クラリス、じゃあ、僕はまたナザリックに戻るよ」

「もう行ってしまわれるんですか?」

「うん。父王陛下が魂の眠りについている。生の神の母王陛下と違って死の神である父王陛下に復活の荷は重すぎた……。僕は大した戦力にもならないけれど、ナザリックはお目覚めになるまで厳戒態勢だからね」

「仕方ありませんね。では、またぜひおいでください」

「そうするよ。クラリス、彼らを受け入れてくれてありがとう。ラナーさんにもよろしく伝えておいてね」

「かしこまりました。ですが、そのためのエ・ランテル、ティエール孤児院ですと御身にはお伝えさせてくださいませ」

「ふふ、ありがとう」

「いえ」クラリスは頬を染めるとすぐにそれを払い「お見送りいたします」と深々と頭を下げた。

 ルシオはナインズ達の話の意味がひとつも分からず、呆然としていた。

「──お二人とも、お助けくださったナインズ殿下がお帰りになりますよ。至上の敬意を表してお見送りしなくちゃいけません」

「殿下……」

「良いよ。僕は君達を救いきれなかったんだから」

 ナインズが悲しいような悔しいような顔をしてから部屋を後にしようとし、ルシオは慌ててナインズに駆け寄った。

「な、ナインズお兄さん!約束、ありがとう!!何がどうなってるのか分からないけど、とにかく!ありがとう!!」

 輝くような瞳でルシオが言うと、ナインズはルシオを抱きしめて頭を撫でてくれた。

 

「ルシオ……きっとジェーリと幸せにおなり。時には辛いこともあるだろうけれど、君たちなら大丈夫。兄妹とは尊いものだよ」

「はい!……ナインズお兄さん、次はいつ会えますか?」

「……そうだね。今度は──うーん。春休みが明けてからになるな……。レオネとバレアレ君のところに行く約束もしているから……その時がいいか。父王陛下がお目覚めになっていれば、という但し書きも付くけれど……」

 ナインズはルシオもジェーリも数字が分からないと分かっているので、近くにかけてあったカレンダーの数字を一つ指さした。

「この日に来れたらくるよ。今日はここ。お日様が上るたびに次の日が来る。君たちの新しい日が始まる」

「……新しい日」

「そうだよ。たくさん食べて、次に会う時にはもう少し体に肉を付けてね」

 ナインズが痩せた頬をつまむと、ルシオはくすぐったそうに首をすくめた。

「えへへ。いっぱい食べてたくさん働きます!!」

「そうだね。君たちの仕事は学ぶことだ。数字も字も、とにかく覚えなきゃいけないことがたくさんある。めげないでね」

 ルシオにはよく意味が分からなかったが、とりあえず頷いた。

「──じゃあ、またね」

「はい!」

 ナインズが背を向けマントが靡くと、クラリスはその後を追って出ていった。

「……ナインズお兄さんって、殿下ってことは王子様だったのかな」

「おうじ様ってなぁに?」

「王様とお妃様みたい偉い人のはずだから……ドーラー様くらい偉い人……かなぁ?」

「どうしてドーラー様みたいに偉いのにお話しして良いの?」

「……わかんない。でも、また会いに来てくれるって」

 

 ルシオはこんな清々しい気持ちになったのは生まれて初めてかもしれない。

 新しい服、新しい日、新しい生活。

 畏れ敬う気持ちにそっと手を胸の前に組む。

 

『──僕達をどうかいつまでもお導きください』

 

 その祈りはナインズの耳に触れ、ナインズは胸を押さえた。

「お疲れのようですね。あの兄妹にお会いになったからですか?」

「ん……少しあるかな。でも、前は向けそうだ。私はもっと強くならなければいけないね」

「ナインズ様、あまりご無理なさらないように。あの二人のことでしたら、私におまかせください」

「ありがとう。クラリスになら安心して任せられる。彼らは難民から今後国民になっていく。大切な国民に」

 クラリスは静かに頷いた。

 

「──じゃあ、本当に行くよ。<転移門(ゲート)>」

 ナインズの前に神々と守護神だけが使う転移の極意が開く。

 クラリスはナインズの手を取り、遮断の指輪に口付けた。

「神王陛下の一日も早いお目覚めを」

「……助かる。私も祈ろう」

 ナインズもクラリスの手を取り額に触れさせると、ひらりと背を向け今度こそ闇へ消えた。

 

「…………御方は先ほどレオネと約束と仰った……?」

 クラリスはその名を知っている。

 国営小学校(プライマリースクール)の頃、姦しくしょっちゅう学食でぴーぴー言っていた子供だ。

 身の程を弁えない生き物の名前を聞いた。

 次に来た時にでも様子を見たいと思いつつ、クラリスは面白い犬を手に入れたことを思い出し部屋に戻った。

 子犬はクラリス見上げた。

(ナインズ様と結ばれて……この犬を鎖で繋いで飼えたら面白いのに)

 そんな邪悪な目で見られているとも知らず、今回のことを聞かされたルシオとジェーリは敬虔な信徒となる。

 

 その後、ルシオは十五、ジェーリは十二と仮定され孤児院で養育されていく。

 十八になると孤児院を出ることになり、ルシオは二十一になるクラリスの護衛兼側仕えになる。

 孤児院を出る前から勉強をしながら、アングラウス道場へ通っていたのである程度の力は付けていたが、体も小さい彼は騎士というよりも隠密として静かにそばにいるようなことが多かった。

 人に叩かれないため見つからないように生きてきた彼のたった一つの才能だったかもしれない。それがどれほどクラリスの役に立ったかは甚だ疑問が残るが。

 だが、ルシオはルシオなりにクラリスを自らの「管理者」だと定義してよく仕えたらしい。

 

 二人の小さな兄妹は幾つになってもナインズへの感謝を忘れることはなく、ジェーリの産んだ赤ん坊も同じようにナインズへ崇敬の念を持ち続けた。

 名はリューリ。彼女はナインズに恋をするが、全く相手にされないと言うのは言うまでもなく、それはまだまだ未来の──語られることもない話だ。

 

+

 

 ナザリック第九階層。アインズの寝室。

 ナインズは静かに扉を開けた。

 護衛のパンドラズ・アクターが至高の四十一人と呼ばれる内の誰かの姿を象り、静かに控えている。

 ベッドの上には骸の動かない父と、父に折り重なるようにしている母がいた。

「ナイ君、おかえりなさい。会えた?」

「会えました。ありがとうございました。それより……父様のこと、本当にすみませんでした」

「ううん。お父さんがするって決めたことだから。──ねぇ、悟さん。九太は頑張ったから……でしょ?」

 フラミーは骨に顔を擦り付けると微笑んだ。

「母様は本当に父様がお好きなんですね……」

「ふふ、大好き。──ナイ君はレオネちゃんに会いに行かなくて平気?」

「……平気です」

「ふーん?そう。じゃあ、お父さんがおっきしてくる前に始める?」

 ふわりと浮かび上がったフラミーはナインズに手を伸ばした。

「──超位魔法をね。まずは<天地改変(ザ・クリエイション)>からかな。何のイベントもいらない魔法だし」

「殺傷能力の高いものからじゃダメでしょうか……?」

「まだ良いものは覚えられないよ」

 ナインズの手を取り、二人は第六階層に飛んだ。

 

 広大で美しいこの場所で、フラミーは一度ナインズを抱きしめた。もうとっくにナインズの方が背は高い。

「焦らないでね」

「はい……」

「何より焦ったってお母さんも教え方わかんないしね!」

「はは、全知全能じゃないんですか?」

「それはお父さんだもーん」

 フラミーはおかしそうに笑うと闇の中からタツノオトシゴの杖をずるりと抜いた。

「とりあえず、見て覚えるしかないからね〜」

「はぁい」

 フラミーの周りに青白い魔法陣が出る。

 

「これは出せる?」

 

 そんな無茶なと思いながらナインズは苦笑し──流れていく魔法陣をしばらく眺めるとハッとした。

「僕、ノートとってきます」

 ナインズはギルドの指輪を起動して姿を消すと、すぐにまた姿を現した。

 真新しいノートを開き、ナインズは流れ、回っていく魔法陣に書かれている言葉をせっせとメモした。他にも図形も描きとっていく。

 目まぐるしく変わる文字と図形を前に、時間の制限を超えて魔法陣が強く輝き、いつでも超位魔法が放てるという段階に至っても書き取りは続いた。

 いつしかフラミーの周りにはアウラとマーレが呼び出した戦闘メイド(プレアデス)達が椅子と机を用意して居心地がいいように場所が整えられていった。

 ナインズは地面に座り込み必死にノートをとっていく。 

 いよいよ夕闇が迫るとフラミーが移動したことで魔法陣は砕けた。

「ナイ君、もう今日はおしまいにしよ?」

「……わかりました。ありがとうございました。母様は先に戻っててください」

 フラミーが気にしつつもいなくなると、ナインズはキリがいいところまでペンを走らせ、湖畔のヴィラに移った。

 靴を脱いで中に上がり、ちゃぶ台にノートを広げ直してここまで書いたメモを読解していく。

 めまいを覚えそうな情報量にナインズはノートと睨み合った。

 

「………………」

 

 父が起きる前に少しでも何か成果を上げ、目覚めた時に捧げなくては。

 そう思うがこんな難解なものを父母のように瞬時に出せるはずもない。

 疲れた。

 無性に疲れて仕方がない。

 父が起きて、春休みが終わって、超位魔法が使えるようになったらレオネの所に。

 情けなくも慰めてもらいたかった。

 ナインズは少し休もうと決め、机に突っ伏すと目を閉じた。

 

 少しのつもりが、ふと目が覚めたときには、もう日の出が近付いてきていた。

 肩にはブランケットがかけられて、母の作ってくれたであろうサンドイッチとかぼちゃと豆のミルク煮が机に置かれていた。

(……心配されてる……)

 サンドイッチを食べ、ミルク煮を食べる。

 赤ん坊の頃好きだったからと何かと母が出してくれるこのミルクスープ。

『ナイくん、甘くておいしいよぉ』

 母の声がするようで、ぬくもりの塊だった。

 また少し魔法陣の読解を進め、ナインズはペンを握ったままいつの間にか眠った。

 

+

 

 大神殿。一般開放書庫。

 レオネは若い神官に「これも良いですよ」と本を渡されていた。レオネより五つ年上程度の下っぱ神官だ。

「ありがとうございます。ビスト様は書庫の事なら何でもご存知ですのね」

「私もずっと書庫に入り浸ってたから。ローランさんも大神殿に入られ書庫に配属されたらいいのになぁ。まぁ、書庫なんて、あなたほどの方を配属させるにはもったいないけど」

「そんなことはありませんわ。そもそも大神殿すらわたくしにはもったいないですもの」

「謙遜されて。第二位階、天使召喚ももうされる程です。さすがローラン境の神官長補佐の御息女」

「そんな」

 

 レオネが恐縮していると、ふと肩を叩かれた。

「──そっちのは誰です?」

 黒髪黒目の眼鏡をかけた女の子。

 レオネはこの子こそ誰だろうと首を傾げた。何だか妙に顔の認識がしにくい子だった。

「書庫の神官様ですが……どうかなさって……?」

「そうですか。お前、レオネですよね」

「え?えぇ。そうですわ。わたくしに何か?」

「お兄ちゃまが大変です。お前の名前を呼びながらずっと参ってます」

「おに──え?あなたは──」

「着いて来い」

 とっとと背を向けられてしまい、レオネは慌てて本を本棚に戻した。

「ビ、ビスト様。わたくし本日はこれで失礼いたします!」

「え?」

 今出してもらったばかりの本を返して立ち去る気まずさを残してレオネは振り返りもしない背を追った。

 大神殿の中を当たり前のように進み、神官のみが出入りできる方へ入って行ってしまう。

(──や、やっぱり……!あの方……!)

 関係者以外立ち入り禁止の看板と、下げられた鎖を前にレオネはどうしようと悩むが、待ってくれる気配を微塵も感じず、仕方なくレオネはそれを潜った。

 

「──そちらは入ってはいけませんよ!!」

 

 怒られた。

 父が働いていると言ったって、ここにいる全ての神官がレオネを知っているはずもないし、レオネが以前儀式のプールでナインズと過ごしていたことを知る者も少ない。大体一緒に過ごしたことがあるからと言っても大神殿に所属しているわけでもない。

 レオネはしゃがんで鎖をくぐった体勢のまま顔を真っ赤にして振り返った。

「ご、ごめんなさい……。わたくし……あの……」

 怒っている様子の神官が近付いてくる。

 レオネはどんどん廊下を行ってしまう背にもう一度振り返り、彼女が廊下を曲がってしまったのを見ると駆け出した。

「あ──こら!!」

「訳は後でお話しいたします!!」

 彼女は"お兄ちゃまが大変"と言っていた。レオネが思い当たっている人なら、全てに優先されるべき人がこの先で大変な目にあっている。

 神官には後で謝るとして、今はとにかく急いで彼女の背を追わなくては。

 後ろから神官の「待ちなさい!!」という静止を振り切り、廊下を曲がった。

 

 その瞬間、足元から伝わってくる感触が突然ふかりと柔らかくなった。

 

「──え!?」

 

 ハッと気がつくと辺りには透き通るような空と青々と茂る豊かな森、それから湖と、湖の上にぽつりと建つ建物。

 大神殿にいたはずなのに。

 レオネが振り返った所には黒々とした円が開いていて──消えた。

「え!?え!?ど、どう、どうしたら!?ここは!?姫殿下!?姫殿下!!」

 完全に迷ったうえに見失った。

 これは──世に聞く神隠し。

 レオネはサッと背筋が寒くなった。

 誰もいない。

 ただただ綺麗な景色の中で、時折遠くにある闘技場のような場所からズン……ズン……と衝撃が伝わってくる。

「……姫殿下ぁ。……うぅ……。姫殿下ぁー!どちらですのー!!」

 声が反響して返って来る。

 レオネが泣きそうになっていると──

「レオネ……?」

 聞き知った声に振り返った。

「キ、キュータさん……?」

 湖の上に建つ建物の戸が開け放たれ、ナインズは戸惑いの瞳でレオネを見ていた。

 絵の中から出てきたかのような美しい本来の姿をしていて、身に付けているものも全て魔法の装備だ。

 ただ、妙に疲れたような、物憂げな雰囲気だった。それに、顔にはいくつも傷がある。

「本物か……?いや……上位二重の影(グレータードッペルゲンガー)……?」

 湖の上の建物に続く桟橋を渡り切り、レオネの顔の横から何かを掬った。

「──レオネ、どうして君がここに」

「わ、分かりませんの。ここは一体──」

「いや、いい。なんでもいい」

 ナインズはレオネを抱きしめると、膝から力が抜けていき、深い息を吐いた。

 くっついたまま地面に座り込み時間が流れていく。

 レオネはただ背をさすった。

 きっと今、彼は泣いていると思ったから。

 

 時間の感覚も失って来た頃、ナインズはいつもの優しい顔でレオネを見下ろした。

「……いきなりごめんね」

「いえ、大丈夫ですの?」

「まだあんまり大丈夫じゃないかも」

「……来て」

 レオネが引っ張るまま膝に頭を預け、レオネが歌い出すとナインズは目を閉じた。

「──君の歌はすごい」

「期末、聖歌一番良かったんですのよ」

「知ってるよ。そうじゃなきゃおかしいもん」

「ふふ、おかしくはありませんわ」

 レオネの指が髪を滑っていくとナインズは嬉しそうに微笑んだ。

「こうしててくれたら何でも上手くいきそう」

 寝っ転がったまま一度集中する。

 ()()()という決心のもと指を空中に滑らせて行く。

 青白く発光する文字が空中に現れ、ナインズが移動せずとも文字は横に流れ始めた。

「こ、これは何を?」

「ごめん、ちょっと集中してる」

 レオネが押し黙る。人の膝枕で何を言っているんだかと自分でも思うが、ナインズは本当に集中していた。

 母が一秒も掛けずに生み出す魔法陣を一文字一線づつ世界に刻んでいく。

 

「──ダメだ」

 

 諦めた瞬間、ドーム状になりかけていた中途半端な魔法陣は砕けて消えた。

「ごめんなさい、わたくし邪魔しましたわ」

「いや。レオネのせいじゃないよ。僕側の問題。母様たちはあれを一瞬で出して、世界が魔法の意味を理解するのを待つのか砂時計で魔法陣の周りだけ時を進めるみたいだけど──僕はそうはいかないらしい。やっぱりあの人達って化け物だ。こんな無茶なこと春休み明けるまでにできるようになるかなぁ」

「なるわ。あなたがやると決めたのならきっと。だからちゃんと時には休まれて。こんなに綺麗な所だし、もったいないわ」

「……気に入った?」

「とっても。綺麗だし静かで良いところですわね」

 ナインズは嬉しそうに笑うと起き上がってレオネの鼻をツンと押した。

「じゃあ、卒業したらここで僕と暮らそう」

「ふふ、湖があるっていうことは随分街と大神殿が遠いんじゃなくて?」

「一つ下の階層に下って鏡をくぐればすぐだよ」

「……一つ下の階層?」

「うん。第七階層に降りれば僕がいつも使ってる転移の鏡が──」

 レオネは太陽の輝きを反射する湖畔で、懐いた猫のように頬ずりするナインズを押し除けるようにするとあたりを見渡した。

「……え?こ、ここ……どこですの……?」

「ナザリックだけど?」

「か、帰ります!綺麗すぎると思いましたの!!」

「ははは。君、本当にどうやってきたの?」

「姫殿下が……お兄ちゃまが大変だから付いて来いっておっしゃったから追いかけてたらいつの間にかここに」

「ははーん。──リアちゃん。合意がないのって誘拐って言うんだよ」

 

 ナインズが当たり前のように隣に話しかける。レオネの目は景色を滑った。

「──レオネは自分の意思で来てます。誘拐ではないです」

 人が突然現れたように感じ、レオネは飛び上がった。メガネを外したアルメリアの瞳はナインズの瞳と同じ色に輝いた。

「ひ、姫殿下っ」

「お前は自分の足で<転移門(ゲート)>を潜りましたよね?」

 見たこともない闇の色をした巻物(スクロール)を持って愛らしくアルメリアは首を傾げた。

「そ、それは、多分、そうですわ……」

「本人もこう言っています。でも、お兄ちゃまがこんなに元気になるなら誘拐しても良かったです」

「ははは、ありがとう。助かったよ」

 兄妹は恋人のように抱きしめ合い、離れるとアルメリアは立ち上がった。

「帰りはお兄ちゃまが<転移門(ゲート)>を開いてください。<転移門(ゲート)>の巻物(スクロール)は貴重です。──じゃあ、私はいきます」

「はいはーい」

「え、あ、ありがとうございました」

 レオネが勢いに負けて頭を下げる中、アルメリアの姿は掻き消えた。

「やっぱり女の子のことは女の子がよく分かってるんだねぇ」

 ナインズがうんうん頷く隣で、レオネは完全に困った顔をしていた。

「あの……帰ろうかと思うんですけど」

「もう少しだけ僕に付き合ってくれない?」

「で、でも──」

「分かった。必要なら君の読みたいような本も出させる。召喚魔法も回復魔法も、なんでもここにはあるよ。この世で最も古い図書館があるからね」

 レオネは思わず「それなら」と言いそうになった。

 その様子を察したのか、ナインズは当然のように──いつもの天空城の散歩のように──こめかみに触れた。

 

「<伝言(メッセージ)>。──あ、おじさん。僕です」

「え!ま、まだいるって決めてませんわよ!?」

「──レオネのこと少し借りようかと思ってるんですけど」

「お待ちになってったら!」

 

 ナインズが勝手な連絡をとりながら駆け出すとレオネも慌ててそれを走って追いかけた。

 ナインズは馬鹿みたいに笑いながらひらりひらりとレオネを避け──

 

 ──その様子を見ていた三人組は鏡に顔をぎゅっと寄せた。

 

 一名はこの第六階層を守護する役割を持つので、当然外部の者を監視しなくてはならない。

 さらに一名はナザリックを管理する者として、この光景に異常がないか見守らなくてはならない。

 最後の一名は──ガールズトークだ。

 

「ナインズ様はこの人間の小娘の何が良いとおっしゃるのかしら……」

「わかりんせん。アルメリア様がお呼びにならなければ一生ナザリックの地を踏むことなどあり得んせんような生き物でありんす」

「あのさあ。祈りの良さがわからない以上、あたし達には永遠に分からないと思うよ。それに、アインズ様もそうだけど、ナインズ様くらいになったらペットの一人や二人なんて当たり前じゃないの?」

 

 各々の感想を述べたのはアルベド、シャルティア、アウラだった。

 アウラの発言にアルベドもシャルティアも余裕のよの字もない顔をして鏡から振り返った。

「ナ、ナインズ様はまだ十七でらっしゃるし、何もお分かりじゃないのよ?」

「ペットが必要ならこの私が手取り足取りお教えしてから選ばれた方がいいに決まっておりんす!」

「どっちも余計なお世話だと思うけどなぁ……」

 アウラがため息を吐いていると、鏡の中のナインズはレオネを抱え上げた。

「あ!あ!ヴィラに入って行ってしまわれるわ!!」

「アウラ、早く巻物(スクロール)で建物の中に目を飛ばしんさい!!」

「もーうるさいなぁ。そんなに焦らなくてもマーレだって向こうで控えてるし、クァドラシルが付かず離れずそばにいるんだから大丈夫だってば」

「あの生き物にナインズ様をどうこうできるはずはないんだから護衛についてはそんなに心配はしていないわ!それより、御方が、な、な、何をされるのか見なくちゃ!私たちは保護者でもあるんだから!!早く!早く!!」

 アルベドの鼻息の荒さにアウラは辟易しながら巻物(スクロール)を燃やした。

 

「──ほら、お勉強されてる」

 

 鏡の中、顔色の良くなったナインズはノートに超位魔法の魔法陣を解き明かして行っていた。

 だが、アルベドは手にしていた紅茶のカップとソーサーがガチャガチャと鳴る程に手元を震わせていた。中の紅茶がこぼれるが、ソーサーより下へはこぼれないところは流石守護者統括と言ってもいいかもしれない。

「ゆ、許されないわこんなこと……!」

 ナインズはレオネを抱え、レオネは本当に身の置き場がないような雰囲気で小さくなっていた。

 時折鏡の中から『殿下とはお付き合いしてませんのに……』と聞こえてきた。

「八つくらいまで私の上に座してくださってたはずでありんすのに……!訓練の後はいつも玉座の代わりを務めさせていただいておりんしたのに!」

「私なんて抱っこする側だったわよ!!」

「あたしは十才くらいまでお手手繋いでたけどね」

 

 ──鏡の中は美しい光景だった。

 

『じゃあ、私の妻にならないか?』

『なれませんてばぁ……』

 

 二人はいつものやり取りをし、二名の守護者はついにカップを割った。




ナザリックに来たらそりゃ覗かれるのよ(?

でも、御身寝落ちしちゃったね
流石に生贄の復活は数名でも重たいらしい……!

次回は一旦未定です!でも、まだ年末のお休みに入るには早すぎるんで今年中に更新したいでぇす!


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