荒野のコトブキ飛行隊 イケスカの残照 (流水郎)
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正義の対価

 瓦礫の山となった街の遥か上を、巨影の群が通り過ぎる。6基の二重反転プロペラが翼に並び、高空に爆音を轟かせながら悠然と飛ぶ。翼と胴体に描かれたイケスカ市の識別マークが陽光に煌めいていた。

 

 富嶽。

 ユーハングの人々が信奉する火山の名を冠した、巨大爆撃機。その圧倒的な爆弾積載量と高空性能によって、まさしく火山噴火のような破壊を地上へもたらす。昨日までの友好都市であったショウトさえも、遥か眼下で火の海と化した。

 

 爆撃隊を護衛する五式戦闘機もまた、整然と編隊を組んで帰路に着いていた。飛燕こと三式戦闘機を空冷エンジンに換装し、設計を微修正した機種だが、単なる急増品に止まらぬ高性能機だ。三式には無い軽快さと三式譲りの頑丈さを持ち合わせ、そして何より信頼性が高い。

 イジツの大地に合わせ、暗い黄色で塗装されたこの五式戦は自由博愛連合の部隊だ。富嶽とは所属が異なるが、実質的には同じ指揮系統で行動している。何故なら従うべき相手は同じ人物だからだ。

 

 中隊長機の操縦桿を握る、若き女性パイロット。彼女もまた、連合とその盟主に忠誠を誓った身だ。電熱線入りのジャケットで寒さに耐えつつ、ゴーグル越しに周囲の状況へ目を配る。

 

《……なあ、マイカ》

 

 斜め後方を飛ぶ僚機から通信が入った。イジツの飛行機はかつてユーハングからもたらされた物だが、当時より無線技術は格段に進歩している。感度は良好だ。

 

《本当にここまでする必要、あったのか……?》

「トシロウ、帰還するまでが任務よ。無駄口は謹んで」

 

 冷静に返事をし、無線のスイッチを切り替えた。再び空は沈黙に包まれ、エンジン音だけが低く操縦席に響く。

 富嶽と五式戦の戦爆連合は悠々と水平飛行を続ける。その整った編隊と同じく、彼女の……そして自由博愛連合の正義も揺るぎなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《……ショウトを爆撃せざるを得なかったことを、自由博愛連合議長として大変遺憾に思います》

 

 卓上に置かれたラジオから、若い男の肉声が聞こえる。精鋭飛行隊の控え室はそれなりに豪奢で、パイロットたちは座り心地の良いソファに腰掛け、紅茶なりコーヒーなりを嗜んでいる。そして耳はラジオを通じて聞こえてくる、議長の言葉に傾けられていた。

 

《思えばアレシマでの会談で、僕はユーリア女史に何度も説きました! きっと分かってくれる! そう信じて一生懸命に説明しました! 都市国家の横の繋がりによる自由では、最早イジツに未来はないと! 統制された縦の繋がりによる自由……「穴」の向こうから伝えられた政治思想、結束主義(ファシズム)による団結こそが、未来を開くと!》

 

 ゴーグルと飛行帽を脱いだマイカは、くりくりとした大きな目でじっとラジオを見つめていた。体つきは豊かだが、そのプロポーションの割には童顔だ。しかし単独撃墜29機、共同撃墜28機を誇るエースであり、自由博愛連合の精鋭部隊の一つ・親衛第四飛行隊の隊長でもある。

 そして傍らには彼女の僚機を務める青年が、冷めきった紅茶を手に立っていた。ユーハングの戦闘機乗りのような、短く刈り込んだ頭髪が印象的だ。

 

《そうこう言っているとアレシマが空賊に襲われ、僕は久々にパイロットとして出撃! 自慢じゃないけど零戦2機、あと飛龍か呑龍か忘れたけど重爆1機をポンポーンと撃墜し、ホテルに残った彼女を守り抜きました!》

 

 ラジオから「ポンッ」という音に続き、拍手の音が聞こえてきた。おそらく議長が得意の手品を披露したのだろう。

 

《にも関わらーず! ユーリア議員もとい元議員は、連合に加わることを決めたガドールへ叛逆を企てたばかりか、我々と友好関係にあったショウトの人々を唆したのです! 敢えて断言しましょう! 彼女はイジツ史上他に類を見ない、超ッ! 絶ッ! 悪女であると!》

 

 議会は相当盛り上がっているようだ。然り、その通り、などの相槌が電波に入る。

 

《彼女がラハマへ亡命したことは突き止めております! すでにかの町へ使者をーー》

 

 不意にプツリと途切れる音声。一瞬の間を置いて、全員の視線がスイッチを切った青年へ集中した。彼のカップに入った紅茶は一口も飲んでおらず、くつろいだ様子の仲間たちと違い、どこか苦々しげな表情である。隊の2番機であるトシロウだ。

 

「マイカ、一度でもいいから考えてみてくれ。本当にこれでいいのか?」

 

 真剣な面持ちでトシロウは尋ねる。彼の撃墜数は隊内で最下位だが、援護戦闘の達人として何度もマイカの危機を救い、また他のメンバーも生還させてきた。そのため仲間たちから絶大な信頼を寄せられる一方で、実直さが時に疎まれる。刈り込んだ髪はその一本気な性格を表しているかのようだった。

 

「ショウトがユーリアに着くメリットなんて無かったはずだ。現に俺たちが出向いた途端に降伏したんだぞ。それを一方的に爆撃なんて……」

「イサオ議長が必要と判断したからよ」

 

 マイカの答えに淀みは無かった。それが彼女にとって唯一無二の真実なのだから。

 

「それに爆撃時刻は事前通告したから、死傷者は1人も……」

「死傷者がいなかったか、ショウトに降りて調べたわけじゃないだろ! 大体死人が出てなければセーフって問題じゃないはずだ!」

 

 声を荒げるトシロウ。仲間たちが何人か立ち上がるが、彼がひと睨みすると身が竦んだ。

 

「反逆者のレッテルを貼られたまま、ショウト市民は他の都市へ行くことなんてできない! 破壊し尽くされた町へ戻って来て暮らすしかなくなる!」

「戦いが終われば復興支援もできる。全ては議長の国家統一連合構想を実現させてからよ。必要な破壊なの」

「それまで病人や赤ん坊はどうする!? 下手すりゃ瓦礫の中で死を待つ羽目に……!」

 

 不意に、ドアが開け放たれた。甘い匂いが談話室へ流れ込む。

 全員の視線がそちらへ向くと、エプロン姿の少女がずかずかと大股で入ってきた。手にした盆には一口サイズのパンケーキが山盛りにされ、ジャムの瓶が添えられている。

 

「焼けたよ」

 

 少女はぶっきらぼうに告げた。可憐なエプロンとは裏腹に、刺すような鋭い目つきと仏頂面だ。おさげにして肩へ垂らした髪は深い黄金色で美しいが、勇気のある男でなくては声をかけられないような、近寄りがたい雰囲気を漂わせる。

 マイカはそんな彼女に笑顔を向けた。

 

「ありがとう、クルカ。いただくわ」

 

 おさげの少女は再びずかずかと部屋に踏み入り、盆を卓上に置く。山盛りのパンケーキが一枚、頂上から麓まですべり落ちた。各自に小皿とフォークが分配される。

 それを一瞥して、マイカはトシロウへ向き直る。

 

「トシロウ。私たちはリノーチ大空戦のときからイサオさんの下で戦ってきたけど、あの人の判断が間違っていたことなんてあった? 大義のためには小義を捨てなくてはならない」

 

 語りつつ、小皿に小さなパンケーキを取り分けるマイカ。先にトシロウの分、次いで自分の分を取り、ジャムを添える。

 

「ほら、食べましょう。冷めないうちに」

 

 香ばしい匂いのパンケーキは隊員たちの共通の好物だった。だがトシロウは口をつけていないティーカップを無造作に置くと、身を翻す。

 

「トシロウ!」

「自分が捨てられる側に立っても、同じことが言えるのかな。君も、議長も」

 

 吐き捨てるように言い残し、彼は開け放たれたままのドアから出て行った。苛立ちを隠そうともしない足取りで。

 湯気を立てるパンケーキを前にして、隊員たちの空気は冷めていた。ほとんどの者は手をつけずに、ある者はトシロウの背中を見つめ、ある者は舌打ちし、またある者はじっと考え込む。調理した当人のクルカはそんな仲間たちを一瞥し、冷ややかに口を開く。

 

「隊長。アイツとちゃんと話し合った方がいい」

「僕もそう思います」

 

 一人だけすでにパンケーキを頬張っていた隊員が、それを飲み下して同調する。第2小隊長のフェイフーだ。紳士的な態度の青年だが、同時に隊で最も豪胆なパイロットでもあり、最多の戦果を挙げている。

 

「トシロウは貴女のことを……」

「止めて。今は余計な感情は必要ない」

 

 二人を睨みつけ、きっぱりと言い切るマイカ。フェイフーは思わず溜息を吐き、クルカも鼻を鳴らすが、彼女は平然とラジオのスイッチを入れ直した。聞こえてくるのは万雷の拍手だった。もしラハマがユーリアの引き渡しに応じなかった場合、今度はラハマが爆撃対象となる。

 最近イケスカにも名の知れてきた、コトブキ飛行隊との空中戦もあり得るだろう。パンケーキにバターを塗りながら、マイカは今後の戦いに想いを馳せていた。

 

 

 

 

 

 

 

 海が干上がり、都市の間には赤茶けた荒野が広がる世界・イジツ。ここに統一国家と言えるものは存在しない。かつて飛行機をもたらしたユーハングが去って以来、点在する多数の都市国家は抗争と和解を繰り返しながら、荒廃していく世界で共存している。

 

 マイカにとって大切なことは何よりも、盟主イサオによる統一国家を築き上げることだった。イジツ人類の未来のために。そして自分と同じ目に遭う子供を無くすために。

 それが唯一絶対の正義だと信じていた。

 

 

 

 

 

 ……しかし、その正義は脆くも崩れ去った。空に開いた『穴』と共に。

 

 

 



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燻る残り火

 

 火星エンジンを唸らせながら、葉巻型の双発機がゆっくりと降下していく。イジツの荒野には飛行機乗りが給油・休息を行う『空の駅』が点在していた。今眼下に見下ろすロータ駅は食べ物の自販機なども充実しており、流浪のパイロットたちから高い評価を得ている。

 そしてイケスカ動乱の際は、反抗勢力の拠点としても使われた。

 

「……なんでまた一式陸攻なんか掻っ払ってきたのさ」

「銀河や飛龍みたいな高級品がそこらに転がっているわけないでしょう。木っ端空賊から盗むしかなかったのですから、一式ならかなり上等です」

 

 爆撃手席に座るクルカと、副操縦席のフェイフーが言葉を交わす。2人とも自費で買ったジャケットとゴーグルを身につけ、腰にはやはり私物の拳銃を帯びている。自由博愛連合の正規部隊だった頃は支給品を使っていたが、今では流浪の身だ。

 フェイフーの隣で着陸操作を行うマイカは、そんな仲間たちに複雑な感情を抱いていた。

 

 イケスカ上空に開いた穴はオウニ商会の商船・羽衣丸の特攻により消滅した。自由博愛連合議長・イサオはその寸前に穴へ突入し、生死不明。その後、元ガドール評議会議員ユーリアは連合の行った空賊・企業との癒着、テロ行為を白日の下にさらした。それらには確たる証拠が伴っており、ショウト市が企てた叛逆もイサオによるでっち上げだったことが判明、イケスカは大混乱に陥った。

 その一方で、純粋に国家統一連合構想の素晴らしさを信じ続ける議員もいた。イジツには統一国家が存在しないため、ファシズムの危険性に気づく者が少なかったのだ。ユーリアやポロッカ市長のゴドロウは気づいていたが、片や普段から敵の多い急進的な議員、片やイジツに名の知れた脳筋。誰も話に耳を傾けなかった。

 連合の枠組みだけは何とか残そうとする議員たちは、無差別爆撃などの非道な行為に加担した者たちを『トカゲの尻尾』として切り捨てた。イケスカと連合を守っていた親衛第四飛行隊も、今やイケスカ市へ戻れば空賊として逮捕される身の上だ。

 

 かつての戦友が言った通り、マイカは捨てられる立場となったのだ。

 

「……駐機スペースにいる機種、分かる?」

「……隼4機、彗星1機。あと一◯◯式輸送機だね」

 

 見晴らしの良い爆撃手席でロータを見下ろし、クルカは報告する。

 

「隼の内2機はI型でユーハング式迷彩。多分コトブキだね」

「……情報通りね」

 

 手の震えを抑えるべく、操縦輪を握り直す。

 着陸脚を出した一式陸上攻撃機はゆっくりと滑走路へ降下していき、やがて駐機されている機体のマークが見えた。山吹色の円にプロペラの部隊章を描いた隼……コトブキ飛行隊だ。

 

 落ち着け、今じゃない……そう自分に言い聞かせ、マイカは機体を接地させた。

 

「総員、後ろへ!」

 

 フェイフー、クルカに続き、他の搭乗者も一斉に機体後部へと駆け出した。一式陸上攻撃機は重心が機体中央にあるため、離着陸時には乗員がこうしてバラストになる必要がある。

 

 やがてブレーキをゆっくりと踏み込み、機体は減速したのち駐機スペースの隅へ移動する。

 後部ハッチの前で屈み込んだフェイフーは腰の拳銃を抜いた。トリガーの前に弾倉があるタイプの、大ぶりな自動拳銃だ。安全装置のレバーを確認し、銃弾を保持した挿弾子(クリップ)を上部に取り付け、掌でぐっと押し込んで装填する。

 

「では、僕が先に」

「はいよ」

 

 クルカが微笑を浮かべ、唇を舐めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、一式陸攻ですわ」

 

 窓から滑走路を眺め、エンマが呟いた。手にしたティーカップには好みの銘柄の紅茶が湯気を立てている。その隣で自販機のパンケーキを頬張る赤い服の少女……キリエもまた外を眺めた。着陸した一式陸上攻撃機はイジツの大地に合わせた茶色の塗装だが、塗装の剥がれが目立つ。

 胴体にはユーハング語の『忌』という字が書かれており、その部分は綺麗に塗られていた。キリエとてユーハングの文字や言葉を完全に理解しているわけではないが、あまり良い意味の文字ではないということは知っている。縁起担ぎが好きな飛行機乗りには珍しいことだ。

 

「見かけないお客だな」

 

 ロータの管理人である老人が立ち上がり、護身用のレバーアクション式ライフルを手に表へ出て行った。食事をしている者たち……キリエとエンマ、及びエリート興業の面々はその背中を見送りながらも、さして心配はしていなかった。

 このロータは以前に空賊の襲撃を受けたが、それはイケスカの秘密部隊だった。交通の要所を攻撃することで地方の物流を苦しめ、連合への加盟を促すことが目的だったのである。普通の空賊は滅多に空の駅を襲わない。そんなことをしては獲物となる輸送機が近くを通らなくなり、自分たちが困ることになる。

 

「それにしても、その新作は素晴らしいですわね。以前のものより生き生きとした味わいがありますわ」

 

 駅のカウンターに立てかけられた絵に目をやり、エンマが賞賛した。作者である桃色の髪をした女性……エリート興業の『姐さん』は気恥ずかしげに頰を染める。その一方で、隣にいる男は目を輝かせた。

 

「そう! そうだろ!? ウチのはあれ以来さらに腕が上がったんだよ! 何ていうかこう、あんたの言った通り生命力が宿ってよぉ!」

 

 豪放磊落な彼はエリート興業代表取締役・トリヘイである。かつては空賊としてラハマ町を襲ったが、結果的にコトブキに助けられる形となり、イケスカ動乱では義理を果たすため共闘した間柄だ。空賊を徹底的に罵倒するエンマも、共に戦った彼らにはある程度心を許していた。

 今回はエリート興業はショウトの芸術祭へ出品される絵画、彫刻等の輸送を引き受けた。しかし動乱の後空賊はむしろ増えており、護衛の数に不安を感じたトリヘイがコトブキへ加勢を依頼したというわけだ。母船である羽衣丸を失った今、コトブキ飛行隊は別れて仕事をすることが増えている。

 

 今は輸送を終えた帰りで、姐さん当人の絵も出品するためショウトへ届けてある。今持っている絵はコトブキ飛行隊のザラにプレゼントするために描いたものだ。

 

「生命力、って言えばショウトの人たちも凄いよね。まだ復興全然終わってないのに芸術祭開くなんて」

「ああ、復興の寄付金集めも兼ねているんだ。それにショウトは上流階級の多い街だから、俺みたく芸術にうるさい人間が大勢住んでるのさ!」

 

 キリエの問いに答え、元空賊の社長は得意げに笑う。だが不意に、その笑い声は途切れた。外から微かに「うっ!」という悲鳴が聞こえたのだ。

 

「……今の、お爺さん?」

 

 キリエとエンマが立ち上がり、エリート興業の社員たちも警戒態勢に入る。まさか強盗だろうか。

 

「俺が見てくる」

 

 トリヘイが玄関へと向かう。いつでも愛用のリボルバーを抜けるようにしながら、慎重に踏み出す。

 

 しかしそのとき、外から現れた人影と鉢合わせした。飛行服姿の青年は身構えるトリヘイに歩み寄り、右手をすっと頭上へ掲げる。

 その手握られているのは、大ぶりな拳銃。

 

「てめェ……!」

 

 銃を抜こうとした瞬間、トリヘイは腹に重い衝撃を受けた。フェイフーの掌底が叩き込まれたのである。

 

「あんた!」

「社長!」

 

 姐さんと社員たちが銃を抜く。しかしフェイフーは気絶したトリヘイの胸ぐらを掴み、その体を盾にして押し入った。

 頭上へ掲げた拳銃を振り下ろしながら発砲。立て続けに2発。狙い違わず、悲鳴と共に社員が2人倒れた。トリヘイの体を放り出し、走りながら再び銃を頭上へ。

 

 キリエとエンマが咄嗟に椅子を投げつけた。ほぼ同時に姐さんと、新入社員たちが撃ち返した。しかしそれらの軌道を見切り、弧を描くように走りつつ拳銃を振り下ろす。銃声が響くたびに誰かが倒れ、気づいたときには姐さんの側まで接近していた。

 彼女は容赦無く発砲するが、寸前に掌で銃を払われたため命中しなかった。刹那、背後へ回り込んだフェイフーの手刀が頸へ打ち込まれる。

 

「ッ……!」

 

 小さな体がどさりと床に崩れ落ちる。立っているのはキリエとエンマのみとなった。二手に別れ、それぞれ机を蹴り倒して盾とし、ジョニーからお守りにと持たされた拳銃で反撃を試みる。

 しかしその途端、不意に玄関から飛び込んでくる影。エンマはハッと振り向くが、次の瞬間には鋭い一撃を受けていた。

 

「エンマ!」

 

 叫ぶキリエの前で、打撃を見舞った当人……クルカが挑発的な笑みを浮かべた。キリエの頭へ一気に血が上った。

 

「こんのぉぉぉ!」

 

 使い慣れない拳銃を放り出し、一目散に突進する。余裕の構えを見せるクルカの眼前で急停止。慣性を利用して必殺の上段回し蹴りを繰り出した。

 しかしラハマで『迅雷キック』『パンケーキ蹴り』と呼ばれるその技を、目つきの悪い少女は苦もなく腕で受け止めた。

 

 キリエが怯んだのは一瞬だった。だがその一瞬で、クルカは懐に踏み込んだ。

 床をふみ鳴らす震脚を伴い、強烈な肘打ちがキリエの腹を捉える。

 

「……!」

 

 砲弾のような重い一撃。視界が明滅する中、キリエは必死で意識を保とうとした。しかし食道を逆流してきたパンケーキを意地で飲み込んだ直後、全身から力が抜けた。

 糸の切れた人形のように崩れ落ちる彼女を、クルカがゆっくりと床に寝かせる。一方のフェイフーは全員を無力化したことを確認し、銃に安全装置をかけた。

 

「お見事です」

「アンタほどじゃないけどね」

 

 短く言葉を交わし、外に向けて「制圧完了(クリア)」と合図する。マイカと他に数名の仲間が駅内に踏み入った。気を失った管理人を引きずりながら。

 マイカは散弾銃を腰に構えつつ、倒れているエリート興業の社員たちを一瞥した。皆出血はなく、ただ気絶しているだけだった。

 

「ゴム弾を使ったの?」

「ええ」

 

 フェイフーは涼しい顔で答えた。相手を殺さずに鎮圧したい場合や、飛行船内など実弾の使用が危険な場所で使われる代物だ。それでも当たり所が悪ければ死ぬこともあり、逆に狙いが不正確では一撃で相手を無力化することができない。瞬間的な判断で全員に重症を負わせることなく気絶させたフェイフーは神業と言っても良いだろう。

 

「飛行機乗りを地上で殺すな……それが父の流儀でしたので」

「さすが“超絶技巧”のフェイフーね。クルカもお見事」

 

 賞賛しつつ、コトブキの2人へ歩み寄る。こちらも死んではいない。無論、この2人を生け捕りにする作戦なので当たり前だが。

 片方は秘密作戦部隊の疾風を撃墜し、もう片方はイサオの機体に弾を当てた女。イサオの理想を信じた自分たちから正義を奪ったのはこいつらなのか、それとも『穴』へ消えたイサオ自身なのか。

 少なくとも、今の自分がやろうとしていることは正義ではない。それだけは自覚していた。

 それでもやる。失われた正義のために、自分が自分であるために。コトブキ飛行隊の隊長・レオナを撃墜するのだ。

 

「……拘束して、陸攻へ運んで」

 

 部下たちはロープを取り出し、迅速に指示を遂行した。素早く手足を縛り、駅から運び出す。

 ふと、カウンターに立てかけられた絵画に目が止まった。空の中を舞う一式戦闘機と、美しい女性の姿。ユーハングの浮世絵の風味を感じさせるタッチだが、それに囚われておらず単なるリスペクトではない。力強さと美しさ、そして自由を感じさせる絵だった。

 子供の頃に見上げた、もう戻れない自由な空を。

 

「……レオナ」

 

 宿敵となる女の名をぽつりと呟く。

 

 

 勝者である彼女は今、自由を手にしたのだろうか……?

 



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囚われの戦闘機乗り

 

 キリエとエンマが誘拐されたという報せに、ラハマの町はざわめいた。トリヘイたちが目を覚ましたとき、犯人たちは置き手紙を残して立ち去っていた。

 彼女たちの隼I型も、エリート興業の機体も盗まれていなかった。ナツオ整備班長が動乱後の治安悪化を受けて、エンジンを始動前に安全装置を解除しないとキルスイッチが作動するよう細工していたのだ。元々空賊であったエリート興業もそうした用心に抜かりはなかった。

 

 ラハマに届けられた手紙には、首謀者がコトブキ飛行隊隊長との勝負を望んでいる旨が書かれていた。そして2人を廃墟となった町・キマノで監禁しており、返して欲しければコトブキ飛行隊の隊長が1機で来て勝負に応じろ、と。

 

 

「恐らくイケスカの飛行隊崩れによる、逆恨みの犯行でしょう」

「コトブキがいなかったら、ラハマは木っ端微塵にされてたはずだ!」

「そうだ! 俺たちが助けに行かなくてどうする!」

 

 オウニ商会の所有する邸宅で開かれた、作戦会議。血の気の多い自警団員たちは気炎を上げる中、町長は額の汗を拭きつつ悩んでいた。

 

「うーん……助けには行きたいけれど、みんなで押しかけたら……エンマ君とキリエ君の命が危ない……!」

「あの2人が空賊のアジトで大人しくしてるわけないって!」

 

 机を叩きながら叫んだのはコトブキ飛行隊の最年少隊員、“電光石火”のチカだ。エンマはともかくキリエとは喧嘩の絶えない間柄だが、彼女たちを連れ去った空賊への怒りと闘志を隠そうともしていない。

 

「どうせ大暴れしてなんとか逃げ出そうとするに決まってるんだから! そこにあたしらが乗り込んでバンバンやっつければいいじゃん!」

「2人の性格を考えればあり得るが、希望的観測で行動すべきではない」

 

 ケイトが淡々と却下した。隊の頭脳たる彼女はこの状況でも冷静沈着で、そして無表情だ。しかし仲間たちは彼女にも人並みの感情があることを知っており、現に今は拳を握りしめていた。

 副隊長たるザラは、静かにレオナを見つめていた。雇い主であるマダム・ルゥルゥもだ。レオナは俯いてじっと考えていたが、やがて顔を上げた。凛とした眼差しで。

 

「奴らが指定した時刻まで、もうあまり時間がありません。手紙に書いてある通り、私が1人で向かいます」

「でっ、でも! 確実に罠がありますよ!?」

「罠へ飛び込むのは慣れてます。イケスカのときもそうでした」

 

 町長へ返事をする彼女の顔には、相手を安心させるための笑みがあった。しかし敵の指示通りに動くのはやはりリスクが大きい。

 そこへ、進み出てくる男がいた。

 

「すみません、ちょっと見ていただきたいのですが……」

 

 立派な体格の割に、気弱そうなか細い声で話すその男は、ジョニー。羽衣丸で勤務していたバーテンダーであり、船が失われた今でもオウニ商会で働いている。一見すると臆病そうな人柄だが、ルゥルゥやレオナを始めとする何人かは彼の壮絶な過去を知っていた。

 彼が卓上に広げたのはキマノの地図だった。10年前までは賑わっていた都市だが、資源枯渇によって収入源を失い、急激に荒廃した。今やうら寂しい廃墟が残るのみである。

 

「キマノにはセキト団という空賊の隠れ家があったんです。ほら、このカジノの地下」

 

 地図上の大きな建物を指差すジョニー。部屋にいる全員が額を寄せ合い、地図を覗き込んだ。ザラはそれを見て納得したように頷く。

 

「ああ、ここね。確かに人を監禁するにはもってこいの場所だわ」

「ザラも見たことあるの?」

「昔ちょっとね」

 

 お決まりの台詞ではぐらかす。チカ、そして恐らくケイトもこの副隊長の過去が気になってはいたが、今はそれどころではない。

 

「2人が閉じ込められているとすれば、そこ?」

「はい、きっと。そして……」

 

 ジョニーはペンを取り出し、地図上に線を引いて行った。街の横を走る峡谷を抜け、廃墟へ至るルートを。

 

「この谷を飛行機で抜ければ、気付かれずに郊外の空き地へ降りられます。後はちょっと距離がありますが、徒歩で街へ潜りこめるかと……」

「よし、それなら二面作戦でどうだろう」

 

 自警団長が勇ましく言った。

 

「時間が無いから、レオナ隊長は敵の要求通り1人でキマノへ飛んで、戦って時間を稼いでくれ。我々自警団は腕っ節に自信のある者を選んで、赤とんぼで峡谷を抜け、敵の注意が空へ向いた隙に街へ潜入する」

 

 『赤とんぼ』こと九五式一型練習機は布張りの複葉機である。速度は遅いが、逆に言えばスピードを落としても失速しにくいということでもある。コトブキ飛行隊のような凄腕でなくても、何とか狭い峡谷を抜けられるだろう。

 

「他のコトブキの皆は、キマノの西13キロクーリルにある空の駅で待機していてくれ。そして我々が2人を救出できたら隼でキマノへ乗り込み、レオナ隊長に加勢する」

「よっしゃ! 出撃だー!」

 

 チカは居ても立っても居られない様子で拳を振り上げる。

 しかしまだ懸念があった。ロータで襲撃してきたという拳銃使いである。エリート興業社員たちの話では並大抵の使い手ではなく、もしそいつが人質を見張っていれば救出作戦自体が失敗する。対抗できそうな人物といえば、1人しかいない。

 

「……ジョニー。申し訳ないけど、救出部隊に同行して頂戴」

 

 ルゥルゥが丁寧な、しかし有無を言わせぬ口調で言った。雇い主である彼女はジョニーが妻に逃げられたことも、そのために銃を撃つことを忌避していることも知っている。そしてイケスカ動乱の際、「これが最後だ」と言っていたことも。

 

 だがジョニーの返答は予想と違うものだった。彼は引き締まった顔で頷いたのである。

 

「元よりそのつもりです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電気も途絶えた、廃墟の地下。フェイフーの持つ燭台を頼りに、クルカが盆を運んでいく。皿に乗っているのは大きなパンケーキ、それも三枚重ねだ。

 

「アンタのお父さん、つくづく大した空賊だったんだね。こんな所にこんな隠れ家を持ってて」

「ええ。今頃は不肖の息子にあの世で嘆いていることでしょう」

 

 湯気を立てるパンケーキに対し、2人の口調は冷めている。しかし仲が悪いということではない。単なる友情や愛情ではなく、共に死線をくぐってきた信頼関係があるのだ。

 ふと、クルカの方はパンケーキに目を落とし、次いで虚空を見つめた。そしてぽつりと、呟くように話を切り出した。

 

「……アンタには、あたしの親の話したっけ?」

「両親とも空賊で、もう亡くなっているとは聞いた気がしますが」

「そう。アンタのお父さんとは真逆の木っ端空賊。で、あたしが殺した」

 

 突然打ち明けられた過去に、フェイフーは表情一つ変えなかった。ただ横目で彼女の方を見ただけだ。クルカは瞬きもせず正面を向いたまま、淡々と語り続ける。

 

「あたしの弟を餓死させて、あたしにもロクに飯を食わせなかったから。親父は地上で殺して、お袋の方は空で。脱出しやがったけど、パラシュートを穴だらけにしてやった。……その後ご飯が美味しかった」

「珍しいですね。貴女が身の上話とは」

 

 相棒の変わらぬ態度に、クルカは少し吹き出した。

 

「まあね。さすがのあたしもここらが死に時かと思ってね」

「懺悔は聖職者にするものですよ」

「別に反省も後悔もする予定は無いよ。ただアンタにはあたしを覚えていて欲しいと思ってさ」

「僕が生き残る保証も無いですけどね」

 

 廊下の突き当たりのドアを開け、監禁室へと踏み入った。

 中には武装した見張りが立ち、ランプの置かれた鉄格子の向こうに、キリエとエンマは着の身着のまま閉じ込められていた。手は自由だが足枷を嵌められ、盆を手に運んできたクルカに刺すような眼差しを向けた。

 

「……お腹空いたろ。食べな」

 

 鉄格子の下部にある小さな配膳窓を開け、パンケーキの皿とナイフ、フォークを独房へ入れてやる。キリエの方は大好物の匂いに一瞬心惹かれたものの、すぐに正気に戻った。

 

「私たちをどうするつもりだ!?」

「身代金目当てなら無駄ですわよ。オウニ商会は商船を失ってスッテンテンですもの」

「知ってるよ。穴に特攻するのを見たから」

 

 平然と言ったクルカに、檻の中の2人は目を見開いた。

 

「あたしらは連合の戦闘機乗りだった。今は戦犯扱いでイケスカを追放された身分だから、まあ空賊だね」

「あら、お気の毒様」

 

 鼻で笑うように吐き捨てるエンマ。空賊たちは幼い頃両親の人の良さに漬け込み、全てを奪っていった。それ以来ずっと、彼女の敵に対する態度は一貫している。

 

「つまり私たちは逆恨みで拐われたということですわね。合点がいきましたわ」

「貴様!」

 

 見張りの男が目を血走らせ、エンマに散弾銃を向ける。だがフェイフーがその銃身を掴み、静かに首を横に振った。見張りたちは歯噛みしながらも後へ退く。

 

「好きに解釈していいけど」

 

 毒舌を受け流し、静かに配膳窓を閉めた。

 

「こっちの目的はあんたらの隊長を墜とすこと。けどあたしらの方が死ねば、アンタたちはラハマに帰れる」

「『穴』は燃えて、イサオもいなくなった! あいつの悪事も暴かれた!」

 

 キリエが声を荒げた。

 

「何のためにこんなことをするの!?」

「それは隊長に訊きなよ。議長に義理立てしてるのはあの人だから。あたしはそもそも『自由博愛』なんてフザケた名前の組織のために、命張った覚えも無いしね」

「ならどうして!?」

「飯の味付けさ」

 

 さらりと言ってのける女空賊に、エンマが思わず「はぁ?」と口走った。見張りの面々もぽかんと口を開ける。彼らは同じ飛行隊で戦った連合のパイロットたちだが、クルカも自分たちと同じくイサオの理想に翼を捧げた身だと信じていた。否、彼女がただ本心を言わなかっただけで、勝手にそうだと思い込んでいたのである。

 

「敵機を墜として、命のやり取りした後の飯がたまらなく美味いんだよ。自分で料理するときも、空戦の後の方がインスピレーションが湧くしね」

 

 微笑を浮かべつつ、あくまでも淡々と語るクルカ。だがその目と言葉からは狂気じみた一面が感じられた。単なる金目当ての業突く張りな悪党よりタチの悪い、人間としてどこか壊れている印象が。

 

「だから戦闘機でドンパチできる場所が欲しいってだけさ。殺しができる環境が」

「……そのためだけに、街を焼き払う蛮行に加担したと仰るの?」

 

 尋ねるエンマの声は冷静ではなかった。むしろ怒りに震えていたし、飛行機乗りの直感で確信していた。この女は狂っている、と。あのイサオと同じく息をするように機銃を撃ち、他者を傷つけることを何とも思っていない、そんな人間なのだと。

 それに対し、女空賊は白い歯を見せて笑った。

 

「美味い飯の魅力には勝てないよ」

「……クソ虫が」

 

 エンマは吐き捨てた。

 

「イサオはともかく、一介の戦闘機乗りであった貴女方にはそれなりの信念があったのかもしれない……そう一瞬でも思った私が愚かでしたわ。とっととレオナに墜とされてらっしゃい!」

 

 近くに銃を持った見張りがいるにも関わらず、遠慮の無い罵声を浴びせる。幼馴染であるキリエにとっては聞き慣れた彼女の毒舌だが、クルカは「ふむ」と何やら考え込む。

 

「クソ虫、クソ虫ねぇ……ユーハングじゃこういうのを『目クソが鼻クソを嗤う』とか言うんだっけね」

「何ですって!?」

「誰が目クソだ!?」

 

 目を血走らせんばかりの勢いで怒る2人。それに対する彼女の視線は冷ややかだった。

 

「敵機を撃墜してスカッとしたことは無い? 相手に力の差を見せつけていい気分になったことは? 撃墜数()が増えて嬉しいと思ったことは? 帰還した後に酒を一杯引っ掛けたり、お茶を飲んだり、甘いもの食べたりして『生きてる』って実感したことは?」

 

 ひたすらに淡々とまくしたてる相棒を、フェイフーはじっと見ていた。他の仲間達は明らかに動揺していたが、彼だけはクルカの本性に以前から気づいていたし、その上で共に戦っていた。自分と組む分にはそれでも問題無いと思ったからだ。

 

「戦う理由に何の意味があるって? 戦闘機に乗って、人様に機銃を撃った時点で……皆同じ穴のクソ虫さ」

 

 直後、クルカの口元へ水滴が付着した。エンマが唾を吐きかけたのだ。少しの間を置いて、クルカはそれを舌で舐めとり、立ち上がった。殺し合いの準備をする時間だ。

 空いた盆を手に踵を返し、フェイフーも後へ続く。見張りたちに「脱走しない限り決して殺さないように」と釘を刺してから。

 

 しかしドアを閉める前に、クルカはポツリと呟いた。

 

「アタシらの方が死んだら、レオナさんとやらはその後どんな顔で飯を食うだろうね……?」

 

 



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複葉の復讐者

 マイカは愛機を見つめていた。かつての五式戦闘機ではなく、空賊から奪い取った九五式戦闘機だ。九七式よりさらに一世代前の機体で、機首にラジエーターを持つ液冷エンジンの複葉機である。どことなく角ばった無骨なデザインで、ラジエーターのシャッターが尚更それを引き立てる。上下の翼はN字型の支柱と交差した線で支えられ、脚も剥き出しの固定脚だ。

 ユーハングがイジツへ来たばかりの頃、住民の宣撫用にばら撒いた機体である。この機体もイジツの大地に合わせた赤茶色で塗装されているが、翼と胴体にはユーハングの『赤い太陽』のマークを塗りつぶした跡があった。

 

 オリジナルと違う点を挙げるとすれば、照準器である。本来は望遠鏡型の照準眼鏡だが、ジャンク屋で手に入れた光像式に換装してあった。電気系統の改造に手こずったが、格闘戦時の照準能力は大きく高まった。

 胴体に書かれた『忌』の文字は、とりあえず『寿』の逆になりそうなマークを、という意味で選んだ。だが空賊に成り下がった自分たちには似合っている……マイカは自嘲的にそう考えた。

 

「隊長とクルカの九五式が市街で格闘戦。そして私が上空から援護、という筋書きでしたね」

 

 確認するフェイフーに、マイカは静かに頷いた。戦闘機に乗るのは最も腕の立つ3人で、残りは人質の見張りに残す。クルカはマイカと同じく九五式戦闘機を使うが、フェイフーが乗るのは父親の隠れ家に残されていた戦闘機だ。極めて珍しい機種だが、強力な機体ではない。低空での格闘戦では特に不利だ。

 3人がかりとはいえ、これでエースパイロットの操る隼を相手に戦おうと言うのである。ほんの少し前まで五式戦闘機で威風堂々と大編隊を組んでいた自分たちが、今やこの有様だ。

 

「言えた義理ではないですが……トシロウがいてくれれば心強かった」

 

 フェイフーが苦笑しながら言った言葉は、マイカの胸にも深く突き刺さった。いつも自分の隣を飛んでくれていた男の顔が脳裏に浮かぶ。

 

「アイツが生きてたら、こんなことは止めろって言うと思うけどね」

 

 同じように苦笑するクルカ。確かにそうだろうとマイカも思った。実直な彼ならば、これ以上無益な争いをして血を流すなと皆を戒めるはずだ。

 だがもう、彼のまっすぐな瞳を見ることも、あの力強い声を聞くことも、二度と無い。自分がそうしてしまったのだから。

 

「2人とも、いろいろありがとう。もし降りるなら今が最後のチャンスよ」

 

 今から自分がやろうとしていることは逆恨みにすらならない。コトブキの隊長を撃墜したところでイサオが帰ってくるわけでも、彼が裏で行なっていた不正が取り消されるわけでもない。そしてかつての雇い主であるイケスカは市の責任逃れのため、追っ手を差し向けるだろう。

 単なる自己満足の戦いに、仲間を巻き込もうとしている。マイカにもその自覚はあったが、戦友達は皆承知の上でここまで着いてきた。

 

「隊長。今だから言いますが、私はイサオ議長のために戦ったことはありません。全て貴女のためです」

「え……?」

 

 フェイフーの口から出た言葉に、思わず目を見開く。

 

「父の空賊団が壊滅し、病気の母と2人で生きていたとき、貴女が僕を連合に推挙してくれた。だから母を病院へ入れることできました。どの道残り少ない命でしたが、最期の時を温かいベッドで迎えさせることができました」

 

 少し懐かしそうな目をして、フェイフーは微笑を浮かべる。元空賊やその血縁者に手を差し伸べる者は少ない。せいぜいマフィアの用心棒にでもなるか、1人で追い剥ぎとして生きるか、でなければ何処かへ自首するかだ。

 

「そのために息子が権力の犬になったことを、父はあの世で嘆いているでしょう。しかしその道を選んだときから、僕の忠誠心は一貫して貴女に向いています。イサオ議長がいなくなっても、貴女がいる限り恩を返します。……クルカ、貴女は?」

 

 話を振られ、クルカは頰を掻いた。

 

「……あたしの方は、単なる戦争中毒だけど。まあ居場所をくれたのは隊長だからね、アンタの真似をして義理を果たすのも悪くないと思ってるよ」

「だ、そうです」

 

 覚悟は決めている。戦友達の目はそう言っていた。

 今最も信頼するこの2人もまた、自分と同じ理想のために戦っていたのではなかった。トシロウもそうだった。しかし動機が違えど目的は同じであると信じ、共に戦うと誓い合った。しかし彼はすでにこの世はいない。クルカの言ったようにしっかり話をしておけば、とも思うが、彼が連合へ抱いた疑念は消せなかっただろう。

 

 心に後悔は残るが、今自分にできることは一つ。彼らの隊長としての、そしてイサオと自由博愛連合の理想に賭けた者としての責任を果たすことだ。

 

「……ありがとう。最後までよろしくね」

 

 そう答えた後、脳裏に過ぎったのはこれから戦う相手のことだった。コトブキ飛行隊隊長・レオナ。かつて“一心不乱”のレオナと呼ばれた撃墜王。

 彼女と自分はどうして、こうも違ってしまったのだろうか。自問しても答えは出なかった。

 

 

 

 

 

 陽の傾きかけた滑走路を、レオナは離陸した。隼は滑らかに離昇し、フラップと脚を畳む。ハ25エンジンは非力だが、機体が軽いため上昇はスムーズだ。主翼に緑の帯、尾翼には『寿』の字を崩したパーソナルマーク。イジツではあまり隠密性を期待できない、緑色の迷彩塗装だ。コトブキの名と同じく、飛行機をもたらしたユーハングへの敬意からくる験担ぎである。こうした理由からユーハング式の塗装に拘る飛行機乗りは意外と多いが、隠密性を犠牲にしても生き残れるという、エースの自信の現れでもある。

 

 空の駅からは残された隊員……ザラ、ケイト、チカが見送っている。チカが大きく手を振り、ケイトは無表情ながらもどこか心配そうに見えた。それに対し、付き合いの長いザラはどこまでもレオナを信じていた。さらにやられっ放しは癪だからという理由で、エリート興業まで着いてきていた。万一敵がキリエとエンマを飛行機で移送しようとした場合は彼らが追跡し、トリヘイが飛び移って救出する手筈だ。

 

 もっともあの2人を、特にキリエを飛行機に閉じ込めるなど、自分なら絶対にしないとレオナは思った。それこそチカの言う通り、大人しくしているわけが無いだろう。

 

 東へ進路を取りながら、レオナは敵のことは考えた。やはりイサオ支持者の残党だろうか。イサオはラハマとコトブキ飛行隊を諸悪の根源として盛んに煽ったため、今でも自分たちを恨んでいる者がいてもおかしくはない。レオナ自身、イサオの構想は合理的で世の中のためになると信じていた。無差別爆撃は彼の部下たちが勝手にやったことだと信じたかった。だが結局、富嶽製造工場での戦いで恩人の本性を知ることになった。

 

 キマノの街が見えてきた。10年前は大いに賑わっていたこの都市も、今では見る影も無い。レオナは周囲への警戒を怠らなかった。ゴーグルの防弾ガラスは綺麗に拭いてあり、高い透明度を保っている。ゴーグルに油汚れでもあれば、それを敵機と見間違えることもあるのだ。

 

 だが、そのときレオナはある懸念が浮かび上がった。敵はこちらがキマノの西から来ることを見越しているのではないか、と。母船を失った今、中継地点として最も近いのは西側の空の駅だからだ。

 そして今の時刻、太陽は西側……レオナ機の後ろにある。

 

「……まずい!」

 

 咄嗟に機体を横滑りさせた途端、太陽光の中から飛び出してきた戦闘機が降下しつつ機銃を撃ってきた。多数の線がすぐ脇を掠め、隼の塗装が僅かに剥げる。

 

「くそっ!」

 

 横滑りから操縦桿を斜めに倒し、バレルロールに入れる。隼は樽の内側をなぞるような螺旋軌道を描いた。減速することなく敵機に自分を追い越させる技術だ。

 だが相手は即座に機を上昇させるハイGヨーヨーで対抗し、オーバーシュートを防ぐ。レオナの後方、そして上方を執拗にキープする。パイロットはかなりの腕だ。

 

 ベテランのレオナだが、相手の機種は分からなかった。見たことのない戦闘機である。彗星と同様、機首にラジエーターがある液冷エンジンの単葉機。そしてその大きなラジエーターには赤い口とギザギザの歯……シャークマウスが描かれている。操縦席は飛燕や雷電と同じく、真後ろの見えないファストバック式風防だ。胴体の下に増槽を付けているあたり、大分前から待ち伏せしていたらしい。

 

 再び、相手が撃ってくる。おそらく12.7mmだろうが、翼に合計6丁も積んでいた。こちらの機体を包み込むような弾幕が放たれる。

 レオナは咄嗟に急降下した。エンジンが風圧で過冷却(オーバークール)を起こさないよう、カウルフラップを閉じて保温する。

 目指すは市街地。隼の長所は小回りが効くことである。キマノの建物の合間を塗って飛び、攻撃を回避しつつ場合によっては反撃する……機体の長所を活かすのがパイロットの腕だ。

 

 ビルによる気流の乱れに注意しつつ、旧市街地に突入する。謎の戦闘機は追撃を諦めたのか再上昇した。

 しかし息を吐く暇はなかった。ビルの合間から飛び出してきた複葉機がレオナの背後を取ったのだ。

 

「九五戦だと!?」

 

 後ろを一瞬だけ振り向き、すぐさま機を急旋回させるレオナ。イケスカの時と同様、超低空で建物の間を飛び回る市街戦。

 空気抵抗の大きい複葉機より、隼の方が速度は上だ。しかしレオナほどの腕でも、入り組んだ市街地で最高速度を出し続けることはできない。九五式戦闘機はレオナの動きに食らいついてきた。

 

《……コトブキ飛行隊、レオナ隊長》

 

 不意に入った無線。敵パイロットのものだと勘で察する。

 

《私は元自由博愛連合、親衛第四飛行隊隊長のマイカ》

「こちらコトブキ飛行隊のレオナ。このような戦闘は無意味だ。私の仲間を返してもらおう!」

 

 回避運動を取りながらも、毅然として言い放つ。しかしそれに対して返ってきたのは、思いがけない返答だった。

 

《……レオナ。リノーチ大空戦以来ね》

 

 レオナはハッと目を見開いた。8年前のリノーチ大空戦。一心不乱に戦い、撃墜され、あの男に助けられた記憶。そのとき共に戦った、同じ駆け出しのパイロットがいた。

 

「マイカ……“死に物狂い”のマイカか!?」

《覚えていてくれたのね》

 

 無線を通じて聞こえてくるマイカの声は微かに震えていた。それが激情からなのか、または恐怖からなのかは分からない。

 

「マイカ。お前が私たちを憎むのなら、それは否定しない」

 

 レオナは極短く息を整え、語りかける。

 

「工場での戦いでイサオ議長はこちらの話を聞いてくれず、私は一方的に撃墜された。お前もそうするのか?」

《……レオナ。私はもう、何が正しいのかなんて分からない。立場がちょっと変われば、正義と悪なんてすぐアベコベになる》

 

 会話をしながらも、レオナはマイカを振り切るために、マイカは食らいつくために急旋回と加減速を続けた。上空をシャークマウスの戦闘機が抑えているため、レオナは下手に高度を上げられない。機体の性能差はともかく、空戦の勝敗は有利な位置を取れるかで決まる面が大きいのだ。

 

《子供の頃、私は都市間の紛争で家族を失った。だから同じ正義でイジツを一つにする、イサオさんの野心に賭けた!》

 

 電波に乗せられた声に、感情が滲み出る。レオナは直感で察した。

 

 戦うしかないのだと。

 

《私は自由博愛連合の理想を信じた者として……そのために手を汚した者として、最後まで責任を果たす! これはそのための『復讐』よ!》

 

 九五式が撃ってきた。機首の7.7mm機銃2丁がプロペラ越しに放たれた瞬間、レオナは操縦桿を軽く引いて左のラダーペダルを踏み込んだ。

 

 急横転(スナップロール)。片方の翼を失速させることで、エルロンによる横転より遥かに速く回転する技術。敵の照準をかわし、相手のオーバーシュートを誘う技だ。市街地の超低空にも関わらず、レオナは難なくやってのけた。

 

 軽量な隼は風車のように回転し、九五式はその前に飛び出す。入り組んだ市街地では隼の接眼式照準器は不利になるが、ベテランのレオナは勘だけでも何とか当てられる。敵機のリベットを数えられるくらいに接近していれば。

 だがその瞬間、横合いから飛び出してきた別の九五式がレオナの背後を取った。マイカ機に狙いをつける前だから気づけた。

 

「くっ!」

 

 即座に空戦フラップを開き、プロペラのトルクも利用し急旋回。建物の合間へ逃げ込む。しかし複葉の九五式は速度こそ遅いが、隼の動きに追従して市街地の中を追ってくる。

 

 横ではなく縦方向の格闘戦に持ち込まねばならない。しかし頭上では謎の戦闘機がレオナの後上方に占位しており、市街地から頭を出すことができなかった。

 

「今墜とされるわけにはいかないんだ……!」

 

 普段冷静なレオナの本性は“一心不乱”。熱中すると敵を墜とすこと以外は考えられなくなる。だからこそ今は敵の射弾をかわしつつ、脳裏に仲間達の顔を思い浮かべていた。ザラの酔った顔や、パンケーキに舌鼓を撃つキリエの顔を。そうすることで、今は単機でも自分が隊長であるという自覚を持ち続け、一心不乱になることを避けていた。

 今必要なのは敵機を撃墜することではなく、生き残ることなのだから。

 

 そして何より、イケスカ動乱の中で自分が自由だと気付いた今、命を捨てることはできない。

 

「ジョニー、頼んだぞ……!」

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
病気になった若手の代替で一番過酷な部署へ転勤になった流水郎です。
しかし何とか繁忙期の合間にある暇な時期がやってきました。
ガルパン二次を書くつもりでしたが、コトブキの方が先に書けてしまったもので……
連載形式をとっていますが、後数話で完結する予定です。

荒野のコトブキ飛行隊は総じて面白いアニメだったと思います。
ただ空戦以外のシーンを薄めて端折って何とか12話に詰め込んだという感は否めず、批判している人の気持ちも分かりますが。
本作は原作で語られていないところを私の勝手な妄想で補完したりしているので、今後コミカライズや公式スピンオフなどが出てくれば矛盾してしまうかもしれません。
まあその場合は鉄脚少女のときと同じく「非正史(レジェンズ)」ということで。

上述の通りリアルの労働が年々過酷になっているので、もう鉄脚少女のような長期連載はやらないつもりです。
もう完結して一年以上経つのに「鉄脚少女はまぐれで人気が出ただけだから削除しろ」という脅迫文が未だに送られてくるくらいなので、逆に言えばそれだけのものを書けたのだと一人で良い気になっています。
今後もお付き合いいただける方、またはこの話から私の作品を読んでくださったという方は、今後も気の向いた時にダラダラと書いていくつもりなのでよろしくお願いいたします。


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奪還

 

 夕陽に照らされる廃墟の中。6人の男たちが壁伝いに走っていた。建物の合間に爆音が響き、それに紛れて機銃の発射音も微かに聞こえる。そして上空には見慣れない戦闘機が旋回していた。

 

「飛燕でも彗星でもねーぞ……何だありゃ?」

「トキワギ、隠れろ!」

 

 ラハマ自警団長が叫ぶ。彼らが慌てて狭い路地へ逃げ込んだ直後、大通りを戦闘機が飛び抜けて行った。レオナの隼I型、次いで九五式戦闘機が2機。狭い街の只中で空戦機動をやってのけるコトブキの技量に、自警団の面々は改めて感服する。

 彼ら人質救出チームはカービン銃や狩猟用の散弾銃で武装していた。滅多に使っていない自警団の備品を大急ぎで整備して持ち出したのである。一方のジョニーはお守り兼コレクションの銃を持参し、先頭に立って仲間達を案内していた。

 そしてイケスカ動乱の後に余った、爆薬も携行している。

 

 同時に頭上を旋回する謎の戦闘機にも目をやり、望遠鏡で垂直尾翼のマーキングを確認した。赤い塗料で描かれた馬のシルエットだ。

 

「間違い無い……やっぱり彼か……だけど地上にはいない……」

 

 溜息を吐くと、もう持たないと誓ったはずの拳銃を手に先を急ぐ。目指すはキリエたちが捕まっているであろう場所……空賊セキト団のかつての隠れ家だ。

 

「行きましょう。後少しです」

 

 いつものように線の細い、気弱そうな声で仲間を促すジョニー。しかしその目には明らかな決意、そして覚悟があった。

 

 

 

 

 

 

 

 廃墟の上空を飛ぶフェイフーは、ビルの隙間に動く何かが見えた気がした。しかしそれが何なのか確かめる暇もなく、狩りを続けねばならない。

 

 イジツは都市間の距離が大きく離れているため、通信技術は非常に発達している。機上無線機もオリジナルより遥かに高性能だ。フェイフーも隊長の声に耳を済ませ、連携プレーに徹する。

 

《フェイフー、聖堂前に先回りして攻撃!》

「了解」

 

 返事をする声は機械のように冷静だった。スロットルを開き、増速。彼の機体は液冷エンジンを唸らせ、力強く飛ぶ。隼より優れた機体、というには凡庸で、小回りは効かない。機首に大口を開けたラジエーターもまた空気抵抗が大きい。

 だが12.7mm機銃6丁による弾丸のシャワーは相手を撹乱できるし、防弾もしっかりとしている。

 

 ラジエーターのカウルフラップを閉じ、機体をぐっと降下させる。聖堂の前を横切ろうとするレオナ機を、光像照準器のガラス越しに捉えた。真後ろではなく上方からの攻撃なので、相手の未来位置を見越して照準を合わせる。

 

「……捕捉!」

 

 しかし撃つ直前、レオナが操縦席からこちらを見上げているのが見えた。放たれた曳光弾の光が達する前に、隼は機体を垂直に傾ける。建物の壁に腹面を擦り付けるような飛行で射弾を回避した。

 フェイフーは止むを得ずカウルフラップを開いて再上昇するしかなかった。位置エネルギーを失ってはこちらに勝ち目はないのだ。

 

「かわされました」

《了解、引き続き上方をキープして》

 

 マイカもまた、覚悟を決めた声だ。相手の技量は流石に大したものだが、3機での波状攻撃をいつまでも受け続ければやがて疲労し、避けきれなくなるはずだ。しかし九五式は隼より航続力が劣っているため、それまでに仕留めねばならない。

 フェイフーは増槽をまだ捨てていなかった。この機体はユーハング戦闘機ほど航続距離が無いのだ。

 

 その一方、先ほど市街地に見えた何かがやはり気になった。敵が人質を助け出そうとする可能性は考慮していたが、どこに監禁しているか分かるとは思えない。彼の父の残した隠れ家は見つけにくい。

 だが万一に備え、フェイフーは対地上用通信機の受話器を取った。

 

「地上班へ通達。敵が市街に潜り込んでいる可能性あり。人質周囲の警戒を厳に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリエとエンマは脱出の機会を伺ってはいた。しかし見張りから常に監視されている中では足枷を外すことすらままならない。

 レオナはもう上空で戦っているのだろうか。当然2人は隊長の腕前はよく知っているが、敵の数が分からない以上安心はできない。それにあの狂った女もかなりの強者だと、戦闘機乗りの勘で分かる。如何にレオナと言えど一筋縄ではいかないだろう。

 

 翼を捥がれた鳥ほど惨めなものはない……2人はつくづく思い知った。

 そして自分たちをこんな目に遭わせた空賊への怒りもこみ上げる。今戦闘機に乗れたら、この感情を何倍にもして叩き返してやれる。

 だがそれは、あの女が言ったことを肯定することにならないだろうか……?

 

「……サブジーだったら、どうするんだろう……?」

 

 キリエがポツリと呟いた。

 

「……貴女に操縦を教えた、ユーハングのご老人のこと?」

 

 幼馴染みであるエンマは彼女がこの道に入ったきっかけを、いくらかは知っていた。尾翼に描いた赤い鳥の由来や、因縁の零戦乗りが同じ老人の弟子だったことも聞いた。

 

「サブジーは多分、元々は戦う人じゃなかったんだと思う。でもきっと、私とは比べ物にならないくらい、嫌なものをいっぱい見続けてきたんだと思う。だからきっと、ユーハングにも帰らないで……」

「おい、静かにしろ」

 

 見張りに銃口を突きつけられ、キリエはムスッとした顔で押し黙った。

 

 しかし場が沈黙したのは一瞬のことだった。突如爆発音が地下牢に木霊したのである。

 見張りの空賊たちは驚きつつも、吹き飛んできた木屑や粉塵から反射的に逃れようとした。しかし彼らの「何だ!?」という叫びの直後、数発の銃声が響く。体にゴム弾が食い込み、短い悲鳴を上げて倒れていく。

 

 残った1人が鉄格子の合間に散弾銃を入れ、エンマの眉間に銃口を押し付けた。

 

「動くな! 動いたらこいつを……」

 

 男の言葉はそこで途切れた。エンマが銃身を掴んで自分から逸らしつつ、檻の中へ引き込んだのである。

 さらに彼女は彼の手に思い切り噛み付いたのだ。男が悲鳴を上げた直後、ゴム弾が命中した。肉体がドサリと倒れる音に続き、爆破されたドアからバタバタと駆け込んでくる足音が響く。

 

 先頭に立つのは両手に拳銃を構えたジョニーその人だった。

 

「2人とも、無事かい?」

「ジョニー!」

「来てくださったのですね! 自警団の皆様も!」

 

 後から続く自警団員たちは即座に檻の鍵を開け、2人の足枷を外しにかかる。団長はジョニーの手並みに舌を巻いた。

 

「さすが噂に違わぬ早撃ちの名手……“逃げられジョニー”か」

「その名前は止してください」

 

 左手の銃のみをホルスターに収めつつ、空賊たちがしっかりと気絶していることを確認する。キリエは彼の真剣かつ覚悟を決めた眼差しに、何か違和感を覚えた。ジョニーが銃を撃つところは前にも見たが、そのときとは雰囲気がガラリと変わっている。

 団長は通信機を持った団員に、待機中のザラたちへ連絡するよう命じた。次いでキリエとエンマに状況を説明する。

 

「地上にいた空賊は全て制圧した。と言っても、ジョニーがほぼ1人で片付けたんだが」

「お、俺だって1人倒したぞ! チカ姐さん直伝の飛行機投げで!」

 

 戦果を主張するトキワギを他所に、キリエはジョニーをじっと見て、質問を投げかける。

 

「撃っちゃった、って言わないの?」

「もちろん、撃ちたくはないよ」

 

 全ての空賊を確認し、拳銃に安全装置をかける。だが彼の目は言っていた。まだ終わっていない、と。

 

「でも自分で志願したんだ。僕がやらなくちゃいけないことだから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空の駅で待機するチカはとにかく暇を持て余していた。キマノから人がいなくなった頃に放棄された駅のため、飲食物も売られていない。大事にしているアノマロカリスのぬいぐるみもラハマに置いてきてしまった。「マロちゃんを危ない目に遭わせたくない」という自分の判断だが、今彼がここにいればどれだけ気がまぎれるだろう。

 

 いっそのこと、いつものようにキリエと喧嘩でもしていた方がマシだ。無事にキリエを助け出したら、本気でやり合ってみようか。格闘術の特訓ということにすればレオナも怒らないだろう。キリエも拐われないくらい強くなれるだろうし……

 

「心配?」

 

 いつのまにか、ザラが側まで来ていた。いつも通りの微笑を浮かべて。

 

「まさか。レオナが負けるわけないし!」

「キリエとエンマは?」

「は、はぁ⁉︎ エンマはともかく、キリエは殺されたくらいじゃ死なないし、むしろいっぺん痛い目見た方がいいくらいだし!」

 

 分かりやすい返答だった。思わず笑い声を漏らすザラに、チカは口を尖らせる。

 

「……レオナ、今頃戦ってるかな?」

「多分ね」

「ジョニーたちにどうなってるか聞けないの?」

「万一通信を傍受されたら、こっちの動きが相手に知られちゃうわ」

 

 ゆっくりとした口調でチカを宥める。飛行隊の一番槍たるチカからすれば、彼女の落ち着きぶりはどこから出てくるのかが気になる。自分が短気だということは自覚しているが、ザラの冷静さはレオナともケイトとも違うように感じた。

 

「ザラは心配じゃないの?」

「心配よ」

 

 あっさりと答えた副隊長の顔には、やはり笑みがあった。

 

「でも私が仲間を心配するときって、2種類あるの。仲間を助けに行かなきゃいけないときと、仲間を信じなきゃいけないときと、ね」

 

 ザラはレオナと並び、コトブキ飛行隊の最古参メンバーだ。昔空の駅で働いていたということ以外、隊員で彼女の経歴を知る者はレオナしかいない。彼女たち2人の信頼関係は揺るぎないもので、単なる仕事仲間というレベルを超えた友情を築いていた。

 だからこそ、彼女はレオナのために冷静でいられる。それが自分のするべきことだから。

 

 

「ザラ、チカ」

 

 ふいにケイトが駆け寄ってきた。手にエンジン始動用のエナーシャハンドルが握られているのを見て、チカはハッと顔を上げた。

 

「連絡、来たの!?」

「救出部隊がエンマとキリエを確保。出番が来た」

「よっしゃあ!」

 

 素早く腰を上げ、愛機へと駆け寄るチカ。彼女の隼はピンク色のマーキングに加え、好きな絵本のキャラクター「海のウーミ」が描かれている。明るさを失わない、彼女の分身のような機体だ。

 いつも通りのチカに戻ったのを見て、ザラも愛機へと走った。

 

「待ってて、レオナ。すぐに行くわ!」

 

 

 



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命の捨て所

 廃墟の上空……正確には建物の合間では、激しい空中機動(マニューバー)の応酬が続いていた。レオナは卓越した技量によって善戦していたが、少しずつ追い詰められていた。狭い市街地で波状攻撃を仕掛けられ、それを単独で受け続けているのだ。脳内のアドレナリンによって疲労感はないが、急旋回のGに耐えつつ反撃の機会を狙うのはかなりの負担となる。彼女の心を支えているのは歴戦を経たという自負と、仲間達が来てくれるという確信だった。

 

 上空から市街戦を俯瞰するフェイフーは彼女の技量に舌を巻いていた。紙一重で攻撃を交わし、活路を塞がれても即座に次の道を見つける。敵ながら真のエースパイロットだ。

 しかし徐々に、本当に僅かではあるが、隼の動きは切れ味が悪くなってきている。そのことをフェイフーの目は見逃さなかった。

 

《フェイフー、大通り! 挟み撃ちよ!》

「了解」

 

 フェイフーの空間認識能力は卓越していた。建物の合間を飛び回る敵味方の位置を正確に把握して、必要に応じて的確な攻撃を行う。

 マイカとクルカの連携によって追い込まれるレオナ機を捕捉し、その進路上に回り込む。街の中央を貫く大通りを、隼が地面を舐めるかのような超低空で飛び抜ける。

 

 マイカの九五式も同様の低空飛行で追撃。クルカもその後方に着いた。

 今までの察しの良さからすれば、フェイフーが降下攻撃を仕掛けてもかわされるかもしれない。しかし避けた瞬間に後ろの2人が追撃できるため、狭い市街地では逃げ切れないはず。

 

 勝負はここで決める。マイカへの義理を果たす。

 

 フェイフーは機体を急降下に入れた。だがその刹那、周囲を曳光弾の煙が掠めたのである。

 

「新手か!?」

 

 反射的に操縦桿を引いて再上昇。機体を横転させ、敵の姿を確認する。

 3機編隊を組んだ一式戦闘機『隼』だった。まだ必中射程にはほど遠く、今の射撃はフェイフーに攻撃を止めさせるのが目的だったのだろう。そしてこの状況で現れる隼となれば、コトブキ飛行隊しかいない。

 

「隊長、敵の増援です。一式戦が3機」

 

 報告し、次いで対地無線機の受話器を取る。

 

「地上班、応答せよ。地上班!」

 

 無線機に向かい叫んでも、言葉は返ってこない。人質は奪還された……そう判断した途端、フェイフーは使用する燃料タンクを切り替え、増槽を切り離した。銀色をした卵型のタンクが廃墟へと落下していく。

 

「やはり上手くはいかないか……」

 

 ホルスターに収めた拳銃をちらりと見て、フェイフーは覚悟を決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆けつけたザラ達は、空中で謎の戦闘機と踊り始める。最初は彗星かと思ったが操縦席は単座のようで、戦闘機として設計されたものだ。ショウト自警団のと似た濃緑と茶色の迷彩塗装で、尾翼には赤い馬のマーク……ジョニーの言っていた空賊セキト団の旗印が確認できた。ラジエーターに描かれたシャークマウスは何とも不気味だ。

 

《何あの口!? なんかムカつく!》

《機種はP-40と推定》

 

 ストレートな感想を述べるチカに対し、ケイトの方はいつも通りの冷めた声で分析した。聞きなれない機種である。ザラとて「キ」で始まる通し番号や、「A6M2」などと言った略符号はある程度知っているが、「P-40」なる呼び名は聞いたことがない。

 

「ケイト、見たことあるの?」

《アレンの集めた資料に写真が載っていた。ユーハングが少数をイジツに持ち込み、試験に使っていた機種。ただしユーハングの設計ではない》

《何それ、ややこしい!》

《スペック上の最高速度、火力、防弾は隼I型より上。ただし低空での格闘ならこちらが有利》

 

 ザラはちらりと廃墟を見下ろした。レオナの隼が戦っている相手は旧式の九五式戦闘機。しかし付き合いの長いザラには、機体の動きから彼女の疲労が見て取れた。

 

「ケイト、チカ。私はレオナの所に行くわ」

《了解》

《分かった! この大口野郎は任せて!》

 

 P-40は旋回しつつ正面から迫ってくる。向かい合っての撃ち合いでは火力の高い方が有利だ。3機の隼はそれぞれ散開して射線をかわす。

 

 ザラだけは右へ横転して垂直旋回に入ったのち、右側のラダーを踏み込んだ。彼女の愛機、黄色の流れ星があしらわれた隼は下へ横滑りを起こし、廃墟へと舞い降りていく。ちらりと後ろを向いて敵機を確認。P-40はザラ機へ機首を向けようとしているが、すでにケイトとチカが背後へ回っていた。背中は彼女たちに任せればいい。

 

 かつて賑わっていたキマノの商店街へ飛び込み、無線の周波数を切り替える。レオナとの通話のみに使用する周波数に。

 

「レオナ、聞こえる? 今着いたわ」

《ザラ! キリエとエンマは!?》

 

 すぐに返事が返ってきたので、ザラは少し安心した。アレシマ防空戦のときと違い、隊長は冷静さを保てているようだ。

 そして苦境にも関わらず真っ先に仲間の心配をする辺り、よい意味で彼女らしい。

 

「無事確保したって。後は私たちが勝つだけよ」

《ありがとう。敵の狙いは私だ、囮になる!》

「わかったわ」

 

 息の合った連携がコトブキ飛行隊の強みだ。如何に個々の力量が優れていようと、使用機材は旧式の隼I型。それだけではイジツに名を馳せる精鋭集団にはなれない。2機1組を最小単位とするロッテ戦法あってこそ、コトブキ飛行隊は数々の視線を潜り抜けて来たのである。

 

 曲がり角を旋回して抜け、やや高度を上げる。ザラはレオナを追う九五式の、さらに背後を取った。

 

 

 

 対する九五式戦闘機……マイカの後衛に着くクルカは後上方を見上げ、ザラ機の接近に気づいた。飛行帽からはみ出たおさげが風に靡く。

 連合にいた頃、彼女は“タカの眼”の異名を取っていた。単なる視力の良さだけではなく、敵を察知する能力に長けているためだ。今乗っている九五式は正面にしか風防のない開放式操縦席、感覚も一層研ぎ澄まされる。

 

「隊長、後ろに敵」

 

 警告したとき、マイカはレオナの隼へ射撃していた。7.7mm機銃は回避機動を行うレオナ機に当たらず、虚しく空を切った。

 クルカは隊長が焦り始めていることを察知した。機銃を撃つ時間が長くなってきたのだ。空戦において長撃ちは厳禁だが、それを無視し始めている。そして警告を聞いたにも関わらず、回避運動を取るまで一瞬の間があった。

 

 そして既に、後上方から迫る隼はマイカ機を射程内に納めていた。

 

「チッ……!」

 

 舌打ちとともにスロットルを開き、操縦桿を引く。クルカの九五式はぐっと機首を上げ、マイカ機とザラ機の間に割って入った。

 刹那、被弾の振動と共にオイルが飛散した。ザラの射撃がクルカ機のエンジン部を捉えたのだ。液冷エンジンは空冷に比べて被弾に弱く、たちまち黒煙を吹き出す。小さな風防は真っ黒になり、クルカのゴーグルにも漏れたオイルが付着した。

 

《クルカ!》

 

 無線機越しに隊長の叫びが聞こえた。

 

《不時着して! クルカ!》

 

 その言葉を聞いた途端、クルカは生死のかかった状況にも関わらず吹き出した。このお人好しの隊長は、自分のような人でなしを此の期に及んで生かそうと言うのか。この戦争中毒者に、生きていて欲しいと本気で思っているのだろうか。

 

 全く、救い難い。彼女はクソ虫には向かない。

 

 流れ星模様の隼は一時機首を上げた。再度マイカ機を狙い、攻撃を仕掛けてくるだろう。だがその瞬間が自分にとって最後のチャンスであることを、“タカの眼”は見逃さなかった。ゴーグルに飛び散ったオイルをマフラーで拭き取り、しっかりと敵の動きを視認する

 

「弾は飛びくる マストは折れる」

 

 不意に口から出た歌。ユーハングの飛行機乗りたちが歌った哀歌だ。

 

「ここが命のネ 捨て所 ダンチョネ」

 

 クルカは機体を全力で旋回させていた。操縦桿を力任せに振り回し、機首を強引に敵機へ……ザラへと向ける。

 急激な旋回によるGが機体を襲った。上下の翼を支える張り線が悲鳴を上げて軋み、すぐに千切れた。上翼も捲れあがり、やがては折れ飛んだ。哀れな複葉戦闘機はバラバラに空中分解を始め、エンジンからは相変わらず黒煙を上げていた。

 

 しかしそれでも、ザラの操る隼へ突っ込むことはできる。相手が驚愕の表情を浮かべるのが一瞬だけ見えた。

 まともに衝突はしなかった。しかし千切れていく翼が隼の翼端と接触、捥ぎ取った。

 

 ザマアミロ。笑みを浮かべたまま、クルカは愛機が墜ちていくのに任せた。無線機からマイカの叫び声が聞こえる。もう美味い飯も食べられなくなる。だが、これでいい。

 両親を殺して以来、自分は長生きしたいとか、楽に死にたいとか、そんな図々しいことを考えたことはない。最後まで好きなように生きて、空戦でくたばるなら上等だ。それに、これでお人好し隊長の寿命もほんの少しは延びただろう。

 

 だから、ここらで死んでやろう。

 

 クルカが目を閉ざした直後、九五式戦闘機は大地と接吻した。明灰色の機体は地面で大きくバウンドし、翼が完全にバラバラになる。体が機外へ放り出された。

 惰性で路上をいくらか滑走した後、廃墟の建物へと衝突。破片が飛び散り、黒煙と炎が吹き上がった。

 

 

 一方のザラも体当たりで翼端を損傷し、路上へ不時着を強いられた。車輪を出す暇の無い胴体着陸。2枚のプロペラは折れ飛び、ザラの体にも激しい衝撃が伝わったが、隼は無事に静止した。

 

「もうっ、サイアク~!」

 

 あらかじめ風防を開けた操縦席から降り、ザラは嘆息した。やってきて早々こんなことになろうとは。相手の戦意と覚悟を侮っていた。

 だが無駄ではなかった。レオナを追う九五式は一機だけとなり、頭上ではチカとケイトがP-40を押さえている。レオナの愛機、緑の帯が描かれた隼は機首を上げ、廃墟の上へと昇っていく。入り組んだ市街地を出てしまえば単葉機の隼が有利だ。

 

 傷ついた愛機の傍らで、ザラは踊り続ける戦闘機たちを見守ることにした。

 



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敗者たち

 キマノの上空で戦うフェイフーは善戦していた。低空での格闘戦において、P-40は隼に対し圧倒的に不利である。その上相手はエース級パイロット2機。それでも彼は的確な操縦と回避操作で生き延びていた。ファストバック式風防で背後が見えないため、風防を開けて安全ベルトも外し、身を乗り出すようにして後方を警戒する。

 しかし徐々に追い詰められていることに変わりはない。クルカが墜落したのを見て、フェイフーは反撃を試みていた。ラジエーター部に描かれたシャークマウスがケイトの背後に迫り、12.7mm機銃が火を噴く。その直前にケイトはラダーを踏み込み、横滑りで回避した。多数の火線が脇を掠めていく。

 

「……レオナが戦っている相手より、腕自体は上。少なくとも空間把握能力に関してはキリエ並み」

《感心してる場合じゃないって!》

 

 ツッコミを入れつつ、チカがP-40の後ろへ回り込もうとする。

 すでに何発かはP-40に命中させていたものの、決定打にはなっていない。隼の武装は機首の12.7mm機銃のみだが、ユーハングが『新型マ弾』と称した炸裂弾をつかえば20mm機関砲に迫る威力を発揮できる。しかし動乱で羽衣丸を失ってから、オウニ商会は緊縮財政。在庫の炸裂弾もレオナ機の分しかなかった。

 

 だがそれでも、勝つことはできる。

 

「チカ、合わせ技で」

《よーし!》

 

 チカ機がP-40の背後に着く。その瞬間、ケイトは操縦桿を前方へぐっと倒した。機首が下がり、廃墟のビル群が間近に迫る。それでも機首を上げず、さらに下げ続け、やがて機体は背面になる。

 ケイトの得意技・逆宙返り。強烈なマイナスGで頭に血が上り、眼球が飛び出しそうな感覚に陥るも、ケイトは冷めた表情を崩さない。彼女とて苦痛は人並みに感じる。それでも全ては計算尽くの行動であり、己の腕を信じているからこそ耐えられる。

 

 背後のチカを警戒していたフェイフーは、この動きに対応できなかった。このような低空で逆宙をやるとは思わず、降下して市街地へ逃げ込んだように錯覚したのだ。その間にケイトは頭を下に向けたまま上昇、チカのさらに後ろで水平に戻った。

 

「チカ、回避」

《おりゃぁぁ!》

 

 チカが気合と共に、愛機を右へ旋回させ、離脱。フェイフーがその動きに気を取られた瞬間、ケイトは照準器の中にP-40を捉えていた。正確にはその最も脆い部分である、動翼を。

 

「捕捉」

 

 左手の白い指が、機銃の発射レバーを引いた。軽快な発射音と共に、機首の機銃がプロペラの合間から発射される。

 隼は射撃時の安定性が良く、ケイトの技術も高い。放たれた弾は狙い違わず、P-40の左翼エルロンを吹き飛ばした。さらにラダーを踏んで僅かに機首を振り、左尾翼の昇降舵も穴だらけにする。

 

 人力で操作する以上、補助翼(エルロン)昇降舵(エレベーター)軽量に作らねばならず、布張りの場合も多い。どんな飛行機でも弱点となる。

 それでもP-40は何とか機体の安定を保ち、脚を出して不時着を試みていた。ユーハング戦闘機には見られない、90度回転させて後方へ折りたたむ主脚だ。フラつきながら高度を下げていくP-40を、チカは右側方から追う。同時に通信機のチャンネルを切り替え、相手に呼びかける。

 

《おい大口野郎! 不時着して大人しく……》

 

 ……が、チカの言葉は途切れた。軽い衝撃と共に、何かが彼女の愛機に穴を開けたのだ。P-40の操縦席から腕を突き出したフェイフーが、隼目掛けて拳銃を撃ったのである。そして2発、3発と命中させていた。頭上から振り下ろすような妙な撃ち方で、安定しない機上からにも関わらず、だ。

 

《わ! わ! ふざけんな、反則ー!》

 

 慌てて離れていくチカ、着陸操作に入るP-40。両者を見ながら、ケイトはあの機体に乗っているのは例の拳銃使いだと推察した。だとすればキリエたちを簡単に救出できたことにも合点が行く。あれほどの腕の持ち主が地上にいればジョニーも手こずったかもしれない。

 そして目の前の敵を排除した今、自分たちのやることは決まっている。

 

「チカ。この機体にはもう構わなくていい。優先すべきはレオナの援護」

《分かってるよ! 覚えてろ、バーカ! アホー!》

 

 子供らしい悪態を残し、チカは隊長の方へ機首を向けた。

 

 

 

 

 

 

 仲間たちが墜ち、マイカは自分の敗北を悟った。しかしそれを受け入れることはできなかった。

 

《隊長! 逃げてください!》

 

 フェイフーの声も無視し、隼を追い続ける。馬力で劣る九五式戦闘機では、縦方向の格闘戦で隼に勝つのは困難だ。その上、ケイトとチカの隼も迫っている。

 生還は絶望的。だがそれでもいい。クルカは体当たりまでやってのけたのだ、首謀者である自分が生き残っては合わせる顔がない。

 

 そう、かつて自分が最も信頼していたあの戦友にも。

 

 上昇する隼。マイカは食い下がった。いくらか引き離されても、レオナが降下して攻撃へ移る際に撃つチャンスはある。燃料も弾も残り少ないが、その分機体は軽くなっている。だからまだ、どうにか戦える。

 せめて刺し違えるくらいのことはできるはずだ。

 

《……マイカ。一つだけ答えほしい》

 

 不意に耳に入った、宿敵の声。優位が入れ替わったためか、最初より落ち着いているように聞こえた。

 

《お前の気持ち、分かるとは言わない。だがこれがお前のやりたいことなのか?》

「……私は負けた途端に掌を返した連中とは違う。私たちを戦犯として追放した奴らとは」

 

 発射レバーに指をかけつつ、マイカは言葉を振り絞った。隼の機影を照準線に捉え続ける。

 

「私は最後まで親衛第四飛行隊として、敵と戦い続ける! それが私の責任……やらなくてはいけない義務!」

《そんなものは無い》

 

 不意に、隼がマイカの視界から消えた。驚愕する彼女の耳に、レオナの声が響く。

 

《『やらなくてはいけないこと』なんて本当は無い。私たちは『やっていいこと』の中から『やりたいこと』を選ぶ》

 

 

 複葉機の欠点は空気抵抗の大きさと、視界の悪さ。主翼が2枚ある以上、どうしても死角は増える。レオナは九五式の斜め上、上翼の死角へと隠れていた。

 さらにそこからスロットルを絞りつつ機首を上げ、失速反転。マイカへ隼の機首……機銃を向けた。

 

 

《ーーそれが自由だ》

 

 刹那、九五式戦闘機に多数の弾痕が穿たれた。新型マ弾がエンジンカウルを吹き飛ばし、翼に穴を空けていく。正面の風防にオイルが飛散し、黒煙が吹き出す。

 

 明灰色の複葉機は機首がガクンと下がり、錐揉みに入った。そのまま眼下の廃墟へと墜ちて行く。マイカは脚に軽い衝撃を受け、次いで温かなものが溢れてくるのを感じた。それが機銃弾の命中によるものだと理解するのに時間がかかった。

 

 認める、認めないの問題ではなく、マイカは理解せざるを得なかった。私の負けだ、と。

 結局得るものは何もなかったが、それは分かっていたことだった。復讐は何も生まないとは言うが、そもそも何かを生み出すために行うものではない。マイカの復讐心は行き場のない怒り……自分たちから正義を奪ったレオナたちだけでなく、信じていたイサオに対するものでもあった。

 

 それももう終わりだ。自分は敗北した。後は死を受け入れることが、仲間たちへのせめてもの償いだ。

 

 しかし目を閉ざした時。彼女の頭の中に、かつての相棒の声が響いた。

 

 

 

ーーマイカ! 右のラダーを踏め!ーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不時着に成功したフェイフーは、愛機を置き捨て廃墟の中を走っていた。手には愛用の拳銃を握り、実弾を装填している。予備の弾は少ないが、自決用の1発はポケットの中に温存してあった。

 

 P-40の無線機は壊れていなかったので、彼は地上からマイカに撤退を呼びかけた。しかし隊長はそれを聞き入れず、やがて撃墜された。フェイフーが向かっているのはその墜落地点である。九五式戦闘機がビルの陰に消えた瞬間、錐揉みから回復したのが見えたのだ。もしかしたら彼女は生きているかもしれない。

 

 建物の陰から陰へと移動しながら、ふと自問する。自分は義理を果たせたのだろうか、と。

 トシロウが生きていればそうしたように、マイカを止めるべきだったかもしれない。だが自分には彼女に別の道を示すことができなかった。信じていた正義を、理想を失った隊長に、希望を与えることができなかった。結局のところ、恩に報いる方法は最後まで部下であり続けることしかない。

 

 だがマイカが生きていたとして、どうやってこの廃墟から脱出する?

 一式陸攻は郊外に偽装網をかけて隠してあるが、未だに頭上を隼が飛び回っている中で離陸できるのか?

 

 思案していたとき、路地で何かが蠢いているのが見えた。反射的に拳銃を振り上げ、『投げ撃ち』の構えを取る。本来馬上での射撃に向くとされる特殊な撃ち方だが、フェイフーはこれが一番得意だった。

 

 しかし、撃つ必要は無かった。ビルの壁に手を着き、半ば這うようにして歩く人間。激しく破れた飛行服を纏った戦友の姿がそこにあった。

 

「クルカ!?」

 

 銃に安全装置をかけ直し、即座に駆け寄る。飛行服の背中や脇腹が破れ、露出した肌にはいくらかの擦過傷が見受けられた。だがあのような墜落をしたのにこの程度で済んだのは奇跡的だ。

 

「クルカ! まさか生きていたとは……!」

「……フェイフー?」

 

 抱き起こされた彼女も、虚ろな声で相棒の名を呼んだ。意識はちゃんとあるようだが、何か様子がおかしい。

 

「……やっぱりあたし、助かっちゃったのか」

「ええ。隊長も墜とされましたが、無事かもしれません。行きましょう、すぐそこです」

 

 右手に拳銃を握りしめたまま、左の肩を貸そうとする。しかしクルカはそれをぎこちない手つきで振り払った。

 

「あたしはもういいよ……目が見えないんだ」

 

 ゆっくりとした口調には諦観と、絶望の色があった。ハッとして彼女の頬を掴み、顔を自分へと向けさせる。目の焦点が合っていない。そして鳶色の瞳の中に、黒インクを垂らしたような斑紋が見えた。

 網膜剥離を起こしている。

 

「どうせ死ぬつもりだったし……地べたで生きるくらいなら、いっそアンタの手で……」

「戦闘機乗りを地上では殺しません」

 

 きっぱりと言い切り、強引に肩を貸す。そのまま引きずるようにして、ひたすら歩を進めた。

 目はパイロットの命である。程度によるが衝撃で網膜が剥がれたのなら、失明を免れても視力低下はあり得るし、そうなればもう戦闘機に乗れない。そして飛行機乗りにとって、飛べなくなるということは死ぬより辛いことだ。フェイフーにもそれは分かっているが、それでも仲間を見捨てる気にはならなかった。

 

「新しい生き方を探しましょう。僕が手助けします」

「……あたしは空戦しか知らない」

「料理が得意じゃないですか。視力が多少なりとも戻ったら食堂でも始めましょう」

 

 思いついたことを即座に口に出す。ほんの僅かでも希望になることを願って、だ。

 

「僕がウェイターをやります」

「隊長はどうすんのさ……?」

「誘ってみますよ」

 

 新しい生き方が必要なのはマイカも同じだろう。彼女が生きていて、尚且つ気が済んでいればの話だが。

 やがてクルカは虚ろな目を閉じ、クスリと笑みを漏らした。

 

「お人好しだね、隊長もあんたも……」

 

 クルカの体重を支えて歩きながら、キマノから脱出する方法を必死に考える。護衛無しの一式陸攻でコトブキ飛行隊から逃げ切るのは難しいだろう。コトブキが燃料切れで撤収するのを待つ手もあるが、クルカを可能な限り早く病院へ連れていきたいし、マイカも重傷を負っているかもしれない。

 空から見つからないよう陸路で逃げる、などという選択肢は最初から無かった。イジツは都市同士の距離が離れており、その間は危険な荒野が広がっている。ユーハングが航空機をもたらすまで、各都市は大規模な隊商を編成し、命がけで荒野を渡って交易を行なっていた。荒野を彷徨う獣の襲撃、砂嵐、海底火山の名残から吹き出る有毒ガスなどにより、多くの旅人が斃れてきた。そこを怪我人を連れ、徒歩で渡るなど正気の沙汰ではない。

 

 良い考えなど浮かばないまま、2人は墜落地点へと辿り着いた。

 やはり九五式戦闘機は錐揉みから立ち直り、車輪を上手く設置できたらしい。しかし制動には失敗し、前のめりに転覆していたのだ。3枚のプロペラは全て折れ飛び、翼間の張り線も一本千切れている。翼に穿たれた弾痕や、油まみれになった機体がなんとも痛ましい。

 

 そしてその傍らに、マイカは倒れ伏していた。

 

「隊長!」

 

 駆け寄り、近くにクルカを座らせる。マイカに意識はなく、顔も青ざめてはいるものの、手首を握ってみると脈はあった。

 だが左脚の貫通銃創が深刻だった。太腿の付け根を縛った上で、傷口に止血用の布を押し込む直接圧迫止血法を施してあった。マイカが自力でやったのだろうが、そこで意識が途切れたらしい。

 

「隊長は……生きてるの?」

「まだ脈はあります。ですが、これは不味い……」

 

 早急に2人を設備の整った病院へ運ばねばならない。だが、どうやって?

 

 その時だった。

 路地から静かな足音が迫ってきたのだ。

 

 フェイフーは再び『投げ撃ち』の構えをとった。前方投影面積を小さくするため、体を横向きに構える。

 しかし姿を現した人物を見て、彼は目を見開いた。

 

「ジョニーさん!?」

「やはり君だったのか……フェイフー」

 

 両手に持った拳銃を構え、ジョニーはゆっくりと口を開いた。フェイフーの銃と同じく、弾倉がトリガーガードの前にあるタイプの自動拳銃だ。その銃口は左右どちらもフェイフーの胸にピタリと合わさっている。

 

「投げ撃ちで戦うガンマンと聞いて、そうだと思っていたよ」

「……貴方はもう引退したと聞きましたが?」

「したよ! だからこれ以上撃たせないでくれ!」

 

 声を荒げるジョニーだが、その震える声は恐怖からではない。フェイフーの頰に冷や汗が伝った。

 

「君のお父さん……ナードゥー団長は空賊だったけど、名誉を重んずる人だった。そして何よりも、家族と戦友を大事にする人だったじゃないか」

 

 ジョニーが一歩踏み出す。頭上に掲げた拳銃をそのままに、フェイフーは体の震えを懸命に抑えていた。

 

「君になら分かるはずだ。今するべきことが何か……」

 

 力の篭った眼差しに見据えられ、フェイフーは身動き一つしなかった。ジョニーの背後……建物の陰に隠れている自警団の面々も、その様子を固唾を飲んで見守っていた。

 だが、その時間はほんの数秒で終わった。

 

 フェイフーが拳銃から弾を抜き、両手を上に挙げたのである。

 

「……降伏します。この2人を助けてやってください」

 



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野望と理想と

 

 

「『穴』はこの僕が独占し、管理する」

 

 執務室へ参じたマイカに、イサオは得意げに宣言した。背後に立つ彼の執事は直立不動で、じっと主の言葉と、それを聞くマイカの反応に耳を傾けていた。

 トキワ・ブユウ商会のトップにしてイケスカ市長、そして自由博愛連合の議長を務める男。かつて“天上の奇術師”と呼ばれた天才パイロットでもあり、その技量は未でも衰えていない。そんな彼の英雄的行為や人を動かす能力を前に、イジツの未来を憂う人々が次々と傘下に加わっている。8年前の大空戦で彼に助けられたマイカもまた、それ以来仕え続けてきた。最初は商会お抱えのパイロットとして、今では自由博愛連合の一飛行隊長として。

 

「もちろん、『穴』からもたらされる恩恵は僕を通じて、連合の諸都市にパパーンと分配するよ。ただ1つ、イジツのパワーバランスを一変させる『スゴイ兵器』を除いてね」

「凄い兵器……あの噴進式戦闘機のような?」

「残念! 飛行機じゃないんだ」

 

 陽気に答えつつ、イサオは執事の方を顧みた。

 

「ユーハングがイジツから撤退した理由にも、その兵器が絡んでるっぽいんだよね。何て言ったっけ?」

「『ちっちゃな少年(リトルボーイ)』と『太っちょ男(ファットマン)』ですな」

「そう、ソレ!」

 

 パチンと指を鳴らし、ポケットから折りたたまれた紙切れを取り出す。卓上に広げられたそれはイケスカ市の地図だった。大きな沼に寄り添って築かれた、イジツで最も発展した都市である。ただ地図に描かれた街には、軍事機密となる高射砲塔や秘匿飛行場などが存在していない。

 

「もし穴の向こうから来た人たちが、仮に僕らのイケスカにそれを投下すれば……」

 

 その瞬間、軽い炸裂音と共に煙が巻き上がった。マイカが反射的に顔を庇ったとき、部屋中に紙くずが散らばっていた。バラバラに引き裂かれた、イケスカの地図が。

 

「……たった一発で、こんなことになる。ハッキリ言って、侵略戦争を仕掛けられたら絶対に勝てない!」

「お片づけはご自分でなさいますように」

 

 執事がぴしゃりと言い放ち、イサオは止むを得ず机の下から箒と塵取りを出した。要するにその『スゴイ兵器』というのは超強力な爆弾のことらしい。大都市イケスカが一瞬で焼き尽くされるような。

 その説明を受けてもマイカは今ひとつ実感が湧かなかった。富嶽の大編隊と同等の破壊力を、たった一発の爆弾で達成できるというのか。だがかつて一瞬だけ空いた『穴』の向こうから迷い込んだ謎の戦闘機を、マイカも見たことがある。あのような代物を開発できる技術力があれば、あるいは可能かもしれない。

 

 しかしかつてユーハングがイジツにやってきた時、彼らはイジツより遥かに進んだ技術を持っていただけでなく、豊かな生活をしていたはずだ。自分の好物であるパンケーキやカレーライスといった料理も、『穴』の向こうから渡来したものである。そして今のイジツは資源も枯渇しつつあり、未来が危ぶまれている状況だ。

 

「そのような兵器を使ってまで、『穴』の向こうの人たちがイジツを侵略する必要はあるのですか? 彼らにとってメリットがあるようには……」

「そう、そこなんだ! ……ちょっと待ってて」

 

 部屋中を駆け回り、手早く地図の残骸を集めて回る。こうしたところは一介の戦闘機乗りだった頃から変わっていない。

 やがてイサオは塵取りに溜まった紙くずを掌で丸めた。そしてパッと手を広げると、それは新しい地図に変わっていた。今度はイケスカではなく、広範囲に点在する都市の位置を示す地図である。イケスカ、アレシマ、ガドール、イヅルマ、タネガシ、ポロッカなどの都市国家、その合間にある補給所などが点と名前で記されている。

 だがそれ以外に、赤い×印がいくつか付けられていた。

 

「極秘裏に調べたんだけど、このバッテン印。これ、今言ったスゴイ兵器を作るのに必要な物質が埋まってる鉱床なんだ。どこも埋蔵量はかなりのものだよ」

「兵器のみならず、発電や乗り物の動力源にも応用できるようです。それもガソリンなどとは比べものにならないエネルギーを生み出す」

 

 執事が捕捉した。イサオの知っている機密情報を全て共有しているのはこの老人のみだ。あの迷子戦闘機と共に『穴』の向こうから手に入れた情報も、彼は全て知っている。

 

「使う技術のある者なら、喉から手が出るほど欲しいでしょうな。武力行使をしてでも」

「でもこれはチャンスにもなる。向こうの人たちだって『穴』が繋がっていきなり侵略はしないはずだ。まずはお互いに人を送って、相手のことを知る段階がある。その間に鉱床のことを内緒にしつつ、ヤバイ爆弾の製法を向こう側から手に入れちゃう」

 

 それを聞いてマイカは合点がいった。イサオの狙いがやっと分かった。

 

「イジツでその兵器を作る、ということですか」

「そう! その力があれば、イジツ中の誰だって僕らの連合と戦おうなんて思わなくなる!」

 

ユーリア女史はどうだか分からないけどね、とイサオは笑う。富嶽による猛爆撃に膝を屈さない相手にも、それだけの強力な爆弾なら抑止力になり得る。

マイカは彼の言葉に希望を見出した。自分の両親の命を奪った、都市間の抗争もそれできっとなくなると。

 

「そしてヤバイ爆弾がイジツにあれば、向こう側の人たちもわざわざ武力で征服するより、持ちつ持たれつ仲良しこよしでやっていく方が得だと思うでしょ。そうなれば……」

「その鉱石を『穴』の向こうへ輸出し、見返りとして様々な技術や物資を入手できる」

「正解!」

 

 再び「ポン」と炸裂音がして、イサオの指先から◯型の煙が弾けた。新たなエネルギー源に加え、再び『穴』の向こうから多大な恩恵を得ることができれば、枯れ果てていくイジツは一気に蘇るだろう。さらに争いに対する抑止力も得られる。

 まさかここまで用意周到かつ、壮大な計画があるとはマイカも思わなかった。イサオは何年もかけてユーハングのことを調べ、この計画を立ててきたのだろう。もしかしたら“天上の奇術師”と呼ばれた、一介の戦闘機乗りだった頃からこれを考えていたのかもしれない。自分がリノーチ大空戦で彼に救われてから、ずっと。そしてそれを自分に話してくれたのは、信頼の証に他ならない。

 

「素晴らしい計画です。無謀と思われるかもしれませんが、議長なら必ず実現できます」

「ありがとう。ただね、ちょっと君に確認しておきたいんだ」

 

 イサオが地図のうちの一点……アレシマに視線を落とした。少し前、ガドール評議会議員との会談のために訪れた都市だ。

 

「僕、アレシマでユーリア女史に言ったんだよね。自由が大事だと言うけど、バーベキューでみんなが好き勝手に焼き始めて、全部焦げ焦げ~、ってこともあるでしょって」

 

 その台詞には確かに覚えがあった。アレシマ市のサンフィッシュホテルで行われた会談は、マイカもラジオで聞いていた。

 

「そしたら彼女はこう言った。順番に焼くとして、その順番は誰が決めるの~? って。彼女らしい言葉だけど、確かに難しい問題だよね、そりゃ」

 

 いつも通りの微笑を浮かべたまま、議長は真っ直ぐにマイカを見据えた。

 

「マイカ君はどう思う?」

「私なら、貴方に焼く順番を委ねます」

 

 即答だった。彼の元で戦うと決めたとき、そして国家統一連合構想を聞いたときからそれは決まっている。戦闘機乗りとして忠義を捧げるべき相手は彼であると。

 イサオは満足げに頷くと、次の話を切り出した。

 

「ありがとう。じゃあ君を見込んで、任務をお願いしちゃおう」

「喜んで」

「今日の正午、インノに向けてお使いを送る。君たち親衛第四飛行隊にはその護衛をしてもらう」

 

 地図上に指を滑らせ、イケスカ市からインノの町へ向かうルートを描き出す。インノは暴力や人身売買の横行する町であり、盗賊の根城にもなっている。だが闇の情報を入手するためには、タネガシと並んで抑えておくべき町だ。

 しかしイサオがマイカに命じた任務は、単なる護衛ではなかった。

 

「その帰りにトシロウ君を撃墜するんだ。彼は叛逆を企てている」

 

 マイカは思わず目を見開いた。だが議長の顔からいつもの笑みが消えているのを見て、本気だと気付いた。

 そして自分の相棒が、日頃の任務に多大な不満を抱いていることも当然知っていた。

 

「彼は必要悪というものを理解できなかったみたいだ。残念だよ、僕と同じ思いを持っている人なのに」

「左様ですな」

 

 執事が頷く。

 

「彼は子供の頃のイサオ様によく似ていると思いました。枯れ果てていくイジツでの、決まり切った毎日に閉塞感を感じていたあの頃に」

「今だってそうだよ、僕は。だからトシロウ君とは友達になれると思ったんだけどね……」

 

 溜息を一つ吐いた後、彼の顔に再び笑顔が戻った。そのとき初めて、マイカは彼の笑みに邪悪なものを感じた。

 

「だからさ、せめて空で死なせてあげよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 …………過ぎ去った時間が記憶の中に沈む。淀んだ意識が、少しずつ覚醒していく。

 

 目を開けた先にあったのは、見慣れない白い天井だった。電灯は消されていたが、窓から入ってくる日差しがあるため明るい。

 自分が柔らかなベッドに寝かされていることに気づき、ハッと身を起こす。左足に鈍い痛みを感じた。衣服は病院内で使うガウンに着替えさせられていて、脚の銃槍は包帯を巻いて処置されている。記憶の糸を手繰り、マイカは自分が敗れたこと、そして生きていることに気付いた。

 

 そして部屋の中には他にもう1人いた。赤髪をポニーテールに結った、マイカのよく知る飛行機乗りが。

 

「……気がついたか?」

 

 花瓶の水を替えていた彼女……レオナは澄んだ瞳でマイカを顧みた。

 

 




すみません、完結まで一気に書くのは無理でした。


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戦い終わって

 病院の廊下を歩くジョニーは妻のことを考えていた。彼の元から姿を消した後、ポロッカに住んでいたことは分かっている。マダム・ルゥルゥに調べてもらったところ、自由博愛連合による空襲からは避難できたが、未だにポロッカには戻っていないらしい。

 

 富嶽編隊による爆撃は天災に匹敵する破壊力で、ユーリアによる弾劾の結果、イケスカ市は空襲を受けた都市に多額の賠償金を払うことを承知した。

 ラハマは撃墜された自警団機の代替として連合の戦闘機を接収した以外、最低限の賠償金しか要求しなかった。ラハマは爆撃を阻止できたので、その分をポロッカやショウトに払って欲しいという町長の意向だ。

 

 だが復興まではまだまだ時間がかかる。復興が済んだ後、ミキはポロッカに戻るだろうか。いっそラハマに来ればいいのに……。

 

「……ここじゃないの?」

 

 後ろを歩いていたリリコに呼び止められた。いつのまにか病室を通り過ぎていたらしい。

 慌てて後戻りし、ドアの前に座る自警団員に「お疲れ様です」と挨拶する。

 

「お疲れさん、ジョニー。こんな朝からお見舞いかい?」

「はい、ちょっと伝えたことがあって。……様子はどうです?」

「大人しくしてるよ。男の方は結構気さくな良いヤツだ」

 

 監視役の自警団員は猟銃を携帯しているが、どうやら撃つ必要は無さそうだ。ジョニーがドアをノックすると、中から「どうぞ」という返事が返ってきた。

 

 静かにドアを開ける。清潔な病室内ではベッドに腰掛けた少女が食事をしているところだった。ただし彼女は目の位置に包帯を巻いており、自分で物を食べるのは困難だ。

 パン粥を匙ですくい、クルカの口元まで持っていくのは、側に寄り添うフェイフーの役目だった。

 

「やあ、おはよう」

「おはようございます、ジョニーさん」

 

 フェイフーが礼儀正しく挨拶するのに対し、クルカは僅かに顔を向けるだけだ。大都市ほどではないが、ラハマの病院には一通りの設備が整っており、彼女は手術を受けることができた。完全な失明は免れたものの、極端な弱視になることは避けられそうにない。フェイフーの方は無傷だったが、彼女の介助者を兼ねて病院に軟禁されていた。万一のことがあればジョニーが責任を持って対処するということで、町の顔役たちも同意してくれた。他のメンバーは全員、町の留置所に拘束されている。

 

「病院の食事はどうだい?」

「犬の餌だね」

 

 ぶっきらぼうに言い放つクルカ。しかし食器はほぼ空になっていた。

 

「毎日完食してますよね」

「どうすればマシになるか考えてるのさ」

 

 彼女の口調はそれほど不快でもなさそうだった。自警団員が言っていた通り、大人しく病院生活を受け入れているようだ。

 

「結局このおっさん、アンタの拳銃の師匠だったわけ?」

「ええ」

「師匠って呼ばれるほど、いろいろ教えたわけじゃないけど……」

 

 苦笑するジョニー。彼が凄腕の用心棒として名を馳せていた頃、時には空賊に雇われることもあった。かつて大空賊として知られていたセキト団は貧民層から絶大な支持を得ており、首領と付き合いのあったジョニーはその息子にも拳銃を教えていた。

 

「君は筋が良かったからね。戦闘機乗りと兼業でなければ、とっくに僕を追い抜いていただろう。生きていてくれてよかった」

「……僕は結局、父が軽蔑していた権力の犬に成り下がってしまいました」

「それもお母さんのためだったんだろう?」

 

 ジョニーはふと懐かしそうに目を細めた。空賊として苛烈な世界で生きながら、互いに愛し合う夫婦。一介の用心棒であり、銃に頼って生きるしかなかった若き日のジョニーにとって、フェイフーの両親は憧れでもあった。そうした中で出会った女性がミキだったのだが、結局銃への愛着を手放すことができなかったために逃げられる羽目となった。

 

 用心棒時代の異名は“逃げられジョニー”……あまりにも強すぎて戦う前に敵が逃げ出す、という名誉ある通り名だったが、今では女房に逃げられたという意味にしか聞こえない。彼自身の未練がましい態度もまた、それに拍車をかけていた。

 

「僕も今度こそ銃を遠ざけて、ミキと仲直りするんだ……そして今度こそ、ナードゥー首領みたいに家族を大事にして……」

「つくづく諦めが悪いわね」

「諦められないんだよ!」

 

 冷徹に評するリリコに、病院内ということも忘れて声を荒げる。フェイフーも苦笑せざるを得なかった。

 

「……別にいいんじゃない?」

 

 パン粥を飲み下し、クルカがポツリと言った。

 

「誰だって1人じゃ生きていけないんだから」

「そう! そうだよね!」

 

 目を輝かせるジョニー。リリコは「ご自由に」と苦笑いした。意外そうな顔をしたのはフェイフーである。

 

「貴女がそんな気の利いたことを言うとは」

「……アンタが言わせたようなもんだよ」

 

 目の見えないクルカは声を頼りに、彼の頰を軽く叩いた。1人では生きていけない状態になったからこそ、このような言葉を言えるようになったのだろう。普段からジョニーに辛辣な言葉を投げかけるリリコも、今の台詞自体に異論は無かった。ジョニーはもう少し態度を改めるべきだとは思うが。

 

「ま、それはそれとして」

 

 リリコはタイミングを見計らい、本題を切り出した。

 

「貴方達の今後について、伝えておくことがあるわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その頃、町の飛行場の隅ではちょっとした訓練が行われていた。戦闘機に関わることではなく、地上での戦いだった。

 キリエが上段回し蹴りを繰り出し、エンマは身を軽くかがめてそれを避ける。同時に軸足を払いのけると、キリエはバランスを崩した。

 

「いたっ!」

 

 尻餅をつきながらも、なんとか受け身を取るキリエ。ジョッキを片手に監督していたザラが苦笑する。

 

「キリエは重心が高すぎるのよ。あと空戦でもそうだけど、迂闊に大技を出さないように」

「う~、了解……」

 

 悔しそうに起き上がるキリエだが、対するエンマも軽く息を切らせていた。地上で拉致された反省から、一度対人格闘の訓練をやり直そうという話になったのだが、いささか気合が入りすぎている。あれから三日間、2人とも負けず嫌いな性格ゆえに連日訓練を続けていた。最初は付き合っていたチカも飽きてしまい、愛機に乗って図書館へと繰り出した。

 

「さあエンマ、もう一丁! 今度は私が一本取る!」

「望むところですわ!」

「2人とも。そろそろ休憩しなさい」

 

 ジョッキに残ったビールを全て飲み干し、ザラはやんわりと告げた。

 

「紅茶とパンケーキ、持ってきてあげるから」

「……そうですわね。休みましょう」

 

 2人が日陰に入り、ザラは飲み物等を取りに向かう。その背にキリエが「シロップ多めにして!」との言葉を投げかけた。

 滑走路の隅には休憩スペースもあるが、2人が入った日陰は戦闘機の翼の下だった。荒野で不時着した時はこうして日差しを凌ぎ、救助を待つのである。ただし今そこにある翼は愛機の隼ではない。

 廃墟から回収された戦闘機、P-40Eだった。反対側の翼の下にはナツオ整備班長が体を休めている。見た目はどう見ても子供だが、実際は経験豊富なメカニックであり、オウニ商会でも古参社員である。レオナたちからの信頼も厚く、キリエら新参からは頼られると同時に恐れられる存在だ。

 

「後で整備班流格闘術も教えてやろうか?」

「えー、お尻にエナーシャハンドル突っ込んで回しまくる格闘術はちょっと……」

「ご遠慮申し上げますわ。ところで……」

 

 ふとP-40の機首を見上げ、エンマは顔をしかめた。

 

「この下品な塗装はいただけませんわね」

「あー、まあ上品じゃねーな」

 

 ナツオも同じようにシャークマウスを見上げ、苦笑する。機首のラジエーターは確かに顎のように見えるため、そこに大口のペイントを施すのはセンスとしては悪くない。しかしこの赤い口とギザギザの歯、鋭い目のデザインは賛否両論だった。エンマと同様、マダム・ルゥルゥは品が無いと評し、サネアツも「これはちょっとねぇ」とコメントした。ケイトは威嚇効果はあると評価したものの、自機に描くのは御免蒙ると言っていた。

 ナツオとしては結構気に入っているが、隼には似合わないだろうと思っていた。同じようにラジエーターが機首にある液冷機ならそれなりに合うだろう。トリヘイは彗星に描くことを検討していたが、姐さんに却下された。

 

「これ、塗装の他に特徴あるの? なんかチカはパイロットの腕が良かっただけでパッとしない戦闘機だった、って言ってたけど」

「まあそうだなぁ……」

 

 未知の飛行機であっても、いじってみれば特徴が見えてくる。ナツオが凄腕整備士たる所以だ。彼女が見た限り、P-40は決して悪い飛行機ではないが、隼との格闘戦は難しい設計だ。チカとケイト相手に不利な条件下で渡り合えたのは、パイロットの腕あってこそだろう。だが人間工学に配慮されている部分もある。

 

「乗ってる人間のことはちゃんと考えてるな。機体は丈夫だから隼より速く急降下できるし、防弾もそれなりにしっかりしてる」

「他には?」

「トイレもついてる」

「だってさ、エンマ!」

「何で私に言うんですの!?」

 

 没落貴族の令嬢は顔を真っ赤にした。もっともトイレと言っても機外へ小便を排出する管がついているというだけなので、女性が使うのは難易度が高いだろう。ユーハング同様、この機体の製造元も『戦闘機は男が乗るもの』という前提で設計していたのは間違い無い。イジツとは戦士文化が根本的に違うようだ。

 だがナツオが心底驚愕したのは、そのエンジンだった。それほど高馬力・高性能というわけではないが、スペック表に乗らない面がユーハング機より明らかに優れていたのだ。

 

「今朝、ケイトに1時間くらい試験飛行してもらったんだよ。終わった後カウル外してエンジンを見たら、オイル漏れが全くなかった」

「え!?」

「ちょっと、本当ですの?」

 

 キリエとエンマの2人は心底驚いた。隼は着陸後にエンジンを見ると、いつも油まみれになっている。機種や個体によって差はあるが、基本的に飛行機のエンジンはそういう物だと思っていたのだ。

 しかしP-40のエンジンは飛行を終えた後も、ナツオが思わずムカついてしまうくらいピカピカだった。その上、始動時に整備員がエナーシャハンドルを回す必要がない。操縦席からセルモーターを使って始動できるのだ。

 

「ユーハングはこの機体を作った連中に比べて、基礎工業力じゃ相当負けてたんだろう。それを設計屋の職人技で補ってたんだ。短期決戦なら隼や零戦が勝つだろうが、長い戦争になれば逆転されちまう」

 

 おそらくユーハングが疾風や紫電改を作った頃には、P-40の故郷ではより強力な戦闘機が開発され、大量生産されていただろう。昨日この機体を検分したアレンも同じ意見を述べていた。ナツオにはユーハング……日本軍がイジツから去ってしまった理由が、僅かながら見えたように思えた。

 

「サブジーはこの戦闘機、見たことあったのかな?」

「ユーハングの技術者だったって爺さんか? もしかしたら見たかもな」

 

 もう開発も設計もやる気はない……そう言って来訪者を追い返した老人の姿を、キリエは今でも覚えている。彼は敵に勝つために飛行機を作っていたのだろうか?

 だとすれば何のために戦っていたのか?

 イジツに残ることで、あの老人は戦いから解放されたのだろうか?

 

「……ねぇ、キリエ」

 

 ふと、エンマが口を開いた。

 

「『一殺多生』というユーハングの言葉、ご存知?」

「知らない」

「一つの悪を倒すことで、大勢の人を生かせる、という意味ですわ。私、自分の戦闘機乗りとしての道はそういうものではないかと思いましたの」

 

 地下牢での問対の後から、エンマも色々と考えていたのだろう。正しいことをしているつもりでも、立ち位置が変われば誰も悪になり得る。だがエンマの戦う理由はやはり、義憤と家の再興だった。

 

「人によっては私も確かにクソ虫の一員でしょうけど。それで私と同じ思いをする人が減るなら構いませんわ」

「……そうだね。凄くエンマらしいと思う」

 

 幼馴染であるキリエは彼女の家が没落した理由も、空賊に敵愾心を燃やす理由も知っていた。キリエに心底憎い相手ができたのはついこの間のことだったが、その相手に勝利できたのは憎しみを手放したからだ。愛機が自然に飛べるように。

 

「私ももう、迷わない」

 

 誰も自分から自由を奪えないし、否定することもできない。イケスカでの戦いでそれを悟った。人生の師であるあの老人が飛び去った航跡を、一歩ずつ追いかける。ただそれだけだ。

 

 ふと、爆音が滑走路へ接近してきた。空冷エンジンの双発機だと音で分かる。

 遠くに見えたシルエットをナツオが双眼鏡で確認した。

 

「……お、一○○式司偵のIII型か」

「あら、イジツで最も美しいとされる飛行機ですわね」

 

 エンマも興味深げに機影を見つめる。一○○式司令部偵察機は流線型の優雅なシルエットが特徴の双発偵察機で、III型は風貌が機首先端まで延長されているため、尚更洗練されたデザインとなっている。それは外見の美らのみならず空気抵抗の低減にもなっており、彩雲と双璧をなす高速機として知られている。

 

 やがてその流麗な機体が肉眼ではっきりと見えるようになり、胴体に描かれたカラスのマークが確認できた。滑走路上空を一周し、エンジンナセルから脚を出して着陸体制に入る。

 音を聞けばパイロットの腕は分かる。左右のエンジン音をしっかりと同調させている。そのまま静かにバランスを保ったまま接地、しばらく滑走した後、機首を振って駐機スペースへと向かう。

 

「良い腕だ」

 

 ナツオが感心した。静止した一○○式司偵はやがてエンジンをカットし、前席のパイロットが風防を開けた。飛行帽を被ったその男は機上で大きく伸びをすると、ゆっくりとキリエらの方を顧みた。

 

 

 



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やるべきこと

 

「……彼はこの世界が嫌いだったわ」

 

 ベッドに腰掛けるマイカは、ゆっくりと語る。隣に座るレオナとの間にあるのは敵意ではない。助けられたことを知ったマイカは敗北を受け入れ、諦めと懐かしさの入り混じった感情を抱いていた。2人は駆け出しの頃、一時的にとは言え仲間となり、リノーチ大空戦で共に戦った仲だ。そしてあの男に窮地を救われた。

 

「世界は枯れ果てていく一方で、そこで過ごす日々も大きな変化はない。それが凄く息苦しかったと言っていた。トシロウもそうだったわ」

「だからあいつも、彼の元で戦ったのか」

 

 レオナはトシロウともリノーチ大空戦のときに会っていた。曲がった事が嫌いで、尚且つ強い冒険心と反骨心を持つ男だった。そして今思えば、生き方の不器用な奴だった。

 だが結局のところ不器用なのは皆同じだった。レオナ自身、彼が善良な人物だと信じていた、というよりは信じたかったのである。あの男は3人の人生を弄んだ挙句、『穴』の中へ飛び去ってしまった。彼から自由になれたのはレオナだけだ。

 

「……私の部下たちは?」

「全員拘束している。死者はいないが、クルカという女は墜ちたショックで網膜剥離を起こした」

 

 マイカの胸に衝撃が走った。やる前から分かっていたことだ。無意味な復讐に仲間を巻き込んだだけだと。

 

「失明は免れたが、戦闘機乗りが務まる視力は残っていない」

 

 レオナはそれしか言わなかった。しかし彼女の目はマイカに問いかけていた。得るものはあったのか、と。

 結局のところ、自己満足にすらならない復讐だった。何が正しいのか分からなくなったまま、イサオへの忠誠心を持ち続けるという一貫性に自分の生き方を求めただけだ。言い換えれば、考えるのを止めただけとも言える。

 仲間たちは同じ思いを抱いた上で、マイカが自分たちを未来へ導いてくれることを期待していた。隊長もまた破滅へ向かっていることを理解した上で付き従ったのは、フェイフーとクルカだけだ。

 

「……レオナは何故、戦ったの?」

「ラハマへの爆撃を許すわけにはいかなかった。ここには私の育った孤児院もある」

 

 レオナが傭兵パイロットになった理由はそれだった。自分を育ててくれた孤児院への恩返しと、自分の後輩に当たる子供達のため。ただしそれが義務ではないと気づいたのは、最後の戦いのときだった。

 

「イサオ議長が『穴』と世界の全てを管理すれば、それまでの犠牲以上に多くの人を活かせたのかも知れない。だがそのために平然と他人を犠牲にするのを、私は許せなかった。それが命の恩人なら尚更許すべきではない。だから戦うべきだと決めた」

 

 毅然とした答え。レオナは今でも、イサオを戦闘機乗りとして尊敬している。また彼の統一国家構想自体は間違っていないとさえ思っている。だがその実行のプロセスが看過できなかった。だから悩みを抱きながらも決心を固め、戦った。

 

 マイカは彼女に勝てなかった理由が分かった気がした。

 

「……私は結局、自分の意思で動いていなかったのね」

 

 

 不意に、病室のドアがノックされた。立ち上がりかけたマイカだが、足の銃創がズキンと痛む。

 代わりにレオナがドアを開けた。

 

「……ああ、着いたのか。久しぶりだな。入ってくれ」

 

 言葉を交わすのを見て、マイカはレオナの顔見知りの医者か何かかと思った。だが次の瞬間、部屋に入ってきた男に目を見開いた。

 

 短く刈り込んだ髪。

 鋭い眼差し。

 革製の飛行帽。

 

 忘れるわけがない、かつての相棒の姿がそこにあった。

 

「トシロウ!?」

 

 反射的に立ち上がり、激痛にしゃがみ込む。彼……トシロウは慌てて駆け寄り、そっと助け起こした。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 少し前まで聴き慣れていた声。間違いなく彼だ。何が起きているのか把握できないまま、マイカは再びベッドに座らされる。

 驚き、少しの安堵と嬉しさ、重い罪悪感。様々な感情が溢れそうになる。それらを何とか制御し、震える唇で言葉を紡ぐ。

 

「……生きていたの……? 操縦席に、当てた、はず……!」

「ああ、俺に運があったんだ」

 

 笑顔を浮かべ、飛行帽を取るトシロウ。頭頂部のやや左に、傷跡が一直線に走っていた。傷は恐らく骨まで達しており、頭蓋がいくらかひしゃげている。しかし命に別条はなく、すでに完治しているようだ。

 

「体に当たったのはこの一発だけだ。その後機体を失速させて、死んだふりしながら何とか不時着したんだ」

「で、でも……あんな荒野の真ん中で……」

「インノの闇医者が運良く通りかかってね」

 

 マイカがトシロウを撃墜したのは護衛任務で向かったインノの周辺だ。お尋ね者が多く集まる町で、身を隠すのにもうってつけだ。近くと言っても徒歩ではたどり着けない距離だが、通りかかった飛行機に発見されれば話は別だ。

 

「手当を受けて、インノに匿ってもらった。治療費が払えなかったから、代わりに変な薬の実験台にされたけどな」

 

 話しながら、トシロウはマイカへ名刺を差し出した。彼の名前の横に、イジツ文字とユーハング文字で『クチバ新報社 代表取締役社長』の肩書きが記されている。

 突然のことに未だパニックから抜け出せず、状況を把握できない。

 

「タネガシでスポンサー見つけて、対空賊の情報屋を始めたんだ。結構儲かってるんだけど、腕利きのパイロットがもう少し欲しくてさ」

「彼がお前たちの保釈金と医者代、オウニ商会及びエリート興業への慰謝料を払うそうだ」

 

 レオナの言葉に再び目を見開く。言葉が出てこない。謝罪か、感謝か。脳内で状況が整理しきれていないのだ。

 

「……もう一度やり直せ。それがお前を命がけで助けた部下たちへの恩返しだ」

 

 そんな彼女に、優しく声をかけたのはレオナの方だった。

 

「『やらなくてはいけないこと』ではなく、自分の意思で『やるべきこと』を探しに行け。その結果やはり私の命が欲しくなったら、受けて立つ」

 

 その時は堂々と来い……レオナの目はそう言っていた。

 包帯の下で傷が痛み続ける。しかし差し伸べられた手から感じたのは、久しく忘れていた希望だった。自分が今更それを掴んでいいのか、という気持ちもある。

 

 しかし……トシロウが生きていた。自分の犯した罪のうち、少なくとも一つはまだ償える。

 

「俺は気にしてないぞ、マイカ」

 

 かつての相棒は静かに言った。昔からそうだった。一介のパイロットだった頃から、いつも自分の誤ちをフォローしてくれた。リノーチで被弾したときもそうだった。後ろに着いていた敵機を追い払ってくれたのはイサオだが、意識の薄れゆくマイカに「機体を立て直せ! 右のラダーを踏め!」と叫び続け、不時着まで付き添ってくれたのはトシロウだ。

 

 そしてレオナの言った通り、クルカとフェイフーにも守られた命だ。自分はイサオしか見ていなかったが、本当は大勢に支えられていたのである。

 

 彼らのために自分がやるべきことは何か。そう考えたとき、マイカはトシロウの手を握っていた。

 

 

「ごめんなさい……ありがとう……!」

 

 

 

 

 

 



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エピローグ

 

 騒動が一段落し、ラハマには再び平穏が戻っていた。とはいえそれは仮初めのものだ。イケスカ動乱後、自博連から流出した戦闘機が空賊の手に渡り、空の治安は悪化の一途を辿っている。商船を失ったオウニ商会はコトブキ飛行隊を含め、立て直しのために奔走していた。街の守りは自警団が中心にならざるを得ない。

 

「元気だねぇ、本当に」

 

 訓練に明け暮れる自警団の戦闘機を見上げ、羽衣丸の元副船長・サネアツは嘆息した。顔立ちはそれほど悪くないものの、その覇気のない態度が災いし、ナイスミドルと呼ばれることはほぼ無い。

 自警団のパイロットたちには居場所というものがある。それに引き換え、船を無くした船乗りほど惨めなものはない。ドードー船長のように自力で飛べるわけでもないのだから。

 己の不甲斐なさと、それを船員たちから馬鹿にされていることも自覚している。それでも未だに副船長の制服を着ているのはサネアツなりの意地だった。例え箒を手に、商会本部の庭掃除をするしかなくても。

 

「もうしばらくの辛抱よ」

 

 不意に後ろから声をかけられ、サネアツは飛び上がりそうになるのを堪えた。いつの間にかルゥルゥが側まで来ていたのだ。

 

「臨時収入も入ったことだし、いずれ新しい飛行船が手に入るわ。そのときはまたお願いね」

「勿論です、ルゥルゥ!」

 

 素早く回れ右をして、姿勢を正しつつ答える。

 

「あ、ひょっとして今度こそ、船長に昇進とか……」

「ドードー船長に言いつけるわよ?」

「……すみませーん」

 

 がっくりと肩を落とし、掃き掃除を続ける。ふと臨時収入とは何のことか気になったが、すぐに誘拐事件の慰謝料のことだと察した。女だてらにこの稼業をやっているだけあって、ルゥルゥは同業者の間でも抜け目ない社長として知られている。今回も支払いを申し出たトシロウに対し、かなりの額を吹っ掛けたはずだ。

 

「いやぁ、しかし……対空賊の情報屋って儲かるんですねぇ。一○○式司偵なんて高級品使ってるし、保釈金、損害賠償、治療費、慰謝料……エリートさんたちにもちゃんと払ったんでしょ?」

「らしいわね」

 

 ルゥルゥの脳裏にトリヘイの顔が浮かんだ。人生万事塞翁が馬、などと言いながらホクホク顔で帰って行った。彼も元空賊なだけにそういう所は抜け目ない。

 支払いが完了した時点でマイカとその部下たちは釈放された。幹部であったフェイフーの説得もあり、全員がトシロウのクチバ新報社へ加わることとなった。

 

「短期間でそれだけ稼げるんですからねぇ。あの人たちも良い働き口が見つかってメデタシ、メデタシ……」

「そうはいかないと思うわよ」

 

 意地の悪い笑みを浮かべるルゥルゥに、サネアツはぎょっとした。まさか報復するなどと言うのではないだろうか。いや、彼女がそんな一銭の儲けにもならないことをするはずがない。

 

「あの若社長さん、会社を立ち上げるためにタネガシでスポンサー見つけて借金してたのよ」

「……タネガシっていうと、もしかして……」

「もしかしなくてもゲキテツ一家ね」

 

 ラハマより南に位置するタネガシは、イジツでは貴重な水源地帯である。それ故に多くの空賊から狙われており、さらにかつては土着のマフィア同士の抗争が絶えなかった。だが今では全てのマフィアが一つに統合されており、一致団結してカタギの住人たちを空賊から守っている。その勢力は自由博愛連合でさえ、迂闊に手出しできなかったほどである。

 それがゲキテツ一家だ。イケスカ動乱以降、空賊の動きが活発になっているのを踏まえてトシロウに出資したのだろう。

 

「若社長さんもなかなか商売上手みたいでね。もう3割くらいは返済する予定だったそうよ」

「まさか、そのお金を保釈金その他諸々に使っちゃったと?」

「そういうことね」

 

 サネアツの顔が青ざめた。マフィア相手に金銭トラブルなど起こせばどうなることか……他人事ながら恐ろしかった。

 

「一先ずタネガシまで謝りに行って、埋め合わせに何か一仕事させてくれって頼んでみるそうよ」

「じゃあ、あのマイカさんたちは入社早々、いきなり危ない橋を渡ることに……?」

 

 その場にいない赤の他人に同情してしまう、元副船長。一方のルゥルゥは煙管から紫煙を燻らせ、ゆっくりと頭上を見上げた。

 

 

人生()って厳しいわよね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕日に照らされる荒野の上。カウルフラップを閉じ、一○○式司偵は峡谷へと急降下する。赤茶けた荒野に走る谷は曲がりくねっており、双発機で通るのはあまりにも無謀だ。しかしトシロウは迷わず操縦桿を押し、一気に突入した。

 2本のスロットルレバーを操作しつつ、突き出た岩を右へ左へと回避する。研ぎ澄まされた反射神経と本能の成せる技だった。

 

《マイカ、まだ追ってくるか?》

「ええ、紫電改が5機!」

 

 一○○式司偵の前席・後席の間には燃料タンクがあるため、乗員同士の連携にはやや不便である。後ろに座るマイカは後方警戒の他、峡谷の地図、そして積んでいる『荷物』にも気を配らねばならなかった。

 2人乗りの一○○式司偵だが、無理をすればもっと乗せられる。ゲキテツ一家からの依頼で捕らえた麻薬密売人を機体後方へ押し込んでいたのだ。薬で眠らせた上で縛り上げてあるが、目を覚まされたら厄介だ。その上になかなか体重があるため、本来の速度が発揮できない。

 

 左エンジンの回転を落とし、急旋回でカーブを曲がる。やや間を置いて、マイカの視界に爆発が見えた。追っ手のうち1機が曲がりきれず、岩壁に衝突したのである。

 

「1機墜ちた! 残り4機よ!」

 

 淡々と報告するマイカ。動乱以降、自博連幹部の杜撰な戦後処理のせいで、イケスカに配備されていた流星や紫電改などが空賊へ流出する事態が起きている。しかし全ての空賊が、それらの高いスペックを使いこなせるわけではない。

 

 III型の後部座席には機銃が積まれていないため、マイカは反撃できないことに若干の歯がゆさを感じていた。しかし今は相棒の腕を信じている。

 

「トシロウ、この次の分かれ道を右!」

《おう!》

 

 ナビゲートに従い、トシロウが機を旋回させる。紫電改の葉巻型のシルエットが後ろに迫っていた。おそらく悪事の情報がゲキテツ一家に漏れるのを防ぐべく、捕まえた仲間諸共抹殺するつもりだ。

 やがて2人の一○○式司偵は正面に夕日を捉え、いくらか広い谷間を飛ぶ形となった。逆光で視界は悪くなるが、追っ手も照準がつけられなくなる。

 

「トシロウ、用意!」

 

 そしてマイカは冷静に時間を測っていた。勝負はここで決める。

 

「……今よ!」

 

 フラップ開。昇降舵を上へ。減速しながら浮き上がる偵察機の下を、4機の紫電改が通過していく。

 逆光のため、そして目標を注視していたがために、彼らは気づくのが遅れた。その先の谷間が急激に細くなっていることに。

 

 刹那、立て続けに爆発が起こった。1機が岩壁に翼をぶつけ、飛散した残骸に後続機が衝突したのだ。谷の上へ上昇したマイカは翼を傾けながらそれを確認し、周囲を見渡す。

 

「敵影無し」

《よーし》

 

 トシロウの安堵の声が聞こえた。夕日に赤く染まった空の中、2基のハ112-II型エンジンの音が低く響く。かつて乗っていた五式戦と同じエンジンだ。

 それに耳を傾けながらホッと一息ついたところで、無線機が電波を受信した。

 

《クチバ1、クチバ1。こちらクチバ2、応答願います》

「こちらクチバ1、オーバー」

 

 フェイフーの声だ。空賊の根城から目標を拉致したのは彼率いる地上班で、その後は別ルートで脱出する手筈になっていたのだ。

 

《こちらは脱出に成功しました。損害ゼロ、これよりタネガシへ向かいます》

「了解。地上で会いましょう」

 

 通信を切った後、マイカはフェイフーの声が前より生き生きとしていたように思えた。父親と同じ義賊に戻った気でいるのかもしれない。麻薬シンジケートに一泡吹かせたわけだから、確かに『弱きを助け強きを挫く』という理念には適っている。

 そして当のマイカ自身も、以前より心が軽かった。重責から解き放たれたからか、または殺したと思った相棒が生きていたからか。

 

《よーし。あとはそのヤク野郎を引き渡せば、返済は待ってもらえるな》

「ごめんなさいね。私のために……」

《気にすんな。お前らみたいな凄腕がいれば借金もすぐに返せる。投資だよ、投資》

 

 あっさりと言い切るトシロウに、マイカはくすりと笑った。

 自分たちの評価が高まれば、ゲキテツ一家はまた困難な仕事を頼んでくるかもしれない。またそうでなくても、空賊たちから恨みを買う仕事には違いない。これからも自分たちは厳しい人生を送ることになるだろうと、マイカは予測していた。

 

 その中で自分のやるべきことが何なのか、まだ分からない。しかしどんな人生でも、どんなに無慈悲な空でも、生き生きと笑いながら生き抜いてやろうと心に決めていた。あの赤毛の用心棒のように。

 

《さあ、帰るぞ。クルカが晩飯作って待ってるだろうからな!》

「ええ!」

 

 陽光を受けながら、優美な双発機は風を切った。

 

 

 





お読みいただきありがとうございます。
何とか完結させることができました。


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