TS 異世界最強主人公アンチ (バリ茶)
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守護霊編
死んじゃった!


 真夜中の浜辺で、小さく燃えるたき火が一つ。その前には砥石でナイフの刃を鋭利に仕立てあげている、体の小さな一人の少女がいた。

 

 目の前でパチパチと音を立てている、焚火のように赤い長髪を後ろで一つにまとめ上げ、研ぎ終わったナイフを腰のホルダーにしまい込む。

 

 ふぅ、と一息ついた()はゆっくりと立ち上がり、バケツの水を焚火に落として鎮火させた。もう火を焚いておく必要はない。

 

「っし、行くか」

 

 ポツリと小さい声で呟き、広げていた道具をショルダーバッグにしまい込んだ。そしてしっかりと腰のベルトに固定させ、衝撃で外れないように工夫する。

 そしてその場を歩きだし、ざぁざぁと波音を立てる浜辺を後にしたのだった。

 

 俺がこれから向かう先は、魔王の幹部が大昔に拠点として利用していた、いわゆる遺跡だ。

 

 港近くのギルドで小耳にはさんだ情報によれば、ここにはその魔王の幹部が残した伝説の魔石があるらしい。現時点での職業が盗賊やらトレジャーハンターやらに分類される俺としては、喉から手が出るほど欲しい代物だ。

 

 

 ──と、そこまで考えた所で、思わずため息を吐いた。なんというか、いよいよ落ちぶれてきた気がする。

 

 この世界に転生が決まった直後は『チート無双ハーレム来た!』とか考えていたのに、今となっては完全にそこら辺の女盗賊みたいな思考になっている。

 

 いやまぁ、女の子に生まれた時点で嫌な予感はしたんだけどね。まさか適性値が一番高い職業が『盗賊』だとは思わないじゃん。

 

 なんだよ盗賊の適性が高いって。生まれた時から犯罪者向けの体質ですよ~とか言ってくるの、この世界の神ひかえめに言ってバカだろ。

 

 でも、最初はそこまで絶望していなかった。この世界では一人の人間に三つまで高い適性が存在するらしく、俺の適性の中には盗賊の他に『死霊使い』と『勇者』があったから。

 

 どうやら勇者の適性自体はそこまで珍しいものでもないようで、全国から勇者適性を持った子供たちを集めれば、ざっと千人は超える。

 

 この世界の人口から考えれば希少な存在であることに変わりはないが、世界に一人だけしか存在できない勇者のことを考てみれば、候補が四桁以上もいるのは普通に多いと思える。

 

 

 

 ……なんか思い出してきた。あの時の嫌な記憶。

 

 

 数年前、王国は全世界から勇者適性のある子供たちを招集し、伝説の聖剣が眠るとされるダンジョンに彼らを向かわせた。

 

 子供たちの護衛は無し。年齢の低い子供たちだけでダンジョンへ赴くのは危険だが、我が身一つで聖剣を手に入れてこそ真の勇者……らしい。王様、頭おかしいな。

 

 当然俺も勇者になるべくそこへ向かった。

 生まれが貴族や平民の他の子供たちと違って、俺は魔物すらよく出没するスラムの出身。生き永らえる術は、子供ながらに豊富だった。

 

 それゆえに他参加者たちよりも一歩二歩も先を行っていたため、もはや俺が聖剣を手にすることは確実だった。

 

 

 ──なのに。

 

 

『僕が……勇者に?』

 

 

 聖剣に触れる直前に魔物に不意をつかれて死にかけた俺を救った少年は、その手に光り輝く聖剣を握っていた。

 いまでも思い出したら腹が立つくらい、マヌケな顔をしていやがった。

 

 自分が持っている聖剣を見つめながら、勇者になったことをまるで信じられないような雰囲気で……。どうせ、心の中じゃ俺を嘲笑っていたに違いない。

 

 あくまで偶然を装っていたが、勇者になれず地に倒れ伏せていた俺を見て、ほくそ笑んでたんだろう。

 

 その日から、あのクソ男以外の人間からは勇者の適正が消え、俺は死霊使いと盗賊の二択を迫られることになった。

 

 何日ぐらい泣いたっけか。多分2週間は布団の中だったな。盗賊も死霊使いも、当初から目指していた勇者とはかけ離れたものだし、マジで絶望してた。

 

 

 

 結局、あの日の怒り悲しみ憎しみその他諸々を忘れられない俺は、ことあるごとに勇者のアイツの冒険を邪魔するようになった。

 貴重なアイテムを盗んだり、先回りして罠を仕掛けたり、妨害の種類は数多存在する。

 

 今回の遺跡探索だって、アイツがあの魔石を使って特別な武器を作るだとか、そんな話を聞いたからだ。

 そんなことする前に、俺があの魔石を高値でどこかの貴族やらに売り飛ばしてやる。俺から勇者の座を奪った罪は重いのだ。

 

 本当ならぶん殴ってやりたいところなのだが、生憎真っ向勝負じゃ勝てない。あっちは身の引き締まった男の勇者で、こっちはか弱い女盗賊。どうしたって体格差で上に立つことはできないし、そもそも勝負にならない。

 

 普通に身体が成長していればまだ勝機はあったように思えるのだが、いかんせんこの身体は背丈が低いからな……。そろそろ年齢は15だか16の筈なのに、身体は一向に小さいまま。胸も控えめだし、女性的な魅力は皆無といってもいい。

 

 

「あー、イラついてきた」

 

 草むらをかき分けながら、つい口から怨嗟の声が漏れた。

 特にムカつくのが、あの男が俺の神経を逆なでするかのように、自分のパーティを発育の良い女性だらけにしていることだ。まるで「お前にこんなことはできねーだろ?」と挑発しているかのように。

 

 アイツ嫌い、本当に嫌い。勇者の座を掻っ攫うどころか、ハーレムまで築きやがって、あの野郎……!

 

 

 というわけで俺の当面の目的は、アイツに罠を仕掛けてパーティの女の子たちを失望させ、孤独にしてやる事だ。俺は一人で旅してるんだから、せめてお前も孤独になりやがれ。

 

「……ここか」

 

 しばらく歩くと、洞窟の入り口に到着した。

 

 まずは簡単に探索して、内部構造を把握。その後にアイツへの罠を仕掛けて、動けなくなってるうちに目の前で魔石を奪って逃走だ。……ぐへへ、アイツの悔しがる顔が思い浮かぶぜ!

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 おかしい、何かがおかしい。

 遠隔操作で飛ばしている魔法石から送られてくる映像を見ながら、俺の頭の中はパニック状態だった。

 

 俺が今いる場所は、中央の台座に魔石が鎮座している大きな広間だ。この場所までの道のりに大量の罠を仕掛けておいたのだが、そのこと如くが勇者に利用されている。

 

 勇者が苦しみながらここまで向かってくる様子を楽しもうと思っていたのに、今の俺は狼狽状態だ。

 

 ……簡単に言えば、俺の罠が魔物を倒すために利用されたり、逆に危険回避の表札のように扱われている。なんでそこに俺の罠があるって分かるんだよ! カモフラージュは完璧なはずなのに……!

 

 ぐぬぬ、と歯ぎしりをしつつ、手に持った魔石を耳に近づけた。こうすれば奴らの会話も聞こえる。一体何で分かったんだ、勇者の野郎。

 

『勇者さま、ここにもあの女の罠があります!』

 

『了解、ありがとう。……それにしても、凄い数だな』

 

 シスターみたいな服装の女の子が、勇者に罠の場所を教えていた。クッソ、あの子のせいか……。

 

 って、そこ! 罠を見破ったからって女の子の頭を撫でるな! 時間をかけてセットした女性の頭に、気安く触りやがって……。てか、なんでシスターの子は喜んでんの。そのセットした綺麗な髪を大事にするより、勇者に撫でられる方が重要なんですか!?

 

『あの盗賊女、懲りないわね。まさかここでも邪魔してくるなんて……』

 

 勇者の隣を歩いている、大きな帽子を被ってローブを身に纏った、いかにも魔法使いっぽい見た目の子が呟いた。うぅ、君たちじゃなくて勇者だけをハメるつもりなんだけどなぁ。

 

 俺がそんな言い訳を頭の中で考えている途中で、勇者は魔法使いの方を向いた。

 

『そんなことないよ。これはきっと、僕たちを案内するために彼女が用意した道標なんだ。証拠と言っては何だけど、どれも殺傷能力は皆無だし、うまく使えば敵を追い払う武器にもなる』

 

 何故か嬉しそうな顔で話す勇者。

 

 バーカバーカッ、そんなわけねーだろ! 殺傷力ないのは単純に邪魔したいからってだけだぞ! あと罠を再利用できてるのはお前の機転が頭おかしいだけぇ……(半泣き)

 

 くっそぅ、ほくそ笑みやがって気持ち悪い。てか、そろそろこのフロアに到着しちまうぞ。とりあえず見つからないように物陰に移動しよう。

 

 

 

『あの、勇者さま。ラル……でしたっけ? こういうのもなんですけど、勇者さまはあの女を信用し過ぎでは?』

 

『そうよ。あんなチビで胡散臭い盗賊、さっさと懲らしめた方がいいわ』

 

『……確かにラルは盗賊だけど。でも彼女は、魔王の呪いが付与されているって僕たちが知らなかったあの石版を、自分の手で遠ざけてくれた。それに以前探索したダンジョンだって、彼女が先に罠を解除してくれて、そして自分の分かりやすい罠で道標を作ってくれたから、僕たちは無傷で攻略できたんだ』

 

 

 

 やべっ、物陰に移動する途中、魔石から勇者たちの会話聞くの忘れてた。チビとか無傷とかうっすら聞こえたし、多分俺のことバカにしつつ自分は強いんだとか、自慢してたんだろ。

 

 気を取り直してひょっこりと物陰からそっと顔を出すと、大広間に勇者たち三人が来るのが見えた。いつもはもう一人女の子がいるはずだが、今日は置いてきたのか。

 

 そのまま眺めていると、勇者が魔石の置かれている台座を発見した。

 

「多分あれかな。それにしても、ラルはどこに?」

 

「……あの女のことなんて放っておきましょう! それより早く魔石を───」

 

 勇者の言葉を一蹴したシスターちゃんが、数歩魔石に近づいた。あれっ、周辺の罠サーチしないのか? 

 俺が見る限り、シスターちゃんはなんだか不機嫌に見える。流石に俺の罠に辟易してしまったのだろう。……ごっ、ごめんね!

 

 と心の中で謝罪している中、彼女が魔石に触れようとした瞬間、ある事に気がついた。

 シスターちゃんの足元の床が、一か所だけほんの少し色が違う。

 

 

 ……あれは間違いなく罠だ、それに俺のじゃない。

 この遺跡にもともとある───侵入者を排除するための、殺傷能力が異常に高い罠。

 

「シスターちゃん、止まって!!」

 

「──へっ?」

 

 物陰から飛び出した俺の制止は間に合わず、シスターちゃんは色の違う床を踏んでしまった。

 その瞬間、地震の如く遺跡が揺れ始める。

 

 

 

「ゆっ、勇者さま……ッ!」

 

 辺りを見渡しながら狼狽するシスターちゃんは、魔石を取らずすぐさま勇者のもとへ戻っていった。

 少しずつ揺れは収まっていくが、代わりに大きな駆動音と地響きが鳴り響く。

 

 魔石の台座周辺を見ると、そこには天井から何十体もの鉄製のゴーレムが降り立っていた。どうやらあの色違いの床を踏むと、防衛用のゴーレムたちが起動する流れになっていたらしい。

 

「エリンは下がって、ファミィは後方から僕の援護を!」

 

 そう言って剣を構える勇者と、援護の為に杖を持ち直すファミィこと魔法使い。勇者の表情は意外にも冷静そのもので、目の前のゴーレムたちを落ち着いて観察している。

 

 

 ……普通の冒険者ならば、十数体のゴーレムが出現するトラップは、死を覚悟するレベルだ。まず一体一体が強力なのに加えて、この数では逃走も困難。もはや貴重なワープアイテムを使って街まで逃げるしか方法はない。

 

 しかしながら、勇者は違う。この場で負傷者を出さないまま、あのゴーレムたちを殲滅するだけの力を持っている。

 

 ならば、逃げる必要は無い。正面からゴーレムたちを圧倒し、魔石を手に入れることも容易だろう。

 

 

 

 少しだけ、疑問が残る。

 なぜ、あんなに貴重な魔石の防衛が、雑に数十体のゴーレムなのか。少しの指示や命令は順守できるものの、ゴーレムに高度な知性は備わっていない。下手をすれば、戦闘で魔石を傷つけてしまう可能性もある。

 

 そしてもう一つ。なぜゴーレムたちを全て『魔石の台座周辺』に出現させたのか。

 

 普通ならば、侵入者を取り囲むように現れてもいいはずだ。入り口を封鎖するなど基本中の基本のはずなのに、ゴーレムたちは侵入者たちの前方にのみ降り立った。

 

 

 嫌な予感がする。何かを見落としている気がしてならない。

 前方のゴーレムたちを意識の外へ放り投げ、周囲の状況へ目を向ける。辺りを見渡し、ゴーレムたちが出現して何かが変わってないか確認する。

 

 

「───あっ」

 

 思わず声が漏れた。

 勇者たちや俺が入ってきたフロアの入り口に、いつのまにか小さな緑色の魔法陣が展開されている。

 

 魔法陣にはさまざまな種類があり、その用途は色によって違う。

 青なら吸収、紫なら召喚。そして緑は──

 

 

 

 射出だ。

 

「くそっ!」

 

 俺はその場を駆け出し、勇者のもとへ走って行った。俺の予想が正しければ、あの緑の魔法陣からは攻撃が飛んでくる。……そしてあの魔法陣は角度的に、明らかに勇者を狙っている。

 

 そうか、そういうことか。

 

 この魔石トラップは、実に単純だ。侵入者たちの前に大量のゴーレムを出現させ、それに気を取られている隙に、後ろから魔法陣による矢か銃弾の射出で不意打ちをする、というものだ。

 

 しかしここは魔王の幹部が治めていた遺跡、その最深部。生半可な攻撃ではないだろう。おそらく、この遺跡内で一番殺傷能力の高いものをぶつけてくる。

 

 それこそ、一撃で死に至るような『何か』を。

 

 

 

 緑の魔法陣が光る。その瞬間、そこから一つの矢が放たれた。このままでは、あの矢が勇者の背中に直撃してしまう。

 恐らくあの矢は、ただの弓矢ではない。あれが刺さったら最後、対象が死に至るような猛毒でも塗りこまれているのだろう。

 

 

「勇者ぁッ!!」

 

 俺はその場を飛び、両手で勇者を突き飛ばした。その瞬間、魔法陣から射出された矢が、俺の右肩に深く突き刺さる。

 矢の勢いで体勢がずれ、そのまま地面に落下して倒れ伏した。

 

 

 

「……らっ、ラル?」

 

 俺に突き飛ばされて尻餅をついている勇者は、信じられないものを見るかのような表情で、俺の名前を呼んだ。同様に、シスターちゃんも魔法使いも、倒れた俺へと視線を映した。

 

 馬鹿、そんなことしてる場合じゃないだろ。

 

「……はぁ、はぁっ、ぅぐっ、ぁぁ゛……! ごっ、ごぉれっ、むが、くる……っ!」

 

 何とか声を絞り出して、俺に気を取られている三人に呼びかけた。このままでは、全員ゴーレムの餌食だ。早く戦え勇者。なにボケっとしてんだ。

 

「はっ、やぐ……っ!」

 

「……ぁ、うっ、うん! わかった、分かった! そこから動いちゃダメだよラル!!」

 

 正気に戻ったような勇者はすぐさま立ち上がり、その聖剣を握り直した。

 

 

 

 

 

 

 

 どれほど時間が経ったか。もはやゴーレムは一体も動いていなかった。その体は瓦礫の様に崩れ去り、もはや活動することはない。

 そんな岩兵たちの残骸の中心で、俺は仰向けに横たわっていた。

 

 戦闘の間に毒が回ったらしく、もはや目の前はボヤけていて、景色も人の顔もよく見えない。 

 ……多分、もう長くない。

 

「ラルッ! 呼吸を止めちゃだめだ!」

 

 そんな俺に激しく声をかけるのは、ゴーレムたちをあっという間に殲滅して見せた勇者だ。

 ははっ、相変わらずお強いことで。五分もかからなかったんじゃないか?

 

 ていうか、ちょっとうるさいぞ。頭に響くから静かに喋れよ。

 

「目を閉じないでくれっ! 頼むから眠らないで……!」

 

 いつの間にか、勇者が俺の右手を両手で握っている。

 コラッ、なにさりげなく触ってるんじゃい! 女の子やぞ!(中身は男)

 ……にしても、泣き過ぎじゃねぇか? 勇者。ぼやけてるけど、嗚咽とか手に落ちてきてる水滴でそれくらいは分かるぞ。

 

 さんざん旅を邪魔してきた女盗賊が死ぬ程度でこんなに取り乱すなんて、さてはお前、人の死を経験したことないな。

 

 まぁ最初に目の前で死ぬ人が、仲間じゃなくてよかったな。俺みたいな他人と言えども人が死んだらショックは多少受けるだろうが、やっぱりそこは他人だし、一日あれば立ち直るだろ。

 

 

 ひとつ思いついた俺はそっと手を伸ばし、勇者の頬に触れた。

 

「ラル……?」

 

「……ばーか」

 

 そしてグイッと頬を抓ってやった。

 

「なっ、な()を」

 

「おまえなんか……こうだ」

 

 さらにグイグイ頬を引っ張る。毒でもうあまり力が入らないが、死ぬ前に勇者を痛めつけてやる。

 せめてコイツの記憶に残るような事をしよう。そんでもって、俺を思い出して何回か落ちこむがいい。俺から勇者の座を奪った罰だ、コイツめ。

 

 

 あー、やばい、めっちゃ眠い。このまま意識手放したら、気持ちいいんだろうな。

 もう頑張る必要もないし、言うだけ言って終わりにするか。

 

「……ゆう、しゃ」

 

「なんだい? どうしたのラル」

 

 俺の片方の手を握っている勇者の両手が震えている。それに声も。へへ、ざまーみろ。目の前で他人の死を経験して落ちこめ~。

 勇者なんだから、いろいろ経験してもっとメンタル強くなっとけ、バーカバーカ。

 

 

 

 ──あぁ、もう、何も見えない。

 

 

 

「ラルっ、ラル!!」

 

 

「………ばーか」

 

 

 微笑むようにそう言ったあと、俺の手は勇者の頬を撫でるようにすり落ちた。

 

 それと同時に、意識が遠のいていくのを感じる。

 

 

 

 さよなら、ファンタジー。

 

 

 

 

 




TIPS:この世界で死亡すると、低確率で幽霊になる


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俺、幽霊になっちゃったよー(棒)

 気がついたとき、俺は森の中にいた。なんとも見覚えのある森で、少し記憶を辿っていけば、そこが街の周辺にある危険区域の森林であることは容易に想像できた。

 

 危険区域といっても、低級のモンスターやら魔物が出てくる程度なので、あくまで一般人が立ち寄らないだけだ。俺や勇者たちのような冒険者ならば、近道として利用することだってある。

 

 地形は把握しているので、とりあえず街に向かおう。幸い今は昼だし、本来薄暗い森の中も今は楽に移動できる。

 と、そこである事に気がつき、俺は立ち止まった。

 

 

 ……えっと、俺、遺跡にいなかったっけ?

 

「グルル……!」

 

「わっ」

 

 考え事をしようとした瞬間、茂みの中からオオカミのような魔物が現れた。鼻息が荒く、獲物を見つけた時の状態であることが見て取れる。

 しょうがない、取り敢えず応戦するか。

 

「……あれっ?」

 

 腰のホルダーにあるナイフを取ろうとしたのだが、手が滑って取れなかった。いつも同じ場所にセットしてある筈だから、ミスるはずない──

 

 

「──なんだこれ!?」

 

 首を下に向けてみると、そこにあったのは()()()()俺の足。ついでに腰のベルトもホルダーも無いし、今気がついたがショルダーバッグも背負ってない。

 身に纏っているのはいつもの安っぽい冒険者用の服のみで、他の装備が一切ないのだ。

 

「ガウッ!」

 

「うわっ、こっちくんなぁ!」

 

 俺が動揺している間に魔物が飛びかかってきた。その場で両腕を交差させたが、魔物相手に意味があるとは思えない。

 そして魔物の鋭利な爪は俺の体を引き裂き── 

 

 

 

「……?」

 

 俺の体には何も起きなかった。恐る恐る目を開けてみると、俺の目の前にいた魔物がいない。

 魔物を探す様に辺りを見渡すと、ちょうど俺の後ろ辺りで激しい物音が聞こえた。

 

 そこに居たのは銃を握っている男と、紅いペンキの入ったバケツをひっくり返したかのように地面を真紅に染め上げている、物言わぬ魔物だった。

 

 どうやら魔物のターゲットは俺では無く、後ろの男性だったらしい。そして男性は自分の持っている銃で魔物を倒した……と。

 

 危ない所を助けられたわけだし、取り敢えずお礼言っとかないと。

 

「あの、助かったよ、ありがとう」

 

「……ふぅ」

 

 ん? 何で溜め息? もしかして聞こえなかったのか?

 

「助けてくれてありがとう!」

 

 今度こそ聞こえるように大声で言ったのだが、男性は相変わらず無視だ。

 え、なんで? 無視しないでよ……。もしかして怒ってるのか?

 

 いやまぁ、たしかに怒るかも。俺が装備を持ってないせいで、わざわざ自分で戦わなくちゃいけなくなったんだもんな。

 でもお礼言ったんだし、目を合わせるぐらいはしてくれてもよくないか。

 

 

 そんなことを考えていると、男性は森の出口へ向かって歩き出してしまった。おいおい、ちょ、待てよ(キムタク)

 

 彼を引き止めようと、肩に手を置いた。

 

 

 ──その瞬間、俺の手が彼の体をすり抜けた。

 

「っ!?」

 

 思わず手を引っ込める俺。相変わらず、男性は俺に見向きもしない。え、なんだ、どういうことだ?

 すり抜けた手をまじまじと見つめていると、いつの間にか男性はいなくなっていた。どうやらさっさと行ってしまったらしい。

 

 

 

 ……見る限り半透明の身体。他人を触ろうとした瞬間にすり抜ける手、人間にも魔物にも視認されない姿。

 

 

 

 もしかして俺、幽霊になっちゃった!?

 

 

 

 待て待て待て、マジか、本気か。もしかしてあの遺跡で死んだから、幽霊としてこの森にリスポーンしたってことか?

 

 ……一応死霊使いの適正はあったから、ネクロマンサーやら死後の魂だとか、そういうのを齧ったことはある。もちろん魂がこの世に残留して、幽体として地上を彷徨う存在がいるってのも本で見た。

 

 だからって、まさか自分がそうなるとは思わないじゃん。

 さよならファンタジーとか言っちゃったぞ俺。うっわ、かなり恥ずかしい……! あそこで死んだもんかと思ってたのに……。

 

 あー、いや、実際死んでるのか。幽霊なわけだし。

 

 

「うーん、なっちまったもんは……しょうがないか」

 

 そんな事を呟きながら、再び歩き始めた。……ていうか、浮遊し始めた。

 自分では歩いている感覚なのだが、どうやらこの身体は微妙に浮いているらしく、傍から見ればフヨフヨ飛んでいる小さい女の子に見えるので、実に幽霊っぽい。

  

 生まれて初めて死霊使いの適性に感謝したな。魂魄やら死の概念を調べておいて正解だったし、おかげで思いのほか早く状況を把握することが出来た。

 

 

「……どこいけばいいんだろ」

 

 とは言ったものの、これからどうすればいいか分からない。

 寺やら教会やらに赴いて成仏させてもらった方がいいのかな。なんだかそれじゃ幽霊になった意味が無い気がするけども。

 

 とりあえず、俺が本当に死んだか確認したいな。もし死んだ直後なら、肉体に戻って生き返ることができるかも。

 

 

 

 フワフワと森を突き進んでいき、俺は街に入る前にある、巨大な墓地へ足を踏み入れた。昼という事もあってか、弔いに来ている人間もちらほら見受けられる。

 

 多分だけど、死んでから数日経過しているとすれば、俺の墓がある筈だ。あの遺跡に一番近い共同墓地はここだし、なにより看取ったのがあの勇者だから。

 

 スラム出身で身内も居ない俺だが、勇者となればたとえ他人だろうと目の前で死んだ人間の墓くらいは作るはずだ。

 

 できればあの遺跡で簡素な墓を作ったとか、そんなオチはやめて欲しいな……なんて思いながら墓地をウロウロしていると、見覚えのある顔を見かけた。あれは勇者パーティーのシスターちゃん……えっと、エリン? だっけ。

 

 彼女の後ろをついて行くと、周りの墓よりもほんの少し大きい墓石が鎮座する場所に着いた。彫られている文字を見れば、そこには『ラル・ソルドット』の文字が。

 

 生前もあまり人に語られることのなかった名前だ。ラルって名前を呼んでたの、勇者とエリンちゃんくらいじゃないかな?

 

 

「……」

 

 無言で俺の墓に花を添えるエリンちゃん。そしてその場で両膝をつき、両手を組んで顔を俯かせた。

 

 いわゆるお祈りのポーズだろうか。さんざんトラップで旅を邪魔してきたのに……うぅ、嬉しい。エリンちゃん、やっぱりシスターなんやなって。

 

「……っ、ぅ」

 

「え?」 

 

 思わず間抜けな声を出してしまった。手も肩も震えていて、どうにもエリンちゃんの様子がおかしい。

 

 

「うぅっ……ふっ……! っぇ゛……!」

 

 嗚咽をし始めた。程なくして、その瞼からは温かい水滴が零れはじめる。

 そして彼女はいつの間にか祈る事も忘れ、そのまま内股で座り込み、両手で顔を覆ってしまった。

 

 ただひたすらに押し殺すような嗚咽を続けながら、次第に懺悔の言葉を吐き出し始める。

 

「ごめんッ、なさ……ッ……ぅえっ、ひぐッ……! あだしのっ、せぃで……うぁ゛ぁ……ッッ!!」

 

 

 

 

 えぇ……(困惑)

 

 

 

 



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憑依しちゃうぞ

 非常にマズイ。エリンちゃんが嗚咽を通り越して、大泣きし始めてしまった。

 今いる場所は他の人も訪れる巨大な共同墓地だし、このままじゃエリンちゃんの近くに人が集まってしまう。

 

「どーすりゃいいんだ……!」

 

 あたふたしながら頭の中を掘り返していく。

 幽霊に出来る事って何だ……? 相手には触れることができないし、声を届けることもできない。

 

 ポルターガイストみたいに他の物体に触れることはできるかもしれないけど、それをしたところで今のエリンちゃんが更にパニックになるだけだ。

 

 うーんと、えーと。

 

 

 ──あっ、そうだ。死霊使いの勉強してたとき、たしか幽霊の使い方みたいな本を読んだんだ。

 そこに書かれてたのは、対象の人間の肉体に入り込むことで強制的に意識を奪う『憑依』とかいう技術。

 

 うまくいくか分からないけど、それを使えばとりあえずこの状況は打破できるはず!

 

「お邪魔しまーす……!」

 

「──っ!?」

 

 エリンちゃんにタックルをかます勢いで突っ込んでみると、身体全体が水中に入っている時のような感覚に支配された。四肢を纏う不可思議な感覚に動揺したが、なんとか意識をしっかり保つ。

 

 本の情報によれば、意志や精神力が強い人は幽霊の憑依を拒否して魂を弾き飛ばすことができるらしいし、俺が気を抜いたら憑依はできないかもしれない。意外と高度な技だ。

 

「……あっ、ぐ……」

 

 エリンちゃんが呻き声を上げて数秒、次第に体の感覚がハッキリしてきた。指先まで纏わりついていた不思議な感覚は薄まっていき、まるで自分の体を動かすかのように『当たり前』の感覚が湧きあがっていく。

 

 

「……お?」

 

 気がつけば、俺の視界には巨大な墓石が映っていた。これはつまり、エリンちゃんの視点になったということか。

 

 両手両足も自由に動くし、体に不自由な感覚は一つもない。

 どうやら、完全に憑依が成功したらしい。

 

 

 シスターの からだを てにいれた!

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 ギシギシと音を立てる木製の階段を上っていき、とある部屋の前にたどり着いた。ここは現在、勇者が使用している部屋だ。

 

 私たち勇者パーティは、主にこの街に拠点を置いている。この街は王国の中でも特に大きく、また中心でもある。ここを拠点にすれば様々なエリアへ行きやすくなるし、戻ってくるのも容易だ。

 

 今回も王国からの直々の依頼で、北の街に進攻しようとしている魔王軍の手先を殲滅することになっている。

 なっている……のだが。

 

「あの、勇者? ファミィだけど……入ってもいいかな」

 

 何回かドアをノックしても返事がないので、声をかけた。しかし部屋の中から返答が飛んでくることはない。

 

 私は心の中で溜息を吐きつつ、両手に持っているトレーに視線を落とした。

 そこにはパンやスープなど、簡単な食事が乗せられている。依頼の話をする前に、彼にはこれを食べてほしい。

 

 あの盗賊女が死んでから一週間、勇者は一度も食事をしていない。彼の持つ聖剣の影響で本人の生命力は保たれているが、栄養摂取は生物の基本だ。このままではいつ倒れてもおかしくない。

 

 さすがに心配だ。我慢ならずにドアに手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。

 

「入るよ?」

 

 恐る恐る中へ足を踏み込んでいくと、硬い何かを踏んでしまった。感じた痛みからくる声をなんとか我慢し、何を踏んだのか確認する。

 

 私の足元にあったのは、小さな写真立てだった。その中には、冒険を始めたばかりの頃の、私たち勇者パーティーの写真が。

 

 勇者を囲むようにして、私とエリン……それから今は怪我で療養中の女騎士、ユノアが立っている。みんな笑顔で、この時の楽しそうな雰囲気が写真からは感じられた。

 

 

 でも、写真立てのガラスにはヒビが入っていた。そんな状態で床を転がっているなんて、まるで怒りに任せて投げ捨てたかのようだ。

 

 嫌な予感がして、正面を見た。そこにはベッドの上で蹲って、体全体を毛布で覆っている勇者の姿が。

 私は左にある机にトレーを置き、小さい声で勇者に声をかけた。

 

「勇者……あの、ご飯を持ってきたんだけど」

 

「……」

 

 なるべく控えめな声音で話しかけたのだが、勇者からの返事はない。眠っているわけでなさそうだし、彼は私と会話する気がないのだろうか。

 

「聖剣の生命力維持だって、栄養が送られてるわけじゃないよ……。このままじゃ体が持たない」

 

 少し近づいて話してみるが、私へ意識を向ける気配はない。その様子に不安感を覚え、その場で立ちすくんでしまう。

 これ以上、どんな言葉をかければいいのか分からない。彼を励ましたいのに、どんな台詞も意味をなさない。

 

 

 

 こんな姿の勇者は、これまで一度も見たことがない。勇者はいつだって気高くて、常に余裕を持っていた。安心する笑顔を見せてくれて、私や仲間が落ち込んだ時も精一杯励ましてくれた。

 

 どんなときも勇者は折れなかった。不意を突かれて魔王の幹部に負けた時も、狡猾な魔物に聖剣を奪われた時も、敵の策略で誤解から村を追い出されたときも、彼は冷静で明るかった。

 

 そんな勇者を私は尊敬していたし、出来るならばこの人の支えになってあげたいとも思った。

 

 ──なのに。

 

「出ていけ」

 

「……え?」

 

 静かな声音で私を追い払おうとする彼に、狼狽するばかり。

 

 

「早く出ていけ……誰の顔も見たくない」

 

「ゆっ、勇者──」

 

「消えろっ!!」

 

 

 今までに聞いたことのない彼の怒号に恐怖し、私は逃げるように部屋から出た。突然のことで動揺してしまい、若干過呼吸になってしまう。

 

 一階のリビングまで戻り、ソファに腰掛ける。もう頭の中がぐちゃぐちゃで、泣きたくなっていた。

 

 

 どうして? 何で勇者はあんなに塞ぎ込んでしまっているの?

 

 目の前で他人が死ぬなんて、彼にとって初めての経験ではないのに。魔王軍に蹂躙される村人や、難病で命を落とす子供だって、旅の中でたくさん見てきたはずだ。

 

 そのたびに悲しんで、魔族に怒りを燃やして、墓標に花束を手向けて、前に進んできた。一度だって現実逃避をしたことなんてない。

 

 

 

 ……そんなに、あのラルとかいう盗賊女が大切だったのか? あんな小さくて、口が悪くて、旅の邪魔をしてきたあの女が?

 

 たしかに、彼女のおかげで助かった場面はいくつもある。彼の言う通り、数多のトラップは素直に協力できない彼女なりの照れ隠しだったのかもしれない。

 

 それでも、他人だろう。勇者になったその日に出会ったと言っていたが、共に旅をしてきた仲間である私たちと違って、彼女は一匹狼の盗賊。パーティに誘った時だって、なにやらごちゃごちゃ言って加入を断ったじゃないか。

 

 

 なんなんだ、クソっ! わからない! あの女が!

 

 

 何であんな分かりやすい罠で道案内をするんだ。どうして呪いが付与されている私たちのアイテムを盗んで助けた。

 

 あんなにも勇者を導いておいて、なぜ仲間にならなかった! 勇者を目の敵のように言っていたのに、なぜ身を挺して彼を助けた! 何がしたいんだあの女は!?

 

 どうして───どうして勇者は、私たちよりもあの盗賊女が大切なんだ。私が魔物の毒に犯された時も、ほとんど焦らなかったじゃないか。

 

「うぅっ……」

 

 思わず泣きそうになってしまったが、なんとか堪えた。ネガティブな思考に取りつかれてしまっているが、このままではいけない。私よりも小さいエリンの前で、情けない姿は見せられないから。

 

 この行き場のない憤りは、今は心の中にしまい込んでおこう。

 何を言ったところで、ソルドットは帰ってこない。彼女は自分の命を賭して、勇者を救ってくれたのだから。

 

 これ以上余計に考えたら、取り返しがつかないほど死者を冒涜することになってしまう。一人の人間として、そんなことをしては駄目だ。

 

 

 ふと、時計を見てみると、時刻はとっくに昼を過ぎていた。ラル・ソルドットの墓へ行ったエリンの帰りが遅い。

 

 彼女は勇者の今の状況に焦るばかりか、ソルドットの死因が自分だと思い込んでしまっている。ここ一週間は、アイツの墓に通い詰めだ。もしかすれば、罪悪感に押しつぶされて、共同墓地で打ちひしがれているかもしれない。

 

 

 少し心配になってソファから立ち上がると、玄関からノックの音が聞こえた。おそらくはエリンだろうが、どうしてわざわざノックをするのだろうか。拠点のカギは持っているはずだ。

 

 玄関まで歩いていき、小窓を覗いてみる。そこから見えたのは、見慣れた金髪の少女……やっぱりエリンだ。

 客人ではないことに胸を撫で下ろし、玄関の鍵を外してドアを開けた。

 

「おかえり、エリン」

 

「あっ、あぁ、ただいま……です。魔法つか──あ、いやっ、ええと……」(やべっ、この子の名前忘れた! ふぁー、ふぁ……なんだっけ?)

 

 

 ──玄関の先にいるエリンは、なぜか挙動不審だった。

 

 

 

 

 

 

 



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ポルターガイストをくらえー!

 勇者のアジトに着いた俺はソファに座り込み、そこで憑依を解除した。あまりエリンちゃんの体を操り過ぎるのも良くないと思ったからだ。

 

 どうやら憑依は行った本人も対象にされた人間にも負担がかかるようで、俺は若干息切れ(幽霊なのに?)して、エリンちゃんはそのままソファで眠ってしまった。

 

 魔法使い……ファミィちゃんが「疲れてしまったのね」とか言ってエリンちゃんをベッドに運んだので、彼女はとりあえず大丈夫だろう。

 

 ちなみに言うと、幽霊は憑依した人間の記憶を辿ることが出来る。最初は動揺して名前を言えなかったが、しっかりとエリンちゃんの記憶を見ていけば、ファミィという名前は直ぐに知ることが出来た。

 

 まぁ、今回は共同墓地から退避する為に緊急的に憑依したので、これからはむやみに憑依をするべきではないかもしれない。記憶を見てしまうのは普通にプライバシーを覗いているのと同義だし、なにより俺自身がつかれてしまう。

 

 幽霊とかいう不安定な存在なのだし、あまり無茶はしない方がいいだろう。

 

「それにしても……まさか勇者が引きこもっているとは」

 

 ソファの上をふよふよと飛びながら、小さく呟く。エリンちゃんの記憶を読み取った際に、一番早く流れ込んできた情報がそれだ。

 どうやら思った以上にダメージを受けているようだが……。

 

「いやいや、それどころじゃないだろ」

 

 エリンちゃんの記憶にあったもう一つの事象を思い出し、首を振った。

 どうやら北方の街に、魔王軍の手先が侵攻してくるらしいのだ。北の街は軍などの戦力がほとんど存在しないし、手続きも経ずに最前線まで行って戦えるのは勇者だけだ。

 

 それに侵攻を阻止するには、今すぐにでも北の街へ向かわなければ間に合わない。それほどまでに時間が無い。

 

 というわけで、勇者には今すぐにでも脱ニートをしてもらわないと困るのだ。

 

 

 

「ここか」

 

 勇者の部屋の前に着いた。俺は幽霊なので、ドアをすり抜けて入ることが出来る。

 深呼吸をしてから扉を透過してと入室すると、中は悲惨な光景だった。

 

「うわぁ……」

 

 思わず声が出てしまう程度には、部屋が荒れている。いろいろなものが散らばっているし、壁には穴が空いているし、照明は割れている。しまいには、勇者の命と同等に大切なはずの聖剣が、無造作に床に転がっている。

 

 これは……呆れるなぁ。お前ちょっとナイーブ過ぎないか?

 

 目線をベッドの上に移せば、そこには膝を抱えて固まっている勇者が見える。彼の近くまで寄ってみると、目を開けていることは分かった。どうやら眠ってはいないようだ。

 

 それにしても、目つきが悪い。眼の下にクマめっちゃできてるぞ。

 

「おーい、勇者ー」

 

 ためしに声をかけてみたが、やはり聞こえてはいない。勇者といえども、死者の声は聞けないか。

 うーん、どうすっかな。なんとかコイツに発破をかけて動いてもらわないといけないんだけど……。

 

 

 何かないかな~と辺りを見渡していると、机の上に何かを見つけた。そこにあったのは白い紙とペンだ。

 ──そうか、筆談ならいけるな。

 

 思いついた俺はサラサラと紙に文章を書き、それを両手で持って勇者の目の前に突き付けた。

 彼からすれば白い紙が宙に浮いていることになるが、勇者はほんの少し怪訝な表情をしたものの、すぐに目を伏せてしまった。

 

【北の街に魔王軍の手先が来る 早く戦いに行け】

 

「……ファミィ、わざわざ透明化の魔法を使ってまで、僕にちょっかいを出しに来たのか?」

 

 ハッ、と力なく笑う勇者。なんか勘違いしてるけど、そこはどうでもいい。コイツに動いてもらわないと困るのだ。

 

 説得が必要だと感じ、紙に素早く文字を書き足していく。我ながら文字を書くスピードはかなり速いと自負しているので、ほぼ普通の会話と遜色ないテンポでコミュニケーションが取れるはずだ。

 

【なぜ動かない お前は勇者だろう】

 

「……キミに何がわかる」

 

【分かるわけない いい加減立ち直れ】

 

「──ッ゛!!」

 

 その文字を見た瞬間、怒りの形相に変わった勇者が立ち上がった。思わずビビって後ずさってしまった。

 なっ、なんだってんだ。

 

「ラルが……ラルが死んだんだぞッ! まだ戦えると思っているのか! 僕がッ!?」

 

「えっ、えぇ……?」

 

 なんでそんなキレてるの……。旅を邪魔してきた女盗賊が死んだだけだろ。

 いやまぁ、確かに勇者になる前から面識はあったけど。それでも仲良しとか、そういうわけじゃなかっただろうに。

 

「彼女はッ! 彼女はぁ……! 僕の……ボクの……っ」

 

 怒りに染まったかと思いきや、力なくへたり込む勇者。指先が震えていて、今にも泣きそうな表情になっている。

 

 なんだよ、大袈裟な。まるで家族や恋人が死んだみたいなリアクションしやがって。

 そんなに繊細な心の持ち主かよ、お前。

 

「……君は知らないだろう、ラルのことを」

 

「知ってるわ! 俺が本人だよ!」

 

「彼女とは昔からの仲だったんだ……旅の途中で出会っただけの、君たちとは違う」

 

「昔からの、って。お前なぁ……」

 

 わざわざ声に出して文句を言うが、彼には聞こえていない。

 おいおい、独白とかやめてくれよ。全部知ってるっつーの。

 

 

 

 

 簡単に言えば勇者───アルトとは、スラム時代からの知り合いだ。

 

 食い物の盗みがバレて大人にリンチにされた瀕死の俺を、偶然見つけたアルトが教会まで運んだ。

 そしてしばらく教会で介抱されて元気になった俺に、たびたび自分の親やシスターに内緒で食べ物を持ってきていた。

 

 一体何が彼の関心を引き付けたのかは分からないが、勇者を選定するあのダンジョンに入る前から盗人みたいな生活をしていた俺に、彼は何度も接触してきた。ムカつくくらいの、眩しい笑顔で。

 

 あのときの彼はいわゆる大人しい少年で、大胆な事をできる年頃では無かった。

 

 そんな時の彼が、わざわざ危険なスラム街まで訪れて、俺に食料を渡しに来ていたのだ。アルトから見て、弱虫な自分でも助けなきゃいけないほど、かわいそうな少女に見えていたのだろうか、俺は。

 

 

 

 

 ……なんかイライラしてきた。しつこいほど俺に構ってきて、そのうえで勇者の座を奪って、しまいには勇者の使命を放り投げて?

 何考えてんだコイツッ! 俺のことバカにしてんのか!?

 

【ふざけるな】

 

「……は?」

 

【死んだ人間を愚弄する気か それでも勇者か】

 

 目の前に浮かぶ紙を見て、アルトは僅かに動揺している。だがそんなこと、知った事では無い。

 怒りのあまり、ペンを動かす腕が速くなっている。まるでパソコンで文字を打つかのごとく、次々と素早く紙に文章を連ねていく。

 

【何でお前がいま生きてるのか考えてみろ ていうかシリアスな雰囲気で仲間を困らせるな つかさっさと北の街に行って魔王軍と戦え 民は勇者のこと待ってんだぞ】

 

 

「……ふぁ、ファミィ?」

 

【お前マジでふざけんなよ 落ち込んでる時間なんか物理的に存在しねえぞ いまにも魔王軍が攻めてこようとしてんのに ニートしてんじゃねぇぞ馬鹿アルト】

 

 次々と文章を書いた紙をアルトに投げつけていく。これでもかという程文章を詰め込んで、彼の顔に押し付ける。

 なにやら狼狽を隠せていないアルトだが、かまわず書いていく。おら、なにボサッとしてんだ!

 

「なっ、なんで……」(勇者になってから、誰にも名前を教えていないはずなのに、どうしてファミィが僕の名を──)

 

【ゴチャゴチャうるせぇ 早く動けよホラ ていうか部屋から出てけ バーカバーカ】

 

 書くだけ書いた後、近くにあった枕を掴んでアルトの顔にぶん投げた。怒りがなかなか収まらない。

 

 

 ──お前がこのまま引きこもって戦いに行かず、北の街が魔王軍に占領されちまったら、俺が死に損じゃねーか! お前いい加減にしろよ!?

 

「出てけ! 早く出ていけバーカ!!」

 

「うっ、うわっ!?」

 

 近くにあった時計、コップ、本、道具袋、靴、その他諸々の手に持てる物を全て彼に投げつけていく。説得とかまどろっこしいことなんてしてられねぇ。こうなったら俺流ポルターガイスト現象で、強制的にこの部屋から追い出してやる。

 

 おらっ、オラくらえっ! なんかヤバそうな宝玉とか煙玉とか椅子とかも投げてやる!

 

「いてっ! ちょ、ファミィっ、それは本当に危ないって!」

 

 

「うるっせぇな……! この──」

 

 ついでにこの転がってる聖剣もぉ!

 

 

「バカアルト──ッ!!」

 

「ワァァッ!?」

 

 俺が思いっきりぶん投げた聖剣をなんとかキャッチしたアルトだったが、勢い余って部屋の外へ転げまわった。その機を逃さず、俺はすぐさま部屋のドアを閉めて鍵をかけた。これでもう部屋に引きこもることはできない。

 

 

 紙とペンを持ってドアを透過して外へ出ると、階段をも転げ落ちたのか、アルトは一階のリビングで尻餅をついていた。

 彼の傍には焦った様子のファミィちゃんと、早くも目覚めたらしいエリンちゃんがいた。

 

「ちょっと勇者、どうしたの!?」

 

「……えっ、あれっ、ファミィ?」

 

「勇者さま大丈夫ですか!」

 

 どうやら三人揃ったようなので、これは好都合。俺はサラサラと紙に文章を書き記し、勇者パーティ三人の前にパラリと一枚の紙を落とした。それはちょうどアルトの手に渡り、その内容を三人が顔を寄せて確認する。

 

 

 

【ふはは、早く北の街に行って魔王軍を倒しにいくがいい! さもなくばお前らの生活をポルターガイストがおそうだろう~!】

 

 

 

「……勇者、これなに」

 

「ぼっ、僕にもさっぱり」

 

 アルトの隣の二人は怪訝な表情のまま固まっているが、数秒間紙を見つめた彼は、ゆっくりと立ち上がった。

 そして静かに上を見上げる。

 

「──でも、とりあえず……行かなきゃダメ、なんだろ?」

 

 そう言って空中に語りかけるアルト。はっはっは、残念だったな! 俺はそこじゃなくてお前の頭の上じゃい!

 まぁ、一旦は立ち直っただろ。まずはさっさと、北の魔王軍をやっつけるがいいさ。

 

 

 

「おらおら、早く行かないとまたポルターガイストするぞ~!」

 

 

 

 

 




まいったか!


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魔王ですかぁ!?

大量の誤字報告いただきました
めっちゃありがとうございマ°っ!


 ポルターガイストを引き起こしてから約半日。今の時刻は深夜といったところか。

 

 意外にも立ち直った勇者のフットワークは軽く、すぐさま準備を済ませて業者の馬車に乗り込んだ。そんな勇者の様子を見てファミィちゃんは訝しんでいたが、反対にエリンちゃんはかなりご機嫌だ。

 

 町を出るときに「勇者さまが戻ってきた……!」とか呟いてたし、ニートしてる時の勇者のことは忘れたいようにも見える。強さに憧れてパーティに入ったのだろうし、気持ちは分かるなぁ。

 

 

 そして今いる場所は、街道のはずれにある開けた草むらだ。時たま出現する魔物と戦闘しながらの移動だったので、勇者はともかくエリンちゃんやファミィちゃんには休憩が必要。それに足がつぶれないように馬車馬の休息もかねて、今日はここで野営をするようだ。

 

 北の街まではあと数時間で到着するし、魔王軍の進行具合を考えれば、奴らが攻めてくる一日前には到着できるはず。

 

 普通の軍や精鋭隊からしたらあまりにも時間が足りないが、たった一日……いや半日であろうと闘う準備ができるのは、勇者パーティの特権といったところだろうか。

 

 

 

「……ふぅ。まさか野営前に戦闘するとは思わなかった」

 

 袖でグイっと額を拭いながら、聖剣を地面に刺して切り株に座った勇者が呟いた。焚火や夜食の準備で油断しているときを狙われたようだが、危なげなく魔物を撃退した。腐っても勇者といったところか。

 

「エリン、もう周囲に魔物はいないんだね?」

 

「はい。魔力索敵にも検知されませんし、辺り一帯は安全です」

 

「じゃあ……ふわぁっ……もう寝ようかな」

 

 そう言ってあくびをする勇者を見た瞬間、エリンちゃんが正座をした。……なんというか、期待を隠しているような表情をしながら。

 

 

「あっ、あのっ、勇者さま。よかったら……その、私の膝を枕にでも……」

 

 チラッ。

 

「え?」

 

 チラッ。

 

 ……何度も勇者の様子を窺うエリンちゃん。な、なんと大胆な。

 あーっ、そこ! なにちょっと嬉しそうな顔してんだアルト!

 

 ダメだからな。だめだめ。エリンちゃんは疲れてるんだから、ちゃんと横になって休まないとダメだ。てか膝枕とかマジでダメだぞ。俺の前でイチャつきやがったら呪い殺すからなアルト。

 

 俺はもはや必需品と化した紙にスラスラと文字を書き込み、アルトの顔に思いっきり貼り付けた。

 

「はいどうぞ!」

 

「ぶっ!? いてて……! ま、またか」

 

 痛む顔を抑えて若干呆れながら紙を確認するアルト。

 

【エリンちゃんに無理させたら聖剣の鞘で顔面をぶん殴ります よろしいですね?】

 

「いやよろしくないって!」

 

 叫びながらアルトが聖剣を抱きかかえた。またポルターガイストされたくなかったら、不用意に女の子に触れるのは控えるがいい。

 

 俺が勇者の目の前でふよふよ漂っていると、ファミィちゃんが地面に簡易的なシートを敷いた。流石に地面にそのまま寝転がったら体が痛くなってしまうし、野営の際はいつもこれの上で眠るらしい。

 

 当のファミィちゃんは、辺りをキョロキョロしながら聖剣を抱きかかえている勇者を見て呆れている。

 

「……はぁ。また見えない何かに遊ばれてるの?」

 

「やっぱり近くにいるみたいで……」

 

「そういえば、ファミィさんにもポルターガイストさんは見えないんですか?」

 

 ふとシスター少女に質問を振られたファミィちゃんは、目を閉じて首を振った。

 

「さっぱり。可視化魔法を強化すれば見えるかもしれないけど、今はそんな時間ないしね」

 

 そう言いながら魔法使いはシートの上に寝転がった。

 実際、俺のことが見えるようになったら、どうなるのだろうか。死ぬ前からファミィちゃんには嫌われてたっぽいし、やっぱり除霊とかされちゃうのかな。

 

 まぁ、もし見えるようになったら。

 

 とりあえずエリンちゃんに謝りたいな。死んだのは君のせいじゃないって、訂正もしておきたい。トラップなんて仕掛けたヤツが100パーセント悪いのだし、それなら怒りの矛先を魔王の幹部に向けることになるし、実際そうしてほしいところだ。

 

 

 ……さて、勇者パーティはみんな寝るようだけど、俺はどうしようかな。

 幽霊だからなのか、眠気は無い。だから睡眠は必要ないし、暖を取る必要もないから焚火のそばにいなくてもいい。

 

「んー。周囲の探索でもするか」

 

 呟いた俺はふわふわと浮遊しながら、野営地を離れた。エリンちゃんが魔力探知をしてくれたので探索の必要はないのだが、念には念を、だ。

 ……本当は暇なだけだけど。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 やばいやばいやばい。

 

「……で、どうかな?」

 

 にっこりと笑いながら、妖艶な表情で俺に顔を近づける白髪の少女。その行動は当然、俺が見えている事のなによりの証明だ。

 そして俺はというと、幽霊なのに地面に尻餅をついていた。

 

 どっ、どうしよう……!?

 

 

 

 ───遡ること数分前。周囲を探索していた俺は、不意に後ろから声をかけられた。俺は幽霊だし誰からも視認されないはずなので、その声を無視した。当然、俺に声をかけたわけじゃないと思ったからだ。

 しかしながらその声をかけてきた本人は、どうやら本当に俺に挨拶をしていたようで……。

 

 気がつけば、俺はその白髪の少女に押し倒されていた。ムッとした表情だったし、無視されて不機嫌になったのだろう。

 

 だが幽霊とはいえ、急に押し倒されたらビックリもする。そんな俺が彼女に文句を言おうと口を開いた瞬間──

 

『こんばんは、ラル・ソルドットさん。私は魔王! あなたを魔王軍にスカウトしに来たんだ!』

 

 満面の笑みで、そう告げた。

 

 

 

 ──時は現在に戻る。

 いやいやいや、なにそれ。現在に戻る、じゃないが。

 えっ、何? こんな可愛い女の子が、あの魔王? ていうか、魔王本人が俺をスカウト?

 

 ──???(理解不能)

 

「もしもーし、大丈夫ー?」

 

「うわっ」

 

 彼女に掌でペタペタと頬を触られ、我に返った。おてて柔らかくて温かい。……じゃなくて!!

 

 冷静に状況を分析すれば、女の子だという事を差し引いても、俺は勇者の宿敵である魔王に押し倒されていることになる。なんだそれヤベェな。

 

 

 とりあえず怒らせないように、尚且つ安全に事を運ばなければっ。

 

「えっと……その、なんで俺を?」

 

 遠慮がちに、呟くように質問した。

 

 何故見えているのか、なんて質問はしない。どうせこの世界には、俺の思っている以上に幽霊を視認できる奴は沢山いるのだろう。それが魔王となれば、不思議でもなんでもない。

 

 問題は俺をスカウトする理由だ。俺は生前有名だったわけでもないし、今はただのしがない幽霊。めちゃくちゃ強い特別な能力とかも持ってないし、俺を誘う理由が分からない。

 

 お互いの顔が超至近距離のまま、白髪の少女──魔王は不思議そうな顔をした。かわいい。いやそうじゃない。

 

「あれっ……もしかして、自分の価値わかってない?」

 

「そ、そんなこと言われても……」

 

 俺はただ狼狽するばかりだ。盗賊技術も幽霊のことも普通の人よりちょっと知ってる程度だ。

 一体俺の何が彼女の琴線に触れたのだろうか。

 

 

「うーん。じゃ、この際だから教えてあげる。実はね、幽霊体(ゴースト)ってかなり珍しいんだ。しかもキミみたいに物体に触れたりできる子なんてごくわずか」

 

「そうなの……」

 

「そうなの♪ ていうかラルちゃん、憑依(ポゼッション)も簡単にやってるみたいだけど……あれを使えるゴースト、キミ以外じゃ既に魔王軍を退役したおばあちゃん幽霊ぐらいしか見たことないよ」

 

 んふふ、と微笑みながら告げる魔王……ちゃん? いやこの呼び方はやめておこう。魔王でいいや。

 

 とにかく。彼女が言うに、幽霊は珍しいらしい。幽霊になってからまだ一日とはいえ、他の幽霊は今のところ見つけていないし、確かに数自体は少ないのかもしれないな。

 

 

 ……だっ、だとしても。

 そもそもの問題として、俺が魔王軍に入る理由が存在しない。いくら可愛い白髪女子に誘われても、あくまで勇者サイドの人間である俺は魔物にはなれない、というかなりたくない。

 

 そんな俺の意思が表情に現れてしまっていたのか、魔王は俺の顔をまじまじと見つめると、ゆっくりと俺の上から退いた。それどころか立ち上がるときに手を貸してもらってしまった。

 

 

 あわわ……自分以外の女の子の手、初めて握った……(童貞)(いや処女?)(謎は深まる)

 

「うーん、たしかにまだ魔王軍に入るメリットはないか。ラルちゃん、今は勇者くんと一緒に居たいらしいし」

 

 なななに言ってんだふじゃけるな!!

 

「バっババッバカなこと言わないでね!? 今はアイツが不安定っぽいから様子見てるだけだから! なんならアイツがちゃんと立ち直ったら魔王軍入ってもいいくらいだから!!」

 

「うわぁすっごい早口」

 

 クスクスと小さく笑う魔王。明らかに俺のことを軽く見ている。

 

 くっそう、この女舐めやがってぇ……! いじめるぞ! 憑依して三日ぐらいお風呂我慢するぞ! その綺麗な白髪ボサボサになってもいいのか!?

 

 

「まぁ、急がなくてもいっか。今日は一旦帰るよ」

 

「一生会いに来るな! お城に引きこもってろ!」

 

「またね~」

 

 俺の必死の抗議を無視して、魔王は手をヒラヒラさせながら魔法陣を通って何処かへ消えた。

 

 

 

 うぅ、一体なんだったんだ。魔王だのスカウトだのポゼッションだの、言うだけ言って帰りやがって。

 

 あんな綺麗で意地悪な女の子をこれから倒すなんて、勇者も大変だな。少し同情するぜ。

 

「あー、なんかダルい」

 

 魔王との遭遇イベントとかいう異常な体験をしてしまったので、かなり疲れた。

 もう野営地に戻ろう。事実だけ見れば魔王に出会ってしまったわけだし、これは勇者に相談しておかないと駄目だな。

 

 

 

 

 

「んぅっ、ゃぁっ、勇者さまぁ……!」

 

「………」

 

 戻ってきた俺の目に最初に映ったのは、同じシートの上で眠っているエリンちゃんとアルト。アルト側は寝惚けているのか、目を閉じて寝言を言いながらエリンちゃんの体をまさぐっている。

 

 右手は彼女の胸、右足は彼女の足の間、そして顔は超至近距離。エリンちゃんは若干抵抗しているものの、勇者の力が強いのか、離れることが出来ていない。

 

 少し恍惚とした表情で何やら期待しているようにも見えるのだが、おそらく気のせいだろう。

 

「……」

 

 鞘に収まっている聖剣を無言で持ち上げる。そして聖剣を引き抜き、本体を地面に捨てて鞘を両手で握った。そして二人の傍まで近寄り、鞘を使ってアルトからエリンちゃんをグイッと避難させる。

 

「……あっ、あれっ? もしかして……ポルターガイストさん?」

 

「………」

 

 そして勇者の上に立って鞘を両手で握りこみ、天高く鞘を掲げた。

 

 

 

 

 オデ ラッキースケベ ユルサナイ 

 

 

 

 

「死ねぇぇぇェェッッ!!!」

 

 思い切り振りかざした鞘は勇者の顔面にクリーンヒット。こうかは ばつぐんだ!

 

「ぶゲェッ!! ……えっ? えっ!? なに!?」

 

「魔王軍に入るぞコラァ──ッ!!」

 

 もう一発くらえ!

 

「ちょ、まっ──あガァッ!!」

 

 ふざけんなよお前ふざけんなよ!? マジで信じられねぇ死ね!

 俺が魔王と対峙して神経すり減らしながら頑張ってる間にお前はセクハラしてたのか! 年下の女の子に手ぇ出してたのか! ちゃっかり一緒に寝てたのかぁ──ッ!!

 

「ぽっ、ポルタ―ガイスト!? やめっ、なんで──い゛でぇ゛ぇ゛っ!!」

 

 

「バカ! 死ねバカ! ばかばかっ!! バ──カッ!!!」

 

 

 

 




お前きらい!!!


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ゴーストだけどシスターっぽいことするぞ

 ここは北の街、その市街地。建物や人が密集する街中で、大剣を携えた一人の大男が暴走していた。

 

 その尖った耳や紫色の体色を見れば、その男が魔物であることは容易に想像がつく。また、その剣捌きからは、彼が只者ではないという雰囲気が見て取れた。

 

 そしてその大男は大剣を真上に掲げ、耳を劈くような大声で咆哮した。

 

「我はファイアナイト──紅蓮を纏いし剣士であるッ! 魔王様の命により、進軍に先駆けて参上仕った!」

 

 叫びながら刀身に炎を纏った大剣を振り回すファイアナイト。その周囲には、彼を止める為に戦った衛兵たちが倒れ伏している。幸い死人は出ていないようだが、それも見せしめの為だろう。

 

 誰かの死体よりも、苦しむさまを見せつける方が恐怖心を煽れる。そんな醜悪な魂胆が透けて見える魔族の大男は、次々と衛兵や市民をその愛剣で蹂躙していっている。

 

 

 俺たちがこの街に到着した時、既に市街地は戦場になっていた。あのファイアナイトという大男が、北の街に向けて侵攻している魔王軍よりも早く、単身で街に攻め込んできていたのだ。

 

 その圧倒的な戦闘力の前に街の衛兵たちは手も足も出ず、また数少ない北軍の人間たちは城門前で魔王軍を迎え撃たなければいけない。

 

 もはや彼を止められるのは、今さっき街に到着したばかりの勇者パーティだけだ。

 

 

「ふははは! 貴様も我が魔剣の錆としてくれよう!」

 

「きゃあぁっ!」

 

 親とはぐれてしまったのか、黒髪の少女が道端で尻餅をついている。そんなか弱い少女に目をつけた悪辣な魔物は、彼女にその剣を振り下ろす──

 

 

 ガキンッ、と金属音が鳴り響いた。ファイアナイトの振り下ろした魔剣は肉を切り裂くことはなく、その斬り込みは勇者の聖剣によって防がれていた。

 

 間一髪で彼に守られた少女は、プルプルと震えながら細目で自分の前方を確認した。そして自分を庇った人間が勇者だと気づくと、彼女は涙目になりながら嬉しそうな表情に変わった。

 

「……あっ、ゆ、勇者様……っ!」

 

「エリンッ、その子を頼む!」

 

「はい!」

 

 間髪を容れずに剣を叩き込んでくるファイアナイトの攻撃を往なしながら、後方で待機していたエリンちゃんに指示を飛ばす。シスター少女はすぐさま少女の手を引き、安全なへ向かって駆け出した。

 

 これでこの場にいるのは紅蓮の騎士と、勇者に魔法使い。単純に2対1の状況に加え、片方が世界に選ばれた勇者となれば、その勝率はかなり高いはずだ。

 

 

「むうぅっ、勇者か。しかし! 我は一人ではない!」

 

「なにっ……!」

 

 ファイアナイトがニヤリと口角を上げて告げた瞬間、彼の後方に十数個の魔法陣が出現した。その色は赤──つまり転移だ。

 

 ほどなくして、魔法陣からは十人以上の大男が現れた。全員、ファイアナイトと同じように自分の体ほどある異常なサイズの大剣を帯刀している。

 

 ファイアナイトの部下か、もしくは同等程度の力を有する援軍……端的に言ってこの状況はヤバすぎる。

 

 ハラハラしながら見守っていると、ファミィちゃんが杖を前に突きだして叫んだ。

 

「ヒートエクスプロージョンッ!」

 

 その叫びと共に、剣戟を繰り広げている魔物騎士と勇者の奥で、大きな爆発が発生した。その爆発は援軍の魔物たちに直撃し、煙と爆風が巻き起こる。

 

 

「……なっ!」

 

 煙の晴れた爆心地を見た瞬間、ファミィちゃんが驚愕の声をあげた。

 爆発をモロに受けたはずの魔物たちは、多少の負傷はしているものの、全員が倒れることなく仁王立ちをしていたからだ。

 

 その様子を横目でチラリと確認したファイアナイトは、フッと鼻で笑った。

 

「あの精鋭部隊に傷を負わせるとは、やるな小娘! やはり勇者の仲間というだけのことはある……!」

 

「よそ見をするなぁ!」

 

 一閃。勇者の斬撃をまともに胸に受けた魔物は、少し怯んだ。確かにダメージは入ったようだが、見るからに傷が浅い。

 

 勇者が本調子ではないというのもあるが、あのファイアナイトとかいう男も相当強い。あの一瞬で体をうまく動かして斬撃を少し躱していた。

 

 勇者もそれは分かっているようで、悔しそうな声が漏れてしまう。

 

「くっ……」

 

「ふん、それに比べて貴様は……なんだ、その体たらくは。噂に聞く実力通りなら、今の一瞬で我に致命傷を与えることもできたはず」

 

「黙れ!」

 

 ファイアナイトの言葉に耳を貸さないように、すかさず聖剣で攻撃を続けていく勇者。その少しばかり焦っているような彼の表情とは正反対に、紅蓮の騎士は笑っている。

 

「はっはっは! これならば此度の侵略も容易い! おい勇者ぁ!!」

 

 ケラケラと笑い声を上げながら鍔迫り合いを続けるファイアナイトは、勇者に対して大声を張り上げる。

 

 

「魔王様から聞いたぞ! 貴様───大切な人間を見殺しにしたらしいな!」

 

 

「──っ!?」

 

 魔物の言葉を真に受けてしまった勇者は、一瞬の動揺……つまり隙を見せてしまった。その瞬間、ファイアナイトがその屈強な右足で勇者を蹴り飛ばす。

 

 勇者は抵抗できないままその攻撃をまともに受けてしまい、後方へ転がり倒れてしまった。

 

「勇者! ……っ!? くっ、邪魔な……!」

 

 不意を突かれてしまった勇者のカバーをしようとしたファミィちゃんに、勢いよく斬りかかってくる援軍の魔物たち。そんな状況では、バリアを張りながら自分の身を守るので精一杯で、とても勇者のカバーになど向かえない。

 

 ファイアナイトは倒れ伏している勇者へにじり寄る。当の勇者は彼を睨みつけているものの、その眼差しからは動揺や困惑が見て取れる。もはやポーカーフェイスをすることは不可能だ。

 

「勇者が聞いて呆れるな。大切に思っていた……守るべき存在を見殺しにするなど、聖剣が泣いているぞ」

 

「……うぅっ」

 

 悔しそうに唇を噛む勇者。眼尻には水滴が浮かんできている。

 

 

 

 ──おいおいなに泣きそうになってんだよっ、メンタルボロボロか!

 

 やばい、どうしようこの状況。ファミィちゃんは魔物剣士たちに囲まれてるし、勇者は精神的な部分を突かれて戦意が削がれている。しかもそろそろ魔王軍が来るだろうし、この場を解決してくれそうな頼れる助っ人はいない。

 

 あの、詰んでませんか? これ北の街占領されてしまうのでは……。

 

「オラッ!」

 

「ぅぐっ……っ!」

 

 追い打ちをされるようにファイアナイトに腹部を蹴られたアルトは、苦しそうな呻き声をあげる。横を見れば、ファミィちゃんが涙目になりながらボロボロのバリアを張って耐えている。

 

 こっ、これは所謂……ピンチというやつでは……。

 

 そんな様子を、指をくわえて見ているゴーストな女の子が一人。

 

 

 

 ───うっ、うぅ……! ああぁぁ! もう! 俺がなんとかするしかないのでは!?

 

 

 

「まずはファミィちゃんを……っ!」

 

 踏ん切りをつけて覚悟を決めた。

 俺はすぐさま飛び出し、崩壊一歩手前のバリアに大剣を振りかざそうとしている魔物に憑依(ポゼッション)した。

 

 体が水中に潜ったような感覚に囚われるが、時間が勿体ない。気合でなんとか一瞬で魔物の体に適合した。

 

 そして視界が鮮明になった瞬間、俺はファミィちゃんを背中側に庇うようにして後ろを向く。

 

「……えっ?」

 

 自分に剣を振り下ろす直前だった魔物が急に背を向けたことで、魔法使いの女の子は困惑の声を上げる。

 そんな彼女を守る為に、俺は大剣を握り締め、思い切り真横へぶん投げた。

 

「ぐぎゃっ!」

 

 その大剣は横に居た魔物の首に突き刺さり、一瞬で絶命に追いやった。……この剣強くね? ファミィちゃんはこれを何度も防いでたのか……やっぱすげぇよ、ファミィちゃんは(尊敬)

 

 

「──っ!? なっ、何事だ!」

 

 唐突な仲間の反乱に気を取られ、ファイアナイトがこちらへ首を向けた。

 この隙に、次はアルトに憑依だ。

 

 視界に映ったのは、自分ではない方向に目を向けているファイアナイト。隙ありー!

 

「おらっ!」

 

「うぐっ!? なっ、勇者、貴様……!」

 

 俺は聖剣をファイアナイトの胸に突き刺し、すぐさま引き抜いた。なんだかこれでも死なないような気がするが、奴は膝を地面についたし、暫くは動けないだろう。

 

「……なっ、なんだその眼の色は……! 貴様、一体何が──」

 

 なにやら魔物がごちゃごちゃ言っているが、無視だ無視。

 俺はすぐさまアルトの身体を離れ、ファミィちゃんの後ろにいる魔物に憑依する。

 

 

 ──その瞬間、憑依した体ではなく()()()()()()が、ズキンと強く痛んだ気がした。息が苦しくなり、頭が熱くなって視界が歪む。

 

 うぅっ、やっぱり連続憑依はキツイ……! なんとなくだけど、あと一人ぐらいが限界な気がする……っ!

 

「ふぅっ……! うっ、クッソ、負けてられねぇ……!」

 

「おっ、おい、どうしたというのだ?」

 

 俺に触れようとする魔物。まだ油断してる今がチャンスだ、我慢我慢!!

 

「くらえっ!」

 

「えっ──」

 

 雑に大剣を振り回し、近くにいた魔物の首を斬り飛ばした。

 すると魔物たちはざわめき、後ずさって俺から距離を離す。

 

 

 ズキン、と心臓がまた痛む。

 

「うぅっ……!」

 

 頭がクラクラして、吐き気の前兆を喉奥に感じる。苦しい、今すぐにでもこの身体を離れないと、死んでしまいそうだ。

 ……いや死んでるけど!

 

 心の中で問答しながらその場で立ち尽くす俺を見て、ファイアナイトが狼狽したような声で呟く。

 

 

「なっ、何者かがいる……!? 視認できない『何か』が我々を翻弄しているのか、もしくは催眠術の類なのか……っ!」

 

 正体はゴーストでーす!

 

 

 ──って、あ、もう無理。憑依解除!

 

「ゲホッ! ごほっ……うぅ、無理しすぎたかな」

 

 幽体のまま地面に膝をつく俺。

 しかし魔物たちからすれば、未だに自分たちの前には謎の脅威がある状態だ。

 

 するとファイアナイトは出血している自分の胸を抑えながら、意を決したように立ち上がった。

 

「我々の前には得体の知れない何者かがいる……。総員転移石を使って離脱しろ! このままでは全滅だ!」

 

(魔王様はこれの正体を知っていたのだろうか……サプライズがあるとは言っていたが。くっ、あの御方の心が読めない!)

 

 そんな号令を放った瞬間、誰よりも早くまずファイアナイトが転移で姿を消した。部下の安全を確認する前に帰るなんて、案外臆病なのかもしれない。

 

 ほどなくして、周囲にいた魔物や俺が憑依していた大男も、ワープしてその場を消えた。

 

 

 市街地の中央に残ったのは、膝をついて立ち上がれずにいる勇者に回復魔法をかける魔法使いと、疲れて地面に寝転がる幽霊少女だけだった。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 あれから数時間後。勇者パーティは市街地にある屋敷の中で休息をとっていた。

 

 ここに招いてくれた貴族のおじさんが言うに、魔王軍は北の街への侵攻を止めて姿を消したらしい。

 

 たぶんだけど、あのファイアナイトが俺のことをめちゃくちゃ大袈裟に報告したのだろう。実際はもう限界寸前で憑依とかできる状態じゃ無かったので、アイツが焦ってくれてて助かった。

 

 

 そんなこんなで現在。エリンちゃんとファミィちゃんは負傷した衛兵たちの介抱をするために、彼らが搬送されてきた一階の大広間に居る。病院は他の負傷者たちで手一杯で、傷の浅い者たちがここへ訪れたらしい。

 

 どうやらファイアナイトが残した傷跡は、俺が思っているよりも大きいようだ。

 

 そして勇者……アルトは───二階にある一室で椅子に座りながら落ち込んでいた。

 

 壁に聖剣を立てかけて、手を組んでうなだれている。まるで死人のような目をしていて、生気が感じられない。

 

 

 ……まぁ、今回ばかりは仕方ないか。街を救いに来たっていうのに、自分より格上というわけでもない魔物に負けてしまったのだから。しかも精神的に痛いところを刺激されて、心にも傷を負ってしまった。

 

 あの類の精神攻撃は、ナイーブになっている今のアルトには、一番してはいけないものだ。ファイアナイト……ひいては魔王の狙い通り、アルトは完全に戦意を失ってしまっている。

 

 

「どうしよう……」

 

 そんな彼の様子を、俺はドアからひょっこりと顔を出して覗いていた。よっぽど疲弊しているのか、アルトは部屋のドアすら閉めていないのだ。

 

 しっかし、困った。このままじゃアルト、完全に戦えなくなるぞ。完全に打ちのめされている今の状態じゃ、前みたいに無理矢理戦意を奮い立たせることなんてできない。

 

 最初にくじけた時よりも、一度立ち直ってから折れた方が、人間はダメージが大きいのだ。やっぱり駄目だった、もういい、そんな意志が脳内を支配してしまう。

 

 

「う~、俺は何をすれば……」

 

「あのっ、そこのゴーストさん?」

 

「……えっ?」

 

 唐突に後ろから声をかけられ、俺は吃驚して後ろを振り返った。

 そこにいたのは──この街に来てからアルトが一番最初に助けた、あの黒髪の少女だ。

 

 まさかとは思うが……ゴーストさんて。

 

「もしかして俺のこと、見えてるの?」

 

 動揺しながら俺が聞くと、少女はにっこりと笑って返事をした。なるべく、小さい声で。

 

「はい。実はあたしの母親が死霊使いで、可視化の術も教えてもらっているんです」

 

「そ、そうなんだ」

 

 そうなんです、と黒髪の少女が微笑みながら告げた。

 ……ということは、だ。死霊使いとかいわゆるネクロマンサーとか、魂を操るような連中は全員俺のことが見えるってことか。

 

 

 いや、そんなことより。

 

「えっと、何か用かな」

 

「……ご相談がありまして」

 

 そう言うと、少女は真剣な表情になった。思わず俺の顔も強張ってしまう。

 

 

「私に、憑依して欲しいんです」

 

「へっ?」

 

 少女からの提案があまりにも突飛な発言過ぎて、マヌケな声が出てしまった。

 何言ってんだ!?

 

「それってどういう……」

 

「実はあたし、母親の遠隔魔術で戦闘を見ていたんです。……そこで勇者様が、大切な人を亡くされたって聞いて」

 

 言いながら少し俯く少女。あの戦闘、全て見ていたのか。

 

 

 うぅ、そこに関しては、なんというか……。

 恥ずかしいというか、気まずいというか、よくわからない。

 

 だってそうだろ。さすがにあそこまで態度に出されたら、誰だって困惑するに決まってる。

 

 俺が思っている以上にラルという少女は、アルトにとって大切な人間だったらしい。それがどんな感情なのかは分からないけれど、少なくともただの腐れ縁ではないようで。

 

 そんなにも大切な人間を亡くして、しかもそれを自分のせいだと言われたら、あそこまで凹むのも頷ける。

 

 いやいや自惚れとかそういうんじゃない。だってアイツ、さっきから小さく「ラル……」って呟いてるんだもん! うるせーよバカ! ラルですよここにいますよー!

 

 

 俺は幽霊だからあいつに姿を見せることはできないし、でも筆談で『俺はラル・ソルドットの幽霊だぞ』なんて言ったら、逆上して聖剣でぶった切られるだろう。

 

 信じられるわけがないし、自分が大切に思っていた人間を騙る得体の知れない何者か、なんて嫌悪感が増すだけだ。

 

 ……もし俺に出来る事があるとすれば、それは彼に新しい心の支えを用意してやることだ。それはエリンちゃんでもファミィちゃんでもいいのだが、今の彼は仲間に見せられる状態じゃない。

 

 ほんの少しでも、アルトの心を癒してあげないとだめだ。今回ばかりは、先にあっさり死んでしまった俺の責任もあるだろうし。

 

 

「あたしでは、勇者様をお慰めすることはできません。仲間のお二人は今は多忙のようですし……でも、このまま勇者様を放っておいたら、取り返しのつかないことになる気がして……」

 

「……だから、君の体を借りて自分を憑依しているゴーストだと名乗ることで、自分たちを助けた『得体の知れない何か』を『新しい仲間』として勇者に認識させる……と」

 

 はい、と少女は小さく呟く。……かなり聡いなこの子。見た目より精神年齢が高そうだ。

 

「あのお二人とは長い間旅をなさっていたようですし、親しい人間ほど見せたくない素の部分もあると思うんです。でも、あなたなら、もしかすれば……と思ってしまって」

 

 殊勝な態度で提案してくれたそれは、俺からすればあまりにも魅力的だ。まるで断る理由がない。

 

「……うん、わかった。それじゃあ、遠慮なく君の体を貸してもらうよ」

 

 頷いた少女は目を閉じた。俺に憑依されるのをジッと待っている。

 そこで、俺は一つ思い出した。

 

「えっと、君の名前、教えてもらってもいいかな?」

 

「リンエル・モーノス──リンって呼んでください!」

 

「わかった。リンちゃん、ありがとうね」

 

 礼を告げた瞬間、俺は彼女の体の中へと入っていった。おそらく、今日できる最後の憑依だ。あれから時間は経ったので体調はそこそこ。しかし無理をし過ぎてはいけないので、憑依はこれ以降少し封印しておこう。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

「勇者、入るよ?」

 

「……キミは」

 

 俺の──いやリンちゃんの顔を見たアルトは怪訝な表情をした。まぁあの時助けただけの少女が急に部屋に入ってきた時の反応だと考えれば、不思議ではない。

 

 なのでここは素早く説明しよう。むりやり追い出されたら敵わない。

 

「俺はゴースト。お前らがポルターガイストって言ってた、アレだよ。今は同意の上でこの子の体を借りてる」

 

「ゴースト……なるほど、今日助けてくれたのも、キミなのか」

 

 そう言って力なく笑うアルト。その様子は先日のあの時とは同じようで、しかし異なっている。

 

 あの時はまだ少し余裕があった。自分が落ち込んで仲間に迷惑をかけている事を薄々理解するだけの、脳のキャパシティは残っていた。

 

 しかし今は、ゴーストと名乗る人間が現れても、全く動じていない。関心を示していないのだ。

 

 それほどまでに、失意の底に堕ちている。完全に挫折していて、すべてがどうでもよくなっている。

 不幸な自分に酔っている、というわけでもない。もはや彼の心は、空白のみ。

 

 

 な、なんとかしないと……!

 

 

「……あのさ、俺はお前の言う大切な人の事は……その、何も言えないよ。分かったような態度をされるのは、イラつくだけだよな」

 

 なるべく抑えめな声音で告げながら、ゆっくりとアルトの近くへと歩いていく。なるべく、ゆっくり。

 

 そうして彼の前に、ようやく立った。椅子に座っているアルトは顔を俯かせていて、俺の顔を見ようともしない。

 

 でも、今の彼に強く当たってしまったら、立ち直るただ一つの希望も摘み取られてしまう。

 

 

 だから、俺は。

 

 

 あうぅ、緊張する……! 拒否されたらどうしよう、俺も幽体になってコイツと一緒に引きこもるか!?(グルグル目)

 おっ、落ち着け。これからすることに失敗したら、もうおしまいだ。だから失敗はできないし、やるしかない!

 

 意を決した俺は、そっとアルトに手を伸ばす。……しかし、ビビって思わず手を引っ込めてしまった。

 

「えっと、だから……そのっ」

 

 俺があたふたしていると、アルトが静かに呟いた。生気の無い、世捨て人のような灰色の声で。

 

「……もう、いいよ。僕は大丈夫だから、下にいる二人を手伝ってもらえると助かる」

 

 

 相手を気遣うようなその言葉に、もはや悲しみの感情すらも込められてはいなかった。

 俯いているので、彼の表情は窺えない。

 

 しかし、このままじゃ駄目だと、改めて実感させられた。今のアルトは、たとえ魔物に襲われたとしても、自分の命すらも天秤にかけることはないだろう。

 

 グッと唾を飲み込んだ。そして目を見開き、覚悟を決めた。

 

 

 

 俺は両手を伸ばし、アルトの頭を抱きしめた。椅子に座った彼の頭は、ちょうどリンちゃんの胸辺りに来ることになる。

 しかし、これでいい。彼の耳がこの胸に触れる事こそが、俺の狙いだ。

 

「……聞こえるかな、この音」

 

 優しく、静かに告げる。しかしながら、アルトからの返事はない。

 構わず続ける。……めちゃくちゃ恥ずかしいので、本当は返事の一つでも返してほしいけど。

 

「リンちゃんの心臓の鼓動だ。生きてるって……分かるだろ」

 

 抱きしめながら、後頭部を優しく撫でる。鬱陶しくならないように、ほんの少しだけ。

 そして包み込むように、俺の顔を彼の頭に近づける。頬や首筋がアルトの髪の毛に当たって、少しくすぐったい。

 

「おま───きっ、キミが救った命だ。キミが勇者だからこそ、リンちゃんは今、生きてる」

 

 今はお前とかなるべく強い言葉は使わないように……。

 アルトは未だ、俺に抱きしめられるがままだ。抵抗されないのは実に好都合。……ていうかリンちゃん、ごめん。あとで謝ります。

 

 

「キミが勇者として生きてきたのは、決して無意味じゃないよ。こうして救われた命がある」

 

「………僕は」

 

 アルトがか細い声で呟いた。ほんの少しだけ、彼の心に響いたらしい。

 たっ、畳み掛けるぞー!

 

「キミに大切な人がいたように、キミのことが大切な人もいるんだ。エリンちゃんも、ファミィちゃんも。………ぉっ、俺も……」

 

 死ぬほど恥ずかしい。うあぁぁ! 早く終わらせないと俺が持たない!

 

「みんなキミに生きて欲しい。──本当に、本当に辛くなったら、勇者だって辞めてもいいよ」

 

 

 

「だから。だから………生きて」

 

 

 ダメ押しにギュウっと強く抱きしめる。彼を離さないように、安心感を与えるように。今だけ俺はシスターさんだ。

 勢いでやったけど、どうかな……? 彼が何も言わないので、俺も無言でそのまま抱擁を続ける。

 

 

 数分間、俺はそのままでいた。優しく頭を撫でながら、彼を抱きしめ続けた。

 

 ……気がつけば、腕の中からすぅすぅと寝息のような音が鳴っていた。考えるまでもなく、アルトが眠ってしまったということが分かる。

 

 身体的にも精神的にも、相当疲弊していたのだろう。しかしあんなに思い詰めていた彼を眠らせたということは、俺がしっかりと安心感を与えられていたということになる。正直、安心した。

 

 アルトはこのまま椅子で眠ることになるが、過酷な地域で野営してきた彼なら、この程度はどうってことないはず。

 

 机の上に畳んであったタオルケットを手に取り、それを広げてアルトの上半身にそっとかけた。風邪を引かれてはたまらない。

 

 

 静かに部屋を退出し、そっとドアを閉めた。

 そして一瞬の静寂の後、深呼吸をする。何度も、何度も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ!!!

 恥ずかしかったぁ!!!!!

 

 

 



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僕たちとゴースト

 王国中心街のとある武道場。僕はそこで木製の剣を握り締め、とある人物と打ち合っていた。

 単純な刀身のぶつけ合い、鍔迫り合い、そのどれに置いても僕は劣勢。

 

 相手はかなり筋肉質な身体をしているが、見た目とは裏腹にその身のこなしは軽やかだ。打ち合いを始めて三時間、僕の剣は未だ一回も彼には当たっていない。

 

「勇者殿、動きが固すぎますぞ」

 

「……うわっ!?」

 

 指摘した瞬間、相手は足払いをして僕を転倒させた。何とか受け身は取れたが、いつのまにか木剣は僕の手を離れて床に転がっている。

 剣士が自分の武器を手放す……それはつまり、敗北を意味していた。

 

「はぁ……はぁっ……」

 

 休憩なしで数時間打ち合っていたせいか、僕の息はもう上がりっぱなしだ。体が酸素を求めるあまり、立ち上がれないまま激しい呼吸を繰り返す。

 

 疲弊した僕の様子を見て、目の前の初老の男性は自分の木剣を床に置いた。

 

 そして一言。

 

「休憩しましょうか」

 

 

 

 

 北の街で紅蓮の騎士と相対してから、二週間が経過した。あれ以来魔王軍は少し大人しくなり、また村を襲うような魔物たちも冒険者たちの手によって被害が出る前に討伐されている。

 

 人間にとって、今は束の間の平和だ。それゆえに出番が減った僕たち勇者パーティは、冒険を一旦休んでこの中心街で日々を過ごしている。

 

 ……ただ、僕らが冒険に赴かないのは、もう一つ理由がある。

 

 

 それは僕自身の問題だ。ファイアナイトに負けたあの日から、明らかに剣の腕が鈍っている。油断すれば、中級のボスにさえ後れを取るほどに。

 

 おそらくはこの一ヶ月の出来事の影響だろう。立ち直ったつもりでも、僕の体は未だ本調子に戻ってはいない。

 

 ラルを失って、引きこもってファミィに当たり散らして、ゴーストに鼓舞されて、ファイアナイトに敗北して、また挫折して。

 

 しまいには出会ったばかりのゴーストに励まされる始末。……いや、少しかっこつけたな。

 

 正確に言えば、僕はゴーストに甘えさせて貰ったのだ。まるで母親にすり寄る幼子のように、抱擁から寝かしつけまでされてしまった。あまりにも情けなくて、でも嬉しくて、僕の心はぐちゃぐちゃだ。

 

 

 そんな心の乱れは、当然のように剣を鈍らせる。弱くなってしまった今の僕に、聖剣を振るって魔王軍と戦う資格などない。

 

 だからこそ、僕は『勇者としてのアルト』を取り戻さなければならない。一刻も早く、聖剣にふさわしい勇者に戻らなければならないのだ。

 

 そのために、最強の剣技の使い手である王国騎士団副団長のザッグさんに手合わせをしてもらっている。

 

 噂によればもう齢五十を超えるそうだが、その腕は全盛期にも劣らないレベルで顕在だ。まるで手も足も出ない。

 

 ファミィの言う『渋おじ』とは彼のような人物のことだろうか。たしかに僕から見ても、年齢を感じさせない彼の強さは鮮烈だ。

 

 

「ふぅ……」

 

 僕はザッグさんについて行く形で、武道場のベンチに腰を下ろした。流石に三時間の手合わせは少し堪えたのか、ザッグさんも服に汗を滲ませている。

 

「おや?」

 

 唐突に声を出す初老の副団長。彼の目線を追っていくと、そこには不思議な現象が発生していた。

 

 二枚のタオルが、フワフワと宙に浮いている。それを見て、ザッグさんは思わず笑う。

 

「ははっ。もしかしなくても……噂のゴースト殿ですかな? いやぁ、かたじけない」

 

 そう言いながら宙に浮くタオルを手に取るザッグさん。僕も彼にならって、もう一枚のタオルを取って首筋を拭いた。

 

 すると数分後、僕らの目の前に、次は浮遊するコップがフワフワと飛んできた。中には冷えた水が入っていて、この疲れた身体が酸素の次に欲している物だ。

 

 それを手に取って水を喉に流し込んでいくと、いつの間にか膝の上に一枚の紙が置いてあった。

 

【無理して倒れたら木剣でぶん殴るからな】

 

 そんな少し脅しじみた文章を読んで苦笑いをする僕を見て、ザッグさんは小さく笑った。

 

「優しい幽霊ですね。まさかタオルや水まで運んできてくださるとは」

 

「はは……。手荒な部分もありますけど、確かに優しくて良いヤツですよ」

 

 

 そう告げると、いきなり紙が顔面に叩きつけられた。

 

「いでっ! なっ、なに……」

 

【バーカ!】

 

「おやおや、ゴースト殿は褒められ慣れていないのでしょうかねぇ」

 

 まるで遊んでいる子供を見ている親のように、微笑ましいものを見る表情でゴーストがいるであろう正面を眺めるザッグさん。

 彼の言う通り、ゴーストは照れ屋なのだろうか。

 

 

 思い返してみれば、僕はゴーストの事をほとんど知らない。幽霊の知識……という意味ではなく、ゴースト本人のことだ。

 

 なぜ引きこもっていたあの日に、ポルターガイストとして現れたのか。どうして北の街へ行けと鼓舞したのか。何故僕を抱きしめて励ましてくれたのか。

 

 ……そもそも、男性なのか女性なのか。

 

 渡してくる紙やリンエル・モーノスに憑依していた時の口調や一人称から考えれば、ゴーストは男性という事になる。

 

 しかしながら、僕は男言葉で話しながら一人称が『俺』の少女を知っている。なのでラルのように、口調が強いだけでもしかしたら女性……という線も考えられる。

 

 

 どちらにせよ、僕はまだゴーストを視認できないので、彼(彼女?)の性別を判別することは不可能だ。

 

 まぁ今のところは仲間でいてくれるようだし……それに、あの時僕のことを『大切だ』と言われてしまったので、ゴーストを疑うことはしたくない。

 

 正直ゴーストに気に入られた理由は見当もつかないのだが、仲を深めればいつかは話してくれるだろう。焦りは禁物だ。

 

 

 

「さて、勇者殿」

 

 すっかり元気になったザッグさんがベンチから立ち上がり、床に置いてあった木剣を拾い上げた。

 

「私はこのあと会議の予定が入っていますので、あと一時間ほど打ち合ったら今日はお開きに致しましょう」

 

「はい。……あぁ、ゴースト。君は先に帰っていていいよ」

 

 そう言うと、ほんの少しだけ感じていた気配が消えた。視認は出来ないが、恐らくゴーストはこの場からいなくなったのだろう。

 それを確認してから、僕もベンチから離れて木剣を握りしめた。

 

「ザッグさん、わざわざ忙しい日にありがとうございます」

 

「いえいえ。こんなジジイでよければ、いつでも頼ってください」

 

 朗らかに微笑んだザッグさんは、すぐさま鋭い目つきに切り替わった。その一瞬の変化で、僕の気も引き締まる。

 

 

 それから一時間、僕は最強の剣士にコテンパンにされるのであった。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 副団長との鍛錬で疲弊した体をなんとか動かしながら歩いていると、拠点である家の前にエリンを見つけた。どうやら家に着いたのが同じタイミングだったらしい。

 

 よく見ると、エリンの周囲に食料が入っている紙袋が幾つか浮遊している。

 

 どうやらゴーストが荷物を持っているようだが、紙袋が妙にプルプルしている。幽霊でも重いものは重いのだろうか。

 

「あっ、勇者さま」

 

 近づいてくる僕に気がついたエリンがドアを開けてくれた。先に家に入れてくれる、ということか。

 僕は首を横に振って、視線を紙袋に移した。

 

「ゴーストを先に入れてあげて。荷物が重そうにみえるよ」

 

「そうですね! ごめんなさいゴーストさん、うっかりしてました」

 

 金髪のシスター少女がぺこりと頭を下げると、程なくしてフワフワと浮遊した荷物が中へと運ばれていく。

 ゴースト、武道場から出てすぐに荷物持ちにされてたのか……。

 

 

 全員が中へ入ると、鼻につくような妙な臭いが部屋に充満していた。鼻の奥が刺激されるような臭いで、エリンも若干涙目だ。

 

 辺りを見渡すと、ドアの開いている部屋を見つけた。その部屋からは、紫色の妙な蒸気が噴出している。

 

 部屋の中を覗いてみると、そこには怪しげに笑いながら薬品を調合しているファミィの姿が。

 

 恐る恐る声をかけてみると、ファミィがこちらに気づいた。そして焦ったような表情に変わり、両手を合わせて頭を下げる。

 

「ごっ、ごめんなさい。魔道具の調合をしてたんだけど、ドアを閉めるの忘れてた……!」

 

「これからは気をつけてね……すごい臭うから」

 

 苦笑いをしながら言うと、ファミィが「あはは……」と言いながらそっとドアを閉めた。それを確認して僕たちが部屋を離れようとすると、突然再び部屋のドアが開かれた。

 

「あ、ゴースト! 帰ってたなら薬品を二階に運ぶの手伝って!」

 

 その言葉の後、宙に浮いていた紙袋たちはそっとテーブルに置かれ、すぐさまファミィのいる部屋から薬品類がフワフワと飛んで出てきた。

 

 かなり薬品の量が多いようで、何度もビーカーやら何かの器具やらが部屋から浮いて二階へと移動していく。

 

 

 その光景を見て、色々と書類を抱えているファミィに思わず声をかけてしまった。

 

「あの、僕も手伝おうか?」

 

「勇者は副団長さんにしごかれてヘトヘトでしょ。いいから休んでなさいよ」

 

「……う、うん」

 

 ファミィに反論できず、大人しくリビングのソファに腰を下ろした。

 確かに身体の節々が痛むし、脹脛も若干筋肉痛だ。これは風呂に入ってマッサージでもした方がいいか。

 

 ソファに座りながら筋肉痛の部分をさすっていると、後ろから料理中のエリンの大きな声が聞こえてきた。

 

 

 

「ゴーストさーん! それが終わったらお風呂の様子みて貰えませんかー!」

 

「あっ、ゴースト、このマネキンも二階にお願い!」

 

 

「お皿並べるのゴーストさんも手伝ってくださーい!」

 

「さっきの部屋に五冊くらい大きい魔導書あるから、全部持ってきてくれる?」

 

 

「井戸からのお水汲み一緒に来てほしいですー!」

 

「机運ぶの手伝って! これで最後だから、お願い!」

 

 

 

 ………やっぱり僕も手伝おう。

 

 

 

 

 




幽霊:フワフワしてたらパシリにされました……(半泣き)


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女騎士、噂の幽霊にビビる

『強くあれ』

 

 幼少期から私を鍛えていた父は、常にその言葉を口にしていた。

 大切なものが守れるようにと、何も失わないように、と。

 

 だから私は強くなろうとした。強さがあれば何も失わないのだと信じて、父と共に剣を振るった。

 

 

 けれど、生半可な強さは、この世界には通用しないようで。

 

 

 私の住む村に、魔王軍が攻め込んできたのだ。村の地下に封印されている古代の兵器を狙って、精鋭揃いの数千の軍勢を、ちっぽけな村へ差し向けたのだ。

 強ければ、奴らを追い返すことが出来ただろうか。家族も、友人も、失うことはなかったのだろうか。

 

 だが、私は強くなかった。ゆえに、なされるがまま、村は蹂躙され破滅の一途をたどった。

 

 生き残ったのは、父が家の地下室へ放り込んだ私だけ。カタカタと震えながら地下室でおとなしくしていれば、いつの間にか魔王軍は村から撤退していた。

 

 残されたのは、破壊し尽くされた村と、無残に捨てられた村人たちの死骸。

 

 

 すべてを失った。強くなる為の理由は無くなり、生きようとする意志すらも消え失せた。

 せめて、みんなと一緒に眠ろう。そう思って、地べたに捨てられていた剣を拾って、喉元に突き立てて。

 

 ───その時だった。彼に出会ったのは。

 

『よせッ!』

 

 剣を握る私の手を、彼が──勇者が握った。

 死んではいけないと、剣を取り上げられた。

 

 説得されて、共感されて、勧誘された。

 

 

 あの日、私は勇者パーティの騎士になった。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

「……んっ」

 

 突然視界が真っ赤に染まり、不意に声を漏らした。考えるまでもなく、今閉じている瞼を照らしたのは、カーテンの隙間から差し込んだ陽の光だろう。

 ゆっくりと体を起こしながら、寝ぼけ眼をさすって瞼を開いた。

 

 いつもと変わらない光景。私の前にあるのは、見慣れた病室の内装だ。

 

「はぁ……」

 

 溜息を吐いた。相も変わらず入院を続けている状況と、毎日同じような夢を見る自分に呆れたのだ。

 

 冒険に出られないからなのか、まるで縋り付くように『勇者との出会い』の夢ばかり見てしまう。

 

 家族を失って、新たに仲間を手に入れた思い出。確かにあの時のことは脳裏に焼き付いているが、これでは過去にこだわっているようで、とても気持ちのいい朝を迎えられるとは思えない。

 

 二か月前に入院してからずっとこの調子だ。いい加減、快眠という感覚を思い出したい。

 

 

「……うわっ、もう昼じゃないか」

 

 ふと枕元に置いてあった懐中時計を見てみれば、時刻はすでに正午過ぎだ。明らかに寝すぎ、これでは騎士の名が廃るというもの。

 

「そういえば今日の見舞いは……あぁ、勇者か」

 

 予定を思い出しながら窓の外を見てみれば、そこには病院の中へ入ろうとする勇者の姿が。

 

 これはまずい、さすがに寝起きすぎる。とりあえず彼が来る前に、洗顔と歯磨きだけでも済ませておかないと。

 

 

 

 数分後、私がいる個室のドアがノックされた。急いで顔を拭いた私はベッドに座り、入室の許可を告げる。

 

「どうぞ」

 

「失礼。あぁ、おはよう、ユノア」

 

「既に昼だが。……やっぱりバレるか、寝起きだってこと」

 

 私の返答に苦笑いしつつ、勇者はベッド近くの椅子に腰かけた。その手には紙袋が握られていて、そこからは芳ばしい匂いが漂っている。

 私の視線が紙袋に行っていることに気が付いたのか、勇者がそれを渡してくれた。

 

 紙袋の中には、焼いてある肉をパンで挟んだ料理が入っていた。これは私の好物で、見舞いに来るときはファミィやエリンも買ってきてくれる。

 

 ただ、寝起きには少し重いので、これは後で食べることにしよう。

 

「体調はどうだい?」

 

「可もなく不可もなく……かな。心配しなくても大丈夫だよ」

 

 そう言いながら、腕を上下に振って笑ってみせる。言葉やその様子から私が元気なことを察した勇者は、「よかった」と小さく呟いた。

 

 そこから始まるのは、いつもの談笑だ。私の身の回りの些細な出来事を話したり、最近の勇者たちの近況を聞いたりする、病院生活で唯一好きな時間。

 

 

 私が入院を始めたのは、今から二か月前だ。

 

 魔王の幹部との戦闘で負傷した私は、傷と共にとある呪いを付与されてしまった。

 それは対象から徐々に生命力を奪っていくという、いかにも魔物が考えそうな陰湿な呪いだ。

 

 付与された呪いはどんな医術や魔法でも解呪することはできず、私にできることはなるべく動かないことで活力を節約することのみ。

 

 生命力の源である魔力を病院で摂取しながら、植物のように過ごすだけのつまらない毎日だ。

 

 

「ふむ、幽霊とは……珍しい仲間ができたな」

 

「だよね。ゴーストなんて今まで会ったことなかったから、なかなか距離感が難しいよ」

 

 新しくパーティに加わったというゴーストの話をしている勇者は、いつになく笑顔だ。

 

 

 ──あぁ、とても、見たことのある表情だ。

 

 

 野営中に焚火の前で談笑していた時も、君はラル・ソルドットの話をするとき、そんな顔をしていたね。

 

 君は気づいていないだろうが、心の底から楽しそうな表情で話していたよ。

 

 彼女の話をするときだけ、君は饒舌になる。

 私がソルドットのことを質問すれば、嬉々として答えてくれる。

 パーティメンバーである私たちのことよりも、ソルドットのことの方が詳しかった。

 

 

 詳しい事情は知らない。でもすぐに分かった。

 彼が本当に大切に思っている人間は、私ではなくソルドットの方なのだと。

 決して超えることのできない壁が、私と彼女の間には存在するのだと。

 

 

 昔から剣一本で生きてきた私には、他人へ向ける愛というものが分からない。生き残った私を救ってくれた彼に抱いているこの感情が、何なのかが理解できない。

 

 それでも、君は私の大切な人だ。

 

 だが、君の大切な人は私ではないのだろう。

 

 

 それを理解したある日の夜、私は自分の中にあった熱が急激に冷めていくのを実感した。

 

 そんな心持ちだったからだろうか、幹部の不意打ちを避けられなかったのは。つくづく私は弱い人間なのだと思い知らされる。

 彼の話を聞いている今も、私は生気のない眼をしているに違いない。

 

 

「それでさ……」

 

「ふふっ」

 

「……ゆっ、ユノア?」

 

「いや、すまない。聞いていた噂よりも元気そうで、安心したんだ」

 

 そう言いながら微笑みと、勇者は照れたような表情になった。実際、彼が元気で安心したのは事実だ。

 笑った理由は、自分が情けないと感じたから、だが。

 

 

 ソルドットが勇者を庇って死んだ──そんな話を病室でファミィから聞いた時は、生きた心地がしなかった。

 もしかすれば、勇者もあとを追って……なんて想像をしてしまったくらいには、私も動揺した。

 

 彼女が死んだから、私が代わりに彼の大切な人になれる。そんな風には考えなかった。

 絶対に代わりなんていない。それほどソルドットが彼にとって大きな存在だと思っていたから。

 

 私にはどうしようもない。彼に何も与えることができない。もしソルドットのあとを追うのだとしても、私に止める資格はない。

 

 

 でも、どうやら心配は杞憂に終わったようだ。

 

「今度、ゴーストも連れてくるよ。ユノアは確か真眼の加護もってたよね?」

 

 そう言って私に語りかける彼は、ソルドットのことを話してる時のような表情だ。

 つまり、彼の言うゴーストは、彼女の代わりになっている──ということだろう。

 

 ……はは。出会って一月も経っていないゴーストが勇者を支えてるっていうのに、私は病院で寝てばかり。

 剣を握れない騎士なんて、必要ないに決まってるじゃないか。

 

「うん、私の加護ならそのゴーストも視認できると思う。会うのが楽しみだよ」

 

 嘘だ。本当はゴーストの顔なんて見たくない。私が出来なかったことをいとも容易くやってのけて、ソルドットの後釜に収まった狡猾な悪霊の正体なんて。

 

 でも、そんなことは言葉にしない。せっかく立ち直った彼を傷つけてしまうだけだから。

 呪いで死にゆくその日まで、私は彼の話を楽しそうに聞いて相槌をうつ、ただの患者だ。

 

 

「あっ、ごめんユノア。そろそろザッグさんとの鍛錬の時間だ……」

 

 腕時計を確認し、申し訳なさそうに告げるアルト。

 下手をすればゴーストへの嫌悪感が顔に出てしまいそうな気がしたので、正直に言うと助かった。

 私は笑顔を作って、ひらひらと手を振った。

 

「気にしないでいい。わざわざ見舞いに来てくれてありがとう、勇者」

 

「何言ってるんだ、手間なわけないだろう。いつだって来るさ。……それじゃ」

 

 私を気遣う言葉を告げた勇者は椅子から立ち上がり、別れの挨拶のように軽く手を振ってから、病室を出ていった。

 彼が部屋を出てすぐに、私の口からは深い息が出てきた。ボロが出る前に、帰ってくれて良かった。

 

 

 今度彼がゴーストを連れてきたら、その時は何を話せばいいのだろうか。私はゴーストにどう接すればいいのだろうか。

 煮え切らずに答えを模索していると、病室のドアの近くから声が聞こえた。病院の人間だろうか。すでに昼を過ぎているので、食事が運ばれてくることはないはずだが。

 

「ったく、アルトのやつ……。女の子の見舞いに行く日くらい、鍛錬なんか休めってんだ」

 

 

「………」 

 

 声が聞こえた方を見ると、そこにはぶつくさ何かを呟いている、体が半透明の少女が浮遊していた。

 思わず声を失ってしまい、彼女をジッと見つめる。

 

「これだから勇者は───んっ?」

 

「………」

 

 ついに私と目が合った彼女は、怪訝な表情をした。そして額に冷や汗をかき、引きつった笑みに変化する。

 

 半透明の体、宙に浮く存在、閉まっているドアを開けずに入室。

 どう考えても幽霊の類なのだが、少女のその姿が信じられない。

 

 

 

「……あの、もしかして俺のこと……見えてる?」

 

「ぁっ、あわわ───いだっ!!」

 

 

 その『ラル・ソルドット』の姿をしている幽霊をみた私は腰を抜かし、ベッドから転げ落ちたのだった。

 

 

 

 

 




幽霊:ユノアちゃん入院してたのか~

女騎士:!!?!!??!?


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わがままな幽霊でごめんね!

 暖かな日差しがカーテンから差す、平和な昼下がり。とても悪い事なんて起こりそうもない、青空が気持ちいい陽気な天気。

 

 しかし、俺の心中は平和でも何でもなくて。

 

「とりあえず……座りたまえ」

 

「は、はい」

 

 勇者パーティの女騎士──ユノアちゃんに促されるがまま、俺は彼女のベッドの隣にある椅子に腰かけた。幽霊だからなのか、微妙にお尻が浮いてるけども。

 俺を見たときは吃驚してベッドから転げ落ちた彼女だったが、今は落ち着き払ってベッドに座っている。いかなる状況でもすぐさま冷静に戻れるのは、流石は騎士と言ったところか。

 

 俺が座ったことで、ベッドに腰掛けているユノアちゃんと正面から顔を合わせることになっている。

 まるで品定めをするかのように俺の全身を見ているのだが、そんな怪訝な表情をしているにもかかわらず、ついユノアちゃんが可愛いと思ってしまった。

 

 

 前から思っているけど、勇者パーティの女の子……みんな顔良すぎない? アルトお前、絶対顔で選んでる部分もあるだろ。

 

 こんなかわいい女の子たちに囲まれて冒険するなんて良いご身分ですね。俺は悪徳貴族のおっさんたちから盗んだ金で、毎晩一人さびしくパンをかじってたけどな!

 

 

 っと、いけない。八つ当たりしてる場合じゃないや。

 

「えと……ユノアちゃん、俺のことわかる?」

 

「ラル・ソルドットだろう。確かに直接話した事はなかったが、旅の道中で何度も出会ったし、顔と名前ぐらい覚えてるさ」

 

 きわめて冷静にそう告げるユノアちゃんは、意外にもすぐに表情を崩した。普通に友達と話すときのような顔で、先程までの鋭い目つきはどこへやら。

 まぁ敵意というよりは一種の警戒心のようなものだったし、突然現れた幽霊への態度だと考えれば妥当かも。

 

 

 それどころか、すぐにその警戒心すらも解いてくれた。無害だと信じてくれたのならありがたいが、もう少し疑ってくれてもいいと思う。一応俺、幽霊だし。

 

「それで。女盗賊の幽霊が、病人に何の用かな」

 

 腕を組んで俺の目をみるユノアちゃん。どうやらさっさと本題に入って欲しいらしい。

 ……実は普通にお見舞いに来ただけなんだけど。自分の体と一緒に透過させて、彼女の好物だと聞かされてたハンバーガーもどきも持ってきた。

 

 本当ならこっそり置いて帰ろうと思っていたのだが、見られてしまったのなら直接渡すしかない。

 

「とりあえずこれ、どうぞ」

 

「え? ……ぁっ、あぁ、うん。ありがとう、後で食べるよ」

 

 若干動揺しながら、俺からハンバーガーもどきが入っている紙袋を受け取ってくれた。わざわざエリンちゃんに買って来てもらったんだけど、余計なお世話だったかな……。

 

 チラリと彼女の横を見ると、そのテーブルの上には俺が持ってきたのと同じ店の紙袋が、既に置いてあった。うわぁ、アルトと被っちゃったのか。普通にフルーツとかにしとけばよかった。

 

 

 とりあえず見舞いの品は渡したが、雰囲気からして彼女は俺と雑談をする気はなさそうだ。多分嫌われているのだろうし、少し質問したらすぐに帰ろう。

 

 ……考えなしにアルトを邪魔してきた昔の自分が、少し恨めしい。女の子に嫌われちまったぞ、俺のバカ。

 

「え、えっと……ユノアちゃんは何の病気に?」

 

 ぎゃあ! そっ、育ちが悪い……。デリケートな内容なのに、つい直球で聞いちゃった。

 

「ストレートだな、君は。……まぁ、隠すようなものでもないが」

 

「えと、ごめんなさい。──って! あのッ、ちょっと何して!?」

 

 謝った俺が顔を上げると、そこにはシャツのボタンを外し始めている彼女の姿が。思わず両手で顔を覆ってしまう。

 何してるんですか男の子の前で!? 着替えるなら部屋出るのに!

 

 

 ──すると、目の前から若干呆れている様な声音が聞こえてきた。

 

「なに、って。体に刻まれている呪いの紋章だよ。見た方が早いだろう? ……女同士なのだし、そこまで取り乱すこともないだろう」

 

「へっ? ……あ、そ、そっ、そうですね! 女の子同士、女の子同士ですもんね……っ!」

 

 なぜか敬語で返事を返した。俺はそうとう焦っているようだ。

 

 彼女の言葉を聞いた俺は、ゆっくりと、とてもゆーっくりと顔を覆っている手をどかし始める。つい咄嗟のことで、現在の自分の性別を忘れていた。

 くぅ、前世の記憶が恨めしい……!(童貞)(今は女だから処女?)(永遠に終わらない疑問)

 

 

 

「……不気味だろう、この紋章」

 

「あっ」

 

 シャツを脱いだ彼女が、小さく呟く。

 

 ユノアちゃんの胸の間に存在する紋章を見た瞬間、間抜けな声が出ると同時に、先程までの場違いな思考は彼方へと消え去った。

 その紋章は目玉のような形をしていて、その見た目はさながら刺青のようにも見える。

 

 だがそこから放たれている邪気のようなものは、そんな生半可な存在ではないという威圧感を俺に覚えさせた。

 

「その紋章……魔物の?」

 

「あぁ。魔王の幹部がひとり、呪術のトリデウスに刻み込まれたものだ」

 

 自分を貶めた者の名を乾いた声で告げた彼女は、ボタンを戻してしっかりとシャツを着直した。

 あんな紋章を見た後では、やはり何を言ったらいいのか見当もつかなくなってしまう。

 

 おそらく、励ましの言葉は不要なのだろう。

 ユノアちゃんは誇り高い騎士だ。仲間でも何でもない人間からの同情など、迷惑なだけ。

 

 

 ゆえに、別のことを質問した。

 

「その呪いは、どうやったら治るんだ?」

 

「医療や魔法では治らないよ。………唯一方法があるとすれば、トリデウスの持つ呪いの短剣で、もう一度攻撃を受ければ、あるいは──」

 

 

「わかった!!」

 

 彼女の言葉を遮るように、俺は叫んだ。そしてすぐさま椅子から立ち上がり、浮遊を始める。

 急に動き出した俺を見て彼女は狼狽しているが、思い立ったならすぐ行動に移さなければ。

 

「そ、ソルドット?」

 

「今からその呪術のトリケラトプスとかいうヤツの情報、集めてくる!」

 

「いやっ、ちょっとま──」

 

 

「なるべくすぐ戻るから!」

 

 ユノアちゃんの言葉を待たず、俺は病室から飛び出した。

 

 彼女の呪いを解く方法がそれしかないなら、その幹部の居場所を調べるしかない。冒険者ギルドの掲示板や王国騎士団の資料室を回れば、ヤツの足取りが分かるかもしれない。

 

 一刻も早くトリケラトプスの居場所を探るべく、俺は空を飛び回った。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 トリデウスでした……。うぅ、恥ずかしい。普通に考えれば恐竜と同じ名前の奴なんてほとんどいないよな。

 

 

 あれから約二時間かけて街中を駆け巡って、かなりの情報を得られた。奴がいるであろう潜伏先も、意外にも簡単に判明した。

 どうやらトリデウスは仲間を率いずに単独行動をしているらしく、俺が死んだあの遺跡の周辺で目撃情報があったらしい。

 

 恨めしいぞ、トリデウスめ。もしあの遺跡がヤツの拠点ならば、俺はトリデウスに殺されたことになる。幽霊らしく、この機会に憑りついて呪ってやろうか。

 

 とりあえず情報は集まったので、報告の為に病院へ戻ることにした。

 

 

 いつも通り扉を透過して部屋の中へ入ると、ユノアちゃんは俺が病院を出たときと、まったく同じ体勢だった。ベッドに座って、ほんの少し暗い表情になっている。

 居場所が分かったっていう朗報を聞けば、元気になってくれるはず!

 

「ユノアちゃん、おまたせ」

 

「……ソルドット」

 

 笑顔で帰還を告げながら彼女のベッド隣の椅子に座ると、ユノアちゃんが顔を上げた。

 

「魔王の幹部の潜伏先が分かったんだ。これからパーティの皆にも報告して、呪いの短剣を奪ってくるよ!」

 

「………」

 

 あ、あれ? 

 かなり良い情報の筈なのに、ユノアちゃんが未だに暗い表情のままだ。

 

 

 そんなユノアちゃんの様子をみて、つい言葉が止まってしまった。なんとなく、黙らないといけないような気がしてしまった。

 よく分からないけど、お口チャック……。

 

 

 数秒の沈黙。その場には彼女の静かな息遣いだけが木霊する。

 

 

 すると、ユノアちゃんが俺の手を握ってきた。

 その行動にも驚いたのだが、もう一つの事実にも気がついた。

 どうやら幽霊を視認できる人間は、本人に触れることもできるらしい。

 

 思えば、幽霊の筈なのに魔王に押し倒されたのも、そう考えれば納得がいく。

 

 

 ──なんて余計な事を考えてないと、平静を保てない。俺、女の子に触れられることに対しての免疫無さすぎだ。

 

 

「ゆっ、ユノアちゃん?」

 

「………聞いてくれ、ソルドット」

 

 小さい声で呟いた彼女は真っ直ぐ俺の目を見つめた。

 その凛としていて綺麗なはずの瞳の奥に、暗い何かを感じる。

 その雰囲気から次に出てくる言葉が、俺に対しての感謝ではないということが、容易に想像が出来た。

 

 それゆえに、少し身構えてしまう。

 

 

「私は───助かりたくない」

 

 

 

「……は?」

 

 

 彼女の放った言葉が理解できず、俺は思わず声を出してしまった。

 何を言っているんだ、彼女は。

 助かりたくない? ……な、なにっ、どういうことっ!?

 

「何を言って……!」

 

「ソルドット。私はこれまで、大切なものを守る為に戦ってきた」

 

 俺の言葉を遮って、低い声で語り出すユノアちゃん。

 ちょ、ちょっと待って。まさか大して付き合いも無いはずの俺に、秘密の独白? そうまでして、助かりたくないのか……?

 

 

「でもね、彼は私が守れるような存在ではなかったよ。それどころか、私は彼の大切な人ですらなかった。……最初から、私なんていないも同然の存在だったんだ」

 

「……」

 

 彼女の雰囲気にのまれてしまい、俺は何も言えない。今の俺は、ただ彼女の独白を聞くだけの存在に成り下がっていた。

 

「何もかも失った私は、そこから救ってくれた勇者が全てになっていたんだ。でも、戦えなくなったいま、私は何者でもなくなってしまった。彼の為に剣を握ることすらできない私なんて……」

 

「そ、それなら短剣を手に入れて、呪いを解けばいい! そうすれば、また戦えるように──」

 

 

「戦いたくないんだ。……分かってくれよ、ソルドット」

 

 段々と声が小さくなっていった彼女は、ついに俺の手を離した。行き場を失ったその腕は、だらりと力なくベッドに置かれる。

 勇者の為に戦う事が嫌になったのだろうか? だとしても、助かれば別の道がある。

 

 その選択肢を取りたくない。

 彼女はそう言いたいのか?

 

「たとえ呪いが解かれたとしても、もう彼の仲間として戦うことはしたくない」

 

「どっ、どうして」

 

 

「──キミだよ、ソルドット」

 

 

 俺? どういうことだ。まさか俺が仲間になったから、一緒に居たくないと?

 ……むむ、それなら致し方ない。俺がアルトから離れるしかないか。

 昔からの仲間の復帰を邪魔してしまうのなら、俺はパーティから離れても──

 

「キミの存在が、私のことを『不必要な存在』だと理解させてくれた。今の彼の状態を見ればわかるだろう。ファミィ、エリン……なによりソルドットがいれば、勇者は十分なんだ」

 

「そ、そんなことっ」

 

「あるよ。現に勇者は自らの足で立って剣を握っている。ソルドットだという事実を知らなくても、いま私の目の前にいるゴーストが仲間にいれば、勇者は戦える」

 

 

 

「たとえ自分が彼の大切な人でなくとも、勇者の為に戦う───なんて、無理だよ。戦うという生き方しか知らないが、私はそこまで彼に盲目ではなかったと気づいた。キミと彼を見て思い知ったよ。私は大切なものを守る為に戦ってたんじゃない」

 

 

「私は……()()()()()()()()()()()人の為に、戦っていたんだ。……最低な女だろう? でも勇者が私のことを想っているというのは、勘違いだった。最初から私のことが大切な人間なんていなかったし、これからも現れない。家族もいない、剣一本で生きてきた、無愛想な女だからな」

 

 

 

 吐き出す様に言い終えた彼女は、ついに顔を俯かせ、俺の目を見ることをやめた。ベッドのシーツを握る彼女の手が、僅かに震えている。胸中に渦巻く感情の吐露は、彼女の心を身体ごと不安定にさせたのだろう。

 

 自分を大切だと思っている人の為にしか戦えない。戦うこと以外の生き方を知らない。知りたくもない。

 だが、自分を想う人間がいないのなら、戦う──生きる理由などない。だから助かりたくない。

 このまま、呪いで死んでしまえばいい。

 

 

 目の前の女騎士は、そう言った。

 嫌なことがあったから瞬間的に死を望んでいるわけではなく、自分の生き方を理解したからこそ、そうするしかないと悟ってしまった。

 

 そんなユノアの意思を、正しいとか、間違っているだとか、そんな風に決めつけることはできない。

 希望的な観測で励ましても意味などないのだろうし、そんなのは無責任なだけの発言だ。

 つまるところ、どんな言葉であろうとも『説得』という形である以上、彼女の心には届かない。それほどまでに彼女の意志は固いのだと、理解してしまった。

 

 

 逡巡する。俺がこの場にいる意味を考える。どうすればいいのかを模索する。

 

 

 

「……なるほど」

 

 

 

 ──あぁ、いや、違うな。前提が間違ってる。

 

 どうすればいいのか、じゃない。

 俺がどうしたいのか、だ。

 

 

 あいにく、神の思し召しだとか、世界が定めた運命だとか、そういうのは信じていない。

 

 『神様』なんて奴らは、普通の環境で生まれ育った男の俺を、体の小さい女の子にしてスラム街に放り込むような馬鹿共だ。あんな奴らの指し示す運命なんて、きっとロクなもんじゃない。

 それにさよならした筈のファンタジーに、幽霊として縛り付けたこの世界にだって、俺は少しムカついている。

 

 

 だからきっと、俺が幽霊になってこの場にいることに、理由なんてない。使命なんて考えるだけ無駄だ。

 俺は自分のやりたいようにやる。

 人の命を救って死んだんだし、偶然手に入れた死後なんて多少は好き勝手してもいいだろう。

 

 決めた、俺は決めたぞー!

 

 

 

「わかった。じゃあ、このことは勇者たちには言わない」

 

 俺がそう言うと、ユノアがゆっくりと顔を上げた。わかってくれたのか、そんな意志が僅かに緩んでいる口元から伝わってくる。

 

 ごめんねっ、分かってない!

 

「だから、俺一人で呪いの短剣を奪ってくる」

 

 

「………え?」

 

 俺のドヤ顔を見たユノアは、気の抜けるような声を漏らした。その後、すぐに焦ったような表情に変化する。

 

「わっ、私の話、聞いていたのか……! 助かりたくないんだ、分かるだろう! 私の命を助けるなんて、私自身が望んでいないんだ!」

 

 私の意思を踏みにじる気か? 語気を荒らげて、そう告げるユノア。

 おうとも、その通り。

 

 

「キミの気持ちを踏みにじって、キミを助ける」

 

「よせ! さもないと、キミの正体を勇者にバラすぞ!」

 

 うぐっ、痛い所を突いてくる……! 流石は騎士!(関係無い)

 

 確かに勇者に正体を言われたら、死んだはずの俺に助けられたって知って、アルトがどうなっちゃうのか分かったもんじゃない。というか、それ以上に抱きしめたりしたのが恥ずかしすぎて、俺が成仏する可能性すらある……!

 

 で、でもっ、それでも俺はやる。

 

 俺は室内で浮遊し、窓に近づいた。ユノアに捕まらないよう、距離を取る必要があるから。

 あとは後ろに飛べば、建物をすり抜けて俺は空中に。人間であるユノアには届かない領域だ。

 いかにも逃げ出す寸前の俺を、ユノアが睨みつける。

 

 彼女が剣を持っていれば、既に斬られててもおかしくないほど、ユノアがキレてる。怖い……。

 でも、やりたいことを押し通すには、ビビってる場合じゃないぜ。

 余裕あり気に笑って見せる俺を見て、ユノアは叫ぶ。

 

「ふざけるなッ! 人の命を救って善人ヅラするつもりか!? そうやって盲目な善意を振りかざして……押し付けがましいんだよ!!」

 

 必死に叫ぶユノア。なんと罵られようと、止まるつもりはないぜ。

 

「ユノア! キミは俺の事を恨んでくれていい! ……あー、でも一つ訂正! 俺がこうするのは、善意じゃないよ!」

 

 善意でもなければ、倫理的な観点から判断したわけでもない。そんな生易しいものじゃ無い。

 

 もっと汚くて、もっと身勝手で、もっと純粋な感情だ。

 

 

「これは俺の、ただの『我が儘』だっ!!」

 

「───っ!?」

 

 そう、これは我が儘。俺が今、一番優先するべき感情だ。

 

 

 

 ……人は、死ぬと誰かが傷を負う。今まで関係ないと思っていたそれは、俺にも言えることだった。

 一匹狼を気取りながら一人の男の子を邪魔し続けただけの俺の死ですら、人の心を傷つけた。

 

 アルトは感情を塞ぎこんで、殻に閉じ籠った。

 エリンちゃんは人の死にトラウマを覚えて、墓の前で懺悔しながら泣き叫んだ。

 

 盗賊の俺で、これだ。

 勇者の仲間として生きてきたユノアが死んだら、どうなってしまうのだろうか。

 

 

 見たくない。もう二度と、あんな傷心した、光を映さない瞳を。

 勝手に死んだ俺を悼んでくれた、心優しいあの人たちの、傷つく様を見たくはない。

 

 

 絶対に。

 

 

 これは、そういう俺のわがままだ。残念ながら、ユノアの為ではない。なので呪いが解けたら、成仏させるなり魂を切り刻むなりしてくれていい。

 だけど、アルトたちに悲しんで欲しくないという俺自身の我が儘の為に、キミには生きてもらう。

 

 

「このっ──」

 

 ユノアが俺を捕まえようと手を伸ばした。

 その瞬間、俺は後ろに飛んで建物を透過。

 無事に病院の外へ離脱したのだった。

 

 すぐさま窓を開けて、ユノアが叫ぶ。

 

 

「まっ、待てぇー! ソルドットーッ!!」

 

「はっはっは! 止めたかったら追いかけてみろ~!」

 

 

 高らかに叫び、俺は彼女に背を向けて飛び始めた。

 

 つい叫んじゃったけど、病人だから本当は追いかけてきたら駄目だからな!

 

 

 

 



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だ゛ず゛げ゛で゛ぇ゛ーっ!!

 

 時刻は既に夕方。俺が遺跡に到着する頃には、澄みきっていた青空はオレンジ色に染まっていた。

 

 目撃情報によれば、呪術のトリデウスは長い杖を持っていて布で顔を覆い隠し、ボロボロな紫色のローブを身に纏っている痩せ細った老人の姿をしているらしい。

 

 そんな特徴的すぎる見た目ならば、見つかればすぐにわかる筈だ。逃がさないように、出会い頭にヘッドロックしてやる。

 

 

 意を決して、最奥に遺跡が存在する洞窟の中へと入っていった。

 洞窟内は以前とさほど変化はなく、生きてた頃の俺が解除した洞窟のトラップもそのままだ。

 

 トリデウスが再び侵入者を迎撃できる拠点として作り直したものだと思っていたので、些か拍子抜けだ。まぁ、安全に越したことはないが。

 

 フワフワと進んでいると、俺がアルトに対して仕掛けたトラップの残骸が、道の端にちらほらと見受けられた。

 

 どれもこれもアイツに利用された痕跡が残っており、思わず吹きだした。

 罠探知ができるエリンちゃんがパーティにいたのに、俺ってかなり無意味なことしてたんだなぁ。

 

 

 生前の俺に呆れながら進んでいくと、あっさりと最奥の遺跡に到達した。

 大きな広場の中央に台座があるその光景は、なんとも懐かしい記憶を想起させる。

 

 そういえば俺って死ぬ前、アルトに「ばーか」しか言ってなかったな。なんともはた迷惑な遺言だ。

 

 洞窟から遺跡まではほぼ直線の一本道で、道中人影を見かけることはなかったから、トリデウスがいるとすればこの広場以外にはありえない。

 ヤツを探すべく、周囲を見渡した。

 

「……おっ」

 

 台座の後ろにボロボロなローブを着こんでいる人物が座り込んでいるのを発見し、俺はニヤついた。

 間違いない。台座に長い杖も立てかけてあるし、布で顔を包んでいる。きっとアイツがトリデウスだ。

 

 呪術師と死霊使いはほとんど同じ部類の存在だし、ヤツも俺のことは見えるはず。それなら、俺が奴に触れることもできるってことだ。

 

 しめしめ、相手は俺に気づいていないし、このまま不意打ちで羽交い絞めにしてやるぜ。

 

 

 そーっと、ゆぅーっくりと近づいて……よしっ、今だ!

 

「オラっ!」

 

「──わっ!?」

 

 勢いよくヤツに覆いかぶさり、両脇を腕で強く締め付け、足を俺の両足で挟んで拘束した。

 思っていたよりもトリデウスの身体は小さく、俺でも抑え込めるほどだった。

 

「だっ、だれ──」

 

「うるせぇ大人しくしろーっ!」

 

「いたただっ!!」

 

 更に締め付けを強くして、抵抗させないようにする。ここで逃がしたらいろいろと大変なのだ。

 不意打ちが成功したこの機会に、呪いの短剣を奪ってやる。……それにしても、老人の割には声高いな。

 

 俺が片手でヤツの首を抑えながらもう片方の手で体中を漁っていると、俺の顔に擦れてトリデウスの顔を包んでいた布がズレ始めた。

 ちょうどいい、その素顔もしっかり覚えといてやる。

 

「ほらっ、覆面外せ!」

 

「うぅっ、やめっ……」

 

 トリデウスの言葉を無視して、勢いよく顔を覆っている布を剥ぎ取った。

 

 

「やめぇっ、やめるのだ! ……うわぁっ!」

 

「どれどれ、ヨボヨボなおじいちゃん顔みせろ──」

 

 

 えっ。そんな声が漏れた。

 横から覗き込んで見えたのは、皺くちゃな老人では無く───涙目の幼い少年の顔であった。

 

 

「ひっ、ひどい奴なのだ、まだ何もしてないのに……!」

 

「えぇ……」

 

 俺が抱いたのは困惑。

 まるで調べた情報と違う。

 

 俺が捕まえたのは痩せ細った老人ではなく、ほっぺがやわらかそうなショタであった。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 あれから約十五分くらい経過した。とりあえず俺は拘束を解いたものの、逃がさないようにトリデウスの手を握っている。ショタのおてて温かい。……いや、そうじゃなくて。

 

 目撃情報と違う事、それから話せることを全て話せ、とトリデウスを脅した。すると彼は、ぽつぽつと語り始めた。

 

 

 聞いたことを簡単に要約すると、トリデウスは魔王軍から逃げてきたらしい。

 幼い少年の姿をしている理由は、元の自分の肉体がボロボロで逃げづらいので、研究材料だった魂が無いホムンクルスに意識を移し替えたから。

 

 よりにもよって子供の身体なのは、無事なストックがこれしかなかったから……とのこと。

 

 

 とりあえず事情は把握したので、今度は此方の話をした。とりあえず呪いの短剣が必要だから寄越せ、と。

 すると彼はホッとしたような表情に変わった。

 

「あぁ、あれか。もう戦わない吾輩には不要なものであるし、必要ならくれてやるのだ」

 

「えっ。……あの、こう言うのも変なんだけど、そんなあっさり渡してもいいのか?」

 

 大切なものではないからな、と呟くトリデウス。

 何だか疲れ切ったような眼をしていて、よくみれば目の下にクマもある。

 

 そんな疲弊している彼を見ていると、思い出したかのようにトリデウスが「あっ」と呟いた。 

 

「でもアレは吾輩しか入れない隠れ家に置いてあるのだ」

 

「じゃあそこに行こう。……俺はまだまだ疑ってるから、逃げないよう一緒について行くからな」

 

「構わない。むしろここには戻らないから、その場で受け取って欲しいのだ」

 

 分かった、と相槌をうって俺は立ち上がった。すると、つられるようにしてトリデウスも腰を上げる。

 なんだかめちゃくちゃ簡単に事が進んでしまって、逆に怖いぞ。

 

 

 

 隠れ家に向かうべく、広場を歩き出した。それと同時に、トリデウスに質問を投げかける。聞けることは全部聞いておかないと、スッキリできない。

 

「なぁ、トリデウス。どうして今になって魔王軍をやめたんだ? 何ヶ月か前なんて、勇者パーティと戦ったくらいなのに」

 

「……それは」

 

 口ごもるトリデウス。それを見て、俺は軽く彼の頭を小突いた。

 

 い、痛いのだ! と魔王の幹部は自分の頭を押さえながら文句を言ってきたが、知った事では無い。

 

 かわいいショタの姿をしているが、中身はヨボヨボの魔物ジジィなので、優しい対応なんてしてやる義理は無い。

 

 ほぼ戦争関係の相手だったとはいえ、ユノアに呪いを付与した奴だ。もっといじめたって足りないくらいである。とりあえず思いっきりほっぺを抓っておいた。

 

「ふぁ、やっ、やへふのふぁ(やめるのだ)ぁ……!」

 

 涙目で抗議するショタじじぃ。ていうかさっきから、のだのだうるさいんじゃい!

 手は離してやるから、さっさと喋るのだ!

 

 

「……あっ、あの御方は──魔王様は、偉大な先代と違って……そのっ、あまりにも身勝手なのだ。魔王の使命である魔物の繁栄なぞ一ミリも興味が無い。それどころか、自らに反発する魔物たちは……たとえ幹部であろうとも、二度と解けない洗脳を施して自分の玩具にする」

 

 

 トリデウスは深刻そうな態度で話してくれたが、俺自身はあまり衝撃を受けなかった。

 

 まぁ、交換条件とか人質とかも持ち出さずに、俺を勧誘してきたあの魔王のことだ。おそらく彼女は、先代から引き継いだ『魔王』という肩書きに拘らず、刹那的に生きているのだろう。

 

「長年共に幹部を務めてきた吾輩の戦友があの御方に洗脳されたとき、ついに悟ったのだ。この魔王軍に残っていたら、哀れな傀儡として一生を終えることになる……と。軍を去ればわざわざ人間と対立する理由も消えるし、もう魔物の繁栄の為に戦うのも……疲れてしまったのだ」

 

 

 疲れ切ったような深い溜息を吐くトリデウス。

 その表情からは幼い少年の奥に、ボロボロになって精神が摩耗しきってしまった歴戦の呪術師の姿が、垣間見えたような気がした。

 

 ……それなら、これからどうするつもりなのか。俺は彼に問いただした。

 

「人も魔物も少ない辺境の地で、研究でもしながらひっそりと生きていく予定なのだ。……お前が殺したであろう我が同胞のことは忘れるから、お前も吾輩を見逃してほしいのだ」

 

 立ち止まってまっすぐ俺の瞳を見つめる、元魔王軍幹部。

 哀愁を感じるその目は、嘘の色など映してはいなかった。

 

 

 俺は盗賊だ。これまで人を騙しながら生きてきたし、逆に騙されて苦しみもした。

 それゆえにいつしか培うことのできた、相手の嘘を見抜く俺の観察眼は、目の前の少年姿の老人は嘘をついていないと告げている。

 

 

 正直に言えば、俺にはこの老人を責める資格はない。

 

 彼が人間に危害を加えてきたように、俺も魔物を屠ってきた。

 つい最近も、ファイアナイトの一件で魔物の首を斬り飛ばしたくらいだ。俺の手だって汚れている。

 

 

 恨まないから、見逃してくれ。そんな彼の言葉を、俺はどうしても突っぱねることはできなかった。

 

 

「………わかった。でも、呪いの短剣はちゃんと渡せよ! じゃないと勇者のところに連れてくからな!」

 

「当然。それでも不安ならば、吾輩の引っ越し先もお前にだけは教えるのだ」

 

 そう言って僅かに口元を緩めるトリデウス。

 彼はいつの間にか、まるで知人と話している時のような表情になっている。

 

 裏切って告げ口をする可能性だってある俺に、自分の居場所を教えると言った。

 

 俺の承諾は、所詮口約束だ。

 それでもそう言ってくれたのは……信頼、ではないだろう。完全に俺の言葉を信用したわけでもないはず。

 

 今トリデウスと俺の間に存在する『何か』は、とても言葉では表現しがたいモノだった。

 

「とっ、とにかく! まずはさっさとこの遺跡を出て───」

 

 

 

 

 

 

 

 

「トリデウスくーん! いわゆる裏切り者の粛清に来てみたよー!」

 

 

 

 

 俺たちが遺跡の出入り口に差し掛かった瞬間、背後から底抜けに明るい声が聞こえてきた。その瞬間背筋に悪寒が走り、俺たち二人は同時に足を止めた。

 

 ()()()()()()()

 

「君は呪術と死霊を使うから、幽霊も殴れて呪いも効かない特別ゴーレムを連れてきました~。私は戦いたくないしこれで───って、あれ? 隣にいるの……もしかしてラルちゃん?」

 

 その場で止まってしまったことで、後ろ姿をじっくりと観察されて、正体がバレてしまった。魔王恐るべし。

 

 ……い、いや、この状況さ。

 

 

 めちゃくちゃヤバくね?

 

 

 

 俺は極めて小さな声で、隣の元幹部さんに話しかけた。

 

「ぉ、おいっ、お前戦えるか……!」

 

「魔力も枯渇してるし使役できる霊もいないし無理なのだ……! そもそもあのゴーレムを用意されたらっ、勝ち目なんてないのだぁ……」

 

「ちょっとー。無視しないでよー」

 

 まるで友人に話しかけるかのように馴れ馴れしい魔王の言葉を無視して、俺はトリデウスの放った言葉を数秒咀嚼して何とか飲み込んだ。

 

 

 ……ぐっ、ぐぬぬ。詰んでるじゃねーか!(半ギレ)

 

 ゴーレムは生き物じゃないから憑依なんて出来そうもないし、魔王は絶対弾き飛ばされて憑依はできない。

 武器らしい武器はトリデウスの持っている長い杖だけだが、体の小さなショタが振り回したところで勝負になんてなるはずがない。

 

 なんとか、どうにかしてここを生き残るには……。

 

 

 ──くぅっ、やっぱり生前の盗賊時代みたいにやるしかないか!

 

 やる事を決めた俺は、すぐさまトリデウスを抱きかかえて浮遊した。今だけはお前が子供の身体で良かったと思ってるぜ……!

 

「お前っ、どうするつもりなのだ……!?」

 

「きききまってんだろっ」

 

 震えた声が出てしまっているが、なんとか勇気を奮い立たせて不敵に笑って見せる。

 そう、やる事など決まっている。昔からやってきたことだ。

 

 

 盗みがバレたとき。

 自警団に見つかったとき。

 そしてヤバイやつに出会ったとき。

 

 俺は───

 

 

「にっ、逃げるんだよーッ!!」

 

 

 叫んだ瞬間、俺は全速力で飛びだした。

 その瞬間、後ろから大きな声が聞こえてくる。

 

「らっ、ラルちゃんもついでに捕まえよう! ゴーレム行けぇー!」

 

『$%W#%$$』

 

 無機質な機械音が発された瞬間、ゴーレムが地響きを鳴らしながら全力疾走で追いかけてきた。もはや前に突き進むしかなく、ゴーレムの踏み込みで地震の如く激しく揺れる洞窟内を、無我夢中で駆け抜ける。

 

 

 ───って、ゴーレムはやっ!? もうほぼ真後ろじゃねーか!!

 

『%$&w%&#$$%─ッ!!!!』

 

「ぎゃああぁぁっ!! こっちくんなぁぁぁぁっッ!!!!」

 

 

 



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赤面してるんだよね

お気に入り登録者様が3000名を突破してて驚いて椅子から転げ落ちて床に頭ぶつけて幽霊になりました

感想めちゃくちゃパワーになってます
見てくださって、本当にありがとうございますです!!



 ほぼ直線の一本道である洞窟を駆け抜けて外へ脱出すると、オレンジ色の空は漆黒に染まっていた。

 月明かりのおかげでかろうじて視界は大丈夫だ──と、そんな事を考えている場合ではない。

 

 死に物狂いで逃げたにもかかわらず、俺たちの後ろには全長三メートルはあるゴーレムが今も張り付いている。

 

「くっそぅ……!」

 

 悪態をつき、限界まで速く飛ぶ。

 

 

 そしてほんの一瞬距離を離せた、そう思った瞬間だった。

 

 まるで全力でフルスイングしたバットに殴られたかの様な衝撃が、後頭部に響き渡った。

 

「がぁっ!」

 

 口から呻き声が漏れた俺は、トリデウスを抱えたまま前方に吹っ飛び、木に叩きつけられた。

 その衝撃で俺は地に倒れ伏し、抱えていた彼もゴロゴロと地面に放り投げられてしまう。

 

 透過が間に合わない速度で吹き飛ばされてしまったため、モロに衝撃を受けてしまった後頭部と木にぶつかった左肩がズキズキと痛んだ。

 

 幽霊に外的損傷を与えるゴーレム、控えめに言って恐ろしすぎる……。

 

 

『#$%$%#!』

 

「……ハっ!」

 

 痛む頭を押さえていて、接近するゴーレムへの反応が遅れてしまったことに気がつく。

 先程のようなあの剛腕によるパンチをまともに受ければ、再起不能もあり得る。

 

 

 回避する為にすぐに浮遊しようとした瞬間、肩に鋭い痛みが走り、その場で棒立ちをしてしまった。

 その隙に、ゴーレムが岩石のような拳を繰り出す。

 

「やば───」

 

 

 

「危ないッ!」

 

 まさにゴーレムの拳が直撃する一瞬前に、飛び込んできたトリデウスが俺を突き飛ばした。

 そして俺が地面に尻餅をつく頃、助けてくれた彼の横腹には、すでにゴーレムの剛腕が深くめり込んでいた。

 

 

 ゴーレムがパンチを振り抜き、まともに攻撃を受けてしまったトリデウスは地面に叩きつけられた。

 だんっ! と鈍い音が響く。

 

 俺を庇ってくれた元魔王軍幹部の老人は、うつ伏せのまま沈黙してしまった。

 

「トリデウス!」

 

 すぐさま体勢を立て直して飛び、ゴーレムの手に掴まれる寸前だったトリデウスを抱きかかえて回避した。

 浮遊ではなく一時的な飛行であったため、すぐに地面に落下してしまったが、俺自身の体を下にすることで彼のクッションになりながら地面に不時着する。

 

 

 そしてトリデウスを地面に仰向けに寝かせ、数回ほど彼の頬を叩いた。

 

「おいっ! おいしっかりしろ!」

 

「………ぅ」

 

 叫びながら同時に身体も揺らしてやると、僅かだが少年は声を発した。攻撃による衝撃で気絶をしてしまっているが、息はまだあるので即死は免れたらしい。

 

 

 しかし安心はできない。振り返ればそこには此方へゆっくりと歩を進めるゴーレムと、微笑を浮かべながら木の上で高みの見物を決め込んでいる邪悪な少女が存在した。

 

 

 ……くっそ、どうすりゃいんだ。明らかに詰んでるだろ、この状況。

 

 

 俺の目的はユノアの解呪だ。そのためには呪いの短剣が必要で、さらにそれを手に入れるにはトリデウス自身が必要ときた。

 つまりこの眠りこけてるショタを生きてこの場から連れ出さないと、目的は達成されない。

 

 魔王の口ぶりから察するに、俺だけで逃げるのも無理だろう。捕まえる……だとか呟いていたし、仮にトリデウスを見捨ててこの場を離脱しようとしても、あのゴーレムで追いかけてくるに違いない。

 

 

 一応、俺自身が生き残る道はある。……死人だけど。

 とりあえず「魔王軍に入りまーす!」と言えば、俺自身の身の安全は保障されるだろう。

 

 この場が俺一人であれば、一時的に軍門に下ってから、隙を見て逃げる──なんてことも選択肢に上がるのだが。

 仮にそうしたとしても、結局トリデウスは殺されてしまう。俺の勧誘と彼の始末は話が別だからだ。

 

 トリデウスの身の安全を保障すれば、魔王軍に入ってやる……なんてのも意味はないだろう。魔王が交換条件に従う理由がない。 

 

 

 やっぱり、ゴーレムを倒すしかないか。めちゃくちゃ都合のいいように考えれば、俺がこの身一つでゴーレムを倒せば「なかなか面白い、見逃してやろう」みたいなことを魔王が言うかもしれない。……多分ないな。

 

 とにかく抵抗しなければ速攻で終わってしまう。

 ウダウダ考えてる暇なんてない。

 

 

『##”$$%』

 

 ゴーレムが近づいてくる中、俺は落ち着いて周囲を見渡す。

 流石に俺の体だけじゃ何もできない。何か武器になるものは───

 

「ッ!」

 

 ソレを見つけた瞬間、俺は飛んでゴーレムの横を通り抜けた。

 

 そして無造作に地面に転がっていた『トリデウスの杖』を拾い上げる。意外にも重いソレに一瞬動揺したが、両手で持ち上げることで杖を武器として扱うことに決めた。

 

 

 岩石で構成されているゴーレムの表皮は、とてもこの杖の打撃では効果などないだろう。

 唯一狙えるとすれば、それは腹部にある小さな魔石だ。

 

 あの魔石はゴーレムの核であり、常に魔石が直接大気を帯びていないとゴーレムの体内の魔力を循環させられない性質上、必ず体外にむき出しになっている。

 

 

 あれをこの杖の尖った先端部分で突くことが出来れば、魔石を破壊してゴーレムを無力化できる。

 残る魔王に関しては……後で考えよう。あんまり頭脳派には見えないし、言葉でなんとかできるでしょ(適当)

 

 

『&&&%%%%ッ!!!』

 

「わっ!」

 

 冷静に観察していたと思ったら、突然ゴーレムが殴りかかってきた。

 咄嗟に杖を横にしたが、魔王幹部の武器とはいえ、こんな棒切れじゃ叩き折られて終わるぅ!

 

 ビビりながらも最後まで目を逸らさず、しっかりと向かってくる拳に杖を構えた。少しでも衝撃を和らげることが出来れば僥倖──

 

 

『#$!?』

 

「──っ! ………ぁ、あれ?」

 

 怖すぎて直撃の瞬間は目を閉じてしまったが、予想していた衝撃が俺の体に飛んでくることはなかった。

 

 

 恐る恐る目を開けると、そこにはしっかりとゴーレムの拳を受け止めている杖の姿が。

 

 ゴーレムのパンチすら折れることなく受け止められる杖。

 ……どうやら、俺が思っている以上に魔王幹部の武器は凄かったらしい。棒切れなんて言ってすみません! 杖先輩さすがッス!

 

「ははは……。どっ、どうだゴーレ──ウガァッ!?」

 

『#####ッ!!』

 

 瞬間、ゴーレムのデカい足が振り上げられ、そのキックは俺の横顔に直撃した。

 早すぎる攻撃に反応できるはずもなく、俺は無抵抗に吹っ飛ばされて地面に転がった。

 

「いぃ゛っ、いでで……!」

 

 岩石の脚による蹴りがめり込んだこめかみが痛い。めちゃくちゃ痛い。実はちょっと泣いてる。

 

 頭を抑えつつ、なんとか立ち上がった。

 

 

 しかしその瞬間、何かが気管に入った時のように、急に噎せ返ってしまった。

 

「げほっ! ゴホごほッ!!」

 

 思い切り咳をしたことで頭が眩み、その場にへたり込んで膝をつく。

 すると、目の先にある地面に謎の液体が零れ落ちている事に気がついた。

 

 

 いつのまにか、俺の口から青白い液体が漏れ出ている。それはまるで吐血のようで、喉と口の中に不快感が広がっていった。

 

 いままで経験したことの無い状況に狼狽していると、前方から魔王の声が聞こえてきた。

 

「あちゃー、幽液出ちゃってる。ラルちゃん大丈夫?」

 

「ゆっ、ゆう……えき……?」

 

 繰り返す様に俺が呟くと、魔王は「知らないの?」と言って木の枝から降り立った。

 しかしそのまま近づくわけではなく、ゴーレムの後ろにいつの間にか用意した、木製の椅子に座って笑顔のまま俺を眺めている。

 

 

「幽液っていうのは、ゴーストが幽体として活動するために必要なエネルギーのことだよ。わかりやすく言えば血液だね。でも血と違って新たに生成することはできないし、体外から摂取するのも無理」

 

「………なんじゃ、そりゃ……」

 

「あはは。死人なのにこんな生物学的な存在が発生するの、かなり変だよね。でも幽霊は『そういうもの』だし、消えたくなかったら───ラルちゃん、口を閉じて無理してでも幽液を飲み込んだ方がいいよ~」

 

 

 そう言いながらいつの間に用意したティーカップに口をつける魔王。余裕かましすぎだろお前!

 ……ぐぬぬ、魔王の言う通りにするのは癪だけど、出さない方がいいなら飲み込もう。

 

 幽霊だし、気管に入って死ぬとか、そういう心配は無用なはずだ。むしろ内臓があるかすら怪しい。

 

「んっ……んくっ……けほっ、けほっ」

 

 咳き込みはするものの、青白い液体が口から出ることはなくなった。

 でも垂れた幽液は口元や顎に付着したままだし、傍から見れば吐血した人間なのは明らかだ。

 

 

 魔王を睨みつけながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 その瞬間、脳が揺れるように眩んだ気がして、再び膝をついてしまった。なっ、なんだ……!?

 

「頭痛がするッ、は……吐き気もだ……くっ、ぐぅ……な、なんてことだ、このラルが気分が悪いだと……!? このラルがあのゴーレムに頭を蹴られて、立つことができないだとッ!?」

 

「わざわざ声に出さなくてもよくない?」

 

「誰のせいで痛くなってると思ってんだよ!」

 

 くぅ、冗談抜きで立てない……。ゴーレムのキックが効いたのもあるけど、幽液とやらを吐き出したのもまずかったか。

 

 

「もういいや。ラルちゃんが消えない内に、さっさと捕まえちゃって」

 

『#%$#&』

 

 魔王の命令を受けた瞬間、ゴーレムが俺に向かって歩き始めた。

 

 その重い足が地面を踏みしめる度に、危機感と恐怖が少しずつ湧き出てくる。

 人間として当然のその感情は、逃げなければいけない俺の身体を拘束してしまった。

 

 

 動けない。ゴーレムが近づいてくる。動けない。ゴーレムが……。

 うぅっ、ここまでか。やっぱり幽霊なんかじゃ、女の子ひとり救うことも出来ないのか。

 

 頭の中で後悔を繰り返しているうちに、大きな影が俺を覆う。

 既に目の前にはゴーレムがいた。そしてその手は開かれ、腕を此方に伸ばしている。どうやら俺を握って連れ帰るらしい。

 

 脳内を駆け巡るのは、懺悔をしたい気持ちだった。これでまた、俺はアルトの前から姿を消す。

 ユノアを見捨てることになる。啖呵を切って出ていった幽霊が連れ去られたとなれば、笑い話のひとつにでもなるだろうか。

 

 

 ───あぁ、もう、目の前に手が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「セイッ!!」

 

 

 

 

 

『%%&ッ!?』 

 

 

「………ぇ?」

 

 

 ──あまりにも、一瞬の出来事。

 

 

 迫っていたはずのゴーレムの手は、いつの間にか切断されて地面に落ちて。

 

 動けなかった俺は、誰かに抱えられて数歩後ろに下がっていて。

 

 醜悪な笑みを浮かべていたはずの魔王は、目を見開いて驚愕していて。

 

 

 

「……大丈夫か?」

 

「えっ。きっ、きみは──」

 

 お姫様抱っこのような状態になっている俺が顔を上げると、見計らったかのように、その人物の顔を銀色の月明かりが照らした。

 

 

 凛とした目つき。

 靡く漆黒の長髪。

 銀色の胸当てや腰に収まっている長剣。

 

 そしてなにより、気品を感じる佇まい。

 

 

 まさに、その姿は『騎士』そのものだった。

 

 

「ゆっ、ユノア?」

 

 俺が呟いた瞬間、彼女はフッと優しく微笑み、ゆっくりと俺をおろした。

 そしてマジマジと俺の全身を見回すと、ユノアはそっと片手で俺の頬に触れた。 

 

「私の為に、こんなに……ボロボロになって」

 

 少しやるせなそうに言い、触れていた手の親指で俺の唇の端を軽く擦った。その親指には青白い液体が付着しており、その行動が俺の幽液を拭うことなのだとすぐに理解できた。

 

 

 助けるはずだった女性に、助けられてしまった。

 

 目の前の状況が理解しきれず、あわあわとその場に立ち尽くす俺に、彼女は背を向ける。

 そして首を少しだけ振り向かせ、安心するような優しい声音で一言告げた。

 

 

 

 

「私の後ろに隠れていろ」

 

「はっ、はい」

 

 

 

 やだっ、かっこいい……。

 

 

 




トゥンク…


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一件落着ですか?(涙目)

 片手を失って僅かに狼狽しているゴーレムが、魔王の命令でその場を駆け出した。

 残ったもう片方の腕に全体重を乗せ、目の前に立ちふさがる女騎士に巨大な拳を繰り出す。

 

 ユノアが腰に携えている長剣を鞘から抜いた。

 とてもゴーレムの拳を受け止められるような強度ではないように見えるが、現にあの剣は奴の強固な右手を切り落としている。

 

 

「ふっ──」

 

 ユノアは軽やかな身のこなしで、ゴーレムの拳を刀身で受け流した。

 目の前の騎士という着地点を失った拳は止まることなく、そのまま地面に激突する。

 

 すると、ゴーレムが身動きを止めた。……いや、止められてしまったと言うべきか。

 あまりにも力が込められていたそれは、深々と地中にめり込んでしまっている。

 

 

 腕が抜けないゴーレムがあたふたしている間に、ユノアはその場を飛び出した。

 

「セイッ!」

 

 風のように振るわれた軽やかな斬撃は、ゴーレムの首元へと襲い掛かった。

 身動きが取れないゴーレムに、もはやその剣を受け止める以外の選択肢はない。

 

 

 ヒュッ──と、突風が一瞬巻き起こる。

 

 

 その風は俺のほうにも少し吹き、思わず目を閉じた。

 

 数秒後、恐る恐る目を開けば、そこには首が切り落とされて機能が停止しているゴーレムと、器用に長剣を腰の鞘に収めた女騎士がいた。

 

 

 ……弱点とか突かずに真正面からゴーレム倒しちゃったぞ、あの人。しかも、ゴーレムと対峙してから一分も経過してない。

 

 まさに瞬殺……クソ強い(確信)

 あの強さ、まさに勇者パーティの一員として旅をしてきたっていう、何よりの証拠だ。

 

 

 

「あわわ、スペシャルゴーレムやられちゃった……」

 

 彼女の鮮烈なまでの強さに感心していると、魔王がわざとらしく焦りながら椅子から腰を上げた。

 そしてすぐさま開いた右手を上に掲げ、高らかに叫ぶ。

 

「しょっ、召喚ーっ!」

 

 言い終えると同時に右手をギュッと握りしめる。

 

 すると、俺たち三人を取り囲むようにして、無数の紫色の魔法陣が出現した。魔王が叫んだ通り、紫色の魔法陣の役割は『召喚』だ。

 

 瞬間的な危機感を覚え、俺は地面で寝そべっているトリデウスを背負い、ユノアの近くまで移動した。

 周囲を見渡せば、いつのまにやらゾロゾロとゴーレムやらトロールやらが魔法陣から湧いて出ている。

 

 どいつもこいつも冒険者ギルドで要注意危険生物に指定されている、高位種のバケモノたちだ。よく見れば、先程倒したゴーレムと同位種の奴もチラホラ見受けられる。

 

 

「──いやいやいやっ! 片手で何してんのお前!?」

 

 思わず叫んでしまった俺の反応は正常なはずだ。

 まおう あたま おかしいね。

 

 

 ベテランの冒険者でもすぐさま逃げ出す程の数にも拘らず、さらに魔法陣から高レベルの魔物たちが押し寄せてくる。

 それは明らかな、俺たちへの殺意の表れに他ならない。

 

 ゴーレムに手を伸ばされた時以上の緊張感が体に走った。

 これはさすがに、逃げないとやばいのでは……?

 

 

「私ってば戦うの苦手だし、あとはこの子たちに任せるね~。……あっ、一応ラルちゃんは捕まえるように指示してあるから、本気で消されそうになる前に投降しちゃってね! それじゃっ!」

 

 それだけ言い終えると、白髪の少女は手を振りながら笑顔で魔法陣の奥へと消えていった。

 

 

 あの性悪女ゆ゛る゛さ゛ん゛(殺意) 絶対あとで泣かすからな! 絶対だぞ!

 

 俺たちを取り囲んだ魔物たちは、今にも此方へ飛び込んできそうな雰囲気だ。

 それでも少しだけ躊躇しているのは、俺の前にいる騎士の威圧感ゆえか。

 

 

 

 ──場違いにも、俺は少しだけ疑問が浮かんできてしまった。

 

 助かりたくない、自分のことは放っておけ。

 そんな頑なな意思を持っていたユノアが、なぜこの場に来たのか。

 

 こう言うのもなんだが、死にたいのならば俺とトリデウスを見殺しにすればいい。

 そうすれば解呪の希望は絶たれ、彼女に残されるのは呪いによる緩やかな衰弱死のみだ。

 

 

 俺はユノアの横に立ち、彼女のほうを向いた。

 

「……どうして来てくれたんだ? 俺はキミの意思を無視して、一人で勝手に危機に陥ったのに……」

 

 俺の声を聴いたユノアは、少しだけ目を伏せた。

 何かを考えるように、俺の言葉を脳内で咀嚼している。

 

 そして数秒後、俺と目を合わせてからその口を開いた。

 

 

 

「羨ましいと思ってしまったんだ」

 

「……え?」

 

 予想だにしない彼女の言葉に、思わず意味を持たない反応をしてしまった。

 

 羨ましい……? それはもしかして、俺のことが?

 俺より強く、俺より遥かに長く勇者のパーティにいたユノアが?

 

 

 たしかに、アルトは少なからず俺に信頼を寄せてはいる。

 だが、それはユノアにも言えることだ。むしろ、俺よりもユノアの方が彼からの信頼度は厚い筈。

 なんたって、今まで旅をしてきた仲間なんだから。

 

 ゆえに、彼女の言葉が理解できない。羨ましいって、幽霊になったこととか……?

 

「……ふふっ。いろいろと逡巡しているようだが、恐らく君の予想は外れているよ」

 

「じゃっ、じゃあ一体どういうことなんだ?」

 

 要領を得ず、ストレートに聞いてしまう。

 するとユノアは少しだけ口元を緩めた。

 

 俺にいま分かることは、その優しい微笑みが、病院で見たあの『諦めたような笑み』とは違うもの……だという事だけだ。

 

 

「私は───勇者たちが羨ましいんだ」

 

 そう告げたユノアは、自分の親指に付着している俺の幽液へチラリと視線を動かした。自然と、俺もつられて彼女の手に目が行く。

 

「キミが私を助けようとしたのは、彼らの為だろう」

 

「ぇっ。……そ、それはっ、あの、その……」

 

「隠さなくてもいいよ。責めているわけじゃない」

 

 クスッ、と小さく笑う女騎士。その柔らかい表情は、とても病院にいた時の『死人のような顔』をしていた彼女からは、想像もできないものだった。

 

 

「普通は流血などしないはずの、幽霊である君が……ここまで無茶をした。それはきっと、勇者やエリンたちが大切だからだ」

 

 手を見つめるのをやめ、再び俺の目を見た。その瞳はどこまでも真っ直ぐで、恥ずかしくなって目を逸らしたくなるほど、俺の眼は彼女に射抜かれている。

 しかし目を逸らす事が出来ないほど、彼女の瞳は澄んでいた。

 

「それほどまでに……キミに大切に思われている勇者たちが、羨ましい。そう思ってしまった時、私は自分の気持ちに気がついたんだ」

 

「……気持ち?」

 

 

「あぁ。私が勇者に向けていた感情の正体は───仲間、友人としての親愛だったんだ。彼が異性だから、俗にいう恋慕の想いと混同してしまっていたのだろう。……だから、私は君に見当違いな嫉妬もしていた」

 

 

 でも。そう続けるユノアは膝を折って屈み、背の低い俺と目線を合わせた。

 羨望のような、慈しむようなその瞳の前で、俺は何も言えなくなっていた。

 

 

「それに気づいた時、私の中に別の『何か』を感じた。そして傷つきながらも果敢に魔と戦う君を見て、その正体を理解したんだ」

 

 そっと、優しく俺の手を取る騎士。

 俺の手を両手で握りながら、瞼を閉じて一呼吸。

 

 

 

 意を決したように、その瞳を再び開いた。

 そして彼女から、ついにその言葉は告げられる。

 

 

「私は───君に愛されたいのだ」

 

 

 その意味を、すぐに理解することはできなくて。

 

 

「死してもなお、再び得た不安定なその身を摩耗させながらも、大切な者のために抗う君に……愛されている勇者たちが羨ましい」

 

 

「私も……わたしもその愛を感じたい! いやっ、彼ら以上に君の愛が欲しい!」

 

 

「ソルドット! 私はソルドットの……違うっ!」

 

 

 

「ラルのっ! ラルの大切な人になりたいんだ!!」

 

 

 

 

 ──そうなればきっと、私は二度と負けることなどない。

 呟くように付け足したユノアは、その手に握っていた小さな掌をそっと離し、立ち上がった。

 そして剣を鞘から抜刀し、魔物の群れへと顔を向ける。

 

 

 

 ───はい?

 

「えっ、あの、ちょっと待って」

 

「君を助けに来たのは、それが理由だ。不純な動機ですまない」

 

 まるで言いたいことを全て言い終えたかのように、妙にスッキリした爽やかな笑みで告げる女騎士。

 

 

 ……いやっ、まてまてまてッ!? 動機が不純すぎるだろどういうことだオイ!?

 てかなにっ、えっ? 愛されたい? 誰に? おっ、おおおっ、おお俺に?

 

 何言ってんのマジお前本当にユノアか!?

 

「……必ず守ってみせるよ」

 

 

 いや「……必ず守ってみせるよ」(キリッ)じゃねーんだよ! なに言うだけ言って一人で満足してんのお前!?

 

 

 おっと、まてまて、落ち着け俺。ステイクール。いつ如何なる時も冷静さが大事だ。

 まず落ち着いて状況を分析してみよう。

 

 助かりたくないユノア → 助けたら勇者に正体バラす! → 突然の騎士ムーブ → 君に愛されたい。……んん?(思考停止)

 

 何がどうなってそうなるんだ? 何かあってこうなったんですねハイ。

 

 

 

 ……あっ、いや、まて。本当に落ち着け。

 さっきのユノアの言葉は置いておくとしても、目の前の状況は何一つ改善されていないんだ。

 

 相変わらず魔法陣からは魔物たちが押し寄せてきてるし、この場にいる魔物の数は、もう数えるのも億劫なほどだ。三桁は既に突破しているだろう。

 

 いくらユノアが強いとはいえ、多勢に無勢。剣の技量だけではどうにも出来ないほどの数が相手では、分が悪すぎる。

 チラリとユノアの顔を見れば、彼女も冷や汗を───かいてないですね。不敵な笑みですね。その自信はどこから来るんですか?

 

 

 

「ん?」

 

 すると、絶好調な女騎士は何かを察知したような声を上げた。

 気がつけば、俺の耳にも何かが迫ってくる音が聞こえる。

 

 茂みの奥だ。そこから何かが急接近してきている。

 

 もしかして増援とかじゃ──なんて悪寒を感じたが、よく見ればユノアは口角を吊り上げている。

 俺が不思議に思っている中、彼女はボソッと呟いた。

 

 

「来たか」

 

 

 その言葉の瞬間、俺たちの横を突風が通り抜けた。

 いや、風じゃない。高速で移動している何者かが、俺たちの横を風のように通過したんだ。 

 

 

 そして間を置かず、別の出来事がその場で発生する。

 

 まるでガラス瓶が割れた時のような、耳を劈く破壊音が次々と鳴り響いた。

 

「うぅっ! なっ、なんだ……!?」

 

 耳を抑えながら周囲を確認すると、俺たちを取り囲むように展開されていた魔法陣が、すべて粉々に砕け散っていた。先程の音は、あれを破壊した音だったらしい。

 

 魔法陣が無くなったことで、これ以上この場に魔物が増えることはなくなった……けど、一体誰が?

 

 耳にあてがっていた手を退かすと、いつの間にかユノアの隣に誰かが立っていた。

 そしてその人物の顔を、月明かりが照らしだす──

 

 

 

「遅かったじゃないか、勇者」

 

「こっ、これでも急いだ方だよ。ユノアが病院から抜け出したって言うから、聞き込みして高速魔法使って──」

 

 

 そこにいたのは、額や首筋に汗を浮かべたアルトだった。どうやらユノアの後を追って街から走ってきたらしい。

 ある意味、俺の予想は当たってたな。来たのは『俺たちの』増援だけど。

 

 

 ……それにしても、だよ? この魔物の数は流石にヤバくないか?

 半年に一度開催される某同人イベントもビックリの人数だぞ。

 

 ユノアは(なぜか)絶好調だけど、アルトは今……って、なんだその手に持ってる聖剣、めっちゃ光ってるんだけど。

 それはもう月明かりよりも──って眩しい眩しい! 明るすぎて目が痛い! 祭りの屋台で売ってるおもちゃの剣ぐらい目に悪い!

 

 

 どうやらその聖剣にはユノアも驚いているようで、すかさずアルトに問いかけた。

 

「勇者、どうしたんだ、それ。この前なんてロクに聖剣を持てないって、愚痴ってたくらいなのに」

 

 

 その言葉を聞いたアルトは一呼吸し、息を落ち着けてから、真っ直ぐユノアの目を見つめた。

 

 

「……ユノアが危ないって思ったら、居ても立ってもいられなくなったんだ。気がついたら、聖剣の力もまたうまく使えるようになってた」

 

 少しだけ目を伏せ、考え込むような表情をするアルト。

 しかし言葉は決まっていたのか、すぐにユノアに向き直った。

 

「間違っていたんだ。強さを取り戻すとか、聖剣にふさわしくなるとか、そういう事じゃなかった」

 

「……見つけたのだな。君も、自分自身の答えを」

 

 

 

「あぁ。僕は──大切な仲間たちを守るために、この聖剣を振るう。エリンも、ファミィも、ゴーストも──そしてユノアも。二度と傷つけさせはしない」

 

 確固たる意志を宿した眼で、ユノアと対面するアルト。その顔には、以前の暗い影や、鍛錬中によく見せた焦りなどは微塵も存在しない。

 

 

 そんな彼の決意を込めた眼差しを信じ、嬉しそうな顔をしたユノアは頷いた。

 

「では、久しぶりに───共に戦おうか」

 

「もちろんだ。この程度の魔物たち、斬り伏せてみせるとも」

 

 その言葉の瞬間、二人は剣を握りしめた。

 

 まるでそれを合図にしたかのように一斉に襲いかかってきた魔物たちにも、一切動じることはなく。

 

 

 

 二つの剣は、魔を切り裂く閃光と化したのだった。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 数十分後、辺り一面は魔物の屍のお花畑になってました。勇者パーティこわい。

 強すぎて速すぎてヤバかった(小学生並みの感想)

 

 

 いや、マジでそうだったんだよ。もう途中から俺が目で追うのも諦める程度には、クッソ高速で敵を薙ぎ払ってた。魔物に少しだけ同情しちゃったわね。

 

 俺ですか? 気絶したショタを抱きかかえながら隅っこでプルプルしてました……。

 

 

 戦闘が終わったことで安心して息をつくと、アルトがこちらへ歩いてきた。

 今の俺はトリデウスを抱えているため、宙に浮いている彼を見たことで、ソコにゴーストがいるのだと直ぐに分かったのだろう。

 

「お疲れ様、ゴースト。重いだろう? 僕が代わるよ」

 

 そう言って俺からトリデウスを受け取るアルト。

 一切息切れなんてしてないし、改めてコイツが最強なことを実感させられた。

 仮に俺が聖剣を手にしていたとしても、ここまで強くはならなかったんじゃないかな……。

 

 

 強すぎるんだよ、ばーか。

 彼に聞こえるはずのない声でそう呟くと、近くにいたユノアがクスッと笑った。忘れてた、アイツには聞こえてるんだった。

 

 アルトはトリデウスを背負い、来た道を歩き始めた。

 

「ユノア、ゴースト、帰ろう」

 

「承知した」

 

「うい~……」

 

 いまだに毅然としているユノアとは対照的に、疲れたような声音で返事をする俺。

 

 

 すると、ユノアがズイッと俺の前に立ちふさがった。

 

「ラ──あぁ、いや、ゴースト」

 

「な、ナンデスカ」

 

 妙に顔を赤らめながら、わざとらしく「コホン」と咳払いをするユノア。

 怪訝な表情で彼女を見つめていると、ユノアはなんだかぎこちない笑顔で口を開いた。

 

「てっ、手をっ……手を繋いであげてもいいのだが」

 

 え? と間抜けな声出す俺。

 その反応を見たユノアは、焦ったような表情に変わり、「あっ、そうか」と呟いて人差し指をピンっと伸ばした。

 

「すまない、疲れているんだものな。なら背負って……あぁ、いや、抱っこだ! そうしよう!」

 

 

「あの……」

 

 

「も、申し訳ない。子供っぽいだろうか……。そうだ、ならばお姫様抱っこなら──」

 

 そう言ってユノアが此方に手を伸ばした瞬間、今日一番の危機感を俺は覚えた。

 故にその場で浮遊し、俺は全速力でその場を駆け出した。

 

 

 

「結構ですぅぅぅ──っっ!!」

 

「あぁっ! 待ってくれゴースト!」

 

 

「ユノア、走ると転ぶよー」(二人とも仲良くなったんだなぁ、よかったよかった)

 

 

 

 

 結果的に、家の中にはユノアに抱きかかえられた状態で入ることとなった俺であった。

 

 

 




勇者パーティ完全復活だな!(ヤケクソ幽霊)


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温泉回 一歩違えば 大参事

 ユノアの呪いを解呪してから、はや二週間。絶好調になった勇者パーティは旅を再開した。

 

 俺はといえば、ゴーストとして彼らについて行きながら、ワープの魔石でときたまトリデウスの所にも顔を出していた。

 

 とある山奥に小さな家を建てた彼は、俺に告げた通り細々と平和に生活しているようだ。

 

 研究の成果を見に行ったり、俺が旅で手に入れたアイテムを差し入れたりと、トリデウスとはご近所さん程度の仲にはなっている。

 

 打算的に彼との交流を始めたわけではないのだが、結果的に幽霊のエキスパートである呪術師に知り合いが出来たのは僥倖だ。

 

 今の俺の状態を分析して貰えるし、どの程度の無茶が許容範囲で、どんな行動を控えた方がいいのか……等々、いろいろとアドバイスを貰っている。

 

 

 一日に三度以上、別々の人物に憑依するのはダメ。

 

 彼に念を押されたのは、その部分だった。

 それを守れば、当分の間は普通に幽体として活動できるだろう……と。

 

 

 ということで、基本的に憑依は一日一回と決めた。

 本当に緊急的に憑依が必要な場合のみ、二回目を行う。

 三度目は何があっても駄目だ。もしそれを実行する時があるとすれば、それはきっと霊としての命を擲つ覚悟が必要な場面だろう。

 

 なので、一日一回の憑依は気軽にできない。

 

 パーティの一員として活動する時も、そのほとんどは荷物の透過や上空からの索敵だ。

 そこ! 荷物持ちとか言うな! 気にしてるんだからな……。

 

 

 

 てなわけで、戦闘に関しては出番がない。

 今も目の前で巨大な魔物のタコと戦っている四人を眺めているだけだ。

 

 勇者が主な攻撃係、ファミィちゃんが援護で、ユノアが攻撃を受け流したりするタンク、最後にエリンちゃんが全体の回復やバフ。

 実にバランスのとれたチームだ。

 

 

 ちなみに俺は倒れる寸前のモンスターに小石を投げたりしてる。

 戦力外すぎて泣けてくるぜ。

 

 ──タコが怯んだ。もうすぐ決着がつくのかもしれない。

 俺はいつも通りそこら辺から小石を拾い、デカいタコの額辺りに狙いを定めた。

 

「動くなよ〜……それっ」

 

 イタズラ気分で投げたそれは見事にタコの額にポコっと命中。

 

 ぶつけられたタコは涙目だ。ふふふ、投擲技術の上達を実感するなぁ。

 

 

 

「……ゆっ、勇者さま! 魔物の様子が変です!」

 

「ん?」

 

 エリンちゃんが叫び、俺は再びタコの方へ首を動かす。

 

 

 ───そこには痛そうに額を触手で押さえながら、体が風船のように膨張し始めている巨大タコの姿が。

 あれ、なんかヤバイ?

 

「何が起きてるのよ……!」

 

 ファミィちゃんが杖でタコを照らした。あれはステータス分析の魔法だ。

 

 そしてタコの状態を理解した瞬間、魔法使い少女は一瞬で青ざめた。

 

 

「……額の弱点を突かれたから……爆発する……?」

 

 

 ゆっくりと、そう呟いた。

 

 彼女の言葉を聞いた俺はファミィちゃん以上に青ざめ、あわあわとその場に立ち竦んでしまう。

 

 同様に、その場にいた全員が固まった。

 自分たちは額を攻撃していないのに何故か膨張を始めたタコへの疑問と、爆発という規格外な現象への動揺の影響で。

 

 おそるおそる彼らの方を見れば、1人だけユノアが苦笑いしてこっちを見ていた。

 

 

 ───俺、また何かやっちゃいました?

 

 

 

 

★ ★ ★ ★ ★

 

 

 

 

 やっちゃってました(事後報告) 反省しますごめんなさい……!

 

 結果だけみれば、水を体内に溜めてるフグみたいになったタコの爆発は、怪我を負うようなダメージのあるものではなかった。

 

 しかし勇者パーティに別の意味で大ダメージを残してみせたあのタコは、間違いなくツワモノだったと言える。

 

 ……まぁ、ぶっちゃけ石を投げた俺が悪いんだけどね。

 ひっ! ごめんなさい! 石投げないで!

 

 

 彼らを襲ったのは熱風でも爆風でもなく、タコ墨だ。

 派手に弾け飛んだソレは、爆発の勢いで一気に拡散。

 勇者パーティは真っ黒なタコ墨の雨に襲われることとなったのだった。

 

 身体中タコ墨まみれになった勇者パーティは大ピンチ。

 川の水じゃ墨が全然落ちないし、こんな姿のまま次の街に入るなんて無理。特にシスターと魔法使いの女の子が。

 

 

 というわけで何かないかと周囲を索敵した俺が見つけたのは、街道沿いにポツンと佇む一軒の温泉宿だった。

 

 

 

 

 温泉を見つけてから少しして。

 

 俺は客室でふわふわ漂っていた。幽霊だからお風呂入れないし。

 

 ちなみにこの温泉宿は老夫婦が経営している、いわゆる老舗の部類だそうで。

 名のある貴族もお忍びで訪れる程度には、隠れた名所らしい。

 

 

 ……しかし困ったことに、肝心の温泉が『混浴』なのだ。

 全員タコ墨状態のパーティの事を考えれば、たしかに全員さっさと入ってしまった方がいいのだが、そうは問屋が卸さない。

 

 

 えっ、駄目でしょ。

 親子恋人従弟だとかならまだ分かるけど、あの四人を一緒に入れるのはダメ。

 

 

『そういう関係じゃないでしょ! いいからお前は後で一人で入れ!』

 

 

 と、ついアルトを引き止めてしまった。

 全身にタコ墨を浴びてるわけだし、風呂に行くことを引き止めたのは、正直申し訳ないとは思ってる。ごめんな……。

 

 ちなみにアルトは別の客間だ。

 あいつも少しは心細いかもしれないし、皆がいるこっちの部屋に後で連れてこようかな。

 

 

 そんな事を考えていると、不意に客間の戸が開いた。

 そこへ視線を移せば、湯上りでホカホカになってるファミィちゃんとユノアが見える。

 

 なるべく早く上がるように言っておいたので、安心した。これでアルトも風呂に───あれ?

 

 

 二人の近くを見渡しても、少し待っても、エリンちゃんの姿が見えない。

 少し心配になり、風呂上りのコーヒー牛乳を飲んでいる二人のもとへ近づいた。

 

「ユノア。エリンちゃんは?」

 

「ん? ……あぁ、エリンか。ほんの少しだけ湯船に浸かってから出ますー、とか言ってたな」

 

 その会話のあと、ファミィちゃんが怪訝な顔をした。確かに俺の声は彼女には聞こえていないから、ユノアがひとりで喋っているようにも見えるだろう。

 

 しかしそんな光景は既に何度も見ている事から、ファミィちゃんが不思議に感じたことはこのことではないのだと気づいた。

 すると予想通り、ファミィちゃんはコーヒー牛乳の瓶から口を離して、別のことを口にした。

 

「確かに遅いわね。あの子普段もそこまで長風呂はしないから……もしかたら、のぼせてるかも」

 

「ありえるな。ゴースト、すまないがエリンの様子を見てきて貰えないだろうか」

 

「ぅ、うん。わかった」

 

 ユノアの言葉に従い、俺は客室を出て風呂場へ向かって浮遊を始めた。

 

 

 

 いっ、いや、覗きとかじゃないし。

 ていうか今は女の子なんだから、仮にエリンちゃんの肢体を見てしまったとしても、何もおかしくはないはず。

 

 病院でユノアが脱ぎ始めた時は動揺してしまったが、そもそも女性の身体なんて自分ので見慣れている。

 エリンちゃんは俺より少し背が高い程度で、完全に成熟してるわけじゃないし、発展途上の身体は見慣れてるから、大丈夫だ。

 俺は発展する前に死んだけど(幽霊ジョーク) むしろ男の裸体の方が見慣れてないくらいだ。

 

 

 少しすれば、もう脱衣所が見えてきた。混浴ではあるが、脱衣所自体は別々だ。当然だけども。

 どうやら今日は俺たち以外に客はいないらしく、脱衣所の中も無人だった。

 

 幽霊らしくスーッとそこを透過して、温泉の要である風呂場へと入っていった。

 中は湯気が漂っていて、大きな湯船には浸かったら気持ちよさそうなお湯が張られている。

 

 

「おぉー、俺も入りたいなぁ………って!」

 

 ぼそっと呟いている間に、湯船ではなく床に寝転がっているエリンちゃんを発見した。

 急いでエリンちゃんのもとへ駆けつけ、彼女の足元を見ると、そこには白い石鹸が置かれていた。

 

「きゅぅ……」

 

「あちゃー、転んだのか」

 

 エリンちゃんは目をぐるぐるさせて気絶している。誰かが床に置きっぱなしにした石鹸を踏んでしまい、転んだ拍子に頭をぶつけて気を失ってしまったのだろう。

 

 かろうじてバスタオルを体に巻いているので、全裸で寝そべっている姿を晒すことはなかったようで、安心。

 

 

「ん、今日はここかな」

 

 そう呟き、すぅっとエリンちゃんの体の中へと入っていった。

 俺は今日一度も憑依を使用していないし、使うとすれば間違いなくこの場面だろう。

 

 

 数秒経過し、俺の視界は鮮明になっていった。温泉の天井が見えるし、気がつけば後頭部がジンジンと少し痛む。

 まぁ、立てないほどじゃない。俺はゆっくりと立ち上がり、外れそうになっていたバスタオルを巻きなおした。

 

「せっかく憑依したなら温泉入りたいけど……そんな時間ないな」

 

 はぁ、と少し落胆し、その場を歩き出した。

 こればっかりは死んだ俺の責任だし、贅沢言っちゃだめだ。

 

 

 そんな少し落ち込んだ気分でいると、透過してきたドアとは別の方から、なにやら騒がしい声が聞こえてきた。

 

 

 聞き覚えのある声……あぁ、この温泉宿のおじいさんだ。

 

 

「そんなタコ墨まみれで出歩かれると、床が汚れるんじゃ。ほれっ、さっさと入った入った!」

 

「ちょ、ちょっとま──うわぁっ!」

 

 そしてそのドアは開かれ、おじいさんに脱衣所から締め出されるようにして、口論していた人物は風呂場に入ってきた。

 転びそうになるがなんとか堪え、バランスを取ることに成功してホッとしている。

 

 

 

 

 

 ───えっと、その、あの。

 

 

 

「いてて。………あれっ、エリン?」

 

 

 いや、だから、おじいさんにむりやり入れられたから、時間がなかったのは分かるんだけど。

 

 

「こっ、こし、あのっ、腰にタオル……っ」

 

 彼に聞こえないようなか細い声で呟きながらも、俺の視線は彼の顔からどんどん下へ下へと、無意識に下がっていく。

 

 そして彼は腰にタオルを巻いていない。

 無意識に目を見開く俺。

 

 

 

 

 

 つまり俺の目には、通常時にもかかわらず───その、雄々しいサイズの『   』が見えているわけで。

 

 

 

 

「………ひっ、ひぃ……」

 

 思わずその場にへたり込んでしまった。

 

「どっ、どうしたのエリン! 大丈夫かい!?」

 

 そして此方へ寄ってこようとするアルト。

 

 

 (エリン)の頬が林檎よりも真っ赤に染まり、顔中に熱が発生し始める。

 

 

「くっ、くるなぁ……」

 

 

 最高潮に赤面しながら涙目でぷるぷると両手を前に振るおれ。 

 

 

「顔が赤い……もしかしてのぼせたんじゃ」

 

 彼の足が止まらない。

 

 

 

「やぁっ……こ、こないで……」

 

 

「エリン、僕の手に──」

 

 

 

 

「まえっ、まえぇ………かっ、かか、かくして……!」

 

 

「え? ────あ゛っ」

 

 

 

 

 

 その隙に、赤ん坊のようにヨロヨロと、四つんばいで脱衣所へと近づいていく俺。

 そしてドアに近づいた瞬間、勢いよく目の前の戸は開かれた。

 

 

 そこには少し心配げな魔法使いのお姉さんの姿が。

 

「エリンー? 長風呂みたいだけどだいじょう───」

 

 

 

 彼女の視点から見て、その目に飛び込んできたのは──急いでタオルで前を隠そうとしている男の子と、生まれたての小鹿のようにプルプルと震えながら四つんばいで逃げようとしている少女。

 

 

 

 ファミィを見た瞬間、俺は彼女に手を伸ばした。

 

 

「たっ、たすけて……!」

 

「………」

 

 

 

 

「あっ、ふぁ、ファミィ? これは誤解で───あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ッ゛ッ!!!!」

 

 

 

 



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決してデートではないぞ ほんとだぞ

 王国の中でも三本の指に入る程の発展を遂げている、水上都市ゼムス。

 煌びやかな街並みや涼しげな海に、陽気で明るい街の人達……と、活気で言えば王国の中央都市よりも盛んに思える。

 

 そんな大都会で今、勇者パーティは憩いの時を過ごしていた。

 

 相変わらず魔王軍の動きは無く、凶悪な魔王の幹部たちも勇気ある冒険者たちの手で攻略されつつある。

 

 この世界で魔王と戦っているのは、なにもアルト達だけではない。

 聖剣を持たずとも魔を討たんとする彼らもまた、この世界の『勇者』なのだろう。

 

 

 

 ──つまり平たく言うと、特に忙しくないので勇者パーティは水上都市を観光してます。

 

 

 

「綺麗ですね~」

 

「うむ、流石は世界有数の水上都市だ」

 

 広場にある大きな噴水を見て感嘆の声を上げるエリンちゃんと、噴水近くで遊んでいる子供たちを微笑ましそうに眺めるユノア。あと俺。

 

 この水上都市にしばらく滞在することが決まったので、俺たち三人は食材の買い出しに駆り出されていた。

 

 滞在を決めたのは、なにもこの都会で遊び呆けるためではない。

 旅の道中で後々必要になるであろうアイテムの入手や、情報収集もかねてのことだ。

 

 まぁ、旅で散々傷ついた身体と心を癒す……という目的もあるので、一応ときたま遊んだりするのも目的には含まれている。

 

 

 これは世界を救うために散々命を懸けてきた彼らの、いわば長期休暇だ。

 勇者のパーティとはいえ、やはり人間。ストレスだって発散できるときにした方がいいに決まっている。

 

 ゼムスの人々も歓迎ムードだし、心置きなくリフレッシュもできるというものだ。

 

 

「あれ? ユノアさん、あそこに行列が……」

 

 噴水近くのベンチで一休みをしていたエリンちゃんが指差したのは、とある喫茶店だ。

 なにやら建物外にまで行列が伸びており、一目で大繁盛しているのがすぐに分かる。

 

 

 少し気になったので、俺たち三人は噴水広場からその喫茶店の近くまで移動した。

 

 そこには──

 

「ゆうく~ん、楽しみだねぇ!」

 

「うん! 早く食べてみたいなぁ」

 

 なんというか、若いカップルが多く見受けられた。

 

 店の外にある張り紙をよく見れば、そこには『限定メニュー登場! スペシャルパフェとアルティメットパンケーキはカップル限定!!』との宣伝文が。

 

 

 ……スペシャルパフェは、まぁ無難な名前だと思うんだけども。

 

 なんだアルティメットパンケーキって。美味しそうというよりめっちゃ強そうなイメージ持っちゃうじゃねぇか。カップルが注文するようなスイーツの名前じゃねぇぞ。

 

 

 少し怪訝な顔をしながらも、店内から漂ってくる甘い匂いが鼻腔を通り抜け、思わず心が刺激されてしまった。

 そんな蜜に誘われたカブトムシのように、俺とエリンちゃんは窓に張り付いて店内の様子を窺った。

 

「うわぁー、おいしそう」

 

「うまそう」

 

 つい声が重なるシスターと幽霊。俺の声は聞こえてないだろうけど。

 

 店内のカップル席のテーブルに置かれていたのは、そこそこ大きい器に盛られたパフェと、思わず涎が出てしまいそうになるほど甘そうなトッピングがされているパンケーキだった。

 

 おそらくアレがスペシャルメニューという奴なのだろうが……あのかわいらしくて美味しそうなパンケーキに『アルティメット』だとか変な名前付けた店主は、確実にネーミングセンスないな。

 

 

 それにしても、美味しそうだなぁ。

 

「私も食べたいなぁ」

 

「俺も~」(便乗)

 

 エリンちゃんに便乗しながら店内を眺めていると、奥の方のテーブル席に、女の子の二人組が見えた。

 横のシスター少女も気がついたみたいだが、あの二人もカップルのようだ。その証拠に、二人とも例のスペシャルメニューを吟味しながら談笑している。

 

  

 確かに男女限定とは書かれてなかったしな……なんて考えていると、俺たち二人の後ろにいたユノアが「あっ」と何かを思い出したように声を上げた。

 

「そういえば……ファミィもこの店のスペシャルメニューが気になるとか言っていたな。なにやら自分の姿が男性の様に見えるようになる魔法も練習していたし……エリンも連れて行こうかな、なんて呟いていたぞ」

 

 本当ですか! と振り返ってユノアの方を向くエリンちゃん。

 自分もスペシャルメニューにありつけると分かった金髪少女は目を輝かせているが、そこで少し疑問が思い浮かんだ俺はユノアに質問した。

 

「女の子同士の人たちもいるし、そのままの姿でカップルだって嘘つくのはダメなのか?」

 

「エリンとファミィでは歳の差のせいで、姉妹のようにも見えてしまうからな。ファミィが男性に変身して顔の似ていない男女同士になれば、せいぜい身長差のあるカップル程度の認識になると踏んだのだろう」

 

 

 はぇー、細かい。抜かりねぇな。

 ついでに一緒にエリンちゃんも連れて行く予定だったなんて、姉貴肌すぎる。ステキ!

 

 いいなぁスペシャルメニュー。

 ……まぁ、これも生者の特権か。食べたかったけど仕方がない。

 

 

 幽霊である俺は、ものを食べることが出来ない。

 

 

 一応何か食べ物を食べようと試してみたことはあったけども、どれも口の中に入れた瞬間にすり抜けてしまって味わうことなんて出来なかった。

 集中すれば物体に触れたり誰かを抱きかかえることもできるのに、妙なところで幽霊らしいな、とは思う。

 

 

 できることは多くても、やっぱりゴーストはゴーストだ。美味しそうなスイーツは潔く諦めよう。

 

 

「……ん?」

 

 上機嫌なエリンちゃんを眺めていると、ユノアがジッと俺を見つめていることに気がついた。

 

「ユノア、どした?」

 

「……ふむ」

 

 手を顎に添え、目を伏せて何かを考え込むような様子を見せる女騎士。

 

 その不可解な行動に首をかしげると、程なくしてユノアが近づいてきて、ボソッと俺の耳元で囁いた。

 

 

「帰ったら、話がある」

 

「え? ……ぅ、うん」

 

 

 小さな声で取り敢えずの了承を伝えると、ユノアは「さ、そろそろ帰ろう」と食料の入った紙袋を持ち直した。

 俺とエリンちゃんも同様に紙袋を持って彼女の後を追う。

 

 

 そうして見えてきたユノアの顔は、なにやら得意げな表情だった。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 翌日の昼。俺はユノアの体に憑依して噴水広場のベンチに座っており、隣には私服のアルトがいた。

 噴水広場には複数のカップルが散見され、はたから見れば俺たちも一組のカップルに見えなくもない。

 

 

 うん? おかしいね、なんだろうねこれ。

 

 

「……あの、ユノア──じゃなかった。えっと、ゴースト。なんだか顔が赤いけど……具合でも悪いのかい?」

 

「へっ? あぁっ、いや、何でもないぞ? ただちょっと暑いかなーって、ハハハ……」

 

 あからさまな棒読みで取り繕ったが、自分が動揺して赤面状態なのは既に把握している。

 

 おちつけ、おちつけー……すぅ、はぁ、よし。

 

 狼狽していたが、何回か深呼吸をして、少しは落ち着いた。

 

 そして近くでカップルがキスをしやがったのでまた狼狽した。

 こらーっ! バカーっ!!(八つ当たり)

 

 

 こんなところに留まっていたら心臓が持たない。

 とりあえず、まずはこんなバカップルだらけの地獄から逃げよう。

 

「まだあのカフェが開くまでは時間あるけど、とりあえず移動しようぜ」

 

 そう言いながらベンチから立ち上がる俺。うんうん、かなり自然に言葉が出たな。

 不自然なところはないし、緊張もバレてない。ふふん。

 

「わかった。そうしようか」(なんかすごく早口だったけど……緊張してるのかな)

 

 アルトが苦笑いしてるのも、きっと気のせいだ。

 ユノアの体を借りてるわけだし、クールな女に見えてるはず。……はずっ!

 

 

 

 ───遡ること一日前。

 拠点に戻ってきた俺にユノアが提案してきたのは、スペシャルメニューが食べたいなら私の体を使えばいい──というものだった。

 

 幽霊の俺からすれば、それはもう魅力的な提案だったさ。

 それに今のユノアの精神力なら、半日以上俺が憑依しても問題ないと、山奥の呪術師からも太鼓判を押された。

 そんなわけで、俺は安心して彼女の体を借りることができたのだった。

 

 でも、肝心のスペシャルメニューが『カップル限定』だってことを、すっかり忘れていた。

 ユノアが体を貸してくれても、一人じゃアレにはたどり着けない。

 個人的には他の美味しそうなものでも構わなかったのだが、それでは折角肉体を貸してくれたユノアに申し訳ない。

 

 

 ……というわけで、男であるアルトに来てもらった。

 

 

 いやいや、最初は俺も反対したんだけどね?

 他に選択肢なんかないだろうって、ユノアに圧力をかけられたから、仕方なく折れました。

 

 体を借りるわけだし、俺もそこまでワガママは言えない。

 それに知り合いの男性なんて、こいつの他にはあのショタか妻子持ちの副団長さんしかいないし、消去法でアルトになるのは当然だ。俺の意思じゃない。……ほんとだぞ!

 

 

 

 はい、回想終わり。とにかくこれは仕方のない事なので、間違っても俺がアルトと『デート』をしているわけではないのです。

 

 コイツとは恋人じゃないし、そもそも傍から見れば俺はユノアだ。

 アルトにも俺が憑依していると伝えているので、間違っても俺とアルトが『デート』をしてるなんて勘違いする奴はいない。うん、安心。

 

 

 今は噴水広場から移動して、喫茶店の前に並んでいる。

 開店はもう少し先だが、既に四組くらいのカップルが列を作っているので、混み合う前に並んでしまった方が良いからだ。

 

「ゆうく~ん♪ えへへっ」

 

「楽しみだねぇ」

 

 俺たちの目の前にいるカップルがイチャついてやがる。

 まぁ、本来この場には本当のカップルしか居てはいけないので、文句を言うのはお門違いだ。

 ていうか君たち昨日もいなかった?

 

 

「ゴースト、あと五分で開店だって」

 

「ふーん。今日は思ったより混んでなかったな」

 

 アルトと会話しながら後ろを見ても、俺たちが最後尾だ。どうやら今日は混雑しない日らしい。

 

 正直安心した。目の前の四組いるカップルたちだけでもかなりダメージがデカいので、昨日ほど混んでいたら……耐え切れずに成仏していた可能性すらある。

 

 

 ジッと開店の時を待っていると、店内から女性店員が一人出てきた。

 その手には大きめな写真機を持っており、前列のカップルたちを撮影している。

 

 どうやらその場で写真が印刷されるタイプのカメラのようだ。

 写真撮影を終えた後に出てきた写真をカップルたちに渡している。

 

 写真を取られているカップルたちは頬にキスをするポーズやらなにやらしていて、かなり恥ずかしい写真ばかりだ。

 

 

 

 ──あっ、忘れてた。

 昨日ファミィに言われてたんだった。

 

『──あそこのカフェの店員、一人だけ勘が鋭い奴がいるのよ。なにやらカップルらしいラブラブな雰囲気の写真を撮らせて、本当の恋人同士なのかを審査するらしいの』

 

【それじゃあ、ファミィたちも厳しいんじゃ】

 

『私たちは散々練習したし、元々仲良しだからほっぺにチューするくらい余裕よ。相手はエリンだし。それより、あんたは真正面から彼女を騙さないといけないんだから、気張りなさい───』

 

 

 だとかなんとか。

 

 

 

 ……よっ、余裕だが? 昨日の夜は散々イメージトレーニングしたし、むしろ俺がアルトをリードしてやるんだが?

 

 

 噂の女店員は既に俺たちのひとつ前のカップルの撮影を始めている。時間ないし、それとなーく予定通りにやろう。

 

 俺がイメトレしたのは、まず自分から先に手を握ってやることだ。

 急な不意打ちに動揺するがいい、勇者め。

 

 さらにアルトへ体を寄せることで、恋人特有の距離の近さを演出する。大抵の場合はこれで大丈夫なはずだ。

 

 

 しかし予想以上に女性店員が強敵だった場合。

 ……あまり気は進まないが、腕を組んで密着することにしている。胸だって押し当ててやれば流石に大丈夫だろう。

 

 

「ゴースト、そろそろ僕たちの番だけど」

 

「ひゃいっ!? えっ……あ、うん、分かってるぞっ」

 

 急に話しかけられて吃驚してしまった。

 いつのまにか、目の前では取り終えた写真を店員とカップルが確認している。

 

 うわぁ、やばい、マジで目の前じゃん。

 一瞬でも怪しまれたらおしまいだ。本当のカップルみたいに見せるなら、店員が此方を見る前から手ぐらいは繋いでおかないと。

 

 

 そー……っとアルトの手に、俺の手を伸ばす。うぅ、緊張で手がぷるぷるしてるぅ……!

 余裕だ、こんなの簡単さ。アルトの手を握るくらい、造作もないぜ。簡単かんたん。

 

「かっ、かんたん……!」

 

 そして伸ばした指先が彼の手に触れ───思わず手を引っ込めてしまった。ぎゃあ! 何やってんだ俺!

 やばいヤバイやばい、もう店員がこっち向いちゃう。

 

 くっ! 手を握るだけ、それだけなんだ。昨日もイメトレしたじゃないか。

 

 ……う、うーん。あの、やっぱり駄目じゃないかな? アルト、今日は帰らない? また日を改めて後日にでも──

 

 

 

「ごめんゴースト、手を握るよ」(このままじゃバレる……!)

 

「ふぇっ?」

 

 ぷるぷると行き場を失っていた俺の右手を、アルトが急に掴んできた。

 

 

 その瞬間、俺の顔に火がついたような気がした。

 

 

「おまたせ致しました。お客様たちも写真撮影を……」(むっ、この雰囲気……さてはカップルでは無いな……)

 

「はい、宜しくお願いします」

 

 おいっ、そんな強く握り直すなって! 店員見てるから!

 なんかめっちゃ鋭い眼してるし、もう絶対バレてるからぁ!

 

 

「……はい、ではお好きなポーズを」(ふむ。なるほど、なかなか興味深い。この初々しさ、試してみる価値はあるか)

 

 えぇっ、門前払いが来ない。なんか店員があからさまな作り笑顔してるぅ……ナンデェ?

 

 ……ぐっ、ぐぬぬ。これはチャンスなのか。そうなのか。

 ここで踏ん張れば、あの美味しそうなスイーツたちにありつけるのか。ここが頑張りどころなのか。

 

 

 いまこの場でやるしかないのか!

 

 

 

 

「……えっ、えへへっ! おれ──(じゃなくて!) わっ、わたしはこのポーズがいいなぁ!」(ええい、どうにでもなれ!)

 

 全力の笑顔をしながら、アルトの左腕を抱きしめるようにして密着してみせた。

 

 

 ──その瞬間、アルトが顔を寄せてきた。

 

 

「も゛っ、………もう~! アルくんたら~♪」(ぎゃあぁっ! 近いよお前! 冷や汗止まらないよお前ッ!?)

 

「あはは。せっかく撮って貰うなら良い写真にしないとね」(店員の表情を見るに……もう少しくっついた方がいいか)

 

「大胆なアルくん♪ ちょっと恥ずかしいよぉ♡」(無理ぃ!! おれしぬ! 死んでるけどしぬぅ!!)

 

 

 

「……はい、チーズ」(───理解した(わかった)ぜ、そういうことか。……うん、普通のカップル以上にアレすぎて胃もたれするレベルだ。ごちそうさまでした)

 

 

 

 

 

 撮影後、もはや顔の熱が限界を超えてしまった俺を支えつつ、アルトと一緒に店内へ入れた。

 スペシャルメニューは美味しかったけど、こんな事もう二度とやらない。

 

 

「ゴースト、美味しい?」

 

「うるせぇばーか!!」(美味しいよ♪)

 

 

 

 




このあと(店員の圧力で)めちゃくちゃ『あーん』した


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回想 スラム街の赤髪少女

勇者の過去話


 

 僕が生まれたこの世界には、適性というものが存在する。

 

 お隣のモダくんは『剣闘士』や『騎士』といった強そうな適性を持っていて、向かいの家のフーネちゃんは『精霊使い』や『銃士』など、みんな将来が明るい適性ばかりだ。

 

 反対に、僕自身の適性は酷いモノだった。

 本来適性は三つある筈なのに、そのうちの一つが『不明』とされていて。

 

 残りの二つは『死霊使い』に『盗賊』……だなんて、まるで物語での悪役だろう。

 人の輪を外れて生きろって神様に言われた気分だった。こんな適性を与えられた僕は、未だに『神様』という存在が嫌いだ。

 

 

 それが理由で、いじめっ子の男子であるカイルにも目をつけられた。

 ロクでもない適性持ちで、神様を信仰しない不届き者なのだから、当然と言えば当然だが。

 

 今だって、カイルやその仲間たちの無茶な遊びに付き合わされている。

 どうやら街の外れにあるスラム街に入って、よく出没する弱そうな魔物を退治しようとしているらしい。

 

『危ないからやめよう』 

 

 そんな言葉は喉まで出かかって、でも言うことはできなかった。

 怖くて、彼らに気圧されてしまって、尻込みをした。

 

 

 弱虫アルト。それが僕のあだ名だ。

 

 

 

 

 

「おいアルトっ、早く来い!」

 

「うっ、うん」

 

 街とスラムを隔てている壁を抜け穴からこっそり通ると、先行していたカイルに急かされた。

 カイルたち三人はその手に鉄の棒やら果物ナイフやらを持っていて、意気揚々とした雰囲気だ。

 

 魔物を倒して死体を持ちかえれば、みんなに自慢できる。自分が強いという噂を流布できる。

 そんな浅はかな計画の結果、戦闘のせの字も知らないような子供だけで、スラム街に訪れてしまった。

 

 この中で武器を渡されなかったのは僕だけだ。要するに囮なのだろう。

 そんな役割すら拒めない自分が情けなくて辟易する。

 

 俯いていると、仲間の一人が急に叫んだ。

 

「あっ、カイルくん! スライムっぽいのがアッチに!」

 

「でかした! ほら、アルトも行くぞ!」

 

 入り組んだスラムの中へと走って行くカイルたち。本来なら止めるべきなのだが、置いて行かれるのが怖くて彼らを追いかける。

 

 走りながら辺りを見れば、硬い石の地面に寝そべっている人や、殴り合いの喧嘩をしている大人たちが目に映った。

 普段の街中では見ることの無い異常な光景の影響で、僕の心臓はこれまでにないほど鼓動を早くする。

 

 

 一人で行動したら、死ぬ。

 

 

 そんな考えが頭によぎり、早くも眼尻に涙を浮かべながらカイルたちを必死に追った。

 一人は嫌だ、死にたくない。縋り付くように彼らを追跡していると、行き止まりに到着した。

 

 小さなスライムが壁に体当たりしながら逃げようとしているが、どう見ても詰んでいる。

 カイルたち三人はその手に持った武器を握り直し、興奮した面持ちでスライムに近づいていった。

 

 

 ぷるぷると怯えるように震えるスライム。

 あの魔物はまだ何もしていないかもしれないのに、子供の好奇心だけで殺されようとしている。

 そんなあまりにも理不尽な状況は、ほんの少しだけ僕の背中を後押しした。

 

 やっぱりやめよう、そんな言葉を叫ぼうとして。

 

 

「やっ……! ぁ、あのっ……」

 

「あ? なんだよアルト」

 

 やっぱり言葉にはならなかった。

 僕の不思議な行動にイラつき、こちらを見るカイル。その鋭い目つきで睨まれて、言おうと決めていた言葉を忘れてしまう。

 

 いつものようにビクビクと怯える僕を見て、カイルは吹きだした。

 

「ぷっ! やっぱり弱虫アルトだな! 文句あるなら言ってみろよ!」

 

「ぃゃ……ぼくは……」

 

「はぁ、もういいよ、ちょっと黙れ。そこで俺たちが魔物を倒すところ、しっかりみて───」

 

 言いかけて、カイルが発言を止めた。

 僕を……いや、僕の後ろになぜか視線を奪われていて、ピタッと止まってしまった。

 

 

 どうしたの、そう言おうとした瞬間、辺りには別の大声が鳴り響いた。

 

「おーいお前らぁ! なんかガキどもが遊んでんぞ!」

 

 僕の後ろで木霊したのは、大人の男性の声だった。

 叫ばれた瞬間に背筋が凍りつき、前に走って逃げようとして転んだ。

 

「うわっ!」

 

「おいおいボウヤ、大丈夫かい」

 

 ケケケっ、なんてまるで物語の三下のように笑う大人が触れてこようとして、危機感を覚えた僕はすぐさま立ち上がってカイルたちの方へ避難した。

 

 すると、目の前の大人の後ろに、もう二人ほど別の男性が現れた。皆汚れた服装をしていて、楽しげにケラケラと笑っている。

 スラム街の危ない大人たち──それはもはや、僕たちにとっては魔物よりも身近で恐ろしい存在だ。

 

 

 大人たちが口々に「スラムに行ってはいけない」と言っていたのは、きっとこれが理由。

 

 そんなことに今更気がついた僕たちに、その危険な大人たちがにじり寄ってくる。

 

「おじさんたちが遊んでやるよ。ほら、怖がらなくてもいいんだぜ」

 

「ガキってどれくらいで売れたっけ?」

 

「最近はスラム出身でも高値で取引されてたなぁ。コイツら見る限り向こう側の街のガキどもだし……へへっ!」

 

 しばらくは美味いもんだけ食って生活できるぜ、なんて言いながら舌なめずりをする男性。

 

 

 どうやら彼らの目には、僕たちが『金』に見えているらしい。

 ──人身売買。スラムのような無法地帯となれば、当然のように存在する取引なのだろう。

 

 普通の街で育った健康な子供たち。

 それが彼らの中では、高値に換金できる金銀と同等の存在のようだ。

 

 

 どうすればいい? 今この場で、何をするのが正解なんだ?

 

 振り返ってみれば、そこには顔面蒼白で震えながら一つに固まっているカイルたちがいる。

 もはやその手に持っていた脆弱な武器たちは地面に転がっており、大人の悪意に怯えるしかない。

 

 意気揚々と魔物を狩ろうとしていた彼ら三人は、いつの間にか逆に狩られる立場になっていたのだ。それにはもちろん、僕も含まれている。

 

 

 大人には勝てない。どう考えても、突破口など存在しない。

 カイルたちがスライムにやっていたように、僕たちも大人に逃げ道を断たれた。

 

 

 考える。僕に出来る事を。

 そして一瞬の逡巡の後、その答えは意外にもあっさりと出てきた。

 

 決して解決策ではない。それはもはや、悪足掻きに該当する悪手だ。

 でもそれ以外に、方法など思いつかない。ガキの足りない脳みそでは、それが限界だった。

 

 

 

 覚悟を決め、僕はカイルたちの前に立って両手を広げた。

 彼らを守るように立ちふさがった僕を見て、大人たちは怪訝な表情をする。

 

「あ? 何のつもりだ坊主」

 

 明らかに不機嫌になった男性に睨まれて、足が竦みそうになった。

 しかしなんとか堪え、眼尻に涙を浮かべながら僕は言葉を放った。

 

「……ぼっ、ぼ、ボクはなにもしませんっ! 連れていかれても文句は言いません! だっ、だから、カイルたちを見逃して……ッ!」

 

 予想以上に、すんなりとその言葉は出てきた。何故かこの状況で、僕は普段よりも幾分か大胆になっている。

 危機的状況は人間を成長させる、なんてお父さんが言っていたけれど、確かにそうかもしれない。

 

 僕の場合は成長というより、ただ無謀なことをしているだけのような気もするが。

 

 

「おーおー、威勢がいいねぇ。友達の為に頑張る……ってか! はははっ! はいはいすごいでちゅねー、かっこいいでちゅねぇ」

 

「考えてやってもいいぜ。まぁ、考えるだけだけどな」

 

「……っ!」

 

 僕の言葉を一蹴して、近づいてくる大人たち。

 

 

 ここまでは予想通りだ。こっちは僕を含めて四人だが、体格差的に僕たち全員を捕まえるなんて造作もない。

 そして無抵抗を宣言した子供がいることで、大人たちはさらに油断する。

 

 この隙に、足元に転がっている果物ナイフを拾って大人たちに投げれば、不意を突くことが出来る。

 一瞬でも隙が生まれれば、逃げる希望は見えてくる。

 

 

 やれる、やれる。僕ならやれる。もう弱虫アルトなんて言わせない。僕にだってやれるんだ。

 そう心の中で自分を鼓舞して、怯える本心をむりやり奮い立たせる。

 

 今だ。そうだ、今だ──

 

「──ッ!」

 

 すぐさま拾い上げた果物ナイフを、先頭の男性めがけて投擲した。

 

「おわっ!?」

 

 そして男性が怯む。ここしかない。

 僕はその場から駆け出し、先頭の男性の足元にしがみついた。そして顔だけ後ろに向けて、カイルたちに大声で叫ぶ。

 

 

「逃げろっ!!」

 

「ひっ、ひぃ……!」

 

 僕の言葉を聞いた三人は、一目散に走り出した。

 

 しかし大人たちの反応は早く、カイル以外の二人は他の大人二人に捕まってしまい、逃げようとするカイルにも目の前の男性が手を伸ばそうとしている。

 その瞬間、僕は男性の太股に噛みついた。力の加減などせずに、噛み千切る勢いで顎に力を入れる。

 

「い゛っ!!」

 

 男性は足の痛みに気を取られ、その手がカイルを掴むことはなく、彼は大人たちを潜り抜けてその場を離脱した。

 

 しかしカイルは心配そうに此方を振り返る。

 そんな暇があったら今すぐにでも逃げて欲しい。その思いから、普段の自分からは考えられない怒声を張り上げた。

 

「いいから行けぇっ!」

 

 怒鳴られたカイルは泣きそうな表情になりながら、一心不乱にその場から逃げ去った。

 入り組んだ建物の間に入っていったため、男性たちはもうカイルを追うことが出来ない。

 

 

 逃げ去る彼を見届けて、ホッとした。

 

 しかしその瞬間、僕は男性に胸倉を掴まれて持ち上げられた。

 

「テメェッ!」

 

「ぶっ゛」

 

 怒り狂った男は僕の頬に思い切り拳をぶつけた。頬にめり込んだ拳の衝撃で、顔が後ろにのけ反る。

 すかさず僕を離し、正面から全力の蹴りを繰り出す男。

 

 つま先がみぞおちに入り、蹴飛ばされた僕は行き止まりの壁に叩きつけられた。

 力なく地面に倒れ伏し、過呼吸になる。

 

 

 うまく呼吸が出来なくて、苦しい。腹部の暴れるような痛みが体を麻痺させ、もはや立ち上がることなどできない。

 なんとか顔だけでも前を向けると、そこには怯えて抵抗すらしないカイルの取り巻きの二人が。二人とも大人の足元で、頭を抱えて震えている。

 

 

 

 ……僕にできるのは、ここまでか。なんとかカイルは逃がせたけど、結局残りの二人を助けることはできなかった。

 目の前の男性はブチ切れてるし、もしかしたら僕は蹴り殺されるのかもしれない。

 

 そうされなくとも、人身売買で奴隷になることは確実だ。最悪の場合は殺されて、臓器売買の取引に利用されるだろう。

 

「ガキがぁ!!」

 

「ぅぐふッ!」

 

 うつ伏せの僕の背中を踏みつける男。

 何度もそれを繰り返しながら、治まらない怒りを叫びに変換して怒鳴り散らす。

 

「このっ、クソガキ! 死ね!」

 

 脇腹を蹴り飛ばされ、その勢いで仰向けになった。

 そうして分かったのは、男性の表情がとんでもなく歪んでいる、ということ。

 

 

 その顔を見た瞬間、僕は吹きだした。そんな僕の態度を見て、さらに男は怒りの形相に染まっていく。

 

 

 ざまあみろ、そう思った。

 ガキの一人には逃げられて、足を噛まれて不意打ちされ、しまいには捕まえたはずのガキに笑われている。

 

 弱虫アルトにしては、よくやったと思う。まだ十一歳の子供だが、悪い大人に一泡吹かせることが出来て満足だ。

 どうせ生き残っても、死霊使いだとか盗賊だとか、悪者になる未来しか残されていない。

 

 もうどうにでもなれ、だ。残りの二人には悪いが、僕にはどうすることもできない。

 死なば諸共。まぁ、僕と心中なんて勘弁してほしいだろうが。

 とにかく、やれることはやった。あとは流れに身を任せて、最悪な死に方をするまで生きるだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ───カツン。軽い物体が地面に落ちた時のような、そんな物音が耳に響いた。

 

 

「あぁ?」

 

 男が後ろを振り向いた。どうやら彼にもその音が聞こえていたらしい。

 

 

 その瞬間何かの破裂音が鳴り響き、その場に大量の煙が充満した。

 視界を遮るような煙の発生に狼狽えた男は、咳をしながらその場をうろつく。見えない視界の中で、壁を探そうと必死だ。

 

 しかしその姿も、煙のせいで見えなくなってくる。

 何が何だかわからないが、僕は一時的に男から解放されたのだった。

 

 

「───おい、立てるか?」

 

 周囲を取り囲む煙の中から何者かが現れ、僕に声をかけてきた。

 誰だか知らないが、残念ながら体中の痛みのせいで直ぐには立ち上がれない。

 

「えっと、無理そうだな。とりあえず肩を貸すから、しっかり掴まってろ」

 

 そう言って僕の腕を引っ張り、それを首にかけて僕を無理矢理立ち上がらせた。

 そして引きずるようにしながら、急ぎ足で煙の中を進んでいく。

 

 

 

 

 いつのまにか、スラム街と街を隔てている壁の所に、僕はいた。

 目の前には抜け穴があって、僕より先に逃げた二人もここを通っていったと、僕に肩を貸している人物が教えてくれた。

 

 体の痛みも少し治まり、僕はその人物から離れて自分で立つ。

 そして改めてその人物を見てみると、身長は少しだけ僕の方が高いのだと分かった。

 

 ボロボロのローブを身に纏っていて、その顔はフードに隠されている。

 

 

 そんな謎の人物に、僕は助けられてしまったらしい。

 煙幕で大人たちの視界を奪い、追い詰められていた僕たちを逃がした。

 あまりにも素早く効率的な手際だ。それだけで、目の前の人物が普通の人ではないということが分かる。

 

 

 ……それはさておき、先ずは礼を言わなければ。あと少しで人身売買の商品にされる所だったのだ。

 目の前の小さな命の恩人に、深々と頭をさげた。

 

「ありがとう……ございますっ! 貴方がいなかったら、どうなっていたことか……」

 

「ほんとだよ。キミたち街の出身だろ? スラムなんかに来ちゃ駄目だって」

 

 呆れたような声音でそう言いながら、その人はフードを下ろした。

 

 

 

 そこにいたのは、炎のように真っ赤な髪を肩につかない程度に切り揃えている、小さな少女だった。

 

 助けてくれた人物が同い年くらいの少女だということに驚愕し、言葉を失う僕。

 そんな固まってしまった僕に近づき、少女は肩に手を置いた。

 

「まっ、子供にしてはよく頑張ったじゃん。皆を守ろうとしても、実際は行動できないのが普通だよ」

 

 彼女の急な労いの言葉で、呆気にとられた。

 

 しかし黙ったままなのは、良くないだろう。

 とにかく彼女は命の恩人なのだ。お礼なんてどれだけ言っても言い足りない。

 

「本当にありがとうございます! 何かお礼を……」

 

「いや、いいってそんなの。子供から何か貰うほど追いつめられてないし……ていうかキミ、俺とほとんど同い年だろ? 敬語なんか使わなくていいよ」

 

「えっ、そ、そう……。えっと……うん、わかった」

 

 僕の返事を聞き、へへっと得意げに笑う赤い髪の少女。彼女につられて、僕も少しだけ顔がほころんだ。

 

 

 言葉づかいが女の子っぽくなかったり、自分の事を『俺』と呼んでいたりと、不思議な少女だ。

 そんな彼女だけど、笑顔はとても可愛らしくて。

 その笑顔を見た途端、何故か自分の顔が熱くなっていくのを感じた。

 

 

 ───知りたくなってしまった、彼女のことを。

 助けてくれてありがとうと告げて、このまま街に戻るのが惜しい。

 せめて、せめて名前だけでも。

 

「僕……アルトっていうんだ。君は?」

 

「えっ、名前? ……あぁ、名前を聞かれたの、かなり久しぶりだ」

 

 あはは、と苦笑いをする赤髪の少女。

 少しだけ間を置いた後、僕の目を見て少女は告げた。

 

 

 

「俺はラル。……名前、聞いてくれてありがとな、アルトくん」

 

 そう告げて、俺に微笑む少女──ラルちゃん。お礼を言いたいのは僕なのに、なぜか逆に感謝されてしまった。

 彼女の笑顔を見ると、どうにも落ち着かない。今まで、こんな感情を覚えたことはなかった。

 

 でも、僕は街の人間で。

 きっと、ラルちゃんはスラムの人間だ。

 

 この先街で暮らす限り、再び出会うことはないのだろう。

 

 

 それを僕は、とても惜しく感じてしまって。

 

「あ、あのっ、ラルちゃん!」

 

「んっ?」

 

 微笑んだまま、首をかしげるラルちゃん。

 そのかわいらしい仕草を、なんだかこれ以上まともに見ることが出来なくて、彼女に背を向けた。

 

 そのまま、言おうとしていたことを続ける。

 

「やっぱり何もお礼をしないなんて、心苦しいんだ! だから明日の朝っ、何かお詫びの物を持ってここに来るよ!」

 

「……えっ。いや、アルトくん? そんなことしなくても──」

 

「そっ、それじゃっ!」

 

 

 一方的に言い終えた僕は、そのまま駆け出して塀の抜け穴へと入っていった。

 彼女が何かを言おうとしていたが、あえてそれを聞かないようにして、僕は街へと戻っていった。

 

 

「はぁ、はぁ」

 

 勢いよく抜け穴を抜け出し、街へと到着した瞬間、その場で荒い呼吸をしながら息を整える。

 

 

 卑怯だということは、分かっている。

 ラルちゃんが善良な心の持ち主であれば、僕が来るであろうあの塀に、明日の朝もまた来てくれるだろう。

 

 どうしても、もう一度彼女に会いたい。あの場限りで、全てを終わらせたくはなかった。

 

 ……これは、そんな僕の我が儘だ。

 

 

 

 



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回想 街に住む黒髪の少年

主人公視点の過去話  ちなみに次回の勇者視点で過去編は終わりです



 

 

 

 痛い。

 体中がズキズキする。

 鼻血もポタポタ地面に落ちてるし、歩くのもやっとだ。

 

 でも、進まなきゃ駄目だ。

 ここで立ち止まったら、本当に死んでしまう。

 

 

 自分の全身から聞こえてくる悲鳴を抑え込みながら、俺は夜の真っ暗なスラム街を進んでいった。

 

 

 見えてきたのは───街とスラムを隔てている大きな塀だ。

 下の方をよく見れば、子供しか通れないような小さい穴が空いている。以前街の子供たちが使った、スラムへ来るための抜け穴だ。

 

 ここには大人たちも入っては来れないだろう。

 二つの地域を隔てているこの塀はかなり分厚いし、抜け穴は一種の洞穴のようになっているから、身を隠すにはうってつけだ。

 

 

 俺はヨロヨロと揺れる不安定な身体を意地で支えながら、四つんばいの膝歩きで、抜け穴の中へと入っていった。

 街とスラムのちょうど境目に位置する辺りまで進み、やっとそこで腰を下ろす。

 その瞬間、青アザが出来ているであろうお尻がズキンと痛んだ。

 

 立っていても座っていても体の何処かが痛む。

 最早俺にできる体勢は、固い地面に寝転がるというものだけだった。

 

 着ているローブを口元までずらし、体全体を包むようにした。少しだけ足元が寒いが仕方ない。

 垂れてくる鼻血を手の甲で拭い、溜め息を吐いて瞼を閉じた。

 

 

 あぁ、疲れた。

 

 

 

 

 今朝のことだ。

 結局俺は断りきれずに、アルト君からお礼としてサンドイッチとジュースが入ったバスケットを貰ってしまった。

 

 子供から施しを受けるのは気が引けるのだが、正当な礼として受け取って欲しいとまで言われてしまったら、無下にはできない。

 

 ……実際、サンドイッチの美味しそうな匂いの影響で、気が緩くなったのは事実だ。

 今回限りだと考えれば、まぁ受け取っても問題は無いだろうと判断し、バスケットを翌日に返すことを約束してアルト君を街に帰した。

 

 

 そしてバスケットを持って犬小屋のような家に戻ろうとして───厄介な大人たちに見つかった。

 

 スラムを牛耳っている、腹が風船みたいにパンパンな成金オヤジだ。

 いつも自分の周りにガタイの良い用心棒をお供させていて、街を巡回しながら弱い人間にちょっかいを出して遊んでいる。

 

 そんな奴らに運悪く見つかってしまった俺は、奴らにバスケットを取り上げられてしまった。

 スラム住みの孤児のくせにサンドイッチやジュースなんて生意気だ、なんて吐き捨てながら。

 

 いつも食っているような味のしないパンを取り上げられるならともかく、アレは人に貰ったものだ。その場では抵抗できなかったが、どうしても許せなかった。

 

 

 だから俺は夜中、奴らの屋敷に忍び込んだ。中身は期待できないだろうが、せめてバスケットは取り戻したかったから。

 

 しかし奴らがバカ騒ぎをしている広間を見たときには、既に壊されたアルト君のバスケットは床に転がっていた。それこそ、ただのゴミのように。

 その光景を見た瞬間、頭に血が上ってしまったのだろう。俺の思考は、奴らへの報復という意志に支配されてしまった。

 

 

 何をしても大人には勝てない。俺が出来るのは盗むことぐらいしかない。

 ゆえに、俺は成金野郎の屋敷の備蓄庫から、数少ない貴重なチーズとワインを全て袋に詰めて盗み出した。

 

 スラム街の成金の贅沢なんてたかが知れている。さほど量もなかったし、盗むこと自体は簡単だった。

 

 

 だが、袋を担いで屋敷から逃げ出す姿を、見張り番に見つかってしまって。

 流石に荷物が少し重かったのもあって、いつもよりも足が遅くなっていた。

 

 その影響で追いかけてくる用心棒たちを振りきれず、川まで追いつめられて逃げ場が無くなってしまった。

 

 

 ──そこで俺は、奴らへの報復を決行することに。

 

『そんなに返してほしかったら……取ってこいっ!』

 

 そう叫びながら、背負っていた袋を川に投げ捨てたのだ。

 あの食べ物たちに罪はないが、窮地に立たされた俺にできる復讐は、それしかなかった。

 

 川の流れはとても速く、俺の投げた袋はすぐさま行方不明になった。

 アルト君から貰ったお礼の分の借りは返せたので、胸がスッとしていい気分にもなった。

 

 

 

 しかし貴重な趣向品を投げ捨てられた大人たちは怒髪衝天の状態に。

 なされるがまま、俺は大人五人に嬲られた。殴られ蹴られ髪を引っ張られ……思いつく暴力はほとんど受けた気がする。

 

 幸いなことに児童性愛(ロリコン)野郎はいなかったので貞操は守れたが、その代わりに鼻の骨と前歯が数本逝った。

 

 小学生くらいの女の子の口に靴を突っ込むんだぞ。信じられねぇよ。

 スラムの大人なんてカスみたいな奴しかいないんだって、改めて思い知らされたわ。

 

 

 ヒートアップする暴力に本格的な命の危険を感じ、俺は隙を見て煙幕玉を使って逃げた。

 最初からそれが出来ればよかったのだが、腕を掴まれてしまって思うように道具を使うことが出来なかったのだ。

 

 

 

 そして命からがらあの場から離脱した俺は、今ここで死体の様に寝転がっている。

 いまだに鼻は痛むし、前歯が折れている口の中が違和感だらけで気持ち悪い。

 

 なんというか、いよいよ終わりな気がしてきた。ファンタジーな世界に来たっていうのに、さんざんだ。

 きっとこの先、魔法なんて見る前に現実的な大人の悪意に殺されるんだろうな、なんて考えが頭をよぎる。

 

 

 それでもまだ、死なない程度の余力が残っている事は分かる。俺って案外しぶとい。

 とりあえず今は、朝になるまでこの場で眠ろう。

 

 痛みも悲しみも虚しさも、眠っている間は忘れられる。

 今はただ、体を休めたい。

 

 

 

 

「───だっ、誰かいるの?」

 

 

 意識が暗転する瞬間、つい最近聞いた覚えがある声が、聞こえたような気がした。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

「……はぁ」

 

 昼時。俺は溜め息を吐きながら、人通りの少ない路地裏を歩いていた。

 今いる場所の近くにはあの抜け穴があり、俺はそこへ向かっている。少しだけ、足が重いが。

 

 

 

 結果的に言えば、俺は助かった。

 大人たちにリンチされた日から、はや二週間が経過している。

 

 瀕死の状態の自分を見つけてくれたアルト君に連れられて、俺は街の教会でコッソリ療養をしていた。

 なんでもシスターさんが回復魔法の使い手だそうで、今や折れていた鼻の骨や前歯も元通りだ。

 

 三日間も世話になってしまったし、汚れていない綺麗な服もいくつか貰ってしまった。シスターさん、あまりにも人が良すぎる。ちょっと惚れた。

 

 スラムの人間が無断で街に入る……なんてガキでも分かるご法度なのだが、どうやらアルト君が必死にシスターさんを説得してくれたらしい。

 

 

 アルト君は俺の事を命の恩人だと言っていたが、今回のことで彼も俺の命の恩人になってしまった。

 

 借りを返しただけだよ、なんて彼は告げていたけれど、助けたお礼はあの時受け取っているのだ。これではアルト君に対して借りが残ることになる。

 

 だが、その日暮らしなスラムの住人である俺にできるお礼なんて、ほとんどない。

 

 故に俺は、せめて迷惑をかけないようにしたい、と考えた。

 アルト君に「危ないからスラムには来ない方がいい」と伝え、俺の都合には巻き込まないようにした。

 

 

 ……なのだが、俺の思いとは裏腹に、困った事態が発生している。

 

 俺が教会を出てスラムに戻った次の日から、アルト君が頻繁にスラムに訪れるのだ。その手に、手作りの料理を詰め込んだバスケットを持って。

 

 今の所、毎日昼に来ている。俺が抜け穴の近くまで赴き、彼からバスケットを受け取るのだ。

 ひどい日なんて、彼の誘いを断りきれず一緒に昼食を摂ることもあるくらいだ。

 

 

 危険すぎる。

 こんなことを続けるのは明らかにまずい。スラムは悪意ある大人たちだけでは無く、低級とはいえ魔物も出没する危険区域なのだ。

 

 俺一人ならともかく、二人でいるときに魔物に襲われたら、彼の命を保証できない。こんな歳で、人の命を背負うなんてまっぴらごめんだ。

 

 

 

「勇者になれば……守れるのかな」

 

 ボソッと、ほぼ無意識に呟いてしまった。失言に気がついて、焦って周囲を見渡したが、誰も居なくてホッとした。こんなことを聞かれたらただでは済まない。

 

 

 

 教会で世話になっていたある日、シスターさんがこんな話をしていた。

 

 

 『西にある神秘の洞窟に、聖剣が出現した』と。

 そして聖剣が再び世界に出現したことで、素質を持った子供に『勇者』の適性が生まれた……とも言っていた。

 

  

 俺にも勇者の適性が生まれたのだが、実を言えば自分にその適性があることは、事前に把握していた。

 この世界に転生する際に、神が与えた特典か何かなのか。それは分からない。

 

 ただ、転生したときから自分に『勇者の適性が生まれる』という、その部分の未来だけは知っていた。

 だからスラムの孤児になっても必死に生き抜いたし、挫けることなく前を向いてきた。

 

 それもこれも、勇者になれるという事実が、心の支えになっていたからだ。

 

 

 勇者になることが出来れば、比類なき力を得ることができる。

 その力があれば、こんな汚れた町ともおさらばできる。

 

 ……そして、スラムで生きる俺なんかを助けてくれた、アルト君のような心優しい少年を、悪意から守ることができる。

 

 

「半年後……か」

 

 聖剣が眠る神秘の洞窟が解放されるのは半年後だ。その時に、王国が世界中から招集した勇者適性持ちの子供たちと共に、ダンジョンを進んでいくこととなる。

 

 あぁ、待ち遠しい。半年後、俺はこんなスラムからおさらば出来るんだ。

 勇者になって、今まで虐げられてきた分まで、この世界を楽しんで───

 

 

 

 

「───っ!!」

 

 

 

「……ッ!?」

 

 思考に耽っていた瞬間、俺の耳に遠くからの悲鳴が飛び込んできた。その瞬間、脳が切り替わった。

 若干高い、成長期の男の子の声だ。

 

 このスラムでそんな声の持ち主なんて、一人しか知らない。この汚れた町に、俺以外の子供なんてほとんどいないのだ。

 

 すぐさまその場を駆け出し、路地裏へと入っていった。声の聞こえた方角を考えれば、悲鳴の主はこの先の行き止まりにいる可能性が高い。

 

 

 

 ──見えた。路地裏を抜けた少し広い場所で、壁に背を預けている黒髪の男の子を、狼のような魔物が威嚇している。

 

 見間違えるはずもない。アレはアルト君だ。蒼白な表情で、バスケットを持った手を震わせている。

 俺はすぐさま彼の前に立ち、魔物を睨みつけながら声を上げた。

 

「アルト君っ、怪我ないか!?」

 

「あっ、ラルちゃん! うっ、うん、まだ大丈夫……」

 

 攻撃はされていないという事に安堵すると同時に、身構える。

 

 どうあっても、目の前の狼の魔物を倒すことはできない。

 今までは逃げるのが基本だったから、魔物を倒せるような武器なんて持っていない。

 

『グゥルルッ!』

 

「腹ペコさんかよ……!」

 

 口から涎を出しながら威嚇する魔物を見て、汗をにじませながら苦笑いをする。

 

 おそらく、奴はあの凶暴な牙で噛みついてくるだろう。スラムに生息しているような不衛生な魔物に噛まれでもしたら、ヤバイ病気を患ってもおかしくはない。

 何とか無傷でこの場をやり過ごさなければ。

 

 

 俺は自分の懐に手を伸ばし、野球ボールサイズの煙幕玉を取り出した。俺に使えるアイテムは、現状これだけ。

 しかし煙幕を焚いたところで、相手には鋭い嗅覚がある。目晦ましはほぼ無意味だ。

 

 故に、別の使い方をする。上手くいけば、しばらくあの魔物を無力化できるはずだ。

 

 

 煙幕玉を握りこみながら、数回ほど深呼吸をした。これからやることは、冷静さと正確さが必要だから。

 チャンスは一回、失敗は出来ない。

 

 身構え、目の前の魔物を凝視した。

 

 

『グガァッ!』

 

 その瞬間、魔物が牙を剥き出しにして飛びかかってきた。

 

「……っ!」

 

 落ち着いて、正確に狙いを定める。

 そしてタイミングを見計らって、俺は煙幕玉を正面に投げつけた。

 

 

『──ガフッ!?』

 

「よしっ……!」

 

 煙幕玉が見事に魔物の口内へ入り、ガッツポーズをする。

 

 ほどなくして魔物の鋭利な牙は煙幕玉の外装を刺激し、本来の機能である煙幕発生を起動させた。

 瞬間、解き放たれた大量の煙は魔物の体内へと侵入していき、魔物は理解不能な事態に狼狽する。

 魔物はその場で苦しそうにのたうち始め、完全に戦意を削ぐことが出来た。

 

 

 その隙に、俺はアルト君の手を握り、その場を駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ」

 

「あっ、ありがとう、ラルちゃん……」

 

 何とかあの場からの離脱に成功し、俺たちは塀にある抜け穴の前まで来ていた。

 暫くは煙幕に犯された体内の苦しみを味わっている筈だし、ここまで来れば、あの魔物も追っては来れないだろう。

 

 

 アルト君の手を離し、荒い呼吸をして息を整える。

 

「はぁっ………ふぅ」

 

 そして一息、まるで溜め息の様な空気を口から吐きだし、頭を冷静にした。

 

 振り返れば、そこには汗だくになりながらも嬉しそうな顔をしている黒髪の少年がいた。

 当然危険に怯えていたのだろうが、俺に助けられたことで安堵しているのだろう。

 

 

 あぁ、ついに襲われてしまった。

 

 ……駄目だ、呑気な奴だ、なんて思っちゃだめだ。

 元を辿れば俺の責任なんだ。本来なら彼の心を傷つけてでも、拒絶してスラムに入れないようにするべきだった。

 こんなものは必要ないのだと、彼からの礼を受け取らないようにするべきだった。

 

 全ては俺の甘えがもたらした結果だ。

 これ以上の接触は、俺にも彼にも不利益しか与えない。

 

 

 

 この子と会うのも、今日限りにしなくては。

 

 

「……アルト君」

 

「んっ?」

 

 アルト君の両肩を掴み、真っ直ぐ彼の瞳を見つめる。

 目の前の少年は少し狼狽えているが、気を使うことはもう出来ない。

 

 スゥ、と息を吸い込む。

 

 ──そして勢いよく、俺は怒号を放った。

 

 

「もうスラムには来るなッ!!」

 

 

 俺の叫びを正面から受けたアルト君は、驚いて声を失っている。

 だが、そのまま続ける。

 

「死ぬところだったんだぞ! 俺がいなかったら今頃っ、キミは魔物のエサだ!」

 

 頭が熱くなってくる。大声を張り上げれば当然だが、彼に強い言葉を浴びせるのが、どうにも苦しい。

 

「礼なんかいらないって、スラムは危険だって、何度も言っただろ! どうして言うことを聞いてくれないんだ!?」

 

「………ぼっ、ぼくは、ただ……」

 

 うるさい! と叫んでアルト君の声をかき消す。俺の言葉は質問ではない。

 はなから彼の言葉を聞くつもりはないのだ。

 

 

「ハッキリ言って迷惑なんだよ! 毎回わざわざ食事を持ってくるけどっ、正直まず───くはなかったけど! でもスラムに来ていい理由にはならない……! 俺は、君のお守りなんて御免だ……」

 

「らっ、ラルちゃ──」

 

「その呼び方もやめろ。いい加減、虫唾が走る。……いいかアルト。俺はお前が大嫌いだから、もう会いたくないんだ」

 

 彼の肩から手を離し、アルトの目から視線を外した。

 

 もう優しい言葉づかいもしないし、呼び捨てで呼んでやる。お前なんか嫌いなんだって、分かって貰えただろう。

 

 

 俺は懐から小さな布袋を取り出し、アルトに押し付けた。

 

「俺の全財産だ。銅貨が十二枚あるだけだから、今までの分は返しきれないけど……勘弁してくれ」

 

「そっ、そんなの受け取れないよ! 僕が勝手にやってた事なのに……」

 

「いいからっ!」

 

 金の入った布袋を、無理矢理アルトのズボンのポケットに突っ込んだ。

 そして彼の肩を強くど突き、抜け穴に入ることを急かす。

 

 泣きそうな顔になっているアルトを見て、少し心が痛んだが、既に遅い。

 

 

 

「もう、二度と来るな。………ばーか」

 

 

 

 冷たく言い放ち、俺は彼に背を向けて歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 俺にスラムでの生き方を教えて、ラルという名前を付けてくれた──数年前に死んだソルドットのじいさん以外で、初めて俺に優しくしてくれた人だった。

 そう、初めて……一緒にご飯を食べてくれた男の子だった。

 

 しかし生きる場所が違う。これ以上は巻き込めない。だから拒絶した。俺がスラムの人間だから。

 

 

 

 でも、もし。

 

 もし俺が勇者になれたら。

 

 他人に誇れる、一人前の人間になれたら。

 

 

 

 

 もう一度彼と、ご飯を食べたい。

 

 

 

 そんな思いを、抱いてしまった。

 

 

 




主人公、初めてのばーか


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回想 勇者のアンチ

何故主人公がアンチになったのかわかる過去話


 

 雲一つない晴天。新たな勇者の誕生にふさわしい、青空が広がる希望に満ちた天候。

 そんな陽気な天気の日に、勇者の適性を持つ子供たちは沈鬱な洞窟の入り口の前にいた。

 

 あれから経過した月日は、半年。

 この日、世界中から招集された適性持ちの子供たちは、聖剣をその手に掴むべくこのダンジョンに挑むのだ。

 

 希望の光である、勇者になるために。

 

 ダンジョンの入り口は全部で九つ。それぞれ子供たちが分かれて待機しており、解放の瞬間を待っている。

 僕は遅れて到着したため、一番人が少ない九つ目の入り口に行く予定だ。

 

 

 ──ふと、八つ目の入り口に待機している集団に視線が行った。

 

 見覚えのあるような姿が見えた気がして、ついそっちを見てしまったのだ。

 今まで生きてきた中で、血のように真っ赤な髪をしている人なんて、一人しか心当たりがなかったから。

 

 

「ぁ、あのっ!」

 

「……?」

 

 集団の後ろの方にいた、ローブを着ている人物に声をかけた。

 僕もよりも少し小柄で、周囲の体が大きな子供たちと見比べれば、ダンジョンに挑むのを疑われるような体格。

 

 話しかけてきた僕の声に反応してその人物は振り返った。

 

「って、アルトか」

 

「久しぶり!」

 

 予想通り、ローブの人物はラルだった。この赤い髪を見間違えるはずもない。

 ほんの少し驚いたような表情をしている彼女をみて、僕の顔は自然と綻んでしまった。

 

「アルトも勇者の適性持ってるんだったな」

 

「うん。……でっ、でも、僕は勇者になるために来たんじゃないんだ」

 

「は?」

 

 怪訝な表情をするラル。しかし、今のうちに話しておきたかった。

 ラルが勇者の適性を持っていることは、彼女が教会に預けられていたときから知っていたし、勇者になることも応援するつもりだ。

 

 

 そのつもりでここに来た。僕は彼女の助けになりたい。

 

 それにこの神秘の洞窟に来れば、もう一度ラルに会えると思った。

 だから、危険だから行くなと言っていた親を説得してまで、ここに訪れたのだ。

 

「ラルは強いから、きっと勇者にふさわしいよ。……僕にも、キミが勇者になるための手伝いをさせて欲しいんだ」

 

 彼女の綺麗な瞳を見つめながら告げた。

 

 

 すると、ラルは数秒ほど考えるようなそぶりを見せた後、小さく溜め息を吐いた。

 まるで僕に呆れているように。

 

「あのなぁ、お前の手伝いなんかいらねーよ。そもそも、俺は単独行動が得意なんだ。今日だって、一人でどう動くかを考えてからここに来た」

 

「……そっ、そっか」

 

「そうだ。………あー、もう! そんな顔すんなって!」

 

 彼女に拒否されて少し落ち込んでいると、ラルが僕の頬を両手で抓ってきた。

 

「ひ、ひはい(いたい)よ……」

 

「やる気出して、ちゃんと自分を守れ。明らかな上級の魔物は出ないだろうけど、それでもこの洞窟は危険なんだから」

 

 真剣なラルの雰囲気に圧されて、分かったとすぐに返事をした。

 

 浅はかな考えでダンジョンに訪れた僕を叱って、警告をしてくれた。相変わらずな彼女の優しさを感じて、少し嬉しくなってしまう。

 

 

 するとラルは僕の頬から手を離し、そのまま後ろに手を組んだ。

 そして僕から目を逸らしながら呟く。

 

「ま、まぁ? 聖剣のある最深部までちゃんと来られたら……そのっ、えっと……ゆっ、勇者になったあとの俺の手伝いなら、考えてやらなくも───」

 

「本当かい!?」

 

 予想外なラルの発言が信じられず、思わず大きな声を出して彼女に顔を近づけてしまった。

 その瞬間彼女がビクッとしたので、反省して二歩下がった。がっついてはいけない。

 

 

 僕はその場で拳を握って、ラルに向かって誓った。

 必ず最深部まで行ってみせる、と。

 それだけ言い残して、すぐさま九つ目の入り口まで走って行った。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 薄暗い洞窟の中を、ゆっくりと進んでいく。父親から渡された、遠距離攻撃が出来る特別製の剣を握り締めながら。

 

 そんな僕の隣には、もう一人──いや、二人の人物がいた。迷宮のようなダンジョンの中で偶然出会った、僕と同じ適性持ちの子供だ。

 

 出会ったのは、顔やお腹が少し大き目な少年と、彼を守るように付いてきている『ゴースト』だ。

 

 聞くところによれば、彼……トム君にも僕と同じ死霊使いの適性があるらしい。ゆえに超常の存在である幽霊を視認することができ、コミュニケーションも取れる、というわけだ。

 

 トム君を守っているゴーストは、数年前に亡くなった彼のお姉さんらしい。

 今回勇者になる為にダンジョンへ挑むトム君を見守る為に、彼のもとへ訪れたそうだ。

 

 

 トム君は気さくな性格で、道中会話をしながら進んでいる。

 幽霊さんに少し先まで安全を確認して貰ったので、今も談笑中だ。

 

「そんな立派な剣を使えるなんて、羨ましいぞアルト」

 

「はは、きっと十分に扱えているわけではなさそうだけどね……」

 

 それよりも、と言いかけて、彼の背後にいる幽霊さんに目を向けた。

 トム君同様に明るい性格の人なので、僕の視線に気がつくと笑って手を振ってくれる。

 

「君の方が羨ましいよ。まさか幽霊と一緒にダンジョン攻略に挑めるなんて」

 

「確かに心強いね。姉さんと一緒なら怖いもの無しさ」

 

 明るく笑うトム君のおかげで、自然と僕も笑顔になってくる。

 

 ラルとはまた違った安心感を与えてくれる人だ。

 

 

 ──すると、トム君の幽霊さんが僕たちを引き止めた。ちょっと待って、とそう言って。

 

 何事かと思い、先程までの緩みきった気持ちを引き締める。

 父さんから貰った剣を握り締め、洞窟の奥を凝視した。

 

 

 その瞬間、何者かがこちらに向かって駆け出した。よく目を凝らせば、そこにいたのは狼型の魔物だ。素早い四足歩行で、僕たちの方へ向かってきている。

 

「むっ! アルト、敵みたいだ!」

 

「大丈夫、僕に任せて」

 

 ずいっとトム君の前に出てから、剣を上に翳した。この特別製の剣は強く振ることで、特殊な衝撃波を発射することが出来る。

 

 幸い、魔物とはまだ少し距離がある。今これを放てば、完全に接近される前に倒せるだろう。

 

 

 狙いを定め、剣を構える。

 

「──今だっ!」

 

 そして剣を縦に振り降ろした。その瞬間、振り下ろしたその場から衝撃波が発生し、勢いよく前方へ飛んで行った。

 

 斬撃を伴う、衝撃波。一言で言えば鎌鼬(かまいたち)だ。

 

『ギャウッ!?』

 

 僕の未熟な振りでは正確にターゲットを斬ることはできなかったが、なんとか魔物の右前足の付け根部分を傷つけることが出来た。

 

 致命傷にはなり得なかったが、接近せずとも攻撃ができるという事実を魔物の頭に叩き込み、戦意を削ぐことには成功した。

 

 

 その証拠に近づいてみれば、魔物はブルブルと震えながら、力を感じられない目で此方を見ている。睨んでいる、というより怯えているように見えた。

 

 しっかりと攻撃できたことに安堵すると、横のトム君が僕の肩に手を置いた。

 

「凄いじゃないかアルト!」

 

「上手くいってよかった……あれで外したらかっこ悪いからね」

 

「ははは! ……っと、魔物はまだ生きてるんだったな。俺の武器は棍棒だし、トドメも任せるぞ」

 

 そう言って手に持っていた武器を腰のホルダーにしまい込むトム君。

 彼の言う通り、魔物はまだ生きているので、トドメを刺さなければ。

 

 

 ……実を言うと、僕は未だに魔物を殺した経験がない。

 

これまではまともに戦闘をしなかったのが理由なのだが、今目の前にはあと一刺しで殺せる魔物がいる。

 

 これも経験、相手はしょせん魔物。そう思って剣を振り上げた。

 

 

『グッ……グルゥ……』

 

「……っ」

 

 

 

 しかし、僕は剣をしまい込んでしまった。その様子を見て、トム君も動揺している。 

 

 魔物の怯えるような、懇願するような瞳を見つめてしまい、僕はコイツを殺そうとする気持ちを……殺してしまった。

 

 

 どうしても最後の一線が越えられずに立ち往生をしてたら、いつのまにやら魔物は消えていた。恐らく、隙を見て逃げたのだろう。

 

 自分自身に呆れかえってしまい、溜め息が出た。

 

「……情けないよね。魔物の命すら奪えないなんて」

 

 自嘲気味に苦笑いをして、肩を落とした。全くその通りだ。

 ここはダンジョン。余計な甘さなど、捨て去らなければいけないというのに。

 

 

 ──自分の行動に辟易していると、唐突に背中を叩かれた。犯人は考えるまでもなく、トム君だ。

 

「とっ、トム君?」

 

「その優しさ、大事にした方がいい。確かに魔物は倒すべき存在だが、命を奪わなくて済むなら、それに越したことはないと思うぞ」

 

「……そう、かな」

 

 励ましてくれる彼の言葉は嬉しい。

 あの魔物ももう人間は襲わないのではないか、なんて浅はかな思考すら浮かんできたところで、考えるのをやめた。もう切り替えよう。

 

 

 彼の言葉を心に留めておきながら、僕たちは再び歩き始めた。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 道中分かれ道があり、僕とトム君は別々の道を進んだ。

 少し名残惜しかったが、これは勇者になるための試練。いつまでも共に行動をしているようでは、僕や彼のためにならない。

 

 トム君は「どちらが先に聖剣を手にするか、競争だな!」と言い、張り切って分かれ道を進んでいった。

 彼は逞しい少年だと思う。僕の何倍も勇気があって、周りもしっかり見えている。

 

 僕が勇者を目指してここに来ていたなら、彼はきっといいライバルになっていたに違いない……そう思う。

 

 

 彼とは別の分かれ道を行った僕は、道中魔物と出くわすことはなかった。

 

 その代わりに沢山の仕掛けが用意されており、それを破壊したり解除するなどに武器を頻繁に多用したため、僕の剣は既に使い物にならなくなっていた。

 

 完全に折れてしまった剣は捨ててしまったので、無防備な状態で進むことを余儀なくされたのだが、魔物と遭遇することがなかったのは幸いだ。

 

 

 しばらく歩けば、少し先に眩しい光が見えた。どうやら、この先に行けば一旦洞窟から抜けられるらしい。

 

 そこで、冷静に状況を分析してみた。僕が進んだ距離や、事前に聞いていた話を考慮して考えてみる。

 その場で立ち止まり、ほんの少しの逡巡。少ない脳みそを回転させて、今自分がどの辺りにいるのかを計算した。

 

 

 そうして出てきた答えは、あの先が洞窟の『最深部』だというものだった。

 どうやらトム君と別れたあの道は、僕の進んだ方が正解だったらしい。武器もないので、ゴールに到着した安心感を余計に感じる。

 

 

 ……たどり着けた。僕は彼女との約束を果たせたんだ。

 

 きっとこの先には、ほかの子供たちよりも数歩先を行っていたラルがいるに違いない。

 父親から貰った武器があるとはいえ、僕でさえ辿り着くことができたのだ。彼女なら造作もないだろう。

 

 この先で、また会える。

 その高揚感から胸が高鳴り、出口へ向かう僕の足は自然と早くなっていく。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 一本道の洞窟を駆け抜けていく。走りながらも、自分の顔がニヤついているのが分かる。

 

 

 遂に彼女との約束を守ることができた。

 これできっと、勇者になったラルと一緒に旅をする事ができる。

 

「やった……!」

 

 無意識に口からこぼれる歓喜の声。感情が高まり、僕の足はさらに速くなっていく。

 

 ほどなくして、僕は薄暗い洞窟を抜け出た。

 

 

 洞窟の先にあったのは、緑が生い茂っているとても広い空間だった。天井がとても高く、光るクリスタルのようなものが空間全体を明るく照らしている。

 

 まさに『神秘の洞窟』という名にふさわしい最深部だ。空間内に漂っている神聖さを感じられるようなその光は、今までの洞窟内や外界とは違った異質の雰囲気を醸し出している。

 

 

 そして奥の方には、大きな剣が逆さに突き刺さっている、石造りの台座が見えた。

 青白い光を鈍く発しているアレこそ、噂に聞く『聖剣』で間違いないだろう。

 

「……あっ」

 

 少し高い位置にある台座へ向かう為の階段近くに、人影を発見した。

 

 

 使い古したローブを着込んだ、赤い髪の小柄な人物。間違いなくラルだ。

 やはり、僕よりも先に訪れていたらしい。周囲にほかの人影は見当たらないし、一人でここまで来たのだろう。

 単独行動が得意だという言葉は、強がりでは無かったということだ。

 

 一歩一歩、慎重に台座へと進んでいくラル。その様子を、固唾を呑んで見守る。

 ラルに声をかけるのは、彼女がその手に聖剣を握って勇者になった後だ。

 

 

 ついにラルが勇者になる。

 世界に一人だけの『勇者』が誕生する瞬間を、唯一僕だけがこの目で見届けることができる。

 

 その事実はさらに高揚感を湧きあがらせ、心臓の鼓動を早くしていく。

 

 さぁラル、今こそ勇者に───

 

 

 

『グルルァッ!!』

 

「──わっ!?」

 

 

 その光景を目の当たりにして、息が止まった。

 

 敬愛する赤髪の少女が聖剣をその手に握ろうとした瞬間、茂みの中から狼型の魔物が勢いよく飛び出してきたのだ。

 魔物はそのままラルに飛び掛かり、急に襲われた彼女は咄嗟に反応ができず、その場で魔物に押し倒されてしまった。

 

 

「………ぁっ、あぁっ……!」

 

 

 『それ』を見た瞬間、心臓を鷲掴みされたような感覚に陥った。

 

 彼女を襲っている魔物の右前足の付け根に、見覚えのある傷がある。

 アレは間違いなく、僕が放った鎌鼬によって刻まれた傷だ。

 

 

 つまり、僕があの時見逃した魔物が、聖剣を掴む直前という『一番油断する瞬間』のラルを襲ったのだ。

 

 

 

「───」

 

 

 

 自分のせいで、ラルが襲われている。抵抗できない体勢で、今にも魔物に噛み千切られようとしている。

 

 

 僕のせいで。

 僕が甘さを見せたせいで。

 

 すべて、何もかも、自分のせいで。

 

 

 それを理解した瞬間、目の前が真っ赤になり、その場を駆け出した。

 

 

 

 

 

 

「………あっ」

 

 気が付いた時には、僕の前には胴体を真っ二つに切断された魔物の死体があった。

 石造りの床を血で真っ赤に染め上げ、もはやあの五月蠅い鳴き声を発することもない。

 

 横を見れば、そこには尻餅をついた状態のラルがいた。

 ぼーっとしてる場合じゃない、早く手を貸してあげなければ。

 

「ラルっ、大丈夫かい?」

 

 

 

 

「───くっ、来るなッ!!」

 

 

 

 大声で彼女に拒否されてしまい、僕は近づく足を思わず止めた。差し伸べようとした手も、いつの間にかおろしていた。

 

 

 強く叫んだラルは、僕のことを睨んでいる。

 眼尻に涙を浮かべながら、殺意が込められているような瞳で、僕を……いや、僕の右手に視線を向けている。

 

「……ぁっ」 

 

 ソレに気が付いた瞬間、間抜けな声が出た。

 

 彼女が睨みつけている僕の右手には、青白い光を放つ剣が握られていた。そしてその刀身には、魔物のものと思わしき鮮血がこびり付いている。

 

 

 

 そこで、ようやく僕は理解した。

 

 

 彼女を助けようと頭に血が上った僕は台座のもとへ駆けつけ、ほぼ無意識に聖剣を引き抜き、一度は見逃した魔物を躊躇なくそれで斬り殺したのだ。

 

 聖剣を握ってしまった。僕が、この手で。

 

 

 これでは───

 

 

「僕が……勇者に……?」

 

 言葉にした瞬間、自分が仕出かした事の重大さが分かった。

 

 君を手伝う。勇者になるのを応援する。自分は勇者になるつもりはない。

 

 そう言いながら僕は、彼女が手にする筈だった聖剣を、目の前で奪い去ってしまったのだ。

 

 

 ラルが僕を親の仇のように睨みつける理由も頷ける。

 彼女からすれば、僕はラルを騙したことになるから。

 勇者にならないという発言で彼女を油断させ、機を見計らって聖剣を奪った。

 

 ラルを助けるだけなら聖剣を引き抜く必要など無かったのだ。死角から魔物を蹴り飛ばして、ラルを立ち上がらせればそれでよかった。

 

 僕は武器を持っていないが、ここに一人で辿り着いたラルと協力すれば、傷を負った魔物ごときどうにでも出来た筈だ。

 

 だが、僕は聖剣を引き抜いた。彼女を襲う魔物を殺したくて、見逃した自分の過ちを正したくて。

 

 それは完全なる悪手。

 少しは残っていたかもしれない彼女の僕に対する信頼を、跡形もなく粉砕する愚かな選択だった。

 

 

 急にとてつもなく居心地が悪くなり、舌の奥がピリピリと痺れ始めた。

 過呼吸になっていき、動揺のせいで目の前の視界が揺らぐ。

 

 胸を抑え、その部分の服を強く握り締める。行き場を失った感情の波が、体中に広がっていくのが分かる。

 

 

 

 

「アルト、お前は……」

 

 軽く怪我をしている右肩を抑えながら立ち上がったラルは、聖剣から僕の目へと視線を移した。相変わらず眼尻に涙を浮かばせながら、人を殺せるような鋭い目つきで。

 

 

 あぁ、きっと怒号や罵倒の声が飛んでくる。僕のことを許さないのだと、正当な怒りをぶつけてくれる。

 ラルは血が滲むほど唇を強く噛んでいて、その様子を見れば彼女の憤激の感情を肌で感じられた。

 

 いっそ殺してほしい。……そうとまで思っているのに、何故か僕の口からは言い訳がましい声が出てきてしまう。

 

「ラル、あのっ」

 

 

「………そう、だよな」

 

「え?」

 

 最低な僕に激しい怨嗟の叫びが飛んでくることはなく、ラルは小さな震える声で呟いた。

 

 唇が震え、眉間が痙攣している。誰が見ても分かるように、彼女は自分の中にある今にも爆発してしまいそうな感情を、必死に抑え込んでいる。

 

「俺……お前に酷いこと、たくさん言ったもんなっ。嫌われてるなら……騙されたってしょうがない……」

 

「ちっ、違う!」

 

「恩知らずで、気が強くて、見当違いな期待をするような……馬鹿な人間だから……っ!」

 

 震えた声の節々に隠しきれない怒りの色が見える。頬を流れる悔し涙を拭うこともせず、俯いて体を震わせている。

 

 

「そんなつもりじゃなかったんだ! らっ、ラル、この聖剣は君に───」

 

「ふざけんなッ!!」

 

 聖剣を渡そうとした手を弾かれ、両手で思い切り体を突き飛ばされた。咄嗟のことに反応できず、僕はそのまま石の床に尻餅をつく。

 

 

 顔を見上げれば、憤りゆえに顔が歪んでいる少女がいる。僕を見下ろしながら、歯軋りをした。

 

 それを合図に、抑えていた感情は爆発する。

 

「どこまで俺を煽るつもりなんだ!? 聖剣を握ったその時点で勇者は確定するんだよ! お前だって知ってるだろッ!! もうお前の他の適性なんて消えてる!!」

 

「っ……!」

 

 ラルの剣幕に気圧され、もはや言い訳すら口から出ることはない。自分に出来ることは、彼女の憤懣をあるがままにぶつけられる事だけだった。

 

「………最初からこうするつもりだったんだな。だからわざわざ俺に声をかけたんだろ? 自分が姿を見せても警戒されない為に……」

 

 段々と声が小さくなっていくラル。程なくして、彼女は僕から目を逸らした。

 

 

 そして踵を返す様に僕に背を向け、憤りを感じる震えた溜息を吐き、この空間の出入り口へ向かって歩き出す。

 

 洞窟に戻る寸前に少しだけ振り向き、ラルは今一度僕を強く睨んだ。

 全ての怒りの感情が込められたその眼差しに圧され、止めることも立ち上がることも、僕には出来なくて。

 

 

「おめでとうアルト、お前の勝ちだよ─────馬鹿(ばか)ッ」

 

 

 吐き捨ててから、闇の中へと消えていく彼女を、呆然と見つめることしかできなかった。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 王国の中で死んだ魂たちが眠る、町はずれの巨大な共同墓地。

 オレンジ色の陽が世界を照らす夕刻でも、墓地に訪れている人間はそこそこ散見される。

 みんな僕と同じように、その手に花を持って供養しに来ているようだ。 

 

 少し歩けば、周囲の物よりも少し大き目な墓石の前にたどり着いた。

 そこには『ラル・ソルドット』の文字が刻まれており、毎週欠かさずパーティのみんなが手入れをしているため、他の墓石と比べても汚れは少ない。

 

 墓石が大きな理由は、単純に僕のわがままだ。遠くから見てもすぐ見つかるように、なんて安直な考えでこうした。

 

 加えて実はラルの墓石、大きいだけではなく材質も他の物とは異なる。特別な職人に作らせたもので、たとえ爆裂魔法が直撃してもそう簡単には壊れない。

 

 死後くらいは、何者にも侵されないまま安らかに眠って欲しいと思ったから。

 なかなか高値だったが、ラルを失ったあの時の僕は半ば錯乱状態で、金に糸目はつけなかった。

 

 とにかく丈夫で他の物とは違う墓石を作れ、なんて職人を脅したのも覚えている。とても勇者の言葉だとは思えないな。

 ……結局、ゴーストに家を叩き出されるまで、この墓には来なかったが。

 

 

 

 花を添え、墓石に少し水をかけた。そして持ってきた布で墓石全体を軽く磨く。パーティの皆も頻繁にやってくれているのでそこまで汚れてはいないのだが、どうしても自分の手でやりたかった。

 

 磨き終えた後、荷物を纏めてから、墓石の前に片膝をついた。

 そして祈るように手を組み、瞼を閉じる。

 

 

 

 ──ここへ訪れる度に、昔のことを思い出す。僕が彼女と出会った日のことや、聖剣を奪ってしまったあの日のことも。

 

 それから更に浮かんでくるのは、旅の道中での記憶だ。

 ラルが寝ている僕に水をかけたり、身に覚えのない僕の(嘘の)悪い噂をエリンに吹き込んだり……いろいろだ。

 

 きっと僕が勇者になったことが許せなかったのだろう。それゆえに、何度も旅の道中で妨害を仕掛けてきた。

 そうなったのは僕の責任だし、最初は甘んじて全てを受け入れようとしていた。

 

 しかしエリン達はあまりいい顔をせず、いつしか彼女の罠はパーティの皆に破壊され始めていた。

 

 正直言うと心苦しかった。彼女の怒りは、真正面から受けるべきだと思っていたから。

 それほどまでに、僕が彼女から奪った『勇者』とは、大きなものだったから。

 

 

 盗賊になる道を選んで、僕の旅を邪魔するようになったラル。

 ……それでも、やっぱり彼女は昔と変わらない、優しい彼女のままだった。

 

 迷いの森で離ればなれになった僕たちをワープの魔石で助けた。

 魔王軍に襲われている村の場所を教えてくれた。

 そして何より、分かりやすい罠でのダンジョンの道案内──しまいには、僕の命すら救ってくれた。

 

 

 僕が勇者であることは、彼女の意志を継ぐことでもある。

 若くして死んでしまったラルの分まで、僕は勇者を全うするべきだ。

 

 彼女から奪ってしまったこの聖剣と、それでも救ってくれたこの命で。

 

 

 だから。

 

 

「必ず魔王を倒すよ。……見ていてくれ、ラル」

 

 

 安らかに眠る彼女の前で、僕はそれを固く誓ったのだった。

 

 

 

 




幽霊:ちゃんと見てるぞ~(後ろでふわふわ浮遊しながら)


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魔王の遊びで世界が変わる【前編】

 勇者パーティが滞在している水上都市ゼムス。

 

 その美しい水の都は今まさに、戦火の渦中にあった。

 

 

 今日の今朝方、ゼムスの周辺地域に突如として魔王軍が出現したのだ。

 上空に巨大な転移魔法陣を生み出した魔王軍は、その陣を通して魔物の大群と共にその姿を現した。

 

 魔王軍出現にいち早く気がついた俺がファミィに知らせ、それを聞いた彼女が他の魔導士や魔法使いたちと協力し、街を覆う巨大なバリアを生成。

 

 そのバリアで魔王軍の侵攻を一時的に食い止め、ギルドの冒険者たちや街の衛兵、ゼムスに駐在している王国軍等の戦闘準備の時間を稼いだ。

 

 バリアが破られる頃には非戦闘員である住民の地下への避難なども完了しており、ゼムスに居る戦える全ての人々は一丸となり、真正面から魔王軍と激突していくこととなった。

 

 

 

 大規模戦闘が開始されてから、約半日。

 

 なぜか特攻気味な魔王軍の行動パターンはかなり読みやすく、統率のとれた王国軍が中心となって対処した結果、戦況は圧倒的にゼムス側が有利になっていた。

 

 残る魔王軍は街中に散らばった知能が低い魔物たちと、恐らくリーダーであろう身長三メートルの巨大オーク……タイタン将軍のみだ。

 

 戦術や作戦も持たないまま暴れるだけの魔物たちはゼムスの衛兵や王国軍の兵士たちだけで対処は可能。

 つまりあとは残る冒険者たちや勇者パーティが目の前の将軍の首を取れば、ゼムス側の勝利だ。

 

 

 ……なのだが、予想以上にタイタン将軍が手強い。

 

 彼は巨大な棍棒を振り回すだけではなく、器用に魔法や他の武器を駆使することで、十数人いるであろう冒険者たちと互角に渡り合っていた。

 

 戦況的には圧倒的にこちらが有利な筈だ。

 しかし、この場に置いては将軍が優勢とさえ思えてしまう程、彼が強すぎるのだ。

 

 

 彼と戦っていたベテランの冒険者たち、その殆どが地に伏せている。

 

 

 今タイタンと戦えているのは、救護の為に街中を駆けまわっているエリン以外の勇者パーティの面々、なんとか立っている魔法使いの男が一人、そして先行して応援に来てくれた騎士団副団長のザッグさんだけだ。

 

 タイタンは俺を視認できていないようだが、存在を感づかれたらあっという間に消されてしまいそうな雰囲気を感じる。

 彼の使用できる魔法のレパートリーは、ここで確認できただけでも相当の数だ。

 

 もしかしたら対ゴースト用の魔法も持っているかもしれない……そう考えて、ほぼ戦闘力が皆無な俺は戦うべきではないと判断した。

 

 彼のように強靭な精神を持った者は憑依も拒否できるので、最早俺は傍観する他に選択肢などなかった。

 

 

 

「はぁ……はぁっ、人間もなかなかやるようだな」

 

 手の甲で汗を拭いながら告げるタイタン。その様子を見るに、体力の消耗自体はしているようだ。

 

 しかしこちらも満身創痍。唯一の勝ち筋は聖剣による致命的な一撃くらいなのだが、どうしてもタイタンの身体に聖剣の刃が届かない。

 

 それどころか奴は皆の攻撃を避けながら、器用にもアルトに確実なダメージを与えている。

 

「だが勇者……貴様、もう立っているのがやっとだろう」

 

「……くっ」

 

 

 何度も斬撃を捌かれながら反撃されているアルトは、勇者といえども人間。スタミナが化け物なタイタンと違って、そろそろ限界だ。

 

 アルトとタイタンの戦闘力自体は互角に近いのだが、あちらは歴戦の勇士で、こちらは聖剣を手にしてまだ五年ちょっとの若造。

 

 有り余る聖剣の力でなんとか喰らい付いているものの、どうしても『ここぞ』という時のバトルセンスにかなりの差がある。

 

 

 アルトの剣は届かず、タイタンの棍棒は届く。

 

 それがほんの少しのダメージだとしても、蓄積されていけばそれは強力な一撃にも等しい。塵も積もれば山となるとはこの事だろう。

 

 確実にダメージを与えているタイタンにはまだ余力があり、防戦一方なアルトは疲労困憊で限界寸前。

 

 

 このまま拮抗状態が続けばアルトが負けてしまうことなど、火を見るよりも明らかだ。

 

 

 ……しかし、こちらは一人ではない。

 

「ファミィさんっ、これを!」

 

 アルトに襲いかかっている将軍の激しい連撃をユノアとザッグさんが防いでいる一方、ボロボロで最早戦えない状態の魔法使いの男が、ファミィに小さな小瓶を手渡した。

 

 緑色の液体が入った小瓶を渡されたファミィは、それを見た瞬間目を疑ったような表情になる。

 

「アンタこれ……魔力増強剤!? 家数軒は建てられるほど高価なもの、どうやって……」

 

「全財産つぎ込んで借金もして手に入れたものです!」

 

 男が笑顔でそう言った瞬間、ファミィの顔が引きつった。

 

 そこらへんの宝物より何倍も価値が高い上に、多額の借金してまで手に入れた代物をポイッと渡されたら、そりゃね……。

 

 

 魔力増強剤はその名の通り、人体に循環する魔力を活性化させて強化するものだ。

 魔法を使うために消費する魔力が強力なものであれば、当然発動する魔法の効力も高まる。

 

 ファミィほどの高位の魔法使いが強化された状態で放つ魔法なら、あのタイタンに明確な隙を作ることもできるかもしれない。

 

 

 そんな希望が見えてきたが、当のファミィは魔力増強剤の使用を躊躇している。渡された物の価値が高すぎるのと、それが相手の全財産にも等しいので、その気持ちはわかる。

 

「それじゃアンタ、これが無くなったら……」

 

「いいんですよ、この水上都市が無くなる方が嫌ですから!」

 

 眩しいほどの笑顔でファミィを諭す魔法使いの男。

 きっとそれは強がりなのだろうが、彼なりに考えた最善手なのだろう。

 

 

 魔法使いの熱意に圧されたファミィは、目を閉じて深呼吸をする。

 数秒間それを続けた後、覚悟を決めた彼女は目を開け、瓶のフタを開けて中身を一気に飲み干した。

 

 その瞬間、ファミィの体から緑色のオーラの様なものが発生し始めた。これはきっと魔力が活性化している証拠だ。

 

 自分の体に起きていることを再確認したファミィは、魔法使いに微笑んだあと、すぐさま杖を構え直して前に翳した。

 

 

「増強剤をくれたお礼に……とっておきの爆裂魔法を見せてあげるわ!」

 

 得意げな表情で告げたファミィが呪文の詠唱を始めた。魔法に疎い人間には理解できない謎の言語で、まるで経を唱えるかのように素早く言葉を発している。

 

 ファミィは宣言通り、かなり強力な爆裂魔法を使うのだろう。その証拠に詠唱している彼女の足元には、太陽の様に眩しく光る魔法陣が展開されている。

 

 

 この強烈な一撃を受ければきっとタイタンも堪えるはず。

 しかしこのまま魔法を発動すれば、彼の周りにいるアルト達三人が巻き添えになってしまう。

 

 故に俺は、唯一自分の声が届くユノアに向かって大声で叫んだ。

 

「ユノアー! 爆裂魔法を使うから二人を退避させてくれーっ!」

 

「──っ、承知!」

 

 俺の言葉を聞いた瞬間にユノアは剣を腰の鞘に戻し、足元に魔法陣を展開させた。

 

 その魔法陣はユノアの両脚に吸い込まれるようにして消え、次第に彼女の脚が黄色く発光し始めた。

 

 黄色の陣は肉体強化。効力の持続時間がかなり短い代わりに、一時的に身体能力を大幅に上昇させる魔法だ。

 

 そしてそれが脚に吸収されたということは、ユノアは脚力強化の魔法を使ったということ。

 

 

 元から驚異的な身体能力を持った女騎士の、更に強化された脚力。

 ありきたりな言葉で言えば───めちゃくちゃ速い。

 

「フッ──」

 

 その場を踏み込んだユノアは目にも止まらぬ速さで、それこそ矢が発射されるような速度で駆け出す。

 

 そしてタイタンと交戦している副団長と勇者の二人を、光の速さで掻っ攫っていった。

 

 

 突然目の前の敵が姿を晦ましたことで、タイタンが狼狽する。

 彼ほどの戦士ならば、警戒していれば駆けるユノアを目で追えたかもしれないが、不意打ちとなれば話は別だ。

 

「……なにっ!?」 

 

 そして彼はこちらを見た瞬間、驚嘆の声を上げる。しかしながら、気づくには遅すぎた。

 

 既にファミィの詠唱は終了している。

 杖を差し向けられたタイタンに、もはやその場から離脱する時間も手段も残されてはいない。

 

 

「──爆裂ッ!!」

 

 

 その言葉の瞬間、タイタンの腹部がキラリと光る。

 すぐさま光った箇所に魔法陣が展開され、その大きさは一気にタイタンの全身を包むほどまでに膨張。

 

「くっ──」

 

 攻撃の意図を理解した将軍が交差させた両腕を顔の前に持ってきた瞬間、魔法は起動した。

 

 

 まるで雷鳴の如く、耳を聾するかの様な炸裂音が響き渡り、灼熱の嵐が巻き起こる。

 辺り一面に肌を焼くような熱風が広がり、爆発の衝撃は地震を思い出させるほど地面を揺らした。

 

 

 あっ、この強烈すぎる爆裂魔法じゃ、倒れている冒険者たちにも危害が及ぶのでは……なんて今更考えたが、よく見れば先程まで周囲に倒れていた冒険者たちが一人もいない。

 

 

 ……うそだろ。

 もしかしてユノア、あの短時間でアルトたちだけじゃなく、周りの倒れてた人たちも担いで避難させたのか。

 

 周りの事を考える前にユノアに伝えちゃったのは俺だけども、それでも迷わずファミィが爆裂魔法を放ったのは……必ず皆の避難を間に合わせるという、ユノアへの信頼があったから、かもしれない。

 

 俺の与り知るところではない話だけど、勇者パーティには彼女らにのみ通ずる絆というものが存在するらしい。

 咄嗟のことでも迷わず仲間を信じて行動するなんて、俺にはとてもできない行為だ。

 

 

 勇者パーティの年長者二人に舌を巻きながら、煙の奥へと移動した。俺は幽霊だから煙の中だろうと平気なので、爆心地の様子を見に行くことが出来るのだ。

 

 奥に見えたのは、片膝をついているタイタンだった。棍棒を握っていた筈の右手は、魔法が直撃した腹部にあてがわれている。 

 ついにあの将軍が膝をついた──そう喜ぼうとした瞬間、何者かが煙の中へ突入した。

 

 

「はぁァァッ!!」

 

 

 その叫び声が聞こえた瞬間、それとは別の人物の呻き声が耳に入ってきた。

 次第に煙は晴れていき、何かが起きたその現場がハッキリとこの目に映る。

 

「うぅ゛っ……!」

 

 呻き声の正体は……タイタンだ。その屈強な胸板には、青白く輝く聖剣が突き刺さっている。

 刺し込まれた聖剣を力強く握っているのは、当然勇者であるアルトだった。

 

 どうやらアルトは、爆裂魔法がタイタンに効いているかどうかを確認する前に、攻撃をしかけたらしい。

 

 

 もしタイタンにさほどダメージが入っていなかったら、アルトは強烈な反撃を喰らってダウンしていたかもしれない。

 

 それでもこんな大胆な行動に出ることが出来たのは、ひとえにファミィへの信頼があったからだろうか。

 

 もしかすれば勇者パーティの強みは、なによりもこの揺るぎない結束力なのかもしれない。どれにしても、俺には無い強さだ。

 

 

「これで……終わりだ」

 

「うぐぁっ……!」

 

 静かに告げたアルトは聖剣を引き抜き、タイタンはうつ伏せに倒れた。

 

 

 聖剣による、致命傷。

 

 この戦いの勝者は、見事にその唯一の勝ち筋を打ち込んだゼムス側であることは、疑いようもない。

 

 

 アルトがトドメを刺したことが分かった瞬間、ファミィと魔法使いの男は力が抜けたようにヘナヘナとその場で座り込んだ。

 ユノアとザッグさんは未だに毅然としているが、その目には倦怠感と少しの安心の色が見て取れる。

 

 当のアルトは……限界を超えていたようで、直ぐにその場で倒れ込んでしまった。蓄積したダメージが体を蝕み、強制的に意識がシャットダウンしてしまったらしい。

 

 彼に近づいてみれば息は聞こえるので、眠ってしまっただけだと分かる。もう殆ど敵は残っていないし、このまま寝かせてやればいいか。

 

 

 

 

 ───ふと、タイタンの方を振り返った。まだ少し意識があるらしく、小さく何かを呟いている。

 

 

 

「……っ、なぜ……わたしは、こんなっ……ところに……」

 

 

 

 聞こえてきたその言葉は、呪詛でも悪足掻きでもなく──疑問だった。

 

「……はっ?」

 

 彼の発した言葉の意味が理解できず、俺は唖然とした。

 

 タイタンが何を言っているのか、全く分からない。彼の疑問の言葉は、俺の中に更なる疑問を生まれさせた。

 

 

 彼を見つめていると、次第にタイタンはハッと何かを察したような表情に変わる。

 

 そして彼は瀕死の状態にもかかわらず……小さく笑った。

 

「……ははっ……あぁ、そうか」

 

 そんな彼の傍まで、密着するレベルまで近づいた。声が小さくて、ここまで来なければ聞こえない。

 どういうことなのか。疑問を理解するには、彼の言葉を聞かなくてはならない。

 

 

 何だ。なぜ記憶が飛んでいる。一体何を察したんだ。

 

 

 

 

「おそろしい……あぁ、おそろしい………まおうさま、あなたは、なんとおそろしい───」

 

 

 

 

 か、た。

 

 

 

 小さくそれだけ呟き、史上最強の敵であったタイタン将軍は、瞼を開いたまま息絶えた。

 諦めたような乾いた微笑みのまま、脈打っていた心臓の鼓動を止めた。

 

 

 目の前の巨大オークの亡骸を前にして、俺は何も考えられなかった。

 

 勝利の喜びも、傷ついた者への気がかりも、彼の発言の意味すらも考えることが出来ない。

 

 脳内に残ったは、ただ一つの単語のみ。

 

 

 

 

 ───魔王。

 

 

 

 




報告:魔王がウォーミングアップを開始しました


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魔王の遊びで世界が変わる【中編】

魔王さま大暴れ回


 

「ふぅーっ……落ち着くなぁ」

 

 時刻は夜、場所は噴水広場。

 そこにあるベンチに座りこんで軽く伸びをしてから、ため息と共にそんな言葉が出てくる。

 

 周囲に人影は見えず、噴水広場が静かな場所だということに安堵した。

 

 

 

 二日前にタイタン将軍を倒したアルトは、水上都市ゼムスの英雄となっていた。

 

 街の人からは拍手喝采の嵐、共に戦った者たちからは尊敬の眼差し……と、アルトも結構勇者らしくなってきたように思える。

 

 そして今日は祝勝会だ。かなり面積が広い酒場に兵士や衛兵に冒険者、戦闘に参加したほとんどの人が集まってどんちゃん騒ぎをしている。

 

 当然勇者パーティは主役なので、祝勝会の会場ではもみくちゃにされていた。人気者は大変である。

 

 俺はというと、笑い声だか叫び声だかで騒がしい会場に居座るのが嫌になったので、ここまで逃げてきた。

 もともと俺が見えるのは一部の人間だけだし、いてもいなくても変わらないだろう。

 

 

 ベンチに腰掛けながら、ふと夜空を見上げた。

 そこにあったのは無数に煌く星々と、夜の街を優しく照らしている月だ。

 

 幽霊ゆえに眠らない体なので、いつも夜は空を眺めていた。

 

 しかしながら、今日見るこの夜空は、いつも以上に輝いているように見える。どうやら俺も少し、勝利の熱に浮かされているらしい。

 

 

 しかし未だにタイタン将軍との戦いは、この目に焼き付いている。

 

 本当にとんでもない奴だった。一人で十数人を同時に相手して、尚且つ優勢に戦況を運ぶなど規格外すぎる。

 

 敵ながらあっぱれ、なんて言葉が思い浮かぶくらいだ。

 

「あの将軍、めちゃくちゃ強かったなぁ……」

 

「魔王軍のなかで一番の実力者だからね~」

 

「はぇー、将軍の名は伊達じゃなかったんだな……」

 

 その将軍の名に恥じないほどの力……勝てたのは正直、運の要素もあったかもしれないな。

 

 

 ───ん?

 

 

「えっ?」

 

 ふと、右へ顔を向けた。

 そこにはいつか見た、ニコニコ笑顔な白髪の少女が。

 

「こんばんは!」

 

 まるで友人の様な気さくな挨拶をかけられ、俺はつい反射的に──

 

 

「こっ、こんばんは……?」

 

 

 普通に、返事をした。

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 いやいやいや、どういう状況だこれ。

 

 騒がしい会場の外に出て夜風に当てられていたら、いつの間にか魔王と仲良く隣に並んで座っていた。何を言ってるのか分からねえと思うが……いや本当に何これ?

 

 冷や汗をかきながら狼狽する俺とは対照的に、魔王は飄々とした態度で足をぶらつかせている。

 

 戦いに来たわけじゃない、とは言っていた。

 

 しかし、それなら何が目的なのか。

 

「あの……魔王?」

 

「んー?」

 

 おずおずと声をかけてみると、肩まである透き通るような白い髪を揺らし、血の如く赤い瞳を俺に向けた。可愛らしいその顔は、少し不気味さをも感じさせる。

 

「戦うつもりじゃないなら……何しにここへ来たんだ」

 

 なるべく落ち着いた声音で質問しながら、少しずつ左にずれて彼女との距離をゆっくり離していく。

 

 走り出して急に離れたら焦って攻撃されるかもしれないし、無視を決め込むのも怖い。

 

 なるべく魔王を刺激せずにこの場を離れることができればいいのだが、なかなか難しそうだ。今は彼女の話し相手になる他ない。

 

「えへへ、何だと思う~?」

 

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら告げる魔王は、体を左右に揺らしている。

 

 その様子はさながら、誕生日プレゼントなどの大事なサプライズを隠す友人や家族のようだ。

 

 彼女の要領を得ない発言に怪訝な表情を示せば、ふふふと嬉しそうに笑いやがる。

 

 俺たち一応、国家間の戦争レベルで対立してるような関係だと思うんですけど……キミご機嫌すぎない? 

 

 

「聞きたい? ねぇねぇ」

 

 俺の肩を指でつんつんと突く白髪少女。

 

 この距離感の近さは、限定メニューを販売していたあの喫茶店にいたカップルたちを彷彿とさせる。ようするにウザったい。

 

「ラルちゃんがどうしても知りたいならぁ……教えてあげてもいいよ?」

 

 どうする? と続けて俺の顔を覗き込んでくる魔王。

 

 透き通る白髪と月明かりに照らされた色白の肌も相まって、一瞬彼女が美しく見えた。

 こうして見れば、外見は綺麗な人間の少女だ。……血液の様な真紅の眼を持っていなければ、だが。

 

 この世界の人間の瞳の色は茶色か青くらいだし、瞳孔はみんな黒色。

 虹彩どころか瞳孔まで真っ赤な目を持った人間など存在しない。

 

 その事実が「彼女が魔物」であることを再認識させてくれる。見た目や態度に流されそうになってはダメだ。

 

 

「どうしても知りたい……教えてくれ」

 

 それはそれとして、目的は聞かなければ。見栄を張っている場合ではない。

 胸の中にある悔しさを噛み殺しながら、彼女に頭を下げる。

 

 数秒間それを続けていると、不意に魔王がベンチから立ち上がった。

 

「うーん、っよし、わかった」

 

「え?」

 

「頼まれたから教えてあげるよ」

 

 顔を上げた俺に、優しく微笑む白髪の少女。

 その赤い瞳で見つめられ、思わず固まってしまう。

 

 そんな俺に構わず、彼女は右手を上げて自身の顔の横まで持ってきた。

 

 そして怪しげに握りこまれた右手は、中指と親指の内側が重なっている。

 それはまるで『指パッチン』をする前のような形。 

 

 

 

 ───ほどなくして、彼女は右手の指を鳴らした。

 

 俺たち二人以外には誰もいない静寂の空間で、パチンッ……と小さな音が響く。

 

 

 

 

「はい、終わり!」

 

 そう言って両手を後ろに組んだ魔王は、満足げな顔をしていた。  

 唖然とする俺の表情を見て「ふふっ」と小さく笑っている。

 

 

 ……は?

 

 なに、どういうこと。

 

 ここに来た理由を聞いたら、急に指パッチンされて「終わり」だと言われた。全く意味が分からない。

 

 

 たまらず、彼女に問いただす。

 

「おっ、終わり?」

 

 疑問を含んだ俺の復唱を聞いた魔王は、さも当然の様な表情をする。

 

「うん、そうだよ。私が()()()()()()()()()ところ、ラルちゃんに見て欲しかったんだ」

 

「……魔法?」

 

 さっきの指パッチンが?

 詠唱もせず、魔法陣も展開せず、ただ指を鳴らしただけで『魔法の発動』をしたっていうのか? 何をバカな。

 

 

 ……あー、いや、まて。だめだめ。こんな風に固く考えちゃ駄目だ。もっと柔軟にいかないと。

 

 

 相手は人類を脅かす魔王軍のボス。

 

 幽霊である俺を当然のように視認し、気配もなく隣に現れるような奴だ。むしろ指を鳴らして魔法を発動するなんて、出来ない方がおかしいまである。

 

 そもそも『魔王』だぞ。ぶっちゃけて言えばこの世界のラスボスだ。下手すりゃ一番強い。

 そんな奴がやる事に毎回驚いているようじゃ、とても体力なんて持たない。

 

 

 どうやったのかとか、何故できたのか、とかじゃないんだ。

 

 何をやったのか。それを考えるべきだ。

 

「……っ!」

 

 逡巡する思考は我に返り、急いで周囲を見渡した。

 既に発動したのなら、何かが起きているはずだ。

 

 

 すると、唐突に魔王が声をかけてきた。

 

「あっ、ここに居ても分からないと思うよ」

 

 そう言いながら怪しげに微笑む彼女を見て、急に得体の知れない恐怖が浮かび上がってくる。

 何なんだいったい。ここに居ても分からないなら、何処になにをしたんだ。

 

 大きな音は聞こえてこないから、爆発などの広範囲の攻撃魔法ではない筈。

 なら召喚? それにしたって、少数の召喚なんてどこにしたのか見当もつかない。

 

 まるで何も分からず、つい魔王の様子を窺った。

 

 そのままジッと見つめていると、次第に彼女は恥ずかしそうに笑った。

 

「え、えへへ……そんなに真っ直ぐ見つめられると、ちょっと照れちゃうなぁ」

 

 ほんの少し赤くなって俺から目を逸らす白髪の少女。どうやら彼女は自分から相手を見つめるのは平気だが、相手から仕掛けられるのには弱いらしい。めちゃくちゃどうでもいいなこれ。

 

 

 ……以前は敵である俺を勧誘、今回は魔法の披露。

 ここまで来れば分かるが、魔王は相当に酔狂な性格だ。

 

 たとえ敵であろうとも見境なく接し、味方であっても気に入らなければ洗脳する。

 二日前のタイタン将軍の様子を見れば、そんなことは直ぐに分かった。

 

 

 あの水上都市侵攻は、完全なる魔王の独断だ。

 

 主な兵士に簡単な洗脳を施して『とにかく街を破壊しろ』なんて吹き込んでいたとすれば、彼らがほぼ特攻気味で作戦も何も無かったことにも納得がいく。

 

 魔王軍で一番の実力者であるタイタン将軍ですらも、仲間に指示を出すこともなく、ただアルトを執拗に狙っていた。

 

 将軍とまで呼ばれる者が、そんな安直な行動をするとは思えない。あれほどの実力者となれば尚更だ。今考えれば、彼が洗脳状態だったからだと断定できる。

 

 

「……ねぇねぇラルちゃん、いま難しいこと考えてない?」

 

「へっ?」

 

「あはは、自覚なかったんだ。すーっごく眉間に皺が寄ってたよ」

 

 相変わらず飄々とした態度の魔王。今の俺と違って、彼女は余裕たっぷりだ。

 

 

 ……先程考えたように、魔王は酔狂な人物だ。

 

 もしかすれば、俺が助言を求めたら教えてくれる可能性がある。

 いつまでも俺がここで足踏みをして事が進まなければ、彼女としても『面白くない』かもしれない。

 

 今回の水上都市ゼムスへの侵攻にどんな思惑があったのかは知らないが、あれもきっと何か意味があって行ったことだと思う。

 

 作戦無しの負ける未来が濃厚な戦いなど、俺ならしたくないし面白くない。

 ならば、アレは布石だと考えるのが妥当だ。

 

 

 ……大規模戦闘後の、建物はボロボロで人も疲れ切っている街。

 しかも祝勝会までしてるこの状況、彼女からすればまさに狙い時といえる。

 

 

 彼女の指パッチンで、既にヤバい事が起きている。そんな気がしてならない。

 

 たまらず俺はベンチから立ち上がり、彼女の前で両手を合わせた。

 

「頼む、何かヒントくれ!」

 

 その言葉を発すると、魔王は「え~」とつまらなそうな声を上げた。

 

「お願い!」

 

「……うーん」

 

 図々しく懇願する俺を前に、右手を自分の顎に添えて少し考えこむ魔王。

 

 しかし案外時間はかからなかった。まぁいっか! なんて呟いて彼女は口角を釣り上げる。  

 

 

「ヒントをあげるとすれば───ラルちゃん、今すぐ祝勝会の会場に向かった方がいいよ」

 

 

「……え?」

 

「早く行かないと間に合わないかもねっ♪」

 

 満面の笑みで告げる魔王の顔は、いたずらが成功した子供の表情そのものだ。

 

 その顔に少しムカついた俺に、彼女は更に言葉を続ける。……その、あまりにも無邪気な笑顔のまま。

 

 

「きっとすっごく楽しいよ! ラルちゃんもいっぱい楽しんでね!」

 

 

「───っ」

 

 

 ある種の狂気すら感じるような眼差しで目を射抜かれたままその発言を聞いた瞬間、俺の全身に鳥肌が立った。

 

 そしてその恐怖は、一瞬にして焦りへと変貌する。

 

 祝勝会の会場へ急げ、その言葉を思い出した俺は、すぐさま空を飛んでその場を離れた。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 死に物狂いで空を飛び、道中邪魔な建物を全て透過しながら会場へと向かった。

 

 既に止まっている、あるいは存在するかも分からない自分の心臓が、激しく脈打っている様な感覚を覚える。嫌な緊張感を腹の奥に感じ、妙に息苦しい。

 

 指先が痺れるように震えだし、嫌な想像が脳内を駆け巡った。

 それをなるべく考えないようにしながら、全速力で飛んでいく。

 

 

 次第に、暗い夜の街でひときわ眩しい光を放つ、大きな建物が見えてきた。道中の障害物を全てすり抜けて来たおかげか、かなり早く会場に到着することができた。

 

 そのまま建物へ近づいていくと、まるで祭りで神輿を担いでいる人たちの掛け声ような、大人数の人間による叫び声が聞こえてくる。

 

『──せっ!』

 

 いまいち聞き取りづらいが、彼らは短い言葉を何度も連呼しているようだ。

 近づいていくにつれ、その言葉はより鮮明に聞こえてくる。

 

 

 そして建物を透過して会場の中へ足を運び───目を疑った。

 

 

 

『殺せっ! 殺せっ! 勇者を殺せっ!!』

 

 

 

 尻餅をついて唖然としているアルト、そんな彼の首元に剣の先端を突きつけている副団長のザッグさん、その二人を一定の距離を保ちながら取り囲んでいる数百人の群衆。

 

 副団長の剣は少し動かせばアルトの喉に突き刺さってしまいそうな距離にあり、その剣を動かせと群衆は口をそろえて叫びながら急かしている。

 

 

 

 ───なんだ、これは。

 

 

「アルトっ!」

 

 すぐさま彼の傍まで駆け寄り、近くにあったワインの瓶を副団長に向かってぶん投げた。

 

「むっ?」

 

 瓶の投擲は躱されたが、副団長は数歩下がったので一時的に距離は取れた。

 突然の攻撃もなんなく避けてみせた副団長が、訝しんだ表情で呟く。

 

「これは……ゴースト殿ですかな? 勇者の首だけが目的なので、邪魔立ては遠慮して頂きたいのですが──」

 

 言いかけた瞬間、彼の周囲に突風が発生した。

 

 突然吹き荒れた強風でも副団長は動じることなくその場に足を留めた……ものの、彼の後ろにいた野次馬は抵抗する間もなく風に吹き飛ばされた。

 

 

「勇者っ!」

 

「お怪我はありませんか!?」

 

 近くの人混みを掻き分け、ファミィとエリンが傍まで来てくれた。ファミィの手には杖が握られているので、先程の強力な突風は彼女による魔法だろう。

 

 二人が傍まで来たことでアルトは我に返り、すぐさま立ち上がった。

 彼の視線の先には、何故か勇者を討ち取らんとする騎士と化してしまった副団長がいる。

 

 アルトは困惑しながらも、彼に声を投げかけた。

 

「ザッグさんっ、いったいどうして……!」

 

 その言葉を聞いた副団長は、呆れたような溜め息を吐いた。

 剣先を此方に向け、アルトを睨みつけている。そしてそのまま、口を開いた。

 

 

「世界を救わなければいけない勇者が、魔王軍に後れを取って瀕死寸前……その影響で周囲の冒険者たちを巻き込み、あろうことか大量の怪我人を出したのですよ」

 

「そっ、それは……」

 

「責任を取って貰わねば。今すぐ死んで頂けますか?」

 

 言い終えた瞬間、副団長が斬り込んできた。

 

 

 しかしその刃は別の剣に遮られ、アルトに届くことはなかった。

 

 アルトの前に飛び出して副団長の剣を受け止めたのは、険しい表情をしているユノアだ。

 その人を殺せるような眼光で副団長を睨みつけながら、見た目とは正反対の静かな声音で問いかける。

 

「ザッグ殿っ、此度の侵攻はゼムスの総力を挙げてようやく対処できたものです。そんな戦争まがいの戦闘の責任を勇者一人に課すのは、お門違いというものでは……っ!」

 

 言い終わると同時に思い切り剣を振り上げることで、彼との鍔迫り合いを強制的に終わらせるユノア。

 

 少し後ずさった副団長は、俯いて「くくっ」と小さく笑った。その不気味な様子に、パーティ全員が困惑する。

 

 

 程なくして彼は、以前の温厚な副団長からは想像もできない、醜悪な笑みを浮かべて叫んだ。

 

「そうかもしれませんねぇ! あぁ、しかしながら……見逃せません。必要なのですよ、勇者の首が。殺さなければいけないのですよ、困りましたねぇ゛ぇ゛……!」

 

 しわがれた声で叫びながら、左右に眼球を行き来させる副団長。

 

 ……どうみても普通の状態じゃない。

 

 そこで漸く気がついた───副団長の目が()()。周囲を見渡せば、殺せ殺せと叫んでいる群衆の瞳も赤く光っていることを理解した。

 

 

 

 

 まさか、これか?

 

 魔王が指を鳴らして発動させた魔法が、この事態を引き起こしたのか?

 

 他人の思考を書き換えて『勇者を殺さなければいけない』と、そんな洗脳を……あの指鳴らし一つで、これほどの人数を。

 

 そんな、そんなことが。 

 

「……あっ」

 

 魔王の思惑に感づいた瞬間、エリンが妙な声を上げた。

 

「えっ?」

 

 何事かと思い、彼女の方を向く。

 

 

 

 そこにいたエリンは──片目が『赤く』なっていた。

 

 

 その光景を見た瞬間、心臓を鷲掴みされたような感覚に陥った。

 同時に、脳内に想像したくなかった考えが過る。

 

 そして頭に浮かんだその思考は、自然と声になって漏れ出た。

 

 

「……まさか、パーティの皆すらも……」

 

 

 あの白髪の少女は、魔王。敵も味方も関係ない。自分が楽しむためなら、誰であろうと支配下に置いて使う。

 そんな女が、心底楽しそうな表情で発動させた魔法だ。パーティの皆は大丈夫だなんて、生易しい考えを持っていることが間違いだった。

 

 

 彼女はアルト以外の、全ての人間を洗脳したのか?

 

 

「いやぁっ、うぅ……っ!」

 

 エリンが苦悶の声を漏らす。泣きそうな顔で胸を両手で抑えながら、その場で膝をついてしまった。

 

 

 彼女が洗脳に耐えることが出来ているのは、神に仕えるシスターだからなのか、それともアルトへの思いが強かったからなのか。

 

 

 いずれにせよ、今彼女は洗脳に必死に抗っている。

 駄目だ、エリンを敵に回すのも、このまま会場に残すのも──!

 

「ユノアっ、ファミィと一緒に逃げ道を作ってくれ!」

 

 そう叫んだ瞬間、俺はエリンに憑依した。このままじゃエリンは歩くこともままならない。この場から離脱するには俺が体を動かさなければ駄目だ。

 

「承知した! ファミィっ、逃走経路の確保だ!」

 

「なっ、なんなのよぉ……! あー、もうっ、取り敢えず了解!」

 

 返事をしたファミィが杖を上に翳し、ユノアの剣に緑色の光を発生させた。

 

 その瞬間、ユノアが正面に剣を振り下ろす。

 

「むぅっ!?」

 

 ユノアが剣を振り下ろしたことで、先程とは比べ物にならないほど強力な突風──もはや竜巻を彷彿とさせるレベルの強風が吹き荒れ、正面にいた副団長はおろか周囲の冒険者や兵士たちをも吹き飛ばした。

 

 飛ばされた彼らは建物の壁に叩きつけられたが、程なくして起き上がる。

 そして各々武器をその手に持ち始めた。副団長の処刑ショーを楽しみにしていた彼らに、火をつけてしまったらしい。

 

 

 だが正面の道は確保できた、このまま進めば会場を出られる。

 

「私が殿(しんがり)を務める! ファミィは先行して道を!」

 

「はいはい!」

 

 杖を片手に握って走り出すファミィ。

 

 それを確認した俺は、未だに困惑の色が抜けきっていないアルトの尻を強めに蹴り飛ばした。

 

「いだっ!?」

 

「ぼーっとしてんなバカ! 逃げるぞっ!」

 

 

 

 後ろはユノアに任せ、そのままアルトの手を握り、彼を引っ張るようにして俺はその場を駆け出した。

 

 

 

 

 



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魔王の遊びで世界が変わる【後編】

 真夜中にも拘らず、水上都市ゼムスは光に満ち溢れていた。

 

 街灯、建物の明かり、住民それぞれが手に持つ松明や魔法使いたちの光の魔法。

 それら全てが、勇者を見つけるための手段として用いられている。

 

 街にいる全ての人間が武器や明かりを持って、ゼムス中を駆け回りながら逃走する勇者を探しているのだ。街の中を逃げていては、もはや発見される事など時間の問題。

 

 

 ここから逃げる先としては王国中心街にあるアジトが挙げられる。

 

 しかしアジトへ戻るための転移石は荷物と共に宿へ預けてある。

 本来は祝勝会に赴くだけだったパーティの皆が、荷物を持っていないのは当たり前。

 そもそもこの状況ではとても取りに戻るのは不可能だ。

 

 ……それに、もしかしたら中心街の人間たちすらも、魔王の術中にはまっている可能性もある。

 そうなればアジトも安全ではない。ここまでされたら、全く人がいない山奥くらいしか避難先が無いのが辛い所である。

 

 

 

 そして今、とにかくゼムスを脱出することを目的として、俺たちは街の出入り口の門周辺の道を走っていた。

 

 所持している物はファミィが杖、ユノアが剣、勇者も聖剣と、ほぼ手ぶらに近い。

 宿にある大切なアイテムや現金などを回収したいところだが、まるで暴動が起きているようなこの水上都市の中へ戻るのは無謀だ。

 

 

 とにかく今は安全な場所まで逃げるしかない。

 その一心で走りながら出入り口の門に差し掛かったところで───急に体が重くなった。思わず、その場で立ち止まってしまう。

 

 それに気がついたパーティの皆は足を止め、ファミィが俺のもとへ駆け寄ってきた。

 

「ゴースト、どうしたの……!」

 

「いっ、いや、何かエリンちゃんの体が──」

 

 何故か自由に動かせない。

 そう言いかけた瞬間、後ろにいたアルトが叫んだ。

 

「今すぐ憑依を解くんだ!」

 

「えっ? ぁ、あぁ……!」

 

 焦燥感を感じるアルトの声に急かされ、俺は直ぐにエリンの体から抜け出した。

 憑依を解除したことで、急に自分の意識が戻ったことに混乱し、だらりとバランスを崩すエリン。

 

 そんな彼女をファミィがすぐさま抱き留め、強張った表情で声をかけた。

 

「エリンっ、どうしたの!?」

 

 焦りで額から汗を流しているファミィが、エリンの体を何度も揺さぶる。

 糸の切れた人形のように体重の全てをファミィに預けていた彼女は、数回揺らされた後に、ゆっくりとその瞼を上げた。

 

 

 ──見えたのは、紅く光る両目。それはまさしく今の街の住人と同じ特徴だ。

 魔王の術に堕ちてしまった何よりの証拠。

 

 つまり、健気なシスター少女は勇者に仇なす敵と化してしまった。それを理解した瞬間、思わず俺は身構えてしまう。

 

 程なくして、ファミィに支えられているエリンが小さな声で呟きだした。

 

「ゆう……しゃ、さま……」

 

「エリン!」

 

 彼女に名前を呼ばれたアルトは、すぐさまエリンの傍へと駆け寄った。

 

 駄目だ、今の状態のエリンに近づいたら──!

 

 

 

「行って……くださいっ、勇者さま……」

 

 

 

 直ぐにでもその手がアルトの首に伸びる──などと焦った俺の予想とは裏腹に、彼女はか細い声で『逃げろ』と告げた。

 

 彼女の手は抹殺するべき勇者の首では無く、アルトの手を握っている。

 震えるその手で、涙を流しているその瞳で、以前の彼女となんら変わらない優しい眼差しで、アルトに想いを告げている。

 

「殺したいですっ、あなたを殺したい……! うぅぁっ、ちがう、違う……! やだっ、生きて欲しい……っ!」

 

 瞼から溢れる大粒の水滴を頬に伝わせ、体を震わせながらガチガチと歯が音を立てている。

 

 望んでいない感情に突き動かされるなど、想像しただけでも恐ろしい。

 彼女は今、そんな得体の知れない恐怖と、必死に戦っているのかもしれない。

 

「お願いです……! どうか、どうか死なないで……っ!!」

 

 苦しみながらも、力強い声を絞り出した。

 

 自分の中に紛れ込んできた強大な殺意を、それでもと『勇者への想い』で押し殺している。

 醜悪な魔王の呪いを、心の底に残っている強き意志で抑え込んでいるのだ。

 

 

 普通の人間では到底出来ないような無茶をしてでも、勇者の命を案じている。

 その事には、当然アルトも気がついている。

 

 故に彼はエリンの手を握り返し、もう片方の手で彼女の頬にそっと優しく触れた。

 

「約束するよ。……必ず、生き延びてみせる」

 

「……はい」

 

 真剣な眼差しのアルトに告げられたエリンは、フッと優しく微笑んで……握っていたその手を離した。

 自分の信じた人に願いを告げることが出来て、彼女は満足そうに瞼を閉じる。

 

 

 それと同時に、エリンを支えていたファミィがアルトに声をかけた。

 

 よく見れば、彼女の瞳も完全に紅く染まる寸前だった。

 俺たちと一緒に逃げる時も、エリンが想いを告げる間も、彼女は静かにその苦しみに耐えていたのだ。

 

「街の人達の様子を見るに……恐らく狙いはアンタ一人よ。きっと私たちには見向きもしないでしょうね」

 

「ファミィ、もしかして──」

 

 ええ、と呟き、ファミィは手に持った杖を上に翳した。

 するとそこに二つの小さな魔法陣が展開され、それはエリンとファミィの体の中に溶け込むようにして、消えていった。

 

「この症状が進行してから直ぐに追うことがないように、睡眠魔法で眠って私たちはこの場に留まる。どのみちエリンを一人にはできないしね」

 

「何もできなくて……ごめん」

 

「気にしないで。ていうか、アンタはエリンが言ったようにしっかりと生き延びて、今回の黒幕をぶっ倒しなさい」

 

 完全に紅く染まった目を勇者に向けながら、ファミィはそう言って不敵に笑ってみせた。

 呪いに犯されながらも、彼女は最後まで余裕を崩さず、アルトの背中を押したのだ。

 

「あぁ、約束する」

 

 絆の力で呪いに抗ってみせた彼女たちの前で強く頷き、アルトは立ち上がった。

 

 するとファミィの瞼がゆっくりと落ちていき、彼女はバランスを崩した。

 エリンを抱えたまま倒れようとしたファミィを、アルトが咄嗟に抱き留めた。そして近くの建物の陰に、二人を仰向けで寝かせる。

 

「……行こう」

 

 眠る彼女たちを少しだけ見つめた後、アルトはそう呟いて走り出した。彼について行く形で、俺とユノアもその場を離れる。

 

 

 

 エリン、そしてファミィ。

 二人は間違いなく、勇者と強い絆で結ばれている唯一無二の仲間だ。あの行動で、そう確信できた。

 

 エリンはその想いを曲げることなく、ファミィは最後まで毅然としていた。

 勇者を迷わせない為に、自分たちが離れてもちゃんと戦えるように。

 誰も抗えない筈の魔王による呪いを、勇者を思う絆と精神力の強さだけで耐え抜いたのだ。

 

 

 ……とても敵わないな、あの二人には。

 

 魔王の慈悲なのか、幽霊だからなのかは分からないが、俺には呪いの症状が出ていない。

 

 しかし俺が彼女らと同じ状況なら、速攻でこの呪いの魔法に堕ちていたことだろう。

 

 アルトが彼女たちを仲間として迎え入れたのは、こういった強さも理由に含まれていたのかもしれない。

 

 

 世界を救うに足る、とても───とても強い女の子たちだ。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 決死の思いで水上都市を抜け出た俺たちは、周辺の森の中を駆けていた。

 とにかく人のいない場所へ、それだけを考えて移動している。

 今回の事をなんとかする為には、どうしても一旦落ち着ける場所が必要だ。

 

 

 ──そう思って、走っていたのだが。

 

「鬱陶しいな……!」

 

 目の前の状況を嘆き、ユノアが悪態をついた。

 

 

 俺たちは今、森の中の木が無いひらけた場所で、武装した大量の魔物たちと応戦していた。

 

 見える魔物たちは全て目が赤く光っており、彼らがここに現れたのは魔王の命令ですらないことに戦慄する。

 有無を言わさず、当たり前のように手足として仲間を使っているのだ。信じられないほど悪趣味な女である。

 

「くっ……」

 

「ユノア!」

 

 魔物の不意打ちを受けて膝をついたユノアのもとに、アルトが駆け寄ってきた。傷は浅いものの、本調子ではない為動きが鈍い。

 

 それはアルトにも言えることだ。少し前に魔王軍最強の男と戦った疲労や、その時に受けた傷の痛みが響き、どうしてもコンディションが悪い。

 

 

 しかしそこは勇者。ユノアのピンチを目の当たりにした為、彼女を守るべく聖剣の力を上昇させた。

 昂ぶる彼の感情に呼応するように出力が上がった聖剣の攻撃で、周囲の魔物たちは次々と屍になっていく。

 

 すぐにも魔物は殲滅される。それを理解した俺は、すぐさまユノアのもとへ駆け寄った。

 

「大丈夫か?」

 

「……ぁ、あぁ」

 

 苦笑いをしながら返事をした彼女の片目は、元の黒色の面影など消え去っていた。程なくして、もう片方の瞳も虹彩の色が変色を始めている。

 

 

 それに気がついたユノアは静かに息を吐き、剣を腰の鞘に納めた。

 そして正面に居る俺の目を見つめながら、優しく微笑む。

 

「すまない、私はここまでのようだ」

 

「謝るなって! そもそもユノアが庇ってくれてなかったら、今頃勇者は会場で首だけになってたし……!」

 

 気遣いではなく、事実だ。

 それに第一、今この瞬間まで魔王の呪いに抗っていたユノアは凄い。

 

 なおもアルトへの殺意を浮かべていないのは、賞賛の一言に尽きる。それほど彼の事を大切に思っているのだ。

 勇者パーティの誰もが、アルトへ信頼を寄せ、助けたいと思っている。

 それは俺にはない、大切な仲間への思いやり。そこまでの人望を勝ち取っているアルトが、少し羨ましくなるくらいだ。

 

 

「……ふふ」 

 

 不安げな表情でユノアを見ていると、彼女が小さく笑った。

 そっと右手を伸ばし、俺の肩に手を置く。

 

「ラル……」

 

「どっ、どうした?」

 

 何かを告げようとしているユノアの目は、段々と赤く染まっていく。しかしそれを彼女は、強い意志で静かに耐えている。少しでも気を抜けば、もう片方の眼も完全に染まってしまうほどに、見ているだけの俺にも魔王の呪いの強力さが感じられた。

 

 

 ユノアの瞳を、じっと見つめる。その優しい眼差しは依然と何ら変わっていない。

 それでもあと少し時間が経てば、この表情も勇者への憎悪に染まってしまう。

 

 そう考えただけで、俺の唇は震えだした。信頼する彼女がアルトを襲う所など見たくはない。

 でもこのまま、彼女をここに置いて逃げていいのだろうか。

 

 

 ……そうするべきなのは、分かっている。当然だ、エリンにもファミィにもそうして来たのだから。今すぐ彼女の前から姿を消すべきなんだ。

 

 だが、俺の中にある信頼と彼女への友情が、足を止めてしまう。どうしても、いま直ぐにこの場を走り出せない。

 

 

 そんな迷いが振り切れない俺を───ユノアが優しく抱擁した。

 

「ゆ、ユノア?」

 

 狼狽する俺の声に反応することはなく、ユノアは静かに息を吐く。

 

 抱きしめられている内に、胸に柔らかい感触と、確かな鼓動を感じた。

 俺を包むようにしている腕からは、彼女の体温が伝わってくる。

 

 どうやら触れてくれれば、幽霊でも温かさを感じる事ができるらしい。

 

 

 しばらく、そのまま何も言わないユノアの腕に抱かれ続けた。

 

 

 彼女が与えてくれるこの安心感は、焦る俺の心を徐々に落ち着かせてくれる。

 耳に当たる静かな息遣いは、いかなる時も毅然であった彼女を思い出させてくれた。

 

 呪いに蝕まれているこの状況でさえも、ユノアは正しく『騎士』だった。

 

「ラル……勇者を───」

 

 

 頼む。

 

 その言葉を聞いて、俺は強く頷いた。強く彼女を抱きしめ、何度も顔を上下させた。

 

「あぁっ、あぁ……! 勿論だ、アイツの事は任せてくれ!」

 

 力強い言葉で告げ、彼女を安心させたくてその言葉を何度も繰り返した。

 アルトの事は心配するなと、不敵な声で言ってみせた。

 

 

 すると、彼女の方から俺を離した。その目は瞳孔まで完全に赤く染まっていて、もう時間が無いことを悟らせる。

 

「……っ゛!」

 

 ユノアは自分の腰にある剣に伸びる右腕を、残った左手で咄嗟に握ることで抑え込んだ。右手を握りつぶしてしまう程に、その左手には力が込められていることが見て取れる。

 

 もはや意志ではなく、彼女の体が無意識に『最後の抵抗』をしているのだろう。

 自らの剣で、仲間を傷つけさせない為に。

 

 

 涙を流しながら未だに優しく微笑むユノアの気持ちを受け止め、俺はすぐさま彼女から離れてアルトの方へ向かった。

 

 既に魔物は全て倒しており、疲れたように息を吐いている。

 その彼の近くに、俺は懐から取り出した『トリデウスの隠れ家』へワープできる転移石を投げた。

 

 今にも襲い掛からんとするユノアから離れるには、もうこの手段しかない。

 トリデウスには「他の仲間を連れてくるのは駄目だ」と言われていたが、やむを得ない。

 

「ごめんっ、ユノア……!」

 

 石が割れて発生した人間サイズの魔法陣の存在を確認し、俺はアルトの服を掴みながらその中へと入っていた。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

「……で、ここへ来たと?」

 

「ごっ、ごめん。約束破っちゃって……」

 

 居間にある木椅子の上で溜め息をつくトリデウスに、頭を下げる俺。その傍らには、沈んだ表情のアルトがいる。

 

 今回のある程度の事情は、全てトリデウスに説明した。

 魔王の行動については彼もかなり引いていたが、あの方なら確かにやるだろうと呟いていた。

 

 

 トリデウスは魔王軍に残るのが嫌になって、この山奥の小さな小屋に逃げてきたのだ。

 そこで知人が再び魔王がらみの厄介事を持ってきたとなれば、溜め息の一つも出るだろう。

 

 しかし匿ってもらえそうな場所は、ここしかなかった。

 この山の周辺には人間はおろか魔物すら殆どいないので、隠れるにはうってつけだ。

 

 ……皮肉にも、最初からここへ逃げずにパーティの仲間を全員置いてきたことで、アルトを殺そうとする人間を連れ込むことはなかった。

 

 不幸中の幸い……そんな言葉も考えたくない。本当なら、仲間全員で一緒に居たかったのだから。

 

 

 頭の中で後悔を浮かべていると、トリデウスが声をかけてきた。

 俺にではなく、その隣の人物に。

 

「それにしてもお前……えぇと、勇者」

 

「……なにかな」

 

「今までゴーストが見えないまま、行動を共にしていたのか?」

 

 トリデウスの質問に、アルトは沈黙で返した。

 沈黙は、肯定。そう解釈したトリデウスは、再び溜め息を吐いた。

 

「呆れたのだ。見えない仲間を許容する勇者も勇者だが……」

 

 チラリと、俺に視線を向けるショタじじぃ。

 

「仲間に視認されてないって、相談しないお前もお前なのだ。言ってくれれば、ゴーストを視認化できるアイテムぐらい直ぐに提供できたのに」

 

 そう言いながら、トリデウスは近くの棚を漁り始めた。あれじゃないこれじゃないと呟きながら、ガラクタの様な道具をたくさん引っ張り出している。

 

 

 ……いや、その件に関しては、なんというか。

 

 確かに俺が見えていれば、やれることが増えていたかもしれない。

 ユノア以外にも視認できている人間が増えていれば、今回の騒動でも誰かが俺に適切な指示を出せた可能性だってある。

 

 紙に文字を書くか、ユノアに通訳してもらうことでしか皆とコミュニケーションが取れないのは、確かに悪手だったかもしれない。

 単純に時間のロスだし、仲間に視認させない利点など……正直ない。

 

 

 

 気にしていたのはアルトのことだ。もし仲間になったゴーストが俺だと分かれば、彼がどうなるのか分からなかった。

 

 俺のせいで挫折して、勝手に死んだ人間にむりやり鼓舞されて、また変に励まされて、長い間正体も隠された状態で……まって、ちょっと待って?

 

 俺めちゃくちゃ裏目に出るような事ばっかしてない? こんな事なら最初から正体を明かしとけば良かったのかな。

 

 確かにアルトが引きこもってる時に文面でそう告げるのはあり得ない選択だったかもしれないけど、トリデウスと知り合った後ならこの姿を見せることで強引に俺がラルだと証明できた。

 

 いや、でも……。

 

「なにやら考えているようだが、仲間にゴーストを置く以上視認できないことはデメリットでしかないのだ。……あぁ、これこれ」

 

 漁りながら話しかけてきたトリデウスは何かを見つけ、それをアルトに投げ渡した。

 受け取ったアルトは、その謎のブレスレットの様なものを怪訝な表情で見つめている。

 

「それを腕に装着すればゴーストを視認できるのだ。試してみるといい」

 

「……うん、わかった」

 

 さも当然の様に告げられたトリデウスの言葉に、アルトが素直に従って返事をした。

 

 

 

 ──え? あっ、え?

 

 ちょ、ちょっと待って?

 

 

「待て待て! ストップ! ちょっと待ってアルト!」

 

「お前の声は聞こえてないのだ」

 

 呆れたようにトリデウスが小さく呟いたが、それどころでは無い。

 

 そのブレスレットを腕に装着したら、俺が見えるようになってしまう。

 今まで隠していた幽霊の正体を、いとも簡単に暴かれてしまう。

 

 俺がラルだってバレたら……いや、どうなるか分かんないけど! このままあっさり知られちゃうのは良くない気が──

 

「あっ」

 

 俺の口から間抜けな声が出た。

 パチン、と音が鳴る。それはアルトが腕にアイテムを装着した、何よりの証拠。

 

 装着が完了した瞬間、黄色の小さな魔法陣が腕輪から浮かび上がり、アルトの両目に吸い込まれていった。 

 視認化の身体強化魔法が施されたことを確認したアルトは、すぐにキョロキョロと周囲を見渡し始める。

 

 

 そして首を左に向けた瞬間、彼を見ていた俺の視線と、アルトの視線が重なった。

 

 

「……」

 

 

「……ぁ、ぇっと……」

 

 

 何を言えばいいか分からず、言い淀んでしまう。

 そんな俺を見て、アルトは石のように硬い表情になっている。

 

 表情筋を動かさないまま、無表情で俺の目を真っ直ぐ見つめて動かない。

 

 数秒間そのままでいると、彼と目を合わせていることが気恥ずかしくなってしまい、無意識に目を右往左往させる。

 

 そのまま俺は少し口を閉じて黙り込んだ。

 

 

 ──しかし待てど暮らせど、彼からのアクションが来ない。

 その間の妙な空気のせいで居心地が悪くなり、小さく身じろぎしてしまう。

 

 落ち着かない。とても落ち着かない。なんだこりゃ。

 

「ぁの……アル、ト……?」

 

 恐る恐る小さな声をかけながら、上目遣いで彼を見た。

 

 

 

「───」

 

 

 

 その瞬間、アルトが白目を剥いて後ろにぶっ倒れた。

 

『わっ!?』

 

 それと同時に、俺とトリデウスの小さな悲鳴が重なった。

 

「きっ、急にどうしたのだ!?」

 

「大丈夫かアルトっ!?」

 

 

 二人して狼狽しながら、気を失ってしまった彼の傍へ駆け寄った。

 

 

 

 




勇者くん、情報量が多すぎて気絶


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うっさいバーカ!

 まだ朝日が昇らない夜明け前。その最も世界が暗い時間帯に、俺は隠れ家近くの草原を散策していた。

 

 隠れ家に二人を置いて、なぜこんな場所にいるのか───その答えは目の前に()()

 

 草原の中心にある大きな木の根元で足を伸ばしながら座っている、白髪の少女。彼女の持つ赤い眼は、夜だというにも拘らずしっかりと俺の目を見つめていた。

 

 光る赤色の瞳……つい数時間前に嫌という程見せつけられたそれが、再び俺の前に現れている。

 その事実に辟易しつつ、俺はその少女の元までゆっくりと足を進めていった。

 

 近づく俺に、彼女は手を上げて声をかけてくる。

 彼女の『その言葉』を聞くのは、これで三度目だ。

 

 

「こんばんは!」

 

「……こんばんは」

 

 

 ウンザリするようなこの返事も、これで二度目である。

 

 

 隠れ家で眠るアルトを見ていた時、突然頭の中で声が響いた。

 いわゆるテレパシーというやつで、内容はこの場に訪れること。

 

 その声に従ってみれば、予想通りそこには魔王がいた。怪しげに微笑みながら、木の根元に座り込んで俺を待っている。

 

 遠すぎず、近づきすぎず、数メートルの距離を置いて俺は足を止めた。

 俺の近くに行きたくない意志には気がついているようで、彼女も「それ以上は来なくていい」と言う。

 

 その言葉に少し安堵し、俺は口を開いた。

 

「何で俺を呼んだ」

 

 その言葉に、魔王は微笑を浮かべたまま答える。

 

「たぶん次で最後だから、今のうちに伝えたい事があってね」

 

「伝えたいこと?」

 

 復唱して俺が首をかしげると、魔王は腰元から何かを取り出した。

 

 彼女が手に持ったそれは鈍い紫色の光を発しており、夜ということもあってその存在感は嫌という程伝わってくる。

 

 

 見た限り、それは魔石だった。

 ……でも、ソレはどこか見覚えがあるような気がして。

 

 

 頭の中に一つの心当たりが浮かんだ瞬間、俺は「あっ」と声を挙げた。

 その様子を見て、彼女は魔石を見ながら喋り始める。

 

「思い出したかな? これ、ラルちゃんが死んだ遺跡に置いてあった、あの魔石だよ」

 

「……何でそれをお前が持ってるんだ」

 

 俺がそう言うと、魔王は小さく笑った。まるで俺が冗談を言ったような雰囲気になり、居心地が悪くなる。

 

 ふと思い返してみれば、確かにパーティの皆はあの魔石を持っていなかった。

 その事はあまり気になっていなかったし、そもそもあの魔石の事など質問していない。

 

 

 魔王は手に持った魔石を持ち上げて月明かりに当てながら、仕方なさそうに喋る。

 

「勇者くんたちが魔石も回収しないまま遺跡を出たの、ラルちゃんが死んだからだよ。アイテムの回収とか、それどころじゃなくなっちゃったみたい。だから念のため私が回収しておきました~」

 

 魔石を持った手を振りながら首を傾ける魔王。

 

 相変わらず飄々としているその態度に嫌気が差す。こいつとまともに会話するべきではないと、脳が告げている。

 

 俺はわざと面倒くさそうな声音で、彼女の声を遮るように言葉を発した。

 

「その魔石がなんだってんだ。早く用件を言ってくれ」

 

「やーん、ラルちゃんせっかち。すぐに続きは話すってば」

 

 言い終えると魔王は腰を上げて立ち上がった。

 

 そしてその場で軽く跳躍し、木の上の方にある枝に着地してそこに座り込む。どうやら物理的にも見下したまま話をしたいらしい。

 

 睨みつけるように上を向いて魔王の顔を見れば、彼女はすぐさま口を開いた。

 

 

「むかしむかし、そのまた昔のことです。地上には神様の使いである、神秘の精霊という存在がいました」

 

 子供に昔話を読み聞かせるように、何かを語り出す魔王。

 

 突然何を言いだすんだ、なんて感情はもう湧かない。黙って話を聞いた方が、コイツとのコミュニケーションも直ぐに終わる筈だから。

 

 

「神秘の精霊はとても特別な存在です。力強い勇気や素晴らしい優しさを示した人間を大層気に入り、その人間には何でも一つだけ願い事を叶えてやる機会を与える、寛大な精霊でした」

 

 怪しく紫色に光る魔石を軽く上に投げては、落ちてくるそれを再び掴む。

 そんな遊びを繰り返しながら、魔王は話を続ける。

 

「しかし世の中には、昔からわるーい者たちがいました。人間も魔物も関係なく、精霊の力に魅了された悪しき者達は……恐ろしい計画を企てたのです」

 

 

 それが、これ。

 

 

 魔王は手に持った魔石を前に突きだし、それを俺に見せつけた。

 彼女の言っている意味を察することが出来ず、俺は怪訝な表情になる。

 

 それを見て、魔王は困ったような顔になった。

 察しが悪い子だね、とも言われた。うるさいですね……。

 

「要するにね、昔の人は神秘の精霊の力を抜き取って、その力を特別な魔石に封印したの。妖精に気に入られなくても……願い事を叶えられるように、ね」

 

「……えっ、ちょっと待て。じゃあその魔石って──」

 

 

「うんっ、そう! これは遥か古代に作られた神秘の魔石の……現存する最後の一つ。全ての法則を捻じ曲げてあらゆる事象を()()()()引き起こせる、古代兵器だよっ!」

 

 

 無邪気な笑顔でとんでもないことを暴露しやがる白髪少女。

 

 告げられた事実があまりにも突拍子もない事で、思わず唖然としてしまった。

 ぽかん、と口を開けたままの俺に、魔王は構わず話を続ける。

 

「はい、ここでクイズです」

 

「……くっ、クイズ?」

 

 俺が聞き返すと、魔王は魔石を懐にしまい込んだ。

 そして再び、その光る赤い瞳で俺と視線を重ね合わせる。

 

「私が全世界にかけた呪いは『私が死んでも』解呪されることはありません」

 

 当たり前のように、あっけらかんと告げる魔王。

 

 

 ……は?

 

 

「え?」

 

 

 俺の疑問の声を相槌と勘違いして、彼女は構わず続ける。

 

「そして私は何があってもこの魔法を解呪するつもりはありません。それこそ死の間際であっても、です。……さて、では世界中に蔓延した呪いを解呪するには、どうすればいいでしょーか!」

 

 回答時間は一分です、と続けた魔王はそこで話を止めた。

 

 

 ニコニコしたまま見下ろしてくる彼女の顔を見ていれば、先程の発言が本気だという意志が否が応でも伝わってくる。

 たとえ自分の命を天秤に掛けられたとしても、迷わず『解呪しない』選択をすると、そう言った。

 

 ではどうすれば呪いを解くことが出来るのか?

 その答えは考えるまでもない。先程からの会話の流れで、既に回答は出ているのだから。

 

 

 それにしても、なにあっさりと『全世界にかけた呪い』とか言ってるんだコイツ。

 本当にあの指パッチンで、あの街だけじゃなく全世界を操ったって言うのか?

 

 勿論、それがハッタリだという可能性もある。俺たちをビビらせたいだけなら、そういう嫌がらせも考え付くだろう。

 実は呪いにかかったのは水上都市の人間だけで、他の地域は無事……と、そこまで出た辺りで考えるのを止めた。

 

 相手は魔王、その手には世界を変えうる力を持った古代兵器。

 今更呪いの規模で嘘をつく必要がない。わざわざ確認しに行って痛い目に合うのも馬鹿らしい。

 

 

 はぁ、と深い溜め息を吐き、赤い瞳で俺を見下ろしている少女に答えを告げた。

 

「……お前を殺して神秘の魔石を奪う。そして魔石に呪いの解呪を願うんだ」

 

「ピンポーン! 大正解!」

 

 俺の答えに満足したのか、魔王は楽しそうに返事をした後、木の枝から飛び降りた。

 そして俺の目の前に着地して、笑顔で「賞品はないけどね!」と一方的に言ってくる。

 

 その態度に少しイラついたが、なんとか感情を表に出すことなく飲み込んだ。

 

 別に文句の一つや二つを言ったとしても、こいつは流すだろう。だが怒りを表したところで、どうせそれを逆手に取って煽ってくるだけだ。余計にストレスを感じる必要は無い。

 

 

「じゃ、言いたいことは伝えたし帰ろうかな」

 

 ジッと俺を見つめていた魔王はあっさりと視線を外し、自分の後ろに大きな魔法陣を展開した。以前にも見たことがある、転移の魔法陣だ。

 

 本当にマイペースな奴である。自分の用事が終われば、相手のことなど気にせず即退散。身勝手が過ぎる。

 

 

 彼女をこのまま帰すのは、なんだか負けた気分になる。……ほぼ負けているような状況だが。

 だが、なんだか気に食わない。問題には答えてやったんだし、俺も一つぐらい質問したっていいだろう。

 

 白髪を揺らしながら魔法陣へと歩を進める少女を、大きな声を挙げて呼び止めた。

 

「おいちょっと待て!」

 

「ん?」

 

 俺の声に反応し、魔王は足を止めた。

 そして振り返った彼女は、再びその赤い瞳で俺の目を見る。

 

 俺はそのまま言葉を続けた。

 

「何でこんなことをするんだ。勇者を苦しめるのが目的か? それとも俺をからかいたいだけなのか? ……お前、本当は何がしたいんだ」

 

 自分を見つめている赤い眼を睨み返しながらそう告げた。

 どうしても今、未だに不明瞭なこいつの『本当の目的』が聞きたかった。

 

 

 勇者を倒す。それなら俺をスカウトしに来た日にでも、寝込みを襲えば一発だった。

 人間に勝利する。そんなこと今回の洗脳を『勇者を殺す』ではなく『自分に従う』といったものに変えれば良いだけである。

 

 ……まさか、楽しみたいだけ、とか言わないよな。

 いや、コイツなら言いかねないけども。

 俺やアルトの苦しむさまを眺める為だけに、世界中の人間を操った……だなんて、いかにも魔王が言いそうなことだ。

 

 

 ゴチャゴチャと奴の目的を頭の中で勘ぐっていると、魔王は少しだけ目を伏せた。

 ほんのちょっとだけ迷っているかのように、下を見ながら無表情で逡巡している。

 

 気持ち悪いくらい無邪気な笑顔だったり、怪しげな微笑みだったりと、常に楽しそうで余裕あり気な雰囲気を崩さない魔王の意外な表情を目の当たりにし、思わず唾を飲んだ。端的に言って不気味だと感じたからだ。

 

 

 すると魔王は「まぁ、いっか」と極めて小さく呟くと、再びその赤い視線を俺と合わせた。

 その表情はいつも通りの、怪しげな笑みだ。

 

 

「私の目的は楽しんで死ぬことだよ」

 

 

 特に含みのある言い方ではなく、さも当然のことの様に言ってのける魔王。

 あまりにも普通に告げられ、言い返そうと考えていた言葉を忘れてしまった。

 

 つまり、俺は黙ってしまった。

 

 

 楽しむ。そこは予想通りだった。

 しかしながら『死ぬ』という部分が引っかかる。どうしてもこの部分が無視できない。

 楽しんで、死ぬ。その言葉の意味が分からず、何も言い返せなかった。

 

 

 そんな俺に構わず、彼女は続ける。

 

「実は私ね、妹がいるんだ。誰にでも優しくて虫も殺せないような、そんな子」

 

 俺が望んだ以上の情報を急に告白する少女。

 頭の整理が追いつかず、ただ彼女の言葉をそのまま聞くだけしかできない。

 

「でもちょっと事情があって。私が生きてる限りあの子は幸せになれないんだ。だから本当なら今すぐ死んでもいいぐらいなんだけど───」

 

 そこまで言いかけた辺りで、魔王は楽しそうな笑顔に変わった。

 その歪んだような笑みは、つい数時間前に見たあの醜悪な表情を思い出させる。

 

 

 自分の都合で世界を悪しき形に書き換え、それを楽しむ身勝手な悪魔の笑顔。

 

 

「それはそれとして、自分の人生も楽しみたいなって。だから一番良いのは───私が楽しいまま死ぬことなの! 壊れていく世界と必死な勇者くんも見れたし、中々楽しかったなぁ!」

 

 屈託のない笑みで言ってのける()()

 その発言と表情で、彼女が決して分かりあえない存在なのだとハッキリ認識させられた。

 

 自分が楽しむために世界を変え、その責任を取ることもなく身勝手に死ぬ。

 彼女がしたいと言っているのは、いわゆる勝ち逃げだ。自分にだけ都合がいい最高の選択肢。

 

 

 物申したい気持ちが込みあがってきて、俺の口は遂に開かれた。

 

「……じゃあお前、このあと勇者にわざと殺されるってことか?」

 

「え? 違うよ~」

 

 やだなぁ、ラルちゃんったら。そんな風に冗談めかしながら俺の胸の中心を指でつつく。

 何だか表現しきれない殺意がこみ上げてくるのを感じ、右手で彼女の指を振り払った。

 

 明らかな拒否反応と嫌悪の表情をされているにも拘らず、魔王は素知らぬ顔だ。

 

「私が死ぬのは『負けたとき』って決めてるから。本気で戦うつもりだし、勇者くんたちが私に勝てないようなら……また別の楽しみを見つけるだけだよ」

 

「別のって──あっ、おい!」

 

 俺が言いかけた辺りで魔王は踵を返し、魔法陣に向かって歩き出す。

 

 そしてその体が完全に魔法陣の中に溶け込む寸前に、彼女は振り返って大声を上げた。

 

 

「一週間後にあの遺跡の中で待ってるから! そこで決着つけようねー!」

 

 

 まるで子供同士が遊びの約束をするかのように無邪気にそう叫ぶと、その姿を魔法陣の奥へと消した。

 程なくして彼女が発生させた魔法陣は消え去り、その場には俺だけが残される。

 

 一週間後、あの遺跡で。

 その一方的に結ばれた約束は、恐らくタイムリミット。

 

 約束を破ったら……なんて考えるだけ無駄だ。

 どのみち、此方にはあの歪んだ子供の遊びに付き合う以外の道など、残されてはいないのだから。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 隠れ家に訪れてから半日。あの最悪な夜明けを迎えた日の、昼ごろ。  

 清々しいくらいに澄み渡る青空と、暖かな日差しを与えてくれる太陽。

 

 狂った人類と重苦しい状況に反して、世界は平和な晴天そのものだった。

 

 そんな青空のもとで、隠れ家近くの草原に腰を下ろしている少年が一人。彼がいるのは、数十時間前に魔王が座り込んでいた大樹の根元だ。

 

 木の枝から生え広がっている大きな葉がちょうど日陰になり、大樹の根元はちょうどいい休憩場所となっている。

 そこで涼しげな風を感じながら、少年──アルトはただ空を見上げていた。

 

 

 その様子を遠くから見ているのは、当然俺だ。

 

 今俺の手には少し大き目のバスケットが握られている。

 時間帯で言えば昼。そして彼はまだ昼食をとっていない。

 

 ということで、彼に食べてもらうためにサンドイッチを作ってきた。意外にもトリデウスの隠れ家は食材が豊富だったので、レパートリーと量は沢山ある。

 

 避難先と食料の提供……と、今回ばかりは彼に頭が上がらない。戻ったらアイツの分の昼食も作ってあげよう。

 

 

 頭の中で何の料理をするか考えつつ、バスケットを両手に持ってアルトのもとへ飛んだ。

 相変わらず彼はトリデウスの発明品を身に付けているので、近づいてくる俺にもすぐに気がついた。

 

 すっとアルトの隣に座り、前にバスケットを置く。

 程なくして、俺から自然に会話を切り出した。

 

「これ、昼飯作ってきたんだ、サンドイッチ。昔お前が作ってくれたやつより美味しいぞ」

 

 なるべく明るい声音で告げながら、バスケットの蓋を開いた。中には宣言通りサンドイッチがぎっしり詰めてあり、二人で食べるにしてもかなりの量だ。

 

 俺が開いたバスケットの中身を、アルトが覗いた。

 そして数秒ほど考えるような仕草を取った後、ボソッと声をかけてきた。

 

「……ラルって、ご飯食べられるの?」

 

「──あ゛っ」

 

 サンドイッチを手に取った瞬間に言われ、思わず変な声が出た。

 

 

 アルトに言われて思い出したが、俺は食べ物を口の中に運ぶことができない。入れようとした瞬間にすり抜けてしまうのだ。

 

 鼻歌なんか歌いながら夢中で料理をしていたので、その事を失念していた。

 つまりこの大量のサンドイッチは、全てアルトの分ということになる。

 

「ご、ごめん……残してくれていいから」

 

 申し訳なさそうに手に取ったサンドイッチをバスケットに戻そうと───した手を、アルトが握ってきた。

 急に手を握られ、思わずびっくりしてしまう。

 

「わっ! な、なに……?」

 

「食べるよ、全部」

 

 落ち着いた声音で言ったアルトは、俺の手からサンドイッチを優しく取った。

 そしてそれを口に運び、深く味わうように咀嚼をしている。

 

 そんな彼を、無意識に俺は観察し始めた。

 

 

 やつれた瞳、ボサボサの髪、瘡蓋になっている頬の切り傷。

 どれを見ても彼が普通の状態ではないとすぐに分かる。

 

 気絶してそのまま眠った彼は、何やら悪夢のようなものに晒されていた。今もまだ疲れている状態なのだろう。

 

 しかしアルトは何度もバスケットの中に手を伸ばし、黙々とサンドイッチを食べ続けている。

 

 

 ……無理をしているんじゃないか。そんな風に少し心配していると、アルトが噎せた。唾液などの水分をよく吸収するパンを勢いよく食べているせいだ。

 俺はすぐさまバスケットの中から水筒を取り出してアルトに手渡した

 

「ほら、水」

 

「んぐっ、けほっ! ……ごっ、ごめん」

 

「急いで食べなくてもいいって。今は他に誰もいないし、ここは落ち着いていい場所なんだから」

 

 軽くアルトの背中をさすりながら、宥める様に告げる。

 

 身も心も限界である今の彼に、強い言葉など言えるはずがない。

 エリンとファミィが助けてくれて、ユノアに託されたんだ。俺がアルトを支えないと。

 

 

「……ねぇ、ラル」

 

 水で喉の異物を流し込んで落ち着いたアルトが、ふと声をかけてきた。

 なんだ? と彼の方を向くと、その目は俺ではなく真っ直ぐに前を見つめていた。

 

 なおも疲れたような眼で、それでも力強く前を向いている。

 

「君に告げた通り、魔王が本当にあの遺跡で待っているなら……僕は迷わず戦いにいくよ」

 

「……アルト」

 

「だから、そんなに心配そうな顔しないで」

 

 優しくそう言ったアルトが、俺の方を向いて微笑んだ。どうやら今の俺の顔は、自分の想像以上に情けない表情になっていたらしい。

 

 

 

 今まで勇者として積み上げてきた信用も、街を救って得た大勢からの信頼も、苦楽を共にしてきた唯一無二の仲間たちすらも、その手から零れ落ちて。

 

 世界中の人間が自分の敵に回っても、折れずに戦うと言っている。もう一度立ち上がれると、そう告げている。

 

 でも、その瞼は僅かに揺れていて。その手は少しだけ震えていて。

 それだけで、彼が強がっているのだと分かった。無理をしているのだと、察することができた。

 きっと俺でなくても、パーティの皆なら気がつくだろう。近くにいた人間ならば、今の彼を見ればすぐに分かる。

 

 

 しかし、ここにあのパーティの皆は居ない。ここに居るのは、食べ物も食べられないし、ロクに戦えもしない、無力な幽霊(ゴースト)の俺だけだ。

 

 

 ──自分にできること。

 

 それを考えていたらいつの間にか俺は、隣に座っているアルトの手を握っていた。

 まだ残留する恐怖を表すその震えを抑え込むように、ぎゅうっと握る手に力を込めた。

 

「なぁ、アルト」

 

 声をかけ、真っ直ぐ彼の瞳を見つめる。その瞼はまだ僅かに揺れている。その手は未だに震えている。

 俺が手を握ったとしても、完全に恐れが無くなるわけではないだろう。そんな事は当然だ。

 

 

 恐怖を消すことはできない。なら、一緒に背負うしかない。

 

 彼が強がるというのならば、俺も一緒に強がってやる。

 

 仲間がいないなら、託された分まで俺が一緒に戦う。

 

 

 今度こそ───アルトの隣で。

 

 

「勝手気ままなあのクソガキ、俺たちでぶっ倒そう」

 

 

 不敵な笑みを浮かべて、彼の瞳を見つめながら強く告げる。

 それを聞いたアルトも、すぐに強気な表情に変わった。

 

「あぁ、もちろん。必ず勝ってみせるさ」

 

 強く握っている俺の手を、彼も握り返す。

 そして再び正面を向いた彼に続いて、俺も真っ直ぐに前を見つめた。

 

 

 アルトには聖剣がある。俺にはこの身体がある。これだけあれば十分だ。

 きっと、大丈夫。俺たち二人なら。

 

 

 気分が高揚していく。

 止まった筈の心臓が、強く高鳴っている。

 

 ……死んでるはずなのに、顔が熱い。

 

 

 

「ラル。きみが隣にいてくれるのなら……僕は絶対に負けない」

 

「……う、うん」

 

 今だけは恥ずかしくても彼の言葉を受け入れなければ。

 いや、雰囲気的にバカとか言えないし……。

 

「きみがいれば、無限の力と勇気が湧いてくるよ」

 

「……ぅん」

 

 先程よりも小さい返事をした。恥ずかしいけど、返事ができてるだけ偉い。

 

「大切な人が手を握ってくれるだけで、こんなにも安心できるなんて知らなかった」

 

「………ぅ」

 

 アルトが安心できてるならそれに越したことはない。

 ……ない。ないったらない。ない……はず。

 

「まるで恐れを感じないよ。きみの存在が、僕の恐れを打ち消してくれるんだ」

 

「……」

 

 はず……はずぅ……。

 

 

「昔からきみには世話になってばかりだ。本当にありがとうラル。……今、僕の隣に居てくれることが、どれだけ嬉しい事か───」

 

「わっ、わぁーっ! うるさいうるさいっ! それ以上喋んなバーカ!!」

 

 

 ここで叫んだ俺は悪くない。

 ……俺はわるくない! お前ちょっとだまれ!?

 

 



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ごめんな

 魔王と約束を交わした日から、ちょうど一週間。

 俺とアルトは草原に並んで立ち、その様子を後ろでトリデウスが見ている。

 

 目の前にはトリデウスの遺跡に通じている転移の魔法陣が展開されており、これからここを通って魔王のもとへ赴くのだ。

 

 この一週間で、出来る限りの準備はした。俺も多少は戦えるようにと、トリデウスにいろいろ用意してもらった武装もある。

 

 それにアルトと俺の指には、催眠術を無効化する特殊な指輪がはめられている。元魔王軍幹部のお墨付きなので、これで魔王の催眠にかかる心配はない。

 

 やれることはやった。

 あとはアイツと戦うだけだ。

 

「……勇者、それにソルドット」

 

 後ろにいるトリデウスが声をかけてきた。振り返れば、そこには不安げな表情の彼が。

 俺は一瞬だけ隣のアルトと目を合わせ、トリデウスの傍へ近寄った。

 

 目の前にいる幼い姿をした老人は、なおも不安感が拭い去れない表情のまま告げる。

 

「正直、勝算は五分五分……今の精神状態の勇者が扱う聖剣なら、確かに希望はある。でも、やはり相手は魔王。きっと無事では済まないのだ」

 

 気を落としているように喋る彼の肩に、俺は手を置いた。

 そしてトリデウスが顔を上げた瞬間、彼を優しく抱擁する。

 

 そのまま友人の耳元で、俺は口を開けた。

 

「それでもお前は味方になってくれた。ありがとな、トリデウス」

 

「……礼はいらないのだ、友達なのだから」

 

 そっと抱き返してくるトリデウスの背中を、優しくポンポンと叩いた。これで最後になるかもしれないので、彼を安心させてから行きたかった。

 

「気にしすぎなのだ、ソルドット。吾輩はとうに覚悟はできている、だから心置きなく行ってくればいい」

 

「……わかった。じゃあ、もう行くよ」

 

 トリデウスから離れ、再び魔法陣の近くへと行く。

 

 彼は俺たちとは一緒に来ない。あくまで俺が願ったのは手助けで、これ以上彼を巻き込む訳にはいかないからだ。

 魔王軍から抜け、平穏な生活を送っている彼をこれ以上邪魔してはいけない。

 

 もしまたこの隠れ家に来ることがあれば、それは俺たちが魔王を倒して無事に世界を修復した時だ。

 

 

 覚悟の炎を心に宿し、アルトと頷き合う。

 

「行こう、ラル」

 

「ああ」

 

 どうやらアルトはとっくに準備万端だったようだ。

 その事に安堵し、俺たち二人はトリデウスに見送られながら魔法陣の中へと足を運んで行った。

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 かつて俺が命を落とした、遺跡の最奥に位置する大広間。

 

 そこで繰り広げられているアルトと魔王の戦闘は、拮抗の一言だった。

 

 魔王はアルトと同じような大剣を携え、接近戦で彼と戦っている。

 

 剣の腕ではアルトに分があるように見えるのだが、魔王が不可思議な動き方で戦うせいか、未だ決定打を与えられずにいた。

 

 

 俺はと言えば、魔王が空間内にいくつも展開した魔法陣から召喚される魔物たちと戦っている。

 

 どいつもこいつも雑魚モンスターなのだが、些か数が多い。俺がコイツらを食い止めないと、魔物は一直線にアルトへ向かっていく。

 

 彼ならばこんな魔物たちなど造作もないが、問題はそこではない。

 いま魔王と真正面から戦っている彼が他の魔物に襲われてしまったら、アルトに明確な『隙』が生まれてしまう。

 

 常に脳をフル回転させながらの状態で、やっと魔王と互角なのだ。そこに横槍を入れられて隙を見せてしまえば、それはすなわち死を意味する。

 

 

 つまり今の俺の仕事は、なにがなんでも二人の戦いを邪魔させない事だ。

 ……なのだが。

 

「くっそ、数が多すぎる……!」

 

 悪態をつきながら短剣を振るい、目の前のゴブリンを殺す。そしてすぐさま浮遊し、二人の戦いに割り込もうとする蝙蝠を捕まえて短剣で刺殺した。

 

 なおも溢れてくる魔物たちに辟易しつつ、休む暇などないと大広間中を駆け巡る。

 

 展開されている魔法陣は三つ。天井に一つ、入り口付近に二つだ。

 

 地上に出現するゴブリンやオークを倒しつつ、空中に現れる飛翔生物にも対応しなければならないので、これじゃ体が幾つあっても足りない。

 

 なんとか意地で持たせているが、このままじゃジリ貧だ。どう考えても此方の数が少なすぎる。

 早めにアルトが魔王を追い詰めてくれれば、多少は希望が見えてくるのだが。

 

 

 ゴブリンの首にまとわりついて短剣を首に刺し、懐から取り出した小型爆弾を空中に投げて飛翔生命体を一気に焼き尽くす。

 そして少し魔物の侵攻が落ち着いた隙に、俺はチラリと二人の方を向いた。

 

 そこではアルトが魔王を蹴飛ばし、彼女を壁に追い詰めていた。

 ここぞとばかりに、アルトは剣を構えて彼女に向かって突進する。

 

「これでっ!」

 

「ひどいなぁ、女の子を蹴るなんて……!」

 

 不敵に笑った魔王は臭いセリフを放つと、右手からエネルギー弾のようなものを発射した。

 突進していたアルトはそれを避けることが出来ず、聖剣でそのエネルギー弾を弾き飛ばした。

 

 ──しかしその行動は、アルトに隙を与えてしまう。

 

「ほうらっ!」

 

「ぐっ!」

 

 一瞬の虚を衝き、魔王は飛び膝蹴りをアルトの顎に浴びせた。

 まともな攻撃をくらってしまったアルトは、蹴りの勢いに抗うことが出来ず後方に数歩後ずさってしまう。

 

 その瞬間、怯んだアルトの右肩に向かって魔王が剣を振りかぶった。

 

 何とかそれに気がついたアルトは防御魔法を右に展開し、魔王の剣をそれで受け止める。

 しかし彼女の狙いはそこでは無かったのか、そのまま空いた手でアルトの右手を殴りつけた。

 

「なにっ!」

 

 ガキンッ、と金属同士がぶつかり合ったような音が鳴り響いた。

 すると、アルトの右手から何かが地面に向かって落ちていく。

 

 あれはトリデウスに貰ったアンチ催眠の指輪だ。

 アレを壊されてしまった今、アルトは魔王の催眠魔法に対して、あまりにも無防備。

 

 

 それを理解した瞬間、俺はその場から超スピードで飛び出した。

 

「指輪が──」

 

「隙ありだよ」

 

 勢いのある剣の攻撃で怯んでしまったアルトに向けて、右手を突きだす魔王。

 そして魔王の右手に魔法陣が展開された瞬間───

 

「アルトっ!」

 

 間一髪で間に合った俺がアルトに憑依し、思い切り地面を踏み込んで後方へ跳ぶことで彼女の催眠を回避した。

 

 

「あれま、ゴーストって飛行速度けっこう速いんだね」

 

 残念ざんねん、などと呟いた魔王は、右手で展開した魔法陣を消した。

 

 その様子を見た後、俺はすぐさま憑依を解除する。

 アルトは汗をかきながら、隣にいる俺の方を向いた。

 

「ごめんラル、助かった」

 

「いいからこれ付けろ!」

 

 俺は自分の指からアンチ催眠の指輪を外し、アルトに投げ渡した。離れて魔物と戦闘している俺はともかく、間近で魔王と戦闘している彼にとってこの指輪は生命線でもある。これが無い状態での戦闘などしてはいけない。

 

 アルトが俺の指輪をはめたことを確認し、すぐさま俺は浮遊して天井の魔法陣へと向かっていった。

 彼の助けに入った時間分、魔物がまた増えている。カバーできない事態になる前に片付けなければ。

 

 

 ──そう思いながら懐から爆弾を取り出した俺の脳内に、ふとトリデウスの言葉がよぎった。

 

 

 一日に絶対三度以上の憑依をしてはいけない。

 

 

 基本は一回のみで、どうしても緊急的に行わなければならない場合であろうと、許容範囲は最高で二回。

 

 もし三度目の憑依をした場合、幽体として活動が出来るか分からなくなってしまう。

 

 彼に念を押された部分を思い出し、焦りが生まれてしまった。

 

 

 そう、先程使ってしまったのだ。一度目の憑依を。

 本来ならこの戦いでは使いたくなかったのだが、やはり使用せざるを得なかった。

 

 つまり俺は、後一度しか憑依できない。

 その残りの一回ですら、体に大きな負担を与えるのだ。もう気軽にこの技を使うわけにはいかない。

 

 

 ……さっきアルトを助けたあの場面、よく考えれば彼を突き飛ばすだけでも良かった。

 アルトのいた位置に俺が来ることになるが、指輪を付けていたから洗脳される心配もなかった筈。

 

「ほんっとに駄目だな、俺……」

 

 溜め息を吐きながら、空中に爆弾を放り投げた。そして爆発と同時に、地上の魔物へと向かって飛んでいく。

 

 なんというか、盗賊として極力戦闘を避けて生きてきたツケが回ってきたように思える。

 そのせいで戦闘中の緊急的な判断に疎い、ということが分かった。これでは足を引っ張る一方だ。

 

 

 

「よーし、そろそろ本気出しちゃうね」

 

 魔王が小さくそう呟いた瞬間、俺の目の前にいたオークが瞬間的に姿を消した。

 

「っ!?」

 

 攻撃対象を失った腕は、短剣を持ったまま宙を切る。オークに突進する勢いだったので、目の前に誰も居なくなった俺はそのまま勢い余って転んでしまった。

 

「いてて……」

 

 地面に強打した肘をさすりつつ、ゆっくりと立ち上がる。

 

 

 魔王が喋った瞬間、唐突に魔物が消え去った。その因果関係が理解できず、俺は首を振って周囲を見渡す。

 

 

 気がつけば、入り口近くにあった二つの魔法陣も、天井にあった召喚用の陣も、広場に大勢闊歩していた筈の雑魚モンスターたちも───その全てが姿を消していた。

 

 

「何が起きてんだ……?」

 

 訳が分からず、呟きながら視線を魔王の方へと向けた。

 広場の中央、そこにいる魔王は左手を真横に突き出しながら笑みを浮かべていた。

 

 魔王の行動から来る嫌な予感はアルトも感じているようで、彼は既に防御用の魔法陣を前に展開している。

 その様子を見ていると、アルトが俺に声をかけた。

 

「ラルもこっちに!」

 

「あっ、あぁ……」

 

 小さな返事をしつつ、すぐに近寄ってアルトの背中に隠れた。魔法陣のシールドも展開してあるし、警戒態勢はこれでとりあえず大丈夫なはず。

 

 

 二人して身構えながら魔王を警戒していると、彼女は俺たちを鼻で笑った。

 

 

「プフっ。別に範囲攻撃とかじゃないよ、これ」

 

「なに?」

 

 アルトが怪訝な表情に変わった途端、魔王は真横に伸ばしている左手の先に魔法陣を展開した。

 その大きさは、成人男性一人分。色からしてアレは召喚魔法だ。

 

「私の一番お気に入りの子を召喚するんだ。でも、この子燃費が悪くって。他の召喚陣を三つも展開してたら魔力が足りなくなっちゃうの」

 

 そう告げる彼女の左手の先の魔法陣から、ゆっくりと何かが這い出てくる。

 

 出てきた人型の生命体はその両足で立ち上がり、大きな眼で俺たちを凝視した。

 

 

 武装をした、身長約3メートルの巨大オーク。その大きな影が俺たちにかかると同時に、その姿に既視感を覚えた。

 

 

 アレは水上都市ゼムスで勇者パーティとゼムスの人々が総出で戦って、ようやく倒すことができた史上最大の敵。

 

 ……あの『タイタン将軍』と目の前の巨大オークが、瓜二つなのだ。

 

 

 現れたオークの姿に目を奪われていると、魔王が突き出していた左手を下げた。

 そして召喚したオークの体を少し撫でながら、此方へ首を向ける。

 

「ふふ、懐かしいでしょ。たった一週間前だけどね」

 

「……タイタンは僕たちで倒したはずだ」

 

「もちろんあの子じゃないよ? 隣にいるコレはただの模造品。戦闘能力で言えば私より強かった本物と比べると……まぁ、少し劣るね」

 

 

 そう彼女が小さく呟いた瞬間───巨大オークが棍棒を手に持ってこちらに飛びかかってきた。

 

『グモォォッ!』

 

 オークの棍棒はアルトが展開していた魔法陣を容易く打ち砕き、地面に激突する。

 

 その場で踏みとどまったアルトとは反対に、その影響で生じた余波で俺は容易く後方へ吹き飛ばされてしまった。

 

「おわっ!?」

 

 勢いよく壁に叩きつけられ、口から体内の空気が全て漏れ出るような感覚に襲われる。

 

「かっ、は……!」

 

 目で追えない速度での、突貫。

 あまりにも素早い不意打ちで、俺とアルトが切り離されてしまった。

 

 

 

「はい、二対一だね。勇者君が一人じゃ敵わなかった強敵のコピーと、私。まぁもしかしたらこの子単体なら負けちゃうかもしれないけど、そこに私が加われば負けないでしょ」

 

「くっ……!」

 

「よーし、いっくぞー!」

 

 無邪気な声で叫んだ魔王がその場を駆け出し、棍棒と聖剣で鍔迫り合いをしているアルトとオークの間に割って入る。

 

 魔王はそこから大剣をアルトの脇腹へ向かって突き出した。

 

「もーらい!」

 

「──まだだっ!」

 

 アルトが叫んだ瞬間、聖剣の刃の部分が眩い光を発した。それと共に、魔王の剣がアルトの体に突き刺さる。

 

 

 しかし、魔王は怪訝な表情に変わった。

 

「あれ、手応えがない」

 

「隙ありだ!」

 

 固まってしまった魔王の横に、いつの間にかアルトがいた。

 そのアルトが聖剣で魔王を斬りつけ──

 

『ブゴォォッ!』

 

 その聖剣をオークが棍棒で防ぎ、そのまま魔王を抱えて後方に退避した。

 よく見れば、魔王に刺されたはずのアルトが光の粒子となって消えている。……なんだあれ。

 

 訳が分からず唖然としていると、魔王が手の甲で額の汗を拭いながらため息を吐いていることに気が付いた。

 

「ふう、冷や汗かいちゃった。まさかあの一瞬で粒子の残像を作り出すなんてね」

 

「簡単にやられはしない……!」

 

「……ま、見た感じその技、何度も使えるようなものじゃないし。今度は真正面から私たち二人の攻撃───受け止めてみて?」

 

 

 すかさず魔王はその場を飛び出し、それと同時にオークも地面を揺らしながらアルトへ向かって駆け出した。

 

 あっという間に彼との距離を詰めた二人は、大剣と棍棒による怒涛の攻撃を繰り出す。

 

「早い……!」

 

 アルトは先ほどの粒子など出す暇もないのか、魔王の宣言通り二人の猛攻を正面から聖剣一つでいなすことになった。

 

 しかし躱しきれない攻撃はアルトの二の腕や太ももなど、防ぎづらい箇所に届く。

 

 今はまだ掠っているだけだが、それも少なからずダメージであることは間違いない。

 

「アハハッ、勇者君ったら本当に防いじゃってるし! すごいねぇ!」

 

「くっ、そ──!」

 

 楽しそうに攻撃を繋げていく魔王とは対照的に、アルトの表情が険しくなっていく。

 

 この状況はどう考えてもアルト側の不利だ。防ぐことで手一杯の彼とは違い、魔王は若干の余裕がある。

 たとえアルトからのカウンター攻撃があったとしても、隣にいるオークが防ぐか庇うので自分の攻撃に集中できる……という余裕だ。

 

「はいそこ!」

 

 アルトは重い攻撃の連続で若干怯んでしまい、その隙を狙って魔王が彼の胸を正面から蹴り飛ばした。

 

「ぐぁっ!?」

 

 その一撃は先ほどまで振るっていた剣にも劣らない威力で、蹴られた衝撃によりアルトは後方吹き飛ばされ地面を転がる。

 

 地面にうつ伏せなアルト。これは明確な隙だ。

 

「トドメいくよー!」

 

『ブブモゥ!』

 

 そう叫んだ魔王と共に、オークまでもが倒れている彼のもとへ駆けていく。

 

 アルトも聖剣をしっかりと握っているが、迎撃するには立ち上がらなければならない。

 

 

 俺が今すぐこの場から超スピードであそこまで飛んで行ってアルトを突き飛ばせば、一応は助かるかもしれない。

 

 しかし魔王は俺を視認できる。つまり彼女の剣は俺の体を切り裂くことができる、というわけだ。

 

 

 ……やっぱり、憑依するしかないか。あのオークの体を使って魔王の攻撃を防ぐことができれば、あるいは。

 

 幸い、魔王が呼び出したオークは生物。つまり俺が憑依できないゴーレムのような無機物ではない。

 見るからに知能といったものを持ち合わせているようには見えないし、となれば意志の力もそこまで強くはないはず。

 

 タイタン将軍のように精神が強い人物の場合は憑依がはじかれてしまう可能性もあるのだが、あのオークはあくまで自我のない模造品。普通の人間に憑依するよりも簡単だ。

 

 それに俺があのオークの体を自分のものにできれば、今度は逆にこちら側が数で優位に立てる。やらない理由などない。

 

「……っ!」

 

 一瞬迷いが生じたが、なんとか噛み殺して俺はその場を飛び出した。

 

 

 ──北の町でファイアナイトと戦ったあの日、俺は四回も憑依を行った。

 

 

 ファミィとアルト、魔物やリンちゃんの身体をあの日だけで全て行き来したことで、俺の幽霊としての寿命と能力は大幅に激減し、弱体化したのだとトリデウスは語った。

 

 今の弱った俺の身体では、二回目の憑依すら出来るか怪しい。 

 

 

 ……だけど。

 

「これしかない!」

 

「ラル!?」

 

 突然魔王とオークの後ろに現れた俺に驚いているアルトを尻目に、そのままオークの体へと入っていった。

 

 

「わぁ、やっぱり来た」

 

 

 辟易するように呟いた魔王がその場から離れた位置に跳んだことを確認し、そのままオークの意識乗っ取りに集中する。

 

 水中に潜っているかのような感覚が、全身を包んでいく。それこそ呼吸ができなくて、苦しくなるような感覚すらも流れ込んでくる。

 

 でも、ここで弾かれたら終わり。そう思った途端、体に力が入った。

 憑依できるかを危惧していたが、これならいけそうだ。

 

 

 俺の身体になりつつあるオークの傍にアルトが寄ってきた。そしてその様子を、離れた位置にいる魔王が眺めている。

 

「ラルちゃんって本当に憑依ばっかりだよね。一発屋って感じ」

 

 困ったような笑みを浮かべながら肩をすくめる白髪の少女。

 目は奴から離さないようにしつつ、しっかりと意識を保つ。

 

 次第に四肢の感触が鮮明になってきた。試しに左手を握ってみれば、しっかりと握りこぶしができている。

 どうやら憑依は無事にできたらしい。二回目の憑依もこれまで通りにできて、ひとまず安心だ。

 

「ラル、大丈夫?」

 

「あ、あぁ。とりあえず乗っ取りはできたみたいだ」

 

 返事をしながら手足の感覚を確かめる。

 もう思い通りに動かせるようだ。これなら俺も戦える。

 

 

 体勢を立て直したアルトと、強靭な肉体を手に入れた俺。これで逆に二対一になったわけだ。

 

 存分にこの身体を活かしきれるか、と言われてしまうと厳しいのだが、それでもあのままアルトの不利な状況が続くよりは断然マシなはず。

 

 俺の乱暴な動かし方でも、有り余るこの体のパワーがあればそこそこ戦闘にはついて行ける。

 アルトと魔王はタイマンでは互角。そこで俺が加われば攻撃の幅が広がるし、なにより数で有利。

 

 文字通り、これで形勢逆転だ。

 

「アルト、ここから巻き返すぞ」

 

「うん……」

 

 

 

 

 

 

「───ぷふっ!」

 

 

 俺たち二人を観察していた魔王が、唐突に吹きだした。

 

「な、なんだ……?」

 

 急に彼女が笑い出したことに不安感を覚え、身構えるアルト。同様に、俺もこの巨体に力を入れた。

 

「くっふふ……! あっはは! あー、ちょっとやめて! ひひひ……っ! ほんとにお腹痛い!」

 

 しかし、尚も魔王は笑い続ける。次第に小さかった笑い声は、涙が出るほどの抱腹絶倒に変わっていった。

 その場で両膝をつき、腹に手を当てながら心底楽しそうに大笑いをする魔王。

 

 

 今まで見たことが無いほどの彼女の奇行を目の当たりにして、悪寒が体中に走る。

 

 なぜ、彼女はあんなに笑っているのか。一体何がおかしい?

 

「ねー、もうほんとにやめて! ひぃ、ひぃ……! こんなにっ、お、面白いことってあるかな!?」

 

 今の魔王はまるで笑い上戸だ。訳も分からず一人で大笑いをしている。

 

 しかしほんの少しだけ治まってきたのか、彼女は笑いをこらえながらゆっくりと立ち上がった。

 その眼尻には涙が浮かんでいる。だが、あれはただの笑い泣き。

 

 その様子が癪に障った俺は、魔王に向かって叫んだ。

 

「なに笑ってんだ……!」

 

 俺の言葉を聞いた魔王は指で涙を拭いつつ、半笑いのまま返事をした。

 

「はは、いやーごめんごめん。流石にちょっと笑い過ぎたよ」

 

「そんな事を聞いてるんじゃ──」

 

「まぁまぁ、焦んないでよ」

 

 宥める様に告げた魔王は、懐から小さな紫色の魔石を取り出した。

 それを手のひらで転がしながら、彼女は言葉を繋ぐ。

 

 

「だってさ、こんなにも()()()()に事が運んだら……誰でも笑っちゃうでしょ」

 

 

「……は?」

 

「ラルちゃんって本当に単純だね」

 

 怪しい笑みを浮かべる魔王はそう告げながら、掌の上にあった魔石を握りつぶした。

 

 

 

 ───その瞬間、(オーク)の体が音を立てて爆発した。

 

 体が分散するのではなく、それこそ爆弾と同等の火力を伴う『爆発』を。

 

 

 

「なっ──」

 

 周囲を焦がすような熱気と音速の爆風が、アルトを襲う。

 

「おわっ!?」

 

 それに伴い、憑依先の体を失った俺は強制的に弾き出され、爆風で後ろへ吹き飛ばされてしまう。

 その勢いで頭から壁に激突し、力なく地面に倒れ伏した。

 

 

 

「やった、大成功ー!」

 

 

 爆発に巻き込まれてその場に倒れた勇者を見ながら無邪気に喜ぶ魔王。

 

 体が無くなって離脱した後に爆風で吹き飛ばされた俺とは違い、アルトは真正面から爆発を受けてしまった。

 そのダメージは尋常ではなく、かろうじて意識は保っているものの、手足を痙攣させて立ち上がれずにいる。

 

「アルト……!」

 

 痛む肩を押さえながら立ち上がる俺の顔を、魔王が嘲笑する様な瞳で見つめた。

 

 

「───ねぇラルちゃん、これで『二回目』も使っちゃったね」

 

 

「っ……!?」

 

 魔王に指摘された瞬間、心臓が飛び跳ねた。

 

 

 ──なぜ、それを。

 

 

 俺とトリデウスしか知り得ない事実を魔王が語ったことで狼狽してしまう。

 息が荒くなり、手足が震え始めた。

 

 俺のその様子を観察しながら、魔王は言葉を続ける。

 

「これでも魔物の王だし、ゴーストの状態なんて見れば分かるよ」

 

「……ま、まさか」

 

「うん、そう。ラルちゃんに二回目の憑依を使わせて、それから体を壊して戦えなくするためにコピーを作ったの。……ま、勇者くんを巻き込めたのは僥倖だったけど」

 

 セリフの途中で視線をアルトの方へ向け、両手で大剣を構える魔王。

 

「じゃあ、今度こそトドメ!」

 

 叫びながらその場を跳び、地面に伏しているアルトめがけて大剣を振り下ろした。

 

 

 ──しかし。

 

 

「……っ゛!」

 

 声にならない呻き声を上げながら、アルトが聖剣を握り直した。

 その瞬間、聖剣の刃が眩く光る。

 

 

 ダンっ、と魔王の大剣が床に叩き込まれた。

 しかし地面にめり込んだ刃の部分にアルトの姿はない。

 

 それを理解した瞬間、魔王はすぐさま後ろを振り向いた。

 

「──わっ!」

 

 それと同時に、彼女に光り輝く聖剣が襲いかかってきた。なんとか大剣の刃で防いだものの、そこから更にアルトの連撃が紡がれていく。

 

 どうやらアルトは魔王の攻撃をあの粒子の残像で躱した後、彼女の後ろに瞬間移動して不意打ちをしたらしい。

 

 

 肩の大きな火傷の痕や、額から垂れている血液が、彼はもう限界寸前だという事実を物語っている。

 そんなボロボロで瀕死に近い状態だというにも拘らず、強烈な猛撃を叩き込んでいくアルト。

 

 彼の異常なまでの執念と続いていく重い連撃に、あの魔王も焦りを見せ始めていた。

 

「うそでしょ、もう! ──いだっ!? ちょ、ちょっと勇者くん、好きな子の前だからって張り切り過ぎじゃないかな!」

 

「喚くなっ……!」

 

 彼の音速に等しい連撃を防ぎきれず、まともなダメージを受けてしまう魔王。その肩や太股からは鮮血が飛び出し、彼女も余裕が無くなってきた事が分かる。

 

 しかし、それはアルトも同じ。もはや流血する紅い液体は汗の如く額から流れ、火傷を負った右肩もビクビクと痙攣している。

 

「五月蠅いその口……今すぐ黙らせてやるっ!」

 

「あれ、勇者くんって本気になったら言葉が乱暴になるんだねぇ……アハハ! ようやくキミがちょっと分かってきたかも!」

 

 殺意が迸る眼光で睨みつけながら聖剣を振るうアルトとは対照的に、魔王はいつの間にか楽しそうな表情に変わっていた。

 

 

 二人の激しい攻防はアルトが優勢だ。しっかりと聖剣が魔王の体に届いている。

 

 

 だが大剣での斬り合いを続けている中、次第にアルトの動きが鈍くなってきているのが分かった。

 

 俺がそれに気がついた瞬間、当然目の前で戦っている魔王も彼の状態を見抜いていたようで。

 

「勇者くん大丈夫かなぁ! さっきより攻撃が軽いけど!」

 

「うっ、るせぇ……っ!!」

 

「体の心配をしてあげてるんだよ! ほら、例えば───」

 

 アルトの大振りを躱した瞬間、魔王は両手で持っていた大剣を左手に持ち替え、残った右腕を握りこんだ。

 そこから素早く拳をアルトに向かって繰り出す。

 

 彼女が狙ったのは───大火傷を負っている右肩だった。

 

「こことかさぁ!」

 

 繰り出された強烈な一撃はアルトの右肩に深くめり込んだ。

 

 その瞬間、彼が激痛に顔を歪める。

 

「う゛ぅっ、ぐ……っ!」

 

 殴られた右肩から指先にかけて激しい痙攣が起こり、震えるその手は聖剣を手放してしまった。

 その瞬間、魔王が正面から彼を蹴り飛ばす。

 

「がぁっ!」

 

 魔王の攻撃で勢いよく後方へ転がるアルト。

 

 聖剣はなんとか左手で死守しているが、大火傷して更に強烈な打撃を受けてしまった右肩から先は、もう使い物にならない。

 

 聖剣を片手で扱えないほどアルトは弱くないが、両手のパワーを込めてようやく魔王と互角だった彼が、片手だけで彼女の攻撃を防ぎきることは明らかに不可能だ。

 

 

 

「アハハぁ……流石にもう無理でしょ」 

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、片手で大剣を引きずってアルトに近づいていく魔王。

 

 かくいう彼女もかなりのダメージを負っており、斬りつけられた体の節々や口元からも流血している。

 アルトの怒涛の連撃は相当攻撃が入ったらしく、息も切らしている。

 

 しかし、それでも足りない。どうしてもアルト側のダメージが多すぎて、あと一歩というところでそれが尾を引いている。

 

 このままでは本当に、動けないアルトに最後の一撃が振り下ろされてしまう。

 

 

 実力は拮抗していた。それどころか優勢だった。

 

 じゃあ、なんでこんな事になっているんだ。

 

 

「くっそ……!」

 

 理由を理解した瞬間、苛立ちの声が吐き出された。 

 

 

 ……考えるまでもなく、俺のせいに決まっている。

 

 俺が魔王の狙い通りの動きをして、貴重な憑依をあの爆弾(オーク)に使ってしまったから。

 短絡的な行動で、彼を巻き込んでしまったから。

 

 じゃあ、どうすればよかったのか。反省するべき点など数え足りないぐらいだ。

 最善の行動を取ったつもりで動いていたのに、目の前ではアルトが最悪の状況に陥っている。

 

 抵抗することも出来ず、魔王に殺されてしまう。

 

 

 ──駄目だ。

 

 

 駄目だダメだ。絶対にそんなことさせちゃいけない。

 

 俺はユノアに託されたんだ。エリンとファミィの意志を継がなきゃならないんだ。

 どんな事があっても、目の前の彼を死なせるわけにはいかないんだ。

 そして何より、俺がアルトを死なせたくないんだ。

 

 

 

『──三度以上、憑依をしてはいけない』

 

 

 初めて出来た魔物の友人である彼の言葉が、脳裏を(よぎ)った。

 三度目の憑依、それはつまり幽霊としての命を擲つ最後の選択肢。

 

 してはいけない三度目とは、裏を返せば最後のチャンスでもある。

 俺がこの命を賭してアルトの助けになれる、正真正銘最後の機会だ。

 

「……やるしか、ない」

 

 言葉にして、改めて実感した。

 

 己の愚かさを。『憑依しかない』という魔王の言葉を否定できない事実を。

 

 

 だけど、やるしかない。俺には()()()()()()

 魔王の体に憑依して動きを止め、アルトに最後のトドメを任せる。これだ。

 

 

 勿論、簡単に彼女の体を奪うことはできないだろう。運よく近づけて体の中に入れたとしても、魂を弾かれてしまっては無意味だ。

 

 気を強く持て。精神力の強い魔王を、それでも乗っ取らなきゃならないんだ。

 

 

「いま助けに行くぞ、アルト」

 

 そう呟いた瞬間、俺はその場を飛び出した。

 

 

「ん?」

 

 接近してくる俺の存在に気がついた魔王は足を止め、体を此方に向けた。

 そのニヤついた表情からは、彼女の俺に対しての慢心が見て取れる。

 

「ラルちゃーん……流石に悪足掻きだよ、それは」

 

 侮っている。俺を。

 それは逆に好都合だ。

 

 

 

 

 

 

 ハッ! 調子に乗りやがってこの性悪女が!

 一泡吹かせてやるから覚悟しやがれーっ!

 

「オラァっ!!」

 

「えっ?」

 

 俺は懐から小型爆弾を大量に取り出し、その全てを前方にぶん投げた。

 雑魚にしか通じないような威力の小型爆弾を投げられ、魔王はきょとんとしている。

 

「こんなの……!」

 

 魔王は大剣を横に振り、小型爆弾を全て破壊した。その瞬間、小さな爆発が幾つも発生する。

 それで生じた煙が辺り一面に広がった。

 

 予想通りだ。小型爆弾はあくまで目晦まし。攻撃の意図はない。

 

「まだまだ見えるし! ラルちゃん私のことナメすぎじゃないかな!?」

 

「うるせぇバーカ!」

 

 そこから更に、懐から取り出した数個の()()()を地面に叩きつけた。

 

 こんないわゆる『ラスボスとの最終決戦』的な場面で、まさか盗賊のチンケな道具を使われるとは思わなかったのか、魔王は少しばかり狼狽している。

 

「ケホっ! なにこれ、けむい……!」

 

 煙幕玉は幼少期から盗賊時代にかけて、俺を救い続けてきてくれた相棒だ。その性能は熟知してるし、どこに投げれば効果的かなんてすぐに分かる。

 

 いやー、トリデウスに頼んで大量に準備してもらっておいて正解だったな!

 

「こんなの、剣で払えば!」

 

 魔王が大剣を振って風を起こした。そこから生じる突風があれば、確かにこんな煙は彼方に飛ばされてしまうだろう。

 

 

 ──だが、在庫(あいぼう)はまだまだ残ってる。

 

 

「えっ! 今日はもっと煙幕玉を投げていいのか!!」

 

「ちょっとラルちゃん!?」

 

「おかわりもいいぞ!」

 

 煙を払われてしまう前に更なる煙幕玉を投入していき、辺り一面を煙で充満させていく。

 もはや魔王は俺の姿を見ることが出来ない。

 

 ダメ押しにもっと煙幕玉を投げてみた。地面だけじゃなく、魔王本人にも。

 

「いたっ!? も、もういいって! 見えないから!」

 

「ヒャアッ我慢できねぇ! もっとだ!!」

 

「ちょ、ちょっとぉ゛! うっ、ゲホっ、ゴホっ!」

 

 怒気を孕んだ魔王の叫びと咳が聞こえてくる。

 

 はっはっは、そうだろう。()()()にとって、この煙は辛かろう。

 煙が器官とか目に入って痛いでしょ。知ってる、俺も使い慣れてないガキの頃はよくそうなってたからね。

 

 

「ふっ、ふざけた事して……!」

 

「大真面目じゃーいっ!」

 

 

 

 一瞬。

 

 

 ずっと待ち望んでいた、一瞬の隙。

 

 俺が突飛な行動に出たことで。

 命のやり取りをしている場にふさわしくない、妙な雰囲気を醸し出したおかげで。

 

 普段は楽しんで戦いながらも油断はしない魔王の、気が緩んだ。

 

 油断したことで生じたその一瞬の隙を、逃しはしない。

 

「──っ!」

 

 魔王の剣が巻き起こした突風で煙が晴れた、その瞬間。

 背後から超スピードで距離を詰め、俺は魔王の体の中へと入っていった。

 

 

 

 その瞬間、強烈な握力で首を絞められるかのような感覚が、俺を襲った。

 

「う゛ぅ゛っ……!」

 

 トンカチで何度も頭を強打されるような、指の爪をゆっくりと剥がされていくような、ドリルで口の中を抉られるかのような───ありとあらゆる激痛と苦しみが全身を支配していく。

 

「ラルっ!」

 

 状況を理解したアルトが右肩を押さえながら立ち上がり、俺に向かって叫んだ。

 

 

「アル──」

 

 彼に返事をしようとした瞬間、強く脳が揺れた。

 

 自分じゃない、別の誰かの思考が脳内に流れ込んでくる。次第に、俺の視界は片方が真っ暗に染まっていってしまう。

 

 気がつけば、俺の右目は何も見えなくなっていた。

 それだけじゃない。

 体の節々が言うことを聞かない。それは痛みによる麻痺ではなく、体の半分を『誰か』が操っているかのような感覚だった。

 

 それを理解した瞬間、頭の中で俺以外の声が響き渡った。

 

『は、は……! まさかっ、ひょう、い……されるなんてねぇ……っ!』

 

「まっ、お……!」

 

 体を蝕む激痛に身を震わせながら、脳内で魔王が言葉を放つ感覚は、もはや形容しがたい『苦しみ』でしかなかった。

 

 彼女が俺の中で喋る理由、そして体の半分が動かせない理由。

 それは間違いなく、魔王が憑依を拒否しているなによりの証拠だ。

 

「てめっ……!」

 

『くっふふ、これっ、以上の……! 憑依は、無理っ、でしょ!』

 

 魔王の叫び声が、脳味噌をグチャグチャにかきまわすかのような激痛を伴って頭の中に響いていく。

 両膝を地面につき、抑え込むように右手を胸に当てた。しかしその手を、反対の左手が強く握ってくる。

 

 体の半分が魔王に渡っている事は、もはや自明の理だ。

 

 

 やはり、彼女は精神が途轍もなく強靭だ。

 もし気を抜いたらその瞬間、俺はこの身体からいとも容易く弾き出されてしまうだろう。

 

 必死に彼女を抑え込みながら、俺は口を開いた。アルトに伝えるためには、抵抗できている今しかない。

 

「アルト! 聖剣でトドメを刺せっ!」

 

「……ラル」

 

 俺の叫び声を聞いたアルトは立ち上がり、左手で聖剣を構えた。

 

 しかしながら、彼の表情は困惑そのものだ。

 俺が憑依していることは分かっているが、このまま本当に聖剣で貫いてしまっていいのか──そんな思いが彼の眼差しから伝わってくる。

 

 

『ねぇっ、ラルちゃんも分かってるでしょ! 聖剣は相手がゴーストだろうと、その魂を斬ることが出来るんだよ!?』

 

「んなのっ、わがっ、てる!」

 

『それにこの憑依三回目だよね……! もしアレで貫かれたら、どうあっても魂の修復は間に合わない! 瀕死の状態で殴られたら誰だって死ぬんだよ!』

 

 

 響き渡る魔王の叫び声。頭を揺らす激痛。

 

 

 彼女の言葉は命乞いではなく、警告だ。

 

 本当にそれでいいのかと、俺の覚悟を問いただしている。

 

 

 これは止められていた三回目の憑依だ。そこにダメ押しで聖剣の一撃が加えられれば容易く死ぬことなんて、とっくに理解している。

 

 けど、魔王に勝つためにはこれしかない。

 アルトを生かして、世界を修復する為には俺の命が必要なんだ。

 

 

 

「分かってるよそんなこと! ウダウダ言ってねぇで───大人しく俺と一緒に死ね!!」

 

『……くっ、ふふ』

 

 俺の言葉を聞いた魔王は、小さく笑った。

 体から弾き出そうとする力は弱めていないのに、どこか悟ったような笑い方をしている。

 

 

 構わず、アルトに向かって叫んだ。

 

 今やらなければ、あと数秒後には憑依が解除されてしまう。

 だからやれ、今すぐやれ。

 

 

 ───俺を殺せ。世界を救え。

 

 

 そう、告げた。

 

 

 

「……っ」

 

 それを聞いたアルトは俯いている。聖剣を握っている左手が、固く閉ざした唇が、その全身が震えている。

 

 酷な事を言ってることは百も承知。彼にとって、今からする行動はあまりにも残酷なものだ。

 

 でも、それしかない。もう時間もない。

 

 彼を急かすように、もう一度俺は強く叫んだ。

 

 

「やれぇっ!!」

 

 

「───」

 

 

 俺の言葉を聞いた瞬間、彼はその場を駆け出した。

 

 左手で聖剣を構え、一直線にこちらへ向かってくる。

 

 顔を歪ませながら、眼尻に涙を浮かばせながら、聖剣を魔王の体に突き立てる。

 

 

 

 

「うあ゛あ゛あぁぁぁ゛ぁ゛っ゛!!」

 

 

 

 咆哮し、光り輝く刃で。

 

 

 勇者は魔王の体を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気がつけば、目の前には鮮血を帯びた聖剣を握っているアルトがいた。

 そしてソレを手放し、両膝を地面につかせた彼を見ているのは、魔王ではなく俺の瞳だ。

 

 下を見れば、腹部に風穴が空いている白髪の少女の姿がある。

 俺の視線に気がついた彼女は、満足そうな顔をして小さく呟き始めた。

 

「……ハハっ、まけ……ちゃった……」

 

 そう言葉にする彼女の表情は、敗北した者の顔とは思えないほど、清々しいくらいの笑顔だ。

 そして、それを見つめる俺の顔は──

 

「おめで、と………きみたちの……」

 

 

 ──か、ち。

 

 

 消え入る声で告げた彼女の瞳は、光を失った。

 その虚ろな目は、もはや何も映してはいない。

 

 

 

 

 

 しかし俺は、彼女のように遺言を告げることすらできないようだ。

 

「らっ、ラル!?」

 

 叫ぶアルトの目の前にいるのは、既に下半身まで消滅している幽霊の姿。

 

 

 体の崩壊するスピードが、あまりにも早い。もう腹から胸までも消え去った。

 

 ──大事な事を伝えて、ゆっくりと劇的に死ぬ。

 

 そんな甘い現実は、ここにはなかった。

 当然だ。なんせ今消える俺は、二度目の命なのだから。

 

 魔石が目的でトリデウスの遺跡に赴いたあの日に、俺は『ばか』だなんて最低な遺言を残して彼の前で死んでいる。

 

 これから、俺は死ぬんじゃない。

 ただ、跡形もなく消え去るだけだ。

 

「待ってくれ! ラルっ!!」

 

 体が崩れ去っていく俺に手を伸ばすアルト。

 でももう遅い。もう口も無くなってしまって、彼に何かを告げることも出来ない。

 

 

 

 だから、俺は微笑んだ。最後に残ったこの瞳で、優しく彼を見つめた。

 

 しかし、きっと伝わらないだろう。

 

 意思というものは、言葉にして初めて相手に伝えることができる代物だ。

 

 微笑みだけでは、きっと、彼には。

 

 

 

 

 

 ずっと、ずっと伝えたかった。

 

 幽霊になって、初めてきみの前に現れたあの日から、ずっと言いたかったんだ。 

 

 でも、一度も言えなかった。結局、消えるまで言葉にできなかったな。

 

 

 

 

 

 あぁ、アルト─────

 

 

 

 




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二人で一人の勇者

 遺跡の最奥、その広場。

 

 数分前まで大勢の魔物が闊歩していたその空間は、今は静寂に支配されている。

 当然だ。何故ならこの場で息をしているのは、一人生き残った自分だけなのだから。

 

 いつも声が大きかったあの子も、殺し合いの中であろうと饒舌だった彼女も、自分の前で命を落とした。

 

 ……いや、僕自身が殺した。

 

 

 

 地面についていた両膝を動かし、ゆっくりと立ち上がる。

 ほんの少しだけ前に進んで、下を見てみた。

 

 そこには虚ろな瞳のまま息絶えた白髪の少女の死体がある。

 彼女の口角は吊り上がっていて、死ぬ寸前まで笑っていたことが分かった。

 

「……嫌なやつ」

 

 小さく悪態を呟きながら、彼女の衣服を漁り始める。

 上半身の衣服、腰、懐や首の後ろなど、あらゆる箇所を手で探った。

 

「これか」

 

 そうしていると彼女の腰回りに小さなポケットを見つけたので、そこへ手を伸ばしてみる。

 中を確認してみれば、案の定そこには紫色の鈍い光を発している魔石が収納されていた。

 

 

 きっとこれが、事前に聞いていたあの古代兵器だ。

 この魔石を使えば一度だけ、どんな望みも叶えられる。あまりにも馬鹿げた力が、こんなちっぽけな魔石に宿っている。

 

 当然、これが目的でここへ訪れたのだ。

 魔王が自分で呪いを解除しない以上、世界を覆っている彼女の魔法を破るにはこの魔石を使うしかない。

 

 

 彼女と約束していたんだ。

 魔王を下して、この魔石で世界を救おう……と。

 

「こんな物の為に……」

 

 掌に乗せた特別な小石を見つめながら呟く。

 

 彼女を殺して得たのは、この小さな魔石だけ。

 世界を救うためにもがいて、ようやく隣に立ってくれたあの子を消し去って、今こんな薄汚れた宝石を見つめている。

 

 わかっている、これが世界の呪いを解ける唯一の希望だということは。

 

 

 けれど、そんな希望を手にした筈なのに、何も感じない。

 目に見える殆どの光景が色を失っている。

 

 白黒の世界で唯一輝いているこの魔石が、鬱陶しく感じてしまった。

 

 

 もう、終わらせよう。この魔石を使えば全てが終わる。

 

「願いを……きけ」

 

 そう告げた瞬間、魔石から発されている紫色の光が強まった。

 僕の言葉に呼応した魔石の様子を見るに、いま願い事を言えばそれが実現されるのだろう。

 

 

 ──思い出すのは、ゼムスでの惨状。

 血眼になって自分の命を奪おうとする大勢の人間たち。

 思いを告げて自ら離脱していった仲間の三人。

 

 

 歪んだ世界。

 

 それを修復したいのなら、この魔石に告げればいい。

 

 

「ぼくの願いは───」

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 黒い。

 前も後ろも、右も左も、上も下も全てが黒い。

 

 そんな黒くて光が一切存在しない暗い空間なのに、自分の体だけは鮮明に見える。

 

 まるで自分だけが光を浴びているかのように、暗い空間の中でハッキリと存在感を放っていた。

 

「……死後の世界、とか?」

 

 ボソリと呟いてみると、少しだけ自分の声が空間に響いた。

 

 

 冷静に考えれば、俺はトリデウスの遺跡で二度目の命を燃やし尽くした筈だ。

 今でもアルトの縋るようなあの表情が脳裏に焼き付いている。

 

 消えたあとに自分の意識があること自体驚きなのだが、明確に『どこかの空間』にいることも信じられなかった。

 

 前世で死んだときは、気がつけばあのファンタジー世界に女として生まれていたから、てっきり死んだらすぐに別の命として転生するもんだと思っていたが。

 

 

 頭の中に疑問を幾つも展開しながら、とりあえず足を動かしてみた。

 

「おっ、歩けるのか」

 

 足からしっかりと固い地面を踏みしめるような感触が伝わってくる。

 

 目指す場所も帰る家もないし、とにかく前に進むか。

 

 

 

「……ん?」

 

 数分ほど歩いていると、遠くに何かが見えた。

 歩いて近づきつつ目を凝らしてみて分かったが、そこには白い椅子とテーブルが置かれている。

 

 ついでに言えば、二つある椅子のうち、片方には誰かが座っている。

 

 近づいてくる俺の存在を感じ取ったのか、その人物は此方を向いて手を振ってきた。

 距離が遠くてその人物の顔がよく見えないので、とりあえず小走りでその場へ向かってみる。

 

 

 そうして、ようやくすぐ傍まで来た俺に、その人物が声をかけてきた。

 

 

 ……ちょっと、待って。

 

 何でコイツがここにいるんだ。

 

 

「おー、ラルじゃねぇか!」

 

「………じ、じいさん……?」

 

 

 目の前で白い椅子に座りながらテーブルの上の紅茶を飲んでいたのは、ボロボロの服を纏った初老の男性。

 顎全体を覆っている長い髭が特徴な、見るからに浮浪者染みた薄汚いおっさん。

 

 そこにいたのは、俺がまだ幼い頃に馬車に撥ねられて、無様に野垂れ死んだ義理の親父。

 

 スラムで捨てられた俺を育て、生きる術を教えてくれた、物好きな盗賊。

 

 

 ───ソルドットのじいさんだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ギャーッハッハッハ! 十六歳で死んだのかよお前ザコすぎだろ!」

 

「うっ、うるせーな!」

 

 椅子に座った俺の前で大笑いするじいさん。

 俺の死んだ年齢を教えただけでこれだ。

 

 コイツ本当に嫌い……。

 

「オレが十六の時なんざ貴族相手にブイブイ言わせてた時期だぜ? かーっ、まったく! 人生これからって時にヘマしやがってクソガキ!」

 

「は? なめんな、テメーと違って魔王倒したんだよ」

 

「それで死んでりゃ世話ねーっての! 相討ちとか盗賊の恥さらしだぜ、ぎゃはは!」

 

「盗賊に恥も外聞もあるかよバーカ!」

 

 必死になって抗議してもすぐに言い返してくるじいさん。ああ言えばこう言う、そんな鬱陶しいタイプの人間だってことを忘れてた。

 

 

 俺を拾って育ててくれたのは事実なのだが、そこを差し引けばソルドットはそこら辺の盗賊となんら変わらないチンピラだ。

 

 それどころか盗賊の技術に関しては右に出る者がいないレベルなので、その分むしろ他の奴らよりタチが悪い。

 

 

 まぁ俺みたいな捨て子を育てる程度には、良心もあったみたいだが。 

 

「……それより、じいさん。ここはどこなんだよ」

 

「は? お前、察し悪いな。老人かよ」

 

「まだ十六だっつの!」

 

「ピーピーうるせーなぁ。……どう考えても、ここは死後の世界だろうが」

 

 後頭部をかきながら呆れたように言ってくるソルドット。

 彼のその言葉を聞いて、改めて自分が死んだのだと実感した。

 

 やっぱりここは死んだ後に訪れるような、特別な空間なんだ。

 そうでなけりゃ、俺がガキの頃に死んだコイツがここに居る理由が見つからない。

 

 

 ──つい、溜め息を吐いた。

 

 もしかしたらまた幽霊みたいになって戻れるんじゃないか……なんて一瞬考えたけど、それも夢に過ぎなかったようだ。

 

「はぁー……」

 

「なんだよ、大袈裟な溜め息なんかしやがって」

 

「いや、マジで死んだんだなぁって思ってさ。なんやかんやあって幽霊になったりもしたから、ちょっと期待してたんだ」

 

 ありのままの心境を吐露しながら、テーブルの上に置いてあったティーカップを手に取った。

 誰が用意した物かなんて知らないが、喉が渇いたので飲んじゃおう。

 

 ……あんまり美味くねぇな、これ。

 そういやこの世界に来てから、紅茶なんて飲んだことなかった。

 

 なんかティーポットの中が減らないし、どうやらここでは紅茶が飲み放題らしい。

 でもクソ不味いので、これならじいさんと話してる方がマシだ。

 

「じいさんはずっとこの変な場所にいたのか?」

 

「あ? ちげーよ。………ハァ、察しろ」

 

「えぇ……。んなこと言われても分かんねぇよ」

 

 首ひねって考えても、答えは出てこない。

 ずっとここに居た訳じゃないなら、じいさんは何処に居たんだ?

 

 

 少しの間逡巡して、ようやくそれらしい答えが思い浮かんだ。

 

「あっ、悪い事して天国から追い出されたんだろ!」

 

「馬鹿言ってんじゃねぇよ」

 

「えー、じゃあ何?」

 

「あのなぁ、ちょっと考えたら分かるだろ。死んだ人間なんてごまんといるのに、都合よく俺がテメーの前にいた理由なんて」

 

 じいさん、なんだか本当に呆れてるような気がする。

 えっ、これ俺が悪いのか?

 

「……いや、わかんないし。勿体ぶってないで教えてくれよ」

 

 

 

「だー、もう! お前のこと迎えに来たんだよ!」

 

 

 

「えっ?」

 

 照れくさそうにしながら告げた彼の言葉を聞いて、呆気にとられてしまった。

 

 なんでそんなことを? そういった疑問が表情に出てしまったらしく、俺の顔を見たじいさんが言葉を続けた。

 

「これでも親だぞ。子供の迎えぐらい行くさ」

 

「……えっ、じいさんが? あの家事も料理も出来なくて臭くてイビキがうるさくて女にだらしなかったあのじいさんが?」

 

「言い過ぎだぞお前!?」

 

 俺の発言にキレて椅子から立ち上がるじいさん。

 すぐさま傍まで寄ってきて、俺の髪を両手でワシャワシャし始めた。

 

「わぁっ、やめろよ!」

 

「うるせぇ盗賊のくせにサラサラな髪とか綺麗な肌しやがって。ヘアケアとかスキンケアなんて教えてねぇぞ」

 

「………そ、そりゃ、人に見せるものだし……」

 

「何だ、いっちょまえに恋愛かぁ? マセてんねぇ」

 

「うーるーさーいー!」

 

 俺の頬を指でつつくじいさんに向かって叫ぶ。これじゃ俺が遊ばれてるだけだ。

 くっそ、子ども扱いしやがって。

 

 

 

 でも、いつのまにか、じいさんは笑っていた。

 ──気がつけば、俺も。

 

 

「……じゃあ俺、これからじいさんと地獄にでも行くのか」

 

「天国だ地獄だなんてものは───あぁ、いや、そうじゃないな」

 

「ん?」

 

 じいさんと同じように椅子から立ち上がると、彼がそっと俺の頭を撫でた。

 優しく丁寧に……まるで割れ物に触るかのような感触で、少しくすぐったい。

 

 

 ふと見上げて彼の顔をみてみれば、じいさんは優しい表情になっていた。

 

「おつかれさま。頑張ったな、ラル」

 

 そう言って俺の頭を撫でる彼の手は、ほのかに温かい。

 彼の労いの言葉と温かい手は、いつしか忘れていた、親からの愛情だった。

 

「……うん」

 

 それを受けた俺は嬉しくなってしまい、自然と顔がほころんだ。

 

 

 

 

 

 

「───あぁ?」

 

 すると、じいさんが珍妙な声を挙げた。

 

「ど、どうしたの?」

 

「いや……はぁ。おい、マジかよ」

 

 じいさんは俺ではなく、その後ろを見ているようだった。

 彼の行動に疑問を抱き、俺も振り返って後ろを見てみた。

 

 

 そこにあった──いや、飛んでいたのは『蝶』だった。

 

 蝶は体全体が眩く発光していて、一目でコイツがただの虫ではないという事が分かる。

 少し警戒し、身構えた。

 

 しかしそんな俺とは正反対に、じいさんは体から力が抜けるかのように肩を落とした。

 思わず彼の方に首を向けて、疑問の声を挙げる。

 

「じいさん、コイツは……!」

 

「………ラル……お前、罪な女だな」

 

「は、はぁ?」

 

 唐突に訳の分からないことを言い出すじいさん。

 言葉の意味が理解できず、呆然とする俺。

 

 

 すると、じいさんが俺の背中を押した。

 

「うわっ!」

 

 そのせいでバランスを崩しそうになり、数歩前に歩きながらなんとか体勢を立て直した。

 気がつけば、すぐ隣に先程の光っている蝶がいる。

 

 ……えっ、なに、どういうこと。

 

 

 未だに状況が飲み込めない俺に、じいさんが声をかけてきた。

 

「お前さぁ……自分のことを惚れた相手ぐらい、ちゃんとケジメつけてから死ねよな」

 

「な、何言ってんだよ」

 

「その蝶よく見てみろ」

 

 彼に顎で促され、横にいる蝶の方に首を向けた。

 ジッと、集中してその蝶を見つめてみる。

 

 

 すると、なんらかの映像の様なものが、脳内に流れ込んできた。

 

 

 

 見えるのは、俺が二度命を落とした、あの忌々しい遺跡の光景。

 

 その中央で、一人の少年が小さな小石を両手で握り締めながら、両膝を地面につかせて目を閉じている。

 

 まるで人間が神に祈りを捧げるかの如く、両手を深く握りこんで俯いている。

 

 

 

「あ、アルト……?」

 

「なんだ、アルトっつーのか。……そいつ、お前のこと呼んでるぞ」

 

「はぁ!?」

 

 ニヤニヤと笑みを浮かべながら告げる彼の言葉に、つい大袈裟な反応をしてしまった。

 

 いや、でも、こればっかりは仕方ないだろ……!

 てかなに、え? 俺のことを呼んでるって?

 

「どゆこと」

 

「おおかた、古代兵器でも使って蘇らせようとしてんだろ。ほれ、もう転送始まってんぞ」

 

「えっ」

 

 じいさんの指差した方向、つまり下を見てみると───俺の足が消えかかっていた。

 それはまるで、幽霊としての俺が死ぬ時と同じような感覚で。

 

「なっ、なんで!?」

 

「しらねーよ。……まっ、何でも願いを叶えられるアイテムなんざ持ってたら、死んじまった好きな女を蘇らせるなんて───男のしそうなことだよなぁ」

 

 くっくっく、と小さく笑うじいさんの顔を見ていたら、なんだか腹が立ってきた。

 

 他人事だからって傍観しやがってクソ親父め……!

 

 

 てか、マジで言ってんのか?

 

 アルトあいつ、魔石の願い事を俺に使いやがったのか! 世界を救う唯一の希望を、俺に!?

 

 あぁもうっ、あの馬鹿……!

 

「アルトのやつ、勇者のくせに……何考えてんだ!」

 

「ギャハハハ! チビな盗賊が勇者の女房(ワイフ)かよ!? 出世したなぁオイ!」

 

「だっ、誰がワイフだぁ!」

 

 汚い笑い方をする彼に叫び散らしている間でさえ、無情にも転送は続いている。もう下半身が全て消えてしまった。

 

 

 ……マジでアイツ、魔石を『俺の復活』に使ったのか。

 何考えてんだよ! もしかしてアイツ、魔石は何回でも使えるって勘違いしてねぇか!?

 

 てか、これじゃ世界……魔王の呪いにかかったままじゃん。全世界の人間、勇者の敵のままじゃん!

 何でアイツはいつもいつも俺の言うこと聞かないんだぁ!?(半ギレ)

 

「じっ、じいさん! これってキャンセルできないかな──って、あ゛ぁ゛!? 手が消えてるぅ!」

 

「できるわけねーだろ。神話時代の法則改変できる古代兵器に抗えたら人間じゃねーよ」

 

「なに冷静に語ってんだよ!」

 

 顔を真っ赤に抗議してる間に、首から下までが全部消えた。

 これはつまり、俺の体が()()()に行ってるってことか……!

 

 やだやだ! だって詰んでるじゃん! 全人類が敵とかハードモードすぎるだろ!?

 魔王も死んじゃったし呪いどうすればいいんですか!(涙目)

 

 

「……えっ、やだ、消える! 来ちゃう! 三度目の人生来ちゃう!」

 

「生まれる! みたいに言うな。これもお前の責任だろ」

 

 ちょっとほんとに───あぁ口が消えた!

 

「……くくっ、ぎゃはは! 焦り過ぎだろお前!」

 

 なに笑ってんだてめー!? わっ、目も消える! 生き返っちゃう!

 

 うぅっ、じいさんの声ももう聞こえな─── 

 

 

 

 

「今度は長生きしやがれバーカ!」

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 はい、転送されました。

 目の前には驚いた顔で膝立ちしてるアルトがいます。

 

 

 ……んー、とりあえず、コイツのほっぺ引っ張っておくか。

 

 

「………うぇ、ひっ、ひは(いた)い……」

 

「うっさい」

 

 なおも強く両方の頬を指で引っぱる。マジで千切れるんじゃねぇかってくらい、ひっぱる。

 

「ひへぇっ! ふぁふ(ラル)っ、やへへ(やめて)ぇ……!」

 

「だめー」

 

 もっと強く、まだまだ強く、更なる高みを目指して。ぐいーっと、コイツのほっぺたをゴムだと考えるんじゃよ。

 はい、ぐいぐい。ぐいーっ。

 

「え゛ぇ゛ぁ゛っ!! ひひへふ! ひひへふ(ちぎれる)ぅ!!」

 

「……しょうがないなぁ」

 

 涙目で抗議するアルトが少し可哀想になったので、頬から手を離してやった。

 もう彼の両頬は真っ赤だ。

 

 

 個人を取って世界を見捨てた代償としては安すぎるくらいだが、とりあえず制裁はこのくらいにしておこう。

 

 

 俺は軽く腰を折り、膝立ちをしているアルトに顔を近づけた。なるべく眉間に皺を寄せて。

 怒ってるんだぞ俺は。ほんとだぞ。

 

「おいアルト」

 

「……な、なに」

 

「自分が何をしたのか言ってみろ」

 

 俺の鬼のような雰囲気に気圧されたアルトは俯いてしまう。

 さらに俺が「んー?」とプレッシャーをかけてみれば、程なくして彼は口を開けた。

 

 

「ま、魔王の呪いを解かなかった」

 

「それで?」

 

「………多くの人々を敵に回したまま、私情を優先した……」

 

「あとは?」

 

 まるで問題を起こした生徒を問い詰める学校の先生のように、強めの口調で圧迫していく。

 その雰囲気に圧されつつ、アルトは小さく声を絞り出した。

 

 

「きみを……生き返ら、せた」

 

 

 沈鬱な面持ちで呟き、アルトは顔を伏せた。見るからに、叱責の言葉を待つ体勢だ。

 

 

 

 ──さて、ここまで聞いたわけだが。

 

 どうやらアルトが、自分がやった行為の意味を正しく理解していることは分かった。

 

 魔石のことも世界の事も、自分の思いを優先したことで状況が圧倒的に悪くなっている事も、薄々気がついてはいるだろう。

 

 まぁ、簡単に言ってしまえば、これは確信犯というやつになる。魔石のことを勘違いしていなかった点については安心したが。

 でも「知っててやった」とは「知らずにやった」よりタチが悪い。

 

 

 そこを加味して、俺は再び彼に問いただした。

 

「どうしてその選択肢を取った?」

 

「……それは」

 

 俺の質問に対して、言い淀むアルト。

 あえて急かさず、そのまま待ってみることにする。

 

 

 数十秒後、意を決したようにアルトは顔を上げた。その視線を、俺と重ね合わせている。

 

「エリンとファミィ……二人に言われたんだ」

 

「……? なにを」

 

()()()って。だから必ず生き延びるって、約束した」

 

 強い眼差しのままそう告げるアルト。

 しかしここで引くわけにはいかない。

 

「それが今の状況とどう関係がある?」

 

「あるさ!」

 

 急に叫ばれたことで、少し肩をビクつかせた。

 び、びっくりさせんなよ、もう。

 

 

 ……んん、なんとなくアルトが言いたいこと、察したぞ。

 お前まさか──って、だめだめ。ここは敢えて知らないフリだ。 

 

 彼の口からハッキリと聞かないと、意味が無い。

 

「何が言いたい」

 

 なので質問を使って促す。

 お前のことなんてお見通しだぞ。ほれ、言いたまえ。

 

「僕は……」

 

「ぼくは?」

 

 

 

 

 

「───もう一度きみを失ったら、僕は生きていけない」

 

 

 

 

 

 真っ直ぐ俺の目を見つめながら、臆面もなくそんな恥ずかしい言葉を言ってのけた。

 

 

 ……あー、うん、いや、その……。

 

 

 

 

 やっ、やっぱり!?

 

 

「きみがいてくれないと生きていけないんだ……! きみが必要なんだっ!」

 

 わっ、ちょっと、泣くなって……。

 これ以上はそんな必死に言わなくても大丈夫だってのに。

 

「分かってる、わかってるよ! ぼくは弱い人間なんだ……一人じゃとても生きていけない弱虫なんだ!」

 

「あの、アルト……」

 

「でもきみをっ!! ぼっ、ぼくはきみを───」

 

 

 

「わかったから、ちょっと黙ってろ」

 

 

 アルトの言葉を遮り、彼の頭を抱きしめた。

 

 

 寧ろむりやり喋れなくするかのように、強く抱きしめて俺の胸に押し当てる。

 しかしあまりにも急な出来事のせいか、アルトが狼狽してる。

 

「……っ!」

 

「分かってるから。それ以上は言わなくてもいい」

 

 あの世界でソルドットのじいさんにやって貰ったように、アルトの頭を優しく撫でる。

 安心感を与える為に、ゆっくりと、割れ物を扱うかのように丁寧に。 

 

 母親のように……とはいかないだろうけど、俺なりの包み方で彼を落ち着かせよう。

 

 

「大丈夫だからな。俺はここにいるぞ」

 

「………」

 

「暴れない暴れない。大人しく抱きしめられてろって」

 

 撫でるだけじゃなく、後頭部を軽くポンポンと叩いてやる。背中を叩いて安心感を与える要領だ。

 それをしばらく続けていると、次第にアルトから体の震えが抜けていった。

 

 

 ふふん、どうよ俺のリラックス術は。参考元は昔世話してくれた教会のシスターさんとさっきのじいさんだぞ。

 慈愛と優しさを受け取るがいい……!

 

 

 ん、これで俺の言葉もしっかり聞こえるだろ。

 

「アルト……確かに俺、ちょっとは怒ってる」

 

「………」

 

「でも、それだけじゃないよ」

 

 そう言いながら、ゆっくりと腕を解いて彼を解放する。

 そして右手で、アルトの前髪をかき上げた。

 

 

 見えたのは、戦いで負傷した傷だらけの額。

 

 そこの傷が少ない部分を軽く撫でて、顔を近づける。

 

 

 

 

 そして───彼の額にキスをした。

 

 

 

 

「ありがとう、アルト」

 

 

「………」

 

「ん、ちょっと鉄の味」

 

 口の中に伝わった赤い鉄分を感じつつ、ぱさりと彼の前髪をおろした。キスされた場所はそれで隠れる。これなら恥ずかしくないだろ。

 

 

 そのまま微笑みながら彼を見つめていると、アルトは口をパクパクさせながら唖然としていた。

 

 なんだよ、大袈裟なリアクションしやがって。

 トリデウスの隠れ家近くでサンドイッチ食べてたあの時なんか、キザったらしいこと言ってたくせに。

 

 はっは、まだまだ初心なやつだな。

 今回は俺の勝ちだ! まいったか!

 

 

「ほらアルト、早く立って」

 

「……えっ?」

 

「はーやーく」

 

 わざとらしく彼を急かし、立ち上がらせた。

 すると、俺を大きな影が覆った。

 

 俺が小さいってのもあるけど、やっぱりアルトも少し背ぇ高いな。

 

「ほら、手つないで」

 

「う、うん」

 

 差し出した俺の手を、動揺しつつ優しく握るアルト。

 それを確認してから俺は空いているもう片方の手で、胸ポケットから魔石を取り出した。

 

 これはトリデウスの隠れ家に通じる転移石だ。

 

 生き返ったら死ぬ時一緒に消えた筈のアイテムも元に戻る……だなんて、都合が良すぎる。

 まぁでも、そんな神話時代の『都合のいい』力で蘇ったんだから、それぐらいのアフターケアがあっても不思議じゃないか。

 

 

 

「よし、とりあえず帰ろうぜ」

 

「帰るって……彼の隠れ家に?」

 

「他にないでしょーが」

 

 展開した魔法陣に向かって、手を繋いで歩き出す二人。

 

 この世界で帰れる場所は、今の所トリデウスの隠れ家しかない。

 これ以上巻き込まない──とか決めてた気がするが、魔王も倒したし他に味方も居ない。多少図々しくても、しばらくは彼の所で厄介になるつもりだ。

 

 

 

 

「ねぇ、ラル」

 

「ん?」

 

 魔法陣を通った瞬間、アルトが声をかけてきた。

 俺が返事をする頃には、既に目の前に見覚えのある小屋と草原が見えていたので、魔石は正常だったと一安心。

 

 

「呪いの事……これからどうしよう」

 

 

 そう呟く彼の顔は、少しだけ暗い。自分の責任は理解していても、やはり不安なものは不安なのだろう。

 

 そんな人間に言ってやる言葉なんて、決まっている。

 わからない、なんて言ってはいけない。ここは見栄を張ってでも、彼を導くべきだから。

 

 

 ふっふん! まぁ、実は少し心当たりがあるんだけどな!

 

「前にアイツから聞いた話だと……魔王って妹がいるらしいぞ」

 

「え? 聞いてないんだけど」

 

「言ってなかったからな。とりあえず落ち着いたらさ、その妹ってやつを探そうぜ。もしかしたら呪いを解く方法も分かるかもだし」

 

 自信ありげに言い放ち、再び歩き出した。

 もういろいろありすぎて、疲れてしまった。めっちゃくちゃクタクタなので、早く休みたい。

 

 

 先行して歩きつつ、笑いながら彼の手を引いた。

 

 

 

「ほら、はやく帰ろ!」

 

「……うん」

 

 

 

 同じように笑ってくれた彼と一緒に、隠れ家へと向かっていく。

 友人には迷惑をかけてしまうが、俺と知り合ったのが運の尽きだと諦めて貰おう。

 

 

  

 そんな図々しい気持ちを抱きながら、ドアに手をかけた。

 

 

 

 ───あ、そうだ。

 

 急にドア開けてビックリさせてやろう。

 

 

 

「ただいまーっ!!」

 

 

「ぎゃああっ!! 敵襲なのだぁぁ!?」

 

 

 

 

 




守護霊編おわり!


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バケモノ姉妹編
魔物助けをしましょうか


新章開始ですわよ


 

 

 

 

 なんやかんやあって魔王を倒して俺も生き返ったあの日から、はや二週間が経過した。

 

 相も変わらず世界中の人間はアルトを目の仇にしていて一向に治る気配がなく、また『魔王の妹』という人物の手掛かりも一切見つからないため早くも手詰まりになってきた感じがする。

 

 勇者が姿を現さなければ人々は普段通りの生活をする……というのは不幸中の幸いと言うべきか。

 それでもやっぱりこのままじゃ駄目だ。世界中の人、というよりユノアたち勇者パーティが今も敵だという事実がやるせないし、早急に解決を図りたいところ。

 

 

 今現在はトリデウスの隠れ家を拠点にしつつ魔王妹の情報を探っている。一刻も早く世界を元通りにするため日夜奔走してる──のだけど。

 

「ふぅ……すぅ……」

 

「……っ!? ッ!?」

 

 何故か朝起きたら同じベッドでアルトが寝てた。隣で寝息を立てながらぐっすり眠っている。逆に俺は身に覚えのない事態に狼狽するばかりだ。

 

 ……おかしい、おかしいぞ。普段俺とアルトは別々のベッドで寝てるはず。間違っても一緒に寝るなんて……た、たまにしかしない。

 本当にたまーにね。毎日一緒に寝られるほど俺の心臓強くないから。寧ろ一緒に寝る日は緊張して逆に眠れないくらいです。

 

「ひぇぇ……」

 

 ビビりながらそーっと、ゆーっくりベッドから抜け出る。このままじゃ二度寝も儘ならないぜ。

 物音を立てないよう静かに出ないと──ミスってベッドから転げ落ちた。

 

「いでっ!」

 

 つい声を挙げてしまった。あと床に打ったお尻が痛い。

 

「んん……?」

 

 あ、起こしちゃった。

 

「ふわぁぁ…………んっ、ラル?」

 

「おはようアルト。まずは俺のベッドにいる理由を教えてもらおうか」

 

「……えっ。ここ僕の部屋だけど」

 

「はい?」

 

 アルトに言われて焦って周囲を見渡してみると、壁に立てかけられてる聖剣を見つけた。あんなものが俺の部屋にある訳がない。

 

 え、ちょっと待って。

 もしかして……俺の方からアルトのベッドに潜り込んだのか? そんな訳なくない? 

 

「なんで!」

 

「えぇ……? 解らないよ、昨日は先に寝たし」

 

 どういうことなんだ。昨日は確か水上都市ゼムスの様子を見に行って、夕方には帰ってきてそれから──

 ……どうしたんだっけ。夜の記憶が全然残ってない。

 

 ──ハッ! まさか!

 

「おいアルト! 夜中俺に変な事した!?」

 

「えぇっ!? してないしてない!」

 

「お前まさか酒を飲ませて酔わせた隙に……! そ、そういうことはっ、もう少し……そのっ、だ、段階というものを踏んでからだな……

 

「いや本当に何もしてないって! まず自分の体を確認してくれ!」

 

 アルトに言われて自分の体を見回してみると、意外にも変な痕跡はなく服も乱れてはいなかった。アルトが俺を酔わせたんじゃないとすると……いよいよ解らなくなってきたぞ。

 

 とても混乱して頭を抱えていると、ふと部屋のドアが開いた。入ってきたのはショタじじいことトリデウスだ。

 

「お前ら朝からうるさい……って、何してるのだ」

 

「いや、俺昨日の事覚えてなくて……なんか知ってる?」

 

 ようやく立ち上がってからトリデウスにそう問いかけると、彼は呆れたような溜め息を吐いた。

 

 

「何を言ってるのだ? 昨日はゼムスの惨状を見て少し落ち込んだ勇者が先に寝て、その後お前が吾輩の酒を勝手に飲んで酔った挙句『慰めてやるぞ~アルト~』とか言いながら部屋で寝てる勇者を抱き枕にしてそのまま眠ったのではないか。吾輩には『邪魔すんなよ!』とか言って睨みを利かせて──」

 

 

「わぁー! わぁぁ!! あそうだ薬草! 薬草が足りないんだったよな!? ほらアルト薬草採取行こう薬草採取ッ!」

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 隠れ家の近くにある山では傷薬の元となる薬草やポーションアイテムに必要な素材なんかがよく採れるため、結構な高頻度でここには訪れる。

 

 勿論薬草が足りないという話も事実だったからここに来ることに問題はない……が、ショタじじいの暴露のせいで内心問題だらけである。

 

 一人で来ればよかったのに何故かアルトも連れてきちゃったし散々だ。今日はダメな日だな俺。

 

「あの……ラル? 今朝の事は全然気にしてないから大丈夫だよ?」

 

「うっさい」

 

 俺が恥ずかしいんだよ! 何かとんでもない勘違いしちゃってたし、事の発端が全部俺とか恥ずかしすぎて死ぬわ!

 

「あ、そこ薬草あるよ」

 

「うえっ」

 

 あぶねっ、薬草踏み潰すところだった。

 

「…………ハァ、ねぇアルト、ここら辺の薬草を回収したらもう帰らない?」

 

「いいけど……どうかした?」

 

「今日はやる気出ない。たまには休も」

 

「わかった」

 

 生き返った次の日からは「皆を早く戻さなきゃ」という気持ちに急かされて、ずっと毎日休みなく活動をしていた。今日妙にやる気が出ないのと昨晩の暴走もきっと疲れのせいだ。適度な休憩が明らかに足りていない。

 

「見てラル、このキノコ変な形してるよ」

 

「それ猛毒キノコだぞ。匂い嗅ぐだけで意識吹っ飛ぶ」

 

「うわぁっ!?」

 

 確かにアルトと一緒に居られることは嬉しい。とても嬉しい……のだが、それはそれとしてパーティの皆を忘れられる訳ではない。このまま二人きりでもいいかな、なんて考えられるほど俺は楽観的な性格ではなかったらしい。 

 

 エリン達に全ての事情を話して納得してもらったうえでアルトと一緒にいたい、というのが本音だ。勿論そんな簡単にいくとは思えないがそうなって欲しいと思っている。

 

 その為にはまずエリンとファミィに謝れる状況を作らなければ話ならないのだが、そうなるとどうしても魔王の呪いが邪魔くさい。

 

「困ったな……」

 

 薬草を背中の籠に放り込みながら溜息を吐いた。

 

 そもそも魔王の妹なんて本当にいるのか? 元四天王のトリデウスですら何も知らなかったし、二週間調べても情報が全く出てこないような人物を見つけ出して協力させるなんて、まるで雲を掴むような話だ。

 

 唯一の手がかりは情報源でもある魔王の発言だけ。

 誰にでも優しくて虫も殺せないような子、なんて言っていたけどそれ本当にあの悪魔の妹なのか。これがあいつの与太話だったらいよいよアルトが詰んでしまう。

 

 どうしたもんかね。少なくとも妹は俺とは正反対な性格っぽいから、直ぐに打ち解けるのは難しそうだけども。

 

 

「おーいラル! こっちに来てくれ!」

 

「どうしたー?」

 

 突然アルトに呼びかけられて振り返ると彼が手を振っている。

 不思議に思ってアルトの方へ近づくと、彼の足元には猪っぽい魔物の頭部が転がっていた。

 

「戦闘したのか?」

 

「いや、最初からここに転がってたんだ」

 

「魔物の生首なんて珍しいものじゃないだろ」

 

「……ここを見てくれ」

 

 アルトが指差したのは魔物の頭部の付け根部分だ。体がある頃は首という名称がつくその部分を凝視してみて、ようやく違和感に気がついた。

 

「……食い千切られた痕がない?」

 

 魔物の頭部にはまるで刀で切断されたかの様に綺麗な切断面があった。当然、魔物には不可能芸当だ。これが出来るとすれば相当な剣の達人くらいのもの。ワザマエ。

 

 しかし、この山周辺には人間は一人も暮らしていない。そもそもこの辺りにはトリデウスが設置した「人間に反応するバリア」が張られていて、人間が来た場合は警報が鳴る仕組みになっている。

 

 しかしこの二週間で警報は一度も鳴っていない。となると、剣を使う魔物の仕業ということになるけど……。

 

「強力な魔物が来た場合でも警報って鳴るはずだよな。でもここら辺にそんな強い魔物なんて──」

 

「ラルっ、誰かいる!」

 

 顔を上げた瞬間アルトが気配を察知し、聖剣を鞘から抜いて構えた。

 彼に庇われるようにしてアルトの背中に隠れると、目の前にある奥の茂みがガサガサと音を立てた。

 

 もしかするとこの魔物を斬った何者かかもしれない。アルトも滅多な事では負けないが念のため煙幕玉で逃走の準備をしておこう。

 

「アルト……」

 

「大丈夫、魔王ほど圧は強くない」

 

 そう言って微笑むアルト。既にラスボスを倒したあとの勇者は頼りになるな〜、なんて考えている内に茂みの中から何者が姿を現した。

 

 

「…………女の子?」

 

 

 アルトが呆けた声を出した。

 改めて俺もしっかり前方を確認してみたが、そこにいたのは彼の言った通り幼い少女の姿をした人物だった。

 

「うっ、ぅ……」

 

 少女は非常に窶れた表情で歩いていて今にも倒れそうな雰囲気だ。

 しかし、彼女を見て俺が抱いた感想は別のものだった。

 

 

 肩辺りで切り揃えられた、透き通るように真っ白な髪。

 

 ルビーを思わせるほど綺麗な深紅の瞳。

 

 一瞬────魔王の姿が頭に浮かんだ。

 

 

「うぁっ……」

 

「っ! アルト!」

 

 少女が倒れそうになった瞬間俺が叫ぶとアルトが瞬時に移動して彼女を支えた。

 焦って俺も駆けつけて少女の様子を確認してみたが、どうやらかなり衰弱しているみたいだった。

 

「この子相当消耗してるよ、魔力が殆ど感じられない」

 

「……警報が鳴らなかったって事は、その子はそこまで強くない魔物だよな?」

 

「多分そうだけど……どうしようか?」

 

 アルトに意見を求められて、少し固まってしまった。

 

「えぇっと……」

 

 最初はあの極悪非道の性悪女に見えてしまったが、よく見れば似てはいるものの別人だ。魔王は俺たちが倒したんだからそもそもいる訳ない。

 

 それに白髪赤目ってのも人型の魔物ならそこそこいるし、この子も悪魔系統の魔物に違いない。

 

 まぁ、でももしかしたら…………期待するだけ無駄かもしれないが他に手掛かりもないし、そもそもこのまま見捨てるのは論外だ。

 

「隠れ家に連れていこう。低級魔物の治療くらいはトリデウスも許してくれるだろ」

 

「うん、わかった」

 

 というか正直に言うと他にやる事無いだけなんだよな。人助けならぬ魔物助けだけど、何にせよ正しい事なら時間の無駄にはならないと思う。

 

「……どさくさに紛れて変なとこ触んなよ?」

 

「背負うだけだって!」

 

 とりあえずはこの魔物の治療だな。帰るぞー!

 



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シスちゃん初めまして

山なし谷なし日常回


 

 魔力切れで倒れてしまった白髪の少女を連れ帰ってから、時間が経って現在は夜。

 

 俺とアルトは居間で待機しており、現在はトリデウスが別室で、つい先程目覚めた少女の検診を行ってもらっている。魔物の体の事は魔物に任せろと言われたので、とりあえずあの子のことはトリデウスに全て任せた。

 

 しかし、彼女を連れてきてしまったのは俺たちだ。このまま何もしないのは気が引ける。何かないだろうか───なんて考えていると、寝室からトリデウスが出てきた。途端、俺とアルトは椅子から立ち上がる。

 

「どうだったんだ、あの子?」

 

 俺がいの一番に口を開くと、トリデウスは軽く笑いながら肩を竦めた。

 

「なんて事ない、本当にただの魔力切れだったのだ。様子を見るにあの魔物、自らの魔力量を知らなかったようでな」

 

「じゃあ……体に異常とかはない感じ?」

 

「いたって健康さ」

 

 その言葉にホッと胸を撫で下ろす。

 助けた、なんて言葉を使うには烏滸がましい気がするけど、それでもやっぱり連れてきてよかった。魔力切れで動けなくなっていたから、山であのまま放っておいたら獣か何かに食われてたかもしれないし、強制連行は正解だったようだ。

 

 ひとまず安心して俺が座ると、アルトが低い声を発した。

 

「……素朴な疑問なんだけど」

 

「どうしたのだ?」

 

「あの子、何であんな状態で裏山を彷徨ってたんだろう。見るからに野生タイプの魔物ではなかったけど、旅ができるような装備は何一つ身に付けていなかった」

 

「ううん……」

 

 アルトの言葉を聞いて、顎に手を添えながら逡巡するショタ爺。

 少し間を置いて、再びトリデウスは口を開いた。

 

「……恐らくだが、彼女は“居住区”の出身なのではないかな」

 

 

 居住区──魔物が人間同様“普通に生活をしている”場所のこと。……らしい。俺も最近知ったばかりだ。

 

 魔物には大きく分けて『知性タイプ』と『野生タイプ』の二種類が存在する。まぁ、言葉の響き通りの違いだ。

 

 トリデウスや魔王のように言葉を使ったり魔法を使えるのが知性タイプ。聖剣のダンジョンで俺を襲った狼みたいな魔物が野生タイプといったところ。

 

 普通の動物と魔物の違いは、単純に魔力を持ってるか否かということだけだ。この世界は別に全ての生物が魔力を有しているわけではない。

 

 少し脱線したが、要するに先程の“居住区”という場所は知性タイプの魔物たちが生活をしている場所ということだ。そこでの生活は人間たちと大差ないと聞いている。

 

「何かしらあって家から追い出されたのかもしれん。身なりも綺麗で、魔法を使えて、しかし自らの魔力量を知らないという勉強不足、そして手ぶらでの旅。……多分、どこぞの教育途中の令嬢だったのだろう」

 

「貴族制とかあるなんて、知性魔物も人間と変わらないんだな───ぁっ、ていうかさ」

 

 少し気になったことがある。

 

「俺たちが倒したから魔王がいなくなった訳だけど、その……居住区の魔物とか、魔王軍の奴らとかは今どうなってるんだ?」

 

 魔王が死んだあとの魔物たちの事。魔王の呪いを解くことに精一杯で、その事を失念していた。

 俺のその質問に、意外にも早くトリデウスは答えてくれた。

 

「本来なら魔王様のご子息かご息女……最悪血縁関係のある者が跡継ぎになるのだが、あの方は子を生さなかったし、噂に聞く妹君も消息不明──果ては血縁者が存在しないときてしまってな。結局、魔王軍の中核にいた穏健派の魔物が新たな魔王になったよ。まだ二週間だが……上手くやってくれている。故に魔物たちも案外平和だ」

 

 彼なら人間といざこざを起こす心配もあるまい──そう言いながら、トリデウスはキッチンで自分のお茶を用意し始めた。

 

「そもそもお前たちが討ったあの魔王様が過激派を先導していただけで、本来なら人間と魔物が争う理由など無かったのだ。……もっとも、彼らも所詮は魔王様の玩具に過ぎなかったようだが」

 

 魔王が死んだことで過激派は鳴りを潜め、魔王の恐怖から解き放たれた穏健派の魔物たちによって、魔物社会は立ち直りかけている。そのうち人間たちとも共存できるよう尽力するだろう───と。

 

 別段何も解決はしていないが、少なくとも魔王がこの世を去った今、彼女が存命だった頃より戦いが悪化するような事はないだろう……だって。やっぱりアイツが元凶だったんじゃねぇか。ほんとに悪いヤツだなあの性悪女。

 

 

「──ラル、トリデウス、話を戻すけど……結局あの子はどうするんだい?」

 

 アルトの一言で話しが逆戻りした。でも今回はそれが本題の筈だったので助かる。

 

 魔物社会とか人間との確執とかよく分からんし、俺は魔王の呪いが解けて勇者パーティの皆とまた一緒にいられれば何でもいい。

 

 とにかく、今は目の前の事だ。

 

「俺が話してくるよ」

 

「大丈夫そう?」

 

「アルトより魔物と話した経験は豊富だからな。それに同じ女の方が警戒も薄れるだろ」

 

 白髪の子があの見た目で男の子だったら大失敗だけど、まぁ多分大丈夫でしょ。俺にまかせろー(バリバリー)

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 寝室のドアを開けた先には、ベッドに腰掛けている白髪の少女がいた。意識もはっきりと回復しているようで、部屋に入ってきた俺を見た途端体を強張らせている。

 

「こんばんは」

 

「…………」

 

 返事はないものの、ただの警戒であって敵意はなさそうだ。黙ってるけど睨みつけているわけじゃない。

 

「そこ、座っていいかな?」

 

 ベッドの近くにはトリデウスが診察で使ったであろう椅子が置いてある。

 立ち話もなんだし、まずは同じ目線で話がしたいところだが。

 

「………どうぞ」

 

 ぼそり、と。掠れたような声音で彼女は返事をしてくれた。

 

「ありがとう、失礼するね」

 

 刺激しないようになるべく優しく、棘がないように話をしなければ。

 やさしく、やさーしくね。教会で俺を治してくれたあのシスターさんみたいにね。

 

「改めて、初めまして。お──」

 

 俺、と言いかけて止まった。もう今は女の俺が『俺』という一人称を使ったら、少女は違和感を覚えて警戒を強めてしまうかもしれない。

 

 アルトやトリデウスの前ではすっかり『俺』だけど、少女からすれば俺は普通に女な訳だし、親近感と言う面で考えてもこの子の前では『私』を使った方がいいのでは……?

 

 うん、そうしよう。『私』は使い慣れてないけど、前世じゃ話す相手によって僕とか俺とか使い分けてたし、これくらい造作もない。

 

「私はラル・ソルドット。良ければ君の名前を教えてくれない?」

 

 努めて明るく振る舞い、笑顔を張り付けて名前を聞いた。

 初対面の対応としては間違ってない筈。あの魔王ですら俺との初対面では元気よく挨拶してくれたんだから。

 

「…………シス、です」

 

「シスちゃん、でいいのかな」

 

 コクリと頷く白髪少女──シス。とても魔物らしいシンプルな名前だ。覚えやすくて助かる。

 

「ありがとう。そう呼ばせてもらうね」

 

「……はい」

 

 小さい声で返事をするシス。どうやら意思疎通は問題ないらしい。

 

 さてさて、まずは名前を聞いたわけだが……ここから俺はどうすればいいのか。

 

 想像以上にシスは出来た魔物というか、まともな子だ。敬語もしっかり使えるし、俺が人間だからといって取り乱すような事もない。

 

 ならば不安要素も大してないけど──教会のシスターさんに習うとすれば、こういう時は無闇に相手の事情を聞いてはいけない。

 

 何で魔力切れになるまで魔法使ったのーとか、何であんなところに一人でいたのーとか、目に見えた地雷は回避していかねば。死ぬほど落ち込んでいた奴がいるとして、俺がそれを荒治療できる存在はアルトだけだ。

 

「この辺には私たちしか住んでないから、安心して休むといいよ。追い出したりはしないから」

 

 ……いかん、優しい口調って難しい。今の言葉「動けるようになったらさっさと出ていけ」みたいな感じに聞こえてしまうかも。白髪少女も眉を顰めているしこれは良くない。

 

「えぇっと……!」

 

「…………」

 

「あっ、お、お腹減ってない!? 私料理はそこそこ出来る方だから、お腹減ってたら遠慮なく言って!」

 

「………少し、減ってます」

 

「ほんと!」

 

 会話続かなそうだったから助かった! よしご飯作ろう!

 

 くっそぅ……人生の九割を盗賊に費やしてた裏目がここにきて露骨に出てきやがった。まともな会話が続かねぇ。俺に出来る事はご飯を作ることだけだ。

 

「ちょっと待っててね、サッと簡単なもの作って来るから!」

 

 善は急げだ。早くキッチンへ行こう。

 

 

 ──そう思って椅子から立ち上がり、寝室のドアに手をかけた瞬間。

 

 

「あの」

 

 シスに呼び止められてしまった。何事かと思って振り返ると、そこには困惑したような、複雑な表情をした彼女がいる。

 

「何で……事情、聞かないんですか」

 

 先程よりは力のある声で告げるシス。その目もしっかりと俺を捉えている。

 

 何で──と言われても、そこは教会のシスターお姉さんからの受け売りだからとしか……いや、まぁそれを直接言うわけないんだけども。

 

「……君が話したくなったら、話してほしいかな。それまでは聞かないし、言いたくない秘密なら無理に言わなくてもいいよ」

 

「…………そう、ですか」

 

「俺たち──んんっ………私たちは君の味方だから。ここでは好きに過ごしてくれていいし──あんまり気張りすぎないでね」

 

 なるべく笑顔のまま伝えきって、俺は部屋を後にした。

 

 

 あの少女の抱えてる事情はもちろん気になるけど、見るからに精神的ダメージ多いっぽいし、無理強いはいけない。

 

 こういう時は北の街でアルトを励ましたとき同様、ほんわかとした雰囲気でそっと助け舟を出す程度が丁度いいんだ。

 

「おーいアルト」

 

「ん?」

 

 ソファに座っているアルトを呼んだ。すると彼は首だけをこっちに向ける。

 

 ──うん、初対面の魔物を相手にシスターの真似事は少し苦労したけど、アルトの顔を見たら元気出てきた。今朝はいろいろ空ぶったりもしたけど、まだまだ頑張れそうだ。

 

 まぁ、それはそれとしてコイツには頼るけど。

 

「夕飯、シスの分も一緒に作るから手伝って」

 

「シス? ……あぁ、あの白髪の子か」

 

 うん、わかった。そう言って俺と一緒にキッチンに並ぶアルト。そういえば一緒に料理したことってなかったかも。

 

 よーし、では初の勇者と盗賊のクッキングタイムを始めましょう。

 

「いくぞー」

 

「おー」

 

 

 



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つかの間の平和 されど平和

更新が二ヵ月ぶり……?(ッヘーイ) 嘘だ、僕をだまそうとしている……!(エキサイエキサーイ) うっ頭が


 

 

 物心がついた頃から自分の周りは敵ばかりだった。

 

 自分でも制御できない程の強すぎる魔力は、幼い子供が当たり前のように受け取るはずの優しさを、自分の周囲から遠ざけていった。今になって考えてみれば自分にはそんなものは最初から無かったのだろう。

 

 恐ろしい、気持ち悪い、云々。その場にいるだけで強大な魔力による威圧感で他者を気圧してしまう自分は、厄介者なんて言葉では片付かない程に迷惑な存在だった。

 

 親には捨てられ、怪しい人間には捕まり、顔の作りや淡色の髪は良いからと玩具奴隷として売られ、腐臭漂う馬車の荷台に乗せられた自分は自分自身の境遇を悟った。

 

 きっと趣味の悪い金持ちの玩具にされ、飽きるまで嬲られた後はゴミのように捨てられ、ただ無意味に一生を終えるのだろうな、と。

 達観していたわけではない。ただ自分という存在を諦めてしまっていただけだった。

 

 

 ──そんな時、手が差し伸べられた。

 

 

 馬車を引く行商人の頭を握り潰し、馬から荷台を切り離し、逃げていく他の奴隷たちには一瞥もくれずその人は真っ直ぐ自分の元へ歩み寄り、手を握ってくれた。

 

 

『バケモノ同士、仲良くしましょ』

 

 

 そう囁いた白髪の少女は自分の額にキスをして、死んでいた自分の心を生き返らせてくれた。一緒に生きようと提案し、困惑する自分を連れ出してくれたのだ。

 

『あなたは今日から私の妹だよ』

 

 名無しだった自分に『シス』という名前を与え、更には魔王軍という居場所を与えてくれた。

 彼女は軍の中でも一際目立った存在で、長たる魔王に対しても一歩も気後れしない強い人で。

 

『ほらシス、一緒にご飯を食べよう』

 

 家族はおろか生まれてから一度も与えられなかった、優しさという温かさをこれでもかというほど与えてくれて。

 

『シス、一緒にお風呂に入らない?』

 

 生きる術を、知性のある魔物として生活するうえで自分からは欠如していた”当たり前の常識”を叩きこんでくれて。

 

『おやすみ、シス』

 

 道端の石ころ同然だった名無しの魔物を、シスという一人の少女として生まれ変わらせてくれた。血は繋がっていなくても、そんなことは関係ないと、決して見返りを求めない無償の愛を注いでくれた。

 

 どうしてそこまでしてくれるのか──たった一度だけ質問したことがある。

 その時彼女は、苦笑いをしながら答えてくれた。

 

 

『シスだけだったから。私と同じ、生まれながらのバケモノは』

 

 

 彼女は『意思を持った災害』などと揶揄されたことがあったという。自分も似たようなもので、家畜同然の扱いで育てられた村では大した捻りもなく『病原菌』とだけ呼ばれていた。

 

 そんな話を私たち二人は、過ぎ去った昔話として笑った。きっと忘れられる過去ではないけれど、彼女と一緒なら乗り越えることができた。忌み嫌われる存在であったとしても、彼女の妹として──バケモノ姉妹としてなら世界にだって抗えた。

 

 

 

 でも、日を追うごとに自分の力は強くなっていって。

 姉と違って力のコントロールができない自分の自意識は次第に壊れていった。

 

 それこそ本当のバケモノのように不幸を振りまく怪物へと変貌し、暴れて、暴れて、暴れて。

 

 過激思想ゆえに意味もなく無闇に人間たちを蹂躙していたその時代の魔王軍の連中は、ほとんど自分が皆殺しにした。殺そうと思って殺したわけではない。自分の意志では体を制御できず暴走した末に殺戮を繰り返していて、たまたまその標的が魔王軍だったというだけの話である。

 

 数人は取り逃がしたが、あとは姉を残して魔王軍は崩壊した。たった一人、この自分の手によって。

 

 

 誰も自分には勝てなかった。どうあっても自分は()()()()()()()()()()()()

 

 魔力の増幅によって生命力が飛躍的に向上していき、ほとんど死なない肉体へと進化したのだ。

 傷口は即座に塞がり、首をはねられたとしても数秒で再生し、強靭な生命力が瞬く間に免疫を生成するため猛毒の類も水泡に帰する。

 

 不死身の怪物。一言でいえばそれだ。

 

 同じ不死身の体を持ちながらも知性タイプの魔物然としている姉とは違い、理性を無くして暴れまわる自分はまさに災害そのもの。敬愛する姉の声にすらも耳を傾けず、全てを破壊せんとする自分は止まらない。

 

 

 そんな時、いつかの取り逃がした魔王軍の残党が再び自分の前へ現れ。

 報復だ、仲間の仇だと喚きながら彼らは古代兵器を用いた特殊な術を使い──自分を封印した。

 

 超常の力を持つ古代兵器を利用したその封印に施されていた特殊な術式とは『封印の解除を姉の命とリンクさせる』というものであった。

 

 

 つまり姉が死ぬまで封印は解けない。

 

 当の姉は不死身の肉体を持っているため死ぬことはない。

 

 ゆえに自分の封印が解ける時は、この星が終わりを迎えようとも訪れることはない。 

 

 

 災害である自分がいなくなれば世界は保たれる。封印されていれば姉を傷つけることもない。疑う余地もなく良いこと尽くめだ。自分への復讐という私怨だったとはいえ、魔王軍残党の彼らは誇張なしに世界を救った。

 

 

 

 

『ダメだよ、そんなの』

 

 

 しかし、姉はそれを認めなかった。

 

 

『シスの自由を奪う権利なんて誰にもないんだ』

 

 

 封印の棺に吸い込まれていく自分を前にして、姉は不敵に笑ってみせた。

 

 

『シスは何も悪くない、あなたよりも脆弱なこの世界が悪い』

 

 

 姉の意地を見せる時だ──などと平気で嘯いて、もう一度だけかつてのように私の額にキスをしてくれた。

 

 

 

『不死身の私だけど、ちゃんと死んであなたの封印を解くから』

 

 

『目覚めた後でも皆がシスを目の敵にするのなら、その時はこんな世界なんて滅ぼしてしまえばいい』

 

 

『……一人は嫌だ? 寂しい? ふふっ、心配ないよ』

 

 

 

 

『たとえ幽霊(ゴースト)になってでも──必ずあなたを迎えにいくから』

 

 

 

 

 ───でも、迎えに来てはくれなかった。

 

 魔力を使い果たす程に暴れても、封印から解かれた自分を見つけてはくれなかった。

 

 当然察した。彼女は幽霊になどなれなかったのだと。死者でありながらこの世に魂が残留する確率はあまりにも低い。幽霊(ゴースト)という在り方は奇跡に近い、普通ならばなれる方がおかしいくらいの存在なのだ。生まれながらにして特別だった姉ですらも、そうなることができなかったほどに。

 

 

 だから、自分の中に残っている願いはシンプルだ。愛してくれた姉のいない世界で、自分が望むことなど一つしかない。

 

 

 この世で唯一不死を殺すことができる『聖剣』。

 おそらくはそれを手にして姉を殺したであろう『勇者』を見つけ出し、そして。

 

 

 

 ──姉の骸のすぐそばで、どうか自分も殺してほしい。

 

 

 

 それだけが自分の願いだ。

 

 

 

 

 

 

★  ★  ★  ★  ★

 

 

 

 

 

 

 

 

「……っ?」

 

「あっ、起きた」

 

 

 まさに快晴。気持ちのいいお洗濯もの日和な青空の下、広々とした草原の中央に聳え立つクソデカい大樹の木陰で俺に膝枕をされていた淡色の髪の少女が目を覚ました。

 

「おはよう、シス」

 

「……んんぅ」

 

 寝ぼけ眼をこすりながらゆったりと上体を起こし、そのままボーっとするシス。心ここにあらずといった感じだが、妙な夢でも見ていたのだろうか。

 

 

 シスを拾ってから既に一週間が経過している。開始三日で俺の元の口調と一人称はバレてしまい、呼び方を『シスちゃん』から『シス』に変えてからは少しだけ距離が縮まったような気がしなくもない。

 

 現在時刻は昼過ぎ。今日はお弁当を持ってこの草原でランチと洒落込もうという話になり、渋るトリデウスとシスを連れて、アルトも含めて四人で近場のこの草原へ訪れたというわけだ。

 

 ちなみに食事は既に終わっており、お腹いっぱいでおねむになってしまったシスに膝枕をしてあげたのが三十分くらい前の話。

 

「よく眠れたか?」

 

「……い」

 

 段々と意識がハッキリしてきたのか、シスは見た目相応の眠そうな子供っぽい顔から、普段の少し目つきが悪い無表情へと戻っていく。どっちにしろシスはかわいいので問題はない。

 

「……申し訳ありません、無遠慮にもお膝を貸して頂いてしまって」

 

「固いなぁ。膝枕なんていつでもやるって。慣れてるし」

 

「慣れてる……のですか?」

 

「…………」

 

 失言だった。死ぬほど顔が熱い。

 

 いや、別に? たまーにアルトにしてあげてるだけだし? あいつがどうしてもっていうから仕方なくな? 俺の意思ではない、うん。アイツが悪い。

 

 

「あーアルト! そっちにスライム行ったのだ!」

 

「よっし、任せてトリデウス──なにっ!? ま、股下を……!?」

 

 

 うるせぇなアイツら……。

 てかアルトのやつ、この一ヵ月でトリデウスと仲良くなりすぎだろ。

 

「……あの二人は何をしているのですか?」

 

 不思議そうな顔でバカどもを観察しつつ聞いてくるシス。そういえばあの二人がスライムを追いかけまわす前にお昼寝したんだったか。知らなくて当然だ。

 

「なんかトリデウスの眼鏡がめっちゃ速いスピードで行動するスライムに奪われたらしい。アルトと協力して奪い返そうとしてんだけど……あのザマだ。どう思う?」

 

「弄ばれてますね。……スライムに」

 

「そうなんだよな、遊ばれてるんだよな。……スライムに」

 

 クッソ速いスライムに翻弄されるショタと少年の絵面は中々に愉快で、見ている分には面白い。当人たちは至って真面目なんだろうけど。……ていうかあの高速スライム本当に何者なんだ。

 

「うぎゃああぁぁ! コイツ火の玉吐き出しやがったのだ!?」

 

「逃げるんだトリデウス! 一旦態勢を立て直しアッヅ!!? ちょっとまアッヂ!! くっそこのスライムぁ!!」

 

 元魔王軍幹部のトリデウスと聖剣の勇者のアルトが完全に遊ばれている。あのスライム魔王より強いんじゃなかろうか。

 

 

 ……まぁ、あんな風にアルトがまた自然に過ごせるようになったのは良いことだと思う。

 

 シスが来てからは部屋のクローゼットから無闇に聖剣を取り出すこともしなくなったし、以前のように気配りのできる勇者に戻ってきた。やっぱりアルトには守る対象がいた方が、勇者としての自意識がしっかりするのかもしれない。魔王の呪いで勇者殺すマンになった仲間たちを見て落ち込んでいた時とは大違いだ。

 

 今回のランチも半分はアルトが作ってくれた。スラム時代に持ってきてくれたあの美味いサンドイッチとか色々、ともかくシスのために張り切っていた。見た目的には少々幼いシスの姿を、勇者パーティの最年少シスターだったあのエリンと重ねているのかもしれない。基本的にアルトとは対等な立場の俺ではどうにもできないポジションだ。

 

 

「……楽しそう、ですね」

 

 ふと、シスが呟く。

 その目は少し先にいるバカ二人を見ているようだが──それよりも遠くの何かを見ているようにも感じられた。

 

「混ざってきてもいいんだぞ?」

 

「いいえ、シスは運動が得意ではありませんので」

 

 自分の名前を一人称にしているシスはそう言って苦笑いした。確かにどこか病弱っぽいというか、薄幸の美少女的な雰囲気はあると思う。俺と違って……なんというか、ヒロインっぽい。

 

「じゃ、あいつらが遊んでる隙におやつ食べようぜ。クッキーがあるぞ」

 

「えっ……でも、いいんでしょうか?」

 

「いいんだいいんだ。アルトたちがスライムに勝って戻ってくるか、俺たちが先に全部食べちゃうかのチキンレースって感じで。……ほいっ、あーん」

 

「あ、あーん……?」

 

 バスケットから一つ取り出したクッキーを差し出せば、若干困惑しつつもシスは口を開けてくれた。

 そしてパクりとクッキーを口に含んで咀嚼すると、分かりやすく目を輝かせる。

 

「美味しい……」

 

「おかわりもあるぞ」

 

「っ!」

 

 バスケットごとシスの方に差し出すと彼女はひょいひょいとクッキーを手に取り、無言でモソモソと食べ始めた。一気に大量のクッキーを口の中に含みすぎてハムスターみたいになっている。かわいい。

 

「俺もたーべよ」

 

 自分で作ったお菓子をつまんでみれば、口の中に程よい甘さが広がっていった。

 うん、うまい。我ながらよく出来ているし、これならシスががっつくのも頷ける。

 

「モフモフ……モグモグ……んぐっ、ごほっ!」

 

「ゆっくり食べな……?」

 

 むせた白髪少女に水筒を手渡しつつ、バスケットの中からこっそりアルトとトリデウスの分を小皿に取り分けておく。

 

 青空の下で暖かい陽気に当てられながらクッキーを食べ、バカ二人とスライムの追いかけっこを眺める。

 そんな一日も悪くないな──と考えつつ、爆速でクッキーを消費していくシスを見て苦笑いをするのであった。

 

 



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