氷柱は人生の選択肢が見える (だら子)
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其の一: 「転生者は人生の選択肢が見える」


はじめまして。鬼滅があまりにも面白すぎて書いてしまいました。これほどまでに虜にされたのは久方ぶりです。WEBジャンプで一巻ほど無料で読めたのが運の尽き。気がつけば全巻購入してました。

完結までの目処はたってはいますが、なにぶん執筆が遅いので、のんびりペースになります。よろしくお願いします。あと、コナン連載も見てくれている方は久々の更新がこちらで申し訳ない。




自分の周りに刀を腰に携えた男女が数名いるんだけど、どうしたらいいと思う?

 

生前の二十一世紀ではお目にかかることが少なくなった豪華な日本家屋。そこで私は遠い目をしながら正座をしていた。チラリと目線を横に向けると先程言った刀を所持している男女九名が目に入る。彼らは軍服のような黒い服と多種多様な羽織を着ていた。これだけ見れば『どこの軍隊にいるの? お前何か悪いことでもして捕まった?』と言われると思う。聞いて驚け。私も物騒な彼らと同じ格好をしているのだ。

 

思わずハハッと笑ってしまうと右からツンツンと腕をつつかれる。私はつつかれた方へ顔を向けるとそこには蝶々の髪留めで髪を結った女性がいた。

 

「もうそろそろ柱合会議が始まります。突然笑いだすのはやめたほうがいいですよ。あなたの悪い癖です、『氷柱』さん?」

「しのぶの言う通りですね。分かりました」

 

蟲柱、胡蝶しのぶが私を『氷柱』と呼んだ瞬間、またもやハハという笑いが零れた。それを見た胡蝶しのぶが呆れた顔になる。彼女には悪いとは思うが、笑わずにはやってられないんだよ…。心の中でデカすぎるため息を吐く。

 

(どうして! 私は! 鬼滅の刃の世界に転生しているんだ!!)

 

そうここは『鬼滅の刃』の世界なのである。私が生前で死亡したときにはまだまだ絶賛連載中だった、あのダークファンタジー漫画だ。炭焼きが家業の主人公『竈門炭治郎』が殺された家族の仇討ちと鬼にされた妹『禰豆子』を元に戻すために戦う話である。舞台は大正時代の日本。ファンタジー要素として、人を喰らう『鬼』と、それを特殊な剣技を使って倒す人間が集まる『鬼殺隊』が存在する。そんな物騒極まりない世界が今、私が生きている『鬼滅の刃』の世界観だ。

 

(二十一世紀で死んだと思えば、まさか漫画の世界に転生するとはな…)

 

生前、というワードをよく使っていることから気が付いた方が多いかと思うが、私には前世の記憶がある。二十一世紀に生き、『鬼滅の刃』を愛読していた記憶があるのだ。正直、頭がおかしいんじゃないかと自分でも思うが、事実である。

 

どうして転生なんかしてるんだろうな…。しかも、漫画の世界…。十歳の時に前世の記憶を思い出して早九年。この九年間ずっと「何で! どうして! 私は漫画の世界にいるのだ!!」ばかり言っている気がする。早く嘆くことをやめ、現実を受け止めるべきなのだろうが、鬼滅の刃世界が思ったよりも危ない世界だったため、現実を受け止めたくなかった。鬼滅の刃世界の醍醐味ともいうべき『鬼』という存在が今世の私をめちゃくちゃ苦しめてきているのだ。なんせ、その鬼のせいでこんな場所――鬼殺隊の本拠地でもある産屋敷邸にいる羽目になっているのだから。

 

『柱』としてな!!

 

そう今、私は柱として柱合会議に参加していた。先程述べた、刀を所持している男女九名は鬼殺隊の柱達である。ちなみに柱とは鬼殺隊で特に強い剣客に与えられる称号だ。つまり、鬼殺隊の幹部と言ってよく、悪いように言い換えれば鬼に真っ先に狙われる人間である。ふざけないでほしい。

 

念のため言っておくが、本来なら私は『柱』になるほど強い剣士ではない。良いように言って鬼殺隊の中でも上の下くらいの力しかないのだ。まず他の柱には絶対に勝てず、彼らとの訓練があるたびに必ず私は負けていた。冗談抜きで真面目に私は弱い。いや、ほんとマジで。

 

では、何故、弱い私が鬼殺隊の最上位『柱』になっているのか?

 

理由は簡単だ。

――――転生特典のせいである。

 

これだけ聞けば「弱いままで柱になれるようなスッゲー転生特典持ってんの?! いいなあ!」と言われるかもしれない。だが、これは『良い』転生特典なんてものじゃねえ。最早呪いである。とりあえず、柱になった経緯や転生特典、これまでの私の人生について簡単に話していこう。

 

 

 

 

私が生前の記憶を思い出したのは十歳の時。

今まで育ててくれた義父が鬼だと判明し、彼を殺した結果、記憶が蘇った。

 

唐突の暗い過去の暴露に皆さんビビったと思う。私も己の過去を落ち着いて振り返った時、「重ッ!! 私の過去重ッッ!!」と思わず叫んだ程だ。ここは鬼滅の刃の世界。登場人物の殆どがドン引きするレベルの重い過去持ちばかりなので、恐らく私もそれに引き摺られたのだと思う。

 

(本当にそういうのはいらない。私も幸せな過去が欲しかったなあ…)

 

今世の人生は最悪で、三歳にして流行病で両親を亡くし、扱いに困った村人達に売られたのだ。この時点で私の人生ベリーハードだと思う。そうやって人買いに手を引っ張られながら奉公先に向かう道中、山賊に襲われた。なんとか命からがら山賊から逃げ、もう駄目だ疲れたと思った時に出会ったのが鬼の義父である。

 

当時の私は義父が鬼だとは知らなかった。彼は人を襲わず、人を食べず、誰に対しても真摯に対応する、善良な『人』だったのだ。また、義父は教師をしており、貧しい家の子供達に勉学と剣道まで教えていた。そんな彼がまさか鬼とは思うまい。

 

幸せが崩れたのはあの日。

十歳になったばかりのあの日、私は目撃してしまったのだ。

 

 

義父が人の形をした『何か』を喰らっているところを。

 

 

主人公、竈門炭治郎のモノローグでもあった「幸せが壊れるときにはいつも血の匂いがする」とはまさにこのことだろう。むせ返るような血の匂いと衝撃的瞬間を見て、私は悲鳴を上げたものだ。その声を聞いた義父は酷く驚いた様子で振り返り、逃げた。

 

逃亡した義父の背中を見送った後、どうするべきかと何分か右往左往。胸が張り裂けそうで、苦しくて、不安と混乱で頭がどうにかなりそうだったさ。だが、最終的には走り出し、町中を駆け回ることに決めた。何度も何度もあの光景を否定しながら山の中に至るまで探し回った結果、私はとある場面に遭遇してしまう。

 

背に『滅』と書かれた黒い服をまとう剣士と、義父が戦っている場面に。

 

頭にガツンと石がぶつけられたような衝撃に襲われた。それと同時にブワワワワッと生前の記憶があふれ出す。先程の義父の異常な行動、今まで頑として彼が日中に外へでなかった理由、そして今、義父が黒服の剣客と戦っているワケ――ずっと違和感を感じていた部分が全て頭の中で繋がっていく。

 

「ここは『鬼滅の刃』の世界、か」

 

信じられない気持ちでポツリと呟く。ぐちゃぐちゃしていたはずの感情が、不意に出たその言葉によってストンと胸に落ちる。私は酷く納得してしまった。父であり、師であり、恩人の彼は『鬼』なのだ。鬼滅の刃で登場した、人類の敵とも言うべき、鬼。その事実を理解してグッと拳を握った――――その瞬間だった。電子音が頭に響き渡ったのは。

 

 

《ピロリン》

 

▼義父にどう言葉をかける?

①「お義父さん…!」と悲痛な声を上げる …… 上

②「騙していたの?!」と怒る …… 下

 

 

――――どういう事だってばよ?!?!

 

今世で一番大きいツッコミを内心で入れた。目の前に浮かぶ、ゲームでよくあるドット文字を食い入るように見る。何度瞬きをパシパシと繰り返そうとも現実は変わらない。眼前にある謎の選択肢はどうあがいても消えてくれなかった。

 

(ちょっ、まっ…待って。本当に待って)

 

………はァ?! えっ、えぇぇえ?! マジでこれはどういうことだ。電子音が聞こえたと思ったら選択肢が前方に現れたんだけど。しかも、周りの時が停止してる上に、自分も動けない。唯一動くのは目だけとか意味が分からないんだが!

 

(後、選択肢の横にある『上』や『下』って何?!)

 

何が上がって何が下がるの?! それともあれか。上位や下位といった階級を表すのか?! 駄目だ、分からねえ。絶望的なまでに訳が分からねえ!! どうして今、こんな選択肢が出てきやがった?! 普通なら今から「義父を…義父を…止めなきゃ!」みたいなシリアスな場面が始まるはずだろうが!! ふざけんじゃねえ!! つーか、何でこんなツッコミばかり入れてるんだ私は!! ツッコミ所がありすぎて最早どこから言えばいいか分からねえぞこれ!!

 

異常事態のオンパレードに自分の理解が追いついていなかった。頭が痛むのを感じながら、落ち着いて考えようとした時、再び脳内に電子音が響き渡る。

 

《ピロリン》

《残り時間が後60秒となりました》

《制限時間が過ぎても選択がなかった場合、バッドエンドへ直行致します》

 

鬼畜仕様ォ!!

 

マジふざけんな!! 落ち着いて考えさせろや!! つーか、バッドエンドって何?! 何なの?! 義父と剣客が戦っている現在の状況的から考えて、『バッドエンド』イコール『死』っぽいよなあ……どうしてこうなった!! ……やっべ、色々ツッコミを入れてたら残り時間減ってきた。えっ、後30秒になった?! 早すぎ!

 

(頭動かせ、生き残ることだけ考えろ…!)

 

今まで一緒にいた義父の態度を考えると、恐らく彼は善良な鬼のはず。また、私が義父の食事風景を目撃してしまった時に彼が見せた表情は『驚き』だった。つまり、義父は私に自分が鬼だと知られたくなかったのだ。私が…大事な娘だから。

 

(これから推測されるのは『義父にとっては私に食事風景を見せてしまったことと、鬼殺隊との戦いは不本意である』ということ)

 

それを頭に入れ、今一度この選択肢を見てみよう。まるでRPGで出てくる装飾と字体で書かれている、この選択肢。もしかしたら選択肢①の隣にある『上』というのは好感度、もしくは生存率の上昇になるのではないか。

 

義父が鬼だと知りながら、① 『「お義父さん…!」と悲痛な声を上げる』にあるように、彼を『父』と呼び続けてみろ。義父はきっと感動して私を殺さないでいてくれるのではないか。身内であるはずの私に頑として鬼であることを話さなかった、あの義父ならきっと――――って言っても、全部希望観測だけどな!! 正直、合っているのか分からねえ!!

 

(クッソーーッッ!! 前世の記憶やらゲームみてえな選択肢やら出てくるなんて頭おかしいけど!! 死にたくない!! こうなったらヤケだ!!)

 

仕方がない。このふざけた選択肢、選んでやる…!! 大丈夫だ。大丈夫なはず……だ! ……いや、ほんと大丈夫だよね……?? ふえええ怖いよう……。内心で泣きながら脳内で強く① 『「お義父さん…!」と悲痛な声を上げる』を選んでやると念じる。すると目の前に浮かぶ選択肢にカーソルが現れた。スススッと矢印のカーソルは動き、①へと到達する。

 

 

▼義父にどう言葉をかける?

①「お義父さん…!」と悲痛な声を上げる …… 上 ⬅︎

②「騙していたの?!」と怒る …… 下

 

 

▼選択されました

① 「お義父さん…!」と悲痛な声を上げる

 

 

「――――お義父さん…!!」

 

自分の口が勝手に動きだした。驚くくらい悲痛な声が私の喉から零れ落ちる。その時、義父がグリンと首を回してこちらに視線をよこしてきた。彼は血走った目を眼球の限界まで見開かせる。そして次の瞬間、義父は目の前にいる鬼殺隊の剣客の足と刀を薙ぎ払い、私の方へ突進してきた。そう、私の方へ! 突進してきたのである!!

 

(こっちくんなァ!!)

 

仮にも義父に対して酷い言い様だが、誰だって同じ心境になるかと思う。待って、さっきの選択肢の意味は?! ここは普通、私の声で我に返り、戦いを止める場面じゃないの?! アレッ?!

 

ビビリにビビった私は恐怖で硬直。結果、恐ろしい風貌に成り果てた義父に首を絞められることとなった。地面に叩きつけられ、私は悶え苦しむ。そんな様子を見ながら義父は汚い口調で唾を吐き散らしつつこちらへ怒鳴ってくる。いつもの礼儀正しく優しい義父とは思えないくらい悍ましい姿だった。

 

「くそくそくそォ!! お前の!! お前のせいだ!! お前が叫んだせいで鬼狩りにみつかったじゃねえかあ!!」

「ちょ、まっ、」

「憎い憎い憎い!! お前が憎い!! 呪ってやる、呪ってやるゥ!!」

 

その刹那、左目に衝撃が走った。

 

まるで煮え湯を浴びせられたような痛み。一瞬、何が起こったのかわからなかった。だが、数秒遅れて理解する。義父に左目を切られたのだと。彼からの攻撃にヒュッと息を呑んだ――――その時にアレはまたやってきた。

 

 

《ピロリン》

 

▼どう行動する?

①横に落ちている日輪刀を拾い、「大好きだよ」と言いながら義父の頸を切る … 上

②諦めて目を閉じる … 死

 

 

ちょっと待てやゴラァ!!

 

『死』って何。死って何ですか!! 死ぬんですか私?! まさかのダイレクトな死の勧告に心が挫けそう。これあからさまに②を選んだら死ぬやつですよね。そうですよね。馬鹿でも分かるよ。

でも、かといって①の義父殺害を選んでも助かる保証はない。さっき選択した『「お義父さん…!」と悲痛な声を上げる … 上』で死にかけてるからな、私。

 

(どうする?! どうする…?!)

 

そろそろ先程みたいに「早よ選択しろやァ!!」の通知が来そうだ。本当にどうする、どうする…?! どちらが正しいのか分からない。②の選択肢の隣にある『死』は死亡ルート直行だと考えているが、間違いかもしれない。そもそも①を選んだところで本当に義父を倒せるのか? 義父に情がありまくりな私が?

 

(…もういいや! 考えるのめんどくさい!! とりあえず自分の直感を信じる!)

 

▼ 選択されました

①横に落ちている日輪刀を拾い、「大好きだよ」と言いながら義父の頸を切る … 上

 

選択をした瞬間、横に転がっている日輪刀を自動的に掴み取った。直前まで義父と戦っていた鬼殺隊のものだろう。先程義父に攻撃された際に吹っ飛んできたみたいだ。あああああ嫌だ、怖い、本当に大丈夫か…?! 不安を抱えながら私はその刀を義父の頸へ振りかざす。大好きだよ、と言葉を口にして。

 

スパン、

 

まるで豆腐を切ったように簡単に義父の頸は飛んだ。…アレ、人間の頸ってこんな簡単に飛ばすことができるものだったか。ポトリと義父の頭が地面に落ちる様を見ながら自分の首を傾げる。だが、その疑問も義父の発言のせいで全て吹っ飛んだ。

 

「くそくそくそ!! こんな小娘に! 何故俺が殺される?!」

「おとうさ、」

「呪ってやる! 呪ってやる! 貴様に『呪いをかけた』!」

「はっ?!」

「上弦の鬼――鬼の中でも最上位の鬼を一体でも殺さぬかぎり、お前は二十五歳で死ぬだろう! その『目』が呪いの証。お前の中に俺は生き続ける!」

「ちょっ、待って、待って?!」

「精々、醜く生きろ! ひゃっひゃっ……、…………ご、め…」

 

だから、ちょっと待てって言ってんだろうがァ!!

 

日輪刀に切られて蒸発した義父を唖然としながら見送る。色々と情報過多すぎて処理が追いつけない。今、義父は何つった? 上弦の鬼を一体でも殺さないと二十五歳で死ぬって? 今、私は十歳なんだけど後十五年しか生きれないの? マジで??

 

(いや、無理だから?!?!)

 

どれだけ上弦の鬼が強いと思ってんだ! 鬼殺隊の精鋭達が中々勝てない相手だぞ。それどころか死んでるやつもいるんだぞ?! あの人間辞めてる鬼殺隊の中でも最上位の柱達でさえ手こずる相手に、私が勝てるとでも? 無理だよ!! 思わずフラッとなり私は頭を抱えた。本当…今世辛すぎでは…??

 

(本当どうしてこうなってんだろうなあ…どうしておとうさんは最後に謝ったんだろうなあ…)

 

泣きそうになりながら私は立ち尽くすしなかった――――…。

 

その後、私は義父の攻撃により気絶していた鬼殺隊隊士さんによって回収された。彼は私の手にある己の日輪刀を見て酷く驚いた顔をしていたものだ。当たり前だろう。まさか鬼退治の本職でもないただの少女が鬼を倒したのだから。彼は真剣な表情をした後、こう言った。

 

「鬼殺隊に入らないか?」

 

いや、いいです。遠慮しておきます。

 

しかし、その言葉は口から出ることはなかった。隊士さんに勧誘された瞬間、目の前にゲームの選択肢が登場したからだ。しかも、入隊拒否の選択肢には『死』の文字が隣についていたのである。

 

おかしくね?? 明らかに入隊した方が死亡率あがるよね?? さっきから同じことをずっと言っているが、はたして本当にこの選択肢を信じて良いのだろうか…。いや、でも、強くならなかったら上弦の鬼を倒せず、二十五歳で死んじゃうから選択肢は合っているのか…?? 鬼殺隊になればその分、上弦の鬼を殺せるような強さが手に入りやすくなるし…。ああ、分からない…。

 

 

遠い目をしながら私は隊士さんの手を取った。こうして私は鬼殺隊に入隊することに決めたのである。

 

 

余談だが、義父に呪いをかけられた瞳は見事な青緑色になっていた。しかも、あり得ないことに髪も黒から白髪になったんですが…ええ…なんで…?? 黒と青緑のオッドアイに白髪とか、どう考えても中二病ですどうもありがとうございました!! 辛い。

 

 

 

《ピロリン》

▼称号『呪われた娘』を手に入れました

▼特殊能力『鬼の目』を手に入れました

 

 

 

…ほんと意味わかんねえなコレ…。目の前に出てきた謎の称号や特殊能力に頭を再び抱える羽目になった。



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其の二: 「氷柱に至った理由」(7/7時点:抜けていた話分を追加)

(7/7時点:オリ主が入隊してから柱になる話までがゴッソリ抜けていたので追加しました。Pixivとハーメルンを見比べて「文字数が合わない」と気がつかなかったらずっとこのままだったと思う。恐ろしい)




こうして私は鬼殺隊に入隊することを決めた。

 

だが、鬼狩りになると決意しても力がないのでは意味がない。ということで、私は義父と戦闘した隊士さんに育手――鬼狩りを育てる先生を紹介してもらった。

 

私に紹介された育手は氷の呼吸の使い手で、現役時代の階級は甲の人だった。ちなみに、『甲』は柱以外の一般隊士に与えられる階級では最上位のものである。こういうのって主人公よろしく元柱に育成されるものかと思ったが、ここは現実。恐らく、元柱の育手直々に鍛えてもらえるのはほんの一握りだけなのだろう。モブの私にはそんなチャンスないってことですね、分かります。

 

(でも、私、ゲームの選択肢が見えるようになったし、楽に修行をこなせるかな…)

 

その考えは師範との修行が始まった瞬間、木っ端微塵となった。何故なら修行中、ほぼ選択肢が登場しなかったのだ。選択肢が出てくるのは余程の緊急事態か、修行が終わった後の師範との会話のみ。あの謎の機能はまるで役に立たなかった。こういう時こそ出てくるべきでしょ?!

 

しかも、残念なことに私に剣士の才能はあまりなかった。

 

師範曰く「真面目なお前なら鬼殺隊で剣士としてだけなら中堅程度にはなれるが、どう逆立ちしても柱などにはなれぬだろう」とのこと。いや、分かってたさ。凡人の私は主人公クラスにはなれないってことはさ?

 

(でもな? 死ぬんだよ!! 上弦の鬼を倒さなきゃ二十五歳で死ぬんだよ!!)

 

泣いた。凄く泣いた。どうして義父はここまで難易度の高い呪いを押し付けてきやがったのか。ふざけるんじゃねえ。挫けそうになる心を奮い立たせ、暴言を吐きながら剣を振るったものだ。

 

――――そして、三年後。

 

私が十三歳の時に師範から最終試験の受験許可が下りた。マジで行きたくねえと思ったが、二十五で死ぬ辛さを考え、私は試験を受けることを決意。私は長らく世話になった師範に礼を言い、旅立った。

 

ガクガクブルブル震えながらも試験を受け、合格。かくして私は正式に鬼殺隊隊士となったのだ。

 

その後もあの憎っくき選択肢のおかげで順調に階級を上げていき、柱を除く一般隊士の階級では上から三番目の『丙』となることができた。中々順風満帆な鬼狩りライフである。まあ、いつも骨を折るような大怪我ばかりしているので正直身体がもたないヤバイ状態だがな! 原作で『柱になるには早くて二年、通常で五年』と書かれていて、前世の私は「結構早く柱になれるんだな」と思ったが、鬼殺隊所属の今なら分かる。

 

(みんな、二〜五年で死ぬか、辞めるんだ)

 

一回の鬼との戦闘だけで骨を折るのは当たり前がこの戦いの現実である。若くても毎度毎度骨を折れば必ず身体にガタがくる。その上、人間は鬼とは違って、少し右足に傷を受けただけで切られどころが悪ければ一生足が動かないなんてザラにあるのだ。一瞬の気の緩みで剣客としての人生が終わる。だからこそ、皆、二〜五年程度で辞めてしまうのだ。

 

(辛すぎ。ほんとなんでこんなところ入隊してんの)

 

一向に上弦の鬼を倒せる気がしないしさ。本当はこのまま鬼殺隊を辞めて、原作で炭治郎達が上弦の鬼を倒す場面に横入りだけをしたい。でも、実力がある程度なければその所業もできないのだ。圧倒的な実力差がある上弦の鬼と主人公や柱の間に今の状態では入れる気がしない。だから、もっとこの隊で力をつける必要がある。ここには色々と教えてくれる人もいるから。

 

「とりあえず、柱の足手まといにならないぐらいまで鍛えよう!!」

 

そう思った矢先にまさか私が『柱』になるなんて思いもしなかった。実力もてんで足りぬ、未熟者の私が。嬉しさよりも「コレ死ぬフラグでは?? 明らかにヤバイのでは??」とガチ震えしたものである。

 

 

――――そんな私が柱になったのは十六歳の時だ。

階級が柱を除いた鬼殺隊隊士の中で一番上の『甲』になったばかりの任務でその地位に就く羽目になった。

 

評価された点はただ一つ。下弦の参、肆の二体から負傷した隊士二名と村人三十名を守り切り、下弦の肆を倒したことだ。一つ言っていい?

 

全て!! 選択肢のおかげだから!!

 

選択肢が怒涛の勢いで目の前に現れて、逃げる方向や攻撃するタイミングやらを示してくれたのだ。いつもは邪魔で胃痛事案の選択肢だが、戦闘時は非常に役に立つ。私は迷わず生き残れる選択肢を選び、進んだ結果がこれだった、それだけなのだ。

 

しかも、下弦の肆を私が倒したみたいな扱いになっているが、実際に倒したのは負傷した隊士の方である。隊士二人のうち一人は辛うじて動けたので彼女に切ってもらったのだ。だから、私は柱になるべきではない。

 

(というか、今の実力で柱になったら私が死ぬ!! 他人を守れるほど強くねーんだわ!!)

 

鬼殺隊当主から直々の呼び出しと柱になるよう通達があった時は真面目に白目をむいた。頭を抱え、下弦の参と肆から一緒に逃げた隊士達に泣きついたものである。「私には向いてない相応しくない。頼む、私は柱なんぞなるべきではないとお館様に進言してください」と言ったら無言で隊士達に送り出された。泣いた。まさかの仲間からの裏切りにショックを受けながら、こうして私は鬼殺隊本拠地、産屋敷邸へ向かったのだ。

 

屋敷に到着後、私は鬼殺隊当主、産屋敷耀哉――通称、お館様と初めての顔合わせを果たした。会って一言二言交わした瞬間、私は直ぐに口を開いたものだ。柱を辞退したすぎて。恥知らずにもめちゃくちゃ反論しまくった。

 

「お言葉ですが、お館様。私は下弦の参、肆の二体から負傷した隊士二名と村人三十名を守り、下弦の肆を倒しましたが、実際に倒したのは私ではありません。別の隊士です」

「そうだね」

「柱になる条件は階級が甲の者かつ、『十二鬼月を倒す』か『鬼を五十体倒す』か。私は甲の階級をいただいておりますが、後者二つのどちらも満たしていない。柱には相応しくありません」

 

私が鬼殺隊になったこの三年間で倒した鬼の数は十体。柱になれる人材は三年目でもっと殺しているだろう。私の討伐数はあまりにも少ない。正直、階級が甲なのもあまり釈然としていないのだ。

その上、先程から何度も述べているが、下弦の肆は私が倒したのではなく、負傷した隊士の女性だ。実力が足りなさすぎる私が柱なんぞになれば死ぬ。確実に死ぬ。ゲームの選択肢が出てるのだって、いつ消えるのか分からないのだから。

 

絶対に柱になりたくない私は再び口を開く。

 

「また、氷柱になるにしても私より優れた氷の呼吸の使い手がいるのはご存知かと思います。私は剣士として凡庸です」

「確かにその通りだ。だが、君には誰よりも優れた知恵がある。実力差や圧倒的に不利な状況さえ覆す――そんな戦略を練るのは君にしかできないんだよ」

「いや、ですから、それは、」

 

選択肢のせいなんだよォ!!

 

隊士の中で『予知じみた戦略を練る知将』だの『天才的な空間把握能力者』だの評価を受けているが、全部選択肢のせいなんだよ。私の実力じゃねえーんだ!! だが、言えない。言えるはずがない。主人公、炭治郎達の『鼻がいい』などという特性とは違い、私のコレは『ゲームの選択肢が見える』である。頭おかしいどころの話じゃない。精神病を疑われるレベルだ。

 

必死に私が辞退を申し出ても、お館様は笑みを浮かべて「柱になれ(要約)」しか言わない。ほとほと困り果てた私はお館様に「……柱になるにあたって、条件が一つあります。そちらを受け入れてくださるなら柱になりましょう」と言った。『こいつとんでもねー要求するんじゃね?』と少しビビらせたらお館様も諦めるかなと思ったが故の発言だったのだが…うん、うん。

 

「分かった。受けよう」

 

条件が何かも聞かずに受け入れちゃうお館様マジお館様。しかも、その条件の内容を一切考えてない私もマジ私。引きつった笑みを浮かべながら頷いたのだった。

 

 

《ピロリン》

▼称号『知の氷柱』を手に入れました

 

 

…ねえ、追い詰めるのやめてくれない?? 死ぬほど泣きたいんだけど??

 

 

 

――――かくして、私は柱になったのである。

 

 

今までの人生やら柱になった経緯やらを思い出して私は人知れずため息を吐く。

 

(このまま柱合会議バックレたい…)

 

現在、私がいる場所は鬼殺隊本拠地、産屋敷邸である。十六歳の時に氷柱となってから既に三年もの月日が経過していた。

 

バックレるのは…うん。無理だろうな…。柱合会議をバックレたりなんかすれば風柱の不死川や蛇柱の伊黒にどんな嫌味を言われるかわからない。他の柱にしてもそうだ。炎柱の煉獄なら「うむ、柱としての責任感が足りないな!」と鍛錬と称した一方的なリンチをくらう羽目になると思う。辛すぎやしないか?? 柱になったのデメリットしかないんだが??

 

(しかも、柱合会議ではお館様と氷柱である私が中心に進むの本当にやめてほしい)

 

ひとえに私が頭脳だけで柱にのし上がった隊士だと思われているからだろう。こちらが考えた戦略が次の方針として組み込まれることが多いので本当に辛い。

 

後、柱合会議ついてだが、自分が担当している区域や鬼の動向などの報告のほかに今後の方針決め等もある。仮にも柱は鬼殺隊の幹部。鬼殺隊の運営の殆どをお館様が決めているとはいえ、我々柱も案を出さねばならないのだ。その案を出す代表の柱がほぼ私なの真面目に解せない。

 

この会議辛い。辛すぎる。戦闘時並みにゲームの選択肢が怒涛の勢いで現れるからな。この言葉だけでどれほどこの会議が胃痛事案か分かってもらえるかと思う。私、そんなに賢くないのに。二十五歳で死ぬ呪いをときたいだけなのに…。

 

(柱になったせいで体鍛える以外にも、もっともっと勉強をする必要がでてきちゃったからなあ…)

 

選択肢が見えるんだから別に鍛錬や勉強をする必要はないのでは? と思う方もいらっしゃるだろう。私も思った。選択肢に従っていればいつかは上弦の鬼も倒せるだろうと。だが、それは間違いだと新人の頃に気が付いたのだ。任務中、鬼との戦闘でいつものように選択肢が目の前に現れた時のことである。

 

 

▼どう行動する?

①鬼の腹へけりを入れる … 下

②鬼に切りかかる … 下

 

 

選択肢の両方が生存率低下の『下』だと…?!

 

この選択肢と長い間付き合ってきたが、選択肢のすべてが『下』なのは初めてだった。どちらを選んでも生存率の低下。思わずその選択肢に戦慄したものである。

 

ちなみに、選択肢の横の『下』やら『上』の意味は未だによく分かっていないが、私の中で『下』は生存率と好感度の低下、『上』は生存率と好感度の上昇だと仮定することに決めた。ずっとこの選択肢を疑ってかかってもストレスが溜まるだけだからな。とりあえずこのゲームの機能一つ一つを分析して仮の分類に分けることにしたのだ。

 

話が逸れたが、選択肢に生存率低下しかないのは初の経験だった。全力で焦ってどうにかしようと努力したが、時が止まったゲーム空間では無意味。泣く泣く私はテキトーに選択した。

 

結果、今までにないくらいの大怪我を負ったのである。

 

医者には「処置が遅れていたら死んでいただろう」とまで言われた。生存率低下の選択肢を選ぶ恐怖を存分に味わったものだ。半泣きになりながら「何故、選択肢に『下』しかでなかったんだろう」と必死にワケを考えた。理由が分からねば次は選択肢がどちらも『死』かもしれない。そうなったら本当に私は死ぬだろう。ウワッ無理。辛い…。死の恐怖に怯えながら分析に分析を重ね、たどり着いたのは一つの答えだった。

 

「ステータスを上げなかったからか…?」

 

自分の今置かれている状況がゲームだと仮定すると、パラメータやステータスがあるはず。現に、戦闘時以外にも選択肢の横に毎回『上』や『下』があり、人との会話中に『上』を選ぶたびにその人物との仲がより深まっていくのを感じている。好感度設定があるならばパラメータやステータスがあってもおかしくない。

 

つまり、一定のステータスがなければ選択肢に生存率上昇や好感度上昇が現れない場合があるのかもしれない。最近、私が選択肢に頼りきりで鍛錬や勉強を怠っていたのも、そう思う理由の一つだった。

 

「ヒエッッッッ怖ッッッ!! 死ぬ気で鍛錬しよ…」

 

そう考え、私は毎日必死で鍛錬をするようになったものだ。とはいっても、私は剣士の才能はあまりないので、学問により力を入れた。給料の殆どが本の購入や家庭教師の雇用で飛んでいったほどである。このせいで私の家は完全に図書館と化していた。本嫌いなのに。

 

柱になる前ですら必死の鍛錬を積んでいたのに、柱へ任命されてからは更に努力する羽目になった私。寝る以外は仕事か鍛錬、勉強である。どうしてこうなった??

 

(もう鬼殺隊辞めたい…)

 

今の自分なら上弦の鬼vs柱&主人公勢の間に入り、上弦の鬼だけ殺す実力はあると思うので、辞めてもいい気がする。でも、辞められないんだよなあ…。

 

一度、鬼への恐怖でストレスマッハになり、トチ狂ったことがある。その際、退職届をお館様に提出したけど突き返されたからね。ガチ泣きしたからね。我々の宿敵、鬼舞辻無惨が生前でファンから『パワハラ上司』と呼ばれていたが、まさかのお館様もパワハラ上司だった。それ以来、私は退職できないでいる。

 

何度目か分からぬため息を吐いた時、目の前の襖がスッと開いた。お館様の登場だ。私を含めた柱は一斉にひれ伏す。それを見たお館様は優しい声色で言葉を発した。

 

「よく来たね、私の可愛い剣士達。顔を上げなさい」

 

も〜〜〜柱やめたいよ〜〜〜! 鬼殺隊やめたいよ〜〜〜! と内心で叫び散らかす。しかし、そんな感情は一切表に出さずに彼に言われたように顔を上げた。お館様が座布団に座った瞬間、岩柱の悲鳴嶼行冥が我々を代表して挨拶する。その挨拶にお館様が返事をした後、柱合会議が始まった。

 

それと同時に次から次へと自分の目の前に飛び出してくる選択肢の数々。議題が一つ持ち上がる度に必ずお館様は私へ議題について聞いてくるので真面目にやめてほしい。それだけで胃痛事案だというのに手のかかる奴がいるんだよ…。私が発言した後、チラッと横を見ると『手のかかるやつ』がムスッとした表情で静かに口を開いた。

 

「……そう簡単に考えられるような頭で羨ましい限りだ」

 

お前だよ、お前!! 水柱、冨岡義勇!!

 

何でそうお前は喧嘩腰で発言するんだ。いや、分かってる。お前の本心は分かってる。「そう簡単に考えられるような頭で羨ましい限りだ」も、「流石は知の氷柱。死んだ錆兎が本来なるべきだった水柱の地位に代理としている俺とは違って、難しいことでも簡単にして戦略を考えてくれる。俺にはそんな才能はない。羨ましい限りだ」が彼が言いたいことである。コレ、私の妄想でもなんでもなく生前で漫画を読んだことと今までの経験から後者の文の方が正しいと気がついた。

 

(冨岡義勇の今の発言に本心が一割程度しか入っていないんだが…!)

 

生前でも読者達に散々言われてただろ! あまりにも口下手過ぎて「そのモノローグを声に出せ!!」って。でも、かと言って彼が話せば話したで言葉が足りなすぎて険悪な雰囲気になるので度々読者達に「冨岡義勇、声に出すな!!」と手のひらクルクルされていた。コミュニケーション能力に問題がある男、それが水柱、冨岡義勇である。

 

生前では好きなキャラの一人だった彼だが、今世の私は冨岡義勇が苦手である。故に無視する。口下手でも心優しい彼には悪いが、フォローが面倒くさい。それに原作では蟲柱、胡蝶しのぶが冨岡義勇のフォローに回っていたので私は何もする必要はないと思う。

 

だけど私には『アレ』がある。そう、ゲームの選択肢が見える機能があるのだ。

 

 

《ピロリン》

▼ 「……そう簡単に考えられるような頭で羨ましい限りだ」と言った冨岡義勇に何と言葉をかける?

①「ありがとう。簡単な戦略になるように頑張って考えたんです」 … 上

②「テメェは黙っとけカス」 … 下

 

 

選択肢ィ〜〜〜ッ!!

 

何でこの二択?! 悪意がありすぎじゃない?! どうして①と②の間くらいの選択肢が無いんだ。②「テメェは黙っとけカス」なんて発言した暁には冨岡義勇に殺される。いや、殺されはしないが鍛錬で半殺しにされかねない。それに加えて私の品性が疑われる。ただでさえ弱い私は周りに媚びへつらう必要があるのに暴言なんて吐けば見捨てられちゃう。自分勝手な理由で悪いが、これが私である。仕方がなく私は好感度上昇の選択肢を選ぶのだ。

 

 

▼選択されました

①「ありがとう。簡単な戦略になるように頑張って考えたんです」 … 上

 

 

「ありがとう。簡単な戦略になるように頑張って考えたんです」

「……そうか」

 

そうか、じゃねーよ!! もっと声に出せよ!!

 

お前のことだからきっと頭の中でのみ私へ色々と言葉を返しているのだろう。一つ言っておくぞ。何一つ伝わってねーからな!! 私も原作知識と選択肢による誘導がなければお前のことぜっっったい理解できてなかった。

それを考えると原作でフォローを入れていた蟲柱の胡蝶しのぶ凄い。いや、この場にいる彼女も勿論凄いが、私がいるせいで冨岡義勇にあまりフォローしてくれないんだよね…。嫌だ。本当に嫌だ…。こんなこと好きなキャラに言いたくないけど、本当に疲れる…。

 

あと一つ嫌な点は水柱である冨岡義勇と同じ任務に駆り出されるのが多々あることだ。私が使う『氷の呼吸』は水と風の派生の呼吸である。故に氷と水の呼吸は相性がいいので私と彼は一緒にされてしまうことが多いのだ。

 

(別にね? 守ってくれるなら冨岡と同じ任務はいいんだよ?)

 

この冨岡義勇とくればほぼ私を守ってくれねーからな!! 私の作戦を聞いた後、スタコラサッサと全力で別行動しやがるのである。作戦内容が別行動ならまだいいのだが、共戦している際にも彼は一切私のことを守ってくれない。しかも、柱の任務は大体危険なものが多いので毎回毎回死にかけるのだ、私がな!! あいつ冨岡義勇は毎度ほぼ無傷だ!!

 

(もしかして冨岡義勇は私のことが嫌いなのか?)

 

毎回毎回好感度上昇の選択肢を選んでいるはずなんだけどなあ…。あいつだけ好感度上昇の選択肢と見せかけて実は低下だったりするのか。ありえそう。辛すぎ。一時期真面目に「私は冨岡に嫌われてるのか」と悩んで何度も奴を訪ねたり、好感度上昇の選択肢を選んだりしたのだが、一向に何も変わらなかった経験がある。これはもう無理だと諦め、いつも通りに接することに決めた。

 

(つーか、お館様よ、どうして水柱の冨岡義勇とばかり私を組ませるの?!)

 

氷と相性がいい呼吸は水以外に風があるよね?! 風は氷の派生前の呼吸の一つなんだから、風と組ませてよ。私、風柱の不死川となら別に組んでもいいし。彼、口が悪いし、常に私に対して「頭だけしか取り柄のない弱ぇお前なんざ柱に相応しくねえ!」と言うし、相手にするのは正直とても大変だ。だけど、任務中は「ハア、相変わらず弱ぇな!」といいながら積極的に私を守ってくれるのだ。それだけで好感度爆上げである。

 

冨岡のことを考えているといつのまにか柱合会議が終わっていたらしい。お館様は既に退出し、我々柱の前には食事の準備がされ始めた。

余談だが、会議終了後は昼食会や夕食会がある。昼食時が過ぎていればお八つ会みたいなものが開催されるのが常だ。前まではお館様も一緒に食事をしていたが、最近は体調が悪いのか中々出席されないのが現状である。

 

食事の用意が始まった途端、恋柱の甘露寺と炎柱の煉獄がパクパクと食べ始める。しかし、煉獄のみが途中ピタリと手を止めグリンと首を回して私を見てきた。うわっ怖っ!!

 

「うむ、そうだ! 食事が終われば鍛錬をしよう!!」

「……、……は?」

「そりゃいいじゃねーか。この前、こいつ氷柱のくせに『甲』の氷の呼吸の使い手に負けかけてたからな」

「俺もそれを見てな! 少し鍛錬を手伝うべきかと!」

 

どうしよう。今日が私の命日かもしれない。

 

顔をひきつるのを感じながら、生き残る方法を必死で考えるのだった。



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其の三: 「水柱は首をかしげる」

俺の名前は冨岡義勇。

 

一応、お館様から『柱』の位を頂いている水の呼吸の使い手だ。

 

俺は今、縁側に腰掛けながらとある二人の柱の練習試合を見ている。一人は炎柱の煉獄杏寿郎、もう一人は氷柱だ。二人とも日輪刀ではなく竹刀を使っての練習試合をしていた。本来、柱同士の戦いなら己の呼吸の良さを存分に使った良き戦いが観れるのだろう。だが、今回ばかりは違った。何故なら、炎柱の煉獄が戦っているのが氷柱だからだ。

 

「むう! 前より強くなったな。中々攻撃が通らない!!」

「煉獄にそう言われると自信が湧きますね」

 

煉獄が嬉しそうに声を上げると氷柱は小さく笑みを浮かべる。ここの会話を聞いておかしいと思った者もいるだろう。まるで先生と生徒の会話のようだと。現に、戦いで付いた汚れは氷柱の方が炎柱の煉獄より遥かに多かった。柱同士の戦いでこれは明らかに不自然だ。

 

この戦いで分かることはただ一つ。

氷柱の剣士としての実力は柱に至っていないということだ。

 

(普通であれば彼女は『氷柱』になるべきではない。だが、彼女は柱になるべき人間だ)

 

矛盾した考えだが、この考えが正しいからこそ彼女は柱に至った。氷柱たる彼女は確かに剣客としての才能はない。しかし、別の分野――――戦術・戦略家として優秀だったのだ。

 

今、氷柱は炎柱の煉獄杏寿郎と一対一で戦っている。ただ純粋に剣の腕を磨くためだけの戦いだ。彼女は確実に炎柱に負けるだろう。だが、これがもしも隊単位での戦いなら話は違ってくる。例えば、勝利条件は隊長を倒すことで、お互いが一般人二名と階級甲の隊士一名を連れて山の中で戦え、と言われた場合。

 

この場合、必ずと言っていいほど氷柱が勝利するのだ。

 

彼女は圧倒的な空間把握能力と頭の回転の速さ、並びに、人をいかに上手く使えば労力が少なく敵を倒せるかという戦術の組み立てに優れていた。初めての森でさえ、まるで見知った場所かのように全速力で駆けることが可能。その上、そこに予知じみた戦略が加わるのだからスキがない。

 

その彼女の優秀な頭のおかげで、『氷柱の率いる隊に入れば絶対に生き残れる』と言われるほどだ。まあ、『絶対に』生き残れるわけではないが、氷柱が率いた隊の生存率は八割を超えていた。驚異の生存率だ。

 

(だが、それでも彼女が『柱』に至るのは難しいと考えられていた)

 

戦闘能力面からみて、柱になる条件である『十二鬼月の打倒』もしくは『鬼を五十体倒す』のは難しく、柱にはなれないだろうと言われていたのだ。彼女が任務に加わった隊全体が倒した鬼の数は多いが、自身が実際に頸を切った鬼の数は少ないという矛盾を抱えていたからである。

 

しかし、ある時、彼女は下弦の参、肆の二体から負傷した隊士二名と村人三十名を守り切り、下弦の肆の打倒に成功した。

 

これだけ聞けばまるで一人で下弦の肆を殺したかのように聞こえるが、実際に倒したのは負傷した隊士だという。本来なら彼女ではなく負傷した隊士が下弦の肆を殺したことになるのだろうが、この時ばかりは少し事情が違ったのだ。のちに、下弦の肆を殺した隊士はこう語った。

 

「確かに私は下弦の肆の頸を切りました。切りましたが――本当に倒したのは私ではありません。彼女です。彼女の戦略がなければ一般人を守ることも、下弦の肆を殺すことすらもできなかったでしょう」

 

これを受けて、お館様は特例として『戦略に優れた隊士』を氷柱として迎えることに決めた。戦略をもってして下弦の肆を倒した者だからと。勿論、反対の声は上がった。彼女が氷柱になるには他の柱より剣士としての腕が明らかに劣っていたからだ。しかし、時が経つにつれ、その声も減っていった。

 

(……やはり柱になる者は才ある人間ばかりだ。他の柱にしても皆、強い)

 

俺は柱に相応しくない。最終選別も死んだ錆兎のおかげで越えられたようなものだ。本来なら錆兎が水柱になるべきだった。だが、彼はもういない。いないのだ。生き恥を晒すようだが、錆兎の代わりに水柱に任命されたのなら最後まで務めなくては。

 

そう考えていると自分に誰かの影がかかった。顔を上げると左目が青緑色で右目が黒色の白髪の女性がこちらを見ている。女性――先程まで煉獄と戦っていた氷柱だ。どうやら俺があれこれ考えている間に試合は終わっていたらしい。既に恋柱の甘露寺と蛇柱の伊黒の練習試合が始まっていた。

 

「大丈夫ですか、冨岡。何やら思い詰めた顔をしていましたが」

「……何故そう思う?」

「見たら分かりますよ。あまり暗い顔をしないでください。ほら、おまんじゅうでも食べましょう」

 

穏やかに微笑みながら饅頭をつきだす氷柱に面食らう。無言でおずおずと饅頭を受けとり、首を傾げた。

 

(何故、彼女は俺の考えていることが分かるのだろうか)

 

俺が一しか発言していなくても、彼女だけは十のことが分かるようだった。度々「冨岡、言葉が足りていませんよ」と俺の発言を補足してくれるのだ。縦に傷の入った青緑色の左目と黒色の右目を蔦子姉さんのように優しげに細めながら。

 

それもあってか、氷柱との任務は非常にやりやすかった。俺が考えていることを見越して戦ってくれているので攻撃のみに専念できるからだ。後ろを見る必要はなく、前だけ向いていればいい。

 

(彼女との戦いには安心感というものがある。戦闘中にはあまり抱いてはいけない感情だが…)

 

恋柱と蛇柱の戦闘を眺める氷柱の彼女を横目で見る。素直に青緑色の左目が綺麗だと思った。彼女の日輪刀と同じ青緑色の左の瞳。適性が氷の呼吸の者の日輪刀は青緑色になることが多い。恐らく、氷は水と風の呼吸の派生だからだろう。水の青色と風の緑色が混ざったような青緑色になるのだ。

 

また、彼女の青緑色の瞳は綺麗なだけではなく、鬼の探知ができる珍しい目だった。鬼の居場所やその人物が鬼かどうかを判断できる目らしい。『鬼の目』と称されるそれは『鬼』と付くはずなのに酷く美しかった。

 

そこまで思考して、俺は一息つく。

 

(…氷柱には剣士としての才能はない。だが、知に優れ、人を必死に守ろうとしている)

 

人を守るため更に隊士達を増やし、強化するべく、彼女は氷柱になる条件に『鬼狩りを養成する学び舎を作ること』をお館様にお願いしたのだという。育手が各地にいるのだから必要ないのでは、という声もあったが、氷柱はこう言った。

 

「確かに従来通りの育手制度も悪くはありません。少人数での、一人一人のことを育手自らがよく考えた教育は優れた剣客を生み出します」

「では、今まで通りで構わないのでは?」

「育手制度には短所も多く存在します。一例として挙げられるのは『酷い育手に当たれば剣士としての道が途絶える』『合わない呼吸を覚えてしまう』などですね。学び舎制度になれば全ての呼吸を経験してもらい、その人物に合った呼吸を効率的に覚えさせることができる」

「なるほどね。だが、学び舎を作るに当たって教える人物に当てはあるのかい? 生徒はどこから確保してくる? 例えば孤児を生徒にするにして、彼らの宿舎や鬼狩りを諦めた際の他の道を示す方法は?」

「大丈夫です、決めております」

 

少し強張った顔だったが、確かにはっきりと氷柱は言っていた。随分と真っ直ぐな瞳をする女性だと思ったものだ。ちなみに、この会話は偶然耳に入ってしまったものである。聞くつもりはなかった。

 

これは余談になるが、氷柱と俺が初めて出会ったのは彼女がその会話を終えた後、廊下でばったり会ってしまったことがきっかけだ。その際、彼女は沢山の資料を抱えており、俺に遭遇したことに驚いたのか紙をぶちまけてしまった。拾うのを手伝ったことから氷柱との交流が始まったのである。

 

当時のことを思い出しながら饅頭を口に含む。酷く甘い味がした。

 

(彼女と交流するようになってからは色々あったな…)

 

文通をするだけではなく、芝居を観に行ったり、流行りのカフェーに行ったりもした。一時期、彼女と何度もばったり会うこと多々があり、「折角だから行きませんか?」と言われたのだ。芝居だのカフェーだのは行ったことはなかったが、行ってみれば中々興味深かったな。特にプリンアラモードというのを食べる彼女は幸せそうだった。

 

考え事をしながら食べると食べ物は直ぐになくなるらしい。彼女からもらった饅頭はもうなくなってしまっていた。饅頭を包む紙を綺麗に折りたたみ、ふうと息を吐く。それと同時に茶が飲みたいなと思った。その瞬間、すかさず横から湯のみが差し出される。

 

「冨岡、飲みますか? 隠の方が入れてきてくれたんです」

「…ああ」

 

本当に彼女は俺の心を読んでいるような気さえしてくる。本人に真面目な顔で一度聞いたことがあるが、「そんな、まさか!」と笑われてしまった。鼻がいいだの、耳がいいだの、そういうわけではないみたいだ。ひとえに氷柱の頭が良いから俺の言動を予測してしまうだけかもしれない。

 

彼女から茶を受けとり、ズッと啜ると身体が温かくなる。身体どころか、心も何故かホワ…と温かくなるのを感じた。それに再び首を傾げ、胸を押さえてみる。彼女と会話すると胸がホワホワするのはどうしてなのだろうか。

 

(まあ、いいか)

 

悪くはない気持ちだ。特に考えなくても良いだろう。そう判断して、俺はもう一度茶をすすった。

 



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原作突入編
其の四: 「地獄の柱合裁判」


私の横に主人公、竈門炭治郎がいる件について。

 

まるで前世の大型掲示板に投稿する際のタイトルのような言葉を心の中で呟く。生前の記憶に縋り、現実逃避でもしなくてはやってられなかった。なんせ、私が直面している状況が今世最大の胃痛事案だったからだ。

 

――私、原作の『柱合会議篇』のシーンにいるんだけど。

 

(帰りたい。切実に)

 

思わず内心で私は頭を抱えた。いつも柱合会議中には帰りたいと考えているが、今日は特に帰りたい。頼む、帰らせてくれ。真面目に胃痛がしてきた。……え? この場から立ち去りたい理由? そんなのありすぎて語れねえよ。察せ。だが、もしも無理やり分類してみるなら大きく分けて二つある。

 

一つ目は柱達がかつてない程にピリピリしていること。

 

理由は言わずもがな、主人公・竈門炭治郎だ。彼は鬼狩りなのにも関わらず、鬼になってしまった妹・禰豆子を連れて鬼殺を行っている。鬼を殺す人間が鬼を同行させている――鬼殺隊の面汚しもいいところだ。また、それと同時に隊の根源を揺るがしかねない所業である。

 

(読者であったころの生前の私なら鬼殺隊の体裁だとか、隊の規律だとかどうでもいいと言えたんだろうけど…)

 

あの頃の私ならきっと「ここまで柱達、炭治郎に辛く当たらなくてもいいじゃん! 禰豆子は人を襲わねえよ!」と言うに違いない。だが、実際に鬼殺隊に入隊して『鬼が人間を襲わず、守るなんて有り得ない』ということを身をもって知った。鬼という生き物はどれだけ耳触りのいい言葉を吐こうとも、普通の人間のように生活していても、必ず人を襲う。人を喰らおうとする。人を裏切り、人を化かし、人を危機に陥れる――そういう存在なのだ。

 

鬼狩りになってから鬼の愚かさと救いようのなさを身に染みるほどに知った。なるほど、これは確かに皆が皆、揃いも揃って炭治郎を否定するはずだと腑に落ちたものである。原作知識を持ち、鬼の義父に育てられた経験のある私でさえ、『漫画通りに禰豆子は本当に人を殺さず、守るのだろうか』と一時期は半信半疑になっていた程だ。

 

前世の記憶持ちの私がそうやって疑ってしまうくらいなのだから、他の鬼狩りの考えなんて火を見るよりも明らかだろう。早々に柱達は『鬼を連れている隊士と鬼ブッコロ』状態である。気性が穏やかな者達でさえ『うーん、早く鬼を殺すべきじゃないかな』という顔をしていた。

 

(みんなピリピリしすぎでしょ!! あまりにも怖すぎる。帰りたい)

 

特に鬼へ怒りや恨みを抱いている一部の柱の顔なんか恐ろしすぎて見ることが出来ない。マジで怖い。帰りたい。救えないことに柱の中でも鬼への想いが一段と強い奴と一緒にこの場へ来てしまった。チラッと横を見ると今にもブチギレそうな男――風柱、不死川の横顔が見える。咄嗟に見たことを後悔した。

 

(怖ッ!! いつもより三割増しで怖ッ!!)

 

先程まで私と風柱の不死川は合同任務だった。任務が終わってすぐに会議があるということで共にここまできたのである。それが全ての間違いと気がつくべきだった。

 

鬼殺隊本部、産屋敷に入った瞬間目に入る強張った顔の柱達。

気絶した状態で地面に寝かされている主人公・竈門炭治郎。

屋敷の端の方で一人たたずむ冨岡義勇。

 

コンマ1秒で「アッこれ原作の柱合会議ですね分かります」となったものである。あまりにも見覚えがありすぎて回れ右をしたくなった。だが、出来ない。出来るはずがない。なんせ私も柱。腐っても柱。不死川に何度も「お前弱すぎだ」と言われようとも柱なのである。私は引きつる顔を抑えながら柱達の中に入るしかなかった。

 

まあ、直ぐに後悔するんだがな!!

 

生前の記憶に刻まれている通りに風柱・不死川は禰豆子の入った箱を強奪、のちに日輪刀でぶっ刺しやがったのだ。これだけで頭が痛いというのに竈門炭治郎による反撃の頭突き。格上の相手に躊躇なく攻撃する主人公に思わず戦慄したものだ。それに加え、怒りのボルテージをムクムクと上げていく不死川を見て泣きそうになった。

 

(次の任務、また不死川となんだけど。確実に八つ当たりされる未来しか見えないんですけど!!)

 

あの風柱様とくればムカつくことがあれば私に嫌がらせをしてくるんだよ。勿論、命のかかっている任務中にはしてこない。あいつ見た目に反して中身は真面目だから。仕事はきっちりやる。但し罵倒はしてくるが。罵声を浴びせてくるのは別にいいんだ。不死川は文句を言いながらも私を守ってくれるからさ。問題なのは任務が終わってからである。

 

「よし、お前今から俺の試し切り台だ」

「ファッ」

 

最初にコレを風柱・不死川に言われた時は「何言ってんだお前」と思った。まさか「サッカーしようぜ! お前ボールな!」をリアルで発言されるとは考えても見なかったのだ。どういうことだってばよ…という疑問を口にする前に不死川は私へ向かって切りかかってきた。そう、切り掛かって来たのである!!

 

「気でも触れましたか、不死川?!」

「うるせぇ!!」

 

慌てて自分の刀で不死川の刃を受け止める。ガキンと金属音を立てながら上から降りかかってくる斬撃の重さに頭がクラクラしたものだ。鬼との戦闘よりも怒涛の勢いで目の前に現れる選択肢にマジで泣きかけた程である。いや、実際に泣いた。ボコボコにされ、骨を何本か折った辺りで試合は終了。まだまだ不機嫌な状態の不死川が去って行く様子を見ながら、もう二度と機嫌の悪いあいつに近づくものかと誓った。

 

(ガチギレ不死川の横なんて命が何個あっても足りない!! 移動したい!!)

 

混沌を極める柱合会議に先程、お館様が登場したことにより何とか場は収まった。だが、柱達の不満はモリモリである。気に食わねえというのが前面に押し出されている者達ばかりだ。

 

ちなみに、現在、冒頭で述べたように私は地面に押さえつけられている主人公・竈門炭治郎の側におり、彼を挟んで不死川が隣にいるのが今の状況である。

 

(待ってこのポジションおかしい)

 

原作では私が現在いる位置に蛇柱の伊黒がいたはずでしょ。何で私がこのポジにいるの? 替わって。この位置は何かと問題がある。主に不死川のせいで。替わってマジで。

 

だが、そんな風に私が嘆いている間にも話は進む。

 

原作通りにお館様が主人公の育手の手紙、「もしも禰豆子が人を食ったら炭治郎の師及び同門の冨岡義勇が炭治郎と共に腹を切る」といった内容のものを読み上げた。それに対して炎柱の煉獄や風柱の不死川が反論し、不死川が禰豆子の箱を再び攻撃。彼は禰豆子へ血を与えようとするも、それを禰豆子が拒否。これにより『禰豆子は人を食べない』という証明を柱の前でしてみせた。それを見て、私はほうと息を吐く。

 

(本当に漫画通りに進むんだなあ)

 

同僚達が原作にあった流れと寸分の狂いもなく全く同じ行動を取り、一語一句間違わずに漫画での言葉を口にしている。それに安堵すると同時に一種の気味の悪さすら感じていた。ありとあらゆるものが『鬼滅の刃』と一致しているが、私にとってこの世界は現実だ。ご飯を食べれば腹は膨らむし、怪我をしたら痛いし、夜は眠くなる。現実なのに『作られている』。それが少し気味が悪かった。

 

余談だが、不死川が禰豆子に攻撃したり、それを竈門炭治郎が止めようと走り出したりした時、私は何もしなかった。主人公の隣という原作では蛇柱・伊黒のポジションにいた自分は蛇柱よろしく竈門炭治郎を止めるべきだったとは思う。でも、私は何も話さず、ただひたすらお館様をガン見し、無視を決め込んでいた。……理由? そんなの簡単さ。

 

(怖いんだよ馬鹿野郎!!)

 

勿論、下手に原作に介入したらどうなるか分からなくて怖いというのもある。私は二十五才で死ぬ運命を回避するために上弦の鬼を倒す必要があり、本懐を遂げるには漫画の話通り進んでもらわねば困るのだ。上弦の鬼vs柱&炭治郎の間に割って入り、確実に鬼を殺すために。人として最低ではあるが、呪いを解くためには手段は選んでいられなかった。

 

(それを差し引いても一番恐ろしいのは柱達、なんだよなあ)

 

不死川を怒らせても怖いが、他の柱も怖い。鬼に与すると思われている竈門炭治郎を庇うそぶりを見せれば、柱達からどんな目で見られるか分かったものではない。酷い言い様だが、鬼を簡単に殺せる柱達なんて化け物と一緒だ。そんな奴らから批判されれば私が死ぬ。死んでしまう。竈門炭治郎に柱達が色々な意味で攻略されるまで、中立でいるべきだ。そう考えたからこそ、私は自分のために何もしなかった。

 

――――しかし、それがいけなかったらしい。

 

原作での柱合会議の流れが一通り終わり、私が胸を撫で下ろした瞬間だった。お館様がこちらへ視線を向けて来たのだ。相変わらず優しげな声色で彼は話し始める。

 

「珍しく今日は何も話さないね。君の意見も聞きたいな」

 

こっち見んな!! 話を振ってくるな!!

 

お館様に対して酷い言いようだが、心からの叫びだった。後、お館様、『珍しく』って何ですか。何なんですか! まるで私が好んで自分の意見を話している口ぶりやめてくださいませんか。選択肢のせいで言う羽目になっているだけです。だが、言えない。言えるはずがない。今この場で「これまでの意見、全てゲームの選択肢が教えてくれたからなんです」と発言した暁には頭の病気を真面目に疑われる。それに加えて「何ふざけたこと抜かしているんだ」と半殺しにされかねない。

 

(なんで私、仮にも仲間にここまでビビってんだろうな?? おかしくない??)

 

解せぬと内心で考えた時、一斉に柱達は己の顔をこちらへ向けてきた。可愛い系から綺麗系に至るまで様々なカッコいい、カワイイなどと称される顔面が自分の視界に入ってくる。思わずヒィッと悲鳴を上げそうになった。だが、それを根性で押さえつける。そうやって私が怯えている間に柱達は口々に話し出した。

 

「氷柱たる彼女が会議の場で発言しないなんて確かに珍しいですね」

「頭脳だけで柱にのし上がった奴が鬼殺隊の今後を左右しかねない事案に何故何も言わない? 貴様の取り柄はその頭だけだろう?」

 

蟲柱・胡蝶しのぶが不思議そうに首を傾げる傍ら、蛇柱の伊黒小芭内がネチネチとこちらを責めてくる。それを聞いて私は内心で頭を抱えた。出来ることなら奇声を発して転げ回りたいくらいである。

 

(危惧していたことが現実になってしまった…!!)

 

うおおおと心の中で唸る。そう、私がこの柱合会議から離脱したい大きな理由の二つのうち一つはこれだった。『竈門炭治郎に対する判決の意見を聞かれてしまうかもしれない』――それが最も聞かれたくないことであり、今すぐに帰りたい理由である。

 

私の『氷柱』という立ち位置から見れば、例えお館様が鬼の禰豆子が鬼殺隊に入ることを認めてほしいと発言しようとも反対するべきだ。基本的に鬼狩りになる人間は鬼に恨みを持つべき者たちばかりである。お館様が竈門炭治郎と禰豆子を許しても隊士の心には疑念が生まれれることだろう。それが原因で隊内が瓦解すれば目も当てられないことになる。特に、炭治郎に攻略されていない現在の柱達に私が「竈門炭治郎達を認める」などと言った暁にはフルボッコにされることだろう。現実が辛すぎ。帰りたい。

 

(でも、柱としては反対だけど、私本人としては賛成なんだよね)

 

賛成の理由は勿論、『私が禰豆子を許せば炭治郎がこちらに好意を持ってくれるかもしれない』からである。竈門炭治郎はキーパーソンだ。主人公という特質ゆえに強い敵、上弦の鬼の打倒を運命付けられている。つまり、炭治郎との仲が良くなれば上弦の鬼を殺しやすくなることだろう。私は二十五歳で死ぬ呪いを早く解きたいため、彼と友好関係を築くのは必須だといえた。炭治郎のためでなく私のためというあたり、自分の人でなしさが浮き彫りになるな…。ダメな人すぎる…。

 

(どうする、どうする…?! 反対か賛成か、どちらを言うべきか…!)

 

言いたくねえ!! どちらを発言しても片方に必ず私の悪い印象が残る!! だから帰りたいんだよ私は!! 今すぐお家に帰らせてェ!!

 

禰豆子を肯定すればきっと柱達に嫌われてしまうことだろう。そのせいで弱い私を守ってもらえなくなると困るのだ、私が!!

かといって、今、炭治郎を庇わねば私に対する好感度爆上がりイベントは中々回ってこないだろう。柱達が反対する前で好意的な反応を見せればきっと炭治郎は感動して積極的に私へ関わりを持ってくれるはずだろうからなあ…。もしも反対してしまえば後で彼と仲良くなろうとも普通の好意しか持たないに違いない。炎柱の煉獄のように炭治郎を守って死なない限りは。現在の状況はある意味で最大のチャンスであり、最大のピンチだった。どうする、どうする…?!

 

その瞬間だった。いつものピロリンという電子音が脳内に響き渡ったのは。

 

(選択肢パイセン、お前…ッ!!)

 

そうだ…そうだった…。私には頼れる先輩、選択肢パイセンがいるじゃないか! 鬼との戦闘時や胃痛事案の柱合会議でいつも助けてくれた…うん…?? 助けてくれていたのか…? 死にはしないが私にとっては不本意な選択肢ばかりでは…? うっうん、助けてくれた選択肢パイセン!! 選択肢パイセンならきっと今の私に最良の道を示してくれるはず。確かに今までずっと選択肢パイセンが示してくれていたのは「どうしてこんな選択しかできないの?! 死ね!!」ばかりだったさ。だからこそ、私は君のことが大嫌いだった。でも、きっと今回は違うはず。まるでヒーローのように登場してくれたもん。初めて好きになりそうだ。

 

満ち足りた気持ちで私はそっと目を開ける。そこにはいつも通りのゲームのドット文字で書かれた選択肢が存在していた。

 

 

▼鬼の妹を連れた鬼狩り・竈門炭治郎についてどのような意見を述べる?

①竈門炭治郎については何も述べず、「竈門炭治郎及び竈門禰豆子を私の寺子屋で一か月間、預かりたく思います」とだけ発言する … 上

②「鬼は死ね」 … 下

 

 

――――誰が主人公を預かるかァ!!

 

ふざけんじゃねえ。ふざけんじゃねえ。竈門炭治郎と禰豆子を預かる? ………ハァ?! あの竈門炭治郎と禰豆子を?! ゼッッッッッタイに嫌だ。彼は主人公だ。そう、どんなにいい人でも竈門炭治郎は主人公なのである!! 主人公といえばトラブルメーカー。トラブルを呼び寄せるトラブルホイホイ。キングオブトラブルである。そんな人間を私の下で預かる…?? 確実に問題が起きる未来しか見えねえ。それと同時に私への死亡フラグが乱立するに違いない。……無理! 考えただけで無理!! 恐怖で手が震える!!

 

(選択肢の馬鹿野郎!! お前なんて先輩じゃねえ!! 死ね!!)

 

後、選べる選択肢の内容に差がありすぎじゃない?! 何なの②「鬼は死ね」って。実質選べるのは一択だけじゃん。①『竈門炭治郎については何も述べず、「竈門炭治郎及び竈門禰豆子を私の寺子屋で一か月間、預かりたく思います」とだけ発言する』だけじゃん!! 年々内容が雑くなってきてない?! 大丈夫?!

 

だが、どれだけ嘆いても選べるのは一つだけ。私は泣く泣く選択するしかないのだ。

 

 

▼選択されました

①竈門炭治郎については何も述べず、「竈門炭治郎及び竈門禰豆子を私の寺子屋で一か月間、預かりたく思います」とだけ発言する

 

 

「…竈門炭治郎及び竈門禰豆子を私の寺子屋で一か月間、預かりたく思います」

 

自動的に自分の口が開き、感情が何一つ感じられない声色で言葉が発せられた。その時、周りがザワッとどよめくのが分かり、思わず真顔になる。今すぐ時を巻き戻したい。私が内心で頭を抱えているとお館様が緩やかにほほ笑んだ。

 

「新入隊員は氷柱の君の下で一か月間の研修を必須にしようかとこの前話していたね。導入は来年くらいを見越していたけれど、炭治郎に研修が必要というのが君の意見なら許可しよう。一か月間、任せるよ」

「ありがとうございます」

「炭治郎」

「は、はい!」

「氷柱の下で学んでくるといい。彼女は柱の中で最も知に優れた剣士だからね」

「はい!!」

 

お館様、ハードル上げるの止めて頂けますか?!

 

もう…もう…ほんと無理…。私はクイーンオブ凡人なのにこうも『知に優れた剣士』と呼ばれると恐怖しか覚えない。柱になってからというもの一般隊士達からはキラキラした目で見られるんだよ…恐怖なんだよ…。

 

私が遠い目をしていると、いつのまにか炭治郎は隠に連れられてこの場から退場してしまっていたらしい。いつまで経っても立ち上がろうとしない私を不審に思ったのか不死川がスタスタとこちらへ寄ってきた。ヒッ?! 何?! 全力で困惑している私を余所に、彼はガッと腕を掴んだと思うとドスの利いた声で言葉を発する。

 

「テメェの今言った言葉は意見じゃねえ。ただの提案だァ…」

 

怖ッ?!

 

えっ、何?! 怖すぎない不死川?! や、確かに私も自分の先程の発言は「お館様が意見を求めているのにガン無視して自分の願望(?)を言ってるけどいいのか…?」とは思った。思ったさ。でも、よくよく考えたら、恐らくアレが私にとっての最善だった。炭治郎側か柱側、どっちにも付かずに上手く丸め込むにはあの発言をする仕方なかったのだ。まあ、不死川にとっては私の回答が不満なのは分かるけどさ。

 

(何でこうも不死川は私に突っかかってくるのかな?!)

 

彼の見た目や話し方だけに注目すると不死川はヤベー奴にしか見えないが、その実、柱の中でも常識人である。真面目に任務・書類整理を期限通りに処理し、柱合会議ではきちんと周りの意見を聞きつつ発言するような人間なのだ。グループワークができる男、それが不死川である。それなのに何故、彼は私に対して常に喧嘩腰かつ怒鳴り散らしてくるのか。私、君に何かした?? ねえ何かした?? 本当に辛いんですが。

 

(今は嫌われている原因を考えるよりも助けを求めなきゃ…!)

 

私はサッと周りに視線を走らせる。他の柱達は既に畳に上がり、座布団に座っていた。まるでこちらを気にしていない様子の彼らに頭が痛むのを感じる。炭治郎の裁判が終わったから柱合会議を始めるために席に着くのは当たり前なんだろうけど…けど…!!

 

(私を助けろよ!!)

 

自分の腕が不死川の手でギチギチと締まっていくのを感じる傍ら、必死に助けてくれる人間を必死に探す。その瞬間、水柱・冨岡義勇とバチィッと視線が合った。炭治郎の裁判で中心人物の一人だった冨岡は、周りの柱から離れた所にいたせいかまだ座敷に上がっていなかったらしい。冨岡を見た私はパァと目を輝かせる。炭治郎側の彼なら不死川から私を助けてくれるであろう――――そう考えていた時期が私にもありました。

 

冨岡、無視しやがった!!

 

(冨岡、貴様ァ!!)

 

え? えっ?? 冨岡の野郎なんなの?? 口をパクパクさせたと思ったらスッと一人で座敷に上がって行ったんだけど?? ぶっちゃけありえない。流石に心が折れるんだけど。やっぱり奴の好感度設定だけおかしいでしょ。あれほど好感度向上の選択肢を選んできたというのにまるで上がっている気がしねえ。

 

絶望の淵に落とされ私は呆然とする。不死川が無理矢理私を立たせ、座敷に上がらせるまで真面目に凹んでいた。

 

 

今世の私、不幸すぎやしないか…?

 

 

思わず天を仰いだのだった。

 



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其の五: 「風柱は認めない」

俺、不死川実弥には嫌いな人間がいる。

――――氷柱の地位に就く女だ。

 

氷柱は現在、俺の隣でほけほけと笑いながら三色団子を頬張っていた。左目に大きな傷跡があるそいつは、その目を細めながら食事を楽しんでいる。対して、女の横にいる俺は貧乏ゆすりをしていた。小さな咀嚼音が横から聞こえてくるだけで舌打ちを零したくなる。俺のイラつき具合を見た氷柱の阿婆擦れ女はボケたことを抜かし始めた。

 

「不死川も団子を食べたかったですか? いや、この場合はおはぎの方がよかったでしょうか。貴方の好物と聞きましたし」

「いらねぇ」

 

この女、俺の好物をどこで把握しやがった。これだからこいつは嫌いなんだ。いつの間にか様々な情報をどこからか仕入れ、俺が一番嫌がる場面でサラリとその情報を暴露する。タチが悪いどころの話じゃねえ。性格がねじ曲がってやがる。

 

(この女とまた任務かよ)

 

デカいため息を吐く。左目傷女とは呼吸の相性もあり、共に任務に就く回数が他よりも多めだ。先程あった柱合会議の前にもこの女との合同任務だったくらいである。奴との任務の頻度は推して図るべし、だ。

 

(ああ、お館様。何故こいつと俺が組まねばならないのですか。左目傷女と組ませるのは冨岡もしくは他の柱で良いでしょう)

 

心の中でお館様に語りかけるも、彼は笑うばかりで何も言ってくれなかった。想像ではなく本当のお館様なら何か良い提案をしてくれたのだろうが、自分の頭ではこれが限界のようである。その事実に気が付き、再びため息を吐く。

 

何故、ここまで俺は氷柱が嫌いなのか?

理由は二つある。

 

一つは女の性格だ。

 

奴の性格を語るにあたって外せないのが『頭脳』である。あの女は知略のみで柱に上り詰めた実績があるように、頭脳だけは一級品だ。鬼殺隊に所属する隊士全員の名前と顔、並びに使用する呼吸や一人一人に至る癖まで完璧に記憶。それだけには飽きたらず、膨大な量の本を読み込み、ありとあらゆる知識を所持している。奴の頭脳は『歩く図書館』と言っても過言ではない。

 

氷柱の頭は鬼殺隊になくてはならないものである――腹立たしいが、その点に関しては認めざるを得ないだろう。

 

(その分、剣士としての腕は中堅程度しかねえが)

 

あの女は柱になったというのに剣の才能がてんでなかった。剣客としてなら二流、三流がいいところだろう。炎柱の煉獄や風柱の俺が氷柱と会うたびに訓練をつけてやっているというのに中々成長が見られないのだ。恐らく、あいつの才はアレが限界。天井が既に見えてしまっている。今後、もしも成長が見られるとしても『攻撃を避ける技術が多少向上した』程度しかないに違いない。

 

だからこそ、あの女が氷柱になったのは驚くべきことだった。

 

基本的に鬼殺隊は絶対実力主義だ。謂わば剣の腕が隊での地位の高さといっていい。それなのにも関わらず、剣の才がないものが柱になった――特例もいいところだ。この話をすると大概が「蟲柱の胡蝶しのぶも鬼の首を切れない代わりに奴らを殺せる毒を開発し、それが評価されて柱になれたではないか」というのだが、胡蝶は違う。蟲柱・胡蝶しのぶは腕力こそないが、剣の腕は確かだ。

 

つまり、これらが意味するのは剣の腕を差し引いても左目傷女の頭脳が重要だということである。

 

(そこまでならまだ良かったんだがな)

 

――――あの女は、あの氷柱の地位を戴く女は、人でなしだった。

 

予知じみた知略を持ち、圧倒的な空間把握能力、指揮官としての能力の高さ。あらゆる可能性を考慮して戦略を練り、隊士に怪我を負わせず、鬼を狩る効率のよさ。あれは氷柱にしかできない所業だろう。故に、最初の間は俺も氷柱を何だかんだで認めていた。奴の剣士としての弱さに呆れながらも受け入れていたのだ。

 

とある合同任務で氷柱への認識を改めるまでは。

 

その任務ではいつものように指揮が氷柱、切り込み隊長が俺という役割で進めていた。その中で、奴へ向ける信頼が変わったのは鬼を粗方処理し、最後の鬼を倒そうとした時である。

 

最後の鬼へ俺が斬りかかり、頸を刎ねるつもりで刀を右から左に動かした際、マズイことが起こった。雨でぬかるんだ地面のせいで足を滑らせてしまったのだ。結果、鬼の頸をはねることはできず、首付近の肉をえぐるだけで終わってしまったのである。いつもの俺ならするはずがない失態に思わず内心で舌打ちをこぼしたものだ。それと同時に失敗に後悔するよりも早く、俺は口を開く。

 

「頸を落とし損ね―――」

「―――不死川、大丈夫ですか」

 

こちらが言葉を口にするよりも早く、氷柱が先程の鬼の頸を切っていた。奴は既に刀を鞘へ納めており、心配そうな表情でこちらを見ている。普段の俺ならば悪態を吐きながらも礼を言ったのだろう。だが、言えなかった。説明し難い違和感を覚えたからだ。

 

(この女は何故、鬼の頸を切れた?)

 

氷柱は己が知略でのし上がっただけの三流剣客だ。そんな奴が俺の失態に気がつき、こちらが声を上げるより先に鬼の頸を素早く切れるものだろうか。答えは否だ。他の柱なら簡単にやってくれるだろう。だが、氷柱は出来ない。いや、言い方が悪いな。失態には気がつくが、俺が叫ぶよりも速く動けないのだ。奴はそういう剣士だった。

 

では、何故、氷柱は頸を切れたのか。

浮かび上がる考えはただ一つ。

 

『不死川は失態を演ずる』と確信していたのだ。

 

氷柱は剣士としての才がない代わりに様々な可能性を考慮して戦略を練っている。普段の凡人っぷりからは考えられないほど、奴は戦略に関して驚異的だった。作戦会議の段階でも「もしもこの策がダメならこちらの策で頼みます」と、必ず失敗した場合の案を組み込んでくる。故にあの女が『不死川が鬼の頸を刎ね損なう』と事前に予測していてもおかしくないのだ。

 

もし俺の考えが合っているとするならば、それは。それは――――…。

 

(氷柱は俺達仲間を根本的に信頼していないことに繋がる)

 

老婆のような白髪をなびかせ、左右で色が異なる目を細めながら、あの女は常々こう言っていた。

 

「信頼していますよ」

「不死川なら必ずやってくれるでしょう?」

「流石は不死川ですね!」

 

今なら分かる。アレは俺を信頼しているために出た言葉ではなかった。あの女自身の頭脳が分析した『不死川』なら、必ず作戦を遂行するだろうと思っていたのだ。俺が今回失態を演ずるのも知っていたのだろう。あいつならそれくらいやってのける。全隊士のその日の精神・身体の状態、出せる呼吸の威力、全てを頭に入れている左目傷女なら。

 

そう考えた時、胸の奥がムカムカとした。歯をギリギリと噛みしめる。感じたことのない感情だった。どう言葉にしたらいいのか分からない。何も説明できない状況だが、これだけは理解していた。

 

(こいつは誰一人として信用してねえ)

 

鬼を切った先程の奴の行動は『失態くらい考慮に入れていましたよ。次の策があります。心配しないで。二番目の策通りに行動しましょう』というのとは訳が違う。きっとこの女は元々俺が失敗することを前提で策を練っていた。そう、こいつは仲間を信頼なんてしていなかったのだ。恐らく自分自身しか信じていない。己が信じた頭脳が下した判断しか信頼していないのだ。この女が「信頼していますよ」と言ったのは自分に対しての言葉だったのだろう。

 

――――氷柱はとんでもない『人でなし』だ。

 

「ふざけるんじゃねえ」

「不死川? どうかしましたか?」

 

知らず知らずの間に俺は吐き捨てるように言葉を口にしていた。不思議そうに首をかしげる氷柱を無視して歩き出す。「不死川?! 何処へ?!」という声を遮断して俺は走った。説明できない胸の奥のムカムカはいつしか燃えたぎるような怒りに変わっていたからだ。慣れ親しんだ『怒り』という感情に俺は唇を噛みしめる。

 

(腹が立つ。腹が立つ)

 

失態を犯す自分自身にも、それを予測する氷柱にも。あの女にとっては誰が失敗してもどうでもいいのだろう。それを予期した上で作戦を練ることができるからだ。戦略予測を一般隊士に対して行うならまだいい。だが、この俺にまでそれを適応してくるのは何故だか納得がいかなかった。チッ、何で俺は腑に落ちねえんだ。あの女が失敗を予測して作戦を練るのは鬼殺隊にとっては利益になる。奴の性格が人でなしだったところでどうした。鬼殺に支障がでないなら問題なんてねえだろう。

 

「どうして腹が立ってんだ、俺は」

 

腹が煮え繰り返るような怒りに身を委ねながら首を傾げる。考えて、考えて、考えて。それでも分からなかった。故に俺は『女の性格が嫌いなのだ』と仮の結論を下したのである。

 

 

――――次に二つ目。

俺が氷柱が嫌いな理由のうちのもう一つは奴の『考え』だった。

 

それを直に実感したのはあの女へ怒りを抱いた任務から更に数日後のことである。その日もまた氷柱との合同での仕事でうんざりしたものだ。だが、仕事は仕事。敬愛するお館様の命に背くことはできない。仕方がなく奴との任務に励んだ。

 

「――これで任務は終いだな」

 

全ての鬼を殺し終わり、チンと刀を鞘に納める。隣にいた一般隊士に「風柱様、お疲れ様です」と言われたため、それに「おう」と返した。刀の柄を撫でながら人知れずため息を吐く。

 

(腹立たしいが、やっぱりあのクソ女との任務は早く終わるな…)

 

またもや胃からムカムカした怒りが込み上げて来た時、不意に気がついた。女が俺の隣に居ないのだ。忽然と消えた氷柱の姿を思い浮かべて舌打ちを零す。あのバカ、どこ行きやがった。ムカつく奴だが、何も言わずに消えるような人間じゃねえ。何かあったのかと思い、隊士達に「氷柱を探してくる」と告げてその場から離れた。

 

そして、俺は目にするのだ。

消えゆく鬼を見て、氷柱がこう言っている場面を。

 

「哀れな鬼に魂の救済を」

 

何を言ってやがるんだ、この女は。

 

救済? 哀れな鬼? 人を殺し、人を喰った、人の敵に対して何故そんな言葉が吐ける? その鬼のせいで何人死んだ。そいつは民間人だけではなく、仲間の隊士達も殺している。亡くなった者達、それに加えて彼らと親しかった人達の想いを考えられないのか。

 

確かに鬼は元々人間だ。だが、奴らは罪を犯した。例え鬼になることを望んでいなくても人を殺したことには変わりない。誰かにとって大事な『人』を殺害したことに変わりはないのだ。だから、俺達鬼殺隊は鬼を殺す。守るべき人間を守るために。誰かの悲しみを増やさないために。

 

(俺達は鬼を殺す。そこに鬼の救済など必要ない)

 

それなのに、それなのに、この女は『哀れな鬼に魂の救済を』と言った。鬼殺隊の剣士として頂点に君臨する、柱であるはずの女が! お前は一般隊士じゃない。柱だ。『鬼殺』の文字を掲げる鬼殺隊の柱なのだ。人々を率先して守り、一般隊士の手本となる者。その柱が鬼の救済を願っただと? これはとんでもなく罪深いことだ。先程の奴の発言は鬼の殺人の罪をなかったことにすることと同じである。鬼に殺された『人間』への冒涜だ。たった今、女は人々の想いを踏みにじったようなものである。

 

(何故、氷柱は鬼の救済なんて望んでやがるんだ)

 

伝聞するところではあの女が鬼殺隊に入った理由は『義父が鬼となり、隊士に倒されたため』だとか。志望動機としてはありふれたものだ。隊士の殆どが『鬼に家族を殺された』『家族が鬼になってしまった』という理由で鬼狩りになっているからである。通常、そういった事情で鬼殺隊を志した者は鬼を憎んでいる場合が多い。何をトチ狂ったら鬼への救済を望む羽目になるんだ。

 

(家族や友人などが鬼になった過去を持つ奴は鬼への憎しみが薄いこともあるが、救済を望む鬼殺隊士は聞いたことねえな)

 

鬼になってしまった家族や友人がまず初めに取る行動は身近の人間――自分の両親兄弟、子供、親戚、親しい知人や友人を食らうことだ。大切な人が自分にとっても親しい誰かを食す姿を見た者が鬼への救済を望むことはまずない。奴らの罪深さを心の底から理解しているからだ。まあ、鬼になった者への憐れみや悲しみを持つことならあるだろうが、それよりも彼らを鬼にした鬼舞辻を恨む感情の方が強いだろう。その場合、鬼は憎き鬼舞辻の手下となるので当然のように鬼も恨むべき対象となる。どちらにしろ、皆、鬼に多少なりとも憎悪を抱いているのだ。

 

(…分からねえ。この女が鬼に救済を望む理由が)

 

まさか、氷柱の義父は途中から鬼になったのではなく、元から鬼だったのか。鬼の義父に引き取られ、育てられたというのならあの女の考えにも納得がいく――――というところまで思考して、俺は自嘲した。なんてなんてバカバカしい妄想をしたのだろう。人を喰わず、人を襲わず、人を守る鬼などいるものか。どれだけの人間がその可能性に縋り、絶望し、それでも諦められずに鬼になった大切な人の下へ向かい、死んでいったか。子供を引き取り、育てる鬼なんていない。いてたまるものか。でなければ報われない。他の隊士達も、俺も、弟達も、お袋も、皆、報われない。

 

「人に仇なす鬼を救済する? ふざけんじゃねえ。もう一度言う、鬼に救済など必要ない。氷柱、テメェの考えは認められねえ」

 

嫌いだ。俺はこの女が大嫌いだ。人でなしの性格だけならまだ許せた。だが、その考えは認められない。人を殺した鬼を救済するなど、認めるわけにはいかないのだ。人殺しには罰を。これは道理である。

 

だから、俺は未だに鬼が消えた跡を見つめる氷柱に近づき、刀を抜いた。「よし、お前今から俺の試し切り台だ」と言いながら奴を見据えたのだ。それを聞いたクソ女は顔をギョッとさせ、困惑していた。しかし、俺は氷柱の焦りも驚きも全て無視して女へ斬りかかる。すると奴はビビリながらも俺の刃を受け止めた。「気でも触れたか」と口にしつつも神妙な顔をし始めたのだ。

 

(ハッ、流石頭脳だけは一級品だな。分かってんだ、こいつも。今回の斬り合いはただの鍛錬じゃねえ。お互いの主義主張のための斬り合いだってことをよォ)

 

だが、奴が一級品なのは知略のみだ。何故こんな女が柱になった。どうしてこんな、こんな阿婆擦れがお館様から柱の位を戴いたのだ。剣士としても、人としても未熟な人間が。

 

胸に走った痛みを怒りで覆い隠し、その日、俺はあの女と戦った。最終的にはこちらが勝ちを収める結果となったが、納得はしていない。剣の腕なら俺の方が遥かに上なのは分かりきっていたからだ。

 

 

――――こうして俺は氷柱を嫌いになったのである。

 

 

あの時の様々な感情を思い出して再度ため息を吐く。ちらりと隣を見ると冒頭で団子を食べていた氷柱はお手拭きで手をふいていた。それを視界に入れながら先日の竈門炭治郎及び鬼の禰豆子を思い出す。それと同時に、この女が言った言葉も。

 

(鬼を連れた隊士を己の寺子屋で学ばせるだと? 意味が分からねえ)

 

氷柱は通常の柱としての業務以外に寺子屋経営がある。これは女が柱になる際に希望したものだ。なんでも、鬼に親を殺された孤児を集め、鬼狩りにするための教育を効率よく施すためだとか。「育成には育手がいるだろ」や「忙しい現役の柱が教育に手を取られすぎるな」と言いたいところだが、お館様が許可を出しているだけに何も言えない。その上、この寺子屋の経営は存外上手くいっているらしく、その寺子屋の出身者から最終選別での合格者が何名か出たとのことだ。実績を残したことにより益々寺子屋の規模は大きくなるだろう。現に、鬼狩りの卵の育成以外に、既に隊士となった各階級の者達に対する研修も氷柱の寺子屋で行うことが決定したそうだ。

 

(その寺子屋で竈門炭治郎と鬼を研修させたところで何になる? 何をしたいんだ、この女は?)

 

氷柱は『人を殺したことがないとはいえ、鬼である妹を連れた鬼殺隊士を隊内で認めるか否か』の意見について否定も肯定もしなかった。ただ竈門炭治郎及び鬼を引き取るとだけ言ったのだ。なんだそれは。肯定か否定、どちらかをしろよ。何故、全く論点が違う発言をするんだ。いや、この女だから分かってやってんだろーな。

 

「やっぱりオメェは嫌いだ」

「不死川、何か言いましたか?」

「死ね」

「唐突ですね?!」

 

驚いた声を出すわりには慌てた様子を見せない氷柱にイラッとしながら、俺は団子を食らった。甘ったるい団子を歯で噛み砕きつつ目を閉じる。

 

きっと俺とこの女は相容れない。

鬼がいなくなる、その日まで。

 

それを改めて実感した俺は静かに息を吐き出した。




【悲報】氷柱、気がついたらトラブルメーカーこと柱に対する様々なフラグ一級建築士(死亡フラグ込み)の主人公を引き取る羽目に


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其の六: 「氷柱研修」

お久しぶりです。読んでいない方もいらっしゃるかもしれないので先にお伝えしておきます。第2話に入れるべきだったお話がごっそり抜けていました。追加したのでよければ見てやってください。




「先生! 第二部隊、鬼の殲滅が終わりました!」

「お疲れ様です、竈門、嘴平、我妻。これで今回の任務は完了です。君達は先に麓へ降りなさい」

「はい!」

「ああ?! 俺はまだやれるぜ!!」

「いや、何言ってんだ伊之助お前?! 先生がこう言ってくれてるんだから帰るぞ!!」

 

竈門炭治郎は私のことを『先生』と呼び、こちらに向かって元気よく返事をした。対して嘴平伊之助は私の発言に不満の色を見せ、抗議の声を上げている。そんな中、早くこの場から離脱したい我妻善逸は必死の形相で伊之助を引っ張っていた。多種多様な三人を眺めながら私はハハッと笑う。これだけ見れば『三人が微笑ましくて氷柱殿は笑みを浮かべたのかな』と思うだろうが、違う。絶望しすぎて思わず笑ってしまっただけなのだ。

 

(おかしい。何で我妻善逸や嘴平伊之助までこの場にいるんだ)

 

主人公・竈門炭治郎と禰豆子の二名のみを預かる予定だったのに、現在、主要人物の嘴平伊之助と我妻善逸まで何故か私の下で学んでいた。おかしい。おかしすぎる。炭治郎だけで既にアウトなのにそこへ伊之助と善逸が追加されるとかどうなってんの。トラブルが起きる気しかしねえ。お館様、どうしてこの二人も私の下へ送り込んだのですか。断りもなく恐ろしいサプライズするのマジでやめて下さい。

 

私が「お館様と意思疎通が出来なさすぎて辛い」と思っていると背後から声がかかる。くるりと後ろへ振り向くと、そこには鬼殺隊隊員一名がいた。しかし、その隊員はただの隊員ではない。炭治郎以外の胃痛案件人物その二である。こちらへ声をかけてきた隊員――肩につくくらいの黒髪と浅葱色の瞳を持った女性はニッコリと笑った。私は引きつる顔を抑えながら目の前にいる彼女に対して微笑む。

 

「真菰」

「第二部隊隊長・真菰、戻りました」

「竈門達はどうでしたか」

「研修生の竈門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助は中々に良い活躍をしていましたよ」

 

私に向かって微笑む人物の名前は真菰。炭治郎の姉弟子であり、初登場時には既に死亡しているという業が深すぎる設定持ちの、あの真菰である。彼女が生きてこの場にいる――――これだけで鬼滅読者なら手を叩いて喜ぶ者が沢山いることだろう。加えて、彼女は原作の十代前半の姿ではなく、十代後半へと成長しているときた。生前の自分ならこの成長した真菰を見た瞬間、鬼滅読者達と一緒に踊り狂うに違いない。だが、今世の私は全くもって笑えなかった。

 

(おっっっかしいよなー…。何で真菰ちゃん生きてんのかなー…)

 

今まで話していなかったが、ここ数年の悩みの中の一つが彼女についてである。真菰と初めて出会った時、「何で真菰が生きてんの?!」とギョッと驚き、二度見どころか三度見したくらいだ。私が何もしていないのに何故か原作死亡キャラが生きていた。それはもう驚き、困惑するに決まっているだろう。

 

残念なことに今世の私は彼女の生存を素直に喜べなかった。寧ろ、「どうして死んでくれなかったんだ」と最低な想いを抱いたくらいである。仮にも生前で鬼滅ファンの私がそう考えたのは何故か。理由は一つ。

 

原作の流れと変わってしまうと困るからだ。

 

以前にも述べたように、私は呪いをかけられている。上弦の鬼を打倒しなければ二十五歳で死んでしまう呪いだ。しかし、上弦の鬼は恐ろしいほど強く、戦ったとしても呪いを解く前に殺されかねない。そこで役に立つのが『原作での上弦の鬼戦』だ。いつ、どこで、誰がどうやって戦い、鬼の隙が生まれるのか。その一連の流れが生前で『鬼滅の刃』を読んだおかげで記憶に刻まれている。この原作知識さえあれば、柱を何人も殺した経験のある上弦の鬼を、自分が死なずに倒せるかもしれない。言い換えれば、上弦どころか他の柱にさえ勝てない私は、この知識がなければ絶対に呪いを解くことができないのだ。本懐を遂げるためには『原作通りに進む』ことは必須だといえた。

 

だからこそ、私は救えるはずの原作登場人物は全て見殺しにしてきたのだ。

 

例えば、水柱・冨岡義勇の兄弟弟子である錆兎。例えば、蟲柱・胡蝶しのぶの実姉・胡蝶カナエ。原作知識を持つ私ならば、もしかしたらその命を救えたかもしれない。だが、私は救わなかった。見知らぬ誰かよりも自分の命の方が大切だったからだ。彼らを助け、原作通りにいかなければ上弦の鬼との戦いに狂いがでるかもしれない。自分が死ぬかもしれない。そう思うと恐ろしかった。

 

いや、そもそも、『救わなかった』という考え自体、傲慢な考え方かな。私は弱い。弱すぎる。どれだけ鍛えても柱には届かぬ実力。助けようとしたところで、結局は取りこぼしてしまっていたに違いない。

 

(原作通りに進めるために私は何もしなかった。それなのに、真菰が生きている)

 

混乱を極める、とはまさにこのことだろう。

 

一時期は気が動転して「秘密裏に真菰を殺そうか」などと思ったことさえある。真菰の死は必要な『死』だ。彼女が死ななければ主人公・炭治郎が鬼狩りとしてうまく育たないかもしれない。炭治郎が兄弟弟子である錆兎と真菰を殺した鬼を最終選別で倒せないかもしれない。考えれば考えるほどドツボにハマっていったものだ。彼女が死んでいないことに不安を覚え、それがピークに達した時、ついに私は真菰を本当に殺そうとした。彼女の隙を突き、刀を振るったその時、真菰に言われた言葉がこれである。

 

「私を継子にしてください!」

 

なんで??

 

おかしいでしょ。おかしすぎるでしょ。自分を殺そうとした人間にそんなこと言っちゃう? まあ、避けられちゃったけど。流石は元水柱・鱗滝の弟子であり、現水柱・冨岡の妹弟子である。私程度の剣士の攻撃なんざゴミみたいなもんなんだろうな。自分で言ってて悲しくなってきた。というか、本当に何でそのゴミカス剣客の私に「継子にしてください」と言ったの。剣の腕もその他に関しても私より真菰の方が強いじゃん。訳が分からないよ。しかも、自分を殺そうとした相手だぞ。どうしてそんな奴の継子になりたいんだ。理解できん。

 

(一旦落ち着こう)

 

フゥーッと息を吐き、奇襲作戦が失敗したことにより熱くなった頭を冷やす。何度か呼吸を繰り返し、なんとか冷静さを取り戻した。

 

(私は何を考えているんだ。今、真菰を殺したところで原作の彼女にはならないだろう。狭霧山にいる幽霊の真菰には、あの真菰には、もうなれないんだ)

 

そう考えてまたもや不安になった。原作通りに進んでもらわねば私が死んでしまう。どうしよう。グルグルと思考の海に沈みかけた次の瞬間、あることを思い出してサッと顔が青くなる。

 

今の私の真菰への行為って――――隊律違反じゃない?

 

しかも、隊員の手本となるべき柱の私が一般隊士の殺害を試みようとしてしまった。完全にアウトである。そもそも、人を殺害しようとした時点で人間としてもアウトだ。これは確実に腹切りものではないか。やばい。上弦の鬼を殺し、二十五歳で死ぬ呪いを解く前に死んでしまう。やばい。やばたにえん。罪悪感を覚える前に保身に走った私は真菰に対してこう言った。

 

「よ、よくぞ避けましたね。流石は鱗滝左近次殿の弟子です。貴女を試して不意打ちをしてみましたが、見事避けるとは」

 

かなり苦しい言い訳だった。先程、私が真菰に対して刀を振るった時、ガチ殺気を放っていたのだ。それが分からない真菰ではないだろう。彼女の実力は既に柱に匹敵しているとまで言われているのだから。

 

(終わった。私、終わった)

 

未遂だとしても同族殺しとして柱合裁判にかけられ、腹切りさせられるんだろうな…。短い人生だった…。こういう時に限って選択肢が目の前に登場しない。本当にあの謎転生特典は腹が立つな。怒りと諦めで天を仰ごうとした時、真菰がむんっとした表情になる。彼女は少し怒ったような声色で言葉を発した。

 

「鱗滝さんが凄いのは当たり前です。それよりも先程のお話、私を継子にする件のお返事をください」

 

いや、その前に私が攻撃したことにツッコめよ!!

 

アレッ?! おかしいな。普通、ここで私への断罪が入るはずなのにこの子とくれば継子の話しかしねえぞ。そういえばこちら側が真菰に対して攻撃を行った時から彼女は『継子』のワード以外だしてねえな。えっ、この子、自分が殺されそうになった事実よりも継子の方が大事なの? 私としては腹切りしなくていいから願ってもない状況だ。だが、あまりにも精神力が鋼すぎる真菰に恐怖を隠せない。ひきつる顔を抑えながら彼女の発言に返答する。

 

「継子を取る気はありません。鬼狩りを育てる寺子屋運営や柱の仕事で忙しいですから」

「それについては重々承知しております。力になるかは分かりませんが、運営などのお手伝いもします。今、貴女は猫の手も借りたいほどにお忙しいと聞きました。私、役に立てるかと思います」

「…、……、……。……確かに貴女の手を借りれるなら多少忙しさはマシになるかもしれません。貴女は強い。きっと私の力になれるでしょう」

「なら…」

「ええ、ええ。貴女は強い。しかし、それでも私は継子を取る気はありません。他の者の継子になる方が貴女には合うでしょう」

「でも、私は貴女の継子になりたい」

 

諦めろよ!!

 

駄目だ。話を聞かない。この頑固さは何なのか。そういえば同じく鱗滝左近次の弟子、錆兎や竈門炭治郎も死ぬほど頑固だったな。何なの。鱗滝左近次率いる水の一門は本当に何なの。生前では最推しともいうべき鱗滝左近次の弟子達がどんどんと苦手になっていく。彼らとの相性があまりにも悪すぎて頭が痛い。私が使う氷の呼吸は水と風の派生なのにどうしてここまで合わないのか。

 

頭どころか胃まで痛くなるのを感じながら私は再び真菰に対してこう言った。「何を言おうとも貴女を継子にしません。これから任務がありますので失礼します」と。そのまま逃げるように帰った。だが、私はこの時、気がつくべきだったのだ。

 

――――鱗滝の弟子であり、のちに主人公・炭治郎の姉弟子になる彼女がこの程度で終わるはずがないことを。

 

私は、気がつくべきだった。

 

それからというもの真菰による継子作戦が始まった。彼女の奇行で一番困ったのは『私の家の玄関前で何時間も正座して居座る』である。朝起きて窓を開けたら雪を被った状態の女の子を発見した時の私の心情を察して欲しい。しかも、顔を真っ青にさせながら念仏を唱えているというオプション付きだ。思わず自分の口から「お前なにしてんの」という素の言葉が出たくらいにはビビったものである。それに対して真菰はキリッとした顔を作ってこう言った。

 

「私を継子にしてください」

「帰りなさい」

 

いや、真菰ちゃん本当に何してんの?! 帰ってよ?!

 

だが、そう私が思っても真菰はこちらの言葉を受け入れることなく真冬の極寒の中での玄関待ちを続行した。これには私も再び頭を抱えたものだ。二日も経つとご近所さんからの目が厳しくなり、流石に家の中に彼女を入れざるを得なくなった。

 

(「私を継子にしてくれる気になりましたか」じゃねーよ! ただでさえ『寺子屋』と称する怪しげな私塾経営をしているんだ。憲兵の調査が入ったら困るんだよ!!)

 

これでも教員免許を取得をしているが、私が運営しているのは国から許可の下りた塾ではない。だからこそ、目立つのは得策とはいえないのだ。一応、この大正時代には義務教育制度がある。今、私が鬼狩りとして育てている年齢の子供達は国が経営する学校に入らなければいけない決まりのため、憲兵が来るのは困るのだ。まあ、義務教育とは名ばかりで貧しい家の子供達は学校を退学する者が多かったらしいが……それはさて置き、政府非公認組織に所属する私の心労を察してほしい。辛いわ。

 

流石は炭治郎の姉弟子(予定)。原作で炭治郎は兄弟子・冨岡義勇の本心を聞くために数日間付きまとい、見事折れさせたシーンがある。その主人公の姉弟子が真菰なのだから、彼女が諦めないのも納得がいく。

 

あまりの真菰の頑固さに最終的に私はこう言った。

 

「分かりました。貴方を継子にしましょう。ただし! 私の命令は絶対ですからね!」

「はい!」

 

元気よく返事をする彼女を見て、遠い目になったのは無理もないだろう。真菰が生きている原因や、彼女が私の継子になりたい理由がさっぱり分からないのだ。その状況下で不穏分子ともいうべき真菰を引き取ってしまった。何が起こるか分からなくて怖い。本当に私は上弦の鬼を殺し、生き残ることができるのだろうか。不安が不安を呼び、真面目に泣きそうになったものだ。

 

(ああ…辛い…辛い…現実が辛い…)

 

一連の『真菰事件』を思い出して、私は思わず胃を撫でた。真菰については彼女が自分の継子になってからずっと悩んでいるが、今回は主人公・竈門炭治郎が近くにいるから余計に考えてしまうのだろう。

 

現在、冒頭でも述べたように、私の目の前には真菰、後ろには主人公・炭治郎、善逸、伊之助がいる。柱合裁判の後、炭治郎達は蝶屋敷で治療を行い、完治した後、私の下に来た。もう胃痛事案が重なりすぎて涙しか出ない。全ては選択肢のせいである。いや、全ては言い過ぎかもしれない。真菰の継子事件は完全に真菰のせいだ。

 

(いや、もう考えないようにしよう。無心で炭治郎達に教育を施し、恩を売り、さっさと送り出そう)

 

内心で最低なことを思いながら私は刀を鞘に納める。その後、トラブルメーカーの炭治郎達は先に下山させ、残りの部隊と合流。鬼の殲滅漏れや死人がいないことを確認したのち、我々も山を下った。

 

(相変わらずの怒涛の選択肢の登場の連続に死にそうになったな…。柱、やめたいなあ…)

 

今回は「新人達を育成するために後方で指揮をとります」作戦だったから比較的命の危険が少なかったことだけが救いか。私のこの作戦を聞いた我妻善逸は「えっ嘘でしょ一緒に戦ってくれないの」という絶望顔になったので流石に申し訳なくなったものだ。だが、善逸が強いことを思い出して「早く行け」の一択になったがな。

 

下山後、隊士達の怪我の手当てをし、隊士達と寺子屋の生徒達と遅めの晩御飯を食べ、風呂に入って寝ようとした時だった。廊下を歩いていたら夜空を見て黄昏る炭治郎と遭遇したのである。この瞬間、直ぐに曲がれ右をしようと思った。

 

「あっ、先生!」

「か、竈門。こんばんは、良い夜ですね」

 

やめて。気がつくな竈門炭治郎。いや、炭治郎だから気がつくか。人の感情を匂いでわかる程の嗅覚の持ち主だ。私が隠れようと思っても気がつくんだろうな…。つらすぎ…。その特殊能力、私にも寄越せよ…。

 

『特殊能力』と聞けば「あれ? お前、鬼の目とか言う鬼を探知できる能力なかったっけ」と思う方がいらっしゃるかもしれない。一つ言っていい?

 

そんな能力ねーから!!

 

確かに義父から呪いをかけられた際、「▼特殊能力『鬼の目』を手に入れました」という表示が出た。ああ、でたさ。私も何か特殊能力を得たのだと、そう思ったさ。だけど、何もなかったからな。目の色が青緑色に変化した以外、本当に何もなかった。一度、「解放せよ! 邪眼のチカラッ」などと言いながら目に力を入れてみたが、全く何も出なかったのだ。

 

では、何故、私の目が鬼殺隊で『鬼を探知する目』と思われているのか。

 

理由は簡単だ。

 

――選択肢のせいである。

 

自分の左目が『鬼を探知する目』と認識されてしまったのは、鬼殺隊に入りたての新人の頃だ。鬼の殲滅のため、小隊に所属する一人として山へ入った任務で『鬼の目』の周知がされてしまったのである。その任務では入山した直後、鬼の血気術のせいで部隊が分断されるという不運に見舞われた。当時の私は「いやコレ死んだでしょ。絶対に死んだでしょ。選択肢に従って鬼狩りになったの確実に間違いだった」と嘆いていたものだ。脳内に聞き覚えのある電子音が響くまでは。

 

 

《ピロリン》

 

▼どう行動を取る?

①近くにいる隊士達を連れて西へ向かう … 上

②近くにいる隊士達と作戦会議をする … 死

 

 

もうやだァ! 選択肢に『死』の文字あるの嫌だァ!

 

やっぱり鬼殺隊やめるべきでしょコレは。何でこうも簡単に『死』の選択肢が登場しちゃうわけ? はーーーー…もっと平和な世界で産まれたかったです………。二十一世紀に帰りてえ……。泣きそうになりながらも、死にたくない私は当然のように①を選択した。

 

 

▼選択されました

①近くにいる隊士達を連れて西へ向かう … 上

 

 

「皆、西へ向かいましょう」

「え、何を根拠に?」

 

根拠?! 選択肢だけど?!

 

一緒にいた隊士の発言に思わず私はギョッとしてしまう。しかし、隊士の怪訝そうな顔を見て、ハッとした。彼が不思議に思うのは普通のことだ。部隊が分断され、途方に暮れている状況で突然、「西へ行こう」などと言われたのなら誰だって首をかしげるに決まっている。

 

(私、この謎転生特典に毒されてきているのか)

 

知りたくなかった事実に地味にショックを受けた。あんなにも嫌いな選択肢を危機的状況では心から信じるようになってしまったとは。今、猛烈に首を吊って死にたい。

 

(待て、今は自己嫌悪している場合じゃない。仲間にどう説明するか考えなきゃ)

 

「勘で西に行くべきだと思った」? いや、五感に優れた伊之助のような存在が言うならまだしも、私がこの発言はおかしいだろ。「なんとなく西に行きたい」? コレも駄目だ。無言で仲間に殴られかねない。他に何か、何か――――くそッ全然思いつかない! 段々と仲間の目が冷たくなっていく! 隊士の男の一人が呆れた顔をしながら口を開いた瞬間、私は咄嗟にこう発言してしまった。

 

「じっ、実は左目が呪われてて! 鬼の位置がなんとなく分かるんです!」

「は? こんな状況で冗談はやめとけよ」

「ングッ! 冗談じゃないんです。その…鬼の義父に呪いをかけられまして…。ほら、私の左目だけ青緑色でしょう?」

「え…? 義父が鬼に…?」

「しかも、呪いをかけられたって本当か」

「本当です! 私の左目に大きな傷があるでしょう。この傷は鬼の義父に切りつけられた時にできました。その際に呪いを与えられたのです。それで副作用で鬼の位置が分かるように…」

 

く、苦しいか? 言い訳としては苦しいか? 緊張しすぎて手が震えてきた。嘘をつくときには少しの真実を混ぜればいいと聞いたことがある。そのため、『鬼の位置が分かる理由』を全て呪いのせいにしてやった。呪われているのは本当なので、いける気が――――しないわ。全然しないわ。元凶の鬼が死んだのに未だに呪いがかかっている事例を自分以外に知らないもん。嘘つくなクソがって言われるなコレは。詰んだ。確実に詰んだ。

 

私が内心で天を仰ぎかけた時、仲間の一人が泣きそうな顔になった。待って、なんで泣きそうなの。そうツッコミを入れる前に仲間達は好き勝手に言葉を紡ぎ出した。

 

「そうか…」

「身内が鬼になるって辛いよな…」

「呪いのこととか流石に仲間でも言いにくいよね」

「こんな状況だ。どうしたらいいか分からない今、お前の左目を信じてみるよ」

 

優しいな?!

 

ど…どうしたの急に優しくなって…。さっきまで完全に不審者を見る目だったじゃん。突然の手のひらクルーに戸惑いを隠せない。何で皆、唐突に優しく――――って、よくよく考えたら私、とんでもなく重すぎる過去を暴露してるな?! そういえば自分の過去、他の鬼滅メインキャラクターと見劣りしないくらい暗かった。多分、今の彼らの私に対する認識は『鬼になった育て親に呪いをかけられても健気に生きている人』なんだろうな。ついでに『呪いをかけられても、その呪いすら利用して人のために戦おうとしてる』とか思われてるんだろうな。……ちっっっがうわ!! 過去は確かに重いけど、そんなに健気じゃねーよ!! 私、基本的に自分のことしか考えてねーから!! 後、私の義父は途中から鬼になったのではなく、元から鬼でした!!

 

訂正しようにも訂正できず、そのまま流されるように西へと足を進めた。案の定、私達が向かった先に鬼が登場。結果、「鬼が探知できるのは本当だったのか!」と納得されてしまい、後に引けなくなった。

 

(マジで泣きそう。その次の任務から仲間達に「鬼が何処にいるか分かる?」って頻繁に聞かれるようになったけ)

 

知らねーから。選択肢に導かれるままに行動しただけだから。そう思っても何も言えなかった。世知辛い。しかも、毎回毎回、選択肢が「我々が向かうべき場所」を示してくれるわけではないので、鬼の場所を聞かれる度に困ったものだ。その都度、言い訳を考えなければいけなくなり、どんどんと別の設定が生えたり、勘違いされたりした。そのあたりで柱になったのでもう死にたいとしか言いようがない。

 

当時のことを思い出して私は吐きそうになる。その時、自分の目の前にいた主人公・炭治郎から「先生? どうしたんですか」という声がかかった。私は慌てて「何でもありません」と返答する。

 

(あっっぶない、炭治郎と二人っきりなんだから気を引き締めないと。何が起こってもおかしくないんだから)

 

腐っても私は柱であり、炭治郎は主人公である。私達が仲良く談笑している時に他の隊士から「かっ、下弦の鬼が出没しました…!」と伝えられる急展開もありえるのだ。本当にやめてほしい。弱小柱の私では下弦の鬼と対面したら絶対に命を捨てる覚悟をしなければならないからな。他の柱達はそこそこ余裕を持って下弦の鬼と戦えるのにこの差はなんなの。私、実力は一般隊士程度しかねーから当たり前か…。才能の差…。

 

(呪いを解くために炭治郎と仲良くなる必要があるとはいえ、出来るだけ彼には近寄りたくないな…)

 

そう考えて、炭治郎に挨拶をした後、この場から直ぐに立ち去ろうとする。しかし、彼は意を決したような表情で私に言葉を投げかけてきた。

 

「あ、あの、先生! 聞きたいことがあるんですが!!」

「……、……なんでしょう。先程の鬼の討伐で気になる点でもありましたか」

「いえ、そうではなくて…。その、どうして先生はあの柱合裁判で俺を引き取ると言ったんですか。何故、俺に教育を施そうとしたんですか」

 

その選択肢しか選べなかったからだよ!!

 

だが、言えない。言えるはずがない。選択肢のことを口にした暁には頭の病気を真面目に疑われる。つい最近、冗談半分に同期へ「実は人生の選択肢が見えるんですよね」と言ったら「寝言は寝てから言ったほうがいいよ」とクソ冷たい目で見られたからな。あれ最早トラウマ。

 

まあ、でも、炭治郎なら信じてくれる可能性はある。彼は作中屈指の人格者キャラ。真摯に申せばワンチャンある。しかし、この選択肢についてを説明するとなると自分のクズさ加減が露見してしまうことだろう。そうなれば炭治郎の私への好感度が下がり、上弦の鬼の打倒に支障がでてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けたい事態だ。

 

(うん! 炭治郎には選択肢のことは言わない! なんとか誤魔化そう!)

 

そうは思っても炭治郎は『嘘が匂いで分かってしまう』という特殊能力持ちである。嘘は口にせず、本当のことを言いながら誤魔化さねばならない。……ハードル高いな?! 緊張と恐怖で冷や汗が止まんねえ。本当に誰か助けて。

 

――――かくして、炭治郎とのバトルが幕開けた。

 



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其の七: 「鬼を連れた兄は拳を握る」

(不思議な匂いがする人だなあ)

 

俺、竈門炭治郎は隣に座る『女性』を見ながら心の中で小さく呟く。自分と一緒に縁側に腰掛けるその人は、一度見たら忘れられないような珍しい色彩をしていた。真っ白な髪に青緑色の左目と黒色の右目。善逸の髪色の派手さを彷彿とさせるような奇抜な色彩である。

 

そんな彼女の名前は『明道(あけみち)ゆき』。

この鬼殺隊の中でも最上の位を戴いている『柱』だ。

自分の兄弟子、冨岡義勇と同じ地位に就く人間である。

 

(こう言っては失礼だけど、全然強そうじゃない。明道先生からは強者の匂いがしない)

 

俺が禰豆子と共に裁かれた柱合裁判へ出席していた柱達は皆、強者の匂いがした。きっとあの場にいた人達は冨岡さんと同じくらい強いのだろう。 それなのに、この氷柱の位を戴く『明道ゆき』からは「普通の人」の匂いしかしない。いくら嗅いでも強い人間の匂いがしなかったのだ。研修を受けるために改めて彼女と対面した時も、その匂いは変わらなかった。

 

(どうやって明道先生は柱になったんだろう)

 

基本的に鬼殺隊は実力主義だと聞いた。理由は恐らく、強い剣客でなければ上位の鬼に勝てないからだろう。どれだけ他の才があろうとも、剣の腕がなくては生き残れない。結果、鬼殺隊は自動的に実力主義社会になっていったに違いない。しかし、その弱肉強食の鬼殺隊にありながら、『明道ゆき』からは強者の匂いはしなかった。これは何故なのだろう。冨岡さんくらいの強さがなければ柱にはなれないんじゃないのか。

 

(鬼殺隊当主のお館様が「氷柱は知に優れた柱」と言っていた。明道先生は賢いから柱になれたのか)

 

でも、「賢い」くらいで実力主義の鬼殺隊の柱になれるだろうか。不思議に思ったが、考えても分からないことは仕方がない。俺は一旦、その思考を止め、明道ゆき先生の授業を真面目に受けることにした。

 

まず、そこで驚いたのが、研修先の先生の屋敷である。氷柱邸は普通の屋敷とは違い、『家』というよりも『学校』に近い造りだったのだ。一緒に研修を受けることになった善逸と伊之助も学校のような明道先生の氷柱邸に驚いていたっけ。その際、善逸が「何でこんな造りにしているんだ」と疑問を口にしていたが、その理由は直ぐに分かった。

 

氷柱・明道ゆきは『鬼狩りを育てる学校』の運営者だったのである。

 

氷柱邸には十五歳以下の子供が約十名ほどいた。彼らは鬼狩りになるためにこの屋敷で修行を積んでいるのだという。その子供達の教師を務めるのが柱の明道ゆき先生だったのだ。しかし、教師は彼女だけでなく、引退した様々な隊士達も入れ替わりで務めているとのことである。加えて、時々他の柱や現役の隊士達も氷柱邸に立ち寄り、教鞭をとっていると聞いた。

 

(授業では沢山の隊士達の多種多様な呼吸を見れて、すごく勉強になった)

 

それ以外には鬼殺隊隊士としての心構えや軍警から捕まりそうになった時の対処など、鬼狩りとして生きていくための一般常識を教えてもらえた。また、その他にも役に立つ知識について伝授され、聴いていて楽しかったなあ。更に、氷柱邸内には図書館並みに本が沢山あり、学び舎としては最高の場所だったのである。伊之助は「こんな話を聞いて何になるんだ! 鬼を斬る為には鍛錬した方がいいだろうが!」と憤っていたけれど。

 

だが、その伊之助の怒りも直ぐに収まることになる。

――本業でもある鬼殺の研修が始まったからだ。

 

研修では氷柱の明道ゆき先生が率いる隊に参加することになった。約十五名に及ぶ隊だ。これほどまでに多くの仲間達と隊を組んだことがなかったのでドキドキしたものである。その際、俺は姉弟子である真菰さんの隊に所属することになった。自分・真菰さん・善逸・伊之助の四人になった時、俺は真菰さんに対して元気よく挨拶をする。

 

「真菰さん、お久しぶりです!」

「炭治郎、久しぶりだね」

「誰だこの女」

「伊之助、女性にそんな言い方をしてはいけないぞ!」

「エッッッッ何?! 炭治郎、こんな美人さんと知り合いなの?! 教えろよ紹介しろよ!!」

「真菰さんは俺の姉弟子なんだ」

「ハァーーッ?! おまっおまえっなんて羨ましいやつなんだ!! なんてやつなんだ!! ふざけんなよ炭治郎!!」

「善逸と伊之助、だっけ? 確か炭治郎と同期だったかな。炭治郎と仲良くしてあげてね」

「ハイ!!」

「権八郎は俺の子分だからな!!」

「ふふ、これでも私、氷柱・ゆきさんの継子だから厳しく教育するから覚悟してね。今回の授業では一番重要な『隊』として戦うことの大切さを学ぶから、心してかかること!」

 

真菰さんに微笑まれ、デレデレとする善逸に呆れていた時、『明道ゆきの継子』という言葉を聞いて驚いた。まさかあんなに強い真菰さんが明道ゆき先生の継子だとは思わなかったのだ。失礼だが、あの真菰さんが明道先生から学ぶことなんてあるのだろうか。そんな考えが自分の顔に出てしまっていたのだろう。真菰さんは浅葱色の目を細めながら笑った。

 

「ゆきさんの『強さ』はもう直ぐ分かるよ。だから安心して、炭治郎」

 

明道ゆき先生考案の作戦が始まった瞬間、その言葉の意味を直ぐに理解した。

 

「――気がついたら鬼へ刃を振り下ろせてる…?」

 

気がつけば、最短の経路で鬼までの道筋を駆け抜け、最も奴らの頸を斬りやすい位置に到着していた。結果、鬼に気がつかれないまま刃を振り下ろすことに成功したのである。しかも、途中、危ない状況に陥ったとしても、丁度いい時に何故か別の隊の助太刀が来たり、逆に俺達が絶妙な瞬間に他の隊士達の助けに入れたりした。これが一回だけならまだしも、二回、三回と続けばおかしい。伊之助も「何だこれ?! 次々に鬼と会えるなんてスゲーな!! スッゲー楽に倒せる!!」と驚いていた。

 

(これは偶然なんかじゃない。意図的に作り出されたものだ)

 

その時、不意に真菰さんと目があった。すると彼女は意味ありげにニッコリと微笑んできたのである。そんな真菰さんの表情を見た瞬間、ビリッと頭に電流が走った。あり得ないことに気がついてしまったからだ。手が震え、思わず拳を握ってしまう。

 

「まさか、この『偶然』を明道先生が作った…?」

 

ポツリと呟いた言葉が自分の中の疑惑を確信にしてしまう。ありえない。ありえるはずがない。明道ゆき先生からは戦略を張り巡らせているような『匂い』はしなかったのだ。それどころか香ってきたのは強烈なまでの恐怖、恐れ、怒り、焦り、喜び、安堵、困惑という様々な感情がごちゃ混ぜになった匂いだった。明道先生からはいつも沢山の強い感情の匂いがする。だから、彼女の考えていることが分からないことも多い。しかし、これほどまで綿密な作戦を練っているのなら、別の匂いがしそう、な、もの、を――――。

 

――――『ごちゃ混ぜになった匂い』?

――――『明道先生の考えが分からないことが多い』?

 

「まさか」

 

もしかして、明道先生からごちゃ混ぜになった『匂い』がするのは、

 

(『わざと』させているのだとしたら?)

 

ゾワリと身の毛がよだつ。気がついてはいけないことに気がついてしまった気分になった。恐らく、氷柱・明道ゆきは全て『分かって』いるのだ。どこに・どうやって・いつ・誰が行けば効率よく鬼を狩れるのか。他の隊士達から入る助太刀の異常なまでの回数や鬼との遭遇率は、そうでなければ説明がつかない。また、明道先生から様々な匂いがしたのも、きっとこちらに自分の考えを悟らせないためだ。俺は沢山の匂いと強すぎる匂いが一度に来てしまうと嗅覚の精度が落ちてしまう。恐らく、彼女はそれを狙った。

 

氷柱・明道ゆきは凡人だ。

でも、その頭脳と振る舞いは間違いなく強者だ。

 

「先生が柱になれた理由が分かった気がするなあ…」

 

素直に恐ろしいと思った。今、俺は武力による恐怖でもなく、鬼への恐怖でもなく、知略による恐怖を感じていたのだ。だからこそ、不安になった。予知じみた戦略を練る明道ゆき先生は何故俺を引き取ったのだろう。何の目的のためにあの人はこちらに教育を施そうと思ったんだ。考えれば考えるほどドツボにハマっていった。

 

恐ろしさのあまり震えた時、不意に禰豆子が目に入る。禰豆子は月の光に照らされながら蝶々を追いかけていた。ちなみに、先程の鬼殺の授業は既に終わり就寝の時間帯になっている。鬼になる前はあんなにしっかりした妹がまるで子供のように蝶々を追う姿を見て、俺はむんっと気合を入れた。

 

「俺は長男だ! 禰豆子の兄だ! 竈門家の炭治郎だ!! 長男たるもの恐怖に負けるな! 俺は今まで頑張ってきた! これからも俺は負けない! 怖がっていても! 不安でも! 負けない! 未知が怖いなら知ればいい! 聞けばいい!! 俺は!! 負けない!!」

 

パシンッと両手で頰を叩き、とりあえず俺は明道先生を捕まえることに決めた。途中、真菰さんに遭遇したので先生の居場所を聞いたら「この縁側で座ってたら会えるよ」という助言をもらうことに成功。結果、俺は縁側に腰掛けて明道ゆき先生を出待ちすることにした。すると真菰さんの言う通り、先生がこの場にやってきたのである。俺は直ぐに彼女を捕まえ、意を決して聞いてみた。何故、俺を引き取ったのか。どうして俺に学ばせようとしたのか。

 

それを聞いた明道ゆき先生は目をパチパチとさせた。いつものように彼女から様々な感情が強烈に匂ってくる。しかし、それが一瞬にして霧散し、『不安』の一色に染まった。

 

(どうして、明道先生は不安になっているんだ…?)

 

不思議に思っていると、先生は視線をウロウロと彷徨わせた。しかし、直ぐに彼女は目をギュッと閉じる。そして静かに目を見開き、言葉を紡いだ。消え入りそうなか細い声だった。

 

「実はね、私の義父は鬼だったんです。でも、それは途中から鬼になったのではありません。『最初から』鬼だったんです」

「な――――…」

 

俺はギョッと目を見開かせた。嘘かと思って明道ゆき先生の方を向くが、彼女は至って真剣な表情をしている。また、『匂い』も嘘をついている匂いはしなかった。

 

「私は鬼の男に拾われ、その男の養子になりました。自分の実の両親は流行病で死にましてね。その際、村の人々に口減らしのために売られ、色々あって出会ったのが義父なのです」

「そんな…。鬼が子供を育てるなんてことがありえるのですか」

「道楽か何かで私を拾ったと思いますよね? でもね、義父は本当に『人』だったのです。誰よりも真摯で、誰よりも優しく、誰よりも厳しかった」

「……その、先生のお父上は今…」

「死にました。いえ、私が殺しました。ある日、義父が『人の形をした何か』を食らっているところを見てしまいましてね。その際に丁度街に来ていた鬼殺隊の方と共に義父を殺しました」

 

先程とは打って変わって、明道先生の言葉には何の感情も乗っていなかった。匂いも恐ろしいまでに無臭だ。しかし、『義父を殺した』という発言をした瞬間、何もなかったはずの彼女から微かに一つの匂いがしてくる。それは胸が締め付けられるような『悲しみ』だった。先生は言う。自分は呪いを掛けられたのだと。二十五歳までに上弦の鬼を殺さなければ死ぬ呪いをその『目』に貰ったと、そう言うのだ。

 

(なんて、酷い)

 

信じていた親に死の呪いをかけられるなど、これほどまでに辛いことがあろうか。やはり、禰豆子や珠世さんのような鬼以外は人を騙し、人を呪い、人を殺す、人の敵なのだろう。俺も今まで何人かの『鬼』に出会ってきたが、皆、人を食らい、騙す鬼ばかりだった。その事実に唇を噛みしめる。

 

(明道先生が俺を引き取ったのは…)

 

禰豆子を、鬼を、連れているからなのだろうか。危険分子である俺達を排除するために彼女はこちらへ教育を施そうとしたのか。その理由が一番しっくりきた。少し悲しい気持ちになりながらも、明道ゆき先生の方へ再び視線を向ける。悲惨な過去を語ったはずの先生は何故か穏やかな表情を浮かべていた。

 

「でも、私は義父を恨んでいません」

「どうしてですか」

「だって、あの時、言われたんです。義父を私が殺す時に『ごめん』って」

「…」

「義父との生活は幸福だった。あの幸せは嘘じゃなかった。きっと義父は何か理由があって自分を殺そうとしたのだと思ったんです」

 

「でも、」と先生は続けた。鬼殺隊に入り、鬼の醜悪さを知ったのだと言う。義父が自分を襲った理由が、本当に『何かあったから』なのかが日に日に分からなくなっていったそうだ。ギュッと拳を握る明道ゆき先生を見て、再び俺は唇を噛みしめる。その時、先生はパッと顔を上げた。先程とは打って変わって輝くような笑顔に面食らう。

 

「その時に、君が、君達が来てくれたんです。そう、竈門炭治郎と禰豆子が」

「俺と禰豆子…?」

「禰豆子は鬼になってもなお、人を喰らおうとしなかった。人を守ろうとしていた! 君は知らないんでしょう。私がどれほど驚いたか、どれほど安堵したか。きっと義父の愛は嘘じゃなかった。義父は確かに『人』だった。

 

ありがとう、竈門炭治郎。ありがとう、禰豆子。君達が生きていてくれて良かった。どうか禰豆子を人間に戻してあげてね」

 

その言葉には積年の『想い』が籠っていた。苦しみも、悲しみも、恐怖も、焦りも、喜びも、全てが詰まっていたのだ。俺の左目から自然と涙が一つ流れ落ちる。

 

(この人は俺達を排除するために引き取ったんじゃない)

 

義父から自分への『愛』を確信したくて引き取ったんだ。

 

仮にも柱であるはずの明道ゆき先生がしてはいけない行為だと思う。けれど、彼女は行動せずにはいられなかったのだ。本当に禰豆子は人を襲わないのか、人を守るのか。それが知りたくて明道先生は俺達を引き入れた。周りの隊士達が聞けば「公私混同するな」と怒ってもいいような事案である。でも、彼女の行動に俺は何も言えなかった。鬼の家族を皆に認めてもらえない辛さは痛いほど分かるからだ。

 

(やっぱり『柱』の人達は凄い)

 

兄弟子である冨岡さんも恐ろしいほど強かった。そして、明道ゆき先生も剣客としての才能はないが、知将として優れている。心を鍛えに鍛えて、力を磨き、彼らは柱になったのだろう。俺も強くならなくては。禰豆子を人間に戻さなくては。先生の想いに報いるためにも。

 

俺、竈門炭治郎は静かに拳を握った。

 





次回予告: 明道ゆきの腕が吹っ飛ぶ



炭治郎は光のコミュ障というワードを以前にどこかで見て、妙に納得してしまった。兄弟子・冨岡義勇を数日間追いかけ回した挙句、最初は「冨岡さん」呼びだったのに、ある日突然、勝手に「義勇さん」呼びにチェンジさせてた長男力(光のコミュ障力)がヤバイ。

あと、コメントや評価、ブクマ等々ありがとうございます。想像以上にもらえたので驚きました。嬉しいです。また、コメントへ返信できていなくて申し訳ない。返信で盛大なネタバレコメントをよくやる人なので、最終回まで返信は控えさせていただきます。すまない…。


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無限列車編
其の八: 「離席」


「明道、君は食が細い! もっと食べなければ体力が持たないぞ! 柱たるもの、一般隊士の前で倒れては示しがつかないからな!」

「煉獄、これでも私は他の女性よりも食べる方ですよ」

「む? そうか? だが、甘露寺は君よりさらに食べているだろう」

「何故貴方は蜜璃と比べたんですか。比較対象が規格外です。せめてしのぶにしてください」

「はっはっはっ」

 

炎柱・煉獄杏寿郎が大きな笑い声をあげた。177cmの長身かつ鬼殺隊隊士として肺を鍛えている彼の声はこの列車内でよく響く。隣にいる真菰が「煉獄さんはよく食べるね」とニコニコしていた。

 

(相変わらず真菰は何に対しても動じないからすげえよな)

 

思わず真菰の精神鋼っぷりに恐怖する。そんな中、不意に一つ向こう側に着席している隊士の一人が目に入った。彼は煉獄杏寿郎に視線を向けながらドン引きしている。恐らく、炎柱の横に積み重なる弁当箱の多さに戦慄したのだろう。ちなみに、この隊士は去年の選別で合格した私の寺子屋の生徒だ。彼が「柱って規格外だな」という顔をしているのを見て私は苦笑いを零す。それと同時に内心でため息を吐いた。

 

(まーーーた柱との任務かよ)

 

柱と組まされる任務の確率が高すぎてやってらんねえ。柱との仕事は危険なものばかりなので行きたくないのだ。何でこんなに私は他の柱と合同任務が多いのか。いや、理由は言うまでもないな。周りがこちらのことを『頭脳だけで柱になった隊士』だと思っているからだろう。クソ辛すぎ。全部選択肢のせいなのに。以前に隊士達が「氷柱は個人としては弱いが、隊を組むなら柱最強だ」と話しているのを聞いて白目になったもん。ゲームの選択肢が見えなくなればただのモブ隊士以外の何者でもないのにさあ。

 

(それにしても、この時期の煉獄杏寿郎と任務は本当に嫌だ…。誰か代わってくれないかなあ…)

 

私が炎柱と組みたくない理由はただ一つ。

 

――――煉獄杏寿郎の死が近づいているからだ。

 

原作では炭治郎の柱合裁判が終わり、蝶屋敷での治療完了した後、『無限列車編』が来る。そこで煉獄杏寿郎は上弦の参と対面し、命を落とすのだ。

 

だが、私、『明道ゆき』という異物が混入したことにより、原作の流れに一部ズレが生じた。蝶屋敷治療編と無限列車編の間に謎の『氷柱研修』が挟まってしまったのである。マジで要らない話が投入されたと思う。本当に本当にこの研修だけはいらなかった。

 

何故ならば、原作にあるはずのない研修が投入されたことにより、無限列車編がなくなる場合があるからだ。

 

無限列車編がなくなることは、私・明道ゆきにとっては由々しき事態である。列車での出来事がなければ煉獄杏寿郎は死なないに違いない。彼は恐ろしく強い剣士だ。正直、上弦戦以外で死ぬ場面を想像できない。

 

(もしも、もしも。煉獄杏寿郎の死が回避されたのなら、)

 

かまぼこ隊の鬼殺隊隊士としての覚悟や決意がなくなってしまう可能性がでてきてしまう。加えて、煉獄杏寿郎の遺品である鍔がなければ『刀鍛冶の里編』で小鉄君が死ぬだろう。彼は炎柱の鍔を懐に入れていたことでなんとか生き残れたのだから。「小鉄はモブキャラなんだから、一人くらい死んでも大丈夫なのでは」と思う方もいるかもしれない。だが、たかが一人でも『原作キャラクター』だ。きっちり描写されてない背景モブとは訳が違う。小鉄君の死によって大幅にズレが生じる場合もある。

 

(真菰まで生存してしまっているんだ。これ以上ズレが出てくれば、私が呪いを解くための上弦戦に支障がでる)

 

何度も何度も言っているが、私は自分が可愛い。自分の死を回避するためならば顔見知りの者だろうが、見捨てる覚悟をした。確かに煉獄杏寿郎はいい奴だ。生前でも好きなキャラクターだった。でも、原作通りに死んで貰わないと困る。私が生きるために。…………駄目だ。どんなにかっこよく話しても自分のクズさしか伝わらねえ。どう言い訳しようとも私は誰かを見殺しにした人殺しだ。

 

(あーあーこれ以上は精神的に良くないから考えないようにしよう)

 

私は思考を切り替える。兎に角、今の自分の感情としては『無限列車編で活躍する煉獄杏寿郎とは関わりたくない』だ。こいつと任務がある度に「まだ死んでないのか。早く死んでくれ」と「生きててよかった」が自分の中でごちゃ混ぜになるので会いたくないのである。

 

私は弁当を食べながら睨むように煉獄杏寿郎を見た。煉獄は先程と変わらず列車の椅子に腰掛け、ご飯を口に掻き込んでいる。

 

余談だが、現在、私・煉獄・真菰・一般隊士一名は列車に乗っていた。どんな任務かと問われたら少し困る。実は私、まだ内容を知らされていないのだ。いや、聞けなかったというべきか。炭治郎達との研修に疲労しすぎて今回の任務の把握ができなかったのである。だが、真菰もこの任務に参加することだけは知っていたので、現地で尋ねればいいやと思い、今、こうして何も知らずにここにいた。

 

「煉獄」

「ングッ、どうした、明道?」

「流石に食べすぎです。まだ出発していないのに列車内の弁当の在庫をゼロにする気ですか」

「むう…それはすま、」

「謝る必要はありません。私達の仕事は特に身体を使いますからね。……ふむ、自分で弁当を買ってきてはどうですか。まだ出発まで時間はありますし。ね、真菰」

「そうですね。煉獄さん、弁当屋が駅の少し向こう側にありましたよ」

「む、そうなのか、真菰少女! では買ってくるとしよう!」

 

手荷物を置いて外に出ていく炎柱を見て、私はギリギリと歯を噛みしめる。クソ、煉獄杏寿郎マジでいい奴だよな。ちょっと嫌味で『お前食い過ぎじゃね?』と言ったら直ぐに謝りやがる。あーーーもう嫌だ嫌だと頭を振った。気分を落ち着かせるようにカップに入ったお茶を飲んで――――

 

「腹の中だ! 主の腹の中だ! うぉおお!! 戦いの始まりだ!」

「うるせーよ!」

「伊之助は元気だなあ」

 

――――全力で噴き出した。

 

飲んだはずのお茶がカップにブシャアッと勢いよく戻る。周りには被害が及ばなかったが、自分の顔面がびしょ濡れになっていた。ポタポタと顎からお茶が膝へと落ちる。私の凄惨な様子に気がついていない真菰は「あ、炭治郎達きたんだねえ」と陽気に笑っていた。それを聞きながら震える手でハンカチをポケットから取り出して顔を拭う。

 

(なんか…なんか…幻聴が聞こえた…)

 

おかしい。おかしい! かまぼこ隊こと竈門炭治郎・我妻善逸・嘴平伊之助の声が聞こえた。つい最近までよく話していた奴らの声が耳に入ったんだが?! そ、そんなバナナ。何故、彼らがここにいる。煉獄杏寿郎との任務が入る前に「これで貴方達の研修は終わりです。ご武運を」と言って別れたはずだ。あまりにも早すぎる再会ではないか。いや、待て。本当に今の声は幻聴かもしれない。きっとそうだ。うん――――

 

「あれっ?! 明道先生と真菰さんがいる!」

「あっ、センセーとマコモサン!」

「まさか今回、炎柱の人と同じ任務ですか?」

「そうなの〜。炭治郎達は炎柱の煉獄さんに会いに来たんだよね」

「はい! 『日の呼吸』について煉獄さんなら知っているかもしれないと胡蝶さんに以前、言われたので」

 

――――幻想が打ち砕かれるゥ!

 

炭治郎達だった。間違いなく主人公御一行様だった。三人の姿がガッツリ視界に入ってきた。目を逸らしようがない現実に思わず私は崩れ落ちそうになる。もしもこの場に真菰やかまぼこ隊、弟子の隊士がいなければきっと自分は転げまわっていただろう。それほどまでに衝撃を受けていた。

 

(嘘だろ。嘘だろう…?! 何故、炭治郎がここにいる…?!)

 

この時期の『竈門炭治郎』と『列車』で連想するのは、先程も述べた『無限列車編』である。もしかすると私は今、原作の列車編に居合わせてしまっているのかもしれない。今、炭治郎は「炎柱に『日の呼吸』について聞くために彼を訪ねてきた」と言った。原作の主人公達が無限列車へと乗車する理由は『日の呼吸について知っているかもしれない煉獄杏寿郎に会うため』である。間違いなく『無限列車編』の導入部分だ。

 

どうしよう。恐怖で手が震える。考えてみろ。無限列車編では十二鬼月と戦う必要があるんだぞ。しかも、二体も! その上、二体のうち一体は上弦の参である。数多の柱を殺した経験があり、あの煉獄さえも死に追いやった『上弦の参』が登場するのだ。まず私は必ず勝てないので、絶対に関わりたくない。

 

また、この『無限列車編』での戦いはいわゆる『負けイベント』である。敗北があるからこそ次の勝利が際立ち、主人公・竈門炭治郎の成長が目に見えて分かる――そのための布石イベント。つまり、この列車編では上弦の鬼は倒せず、二十五歳で死ぬ呪いの解除はできないということになる。無限列車での戦いは私・明道ゆきにとって無駄な戦いなのだ。

 

(いや、待て、まだ希望はある! 今日の任務が無限列車編ではない希望が!!)

 

私は今回の任務内容を把握していない。そうだ、無限列車の任務だとはまだ確定していないのだ。また、明道ゆきという異物の混入により謎の『氷柱研修編』が追加されてしまった事例もある。もしかしたら今回の任務は新たに投入されたオリジナル編の可能性もあるのだ。うん、うん! きっとそうだ。まさか私が無限列車にいるわけがない。よし、真菰に確認しよう。

 

「真菰、今回の任務内容を話してもらえますか」

「あれ? ゆきさん知らなかったんですか」

「ええ。流石に忙しくて把握する暇がなくて。だから真菰に後で聞こうと思っていたんです」

「そうなんですねえ」

「真菰さんと明道先生、任務なの?! うそでしょ?! 柱の任務とか確実に強い鬼がでるじゃん帰りたいんだけど?!」

「強いかどうかまでは分からないけど、既に短期間のうちに四十名以上この『無限列車』で行方不明を出しているからね。厄介な鬼だとは思うよ。その上、隊士数名をこの列車に送り込んだけど、全員消息を絶っちゃったし」

「よ、四十人以上…?!」

「だから柱のゆきさんと煉獄さんがここに来たんだ」

「はーーーーッなるほどね! 降ります!」

 

私も降ろして?!

 

認めたくない現実がダイレクトに襲いかかってくるゥ! ビックリするくらい一瞬でフラグ回収した。全然希望なんてなかったァ! まさかの「煉獄杏寿郎」「竈門炭治郎」「無限列車」の三拍子が揃ってしまったことにより私は頭を抱える。これで今日の任務が原作の『無限列車編』だと確定してしまった。きちんと原作通りに進んでいるのは喜ばしいが、自分が巻き込まれるとなると話は別だ。真面目に泣きたい。

 

(ああああどうしようどうしよう。柱の私がここにいれば確実に巻き込まれる。絶対に十二鬼月と戦う羽目になる)

 

恐怖で胃がキリキリとしてきた。周りの音や感覚を遮断してグルグルと頭を回転させる。仮病を使うか? だが、炭治郎や善逸なら匂いと音で嘘だと分かってしまう。それとも別の任務が入ったというか? いや、真菰が私の大体のスケジュールを把握しているので直ぐに論破されてしまうだろう。緊急事態に弱い自分の頭では考えても考えても下車できる方法が直ぐに思い浮かばない。なんとか落ち着こうと外を見て――――私は固まった。

 

あれ、なんか列車――――動いてない?

 

伊之助が「うおおおすげえええ速ええ」と騒いでいるのを尻目にぽかんと口を大きくあける。彼が開けた窓から風が自分へと吹き付けてきた。伊之助の隣にいた善逸は私に怒られると思ったのか、「早く窓を閉めろ窓を!!」と必死に伊之助を引っ張っている。それを視界に入れながら私は内心で絶叫した。

 

 

煉獄杏寿郎、乗り遅れやがったァーーッ?!?!

 

 

まさかの炎柱抜きでの『無限列車』が始まりを告げた。



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其の九: 「困惑列車」

「竈門・嘴平・我妻の三名は先頭車両に向かいなさい。この蠢く鬼の肉片を見るに、列車自体が鬼と化そうとしています。そうなれば乗客二百人余りを人質に取られることと同じになる」

「そんな…!」

「だけど勝機はあるよ、炭治郎。きっとこの鬼はまだ列車と一体化はできていない。私達に罠を見破られてたから焦っているんだと思う」

「先頭車両に頸があるはずです。私・真菰・弟子・禰豆子の四人で八両全てを守ります。君達三人は先頭二両の様子を窺いつつ、頸を切りなさい。さあ、行って!」

「待ってください、明道先生! 何故、先頭車両に頸があると?!」

「ングッ?! ……それは秘密です。そうですねえ。私の鬼が探知できる『目』の効果、とでも言っておきましょうか」

 

原作知識のことなんて説明できるわけねーだろ!!

 

心の中でキレ散らかしながら私は余裕ありげに微笑む。但し、刀を握る手はガタガタ震えていた。私が怯えるのも無理はないだろう。この戦いの要ともなる煉獄杏寿郎がまさかの初めから離脱という事態に見舞われているのだ。「なんでいねーんだよお前?!」と怒り狂い、炎柱が存在しない恐怖に震えるのは当然のことである。

 

よもや弁当を買いに行ったまま煉獄がフェードアウトするとは思いもしなかった。何で帰って来ないんだあいつは?! ああもう、煉獄杏寿郎に嫌味を言おうと考えるんじゃなかった。自分で自分の首を絞めている。自分のアホさ加減に思わず頭を抱えた。

 

(このままでは煉獄の代わりに私が死ぬ。炭治郎の成長のための踏台になってしまう…!!)

 

この場にいるメンバーで煉獄の代用品になる人間を選ぶなら、確実に真菰か私だ。その中でも特に私・明道ゆきが死ぬ確率の方が高いだろう。強い真菰を差し置いて自分が死ぬと思った理由は二つ。

 

一つは私が『柱』だからである。クソ雑魚弱者だろうと、真菰の方が剣の腕が遥かに優れようと、明道ゆきは『柱』だ。そう、正式に鬼殺隊当主から隊の中での最高位を授けられた『柱』なのである。どの漫画でも最高位を戴くキャラクターの『死』は物語に於いて最高のスパイスだ。現に、前世の読者達は煉獄の死によってこの鬼滅世界の戦いを緊張感を持って読むことができるようになったのではないだろうか。それほどまでに『柱の死』は重要だった。

 

二つ目は『明道ゆき』が死亡フラグを以前に立ててしまったからである。『氷柱研修』の時に『炭治郎を引き取った理由付け』のため、自分の過去を存分に話した。加えて、周りからは選択肢のせいで強キャラ扱いをされてしまっている。今まで気がついていなかったが、驚くほど私は死亡フラグを乱立させていた。

 

以上二点が『炎柱の代わりに私が死ぬ理由』である。真面目に頭を抱えて泣き叫びたい。本当に何で私はあそこまで壮絶な過去語りを炭治郎にしたんだ。いや、馬鹿か。馬鹿なのか。

 

(はーー…柱やめてえ…。鬼滅世界があまりにも生きにくい…)

 

ため息を吐きながら刀を鞘から引き抜く。隣では真菰と我が弟子が同じように刀を抜いていた。禰豆子は気合十分というようにファイティングポーズをとっている。それを見た炭治郎・善逸・伊之助は列車の屋根に登り、前方車両へ駆けていった。彼らを見送った後、自分に言い聞かせるようにポツリと呟く。

 

「早く鬼を倒さねば…」

 

私がこうも必死に無限列車を操る下弦の鬼を殺そうと躍起になっているのには理由があった。上弦の参『猗窩座』の登場を阻止するためである。かの鬼が来るのは炭治郎が下弦の頸を切り、列車が転倒した時だ。故に、列車が脱線して倒れなければ上弦の鬼と遭遇しない可能性があった。何故ならば、猗窩座はまるで『列車が止まってくれたから追いつけた』というかのような登場の仕方をしたからである。勿論、私の解釈なので合っているかは分からない。寧ろ間違っている可能性の方が高かった。だが、希望は捨てたくない。

 

(列車がきちんと走って目的地まで行き、そこで他の柱と合流できれば…私に勝機はある!)

 

だからこそ、私・明道ゆきは下弦の鬼『魘夢』による強制昏睡イベントをバッサリと切り捨てた。

 

無限列車編ではストーリー序盤に主人公達が下弦の壱の攻撃を受け、眠りについてしまう。そこで炭治郎達は自分が一番見たい光景を夢として見ることになるのだ。このイベントのお陰で各キャラの過去を読者に伝えたり、炭治郎の決意を強固にしたりすることができたと言えよう。

 

(だけど、私が生きるために昏睡イベントは切り捨てさせてもらった)

 

具体的な行動の一つは、『下弦の鬼・魘夢の血気術のトリガーを所持する車掌さんを気絶させる』である。我ながら脳筋すぎる解決法だ。しかし、これにより、下弦の壱が列車と一体化する前に戦うことができるようになった。

 

(あー…そういえば、炭治郎達が『何故、あの車掌さんが鬼に協力しているとわかったのか』と聞いてきた時は焦ったな…)

 

主人公達の言う意味は凄く分かる。知り合いの女性が急に立ち上がり、一般人へ刀を向けたのだから、さぞや驚いたことだろう。自分が炭治郎側だったら無言でそいつを殴っている自信すらある。

 

きちんと説明できれば良かったのだが、前世のことを話せば真面目に頭の病気が疑われる。まあ、前にも行ったように確かに人格者の炭治郎達ならワンチャン信じてくれるかもしれない。だが、残念ながら『明道ゆき』が『前世を認めて欲しくなかった』。だから、私は今まで前世のことを言わなかったのだろう。炭治郎と関わるようになって、ようやく最近気がついた。

 

私は凡庸である。異常な事態や人知から外れた事柄を理解できず、理解したくもない『普通の人間』だ。もしも前世や選択肢を周りから認めてもらえば、自分も真っ向からこの『異常』に向き合う必要がある。それかどうしてもできなかった。私は自分の弱さゆえに異常を認めるのが怖いのだ。一応、一先ず異常を受け入れてはいるけどな。そうでもしないとこの世界での油断や動揺はマジで死に直結するから…あまりにも世知辛い…。

 

(まあ、前世のことを炭治郎達に言えば自分のクズさが露見するのが嫌なのもあるけど)

 

自分がクソすぎて辛い。ゲンナリとしながら私は炭治郎と目を合わせる。こちらを期待した面持ちで見てくる彼に「ウッ」とうめき声を出したくなった。手汗がヤバイ。嘘はつかず、説明しなくては……難易度高いな?! 炭治郎と対面すると何でこうもデッドオアアライブの状況ばっかりなの?! おかしくない?!

 

私が嘆き苦しんでいる時、ピロリンと聞き覚えのある音が鳴る。次の瞬間、周りの時間はいつも通りに停止した。

 

 

▼どう発言する?

①「勘」とだけ言う … 下

②なんかいい感じに説明する … 上

 

 

あまりにも雑くない?!

 

ビックリした。二番の「なんかいい感じに説明する」の「いい感じ」って何?! 最近思うんだけど年を追うごとに選択肢が雑くなってないか。実は選択肢パイセンちょっと面倒臭くなってるでしょこれは。「選択肢パイセンには中の人がいる説」が濃厚になりつつあるぞ…。

 

それでも選択肢には逆らえない。しかも、炭治郎達の『何故、あの車掌さんが鬼に協力しているとわかったのか』を解決するための糸口は選択肢パイセンしかいなかった。だからこそ私はげんなりしながらも選択するのだ。

 

 

▼選択されました

②なんかいい感じに説明する … 上

 

 

選択した瞬間、私の顔がキリッとした面持ちになる。こちらを真っ直ぐに見つめる炭治郎の目を見据えながら自動的に口が開いた。

 

「真菰から任務内容について聞いた時、『人間が鬼に与している』という考えが直ぐに浮かびました。理由は簡単。列車という閉鎖空間の中で鬼殺しを生業にする人間が何の『跡』も残さずに消えたからです」

「! そうか! 鬼と戦う俺達なら次の仲間のためにこの列車に何か証拠を残しているはず!」

「勿論、跡すら残さずにこちらを殺せる鬼だった可能性もあります。しかし、有力なのは…」

「俺達が一番油断する相手――――『守るべき人間』に血鬼術を発動する『何か』を使われたから。だから、他の隊士達は跡を残す暇もなく消えてしまった…!」

「その通りです」

 

なぁーにが「その通りです」だよ。何も考えてねーよ!!

 

怖い。選択肢が怖い。「なんかいい感じに説明する」が思ったよりも細かく語ってくれたので怖い。選択肢パイセンこういうところがあるから意味が分からないんだよな。こちらの範疇外のことでも選択肢は詳しく話してくれるのだ。特に柱合会議などでは専門知識などを交えた高度な会話を勝手にしてくれるのである。あまりにも怖すぎ。

 

ここからは私の勝手な憶測なのだが、範疇外の知識を語れるのは『今まで明道ゆきが経験したことを選択肢が学習しているのではないか』と思っている。例として挙げられるのは読書だ。パラメータ上げのために沢山の本を読んだり家庭教師をつけたりしている。だが、馬鹿な私は全てを身につけることはできず、すっかり忘れてしまっているものも多数存在していた。その『忘れた』『身についていないもの』『読んだだけで終わったもの』全てを選択肢が覚えているとしたら? ――――辻褄が合うのだ。

 

(でも、『鬼の居場所が分かる』とか『初めて入る森の道の把握』とか『予知じみた作戦』とかは、それでは説明がつかないんだよな…)

 

この『選択肢が見える』という転生特典には謎が多い。どんな機能があり、どういう時に反応するのか。長い間、選択肢パイセンと付き合っているが未だに疑問が尽きない。

 

(でも、今はそれを考える場面ではないな。無限列車での死亡フラグをへし折る方が先決だ)

 

そう考えた時、自分の隣をスッと空気が裂けた。突然、風が横切ったため、私はギョッと目を見開く。直ぐに自分の刀を握るが、なんの対策も出来ずに『何か』が技を放つ様を横目で見届けることになる。瞬間、斜め横で水流の如く滑らかな剣技が繰り出された。

 

「水の呼吸・参ノ型『流流舞い』」

「真菰…!」

「ゆきさん油断しないで。考え事をするのはいいけど、集中しすぎるのは貴方の欠点です」

「すみません」

 

私へと向かっていた鬼の手達が豆腐を切るかのようにスパンスパンと両断され、軽やかに地へ落ちる。それを見てヒェッと自分の喉の奥から悲鳴が溢れた。………あっぶない。真菰がいなければ後ろから来ていた下弦の壱の腕に明道ゆきは殺されていた。そんな『もしも』を想像して思わずゾッとする。『気を抜けば即死』という鬼滅世界のシビアさを改めて実感して打ち震えた。

 

(ま、真菰がいてくれてよかった…)

 

炎柱・煉獄が不在の今、乗客全員を守れるような人間は彼女しかいないのが現状だ。真菰という人間は炎柱の代わりになれるほどに強い。原作でもあの錆兎と同等の強さを持つような描写をされていたほどだ。本来なら私ではなく真菰が柱になるべきなのだろう。現に彼女はこの列車の八両中・五両の守備を担っているのだ。これは原作の煉獄が守っていた両車の数と同じである。このことから分かるように真菰は柱と同じ実力を持っていた。

 

(真菰、私の代わりに柱になってくれないかな…)

 

だってさ、ちょっと聞いてよ。私一人で八両中何両を守っていると思う? 一両だよ一両。あまりにも雑魚すぎる。ちなみに禰豆子・弟子は二人で二両である。大体三人で一両ずつ守っている計算になるが、氷柱たる明道ゆきが一両のみなのは流石にない。雑魚オブ雑魚である。でもな、少しだけ言い訳させてくれ。

 

――真菰と煉獄が異常なんだよ!!

 

よく考えて欲しい。列車内は障害物のせいで視界が悪く、狭いので刀を振りにくいという欠点がある。加えて、二百人にも及ぶ乗客というお荷物付きだ。その状況下で戦えているなど、化け物といっても過言ではない。

 

(普通はまず五両も見通せること自体がおかしいよね)

 

そんでもって何でお前ら乗客を守りながら正確に鬼の腕を切れてんの? おかしいでしょ。しかも、一両ならまだしも五両だぞ。どうして守れてんの?? 一般隊士にそれはできねーからな。『甲』の位を戴くような上級隊士ですら一人で一〜三両くらいが限度なのだ。いや、上級隊士でも下手すれば一両も満足に守れない場合だってある。柱と真菰だけがおかしいのだ。

 

(というか真菰、どうして私の車両にいるの?)

 

まさか私の危機を察知してきてくれたというのか。え…怖…。助けてくれた真菰に酷い言い様だが、真面目に怖い。柱や彼らに匹敵する実力の持ち主達ってサラッと人外技を披露してくるからビビるんだよな。「え…おま…本当に人間…?」ってなるからね。

 

そこまで考えて真菰を見た瞬間、列車が大きく揺れた。

 

「なっ、」

「ゆきさん!!」

 

まるで列車が痛みにのたうち回るかのようにガタガタと左右上下に揺れた。突然の出来事に私は体勢を崩す。壁に激突するだけならよかったのだが――――運の悪いことに私は窓から外へ投げ出された。一瞬の出来事に何が起こったのか分からず、ぽかんと口を開ける。剣士どころか武人としてダメダメな自分はそのまま浮遊感に身を任せ、外へ落ちようとした。その時だった。

 

真菰が私の手を掴んだのだ。

 

彼女は凄まじい力と勢いでこちらの身を引っ張る。空中へ投げ出されていた自分の体はグンッと列車に引き戻された。車内の椅子に盛大に背中からぶち当たった私は「グエッ」とカエルが潰れたような声を上げる。しかし、そんな痛みが気にならないほどに自分は真菰に釘付けだった。

 

――――真菰が私の代わりに外へ投げ出されたからだ。

 

「真菰ォッ!」

 

真菰の笑みが自分の脳内に垢のようにこびりつく。彼女は笑ったままこちらの視界から消え失せた。私は慌てて窓枠から飛び出さん勢いで外を見る。だが、そこにあるのは左から右に流れ行く木々のみ。どこにもあの黒髪の少女は見えなかった。

 

(ない、ない、真菰の姿がない!! )

 

冷や汗がドバッと全身から流れ出るのが分かった。ゾッと背筋に冷たいものが通る。次の瞬間、私は鬼殺隊で培った脚力を駆使して、列車内の天井にある外へと通じる蓋に跳躍した。強烈な打撃を繰り出して蓋を弾き飛ばし、そのまま私は列車の屋根の上に飛び出る。本来の自分なら絶対できないような少年漫画的行動だ。

 

外に出た後、「真菰ぉーーッ!! 聞こえますかー!!」と叫ぶが、当然のように返事は返ってこない。風が顔に吹き付け、髪や羽織がバサバサと揺れた。血の気が引いていくのが分かる。

 

(流石の人外的な身体能力を持つ真菰でもこの速さの列車から落ちればひとたまりもないぞ…?!)

 

どうしよう、どうしよう。真菰が、真菰が! ――――死んでしまう!

 

真菰との生活は決して悪いものではなかった。彼女を継子にしてから戦いにおける不安が減ったというのもある。でも、でも、どうしてだろう。いつからか私は真菰に死んでほしくないと思っていた。真菰は死ぬべき人間だ。確かに原作での『狭霧山の真菰』に彼女はもうなれないので、生きてても大丈夫なのではないかと思うだろう。だが、真菰という人物は剣士としてあまりにも強すぎた。いつか必ず真菰の存在は原作にヒビを入れるだろう。だから、必ずどこかで殺さねばならないと思っていた。

 

なのに、なのに、私は真菰にどうしようもなく生きてほしくなっていたのだ。

そのことに今、『明道ゆき』は『気がついた』。

 

手が震える。思考が正常にできない。他の隊士達が死んだ時でさえここまで動揺しなかった。自分の手どころか身体まで震え始める。ガチガチと歯が鳴り、手足が冷たくなった。

 

――――そんな時、『アレ』はきた。

 

 

《ピロリン》

▼どう行動する?

①全裸になる … 下

②半裸で先頭車両まで刀を振り回しながら走る … 上

 

 

いやおかしいだろ!

 

今、完全にシリアスな場面だったよな。何でぶち壊してきたんだ。しかも、選択肢がいつにも増して酷すぎる。全裸と半裸の二択っておかしいだろ。仮にもうら若き二十歳の娘にそんな所業をさせる? 嘘だろ。嘘だと言ってくれ。痴女もいいところじゃねーか。いや…本当に待って…少し泣きそうなんだが…。二番の「半裸で先頭車両まで刀を振り回しながら走る」が大分頭おかしい奴なんだが…。

 

(この露出狂プレイ、今から私がしなくちゃいけないのか。マジか)

 

死ぬほどやりたくねえ。だが、当たり前だが選択肢には逆らえない。真菰への気持ちやらなんやらを押し潰して私は泣く泣く選択した。

 

 

▼選択されました

②半裸で先頭車両まで刀を振り回しながら走る … 上

 

 

「シャアッオラァッ!!」

 

羽織と隊服、シャツをひん剥き、勢いよく捨てる。列車の屋根にいるせいで服は直ぐに後方へ飛び去った。胸のサラシはそのままにして奇声を発しつつ私は刀を構える。この間、三秒。全自動で身体が動き、私の尊厳を弾き飛ばしてくれた。辛い。前方から吹き付ける風に押されながらもタンッタンッタンッと軽やかに地面を蹴る。

 

(辛い。死ぬほど辛い)

 

どうみても今の私・明道ゆきは痴女である。しかも刀の所持というオプションつき。完全に精神病を疑われるレベルの奇行を晒していた。辛い。あまりにも辛すぎる。特にこの大正時代は女性の身だしなみに煩い時代だ。下手をすれば真面目に職質を食らう。仮にも柱が帯刀違反による職質ではなく、露出による職質など恥さらしもいいところだ。これを知られたら不死川に殺されかねない。

 

そんな風に自分の境遇に内心でむせび泣いていた時、不意に私は気がついた。いつもの自分なら分かりそうもないことに気がついてしまったのだ。

 

(あれ、前方の線路の上に誰か――いる?)

 

米粒程度の大きさの『何か』が線路の上に鎮座していたのだ。しかし、あまりにも遠くにその『何か』があるため、一体どんなものかまでは分からなかった。「岩でも落ちているのか」と目を凝らす。列車が近づくにつれて米粒はどんどんと大きくなっていった。そして、ようやく私は理解する。いや、『理解してしまった』。

 

 

――――あれは上弦の参・猗窩座だ。

 

 

「本当に待ってくれ!!」

 

心からの叫びが喉から思わず飛び出た。ギョッと目を見開き、慌てて引き返そうとする。だが、選択肢パイセンに縛られた自分の身体は半裸姿で猗窩座の方へ一直線に進んでいた。このままでは上弦の参に斬りかかる羽目になるだろう。それに気がつき、サッと血の気が引くのが分かった。

 

(さっき私が半裸にならされたのは…まさか…)

 

筋肉を盛大に晒す猗窩座に合わせるためだったりするのか?! 嘘だろう?! そんな気遣い必要ねーよ!! そもそも猗窩座がどうして線路上にいるんだ。原作での登場の仕方は『列車の転倒後、空から飛び降りるように登場』だったはず。なのに、何故。

 

(もしや列車が転倒しなかったからか…?)

 

そんなことってある?! ああ、もう意味が分からない。理解できない。命の危機に現実から目を背けたい。恐らく、先程の大きな揺れは『炭治郎達が下弦の壱・魘夢を倒したことによる揺れ』なのだろう。だが、原作のように転倒には至らなかった。理由は簡単だ。漫画とは違い、炭治郎達が眠らなかったからである。下弦の鬼は列車との一体化が未完だったため、奴を倒しても転倒とはならなかったのだろう。

 

(よ、予定と違う!! このまま上弦の参・猗窩座と出会わずに下車できるはずだったのに…!)

 

に、逃げたい! 今すぐ離脱したい! そうは思っても自分は列車の屋根を走り、先頭車両に向かう羽目になっている。猗窩座の方を見ると彼は既に構えをとっており、この列車を止めようとしているではないか。やっ、やめて。マジでやめて。死の恐怖に私は打ち震えた。だが、選択肢に身体を縛られている現在、逃げることは叶わない。唯一動く口を使い、腹から力を入れて叫んだ。

 

「竈門ォーーッ!! 我妻ァーー!! 嘴平ァーーッ!! 後方車両へ移り、列車に技を放てェーーッ!」

 

線路上にいる猗窩座が技を放つと同時に私も列車から飛び立った。今、選択肢からの呪縛が解けたが、もう後戻りはできない。私は覚悟を決めて息を吸う。自分の口からビュオォオォと吹雪くような音が発せられた。師にこれでもかと叩き込まれた動作の通りに明道ゆきの身体が動く。次の瞬間、『技』を放った。

 

――氷の呼吸・参の型『墜ち氷柱(つらら)』!

 

つららの如く鋭い斬撃が上から下へ落ちるように私の刃から繰り出された。

 



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其の十: 「左腕」

「弱者は引っ込んでいろ。虫酸が走る」

「ハハ、そう言わないでくださいな」

 

私、明道ゆきは上弦の参『猗窩座』と対面していた。引きつった顔と震える手を押さえ込む。なんとか目の前にいる猗窩座に対して笑みを浮かべるが、表情が持ちそうになかった。今、とてつもないほど帰りたい。目の前にいる鬼があまりにも強すぎる。一目見て敵わないと理解した。私はポンコツ剣士なので初対面では相手との実力差が分からない場合が多いのだが、その自分が一瞬で『逃げるべきだ』と思ってしまった。理解できてしまった。敵わない。逃げるべきだ。乗客や主人公達を見捨てるべきだ。

 

(でも、ここで炭治郎達を見捨てれば彼らが死んでしまう可能性が高い)

 

チラッと横目で列車の方向を見る。主人公・炭治郎は原作通り腹に怪我を負ったのか地面に横になりながら私達へ視線を向けていた。伊之助も同じようにこちらを窺っている。善逸の場合は漫画と違い、気絶はしていなかったが、足に怪我をしたのか炭治郎と共に転がっていた。彼らの近くには禰豆子・弟子の二名がおり、この二人は乗客を守ったことにより気絶している。この時点で猗窩座との戦闘が無理ゲーすぎて泣けてきた。戦える人間が私と伊之助しかいねーじゃねーか。現段階ではまだまだ未熟の伊之助と、クソ雑魚剣士の私で上弦に勝てるわけねーだろ。

 

余談だが、列車は一番先頭の車掌室がある車両以外は転倒せずに線路上に残っていた。理由は先程放った技により上弦の参『猗窩座』の攻撃が全車両に通る前に車掌室のある車両と次の車両を切り離せたからである。これだけ聞けば私がとんでもない技量を持つ強者に思えるだろうが、違う。あの時、私は猗窩座へ攻撃を入れるつもりだった。

 

ここで思い出して欲しいのが『明道ゆき』の剣の腕だ。

 

氷の呼吸・参の型『墜ち氷柱』はつららのように斬撃を飛ばす遠距離攻撃の技で、剣撃が当たるかどうかは本人の技量が大きい。剣の才能がまるでない私の斬撃は大幅に猗窩座から逸れ、先頭車両と次の車両の結合部分に当たってしまったのだ。車掌室のある車両が他の列車から離れていく瞬間を見た時はマジで血の気が引いた。だが、不幸中の幸いというべきか、それのおかげで上弦の参の攻撃が一番前の車両を伝って全車両に通ることなく終わりを告げたのである。結果、全車両の転倒を阻止することができた。

 

そこまではいい。偶然にしろ、乗客に怪我を負わせずに済んだのだから。問題はここからだ。

 

(どうする…。この状況、どうする…?! 上弦の参からどうやって自分と他を守る…?!)

 

表面上、上弦の参『猗窩座』は弱者が嫌いで、強者が好きな人物だ。脆弱な人間は直ぐに殺し、武に優れる者とは心行くまで戦いたいタイプの鬼である。武に関して白黒はっきりしている奴ほど戦いでの油断は生まれにくいため、絶対に猗窩座と戦うものかと考えていた。故に『二十五で死ぬ呪い解除のためにどの上弦と戦うか』という自分の脳内会議で『猗窩座』の名を直ぐに消去したくらいである。

 

(一番警戒していた鬼と何の対策もなく一対一の戦い? 冗談も大概にして欲しい。マジで胃が痛い)

 

だが、この状況で何もしないわけにはいかない。猗窩座に弱者だと思われて直ぐに殺される前に強キャラ感を出さなくては。そう考えて私は即座に口を開いた。余裕ありげに笑みを浮かべながら名乗りを上げる。

 

「私は氷柱・明道ゆき。鬼殺隊最高位を戴いている隊士の一人です」

「『柱』? まさか偽りの階級を言ってくるとはな。時間稼ぎでもする気か? 愚かにもほどがある」

「明道先生は柱だ! 最高位を戴くのに相応しい柱だ…!」

 

援護ありがとう炭治郎! お陰で猗窩座が「そうなのか」と興味を少し持った顔をしてくれた。でも、炭治郎、君が死んだら原作崩壊もいいところなので端で待機しててくれ。自分のことしか考えてなくてごめん。炭治郎達に「待機。上官命令です」と声をかけた後、前を見据える。

 

(さて、どうやって逃げ…)

 

そこまで言葉を内心で紡いだ瞬間だった。

 

――――腹に爆弾でも当たったのかというくらいの衝撃が走ったのだ。

 

「ーー!」

「明道先生ぇ!!」

 

思考も感情を抱くことすらも出来ずに、私は背中から後方へ吹っ飛ぶ。途中、地面に何度か叩きつけられ、身体が何度かグルンッグルンッと回った。それでも自分は止まらずにひたすら後ろへと飛んでいく。受け身が一切できないままでんぐり返しを五、六回繰り返した辺りで端にあった木にドンッと当たった。瞬間、カハッと血を吐き出す。ズルリと木から地面へ力が抜けたように座り込んだ。「ハーッハーッ」と息を整えてようやく私は理解する。

 

(上弦の参『猗窩座』から、攻撃を、受けた…?)

 

何一つ、見えなかった。

 

その事実に愕然とする。ここまでか、ここまで上弦の鬼というのは強いのか。想像以上だ。この『猗窩座』相手に炎柱・煉獄はどうやって対等に戦えていたんだろう。彼以外の柱達も皆、どうやって上弦と刀を交えることができたのだろう。確かに私は自身がクソ雑魚剣士だと理解している。けれど、少しくらいは上弦に食らいつけると思っていたのだ。まさかこれほどまでに手も足もでないとは思いもしなかった。柱達と(強制的な)手合わせを毎回していただけに、この事実が信じられない。

 

(まさか柱達は皆、手加減してくれていた、とか?)

 

新事実に息が詰まった。しかし、直ぐに私は否定する。いや、そんな訳はない。柱同士の熾烈な手合わせを何度も熟しただけではなく、見学だって飽きるほどしたはずだ。アレで力量くらいは分かるはず―――そこまで考えて、思わず黙った。先程も述べたように私はポンコツ剣士だ。見ただけでは相手の技量がどれくらいか分からないことが多い。力の差が分かるのもまた強者として必要な要素の一つである。それなのに自分は相手との力量差を中々測ることができなかった。そこから導き出される答えは一つ。

 

(才能がなさ過ぎて柱同士の手合わせの凄さを私は理解していないんだ…!! 身内としての安心感もあって余計に気がつかなかったっぽいぞ…!)

 

やっべえ!! マジでやっべえ!! 柱として何だかんだで生き残れているので、最近は「私、上弦戦に横入りしても足手まといにならずにイケるんじゃね?」と思っていた。それは全て間違いだったのだろう。私は上弦戦で横入りどころか、立ち会うことすらも出来ない雑魚オブ雑魚なのだ。まさかの新事実にのたうち回りそうになる。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。先程の攻撃で折れたであろう肋骨や傷ついた内臓の痛みを堪えながら唇を噛んだ。

 

だが、羞恥心で死にそうでも今、解決しなくてはいけない問題があった。勿論、目の前で殺気立つ上弦の参『猗窩座』である。彼からどうやって逃げるか考えなくてはならない。どうする? 本当にどうする? 自分だけでも逃亡が無理ゲーなのに炭治郎達も連れて行くとなると絶対に死ぬだろう。

 

(炭治郎達を見捨てるか?)

 

駄目だ。彼が死ぬと上弦の鬼の打倒が困難になることが予想される。上弦を倒せなくては二十五で自分は死ぬだろう。そんなのは嫌だ。主人公はキーパーソンだ。人生を謳歌するためにも炭治郎には生きてもらわねば困る。

 

私がゲスすぎる逃亡の算段をしていると猗窩座が羽虫を見るような目でこちらを見てきた。もう視界に入れること自体、無駄だというような表情を浮かべている。

 

「弱い。弱い。あまりにも弱すぎる。これが柱? 鬼殺隊も落ちぶれたものだな。許せないほどの弱さだ。弱い。弱い。その弱さが許せない。もう死ね。見る価値もない」

 

猗窩座が指を振り上げた。空気がピリッと震える。流石の私も「これはマズイ」と悟り、重い腰を上げた――その瞬間だった。聞き慣れた電子音が脳内に響き渡ったのは。

 

 

《ピロリン》

▼どう行動する?

①氷の呼吸・弐の型『氷結』を猗窩座に向けて放つ … 上

②何もしない … 死

 

 

軽率に『死』の選択が登場するのマジでやめろ!!

 

危機的状況によるストレスで選択肢にガチギレしそうになる。どうして私はこんな命の危険しかねえ場所にいるんだ。一人で上弦の鬼と対面とか悪夢すぎるだろ。なんでこうなった。煉獄杏寿郎マジでどこ行きやがったんだ。帰ってこいよ。何でいないのアイツ。いや私のせいだったな。私が煉獄に弁当を外へ買いにいくよう勧めたからだな。クッソやってらんねえ!! 自業自得乙!!

 

(あと、氷の呼吸・弐の型『氷結』使いたくない)

 

私が呼吸の使用を渋っているのには理由がある。『氷の呼吸』は非常にリスキーな技しかないからだ。

 

まず簡単にこの呼吸について説明していくと、この『氷の呼吸』の売りは高威力・高リスクである。また、『型』は壱の型『青蓮地獄』、弐の型『氷結』、先程列車停止に使用した参の型『墜ち氷柱』のたった三つの技しかない。あまりにも少ないと思うよな。私も思った。師範から聞いた時「少ねえ」と思わず口から本音が溢れたもん。だが、その技の少なさを補うほどの高威力を『氷の呼吸』は発揮してくれるのだ。一代前の『氷柱』は壱の型『青蓮地獄』を使用した際に「山を割った」らしい。それほどまでの強さがこの呼吸にはあった。

 

しかし、メリットもあればデメリットも当然のようにある。先程も述べたように『氷の呼吸』は高威力・高リスクが売りだ。ではリスクとは何なのか?

 

――――リスクはいくつかあるが、代表的なのは『威力が強すぎて数回技を放つだけで手が使い物にならなくなる』である。

 

氷の呼吸の使い手は常に身体の損傷や欠損の可能性が付きまとう。確かに鬼狩りをやっている限り、どの隊士にも当然のように怪我等の危険が伴うだろう。しかし、『氷の呼吸』は雑魚鬼だろうと技を放てば自滅しかねない危険性があった。強いのに戦えば戦うほど自分を傷つけてしまうのである。これほどまでに効率の悪い呼吸はないだろう。

 

それ故に氷の呼吸の使い手は普段、派生前の水や風ばかりを使用している。私も氷の呼吸は滅多に使わず、水の技を頻繁に用いていた。今まで『氷の呼吸』の「こ」の字も出てこなかったのはこのせいだ。自分の呼吸ではあるが、出来るだけ使いたくない呼吸なのである。

 

(熟練の『氷の呼吸』の使い手でも呼吸の多用はしなかったらしいからな…。そんな流派を雑魚剣士の私が使えばもうお察しだよね)

 

実を言うと今、自分の手が動かない。先程、列車に向けて氷の技を咄嗟に放ったばかりだからだろう。次の技を使えば一生刀が握れなくなる可能性があった。マジで勘弁してほしい。他の上級隊士なら一日数回、技の使用ができるのだが、私だと一日一回が限度である。本当にどういうことなの。剣の才能が切実に欲しい。

 

だが、どんなに嫌でも、手が動かなくなっても、命には代えられない。私は腹をくくって選択した。

 

 

▼選択されました

①氷の呼吸・弐の型『氷結』を猗窩座に向けて放つ … 上

 

 

「氷の呼吸・弐の型『氷け――――」

 

自動的に自身の口から紡がれた言葉が続くことはなかった。また、剣撃が猗窩座へ繰り出されることもなかった。理由は単純明快。

 

 

私・明道ゆきの左腕がなくなったからだ。

 

 

片腕に煮え湯を浴びせられたような衝撃が走る。目の前を赤色が彩った。唖然と空中に舞う『何か』――自身の腕を見つめる。腕と共に空へ飛んだ刀が月の光を浴びてキラリと反射した。その反射した光が自分の瞳に入った瞬間、脳がピリッと刺激され、唐突に理解する。

 

上弦の参『猗窩座』に左腕を斬り落とされたことを。

 

腕がなくなったことにより、私は体勢を崩してそのままゆっくりと膝をつく。鈍い音を立てつつ地面へ座り込むと、ドッと身体が重くなった。眼球の限界まで目を見開せる。手が震える。息が上手くできない。斬り落とされた部分が熱い。死ぬほど熱い。玉のような汗が額からボロボロと落ち始めた

 

(う、腕が…なくなった…?)

 

嘘だろ。嘘だろう…?! 左腕がなくなるってそんなことある…? どうしようどうしようどうしよう死ぬほど痛い。痛すぎる。ぜ、全集中で止血止血…って、ここまでの大怪我では血が全部止まらねーよ。止まるわけねーよ。冷や汗で背中が驚くくらいビッショビショなんだけど。目の前もチカチカしてきたんですけど。いや、これ死ぬだろ。死ぬんじゃないかこれ。出血性ショック死するだろこれは。選択肢で『上』を選んだのにこんなことってある? ……いや、あったな。義父を殺した時も選択肢『上』で死にかけたわ!

 

内心で荒ぶっていると猗窩座が大きな足音を立ててこちらに近づいてきた。腕がある方の私の右腕をガシリと掴んで持ち上げる。目線をこちらに合わせてきた猗窩座は嫌悪を滲ませた表情で言葉を発した。

 

「ここまで生きていること自体が許せない愚か者に会ったのは久方ぶりだ。俺が以前に殺した氷柱はもっともっと強かった」

「そう、ですか」

「お前が先程俺へと放とうとしたのは氷の呼吸・弐の型『氷結』だろう? あんな技で氷結を名乗るなど笑わせてくれる!」

「それは私も考えていたことです。気が合いますね」

「…まさかここまで鬼殺隊が落ちぶれていたとはな。これだから人間は駄目なんだ。こんな弱者を柱にするという愚かな選択をする。その上、例え強くなれても寿命で直ぐに死んでしまう」

「ハハ、自分でも何故私が柱になれたのか不思議なんですよ」

「そろそろ鬼殺隊は俺達を滅するなんていう馬鹿な思想は捨て、鬼になるべきだ。だが、お前達は皆、鬼にはならない。何故だ。理解ができない。……ああ、もういいぞ。話さなくて。お前は今ここで死ぬのだから」

 

誰が死ぬかァ!! 全力で生きてやる。助けて選択肢パイセン…!!

 

いつもは私を苦しめる選択肢パイセンだが、命の危機には頼りになる。例え先程、選択肢『上』を選んで死にかけたとしても、自分が生き残る道は転生特典しかなかった。ああなんて惨めなんだ。悔しい気持ちになったが、背に腹はかえられない。祈りに祈っていると、選択肢パイセンから反応があった。ピロリンという聞きなれた電子音が脳内に響き渡ったのだ。

 

 

▼どう行動する?

①命乞いをする … 死

②戦おうとする … 死

 

 

自分の中の時が止まった。

 

思わず目の前に現れたドット文字を三度見どころか五度見、十度見する。眼球をグルリと回しても、瞼を閉じても、その選択肢が変わることはなかった。それを理解した瞬間、私は天を仰いだ。

 

(神は死んだ)

 

私が一番危惧していたことが今ここで来ちゃうのかッ! 叫び散らかして地面で転がり回りたいくらい荒ぶっている。もしも転生特典により時間停止の呪いがかかっていなければ私は咽び泣いていだろう。それくらい嘆き苦しみ、のたうち回っていた。

 

(あ、やばい無理。心折れた)

 

いつも理不尽と戦い、頑張っていただけに心がポキッと折れるのが分かった。私が何をしたって言うんだ。善良に生きていたぞ…って、確かに死なないためにゲスいことをしてきていたな…。そのせいか、そのせいなのか? でも、私のせいじゃない。選択肢と左目の呪いのせいなんだ。本当なんだ。

 

(『死』の選択肢だけは受け入れたくない。無理。マジ無理)

 

無理。絶対に無理。死にたくない。絶対に死にたくない。自分の死を回避するためにどれだけ精神力と今世の人生を犠牲にしたと思っているんだ。マジ無理。何があっても死ぬのだけは嫌だ。靴の裏でも何でも舐めるのでそれだけは勘弁してください。なんなら炭治郎を差し出しますんで。本当に命だけは勘弁してください。

 

まるで映画に登場する三下のような最低なセリフをツラツラと内心で並べる。だが、現実は無慈悲だ。何を考えても、あらゆる念を送っても、選択肢は変わらなかったのである。絶望で愕然とした時、ピロリンと電子音が聞こえてきた。そう、私を嘲笑うかのように目の前に新たな文字が浮かんできたのだ。

 

 

▼ステータス … 一定条件クリア

▼パラメーター … 一定条件クリア

▼好感度 … 一定条件クリア

▼イベント回収率 … 一定条件クリア

▼称号回収率 … 一定条件クリア

 

▼条件を満たしましたので、新たな選択肢が追加されました

 

▼どう行動する?

①命乞いをする … 死

②戦おうとする … 死

③自由にカッコいい時間稼ぎのセリフを言う … (一定基準を満たす必要あり)

 

 

どういうことなの。

 

ツッコミ疲れてきた…。一周回って落ち着いてきたぞ…。この選択肢が表示されている間は時が止まるので左腕の痛みや折れた骨と内臓の激痛もないし…。

 

(まず一つ言っていい? 「カッコいい時間稼ぎのセリフ」って何?)

 

ここまで曖昧ってそんなことある? 最近、選択肢パイセンサボりすぎじゃないか。もっと具体的に書けよ。「カッコいい強キャラ」の定義も分からないし、「時間稼ぎのセリフ」っていっても色々なシュチュエーションがあるし、曖昧にもほどがある。しかも、『一定基準を満たす必要があり』って記載があるけど、基準がまるで分からない。そんな中で(恐らく)一発勝負のセリフを述べないといけないの? 無理に決まってんじゃん。何言ってんのマジで。ふざけんなよ。

 

そうは思っても憎き転生特典から逃げる事は叶わない。『死』の選択肢を選べば本当に自分は死ぬのだろう。「いやいやもしかしたら違うかもしれないじゃん」と思う事もあるが、リスクを払ってまで選ぶことはできなかった。まだ生き残れるかもしれない選択があるなら尚更だ。

 

故に私は自分の人生を賭けて選んだ。

 

 

▼選択されました

③自由にカッコイイ時間稼ぎのセリフを言う … (一定基準を満たす必要あり)

 

 

私、『明道ゆき』は動き出した時の中でうっそりと笑う。掴まれた右腕を伝うように視線を上げて上弦の参『猗窩座』と目を合わせる。恐怖で身が竦みそうになるのを必死に抑え、斬り落とされた左腕の熱さに眉をしかめながら口を開く。

 

「私が死ぬ? 笑止千万。死ぬのは貴様の方だ、上弦の参」

 

――この瞬間、戦いの火蓋が切られた。



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其の十一: 「雷少年が聞いた『音』」

「明道先生が…! 明道先生が…!」

「た、炭治郎動くのやめとけって! 死んじゃうぞ!!」

「何言ってんだ紋逸!! 動かなきゃセンセーが死ぬ!!」

「だから紋逸じゃなくて俺は善逸な! ……話が逸れた!! そーじゃなくて、先生に上官命令で待機を言い渡されてるでしょ?! 『あの』明道先生が何の対策もなしに上弦と戦ってるわけないだろ!」

「でも…!!」

 

今にも飛び出しそうな炭治郎と伊之助の裾を掴み、なんとか引き止める。二人の力が強すぎてズルズルと引き摺られた。そのせいで怪我をした自分の足が痛んだが、気にすることなく必死に二人を止める。

 

(確かに炭治郎と伊之助の言うことは分かるけどさ…!!)

 

あの上弦の参は驚くほどに強い。今まで聞いたことのないくらいの『強者の音』がした。自分の手がガクガク震えるし、鼻水が出てくるし、直ぐにでも逃げたいほど恐ろしい。だが、逃げるわけにはいかなかった。ここには二百人にも及ぶ乗客がいる。弱くて情けない俺だけど、民間人を見捨てることだけはできなかった。

 

(まあ、今の俺の実力じゃあ上弦には敵わないから何言ってんだって話だけども!!)

 

それでも炭治郎や伊之助の言う通り、明道ゆき先生の下へ走るべきだ。彼女の隣に立ち、あの上弦の参に斬りかかるべきだ。理由は簡単。『柱』である明道先生が今の俺達の生命線だからである。彼女が死んだ瞬間、乗客と俺達の生存率がガクッと下がる可能性が高かった。故に、現在の『先生一人に上弦を任せて俺達は観戦』という状況はどう考えても得策ではない。

 

(けど、けど! あの人は言ったんだ!)

 

「待機。上官命令です」って。

 

普通ならそんな言葉は無視して助けに入った方がいいに決まっている。自身の足がすくんで怖くても泣き叫んでも力を振り絞って戦うべきだ。そうでなければ明道先生が、乗客が、死んでしまう。

 

(でも、できない。明道先生は俺達の助けを望んでいない)

 

――――俺が、俺達が弱いから。足手まといになるからあの人はこちらに『待機命令』を出したんだ。それを自覚して死ぬほど歯痒かった。勿論、俺達に明道先生は乗客の命を任せてくれている部分もあるのだろう。だけど、一番の理由はきっと俺達の『弱さ』だ。

 

(アーッ!! ほんと頭痛い!!)

 

色々考えて俺は頭を掻きむしりたい気持ちになる。炭治郎と伊之助の服を掴んでいなければ、実際にグシャグシャと髪を掻き混ぜていたと思う。

 

(もぉおぉ嫌だよォ! 何で俺がこんなこと考えなきゃいけないわけ?! 上弦なんかと遭遇しなきゃいけないわけ?! ふっっざけんなよ!!)

 

自分の境遇にブチ切れそうになる。今の危機的に咽び泣きたい。しかし、そんなことをすれば戦えるものも戦えなくなるのでグッと抑えた。拳に力を入れながら、スッと面を上げる。視線の先には明道先生がいた。彼女は斬り落とされた左腕を止血することもできないまま、もう一方の腕の方を上弦に掴まれている。その姿を見て、ギリギリと歯を噛み締めた。情けない。自分が情けない。弱い自分が情けない。何故、俺はいつもこうなんだろう。颯爽と助けられるほどの力がないんだろう。俺は自分が一番嫌いだ。

 

(どうしたら、どうしたらいいんだろう…。考えろ、考えるんだ我妻善逸…!!)

 

ぐるぐると頭を回転させながら明道ゆき先生のことを考える。先生の言った通りこのまま「待機」で本当に大丈夫なのだろうか。明道ゆき先生を助けなくていいのだろうか。先生の死がもうそこまで差し迫っている。助太刀に入らなくては明道先生が殺されて…………ああもう!! これだから俺はこの人が苦手なんだよ!! はっきりと作戦内容を伝えてくれない! 明道先生は「敵を騙すなら味方から」と言って大事なことを教えないから凄く嫌だ。

 

―――実を言うと、俺、我妻善逸は氷柱・明道ゆきが苦手である。

 

理由は三つあった。まず一つ目の理由は『明道先生の見た目と中身がチグハグすぎて怖い』からだ。あの人からはいつも沢山の感情の『音』がする。喜びと幸せな音が聞こえたかと思えば、直ぐに絶望と悲しみ、怒りの音が鳴り響くのだ。加えてその『音』がまるで一人で音楽会を開いているかのような爆音ときた。ありえないほど煩かったのだ。まあ、そこまでならまだいい。感情が煩い人っていうのは稀にいるからだ。

 

でも、明道ゆき先生は他とはちょっと違った。

 

強烈な感情の『音』をさせておきながら表面上のあの人は常に穏やかだったのだ。「感情? いつも変わりありませんよ」みたいな表情を涼やかに浮かべるのである。情緒不安定すぎる内面と、それに相反する顔を見て、俺はこう思った。

 

「えっ怖っ近寄らないでおこ…」

 

いや、だって仕方がないじゃん。誰だってこうなると思うぞ。しかもあの人、激しい感情の『音』のせいで何を考えているかまるで分からないしさ。炭治郎曰く「自分の考えを分からせないためにわざと感情をごちゃごちゃにしてるんだと思う」らしい。それを聞いて余計に先生には近づくまいと思った。鬼殺隊最高位を戴くような人間は、やっぱりヤベー奴しかいないんだろう。絶対無理。怖すぎ。

 

(まあ、炭治郎は何故かどんどんと明道先生へ話しかけていたけど…)

 

炭治郎は俺と同じように『匂い』で明道先生の内面に気が付いているはずだ。それなのにも関わらず炭治郎は恐れず、怖がりもせず、先生に近づいていったのである。流石のあれには戦慄した。とんでもねえ炭治郎だ。やべえ炭治郎だ。なんてやつなんだ。あいつは本当にすげえよ…。

 

近づくのを躊躇うほど感情と表情が一致しない女の人。

それが氷柱・明道ゆきに自分が一番最初に抱いた印象であり、彼女を苦手な理由の一つだった。

 

 

――――次に、二つ目の理由は『明道ゆき先生が厳しすぎる』からである。

 

もう本当にあの人厳しいの。厳しすぎて吐くくらい厳しいわけ。明道先生本人は何もしないでニコニコ笑ってるだけなんだけど、彼女の下に就いている人達が怖かった。氷柱邸での研修はあまり思い出したくない。色々な教師達がギュッギュッと知識を詰めてくるだけではなく、日夜、鍛錬鍛錬鍛錬の繰り返し。逃げようとしたら直ぐに教師の一人に捕まえられて訓練の量を増やされた時は泣くかと思った。

 

(特に真菰さんが厳しかったな…。めちゃくちゃ可愛かったから幸せでもあったけど…)

 

炭治郎の姉弟子であり、明道先生の継子でもある超絶美人の真菰さん。最初に顔を合わせたときは可愛すぎて「結婚!!」の文字しか浮かばなかったくらいだ。それほどまでに美しい女の人だった。

 

まあ、手合わせでボコボコにされるんだけど!!

 

炭治郎の姉弟子なだけあって死ぬほど強かった。可愛い顔に反して攻撃が本当にエゲつないの。俺、真面目に死ぬかと思ったもん。しかも、真菰さんは座学の授業でも厳しく、嫌がる伊之助を椅子に座らせて筆を取らせた猛者である。あの一件以来、伊之助は真菰さんと明道先生だけは「マコモサン」「アケミチセンセー」と呼ぶようになったほどだ。

 

余談だが、あの後、明道先生にこの『真菰さん事件』を言ったんだが、微笑まれるだけで終わった。その笑みを見て、「アッそうだこの人がこの研修の監督だった。俺を地獄へ突き落とした張本人じゃん…」と気がついて心が痛かったものである。

 

この厳しさが俺にとっては非常に辛く、明道先生が苦手になる要因の一つだった。

 

 

――――最後の三つ目は、さっき言ったように『先生は大事なことを全く言ってくれない』だ。あの人は頭脳の明晰さだけで柱にのし上がった異例の剣士らしい。彼女の立てる作戦は最早未来予知の域に達しており、氷柱隊の生還率は常に八割を超えるとか。その話を聞いて俺は妙に納得したものだ。『明道ゆき』からは蝶屋敷にいた蟲柱・胡蝶しのぶさんみたいな強者の『音』がしなかったため、「どうやってこの人は柱になったんだろ」と不思議に思っていたからである。

 

(その噂を聞いていたから最初は「内面と外見がチグハグで関わりたくない人だけど、生き残りやすい氷柱の下に研修に行けて良かった!」と思ってたんだけどな…)

 

確かに生き残れたよ。実践研修では怪我の一つもなかったし、周りが鬼を直ぐに斬ってくれるし、通常よりも任務が早く終わって万々歳だったよ。きっと普段の俺なら「やっぱり氷柱部隊の研修に来れてよかった! 最高!」と考えてたと思う。でも、俺は素直に喜べなかった。

 

明道ゆき先生の無茶振りのせいでな!!

 

明道先生は事前に作戦内容は伝えてくれるのだが、その途中途中に予期せぬ事件を起こしやがるのだ。

例えば「向こう側に鬼がいる『音』がするけど、確かあっちは他部隊が対処してくれるから行かなくていいよな~。俺達は待機を命じられているし」と思っていたとする。するといつのまにか俺達の下へ他部隊が対処していたはずの鬼が何故か登場することが多々あるのだ。そんなことってある?? 先生、待機って言ったじゃん。休めると思うじゃん。「俺達の下に鬼が誘い込まれるから待機」だとは思わないよ…。先に言って…。

 

その後、俺は明道先生に「なんでぇごんなごどずるんですがァ!!」と泣きついたものである。しかし、明道先生は左右非対称の色を持つ瞳を細めてこう言ってきたのだ。

 

「これが最善だと思ったからですよ、我妻」

 

どこが最善?! 突然の鬼にビックリした俺は終始気絶してたんだけど?! 実際にあの時、戦っていたのは炭治郎と伊之助なんですけど?! この先生ほんと意味わかんない。鬼がどこに出現するとか誰が戦うとか大事なことだと思います。心の準備をさせてください。切実に。これだから賢い人は嫌なんだよ。「全部自分が理解してるからお前は知らなくていい」みたいな? ほんと勘弁してくれ。

 

以上「先生の中身と外面がチグハグすぎて怖い」「想像以上に厳しい」「肝心なことを伝えてくれない」の三点が明道先生を苦手な理由である。あの人優しい顔してるくせに中身がエゲツなすぎて無理の極みなんだけど。ウエッダメだ氷柱研修を思い出して吐き気が…。ちょっと俺、明道ゆき先生に拒絶反応でてない?? 大丈夫これ?? 先生のことを考えて微妙な気持ちになるが、今の俺の中にある『想い』はまた別のものだった。

 

(確かに明道先生は苦手だけど、できれば一緒に任務とか絶対にしたくない人だけど、)

 

それでも死んでいい理由には決してならない。

 

上弦の鬼と対面している明道先生を見ながら唇を噛みしめる。彼女の真っ白な髪は先生自身の血で赤く染まっており、サラシだけが巻かれた上半身は傷しかなかった。腕もなく、日輪刀もなく、絶体絶命の危機。だが、それでも俺は動かなかった。勿論、待機命令を言い渡されているからというのもある。だが、一番の理由は――――

 

 

――明道先生の目が死んでいないからだ。

 

 

現在の氷柱『明道ゆき』からは心が折れるような『音』がしても、何度も何度も立ち上がって戦う、決意に溢れた『音』がしてくる。まるで溶けた氷が再び冷やされ、もとに戻るかのような強い『音』がするのだ。冷たくて鋭くて全てを凍えさせるような『音』だった。そして今もまた、『明道ゆき』の心は再び凍てつく氷に戻るのだ。今まで爆音しかしなかった先生から聞こえたその『音』に俺は静かに拳を握った。

 

先生は「私が死ぬ? 笑止千万。死ぬのは貴様の方だ、上弦の参」と大胆不敵に笑いながら話し始める。片腕が斬り落とされても尚、笑みを浮かべる彼女は狂気じみて見えた。上弦は明道先生の言葉を聞いて片眉をクイと上げる。

 

「俺が死ぬ? 戯言を。もう話すなと言ったはずだが。それとも本当に俺に敵うと思っているのか。弱い人間のお前が?」

「…人は弱い。だが、それでいいのさ。弱さがあるからこそ強さがあるのだから」

「話にならないな。これほどの弱者が柱になったのは鬼殺隊の力が落ちたのではなく、何か理由があるかもしれないと思い直して話を聞いていたが…。違うようだな」

 

呆れた声色で上弦の参は明道先生の首に手を回した。それでも先生は言葉を紡ぐことをやめない。ただひたすらに上弦の鬼を見続けていた。傷が入った青緑色の左目がキラリと輝く。

 

「百年、五百年、千年経とうとも私達鬼殺隊は戦い続け、途切れることはなかった。この理由が、この重さが、貴様には分かるか? ――――必ずいつの日にか鬼舞辻の喉笛を掻き切る時がきっとくる」

「来るわけがない。貴様の刃ではあのお方に届くどころか、お姿さえ見れないだろう」

「ああ、私では無理だろうな。『明道ゆき』の刃では鬼舞辻には届かない。だが、」

 

明道先生が言葉を止めた瞬間だった。

 

――――目が眩むような眩しさと熱風が全身に叩きつけてきたのは。

 

謎の強風と熱さに俺や炭治郎、伊之助は吹っ飛ばされた。一、二回転がったあたりで慌てて起き上がる。えっ、何。何なの?! 隣にいた炭治郎が俺と同じように「何だ…?! 急に熱風で飛ばされた…?!」と焦っていた。炭治郎の声に同意しながらバッと慌てて面を上げる。そして驚いた。

 

(上弦の参が、燃えている)

 

加えて、両手足全てを欠損させ、大火傷をその身に負いながらもがき苦しんでいたのだ。あの、傷一つすら付けられそうにない『強者』の鬼が地にひれ伏していた。その光景に思わず目を白黒させる。「一体、どうやって」と思ったが、その原因は直ぐに分かった。

 

列車が爆発したのだ。

 

上弦の参の真後ろには明道先生が切り離した一番先頭の車両が丁度転がっていた。きっとその機関車が爆発したのだろう。どういう原理で起爆したのかまでは理解できないが、これだけは分かる。

 

「先生は、明道先生は『これ』を待っていた…?」

 

ポツリと思わず口から零れ落ちた言葉が自分を納得させた。震える手を押さえながら俺は大破した機関車に視線を向ける。つい先程までこの車両からはボコッボコッという『音』が聞こえていた。鍋の水がなくなった後もずっと火にかけていたような『音』だ。その後、大量の水蒸気が吹き出たような別の『音』がしたと思えば、次の瞬間、この爆破が起きていた。

 

(偶然? いや、偶然にしては出来過ぎてるよな…)

 

『偶然にも』ボイラー等がある機関車一両だけが転倒し、『偶然にも』上弦の鬼がその車両を背にして立ち、『偶然にも』列車が爆発した。こんな偶然あってたまるか。しかも、上弦の次に機関車の近くにいた明道先生は無傷である。恐らくは鬼を盾にしたのだろう。上弦の参のような怪我の再生が早く、強い鬼は最高の肉盾だったに違いない。

 

(やっぱり俺の考えは間違いじゃなかった)

 

氷柱・明道ゆきは待っていた。機関車が爆発する時をずっとずっと待っていたのだ。腕を犠牲にしても、死ぬような怪我を負っても、彼女は待ち続けた。上弦の鬼や俺達の行動全てを計算し尽くして戦略を練り上げ、列車が爆破される瞬間を待ってみせたのだ。正気の沙汰とは思えないその精神力と知略に思わず俺は震える。エッ怖…。柱って怖…。みんな人外すぎじゃない…? 柱ってこんなのしかいないの…?

 

俺が他の柱のことまで妄想してガクガク震えていると、上弦の参が物凄い形相で明道先生を睨みつける。先程の爆発をモロに受けたのが効いたのか今だに上弦は痛みに悶え苦しんでいるようだった。そのエゲツなさに若干引く。上弦の参ですら身体の再生がままならない爆破の威力に恐怖すら覚えた。鬼は地面に這い蹲りながら唸るように声を上げる。

 

「おま、お前ェッ!! 殺してやる。殺してやる!」

 

流石は上弦の参と言うべきか、満身創痍でありながら遠距離から技を放ってきたのだ。俺はそれを見てギョッと目を見開く。瀕死の明道先生があの技を食らえば本当に今度こそ死んでしまう!! 隣で伊之助が「ッセンセー!!」と言いながら走り出そうとした、その瞬間だった。

 

 

――――目の前に炎のような剣撃が舞ったのだ。

 

 

パサリと炎を模った羽織が上から下へと落ちた。一瞬だけ背にある『滅』の字が見える。毛先だけが赤みのある特長的な金髪が目に痛かった。その者は右手に日輪刀を握っており、見慣れた隊服を身にまとっている。俺、我妻善逸は思わず息を呑む。突然、登場した『音』に俺はただただ驚くしかなかった。炎のような男は声高らかに笑う。

 

「よもやよもやだ! まさか列車に乗り遅れるとは! 穴があったら入りたい!」

 

ギョロッとした目を明道先生に向ける男の名は確か――煉獄杏寿郎。氷柱研修の際に写真付きで先生に説明された『炎柱』がそこにいたのだ。自分の中の時が止まるのが分かった。しかし、ゆっくりと状況を把握していき、俺はピエッと声を出す。

 

(エッ、アッ、なんで、なんで柱がここに…?!)

 

俺が唖然と煉獄さんを見ていると、更に明道先生の隣に誰かが並んだ。女性二人と男性一人である。俺の側にいる炭治郎から驚いた音が聞こえてきた。無理もないだろう。こちらの間違いでなければ男の方は炭治郎の兄弟子・冨岡義勇さんだったからだ。その横には恋柱・甘露寺蜜璃さんと、蝶屋敷でお世話になった蟲柱・胡蝶しのぶさんが並んでいる。胡蝶さんは困ったように笑いながら明道先生の側に膝をついた。

 

「煉獄さんは悪くないでしょう。悪いのはゆきさんの方です。きっとゆきさんが煉獄さんをわざと列車に乗り遅れさせたんですよ」

「むっ! やはりそうか!」

「い、嫌〜ッ!! ゆきちゃん何?! 腕がなくなっているじゃない! ゆきちゃんの腕〜〜!!」

「明道…」

 

胡蝶さんが明道先生を手当てする様を見て、目から涙がポロリと溢れるのが分かった。泣いてはいけないのに泣いてしまった自分が情けない。しかし、涙はボロボロと落ちて止まらなかった。流れ落ちる涙はそのままにして俺は炭治郎と伊之助の服からようやく手を離す。ホッと息を吐いた。手の震えはまだ止まらないが、心が落ち着いていくのが分かる。

 

その時、明道ゆき先生が再び笑う。上弦の参に対して彼女は言葉を紡いだ。

 

「『明道ゆき』の刃では貴様や鬼舞辻の首には届かない。だが、だが――――他はどうだろうな?」

 

明道ゆき先生以外の柱がここに四人集結した。長らく続いた鬼殺隊と鬼との戦いに於いて一対一の戦いはあれど、柱四人対上弦一体は中々ないだろう。炎柱・煉獄杏寿郎、恋柱・甘露寺蜜璃、蟲柱・胡蝶しのぶ、水柱・冨岡義勇。四つの多種多様な心の炎が燃え上がる『音』がした。

 

――――かくして、上弦の参戦が始まりを告げるのだ。

 

 




もしかして: オーバーキル


皆さん、本誌は見ましたか。痣のデメリットを知ってビビり倒しました。神は言っている。更にオリ主を勘違いさせよと。

(また、冬コミに当選すればこの鬼滅連載の番外編を出す予定なので良ければ見てもらえると凄く嬉しいです。内容は「水一門との心労お茶会」「蛇・風・水との地獄の共同任務」になります。)


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其の十二: 「炎柱はゆるさない」

――――これが、上弦の鬼。

 

炎柱・煉獄杏寿郎は独りごちた。ピリピリとした緊張感が肌を刺激する。それに伴い、刀を握る手が微かに震えた。

 

目の前にいる上弦の参は身に負った大火傷と、爆破により幾つか手足が吹き飛んだ身体を引きずっている。満身創痍の鬼の頸なんぞ直ぐに落とせそうなものだが、一切の隙がなかった。上弦の参は苦しそうに眉をひそめながら面を上げる。

 

「その練り上げられた闘気…柱だな? ようやく強者がきたか。俺は猗窩座。名はなんという?」

「俺は煉獄杏寿郎だ」

 

上弦の参『猗窩座』に返答しながら眉をひそめた。己と対面する上弦の参は大怪我を負ったにも関わらず、早くも治り始めているようだったからだ。桁違いの再生力、ひと目見ただけで分かる強さ。もしもこれが上弦ではなく下弦の鬼なら、あれほどの爆破をモロに受ければ、まだ動けずに踠いているだろう。だが、目の前の上弦は後数分も経てば完全回復するに違いない。そこから導き出されるのは「煉獄杏寿郎が今まで遭遇してきた雑魚鬼達とは訳が違う」という結論。目の逸らすことができない事実。

 

かの鬼は、本物の強者だ。

 

思わずゴクリと唾を飲み込んだ。嫌に舌が乾く。煉獄杏寿郎――――俺は久方ぶりに対面する強敵に目を細めた。

 

(果たして、この鬼に敵うかどうか)

 

伝聞や資料の記載によると、上弦と戦った隊士の大半が死亡していた。勿論、生き残る者もいる。だが、戦線復帰出来ぬ程の大怪我を負う隊士の方が遥かに多かった。

 

入れ替わりの激しい一般隊士ならいざ知らず、柱までもが同じようになるのだ。それどころか、この数百年、鬼殺隊が上弦の鬼を倒した記録は皆無である。いかに上弦の鬼が強く、恐ろしいか。今まで上弦について記録や伝聞でしか知らなかったが、今日初めて『猗窩座』と対面して悟った。『上弦の鬼』は筆舌に尽くし難いほど強い、と。

 

(俺一人では猗窩座を相手に生き残ることは難しい。いや、言い方が悪いな。自分だけの生存であれば可能だが、乗客や隊士を守りながらとなると……不可能だ)

 

そう、自分一人では。

 

猗窩座からは目を離さずに、意識だけを周りに向ける。自身の左右には恋柱・甘露寺蜜璃と水柱・冨岡義勇が自分と同じように刀を構え、警戒していた。煉獄たち三人の後方には蟲柱・胡蝶しのぶが立っている。更にその後ろには――大怪我を負った氷柱・明道ゆきがいた。

 

この場には己を含めた五人の柱がいる。

 

なんたる奇跡。なんたる幸運。長い間、鬼殺隊の歴史は続けど上弦の鬼一体に対して柱五人で戦った記録は、俺が知る限りでは無いに等しい。

 

(鬼殺隊に多大なる損害なく、上弦に勝てるかもしれない…!)

 

今まで柱達が上弦相手に、死亡もしくは戦線復帰不可能の大怪我を負わされてきたのは、単に我々の実力が足りないからではない。上弦との戦いでは柱と鬼の一騎討ちになってしまう場合が多いからだ。

 

勿論、柱以外の隊士が参加する時もある。だが、柱と一般隊士では実力差が大きい。言い方は悪いが、足手纏いになるため、余程の事態ではない限り一般隊士が参戦することはまずないのだ。それどころか柱直々に「帰還しろ!」と言われる時の方が多かった。結果、最後には柱が一人で上弦の相手をすることになるのである。

 

――――鬼殺隊の隊士は皆、人間だ。

 

人は脆い。長期戦となればその脆さが顕著になる。例え上弦と同等の実力を持とうとも、傷の再生がなく、疲労もなくならない人間は圧倒的に不利だ。故に、上弦との一対一の戦いで、柱達は上弦に与えた傷と同等の大怪我を負い、殆どの場合、死に至るのである。

 

本来なら上弦戦を考慮して最低でも柱二人で固まって行動するべきなのだろう。だが、出来なかった。残念ながら鬼殺隊は奴らがどこにいるのかも、能力も、それどころか姿形すらも殆ど把握していない場合が多いからだ。何も分からぬ上弦の鬼を討つべく柱同士が固まるより、区域ごとに実力者を分散する方が、無惨を探す意味でも、多くの人々を救う意味でも、効率が良かった。

 

故に、柱五人で上弦の参に臨めるのは奇跡と言っていい。

 

(いや、これは奇跡でもなんでもないのだろうな)

 

俺の同僚は常々こう言っていた。「奇跡などという事象は存在しない。奇跡とは、成るべくして成った結果なのだ」と。

 

柱五人がこの場に集結した奇跡は、きっと意図的なものだ。あらゆる可能性、あらゆる要素を考慮して組み立てられた一つの道筋。一つの結果。一人の人間が作り上げてみせた『人力の奇跡』。それを為した同僚――――氷柱・明道ゆきに向かって、前を見たまま俺は声を上げた。

 

「明道、大丈夫か!」

「大丈夫ではありませんね。できれば私だけ撤退したいところです」

「それもそうだ! 見たところ、腕がなくなっているだけでなく、他の外傷も酷い! 明道、君は下がれ!」

「お言葉に甘えて下がります」

 

物凄い速さで明道の気配が遠くなるのが分かった。流石は離脱の際の速さだけは柱に負けないと言われる明道である。不死川曰く「逃げ足だけは一人前」、胡蝶曰く「その速さを是非戦いに活かして欲しい」、宇髄曰く「引き際を弁え過ぎてねえか」と揶揄される俊速の撤退だ。

 

(明道には、本当に困ったものだ)

 

思わずため息を吐いてしまう。このため息は、明道の撤退の速さに呆れたからではない。彼女の行き過ぎなまでの秘密主義に頭が痛くなったからだ。

 

 

 

 

俺、煉獄杏寿郎は明道ゆきという人間を信用・信頼している。

しかし、氷柱としては苦手で、許せない隊士だった。

 

普段の明道は温厚な人物だ。いつも朗らかに笑い、口から紡がれる言葉は柔らかい。怒る姿を見たことがない程に物柔らかな女性、それが日常での明道ゆきだ。

 

柱としての明道ゆきは、剣士の腕こそなくとも、知略に優れ、鬼殺隊に多大なる恩恵をもたらす有能な人物と名高い。剣士としての実力が重視される鬼殺隊で、最高位まで上り詰めるなど、常人ならほぼ不可能だ。一体どれだけ努力を重ねて成り立ったものなのか。どんなに元がよくてもそれを磨き上げる力がなくては意味がない。柱は皆、弛まぬ努力と地獄の研鑚を積み、ようやくその地位に至っている。明道もまた、血の滲むような鍛錬の末にここまできたのだろう。

 

俺は他の柱達に対して尊敬の念を抱き、信頼している。明道にも同じように、彼女が己の同僚であることに誇りに思っていた。

だが、明道ゆきと共に任務を熟すにつれて、彼女の鬼殺への姿勢に眉をひそめるようになったのだ。

 

一つの例を挙げるなら、氷柱との合同任務で仲間の一人が死亡した時だろうか。

 

明道が受け持つ仕事は隊士の生存率が高いことで有名だが、それでも死者は必ず出る。日輪刀と日光以外では殺せぬ不死者との戦いなのだから、当たり前だろう。どれほど明道が知略に優れようとも、流石に死亡者数をゼロにはできない。そもそも、今回の合同任務の責任者は明道と俺の二人である。彼女ばかりに責を押し付けるのはお門違いと言えた。

 

故に、隠の手で運ばれていく亡くなった隊士を様子を静かに見守っていたのだが――その時、不意に気がついたのだ。

 

「この隊士は確か、問題行動が多く、尚且つ、実力がないと言われていたな」

 

ああ、そういえば、以前の任務で死亡した隊士達はあまり良い噂を聞かなかった。その一つ前で命を落とした隊士も、非常に素行と態度が悪く、俺の手に余る男だったはずだ。そこまで考えて、背筋に悪寒が走るのが分かった。

 

「もしも、もしも。明道が、」

 

死亡する隊士を―――意図的に選んでいるとしたら?

 

嫌な妄想だった。普段の朗らかな明道からは到底想像できない所業である。しかし、彼女は柱だ。それも、本来なら剣の腕で鬼殺隊最高位に至るところを、頭脳のみで氷柱の位を戴いてみせた猛者。武力ではなく、知略の刃で鬼の頸を落とす異色の剣士、それが明道ゆきである。

 

必ず出る犠牲を考慮して、意図的に問題のある隊士を死亡者に選び取ることも、知将として名高い氷柱ならば、可能なのではないか。いや、もしかしたら必要のない隊士を『敢えて』殺している場合さえある。そんな最悪な考えが頭に過ぎってしまった。

 

しかし、直ぐに俺は自分の顔を両手で挟むように叩きつける。自身の頬に全力で平手打ちしたためにバチンといい音が鳴り響いた。隣にいた隠が「ファッ?! 炎柱様どうしたんですか?!」と驚く声を聞きながら俺は叫んだ。

 

「仲間を疑うなんて! 駄目だな! うむ、駄目だ!! きっと俺の気のせいだろう!!」

 

ヒリヒリとした頰の痛みが自分を戒める。「仲間を疑うなんてあってはいけない」。そうやって己に言い聞かせ、隠にテキパキと指示を送る明道の下へ向かった。

 

その日はそれで終わったのだが――――一度根付いた疑念という化け物は恐ろしいものである。明道との合同任務がある度に、死亡者の生前の素行などを調べるようになってしまっていた。

一度「明道のことは疑わない」と決めたことを覆すなど、己の矜持に反する。だが、これだけは「気のせいだ」では済ませてはいけないのでは、と思ったのだ。いかに素行が悪くとも、死んでいった隊士達が鬼と必死に戦っていた事実は変わらない。もしも本当に明道が意図的に部下を死なせているなら、俺はそれを止める必要がある。上官として部下を守る意味としても、同僚として明道の間違った部分を正す意味でも。

 

しかし、調査の結果判明したのは――――「分からない」だった。

 

明道の指揮下で死んだ人間は、犯罪に手を染めてクビ寸前の隊士から、隊内でも評判の良い隊士まで様々だった。問題のある人間ばかりが死んでいるわけではなかったのだ。その結果を見た瞬間、俺は思わず両手で頬をバチイッンッと再び叩いた。カッとなって再び叫ぶ。

 

「俺は最低な人間だ! 同僚を疑った挙句、調べるなど! すまない明道! すまない!!」

 

全力で後悔した後、明道に直接謝罪するべく、彼女の下へ走った。一度だけではなく、二度までも同僚を疑ったことが申し訳なかったのだ。しかも、秘密裏に調査までしたことが罪悪感に拍車をかけていた。

 

丁度その時も明道と合同任務だったため、直ぐに彼女は見つかった。明道の目の前に来た瞬間、ガバッと頭を下げる。そのままの態勢で、明道を疑ったことや死んだ隊士について調査したことまでを事細かに話して謝罪した。それを聞いた明道は何秒か沈黙したのち、ポンとこちらの肩を叩いてくる。いつもの優しげな声色だった。

 

「謝る必要はありませんよ、煉獄」

 

それを聞いた瞬間、ピクリと自分の眉が動いたのが分かった。

 

(謝る必要が、ない?)

 

氷柱・明道ゆきは嘘をつかない人間だ。「敵を騙すなら味方から」と言って作戦の一部を伝えてこない困った部分はあるが、虚言を吐くことだけは決してない。明道を嫌いだと公言している不死川でさえ、「あいつの唯一の取り柄は嘘を言わねえことだな。但し、話の大部分は削りやがるが」と言うほどである。

だからこそ、氷柱・明道ゆきが「謝る必要がない」と言ったことは驚くべきことだった。明道が俺の言葉に否定も肯定もせず、謝罪を受け取らないことは、つまり。

 

(明道は必要のない隊士を任務で意図的に死なせている。だから彼女は『謝る必要はない』と言っているのだ)

 

ああ、なんてことだ。なんてことをしているんだ、明道。俺は君を許せない。人道から離れた行為をする明道を赦せるはずがない。例えどんなに問題がある隊士でも、手をかければ犯罪だ。人に仇なす鬼と同じである。明道は修羅にでもなるつもりか。しかも、この発言を聞くに、敢えて問題のある隊士達を殺す作戦を組んでいる可能性すらある。それを考えただけでピキリと額の血管が動いた。

 

頭を下げていた体勢からバッと面を上げる。明道を諭さなければならないと思った。彼女を叱り、諭したあとに、お館様へ報告をしなければ。そう考えて、明道ゆきと目を合わせ――――思わず口を噤んだ。

 

明道があまりにも優しげに笑っていたから。

 

「明道、君は…」

「どうしましたか」

「いや、何でもない」

 

俺は首を左右に振り、これ以上の発言をやめた。炎柱・煉獄杏寿郎からどんな言葉を氷柱・明道ゆきに投げかけようとも、彼女は変わることはないのだろう。そう、直感したからだ。きっと、氷柱にはお館様の言葉でなければ届かない。ならば、俺が出来ることはお館様への報告だけだ。

 

(隊士の死亡は意図的なものだ。だが、この明道の顔を見て確信した)

 

戦いの中で、どんなに策を練ろうとも一人は死んでしまう場合、その『犠牲者』として、問題のある隊士をあてがっているのだろう。

最初は『必要のない隊士を敢えて殺している』という考えもあったがそれは「ありえない」と考え直した。彼女の信条の一つに『いかに鬼殺隊への損害が少なく、効率的に物事が進むか』があるからである。

例え問題がある隊士でも、明道は彼らを有効に活用することだろう。死なせる真似など絶対にしない。だが、誰かが死ななければ任務の完遂が不可能の場合のみ、『居なくなっても問題ない隊士』を殺すのだ。

 

(明道、君は神にでもなったつもりか)

 

人の命に、勝手に価値をつけ、勝手に消費させる――――あまりにも非人道的な所業に目眩がしそうだ。これを見て見ぬ振りはできない。しかし、明道の考えを変えることは難しいだろう。

 

きっと明道は覚悟している。

この行為の果てに待ち受けているのは自身の破滅ということを。

 

故に、氷柱・明道ゆきは死ねないのだ。死なないのではなく、『死ねない』。今まで自分が殺してきた隊士の手向けとして、己の命を燃やし続ける。死ぬことは決して許されない。最後の最後まで生き残り、鬼殺隊のために貢献することこそが彼女の責務。犠牲の上に積み上げられた『氷柱』を『明道ゆき』は背負い続けるのだ。

 

「――――明道、君は氷柱に相応しい」

 

凍てつくような氷のように冷酷で、残酷。そして、例え砕けようとも冷やせば何度でも元に戻る不屈の精神。明道ゆきは、氷柱に相応しい。

 

その時だ。その時からだった。

俺が明道ゆきを『氷柱』としては苦手で、許せない人物だと思うようになったのは。

 

明道ゆきは他の柱と同じように死ぬ覚悟をしながら、生きる道しかない人間である。例え、腕がなくなろうとも、足がなくなろうとも、明道ゆきは生き続けるのだろう。今まで殺してきた仲間に詫びるために。生きることは時として死ぬことよりも辛い。生き地獄を味わう『道』を明道は選んだのだ。

 

だからこそ、彼女は秘密主義なのだろう。「敵を騙すのなら味方から」というのも、明道の方便に過ぎない。周りに対して余計な重荷や、疑心を抱かせないため、態と秘密にしているのだ。

 

全て一人で背負い、鬼殺を完遂する。

常人には決してできない、他の柱やお館様に匹敵する重い覚悟だった。

 

 

 

 

「明道、君は本当に、本当に、困ったやつだな」

 

やはり明道は生き続けている。列車内で下弦の壱を部下達と共に打倒しただけでなく、上弦相手に大打撃を与えた上で、生き残っていた。普通なら、剣の才がない明道が上弦の参と一対一で戦えば、俺達が到着する前に死んでいるはずだ。なのに、彼女は生きている。左腕をなくし、身体中に傷を負い、日輪刀がなくなっても、明道ゆきは死んでいなかった。

 

――――生きる。何がなんでも生き残る。

 

氷柱・明道ゆきの生への執着心を考えて、俺は思わず笑いそうになった。だが、直ぐに顔を元に戻す。ああ、いけない。今は明道のことを考えている暇はなかった。 どんな瞬間でさえ思考を止めず、戦い続けた彼女が作り出した奇跡を無駄にするわけにはいけない。例え鬼殺のために人道に外れた行いをしたとしても、例え秘密主義だとしても、明道ゆきの成した功績は得難いものだ。

 

俺はスゥと息を吸い、静かに口を開く。

 

「お前は此処で俺達が倒す。上弦の参『猗窩座』」

 

こちらの発言を聞いた猗窩座は嬉しそうに口角を上げる。

 

「お前達のような強者に会えるなど、何という幸運か! 来い、杏寿郎!」

 

上弦の参は凄まじい勢いで再生しながら立ち上がる。ゆらりゆらりと揺れて笑う猗窩座はまるで亡霊のようだ。

 

俺は刀を握る手に力を入れ、グッと眉間にシワを寄せながら前を見据える。そうして、炎柱・煉獄杏寿郎は闘志の炎を心に燃やした。



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其の十三: 「柱の力」

炎柱・煉獄杏寿郎はピリピリとした空気の中、スゥと大きく息を吸った。

 

「甘露寺! 胡蝶! 行くぞッ!」

「はい! 煉獄さん!」

「ええ」

 

己の隣に立っていた恋柱・甘露寺蜜璃と、少し後方にいた蟲柱・胡蝶しのぶに声をかける。次の瞬間、三人はほぼ同時に地面を蹴った。向かう先はただ一つ。上弦の参・猗窩座だ。

 

現在の我々三人の立ち位置としては、煉獄と甘露寺が先頭を、そのやや後ろを胡蝶が走っている。この陣形は以前の柱同士の模擬戦にて煉獄・甘露寺・胡蝶の三人で編み出したものだ。模擬戦と同じ感覚で、駆け出した勢いを殺さずに甘露寺と呼吸を合わせる。

 

次の瞬間、炎を発するような勢いで俺は猗窩座へと突撃した。同時に、甘露寺はしなる刃を巧みに操り、刀を振るう。凄まじい破壊力を持った剣撃が猗窩座へ二方向から叩き込まれた。

 

「炎の呼吸・壱ノ型『不知火』!」

「恋の呼吸・壱ノ型『初恋のわななき』!」

 

お互いの技を活かすような烈しい打撃が繰り出される。二つの赤と桃色の残像が宙に描かれた。

 

煉獄は一直線に猗窩座の頸を狙い、甘露寺は頸以外の四肢を切り落とす。恋柱による強烈な一太刀により、上弦の身体中に幾つもの斬撃が走った。次の瞬間、猗窩座の両腕と両足がずるりと正常な身体の位置からズレるも――――上弦の鬼は倒れなかった。当たり前だろう。これで猗窩座を殺せたならば、今まで上弦と対面した柱達が死亡するわけがない。先程の甘露寺の攻撃は通ったが、頸を落とさんと振るった煉獄の斬撃は肩辺りを抉っただけで終わってしまったのだ。

 

(避けられたか!)

 

猗窩座はその身に大火傷を負い、甘露寺からの攻撃を受けながらも動いてみせた。伊達に上弦の鬼ではない、といったところか。何もかもが規格外だ。

 

(初手で頸を切りたかったが、やはり無理か! だが、それでも甘露寺は猗窩座の四肢を切り取ってくれた!)

 

甘露寺は本当に素晴らしい剣士だ。女体特有の柔らかさを活用した彼女の剣戟は、相変わらず恐ろしい程に強力である。その上、以前に見た時よりも威力が増しているように感じられた。

また、甘露寺蜜璃という剣客はこちらが動いた瞬間、瞬時に俺が何の型を出すか理解して行動に移してくれるため、共に戦いやすい。このような芸当が煉獄杏寿郎に対して出来る柱は甘露寺くらいだろう。

 

――――恋柱・甘露寺蜜璃は炎柱・煉獄杏寿郎の元継子だ。

 

現在、甘露寺は彼女自身が独自に編み出した恋の呼吸を使用している。だが、彼女が最初に学んでいたのは炎の呼吸だ。その炎から派生させたのが『恋の呼吸』なのである。

つまり、甘露寺は炎の呼吸の特性や技について、煉獄の次に柱の中では理解が深いのだ。加えて、煉獄の元継子という経歴から、彼女は己の師・煉獄杏寿郎の戦闘時の癖をほぼ把握していた。煉獄もまた、甘露寺を指導したことにより、彼女の戦い方を誰よりも知っている自負がある。

 

俺が言うのもなんだが、炎柱・煉獄杏寿郎と恋柱・甘露寺蜜璃の二人は柱の中でも連携に秀でている組の一つだ。

 

だからこそ、俺達二人で上弦の参へ真っ先に切り込むことに決めた。敵の力量と周りの状況を把握した上で、「お互いの技を活かすような攻撃はどれか」と瞬時に判断ができる二人組は少ないからだ。加えて、その判断をした瞬間、寸分の狂いなく、ほぼ同時に高威力の技を繰り出すことが可能なのは、この場では師弟関係であった炎柱と恋柱のみである。

 

(並みの鬼ならこれで既に死んでいる! 下弦の鬼なら頸を取れていただろう! 上弦の鬼は強い、強いな!)

 

猗窩座を見ると、ズレた四肢を驚異的な速さで再生させていた。炎柱と恋柱の渾身の攻撃をいとも容易く完治させる上弦の鬼は非常に脅威である。列車の爆破による火傷や傷も既に治っているようだった。本当に同じ世界に住む生物なのか。様々な鬼と対面してきた煉獄でさえ、思わず「化け物か」と呟きそうになるくらいの強さである。

 

炎柱の内心を知って知らずか、猗窩座は非常に興奮した様子で声をあげた。

 

「素晴らしい剣技だ。素晴らしいぞ、杏寿郎ともう一人の柱! 確かお前は甘露寺と言ったな? 下の名は何と――――」

「あら、名を気にしている場合ですか?」

 

猗窩座の言葉を遮るのは蟲柱・胡蝶しのぶだ。煉獄と甘露寺と共に駆け出したのにも関わらず、長い間沈黙していた彼女は、二人の間からスルリと現れる。炎柱と恋柱の攻撃が終わった瞬間、狙ったように胡蝶はこの場へ登場した。いつもの笑みを顔に携えながら、そのまま彼女は猗窩座へと身体を近づける。本来なら胡蝶は技を放つ体勢を今から取るのだろう。だが、今回ばかりは違った。

 

蟲柱は『既に攻撃を放っていた』のだ。

 

胡蝶しのぶの日輪刀が月の光を反射してキラリと輝く。猗窩座が息をつく暇もなく、神速の突き技が上弦の頸へと叩きこまれた。

 

――蟲の呼吸・蜂牙ノ舞『真靡き』!

 

「流石だ、胡蝶!」

 

胡蝶の攻撃が通った場面を見て、俺は彼女への称賛の言葉を口にする。

 

煉獄・甘露寺・胡蝶三人の戦術の要は煉獄と甘露寺ではない。蟲柱・胡蝶しのぶだ。

炎柱と恋柱で敵の視界と意識を奪い、二人の後ろに隠れた胡蝶が毒の刃で刺す―――その一連の流れが煉獄・甘露寺・胡蝶三人で柱同士の模擬戦で編み出した戦い方だった。

 

詳しく戦法を説明すると、初めに炎柱と恋柱が敵へと攻撃を入れ、それと同時に、二人の背後で蟲柱が技を放つ体勢を取る。煉獄と甘露寺の攻撃が終わった瞬間、間髪を容れずに胡蝶の技を敵へと届かせる、といった戦法だ。

 

――――蟲柱・胡蝶しのぶは鬼の頸を切れぬ柱である。

 

小柄な身体のせいか、鬼の頸を落とすまでに至ることができない。しかし、腕力がなくとも胡蝶には鬼殺の毒を作成する頭脳を持っていた。加えて、神速ともいえる速さと、その速さを活かして岩すら貫く剣の腕もあったのだ。あらゆる種類の毒を調合し、戦いの場において各鬼に合った毒を瞬時に判断し、神速の剣をもって鬼を滅する――――この所業は胡蝶しのぶにしかできぬだろう。

 

(胡蝶を柱たらしめるのは、何も毒や剣の才だけではない)

 

蟲柱は前線での指揮官としての手腕も一流だ。明道がいない隊で指揮をとるのは必ずと言っていいくらいに胡蝶になるほどである。だからこそ、この恋柱・炎柱・蟲柱三人の戦術の要が『胡蝶しのぶ』になったのだ。彼女は敵と剣を交える場面の瞬間的な指揮においては氷柱・明道ゆきを上回る。たった一瞬で生死を分ける戦闘の最中、戦況を的確に理解し、不具合があれば修正し、作戦通りに行動に移すことができるのは、現状、この場においては胡蝶しのぶのみだ。

 

(やはり、どの柱も尊敬すべき者達ばかりだな。流石はお館様が直々に選び、柱の位を授けた猛者達だ)

 

そう考えていた時、胡蝶しのぶの突き技が直撃した猗窩座は笑った。毒が回り、血管が浮き出て青白くなった上弦の姿は『悍しい』、その一言だ。上弦の鬼は崩れた体勢をすぐに立て直して、こちらを見据えてくる。列車爆破による大火傷も、恋柱による剣撃も、全て完治させた挙句、蟲柱の攻撃により受けた毒も、直ぐに体内で解毒し始めているようだ。

 

「ああ、ここまで心躍る一連の攻撃をされたのは久方ぶりだ。お前達の連携は凄まじいものがある。流石は柱だ。だが、だが、俺はこの程度では倒れない!」

 

ああ、知っている。

そのくらい、とうの昔から知っているさ。

 

上弦の参『猗窩座』を見ながら炎柱・煉獄杏寿郎は目を細める。刀を右手で握りしめ、再び構え直した。

 

――――上弦の鬼は強い。

 

甘露寺と胡蝶と連携して放った技は全て無に帰していることからも、猗窩座の桁違いの強さが窺える。柱三人で相手をしてこのザマだ。何度も言うが、煉獄一人であれば乗客や後輩を守ったことにより、大怪我を負っていただろう。

 

そう、一人であれば。

 

(先程の炎柱・恋柱・蟲柱の連携は柱同士の模擬戦にて、三人で編み出したものだ)

 

だが、その模擬戦での隊は何も炎柱・恋柱・蟲柱の三人だけだったわけではない。模擬戦での煉獄の隊にいた柱の数は『五人』である。――――いたのだ。あの『二人』も。水柱・冨岡義勇と氷柱・明道ゆきも、いたのだ。

 

――――あの煉獄・甘露寺・胡蝶の連携は、三人で完成する作戦ではなかった。

 

冨岡と明道が最後に加わって、ようやく出来上がる一つの戦略。一つの技。明道ゆきという一人の怪物が練り上げた『知略の刃』。煉獄と甘露寺の攻撃により敵の意識を別に向けさせ、胡蝶の毒で一瞬の身体の揺らぎを作る。この一連の流れは、全て一振りの剣撃を届かせるための布石に過ぎない。煉獄達も模擬戦の最中に気がついた、いや、気がつかされた一つの戦術だった。

 

己の視界の端に月の光を反射した一振りの青き刀が目に映る。胡蝶の猛撃から間髪を入れずにその刃は動いた。我々五人の虚像の刃が今、形を持って振り落とされる。

 

「水の呼吸」

 

――――壱ノ型・水面切り!

 

水柱・冨岡義勇が上弦の参・猗窩座の頸に対して刀を真一文字に振り払った。

 

 



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其の十四: 「知略の刃」

異次元バトルが繰り広げられている…。

 

列車の影に隠れて柱と上弦の戦いを見守るのを今すぐに止めたい気持ちになった。私、明道ゆきの顔が段々と引きつっていくのが分かる。上弦に切られた左腕や骨折の痛みに苦しみながら自分の顔面を右手で押さえた。思わず内心で私は叫ぶ。

 

(なんだあのデタラメ人間の万国ビックリショーは?!)

 

怖い。柱が怖い。猗窩座も怖いが、仲間であるはずの柱も怖い。上弦は仮にも人外というレッテルがあるから、あれほど強くても「まあ…人じゃないから…」で済ませることができる。

 

だが、柱は別だ。

 

お前ら人間じゃなかったっけ。猗窩座との戦闘シーン、速すぎて最早残像しか見えなかったんですがそれは。気がついたら猗窩座の身体に攻撃が通っていたり、外れていたりするので何が何だか分からない。マジで怖い。「原作やアニメでの戦闘シーンはかなりゆっくり表現してくれていたんだな」が凡人に今できる唯一の表現方法である。実況とかマジで無理です。

 

「いつも柱の戦闘を模擬戦や鬼との戦いで見ていたはずだったんだけどなあ…」

 

思わず溜息を吐く。本当に明道ゆきには剣の才能がねえんだな。自分と柱の間にエベレスト並みの実力差があるのに全く気がついていなかった。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。なぁーにが「柱と上弦の戦いには加われるくらい強くなった」だよ。参戦どころか序盤でやられる役にしかならねーよ。

 

後さ、一つだけ言っていい? どうやって柱達はこの場に来たんだよ。何で登場出来たんだよ。お前ら四人が分からなくて辛い。意味不明すぎる。だが、まあ、それはいい。なんとか自分の死亡フラグをへし折れたから、その疑問は解消しなくても良いのだ。他の事案が問題なのだ。

 

(はーーーまだまだ問題がありすぎて辛い!)

 

怪我ではなくストレスで胃が痛くなるのを感じながら私は頭を抱えた。現在、自分を悩ませているのは何も柱との実力差だけではない。特に困っているのは『上弦の参戦で煉獄が死亡しないどころか、寧ろ猗窩座が殺されるのでは』問題である。

 

(どうするんだこの状況)

 

以前にも述べたとは思うが、無限列車編での上弦の参戦での『煉獄杏寿郎の死亡』と『猗窩座の逃亡』は必要不可欠な展開である。特に『煉獄杏寿郎の死亡』は鬼滅の刃に於けるターニングポイントの一つだ。彼の死が回避されてしまうと、更に原作から乖離することになるだろう。結果、その先の展開に予測がつかなくなり、『上弦の鬼を二十五歳までに打倒しなくては死ぬ』呪いの解除が難しくなるに違いない。それは困る。ひじょーーーーに困る。

 

(ただでさえ今回で『明道ゆきと上弦の鬼との間には努力では埋まらない実力差がある』って気がついたのに…!!)

 

真面目に泣きそう。現実が辛すぎて胸が痛い。しかもさ、何? 私の左腕がなくなっちゃったんだけど…? もう辛い。つらすぎる。お家に帰りたい。引き篭もりたい。心が折れる。

 

また、今回、原作通りに進んでもらわないといけない理由がもう一つあった。この無限列車編は『必須負けイベント』だからだ。負けがあるからこそ次の勝利がより輝きを増し、柱の死亡により戦いに緊張感が生まれる。竈門炭治郎が何もできないまま炎柱が亡くなり、己の無力さに苦悩することに意味があるイベントなのだ。故に、炎柱の死亡と猗窩座の生存は必須だといえた。

 

(そもそもどうして煉獄杏寿郎が生き残りそうなんだよ。それどころか何で猗窩座は殺されそうなんだよ!!)

 

頼むから原作通りに進んでください!

 

何もしていないのに原作が改変されそうな現状に咽び泣きそうである。謎すぎる。どう考えてもクズの発言をしている自覚はあるが、マジで困るのでやめて。

 

(本当に頼むから死んでくれ、煉獄杏寿郎! 逃げてくれ、猗窩座!!)

 

上弦の参がここで死亡すれば『無限城編』での炭治郎と猗窩座の戦いがなくなってしまうだろう。私の原作知識は単行本十七巻までしかないため、「炭治郎は上弦の参に勝つ!」と断言できないが、話の流れ的に主人公が勝利を収めるに違いない。炭治郎の成長チャンスを潰した結果、『ラスボス打倒ならず』もしくは『主人公死亡』になれば目も当てられない事態になる。

 

一歩、いや、百歩譲って、炭治郎が死亡するだけならまだいい。人として完全アウトな考えだが、『まだ』いいのだ。

 

私が注視している点は『ラスボスが倒せなかったら』である。

 

竈門炭治郎は主人公ゆえに鬼舞辻無惨の打倒を運命付けられている人間だ。彼が死ねば、ラスボスの頸を切れないどころか、下手をすれば鬼殺隊の全滅すらありえる。仮にも私は柱であるため、万が一鬼殺隊が壊滅の危機に瀕すれば先陣を切って戦う必要が出てくるだろう。例え、その戦いから逃亡しようとも鬼達からの追撃があるはずだ。弱い私はきっと捕まってしまうに違いない。それを踏まえて考えると、竈門炭治郎の生存は必須であり、彼の成長の要となる『煉獄杏寿郎の死亡』及び『猗窩座との再戦』は必要不可欠といえた。

 

(解決策が何一つ浮かばねえ。何か…何か策はないのか…?!)

 

何度目か分からぬ自問自答をした瞬間だった。

 

――――ドンッ

 

柱四人と猗窩座の戦っている場所から、まるで爆弾が落ちたかのような音が響き渡ったのだ。それと同時に盛大に砂埃が舞い上がった。加えて、周りの木々は衝撃波により吹き飛ばされる。遠くの方で観戦していたはずの私にまでその影響は及び、髪がバサアッと舞った。離れた場所にいた炭治郎達も「わっ」と声を上げる。その一連の様子を見て、サーー…と自分の血の気がひいていくのが分かった。

 

(え、まさか猗窩座やられた? マジでやられた?)

 

列車の物陰からハラハラとしながら砂埃を見つめる。水流の如く流れるような青い残像が見えたので、恐らく猗窩座は冨岡からの攻撃を受けたのだろう。頼む、猗窩座、頑張ってくれ。あの人外柱四人から無事に逃げ切ってくれ。頼むからここで死ぬな猗窩座。

 

ここまで鬼への熱烈な「生きて」コールをしたのは人生初だ。鬼殺隊士にあるまじき行為だが、何がなんでも上弦の参にはこの『無限列車編』で生き残ってもらわねば困る。

ああ、どうしてこの世界には二次創作によくある『修正ペン』がないのか。世界の修正力により、どんなことをしようとも原作通りに物事が進行する展開とかないのですか。ないんですね。もしそんな超パワーがあれば真菰が生きているはずがありませんもんね。クソが。ふざけんなよ。私は今、猛烈に『修正ペン』の登場を願っている。最低な自覚はあるけど、自分の命がかかってるんだよ。

 

胸のあたりでギュッと右手の拳を握る。ジッと見つめていると、だんだんと人の形が砂埃から現れ始めた。そこには――――

 

――――猗窩座がいたのである。

 

上弦の参は全ての怪我を完治させたようだった。あれほどの攻撃と毒をくらいながら、何事もなかったかのように佇む彼はまさに『鬼』である。流石は『上弦』の位を戴いた鬼の中の鬼。鬼殺隊が百年もの間、上弦の打倒が叶わないわけだ。

 

この猗窩座の姿を見た瞬間、私は内心で叫んだ。

 

(生きてた。猗窩座さん生きてたーーーッ!)

 

スタンディングオベーション。この場に誰もいなければ私は立ち上がって盛大な拍手をしていたことだろう。

ああ、焦った。かなり焦った。人外並みの強さを誇る柱四人の猛攻撃に猗窩座が死んだかと思った。よかった。ここで上弦の参が死んだら原作ブレイクが過ぎる。

 

私の心配をよそに、猗窩座はゴキュッゴキュッと首を鳴らした。そのまま彼は口角を上げる。強者に会えたことが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべていた。

 

「ここまでの猛攻を仕掛けられたのは久方ぶりだ。流石は柱。個人の腕も、隊としての連携も一流だ。しかも、毒まで使われるとは思わなかった。毒の剣士は初めてだ!」

「お褒めに与り光栄です、とでも言っておきましょうか」

 

胡蝶しのぶは猗窩座からの称賛を受けてニコリと笑みを浮かべるが、目は全然笑っていなかった。寧ろ、「そんな称賛いらねえんだよ。私が重要視するのはお前が殺せるか、そうでないか。そこに言葉は必要ねえ。クソッ次はこの毒で殺す!」みたいな殺意しか伝わってこなかった。しのぶちゃんは実際にこんな暴言は口にしないが、彼女は『鬼絶対殺すウーマン(特に童磨)』なので、私の要約はあながち間違いではないだろう。

 

猗窩座は蟲柱からの皮肉の返答を理解しているのかは分からないが、嬉しそうに頷く。そして、彼はまるでオペラ歌手かのように両手を広げ、叫んだ。

 

「だが、惜しい!」

「何がだ」

「お前達が人間であることが惜しい! 人の肉体は脆すぎる。そこで地にひれ伏す弱者の少年のように少しの怪我で動けなくなるだろう。加えて、柱を騙るあの女のように腕がなくなった場合、再生することはない。もしもそうなれば、今までの血の滲むような研鑚も、努力も、無駄になる。

 

――――鬼にならないか!」

 

「断る!」

「断る」

「お断りします」

「それはできないわ!」

 

間髪入れずに四人は猗窩座の言葉を否定した。あまりにも早すぎる返答である。流石は鬼殺隊の柱だ。

 

ちなみに、上から煉獄、冨岡、胡蝶、甘露寺の順番で答えているが、実際には四人ともほぼ同時に答えているので正確に『誰がどんな言葉を発したか』までは聞き取れなかった。とりあえず「あ、これは全否定してるな」ということは分かるので別に問題はない。こいつら皆、『鬼絶対殺すマン&ウーマン』だからな…。どれほど大金を積まれようとも絶対に鬼にはならないだろう。

 

(鬼になる、か)

 

鬼になるのは案外、いいかもしれない。だって考えてもみてくれ。鬼になれば『二十五才で死ぬ呪い』も解除されるに違いない。加えて、日輪刀や日光以外で死に怯える必要はなくなるのだ。それを踏まえると、鬼への転身は私にとってかなりいい選択じゃないか――――そこまで思考して、直ぐに頭を振った。

 

「私も、鬼にはなりたくないですね」

 

ボソリとその言葉を口にした。

 

鬼になるのだけは絶対にやめたほうがいいだろう。鬼殺隊に所属している今、鬼となれば直ぐに『明道ゆき討伐隊』が組まれるに決まっている。そうなれば元々のスペックが低い私は即座に頸を切られるに違いない。

 

その上、私はなんの力も持たない凡人なので、竈門禰豆子みたいに鬼舞辻無惨の呪縛を解くことはできないだろう。『普通の雑魚鬼となり果て、鬼舞辻の手下として死ぬほど働かされる』、そんな先しか見えなかった。

 

というか、そもそも一番初めの『ラスボスの血に耐える』という段階で私の場合は死にそうである。アッ絶対にやめとこ。地獄の苦しみを味わいながら死ぬのはご遠慮したい。漫画で見た限り、鬼舞辻の血を分けられて死亡したモブはめちゃくちゃ苦しんでいたからなあ…。鬼にはならない方が賢明だ。それに――――

 

――――おとうさんみたいにはなりたくないからなあ…。

 

ぼんやりと思い出すのは義父の最期。彼のように死ぬのは嫌だった。相変わらず自己中で鬼殺隊にあるまじき考えだが、私は自分が可愛いので仕方がない。死なないために己の最善の未来を常に思考するのは当たり前のことだ。

 

クソみたいな考えを正当化して、私がうんうんと頷いていると、煉獄杏寿郎の溌剌とした声が聞こえてくる。原作通り、猗窩座の発言を否定する言葉を紡いでいるらしい。

 

老いも死も人間の美しさだと、その脆さこそが堪らなく愛おしいのだと、煉獄は語る。そのまま彼は言葉を続け、強さとは何も肉体の強さだけではない、竈門炭治郎は弱くはない、侮辱するなといったことも述べた。それを聞いて私はホウと息を吐く。

 

(やっぱり炎柱・煉獄杏寿郎が人間の良さを語るシーンはいいな…)

 

前世でもこのシーンは胸に突き刺さったものである。鬼と人の対比を顕著に表している場面だからだろう。永遠を生きる鬼と、刹那の時を精一杯生きる人間。この猗窩座と煉獄の掛け合いはまさに相反する二つの種族を代表する会話なのである。

 

この時ばかりは腕を切られた痛みやら原作ブレイクの恐怖やらを忘れ、前世の読者時代に戻っていた。気分はまるで映画の特等席に座り、物語に感動するファンである。

 

はーーーーーやっぱり鬼滅の刃は最高だぜ。但し現実になると最悪だけどな。いや、最悪どころか地獄である。主食が人であり、頸を切らない限り死なない鬼が生きる世界など、地獄以外のなにものでもない。しかも、鬼滅の刃の時代設定は大正だ。日本が列強諸国と肩を並べようと必死に努力する時代である。二十一世紀で生きた記憶を持つ明道ゆきにとっては明らかに辛い世界だ。

 

(前世の自分に戻りてぇ)

 

思わず泣きそうになる。ウダウダと昔の自分に縋り始めた私だが、この時自分は気がつくべきだった。四人の柱が参戦したことにより、安全圏から観戦できているからとはいえ、あれこれと悩むべきではなかったのだ。唐突の死亡フラグが乱立する可能性を私は気がつかなければならなかったのである。

 

煉獄杏寿郎は猗窩座を見据えたまま、言葉を紡ぎ続ける。竈門炭治郎は弱くはないと言ったその口で、明道ゆきについても話し始めたのだ。非常にいらない私へのフォローを煉獄はぶち込んできやがったのである。

 

「猗窩座、もう一つ言っておこう。氷柱・明道ゆきもまた、弱くはない」

「とんだ戯言だな」

「明道ゆきは確かに剣の腕こそないが、それを補う類稀なる才と不屈の精神がある。柱に相応しい人間だ」

「あの女が強い? 柱に相応しい? 奴は俺に手も足も出なかっただろう。加えて、無様にも左腕まで切り落とされた」

「ならば問おう――――何故、お前は俺達がくる前に四肢を欠損させ、大火傷を負っていた? 何故、明道に『殺してやる』などと言葉を口にしていた? 何故、何故だ?」

 

おいやめろ。

 

煉獄、おまっ、お前マジでやめろ。猗窩座を煽るな。柱四人の介入により、上弦の参の頭から明道ゆきという存在が薄れていたというのにどうしてそんな煽りを入れるんだ。やめてくれ。死亡フラグが再び立つ。

 

私が全力で焦っていると、猗窩座は額の血管をピキリと浮かび上がらせた。煉獄杏寿郎の言葉が心外だというように荒々しく声を上げる。

 

「列車が爆発したのはただの偶然だろう」

「偶然、偶然か! 偶然にも列車が爆発し、偶然にも明道はその被害を被らず、偶然にもお前が地にひれ伏した瞬間に俺達がたどり着いた、とでもいうのか?」

「…何?」

「お前も本当は分かっているのではないか。自分が大怪我を負った理由を。ここに柱が五人もいる訳を。お前の話す『偶然』は作られたものだ。明道ゆきという柱によって作りあげられた一つの道筋、一つの作戦。そうだ、明道ゆきは武力ではなく、知略による刃を振るった! その刃の攻撃をお前は受けたのだ、猗窩座!」

 

煉獄、頼むから本当に黙って!

 

私を持ち上げて話すことをやめろ! 本当にやめろ! 私の生存率が下がる。ほら、上弦の参を見てくれ。彼の額には血管が先程よりも浮かび上がっている。この時点でもう怖い。怒りマークを携えているだけならまだマシなのだが、猗窩座の顔面が怒りで歪みまくっている。怖すぎて直視できない。一瞬だけ奴の顔を見て直ぐに逸らしたぐらいだ。怖い。怖すぎる!

 

下手をすれば「杏寿郎、そこまでお前が言うなら確かめてやろう。知略の刃というやつをな!」などと言って猗窩座が私に攻撃を仕掛けてくる可能性もあるのでマジで泣きそう。本当にやめてくれ。軽率な言動は慎んでくれ、煉獄。私は十七巻までの知識しかないから猗窩座がどうやって倒せるのか知らないんだ。上弦がこちらに向かって来たら対処の仕方が分からなくて確実に詰む。

 

真面目に頭痛がしてきた時、追い討ちをかけるように脳内で聞き慣れた音が響き渡った。張り詰めた空気の中、それをぶち壊すような軽やかな電子音が聞こえてきたのだ。

 

 

《ピロリン》

 

▼どう行動する?

①上弦の参・猗窩座と柱四人の間に割って入る … 上

②列車の影に隠れたままガタガタ震える … 死

 

 

なんだこの悪意のある選択肢は?!

 

二番の『列車の影に隠れたままガタガタ震える』が悪意しか感じない。選択肢さんに「お前のことだから列車の影に隠れて観戦したいんだろ。確かにお前にはガタガタ震える姿がお似合いだが、そうはさせねえ」みたいに言われている気がする。絶対に言われている。クソッもしも二番が選択できるなら絶対二番を選んでたのに…!! でも、二番の『列車の影に隠れたまま』だと死ぬらしい。明らかに一番の『猗窩座と柱の間に割って入る』の方が死亡率高そうなのに二番を選んだら死ぬとかなんなの。絶対に一番の『割って入る』なんて行動したくないです。

 

だが、そんな文句も不満も選択肢パイセンの前では無意味だ。どれほど辛くても、どれほど納得いかなくても、私は選ばなくてはならない。

 

故に明道ゆきは選択するのだ。

 

 

▼選択されました

①上弦の参・猗窩座と柱四人の間に割って入る … 上

 

 

いつもの時が止まる空間が動き始める。白黒の風景が色付き、選択肢のドット文字は消え失せた。それと同時に自分の身体が勝手に動き出す。離れたところにあった自身の日輪刀を拾い、ヒュウと息を吸って全集中を行った。そしてそのまま私は猗窩座と柱四人に向かって駆け出す。ピリピリとした空気が肌を刺した。

 

猗窩座の方面を見ると、彼は煉獄の言葉に憤りを感じたのか「何が『知略の刃』だ! そんなもの俺へと届いていないだろう! 実際に届いたのお前達四人の刃だ! もういい。戯言は聞き飽きた。鬼にならないなら死ね」と叫んでいた。思わず私は心労で胸を押さえたい気持ちになる。

 

(ウッ怖い怖い怖い!)

 

全力で怯えていても、選択肢に縛られた明道ゆきの身体は勝手に動き続ける。私はスルリと猗窩座と柱四人の間に割り込んだ。この時点で最早気絶しそうである。泣きそうになりながらも、青緑色の日輪刀を猗窩座へと向ける。全員が驚いたように息を呑んだ――その瞬間だった。

 

私の左目に激痛が走ったのは。

 

ブシャァアアッと盛大に血が顔面の左側から噴き出るのが分かる。あまりの痛みに声が出なかった。一瞬、息が詰まり、頭が真っ白になる。何がなんだか分からず、日輪刀を落としそうになるが、勝手に私の口は開いた。

 

「その通りだ猗窩座。私の実際の刃はお前には届いていない。だが、それでいいのさ」

 

左頬に涙が、いや、血がぼたぼたと落ちていく。しかし、それを拭うことはできない。させてもらえない。強制的に私はただひたすら猗窩座を見つめさせられた。上弦の参は技を軽く放ったのか右手を下にした体勢でこちらに視線を向けている。私はその様子を視界に入れながら大胆不敵に、堂々と、言葉を紡ぎ続けた。

 

「ようは最後にお前の頸が切れたのなら良いのだ」

 

めちゃくちゃかっこいいこと言っているけど待ってくれ。本当に待ってくれ。全然良くないです。私は全く良くないです。痛む左目と滴る血を頬に感じながら私は内心で叫んだ。

 

――――左目が潰れた…!!

 

本日二度目となる身体の欠損と、すさまじい激痛に意識を飛ばしたくなった。何でここまで私は傷だらけなんだ。この怪我に何か意味があるの? 絶対にないでしょ。何で無駄に私は怪我を負っているんだ。この程度の猗窩座からの攻撃なら確実に他の柱が対処できたと思う。私がしゃしゃり出る必要なかったよ絶対に。本当に心が折れるし、そろそろ真面目に失血死すると思うし、帰らせてくれ。

 

切実にそう思いながらも明道ゆきは笑うしかなかった。

 

 



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其の十五: 「上弦の参は弱者に憤る」

気に入らない。

生理的にこの女が気に入らない。

 

上弦の参・猗窩座は目の前にいる白髪の人間を睨みつけた。煮えたぎるような怒りと嫌悪がふつふつと腹から迫り上がってくる。猗窩座が今すぐにでも殺したい女は、青緑色の左目と左腕を欠損させ、身体中傷だらけになっていた。痛みからか、奴が持つ青緑の日輪刀の刃先が小刻みに揺れる。その様子を見て更に怒りが倍増した。憤慨のあまり歯軋りする。

 

(誰かを守るどころか、自分すら守れぬ弱者が! 柱を名乗る法螺吹き者が! この場にしゃしゃり出てくること自体おかしい!)

 

何が氷柱だ。何が「知略の刃で攻撃した」だ。女の姿を見てみろ。この場にいる誰よりもボロボロで、この場にいる誰よりも愚かな行為をしているではないか。どうしようもない弱者だと理解しているのにも関わらず、何故、杏寿郎は女を認めているのだ。何故、甘露寺・胡蝶・冨岡の柱三人も杏寿郎の言葉を否定しないのだ。おかしい。おかしい。おかしい!

 

自分の中で白髪の女に対して否定に否定を重ねる。歯軋りをしすぎて歯がパキリと割れた。しかし、直ぐに再生し、歯軋りを再開させる。その感覚すら嫌悪を覚え、怒りが助長された。

 

「お前はあの時、直ぐに殺すべきだった」

 

上弦の参・猗窩座――――俺は憎々しげに明道ゆきに向かって吐き捨てる。初めて『女』という生き物に対して抱いた明確な殺意だった。

 

明道ゆきは女だ。傷だらけの上半身に巻かれたサラシの膨らみと、長髪から分かるように、奴はれっきとした女であった。だからこそ、殺さないつもりでいたのだ。

 

俺は基本的に性別が女の人間は殺さない。どれほどの弱者であろうとも、生きていることが許せないようなグズでも、女であれば殺さなかった。しかし、鬼殺隊士であれば流石に見逃すことはできない。そのため、手足を切り落としたり、死の一歩手前まで痛めつけたりして、その辺りに適当に転がしていた。「そんなことすれば時間が経てば死ぬ者もいるのではないか」と言われるだろうが、その後、女隊士がどうなるかは己の管轄外である。自分が責任を持つことではない。

 

だが、明道ゆきは『必ず殺さなくては』と思った。思ってしまった。

 

初めはどれほど明道ゆきの弱さを見せつけられようとも、どれほど暴言を吐かれようともイラつくだけで終わった。確かに、「許せない。見る価値もない。こいつは死ぬべきだ」と思ったが、『女は殺さない』という自分の信条の方が大切だったのである。だからこそ、明道ゆきも今までの女達と同じように殺さないつもりでいた。ただ、周りに鬼殺隊士がいるため、己の信条を悟らせないためにもある程度は暴言を吐き、痛めつけ、いつものように捨てておこう。そう、考えていたのだ。

 

列車が爆発するまでは。

 

すさまじい熱量と威力に自身が玩具のように宙へ飛んだ。そのままべシャリと地に平伏した時の感覚は今でも覚えている。加えて、あまりの熱量と激痛に意識が何度かなくなった。目がチカチカして、脳裏には火花が散り、痛みに悶え苦しんだものだ。上弦の位を戴いてからはこのような痛みを経験したことがない。それほどの激痛だった。

 

(何故、俺は今、地に平伏している。何故俺は、)

 

弱者にこれほどまでの大怪我を負わせられているのだ。

 

矛盾だった。どうしようもないくらいの矛盾だったのだ。明道ゆきという剣士は弱い。その弱さ故に俺に指一本すら触れることは叶わなかった。それどころか奴は何もできずに腕を切り落とされ、炭治郎などという不愉快な弱者に心配される始末だ。ありえない。ありえるはずがない。俺が地にひれ伏すなど。

 

(偶然、これは偶然だ)

 

列車が爆破したのは偶然だと心に整理をつけ、爛れ落ちた自分の顔を上げた時だった。己の瞳に一番初めに映ったのは、

 

明道ゆきの笑みだった。

 

青緑と黒の左右非対称の瞳と目が合った瞬間、腸が煮えくり返るような怒りに襲われた。迫り上がってくる憤怒に耐え切られず、本気の技を明道ゆきに向かって放ったほどだ。これは、この爆破は、偶然なんかじゃない。杏寿郎に言われるまでもなく既に気がついていた。ただそれを認めたくなかっただけで俺は分かっていたのだ。

 

この爆破が明道ゆきによるものだというくらい。

 

(――――弱者が! ただの弱者が! なんの力もなく、自分一人では何もできぬ弱者が!)

 

これだから、これだから、弱い奴は嫌いなのだ。弱い奴は正々堂々と戦わない。醜い。弱い。弱い。弱い奴は何もできないくせに、守るべきものも守れないくせに、必要のない無駄なことばかりをする。明道ゆきは剣の才がないくせに、俺に何一つ敵わないくせに、戦おうとしている。それがどうしようもないくらい腹が立った。暴れ回りたいくらいに腹が立ったのだ。

 

(こいつは、)

 

こいつは、明道ゆきだけは、殺す。

女だとかそんなもの関係ない。殺す。

こいつだけは気に食わない。

 

チリッと脳裏に『誰か』の顔が映る。一瞬だったため誰の顔かは良くわからなかったが、怒りが更に増幅したものだ。

 

――――だが、その憤怒も杏寿郎や冨岡、胡蝶、甘露寺が登場したことにより、一時的に消えた。明道ゆきという羽虫よりも心躍るような戦いを繰り広げてくれる強者の方が大事だったからだ。

 

(この柱四人はなんて素晴らしい剣客だろうか!)

 

練り上げられた闘気は至高の域に近い。残念ながら杏寿郎以外の柱は苗字しか分からなかったが、それが気にならないくらい心躍る戦いだった。だが、必ず他の三人、冨岡・甘露寺・胡蝶の下の名前も聞き出してみせる。なんせあの四人は個人の腕も、連携も、一流中の一流。連携においては今まで対面した鬼殺隊士の中では随一を誇るだろう。それほどまでの強者の名は必ず覚えておきたい。そして、鬼になってほしい。

 

そう考えて鬼への勧誘した途端、断られた挙句、不愉快極まりない炭治郎と明道ゆきの話を聞かせられた。杏寿郎は炭治郎も明道ゆきも弱くない、侮辱するなと言うのだ。加えて、明道ゆきに至っては『知略の刃で猗窩座に攻撃した』とまで言い切ったのである。薄れていたはずの怒りが再びぶり返した。

 

だからこそ俺は杏寿郎達に攻撃したのだ。もう明道ゆきや炭治郎の話なんぞしたくもなかったからだ。

 

(なのに、なのに何故、)

 

お前がここにいるんだ。

 

「――――明道ゆき!!」

 

そして冒頭の明道ゆきに戻るのである。刃先をこちらに向け、先程の軽い攻撃で左目を欠損させた『弱者』がそこにいたのだ。

 

明道ゆきは登場した途端、語りはじめた。自分の刃は実際に届かなくていい、ようは最後に鬼の頸を切れたのなら良いのだと、話し出したのである。この場にいること自体癇に障るというのに、弱者の醜い考えを極めた発言に怒りが迫り上がってきた。

 

「お前達に、いや、『お前』に! 俺の頸は切れるものか!」

「いや、何がなんでも切るさ」

 

弱いくせに、大怪我を負っているくせに、身の程を弁えずにしゃしゃり出てきた明道ゆきの言葉に激しい嫌悪を抱く。俺は構えを取り、今度こそこの女を消してやろうと技を放とうとした――――その瞬間だった。

 

再び列車が爆発したのだ。

 

「なっ、」

 

ドンッと先程と同じような強烈な音が自分の背中から鳴り響いた。すさまじい熱量と爆風が己を襲う。木々は揺れ、地面は抉れ、砂埃が舞った。驚いて思わず後ろを振り向く。目に入るのは俺に大火傷を負わせる程の威力で爆破した列車が、さらに大破したものだった。どうやらあの列車がもう一度爆発したらしい。ここからは距離が少し遠いため、今回は俺に被害がなかったみたいだ。それを理解して即座に前を向こうとしたが――――その振り向きがいけなかった。

 

一瞬の硬直。

一瞬の油断。

一瞬の意識の外れ。

 

それを逃す柱ではなかった。

 

息を吐く暇もなく、甘露寺、胡蝶が俺の周りに集ったのだ。目の前には明道ゆき、左には甘露寺、右には胡蝶がいた。次の瞬間、柱で最も速い胡蝶が神速の突きを放つ。ふわりと蝶のような羽織が揺れた。

 

「逃しませんよ。蟲の呼吸・蝶ノ舞 『戯れ』!!」

 

常人ならば視認出来ない程の神速の突きが己の身体へと同時に三回放たれる。本来ならば避けられた剣撃。本来ならば迎え撃つことすらできた突き。この剣撃は『常人』や『雑魚鬼』ならば視認できないだけで、羅針盤で闘気を正確に察知できる俺ならば、避けることができただろう。それなのにも関わらず、『列車の爆破』により一瞬だけ身体が硬直した。意識が飛んだ。結果、無様にも攻撃を受ける羽目になったのである。

 

(いや、それだけじゃない)

 

恐らく、一番初めに柱四人の連携で打たれた胡蝶の毒がまだ残っていたのだ。長らく鬼殺隊士と戦ってきたが、毒の攻撃を仕掛けられたのはこれが初めてである。それ故に解毒が己の身体で完了していなかったに違いない。初めの毒による揺らぎ、並びに列車の爆破のせいで胡蝶の毒を再び受ける羽目になったのだ。

 

毒によりズズズッと瞬時に自分の身体が紫へと染まっていく。普段ならばこの程度「なんてことはない」と攻撃に転じることが簡単にできただろうが、今はそうも言っていられなかった。三方にいる女達を何とかしなくてはならないからだ。明道ゆきはどうとでもなるが、甘露寺と胡蝶は柱だ。下手をすれば頸を本当に切られかねない。

 

(直ぐに離脱しなくては――――ッ?!)

 

その時、バサリと目の前に羽織が落ちてきた。

 

真っ白な生地に水仙が描かれた美しい羽織が上から降ってきたのである。思わず息を呑んだ。理由は分からない。何故だか分からないが、この時の俺は『水仙』――――別名、雪中花と呼ばれる花に目を奪われたのである。それと同時に少女の声が辺りに響き渡った。

 

「ゆきさん!!」

 

ゆき、ユキ、雪。その言葉を聞き、『雪』の名を冠する真っ白な羽織の水仙を見た瞬間、ピリッと脳裏に再び『誰か』の笑顔が映った気がした。誰だ。お前は一体誰だ。花火を背景に佇む小柄な『誰か』が俺へ向かって手を伸ばす。本当に誰なんだ――――そう思ったが、明道ゆきの「真菰!!」という声が俺を現実へと戻した。フッと笑顔の『誰か』は掻き消える。伸ばされた手は俺に届くことなく終わった。それに物悲しさを覚えるも、次の瞬間、ハッとする。

 

(な、に、を、何をしているんだ俺は!)

 

即座に全体攻撃を放とうとして――――身体が再び硬直した。ピシリと固まる姿はさぞや滑稽だろう。さっき受けた胡蝶からの毒で上手く動けないというのもあるが、それだけではない。

 

この場にいるのは全員『女』だった。

『女』しかいなかったのだ。

 

甘露寺、胡蝶、明道、そして真菰と呼ばれた少女の四人の『女』が俺を取り囲んでいたのである。

 

つい先程述べたとは思うが、俺は女は殺さない信条がある。鬼殺隊士の場合は流石にある程度痛めつけてはいたが、それでも最終的には生かしていた。その信条は俺の中でずっと覆されることなく今の今まで続いていたのである。

 

何百年も染み付いた行いは中々消えない。一朝一夕では行動を改めることはできない。だからこそ、俺は戸惑った。例え、明道ゆきに対しては女であろうと殺すと決心をしていても、戸惑ってしまったのだ。基本的に鬼殺隊は男ばかりである。刀を持った四人もの女に囲まれる経験などなかった。

 

加えて他にも三つ、俺の硬直を作り出した理由があった。一つは先程の胡蝶の毒、一つは列車の爆破による動揺、最後の一つは脳裏に浮かぶ謎の『誰か』。

 

不測の事態が四つも重なっていたのだ。これが一つだけ、もしくは二つだけ重なるならまだいい。いつもの俺なら難なく対処できただろう。だが、四つも重なるとそうもいかなかった。列車の爆破で油断させ、胡蝶の毒で身体の自由を一部なくし、脳裏によぎった『誰か』が精神を奪い、周りが女ばかりという状況で戸惑いを誘う。小さなズレが重なり合い、やがて大きな『ズレ』となる。

 

そうして、二度目となる硬直が生まれるのだ。

 

気がついた時にはもう遅かった。俺の羅針盤に二つの闘気が反応していたのだ。それと同時に甘露寺、真菰から呼吸特有の音が聞こえてくる。攻撃されると理解していても、自身の一瞬の硬直のせいで反撃が僅かに遅れた。一瞬。たった一瞬だ。だが、その一瞬は剣士にとって千金に値する。次の瞬間、高威力の技が形を持って襲いかかってきた。

 

「ここで貴方は倒すんだから!」

「行くよ、蜜璃さん!」

 

恋の呼吸・弐の型『懊悩巡る恋』!

水の呼吸・肆ノ型『打ち潮』!

 

甘露寺の弐の型は俺の両腕を、真菰の肆ノ型は両足を切断した。桃色と水色の残像が宙に描かれる。甘露寺の螺旋状に斬りつける技と、真菰の波を打つような斬撃は確実に俺の離脱と攻撃の手段を奪った。

 

(チッ、油断した!)

 

落ちゆく身体と、切断されて飛ばされた両手足に眉をひそめる。だが、この程度で終わるならば上弦の参にはなれない。何人もの柱を地獄へと葬れる訳がない。俺は瞬時に足だけ解毒と再生を行い、蹴り技である「破壊殺・脚式『流閃群光』」を正面の明道に放とうとして、

 

足が爛れ落ちた。

 

「何…?!」

 

再生した足がどろりと崩れていく様を見て、柄にもなく目を見開いた。おかしい。三回目の胡蝶の毒は受けていないはずだ。そもそもあの毒にこんな効力は含まれていないだろう。ならば、何故。一瞬だけ覚えた戸惑いだが、即座に理解した。

 

「日が、太陽が、」

 

朝が来たのだ!!

 

空が白み始めている。既に鬼達の時間は終わり、人間の時間へと移り変わっていた。空が明るくなるだけならまだいい。日が、太陽が、もう昇り始めていた。山の間からキラリと輝いた陽を見て、目が潰れる。足と同じように爛れていくのが分かった。

 

(どうして気がつかなかった!)

 

疑問が頭をもたげた。気がつけなかった己の喉を思わず掻き毟りたい気持ちになる。

 

どれだけ戦闘に気を取られようとも、朝だけは、太陽の昇る時間だけは、必ず注視していた。なのに何故、空が白み始めていたことすら俺は気がつけなかったのだ。

 

そう考えて、何気なく視線を前へやった時、バチリと『誰か』と目が合った。老婆と見間違うような白髪と、先程真菰が持ってきていた雪中花の羽織をはためかせる女、明道ゆきと目が合ったのだ。

 

――――明道ゆきは笑っていた。

 

列車が爆発した時と同じ笑みを奴は浮かべていたのである。唯一明道ゆきの顔に残る黒曜石の右目と視線が交わった瞬間、初めてこの女と対面してから今までの場面が走馬灯のように脳裏に流れた。そして俺は理解する。いや、理解してしまった。脳が正しく情報を呑みこんだ時、再び怒りが腹から迫り上がってくる。吐きそうになるほどの憤怒が己を支配した。衝動的に俺は叩きつけるように叫ぶ。

 

「明道ッ、明道ゆき! 貴様これを狙っていたなァ!!」

 

これは偶然なんかじゃない。

初めから、いや、出会う前から仕込まれた『作戦』だったのだ。

 

明道ゆきは上弦の参『猗窩座』がこの場に来ると察知していたに違いない。だからこそ、あの女は一番最初に対面した時に動揺していなかったのだ。いや、言い方が悪いな。動揺はしていたが、『上弦が登場したことには動揺』はしていなかったのである。まるで俺がここにいることは仕方がないことのような振る舞いをしていたのだ。

 

それを裏付けるように明道ゆきが用意した柱の四人中二人が女である。態々『女の柱』を二人も用意してみせたのだ。男ばかりの鬼殺隊で女の柱がこの場に参戦するなど、意図的なものでなければ有り得ない。

 

(明道ゆきは恐らく、『上弦の参は女を殺さない』と確信していた)

 

基本的に俺達『上弦の鬼』の記録は鬼殺隊側にはあまり残っていない。何故ならば、情報を持ち帰るであろう隊士は全て殺しているからだ。死人に口無し。童磨などの場合は知らないが、己と対面した柱に関しては一人残らず消していた。だが、どんな時でも例外が存在するものだ。猗窩座の場合、一つだけあった。

 

『女性隊士』だ。

 

性別が女の剣士に出会った時、俺は殺さない程度に痛めつけた後、捨てていた。恐らく、その記録を見つけた明道ゆきは『上弦の参は女を殺さない、いや、殺せないのでは』とあたりを付けたのだろう。もしや今まで奴が上半身裸で、サラシしか巻いていなかったのも『女だと瞬時に分からせるため』なのかもしれない。この俺に即座に殺されないために。

 

それに気がついた瞬間、ゾワリと身の毛がよだった。まるで未知の化け物に遭遇したかのような感覚に襲われたのだ。

 

(この女、正気か…?!)

 

女隊士は殺していないと言っても、柱には至れない雑魚隊士数名程度だ。戦場は不確定のことばかりである。その中で女隊士が一名だけ生存しても普通ならば「運が良かったのか」で片付けるだろう。疑問に思う方がおかしい。明道ゆきは、それだけで、たったそれだけで、俺の信条にたどり着いたというのか。正確な情報を掴み取ってみせたというのか。正気じゃない。この女は正気じゃない。

 

何気ない状況の記録から違和感を抱き、数多ある資料をかき集め、分析に分析を重ね、たった一つの『道』を導き出す。言うならば、視界不良の吹雪の中、最善の道筋を選び取り、険しい雪をかき分けて進むような暴挙である。気が遠くなるような調査の果てにようやく掴める道筋だ。常人ならばまずしない。気でも狂っているのか。

 

(それとも、そんな暴挙ができるほどの知略の持ち主なのか)

 

杏寿郎が「明道ゆきは知略の刃で攻撃をしたのだ」と言った言葉を今更ながら思い出した。背筋に悪寒が走る。明道ゆきはどうしようない弱者であるにも関わらず、全身が『あの女を殺せ』と叫んだ。

 

きっと、明道ゆきは柱の武に値する知略を有している。

 

でなければ、現状に説明がつかない。先程も述べたように、前々から明道ゆきは作戦を立てていたのだろう。だからこそ、列車を爆破させることも出来た。一回目は俺を足止めするために、二回目は動揺を誘うために、奴は列車を吹き飛ばした。だが、明道ゆきの策略はそれだけで終わっていなかったのである。その二回はただの布石でしかなかった。

 

本命は、朝が来ることを悟らせないためだ。

 

二回もの爆破により周囲の草には火が燃え移っていた。夜とは思えぬほどの明るさを列車の爆発の炎が生み出していたのだ。明るすぎる戦場は空が白み始めていることに気がつかせず、猗窩座の太陽への意識を鈍らせたのだろう。加えて今回、意識の大半は柱達との戦闘に奪われていた。心躍るような強者四人と戦う状況は緩やかに俺の『朝の来る時間』を測定する頭を奪っていったに違いない。

 

ゾゾゾゾッと背筋に冷たいものが走る。駄目だ。こいつらと戦っては駄目だ。このままでは太陽の光で死んでしまう。完全に日が昇る前に離脱しなくては。久方ぶりに経験した凄まじい焦りだった。身体中から汗を流しながら俺は爛れた足で地面を蹴ろうとする。だが、地面を蹴ることなく終わった。

 

顔面に漆黒の日輪刀が刺さったからである。

 

「逃げるなッ!! 逃げるな臆病者!!」

 

こちらに向かって叫ぶのは炭治郎。不愉快な弱者の一人だった。奴は怪我を引きずりながら鬼の形相で俺に怒鳴り散らしている。炭治郎の言葉を聞いた瞬間、じわりと怒りが頭を支配した。

 

(逃げる? この俺が?)

 

ふざけるな。何を言っているんだあのガキは。俺はお前達鬼殺隊から逃げているんじゃない。太陽から逃げているんだ。確かに油断した。確かに明道ゆきの策に貶められた。だが、俺はまだ戦える。太陽さえなければ他の柱の一人や二人、葬れただろう。これは戦略的撤退だ。俺は逃げてなどいない。

 

あのガキは明道ゆきと同じで気に入らなかった。炭治郎を見ると『誰か』の顔が頭を過ぎるのだ。似ている。炭治郎は『誰か』と似ている。優しくて、強くて、弾けるような笑顔を浮かべる『誰か』に。

 

炭治郎の発言を受けてピキリと額の血管が浮かび上がる。不愉快さのあまり叫びたい気持ちになった。だが、その暇はない。日が、太陽が、俺の身体を蝕んでいく。ボロボロと崩れていく身体に苛立ちを覚えながら、再び地面を蹴ろうとするが――――出来なかった。凛とした声が俺の耳に届く。冨岡の青き刃が現れた。

 

「逃すものか」

 

水の呼吸・肆ノ型『打ち潮』!

 

先程の真菰と同じ技だが、違った強さのある『打ち潮』が再生した両足を再び切り裂いた。間髪入れずに放たれた怒涛の剣撃に感心することなく、盛大な舌打ちを溢す。焦りに焦りを重ね、鬼になってから初めて全身が煮え繰り返るような苛立ちに襲われた。

 

(まずい、まずい、まずい! 逃げることが出来ない!)

 

毒により再生が遅れる身体、四肢を元に戻しても直ぐに切り落としてくる柱達、殺せぬ女、陽光により爛れ落ちる肉体、動揺する精神、突然脳裏に現れる『誰か』。どれをとっても最悪な状況である。その不愉快極まりない場面に再び舌打ちを溢した――――その瞬間だった。

 

眼前にパサリと炎を模った羽織が現れたのだ。

 

毛先が赤みがかった金髪に、ギョロリとした瞳を持つ男、炎柱・煉獄杏寿郎は不敵に笑う。己の羅針盤で既に感知していた闘気に思わず歯軋りした。この場面、この状態、この状況でなければ杏寿郎の登場に喜んだことだろう。だが、今は笑みを浮かべることはできない。ましてや気分が高揚することもない。羅針盤で正確な敵の位置を測れようとも、戦えなければ、攻撃できなければ、意味がないからだ。身体は陽により爛れ、四肢はもぎ取られ、毒に犯されている。動揺する精神、混乱を起こす感覚。全てが最悪な状況だ。だが、奴らにとっては最善の『道筋』が開かれる。明道ゆきが選び取り、進んだ先にあった『明るい未来』が現れたのだ。

 

(弱い、弱い、弱者のくせに!)

 

何なのだ。何なのだ、明道ゆきという女は。正々堂々と戦わず、姑息な真似をして勝利をもぎ取ろうとする。なんて醜く、許せない人間なのだろう。俺はこいつが嫌いだ。認められない、いや、認めたくない。

 

明道ゆきの方に視線を向けると、奴は真っ直ぐに右目でこちらを見ていた。あまりにも真っ直ぐで、自信に溢れ、キラキラと輝く瞳である。その時俺は弱者であるはずの女の瞳に目を奪われた。

 

――――明道ゆきは弱者だ。

 

本来なら何も守れずに終わる弱者の中の弱者である。その弱さ故に何度も何度も絶望に打ちひしがれ、己の才のなさに涙したに違いない。だが、明道ゆきは諦めなかった。どれほど絶望に身を震わせても、どれほど屈辱を味わおうとも、彼女は諦めなかった。研鑚と、血の滲むような努力を重ねに重ねたのだ。そして、明道ゆきはたどり着いたのだろう。武力ではなく、知略で『誰かを守る』という終着点に彼女は到達したのだ。

 

明道ゆきは弱者だ。

だが、彼女は『俺』と違って、その弱さを乗りこなした。

 

弱い。弱い人間だ。弱い人間なのに、どうしてこうも涙が出そうなのだろう。どうして俺は胸を震わせているのだろう。俺が、『俺』が一番殺したかった『弱者』は――――その答えが出る前に煉獄杏寿郎の声が辺りに響く。力強く、勇ましい声だった。

 

「ここでお前は終わりだ」

 

杏寿郎の金と赤が混じった瞳が俺を射抜く。スッと滑るように振るわれた刃は青色、桃色、水色、鉛色、黄色、黒色、藍鼠色、青緑色と、様々な『色』が重なって見えた。最後に現れた赤色が一層輝きを増した時、この場にいる全ての者の『刃』が形を持って俺の前に現れる。次の瞬間、『刃』は猗窩座の頸を捉えた。

 

――――スパン、

 

上弦の参・猗窩座の頸は宙に舞う。

 

最後に脳裏に過ったのは『雪』の名を冠した少女と、朗らかに笑う男性の顔だった。

 

 




次回予告:明道ゆき、公衆の面前で大号泣


あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。特に冬コミにて、この連載の番外編本を手に取ってくださった方々ありがとうございました。

『水一門食事会』と『蛇・水・風柱との合同任務』の二話収録した番外編本は1/12冬インテでも頒布予定です。また虎の穴様でも絶賛予約受付中です。詳細は『活動報告』に掲載されております。

映画の無限列車編、凄く楽しみですね。今からワクワクします。
今年も宜しくお願い致します。


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原作崩壊編
其の十六: 「蟲柱は微笑む」


こんにちは。ついに今回からオリ主が鬼滅世界にいることによる歪みが現れていくことになります。この話から原作ブレイクが顕著となる展開となり、地雷になるかもしれない成分を多く含んでおります。原作崩壊等を好まない方は閲覧をお控えください。

あと、こちらはお知らせになるのですが、『水一門食事会』と『蛇・水・風柱との合同任務』の二話収録した番外編本の再販を決定しました。活動報告にて詳細を掲載しています。

この連載も今回で後半戦に突入します。いつもコメントや評価、ブクマ等、ありがとうございます。最後まで頑張りますので、宜しくお願いします。





「なんて、奇怪な」

 

蟲柱・胡蝶しのぶは驚きの声を上げた。彼女は視線を『何か』に固定したまま右手に持っていたピンセットを静かにトレーへと置く。閑静な診察室にカシャンという金属が辺りに響き渡った。

 

スッと胡蝶しのぶは己の右手を眼前へ伸ばす。目の前にいる『何か』――胡蝶から見れば右側にある、明道ゆきの左頬をゆっくりと撫でる。そして、明道の左目を縦断する一本の傷をスススと人差し指でなぞった。

 

――――氷柱・明道ゆきの左頬には縦傷が存在する。

 

明道ゆきからすれば、左上の額から左目を縦断し、頬を伝って、顎のあたりでようやく消える、獣に切り裂かれたような大きな一本傷だ。ただの傷であったはずのソレは――今、『痣』のようになっていた。

 

まるで赤色の刺青を敢えて入れたかのように、その傷は姿を変えていたのである。確かに元々酷い傷ではあった。だが、ここまで目立つ跡ではなかったはずなのだ。何故、この傷が痣のようになってしまったのか。理由は一つ。

 

先の任務で遭遇した上弦の参『猗窩座』のせいだ。

 

明道ゆきは猗窩座との戦闘により数々の大怪我を負った。中でも特に酷いのは左腕と左目の欠損だろう。左腕は二の腕あたりで跳ね飛ばされ、左目は縦に一本、攻撃を入れられたのだ。左目の創痕が現在、痣になってしまったのも、これが原因である。元々あった傷跡を上書きするように猗窩座から攻撃を受けたため、より跡が広がってしまったのだ。

 

胡蝶しのぶがその痣と化した明道ゆきの創痕を辿ると、潰れた左目に人差し指が到達する。胡蝶はゆっくりと彼女の左目を見据えた。

 

上弦の参『猗窩座』によって両断された明道ゆきの瞳。多少の傷程度ならまだしも、こうもスッパリと切られてしまえば致命的だ。以前のように何かを見ることは叶わないだろう。失ったものは元には戻らない。それこそ、鬼になるか、鬼を喰らい、一時的に鬼の能力が持つことができる不死川玄弥のような『鬼喰い』の体質でもなければ。

 

だからこそ、本来ならば、これは『あり得ない』のだ。

 

胡蝶しのぶは驚きを隠せない声色で言葉を発した。

 

「左目が再生しています。にわかに信じ難いですが」

 

猗窩座によって大打撃を受けた氷柱・明道ゆきの左目は確かに光を失っていた。初めて彼女の目を見た時、胡蝶が「失明は確実だ」と直ぐに断定したほどである。それなのにも関わらず、明道の瞳は元の姿へ戻りつつあったのだ。

 

明道ゆきは鬼にでもなったのか。

それとも、鬼喰いの体質に変化したのか。

 

思わず胡蝶しのぶは、一瞬、そう考えてしまった。それほどまでに左目に光が戻ったというのは驚くべきことだったのである。普通の人間ならば、ここまでの傷を受けた場合、再生することはまずない。いや、『ありえない』。鬼になるか、体質の変化でもしない限り。しかし、左目とは違い、元に戻らぬ明道ゆきの左腕を見て、『明道ゆきが鬼になった、もしくは鬼喰いの体質になった』という考えは即座に却下された。

 

故に、導き出される結論はたった一つだ。

 

「その左目は鬼の義父から呪いを受けていると聞きました」

「…ええ、その通りです」

 

明道ゆきはなんてことがないように笑みを浮かべる。胡蝶しのぶはその笑顔を視界に入れながら言葉を続けた。

 

「そのせいで、いえ、今回の場合はそのおかげで、というべきでしょうか。失われたはずの左目に光が戻ってきています。じきに視力は回復するでしょう」

 

呪い。鬼の義父から授けられた呪い。

 

明道ゆきの左目が再生した理由はそれ以外に考えられなかった。該当の鬼が死亡しているのにもかかわらず、呪いの効力が続いている点からも、その推測が事実だと断定される要因の一つだ。

 

光が戻りつつある明道ゆきの瞳を見て、胡蝶しのぶはなんとも言えぬ気持ちになった。普通ならば、視力の回復に喜ぶべきなのだろう。だが、明道ゆきの呪いの左目の詳細を知っている胡蝶からすると、素直に「よかった」などと口にすることができない。

 

きっと、周囲の人間は明道ゆきの左目のことを、ただ単に『義父から受けた呪いにより、鬼を探知できるようになった目』とだけ思っているだろう。だが、それだけではないのだ。明道ゆきの左目はそれだけで終わらない。あらゆるものに長所と短所が存在するように、当然のように彼女の瞳にも致命的な欠点があった。

 

明道ゆきは、上弦を打倒しない限り、二十五で死亡するのだ。

 

これは産屋敷一族と蟲柱・胡蝶しのぶのみが知っている情報だ。機密事項中の機密事項といっていい。胡蝶とて、医療に携わっていなければきっと明道ゆきの呪いの詳細は知り得なかっただろう。なんせ、胡蝶しのぶ以外の柱には『明道ゆきは上弦を打倒しなければ二十五で死ぬ』という情報の周知はされていないからだ。

 

氷柱の呪いについてあれこれ考えながら、胡蝶は再び口を開く。

 

「何故、他の柱の方々にも呪いの詳細を伝えないのですか。今回の上弦戦で、彼らが呪いについて知っていれば…。

 

――――ゆきさん、貴方が上弦の参の頸を切れたかもしれない」

 

胡蝶が素直な疑問を明道ゆきに伝える。それを聞いた明道はじっと胡蝶を見つめたまま、何も言わなかった。暫しの沈黙が二人の間に下りる。

 

そうだ、今回、明道ゆきが直接、上弦の参『猗窩座』を打倒できる絶好の機会があった。例え、他の『誰か』が彼女の近くで頸を切れば呪いの解除ができた可能性があったとしても、やはり、『直接、氷柱が頸を切る』方が確実だろう。そう、明道ゆきは呪いを解く最高の機会を己の手で握りつぶしたのだ。

 

明道は何度か瞬きを繰り返す。そして、静かに口を開いた。

 

「しのぶ、貴方の考えは分かります。しかし、これには理由が二つあるのです」

「理由、ですか」

「一つは、下手に呪いの仔細を伝えると、きっと周りは『明道に上弦の頸を切らせなくては』と考える可能性があるから。戦闘中、本来なら頸を落とせた場面で落とせなくなる、なんてこともありえるかもしれない」

「ええ、しかし…」

「二つ目の理由は、」

 

そこまで続けた胡蝶の言葉を明道は遮る。胡蝶しのぶは軽く眉をひそめた。

 

明道ゆきという人物は、聞き上手な人間に見えて、存外人の話を聞かない人物である。己の持論を先に展開してしまい、反論をさせない方法は、他人から反感を買いやすいだろう。幾度となく胡蝶はその点を注意しているが、明道ゆきは聞かなかった。それどころか、特定の人間に対して、『敢えて』行っているという節すらあるのだから救えない。

 

そんな蟲柱の感情を知って知らずか、氷柱はそのまま声を発した。

 

「二つ目の理由は、検証するため、ですかね」

「検証…。一体、何を検証を?」

 

胡蝶しのぶがその言葉を口にした瞬間、明道ゆきはにっこりと笑みを浮かべた。その笑顔を見て、胡蝶はグッと顔をしかめる。蟲柱・胡蝶しのぶが苦手とする、明道ゆきの『何か』含みのある微笑みだった。

 

明道はスッと自身の人差し指を唇へ持っていく。シィー…と口から音が聞こえたと思うと、彼女ははっきりと発言した。

 

「秘密です」

 

そうだ、氷柱・明道ゆきはこういう人物だった。いつだって秘密主義で、本当に大事なことは周りに語らず、笑顔の仮面を被る。胡蝶しのぶは明道ゆきの『秘密主義』と『笑顔の仮面』が大嫌いだった。

 

だって、似ているのだ。

姉が好きだといった『笑顔』を常に浮かべ、姉のふるまいを真似る―――ほかでもない、『胡蝶しのぶ』に。

明道ゆきは、どうしようもなく、似ていた。

 

明道ゆきという人間は胡蝶が推測するに、根は男勝りな人物なのだと思う。現に彼女は非常に困難な戦闘中、いつもの穏やかな言動は消え、粗野な言葉使いをするのだ。

 

命のやり取りをする場では人間の本性が現れる。恐らく、日常の明道ゆきは彼女であって、彼女ではないのだ。きっと氷柱は仮面を被り続けている。一体、何のためなのかまではわからない。だが、自分の考えは正しいと胡蝶は確信していた。己も明道のように『そう』であるから分かるのだ。

 

故に、蟲柱・胡蝶しのぶは明道ゆきの笑顔が嫌いなのだろう。

 

同族嫌悪、という言葉を不意に胡蝶は思い出した。そして、ああそうかと内心で彼女は呟く。なんだか胡蝶は腑に落ちたような、そんな気持ちになった。

 

胡蝶が明道を嫌いなのは、憎たらしいほどに己と在り様が似ているからなのだ。大嫌いな自分と明道ゆきがそっくりであるがゆえに、蟲柱は氷柱を嫌悪してるのだろう。目的のためならば手段を選ばず、特定の人間のみに情報を共有させ、同種の笑みを浮かべる人間。幸せになる道を己の手で握りつぶし、自己満足の道を行く者。それこそが蟲柱・胡蝶しのぶと氷柱・明道ゆきだった。

 

だから、だから、胡蝶しのぶは―――。

 

「他の方々に呪いの仔細を伝えない理由の『検証のため』について、深くは聞かないでおきましょう」

「ありがとうございます」

「代わりといってはなんですが、」

「はい」

「必ず、その呪い、解いてくださいね」

 

どうしても、胡蝶しのぶは明道ゆきに本懐を遂げて欲しかった。コレは胡蝶のエゴだ。もしも彼女の呪いが解けたのなら、きっと胡蝶の心は軽くなるだろう。自分と似た人物が目的を達成すれば、胡蝶しのぶもまた、姉の仇討ちが出来る気がしてくるのだ。いや、己の復讐は『できるか』『できないか』ではなく、必ずやり遂げるものではあるが、それでも胡蝶しのぶという一人の人間は多少なりとも救われるだろう。

 

そこまで胡蝶は考えて、思わず自嘲した。なんて自分は浅ましい人間なのだろうと思ったからだ。

 

もしも、もしも。

明道ゆきと胡蝶しのぶが鬼殺隊士でなければ。

もしも、この世に鬼がいなければ。

 

明道ゆきと良き友人になれただろう。そして、きっと、胡蝶しのぶは明道ゆきを嫌いになんてならなかった。

 

だが、どれだけ『もしも』を考えても、どれだけ願おうとも、現実は変わらない。胡蝶しのぶと明道ゆきとの関係は変わらない。この鬼が蔓延る地獄が現実であるように、幸せな『もしも』はありえない。だからこそ、胡蝶はいつもの笑みを浮かべる。姉を殺した上弦の弐への憎しみを滾らせながら誰よりも美しく、誰よりも綺麗に笑うのだ。

 

その胡蝶の笑顔を見た明道ゆきもまた、いつも通りの穏やかな笑顔を作った。

 

「ええ、必ず」

 

 



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其の十七: 「原作ブレイク(上篇)」

よし、鬼殺隊やめよ。

 

私、明道ゆきは車椅子に乗りながら右の拳を握った。

 

そのまま懐に忍ばせた『退職届』を服の上から静かに撫でる。隠の一人が私の車椅子を、もう一人が点滴スタンドを押しているのを尻目に、ふうと息を吐いた。鬼殺隊本部・産屋敷邸の廊下を走る、車椅子とスタンドのカラカラという音が耳に入る。ゆっくりと隠に押してもらい、移動していると産屋敷邸の美しい庭が見えてきたため、身体を少し動かした。

 

瞬間、上弦の参から受けた傷の痛みが全身を襲う。あまりの激痛に思わず涙が出そうになった。あ、やばい。身体を動かすんじゃなかった。はあ、もう辛い、無理、帰りたい。だが、帰れない。

 

こうして、氷柱・明道ゆきが怪我に苦しみながらも鬼殺隊本部へ来ているのには理由があった。

――――緊急の柱合会議に招集されたからである。

 

(傷が完治してないどころか、目覚めたのも一昨日だというのに、なんで連れ出されなきゃいけないんだ)

 

真面目に泣きそうである。あの無限列車編の戦いで自分一人だけ何週間も昏睡状態だったというのに、どうして無理に外へ出なくてはならないんだ。

 

しかも、今回の私の怪我は骨折程度ではない。左腕と左目の欠損である。これは普通の鬼殺隊士ならば最早引退レベルだ。一応、左目は義父からの呪いのおかげで再生しているらしいが、それでも大怪我を負っていることには変わりはない。何故、招集に応じなくちゃいけないんだ。他の隊士なら確実に会議への出席は免除になるだろうに、私だけ強制参加とかふざけるな。会議中、容態が悪化して死の淵を再び彷徨ったらどうしてくれる。

 

(まあ、私の容態を無視してでも、柱全員で行いたい重大な会議なんだろうけどさあ…)

 

己の失態により原作から大幅に逸れ、まさかの上弦の参の討伐に成功してしまったことが、今回の緊急柱合会議の発端に違いない。百年もの間、我々鬼殺隊は上弦の頸を切ることができなかった。膠着状態だった歴史がようやく動いたのだ。何かしら無惨も行動するのではないかと鬼殺隊が警戒態勢に入るのも無理もない。『鬼舞辻無惨の打倒』という本懐にさらに近づくため、鬼殺隊幹部全員で対策を練る算段なのだろう。

 

原作から乖離しすぎて頭が痛い。しかも、今回の会議では『氷柱の追及』の意味合いもあるのではないかと個人的に推測しているため、余計に頭が痛い。なんせ、私は己の性格の悪さゆえに任務前に煉獄を列車から追い出してしまった。それにより部下達を危険に晒したのだ。弁解の余地もない。いくら、周りの勘違いにより「煉獄を列車から追い出したのも作戦のうち」と思われようとも、部下を危険に晒したのは事実である。

 

しかも、列車を原作のように転倒させるだけで終わらせず、大破させたのだ。いくら産屋敷一族が先見の才で富を築いているとはいえ、列車を壊したとなれば一体どれだけの金がかかるか。政府への口止め料なども含めたら目が飛び出るような額になるに違いない。

通常、鬼殺隊では大概の場合、物品や家屋をつぶしてもお咎めがくることはない。だが、流石に列車は…うん…この時代では元の時代より更に高価だろうな…うん…二十一世紀でも高いものなのに…。うん…うん…お怒りの言葉が怖いな…。

 

はあと再び溜息を吐く。傷ではなく、ストレスで胃がキリキリしてきた。

 

「気が重いですね…」

 

やってらんねえわ。色々と悩みすぎてマジで吐きそう。

 

原作にはない緊急柱合会議の登場だけではなく、まさかの上弦討伐、煉獄の生存といったシャレにならないレベルの原作ブレイク。その上、左腕の欠損までしているのだから、もう絶望オブ絶望である。いや、もう本当に冗談抜きで絶望感ハンパねえ。

 

だからこそ、今回、私は覚悟を決めた。

 

 

――――鬼殺隊を辞めよう、と。

 

 

明道ゆきの手による上弦の鬼の打倒は最早不可能。二十五で死ぬ呪いは解くことはできぬだろうと思ったからだ。

 

ただでさえ先の無限列車編で己の実力のなさを痛感したばかりなのだ。五体満足の状態で上弦の鬼には敵わないのに、左腕がなくなった今、上弦どころか雑魚鬼の打倒すらできないに違いない。それを踏まえて考えると、上弦の打倒は目指すだけ無意味だろう。このまま鬼狩りを続けるのは、ただ命を浪費するだけである。

 

それならば、戦いから身を引き、限りある命を大切にしながら、穏やかに余生を過ごすべきなのではないか。そのような考えが前よりも更に強くなったのだ。

 

以前に一度だけ述べたことがあるが、実は、『上弦の打倒を諦め、二十五で死ぬまで楽しく生きよう』と考え、辞めようとした経験がある。理由は鬼への恐怖でストレスマッハになり、トチ狂ったからだ。それにより私はお館様に退職届を提出したのだが―――結果は惨敗。まさかの突き返される事態に見舞われた。

 

(だけど、今回は退職できるはず)

 

前回、お館様が氷柱の退職を認めなかったのは仕方がないことだとは思う。というのも、私の退職理由が「鬼への恐怖に耐えられなくなった」だったからだ。お館様すれば「柱に至るほどの知略の持ち主を辞めさせるわけにはいかない。その程度の恐怖ならば、まだ大丈夫だろう。怪我を負い、戦闘不能になったわけでもないのだから」という気持ちだったに違いない。

 

だが、今回ばかりは退職できると思うのだ。なんせ、片腕の欠損である。剣士としては致命的な怪我だ。現に、原作の音柱・宇髄天元の引退理由の一つとして、片腕をなくしたこともあったはずだ。彼が腕を欠損する『遊郭編』はこれから先のお話ではあるが、やはり原作で描写されている『音柱の退職理由』の一つをを思い出すと、今回こそは私も退職できる気がしてくるのだ。

 

いや、必ず退職できるだろう。お館様もそこまで鬼ではないだろうし。寧ろ、片腕をなくした今、お館様の方から退職を勧めてくれるのでは。よし、勝ったな。

 

そうこう考えている間に、柱合会議が行われる部屋へ辿り着く。隠に障子を開けてもらうと、水柱・冨岡義勇と音柱・宇髄天元以外は到着していたようで、柱達が一斉にこちらを見た。瞬間、恋柱・甘露寺が真っ先に声を上げる。嬉しそうに頬を染めて両手をパチンと合わせた。

 

「ゆきちゃん! よかったあ、目が覚めたのね!」

「フン、死にぞこなったか」

「思ったよりもピンピンしてんじゃねーか」

 

甘露寺蜜璃ちゃんの屈託のない笑顔の後に、伊黒と不死川の言葉は結構キツイ。いつもなら笑って流せるのだが、上弦戦で精神をボコボコにやられているので、普段より凹んだ。

 

若干落ち込むこちらをよそに、隠が私を抱き上げ、座布団ではなく、座椅子に下ろす。もう一人の隠が座椅子の横に点滴スタンドやら肘掛やらを設置し始めた。自分一人だけ対応が大袈裟だ。まあ、これくらい当たり前か。私、本来ならばベッドで寝ておく必要のある重症患者だし。こんなところに早々と呼び出す方がおかしい。

 

チラッと横を見ると直ぐ隣には蟲柱・胡蝶しのぶがいる。何か私の身にあれば即座に対応できるよう、蟲柱の配置が氷柱の横になったのだろう。ここまでの対応をするなら病室で寝かせておいて欲しかった。それに私はすぐに退職予定だから会議に出席する意味もあまりないし。

 

ハアとため息を吐いたとき、近くにいた岩柱・悲鳴嶼行冥と炎柱・煉獄杏寿郎が口を開いた。

 

「明道、死の淵から戻ったか…」

「上弦の参との戦いで一番怪我が酷かったのは明道だったからな、心配した! なんにせよ、共に会議に出席できるのは喜ばしい!」

「あ、鳥…」

 

岩柱と炎柱がこちらを気にかける言葉をかけてくれたのに対して、相変わらず霞柱・時透無一郎は塩対応である。いや、これは塩対応ではなく最早無反応の域か。時透無一郎は大体の人間に対して無視だが、特に私への対応はスルーが多いような気がするんだよなあ…。柱の皆様の態度が明道ゆきに冷たくて泣ける。

 

若干心を痛ませていると、目の前の障子がガラッと開いた。そちらへ視線を向けると、童を二人引き連れたお館様が視界に入る。瞬間、ザッと一斉に柱全員が頭を下げた。お館様が「よく来たね、私の可愛い剣士達」と言うと、直ぐに不死川が我々を代表して挨拶する。不死川の言葉を受け、お館様は彼に幾つか返答した後、「それでは柱合会議を始めようか」と話した。それを聞いた私は「あれ」と首を傾げる。

 

(まだ宇髄と冨岡が来てないのに柱合会議を始めるの?)

 

今まで出席した柱合会議では、お館様は全員が揃ってから会議を開始していたはずだ。以前に私は大遅刻をした経験があるのだが、その際もお館様は待ってくださっていた。余談だが、会議終了後は不死川にこれでもかと言うくらいボロクソに罵られた。怒られても仕方がないことなのだろうが、言い訳をさせてくれ。任務が想像以上に長引いてしまったが故に遅刻したのである。寝坊とか、そう言うわけではない。

 

…話が逸れた。改めて述べるが、柱が二名も抜けた状態で会議が開始するのはおかしい。だからこそ、疑問の声をお館様にぶつけようとしたのだが、その言葉は紡がれることなく終わった。お館様が先に話を初めてしまったからである。

 

「今回、報告すべきことが三つある。皆も知っての通り、上弦の参が討伐された。杏寿郎、蜜璃、しのぶ、ゆき、この場にいない義勇を含めて、よくやってくれた」

「恐悦至極に存じます」

 

お館様が炎柱、恋柱、蟲柱、氷柱の順に視線を合わせてくる。一番最後にお館様と目が合ったせいで、私が言葉を返す羽目になってしまった。まるで上弦の参討伐が自分の功績みたいになるのでめちゃくちゃ嫌な気分になる。しかし、これからくるであろう『鬼舞辻無惨対策』や『氷柱への責任追及』を考えて、気持ちを切り替えた。今、凹んでいたら精神的にもたないだろう。些細な嫌なことは直ぐに忘れるべきだ。そう思い、お館様の次の言葉を待った。

 

さて、どんとこいお館様。私は退職を決意した身。なんでも受け止める覚悟は出来ている――――

 

「そして二つ目。つい先ほど入った情報だ。

 

天元、炭治郎、禰豆子、伊之助、善逸が上弦の陸『堕姫』『妓夫太郎』の討伐に成功した」

 

――――出来てるわけねぇだろホゥワッェエェッ?!

 

思わず内心の声が裏返った。下手をしたら口から心の声がまろび出ていただろう。それくらい驚いた。要安静患者なのにも関わらず、驚愕のあまり私は腰を半分上げる。しかし、左腕が欠損していたせいで上手く上体を浮かせることが出来ず、身体がよろめいた。隣に設置されていた点滴スタンドにぶつかり、スタンド諸共仲良く畳へ顔面から突っ込む。ガシャガシャンッと音を立てて崩れ落ちた。

 

「ゆきさん!! 大丈夫ですか!」

「…えっ? …上弦の陸の討伐…えっ??」

 

大丈夫じゃねえ。全然大丈夫じゃねえよ。どういうことだってばよ。

 

隣にいた胡蝶がすかさずこちらの上体を上げ、心配してくれているのを尻目に私は頭を押さえる。ぐるぐるぐると脳内で「上弦の陸の討伐」というお館様の言葉が巡った。生前で読んだ原作の『吉原遊廓編』のシーンが浮かんでは消えていく。困惑のあまり、吉原遊廓編での炭治郎達の女装やら善逸の顔芸やらのギャグシーンまで頭の中でごちゃごちゃになって現れた。ぐわんぐわんと視界が揺れていく。

 

私が目を白黒させていると、周りの柱達がザワザワと騒ぎ始める。宇髄を称賛する声や生死を心配する声など様々な音が己の耳を流れていく。こちらを支えてくれている胡蝶しのぶは「私は蝶屋敷に帰るべきですかね…」と難しい顔をして呟いていた。それに対して、お館様は宇髄や炭治郎も無事であることと、他の医者を用意させているから早々に胡蝶が戻る必要はないことを皆に説明し始めた。

 

その様子をぼんやりと見つめながら、私は内心で唖然とつぶやく。

 

(堕姫と妓夫太郎の討伐に…成功した…?)

 

早い。あまりにも早すぎる。

 

確かに私は今回、一ヶ月もの間、昏睡していた。かなり長い間、昏睡していたため、目覚めたときよりも状況が変わってしまうのは当たり前だ。だが、それにしても早すぎる。記憶にある原作知識では『無限列車編』から『吉原遊廓編』まで、四ヶ月くらい猶予があったはずなのである。私の覚え間違いの可能性も無きにしもあらずだが、ここまで短くはなかったと思うのだ。

 

また、『上弦の陸の討伐が早い』と思う理由の一つに、お館様の体調もあげられる。吉原遊廓編で上弦の討伐が成功したときは、お館様は既に床から立ち上がれない程に衰弱していた描写があった。今の彼を見る限り、今回の柱合会議が最後の出席になりそうだが、それでもこの場に立てているのだ。それだけで上弦の陸『妓夫太郎・堕姫兄妹』の討伐が原作よりも早いことが窺えた。私は震える手で口元を押さえる。

 

(原作と変わりすぎている)

 

ドッと冷や汗が流れた。ガタガタと更に手が震え、思考が上手く出来なくなる。己の手に負えないほどのところまで来ていることに、ようやく気がつき始めていた。

 

(早く退職しよう)

 

上弦の陸が討伐されたのならば、より一層、私が鬼殺隊にいる意味がなくなった。なんせ、二十五で死ぬ呪いを解くために討伐を予定していた上弦の鬼は、『妓夫太郎・堕姫兄妹』だったからだ。彼らが殺された今、他の上弦の鬼の頸を取るのは困難極まりないだろう。いや、上弦の陸でさえ、猗窩座戦を経験したことにより『討伐は不可能に近い』と考え始めているのだ。上弦の陸以上の鬼の頸を撥ねるなんて、私にできるわけがない。

 

ちなみに、上弦の陸『妓夫太郎・堕姫兄妹』の頸を取ろうと思った理由は、第一に、上弦で一番弱い鬼だからだ。

 

原作では、音柱・宇髄天元及び竈門炭治郎一行によって倒された鬼である。身体能力が向上する『痣』が炭治郎以外の人間に現れていない状態で討伐ができた上弦は、『妓夫太郎・堕姫兄妹』のみだ。

勿論、毒耐性のある柱の宇髄だったからこそ、『妓夫太郎・堕姫兄妹』相手に、上手く戦えたのもあるだろう。それでも『痣』の恩恵が柱にない状態で狩れる鬼というのは私にとって非常に重要だった。

 

次に上弦の陸を討伐対象に選んだ理由は、ぶっちゃけると『消去法』である。

 

まず、一番上弦で強い『上弦の壱・黒死牟』は即座に選択肢から消去された。あんなの敵うわけねーだろ。十七巻までの知識しかない私でもゼッテー戦ってはいけないのがわかる。そもそも黒死牟の戦闘能力が未知数の時点で選択肢から消去だ。

加えて、彼がしっかりと登場するのは『無限城編』からである。

無限城編といえば、敵の本拠地に鬼殺隊が強制突入させられる章だ。本拠地なんぞ死んでも行きたくないので、元々私は『無限城』までに呪いを解くつもりでいた。

 

それに伴い、無限城編で遭遇する予定であり、十七巻までは途中までしか戦闘描写がない、『上弦の弐・童磨』と『上弦の参・猗窩座』も選択肢から消去された。

あと、どう考えてもこの二体は十七巻時点でも戦闘能力と思考回路が意味不明すぎてゼッテー戦いたくない。

まあ、猗窩座の場合、今の時点でまさかの討伐成功してしまったので、選択の余地も何もなくなったけどな。

 

次に討伐対象として挙げられるのは、『上弦の肆・半天狗』と『上弦の伍・玉壺』だ。この二体は上弦の陸『妓夫太郎・堕姫兄妹』の頸切りをミスった場合の予備として考えていた。だが、あくまで予備でしかない。

 

というのも、半天狗と玉壺が登場する『刀鍛冶の里編』では、この二体が刀鍛冶の里に襲撃する形で現れるからだ。襲撃されるのと、上弦の陸『妓夫太郎・堕姫兄妹』戦のように我々鬼殺隊が敵地へと赴くのとでは、対策の難易度に雲泥の差がでる。

上弦の陸『妓夫太郎・堕姫兄妹』戦では、自ら戦いにいくため、どれだけ準備しても周りから疑われにくい。だが、『上弦の肆・半天狗』及び『上弦の伍・玉壺』戦では、話が変わってくるのだ。

 

基本的に、刀鍛冶の里は鬼に見つからないよう、ちょっと私がドン引きするレベルで隠されている。加えて、必ず里には鬼殺隊士が常駐するほどの警備体制がしかれているのだ。いくら『知将』と敬われている私でも、里に柱を配置したがったり、過度の装備して滞在したりすれば、周りから間者と疑われてしまうに違いない。

しかも、かなり詳しく鬼の能力まで知っているとなれば、より疑念が深まるだろう。それにより、『明道ゆき』の首が物理的に飛ぶ危険性があった。

 

そうなれば、呪いを解く前に私終了のお知らせである。故に『上弦の肆・半天狗』及び『上弦の伍・玉壺』はあくまで予備の鬼となったのだ。

 

他に、繰り上がりで出てくる新・上弦などに関しては、黒死牟達と同じで、彼らと鬼殺隊とのガチンコ対面が『無限城』になるため、選択肢から消えた。

 

これ以外にもまだまだ理由は幾つかあるが、妓夫太郎・堕姫兄妹を討伐対象にした主な理由は、『上弦の陸が一番弱い上弦だから』『上弦の中から消去法で選んだ』の二点である。

 

(会議をぶった斬ろう。退職届を叩きつけよう。もう無理)

 

上弦の陸の討伐成功報告に衝撃を受けすぎて精神がガッタガタだ。可哀想なくらいプルプルと右手が震えている。なんとかを腕を動かして懐に入れ、退職届と書かれた紙に指先を触れさせた。そして、それをワシッとしわくちゃになりそうなくらい掴んだ。不死川や伊黒に罵られようとも、今、この場で退職届を叩きつける――――そう思った瞬間だった。お館様が再び言葉を紡ぎだしたのは。

 

「三つ目は、柱の中ではゆきのみが知らない情報になる。

 

 

 

――――義勇が殉職した」

 

 

退職届を握り締めた右手で自分の胸を思いっきり強打した。



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其の十八: 「原作ブレイク(下篇)」

 

冨岡義勇が殉職した――――。

 

その言葉を聞いた瞬間、懐に入れた右手で自分の胸を思いっきり強打した。

 

全力で肺あたりを殴ったために「ォオッブスゥッ!!」と、女とは思えぬ声が口からまろびでる。あまりの激痛に身をかがめて蹲った。骨折並びにその他諸々の内部の怪我があることを忘れて殴ったため、余計に痛みが酷い。思わず私はプルプルと小刻みに揺れ、ひたすら激痛に耐えていた。

 

そんな一連の自傷行為にギョッとした胡蝶しのぶは「何をしているんですか貴方は!」と言いつつ、こちらの背をさすってくれる。ヒューヒューと息を吸っては吐きながら、私は震える唇で言葉を紡いだ。

 

「いま、なんと、」

「義勇が殉職した。そう言ったんだよ、ゆき」

 

幻聴じゃない。本当に水柱・冨岡義勇が死んだと言っている。

 

ありえない。ありえるはずがない。冨岡は、冨岡義勇はこんなところで死ぬ人間ではないはずだ。こんな、こんな時期に殺されて良い柱ではない。おかしい。おかしすぎる。私の前世の記憶では、遊郭編のその先にある無限城編でも冨岡は登場していた。この時期に水柱が死亡するなど、ありえていい話じゃない。

 

先程の上弦の陸の討伐成功報告よりも強い衝撃に私は一瞬、息をするのを忘れた。頭が真っ白になる。体中の熱がどこかへ消え、冷たくなるのが分かった。それに伴い、サーと顔も青ざめていく。しかし、不思議なことに額には脂汗が滲み始めていた。

 

唖然としながら周りを見ると、不死川と伊黒は無言で佇み、二人の隣にいる甘露寺はキュッと唇を噛み締めているのが視界に入った。他の柱達も似たような様子である。いつも無感情・無反応の時透でさえ少しこわばった顔をしていた。

 

信じられない気持ちでポカンと口を開けていると、煉獄とバチッと目が合う。煉獄はこちらに視線を向けながら何も言わずに首を横に振った。それを見て、私はようやく理解した。

 

本当に、冨岡義勇は死んだのだと。

 

じわじわと形容しがたい感情が胸の内に広がっていく。己の心が「ありえない」と叫んだ。頭では死を理解しているのに、心が納得していないチグハグな状態だった。自分にとって冨岡の死は「あるはずがないもの」だからこそ、心が認められないのだろう。

私は前世で冨岡の死亡シーンを見たことがない。もしかしたら十七巻より先で死んでいるのかもしれないが、覚えている限りの知識では『死亡』の『し』の文字すらなかったのだ。ありえないと否定してしまうのも無理もないだろう。

 

(ありえない、でも、『ありえてしまっている』)

 

同じだ。あの時と同じだと思った。漫画では既に故人のはずの真菰が生きていて、彼女が自分に弟子入りを志願してきた時と同じ状況だと思った。その時に私が心の中で思った言葉と、全く同じ言葉を奇しくも内心で呟いていた。

 

本来なら死亡している真菰が今、何の理由もなく生存しているというなら、己の範疇外で突然誰かが死亡してもおかしくない。そんな簡単なことを理解していなかった。

恐らく、生前の『私』は好んで死亡キャラや不遇キャラを救済する物語ばかりを読んでいたからだろう。原作で生きていたキャラが死ぬなんて、考えもしなかったのだ。喉元に突き付けられた現実に自分の体の震えが止まらなかった。

 

「冨岡が…そんな、まさか」

 

どうしても私の心は冨岡の死を信じられなかった。信じたくなかった。私が冨岡の死に納得がいかないのは、きっと、実際に彼という人間を見てきたからだ。

 

冨岡とは呼吸の相性のよさから、合同任務が多かった。それ故に、書物を通してではない、本当の彼を知ることができたのだ。

 

――――水柱・冨岡義勇は強い。

 

彼の流派は使い手が多い水の呼吸だ。技が基礎に沿ったものであるため、他の流派と比べれば習得しやすい呼吸である。

極端な例だが、人によっては「日輪刀の色がまだ分からぬ新人には、とりあえず水の呼吸を覚えさせろ」と言う者もいるくらいだ。

でもまあ、あくまで『比較的』であり、習得には血を吐くような研鑚が必要になる。どちらかといえば、「習得しやすい」というよりも、水の呼吸は柔軟な技が多いため、呼吸の方が文字通り柔軟に『人』へ適応しているように思えた。

 

とりあえず総合して見ると、水の呼吸というのは悪く言えば「代わりは幾らでもいる流派」である。

 

――――それ故に、水の呼吸は恐ろしいほど強いのだ。

 

矛盾した意見に思えるだろう。だが、これが矛盾していないのだ。汎用性の高い呼吸だからこそ、極めた先には如何なる敵でも対応できる剣士になれる。水の呼吸はその名の通り、水のように変幻自在な歩法が特徴の流派である。ありとあらゆる場面で柔軟に戦える剣士は鬼にとっては脅威に違いない。

それに加えて、いくらでも代わりが効くような、基礎に沿った技ばかりだからこそ、敵からすれば簡単にはペースを崩すことのできぬ強固な壁となるのだ。

 

また、水の呼吸を極めた者は、臨機応変に対応できる特性からか誰と組んでも一定以上の成果を出せる剣士となる。

原作の無限城編でも、冨岡は炭治郎が繰り出す技や状況を瞬時に判断して適切な型を繰り出し、炭治郎を補助してみせたほどだ。実のところ、これができる剣客は例え柱でも案外少ないのである。

冨岡義勇は戦闘能力にコミュ力を全て奪われたのではないかと個人的に思うくらい、戦闘コミュ力おばけ柱なのだ。

 

さらに冨岡は驕ることなく、ひたすらに研鑚し、努力を重ね、人々のために戦う強い精神力と勇気を持っていた。また、彼は非常に冷静沈着であり、如何なる状況でも冷静に適切な判断ができる人間でもあった。

 

だからこそ、冨岡義勇は強いのだ。

だからこそ――――冨岡の殉職は驚愕すべきことなのである。

 

冨岡は、どんな敵でもどんな状況であろうとも「勝利」もしくは「帰還」ができる人間のはずなのだ。長い間、彼のことを見てきたから知っている。分かっている。深く理解している。それ故に、私は冨岡の死が信じられなかった。

 

(それに、)

 

――――私は、わたしは…冨岡には、死んで欲しくなかったのだ。

 

心臓がキュッと締め付けられる感覚がしてくる。冨岡との合同任務や、一緒に観に行った演劇やらの記憶が頭に浮かんでは消えていった。どうして私は彼に死んで欲しくなかったのか分からない。

 

だが、明道ゆきは、冨岡には――――生きて欲しかったのだ。

 

混乱した様子を隠せないまま、一体何があったのかと私がお館様に問うと、彼は少し考えるそぶりを見せる。しかし、直ぐにこちらを目を合わせ、言葉を紡ぎ始めた。

 

「義勇が殉職したのは上弦の参・猗窩座との戦いが終わり、少し経った後になる。任務の最中、偶然にも上弦の壱と上弦の弐に遭遇したんだ」

 

ファッ?!

 

噴き出しそうになった。何なんだこの斜め上にカッ飛んだ展開ばかりの状況は。『まさかの吉原遊廓編スルー』や『冨岡の死』でお腹がいっぱいなのに、まだそれに胃痛事案が付属されているのか。しかも、上弦の参・猗窩座との戦いが終わり、少したってから黒死牟と童磨の二人に遭遇したとか…冨岡お前…。時系列的には、無限列車編→冨岡死亡→吉原遊郭編なんだな、把握―――じゃねえよ。やめてくれ。

 

無惨の保有する鬼の中で一番強い上弦の壱・黒死牟と、胡蝶の姉の仇である上弦の弐・童磨と、この時期に遭遇なんて冗談も大概にしてくれ。お前らと正式に鬼殺隊が対面するのはもっと先の『無限城編』からのはずだ。頼むから動くな。

 

驚きすぎてこれ以上驚くことはないと思っていたのに、私はギョッと目を見開く。己の耳を再び疑い、思わず「上弦の壱と上弦の弐に遭遇した?!」とオウム返しをした。お館様は至って冷静に頷く。そのまま彼は話を続けた。

 

――――どうにも、冨岡は討伐対象でもあった鬼を倒した直後に、上弦の壱と弐の二体に遭遇したらしい。

 

それだけで最悪だというのに、討伐した鬼の血鬼術と、上弦二体の策略により、滞在していた町全体が火事になったというのだ。次々に家屋は燃え、逃げ遅れや怪我人が続出するという悪夢。

 

更に丁度その場には別任務を完了させ、偶然にも冨岡がいる町の藤の家へ向かっていた炭治郎・善逸・伊之助・禰豆子もいたのだとか。本来なら戦力として数えられたのだろうが、彼らは先の任務で怪我を負ってしまっていた。上弦二体と遭遇した際に、四人はほぼ動けない状態だったというのである。

 

 

つまり、冨岡義勇は――――

 

上弦二体相手に、何百人もの街の人々と部下四名を守りながら戦う羽目になったのだ。

 

 

いくら冨岡が強いといえど、黒死牟と童磨は今までに何人もの柱や隊士たちを葬ってきた鬼の中の鬼である。一対一でさえ、辛い戦いになるというのに、お荷物付きで上弦二体との戦闘だ。まず、勝ち目はない。

 

それなのに、それなのにも関わらず、冨岡義勇は守りきったというのだ。街の人々と部下四名を一人たりとも死亡させずに、戦ってみせたとお館様は言うのである。それだけで称賛に値する所業だ。

 

鬼殺隊には今まで様々な柱が在籍したが、彼のような功績を残した者は非常に少ない。上弦相手にしてこれほどまでの人数を誰一人死なせずに戦いきった者は、本当に少ないのである。ゆえに、原作の無限列車編にて、たった一人で部下と乗客数百名を守り切り、猗窩座を追い返してみせた煉獄杏寿郎は称賛されたのだ。

 

やはり、冨岡義勇という人間は強い。

 

冨岡の強さを改めて実感して、私は唇を噛み締めた。

 

また、この話を更に詳しく聞くに、冨岡が上弦と対面した時間は『やや空が明るくなり始めた時』だったのだという。だからこそ、彼は持ち堪えることができたのもあるだろうが、並の隊士なら上弦と出会った瞬間に死んでいる。

 

(鬼滅の刃に登場する柱達は、なんでこんな、人々のために命をかけることができるんだろう)

 

私には到底真似できないと思った。凄い、本当に凄いと思う、冨岡義勇。何故、己の命を顧みず、人を守ろうと身体が動くのか私には分からない。自分はそんなこと、一度もできた試しがなかった。いつだって明道ゆきは自分の命がかわいくて、惜しくて、どんな状況でも動くどころか逃げることを優先していたくらいである。

 

――――だから、私は『あの時』も動けなかったのだ。

 

思考の海に再び沈もうとした時、お館様の言葉が耳に入ってきた。一旦、考えることはやめて、彼の話の続きを聞くことに専念する。

 

どうにも、冨岡は傷だらけになりながら僅かな情報と戦利品を取ってきたらしい。彼は炭治郎と鎹烏にその情報達を託した。それを今――――お館様が所持しているというのだ。

 

「義勇が残した情報の一つにはこうあった。

 

 

――――鬼舞辻無惨が炭治郎だけではなく、ゆきも探している、と」

 

 

とんでもねぇ情報持ち帰ってきやがったあの野郎。

 

一瞬で柱達の空気が変わったのを肌で感じながら、思わずヒクッと頬を引きつらせた。冨岡の死により、動揺していた己の精神が別方向に傾く。手の震えが止まり、今度は胃がキリキリとしてきた。『遊郭編スルー』に気がついた先程のように、頭を抱えたい気持ちになる。

 

(なんで無惨が私まで探しているんだ)

 

どう考えても明道ゆきは人畜無害な人間だろ。どんなに頑張っても平凡な剣士にしかなれない雑魚だぞ。どうして主人公だけでなく、私まで探されなくてはいけないんだ。別に自分は、炭治郎のように『始まりの呼吸の剣士』を彷彿とさせるアクセサリーを身につけてなどいない。そもそも、主人公とは違って、人外並みの強さが有名な『始まりの剣士』との接点や類義点が明道ゆきにあるはずがないのだ。

 

あまりにも謎すぎ。私は無惨の恐ろしさに震えながら、必死に考える。真面目に自分の命に関わるので、全力で頭を回転させて――――気がついた。

 

 

もしや鬼舞辻無惨は、あの原作ブレイク無限列車編を『見た』のか?

 

 

原作を読むに、鬼達は全て鬼舞辻無惨の支配下にあり、無惨が好きな時に記憶や思考が読め、居場所さえも分かるようだった。現に、『無限城編』でも胡蝶の戦い方が童磨にバレており、胡蝶が「那田蜘蛛山における戦闘情報が周知されている…」というようなシーンがあったはずだ。猗窩座ほどの鬼が死んだ今、無惨が原因を探っていてもおかしくない。

 

恐らく、選択肢のせいで無惨に『明道ゆきは神の如き知略を有している』と勘違いされたに違いない。自分でも、原作ブレイク無限列車編を客観的に見たら「氷柱マジやばい」と思う。本人でさえそう考えているのだから、鬼舞辻無惨が「明道ゆきを殺せ!」となってもおかしくないだろう。ふざけんなクソが。震えが再び振り返してきたんだがどうしてくれる。

 

(いや、待て。落ち着け、私。もう退職するのだから、もう鬼舞辻も関係な……)

 

続けようとした言葉を思わず止めた。気が付きたくないことに気がついてしまったからだ。

 

これ、退職しても鬼舞辻無惨が私を殺しにくるやつでは?

 

冨岡からもたらされた『鬼舞辻無惨が明道ゆきを追っている』という情報からして、無惨からみた明道ゆきは最早抹殺すべき人間なのだ。どう考えても「生け捕り」なんてあの無惨が指示するはずない。

故に、例え私が退職したとしても、鬼舞辻無惨は絶対に追ってくるだろう。無惨はきっと「退職したとしても明道ゆきは影から産屋敷に協力するに決まっている。目障りだ。殺せ」という認識を持つに違いない。

 

そうなれば、鬼殺隊からの脱退は得策ではない。退職してしまう方が逆に危険だからだ。

 

片腕がなくなった私の戦闘力は、以前と比べるとゴミレベルまで落ちた。雑魚鬼の打倒すら毎度毎度生死を分けるレベルになってしまったのだ。付き添いの隊士が絶対に必要になるほど弱体化したのである。

 

私が鬼殺隊に在職したままであれば、お館様も付き添いの隊士を必ず用意してくださるだろう。だが、退職してしまえばそれはなくなってしまうに違いない。なんせ、鬼殺隊は慢性的な人手不足である。戦力にならない人間なんぞ、守る必要なんてない。

 

――――つまり、私の退職は叶わない。

 

寧ろ、こちらの方から「鬼殺隊の一員としてまだまだ働かせてください!」とお館様にお願いしなければならない事案になってきた。なんせ、私は片腕が欠損しているのだ。隊士として明道ゆきは不要な存在になってしまっただろう。

 

(ああ、なんてことになったんだ)

 

もしも私がお館様に頼み込み、後方勤務になろうとも、自分は一度柱を経験した人間だ。どう考えても、命をすり減らす案件を渡される未来しか浮かばない。なんなら「命をすり減らす(物理)」の可能性すらある。

 

辞めても無惨に追われて地獄。

在職したままでも地獄。

そして、このままいけば二十五で死亡は確定。

 

ねえよ。これはねえよ。私がなんの罪を犯したって言うんですか。思わず天を仰ぎたい気持ちになる。キャパオーバーしたが故に、口から「ははっ」という笑い声が溢れた。マジで精神潰れそう。

 

「無惨が私を追っている、ですか。はは」

「…ゆき?」

 

自暴自棄になった笑みを浮かべた。お館様は少し眉をひそめてこちらに視線を向けてくる。その顔を見ながら「ふう」と息を吐き、決意を固めた。そう、今からお館様に「後方勤務させてください!」と頼み込むための決意だ。そのまま私は震えがおさまってきた右手を懐からだそうとして――――目を見開いた。

退職届がひらりと落ちたからだ。

 

パサリと床に落ちる退職届。周りの柱の視線が紙に集中しているのにも関わらず、私はジッと『退職届』の文字だけを見ていた。刹那、じわじわと形容しがたい感情が再び胸にこみ上げてくる。

 

――――やっぱり、退職したかった。

 

もう命のやりとりはしたくないんだよォ…。なんで原作ブレイクばっか起きてんだ、なんで冨岡お前死んでんだよ馬鹿野郎ォ!!

 

この瞬間、明道ゆきの涙腺は決壊した。

 

 



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其の十九: 「鬼殺隊当主は見据える」

「ゆき、君は鬼殺隊を辞めたいのかい?」

 

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉はゆっくりと言葉を紡いだ。しかし、氷柱・明道ゆきは何も反応を見せない。実を言うとこの状態は、柱合会議の場で彼女が顔を伏せてからずっと続いていた。故に一旦会議を中止したのだが、明道ゆきと一対一になった今も彼女は沈黙を貫いている。

 

普通の人間ならば怒って席を立っていたのかもしれない。だが、耀哉はひたすらジッと待っていた。何故ならば、明道が沈黙を続ける理由が分かっていたからである。

 

――――氷柱・明道ゆきは泣いているからこそ、話せないのだ。

 

彼女は右手で隊服のズボンを痛いくらいに握り締めている音が聞こえる。きっと拳の上には止めどなく涙という雨が降りしきっていることだろう。手の甲の上に水たまりが出来たと思えば、スゥと下へ流れていく工程を繰り返しているに違いない。涙の音が絶え間なく耀哉の耳に届いていた。

 

現在、ずっとずっと明道ゆきは泣き続けている。怒るわけでもなく、喜ぶわけでもなく、嗚咽一つ零さずに彼女は涙を流していた。それくらい氷柱・明道ゆきはひたすら無言だったのだ。

 

止むことのない涙の雨音を聞きながら、産屋敷耀哉は静かに口を開く。できるだけ優しく、慈しむような声色で明道に言葉を投げかけた。

 

「君が泣くのはこれで二回目だね、ゆき」

 

明道ゆきが氷柱にまだ成り立ての頃の記憶が、産屋敷耀哉の脳裏に不意に過る。

 

 

 

 

実を言うと、明道ゆきが顔を伏せて動かない状況に陥ったことが一度だけあった。それは彼女が柱になり立ての時である。そして、産屋敷耀哉の目がまだ見えていた時代だ。

 

ある日突然、明道は耀哉に一対一の面会を求めてきたのである。彼女からそのような申し出をされたのは初めてだったこともあり、急遽話し合いの場を設けたのだが――

 

明道と対面した際の彼女の顔は、ひどいものだった。

 

目にはクマができ、艶があった白銀の髪は痛み、痩せ細っていたのだ。それどころか、明道は余裕ありげな振る舞いも一切見せず、見慣れた笑みでさえ浮かべていなかった程である。この様子には流石の耀哉も眉がハの字になった。

 

「ゆき、」

「お館様、お願いが御座います」

 

こちらがゆきと名前を呼ぶ前に、彼女は頭を下げてきた。畳に擦り付けて、いっそこちらが哀れになるくらいに明道は「退職させてください。もう戦う気力がないのです」と言ってきたのだ。くしゃくしゃになった退職届を右手に携え、何度も何度も退職したいと言葉にしていた。その様子を見て、当時の耀哉は一瞬だけ言葉が出なかったことを今でも覚えている。

 

鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は基本的に、退職を希望する隊士は静かに見送ることにしている。

耀哉には辞めたいと望む隊士を引き止める権利も、諭す資格もないからだ。

 

鬼殺隊の仕事は熾烈を極める。まず初めの段階で血の滲むような鍛錬を積み、命がけの選別を抜けなければならない。

もしも選別に合格したとしても、鬼殺隊は政府非公認組織が故に、誰の称賛を受けることなく、半永久的な不死者と戦い続ける気構えが必要になる。しかも、常に不利な状況で、死の恐怖に脅かされながらも、剣を振るわなければならないのだ。たとえ、仲間が死のうとも、身体が傷つこうとも、戦わねばならない。鬼殺隊士としての仕事というのは、まさに地獄といってよかった。

 

そのような所業を隊士に課しておきながら鬼殺隊の長は病弱で、鬼と戦えないときた。一体どこに、辞めたいと望む隊士を産屋敷耀哉に引き止める権利があるというのだろうか。あるわけがない。

ただ、例外というのはあるにはある。だが、それは稀だ。大概の場合、産屋敷耀哉はどんな隊士であろうとも、引き留めなかった。

 

だらこそ今回も、耀哉は明道の退職を認めるつもりだったのだ。

 

――――そう、『だった』。

 

頭を上げた氷柱・明道ゆきと目があった瞬間、産屋敷耀哉は己の考えを改めた。いや、彼女の左右非対称の瞳が己の視界に入った時、耀哉はとある確信を得たのだ。その理由は至って簡単で、陳腐なものである。

 

氷柱・明道ゆきの目は死んでいない。

 

多少の陰りはあろうとも、彼女の青緑の左目と黒の右目の煌きは以前のままだった。何がなんでも生きる、生きて、生きて、生き続けるという決意に満ちた瞳をしていたのだ。それは、明道ゆきが柱の就任時に見せた、恐ろしいくらいの『生』への渇望でいっぱいだった瞳の輝きと同じだった。

 

(これは、)

 

まだ、戦場で未来を見据える剣士の目だ。

 

明道ゆきは退職を希望しながら、生きる決意に満ち溢れている。耀哉が知る限り、精神的に疲弊した大半の隊士は、鬼に怯え、死に恐怖していたり、戦意を喪失し、生きる希望を見失ったりした者ばかりだった。だが、明道の目は柱の就任時となんら変わりのない姿を見せている。誰がなんと言おうと、未来への道筋を探し当てる軍師の目をしていた。

 

――――明道ゆきという人間は、生きることへ特化した智謀の剣士だ。

 

常に先を見据えて戦略を練り、鬼の頸を狩らんと煌々と目を輝かせ、己が刃を鍛える。自分の命を大切にし、生きることをあきらめない。他の柱達と同じく、どんな状況でも、どんな敵であろうとも、戦おうとする。本来ならば三流剣客として人生を終えていたはずが、血の滲むような努力の果てに知略で鬼殺に到達した人間、それが氷柱・明道ゆきだ。

 

実のところ、自分の命を大切にできる鬼殺隊士は存外、少ない。

 

鬼殺隊に所属する者の大半は、鬼に大切な人達を殺された結果、剣を取る場合が多いからだ。勿論、鬼狩りの家系だったり、貧しさからだったりなど、別の理由から入隊する人間もいる。故に、一概には「鬼殺しか考えていないからこそ、自分の命を大切にしない」とはいえない。

だが、どんな隊士であろうとも、大なり小なり、鬼へ複雑な様々な感情を抱いていることには間違いはなかった。そのため、鬼殺隊を志す者、もしくは鬼殺隊に所属する達は、自分の身を犠牲にしやすい傾向にあるといえた。

 

憎き鬼を殺すため。

人々を守るため。

 

そういった理由で、誇り高き剣士達は己が命を省みない。そもそも、自分の生を省みることができる人間は、早々と辞めるか、それどころか入隊すらしないだろう。鬼殺隊当主でありながら、耀哉は「鬼殺隊はどこかおかしい」と知っていた。いや、当主だからこそ、自分自身も含めて鬼殺隊の異常性に気がついているのだ。

 

その中にありながら、明道ゆきは生きることに執着していた。

 

鬼殺隊を退職する道もあったはずだ。それなのに彼女は戦おうとしている。誰よりも生きたいと願いながら、死地に自ら赴いていたのだ。

 

生きるために戦い、戦うために生きる。

 

自分の命を最優先に考えながらも、鬼の頸を狩り、多くの仲間が生き残る道を常に彼女は模索していた。明道ゆきは生きたいからこそ己の命が助かる道を考え、鬼を滅したいからこそ生きる。矛盾を御する生き様を見せる人間が、明道ゆきという柱だ。

 

上弦を打倒せねば二十五で死ぬ呪いをかけられているからこそ、戦い続けようとしているのかもしれない。だが、それを抜きにしても彼女の生き様は異様だった。

生きるために戦い、戦うために生きる明道ゆき。その生き方を映す瞳の輝きが以前と変わらない。故に、導き出される結論はたった一つだった。

 

(ゆきは鬼殺隊を辞めるつもりはない)

 

ならば、何故、ゆきは退職するなどと言い出した?

 

現実的に考えると、明道ゆきの退職は当たり前のものだった。ついこの間、彼女の師と、彼女を鬼殺隊に勧誘した兄弟子が殉職したのだ。嘆き、苦しみ、鬼への憎しみに狂うも、次に自分が死ぬのかと怯え、退職を考えてもおかしくはない。明道のやつれ具合からも、その考えは妥当だと言えた。

 

だが、今までの明道からの経歴からすれば、『死の恐怖から辞める』という選択肢は無いに等しい。

 

死の恐怖で退職するならば、明道ゆきはとっくの昔に辞めているだろう。明道という人間は死に行くことに怯えながらも、他の柱同様、常人ではありえぬ精神力で研鑽を重ね、鬼殺を遂行する人物だ。恐らく彼女は、

 

 

――――皆に柱として認められるために、退職を申し出た。

 

 

矛盾した考えだ。だが、その矛盾こそが明道ゆきという一人の人間を作り出す。

 

現在、明道ゆきを柱として認めないと言う隊士が多数存在している。というのも、明道が知略のみで柱の地位を戴いてみせたからだろう。彼らが声を揃えていうのが「剣士としての実力が足りない」である。そして、あと一つが「明道ゆきは戦略ばかりで、人のことを考えていない」だ。

 

明道ゆきがどれほど頭を捻らせて戦略を練ろうとも、犠牲が出る時は出る。陽光か日輪刀でしか倒せぬ不死者との戦い故の弊害だろう。明道が常に笑みを携え、物腰柔らかな隊士であろうとも、犠牲者がでれば、「明道ゆきは人を人として考えていないのでは」と思う者が出てくるのも無理はない。

 

(だから、ゆきは…)

 

この茶番を『敢えて』してみせたのだ。

己は人間味に溢れる者だと知らしめるために。

 

情に厚い人物だと認識されることは、周りからの信頼に繋がる。この人に命を預ければ、自分の生は無駄ではなかったと思うことが出来るようになるだろう。加えて、明道の退職を鬼殺隊当主が退けたとなれば、「明道ゆきは鬼殺隊になくてはならない存在なのだ」と思われるようなるに違いない。

 

それは戦術・戦略の幅を広げ、明道ゆきの『刃』が更に鋭さをもって鬼に振るわれることを意味する。

 

大博打には間違いない。だが、明道は博打の危険性を理解しながら、ここで手札を切るべきだと判断したのだ。他の柱達と同じ、強い覚悟と判断力に、知らず知らずのうちに産屋敷耀哉の口角がゆるりと上がっていた。

 

 

故に、当時の耀哉は明道ゆきの退職を退けたのだ。

 

――――明道ゆきの思惑通りに。

 

退職を退けた耀哉の言葉を聞いて、明道はにっこりと笑いながら涙を一筋流した。

 

 

 

彼女の策略に乗ってみせた当時を思い出して、産屋敷耀哉が目を細める。眼前にいるであろう、明道ゆきの涙の音を聞きながら今回の件について考え始めた。

 

上弦の参『猗窩座』の打倒。

水柱・冨岡義勇の殉職。

上弦の陸『堕姫・妓夫太郎』の討伐成功。

 

竈門炭治郎と禰豆子が組織に所属してから、今までずっと停滞した鬼殺隊と鬼舞辻無惨の歴史が劇的に動き始めている。あの鬼舞辻無惨が重い腰を上げたのだ。他ならぬ、炭治郎を追うために。そして、無惨は炭治郎だけではなく、明道までもを探し始めた。

 

兆しだ。

これは、兆しだ。

千年にも渡る血に塗られた歴史が変わろうとしている。

 

これを逃してはならないと、鬼殺隊当主・産屋敷耀哉は誰よりも理解し、誰よりも痛感し、誰よりも考えていた。炭治郎が鬼殺隊に加わり、上弦が打倒されてからというもの、耀哉は全身の血が沸き立つほどに考えていた。

 

この期を絶対に逃してはならない。

千年かけて掴んだ、たった一筋の『道』。

 

しかも、幸運なことに現在の柱達は皆、よく鍛えられた猛者達ばかりだ。年老いて引退を視野に入れ始める者もおらず、全盛期といって良い肉体を持っていた。また、驚くべきことに柱の数も足りている。鬼殺隊が崩壊しかけていた時代では、たった数人しか柱がいなかった時もあったと聞く。それを考えると、今の鬼殺隊の隊内の状況はこれ以上ないくらい良好である。

 

(義勇が殉職したのは痛手だが…)

 

だが、だが――――水柱・冨岡義勇は情報と『もの』を持って帰ってきてくれた。

 

鬼舞辻無惨が炭治郎だけではなく、明道ゆきまでもを追っているという情報。これだけで無惨対策を考え易くなる。

更に、上弦の壱・黒死牟と上弦の弐・童磨の姿と、彼らの戦闘方法や技の情報。今まで不確定だった上弦の壱と弐の仔細を知れたことは、鬼殺隊にとって非常に重要だ。これだけで隊士の命が助かる確率がグンと上昇することだろう。

 

(義勇、よくやってくれた)

 

産屋敷耀哉は目を伏せながら、胸のあたりに手を置いた。冨岡の死は心臓が締め付けられるほどに苦しい。隊士達を我が子のように想っている耀哉だからこそ、その胸の痛みは全身を蝕んでいた。冨岡の死が深く深く耀哉の心に刻まれていく。故に、耀哉は冨岡の行いを心底称賛した。

 

冨岡義勇は上弦二体を相手に、己が兄弟弟子や部下だけではなく、一般人数百名を守りながらこの情報を鬼殺隊へ持ち帰ってみせた功績を残している。誰一人として死なせなかっただけで驚愕に値する所業だというのに、情報までも掴み取ってみせたのだ。流石は鬼殺隊の水柱、冨岡義勇である。やはり今代の柱は皆、誇るべき強者ばかりだ。

 

また、もう一つの『もの』に関しては――――そこまで思考した時だ。

 

沈黙を貫いていた明道ゆきが面を上げた音がしたのである。それと同時に、彼女のかすれた声が耳に入った。

 

「お館様、お願いが御座います」

 

あの時と同じ言葉だった。きっと今の彼女の顔は涙に濡れ、顔はむくんでいることだろう。耀哉の目に光がまだあった時代に見た、明道ゆきのやつれた風貌が彼の脳裏によぎる。ただ、産屋敷耀哉はあの時とは違って、密かに驚いていた。明道が急に話し始めたことに驚いたのではない。ましてや、彼女の申し出に身構えたわけでもない。耀哉が驚いたのは、たった一つだった。

 

「ゆき、君は…」

 

――――明道ゆきの声が、生きていない。

 

どれほど打ちのめされようとも、どれだけ絶望の淵に立たされようとも、鈍らなかった煌めきが消えているような声色だった。生きる希望に満ち溢れていた彼女が、諦めたような声を出している。その事実に耀哉は驚いていた。

 

明道ゆきは師が死のうとも、兄弟子が死のうとも、仲の良い同僚が死のうとも、何度でも立ち上がった人間だ。それどころか、その死さえ利用してみせた女傑である。思考の全てが鬼殺と生きることに捧げられた、智謀の剣客。産屋敷耀哉が目が見えない今、明道がどんな瞳をしているかは分からない。だが、諦めた声色を出している彼女に彼は目を見開いた。

 

何故、明道ゆきは諦めている?

 

その疑問は簡単に分かった。考えれば直ぐに気がつくことだったからだ。

 

 

――――明道ゆきは、冨岡義勇の死に悲しんでいる。

 

 

彼女の様子が変わったのは、『上弦の陸の打倒報告』からだ。だが、こちらが心配になる程に動揺を見せたのは『冨岡義勇の死』からである。実を言うと、明道の呼吸が浅くなっていく空気を既に耀哉は肌で感じとっていた。娘と息子が明道の手が震えていると言っていたことから、余程彼女は動揺していたに違いない。

 

(ゆきにとって、義勇はそこまで大切な人物だった)

 

思い出すのは冨岡義勇と明道ゆきが共に歩く姿だ。耀哉の目が見えていたころから、二人はよく肩を並べて歩いていた。

 

冨岡義勇と明道ゆきは戦闘において、非常に相性が良い。彼らは戦いに於ける短所と長所をお互いに補い合っていた。常人ならざる戦略を練る明道と、いかなる状況でも対応できる柔軟さを持つ冨岡。これがピタリと上手くハマり、凄まじい力を生み出していたのである。故に二人は任務を共にすることが多かったのだ。

 

また、私生活でも二人は共に出かけ、仲良くしていた。それを考慮すると、もしかしたら、二人は想いあっていた場合がある。いや、きっと明道と冨岡は『好い関係』だったのだろう。でなければ二人で頻繁にお茶をしたり、劇を観に行ったりなどするはずがない。

 

そのあたりまで思考した耀哉は、不意に不思議に思った。

 

(ゆきなら、『氷柱・明道ゆき』ならば、冨岡が上弦と交戦する可能性を考えていたはず)

 

どうして、明道ゆきは冨岡と上弦の交戦を良しとしたんだ。

 

「――――いや、違う。これは」

 

冨岡義勇が、上弦との交戦を良しとしたのだ。

 

上弦の参『猗窩座』の登場を化け物じみた頭脳で予期してみせたほどの明道だ。きっと、彼女は猗窩座以外の上弦と戦う可能性を考えていたに違いない。

 

冨岡が部下や一般人を守り切れた理由の一つに、上弦の登場が『空が明るみ始めたときだったから』というものがある。通常なら上弦ほどの鬼が朝方に柱の前に現れるわけがない。彼らが太陽の昇る少し前に現れたのは、意図的なものだろう。何故ならば、『同じ』だからだ。

 

上弦の参『猗窩座』と交戦した時と同じく、空の色がわからぬほどの炎が辺りを充満していた。

それにより、上弦の壱『黒死牟』と上弦の弐『童磨』は朝が来ていることに気がつかなかったのだ。

 

明道ゆきは知っていた。鬼舞辻無惨が己を捕まえる為、追手を放つことを。いや、明道ゆきが鬼舞辻無惨に追手を放つよう、差し向けたのだ。そのために、明道ゆきは猗窩座と一対一で戦ってみせたのだろう。鬼舞辻無惨に己を知らしめるために。無惨が明道のことを知れば、上弦の鬼を動かすと彼女は確信していたからだ。

 

そうして、明道は猗窩座以外の上弦の情報を手に入れる機会を作り上げていたのだろう。様々な仕込みをした上で、床についていた。

 

その明道の完璧な戦略のせいで――――あの冨岡義勇の殉職に繋がったのだ。

 

恐らく、本来ならば明道ゆきは上弦の壱と弐の情報を取るため、冨岡と共に自らが戦場に出ようとしていたに違いない。それに冨岡は気がついた。だからこそ、明道が昏睡状態に陥っている間に、彼女をやろうとしたことを彼は成し遂げたのだ。

 

きっと冨岡義勇は、これ以上明道が戦えば死ぬと感じたのだろう。既に明道ゆきの片腕は欠損しているのだ。そう考えるのも無理はない。いや、当たり前であり、もしも黒死牟と童磨の二人と明道が戦っていれば、今度こそ本当に死んでいたかもしれなかった。たとえ智謀の剣士であろうとも、腕を失って直ぐの戦闘は命に関わる。故に冨岡は彼女の代わりに無理をした。そして――――最善の結果を残して死んだ。

 

明道ゆきは後悔したに違いない。

己の見通しの甘さに。

人の心が自分の戦略をこえる可能性に、気がつかなかったことに。

 

かつての己を見ているようだと、産屋敷耀哉は思った。彼は小さく息を吐き、光を失った目を閉じる。

そうだ、明道ゆきはどうしようもなく自分に似ていた。知に頼る点も、どれほど努力したところで剣士として大成できないところも。そして、思考すらも耀哉と明道はまるで鏡合わせをしたかのように酷似していた。

 

明道ゆきは大半の柱から嫌われている。

 

それは彼女自身が仕向けたことだ。隊の中に嫌われ者を作ることで、内乱を避けようとしているのである。飴の鬼殺隊当主と、鞭の氷柱。不満を明道ゆきに一人に差し向け、尊敬を産屋敷耀哉に集める。それにより、隊の統制をはかっていた。

 

どこまでいっても、明道ゆきは鬼殺のために全てを捧げている。産屋敷耀哉と同じ、狂ったような献身さだ。明道と耀哉の唯一違う点は、病弱であるか、そうでないか。その点が、耀哉と明道を大きく分けていた。

 

(だからこそ、)

 

だからこそ、再び産屋敷耀哉は目を開ける。唇を開き、言葉を紡いでいく。

 

「ゆき。明道、明道ゆき」

 

未来のため、人々のため、最善の明るい道を選び取り、その道をゆく者よ。

 

「――――君の願いは聞き入れられない」

 

きっと君は今度こそ、退職を願うのだろう。だが、それはできない。君が犠牲にしてきた者たちのためにも、君自身のためにも、明道ゆきという人間は、鬼殺を遂行しなくてはならない。

 

ゆき。明道ゆき。

 

彼女の名前は、明道の義父がつけたと聞いた。『明道』は義父の苗字であり、『ゆき』という名を彼が考えたのだと言う。何故、明道が以前の名を使わず、義父の考えた名前を皆に教えているのかまでは分からない。だが、良い名だと耀哉は思った。まさに明道ゆき本人を体現しているような名前だ。

 

(ゆき、君は、)

 

生きて、戦え。生きることを諦めることは許されない。生きて、生きて、生き続けろ。今まで犠牲にしてきた者たちに詫びるために、何があっても、例え、その先が地獄だとしても。

 

それが、戦えない弱者の私達にできる、唯一の贖罪なのだから。

 

産屋敷耀哉は覚悟を秘めた、目の見えない瞳で明道ゆきを見据えた。



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其の二十: 「帰郷」

 

冨岡義勇は空を見ていた。

 

陽光が家と家の間から差し込み、冨岡の顔を照らす。光が直接瞳の中に入ってきたため、冨岡は眩しさのあまりに目を細めた。だが、なんとか重いまぶたをこじ開け、上へと視線を向ける。空を彩るのは、先程までと同じ、夜の黒色ではなかった。既に天上は明るい青へと染まろうとし、中間の橙色になっている。ぼんやりとしながら色が混じった空を見つめた。

 

冨岡義勇は空が橙色に染まっていく姿を見るのが一等好きである。鬼殺隊にいる今、特にそれが顕著になった。朝の兆しの空を目にする瞬間こそが、鬼殺隊にとっては安堵の時間だからだ。

 

冨岡がスゥと息を吸うと、朝特有の冷たい空気が、口を通って肺に入ってくる。そして、肺の中に入っていた空気を出そうとして――――ゴボリと血を口から吐き出した。

 

「ああ、」

 

かすれた声が喉からこぼれ落ちた。視界を下げると、ぽっかりとした空洞が目に入る。そう、今の冨岡義勇の腹には穴が開いていた。あるべきものがなくなった腹からは血が吹き出し、それどころか、内臓まで飛び出している。医療に詳しくない冨岡でも、「自分はもうだめだ」と悟るほどの大怪我だった。

 

現在、冨岡は焼け落ちた民家の柱に寄りかかっている。だが、身動ぎすることもできず、悔しいことに意識を保つことさえままならなかった。なんとか全集中で命を繋いでいるが、果たして意味がある行為なのか。いや、意味があるからこそ、黄泉の世界に行く時間を少しでも己は延ばしているのだ。

 

ヒュゥと息を吸い、全集中を行う。血を操り、必死に止血していく。自分の師である鱗滝左近次の教えを思い出しながら、ひたすら命をつなげていく。その際に不意に頭によぎるのは、自分がこのような状態に陥ってしまった原因だった。

 

 

――――冨岡義勇は上弦の壱『黒死牟』と、上弦の弐『童磨』と遭遇した。

 

 

彼らと刀を一度交えただけで冨岡は気がついたものだ。俺一人だけではこの鬼達に絶対に勝てない。それどころか、後ろにいる炭治郎や他の部下達、民間人を守ることすらできない、と。柄にもなく手が震えるほどに冨岡は焦ったものだ。

 

絶望的な状況である。これが冨岡一人だけならば良かった。焦りはするが、手までは震えなかっただろう。何故なら、死ぬのは冨岡だけで済むからである。だが、この時、冨岡義勇は一人ではなかった。炭治郎や他の命まで背負わねばからなかったのだ。

 

何度、戦闘中、自身の弱さを呪ったことか。

何度、ここにいるのが錆兎であればと思ったか。

 

冨岡義勇という人間は、己が嫌いだった。肝心な時に役に立たず、いつだって誰かの影に隠れてばかり。姉が死んだときも、錆兎が死んだときも、彼は何もできずに終わった。

 

上弦二体との戦闘中も、そうだ。柱の地位を戴いておきながら、自分どころか大事な兄弟弟子まで殺されそうになっている。己の未熟さが、弱さが、吐き気がするくらいに嫌だった。どれだけ努力しようとも、研鑽を重ねようとも、冨岡義勇は変わらない。あの頃と同じ、弱くて、泣いてばかりで、生殺与奪の権を他人に握らせるような少年のままだった。

 

それでもできることを冨岡義勇はすべく、刀を振るった。

 

今回の冨岡に出来た最大の成果は上弦二体の腕をはね、羽織と共に草むらに投げ捨てたことくらいである。それができたのも、上弦達が明道ゆきの仔細を知りたがっていたからだ。明道のことを知る冨岡から情報を得るために、あの鬼達はこちらに対して致命傷を与えないよう、手加減をしていたのである。

 

お陰で、二体の腕を奪い合い、炭治郎達を川に突き落として逃すことには成功した。

――――だが、それだけだ。

 

上弦の登場が朝方だったから、彼らが油断していたから、明道ゆきの情報を知りたがっていたから、冨岡義勇はここまで戦えた。朝まで持ちこたえることができた。数多もの幸運が重なったことにより、ここに至ることができた――――ただ、それだけだったのだ。もしも一つでも欠けていれば、冨岡義勇は直ぐに死んでいた。それが分かっているからこそ、彼は己が未熟者だと思ったのだ。

 

確かに、他のものが結果のみ見れば冨岡を称賛することだろう。部下や一般人を守り切り、情報を持ち帰った猛者と言われるに違いない。だが、冨岡義勇は何一つ嬉しくはなかった。自分がもっと強ければ、ここにいるのが己ではなく錆兎ならば、こんなことにはならなかったと心底思っていたからである。

 

「俺は、柱に相応しくない」

 

冨岡は途切れ途切れになりながらも、ポツリと呟いた。苦い想いが胸を充満する。

 

自分はやはり何もできなかった。ここにいるのが自分ではなく、錆兎であれば、他の柱であれば、もっと良い成果をのこせていただろう。未熟者でしかない冨岡義勇の生に、一体何の意味があったのだ。手から大切なものばかり溢して、柱に相応しくない己に意味があったというのか。どれだけ意味を模索しても、見つけられなかった。死際ですらこのザマなのだから、思った通り、己はどうしようもないくらいの未熟者であると冨岡は実感した。

 

そう考えていた時、バサリと鳥の羽の音が聞こえてくる。――――鎹烏だ。

 

これでようやく敵の仔細を伝えて死ねると、安堵の息を吐く。鎹烏が己の下に到着したと同時に、鬼の情報を渡した。鎹烏が冨岡から飛びたったのを見送り、全集中を止めようとした時、とある声が耳に入ってくる。それを聞いて、冨岡は目を見開いた。これは、

 

「冨岡さん、冨岡さん!!」

 

――――竈門、炭治郎。

 

炭治郎は大粒の涙を止めどなく流しながら、おぼつかない足取りで走っていた。無理もない。先程の黒死牟と童磨の戦いで、炭治郎は大怪我を負わされていた。また、その戦いの前にも炭治郎には任務があり、骨を折っていたのである。加えて、先の上弦との交戦中、冨岡に川へ突き落とされたのだから、本来なら気絶していてもおかしくない。

 

炭治郎は息を切らして、血を吐きながらも、冨岡の傍に駆け寄った。そのまま彼は冨岡の手当てをしようとバッと傷を見る。だが、冨岡の考え通り、炭治郎はピタリと手を止めた。

 

恐らく、炭治郎は冨岡が助からないことを悟ったのだ。

 

何度か炭治郎は手を彷徨わせる。しかし、何をしても無駄だということに気がついたのだろう。炭治郎は体をブルブルと震わせた。同時に、絞り上げるような声色で言葉を発する。苦悩と後悔に満ちた声だった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、俺が、俺が! 弱いばかりに!」

 

違う。弱かったのは、俺だ。

 

冨岡義勇は炭治郎の言葉を内心で否定した。冨岡は分かっていたからだ。炭治郎は、確実に一歩一歩成長している。先程、多少なりとも炭治郎と共に戦い、冨岡義勇は実感していた。あの時、雪山で頭をさげ、奪われる瞬間を待つだけだった少年は、確かに『誰かを守りきる者』へと成長している。それを実感したからこそ、冨岡は炭治郎の言葉を否定した。寧ろ、何もできずに無様をさらしたのは、他でもない己であると、冨岡は感じていたのだ。だからこそ、冨岡は口を開いた。

 

「炭治郎、泣くな」

 

脳裏によぎるのは、雪山で泣いていた弱い少年だ。惨めったらしく頭を地面に擦り付け、懇願するだけしかできなかった少年。だが、彼は剣をとった。

 

「お前は決して弱くない」

 

目の前にいる、あの頃よりも成長した炭治郎を見据える。少年は青年へと少しずつ姿を変えていた。彼の手には剣ダコだけではなく、数多の傷があった。血の滲むような研鑽を積んだ末に現れる、努力した者の手だ。

 

「前を向け。妹を、禰豆子を、人に戻すんだろう。あの時の言葉は嘘だったのか」

 

竈門炭治郎は赤い瞳をまん丸くさせた。数秒の沈黙。少し炭治郎は固まったと思うと、グッと唇を噛み締める。苦しさを呑み込み、何かを決意したような、そんな動作だった。そして、炭治郎は吠えるように叫ぶ。

 

「嘘じゃ、嘘じゃありません! 俺は禰豆子を人に戻してみせます。

 

――――冨岡さんから繋いでもらったものを無駄にはしません。禰豆子は必ず人に戻します」

 

あの時と同じ瞳をして炭治郎はこちらを見ていた。燃えるような赤色が自分の目に痛い。その色を瞳に焼き付けて、冨岡は何も言えなくなる。驚くわけでも、喜ぶわけでもなく、ただただ炭治郎の目を見続けた。モヤがかかっていた己の頭がスゥと晴れていくような感覚がしたからだ。冨岡義勇は『繋ぐ』という言葉に引っ掛かりを覚えた。

 

いつ、俺はこの言葉を聞いたのだろう。

 

瞬間、思い出すのは頬の痛みと、錆兎の怒った顔だ。脳が痺れるほどの衝撃に冨岡は息を呑む。この時、この瞬間、『あの時』の記憶が冨岡の脳裏に映った。それこそ、まるで自分が『あの時』にいるかのような感覚に襲われたのだ。

 

あの時――――当時の冨岡は姉の死の動揺から抜けきれず、自分が死ねば良かったのにと、ボヤいたことがある。

 

その際、冨岡は錆兎にぶん殴られたのだ。殴られた音がパァンと森の中に響き渡るくらい強烈に、熱烈に、冨岡は殴り飛ばされた。ズサッと盛大に尻餅をついて、唖然と錆兎を見上げたことを今でも覚えている。冨岡は何がなんだか分からなかった。

 

何故、己は殴られたのだろう。

どうして、錆兎はここまで激怒しているのだろう。

 

混乱と痛みで頭を白黒させながら、幼い冨岡は錆兎の目に視線を向けた。錆兎は眉間にしわを寄せながら、驚くくらい真っ直ぐな瞳でこちらを見ている。どこまでも冨岡を見通し、どこまでも冨岡を心配し、親友と思ってくれていた兄弟弟子の錆兎。ありし日の錆兎のまま、彼らしいはっきりとした声色で冨岡に言葉を投げかけた。

 

――――繋ぐのだと。

姉が命をかけて繋いでくれた命を、託された未来をお前も繋ぐのだと、言ったのだ。

 

錆兎の言葉を聞いた、当時の幼い冨岡と現実の冨岡が重なる。錆兎に殴られた頬が痛かった。現実の冨岡の頬も何故だか分からないが熱を持つ。

 

(ああ、そうか)

 

冨岡は息を吐き出す。積年の想いを呼吸に乗せて、彼は息を吐いた。あの時の錆兎の顔が頭から離れない。己の心に深く刻まれた記憶だったのに、今の今までずっと忘れていた。錆兎の死の衝撃と、自身の未熟さを恨む想いにより、消えてしまった思い出。決して、忘れてはならない記憶だった。

 

俺はとんだ大馬鹿ものだ。

死に際にこんなことを思い出すなんて。

 

自分は意味ばかりを探していた。後悔ばかりをしていた。錆兎と姉が助けた男に意味はあるのかと。何故、彼らの代わりに己は死ななかったのかと、ずっとずっと問い続け、意味を探していた。生きる意味が、欲しかった。

 

違うのだ。

意味なんて、探す必要はなかった。

己が自分自身に、意味を見出さなければならなかったのだ。

 

意味を探したところで、見つかるはずもなかった。答えは直ぐ傍にあったのだ。もう既に、冨岡は知っていたのである。託されたものを次に託していくこと。それこそが、冨岡が本当にすべきことだった。冨岡義勇という一人の人間を、冨岡自身が大切にしてやらねばならなかったのだ。錆兎や姉の代わりになろうとするのではなく、二人からもらったものを次へと繋ぐために。そんな簡単なことを今の今まで冨岡は気がつかなかった。

 

死際にようやく見つけた答え。どこまでいっても冨岡義勇という人間は愚かだと、冨岡は思った。これを馬鹿だと言わずして、何というのだろう。

 

冨岡は再び炭治郎を見据える。煌々と輝く赫灼の子の瞳が冨岡を捕らえた。

 

 

――――炭治郎。竈門、炭治郎。

 

 

まさに名の通りの人間だと思った。炭というのは、派手な炎を出して燃えるものではない。一見、熱くなさそうにみえて、内では轟々と静かに燃えているのが炭である。きっと、炭治郎は傍から見れば、普通の少年だろう。だが、うちに秘めた炎は誰よりも輝いているように冨岡は思えた。

 

だからこそ、もう大丈夫だろうと冨岡は感じたのだ。今の炭治郎ならばきっと成してみせると確信したからである。冨岡は目を細め、静かに一言だけ口にした。

 

「ならば、やり遂げろ」

 

炭治郎はグッと涙を抑え、「はい」と返事をした。それを聞いた冨岡はゆっくりと目を閉じようとする。何も心配することはないと思ったからだ。

 

鎹烏には情報は伝えた。例のものは確保した。ならば、あとはお館様と明道がどうにかしてくれるに違いない。あの二人ならば、必ず己の死を無駄にはしないだろう。お館様と明道に直接言ったことはないが、冨岡は彼らを信頼している。特に鬼関連では、明道ゆきという人物を同僚の中で一番頼りにしていた。

 

――――明道ゆきは、不思議な隊士だった。

 

冨岡なんぞを芝居を見に行こうと誘ったり、文通しようと言ったりなどする人間だった。加えて、予知じみた戦略を練ることができるせいか、こちら側が考えていることを予測して対応してきていた。それを冨岡は不気味に感じることなく、寧ろ好ましいとさえ感じていたものだ。

 

異性に限定して、錆兎以外の親友と呼べる者は――――きっと、明道になるのだろう。

 

明道は常に冨岡を気にしてくれていた。柱合裁判で炭治郎のことを庇ってくれたのも、彼女もまた、冨岡のことを親友だと感じているからなのだろう。あの時は、直接お礼ができる雰囲気ではなかったため、唇をパクパクさせて「ありがとう」とだけ言ったが、明道は気がついてくれているようだった。

 

だからこそ、冨岡は安心して眠れるのだ。炭治郎を気遣う柱が一名でもいる事実が彼の気を楽にさせる。それに、明道以外にもお館様や鱗滝さん、真菰がいる。加えて、胡蝶も炭治郎のことを気にかけてくれていた。きっと、炭治郎は悪いようにはならないだろう。そこまで考えて、不意に冨岡は目を細めた。

 

(俺は、出来たのだろうか)

 

姉さん。錆兎。

 

俺は二人の想いを次に繋げることはできただろうか。肝心な時に役に立たず、二人の影に隠れるばかりだった自分だ。姉さんと錆兎の思い出すら、今の今まで忘れていて、死に際に気がつくような未熟者である。だが、それでも一つだけ、たった一つだけ二人に誇れることがあった。

 

――――今度こそ、俺は守れたのだ。

 

冨岡義勇はいつだって大事な時に力が足りなかった。姉が死んだのも、冨岡が幼く、無力だったからこそ、彼女は鬼に喰われたのだ。錆兎が死んだのだってそうである。冨岡が弱かったために、最終選別で怪我をして、鬼を狩りに行く錆兎を追いかけられなかったのだ。いつも、いつも、冨岡は守れなかった。動くべき時に、動けなかったのである。

 

だが、今回。

今回は――――動けた。

 

未熟な結果を晒しながらも、炭治郎と部下達だけは守れたのだ。本当に大事なものを今度こそ手からこぼさなかった。その事実が冨岡の胸を締め付け、全身を震わせる。不覚にも涙がでそうになるほど、『守れた』ということが冨岡義勇にとって嬉しかった。

 

錆兎や姉が冨岡に託したものを、己が次に託せたのかはわからない。いや、きっと何一つできていないだろう。それでも、炭治郎達を守れたことだけは誇っていいのではないかと、冨岡は思った。

 

そう考えていると、次第に眠気が増してくる。あまりに穏やかな夜が冨岡を飲み込み始めていた。冨岡はその夜の波に逆らうことなく身を委ねる。

 

スッと意識が落ちた時、不意に冨岡の耳に『音』が聞こえてきた。

 

 

 

 

――――おかえり、義勇。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ただいま、姉さん、錆兎。


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刀鍛冶の里編
其の二十一: 「新たな力」


「わっしょい! わっしょい!」

「煉獄いつにも増して声がデケェよ!」

「宇髄、貴方も大概うるさ…いえ、仕方がないでしょう。藤の家の方が軽食に下さったのがお芋ですし」

「明道、お前ならこうなることくらい予測できたんじゃねーか? 何で止めなかった」

 

無茶言うんじゃねえよ宇髄さんよ。

 

私、明道ゆきに対して咎めるような目を向けてくる宇髄天元。あまりにも理不尽な非難に「ええ……」と内心で戸惑いの声を上げた。

 

柱になってからというもの、隊士が暴走した時などに鬼殺隊の人間から「明道なら知っていたんじゃないか」と言われる機会が増えた。確実に私が『予知じみた戦略・戦術を練り、智謀だけで鬼を狩る剣士』だと思われているからだろう。そのため、理不尽にも「明道、お前予測してただろ?! 止めろよ?!」と怒られることがあるのだ。

 

そんなの分かるわけねーよ。まるで私を確信犯みたいに言うのやめろ。敢えてチームの隊士を暴走させて楽しんでるような扱いをするな。誠に遺憾である。

 

何か否定する言葉を紡ごうとして口を開けた。だが、私は口を開けたまま止まる。こうなった場合、何を言おうとも無駄だった記憶が頭を過ったからだ。否定しようとも「言い訳やめろ」みたいな顔をされた数々の経験を思い出して真顔になる。

 

結果、私は宇髄に対して何も言わず、開けた口を目の前にある芋へと向けた。そのままかぶりつく。もっもっと咀嚼すると美味しい芋の味が口の中に広がった。

 

私が肯定も否定もしないので、宇髄が大袈裟に溜息を吐いた。何度も言うがその態度、誠に遺憾である。だが、どうにもならないので怒りは飲み込むしかない。若干私がイラついていると、宇髄が不機嫌そうな雰囲気を隠さないで言葉を発した。

 

「で? いつまで待てばいいんだ?」

「時が来るまでですよ」

「はあー…またそれか。まあ良いけどよ。刀鍛治の里を守るってことは聞いてるしな」

 

――――刀鍛治の里。

 

鬼滅読者ならこのワードを聞いてピンと来た方もいらっしゃるに違いない。鬼滅世界で刀鍛治の里といえば『日輪刀などを産み出す鬼殺隊専用施設』である。だが、鬼滅読者が刀鍛治の里と聞けば――――。

 

上弦の伍・玉壺と上弦の肆・半天狗が登場する『刀鍛治の里編』を思い出す者が多いのではないだろうか。

 

刀鍛治の里編といえば上弦二体の打倒だけでなく、柱達に痣が現れ始める重要な話だ。その『刀鍛治の里編』に私は現在、割り込もうとしている。こうして煉獄杏寿郎と宇髄天元と共に芋を食しながら待機しているのも原作介入のためだった。

 

(ああ、やりたくないな)

 

芋を食べながら遠い目をした。お腹は膨れていくのに心は満たされない。嫌なものである。

 

私、明道ゆきは刀鍛治の里編へ介入する気は全くなかった。それどころか、退職する予定だったのである。だというのに、無惨に狙われているせいで退職する方が命の危機という事態に陥ってしまった。ならば、鬼殺隊所属のままでいいから後方支援担当にしてもらおうと考えたのだが…。まさかのお館様から「お前の命、この鬼殺隊に捧げてもらう(要約)」というお言葉を頂いてしまったのである。つまり前線で働いて死ねってことですね。ここはブラック企業か。ハローワークが来い。

 

(流石に悪いことが重なりすぎじゃない…?)

 

煉獄や宇髄が近くにいるというのに、思わず溜息を吐きたくなる。それくらい悪いこと続きだった。

思いつくだけで一体何個あるのか。箇条書きにするなら最低でも六つある。自身の片腕欠損。上弦の参打倒による炭治郎成長の妨害。原作介入したかった吉原遊郭編の寝過ごしスルー。水柱・冨岡義勇の殉職。退職不可。参戦したくなかった刀鍛治の里での任務、などなど、考えるだけで頭が痛い。

 

(刀鍛治の里編も吉原遊郭編みたいにスルーしたいんだが無理か。そうだよな)

 

スルーしたい章に限ってスルーできないとか、どういうこと。世知辛い。

まあ、確かに、刀鍛治の里編は吉原遊郭編で上弦の打倒ができなかった場合の予備として考えていた。だが、計画していた当初と今では状況が違いすぎる。

 

まず、最初の前提からしてアウトだ。片腕がなく、戦えないのである。故に明道ゆきによる上弦の頸をはねる行為は不可能に近い。加えて、猗窩座戦を経験したことで、上弦と自分の実力差を明確に理解してしまった。私の実力では両腕が揃っていても、『上弦の肆・半天狗』と『上弦の伍・玉壺』の打倒は絶対に無理だろう。結論を述べると、片腕しかない今、上弦の打倒は、何度も言うが、不可能である。

一応、片腕の『代わり』になる要素が存在してはいる。だが、あくまで『代わり』なだけで、上弦打倒には役に立たないだろう。

 

他にも色々と理由もあり、二十五で死ぬ呪いの解除のために足掻くよりも、老い先短い人生を心穏やかに過ごすべきだ――――そう考えていたさ。だが、無惨に追われる羽目になり、辞めるに辞められなくなってしまった。挙げ句の果てに、後方勤務もお館様から直々に却下され、まさかの前線送りになる始末。最終的には、全盛期でない状態で刀鍛治の里編への介入である。殺されるじゃん。ここが私の墓場か。

 

(そろそろゆっくりと人生を過ごさせてほしい)

 

だが、できない。私はどうやら前線で戦う必要があるらしい。今回、介入する気ゼロだった刀鍛治の里編に参戦する理由も『やらねばならなくなってしまった』からだ。既に分かっている方もいらっしゃるだろうが――――主に選択肢のせいで、である。真面目に泣きたい。

 

芋を食べながら思い出すのはお館様との会話。同僚の前で号泣して、お館様にパワハラ受けた、数ヶ月後の話だ。

 

 

 

 

 

 

当時の私はまたもや産屋敷邸に呼び出され、お館様との一対一の対話を余儀なくされていた。

 

内心「今回は一体どんな無茶ぶりをされるんだ」と震えていたが、仕方がないことだろう。私とお館様オンリー会議は、大体の場合、ロクでもない頼みごとをされるのが常だからだ。

 

氷柱任命の呼び出しから始まり、柱になってからは己の実力に伴わない高難易度の任務が振り分けられ、最終的には最悪なコンディションで前線にぶちこまれそうな事態に陥らされている。今回の呼び出しも、確実に『ロクでもない頼みごと』に違いない。

 

私が遠い目をしていると、お館様が話しかけてきた。彼は布団の上に座り、御子息達に支えられている状態である。お館様は自身の容態に反して、いつも通りの優しげな声色で言葉を発した。

 

「左腕の調子はどうだい、ゆき」

「ご心配頂きありがとうございます。なんとか動かせるようになってきました」

 

私は『左腕』を掲げる。上弦の参・猗窩座に切られ、あるはずのない腕が、明道ゆきの左側に存在していた。

 

初めに言っておくが、この左腕は切り落とされた腕を手術でくっ付けたわけではない。ましてや、鬼のように再生したわけでもない。この腕は――――。

 

――――義手である。

 

木製で作られた腕は非常に高性能で、この大正時代に作られたとは思えない精密さだった。当たり前である。なんせこの腕は、『あの』カラクリ人形・縁壱零式の作者によって作成されたものだからだ。

 

縁壱零式とは何か。

一言で言うならば、戦闘用カラクリ人形である。

 

縁壱零式とは、『刀鍛治の里』で登場する人形で、炭治郎に新たなる力を授ける役割を持つ、重要オブジェクトである。加えて、このカラクリは日の呼吸の使い手『始まりの剣士』の姿及び戦闘能力を再現した人形であるため、物語を盛り上げるための伏線の一つであるともいえよう。

ちなみに、このカラクリは戦国時代に製作されたもので、製作者は小鉄君の祖先である。

 

この縁壱零式を物語を構成する物質の一つとして考えるならここまでの説明でオーケーだ。私が注目しているのは縁壱零式作製に使われた技術である。

 

このカラクリ人形は、正直なところ、二十一世紀の世でさえ、再現できるかどうか分からぬ『オーバーテクノロジー』人形だ。二足歩行に加えて、六本の腕を操り、人との戦闘が可能。しかも、滑らかに動き、人外に片足突っ込んでいる鬼殺隊士に打ち勝つ強さを持つ。流石は漫画の世界だ。技術がやべえ。

 

時代の一歩どころか、百歩進んだ技術を持っていた縁壱零式の作者。その作者、もしくは、戦国時代の小鉄の祖先一家が、一丸となって製作したのが、現在私が付けている左腕の義手だ。

 

これが手に入ったのも、お館様が勝手に刀鍛治の里へ義手の作成を依頼したからだとか。その際、小鉄君の一族の蔵からこの義手が発見されたらしい。「あまりに良い義手なので、氷柱様にお使いください」と仰ってくださったみたいだ。

 

余談だが、この一連の流れはこちらの預かり知らぬところで行われたことである。しかも、頭のおかしいことに、ある日突然、私は何の説明もなく手術室に連れていかれ、義手をつけられた。

 

いや待って。流石に説明が欲しかった。お館様、年々こちらへの説明を省くことが多くなってきてませんか。「明道ゆきなら分かってるだろ」と謎の信頼はしないで下さい。いやほんとまじで。何一つ私は分かってねえから。

 

(あの時は真面目に死ぬかと思ったな…。なんか危ねえ人体実験でもされるのかと…。全力の抵抗をしようとも、しのぶちゃんに麻酔打たれるし…)

 

義手を半強制的につけられた時のことを思い出してゲンナリとする。

 

だが、その怒りが消えるくらい、この義手は素晴らしかった。あの縁壱零式の製作者の作品なだけあり、まるで本物の手のようだ。多少、扱いづらさはあるが、細かいところまで動かせるし、軽いし、言うことがない。この技術が失われてしまったことが本当に惜しいと思うくらいだ。

 

(良い義手が見つかったのは良かった。良かったんだけど、けど…)

 

私の言葉の途切れが悪いのには理由がある。義手の調整をする時にちょっとした問題があったのだ――――。

 

 

 

 

今回、義手の調整や整備などをしてくれたのは小鉄君の一族である。原作とは違い、小鉄君の両親は存命しており、彼の父が縁壱零式の当代所有者らしい。

 

またもや意味不明な原作ブレイクである。突然現れた原作崩壊現象を見て、思わず半目になったものだ。私、マジで何もしてないのに、どうして原作が瓦解してんの? おかしくない??

 

それはさておき。いや、あんまりよくないが話が逸れるので一旦置いておく。

義手の調整する際に出てきた問題――――それは小鉄君の父君の話の内容である。

 

小鉄君の父君、否、小鉄父と呼ぼうか。義手調整の時、小鉄父がやたら興奮気味に私にこう話しかけてきたのだ。いや、こちらに話してくるというよりも、小鉄父は小鉄君と盛り上がっていたような気がするが…。彼らはわちゃわちゃと両手を上に掲げて、全身を使って表現し始めたのである。

 

「氷柱様、この義手は本当に凄くて! な、小鉄」

「父の言う通り、本当に良い義手なんですよ、コレ。我が一族の叡智と浪漫が詰まっているというか」

「はあ」

「あまりにいい義手で一族挙げてのお祭り騒ぎになりました。連日飲んで騒いで盆踊り、挙げ句の果てに家を壊しましたよ。あと、父と身内の狂乱っぷりに長が若干ビビッてましたね」

「義手が見つかっただけで嬉しいのに、しかも、付けるのが柱のお方で、知に優れた氷柱様というじゃないですか。正直に言うと、興奮しまして。めちゃくちゃ興奮しまして」

「はあ」

「――――これはもう更なる改良をするしかないな、と」

 

ズンッとこちらに向かって凄んでくる小鉄父。彼が付ける面の鼻の部分が私の顔に刺さった。人でも殺せそうな気迫に思わず後ずさる。これが漫画なら小鉄父の面に影が差し、後ろに般若を背負っているだろう。それくらいの凄みがあった。

 

小鉄父はそのままスッと後ろに身体を引く。次の瞬間、ガッと私に付いたばかりの義手を掴んだ。彼は高らかに天高く義手を掲げる。勢いについていけなかった。怖い。

 

「小鉄、やはり男の浪漫といえば、こうなんていうか、『がちゃんがちゃんっ大合体!!』みたいな感じだよな!!」

「……うん?」

「待っていて下さい、氷柱様。今から火薬を仕掛けたり、仕込みナイフを入れてみたりしますから。氷柱様の義手、必ずや『超大合体!カラクリ氷柱・明道零式!』みたいにしてみせます!」

「父なら素晴らしい改良ができると思うので期待しておいてください」

「は?!?!?!」

「実はね、改良してから義手をつけさせてもらいたかったんです……。でも、お館様に先に腕をつけろと言われたから、付けざるを得なくて……クッ」

 

いやいやいや。「クッ」じゃねーから。悔やむところじゃねーから。超大合体って何。明道零式って何。名前からしてロクなもんじゃねえな。何故、私で試そうと思った。改良なんぞ絶対にするな。ヤバそうな匂いしかしねえ。

それと、私はポンコツなので間違えて自分に向かって仕込みナイフをぶっ刺してしまいそうなんだよ。頼むから改良なんてするな。

 

(あと、小鉄父ってこんなキャラだったのか)

 

原作では既に故人だったため、彼の人なりは知らなかった。小鉄が中々面白い性格をしているため、父君も濃いキャラをしているんだろうなとは考えていたさ。だが、ここまではっちゃけているとは思わなかったのだ。誰かコイツら止めて。このままだと私の左腕が機動戦士ガンダムみたいになる。

 

小鉄君と父君の暴走っぷりが病室の外まで聞こえていたのだろう。結果、耳の良い我妻善逸がこちらに駆けつけて来てくれた。あの時ばかりは善逸が神に見えたものだ。その際、ちょっと善逸に殺されかけたが、それが許せるくらいには彼に感謝した。ちなみに、叫んでいた内容と行動は以下である。

 

「あれえええ?! 先生、元気じゃん! 喋ってんじゃん! ちょっ、まっ、だったら呼べよ! 誰か呼べよ!」

「我妻」

「つーか、何であんな物騒な会話してんの?! 義手になったの先生?! いつのまに手術したんだよ先に言って?! いやこれ俺達任務に行ってたからかな?!」

「我妻。首。私の首が締まっています」

「ちょっ、炭ァアアアアア治郎ォ! 伊之助ぇえエエェ!! 先生目ェ覚めたァアアアアア!!」

「聞いていますか、我妻」

 

我妻善逸ってこんな煩かったか。

 

いや煩かったわ。但し、命が関わることと、異性限定で煩かったはずである。それ以外では善逸は常識人であり、冷静に物事にツッコム人間だったと思う。今回、まるでギャグ漫画の人間のように盛大に叫んでいるのだが、大丈夫か。鬼滅の刃、ジャンルの転身でもあったのだろうか。わんわんと声を上げて泣き叫び始めた善逸を見て、そんなことを思った。

 

(そういえば、炭治郎・善逸・伊之助・禰豆子たちとは目が覚めてからずっと会ってなかったな…?)

 

目が覚めた瞬間、息をつく暇もなく柱合会議へ駆り出されたっけ。そこで、原作ブレイク現象のお知らせと、お館様からのパワハラを受けたんだ。その後、病室へ逆戻りし、精神的に落ち着いたと思えば、強制的に義手を付ける手術。身体の容態が安定したら、直ぐにリハビリで、小鉄父の暴走事件の勃発、と言う流れだった。思えば、かまぼこ隊の皆様とまるで会う暇がなかったな。

 

四人からすれば無限列車編からずっと明道ゆきと面会できず、不安な日々が続いたのだろう。彼らは優しい人間なので、きっと心配してくれていたはずだ。その最中で、上弦の壱・黒死牟と上弦の弐・童磨と出会い、冨岡義勇の殉職を経験。加えて、吉原遊郭編で、上弦の陸との戦闘だ。そりゃあ長い間、私の下へ足を運ぶことは難しかったに違いない。

 

だからこそ、我妻善逸はここまで泣き叫んでいるのだ。冨岡義勇のように明道ゆきまでもが死ぬんじゃないかと思ったのだろう。恐らく、炭治郎達にとって冨岡の死はかなり鮮烈で、衝撃な出来事だったのだ。優しい彼らは自身の力不足を痛感し、後悔し、私の無事を祈ってくれたのだと思う。

 

(そこまで私を気にかけなくていいのに)

 

ぶっちゃけると私はかなりゲスい人間なので、ここまで泣かれると困惑してしまう。明道ゆきをそこまで心配する価値はないと思うのだ。私も冨岡の死にショックを受け、精神をボコボコにされたが、直ぐに立ち直ってみせた。ここまであっさりと気持ちの切り替えが出来たのも、冨岡よりも自分が可愛いからだろう。既にいない人間について考えて落ち込むより、生存ルートの模索の方がずっと大事だったのだ。

 

(炭治郎達も律儀だよなあ…)

 

炭治郎達の前で戦ってみせたり、研修を行ったりしたこと以外は、ほぼ私は彼らに関わっていないぞ。最早他人である。しかも、明道ゆきとくれば、自分が生き残る為なら炭治郎達を見捨てようと考えていたくらいである。なんで私の為にこんなに泣けるんだろうか…。やっぱりかまぼこ隊には人格者しかいないのかな。

 

(あんまり泣かないで欲しい。どうしたらいいかわからないし)

 

若干気まずくなる私と、中々泣き止まない我妻善逸。二人の隣にいる小鉄君と小鉄父は「あわわわ」と慌てていた。カオスな状況である。やべえなと考えていた時だった。

 

――――そこに続いて禰豆子を連れた炭治郎と、伊之助が病室に入ってきたのだ。

 

炭治郎と伊之助はパタパタと走ってきたと思えば、私のベッドの前でピタリと止まった。そのまま何故か無言で佇み始める。どうしたんだろうと私が声をかけようとした瞬間、彼らはクワッと目を見開いた。同時に、ワナワナと震え始める。え、なに、怖…。

 

伊之助はプルプルと揺れる手で私を指差した。びっくりするような大声で、怒鳴るように言葉を発した。

 

「起きてんじゃねーか!!」

「先生。明道、明道先生…!」

 

伊之助の隣で、炭治郎は何かに耐えるかのようにクシャと顔を歪めた。眉をグッとひそめ、口を一文字に結ぶ。しわくちゃになるほど力いっぱい瞼を閉じて、グゥと拳を握っていた。彼はそのまま唸るような声で言葉を紡ぎ、私のベッドの布団へ縋り付く。

 

「明道先生、先生、先生…!」

「センセー死んでるかと思ったぞ!! 死体みてーに動かなかったからな!!」

「縁起でもないこと言うんじゃねーよ!!」

「むーむー!」

 

炭治郎はひたすら『明道先生』と名前を連呼していた。伊之助は私のベッドをトランポリンみたいにして飛んでいる。地味に痛い。善逸は泣きながら伊之助にブチ切れていた。横にいた禰豆子も「むーむー」と言いながらポンポンと布団を叩き始める。

 

おんおんと泣き叫ぶ善逸。

布団を握りしめ続ける炭治郎。

ベッドをポカポカと殴る伊之助。

高速の布団叩きをする禰豆子。

周りの意味不明な行動に慌てる小鉄君と父君。

 

その様子を見た私は、流石にきまりが悪くなった。最低な考えを抱いていたことが恥ずかしくなってきたのだ。私はなんとか彼らを宥めて、宥めて、宥めまくった。それでも終わらないかまぼこ隊の奇行に、ほとほと困ったものである。四人の暴走は、胡蝶しのぶがあまりの煩さにブチ切れ、怒鳴りに来るまで続いた――――。

 

――――それで終われば、ただの『ちょっとした良い話』になると思うのだが、これには続きが少しある。というより、これが本題だ。

 

炭治郎達が病室から出て行った後の話である。蚊帳の外状態だった小鉄君と小鉄父がズンズンとこちらに近づいてきたのだ。てっきり私は「大変でしたね」とか「お大事に」とか言われると考えていた。だが、それは完全に違っていたのである。

 

「皆さんのためにも頑張って義手、改良しますね! 明日、案をお持ちします!」

 

一瞬、何を言われたのか分からなかった。私はピシリと固まり、思考を停止させる。現実世界では一秒程度のことなのだろうが、自分には何十分にも思えた。

 

しかし、小鉄君と父君の「うおーっ」と気合の入った声で現実に戻される。私はハッとした後、全力で焦った。

 

(やばい。このままだと私の左腕がロボみたいになる)

 

炭治郎達の介入によりすっかり忘れていた。この二人が義手に並ならぬ想いを抱き、魔改造を施そうとしていたことを。

 

額からブワッと玉のような汗が滲み出た。やばい。やばい。やばたにえん。先程も言ったが、無駄に毒針やら仕込み刀なんか入れられたら、間違って自分に刺してしまう可能性が高い。ポンコツなめんな。そもそも、変人の巣窟(偏見)である刀鍛治の里の人間が、あの狂った状態で義手を改造してしまったらどうなるか。

 

(考えただけでおそろしい)

 

ブルッと身体が震えた。横目で彼らを見ると、二人は拳をあげ、走って病室から出ようとしているではないか。やばい。あいつらあの勢いのまま義手魔改造案を書き上げる気だ。

私は身体の体調を無視して、ベッドから立ち上がる。鬼を狩るときと同じくらいのパワーで全力疾走した。グワっと二人の腕を掴み、必死に叫んだ。

 

「ご先祖の傑作を改造するなんてもっての他! 普通に使える義手でお願いします!」

「いやいや普通なんて氷柱様に似合わないですよ!」

 

どういう意味だテメェ。

 

私が普通じゃないというのか。ふざけんな。明道ゆきはどこにでもいる凡人だ。周りの柱共と一緒にするな。ただ、私は選択肢が見えて、生きるのに必死なだけだよ。凡人オブ凡人です。

 

……待て。そこに怒っている暇はない。なんとか説得しなくては。誰か助けて。あっ、真菰。真菰を呼んで。あの子、誰かを説得するのめちゃくちゃ上手いから。真菰。真菰はどこだ。

 

心の中で必死に真菰にヘルプコールをしながら私は小鉄父と戦った。最後あたりはどちらも服が乱れ、ぼろぼろ状態だった気がする。胡蝶しのぶがまたもやブチ切れて「いい加減にしてくれませんかね、ゆきさん」と包丁を持ってこちらに来るまで、小鉄君と父君との口論は続いた――――。



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其の二十二: 「制限」

以上が義手の調整をする時に少し起こった問題である。

 

最終的には小鉄君達は折れ、普通の義手として調整や整備をしてくれることを認めてくれた。現に今、左腕は何の問題もない、非常に性能の良い義手として存在している。だが、小鉄父が悔しそうに歯軋りして「諦めないからな……」と捨てゼリフを残していったのが気になるのだ。マジであいつら秘密裏に改造してねえだろうな。やりかねん。

 

義手をつけるだけでかかった労力の数々に溜息を吐きそうになる。だが、今、私はお館様の前にいるのだ。彼の後ろには御子息達もいらっしゃる。仮にも上司の前で不遜な態度はとれなかった。そもそも、自分は権力に弱いタイプなので、媚びへつらうこと以外はやりたくないのだ。ゲスで悪かったな。

 

こちらの気持ちを知って知らずか、お館様は再び言葉を紡ぎ始める。先程、私の義手の具合を心配してくれた声色とうってかわり、少々鋭さが込められていた。

 

「さて、ゆき。本題に入ろうか。君は今後の無惨の動きをどう見る?」

 

知らねーよ。寧ろこっちが教えて欲しいんだが。

 

原作崩壊が少しの頃ならいざ知らず、今はもう完全に前世の記憶が頼りにならない状況になっている。明道ゆきにはこの先が分からない。果たして無惨打倒が出来るのだろうか。

 

自分は十七巻までの知識しかないため、最終回がどうなるかは知らない。だが、原作通りにいけば、どんな結果になろうと、恐らく、無惨は討ち滅ぼされるに違いない。そうでなければストーリーが丸潰れ。ファンもブチ切れるだろう。しかし、明道ゆきが氷柱として存在するこの世界は違う。無惨打倒が可能かと言われると、頭を抱えることになる。

 

明道ゆき自身が意図しない介入で原作がぶっ壊れた部分もあるが、大体はこちらの管轄外で原作ブレイクが起きている。完全に自分ではどうにもならないところに来てしまっているのだ。

 

もうここは私の知る『鬼滅の刃』の世界ではない。

鬼滅の名を借りた『何か』だ。

 

正直なところ、明道ゆきは自身の考えを述べるべきではない。原作崩壊がここまできてしまった今、炭治郎達に丸投げした方がいいだろう。竈門炭治郎は主人公であり、無惨の打倒を宿命づけられた人間だ。きっと彼ならば軌道修正をしてくれる……と、思う。

 

明道ゆきにかかる呪い解除ができなくとも、生い先短い人生を不安なく過ごすためには、無惨の打倒は必須だ。炭治郎には頑張ってもらわねば困る。自身の自己中っぷりに流石に嫌気がさしてくるが、自分の身を守るためにも罪悪感は呑み込んだ。

 

故に私はお館様に「申し訳ないですが、私としても無惨の行動は読めない部分が多いのです」と言おうとした。言おうとしたのだ。だが、明道ゆきは失念していた。時に私の味方であり、時に最大の敵となる、あの存在をすっかり忘れていたのである。

 

《ピロリン》

 

▼お館様になんと言う?

①「恐らく、近いうちに無惨は鬼殺隊へ攻撃を仕掛けてくるでしょう。私の予測によると、奇襲される場所は――――刀鍛冶の里」と言う … 上

②「わかりません」と言う … 下

 

おいやめろ。

 

ふざけんな。ふざけんなよ。軍師ムーブはあれほどやめろと言っただろ。本当は凡人なのに、賢いように振る舞うのはかなり疲れる。皆、こちらを頼るようになるため、こちらの負担が大きいのだ。

しかも、選択肢がいつも登場するわけではないので、ゲーム機能の答えなしでの判断を要求された時に無責任な説明をする必要がでてくる。賢くないのに重要な決定をさせられるものだから、毎度毎度、冷や汗ものなのだ。

 

(しかも、何? 私、刀鍛治の里編に介入する羽目になるのこれ?)

 

選択肢の一番「私の予測によると、奇襲される場所は――――刀鍛冶の里」を選びたくない。話の流れ的に、選択肢の『刀鍛治の里』は『刀鍛治の里編』のことを指すと思うからだ。上弦の打倒を諦めた矢先に、まさかの上弦が登場する章へ、介入強制である。地獄かここは。

 

もう一つ、一番を選択したくない理由としては「私の予測によると、奇襲される場所は――――刀鍛冶の里」を言うのはリスクが非常に高いからだ。以前にも述べたが、何の根拠もなく刀鍛治の里が襲われると仮定して、過度の防衛体制を敷けば、明道ゆきが間者だと疑われる可能性がある。しかも、鬼の能力まで詳しく知っているとなれば、「お前、実は無惨の手下だろ」と言われてもおかしくないだろう。

 

(私は『何故、刀鍛治の里が襲われるのか』『何故、鬼の子細を把握しているのか』という理由を皆に提示することができないからなあ…)

 

思わず溜息を吐きたくなる。もしも選択肢一番の「恐らく、近いうちに無惨は鬼殺隊へ攻撃を仕掛けてくるでしょう。私の予測によると、奇襲される場所は――――刀鍛冶の里」を言った後に、お館様から「何故?」「どうしてそう思うんだい?」と聞かれたらアウトだ。返答しようがない。

 

(何でこんな綱渡り仕様ばっかりなんだ)

 

疑われて拷問にかけられたらどうしよう。鬼殺隊って仲間には優しいが、敵には厳しいのだ。周りの隊士が『絶対鬼コロスマン&ウーマン』しかいないのを見てわかると思うけど。怖い。頼れる仲間は皆おかっかねえ。

 

しかし、私はいつも通り、選択せねばならない。拷問を受ける覚悟で目をそっと見開いた。……やっぱり拷問は嫌だな。覚悟できねーわ。ちくしょう。内心で咽び泣きながら私は決死の想いで選択した。

 

 

▼選択されました。

①「恐らく、近いうちに無惨は鬼殺隊へ攻撃を仕掛けてくるでしょう。私の予測によると、奇襲される場所は――――刀鍛冶の里」と言う … 上

 

 

「恐らく、近いうちに無惨は鬼殺隊へ攻撃を仕掛けてくるでしょう。私の予測によると、奇襲される場所は――――刀鍛冶の里」

 

勝手に自分の口が開き、言葉を話し始める。淡々と無機質な声色で『私』は声を発した。対して、心の中では感情が荒ぶり、「終わった。私の人生終わった」と呟いていた。全力のガチ泣きである。

 

それを聞いたお館様は「ふむ」と小さく頷く。顎に手を添えたまま、つい、と横へ顔を向けた。数秒の沈黙。その数秒が死ぬほど私にとっては辛かった。自分の心臓がバックンバックンと波打つ。お館様は何か思案した後、再びこちらへ面を向けてくる。

 

「そう、刀鍛治の里が奇襲されるんだね。駐在している隊士の数を増やそうか。ああ、罠も仕掛けた方が良いだろうね。そうだ、柱は何人必要になりそうだい? 」

「え」

 

えっ。お館様、何も聞いて来ないんだけど。寧ろノリノリでこちらの案に乗ってくれているのは何故。私、突拍子もなく、根拠もない話をしていると思うんですがそれは。あまりにびびりすぎて咄嗟に私はお館様に疑問をぶつけてしまった。

 

「理由をお聞きにならないのですか?」

 

やってしまったと思った。理由を聞かないのなら好都合である。自分から地雷へ飛び込む必要などなかった。なんて事をしてしまったんだ。

 

自身の迂闊さに頭を抱えたくなった時、お館様はいつも通りの優しい顔で言葉を紡いだ。目が見えないはずなのに、しっかりと私を見据え、穏やかに笑っている。お館様の声は信頼と親愛に満ち溢れ、確固たる意地をひめていた。痛いほど真っ直ぐな彼の言葉は明道ゆきへと届く。

 

「君が根拠を話さないのには何か理由があるんだろう。今、説明すべき時期ではないというのならば、私が聞く必要はない。違うかい?」

「し、」

 

信頼が重い!!

 

なんだその激重信頼は。重い。信頼が重い。

明道ゆきは自己中心的で、尚且つ、憶病な人間だ。自分の命や、二十五で死ぬ呪い解除のためなら、仲間を見捨てる算段だってしているクソ女である。

また、予知じみた予測ができるのも、仲間の命を守れているのも、全ては選択肢によるものだ。明道ゆき本人の成果じゃない。私は信頼に値する人間ではないのに、こうも頼りにされると良心が痛み、どうしようもないくらい不安になる。

 

しかも、今、私が刀鍛冶の里へ無惨による襲撃の理由を話さないのは、『敢えて』説明しないのではない。ただ単にそうなった意図が自分自身で説明ができないからだ。こんなクソな理由があるか。明道ゆき本人が概要を理解していないというのに、何の根拠もない謎機能に従い、仲間を死地に向かわせている。我ながら恐ろしすぎるだろ。

 

(もうそろそろ腹を括って選択肢機能や前世の記憶について言うか?)

 

だが、今更、転生諸々について話すのはリスクが高すぎる。原作知識でどこで誰が死ぬかまで把握していたのに、本来なら救える命を自分の都合で見捨ててきたのだ。今になって「実は前世の記憶がありまして…」などと暴露した暁には各方面からぶち殺されることが決定するだろう。特に身内が死んでいる隊士からは集中砲火されかねない。入隊当初の告白ならいざ知らず、鬼殺隊に所属してから何年も経ってしまった今、この時点での転生諸々の暴露は死を意味する。

 

(うん、絶対に前世とか転生特典とかについて言わないでおこう)

 

転生については以前と同じく、墓場まで持っていこう。私は小さく頷いた。やっぱり自分、最低である。

 

今の考えを踏まえると、お館様が何も聞いてこないのは好都合だ。いつ外れるか分からぬ不確定な選択肢に頼って、仲間達を死地へ向かわせるという罪悪感は呑み込もう。いや本当に土下座して謝るべきだが、仕方がない。私のためだ。すみません。謝って済むとは思わないが、気休め程度に謝罪しておく。マジで私クソオブクソである。

 

そう思い、お館様に返答しようと口を開いた、その時だった。またもやピロリンと軽やかな電子音が響き渡ったのだ。時間が止まり、周囲は白黒となる。いつもより大きな、安っぽいゲームの選択肢の画面が目の前に現れた。

 

 

▼刀鍛治の里にはどの柱を誰を連れて行く?

①炎柱・煉獄杏寿郎

②岩柱・悲鳴嶼行冥

③蟲柱・胡蝶しのぶ

④音柱・宇髄天元

⑤風柱・不死川実弥

⑥蛇柱・伊黒小芭内

 

※霞柱・時透無一郎と恋柱・甘露寺蜜璃は決定済み

※複数選択可

 

なんだこれ?!

 

本当になんだこれ。こんな選択肢の画面は初めて見たぞ。「刀鍛治の里にはどの柱を誰を連れて行く?」と、まさか聞いてくるとは思わなかった。え、刀鍛治の里編で登場しない柱を連れて行っていいのか。最早選択肢も原作無視する方向なのか。いや、思えば、元々選択肢パイセンは原作ブレイク推奨だったな。転生特典に従い、原作崩壊が起きているのだ。もしも選択肢パイセンが原作通り進むのが望みであれば、私もここまで悩んでいなかったと思う。

 

(それよりも誰を連れていくか、だ)

 

いやそんなの全員連れていくに決まってんじゃん。複数選択可能なんだろ。当たり前のように柱全員選択するよね。物量で叩くのが戦術の基本だもん。

 

上弦二体に対して柱全員でかかれば、誰の怪我もなく倒せるだろう。しかも、柱が全て揃っていて、万全の対策を練った上で、刀鍛治の里編に臨めるなら、明道ゆきにかかる『二十五で死ぬ呪い』を解くことができるかもしれない。

 

(他の柱に上弦を止めてもらい、無理なく私の手で打倒がワンチャンあるんじゃ…?)

 

え、やばい。泣きそう。俄然やる気が出てきた。お館様の様子を見るに、原作知識を披露しまくっても間者だと疑われそうにないし、柱全員連れていけそうな雰囲気だし、最高じゃん。この勝負、我々の勝利だ。まさに『三部、完!』である。

 

若干感動しながら私は『▼刀鍛治の里にはどの柱を誰を連れて行く?』という問いに対して、『全員』を選択しようと視線を前へ向ける。しかし、次の瞬間、今まで聞いたことがない、けたたましい警報音が耳を貫いた。びっくりして思わずギョッと目を見開く。眼前に、黄色の三角マークが入った選択肢の画面が現れた。

 

 

《警報》

《選択できる人数は二人までです》

 

 

人数制限?!

 

待って。人数制限とかあるの。先に言えよ。無駄に期待させんな。今、希望で胸が満ち溢れていたというのに、一気に谷底に突き落とされた気分だ。真面目に凹む。しかも、さっきの警報音は何だったんだ。爆音だったぞ。おかげで今、頭がガンガンする。そんなにデカい音で警告しなくて良かったんじゃないか。

 

(そうか……人数制限……。人数制限かあ……)

 

ええ……柱全員を連れていけないのか……。ふざけんなよ……。いやでも、本来なら刀鍛冶の里編では柱が二名しかいなかったのだ。原作とは違い、事前の対策も練れて、柱を更に二名追加できるというなら、これ以上ないくらい幸運だろう。運が良いと思おう。マイナス面ばかり考えてはいけない。精神的に病む。

 

(でも、私の身体が全盛期でない状態で刀鍛治の里編への介入だもんなあ…)

 

どんなに準備しても、柱が二名増えたとしても、明道ゆきの弱さでは殺される気しかしない。刀鍛治の里編はスルーできないのか。できないんですね。分かります。世知辛い。

 

うむむと私は頭を捻った。時が停止する空間の中、刀鍛冶の里編の戦いに適している人材についてウンウンと悩んだ。途中、残り時間の通告をされるほどに悩みに悩んで、私は決めた。

 

「お館様。任務を共にする柱でしたら――――」



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其の二十三: 「とびだせ明道の森」

お館様との会話を一通り思い出して、私は息を吐く。同時にゴクリと芋を飲み、空気を吸い込む。過去に行っていた精神を新鮮な空気を吸い込むことにより、現実に引き戻す。お館様との思い出を一時的に封印して面を上げた。

 

自身の両隣を見ると、煉獄杏寿郎と宇髄天元が座ってる姿が目に入る。私が過去について考える前の光景が広がっていた。

 

「わっしょい! わっしょい!」

「この芋、中々美味えな。任務前の軽食には丁度いい」

 

――――こういう経緯があって、我々三人は待機しているのだ。

 

話しながら口を動かす煉獄と宇髄を見て、私は目を細めた。先程と変わらぬ、大量に芋を消費していく二人と同じように、自分もまた口に芋を放り込む。

 

この状況から分かるように、刀鍛治の里編への介入のための人員として私が選んだのは――――炎柱・煉獄杏寿郎と音柱・宇髄天元だ。

 

刀鍛治の里編になっても鬼殺隊の隊服を着た煉獄と宇髄が、セットでいる姿に違和感を抱く。なんせ、本来なら無限列車編で煉獄は死亡しており、宇髄もまた吉原遊郭編で柱を引退していたはずの人間だ。その彼らが未だに隊士として在籍しており、この場に立っている様子を見て、不思議な気分になった。氷柱・明道ゆきとしては普通の光景だが、読者としての『私』にとってはスピンオフを読んでいるかのようである。前世の『私』が喜ぶのが分かった。

 

(でも、明道ゆきとしては嬉しさ半分、複雑さ半分なんだよね)

 

炎柱と音柱の存在は、今の私からすれば原作ブレイクの象徴みたいなものだ。原作通りに進むことを望んでいたので、何とも言えない気持ちになる。特に炎柱を見ると自分の左腕がなくなり、上弦打倒の希望がぶち壊された瞬間を思い出すので、余計に嫌だ。

 

(なんでこの二人、選んじゃったんだろ)

 

はあと溜息を吐く。頭を掻き毟りたい気持ちになったが、グッと耐えた。

 

――――明道ゆきがわざわざこの二人を選択したのには幾つか理由がある。

 

まず、煉獄杏寿郎だが、この刀鍛治の里編でのメインの柱が恋柱・甘露寺蜜璃ゆえに、選んだ部分が大きい。

恋柱は炎柱の元継子だ。そのため、柱内でも連携が一、二を争うほどに秀でている。特にこのペアが優れている点は、元師弟関係に基づく、戦闘スタイルの理解度と互いをカバーする巧さだろう。

互いの理解度の深さから、最適な瞬間に最良の技を喰らわせることにおいて、炎恋師弟は頭ひとつ飛び抜けているように思う。個人的な意見ではあるが。

 

次に、宇髄天元を選んだ理由だが、霞・炎柱と任務を組む上で一番相性が良く、音柱なら最適なサポートをできると思ったからだ。

と、いうのも、宇髄が柱の中で特に気にかけている人間は時透と煉獄なのではないか、という勝手な推測があるためである。そのように考えているのは、原作の吉原遊郭編で宇髄の回想に時透と煉獄が登場することが原因だった。

 

宇髄は時透に関して『戦いの経験が浅いのに、直ぐに柱へと上り詰めた天才』、煉獄を『人々や仲間のために死ねるような人間。俺はああにはなれない』と、大雑把に要約するとこんなことを吉原遊廓編で言っていたはずだ。

恐らく、宇髄天元という隊士は時透と煉獄を同僚や戦友として思いながら、その実、彼らに憧れ、尊敬の念を抱いていたのではないかと勝手に解釈している。戦いの最中、この二人をわざわざ思い出すくらいなのだ。きっと宇髄は時透と煉獄をよく観察し、人柄に触れ、実力を深く理解していたに違いない。

 

原作では時透と煉獄に宇髄が絡む場面は殆どないため、これは勝手な推測だ。だが、私には氷柱・明道ゆきとして生きてきた実績がある。

 

明道ゆきは知っていた。宇髄と仲が良い柱の一人が煉獄であることを。宇髄は誰に対しても一定以上の交流ができるが、中でも煉獄と特に仲が良いのだ。原作でも、煉獄父と親しげな描写があるくらいなので、度々煉獄家にも寄っていたのだろう。

時透の場合は、音柱との一番合同任務の数が多いため、そこから互いの実力を知るようになったに違いない。宇髄が時透に対して話しかけに行っていた姿を私は度々見たことがある。

 

故に宇髄天元なら、霞・炎柱と任務を組む上で最適なサポートをできると思ったのだ。ちなみに、恋柱に関しては炎柱の補助があると思うので、彼女は宇髄のサポート外にしている。

 

(まあ、二人を選んだ訳はこれだけじゃないんだけど)

 

煉獄杏寿郎と宇髄天元を選択肢した理由として、二人に共通するものがある。それは――――原作の刀鍛治の里編で既に戦力外にいるという点だ。

 

この刀鍛治の里編に他の柱を導入した場合、下手をすれば大怪我を負い、戦うべき場面で登場できないかもしれない。それを踏まえて考えると、怪我や死亡しても問題ない柱は煉獄と宇髄しかいないのだ。我ながら最低な考えである。

 

(まあ、冨岡が死んでいる時点で無限城編に支障がでまくっているけどな!)

 

上弦の参を無限列車編の時点で打倒してしまったり、煉獄が生きていて冨岡が死亡してしまったり、原作崩壊ばかり起こっている。先程も述べたが、原作ブレイク現象のせいでこの世界における無惨の打倒が可能なのか不明だ。今の状況で漫画通りに進ませようとあがくのは無様極まりないのかもしれない。だが、ストーリーがガタガタ状態でも、頑張って原作通りに向かわせなくては、鬼殺隊が負けそうな気がするのだ。

 

ストーリーには段階というものがある。きちんとした手順を踏まなければ、本懐を遂げることはできない。よくあるだろう。「あの時の出会いが」「何気ない言葉が」この先の未来を変えた展開が。漫画というのは過程があって、結果が出る場合が個人的に多いように思うのだ。

 

だから、無理にでも原作通りに進めようと思う。刀鍛治の里編に柱二名ぶち込む時点で原作崩壊もいいところだが、それは選択肢のせいなので仕方がない。できうる限り修正をしよう。

 

本来なら炭治郎に丸投げしたいし、彼に任せた方が軌道修正できそうな気がするし、私が出る幕ではないと思う。竈門炭治郎は主人公であり、無惨の打倒を宿命づけられた人間だ。以前にも述べたが、きっと彼ならば軌道修正をしてくれる……と、思う。

 

(だけどな……選択肢パイセンには逆らえないし……。鬼殺隊に在籍しておかないと無惨に殺されるしな……)

 

世知辛い。遠い目をしながら私は最後の芋を口へ放り込む。スッと目線を横へ向けると、煉獄と宇髄もあの大量の芋を消費し切ったのか満足そうな顔をしていた。煉獄は手拭いで口元を拭き、宇髄は歯に挟まった芋を爪楊枝で掃除している――――その瞬間だった。

 

刀鍛治の里の方面からカンカンカンッと鐘の音が聞こえたのは。

 

刹那、凄まじい速さで宇髄と煉獄は動いた。

 

宇髄は一瞬の間に私を俵抱きにして音の方向へと駆け出す。息をつく暇もなく、二人の隣にいた煉獄は刀を抜いて宇髄の後に続いた。先程まで芋を陽気に食べていたとは思えぬ素早さである。瞬く間に待機場所からどんどん遠ざかり、刀鍛治の里まで一直線で前進していた。

 

自分では決してだせないスピードに、思わず私は「おお」となる。流石は柱だ。地味に感動していると、煉獄は走りながらこちらに向かって叫んできた。

 

「全く! 里からこれほどまでに離れた場所で待機とは! 駆けつけるのに時間がかかる!」

「これには理由がありまして」

「その理由を派手に話せっつってんだよ! お前のそういうところ本ッッッッ当に嫌いだわ!」

「はは。すみません、宇髄」

「笑うな!! しかも、なんでお前ェ抱えられてるくせにそんな派手に態度デケェんだよ!! 俵抱きで寛ぐな!」

 

緊張して気を回せないんだよ察せ!!

 

口や内心ではかるーく喋れるのだが、身体は緊張で動かないのである。あれだ。「口は生意気だけど身体は素直なんだね♡」ってやつだ。片腕がなく、例え、全盛期ですら上弦に敵わないのに刀鍛治の里編に介入しなきゃいけない。それが死ぬほど恐ろしいのだ。恐怖と緊張で身体がいうことを聞かず、手足をぷらーんぷらーんと幼児のように揺らしていた。これは宇髄も怒る。

 

(それにしても、待機場所を遠くにしててよかったなあ…)

 

現地に駆けつける時間が遅れるだろう。内心で「よしよし」と頷く。

 

私が音柱・炎柱との待機場所を刀鍛治の里が離れたところにしたのには訳がある。理由は簡単だ。選択肢のせい――――と言いたいところだが、今回は違う。

 

ただ単に時間稼ぎのためだ。

 

この二人の到着時間が延びれば延びるほど、炭治郎達が戦う時間が増える。つまり、それは主人公御一行様の成長に繋がるということ。故に、できるだけ追加人員である宇髄と煉獄の到着は遅いほうがいいというわけだ。

 

そして、上弦が弱ったところで音柱と炎柱が駆けつけ、鬼を打倒。上手くいけば、明道ゆきが上弦の頸を刎ねられるかもしれない――――そんな自己中な理由で柱を刀鍛治の里から離れた場所に待機させたのである。

 

選択肢が理由ではなく、自己判断の時点で私はクソオブクソだ。炎柱達の到着が遅れるほどに里の者達は死ぬだろう。我ながら明道ゆきは最低である。正直、罪悪感で胸がいっぱいだが、今更だ。こうなったらとことん悪に染まってやる。

それに、考えてもみてくれ。原作では炎柱達の増援はないのだ。それを思えば、私は最低じゃな……いや、まごうとなき最低女だな。うん。すみません。

 

己のクソさ加減に若干遠い目をしたとき、視界がぐるんと回った。突然のことに三半規管が刺激され、喉から色々なものが迫り上がってくる。

有り体に言うと、酔った。乗り物酔いならぬ、宇髄酔いである。

 

私は「ウプ」と口を押さえながら前を向く。そこにはおびただしい数の棒状の『何か』が地面に突き刺さっている光景が広がっていた。確か、先程まで我々がいた場所である。あのまま宇髄と煉獄が攻撃に気が付かず、走っていれば、今頃蜂の巣状態だろう。

 

(全然攻撃に気が付かなかった)

 

恐らくは鬼からの襲撃に違いない。これだから鬼退治は嫌いなんだ。一瞬の気の緩みや、実力が足りなければ、直ぐに殺される。はーーーーーまじやってらんねーーーー。クソゲーじゃん。

てか、こんなところにも鬼が出没してるのか。無惨達、刀鍛治の里を潰すために気合が入りすぎだろ。刀鍛治の里から私達がいる場所は、まだ結構離れているぞ。

 

あれこれこちらが考えている間に、宇髄は私を一旦落として迎撃態勢をとった。雑に放り投げられたため、尻が痛い。その傍ら、煉獄は刀を構え直し、目を細める。

 

「派手に嫌な予感がするな」

「ああ、同意だ」

 

柱二名の『嫌な予感』なんて聞きたくなかった。ちなみに、私は嫌な予感も何も、まっったく感じていない。仕方がないので二人と同じく顔だけはシリアスを気取っておく。

ゴクリと息を呑んだ時、木々の物陰から『声』が聞こえてきた。気の抜けるような、明るい声だ。その『声』の人物はぬっと顔を出し、笑みを浮かべる。

その人物を見て、私は目を見開いた。

 

「いやはやまさか。まさか柱と出会えるなんて。しかも、そこにいるのは『明道ゆき』ちゃんじゃない? やっぱり俺は運がいいなあ!」

 

白橡色の頭髪。表面には血をかぶったかのような赤黒い模様が浮かぶ。手には鉄製の扇子を携え、赤と黒を基調とした独特の服を着用。目は虹色に輝き、片方に『上弦』、もう片方に『弐』の文字が刻まれている男が目の前にいた。間違いない。この鬼は――――。

 

 

――――上弦の弐・童磨だ。

 

 

そんなことってある?!

今なら善逸とタメを張れるレベルの顔芸を披露できそうだ。それくらい驚愕したし、慌てていたし、どうしたら良いか分からなかった。痛む頭を押さえながら私は必死に思考する。

 

何故、刀鍛治の里編で童磨がでてきているんだ。こいつの出現は無限城編からだぞ。……いや、そういえば、原作ブレイクの一つである冨岡殉職の際に童磨が登場していたな。冨岡を殺害した鬼二体のうち一体はこいつ童磨だったはずだ。

なるほど。ならば、この刀鍛冶の里編で童磨が再び出没してもおかしくない。原作通りに進んでいないのは今更である。

 

(くっそッこんなところまで出張してくんなよ)

 

不確定要素が多すぎて真面目に辛い。だから退職したかったんだよ。本当に頭を抱えたい。刀鍛治の里編で童磨に登場されると非常に不味いんだよね。私の原作知識は十七巻までで、無限城編での童磨戦は途中までしか知らないのだ。倒し方がさっぱり分からない。能力が未知数すぎる。

 

(胡蝶しのぶがこの場にいれば良かったのに)

 

上弦の弐へと復讐するため力をつけている『童磨絶対コロスウーマン』こと蟲柱の顔を思い浮かべる。童磨戦に於いて胡蝶しのぶは必要不可欠な人物だと私は思っていたからだ。

 

明道ゆきの推測でしかないが、十七巻に於ける無限城編・上弦の弐戦で童磨が蟲柱を喰らっていたことから、胡蝶の身体に蓄えられていた毒で童磨は弱体化したのではないだろうか。

明道ゆきは知っていた。胡蝶しのぶは日夜、藤の毒を喰らい、その身を毒そのものにしていたことを。

十七巻までに胡蝶が藤の毒を蓄えていた描写はなかったため、もしかしたらこれは原作崩壊の一つなのかもしれない。だが、十七巻より先の展開的に『胡蝶の毒で童磨を弱らせた』という方が盛り上がるだろう。故にこの事実を私は「十七巻以降に載るはずだった設定」としてみなしていた。

 

ちなみに、話を聞いたときは「流石は胡蝶しのぶ。復讐やり遂げる気満々だな」と戦慄したものである。

 

私の予想が合っているのなら、この場に胡蝶しのぶがいない今、童磨の打倒は困難に違いない。捨身戦法をしなければ童磨には勝てないことになるからだ。

 

(これだから鬼滅の世界は嫌なんだよ……読むだけならめちゃくちゃ好きなのに……)

 

自分もまた宇髄や煉獄のように刀を抜いた――――その時。

 

肩にズンッと衝撃が走った。

 

身体が宙に浮き、後方へと飛ばされる。猗窩座のときのような、まるでミサイルを身に受けたような威力だ。思わず目を見開く。景色が凄まじい勢いで流れていく中、バッと肩を見ると、深々と棒状の『何か』――――つららが突き刺さっていた。

 

「しまっ、」

「明道!」

 

煉獄と宇髄が慌てたように手を伸ばすも、既に時は遅し。自分の肩につららが突き刺さった衝撃で、私は二人からあっという間に離れてしまった。しかも、運の悪いことに自身の後方にあるのは地面ではなく――――崖。

 

いや、待ってェ?!

 

咄嗟に何処かに捕まろうとした。だが、明道ゆきは雑魚オブ雑魚。瞬時に状況を判断し、回避行動を取るなどという、人並外れた身体能力は披露できない。

 

童磨の「あ、これだけでそんなに飛んじゃう?」とビビったような声をBGMに、私は谷底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

「死ぬかと思った。真面目に死ぬかと思った……!!」

 

川の流れが遅くなった場所に私、明道ゆきはいた。ゼーハーッゼーハーッと荒い呼吸を繰り返しながら四つん這いになって打ち震える。生まれたての子羊のようにガクガクと足を震わせつつも、川から岸へ足を伸ばした。

 

ビショビショになった髪が顔にへばりついて気持ち悪い。水を吸ったせいで隊服が重くてマジ無理。

 

「いやでも不幸中の幸いか。下が川で良かった……」

 

しかも、崖の高さもそれ程まで高くなかった。それでも川に突き落とされたので、全身鞭打ちされたように痛い。打ちどころが悪ければ、下が川だとしても死んでいただろう。だが、川でなく地面であれば打ちどころもクソも何もなく即死だったはずだ。

 

(あ、でも、他の柱の場合、落下場所が地面でも生きてそうだな。私の雑魚さ加減やべぇわ)

 

後ろ向きな思考をしつつも、大小様々な小石が転がる岸に仰向けで転がる。大の字になって寝そべった。チラリと左に視線を向けると、隊服が破れ、血塗れになっている肩が目に入る。先程、童磨の攻撃を受けた部分だ。刺さったつららは私が川に落ちると同時に、取れてしまったらしい。つららという栓がなくなった肩からはどくどくと血が溢れている。

 

「このままじゃ死ぬじゃん……。ちくしょうこれだから鬼は嫌いなんだよ……。早く滅せられろ……」

 

周りに人がいる状態では決して口にださない気持ちをブツブツと呟く。誰もいないのを良いことに私は本音をぶちまけていた。

 

真面目に鬼は早めに全滅して欲しい。読者であったころは上弦の鬼や他の鬼達が好きだった。だが、今は「あの上弦が好き」とか「あの鬼にも良いところがあって」などとは口が裂けても言えない。だってあいつら人間を殺すんだもん……。人間にとっては死活問題だ……。こんな痛い思い、もうしたくない……。前世のファンにはボコられる可能性あるけど……。

 

溜息を吐いた後、寝転ぶ体勢から起き上がる。羽織を破って傷を止血した。直ぐに真っ白な羽織が赤くなっていくのを見て微妙な顔になる。

不意に顔を上に向けると夜空が広がっていた。星の輝きを目に写しながら「うん」と私は頷く。

 

「よっしゃ帰ろ」

 

何言ってんだお前?! と思うよな。分かる。分かるよ。皆まで言うな。

 

よくよく考えてくれ。私はもう頑張った。十分頑張った。明道ゆきは日本一頑張った。片腕がないのに刀鍛治の里編に介入したし、炭治郎の成長促進や上弦打倒のための画策だって色々したし、超頑張ったんだ。そこに上弦の弐・童磨の介入があったんだぞ。心折れるわ。確かにこの世界、既に原作ブレイク要素てんこもりのどんぶり状態なので、「何かあるかも」と思っていたさ。だが、童磨の登場はない。帰れ。アイツの対処の仕方を私は知らねえ。

しかも、今から刀鍛治の里に行けば他にも新たな上弦が来るかもしれない。嫌だぞ私は。黒死牟とか出てきたら泣く自信しかねえわ。

 

「煉獄達と逸れた今なら、『迷子になりました』とか『他の鬼と戦闘してて駆けつけられなかった』とか言い訳できるじゃん!」

 

そうと決まれば帰ろう。

最低な考えを自分の中で可決させた後、私は森へ向かって歩き出した。怪我を負っているのにも関わらず、足取りは軽い。鼻歌でも歌いたくなるような気分だった。

 

だが――――明道ゆきの人生はそんなに甘くない。

 

まあ、有り体に言うと――――森の中で迷ったのだ。

 

森をなめていた。完全に森をなめていた。しかも、ここは刀鍛治の里の近隣の森だ。きっと迷いやすい森の構造をしているのだと思う。里を隠すため、意図的にお館様はこういった場所を選び、里を配置しているに違いない。今回ばかりはやめてほしかった。救えないことに、持っていたはずの地図は水に濡れて読めない状態である。加えて私は馬鹿なのでこの辺りの周辺情報はすっかり忘れてしまっていた。ふざけんな。

 

(どっちに行けば人里があるんだ……)

 

どうしよう。めっちゃくちゃ泣きてえ。とりあえず戦闘音が聞こえないから命の危機ではないだろうけど。でも、今の私の耳、あまり役に立たないんだよね。川に落ちたせいか、聞こえにくい。絶対これなんか耳にも怪我を負った気がする。クソッ童磨は早く死ね!

 

唐突の童磨ディスりである。暗闇に怯え、誰も傍にいない状態での迷子が故に誰かを罵らなければやっていられなかった。我ながら本当に自分はクソである。しかし、そうしなければメンタルが持ちそうになかった。

 

「しかも、義手の調子も悪いし…」

 

これまた川に落ちたせいか、義手がさっきから動かし辛いのだ。特に手首あたり。手首を回そうとしたらギギギと何かに引っ掛かったような感じで、動かせないのである。これはディスアドバンテージだ。この状態で戦闘になれば義手がお荷物になる。

 

ジッと義手を見て、なんだか私は腹立たしい気持ちになった。恐らく、刀鍛治の里編への強制介入やら童磨による攻撃の怪我やらで鬱憤が溜まっていたのだと思う。私はイライラしながら無理矢理義手の手首を動かそうとした。だが、やはり動かない。「あーーーーついてないなあ! 動けよもう!」と声を上げた瞬間だった。

 

 

――――義手が飛んだのだ。

 

 

ボンッと義手から火花が散り、爆発したと思えば、煙をあげ、ドンッと肘あたりから左手が飛んだ。ロケットミサイルの如く凄まじい勢いでブォオオォオンと義手が前へ前へと飛んでいく。義手が前方へと飛んだ勢いで、私は後ろへと全力で吹っ飛ばされた。でんぐり返しを三、四回繰り返して木に激突するぐらいの威力である。あまりの衝撃に私は目を回した。

 

その瞬間、思い出すのは独特のお面と、あの言葉だ。

 

――――氷柱様の義手、必ずや『超大合体!カラクリ氷柱・明道零式!』みたいにしてみせます!

 

「こ、小鉄父ーーーーーッッ!!」

 

あの野郎、私の知らぬ間にやっぱり改造してやがったなァ?!

おかしいと思っていた。夜、トイレに行こうとしたらベッドの横に置いていた義手がなくなっている時が一回だけあったのだ。あの時か。たった一回で改造できるもんなのか。ふざけんな。

 

飛んでいった義手を全力で追いかけつつ、私は内心で小鉄父を罵る。絶対にあの男をシメる。必ずシメる。そう心に誓いながら。



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其の二十四: 「音柱は手を掲げる」

「杏寿郎くんと天元くんだったかな。君達中々強いね!」

 

上弦の鬼・童磨は対の扇を武器として構えながらニパーッと満面の笑みで笑った。それを見て俺――――音柱・宇髄天元は眉をひそめる。「割りに合わない戦いだ」と強く思ったからだ。先程から煉獄と共に童磨に対して攻撃を試みているが、驚異の再生力で傷をなかったことにされてしまう。俺、宇髄が遊郭で倒した上弦の陸を遥かに上回る強さだ。既に傷だらけの身体を抱えてため息を吐く。

 

(厄介なのは再生力だけじゃねえ)

 

冷気を操る血鬼術。これが非常に厄介だ。一見単純な術だが、汎用性が高く、どの技も広範囲高威力の上に、技自体の数が多い。加えて恐ろしいことに、この術の冷気を吸ってしまうと肺が壊死するときた。これは鬼殺隊士にとっては死活問題である。呼吸による身体強化を封殺されてしまうからだ。

 

しかも頭が痛いことに、この童磨は元々の戦闘能力が高く、高い観察眼と洞察力を併せ持っている。煉獄と俺、宇髄の合わせ技や戦術を冷静な目で観察し、看破してくるのだ。やりにくいったらありゃしねえ。流石は上弦の弐の位を戴き、あの花柱・胡蝶カナエを殺しただけはある。

 

(早く譜面を完成させねえと)

 

譜面。聴覚と指揮官能力を統合した戦闘計算式だ。相手の攻撃動作の律動を読み、脳内で音に変換。そして、相手の癖や死角を読み取って、唄に合いの手を入れるが如く音の隙間に攻撃して打撃を入れられるようになる戦術だ。俺、宇髄天元の持つ強みの一つと言えるだろう。だが、童磨に対する譜面が中々完成しねえ。鬼なんざ散々化け物だ何だと思っていたが、この上弦は桁違いだ。まあ、譜面が完成しないのは仕方がねえ。最後の『部品』が欠けているからだ。

 

そう考えながら、俺と煉獄は刀を構えてジッと童磨の様子を窺う。それを見た上弦の弐は眉をハの字にした。首をコテと傾げ、不思議そうな声色で話し始める。

 

「ねえ、猗窩座殿を倒した柱の一人は杏寿郎くん、君かい?」

「いかにも」

「………そうかあ」

 

煉獄の言葉を聞いた瞬間、童磨はポロリと涙を流した。戦いの場にそぐわない涙に俺は怪訝な顔をする。童磨はそのまま目を押さえながら言葉を紡いだ。

 

「悲しい。一番の友人だったのに。悲しい。悲しいよ。なんて酷いんだ。俺は猗窩座殿の友人として敵討ちをしないと」

 

薄気味悪いほどに童磨の声には感情が乗っていなかった。己の耳に入ってくるのは奴の心が動いていない声色だけ。

それを聞いて俺はゲンナリとした顔になる。この童磨が今、浮かべているのは、忍びの者のような『無』の心。まるで人間を演じている人形の如き能面さの感情だった。思わず俺はぶっきらぼうに童磨を罵る。

 

「テメェ派手に何も感じてねえんだろ。薄気味悪ィこというんじゃねえ」

「なんでそんなこと言うんだい。俺は悲しんでいるのに」

「本当に友人の死に悲しんでるならもっと気持ちが昂ってるだろ。ふざけてんのか」

 

そうだ。この男はただ悲しみを演じているだけ。本当に仲間の殉職に嘆いているのなら顔色が変わり、もっと動揺していてもおかしくない。――――あの明道のように。

 

俺、宇髄天元の脳裏に浮かぶのは明道ゆきだ。冨岡の死を聞き、明道ゆきは動揺し、泣き崩れたのだと言う。どんなことがあろうとも心を乱さず、笑顔の裏に冷徹さを兼ね備えていた明道。その彼女が泣いたのだ。

 

実のところ、俺は明道ゆきという女を、ただ最善の策を練り、最適な道を選び、冷酷な判断を下す機械としか俺は思っていなかった。だが、童磨を見て改めて感じた。明道ゆきという柱に感情はあるのだと。

 

目を閉じ、思い出すのは明道のことだった。

 

 

 

 

氷柱・明道ゆきは智謀の剣士だ。

 

本来ならば武力で鬼の頸を切るところを、己が策略を以って敵の打倒に至った者。いっそ哀れになるくらいに剣の才はないが、それを補うどころか、凌駕するほどの智謀で他の柱と同等の戦果を残す傑物。

 

人柄は物腰柔らかで、常に笑みを浮かべ、穏やか。周りから「実力が足りてない」と疎まれることも多いが、人格者であり、その類稀なる智謀から、柱として認められた剣士。それが明道ゆきである。

 

だが、それは鬼殺隊の平隊士に共通する認識だ。驚くべきことに一部の柱からは非常に嫌われている。その筆頭として挙げられるのは不死川だろう。あの煉獄にさえ、「明道は尊敬すべき同僚だが、許せない人物でもある」とまで言われているのだ。余程のことをあの明道はしているに違いない。一定の人物からは疎まれる存在となっている、それも明道ゆきの側面の一つだ。

 

――――ここまでは客観的に見た明道ゆきである。

 

俺、宇髄天元から見た明道ゆきは『合理的に判断を下す機械』だった。

 

明道は賢い。賢いで終わってしまうのがおこがましいほどに奴は頭が回った。俺は忍者の頭領になるための訓練を受けた経験があるが故に、前線における戦術指揮官としての能力は柱の中でも上位の分類である。その宇髄天元様があの明道の頭脳に関してだけは太鼓判を押してもいいくらいに認めていた。

 

隊内で明道ゆきの評価に人によってかなりの差があるのも、明道が意図的に作り出したものだ。鬼殺隊を円滑に運用するため、人によっては嫌われたり好かれたりすように手を回している。それにより隊内での統制を図っているのだろう。

 

そこまでならまだいい。

明道ゆきという柱が恐ろしいのは忍びの如き無感情で人の生き死にを判断することだ。

 

鬼の討伐において犠牲者が必要と判断したら躊躇なく切り捨てる。最善の結果のために少数を死なせるのだ。だが、鬼殺隊に所属していればその判断も仕方がないことである。明道の策で、より多くの人間が救われていることは事実だからだ。

まあ、そもそも忍びをやっていた俺がとやかく言えることじゃねえ。奴をこの件で責めて良いのは薄暗いことをやってこなかった人間だけだ。

 

重要なのは、明道ゆきが切り捨てた人間に罪悪感一つ抱いていないことだ。無感情に、無感動に、まるで作業かのように人の命を切り捨てていた。いつも朗らかな笑みを浮かべているが、その顔に悲しみの色が出たことはなかったのだ。

 

――――本懐を遂げるためには心は不要。

 

合理的に、冷静に、完璧な判断を下す。鬼を倒すために大多数の命は救うが、小は簡単に切り捨てる。己の弟を彷彿とさせるような明道の振る舞いだった。

 

「思考が完璧すぎて薄気味悪ィな、あの女」

 

明道ゆきという隊士を念入りに調べ、初めて発したのがこの言葉だった。一応、俺の名誉のために言っておくが調査したのは明道だけじゃない。他の柱もだ。前職が忍びという特殊な職種だったため、何でもかんでも調べてしまうのだ。

 

明道ゆきの調査記録の本をパタリと閉じて考えるのは彼女の機械的な合理主義である。鬼殺隊には明道のような人間も必要だろう。だが、見ていられない。俺という人間は『心』を生命の消耗品として扱う忍びのやり方に疑問を覚え、里を抜けた経歴がある。明道ゆきが合理的な判断の下、誰かの命を消費するのは……なんとなく、見ていられなかった。

 

それからだろうか。

まるでかつての弟への罪滅ぼしかのように俺は明道に絡むようになったのだ。

 

それでも明道ゆきという人間は変わらなかった。やはり心を変えるのは難しいのか――――そう思っていた時である。

 

冨岡義勇が死んだのは。

そして、明道ゆきが泣いたと聞いたのは。

 

冨岡の死に様を聞き、無惨が氷柱を追っていると知り、明道ゆきは静かに涙を流したのだと言う。身体を震わせながら、無表情のまま泣いていたと。上弦の陸を討伐し、病室のベッドで煉獄からその話を耳にした時、柄にもなく驚いたことを今でも覚えている。

 

あまりに驚きすぎて自身の怪我を顧みず、明道の病室の天井に忍び込んだほどである。天井裏から見た明道の目は見事に腫れ、『泣きました』と言う顔をしていた。加えて、まだポロリポロリと涙を目尻から流しているではないか。降りしきる涙という雨を見て、ストンと胸にとある感情が落ちるのが分かった。

 

(ああ、そうか)

 

明道ゆきは感情がなかったわけじゃない。氷柱・明道ゆきには確かに誰かを想う心と情があるのだ。明道ゆきという柱は、感情の全て智謀の力とし、類稀なる頭脳で直向きに内心を隠し続けただけの――――ちっぽけな人間だった。感情を持った、ただの人間なのである。今、この場で泣いているのはずっとずっと明道ゆきが犠牲にしてきた、明道の『人』としての側面なのだろう。

 

明道ゆきはきっと後悔し続けているのだ。

 

明道の経歴には『義父が鬼となり、彼女自身が殺した』というものがあった。加えて、明道の師範も兄弟子も全員死んでいる。ただこれは、同情するほどのことではない。鬼殺隊に所属していれば明道のような者はごまんと居る。しかし、そういった経緯のある隊士ならば必ず激しい感情を見せるはずなのだ。それを誰にも悟らせず、笑顔を浮かべている時点でおかしいと思うべきだった。

 

明道ゆきは後悔しているからこそ、自分を犠牲にすると決めた。心を生命の消耗品にして、人々の安寧のために生きることを覚悟したのだ。他の柱と劣らぬ熱き『心』が明道には――――存在していた。

 

だが、今回ばかりは明道ゆきは『心』を隠せなかった。冨岡が死んだからだ。それくらいに明道は冨岡が大切だったのだろう。不意に涙を見せてしまうほどに。明道ほどの隊士ならば冨岡の死の原因となった上弦の出現を看破していてもおかしくない。だが、それができなかった。きっと答えは一つだけだ。

 

「明道も人間ってわけか」

 

明道ゆきは人間だ。どれほど化け物じみた智謀を持とうとも完璧には至れぬ、人という種族なのである。

 

きっと、明道にとって不測の事態が起きたのだろう。だから、冨岡義勇は死んだ。だから、明道ゆきはここまで泣いているのだ。そもそも、今まででも明道の作戦内に犠牲者が出ている時点でおかしいと思うべきだった。完璧な人間ならば犠牲もでないはずだ。そんな簡単なことにさえ気がつかなかった。いや、明道の手により『気がつかせないようにさせていた』のだろう。

 

明道の姿を天井裏で見た後、直ぐに俺は離脱した。自身のベッドに戻り、再び考えるのは奴の『退職届』の件だ。煉獄は「明道が退職届を懐にいれていてな。柱合会議の際、落としたのだ! 何故、退職届なんぞ明道は持っていたのだろうか」と不思議がっていたものだ。だが、今の俺の中には、なんとなくとある考えが浮かんでいた。

 

「明道、お前――――疲れた、のか?」

 

長い間、前線で心を消費し続けるのは疲れるだろう。しかも、片腕まで欠損させたのだ。鬼殺隊を辞めることを視野に入れても仕方がない。だが、きっと明道のことだ。もしも辞めても後方勤務を務め、活躍するに違いない。それでも今回、明道は退職届を落とした。いや、この場合は『捨てた』のだ。理由は至って簡単で、陳腐なものだろう。

 

――――冨岡が死んだからだ。

だから、まだ前線で戦い続けることを選んだのである。

 

俺は夜の病室で右手を掲げる。上弦との戦いは熾烈なものだった。だが、今までの経験や柱達との切磋琢磨により上弦の打倒に至ることができた。しかも、上弦の陸の打倒に成功しただけでなく、五体満足でこの場に存在できている。片腕くらいなくなる覚悟は決めていたが、何一つ欠けずに生きていた。嫁も、炭治郎達も、全員無事だ。

 

そこまで考えて、俺はギュッと拳を握った。胸に手を近づけて独りごちる。

 

「嫁達に、良い言い訳考えねえとなあ……」

 

上弦の鬼を打倒したら鬼殺隊を辞めると言っていた。だが、まだ俺は鬼殺隊で戦うべきだろう。なんせ、ただの『少女』が片腕をなくしても、大切な人をなくしても、戦う覚悟をしているのだから。ここで俺が戦わずして、どうするというのだ。

 

――――こうして、宇髄天元には戦う理由ができてしまったのである。

 

 

 

 

 

明道ゆき及び、自身の戦う理由を思い出して俺は静かに前を見据える。そこには相変わらず薄気味悪い涙を浮かべる上弦の弐・童磨がいた。

 

(明道の涙とは大違いだ)

 

冷徹だと思っていた明道ゆきの涙には確かに感情があった。目の前の悪鬼の涙には何の色も浮かんでいない。それを改めて確信したところで童磨は片眉をクイと上げる。不満そうで、殺意が抑えきれない顔をしていた。

 

「何でそんな酷いことを言うの。俺が猗窩座殿の死に悲しんでないなんてこと」

「ハッ見たら派手に分かるんだよ。感情のある奴と、感情のない外道の違いくらいは――――なっ!」

 

俺はその言葉と共に走り出した。鎖で持ち手の先端同士を繋いだ大振りの二本の日輪刀を取り出す。そのまま二本の刀を高速で回転させた状態で馬鹿正直に正面から突っ込んだ。無数の爆発を周囲に発生させながら流れるような連続の斬撃を放つ。

 

「音の呼吸・伍ノ型『鳴弦奏々』!」

「新しく見る技だ。これも煩くて派手な技だね。無数に爆発しているせいで騒がしくて何も聞こえないや」

 

余裕綽々といった様子で童磨は扇子を掲げる。難なく俺からの連続の斬撃を扇子で軽く往なしていった。だが、想定済みだ。これくらいで打倒できるならば他の柱は死んでいないだろう。俺は不意に笑った。

 

――――次の瞬間、童磨の背後から赤き刃が現れる。

 

毛先だけ赤みがかった金髪に、炎を象った羽織をはためかせて、煉獄杏寿郎が刀を振り上げる。俺の技の爆音により煉獄の存在を気がつかせないようにしていたのだ。宇髄天元はただの囮り。布石に過ぎない。煉獄の金と赤が混じった瞳が耀く。そのまま彼は炎が燃え上がるような凄まじい威力で童磨へ突撃した。

 

「炎の呼吸・壱ノ型『不知火』!」

 

だが、外れた。煉獄の攻撃は童磨の頸を掠めるだけで終わったのだ。童磨はひょいと身体を翻して俺達二人から離れようとしていた。しかし、その最中、少しばかり驚いた顔をこちらに晒す。

 

「びっくりした。まだ連携の戦術があるんだ。大体は見終わったと思ってたのに。ボロボロなのによくやるねえ。だけど、もう策は――――」

「尽きたって?」

 

そんなわけねえだろう。何故ならば、譜面はつい先程完成したからだ。そう、『ヤツ』の存在をもってして、譜面は形作られた。今回の戦いにおいて、俺と煉獄の二人だけでは譜面を完成させることは不可能だった。『ヤツ』がいなければ、今回の策は練る事はできないからだ。だからこそ、今の今まで譜面の作成が無理だった。だが、最後の『部品』が揃ったことにより、ここに譜面は完成した。

 

俺は不意に笑う。童磨が怪訝そうな顔をした――――その瞬間だった。

 

――――上弦の弐・童磨の顔面に義手が横から叩き込まれたのは。

 

あの義手は明道のものだ。まるで爆弾の落下が横に書き換えられたかのような、右から左への強い衝撃だった。それを見て目を細める。童磨にこの打撃が通ったのには二つ理由がある。一つ、俺の音の呼吸・伍ノ型『鳴弦奏々』の騒音により、義手の移動音を隠したこと。二つ、煉獄の攻撃で童磨の意識を奪ったこと。この二つが合わさった結果、最善の瞬間に、最適の場面で、童磨の頬に明道の義手を叩き込むことに成功したのだ。

 

(刀鍛治のおっさんもいい仕事しやがる)

 

夜中、いそいそと明道の義手を改造していた刀鍛治のおっさんを思い浮かべる。最初、あのおっさんに遭遇した時は不審者かと思い、排除しかけたものだ。しかし、途中、明道の依頼により義手の改造に勤しんでいると聞き、刀を納めた。全く、明道とくれば義手の魔改造依頼なんて真似、素人なのによくするものだ。間違えて暴発したらどうする。

 

一瞬の間におっさんと明道のことを思い出していたら、童磨が木々に叩きつけられた。奴が「グッ」と呻き声を漏らしたと同時に煉獄が頭上から刀を振るう。

 

「炎の呼吸・伍ノ型『炎虎』!」

 

ドンッと爆発したような音が広がった。次の瞬間、周りには冷気が満ち始める。どうやら童磨が煉獄の技を相殺するため、血鬼術を発動したようだ。その反動からか、冷気だけでなく、モクモクと煙が立ち込めていた。煉獄はくるりと身を翻して飛び、スタリと俺の隣へと並び立つ。俺達は静かに刀を構え直した。

 

煙が段々晴れてくると、上弦の弐の姿が現れる。片腕が欠損し、他にも身体に傷を負った状態の童磨がそこにいた。奴は少し不機嫌な様子を隠さないまま、こちらに向かって言葉を放つ。

 

「あーあー。ここまでやられたのは久しぶりだよ。しかもあの義手の爆弾は何かな。爆発の威力は凄いし、なんか身体が動かないんだけど。毒でも入ってた?」

「気分はどうだ?」

「最悪だよ。だから、そろそろ本気を出そうかな」

 

 

「――――本気とやら、本当に出せるのかねえ?」

 

俺が静かに笑みを浮かべると、童磨は再び怪訝そうな顔になった。何を言われているのか分からないという表情だ。無理もないだろう。奴は気がついていないからだ。

 

何故、明道ゆきがわざわざ刀鍛治の里から離れた位置に俺達を待機させたのか。何故、明道が早々にこの場から離脱したのか。全ての事柄に理由があるように、明道の行動にもそれ相応の理由がある。戦いの最中、俺もようやく気がついた。

 

(全く、明道は仕方がねえやつだ)

 

刀鍛治の里の周辺の森は非常に高い木々が多く、日中でも夜のように暗い所が多い。故に、空の様子がずっと分からない状態だった。だからこそ、明道はこの場を戦地としたのだ。だからこそ、明道は早々に離脱したのだ。

 

俺はスッと上空に手を掲げる。先程の明道による義手爆弾により木々が倒れ、空が既に見えていた。そう、全てはこの時のために、明道はこの場から離れた。この時間に童磨への不意打ちの攻撃をするために。

 

俺はニヤリと不敵に笑い、言葉を紡ぐ。

 

「なあ、童磨さんよォ。

 

――――朝が来たぜ」

 

キラリと輝きを増す太陽を指差して更に笑みを深める。俺の背後にはきっと朝日の光が差し込んでいるだろう。自身の眼前には目を見開く童磨があった。その彼から少し離れた後方に、明道の姿が見える。明道ゆきもまた、俺と同じように小さく笑みを浮かべていた。太陽の光を受けて、明道の青緑色の瞳が耀く。

 

 

 

鬼の時間は終わりを告げる。

 

 

 

 

 




次回予告:明道ゆき、ストーカー被害に遭う



(皆さまお久しぶりです。八月の新刊として、「もしもオリ主が別の選択をして、鬼化ルートに進んでいたら」IF番外ルート本を頒布することとなりました。良ければ見てもらえると凄く嬉しいです。詳細は活動報告にて)


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柱稽古編
其の二十五: 「稽古」


皆さんお久しぶりです。

列車編、観ましたか。凄く良かったですよね。
後、鬼滅最終巻がついに出てしまいました。最終巻が出ると遂に終わりかと思って本当に悲しくなりますね。
また、「もしもオリ主が別の選択をして、鬼化ルートに進んでいたら」IF番外ルート本の後編をエアコミケ2で頒布します。詳細は活動報告にて。


 

 

気がつけば刀鍛冶の里編が終了していた件について。

 

ラノベのようなタイトルが脳内に浮かんだ。自身の屋敷『氷柱邸』の廊下で、ぼんやりと空を見上げる。太陽の光が目に痛かった。右の小脇に大量の資料を抱えつつ目を細め、溜息を盛大に吐く。童磨につけられた肩の傷跡が若干痛んだ気がして、しょっぱい顔をした。もう完治したはずなんだけどな……そう考えながら思い出すのは原作ブレイク刀鍛冶の里編だ。

 

(刀鍛冶の里編、本当に色々あったな……)

 

いやほんともう色々ありすぎてお腹いっぱいだ。刀鍛冶の里編に介入するだけで勘弁して欲しいのに、追い討ちをかけるように童磨との遭遇である。しかも、童磨戦での鬼殺隊側の人選が胡蝶ではなく煉獄と宇髄ときた。真面目に頭を抱えたかったものだ。

 

ここで煉獄と宇髄が戦線離脱するような怪我を負えば原作通りとなり万々歳ではある。だが、逆に童磨が死ぬのは不味い。更なる原作ブレイクの一歩となり、無惨が倒せなくなる可能性がもっとアップしてしまうからだ。そうなったら困るのだ――――私がな!! 自己中すぎて申し訳ねえ。だが、何度も言うがこれが私、明道ゆきである。

 

突然の童磨戦において、なんとか私は童磨戦から一時的に離脱できたが――――まさかの再び童磨との遭遇である。しかも、気がついた時には自身の義手が童磨の顔に猛烈パンチをキメていて、木までぶっとばしていた。流石のこれには顔が真っ青になったものである。

 

―――あ、これ死んだな私。

 

冗談抜きでそう思った。しかも、その時、私は宇髄と煉獄が童磨の近くにいることを知らなかったので「童磨、あの二人を撃退した感じか。えっ、うそ、今この場にいるの私一人?」と勘違いして余計に己の死を覚悟したものだ。

 

だからこそ、朝が来た時は狂乱した。

 

ヒャッハァ!! 朝だぜ化け物ォ! と自分の実力のなさを棚に上げてイキリまくったものである。朝の光のお陰で宇髄達を発見できたこともイキリに拍車をかけていた。完全に有利な立場になったことを自覚した結果、得意げな笑みを浮かべ、間抜けにも童磨の前に出るくらいには調子に乗った。今思えばよく死ななかったなと思う。いやほんとよく死ななかったよな私。

 

その後、童磨は直ぐに離脱したため、明道ゆきの『刀鍛冶の里編』での戦いはそこで幕を閉じた。

 

そこまで思い出して、私はふむと義手の左手で顎のあたりをさする。内心でひとりごちた。

 

(総合的に見ると、刀鍛冶の里編は中々上手く行ったかもしれない)

 

童磨と遭遇したことにより、原作にはなかった追加人員が直接『刀鍛冶の里編』での戦闘に加わることはなかった。結果、炭治郎は漫画通りの道筋をたどり、私の知識と同じような経験を積んでくれたのである。それを思えば上手くいった――――じゃねえわ。肝心なこと忘れてた。

 

――――無限城編までに登場する上弦の鬼が全滅したッ!!

 

どうしよう。絶望で天を仰ぎたい。

確かに、左手が欠損している状況で、上弦の鬼の打倒は無理だと分かっていた。『上弦を倒さねば二十五で死ぬ』呪いの解除は最早不可能だと理解もしていた。故に、私は呪いを解くのを諦め、穏やかな人生を歩むと決めてはいた、そう、『いた』のだ。だが、頭で理解するのと、感情は別問題である。やっぱり現実を突きつけられると辛い。認めたくない。しかも、残りの人生を幸せに生きるつもりだったのに鬼殺隊も辞めれていないし。なんなの? ほんとなんなの?? 辛すぎない??

 

(しかも、私が戦闘スタイルを全て知っていて、現在生きている上弦といえば一人しかいねえ。無限編に出てくる新上弦の獪岳くらいしかいねえんだけど!)

 

残る上弦が一番強い黒死牟と、二番目に強い童磨、そして獪岳と同じく新上弦の鳴女である。残った上弦の人選が酷すぎる。半分くらい笑えないほど強いやつしかいなくて泣きたい。しかも、獪岳以外は全員、戦闘スタイルや血鬼術の全貌を途中までしか知らないので、まさしく『詰み』状態だ。呪いの解除は不可能だと言いまくっていたが、完全に不可能になった。

 

頭が痛い。逃げたい。しかし、鬼殺隊を今、辞めたり、逃亡したりすれば無惨に殺されかねない。それ故に私は『如何にして戦いを回避するか』に専念する必要があった。鬼殺隊の人達は皆、明道ゆきのことを『片腕なくても頭脳労働が本職なんだし、全然前線にいても大丈夫だろ』と考えていらっしゃるからだ。マジで勘弁してくれ。

 

だからこそ、私はせっせと、目の下の問題、『無限城編回避』のための準備を進めていた。無限城にだけは死んでも行きたくねえ。黒死牟や童磨だけでなく、数多の鬼があそこにはいる。しかも、あの無限城編だけは鳴女の能力により彼女が作った空間に閉じ込められるだけで終わらず、強制戦闘になるのだ。命がいくつあっても足りない。結果、私は無限城編を回避の算段を必死でしていた。

 

――――でも、その前にやらなければならない『義務』があるんだよなあ。

 

再び重い溜息を吐いた。小脇に書類を抱えた状態で氷柱邸の廊下を歩き続けると、直ぐにとある部屋の前ヘと到着する。深呼吸を繰り返した後、扉の取っ手を横に引いてガラリと開けた。そのまま私は静かに入室する。

 

――――そこには大勢の隊士達がいた。

 

彼らは見慣れた黒の隊服を身にまとい、着席している。机にはノートと筆記用具が並べられ、隊士達の正面には教卓と黒板があった。どこかの学校かのような風景である。

 

(いや、学校といっても差し支えはないかもしれないな)

 

私は無表情のままスタスタと教卓へと歩みを続ける。教卓に到着すると、書類を卓の上に置き、自分の表情を無理矢理に和らげ、笑みを浮かべた。傍から見れば余裕たっぷりなのだろうが、内心大荒れだ。ニコニコと笑いながら黒板を背にして沢山の隊士達をゆっくりと見据えた。

 

この時、本来ならば過度の緊張による冷や汗で己の服はびっしょりになっていたと思う。だが、私はまだ心臓がバクバクと高鳴る程度で済んでいた。

 

と、いうのも、目の前にいる隊士達の大半は顔を真っ青にして机にうなだれているからだ。彼らは吐きそうな顔をして口元を押えていたり、意識を失ったりなどをしていた。つまり、私の方向を見ている人の方が少ない状況なのだ。そのお蔭というべきか、緊張で発狂することもなく自分の正気を保てていた。それでも大勢の前に立つのが私は苦手なので胃痛がしてくる。キリキリとした痛みを感じながら多種多様な隊士達を一人一人見渡していった。

 

(あ、炭治郎達もいる)

 

口元を押さえる炭治郎と玄弥、魂の抜けた表情の善逸、爆睡している伊之助が目に入る。今回の『授業』には炭治郎達がどうやら参加するらしい。ちょっと憂鬱な気持ちになった。

主人公御一行様を見ると、トラブルが起きるような気がして嫌なんだよな。一つ前の『授業』ではカナヲがいたけど、何も起こらなくて本当に良かったと思う。今回もそうであって欲しい。

切実な願いを胸に秘めながら私は静かに口を開いた。

 

「皆さん、氷柱稽古の前半、お疲れ様です。よく頑張りましたね。これから先は柱である私が一部担当致します。さて、後半を始めていきましょうか」

 

――――私がやらなければならない『義務』とは何か?

隊士達に施す『柱稽古』である。

 

簡単に述べると明道ゆきは今、『柱稽古編』の真っ只中にいた。笑みを深めながら内心で頭を押さえる。

 

柱稽古編といえば、刀鍛冶の里編と無限城編の間にある、いわゆる『閑話』みたいなものだ。ずっと戦いばかりは登場人物達も読者達にも疲れや飽きがでてきてしまう。また、次の戦いが以前の戦闘と同じでは面白みがないので主人公を強化する必要がある。そのため、挟まれた息抜き兼主人公強化の章というのが、この『柱稽古編』だ。

 

少しギャグが挟まれていたり、次の章への伏線が入っていたりする『柱稽古編』。いやはやまさか、私がこの柱稽古に参加しているとは。色々と複雑な想いで胸がいっぱいだ。

 

(何で私が教える側にいるんだろうな……)

 

意味不明すぎるポイントその一である。

正直、前世の記憶が戻った時点では、たとえ鬼殺隊士となったとしても平隊士で終わると思っていた。まあ、そりゃあ前世、鬼滅読者だった身からすれば「柱になれたらなぁ」とかいう憧れはあったよ? でも普通、なれると思わないじゃん。平和な世の中で育った人間だぞ。人外的な力を手に入れられるとは思わないじゃん流石に。

 

いや本当に何で私、柱になってんの? 鬼殺隊最強の一角になってるとか頭おかしくない? 剣の才能があり、実力が認められて柱になったのならまだいい。だけど私の場合、選択肢の所為だからな。実力が伴わなすぎて無理。身の丈に合わない地位にいるのってこんな辛いとは思わなかった……胃痛……。

 

(しかもさあ、何? 何でまだ私、鬼殺隊にいるの?)

 

以前にも述べたが、無限城編までには鬼殺隊を辞めているはずだったのだ。本来の予定では最低でも刀鍛冶の里編で上弦を打倒し、柱稽古編辺りではキャッキャッしているつもりだった。

呪いの解除どころか、片腕ない状態で前線ぶち込まれている状況に咽び泣きそう。ここは地獄か? 絶対、無限城編は回避するからな……絶対だぞ……。

 

私が決意を固めていると、目の前の隊士達が頭を抱え始めた。こちらが「氷柱稽古の後半始めるぞー!(要約)」を言った瞬間、一様に皆が皆、頭を抱え始めたので非常にシュールである。ちなみに、これは授業ごとに同じ反応をされるので私は慣れたものだ。

 

一部の隊士が青ざめた顔をさらに青ざめさせながら口々に話し始める。

 

「うっそだろこの状態で始めるの?」

「辛い……。次は何が始まるんだよ……」

「ちょっと今は無理……。氷柱様が他の柱と同じで鬼畜……。やりたくねえ……」

 

と絶望した声色でぶつぶつと呟いていた。天を仰ぐ者までいる始末。善逸に至っては「いやほんと死ぬ。冗談抜きで死ぬ。ちょっと無理なので。本当に無理なので。勘弁してください!!」と咽び泣いていた。

 

阿鼻叫喚な状況を見て、ちょっとだけ自分の顔が引き攣る。

 

(少しはこの様子を見慣れたとはいえ、酷いなあ。つーか、誰だ今、私を鬼畜呼ばわりしたやつは)

 

一つ言っておくが、氷柱稽古がここまで熾烈になったのは私の責任ではない。氷柱邸に育手として勤務する教師達と、弟子の真菰の手によるものである。まるで私が主導して地獄の鍛錬を積ませているかのような話し方をするのはやめろ。

 

しかし、隊士に弁解したところで「何言ってんのお前」と言われるのが関の山だ。なんせ、私は『柱』であり、知謀の剣士と呼ばれているのである。自分で言うのもなんだが、どう考えても明道ゆき自身が部下達へ地獄の稽古をつけるように指示しているようにしか見えない。世知辛い世の中である。

 

ちなみに、前半の氷柱稽古では『隊士達が組ごとに別れ、隊として戦う』というものをしていた。

 

一見すると、チーム戦なので面白そうに見えると思う。しかし、実態は、隊士達が戦う最中、氷柱邸管轄の育手と真菰が横槍を入れまくり、容赦なく隊士達の命を狩りに行くという、地獄の稽古に仕上がっている。結果、非常に熾烈なチーム戦になっていた。

 

(洒落にならない罠の数々を教師陣が仕掛けまくっていたっけ……)

 

特に真菰は罠のレパートリーがありすぎてびびったものだ。

流石は鱗滝左近次の弟子……すげえよ鱗滝一門……。あそこの一門、優秀な奴ばっかりだよな……。私の一門は大体中くらいの地位の人が多いらしいからさあ。まあ、己が入門する前に、私の兄もしくは姉弟子の殆どが全員死んでたから伝聞なんだけど。唯一生きてた兄弟子が『義父と戦い、私に育手を紹介してくれた隊士さん』である。でも、彼も師範も死んじゃったしなぁ……。

 

ちょっとしんみりした気持ちになる。しかし、こんなところでしんみりしては精神が持たないので、気を取り直した。

 

私は死んだ顔の隊士達に向かって、再びニッコリと笑ってみせる。これから行うのは、あまりやりたくないことなんだよなぁ……。溜息を吐きたくなる気持ちをグッと抑え、口を開いた。

 

「さて、これから行う氷柱稽古の後半ですが、只今から戦術・戦略について教えていきます。つまり、座学ですね」

 

それを言った瞬間、隊士達が少し沸きたつのが分かった。「よっしゃ、寝れる!!」だの「もう身体的な痛めつけはないんだ……!!」だの、割と切実な叫び声が響き渡る。いやほんと切実だな。分かるよ。分かる。私も君達の立場ならそんな反応してたと思うもん。

 

だが、そんなに生易しくないのが柱稽古である。

 

私は笑顔を表情に固定したまま、ピッと右手を軽く上げた。指を綺麗にそろえ、手のひらを正面に向けたまま、顔の横に固定させるポーズを取る。

 

――――次の瞬間、教室の四方の隙間から一斉にチョークが大量に放たれた。

 

チョークは、気絶して机に寝そべっていた隊士達の額へリズミカルにパンッパンッパンッと当たっていく。しかも、そのチョーク達は驚異のスピードと威力に耐えられず、彼らの額に当たった瞬間、粉となって消えた。一部の気絶していた隊士達は強制的に覚醒となり、慌てて机から起き上がる。

 

流石は氷柱邸管轄の育手達によるチョークの投擲だ。威力がエゲつねえ。

 

若干引きながら、それを悟らせないように明道ゆきは笑みを深めた。

 

「寝れると、楽な授業だと――――そう思いましたか? それは重畳、重畳」

 

私は右手に指差し棒を持ち、義手の手ひらをパンパンと軽く叩く。

 

「これから始まるのは、先程の団体戦で疲弊した極限状態で『如何に戦術・戦略を練れるか』という授業です。寝れば容赦なく起こします。寝る必要のないくらい策略を練らせます」

 

最後に明道ゆきは確認をとるかのように「良いですね?」と言って、言葉を切った。同時に、目を細め、うっそりと笑ってみせる。それを見た隊士達の顔が引きつったのが分かった。

 

――――これだけ見れば明道ゆきが『柱』として輝いて見えると思う。

その実、現在、私の内心は大荒れである。

 

多分、私の心の荒れっぷりは悟っている人も多いと思う。めっちゃこわい。雰囲気をぶち壊さないように震える手を必死で押さえているからな、今。ちなみに、指差し棒を無駄に揺らしているのも手の震えを悟らせないためである。こわい。めっちゃこわい。

 

(こんな無駄に偉そうなムーブして大丈夫なんだろうか……)

 

この『偉そうな教師ムーブ』は第一回目の授業の時に選択肢のせいでさせられたものである。それが妙に氷柱邸の教師陣にウケてしまい、第二回目からも冷徹教官みたいな言動を取る羽目になっていた。そろそろ偉そうな教師ムーブはやめたいのだが、周りのせいでやめれないという悪夢。

 

(もう本当に帰りたい)

 

雑魚隊士の明道ゆきが教えることなんて無いと思う。正直、教えている内容は兵法にあることをそのまま授業しているだけだ。しかも、この『疲弊した極限状態で如何に戦術・戦略を練れるかという授業』も選択肢の決定によるものである。私、ぶっちゃけ必要か? というレベルの明道ゆきの必要のなさを発揮していた。授業中に度々選択肢が現れて、私が不本意にも隊士達を説教することになるが、あまり為にならないようなものばかり。いやほんと私必要か?

 

胃がキリキリしてくるのを感じる。それでも私は教科書を開き、授業を開始させた。

 

――――が、数十分経つと、疲労からか隊士達が寝始める者が続出し始めた。それに伴い、チョークが宙を切り、隊士達の額へと吸い込まれていった。何度も寝る者には小刀、果ては槍が飛んだ。前回の授業では手榴弾が舞ったのでまだ大丈夫な部類である。

 

怖いなー。教室がもはや戦地。そう思って私が顔を引き攣らせていたときだった。

 

一部の隊士が発狂し始めたのだ。

 

どうにも頭脳運動が苦手な隊士にとっては極限状態での座学が我慢ならなかったらしい。こんなことは今までの授業ではなかったので、私は若干ビビって後ろに下がる。そんな中、伊之助や一部の隊士が立ち、叫んできた。

 

「ウガーーーーッ! やってられるかァ!! 刀を振らせろ!」

「戦術とか戦略とか練れないんですけどォ?!」

「賢いやつにさせておいた方がいいのでは?!」

 

バタバタと騒ぎ始めた一部の隊士達。炭治郎は「やめるんだ、皆」と慌て、玄弥は厳つい顔をしながらキョロキョロとあたりを見回していた。酷すぎる授業風景である。しかしながら、隊士達の怒る姿を見て、明道ゆきはこう思った。

 

――――すっごい分かる……と。

 

教えているはずの私が「この授業……意味ある……?」と若干なっているからな。確かに、戦術・戦略は必要不可欠な要素ではある。だが、教師役がこの私、明道ゆきだ。しかも、先程も言ったが、教えている内容が『氷柱秘訣の戦術戦略』でもなく、完全に教科書通り。絶対隊士達の為にならないし、彼らの頭の出来の良さにも違いがあるし、正直、この授業は必要ないと思う。

 

それに、わざわざ極限状態で授業する意味が分からない。前世の二十一世紀でこんなことをすれば、間違いなく私、訴えられると思う。負ける自信すらある。

 

だが、そんなことは口が裂けても言えない。「いや、私、この授業する意味がわからないんだよね」と言った暁には殺される。色々な意味で隊士に殺される。「テメエ分かってないのにこんなことしてんのかよ! 死ね!」となったらどうしよう。こちらへ抗議してくる隊士達を見ながら冷や汗を流した。

 

(どうしよう)

 

取ってつけた理由を何か言わなくては。上手い具合に訳をこじ付けないと。作戦など練ったこともない隊士達を含めて、無理矢理に『疲弊した極限状態で戦術・戦略を立てる授業』を受けさせている理由を説明しなければ――――って、できるかァ!!

 

(こういうときに限って選択肢は現れてないし!)

 

理由を説明できないときに選択肢パイセンは登場するのが常だったじゃん。何で登場しないの?! おかしくない?! そもそもこんな授業するとか言い出したの選択肢だったじゃん。私の代わりにちゃんと説明しろよ。

 

だが、どんなにガタガタと文句を選択肢に言っても、矢面に立たされているのは私である。憤る隊士達に何か言わないといけないのもこの私、明道ゆきだ。理不尽が過ぎる。どうして今世はここまで人生難易度が高いんだよ。私、前世で罪を犯したことなんてないのに何故。

 

理不尽な己の人生に嘆きながらも必死に頭を回転させる。表面上は笑顔を固定させたまま、ひたすら考えた。

何か、何か言わなければ。しかし、考えても考えても良い理由は浮かばない。

頭を抱えたい気持ちになった時、貫く私を不思議に思ったのか、隊士達が怪訝そうな顔をこちらへ向けてきた。やばい。これ以上、長引かせるのには無理がある。

 

(つらい。つらすぎる)

 

隊士達に「実は何も考えてないんだ!」と本当のことを言って責任問題となるくらいなら良いんだ。きっと退職の道を辿れるし、前線から逃れられるし、良い事づくめだからだ。

でも、退職してしまえば片腕もないのに自力で無惨から逃げる必要がでてくるんだよな。前にも言ったけど。

それなら鬼殺隊での地位にしがみつき、護衛してもらった方がいい。前線に行くのを如何にして回避するか考えた方が生存率がまだ高いと思ったのだ。まあ、『まだ』高いだけで、どっちにしろ命の危険があるんだけどな!

 

故に私は慌てて口を開いた。

 

「――――静かに」



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其の二十六: 「鬼喰い少年は気がつく」

「えっ向こうの隊強くない? 命狩りにきてない??」

「……そりゃあ、まあ、脱落した隊は真菰さんとの戦いが待ってるからじゃないのか」

 

俺――――不死川玄弥は善逸にぶっきらぼうに言葉を返す。善逸に視線一つ向けず、俺は南蛮銃に弾丸を詰めた。自分でもこれは酷い態度だと思う。でも、仕方がないことなのだ。

理由は二つある。一つは、あまりにも疲労しているので出来れば何も話したくない。もう一つは――――と、そこまで考えた時、善逸が叫んだ。

 

先程まで、善逸は手を口元に近づけたまま真顔で森の向こう側を見ていた。しかし、俺の言葉を聞いた瞬間、彼は盛大に叫び始めたのである。どこからその声を出していると思うくらいの強烈な声だった。ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーッ!! という恥も外聞も無い泣き方で涙を流し始める善逸。

 

「ですよね!! 玄弥の言う通りですよね!! そりゃあ脱落したくないよね!! いやでもさ、戦ってる最中にも槍とか矢とかとんでくるの意味わからなくない? なにこれ? 氷柱邸の人達も俺達殺す気じゃない??」

「善逸、大丈夫だ。向こうの隊も疲弊している。俺達四人で考えた作戦で戦えば上手くいく!」

「四の五の言うんじゃねえ! とっとといくぞ!!」

 

拳をグッと握り、ニコッと笑う炭治郎。刀を掲げ、歩き出す伊之助。善逸はカッと目を見開き、バッと二人に対して指を向ける。彼はとんでもない鬼の形相をしており、思わず俺は「人間の顔ってここまで表情筋を動かせるんだ」と場違いなことを考えた。

 

「はーーーん?! どこからその自信が湧いてくるんだよ炭治郎と伊之助は?! やめてぇ、本当にやめてぇ!! 俺は弱いんだ。ほんとにほんとに弱いんだ。真菰さんとの戦いも怖いけど、この対戦も怖い! 死んじゃう!」

「よし行くぞ!」

「ちょ、まっ。待ってよ。待って?! 玄弥ァ! 助けてェ!!」

「……はあ」

「何の溜息?! やっぱ俺? 俺のせいなの?! ごめんなさいね?! 見捨てないで!!」

 

俺は南蛮銃を見つめながら溜息を吐く。別に善逸の態度に呆れて溜息を吐いているわけではない。だが、善逸に訂正するのは骨が折れるなと考えて何も言わなかった。

こちらの様子を見た善逸は更にぴゃあああっと泣き始める。少し悪い気持ちになった。今までの態度は流石にダメだったな。

 

そう思い直して面をあげると、伊之助にズリズリと引きずられている善逸が目に入った。炭治郎が「善逸がいないと作戦が成り立たない。頑張ろう」と励ましている。その様子を見て、不思議と何とも言えない気持ちになった。

 

善逸は良い奴だ……と思う。あんなに泣き叫んでるけど、みっともないくらい嫌がってるけど、良い奴……良い奴だと思う。

あいつは風柱邸で炭治郎と共に俺を庇おうとしてくれた。心からこちらのことを考えて行動してくれていたのだ。悪い奴ではないのだろう。ただ、にいちゃ……じゃなかった、兄貴を侮辱したのは許せないけどな。

 

(それにしても、明道さんのあの言葉、気になるな)

 

頭に浮かぶのは左右非対称の瞳の色を持つ、氷柱・明道ゆきの顔だ。

 

――――俺は今、炭治郎達と共に氷柱邸で氷柱稽古を受けていた。

 

氷柱稽古は他の稽古と比べて少々特殊だ。通常、柱稽古では、隊士達は稽古を受け持つ柱に合格を言い渡されて、ようやく次に行くという形になっている。故に、合格を貰えなければ先の柱稽古はできないということだ。

しかし、氷柱稽古だけは違う。どの柱の稽古を受けていても、隠から「氷柱稽古に向かうように」とお達しを貰えば、一時離脱して、氷柱邸へ向かわなくてはならないのだ。

だが、氷柱稽古では『合格』と言うものはなく、一定期間だけ授業を受ければ良いという形のようだった。柱稽古が終われば、また元の稽古場に戻るのだ。

 

本来なら謹慎処分中の俺は柱稽古には参加できない。だが、『氷柱稽古』のお達しがあったため、悲鳴嶼さんから一時的に許可をもらい、こうして氷柱邸で授業を受けていた。

 

氷柱稽古は団体戦ばかりだ。勿論、他の柱稽古でも他の隊士と協力する場面も多かったが、氷柱稽古では団体戦が顕著に現れていると思う。加えて、学に差のある隊士達を一箇所に集めて、戦術・戦略の授業までする始末だ。話はきちんと聞いていたが、高度な部分もあり、理解に苦しんだところが一部あった。

 

果たして、この座学に意味があるのかと、少数の隊士が暴れたほどである。俺も少し思ったが明道さんは笑って、言葉を紡いだのだ。

 

――――この世に無意味なものがあるわけがない、と。

 

その言葉を思い出しながら俺は南蛮銃を構えた。今は団体戦の真っ只中である。炭治郎達は定位置についていることだろう。四人で練った作戦について、疲労困憊の頭で考えた。

 

(先に伊之助と炭治郎が切り込む。機動力のある善逸が敵を翻弄)

 

そして俺は他の三人に気を取られた敵を撃つ。つまり、自分、不死川玄弥の攻撃がこの隊の本命であり、要だ。

命のやりとりをする場面ではないが、隊の中心を担っていることに少しばかり緊張する。じんわりと手に汗が滲んだ。

 

息を潜めているとカンカンッと木刀が打ち合う音が聞こえてきた。しかし、次の瞬間、小刀が床に刺さった音やらなんやらも聞こえてきて、背筋がヒヤッとした。

 

(この稽古、軽率に小刀が飛んできたり罠があったりするから怖いんだよな)

 

氷柱邸の育手達による容赦のない横槍を思い出して遠い目をする。あれ本当に俺達のこと、殺しにきてないか……? 大丈夫だよな……? そう思ったが、頭をブンブンと軽く振り、雑念を外へと追いやった。

木の影に隠れながらスッと炭治郎達の戦況を見守る。どうやら上手く炭治郎と伊之助は奇襲をかけられたみたいだった。加えて、作戦通りに善逸の速さで敵を翻弄している。

 

それを見て、俺はホッと溜息を吐いた。後は自分が敵の隙をついて弾丸を放てば――――と、そこまで考えた時だった。

 

上から敵隊士が降ってきたのだ。バッと木から落ちてくる敵隊士へと視線を向けた。呼吸特有の音が辺りに響き渡る。

 

「風の呼吸・壱ノ型」

 

まずい。完全に油断していた。訓練とはいえ、戦いの最中に一息つくなんて、してはいけなかった。迫り来る敵隊士に銃を放とうとするが、完全に間に合わない。いや、いつもなら間に合っていただろう。極限まで肉体を虐められ、疲労困憊となり、脳の判断が鈍っていたのだ。故に動作が僅かに遅れた。その僅かで敵隊士にやられそうになっている。

 

(駄目だ)

 

脳天に一撃を入れられる。思わず目を見開いた――――その瞬間だ。不意に氷柱・明道ゆきの言葉を思い出した。走馬灯のように映像が流れる。

 

一般隊士達に『戦術・戦略の授業の意味はあるのか』と問われた明道さんの顔。それがまず初めに脳裏に過ぎった。あの時、あの人は笑っていた。この世に無意味なものがあるわけがない、と。そして、そのまま言葉を続けたのだ。

 

「良いですか、皆さん。我々は常に不利な状況で鬼と戦っています。故に、どんな状況、どんな状態、どんな場面であろうとも、諦めてはならない。諦めた時点で負けると思いなさい」

 

明道さんの言葉が自分の頭に響き続ける。俺の目はぐりんと動き、地面を見た。

 

「極限状態でも、もう駄目だと思っても、考えなさい。思考を続けなさい。今までの経験と知識を絞り出しなさい」

 

考える。考えて、考える。南蛮銃を敵へと今から向けることはできない。遅すぎる。その前に倒される。ならば、残る時間で南蛮銃を少しだけ動かす。

 

「そうすれば、分かるでしょう。この授業の意味が。あとは、貴方達が考えることです」

 

明道先生の最後の言葉が聞こえた時、俺は発砲した――――地面に向かって。訓練用に威力の加減はされているが、それでもそれなりの強さを持って、仮の弾丸が地面に叩きつけられる。バンッと盛大な音がしたかと思えば、地面が抉られ、バサッと砂の壁ができた。

 

「グッ!」

「逃すか!!」

 

敵隊士は一瞬怯み、太刀筋が揺らいだ。砂が目に入ったのか、隊士は瞼を少しだけ閉じた。

 

それがいけなかった。

それこそが俺の狙いだった。

 

俺はするりと隊士の懐に入る。そのまま全力で鳩尾に向かって体当たりした。肘を絶妙な位置に固定し、的確に急所へ当てる。すると敵の隊士は呻き声を上げて、失神した。ドサッと落ちた隊士の身体を見て、「はーはー」と肩で息をする。震える手で南蛮銃を再び見つめた。

 

意味。

この授業の意味とは何だったのか。

きっとそれは、極限状態の戦いで『選択肢』を増やすことだった。

 

氷柱・明道ゆきは知謀の剣士だ。ただの知略のみで兄貴や悲鳴嶼さんと同じ『柱』の地位を戴いてみせた。兄貴や悲鳴嶼さんは強い。強いと言う言葉で終わらせてしまうには勿体ないくらい強い。その二人の武力に値する知略を明道さんは有している。

 

明道さんは弱い。でも、強い。

如何なる状況でも、生き残るための様々な道筋を考え、実行することができるからだ。

 

極限状態に陥ると、一つの道ばかりに目が向くようになる。だが、その状態でもあらゆる生き残る道を考えてみせろ、と明道さんは教えてくれていたのだろう。戦術・戦略の授業をしたことも戦いの選択肢を増やすため。極限状態で授業をしたのも、戦地で最善の選択をできるようにするためだったのだ。

 

だが、これが合っているのかは分からない。柱稽古を考案したのはお館様だと聞いたため、もしかしたら他の理由があるのかもしれない。それでも、俺はこの稽古で『何か』得た気がするのだ。他の柱稽古で成長したように、氷柱稽古を受けて、更にのびたと思う。

 

(にいちゃん、いや、兄貴)

 

俺、もっと強くなる。兄貴が鬼殺隊を辞めろと言ったり、お前なんて知らないと言ったりするのも何か理由があると思うんだ。本当に優しい兄貴だったから、きっと。強くなって、兄貴が認めざるをえないくらい強くなって、そして、謝るんだ。そして、いつの日にか――――。

 

そこまで考えた時、背後から炭治郎の「玄弥〜!」と言う声が聞こえてきた。多分、戦いが終わったのだろう。俺は先程倒した隊士を小脇に抱えて歩き出した。

 



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其の二十七: 「恋柱は想う」

「ゆきちゃんとこうしてお八つを一緒に食べるのは、本当に久しぶりね!」

 

私、甘露寺蜜璃は嬉しさを隠せない声色で言葉を紡ぐ。洋風の机の向こう側にいる女性――ゆきちゃんへと笑みを浮かべた。

 

目の前のゆきちゃんはフォークとナイフでパンケーキを切り分けていた。パンケーキにはたっぷりの蜂蜜と、どろりと溶けたバターがかかっている。百貨店さながらの自信作のパンケーキを見て、自分の口から涎が出そうになるのが分かった。

 

私の視線と言葉を受けたゆきちゃんはその手を少し止めた後、目線を上げる。痣のような縦傷の入った青緑の左目と、黒の右目を細め、小さく笑ってみせた。

 

「ええ、そうですね。蜜璃のパンケーキは相変わらずおいしい」

「えへへ。ゆきちゃんが来るから今日は特にがんばっちゃった!

あっ、話は変わるんだけど、ゆきちゃんのところに炭治郎くん達は来たかしら?」

「来ましたよ。今は悲鳴嶼殿のところにいるのではないでしょうか」

「そうなのねぇ。もうそんなところにいるのね、良かった!」

「ええ」

「それにしても、今日のお茶会、しのぶちゃんも来れたらよかったのにね」

「流石にこの時期に柱が三人も一堂に会するのは難しいでしょう。それにしのぶは今、柱稽古にも参加せず、お館様からの別任務に励んでいるようですし」

 

そうよね。そうだわ。仕方がないことね。

 

目線を下げ、パンケーキを見つめる。脳裏に浮かぶのは、忙しそうに働くしのぶちゃんの横顔だ。

 

ゆきちゃんに言われなくとも私は理解していた。しのぶちゃんもゆきちゃんも非常に多忙だ。自分で言うのもなんだが、私も常に任務が入り、中々お休みは取れない。だからこそ、柱稽古の最中、こうして数時間だけでもゆきちゃんと予定が合ったことは幸運なのだ。

 

(それでも、)

 

やっぱりゆきちゃんとしのぶちゃんと私の三人でお茶会をしたかった。だって彼女達は私の大切なお友達だもの。それに、現在、柱で女性なのは自分を含めてたった三人だけ。折角なのだから同じ立場の人間であり、お友達でもある二人と一緒におしゃべりしたかった。

 

(でも、わがままはいけないわ、私)

 

しのぶちゃんだって、嫌でこのお茶会に来なかったわけじゃない。確かに、しのぶちゃんとゆきちゃんはちょっぴりピリピリしたような会話を偶にするから、傍から見たら仲が悪そうに思うかもしれないわ。だから、しのぶちゃんがお茶会に来なかったんじゃないかと、そう感じる人もいるでしょうね。でも、しのぶちゃんもゆきちゃんも本心からお互いを嫌っているわけじゃないのだ。二人とも不器用なだけで、ちゃんとお友達の関係だと私は思っている。だから、しのぶちゃんもきっとこのお茶会に来たかったはずなのだ。

 

(来れないのは仕方がない、仕方がないわね)

 

そう、しのぶちゃんはお仕事なのだ。彼女には毒に詳しいという、他の柱にはない強みを持っている。きっと私にはできないような仕事をしのぶちゃんは受け持っているのだろう。忙しいのはどの柱にも言えることだけど、戦いの分野が違う彼女は、他の人とは別方向に忙しい。

 

ちょっと難しい表情をしながら私はパンケーキのかけらをフォークで刺す。そのままひょいと口に運んだ。瞬間、じんわりと口内で広がる甘さに顔が緩むのが分かる。もやもやしていた気持ちが少しだけ晴れていった。

 

(やっぱりパンケーキはおいしい!)

 

とってもふわふわで、甘くて、幸せ気分になっちゃう。パンケーキは特に美味しくて何皿でも食べられちゃうわ。初めて百貨店でこのパンケーキを食べた時は感動したもの。みんながこぞって「美味しい」っていう気持ち、本当に分かるわ。調理方法を隠の人から教わることができて良かった。

 

手を頬に添えてパンケーキを噛みしめる。ごくりと飲み込むと、もっとパンケーキを食べたくなった。勢いのままひょいひょいと口にどんどんと詰め込んでいく。数分もすれば周りに沢山のお皿が積みあがっていった。とっても幸せで、おいしくて、私は思わず声を上げる。

 

「超絶おいしいわ~~~!」

「ええ、本当に」

 

ゆきちゃんもおいしそうで良かった。そう思ってニコニコと笑いながらパッと彼女に目を向けると、パンケーキがまだ半分も減っていないことに気が付く。私はそれを見て、フォークを動かす手が止まった。

 

(ゆ……ゆきちゃん……)

 

全然食べてないわ!

 

ピッシャーンと自分の背後に雷が落ちるのが分かった。驚きを抑えるために再びパクリとパンケーキを頬張る。やっぱりおいしい。何でこんなに食べることって幸せな気持ちになるのかしら……そうじゃないわ、私。ゆきちゃんのことを考えなきゃ。

高速で手を動かして口の中にパンケーキを放り込む。更にどんどんと自分の周りにお皿が積み重なっていくのを尻目に、ぐるぐると考え始めた。

 

(前まではゆきちゃん、もっと食べていたはずよね)

 

やっぱり、冨岡さんが死んじゃったから。

だから、ゆきちゃん、食欲がないのかしら。

 

半々羽織を着た冨岡さんの後ろ姿がぼんやりと頭の中に浮かんだ。

無口で無表情だけど、とっても優しくて誰かのために命を懸けられる人。それが私、甘露寺蜜璃の知る、冨岡義勇という男性だ。

 

冨岡さんとは、ほんの少しだけ任務で一緒になったことがあった。彼は私をさりげなく助けてくれたり、戦闘中、援護してくれたりして、キュンとしたことを今でも覚えている。他の柱の人達と同じで凄く強い人だったから、死んでしまったことが信じられないわ。でも、どんなに強い剣士の人でも、死ぬときはあっさりと死ぬ。それが鬼との戦い。それが怪我を瞬時に再生できない人間の脆さ。

 

(冨岡さん……)

 

冨岡さんと聞いて私が思い出すのは、彼の後ろ姿だ。冨岡さんは人と関わることが少なく、いつも遠くを見ていた気がする。それが印象的で、私の記憶に残る冨岡さんは半々羽織を着た後ろ姿ばかりだ。

 

それでも、私と冨岡さんの関わり合いがなかったわけじゃない。一度、柱模擬戦で煉獄さん、しのぶちゃん、ゆきちゃん、冨岡さん、私で隊を組んだ時は打ち上げに牛鍋を食べに行ったこともある。それからというもの、五人で食事に行くことが度々あったが、あまり冨岡さんとはお話しできなかった。

 

(冨岡さんと話すことが多い人って、しのぶちゃんとゆきちゃんの二人くらいかしら)

 

多分、二人は冨岡さんとの合同任務が多いから、一緒にいる姿をよく見たのだろう。もっと私も二人と同じように冨岡さんと仲良くなりたかった。冨岡さんは優しい人だと一緒に仕事や食事会をして気がついていたから。冨岡さんは何も語らない方だけど誰かの為に命を懸けて戦うことができる人。そんな素敵な人とは仲良くなりたいと思うのは仕方がないことだと思うの。

 

だから私は隠の人に冨岡さんについて聞くことに決めた。何人かから話を聞いて何日か経ったある時、とんでもないお話を聞いちゃったの。

 

――――冨岡さんとゆきちゃんが劇を一緒に観に行ったり、文通したりしてるってことを。

 

思わず私はその場で「キャーー〜〜ッ! それって、やっぱりそういうことなの?!」と声を上げてしまった。だってビックリして、ドキドキしちゃったんだもの。冨岡さんとゆきちゃんよ? そういう素振りなんて全然見せてなかったのよ、あの二人。

 

確かに、冨岡さんは柱合会議でゆきちゃんに視線を向けることが多かった気がする。ゆきちゃんも会議では冨岡さんを度々補助していた。やっぱり、そういうことなのね。キュンと胸が高鳴り、顔が赤くなった。ススと右手を胸の辺りに当てる。なんだか私は幸せな気持ちでいっぱいだった。フゥと息を吐きながら目を閉じて思い出すのは、冨岡さんとゆきちゃんだ。二人が仲良く肩を並べて歩く様子を想像して、私は「ふふ」と笑った。

 

「素敵ね。凄く素敵。冨岡さんとゆきちゃん、とってもお似合いね」

 

冨岡さんは物静かな人だけど、とても優しい男性だ。ゆきちゃんも落ち着いた人で、優しくて、私の自慢の友人。素敵な二人が好い関係だと知って、心がポカポカしてくるのが分かった。

 

お友達が幸せだと思うと自分も幸せになってくる。ゆきちゃんも、しのぶちゃんも私の大切な人だもの。二人には幸せになって欲しい。だって、ゆきちゃんもしのぶちゃんもすっごく一生懸命で良い人なの。私みたいな、おかしな髪色で、人よりも食べる女に対して、普通に接してくれた。二人とも誰よりも努力して、類稀な技術や知を磨き、誰よりも人々のために戦っている。私には無いものを彼女達は持っていた。本当に素敵な、自慢のお友達。

 

「いつか、私にも素敵な殿方が現れたら、」

 

その時は絶対にゆきちゃんと恋話をしなくちゃ。うん、決まりよ。

 

ゆきちゃんのことだから、私に好い人がいない状態だと恋話なんてしてくれないだろう。ゆきちゃんって何でもない顔をしながら凄く人に気を遣っている子なのよね。ゆきちゃんをよくよく見ていると、一人一人に対して微妙に対応を変えているの。すごいと思わず感心しちゃったわ。それをゆきちゃんに言ったら、彼女はキョトンとした顔をした後、「……選択s……ッいえ、させられていると言いますか、何と言いますか……。まあ、必要なことだから、とでも言っておきます」と決まりが悪そうに言っていた。

 

(ゆきちゃんだけじゃなく、しのぶちゃんとも恋話ができたら、もっと素敵ね)

 

三人で好きな殿方について語り合うの。顔を寄せ合って、コソコソと話しながら、時折フフと笑い合う。桜の下で流行りの着物を着て、好い人から頂いた簪を揺らしながら、桜餅を食べたいわ。しのぶちゃんもゆきちゃんも可愛いから、おめかししたら凄く美人さんになると思うの。二人と一緒にたわいもない話ができたら、きっと、とっても楽しいわ。

 

そんな『もしも』を考えて、私は目を細める。いつか実現させたい『夢』を妄想して、幸せに浸った。

 

――――だから、冨岡さんが殉職したと聞いた時は本当に驚いた。

 

驚いて、本当に驚いて、苦しくて、悲しかった。幸せが崩れる時はいつだって突然で、『もしも』が実現することはとても少ない。鬼殺隊になってから幾度となく味わった悲しみと苦しみだった。そして、最後にゆきちゃんの涙を見て、もっと苦しくて、悲しくて、どうしたらいいか分からなかった。

 

「ゆきちゃん、大丈夫?」

 

この言葉すら彼女にかけられなかった。ゆきちゃんがあまりにも泣いているから。私ではどうしようもなかったのだ。あの涙が拭えるのは、きっと、冨岡さんだけだった。

 

ゆきちゃんが泣いているのは私、初めて見たわ。彼女はいつだって余裕で、自分に自信を持っていた。多分、今回、ゆきちゃんの策が上手く作用しなくて、そのせいで冨岡さんは死んでしまったのだと思う。身を裂くような後悔から彼女は泣いていたんだろう。

 

――――思えば、ゆきちゃんはここ最近、無理をしがちだった。

 

無限列車での任務の時から彼女はおかしかったと思う。あの時は本当にギョッとしちゃったわ。煉獄さん達とゆきちゃんの下に向かったら彼女の腕がなくなっていたんだもの。びっくりして、それと同時に凄く悲しかった。

 

(ああ、またゆきちゃんは、)

 

無理をしている。誰に話すこともなく、戦おうとしている。そう思って胸が締め付けられたことを今でも覚えているわ。

 

ゆきちゃんって、周りから何て言われていると思う? 『智謀の剣士』って呼ばれているのよ。ゆきちゃんは武力では他の柱には絶対に敵わないけど、策を練るのが凄く上手いの。私も何度もゆきちゃんの作戦に助けられた。彼女と一緒に戦うと、本当にスパスパと早く鬼を切ることが出来たわ。凄いわよね。他の柱の人達もとっても努力して、この地位を戴いていらっしゃるけど、ゆきちゃんも同じくらい頑張ったのだと思う。

 

だからこそ、ゆきちゃんは剣士としての才はないのに、いや、剣の才能がないからこそ、ここぞという時に自分を危ない場所に配置してしまうのだ。

 

ゆきちゃんは賢い。多分、私が考えているよりもずっとずっと賢いのだろう。ゆきちゃんは剣の才がない剣士だから、色々なことを考えて、苦悩して、決断して、今まで戦ってきたのだと思う。その中で、捨ててしまった命もあったに違いないわ。煉獄さんがゆきちゃんを『少々危険な人物だ』と称しているのを聞いたことがあるの。きっと、ゆきちゃんは勝つために少数側の命達を捨ててきたのね。それも、意図的に。

 

それは許されないこと。人として、絶対に許されないこと。だけど、それを責めるなんて真似は出来なかった。だって、ゆきちゃんは誰よりもそのことを理解して、分かっていたから。だから、ゆきちゃんはギリギリまで自分の身を削り、一人でどうにかしようとしちゃうの。

 

私の推測でしかないけれど、冨岡さんはゆきちゃんが無理しがちなのを分かっていたんじゃないかしら。だから、ゆきちゃんが自分の身を削らないように冨岡さんが代わりに戦場へ出た。その結果が冨岡さんの殉職なのだと思う。

 

「ゆきちゃんも冨岡さんもお互いが好きなのに、好きだったのに」

 

どうして死んで欲しくない人が死んでしまうんだろう。どうして悲しみが増えてしまうんだろう。

 

――――原因なんて分かっていた。

鬼がいるから、鬼舞辻無惨がいるから。

だから、まだ悲しみが続いている。

 

鬼舞辻無惨がいなくても沢山の悲しみは人々の前に現れるのだろう。でも、鬼舞辻無惨さえいなければ現れなかった悲しみがある。だから、私は頑張ろうって思うの。これ以上、私の大切な人達が死なないために。もう誰かが涙を流さなくなりますように、そう願って戦うのだ。

 

(そうね。そうよね、甘露寺蜜璃。もう誰も死なせたくない)

 

私は静かに前を見据える。そこにはパンケーキを頬張るゆきちゃんがいた。彼女のパンケーキのお皿を見ると、さっきよりも減っているのが分かる。思ったよりも私は考えに耽ていたらしい。パンケーキでちょっぴり表情が和らいでいる彼女を見て、私は小さく笑いかけた。

 

「ねえ、ゆきちゃん」

「どうしましたか」

「私、頑張るわね」

 

――――私、ゆきちゃんのこと大好きよ。

 

穏やかに笑う顔も、作戦を練る時の顔も。ちょっぴり意地っ張りで、努力家で、人々のために戦うところも、大好きよ。

 

もしかしたらこの先、ゆきちゃんの策略で私が死ぬことになるかもしれない。彼女が切り捨てた『少』側の人間になることだってあり得る。――――でも、それでも。それで良いと思えた。ゆきちゃんは誰かを切り捨てる時、本当に苦悩して、後悔して、決断する人だと知っているから。誰よりも悩んで、でも、この策でしか『勝利』はないと確信した上で、命を切り捨ててくれるから。そして、ゆきちゃんの策の『その先』に、必ずみんなの勝利があると確信しているから。

 

だから、だから――――私はゆきちゃんに命を預けられる。

ゆきちゃんの策に、命を賭けられる。

 

沢山の命を救うため、誰かの悲しみを増やさないため、仲間のため、お友達のためなら。そのためなら、私は戦えるのだ。

 

脳裏に浮かぶのは沢山の大切な人達。伊黒さん、しのぶちゃん、お館様、色々な人達が浮かんでは消えていく。

 

目を細めながら再び私、甘露寺蜜璃は笑った。




▼氷柱コソコソ裏話

柱模擬線で恋柱・水柱・炎柱・蟲柱と一緒に隊を組んでから、明道が度々この四人と共に牛鍋を食べに言っていたという裏話がある。
明道の好物は牛鍋なので、当初、彼女はウキウキとしてたのだが、何故か周りの四人から器によそわれるのが野菜ばかりという事態に。明道は野菜が苦手なのでいじめを受けているのかとショックを受ける羽目に。

実は、周りは明道の好物を野菜だと勘違いしているので、良かれと思って明道の器に野菜を入れてあげていただけ。余談だが、明道の好物が野菜だと広めたのは冨岡。

「以前の任務で明道と共に藤の家に泊まった時……。明道の食事は野菜ばかりの食事だった。俺の方には肉があったというのに。きっと、明道はわざわざ野菜だけの食事にするよう、藤の家の方々に頼んだのだろう。それくらい野菜が好きなのだと思う。
ならば、共に鍋を囲うというなら、野菜を多めに明道にわけよう。きっと喜ぶ。ムフフ」

(※ただ単に藤の家の人が明道の食事を間違えて野菜オンリーにしてしまっただけ)


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其の二十八: 「不吉な出会い」

蜜璃ちゃんとのお茶会楽しかったなぁ。

 

私、明道ゆきにしては珍しく、機嫌よく鼻歌を歌っていた。ふんふんと鼻を鳴らしながら奏でるのは鬼滅のオープニングだ。

 

現代から鬼滅転生してから早二十年。それだけの時間が経過し、数多のハプニングがあったのにも関わらず、最初から最後までこの曲を歌うことができている。ほかの曲はサビしか歌えないというに、だ。

 

ふんふんとメロディだけ鬼滅のオープニング曲を鼻で奏でながら私は目を細めた。

 

(お茶会の蜜璃ちゃんかわいかったなー)

 

先程まで行っていた恋柱とのお茶会を思い出して、ふふっと笑う。

 

漫画で読んでいたときよりも実物の甘露寺蜜璃はかわいくてお茶会は役得だった。伊黒小芭内が熱を上げる理由が分かるというもの。あまりにも楽しすぎて胸がいっぱいになり、パンケーキを食べる手が進まなかったくらいである。幸せ過多ゆえの満腹だ。

 

甘露寺蜜璃が幸せそうに微笑む顔を脳裏に浮かべながら、不意に私は思った。

 

(それにしても柱って美男美女が多いよね)

 

愛らしい甘露寺蜜璃。どこぞのアイドルかと思うくらいの美少女、胡蝶しのぶ。『美人』と称される柱達の顔が浮かんでは消えていった。

 

私が覚えている限りでは、公式で『美男美女』だとはっきりと名言もしくは描写されている柱は音柱・蟲柱・恋柱だったと思うのだが、この世界の柱は皆、顔がいい。流石は漫画の登場人物である。だからこそ、柱達と遭遇する度に、今まで言ってこなかったが、私は地味に興奮していた。さながら心境はアイドルにキャーキャーと騒ぐファンである。

 

(あーーー……ほんと、柱達にキャーキャー言うモブになりたかったなぁ……)

 

私、明道ゆきは『鬼滅の刃』の登場人物や世界観、その他諸々が大好きである。実のところ、今、こうして鬼滅の世界にいること自体、本来ならば飛び上がるくらい嬉しいのだ。今だってキャーキャー騒ぎたいほどである。自分が柱となりあの蜜璃ちゃんとお茶会をするなんて夢を見ているみたいだ。幸福で騒ぎ立ててもおかしくないのだが、ただ一つの問題点が全てを台無しにしていた。

 

――――己の命の危機のせいでな!

 

(命の危機のせいで鬼滅世界での楽しみを全てぶち壊してんだよな)

 

確かに、鬼滅の世界は大好きだ。だが、生死が関わってくるとなると話は別である。何が嬉しくて痛い思いや怖い思いをしなくてはならないのか。しかも、謎の呪いに、謎の転生特典がぶちこまれているときた。意味不明すぎる要素がありすぎる。どんなに登場人物との関わり合いが楽しくても、これではプラスではなくマイナスにしかならない。

 

はあと重いため息を吐いた。気を紛らわせようと、テーブルの前に置かれた大根を箸で軽く割り、かけらをヒョイと口に放り込む。大根の旨さがじわじわと口内で広がっていくのが分かった。

 

私は無心で箸を動かし、大根を口へ入れる作業を繰り返す。純粋に『美味しい』という事実が己の心を和らげていく。思わずといった様子で私は言葉を零した。

 

「ここのおでんはやはり美味しいです。腕を上げましたか、ご店主?」

「姉ちゃんがここに来るのは久々だからねェ。ちょいといつもより愛情を込めてやったよ」

「あら、お上手ですね」

 

ふふと私はおでん屋の店主に笑いかけた。それを受けた五十後半くらいの店主は豪快に笑ってみせる。彼の笑顔を見て、私はホッとした気持ちなった。

 

――――現在、明道ゆきのいる場所は東京内にあるおでん屋の屋台である。

 

甘露寺蜜璃とのお茶会の後、私は変装してこの屋台に来ていた。わざわざ黒髪のカツラをかぶり、顔には左目の傷を隠すメイクを施して、おでんを食べに来ている。町娘風の着物を身に纏ってまでここにいる理由は、有り体に言うならば――――『息抜き』というやつだった。

 

毎日毎日鬼のことを考え、命の危機に怯えて生きるのは流石にしんどすぎる。しかも、屋敷で休もうにも、自分の家である氷柱邸には隊士達や弟子達がわらわらいるのだ。休めるはずがない。特に今は柱稽古で屋敷が隊士だらけだ。その状態で自分を曝け出せるはずがないだろう。

 

ゆえに、私はこうして変装して外へ飛び出す機会を度々作っていた。

 

まあ、確かに、無惨が明道ゆきを狙っている今、外出は控えるべきなのだと思う。だが、ちょっとくらいの息抜きくらい許してほしい。

 

いやほんとマジで……息抜きくらい許して……。柱稽古になってから更に労働が増えたんだよ……。精神力がゴリゴリ削れていく……。

今も精神的に疲れすぎて衝動的に邸を飛び出してしまったくらいだ。蜜璃ちゃんとの幸せな時間を過ごしただけに、寝るのが嫌になった。次の日が来て欲しくないから寝たくなかったのだ。所謂、週末の日曜日症候群状態である。

 

現在の時間は夜だが、一、二時間程度なら無惨や鬼にも遭遇しないだろ。柱稽古編といえば最終決戦直前のお休み期間みたいなものだし。万が一鬼に遭遇したとしても、雑魚鬼程度だろう。それくらいなら、滅することはできないが逃亡くらいはできると思う。ていうか、この時間帯くらいしか今、自由な時間がないんだよな、柱稽古のせいで。休める時に息抜きしておかなきゃ。

 

そう思って大根を再び口の中に入れ――――

 

 

「久しぶりだな、店主」

 

 

――――聞き覚えのあるラスボスの声を聞き、気管支に思いっきり詰まらせた。

 

あまりの苦しさに悶え苦しむ。思わずガハッガハッと咳き込みそうになったが、咄嗟に口を手で押さえた。執念と根性で咳と嘔吐感を押さえ込む。プルプルと若干身体を震わせながら思うのはただ一つだった。

 

無惨なんでここにいるのォ?!

 

思わず目をカッと見開かせて、顔は正面に固定したまま、バッと眼球だけ横に動かした。

 

そこにいるのは漫画で見た通りの無惨様だ。服装は着流しで、短く整えられた髪の上に中折帽をかぶっており、ハイカラな装いをしていた。服こそ漫画で見たことのない装いだが、顔面と声が完全に鬼舞辻無惨である。見間違いも聞き間違いもなく、完全に無惨様である。

 

千年もの時を生きる、全ての悪の根源。数多くの強力な鬼を統べ、人々を絶望の淵に落す悪鬼。

――――鬼舞辻無惨。その本人が今、私の隣にいる。

 

それを自覚した瞬間、気管支に大根を詰まらせた痛みよりも恐怖で打ち震えた。

 

(何で無惨がァ?! いや、待て待て。待って私。鬼舞辻無惨のわけないないない!!)

 

だって、まだ今は柱稽古編中なのである。それなのに無惨と遭遇なんてどういことだ。原作ブレイクは頼むから程々にしてくれ。鬼舞辻無惨との対面など、何か事件が起きる気しかしないんだよ。

 

多分、「ただ無惨と出会っただけで問題が勃発しそうだなんて、自意識過剰にも程がある」と考える人もいるに違いない。だが、これは自意識過剰ではないのだ。私、明道ゆきは柱である。腐っても柱。どんなに弱くても柱。鬼殺隊最高位を与えられた柱なのだ。『最強の幹部の一人がラスボスと遭遇!』など、物語においてこれほどのスパイスはないだろう。

 

あああああ嫌だ。嫌すぎる!

 

何で私は柱なんだ?! 雑魚程度の剣の才で柱とかなんの冗談だよ。実力の伴わない地位にいるのがこれほど辛いとは。きちんと地位相応の力があれば無惨と遭遇しても対策を講じることができるというのに。私がラスボスと出会えば確実にほぼ死しかないんですがそれは。

 

切実に現実から目を背けたい。だが、己の横で交わされるおでん屋の店主と無惨の会話が私を現実へと引き戻してくる。おでん屋の店主が一人二役している、もしくは無惨の声と姿が幻だと思い込みたかったが、どう考えても違う。もう一回どころか十回見たが、鬼舞辻無惨がそこにいた。気管支に詰まったおでんを全力でなんとかした後、遠い目をする。

 

ああ……以前、列車に乗ったとき、無限列車とは知らずに意気揚々としていたら炭治郎達が乗車したときのことを思い出す……。なんか似たようなシチュエーションだよこれ……。

 

(この時期の無惨といえば、私の妄想では無限城で引きこもっているイメージしかないんだけど。頼むから城に引っ込んでてくれ)

 

次のラスボス登場は産屋敷邸での登場にしておけよコノヤロウと、内心で無惨を罵倒した。これでも生前は無惨のことも好きだったのだが、現在では『絶対ブチコロス』という憎しみの対象である。こいつのせいで鬼が世に蔓延り、私がしんどい思いをしているからな。マジで怒りがおさまらない。

 

――――ラスボスとの対面なんて冗談も大概にしてくれ!

 

鬼滅世界において、初めての鬼舞辻無惨との遭遇である。願うことなら一生出会いたくなかった。だが、遭遇してしまったものはどうにもならない。この状況をどうにかしなければ。

 

私は必死で思考した。冷や汗が流れるレベルで考えた。その傍ら、無惨に対して不信感を抱かせないためにも、私はおでんを口に入れていく。普通の客を全力で演じていた。

 

いやほんとマジでどうす――――

 

 

「ここによく来られるんですか?」

 

 

――――話しかけてきやがったァ!!

 

無惨が人の良い笑みを浮かべて、こちらに話しかけてきたのだ。好青年を具現化したかのような話し方、表情、雰囲気に自分の顔が引きつりそうになる。それでも必死に動揺を抑えて、私は「ええ、そうなんですよ」と笑ってみせた。

 

それを聞いた無惨はちょっぴり嬉しそうに語り始める。

 

「良い店ですよね、ここ。私も偶にくるんです」

「へ、へえ」

 

お前も常連かよ!!

 

もしかしたら今まで知らず知らずの間に無惨とすれ違っていた可能性もあるのか? ふざけんな。こんな所でラスボスとの縁があっただなんて怖すぎる。世間狭すぎだろ。やめろ。

 

しかも、無惨が優しげに此方に微笑んだり、親しげにおでん屋の店主と話したりするの、かなり怖いんだが。お前そんな表情や言動、出来たの?! 無駄にフレンドリーすぎて怖いよ! 鬼舞辻無惨って横暴で偉そうな態度がデフォなイメージあるからさァ! なんでそんなキャラ違うの? 原作で下弦が無惨の女装姿を見て、「凄まじい精度の擬態!」と驚いてた理由が分かった気がするよ……。怖い。

 

そもそも、鬼って人以外喰わないんじゃないのか? なんでお前おでん食ってんだよ。もしや、普通の食事は鬼にとって嗜好品扱いみたいな感じなのか。そうなのか。くそッ! マジでふざけんな!!

 

新事実に内心で震えた。流石に動揺が抑えきれず、若干手が震える。吐きそうになりながら死ぬ気で表情筋を笑顔で固定させた。

 

そんな中、ある考えが不意に浮かんだ。

 

 

――――もしや無惨、私を明道ゆきだと分かって、『敢えて』この場に登場しているのでは?

 

 

思わず黙った。隣にいる無惨がおでん屋の店主と再び言葉を交わしはじめている様子を尻目に、私は頭を抱える。

 

(ありえるな。確か、無惨が私を探してるっていう情報あったじゃん!!)

 

善逸の如く咽び泣きたい。オェッオェッと吐きそうになりながら泣くレベルの危機が来てる。

 

いやでも待って。希望は捨ててはいけない。もしかしたら私の考えすぎかもしれない。先程まで私は完全にオフ状態で、警戒心ゼロだった。無惨ほどの鬼ならグサっと後ろからも刺せただろう。それなのに彼は何もせず、隣に悠々と座っている。明道ゆきの変装に騙されて、私が氷柱だと気がついていないんじゃないのか。いやきっとそうだろう。うん、うん! きっと無惨は偶然おでん屋に来たんだ!

 

そう考えて、逃亡の算段をすることに決めた。

自然で、尚且つ、無惨を逆上させないようにしながら離脱しよう。そうと決まれば――――と、ここまで思考していた時、不意に聞き捨てならない話が聞こえてくる。おでん屋の店主と無惨のとある会話が私の耳に入ってきたのだ。

 

「最近、顔を見なかったからどうしたのかと思いましたよ、旦那」

「探し物をしていてね。でも、見つかったんだ」

「探し物、ですかい?」

「ああ、そうだよ。――――ようやく潰せる」

 

潰すって言ったぞコイツ!!

 

隣にいるせいで無惨がぼそりと呟いたワードがガッツリ聞こえてきた。探し物、確実に私のことじゃねーか。もうこれ完全に無惨は隣にいるのが『氷柱・明道ゆき』だと分かって言ってるだろ。私をビビらせるために「潰す」発言をこちらにだけ分かるように言ってるだろ。そんなにも私のこと消したかったのか。殺意があまりにも高すぎる。好きだったキャラにこんなこと言いたくないが、質の悪いストーカー被害にあっている気分になった。

 

(お前が追うのは炭治郎と産屋敷一族、あとは青い彼岸花だけにしておけよ……!)

 

切実な心からの叫びだった。

 

くそッ、どうする? 鎹鴉で援軍を呼ぶか? 駄目だ、私が殺されるまでに援軍は確実に間に合わない。そもそも、今回、このおでん屋にはお忍びできているので鎹鴉が近くにいねえ。

それなら逃亡するか? 無理だ、この距離で無惨から逃げられる気がしない。少しでも動いた瞬間、絶対に殺される。

 

(何か、何か策は、)

 

って、何も浮かばねえよ策なんて!!

凡人の私に柔軟な対応は求めないでほしい。しかも、私は緊急事態に弱いタイプである。それ故に今、自分の頭の中が真っ白になってしまっていた。やばい。やばい。やばたにえん。

 

――――詰んだ。

 

そんな言葉が頭に浮かんだ。右手に持つ湯呑みがガタガタと震える。恐怖が天元突破してしまい、動揺が抑えられなくなっていた。落ち着け、落ち着け、と考えても震えは止まらない。

私が内心で頭を抱えた――――その時だ。聞き慣れた、安っぽい電子音が聞こえてきたのは。

 

《ピロリン》

 

▼どう行動しますか?

①湯呑みを落とした後、屋敷へ帰る … 上

②無惨と戦う … 死

 

なんで湯呑みを落とす必要があるの?!

 

選択肢パイセンにしてはまともな選択肢が出ているけど、一番の「湯呑みを落とす」って所が意味不明過ぎる。何で湯呑みを落とさなきゃいけないんだよ。何かのフラグに思えて仕方がない。いや、本当になんで湯呑みを落とさなきゃいけないんですか。とっとと帰らせろよ。湯呑みを落とす動作はいらねぇんだよ。

 

だが、選択肢パイセンの命令は絶対である。それに、私にとってもこの一番「湯呑みを落とした後、屋敷へ帰る」は悪いものではない。いや、悪いどころか、最高に素晴らしい選択肢である。屋敷に帰ることができるからだ。それを思えば「湯呑みを落とす」など誤差の範囲だろう。うん。誤差……誤差の範囲で頼むから終わってくれ……。私、運が悪いからなぁ。

 

いや、ポジティブだ。ポジティブに考えるんだ、明道ゆき。二番の「無惨と戦う」を選ぶ必要がなくてよかったと考えるんだ。

 

必死に自分に「湯呑みを落とした後、屋敷へ帰る」の「湯呑みを落とす」はフラグじゃないと言い聞かせた。そして――――明道ゆきは選択するのだ。

 

 

▼選択されました

①湯呑みを落とした後、屋敷へ帰る … 上

 

 

右手が勝手に動き出す。そのまま、持っていた湯呑みをごく自然に、わざとではないかのように――――落とした。フッと湯呑みは空を切り、床へと到達する。落下の衝撃に耐えられなかった湯呑みはガチャンと音を立てて割れた。

 

その瞬間、割れた湯呑みの破片が飛び、私の指を切りさく。思いっきり破片が肉を切り裂いたせいか、血が宙へ飛び散った。チリッとした痛みに私は眉をひそめる。勢いよく飛んだ血は近くにいた無惨の頬に少量だけつき、残りは床に落ちた。

 

自分の指からぽたぽたと溢れる血を見て、内心で溜息を吐く。おでん屋の店主と無惨は驚いたように声を上げた。

 

「大丈夫ですか!」

「大丈夫かい、姉ちゃん!」

「え、ええ。私の不注意です。すみません」

「謝る必要なんてねぇよ! ええっと、布、布……」

 

凄く必死に布を探してくれる店主に非常に申し訳ない気持ちになった。自分が怪我をしたのは選択肢のせいだし、無惨をここに置いたまま私は離脱してしまうし、最低な行為しかしていないからだ。下手をすれば店主の人生はこのままジ・エンドの可能性すらある。

 

マジでごめん。ゲスな人間で本当に申し訳ねぇ。でも私も必死なんだ。無惨が私を「明道ゆき」だとわかった上で接触してきているっぽいのに、選択肢に『逃げる』が現れてくれたんだ。こんな幸運を逃すわけにはいかねぇんだよ。多分、無惨には何か理由があって、私に今、手が出せないのだろう。早く逃げよう。

 

私は「本当に大丈夫ですから」と言って席を立とうとしたのだが――――まあ、そんな上手くいかねえよな。無惨がハンカチをサッと出して、こちらの手当をしてきたのである。あまりの早技に目が点になった。

 

「私の手帕があります。使ってください」

 

ラスボスの手が私の手を触る。死人のような冷たさに自分の背中がゾワワッとするのが分かった。心臓のドッドッという音を聞きながら私は内心で叫んだ。

 

(さ、さ、さ、)

 

触るんじゃねぇ!!

こっわ。マジで怖い。ラスボスと手ェ触れてんぞ。恋的な意味ではなく、命の恐怖的な意味での胸の高鳴りがする。怖すぎる。無惨に触られた時、乙女の如く顔を赤らめて「キャッ!」と言うのではなく、命の危機で「ギャァアアアアアア!」と言いかけた。私に気安く触るんじゃねぇ。死ぬぞ、私がな! 心労で私が死ぬ! マジで今、失神しそうなんだ。手加減してくれ。いやほんとマジで。

 

ふらっと来そうになったが根性で耐える。失神しようものなら逃亡が不可能になるからだ。私は必死で笑みを顔に携え、こう言った。

 

「ありがとうございます。この手帕はお返ししますね。……そろそろ帰ることにします。では、おやすみなさい」

 

脱兎の如く私はその場から離脱した。

――――その様子を無惨がジッと見ているとは知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

「あの女、どこかで……。いや、今はどうでもいいな。探し物――――産屋敷の居場所が知れたのだ。やつを潰すことに専念する方が先だ」

 

鬼舞辻無惨は頬に付いた血をぺろりと舐めながら、静かに独りごちた。

 

 

 

 




次回予告 最終章突入


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