鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか? (あーけろん)
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小屋内権兵衛という少年
鬼殺隊一般隊員は鬼滅の夢を見るか?


鬼滅の刃が面白かった為衝動で書いた。後悔も反省もしていない。

※続編を書くかも知れませんが、一応短編として投稿します。


雫が落ちる。流れ出た雫は緩やかな曲線を経て先端へと至り、赤に染まった床へとぶつかる。

 

「––––あぁ、遅かった」

 

泣く子も黙る丑三つ時に、少年が灯りの消えた民家の前で佇んでいる。背中に吊られた何かに掛けていた手を離し、ダランと降ろす。

 

「カァー!遅イ!遅イ!」

 

少年の肩に居座っているのは闇と同化しているのかと勘ぐる程の黒い鴉。騒がしい声と共にバッサバッサと翼を広げては少年の右頬を叩いている。

 

「ここに鬼が出るって情報はついさっき聞いたんだ、流石に対応出来ないよ」

「ナンジャクモノ!モット速クコノ街デ動イテイレバ良カッタンダ!」

「昨日も一昨日も更にその前の日も鬼を殺したり捕まえたりしてるんだ。これ以上働いたら俺が鬼になる」

 

「労働の鬼にね」と肩を竦めて首を振る少年。鴉はそんな少年の頰目掛けて嘴を走らせる。

 

「痛いな!つつく事は無いだろ!」

「アマエルナタワケ!働ケ!働ケ!」

 

なおも暴れる鴉に等々勘弁したのか、がっくりと少年が肩を落とす。

 

「わかった、わかったから。行くよ、行く」

「カァー!急ゲ!急ゲ!マダコノアタリニイルハズダ!」

「あいよ。………鬼殺隊って、なんでこんなに忙しいんだろうな」

 

背中に『滅』と大きく書かれた藍色の羽織を翻し、民家を後にする。点々と、しかし確かに血痕が続く林へと足を運ぶ–––が、その途中で足を止めて振り返る。

 

「必ず取り戻してくるから。それまで待っててくれ」

 

首から流れる鮮血が腕を伝い、指から床へと落ちる。–––その人には、あるべき筈の頭が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––んあ?なんだテメェ?」

 

時折木々の隙間から下弦の月が覗く夜。森の中でも多少拓けた場所に、ソレは居た。

肩口から露出した肌は浅黒く変色し、何本もの血管が浮かびあがる。手には凡そ普通の人には備わっていないような長い爪が月の光を反射し、口から覗く歯はギザギザと肉食獣を思わせる形状をしている。

 

「–––見つけた」

「カァー!ハッケン!ハッケン!コロセ!」

 

かつて人だったものであり、今は人でないもの。–––即ち、鬼である。

 

「あぁ?その格好–––お前、鬼殺隊だな?」

「そうだ。早速で悪いけど、その首頂戴する」

「プッ、アッハッハ‼︎こいつは傑作だ!お前まさか、俺を殺せると思ってるのか⁉︎」

 

血のついた右爪を長い舌で舐め回し、少年を威圧する。しかし少年の表情に変化は見受けられない。少年の視線は正確には鬼ではなく、鬼の持つものへ向けられているからだ。

 

「お前の首も貰うが–––––それより重要なのはそっちの首だ。その人の首を離せ」

 

鬼の左手–––そこには、人の頭部が乗せられていた。顔には既に目と呼ばれるものが無く、口元は苦悶に歪められている。とても、人が死に際に浮かべる顔ではない。

 

「これか?なんだ、返して欲しいのか?」

「あぁ。それがないとその人はあの世に行けないからな」

「へっへっへ。どうしようかなぁ…」

 

下卑た笑みを浮かべ、口元を三日月に歪める鬼。すると何かを思いついたように笑う。

 

「そうだ!もしお前がその大層な刀を俺にくれるって言うなら、この頭を返してやっても良いぜ?」

 

そう言い少年の背中を指差す。少年の背中には身長と同等か、若しくはそれ以上の長さを誇る大太刀が紐によって吊られている。

 

「…それは、この刀か?」

「そうだよ。それをこっちに渡すなら、この頭はお前に返してやるよ」

「そうか…」

 

少年は吊られた大太刀の柄を右手で掴み、少し前屈みになりながら抜き放つ。シャリンと音を立てながら抜かれた刀身は、深い藍色を湛えている。

 

「–––––全集中、水の呼吸」

「あぁん?今なんて––––––」

 

ザァァと風が林を抜け揺れた木々の間から月が刀身に反射する。身体を右側に逸らし、刀を鬼から見えないよう脇に構える。

鬼と少年の距離は凡そ五丈程度。幾ら刀を抜いた所で一息に詰められる距離ではない。

 

 

––––––本来ならば。

 

「壱の型(あらため)飛沫・水面斬り」

 

シャリリンと音が流れ、大太刀が横一文字に振るわれる。それから一拍遅れて、カサカサと落ち葉の上を何かが転がる音が響く。

 

「––––はっ?」

 

鬼の右腕から先が刈り取られ、鮮血を噴き出していた。何が起こったのか、何故自身の腕が切られたのか。茫然とした表情のまま鬼が固まる。

 

「い、痛ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

自身の現状に頭が追いついたのか、錆びれた金切り声を上げる。

 

「騒ぐなよ」

 

シャリンと音が二つ鳴る。今度は鬼の左脚と右脚が宙を舞い、切り口から鮮血を撒き散らす。

 

「グギャッ⁉︎何だよ!お前!何なんだよ!」

「俺が何か?そんなの、お前がさっき言っただろう」

 

身体を捻り大太刀を逆手に構える。鍔に括られた鈴はシャリンと音を立て、ピタリと音を止める。

 

「––––––只の鬼殺隊だよ。書いて字の如く、人間を喰らう害獣駆除の専門家さ」

 

静寂な夜の帳が落ちる中、シャリンと鈴が一つ鳴る。落ち葉に何かが落ちる音が聞こえたのは、それから僅か一拍を置いた後だった。

大太刀を納刀すると落ち葉を踏みしめながら歩き、灰になり掛けている鬼の腕から人の頭部を持ち上げる。–––––その頭は、まだ少女とも言える顔立ちだった。

 

「–––––ほんと、無情すぎるよ」

 

伽藍堂になってしまった目の瞼を優しく閉じ、抱える。静かな夜がまた一つ、明けようとしていた–––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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––––––鬼殺隊本部 産屋敷邸

 

 

時代の変遷に伴い急速な変化を強いられる明治、大正時代。多くの人々が文明開化を謳い、途轍もない勢いで西欧の文化を取り入れる謂わば時代の変遷期。

そんな時代の中では少し遅れた印象を受ける純和風建築の家屋。その広大な面積の平屋に置かれた、最も大きな広間には九人の鬼殺の剣士が集められていた。

 

––––––『柱合会議』である。

 

岩柱悲鳴嶋(ひめじま) 行冥を筆頭とした、其々の全集中の呼吸を極めし鬼殺の剣士。死亡率の極めて高い下級の隊員達と違い、彼等は持ち前の呼吸法を使用し数多の鬼を葬ってきた文字通り鬼殺隊の『柱』である。

 

「………」

「………」

「………」

 

その九名の剣士は一言も話す事なく正座し、奥の襖が開くのを待っている。そのまま数分が過ぎると、襖が開け放たれる。

 

「お館様のお成りです」

 

二人の童に引き入れられ大広間に現れたのは、額上半分が焼き爛れた痣を持つ細身の男だった。

 

「やぁ皆んな、遅れてすまなかったね」

「いえ、その様な事は」

 

男が部屋に入ると九名全員が一糸乱れず頭を伏せる。

男の名は産屋敷 輝哉。鬼殺隊の現当主であり、九名の柱達の全幅の信頼を寄せられている人物である。

 

「こうしてまた誰も変わらず柱合会議を開けることを嬉しく思うよ」

「お館様も壮健そうで何よりです」

「ありがとう。さて、それじゃあ議題を始めたいんだけど–––」

 

「その前に」、と言葉を続ける。

 

「今現在、日光から帝都に伸びる街道から人が消える事件が増えているんだ。恐らく鬼の仕業だね」

「規模はどの位でしょうか?」

「凡そ百人程度」

 

息を呑む音が聞こえる。鬼は基本的に人を喰った数分だけ強力になる。百人を超える人を喰った鬼となると、その力は「十二鬼月」の下弦に相当する。

 

「私の子供達も既に二十二人がそこで消息を絶っている。そこで君達柱に白羽の矢が立ったという訳なんだ。頼り切りになってしまって済まないね」

「決してその様な事は–––。しかし、誰を派遣しましょうか?」

「鴉達からの情報によれば、その鬼は分裂する血鬼術を使うらしい。長期戦が考えられるから––––義勇、頼めるかい?」

「御用命とあらば」

 

表情の見えない男–––水柱、冨岡義勇が二もなく返答する。

 

「ありがとう。出来れば後もう一人に頼みたいんだけど–––」

「でしたら、私が」

 

柱の中で最も小柄な少女–––蟲柱、胡蝶しのぶが声を上げる。冨岡と胡蝶は柱として共に行動する事が多く、この行動は簡単に予想する事が出来た。–––別に、水柱と付き合えるのが蟲柱のみと言うわけではない。

 

「ありがとう。それじゃあ日光の方は二人に任せるよ。頼んだよ、二人共」

「お任せを、お館様」

「それじゃあ、いつも通り会議を始めようか。先ずは鬼舞辻について何か–––––」

 

 

 

 

 

 

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最近、目を覆う勢いで忙しい日が続いている。毎日鬼を殺す事なんか日常茶飯事で、酷い時は一日に二体の鬼を殺す事もある。はっきり言って異常事態だ。

鬼の数自体が増えているのか、それとも鬼を殺す鬼殺隊の人が減っているのか。どちらが原因かはわからないけれど、まぁこの際どちらでも良い。

 

「おい!さっさと離せ!おい!」

 

最後に藤の花の紋の家でゆっくり休養したのが二ヶ月ちょっと前の事で、それ以来ずっと西へ東へ鬼を殺してまわる毎日、最近働きすぎで目眩がしてきている。

 

「こっちを見ろ!おい!この縮れ頭!聞いてんのか!」

 

せめていっしょに行動する仲間がいれば気も晴れるのだろうが、相方は口が悪くて煩い、何かあると直ぐに突いてくる意地の悪い鴉のみ。望むべくもなし、とはこの事だ。

 

「テメェ!早くこの刀を「ちょっと黙ってくれ」ギャァァァァ⁉︎腕が⁉︎腕がぁぁぁぁ⁉︎」

 

木に括り付けた鬼の腕を斬り落とす。尋問の仕方は慣れていない為少々手荒になってしまうが、そこはご愛嬌だろう。

 

「それで?お前がこの街道で人を喰ってた鬼なのか?」

「知るかよ‼︎俺は偶々此処を通っただけで人なんか「嘘は良いから」ガァァァ⁉︎」

 

胴体に何本も突き立っている、木の枝を削って作った槍のうち一本を抜き、再び突き刺す。

 

「君の口に良く似た噛み跡が付いた死体が二つあったんだ、君もここら一帯で人攫いに加担してるんじゃないのか?」

 

口に日輪刀を当てて端を抉るように切り取り、徐々に角度を変えて抉る量を増やしていく。

 

「話せば楽になれる。さぁ、早く吐け」

「じらない!お゛ればぼんどうにじら゛ない!」

 

目に涙を溢れさせる鬼。–––そこまで精神力が強そうな鬼には見えないし、これは本当に知らないと見た。

 

「時間を無駄にしたな……」

「頼む!許してくれ!俺は本当に人は」

「もう再生したのか。流石鬼は、便利な身体を持ってるな」

 

口から刀を離し、無造作に首に一閃。シャリンと鈴が鳴ると同時に首が地面に落ち、続けて大木と鬼を縫い合わせていた木の槍がガラガラと音を立てて地面に落ちた。

 

「なぁ鴉。ここら辺で百人程度人が消えたんだよな」

「カァー!間違イ無イ!鬼殺隊員含メテ既ニ百二十人程人ガ消エテイル!」

「酷いな…」

 

捕らえた鬼は百二十人を喰ったと言うには弱過ぎた。恐らく成り立てで、空腹からここら辺にやってきた野良鬼だったのだろう。となると、それだけの人を襲った鬼は何処に–––––。

 

「考えても仕方ない。取り敢えずは腹拵えでもするか」

 

手近な岩に座り込み、雑嚢の中にある笹の葉に包まれた握り飯を取り出して一口頬張る。鬼探しが長引きそうだし少しでも英気を養って置かなければ。

 

「ほら鴉、お前も食え」

「カァー!美味イ!美味イ!」

 

米粒を美味しそうに啄む鴉を余所目にこれからの予定を頭に浮かべる。

鬼が現れているのはこの辺り、日光と帝都を結ぶそこその大きな街道の山側の道だ。

人が消え始めたのは今から三週間程前から。性別年齢に然程区別されてないようで、消えた人は老若男女関係無しだ。–––全く、好き嫌いのない事で。

 

「反吐が出るな…」

「カァー?」

「いや、何でもない」

 

鬼探しの現状は手詰まりの様相を呈している。…早めに決着を付けたかったけれど、どうやらそうも行かないようだ。既に別の場所に移動しているという可能性も考慮しつつ鬼を探す必要があるだろう。

 

「鬼探しはお前が頼りだからな、頼むぞ鴉」

「任セロ!任セロ!」

 

握り飯を大きめの一口で飲み込み、岩から立ち上がる。傍に立て掛けてある大太刀–––日輪刀を掴み、一息に抜く。

 

「そろそろ斬れ味が落ちそうだな…。もうじき研いで貰った方が良いかも知れない」

 

美しい藍色が映える刃には細かな傷がいくつも刻まれ、これまでに酷使された事が伺える。

 

「もし長引くようなら後任の鬼狩りが来るまで粘って、俺達は刀を研ぎに行くか」

「カァー‼︎」

 

『多くの人を救いたいと思う事は大事だ。けどね権兵衛、人助けも自身の命あっての物種だ、決して無理をしてはいけないよ。良いね?』

 

頭の中で師範の言葉が再生される。遺言のようになっているが、あの爺さんは今でも元気に刀を振り回しているに違いない。

 

「まだ夜は長い、ぼちぼち頑張るか」

「頑張ルゾ!頑張ルゾ‼︎」

 

 

雑嚢を肩に掛け、森の中へ脚を踏み入れようとした時––––––。

 

 

「一体何を頑張るの?お兄ちゃん」

「………えっ?」

 

–––––その子供は、何もない所から現れた。

 

白い模様の浴衣を着た、白い肌の少女。黒い髪に赤い蝶々を模した髪飾りを付けた自分の腰程の大きさしかない彼女は、コテンと首をもたげてこちらを見ている。

 

(いつから此処に居た?気配は一切感じなかったし、足音もまるでしなかった。落ち葉が積もっているこの森の中で、そんな事が可能なのか?)

 

大太刀をいつでも抜刀出来る様に左手に持ち替えつつ、自身も口を開く。

 

「危ないよ、こんな夜更けに森の中に入ってきちゃ。お母さんは?」

「お母さん?お母さんはね、居ないの」

 

童女は花が咲く様な笑みを浮かべる。

 

「………居ない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうなの!みぃんな私が食べちゃったから!」

 

 

–––––水の呼吸 壱の型 水面斬り

 

シャリンと鈴が鳴り、鞘から大太刀を抜き放つ。抜き放ち際に水平に刃を走らせ、幼子の首へと向ける。

放たれた藍色の刃は一寸の狂いも無く首元に吸い込まれ––––––。

 

「っ」

「アハハ!お兄さんも私と遊びたいの?」

 

彼女の手から伸びた爪によって弾かれ無理やり軌道が逸らされる。

 

「クソッ!鴉!空に逃げろ!」

「カァー‼︎」

「鴉とお友達なの?じゃあ先に鴉から食べてあげるね」

 

幼い見た目から想像も付かない速さで跳躍し、飛び立った鴉を追う。伸ばした手が鴉まで一寸の程まで近づくが、その前に返した刃で腕を斬り飛ばす。

 

「逃すかよ!」

「もう、邪魔しないで!」

「ほざけ!–––全集中 水の呼吸」

 

肺いっぱいに空気を吸い込み、血液中に酸素を送り込む。上半身を捻り、反動を利用して腕を振り回す。

 

「陸ノ型 捻れ渦」

 

激流に似た剣圧が発生し、幼子の鬼の上半身と下半身を分断する。

 

「このぉ‼︎」

「終わりだ––––」

 

上半身のみになっても残った左手の爪を振るう鬼の首に下から刃を走らせ、胴体と首を断ち切る。落とされた首は遠くに飛び、木々の枝に突き刺さって止まった。

自分は落ち葉を舞い上がらせながら地面に着地し、落ちて来た下半身と上半身を三枚に下ろす。–––どうやら、何とかなったようだ。

大太刀を納刀しようと落ちていた鞘を拾いあげると–––––。

 

「アハハハハハハハ‼︎凄い‼︎凄いよお兄ちゃん‼︎こんなに早く私の首を落としたのはお兄ちゃんが初めてだよ‼︎」

 

枝に突き刺さった鬼の首が、その半分を灰に変えつつも無邪気に笑っている。–––何故、首を落としたのに何でこいつは笑っていられるんだ?

そんな俺の心情を知ってか知らずか、鬼が言葉を続ける。

 

「ほらお兄ちゃん。後ろを見て?きっと気にいると思うから」

「背後––––っ」

 

 

 

 

 

 

「凄い凄い!強いねお兄ちゃん!」

「ねぇねぇ!次は私達と遊ぼうよ!」

「きっと楽しいと思うよ!早く遊ぼう!」

「隠れんぼやろうよ!きっと楽しいよ」

「私達が鬼ね!で、お兄ちゃんが隠れる人!」

「私達がお兄ちゃんを見つけるたびにお兄ちゃんの身体を食べるの!」

「最初が指で、その次が腕!」

「骨ばった手がコリコリして美味しいんだよ!」

「けどお兄さんの腕は筋肉がついてて柔らかくなさそう」

「大丈夫だよ!その時はズタズタに切れば柔らかくなるから!」

「それでその次に目を食べるの!」

「変わった味なんだけど私は好き!」

「目を食べたら次に耳を食べて、脚はその次!」

「脚を食べ終えたら脳味噌を生きたまま食べて、最期に身体を食べるのよ!」

「心配しないで!骨の一つも残さずきちんと食べるから!」

「残さず食べるんだから、お兄さんもきっと許してくれるよね?」

 

 

––––––視界を覆い尽くす程の幼子が、キャッキャと笑いながら俺を見ていた。

…夢だと思いたいが、そんな都合の良い事があるはずが無い。

握っていた鞘を落ち葉の上に落とし、落ち葉が軽く舞う。––––頭がガンガンと警笛を鳴らし、背中には脂汗が浮き出るのが分かる。

 

 

「「「「「さぁ?遊びましょう?」」」」」

「–––––ははっ、冗談だろう?」

 

一斉に走り出す鬼を後ろ目に、俺は全力で逃走を始める。–––––まともに相手をしていたら瞬く間に挽肉にされる。

 

「あれ?隠れんぼじゃなくて鬼ごっこ?」

「どっちでも良いでしょ!早く遊ぼうよ!」

「アハハ!待て待てー!」

 

 

童女の愉しげな笑い声を聴きながら落ち葉の上を走り抜ける。–––––月の位置はまだ高く、俺のことを嘲笑うかの様にプカプカ浮かんでいる。

 

「今夜一杯は全力疾走確定、か–––––死ねるな」

 

夜が長い事に辟易としつつ、俺は死なないために脚を走らせるのだった––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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––––––夜も更けた田圃の畦道を、二つの影が疾走する。

 

「冨岡さん、冨岡さん」

「………………」

「冨岡さん、聴いてますか。冨岡さん」

「……………」

「走るの速くないですか?少しは相手に合わせようとはしないんですか?そんなだから貴方は皆んなに–––」

「俺は嫌われていない」

 

風の様に走る、と言う慣用句は二人の為にあるかのような速さで走っている。息一つ挙げるどころか、日常会話にも勤しんでいると言う点から二人が如何に人外じみているかわかるだろう。

 

「はいはい、そう言う事にしておきます。それより、先程から一目散に走っていますけど、どこに鬼がいるか分かるんですか?」

「………行けば分かる」

「驚きました。まさか何も考えずに走っていたんですか、それで鬼がいなかったらどうするんですか?無駄に疲れて、それで鬼に不覚を取ったとなったら恥を晒したどころの騒ぎでは済みませんよ?」

「……………」

「全く、分が悪いと思えば直ぐにダンマリですか。最近の子供でももう少し…」

「待て」

「え、ちょ」

 

突如先頭を走っていた義勇が突然止まり、後続の胡蝶は勢いを殺しきれず男の背中に顔を埋め「わっぷ」と謎の言葉を発してしまう。

 

「……流石に酷すぎませんか」

「静かに」

 

抗議の声を上げる胡蝶を腕で静し、義勇が耳を澄ませる。それに合わせて胡蝶も辺りの音に集中すると–––––––。

 

「聞こえたか、胡蝶」

「えぇ、笑い声ですね。それも複数」

「決まりだな」

 

日光と帝都を結ぶ街道に出現する、増殖する血鬼術を使う鬼。此処が日光側に近い畦道であり、しかも複数の声が聞こえるとなれば、条件は揃ったと言っていいだろう。

 

「悔しいけど、どうやらそうみたいですね……。ちょっと冨岡さん、今威張った顔しませんでしたか?」

「してない」

「いやしてましたよね?凄い「どうだ、見つけただろう」って。威張りたいのはわかりましたけど、その顔で威張っても可愛いだけ–––」

「行くぞ」

 

土埃を舞い上がる勢いで踏み込み、飛ぶように笑い声の方へ走る。

 

「あっ、ちょっと!待って下さいよ冨岡さん!」

 

その後を追従するかのように疾走する胡蝶。彼等こそ、人ではありながら只人を超えた存在–––––––即ち『柱』である。

 

 

 

 

 

 

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「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!死ぬ死ぬ死ぬぅ⁉︎」

 

紅葉著しい地面を力の限り走り抜ける。少しでも気を抜けば最期、背後から迫ってきてる素敵集団にあっという間に挽肉にされるからだ。

 

「アハハ!待ってよおにーちゃん!」

「待て待てー!」

「待つ訳ない、だろ‼︎」

 

––––––参の型、流流舞い

 

落ち葉の上に足を滑らせて刀を振るい、群れから突出した二人の首を斬り落とす。–––––もう既に三十程首を落としているが、集団の勢いは一向に留まる気配が無い。

 

(どうする⁉︎このペースで朝まで走り抜けるなんて不可能だぞ‼︎)

 

走り始めてどれ程経ったかは判らないが、月の位置を見るとまだまだ夜明けは遠い。このままでは体力を消耗し続ければいずれ群れに捕まってしまう。

 

(考えろ!じゃなきゃ死ぬだけだ!)

 

「頑張るねお兄ちゃん!けどもう疲れて来たんじゃない?」

「私達はまだまだ元気だよ‼︎」

「うん!いつまでだって走っていられるんだから」

 

後ろ目で確認したところ鬼の数は残り五十とそこそこ。このペースで斬り続けても、体力の残り具合から全員の首を斬るのは無理だ。

 

(周りに何か使えるものはないか⁉︎周りにあるものは––––)

 

視界に入るもの––––落ち葉、小さめの岩、小枝、木………。

 

「っ、それだ!」

 

–––水の呼吸 弐の型改 横水車

 

身体を横向きに飛ばし、前転の要領で木に切り込みを入れる。そのまま即座に反対側に移動し、鬼の集団目掛けて蹴りつける。

 

「アハハ!そんな攻撃なんて当たらないよ!」

「とうとう諦めちゃったのかな?」

 

緩慢な動作で倒れる木は当然に避けられる–––––そう、避けるのだ。鬼はその小柄な体型から大木に押し倒されることを望まない、必ず避ける。そして速度を落とさず避ける方法は、たった一つだけ。

 

「鬼の身体って凄いでしょ!こんなに高く飛べるんだから!」

「–––––飛んだな、お前ら」

 

殆どの鬼が木を避ける為に宙に舞う。––––宙に舞っているのなら、集団であってもどこに首があるのか正確に把握することが出来る。

そして、俺の振るう日輪刀は通常の日輪刀よりおおよそ二倍弱長い。纏めて首を斬るには適している。

 

「–––––全集中、水の呼吸」

 

踏み込みで舞い上がる落ち葉の中上半身を捻り、刀を添える。肺が破れるかと錯覚する程酸素を吸い込み、溜め込む。

身体が一気に熱くなり、視界の縁が黒くなる。–––此処で誤れば最後、三十を超える鬼達に殺到されるが、構う暇は無い!

 

「四の型(あらため) 荒波・打ち潮‼︎」

 

シャララランと鈴が鳴り響く。一瞬とも思える間、宙を舞った鬼達の首に流れるように刃が走り–––––それら全ての首を、胴体から斬り飛ばした。

 

「–––う、そ」

 

斬り飛ばした首の数は三十八、驚きと興奮に満ちた顔は地面に落ちる事なく、空中で灰になり大気に流れていく。

 

「っ、怯まないで!今なら––––」

 

––––––参の型、流流舞い

 

木を飛び越えず、その場で足を止めた鬼達の首に大太刀を振るう。目の前で三十を超える仲間の首が一斉に刎ねられたせいで浮き足たっていたのか、動きの鈍い鬼の首へ次々刃を振るっていく。

流れるような動作で刀を振り終えると–––––一匹たりとも鬼は残って居なかった。

 

「が、はぁ!はぁ、はぁ、はぁ」

 

緊張状態から解放され、息を吸っては吐くを繰り返す。–––長物を使用した水の呼吸は、それ相応の筋力と酸素を消耗する。それ故の結果だ。

 

「何とかなったか……。おい鴉!無事か⁉︎」

「……カァー」

「無事だな…良かった」

 

遠くから鴉の鳴き声が聞こえたのを確認し、その場に座り込む。……今までの中で上位に食い込む鬼殺の難しさだった。全力で山中を走り回ったせいか、脚が自分の意思に反して震えている。

 

「……生き残れた、な」

 

傍にある大太刀を拾い上げる。菱形の鍔に括られた二つの鈴がチリンと鳴り、静かな森に響き渡る。

 

「師範。お陰で今日も自分は生き残れましたよ」

 

–––この日輪刀は、自分のものではない。かつて師範が現役の時に使用していたものだ。藤襲(ふじかさね)山での選別の際に持たされ、今でも使い続けている日輪刀である。

当然自分用の日輪刀は支給されているが、それでも俺はこの刀を使い続けている。師範からは新しい物を使えと散々言われたけれど、この刀を手放す気はしなかった。–––自分の中で、御守りの様な扱いだからだろうか。

 

『物持ちが良いのは君の美徳だけど、生き残る為に最善を尽くす事は必要だよ。生き残る為にその刀が不要になったのなら、迷わず捨てなさい。良いね?』

 

––––––生き残る為に動く。師範の口癖だった。

 

野宿の仕方、食べれる野草の見分け方、火の起こした方、野生動物の血抜きの方法、簡単な塗り薬の調合。剣の振り方を教わったのは、それら全てを物にしてからだった。

 

『先ずは生き残る。生き残れば多くの人を救えるし、多くの鬼を殺す事が出来る。良いかい?権兵衛、君は生き残るんだ。生き残って––––––」

「–––––でき得る限りの、鬼を滅殺する」

 

地面から立ち上がり、刀を持つ。根元に刻まれた銘は『悪鬼滅殺』の四文字。–––かつて師範が柱だった時に刻まれた、誓いの言葉。

 

「さて、早く移動するか。ここで野生動物に襲われたら––––––」

「––––––襲われたら、どうするの?お兄ちゃん」

 

–––––殺気に身体が反応できたのは紛れも無く僥倖だった。

 

反射的に頭を右に逸らす。一瞬先まで首があった所に鋭利な爪が走るのを横目に、脚の筋力を総動員して距離を取る。

 

「アハハ!凄い凄い!よく避けたね!」

「–––––まさか、まだ残ってたなんてな」

 

頰に汗が流れる。–––––爪の速さが、最初に首を切った鬼のそれじゃなかった。気付くのが刹那遅ければ、俺の首は辺りに転がっていただろう。

 

「ウフフ、そりゃそうだよ!だって、お兄ちゃんが頑張って殺したのは、私の分身なんだもの!」

「–––成る程、分身か」

 

背丈と服装はなんら変わりない–−––が、髪が鮮血を浴びたかの様に真っ赤に染まっている。こいつが本体である事は間違いない様だ。

 

「ここまで追い詰められたのは初めてだよ!お兄ちゃん、本当に強いね!」

「お褒めに預かり光栄だよ。–––その流れで首を切らせてもらえると助かるんだけど?」

「えー?駄目だよ〜。だって私、まだまだ遊びたいんだから!」

 

無邪気に笑う少女を前に、手足が恐怖で軽く震える。

 

「それじゃあ、始めよっか」

「––––––っ」

 

鬼の体形が幼児のそれから、女性らしい丸みを帯びた肉体へと変貌する。髪は腰程にまで長くなり、爪はより鋭利なものへと変わって行く。

 

「この格好は久し振りだなぁ〜!思いっきり遊べそう!」

「–––因みに、何をして遊ぶんだ?」

「何って、勿論––––お兄ちゃんで遊ぶんだよ?」

 

鬼の身体から一滴血が流れ落ちると、そこから鬼が生えてくる。自ら腕を切り裂いて血を地面にばら撒くと鬼はあっという間に二十を超える数へと増殖する。–––分裂したものは髪が黒いが、本体は変わらず赤いままだ。恐らく本体を殺さないと鬼は増え続けるのだろう。

 

「–––絶体絶命、だな」

 

先程よりも強力な鬼が複数体、何処まで増え続けるかもわからない。体力と筋力は消耗し、全集中の呼吸が連発出来る状況ではない。正に、絶望的な状況。–––それでも、やるしかない。

 

チリンと鈴が鳴り、刀を上段に構える。相手の身体能力が先程よりも高い以上、逃げる事は不可能。

 

「–––全集中 水の呼吸」

「アハッ、アハハッ!」

 

集団で殺到する鬼へ刀を振るう。欠けた月が、地に落ちようとしていた––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」

 

身体中が、灼ける様に痛い。

爪によって抉られた脇腹から血が吹き出る。

呼吸するたびに肺が軋み、想像を絶する痛みが走る。

視界が暗く、節々から冷たくなってる感覚を覚える。

 

–––––けれど、俺はまだ生きている。

 

「––––驚いた。お兄ちゃん、まだ動けるんだね」

 

赤い髪の鬼が驚きの表情を浮かべる。こんな状態で動き回る人間がいたら俺でも驚くだろう。

師範から教えてもらった止血の呼吸法が無ければとっくに涅槃に転がり落ちていたに違いない。–––もしかしたら地獄かもしれないが。

 

「まぁ、な…。で?俺は後何十回、お前を殺せば良いんだ?」

「–––ふぅん?まだ余裕なんだね?」

「馬鹿、余裕な訳、ないだろ」

「そっか…じゃあ試してあげる!」

 

血で滑る柄を握り直し迫り来る爪–––では無く根本である指を斬り落とす。通常の刀では届かない間合いだが、六尺弱あるこの大太刀ならば届く。

 

––––肆の型 打ち潮

 

返した刃で首を断ち、続けて背後から迫ってきた鬼の腕を斬り落とす。痛みで怯んだ所を横一閃、首と胴体を泣き別れさせる。

 

「–––凄いね。もうとっくに死にそうなのに、全然動けるんだ」

「生憎、生半可な鍛え方してないもんでね」

「そっか–––––。けど、もう限界みたいだね」

「何、を–––––––?」

 

視界がふらつく。姿勢を維持出来ず、意図せず片膝をついてしまう。

 

「あ、れ。何で–––––」

「血を流しすぎたんだよ。ほんと、人間って脆いよね」

 

グラつく視界の中、赤い髪の鬼が分裂体を分けて正面に出てくる。その顔には何かに諦めているかの様な表情を浮かべている。

 

「あーあ、残念。もっと遊べると思ったのに…」

 

呼吸法を変えて体力の回復に努める。

少しの間回復の呼吸を繰り返すが、一向に体調が良くならない。コイツの言う通り、本当に血を流しすぎたようだ。

 

「けど心配しないで。お兄ちゃんとはたっぷり遊べたから、ちゃんと丁寧に食べてあげる!」

「……はっ、そりゃ有難い事で」

 

刀を握る手がカタカタと震えて上手く力が入らない。関節を動かそうにも軋んだ音が鳴るだけで動く気配が無い。言い逃れのしようもない程の、絶望的状態。

 

(こりゃ、もう無理かな……)

 

揺れる視界に瞼が重くのしかかる。ちょっとでも気を抜けば直ぐにでも意識が落ちると直感が伝えてくる。

 

(月は–––––もうすぐ夜明けか)

 

地平線を眺めると、微かに白が差している事がわかる。

 

(それなら、今日は誰かが死ぬ事は無かったって事か。それは良かった)

 

身体の節々から冷たくなり、感覚が無くなっていく。

 

(すいません、師範。生き残って鬼を殺し続けると言う約束、果たせそうもありません)

 

等々耐えきれなくなり、瞼が徐々に落ちてくる。何処が夢心地の様な感覚を覚えながら、意識を闇へと––––––––––。

 

「でね––––お兄ちゃんを食べたら、もっと多くの人を食べるの‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『やだよ…!助けてよ!お兄さん‼︎』

 

 

 

––––––その言葉を聞いた途端、身体の震えが止まった。

 

『–––鬼と戦って負けても良い、逃げられても良い。それでも生きろ。生きて生きて生きぬいて、最期まで鬼を追い続けろ。そして人を、人の世を守るんだ、権兵衛』

 

「大人も子供も、男の人も女の人も、みぃんな残さず食べるの!今までも、これからも!」

「もっと強くなって、あのお方に認められて、色んな人と遊ぶの!そして–––––」

「––––––れ」

「………うん?」

 

 

 

 

 

「黙れよ、害獣風情が」

 

 

チリンチリンと鈴が鳴り、詰め寄ってきた三つの鬼の首が弾け飛ぶ。–––赤い髪の鬼の首は半分切れただけで、断ち切るには至っていない。

 

「ガッ⁉︎まだそんなに⁉︎」

 

首を半分斬られてたじろぐ赤い髪の鬼を傍目に、地面にしゃがみ込み脚に血液を送り込む。

 

–––––脚はまだ動く。

–––––刀を握れる。

–––––頭も回る。

 

 

 

–––––––––––––––さぁ、鬼を殺しに行こう。

 

 

「もういい!遊びはこれまでよ!早くこの人を殺して‼︎」

 

赤い髪の鬼の指示で黒い髪の鬼が殺到する。

その集団の中、低い姿勢から落ち葉を舞い上がらせながら疾走する。–––さっきまで冷たかった身体が、今はこんなに熱い。

それにヤケに視界が綺麗だ。ゆっくりと流れる視界のお陰で、彼等が何をしようとしているのか、どこを守ろうとしているのかが手に取るようにわかる。

 

––––––弐の型改 横水車

 

シャリンシャリンと鈴が鳴り、それに合わせて鬼の首が宙を舞う。壁となって襲いくる鬼の胴体を裂き、腕を落とし、目を突き、足を斬り払う。

 

「そろそろシツコいよ!お兄ちゃん!」

「–––しつこくて結構、首を斬るまで何処までも追い続けてやる」

 

––––––肆の型(あらため) 荒波・打ち潮

 

軽く反動をつけ、その勢いで大太刀を縦横無尽に振り回す。大太刀特有のリーチの広さと振るわれる遠心力とが合わさり、鬼で出来た壁を瞬く間に解体する。

 

「チッ、このぉ!」

「–––もう慣れたよ」

 

尚も迫る鬼達を跳躍する。–––目指すは当然、赤い髪の鬼。

状況の不利を悟ったのか、自身から離れる様に走り始める鬼を木の枝の隙間から目視する。

 

「–––逃すか」

 

鬼達を飛び越えた後、すぐさま疾走。落ち葉が舞う中を駆け抜け、鬼の背中を捉える。

 

「ヒッ⁉︎このぉ‼︎」

 

指先から血液を飛ばし、二体の分身を構築する。–––が、その身体を構築し切る前に肉体を粉微塵に切り裂く。

–––血液から鬼が生まれるまでには一定の時間差が存在している。その隙に肉体を刻めば首を斬る事なく殺す事が出来るらしい。

 

「来るな!来るなぁ!」

「–––––捉えた」

 

尚も走り続ける鬼の背中を見据え、刀を脇に構える。

 

––––––壱の型(あらため) 飛沫(しぶき)・水面斬り

 

鈴の音が鳴り、正面を走っていた赤い髪の鬼の腰から下が消える。全力で走っていた為か、鬼は受け身を取る事すら出来ず顔から落ち葉の上を転がっていく。

 

「が、ぁぁぁぁぁ⁉︎」

 

顔中泥塗れになり、下半身が無くなった鬼。腕だけになっても尚逃げようとする鬼に近づいて行く。

 

「やめて!来ないで!」

 

這いずる腕を思い切り踏み付ける。するとバキリと音が鳴り、腕から白い骨が剥き出しにされる。

 

「痛い痛い痛い!やめて!なんでこんなに酷い事–––––」

 

これ以上逃げられない様にする為、喉と地面を刀で縫い合わせる。

 

「がぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

「漸く…、お前を殺す事が出来るな」

 

喉から刀を抜き取る。抜き取った剣先から血が滴り、鬼の頰に落ちる。

 

「うがぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」

「–––––騒ぐなよ、害獣」

 

チリンチリンと鈴が鳴り響く。–––この鈴は確か、鎮魂の鈴だと師範が言っていたっけ。

 

「や゛だ!わ゛だじまだじにだぐない!まだ遊び–––––」

「–––どうか、お前に喰われた全ての人に。安らかな眠りが訪れますように」

 

静かな森に、鈴の音が響き渡る。それは、今宵の鬼滅の終結を示した––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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「……疲れ、たな」

 

カランと刀を落とすと、まるで糸の切れたカラクリ人形の様にバタンと倒れ込む。その際に落ち葉が舞い上がり自分の身体に降り積もるが、払う気力も体力も無い。

 

「あー……。これは、不味いな…」

 

薬が詰め込まれた雑嚢はここから遥か遠く、この状態ではとても取りに行ける距離ではない。そして今の傷は、少しでも治療しなければ助かる見込みはない。––––所謂、詰みと言う状況だ。

 

「せめて最期位、好物の団子を頬張りたいけどなぁ」

「……ァー」

 

止血の呼吸を試してはいるが、いかんせん欠損部位が多過ぎて間に合ってない。

普段は悪口ばかり言う鴉が団子を持って来てくれないかと愚考するが、まぁ無理な話だろう。そもそも今鴉がどこに居るかすらわからない。

 

「落ち葉に埋もれながら、生物宜しく、自然に帰るのも乙かも知れないな」

「…カァー」

 

然程抵抗する事が出来ず、瞼が勝手に降ろされる。

 

「…最期に死ぬ気で頑張ったんだ。師範もきっと、許してくれるだろうさ」

「……カァー!カァー!」

「煩い、な…。最後位…静かに、眠ら、せてくれよ」

 

鴉の鳴き声が嫌に耳に響く。けれど、既に視界は黒一色で何も写す気配は無い。そんな中、落ち葉が踏まれる音が耳に入る。

 

(誰だ…?もしかして鬼か…?)

 

一瞬身体が強張るが、刀どころか指一本動かせない現状を思い出す。

 

(最期は鬼に喰われるのか…それならせめて、舌を噛み切ってでも……)

 

残った力を振り絞り、顎に力を入れ––––––。

 

「大丈夫、貴方は助かりますよ」

 

––––––ふと、花の様な香りが鼻についた。

 

(あれ?この香り、何処かで––––––?)

 

自身の首が起こされ、何かの液体が自分の口に流し込まれる感覚を覚える。

(そうだ、この匂いは確か–––)

 

意識を過去に向けようとした途端に意識は途切れ、自我は闇の中へと落ちていった–––––。

 

 

 

 

 

 

 

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「…………死んだか?」

「生きてますよ。不思議ですけどね」

 

落ち葉の上で死んだ様に眠る少年を見る。肌が見える部位の殆どに切り傷があり、右脇腹に関してはごっそり抉られていた。–––もっとも、既に治療済みで出血は収まっている。

 

「どう見ますか、この少年」

「…止血の呼吸については俺以上だ」

「端的ですね、私も同意見ですが」

 

普通の人間ならあっという間に死に至る傷。その状態で彼は三十を超える鬼の首を取り、最期は本丸の鬼の首を落として見せた。

欠損部位が多過ぎて出血を止めきれてなかったが、それがなければこの少年はとっくに死んでいたに違いない。

 

「もっと早く応援に駆けつけられば良かったんですけどね…」

 

柱二名が戦場に到達した時には既に少年はボロボロの様子であり、周りの鬼達を殺して回る事で援護する事しか出来なかった。–––全く、柱が聞いて呆れる。

 

「今言った所でそれは結果論に過ぎない。こいつは一人で鬼の首を斬って生き残った、そこを評価すべきだろう」

「……冨岡さんに励まされるなんて心外ですね」

 

そう言うとバツが悪そうに頰を掻く義勇さんに笑みを浮かべる。

 

「それにしてもこの日輪刀、随分と長いですね。六尺弱はあるんじゃないですか?」

 

傍に転がっていた大太刀–––日輪刀を拾い上げると『チリン』と鈴が夜の森に響く。

 

「自分の身長よりも長い刀を振り回すなんて、この少年も酔狂ですね」

「酔狂でもなんでも、鬼の首を斬ったのだから問題ない」

「それもそうで…あら?」

 

括られた鈴に目が引かれて気がつかなかったが、刀身を見ると根元に『悪鬼滅殺』の文字が刻まれている。

 

「この刀、柱の方のものだったんですね。しかし、こんな長い刀を使う柱なんて–––」

 

歴代の柱達の顔立ちに意識を馳せるが、「そんな事より」と思考を切り替える。

 

「カァー!カァー!」

「ありがとうございます鴉さん、この子の位置を教えてくれて」

 

少年の横に立つ鴉は翼を広げて鳴く。この鴉が居なければ、少年を見つける事は出来なかっただろう。–––鴉と信頼関係を結べている事が分かる。

 

「それにしても、応急用品を完備しているなんて随分用意の良い人ですね」

 

鴉の嘴には茶渋色の雑嚢が掛けられている。–––恐らく少年の物であろうその中には塗り薬を始めとした応急用品、牛革の水筒や鮭を乾燥させた保存食などが詰め込まれていた。

 

「用心深い性格なんでしょうね。誰かさんとは大違いです」

「………………」

「胡蝶様、痕跡の隠蔽が終了致しました」

 

森の陰から黒装束を纏った数人–––––隠の集団が現れる。ここに来る際に召集し、鬼殺の痕跡を消す為にあちこちで行動していた。

 

「ご苦労様でした。–––それで、死体の方は?」

 

肩を竦めて首を振る。

 

「残念ながら、一つたりとも見つかりませんでした。恐らく骨まで喰らったのだと思われます」

「そうですか……。わかりました、ありがとうございます」

 

八十余名の遺体全てが見つからなかった、と言うことから今回の鬼の残虐さが滲み出ている。

 

「はっ。所で、その少年はどう致しましょうか?」

 

落ち葉の上で転がっている少年に目をやる。瀕死の重傷を負ったにも関わらず、落ち葉の上で気持ちよさそうに眠っている。–––––よく見ると、目の下に隈が浮かび上がっているではないか。

 

「この子は私の屋敷にお願いします。怪我が酷いですし、少し言いたい事もありますから」

「畏まりました」

 

白い担架に少年を乗せる隠を余所に、いつもより雄弁な同僚に目をやる。

 

「何か気になる事でもあるんですか?いつもより口が開いているように感じますけど」

「…いや、何でもない」

「…?まぁいいでしょう」

 

前から気難しい性格の彼の事だ。きっとまた難しい事を考えているに違いない。そう頭の中で結論づけ、思考を切り替える。

 

「さぁ、帰ってお館様に報告しましょうか」

「…あぁ」

 

夜明けの森を歩く。–––地平線から覗く太陽は、いつもよりも綺麗に見えた。

 

 

 

 

 

 

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–––––目を覚ましたら、木目の天井が目に入った。

 

どこか薬品の匂いが鼻に付く、沢山のベットが並んだ部屋。そのベットの一つに、自分が寝かされていた。

 

「ここは……」

「目が覚めましたか」

 

ぼやける視界の中に髪を二つに纏めた少女が現れる。–––白の服を着ているから、ここは医療施設で彼女は看護師なのだろうか。

挨拶をしようと身体を起こすと、脇腹辺りに針を刺したかのような激痛が走り顔が強張る。

 

「まだ身体を動かさないで下さい。貴方、三週間近くも眠っていたんですよ」

「さ、三週間……?」

 

自分があの増殖する鬼と戦って、それから三週間も経ったと言うのか。窓から見える景色を確認しようにも、綺麗な青空が浮かんでいるだけで違いはわからない。

 

「出血過多もそうですけど、目の下に隈が濃く出てました。恐らく過労も含まれていたのだと思います」

「過労、か…身に覚えがあり過ぎるなぁ…」

 

最後に布団で眠った日付が曖昧になっている。それ程までに鬼を殺して回っていた、と言うことか。

 

「駄目じゃないですか!自分の身体を大事にしないと!」

「いやぁ、返す言葉も無いです…」

 

腰に手を当ててこちらを叱る少女に頭を下げる。

次々指令が来るとは言え、少しの間休息を挟むべきだった。これは自分の健康管理の問題だろう。

 

––––––––––本当にそうか?

 

そう思った時、ふと疑問が自分に投げかけられる。

自分が鬼を探している時、被害が出るか出ないかの瀬戸際に鬼を見つけた事が何度かあった。それは、もし自分が休んでいたら被害が出ていた事を意味している。

 

––––––––唯一鬼を殺すことのできる鬼殺隊が、助けられる人々を見過ごす。それは果たして許されることなのか。

 

「–––?何かありましたか?」

「えっ?あぁ、なんでもないです。少し考え事を」

 

そこまで考えた後、看護師の人から話し掛けられて思考を止める。どこか訝しげな表情で睨まれているので、慌てて別の話題を振る。

 

「それより、ここは一体?見た所病院のようですけど…」

「あぁ、ここは蝶屋敷。蟲柱の胡蝶しのぶ様のお屋敷です」

 

蟲柱–––というと、鬼殺隊の最高位である柱の内の一人という事だろうか。となると、尚更今の状況が不可解だ。

 

「そうですか。…因みに自分は何故ここに?特にその胡蝶何某さんと面識はないと思うんですが…」

 

看護師の少女は呆れた表情を浮かべる。

 

「しのぶ様は重傷を負った鬼殺隊の方々を治療する事があるんです。貴方の傷もしのぶ様が治して下さったんです」

「そうなんですか…。凄い人ですね」

 

傷口のあった辺りを摩るとそこには包帯が巻かれていた。–––どうやら、適切な処置が施されたようだ。

 

「後でお水を持ってきます。それまで安静にしてて下さい」

「はい、お願いします」

 

テキパキとした様子で部屋から出て行く彼女に「そう言えば」と声をかける。

 

「君の名前、もし良ければ教えて欲しいんですけど」

「私ですか?私は神崎、神崎アオイです。貴方は?」

「自分は小屋内(こやない)小屋内権兵衛(こやないごんべえ)です。よろしく、神崎さん」

「はい、よろしくお願いします」

 

「少し待っていてください」と言い残して部屋を出て行った神崎を見送り、視線を周りに向ける。

数あるベッドは自分以外誰も寝ておらず、この広い部屋で自分はひとりぼっちだった。

 

「……なんだか、眠くなってきたな」

 

自分が生きていると安心したからだろうか、さっきまで散々眠っていたにも関わらず眠気が襲ってくる。

窓から差し込む日差しを浴び、瞼を静かに閉じる。

 

(ベッドって初めて使ったけど、布団よりも柔らかいんだなぁ…)

 

そんな庶民染みた事を思い、俺は再び意識を手放した––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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––––––不思議な人が入院してきた、と思う。

 

水差しに煮沸した水を冷まし、ぬるま湯にしたものを入れて廊下を歩く。唯一此処に入院している鬼殺隊員である小屋内権兵衛に差し入れる為だ。

年若い顔立ちとは裏腹に、何処か物静かな印象を受ける少年。鬼殺隊という変人や変わり者が集い易い隊の中で、彼のような真っ当な人間は至極珍しい部類だ。

 

(しのぶ様曰く、優秀な剣士だと言っていたけれど……)

 

目覚めて会話した第一印象から、強者特有の凄みや威圧感は感じなかった。本当に、ごく普通の一般人と思った程だ。

 

(それでも、あの人は鬼を殺して生還してるのよね…)

 

あんななりかも知れないが、あの人も鬼を殺している立派な鬼殺の剣士。–––––私のような臆病者とは違う。

 

「小屋内さん、お水を–––––あれ?」

 

少し憂鬱な気分になるものの、怪我人と顔を合わせるのだからと気持ちを無理やり切り替える。そのまま件の小屋内の眠る病室に入ると、そこにはスヤスヤと寝息を立てる姿があった。

 

「––––––寝てる?」

 

お盆をすぐ近くにある台の上に置き、近くで様子を見る。まるで眠るのが幸せで堪らないといったような見事な顔で寝ており、起こすのが忍びなくなる。

 

「…しょうがない、お水は横に置いておきますか」

「アオイ、彼は起きましたか?」

 

声の方向を振り向くと、そこには蝶を模した羽織を羽織った女性–––––九本の柱の内の一つを務め上げる、蟲柱の胡蝶しのぶが立っていた。

 

「しのぶ様、お帰りなさい。早かったんですね」

「えぇ、事前情報よりも手強い鬼ではありませんでしたから」

 

そのまま私の近くまで来て小屋内権兵衛の顔を覗き込む。

 

「あの、小屋内さんは今さっきまで起きていたんですけど、また眠ってしまいました」

「そうですか。…なんだか起こすのも悪いですし、このまま寝かせてあげましょうか」

 

そう言って微笑むと「彼が起きたら私に伝えてください」と伝えて、病室から足を運ぶ。しのぶ様を見送った後、再び目を小屋内さんに向けると黒い目と視線が合う…って。

 

「起きてるじゃないですか!」

「いや、さっきまで寝てたんですよ。けど何か、気配を感じまして」

「気配?」

「…まぁ、悪い気配じゃなかったので別に良いんですけど」

 

「お水ありがとうございます」というと水差しから茶飲みに水を入れて一気に煽る。それを二、三回程繰り返すと漸く落ち着いたのか、ふぅと一息つく。

 

「…そう言えば自分の日輪刀が見えないんですけど、あれは今何処に?」

 

彼の持つ長い日輪刀は損耗が激しく、しのぶ様経由で刀鍛冶の里へ修理に出している。そんな事を知ってか知らずか、辺りを注意深く見ている。

 

「貴方の日輪刀なら損耗が酷いとの事で刀鍛冶の里で研ぎ直している最中ですよ」

「そっか…何から何までありがとうございます」

 

刀が研がれている事を知るとにこやかに微笑む。–––なんだか周りがホワホワしている様な気がする。

 

「それと、その怪我は後二、三週間もすれば治るそうです。それまでは安静にしてて下さい」

「わかりました…所で代金とかは…」

「しのぶ様のご厚意ですから要りませんよ。そんな事は気にせず、しっかり休んで早く良くなって下さい」

「–––それじゃあご厚意に甘えて、少しの間お世話になります」

 

「宜しくお願いします、神崎さん」と差し出された手をこちらも握り返す。–––とても、硬い手だった。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

その硬い手を握りしめて、私はそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––小屋内権兵衛君か。彼の噂は私の耳にも入っているよ」

 

産屋敷本邸の広間。産屋敷輝哉相手に胡蝶しのぶ、富岡義勇の二名は今回の日光の山間での鬼殺の状況を報告していた。–––最も、ほとんどを説明したのは胡蝶なのだが。

 

「お館様はご存知だったのですか」

「うん、凄く頑張り屋な剣士だと聞いてるよ」

 

「頑張り過ぎかも知れないけどね」と輝哉は頰を綻ばせながら口を開く。

 

「鴉からの報告によると、彼の鬼の討伐数、捕獲数累計は今回の鬼殺で百二十を超えたらしいね」

「百二十……ですか?」

 

胡蝶から思わず疑問の声が出る。百二十体の鬼を狩る、それは鬼殺の難易度は元より、それほどまでに鬼と遭遇する事の難しさから出た疑問だ。口を開かないだけで、冨岡も疑わしげな表情を浮かべている。

 

「私も記録を間違えたんじゃないかと思ってね、少し調べて見たんだ」

 

「そしたら、ちょっと考えられない事実が発覚してね」と言葉を続ける。

 

「今から半年前、実弥と天元に任せた箱根山の鬼追いは覚えてるかい?」

「覚えています。確か、下弦の参の鬼を討伐した時の事ですよね」

「そうそう。その時に小屋内権兵衛君もそこにいたんだ、その場にいた隊士からも確認が取れてる」

「そうですか…。あの戦いを生き残るなら、相当に優秀な剣士なのですね」

 

山のあちこちに血鬼術による致死の罠を仕掛け、計30を超える鬼殺隊の隊士の命を奪った当時の下弦の参。投入した殆どの隊士が死亡する過酷な戦場の中生き残ったのだから、その優秀さは押して測るべきだ。

 

「箱根戦のその次の日、富士の麓で彼を見かけたと他の隊士から報告が上がってるんだ」

「––––は?」

 

胡蝶の口から驚きの声が上がる。箱根富士間の距離は凡そ60km、一日で到達できる距離ではない。

 

「それは本当なのですか?見間違い、と言うことは…」

「自分の背丈よりも長い日輪刀を振るい、鈴の音を鳴らす剣士。–––彼以外に該当する隊士は居ないよ」

 

輝哉の言葉に思わず絶句する胡蝶。–––横に座る冨岡も僅かに驚きの表情を浮かべる。

 

「それじゃあ彼は、一日で箱根から富士へと移動したと言うのですか?」

「箱根山での鬼殺を経て、ね。–––それだけの活動範囲と速さがあるなら、短期間で鬼を複数狩る事も不可能じゃない」

 

「もちろん無茶ではあるけどね」と言って言葉を区切る。

 

「とんでもない子だよ彼は。少し、常軌を逸していると言っても良い」

「確かに、そうですね」

 

輝哉の言葉に胡蝶も同意する。

 

「そこで何だけど、しのぶ。彼を少し休ませてあげてくれないかい?」

「勿論構いませんが、何か意図があるのでしょうか?」

「いや、少しの間休んで欲しいだけだよ。–––子供が無茶をして死んで行くのは、見たくないからね」

 

そう言って寂しげな表情を浮かべる。

 

「そう言う事でしたら、お任せ下さい」

「頼むよしのぶ。–––義勇からは何かあるかな?」

「特には。––––ただ、一つだけ」

 

毅然とした表情のまま口を開く。

 

「彼の実力を、計らせて頂きたく思います」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「いやぁ、目を覚ましてくれて良かったです!心配したんですよ?」

「は、はぁ…」

 

多少の疲労感を感じながら自身のベッドの横の椅子に腰掛ける女性–––––現役の蟲柱、胡蝶しのぶを見遣る。

極めて整った顔立ちをしている、と庶民の目ながら判断する。あんまり女性と会話しないため、目の前の女性が世間一般からどれ程綺麗なのかは判らないけれど、凄い美人であるという事だけはわかった。

 

(なんでにこにこ笑ってるんだ…?)

 

神崎さんが呼びに行って此処に来てからずっとこの調子だ。

 

「身体の方は大丈夫ですか?まだ脇腹が塞がってないとは思いますけど…」

「あ、はい。確かに脇腹は少し痛みますけど、身体を動かす程度には支障ありません」

「そうですか!それは良かった」

 

先程から笑みを絶やさない彼女。–––流石に、そろそろ不気味に思えてくる。このまま話していても疲れるだけだと思い、自ら口を開く。

 

「…あの、何か話があるんですよね」

「–––––どうして、そう思うんですか?」

 

少し雰囲気が変わったことを肌で感じつつ、言葉を続ける。

 

「神崎さんから現職の柱の方だと伺いました。柱は日々激務に追われていると聞いています。…それが、自分の様な只の一般隊員に時間を割くとは思えないのです」

「只の一般隊員、ですか」

「はい。自分は……」

「只の一般隊員が、二ヶ月弱で40を超える鬼を討伐出来ますか?」

 

口調は穏やかなままだ。–––––にも関わらず、言葉の端々に氷の様な冷たさを感じる。

 

「謙遜は日本の美徳です。–––しかし、行き過ぎた謙遜は嫌味に繋がりますよ?」

「自分は只、鬼を殺して––––」

「鬼を殺す事で命を落とす人が大勢います。鬼を殺す事は、決して簡単なことでは無いんですよ」

 

諭すような声色が耳に響く。

 

「確かにそうですけど、本当に俺は自分の出来る範囲で鬼を殺してただけ–––」

「兎に角、貴方は決して只の一般隊員ではありません」

 

尚も食い下がろうとするが、無理やり会話を打ち切られる。「全く……」なんて顔をしかめてる様子を見ると、なぜか申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 

「自分の成し遂げた功績に自信の持てない人は早死します。–––貴方は凄い、もっと自信を持って下さい」

「…はい、ありがとうございます」

 

–––褒められているのにこんなに申し訳なくなる事があるとは。正に穴があったら入りたい気分だ。

 

「まぁ叱るのはこのへんで…。あんまり自分を追い詰めると、どこぞの水柱の様に成っちゃいますよ?」

「…はぁ。気を付けます?」

 

「よろしい」と満足げに笑うと、冷たかった雰囲気に暖かさが戻る。椅子から立ち上がるとそのまま部屋から出て行く…前に「そうそう」と首だけ振り向ける。

 

「もしかしたら髪の毛がもじゃもじゃしている人が来るかも知れません。口下手な方ですけど、根気よく話を聞いてあげて下さい」

「…?わかりました」

 

それを聞いてまたニコニコと笑うと、今度こそ部屋から出て行った。彼女が視界から消えるまで見送るとベットに体重をかけ、脱力する。–––なんだか不思議な人だった。

 

(あれ?そう言えば、何か聞こうとしたような……)

 

枕に顔を埋め瞼を閉じる。それからあまり掛からず睡魔が襲ってきて、俺は特に抵抗する事なくそれを受け入れた–––––。

 

 

 

 

 

 

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––––––––十五日後

 

 

『チリン、チリン』と鈴の音が蝶屋敷に響き渡る。時に優しく、時に激しく鳴り響くその音は、心地よい旋律を奏でている。

 

「すぅ…はぁ…」

 

和風建築の庭先にその音の正体はいた。緩やかな浴衣に身を包み、手には自分の背丈よりも長い日輪刀を握る少年–––––小屋内権兵衛である。

振るわれる藍色の刃は流れる川の様に、しなやかに伸びる刃は剛の剣ではなく柔の剣。淀みなく振るわれる剣戟は、一種の舞を幻視させる。

 

「精が出ますね、権兵衛さん」

「アオイさん!洗濯物ですか」

 

そんな中、ひとりの少女が洗濯籠を持って庭に出てくる。髪を二つに纏め、キツ目な顔立ちな少女–––神崎アオイである。洗濯物を抱えてはテキパキと洗濯竿に干していく。

 

「はい。––––私の事は気にせず続けて下さい」

「そう言う訳には…」

「今日はいつもより少ないですから」

 

権兵衛はなおも食い下がろうと口を開くが、こうなった彼女がテコでも動かない事はこの二週間程度で散々わかっている為、渋々口を閉ざす。

 

「…良い天気ですね」

「…そうですね」

 

二人が空を見上げれば澄み渡る様な青空が広がっている。雲一つない快晴から燦々と日光が降り注いでいる。

 

「…前から気になっていたんですけど、どうしてそんなに長い刀を振るっているんですか?」

 

ふと、そんな疑問が神崎の口から溢れる。権兵衛は普通の鬼殺隊が使用する日輪刀よりも凡そ二倍程長い物を使っているのだから、その疑問も当然といえば当然だろう。

権兵衛は口元に手を当てて首を捻る。

 

「んー…、特にこれと言った理由は無いんです。師範から教えて貰った剣の長さが元々これだったので」

「けれど、そんなに長いと色々と不便じゃ無いですか?」

「色々と不便ですよ。たまに木々に引っかかるし、街を歩けば殆どの確率で憲兵に追い回されるしで」

 

「お陰で満足に補給もできなくて、保存食の乾燥鮭を愛用する事になっちゃったし」と不満げに言い放つ。その様子を見て、再び神崎は疑問を投げかける。

 

「普通の刀にしよう、とは思わないんですか?」

「思わないですね」

 

一瞬の間もなく即答。続けて口を開く。

 

「これは元々師範が俺にくれた刀なんです。よっぽどの理由が無い限り、手放す事はないかと」

「…そうですか。その、師範の方は––––」

 

神崎の言葉が続く事はなかった。何故なら、蝶屋敷の塀を何者かが飛び越えて来たからだ。二色に揃えられた陣羽織を着たその人物は太陽に照らされた青い鋼–––––日輪刀を抜刀している。

 

「っ、権兵衛さん!」

 

音を置き去りにするかの速度で振るわれた刃は小屋内の胴体目掛けて振り抜かれ–––––鈴の音が鳴ると同時に侵入者の身体が壁に叩きつけられる。

 

「–––何が目的かは知らないが、襲ってきた以上返り討ちに遭う覚悟はあるんだろうな?」

「––––––っ」

 

–––––聞いた事もない、冷たい声色だった。普段の温厚そうな雰囲気とはまるで異なる、冷たい鋼のような声。聞いてるこっちが震えてしまう程の、凍える殺気。

土煙が晴れた時に現れた侵入者は、端正な顔を持つ青年だった。特に傷を負った様子もなく、刀を構えている。–––そしてその顔は神崎アオイにとって見覚えのあるものだった。

 

「えっ?水柱の冨岡––––」

 

神崎の声は地面を踏み抜いた小屋内の音で掻き消される。リハビリを行なっていたとは思えない流暢な動きで侵入者へと刃を向ける。

 

–––––漆ノ型・雫波紋突き

 

神速もかくやという速さで放たれる大太刀–––––しかし、侵入者はそれを首を傾けるだけで避け、塀に刀が突き刺さる。

その隙を流すまいと身体を傾けたまま小屋内に刃を振るうが、突如動きを変更して大きく横に移動する。その僅か数瞬後、突いた塀ごと侵入者を斬り殺す刃が走る。

 

––––––壱の型 水面斬り

 

(今のを避ける…危機察知能力が常人のそれじゃない)

 

塀を大きく切り裂いた後、大太刀を中段に構え直す。それに対し、侵入者は脇に構える。

 

––––––肆の型改 荒波・打ち潮

 

大太刀特有の遠心力を存分に利用する型を侵入者へと振るう––––が、全く同じ動きを持ってその技が去なされる。

 

(この動き…、同じ呼吸の使い手か⁉︎)

 

全く同じ動きを見せられた事から即座に反応し、型ではなく剣術を持って侵入者へと剣を振るい––––––。

 

「そこまでです、二人とも」

 

胡蝶しのぶの声でギリギリの所で刀が止まった。その胡蝶しのぶの横には彼女の継子–––栗花落カナヲが控えている。その手元は腰にある日輪刀に当てられており、いつでも抜刀出来る事が伺える。

侵入者–––水柱、冨岡義勇の日輪刀は小屋内の喉元に当てがわれ、対する小屋内の刀は肩口に食い込んでいる。そのまま双方刀を退け、胡蝶の方を見遣る。

 

「–––しのぶさん、どうして止めるんですか」

「その人が水柱だからですよ。–––私が止めなければそのままバッサリ斬る気でしたね?」

「否定はしません」

 

頭に手を置いて顔を顰める胡蝶に、態度を改めない小屋内。–––その様子は出来の悪い生徒を叱る先生のようだった。

 

「全く–––。貴方もですよ、冨岡さん。いきなり襲いかかるなんて、何考えてるんですか」

「……俺は口下手だからな」

「それを言い訳に斬りかかるなんて通り魔でもしませんよ…」

 

「どうしてこの人達は…」なんて頭を抱える胡蝶の横で栗花落はニコニコと笑っている。–––その光景は混沌極まっていた。

 

「取り敢えず、二人とも私の部屋に来て下さい」

「えっ、自分もですか?自分は正当防衛––––」

「い い で す ね ?」

「………はい」

 

チリンと鈴が鳴る。何処か寂しげに鳴るその音は、持ち主の遣る瀬無さを表してた––––。

 

 

 

 

 

 

___________________

 

 

 

 

「––––––それで、弁明を聞きましょうか?冨岡さん」

「…実力を測っただけだ」

「流石に怒りますよ?どれだけ天然なんですか貴方は……」

「あの、そろそろ正座を解いても良いですか…?」

「駄目です。まだそのままでいて下さい」

 

自身の自室に二人を連行し、端の方で正座させる。権兵衛君は不服そうに正座し、冨岡さんに関しては憮然とした表情を崩してすらいない。–––なんで私が説教みたいな事を……。

 

「冨岡さん、私言いましたよね?ちゃんと話し合って下さいって」

「……刀で話し合った」

 

しれっと言い放つ冨岡さん。–––自分でも額に血管が浮き上がっている事が分かる。

 

「………そう言えば、最近拷問用の薬の実験台を探していまして」

「………………済まなかった」

 

頭を下げる水柱、らしき男性の背中から哀愁が漂ってくる。

…私の方が年下なのに、なんで年上の人を叱らなければならないんでしょうか…。

 

「小屋内君も、いきなり殺す気で刀を振るうなんて何を考えているんですか」

「襲われたので、つい…」

 

先程まで纏っていた殺気が胡散する。相手が現役の柱だとわかったからだろう。–––柱と聞いた途端疲れたような顔をしていたのは、きっと気のせいだろう。

 

「視界の悪い中、同じ鬼殺隊の隊員が間違えて襲ってくる事も稀にあります。襲われたからと言って、即座に斬り殺そうとするのはやめなさい。良いですね?」

「はい…」

 

一通り言いたい事は済ませた為、一息吐く。目元を伏せて反省の意を示しているため、説教はここまでにしておく。

 

「…それで、冨岡さん。権兵衛君に話があるんですよね」

「………あぁ」

「私は一旦席を外しますので、終わったらまた呼びに来てください」

 

頭に疑問符を浮かべる権兵衛君と相変わらず表情の読めない冨岡さんを置いて部屋から出る。–––あの人、ちゃんと話せるんでしょうか…?

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

「……………」

「……………」

 

しのぶさんを見送ってから数分。待てど暮らせど、隣にいる水柱、冨岡義勇さんから何も言ってこない。

横目で顔を見ても憮然とした表情を浮かべるばかりで、表情から何を考えているかはわからない。

 

(き、気不味い…)

 

空気が重さを持っているような感じがする。自分から話しかけた方が良いのかとも思うが、階級の差からそれも憚られる。

 

(これなら風柱の方がまだマシだ…!)

 

今から半年程前、箱根で出会った風柱の不死川さんも口が悪かったがそれでも意思疎通は図る事が出来た。

今の所遭遇した柱の中で一番親しみ易かったのは音柱の宇髄さんだった。–––あの人も相当な変わり者の筈なんだけれど、何故かまともな人に見えてしまう。

 

「………あの、何かあるんですよね?」

 

流石にこれ以上時間を無駄にするのは看過できないと口を開く。–––今日から外出許可が出たのだ、お団子を食べに行きたい。

 

「…………お前は、鬼を憎んでいるのか?」

「……鬼を、ですか?」

 

散々待って出てきた言葉はそんなものだった。しかし、鬼殺隊の中でも本質を問う問答でもあると思う。

鬼殺隊なんて死亡率の高い職を志望する人、しかも柱になるまで自分を鍛え抜いた人だからこそ、それは気になるのだろう。

–––けれど、多分彼が期待するような答えを自分はできないだろう。

 

「–––いいえ。私は鬼を憎んでいません」

「–––では、何故鬼狩に?」

 

鋭い刃の様な視線が向けられる。–––多分この人も、身内を鬼に殺された人なんだろう。自らの幸せを奪った存在であるからこそ、鬼という存在が許せないんだ。

 

「なんだか誤解があるようなので、先に言っておきます。私も、人を喰う鬼は憎いです」

「………どういう事だ?」

 

 

 

 

「鬼であるから憎い訳では有りません。–––––俺は、人を害する存在全てが憎い」

 

敢えて強い口調で言い放つ。–––今まで出会ってきた鬼狩は皆そうだった。鬼は無条件で憎い存在だが、人は親愛を向ける存在であると。

 

「人を喰う鬼は憎い。それと同時に、人を殺す人も同じくらい憎い」

 

他人の幸せを奪う者はいつだって勝手だ。己の事情のみを考えて他人を害する。自らの衝動のまま人を喰う鬼も、自らの勝手で人を殺す人もそこは変わらない。

 

「人を害する存在であるならば–––人と鬼に、違いはありません」

「–––それが、お前の考えか」

「はい。–––ですので、貴方に殺す気で刃を振るった事は謝りません」

「…随分豪胆だな」

「自分の持論ですので」

 

言いたい事は言った。–––処断されるにしろ、これで文句は無い。

 

「–––そうか」

 

何かに納得したのか、軽く目を伏せると水柱は静かに立ち上がる。

 

「もし今からお前を水柱にすると言ったら、お前は納得するか」

 

…何を言っているんだ、この人は。

 

「……どう言う意図でそんな質問をするのか測りかねますが、謹んでお断りさせていただきます」

「何故だ?お前の実力は先程測らせて貰った。お前ならば–––」

「貴方の方が確実に強いですよ、冨岡さん」

 

自分の型を、同じ型で完全に去なされた時点で実力に大きな差があった。自分の僅かな挙動から使う型を判断し、振るわれる大太刀を普通の刀で難なく防いだのだから、その実力差は押して測るべきだ。

–––全力のこの人と戦えば、地を這うのは間違いなく自分だ。

 

「強さは絶対の指針。柱なら尚更、俺の様な半端が柱になるなんて言語道断でしょう」

「–––それでも、お前は鬼殺隊員だ」

「–––ご自分は違うと仰るのですか?」

「そうだ。–––詳しくは言えないが、俺は最終選別を突破していない」

 

最終選別を、突破していない–––?しかし選別を突破しないで鬼殺隊に入隊する事は不可能だ。だからあの1週間、死ぬ気で山中を走り回ったのだから。

 

「…仰る意味が分かりかねます。貴方は現に鬼殺隊の柱として鬼を滅殺しているではありませんか」

「–––俺はあの選別で助けられただけだ。自分の力で選別を乗り越えた訳じゃない」

 

悲しげな表情を浮かべる。–––生真面目な人なんだろう、自らの力で選別を突破していないことを、今でも悔やんでいる事が分かる。けどその考えには少し誤っているとは思う。

 

「助けられて選別を突破してはならないと、どうして決めつけるのですか」

「選別は己の力を発揮する場所だ。助けられただけの俺は、その試験を突破したとは言えないだろう」

 

–––ここで言葉を重ねるのは容易だ。けれど、幾ら重ねた所で心には響かない事は分かる。結局の所、彼に言葉を掛けるのは自分の役割ではないのだろう。

 

「–––貴方の事情がどうあれ、私は柱にはなれません。お力になれず、申し訳ありません」

「いや、別に良い」

 

「時間を取らせてすまなかった」と告げると、悲しげな表情を浮かべながら部屋から出て行く。姿が見えなくなるまで彼を見送り、息を吐く。

 

「–––––お団子、食べに行こう」

 

元々考える事は得意ではない。何故水柱があんな事を口走ったのか、なんて難しい事はさっさと忘れ、好物のお団子を求めて茶屋に行くとしよう。

 

「みたらし、三色、餡子…何を食べようかなぁ」

 

がま口を浴衣から取り出し、しのぶさんの部屋から出る。

アオイさん達にお土産でも買うか、なんて思いながら軽い足取りで外へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

「–––––フラれてしまいましたね」

「………やはり聞いていたのか」

 

部屋から出た先の廊下で待っていると、しょんぼりした様子の水柱–––––冨岡義勇が出て来る。

 

「いえ?ただその顔を見れば結果は分かりますよ」

「…そうか」

「どうでしたか、彼は」

 

彼、というのは当然小屋内権兵衛の事だ。百二十を超える鬼を短期間で殺し、手を抜いていたとはいえ水柱と互角以上に斬り結んだ剣士である。

優秀な剣士とは総じて変わり者が多い。彼もまたどこか変わっている所があったか、という意図で聞いたのだが––––。

 

「…………わからない」

「…はい?」

「……………」

「えっ?それだけですか?他に説明は無いんですか?」

 

早歩きで廊下を歩く彼の後ろをついて行く。なにかを考えている様な素振りをしているが、相変わらずの仏頂面でなにを考えているのかはわからない。

 

「これから任務がある、俺はここで失礼する」

「本当に分からなかったんですか⁉︎ちょっと、もう少し詳しい事を–––」

「別に–––。ただ、あれは苦労するだろうな」

「えっ?ちょっと、それはどういう–––––」

 

それだけを告げると、玄関からそそくさと外に出て行ってしまった。–––––本当に、あの人ときたら。

 

「…はぁ。気にしても仕方ありません。私も仕事を–––あら?」

 

彼が何故あの様な言葉を残したのか。その意図を頭の中で考えつつ足を自室へと向ける。すると、茶色のがま口を持って歩く小屋内君の姿が目に入った。

 

「お出掛けですか、権兵衛君」

「はい、近くの茶屋でお団子でも食べてこようと思いまして」

 

何処からかホワホワとした雰囲気を醸し出している。–––団子が好物なのだろうか。

 

「そうですか。あまり遅くならない––––」

 

そこまで口を開いた後、少し考える。–––冨岡さんから彼について聞くのが難しくなった以上、彼の口から直接聞くのが良いのではないだろうか。

 

「なら、私もご一緒しても良いですか?」

「–––はい?」

 

キョトンとした表情を浮かべる。

 

「迷惑なら別に構わないですけど…」

「あぁいえ。別にそう言う訳じゃ無いんです。無いんですけど…」

 

あたふたと視線を彷徨わせている。

 

「美味しいお団子のお店、紹介しますよ?」

「…じゃあ、お願いします」

「はい、お任せ下さい」

 

駄目押しに押され、渋々頷く権兵衛君。それを見て微笑むと、二人並んで玄関を出る。ある程度歩いて街中に出ると、ふと彼が口を開く。

 

「…しのぶさんは、面倒見が良いんですね」

「……?」

「いえ、なんでもありません」

 

儚げに笑ったその顔が、何故か印象に残った–––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内 権兵衛

「親無い 名無し」という意図で自ら名乗っている名前。実際は親も名前もあるが齢六の時に捨てられた為自分で捨てた。自分の背丈よりも長い日輪刀を扱う、持久戦に特化した鬼殺隊員。止血の呼吸と回復の呼吸については全ての鬼殺隊員を上回る実力を持つ。人並み外れた体力を持ち、鬼の集団と四時間程度鬼ごっこできる程度の体力がある。
あんまり頭の出来は良く無く、読み書きも大して出来ない。性格は人並み程度に温厚であり、特出した点は無い。人を殺す鬼や人を見たり、そのような意図の発言をするものを見ると激情。生き残る事を優先する普段の戦法から一転、相手をなんとしても殺す手法を取り始める。
持久戦を得意とする為、長い時間戦って鬼を陽の光で焼く事もしばしばある。首が硬かったり、異常に手強い相手には首を斬るよりも焼く事を主としている。




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鬼殺隊一般隊員は胡蝶の夢を見るか?

しのぶ様が美し可愛過ぎて生きるのが辛い(率直)

※誤字脱字修正、及び感想評価ありがとうございます。とても励みになりました、これからもよろしくお願いします。



 

 

 

活気ある喧騒が遠くに聞こえ、暖かな日差しが射す日中。穏やかな風が多くの人々の肌を撫でる中、二人の男女が茶屋の縁台で寛いでいる。

 

「今日はいい天気ですねぇ」

「そうですね」

 

何処か浮世離れした美貌を持ち、和かな笑みを浮かべる女性––––胡蝶しのぶと、ホワホワした雰囲気を辺りにばら撒き、来たる団子を今か今かと待ちわびる少年–––小屋内権兵衛である。

 

「ここは甘露寺さん–––恋柱の方が紹介してくれたんですよ。みたらし団子が絶品だそうです」

「そうなんですか!それは楽しみです!」

 

背丈は然程変わらない二人の為、背後から見れば姉弟に見えなくも無い。正面から見れば、それは間違いである事は明白なのだが。

 

「恋柱の甘露寺さんとは前に出雲の方でお会いした事があります。見た目によらず凄い健啖家でした」

「–––出雲の方まで行ったんですか?」

 

「お待たせしましたー」と間延びした声の店員から、みたらし団子を始めとした餡子や三色、よもぎの団子が山になって置かれる。

それを見た権兵衛は「おぉ」と感嘆した声をあげ、みたらし団子を一串手に取る。

 

「取り敢えず食べましょう。せっかくの団子が硬くなってしまっては事ですから」

「いえ、私は–––––むぐ」

 

遠慮する為に開いた口に容赦なくみたらし団子を突っ込む。権兵衛はそれを見てニコニコと笑うと、自分の口の中に餡子がたっぷり乗った団子を頬張る。

 

「美味しい団子なんですから、一緒に食べましょう」

「…中々強情ですね」

 

「団子に関しては強気なんです」なんて笑うと、次々団子を口に入れていく。権兵衛が団子を食べる度にホワホワした雰囲気が広がり、和やかな空間が一瞬で構築される。

 

「本当に美味しそうに食べますね、そんなに団子が好きなんですか?」

「はい。モチモチした食感がとても好みなんです」

 

そんな彼の雰囲気に当てられてか、胡蝶も団子を口にして行く。

 

「–––それで、出雲の話でしたか」

 

ある程度満足したのか、一緒に出された暖かいお茶で一服すると胡蝶の方に向き直る。といっても、手にはよもぎ団子が握られているのだが。

 

「出雲というより、貴方は普段どの辺りで活動しているんですか?」

 

三つに連なったよもぎ団子の内一つを頬張り、茶をすする。

 

「何処へでも、が正直なところです。北は津軽、南は薩摩まで行った事があります」

「津軽から薩摩、ですか」

 

津軽から薩摩と言えば、殆ど日の本全てを歩き回っている事になる–––常人では考えられない範囲だ。

 

「鬼の出現場所は固まってませんから。自分で行ける範囲なら行くようにしているんです」

 

「うまうま」と呑気に団子を頬張る権兵衛とは裏腹に、胡蝶の顔には驚愕の表情が浮かんでいる。–––柱でさえ活動範囲を絞るほど、鬼殺と言うものは体力精神共に疲弊する。にも関わらず、彼はそれを些事とでも言わんばかりに笑う。

 

「それ程までに、鬼を憎んでいると?」

「鬼を憎む、ですか」

 

胡蝶の質問を反芻する。それはつい先程水柱、冨岡義勇から受けた質問と同じだったからだ。団子を一串食べ終わる程度に悩んだ後、お茶を飲んでから口を開く。

 

「先程水柱の冨岡さんからも同じ質問を受けました。お前は、鬼を憎んでいるのかと」

「それで、どう答えたんですか?」

「憎んでいない、と答えました」

 

何でもないような体で言い終えると、再び団子を手に取ろうとお盆に手を伸ばす––––が、その手は空を切って終わる。何故なら、ニコニコとしている胡蝶がお盆を手に取っているからだ。

 

「どうしててですか?鬼の事を憎んでいるからこそ、日の本中を巡っているのではないんですか?」

 

和かに笑う彼女だが、その目は決して笑っていない。権兵衛は彼女の瞳の奥に黒いナニかを見ると、寂しげに笑う。

 

「–––何故、笑うんですか?」

「人は楽しいから笑うわけじゃないって、師範が言っていました。–––––貴方も、そうなんですね」

 

権兵衛のその一言で、言い訳のしようもない程剣呑な雰囲気が茶屋に蔓延する。発生させているのは、当然胡蝶の方だ。

 

「貴方に、私の何が分かりますか」

「当然分かりません。会って数日足らずの人間に、一体何が分かりますか」

 

「ただ」と言葉を付け加える。穏やかな雰囲気の一切を廃し、鋭い視線を胡蝶へと向ける。

 

「–––––貴女の考えを、私に押し付けられても困ります」

 

権兵衛の手に残っていた竹串の内一本が胡蝶の顔のすぐ横を走る。

 

「先程の言葉に付け加えさせて貰います。–––私は鬼であるから憎い訳ではありません。人を害するモノ全てが憎いのです」

「…それは、鬼を憎む事となんら変わらないのでは?」

 

胡蝶の質問に対し、権兵衛は即座に断言する。

 

「変わります。同族を殺す人がいるように、人を喰わない鬼がいるかも知れませんから」

「居ませんよ、そんな鬼は。鬼はすべからず人を騙し、喰べます。それに例外なんてあり得ない」

 

そう言い放つ胡蝶の瞳の奥が微かに揺れた事を、権兵衛は見逃さなかった。

 

「そうだとしても–––私は、鬼であるからと言って彼等を殺したりはしません」

 

手に残っていた竹串を全て叩き折ると、自らの傍に置く。それを見た胡蝶もまた取り上げていた団子のお盆を置く。

権兵衛が餡子の団子を頬張るところを見ると、胡蝶は静かに口を開く。

 

「–––辛くありませんか?人を喰わない鬼がいるかも知れないと信じるのは」

 

胡蝶の言葉に軽くうなづく。

 

「それは、多少しんどい事はあります。–––––けど」

 

言葉を区切り、なにかを決心するかのように口を開く。

 

「信じない訳には、いきません」

 

最後の一本になってしまったみたらし団子を見つめ、悲しげに笑う。

 

「どうして、そこまで信じるのですか?」

 

頑な、というまでに意思を曲げない権兵衛に対し、胡蝶は疑問を口にする。

 

「貴方は既に百二十を超える鬼を討伐しています。–––その中で、人を喰わなかった鬼は見つけられましたか?」

「…いえ、見つけられていません」

「なら–––––」

「それでも、です。この考えを、曲げるわけにはいきません」

 

覚悟を持った目だと、胡蝶は思った。だからこそ、度し難いとも思う。

 

「理解出来ません。–––事実、鬼は人を喰います。何故そんな頑なまでに区別をつけようとするんですか?」

 

鬼は人を喰うのだから鬼を殺すのは当然だ。なぜそこで人を殺すのか殺さないのかで一度区別を分ける必要があるのか、胡蝶には理解出来なかった。––––彼の言葉を、聞くまでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「簡単ですよ。––––人を殺す人を、躊躇わず殺す為です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––刹那、世界が止まったような感覚を胡蝶は覚えた。

 

「––––––実は、自分が鬼殺隊に入って初めて殺したのは、鬼じゃないんです」

「…………えっ?」

 

意図せず、胡蝶の口から声が漏れる。何故なら、その言葉が意味する事実を正確に予知してしまったからだ。

 

「自分に与えられた最初の任務は、山中にある小さな農村に出現した雑魚鬼の討伐でした」

 

なんて事は無い、なんて口調の権兵衛だが、その手は微かに震えていた。

 

「あの時の自分はまだ未熟で、目的地に向かう途中で道に迷ってしまったんです。そしたら、偶然その村の出身だという少女が現れたんです」

 

「可愛らしい少女でした」笑うと花の様に綻ぶ、可愛い盛りの子でしたと噛み締める様に呟く。

 

「自分の身の上を正直に話すと、彼女は笑って道案内をしてくれました。––––彼女は裸足で、何も履いてなかった事に気が付かず」

 

「馬鹿みたいでしょう?そんな間抜けが、鬼殺隊に入ったんですから」と自嘲した笑み浮かべる。

 

「目的地の村に着いたら、まず始めに初老の男性に遭いました。––––そうしたらなんて言われたと思いますか?」

 

自嘲した笑みが固まり、死んだ魚の様な目をしていた。

 

「『若い男はお呼びじゃない』って、そう言われました」

 

権兵衛の手に持っているみたらし団子がカタカタと震える。

 

「自分は駆けつけてきた村の人々に身体を拘束され、道案内をしてくれた彼女と離されました」

 

「暴れたら少女を殺すと脅されたので、自分にはどうしようもありませんでした」と続ける。

 

「拘束されたまま村の広場に向かうと–––––そこには鬼が居ました。恰幅の良い、赤茶色の肌をした鬼が」

「村の人々は彼に–––鬼に祈りを捧げていました。彼こそ神である、と」

「そうして少しの間待っていると、白粉を塗った少女が鬼の前に連れて来られました」

「–––––その子は、自分を案内してくれた少女でした」

「自分はその時全てを理解しました。彼女が裸足だった訳も、自分が鬼狩りだなんて言葉を信じた訳も」

「彼女は村から逃げ出してきた子だったんです。自分はそんな事もわからず、彼女に道案内をさせてしまった」

 

震えていた手がピタリと止まる。

 

「彼女は笑っていたんです。笑って、後はお願いと言ったんです」

「権兵衛君、そこまでで結構です」

「けど、いざ自分の肩が鬼に齧られると、彼女は大声で叫びました。『助けて、お兄さん‼︎』って」

「止めなさい、権兵衛君」

 

権兵衛は笑っている。なのに、胡蝶にはその表情がどうしようもない程に泣いていると思えた。

 

「そこから先は、あまり覚えていません。ただ、気がついたら辺り一面血の海の中で、冷たくなった彼女を抱いていました」

 

みたらし団子を齧り、お茶を一息に飲み干す。

 

「––––––あの時、彼女の異常に気が付いていれば、あの子は喰われずに済んだかもしれない。あの時、村の人々をもっと早くに殺せて居れば、あの子だけでも助けられたかもしれない」

 

すっと縁台から立ち上がり、胡蝶を見る。

 

「人は簡単に鬼になれる。そんな事がわからなかったから、自分は彼女を助けられなかった。––––––だからこそ、次は迷う訳にはいかないんです」

 

そう言って儚げに笑う彼を、胡蝶はただ見つめる事しか出来なかった––––––––。

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

 

 

 

アオイ達へのお土産と言って団子を買った権兵衛君と別れ、私は夕暮れの街を一人で歩いている。

 

「『…人を殺す人を、迷わず殺す為』ですか」

 

それを口にした彼の表情は、今でも頭の中に鮮明に焼き付いている。–––––見えない涙を流し、聞こえない号哭を叫んでいた彼は、どうしようもない程に泣いていた。

鬼を滅殺する為に打たれ、握った刀で初めに人を斬り殺す–––その葛藤は、考えることすら出来ない。

 

「…私では、何も言えなかった」

 

言葉を重ねる事はきっと出来たのだろう。けれど、それらの言葉は彼にとってなんの価値もない事は分かる。

–––––あの子は、これからも地獄の様な日々を送るのだろう。

人を疑い、鬼を疑いながら成し遂げる鬼殺。信じる物が何も無い中戦い続けるのは、紛れも無い地獄そのものだ。

 

「…恨みますよ、冨岡さん」

 

別れ際に彼が言い放った「苦労するだろうな」との一言の意味を理解し、軽く毒吐く。–––彼が端的にでも教えてくれれば、ここまで深入りする事も無かったのに。

 

「姉さんなら、彼になんて言葉をかけたのでしょうね」

 

誰にでも優しく、多くの人に分け与えられる程の慈愛を持っていた、私の最愛の姉。鬼を殺す時でさえ、彼等を憐れむ程に優しかった彼女。

 

『彼等だって元は人間なんだもの。最期に祈る位は、許されるでしょ?』

 

–––そうして鬼にすら優しさを振りまいていた姉も、結局鬼に殺されてしまった。

鬼は憎むべき存在である、それは絶対に揺るがない。最愛の姉を奪った鬼を、許す道理は無い。

 

「……もうこんな時間ですか」

 

自問自答を繰り返している内に高かった日差しは地平線に沈み、綺麗な茜色で街を照らしている。–––そろそろ帰らないと心配してしまいますね。

そうして脚を蝶屋敷に向けようと方向を変えると、見覚えのある髪が目に入る。

 

「–––––あら?」

 

桃色の先に緑色を垂らした髪が揺ら揺らと揺れている。何か風呂敷に包んだものを抱えている彼女は、こちらに気付くと太陽のような笑みを浮かべ、腕が千切れんばかりに手を振る。

 

「おーい!しのぶちゃーん‼︎」

「…相変わらず、甘露寺さんは元気ですね」

 

花が咲くような笑みを浮かべる彼女に、私は疲れたように笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「こんな所で会うなんて奇遇ね!お買い物?」

「えぇ、まぁ。そんな所です」

 

まるでこうなる事が当然のように並んで歩く。–––––彼女の底なしの明るさは美徳ですけど、疲れる時があるのが玉に瑕ですね。

 

「そういう甘露寺さんは何を買ったんですか?」

 

彼女の腕の中には大きな風呂敷が抱えられている。それを指摘すると彼女は頰を赤らめる。

 

「服を買ったの。偶々通りかかったら凄い綺麗な布があって、一目で気に入っちゃって…」

「そうですか。甘露寺さんが着たらきっと似合いますよ」

 

「そうかな…」とはにかむ彼女。––––そこで、ついさっきまで話していた少年の事を思い浮かべる。

 

「つかぬ事を聞くんですけど、甘露寺さんは、小屋内権兵衛君という剣士をご存知ですか?」

「しのぶちゃん権兵衛君を知ってるの⁉︎」

「えっ」

 

突如食い気味に詰め寄ってくる彼女に思わずたじろいでしまう。–––この反応を見るに、どうやら知っているようですね。

 

「えぇ、まぁ。つい先程まで一緒にお茶を–––––」

「えぇー⁉︎権兵衛君と⁉︎良いなぁ…」

「そ、そんなにですか?」

「うん。権兵衛君、お茶とか誘おうとしても直ぐに何処か行っちゃうから…」

 

しょんぼりした様子で肩を落とす。

 

「権兵衛君とは何回か合同で任務を行なっているんですか?」

「そうだよ?もう四回くらいになるかなぁ…」

 

「私とは全然お茶してくれないのに…」と若干憤ってる彼女を余所目に、心の中で驚きの声を上げる。

柱と合同で任務、しかも複数熟す事が出来るなんて–––。

 

「あの子はどんな戦い方を?」

「どんな戦い方かぁ……」

 

可愛らしく下唇に指を当て、首を傾ける。ある程度悩んだ後、口を開く。

 

「生き残る戦い方、かな?」

「生き残る、ですか?」

 

「うん、そう」と言葉を続ける。

 

「絶対に深追いはしないし、無茶な行動もしない。堅実に、確実に鬼を追い詰める子だよ」

「そうですか…」

 

日光で見た彼の戦い方とそんなに違いはない。あの戦法を確立させたのは最近ではないようだ。

彼の戦い方がある程度わかったと思った時「けどね?」と彼女から言葉が入る。

 

「一度だけね?一度だけ、凄い戦い方をする事があったんだ」

「どんな戦い方だったのですか?」

「本当に凄かったよ?私でも近づくのが嫌になる位」

「具体的に言うと?」

「うーん…。視界に入るもの全部斬り捨てる感じかな?」

 

視界に入るものを全て切り裂く……彼の性格、戦法からも懸け離れている。何か切っ掛けがあったに違いない。

 

「–––詳しく聞かせてもらっても?」

「別に良いけど…そんなに面白い話じゃないよ?」

「大丈夫です。少し興味があるので」

 

「そっかぁ…」と少し悩むと、話す決心をしたのか「よし!」と意気込む。

 

「じゃあ端的に話すね。あれは、今から三ヶ月前の事なんだけど–––––」

 

 

 

 

 

 

 

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あれは、月の姿が見えない曇天の夜の日だった。

お館様の任を受け、伊勢の山間部に潜伏している鬼の討伐に向かった時だった。彼に、再び出会ったのは。

身の丈に合わない大太刀を背負い、肩に乗っかった鴉と軽口を叩き合う少年––––小屋内権兵衛と。

 

「おーい!権兵衛くーん!」

「……甘露寺さん、ご無沙汰してます」

「久しぶり!元気にしてた?」

「えぇ、まぁ。–––あの、上着を着てくれませんか?」

 

私と会うといつも顔を赤くする彼は、最初に出雲で会った時と同様自分の羽織を渡してきた。

 

「権兵衛君はどうしてここに?」

「鴉から情報があったんです。ここらで人喰い鬼が出るって」

「そっか!じゃあ今回も合同で任務だね!」

「あ、はい」

 

話を聞くと、なんでも同じ鬼が討伐対象である事を知り、現地まで一緒に行く事になった。

 

「今回の鬼は幻覚を使う鬼だそうです。本人の嫌な記憶を思い出させて動きを鈍らせるとか」

「えぇ…なんだか嫌な鬼だね…」

「人を喰う鬼に好きな鬼も嫌いな鬼も居ませんよ。等しく害獣です」

「カァー!害獣!害獣!」

「それもそうだよね…」

 

初めて彼と合同で任務を遂行した際に、彼が鬼を害獣と呼ぶ事は知っていたから、特にそれに触れることはなかった。

そのまま会話を挟みながら鬼が潜伏しているとの情報があった場所を虱潰しに探したけれど、いつまで経っても鬼は見つからなかった。

鬱陶しい木々を全部薙ぎ倒す、なんて強行案を私が出す程には探した覚えがある。

 

「もぉー!鬼は何処にいるのよ!」

「場所を移動した可能性も考慮する必要がありますね…」

「このままじゃ日が昇っちゃうよ…」

「二手に別れましょう。ここで逃すのは不味い」

 

私は彼の提案した二手に別れて探す事に同意し、その場で別れた。––––––今思うと、それが悪手だったのは間違いない。

 

二手に別れて四半刻が過ぎた辺りで、突如小屋内君の方から鈴の音が聞こえた。前に出雲で聞いた物とは違う、叫び声のような鈴の音を。

 

『ヂリリリン、ジャラララン』

「––––––っ、権兵衛君⁉︎」

 

私は足場の悪い山の中を彼の元へ精一杯走った。万が一にでも彼が死んでほしくなかったから。そうして彼の元に駆けつけると–––––。

 

「何、これ………」

 

ある一点を中心に、木々が全て薙ぎ倒されていた。刀で斬ったとは思えない荒々しい切り口だったのを、今でも覚えている。

 

「権兵衛、君………?」

 

目当ての人物は直ぐに見つけることが出来た。–––もっとも、普段通りの彼とは別人のようだった。

黒い瞳からは涙がポロポロと溢れ、口の端から血を流している彼は、何か鬼の血鬼術にかかっていることは直ぐにわかった。–––けど、私は近づく事は出来なかった。

 

「助けられなかった‼︎救えなかった‼︎俺が迷ったから‼︎俺が止まったから‼︎」

「クソッ⁉︎なんでだ!なんで幻覚を見せているのに止まらない⁉︎」

 

哭き叫びながら振るわれる刀は、剣士の叫びにも似た鈴の音を撒き散らす。

 

「止めろ!こっちに––––ギャ⁉︎」

 

視界に入る全てを切り裂く彼は、そのまま鬼の五体をズタズタに切り刻み、最後は千切れかかった首を断ち切った。

鬼の首が斬られた事で血鬼術が止まったのか、彼はその場でぐったりと座り込んだ。

 

「大丈夫⁉︎権兵衛君⁉︎」

「–––あぁ、甘露寺さん。鬼は、倒せましたか?」

「何言ってるの⁉︎権兵衛君が倒したんだよ!それより大丈夫⁉︎汗が酷いよ⁉︎」

 

顔を青白くし、珠のような汗をかいていた彼は、はっきり言って病人みたいだった。

 

「問題ありません。少し、疲れただけです」

「そんな訳…!兎に角、少し休んだ方が良いよ!」

「大丈夫です。俺は、止まる訳––––––––」

 

何か言いかけた瞬間、糸が切れたように眠った彼を抱き抱える。ただ、異常に身体が熱かった事がよく印象に残っている。

 

「…本当、何があったんだろう」

 

木々や岩、地面すら切り裂かれたその場所で、私は彼を抱き続けた–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––その時だけだったな。彼があんな風に戦ったのは」

 

「あの時の権兵衛君は正直見てられなかったわ」と悲しげに笑う彼女。––––その時彼が鬼に見せられたのは、恐らく最初の鬼滅、その情景だろう。今の考えを持つに至った、始まりの鬼狩。

 

「気絶した後は私が彼を藤の花の家まで連れて行って…彼と伊勢での話はそれで終わり」

「…そうですか。話してくれてありがとうございます」

「ううん、気にしないで。–––それより、なんでしのぶちゃんは権兵衛君の事が気になったの?」

 

こてんと首を傾けて聞いてくる。–––そう言えば、理由を話していませんでした。

 

「先程、彼とお茶をしていた時に聞いたんです。–––鬼を憎んでいるのかと」

 

鬼殺隊に入り、百二十もの鬼を滅殺した剣士が鬼を憎んでいないと言った事。–––私は、その理由が知りたかった。

日の本中を駆け回り、鬼を殺して回るのは辛い事だ。とても、覚悟だけで成し遂げられるような偉業ではない。–––それこそ、私のように鬼を憎んでいなければできない筈だ。

 

「それで、彼はなんて言ったの?」

 

少し身を乗り出して来る彼女に対し、困った様な笑みを浮かべて口を開く。

 

「憎んでいない、と言っていました」

「やっぱり」

「…えっ?」

 

まるでその答えを予想していたかのように笑う。その顔は、正しく花のように可愛らしい笑みだった。–––それに対して、私は間抜けな顔を晒したと思いますけど。

 

「権兵衛君はね、鬼を憎んでいるから鬼殺隊に入った訳じゃないよ」

「では、何故?」

 

困惑する私を余所目に、何処か自慢気に口を開く。

 

「––––人を、助けたいと思ったからなんだよ」

 

 

 

 

 

 

––––––甘露寺さんの言葉を聞いた時、思わず目を見開いてしまった。

 

「一月程前、権兵衛君と会った時なんだけどね?」

 

甘露寺さんはニコニコと、まるで自分の話をするかのように彼について話し始める。

 

「山中を二人で歩いていたら声が聞こえてきたの。その声の人を探していると崖下の川––––大体八丈位の所で男の子が流されていたのを見つけたんだ」

 

嬉しそうに話す彼女の話を、私は只聞くことしか出来ない。

 

「そしたら権兵衛君、刹那すら迷わず直ぐに崖を飛び降りたの」

 

「日輪刀すら投げ捨ててね」と可笑しく笑う彼女は、本当に楽しそうだ。

 

「溺れていた子は何とか助かったんだけど、私その時権兵衛君に怒ったの。『もっと自分の命を大切にしろー』って」

 

「そうしたらなんて言ったと思う?」と聞いてくる彼女に対して「なんて言ったのですか」と聞き返す。すると、白い歯を見せながら子供のように笑って言った。

 

「『あぁ、死ぬかと思った』って、ずぶ濡れになりながら笑ってたの。その時思ったんだ–––この子は、命を大切にする人なんだって」

 

 

 

 

『鬼であるから憎い訳ではありません。人を害するモノ全てが憎いのです』

『–––鬼であるからと言って彼等を殺したりはしません』

『––––人を殺す人を、躊躇わず殺す為です』

 

彼の言った言葉が頭の中で反芻される。彼は、人を殺すのか殺さないのかに明確な基準を設けていた。人を害する存在を許さないと、そう言っていた。–––それはつまり、人を守るという事の裏返しではないのか。

 

「今の鬼殺隊の強い人って、鬼に家族、若しくは大切な人を奪われた人が殆どじゃない?」

「…それは、そうかもしれません」

「だからみんな、鬼に憎しみを抱いてる」

 

どこか寂し気に言った彼女の言葉は事実だ。現に現役の柱の半分以上は鬼に家族、若しくは親族を殺されている。–––私を含めて。

 

「それが悪いとは言わないのよ?けど、だからこそ、権兵衛君みたいに純粋に「人を助けたい」って思える子は大事なんだなって思うの」

 

「私みたいな不純な動機で鬼殺隊に入るよりもね」と笑う彼女。–––この人は、どこまでも純粋なんだ。

 

「…そうですね。そういう人が、増えてくれれば良いですね」

 

姉が鬼に殺されてから、鬼を殺す事にのみ注力していた。–––どうして鬼を殺すのか、その根源には目もくれずに。

けど彼は、権兵衛君は違ったのだ。

 

『––––だからこそ、次は迷う訳にはいかないんです』

 

見えない涙を流し、嘆いた過去を振り返り、決して忘れずに前を向く。今ある地獄が少しでも良くなるように祈って、彼は日輪刀を振るい続けるのだ。–––今度こそ、間に合うようにと願って。

 

「甘露寺さん、この後よろしいですか?」

「別に大丈夫だけど…何かあったの?」

 

首を傾ける彼女に笑いかける。

 

「知っていますか?–––権兵衛君は、団子が大好きなんですよ?」

 

頑張り屋の彼を少し甘やかしても、バチは当たらないだろう。小首を傾げた後、意図を理解したのかニコニコと笑う彼女を連れて先程歩いてきた道を引き返す。夕日はもう、沈みかけていた–––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「ただ今戻りました」

「お邪魔しまーす!」

 

すっかり日が暮れた夜に、二つの影が蝶屋敷の門をくぐる。–––胡蝶しのぶと、甘露寺蜜瑠の二人である。甘露寺の手には先程と変わらず大きな風呂敷があるが、胡蝶しのぶの手にも灰色の包みが収まっている。

 

「しのぶ様、おかえりなさい。其方は恋柱の甘露寺様ですね」

「久しぶりだねアオイちゃん!元気にしてた?」

 

迎えにやってきた神崎アオイを見ると、甘露寺は手荷物を放り投げてすぐさま神崎を抱きしめる。突然の事に一瞬驚いたものの、すぐさま身体を離す。

 

「私はいつも通り元気です。–––それより、甘露寺様はどうしてこちらに?」

「あぁ、彼女は私がお呼びしたんです。よかったらお茶でも、と」

 

疑問符を浮かべている神崎はその言葉を聞いて「成る程」と納得すると、テキパキと二人から荷物を預かり始める。

 

「後でお茶を持って行きますから、それまで中でゆっくりとしていていてください」

 

座敷に案内しようと背を向けた神崎に「それと」と胡蝶が声をかける。

 

「権兵衛君は帰ってきてますか?」

「小屋内さんなら半刻程前に帰ってきてますよ。それが何か?」

「もし起きてるなら呼んできて下さい。–––美味しいお団子があると伝えれば来ると思いますので」

 

神崎が「わかりました」と了解の意を伝えると、廊下の陰から丁度一人の少女が出てくる。蝶屋敷に住んで鬼殺隊員の治療をする人物の一人で、周りから「なほ」と呼ばれる少女だ。

彼女は三人を見つけるとパタパタと走り、笑顔で出迎える。

 

「お帰りなさい、しのぶ様!甘露寺様もお久しぶりです!」

「ただいまなほ。悪いですけど、権兵衛君を呼んできてくれませんか?」

「わかりました!」

 

快活な返事でそのまま病室へと向かう。–––口の端にみたらしのタレが付いていた点は、触れないのが一番だろう。

 

「–––権兵衛君、どれ程のお団子を買ってきましたか?」

「––––山ほど、でしょうか」

 

どこか疲れた顔で神崎が言う。権兵衛が満面の笑みを浮かべ、大きな包み一杯にお団子を持って帰って来た時の衝撃は、未だ記憶に新しいからだ。

 

「甘露寺様が来て下さって助かりました。とても、ここの住人だけで食べきれる量では無かったので…」

「そうなの?なら遠慮なく頂こうかしら!」

「そんなに買ってきたなら、私が買ってくる必要はなかったかも知れませんね…」

 

常識を弁えているのかいないのか、そこはあまり掴み所がない少年に二人が息を吐く。–––––そんな暖かな雰囲気で談笑している中、慌ただしい様子でなほが戻ってくる。

 

「しのぶ様!大変です!」

「どうしたの?何か問題が–––––」

「それが、小屋内さんが病室から居なくなっているんです!」

「––––なんですって?」

 

なほは「ベッドはもぬけの殻で、枕元にこれが…」とおずおずとした様子で胡蝶に紙を渡す。傍目からみると手紙のようだ。胡蝶は慣れた手つきで封を切り、中の手紙を開く。

手紙にはあまり綺麗とは言えない字で、以下のように書いてあった。

 

 

『怪我も殆ど治りましたので、今日から鬼狩に復帰しようと思います。神崎さん、なほちゃん、すみちゃん、きよちゃんには、本当にお世話になりました。機能回復訓練の準備をしていた矢先に抜け出す事になってしまい、大変申し訳ありません。買ってきたお団子はせめてもの気持ちです。皆様で召し上がって下さい。

栗花落カナヲさん、胡蝶しのぶさんにつきましても、どうか身体に気をつけて、健やかな日々を過ごして貰える事を願っています。小屋内権兵衛』

 

「……勝手な事を言いますね」

 

当たり障りのない、普通の手紙だった。胡蝶はその手紙を読んだ後、ぐしゃりとそれを握りつぶす。周囲が怯えているように見えるが、気にしている余裕はない。

 

「…あら?」

 

今すぐ勝手者を探しに向かおうと足を外に向けると、ふと握り潰した紙の裏に何か聞いてあることに気がつく。

くしゃくしゃになった紙を広げると、裏に短い一文が綴ってあった。

 

『追記 しのぶさんへ

お団子美味しかったです。機会があればまたいきましょう』

 

慌てて書いたかのように文字の節々が掠れているその一文は、胡蝶の目を引きつけて離さなかった。

少しの間その一文を見ると、今度はビリビリと文を破り捨てる。

 

「–––本当、馬鹿みたいですね」

「し、しのぶ様?」

 

困ったモノを見たように笑った彼女は、手を叩いて視線を集める。

 

「お茶会をしましょう。アオイはカナヲを、なほはすみときよを呼んで来て下さい」

「えっ?あの、権兵衛君は…」

「知りません、あんな勝手者」

 

胡蝶はピシャリと言うと、直ぐに中に入っていく。なほと神崎は慌ただしくその場を離れて、甘露寺は胡蝶に慌てて付いていく。

 

「い、良いの?彼に–––––」

「良いんです」

 

何か言いたげな甘露寺を遮って口を開く。–––彼女の顔は、咲いた花のように可憐だった。

 

「彼とは何処かで逢えます。–––今は、それで充分です」

 

––––その時の胡蝶の微笑みはとても綺麗だった、とは甘露寺の談だ。

もっとも、彼が再び蝶屋敷に収監される日はそう遠くはないのだが、それはまた別のお話–––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「カァー!カァー!良イノカ、ゴンベエ」

 

殆どの人が寝静まった静かな街に、鴉の声が響き渡る。昼過ぎに聞いた喧騒は影も形もなく、ただ静かな世界が辺りに広がっている。

 

「うん。お陰で傷も塞がったからね」

 

脇腹のあたりを摩る。ポッカリと空いていたそこはすっかり塞がり、硬い筋肉が押し返してくる。–––治療を施してくれたしのぶさんには、本当に頭が下がる。

 

「鴉、鬼の出現情報を寄越してくれ」

「…カァー」

「……鴉?」

 

肩に乗っかった鴉がしょんぼりした顔で俯いている。

 

「どうした?お腹でも痛いのか?」

「………ゴンベエ、大丈夫カ?」

「…お前」

 

自身の頰を力無く突く鴉の頭を撫でる。–––口が悪いが、こいつもこいつで良い奴なんだな。

 

「俺は大丈夫だよ。–––心配してくれてありがとな、鴉」

「カァ……南西、南西」

 

不服そうに行き先を伝えてくれる鴉の羽を撫でると、肩から飛び去って空へと舞い上がる。俺の視界から消えない範囲で飛んでいる事から、どうやら道案内をしてくれるらしい。

 

「さて、と–––––」

 

振り返ると、視界に蝶屋敷が映る。–––自分には、勿体ない程良いところだった。だからこそ、何も言わずに出てきたのだが。

 

「本当に、ありがとうございました」

 

蝶屋敷に向かって深々と頭を下げる。

とても有意義な休息だったと、胸を張って言える。怪我をして運び込まれたのが蝶屋敷で良かったと、断言出来る。

 

「–––––行こう」

 

頭の片隅に残る未練に蓋をして、歩く速度を速める。歩く度にチリンチリンと鈴が鳴り、閑静な街中に響いて行く。

 

「月が綺麗だな」

 

空を見上げると、雲一つ無い空に上弦の月が浮かんでいる。曇りなく照らされる月の光は、自分の行く末を照らしている様に思えた––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––四ヶ月後。

 

 

 

宿場町の近くにある河川。川の流れによって削られた丸石が敷き詰められた河岸にて、『チリン』と鈴の音が鳴った。

 

「フハハハハハ‼︎足りん!全く持って足らんぞぉ‼︎」

 

月夜に煌く大太刀が幾度となく血に塗れた錆び刀と激突し、眩い火花を散らす。

七尺はある大男の振るう血に塗れた二振りの錆び刀を、五尺程度しかない少年が、分不相応に長い大太刀を持って斬り返す。

幾度となく剣戟は繰り返されるが、互いにその身を斬られることはない。

 

「…全く、今日の鬼はやたらと煩いな」

 

強撃によって受けた衝撃を利用して距離を置き、大太刀を構える少年–––––小屋内権兵衛。頰に痛々しい痣がある以外に外傷は無く、悠々と刀を握っている。

それに相対するは、『滅』と書かれた隊服を着込む、口から肉食獣の様な歯を見せて笑う大男––––鬼である。

 

「正に僥倖!1日に二人の剣士を殺すことが出来るとは‼︎」

 

高々と笑う鬼の足元には首から先がない人間の亡骸が転がっている。背中に『滅』と描かれた隊服を着た死体の切り口からは鮮血が吹き出ている。その事から、殺害されたのは先程だと言うことが分かる。

 

「この剣士は全く歯応えが無かったが、お前とは中々楽しめそうだな」

「……………」

 

足元に転がる死体を足蹴にする。口には下衆な笑みがこぼれている事から、明らかな挑発だと言う事が分かる。それ故に、権兵衛も一切反応を返さない。

その反応が面白くないのか、再び鬼が口を開く。

 

「なんだ、同族が殺されたのに怒りもしないのか?随分薄情な奴だな」

 

鬼の服装は藍色の羽織を除けば権兵衛が着ているものとほぼ同じ–––即ち、鬼殺隊の隊服である。つまり、目の前の鬼は元鬼殺隊の隊員という事だ。

 

「–––鬼を滅殺する為の刀で人を斬り殺すのか」

 

赤錆た刀から血が滴り落ちる。陽光山で産出された玉鋼を叩いて作られた刀––––––日輪刀が、人の血を吸って曇っている。

 

「ふん!知ったことではない。これは日輪刀である前に刀だ。そして刀は人を殺す為にある。なら、人を殺すことに使っても問題はあるまい」

「–––そうだな」

 

これ以上喋るのは無駄とばかりに話を切り上げ、大太刀を持って鬼へと斬りかかる。

鈴の音と合わせて振るわれる剣撃はしかし、鬼の持つ圧倒的な膂力と生前持ち合わせていた刀の技量で難なくいなされる。

 

「そんな霞の様な攻撃で、私の首が取れると思うな!」

 

赤錆た刀が権兵衛の首元へ迫る–––が、その刹那の隙を縫う様に身体を翻す。躱す際に腕を斬りつけるが、筋肉に阻まれて切断には至らない。

 

「ぬぅん!」

 

力の載った刀を側面で去なす。橙色の火花が辺りに飛び散り、足の上に消える。

再度振るわれる剣戟の合間を縫って身体に切り込みを入れて行くが、強靭な筋肉に阻まれてロクに傷が入らない。

 

「えぇい!ちょこまかと小賢しい猿めが‼︎」

 

横薙ぎに振るわれる強撃の力に逆らわず、石を弾きながら背後へと大きく後退する。左頰から血が流れ出る権兵衛だが、特に気にしている様子はない。

 

「貴様の塵の様な力では、私を殺すことは出来ない–––やはり、人間というものは無力だ」

 

再び距離を置いて一息。その間にも鬼の傷は見る見る塞がっていき、数秒もすれば元どおりとなる。

 

「このまま戦ってもお前に勝ち目はない。しかし、私はお前を逃すつもりはない。–––このまま嬲って殺してくれる」

 

息巻く鬼相手に、権兵衛は何一つ反応しない。しきりに空を見るだけで、まるで鬼が眼中にないかの様だ。そしてその反応は、鬼の逆鱗に触れるものだった。

 

「貴様…!この私を愚弄するか!」

「……………」

 

無反応。ただ大太刀を構えるだけで、権兵衛は一言も発しない。その反応に鬼は激高する。

 

「私は鬼殺隊の柱を殺した事もあるのだぞ!貴様の様な塵剣士一人、簡単に葬って–––––」

「––––––そろそろか」

 

吠える鬼に怯むこと無く、石を撒き散らしながら鬼へと疾走する。独特な呼吸の音が響き、それに合わせて鈴が激しく鳴り響く。

権兵衛は低い姿勢から疾走し、刀を脇に構える。鬼は上から叩き潰す為に刀を振り上げ–––––。

 

––––––水の呼吸 壱の型改 飛沫・水面斬り

 

シャララランと鈴が響く。その音の最中に鬼の両足が切り落とされ、姿勢を維持出来ずにうつ伏せに倒れ臥す。

 

「な、にぃ⁉︎」

 

大太刀とは言えまだ届く間合いではなかった–––にも関わらず、鬼の足は切り落とされた。その事実を頭が理解出来ず、受け身を取ることが出来なかった。

 

「–––終わりだ」

「くっ、まだだ!」

 

鬼はうつ伏せの状態で残った両手で首を守る。そのまま襲いくる刀の衝撃に備え––––––。

 

「ぐ、うぉぉぉぉぉ⁉︎」

 

その屈強な胸元を、深々と突き刺された。滅の字を貫く様に突き立った刀は河原の礫石を軽々と貫通し、その下にある地面と鬼とを縫い合わせる。

 

「ぬ、抜けん⁉︎何故だ、何故抜けない⁉︎」

「六尺弱もある刀を刺されたんだ、抜ける訳ない」

 

必死に身体を起こそうと腕に力を入れるが、礫石が粉々に砕けるだけで上手く力が入れられず立ち上がる事が出来ない。再生した足を利用してもがくが、刀は一向に抜ける気配がない。

 

「貴様!卑怯だぞ!剣士なら正々堂々、刀で戦え!」

 

叫ぶ鬼の事などどこ吹く風で、権兵衛は鬼の正面に回る。

 

「–––お前の視点じゃよく見えないと思うから教えてやるけど、もうすぐ日が昇る」

「………はっ?」

 

空は既に明るくなり始めており、あと数分もすれば朝日が昇ることが分かる。そして河原にはなんの障害物もなく、朝日を直接望む事ができる。

 

「お前は元剣士だからな、だから刀では殺さない」

 

傍に投げ捨てられた赤錆た刀を鬼の目の前で踏み抜いて叩き折る。真ん中辺りで折れた刀を鬼の手に突き刺し、鮮血が吹き出る。

 

「ぐぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

「––––このままじっくり太陽で焼いてやる」

「嫌だ!せめて、死ぬなら刀で–––––」

 

鬼の言葉は最後まで続かなかった。–––なぜなら、指の先が太陽に当たって燃え始めたからだ。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎熱い!熱いぃぃぃぃぃ⁉︎」

 

その火は瞬く間に燃え広がって行き、鬼の全身を焼き始める。苦悶の声を上げる鬼を一瞥すると、鈴の音を鳴らしながら大太刀を地面から引き抜く。同時に鬼から吹き出た鮮血も、太陽によって瞬く間に蒸発される。

 

「頼む!殺して、殺してくれぇぇぇぇぇ‼︎」

 

燃えて灰になりかかっている手で権兵衛の足を掴む。鬼の顔には涙が溢れ、その涙も直ぐに蒸発する。権兵衛は一息吐くと、刀を振り抜き–––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いな。お前の首は硬いから、俺の力じゃ斬れそうもない」

 

掴んだ腕を、容赦なく切り落とした。

 

「あ、あぁ…私は、最強の、剣豪に………」

 

鬼は切り落とされた自分の腕を最期に、黒い灰になって空へと消えていった–––––。

 

「–––害獣なんだから、最期位黙って死んでくれないかね」

 

『チリン』と音が鳴ると同時に刀を鞘に納め、背中に吊る。そのまま首から先が無い隊員の元へ向かい、膝を折って手を合わせる。

 

「–––貴方が時間を稼いでくれたお陰で、鬼を殺す事が出来ました。どうか、安らかに眠ってください」

 

風に揺られて鈴が鳴る。小屋内権兵衛の一九八回目の鬼殺が、これで終わった––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––––よぉ。相変わらず派手な刀で地味な事やってんな」

 

隊員の埋葬を終え、雑嚢を肩に掛けて次の街へ赴こうとした矢先、背後から声が掛けられる。

一切気配を感じない辺りあの人らしいと苦笑しつつ振り向くと、そこには予想通りの人物が立っていた。

 

「–––宇髄さん。お久しぶりです」

「よっ、坊主。久し振りだな」

 

快男児の様な屈託のない笑みを浮かべる–––––鬼殺隊現音柱、宇髄天元。輝石を当てがった額当てを身につけ、全体的に眩しい印象を受ける剣士だ。

 

「––––やられたのか」

「……はい。間に合いませんでした」

 

石で組まれた墓前を見る。–––先ほどの鬼に命を奪われた隊員の墓だ。

彼は墓の前で黙祷を捧げた後、無言で自分の頭をクシャクシャに撫で回す。

 

「お前の所為じゃねぇよ。派手に気にすんな」

「…ありがとうございます」

 

六尺はある彼と五尺程度自分では親と子程の身長差があり、されるがままに頭を撫でられる。–––元忍びだったのが信じられない程のお人好しなのだ、この人は。

気の済むまでやったのか、頭から手を離す。

 

「それで今回の鬼なんだが–––やっぱり、元鬼殺隊の隊員だったのか?」

「間違いないですね。赤錆が酷いですけど、日輪刀を使ってました」

 

河原に転がっている、半ばから折れた日輪刀を宇髄さんに手渡す。ある程度それを見た後、その刀を川へと投げ捨てる。

 

「–––鬼殺隊が鬼殺隊の奴を殺すんなんざ反吐がでるな」

 

唾棄すべき存在だと吐き捨てる。–––本当に、優しい人だ。

 

「鬼殺隊の奴ばかり狙う鬼ってのは、こいつで間違いなかったのか」

「–––恐らく。剣士ばかり狙って襲っている様でしたから」

「そうか…。またお前に任務を取られちまったな」

 

「ったく、お前ほんとに休んでるのか?」と仕方ない子を見るような目で見られる。–––問題児の柱に問題児と思われるのは流石に心外なので、しっかりと反論する事にする。

 

「失敬ですね。しっかり休みましたよ」

 

軽く胸を張る。前の蝶屋敷での一件から体を休めるよう心掛けているので、最近は調子が良いのだ。

 

「いつ?」

「一月と少し前ですね」

「馬鹿野郎」

 

鍛え上げられた拳が頭に突き刺さる。形容もできない程の激痛が走り、暫しその場に蹲る。その後、怨めしい視線で宇髄さんを見る。

 

「ひ、酷いじゃないですか…いきなり殴るなんて…」

「痛くなきゃわかんないだろ?だから俺がやってやったんだよ」

 

「殴られたくなかったら派手に休め」と笑う彼–––これで柱の中で最も一般常識を持っていると言うのだから、現役の柱達は笑えない。

 

「それより、その頰どしたんだ?鬼にやられたのか?」

「あぁ、これですか…」

 

宇髄さんが自分の右頬を指差す。–––多分痛々しい青痣があるに違いない。

 

「違います。実は、一週間ほど前に恋柱の甘露寺さんに逢いまして–––」

 

そこまで言って言葉を濁す。–––流石に詳細を全て話すのは気が引けるからだ。

 

「なんで甘露寺とその痣が関係あんだよ?–––––まさか」

「違います。貴方が考えていることは何一つ合ってません」

 

ハッとした後、ニヤニヤと見てくる宇髄さん相手に全力で否定する。こんな子供地味た嫌がらせをしてくるのに嫁が三人もいると言うのだから、顔立ちと言うのは狡いと思う。

 

「なんだ、違うのか。てっきりお前が一夜の過ちを犯そうとしたのかと…」

「しませんよそんな命知らずな事…相手は上司ですよ?それに、自分はあの人の好きな容姿をしていないと思いますし」

「そりゃな。お前の顔、派手に地味だし」

「…それはどうも」

 

吊られた刀に手がかからなかった自制心を褒めつつ、息を吐く。–––勘違いされたままなのも面白くないので、正直に話すとしよう。

 

「……怒られたんですよ、それはもう派手に」

「怒られた?甘露寺にか?」

「はい。–––実は自分、四カ月程前に蝶屋敷から抜け出しまして」

 

それだけ言うと宇髄さんは「あぁ〜」と納得したような声を出す。

 

「そりゃお前が派手に悪いわ。しっかり怪我治せよ」

「怪我は完治していたんですよ。ただ機能回復訓練が残っていただけで…」

「それでもだよ。自分の身体は案外自分じゃわかんねぇんだから、専門家に聞くのが一番だろ」

「返す言葉も御座いません……」

 

「ほんと馬鹿だな」と呆れる宇髄さんに頭を下げる。–––全面的に悪いのは自分なので、甘んじてお叱りを受けるしか無いのが辛い。

 

「甘露寺はやたらお前を気に入ってるからな…。言う事聞かないとその内、腕の一本や二本折られてでも休まされるぞ」

「穏やかじゃないですね…」

「そんだけお前が考え無しだって事だよ」

 

「…それで」と向き直る。気の良い兄の様な顔立ちから一転、歴戦の鬼狩の表情へと変わる。

 

「お前、これで鬼を殺したのは何回目だ」

「………大体、百九十かそこらでしょうか」

「……そうか」

 

思考を巡らせているのか、少し間が空く。やがて言葉が纏まったのか、再び口を開く。–––それは、自分にとって予想通りの言葉でもあった。

 

「お前、俺の継子になる気は無いか?」

「謹んでお断りさせて頂きます」

 

間を置かずに放った言葉を最後に、沈黙が流れる。どれだけの時が経ったのか、風の向きが変わった辺りで、再び宇髄さんが口を開く。

 

「……ったく。お前も強情な奴だな」

「申し訳ありません。性分ですから」

 

苦笑をする宇髄さんとは対照に、自分は和やかな笑みを浮かべる。

 

「派手に可愛げのないやつだな…」

「可愛げだけで継子にはなれないと思いますけど?」

「…それもそうか」

 

やがて観念したのか、自分に背を向けて河原から跳躍し、大木の上に乗る。

 

「行くんですか?」

「あぁ。お館様から受けた任務は「鬼殺隊を狙う鬼の討伐」–––––お前が殺したんだから、俺はここにもう用はないからな」

 

「お前がいるなら嫁たちとイチャついてれば良かったぜ…」と憎まれ口を叩く彼に、自然と笑みが零れる。

 

「…なぁ権兵衛」

「何ですか、宇髄さん」

「生き残れよ、派手にな」

 

彼はそれだけ言うと木々の中に消えていった。少しの間消えていった方向に頭を下げ、再び顔を上げる。–––本当、素直なのかそうじゃないのかわからない人だ。

 

「良い天気だ。––––行こうか、鴉」

「カァー!次ハ那田蜘蛛山!那田蜘蛛山!」

 

空を舞う鴉を見上げ、次の方向を確かめる。最後に石で組まれた墓に一礼し、再び歩き始めた–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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一つの陰が木々の枝の間を飛ぶように駆け抜ける。

普通の人間ならば容易く折れてしまう様な細枝も、かつて忍として拷問に近い訓練を熟した彼–––宇髄天元ならば足場にする事ができる。

ある程度進んだ所で足を止め、木々を背もたれに座り込む。そこでふと、さっきまで話していた少年–––小屋内権兵衛の顔が浮かぶ。一見健康体に見えた彼だが、眼の下にある黒い隈を宇髄は見逃さなかった。

 

「…あんにゃろう、しっかり休んでねぇな」

 

本当なら拳骨一発ではなく無理矢理にでも藤の家紋の家に突っ込みたい所だが、それをした所で隙を見て逃げ出す事は容易に想像が付く為、やる意味が無い。

本当に可愛げのない奴、それが宇髄から権兵衛に下した評価だ。休めと言われても休まず、五回の任務の内一回は必ず遭遇し、戦い方は地味。宇髄とは正反対の人物–––にも関わらず、彼は権兵衛に構う事を辞めない。

 

『よぉ、今日も元気そうだな?』

 

見かけたら必ず声を掛ける。

 

『飯いくぞ権兵衛!心配すんな、俺の奢りだ!』

 

時間があれば飯も奢る。

 

『鬼も狩ったし、飲みに行くぞ!ここら辺には良い店があってだな––––』

 

夜が空いてるなら酒の席に無理やり引っ張ることもある。–––それは多分、彼が権兵衛という人物を理解しているからなのだ。

小屋内権兵衛という人物は基本的に休まない。日中は目的地目指して走り、夜は鬼と命を掛けた争いに殉じる。そのサイクルの中に休息の二文字はなく、只管に鬼を狩る事に尽力する。

それを知っているからこそ、宇髄は権兵衛に構うのだ。適度に甘やかし、適度に休ませる。そうしなければ人は潰れると、知っているから。

 

「アイツ、本当にわかってるのかね…」

 

一年と少しで百九十を超える鬼を狩るなんて正気の沙汰ではない。しかも柱が呼ばれる程強力な鬼や、十二鬼月の討伐戦においても必ずその姿を見せるのだから鬼殺の難易度は推して知るべしだろう。

しかし、彼はそれをするのが当然とばかりに戦場へ駆けつける。命知らずなのではない、命を知っているからこそ、権兵衛はそうするのだと宇髄は理解している。–––だから、隈があった事に触れずに送り出したのだ。

 

常識ある大人なら権兵衛を止めるのだろう。しっかり休め、無理をするなと。しかし、宇髄は彼を決して止めない。

–––そうする事の方が、権兵衛を苦しめると知っているからだ。

 

「生きて帰ってこないと派手に承知しないからな、権兵衛」

 

那田蜘蛛山に向かっているだろう生意気な少年を思い、宇髄は再び次の任務地へと足を運び始めた––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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那田蜘蛛山へと続く道を軽快に走り抜ける。辺りは既に暗くなり始め、山奥である此処は既に陽の光が届いていない。

 

「鴉ー!そろそろかー⁉︎」

「カァー!目的地!目的地!」

 

鴉の先導が視界から消える。そこで一度足を止め、正面の山を見据える。

 

「–––––嫌な感じだな」

 

百を超える鬼を滅殺してきたからか、何となく雰囲気というものが掴めてきたような気がする。第六感、ともいうべき感覚だろうか。

その第六感が目の前の山に向けて警鐘を鳴らしている。–––彼処は、危険な場所であると。

 

「鴉ー!お前は空を飛び回ってろよー!」

「……カァー」

 

遠くの方で鴉の声が聞こえる。–––どうやら、言われるまでも無いらしい。

 

「さて、と–––––」

 

雑嚢を肩から降ろし、空から見え易い場所に放り投げる。鴉に後で回収してもらう為だ。背中に吊られた大太刀を静かに引き抜き、鞘を同じ場所に置いておく。

那田蜘蛛山を正面に見据え、目を閉じて耳を傾ける。

 

「––––––––––––見つけた」

 

『キンッ』と微かに聞こえる、鋼と鋼が打ち合う音。日輪刀同士が打ち合っている音だと断じ、すぐさま駆け出す。

途中に蔓延る蜘蛛の巣を全て斬り払って、山道を一直線に駆け抜ける。

音が次第に近くなっていく事を感じ、肺に酸素を送り込む。

暗い森の中、遠目で一人の鬼殺隊員が複数の隊員に襲われている事を確認すると、土煙を巻き上げながら疾走する。

 

「くっ、やっぱり多勢に無勢–––––ん?」

「そこの人、しゃがんで頭を伏せろ‼︎」

 

–––––水の呼吸 肆の型改 荒波・打ち潮

 

集団で襲われている人の頭を下げさせ、大太刀を振り抜く。鈴の音が山の中に鳴り響き、それと同時に襲いかかっていた鬼殺隊隊員の日輪刀が根元から斬り落とされる。

 

「うわぁぁぁ⁉︎なんだ、急に!」

「まだ頭上げないで‼︎」

 

虚な瞳の隊員は刀が折られても素手で掴みかかってくるのを見て下唇を噛み、刀を脇に構える。殺すならせめて、痛みの無いようにと力を入れ––––。

 

「背中だ!背中に操り糸が付いてる‼︎」

「–––––っ‼︎」

 

–––––壱の型改 飛沫・水面斬り

 

シャララランと鈴が鳴り、何もない虚空に向けて大太刀を振るう。それから一拍置くと糸が切れたのか、バタバタと隊員達が地面に倒れ伏す。

それを確認すると息を吐き、頭を下げている隊員に向き直る。

 

「–––ありがとうございます、お陰で殺さずに済みました」

「そ、それは良いけど–––君は?」

「自分は鬼殺隊所属、小屋内権兵衛です。応援に来ました」

 

「立てますか?」と手を差し伸べ、立ち上がれるように引っ張り上げる。

 

「俺は村田だ、助けてくれてありがとう」

「それくらいは–––それより、あれは?」

 

横目を見ると、不可思議な動きで鬼殺隊員が起き上がっている。その様子を見た村田さんは「クソッ、まただ!」悪態をつく。

 

「蜘蛛だよ!ここらにいる蜘蛛が操り糸を引っ張っているんだ!」

「成る程、蜘蛛ですか––––」

 

草木に少し目を凝らすと、白い小さな蜘蛛が多数蠢いている事が分かる。

 

「所で君、階級は⁉︎」

「甲です–––村田さんは下がって下さい」

 

「えっ?」と信じられないものを見るような目で見てくる村田さんを下げさせる。

ぎこちない動きで襲いかかってくる鬼殺隊員–––、既に命を落としている人もいれば、まだ息をしている人もいる。

日輪刀を壊した以上、大した脅威ではないけれど、このままにはして置けない。

持久戦になる事を頭に入れ、刀を握り直す––––その時だった。

 

「殺…してくれ……」

 

目の前の短髪の鬼殺隊員が口から血を吐き出す。–––暗くてよく見えなかったが、腹部に大きな切り傷が出来ている。致命傷となる傷ではないけれど、すぐに手当てをしなければ手遅れになる。

 

「頼…む…もう、限界なんだ…」

 

目から涙を零し懇願するように頼む鬼殺隊員––––治療して助かるのは、二人か。

 

「––––村田さん。人を二人程度、担いで走れますか?」

「…はっ?それはどういう–––––」

「答えて下さい、自分と同じ程度の背丈を二人、担いで走れますか」

 

少し怯えた様子で答える。

 

「は、走れるとは思う。けど、そんなに担いだら日輪刀を抜くのは無理だ。それに、ほかの奴らに–––」

「大丈夫です」

 

シャリンと鈴が鳴り、瞬く間に目の前の二人の隊員から糸が切られる。

 

「村田さん!」

「ちょ、まじか!」

 

崩れ落ちた隊員の首根っこを掴み、村田さんの方へ投げる。抱えるように掴んだ村田さんの上に人を二人積み上げると、刀を構えながら叫ぶ。

 

「山を降りて、医者を探して下さい。その二人はまだ助かる」

「ほ、ほかの人はどうするんだよ⁉︎」

「–––彼らはもう、死んでいますから」

「そ、それって––––」

 

大太刀を肩に担ぎ、静かに息を吐く。–––大丈夫だ、今度は間違えない。

力を抜き、刀を逆さに持ち替える。大きく足を踏み抜き、刀を振るう。

 

–––––参の型 流流舞い

 

操られた隊員達の間を縫って操り糸に棟を通していく。糸は切られる事なく刀に引っ張られ、次々と糸が刀に引っかかって行く。

 

「ぐ、おぉぉぉぉぉぉぁ‼︎」

 

全員の糸を通すと近場にある木を裏側に回り込み、木に巻き取るように糸を巻いて行く。すると木に隊員達が次々と貼り付けられ、自らに繋がれた糸で雁字搦めにされて行く。

 

「––––これで大丈夫でしょう」

 

木に繋がれて動けなくなった所を確認し刀に付いた糸を切り離す。

 

「…す、凄い」

「村田さんは早く山を降りて下さい。急がないと手遅れになる」

 

「わ、わかりました!」と慌てて山を駆け下りて行く彼を見てから、木に繋がれた鬼殺隊員達を見遣る。

深く身体を切り裂かれている者や喉元から血を流している者–––死屍累々の状況を見て、身体が熱くなって行く感覚を覚える。

 

風に揺られて鈴の音が鳴る–––これだけの人を、殺したのは誰だろうか。

地面に染み込んだ血を踏みしめ、ピチャリと血が跳ねる–––尊い命を、奪ったのは誰だろうか。

日輪刀を固く握りしめ、深く息を吸い込む。–––この惨状を作り出した者への慈悲など、自分は持ち合わせていない。

 

「–––心の底から、憎悪を持って殺してやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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月明かりを反射した鋼を頸動脈スレスレの所で躱す。薄皮が切られる感覚を感じながら、それでも反撃できずに身を翻す事しかできない。–––相手が生身の人間で、生きているからだ。

 

「クソッ、考えろ!考えろ炭治郎!」

 

額に痣を持つ少年–––––竃門炭治郎は日輪刀を振り回す鬼殺隊員に追われながら、それでも現状を打破するために頭を働かせていた。

 

「どうすんだ権八郎⁉︎このままじゃこっちがやられちまうぞ‼︎やっぱり切っちまうか⁉︎」

「駄目だ伊之助‼︎手を考えるから、もう少し待ってくれ‼︎」

 

伊之助と呼ばれた、猪頭を被った剣士–––––嘴平伊之助も炭治郎同様、操られた鬼殺隊員に刃を振るう事なく逃げ回ってる。しかし、徐々に追い詰められている事が傍目からもわかる。

 

(技を使えば人に当たる!それに操り糸を切った所で、また直ぐに繋がってしまう!どうすれば良い⁉︎どうすれば–––)

「–––もう、殺してくれ」

 

刀を振るって来る鬼殺隊員が涙を流す。–––その身体は切傷と骨折でズタボロにされ、それでも糸によって無理やり動かされている。

 

「諦めないで下さい‼︎まだ方法はあるはずです、何か、方法が–––」

「おい紋八郎‼︎もう限界だ、やっちまうぞ‼︎」

「待ってくれ!まだ何か–––」

「–––ありがとう、けど大丈夫だよ」

 

ふと、優しい声が掛けられる。長い髪を後ろで纏めた女性隊員で、その顔には優しい笑みが浮かんでいる。–––その手に血に塗れた日輪刀を持ちながら。

 

「諦めないで下さい!まだ、方法はあるはずです!」

「いいのよ–––もう、足手纏いにはなりたくないの」

「そんな–––––」

 

女性隊員の動きが鈍る。–––全力を振り絞って糸に逆らっているからだ。口の端から血を流しながら叫ぶ。

 

「貴方も鬼殺隊員なら、あの人のように気高く生きて‼︎」

「よっしゃぁぁ‼︎」

「伊之助、駄目だ‼︎」

 

止まった女性隊員の首に刃毀れした刀が走るのをみて、思わず叫ぶ。––––––––その時だった。

 

『チリン』

 

「–––––––––えっ?」

「––––––––あぁ?」

 

突如、視界から女性隊員が消える。伊之助の刃は空を切るだけで終わり、気の抜けた声が出る。

 

「この鈴の音–––そんな、また私は––––」

 

声のした方向を見ると、誰かに抱えられた女性隊員が離れたところにいた。その時、炭治郎の優れた嗅覚はある匂いを感じる。–––今まで感じた事のない、霞のような匂いを。

 

『チリン』

 

「–––良かった。今度は間に合った」

 

穏やかな声色だ、そう炭治郎は感じた。しかし、彼の優れた嗅覚はその言葉に怒りが含まれていることを察する。

 

「すいません、私、また貴方に–––」

「–––話は後に、少し待っていてください」

 

突如現れた人物は女性隊員を優しく地面に降ろすと、藍色の刀–––日輪刀を握り直す。

 

(なんだコイツ!肌がビリビリしやがる!)

 

チリンと鈴が鳴るたびに、伊之助は肌がビリビリとする感覚を覚える。

 

「君達、鬼殺隊員だね」

 

木々から漏れる月明かりを反射して光る日輪刀は、深い藍色の刀身を湛えている。炭治郎や伊之助の持つ刀をよりも遥かに長いそれは、油断すれば木々に引っかかりそうな程だ。

 

「は、はい!」

「なんだ、お前は?」

「自己紹介している暇はないんだ。君達、この糸を操っている鬼の居る場所はわかるかい?」

 

無造作に刀を振るう。––––背後から迫ってきた鬼殺隊員が崩れ落ちる。一瞥すらせずに振るった刀が、操り糸を正確に切り裂いたのだ。

 

「わ、わかります!といっても、わかるのは伊之助ですけど–––」

「そうか。なら本丸は任せていいかい?」

 

すぐに糸が繋がり直し、また動き始める鬼殺隊員の糸を再び切り裂く。

 

「ここは俺が抑える。君達は鬼を殺しに行ってくれ」

「一人じゃ危険です!彼らは––––」

「大丈夫。時間稼ぎは慣れてるから」

 

「それに」と言葉を区切ると、同時に襲いかかってくる三人の糸を瞬く間に斬る。

 

「–––君達じゃここにいる人達を生かすのは無理だ。だから鬼を殺してきてもらう。なるべく急いでね」

 

安心させるような笑みを浮かべる。しかし、炭治郎は言葉を重ねる。

 

「けど––––」

「迷うな」

 

鈴の剣士の瞳が炭治郎を貫く。藍色の混じったそれには、強い覚悟が見て取れる。

 

「迷えばそれだけ人が死ぬ。俺たちは、人の命を背負っているんだ」

 

伊之助と炭治郎に背を向け、刀を構える。その背中に刻まれた『滅』の文字の端が血に濡れている。–––それはまるで、鬼殺隊の行く末を示しているかのようだった。

 

「–––お前達も鬼殺隊の一員であるならば、人の命を救ってみせろ」

 

男––––小屋内権兵衛の言葉は、炭治郎と伊之助の胸に入り込む。鉛にも似た重さを持つ言葉は、否が応でも聞いたものの心を打つ。

 

「–––わかりました。すぐ戻ります‼︎」

「戻ってきたら勝負だからな!覚えとけよ‼︎」

 

その場から駆け出す彼らを見た権兵衛は自然な笑みを浮かべる。

 

「ありがとう–––––さて」

 

キリキリと音が鳴ると、糸を切ったはずの隊員達が再び動き出す。その中には当然、先程抱えた女性隊員も含まれている。

 

「無茶です!この数を一人でなんて–––!」

「大丈夫、つい四カ月程前にこの十倍の鬼と鬼ごっこしたから」

 

「これくらい余裕だよ」と笑いかける。刀を担ぐように構え、静かに息を吸う。

 

「絶対に助けるから–––貴方達も、死ぬ気で生きて」

 

血の匂いが充満する山で鈴の音が鳴る。夜はまだ、始まったばかりだった–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––那田蜘蛛山に響く微かな鈴の音は、二人の耳に届いていた。

 

「–––聞こえましたか、冨岡さん」

「あぁ」

 

腰に日輪刀を携え、那田蜘蛛山の前に控える二人の剣士–––––鬼殺隊現蟲柱、胡蝶しのぶと同水柱の冨岡義勇である。

額に指を当て顔を顰める胡蝶とは裏腹に、冨岡は憮然な表情を浮かべている。

 

「恐らく居るとは思っていましたけど、まさか本当に…」

 

彼女の脳裏に浮かぶのはひとりの少年。背丈に見合わない日輪刀を携え、鈴の音を鳴らす鬼殺の剣士。–––小屋内権兵衛である。

 

「…会いたくなかったのか」

「いえ、そういうわけではありません」

 

首を振って否定すると腰から刀を抜き放つ。–––通常の日輪刀とは異なる刺突に特化した形状の刃には『悪鬼滅殺』の文字が刻まれている。

 

「ただ、小言を言うのが面倒臭いだけです」

「………言わなければ良いだろ?」

 

小首を傾げる冨岡にため息を吐く。口下手にド天然を満載したのが目の前の男だと早々に諦め、山へと向き直る。

 

「冨岡さん、そう言うところですよ?」

「……?」

 

言葉の意味がわからないと首を傾ける冨岡を無視し、視線を山へと向ける。そこには濃密な血の気配がそこら中を巡っている事がわかる。殆どの隊員は、今頃生きていないだろう。–––そう思った矢先のことだった。

 

「–––冨岡さん、あれ」

 

胡蝶が指差す。そこには山道から人を二人抱えて必死の形相で走る鬼殺隊員の姿が見えた。相手も二人の姿が見えたのか「おーい!」と声をあげて脚をそちらに向ける。

 

「怪我人ですかね」

「行くぞ」

 

汗を大量に流しながら走る隊員の元へ向かう。二人の姿が見えたからか、隊員はその場で二人を下ろすと崩れ落ちるように地面に凭れ、顔だけ向ける。

 

「大丈夫ですか?そちらの方達は一体?」

 

「はぁ、はぁ」と息をある程度整えた後、焦った様子で口を開く。

 

「怪我人です!ここら辺で医者を見ませんでしたか⁉︎」

 

隊員の顔から汗が滴り落ち、地面に染みを作る。

 

「いえ、医者は見ていません」

「そんな…!」

 

その言葉に悲痛な表情を浮かべる隊員に対し、胡蝶は笑いかける。

 

「ですが大丈夫です」

「…えっ?」

 

どこからともなく現れた黒染めの衣装を纏った人物、隠が応急道具を胡蝶に手渡す。胡蝶は慣れた手つきで道具を開くと患部に処置を施し始める。

目まぐるしく変わる展開に頭が追いついていないのか、困惑した表情の隊員が問う。

 

「あ、貴方達は一体–––––」

「そう言えば、自己紹介がまだでしたね」

 

治療するための手を止める事なく顔を向ける。

 

「–––鬼殺隊現蟲柱の胡蝶しのぶです。ここまでよく頑張りました」

 

隊員––––村田が見た胡蝶のその顔は、まるで女神のようだった。

 

 

 

 

 

 

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「すいません!すいません!本当にご迷惑をおかけしました!」

「いやいや、そんな畏まらないでください」

 

折れてしまった左手を木の枝に当て、包帯で固定する。–––応急処置としてはこんなものだろう。

怪我の軽い女性隊員–––尾崎さんの治療を最後に、全ての応急処置が終わった。怪我の酷かった二人は穏やかな寝息を立てて、尾崎さんはペコペコと頭を下げている。

 

「久し振りですね、尾崎さん。上総以来でしょうか」

「はい…その節は本当にお世話になりました」

「いえいえ、此方こそ」

 

生きているのが恥ずかしいと言わんばかりの彼女の背中を摩って慰める。–––前も思ったけれど、この人は随分感情の振り幅が大きい。

 

「–––彼等は帰ってきませんね」

「ですねぇ…」

 

猪頭と額に痣のある少年を送り出してはや半刻程。

彼等が奥に向かって数分は切り結んでいたのだが、ある程度経つと糸が不自然に張り詰め、尾崎さん達の首を捩じ切ろうとしたから慌てて切った所で糸は繋がらなくなった。–––恐らく、そんなに多くの人を同時に操ることは出来なかったのだろう。

 

「助けに向かわなくて良いんですか?もしかしたら今頃……」

「それも考えたのですけど…。此処を離れる方が危険だと思いますから」

 

この山には歪な雰囲気がいくつも存在している。恐らく複数体の鬼が居座っているのだろう–––と言うことは、この山にいるのは十二鬼月に連なる鬼と思われる。

自分ならば三人程度担いで山を降りるのは造作も無いのだが、重症の二人を激しく動かすことは死を意味する。隠か、もしくは増援が来るまでは此処で様子を見るのが得策だろう。

 

「それにしたって、先ほどの雷は大丈夫でしょうか?」

「あぁ、さっきのですか」

 

重傷者の二人を治療した時に鳴り響いた落雷のような音。音の大きさからそれ程近くなかったそれだが、空に雨雲がないことから落雷ではない事は明らかだ。

 

「あれは落雷ではありませんよ。恐らく、雷の呼吸の音でしょう」

「えっ?雷の呼吸ですか?」

 

疑問の声を上げる尾崎さんに「はい」と言って言葉を続ける。

 

「前に雷の呼吸を使う人と合同で任務をしまして、その時に雷の呼吸の音を聞いたんです」

「そ、そうなんですか…」

「えぇ。腕は良かったですよ––––まぁ、少しだけ性根は叩きなおしましたが」

 

感情が漏れていたのか、「ひえっ」と怯えた声を出す尾崎さんに軽く謝り、「それはそうと」と会話を変える。

 

「このまま日が射すまで粘る事も考えられます。尾崎さんも休んでおいた方が良いですよ」

「流石にそう言う訳には––––っ、小屋内さん‼︎」

 

 

日輪刀に付けられた鈴が風に揺られる。生温い風が肌を撫で、草木が揺れる–––––視界が真っ白に染められたのは、その矢先だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「小屋内さん!小屋内さん‼︎」

 

何処から現れた白い糸のようなもので包まれてしまった小屋内さんへ声をかける。しかし、一向に返事は帰ってこない。

 

「これは…糸?」

 

絹のような白い糸が雁字搦めに絡みつき、指で切ろうとしても弾かれるだけで終わる。

脇に納められた刀を引き抜いて糸を切ろうと片手で振り下ろす–––が、独特の感触が手に届くのみで切断には至らない。再度振り下ろそうと腕を上げた時、背後から声がかかる。

 

「–––無駄よ。その糸は切れないわ」

「っ、お前は––––」

 

病的なまでに白い肌に白い髪–––人から余りに離れた彼女は、明らかに鬼である事が分かる。鬼は呆れた視線を隠しもせずに口を開く。

 

「敵地で呑気にお喋りなんて、ほんと馬鹿よね。こんな奴らさえまともに殺せないなんて…」

 

辺りに視線を向ける––––すると、小屋内さんから手放された日輪刀が地面に転がっているのが見え、思わず血の気が引く。

 

(小屋内さんは今刀を持っていない⁉︎それじゃあこの糸は––––!)

 

自分は片腕が骨折で上手く使えない。それに加えここには重傷者が二人いて、無闇に動く事も出来ない。頼りの小屋内さんも、いくら優秀な剣士であっても刀が無ければただの人だ。

 

「最初に無事な奴を仕留めて良かったわ。後は手負いを片付けるだけだもの」

「そ、そう簡単に行くかしら?それに、小屋内さんはまだ–––」

 

言葉を重ねようと口を開くと「無駄よ」と一蹴される。

 

「その糸は柔らかいのに硬い、人間の力じゃ切れない。それに、その糸の中には溶解液が入っているから、今頃中の人はドロドロかしらね?」

「そんな……!」

 

嘲笑の笑みを浮かべて近づいてくる鬼に刀を向けるが、カタカタと手元が震え、足も思うように力が入らない。

肌で感じる、目の前の鬼の強さ。その気に当てられて手足が震えて、歯の根元が噛み合わない–––そこで、ある言葉が頭の中に反芻される。

 

『––––––貴方達も、死ぬ気で生きて』

 

それを思い出した途端、身体の震えがピタリと止まる。

 

(諦めるな、私!まだ手は尽くしていない!二度も助けてもらったこの命、無駄には出来ない!)

 

左腕は折れている為満足に使えない。けれど、右腕はまだ動く。–––なら、まだ諦める訳には行かない。

 

「貴方達は弱そうだから直接食べて上げる。精々いい悲鳴を聞かせてね?」

「舐めるなぁ‼︎」

 

嘲笑う鬼目掛けて低い姿勢から駆け出す。–––左腕が使えない以上、勢いをつけて首を切るしか勝機がない!

首めがけて袈裟懸けに日輪刀を走らせる。振るわれた刀は片手とは思えない程正確な太刀筋で首へと向かい–––途中で掴まれる。

 

「抵抗しても良いけど無駄よ。貴方達は私の食料になるんだから」

「ガッ⁉︎」

 

ガキンと音を立てて真一文字に折られる。その後腹部に膝を入れられ、受け身を取る事も出来ずに地面に転がる。

肺から直接空気を吐き出される感覚に眩暈が起こり、平衡感覚を失って立つ事もままならない。

 

「…弱いわね、貴方。本当に鬼殺隊なの?」

「だ、まれ…」

「こんな奴らが相手なら、態々隠れる必要も無かったかしらね?それとも、貴方が特別弱いだけ?」

「黙れ……!」

 

ボヤける視界の中右手を伸ばすと、何かを握る。それを引き寄せると、鈴の音が鳴った。–––小屋内権兵衛の、日輪刀だった。

刀を支えになんとか立ち上がり、正面の鬼を見据える。

 

「…私が弱いのなんて、最初からわかってる」

「ふぅん?なら–––––」

「けど」

 

日輪刀を鬼に向ける。綺麗な藍色の刀身には数え切れないほどの傷が刻まれている––––なんて、重い刀なんだろう。

 

「私は、あの人と同じ鬼殺隊員だから。だから–––––」

 

刀を肩に担ぐと、肌を撫でる風に揺られ、銀色の鈴が『チリン』と鳴った。

 

「私は、私の命を諦めたりしない‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––ありがとう。尾崎さん」

 

–––ふと、優しい声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

_______________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体にまとわりつく糸を取り払い、繭の中から出る。溶解液に似たなにかによって羽織が一部破損してしまったが、隊服はそこまで損傷していない。

 

「お前…!どうやって糸を!」

 

驚愕の声を上げる鬼を無視しつつ、髪先から溶解液が滴り落ちるのを鬱陶しく払いながら、鬼と尾崎さんへと足を向ける。

 

「小屋内さん…!ご無事でなによりです!」

 

自分の日輪刀を持っている尾崎さんの口の端から血が出ている事が見える。腹部に擦った跡が見受けられるから、恐らく殴打されたのだろう。–––鬼らしい下賎なやり方だ。

 

「すいません、遅れました」

 

警戒を怠り、あまつさえ同僚に怪我を負わせる––––自分のあまりの不甲斐なさに唇を噛みしめる。

 

「あの、それは…?」

 

月明かりに照らされた一尺半の刀身が水色に光る。切っ先から溶解液が滴り落ち、地面に染みを作る。

 

「これが、自分の日輪刀です。派手な色でしょう?」

 

–––廃刀令が進む今の日本では日輪刀を携えて街中に入る事は難しい。しかし、隠すにも自分の大太刀はあまりに目立ち過ぎる。街中での任務に対応するために作ったのが、この短い日輪刀なのだ。

 

「そんな…。とても綺麗な色だと思います」

 

綺麗だ、と言う尾崎さんに微笑みつつ前に出る。

 

「ありがとうございます–––尾崎さんは休んでいていて下さい。後は俺が」

 

短刀の切っ先をこちらの出方を伺っている鬼へと向け、腰を低く据える。

 

「この日輪刀は?」

 

大太刀を見せる尾崎に首を振る。

 

「持っていて下さい。この鬼は–––––少し刻みます」

 

––––––水の呼吸 玖の型 水流飛沫 陣

 

逆手に持ち替えた小太刀を携えて疾走する。通常より遥かに早いそれは瞬く間に間合いへと詰め寄り––––左腕を空へと飛ばした。

 

「っ⁉︎この!」

 

残っている手から糸の束を飛ばしてこちらを絡めようとしてくるが、空中に踊り出す事でそれを躱す。飛び上がる最中に胴体に二度、頭部に一度斬り込みを入れる。

うめき声を上げる鬼の背後へと着地し、両足の腱を斬り付ける。姿勢が維持できなくなった鬼は地面に倒れこむ––––前に、その顔面に膝を入れる。

 

「ガッ⁉︎」

 

全集中の呼吸によって強化された肉体から放たれた脚撃は顔面を崩し、木々へと体を激突させる。激突させた直後に胴体に小太刀を突き刺し、鮮血とともに鬼を木に貼り付ける。

怒涛の勢いで押し寄せる痛覚からか、目の前の鬼の目から何か透明なものが出てくる–––––が、その目を抜いた小太刀で横一文字に斬る。

 

「––––今からお前に聞きたい事が二つある」

 

重力に従って地面に倒れ込んだ鬼の頭蓋に小太刀を突き刺し、地面と繋ぎ合わせる。

 

「一つ、この山には何匹鬼がいる?」

「やめ…て…」

「質問に答えろ」

 

頭蓋に刺した刀を右に捻る。柔らかいものをぐちゃぐちゃにする感覚を手に覚えるが、勤めて無視する。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

「もう一度聞くぞ。この山には何匹鬼がいる?」

「五人です!五人います!」

「そうか」

 

血を吐きながら鬼が吐露する。–––嘘か真実かはともかくとして、こいつは口は軽そうだ。

 

「質問には答えた!私を––––」

「二つあると言っただろう」

 

頭蓋から引き抜いた小太刀を今度は胴体に突き刺す。くぐもった悲鳴を上げる鬼の髪の毛を掴んで顔を上げる–––そこには、顔の造形が崩れ去った醜女のような顔があった。

 

「次の質問だ–––この山には十二鬼月がいるな?」

「そ、それは……」

 

掴んだ頭部を地面に叩きつける。グシャ、と潰れる音が辺りに響く。

 

「この山にいる鬼はお前を含めて蜘蛛に則した統一の血鬼術を使う。けど、普通ならこれは有り得ない」

「が、ぁ…」

 

再生しかかっている足の腱を再び切りつけ、今度は右手を切断する。もはや感覚がないのか、掠れた声を上げるだけだ。

 

「血鬼術は本来バラバラになるはずだ。にも関わらず、お前らは皆蜘蛛に則したものを使う–––さて、何故だろうな?」

「…………」

「もう一度聞くぞ–––––––この山に十二鬼月がいるな?」

「い、ます…」

 

掠れた声を出す鬼–––気管支に血が詰まっているのか、口を開くのすら辛そうだ。

 

「それは上弦か?それとも下弦か?」

「下弦…です…。下弦の伍、です…」

 

それだけ聴くと、うつ伏せに倒れこむ鬼の脊椎に短刀を差し込み、捻るように断ち切る。灰になって消えていく様を最後まで見る事なく、後ろを振り向く。

 

「お待たせしました、尾崎さん」

「は、はい…」

 

自分の日輪刀を我が子のように抱えて震える尾崎さん–––何か怖い思いでもしたのだろうか?

 

「何かありましたか?ほかに鬼を見たとか–––」

「いえいえ!見ませんでしたよ⁉︎」

「そ、そうですか…」

 

やたら大袈裟に頭を振る様子を見て苦笑する。–––そんなに凄惨なやり方とは思えないんだけど…。

 

「あ、これ!お返ししますね」

「ありがとうございます」

 

尾崎さんの手元から藍色の大太刀を受け取る。その際にチリンと鳴り、手元に帰ってきた感触を覚える。

 

「取り敢えずは尾崎さんの治療をしましょう。そこに横になって…」

 

鴉に雑嚢を取ってきてもらおうと上を向くと「いいえ」と声が掛けられる。

 

「私は大丈夫です–––それよりも、ほかの隊員の所に行ってあげて下さい」

「この山には複数体の鬼がいます。怪我人を置いていくわけには…」

「行って下さい。小屋内さん」

 

彼女の視線と合う。–––微かに怯えているのか、目の奥が震えているのがわかる。

 

「私だって、鬼殺隊の隊員です。怪我をしているとはいえ、有事の際にはそれなりに対応出来ます」

「……良いんですか」

 

言葉を重ねようと口を開くと「私は」と言葉を遮られる。

 

「貴方が来てくれて、本当に安心しました。けど、だからこそ思うんです–––私はもう、臆病者でありたくない」

 

瞳の奥の震えが止まる。それを見て、水色の日輪刀を尾崎さんに手渡す。

 

「これを渡して置きます。–––必ず、返して下さい」

「わかりました、約束します」

 

それを受け取った彼女が笑うのを見て、地面から立ち上がる。シャランと鈴を鳴らし、大太刀を手に取る。–––あまり、時間は掛けられない。

 

「–––それじゃあ、お気をつけて」

「小屋内さんも、御武運を」

 

尾崎さんを置いてその場から駆け出す。空に浮かぶ月は高く、夜明けには程遠い事を見て、駆ける速度を速めた––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛
始まりの鬼殺に於いて楔を打ち込まれてしまった人物。今度こそ間に合うようにと手を伸ばし、それでも尚零れ落ちる命を悲しむ、ごく普通の少年である。これは余談だが、少年の持つ紫色の御守りには件の少女の髪が入れられている。
四ヶ月の鬼殺を経て体力、剣術、呼吸共に底上げされ、現役の柱と遜色ない実力を有している。下弦、若しくは下弦相当の鬼であるならば余力を残して対応する事ができる。その気になれば日没から夜明けまで戦い続ける事が可能となった。

小屋内権兵衛(小太刀の姿)
廃刀令の進む大正時代にて、街中での鬼殺を可能にする為の日輪刀を持った状態。常時水の呼吸の玖の型を使用する為、回復の呼吸や止血の呼吸をする事が出来ない。街中での戦闘が想定される為、周囲の人々への影響を極力抑える旨で短期決戦を主とする。通常の大太刀とはあまりに使い勝手が違う為、一つを除いて玖の型以外を使う事が出来ない。





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鬼殺隊一般隊員は鬼の少女の夢を見る

鬼滅の刃第19話とても良かった…。




血の匂いが充満する山の中を、チリンと鈴の音を鳴らしながら疾走する。いたるところに張り巡らされたクモの巣を斬り払いながら進み、木々の間を駆け抜ける。

木を一つ抜け、二つ抜けてを繰り返し、至る所から流れる鬼の気配を辿って山中を駆け回るが、鬼の姿を捉えることは出来ていない。

 

「–––血の匂いが濃すぎて気配が辿れない」

 

那田蜘蛛山の中に蔓延する鉄錆の匂いに当てられてか、鬼の所在を上手く認識する事が出来ない。一年と少しで二百弱に及ぶ鬼殺を経験しても尚、これ程までに血が蔓延する戦場は数える程度しか経験していないからだ。

自身が経験した十二鬼月との戦闘は箱根山での追撃戦、上総九十九里浜での遭遇戦、紀伊半島で遭遇戦の累計三回。箱根では三十余名、上総九十九里浜では二十六名、紀伊半島では十八名の死者を出しつつも、その全てにおいて十二鬼月の討伐に成功している。

 

「今までで一番死者が多いか…?」

 

山中を見渡すだけでも人の死体が見つけられる惨状に思わず顔を顰める。あの鬼が言った十二鬼月がいると言う事実に信憑性を感じつつ、止めていた足を再び走らせる。

微かな月明かりが木々を照らす中、気配を頼りに山中を駆け回り、足を止めては辺りを見回す。それを何度か繰り返し、焦燥感を募らせていった最中–––––––それに、出逢った。

 

「………うおっ⁉︎」

 

突如として背後に衝撃を受け、思わず足をもつれさせる。腰あたりに何か硬いものがぶつかった感触を覚え、腰をさすりながら背後を見やる。

 

「誰だよこんな山中で……ん?」

「…………?」

 

恨めしい視線を向けた先には、可愛らしい少女が小首を傾げて地面に座り込んでいた。パチパチと大きな目はこちらを掴んで離さない、桃色の着物を着た童女。しかし、その口には無骨な竹が咥えられている。

 

「………子供?」

 

日輪刀を地面に突き立てた後、童女のそばに歩み寄り、腰を抱えて持ち上げる。その際にもこちらをじっと見つめており、綺麗な瞳と藍色の瞳が交錯する。

 

「綺麗な目だね…」

 

童女の何かを試すかのような瞳に疑問符を浮かべるが、少し経つと見定めたのか、童女がコテンと凭れかかってくる。

 

「なんでこんな山中にこんな子供が…?」

 

むーむーと唸る童女をあやす為に頭を撫でると、今度は機嫌が良いのか瞳を細める。血の匂い漂う殺伐とした山の中での一幕だというのに、その様子を見て思わず頰を緩ませる。

 

「ねぇ君。君はなんて名前なの?」

「むー」

「…喋れないよね」

 

もっと撫でろと目で催促してくる彼女の頭を優しく撫でつつ、辺りに気を巡らせる。すると、どこからか鬼の気配が肌を撫でる––––しかも、かなり近い。

 

「さて…どうしたものか」

 

この子を担いだまま鬼殺をするのは論外。しかし、近場で鬼の気配がする為山を降りるのも憚られる。八方塞がりになりつつ現状で、なんとか打開策を打ち出す為に無い頭を捻ると–––––––ふと、刃が視界の端に映った。

 

「–––––うぉぉぉぉ⁉︎」

 

自身の首–––––ではなく、自身が持つ童女の首目掛けて振るわれる鋼を腰を折る事で避ける。こちらが避けた事を見るや否や、相手は地面ごと叩き斬る勢いで刀を走らせる。

 

「っ、良い加減にしろ‼︎」

 

一度背中から地面に落ち、空いた右脚を胴体目掛けて振り抜く。相手はそれを見てから反応し、日輪刀を表向きで胴体に当てる。

 

(見てから反応できるのか⁉︎なんて反応速度だ!)

 

振り抜いた脚をそのまま引っ込め、回転する要領で地面から飛び退く。何か楽しいのか、きゃっきゃっと喜ぶ彼女を落とさないように持ちつつ大きく距離を取る。

 

「こっちは人間だぞ!いくら暗い山中とは言え、二度も刀を振るなんて–––––あれ?」

 

殺意を乗せた刀を振るって来た相手に激昂する。少し灸を据える必要があるかと目の前の人物を見ると、それは見知った少女だった。

紫色の蝶を模した髪飾りをつけ、口元に笑みを浮かべている可憐な少女––––––現蟲柱、胡蝶しのぶの継子である栗花落カナヲだった。

 

「栗花落さんじゃないですか。貴方も那田蜘蛛山に?」

「……………」

「…えーと?」

 

にこやかに微笑むだけで何も返してこない彼女に少し困惑する。–––蝶屋敷にいた時もそうだったけれど、彼女は基本的に何を言っても反応しないのだ。任務の時くらいは口を開くと思ったけれど、どうやら彼女のコレは筋金入りらしい。

なんて話しかければ良いか頭をひねっていると、栗花落さんが突然銅貨を投げ始めた。放たれた銅貨は綺麗な放物線を描き、綺麗に彼女の手元に収まる。

それを見てから静かに口を開く–––それは、自分にとって驚愕の事だった。

 

「その子の首を切って下さい。その子は鬼です」

「……はい?」

 

自分の腕の中にすっぽり収まり、頭を預けているこの子が鬼である。そう、目の前の彼女が言った。

あまりに突然の事過ぎて頭が混乱する–––––が、少し意識してみると確かに腕の中の童女から鬼の気配を感じる事ができる。

 

「…あー、成る程。そういうことか」

 

鬼の気配を感じたのに肝心の鬼を見つけることが出来なかったのはつまり、目の前の彼女自体が鬼であったからだと理解する。–––これじゃ確かにわからない筈だ。

 

「はい、ですから–––––」

 

そう言って笑う彼女を余所目に、うつらうつらとしている彼女の頭を軽く撫で、頰を突く。–––とても柔らかく、そして暖かい、まるで陽だまりの様な彼女。

起こされたからか、少し不機嫌になった彼女を撫でてあやす。–––この子が鬼であるならば、隙を見せた時点で喉元に食らいついている筈だ。にも関わらず、この子はもっと撫でろと催促するばかりで噛み付く素振りすら見せない。

–––しかし、鬼殺隊は鬼を滅殺する組織だ。自分もそこに所属し、組織の一員として活動している以上、この子の首を切るのが正しいのだろう。

彼女を持ったまま自分の日輪刀の所へと向かう––––すると、綺麗な視線が自分を再び貫く。先ほども感じた、何かを試すような視線。それを見た時、ふと、頭の中をとある少女が過った。

 

『後はお願いします、お兄さん』

 

助けることの出来なかった、ひとりの少女。村の人々から寄って集って生け贄にされた、憐れな少女––––––この子も、同じではないだろうか?

『鬼』だから。その一点で鬼殺隊から寄って集って首を狩られる。–––あの村での少女と何が違う。

 

手を汚したくないから、また見殺しにするのか––––違う。

今度は間に合うようにと、願ったのは嘘だったのか––––違う。

自分もあの村の奴らと同じで、1人の少女を寄って集って殺すのか–––––––––違うさ。

 

腕の中の彼女の頭を撫で、軽く抱きしめてから栗花落さんの方へ向き直る。

 

「彼女は殺さない–––絶対に」

 

明確に、聞き間違いのない様に、そう言い放った。

 

「……師範からその鬼を殺せと仰せつかっています」

「ならしのぶさんと会わせてくれないかな?でき得る限り説得したいから」

「……理解できません。その子は鬼です、人を喰うんですよ?」

 

微笑みを浮かべたまま疑問を投げかける彼女に静かに口を開く。

 

「鬼だから人を喰うわけじゃない。人を喰う奴が鬼なんだよ」

「……鬼殺の妨害をするんですね」

 

日輪刀を構える彼女を見て、腕から童女を下ろす。まだ足りないとむーむー唸る彼女の頭に手を置き「少し待っててくれ」と頭を撫でる。

 

「違うさ。『人』を守るんだよ」

 

地面に突き刺した日輪刀を引き抜く。『チリン』と鈴が鳴り、その音が暗い山の中へと溶けていく。

 

「どうして俺が彼女を切らなかったかわかるかい?」

「…………」

「目が、とても綺麗だったんだよ。–––鬼とは到底思えない程に」

 

月で藍色に輝く日輪刀を正面に構え、彼女を守るように立ち塞がる。

 

「そう言う君はどうなんだい?この子が人を喰うと、そう思うかい?」

「…私は、師範の命令に従うだけです」

 

 

–––––彼女のその言葉を聞いた途端、心に何かが刺さった感覚がした。

 

 

「–––––そうか。君は命令で人を殺すんだな」

 

シャリリンと鈴の音が響き渡る––––––直後、自分を中心に一面の木々がバラバラに切り裂かれる。崩れた木々は木片を撒き散らせながら散乱し、木片の一つが彼女の頰に赤い線を付ける。

 

「っ⁉︎」

 

彼女の動揺が肌で感じられる–––いくら目が良くても、反応できなければ意味がない。

 

「–––遅いよ」

 

一度後退しようとする彼女を見て、髪に再び刃を走らせる。寸分の狂いもなく走る刃は彼女の綺麗な毛先を切り取り、下がる足を止めさせる。なんとか身体を守ろうと振るわれる刃を即座に弾き返し、返した刃を首に当てる。

刹那の間に殺される間合いに入られた事に目を見開く彼女に、冷たく言い放つ。

 

「相手の実力も測れないのなら、こうして一方的に殺される事も考えておいたほうが良い」

 

静寂が辺りを支配する中、そうして首に当てた刃を引き抜こうとする–––––––その直後、鴉が鳴いた。

 

「伝令!伝令!炭治郎、禰豆子両名ヲ本部ヘ連レ帰ルベシ!繰リ返ス!炭治郎、禰豆子両名ヲ本部ヘ連レ帰ルベシ!」

 

その声を聞いた時、ピタリと刃を止める。

 

「…今の、聞こえたよね」

「……………」

「取り敢えず休戦だ。––––伝令が早くて助かった」

 

栗花落の首に半ば食い込んでいた刀を静かに持ち上げる–––刀の剣先を見るに、幸い血は出ていないようだ。伝令が出た以上、怪我をさせない事に、越した事はない。

彼女は断たれそうになった首をさすりつつ、その場から下がる。口には微笑みが浮かんでいる–––が、その額には微かに汗が浮き出ている。

 

「聞いた通り、彼女–––禰豆子は本部に連れて行く。それで良いよね」

 

無言でうなづく彼女を見て、構えを解く。うつらと眠そうな禰豆子を抱き起こし、栗花落の方を見遣る。

 

「それじゃあ、炭治郎君の所へ案内してくれ」

 

日輪刀を下げつつ、そう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––随分酷い状態だね」

 

栗花落さんの案内に従い、木製の箱の中に入っていった少女––––禰豆子を背負って森の中を歩き、目的の少年の所まで辿り着く。

地面に倒れ伏している彼は、傍目から見ても分かる程酷い怪我を負っていた。肺が微かに上下している事から生きているのは間違いないが、酷い怪我な事に変わりはない。

 

「栗花落さん、彼は……」

 

振り向いた先には既に彼女の姿はなく、自分の言葉は山奥へと消えていった。–––音もなく消えたな…。

消えた栗花落さんを一度頭から消し、目の前の少年に向き直る。

 

「取り敢えず、一度診ないとわからないか」

 

箱を地面に降ろし、身体を触診して怪我の様子を確認する––––腕と足に切創が複数、擦過傷が無数に存在している。

 

「下顎も打撲してるな…、それで気絶したのか」

 

脳天に打撲痕がある事から、恐らく頭上からの一撃を貰ったことがわかる–––––自分が思うのもアレだが、随分と綺麗に入ったらしい。

 

「取り敢えず軽く治療しないと…鴉‼︎」

 

頭上に向かって叫ぶと、「カァー」と鳴き声と共に空から雑嚢が落ちてくる。それを掴み中から塗り薬と包帯を取り出し、該当箇所に治療を施していく。

 

「小屋内さん、何か手伝いましょうか?」

「いえ、大丈夫ですよ」

 

側にいる黒装束の人物––––––隠の人に声を掛けられる。それを断り「それより」と言葉を繋げる。

 

「この山にいた生存者の中に、尾崎って人は居ましたか?」

「尾崎…はい、居ましたよ。水色の日輪刀を持っている人ですね」

「本当ですか!良かった…」

 

治療の手を止めずに安堵の表情を浮かべる。––––生きていてくれたよかったと、心の底から思う。

腕の切創を最後に、治療の手を止める–––手持ちのものではこれが精一杯だ。後はどこかで治療に専念してほしいけれど…。

 

「この少年…炭治郎君はこれからどうなるんですか」

「詳しい事はわかりません。只、柱合裁判に掛けられるとは聞いています」

「柱合裁判ですか…。それは、穏やかじゃないですね」

 

–––––柱合裁判。

重大な隊律違反を犯した隊員への処分を、鬼殺隊最強の柱達によって決める裁判。自分が鬼殺隊に入って一年程度経つが、裁判が行われると聞くのはこれが初めてだ。

 

「それにしても、何故この少年は鬼を連れているのでしょうか…」

 

心底わからないと言う表情で話す隠へ口を開く。

 

「この子が連れているのは鬼じゃありません、只の少女ですよ」

「そんな馬鹿な。私は実際に見ていませんが、鬼であったと聞いていますよ」

 

あり得ないと頭を振る。–––やはり、隠であっても鬼への憎しみは根深いようだ。これ以上言葉を重ねた所で意味が無いと判断し、会話を終わらせる。

 

「鬼の特徴は持っているかもしれませんが、それでも彼女は人間ですよ」

 

苦しそうに息を吐く少年、炭治郎の頭に手を置く。–––––自分よりもあどけない顔付きの少年がこれから歩むであろう道は、恐らく並大抵のものではないのだろう。

 

「なんとか弁解の機会は作れないでしょうか–––」

 

その言葉に隠は目を伏せて首を振る。

 

「無理ですよ。…側付きの同僚に聞いたんですけど、特に風柱と炎柱が怒髪天を突く勢いらしいです。聞く耳を持つとは思えませんよ」

「不死川さんと煉獄さんが…」

 

風柱の不死川実弥さんに、炎柱の煉獄杏寿郎さん–––––どちらも極めて優れた剣士だ。それに彼等の性格を勘案すれば、鬼を連れた剣士をどう思うのかは想像に難く無い。

 

「––––このまま行ったら多分、二人とも処断される」

 

それは自分の思う所ではない。なんとか助ける方法を考えるが、何も良い案は浮かばない。

 

「仕方ないですよ…。鬼を連れた剣士なんて許したら、鬼殺隊の存在そのものが危ぶまれますから」

 

肩を竦めて言う隠を余所目に、未来へ思いを馳せる。

現役の柱の人達とは全員と面識があるが、彼等の性格を鑑みても処断は免れないだろう。–––恋柱の甘露寺さんは反対してくれそうな気はするが、残り八人の意見をひっくり返すには至らないだろう。

 

「何か、何か手はないか––––」

「あの、小屋内さん。少し良いですか?」

 

ない頭を回して何か打開策を講じようと考え始めると、隠から声を掛けられる。

 

「何かありましたか?」

「この少年とは顔見知りなんですか?」

 

首を横に振る。

 

「いえ、この山で初めて会いました」

「それなら、どうしてそこまで気を配る必要があるんですか?」

「どうして、ですか?」

 

「はい」と言うと、そのまま言葉を繋げる。

 

「小屋内さん程の人が、この少年に気をかける必要がわからないんです。まだ階級も低いこんな少年を、助ける理由なんて––––」

 

–––自分でも意図せず、無意識に歯を噛みしめる。

 

「–––すいません。それ以上、口を開かないで下さい」

 

思わず話の途中に口を挟む。少し怯えた様子を見るに、感情が漏れていたようだ–––隠の人が言いたいこともわからなくは無い。だから深く追求はしないが、それでも良い気はしない。

自分の中で感情を整理し、改めて口を開く。

 

「–––この少年は、操られていた隊員を殺さず助ける方法を模索していました。一歩間違えば、自分が殺されてしまうような状況で」

 

思い起こすのは操り糸の情景。–––この少年が切り掛かっていれば、三人の命は救われなかっただろう。

 

「口で言うのは簡単ですが、それを実行する難しさは計り知れません」

 

穏やかな風に揺られた鈴がチリンと鳴り、辺りへと綺麗な金属音を響かせる––––弁解の機会が無いにしても、せめて何か伝えなければならない。

 

「人を殺しても咎められない状況で、それでも敢えて助ける道を選んだ––––俺は、そんな心を持った隊士に死んでほしくないんです」

 

日輪刀に括られた鈴をほどき、それを眠っている炭治郎の腕に係る–––––これで、少なくとも自分が二人に関与している事を示すことが出来る。

自分のような一介の隊士の意図がどこまで通じるかはわからないが、少なくとも即斬首、と言う結果にならない事を祈るばかりだ。

 

「まぁ色々理屈は捏ねましたが、結局の所、自分がしたいからそうするだけなのかもしれません」

 

立ち上がり、隠の人の目を見る。

 

「–––––自分はもう、後悔はしたくないんです」

 

微笑みながら言う。暗い空が霞み、明るい色へと変わっていく–––––夜はもう、明けようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「––––––い」

 

声が、聞こえる。どこか静かで、落ち着いた感じの声だ。

 

「–––––ーい」

 

ここは何処だ?暗くて何も見えない。

 

「–––––おーい」

 

早く逃げないと。逃げないと、禰豆子が––––––。

 

「っ禰豆子⁉︎」

 

勢いよく飛び起きると、額になにかがぶつかる感覚を覚える。目覚めたばかりで視界がぼやけるが、はっきりしてくると目の前に人が––––。

 

「だ、大丈夫ですか⁉︎」

 

頭を抑えて蹲る人に声をかける–––状況から考えて、自分の頭とぶつかったと考えられるからだ。

 

「い、いや…大丈夫…大丈夫…」

 

ヨロヨロしながらも起き上がる彼の顔を見る–––––その人は、那田蜘蛛山で操られていた隊員達を相手してくれた人だった。

 

「無事だったんですね!良かった…」

「うん、無事だったよ。…頭は無事じゃないけど」

 

「これ絶対コブになってるよ…」と額をさする彼にひたすら頭を下げる。声を掛けてくれた人に頭突きをするなんて––––って。

 

「禰豆子は⁉︎禰豆子は何処ですか⁉︎」

「落ち着いてくれ、炭治郎君。彼女ならそこだよ」

 

指差す方向を見ると、そこに鱗滝さんから貰った木箱が見える。鼻を利かせると、たしかに箱の中にいるらしい。

 

「良かった…本当に、良かった…」

 

禰豆子が無事な事に思わず脱力する。もし目が覚めて禰豆子が居なかったら、自分がどうなっていたか分からない。目元の涙を拭うと、正面へ向き直る。

 

「それで、貴方は…」

「俺は小屋内権兵衛、鬼殺隊の一剣士だよ」

 

髪を短く揃え、少し垂れ目な顔立ちの人物だった。瞳は深い藍色で、見ていると此方が引き込まれそうになる感じがする。

小屋内さんは短い自己紹介をした後、深刻そうな表情で口を開く。

 

「時間がない。早速で悪いけど、今君が置かれている状況を説明する」

「状況…」

 

一つ頷くと、そのまま言葉を続ける。

 

「これから君達兄妹は、柱合裁判に掛けられる」

「柱合裁判…ですか?」

「そう。簡単に言えば、鬼殺隊の偉い人達による裁判だね」

「それで、自分はどうなるんですか?」

 

静かに、しかしはっきりと口にする。

 

「––––恐らくだけど、斬首になるだろう」

「そんな……!」

 

神妙な顔で告げられる言葉に思わず声を上げてしまう。––––ここまで頑張ってきたのに、最期は鬼殺隊に殺されるなんて…!

なんとか打開策を考えようとすると、優しい声色で声が掛けられる。

 

「けど、それは自分の思うところじゃない。だから、君にそれを託す」

「それって…」

 

小屋内さんが指差す所…右腕を見る。そこには銀色の鈴が二つ括られており、腕を動かすと「チリン」と綺麗な音を鳴らす。

 

「–––俺が普段身につけてる鈴だよ。それを見れば多分、君の話を聞いてもらえる筈だ」

 

「これでも結構強い剣士なんだよ?」と言うと頭に手を載せ、クシャクシャと荒っぽく撫でられる–––––嫌な気持ちはしない、寧ろ心地いいくらいだ。

 

「そういえば、この包帯は一体…」

 

改めて身体の様子を見るとあちこちに包帯が巻かれ、気絶する前に身体中を走っていた激痛が収まっている。

 

「それは俺がやったんだよ。どこかまだ痛むかい?」

「いえ全然!ありがとうございます、小屋内さん」

「気にしないで。こっちが好きでやった事だから」

 

笑いかけてくれる小屋内さん––––その様子を見て、思わず口を開く。

 

「あの、小屋内さんはどうしてそこまでしてくれるんですか?俺は、鬼を連れているのに…」

 

–––––鬼殺隊は鬼を許さない。それはこの一件でよくわかった。

自分はそれを破り、妹とは言え、鬼を庇った。それは鬼殺隊では許されない事なんだろう––––––にも関わらず、権兵衛さんからはこちらを気遣う、思い遣る匂いすら感じる。

それを聞いた権兵衛さんは困った表情を浮かべた後、再び頭を撫で回す。

 

「君は真面目だね。それに実直だ、きっと良い剣士になる」

「あ、ありがとうございます」

 

一通り撫でたのか、腕を下ろす。「そうだね…」と少し間が空いた後、静かに口を開く。

 

「結局の所、これは自分よがりの優しさなんだよ。自分がこうしたいからそうする、それだけの事さ」

「自分よがりの優しさ…ですか」

 

「そうさ」と微笑むと額に指が当てられる。

 

「––––後悔は、時として死ぬより辛いからね」

 

–––––そう言う権兵衛さんからは、途方も無い様な哀しみの匂いがした。何か言わなければと口を開くが、何か気の利いた事が言えるわけでも無い事実に閉口する。

 

「それに、君の妹は鬼なんかじゃないよ」

 

身の丈よりも大きな日輪刀を持って立ち上がる権兵衛さんは、なんの躊躇いもなくそう言った。突然の出来事に一瞬固まるが、すぐさま反論する。

 

「い、いえ。妹は、禰豆子は鬼です。現に、妹は日の光を浴びる事が出来ません」

「別に、日の下を歩けないから鬼って訳じゃない」

 

困惑しつつ否定するが、権兵衛さんは自分の言葉を笑って飛ばす。すると、再び腰を落として目線を合わせる。

 

「太陽の下を歩けないから鬼って訳じゃない。鬼舞辻に血を貰ったから鬼になる訳じゃない–––––––人を殺したモノが、鬼になるんだよ」

 

彼の言葉は、鉛のように重く自分の心を打つ。その重さは、彼の想いを表しているかのようだった。

 

「君の妹、禰豆子ちゃんはとても綺麗な目をしてたよ。あんな目をする子が、鬼である筈がない」

 

掌が両頬に当てられる。–––硬い、剣士の手だった。

 

「–––彼女を守った事を誇れよ、炭治郎。君はかけがえのない、妹を守ったんだから」

 

–––––その言葉を聞いた途端、目から涙からポロポロと溢れ出す。意図せず流れ出したそれは、自分の意思で止める事が出来ない。

 

「す、すいません…。急に泣き出したりして」

「いや、良いよ。––––涙は、流せる内に流した方が良い」

 

涙をある程度流した後、軽く目元を拭う。それを見た小屋内さんは自分の頭を一度撫でると、再び腰を上げて日輪刀を携える。–––朝日に照らされたその日輪刀は、とても綺麗な藍色に輝いていた。

 

「––––どうか君が、死ぬより辛い後悔をしない事を」

 

権兵衛さんはそう言うと「それじゃあお願いします」と黒装束の人に伝える。すると二人に自分が担がれ、妙な浮遊感を覚える。

 

「小屋内さん、色々と、本当にありがとうございました!俺、まだまだ頑張ります!」

 

それを聞いた権兵衛さんは嬉しいような困ったような顔で笑う。

 

「程々にね。頑張りすぎて倒れても元も子もないよ」

「はい!…そう言えば、この鈴はどうすれば良いですか?」

 

腕に巻かれた鈴を見せる。チリンと鳴る銀色の鈴はあちこち傷だらけだが、何故だが普通の鈴よりも風格がある。「あぁそれか」と頷くと、笑いながら口を開く。

 

「君に預けておくよ。今度会ったら返してくれ」

「…良いんですか?何か、大切なものじゃ…」

「大切なものだから預けるんだよ。出来れば失くさないで欲しいな」

 

そう言って笑う権兵衛さんを余所目に、鈴を握りしめる–––絶対に無くすわけには行かない…!

 

「わかりました。必ずお返しします!」

 

決意を新たに宣言すると、朗らかに口を開く。

 

「頼むよ–––それじゃあ隠の人、お願いします」

 

「行くぞ」と黒装束の人が駆け出し、次第に権兵衛さんが遠ざかっていく。姿が見えなくなるまで手を振ってくれている彼に頭を下げ、姿が消えても頭を下げ続けた。–––優しい匂いと、悲しい匂いを併せ持った人だった。

 

「…お前、良かったな」

「へっ?」

 

穏やかな風が頰を撫でる中、ふと自分を運んでいる黒装束の人から声を掛けられる。

 

「あの人から気に入って貰えた事だよ。もしかしたら助かるかもな」

「あの人って、権兵衛さんの事ですか?」

 

「そうだよ」と頷くと、そのまま言葉を続ける。

 

「お前知らないのか?鈴鳴りの剣士だよ」

「鈴鳴りの剣士…ですか?」

「あぁ、僅か一年で二百程度の鬼を殺して甲に昇格した、正真正銘の化け物だよ」

「一年で二百…⁉︎」

 

一年で二百を超える鬼を殺す–––––鬼の残虐さや強さを考えれば有り得ない偉業だ。自分が今まで殺してきた鬼の数が精々十程度なのに対し、彼はその二十倍に及ぶ数を殺しているからだ。

鬼を殺す難易度も含めて、それ程鬼に遭遇できるのか––––そこで、ある存在が頭に浮かぶ。

 

「もしかして、小屋内さんって希血の人なんですか?」

 

希血–––その名の通り、希少な血の持ち主。鬼にとってのご馳走。希血の人を一人食べれば、それだけで五十人、百人程度食べるのと同等の力を得る事ができる存在。–––つい三週間ほど前に出会った少年がそうだった。

しかし、その予想は外れて黒装束の人は首を振る。

 

「いや、違うぞ。ごく普通の人間だ」

「それじゃあどうして…」

「簡単だよ。あの人、めちゃくちゃ脚が広いんだ」

「脚が広い…?」

 

–––––脚が広いって事はあれか、脚が長いって事だろうか。しかし、そんなに身長があったとは思えないんだけど…。

なんて事を考えていると呆れた声が聞こえてくる。

 

「脚が広いってのはあれだ、行動範囲が広いって事だ」

「どれくらい広いんですか?」

 

あっけらかんと言い放つ。

 

「この前は蝦夷にいて、さらにその前は薩摩に居たらしいぞ」

「……えっと、真反対だと思うんですけど」

「そうだよ。だから化け物なんじゃねぇか」

 

「あの人ほんと人間じゃねぇよ…」と慄く人を余所目に、自分の腕につけられた鈴を見る。–––本当に、凄い剣士なんだな。

 

「そんな訳であの人は柱の方々からの覚えも良い。良い子にしてれば、お前も助かるかも知れないな」

「…そうですね!頑張ります!」

 

「いや、何を頑張るんだよ…」と呆れた声を呟く人の上から空を見上げる。

夜明け直後の白ばんだ空に浮かぶ雲が流れる様を見て、自分は再び前を向いた–––––––。

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––貴方は変わりませんね、権兵衛君」

 

隠に運ばれていった少年を見送り、鈴のなくなった日輪刀を持ってその場から立ち去ろうとした最中、権兵衛君の背中に声をかける。

特に驚く様子もなく振り向く彼は、こちらを見て穏やかに笑う–––多少やつれている事には、今は触れない方が良いだろう。

 

「お久しぶりです、しのぶさん。この山に来ていたんですね」

「えぇ、お館様からの依頼でして。といっても、私は一匹も鬼を殺していないのですが」

 

多少皮肉げに言うと権兵衛君はすぐさま返す。

 

「怪我人が多かったですから、しのぶさんの存在は大いに救いになったと思いますよ。–––なにも、鬼を殺す事だけが尊いわけじゃありません」

 

そう言って笑う権兵衛君–––相変わらずのお人好しらしい。

 

「だと良いんですけど…。それより、鈴はどうしたんですか?先程から見えませんけど」

 

「あぁ、鈴ですか」と日輪刀を持ち上げる。彼の特徴とも言える大きな日輪刀に付けられた銀色の鈴はそこにはなく、どこか新鮮な感覚を覚える。

 

「先程の少年に付けました。お守りのようなものです」

「先程の少年––––竃門炭治郎君ですね」

 

「はい」と短く答えると、向き直ってこちらを正面に見据える。–––藍色の瞳が夜明けの日に照らされ、綺麗な色を見せる。

少し息を吸った後、意を決して口を開く。

 

「お願いがあります、しのぶさん」

「お断りします」

 

沈黙。何か言いたげな表情を浮かべる彼相手に、こちらはニコニコと笑みを浮かべる。

 

「えぇと…お願いがあるんですけど」

「はい、お断りします」

 

困ったように目を泳がせる権兵衛君を見て、益々笑みを深める。––––今思えば、こんなに困っている権兵衛君を見るのは初めてですね。

 

「あの、自分なにも言ってない…」

「何を言われても聴く気はありませんよ?」

 

言葉を遮ると権兵衛君の目がぐるぐると回り、頭から湯気が出始める–––––この子が一年と少しでも200に登る鬼を殺したと言うのだから驚きだ。

 

「お、お団子奢りますよ?」

「結構です–––私が怒っている理由がわかりますか?」

 

安っぽい懐柔に出た所で溜息を吐き、腰に手を当てて問い詰める。すると顎に手を当てて考え始め、ある程度経つと口を開く。

 

「蝶屋敷を勝手に抜け出した事とか…」

「それもありますが、本質は別です」

 

むむむ、と頭を捻る権兵衛君に大きな溜息を吐く。––––鈍い人だとは思っていましたが、ここまで来ると病気ですね。

多少間を置いた後、静かに口を開く。

 

「–––カナヲに武器を向けましたね」

 

直後、彼の纏う雰囲気が一変する––––––先程の暖かなものとは打って変わった、冷たい気配が辺りに充満する。

穏やかな光を讃えて居た瞳は暗く沈み、僅かに緩められていた口元が引き締められる。

 

「––––えぇ、間違いなく」

 

一切の淀みなく言い切る。–––見え透いた嘘はつかない少年だから嘘はつかないとは思ったが、ここまですんなり言うとも思っていなかった。

 

「言い逃れはしないんですね。開き直っているとか?」

 

被りを振って否定する。

 

「まさか。自分のやった事には最低限責任を持つだけです––––ただ」

 

権兵衛君の視線が自分を貫く。–––藍色の瞳の奥が不規則に揺らぎ、感情が蠢いている事が分かる。

 

「命令だから。そう言って、斬りかかる様な人を自分は好きになれません」

 

彼の持つ日輪刀が太陽に照らされて藍色に光る。限界まで使い込まれたその鋼は、鈍く重厚な光を湛えている。

–––四ヶ月前の冨岡さんとの戦いよりも洗練された気配を感じるが、日輪刀には手をかけない。

 

「カナヲは命令に従っただけです。別に、彼女が悪い訳じゃない」

「命令に従うのは重要です、それは否定しません。しかし、それは自分に明確な意思が伴ってこそではないでしょうか」

 

ブレる事なく向けられた彼の視線には、言いようもない熱が込められている。–––恐らく、彼はカナヲに怒っているのだろう。自分の意思で動けなかった過去があるからこそ、自分の意思を持たない人が許せないのだ。

しかし、隊律を犯したのは彼の方。いくら過去にどんな事情があろうと、それは揺るがない。

 

「あまり深くは言えませんが、カナヲにはカナヲの事情があるんです。あまり、深入りはして欲しくないですね」

「……わかりました」

 

渋々、と言った様子で視線を逸らし雰囲気が弛緩する。–––日輪刀に手が伸びなくて良かったと、心から思う。もし手を掛けていたら、目の前の少年は襲いかかってきたかもしれないからだ。

 

「……このまま行けば、何処かで潰れることは明白ですよ」

「…わかっていますよ」

 

権兵衛君はややぶっきらぼうに言い放つと「わかってるなら良いです」と言い、森の中に歩き出す––––––って。

 

「ちょっと待ってください、何処に行くんですか」

「何処って…鬼を殺しに行こうかと」

「その様子でですか」

 

着用していた羽織の一部に穴が空き、隊服のあちこちも損傷している状況。額には打撃跡が痛々しく残り、大きく腫れている。先程は敢えて触れなかったが、目元には黒い隈が浮かび上がっている。明らかに疲労している状態だと伺える。

そんな様子にも関わらず彼はなんて事ない風にいう。

 

「えぇ、これから北に向かおうと思いまして」

「…なぜ北に?」

「この前まで薩摩にいたので。今度はそうですね…陸奥の方まで足を伸ばそうかと」

 

「それでは」と足を再び動かす彼––––––森に消えて行く彼を追って地面を蹴り、肩を強く掴む。ミシミシと何かが軋む音が聞こえるが、敢えて聞こえなかったフリをする。

 

「何勝手に行こうとしているんですか。話はまだ終わっていませんよ」

「…そうなんですか?」

 

やや疲れた風に振り返る彼––––ニコニコと表情を作っていたが、そろそろ限界かも知れない。

 

「そこに座りなさい」

「…えっ」

 

地面に指を指して促す。

 

「早く、柱の命令ですよ?」

「えっ、いや、あの…」

「い い か ら」

 

威圧感を出すと渋々といった様子で座る–––さて、何から言って行きましょうか。

 

「まず貴方は鬼殺の妨害をしました。これは立派な隊律違反です」

「彼女は鬼では……」

「それはあくまで貴方の主観です。客観的に見ればあの子が鬼であることは明白です」

 

ぴしゃりと言い放つとシュンとした様子で肩を竦める彼に、さらに言葉を重ねる。

 

「しかもその際に私の継子であるカナヲを害しようとした。ここまで仕出かした相手をヌケヌケと見逃すと思いますか?」

「すいません…」

「私は言いましたよね?相手を無力化出来るのであれば極力人を害してはいけないと。貴方は言われた事も守れない人なんですか?」

「返す言葉もございません…」

「さらになんですか、そんな状態にも関わらず鬼を殺しに行く?陸奥まで?鬼の殺しすぎで頭が茹ってしまったんですか?」

「…………」

「貴方が疲労している事は傍目から見てわかります。にも関わらず、上司である柱の忠告を無視して、剰え話を遮ってその場から立ち去ろうとする?本当にいい度胸ですね」

「………………うぅ」

「鬼を殺しに行く事は立派です。しかし、鬼殺隊は組織です。上司の命令に従わないのであれば処分をしなければなりません。お分かりですよね?」

「………………………はい」

 

まくし立てていた言葉を区切り、一息いれる。権兵衛君は肩を縮め小動物のように怯えている––––こういう所は、分相応に少年という事ですかね。

 

「そこで、諸々の隊律違反を含めて貴方には罰を与えます。受け入れますよね?」

「………………………えぇと」

「受け入れますよね?」

 

念を押すと「うぅ…」呻いた後、渋々と言った様子で頷く。その様子を見て笑みを浮かべ、口を開く。–––こういう時に素直なのは彼の美徳ですね。

 

「では––––貴方には当分蝶屋敷で働いて貰います」

 

するとキョトンとした様子にもなり、やがて訝しむように此方を見る。

 

「……自分はあまり治療関係に秀でてはいませんが」

「この那田蜘蛛山で傷を負った隊士は全て蝶屋敷で治療します。よって、猫の手も借りたくなる程忙しくなることが懸念されます」

 

「そこで」と言葉を区切り、正座している彼の額に人差し指を当てる。

 

「傷病者が居なくなるまで、貴方にも手伝って貰います。良いですね?」

「……任務が入った場合は、そちらを優先して良いんですよね」

「勿論です。これはあくまでも私刑ですから、任務を優先にするのは当然です」

 

「そうですか…」と何か考え、首を傾ける。–––悩む事数瞬。答えを出したのか、正面から此方を見据える。

 

「–––わかりました。その罰、甘んじて受け入れます」

「ありがとうございます、権兵衛君」

 

了承の意を受けて、緊張の糸を解す–––断るとは思っていなかったが、万が一があり得るからだ。

 

「しかし、自分が蝶屋敷で何か手伝える事があるとは思えないのですが…」

「色々と仕事はありますから、そこは心配しなくて大丈夫ですよ」

「そうですか…。アオイさん達に会ったら謝らないといけませんね」

 

そういうと傍にある日輪刀を持って地面から立ち上がる。

 

「それでしのぶさん。業腹とは思うんですけど、お願いがあるんです」

「竃門炭治郎君の事、ですね」

 

「はい」と頷くと、頭を下げてそのまま言葉を続ける。

 

「なんとか彼が斬首にならないよう尽力してくれないでしょうか。自分にでき得る限りなんでもやります。ですから––––」

「大丈夫ですよ、権兵衛君」

 

頭を下げている権兵衛君の頭に手を置き、優しく微笑む。意図がわからないのか、キョトンとした様子の彼に口を開く。

 

「貴方が思っている以上に、貴方は柱の方々に大きな影響力を持っていますから」

 

そう言って笑うと、木の上で構えている冨岡さんに視線で合図する。音もなく現れた冨岡さんに驚いたのか「えっ」と間の抜けた声を権兵衛君が挙げる。

 

「冨岡さんもいらっしゃったのですか」

「………あぁ」

「この人も鬼殺の妨害をしたんですよ。夜の森の中で私の自由を奪って」

「…⁉︎」

 

おちゃらけた風に言うと冨岡さんの表情が強張る。それを聞いた権兵衛君は再び驚き、目を見開く。

 

「冨岡さんもですか…?」

「あぁ…少し事情があってな」

「そうですか…。理由はともかく、ありがとうございました」

 

言葉を濁す彼に深々と頭を下げる権兵衛君。–––さて、そろそろ本部に向かわないと間に合わなくなりますね。

 

「それじゃあ本部に急ぎましょうか、冨岡さん」

「あぁ」

「それじゃあ自分は蝶屋敷の方へ向かいます。–––お二人とも、竃門兄妹の事、どうかよろしくお願いします」

 

その言葉を背後に私と冨岡さん、権兵衛君とで別の方向へ走り出す。–––彼の心配している事にならないことを確信しつつ、私は本部へと足を早めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 

 

 

––––––小屋内権兵衛の目の前には、白いお皿に載せられた団子が置かれている。

竹串に連なる四つの丸は綺麗な球体を保ち、絹の如き白さを讃えている。更にその上には黄金もかくやと思しき金色のみたらしが満遍なく塗られ、琥珀色に輝いている。––––これは、間違いなく美味しい団子だった。

ここがどこかの茶屋で出されたものであるならば、権兵衛は脇目も振らずに団子を頬張っていたであろう。しかし、件の権兵衛はその団子を見るだけでじっと耐えている。それは、ここが茶屋ではないからだ。

 

––––––鬼殺隊本部 産屋敷邸。それが権兵衛が現在留まっている場所の名前である。

 

(この団子は食べて良いのだろうか…いや、目上の人に振る舞われた物を一目散に頬張るのも行儀が悪いか……?)

 

途中で鞘を回収し、蝶屋敷への道を軽快に走り抜ける最中に鴉に召集が掛けられて本部に連れてこられた次第の彼。目隠しをした後に多くの隠によって経由され、手拭いを外したら既にここに居た為どうやってきたのかは分かっていない––––鬼に居場所を知られないための安全策だろう。

そうやって産屋敷に誘われた権兵衛だが、通された客間にはその時既に団子が正面に鎮座しており、それ以降権兵衛の視線を釘付けにしている。

 

(なんでここに呼ばれたかの理由によっては遠慮なく食べるんだけど…)

 

彼自身、自分が本部に呼ばれた理由を測りかねていた。多くの鬼を殺した褒賞なのか、それとも鬼殺の妨害をした事による罰を与えるためなのか。それが見えないからこそ、明らかに美味しい団子を前に彼は耐えているのだ。

 

(これは食べて良いお団子なのか?それとも食べると不味い団子なのか?わからない…わからない…)

 

こうして用意されているのだから食べても良い団子とも思える–––しかし、彼は鬼殺隊の頂点に立つ柱の面々がどれだけ規格外で常識知らずかを把握している。よって、それらを統括する本部の人がマトモな人間だと思う方が無理がある。

ここに用意された団子が、実はこれから来る偉い人の物だとしてもなんら不思議はない。

 

(それとも、これから首を斬るんだからせめて最期くらい美味しい団子を食べさせてあげようという粋な計らいとか…?)

 

答えのない自問自答は彼の正常な思考能力に異常を来し、やがてとんでも無い方向へと思考が飛んでいく。

 

(そもそもここは本当に本部なのか?鬼の血鬼術によって作られた空間とかじゃ無いのか?それじゃあこの団子は毒なのか?いや、こんな美味しそうな団子が偽物なわけがない。では本物…つまりここは鬼の血鬼術によって作られた空間に置かれた美味しい団子って事か…?)

 

–––––––普通に考えればその仮定がおかしい事に気づくが、前述の通り彼は度重なる自問自答の結果正常な思考能力を失っている。故に、そんなあからさまに間違っている仮定を基に自分の行動を定めていく。

 

(それじゃあこれから鬼を探さなければならない訳だ、つまりこの団子を食べて英気を養う必要がある)

 

やけに力のある視線で団子を見つめる–––当然だが、ここに鬼がいる筈も無く、その決意は全くの無駄に終わるのだが。

 

(それじゃあ早速…)

 

自らの勝手な憶測で勝手に納得した彼はお皿に載せられたお団子を手に取り–––––––。

 

「–––やぁ、待たせてしまって済まないね」

 

頬張る直前に、無慈悲にも襖は開かれるのであった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

 

 

「………」

 

持ち上げていたお団子をそっとお皿の上に戻し、開けていた口を閉じる。–––––横に控えている子供達の視線が痛いからだ。

そのまま正面に向き直り、頭を伏せる。

 

「初めまして、私は小屋内権兵衛と申します。今は鬼殺隊にて鬼狩を勤めさせて頂いております」

「そんなに畏まらなくて良いよ。呼びつけたのはこちらだからね」

 

穏やかな口調の人物–––それが自分の第1印象だ。穏やかな容姿に分不相応の火傷の様な痣が額に走っているが、その顔立ちはとても整っている。火傷が無ければさぞ有名な女泣かせになったに違いない、と見当違いな事が頭に浮かぶ。

すると横に控えている童が彼に耳打ちをする––––そうしたら心配そうな声色で口を開く。

 

「団子が好物と聞いて用意したんだけど、お口に合わなかったかな?」

「いえそんな…。お恥ずかしい話ですが、団子には目がないものでして」

 

–––ここを鬼の血鬼術の中だと思っていました、なんておくびにも出さず平静を装う。明らかに人間の気配がする目の前の男性を見て、自分の馬鹿さ加減に自分で頭を痛める。

 

「それは良かった。あまり気難しい話じゃないから、食べながら話をしようか」

 

そう言いお皿の上に載せられた団子を勧めてくる–––という事は、この団子は食べて良い団子だったのか。

「それじゃあ、頂きます」と一言置き、団子を大きめに開いた口に放り込む。–––––その時、身体に電流が走った。

 

「こ、これは…!」

 

丸く整えられた団子はモチモチと最高の状態で口の中に迎えられ、絶妙な口当たりを演出する。それを包むみたらしもまた絶品で、適度に焦がされたタレが仄かな苦味を表現し、みたらしのタレ特有の甘じょっぱさをより際立たせている––––長々と説明してしまったが、要はとても美味しい団子という事だ。

 

「気に入って貰えたようだね、良かった」

「はい。とても美味しいです–––しかし、こんなに美味しい団子はどこで?」

 

次々と団子を口の中に放り込み、一串分を平らげた後疑問を口にする。自慢ではないが、自分は全国各地の名所で団子を食べてきた身。ここまで美味しい団子を取り扱う茶屋ならば覚えがあってもおかしくはない。

 

「あぁ、それは自分の妻が作った物だよ。気に入って貰えたなら嬉しいね」

「そうなんですか…。とても美味しかったとお伝えください」

「わかったよ、伝えておこう」

 

言葉もそこそこに、瞬く間に団子の半分を平らげ、童に差し出されたお茶を一口啜る。

 

「さて、先ずは自己紹介をしようか–––私は産屋敷 輝哉、こんな身で恐縮だけど鬼殺隊の当主を務めているよ」

 

産屋敷輝哉と名乗る男性–––柱の方々から聞いていた身体特徴である額の痣を見て、彼が鬼殺隊の当主本人である事を認識し再び頭を下げる。

 

「改めまして…鬼殺隊所属、階級甲、小屋内権兵衛と申します。こうして謁見の機会を賜り、光栄です」

「私はそんなに畏まられるような人物じゃないさ。だからもっと気楽で良いよ」

「そういう訳には………」

 

どこか心に染み込んでくる声色を聞き、感情が落ち着いていく感覚を覚える––––不思議な感覚だ。

 

「さて…まずは君にお礼を言わないとね」

「お礼、ですか?」

「そう––––多くの鬼を殺してくれた事、心からありがとう。権兵衛」

 

そう言って頭を下げるお館様に、こちらも頭を下げる。

 

「自分がこうして鬼を狩る事が出来るのも、全て鬼殺隊という組織あっての事です。お礼を言うのであれば、それはこちらから伝えるべきかと存じます」

「……どうやら、柱の人たちから聞いていた通りの人物らしいね」

 

彼が頭を上げるのを見計らい、自身も頭を上げる。そこには穏やかに笑う姿があった。

 

「柱の方々から、ですか?」

「君の事を色々と聞いたよ。融通の利かない奴だってね」

「……柱の方々に慕って貰えて何よりです」

 

苦笑いを浮かべながらそう答える。–––恐らく宇髄さんと小把内さんが言った言葉だろう。相変わらず口煩い二人だ。

 

「そんな君だからこそ、一年で二百もの鬼を殺す事が出来るかもしれないね–––本当に、君には感謝しているよ」

「感謝される事ではありません。自分は自分にでき得る範囲で鬼を殺した、それだけですから」

 

穏やかな口調に、どこかこちらを思い遣る感情が入る事を感じる。

 

「––––辛くなかったかい?権兵衛」

「…辛い、ですか?」

 

疑問符を浮かべた自分にお館様が言葉を重ねる。

 

「この一年の間に、君は多くの鬼を殺してきた。それと同時に多くの地獄を見て、聞いてきただろう–––それは、とても辛い事の筈だ」

 

「私の様な、見ているだけの者が言う言葉じゃないけどね」と悲しそうに笑う当主–––その様子を見て、過去の自分を振り返る。

–––彼の言うように、この一年の間に自分は数え切れない惨劇を、地獄を見てきた。

村一つが焼き滅ぶ様を見た、幼子を残して両親が鬼に殺されるところを見た、鬼になった母親に子どもが喰われる場面に出くわした、自分以外の隊士が皆殺しにされる事もあった。––––それはきっと、当主の言う通り辛い事なのだろう。

–––––しかし、それを辛いと言う一言で片付けるのも、また違うと思った。

 

「–––それは、自分にはわかりません。客観的に辛いと思う場面は確かに多く経験しましたが、それ以上に不甲斐ないと思う自分が居ました」

「不甲斐ない、かい?」

 

疑問符を浮かべる彼に「はい」と一度頷き、ためを作って口を開く。

 

「–––自分はいつも、肝心な所で間に合いませんでしたから」

 

 

 

 

 

『助けて!助けてくれぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎』

 

燃え盛る家屋に押し潰され、徐々に炭になっていった人を見た。

 

『あうー?あー』

 

両親の流した血に浸った赤ん坊を、夜の中抱き上げた。

 

『嫌だ!死にたくない‼︎死にたくな–––––』

 

自分の目の前で、干からびた死体に成り果てた隊士を見た。

 

 

 

 

 

––––自分の無力が原因で起こった悲劇で、自分が辛いと言うのは無責任だと思うからだ。

 

「–––––泣いてるのかい、権兵衛」

「……えっ?」

 

目元に手を当てるが、涙は出ていない。すると「私は目が見えないよ」と当主が言う。

 

「では、何故私が泣いていると…」

「そう感じたのさ。それに、瞳から涙を流す事だけが泣く事じゃない。–––心が泣く事だってある」

「心が、泣く…」

 

自分の胸に手を当てる––––自分は今、泣いているのだろうか。

 

「権兵衛は、立ち止まろうとは思わないのかい?」

「立ち止まる、ですか?」

 

「そう」と言葉を区切ると、続けて口を開く。

 

「そんなに辛い思いをしたのに、それでも刀を置こうとは思わないのかい?」

「…思いません。自分はこの身崩れ落ちるその時まで、鬼を殺し続けようと考えています」

 

はっきり断じた後、懐から紫の御守りを取り出す–––––助ける事のできなかった少女の髪の毛。自らを戒める、象徴。

これがある限り、自分は走り続けるのだろう–––地獄を幾度見ようとも。

 

「–––強いね、権兵衛は」

 

それだけ言うと、ふぅと息を吐く。先程から見ていると、やはり体調は良くないようだ。

 

「君は知っているかもしれないけど、現役の柱の皆は君を柱に推薦している。そして私も、君になら柱を任せられると思っている」

 

「どうかな?」と聞いてくる当主に一拍起き、良く通る声で口を開く。

 

「自分は、柱にはなれません」

「…やっぱり、か」

 

どこか残念そうに笑う当主に、こちらも苦笑いを浮かべる–––お館様の誘いを断ったと知れれば、柱の方々から苦言を呈される事が目に見えるからだ。

 

「はい。申し訳ありません」

「決意は固いようだね…。理由は聞いても良いかな?」

「色々とありますが–––––大きな理由は身勝手なものですよ」

 

「身勝手な理由?」と聞いてくるお館様に「はい」と一つ頷く。

 

「責任がある身分では、命を安易に捨てる事が出来なくなりますから」

 

その言葉を皮切りに、畳の間に静寂が訪れる。ある程度それが続いた後、お館様が静かに口を開く。

 

「–––命を捨てよう、と考えているのかい?」

「いえ、違います。僭越ながら、自分は生き残る戦法を得意とします。それは、自分の命を最大限使い切るためです」

「それなら…」

「しかし、命を優先するだけではどうしようない事態がある事も、また知っています」

 

命を落とさないよう最大限力を尽くす。それは当然だ。–––しかし、それではどうにもできない事だってある。

 

「私はそんな場面に遭遇し、これは自分の命を賭すに値すると判断した場合は、躊躇いなくこの命を燃やしたいと考えています」

「………」

「ですからその時に躊躇わなくて済むよう、背負うものは成る可く少なくしておきたいんです」

 

「柱という身分を背負った命は、安易に捨てる事は出来ませんから」と区切る––––鬼殺隊を背負うものが、安易に斃れる事は許されないと考えるからだ。

いつ如何なる状況に於いても最善を尽くし、多くの鬼を滅殺するのが鬼殺隊の柱–––であるならば、その役割は荷が重い。

 

「–––そうか。それが君の考えだと言うのなら、私はその考えを尊重しよう」

「ありがとうございます、お館様」

「ただ…」

「ただ?」

「出来れば君には死んでほしくないかな」

 

そう言って微笑むお館様に、思わずキョトンとしてしまう–––––自分が思っている以上に、この人はお茶目なのかも知れない。

 

「私からの話は以上だけど…何か聞きたいことはあるかな?」

「では、一つよろしいでしょうか」

「何かな?」

「竃門兄妹についてです。彼らは今どんな状況に置かれているのでしょうか」

 

本来なら聞かない方が良いのだろうが、ここは疑問を口にする。–––悲惨な結果ならば、なるべく早いうちに消化したかったからだ。

しかし、自分の予想とは裏腹にお館様は穏やかな笑みを浮かべて口を開く。

 

「それなら心配いらないよ、彼等なら今しのぶの所で怪我を治している筈だ」

「そうですか!それは良かった…」

 

自身の心配が杞憂に終わった事に安堵し、胸を撫で下ろす。

 

「–––最も、君が助かったかはわからないけどね」

「……?」

 

どこか意味深に笑うお館様に疑問符を浮かべると「さて」と切り替える。

 

「那田蜘蛛山から帰ってきたばかりなのに、呼び立てて済まなかったね。権兵衛」

「いえ、それくらいは」

「君はこれから蝶屋敷に行くのだろう?隠に伝えておくよ」

「恐縮です」

 

残った団子の一串を一口に頬張り、お茶を飲む。出されたものが全て空になった事を見計らって立ち上がり、頭を下げる。

 

「ご馳走様でした。とても美味しかったです」

「こちらこそ話を聞けて良かったよ。–––君が死なない事をここから祈っている」

「ありがとうございます。しぶとさには自信がありますので、精々死に物狂いで生き抜いてみせます」

 

そう言って笑うお館様にこちらも軽口を零す。そのまま襖を開けて畳の間から出る––––不思議な雰囲気の人だったと思う。

いつのまにか正面に居た黒髪の童の誘導に従い、産屋敷の外に出る。

 

「–––眩しいな」

 

空から見える太陽は、眩しいくらいに輝いていた–––––––。

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

「–––––とても強い子だった」

 

黒髪の少年–––––小屋内権兵衛が立ち去った事を見計らい、輝哉が言葉を零す。感嘆に満ちたその声色は、本当にそう思っての言葉だと伺える。

彼が権兵衛を評価するのは一年という間で200に及ぶ鬼を滅殺した事、それではない。

彼を強いと評したのは、その心の在り方なのだ。

 

側に控えている子供に手を引かれ、その場を後にする。その際にも、権兵衛が零した言葉が輝哉の頭の中を巡っていた。

 

(『間に合わない』か…それは違うよ、権兵衛)

 

自分の事を『間に合わない』といった権兵衛を、頭の中で否定する。

 

(普通の人ならその現場に辿り着く事すら出来なかっただろう–––けど君は間に合った、間に合ってしまったんだ)

 

普通ならば遭遇する事の無かった悲劇––––––それを彼は見てしまったのだ。決して手の届く事のない望遠の悲劇を、彼は見る事ができるのだ。しかし、先も言った通りそれは見る事は出来ても、手を伸ばす事は出来ないのだ。

 

悲劇に間に合うように、今度こそ手を伸ばせるようにと走った脚は、却って手の届かない悲劇を多く見てしまう–––それは、これ以上ない皮肉だろう。

 

誰かを助ける為にと走った脚はたしかに多くの人を救ったのだろう–––しかし、その結果見なくてもいい惨劇とも遭遇してしまった。

この世はやはり地獄なのだと、輝哉は一人思う。

 

(けど、彼はそれでも走り続けている)

 

自らを間に合わない者だと罵りながらも、自分を諦めずに磨き続けて多くの鬼を屠ってきた彼。決して投げ出さず、逃げず、見て見ぬ振りをしない事は、尋常ではない覚悟が求められる。小屋内権兵衛という少年は、あの若さでその覚悟を持ってしまったのだ。

 

「…しのぶには感謝しないとね」

 

権兵衛を蝶屋敷に少しの間置いた彼女の判断を賞賛する。目が見えない輝哉だからこそ、表面上はうまく取り繕っている権兵衛の疲労を見抜いていたからだ。

この一年で途方も無い戦闘経験を積んだ権兵衛は柱と比べても遜色ない実力の持ち主であり、同時に回復の呼吸の達人でもある。そんな彼だからこそ一週間や二週間程度は休息を取らなくても鬼に遅れをとる事はないのだろう。しかし、それが一月を超えると事情が変わってくる。

全集中の呼吸は人の身でありながら鬼と同等の身体能力を得る事ができるものだが、当然万能ではない。本来睡眠を必要とする所を呼吸で誤魔化した所で、いつかガタが来るのは明白である。

 

(出来れば無理はして欲しくないけど……)

 

当然そんな無茶をする彼の事は輝哉も憂慮している。–––しかし、権兵衛の活動はその討伐数を見ても鬼殺隊の中核を担っている事がわかる。万年人材不足の鬼殺隊がここ一年間は余裕を持って回せている事実も、偏に彼の成果でもあるからだ。

 

(彼の安全か、鬼殺隊の生存率か…)

 

輝哉は多くの隊員と権兵衛との天秤にかけた辺りで思考を無理矢理止める。そして、権兵衛が柱の皆んなに構われている事実を再認識する––––確かに、彼を放って置いたら最期、どこか遠くに行く事が簡単に想像できる。

 

団子を食べる時のあどけない少年の顔と、懺悔を零す罪人の顔。どこか不釣り合いなそれは、小屋内権兵衛という少年にとっては分相応な感じがすると輝哉は思う。

 

(どうか君が、自分の道を見失わないように)

 

妻の作った団子を食べて喜んでいた彼の様子を思い出す。彼がなにも気にする事なく笑えるよう祈って、輝哉は未来へ想いを馳せた––––––。

 

 

 

 




小屋内権兵衛(激情)

血液の循環を意図的に早める事で体温を急激に上昇させ、通常ならざる身体能力を持った状態。日光街道で遭遇した増殖鬼との戦闘で覚えた感覚を四ヶ月の戦闘を得て形にした、所謂高体温形態。本来起こりうるであろう反動だが、持ち前の回復の呼吸によってこれを無理矢理抑え込み、長時間この状態を維持する事が出来る。




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鬼殺隊一般隊員はお土産を買えない

設定集とても良かった。柱の方々がお給金好きなだけ貰えるのを聞いて流石柱だなって思った(小学生並みの感想)




「–––暑い」

 

意図せず口から漏れた言葉は、青空の下に溶けていく。

産屋敷を離れて幾ばくか。多くの隠を経由して本部を離れた後、しのぶさんに言われて蝶屋敷に向かう–––––––のではなく、その近くの街に滞在して既に半刻が経過している。

東側にあった太陽は既に真ん中に差しかかり、ジリジリと露出している肌の表面を焼いていく。隊服がいくら通気性に優れているとしても、この日光だけはどうしようもない。正直今すぐにでも近くの茶屋に駆け込み、ぜんざいか餡蜜を口にしたいところではあるのだが……。

 

「手土産を用意しないとなぁ…」

 

直接蝶屋敷に向かわなかった理由は当然、何か手土産を用意したかったからだ。お世話になるのだから手土産を用意するのは当然な上、自分はかつてあそこを勝手に抜け出した負い目がある。なので、そこそこ以上のものを持っていくのが好ましい所、なのだが……。

 

「何を持っていけばいいのかわからない……」

 

持っていく所が男所帯ならばそこまで考えずただ菓子折りを渡せば済むのだが、相手が女所帯の場合はそうもいかない。アオイさんやすみちゃんを初め、彼女らは年頃の少女達なのだから只団子を渡す事も憚れる。かと言って、簪や髪飾りと言った気の利いたものを選ぶ趣味の良さは生憎と持ち合わせていない。

 

「…みたらし団子じゃダメだろうなぁ」

 

ふと視界に入った茶屋に掲げられた「おいしいみたらし」の幟を見て零す。自分だったら一もなく飛びつくのだが、自分に贈るものでは無いため頭を振って候補から外す。

 

「みたらし団子二つ下さい」

「あいよ!」

 

覇気ある掛け声の男性から二本の団子を受け取る。このまま考えても埒が明かないと考え、取り敢えずみたらし団子を頬張って頭を冷静にする–––––これ美味しい。

 

「すいません、後二本追加で」

「あいよ!毎度あり!」

 

追加で出された団子とお茶を受け取り、赤い敷物が敷かれた縁台に座ってお茶をすする。疲れた身体にお茶が染み込んでいくのを感じながら、再びみたらし団子を頬張る。

 

「美味い美味い」

 

パクパクと団子を食べ進め、瞬く間に追加した二本のみたらしも食べ尽くす。取り敢えず後三本程みたらしを追加した所で、ぼんやりと空を見上げる。すると、自分の横に誰かが座る。

 

「–––こんな所で何をやってるんですか」

「お団子美味しいなって」

 

どこかキツい口調の少女だ、そう思いながらも視線は向けず朗らかに口を開く。–––どこかで聞いたことがあるような声の気がするが、多分気のせいだろう。

 

「そうですか…。ちなみに蝶屋敷にすぐ向かうとの事ですが、どうしてここで油を売っているんですか?」

「いやね?本当ならすぐ様向かう所なんですけど、いくつか手土産を見繕おうと思って」

「…そうですか」

 

そこで会話が途切れると、「団子三つお待ち!」と元気のいい掛け声と共に団子が出される。

 

「取り敢えずお団子でもどうですか?とても美味しい–––––––」

 

その内の一つを取って横を向く。どこか不機嫌そうな少女に笑みを浮かべながら団子を手渡そうとする–––––––そこで、初めて少女の顔を見た。

 

「結構です。–––––貴方はこんな所で何をしているんですか」

 

鬼殺隊の隊服に白の割烹着を羽織り、呆れた視線を隠しもせず向ける可憐な少女–––––––神崎アオイさんだった。

途中まで差し出した団子を無言で引き上げ、そのまま口に放り込む。–––何故だろう、少し苦くなった気がする。

 

「お久しぶりです、アオイさん。四ヶ月振りですね」

「そうですね。勝手に抜け出した権兵衛さん」

「……………」

 

無言で団子をモキュモキュ食べる。至近距離から向けられるジト目がとても痛いが、とりあえずは団子を食べ切らなければならない。

 

「しのぶ様からすぐに蝶屋敷に向かうよう指示されている筈ですけど、どうしてここで団子を食べているんですか?」

「…ごめんなさい」

 

綺麗に食べ終わった竹串をお盆に戻し、深々と頭を下げる。–––今思うと、何故自分は手土産を見繕う為に寄った街で団子を食べていたのだろうか……。

 

「アオイさんはどうしてここに?」

「薬の買い出しです。貴方も聞いていると思いますが、那田蜘蛛山での傷病者は全てうちで預かる事になりましたから」

 

そう言って傍に置いてある大きな竹籠を見せる。–––相当な怪我人を出した今回の件だからこそ、薬も不足するという事か。

 

「そうだったんですか。でしたら荷物を持ちますよ」

「結構です」

「……荷物持ちますよ?」

「結構です」

「………荷物」

「結構です」

 

にべもなく断る彼女を見て空を見上げる–––––師範、女性を怒らせた場合はどうすれば良いのでしょうか…。

 

「それじゃあ私は行きますので、貴方は先に蝶屋敷に向かっていて下さい」

 

竹籠を背負って席を立つ彼女。–––しかし、その言葉に首を振る。

 

「そういう訳には。まだ何も用意していませんから」

「…あの、私の話を聞いていましたか?」

「『世話になる人の所に何も持たずに行くのは礼儀知らず』と教わりましたから」

 

はっきりと口にすると、呆れた様子で額を抑える––––何か変な事を言っただろうか。

 

「…わかりました。ただし四半刻程度で来て下さいね。人手が足りていないんですから」

「勿論です。早急に見繕って蝶屋敷に向かいます」

「では、私はそこの薬師の所にいますから」

 

歩き出した彼女を軽く見て、自分も縁台から立ち上がる。灰色のがま口からお代を男性に支払い「毎度!兄ちゃんまたどうぞ!」と元気のいい声に見送られながら街を歩く。

 

「…四半刻で手土産を見繕う、か」

 

半刻も無為に過ごした自分にとってあまりに難易度が高い任務に思わず頭を抱えてしまう。–––たったそれだけの時間で俺に見繕う事ができるのか…?

 

「取り敢えず、手近な洋菓子屋でも行くかな…」

 

結局食べ物から離れられない自分に呆れつつ、洋菓子屋を探し始めた–––––––。

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

ある程度物が詰まった竹籠を背負い、多少の重さを感じながら街を歩く。そんな中、頭の中に浮かんでいるのはひとりの男性の事だ。

 

「–––全く、あの人は…」

 

先程まで話していた剣士–––小屋内権兵衛さんを思い出し、口から溜息を零す。当然だが、茶屋で団子を食べていた事に呆れている訳ではない。––––彼の目の下にこびりついた黒い隈を見たからだ。

 

「やっぱり全然休んでないんだ…」

 

一日二日寝ずに過ごした所であんなに濃い隈は浮かんでこない。蝶屋敷に滞在してから四ヶ月程度で更に六十程の鬼を殺したというのだからまともな休息は取って居ないとは思っていたが、いざ本人を目の当たりにすると言葉が出てこなくなる。

 

「あれで倒れていないんだから、人間の身体って不思議…」

 

蝶屋敷に普段籠っている身ではあるが、実は蝶屋敷の人は私を含めて結構情報通だったりする。何故なら、蝶屋敷には怪我を負って入院する隊員が多いからだ。そんな人達の中には当然小屋内さんと同じ戦場で怪我を負った人が相当数いる。そんな彼等の話を聞くと、戦場で肩を並べた隊員は口々に小屋内さんを賞賛し、次期柱候補筆頭と口にしている。

 

『あの人の動きは正に流れる水のようだった』『戦場に鳴り響く鈴の音がなにより頼もしく聞こえた』『あの人がいる限り鬼殺隊の柱も安泰だ』と多くの隊士が言っていたのを、よく覚えている。

 

–––しかし、私は彼がそこまで強い人とは思っていない。

 

『すいません神崎さん、お水を貰えますか?』

『お団子が食べたいな…。神崎さんはお団子だと何が好きですか?』

『今日のご飯も美味しかったです。いつもありがとうございます、アオイさん』

 

人並みに笑い、人並みにご飯を食べ、人並みに眠る。蝶屋敷で過ごしていた彼は、まぎれもない普通の人だった。しのぶ様や他の柱の方々から感じる独特の雰囲気も感じない、少し物静かな人。それが自分が持つ彼への印象だ。––––だからだろうか、特に気を使わずに接する事ができて、当たり前のように心配する事が出来るのは。

 

「…さて、取り敢えずさっさと買い出しを済ませないと」

 

そこまで考えた後、思考を切り替える。今の蝶屋敷は多くの傷病人を抱えているのだ、あまり悠長に構えているわけには行かない。

 

「後は包帯と氷嚢。それと……」

 

買いに来た物を頭に思い浮かべている––––と、目の前にさっきまで一緒にいた小屋内さんの姿が見える。何やら大きな風呂敷を持った彼はキョロキョロと髪飾りの専門店で簪を熱心に見ている–––って、なんで、私は目で追ってるんだ。

 

(無視よ無視!今は買い出しを済ませないと…!)

 

頭を振って視線を逸らすが、意図せず目で彼を追いかけてしまう。

 

(なにをやってるんだろ…)

 

頭を捻って簪を選ぶ彼–––––心なしか、どこか困ったような表情を浮かべている。そのままあちこち顔を向け、手にとって熱心に小物を選んでいるが、やがて買うのを諦めたのか店主に向かって頭を下げてその場を後にする–––––本当に、あの人は……。

 

「–––何をしてるんですか、貴方は」

「うわっ!…って、アオイさん?」

 

見かねて背後から声をかけると、とても驚いた様子で振り返る。その後状況を理解したのか、照れ臭そうに頰を掻く。

 

「あー…その、もしかして見てました?」

「えぇ。選ぶのを諦めて立ち去る所までばっちり」

「そうですかぁ…」

 

恥ずかしそうに頰を赤らめると、困ったように口を開く。

 

「実は自分、こう言った洒落た物を選ぶのが苦手なんです。美意識がないと言うか、審美眼がないと言いますか…」

「選んでいたのって、蝶屋敷への贈り物ですか?」

「えぇ、まぁ…。流石に菓子類だけじゃ不味いかな、と思いまして…」

 

そう言って大きな風呂敷を少し緩め、中から何かを取り出す。赤い箱に入ったそれは、前に一度だけ口にした事がある高級菓子のキャラメルだった。大きな風呂敷から無造作にそれを取り出したのを見て、まさかと思いおずおずと口を開く。

 

「…もしかして、その風呂敷の中身って」

 

外れていてほしい、なんて甘い予想はなんて事ない口調によって粉々に打ち砕かれた。

 

「はい。キャラメルとか大福、カステラや金平糖が入ってます」

「入ってますって、そんな簡単に…」

 

大福は兎も角として、キャラメルやカステラは高級なお菓子だ。明らかに大きな風呂敷の中に、それらが詰め込まれていると考えただけで目眩がしてくる。

 

「あ、もしかしてそう言ったお菓子は嫌いでしたか?」

 

不安そうな目で見てくる。その姿を見て、この人は常識があるようでない人な事を思い出し、つい溜息を零してしまう。

 

「…小屋内さん。そんなに高い物を一杯贈っても、相手は迷惑してしまいますよ?」

「そうなんですか?甘露寺さんから、「女性にお菓子を贈る時は多い方が良い!」と豪語されていましたから…」

「あの人は例外ですよ…」

 

余計な事を吹き込んでくれた恋柱様に心の中で悪態を吐きつつ、先ずは目先の事だと小屋内さんに向き直る。

 

「良いですか?贈り物は相手の身分に合わない高価な物を選んではいけません。相手が気を使ってしまいますからね」

 

嗜めるように口を開く。それを聞いた彼は小首を傾げた後、意図を理解したのか「あぁ」と納得したように頷く。

 

「気を使うことはありません。これは、蝶屋敷の皆さんが怪我を治してくれたお礼も含まれていますから」

「…なっ」

 

そう言って朗らかに笑う彼に、思わず言葉を詰まらせる。

 

「勝手に抜け出したこととか、蝶屋敷の塀を貫いてしまった事とか…。まぁとにかく、そう言った諸々が合わさったのがこれなんです」

 

「物でしかお返しできないのが申し訳ないです…」と頭を下げる彼––––––なんだか怒るのも馬鹿らしくなってきた。

 

「…というより、そんなに買い込んでお金は足りたんですか?」

「それは大丈夫です。お給金は必要以上に貰っていますから」

 

そう言ってがま口を見せてくる。とても失礼かも知れないが、あまり入っているようには見えない。するとこちらの視線に気がついたのか続けて口を開く。

 

「必要な時に必要な分だけ取り出せるようにして、後は鬼殺隊に預けているんです。必要な時に鴉を呼んで伝えれば、二日か三日程で隠の方がお金を届けてくれる仕組みです」

「…拠点を持たない貴方らしい仕組みですね」

「多すぎるお金は時に、災いの種にもなりますから」

 

どこか影のある口調になった為「そうですね」と会話を切り上げる–––あの様子だと、過去にそういう経験があったのかも知れない。

 

「小屋内さんは買い物はもう済んだんですか?」

「本当は何か小洒落た物を買いたいんですけど…今回は辞めておきます。似合わない物を貰っても、あまり嬉しくないと思いますから」

 

寂しげにそういった彼に、少し恥ずかしくなりながら口を開く。

 

「……すみやなほ達に何か買っていくのであれば、もしかしたら力になれるかも知れません」

「…えっ?」

 

自分の言葉が理解できなかったのか、ぽかんと間抜けな表情を浮かべ、やがて言葉を噛み砕いて意味を理解したのか「良いんですか⁉︎」と目を輝かせる。

 

「す、少しだけですよ!急いで帰らないといけないのは本当ですから…」

「大丈夫です。少しだけでも力になってもらえるのなら、それに越したことはありません!」

 

「ありがとうございます、アオイさん」と微笑む彼––––とても穏やかな笑みだったからこそ、目元に浮かぶ黒い隈がより一層目立つ。

 

「…あの、やっぱり眠っていないんですか?」

「えっ?」

「目元の隈ですよ。鏡がないので見せてあげられませんが、とても酷い隈が出ていますよ」

 

隈の事を指摘すると「あぁー…」とばつが悪いように目を逸らして頰を掻く。

 

「なるべく休息は取っているんですけど…」

「それでそんな隈にはなりません。具体的にどれくらい眠っているんですか?」

「でき得る限り、と言っておきます」

 

言葉を濁して苦笑する彼を見て溜息を零す。–––––おそらく言う気がないのだろう、こう言うところは強情らしい。

 

「言っておきますけど、蝶屋敷に来てからも同じ生活が出来るとは思わないで下さいね」

「…手厳しいですね」

 

「わかりました」と困った笑みを浮かべた彼を見て一息いれる。一睡もせずに怪我人を看病する姿なんて見たくないからだ。

 

「それで、すみ達には何を贈ろうとしたんですか?」

「あぁ、それはですね–––––––––」

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

「ありがとうございました、アオイさん。とても助かりました」

 

日が西に傾き始めた昼過ぎ。蝶屋敷へと戻る田舎道をアオイさんと並んで歩く。照り付ける日差しも少し弱まり、穏やかな光が降り注ぐ。

 

「いえ、別に…それよりも荷物、重くないですか?」

「全然重くないですよ」

 

備品が大量に積まれた竹籠を背負い、大きな風呂敷を抱える。小柄な体躯にあまりある荷物ではあるが、この程度造作もない。持ち方のコツさえわかれば後は筋力でどうとでもなる。

 

「…やっぱり筋力は相当あるみたいですね」

 

尊敬しているような、化け物を見ているような視線を向けられる。–––––そんなに変かな…?

 

「それより、日輪刀はどうしたんですか?先程から見えないですけど…」

「日輪刀は先に蝶屋敷に預けてあります。あれを持って街中には入れませんから」

 

そう言ってから苦笑いを浮かべる。–––自分がこの一年間で憲兵に追いかけ回された数は計り知れない、具体的な数はもう覚えていないが、とても十や二十では効かない数だ。

 

「色々と不便ですね…。街中での任務はどうしているんですか?」

「新たに作ってもらった短刀で遂行します。もっとも、今は手元に無いんですけど」

「手元に無い?失くしたんですか?」

「いえ、人に預けているんです。多分蝶屋敷に入院していると思いますから、その時に返してもらいます」

 

彼女––––尾崎さんが無事なことは既に確認済みだ。那田蜘蛛山での傷病者は全て蝶屋敷にいる事実から、きっと蝶屋敷にいるに違いない。

 

「あの短刀もそろそろ研いで貰いますかね…」

「でしたらウチで出しておきますよ。当分蝶屋敷にいるでしょうから」

「助かります––––そろそろ着きますね」

 

視界の端に見覚えのある日本風の屋敷である蝶屋敷が見える。四ヶ月前となんら変わりない景色を見て、思わず頰が綻ぶ。あれから何事も起きていない事がわかったからだ。––––そろそろかな。

 

「あぁそうだ。アオイさん、手を」

 

自分の言葉に疑問符を浮かべながら手を出す彼女に、懐からある物を取り出す。

 

「今日はありがとうございました。これは、ほんのお礼です」

 

花の装飾が施され、紫に染められた2組の鈴を彼女の手に置く。置かれた鈴は『チリリン』と軽やかに音を鳴らし、田舎道に響かせる。

 

「鈴…ですか?」

「はい。アオイさんにすみちゃん達への贈り物を選んでもらっている最中に買っておきました」

 

これを選ぶのにも相当な気苦労があったのだが、それは触れない方が良いだろう。–––つくづく自分はこういう小物を選ぶのが苦手らしい。

 

「とても綺麗ですけど…良いんですか?」

「勿論です。–––その鈴が、貴方の道を示すことを」

「なんですか、その言葉?」

 

自分の言葉に疑問符を浮かべた彼女に言葉を重ねる。

 

「師範からの言葉で、『鈴は自分の居場所を示すと同時に、自らが進むべき道を示す物』だそうです。その言葉にあやかって、ですね」

「進むべき、道……」

「といっても、アオイさんには必要ない物かも知れませんね」

 

蝶屋敷に努め、多くの隊員達を治療し看護する。それを自らが行うべきことと定めた彼女に、鈴のような道先案内人は必要ないかも知れない。

 

「––––小屋内さんは、どう思いますか?」

 

どこか意を決したように口を開く彼女。自らが渡した鈴を固く握り締めて見つめる視線には、言いようもない力が篭っていた。

 

「…どう思う、とは?」

「私が、正しい道を進めているかどうかです」

 

そういうと目を伏せ、力なく口を開く。

 

「–––––私は、鬼から逃げた臆病者です。鬼殺の剣士なのに、鬼を恐れて殺す事が出来ないんです」

 

微かに震える声色は、彼女の気持ちを表しているかのようだ。

 

「今はしのぶ様のご厚意で蝶屋敷で働かせてもらえていますけど、本当は鬼を殺さないといけないんです–––––貴方のように」

 

再び視線が向けられる––––その瞳は、微かに震えていた。その時初めて気がついた、彼女は自ら進んで蝶屋敷で働き始めた訳ではない事に。

 

「私は今、正しい道を進めているんですか?鬼殺隊の剣士というのも烏滸がましい自分は–––––」

「それは、自分には判断できません」

 

彼女の言葉に途中で口を挟む。––––これ以上、聞いている事が出来なかった。

 

「もし仮に、自分が貴方に『貴方の進んでいる道は間違っている』と言ったとします––––それで一体、なにが変わりますか」

 

無意識のうちに握られた拳を見下ろし、息を吐く。

 

「他人に委ねてはいけないんです。価値観や目的は、他人に押し付けられて良いものではありません」

「………………」

「自らの意思で動かない限り、道はありません。そしてその道が正しいのかどうかすら、わからないんです。–––ましてや、アオイさんが蝶屋敷にいる事なんて」

 

口を閉ざす彼女に「けど」と言葉を繋げる。

 

「––––ひとつだけ確かな事があります」

 

拳を解き、手を降ろして彼女を見る。

 

「貴女が蝶屋敷に居てくれたから、今の自分が居ます。–––アオイさんが蝶屋敷に居てくれてよかったと、私は心からそう思います」

「…私は貴方に、なにもしていません」

 

そういう彼女に首を振る。

 

「生きていて、声を聞けるだけで嬉しいこともあります。–––人が簡単に死ぬ世界ですから、変わらず居てくれる事が救いになる事だってあるんです」

 

上総で語り合った隊士の笑い声や、道端ですれ違った少女のはにかんだ笑顔、藤の家紋の家で話した少年の元気な声–––––––ありきたりだった風景はもう、見る事が出来ない。

 

「昨日出会った人が簡単に死体になるんです。–––変わらず憎まれ口を叩いてくれる人は、それだけで貴重なんですよ?」

 

「現に、私はアオイさんが変わらずに居てくれて嬉しかったです」と言葉を締めくくる。すると彼女が背を向ける。

 

「……鈴、ありがとうございます」

「いえ、気にしないでください」

「–––もう少し、ここで足掻いてみようと思います」

 

そう言って蝶屋敷を見る––––その後ろ姿は、どこか頼もしく見えた。

 

「…私も、貴方に会えて良かったです」

「––––ありがとうございます、アオイさん」

 

耳を赤くして言った彼女の言葉に笑みを浮かべる。––––本当に、優しい人だ。

 

「さぁ!蝶屋敷に入ったらテキパキ働いてもらいますからね!」

「望むところです。一日中働き詰めでもどんとこいです」

「いえ、ちゃんと休んで下さい………」

 

呆れた口調で話す彼女に苦笑いを浮かべる。––––やっぱり俺って働き過ぎなんだろうか…。

 

「––––改めてですけど、少しの間よろしくお願いします。小屋内さん」

「此方こそ、よろしくお願いします。アオイさん」

 

差し出された右手を右手で握り返し、互いに笑い合う。––––鬼が跳梁跋扈する地獄だとわかっていても、笑いあえてるこの時間だけは救われていると、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––本当にありがとうございました、小屋内さん」

「いえ、尾崎さんこそ無事で良かったです」

 

蝶屋敷の大病室。すみちゃん達にお土産を渡した後尾崎さんを探していると、病室に横たわる彼女を見つけた。

身体中に包帯を巻いた彼女は健気に笑う–––こちらに気を使わせないためだと言うことがわかる。

 

「あっ、そうだ!日輪刀を返さないとですね!」

 

彼女は慌てた様子でベットの横に立てかけられた短刀を手渡す。手に馴染む重さを持つそれは、抜かなくても自分の日輪刀である事がわかる。

「たしかに受け取りました」と懐に入れると、尾崎さんが口を開く。

 

「本当にありがとうございました。日輪刀を貸して頂いて…怪我は無かったですか?」

「はい、お陰様で。尾崎さんこそ、どれくらいで良くなるんですか?」

「二週間ほど掛かるそうです。肋骨を何本か折っているみたいで…」

 

そう言って包帯の部分を摩る–––やはり痛みが強いようだ。その様子を見て堪らず頭を下げる。

 

「–––すいません。自分が不甲斐ないばかりに、尾崎さんに怪我を負わせてしまって」

「気にしないで下さい!元々は私の力不足が原因なんですから…!」

「それでも、です。本当にすいませんでした」

 

ワタワタと慌てる彼女を見ても尚頭を下げ続ける。謝って許される問題ではないが、それでも頭を下げないと気が済まないからだ。

 

「…これで二度目ですね、小屋内さん」

 

落ち着いたのか、尾崎さんが穏やかな口調になる。それを聞いた自分も頭を上げ、口を開く。

 

「一度目は、上総でしたか」

「はい––––––私は、貴方に助けられてばかりです」

 

–––上総九十九里浜で行われた、十二鬼月との遭遇戦。当時の下弦の弐と繰り広げられた激戦は、霞柱と岩柱が増援に駆けつけるまで多くの死者を出し続けた。

幸い拓けた場所での戦闘であったから箱根山よりも死者は少なかったものの、それでも多くの死者を出してしまった。その事実が、今でも自分の胸中に残り続けている。

 

「小屋内さんが居なかったら、私は二回も死んでいる事になります。–––本当に、感謝してもしたりません」

「尾崎さん、自分は……」

「貴方のお陰で、私はこうして病室で寝ている事が出来るんです。それとも小屋内さんは、死体の私と会いたかったですか?」

 

有無を言わせない彼女の言葉に口を閉ざす––––言い返すことができないからだ。

 

「貴方は、自分のやってきた事を誇るべきだと思います–––助けられてばっかりな私が言うのもアレですけど」

「…そう、ですね」

 

「でないと私の立つ瀬が無いです」と苦笑いを浮かべる彼女に笑いかける––––自分の周りには、優しい人ばっかりだ。

 

「それにしても、明るいところで見ると隈が酷いですよ、小屋内さん」

「アオイさんにも同じ事を言われました…。そんなに酷いですかね?」

「炭でも塗ったのかと勘違う程ですね」

「そんなにですか…」

 

「隈を消す呼吸でも編み出すかな…」と呟くと「そんな事に努力するより休んだ方が建設的かと…」と返される。–––たしかに言われてみればその通りだ。

 

「小屋内さんはこれから任務ですか?」

「いえ、しばらくの間蝶屋敷でお手伝いさんをやる事になったので」

「えっ?お手伝いさん?小屋内さんが?」

「疑ってますね?これでも掃除洗濯炊事は全部熟せるんですよ」

 

と軽く胸を張ると「いや、そう言う意味じゃなくて…」と疲れた顔を浮かべる。

 

「––––詳しいことは聞きませんけど、あんまり無理はしないで下さいね?」

「勿論です、適宜必要に応じて休憩は取りますよ」

「…本当かなぁ」

 

「…まぁ良いです」と肩を竦めると、今度は笑みを浮かべる。

 

「しばらくの間ですけど、よろしくお願いしますね?小屋内さん」

「はい––––といっても、女性部屋は蝶屋敷の方々の担当ですけどね」

 

「ですよね」と笑う彼女に笑みを浮かべる。––––穏やかな木漏れ日が窓から差し込む中、尾崎さんの浮かべる笑みは眩しかった。

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

 

–––––––小屋内さんとの再会は、唐突に訪れた。

 

 

「–––––やぁ炭治郎君。怪我の経過はどうだい?」

 

小豆色の隊服の上から白衣を羽織り、雑嚢を持って歩く彼。一切の淀みなく流麗な動作で歩くその姿は、まるで水のようだ。

 

「小屋内さん!蝶屋敷に来ていたんですね!」

「うん、ちょっと事情があってね。暫くここに滞在する事になったんだ」

「そうなんですか…。あの、もしかして何処か怪我を…」

 

尋ねると「いや?」と首を振るう–––彼からは血の匂いもしないから本当なのだろう。

 

「蟲柱の胡蝶しのぶさんからの命令だよ–––まぁ、簡単に言えば懲罰だね」

 

そう言って笑いかけてくれる小屋内さんに、思わず俯いてしまう。彼が懲罰を受けた理由が、簡単に想像が付くからだ。

 

「–––すいません。妹を庇って貰ったばかりに」

「気にしないで欲しいな。君に言った通り、自分が後悔したくないからそうしただけなんだから」

 

「俺の自分勝手な行動に、君が気に病む必要なんて無いよ」と言い、なんて事ない風に笑う。心からそう思っているのが匂いでわかるからこそ、余計に胸が痛む。

 

「それより、怪我は大丈夫かい?随分手酷くやられていたようだけど」

「まだあちこち痛みますけど大丈夫です。––––あっ!」

 

そこで手首に巻かれた鈴を思い出し、すぐさま腕を見せる。

 

「この鈴、ありがとうございました。本当に助かりました」

 

鈴を見ると「あぁ」と零す。と、「助かった?」と疑問符を浮かべる。

 

「この鈴が何か役に立ったのかい?」

「はい。お陰で妹が刺されずに済みました」

「–––そうか。やっぱり傷をつけられそうになったか」

 

そう苦笑いを浮かべる彼–––やっぱり柱の人達と面識は深いようだ。

 

「柱の人達を悪く思わないであげてくれ。彼等は鬼殺隊を支えている人達なんだ、そんな彼等が鬼の存在を簡単に認めるわけにはいかないからね」

「それは理解しています–––けど、禰豆子を傷つけようとしたあの傷だらけの人は許しません」

「あぁ…不死川さんだね…」

 

「やるとは思ってたよ」と妙に納得した表情を浮かべる。

 

「それで、君の妹が刺されそうになった時にどうして鈴が役に立ったんだい?」

「はい。咄嗟にこの鈴の存在を思い出して、この鈴と一緒に小屋内さんの名前を叫んだら思いとどまってくれたんです」

「思い留まった…?そうか」

 

どこか嬉しそうに言う小屋内さんを余所目に「けど、その後が酷かったんです」と憤る–––––今思い出しても、あれは酷かったと思う。

 

「その後?何があったんだい?」

「それが、自分の言葉を信じてくれなかったんです。「権兵衛がそんなことを言うはずがない」って」

「…流石、疑り深いね」

 

苦笑いを浮かべる小屋内さんに「そうですよ!」と声を上げる。

 

「小屋内さんはこんなに優しいのに…!あの人達は全然わかってくれなかったんです!」

「…ちなみに聞くけど、どんな事を言ってたか覚えてる?」

「『小屋内少年がそんな事を言うはずが無い!それは君の勘違いだろう‼︎』とか、そんな事を言われました」

「煉獄さんだな…」

 

疲れた風に笑う。

 

「それで柱の人達は、君たちの事を認めてくれたのかい?」

「…分かりません。只、その後お見えになったお館様が自分の言葉を事実だと言ってくれて、鱗滝さんと冨岡さんが………」

 

自分が言葉に詰まると、頭に手を置いて軽く撫でてくれる。

 

「大丈夫、そこまでで良いよ–––––よく頑張ったね、炭治郎」

「…はい」

 

自らの為に腹を切るとまで言ってくれた鱗滝さんと冨岡さんを思い、思わず目に涙が溜まる。小屋内さんは穏やかに微笑むと、心配そうに口を開く。

 

「それで結局、君たちの処遇はどうなったんだい?」

「今まで通り、妹を連れて鬼殺隊に所属して良いそうです–––––その時、十二鬼月を倒してこいと言われました。そうすれば、柱の人達が妹を認めてくれるって」

「十二鬼月か…中々難しいね」

 

十二鬼月、との言葉を聞いて難しい表情を浮かべる。しかしそれも一瞬で「なら、もっと強くならないとね?」との言葉に「はい!もっとがんばります!」と返す。

 

「良い返事だ。そうじゃないとね–––––それで、猪頭の君。怪我の様子はどうだい?」

「ゼンゼンダイジョウブデス」

「–––––大丈夫じゃなさそうだね」

 

猪頭の被り物を被った少年–––伊之助に声をかけた後、声を聞いて苦笑いを浮かべる。そう言えば、那田蜘蛛山で一度出会っていたっけ。

 

「強くなるのも重要だけど、まずは怪我を治す事が大事だよ。自分がこの大部屋の担当になったから、何かあったら遠慮なく言って欲しい」

「ありがとうございます!––––それで、この鈴をお返ししたいんですけど…」

「あぁ、ありがとう」

 

腕から解いた鈴を彼の手のひらの上に載せる。それを懐に入れると「確かに受け取ったよ」と笑う。

 

「それじゃあ仕事があるから。安静にしているんだよ?」

「はい!ありがとうございました!」

 

軽く手を振って部屋から立ち去る小屋内さんに頭を下げる。見えなくなったら頭を上げ、一息つく。

 

「あれが炭治郎が言ってた人か…確かに良い人そうだな」

「良い人そうじゃない、良い人だよ!」

 

布団から金色の髪の毛を出し、疑わしそうな目で廊下を見る少年––––我妻善逸に口を開く。蜘蛛化する毒を打ち込まれた彼の手足は小さく縮まり、三人の中で一番重症を負っていると判断されている。

 

「けどさ、あの人はなんで禰豆子ちゃんを庇ったんだろ?–––もしかして、禰豆子ちゃんを狙って……!」

「いや、そんな訳ないだろ。善逸みたいな邪な目的ではない事は確かだ」

「邪ってなんだよー!禰豆子ちゃん可愛いから仕方ないだろ!」

 

騒ぐ善逸を余所目に、小屋内さんに思いを馳せる。–––––けど確かに、あの人はどうしてあんなに優しいんだろう…。

そうやって考えていると「こら!また貴方は騒いで!」と髪を逆立てながら看護師のアオイさんが部屋に入ってくる。それを見た善逸は悲鳴を上げ布団に隠れる。

 

「ヒィィ!ごめんなさいごめんなさい!」

「あんまり騒ぐようなら出て行って貰って結構ですからね!」

 

ガミガミと音が聞こえてきそうな程激しく善逸が怒られていると「どうしたの?」と首を傾けて小屋内さんが再び姿を見せる。

 

「…炭治郎君、これどう言う状況?」

 

傍目から見て悲惨な状況に顔を痙攣らせつつ、こちらを伺う。

 

「えぇと、善逸が騒いだのを看護師さんが怒ってる感じですね」

「そっか…彼の容態は?」

 

善逸を見る–––おそらく短くなっている手と足に気がついたのだろう。

 

「鬼の毒を受けて重症です。手足が短くなっていて、感覚が無いらしいです」

「ん、ありがとう」

 

それだけ聴くと善逸のベットに向き直り、わんわん泣いている善逸の布団を剥がし、口の中に何かを放り込む。流麗な動きで叩き込まれたそれは綺麗に善逸の口に収まり、彼の悲鳴を止める。

 

「えっ⁉︎」

「む⁉︎むごごご⁉︎」

「お饅頭だよ、ゆっくり落ち着いて食べてね」

 

それが饅頭だと分かると、コクコクと頷いて黙って頬張る善逸。それを見て毒気が抜かれたのか、神崎さんが呆然とした様子で見ている。

 

「こう言う時は甘味が一番効果があるんです。お饅頭なら口も塞げて一石二鳥ですよ」

「は、はぁ…」

「善逸君も、あんまり騒ぐと他の怪我人が困るからね?不安なのはわかるけど、もう少し落ち着いた方が良いよ」

 

再びコクコクと頷く善逸に「ありがとう」と笑いかける。すると「それじゃあアオイさん、行きましょう」と彼女の手を引っ張る。

 

「あっ、ちょっと!」

「それじゃあお大事に〜」

 

見えない力で引っ張っているかの如く勢いで彼女を引きずって病室から出て行く––––––なんだか嵐のような一幕だった…。

何かどっと疲れたが、ゴクンと饅頭を飲み込んだ善逸が口を開く。

 

「良い人だ…」

「–––善逸?」

「だってお饅頭くれる人だよ?ちょっと、いやかなり食べさせ方は強引だったけどさ、すげぇ美味い饅頭だった」

 

「あれ高い奴だよ…」と嬉しそうに言う善逸を見て思わず息を吐く。–––どこまで現金な奴なんだ。

 

「…良かったな、善逸」

「うん。あれは良い人だよ。お饅頭くれるんだから間違いない」

 

どこか確信めいた口調で語る彼を見てから、窓から見える空を見る。日が西に傾き黄色になり始めた空を一瞥し、俺は瞼を閉じた––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––結論から述べるのであれば、小屋内権兵衛は蝶屋敷で大層働いた。

 

「第二病室の問診終わりました。比較的軽傷の方が多いので、多く見積もっても五日後には機能回復訓練に参加出来そうですね」

「蜘蛛化した人達は今は安静にしていますけど、時たま魘されているのか暴れるので監視が必要ですね…」

「きよちゃん、ここの包帯はもう少しキツくした方が患者さんが楽だよ」

 

ありとあらゆる状況を想定して訓練を施された彼は、当然に応急処置や怪我の対処法を熟知しており、多くの戦場を渡り歩いた為に実戦経験も豊富である。彼自身は治療方面に優れていないと謙遜していたが、多くの戦場を渡り歩いて得た生きた知識は、怪我の治療において即戦力として働いた。

 

「それじゃあ回復した皆さんにはこれから機能回復訓練を受けてもらいます。相手は僭越ながら自分、小屋内権兵衛が勤めさせていただきます」

「まずは身体を慣らす意味で鬼ごっこを行います。そうですね……取り敢えず半刻ほどやりましょうか。捕まえるのは自分一人です、頑張っていきましょう」

 

さらに加え柱に匹敵する実力を持っている彼は自発的に機能回復訓練を行い、多くの隊士へ指導を行った。彼と他の隊士とでは実力に天と地ほどの差がある為纏めて十人程行う事が出来、効率が良いからだ。

 

「全体的に体力が足りないですね…。明日も鬼ごっこをしましょうか、足腰と基礎体力は全ての源ですから」

「今日も駄目ですか…。–––––ちなみに言いますけど、逃げても捕まえてきますからそのつもりで。一緒に頑張りましょう!」

 

小屋内は十人対一人で掠りもしない事実に打ちのめされそうになる隊士を(無理やり)奮い立たせ、熱心に訓練を施していった。

 

「薬が切れてる…少し買い出しに行ってきます。すぐに戻りますから」

「夜の回診は自分が。皆さんもお疲れでしょうし、少し休んで下さい」

「洗濯物は終わらしておきました。いつもの場所に干しておきましたけど良かったですか?」

「窓は磨くと綺麗になるなぁ…あ、しのぶさんお帰りなさい」

 

機能回復訓練を実施しつつ、その他にもありとあらゆる雑用を積極的にこなし、炊事洗濯掃除等の家事まで行うようになった。これも偏に、人並み外れた体力と彼が蝶屋敷に感じている恩ゆえの行動だろう。

 

「鬼が出たそうなので少し出てきます。行き先ですか?多分上総かなぁ…」

「箱根に人食い鬼の情報があったので、すこし行ってきます。日が昇るまでには帰ってくるので、洗濯物はしなくて大丈夫ですよ」

「『下総に鬼が出たので殺してきます 権兵衛』」

 

蝶屋敷に拠点を置いても尚、小屋内権兵衛は鬼狩を休むことはなかった。凡そ帰ってこれないであろう所に鬼を殺しに行っては、その日の内に帰ってきて何食わぬ顔で業務に没頭していた。

 

「今日のお味噌汁は味が濃いかな…すみちゃーん、少し味を見てくれない?」

「大福が安かったので買ってきましたし、少し休憩しましょうか……自分ですか?自分はもう食べたので、あとは皆さんで食べちゃって下さい」

「善逸君がまた騒いでる?しょうがない、金平糖で餌付けしてくるか…」

 

重ねて言うが、小屋内権兵衛はそれはそれは大層働いた。––––––結果として、蝶屋敷の仕事を一人で半分請け負う程度には。そしてその結果どうなるかは、小屋内自身を除いて誰の目にも明らかだった–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––––そこに座りなさい、権兵衛君」

 

額に青筋を浮かばせたしのぶさんが、ニコニコしながら床に指を指す。–––––これは一体、どう言う事だろうか。

 

「え、えぇと…」

 

引き攣った笑みを浮かべつつ、周りに視線を巡らせる。誰か助け舟を出してくれる人を求めての行動だが、それは無駄に終わる。

 

「す、すみちゃん…」

「むー」

「きよちゃん…?」

「むー」

「なほちゃんは…?」

「むー」

 

蝶屋敷三人娘は揃えてむくれており、むーと頰を膨らませている。–––––とても助けを求められる雰囲気ではない。

 

「あ、アオイさん……」

「早く座った方がいいと思いますよ?」

 

降り注ぐ威圧感に身体を震わせつつアオイさんに目を向けるが、バッサリと言葉で両断される。–––どうして怒っているんだ…?

 

(カナヲさんは…駄目だ、いつもと変わらずニコニコしている)

 

我関せずを突き通す彼女に思わず目を覆う–––––キャラメル程度では許さないと言うことか……。

 

「…はい」

 

肩を竦めて床に座る。板張り特有のひんやりした感覚を膝下が覚え、今から四ヶ月前にしのぶさんの部屋で正座した記憶が想起される。––––今思えば、あの時もこんな風に怒られていたな…。

 

「小屋内君、君は賢くはありませんが要領は悪くありません。ですから、私が怒っている理由はわかりますね?」

「––––––えぇと、納屋を勝手に増築した事でしょうか」

 

恐る恐る口にすると、しのぶさんは「うふふ」とより笑みを深める。すると右手に手に持っていた試験管の蓋を徐に引き抜き、キュポンと気の抜けた音を立てる。

 

「これは貴方に特別に用意した薬です。貴方専用ですよ?嬉しいですか?」

 

そう言うしのぶさんの笑みはとても美しく、まるで絵画のような印象を受ける。額に青筋が浮かんでなければ、だが。

 

「入ってる薬の内容によりますかね…?」

「嫌ですね、普通の睡眠薬ですよ–––––少し命に関わる程度の」

 

その言葉に「ひっ」と言葉をあげる––––彼女の放つ雰囲気も相まって、冗談に思えないからだ。

 

「さて––––まず小屋内君。貴方はこの一月程度、本当によく働いてくれました」

「あ、ありがとうございます」

 

クルクルと試験管を回す手に視線を向けつつ、ぎこちなく口を開く。

 

「貴方が来てくれたお陰で色々と楽になったと皆んな言っています––––ありがとうございます、小屋内君」

「あ、あはは…」

「–––––ですが」

 

精巧な人形のような美しい顔が間近に見える。絹のような白い肌とどこか紫がかった綺麗な瞳に視界が占領される。

 

「あまりにも度が過ぎている、そう思いませんか?」

「ど、どうでしょうか…」

「聞けば、今の貴方は蝶屋敷で炊事や掃除も行なっているそうじゃないですか。傷病人への対応も欠かさず–––けどそれって、時間的に無理がありませんか?」

「効率良く熟せば出来ないことはない、と思いますけど…」

「すみ」

「はい!」

 

あたふたと視線を彷徨わせ、何か機嫌を直す方法はないかと模索していると、しのぶさんに呼ばれたすみちゃんが帳簿を持ってくる。

 

「これはすみがつけている帳簿です。何の帳簿かわかりますか?」

「さ、さぁ…」

 

しのぶさんが見せてくれる帳簿には半刻や一刻と言った時間が不規則に並べられている。一体何の数字かわからない––––––そう思った時、ふと頭に何かが過ぎった。

 

「これはですね、一日で貴方が取ったであろう休憩時間です。–––おかしいですね、一日に半刻や一刻位しか休んでいません」

 

そう言って微笑むしのぶさんに、自分は引きつった笑みを浮かべるしかできない。––––今のしのぶさんに何を言っても逆効果であると本能が告げているからだ。

 

「これが蝶屋敷本来の業務があまりに多忙で仕方なく、と言った事情ならば、むしろ私達が謝らなければなりません–––ですけど、違いますよね?」

 

そう尋ねる彼女にコクコクと頷く。

 

「聞けば、アオイは貴方にちゃんと休息を取って欲しいと毎日言っていたそうじゃないですか。貴方はそれを無視したんですね?」

「そう言うわけじゃないんです。ただ、身体を動かさないと落ち着かない性分、と言いますか…」

「あらあら、性分でしたら仕方ありませんね––––お薬、必要ですか?」

 

より一層笑みを深めるしのぶさんに首をブンブンと横に振る––––駄目だ、やっぱり何を言っても意味が無い–––––!

 

「貴方には常識というものがないんですか?一日中殆ど働き詰めるなんて普通に考えておかしいと思いますよ?その上さらに鬼を殺しに遠くに遠征?本当に頭がおかしくなってしまったんですね。やっぱり本気で治療した方が良いかも知れません。今なら私が懇切丁寧につきっきりで治療してあげますよ?」

「え、遠慮させて下さい…」

「それが嫌ならちゃんと休んでください」

 

青筋を浮かべた真顔に震え上がり、コクコクと頷く。「本当ですか?」と念を押す彼女に再び頷く。それを見たしのぶさんは深い溜息を吐いた後、どうしようもない子供を見る目を向ける。

 

「全く…なほ達が自分達の仕事が取られて仕方がないって嘆いていたんですよ?」

「四ヶ月前の恩義を返すに絶好の機会だと思いまして…」

「だからと言っても限度があります」

 

ピシャリとした言葉に肩を竦める。こんなに怒られるのは久しぶりだ。

 

「蝶屋敷にいる間、貴方には一日につき最低三刻の休息を命じます。破ったら–––––分かりますね?」

「了解しました」

「取り敢えず明日は休息日にします。しっかり身体を休めて下さい」

 

「もう立って良いですよ」と許しを得たので、静かに床から立ち上がる–––酷い目に遭った…。

 

「当然ですけど、鬼を殺しに行くのも禁止です。良いですね?」

「…なら、明日はそうですね…お団子でも食べに行ってきます」

「そうして下さい––––これで私からの話は終わりです」

「はい…………私?」

 

何故そこで私なんて単語が出てくるんだと頭を捻ると、今度は正面にアオイさんとすみちゃん達が歩み出てくる。

 

「それじゃあ私は任務がありますのであとは任せます。アオイ、後は頼みましたよ」

「お任せ下さい、しのぶ様」

「え?ちょっと、しのぶさん……?」

「言ったでしょう?––––––私の話は終わりました、と」

 

そう言って微笑み、部屋から退出するしのぶさん。

 

「さて、それじゃあ小屋内さん–––––正座して下さい」

「………はい」

 

再び床に正座する。まだ暖かい床の感覚を感じながら、降り注ぐ叱責を聞き続けた––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––––いい月だな」

 

月明かりが降り注ぐ、蝶屋敷の縁台。小豆色の隊服ではなく藍色の甚平を羽織った小屋内権兵衛はそこに腰掛け、ぼんやりと空を見上げている。

彼の傍には漆が塗られたお盆が置かれ、その上には湯気が立つお茶と二つの白い豆大福が置かれている。

 

「あんなに怒る事ないのにな…」

 

つい先程まで蝶屋敷の女性陣にこっ酷く叱られていた彼は、その時の情景を思い浮かべて苦笑いを浮かべている。自分を思いやっての行いだと理解しているが、あぁも気持ちよく怒られては形無しというものだ。

 

「うん、美味い」

 

無造作に豆大福を口の中に放り込む。程よい塩味と餡子の甘さが絶妙な大福に職人の技を感じつつ、二口頬張る。

夜中のお茶会を一人呑気に楽しんでいる彼だが、その耳に一つの足音が響く。

 

「今晩は、カナヲさん」

 

音のなる方を向く事なくそれが栗落花カナヲが歩く音だとわかる。呼ばれた彼女は立ち止まり、いつもと変わらない笑みを浮かべる。

 

「良ければ一緒にお茶でもどうですか。美味しい豆大福もある事ですし」

 

そう言ってお盆を見せる。彼女はそれを一瞥した後、少し固まってから懐から銅貨を取り出す。慣れた手つきで宙を舞ったそれは寸分違わず彼女の掌に収まり、それを彼女は見る。

 

「……でしたら」

 

そういうと彼女はお盆を挟んで小屋内の隣に座る。それを見た小屋内は少し微笑み、逆さに置いてある湯呑みを元に戻し、急須からお茶を淹れる。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

お茶を受け取った彼女はそれを一口啜り、ふぅと一息いれる。それを見て小屋内は再び月を見上げ大福を頬張る。

 

「こうして二人でゆっくり話すのは初めてですね」

「…そうですね」

「あれから任務が多いと聞きます。隠の隊長は、やはり激務ですね」

 

「よろしければ大福もどうぞ」とお盆を押し出す。彼女はそれをじっと見つめた後、再び銅貨を投げる。

 

「–––私の事を嫌っているんじゃないんですか」

 

その大福を受け取る事無く口を開く。突然投げ出された言葉に権兵衛は目を丸くする。

 

「どうしてそう思ったんですか」

「那田蜘蛛山で、殺されそうになりましたから」

 

なんの臆面も無く言い放つ。那田蜘蛛山で彼女が感じた殺気は本物で、あの時鴉の伝令が後一歩遅ければ自分が生きていないと思っているからだ。

それを聞いた権兵衛はばつが悪い表情を浮かべ、大福を一口頬張る。

 

「一応言いますけど、大福に毒は入っていませんよ?これは近くの兎屋で買ってきた物ですから」

「……………」

 

無言。互いの間に少しの静寂が訪れると、それから間を空ける事無く口を開く。

 

「–––––確かに、あの時の私はカナヲさんを殺そうとしました。鴉の伝令が後一歩遅ければ、取り返しのつかない結果になっていたでしょう」

 

大福を食べ終えるとお茶を飲む。暖かな渋味が甘味を流していく事を感じつつ、権兵衛は言葉を繋げる。

 

「ですが、今の貴女を嫌ってはいません。もし嫌っているのなら、こうしてお茶に誘ったりしませんよ」

 

寂しそうに笑う権兵衛。それを見た栗花落は少し沈黙した後、大福を手に取り、一口頬張る。小屋内はそれを見て微笑み、再びお茶を啜る。

 

「–––––カナヲさんは、どうして鬼殺隊に?」

 

彼女が大福を食べ終えたのを見計らい、口を開く。お茶を啜る彼女はその言葉を聞いて湯呑みをお盆に置き、再び銅貨を投げる。

 

「しのぶ様とカナエ様に拾われて、二人に剣士として修行を受けたからです」

「自分から鬼殺の剣士になりたかった訳じゃない、と言う事ですか」

 

権兵衛の言葉に黙る彼女。銅貨を投げようと一瞬構えるが、やがてそれをやめる。変わらず微笑んでいる彼女だが、その笑みが少し固まった様子を見た小屋内は笑みを浮かべ、湯呑みに口をつける。

 

「–––良かった。貴女にも意思はあるんですね」

 

「あの時殺さなくて良かった」と心から安堵したように笑う彼を栗落花は見遣る。

 

「どうして、そう思うんですか」

「自分の質問に、カナヲさん悩んだじゃないですか。それは意思がないとできない事です。–––普段の貴女は、意思に従う力が弱いんですね」

 

どこか確信めいた口調で笑う彼は「そっか」とひとりでに納得し、何が嬉しいのかにこにことお茶を啜る。

 

「–––大福ご馳走様でした」

 

なんとなく居心地の悪くなった彼女は空になった湯呑みをお盆の上に置き、席を立つ。そのまま足早にその場を立ち去ろうとする––––が、「カナヲさん」と背後から声が掛けられる。

 

「お休みなさい–––良い夜を」

 

どこまでも穏やかな口調に少し呆気に取られつつ、栗落花は「お休みなさい、小屋内さん」と口にする。それを聞いた権兵衛は和やかに笑い、再び月を見上げる。

栗落花はその様子を少し見つめた後、その場を後にする。月夜に照らされた二人のお茶会は、そうして幕を閉じた–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––静寂が支配する夜。蝶屋敷に用意された自室に戻り、布団の上で横になる。

 

「休み、かぁ…」

 

あれ程欲しいと思っていた休みだが、いざそれが降って湧いてくるとなるとやる事が見当たらない。

何もしなくていいと言うことは一日中団子を食べても良い、と言うことなのだろうか…。

 

「明日から炭治郎君達も機能回復訓練に参加するから、自分も参加したかったんだけどな…」

 

那田蜘蛛山を生き残った、優秀な剣士達。将来有望な彼等を鍛える事は、鬼殺隊全体の強化から見てとても有用だ–––しかし、明日は休めと言われている以上それは叶わない。

 

「–––まぁ、取り敢えず寝るか」

 

薄手の布団を被り、瞼を閉じる。そこで、つい先程まで話していたカナヲさんの事が頭に浮かぶ–––隊服を着ていたから恐らくカナヲさんは任務があるのだろう、隠の隊長は相変わらず激務らしい。

 

「…一体誰が、彼女の心を動かせるんだろうな」

 

感情が無いわけではない。意思が無いわけではない。–––ただ、それらが絶望的なまでに弱いのだ。今はそれで良いのかもしれないけれど、いつかその小さな灯火が消えた時、彼女は本当に人形のようになってしまう。

 

「…自分じゃどうしようもない。時が解決してくれるのを、待つしかないか」

 

現状では打開策がない事を思い、枕に頭を預ける。柔らかい感覚に包まれながら、意識を闇へ落とす。–––––その時、甘い花のような香りが鼻についた。

 

「–––うん?」

 

藤の花の香とは違った、何処か甘ったるい匂い。砂糖に近い臭いがする事から、誰かが菓子でも食べているのかと考える。すみちゃん達がお茶会でもしているのかな、と微笑ましい想像をして再び瞼を閉じる–––––––その時だった。

 

「–––––––っ⁉︎」

 

背筋を氷柱が通うような感覚が走る。今まで何度も経験し、ある種慣れ親しんだとも言える感覚。–––––しかし、此処でそれを感じては行けなかった。

 

「まさか–––––なんで鬼が⁉︎」

 

その場から飛び起き、傍に置いてある二振りの日輪刀を持ち出す。一瞬隊服に着替えるかと頭に浮かぶが、敵の手が読めない以上悠長に事を構えていられないとそのまま飛び出す。

 

「なんだ、この匂い……!」

 

部屋から出ると甘い匂いが屋敷中に充満しているのを感じ、呼吸を解毒に切り替える。するとその直後、クラッと意識が混濁を始める。

 

(意識に作用する血鬼術か…!)

 

グルグルと回る視界の中、身体中の巡りを意識し呼吸を整える。ある程度視界が戻るのを感じると、その後に一度部屋に戻って自身の雑嚢から薬草を一房取り出し口の中に含む。–––あくまで気休めだが、ないよりはマシだ。

準備が終わると部屋を再び飛び出し、蝶屋敷の中を駆け巡り病室を目指す。

 

(無事でいてくれよ…!)

 

それだけを願い、全速力で屋敷の中を駆け抜ける。客室を出て、病室が並ぶ棟に足を運ぶ––––すると、廊下に何か黒いものが視界に浮かび上がる。それを見越して立ち止まり、日輪刀を構える。自身を視認したのか、黒い靄が言葉を発する。

 

『この状況でまだ起きている者がいるとは。柱が任務で消えたのを見計らって来たのですが、当てが外れましたかな?』

 

妙に耳に障る嫌な声を聴き、鞘から日輪刀を抜刀する––––––事なく、そのまま横薙ぎに刀を振るう。

 

『おや?』

 

––––––水の呼吸 壱の型 水面斬り

 

鞘から抜かれなかった刀身を不審がったのか、そのまま刀を受ける靄。刀に相手が乗っかった事を見て筋力を総動員して横に振るい、避けなかった靄をそのまま力任せに壁に叩きつける。靄を叩きつけられた壁はそのまま貫通し、轟音を立てながら何枚かを破って庭先へ鬼を運ぶ。

 

『屋敷から引き剥がす為ですか、考えましたね』

 

悠長に地面から立ち上がるそれを前に、大太刀を抜刀する。シャリリンと鈴の音が夜空に響き渡り、月に反射された藍色の刀身を靄に向ける。すると靄が『おや?』と怪訝そうな声を上げる。

 

『その鈴、藍色の刀身–––成る程。貴方が最近出しゃばっていると聞く鬼狩ですね』

「–––お前、どうやって蝶屋敷に入ったんだ。屋敷には藤の花の香を焚いているんだぞ」

 

靄の放つ気配から鬼であると判断するが、蝶屋敷には鬼の侵入を防ぐために藤の花のお香を夜毎に焚いている。そうやすやすと鬼に侵入されるとは思いたくないが、現に目の前の鬼は侵入してきていると頭を切り替える。

 

『それは教えられませんね。強いて言うなら、私は匂いにそんなに敏感ではないんです』

 

飄々と答える–––まじめに答える気は無いらしい。

 

「まぁ良い––––これ以上はやらせないぞ」

『クッ、ハッハッハッ!それはどうでしょうか‼︎』

 

耳うるさい笑い声を響かせた後、黒い靄が取り払われ、身体が顕になる。病的なまでに白い肌が黒の靄から覗かれ、どこか曲芸師じみたふざけた格好が映り、最後に魚を彷彿させる巨大な目玉を載せた異形の顔が浮かび上がる。–––それは、見間違いないほどに鬼だった。

 

「残念ですが、増援は期待しない方がいいでしょう–––屋敷にいる彼等は呑気に眠りこけていますから」

「眠っている–––血鬼術か」

「ご明察‼︎」

 

どこか仰々しく手振りを使う鬼から目を離さず刀を握る–––––先程感じた妙な倦怠感はこいつが使った血鬼術の影響か。

 

「しかし、残念な事に私の術程度では精々人を眠らせるだけで殺す事は出来ないのです…嘆かわしい」

「………」

「–––ですが、眠っているところを私が直々に殺せばいいだけの事」

 

裂けた口で歪な三日月を描く–––こいつは、早急に殺す必要がある。

 

「–––––ほざけ、害獣」

 

––––––肆の型改 荒波・打ち潮

 

月夜に煌めく鋼が鬼の首に向かう。おおよそ視認できないであろうその太刀筋は、寸分の狂いもなく首元に向かい––––––––黒い靄によって弾かれた。

 

「効きませんねぇ‼︎」

 

瞬く間に黒い靄によって全身を覆われる鬼。その靄に刃を幾度なく向ける–––が、その全てが刀を通す事なく弾かれる。柔らかい鋼を打ち付けている感覚を覚え、半身を逸らして型を即座に変える。

 

––––––漆の型 雫波紋突き

 

瞬く間もなく放たれる神速の突き–––しかし、それすら簡単に弾かれる。

 

「無駄ですよ!私の靄を破る事が出来た者は今まで一人もおりません‼︎」

 

大きく突いた直後、靄の一部が硬くなる事が見えとっさに腰から体を落とす。硬くなった靄は数多の杭へと姿を変え、数瞬先まで自分の胴体があった場所へ突き立てられる。避ける際に掠った杭は藍色の甚平を擦り、布を繊維へと変貌させる。

 

「あははははは!それそれ!私の手の内で踊りなさい‼︎」

 

相手から伸びた靄が足元まで伸び、そこから自身めがけて無数の棘が伸びる。

 

–––––玖の型 水流飛沫・陣

 

足元から伸びるそれらを瞬時に把握し、先を読ませないために不規則に飛び回って背後へと後退する。直後、正面から押し寄せる棘を見て軽く息を吸って跳躍する。

 

–––––水流飛沫・跳魚

 

空に舞い上がった自分は、それでも速度を落とす事なく鬼へと向かう。

 

「よく避けます!ですがこれならどうですか!」

 

空に舞う自分目掛けて靄から幾多もの棘が伸びる。身体を捻る事で何本かは避ける事ができるが、中には直撃するものが存在している。それらを切り落とすために鈴を鳴らし、大太刀を振るう。

 

「な、に⁉︎」

 

––––––が、その黒い棘に刀が通る事なく、そのまま棘に横薙ぎに叩きつけられる。ガキンと鈍い鋼の音を立てながらそれを防ぐが、勢いを殺しきれず地面に激突する。

 

「ガッ…⁉︎」

 

肺から酸素が無理やり吐き出され、視界が明滅し意識が一瞬離れる–––が、背筋の感覚に従い即座にその場から飛び上がる。その数瞬後、自分がいた所に棘が突き立てられる。

尚も追撃してくる棘を日輪刀で弾きつつ土埃を立てながら大きく後退すると、曲芸師のような鬼は下卑た笑みを浮かべる。

 

「貴方のような小さな剣士の筋力では私の血鬼術『堕睡黒棘(だすいこっし)』を超える事は出来ません」

 

薔薇の蔦のように靄がうねうねと棘に変形する––––確かに、あの硬さは本物だ。

 

「–––と言うより、どうして貴方は眠っていないんですか?私の術にかかった者はすべからく眠ると言うのに…」

 

小首を傾げる鬼に言葉を返す事無く、土埃を立てながら疾走する。地面を踏み抜き、足跡をいくつも作りながら刀の間合いに鬼を入れる。

 

「ですから、貴方では私に勝てないんですよ」

 

日輪刀を振り抜こうとする直後、目の前に黒の棘で作られた壁が立ち塞がる。その壁から無数の棘が向かってくるのを見て反転し、不規則に後退する。

 

「––––厄介だな」

 

頰に一筋の汗が流れ、裾で一度拭う。

縦横無尽に張り巡らされた棘が行く手を阻み、肝心の本体まで刀の間合いを詰めきることが出来ない厄介な血鬼術。しかもその棘が超硬度であり、自身の筋力で切ることは難しい。加えて、蝶屋敷にいる隊士の増援は期待出来ない––––首を断つのは、どうやら難しいようだ。

 

「さて–––––––そろそろ時間も押していますし、本気で殺させてもらいましょうか‼︎」

 

再び鬼の身体が靄に包まれ、そこから数にして十二の棘が向かってくる。

 

–––––参の型 流流舞い

 

身体を棘の間に入れ込み、隙間から刀を振るう。当然断ち切ることは出来ず刃が弾かれるが、軌道を逸らされた棘は地面へと突き刺さり多くの穴を作り出す。

 

「えぇい、ちょこまかと‼︎」

 

–––––水流飛沫・陣

 

さらに増えてくる刺々を、今度は切るのではなく動き回る事で避けていく。空から降り注ぐそれらに一本も掠る事なく地を駆け、瞬く間に棘の範囲から抜け出す。

 

「うざったい猿のようですね…!」

 

額に青筋を浮かばせる鬼を見て、小さく息を吸う––––首を切る事が難しいのであれば、蝶屋敷への侵入を防ぎつつ耐久し、朝日が昇るのを待つか柱の増援を待てば良いだけだ。

 

「鴉‼︎」

 

自身が叫ぶのと同時に「カァー‼︎」と鳴き声が聞こえ、自身の真上で鎹鴉が羽ばたく。

 

「付近にいる柱、及び丁以上の隊士に緊急招集‼︎蝶屋敷襲撃との伝令を出してくれ‼︎」

「リョーカイ!リョーカイ‼︎」

「させるものですか‼︎」

 

靄から三本の棘が鴉へと向かうが、それらを刀の峰で全て叩き落とす。鴉が空へ羽ばたいていくのを見て、再び正面の鬼を見据える。

 

「––––朝日が昇るまで付き合って貰うぞ、畜生」

「浅はかな猿めが……‼︎図に乗るな‼︎」

 

激昂する鬼の周りに靄が広がり、そこから数えるのも億劫なほどの棘が出現する–––––これは中々、骨が折れそうだ。

 

「貴様の首を塩漬けにした後、玉壺様に献上してくれる…!」

 

靄から一斉に棘が放たれる。天高く昇る月を見て長期戦になる事を覚悟し、日輪刀を振るいながらその中へ疾走して行った–––––––。

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛
六尺半に及ぶ大太刀を用いる鬼殺の剣士。水の呼吸を使用しているが、その刀の特色から通常の型とは大きく異なっている。鍔には二つの鈴が付けられ、振るうごとに鈴の音を響かせる事から他の鬼殺隊員から「鈴鳴りの剣士」と呼ばれ、多くの隊員に知れ渡っている。一部の隊士達の間では鈴が鳴っているのではなく刀が鳴いているのだと密かに話されているが、その確認は取れていない。
彼の鬼殺公式記録は怒涛の二百二体を誇り、一年という短さでこの討伐数は歴代の鬼殺隊の中でも群を抜いている。その功績から現役の柱達から多くの推薦を受けているが、自らの矜持を基にそれを断っている。


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鬼殺隊一般隊員はかつての夢を見るか?

アニメどんどん面白くなっていくの素晴らしい。

※前話の誤字修正、本当にありがとうございました…。あれだけの数の誤字を直してくれた方々には本当に頭が下がります。これからもどうかよろしくお願いします!
※お気に入り、感想、評価ありがとうございます。投稿を続ける上でとても励みになっております。


「––––––思ったより手早く済みましたね」

 

チャキン、と甲高い音を立てながら日輪刀を納める。頰を撫でる微風は湿り気を帯びた生暖かい風で、少し不快感を覚える。

 

「さて、早く帰って水浴びでもしましょうか」

 

足元に転がっている、かつて鬼だったモノには一切目をくれる事もなく踵を返す。空に高く浮かぶ三日月が眩く輝き、真夜中にも関わらず辺りを明るく照らしている。

 

「–––––小屋内君はちゃんと寝ているでしょうか」

 

ぼんやりとその月を見上げ、蝶屋敷で預かっている一人の少年に思いを馳せる–––––お団子をこよなく愛す、頑張り屋の少年だ。

カナヲに刃を向けた懲罰と休ませる目的で預かった彼。尤も、結局休むことなく働き過ぎたけれど。

 

「彼には一息いれるという気持ちは無いんですかね…」

 

深夜帰ってきた時はのんびりした様子で傷病人達を回診し、朝帰ってきた時は朝餉を作っている彼は、殆ど寝ずに働いていたのだ–––本当に加減を知らない少年だ。ついつい本気で怒ってしまったが、あそこまでしないと彼にとっては薬にならないとの判断だ。

 

「…それにしても、彼はどうして睡眠を取らずに走り回れるのでしょうか」

 

そこまで考えた後、当然の疑問が頭の中に浮かぶ。

殆ど睡眠を取らずに鬼を殺し続けていたという彼––––しかし、睡眠を取らずに動き続ければいつかは倒れる筈だ。

倒れるまではいかないといても、何処かしらの体調不良を訴えてもおかしくない–––いや、むしろ普通だ。にも関わらず、彼からそう言った事は今まで一度も聞いた事がない。

顔色も隈を除けば普通だし、動きも全く衰えていなかった。これは、異常な事なのではないだろうか。

 

「–––呼吸に、何か秘密があるのでしょうか」

 

いの一番に思いつくのは全集中の呼吸・常中だが、この呼吸は身体に常に負荷を与えて身体を作り変える事が旨だから恐らく違う。

 

「わからなくなってきましたね…」

 

益々謎が深まっていく少年、小屋内権兵衛君を思い溜息を零す。四ヶ月前に始めて出会った時は、まさかここまで付き合いが長くなるとは思っていなかった。

優秀な剣士、それは鬼殺隊全員の隊士が納得する事だろう。–––しかし、それだけでは終わらないのが彼なのだ。

寝ずに鬼を殺し続ける化け物のような彼、お団子を頬張りニコニコと笑う彼、人ですら躊躇わず殺す事が出来る彼、鬼にすら情を与える彼、救えない命に号哭する彼、多くの命を救う為に走り続ける彼–––––––ここまで多くの一面を持った人を、自分は見た事がない。

 

「––––さて、そろそろ帰りましょうか」

 

都合の良い事に、明日は非番の日だ。自分の言いつけで彼も一日休みの筈だから、たまにはお団子を食べに誘っても良いかもしれない。

そう考え蝶屋敷への帰路に着く––––––––––その時、鎹鴉の鳴き声が響く。

 

「カァー‼︎カァー‼︎緊急‼︎緊急‼︎」

「–––––緊急?」

 

息を上げながら近くの木の枝に止まり、緊急と叫ぶ鴉に首を傾げる。鬼殺隊になってから一度も聞いた事が無いその言葉に、思わず声をかける。その言葉が、自分を駆り立てる言葉とも知らずに。

 

「–––––蝶屋敷襲撃‼︎蝶屋敷襲撃‼︎現在階級甲、小屋内権兵衛ガ交戦中‼︎柱及ビ階級丁以上ノ隊士ハ直チニ蝶屋敷ニ向カエ‼︎繰リ返ス!蝶屋敷襲撃‼︎蝶屋敷襲撃––––」

「–––––––えっ?」

 

口から言葉が溢れる––––––空に浮かぶ月が雲に覆われる事に気付かず、私は目を見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––照りつける月明かりが厚い雲に覆われる深夜。

月の灯りが届かなくなり暗闇が一帯を支配する中、甲高い金属音が幾度となく響き渡る。

 

「鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい‼︎なんて鬱陶しいのでしょうか⁉︎ちょこまかちょこまかちょこまかと…‼︎」

 

凡そ人とは思えぬ目玉を付けた異形の顔面を歪ませ、耳障りな高音を撒き散らす存在––––鬼が幾度目かわからない棘を飛ばす。不規則な軌道を描く黒い棘は寸分の狂いなく、鬼に立ちはだかる一人の人間に殺到する。

人間は向かってくる棘の群れを一瞥すると、身にそぐわない大きな刀を振りかぶりその棘を迎撃する。上から降り注ぐ棘は横方向への強撃で軌道を逸らし、正面から突き立てる棘には刀の峰を使って軌道をずらし、下から突き上げる棘には軽やかな跳躍を持って躱す。

十や二十では聞かないその棘に当たるどころか、掠りもしない様子に益々鬼は激昂し、次から次へと棘を繰り出す。

 

「そろそろ、半刻程度かな」

 

月明かりで時間の確認が取れない彼は自らの体感時間を基に経過した時間を想定し、再び殺到する棘の群れをいなし続ける。数えるのも億劫な程繰り広げられた攻防の結果、地面の至るところに無数の穴が穿たれ、綺麗に整頓された庭の面影は最早ない。

 

「逃げ回るだけでは勝てないのですよ‼︎それとも、怖気付いて近づく事もできませんか⁉︎」

「斬れない首を追う程、愚かじゃない」

 

鬼の挑発に軽口で返すと、息一つあげる事なく棘の群れを躱しいなし続ける。

一見逃げ惑っている彼だが、その実蝶屋敷に流れ矢が向かないように立ち回っており、現に背後にある蝶屋敷には傷一つつけられていない。その事実が、より一層鬼の堪忍袋を刺激する。

 

「–––良いでしょう。あくまで時間を稼ぐのであれば、こちらにも考えがあります」

 

引き攣った笑みを浮かべた鬼の周りに再び棘が生成される。同じ手順を踏んで産み出されたそれらは、先ほどと同じように人間へ牙を向ける。それを見た彼は再び日輪刀を振り上げ––––––––その直後、弾かれたように背後へ後退する。

 

「もう遅いですとも!」

 

人間が後退した直後、殺到した棘は華が咲くように散らばり背後にある蝶屋敷に向かう。数にして十三に及ぶそれらは鈍色の瓦に向けられ、鬼が歪な三日月のような笑みを浮かべる–––––が、それらは鈴の音と同時に軌道が渦のように纏まり最期は靄になって消滅する。

 

「なに……⁉︎」

 

突如軌道が変わった棘に下卑た笑みを浮かべた鬼は顔色を変え、人間の方に顔を向ける。そこには日輪刀を斬り上げるように振り抜いた姿があった。

 

「–––やらせるかよ」

 

––––––六の型改 登り渦

 

上半身の捻りから発生する筋肉の収縮により、振り上げた刀が擬似竜巻を発生させる型。権兵衛の振るう大太刀の遠心力を頼りにする技であるから、普通の日輪刀では使う事が出来ない。

屋敷を狙った攻撃すら軽々と防がれた事実に鬼は目をギョロギョロとうごかし、汚い声で絶叫する。

 

「アァァァァァァァァァ⁉︎貴様貴様貴様貴様貴様貴様貴様ァァァァァァァァァァ‼︎」

「–––煩いな。これなら善逸君の方がまだマシだよ」

 

その様に思わず顔を顰める人間–––––小屋内権兵衛は日輪刀を構え直す。チリンチリンと鈴が響き渡るのを耳で感じつつ、正面の鬼を見据える。

 

(時間を稼ぐのは問題なさそうだな。あと半刻もすればしのぶさんか他の柱が到着する筈、そうしたらこの鬼の最期だ)

 

単独で討伐する事を諦めた権兵衛は、既に時間稼ぎの路線で闘いを進めていた。一対一において、この鬼は柱とも張り合う事が出来るだろう––––––しかし、数に差が出れば優位性も傾いてくる。

そう考え鬼の出方を伺っている––––すると、二つの足音が権兵衛の耳に届いた。

 

「鬼殺隊です!応援に駆けつけました!」

「大丈夫ですか⁉︎」

 

小豆色の隊服を纏った隊士が二人、蝶屋敷の門から現れる。既に抜刀状態にある二人は権兵衛を見るとそちらに駆け寄り、その背後に構える。全く同じ顔の造形をしている二人は揃って権兵衛の左右に備え、鬼を見やる。

 

「応援ですか、助かります」

 

駆けつけて来た双子の隊士に礼を告げる権兵衛に、二人は首を振るう。

 

「いえ、それよりあの鬼は」

「眠らせる術と見ての通り、棘を使って来ます。首を斬るのは難しそうですから、取り敢えずは蝶屋敷の専守防衛を意識して下さい」

「了解しました!これ以上鬼の好きにはさせません!」

 

落ち着いた隊士と元気の良い隊士という、どこか対照的な二人は鋭い眼孔を鬼に向ける。その様を見た鬼は髪を掻き毟り、奇声を上げる。

 

「塵が何匹増えようが関係ありません‼︎まとめて肉片に返してあげますとも!」

「お手本を見せますから、よく見ていて下さい」

 

その言葉と共に棘が十数本現れ、権兵衛達へ殺到する。瞬く間に距離を詰めるそれらに即座に反応する権兵衛は日輪刀を振り翳し、その全てを叩き落とす。叩き落とされた棘は靄になって霧散し、鬼の元へ戻る。

 

「す、すげぇ…」

「棘は斬るのではなく叩くように。大まかな棘は自分が叩き落としますから、自分の手から離れた棘の対応をお願いします」

「了解しました!」

 

権兵衛は意気込む隊士に笑い、正面を向き直る。尚も向かってくる棘の群れから蝶屋敷を守る為に一歩踏み出す––––––––その時、ふと違和感が脳裏をよぎる。

 

(そう言えば、この鬼は特定の範囲に入った者を全て眠らせる血鬼術を使うと言っていた。ならどうして、この二人は眠っていないんだ?)

 

権兵衛の耳は確かに、正面に佇む鬼が放った『私の術にかかった者はすべからく眠ると言うのに…』との一言を覚えていた。この鬼が虚偽を吐いたのであればその仮定が崩れるが、正面にいる鬼のような狂気染みた鬼がその手の嘘をつかない事を権兵衛は経験則上理解していた。

恐らく辺りに充満する甘い花のような匂いが睡眠薬のような役割を果たしているのだろうが、だとしたらこの二人が眠っていない、若しくは眠そうにしていなければおかしい。

 

(俺や柱の人達のように解毒の呼吸ができる?いや、この二人がそれほどの実力を持っているとは思えない)

「くそッ、硬い!」

「落ち着け、横から叩くように刀を振るうんだ」

 

自分の範囲から離れた一、二本の棘に苦戦している様を見ていると、突出した実力を持っているとは思えない。兄弟二人で協力して事態に対処しようとするその様子は評価に値するが、それと実力の話は全く別の話だ。

 

(動き自体は悪くない。–––––けれど、柱達と比べれば何十歩も劣る実力に過ぎない)

 

二人が影の実力者であるという過程が間違いだとすれば、どうして二人は血鬼術の効果を受けていないのか。

そこまで考えた後、正面に棘の束が向かってくる為思考を一度打ち切る–––––––––––––––その直後、権兵衛は背中に強烈な熱量を幻視した。

 

「–––––ッッ⁉︎」

 

直感に従って背後へ大きく跳躍する。何か硬いものが右腕に掠り熱を帯びるのを感じつつも脚を止めず、尚も迫り来る棘を見る。

 

–––––四の型改 荒波・打ち潮

 

脚を滑らせながらの不安定な状況にも関わらず放たれた技は寸分の狂いなく棘を叩き落とし、靄へと変える。その後右腕に出来た切創から鮮血が垂れ、藍色の甚兵衛を赤く染め上げる。

 

「–––––––––––––––どう言う事だ、これは」

 

右腕から流れる鮮血には目もくれず、正面に目を向ける。カタカタと握る日輪刀が音を立てている事から、激情に駆られている事がわかる。

その様子を見た双子は、権兵衛に向かって振り抜いたであろう日輪刀を下に降ろし嘆息する。

 

「…避けなければ一瞬で殺してあげたのに」

「そうそう!避けても苦しいだけだよ?」

 

月が見えない深夜。甘い香りが鼻に付く蝶屋敷にて、戦局が変わろうとしていた–––––––。

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––棘と隊士を見間違えた、なんて言い訳はしないよな」

 

意図せず日輪刀を握る右手が震え、鈴がチリンチリンと音を吐き出す–––––殺意の篭った日輪刀は、もし避けるのが後数瞬遅かったら我が身を切り裂いていた確信があるからだ。

 

「まさか…そんなに馬鹿じゃありませんよ」

 

冷静そうな口調の双子の片割れが口を開く。心底がっかりした様子に虫酸が走るが、口を開かない。

 

「そうそう。俺たち兄弟がそんな馬鹿なわけないだろ」

 

それに同調するようにおちゃらけた様子でもう片方も口を開く。自らの声が震えている事を覚えつつも、口を開く。

 

「–––藤の花の香を消したのは、お前らか」

 

あっけらかんと口を開く。

 

「勿論。那田蜘蛛山での傷病者のゴタゴタに紛れて、屋敷の中に入るのは簡単でした」

「–––––人間だよな。お前ら」

 

奥に佇み、下品な笑みを浮かべている鬼とは明らかに気配が異なる二人に確認を取る。すると明るい方の双子が笑いながら口を開く。

 

「当たり前じゃん!鬼だったら昼間出歩けないし、藤の花の香も消せないだろ!」

「…なら、どうして鬼に加担する」

 

人を喰らい、人を騙し、人を陥れる悪鬼。–––––たった一人の少女を除いて、鬼とは人に害を成す害獣だ。

百害あって一利なし、それを体現する存在であるからこそ鬼殺隊という物が存在している。仮にも鬼殺隊として籍を置いているのであればそれくらいは把握している筈。だからこその質問だったが、双子は不思議そうに首を傾ける。

 

「逆に聞くけど、貴方はどうして鬼と戦っているの?–––––もしかして、鬼を全滅出来ると本当に思ってるの?」

「鬼殺隊に所属している隊士は、鬼の滅殺を望んでいる筈だが」

「クッ、アハハハ!どれだけおめでたい頭をしてるんだよアンタは!」

 

至極当然の事を言ったと思えば、双子が揃って突然笑い出す。

 

「鬼を殺す事ができる隊士を育てるのに短くて一年!その間に鬼はドンドン増える!そのくせ鬼は強くせっかく育てた隊士はバタバタ死んでいく!戦い続けた先に何が待つかなんて、赤子でも簡単に想像が付くよ‼︎」

「鬼には十二鬼月のように柱でも敵わない化け物が存在してるのに、鬼の滅殺が出来る?本当におめでたい頭としか思えないね」

 

ギリッ、と歯を噛み締める––––まだだ、まだ確認は取れていない。

 

「…なら、どうしてお前らは鬼殺隊に入った。そう思うなら、鬼殺隊に入らなければ良かっただろ」

「僕たちだって最初は鬼を滅殺して、人を助けたいと思っていたさ–––けどね、そんなの不可能だってわかったのさ」

「鬼はドンドン強くなるのに、対して鬼殺隊は新人が育たない。これじゃあいつか鬼に鬼殺隊が滅ぼされるのも時間の問題だよ」

 

やれやれと首を振る双子の片割れが口を開く。

 

「だから思ったんだよ–––勝てないのなら、いっそ鬼になれば良いんじゃないかって」

 

 

–––––その言葉を聞いた時、頭の中で何かが弾けた音がした。

 

「その直後かな?背後にいる鬼さんに話を持ちかけられたのは」

 

鬼は大きな目玉を細め、和かな笑みを浮かべる。

 

「えぇ。私に羨望の目を向けていましたから、もしやと思いましてね」

「–––––––鬼になって、人を喰っても良いのか」

 

薄気味悪い笑みを浮かべる鬼と笑い会う二人に向けて最期の通告を投げかける。すると、おちゃらけた方が楽しそうな口調で口を開く。

 

「世の中は弱肉強食だからね!弱き者は淘汰され、強き者が生き残る!これ以上に簡単な事は無いでしょ?」

 

その言葉を聞いた途端、ピタリと日輪刀の震えが止まった。

 

「蝶屋敷の隊士を皆殺しにしたら、僕たちも血を分けて貰える手筈になっているんだ」

「貴方にはなんの恨みもないけど、ここで死んで貰うよ」

 

チャキンと日輪刀がこちらに向けられる。–––––––確認は取った。分水嶺は、当に過ぎ去った。

 

「––––––––––簡単に死ねると思うなよ、害獣ども」

 

自分でも驚く程冷たい声が吐き出される。身体が熱を帯びるのを感じつつ、地面を踏み抜いて低い姿勢から突貫する。

 

「まともに相手するわけないだろ!」

 

こちらが疾走すると、瞬く間に身を翻して走り出す。逃げ出した背中目掛けて日輪刀を振るう––––が、突如現れた黒い壁によって刀が阻まれる。

 

「この猿は私が相手をします。貴方達は蝶屋敷にている隊士を皆殺しにしてきなさい」

「了解です」

「ちゃんと守ってくださいよ!」

 

そのまま壁から数多の杭が現出するが、大きく飛び退く事でそれらを全て避ける。尚も追撃してくる棘の群れを体捌きだけで避け、再び双子に接近する。

 

「甘いですよ‼︎」

 

地面から突き出す棘が身体を掠る。柵のように入り乱れるそれらを前に背後に下がるしかなく、その間にも双子は蝶屋敷へと距離を詰める。

 

「屋敷の隊士が皆殺しにされるのを待っていなさい。–––大丈夫です、殆ど時間はかかりませんから」

 

三日月のように裂けた歪な笑みを浮かべ、そう宣う––––––––––その瞬間、視界が真っ赤に染まった。

 

「–––––殺してやる」

 

憎悪に満ちた声を出し、自身の横を過ぎて蝶屋敷へと向かう双子–––––––その片方に、全力で日輪刀を投げつける。槍投げの用法で放たれた刀は狙いを違えることなく直進し、胴体へと向かう。

 

「はぁ⁉︎」

 

––––が、命中するその途中に片方が振るった日輪刀によって弾かれる。弾かれた日輪刀は地面へと突き刺さり、鈴の音を鳴らす。

 

「刀を手放すとか、あんた馬鹿だろ‼︎」

 

手ぶらになった状態で突貫する。数多の棘が行く手を阻むが、妙に視界が遅く映る今ならば避けるのは容易い。縦横無尽に突き立てられる棘の群れを刀を使う事なく全て捌ききり、双子へ肉薄する。

 

「なんで当たらないんだよ⁉︎」

「落ち着け!相手は無手だ!刀で応戦しろ‼︎」

 

–––––––水の呼吸 九の型 水流飛沫・跳魚

 

左右に振るわれる二つの日輪刀–––––しかし、浮き足立った状態で振るわれるそれらに当たる事は無い。緩慢な斬撃を跳躍する事で避ける––––––その際、懐から短い日輪刀を掴み取る。

 

「何処だ⁉︎何処へ行った!」

「兄貴、上‼︎」

 

そのまま重力に従って落下する際に鞘から日輪刀を抜き放ち、明るい水色の刀身を露わにする。

刀身に移る自分の瞳が光を失っているが、気にする事は無い。目の前の害獣を殺せれば、それで良い。

 

「––––まず、一匹」

 

上を見上げ驚愕の顔を向ける兄貴と呼ばれた方の右肩を、落下際に切断する。肉と骨を断つ慣れた感覚と同時に生暖かい液体が顔右半分に着くが、努めて無視する。

 

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ腕が‼︎俺の腕が⁉︎」

 

鮮血を吹き出し、肩口から弾け飛んだ右腕に叫び声を上げる。生暖かい血が自らの甚兵衛を染め上げる事を気にもせず、日輪刀を逆手に持ち帰る。

 

「て、めぇぇぇぇぇ⁉︎」

 

左腕に握り締めた日輪刀をこちらに振るう––––––その前に、刀を握る手を左腕ごと空へ切り飛ばす。体幹が崩れ、正面へ凭れかかるその両足も右から斬り裂き、瞬く間に喋る肉達磨へと姿を変える。

 

「あがァァァァァァァァァァ⁉︎⁉︎」

「あ、兄貴…⁉︎」

 

一瞬で手足をもがれて肉達磨になった姿に顔面蒼白になる片割れに、血に塗れた日輪刀を向ける。剣先から滴り落ちる雫が双子の流した血溜まりに落ち、ポタポタと音を立てる。

 

「–––––どうした?これがお前らが好きな『弱肉強食』だぞ」

「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎」

 

激昂し日輪刀を振るう片割れに四閃。鮮血を撒き散らせながら四肢を解体し、兄と同じ肉達磨へと姿を変える。

 

「同じ人間なのに、躊躇いなく斬る、のか……‼︎」

 

口の端から血を流し、吐くように喋る。

 

「–––人を殺そうとしたお前が、人間を語るなよ」

「は…?」

「人を殺そうとした時点で、お前たちは鬼だ。そして、鬼は滅殺しないといけない。当然だろう?」

 

そう言い放つと、二人の両目に刃を走らせて瞳を潰す。くぐもった悲鳴をあげるが、別に大した問題では無い。獣が死に際に叫ぶなんてよくある事だ。

 

「殺して…殺してくれぇ…」

 

潰された瞳から、涙にも似た血を流しながら懇願する––––それを一瞥すると、何も返す事なくそのまま振り返って鬼へ向き直る。

 

「––––止めなかったって事は、大して重要な駒じゃなかったんだな」

 

血に塗れた日輪刀を振るって血を落とし、納刀して懐にしまう。傍に突き立てられた日輪刀を引き抜き、鬼へと向ける。

 

「ククッ、いえ失礼。鮮やかな手際でしたので、つい見惚れてしまいました–––それより、とどめを刺さなくても良いのですか?」

「あと数瞬もしないうちに死ぬ。別に、必要は感じないな」

 

仲間がバラバラに解体されたにも関わらず、鬼はプルプルと震えて笑いを堪えている。

 

「貴方、とても良い表情をしていますねぇ。–––まるで飢えた狼のような目です」

 

靄から顔を出した鬼はこれは傑作を見たとばかりに目を輝かせ、声をあげる。

 

「先ほどの手並み、その顔、なによりその目‼︎貴方––––人を殺すのは初めてではありませんね?」

 

どこか嘲りが入った言葉に口を閉ざす。こちらの対応が琴線に触れたのか、より一層笑みを深めて口を開く。

 

「何人殺しました?何人斬りましたか?とても十や二十では済まない数でしょう?いやはや、鬼狩よりも人狩をした方が合っているのでは無いですかな?」

「––––随分と余裕なんだな。このまま時間を無為に過ごせば、いずれ柱が到着してお前の首を斬るぞ」

 

大太刀を肩に担ぎ、半身を反らす。そのまま地面を踏み抜こうとした矢先、鬼が両腕を拡げる。

 

「あぁ、その件でしたらご心配には及びませんとも」

 

突如、屋敷に充満していた甘い花のような匂いが鬼へ集まっていく。黒い靄は次第に歪な球体を形成し始め、その大きさを次第に増していく。

 

『どうですか?貴方は鬼に興味はありませんか?貴方ならとても強い鬼になるでしょう』

「––––畜生に堕ちる気は、無い」

 

自分よりもふた回り程大きくなった球体から声が聞こえ、「それは残念ですね…」と声が届く––––––その瞬間、球体の表面が硬質化した。

 

「–––ッ」

『屋敷に張り巡らせていた靄を全て回収致しました–––さて、貴方に凌ぎ切れますかな?』

 

尋常では無い数の棘が生成される。–––––その数、凡そ百程度。

その切っ先は全て此方を向き、放たれる時を今か今かと待っている。

 

『楽しい見世物を見せてくれた礼です––––丁寧に肉団子へと変えて差し上げましょう』

 

直後、黒の棘が曇天の空を舞った––––––––。

 

 

 

 

 

___________________

 

 

 

 

 

「–––––あれ、ここは……」

 

 

徐々に視界に光が入り、瞼を開く。意識が徐々にはっきりしてくるのを感じると、頭部の右側頭部が何かにぶつけたように痛む。

 

「痛っ…ここは、厨房かな」

 

鈍く痛む頭を抑え、身体を起こす。そこは自身が見慣れた蝶屋敷の厨房で、辺りを見回すと傍に落ちたお盆と割れた湯呑みを見つけた。そこで、どこか曖昧だった記憶から徐々に倒れる前の場面を思い出し始める。

 

「確か、少し休憩しようと湯呑みを取って…」

 

そこから記憶が飛んでいる事から、自分が倒れた事を理解する–––我ながら情けないと言うか、何というか。

 

「…これじゃあ、権兵衛さんの事を笑えないわね」

 

痛む頭を抑えつつ立ち上がる。十分に休息を取っていた筈だが、知らないうちに疲れが溜まっていたらしい。

なるべく人目につかないように移動し、自室へと向かう。–––––もし自分が倒れた事を権兵衛さんが知れば、また過剰な労働に身をやつすことが目に見えるからだ。

 

「えぇと、自室は…」

 

まだ何となくぼやける視界を擦り、壁を伝って廊下を歩く––––––その時、キンッと甲高い金属音を耳にする。

 

「…何の音?」

 

普段聞かない音だったそれは、今も断続的に続いている。あんまり止まらないようならば注意しに行こう、そう考えて少し足を止める。ぼんやりと続く金属音に耳を傾けると、時たま別の音が混じっている事に気付く。

 

「–––––これって、まさか‼︎」

 

断続的に続く金属音に、綺麗な鈴の音が混じっている。それを感じ取ると、弾かれたように音の発生源へと向かう。

多少息を上げつつ、目的地である庭先にたどり着く––––––そこで、私は地獄を見た。

 

「––––––えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

『アハハハハハハッ‼︎それそれ!逃げなければ蜂の巣ですよ‼︎』

 

庭先に浮かぶ、とても大きな黒い球体。甲高い嫌な声を上げ、何か靄みたいなものが集合して出来たそれからは、数多の棘のようなものを飛ばしてひとりの人間を追っている。

対する人間–––––––権兵衛さんは、全身の殆どを赤黒く染めていた。元の色が何だったのか判別がつかないほど赤黒く塗れた甚兵衛からは、離れていても判るほど酷い鉄錆の匂いがする。

けど何より、彼が浮かべている表情が、私は一番怖かった。

 

「権兵衛…さん……?」

 

顔の右半分を赤黒く染め上げて浮かべている表情は、まぎれもない憎悪だった。

穏やかな光を湛えていた黒い瞳はドス黒く濁り、柔らかな笑みを浮かべていた口元は見る影も無い。

そんな彼は迫り来る数多の棘を綺麗な鈴の音を響かせながら全て迎撃し、一つ足りとも受ける事なく地を駆け回っている。一種の舞を幻視する程に流麗な剣戟だが、彼の姿からそれが余計歪なものに見えてしまった。

 

「–––っ」

 

彼のあまりに凄惨な姿を見て、思わず目を逸らす––––––その先には、人が二人倒れていた。

 

「あ、あぁ…」

 

––––いや、人間だった、が正しいのだろう。四肢を捥がれ、目を潰されたそれらは確認を取るまでもなく絶命し、物言わぬ骸へと変わっていた。

今まで見たこともない凄惨な現場に思わず尻餅をつく。その時、黒い靄が此方を見た気がした。

 

『うん?…これはこれは、目が覚めてしまったのですか。可哀想な子羊ですね、すぐ楽にしてあげましょう』

 

笑って言っただろう声色に思わず震えた声が出てしまう。瞳なんてないのに目が合ってしまった感覚に襲われ、足がすくんでうまく動けない。

 

(殺される‼︎)

 

球体から吐き出された黒い棘は寸分の狂いなく私へと向かう。権兵衛さんが相手にしているより遥かに大きな棘は、黒く光りながら私目掛けて疾走する。

迫り来る恐怖に、思わず目を閉じてしまう。襲い来る痛みに耐えようと身を固くすると、人影が見えた気がした。

 

「––––大丈夫ですか、アオイさん」

 

––––––––軽やかな鈴の音と共に、頰に何か生暖かい液体が付着する。

 

「ご、権兵衛、さん……?」

 

恐る恐る頰に付着した液体を手に取る。鉄臭く、赤い液体だったそれは、紛れもない鮮血だった。

顔を見上げるとそこには、左脇腹を拳大程度の太さの棘が貫通している権兵衛さんの姿があった。

 

「すいません、棘が思った以上に太かったので、弾く暇がありませんでした」

「そ、そんな…‼︎」

 

口の端から血を流して笑う。靄になって棘が霧散すると、貫かれた穴から鮮血が漏れ出す。

漏れ落ちる鮮血は縁台の木材へと染み込み、赤黒い模様となっていく。

 

「待って下さい‼︎今応急処置を–––––‼︎」

「そんな暇は、残念ながらありません」

 

直後、数多の黒い棘が空を駆ける。権兵衛さんはそれを全て弾き返すと、此方を見据える。その瞳は、言いようもない程に濁っていた。

その目に少し恐怖を感じると、庭先の黒い球体から声が聞こえる。

 

『…理解できませんね。先ほどの二人は容赦なく刻んだというのに、今度は身を呈して人を助ける。貴方、矛盾していませんか?』

「–––えっ?」

 

黒い球体が言った言葉の意味が、私には分からなかった。恐る恐る口を開き、権兵衛さんに投げかける。–––けれど、帰ってきた言葉は私の望むものでは無かった。

 

「う、嘘ですよ、ね?権兵衛さん……?」

「……………いいえ、事実ですよ」

 

––––––とても、とても悲しい笑みだった。諦めたような、そんな笑い方だった。その笑みを見た時、初めて自分が言ってはいけない事を告げたのだと、唐突に理解した。

 

「ど、どうして……?」

「–––彼らは鬼だったんです。只、それだけの話ですよ」

 

それだけ告げると、背を向ける。チリンと鈴の音を鳴らし、日輪刀を肩に構える。

 

「自分が今から四半刻、時間を稼ぎます。その間に隊士を避難させて下さい」

「そ、そんなの出来る訳……‼︎」

「–––––人殺しを、野放しには出来ませんか?」

「違っ、そういう訳じゃありません‼︎貴方を置いて逃げるなんて出来る訳ないって言ってるんです‼︎」

 

そう叫んだ時、彼の持つ日輪刀が向けられる。–––研いだばかりだと言うのに傷が犇めく刀身は、今までどれだけの激戦だったのか物語っている。

 

「それでもやるんだよ、神崎アオイ」

 

再び迫り来る黒い棘と藍色の日輪刀が火花を散らす。日輪刀を振るう度に彼の傷口からは血が吹き出し、廊下を赤く染めていく。

 

「しのぶさんとカナヲちゃんが居ない今、君がここの責任者だ。そして責任者は、傷病人を守る義務がある」

「そんな……‼︎」

 

その言葉に、下を向いてしまう–––––こうして守られてばかりの自分に、本当に嫌気が差す。自分がもっと強ければ、この人と肩を並べて戦う事も出来るのに。

 

「大丈夫。時間は必ず稼ぐから、だ、から––––」

「……権兵衛さん?」

 

突如、権兵衛さんの声が途切れる。すると、黒い球体からクックッと抑えきれない笑みが零れ始め、ついには笑い声をあげる。

 

『アハハハハハハッ‼︎何やら話し込んでいたようですが無駄ですとも!どういう仕掛けで私の術を無効化していたかは知りませんが、流石に体内に直接摂取するのは防げませんでしたか!』

「権兵衛さん…!権兵衛さん‼︎」

 

いくら呼びかけても反応がない。日輪刀を構えたまま固まっている彼を無理やり引っ張り、顔を見る。

 

「これは…寝てる、の?」

 

瞼を閉じている姿は、死んでいるのか寝ているのか分からないほど静かだ。口元に手を当てると、僅かな吐息を感じる事が出来る。

 

「権兵衛さん‼︎起きて下さい!権兵衛さん‼︎」

『無駄ですよ。私の血鬼術「堕睡黒棘」を直接体内に取り入れたのですから、少なくとも一週間は眠ります』

「そんな…!」

 

権兵衛さんを何度も揺するが、目を覚ます事はない。すると、黒い球体が割れ中から人影が現れる。人の目におおよそ不釣り合いな目玉を付け、曲芸師もかくやの衣装を身につけるその姿は、言いようもないほどに不気味だった。

 

「–––さて、そろそろ時間も押していますので始めましょうか」

「っ」

 

球体に固まっていた靄が扇の形に変わり、その表面に一本の棘が生成される。

 

「貴女には感謝しないといけませんね。お陰で目障りな猿を殺す事が出来ます」

 

仰々しく頭を下げ、不気味な笑みを浮かべる。

 

「では–––––––さようなら」

 

放たれる棘を見て、権兵衛さんの頭を抱え庇うように抱きしめる。私がもっと強ければこの人を守れたのかななんて、意味のない思考が頭に過ぎる。

 

(ごめんなさい、権兵衛さん。私は、やっぱり剣士じゃありませんでした)

 

迫り来る黒い殺意に目を背けず、正面から見据える。瞬く間に距離を詰めるそれは私達の眼前に迫り–––––––直後、桃色の着物が視界の端に映った。

 

「むー‼︎」

 

声にならない叫びを上げる彼女は、直進する棘を両手で掴んで抑え込む。が、次第に力負けし徐々に地面に跡を残しながら後退する。しかし、突如として棘が靄になって搔き消える。

 

「–––これは、一体どういう事でしょうか」

 

厚い雲が抜け、月明かりが照らす。月に照らされた黒と桃色の着物は、自分が見たことのある市松模様で彩られていた。

 

「禰豆子、さん…?」

 

口に竹筒を嵌め目の前の鬼に敵視を向ける彼女は、先日の那田蜘蛛山で保護した竃門兄妹の妹、竃門禰豆子さんだった。

 

「何故、どうして、鬼が人間を庇っているのですか?」

「うーー‼︎」

「…言葉が喋れない?随分特異な鬼のようですね」

 

首を捻り、心底不思議そうに口を開く。

 

「––––まぁ良いでしょう。人に与するのであれば、纏めて殺すだけの事」

 

再び扇に棘が生成される。その数は十を優に超え、思わず顔が強張る。

 

「禰豆子さん、私は良いからこの人を…‼︎」

 

自身が抱えている権兵衛さんを差し出す。–––ここで二人とも死ぬくらいなら、せめて一人だけでも…‼︎

しかし、私の言葉にブンブンと首を横に振り、拒絶される。

 

「このままじゃみんな死んでしまいます!だったらせめて、権兵衛さんだけでも…!」

「させるとお思いですかな⁉︎」

 

弾かれたように棘が飛び出し、瞬時に此方へ迫る。再び迫る殺意だが、その前に二つの足音が耳に届く。

 

「–––全集中、水の呼吸」

「–––我流、獣の呼吸」

 

廊下を走るその後は独特の呼吸音とともに踏み出し、縁台から外に出る。色の付いていない、蝶屋敷が保管している予備の日輪刀が月明かりに照らされ、鋼色に輝く。

 

「四の型・打ち潮‼︎」

「弐の牙・切り裂き‼︎」

 

二つの人影は外に飛び出すと技を繰り出し、迫り来る棘を打ち返す。

 

「なんだなんだ⁉︎本当に鬼がいるじゃねぇか!」

「大丈夫ですか!アオイさん!」

「竃門さん⁉︎どうして…」

 

白の病人服に市松模様の羽織を羽織った彼と猪頭がこちらを振り返る。

 

「禰豆子に起こされたんです。そして、何か異様な匂いがすると思って駆けつけたら…」

「俺は感覚で気づいてたぜ!なんかヤバい雰囲気が屋敷の中にいるってな‼︎」

「そうでしたか…っ、それより!権兵衛さんが!」

 

脇腹の血が徐々に止まりつつある––––眠らされても尚止血の呼吸ができている証拠だ。しかし、傷口が広過ぎて止めきれず血が流れている。

 

「アオイさんは治療を‼︎この鬼は俺たちが抑えます!」

「ガハハッ!腕が鳴るぜ‼︎」

「…わかりました!お願いします‼︎」

 

彼らが病み上がりな事も、あの鬼が尋常じゃない程強い事も理解している–––けど、わたしにはやるべき事がある。

 

『私は、貴女が蝶屋敷に居てくれて良かったと、心からそう思います』

 

懐に入っていた紫色の鈴を取り出す。軽やかな音色を奏でるそれを、彼は自らの進むべき道を示す物だと言った。

 

(私は、私が進むべき道を進む‼︎)

 

それを握りしめて再びしまうと、包帯とガーゼを胸ポケットから取り出す。権兵衛さんの患部を見る為に血で汚れた甚兵衛を手で破き、貫かれた部分を露わにする。

 

「酷い…!」

 

赤を通り過ぎて桃色の肉が見えてしまっている傷口と時間が差し迫っている状況を考え、最適解を頭の中で導き出す。

 

(縫合している時間はない…!なら、ガーゼと包帯で圧迫して止血するしかない!)

 

金属音が響く中、自分が今までした事も無いような速さで処置を施し始める。傷口にガーゼを有るだけ当て、上から包帯を巻き始める。すると、嫌な声が耳に響く。

 

「羽虫が鬱陶しい…。もう一度眠って貰いますか」

 

鬼の後ろにあった黒い扇が靄になり、地面を伝って広がり始める。

 

「それを吸い込まないで下さい!それを吸い込むと眠ってしまいます‼︎」

「聞いたな、伊之助‼︎」

「おうよ‼︎」

 

靄が広がり、竃門さん達の直ぐ側まで迫る。二人はそれから距離を置こうと背後に跳び退く–––––––その時、稲妻にも似た音が屋敷に響き渡った。

 

「–––––雷の呼吸 壱の型・霹靂一閃」

 

蝶屋敷の壁を突き破り、金色の髪の少年が目にも留まらぬ速さで鬼へ直進する。

 

「目障りな‼︎」

 

しかし、距離が遠過ぎたために見切られ黒い棘によって迎撃される。防がれると分かると途中で身を翻して棘を全て避けて屋敷の前に戻る。

 

「–––ごめん、遅れた」

「我妻、さん…?」

「善逸!来てくれたのか‼︎」

 

何処と無く雰囲気が異なる彼は瞳を閉じ、静かに呼吸を整えている。けれど、裾から見える手は未だ毒に侵されており、一部が紫に変色してしまっている。

 

「えぇい、目障りな羽虫どもが‼︎貴様ら全員肉片に変えてやる‼︎」

 

散乱していた靄が一つにまとまり、再び扇へと変わる。その後、扇から数多の棘が生み出される。数える事すら出来ないその多さに、わたしを含めた全員が固唾を呑み込む。

 

「…権兵衛さん」

 

けれど、それを一瞥した後、処置を続ける。–––今はできる事をやるしか無い‼︎

 

「むー?むー」

「ね、禰豆子さん?」

 

すると、唐突に縁台に登ったねずこさんが権兵衛さんの頰を撫でる––––突如、彼の身体が燃え始める。

 

「えっ⁉︎ちょっと、何を–––––‼︎」

「死ね、羽虫が‼︎‼︎」

 

棘が一斉に放たれ蝶屋敷へ迫るのを余所目に、焚火のように燃え盛る権兵衛さんを見る––––––その時、右手が動いた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––ねぇ、師範。どうして師範が振るう木刀は音が鳴るのですか?」

 

穏やかな木漏れ日を浴びる初夏の日。潰れた血豆で握りにくくなった木刀を手放し、傍で本を読む老人に声をかける。

 

「うん?権兵衛が質問してくるなんて珍しいね」

 

師範と呼ぶ老人は本を閉じるとすっと立ち上がり、木に立てかけてある木刀を持つ。

 

「こんなに血が出るまで素振りをしているのに、僕の木刀は全然音が鳴らないんです。師範の振るう木刀は、振るう度に音がなるのに…」

 

血だらけの木刀を離し、師範に愚痴る。

師範は「あぁ、成る程」と納得した様子で頷くと、木刀を構える。

 

「いいかい?よく見ておくんだ」

 

師範は中段に構えた木刀をゆっくりと振りかぶり、剣先が天上を差した所で止める。ふぅ、と息を吐くと同時に静かに木刀が振り下ろされる。その際、微風にも似た音が辺りに響く。

 

「刀というのはね、心技体の三つ全てが揃わないと音が鳴らないんだ」

 

軽快な風切り音と共に木刀が振るわれる。その後も何度も木刀が振るわれ、その全てが音を立てる。

 

「心技体…?」

「そう。権兵衛の場合、技と体は揃っているけど心が追いついてないんだね」

「心……。心は、どうやったら鍛える事が出来ますか?」

 

心臓に手を当て口を開く。すると師範は朗らかに笑い、自分の頭に手を置く。

 

「心は簡単には鍛えられないよ。それは、君が時間をかけて育むものだからね」

「…難しいです」

 

むぅ、と少しむくれる。–––心なんてよくわからないものが必要と言われても、鍛えようが無いからだ。

 

「いつか、わかる時がくるさ–––––そうだ、良いものを見せてやろう」

「良いもの?」

「うん、多分気にいると思う」

 

すると師範は木造の納屋に引っ込み、とあるものを持ってくる。それは、師範の身長と対して変わらない程長い刀だった。

 

「それは?」

「私が現役時代に使っていた刀さ。鉄珍っていう偏屈な刀鍛冶に作ってもらった刀なんだけどね」

「へぇ…」

 

師範はその刀を鞘から抜き放つ。見事な藍色が太陽に反射して眩しく輝くそれは、とても綺麗だった。

 

「さぁ、ちゃんと聞いているんだよ?」

「はい、師範」

 

師範はその刀を半身を反らして肩に担ぎ、袈裟懸けに刀を振るう。

 

『シャリリン』

 

–––するとどうだろう、刀が鈴のように鳴いたではないか。

 

「!」

「ははっ、凄いだろう」

「はい!とても凄いです‼︎」

 

それから師範が何度も刀を振るう度に、綺麗な鈴の音が響き渡る。どこか落ち着くような鈴を聞き、目を細める。

 

「どうだい?権兵衛も素振ってみるかい?」

「良いんですか⁉︎」

「あぁ、ほら」

 

師範から刀を貰う。ずっしりと肩にくる重さだけれど、持てない重さではない。

 

「さぁ、集中」

 

師範の言葉と共に意識を研ぎ澄ませ、先程見せてもらったように半身を反らして肩に刀を担ぐ。

 

「すぅ…はぁ…」

 

肺を意識して呼吸を整えて、思い切り刀を振るう。

 

『…………』

「…師範、音が鳴りません」

「それはそうだろうね」

「むう…。心技体が揃ってないからですか?」

 

多少拗ねたように口を開くとうんうんと師範が頷く。

 

「その通り。まだ権兵衛には早かったみたいだな」

「むむむむ…!」

「ははははは。もっと精進しなさい」

 

そう言うと師範は刀を鞘に納め、傍に置いて再び本を読み始める。自分はそれを見た後、渋々自分の木刀を振り始める。

どれくらい振っただろうか、日がだいぶ傾く程木刀を振るっていると唐突にある疑問が頭に浮かぶ。

 

「所で師範、どうして師範の刀は振るうと鈴の音がするんですか」

「うん?それはそういう刀を作って貰ったからだね」

「自分も同じ刀が欲しいです」

「鉄珍の刀をかい?それはあんまりおススメしないなぁ…」

「どうしてですか?」

「彼、刀にはとことん煩いから」

「そうなんですか」

「そうなんだよ」

 

沈黙。無言で木刀を振り続けると、ふと師範が口を開く。

 

「そうだ、もし権兵衛が最終選別に向かう時は私の刀を貸してあげよう」

「良いんですか?」

「埃をかぶってばかりじゃ刀に申し訳無いからね」

「ありがとうございます。師範」

 

「ここまでにしようか」と師範の言葉で素振りを止める。血に塗れた手を川で洗いに行こうとすると、「権兵衛」と声が掛けられる。

 

「鈴の音はね、鎮魂の意味があるんだ」

「鎮魂、ですか?」

 

どこか誇らしげに話す師範に、首を傾げる。

 

「鈴の音で死んだ魂を収めるんだ。いつか権兵衛も、鬼を殺す時には鈴を鳴らして欲しいな」

「それは、別に構いませんけど…」

 

渋々、と言った様子で頷く。すると師範は和かに微笑む。

 

「けどね、鈴には魔を祓う意味もあるんだ」

「魔を、祓う…」

 

師範が「そう」と頷くと、また和かに微笑む。

 

「君に降り注ぐ魔が祓われるように、僕はここで祈っているよ」

「…師範?」

 

どこか突き放すような口調に不思議がる。

すると、その言葉と同時に突然自らの身体が燃え始める。熱いというより、暖かい炎だけれど突然の事に思わず驚きの声を上げてしまう。

 

「えっ⁉︎なんだ、これ⁉︎」

「権兵衛、君は強い。恐らく、私よりも遥かに高みに到達できるだろう」

「師範⁉︎一体、何を––––⁉︎」

 

燃え盛る視界の中で、藍色の日輪刀が渡される。

 

「鈴を外せ権兵衛。君に、もうそれは必要ない」

 

その日輪刀を受け取ると、視界が瞬く間に炎で埋め尽くされる。その時、自分の記憶が瞬く間に回復していく。

蝶屋敷が襲われている事、二人の隊士を手にかけた事、アオイさんを庇った事。全てが頭に巡っていく。

 

「–––––ありがとうございます、師範」

 

受け取った日輪刀を抱きしめ、瞳を閉じる。暖かな炎が身を焼き、視界が白く塗りつぶされていった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

『シャリリリリン』

 

盛大な鈴の音が蝶屋敷に響き渡り、透き通るようなその音色は全員の耳に届く。

 

「––––何故、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして⁉︎どうして貴方が立っているのですか⁉︎⁉︎」

 

鬼が頭を掻き毟り、縁台に立つ1人の少年を睨む。腹部に白い包帯を巻き、身体中真っ赤に染まっている彼の手には、藍色に輝く日輪刀が握られている。

 

「ありがとう、アオイさん。禰豆子ちゃん」

 

禰豆子の頭を撫でる少年、小屋内権兵衛は日輪刀を持ち上げ鍔に括られている鈴を手に取り、強引に引き千切る。

 

「えっ⁉︎」

 

その鈴を「持っていて下さい」とアオイさんに預ける。その様子を見た炭治郎は驚愕の声を上げるが、それを気にする事もなく縁台から降り地面に立つ。

 

「こ、小屋内さん?大丈夫なんですか…?」

「うん、お陰様で。すごいね、君の妹は」

 

心配そうに駆け寄る炭治郎の肩を叩き、「少し下がってて」と背後に下げさせる。

 

「伊之助君も善逸君もありがとう。––––––合図をしたらそれぞれ全力の一撃を頼む」

 

そう言い残し、三人の前に立つ。すると、伊之助が権兵衛に取って掛かる。

 

「あぁ⁉︎あいつは俺の獲物だぞ⁉︎」

「伊之助!今はあの人に任せるんだ‼︎」

「そうだよ猪野郎!怒らせてどうすんだよ‼︎」

 

食い下がろうとする伊之助を他の二人が抑え込むのを見て微笑み、鬼を正面から見据える。

 

「私が玉壺様から頂いた鬼の力‼︎どうして貴方には通用しないのですか⁉︎」

「さぁ?生憎玉壺なんて名前も聞かないし、君の血鬼術の効果も知らないな」

 

先ほどとは打って変わって冷静な権兵衛に、鬼は額に青筋をうかばせる。

 

「–––随分と余裕そうですね。そんな満身創痍で、私の相手が務まりますかな?」

 

目が覚めたところで、依然として権兵衛の左脇腹には大きな穴が空いており、包帯を徐々に赤く染め上げている。しかし、権兵衛はそれを指摘されても「あぁ、それか」と軽く流す。

 

「お陰で血が抜けてすっきりしたよ。頭に血が上っちゃうといけないね、どうも」

「…猿が、死ねぇ‼︎」

 

黒の棘が権兵衛に迫る。すると彼は刀を肩に担ぎ、静かに息を吐く。

 

「––––全集中・鈴の呼吸」

 

半身を反らし、上半身を引き締めるように捻る。そんな彼目掛けて数多の棘が殺到する。

 

「壱の型 鳴き地蔵」

 

『カランカラン』とした音と共に袈裟懸けに降り抜かれた日輪刀は、迫り来る黒い棘を一刀で全て弾き飛ばす。

 

「っ、まだまだ‼︎」

 

権兵衛の足元から棘が突き立つ。それを跳躍して全て避けると、鬼の目掛けて上段に構える。

 

–––––––肆の型 天上麒麟

 

水の呼吸の弐の型に似た回転と共に『シャリリン』と軽やかな音が響き、棘が全て切り裂かれる。

 

「なっ⁉︎」

 

切り裂かれた棘に鬼が目を見開くが、臆せず次々と棘を権兵衛に向ける。

権兵衛は地面に着地すると地面を滑るように駆け、日輪刀を脇に構える。

 

「その耳障りな、鈴の音をやめろ‼︎」

 

–––––伍の型 神楽舞・天女

 

軽やかな足取りと共に軽快に刀が振るわれ、次々と迫り来る棘が瞬く間に解体される。先程と異なり簡単に切られる棘に焦燥感を増しながら、鬼は次々と棘を繰り出す。すると、炭治郎がある点に気付く。

 

「靄が、薄くなっている…?」

 

黒よりも黒かった靄が、徐々に薄くなっている。権兵衛が日輪刀を振るい、鈴の音を響かせる度に靄は徐々に薄くなり、それと同時に柔らかくなって行く。

そしてその事は、当然鬼も理解していた。

 

(何故だ⁉︎どうして私の血鬼術が弱まっているのだ⁉︎)

 

靄の色が薄まり、硬度が落ちている。今はまだ本体が切られるような事は無いが、いずれ我が身が切られるかも知れない恐怖が鬼を襲う。

 

(長く戦えば戦う程此方の力が弱まる!しかし、短期決戦を望もうにも…)

 

既に弱まっている棘では権兵衛に届かず、また生み出す棘もすぐに切られてしまう。

権兵衛は軽やかな鈴の音を響かせながら、縦横無尽に入り乱れる棘を次々と切り裂いて行く。

 

「伊之助‼︎」

 

粗方棘を切り飛ばすと、背後に振り向いて伊之助に声を荒げる。

 

「仕方ねぇな‼︎」

 

指名された伊之助が地面を駆ける。当然棘が伊之助に向かうが、それを伊之助はスパスパと竹のように切り裂いて進む。

 

「ガハハハ!!切れる!切れる俺つえぇ!」

「舐めるな小蠅が‼︎」

 

地面から跳躍し、月を背景に二振りの日輪刀を構えて型を放つ。

 

「参の牙 喰い裂き‼︎」

 

鬼の本体目掛けて振るわれる日輪刀。しかし、それらは束になった棘によって阻まれる。

 

「チッ、外した‼︎」

 

空中で無防備になる伊之助に迫る棘を権兵衛が切り払う。その直後、稲妻のような踏み込み音が響く。

 

「壱の型 霹靂一閃‼︎」

 

雷の如き居合が鬼の首に向かう。しかし、その一閃は本体を捉える事なく靄を削って終わる。

 

「目障りな小虫だ!消えろ‼︎」

「させるか‼︎」

 

善逸の背中に迫る黒い棘を炭治郎が切り飛ばす。粗方切り飛ばすと地を駆け、鬼の目掛けて日輪刀を振るう。

 

「っ、調子に乗るな‼︎」

 

黒い靄が鬼の首辺りに集中する。炭治郎の振った刀は靄に阻まれる–––ように見え、その実多くの靄を切り取る。

 

「狙いは、そこじゃない‼︎」

「何っ⁉︎」

 

炭治郎の刀は鬼の首を狙ってのものではなく、その靄を切り裂くものだったからだ。上半身を覆っていた黒い靄が取り払われ、鬼の頭が露わになる。その時、権兵衛の姿が見えない事をようやく認識する。

 

 

「何⁉︎あいつは––––––––」

「此処だよ、鬼」

 

–––––鈴の呼吸 陸の型 暮れ破魔矢

 

『カランカラン』と鈍い音が鳴り、鬼の視界が逆さまになる。ぼとりと音が響き、その時初めて鬼は自らの首が切られた事を理解した。

 

「何故だ‼︎何故私の首が切られているのだ!」

「靄を集めたのは失策だったな。彼等の助けで、こうしてお前の首を切る事が出来た」

 

首が落ち、灰になり掛けている鬼の正面に権兵衛が立つ。

 

「クソッ!お前だけは、お前だけは––––––!」

「––––––終わりだ、害獣」

 

 

鈴の音が鳴り、甲高い声が途切れる。鬼の身体が灰になって消え、暫し静寂が辺りを包む。

 

「お、終わった…」

 

最後に屋敷に漂っていた黒い靄が空に溶けて行くのを見て、辺り一面に張り詰めていた雰囲気が弛緩する。

 

「き、緊張が解けたら凄い筋肉が痛い…!」

「お、俺は、平気……!」

「ふがっ…って。あれ?なんで俺外にいるの?なんで日輪刀持ってるの?–––っていうか全身すっごい痛いんですけど‼︎なんで⁉︎なんでなの⁉︎」

「ふがっふがっ」

 

張り詰めていた糸が解けた為か、炭治郎達三人組の身体中を筋肉痛が襲い、地面でもがく。そこへ禰豆子がトテトテと走り、三人の背中を撫でる。

–––長い間使っていなかった筋肉でいきなり全集中の呼吸を使った為、当然とも言える。

 

「あの人達は…って、権兵衛さんは⁉︎」

 

アオイは三人組を見た後、この戦いで一番重傷を負っている人を探す。

 

「権兵衛さん⁉︎大丈夫ですか⁉︎」

「あ、うん。大丈夫、少し、血を吐いてるだけだから」

 

口から血を吐いている彼の元に走る。彼に巻かれた包帯は真っ赤に染まってその役割を放棄し、口からはとめどなく血が流れている。

 

「慣れない呼吸を連発したから、肺を痛めたかな…」

「良いですから!ほら、身を預けて下さい」

「うん、そうさせて……」

 

アオイの肩に凭れかかると、権兵衛はそのまま意識を手放す。血を失いすぎたのか、顔色も白くなっている。

 

「早く治療しないと…!」

「アオイさん!とにかく権兵衛さんを中に……その人達は、どうしますか?」

 

脚を引きずりながら炭治郎がアオイの側に寄り添い、一緒に権兵衛を担ぐ。その時、屋敷の前にある二つの死体を見る。

 

「今は生きている人を優先します–––詳しい話は、また後で」

「…はい」

 

どこか釈然としない彼と一緒に権兵衛を運ぶ。なんとか縁台にのせ、これから治療を始めようとしたその時、ふわりと花の匂いが届く。

 

「–––どうやら、一足遅かったみたいですね」

 

忙しない足取りで蟲柱、胡蝶しのぶが屋敷に降り立つ。その顔には汗が滲んでおり、ここまで全力で来た事が伺える。

 

「しのぶ様‼︎」

「アオイ!無事で何よりです!」

 

胡蝶はアオイを軽く抱き抱え、頭を撫でる。少し気恥ずかしくなるが、それよりもやらなければいけない事を思い出し口を開く。

 

「そ、それより!権兵衛さんが、私をかばって…」

「…随分酷いですね」

 

アオイを離すと権兵衛の横に立ち、赤く染まった甚兵衛を見る。

 

「縫合用の糸と新しい包帯をお願いします。謝罪は、全部済んでからになりそうですね」

 

屋敷に転がる二つの死体を見て、しのぶは一人呟く。ぞろぞろと現れる隠に炭治郎達が連れていかれるのを最後に、蝶屋敷の一幕は幕を閉じた–––––––。

 

 

 

 

 

 

___________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––以上が、蝶屋敷襲撃の顛末です」

 

鬼殺隊本部、産屋敷亭。蝶屋敷が鬼に襲われた為に緊急で開かれた柱合会議だが、普段とは打って変わって冷たい雰囲気が漂っている。緊急である点と当主である産屋敷輝哉の体調が優れない点から、当主は席に居ない。

 

「それより、鬼に加担したっていう隊士の身元は割れたのか?」

「えぇ。どちらも階級は辛、二年前の選別で合格して鬼殺隊に入隊しています」

「育手は?」

「今は隠の方々に拘束されています。処罰の内容は、お館様が来てから決めるのが賢明でしょう」

 

傷だらけの男、風柱を務める不死川実弥が声を荒げる。今回の柱合会議の雰囲気が悪いのは、蝶屋敷襲撃に現役の隊士が関与していたからに他ならない。

 

「その隊士は……確か、権兵衛君が殺したんだよね?」

「はい。四肢を捥ぎ、目を潰していました」

「…よもやだな」

 

悲しそうな声色で恋柱、甘露寺蜜璃が口を開く。権兵衛という少年の人となりを知っているからこそ、彼が隊士を手にかけた事を悲しんでいるのだ。

対する金髪の青年、炎柱の煉獄杏寿郎が唸るのみ。裏切り者を殺すのは当然として、そのような殺し方をする必要があったのかと悩んでいるが故だ。

 

「件の権兵衛少年は今どうしている?」

「蝶屋敷で治療しています。怪我が酷く、完治までにあと一週間以上掛かるでしょう」

「…それ程の鬼ならば、権兵衛少年が居なければ全滅もあり得たな」

 

怪我人を収容する蝶屋敷。そのため藤の花のお香や見張り鴉などを多く配置していたのだが、隊士の裏切りによってそれは簡単に破られてしまった。小屋内権兵衛という柱に匹敵する実力者が滞在していなければ、蝶屋敷が壊滅していたと考えるのが相当だろう。

 

「取り敢えずの対策を打ち立てなければならないが、その前にこの事実は公表するのか?」

「よっぽどの馬鹿でもない限り公表はあり得ない。隊士同士が疑心暗鬼に陥って、最悪鬼殺隊がバラバラになりかねないぞ」

「…難しいな」

 

蛇柱の伊黒小把内の諫言によって公表は見送られるが、それでも何か対策は打ち出さなければならない。

 

「鎹鴉を増やし、空からの監視を増やす。今打てる手は、それくらいだろう」

 

岩柱の悲鳴嶼行冥の言葉に口を閉ざす。結局、すぐに打てる手はそれくらいしか無いからだ。

 

「暗い話はこれくらいにしてよ。そろそろ派手な話をしようぜ」

「派手な話?何かありましたか?」

「権兵衛だよ。あいつ、新しい呼吸を編み出したらしいな」

「確か、鈴の呼吸でしたっけ」

 

音柱の宇髄天元が話題に挙げた、蝶屋敷襲撃の際権兵衛が編み出した新たな呼吸。どのような呼吸なのかはまだ把握してはいないが、彼と肩を並べた竃門隊士達の話を聞く限り強力な呼吸であるには間違いないらしい。

 

「鈴なんてあいつらしいじゃねぇか!なんか俺の音の呼吸と被ってる感じがしないでも無いけどよ」

「それより、権兵衛君の精神状態は大丈夫なんですか?隊士を二人、その、四肢を捥いで殺しているから…」

 

ニコニコと笑う宇髄とは裏腹に、甘露寺は心配そうな表情を浮かべる。

 

「心配でしたら、お見舞いにでも行ってあげて下さい。きっと彼も喜びますから」

「そ、そうね!顔を見るのが一番ね‼︎」

 

胡蝶の笑みに釣られ、甘露寺も笑みを浮かべる。「どれくらいお団子買って行こうかなぁ…」とすでにお土産を考え始める彼女に伊黒が頭を抱えつつも、会議はつつがなく進んでいく。

 

「–––さて、議題もそろそろ尽きてきたと思うので。ここで私から一つ提案があるんです」

 

粗方議題が終わった時点で、胡蝶が口を開く。

 

「提案?何かあるのか?」

「はい。蝶屋敷の防衛についてです」

「鴉の監視を増やして、藤の花のお香を増やすじゃ足りねぇのか?」

「蝶屋敷は多くの隊士の治療を行います。隊士を守るためにも、万全を期したいんです」

 

胡蝶が告げる言葉に全員が沈黙する。蝶屋敷は多くの隊士の命を救い、時たま柱も利用する程の重要な施設である。胡蝶の言い分が尤もであることは、この場にいる全員が理解していた

 

「それで、どんな案があるんだ?」

「不足の事態に対応出来、今回の様な強力な鬼に対処できる人員を蝶屋敷に常駐させるべきだと思います」

「ちょっと待て。それはもしかして、小屋内権兵衛を蝶屋敷に常駐させたいって事か?」

「はい」

 

不死川の言葉にしれっと頷く胡蝶。しかし、周りの柱の達の反応は先程とは打って変わって芳しくない。

 

「…階級が丁以上の隊士を四人、回し回し配備するのはどうだろうか」

「強力な鬼相手に数を用意しても意味がありません。ここは特記戦力である権兵衛君が適任かと」

「むぅ…」

 

岩柱の言葉をバッサリ切る。蝶屋敷の重要性を皆が理解しているからこそ、余り強く出られない。–––ただ一人を除いて。

 

「それは無理だろォ。どう考えたって」

「…不死川さん、どうしてそう思うんですか?」

 

馬鹿らしいと言わんばかりの彼に顔を顰める。

 

「ここ一年間であいつが殺した鬼の数は此処にいる全員が把握してるだろ?なら、あいつが今鬼殺隊でどんな立ち位置にいるか位わかるだろ」

「…むぅ、確かに」

 

不死川の言葉に煉獄が頷く。

 

「アイツに求められているのは遊撃だ。只でさえ新人が育たない現状で、なんとか古参だけで戦線を回せてるのは間違いなくアイツの戦果だからな」

「しかし、それは彼一人に負担を強いている事になります。それを強制するのは、余りに酷では?」

「そ、そうよね!権兵衛君一人に任せるのは酷いものね」

 

パチパチと火花が聞こえてきそうな程雰囲気が緊迫する。––––そんな中、今まで沈黙を守っていた一人の男が口を開く。

 

「権兵衛も人間だからな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沈黙が続く。

伊黒が再び頭を抱え、甘露寺と煉獄が頭に疑問符を浮かべる。悲鳴嶼は沈黙し、まだ一言も発していない霞柱の時透無一郎もまた沈黙する。宇髄はプルプルと笑いを堪え、胡蝶と不死川の二人は額に青筋を浮かべる。

 

「–––––冨岡さん。嫌われているからって話し合いに水を差すのはやめて下さい。そういう所に水要素を期待していませんから」

「おい冨岡ァ!テメェが何言いたいのかさっぱりわかんねェからちゃんとまとめてから口を開けよォ‼︎」

「…………」

 

どこかしゅんとしてしまった冨岡に耐えきれず宇髄が爆笑する。

 

「冨岡、お前面白すぎだろ…‼︎」

「宇髄さん、今は笑っている場合じゃありません」

「そォだよ。良いから黙ってろ」

 

二人から睨まれると「ん?」と不思議そうな顔を浮かべる。

 

「なんだ、まだ下らない話をすんのか?」

「下らないって…」

 

苦言を呈す胡蝶に宇髄が返す。

 

「そりゃ下らないだろ。だって権兵衛だぞ?幾ら命令したって、自分が決めた事をやり遂げるのがアイツなんだよ」

 

正座を崩し、胡座をかく。

 

「まぁ、蝶屋敷を守るって案も、遊撃に専念するって考えもわかる。けどよ、それは多分権兵衛だってきっとわかってる」

 

「馬鹿だけどそういうところは目敏いからな、アイツ」と笑う宇髄に二人が毒気を抜かれる。

 

「…一度会議は此処で終了とする。改めて口にするが、今回は現役の隊士が裏切るという異常事態だ。一週間後、お館様を交えて再び会議を行うから、その時は全員出席するように」

 

悲鳴嶼のその言葉と共に会議が終わり、各々が席を立つ。その際最後まで残った冨岡に胡蝶がつんつんと突き、声をかける。

 

「冨岡さん、あれはどういう意味だったんですか?」

「……権兵衛だって人間だ。休息や帰る家は必要だろう、と言った」

 

やや拗ねた風に口にする冨岡に、胡蝶は嘆息する。

 

「ちゃんと全文を言ってもらわないとわかりませんよ…」

 

どこか抜けている水柱に遣る瀬無い気持ちになる蟲柱。どこか通例になりつつあるそれを最後に、本日の柱合会議は終了した–––––––。

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛

水柱との会合で自身の型が本来の水の呼吸と離れていると薄々感付いていたが、夢の中で本来の鈴鳴り刀の使い方を思い出し、自身が使っていた水の呼吸は鈴の呼吸の前身だったのだと知る。
長期戦に優れた彼と血鬼術を弱める鈴の呼吸とは極めて相性が良く、これを師範は知っていたとされる。現在は重傷を負い、蝶屋敷に入院している。


鈴の呼吸 概略

大太刀「鈴鳴り刀」を使用する全集中の呼吸の一つ。鈴の持つ退魔の一面を強調した呼吸であり、型にはなんらかの神聖な一言が含まれる。突破力、瞬発力共に他の呼吸に一歩劣るが、数ある呼吸法の中で唯一血鬼術を弱める事が出来る。どうして弱める事が出来るのかは不明だが、鈴鳴り刀の製法は代々刀鍛冶の里に受け継がれている。小屋内権兵衛が使う鈴鳴り刀は刀鍛治の里の長である鉄地河原鉄珍作が若い時に打った刀であり、現在も彼が某日輪刀を研いでいる。


鈴の呼吸 壱の型 鳴き地蔵

鈴の呼吸の基本の型。肩に担いだ刀を袈裟懸けに振り下ろし、重厚感のある鈴の音を辺りに響かせる。水の呼吸改 飛沫・水面斬りの動きが含まれている。

同呼吸 肆の型 天上麒麟

空中で円を描くように刀を振るう型。軽やかな鈴の音と共に舞う姿が麒麟の所以とされている。水の呼吸弐の型改 横水車の系譜を辿っている。

同呼吸 伍の型 神楽舞・天女

地面を滑るように動き、上半身の動きのみで辺り一面に刃を振るう型。水の呼吸参の型 流流舞の動きと似ているが、鈴の呼吸特有の大太刀により広範囲への斬撃が可能となっている。

同呼吸 陸の型 暮れ破魔矢

鈴の呼吸の中で一番突破力に優れた型。重心の載った横方向への斬撃で鬼の首を飛ばす、水の呼吸肆の型改 荒波・打ち潮の系譜を引く技。鈴の呼吸の中で最も低い鈴の音を鳴らす事から「鈍鈴」とも言われる。

師範

小屋内権兵衛の育ての親にして育手。鈴の呼吸の会得の難しさから先に全ての基本になり得る水の呼吸を権兵衛に手解きした。しかし、随所に「改」として鈴の呼吸の動きが盛り込まれている事から、正確に言えば権兵衛が使っていた呼吸は水の呼吸では無い。


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鬼殺隊一般隊員は空を見上げる

やっぱり柱の方々はカッコいい。

※下部に文字数についてのアンケートを設置しました。回答頂ければ幸いです。





–––––慣れた薬品の匂いが鼻に付き、朦朧としていた意識が徐々に覚醒する。

 

「ここは…」

 

薄っすらと入る光を頼りに瞼を開くと、正面に見慣れた木目の天井が視界に入る。軽く視界を左右に巡らせると、あたりに多くのベットが見受けられる事から、ここが蝶屋敷である事がわかる。

もっと情報を集める為に身体を起こそうとするが、その時に左脇腹に刺すような激痛が走り、思わず顔を顰める。

 

「…そう言えば、穴が空いているんだったな」

 

呼吸を整えて痛覚を鈍くすると、そのまま身体を起こす。視界が暗く、窓から月の光が差し込んでいる事から、今が夜である事がわかる。

 

「なんだか、半年前に戻ったみたいだな」

 

今から半年程前に、自分が此処に入院していた事を思い出す。あの時と同じ場所で寝かされているのは多分、気のせいでは無いのだろう。

 

「炭治郎君達は無事なんだろうか…」

 

肩を並べて戦った彼等を思う。しかし、彼等はすでに完治間際で病室を移された事を思い出し、此処にはいない事を悟る。

長い間使っていない筋肉で全集中の呼吸を使ったのだから、恐らく筋繊維が損傷している筈だ。大事に至ってなければ良いのだが…。

 

「…みんな寝ているか」

 

背を枕に預け、周りを見渡す。殆どの隊士が退院し任務に復帰した為か、この大部屋には殆ど人がいない。重傷を負っている隊士が何名か散見されるが、その全員が整った寝息を立て熟睡している。

 

「あれから、何日位経ったんだ…?」

 

今日が何日なのか聞こうにも、周りには起きている人が居ない為に聞くことが出来ない。情報を集める為に、ベットから這い出て病室の出入り口へと向かう。

どこかふらつく足元でヨロヨロと外に向かうと、その時に足音がこちらに向かっているのがわかる。

 

「あれは…」

 

やがて灯りを持って歩く人影が見え、薄目でそちらを見る。

 

「ご、権兵衛さん…?」

 

灯りに照らされているせいか、頰がいつもより赤く映えている彼女。神崎アオイさんが驚愕に目を見開いてる。傍目から見て、怪我を負っている様子もない––––––良かった、ちゃんと守れたようだ。

微かに震えている彼女を安心させるように笑みを浮かべ、口を開く。

 

「今晩は、アオイさん。今日は––––––」

 

自分の言葉は長く続かなかった。目元に浮かぶ、小さな光を見てしまったからだ。

 

「良かった…本当に良かった…」

 

どこか涙ぐんだ声に目を丸くする––––そんなに心配する事なんてないのに…。

 

「アオイさん?大丈夫ですよ、俺は」

「大丈夫じゃないです!私を庇って、あんな大怪我をしたのに…」

 

そう言って目を伏せる彼女に、困ったような笑みを浮かべる。

 

「気にしないでください。怪我をしたのは、自分の力不足の所為なんですから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

––––––なにも考えずに放った言葉だった。それが、どれだけ彼女を傷付ける言葉とも知らずに。

 

「–––––なんですか、それ。貴方が怪我を負ったのは、自分のせいだって言うんですか」

 

目元に涙を浮かばせながら彼女が自分を見る。その顔は、今まで見た事がない程に怒っていた。

どうして彼女が怒っているのかも分からず、自分は言葉を続ける。

 

「だって、自分が強ければ怪我を負わずに済んで、アオイさんに気を使わせる事も無かったじゃないですか」

「っ、そんなわけ有りません!だって貴方は、私を庇って怪我をしたんですよ⁉︎」

「ですから、それは自分の力不足の所為なんですよ。決して、アオイさんが悪いわけではありません」

「っ……‼︎」

 

微かに震えながら口を開く彼女からは、様々な感情が蠢いている事がわかる。–––––しかし、その感情の波はやがて決壊した。

 

「貴方は‼︎どうして自分にそんなに無頓着なんですか‼︎」

「…アオイさん?」

 

いままで感じた事が無い雰囲気で怒るアオイさんに驚く。–––どうして、彼女は怒っているんだ?

 

「私が無警戒に彼処に向かわなければ、貴方はそんな怪我を負う事も無かったんです!それを、自分の力不足が原因?どれだけ自罰的になれば気が済むんですか⁉︎」

 

瞳から涙がポロポロ溢れ出し、感情のままに叫ぶ彼女に戸惑う。しかしそんな自分に構う事なく、彼女は続ける。

 

「どうして自分を大切にしないんですか⁉︎どこまでも自分を追い込む貴方を見ていると、こっちが辛くなるんですよ‼︎」

 

–––––けれど、彼女のそんな姿を見ていると、何故だが、心がとても痛くなる。左脇腹の痛みなんて霞んでしまう程に、彼女の叫びは痛かった。

 

「貴方はもう充分に自分を追い込んでいます!これ以上圧を掛けたら潰れてしまう程に、貴方は頑張っているんです‼︎なのに、これ以上自分を追い込んだら…!」

「アオイさん、アオイさん」

 

叫ぶ彼女の頰に掌を当て、顔を上げさせる––––そこには、涙を流して目元が腫れ上がってしまった顔があった。

 

「すいませんでした。自分が少し、無頓着すぎましたね」

「権兵衛、さん…」

 

未だに雫が落ち続ける彼女の目元に病人服の裾を当て、涙を拭う。

 

「ですけど、アオイさんが悪くないのは本当なんです」

「っ、どうして、ですか?」

 

粗方涙を拭い切ると、彼女から離れて微笑む。

 

「––––だって、自分には、アオイさんを見捨てると言う選択肢もあったんですから」

「そんな事、権兵衛さんがする筈がありません!」

「そうでしょうか?自分は、そんなに優しい人ではないですよ」

 

–––––だって、四肢を捥ぎ、目を潰すような、残虐な殺し方を取る者が優しい筈が無いのだから。

 

「アオイさんは、蝶屋敷に転がっていた二つの死体は見ましたか?」

「……はい」

「あんな事を平気でするのが自分なんです。ほら、優しい訳ないでしょう?」

「彼等は蝶屋敷襲撃に加担しました。権兵衛さんが悪い訳じゃ…」

 

自らを擁護してくれる彼女の言葉に微笑み、首を横に振るう。

 

「別に、殺すだけだったら首を伍の型で断ち切れば済む話だったんです。けど、自分はそうしなかった。敢えて、あの殺し方を取ったんです」

 

水の呼吸、伍の型 干天の慈雨。切った相手に痛みを感じさせる事なく首を断つ技。そんな技があったにも関わらず、自分はあの殺し方を選んだのだ。自らの、憎しみに身を任せて。

 

「だから、自分は決して優しい訳じゃないんです」

「…そんな」

 

また涙を溢れさせそうになる彼女に「けど」と言葉を続ける。

 

「そんな俺でも、貴方を守ろうと脚が勝手に動いたんです。–––それはきっと、アオイさんの事が大事だと思ったから」

 

灯りを持っていない彼女の左手を両手で握り、正面に持ち上げる。

 

「アオイさんの事を助けたい、そう自分が思ったから怪我をしたんです。ほら、別にアオイさんが悪い訳じゃないでしょう?」

「……無理がありませんか、その理論は」

 

どこか小馬鹿にしてくる口調に「そんな風に言わなくても…」と苦言を溢す。けれど、それを言った彼女の口元は笑っていた。

 

「…これ以上話していても、平行線で終わるのは間違いないですね」

「はい。俺は、絶対にアオイさんの事を悪いとは思いませんので」

 

自信満々に言い切ると、アオイさんが顔を覆って俯く。––––そんなに酷いか…。

 

「兎に角!貴方は必要以上に自分を追い込む癖があるんですから、少しは自分に楽をさせてあげて下さい!良いですね?」

「最大限努力はします」

「……まぁいいでしょう」

 

疑わしき目を向けた後、彼女が背を向ける。そのまま歩き去っていく彼女を見て、自分も病室に戻ろうと脚を運ぶ–––––その時、「権兵衛さん」と声がかけられる。

 

「言い忘れていた事がありました。–––––––助けてくれて、ありがとうございました」

 

「お休みなさい!」と言い残した後、ツカツカと向こうへ歩き去っていく彼女を見送る。耳が赤かった事には、触れないのが花だろう。

 

「さてと、もう一眠りしようかな」

 

気が強いのにとても優しい彼女に微笑み、自分の病室へと向かう。窓から見える月明かりを頼りに廊下を進むと、とある人影が月夜に見える。

 

「あれは……」

 

見知った顔の少年に笑みを浮かべ、口を開く。

 

「今晩は、炭治郎君」

「…今晩は、小屋内さん」

 

複雑な表情を浮かべ、どこか浮かない顔で通り過ぎる彼を見てとある事を思いつく。

そのまま歩き去って行く彼の後ろから「炭治郎君」と声をかけると、こちらに振り向く。

 

「今から夜のお茶会をするんだけど、一緒にどうかな?」

「…えっ?」

 

––––––今夜は長い夜になりそうだなと考え、自分は彼に笑いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「今日は本当にいい月だね。炭治郎君」

 

ぷかぷかと空に大きな満月が浮かぶ夜。白の病人服を羽織り、縁台に腰掛ける。先の襲撃によって受けた傷跡が既に片付けられ、綺麗に元どおりになっている庭先を眺める。

そんな自分の隣には、同じ病人服を着た炭治郎君が茶色のお盆を挟んで座っている。

 

「あと、この事は内密に。部屋を抜け出したのがバレると、アオイさんに怒られるから」

「…わかりました」

 

こちらの言葉に、どこか複雑そうな表情を浮かべる。あまりにも正直なその姿に笑みが零れ、手に持っている饅頭を頬張る。

 

「炭治郎君も食べな、美味しい饅頭だよ」

「–––その前に、聞きたい事があるんです」

 

お盆に載せられた饅頭を勧めると、真っ直ぐな瞳で自分を見つめる。何が聞きたいのかは何となく理解しているが、念のためと思い口を開く。

 

「何かな?自分に答えられる範囲だったら、なんでも答えるよ」

 

そうやって笑いかけると、病人服を固く握り締め俯いて口を開く。

 

「どうして、あんな殺し方をしたんですか」

「…そっか。流石にわかるよね」

 

彼の言葉にバツが悪いような笑みを浮かべる。実直な彼の事だ、まず間違いなく聞いてくるとは思っていたが、ここまで真っ直ぐ聞いてくるとは思っていなかった。

 

「あれは、人の死に方じゃありませんでした。四肢を捥いで、目を潰すなんて…」

「そうだね。どちらかと言えば、あれは化け物の死に方だ」

「っ、幾ら化け物が相手でも、あんな殺し方は酷すぎますよ!」

 

声を荒げる彼に、口に指を当ててみせる。深夜にそんな大声を上げれば、誰かが起きてしまう恐れがあるからだ。

 

「す、すいません…」

「いや、良いよ。––––君は、本当に優しいんだね」

 

声を荒げた炭治郎君の頭に手を置く–––––前に、自分の手が血に塗れている事を悟って手を引く。

 

「権兵衛さんも、優しい人です」

「違うさ。優しい人って言うのは、無条件に優しさを振り撒ける人を言うんだよ」

 

手に持っていた食べかけの饅頭をお盆の上に置き、お茶を啜る。

 

「俺はそんなに出来た人間じゃない。人を喰う鬼は憎いし、人を殺す人も同じくらい憎い。奴らの様な害獣相手に、哀れみや悲しみを持つ事は出来ない」

「…だから、あんな殺し方をしたんですか」

 

寂しそうな表情を浮かべる彼に、あっけらかんと言い放つ。

 

「そうさ。酷かっただろう、アレは」

 

あの死体を想像したのだろう、少し顔を青くする彼に申し訳なくなる。–––今思えば、屋敷の中であんな殺し方をするべきではなかったな。

 

「…そんなに、憎かったんですか」

 

彼の言葉に気絶する前の景色が想起され、無意識に掌に力が篭る。

 

「––––蝶屋敷にいる隊士を皆殺しにすると彼等は言っていた。とてもじゃないけど、冷静じゃいられなかったよ」

 

自分の言葉に俯いてしまう炭治郎君。僅かに震えている事から、色んな感情が蠢いている事がわかる。

 

「–––炭治郎君は、目の前で人が死んでいくのを見た事はあるかい?」

「…あります」

 

苦虫を噛み潰したような顔で呟く。それを聞き、さらに言葉を重ねる。

 

「…それじゃあ、人間が人を殺すのを見た事は?」

 

ハッとなって顔を上げる彼に、静かに頷く。

 

「もしかして、小屋内さんは…」

「そうさ。–––俺は、何度も見てきた」

 

手に持っていたお茶をお盆に置き、ぼんやりと月を見上げる。空に浮かぶ綺麗な満月を見て、再び彼に向き直る。

 

「君はまだ見た事がないかもしれないけど、一般人の中には鬼と協力して悪事を働く者や、鬼を崇める奴らが現れる。定期的にね」

「そんな…!けど、鬼は人を喰うんじゃ…?」

 

悲痛な面持ちの彼に首を振るう。

 

「世の中は善人ばかりでもないし、正常な人ばかりでもない。山奥の山村とかに鬼が出ると、それを神と崇め始める場合もあったね」

 

特に外界と隔絶された閉鎖社会だと、そうなる傾向が強い。–––そうなった場合、もう手遅れになる。行き過ぎた信仰が狂気となって、不幸の温床となる前に、適切な処置が必要となる。

–––処置がどういう物なのかは、言わずもがなだろう。

 

「信じられません。鬼を、崇めるなんて…」

 

自分の言葉を正確に理解し、顔色を青くする彼に頷く。

 

「そう思うのが普通だよ。そうして、鬼に協力する人間は平気で人を、同族を殺す」

 

思い起こされるのは、始まりの鬼殺。鬼を神と崇めた彼等は、同じ人間である少女を生け贄として鬼に差し出した。自分と同じ人間を、だ。

 

「そんな人間達を何人も見ているとね、段々鬼と人間との違いがわからなくなってくるんだ。–––だから平然と、あんな風に人間を殺す事が出来るようになる」

 

四肢を捥ぎ、目を潰し、息の根を止めずに放置する。まともな精神をした人物ではできない芸当を、自分は息を吸うように実行した。良心のかけらも、咎めることも無く。

 

「良いかい、炭治郎君。言わなくとも分かるとは思うけれど、俺の行為を正しいと思ってはいけないよ」

「…えっ?」

 

自分の言葉に目を見開く。––––彼のような少年が自分と同じ人間になってしまえば最後、優しい人間が一人消えてしまうからだ。

 

「けど、結果として小屋内さんは、蝶屋敷を救いました。それは、躊躇い無く刀を振るったからじゃないんですか?」

「必要に迫られたからといって、簡単に人を殺す事ができるのは単なる人でなしだよ。それに、君の刀は人を殺すためのものじゃない」

 

微かに震える彼の手を握り、視線を合わせる。–––那田蜘蛛山で操られている隊士を相手に、自らが危険に晒されようとも、それでも彼らを生かそうと尽力していた彼は、間違いなく善人だ。

対する自分は、あくまでも救えると思ったから助けただけで、もし助けられないと判れば、最期は切って捨てた筈だ。そこが、自分と炭治郎君との明確な違いだろう。

 

「この手は、人を助けるための手だ。多くの人と手を結び、輪を作る手だ。俺の手とは、全く違う」

「そんな事ありません!小屋内さんの手も、多くの人を救う手です!輪を広げる手です…!」

 

彼の両手に自分の右手が包まれ、暖かな感覚が染み込んで行く––––人が良すぎる、この少年は。

 

「ありがとう。君がその優しさを、最後まで手放さない事を願うよ」

 

庭先を穏やかな風が吹く。彼の瞳から涙が溢れて縁台に落ち、黒い斑点を作る。

 

「–––いい月だね、炭治郎君」

「…はい」

 

二人で見上げる満月は、とても輝いて見えた。

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

––––––どうして、こんなに悲しい匂いがするのだろうか。

 

隣に佇み静かに饅頭を頬張る彼、小屋内さんを見て思う。ぼんやりと月を見上げる彼を見ると、心が締め付けられる。

彼の身体からは、とても大きな悲しみの匂いがする。自分とそれほど変わらない背丈に、収まらない程の悲しみを背負っている。

 

「小屋内さんは、後悔した事はないんですか?」

 

だからだろうか、ついこんな事を口走ってしまったのは。

 

「人を殺したことをかい?」

「はい。だって、今の小屋内さんからは、とても悲しい匂いがします」

 

自分の問いに「悲しい匂い…そっか」と何かを考えた素振りを見せると、再び口を開く。

 

「まぁ、悲しんだ事はあるよ。どうして俺は、簡単に人を殺す事が出来るのだろう、ってね」

「それじゃあ…」

「けど、人を殺した事について後悔した事は一度もない」

 

そう言った彼の言葉には、言いようもない重さが含まれていた。

 

「それは、どうしてですか?」

 

間を置く事なく口を開く。

 

「自分が人に向けて刃を振るった事で、確実に救えた命があった。その命に報いる為に、背を向けない為に、絶対に後悔はしない–––絶対に」

 

噛みしめるように呟く–––その横顔から、とても強い決意を感じた。

 

「君も、妹を連れて鬼を狩る事を後悔した事はないだろう?それと同じさ」

「同じ…ですか?」

 

疑問符を浮かべる自分に「そうさ」と頷く。

 

「君が妹を背負う事を決めたように、俺はどんなに手を汚しても人を助けると決めたんだ」

 

「この手でね」と、そう言って掌を見つめる。–––計り知れない覚悟だ、とても、自分程度じゃその重さの一端ですら持てないと思うほどの覚悟。

 

「後悔は、自分の過去の行いを誤りだったと認める行為だ。俺は、今まで救ってきたであろう数少ない命を誤りだとは思いたくない」

 

すると、小屋内さんがこちらを見る。穏やかな黒い瞳が、自分の視線を掴んで離さない。

 

「君は、妹を連れてここまで来た事が間違いだったと、そう思えるかい?」

「いいえ、絶対に思えません」

「…だよね」

 

一瞬も間を開ける事なく言い切ると、はにかんだような笑みを向けられ、視線を外す。そのあと、目を伏せて頭を下げる。

 

「…すいません。不躾な質問をしてしまいました」

「謝る事じゃない。寧ろ、俺も再認識したよ」

「再認識、ですか?」

 

小屋内さんが空を見上げると、決心したように口を開く。

 

「俺は、これからも同じ様に進んでいける。何度この手で人を殺めても、それでも人を助けたいと走り続けるよ」

 

–––敵わないな、とつい思ってしまう。自分も彼の様に強く在れるのだろうかと、意味もない想像をしてしまう。

 

「…本当は、殺さずに助ける事が出来ればそれが一番なんだけどね。中々、上手くいかないもんだ」

 

寂しそうに笑ってから饅頭を頬張ると、「硬くなる前に食べた方が良いよ」と勧められたので、自分も饅頭を一つ取る。

 

「…小屋内さんは優しい人じゃなくて、強い人なんですね」

 

饅頭を一口頬張り、小豆の仄かな甘味を感じた後に呟く。すると、小屋内さんが目を丸くする。

 

「どうしたんだい、急に?」

 

キョトンとする彼に、なんて言葉を使うか少し考えた後に口を開く。

 

「その、なんというか、在り方が強いんだと思います」

「そんな事ないさ。在り方で言ったら、きっと君の方が強い」

「そう、でしょうか?」

 

どこか確信めいた口調に首を傾ける。

 

「そうだよ。………まぁ、隊士としては俺の方が強いけどね」

 

彼がおちゃらけた風に笑うと、一口で残った饅頭を食べ切る。

 

「もうすぐ機能回復訓練だっけ?」

「はい。アオイさんとカナヲさんが相手をしてくれるそうです」

「そっか…。本当は俺も参加したかったけどね」

 

そう言って左脇腹をさする権兵衛さん。上から分かるほどしっかり包帯が巻かれたそこは、つい二日前まで穴が開いていたのだ。

 

「傷の方は大丈夫なんですか?」

「うん。後五日もしたら日輪刀を素振れるようになるさ」

「…えっ?」

 

五日という短さに思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。–––確か、拳大ほどの大きさの穴が開いていたはずなのだが…。

 

「い、五日でそこまで良くなるんですか?」

「全集中の呼吸で代謝と細胞を活性化させているからね」

「…呼吸って、そんな事が出来るんですね」

「他にも色々出来るよ?出血を止めたり、毒の回りを遅らせたりね」

「…凄い」

 

まざまざと実力差を見せつけられ、少し落ち込みそうになる。が、落ち込んでいる暇がない事は自分が一番わかっているため、心の中で自らを鼓舞する。

 

「もしよければ、その呼吸法を教えてくれませんか?」

「勿論。怪我が治ったら必ず教えるよ」

「はい!」

 

–––そこで、ある違和感を覚える。

 

「あれ?どうして怪我が治ったらなんですか?」

「だって、実際に傷を付けないとわからないじゃないか」

「……はい?」

 

どこか物騒な事を言い始める小屋内さんに震える。まるで言っている事がわからないと言わんばかりの彼に、益々震えが強まる。

 

「止血の呼吸は実際に怪我をして覚えるし、解毒の呼吸は毒を吸って覚える。それを実践させる為には、俺が炭治郎君に怪我をさせないといけないだろ?」

「あの、もっと穏便に習得する方法は……」

「炭治郎君。君に良い言葉を教えてあげよう」

 

今まで見た小屋内さんの表情の中で一番イイ笑顔を浮かべる。

 

「『痛くなければ覚えませぬ』…至言だと思わないかい?」

「あ、あははは…」

 

なんて返そうか考えたが、なんと返しても藪蛇だと考え至り、苦笑いを浮かべた後に饅頭を頬張る。––––何故だが、さっきより苦く感じた。

 

「––––––冗談だよ。ちゃんと穏便に習得できる方法があるから、それで教えよう」

「…心臓に悪いですよ」

「あはは、ごめんね」

 

やや憎たらしい視線を向けるとさっぱりした様子で笑い、彼が縁台から席を立つ。–––彼からは嘘の匂いがしなかったから、おそらく本気だったのだろう。

 

「そろそろ夜も遅い。お茶会はここまでにしようか」

「わかりました。お盆は俺が下げて置きますね」

「悪いね、ありがとう」

「いいえ、これくらいは」

 

自分も饅頭を食べ切り、お盆を持って席を立つ。

 

「それじゃあおやすみ、炭治郎君」

「お休みなさい、小屋内さん」

 

そう言って別れようとすると「ちょっと待って」と呼び止められる。「はい?」と振り返ると、そこには微笑んでいる彼の姿があった。

 

「権兵衛、で良いよ。そんなに年が離れている訳じゃないし、もう知らない仲じゃないだろう?」

 

そう言って笑う彼を見ると、不思議と自分も笑ってしまう。

 

「はい!…それじゃあ権兵衛さん、お休みなさい!」

「うん、お休み。良い夜を」

 

その言葉を皮切りに、互いに別方向に向かう。板張りの廊下を歩きながら外を見ると、先ほどと変わらない月がそこにある。

 

「明日からの訓練、頑張るぞ!」

 

それを見た後、人知れず気合を入れる。静かに輝く月を背に、自分は縁台を後にした–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「権兵衛さん!お部屋に戻って下さい!」

「そうですよ!お身体に障りますって!」

「傷口が開いちゃいますよ〜!」

 

穏やかな日差しが差し込む蝶屋敷の廊下。そこには、いつもとはちょっと違う光景が繰り広げられていた。

 

「いやいや。これくらい大丈夫だよ」

 

白の病人服を着込み、上から穴が空いた藍色の羽織を羽織った少年、小屋内権兵衛が腕いっぱいに洗濯物を抱えて廊下を歩いている。対するすみ、きよ、なほの蝶屋敷三人娘は彼の前に立ち塞がり、両手を広げて通せんぼをしている。

 

「ついさっきまで寝ていたんですから、まだ休んでいないと不味いですよ〜!」

「二日も寝たんだからもう平気さ。だから通して欲しいんだけど…」

「絶対に通しません!さぁ、洗濯物を私たちに預けて下さい!」

 

先程から同じ押し問答が繰り返され、権兵衛はほとほと困り果てているような表情を浮かべる。

 

「とは言っても、寝ているのも暇だし…」

「暇していて下さい!ただでさえ権兵衛さんは蝶屋敷を守る為に怪我をしたんですから、そんな貴方に家事をさせるわけには行きません!」

「そんなぁ…」

 

いよいよ強行突破してしまうか、なんて権兵衛が考え始めると、彼の背後から足音が響く。その瞬間、権兵衛の顔が強張る。

 

「–––––一体、なんの騒ぎでしょうか」

 

鈴のような綺麗な声とともに、可憐な女性が姿を現わす。紫色の蝶を模した髪飾りをつけ、ニコニコと笑う彼女、胡蝶しのぶである。

 

「しのぶ様!」

「聞いてください!権兵衛さんが…!」

 

三人娘がわらわらとしのぶの所へ集まり、涙ながらに権兵衛の悪事を吐露する。対する権兵衛は通せんぼが消えたのをいいことに、そのまま庭先にある物干し台へと向かう–––前に、ひとりの少女が立ちふさがる。

 

「貴方は一体…何をしているんですか!」

「あ、アオイさん…」

 

アオイと呼ばれた少女は、二つに纏められた髪がゆらゆらと蠢き、怒髪天を突く雰囲気を醸し出している。そのあまりの気迫に、権兵衛はたちまちたじろいでしまう。

 

「病室から突然いなくなったと思えば、洗濯物を干しに庭先に向かうなんて何を考えているんですか!傷口が開いたら危ないんですよ‼︎」

「傷口なら大丈夫ですよ。たかが拳大程度の穴が空いてるだけです」

「それは世間一般だと大怪我って言うんです!良いから貸して下さい!」

 

「あっ」と名残惜しそうな声と共に洗濯物が権兵衛の手からアオイの手に渡る。「全く…」と呆れた声を隠しもせずに呟くと、そのままテキパキと庭先に向かってしまった。

 

「それじゃあ俺も手伝おう……」

「権兵衛君?」

 

穏やかな口調に、どこか凄みを感じながら振り向く。そこには、何か得体の知れない液体が入った試験管を持ち、可愛らしい笑みを浮かべた胡蝶しのぶの姿があった。

 

「お薬、欲しいですか?」

「いえ、遠慮しておきます」

「だったらどうすればいいか……わかりますよね?」

「…はい」

 

しゅんとした様子で頷く彼にしのぶがため息を零す。

 

「次やったら問答無用で薬を飲んで貰いますからね」

「以後気をつけます…」

「よろしい……それより、そんなに暇なんですか?」

「寝ているのはあまり性に合わなくて…」

 

頰を掻いて目を伏せる彼にしのぶが笑いかける。

 

「でしたら、私と少しお話しませんか?」

「お話、ですか?」

 

首を傾ける権兵衛に「はい」と頷く。

 

「丁度美味しい団子があるんです。良かったら如何ですか?」

「良いんですか?それだったら、他の人も…」

「少し込み入った話になりますから、出来れば2人きりが良いですね」

 

少し考え込む権兵衛…しかし、美味しい団子という言葉に惹かれて容易く頷く。

 

「わかりました。自分で良ければお付き合いします」

「ありがとうございます。それじゃあ行きましょうか」

 

なほ達に「後はお願いしますね?」と伝えると二人並んで廊下を歩く。

 

「怪我の具合は如何ですか?かなりの重傷だったと思いますけど」

「問題ありません。後五、六日もすれば戦線に復帰出来そうです」

「……無理していませんか?」

 

左脇腹を穿いた大穴。只人であれば二月程の療養が必要になる大怪我だが、それをたった一週間足らずで戦線に戻れると権兵衛は言い放つ。決して気負っていないその口調から、それが真実であるという事がわかる。

 

「いいえ?別に大丈夫ですよ」

「………そうですか」

 

しのぶの心配そうな声色になんて事無いように笑う。その姿に口を閉ざすしのぶの後に続き、権兵衛は蝶屋敷に置かれた客室に辿り着く。

 

「楽にして待っていて下さい。今お茶とお団子を持ってきます」

「それくらい自分が…」

「私が誘ったんですから、ゆっくりしていて下さい」

 

「あなたは怪我人なんですから」との言葉に閉口する権兵衛。素直な態度に笑みを零すと、客室からしのぶから離れる。

一人ポツンと取り残された権兵衛は辺りをキョロキョロと見回し、やがて飽きたのか瞳を閉じる。すると、静かな呼吸音が客室に響き始める。

緩やかな、大きくて静かな呼吸音が三度響くと、権兵衛が瞳を開いて呼吸を元に戻す。

 

「……良かった。忘れてないようだ」

 

–––––全集中、鈴の呼吸。先の蝶屋敷襲撃の際に権兵衛が習得、思い出した呼吸法。その感覚が未だ体に残っている事に安堵し、ふぅと息を吐く。

 

「師範は、どうして教えてくれなかったのだろう…」

 

自身の呼吸法が鈴の呼吸に通ずるものだと、権兵衛の師範は一度だって言った事が無かった。事前に伝えてくれれば、もっと早く使えていたかも知れないなんて、思っても仕方ない想像が彼の頭を過る。

 

「おまたせしました……何かしていましたか?」

 

そんな事を考えていると、お盆にお団子とお茶を載せたしのぶが客室に入ってきた。権兵衛はしのぶの姿を見て思考を切り替えると、彼女に笑いかける。

 

「いいえ、特になにも」

 

そんな権兵衛の様子に小首を傾げるが、やがて些事だと思い彼の正面にお盆を置き、自らも座る。しのぶと権兵衛の視線が一瞬交わるが、それはしのぶが頭を下げた事で途切れる。

 

「改めて、蝶屋敷を守ってくれた事、本当にありがとうございました」

 

深々と頭を下げる彼女に、権兵衛も同じように頭を下げる。

 

「どうか気にしないで下さい、しのぶさん。俺も、ここを守れて心から良かったと思っているんですから」

「…相変わらずですね、君は」

 

ある種予想通りの言葉を放つ権兵衛に微笑むと、「固くならないうちにどうぞ?」とお盆に乗せられているお団子を勧める。

 

「頂きます」

 

白いお皿に乗せられたみたらし団子を一串手に取り、一つを頬張る。その瞬間ホワホワとした雰囲気が客室に広がり、ニコニコと権兵衛が笑う。

 

「懐かしいです。しのぶさんと一緒に食べた茶屋のお団子ですね」

「流石、よく分かりましたね」

「あそこのお団子はとても美味しかったですから」

 

もきゅもきゅと瞬く間に団子を一串平らげる権兵衛に、湯呑みに注いだお茶を差し出す。権兵衛は「ありがとうございます」とそれを受け取ると一口啜り、白い息を吐く。

 

「本当に美味しそうに食べますね」

「好物ですから」

 

どこか自慢気な権兵衛に笑うしのぶも湯呑みに口を付ける。

 

「––––それで、話というのは?」

 

ある程度お団子も減り、お茶を啜る権兵衛が切り出す。

 

「別に、そんなに難しい話では無いですよ。権兵衛君、貴方の今後についてです」

「自分の今後について、ですか?」

 

小首を傾げる彼に「はい」と言葉を続ける。

 

「もうすぐ那田蜘蛛山での傷病人が全員退院します。そうなると、貴方の懲罰も終わります」

「そうですか。それは、少し寂しくなりますね」

「本題はここからです。権兵衛君、貴方はここを出た後、前と同じような生活を送る気ですか?」

 

前と同じような生活。それはつまり、不眠不休による鬼殺に他ならない。当然それを理解している権兵衛は持っていた湯呑みをお盆に置き、瞳を閉じる。

 

「–––––えぇ」

 

僅かな沈黙の後、瞳を開いて口を開く。開かれたその瞳は、とても黒かった。

 

「正気ですか?あんな生活を続ければ、いつか死んでしまいますよ」

 

敢えて強い口調で問い詰めるしのぶ。けれど、権兵衛はそれに笑って答える。

 

「そうかも知れません。ですけど、立ち止まっている訳にはいかないんです」

「–––––もし貴方が蝶屋敷に必要だと言った場合は、どうですか?」

 

しのぶの声に疑問の声を上げる。

 

「蝶屋敷に自分が必要…?」

「はい。先の蝶屋敷襲撃の時、現役の隊士が裏切ったのは当然知っていますね」

「…えぇ。自分が手にかけましたから」

 

変わらない権兵衛の口調に、少しの罪悪感を覚えながらしのぶが続ける。

 

「その事実を受けて、柱合会議で隊士への監視の強化が決定しました。しかし、それだけでは不十分だと私は考えています。特に多くの隊士が出入りするここは、全ての隊士に目を光らせる事は不可能と言っていいでしょう」

「…つまり?」

「襲われる事を前提に動かなければならない、という事です」

 

しのぶの言葉に権兵衛が返す。

 

「蝶屋敷には、すでに蟲柱のしのぶさんと継子のカナヲさんが居ます。十分な戦力だと思いますが…」

「けれど、今回は留守を襲われました。今回のように、二人が同時に屋敷を空ける事は別に珍しくないですから、いつでも動ける人材が欲しいんです」

「…成る程。理に適っていますね」

 

胡蝶しのぶは現役の蟲柱。その継子であるカナヲもまた隠の隊長である事から、その任務内容は激務だろう。そう考えて権兵衛は唸る。

 

「そこで権兵衛君、私としては貴方に留守の間を守って欲しいんです」

 

「どうですか?」と尋ねるしのぶに、権兵衛は少なくない時間を思考に費やす。時折「うーん」となれない頭を使う程に悩む権兵衛––––––しかし、やがて結論を出したのか正面に向き直る。

 

「申し訳ありません。それを受ける事は、自分には出来ません」

 

––––その時、部屋の雰囲気が変わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––何か、理由があるんですか?」

 

浮かべている笑みは同じだが、視線が一気に冷たくなったしのぶさんに困ったような笑みを浮かべる。–––––先の提案は、おそらく自分を気遣ってのものだったのだろう。彼女の様子から簡単に想像できる。

こちらに気を使ってくれた彼女にこれ以上言葉を続けるのは良心が痛むが、その痛みを無視して口を開く。

 

「はい。まず蝶屋敷の防衛についてですが、それについては自分よりも適役が居ます」

「…それは?」

「炭治郎君達です。彼等とは一度肩を並べて戦いましたが、あれは伸びます。護衛に回すなら彼等が適役でしょう」

「理解できません。あの三人が、貴方よりも強いと?」

「いいえ、今はまだあの三人を相手にしても自分が勝ちます」

「なら–––––」

「ですけど、それはあくまでも今の話です」

 

口を閉ざすしのぶさんに、言葉を続ける。––––ここで素直に蝶屋敷に残ると言えばおそらく事は丸く収まるのだろうが、蝶屋敷の事を考えるのであればそれが得策でない事は明らかだ。

 

「そもそも、屋敷の防衛を考えるのであれば一人よりも三人の方が効果的です。彼等の連携は特出しているものがありますから、守る事にはうってつけだと思いますよ」

「…例え彼等が貴方の通りに育ったとしても、それまでの間は誰が蝶屋敷を守るんですか?」

「しのぶさんが守ればいいと思います」

「私は現役の柱です。受け持っている担当区域があるのですから–––––––まさか」

 

自分が言いたい事に気がついたのだろう。ハッとした表情を浮かべるしのぶさんに言葉を続ける。

 

「はい––––––彼等が育つまでの間、自分がしのぶさんの区域を担当します」

「っ……⁉︎」

 

しのぶさんが立ち上がり、目を見開く。––––結局の所、多分これが最善なんだと自分は思う。

 

「貴方は…そこまでして…!」

「…これが一番、合理的かと。しのぶさん本人が、ここを守るべきだと思います。だって貴女が、ここの主人なんだから」

「–––蝶屋敷は、気に入りませんでしたか?」

 

微かに震えるしのぶさんに首を振るう。

 

「正直な話、ずっと居たいと思うほど居心地の良い所です」

「なら…」

「だからこそダメなんですよ。ここは、自分が長居して良い場所じゃありません」

 

はっきりと断じる。

 

「しのぶさんだって見たんでしょう?庭先に転がる、二つの死体を」

「…えぇ」

「憎しみに任せてあんな事が出来る奴なんですよ、俺は。そんな奴に、気を使う必要はありません」

 

「もちろん気を使ってくれるのは嬉しいですけど」と口を閉ざす。

 

「だからどうしたというんですか。貴方は貴方の考えに基づく『鬼』を殺したに過ぎません」

「それはあくまでも自分の考えですよ。客観的に見れば、自分は感情のままに人を二人解体した異常者です」

「……その考えは嫌いです。二度と口にしないで下さい」

 

気分が悪そうな表情を浮かべるしのぶさんに「すいません」と頭を下げる。

 

「…どうしても、先の生活に戻りたいんですね?」

 

しのぶさんの問いに、心の奥底にある思いに蓋をして、口を開く。

 

「はい。…立ち止まるのは、性に合いませんから」

「わかりました。なら、この話はここまでにしましょう」

 

「少し用事を思い出しました。外に出ているので、権兵衛君は安静にしていて下さいね」と部屋から出て行くしのぶさんを見て、ふぅと息を吐く。

 

「…我ながら、なんて馬鹿なんだろうな」

 

たった一言「是非、よろしくお願いします」と伝えるだけで、ここの微睡みのような生活を続ける事が出来たのに、自分は敢えてそれを手放した。全く合理的とは思えない判断をした事実に、思わず顔を掌で覆う。

 

「けど、それが一番良いのは間違いないよな…」

 

やがて顔を戻し、少し冷めた湯呑みを手に取る。

蝶屋敷に滞在しながらでは、どうしても行動範囲に制限が付いてしまう。自身が今鬼殺隊でどういう立ち位置にいるのかは重々承知している為、この生活が続く事が、鬼殺隊全体にとって良くない事はわかっていた。

 

「…さてと、硬くなる前にお団子を食べちゃうか」

 

なるべく早くここを出よう、そう決意して目の前の団子を手に取る––––––前に、目の前からお団子が載せられた白い皿が消える。

 

「あれ?お団子は…?」

「ここだよ、大馬鹿野郎」

 

ゴンッと鈍い音と共に頭蓋に拳のような硬いものが突き刺さる。どこか懐かしいその痛みに涙目になりながら背後を見ると、そこには予想通りの人物がお団子を持って立っていた

 

「な、何をするんですか、宇髄さん⁉︎」

 

輝石を嵌めたバンダナを付け笑顔を見せる彼に、俺は堪らずそう叫んだ。

 

「何をすんだ、じゃねぇよ。何胡蝶の誘いを断ってるんだよ、お前馬鹿か?」

「馬鹿って…俺には俺の考えがあるんですよ!」

「お前の考えってあれだろ?どうせ「自分のような人でなしはここにいちゃいけないー」みたいな奴だろ?」

 

「あーヤダヤダ。青臭くて涙が出るね」と小馬鹿にしてくる宇髄さんに多少イラつきながらも、一度落ち着いて笑みを浮かべる–––––多少引きつっているかも知れないが、多分気のせいだ。

 

「大体なんですか、不法侵入ですか?現役の柱があまり関心しませんね」

「俺は今日あいつに用事があったんだよ」

「用事?例えば?」

「嫁のすまが転んで腰を打ってな、その張り薬を貰いに来たんだよ」

「…あ〜」

 

なんとなく予想できる絵面に納得する。–––––成る程、たしかにそれはあり得る話だ…。

 

「で、胡蝶を探してここをうろついてたら、青臭い奴のアホみたいな言動を聞いたってわけだ」

「…それはどうも。生憎ですけどしのぶさんはここには居ませんよ。さっき出て行きましたから」

「おう、知ってる。んで、その時去り際に張り薬はもらった」

 

そう言って紙袋を見せてくる。それを見て思わず脱力する。

 

「じゃあなんでここに居るんですか…」

「お前の様子を見に来たんだよ。––––今ならまだ間に合うぞ?」

 

何が間に合うのか、とは聞かなかった。

 

「…こっ酷く言いましたから、今更訂正できませんよ。それに、後悔は少ししかしていませんから」

「少しは後悔してるのな」

「そこに突っ込まないで下さい。俺だって、ここに居たい気持ちはあるんですから」

「なら居りゃ良いじゃねぇか。絶好の誘いだったろ、今のは」

 

そういう宇髄さんに首を振るう。

 

「人を助ける場所に、人でなしは不要でしょう。傷が治り次第、ここを出て行きますよ」

「…そうかい。まぁ、それがお前の考えなら俺は止めねぇよ」

 

宇髄さんが客室から出て行くのを見送る–––––その時「権兵衛」と短く呼ばれる。

 

「まだ何か?」

「お前は鬼殺隊の隊員だよな?」

「…そうですけど?」

 

要領を得ない言葉に首を傾けるが、一応頷く。「そうか」と小さく呟くと宇髄さんはそのまま部屋から出て行った。

 

「…何だったんだ?」

 

意味深な言葉と共に消えた宇髄さんに思いをはせる–––––そのあと、「あっ」と、間の抜けた言葉と共にある重要な事を思い出す。

 

「お団子、返してもらうのを忘れた……」

 

まだ半分程度しか食べていなかったお団子が消えた事に静かに涙し、冷めたお茶を啜った–––––––––。

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

 

–––––––四日後。

 

穏やかな日差しが肌を差す日中に、その知らせは唐突に届けられた。

 

「カァー!伝令!伝令!」

「お、久し振りだな鴉。元気にしてたか?」

 

窓から突如現れた鴉が肩に乗り「伝令!伝令!」と叫ぶ。そんな鴉の羽を二、三度撫でると、正面に持ってくる。

 

「それで、内容は?」

「小屋内権兵衛!二日後ニ行ワレル柱合会議ヘノ出頭ヲ命ズル‼︎」

「柱合会議に出頭?俺が?」

「カァー‼︎」

 

コクコクと頷く鴉を見て疑問符を浮かべる。最近は特になにか、それこそ柱合会議に呼ばれるような事をした覚えがないのだ。

 

「どうして俺が呼ばれたかはわかるかい?」

「蝶屋敷襲撃ノ詳細ノ報告!」

「あぁ、成る程ね」

 

些か以上に特殊さを帯びた今回の襲撃。その仔細を直接聞き、今後の対応に役立てる腹積もりなのだろう、そう考えて一人納得する。

 

「わかったよ。それでついでなんだけど、それまでに鬼の出現情報をまとめて置いて欲しい」

「………」

「鴉?」

 

本部に帰るついでに鬼の出現情報が欲しい、そう考えての言葉だったのだが…。

 

「………カァー‼︎」

「ちょ、鴉⁉︎何処に行くんだよ⁉︎」

 

なにも返事をすることなくその場から飛び立つ鴉を呼び止めるが、こちらの言葉などどこ吹く風で視界から消える。どこか冷たげな感じに頭を悩ませるが、どうせいつもの事だろうと割り切る。–––––それよりも、可及的速やかに対応しなければならない事態があるからだ。

 

「…おーい、すみちゃん達ー?」

 

病室から三人娘に声をかける。すると、顔半分だけを入り口から見せる三人が現れる。その顔はむー、とむくれており、とても不機嫌な事がわかる。

 

「そろそろ機嫌を直して欲しいな、なんて……」

「むー!」

 

一言こちらを威嚇すると、視界の外に引っ込んでしまう三人に溜息を吐く。––––三日前の昼過ぎからずっとこんな調子で、正直参っているのだ。

彼女らに特に何かしたわけでもないのにあんな状態になってしまい、途方に暮れているのが現状だ。しかし、あの三人はまだ可愛い方だ。

 

「–––お水を持ってきましたよ」

 

触れるな、とでも言いたげな冷たい雰囲気を纏う彼女、アオイさんが水差しを持って傍に置いてくれる。

 

「あ、アオイさん。ありがとうございます」

「………」

 

それを置くと無言で部屋から立ち去る彼女に何か声を掛けようと手を伸ばすが、何も話題が浮かんでこずに手を引っ込める。

 

「…一体、なんだって言うんだ」

 

突如豹変してしまった彼女達に頭を悩ませるが、結局答えが浮かんでこずに枕に頭を埋める。そのままぼんやり病室の出入り口を見ていると、見慣れた三人組の姿が見えた。

 

「おーい、炭治郎君達ー」

「あっ、権兵衛さん!怪我の調子は–––––」

「あぁー!そういえばこれから機能回復訓練なんです!すいません権兵衛さん!一回失礼しますー‼︎」

 

額に痣のある少年、竃門炭治郎君に髪を金色に染めた我妻善逸君、頭に猪の被り物をした嘴平伊之助君に声をかける。すると笑顔で炭治郎君がこちらに寄ってきてくれるが、善逸君に引っ張られてその場から立ち去ってしまう。

突然の流れに思わず呆然としてしまうが、今回のような事が此処三日間で数える程度にはあったのですぐに目を覚ます。

 

「炭治郎君に呼吸を教えてあげられてないのに…」

 

なんとなく避けられている、そんな風に覚えつつ布団に潜り込む。

 

「…寝るか」

 

やる事が消えてしまった今、大人しく瞳を閉じて思考を落とす。柔らかいベットは自分のささやかな悩みを優しく包み込み、そのまま眠りに落ちていった–––––。

 

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

 

 

「…なぁ善逸。さっきのは不味かったんじゃないか?」

「……やっぱり?」

 

板張りの廊下を歩いていると、ふと炭治郎から声が出てかけられる。–––やっぱり、さっきのは不味かったよな…?

 

「権兵衛さん、とっても寂しそうな匂いをしてたぞ。流石に可哀想じゃないか?」

「俺もそう思うよぉ…けどさぁ」

 

そう言って、廊下を歩いていく髪を二つに纏めた少女、神崎アオイさんを見る。––––やっぱり、めちゃくちゃ怒っている音がする…!

 

「炭治郎もわかるだろ?なんか屋敷の人達がみんな怒ってる事がさ」

「まぁ、それは…」

「怒ってるからなんだってんだ?別に放っておけば良いだろ?」

 

伊之助の言葉に首を振るう。

つい三日程前から、なんだか屋敷で働いている人達から怒っている音が聞こえるのだ。それも、とてもつもない怒りだ。とても饅頭を盗み食いした程度で怒るほどではない。

 

「そういう訳にもいかないだろ?なんとなく、権兵衛さんに怒っているのはわかるけどさ…」

 

どことなく権兵衛さんに向ける視線が厳しい事から、今はあの人から距離を置いている。もし関わって藪蛇を喰らうことはなんとしても避けたいからだ。

 

「そろそろ権兵衛さんから止血の呼吸法を教わりたいんだけど…」

「もう少し時間を置いてからにしようぜ?なんだか今はピリピリしているしさ」

「うーん、そうかな…」

 

俺も権兵衛さんからお団子とかご馳走して欲しいけれど、もし関わって女の子に怒られたら俺は泣く。

 

「…ほんと、何があったんだろうな」

「何かありましたか?」

「ヒエッ!いえ何も!」

「何もないなら廊下に立たないで下さい!ほかの人に迷惑になりますから!」

 

そうやって三人で考えていると、背後からアオイさんに怒られる。とっさに道を開ける–––––その時、炭治郎が「すいません!」と声を掛ける……ってまじか⁉︎

 

「ちょ、炭治郎さん⁉︎」

「アオイさんは一体何に怒っているんですか⁉︎」

「おいぃぃぃぃぃぃ⁉︎何言っちゃってるんですかねぇぇぇ⁉︎」

 

アオイさんに質問する炭治郎に飛びつき、口元を押さえつける。

 

「少しは空気を読むってことを覚えようよ!何自分から藪蛇に突っ込んでいってるのさ⁉︎」

「け、けど………」

「–––––そんなに、怒っている風に見えますか?」

 

炭治郎ともみ合いをしていると、ふとそんな言葉がかけられる––––あれ?なんだか…。

 

「は、はい。とっても怒っている風に見えました」

「そう、ですか……」

 

やがて何かを考え出した彼女は少し暗い顔になる。しかし、それも一瞬で、すぐにキツイ目をこちらに向ける。

 

「貴方達には関係ありません!さぁ、用がないなら早く病室に戻って下さい‼︎」

「あぁん⁉︎テメェ俺に指図すんのか⁉︎」

「落ち着くんだ伊之助!ほら、早く行こう!」

「そうだよ!あー!今日も疲れたなー!」

 

暴れる伊之助を炭治郎と二人で押さえつけて連行し、その場を後にする––––––––その時、アオイさんが言ったであろう独り言が耳に残った。

 

「…馬鹿」

 

声色ともに響く鈴の音色は、とても寂しそうな音だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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白の病人服から小豆色の隊服に着替えて、上に藍色の羽織を羽織る。背中に大太刀、鈴鳴り刀を紐で吊り下げる。懐には水色の短刀をしまい込み、肩には茶渋色の雑嚢を掛ける。

 

「––––––––行こうか」

 

身につけている備品の確認を全て完了し、蝶屋敷の病室を後にする。

自身が持ってきた手荷物は全て肩にある雑嚢に押し込み、本部からそのまま鬼を殺しに行けるように態勢を整えている。

 

「…怪我は治ってないけど、これ以上ここには居られないな」

 

どこか雰囲気が悪くなってしまったここに、原因である自分は長居するべきではない。本当に何かした覚えはないのだが、おそらく自分が原因だろうとはなんとなくわかっていた。

 

「権兵衛さん!」

 

板張りの廊下を歩いていると、背後から明るい声色が聞こえる。振り向くと、そこには病人服を着た炭治郎君の姿があった。

 

「もう行くんですか?」

「うん。結局、止血の呼吸は教えることが出来なかったね」

「気にしないで下さい。機能回復訓練が思ったよりキツくて、余裕が無かった自分が悪いんですから」

 

約束を違える事になってしまった彼に頭を下げると、炭治郎君は笑って首を振るう。

 

「落ち着いたら鴉を伝ってやり方を教えるよ。半分独学で覚える事になるけど、大丈夫かい?」

「大丈夫です!–––本当に、色々とありがとうございました!」

 

頭を下げる彼の肩に置き、二度優しく叩く。

 

「君の道行きに、幸運がある事を」

「小屋内さんも、どうかご無事で‼︎」

 

二人笑いあってから彼と別れ、長い廊下を歩いて蝶屋敷の玄関に辿り着く。そこには、すでに二人の隠が頭を下げて待機していた。

 

「産屋敷への道先案内人を任された隠です。小屋内様、よろしくお願い致します」

「そんなにかしこまらないで下さい。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 

「荷物はこちらに」と手を出す片方に荷物を預けてから玄関から外に出る。

 

「随分大荷物ですね?今回は質疑応答だけだと聞いていますが…」

「中に資料が入ってるんです。日輪刀は一応の護身用ですね」

「は、はぁ…」

 

困惑する隠を余所目に照りつける太陽に少し目を細めると、玄関先にアオイさんを見つける。

 

「…アオイさん」

「出発ですか、権兵衛さん」

 

ぶっきらぼうに口を開く彼女にどこか寂しさを感じるが、悟らせないように笑みを浮かべる。

 

「はい。少し出て来ます」

「…今日は甘露寺様がお見えになるそうです。夕食は腕によりをかけて作りますから、なるべく早く帰ってきてくださいね」

「はい、ありがとうございます」

「私は機能回復訓練があるので、それでは」

「頑張って下さい、アオイさん」

 

テキパキと屋敷の中に入っていったアオイさんを見送った後、頭を下げる。

 

「小屋内様、そろそろ」

「はい、それじゃあよろしくお願いします」

 

最後に蝶屋敷に頭を下げた後、目元に黒の手拭いが当てられ、視界が遮られる。

 

「それではこのまま本部までお送り致します。短い間となりますが、よろしくお願いします」

「はい。よろしくお願いします」

 

視界が遮られたまま、自分は産屋敷へと向かう。頰を撫でる暖かな風にどこか寂しさを感じながら、自分は蝶屋敷を後にした–––––––––。

 

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

 

 

「階級甲、小屋内権兵衛入りま……」

 

荘厳な襖を開け、一際大きな客間に出る。そこにはお館様を真ん中に横に柱の方々が佇んでいる。柱合会議には初めて招集された身であるからこういう物なのか、と庶民じみた事を考える。が、何かその雰囲気が変だ。

 

「………」

「………」

「………」

 

全員が沈黙している、そこまでは良い。厳粛な会議の場だ、騒がしかったらそれこそ問題になる–––––しかし、ここまで敵意ある視線がこちらに向けられているのはどう言う事なのだろうか。

お館様はどこか悲しそうに目を伏せて、不死川さんについては目だけで鬼が殺せそうな眼光を自分に向けて放っている。

よくわからない状況に思わず言葉が詰まってしまうが、とりあえず立ち尽くすのも良くない為客間に入る。

 

「…やぁ、権兵衛。よく来てくれたね」

「は、はい…。あの、一体どうしたのでしょうか?これは……」

 

悲しげな表情を浮かべるお館様に困惑しつつ、言葉を返す。

 

「一体どうしたのだァ?随分なご挨拶じゃねぇか?」

「し、不死川さん…?」

 

より一層の眼光を放ちながら風柱の不死川さんがこちらを睨む。

 

「落ち着け不死川。権兵衛は早く座れ、話はそれからだ」

「りょ、了解しました…」

 

岩柱の悲鳴嶼さんの言葉に従い、下座に座る。

 

「あの…蝶屋敷襲撃の仔細について報告せよ、との連絡を受けて来たのですが…」

「えぇ、そうですよ。私が依頼しました」

「しのぶさん……って⁉︎」

 

しのぶさんの手には、自分がたしかに隠に預けた茶渋色の雑嚢が収まっていた。

 

「おかしいですね…。今日はここに説明に来るだけの予定なのに、どうしてこんなものが中に入っているんですか?」

 

そう言って雑嚢の中から痛み止めの薬や包帯、保存食を取り出して行く。

 

「これだけの装備…まるでこれから鬼を殺しに行くみたいですね?」

「……そ、それは」

「怪我、治ってませんよね?権兵衛君?」

 

言い得ぬ凄みを持つ彼女に閉口する。–––––…と、言う事は。

 

「あぁ、度し難い度し難い。怪我が完治していないのに蝶屋敷を脱走し、剰え鬼を殺しに行く?よほど頭が悪いと思える。いっそ脳味噌を洗浄してもらった方が良いんじゃないか?」

「あまりの愚行、言葉に詰まる!蝶屋敷防衛の功績を帳消しして余りあるな‼︎」

「本当にバカだなぁ、君は。一度蝶屋敷を抜け出しているんだろう?胡蝶さん相手に二回目が通用するわけないじゃないか。そんな事も分からないならいっそ考える脳みそなんて要らないんじゃない?」

「可哀想だ、可哀想だ…。自らの怪我の具合も分からず鬼を殺しに行くとは…」

 

柱の方々から浴びせられる罵声に唸り声が出る–––流石に見通しが甘すぎたか…。

 

「し、しかし、鬼を殺す事はこれ鬼殺隊の本分。特に罰せられる様な事では無いのでは…」

「お前は蝶屋敷の雰囲気に居た堪れ無くなって抜け出しただけだろ。鬼殺隊の本分を挙げてド派手に嘘をつくな」

「……むむむ」

「むむむじゃねぇよ…」

 

せめてもの反論をしようとしたが、宇髄さんの一言に完全に説き伏せられる。…駄目だ、これは不味い。

背中に嫌な汗が吹き出るのを感じつつ、口を閉ざす。

 

「…権兵衛」

「お、お館様…」

 

とても悲しそうな声色のお館様に益々肩を縮める。

 

「権兵衛がとても頑張り屋な人なのはここにいる全員がよくわかっている。だからね、君の無茶や無謀を咎めているんだ」

「……はい」

「怪我が治っていないのに、蝶屋敷を抜け出すなんてやってはいけない事だ。そんな状態の君に鬼を殺して貰っても、誰も喜ばないよ」

「返す言葉も御座いません……」

 

––––どうして自分は、本部にきた途端にこんなに怒られているのだろうか。そもそも、自分が蝶屋敷を抜け出そうとしたのは柱合会議に出席せよと命令を受けたからで……。

その時ふと、一つの可能性に行き着く。

 

「ま、まさか…」

 

震えながらしのぶさんの方を見る。そこには毅然とした表情を浮かべている彼女が見える……が、その瞳の奥が微かに震えている事が見えた。

 

「…さて。これでよくわかって貰ったと思います。権兵衛君は少し加減を知らなさ過ぎます。例え傷が完治し、再び遊撃の任に就かせたとしても、同じ事を繰り返す事が目に見えています」

「そ、そんな事は…」

「現に貴方は2回目です。反論できる要素はありますか?」

「…いえ」

 

何を言っても論破される。そんな確信が自分にあった。

 

「しかも権兵衛君は必要以上に自罰的になるきらいがあります。この前も自分のことを人でなしと罵り、気を使われる様な人間では無いと宣っていました」

「なんと言うことだ……自らの価値すらわからないとは…」

「…権兵衛、君は」

「ち、違います!いえ、そう言ったのは違いませんけど…」

「諦めろ権兵衛。ここに完全装備で来た時点で、お前に言い逃れできる道はねぇ。派手にちゃんと話を聞け」

 

呆れた宇髄さんの言葉に閉口する。…どうやら、宇髄さんの言うとおりらしい。

 

「…このままでは柱に匹敵する人材が無為に失われてしまいます。そこで改めて、彼を蝶屋敷で預かる事を提案します」

「そ、それは駄目です!それだけは……‼︎」

「–––自分が人でなしだから、ですか?」

 

しのぶさんの問いに静かに頷く。すると、しのぶさんが「はぁ…」とため息を吐き、目を伏せる。

 

「言っておきますけど、ここにいる人達は私を含めて、誰もそう思っていません。勿論、お館様もです」

「…それは」

「それとも、許されるのが怖いんですか?」

「––––っ」

 

しのぶさんの核心を突く言葉に言葉が詰まる。

 

「…貴方はもう十分過ぎる程に頑張っています。そして、そんな貴方を私は殺したくない。貴方はこれからも、多くの人を助ける人なんだから」

 

懐から紫色の御守りを手に取る。自らを戒める、誓いの象徴。

 

「–––俺は、このあり方を変える事はありません。人を傷つける人は鬼と変わらず殺します。そこに、分別を付ける気はありません」

「知っています」

 

もし何度あの場面に遭遇したとしても、自分は同じ殺し方であの二人を殺すだろう。しかし、そんな事は些事だというようにしのぶさんが笑う。

 

「……俺は頭が悪いです。しかも頑固で、あまり聞き分けが良くありません」

「知っています」

「…………自分は、肝心な所で間に合わない人間です。今回は偶々間に合いましたが、次も間に合うとは限りません」

「貴方なら出来ると、私は信じています」

 

ここで断れば全てが丸く収まるのだと、最後通告として告げる言葉にすら、しのぶさんが笑う。––––––敵わないな、この人には。

 

「しのぶさん。先日の話ですが、撤回してもよろしいでしょうか」

「仕方ないですね、私は寛大ですから」

 

手に持っていた御守りを懐にしまい、頭の中で謝罪する–––––––ごめん、少し足を止めるよ。

 

「–––––蝶屋敷防衛の任務、改めて受領したく思います」

「はい。よろしくお願います」

 

花のように笑うしのぶさんを見る––––––この日俺は鬼殺隊に入って、初めて足を止める事を決めた。

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛
胡蝶しのぶの提言によって足を止める事を決断した少年。彼の持つ人を殺す物が鬼という考えは、始まりの鬼殺から持ち始めたものである。集落一つを潰すという鬼に等しい所業を成した彼は、「こんな事をする奴は鬼に違いない。つまり自分は人では無く鬼だったのだ」と考える事でしか、精神の安定を図る事が出来なかった。人を殺した自分が鬼であるのだから、人を殺す奴が鬼なのだという考えに行き着いた。蝶屋敷に定住しなければどこかで鬼になっていた事は明白である。

胡蝶しのぶ
権兵衛の危うさを見抜き、蝶屋敷に囲い込んだ人物。鴉を使って権兵衛を本部に招集するようお館様に嘆願した人物でもある。抜け出す事を予想し、逆に追い詰める様はまさに策士のそれ。

神崎アオイ
胡蝶と権兵衛の話を聞き、自らを必要以上に戒める権兵衛に怒りを持っている少女。一般隊士の中で唯一権兵衛の事を真正面から叱りつける事が出来る貴重な人材でもある。


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鬼殺隊一般隊員は決意し、お団子を頬張る

ちょっとした息抜き回
※アンケート回答ありがとうございました。今後の参考にさせて頂きます!


 

「––––––––本当に宜しかったのですか、お館様」

 

権兵衛が退出した後の柱合会議で不死川実弥が口を開く。

 

「…これで良かったと私は考えている」

「しかし……」

 

小屋内権兵衛の危うさ。それは今回の一件で柱の全員が認識した。まさか左脇腹に穴が空いている状態で屋敷を抜け出し、剰え鬼を殺しに赴こうとしたのだから、その危険さは計り知れない。–––しかし、だからといって小屋内権兵衛という特記戦力を蝶屋敷に留まらせるのも、また大きな不利益があるのだ。

 

「小屋内権兵衛が昨年殺した鬼の数は二百程度。しかもこれはあくまで確定戦果であり、彼のことだから未報告の鬼殺もあり得るだろうな」

「一人でどれだけの鬼を殺したんだか…」

 

小屋内権兵衛という強大な遊撃戦力の喪失。それは、必然的に他の隊士への皺寄せが向かう。しかし、そんな事は些事だと胡蝶が口を開く。

 

「彼は蝶屋敷に滞在しますが…恐らく彼の事です。頻度は落ちますが、今まで通り鬼を殺して回るのでしょう」

「それはそうだが…」

「今まで遊撃に専念していたのが、これから蝶屋敷の防衛も受持つ事になったのだ。殺す鬼の頻度が落ちるのは避けられないだろう」

 

特に最近は鬼の動きも活発化しており、市井の安全を守る為にはそれこそ身を削っての鬼殺が求められる。しかし、それらの言葉は甘露寺の何気ない一言で封殺される。

 

「そもそも、今までの権兵衛君がおかしかったんじゃないかな?」

「……まァ、否定は出来ねぇな」

 

一年足らずでここにいる柱の殆どの鬼殺記録を抜き去った権兵衛。この場にいる柱の中で彼に鬼殺数を抜かされていない者は岩柱の悲鳴嶼と風柱の不死川、音柱の宇髄程度だろう。他の柱をあっという間に抜き去ったその異常性は、もはや怪物の類だろう。

 

「それよりも胡蝶、あいつの怪我はどんな感じだったんだ?随分普通そうにしてたが」

「…拳大の大穴が脇腹に空いていたんです。五日程度じゃまともに動けないはずですよ」

「…権兵衛って鬼だったの?」

「やめろ時透。俺も一瞬よぎっただろうが」

 

突出した継戦能力に人並み外れた耐久力に回復力–––鬼と言われても仕方ない要素が揃っている事に全員が閉口する。

 

「鈴の呼吸についての些細は明らかになっているのか?」

「それが…文献が余りに少なすぎるんです。江戸時代初期から続く、伝統ある呼吸法という事までは判明したんですが…」

 

胡蝶が首を振るう。鬼の血鬼術を弱めるかも知れない呼吸法という特異に満ちたそれだが、詳細を記した文献は雀の涙程度しか現存していないのだ。

 

「しかし、伝統ある呼吸ならここにいる誰かが知っていなければおかしいではないか?」

「そういう煉獄はどうなんだよ?煉獄家にはなんか資料が残ってなかったのか?」

「全く残っていなかったぞ!弟の千寿郎にも頼んだが、一切成果が無かった!」

「…となると、本当に謎だな」

「お館様は何かご存知では無いのですか?」

「私も鈴の呼吸という言葉は初耳だね。少なくとも、ここ百年にその呼吸を使う剣士は居なかった筈だよ」

 

権兵衛が会得した全集中、鈴の呼吸。文献があった事から過去にも存在した事は明らかなのだが、その絶対数が少なすぎて内容が掴めていないのだ。

 

「あいつの育手が鈴の呼吸の使い手じゃなかったのか?」

「違うと権兵衛君はいっていましたね。現に彼はつい最近まで水の呼吸を使っていましたし」

「……本当に飽きさせない奴だな、おい」

 

宇髄の言葉に殆どが頷く。その在り方と言い、鈴の呼吸と言い、話題に事欠かない少年である事には間違いないからだ。

 

「権兵衛君のお目付け役頼むよ、しのぶ」

「お任せ下さい。今頃は屋敷の皆んなにボロボロに言われていますから、少しは大人しくすると思います」

「ほ、程々にね、しのぶちゃん…?」

 

それそれはとてもいい笑みを浮かべる胡蝶に冷や汗を流す甘露寺。

 

「当面は様子見か…。隊士の見張りについてはどうする?」

「前回の悲鳴嶼さんの意見をそのまま採用する事と、後は隊士の身分調査を行う事ですかね…」

「むぅ…あまり気は進まないな…」

「だがやるしか無いだろう。この事はここにいる者とごく一部の信用できる隊士のみで共有し、早急に情報網を構築しなければ…」

 

現役の隊士の裏切りによって蝶屋敷が襲撃された今回の一件、柱の神経を使う案件にはあまりある物だ。

 

「お館様、申し訳ありません。まさか身内から裏切り者が出るとは…」

「行冥が謝る事じゃ無いさ。それに、今回は権兵衛のお陰で被害は最小限に抑えられたんだ。ほかの善良な隊士達が力を合わせれば、乗り越えられない難局じゃないさ」

「勿体ないお言葉、痛み入ります」

「–––––皆んなには本当に迷惑をかける。けど人の世を守る為に、鬼を滅殺する為に、どうか力を貸して欲しい」

 

産屋敷輝哉の言葉に全員が頭を下げる。当主への絶対の信頼、それこそが柱の結束を固めるのだ––––––––。

 

 

 

 

 

______________________

 

 

 

 

「––––––その様子だと、こっ酷く言われてきたみたいですね」

 

二度と来ないはずが、僅か二刻程度で戻ってきてしまった蝶屋敷の門の前。そこには、四人の少女が横に並んでこちらを見ている。真ん中にアオイさんがしょうがない人を見る目でため息をつき、左右にすみちゃん達が分かれてむー、と顔を膨らませている。

 

「……あ、あはは」

 

思わず苦笑いを浮かべる––––本当に、我ながら恥ずかしい話だ。

 

「全く…取り敢えず早く中に入って下さい。話はそれからです」

「すいません…」

 

「荷物お持ちしますよ〜」とわらわらと集まるすみちゃん達に荷物が剥がされ、手を引かれて屋敷の中に連れて行かれる。

 

「私達が怒っていた理由が分かりましたか?」

「…痛いほど」

 

問いかけるなほちゃんに頰を掻く。

 

「なら良いです!二度とあんな事言わないで下さいね!」

「次言ったらとっても苦い薬を飲ませますよ!」

「とても痛い柔軟をやりますよ!」

 

頰を膨らませるすみちゃん達にペコペコと頭を下げる––––今度お詫びに、甘い物でも買ってこないとな…。

 

「まずは病人服に着替えて下さい。すみ達は荷物を彼の私室に」

「はーい!」

 

テキパキと動く彼女らを傍目に、再び頭を下げる。

 

「何から何まですいません…」

「気にしないで下さい。これが私のやるべき事ですから」

 

蝶屋敷の玄関を潜り抜ける。そのあとすみちゃん達が離れ、二人で屋敷の中を歩く。板張りの廊下を歩く音だけが耳に響くが、やがてアオイさんが口を開く。

 

「…本当に怒っていたんですからね、私」

「………すいません」

 

何に怒っているのか、そんな野暮な事は聞かずにただ謝罪を口にする。–––あの時宇髄さんが俺の目の前に現れたのは、アオイさんのことを意識から外すためのものだったのだと、何となく理解していたからだ。

 

「貴方は人でなしもなければ、ここに相応しくない人でもありません。しのぶ様からも、そう言われたでしょう?」

「はい–––自分が思っていたよりも、遥かに優しかったです」

「これが普通なんです。貴方が変な考えを拗らせなければ、ここまで大事にはならなかったんですからね?」

 

彼女の苦言に頰を掻く。

 

「あと今だから言いますけど、貴方が蝶屋敷を抜け出そうとしていた事なんて最初からわかっていましたから」

「…そうなんですか?」

「すみ達に保存食の買い出しを任せている時点でバレてます。そういう腹芸が苦手なら、やらない方が身のためですよ」

「仰る通り…」

 

慣れない事はするものじゃない。とても痛い思いとともに覚えた教訓は、一生忘れる事はないのだろう。

頭の中でそれを噛み締めていると、正面から白の病人服が投げられる。慌ててそれを受け取ると、投げた相手に笑う。

 

「それに着替えたら居間に来て下さいね」

「ありがとうございます、アオイさん」

「それでは、また後で」

 

テキパキと去っていく彼女を見た後、蝶屋敷に用意されていた仮の自室に向かう。

 

「…良い夕日だな」

 

廊下の吹き抜けから見える茜色の夕日が肌を刺す。これから鬼達の闊歩する夜がやってくるとは思えないほど綺麗なその景色に、思わず足を止める。

 

「––––––守ってみせる、なんとしても」

 

茜色の半円に、人知れず呟く。

手から零れ落ちる命を嫌という程見てきた。目の前で消える家庭の灯を、命の灯を見てきた。そんな自分が誓ったところで、一銭の価値もないかも知れない––––––それでもここの明かりを落とす事だけは、失くす事だけは、許容出来ない。

 

「…うん?」

 

何やら胸ポケットに異物が入っていることに気づき、中から取り出す。

 

「これは…」

 

出てきたそれは「チリン」と軽快な音を鳴らし、銀色を茜色に染める一対の鈴––––鈴鳴り刀に付けられていた、師範から貰った鈴だ。

アオイさんに預けていたそれが戻ってきた事に笑みが零れ、再び胸ポケットに入れる。

 

「甘露寺さんが来るってことは、相当な量を準備しないとな」

 

手伝うと言えば多分怒るであろう彼女を思い、苦笑いを浮かべる–––けれど、嫌な感じはしなかった。

板張りの廊下を歩く–––––日が沈み、鬼の夜が訪れる幕間。その一幕に映える幻想的な色を眺めて、自分はその廊下を後にした。

 

 

 

 

 

 

_________________

 

 

 

「良かったよ〜!権兵衛君に帰る家が出来て‼︎」

「いや、あくまでも仮の拠点なんですが…」

 

山の様に盛られた白米をモクモクと食べ進める甘露寺さんに引き攣った笑みを浮かべながら、自分も手元にある白米から箸で一口頬張る。

 

「仮の拠点でもだよ!権兵衛君どこにいるかわからなかったから、お茶を誘おうにも誘えなかったんだから!」

「あ、あはは…」

 

–––貴女の顔が綺麗過ぎるから、お茶を遠慮する為にすぐに消えていたんですよ。

なんて想いはおくびにも出さずに笑う。もしバレよう物なら甘露寺さんが文通で伊黒さんに渡り、彼が自分を殺しに来ることが容易に想像できるからだ。…いや、お茶を断ったのだから逆に感謝されるのか?

なんてとめどない思考が頭の中をぐるぐると巡るが、やがて答えを出す事を諦めて食卓を見る。

 

「けど権兵衛君。怪我が治ってないのに、蝶屋敷を抜け出すなんて二度としないでね。幾ら権兵衛君でも、そんな無茶をしたらすぐに死んじゃうんだから」

 

彼女のまっすぐな視線が向けられ、深々と頭を下げる。

 

「肝に命じておきます…」

「うん!なら良し‼︎」

 

再び笑みを浮かべ、「美味しい!」とご飯を頬張る彼女を見た後、一人黙々とご飯を食べるしのぶさんを見る。一枚の絵画の様な綺麗な仕草で食べる姿を見ると、逆に落ち着かないのは何故なんだろうか…。

 

「今回はお館様の手前、あまり荒っぽい事はしませんでしたが、次同じ様なことがあれば容赦はしませんからね」

「…はい」

 

食卓に目を向けながら放たれる苦言にペコペコと頭を下げる。どこか氷の様な雰囲気を漂わせている彼女に甘露寺さんと震えながら、パクパクとご飯を口にしていく。

 

「そ、それよりも!権兵衛君の師範って本当に鈴の呼吸の使い手じゃなかったの?」

 

雰囲気を変えるためか、甘露寺さんから件の質問が舞い込んでくる。

 

「はい。師範は鈴の呼吸の使い手ではなく、水の呼吸の使い手でした」

「けど、その刀って師範さんから貰った物なんだよね?」

「えぇ、自分もそこが引っかかっているんです」

 

自身の師範から鈴の呼吸という一文は一度も聞き及んだ事がない。随分前に言われた事なのだから忘れているという可能性もあり得なくはないが、それでも聞き覚え位はあるはずだ。

 

「そもそも、権兵衛君はどうやって鈴の呼吸を会得したのですか?」

 

しのぶさんの訝しげな表情と共に出てくる言葉に頭を回す。

 

「鬼の血鬼術を受けて意識が飛んだ時、夢の中でとある一幕を思い出したんです。自分の振るっている日輪刀が只の日輪刀ではなく、鈴鳴り刀であるという事が」

「…夢の中、という事ですか」

「はい。我ながら突拍子もない話だとは自覚していますが…」

 

「お代わりは要りますか?」と声を掛けてくれるアオイさんに「大丈夫です、ありがとうございます」と返し、再びしのぶさんに向き直る。

 

「とにかく、鈴の呼吸については早急に解明する必要があります。鬼の血鬼術を弱める事の出来る呼吸、物に出来れば相当力強い戦力になりますから」

「権兵衛君は今でも重要な戦力だけどね!」

「そこまで買って頂けるのは幸いですが…」

 

「ご馳走さまでした」と手を合わせ、食器を手に持って立ち上がる。

 

「権兵衛君もう良いの?」

「はい、この後少し日輪刀を素振ろうと思いまして」

「…貴方はまだ怪我人だと思いますけど?」

 

影のある笑みを浮かべるしのぶさんに慌てて返す。

 

「激しい運動はしませんよ。只、少しくらい振って感覚を忘れない様にしたいんです…駄目でしょうか?」

「駄目です、と言いたい所ですが…」

「少しくらいならいいんじゃない?私もどんな型なのか興味があるし」

 

黙りこくって悩むしのぶさん…けれど、やがて決断したのか頷く。

 

「わかりました。けど、私と甘露寺さんの目の前で振ってもらいます。何かあった時に対処がしやすいのと、今後の研究の為です、それで良いですね?」

 

その言葉に頷く。

 

「構いません。それじゃあ先に着替えて庭先に出ていますね」

「それじゃあ私も早く食べないとね‼︎」

「あの、その量を急いで食べたら喉に詰まらせてしまいますよ…?」

 

「むん!」と山盛りのご飯を前に息づく甘露寺さんを見る。––––もし貴方に何かあったら伊黒さんが目の色を変えてすっ飛んで来ますよ、なんて言葉は言えず、只閉口する。

 

「彼も準備に時間がかかると思いますからゆっくり食べましょう。せっかくアオイが作ってくれた物ですから」

「そうね!それじゃあ権兵衛君、ゆっくり準備してて良いからね!」

「はい、ご配慮ありがとうございます」

 

食べ終わった食器を持って客間から出る。すると、半歩下がった所からアオイさんが付いてくる。

 

「食器くらい私が片付けますよ?」

「せめてこれくらいは。殆どの料理をアオイさんが作ったんですから」

 

手伝おうとした時には既に殆どの準備が終わっていた台所を思い出す。あれだけの量をほぼ一人で仕込んでしまうのだから、その手際にはとてつもないの一言に尽きる。

 

「…怪我の具合は大丈夫なんですか?さっき、日輪刀を振るうと聞きましたけど」

 

そう言って自分の左脇腹を見るアオイさん。その彼女に気を使わせていることに若干の罪悪感を感じつつ、心配させない様に笑いかける。

 

「痛みがないのは本当です。只、傷口が塞がっていないのも事実なので程々に抑えるつもりではありますが」

 

台所にたどり着ついて水場に食器を置き、直ぐに台所を出る。

 

「アオイさんは甘露寺さんの所に戻ってあげて下さい。きっと寂しがっていると思いますから」

「わかりました。…あの、呉々も無理をしないように」

 

こちらを気遣ってくれる彼女に「ありがとうございます」といったあと、若干の駆け足で客間へと戻る彼女を見てから自室へと向かう。

日がすっかり沈み、夜が更けてきた中廊下を進み自室へと入る。きちんと整頓されてある荷物の中から一際大きな日輪刀を手に取り、扉の前に立て掛ける。

 

「…どうして師範は、何も教えてくれなかったんだ」

 

白の病人服から再び小豆色の隊服へと袖を通し、上から藍色の羽織を羽織る時にふと呟く。

師範が鈴の呼吸の使い手ではなかったとしても、鈴鳴り刀を使っていた以上鈴の呼吸に関係していたはずだ。にも関わらず、あの人からそんな言葉を一度だって聞いたことがない。十と余年を共に過ごしていたのに、だ。

 

「単に忘れていただけか、それとも…」

 

意図的に教えていなかったのか––––そこまで考えたあと、この思考には一銭の価値もないと思い至りすぐさま思考を切り離す。

中庭を望める開いた廊下から草鞋を履いて外に出る。若干の冷えた空気が肌に当たるが、それがむしろ心地いい。

 

「すぅ……はぁ……」

 

右手に柄を、左手に鞘を持つ。大きく、静かに息を吸い込み、身体中に酸素が行き渡る感覚を覚える。十分な酸素が行き渡ったのを感じると、一息に鈴鳴り刀を鞘から引き抜く。

 

『シャラン』

 

鈴を付けていないにも関わらず鈴の様な軽やかな音を鳴らす刀に若干の驚きを感じるが、そのまま正面に持ち替える。鞘を地面に静かに置いた後、両手でしっかり持った刀を中段に構える。

 

「––––全集中・鈴の呼吸、壱の型」

 

噛みしめる様に呟き、肩に日輪刀を充てがう。再びゆっくりと息を吸い、身体中に酸素を行き渡らせる。

 

「–––鳴き地蔵」

 

『カランカランカラン』

 

袈裟懸けに日輪刀を振り抜く。引き抜いた時とは打って変わった重い音色を奏でる刀は、夜風に乗って屋敷にそれを響かせる。

 

「…ちゃんと鳴るのか」

 

刀を振ったとは思えないほど流麗な音色に驚く––––戦っている時は気がつかなかったが、こんなに綺麗な音を響かせていたのか。

振り抜いた刀を再び中段に戻す。––––この音色は、鬼の血鬼術を弱める力がある筈だ。

蝶屋敷を襲った鬼に鈴の呼吸を使った途端、相手の棘が切れる様になった。水の呼吸よりも威力の弱い鈴の呼吸の型で、だ。それは、相手の術の強度が下がったからとしか考えられない。つまりは長い間、技を途切れさせずに続ける事が求められる。

 

 

「–––––全集中・鈴の呼吸、伍の型」

 

自分が使える型の中で最も長く使えるものを想像し、鈴鳴り刀を脇に添える。先ほどよりも深く息を吸い、肺に溜め込む。

 

「––––神楽舞・天女」

 

 

 

 

________________

 

 

 

 

「とっても美味しかったよ!ありがとうアオイちゃん!」

「気に入ってもらえたなら何よりです」

 

月明かりの照らす廊下を三人の少女が歩く。ニコニコと笑って歩くのは桜色に緑色を散らした髪色の甘露寺蜜璃。その隣には和やかな笑みを浮かべ笑う可憐な少女、胡蝶しのぶが寄り添う。その二人の後についていく様に半歩下がって歩く神崎アオイはどこか浮かない様子だ。

 

「権兵衛君はもう準備が終わっているのかな?」

「どうでしょうか」

 

三人が向かう庭先には、既に小屋内権兵衛が日輪刀を持って準備している筈だ。

彼女らが見るものは未知の呼吸、鈴の呼吸。長い歴史に反比例するかの様に会得した人物の少ないその呼吸は、鬼殺隊本部に置いても明確な資料が残されていない程だ。

 

「一体どんな呼吸なんだろう?鈴って付く位だから鈴の音がするのかな?」

「恐らくそうでしょうね。そう考えると、なんだか権兵衛君らしいと言えます」

 

鈴の呼吸を会得する前から鈴の音を鳴らしながら戦場で日輪刀を振るっていた権兵衛。そんな彼が鈴の呼吸を会得するのは、どこか必然的なものを感じる。

他愛のない会話を楽しむ–––––そんな最中だった、「シャリン」と流麗な鈴の音が彼女らに届いたのは。

 

「…これって」

「もう始めているみたいですね。少し急ぎましょうか」

 

徐々に大きくなる鈴の音を頼りに庭先に三人が向かう。やがて最後の曲がり角を迎えて庭先を見る––––––––。

 

 

『シャリン、シャリン』

 

 

––––––そこには、月を背景に舞う権兵衛の姿があった。

 

 

『シャンシャラン、シャリン』

 

 

下弦の三日月の淡い明かりに照らされて光る藍色の日輪刀が、流麗な鈴の音を響かせながら舞っている。要所要所で動きを止めた、緩急極まったその舞は、一種の芸術の様な完成度を誇っている。

 

「ご、権兵衛君…?」

 

瞳を開く事なく、雑音を立てる事なく剣舞を舞い続ける権兵衛は、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。蝶屋敷の広い庭先とは言え、六尺弱もある日輪刀を振り回せば竿やら何やらを切りつけかない状況だが、その中でも彼は何も斬りつけずに刀を振るい続ける。

 

「凄い…!」

 

時折宙を舞って刀を振るうその仕草は、どこか神前に捧げられる神楽舞の様だった。

流麗な鈴の音と共に魅せられる舞はけれど、永遠に続くものではなく、その剣舞が少し続いた後『リン』という音と共に舞が終わり、権兵衛が閉じていた瞳を開く。

 

「…あれっ?もう来ていたんですか?」

 

先程までの雰囲気はどこに行ったのか、のんびりとした様子で権兵衛が口を開く。それを見た三人は呆気に取られるが、やがて調子を取り戻す。

 

「凄い凄い‼︎とっても綺麗な舞だったよ!今のも型の一つなの⁉︎」

「ちょ、甘露寺さん⁉︎」

 

甘露寺が興奮覚めきれぬ様子で権兵衛の手を握り、ブンブンと振り回す。それに伴って権兵衛を上下に動くが「お、落ち着いてください甘露寺さん!」とアオイの言葉で止まる。

 

「えぇ、と…はい。今のも鈴の呼吸の型の一つです。型の中で一番長く使える技ですね」

「成る程…随分長い間舞っていた様ですけど、疲れは無いんですか?」

「はい。常に力を張る型では無いので、長く舞う事自体は疲れません」

 

小屋内権兵衛が本来持っている人外じみた持久力と、鈴の呼吸の優れた体力温存性。その二つが合わさっての物だと胡蝶は瞬時に理解する–––でなければ、一つの技をあそこまで長く使える訳がないからだ。

 

「とても綺麗な音色でしたけど、それはその刀が鳴らしているんですか?」

「はい。どうして音が鳴るのかは、自分もよくわかっていないため答えられませんが…」

 

藍色の日輪刀を持ち上げる。月明かりに照らされて光るその刀身は、一見すると普通の刀にしか見えない。

 

「何か特殊な加工をしているんですかね…」

「その刀を作った刀匠に心当たりは?」

 

頭を捻る権兵衛だが、夢の中で師範が言った言葉を思い出す。

 

「確か、鉄珍が作ったと言っていましたね」

「鉄珍?それってもしかして、鉄地河原鉄珍さんの事?」

「ご存知なんですか?」

 

権兵衛の言葉に甘露寺と胡蝶の二人が返す。

 

「ご存知も何も、私としのぶちゃんの刀を作ったのがその鉄地河原鉄珍さんだよ?」

「…えっ」

「成る程、鉄地河原さんが…」

 

妙に納得した様に頷く二人にキョトンとする権兵衛だが、やがて自分にはわからぬ話だと割り切る。

 

「もう少し日輪刀を振るっておこうと思うんですけど、良いですか?」

「あっ、うん!全然大丈夫だよ!」

「出来ればゆっくり振るって下さい、動きをよく見たいので」

 

 

やけに乗り気な二人の柱と共に行われた鈴の演舞は、アオイの嘆願が入るまで続いたのだった–––––。

 

 

 

 

 

________________

 

 

 

 

 

すっかり夜も更けた蝶屋敷の縁台。空を見上げると澄んだ空にプカプカと浮かぶ月を見る事が出来る。

 

「…疲れた」

 

先程まで行っていた型の復習を思い出して一人零す。結局あれから半刻も日輪刀を振っていた為か、腕に疲労が感じられる。少し汗ばんでしまった身体をしっかりとぬぐい、夜風に当たっていると火照った身体が冷えていく。

あと少ししたら部屋に戻ろう、そう思い麦茶を煽る––––その時、視界の端にとある少女が見えた。

 

「こんばんは、ねずこちゃん。君も眠れないのかい?」

「むー」

 

桃色の着物を着た少女がペタペタと近寄り、ぽすんと膝の上に収まる。そんな彼女の頭を優しく梳くと気持ちよさそうに目を細め、もっとやってと催促してくる。

 

–––ただのあどけない少女のようだ。とても、自分が殺して回っている鬼とは似ても似つかない。

 

そんな彼女の気の済むままにそれを繰り返すと、やがて彼女が起き上がる。

 

「もう良いのかい?」

「むーむー」

「ん、ねずこちゃん?」

 

するとどうしたのか、彼女が自分の頭を抱えて自分の頭を撫で始める。爪を立てないようにと丸めた手はとても暖かく、心地いい。自分の感情を感じ取ったのだろうその行動に、意図せず口元が緩む。

 

「ありがとう。けどもう大丈夫だよ」

「むー?」

「うん。大丈夫」

 

やがて彼女を自分の頭から離し、逆に彼女の頰を撫でる。

 

「–––君は凄い子だ。本当に、凄い子だ」

「?」

「人間ですら我慢出来ないことを、君は我慢しているんだ。それは、とても凄いことなんだよ」

 

–––同じ人ですら平気で殺す者が横行しているこの世の中で、彼女は鬼でありながら人を殺す事を拒んだ。それがどれだけ大変なのか、どれだけ辛い事なのか、想像すらできない。

 

「今はまだ難しいかも知れないけど、いつか君も多くの人に認められるようになる。それまでは大変かも知れないけど、頑張って」

 

せめて彼女の苦しみが少しでも減るようにと優しく抱きしめ、背中を叩く。

 

「……いつか、皆んなが笑いあえるようになれば良いね」

「むー!」

「うん?どうしたんだい?」

 

突如自身の胸元を指差す彼女……あぁ、あれか。

胸ポケットにしまってある銀色の鈴を取り出し、彼女の前で「チリン」と鳴らす。するとキラキラと目を輝かせ、むーむーと唸る。

 

「この音が好きなのかい?」

「むー!むー!」

「そっか。なら、これは君にあげよう」

 

赤い紐を彼女の細い右腕に当て、優しく結ぶ。首を傾けて疑問符を浮かべるが、やがて鈴が自分の腕につくとキャッキャと手を振って喜ぶ。

 

「その鈴が、君に寄り付く魔を祓う事を」

 

尚も喜ぶ彼女を抱き抱え、縁台から立ち上がる。

 

「さぁ、もう寝よう」

「むーむー」

「うん。また明日だね」

 

軽く額に手を当てるとうとうとし始め、数瞬もしないうちに整った寝息を立て始める。そんな彼女の髪を優しく撫でると、部屋へと足を運ぶ。

 

「彼女の部屋は、と…」

 

寝ている彼女を起こす事がないよう、慎重な足取りでその場を後にした––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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『小屋内権兵衛さんに宛てる蝶屋敷で生活する上での三箇条』

 

「…あの、これは?」

 

朝日がすっかり登った早朝。アオイさんの作った美味しい朝餉に舌鼓を打ち、師範に向けて鈴の呼吸についての手紙を用意しようと自室に戻ろうとした矢先、すみちゃん達蝶屋敷三人娘がむん、と胸を張って件の紙を見せてくる。

 

「みんなで話し合って決めた権兵衛さんの規則です!ここで生活する以上、これは最低限守って下さいね!」

「……成る程」

 

共同生活を行う上でこういうすり合わせは大事だな、と一人でに納得する。特にここは女所帯の蝶屋敷なのだ、こういう規則は早めに決めて置いた方が後々の関係に軋轢を産まずに済むかもしれない。

彼女達からそれを受け取って目を通す。

 

「どれどれ……一日に最低三刻以上睡眠を取る事、家事は皆んなで分担する事、無理をしない事…………って」

「しのぶ様に書いてもらいました‼︎」

「……道理で、随分綺麗な文字だと思ったよ」

 

笑顔でこれを書いたであろう彼女を思うと遣る瀬無い気持ちになる。–––ちゃんと文字にしないとわからないとでも思ったのか…。

苦言を呈そうにも、こちらを思いやっての行動という事は明らかな為に言い返す事も憚られる。

 

「ありがとう。忘れないように部屋にでも貼って置こうかな?」

「ぜひそうして下さい!」

 

結局笑顔を浮かべる三人娘に負けて、その張り紙を小脇に抱える。…天井にでも貼っておくかな。

 

「権兵衛さんは今日は何をする予定なんですか?」

「師範に手紙を書く事と………後はそうだなぁ」

 

師範に手紙を書く事は確定しているが、特にほかの用事は浮かばない。今日の予定に頭を捻っている–––そこで、「あっ」と声を上げる。

 

「そう言えば街に用事があったんだ」

「街ですか?あんまり外を出歩くのは良くないんですけど…」

「鬼殺隊関連でね、近くの茶屋で昼前に待ち合わせているんだ」

 

「むー…」と不満げな三人娘に「何かお土産でも買ってくるよ」と窘める。

 

「それじゃあ俺は自室にいるから。何かあったら直ぐに呼んでね」

「はい!お大事にして下さいね!」

「ありがとう–––そういえば、恋柱の甘露寺さんはまだ此処に居るんだね」

 

小首を傾げた後、コクリと頷く。

 

「はい、今日はしのぶ様とお茶会だそうで」

「そっか。ありがとう」

 

「ゆっくりしてて下さいね!」とパタパタ消えていく三人に手を振った後、「ふぅ」と一息いれる。

 

「……本当に貼らないとダメなのかなぁ」

 

小脇に抱えていた張り紙を広げ、再び見遣る。そこにはあいも変わらず「小屋内権兵衛さんに宛てる蝶屋敷三箇条」と銘打たれたそれがあり、再びため息を零す。

 

「仕方ない、街に行ったら画鋲でも買ってくるか…」

「画鋲ですか?一体何に使うんです?」

「いやぁ、妙な張り紙を貰っちゃってね。押し負けて部屋に貼ることになったんだよ……って」

 

何やら異様な臭いが鼻に付き、少し顔をしかめながら振り返ると、そこにはずぶ濡れになった炭治郎君達三人の姿があった。

 

「やぁ、三人共。––––手酷くやられたようだね」

「あ、あはは…」

 

苦笑いを思わず浮かべてしまう。白の病人服の殆どを薬湯でずぶ濡れにした彼等からは、強烈な薬品の匂いがしている。

 

「相手は栗花落さんとアオイさんだっけ。まぁ、最初は仕方ないよね」

 

機能回復訓練の一つ、薬湯の掛け合い。強烈な薬品の匂いのする薬湯の入った湯呑みをいくつか用意し、互いに掛け合う物。といっても、上から抑えられた湯呑みは持ってはならないという制約があるために、互いが濡れるという事はない。–––最も、力量差があれば相手をずぶ濡れに追い込む事ができる訓練でもあるのだが。

 

「勝てる気がしないんですけど…」

「あれ無理ですよ。足に羽が生えてるのかと思う位素早いですから」

 

ぐったりした様子の三人に笑いかける–––栗花落さんは隊士の中でも群を抜いて優秀な剣士だ、少なくとも今の三人で勝つ事は難しいだろう。

 

「今は訓練あるのみだねぇ」

「ですよね…って、そう言えばどうして権兵衛さんが蝶屋敷にいるんですか?昨日出立した筈じゃ…」

 

小首を傾げる彼に笑みを浮かべる。

 

「あぁ…その件は流れたんだよ。引き続き屋敷に常駐しろって上からの命令があってね」

 

「そうなんですか!」とどこか嬉しそうに笑う彼に後ろめたい気持ちが湧いてくる–––屋敷を抜け出そうとした挙句、しのぶさんに全部バレてて、柱の方々に怒られたからなんて言える訳がない…。

 

「だから三人にも鍛錬をつけてあげられそうだよ。これからもよろしく」

「はい!よろしくお願いします!」

「お、お手柔らかに…」

「うん…ところで、伊之助君は元気がなさそうだけど大丈夫かい?」

 

先程から黙りこくっている彼を見る。猪の被り物をしていて表情を見る事は出来ないが、雰囲気でなんとなく落ち込んでいることがわかる。

 

「大丈夫だ…気にすんな…」

「…こりゃ重症だね」

 

どんよりした口調の彼に引き攣った笑みを浮かべる。–––これは中々重そうだ…。

 

「そ、それより!権兵衛さんは何を持っているんですか?」

「…触れないで貰えると助かるよ」

 

そっと張り紙を後ろ手に隠す、流石にこれを見せたくはないからだ。

 

「君達は休憩を挟んで午後から鬼ごっこだろう?早く身体を休めた方がいいと思うよ」

「そうでした。それじゃあ権兵衛さん、失礼しますね」

「お疲れ様です…」

「…俺は、最強………」

 

炭治郎君達以外の二人の足取りが重い様子に少し同情するが、ここが正念場だと心を鬼にする。

 

「さてと、俺もさっさと手紙を書いて街に行かないとな」

 

おはぎを食べているであろうその人を思い、自室へと向かった––––。

 

 

 

 

 

 

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「––––結局、権兵衛君はどれくらい蝶屋敷にいる予定なの?」

 

昼過ぎのお茶会。甘露寺さんが持ち寄ってくれた和菓子に舌鼓を打ち、暖かいお茶を楽しみつつ会話に花を咲かせていた時、ふと甘露寺さんがそう口を開いた。

 

「そうですね…私としては、半年は最低限居て欲しいとは考えていますね」

「半年かぁ……やっぱりそれくらいは必要よね?」

 

山の様に積んである色とりどりの和菓子をみるみる平らげていく彼女が端に砂糖がついた口を開く。

 

「隊士への監視体制が整うまでと、炭治郎君達の鍛錬がありますから。それくらいは必要ですね」

「私も同感だけど…不死川さんや悲鳴嶼さん、煉獄さんはどう思うかしら?」

「…そうですね」

 

私自身、権兵衛君が蝶屋敷にずっといてくれるとは思っていない。彼自身の考え方もそうだが、彼の能力から周りがそれを許さないからだ。

 

「特に不死川さんなんて、お館様の前だから静かにしていたけど、あの顔は内心怒り狂ってたわね」

「あの人ですから、そうなる事は予想していましたよ」

 

小屋内権兵衛の実力を一番評価している柱は誰かと問われれば、それは風柱の不死川さんで間違い無いだろう。彼と最も多くの戦場を共にし、多くの鬼を滅殺してきたのが彼だからだ。

 

「しかし、あのまま権兵衛君を放置していたらいつか潰れる事は明白です。一度無理矢理にでも休ませる事が必要だと私は思いますね」

「うん、それは私も思うわ。怪我が治ってないのに屋敷を抜け出そうとするなんて、普通じゃないもの…」

 

悲しそうに呟く彼女を見る。人一倍彼の事を心配している彼女だからこそ、今回の件を憂いているのだ。

 

「彼が自己管理を徹底していれば、今回のような手荒な真似はしなくて済むのですけどね」

 

おそらく自己管理ができていると自負しているであろう彼に苦言を呈する。–––動けるからといって半死半生の状態で鬼を殺しに行くなんて正気の沙汰ではない。

 

「当分は蝶屋敷の防衛の名目で彼を休ませましょう。最低限任務は行くと思いますが、遊撃の類は控えさせた方が良いですね」

「そうね〜」

 

二人同時に暖かいお茶を飲飲み、ふぅと一息いれる。その時「しのぶ様〜!」と慌ただしい様子で廊下を歩く音が聞こえ、客間の襖が開かれる。

 

「しのぶ様!これ見てください!」

「なほ、そんなに慌てた様子でどうしたんですか?」

 

何やら大きな壺を持って息を上げているなほから壺を受け取る。ずっしり重いその壺は、何やらものが詰め込まれている事がうかがえる。

 

「これは?」

「今さっき隠の方から権兵衛さん宛にと受け取ったんですけど、中身が凄いんです!」

「中身…?」

 

厚い白の布蓋をひもを解いて開く。すると何やら甘い匂いが客間に広がり、甘露寺さんが「もしかして!」と声を上げる。

 

「それ全部蜂蜜なの⁉︎凄い!」

「そうなんです!隠の方も随分驚いた様子でした!」

「はぁ、蜂蜜ですか…」

 

権兵衛君宛の荷物が届いた事になにやら興奮する二人に小首を傾ける–––というより、どうして権兵衛君に蜂蜜が…?

 

「しのぶ様〜!権兵衛さん宛の荷物が届きましたよ〜!」

「すみ?」

 

すると慌ただしい様子ですみが客間に入ってくる。手には重厚な木箱が抱えられている–––あの木箱は檜ですね…。

 

「権兵衛さんは今外出しているので、お部屋に届けた方が良いでしょうか?」

「えぇ、そうして下さい。所で、一体なにが届いたんですか?」

「それが、薩摩の有名な鰹節だそうです」

 

そう言って木箱を開けると、そこには形の整った鰹節が何本も整列して並んであった。

 

「薩摩の鰹節?それ全部がですか?」

「はい。隠の方が言っていたから間違い無いと思います」

 

おおよそ一人に送る量とは思えない木箱に鰹節が納められている。–––これは一体……。

次々送られてくる権兵衛君宛の荷物–––そこでとある仮説が生まれる。

 

「もしかして、彼が今まで助けた人たちからのお礼の品ですかね?」

「あっ!確かに‼︎」

 

鬼を殺すために日の本中を駆け回っていた権兵衛君、その彼に宛てられたお礼の品もまた、多種多様なものになるのも必然といえば必然だ。

 

「…良いなぁ。あっ」

 

つい溢れてしまった口を押さえ、顔を赤くする甘露寺さんに微笑む––––こういう正直なところも、彼女の美徳の一つだ。

 

「これだけの量です。多分彼一人じゃ食べきれないと思いますから、言えば喜んで分けてくれますよ」

「そ、そうかしら……そうよね!後で頼んでみるわ!」

「そうしてあげてください」

 

意気込む彼女を見る。けれどこれはほんの序の口に過ぎなかったのだと、その時の私が知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

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「––––––二ヶ月だ、それ以上は待てねェ」

 

穏やかな昼前。暖かな日差しが窓から溢れて赤い敷物に反射し、その上に乗せられたおはぎを照らしている。正面に座る人物は箸で無造作にそれを摘むと、大きめの一口で頬張って飲み込んだ後に口にする。

 

「…随分唐突ですね」

 

その言葉を頭の中で反芻し、湯気を立てている玄米茶を一口啜る。香ばしい香りとさわやかな風味が口の中に広がるのを感じ、おはぎと並べられた餡子の乗った団子を手に取る。

 

「これでも十分譲歩した方だ。本当だったら怪我が治り次第遊撃に専念して貰いたいんだからなァ」

「まぁ、自分でもわかっていますよ。それくらいは」

 

蝶屋敷からほど近い街にある茶屋の一つ。奥まった個室に通された先で既におはぎを食べていた彼––––鬼殺隊現風柱、不死川実弥さんと席を並べている。柱合会議から退出する際、彼の鴉からの招集を受けての事だ。

 

「胡蝶の奴は馬鹿なんじゃねェか?お前を一箇所に止めるなんて」

「あの人にもなにか考えがあるんです。それに、命の恩人を悪く言われて良い思いをする人は居ませんよ?」

 

軽く怒気を露わにするが、そんなの毛ほどにも思わずに続ける。

 

「鬼殺隊は鬼を滅殺してこその組織だろうが。そこに義理とか人情を加えて何になるってんだよ」

「仰ることはわかりますけど…」

 

机に膝をつき、心底くだらないと吐き捨てる彼にため息をつく。彼とは隊員になってからそこそこ長い付き合いになるが、こう言うところは相変わらずらしい。

 

「お前もお前だ。なに怪我が治ってもねェのに屋敷抜け出してんだ。お館様に変な心配かけさせやがって、あの場が柱合会議じゃなかったらテメェを血祭りにあげてたぞ」

「それについては返す言葉も御座いません…」

 

髪をゆらゆらと逆立てる彼に頭を下げる。色々と問題のある彼だが、お館様への信頼は並大抵ではないからだ。

 

「お陰であの場で胡蝶に反対も出来なかった。お館様もお前の事を憂いていたが、それでもやっぱりお前を蝶屋敷に留める事は納得できねェ!」

 

「あはは…」と引き攣った笑みを浮かべ、ガツガツとおはぎを食べる彼を見る–––やはり好物らしい。

 

「兎に角だ!二ヶ月、それまでに蝶屋敷を出ろよ。それ以上は他の地域まで手が回らなくなる」

 

ガタンと力強く湯呑みを叩き付ける様子を見て、指を顎に当てる。

 

「それについてなのですが、一つ提案があるんです」

 

コトリと湯呑みを机に置き、鋭い三白眼を見つめる。

 

「何だよ、提案って」

「まず言いたいのですが、自分は早期に蝶屋敷を離れるつもりはありません」

「…てめぇ」

 

血管を浮き上がらせ、今にも激昂しそうな彼に「ですが」と言葉を続ける。

 

「その代わりと言ってはなんですが、自分が滞在している間、蝶屋敷周辺の鬼はすべからく自分が滅殺します。範囲は、そうですね……ざっと半径五〇里(約150km)くらいでしょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––瞬間、世界が一瞬止まった気がした。

 

「……正気か」

「えぇ、勿論」

 

目を見開く彼に一つ頷き、お茶を啜る。風味が豊かで相変わらず美味しい。

 

「そんだけ離れて屋敷の防衛が務まるのかよ」

「積極的防衛ですね。屋敷に近づく鬼を全て殲滅すれば、屋敷が襲われる可能性も低くなるでしょう?それに、屋敷に近づく鬼の気配は大体わかりますから」

「…鬼は神出鬼没だ。いつ何処に出るかはわからねぇぞ」

「念のため、自分が殲滅に出ている間はしのぶさんか栗花落さんのどちらかを屋敷に残します。–––最も、万が一を起こす気はありませんが」

「……………」

 

不死川さんが自分の言葉に閉口する。恐らく頭の中で色々と考えているのだろうと少し間が空くと、やがて口を開く。

 

「…その分ほかの地域に隊員を割けって事か」

「えぇ。自分は屋敷の防衛の任を全う出来、隊士を各地に広げる事が出来る。双方に利点があると思いますけど」

「それはテメェが一人でそれだけの範囲を賄えた場合の話だ。本当に出来んのか?」

 

試すような目を向ける彼に、和かに笑って告げる。

 

「勿論ですよ。裏切り者含め、害獣一匹逃すつもりはありません。蝶屋敷は、鬼殺隊の要石ですから」

 

はっきりと言い切る。すると、目を伏せた不死川さんが静かに口を開く。

 

「…そォかい。ならお任せするかな」

「ありがとうございます、不死川さん」

 

了承してくれた彼に感謝を告げ、お団子を一口頬張る。餡子の甘さと柔らかい餅を同時に楽しんでいると「…お前は」と不死川さんが口を開く。

 

「蝶屋敷に重要な何かでもあるのか?」

「–––––?」

 

言葉の意味を図りかねて首を傾けると「いや、なんでもねェよ」と言葉を濁し、椅子を引いて席を立つ。

 

「もう行かれるんですか」

「あァ。聴きたい言葉は聞けなかったが、それでも収穫はあったからな」

「お力になれたのなら良かったです」

 

女将にお金を支払う彼を余所目にお団子を頬張る。

 

「…早く怪我治せよ、権兵衛」

「はい。ありがとうございます」

 

そう言い残し、茶屋の個室から消えていった彼を見送る。–––––あの時の言葉には、一体なんの意味があったんだ…?

 

「重要な何か、か……」

 

彼の言葉を頭の中で噛み砕き、蝶屋敷にある重要な何かについて思いを馳せる。

蝶屋敷には鬼殺隊随一の薬学知識を持った現役蟲柱の胡蝶しのぶさん、若手の中では最優秀との呼び声高い継子の栗花落カナヲさん、多くの隊士を看護、機能回復訓練を施す事ができる神崎アオイさんやなほちゃんたち………ダメだ、多すぎて絞れない。

 

「さて、早く屋敷に帰らないとしのぶさんに叱られるな」

 

思考に一旦蓋をし、屋敷で甘露寺さんとお茶を楽しんでいる彼女に思い、再びお団子を頬張った––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––事の発端は、蝶屋敷に届いた権兵衛宛の蜂蜜から始まった。

 

「すいませーん。階級甲、小屋内権兵衛様のお宅はここで間違いないでしょうか?」

 

若い隠の声が蝶屋敷の玄関に響き渡る。少しそれから経つと、パタパタと慌てて廊下を歩く姿が響き、やがて隠の前にひとりの少女が姿を現わす。

 

「はーい。確かに権兵衛さんの拠点は此処ですね」

「そうでしたか。ご本人様は今は?」

「あいにく外出中でして…。ご用があるなら伺いますよ?」

「小屋内様宛の荷物を預かってまいりました。鬼殺隊荷物預かり所からですね」

「荷物預かり所、ですか?」

 

聞きなれない単語にを傾ける。隠が「はい」と頷くと困った口調で再び口を開く。

 

「権兵衛様は拠点をお待ちでないから、大きいお荷物をお渡しできないんです。そういう拠点を持たない人のために一時荷物を預かるのが預かり所なんですよ」

「へぇ…聞いたこともなかったです」

「あまり使い所のない場所ですからね…。現に利用しているのは権兵衛様くらいですから」

 

「はぁ…」とため息を隠が吐くと首を振り疲れたように口を開く。

 

「いや、ほんと…凄まじいですよ。本当に」

「凄まじい……?」

「あぁいえ、何でもありません。まだまだ荷物が来ると思うので、納屋は開けておいた方がいいと思いますよ」

「……はい?」

 

「それじゃあ待っていて下さい」と隠が一度消える–––––その後「えっ⁉︎」というきよの声が響く。

 

「も、もしかして…それが、権兵衛さんへの荷物ですか?」

 

震える声で指を指す––––その先には、隠二人に引かれた台車一杯に積まれた米俵があった。

 

「はい。越後の地主さんからのお届けものでして……」

「越後の地主さんから、ですか…」

 

どこか規模の違う話に呆然とする。しかし、届いた以上はどうにかしなければならないのだ。

 

「と、とりあえずそれは庭先にでも置いておいて下さい。後でどうにかしますから」

「ありがとうございます。それじゃあ案内をお願いします」

 

慌ただしくきよと外にいた隠が庭先へと消える。

 

 

 

––––––それから少し経つと、再び「すいませーん」とよく通る声が蝶屋敷に響く。

 

「…すみ達はいないのかしら?」

 

その声を聞きつけ、白の割烹着を着たままの姿の神崎アオイが玄関に現れる。そこには先程とは別の隠が何やら紫の風呂敷を持って佇んでいた。

 

「ごめん下さい、隠の遠藤です」

「はい、一体どう言ったご用件でしょうか?」

「こちらを小屋内権兵衛様へお渡しして欲しいのです」

 

そう言って紫色の風呂敷を神崎へと手渡す。彼女はそれを訝しげに見つめ、少しの興味からそれを紐解く。

その中身を見た彼女は傍目から見て分かるほど目を見開き、隠へと向き直る。

 

「あの、間違えてませんか?」

「間違いありません。たしかに鬼殺隊階級甲、小屋内権兵衛様へお渡しするよう京都の光圀屋から預かった荷物で御座います」

「そ、そうは言っても……」

 

神崎アオイが見たもの。それは、絢爛豪華な刺繍が施された三つの織物であった。

金の鳳凰を基調した赤の織物に川を連想させる青の織物、鈴の刺繍があちこちに施された白の織物で構成されたそれは、庶民感の強いアオイでは見たことがない程上等な布だった。

 

「その、どうしてこのようなものが権兵衛さんに?」

「なんでも、小屋内様に窮地を救われたそうなのです。そのお礼に、との事で。すでに光圀屋は藤の花の紋の家となっており、半年前から多くの隊員へ尽力してくれています」

「権兵衛さんが……」

 

その織物を少し強めに抱え、隠へと口を開く。

 

「ありがとうございました。これは確かに権兵衛さんに渡します」

「お願いします」

 

「失礼致します」という一言と共に軽やかに消える隠に頭を少し下げた後「そういえば、権兵衛さんはどこに行ったんだろう…」とアオイも権兵衛を探しに玄関から消えた。

 

 

 

––––––それから日が少し登った時刻、再び蝶屋敷の門が開かれる。

 

「ごめん下さい、小屋内権兵衛様宛の荷物をお届けに参りました」

 

蝶屋敷の門をくぐった隠だが、誰も出てこない現状を少し不審がる。頭に疑問符を浮かべながら少し待っていると、白の道着を着た少女が笑みを浮かべて出てくる。

 

「…はい」

「栗花落様でしたか。申し訳御座いません、お手数ですが小屋内権兵衛様はいらっしゃるでしょうか?」

「彼なら今出掛けています」

「…そうですか」

 

「参ったなぁ…」と頭を掻き、心底困ったような表情を浮かべる。隠の手には何やら大きな茶封筒が収まっていて、それが権兵衛宛のなにかという事がわかった。

栗花落はそれを見た後徐に銅貨を弾き、手のひらに収めてから口を開く。

 

「もし良ければ、後で小屋内さんに渡しておきますけど」

「本当ですか?とても助かります」

 

「それではこれを」と言って渡される木箱を受け取る。頑丈な素材できた木箱の外からは、何が入っているかはわからない。

 

「これはどちら様から?」

「それがわからないんです。ただ一言、師範よりとだけ書いてあって。」

「…師範より?」

「えぇ。しかもその箱全然開かないんです」

「…開かない?」

「わたしにも何がなんだか…危険物ではなさそうなので、こうしてお届けに参った次第です」

 

心底困り果てた様子の隠は「お渡ししましたので、これにて失礼します」とだけ言い、玄関から去っていった。

 

「……お部屋に置いておこう」

 

なにがなんだかわからないのは彼女も同じだが、融通の効かない彼女はさっさと思考を放棄し件の木箱を権兵衛の部屋へと届けに行った––––––––。

 

 

 

 

 

 

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太陽が頂点に達する昼間。照りつける太陽の中をのんびりと歩いて蝶屋敷の門をくぐると、そこには屋敷を出る前とは打って変わった光景が広がっていた。

 

「…なんだこれ」

 

山のように積み上げられた米俵を筆頭に、縁台には様々なものが所狭しと並べられている。中でも目立つものは荘厳な雰囲気を醸し出す箪笥やら高級そうな壺だろうか。

 

「蝶屋敷の備品かなぁ……?」

 

しげしげとそれらの品々を見る。鈴の模様が入れ込まれた陶器や、木箱に収められた高そうな鰹節、中には誰か鬼殺の剣士を表したのか剣を振るう剣士の絵すらある–––しかしこの人、どこかで見た事があるような…?

全国各地、津々浦々の名産品が所狭しと積まれた様は、どこかお殿様への献上品のような様相を見せている。

 

「はぁ…凄いなぁ…」

「あっ!帰ってきましたよ!」

 

呆気に取られながらそれらを眺めていると、背後から興奮気味な声が聞こえてくる。振り返るとパタパタと小走りで走り寄ってくる三人娘が見え、笑顔を見せて手に持っていた団子を見せる。

 

「あっ、皆んなただいま。これお土産のお団子–––」

「それどころじゃありません!凄いですよ権兵衛さん!やっぱり権兵衛さんは凄い人です‼︎」

「…えーと?」

 

わらわらと集まり、何やら興奮気味な彼女達を見て小首を傾げる–––はて、何か怒らせるようなことをしてしまったかな?

 

「これですよこれ!凄いですよ権兵衛さん‼︎」

「うん?…それって蝶屋敷の備品じゃないのかい?」

 

彼女が指差す品々に首を傾ける。

 

「違いますよ!全部権兵衛さん宛の荷物です!」

「…俺?」

「えぇ、全部貴方のですよ」

 

素っ頓狂な声を上げると大量の品々の陰から笑みを浮かべたしのぶさんと何やら嬉しそうに笑っている甘露寺さんが現れる。

 

「しのぶさん、甘露寺さん。けど俺、こんな品々を買った覚えがありませんよ?」

「みんな贈答品です。貴方が助けた人々からの贈り物ですよ」

「これ全部が、ですか?」

 

視界を埋めつくさんとするそれらを見て目を見開く。中には何円をも超える貴重な品々がちらほらと見られ、この山だけで一財産を築く事ができる程だ。

 

「これが、権兵衛君が今まで助けてきた人達の気持ちなんだよ」

「…なんだか嬉しいような、申し訳ないような、複雑な気持ちですね」

 

意図せず右手が胸元に向かう–––––贈り物を送ってくれた人の中で、家族や友人が誰も犠牲にならなかった人は、何人いるのだろうか。

自分が鬼を滅殺してきた中で、誰も犠牲にならなかった事案は本当に数える位しかない。恐らく贈答品を送ってくれた人達も、自分の子供や親、大切な人を喪ってしまった人が殆どなのだろう。彼らを守る事が出来なかった自分に受け取る権利が、果たしてあるのか––––––––。

 

「…正直に話しますが、自分は今までどんな人を助けてきたのかの明確な覚えがありません。ましてや、こんな貴重な品々を送って下さる方々なんて…」

「…権兵衛さん」

 

皮肉な話だと我ながら思う。

救うことのできなかった人の顔は鮮明に思い出せるというのに、逆に救う事ができた人の顔を思い出せない。

そんな自分にこれらの品々は受け取れない、そう思い立ち口を開こうとすると、先にしのぶさんが言葉を発する。

 

「いいんじゃないですか、それで」

「しのぶさん、けど…」

 

優しげな笑みを浮かべる彼女を見る。

 

「貴方は彼らを覚えていなくても、彼らは貴方のことを一生忘れません。自分の事を助けてくれた、ひとりの鬼殺の剣士の事を」

 

「それで十分じゃないですか」と笑う彼女に、困ったように笑みを浮かべる。

 

「………しかし、とんでもない量ですねぇ」

「貴方が勝手に増築した納屋がありますから、取り敢えずはそこに片しましょうか」

「私も手伝うわ!」

 

近くにある鈴の模様が入った陶器を持つと、なんだか、想いの重さを感じたような気がした。

 

「一つ一つ確認しながら思い出そうと思います。出来れば、お礼の手紙も送りたいですね」

 

綺麗な曲線を描く陶器の縁を軽く撫でる–––凹凸のない綺麗な縁からは、作った人の高い技術と込められた思いを感じる事が出来た。

 

「–––それじゃあすいませんが、お手伝いよろしくお願いします」

「任せて!」

「頑張りますよー!」

「えぇ、やりましょうか」

 

––––––この世はたしかに地獄のようでも、この瞬間だけは報われている。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

_________________

 

 

 

 

 

 

 

「権兵衛さーん。この鉄器はどうしましょうか?」

「それは自分の部屋にお願い。適当に置いてくれていいからね」

「大量の蜂蜜はどうします?」

「屋敷の台所へ。後で何かに使おうか」

「この茶箪笥は納屋に入れておきますね。後で諸々整理してから出しましょう」

「お願いします」

「それじゃあ私はお米を運ぶわね!」

「重いから気をつけてお願います」

 

–––––結論から述べるのであれば、小屋内権兵衛に贈られた物の片付けは昼過ぎまで経過した。

梅干しや鰹節、お米と言った各地の特産品を始め、壺や絵と言った工芸品や鉄器や漆塗りの重箱、茶箪笥や絨毯と言った家具類まであった贈答品は、蝶屋敷の人員や人並み外れた筋力を持つ甘露寺蜜璃の力をもってしても容易く片付かなかったのだ。

 

「見てこれ!凄い綺麗な布!誰が織ったんだろう?」

「京都の光圀屋という布屋らしいですよ」

「へぇー!私も何か織って貰おうかしら…」

 

「あら、これは熊の胆ですね。貴重な仙薬の一つですよ」

「そうなんですか?」

「えぇ、これだけ大きいのは中々貴重ですね」

 

「この梅干しすごい酸っぱいです…」

「どれどれ…本当だ。けど美味しいね」

「ですね!これはおにぎりにしたら絶対美味しいですよ!」

「だねぇ」

 

「珈琲豆……?随分変わった形ですね」

「それ知ってる!かふぇとかで出してる黒い飲み物の元になる奴だよ」

「なるほど…随分ハイカラなものなんですね…」

 

 

–––––片付けの際に一々話が盛り上がるのも、作業が難航した原因の一端ではあった。

 

「なんですかこれ?」

「炭治郎、丁度良かった。良かったら手伝ってくれないかな?」

「別に良いですけど…こんなにどうしたんですか?」

「権兵衛君宛の贈り物ですよ」

「成る程!それならお任せ下さい!善逸と伊之助も呼んできます!」

 

しかしそんな作業も日が徐々に傾き始めると、新たに参加した竃門炭治郎達三人組の力もあって殆どが片付く。

 

「そういえばお昼の準備をしていませんでしたね…」

「なら頂いたものを使って何か作りましょうか。おにぎりとかな手早く作れるでしょうし」

「良いんですか?権兵衛さん」

「一人でこんなに食べられませんよ。それに、殆どを蝶屋敷にお裾分けする気もありましたから」

 

「それじゃあ少し準備してきます」と席を立つアオイと「私たちも手伝います!」とパタパタとついていく三人を全員が見送り、縁台に揃って腰掛ける。

 

「というか、こんなに贈られてくるなんて…一体どれだけの鬼を殺したんです?」

「ざっと二百と少しだよ」

 

権兵衛の何気ない一言に驚愕する。

 

「二百……⁉︎やっぱ化け物だよこの人」

「なぁなぁ!これ食って良いのか⁉︎」

「構わないけど、鰹節をそのまま噛んだら歯を痛めるよ」

「関係ねぇぜ!」

「伊之助!それは良くないって…!」

 

穏やかな昼過ぎがそよ風と共に過ぎていく。そんな中、トコトコと廊下を歩いてカナヲが権兵衛の前に姿を現わす。

 

「小屋内さんに荷物が届いています」

「ありがとう。けど丁度片付いて……」

「師範より、と言われました」

「–––––師範から?」

 

カナヲが木箱を権兵衛へと手渡す。権兵衛はそれを受け取るとしげしげとそれを見つめ、やがて首を捻る。

 

「師範が仕組み箱を使うなんて珍しいな」

「仕組み箱、ですか?」

「そう。適宜必要な手順を踏まないと開かない箱だよ」

 

権兵衛はその木箱を慣れた手つきで弄っていく。するとかちゃりと音が響き、木箱が真ん中から割れる。割れた箱の中身を覗くと、そこには白と黒に塗られた一対の鈴が鎮座していた。

 

「…鈴?」

「いや、それにしてはおかしいね」

 

権兵衛がその一対の鈴を持ち上げる。しかし、いくら揺らしてもそれが音を奏でる事はなく、ただカチカチと金属がぶつかる音がするだけだ。

 

「一体どんな意図でこれを…?」

「さぁ…。師範のやる事は大体よくわからない物が多いからなぁ」

 

理由を頭の中で考えるが、「おにぎり出来ましたよ〜!」との一言で一度思考を切り上げる。

 

「さて、それじゃあ行こうか」

 

この鈴が何を意味するのか、その答えを出す事なく縁台を後にした–––––––。

 

 

 

 

 

 




鈴鳴りの剣士
藍色の羽織を纏い、日の本中を駆け回る少年。多くの人を救い、助け、守ってきたとある鬼殺の剣士。鈴の音を鳴らして鬼を狩る姿からその異名が付けられた。彼に救われた市井は数知れず、彼に助けられた人々の多くは藤の花の紋の家として鬼殺隊を援助している。


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鬼殺隊一般隊員は柊の葉と出会う

難産でした…(疲労困憊)





 

「––––ようやくその域に達したか、権兵衛」

 

そよ風の吹く草原の上。愛弟子から送られてきた一通の手紙をそっと撫で、ひとり呟く。

 

「前回の鈴の呼吸の使い手から百二十余年……私では担い手にはなれなかったが、彼はなってくれた」

 

鈴鳴り刀を使い熟すことの出来る剣士の養成。これで、自分の務めは無事に果たせた事になる。

 

「鬼舞辻無惨を殺す為の一本の鏃が、漸く完成した。これで、奴に弓を射る事が出来る」

 

雑多な鬼をいくら殺した所で意味などない。大元を絶たない限り、悲劇は繰り返されるのだから。

 

「鈴の呼吸の子細を記した書物を届けたいが、誰に向かってもらうか…」

 

鈴の呼吸を会得した以上、かの呼吸は全て彼のものだ。だからこそ、その子細について記した書物を彼に渡す必要があるのだが……。

 

「–––そうだ。彼女に向かってもらおう」

 

信頼できる人物は誰かと頭で思い浮かべた時、ひとりの少女が頭の中で浮かぶ。確かに彼女なら守秘義務は完璧だし、なにより権兵衛に今最も会いたいと思っている人物だからだ。

 

「鴉や鴉や、少しお願いを聞いてくれるかい?」

「カァー?」

 

足元に控えていた鴉を持ち上げ、羽を一度撫でる。

 

「柊に、一度帰ってくるよう伝えてほしいんだ。なるべく早くね」

「カァー!」

 

コクコクと頷き、軽快に空に羽ばたいていった鴉を眺める。懐から一つの木箱を手に取り、再び空を見上げる。

 

「–––師匠。貴方の意思は無事、繋がりましたよ」

 

少しの雲が浮かぶ青い空は、どこまでも透き通って見えた––––––。

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

「––––よし」

 

日が昇る前の早朝。纏まりのない髪を二つの蝶の髪飾りで二つに纏めてから席を立つ。それから押し入れを開き、淡い紫色の寝巻きから鬼殺隊の隊服を取り出す。

 

「………」

 

権兵衛さんと出会う前は、見るたびに多少の罪悪感にかられていた「滅」の文字を一瞥し、それに袖を通す。軽く身体を見回して不備がないかを確認すると、更にその上から白の割烹着を着込む。

 

『チリン』

「うん?」

 

その際に白の割烹着からコロンと紫色の鈴が転がり、透き通るような音色を響かせる。

床を転がったそれを手に取り、目の前に持ち上げる。鈴の表面を指で軽く撫でると、カラコロと綺麗な音を奏でる。

 

「…少しは、自分を大切にしてくれるのかな」

 

その鈴を見て。蝶屋敷防衛の任に就いた彼を思う。

鬼を殺すために、文字通り自分をすり潰していた彼––––いや、逆だ。

人を助けるために鬼を殺す。それを成すためには、自分をすり潰すしか道がなかったのだ。

なまじ普通の人ならすぐに折れてしまうその信念を、彼は貫いたのだ。

 

「今頃は寝ているはずよね」

 

なほ達に口酸っぱく言われた彼は一日三刻の睡眠を強制されている。そんな彼がこんな時間に起きている筈がない。

拾い上げた鈴をポケットにしまい込み、襖を開けて部屋から出る。

 

「…少し冷えるわね」

 

吐いた息が少し白くなる事を見て、軽く割烹着を握る。窓から外を見れば綺麗な半月から空から見え、まだ夜が明けない事がわかる。

殆どの人が眠りにつく廊下を音を立てないように歩く。朝とは違い、一切音がしない廊下はどこか別世界のように思える。

 

「…えっ?」

 

そのまま厨房へと脚を運ぶと、思わず声を上げてしまう。何故なら、縁台に腰を掛けて空を見上げている一人が見えたからだ。

藍色の羽織を着込み、鞘に入れられた大きな日輪刀を抱えて空を見上げるその人は間違いなく、小屋内権兵衛その人だった。

 

「あれ、アオイさんですか?」

 

やがて気配で気がついたのか、穏やかな笑みを浮かべた彼がこちらを見る。緩やかな雰囲気を纏い、笑いながら口を開く彼は普段よりも柔らかな印象を受ける。

 

「権兵衛さん、随分早いんですね」

「目が覚めてしまったもので。やる事もなかったから、こうして月を見ていたんです」

 

彼が指差す月は輝いているが、しかし空が白ばむ事で徐々に月が薄くなっている。

 

「もうすぐ朝ですね。アオイさんは朝餉の準備ですか?」

「えぇ、そうですけど…」

「でしたら手伝います。ちょうど手持ち無沙汰でしたので」

 

縁台から立ち上がり、壁に日輪刀を立てかける。相変わらず長いそれだが、何故だか彼が握るとそれが普通のように思えるから慣れというのは不思議なものだ。

 

「そういう訳にはいきません。また朝が早いんですから、もう少し休んでいて下さい」

「そこをなんとか、お願いしますよ」

「…あんまり人が良いと、色々と損をしますよ?」

 

事あるごとに何かを手伝おうとする彼に忠告する。蝶屋敷の清掃や在備品の補充、果ては怪我人の治療を施す彼は、まるでそうする事が当然のように行動する。

蝶屋敷のみんなは勿論、しのぶさんもそれは当然に把握している。けれど、度を超えない範囲については何も言わないようにしている。それが彼のやりたい事だという事がわかるからだ。

 

「たまにはゆっくりして、自分の為に何かをしてあげてください」

「優しいんですねぇ、アオイさんは」

 

貴方の方が何倍も優しいですよ、なんて言葉が喉元まで出てきたが、すんでのところで踏みとどまる。どうせ流されるのだから、言うだけ無駄だからだ。

 

「実は頂いた中にいい味噌があったんです。それでお味噌汁を作りたいと思いまして」

「お味噌汁だったら私が……」

「自分に宛ててくれた品ですから、せめて最初くらいは自分が使いたいんです。それくらいならいいでしょう?」

「…そう言う事でしたら」

 

「ありがとうございます」と笑うと、のんびりした様子で厨房へと歩き出すのを見て自分も後ろをついて行く–––––結局の所、彼はどこまでも優しいのだ。

 

「そう言えば、片付けの方は大体終わったんですか?」

「殆どは。ただ、少し片付けるのに難儀なものがいくつかありまして……」

「難儀なもの、ですか?」

 

下顎に手を当て、困ったように口を開く。

 

「壺や絵と言った調度品––––––後は、縁談のお誘いとかですね」

「そうですか、縁談のお誘い……縁談のお誘い⁉︎」

 

彼の口から縁談という単語を聞き、思わず声を荒げてしまう–––––それって一体……。

 

「う、受けるんですか?」

 

恐る恐る口にした言葉にふるふると首を横に振るう。

 

「まさか、自分には荷が勝ちすぎる話です。自分は、自分の荷物を背負うのに精一杯ですから。–––それに、自分と会うと多分、鬼のことを思い出してしまいますから」

 

「早く忘れた方が良いんですよ、鬼殺隊の事も、鬼の事も」と寂しそうに喋る彼に咄嗟に口を開くが、途中で閉じる。無責任に他人の人生を背負う事が出来ない、そう思ったからの言葉だと理解したからだ。

 

「…そうですか。先方にはお断りの手紙を?」

「えぇまぁ。…ただその、数が多くて」

「どれくらいあったんですか?」

「…ざっと十二ですね」

「じゅっ…⁉︎」

 

疲れた目を見せて呟く数に驚愕する。多くの人を救ってきた人だとは思っていたけれど、それほどの数のお誘いを受けるなんて……。

 

「………まぁ、その、少し驚きましたね」

 

どこか困惑した様子の彼を見て自分も口を開く。

 

「…権兵衛さんって、女性に人気なんですね」

「自分なんて、なんの特色もない凡だと思っていたのですけどね」

 

「特に顔とか」と冗談めいた口調で笑う彼にはっきりとした口ぶりで言い放つ。

 

「女性は顔だけで男性を選ぶ訳じゃありません。きっとその人たちは、権兵衛さんの優しいところに惹かれて手紙を送ったのでしょうね」

「…そうでしょうか?」

 

自信がないのか、語尾を低くする彼に言葉を重ねる。

 

「間違いなくそうです。貴方が自信を持たないと、貴方と結婚したいと思ってくれた人達に申し訳ないですよ」

「アオイさんは凄いですね。そこまで考えが回るなんて」

「凄さで言ったら鬼を二百体殺した貴方の方が凄いです。何度も言っていますが、貴方はもっと自信を持って下さい」

「…敵わないなぁ」

 

嬉しいような、困ったような笑みを浮かべ再び前を向く。すると、ふと彼が口を開く。

 

「アオイさんは、誰かから結婚を申し込まれた事は無いんですか?」

「えっ⁉︎結婚、ですか?」

「はい。アオイさんは可愛いから、きっと人気があると思って」

「可愛っ……⁉︎」

 

矢継ぎ早に飛んでくる言葉に顔が熱を持って行くのがわかる。それを口にする彼は特になにも気にしていないのか、平然としたままだ。

 

「…お世辞として受け取っておきます」

「別に、お世辞と言うわけじゃ……」

「お世辞として受け取っておくんです!それでいいですね⁉︎」

「…あっ、はい」

 

自分がどうして声を荒げているのか理解できていないのか、キョトンと首を傾ける彼に少し怒りが湧いてくるが、意味のない事だと思考を切り替える。

 

「それと、軽々しく女性に可愛いとか口にしてはいけませんよ。いいですか?」

「勿論です。今のところ、直接口にしたのはアオイさんが初めてですから」

 

あっけらかんと言い放つ彼に、思わず言葉を失う。––––この人は、本当に……。

互いに会話に困ったのか、少しの間沈黙が包む。歩く音が等間隔に響くのを感じつつ、ふと私が口を開く。

 

「…権兵衛さんは、こういう人と結婚したいだとか、そんな希望はあるんですか?」

 

突然の言葉に目を点にする。ある程度瞬きをすると、言葉の意図を理解して口を開く。

 

「…考えた事もありません。自分は、そういう人並みの幸せから縁遠い人生を生きていくものと思っていましたから」

「あくまでも仮に、です。何かありませんか?」

「うーん…そうですねぇ…」

 

我ながら何を聞いているんだろう、とは思う。–––けど、どうしても聞いてみたいとも思った。この人は、どういう人を求めているのかわからなかったから。

権兵衛さんはどこまでも自分の中で完結していて、そこに他人の介在する余地はほとんどない。だから、他人にどんな事を期待しているのか、少しだけ興味があったのだ。

小さく悩む素ぶりを見せるが、やがて静かに口を開く。

 

「–––おはようを、言ってくれる人が良いですね」

「おはよう、ですか?」

「はい」

 

どこか照れ臭いのか、ほんのり赤くした頰を少し掻くと気恥ずかしそうに口を開く。

 

「朝起きたら寝ぼけた目でおはようって笑い合えて、ご飯を食べる時は一緒に頂きますをして、どこか出かける時には行ってらっしゃいの言葉で送ってほしい。それで、帰ってきたらお帰りって出迎えてくれて、寝る時にはお休みって言い合える。そんな人が良いですね」

 

『生きていて、声を聞けるだけで嬉しいこともあります。–––人が簡単に死ぬ世界ですから、変わらず居てくれる事が救いになる事だってあるんです』

 

その時、前に権兵衛さんが口にした言葉が脳裏で蘇った。変わらず居てくれて、声が聞こえるだけでも嬉しい–––あの言葉はきっと、自分の気持ちをそのまま口にしたのだ。

普通の人生を送っていれば感じることのない、ごくありきたりな幸せだけれど、この人にとってはそれが何より嬉しい事なのだと、幸せな事なんだと感じる。

 

「すいません。あんまり面白い話ができなくて」

「い、いいえ。私こそ不躾な質問をしてすいませんでした」

「気にしないでください。–––本当に、そんな人がいれば良いんですけどね」

 

鬼殺隊を抜けて、ありきたりな生活を送れば手に入る幸せだと、きっと彼は理解している。けれど、それを理解しても尚、この人は鬼殺隊であり続けるのだろう。鬼を殺し、人を守るために。

 

「…何があるかはわかりませんし、断言は出来ません」

「…アオイさん?」

 

諦めた口調で話す彼を見て、つい口からこぼれてしまう。

これから伝える言葉を考えるだけで自分の顔が熱を持ち、赤くなっているのがわかる–––だけど、それでもちゃんと口にしておきたかった。

 

「–––––––ですが、私が此処にいる限り。そして、貴方が此処に居続ける限り、私は貴方におはようと言い続けます。出掛ける時も行ってらっしゃいの言葉で送りますし、寝る前に会えばおやすみなさいと言葉を返します」

 

キョトンとした表情を一瞬浮かべる––––––––直後、照れくさいのか、少し顔を赤くして笑う。陽だまりにも似たその笑顔は、見ているこっちが嬉しくなるほどだった。

 

「––––ありがとうございます、アオイさん。その言葉を聞けただけでも、今まで走り続けた甲斐がありました」

「…さ、さぁ!早く朝御飯の準備をしますよ!」

 

顔が高熱を持つことを感じ、そそくさと厨房へと向かう。その道中で地面から太陽が覗くのが見え、少し目を細める。

普段とは異なる朝の始まりだったけれど、こう言うのも悪くない。権兵衛さんといると、心からそう思えた––––––。

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

「助けて下さい権兵衛さん!いやほんと、死んじゃうんですよ‼︎」

「……急にどうしたんだい、善逸君」

 

庭先で鈴の音を響かせながら素振りをしていると、突然背中に金髪の少年が飛び込んでくる。自分の隊服にしがみつき、プルプルと震えているところを見ると、何かに怯えている事がわかる。

 

「何かあったのかい?もしかして鬼?それならすぐにでも––––」

「そうなんです!いや、正確に言えば鬼じゃなくて……!」

「…?」

 

善逸君の言いたい事が分からず疑問符を浮かべるが、やがて聞こえてくる足音を聞いてその意図を理解する。

 

「貴方は……!また戸棚にあるお饅頭を食べましたね!何度言えば気がすむんですか‼︎」

「ひぃぃぃ!ごめんなさいごめんなさい!」

 

怒気を露わにし、つかつかと歩み寄るアオイさんを見る。あの様子だと、随分手を焼いているらしい。

 

「お願いします権兵衛さん!俺をかばって下さい!」

「そうは言っても……」

「それに権兵衛さんの邪魔までして!良いから来てください!今からお説教です!」

 

首元を掴まれ、ズルズルと引き摺られそうになるのを自分の隊服をがっしり掴んで離れないように堪えている–––隊服が伸びるから出来ればやめて欲しいんだけど……。

 

「まぁまぁ。アオイさんも少し落ち着いて…」

「落ち着いてどうにかなるなら疾うに落ち着いています!この人は言っても聞かないからこうするしか無いんです!」

 

一応可哀想なのでなんとか弁護をしようと試みるが、取りつく島もない様子に苦笑いを浮かべる。なおも悲鳴をあげる善逸君を、獅子が子を谷に突き落とすように感じつつ手を離そうとし、そこで「あれ?」と声をあげる。

 

「そういえば善逸君、機能回復訓練はどうしたの?この時間だとまだやってる筈だけど…?」

「あっ、あの、それは……」

 

言葉に詰まる善逸君の代わりに、アオイさんがどうしようもないものを見る目で善逸君を見る。

 

「その人はサボりです。サボって戸棚のお饅頭を食べているんです」

「あっ、ちょっと!いや違うんですよ権兵衛さん!これには深い事情が……!」

「…そっか、サボりかぁ。それは良くないね」

 

隊服を掴む腕を瞬く間に解き、代わりに善逸君の二の腕をがっしりと掴む。

 

「ヒッ!あの、権兵衛さん……?」

「アオイさん。あとは自分に任せて貰えませんか?」

「…良いんですか?」

「はい。あと出来れば、炭治郎君と伊之助君も呼んできてください」

「良いですけど、一体何をするつもりなんですか?」

 

ガクガクと震える善逸君を見て、ニッコリと笑う。

 

「少し、お話をしようと思います」

 

 

 

 

 

__________________

 

 

 

 

 

「……大変だったねぇ。三人共」

 

蝶屋敷にある自室に三人を呼び、そこでお茶とお饅頭をお盆に乗せて出す。何やら震えている様子の善逸君がいるが、そんなに怖い雰囲気を出したつもりは無いんだけれど…?

 

「あ、あの…今から俺たちは何をさせられるんですか…?」

「なにもしないさ。言ったろう、お話をするだけだって」

 

震える善逸君にそう語りかけ、横一列に座る三人の前に自分も正座する。

 

「さて……カナヲちゃんと行う訓練はシンドイかい?」

「……えぇと」

「別に告げ口したりはしないさ。正直な所、どうなんだい?」

「…はい」

 

渋々といった様子で頷く炭治郎君に笑みを浮かべる。

 

「正直なのは良い事だ。いくら戦っても勝ち目のない相手と、立ち向かい続けるのはシンドいだろうさ」

「権兵衛さんも、そういう経験があるんですか?」

 

炭治郎君の質問に苦笑する。

 

「何度かね。勝ち目のない鬼と何度も戦って、それで辛勝した事も二度や三度じゃない」

 

自分で淹れたお茶をすすり、お饅頭を頬張る。「君達も食べな」と勧めると、三人がお饅頭を手に取る。

 

「けどね、それでも諦めちゃいけないんだよ。どんなに辛くともね」

 

湯呑みをお盆に置き、三人を見据える。自分よりも些か幼い顔立ちの彼等相手には酷かも知れないと脳裏に浮かぶが、それでも言葉を続ける。

傍に置いてある自らの日輪刀を持ち上げ、そこから刃を一部抜き放つ。

 

「君達は鬼殺隊員なんだ。鬼を唯一殺すことのできる、ただ一つの剣士なんだよ。そんな君達が諦めてしまったら、救える人も救えなくなる」

 

透き通るような藍色の刃を再び鞘に納めると、湯呑みを手に取る。

 

「君達の持っている日輪刀は友を、人を守るためのものだ。俺は、君達に力不足のせいで後悔はして欲しくない」

「友達を、守る…」

 

小さな声で呟く善逸君に頷く。

 

「負けても良い。逃げても良い。けど、諦めちゃダメだ。最後の最後まで足掻き抜け。––––それがいつか、隣にいる大切な人を助けるための力になるから」

 

湯呑みの底にあるお茶っぱの残骸を眺める。–––結局のところ、そこが肝心なんだと俺は思う。鬼という人外の存在を人の身でありながら狩るというのだ。生半可な覚悟では、潰されて終わるのがオチだ。

 

「–––それで、どうする?此処で彼女を超えることを諦めるか、それとも足掻くか」

 

最後の確認として彼等に問う。ここで諦めるのであればそれまで、ただ、もし抗うと決めたのであれば……。

 

「…足掻きます。俺は、鬼殺隊の隊士ですから」

「お、俺も…出来うる限りの範囲なら、頑張りたいです」

「やってやんよ!俺は山の王だからな‼︎」

「…聞くまでもなかったね」

 

各々覚悟を決めた口調で宣言したのを聞いて、自分の問いが無意味であったと笑う–––彼等ならきっと、蝶屋敷を守るに足る人物に成長してくれる。

 

「それじゃあ、先人からの助言をしようかな」

「助言、ですか?」

「うん。君達はカナヲちゃんと訓練をする上でどこが敵わないなと思う?」

「そうですね…。瞬発力と動体視力、大きく分けてこの二つだと思います」

 

それを聴き、あっけらかんと言い放つ。

 

「動体視力についてはあれは生まれつきのものだ。君達じゃあの子には追いつかないね」

 

自分の言葉に「そんなぁ…」と項垂れる三人を見て、やんわりと笑みを浮かべる。

 

「けど、それなら瞬発力を鍛えれば良い。二つでボロ負けの所を一つ対等に渡り合えるようになれば、それで戦いにはなるだろうね」

「瞬発力を鍛えるにはどうすればいいでしょうか?」

「取り敢えずは走る事だ。足腰の筋力を鍛える事が出来れば、自ずと瞬発力は身についてくる」

 

「女性と男性じゃ生まれつき筋肉の面で大きく差が出る。だから、決して彼女に地力で勝てない訳じゃないさ」と言葉を区切る。

 

「地道な訓練が大事、と言う事ですね…」

「勿論。基礎なくして応用はありえないからね。ただ、もう一つだけ君達が彼女に勝てない要素がある」

 

自らの胸に手を当て、大きく息を吸う。

 

「それはつまり、呼吸さ。全集中の呼吸を常に行い、身体そのものを作り変える。これが出来ないと、彼女に勝つのは一生かかっても無理だろうね」

「一生、ですか……」

「うん。一生」

 

はっきりと断ずる。全集中の呼吸・常中が出来るか出来ないかで隊士としての質は劇的に変わる。それこそ、月とすっぽんのように。

この場合、月がカナヲちゃんですっぽんが彼等だ。

 

「あの、全集中の呼吸って、少し使うだけでもかなり疲れるんですけど」

「それを続けてこそ、だね。何事も継続が肝心だよ」

 

身体に負荷を加えて作り変えるのだ、それが楽なはずがない。

 

「どうやったら一日中出来るようになるんですか?」

「とにかく肺活量を増やす事と、あとは癖をつける事だね。まずは意識して全集中の呼吸の感覚を身体に覚えこませるのが一番だ」

「…すげぇ大変そうなんですけど」

「大変じゃない訓練なんてないさ。善逸君だって、地獄のような訓練を経て鬼殺の剣士になったんだろう?」

「それは、そうですけど…」

 

渋面を浮かべ、嫌そうに喋る彼に苦笑する。才能はあるんだけど、こういう後ろ向きな所はなんとも言えないね……。

 

「わかりました。俺、頑張ります!」

 

意を決したように呟く炭治郎君を見て微笑む。…彼のこういう前向きな所は、俺も見習わなくちゃいけない。

 

「それでこそだ。何か分からない事があったら遠慮なく訊きに来て欲しい。出来うる限り、力になるよ」

 

三人がお饅頭とお茶を平らげるのを見て、席を立つ。

 

「君達はまだまだ強くなれる。それだけは、俺が保証するよ」

 

最後の激励の共に「さぁ、訓練頑張って」と彼等を送り出す。彼等が凡百の隊士で終わるのか、それとも光る何かを見つけるのか、此処が文字通り分岐点になるだろう。

 

「…頑張れよ。三人共」

 

いつか蝶屋敷を守るであろう三人に向け、一人になった部屋で小さく呟いた。

 

 

 

 

 

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機能回復訓練に向かう途中の廊下にて、ふと誰かが口を開いた。

 

「–––なぁ。結局権兵衛さんって、鬼殺隊の中でどれくらい強いんだ?」

 

それは、善逸の唐突の疑問だった。

 

「えっ?権兵衛さんの強さ?」

「うん。俺たちよりも遥か高みにいるのはわかるんだけどさ、それが鬼殺隊の中でどれくらいの強さなのかわからないんだよ」

「俺の出会った半々羽織野郎と雰囲気は似てるけどな」

「伊之助、冨岡さんを半々羽織野郎なんていうのは良くないぞ」

 

伊之助を軽く注意した後、善逸の言葉を反芻する。確かに権兵衛さんの強さが鬼殺隊全体のどの辺にいるのかは分からない。鬼殺隊最強を誇る柱ではないと言うことは、那田蜘蛛山の一件で把握している。

–––けど、自身が柱達に感じた匂いと、権兵衛さんから感じる匂いには大して違いを感じる事が出来なかった。いや、むしろ……。

 

「権兵衛さんでも柱になれないって事は、柱はもっと強いって事なのかな?」

「どうだろう…?一度全員と会った事があるけど、強さの匂いはそんなに違いがあるとは思えなかった」

「ふーん…。なんか謎めいてるよなぁ」

 

いまいち権兵衛さんの強さを測りかねている気がする。

蝶屋敷で戦った姿を見たときは、文字通り住んでいる次元が違うと肌で感じた。剣筋や足捌きや体捌きは勿論だが、それ以上に、彼の放つ気配そのものに圧倒的な差があった。

 

「権兵衛君が、どうかしましたか?」

 

三人で頭を捻っていると、可憐な花の匂いが鼻に付く。ふわりとした様子で目の前に現れたのは、ここを管理している胡蝶しのぶさんだった。

 

「胡蝶さん、おはようございます」

「はい、おはようございます。権兵衛君について何か話していたようですけど、何か問題でも起こしましたか?」

 

少々棘のある雰囲気の彼女に首を振って否定する。

 

「いえ、大した事じゃないんですよ。只、権兵衛さんは鬼殺隊の中でどれくらい強いのか気になって…」

 

自分の言葉に「あぁ、成る程」と納得して笑みを浮かべる。

 

「あの子は少々特殊でして、実力だけ見れば鬼殺隊の柱に匹敵する能力を持っています」

「やっぱり」

 

あのとき感じた匂いは間違っていなかったことを確信し、次の言葉を待つ。

 

「現役の柱から度々推薦は受けているんですけど…どういうわけか首を縦に振らないんですよ。困った人ですね」

「いや、それは……」

「それじゃあ、権兵衛さんと同じくらい強い人が甲にゴロゴロ居るわけじゃないって事ですか?」

「もし権兵衛君ほどの実力を持った隊士が十人もいれば、殆どの鬼はこの世から消えているでしょうね」

 

ニコニコととんでもないことをいうしのぶさんだけど、嘘を吐いている匂いはしない––––この人は、本気でそう思っているんだ。

 

「…そ、そんなに権兵衛さんは凄いんですか?」

 

恐る恐る聞き返す善逸に笑いながら口を開く。

 

「善逸君。貴方は津軽から日光まで一日で移動して、そこから鬼を殺す事が出来ますか?」

「普通に無理です。というか、そんな事が出来たら人間じゃないような…?」

「それが、それをごくごく当たり前のように熟すのが権兵衛君なんですよ」

「………はい?」

 

しのぶさんの言葉に絶句する。日本を一日で半分程度縦断する事すら困難であるのに、そこから鬼を殺すなんて正気の沙汰とは思えないからだ。

 

「日本を駆け回る人並み外れた機動力と、重傷を負いながらも鬼を殺すことのできる人外染みた持久力。さらには柱にすら匹敵するような剣の腕–––これらを一つに統合したのが、小屋内権兵衛というひとりの少年なんです」

「普通に人間じゃない……」

「…へ、へっ。中々やるじゃねぇか」

 

強いとは思っていたけれど、あまりに規模の違う話に震えてしまう。あんなに優しい顔をしているのに、そんなとんでもない事をしているなんて……。

 

「一応言っておきますけど、絶対に真似をしないで下さいね?あれは権兵衛君が極めて特殊な個体なだけであって、私たちのような普通の人間がそんな事をしたら3日と持たずに死んでしまいますから」

「も、もちろんです!というより、真似できる気がしない…」

 

どこか影のある口調にコクコクと頷く。–––この様子から、結構手を焼いてきた事がわかる。

 

「という訳なので、もし彼が何か無茶な事をしていたら私かアオイのどちらかに報告して下さい。然るべき対処をしますから」

「了解です!」

「お願いしますね」

 

一瞬で目の前から消える彼女を見て、どっと疲れが湧いてくる。何というか、とんでもない話を聞いてしまった……。

 

「…訓練、頑張ろうか」

「…だな」

「…うん、頑張ろう」

 

上には上がいる。けれど、高すぎる上は見ることすらできない。初めてその事実を知ったとき、只がむしゃらに努力するしかない事を知った––––––。

 

 

 

 

 

 

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腹部に巻かれた包帯を取り払う。包帯から覗かれた肌には少し白くなった傷跡が見えるだけで、血や肉のような赤色は見受けられない。

 

「これで完治、ですね。ありがとうございます、しのぶさん」

「…一週間半で治る傷ではなかったんですけどね」

 

困ったように笑うと、ペタペタと自分の脇腹を触る。やがて触診が終わったのか小さく頷く。

 

「えぇ、内側までしっかり塞がっています。これなら任務も問題ないでしょう」

「はい。なんだか、随分長い間休んでいた気がしますね」

「たかが一週間休んだくらいで何を言っているんですか」

 

頰を弱い力で抓られ「痛い痛い」と声を出す。

 

「それで、今のところ任務は入っているんですか?」

「特には。ですから、今日の夜から哨戒に出ようかと」

「哨戒、ですか」

 

蝶屋敷に攻め込まれてからでは遅い。事前に屋敷に近づく有象無象を潰して置き、攻め込まれないようにしておくのが最善と考えるからだ。

しかし、自分の意見にしのぶさんは笑みを潜ませ渋い表情を浮かべる。

 

「あまり遠くに行って欲しくはないのですが…」

「まだ病み上がりですから、今日は昼過ぎから出立して日帰りを予定します。無理はしませんよ」

「–––言葉を返せば、病み上がりじゃなければ屋敷の周りの鬼をずっと殺して回るのでしょう?」

「…それは、まぁ」

 

痛い所を突かれて言葉を濁す。しのぶさんは「はぁ…」とため息を吐くと、多少の怒気を孕んだ視線を向ける。

 

「それじゃあ貴方を此処に置いた意味がありません。貴方の休養も含めての任務なんですから」

「それは重々承知しています。––––ですが、こればかりは辞める訳にはいきません」

「…まだ自分には此処にいる価値がないと思っているのですか?」

 

その言葉に「いいえ」と首を横に振り、微かに怒りを露わにする彼女の瞳を見据え、静かに口を開く。

 

「自分は、もう二度と鬼に蝶屋敷の敷居を跨がせたくないんです。しのぶさんやアオイさん、すみちゃんやなほちゃん、きよちゃんカナヲちゃんがいるこの場所に、奴らが土足で踏み込む事が我慢できない」

 

––––思い起こすのは、恐怖に震えていたアオイさんの姿だ。顔を蒼白にし、小刻みに震えていた彼女。

あの時は間に合ったから良かったものの、もし間に合わなかったらと思うだけで背筋に嫌な汗が流れる。

世の中に絶対はない。だからこそ、なるべく屋敷に近づく障害を排除したいのだ。

 

「その為には、屋敷に近づく悪鬼どもを皆殺しにしないといけないんです。–––ですから、この考えを曲げる訳にはいきません」

「…権兵衛君」

「はい?」

 

直後、額に言いようもない程の衝撃が走る。デコピンされたのだと直後に理解するが、あまりの衝撃で頭がクラクラと揺れて思うように思考がまとまらない。

 

「い、いきなり何をするんですか⁉︎」

「言っても聞きそうにないので実力行使に出ただけです」

「む、無茶苦茶な…」

 

少し経った今でもヒリヒリと熱を持つ額をさする–––コブにならないと良いけど……。

 

「無茶苦茶な事を言っているのは貴方ですよ。どうして自分一人で背負いこもうとするのですか」

「…不死川さんと約束したんです。蝶屋敷を中心に半径五十里は自分が管轄する、と」

 

その言葉を言った途端、しのぶさんが固まる。

 

「–––すいません。もう一度言ってもらって良いですか?」

「蝶屋敷を中心に半径五十里を自分が管轄する、と」

「はい。もう結構です」

 

「どいつもこいつも…」と怒気を露わにするしのぶさん。拳に血管が浮き出ていることから、相当力を込めている事が伺える。

 

「それで、そんなバカみたいな提案をしたのは貴方ですか?それとも不死川さんですか?」

「自分です」

「……はぁ」

 

口元に常に浮かべていた笑みが消え「感情が制御できない者は未熟者、未熟者…」と俯く。

やがて冷静になったのか、再び笑みを浮かべる。

 

「どうしてそんな馬鹿みたいな約束をしたんですか。それだけ広範囲を担当するなんてどう考えても無理があります」

「……いや、その」

 

しのぶさんの質問に言葉が詰まる。というのも、その約束をした理由を話すのが少し恥ずかしいからだ。

 

「なんですか、何か言えない理由でもあるんですか?」

「そういう訳では……」

「では、どうして言えないんですか?」

 

尚も追求してくる彼女に等々観念し、渋々口を開く。

 

「…蝶屋敷からなるべく離れたくなかったから、です」

「…すいません。それとその約束でどう繋がるんですか?」

「自分が遊撃から防衛に回った事で、辺境まで隊士が配備出来なくなったんです。ですから、なるべく早く蝶屋敷を出ろと言われまして……」

「……それで、その対案として蝶屋敷一帯–––––いえ、平野一帯を一人で抱え込むと言った訳ですか」

 

ピクピクとこめかみが揺れるしのぶさんに震えつつ、首を縦に振る。

 

「…仰る通りです」

「–––権兵衛君。それだけの広い範囲を受け持つと、容易に屋敷に帰って来られなくなると分かっていてそれを言ったんですか?」

「…一月か二月に一度帰れればいいかな、って」

「権兵衛君」

 

今まで見てきた中で一、二を争うほど良い笑顔を浮かべる彼女に頷く。

 

「–––はい」

「周囲の哨戒に出る場合は必ず次の日のうちに帰ってくる事。また、帰れない場合は鴉を使って即座に連絡する事。良いですね?」

「いや、それは…」

「柱命令です。良いですね?」

「その、不死川さんとの約束が……」

「それは後日私からお話しします。兎に角–––––良いですね?権兵衛?」

「………了解しました」

 

彼女の逆鱗に触れてしまったと確信し、素直に頷く。これ以上此処にいるのは不味いと直感が告げ、そそくさと診察室を後にする––––その時だった。

 

「どこに行くんですか、まだ話は終わっていませんよ」

 

木製の椅子––––ではなく、木目の床を指してしのぶさんが笑う。

 

「座ってください、もちろん正座で」

「…何をするんですか?」

「決まってるじゃないですか––––今からお説教です。一刻は覚悟して下さいね」

 

今から一刻の間、自分が地獄を味わうのだと理解する。抵抗は無駄だと早急に諦め、静々と床に正座する。

降り注ぐしのぶさんの説教が終わったのは、そこから一刻と半刻が過ぎるまでだった––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––それで。しのぶ様に散々絞られたって訳ですか」

「いやぁ、あはは」

「笑い事じゃ有りません!全くもう…!」

 

白の病人服から着替え小豆色の隊服に袖を通し、壁に立てかけてある鈴鳴り刀を手に持つ。慣れ親しんだ重さのそれを持ち上げ、綺麗になった吊り紐を見る。

 

「紐の修繕ありがとうございました、アオイさん。お陰で助かりました」

「気にしないで下さい。–––あれ?その鈴…」

「あぁ、これですか」

 

鈴鳴り刀に付けられた白と黒で一対を成す鈴を見せる。

 

「いいんですか?鈴があると型を阻害するんじゃ…」

 

鈴の呼吸は鈴の音色によって鬼の血鬼術を弱める力を持つ、とされている。その音色を遮らないために鈴を外したのだから、彼女の心配も当然と言える。–––が、この鈴についてはその心配は必要ないのだ。

 

「それが、この鈴全く鳴らないんです」

「鳴らない鈴、と言うことですか?」

「はい。師範から送られてきたんですけど…」

 

用途が全くわからないが、師範が送ってきたのだから多分鈴鳴り刀関係だろうと当たりをつけて括ったものだ。音もならないし、大して重さもない為邪魔にはならないと判断したからの行いだ。

 

「不思議ですね…。というより、権兵衛さんはもう鬼殺に向かわれるんですか?まだ昼過ぎなのに…」

 

アオイさんから渡された茶色の雑嚢を受け取り、中身を一瞥する。牛革の水筒、塗り薬、止血用と解毒用の薬草、包帯、乾燥鮭が全て入っていることを確認し「ありがとうございます」と笑みを浮かべる。

 

「えぇ。鴉からの情報で屋敷の付近に鬼が出没しているそうですから」

「ですけど、今はまだ昼過ぎですよ?」

「寧ろ好都合です。付近に潜伏しているのであれば、探すのも容易ですから」

 

枕元に置いてある鍔を取り除いた短刀を手に取り、僅かに刀身を露わにする。入念に手入れをしていただけあって綺麗な水色が伺えるそれを見てから、再び鞘に納める。

 

「もしかして、日が差している間に鬼を殺すんですか?」

「鬼が昼間隠れている場所は洞窟や町外れの民家、もしくは人間のふりをして街にいるかの三つですから、当てさえあれば見つけるのも殺すのも容易ですよ」

 

小さな机の上に置かれた紙を手に取り、それをアオイさんの前に広げる。

 

「これは?」

「地元の猟友会に依頼して作ってもらった、屋敷一帯の森にある壊れた民家や倉庫、大きな洞窟の場所です。普段から森で働いている人達ですから、確度は保証できますよ」

 

地図には赤い丸で囲まれた場所がいくつも書かれている。これが鬼が潜伏している可能性が高い場所という訳だ。

 

「そこを虱潰しに探していく、という訳ですか」

「昼間はそうなりますね。もっとも、そんなにポンポン見つかる訳がないので、やはり夜が鬼を殺す主な時間帯である事に変わりはないんですけど」

「…徹底してますね」

「勿論です、蝶屋敷の安全がかかっていますから」

 

その地図を雑嚢の中にしまい込み、紐を肩にかける。すると「あの、権兵衛さん」とアオイさんから竹の葉で包まれた何かを手渡される。

 

「これは?」

「おむすびです。なほ達と一緒に作ったんですけど、良かったら」

「ありがとうございます!とても助かります」

 

まだ少し暖かいそれを受け取り、アオイさんに笑みを浮かべる。

 

「なほちゃん達にもお礼を伝えておいて下さい」

「それは、自分で帰ってきて伝えた方がいいと思いますよ?」

「…それもそうですね」

 

日帰りでここに返ってくるのだ、だったら帰ってきて直接伝えるのが一番だろう。

 

「それと権兵衛さん。最後にこれを」

「これは……」

 

アオイさんの腕に抱かれた藍色の何かを受け取る。藍色の布を大きく広げると、それは自分が使っていた藍色の羽織だった。左脇腹部分に空いていた穴が綺麗に塞がり、血に塗れてどす黒くなっていた布は元の綺麗な藍色で染まっている。

 

「直してくれていたんですね!何から何まで、本当にありがとうございます!」

「…やっぱり、大切なものなんですか?」

「はい。最終選抜の時、刀と一緒に師範から貰った羽織なんです」

 

その羽織に腕を通すと、妙に馴染んだ感覚を覚える。やはり、自分にはこれが合っているらしい。

そのまま二人で玄関先まで向かい、自分の足周りの装備を点検する。全てが問題ないことを確認すると、再びアオイさんに向き直る。

 

「これで準備は万端、ですね」

「はい。色々とご迷惑をおかけしました」

「–––帰ってくるんですよね?」

 

不安げな表情を浮かべるアオイさんの右手を軽く握る。

 

「必ず、帰ってきますよ」

 

すると安心したのか、アオイさんが小さく笑う。

 

「そうですか––––––それじゃあ権兵衛さん」

「はい」

「行ってらっしゃい。お気をつけて」

「行ってきます、アオイさん」

 

握った手を離し、玄関の戸を開ける。そのまま戸を閉め、蝶屋敷の門から外に出る。

 

「–––約束、したもんな」

 

見送ってくれた彼女に報いるためにも、必ずもう一度この門を潜らなければならない。死体ではなく、生きた人間として。

 

「鴉」

 

小さく呼ぶと羽ばたく音と共に肩口に大きな鴉が止まり、「カァー!」と鳴く。鴉の翼を優しく撫でると、鴉が腕を伝って正面に止まる。

 

「事前に伝えた通り、蝶屋敷の周りを彷徨く悪鬼共を一掃する。情報を出してくれ」

「カァー‼︎南東方向!南東方向ヘ迎エ!」

 

腕から飛び立つ鴉の先導に従い、地面を疾走する。どこか暖かさを感じる羽織を少し握り、目的地へと足を進めた––––––––。

 

 

 

 

 

 

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––––––––静寂が包む、とある山林。

 

無造作に聳える木々によって日差しは遮られ、地面にはこれでもかと言うほど雑草が生い茂っている。人の手が入っていない、まさに原生林の様相を見せるこの森だが、そこにひとりの人間が枝を踏み折って歩いて行く。

小豆色の制服にも似た服をしっかり着込み、上から藍色の羽織を纏う少年は、手に紙を持ちながら視線を左右に揺らしている。

 

「…ここか」

 

やがて紙から視線を離し、とある洞穴を見つける。ただでさえ通りにくい日差しが一切通らずに深い闇が奥へと続くそこは、中がどうなっているのかわからない。–––けれど、彼はそこに何かがいることを確信していた。

 

「鴉、お前は上で待機していてくれ」

「カァー!」

 

茶色の雑嚢と背中に吊った大きな刀を地面に降ろし、藍色の羽織をその上に置く。懐から一本の短刀を取り出し、静かにそれを鞘から抜き放つと、木漏れ日に当たって綺麗な水色が見える。

 

「火事になったら不味いから、火が使えないのが難点だな」

 

ポケットにあるマッチ箱を取り出すが、直ぐにそれをしまう。やがて身体を引き絞るように身体を捻り、小さく息を吸う–––––––直後、少年が弾かれたように洞窟の中へ突っ込む。

 

「なっ⁉︎て–––––––」

 

何者かの驚愕の声が、液体が飛び散る音によって遮られる。何か硬いものが折れる音が一度響くのを最後に、洞穴に再び静寂が訪れる。やがてコツコツと何かが歩く音が聞こえると、洞窟から右腕と短刀を真っ赤に染めた先程の少年が現れる。

 

「終わったよ。血鬼術を使う暇もなかったみたいだ」

 

血にまみれた右腕と短刀を木漏れ日の差す場所に突き出すと、シューという蒸発音と共にみるみる血が消えていき、最後は元の小豆色だけが残る。

 

「まずは一匹か…」

 

血の取れた刀身を鞘に納め、懐にしまい込む。再び藍色の羽織に袖を通し、雑嚢と大太刀を背負うと、洞窟の中を一瞥もすることなくそこから立ち去る。

少年が去って幾ばくか。僅かに高かった日が沈み、鮮やかな茜色が洞窟の中を照らす。そこには、何もなかった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––––小屋内権兵衛が行った鬼殺は、徹底的だった。

 

蝶屋敷に入る前、日本各地を転々としていた時は日が沈んでから、鬼が活動を開始する夜に鬼を殺す事が殆どだった。管轄する範囲が広すぎて、鬼がどこに出現するか分からなかったからだ。

しかし、蝶屋敷一帯と言う固定した範囲を受け持った彼はそれでは足りないと考えたのだ。蝶屋敷に近づく脅威の殲滅、その任を自ら背負った彼は、まず一帯の地理を把握することから始めた。鬼が隠れそうな場所や鬼が活動し易そうな場所、そして鬼が動き辛い場所などを徹底的に洗い出し、鬼がどこに出現するのかをある程度予測を立てた。

 

「なっ、何で鬼狩がこんなとこに–––!」

「–––––これで、十と二つ」

 

粗方場所を把握し終えた彼は、その地点を一点一点潰していき着実に鬼を殺していった。鬼になったばかりの雑魚鬼も、そこそこ人を食って血鬼術を使えるようになった異能の鬼も、すべて殲滅していった。森で、街で、洞窟で、川で、山で、街道で、殺す場所に限りなど無く、蝶屋敷の近くを彷徨く鬼の悉くを殲滅していった。

 

「テメェ!ただで帰れると……」

「二十と三つ目」

 

時には藤の花の香を利用して鬼を誘導し、待ち伏せして斬り伏せる事も行った。鬼殺隊の中で随一の鬼との遭遇率、その殆どの鬼を殺してきた彼の経験によって配置された罠は抜群の効果を発揮し、特定地点で鬼同士の共食いを誘発させる事もあった。

野生動物相手に罠を仕掛けるより余程容易い、とは彼の言だ。

 

「…まだ足りない」

 

何が彼を動かすのか、日の本を遊撃して回っていた時よりも遥かに鬼気迫る勢いで鬼を滅殺し、着々と鬼の屍を積み上げていく彼は、わずか二週間と半日で二十を超える鬼を灰へと変えた。

 

「ただいま戻りました、アオイさん」

「お帰りなさい。今日は意外と早かったですね」

「相手がまだ成り立てでしたから」

 

けれど、彼は胡蝶しのぶとの約束を違えることなく毎日蝶屋敷に帰っている。しのぶとの約束もそうだが、蝶屋敷の様子を見るためでもあるからだ。

 

「無理無理無理‼︎もー無理ですよー!」

「あはは、やだな善逸君。まだ大岩二つじゃないか、いずれこれの倍は持ち上げてもらうよ」

「ぜ、善逸…」

 

彼が屋敷に戻る理由の中には竃門炭治郎、我妻善逸、嘴平伊之助らの指導も含まれている。全集中・常中の会得のためにあれこれと訓練を課し、主に我妻隊士の悲鳴が屋敷に響き渡るのは最早茶飯事となっている。

 

「––––––ここが、あの人のいるお屋敷」

 

そんな日常が少し過ぎたある日、ある人影が屋敷の綺麗な門の前に立つ。赤みがかった綺麗な瞳が屋敷を見据え、小さく息を吸う。

 

「ようやく見つけましたよ、兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––まずはおめでとう、炭治郎君。無事機能回復訓練を終えたらしいね」

「ありがとうございます!これも権兵衛さんのお陰です!」

 

蝶屋敷の居間。アオイさんの作った朝餉に舌鼓をうち、暖かいお茶を一服した所で口にする。同じように湯呑みを呷る炭治郎君は嬉しそうに笑い、湯呑みを置く。

 

「頑張った君の成果だよ。本当によくやったと思う」

 

全集中・常中はとても地味だが習得するのには多大な労力を使う。ましてそれを僅か一月足らずで会得したのだから、やはり彼には才能がある。

 

「…良いよな、炭治郎は。簡単にカナヲちゃんに勝っちゃうんだからさ」

「へっ!すぐに追いついてやるからな!」

「君達二人ももう直ぐ勝てそうだったとしのぶさんから聞いてるよ。詰めの所まで来てるんだ、後は詰め切るだけだよ」

 

どんよりした雰囲気を纏う善逸君と奮起する二人を見る。

 

「それに、しのぶさんに一番応援されているんだろ?なら頑張らないとね」

「…そ、そうですよね!俺が一番応援されているんだし!」

「–––しのぶさんも酷いことをするな…」

 

さっきとは打って変わってやる気を漲らせ、「頑張ります‼︎」と意気込む彼を見てしのぶさんに思いを馳せる。–––やる気を出させる為とは言え、幼気な少年の純情を利用するのは如何なものかと…。

 

「さて。それじゃあそろそろ訓練に……」

「あの、権兵衛さん」

 

席から立ち上がり、庭先に向かおうとした直後、襖の陰からなほちゃん達三人娘が揃って顔を出す。

 

「どうしたんだい、三人揃って」

「その、権兵衛さんにお客様が来ていますよ?」

「お客様?俺に?」

 

揃ってコクコクと頷く三人に疑問符を浮かべる。自分を訪ねてくる人なんて居ないはずなんだけど…?

 

「鬼殺隊の人かい?」

「いいえ、若い女性の方です。お名前を言えば伝わると聞いているのですが…」

「そんなに知り合いは多くないけど…。それで、相手の名前は?」

 

 

 

「小屋内 (ひいらぎ)さん、というお名前だそうです」

 

 

 

すみちゃんが通る声でそれを口にする。その名前を聞いて一瞬、思考が固まる。

 

「–––ごめん、もう一度言ってもらって良いかな?」

「はい。小屋内 柊さんです」

 

尚もはっきりした口調のすみちゃんに聞き間違いの線はないという事を悟り、思わず天井の木目を見上げる––––どうして彼女が此処に……。

 

「柊は今どこに?」

「アオイさんが応接部屋で対応していますけど…」

「わかった。色々とありがとうね」

 

早足に居間から外に出る。その時、壁から顔を出して炭治郎君たちに口を開く。

 

「申し訳ないけど、先に訓練を始めててくれ。早めに戻らなかったから今日は軽めで終わらせて良いからね」

「あの、権兵衛さん。小屋内柊さんって––––––」

「それはあとで説明するよ。今はごめん」

 

驚いた様子の三人を置いて部屋を後にし、そのまま足早に応接部屋へと向かう。その時にも、頭の中でぐるぐると思考が巡っている。

 

(どうして柊が蝶屋敷に?というより、なんで俺の元に来たんだ?)

 

突然降って湧いた事案にとめどなく考えが走るが、結局何一つまとまる事なく応接部屋の前に辿り着いてしまう。

取手に手を掛けようと手を伸ばす–––––その時、静かに襖が開かれる。

 

 

 

「–––––––––久しぶりですね。兄さん」

 

 

 

それは、鈴のような声色だった。打てば響くような、透き通る声。肩口まで伸びた綺麗な黒髪に柊の葉を模した髪飾りが映え、多少赤の入った綺麗な視線が自分を貫く。

 

「…柊」

 

開かれた部屋の中には困惑した様子のアオイさんが目に入る。–––そりゃ驚くよな。

 

「に、兄さんって……」

「すいませんアオイさん、事情は後で説明します」

 

正面に立つ柊の横を歩き、応接部屋へと足を踏み入れる–––––前に、腕で先を遮られる。

 

「…あの?」

「兄さん。一年と半年ぶりに出会った妹に何か言う事は無いんですか?」

 

棘のある言葉だ。それこそ、彼女の名前の葉のように刺々しい。

 

「…久し振り、だな?」

「–––それだけですか?」

 

どこか不満そうに目を細める柊に目を泳がせる。他に何を言えば…?

 

「もっとあるんじゃないんですか?大きくなったなとか、綺麗になったな、とか」

「…ごめん。そこまで頭が回らなかった」

「–––別に、口下手な所まで先生に似せなくても良いんですよ」

 

柊は「はぁ…」とため息を吐くと遮っていた腕を下ろし、彼女に腕を引かれて居間へと引き入れられる。なすがままに流され、そのまま机を挟んで柊の正面に座らされる。

 

「兄さんは変わりないようで良かったです。そして、これはお土産です」

「ありがとう、柊」

「お気になさらず。神崎さんも宜しければどうぞ、つまらない物ですが」

「あ、ありがとうございます」

 

柊から茶色の包みに入れられた何かを受け取り、机の端に置く。中身は大体想像がつくため、今は触らない。

アオイさんが急須から湯気の立つ暖かいお茶を淹れてくれたので、受け取り一度啜る。暖かな渋みが口の中に広がった所で、早速本題へと切り込む。

 

「それで突然どうしたんだ。お前が会いに来るなんて…」

「妹が兄に会いに来るのは不自然ですか?」

「いや、そんな事はないけどさ…」

 

何やら棘のある口調の妹に口を閉ざす。–––こんなに刺々しかったっけ…?

 

「先生から兄さんに荷物があるんです。あまり人目に付かせたくない物らしくて、それで私に白羽の矢が立ったんです」

「そうだったのか…。師範は元気だったかい?」

「はい。変わらず草原の上で、のんびりお饅頭を食べていましたよ」

 

容易に想像できるその姿に苦笑する––––よかった、まだまだ元気らしい。

 

「それにしても、今柊は何してるんだ?今も師範のところで勉強してるのか?」

「いえ、今は日本中を歩いて患者さんを相手にしてます。なかなか忙しいですね」

 

–––妹の柊は、鬼殺隊の隊員ではない。幼少期から師範の元で医療と薬学について学び、基礎教養も自分よりも遥かに身に付けている。師範から太鼓判を押されていたから、優秀な医者になったのは間違いないだろう。

 

「兄さんも、怪我はしないで下さいね」

「善処するさ」

「…まぁ良いでしょう」

 

柊の傍に置かれた淡い赤の鞄から、紫の布に包まれた本らしき物が垣間見えた。

 

「これが、鈴の呼吸について記された資料です。先生が兄さんに差し上げると」

 

取り出されたそれの布を外し、中から藍色の装丁が施された一冊の本が取り出される。達筆な文字で「鈴」と一言書かれただけの題名に、どこか力を感じる。

差し出されたその本を受け取ろうと手を伸ばす––––直後、その本が柊の胸に抱かれる。

 

「…えぇと?」

「これを差し上げる前に、一つ言いたい事があるんです」

「–––言いたい事?」

 

「はい」と一度頷くと、自分側の机の上に本を乗せる。

 

「そこにいる神崎さんから色々と聞きました。この一年と半年で随分多くの鬼を殺したそうですね」

「まぁ、そこそこは」

「流石は私の兄さんです。––––––とでも、言うと思いましたか?」

 

にっこりと穏やかな笑みが一変し、なんの感情も映し出さない表情を浮かべる。

 

「ひ、柊?」

「兄さん、私は今医者をやっています。だから、人の怪我や病気を診る事が多いんです」

「た、たしかに」

 

妙に圧を感じる声色に少し震える。

 

「中には鬼殺隊の隊員の治療をしに藤の家紋の家に向かうこともあります。そんな時、何度か兄さんの噂を聞いたんです」

「噂?」

「えぇ。–––––殆ど不眠不休で鬼を殺し、日本中を駆け回っていると。私が治療した隊士達はそれを誇らしげに語っていましたよ。兄さんは、まさに現代に降り立った鬼殺の魂だって」

 

顔を伏せ微かに震えている柊に、何か声を掛けようと口を開く––––前に、顔を上げた彼女の表情を見て思い留まる。

 

「二百を超える鬼を、殺したそうですね。兄さん一人で」

 

その問いに一度頷く。

 

「そんなに頑張る必要が、果たしてあったんですか?鬼と違って、一度間違えば簡単に死んでしまうのに」

「襲われた人を助けるためには、がむしゃらに頑張るしかないからね」

 

息を飲む柊。けれど言葉を続ける。

 

「ほかの隊士に、任せる事は出来なかったんですか?」

「自分で決めた事だから、人任せには、出来ないよ」

「––––本当に、変わりませんね。この馬鹿兄貴」

 

目の端から涙を零す彼女を見て、思わず頭を下げて謝りたくなる衝動に駆られる。–––けれど、それは不誠実だと思い留まる。

 

「今の鬼殺隊の現状は理解しています。だから、兄さんに鬼殺隊をやめてほしいなんて願いません。ですが、一つ覚えていて下さい」

 

柊が本を持ち上げ、自分に差し出す。

 

「––––––兄さんが死ねば、私は三日三晩泣きはらしますから。妹を泣かせる様な、情けない兄にならないで下さいね」

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「––––––本当に、頭を撫でるのだけは上手な兄さんです」

 

応接部屋から消えた兄を見て一人呟く。最後に頭に残った彼の温もりの余韻を思い、つい悪口が溢れる。けれど、にやける口元を止められない。

 

「神崎さんも、すいませんでした。暗い話に付き合わせてしまって」

「いえ、別に……。というより、その、失礼ですけど、二人は本当に兄妹なんですか?」

「–––まぁ、それは気になりますよね」

 

頰を軽く掻き、ばつが悪い笑みを浮かべる。

 

「お気づきかも知れませんが、私と兄さん。小屋内権兵衛と小屋内柊に血縁関係はありません」

「それじゃあ、どうして兄さんなんて…」

「昔は本当の兄妹だと思っていたんですよ。変な話ですよね、瞳の色も違うのに」

 

––––それに、自分はあんなに慈しみに満ちた笑みを浮かべる事は出来ない。私に出来るのは、精々他人を怒る事くらいだ。

 

「–––いっそ、本当に兄妹だったら良かったのに」

「…柊さん?」

「あっ、すいません。変な事言ってしまいました」

 

思わず漏れてしまった本音を慌ててしまい込み、一つ咳払いをする。

 

「兄さん全然手紙を書いてくれないし、こっちが手紙を送っても全然返してくれないんです。酷いですよね」

 

そういうと神崎さんも「あー」と声を上げる。

 

「わかります。なんだか、そういう他人の心配を一切意に介さない人ですね」

「ですよね!もう少し他人の気持ちを慮ってもいいと思いますけど…」

「権兵衛さんは、そういうのは言葉じゃなくて行動で示す人ですから」

 

互いに頷き合う。兄さん関連だと、この人は相性が良いらしい–––やっぱり、ここは恥を忍んでお願いすべきだ。

 

「あの、神崎さん。出会ったばかりで不躾とは承知しています。ですが、どうしても叶えて欲しいお願いがあるんです」

「お願いですか?」

 

一度息を止め、よく通る声で口にする。

 

「はい––––––私を、此処で雇って欲しいんです」

「…えっ?」

「この蝶屋敷は鬼殺隊での医療の現場だと聞いています。私も医療には多少心得があります。足手纏いにはなりませんから、どうか雇ってくれませんか?」

 

床に額が付く勢いで頭を下げる。

 

「あ、頭を上げてください!けど、すいません。それは私の一存では……」

「–––––私は別に構いませんよ。アオイ」

 

–––––ふと、どこかで嗅いだ花の匂いがした。

 

「しのぶ様⁉︎いらしていたんですか?」

「えぇ。どこぞの頑張り屋さんが頑張りすぎるせいで、最近暇が多いので–––それで、柊さん、でしたか?」

 

どこか重い雰囲気が背中にのしかかる。笑みを浮かべてはいるが、その両目は試すようにこちらを見ている。

 

「はい」

「どうして、此処で働きたいと思ったんですか?鬼殺隊の隊員ではないらしいですが…」

 

顔を上げ、袴を固く握りしめる。今から言う言葉はとても自分勝手だ、おそらく口にすれば雇ってもらえない。–––––けれど、兄さんがいる場所に、そこにいる人に、嘘はつきたくなかった。

 

「兄さんを、助けたいんです」

「わかりました。じゃあ採用ですね」

「私の技術は全部、兄さんのために磨いたものなんです。ですから–––––えっ?」

 

ニコニコと笑みを浮かべるしのぶと呼ばれた女性を見る–––––えぇと…?

 

「あの、自分勝手な言葉を口にしたと思うんですけど」

「良いじゃないですか。動機なんてそんなもので」

「…技術とかは、確認しなくてもいいんですか?」

「権兵衛君の妹ならきっと優秀でしょうし、必要は感じませんね」

「………あ、あはは」

 

トントン拍子に話が進んでいく様に拍子抜けし、思わず乾いた笑みが溢れる。

 

「これからよろしくお願いしますね、柊さん?」

 

私は兄さんを助けるために、とんでもない人の下に着いたのかもしれない。けど後悔は時すでに遅く、私は差し出された小さな手を握り返した––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内 柊
小屋内権兵衛の血の繋がらない妹。幼少期を権兵衛とともに修行に費やし、剣術を権兵衛が、医療を柊を修めた。齢十五とは思えないほど卓越した医療技術と薬学知識を持つ、小屋内権兵衛とは別の側面で才を光らせる才女。柊の髪飾りは権兵衛から送られたもので、今でもずっと付け続けている大切な物。
元は権兵衛と同じく剣の修行をしていたが、権兵衛が怪我も厭わず鍛錬に打ち込む姿を見て医療の道に進むことを決心。血の繋がらない兄を助けるために必死に医療を学び、同年代では他の追随を許さない技量も知識を身につけた。
本人は否定するが、根っからのお兄ちゃん子。兄が好物な団子を作るために何度も練習して、鍛錬の合間に作っては権兵衛に振舞っていた。
柊の名前は師範から授けられたものだが、小屋内という名字は権兵衛を真似して自分で付けた。






あーけろん

柊の存在を出すか出さないかで一週間悩み抜いた哺乳類。あまり話が進んでいないことに辟易としつつ、次で描きたかった話が一つ書けると意気込んでいる。


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鬼殺隊一般隊員小噺集



17巻があまりにしんどい…。
今回は小噺集です。時系列は結構バラバラなので、そこはご容赦下さると幸いです。

1、鬼殺隊一般隊員の出来た妹
2、鬼殺隊定期報告会の一幕
3、鈴の音に救われた人々
番外、仄暗い部屋にて悪鬼は嗤う

の四つで構成されています。

※誤字修正、および感想評価共々ありがとうございます。お陰で密かに目標としていた文字数20万字を越えることが出来ました。これからもどうかよろしくお願います。
※追記 今話から非ログインユーザーからの感想も受け付けられるよう設定を変更しました。








 

 

 

1、鬼殺隊一般隊員の出来た妹

 

 

 

 

 

「–––––兄さん。お話があります」

 

木製の壁一面に何かの紙が貼り付けられた一室。大きめの机には所狭しと何かの資料が並べられ、天井近くもある本棚には数えるのも億劫な程の本が納められている。

 

「珍しいね。柊が話なんて」

 

小屋内柊のために蝶屋敷に用意された、彼女の診察室兼私室である。そこには木製の椅子に腰掛けた、藍色の着物の上に白衣を纏った端整な顔立ちの少女と、小豆色の隊服に藍色の羽織を着た少年が佇んでいる。

 

「とにかく座ってください。話はそれからです」

 

窓からの日差しが暖かいが、妙に冷たい雰囲気を少女から感じた少年–––––小屋内権兵衛は何か厄介事の気配を感じるが、素直に用意された椅子に座る。

 

「…さて、まずは兄さん。私が貴方を此処に呼んだ理由はわかりますか?」

 

何やら問い詰めるような口調の少女––––––小屋内柊の言葉に首を傾ける権兵衛。少しの間一言も喋る事なく唸るが、全く宛がなかったのか、静かに首を横に振るう。

 

「さっぱりわからない。なんで俺は呼ばれたんだ?」

「……まぁ、兄さんに察して貰う事を期待した私が愚かでした」

 

はぁ、とため息を零す柊に対し、権兵衛はすこしムッとした表情を浮かべる。

 

「俺だって毎日頑張っているのに…」

「兄さんが鬼殺隊の中で誰よりも頑張っているのは間違いありません。それは私が保証します」

 

きっぱりと言い切る柊。しかし権兵衛は未だ納得がいかないのか、怪訝な表情を深める。

 

「それじゃあ、なんで柊はそんな不機嫌なんだ?」

「兄さんの場合、頑張り過ぎているのが問題なんです」

 

コトリと硬いものが柊の机の上に置かれる。青い皮表紙に「鬼殺隊健康診断」と銘打たれたそれは、相当な分厚さを誇っている。

 

「これは、半年に一回行われている鬼殺隊健康診断の全書です」

「それが一体どうしたのさ」

「私は2日間に渡り、この資料に一通り目を通しました」

「…その分厚い資料を?」

 

殴れば簡単に人を殺せそうな質量を持ったそれを権兵衛が指差すと、柊が一つ頷く。

 

「はい。独の書物よりも余程簡単でした」

「なんでそれを読む必要があったんだ?」

「人によって薬の効き方は異なります。前の治療歴や体質を知っておけば、迅速に対処する事が出来るからです」

「…成る程。柊は偉いなぁ」

 

蝶屋敷に入り、熱心に仕事に取り組んでいる柊の頭に手を置き軽く撫でる。彼女はそれを普通に受け入れ、気持ち良さそうに目を細める。そのまま少しの時間が流れる–––––瞬間、はっと柊が目を覚ます。

 

「って、今はそう言う話じゃないんです!」

「じゃあ、一体?」

 

疑問符を浮かべる権兵衛に対し、柊はパラパラと資料をめくる。

 

「先も言いましたが、この資料には隊員全ての健康診断の結果が載っているんです––––にも関わらず、兄さんの資料を見つける事が出来ませんでした」

「…えぇ、と」

 

ようやく柊の言いたい事を理解した権兵衛は肩を竦め、右頬を掻く。

 

「兄さん、健康診断を受診しなかったんですね」

「…はい」

 

今は穏やかな生活(?)を送っている権兵衛だが、つい二ヶ月程前までは殆ど休息を取ることも無く鬼殺に邁進していたのだ。短期間で多くの鬼を殺すためには生活の殆どを任務に当てる必要があり、健康診断を受診しなかったのは必然と言える。

 

「駄目じゃないですか。そう言う規則はちゃんと守らないと」

「仰る通り…」

 

彼等の事を兄妹だと理解していなければ嫁にうだつの上がらない夫のように思える。肩を竦める権兵衛を見て、柊は再び口を開く。

 

「アオイちゃんやしのぶさんから聞いていますよ。兄さん、必要以上に自分を追い込んでいたそうですね」

「それは––––––って、アオイちゃん?」

 

とても親しみを感じる呼び方を聞き、思わず疑問を口にする。すると柊は「あっ」と短く声をあげ、見る見る頰を赤くしていく。

 

「…良いじゃないですか。誰をなんと呼ぼうと」

 

憎まれ口を叩く柊とは反して、権兵衛はニコニコと笑う。

 

「そうだねぇ。仲良くなった人を親しみを込めて呼ぶことに、なんら違和感はないからね」

「…生意気です。兄さんの癖に」

 

可愛らしく頰を膨らませる柊を見て一層笑みを深める権兵衛。瞬く間に形勢が逆転した様子に柊は「と、とにかく!」と遮る。

 

「兄さんには健康診断を受けて貰いますからね。これは絶対です」

「わかったよ。しのぶさんに頼むかな…」

 

最近なにやら熱心に研究に打ち込んでいる彼女を思う。すると「なにを言っているんですか」と柊が口にする。

 

「せっかく私がいるんですから、私が担当します」

「…良いのか?」

「もちろんです。こう見えて、私結構出来ますから」

 

自信を持って言い張る彼女を見る。自分とは異なり、幼少期より勉学に励んできた彼女のことだ。腕は間違いないのだろうと権兵衛は結論づける。

 

「わかった。じゃあお願いしようかな」

「はい。お任せ下さい」

 

どこかホワホワした雰囲気を柊から感じるが、権兵衛はそれに触れることなく口を開く。

 

「それで、検診はいつやろうか?」

「なるべく早い方が良いですね。兄さんはいつ空いてますか?」

「今日は特に予定はないね。急で悪いけど、出来れば今日が–––––」

 

そこまで言ったあたりで、権兵衛は突然口を閉ざす。何故なら、「今日ですか…」と寂しそうに呟く柊の様子を見たからだ。

 

(これは、なにか用事がある顔だな…)

 

何やら予定があるのだろう柊だが、彼女は権兵衛を倣いとても勤勉な女性である。おそらく今日診断を行うとなった場合、その予定を断ってでも仕事を完遂するだろう。

そう思い立った権兵衛は「…いや」と言葉を区切る。

 

「やっぱり今日は用事があるんだった。悪いけど、今日は遠慮させてくれ」

「そ、そうですか。なら別の日にしましょう」

 

心なし、ホッとした表情を浮かべる。

 

「明後日はどうだろう。その日なら何もないと思うんだけど…」

「明後日……えぇ、大丈夫です。それじゃあ明後日にやりましょうか」

 

手帳にスラスラと綺麗な文字で予定を刻む柊。権兵衛はその様子をある程度眺めた後、「…それで」と口を開く。

 

「今日は誰と出掛けるんだ?」

「な、なんのことでしょうか」

 

白々しくとぼける柊に苦笑し、権兵衛が続ける。

 

「今日どこかに出掛ける用事があったんだろ。今日って言ったら顔色が鈍ったからな」

「…ほんと、人を見るのが上手いですね、兄さん」

 

言い逃れが出来ないと悟ったのか、不貞腐れたように視線をそらす柊。

 

「柊がわかりやすいだけさ。それで、一体誰と出掛けるんだ?」

「…蜜璃さんとしのぶさん。あとはカナヲさんとアオイちゃんです」

「–––––錚々たる面子だね」

 

鬼殺隊の現役柱二名とその継子という濃い人達を聞いて思わず苦笑いを浮かべる。神崎アオイと小屋内柊という医療面も完備している事から、どこか鬼の住む拠点でも攻めに行くのかと愚考してしまう。

 

「それで、何か行くところでもあるのか?」

「近くに洋菓子屋さんが出来たらしいんです。そこのぱんけぇき?なるものを蜜璃さんが是非食べたいと言ったので…」

「それはパンケーキ、だね。甘露寺さん相変わらずハイカラなものが好きなんだなぁ」

「パンケーキ、ですか」

 

パンと似たものに蜂蜜を掛けて食べるものだ、と説明すると「成る程…」と頷く柊に権兵衛が笑みを零す。どんなこともまじめに勉強しようとする彼女の姿がとても微笑ましいからだ。

 

「美味しいんですかね?」

「それはわからないよ。俺も食べた事はないからね」

「–––––蜜璃さんと食べに行かなかったんですか?あの人、兄さんのことをいたく気に入っていたと思いますが」

「…色々あるんだよ。色々とね」

 

可愛らしく小首を傾ける彼女に対し、権兵衛は疲れたように笑う。

言えるわけがないのだ、もし二人で容易にお茶にでも行こうものなら問答無用で刺しに来る男性がいるなんて––––––。

 

「そ、それよりもだ。柊はまだ時間は大丈夫なのか?今日出かけるのに…」

「お昼を過ぎてから出掛けるので時間は大丈夫ですよ。兄さんこそ、用事は大丈夫なんですか?」

「うん?あぁ……それは大丈夫だよ」

 

権兵衛が木製の椅子から立ち上がる。ついとっさにでまかせを言った為、今日やることを考えていなかった権兵衛。少し頭を捻るが、やがて答えを見つけて笑みを浮かべる。

 

「これからちょっと鬼を殺してくるから。柊はみんなと楽しんでおいで」

 

あっけらかんと言い放つ。

–––勘違いしてはいけないのだ。権兵衛はあくまでも胡蝶しのぶや神崎アオイ、延いては蝶屋敷三人娘によって引き止められ、蝶屋敷に留まっているに過ぎないのだ。

少しでも油断すれば、それこそ屋敷周辺一帯の鬼どころか、太平洋から日本海までの鬼を殺しに向かい始めるのが目に見えている。

 

「––––––ちょっと待ってください。兄さんの用事って、鬼を殺しに行くことだったんですか」

「まぁそうだね。今日は取り敢えず伊豆の様子でも見に行ってくるよ」

「…任務は入っていなかったと思いますけど」

「任務はなくても鬼はそこにいるからね。奴らをのさばらせておくわけにはいかないさ」

 

より多くの鬼を殺す、それこそが鬼殺隊の本分。小屋内権兵衛の行動は模範的な隊士のそれであり、咎める筋合いは無い。

 

「………」

 

––––けれど、それを口にする権兵衛の姿を見るのが、柊は堪らなく嫌になった。これから死地に向かおうとするのに、いつもと変わらない笑みを浮かべる彼の姿が、あまりに儚くみえてしまうから。

 

「…兄さん。やっぱり今日は一緒に出かけましょう」

 

–––だからだろうか。柊がそう口にしたのは。

 

「………なんで?」

 

コテンと首を傾ける権兵衛に柊が続ける。

 

「なんでもなにもありません。可愛い妹の頼みなんですから、まさか断りませんよね?」

「いやいや、だって五人で遊びに行くって…」

「人数が一人増えるだけです。それに女所帯ですから、一人くらい護衛の男性がいてもおかしくないでしょう?」

「護衛って……」

 

下手をしなくても自分より強い人が二人も居るのに、護衛の必要性があるとは思えない。そう言おうと口を開く–––––––。

 

「…それとも、兄さんは私と一緒に出掛けるのは嫌ですか?」

 

––––––前に、柊が寂しそうに視線を伏せる。それを見た権兵衛は「うーん…」と唸り、頭を悩ませる。

 

「それって、所謂女子会って奴だろう?そこに男が一人で混ざるのはなぁ…」

「いいじゃないですか。両手と言わず両足に花なんですから、街中から羨望の眼差しを受けますよ」

「刺されそうで怖いね、それは…」

 

なおも渋る権兵衛。それに対し、柊は到頭切り札を使う。

 

「–––わかりました。それじゃあしのぶさん達に聞いてみましょう。それで判断しても遅くはありませんから」

「ちょっと待て柊。それは時期尚早だと兄さんは思うぞ」

 

–––––小屋内権兵衛は基本的に知り合いに甘い。一度身内のような関係になってしまえば、殆どの願いを聞き入れてしまうほど甘い人物だ。

勿論、それだけならまだ断る余地もあるだろうが、彼は蝶屋敷に大きな恩がある。しのぶやアオイから一言一緒に来て欲しいと言われれば、彼は成すすべなく首を縦に振るうだろう。

 

「何故ですか。一度聞けば済む話じゃないですか。ちょうど蜜璃さんもいらっしゃってますから、今こそ聞きに行くべきです」

「いやいや、そもそもまだ行くと決めたわけでは…」

「…妹と出掛けるのがそんなに嫌なんですね。––––一年以上音信不通になった癖に」

 

柊の一言に「うぐ」と呻き、顔を伏せる権兵衛。柊の悲しそうな表情が一層彼の罪悪感を刺激し、みるみる抵抗する力が失せていく。

そんな表情の権兵衛を見て、此処で詰めの一手を柊が打つ。

 

「嫌なら嫌ってはっきり言ってください。兄さんが嫌って言えば、私だって諦めますから」

「……そういう聴き方はずるいと思うぞ」

 

恨めしそうな視線を向ける権兵衛に対し、柊は何処吹く風だ。

 

「なんとでも言ってください。それで、どうなんですか?」

「––––––––そこまで言われちゃ、行くしかないだろう」

 

がっくりと肩を落とし、渋々口を開く権兵衛を見て柊は小さく握りこぶしを作る。しかしそれを悟らせないようにすぐに背中に隠すと、「そうですか」と笑みを浮かべる。

 

「それじゃあしのぶさんの所に聞きに行ってきますね」

「あぁ、行ってらっしゃい」

 

パタパタと部屋から出て行く柊を見て、権兵衛はふぅと一息つく。

 

「–––––さて、と。俺も準備しないとな」

 

恐らく二つ返事で了承するであろう彼女らを思い、権兵衛は何を着ていけばいいのかと頭を悩ませながら彼女の診察室を後にする。

誰もいなくなった診察室には、暖かな木漏れ日が差し込んでいた––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

2、鬼殺隊定期報告会の一幕

 

 

 

 

 

 

 

「–––で?権兵衛のやつは大人しく蝶屋敷にいるのか?」

 

鬼殺隊本部、産屋敷邸のほど近く。欅の柵に囲まれた、格式高いとされる料亭の奥まった一つの大きな部屋に、9名程の人が集っていた。

 

「大人しくかどうかは判断できませんが、蝶屋敷にいる事は確かですよ」

「ほぉー。何だかんだ蝶屋敷の事を気に入ったみたいだな」

「えぇ、どうやらそうみたいです」

 

お膳に並べられた色彩豊かな料理の内、飾り包丁の入った人参を一つ箸で取ると、蝶の髪飾りをつけた可憐な少女が口を開く。

 

「何はともあれ、権兵衛少年にも落ち着いた拠点ができた事は何よりだな!」

「権兵衛君最近顔色も良いし、やっぱり蝶屋敷に留めて良かったですよ!」

 

金と桃色という特徴的な髪色をした二人は正面に並べられた大量の料理に次々手を伸ばし、その殆どを瞬く間に平らげていく。その姿は横綱の食事風景とも引けを取らない迫力だ。

 

「聞けば、奴の元には大量の贈り物が届けられたそうじゃないか。それで良い気になって、調子に乗られても困るんだがな」

「彼に限ってそんな事はありえませんよ。事実、はじめはそれらの受け取りを拒もうとしていましたから」

「そうです!権兵衛君はそんな人じゃないですよ!」

「…ふん」

 

左右の瞳の色の違う男性は女性二人に言い含められ、ほかの人よりも明らかに少ない料理を少しずつ食べ進める。

「権兵衛…甘露寺とお茶した事、絶対に許さないからな…」と呪詛を振りまいているが、幸いな事に他人の声が大きいからか、誰の耳にも入ることは無かった。

 

「それ聞いたぞ。なんでも権兵衛を模した絵まで送られてきたそうじゃねぇか。あいつも随分とド派手になってきたねぇ」

「あぁ…隊士の頑張りが市井の人々に届くのは、やはり良いものだ…」

「…お魚美味しい」

 

–––––––鬼殺隊定期報告会、という名目で行われている食事会である。

 

「…なんで俺はこんな所で飯食ってなきゃいけねェんだよ」

「お館様が仰っていたではないか!「柱同士、仲良くやって欲しい」とな!」

「なんでそれがこんな形になるんだよ。別に個人個人で交流すりゃいいじゃねぇか」

 

煉獄の言葉に不死川が難色を示す。彼としては柱という鬼殺隊最高戦力が一箇所に集まり、食事を共にしている現状に危機感を持っているからだ。

 

「個人間でやると一人、どうしても交流を怠りそうな人が居ますから…」

「あァ?って、お前かよ…」

「………」

 

胡蝶の言葉に不死川が一人の男性を見る。件の男、水柱の冨岡義勇は先程から一言も話す事なく、目の前にある鮭大根を一心不乱に食べ進めている。時折「…ムフフ」と笑みを浮かべている事から余程気に入ったのだろうが、それ以上の事は誰にもわからない。

 

「最近は鬼の出現報告も少ない。こうして柱との交流を深め、連携を深めるのも鬼殺の助けとなるだろう」

「…まァ、それも一理あるか」

 

悲鳴嶼の言葉に一度頷くと、不死川は御膳の料理に手をつけ始める。

 

「それでその時ね–––––––」

「あの時の鬼は––––––」

「ウチの嫁の一人がな–––––」

 

各々が会話に花を咲かせていくが、やがて自分の会話が尽き始めると、話題は共通のものへと変わっていく。

 

「そういえば最近、蝶屋敷に権兵衛の妹が来たそうじゃねぇか。今は屋敷で働いているんだって?」

「えぇ。–––正直なところ、医療面では私より腕は上ですね」

「なんと!それほどの腕前とは…」

「小屋内って苗字が付く奴はどこか突出してんのか?」

「あり得る話ではありますね…」

 

鬼殺隊の柱の共通の話題といえば、それはとあるひとりの隊士へと行き着く。話題に事欠かず、そして柱全員が認識している人物だからだ。

 

「それで思い出したんだがよ、この前ウチの管轄で権兵衛を見かけたぞ。あいつ今はどの辺で鬼を狩ってるんだ?」

「えっ?宇髄さんも権兵衛君を見かけたんですか?」

 

宇髄の言葉に甘露寺が驚き声を上げる。

 

「って事は、甘露寺もか」

「俺もつい先日、権兵衛少年とともに鬼を討伐したぞ」

「…私も一週間ほど前、権兵衛と肩を並べて鬼を滅殺している」

「不本意だが、この前奴に先を越されたな」

「僕も、権兵衛と一緒に鬼を殺したよ」

 

宇髄と甘露寺の会話を皮切りに、柱の殆どが権兵衛と肩を並べて鬼を殺したとか、彼を見かけたと口にする。––––しかし、それは普通に考えればおかしいのだ。

 

「…柱達の管轄って、そんなに狭くなっていましたっけ」

「いや、そんなに変わりは無いはずだ」

「おい。って事は、最近鬼の報告数が少ないのは………」

 

徐々に状況が理解できてきたからか、宇髄がかすかに震えた手で日本酒をお膳に置く。

 

「…不死川さんの言うことなんて無視しろって言ったのに」

「あァ?テメェ胡蝶、今なんて––––––」

 

額を指で押さえ、ため息を零す。–––権兵衛は殆どを次の日に帰っていたため、そんなに遠くまで鬼を殺しに行っていたとは知らなかったからだ。

 

「と、とにかく!それは後日権兵衛君に確認を取った方がいいんじゃないかな⁉︎」

「取っても取らなくても変わらないとは思うがなぁ…」

 

蝶屋敷に入ってから落ち着いたと思い込んでいた少年が、実はなんら変わりなく膨大な範囲で鬼を殺して回っていた事実に柱の殆どが驚愕する。が、そう仮定すればここ最近の鬼の報告数の少なさにも納得がいく。

なんとなく雰囲気が重くなった一室–––––––そこに、とある会話が微かに聞こえる。

 

「––ありがとうございました。貴方が居なければ、娘は今頃…」

「…おっ?」

 

柱の中でも特に聴覚に優れた宇髄はそれを聞き取ると、耳を澄ませる。–––––すると、見知った人物の声色が聞こえ始める。

 

「いえいえ。偶々近くを通りかかっただけですから」

「この声…権兵衛か?」

「えっ⁉︎権兵衛君が来てるの⁉︎」

「しっ、静かにしろ」

 

穏やかな声色のそれは、間違いようもない、小屋内権兵衛その人の声だった。

宇髄の言葉に甘露寺が驚き声を上げるが、胡蝶の指によって遮られる。

 

「ささっ、中へどうぞ。何かお礼をさせてください」

「大変有り難い提案ではあるのですが、申し訳有りません。なるべく早く帰らないといけない事情があるんです」

「事情、ですか?」

「はい。一つ、大事な約束が」

 

感情の起伏がない、どこまでも穏やかな声色でやんわりと女性の誘いを断る。すると、チリンと一つ鈴の音が聞こえる。

 

「それじゃあ自分はもう行きます。娘さんにもよろしく伝えて下さい」

「お、お待ち下さい!せめて何か–––––!」

「本当に気にしないで下さい。自分がやりたいようにやっただけですから」

 

その声と同時に戸を引きずる音が響く––––––––直後、宇髄が席を立つ。

 

「悪い、ちょっと席を外すわ」

「宇髄さん?何か聞こえたんですか?」

「あぁ、それを含めてちょっと行ってくるわ」

「一体どこに向かうと言うのだ?」

 

煉獄の言葉に宇髄は不敵な笑みを浮かべる。

 

「決まってんだろ–––––どっかの底なしのお人好しを連れてくんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

「––––––いやぁ、時間がかかったな」

 

荘厳な料亭の門を潜り、外へと出る。軽く背を伸ばして息を吐くと、空を見上げる。

微かに霞んだ月が淡い光を放っているのを見てから「さて」と正面に向き直る。

 

「無事迷子の女の子を送り届けたし、早く帰るか」

 

上総の方へ鬼殺に向かい、その帰りに遭遇した童女。出会った時はわんわん泣いていた為どこの家の子かわからなかったが、落ち着いて家を聞いたら有名な料亭の娘さんで良かった。お陰で家まで送り届ける事が出来たからだ。

それと同時に、日が落ちた夜更けに彼女の声が聞こえたのが自分で良かったと心から思う。–––付近の鬼は掃討しているとは言え、何事も絶対はないからだ。

 

「ここから屋敷までの距離はどれくらいかな…」

 

途中で大通りから離れてしまった為、屋敷までの距離の正確な概算を見積もれなくなってしまった。

しかし、すぐ近くまでは来ていたのだ、おそらく後半刻もすればたどり着くに違いないと思考を切り替える。

そのままいつものように軽快に足を走らせる–––––––––前に、何者かに首下の襟をがっしり捕まられ、「えっ?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。

 

「–––––よぉ。随分カッコよかったじゃねぇか」

 

足と地面が離され、宙に浮いた状態になる。その状態で首だけで後ろに振り向くと、そこには勝気な笑みを浮かべている伊達男が視界に映った。

 

「宇髄さんでしたか。道理で鬼の気配がしないと思いました」

「おう。迷子を届けてやったんだって?殊勝な事じゃねぇか」

「偶々見つけたからですよ。そんな立派なことではありません」

 

相手が宇髄さんとわかったので身体を捻って拘束から逃れようとする。…が、彼の剛腕にがっしり掴まれているためか、多少ジタバタした程度ではビクともしない。

 

「あの、そろそろ下ろして欲しいんですけど…」

「えっ?嫌だけど」

「えっ」

「えっ?」

 

…気のせいだろうか。いま嫌だと聞こえた気がしたんだが。

 

「離してください、宇髄さん」

「やだ」

「………お団子奢りますから」

「困ったら団子で懐柔しようとする癖をやめろ。それ意味ねぇから」

「…むむむ」

「唸るなよ…」

 

万策尽きてしまい、唸り声を上げる。しかし、どうすればこの人の拘束を解けるのか…。

そう考えていると「じゃ、中入るか」と言い、ずんずんと料亭の門へ進んでいく…って。

 

「いやいや、俺帰りますから」

「何言ってんだ。今からお前は俺たちと飯を食うんだよ」

「なんでそんな……俺たち?」

 

どうしてそこで複数形になるんだ?と考える暇もなく、宇髄さんに掴まれて料亭の戸を再び潜る。

 

「すまねぇ女将。料理一人分追加だ」

「かしこまりました。奥の部屋でよろしいでしょうか」

「頼むわ。後こいつの荷物預かってやってくれ」

「ちょっ…」

 

戸を開くと先程とは打って変わって笑顔の女将に瞬く間に鈴鳴り刀と雑嚢が取られ、身軽な状態にさせられる。そのまま掴まれた状態でずんずん奥に進んでいく。

 

「あの、宇髄さん」

「あっ?なんだよ」

「なんだかこの先の部屋からとても嫌な雰囲気がするんですけど。具体的に言えば、とても帰りたいんですけど」

「駄目だが?」

「ですよね…」

 

そのまま奥の部屋に連れてこられ、そこで床に降ろされる。金箔の散りばめられた綺麗な襖の奥からは言いようもない雰囲気が満ち満ちており、正直入りたくない。

しかし、そんな自分の願いは「連れてきたぞー」という宇髄さんの軽い声とともに襖が開かれて儚く終わる。

 

「おぉ!よもやほんとうに権兵衛少年がいるとは!」

「3日ぶりだね、権兵衛君!」

「こ、こんばんは」

 

驚きと喜びの表情を浮かべる煉獄さんと甘露寺さんを見る–––––やっぱり、柱の方々が居たのか…。

 

「…何でテメェが此処にいるんだよ」

「権兵衛ェ……!」

 

威圧感を発している二人から意図的に視線を外し、部屋の中にいる人たちを見る。

 

「あっ、本当に権兵衛だ」

「………」

「息災だったか、権兵衛」

 

鬼殺隊最強を誇る九名の剣士、柱の方々が揃って座敷で料理を楽しんでいる。その様子を見て、自分が場違いな所に来てしまったことを悟る。

 

「…宇髄さん。これ柱の会合ですよね」

「まぁ、要点を纏めればそうなるな」

「いいんですか?俺、柱じゃない只の一般隊員なんですけど」

「別に良いだろ。だってお前、俺より鬼殺してるし」

 

自分の言葉を軽くあしらわれ、再び首根っこを掴まれて部屋の中に連行される。そのまま宇髄さんの横に座らされると、「失礼致します」と現れた女将さんに次々と綺麗な料理が置かれていく。–––成る程。どうやら、宇髄さんに捕まった時点で詰みだったようだ。

 

「いやはや、丁度良い所にきたな権兵衛少年!さぁ、たんと食べると良い!」

「いっぱい食べて良いからね!」

「…はい。頂きます」

 

ここまで連れてこられた以上諦めるしかないと割り切り、漆塗りの箸を手に取る…というより、美味しいご飯を頂けるのだからもしかしたら役得かもしれない。ここに柱が勢ぞろいしていなければ、の話だが。

 

「しかし、こうやって権兵衛と同じ飯を食うのは案外久しぶりかもしれないな?」

「蝶屋敷に入ってからは一度もないですね。宇髄さんこそ、最近お嫁さん達とちゃんと会えてるんですか?」

 

自分とご飯を食べる時、必ず一度は嫁達に会いたいと口にしていた宇髄さんを思う。–––やっぱり宇髄さんみたいな伊達男だと、お嫁さんをいっぱい貰えるんだろうか…。

 

「まぁな。どこぞの馬鹿がアホみたいな速さで鬼を殺しまくるから、最近は暇があるんだよ」

「へぇ。そんなに凄い剣士がいるんでっ………」

 

なんの気兼ねもなく口にした言葉だったが、突然左側の背中に抓られたような痛みで途切れる。視線をそちらに向けると、そこにはにっこりと微笑むしのぶさんが見え、さっと戻す。

 

「お前、今日はどこまで行ってきたんだ?」

 

背中の痛みが消え、綺麗に焼きあがっている鰆の西京焼きをひとつまみする。芳潤な味噌の風味と鰆の旨味を堪能して白米の茶碗を持つと、ふと不死川さんが口を開く。

 

「今日は上総の方まで行ってきました––––いや、利根川を超えたから水戸までかな…?」

「鬼は?」

「小川の河原沿いで一匹と遭遇、これを滅殺しました。砂を操る鬼血術の使い手でしたが、大して問題はありませんでした」

 

お米の一つ一つが立った白米を頬張る。米特有の素朴な甘みが噛むたびに広がる事から、とても良いお米だということが何となくわかる。

 

「凄いなぁ、権兵衛君。蝶屋敷に入ってから何体の鬼を殺したんだっけ?」

「三十と少しですね。といっても、柱の方々やほかの隊員との合同任務もありましたから、個人の討伐数は二十に届くか届かないかですが」

 

暖かいお茶を啜り、一息つく。三週間で三十程度を殺せているのだから、良い調子と言えるだろう。このままいけば、後二月もすれば屋敷一帯の掃討が終わるはずだ。

 

「言っておきますけど、貴方は蝶屋敷の護衛なんです。あまり遠くにいってもらっては困りますからね」

「分かってますよ、しのぶさん」

 

彼女の咎めるような視線に微笑む。するとしのぶさんはため息を吐き、「本当に分かっているんですかね…」と零す。

 

「柊さんのように、もう少し素直に言うことを聞いてくれると嬉しいんですけどね」

「あはは…それは難しいですかね…」

「柊って、あれか?この前蝶屋敷に押しかけてきたっていうお前の妹か?」

「えぇ。自慢の妹です」

 

宇髄さんの言葉に強く頷く。

自分より幼い年で医学に精通し、多くの人を救ってきたのだ。自分よりもよっぽど凄い妹だと胸を張って言える。

 

「ほぉ…。ってことはあれか、お前の妹も寝ずに仕事とかするのか?」

「しませんよ。妹は自分と違って賢いですから」

「…自分が馬鹿って自覚している分タチが悪いな」

「性分ですから、こればっかりは」

 

会話が途切れたのを見計らって再びご飯を頬張り、鰆をつまむ。色取り取りの料理に舌鼓を打つと、普段はあまり喋らない人が口を開いた。

 

「そう言えば、この前権兵衛が知らない女性と歩いているのを見たけど、あれは誰?」

 

 

 

 

 

 

––––––直後、部屋に静寂が訪れる。

自分も箸の動きを止め、恐る恐る周りに視線を向ける。誰がそれを口にしたかは明らかで、部屋の殆どの人は件の人物を見ている。

 

「…時透君。それは一体どう言う事でしょうか?」

「だから、この前権兵衛と知らない女性が話していたのを見たんだって。随分仲が良さそうだったけど」

「いや、あれは……」

「…な、成る程!よもやよもや、正直耳を疑ったが、権兵衛少年も男だからな!」

「んだよ。別にそれくらいいいじゃねぇか」

 

なんとか弁解をしようとするが、柱の方々の声によって遮られてしまう。

 

「えぇ⁉︎権兵衛君、そんなに仲のいい人が居たの…?」

「青少年らしい、実に良い事だ…」

「いや、ですから、それは違うんですって」

「あら、いいじゃないですか」

「し、しのぶさん…」

 

恐る恐る声の方向をみると、そこにはにっこりと菩薩のような笑みを浮かべ、されど視線からは面白そうと好奇心をひしひしと感じる。–––どうやら、不味い話題になってしまったようだ。

 

「それで、そのお相手は誰なんですか?」

「…黙秘権の行使は、認められますか?」

 

しのぶさんが笑みを深める。

 

「当然不許可です。さぁ、キリキリ吐いてください」

「––––はい」

 

ここまで追い詰められた以上、逃げる事は許されない。なれば早急にこの場を終わらせて軽傷で済ませるのが一番だろうと思い、渋々口を開く。

 

「–––実は、しのぶさんには言っていなかったのですが、この前貰った贈り物の中には何通かの恋文が入っていたんです」

「あらあら、可愛らしい事じゃないですか––––––って、何通も?」

 

言葉に違和感を覚えたのか、疑問符を浮かべるしのぶさんには頷く。

 

「…はい」

「具体的に言えば何通でしたか?」

「…十二、です」

「おぉ!やるじゃねぇかこの色男!」

 

宇髄さんの野次に多少の苛立ちが募るが、今は気にしている暇はない。

 

「それで、それらにお返事は?」

「全てに、丁寧にお断りの返事を返しました」

 

自分の言葉に怪訝そうな表情を浮かべる。

 

「十二人全員に、ですか?」

「はい–––––自分には、荷が重すぎる話でしたので」

 

僅かに息を飲むしのぶさんに続ける。

 

「話を戻します。すると、恋文を返した中のひとりの女性から再び手紙があったんです。最後にもう一度だけお会いしたい、と」

「それで、その人と会ったんですか?」

「会う気はありませんでした。自分と会ったら、嫌な事を思い出させてしまいますから」

「となると、どこかで偶然出会ったということか?」

「えぇ。遊撃に向かう際に偶然声を掛けられまして」

 

今思うと本当に偶然だったと思う。自分があの人に気づいたのも、あの人が自分に気がついたのも。

 

「それで、せめて最後の思い出づくりにと色々と連れ回されました。恐らくその時に時透さんに見られたのだと思います」

「なんだ。つまらねぇ話だな」

「つまらなくともそれが真実だからしょうがないじゃないですか」

 

つまらなそうに目尻を下げる宇髄さんを睨み、自分は貴方ほど色男ではないから、そんな派手な恋物語とかはないんですよと心の中で零す。

 

「それでその子とは別れたのか?」

「えぇ。それ以来会ってもいません」

「…なんだか、釈然としない終わり方のような気がするわ」

「そんなものですよ」

 

甘露寺さんの不満そうな顔に苦笑いを浮かべ、少し冷めてしまった味噌汁を啜る。

 

「権兵衛はよ、どんな女性が好きなんだ?」

「…随分唐突ですね、宇髄さん」

「だってよ、十二人の女性から恋文を貰って、それでそのうちの一人と会って、それで何もしないってだからなぁ…」

 

不躾な視線を向ける宇髄さんに多少語尾を強める。

 

「なんですか、言いたいことがあるなら聞きますよ」

「じゃあ聞くけど、お前って男色なのか?」

 

–––––––ここに宇髄さん以外の人がいてくれて良かった。もし居なかったら、ここが血塗れの戦場になっていただろう。

懐に伸びかけた手をそっと降ろし、湯呑みを手に取る。

 

「違いますよ。そう言う宇髄さんこそ、少しばかり性に貪欲すぎるのでは?」

「バカ、俺くらいが適正で、お前が枯れてんだよ」

「…そうでしょうか?」

 

周りに問いかけると、殆どが渋い顔色を浮かべる。

 

「まぁ実際、権兵衛少年は欲が少ないからなぁ…」

「お団子以外好きなもの知らないし…」

「いつも鬼を殺しているよね」

「悪いことではないがな。勿論甘露寺に近づいた事は許してないが」

「…そんなもんですか」

 

あんまり芳しくない答えに思わず渋い顔を浮かべる。確かにそう言われれば、自分って欲が少ないのかもしれない。

 

「もう一回聞くけどよ、お前ってどんな女性が好きなんだ?」

「うーん、そうですねぇ…」

「答えにくいなら、どんな外見の女性が好きでもいいぞ」

 

外見、という言葉を聞いて「あぁ、それなら」とすぐに口を開く。

 

「しのぶさんみたいな女性が好きですね」

「…わ、私ですか?」

 

驚いている様子のしのぶさんに「はい」と一度頷き、再び口を開く。

 

「初めてしのぶさんを見た時、世の中にはこんなに綺麗な人がいるんだなぁ、って思ったほどでしたから」

「権兵衛君ってしのぶちゃんの事が好きだったの⁉︎」

「好きですよ。と言っても、恋愛的な意味ではありませんが」

 

小さくなってしまった鰆の切り身を一口で頬張り、味噌汁を飲み干す。うん、とても美味しかった。

 

「あれか、外見だけ胡蝶が好きって事か」

「いいえ、勿論内面も好きですよ。しのぶさんと結婚できる男性は、きっとこの世で一番の果報者に違いありません」

「へぇ…」

 

何やら面白いものを見た、という風にしたり顔で笑う宇髄さん。

 

「じゃあ聞くけどよ、権兵衛は胡蝶のどんなとこが好きなんだ?」

「ちょっと、宇髄さん?」

「好きな所、ですか…」

 

彼の言葉を頭の中で反芻し、しのぶさんを頭の中で思い浮かべる。

 

「ありきたりですが、優しいところ、ですかね」

「胡蝶ってそんなに優しいか?」

「えぇ。それはもう」

 

疑問符を浮かべる宇髄さんに頷く。

 

「柱を兼任しつつ蝶屋敷で隊士の治療を施し、そして炭治郎君たちを迎え入れてくれたんです。こんなに優しい人、滅多にいませんよ」

 

自分の言葉に唸る。

 

「それはなぁ…。お前個人の視点からは何かないのか?」

 

頭を捻り、「うーん」と唸る。その後一つ思いつき、そのまま口にする。

 

「でしたら、しのぶさんの笑った顔が好きですね」

「権兵衛君?そこら辺で…」

「けど、胡蝶っていつも笑ってねぇか?」

「いいえ、いつもは笑っていませんよ」

「そうか?いつも笑みを浮かべているように見えるが……」

「あれは違いますよ。そうじゃなくて、もっと普通に笑う時があるんです」

 

「数は非常に少ないですけど」と区切る。

 

「甘露寺さんと話していると、よくそういう自然な笑みを見る事が出来ますね」

「そうなの?しのぶちゃん」

「いや、あの、それは…」

「成る程。権兵衛少年はよく胡蝶の事を見ているのだな!」

「みたいですね」

 

煉獄さんの言葉に笑みを浮かべる。確かに、自分はしのぶさんの事をよく見ているのかもしれない。

「他にもしのぶさんの良いところは……」と、このまましのぶさんの長所を連ねようと口を開く–––––前に、背中に慣れた激痛が走り、思わず声を上げてしまう。

 

「–––––権兵衛君。アオイたちも心配していますし、そろそろ屋敷に帰った方がいいんじゃないでしょうか」

「ですけど、まだ……」

「帰った方がいいんじゃないでしょうか?」

 

影のある笑みで念を押すしのぶさんに震える。–––素直にいう事を聞いた方が身のためかもしれない。

 

「そ、そうですね。約束もありますから」

「えぇ、是非そうして下さい」

「なんだよ胡蝶。つまんねーぞ」

 

野次を投げる宇髄さんにしのぶさんがにっこりと微笑む。

 

「–––そういえば最近、毒に耐性がある人にも効く激痛の毒薬が完成したんです。だれか実験に協力してくれる人はいませんかね…」

「おう権兵衛、気をつけて帰れよ」

 

忍びよろしく一瞬で手のひらを返した宇髄さんに苦笑しつつ、最後に残ったお茶を一息で飲み切り、席を立つ。

 

「ご馳走様でした。料理、美味しかったです」

「うむ。また来ると良い」

「じゃあね権兵衛君!また今度!」

「息災でな、権兵衛少年!」

 

温かい言葉に頭を下げ、襖を開けて外に出る。

 

「権兵衛…夜道には気を付けるんだな…」

 

何やら怖い事を宣う蛇柱に視線を向けず、そのまま襖を締める。一人になった途端一息吐き、僅かに脱力する。

 

「––––さて、帰るか」

 

とんだ騒動に巻き込まれてしまった、なんて仕方ない事を考えてから料亭の廊下を歩く。

「––––––」

「–––––!」

「–––––?」

 

未だに会話がかすかに聞こえる背後の部屋を見て笑みを浮かべ、その場を後にする。

 

「また皆さんと一緒にご飯が食べたいなぁ」

 

そんな自分の独り言は誰にも聞かれる事なく、静かな廊下に響いていった––––––––。

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

3、鈴の音に救われた人々

 

 

 

 

 

 

「権兵衛さん。また手紙が届いていますよ」

 

太陽が照らす気持ちのいい朝。額に浮き出る汗を首にかけた手拭いで拭うと、自分が差し出した一通の手紙を左手で受け取る。

 

「ありがとうございます、アオイさん」

「いえ、こちらこそ鍛錬の途中にすいません」

「気にしないでください。丁度休憩しようと思っていたところですから」

 

右手に握った水色の日輪刀を縁台に置いてある鞘に納刀すると、そのまま縁台に腰掛ける。

 

「差出人は…京都の方からですね」

「京都ですか。もしかして、この前織物を贈られた光圀屋さんからですかね?」

「さぁ、それはどうでしょうか」

 

菫を模した絵の入った封筒の封を手でちぎり、中身を取り出す。三つ折りにされた一枚の紙を開き、中に目を通す。

 

「–––––––そっか」

 

手紙を見て小さく笑う。

そんなに長い文章ではなかったのか、すぐに読み終わった手紙を再び三つ折りに戻す。そのまま封筒の中に入れ、縁台に置く。

 

「何が書いてあったんですか?」

「京都にある御家庭の人で、二人目の子供が出来た、という報告でした。ほんと、めでたい事です」

「そうですか、よかったですね」

 

嬉しそうに話す権兵衛さんに微笑む。–––本当に、良かった。

 

「権兵衛さんが助けた御家庭だったんですか」

「えぇ、まぁ。助けた、という言葉には少し語弊がありますが」

 

縁台に置いた手紙を軽く撫でると、黒い瞳と視線が交錯する。

 

「この御家庭ですが……前に一度、長女を鬼に殺されているんです」

「––––えっ?」

 

権兵衛さんの言葉に、思わず間の抜けた言葉が出てしまう。そんな自分に苦笑いを浮かべると、再び口を開く。

 

「自分が駆けつけた時にはもう手遅れでした。–––今から八ヶ月も前の話ですが、よく覚えていますよ」

「…そうだったんですか」

 

どこか寂しげに話す権兵衛さんに、何か言おうと口を開くが、何か言葉が浮かんでくるわけでもなくそのまま閉じる。

 

「ですけど、こうして二人目が生まれてくれて良かったです。今度生まれてくる子供は、殺されてしまった少女の分まで幸せになって欲しいですね」

「そうですね。…そうあって、欲しいですね」

 

–––権兵衛さんは辛い時や悲しい時ほど、穏やかな顔で微笑む。悲しむ事や、自分の無力に嘆くこともなく、ただただその事実を淡々と口にするのだ。

 

「さて、自分は鍛錬に戻ります。あと少ししたら、炭治郎君達に庭に来るように伝えてくれると助かります」

「わかりました。…その手紙はどうしますか?」

「自分の部屋に置いておいてください。後で整理しておきますので」

 

水色の短刀を引き抜き、庭先へ歩く権兵衛さんに「頑張って下さいね」と告げ、その手紙を持ってその場を後にする。

慣れた蝶屋敷の廊下を権兵衛さんの部屋を目指して歩いていると、件の部屋の前に白衣を着た人影がいるのが柱の陰から見えた。

 

「柊さん?」

「うわっ…って、アオイちゃんですか」

 

つい最近蝶屋敷に住まうようになった少女、権兵衛さんの妹の小屋内柊さんだ。声をかけると何やら驚いた様子でこちらを見るが、自分の顔を認識するなりほっと一息いれる。

 

「何してるんですか、権兵衛さんの部屋の前で」

「いえ、その、これは……」

 

何やら後ろ手に隠した様子に目を細め、じっと瞳を見つめる。すると観念したのか、恐る恐る隠していたそれを正面に持ってくる。

 

「それは……」

「この前、蜜璃さんから作り方を教わったので…」

 

綺麗な焼き目のついた、ふんわり蜂蜜の匂いが漂うそれは、ついこの前しのぶ様やカナヲ達と食べに行ったパンケーキそのものだった。

 

「どうしたんですか、一体」

「…最近の兄さん、どこか疲れ気味なので。何か甘いものでもと思いまして」

 

「この前の兄さん、せっかくのパンケーキを食べませんでしたし」と息巻く。–––たしかに、洋菓子屋に入ったにも関わらず、笑顔で餡蜜を注文する権兵衛さんには驚きましたけど…。

 

「…成る程。ですけど、権兵衛さんなら今は鍛錬をしています。冷めてしまうのでは…」

「それは問題ありません」

 

何やら自信ありげに言い張る。そうこうしていると、耳に「チリン」と聞き慣れた鈴の音が届く。

 

「––––どうしたんですか、一体」

「ご、権兵衛さん?」

 

振り向くとそこには、短刀を携え、かすかに赤くなった顔の権兵衛さんが立っていた。

 

「お疲れ様です、兄さん」

「柊。っていうか、それ…」

「はい。この前の兄さん、一口もパンケーキを食べませんでしたから」

 

自信ありげな柊さんに対し、権兵衛さんは困り顔だ。

 

「…うーん。どうにもハイカラなものは苦手でなぁ」

「食べてみないとわかりません。さぁ、一口どうぞ」

 

箸で分けられ、一口大になったそれを権兵衛さんに差し出す。「うむむ…」とそれを見て唸るが、腹を括ったか、それを一口に食べる。

 

「…柔らかいな。そして甘い」

「そうでしょう。これは私が作ったものに兄さんの蜂蜜を使ったものですから」

「うん、悪くない。料理が上手くなったなぁ、柊」

 

ポンポンと頭を撫でるとふふんと得意げに笑う。–––––成る程、こうしてみるとたしかに兄妹だ。

 

「っていうか、なんで柊さんは権兵衛さんが来るってわかったんですか?」

 

機嫌がいいのか、いつもより明るい声で柊さんが口を開く。

 

「兄さんは炭治郎さん達と稽古する前に必ず一度部屋に戻りますから、それを狙ったんです」

「そうなんですか、権兵衛さん?」

「うん?たしかに、そう言われれば……」

「権兵衛さーん‼︎権兵衛さーん‼︎」

「…おや?」

 

ぱたぱたと廊下を走り、息を上げた様子ですみが現れる。肩を揺らし、顔を青くしている事から何か重大なことが起こったと伺える。

 

「どうしたの?そんなに慌てて」

「あ、あの…権兵衛さんに…」

「大丈夫、ちゃんと聞くから。だから落ち着いて、ね?」

「は、はい…」

 

権兵衛さんの言葉に上がっていた息を整えると、慌てた様子で口を開く。

 

「–––––––権兵衛さんに、軍の方がお見えになっています!」

「…えっ?」

「…えっ?」

 

––––––今、この子はなんて言った?

 

「あぁ。軍部の人か」

 

すみの言葉に納得したのか、うんうんと頷く。その顔には驚きや焦りは見て取れない。

 

「––––って、兄さん!なに呑気に落ち着いているんですか!」

「そ、そうですよ!どうして軍の人が …!」

 

鬼殺隊は政府から認められていない、非公認の組織だ。だから当然帯刀している隊員は処罰の対象だし、街で見かければ憲兵に追い回される。

 

「権兵衛さんだって、鈴鳴り刀を持って街に入れば憲兵に追い回されるって言ってたじゃないですか!」

「まぁ、あれは俺が無用心だったと言いますか…」

「すみちゃん、軍の人に権兵衛は此処にいないと伝えてください」

「い、良いんですか?」

「いやいや、それには及ばないよ、柊」

 

いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべる権兵衛さん。再び柊さんの頭に手を置くと、髪型を崩さない程度に強く撫でる。

 

「すみちゃん、その人は今どこにいる?」

「前に柊さんをお通ししたお部屋です」

「ありがとう。それじゃあ少しお話しして来ますから、皆さんはいつも通りに」

 

短刀を壁に立て掛けると、ゆったりとした様子で歩き出す。–––––全く、この人は…!

 

「私もついていきます、権兵衛さん」

「…えっ?」

 

自分の言葉にキョトンとし、首を傾ける。

 

「本当に大丈夫ですよ?」

「大丈夫かはともかくとして、です。女性が一人いた方が部屋の雰囲気も柔らかくなるでしょう」

「…うーん、そうかなぁ」

 

困ったように目尻を下げる。しかし、「それは良い考えですね」と柊さんも口を開く。

 

「兄さん、私も行きます」

「柊もか?」

「兄さんじゃ肝心な時ボロが出る恐れがありますから」

「……まぁ、いいか」

 

予想したより簡単に頷いた権兵衛さんは、「それじゃあ行こうか」と再び歩き出す。

 

「すみはお茶と茶菓子を準備して。あと、炭治郎さん達に鍛錬は控えるように」

「わ、わかりました!」

 

慌ただしく走り去る。その時も権兵衛さんは特に慌てる様子はなく、いつもと変わらない自然体だ。あまりに変わらない様子に、つい疑問が口から溢れる。

 

「…なんでそんなに落ち着いているんですか。もしかしたら捕まってしまうかも知れないのに」

「あぁ、それですか」

 

「大丈夫ですよ、二人の心配しているようなことには、多分なりませんから」と笑う。そのまま屋敷に用意された部屋の前に着くと、権兵衛さんは何気ない様子で襖を開ける。

 

「すいません、お待たせしました」

「–––––––えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––部屋には直立不動の態勢で、三人の軍人が最敬礼を取っていた。

 

「いえ!こちらこそ突然の来訪、誠に失礼しました‼︎」

「いえいえ、そうお気になさらず。座ってください」

「はっ!」

 

権兵衛さんの穏やかな声色に従い、素早い動作で正座する三人。–––––あまりに突然の出来事で、頭が真っ白になってしまっている。

 

「アオイさん、柊?」

「あっ、す、すいません」

 

こちらを心配する言葉に自我を取り戻し、権兵衛さんに倣って居間に座る。横目で柊さんをみると、どうやら彼女も状況を把握できてはいないようだ。

 

「それで、今日はどうしたんです?そんなお揃いで」

「上官殿より、先日の謝礼を持って参りました!」

 

一庶民ではお目にかかれないような高級そうな木箱が、背後に控えている部下と思しき人物から正面の人物に手渡され、権兵衛さんに渡される。彼はそれを受け取ると「ありがとうございます」と笑みを浮かべる。

 

「あれから隊の皆さんは元気ですか?」

「問題なく!現在は軽井沢にて療養に当たっております!」

「それは良かったです。上官殿には、どうかお体にお気をつけてとお伝え下さい」

「必ずお伝えします!」

 

状況が突然すぎて話が入ってこない。どうして軍人が権兵衛さんに下手に出て、権兵衛さんはいつもと変わらないのか。あまりに状況が特異過ぎて理解が追いついていない。

 

「…さて。社交辞令も終わりましたし、そろそろ普段通りでいいのでは?見ての通り、二人も固まっていますし」

「––––––それもそうですな」

 

権兵衛さんの言葉に肩の力を抜いたのか、先ほどより口調が柔らかくなる。後ろに控えている二人も険しい顔つきが解かれる。

 

「それで、そこにいるお二人は権兵衛殿の許嫁ですかな?随分とお美しいですが」

「い、許嫁⁉︎」

「ち、違います!私と兄さんは…」

 

突然の言葉に動揺して言葉が詰まる。その様子を見たからか、軽く手を振って「いやいや、ちょっとした冗談です」と笑う。

 

「随分と緊張しているご様子でしたから。突然軍部が来たから大慌てしたでしょう」

「…えぇ、まぁ」

「…そうですね。正直、とても慌てました」

「正直なのはいいことですな。流石権兵衛殿の知り合いだ」

 

無骨な表情を崩すと、再び権兵衛さんへ視線を向ける。

 

「改めてですが、自分たちの隊を救ってくれた事、本当にありがとうございました。貴方が来なければ、隊は全滅していたでしょう」

「お気になさらず。私が為すべきをしただけです」

「…敵いませんな」

 

「お、お茶です…」と恐る恐る入ってきたすみ達に「これはこれは、かたじけない」と頭を下げる。––––えぇと、つまり…。

 

「権兵衛さんが、貴方の隊の人たちを助けた、という事でしょうか?」

「えぇ。こんな年端もいかない少年に助けられるなんて、お恥ずかしい話ですが」

「鬼にふつうの鉄砲は効きませんから。仕方ないことですよ」

「そう言ってもらえるとありがたい」

 

湯気の登るお茶を勢いよく呷ると「…それで」と神妙な表情を浮かべる。

 

「今の日本には、斯様な化け物が闊歩していると考えた方が良いのでしょうか?」

「今の、というより、昔からですけどね」

「…なんという事だ。陛下のお膝元に、あのような魑魅魍魎が蠢いているとは」

 

権兵衛さんの言葉に目を伏せる。

 

「貴方達は、あのような化け物を討伐することを生業としているのですか」

「えぇ。鬼殺隊という、政府非公認の組織が鬼狩を行なっています」

 

非公認、という言葉に眉を寄せる。

 

「非公認……たしかに、あんな化け物の存在を臣民に伝える訳には参りませんからな」

 

それだけ呟くと、顎に指を当てる。

 

「…一つ質問なのですが、鬼殺隊は権兵衛殿以外にもいらっしゃるのでしょうか?」

「えぇ。大体二、三百人程度在籍しています」

「その殆どは背中に滅と入った隊服を纏い、帯刀していると考えてよろしいのでしょうか?」

「えぇ。中には陣羽織を着た人もいますが、大まかな人物像はそれで間違いないかと」

「……そうですか」

 

ある程度言葉が途切れると、「わかりました」と強く頷く。

 

「私の方から憲兵隊の方に掛け合ってみましょう。上層部に訓練学校時代の同期がいますから、鬼殺隊を見かけたらそれとなく見逃せ、もしくは適当に追い回したら逃がせ、と伝える事は可能でしょう」

「……えっ?」

 

–––何か、とても大きなことが動いているような、そんな気がした。

 

「…良いんですか?かなり大変だと思いますが」

「なに、この程度。最前線で化け物と戦っている権兵衛殿達に比べれば大した苦労ではありません」

 

「…ただ」と再び神妙な顔付きになると、静かに口を開く。

 

「そのかわり、約束して欲しいのです。どうかその力を、無辜の市井に向けないことを。そして、私たちの代わりに、人々を脅かす化け物を討伐して欲しいのです」

「–––必ず」

 

静かな、けれど力のこもった彼の言葉を聞き「…愚問でしたな」と笑い、茶を一息に飲み干す。

 

「それでは、我々はこれにて失礼します。突然の来訪、重ねて申し訳ありませんでした」

「いえいえ。どうか道中お気をつけて」

 

緑の軍帽を被ると再び敬礼する。

 

「–––外の敵からは我々が守ります。ですから、内の守りはお任せします。お互い、日の本を守る為に頑張りましょう」

「えぇ。武運を祈ります」

 

彼の言葉に無骨な表情を崩し、「それでは!」と颯爽と部屋から去っていく。その様子をある程度呆然と見ていると、権兵衛さんが息を吐く。

 

「…ね?問題なかったでしょう?」

「問題はなかった、と言いますか……」

「早い話、兄さんの人脈が凄まじいと言うことがわかりました」

 

「あはは…」と笑う権兵衛さんを見る。––––やっぱり、この人はどこか普通の人とは異なっているらしい。

 

「それよりも、あの軍人さんは何者ですか?」

「名前は聞いていないよ。話そうとしなかったからね」

「そうではなくてですね。…襟元の階級章を見ましたか?」

「いや、見てないけど?」

 

あっけらかんと言い放つ権兵衛さんに柊さんがため息を吐く。

 

「…黄線二つに星二つ。あの人、陸軍の中佐じゃないですか」

「中佐というと?」

「…簡単に言えば、陸軍で五番目に高い階級です。あの若さであれを付けられるという事は、間違いなく大将候補ですね」

 

柊さんの説明に固まる。–––––えっと、それじゃあ…。

 

「あぁ、道理で。なにやら偉い人だとは思っていたんだよねぇ」

「そんな簡単に片付けていい話じゃありません!その人が上官って言ったんですよ、そうなると兄さんが助けた人は……!」

「いいじゃないか、階級なんて。階級以前に彼らはひとりの人間だよ」

 

のんびりした口調でそう言うと、「さて」とさっき受け取った木箱を手に取る。

 

「随分と重いけれど、これ何が入ってるんだろうね」

「開けてみるのが一番じゃないですか?」

「そうだね。どれどれ…………」

 

箱の縁に手をかけ、蓋を持ち上げる。そのまま開けるのかと思ったが、隙間からなにやら金色の光が見えた途端それをパタンと閉じる。

 

「………本当に偉い人だったんだねぇ」

 

それだけ呟くと、観念したのか再び蓋を持ち上げる。そこには予想通りと言えばいいのか、一面に敷き詰められた金貨が鎮座しており、それを見て沈黙する。

 

「だから言ったじゃないですか…。どうするんですか?相場で言うと相当な金額ですよ、これ」

「さりげなく返す、なんて出来ないよね…」

「っていうか、これだけのお金どこから…」

「アオイちゃん、世の中には気が付いていい事と悪い事があるのよ」

「…陸軍から鬼殺隊の資金援助と考えれば良いのかなぁ」

 

取り敢えず柊さんが預かることになったその木箱を見てため息を吐く。

 

「「はぁ…」」

 

柊さんと図らずも重なったそれは、私達が権兵衛さんに思っている気持ちがおなじであることを物語っていた。

 

「さて、それじゃあ自分は訓練に……」

「権兵衛さーん、いらっしゃいますかー?」

「…今日は随分と客人が多いな」

 

男性の間延びした声が蝶屋敷に響く。「ちょっと出て来ます」と告げると、やや早足に居間から消える。

 

「…これ、どうします?」

「……取り敢えず、蝶屋敷の金庫に置いておきましょう」

 

まずはこの金貨をしまうのが先だと考え、私たちも居間を後にする。二人で疲れた顔を浮かべたのは、最早必然だった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

番外、仄暗い部屋にて悪鬼は嗤う

 

 

 

 

 

 

「まただ、また鬼が殺された」

 

––––––静かな、けれど怒りに満ちた声色だった。

 

「奴に殺された鬼の数は優に二百を超える––––これは一体どういう事だ」

 

流麗な声色だが、その声の端々から対象への憎悪が見え透いている。そして、その声の主に首を垂れる二つの影。

 

「折角この私が自ら!自ら鬼にしてやった者共がまるで細枝のように手折られていく!これ以上の屈辱があるか⁉︎」

 

絶叫によってビリビリと空気が悲鳴を上げ、その様を見て二つの影はより深く頭を下げる。

 

「あの鈴の音!忘れもしない!あの音が鳴るたびに上弦は欠け、その度に私は作りたくもない同胞を作る羽目になった‼︎」

 

縦に割れた真紅の瞳が二つの影を射抜く。圧倒的な威圧感とともに放たれる眼光に、その影達は微かに肌を震わせる。

 

「–––だからお前たち二人に行かせるのだ。まさか、二人で掛かって殺せぬ、という事はあるまいな?」

 

拒否は許さない。絶対強者から放たれる言葉に二つの影は即座に頷く。

 

「よろしい。では奴の首、私の元へ持ってこい」

 

直後、鋭い琵琶の音が鳴り響き、二つの影が消える。その様を一瞥もする事なく声の主人–––––鬼舞辻 無惨は目を閉じる。

脳裏に浮かぶのは耳を刺すような嫌な鈴の音。嫌悪感を感じざるを得ない、悍ましき音色。

 

「–––忌々しい鈴の音。ここで引き裂いてくれる」

 

––––––––––仄暗い部屋にて悪鬼が嗤い、地面にて汽車は黒煙を上げる。激闘は、すぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




1、鬼殺隊一般隊員の出来た妹

柊がどんな人物像なのかを簡単に説明するための小噺。今後の展開を考えるとどうしても描写が薄くなる為、彼女の行動に説得力を持たせる為の導入とも言える。

2、鬼殺隊定期報告会の一幕

柱の方々の交流を書いた小噺。作者の趣味が見え透いている小噺でもある。ちなみに権兵衛は日帰りの約束を守るために、担当範囲を半径五十里から三十里までに抑えている。

3、鈴の音に救われた人々

権兵衛に救われた人々の小噺の一つ。これは感想の中からアイデアを得たもので、書いていて色々と頭を悩ませるものでもあった。余談だが、作中に出てきた金貨は全て上官殿のポケットマネー。

番外、仄暗い部屋にて悪鬼は嗤う

次回への伏線を兼ねた小噺。登場する二つの影については次話で言及するため、今は伏せている。




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鬼殺隊一般隊員は月下に舞い、叶わぬ夢を見る 上巻

漸く辿り着きました、無限列車編。微力ながら全力を尽くします。

※主人公の名前は正しくは「こやない ごんべえ」です。誤解を与えてしまい、誠に申し訳ありませんでした。詳しくは後書き後に記載してありますので、そちらを読んで頂ければ幸いです。

※追加 設定集に基づく自己解釈が描写されています。苦手な方は注意して下さい。



 

 

 

 

 

 

『–––––悪鬼ヲ滅スルハ鈴ノ祈リ也』

 

 

 

 

 

 

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–––––––シャンシャリンという軽快な鈴の音が二度鳴り、藍色の刀が月明かりに反射する。

柔らかい物と硬いものを一緒くたに切り裂いた感覚を覚えると、右頬に生暖かい液体が付着する。妙な暖かさを感じるそれを親指で拭い、一瞥する。

 

「が、ぁぁ………」

 

赤黒い、鉄錆に似た匂いを放つそれを一目見てから踵を返し、左手に持っている日輪刀を鈴の音と共に納刀する。背後で焦げる様な匂いと共に、何かが崩れ去る音には一切興味を示す事なく、雑嚢から取り出した水筒を一度煽る。

 

「…これで、四十と二つ」

 

口の端から溢れる水を拭い、小さく呟く。

先程刻んだ鬼を最後に、付近の鬼の出現情報は一掃した。これで今日の鬼殺が終了した、という事になる。

 

「鴉。一応確認するけど、これで付近の掃討は完了したんだよな?」

 

傍に控える、闇と同化した鴉に問いかける。すると「カァ!」と一度泣き、バサバサと飛び立って自分の肩口に止まる。

 

「間違イナイ!鬼ノ出現情報無シ!休メ!権兵衛、休メ!」

「…ありがとう、鴉」

 

鎹鴉の嘴の下を何度か撫でると、視線を空へと移す。

 

「…そうか。もうすぐ満月だな」

 

空には殆ど丸いお月様が浮かんでいる。いつもより空気が澄んでいるからか、色も黄金色に近く、普段より大きく見える月は見事で、お月見団子でも食べたくなる程に綺麗だった。

 

「帰ろうか、鴉」

「カァ!」

 

一度大きく鳴くと、大きな翼を広げて肩口から飛び立つ。そのまま空高くまで飛んでいく様を見て微笑み、自分も脚を蝶屋敷へと向ける。

 

「…鈴の音は祈り、か」

 

ふと頭の中に浮かび上がったその一節を呟き、背中に吊られた鈴鳴り刀を一瞥する。

–––あの本を書いた人は、どの様な思いであの一節を詠んだのだろう。鬼を殺して鳴らす鈴の音に、祈りを見出したとでも言うのだろうか。それはあまりに、救いがないのではないかと、意味もない考えが浮かぶ。

 

「早く帰って翻訳の続きをしないとな………ん?」

 

屋敷に帰ったから待っている細かい作業に辟易としていると、耳に何かが羽ばたく音が聞こえる。その音の主が徐々に近づいてきているか、次第に音が大きくなっていく。

自分の鴉と良く似た羽ばたき音だと勘繰り、音の主を探すために上を見回すと、一匹の鴉がこちらに近づいて来ていることがわかった。

鴉もこちらを認識したのか、甲高い声で夜に声を響かせる。

 

「伝令!小屋内権兵衛!直チニ産屋敷邸ニ向カワレタシ!繰リ返ス!直チニ産屋敷邸ニ向カワレタシ‼︎」

「––––鬼殺隊本部から、召集命令?」

 

紫の手拭いを首に巻いた鴉の言葉を聞き、小首を傾ける。何か緊急事態が発生したのか、それとも、知らずうちにまた何かやってしまったのか、判断がつかないからだ。

 

「…わかった。屋敷まで案内してくれ」

 

そこまで考えるが、とにかく悩んでいる暇が惜しいと首を縦に振るう。何もなければそれでよし、何かあれば即座に対応出来るよう心構えをしなければならないと、心に楔を打ち込む。

 

「鴉!蝶屋敷の皆んなに、帰りが少し遅くなることを伝えてくれ‼︎」

「……カァー」

 

遠くより聞こえる了承の声を聞き、目の前の鴉に向き直る。

 

「案内は任せるよ。なるべく急ぎで頼む」

 

「任セロ!」と意気込み、空高く飛び立つ案内役の鴉を見て、その後を駆出す。

 

「…ほんと、いい月だね」

 

眩い月が地面を照らす夜。まだまだ続く夜を想い、産屋敷へと走る脚を早めた–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

–––––––––雲一つ見当たらない、とある一夜の月下。藍色の羽織を微風にたなびかせ、瞳を閉じて首を垂れるひとりの少年がいた。

背中には大男の背丈に勝るとも劣らない長さの刀が吊られ、傍には黒塗りの鞘に収められた短刀が置かれている。

 

「–––久し振りだね、権兵衛。あれから元気だったかい?」

 

打てば響くような、流麗な声色だった。聞く者の心を休め、落ち着かせる響き。

権兵衛と呼ばれた少年の前に、二人の童に連れられて佇む、額に大きな痣を持つ青年の言葉に、権兵衛は静かに口を開く。

 

「はい。お館様におかれましても、壮健そうで何よりです。益々のご多幸を、心より願っております」

「ありがとう。それと、急に呼びつけてしまってすまないね」

「どうかお気になさらず。私は鬼殺隊の一隊員、ましてやお館様の願いであれば即座に応じるのが常と判断しております」

 

権兵衛が頭を下げる青年、産屋敷輝哉が小さく頷く。

 

「ありがとう、権兵衛」

「…それで、柱でもない自分を何故ここに?」

 

鬼殺隊を担う柱ではないにも関わらず、鬼殺隊の本部に呼ばれた事を問う権兵衛。その言葉に僅かに悲しげな空気を漂わせる輝哉だが、直ぐにそれを霧散させる。

 

「鈴の呼吸について、少し分かった事があったんだ。それを伝えようと思ってね」

「––––鈴の呼吸について、ですか」

 

権兵衛の纏う雰囲気が少し変わった事を目敏く感じ取る。穏やかな雰囲気の中に混じった冷たい鋼の様な雰囲気は、目の見えない輝哉には手に取るように感じられた。

 

「何かあったのかい?少し雰囲気が変わったけれど…」

 

輝哉の問いに僅かに沈黙するが、やがて「はい」と頷く。

 

「実はつい先日、と言っても一週間程前ですが、自身の義理の妹が、師範から鈴の呼吸について記した書物を持ってきたのです」

「義理の妹……あぁ、小屋内柊さんだね。腕の立つ医者だと聞いているよ」

 

お館様の口から妹の名前が出てきた事に僅かに驚き、目を開く。

 

「ご存知でしたか。鬼殺隊の隊員ではないから、てっきり知らない物とばかり…」

 

その言葉に輝哉は「うん?」と首を捻る。

 

「聞いていないのかい?君の妹は、医療員として鬼殺隊に入隊しているよ」

「–––––はっ?」

 

突然の言葉だったからか、素っ頓狂な声を上げる権兵衛。妹は立派な医者なのだから、鬼殺隊なんて危険な職に就かなくても十分生きていけると思っていたからだ。

 

「最近のことだけどね。しのぶからの強い推薦があったから、隠の扱いで入隊を許可したんだよ」

「そうですか、しのぶさんが…」

「妹が鬼殺隊に入る事には反対かい?」

 

輝哉の言葉に首を横に振るう。

 

「いえ、彼女は自分よりもしっかりしています。彼女が鬼殺隊に入ると自身で決めたのであれば、その決断を、自分に止める資格はありません」

 

一切の澱みなく言い切るその姿勢から、心から反対していない事が窺える。その言葉は、まさしく権兵衛の本心を示していた。

 

「それに、蝶屋敷に居てくれれば、自分ができ得る限り守る事が出来ますから」

 

屈託のない笑みを浮かべる。その明るい口調を聞いた輝哉は、これから話さなければならない内容を思い、悲しげな顔を浮かべる。

 

「–––––今から話す事はあくまでも過去の話だよ、権兵衛。それを理解して欲しい」

「過去の話、ですか」

 

輝哉の言葉の端から何かを感じ取ったのか、権兵衛の口が引き締められる。僅かに沈黙が流れた後、輝哉が穏やかな声色で話始める。

 

「鬼殺隊の本部に眠る資料を確認した所、過去に三人、鈴の呼吸の使い手がいた事が判明した。君を含めれば、今までに四人の使い手がいた事になるね」

「…………」

 

その事実を聞いても、権兵衛はなんの反応も返さない。その後に続く言葉を待っているからだ。

 

「彼らは苗字や出自、年齢も大きく異なっていた。けどね、一つだけ、共通した事実があったんだよ」

 

そこで息を止め、瞳を伏せる。その仕草を見た権兵衛は続く言葉を静かに待つ。

 

「それは、彼らの死因だ」

「死因、ですか」

「そう。––––––鈴の呼吸の剣士は皆、上弦の鬼と差し違えて死亡しているんだ」

 

生暖かい微風が産屋敷邸に流れる。植えられた木々が揺れ、ざわざわと騒めく。どれくらいの沈黙が流れただろうか、その風が止んだ後、権兵衛が堅く結んでいた口を解いた。

 

「––––そうですか」

 

––––その言葉は、穏やかな海のように静かな声色だった。鈴の音のように煌びやかでも流麗でもない、ただ淡々とした声。その声色が、何より権兵衛の気持ちを表していた。

 

「鬼舞辻無惨は、君の事を相当憎んでいる。まず間違いなく、強力な鬼を差し向けてくる」

「そうでしょうね。あれだけ多くの手下を殺めたのです、苛ついて当然でしょう」

「…もしかしたら、次に遭遇するのは上弦の鬼かもしれない」

「覚悟の上です。その時は自身の全霊を尽くし、彼の悪鬼を滅殺してみせます」

「––––死ぬ気なのかい、権兵衛」

 

この百年、上弦の鬼を殺めて見せた剣士は誰一人としていない。そして、遥か昔に上弦を打倒せしめた鈴の呼吸の剣士も、その激闘で命を落としている。

この話を輝哉は聞いた時、脳裏に上弦の鬼と差し違える権兵衛の姿が容易に想像できた事実に、一人恐怖した。権兵衛ならばやりかねない、いや、間違いなくそうするだろうという確信が彼の心にあった。

 

「極力死なないように立ち回ります。私も、まだ死にたくはありません」

「…そうか」

 

その言葉を聞き、僅かに声色を和らげる輝哉。しかし、「––––ですが」と権兵衛が言葉を続ける。

 

「市井の人達や隊士が襲われている場合は、その限りではありません」

「––––身代わりになって死ぬ、ということかい」

「はい」

 

確認を取る輝哉に小さく頷く。その口調からは、自分が皆を助けるという傲りや、浅はかな英雄願望は、一切読み取ることのできない。自然体で発した言葉であるが故に、輝哉は自身の想像が間違っていない事を悟る。

 

「…君が死んだら、柱の皆や、大勢の人達が悲しむ」

「それは、誰が死んでも同じです。私は、私の命が特別だとは思えません」

「……蝶屋敷の人達と随分親しいと聞いたよ。彼女らを、泣かせる気かい?」

「–––––––それは」

 

輝哉の言葉に、初めて言葉を詰まらせる。その沈黙が、権兵衛がどれだけ蝶屋敷の皆を想っているのかを物語っていた。

–––しかし、その想いだけで立ち止まれる程、小屋内権兵衛の覚悟は小さくも無いのだ。

 

「…自分が死ねば多分、屋敷の皆や妹は泣くでしょう。彼女達は優しいですから」

 

噛み締めるように呟く。置いてかれる辛さを人より多く味わってきた彼だからこそ、その言葉には重みが含まれる。

 

「それでも、三日も泣けば彼女らは前を向いてくれます。あの人達は優しいですけど–––––––––それ以上に、強い人達ですから」

「…君は随分、蝶屋敷のみんなを信頼しているんだね」

「自分を側に置いてくれた女傑達です。彼女らがいる限り、鬼殺隊は安泰でしょう」

 

抑揚のない、聞き心地の良い言葉に輝哉は目を伏せる。–––––こんなにも優しい少年が、死を覚悟しなければならない現実を憂いているからだ。

 

「私は、私の意思で戦場に鈴の音を鳴らします。上手く祈れるかはわかりませんが…それでも、自分なりに頑張りますよ」

 

祈るという、権兵衛らしからなぬ言葉に違和感を覚えた輝哉が口を開く。

 

「珍しいね、権兵衛が祈るなんて言葉を使うなんて」

「師範から頂いた書物の冒頭に刻まれていたんです。『悪鬼ヲ滅スルハ鈴ノ祈リ也』と」

「鈴の、祈り……」

「どんな意図で記された言葉かはわかりません。ですが、何らかの意図があるのかもしれません」

 

シャリンと音を立て、権兵衛が鞘から鈴鳴り刀を抜刀する。いつもよりも眩く輝く月に照らされたその刀は、ついさっきまで血に塗れていたとは思えないほど綺麗に輝く。

徐にその場から立ち上がり、それを片手で振り下ろすと「シャリン」と音を鳴らす。

 

「…綺麗な音色だね」

「自分もそう思います。ですが、担い手がこれでは形無しです」

 

自嘲したように笑うと、チャキンという金属音とともに鈴鳴り刀を納刀する。

 

「件の書物には、他に何か書いてあったのかい?」

「鈴の呼吸の型の動きが事細かに記されている点と……これはまだ解読できていないのですが恐らく、舞の手順のようなものが記されていました」

「…舞?」

 

鈴の呼吸とは全く関係のない言葉に疑問を零すが、それに権兵衛も同調する。

 

「私も詳しいことはわかりません。難解な言い回しが多く、読むのに難儀している所でして…」

「目下解読中、ということだね」

「はい。なるべく早い解読を目指します」

 

その言葉を皮切りに、再び沈黙が流れる。穏やかな風が庭先の木を揺らし、池に波紋を投げ掛ける。

 

「…私から一つ提案があるんだよ、権兵衛。聞いてくれるかい?」

「命令ではなく、提案ですか」

「そう。あくまでも私のわがままだからね」

「はぁ…それで、提案というのは…?」

 

輝哉が静かに口を開く。

 

「上弦の鬼の襲来に備えて、権兵衛には常に柱の誰かと行動してほしいんだ。…頼めるかい?」

 

僅かな沈黙。先程よりも冷たい風が肌を撫で、藍色の羽織の端が揺られる。

 

「…一剣士である自分には、いささか過剰な待遇かと思います」

「君のおかげで首都近辺の鬼の掃討がかなり進んだ。一人を君に着かせる事くらいは問題ないさ」

「…柱の方々が納得するとは思えませんが」

「いや、間違いなく納得するだろう。寧ろ、この話を持ちかけたら喜んで手をあげてくれるだろうね」

 

権兵衛の言葉に輝哉が蓋をする。柱は権兵衛の重要性を十二分に理解しているし、彼自身の人間性も高く評価している。この話をもちかければ、宇髄や煉獄辺りは間違いなく手をあげるという確信が輝哉にはあった。

 

「…自分は随分と慕われているのですね。本当に、ありがたいことです」

 

微かに震える声色に、輝哉が頷く。

 

「これも、一重に君の成してきた功績と、直向きな君を見てきた彼らの評価だよ」

 

穏やかな日差しのように、優しげに笑う輝哉。対する権兵衛はその言葉に笑みを浮かべ、口元を和らげる。

 

「……前までの自分ならば、にべもなく断っていたのでしょう。自らの死地に、誰かを巻き込みたくないと」

「––––権兵衛」

「ですがそれは、自分を叱ってくれた人たちに対する侮辱だと、私は考えます」

 

権兵衛が伏せていた顔を上げ、空に浮かぶ月を見上げる。そこには、満月に近い月が眩く輝き、権兵衛と輝哉の二人を照らしている。

 

「–––心得ました。柱と協力し、かの上弦の鬼を討伐してみせます」

 

凛とした声だった。普段の温厚な声色とは全く異なる、鋼を思わせる響きを聞き、輝哉は頷く。

 

「頼むよ、権兵衛」

「はい。任せて下さい」

「…それと、少しこっちに来てくれるかな?」

 

手招きをする輝哉に従い、足元まで寄る。すると、彼の掌が権兵衛の頭に載せられ、優しく撫でられる。

 

「私の願いを受け入れてくれて、本当にありがとう。どうか、生きて帰ってきて欲しい」

「–––––明日死ぬかもしれない隊士に心を裂いても、苦しいだけですよ」

 

小さく呟く。鬼舞辻に目をつけられて、今後無事に生きていられると思うほど、権兵衛は楽観的ではない。早いか遅いかはともかく、必ず命を落とす事を覚悟しているからこそ、輝哉の優しさを突き返す。

 

「構わないさ。私の心よりも、君の方が苦しいだろう?」

「…約束は出来かねます。私は貴方に、待ち人にはなって欲しくありませんから」

「それでも、だよ」

 

なおも頭を撫で続ける輝哉に何を思いついたのか「すいませんお館様、今から少しお時間を頂けませんか?」と輝哉の顔を見る。

 

「別に、構わないけれど…」

「ありがとうございます」

 

僅かな困惑とともに輝哉の手が離れたのを見計らって、権兵衛が立ち上がる。そのまま刀の置かれた場所まで戻ると、鞘に収められた鈴鳴り刀を手に持つ。

 

「––––––すぅ」

『シャリン、シャリン』

 

一息に刀を引き抜くと、先程よりも鮮明に鈴の音が鳴る。

そのまま鞘を地面に置き刀を肩に構えると、シャンと鈴が鳴り始める。徐に始まるその剣舞は、目の見えない輝哉にも流麗だとわかる程に、洗練されている。

 

「これは……鈴の呼吸の舞か」

 

心地よい鈴の音に、光を映すことのなくなった瞳を閉ざす。彼の両の手を握る二人の童もまた、その舞に目を見開く。

 

––––––鈴の呼吸、伍の型。神楽舞・天女

 

瞳を閉ざし、尚も流麗に舞うその姿は、彼が生粋の剣士である事を忘れてしまうほど、流麗な舞だった。

 

「…凄い」

 

誰かが口にした言葉だったか。満月に近い、明るい月に反射した鈴鳴り刀からは際限なく鈴の音が響き、産屋敷の庭に響いていく。

さざめく木々に小池の水の音、小石を弾く音ですら、その舞を引き立たせる材料となる。その舞は当に、神前に捧げられる神聖な舞そのものだった。

 

「–––––––以上です」

 

どれほど鈴の音が鳴っただろうか、その舞は瞳を開けた刹那に終わり、チャキンという金属音と共に鈴鳴り刀が鞘に収められる。

 

「これが、自分に出来る精一杯です」

「…凄かったよ。権兵衛は、舞うのが上手いんだね」

 

輝哉の賛辞に苦笑すると、再び地面に首を垂れる。

 

「必ず生きて帰る事を、お約束はできません。しかし、私は剣士として、鈴の呼吸の使い手として、過去の隊士同様、自らの責務を果たします。だからどうか、安心して下さい」

 

端々に力の籠もった言葉に、輝哉が「…そうか」と微笑む。

 

「なら私は、鬼殺隊の当主として、君が生きて人生を全う出来る事を願おう」

 

どこかに祈るようなその言葉に権兵衛が笑う。

 

「大丈夫です。私は、中々に打たれ強いですから」

 

再び微風が屋敷に吹き付ける。ザワザワとさざめく木々の音が屋敷に溶け、水面には小さな波紋が浮かぶ。いつぞやのように軽口を叩く小屋内権兵衛と、悲しげに笑う産屋敷輝哉の密談は、その音を最後に幕を閉じた––––––––。

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

『–––––でしたら、しのぶさんみたいな女性が良いですね』

 

「平常心……平常心……」

 

机に並べられた薬学の資料や毒のサンプルを前に、一人呟く。冷静になろうと思い至り始めた資料作りだが、いざ始めるとどうにも集中できていない自分を自覚してしまう。

脳裏に思い浮かぶのは、先日の鬼殺隊定期報告会に顔を出した、とある一般隊員の事だ。

 

「あの子は、本当に…」

 

人の心に何か爪痕を残さないと気が済まないのか、なんて思考が過ぎる。それほどまでに、彼の印象が強く心に残っている事を自覚してしまい、机に顔を伏せる。

 

「–––そう言えば、彼はいつ帰ってくるんでしょう」

 

机の上にある、藤の花が入った小瓶を指で転がす。

昨晩には帰ってくる予定だった筈が、急用ができたと鴉が知らせてからまだ帰ってきていない。既に日は高く上り、眩い光を地面へと降り注いでいる時間だというのに、だ。

何かあったのではないか、と少しの不安が浮かぶが、彼ならば大丈夫だろうという信頼がその不安をかき消す。

 

「…さて、炭治郎君たちの様子でも見に行きますか」

 

このまま燻っていても意味がないと思い至り、席を立つ。そのまま部屋から出ると、突然現れた人影にぶつかり「あっ」と声を上げる。

突然のことによろめいてしまい、足元が覚束なくなる。そのまま転ぶ––––––前に、温かな腕に抱えられる。

 

「…えっ?」

「––––大丈夫ですか?しのぶさん」

 

驚いた様な表情と、申し訳なさそうな表情を混ぜた、言いようもない顔を浮かべた彼の顔が視界一杯に映る。少し垂れ目の優しそうな顔立ちに浮かぶ、深い藍色の瞳がこちらを掴んで離さない。微かに彼の吐息が当たり、少しくすぐったいと思うほど、近くに彼の顔が––––––––。

 

「ご、権兵衛君?もう離してくれて大丈夫ですよ?」

「…あっ、すいません」

 

柔らかな暖かさが離れ、地面に降り立つ。顔が急激に熱を持つ事を感じるが、なんとか冷静さを取り戻して正面に向き直る。

すると、僅かに頬を赤くした権兵衛君が頬を掻いて視線を逸らしているのが目に入る。

 

「こちらこそすいませんでした。怪我はありませんでしたか?」

「こちらは大丈夫です。すいませんでした、前も見ずに…」

 

ペコリと頭を下げる彼に「大丈夫ですよ」と微笑む。

 

「それより、帰っていたんですね」

「えぇ。つい先程」

 

咄嗟に手放したのだろう、床に落ちている雑嚢を肩に掛ける。

 

「何か急用があったみたいですけど、何かあったんですか?」

「鬼殺隊の本部から招集が掛かったんですよ。話がある、という事で」

「お館様が……?」

 

お館様が直接呼びつけた事実に驚く。柱合会議か、余程緊急の事案がない限り本部に呼びつけにならないお館様が、柱でもない権兵衛君を呼んだ事が異例だからだ。

 

「なんのお話があったか、聞いても大丈夫ですか?」

「…あー、今回は喋れない内容でして」

 

バツが悪いのか、あははと乾いた笑みを見せる。

 

「何か重要な事だったんですか?」

「えぇ。––––すいません、これ以上は」

 

雰囲気に冷たい何かが入り込んだ事を感じ、「…まぁ、言いたくないのなら」の会話を終わらせる。「ありがとうございます」と礼を口にする彼だが、その雰囲気はいつもと少し違う様に感じた。

 

「–––大丈夫なんですよね、権兵衛君」

 

何が、なんて言葉を返す事なく、彼がいつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべる。

 

「はい、大丈夫ですよ」

「…なら良いです。もうお昼過ぎですけど、ご飯は食べてきましたか?」

「近くの街で蕎麦を食べてきました。美味しいお店だったので、今度紹介しますよ」

「それは楽しみです」

 

他愛のない会話を挟んだ後「それじゃあ、一度部屋に戻ります」と言い、その場を後にする彼を笑顔で見送る。

視界から彼が消えた事を確認した後、そっと両腕を、さっき抱えられた部分を抱える。

 

「…思えば、男性に抱き抱えられたのは初めてかもしれません」

 

温厚そうな顔立ちからは想像もつかないほど、鍛えられた身体だった。宇髄さんや悲鳴嶼の様な鋼を思わせる筋肉ではない、どこかしなやかさを秘めた筋肉。

自分と僅か二寸程度しか変わらない背丈にも関わらず鬼の首を容易に切る事が出来るのは多分、あの身体に理由があるのだろう–––––そこまで考えた辺りで、何を考えているんだと自分の中で落ち込む。

 

「…炭治郎君達の所に行きましょうか」

「しのぶさん?」

 

突然の言葉に思わず肩を震わせる。振り向くとそこには、洗濯したばかりの白い包帯を山の様に抱えた柊さんが立っていた。

 

「ひ、柊さん?何かありましたか?」

「い、いえ…しのぶさんこそ大丈夫ですか?何か上の空でしたけど…」

「大丈夫です。少し考え事をしていただけですから」

 

前屈みになり、怪しむ様な素振りを見せるが、やがて「…まぁ良いです」と姿勢を正す。

 

「兄さん程ではありませんが、しのぶさんも無理をしがちなんですから。ちゃんと休まないとダメですよ」

「分かってますよ。現に最近はよく眠れていますから」

「それはよかったです–––そうだ。今アオイさんが大学いもを作っているんです。良ければ如何ですか?」

「大学いも……良いですね。後でお邪魔しますとアオイに伝えておいて下さい」

 

「わかりました」と頷くと、包帯を抱えたまま廊下の影に消える––––その時「あぁそれと」と首だけ振り向く。

 

「しのぶさん、また体重が減っていますよ。忙しいのは理解しますが、ちゃんとご飯を食べて下さいね」

「–––––えぇ」

 

その言葉を最後に消える柊さんを見て、一つ息を吐く。

 

「–––ごめんなさい、柊さん。私の体重はもう、増えることはないんですよ」

 

懺悔のような呟きは、誰の耳にも届くことなく屋敷の廊下に消えていく。縁側から見える太陽の光にどこか虚しさを感じながら、私は炭治郎君達の所へと向かった––––––––。

 

 

 

 

 

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「…うーむ」

 

部屋に用意された、小さな机の前に筆を持って唸る。机には手紙用のしっかりとした真っ白な紙が置かれ、そこにはなんの文字も書かれてはいない。

炭を擦って筆を取ったまでは良いものの、書く言葉が全然浮かんでこないというのは問題だ。師範の下でちゃんと勉学に励んでおけば良かったと今更ながらに思うが、言ってもどうしようもない為ため息しか出てこない。

 

「けど、とりあえず題名はこうだよな」

 

紙の左側に多少大きく『遺言』と筆を走らせる。達筆とはとても言えない文字ではあるが、読めない文字ではないから良しとする。

 

「なんて書こうかなぁ……」

 

産屋敷から帰る途中に、近くの街で買ってきた高い紙だが、何を書けば良いのかが思い浮かばない。

今までの鈴の剣士達は皆、上弦の鬼と刺し違えて死んでいると聞いた時、書かなければならないと思ったこれだが、中々どうして内容が難しい。

 

「資産は取り敢えず妹に処分は任せるとして…後は何を書こう」

 

事務的な事を書き終えると、そこには大量に余白が残っている。買ってくる大きさを間違えてしまったと思い至るが、この余白に何か気の利いた言葉でも書こうと考える。

取り敢えずは蝶屋敷のみんなへの御礼でも書こうかな、そう思って筆を走らせ–––––––––。

 

「兄さん?入りますよ」

 

–––––––瞬間、机には置かれた紙を目にも止まらぬ速さで丸め、雑嚢に叩き込む。

その直後、何やら良い匂いのするものを持った柊が戸を開けて入ってくる。机の上にある墨と筆を見たのか「珍しいですね」と覗き込む。

 

「兄さんが墨を使っているなんて…万年筆はどうしたんですか?」

「いや、ちょっと気分転換をと思ってね」

「ふーん……?」

 

ジト目を向けられるが、笑みを浮かべて誤魔化す。その目はすぐに終わり、「兄さん、これ」とお皿を渡してくる。

砂糖の甘い匂いとさつま芋のほのかな匂いが混ざったそれは、自らの予想通りのものが載せられていた。

 

「大学いもか。美味しそうだね」

「アオイちゃんが作ったんですよ。おやつにでもって」

「ありがとう。後でお礼を言いに行かないとな……」

 

差し出されたその皿を手に取る–––––が、強い力で掴んでいるのか、受け取る事が出来ない。いつぞやの時と同じ状況に眉を潜め、「…柊?」と視線を向ける。

 

「その前に、少し相談があるんです」

「相談?柊がか?」

 

「はい」と頷くと、ストンと正面に正座する。大学いもの乗った皿を手放すと自分も正面に向き直り、彼女と視線を合わせる。

 

「それで、相談って一体どうしたんだ?」

「その前に、ここで話すことは他言無用です。良いですね?」

「…物騒な話なら勘弁だぞ?」

「違いますよ。…これは、とある隊員の話です」

「とある隊員?」

 

やたらと濁った言い方に疑問符を浮かべるが、そのまま聞き続ける。

 

「その人は優秀な鬼殺隊員です。今まで多くの鬼を屠ってきています」

「…それで?」

「その人は身長が151cm、体重が37kgなんです」

「–––––体重が、37kg?」

 

身長151cmに対し、体重が37kgというだけで相当な痩せ気味という事がわかる。しかし、それだけならただ痩せ気味な女性というだけで、もっとご飯を食べろと言えば済む話だ。

–––問題なのは、その人が優秀な鬼殺隊員という一点に尽きる。

 

「鬼を殺すだけの筋肉があるのにその体重…内臓に何か疾患があるのかも知れないね」

「私もそう考えているんですけど…」

 

柊も頭を悩ませているのか、うーんと首を捻っている。

 

「所で柊、その人って一体…」

「…ごめんなさい、医者として、個人情報はお伝えできないんです」

「いや、そうだよな。変な事を聞いた」

 

申し訳なさそうに目を伏せる柊の頭に手を置き、二、三度ほど撫でる。

 

「とにかく、その人には一度精密検査を受けてもらった方がいいかも知れないね」

「ですね。私から打診してみます」

「それが良いと思うよ」

 

彼女の中で結論が出たのか、「それじゃあ私はアオイちゃん達と大学いもを食べるので」と立ち上がる。

仲良くおやつを食べるという柊の言葉に自然と笑みが溢れる。

 

「わかった。後で自分からも伝えるけど、アオイさんに大学いもありがとうって伝えておいてくれ」

「わかりました–––––それと兄さん」

「なんだ?」

 

天女のような優しい笑みを見せる柊に、目を細めて笑いかける。

 

「相談に乗ってくれたから詳しくは言及しませんが、隠し事をするんだったらもっと上手くやって下さいね?雑嚢の中に入っているそれ、最初からわかっていましたから」

「–––––––あ、あはは」

 

「それでは」と颯爽と部屋から出て行った柊に手を振り、そのあと息を吐く。––––––どうやら、蝶屋敷で遺書を書くのは辞めたほうが良いようだ。

 

「…それにしても、体重37kgか」

 

もう使わない墨をいらない紙に吸わせ、ゴミ箱へと捨てる。その際、柊から聞いたとある隊士の事が脳裏に浮かぶ。

 

『––––––ご、権兵衛君?もう離してくれて大丈夫ですよ?』

「…まさか、な」

 

背筋を嫌な感覚が走るが、首を振ってそれを有耶無耶にする。たしかに彼女は紙のように軽かったけれど、そんな疾患があるようには見えなかった。

 

「…さて、取り敢えずは頂きますか」

 

片付けが一通り済んだあと、爪楊枝の刺さった大学いもを手に取り、口の中に放り込む。

 

「–––甘いな」

 

砂糖の甘さとさつま芋の甘さが噛むたびに広がっていく。やっぱり甘いものは美味しいとどうでも良い事を考えながら、次の大学いもへと楊枝を突き刺した––––––––––。

 

 

 

 

 

 

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「…そうか。明日にはもう、みんな出立するんだね」

 

すっかり日の落ちた、明るい月が照らす夜。甚兵衛から小豆色の隊服へと袖を通し、藍色の羽織を羽織った権兵衛が少し寂しそうに笑う。

 

「はい。明日の診断で完治が認められれば、その日から自分たちは任務に向かいます」

「本当は行きたくなんてないんですけどね…」

「そんなことより勝負しろ鈴野郎‼︎」

 

権兵衛の姿とは相反して、炭治郎、善逸、伊之助の三人は白の病人服を着ている。完治の宣告を受けていない彼らは、まだ任務への参加を許されていないからだ。

権兵衛の肩には見慣れた鈴鳴り刀が吊られ、これから遊撃に向かう事が伺えた。

 

「こら伊之助!権兵衛さんに失礼だろう!」

「相変わらず元気が良いね、良い事だ」

 

猪頭をわしゃしわしゃと撫でる権兵衛に「うがぁー!」と声を上げる伊之助。猪頭にさえ目を瞑れば、愚図る弟をあやす出来た兄という構図で見る事が出来る。

 

「まさか全員カナヲちゃんに勝つなんてね。いや、正直驚いたよ」

「権兵衛さんの教え方が良かったからですよ」

「いや、確かに炭治郎よりは上手だったけどさ…」

 

現蟲柱の継子、栗花落カナヲに訓練とは言え、全員が勝ち星を挙げた事実を素直に称賛する権兵衛。並の隊士では歯牙も立たない相手に、僅か一月程度で互角程度に渡り合う事が出来ているのだから、彼らに光る才があるのは間違い無いのだろう。

 

「回復の呼吸は問題なし。止血の呼吸はまだ詰めが甘いけど…それも、実践で経験を積めば自ずと上達するだろう。本当に、よく頑張ったよ」

 

横に並ぶ三人の肩を叩き、誇らしそうに笑う。

 

「権兵衛さんのお陰です!忙しいのに、俺たちの面倒まで見てくれて…本当にありがとうございました!」

「そんなことはない、頑張ったのは君達なんだから、そこはもっと自信を持って」

 

「そうだ」と何か思い立ったのか、権兵衛が懐に入れていた布を取り出し、それを開く。そこには、赤、青、黄色に染められた、三つの鈴が入っていた。

 

「あの、これって…」

「これは、俺からの細やかな贈り物だよ」

 

赤の鈴を炭治郎に、青の鈴を伊之助に、黄の鈴を善逸に手渡す。それぞれが鈴を揺らすと、音色が違う事に気づく。

 

「それぞれが音に気づくように、音色を変えてある。視界を遮られた時に鳴らすと良いよ」

「ありがとうございます!」

「なんだ?これがあると鬼を殺せるのか?」

「いや、そんなわけないだろ」

 

各々がその鈴を持った事を見ると、権兵衛が目を伏せて呟く。

 

「––––君達の行く末を、その鈴が導きますように」

「なんです?その言葉?」

「師範からの受け売りでね。鈴は魔除けの意味もあるけど、それを持つ人の道を示す為のものでもあるからさ。君達の活躍を、蝶屋敷から願っているよ」

「その、権兵衛さんは、今から任務ですか?」

 

善逸の言葉に頷く。

 

「そうだね。少し遠出になるから、明日までには帰れそうもない。見送りをする事は出来ないけど、そこは許してほしい」

「いえそんな…!その、頑張って下さい」

「ありがとう、善逸君」

「権兵衛さん!最後に質問良いでしょうか?」

 

気遣う言葉に笑みを浮かべると、炭治郎が手を上げる。

 

「構わないよ。何か聞きたいことでもあるのかい?」

「ヒノカミ神楽って言葉、聞いたことありませんか?」

 

「ヒノカミ神楽…」と僅かに眉を潜めたあと、肩を竦める。

 

「…ごめん、聞いた事はないね」

「そうですか……。それじゃあ、火の呼吸については?」

「…それも、ないかな。力になれなくてごめん」

 

聞いたことのない単語を聞き、頭を下げる。それを見て「気にしないで下さい!俺もよくわかっていないんですから!」と炭治郎が慌てふためく。

 

「所で、それが一体なんなのか聞いても良いかな?」

「はい。元は自分の父が使っていたんですけど…この前の那田蜘蛛山の時、その舞を思い出したら技が使えたんです。権兵衛さんの剣もとても綺麗だから、何か知っていると思ったんですけど……」

「舞……わかった。こっちでも少し調べてみるよ。何かわかったら、鴉を使って連絡する」

「お願いします!」

 

「舞」という単語にどこか鈴の呼吸に近いものを感じると、頭を下げる炭治郎の頭を二、三度撫でる。

 

「夜も遅い。明日から任務なんだから、もう寝たほうが良い」

「わかりました。権兵衛さんも、頑張って下さい‼︎」

「今度会ったら勝負だからな!覚えておけよ!」

 

揃って屋敷の中に戻っていく三人を眺めた権兵衛は、掌を固く握り締める。

 

「–––––死ぬなよ、三人とも」

「…それは、権兵衛さんもでしょう」

 

多少棘のある声色に振り向く。そこには、腰に手を当て、微かに怒気を露わにしているアオイの姿があった。

彼女の姿を見ると、権兵衛が「起きていたんですね」と笑う。

 

「まだ夜は更けたばかりですから。それより、これから遊撃ですか?」

「はい。少し遠出になるから、明日には帰って来れそうもありません」

 

遠出、という言葉に眉を潜める。

 

「…あまり遠くに行くなとしのぶ様から言われていると思いますけど?」

「あはは…すいません。帰ったらお説教はちゃんと聞きますから」

「お説教を言われないようにして下さい。全く……」

 

乾いた笑みを零す権兵衛にため息を吐く。何度言っても変わらないのだからと割り切っている彼女だが、だからと言って言わなくても良い理由にはならないのだ。

 

「…ちゃんと帰って来ますよね、権兵衛さん」

「–––––えぇ、必ず」

「…なら、良いです」

 

藍色の瞳と青い瞳が交錯すると、アオイが後ろ手から竹の葉に包まれた何かを差し出す。

 

「これ、おにぎりです。良かったら食べてください」

「ありがとうございます!本当、いつもすいません」

「気にしないでください。これくらいしか、わたしには出来ませんから」

 

差し出されたそれを受け取ると、権兵衛が「そんな事ありません」とかぶりを振る。

 

「アオイさんのお陰で本当に色々助かってます。だから、自分を悪く言わないで下さい」

「………それ、権兵衛さんが言います?」

「…何がです?」

「–––なんでもありません」

 

疲れたように肩を落とすアオイに疑問符を浮かべる。この人はいつも…!と彼女の心の中に炎が灯るが、今言っても仕方ないと無理矢理割り切る。

再び権兵衛とアオイの視線を合わせると、彼女が小さく、けれどはっきりと口にする。

 

「行ってらっしゃい、権兵衛さん。ちゃんと帰ってきて下さいね」

「はい、行ってきます」

 

その言葉を皮切りに、背を向けた権兵衛の姿が門から外に消える。権兵衛が視界から消えた後も、アオイは門に視線を向け続ける。

 

「––––待ってますから」

 

月明かりが厚い雲に覆われていく中、か細い声は暗い夜空に溶けていく。彼女の小さな祈りは月に届く事なく、夜が更けて行った––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––––鴉、情報を」

「目的地、無限列車‼︎行方不明者四十人以上、隊士モ三人消息ヲ絶ッテイル‼︎」

 

東から朝日の登る眩い、とある石の上。牛皮の水筒から水を一口煽ると、鴉からの情報に耳を傾ける。

 

「随分大きく動いているな……。何か他に情報はあるかい?」

「無イ!詳細ハ不明‼︎」

「聞き込みからやるしか無いかな」

 

丘の上から下を見下ろすと、駅を持つ大きな街が一望出来る。

 

「…酷いな」

 

あの街で四十人もの人が消えている事実に心が冷たくなるような感覚を覚えるが、頬を叩く鴉に意識を現実に戻す。

 

「とりあえずは腹拵えでもしようか」

「カァ!」

 

雑嚢から竹の葉に包まれたおにぎりを取り出す。紐を解くと大きめに握られたおにぎりが三つ綺麗に並び、端には沢庵が添えられている。

そのうちの一つを手に取り、三角の頂点を頬張ると硬めに炊き上げられたお米と絶妙な塩味が口の広がり、二、三度と食べ進める。

 

「美味いなぁ…」

「うむ!たしかに旨そうだな!」

「そうでしょう。なんたってこれはアオイさんが握った––––––––––」

 

バッと顔を横に向ける。そこにはうんうんと頷き、口の端から涎を垂らす金髪の男性–––––––鬼殺隊現炎柱、煉獄杏寿郎が佇んでいた。

目見間違えでは無いかと疑い目を擦るが、もう一度見開いた視界に再び圧を感じる顔が近くにある事から現実の事だと漸く理解する。

 

「……お久しぶりです、煉獄さん?」

「久しいな、権兵衛少年‼︎」

 

いつのまにか石の横に座っている煉獄さんに頭を下げる。––––気配なんて一切感じなかったぞ…。

そんな自分の戦慄を知ってか知らずか、「それよりも、だ」と彼の顔がこちらに近づく。

 

「そのおにぎり、一つ貰っても良いだろうか?」

「………どうぞ」

「かたじけない!」

 

竹の葉に乗ったおにぎりを差し出すと、目にも止まらぬ速さでそれを平らげる。「美味い美味い‼︎」と頷いているから気に入ったのだろうか、だったらもっと味わって食べた方が良いのでは、と考えてしまう。

取り敢えずは自分も食べてしまおうと食べかけのおにぎりを頬張る………中身は梅だった。

 

「アオイと言っていたが、それは権兵衛少年の許嫁殿か?」

「違いますよ。蝶屋敷に住み込みで働いている女性でして、色々と世話を焼いてもらっているんです」

「そうか!随分と手が混んでいるおにぎりだと思ったから、よもやと思ったのだがな」

 

手が混んでいる、という言葉に反応する。

 

「アオイさんは優しいですから。本当、見習いたい位です」

「君はもう少し自己評価をした方が良いな!」

「…皆さん口を揃えてそう言うんですね」

「皆が口を揃える程、君のそれが手に負えないと言う事だな‼︎」

「……うぐ」

 

完膚なきまでに叩きのめされてしまったので、沢庵をパリパリと咥えて不貞腐れる。「ハハハッ」と軽快に笑う煉獄さんに恨めしそうに見つつ、二つ目のおにぎりを少しちぎって鴉に上げる。

 

「煉獄さんこそ、最近働きすぎでは?」

「何を言う。最近は休みが多すぎて身体が鈍ってきた所だ」

「そうなんですか?」

 

彼の言葉に疑問を呈する。

 

「うむ!権兵衛少年が帝都付近の鬼を一人で殲滅する勢いで殺しているからだな!」

「……黙秘権を行使します」

 

歯に衣着せぬ物言いに閉口する。基本的に自分が悪い為、反論することが出来ないのだ。

 

「なに、悪いことでは無いのだ。権兵衛少年が鬼を滅する度に救われる人がいるのだからな!」

 

空を上げるの彼の横顔を眺める。しかし、やがてその視線がこちらに向けられる。

 

「–––ただ、そのために自分を蔑ろにするのは良くないと俺は思う」

「…否定はしません。事実ですから」

「当然だな!否定しようものなら、ここで一発指導しなければならなかった!」

 

にぎり拳を作る煉獄さんに苦笑する。

 

「–––どうして煉獄さんがここに居るのかは、聞きませんよ」

 

二つ目のおにぎりを一口頬張り、呟く。お館様の会話の後、示し合わせたようにここに居る彼に、どうしてなんて理由を問う必要が無いからだ。

 

「構わないとも。俺は俺の意思でここに居るのだからな」

「相手は上弦の鬼かもしれません。下手を打てば、煉獄さんと言えど死にますよ」

「それはどの鬼相手でも同じ事だ。いつ死ぬかなんてことに、一々怯えてなどいられない」

「–––––すいません。巻き込んでしまって」

 

堪らず下げた頭だが、その上に大きな掌が乗せられる。

 

「気にすることは無い。むしろ、長らく生きらえている悪鬼を誘き出してくれて感謝したい位だ」

「…しかし」

「それに、謝らなければならないのは俺の方だ」

 

自分の言葉を遮ると、掌を下ろす。

 

「どうして、煉獄さんが謝る必要があるんですか?」

「君が鬼舞辻無惨に目をつけられるほどに鬼を殺しているのは、一重に俺達柱の力が地方まで及んでいないからだ。本来なら、俺達の役目なのだがな…」

 

頭を下げる煉獄さんに笑う。

 

「そんなことはありません。貴方達は十二鬼月という、埒外の化け物を討伐する責務がありますから。地方に湧く悪鬼程度は私を含めた、他の隊士に任せれば良いのです」

「……時間があれば、ここでその勘違いを徹底的に正すのだがな」

 

渋々と言った様子だが、頭を上げる。

 

「さて、朝餉は済んだか権兵衛少年!」

「えぇ、ちょうど終わりました」

「よし!それじゃあ早速鬼の情報の聞き込みに向かうぞ‼︎」

「了解です–––––お願いします、煉獄さん」

 

差し出した右手が、大きな右手に握り返される。自分と良く似た、硬い掌だった。

 

「それと権兵衛少年。この一件が終われば、君は煉獄家で説教と訓練だから、覚悟しておくと良い」

「––––––えっ?」

 

「行くぞ!」と走り出す煉獄さんの後を慌てて追いかける。さっきの言葉が冗談だと良いなと空を見上げるが、そこには透き通るような青空があるだけで、答えを出してくれる筈も無かった–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––––あの、煉獄さん。少し聞いて良いですか?」

「なんだ、権兵衛少年」

「街で聞き込みをした結果、なんの収穫も無かった事はわかりました」

「そうだな。どうやら相手は相当上手く事を運んでいるらしい」

「えぇ–––––だからって、進んで鬼の手の内に入る必要もないと思うんですけど」

 

窓枠の景色が流れ、雑多な音が耳に入る車内––––––無限列車の客室でぼやく。鬼の血鬼術がなにかも把握していないのに敵地に踏み込んだのだから、煉獄さんの豪胆さには舌を巻く。

 

「何を言う。手を拱いている間にも犠牲者は増えているのだ。ならば!ここは我々手練れ二人が囮となって鬼を引き寄せ、首を切るのが一番だろう!」

「仰っている事はわかります。ですが、もしかしたら十二鬼月が相手の可能性も––––––」

「そこの女中!牛鍋弁当を五つ頼む‼︎」

「駄目だ、全然聞いていない」

 

女中から受け取った牛鍋弁当をもの凄い勢いで食べ進めていく某炎柱にため息を吐き、窓枠を眺める。

 

「…思えば、列車に乗ったのはこれが初めてかも知れません」

「むっ?それは意外だな。てっきり使い込んでいるとばかり」

 

口の端に米粒を付けた煉獄さんが訪ねてくる。

 

「最高速度では明らかにこっちが早いんですけど、入り組んだ土地が目的地なら、自分の足で突っ切った方が早いこともありますからね」

「…やはり君は、少しおかしいようだな」

「煉獄さん程じゃあありませんよ」

 

日本中に鉄道が走れば良いのに、なんて絵空事が頭に浮かぶが、そんなことはありえないと頭を振るう。

 

「…それにしても、煉獄さん本当によく食べますね」

「権兵衛少年も食うか?」

「いえ、自分は結構です」

 

煉獄さんがとてつもない勢いで牛鍋弁当を食べ進めていくのを茫然と眺めている–––––––––そんな時だった。「あれ?」という、間の抜けた言葉が耳に入ってきたのは。

 

「……冗談だろう?」

 

恐る恐る声のした方を向く。そこには、予想通りの人物が三人、雁首を揃えて驚いたように目を見開いていた。

 

「なんで、権兵衛さんがここに…?」

「なんだ!お前も主の腹の中に入ったのか‼︎」

「ちょ、伊之助!その格好であんまり騒ぐなって…!」

 

揺れる車内で目を見開く。炭治郎の言っていた任務が無限列車のことを指していた事を理解し、脳を木材でぶつけられたような衝撃を覚える。

 

「君たちは権兵衛少年の継子達か!」

「いえ、彼らは違います。というか、わたしは柱ではないので継子は居ません」

 

山のように積み上がっていた牛鍋弁当を女中の人に渡すと、煉獄さんが三人を見る。

 

「…ちょっと待って下さい。柱と権兵衛さんが一緒にいるってことは、今回の鬼って相当強力なんじゃ…」

「そうだな!俺個人の主観だが、今回の一件は十二鬼月が手を引いていると考えている!」

「ギャー!やっぱりぃぃぃぃぃ!やだ俺列車降りる!」

「ちょ、善逸!列車の中で騒ぐのは辞めるんだ!」

 

周りの視線が集まってきたので、「とりあえず座りなよ」と三人を促し、自分が席を立つ。「いえ、俺たちは…」と遠慮する炭治郎に「良いから」と無理矢理座らせる。

 

「自分は少し外の空気を吸ってきます。–––炭治郎君はヒノカミ神楽の事を聞きたいんだろう?」

「えっ?なんでそれを…」

「彼が炎の呼吸の使い手だからね…ゆっくり話してて良いから」

 

そう言って肩を叩き、傍に置いてある細長い木箱を持って座席から離れる。客室から外に出ようと扉を開けると、そこに顔の痩けた男性の車掌と鉢合わせる。

 

「おっと、すいません」

「いえ…それより、切符を拝見します」

「あぁ、はい」

 

その顔を見て、病気なのかなんて取り止めのない考えが浮かぶ。

懐から取り出した切符を渡し、改札鋏で切符を切って貰う。そのまま切符を受け取り、外に向かう–––––––––直後、視界がぐにゃりと曲がる。

 

(–––––これは、血鬼術か⁉︎)

 

意識に作用する血鬼術だと瞬時に理解し、炭治郎君達に声を発しようと振り返るが、思ったより術の周りが早く、もはや意識が朦朧として口が思うように開かない。

 

(ま、ずい…意識が––––––)

 

足腰に力が入らず、力なく床に倒れ込む。

 

(にげろ、みんな…!)

 

その言葉は届く事なく、自分の意識は闇に落ちていった––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––目が覚めたら、蝶屋敷の縁側だった。

 

「…あれ?」

 

なんで俺がここに居るんだ?鬼は、無限列車は……無限列車?

何やら思考が混乱している。なんで、俺は蝶屋敷の縁側に……。

 

「やっぱり、ここにいましたか」

「–––しのぶさん」

 

聞き心地の良い声に振り向くと、そこには花のように可憐な笑みを浮かべたしのぶさんが立っていた。

 

「駄目じゃないですか。怪我人が立ち歩くなんて」

「…えっ?怪我、ですか」

 

その言葉を聞き下を向く。そこには白の病人服を着た自分の身体があり、頬を触れば大きな貼り材が貼ってある。

 

「ほら、まだ意識が混濁しているんですから、無理をしては駄目ですよ」

「あ、あはは…すいません」

「全く…隣、失礼しますね」

 

「よいしょ」と横に座るしのぶさん。…何故だろう、いつもよりも雰囲気が柔らかい。張り詰めていた空気感が消えて、かわりに草原のように穏やかな雰囲気を纏っている。

 

「…ふふっ」

「何かおかしなことでもありましたか?」

 

突如微笑むしのぶさんに首を傾ける。すると、「あぁ、いえ」と俯く。

 

「こうして、二人でいる事が幸せだな、と少し思いまして」

「…そ、そうですか」

 

顔が熱くなる事を感じる。しのぶさんの顔もここなしかほんのり赤く、いつも以上に可憐に見える。

そうして少しの時を庭を二人で眺めているが、空気にいたたまれなくなったのでしのぶさんに話しかける。

 

「…あの、何か良いことがありましたか?」

「なんですか、急に」

「いえ、なんだか、機嫌が良さそうだったので」

 

「…そうですね」と小さく頷くと、静かに話し始める。

 

「もう、誰かの想いを背負う必要が無くなったので」

「…そうなんですか?」

 

疑問符を浮かべると、心配そうに紫色の瞳がこちらを見据える。

 

「–––––権兵衛君?本当に大丈夫ですか?」

「えっ?」

 

突如、しのぶさんの綺麗な顔が至近距離に迫り、額が当てられる。女性特有の可憐な匂いと藤の花に似た香りが合わさった良い匂いに顔が熱くなるが、やがて「…熱はありませんね」と顔が離される。

 

「やっぱり休んだ方が良いですよ。私が付きっきりで看病しますから」

「い、良いですよ!これくらい、大した怪我じゃないので」

「何を言っているんですか。鬼殺の貢献者で1番の重傷者なんですから、少しは私に甘えて下さい」

「だからそんな–––––––––えっ?」

 

–––––––今、しのぶさんは、なんて言った?

 

「…あの、すいません」

「うん?なんですか?」

 

変わらず微笑むしのぶさんに、少しの違和感を感じ始める。

 

「自分って、なんの任務で怪我をしたんでしたっけ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

何故だろう、先ほどから胸騒ぎが止まらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…やっぱり、まだ記憶の混濁があるんですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

それに、酷く頭も痛くなってきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、自分は一体……」

「良いですけど、それを話したら素直にベッドに戻ってもらいますからね」

 

 

 

 

 

仕方ないと言う風にため息を吐くと、笑みを浮かべて語る。

 

 

 

 

 

 

「–––––––––––権兵衛君が、鬼舞辻無惨を斃したんです。貴方が、鬼殺隊の悲願を成し遂げたんですよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––––––––あぁ。なんて、悪趣味なんだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_________________________

 

 

 

 

 

 

「––––しのぶさん?」

 

(あれが本体ね…)

 

下弦の壱、魘夢様の指示を受けて少年の夢の中に入ると、視界に温厚そうな少年が目に入る。外見と全く同じ姿をしていることから彼が『本体』である事を察し、視界に入らないように死角に入る。

 

(精神の核は………)

 

壁を伝って行くと、夢の世界の端を見つけ、そこに頂いた錐を壁に向けて突き刺す。するとぐにゃりと世界が破れ、無意識の領域が開かれる。

 

(早く終わらせて、幸せな夢を見せて貰わないと…)

 

そのまま足を無意識領域に踏み入れる–––––瞬間、濃密な血の匂いが鼻に付き、思わず顔を顰める。

 

「なによ、この匂い…!」

「…あれ、なんで此処に生きた人が居るんですか?」

 

–––––––無意識領域を開くと、目の前に血に染まった少年が映った。長い黒髪は血を被って所々赤く染まり、白い肌が鮮血から垣間見える。そんな惨状にも関わらず、口元には穏やかな笑みを浮かべている。

 

「ひっ、な、なんで無意識空間に人がいるのよ⁉︎」

「…?おかしな事を言う人だなぁ」

 

その少年は右手に持つ血に染まった獲物–––––––短い鉈を肩に担ぐと、「ま、良いか」と勝手に納得し、女性の手を取る。

万力にも似た力に抵抗することも許されず、そのまま無意識空間の中に連れ込まれる。

 

「やめて!離して‼︎」

「駄目ですよ。これも心の平穏を保つ為です」

「何を–––––––えっ?」

 

初めて無意識領域の中を視界に映す。

そこには、数えることすら億劫な程の首から上がない死体が辺りに転がっている。白い床は見る影もないほど血に汚れ、足の踏み場を見つけるのが苦労するほど腐肉が散乱している。–––––そこは言うなれば、死体遺棄場だった。

 

「ひっ––––⁉︎」

「ほら、あそこでお姉さんの首を切りますからね」

 

中でも死体が積み重ねられた部屋の中心部。そこには、真っ黒な玉が血に塗れている。

 

(あれが、精神の核…⁉︎)

 

二つ程見てきたその精神の核だが、そのどれとも似つかないほどどす黒く濁ったそれは、離れていても分かるほどに酷い血の匂いを放っている。

 

「あれが断頭台です。元は綺麗な水色だったんですけど、とある一件から黒く染まってしまいました」

「何を言ってるの⁉︎貴方、何を言ってるの⁉︎」

「大丈夫ですよ。首を絶つ事には自信がありますから」

「––––このっ、クソ餓鬼‼︎」

 

何をどうしてもびくともしない様に苛つき、少年の額に空いた手で殴り付ける。その時、殴りつけた手が硬いものを打ち付ける感覚を覚える。

 

「––––痛いなぁ」

「…えっ?」

 

その時の少年の髪が揺れ、額が覗かれる––––その額には、二本の角が生えていた。

 

「暴れても意味ないですよ。さぁ、行きましょう」

「やだ!離して!離してよ‼︎」

 

先程よりも力強く引っ張られ、断頭台までの道のりを無理やり歩かせられる。足には肉を踏み潰す感覚が走り、一歩進むたびに身体中に返り血が跳ねる様に悪寒が走り、意図せず涙が溢れる。

 

「やだよぉ…離してよぉ……」

「駄目ですよ。ちゃんとやらないと行けないんですから」

 

ついには精神の核のところまで連れてこられ、そこに強く頭を叩きつけられる。頭をがっしり掴まれているせいで身動きを取ることもできず、視界は血に塗れた鉈を掴んで離さない。

 

「悪く思わないでくださいね。これが、心に作られた『鬼』としての俺の役割なんですから」

「辞めて!私は–––––––––」

 

私の悲鳴を聞く事なく、いとも容易く振り下ろされる鉈–––––––その直後、視界が急に明滅する。

景色が目まぐるしく変わっていき、最後に暗くなる。それは、夢から出られた時の感覚だった。

 

(夢から出られたの?けど、どうして–––––?)

 

けれど、そんな事はどうでも良い。鉈が振り下ろされる前に目が覚めて良かったと安堵する。

 

(何だったのよ、あの餓鬼は………)

 

閉じていた目蓋を開く。怖い思いをしてしまった、無意識空間に人がいるなんて、一体どう言う–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう。人の夢を見れて楽しかったか?」

 

目蓋を開くと、先ほどの少年と同じように穏やかな笑みを浮かべた少年が、小刀を携えて微笑んでいた。

 

「–––––––––––えっ?」

 

 

 

 

 

 

 

__________________________

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔しないでよ‼︎あんた達が来たせいで、夢を見せて貰えないじゃないか‼︎」

 

–––––地を駆ける無限列車の車内に、少女の絶叫が響き渡る。それを聞き、炭治郎は唇を噛み締める。

 

(この人達、自分の意思で鬼に協力を……!)

 

女性以外にも三人程度の男女が手に鋭利な獲物を持ち、ジリジリと近づいてくる。

 

(権兵衛さんは無事なのか?姿が見えないけど………)

 

彼の視界には権兵衛の姿が写っていない。席を立って外に向かった事まではわかっているのだが、それ以外の事はわからないのだ。

 

(早く権兵衛さんを探しに––––––––––––あれ?)

 

–––––この時、炭治郎の頭の中に冷たい滴が落とされるような感覚が過ぎる。その滴は波紋を作り、徐々に思考に浸透して行く。

 

『人を喰う鬼は憎いし、人を殺す人も同じくらい憎い。奴らの様な害獣相手に、哀れみや悲しみを持つ事は出来ない』

「––––––あぁ」

 

か細い声が炭治郎の口から溢れ、徐々に顔が青くなって行く。まさか、という嫌な思考が頭を走って仕方ない。

 

「今すぐそれを降ろして下さい‼︎早く‼︎」

 

何を考えたのか、顔を青くした炭治郎は叫ぶ。しかしその言葉に当然従う筈がなく、四人は「はぁ?」と怪訝そうな顔を浮かべるだけだ。

 

「何言ってるのよ、あんた?」

「良いから!俺じゃあ、あの人を止められません‼︎だから––––––––」

「………お、おい…嘘だろ…?」

 

突如、獲物を持った男性が青ざめた表情を浮かべ、地面にそれを落とす。乾いた音が車内に響くと同時に、ガラガラと車内扉が開かれる。

 

「––––––––お前ら、炭治郎君に何を向けているんだ?」

 

直後、鉛にも似た雰囲気が車内に充満する。それを感じた炭治郎は恐る恐る振り返り、その光景に目を見開く。

 

「ご、権兵衛…さん?」

 

彼自体に何か問題があるわけではない。見たところ怪我をしている様子も無く、顔色も至って普通だ。しかし、穏やかな光を湛えていた藍色の瞳が光を落とし、どうしようもない程に目が座っている。

–––––その彼の手には、呻き声を上げる女性が吊られていた。

 

「ひっ⁉︎」

「なによ、あの男…!」

「まさか、鬼の協力者がこんなにいるなんてな。これじゃあ見つけられない筈だ」

 

あっけらかんと言い放つ。そのまま無造作に吊っていた女性を車内の真ん中に投げる。ドサッという重い音と共に落ちた女性は「ガハッ」と声を上げると、何度も咳き込み必死に酸素を取り入れる。

 

「権兵衛さん……!」

「炭治郎君は下がっていると良い。血が入ると目に悪いから」

 

引き摺ってきた木箱を放り投げると、懐から水色の短刀を引き抜く。車内の照明に照らされた水色の刀身は綺麗な色を魅せる。

 

「待ってください!この人達は…!」

「自ら鬼に協力した悪鬼の配下だろう。–––全く、嫌な夢を見せてくれたものだよ」

 

炭治郎の擁護に、唾棄するように呟く。権兵衛の額には血管が浮かび、傍目から見ても激昂している事がわかる。

 

「嫌な夢って…!魘夢様は幸せな夢を見せてくれた筈よ‼︎」

「それが気に食わないんだよ。ただ他人から与えられた、幸福な未来なんて、悪夢以外の何者でもない」

 

「鬼らしい、浅はかな考えだ」と吐き捨てる。すると、チャキと短刀を斜に構える。

 

「鬼に進んで協力したんだ–––––末路は、言わなくてもわかるよな?」

 

権兵衛から放たれる殺意が四人に向けられる。持っていた獲物を地に落とし、カタカタと肩を震わせるが、そんな事はどうでも良いと権兵衛が車内を駆け––––––––。

 

「むーー‼︎」

 

––––––––その腕を、桃色の少女が掴んだ。

 

「禰豆子……!」

「––––なんの、つもりだい?」

「むー!むー!」

 

首をブンブンと横に振り、がっしりと腕を掴む彼女を権兵衛が見つめる。

 

「彼等は君とは違う、自分の欲望に他人を害する害獣だよ。それなのに、どうして止めようとする?」

「むーー!」

「…わからないよ、俺には」

 

そのまま強引に腕を振り解こうと力を込める–––––が、今度は炭治郎も同じように腕に捕まる。

 

「駄目です!権兵衛さんが、人を殺しちゃ駄目です‼︎」

「やめろ、炭治郎。どうして止めようとする?こいつらは…」

「人間です!彼等はまだ、人間なんです‼︎」

 

真っ直ぐな瞳が、権兵衛の濁った瞳を突き刺す。

 

「違う、こいつらは––––––」

「間違いを犯しても、人は罪を償ってやり直す事が出来るんです‼︎だから、刃を収めて下さい‼︎」

 

必死の形相を浮かべる炭治郎に困惑した表情を浮かべる。彼等は害獣だ、人を傷つける、鬼と変わらないのに–––––。

 

「それに、俺はもう、権兵衛さんのあんな悲しそうな姿を見たくないんです‼︎」

 

その言葉に一瞬動きを止める権兵衛––––が、再び拘束を解こうと力を入れる。そんな彼に対し、炭治郎は言葉を重ねる。

 

「蝶屋敷で隊士を殺した後の権兵衛さんからは、抱えきれない悲しみを感じました!権兵衛さんだって、辛いんでしょう⁉︎」

「…話は後だ。とにかく今は–––––」

 

早急に害獣の首を斬らないといけないと腕に力を込める。が、より一層強く掴まれて思うように動けない。

 

「むー‼︎」

「絶対に離しません!絶対に!」

 

より一層力強く腕を掴む二人。ねずこに至っては、目の端に涙すら浮かべている。その様を権兵衛は見つめる––––––その後、困った様に笑みを浮かべ、「参ったなぁ…」と頭を掻く。

 

「–––––全く、どこまでもお人好しな兄弟だよ」

 

それは、普段の権兵衛と変わらない、穏やかな声色だった。

 

「権兵衛さん……って」

 

瞬間、車内に風が流れる。それから数瞬すると、震えていた四人の男女がバタバタと床に倒れる。

炭治郎達が掴んでいた腕はそこには無く、件の彼は車内の反対側まで瞬く間に移動していた。水色の刀身を鞘にしまうと、権兵衛は「ふぅ」と息を吐く。

 

「そんな…!」

「殺してはいないよ。首元に一閃打ち込んだだけだ」

「…えっ?」

 

権兵衛の言葉に呆気取られる。

「目が覚めたら死ぬ程痛いだろうけど、そこは我慢して欲しいね」と肩を竦めると、再び炭治郎と禰豆子の前まで戻る。

 

「–––––一度人を傷つけた人間は、例外なく鬼になる。君は彼等が罪を償うといったけれど、彼等が改心せず、また人を傷つけた時どうするんだい?」

「…わかりません」

「それでも尚、彼等を生かせと?」

 

鋼の様な鋭さを持った視線が炭治郎に向けられる。その視線に対し、炭治郎は真っ直ぐな視線で応える。

 

「––––––はい。だって、人は変われる生き物ですから」

 

そう言うと、炭治郎はとある方向を見遣る。そこには、微かに震えているものの、戦う意志の見受けられない痩せた男性が立っている。

 

「あ、あの…謝って済む問題ではないかも知れませんけど、本当に、すいませんでした」

「…彼は?」

「あの人は、俺の夢の中に入ってきた人です。けど、あの人は俺に刃を向けませんでした。–––だからきっと、この人達も大丈夫です」

 

そう言い、地面に倒れ伏している四人を見る。

 

「…随分と、力技の理論だね」

「す、すいません!別に、権兵衛さんの今までを否定した訳では……‼︎」

「––––けど、うん。悪くない考え方だね」

 

ぷるぷると震えている禰豆子の頭を撫で、「怖い思いをさせたね」と微笑む。コクコクと頷く彼女に「ごめんごめん」と謝る姿からは、先程まであった氷の様な雰囲気が感じられない。

 

「時間を取らせて悪かったね。–––––それじゃあ、本題の鬼退治と行こうか」

 

すると、傍に落ちている木箱を徐に開き、中から長い日輪刀––––––––鈴鳴り刀を取り出す。

 

「はい‼︎」

 

––––––––黒煙を上げながら、無限列車は地を駆け抜ける。激闘の発端は、まだ開かれてもいなかった––––––––。

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

「––––––これは、一体…」

 

産屋敷輝哉の妻である、産屋敷あまねの驚愕した声が、彼の寝室に響き渡る。

 

「どうしたんだい、あまね?」

「……もしかしたら、私の見間違えかも知れません。ですから、まだお話する訳には–––」

「構わないよ。–––私の、痣についてだろう」

 

産まれてからずっと、輝哉の体を蝕み続けている呪い。恐らくその進行が早まったのだろうと思い至り、悲しそうに笑う。

 

「それで、私の痣は今どうなっているんだい?」

「–––––僅かにですが、色が薄くなっています」

「–––––––えっ?」

 

––––はじめは、聞き間違いかと思った。けれど、彼女のよく通る声は鮮明で、聞き間違いようが無かった。

 

「それは、本当かい?」

「はい…本当に僅かですが、間違いないかと」

「どうして、そんな……」

 

悪化する事はあれ、良くなることなど一度もなかったそれが、どうして突然と輝哉は考えるが、その時、ふと鈴の音が頭の中に鳴った様な気がした。

 

「–––––もしかして、鈴の呼吸の舞を聞いたから?」

「鈴の呼吸と言いますと…小屋内権兵衛さん?」

「確証はない。けど、確かめる価値はあると思う」

 

「鴉を至急、権兵衛に飛ばして欲しい」と頼むと、あまねが慌ただしい様子で寝室から立ち去る。

ひとり静かになった寝室で、微かに震えた声で輝哉が呟く。

 

「鬼舞辻を倒す以外に、我が一族が定命を生きる事は出来ないと思っていたけど––––––」

 

–––––もしかしたら、ほかに道があるのかも知れない。その事実に思い至った時、どうしようもなく心が震える。

 

「鈴の呼吸は、一体なんなんだ…?」

 

小屋内権兵衛が再興させた、由緒ある呼吸法。鬼の力を弱める型だとばかり思っていたけれど、もしかしたら、本質は別にあるのかも知れないと思い至る。

 

「…権兵衛、どうか無事でいてくれ」

 

彼の目には映らない満月が、厚い雲に覆われる。それは、権兵衛の行く末を示しているかの様だった––––––––。

 

 

 

 

 

 




夢の中の少年

小屋内権兵衛が心の中に飼う、鬼の側面を持った自分。始まりの鬼殺を経て、心を壊さぬ為に作られた安全装置。無意識領域に転がっている死体は全て、権兵衛が殺めてきた鬼と人である。



※小屋内権兵衛という名前について。

主人公の名前ですが、「こやないごんべえ」と「おやないごんべえ」の二つの読み方で混乱する、というご指摘を受けました。私個人としては「こやない」という読み方で考えていたのですが、一話後書きの一文から「おやない」と呼んでいる人が多い事実が判明しました。
読者の皆様に誤解を与えてしまった事、誠に申し訳ありませんでした。一話にて改めてルピを降らせて頂きます。どうかこれからも拙作をよろしくお願い致します。






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鬼殺隊一般隊員は月下に舞い、叶わぬ夢を見る 下巻

 

 

 

「––––––あれぇ?起きたんだ?」

 

–––––強風が叩きつける無限列車の車両の上。そこには、人の良い青年の様な笑みを浮かべた存在が佇んでいた。

 

「まだ寝てて良かったのに、随分と早く起きたんだね?」

 

口調自体はとても柔らかく、聞くものの警戒心を解く声色している–––––が、その左眼には十二鬼月の証である「下壱」と刻まれている。

 

「…十二鬼月!」

 

「十二鬼月」と呼ばれる、鬼の中でも最上位に連なるそれを見て、炭治郎が小さく拳を握りしめる。

鬼の強さは人を食った数によって変わる。十二鬼月まで登り詰めたこの鬼は、恐らく百を下らない数の人を食ってきたのだと理解し、鋭い眼光を向ける。

 

「–––御託は良い。お前が俺に、あんな悪趣味な夢を見せたのか?」

 

強風が叩きつける車両の外だというのに、その声ははっきりと届く。

 

「悪趣味だなんて…とても良い夢だっただろう?」

「–––––まさか。紛れもない悪夢だったよ」

 

件の鬼、魘夢の言葉を皮切りに『シャリン』と鈴の音が鳴る。満月を背に抜刀する少年––––小屋内権兵衛が、ゆっくりとそれを右に開く。

 

「隙を見せたら斬り込め、炭治郎」

「はい!」

 

鈴鳴り刀の抜刀と合わせ、炭治郎も黒い日輪刀を鞘より抜き放つ。

 

「–––っ、その音色」

 

その音を聞いた途端、魘夢の表情が曇る。微かだが、脳裏に突き刺す様な痛みが走ったからだ。しかし、やがて「…あはは。僕は運が良いんだなぁ」と笑みを見せる。

 

「花札に似た耳飾りをした奴に、耳障りな鈴を鳴らす奴…お前たち二人を殺せば、僕は一体どれくらいの血を分けて頂けるんだろう?」

 

頰を赤くし、恍惚の表情を浮かべる––––––が、その表情は先程よりも鮮明に鳴る鈴の音によって遮られる。

魘夢が正面に視線を向けると、鈴鳴り刀を横に振り抜いた権兵衛が映る。その顔には何の感情も映し出されておらず、淡々とした視線が注がれている。

 

「–––––嫌な音色だな…耳障りだから、早く眠ってくれ」

『眠れぇ、眠れぇ』

 

––––––鬼血術、強制昏倒催眠の囁き

 

徐に突き出した左手の口から呪詛が放たれる。聞く者の意思に左右される事なく、強制に眠らせる言葉は二人にも届き–––––––––刹那、「カラン」という鈴の音と共に、魘夢の身体が右腕を残してから弾け飛んだ。

 

「––––––えっ?」

「煩いから、さっさと死ねよ害獣」

 

直後、楕円形の首が空を舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

(振った所が見えなかった…!)

 

鬼に近づく素振りも、日輪刀を振り抜く姿も見る事が出来なかった。

聞こえたのは鈴の音だけで、瞬きをしたそこには、バラバラにされた鬼の姿があった。その一連の動作はまるで、幻術を見せられている様だった。

 

(俺と権兵衛さんには、隔絶した差がある)

 

簡単に追いつけるとは思っていなかった。けれど、機能回復訓練を得て、全集中の呼吸・常中を会得し少しは追いついたとばかり思っていた。

–––先はまだ遥か遠くで、壁はとても分厚い。

 

「炭治郎!油断するな!」

 

権兵衛さんの鋭い声に我を取り戻す。

 

「えっ?」

「–––––全く、本当に嫌な音色だね、その鈴。いや、刀が鳴っているのかな?」

 

背後に振り向くと弾かれた首が、列車と繋がって首だけで喋っている。

 

「その鈴の音が僕の術を阻害しているんだね…」

 

「あのお方の気に触る訳だ」と忌々しそうに吐き捨てる。

 

「手応えがなかった。恐らく本体じゃないんだろう」

「賢いね、流石は希代の鬼殺しってとこかな?」

 

血のついた鈴鳴り刀を振ってそれを落すと、鞘に納刀する。

 

「あれ?僕の事は切らなくても良いの?」

「無駄なことに労力を割く気はない。どうせ、その首も本体じゃないんだろう?」

 

権兵衛さんの問いに「ご名答!」と嬉しそうに笑う。

 

「今の僕は気分が良いから教えてあげる。君達が寝ている間に、僕はこの列車と融合したんだよ!」

「なっ–––––!」

 

列車と融合って、それじゃあ…!

 

「あはは、良い顔だね。その顔が見たかったんだよ」

「…悪趣味だな」

 

吐き捨てるように呟く権兵衛さんに鬼が笑う。

 

「この汽車に乗っている二百余名は僕の餌であり、人質さ!君たちに、二百余人の命を助け–––––––––」

 

直後、鈴の音と共に鬼の顔が三枚に下される。言葉を言い切ることなく首は肉片に変わり、空に消えていく。

 

「い、良いんですか⁉︎権兵衛さん!」

「必要な情報は取れた。問題はない」

 

いつのまにか抜刀したのか、藍色の刀身を月に反射させて呟く。そのあと、自分の肩に彼の手が置かれる。

 

「奴の本体を探せ、炭治郎」

「権兵衛さんが本体を探した方が…」

 

自分の言葉に頭を振るう。

 

「俺は探索には向いていない。だったら、鼻が効く君の方が適任だろう。…それに」

 

鈴鳴り刀を鞘に納めると、困ったように笑う。

 

「鈴鳴り刀は、列車の中で振るには長すぎるからね」

 

刀を一瞥して苦笑すると、それを背に吊る。その後、懐から漆に塗られた短刀を取り出す。

 

「乗客は俺がなんとかする。君は、一刻も早く本体を探せ」

「…わかりました!」

「頼むよ、炭治郎君」

 

そのまま別れようとする刹那に、鋭い叫び声が響く。

 

「––––––俺を忘れて貰っちゃ困るぜ‼︎」

 

荒々しい声と共に車両の天井が破られ、中から人影が露わになる。

 

「伊之助!目が覚めたのか‼︎」

 

刃こぼれした二振りの日輪刀を携え、上半身裸に頭に猪の被り物をした彼は間違えようもなかった。

 

「起きたか、伊之助君」

「なんだ、鬼はもう殺しちまったのか?」

 

首から上がない死体を見てぼやく。

 

「いや、残念ながらまだだ。鬼を殺すのは、伊之助君と炭治郎君の二人の仕事だよ」

 

漆塗りの鞘から鮮やかな水色の刀身が露わになる。水面を連想させるほどに磨き抜かれたそれには満月が綺麗に写り、幻想的な美しさを魅せる。

 

「俺は乗客を守る。–––––鬼の首は任せたよ、二人とも」

 

刹那、権兵衛さんの姿が消える。–––––任された以上、やり遂げるしかない。

 

「伊之助!鬼の本体を探すぞ‼︎」

「おう!何がなんだか知らねぇが、鬼は皆殺しだ!」

 

自らの鼻を頼りに、先頭車両へと進む。車両から鳴り響く斬撃音を頼もしく思い、全力で足を走らせた––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

____________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

–––––鈴の呼吸、漆の型 神風渡(かみかぜわた)

 

狭い車内の中を縦横無尽に駆け回り、蠢いている肉片を片っ端から削ぎ落としていく。

 

「…こうも数が多いと、辟易とするな」

 

短刀を振るう毎に血飛沫が舞い、車内を赤く染めていく。際限なく増え続ける肉の芽を延々と切り飛ばしながら、二両三両とを股に駆ける。

切り飛ばしたそれが百を超えるか否かの瀬戸際、ズドンと言う、豪雷の如き爆音が耳に届く。

 

「この音は…善逸君か」

 

雷の呼吸特有の鳴音が響く。彼が起きたという事は、この先二両は彼とねずこちゃんに任せれば良い。

 

「前二両は善逸君達が、真ん中三両は自分が、となると後方三両は……」

「–––––すまない!遅くなった‼︎」

 

その声の刹那、何かが衝突したのかと思うほどの衝撃が車両に届く。

 

「煉獄さん。後方の車両は?」

「問題ない!相当細かく刻んできたから、再生までに時間が掛かる筈だ」

「流石ですね」

 

相変わらずの適応力に舌を巻く。目が覚めた途端にそれだけ動けるのだから、やはり柱というのは別格なのだと今更ながらに思う。

 

「それより、権兵衛少年も眠らされていたのか?」

「えぇ、まぁ。––––––酷い悪夢でしたよ」

 

意図せず声色が冷たくなる。––––自らの恩人を、しのぶさんを利用した鬼に憎悪が湧き起こるが、今は乗客の安全が最優先だと思考を切り替える。

 

「鬼の本体は炭治郎君と伊之助君が追っています。二人ならば、間違いなく大丈夫です」

「君が鍛えたのだろう?なら問題はない筈だ!」

「そう言って貰えると幸いです」

「––––それよりも、だ。権兵衛少年は件の鬼を見たか?」

「左目に下壱と刻まれていました––––間違いなく、十二鬼月です」

「…そうか。相手はやはり、君を狙っていたのか?」

 

その言葉に一度頷き、「ですが」と口を開く。

 

「花札に似た耳飾りの奴、とも言っていました。恐らく、竈門炭治郎君の事でしょう」

「竈門少年も狙われている…そうか、鬼舞辻を見たからか」

「鬼舞辻を見た?炭治郎君がですか?」

 

自分の問いに「うむ。お館様が言ったのだから、間違いはない筈だ」と頷く煉獄さんを見て、顎に指を当てる。

 

「成る程…だから炭治郎君を……」

 

彼が狙われている理由がはっきりした。狡猾な奴の事だ、自分の顔を見た奴の事を生かしておけないのだろう。

他にも色々と聞きたい事はある–––––が、まずは乗客を助けなければ話にならない。刻んだ肉の芽が再び再生しているのを視界の端で捉え、彼に向き直る。

 

「真ん中の三両は自分が担当します。後方の三両は、お任せしても大丈夫ですか?」

「了解した!では、また後で合流しよう!」

 

再び轟音と共に後方車両に戻っていた彼を見送り、日輪刀を逆手に持ち替え疾走する。尚も蠢く肉の芽に対し、自分は刃を振るい続けた–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

____________________________

 

 

 

 

 

 

––––––––無限列車の変化は、唐突に現れた。

 

「––––––ッ⁉︎」

 

突如として足場が揺れ、車両全体が絶叫したのかと思うほどの奇怪な叫び声が響く。客室が縦横無尽に揺れ動き、呼吸を使わなければまともに動くことすら出来ない。

 

「これは–––––––!」

 

突如として消えていく肉の芽を見て、鬼の本体が討伐されのだと理解する。けれど、このままでは車両自体が横転し、乗客から負傷者が出ると脳裏で警鐘が鳴らされる。

 

「–––––権兵衛少年!聞こえるか⁉︎」

「っ、煉獄さん⁉︎」

 

後方の車両から鋭い声が届く。

 

「このままでは乗客に多くの死傷者が出る!技を出して列車の勢いを止めるんだ‼︎」

「–––––了解です‼︎」

 

その言葉に従い、反動をつけて列車の壁を蹴り、列車の窓から外に躍り出る。地面との反動を膝を使って無理やり押さえ込み、そのまま鈴鳴り刀を抜刀する。

 

「–––––鈴の呼吸、弐の型」

 

刃先を持ち替え、峰の部分を列車に向ける。大きく息を吸って酸素を取り入れ、身体に火を灯す。

 

清酒一刀(せいしゅいっとう)‼︎」

 

上段から叩き切るように刀を振り下ろし、跳ねようとする列車を無理矢理地面に押さえ込む。巨大質量に押されて身体が跳ねるのを利用し、刀を横向きに薙ぐ。

 

––––––鈴の呼吸、参の型 陽光立(ようこうた)篝火(かがりび)

 

尚も跳ねようとする列車に三閃、暴れ回る車体を地面に吸い付ける。

 

(まだだ、まだ足りない!)

 

暴れ続ける列車に技を縦横無尽に技を叩き込んでいく。鈴の呼吸に限らず、水の呼吸も利用して暴れる列車を押さえ込む。衝撃を抑えてくれる鬼の肉をなるべく削がないように技を出し続ける。

 

(死なせない、誰だって…!)

 

決死の思いで技を使い続ける。繰り出した技が十を超え、二十を超え–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「––––––止まった、か」

 

繰り出した技が三十を超えるか超えないかのあたりで止まった汽車を眺め、一息吐く。車体が潰れていない所を見て、なんとかなったようだと安心したからだ。

 

(…っ)

 

刹那、両腕に微かな痺れが浮かぶ。汽車という巨大質量に技を繰り出し続けたのだ、反動があって然るべきだろう。

 

「炭治郎君達は、無事なのか…?」

 

恐らく鬼の首を取ったのであろう二人の姿を目で探すが、姿を捉える事が出来ない。そのまま探しに行こうと脚を動かす–––––––––––直後、今まで感じた事のない重圧が背中に襲いかかる。

 

「………ッ」

 

濃密な気配。今まで遭遇してきた鬼のどれよりも濃い気配を感じるが、辺りを見回してもその正体を見つけることが出来ない。

鈴鳴り刀を鞘から抜き放ち、辺りを見回す––––––––その直後、空から落雷が降り注ぐ。

 

「ッ、なんだ⁉︎」

 

快晴の空から突如として降り注ぐ落雷を大きく跳躍する事で避ける。攻撃された方向へと視線を向けようとするが、その前に直感がこの場から離れろと強く警報を鳴らす。

その感覚に従いその場から離れる–––––刹那、自分が数瞬前に居た所に空気の壁とも言うべきナニかが地面に大きな跡を付ける。

 

「これは––––––」

「カカッ。まるで猿のような身のこなしよのう」

 

––––––––ソレは、暗い森の中から現れた。

天狗のような出立に、八つ手の団扇を手に取ったそいつは、舌に「樂」という文字を見せながら嗤っている。しかし、肝心なのはそこでは無い。

 

「上弦の、肆…‼︎」

 

右目に刻まれた「上弦」の二文字に、左目に刻まれた「肆」の一文字。それは、紛れもない上弦の鬼の証だった。

 

「––––腹立たしい。可樂よ、早くあのお方に鈴鳴りの剣士の首を献上するぞ」

「そう怒るな積怒。折角の獲物だ、楽しまなければ損ではないか」

 

もう一つの声が聞こえるが、森の影に隠れているのか姿を見る事ができない。奥からは草木の匂いに混じって、血の匂いすら感じる。

 

「本当に、上弦の鬼が現れるなんてな」

 

鈴鳴り刀を肩に構えて、「チリン」と音を鳴らす。すると奥から憤怒の声が再び響く。

 

「忌々しい鈴の音だ。腹の底まで響く、悍しい音色だ。そのような雑音を響かせていては、あのお方も心底お怒りになるだろう」

「違いない!では、早速始めようではないか‼︎」

 

森の奥からもう一人の鬼が現れる。似たような姿をしている事から分裂でもしているのかと勘繰る––––––が、あるものを見た途端、思考が停止する。

 

「––––––––––はっ?」

 

自分でも驚く程、間の抜けた声が溢れる。

別に、奥から現れたもう一人の鬼に驚いた訳ではない。その鬼の舌に、怒という悪趣味な刺青が入れてあるからでもない–––––その鬼が持っている、一つのものについてだ。

 

「お前––––––––––一体、何を、持っているんだ?」

「…なんだ、これが気になるのか?」

 

そう言うと、手に持っているそれが投げつけられる。それは鈍いを音を立てながらちょうど真ん中に転がり、その全貌が明らかになる。

 

「–––––あぁ」

 

それは、紛れもない人の頭部だった。赤黒い断面から地面に血が染み込んで行く事から、ついさっき殺された事がわかる。

––––問題は、その顔に見覚えがあるという事だった。

 

 

『貴方が来てくれて、本当に安心しました。けど、だからこそ思うんです–––私はもう、臆病者でありたくない』

 

その覚悟を持った視線を、俺は知っている。

 

『貴方は、自分のやってきた事を誇るべきだと思います–––助けられてばっかりな私が言うのもアレですけど』

 

照れ臭そうに話す声色を、俺は知っている。

 

『私は、私の命を諦めたりしない‼︎』

 

自らの胸を打った、あの言葉を俺は知っている。

 

「–––––––尾崎、さん」

 

けれどそれが、どうしようもないほどに儚いものだと言う事を、突きつけられた。

 

「ん?なんだ、知り合いだったか?それは可哀想な事だなぁ」

「––––ッ」

 

快活な笑みを浮かべていた口元は苦悶に歪み、目元には涙の跡がある––––その人は見間違いようもない、上総と那田蜘蛛山で出逢った、尾崎さんの頭部だった。

蝶屋敷を出て任務に復帰したのは知っている。見送りだってした。任務だから、死ぬ事だってあると頭では理解している、けど、けれど––––––。

思考が回り、考えがうまく纏まらない。すると、錫杖を持った鬼が口を開く。

 

「分裂を手伝ってもらってな。せめてものお礼に、一思いに殺してやったわ」

「そう言えば、死ぬ間際に誰かの名前を叫んでいたのう。確か––––––––」

 

可樂と呼ばれた鬼が嗤う。

 

「そうだ、権兵衛さんとな‼︎あれは傑作じゃったな!助けなど来るはずも無いのになぁ‼︎」

 

––––––––その言葉を聞いた時、脳の一部が焼き付いたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

___________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満月の月が地面を照らす夜。微かに残響が残る無限列車付近にて、ソレは土埃を巻き上げながら現れた。

 

「––––お前が鈴の剣士か?」

 

瞳に「上弦 参」と刻まれた、全身に模様の入った鬼が指を指す。その先にいるのは、白に炎を連想させる赤が入った羽織を着込んだ青年––––煉獄杏寿郎だ。

 

(上弦の鬼…!凄い重圧感だ…)

 

降り立った上弦の鬼を見て炭治郎が戦慄する。下弦なんて目じゃ無いほどの濃密な血の匂いが彼の鼻に付き、肩を震わせる。

 

「いや、残念ながら違う。俺は炎柱、煉獄杏寿郎だ」

 

煉獄が肩を竦め、首を振るう。

 

「炎柱!今まで戦ってきた柱の中に炎は居なかったが…素晴らしい闘気だ」

 

炎柱という単語を聞き、嬉しそうに口元を綻ばせる。…が、やがて残念そうに目元を下げる。

 

「しかし残念だ。今は命令を遂行する身、本来ならばお前と心ゆくまで闘争を–––––」

 

–––––炎の呼吸 弐の型 登り炎天

 

上弦の言葉を遮るように煉獄が刃を振るう。真っ赤な刀身は寸分の狂い無く鬼の腕を裂き、そのまま喉元へと迫る。

 

「権兵衛少年の元へは行かせん‼︎」

 

大きく距離を詰める煉獄に対し、地面を砕く程の跳躍をもって無理矢理距離を取る。

 

「素晴らしいな、杏寿郎‼︎」

「行かせん!何があっても‼︎」

 

––––––壱の型 不知火

 

距離を取った上弦に踏み込むが、あと少しの所で躱される。そのまま背後に下がり、斬られた部分の血を舐める上弦の鬼。

 

「素晴らしい剣技…任務が無ければお前を鬼に勧誘していた所だ。だが、俺の目的はあくまでも鈴の剣士、炎柱ではない」

 

その言葉を聞いた時、煉獄が徐に口を開く。

 

「–––––逃げるのか」

 

何気なく発した言葉だった。その言葉を耳にした上弦の参–––––– 猗窩座が微かに眉を潜める。

 

「…なに?」

「聞こえなかったのか。逃げるのか、と聞いたんだ」

「お前こそ何を言っている。聞いていなかったのか?俺の目的はあくまでも鈴の剣士、貴様のような……」

「鬼殺隊最強を誇る柱から逃げて、只の一般隊員を殺しに行くと言うのだな」

 

ピキリと、何かが張り詰める音が響く。

 

「–––どうやら今代の炎柱は頭が弱いらしいな」

「自分の臆病さを俺のせいにしてもらっては困るな」

 

煉獄が肩を竦める––––––直後、地面がひび割れる轟音と共に土煙が上がる。

 

「–––––予定変更だ、まずは貴様の脳髄から叩き潰す」

「臆病者に取れる程、炎柱の首は安くは無いぞ‼︎」

 

鋼のような拳と真紅の刃が交錯する。無限列車を舞台とする二つ目の決戦が今、幕を開けた––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––一方、上弦の肆と権兵衛との戦闘は、甲高い鈴の音を皮切りに始まった。

 

–––––鈴の呼吸、壱の型 鳴き地蔵

 

権兵衛の振るった鈴鳴り刀の音色に二人が顔を顰める–––––刹那、可樂の団扇が左腕ごと空を飛んだ。

 

–––––弐の型 清酒一刀

 

流麗な水をも思わせる一振り共に「シャリン」と鮮明な鈴が鳴り響く。予備動作のない一振りに可樂は驚愕し、積怒が錫杖を構える。

 

「っ、貴様ァ‼︎」

 

万雷を思わせる雷が権兵衛に降り注ぎ、権兵衛の身体を焼いていく。

露出した肌がじりじりと焼け焦げていくが、先ほどよりも威力が弱まっているのか、それを無視して肉薄した可樂の首を切り飛ばす。

 

「ガッ–––!」

(威力が弱まっている–––!これが鈴の音の効力か⁉︎)

 

雷が有効打にならないと判断した積怒は錫杖を持って権兵衛と迫る––––が、突如頭に反響する鈴の音に足が鈍る。

 

–––––– 肆の型 天上麒麟

 

その致命的な隙を権兵衛が見逃すはずもなく、流麗な音色と共に頭と胴体が泣き別れする。

 

(こいつ––––––本当に人間か⁉︎)

 

脳裏で積怒が驚愕を露わにする。まだ全力を出していないとは言え、上弦の力を持った我々が瞬く間に首を跳ねられたからだ。

弱まっているとはいえ、雷を正面から受けたにも関わらず、動きが一切鈍っていない事実に微かに恐怖する。

 

「…本体じゃないのか」

 

権兵衛が小さく呟く。

首を跳ねられた二つの首、普通の鬼ならばここで鬼殺は終了となる–––が、かつて分身体を百を越す数を殺した権兵衛はこれで終わりではないと本能で理解していた。

事実、刎ねられた頭からは身体が、首を刎ねられた身体からは瞬く間に頭が生える。

 

「これ以上やらせるか、鈴の剣士‼︎」

 

可樂の身体から生えた鬼–––––哀絶が三叉槍を権兵衛に突き出す。

的確かつ迅速な槍捌きは、寸分違わず権兵衛の心臓へと向かい––––––––その柄を、権兵衛の腕に掴まれた。

 

「なっ––––––ガッ⁉︎」

 

体勢を崩された哀絶に肉薄し、その顔面に鈴鳴り刀の柄を思い切り叩きつける。顔面が潰れ、よろめいた所に日輪刀を振るう–––––前に、その襟元を掴む。

 

「こいつ、背中に目でも付いているのか⁉︎」

 

錫杖を構え、再び雷を放とうとする積怒へと投げ付けられる。勢いを持った肉体はそのまま積怒へと衝突し–––––瞬間、重なった身体に鈴鳴り刀が振るわれる。

 

–––––陸の型 暮れ破魔矢

 

「カランカラン」と鈍い響き共に二つの身体が鮮血とともに地面に崩れる。グシャ、と二つの肉体を権兵衛が踏み抜くと、どす黒く濁った瞳が残った二体の鬼へと向けられる。

 

「––––なんなのだ、こいつは」

 

顔の半分が鮮血に塗れる権兵衛を見て、再生したばかりの可樂が微かに震える。憎悪に満ちた視線と共に振るわれる刀が同族を薙ぎ倒し、その血を全身に浴びているのだから、恐怖を煽られるのも仕方ないと言えるだろう。

 

–––––漆の型 神風渡り

 

そう思った直後、権兵衛の姿が可樂の前から消える。視界から消えた権兵衛を捕らえようと視界を回すと、「馬鹿者!上だ!」と空喜の声が響く––––が、その声に間に合うはずもなく、やがて鈴の音と共に可樂の首が再び地面に落ちた。

 

(何故だ!何故身体の再生が遅い‼︎)

 

首を切られたばかりの可樂が呻く。本来なら瞬きの間に再生が終わる怪我であっても、回復の速度が鈍っている為治りが遅い。

それに、本来なら分裂する筈の体も、微かに肉片が動くだけで動き出す気配すらない。

 

(鈴の音が、これ程耳障りだとは…!)

 

鈴の音が鳴り響く度に脳裏に反響し、言いようもない頭痛が発生している。自らの血に反応する様なそれに、思わず耳を覆いたくなるほどだ。

 

「耳障りな事この上ない!消えろ童‼︎」

 

爆音、衝撃。上空より放たれる衝撃波が地面へと降り注ぎ、地表を抉り取っていく。

大量の土煙を巻き上げ、視界が利かなくなった空から空喜が嗤う。これだけの範囲を抉れば無事では済まないと確信しているからだ。

 

「–––––––なっ」

 

–––––尤も、その思い上がりの代価は土煙より跳躍する権兵衛によって支払わされるのだが。

 

–––––水の呼吸 玖の型 水流飛沫・跳魚

 

額から一筋の鮮血を流した権兵衛が跳躍する。瞬く間に空に躍り出た権兵衛は鈴鳴り刀で空を飛翔する空喜の片翼を捥ぎ取る。

 

「ガッ⁉︎」

 

翼を切られて蹌踉めく空喜の襟元を掴み、二度殴ってから自らの下に持ってくる。身をよじりなんとか避けようとするが、首元に短刀が突き立てられて身動きが封じられる。

 

「き、さまぁぁぁぁ⁉︎」

 

再び轟音、衝撃。先程と同じ程度の砂埃が巻き上げられ、再び視界を埋め尽くす。

 

「–––––––それで、俺はあと何回、お前らを殺せば良い?」

 

憎悪に満ちた声が、再生したばかりの三人に響き渡る。「シャリンシャリン」という流麗な音色と共に「が、ぁぁ」と空喜の呻き声が上がり、ピチャピチャと何かが跳ねる音が響く。

 

「あと何回首を切ればお前らは死ぬ?あと何回臓物を曝け出せばお前らは死ぬ?あと何回殺せばお前らは死ぬ?」

「––––––ッ」

「答えろよ、害獣共」

 

砂埃が晴れ、鮮血を浴びる権兵衛と身体をズタズタにされた空喜の姿が明らかになる。鬼の身体を何度も突き刺し、身体に鮮血を浴びる権兵衛は、まるで鬼の様だった。

 

「–––––ヒィィ」

 

そしてその姿は、本体の危機感を煽るに足るものであり–––––––––瞬間、太鼓の音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––ゴホッ、ゴホッ」

 

視界がチカチカと明滅し、徐々に景色が見え始める。

 

「一体、何が……」

 

強い衝撃を受けたのか、背中の鈍痛に顔を顰めながら立ち上がる。大量の土煙を巻き上げたそこは何も見ることは叶わず、ただ茶色の煙が視界を覆い尽くしている。

 

(…っ、腕が重い)

 

両腕に倦怠感を感じる。微かに痺れていた腕を酷使したからだと思われるそれを思考から外し、傍に転がっている鈴鳴り刀を拾い上げる。

 

「煉獄さんや、炭治郎君達は無事なのか……?」

 

耳にもビリビリと振動が残っている事から、相当な衝撃が発生したことが判る。この衝撃に巻き込まれた心配もあるが、列車の近くでこれだけ大規模な爆発があったにも関わらず、煉獄さんの姿が見えない事自体引っかかる。

 

(煉獄さん達にも何かあった、と考えるべきだな)

 

何とか状況を把握しようと聞き耳を立てる––––すると、憎悪に満ちた声が耳を打つ。

 

「––––同族の血は美味かったか?」

「–––––ッ⁉︎」

 

太鼓の音。刹那、先程とは比べものにならない程の落雷が降り注ぐ。背筋に流れる直感に従いそれらを全て避けると、再び太鼓音。豪風によって瞬く間に土煙が払われ、中心にいる存在が明らかになる。

 

「のう、悪鬼よ」

 

背中に憎と書かれた五つの太鼓を背負った、まるで雷神を象ったかのような鬼からは、先程の四体とは比べられない程強い気配を感じた。威圧感が質量を持っている、とでも言えばいいのか。辺り一帯の空気が重くなった様な錯覚を覚える。

 

「五体目……いや、違う」

 

先程の鬼達の姿が見えない。それに先程の雷–––––恐らく、四人が融合してあの鬼が生まれたと考えられる。

 

「奇妙な鈴の音を鳴らし、同族の血を浴びる––––––正に鬼の様じゃのう」

 

右手に握る鈴鳴り刀の切っ先を鬼へと向ける。体格はさっきまでのどの鬼よりも小さいが、その身より放たれる威圧感は比べるべくもない。

 

「–––どの口が言うんだ」

 

だが、そんな事はどうでも良い。奴が人を傷つける悪鬼であり、俺は鬼を殺す鬼殺隊員である…必要な情報は、これだけだ。

 

–––––漆の型 神風渡り

 

鈴鳴り刀を携えたまま地面を踏み抜く。瞬きの間にその鬼の元へと接近する。

 

「だから、その鈴の音が煩いと言っておろうに」

「–––ッ‼︎」

 

動物の牙の様なバチを徐に太鼓に叩きつけると、地面から巨大な竜の頭が現出する。その巨大な首は口を開けて此方を向き、此方を喰らわんと待ち構えている。

 

––––– 肆の型 天上麒麟

 

高く跳躍し、その首を避けて鬼へと刃を振るう。が、その途中に強風に薙ぎ払われ、地面へと衝突する。

 

「ガッ–––––⁉︎」

「骸を晒せ、悪鬼め」

 

肩口から地面と衝突し嫌な音が耳に響くが、二つの太鼓音が響くと同時に竜の頭と雷が視界の端に映り、その場から飛び起きる。

 

「鈴の呼吸、参の––––––」

 

地面を擦る様に地面を駆け抜け、そのまま鈴鳴り刀を上方に構える––––––刹那、ガクンと腕が落ちる。

 

「な––––––⁉︎」

「人の身とは斯様に脆いものよ。やはり、生物として欠陥品よな」

 

突如力の入らなくなった右腕に驚愕する暇もなく、襲い来る竜の首を跳躍する事で避ける。

 

(さっきの衝撃で腕が折れたのか⁉︎不味い、この鬼相手に片腕じゃ––––––‼︎)

「それはもう見飽きたわ」

 

その声と共に地面から二つ目の竜の首が現れる。空中で回避行動を取れる筈もなく、そのまま空高く突き上げられ肺から酸素が吐き出される。

 

「–––––ガハッ」

 

口から鮮血が吐き出され、赤い粒となって宙を舞う。手元からも鈴鳴り刀が離れ、自分と同じく空に投げ出される。

バキバキと体が悲鳴を上げている。二度に渡る強烈な打撃は、それだけで自分の身体の三割を機能不全に追い込む程のものだった。

 

(このままじゃ、何も出来ずに殺される)

 

血が紛れ、赤くなった視界が流れ行く景色を捉える。このまま地面に衝突すれば間違いなく死ぬ、何か方法を考えないと––––––。

 

(あれは…煉獄さんか?)

 

何か使えるものがないかと辺りに視線を向ける–––––その時、視界に人影が映った。

白の羽織を纏った剣士と、何やら模様を入れた誰かが戦っている。白の羽織は間違いなく煉獄さんで、相手は––––––。

 

「上弦の、鬼–––––!」

 

離れていても判る程の濃密な気配を肌で感じ、思わず叫ぶ。近くには炭治郎君と伊之助君の姿も見えたことから、恐らく二人を庇いながら戦っているのだろうと推測する。

 

「不味い、このままじゃ……」

 

上弦の鬼相手に、誰かを庇いながら戦える筈がない。援護に向かおうにも、今向かった所で上弦を引き連れるだけだ。

 

(煉獄さんが死ねば、次に狙われるのは炭治郎君だ。今の彼の実力で、相手になる筈がない)

 

思考が徐々に冷たくなる。自分が今、何をどうすれば良いのか、その答えが徐々に浮かび上がってくる。

 

(この鬼を残して死ねば、煉獄さん達を含めた列車の乗客は間違いなく皆殺しにされる––––それは、許容出来ない)

 

その答えが固まると身体が熱くなり、末端まで熱が通る。

 

「そろそろ終いじゃ。疾く死ねい」

 

空に浮かぶ自分に向かって竜の頭が再び放たれる。あれをもう一度喰らえば最後、死ぬ事は避けられないだろう。

 

「––––––––やる事は、ひとつだ」

 

空に舞う鈴鳴り刀を左手で掴む。月光に瞬く藍色の輝きを一瞥し、迫りくる竜へと視線を向ける。

 

–––––––鈴の呼吸 壱の型 鳴き地蔵

 

地面より迫る竜の額に一閃。刀を打ち付けた反動で身体を回し、竜の背中へと降り立つ。

 

(この鬼の首を斬る–––––なんとしても‼︎)

 

瞬間、竜の首を落ちる様に駆け抜ける。

 

「っ、血迷ったか」

 

太鼓の音色と共に二つの雷が迫るが、それを感覚のない右腕で受けとめる。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

 

雷が接触するや否や、言いようもない激痛が瞬く間に広がり、右腕を黒く焼いていく––––––が、駆け抜ける脚は決して止めない。

 

「面妖な…!」

 

再び太鼓音。視界に豪風が吹き荒れるのを見て、竜の背を跳躍する。視界の端に風が吹き抜けるのを確認し、再び竜の背を駆け抜ける–––––––残り十丈。

 

「えぇい、止まらんか‼︎」

 

咆哮、衝撃。身体がバラバラになると錯覚しそうな音の衝撃波が体に響き、プツリと右耳から音が消える。視界がぐらぐらと揺れ、身体中から血が噴き出、死の感覚が近づいていると直感する。

 

(構うな‼︎一撃にだけ集中しろ‼︎)

 

欠損した右耳に意識を取られる事なく、鬼へ視線を向ける。

鬼の首を視界に捉えると深く、大きく息を吸う。––––––機会は一度、外す事は許されない。

鬼との距離が三丈を切った辺りで再び跳躍し、使えない右腕の替わりに肩に鈴鳴り刀を担ぐ。

 

「–––––鈴の呼吸、捌の型」

 

既に左腕を残して、体の感覚は残っていない。この一撃が終われば、自分は鬼殺隊として生きられなくなるかもしれないという恐怖が脳裏を過ぎる。

–––––––それでも、この鬼だけは殺さなければならない。ここで鬼を残して自分が死ねば、次は煉獄さん達が殺される。

自分の何を犠牲にしても、それだけは絶対に赦してはいけない。

 

「貴様–––––––‼︎」

 

浮き足立つ鬼の首に狙いを定め、噛み締めるように唱える。

 

「––––––––––神前祈祷(しんぜんきとう)(つい)(かね)

 

瞬間、鈴の音が世界に広がった–––––––––––。

 

 

 

 

 

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『––––––リィィィン』

「これって、権兵衛さんの…」

 

その鈴の音は、煉獄達の戦場にも響き渡った。聞く者の心に澄み渡るような、透明な音色。どこまでも響いて行くと錯覚するようなそれは、激闘を繰り広げる二人の耳にも入る。

 

「––––なんだ、この音色は」

「…権兵衛少年?」

 

僅かに手を止める二人。けれど、互いに上弦と柱。鬼と鬼殺隊の頂点を競う二人がそれに聞き入る筈もなく再び刃と拳を交える––––––刹那、猗窩座の拳が微かに震えた。

 

「–––––––?」

 

戦局に置いて、なんの影響もないその変化に微かに疑問符を浮かべる猗窩座。けれど、その変化は唐突に現れた。

 

「っ、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎」

 

猗窩座が突如、耳を押さえて絶叫する。顔を青くし、瞳から血を流すその姿は、尋常とは思えない。

何かは分からないが、此処を好機と捉えた煉獄が即座に赤刀を構える。

 

––––––炎の呼吸 伍の型 炎虎

 

地面を割るほどの踏み込みと共に煉獄が地を駆け、そのまま喉元へと刃を振るう––––が、首を半分ほど切った辺りで後方に飛ばれる。

 

「チッ––––––‼︎」

 

––––––破壊殺・滅式

 

地面に向かって放たれる拳が地を割り、大量の土煙を発生させる。

 

(なんだ、この嫌な鈴の音は⁉︎)

 

この間にも猗窩座の頭の中には甲高い鈴の音が反響し、脳裏を暴れまわっていた。割れんばかりの音が際限なく鳴り響き、思考をかき乱して行く。

 

(これが鈴の音色…‼︎やはり消さなければならない‼︎)

 

改めて鈴の危険性を確認した猗窩座はその土煙に紛れ、音の鳴った方向へと向かう。

 

「逃げるのか、猗窩座‼︎」

「まずは鈴の剣士を殺してからだ‼︎」

 

人ならざる速度で戦場を離れ、音の震源地へと向かう。

 

(あいつだな)

 

猗窩座の視界に膝を突き、右半身が黒くなった半死半生の隊士が映る。

 

(半天狗はやられたのか、無能な奴め)

 

上弦でありながら、柱でもない隊士を仕留め損なった事実に苛立つ。見たところ再生する様子も見られない事から、恐らくこの場にはもう居ないのだろうと結論付ける。

 

(あの刀が音の元凶か!)

 

左手にある半ばから折れかけている日輪刀に嫌な気配を感じた事から、一気に距離を詰める。

 

–––––––破壊殺・空式

 

跳躍の最中に術式を展開する。瞬く間に射程に隊士が入り、縦横無尽に張り巡らされた拳が殺到する。

 

「権兵衛少年ーーー‼︎」

 

背後から煉獄が疾走しているが、間に合う距離ではない。確実に仕留めたと猗窩座の口元に笑みが浮かべ––––––その直後、驚愕に顔を染めた。

 

「なっ–––––」

 

––––––水の呼吸 玖の型 水流飛沫・乱

 

膝をついた状態から、半死半生とは思えない速度で跳躍、瞬く間に木々の間へと身を躍らせる。

 

––––––鈴の呼吸 壱の型 鳴き地蔵

––––––破壊殺・乱式

 

酷い刃毀れを起こした藍色の刃と鋼のような拳が激突する––––––瞬間、カキンと何かが折れる音が響く。それと同時に藍色の鋼が月の光を反射して宙を舞い、地面へと突き刺さる。それは、権兵衛の使う鈴鳴り刀そのものだった。

障害物の無くなった拳は、勢いを保ったままそのまま権兵衛の心臓へと向かい–––––––。

 

「…やっぱり、短い方が使いやすいな」

 

その拳を、短くなった鈴鳴り刀に斬り裂かれた。

 

「貴様–––っ⁉︎」

 

軽口を叩く権兵衛に左拳を振るうが、その直前に水色に煌く物体を視認する。なんとか避けようと身を捩るが、その前に胸部へ深々と何かが突き立てられて姿勢を崩す。

 

–––––––水の呼吸 漆の型 雫波紋突き

 

短い日輪刀で二つしか使えない型の内の一つ。極めて短い日輪刀から放たれるその突きは、上弦であっても視認する事が出来ない程素早いものだった。

 

「舐めるな、餓鬼‼︎」

「ガッ––––––⁉︎」

 

貫かれた胸に構うことなく、空いた脇腹に猗窩座の鋭い蹴りが撃ち込まれる。蹴られた権兵衛は受け身を取る事なくゴム鞠のように地面に二度三度と叩き付けられ、口から鮮血を零す。

 

「ま、だ……」

「…本当に人間か」

 

微かに左腕が動いたが、やがてその腕も地面に落ちる。

右半身の殆どを炭に変え、内臓を潰されたにも関わらず、尚も動こうとした人間に微かに戦慄する。

 

「惜しいな…鬼ならば、その傷すら瞬く間に再生するだろうに」

 

その様を眺め、止めを刺そうと拳を振り抜く––––––が、背後より迫る溢れんばかりの闘気を感じてその場から立ち退く。

 

––––––––炎の呼吸 玖の型 煉獄

 

豪炎とも思しき一閃が振り抜かれる。その研ぎ澄まされた一撃は猗窩座の首への狙いは外したものの、その両腕を遥か空高く切り飛ばす。

 

「–––––これ以上、権兵衛少年に近づく事はこの俺が許さん‼︎」

「邪魔を––––‼︎」

 

地に伏す権兵衛を庇うように、煉獄が猗窩座の前に立ち塞がる。額から血が零れ、顔の半分を血に染めているにもかかわらず、その姿は上弦ですら気負されるほどの凄みがあった。

弾き飛ばされた両腕が再生し、再び構えを取る猗窩座…だが、空が白ばんで行くことに気づき、憎悪に満ちた視線を向ける。

 

「勝負は預けるぞ、杏寿郎‼︎次会った時は必ず、この俺が貴様の脳髄を潰してやる‼︎」

 

そう言って身を翻し、森の中へと跳躍する。

 

「逃さん–––––––」

「…ァ、がぁ」

 

そのまま猗窩座を追うべく力を込めるが、背後より聞こえた蚊の鳴くような声に脚を止める。

 

「権兵衛少年!しっかりしろ、権兵衛少年––––ッ」

 

すぐ様権兵衛の側に駆け寄り、身体を起こす–––––その時に気付く。権兵衛が負っている傷が、命に直結する物だと言うことを。

 

「止血の呼吸をするんだ!君なら出来るだろう⁉︎」

「…む、ちゃを、いってくれます…ね」

「喋るな!止血に集中しろ!」

 

目の下を青くした権兵衛が微かに笑みを浮かべる。

 

「炭治郎君や…伊之助君は、無事ですか?」

「無事だとも!全員生きている、君を含めてな!」

「そ、うですか…良かった…」

 

安心したように目を細める権兵衛を見て、煉獄の瞳から一筋の涙が溢れる。

 

「死ぬな少年!君は多くの人を救うんだろう⁉︎君は生きて、生き抜く責務がある‼︎」

「………で、すね。ただいまって、約束–––––」

 

その言葉を皮切りに、権兵衛の瞳が閉じられる。

 

「…目を開けろ、権兵衛少年!権兵衛少年‼︎」

 

東の空より、陽光が差し込む。煉獄杏寿郎の声が白空へと駆け抜け、消えて行く。無限列車の激闘は、こうして幕を下ろした––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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––––––––小屋内権兵衛の負傷の一報は、瞬く間に鬼殺隊に広がった。

 

「嘘…!権兵衛君が…⁉︎」

「上弦の鬼にやられたのか…クソッ」

「南無…無事を祈る事しか、私には出来そうもない…」

「権兵衛が……そっか」

「あの馬鹿がそんな簡単にやられる訳がない。誤報じゃないのか?」

「…そうか」

「あの野郎…簡単にくたばったら容赦しねぇぞ」

 

小屋内権兵衛という、柱に匹敵する人材が重傷を負ったという事実に柱全員が驚愕する。ましてや、鬼殺隊の中で権兵衛が殺してきた鬼の数は二百五十に達する。それだけの鬼を殺せる権兵衛であったとしても、上弦の鬼に勝つことは難しいのだと危機感が露わになる。

 

「おい、聞いたか?鈴鳴りの剣士が死に体らしいぞ」

「嘘だろ⁉︎権兵衛さんが死にかけるなんて…」

「なんだ、あの人はもう死んじまうのか?」

「わからん。只、いつ死んでもおかしくない状態なのは確かだ」

 

それだけの実力者が倒れたという事実は、殆どの鬼殺隊員の恐怖を煽る結果となった。権兵衛に助けられた鬼殺隊員の数の多さ故に、その動揺は大きく広がった。

 

「––––––酷い」

 

一方で、誰よりも身近で権兵衛の治療を行った小屋内柊と胡蝶しのぶもまた、その怪我の酷さに愕然とした。

 

「兄さん…」

 

右半身を覆うほどの大火傷。右腕に至っては一部が炭化しており、完治するのかどうかすらわからない程の重症。それだけでも命に関わるが、それに加えて全身に罅の様な裂傷が張り巡らされ、内臓器官も折れた肋が突き刺さって損傷が酷い。

–––––正に、生きているのが奇跡という容態だった。

 

「––––––緊急柱合会議を行う。柱の皆んなに、召集を掛けてくれ」

 

無限列車の一件から混乱が収まらない一週間と半分が経過し、鬼殺隊当主である産屋敷輝哉から緊急柱合会議の開催が宣言される。

その間にもまだ、権兵衛の意識は戻っていなかった–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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––––––––鬼殺隊本部 産屋敷邸

 

 

 

 

「…みんな、こんな忙しい時によく集まってくれたね」

「お館様の御用命があれば、すぐさま駆けつける所存です」

「ありがとう、いつも助かっているよ」

 

お館様の声に九人の柱全員が頭を下げる。

なんら変わりない柱合会議の始まりだが、雰囲気の端々には隠しきれない動揺が紛れている。

 

「…さて、色々と話す事はあるけれど…杏寿郎」

「はっ」

 

額に包帯を巻き、羽織から覗かれる肌にも白の包帯が見える煉獄が頭を下げる。

 

「君が生きて帰ってきてくれて、本当に良かった。よく頑張ったね」

「…いえ、私は権兵衛少年の事を助ける事ができなかった未熟者です。その様なお言葉を掛けて頂く資格はないと存じます」

 

言葉の端々に悔しさが滲み出ている。柱という鬼殺隊最強の称号を得ていながら、隊士一人守れなかった自分の力不足を悔やんでいるからだ。

しかし、そんな煉獄とは裏腹に輝哉は優しげな声で口を開く。

 

「そんな事はないよ、杏寿郎。君が居なければ、きっと権兵衛は帰ってこなかった」

「しかし……」

 

言い縋る煉獄に「それに」と多少口調を強める。

 

「君がそんな事を言ったらきっと、権兵衛が悲しむ。あの子の事は、よく知っているだろう?」

「…そうですね」

 

「失礼致しました」と頭を下げる煉獄に微笑むと、再び全員に向き直る。

 

「それでしのぶ。権兵衛の容態はどうなんだい?」

「…厳しい、と言わざるを得ません」

 

輝哉の心配そうな問いに、胡蝶が眉に皺を寄せて応える。

 

「そんな…!権兵衛君、そんなに悪いの?」

「報告書にもあげましたか、命に関わる傷を三つも受けているんです。幾ら権兵衛君でも–––––」

「そんな泣き言は聞きたくねェぞ、胡蝶。奴は助かるんだよな?」

 

不死川の言葉に微かに眉が上がった胡蝶だが、すぐに口を開く。

 

「先程も言いましたが、権兵衛は今とても酷い状態なんです。生きるか死ぬかも分からないんですよ?」

「そんな事はわかってるよ。けど、奴はまだ息をしてる。なら、助かる見込みはあるんだよな?」

「–––それがわかったら、苦労なんてしませんよ」

 

微かだが、はっきりと怒気が混じった声に沈黙する。胡蝶が怒りを、しかもお館様の前で露わにする事自体初めてだったからだ。

 

「不死川、胡蝶は全力を尽くしている。言葉は慎め」

「–––––了解」

 

悲鳴嶼の言葉に渋々、と言った様子で頷く不死川。

 

「煉獄の報告書は読んだ。上弦相手に、よく生きて帰ってきた」

「そう言って貰えるとありがたいが…」

「鴉の報告によると、権兵衛も上弦の鬼と戦闘を行ったらしい。となると、敵は二人の上弦を権兵衛に送り込んできた事になる」

「…確実に殺す為だな」

 

宇髄の静かな口調に全員が肯定する。鬼舞辻がそれほどまでに権兵衛を危険視している事が今回の一件で把握することが出来たのは、数少ない戦果の一つだろう。

 

「…っていう事は、鈴の呼吸は鬼舞辻にとっても有効って事だよね」

「間違いなくそうだろう。–––––だが」

「まさか、鈴鳴り刀が折れちまうとはな……」

 

激しい爆発があった地点には半ばより折れた藍色の大太刀––––––鈴鳴り刀が鎮座していた。尋常ではない量の傷が刻まれていた事から、余程の激戦だった事が判る。

 

「…それよりも、報告書にあったんだけど……その、首だけの死体については、身元は分かったの?」

 

甘露寺が気まずそうに口を開く。無限列車付近に転がっていた隊士と思われる頭部だが、爆発とは遠くの位置で発見されていたのだ。

 

「えぇ、前に一度、蝶屋敷で治療を受けた事がある隊士ですね。…そして、権兵衛君とも知古だったと聞いています」

「…そっか」

 

小さく呟く。目の前に知り合いの隊士の生首が投げられる––––それがどんなに悔しかったか、想像する事すらできない。

 

「––––皆んなには話していなかった事があるんだけど、良いかな」

 

会議の場に沈黙が流れると、徐に輝哉が口を開く。

 

「なんでしょう、お館様」

「実は、私の呪いについて話すべき事があるんだ」

「お館様の呪いについて…?」

 

「うん」と頷くと、穏やかな口調で言葉が紡がれる。

産屋敷の呪い。一族の全員の短命の原因であり、二十を超えると身体が腐り始め、激痛を伴いながら死に至るという呪い。鬼舞辻無惨という鬼を一族から輩出してしまった為と思われているそれを聞き、柱達の顔が強張る。

 

「まだ確証は取れてないんだけど…恐らく、鈴の呼吸の音色には、私の呪いを和らげる力があると思うんだ」

「……はっ?」

「そ、それは本当ですか、お館様⁉︎」

 

興奮覚めぬ様子の不死川を手で制す。半分立ち上がり掛けたその膝を再び戻すと、再び輝哉が口を開く。

 

「私も確認はしてないんだけどね。私の妻、あまねからそう証言されている。蜘蛛の糸のようにか細い可能性かもしれないけど、ね」

「鈴の呼吸––––––けど、それって」

「うん、つまりは、権兵衛が目を覚さないと出来ないという事だね」

「そんな…!」

 

当代において、鈴の呼吸を扱う事ができる剣士は小屋内権兵衛を除いて一人もいない。

件の権兵衛は現在意識不明の重篤な状態であり、肝心の鈴鳴り刀に至っては折れて消失している。–––実際に効果があるのかなど、試し様が無かった。

 

「権兵衛はまだ鈴の呼吸の書物は解読中と言っていた。それが全て紐解かれれば、また何かわかるのかもしれないね」

「しかし、権兵衛は……」

「私は信じているんだよ、実弥。彼が目を覚ますことをね」

 

静かだけれど、確固たる信念を感じる輝哉の言葉に会議の場が静まる。

 

「彼は優しい少年だけれど、その優しさを実行するだけの強さも兼ね備えている。私は、そんな彼が生きていると信じたい」

 

「それに」とお館様が微笑む。

 

「君達だって、権兵衛はきっと目を覚ますと信じているのだろう?」

「–––––それは」

 

言い淀む実弥に、「はい!」と甘露寺が手を挙げる。

 

「わ、私は信じています!権兵衛君が、また目を覚ますって‼︎」

「俺も当然。信じている!彼にはまだ借りがある、ここで死んでもらっては困るからな‼︎」

「私も、権兵衛が川を渡ることなくこちらに戻る事を信じている」

「…まぁ、権兵衛の生命力って鬼並みだし」

「権兵衛のことだ、けろっと目を覚まして、また鬼を殺しに行くだろうよ」

「…まぁ、信じていないこともないが」

「私も信じています。彼ならばきっと、今回の窮地を乗り越えてくれると」

 

柱の殆どの言葉に、輝哉が口元を和らげる。

 

「ありがとう–––––義勇と実弥はどうなんだい?」

「…奴は鬼殺隊にとって重要な戦力です。死なれては困ります」

「………彼奴は強いからな」

「うん。ありがとう、二人とも」

 

緊迫していた会議の雰囲気が和らぐ。それは聞く人の心を落ち着かせる輝哉の声もそうだが、柱が権兵衛へ寄せる信頼の厚さも原因の一つだろう。

 

「彼の治療に必要な物は惜しみなく言って欲しい。必ず用意してみせる」

「ありがとうございます、お館様」

「…今は権兵衛の無事を祈ろう。どうか、彼が再び鈴の音を鳴らすようにね」

 

その一言を最後に、緊急柱合会議は終了する。襖の隙間より見える外は、綺麗な月が浮かんでいた––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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窓から微かな月明かりが差す、締め切られた個室。音を立てないように戸を開くと、慣れた薬品の匂いと共に花の香りが漂ってくる。

 

「…まだ寝ていますね」

 

その部屋の真ん中に置かれた大きなベッドの上には、一人の少年が仰向けになって寝ている––––––上弦の鬼と死闘を繰り広げ、身体に甚大な傷を負った、小屋内権兵衛君だ。

静かに彼の横に移動し、半分焼け焦げた首に優しく触れる。微かに感じる暖かさと鼓動を感じると、一つ息を吐く。

 

「…本当に、ひどい怪我」

 

身体中に包帯が巻かれているが、時折覗かれる肌の一部が黒く変色してしまっている。煉獄さんの報告によれば、この状態にも関わらず、彼は呼吸を連発し上弦と戦闘を繰り広げたという事だ。–––無茶が過ぎる、とは思う。

静かに息をする彼の頰に触れ、小さく撫でる。こうして見ると只の幼い少年の様に思えるが、それが彼の本質ではない事は重々理解している。

 

–––––けれど、そんな彼だからこそ、心配せずにはいられないのだが。

 

目を離したら最後、どこかに消えて行ってしまうと考えてしまう程、彼の生き方は刹那的だ。

多くの人を助け、多くの人を導き、そしてあっという間に消える。その生き様は、まるで流れ星のようだ。

 

「誰かが…この子の手を引っ張らないと行けない」

 

焼け焦げてしまった掌を握る。自己愛にあまりに乏しい彼は、自分を愛したり、赦したりする事はないのだろう。始まりの鬼殺を経て壊れてしまった彼は、自分を愛する事をしない。

––––––なら、誰かが代わりに愛してあげれば良いのだ。今はまだ無理かもしれないけれど、いつか彼が自分を赦せる日が来るまで、変わりに彼を大切にしてあげれば良い。

 

「…なんて、彼が目覚めると決まった訳でも無いんですけどね」

 

聞く人は誰もいなくなった部屋で呟く–––––どうやら私も私で、権兵衛君の怪我に動揺しているらしい。

こんな状態をアオイやカナヲに見せる訳には行かない、そう思い立ち席を立つ。

 

「––––––えっ?」

 

その時、彼の手を握っていた手が握り返されていることに気付く。本当に弱々しい力だけれど、その手は確かに、自分の手を握り返していた。

 

「権兵衛、君…?」

 

振り向き、彼の顔を見る。少しの時間、食い入る様に彼の顔を眺めると、静かにその目蓋が開かれた。

 

「––––––––おはようございます、しのぶさん」

 

開かれたその瞳は、穏やかな藍色の光を湛えている。月明かりを映すその光は、権兵衛君の鈴鳴り刀の様に綺麗だった。

 

「権兵衛君、目が覚めて…!」

「はい。ご心配を、お掛けしたみたいですね」

 

身体を起こそうとしたのか、顔を顰める権兵衛君に「まだ寝てて下さい。貴方は今、凄い怪我をしているんですから」とベッドに戻す。

 

「すいません。どうやら、まだ動く事はできないみたいです」

「当然です。本当に、酷い怪我なんですから」

「あはは……」

 

肩を竦めると、困った様に口元を緩める。その一連の仕草は、紛れもない権兵衛君のものだった。

 

「大丈夫ですか?どこか痛むところはありませんか?」

「……強いて言うのであれば、右腕に感覚がありません」

「右腕が…」

 

一番怪我が酷かった右腕を一瞥する。先程から右腕を動かそうとしているが、微かに筋肉が動くだけで腕自体は微動だにしない。

 

「…これは、機能回復が辛そうですね」

「機能回復って……まだ動くと決まった訳でもないのに…」

 

彼の右腕の状況は、悲惨の一言に尽きる。楽観的思考を咎めると、権兵衛君が笑みを浮かべる。

 

「動きますよ。だって、この腕はしのぶさんの暖かさをちゃんと感じていますから」

「–––––えっ」

 

そう言って微かに掌が握られる。

 

「…すいません、嫌な気持ちになりましたか?」

「い、いえ。只、少し驚いただけです」

 

思わず笑みが消えてしまうが、権兵衛君の心配そうな声色を聞いて無理やり笑みを浮かべる。けれど、うまく笑えているかはわからなかった。

 

「…煉獄さん達は、無事でしたか」

「えぇ。列車の乗客も、みんな無事です」

「そうですか…本当に、良かった」

 

自分の言葉に安心したのか、ゆっくりと目を細める。噛み締める様なその呟きは、彼の本心を表している様だった。

 

「自分が倒れてから、どれくらい経ちましたか?」

「大体二週間程度です。この怪我で、よく目が覚めたものです」

「頑丈さには、多少なりとも自信がありますから」

 

そう言って笑みを浮かべる。その笑みにつられて私も少し笑うと、権兵衛君が目を閉じる。

 

「…上弦の鬼は、明らかに自分を狙っていました」

「煉獄さんからも、そう聞いています」

「自分が生きていると知られれば、奴らは再び襲ってくるでしょう」

「そうでしょうね、鬼は執念深いですから」

「…やっぱり、自分は–––」

「それより先を口にしたら、私は貴方を赦しませんよ」

 

彼が言葉を言い切る前に突っぱねる。「…容赦ないなぁ」と穏やかに笑うと、藍色の瞳が私を見つめる。

 

「今はしのぶさんのご厚意に甘えさせて頂きます。ですが、もし蝶屋敷に何か–––––」

「ほら、起きたばかりで無理をするから…」

 

そこまで言った辺りで、突如顔を顰める権兵衛君。肺の辺りを抑えている彼の肩を優しく撫で、「大丈夫ですよ」と声を掛ける。

 

「そんな状態で、将来の心配なんてする必要はありません。今の貴方の仕事は、休む事なんですから」

「…そうさせて頂きます」

 

やや不貞腐れたように頷く彼に笑みを零す。

 

「何か必要なものはありますか?今から準備しますけど…」

「いえ、特には…もう、眠るので」

 

そう言って目蓋を閉じて枕に顔を埋める彼に「そうですか」と微笑む。

 

「それじゃあ、権兵衛君が寝るまで監視していますね」

「…別に、抜け出したりしませんよ?」

「信用すると思いますか?」

「……本当に手厳しい」

 

権兵衛の横に座り、彼の掌を再び握る。すると、彼も手を握り返してくる–––––その時ふと、鬼殺隊定期報告会での彼の言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「…そう言えば権兵衛君。一つ聞いても良いですか?」

「…なんですか?」

「鬼殺隊定期報告会で、権兵衛君が言った好みの女性なんですけど、アレって本当ですか?」

「…嘘を、吐いた覚えはありませんよ」

 

なんて事ない口調に、それが本心だという事がわかる。微かに頰が赤くなるのを感じつつ、次の質問を投げかける。

 

「それじゃあ権兵衛君は、私の事をどう思っているんですか?」

「…………」

「…権兵衛君?」

 

突如として黙ってしまった彼。少し待つがいつまで経っても返ってこない様に「…まさか」と思い、口元に耳を寄せる。

 

「すぅ…すぅ…」

「––––全く、どいつもこいつも」

 

整った寝息を立てる彼に、何故だか無性に負けた気分に陥るが、ため息を吐いて気を紛らわせる。別に、またの機会に聞き直せば済む話だからだ。

 

「–––––それにしても、今日は月がよく見えますね」

 

権兵衛君の病室から浮かんでいる月を眺める。眩く輝くその月に笑みを浮かべると、その月が薄くなるまで、私は権兵衛君の手を握り続けた–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––夢を、見た。

 

 

–––––––鬼の居なくなった世界でみんなと笑い合っている、そんな荒唐無稽な、けれど幸せな世界だ。

 

 

–––––––俺は、その夢を見て『こんなのあり得る訳ないじゃないか』って鼻で笑ったけど。

 

 

––––––––心の中では、誰よりもその夢が叶う事を願って居たんだ。

 

 

 

 

鬼殺隊一般隊員は夢を見る。それは決して叶うことのない、泡沫の様な夢だけれど………。

 

その夢を見た少年は、心の底から嬉しいと笑った。

 

 

 

 

 

 

 





小屋内権兵衛

他人を愛し、自分を愛さなかった少年。百年ぶりに現れた鈴の呼吸の使い手であり、上弦の肆と死闘を繰り広げ分身体である憎珀天の首を落とすことに成功した稀代の剣士。
彼の累計鬼殺数は二百五十弱を誇り、入隊から僅か一年と半年程度で全鬼殺隊員の鬼殺記録を抜き去った異例の人物。
基本的にはお人好しだが、人を殺す、もしくは殺そうとする存在には一切の容赦を掛けることなく惨殺する冷徹さも持ち合わせている。自らの定める境界線に厳格であり、その一線を超える者には一切の容赦をしない。
自分にどこまでも無頓着であり、良く良く周りの人達からお叱りを受けている。特に女性陣からのお叱りが多く、彼自身ほとほと困り果てている。最近は妹にすらよく怒られるようになり、兄としての威厳を気にしているとかいないとか。


鈴の呼吸 弐の型 清酒一刀

鈴の呼吸の中で使い勝手の良い技の一つ。技の構えから発生までの時間が短く、牽制技として有効に働く。流れる水のような流麗な響きが特徴とされる。


鈴の呼吸 参の型 陽光立つ篝火

斬るのではなく叩くように振るわれる型。皮膚が硬い、もしくは守りが厚い鬼に対して有効とされる。鐘の様な重厚な音色が響く。


鈴の呼吸 捌の型 神前祈祷・終の鐘

最も大きく、透き通る様な音色を響かせる鈴の呼吸最強の型。鬼血術を封じ、鬼そのものを弱体化させる事の出来る技とされている。その音色を効いた鬼はたちまち頭を抱え、消えない鈴の音色に苦しむ事になる。
あまりの音色の大きさから、連発すると使用者の鼓膜が破れてしまう諸刃の型でもある。




小屋内権兵衛(キメツ学園の姿)

キメツ学園の何でも屋。勉強を除くありとあらゆる事を人並み以上に熟すことのできる、生粋の器用貧乏。頼まれた事は殆ど断らず、いつも穏やかな笑みを浮かべていることから、下級生から「キメツ学園に住む妖精」と呼ばれている。
誰にでも人当たりがよく優しい為多くの人から慕われているが、特にそんな事を気にしている様子はない。お昼休みには決まって人気のない中庭にある隅っこのベンチで一人、のんびりとお弁当を食べている為、多くの人ががそこを訪れるとか。
平凡な顔付きだが、穏やかな笑みと綺麗な藍色の瞳からか意外とモテるらしいが、詳細は不明である。一時薬学研究部のとある部員との関係が囁かれたが、本人の鶴の一声で否定された。
好きなものはスーパーに売っている割引されたお団子である。




あーけろん

前半パートを無事に完走できたことに感極まった出来損ないの哺乳類。


※活動報告に更新及び今後に向けての注意書きがあります。其方も閲覧して頂ければ幸いです。





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大正の空に鈴の音は鳴る
鬼殺隊一般隊員は目を覚まし、事態は回る


当初の予定より一月程度早いですが、これより後半パート開始です。






–––––日の光を通さないとある一室。四方に灯された蝋燭が光る其の部屋にて、白と赤に揃えられた巫女服を纏った女性が文を開く。

 

「……そうですか。鈴鳴り刀は役目を終えましたか」

 

何枚にも及ぶ文を瞬く間に読み終えると流麗な声色で呟き、暫くの間瞳を閉じると「誰か」と声を上げる。

 

「お呼びでしょうか」

 

其の声からほとんど間が開く事なく側に黒装束を纏い、顔の見えない人物が横に侍る。物音一つ立たずに現れた人物は忍のような出立で巫女に頭を下げ、次の言葉を待つ。

 

「当代の鈴鳴り刀が其の役目を終えました。内宮の蔵を開き、玉鋼を里に送ります」

「承知しました」

 

影となって消えていく人物に視線を向ける事なく、巫女は再び文に目を向ける。

 

「…小屋内権兵衛、ですか」

 

絹のような白い肌に掛かる磨き抜かれた黒髪を指で払い、とある少年の名前を呟く。其の声には万感の念が込められているのか、どんな感情を持っているのか判別がつかない。

開いた文を丁寧な動作で閉じると巫女服の懐に仕舞い込み、静かに立ち上がる。その時、耳に飾られた小さな鈴が「チリン」と小さく音を鳴らす。

 

「手紙を書きます。紙と筆を用意して下さい」

「かしこまりました」

 

側に控えた白に統一された巫女服を着た少女が頷き、歩き出す巫女に追従する。

 

「それと、小屋内権兵衛を此処にお呼びします。招待の手続きをお願いします」

「…よろしいのですか?彼は当代の鈴の剣士とは言え、人を殺めることを厭わない狂人ですよ」

 

明らかに嫌悪の表情を浮かべる侍従に対し、「構いません」と凛とした声で肯定する。そのあと、黒真珠の様な綺麗な瞳が後目に向けられる。

 

「彼は極めて優秀な鬼殺隊剣士であり、私達と縁深い鈴の剣士です。ここに呼ぶのに、ほかに理由はいらないでしょう?」

「しかし、御所は最高神を祀る神聖な場所。両腕どころか、臓腑まで血に染まった者を呼び、剰え巫女様がお会いになるなど…」

「言葉が過ぎますよ」

 

声色に冷たさが混じるのを感じると「…失礼しました。では手続きを済ませておきます」と不服ながらも首を垂れる侍従を見て視線を正面に戻す。

 

「…明治の時代に鈴の音は鳴りませんでしたが、幸いな事にこの大正の時代にて使い手が現れました。彼が、あの忌まわしき悪鬼を滅する事を祈りましょう」

 

三叉槍を持った二人の門番が巫女の姿を見ると頭を下げ、荘厳な鉄扉を開ける。開かれた景色には晴れやかな空が覗かれ、暗かった部屋に光が指す。

 

「…願わくば、彼が最後の鈴の剣士である事を」

 

哀しげな巫女の祈りは、微風に揺られた鈴と共に空へと消えて行った–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『–––––行ってきます、アオイさん』

 

権兵衛さんの病室に飾る花瓶に水を入れていると、脳裏に彼の姿が浮かぶ。穏やかに笑って屋敷を離れたその人は、死に体になって帰って来た。

 

「––––––権兵衛さん」

 

穏やかな笑みを浮かべていた顔に走る火傷、身体中に張り巡らされた裂傷、そして、剣士の要とも言える右腕は殆ど炭になっていた。

あの時の彼を思い浮かべると、今でも背中に冷や汗が浮かび上がる––––もしかしたらあのまま死んでしまうのではないか、と。

あの人に限ってそんな簡単に死ぬ訳ないと理解出来ていても、心は常に不安を囁く。現に、拳大の穴が空いたにも関わらず僅か五日で目を覚ました彼は、十日が経った今でも目を覚さない。その事実が、私の心に毒を垂らし続ける。

 

「…お願いします、どうか」

 

–––––––優しいあの人を、死なせないで。

 

 

心の中で居もしない神様に祈る––––だって、これじゃあんまりにも救いがなさすぎる。

本当に多くの人を救ったその少年は結局救われる事なく鬼に殺されてしまいましたなんて、酷すぎる物語だ。

 

「–––あっ」

 

いつのまにか花瓶から溢れていた水を慌てて拭く。––––駄目だ、こんな調子じゃすみ達にも心配をかけてしまう。

そうだ、隊士が死ぬなんてよくある事だ。現に私だって、この屋敷で息を引き取る隊士を何人も見てきた。今回はそれが権兵衛さんなだけだ、そう、今回は––––––––。

 

「……グスッ」

 

自分の考えとは裏腹に、瞳からポロポロと涙が溢れる。…あぁ、駄目だ。権兵衛さんが死ぬ事を考えただけで、涙が止まりそうもない。

思わずその場に蹲って泣き叫びたくなる–––––––その時、ポケットから『チリン』と鈴の音が聞こえる。

 

『貴女が蝶屋敷に居てくれたから、今の自分が居ます。–––アオイさんが蝶屋敷に居てくれてよかったと、私は心からそう思います』

 

–––––そうだ。泣いている暇なんてない、立ち止まっている暇なんて無い。だってそれは、為すべき事を成した権兵衛さんに背く事だ。

 

『–––その鈴が、貴方の道を示すことを』

 

ポケットの上から鈴を握り締める。

あの時微笑んだあの人の為に、私は成すべき事を為さなくてはならない。ここで足掻くと決めたのだから、最後まで足掻き抜かなければならないのだ。

目元を拭い、権兵衛さんの病室の前に佇み二度ノックする。当然返事の無い事に若干胸が痛くなるが、首を振ってそれを無視する。

 

「失礼します。花瓶の水を–––––––」

 

病室には変わらず眠り続ける権兵衛さんと、その傍で手を握るしのぶさんの姿があった。

鬼殺隊の柱合会議から帰ってきてそのまま権兵衛さんの様子を見ていたのだろう、隊服のまま眠っているしのぶ様を見る––––––すると、その手が権兵衛さんの手を握っているのが見えた。

 

「…やっぱり、しのぶ様も心配なんですね」

 

寝ている彼女を起こさない様に静かに扉を閉じ、窓際に置かれていた花瓶を取り替える。

 

「早く目を覚まして下さいね、権兵衛さん。みんな待ってるんですから」

 

静かに呼吸する彼の頬に触れ、小さく笑う。その後再び足音を立てずに病室を後にする。

 

「–––––––––それじゃあ、早く起きないとですね」

 

手から花瓶が滑り落ち、小さい炸裂音を立てた割れる。けれど、そんな事実すら頭に入らない–––––––えっ?今、誰が喋った?

突然の事に呼吸が浅くなり、目元に涙が浮かぶ。本当に、本当にゆっくりと振り向く。

 

「アオイさん、大丈夫ですか?怪我は……」

「––––––ご、んべえさん…?」

 

意図せず口から声が漏れる。

そこには、穏やかな藍色の瞳で心配そうにこちらを見る、いつもの彼の姿があった。

 

「えぇ。おはようございます」

「ッ–––––良かった……‼︎」

 

落ちた花瓶に視線を向ける事なく、彼の身体に抱きつく。ちゃんと聞こえる心臓の音と、彼の優しい声色に再び涙が溢れ、視界をどうしようもなく歪める。

 

「本当、死ぬかと思いました」

「当たり前です!こんな大怪我を負って…!」

「…けど、ちゃんと帰ってこれました」

 

穏やかな光を湛える藍色の瞳が細められる。それから、噛み締めるように口を開く。

 

「––––––ただいま戻りました。遅くなって、すいません」

 

その言葉を聴いた途端、堰を外したように止めどなく涙が溢れ出す。それを何度も目元を擦って、今できる精一杯の笑みを浮かべて言い放つ。

 

「……お帰りなさい、権兵衛さん」

 

窓から差し込む日差しが眩しい。けれど、嬉しそうに笑う彼の笑みの方が何倍も眩しかった–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––それじゃあ権兵衛さんが目を覚ました事を皆さんに伝えて来ます。それと柊さんを呼んできますから、その間絶対安静ですからね」

 

床に落ちて割れた花瓶をそそくさと片付けると、真っ赤に腫れてしまった目元のまま病室から出て行く彼女を見送る。

 

「…しのぶさん、もう起きても良いんじゃないですか?」

 

左の掌にあるしのぶさんの手が微かに揺れるのを感じ、声を掛ける。

 

「…気づいていたんですね」

 

どこかバツが悪そうに頭を上げる彼女に苦笑する。

 

「花瓶が落ちた時の音で目が覚めていたでしょう。どうして狸寝入りなんて––––––」

「それに気づかないという事は、貴方も冨岡さんと同類って事ですね」

「…どういう事ですか?」

「人の感情にとことん疎いってことですよ。…いくら私でも、あの中目を覚ます勇気はありません」

「………?」

 

何やら小難しい事を言っているしのぶさんに疑問符を浮かべる。しかし、その前に聞きたいことがあったので一度頭を切り替える。

 

「それよりしのぶさん。一つ聞きたい事があるんです」

「なんでしょう?」

「自分の、鈴鳴り刀についてです」

「…覚えていないんですか?」

 

悲しげに首を傾ける彼女に頷く。

 

「……情けない話ですけど、夜明け前の記憶がないんです。けど、この腕に残る感覚が確かなら––––」

「––––えぇ。貴方の刀、鈴鳴り刀は真ん中から折れていました」

「……そうですか、ありがとうございます。教えてくれて」

 

その言葉を聴いた途端、心に残っていた違和感が消える–––––そっか、やっぱり折れたんだ。

一年と半年以上、夥しい数の死体を積み上げてきた刀が役目を果たした事実にどこか安心している自分がいる事に気付く。

師範から貰った刀を折ってしまった罪悪感よりも、これ以上師範から貰った刀が血に濡れなくて済むと言う事実に安堵する。

 

「刀鍛治の里には既に刀の発注をしています–––––けれど、その…」

「…何かあったんですか?」

 

歯切れが悪くなった彼女。何か悩んでいるのか、少し考え込むが直ぐに口を開く。

 

「貴方の刀が届くのは未定、だそうです」

「–––––未定、とは」

「わたしにもわかりません。只、里長の鉄池河原鉄珍からの手紙には確かに『鈴鳴り刀が出来るのは未定である』と」

「理由は書いてなかったんですか?」

「えぇ。ですが、短刀については直ぐに用意するとの事です」

 

鈴鳴り刀が作られるのは未定で、短刀の方は直ぐに用意できると言う事は、鈴鳴り刀はやはり通常の刀とは異なるのだろう。しかし、未定というのは……。

 

「それと、現場に残っていた鈴鳴り刀からこの鈴が回収されたので置いておきます」

 

その言葉と共に、自分のすぐ横に刀に付けていた鈴––––鳴らない鈴が置かれる。

 

「今は刀の事は気にせず、療養に専念した方がいいと思いますよ。…それに、その右腕では満足に刀も振れないでしょう」

「…それもそうですね」

 

僅かに温度を感じるだけの右腕を一瞥する––––––我ながら、随分と手酷くやられたようだ。

 

「–––さて、私は一度部屋に戻ります」

「わかりました。…その、しのぶさん」

 

立ち上がり、病室の戸を開けて外に出ようとする彼女に声を掛ける。「なんですか?」と振り返るしのぶさんになんて言おうか一瞬迷う…が、自分に気が利いた言葉がかけられる訳がないと自分の思いをそのまま吐露する。

 

「昨日は、手を握ってくれてありがとうございました。…お陰で、いい夢を見れた気がします」

 

キョトンした表情を浮かべたあと俯く。

 

「…あの、しのぶさん?」

 

失礼だったろうかと心配が過ぎる。すると、しのぶさんがいつも浮かべている笑みを無くし、何処か悔しそうに呟く。

 

「––––––そう言う所ですよ、権兵衛君」

「…はい?」

「なんでもありません…早く良くなって下さいね」

 

しかしそれも一瞬で、再び可愛らしい笑みを浮かべるとそのまま部屋から出て行く。

 

「…帰って、来たんだな」

 

一人になった病室で、一人木目の天井を眺める。微かに鼻につく藤の花の匂いと薬品の匂いに、何処か安心する。このまま微睡に任せて再び眠ろう、そう考えて目蓋を閉じる–––––瞬間、大きな音を立てた戸が開かれる。

 

「権兵衛さん!目が覚めたんですね‼︎」

「起きやがったな鈴野郎!早速勝負だ‼︎」

「目が覚めてくれて本当に良かったです〜!」

「これで、ぐすっ、ひと安心ですぅ…!」

「うぅ、権兵衛さーん‼︎」

 

思い思いの言葉と共に大勢が病室に雪崩れ込んでくる。その様子に一瞬呆気に取られるが、すぐに笑みを浮かべる。

 

「良かった、皆んな元気そうで」

「権兵衛さんが一番元気ないですよ…っていうか、その傷で普通に喋れるって…」

 

ひっついてきた三人娘の頭を撫で、化け物を見るような目を向ける善逸くんに苦笑する。

 

「ちょっと‼︎権兵衛さんは重傷者なんですから、いきなり大勢で尋ねるなんて何考えているんですか⁉︎」

「兄さん…良かった…」

 

病室に髪を逆立てたアオイさんと涙を浮かべた柊が病室に入ってくる。いつもと変わらない、騒がしい蝶屋敷の日常の一幕に小さく呟く。

 

「––––本当に、帰ってこれて良かった」

 

部屋の喧騒に紛れて自分の言葉は誰にも届かなかったけれど、こうしてここに自分がいる事が、何より嬉しかった–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––一回落ち着こう、すみちゃん達。ね?」

「落ち着きません!さぁ、早く食べて下さい‼︎」

「ほら、あーん?」

「折角アオイさんが作ってくれたのに、冷めちゃいますよ?」

 

箸に持ち上げられた鮭を差し出してくるすみちゃんから顔を逸らす。なおも追随してくる彼女の顔から逃れようと首を振るうが、一向に諦める気配がない。

 

「片腕が使えなくてもご飯は一人で食べられるよ。それより、他の患者さんについていた方がいいんじゃないかな?」

「誰より重症な権兵衛さんが他人の心配なんてする必要なんてありません!」

「こう言う時くらいお世話させてください!」

「往生際が悪いですよ〜!」

「むぐぐ……」

 

自分より何歳も下の少女に世話を焼かれる事実に羞恥するが、折角のご飯が冷めてしまうのも勿体ない。数瞬その天秤の前に頭を捻り、唸り声を上げる。

––––が、三人の心配そうな視線を負け、肩を竦めた後におずおずと口を開く。

 

「はい、どうぞ!」

「美味しいですか?」

「熱くなかったですか?」

 

途端に顔を明るくした三人に見られながら鮭を食べる。

口の中に入れられた鮭を咀嚼すると鮭の甘味と仄かな塩味が口の中に広がる。焦げのない絶妙な焼き加減の鮭に舌鼓打ち、一つ頷く。

 

「うん、美味しい。流石アオイさんだね」

「それじゃあ次は漬物です!」

「食べたいものがあったら言ってくださいね?」

 

次々と料理を差し出す彼女達に左腕を上げる。

 

「いやいや、後は一人で食べるよ」

「「「え〜?」」」

「右腕の怪我が長引きそうだからね、左腕の感覚を掴んで置きたいんだよ。だから…ね?」

「う〜…」

 

寂しそうに俯く三人に言われようもない罪悪側が臓腑から滲み出るが、それを理性で押さえつける。第一、左腕で食べる練習をしなければ最期、右腕が治るまで誰かに食べさせてもらう羽目になる。それは絶対に避けなければならない。

 

「兄さん、容態は–––––––」

 

そんな最中、白衣を着た柊が病室に入ってくる。自分の状態を見るやにこりと微笑み「あらあら」と口元に手を当てる。

 

「可愛らしい少女達に甲斐甲斐しく世話を焼いて貰えてるみたいですね」

「茶化すな柊。お前からも説得してやってくれ」

「良いじゃないですか。三人共、兄さんの事を本当に心配していたんですから」

「…それはそうだけどなぁ」

 

柊の言葉で罪悪感に重さが増す。ここは恥を忍んで彼女達の為に受け身に徹するべきでは、なんて思考が浮かび始める。

その可能性を考えていると、三人がこてんと首を傾ける。

 

「それを言うなら、柊さんだって凄い心配していたじゃないですか」

「そうですよ!権兵衛さんが目を覚ますまでどこか上の空でしたし…」

「寝ている権兵衛さんの手を握って泣い–––––––––」

「ちょ、ちょっと三人共⁉︎それは別に言わなくても……」

 

慌てて手を振る柊を見てにっこりと笑う。–––––––そうか、そんなに心配してくれていたんだなぁ……。

 

「な、なんですか。何か言いたい事があるんですか?」

「いや、俺には勿体ほど良い妹だなと思ってね。ありがとう、心配してくれて」

「う、うぅ…」

 

手に持っていた診察書で顔を隠す柊。もっとも、端から見える耳の赤さからどんな表情を浮かべているのかは簡単に想像が付く。

その柊を見たからか、すみちゃんが「そうです!」と手を上げる。

 

「柊さんも権兵衛さんにご飯を食べさせてあげては如何でしょうか?」

「私が、ですか?」

「柊さんもとっても心配していたんですから」

「やってあげて下さい!」

「……そうですね」

「…本気か?」

 

頷くと診察書を傍にある机に置き、すみちゃんから箸を取ってお椀から白米を一口分摘み、そのまま身を乗り出して自分の口の前に差し出す。

我が妹ながら整った顔立ちが近づき、これが赤の他人だったら恐らく自分は赤面していただろう、なんて他人事の様な感想が頭を過ぎる。

 

「兄さん、口を開けてください」

「…俺は到頭、妹からも世話を焼かれるのか」

「重傷者なんですから、これくらい我慢して下さい。…それとも、私よりすみちゃん達の方が良いですか?」

 

少し、本当に少しだけれど、言葉に寂しさが含まれるのを感じる。その時、柊の頰に僅かに朱が差していることに気付く。–––そりゃこんな見られながらだと、いくら兄相手でも恥ずかしいよな。

 

「……あむ」

 

このまま意地を張るのは良くないと割り切り、多少勢いをつけて箸の上に乗った白米を頬張る。

 

「お、美味しいですか、兄さん」

「…うん、美味いよ」

 

心配そうに尋ねる彼女に頷く。すると「そ、そうですか」と途端に嬉しそうに表情を明るくし、次は胡瓜の浅漬けを差し出してくる。

 

「それじゃあ次は漬物ですね。順序よく食べるのが健康のコツですから」

「いやちょっと待て。さっき一回で終わりじゃないのか?」

「良いじゃないですか。偶には妹に世話を焼かれて下さい」

「えぇ……」

 

 

 

 結局、その日の昼食の殆どは柊に食べさせて貰った。やけに生き生きとする妹に口を挟む事は叶わず、そのまま済し崩しで流された結果だ。

当然だが、今まで生きてきた人生の中で一番疲れた食事だったというのは、言うまでもないだろう––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––兄の右腕に触れ、唇を噛む。それは、先程まで感じていた微かな幸せを吹き飛ばすに余りある事だった。

 

「…痛みますか、兄さん」

「いや、全然」

「本当ですか?医者相手に強がっても意味がありませんよ」

「本当だよ––––––何せ、あまり感覚がないんだからね」

 

そう言って微笑むと右腕を一瞥する兄に、より一層唇を噛み締める。兄さんは自分の怪我の重さを正当に理解しているからだ。

 

「感覚がなくなったのは、いつですか?」

「上弦の戦闘中…右腕を殴打した時か、相手の雷で焼かれた時だと思う」

「殴打か雷……となるとやはり、雷による重度の火傷が原因ですね」

 

診察書に書き漏らしの無いよう、事細かく兄さんが言った事を記録していく。顔色は至って普通で、右腕の以外の外傷に付いては殆どが完治済み–––––普通の医者が聞けばひっくり返る程の回復力だ。

 

「それで柊。率直な意見が聞きたいんだけど–––」

「右腕の完治までの時間、ですよね」

 

神妙な顔つきで頷く。その表情から、治る事を確信しているが、それまでの時間が測れないのだろうと推測する。しかし、これ程迄の火傷では……。

 

「…正直言って、細胞が壊死していない事が奇跡です。いくら兄さんの回復力が人並み外れているとは言っても…動くまでに一ヶ月、完治までに二ヶ月と考えて良いかと」

「二ヶ月………それが最短と考えて良いのか?」

「えぇ。腕の神経まで焼かれる程の重傷ですから、それくらいは見るべきかと」

 

「二ヶ月か…」と呟き、顎に手を当てる兄の横顔を見る。その顔はいつもよりもどこか切なげで––––––––それを見た瞬間、背中に嫌な予感が過ぎる。

 

「––––––兄さん。まさかとは思いますけれど、右腕が完治せずに鬼を殺しに行くなんて、そんな馬鹿な事はしませんよね」

「…まさか。鈴鳴り刀もないのに、そこまで無謀じゃないよ」

 

そう言って頭を振る兄を見据える–––––それなら、どうしてあんな表情をしたのか。目が据わり、静かに呟く兄さんの姿は、修行時代の兄に戻ったようだった。その事を言及しようと口を開く…が、途中で閉ざす。今の時点で追及した所で意味なんてない。

 

「…本当に、無理はしないで下さいね」

「もちろん。だって、俺が死んだら柊は三日三晩泣くんだろう?」

 

そう言って左手で頭を撫でる兄に多少の怨みが篭った視線を向ける。

 

「……それ、あと一週間追加して下さい」

「十日も泣いたら流石に涙が枯れるぞ?」

「だから、妹の涙を枯らさないで下さいって事ですよ」

 

困った様に笑う兄に冷たく言い放つ。「そうだなぁ…」と呟くと、頭に載っていた手が降ろされる。

 

「なら、柊のために死ぬ気で生きようかな」

「是非そうして下さい」

「–––うん、頑張るよ」

 

いつもと変わらない兄に笑みを浮かべ、傍にある席から立ち上がる。午前の診察は、これ位で十分だろう。

 

「私はもう行きますけど、何か欲しいものはありますか?」

「あぁ〜…だったら、自室から鈴の呼吸の書物を持ってきてくれ。時間があるし、読み進める事にするからさ」

「一人で大丈夫ですか?もし良ければ私も手伝いますよ?」

「いや、大丈夫」

 

首を振って私の提案を断ると、笑みを潜めて静かな口調で続ける。

 

「書物の運搬の為だけに柊を呼んだんだ。多分、よっぽど人の目に触れさせたくないんだと思う」

「けど、それなら私が協力しても…」

「柊が届け物を途中で開ける子じゃない事は、師範が一番わかってる筈だよ。柊に届け物を任せたのも多分、そういう実直な所を買ってのことだと思う」

 

憶測を混ぜながら持論を話すいつもとは異なる雰囲気の兄に一瞬呆気に取られるが、やがて口を開く。

 

「…意外です。兄さん、そこまで師範の考えが読めるんですね」

「只の予想だよ。それに、師範とは結構長く一緒にいたからね」

「それは私も同じなんですけど…」

「俺の方が三年も長いよ。それで、頼めるかい?」

「わかりました。特に断る理由もないですし、すぐに持ってきますね」

「ありがとう、助かるよ」

 

病室の戸に手を掛け、それを開く。そのまま部屋を後にしようと足を踏み出す–––––その時、脳裏にとある事実が浮かび上がり足を止める。

 

「そうだ。兄さん、今度近くの街でお祭りがあるのを知っていますか」

 

首を振る兄を見る。

 

「いや、知らないな」

「ちょっと大きい催しで、花火も上がるそうですよ」

「花火かぁ…最近は全然見てないね」

「それで、丁度良い機会だから屋敷の皆んなで行こうって話があるんです」

「良いじゃないか。行ってくると良い」

 

何やら他人事の様に話す兄に微笑みかける。

 

「何言ってるんですか、兄さんも行くんですよ」

「…えぇと、俺怪我人なんだけど」

「今診察しましたけど、右腕の怪我以外は殆ど完治しています。それに、お祭りも三週間後と少し間が空きますから」

「––––お祭りかぁ」

 

何やら納得した様にうんうんと頷き、何が楽しいのか、藍色の瞳が細められる。

 

「わかった。怪我が悪化してなければ、是非とも参加させてもらうよ」

「それでこそ兄さんです。…それじゃあ件の物を持ってくるので、少し待ってて下さいね」

 

軽く手を振る兄の見送りを受けて今度こそ部屋から出る。兄が何に楽しさを見出したのかはわからないけれど、取り敢えずは頼まれたものを取りに行く。

 

………今思えば、私はこの時に思い出して置くべきだったのだ。兄が嬉しそうに何か企み事をする時は、大抵なにかが起こる事を–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「よぉ権兵衛‼︎漸く目を覚ましやがったなこの野郎‼︎」

 

書物に悪戦苦闘していると、唐突に病室の戸が開かれ快活な声が響く。

六尺はある背丈に鍛え上げられた肉体が備わり、逆立ちしたって勝てそうもない男前の顔立ちの男性と言えば、その人物は一人しか当て嵌まらない。

 

「お久しぶりですね、宇髄さん。あれから元気でしたか?」

「元気でしたかったってな…お前が一番元気が無いんだろうが」

「いいえ?見ての通り、至って健康かつ元気ですよ」

 

呆れた声を上げる宇髄さんにひらひらと左手を上げる。実際の所、身体全体に鈍痛があるだけで後は至って健康だからだ。

 

「柊としのぶさんの腕が良いからですね。今でも普通に歩けますよ?」

「その怪我で良くまぁそんなことが言えたもんだな…」

「火傷が酷いだけで、身体機能は結構回復してますから」

「その火傷は命に関わる奴だろうが。良いから寝とけ」

 

そう言う宇髄さんに「了解です」と頷く。すると「…それで」と神妙な顔つきに変わる。

 

「その右腕、感覚あるのか?」

 

彼の視線が自分の右腕、包帯に巻かれて素肌が殆ど見えないそれに向けられる。

 

「今は無いですね。ですけど、必ず戻りますよ」

「…馬鹿野郎が」

 

冷たい口調に悔しさが滲んでいる事を感じる。僅かに伏せられた視線と声色から、その場に居なかった事を悔いていることが手にとる様にわかった。

 

「自分の力不足が原因です。別に、誰が悪い訳でもありません」

「柱を一人着かせれば安心だと思っていたんだ。こればかりは、俺たち柱とお館様の見通しが甘かったと言わざるを得ない」

「もし二人も自分に着いていたら流石に断っていましたよ。柱は鬼殺隊の最高戦力なんですから」

「…最高戦力、か」

 

自分の傍にある椅子に静かに座り、力の篭った視線が真っ直ぐ向けられる。

 

「実際の所、どうなんだろうな」

「どう、とは」

「鬼殺隊の最高戦力が柱だってお前は言うけどよ。俺は正直、そう思っていない」

「まさか。柱は間違いなく–––––––」

「確かに俺を含めて柱は強い、そこら辺の隊士よりもな。けど、それはお前ほどじゃないって考えている」

 

どこか確信めいた口調で呟く彼に口を閉ざす。自分を貫く視線が、反論を許さないと暗に告げていたからだ。

 

「この一年と半年でお前は夥しい数の鬼を殺してきた。それだけの短期間で俺達を、悲鳴嶼さんを抜かすなんて異常だ」

「雑魚鬼も含まれていますから。数はそれほど…」

「数もそうだが、お前は上弦と対峙し生きて帰ってきている。数だけじゃないのは明らかだろ」

「それは、煉獄さんも同様でしょう」

「煉獄の報告書の中に、鈴の音が響いた途端に鬼が苦しみ出したと報告が上がっている。それが無ければ危なかったってのが、煉獄の主観だな」

「…買い被りですよ」

「買い被りじゃねぇ、純然たる事実だ」

「–––––むぅ」

 

何を返しても言い返される。この問答自体に何の意味があるのかと思考するが、全くわからない。この問答を始めた宇髄さんの意図を読めずにいると「…悔しいけどよ」と宇髄さんが口を開く。

 

「お前が今、一番鬼を殺すのが巧いんだと思う。…俺を含めた柱の連中は、お前の背後を追っている状況だ。だからよ、やっぱり今の鬼殺隊の柱はお前が––––––」

「違いますよ、宇髄さん」

 

無礼を承知の上で言葉を遮る。どうやら、宇髄さんは自分とは異なる考え方を持っているようだ。

 

「確かに自分は、他の人より鬼を殺す事が得意です。ですけど、柱は只鬼を殺して成れる訳じゃないと、俺は考えています」

「…どう言う訳だ」

「考えてみて下さい。今の柱の中に、致命的に、人として欠損している人って居ますか?」

「居ないだろう。そんな奴が柱になれる訳もないしな」

「えぇ。ですけど、鬼を殺す事が得意なだけで柱が選ばれるのであれば、そういう破綻者が1人位いてもおかしくないでしょう?」

「何が言いたいんだ?」

「––––柱に選ばれる人は、すべからく優れた人格者です。それは多分、お館様が鬼を殺すよりも人としての優しさが大切だと理解しているから何でしょう」

 

こうして見舞いに来てくれる宇髄さんを始め、甘露寺さんや煉獄さん、しのぶさん達柱は、中には勘違いされやすい人もいるけれど、全員が飛び切り優しい人達だ。鬼を決して許さず、人を守る為に命を顧みない集団だ。

「鬼」を決して許さない点だけ見れば自分も同じだが、自分の「鬼」と普通の鬼では定義が異なる。人を殺めた、傷つけたという一点で鬼と断じる自分の様な破綻者が、優れた人格者であるはずがない。

 

「…なら一層、お前の方が向いてると思うが」

「向いてませんよ。襲いかかってきたからと言って人間を肉達磨に変えるような狂人が上官にいる組織なんて、ちゃんちゃらおかしいでしょう?」

「そういう問題なのか……?」

「はい。そういう問題です」

 

「わかんなくなってきたぞ…」と頭を抱える宇髄さんに苦笑する。この人もおちゃらけている様に見えて実際とても頭が良いから、色々と悩んでいるのだろう。

 

「俺は、なんて言われても柱にはなりません。お館様にも明言していますからね」

「…ったく。病人の癖に可愛げのない奴だなぁ」

「すいません、性分ですから」

 

いつぞやの様に話す宇髄さんに笑みを浮かべる。すると「…さて」と席を立ち上がり、自分に背を向ける。

 

「さて、元気そうだし俺はもう行くわ。ちゃんと休んでおけよ」

「ありがとうございます、宇髄さん。…それと、最後に一つ」

「んあ?」

「俺は、宇髄さんが柱で良かったと、心からそう思っていますから」

 

それを言い放った直後、背を向けた宇髄さんがピタリと止まり「あ〜!」と呻き–––––直後、振り返って自分の頭を乱暴に撫で回す。

 

「なんでお前はいつもそうなんだよ!ったく、怒るに怒れねぇじゃねぇか‼︎」

「ちょ、宇髄さん⁉︎」

「良いから黙って撫でられとけこの野郎!」

「わわわ…」

 

なすがままにされて髪の毛がボサボサになるまで撫でられると、最後に頭に優しく手が乗せられる。

 

「––––お前が生きて帰ってきて良かったよ、権兵衛」

「宇髄さん…?」

 

今まで聞いたこともない声色に疑問符を浮かべる。安心とか、心配とか、後悔とか、いろんな感情が混ざっているその声–––––しかしそれも一瞬で、「さて、今度こそ帰るわ」と病室の戸を開け放つ。

そのまま宇髄さんを見送り–––––その時「あっ」と声を上げ、彼を呼び止める。

 

「そうだ宇髄さん、少し良いですか?」

「んだよ、まだ何かあんのか」

「はい。少しご相談に乗って欲しい、と言いますか…」

「–––脱走の相談なら受け付けないぞ?」

 

訝しげに睨む宇髄さんに首を振るう。

 

「しませんよ。実はですね––––––––––」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––一週間後。

 

 

一つの影が木々の隙間から朝日が眩しい森林の中を駆け抜ける。それは地面の凹凸を跳ねる様に走り、時折木の枝々を跳躍してはを繰り返す。

 

(身体の動きが鈍い…こんなんじゃ上弦と遣り合うなんて不可能だな)

 

その影は身体の違和感を如実に感じつつも、足を止める事はない。右腕を白の包帯で吊った状態で姿勢を崩さず、尚且つ変な癖をつけない様に意識しつつ木々の間を巡っていく。

天狗と見間違うほどの身のこなしを軽々と行い、多少開けた場所にて足を止める。微かに上がる息と体温に鈍っていると痛感する影–––––––小屋内権兵衛は一人で息を吐く。

 

「思った以上に右腕の損失が痛い…そんなに大した事ないと思ったんだけどな…」

 

僅かに動くようになった変わりに、常に鈍痛を発する様になった右腕を一瞥し愚痴を零す。一部位が使えなくなる弊害が、自身の体幹に大きく作用するのだという事実を痛感した彼は、少し辟易としながら荒々しい断面の切株に座り込む。

 

『–––––だいぶ良くなりましたから、軽い訓練は解禁します。ですけれど、過度なものは控える様に。』

 

昨日の昼の診断を受け、きつめの口調でそう言い放った主治医、小屋内柊の言葉を頭の中で反芻する。–––森の中を駆け回る程度、別に過度とは言わないだろうと頭の中で結論づける。

 

「…次はいつ、襲ってくるんだ」

 

彼の脳裏には常に上弦の鬼の襲撃への警戒がある。鈴の呼吸によって弱体化されていたにもかかわらず、それでも尚圧倒された鬼が自分を明確に狙っているからだ。

あんな化け物染みた力を持っているにも関わらず、あの上弦は肆という称号が与えられていた。それはつまりあの鬼の上にまだ三匹も強力な鬼があるという事であり、その事実は権兵衛を焦らせる事にあまりある事だった。

備えなければならないという強迫観念が走る。しかし、権兵衛には肝心の刀が手元に無い。『鈴鳴り刀』という特異な刀、簡単に作れると思うほど権兵衛は楽観的ではないが、それでも未定という先行きの見えない時間が提示されると思うほど悲観的でも無かったのだ。

 

「里に行くか…いや、鬼舞辻に狙われている俺が行くのは得策じゃない。けど未定と言うのも…」

 

いっそ鈴鳴り刀ではなく、鈴鳴り刀と間合いが同じ普通の刀を打って貰うかと思考が過ぎる–––が、すぐにその思考を頭を振って消す。弱体化込みであそこまで追い込まれたのだ、真正面から戦えば間違いなく地面に沈む羽目になる。

結局の所、今は身体を鍛える以外にやる事は無いと結論付け再び立ち上がる。脚を伸ばすなどの軽い柔軟を行った後、再び森へ脚を向けて駆け出す––––––––その直後、視界の端に蝶を模した羽織が映り込む。

 

「右腕がまだ治っていないのに、随分激しい運動をするんですね、権兵衛君?」

 

某少年曰く、『顔だけで飯が食える』と言わしめるだけの美貌の持ち主が隙間から朝日が指す森の中に佇んでいる。目尻を下げて苦言を呈する彼女を見ると権兵衛は「あぁ…」と頰を掻き、その脚を止める。

 

「激しい運動、とは思ってないんですけど…」

「あれだけ飛んだり跳ねたりしているのに、そんな言い訳は通用しませんよ」

「個人の裁量、とか…」

「個人の裁量よりも社会の常識を理解して下さいね?」

「…返す言葉も御座いません」

 

流れる様に論破された権兵衛は肩を竦めて頭を下げる。しのぶは「はぁ…」とため息を吐くと、再び笑みを浮かべる。

 

「一度休憩にしてはどうですか?丁度朝ご飯もありますし」

「えっ?」

 

手に持っている笹に包まれた物を権兵衛に見せる。

朝御飯、という単語を聞き目を一瞬輝かせる彼だが、直ぐに訝しげな視線へと変える。

 

「…なんですか、その態度は」

「いや、あの…そろそろ来るんじゃないか、と思いまして」

「何が来るんですか?」

 

煮え切らない態度の権兵衛にしのぶが追求すると、権兵衛が目を逸らして小さな声で呟く。

 

「……睡眠薬とか」

「–––––––––欲しいんですか?」

「いえ滅相もありません。疑ってすいませんでした」

 

咲き誇る様な笑みに言葉にしようのない程の感情の黒さを感じ取った権兵衛は忍びも驚くほどの変わり身を見せる。いくら身体が頑丈な彼であっても、毒を使う彼女を怒らせるのは得策ではないと考えるからだ。

 

「人の厚意を疑うのはよくありませんよ、権兵衛君」

「仰る通りです…」

「えぇ、現に私も少しばかり傷付きました」

「本当にすいませんでした……」

「–––––本当に悪いと思ってるなら、私のお願いも聞いてくれますよね?」

「も、勿論です」

 

何やら怪しげな笑みを浮かべるしのぶに冷や汗を掻きながらも頷く。「ありがとうございます、権兵衛君」と微笑むと、さっきまで権兵衛が座っていた切株を指差す。

 

「それじゃあ、あそこで一緒に朝ご飯を食べましょうか」

「–––––––えっ?」

「なんですか、お願いを聞いてくれるんじゃ無いんですか?」

「…それは、まぁ、構わないんですけど」

「なら早く食べましょうか。もう日が登ってから随分経ちますから」

「ちょっ……」

 

しのぶの手に引かれると切株まで連れて行かれ、そこに一緒に座る。

切株にしては大きなそれだが、二人が座るにはやや手狭であり、少し揺れるだけで肩が触れてしまうほど二人の距離は近い。

しのぶは特にそれを気にする事なく膝の上で笹の葉の包みを紐解き、中から海苔に巻かれた形の整ったお握りを取り出す。多少大きめに握られたそれを権兵衛に「はい、どうぞ」と微笑みながら手渡し、権兵衛も「あ、ありがとうございます」と受け取る。

 

「食べないんですか、権兵衛君」

「………あの、しのぶさん。その、少し近いような気が–––––」

「そうですか?私はそう思いませんけど……」

 

 

––––––––頼むから自分の顔の良さを自覚して下さい‼︎

こてんと首を傾けるしのぶに、彼が心の中で絶叫する。それと同時に、これは善逸君も勘違いを起こしてもしょうがないと納得し、かつて憐憫の視線を向けたことを謝罪する。

心配そうに目尻が下がるきれいな瞳に絹のように白い肌、こてんと傾けられた仕草には愛嬌が溢れており、普通の男なら卒倒し即座に求婚するのではと見当違いな思考を巡らせる。

 

「……頂きます」

 

このまま居るのは色々と不味いのではと勘ぐった権兵衛は大きな一口でお握りを頬張り––––––––その後、「うん?」と疑問符を浮かべる。

 

「お口に合いませんでしたか?」

 

その仕草を見て微かに不安そうな表情を浮かべるしのぶに「あぁ、いえ」と頭を振ると、まじまじとお握りを見つめる。

 

「これ、アオイさんが作ったお握りじゃないんですね」

「どうしてそう思うんですか?」

「––––すいません、確証は無くて。只何となく、アオイさんじゃないと思いまして」

 

「何言っているんでしょうね、俺」と恥ずかしそうに頭を掻く権兵衛にしのぶがパチパチと手を叩く。

 

「当たりです、権兵衛君」

「…えっ?」

「それを作ったのはアオイじゃありません。本当、よくわかりましたね」

 

「それじゃあ…」とおずおずと口を開き、しのぶの方を見る。

 

「このおにぎりは、しのぶさんが作ったんですか?」

「それも当たりです。流石ですね」

 

当てられたからか、先ほどよりも嬉しそうに微笑むしのぶ。しかし、それとは対照的に権兵衛の顔は沈む。

 

「…その、さっきは疑ってしまって本当にすいませんでした」

 

純粋な善意を疑うなんて、それこそ鬼みたいじゃないかと歯噛みする。しかし、そんな事は些事だとしのぶが微笑む。

 

「気にしないで下さい。さっきの事は、こうして一緒に朝ご飯を食べた事で相殺されていますから」

「しかし…」

「いいんです。権兵衛君も、あんまり気にしすぎる人は女性から好かれませんよ?」

「…元より好かれてないから平気です」

 

強がるように呟く。

その言葉に微かに、本当に微かにしのぶの肩が震える。あまりに一瞬の出来事の為権兵衛も視認出来なかったそれだが、変化はしのぶの声色から見て取れた。

 

「––––––へぇ。縁談のお誘いを十二も受けた人とは思えない発言ですね」

「あ、あれはですね……」

「自分を貶める発言ばかりしていると、本当に自分の価値が落ちてしまいます。少なくとも、私の前ではそういう発言は今後一切しないで下さい。良いですね?」

「は、はい…」

 

有無を言わせない迫力と共に捲し立てられ即座に頷く。それを見たしのぶは「よろしい」と満足げに頷くと、小さめのお握りを一口摘む。

 

「…しのぶさん、一つ聞きたいことがあるんですけど」

 

権兵衛がお握りを一つ食べ終えると隣に座るしのぶに向き直る。

 

「なんですか、改まって」

「女性に贈り物をする時って、どれくらいが相場なのでしょうか」

 

 

 

 

 

 

–––––––––––––瞬間、世界が止まったような気がした。

 

 

 

「…えっ?」

 

何を言われたのか、思考が停止したしのぶに気付く事なく権兵衛が続ける。

 

「実は、近々女性に贈り物をしようと考えているんです。どれくらいの物を贈るのが良いのかな、と–––––––しのぶさん?」

「あっ、す、すいません。少しぼんやりしていました。それで、なんでしたっけ?」

「女性に贈り物をするときの相場です。どれくらいの物が良いんでしょうか?」

「…そうですね」

 

胸に走る違和感に無理やり蓋をし、動揺を悟らさないように笑みを浮かべる。

 

「あまり高過ぎる物もよくありませんが、そう言う物は権兵衛君の気持ちの大きさによる物です。貴方が相手を想って考えた品でしたら、きっと喜んでくれると思いますよ」

「そうですか!成る程…」

 

何やら考え出した権兵衛にしのぶが話かける。

 

「…もし良ければ、誰に贈るか教えて貰えますか?知っている人なら力になれるかもしれませんよ?」

「いえ、それは大丈夫です。自分で、ちゃんと考えたいんです」

「–––そうですか。なら、頑張って下さい」

 

そういうとしのぶが切株から立ち上がり、軽く羽織を叩いて木屑を落とす。権兵衛に背を向けて歩き出すと、ふと「権兵衛君」と口を開く。

 

「大丈夫です。貴方の想いは、きっと伝わりますよ」

「…しのぶさん?」

 

こてんと首を傾け、疑問符を浮かべる権兵衛に「なんでもありません」と微笑むと、権兵衛の視界からすっと消える。

 

「…なんのこっちゃ?」

 

意図はわからなかったけれど、何となく応援してくれているんだなと結論付ける。しのぶを見送った権兵衛は顎に指を当てて「むむむ…」と唸り、眉間に皺を寄せて悩む。

 

「自分の想い、かぁ…良し!」

 

権兵衛は一人意気込み、切株から立ち上がる。

しのぶと権兵衛、二人の気持ちは微かに、けれど決定的にすれ違っていた–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––何だか、あまり良い気分ではない。

 

蝶屋敷の廊下を歩きながら今の自分の感情を分析し、その結論を導く。そう、あまり良い気分ではないのだ。

朝日の昇らぬ内から鍛錬を始め、おおよそ身体を慣らすためとは思えない動きで森の中を疾走していた彼。毎度の事ながら、自己評価が異様に低い彼–––––そして、女性に贈る物について相談してきた彼。

別に、彼が誰を好いて誰に贈り物をしようが構わない。寧ろ、そういう相手ができた事を喜ぶべきだろう。

しかし、しかしだ。鬼殺隊定期報告会であんな事を宣っておきながら、その本人相手にそう言った相談を持ちかけるのは人として…いや、男としてどうなのだろうか。

 

「…はぁ」

 

意図せず小さなため息が溢れる。

彼に悪気があるわけではない事はわかっているのだ。他人に誠実であり続けようとする姿勢は、それこそ縁談の話から重々理解している––––が、それで納得するのかと言われればそうではないのだ。

あの話が無ければ午後にでもお茶に誘い、件の言葉の真意を聞こうと想ったのだが当てが外れてしまった。蝶屋敷一帯の鬼は権兵衛君によって掃討が済んでいる為目撃情報も無く、おかげで任務もない。仕方ないから毒の研究でも始めよう、そう思い立ち自分の部屋へと向かう。

 

「あっ、しのぶさん」

「しのぶ様、お帰りなさい」

 

晴れやかな気分とは言えない心持ちの中、廊下でアオイと柊さんの二人に出会う。アオイは医療品を、柊さんは診断書を持っている事から、ついさっきまで診察を行っていたことがわかる。

 

「えぇ、今戻りました。何か変わった事はありましたか?」

「特には。善逸君達が騒がしい位ですね」

「それは元気そうで良かったです」

「権兵衛さんの様子は如何でしたか?」

 

権兵衛という単語を聞いて微かに顔が引き攣るが、それを悟らせないように変わらず笑みを浮かべる。

 

「やっぱりと言えばいいのか、かなり激しく動き回っていましたよ」

「過度な運動は厳禁だって言ったのに…!」

 

案の定怒りを露わにする柊さんに苦笑する。しかしその怒りは思ったより早く引いたのか、「…そうだ、しのぶさん」と視線を向ける。

 

「兄さん、何か変な事を言っていませんでしたか?」

「…変な事、とは?」

 

聞かれていたのかと一瞬身構えるけれど、次の言葉でその心配が霧散する。

 

「何かこう…祭りに関して、何ですけど」

「お祭り、ですか?」

「二週間後に迫った、蝶屋敷のみんなで行く事になっている催しです」

 

それを聞いた後思考を巡らせる。そう言えばそんな話をしたな、なんて軽い気持ちでその事実を思い出すが、しかしそれと権兵衛君にどんな関係が…。

 

「その話をしたとき、兄さんが何やら含みがある笑みを浮かべたんです。あれは多分、何か企んでる顔でした」

「そうなんですか?」

「はい––––––その、兄さんって色々と加減を知らない人なんで」

 

やや疲れた顔の柊さんにアオイと二人で同調する–––––全く持ってその通りとしか思えない。

しかし、変な事という漠然とした情報ではわからない。そう言おうと口を開く–––––––瞬間、自分を悩ませている言葉が脳裏に浮かぶ。

 

「そう言えば、私に女性に贈る物の相場について聞いてきましたね」

「それです‼︎それで、しのぶさんはなんて答えましたか?」

 

身を乗り出す彼女にやや気圧されながらも、つい先程の事を思い出してそれを口にする。

 

「貴方の想いの量による、そんな感じの言葉を返しました」

「想いの量、ですか…」

「けれど、本当に権兵衛君の想い人への贈り物についてかも知れませんよ?」

「その可能性も否定は出来ませんが、まず無いと思っていいと思いますよ」

 

やけに確信を持って話す柊さんに少しムッとなり、すぐさま口を開く。

 

「どうしてですか?権兵衛君だって男性です、気になる異性位–––––」

「しのぶさんやアオイさん、栗花落さん見たいな見目麗しい人達と一緒に生活しているんです。それで普通の人に惹かれる訳がありません」

「あの、柊さん。カナヲやしのぶ様はわかるけれど、私は……」

「それに兄さんは情に厚い人です。決して外見に惹かれて一目惚れをするような人じゃありません」

「無視は酷いと思うんですけど⁉︎」

「…成る程」

 

彼女の推論に頷く。

前半については否定し兼ねるが、たしかに権兵衛君は一目惚れをしそうに無い。もしその可能性があるならば、縁談の話だけでも聞いていた筈だ。

 

「そうなると、なんで権兵衛君はあんな聴き方をしたんでしょう?」

「そこは引っかかります。何事も直球で聞いてくる人です、そんな遠回しに聞くような心遣い、誰かからの入れ知恵がなければ…」

「…入れ知恵かどうかはわかりませんが、そういう女性への気遣いができる人なら、音柱様からの助言があったのかもしれませんね」

「宇髄さんならたしかにあり得ますね」

 

多少むくれたアオイの言葉に成る程と納得する。たしかに、あの人なら彼にそういう助言をしてもおかしくない……そうなると、あの時の権兵衛君の言葉は本当に想い人への贈り物についてでは無いという仮定が生まれる。しかし、肝心の何が目的なのかはわからない。

と、そこまで考えた辺りで、自分が先ほどまで感じていた微かな不快感が拭われている事に気付く。

 

「…しのぶさん?何か嬉しいことでもありましたか?」

「えっ?顔に出ていましたか?」

「はい。なんというか…その、失礼かもしれませんが、にやけている様に感じました」

「…さぁ、どうでしょうね」

 

意味深な笑みを浮かべる–––––全く、我ながら単純な精神構造をしているようだ。

 

「取り敢えず、権兵衛君については一度放置で大丈夫でしょう」

「大丈夫でしょうか…?」

「常識は弁えていない人ですけれど、他人が嫌がる事はしない人です。今は、彼が何をするのか様子を見てみましょう」

「…まぁ、しのぶさんがそう言うなら」

「アオイもそれで大丈夫ですか?」

「……あっ、はい。それで大丈夫です」

 

何か考えていたのか、少しぼんやりしているアオイが多少慌てて頷く。

 

「それじゃあ、今日も一日よろしくお願いしますね、二人とも」

「はい、しのぶさん」

「わかりました」

 

二人の言葉に笑みを浮かべ、その場を後にする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しのぶ様、もしかして––––––––」

 

アオイの放った一言は、自分の耳に入る事は無かった––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––良い天気だな」

 

箒を掃いていた手を止め、雲が散見し青空が大半を占める空を見上げる。降り注ぐ太陽から丁度良い暖かさを感じ、まさに絶好の幸楽日和と言える。こんな日だからこそ、普段引きこもって酒を煽っている父にも外に出て欲しいと思うけれど、それは叶わないと思うと微かに憂鬱になる。

 

「…まだ終わってないや」

 

地面に舞っている木の葉を捉え、普段箒を使い始める–––––すると、視界の端にとある男性が映る。

 

「なんだ、あの人…?」

 

その人は、傍目から見ても普通とは異なっていた。素材が良さそうな白の流に藍色の羽織を羽織り、怪我人なのか、右腕を包帯で吊っている。一見すると少し裕福な家の人なのかと思うが、空いた左手に担がれたそれが普通の人間では無い事を告げている。

左手にあるそれ–––––何か入っているのか、パンパンに膨らんだ紫色の風呂敷を持っているのだ。子供一人程度軽く入りそうな大きさのそれを軽々と持ち上げているその姿は、右腕が包帯に吊られている事からとても不釣り合いだ。

思わずまじまじと見つめてしまったが、その男性も自分を見たからか軽く会釈する。そのままゆったりした速さで歩いてくると、自分を見据えて立ち止まる。

 

「失礼します。鬼殺隊現炎柱、煉獄杏寿郎さんの家はここで大丈夫でしょうか」

 

穏やかな声色だと感じた。兄のような力強い声とは違う、細波のような声。悪い人じゃ無いと雰囲気から感じ取り、箒を抱えて口を開く。

 

「はい。そうですけど…」

「そうですか、良かった。鎹鴉の案内も絶対じゃありませんから」

「鎹鴉、という事は、貴方も鬼殺隊の隊員なんですか?」

「えぇ。生憎右腕がこんな状態でして、階級を示す事はできないのですが…」

 

申し訳なさそうに目を伏せる彼に、微かに警戒心を持ちつつ問う。

 

「それでは、お名前をお聞きしても宜しいでしょうか?」

「はい。自分は鬼殺隊所属、階級甲、小屋内権兵衛です」

「小屋内権兵衛さん………」

 

なんだろう、どこかで聞いたことがある名前、それもつい最近聞いた名前だ。どこで聞いたのか、それを思い出そうと思考に更ける–––––その時、チリンと鈴の音が鳴った。

 

 

 

『小屋内権兵衛さん、ですか?』

『うむ‼︎極めて優秀な剣士でな、俺よりも多くの鬼を僅か一年で殺した人物なのだ!』

『兄上の鬼殺数を…凄い人なんですね』

『しかも権兵衛少年は少し変わっていてな、戦場で鈴の音を鳴らすのだ!今度紹介するから、千寿郎も楽しみにしていると良い』

 

 

「もしかして、あの小屋内権兵衛さん、ですか…?」

 

恐る恐る口を開く。上弦の鬼と戦った兄と変わらない、いや、兄よりも酷い重傷を負っていて、尚且つ鈴の音を鳴らす人物。ここまで条件が揃っているという事は––––––。

 

「ええ。つい先日、煉獄さんと共に上弦の鬼と戦闘した、その小屋内権兵衛です」

 

神妙な顔つきで頷く。兄の話から勝手に筋肉隆々の超人かと思っていたけれど、まさかこんな普通な外見とは思っていなかった。

 

「貴方が…その、兄を救ってくれて、ありがとうございました」

 

精一杯頭を下げる。兄が生きて帰って来れたのは権兵衛さんのお陰なのだと、兄自身の口から何度も聞かされていたからだ。しかし権兵衛さんは申し訳なさそうに目を伏せ、逆に深々と頭を下げる。

 

「私は、煉獄さんを救っていません。寧ろ、自分が助けられた位です。お礼を言うならば、それは自分なのでしょう」

「そ、そうなのですか?兄は口々に権兵衛さん…小屋内さんのお陰だと」

「…相変わらず、優しいんですね」

 

彼がどこか寂しげにそう呟くと顔を上げる。そこには、悲しげに笑う顔があった。

 

「それで、先日のお礼をと思って本日参った次第です。煉獄さんは今いらっしゃいますか?」

「それが、兄は今丁度出かけていまして…」

「そうですか…なら、日を改めてまた来ます」

 

「失礼します」と軽く頭を下げた後、振り向いて歩き出す彼–––––その彼の背中に「あの!」と声を掛ける。

 

「多分ですけれど、兄はもうすぐ帰ってくると思います。良ければ、それまで家でお待ちになって下さい」

「…良いんですか?ご迷惑になるんじゃ」

「いえ、どうかお気になさらず。兄から貴方の話はよく聞いていますから」

 

その言葉に少し悩んだ素振りを見せるが、やがて一度頷き「それなら、ご厚意に甘えさせて頂きます」と笑う。

 

「でしたらご案内します。手荷物お預かりしますよ」

「いえ、それは大丈夫です。これ結構重いですから」

「随分と大きいですけれど、何が入っているんですか?」

 

あっけらかんとした口調で言い放つ。

 

「洋菓子です。煉獄さんは大層な健啖家ですから、気合を入れて買ってきました」

「え、えぇと…」

 

子供一人大程度の風呂敷一杯の洋菓子なんて、一体いくらになるのだろうと庶民じみたことが頭に浮かぶ。…やっぱりこの人も、兄に似てどこか変わっているのかも知れない。

 

「そう言えば、お名前を聞いていませんでした」

「あっ。す、すいません、うっかりしていました。自分は煉獄千寿郎、煉獄杏寿郎は、私の兄です」

「やはりそうでしたか!弟がいるとは聞いていたので、もしやとは思ったんですけど」

「やっぱり似ていますか?」

 

しっかりと頷き、笑みを浮かべる。

 

「えぇ、とても。これからよろしくお願いしますね、千寿郎さん」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

とんでもない剣士とは聞いていたけれど、思っていたよりもずっと優しい人だった。やはり先入観は宛にならないと思い、二人で家の門を潜った––––––––。

 

 

 

 

 

 

_____________________

 

 

 

 

 

 

 

 

「–––––ごめんください」

 

権兵衛が煉獄家に赴いている最中、一人の老人が蝶屋敷の門を叩く。

それから少し経つと慌ただしい音が徐々に玄関に近づき、やがて戸が開かれる。

 

「すいません、お待たせしました」

 

隊服を纏い、微かに汗を滲ませた少年–––––竈門炭治郎が笑みを浮かべて応対する。対する老人はその少年、正確に言えば額の痣を見るや目を見開き「…まさか」と呟く。驚愕に満ちたその声色に炭治郎は不思議がり、心配そうに声を掛ける。

 

「あの、お爺さん?」

「あっ、あぁ。すまない、少し惚けていた」

「大丈夫ですか?お体が優れない様なら…」

「いや、心配ご無用。これでも鍛えているからね」

 

そう言って手に持っていた杖–––––漆で塗られ、持ち手に小さな鈴が三つ付けられたそれを見せる。持ち上げられた杖は「チリリン」と音を鳴らし、玄関に響かせる。

 

「それよりも君、その額の痣と耳飾りは…」

「これですか?」

 

額の痣と花札を模した耳飾りを指差し、驚きの表情を見せる。白髪の長い髪を後ろで一つにまとめ、皺の走る顔から老人だと炭治郎は判断するが、彼の優れた嗅覚は普通の老人ではない事を告げていた。

 

(なんだろう、この人。どこかで嗅いだような匂いがする…)

 

強いていうのであれば、権兵衛に近いそれを感じる。その時「炭治郎さん?何かありましたか?」と彼の後ろから声が掛かる。

炭治郎が振り向くとそこには白衣を着た少女、小屋内柊が佇んでおり彼の顔を見据えている。

 

「あぁ、柊さん。実は今、老人の方が見えていて…」

「老人?また兄さんに––––––––––」

 

柊が老人の顔を見た直後、まるで石になったかのように固まる。その様子を見た炭治郎が「ひ、柊さん?」と心配そうに声を掛ける––––––刹那、蝶屋敷の玄関に鋭い声が響き渡る。

 

「ど、どうして先生が蝶屋敷にいらっしゃるんですか⁉︎」

「へっ?先生って事は、もしかして……」

「やぁ柊。久しぶりだね、元気そうでよかった」

 

叫びにも似た驚きを見せる柊にケラケラと老人が笑う。

 

「元気そうで良かった、じゃありません!どうして此処にいるんですか⁉︎」

「権兵衛が酷い怪我を負ったのと、鈴鳴り刀が折れたと聞いたからね。様子を見に来たんだ」

「けど……」

「それよりも、だ。そこの少年、名前は?」

「竈門です、竈門炭治郎」

「そうか、では炭治郎。少し時間は取れるかい?」

 

柊に向けていた笑みを潜め、刃にも似た鋭い表情を見せて口を開く。

 

「始まりの呼吸、日の呼吸について、君は知っているかい」

「––––––––えっ?」

 

蝶屋敷の玄関に、炭治郎のか細い驚愕の声が響く。

 

「その様子なら、どうやら知っているようだね。…まさか、権兵衛の見舞いに来た先で、始まりの剣士の系譜に出会うとは」

 

「因果だな…」と呟く老人に、炭治郎が鬼気迫る勢いで近づく。

 

「ヒノカミ神楽について、何か知っているですか⁉︎」

「そのヒノカミ神楽と言うのは知らないけれど、日の呼吸については少しばかりね。話をする前に、上がらせて貰って良いかな」

 

老人とは思えない動作で玄関を上がり、その際にも鈴の音が鳴る。屋敷に響くその音は、事態が再び動き出す事を暗示していた–––––––––。

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛(右腕損傷)
上弦の肆との戦闘の結果右腕の一部が炭化した状態。足回りには特に問題はないが、右腕が使えない弊害で体幹が脆くなっている。短刀を用いた戦闘を行う事はできるが、当然のことながら推奨はされない。

小屋内権兵衛(良かれと思って)
良かれと思って何かを企てる少年。毎度のことであるが、色々と加減が効かない。

胡蝶しのぶ
小屋内権兵衛を案ずる少女。薄々自分の感情に気がついているものの、柱という身分や件の人物の性格を考慮し色々と迷っている。

神崎アオイ
小屋内権兵衛を憎からず思っている少女。現在は美味しい団子を作るために色々研究しているとかいないとか。




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鬼殺隊一般隊員は恩師と邂逅する

誤字報告、感想及び評価ありがとうございます。作者のかけがえのないモチベーションの一つとなっております。
また誤字報告に関しまして、最新話のみならず過去の話までご指摘頂いて本当に頭が下がる思いです。これからもどうかよろしくお願い致します。

※一部描写を訂正しました。


「–––––さて、まずは自己紹介しないといけないね」

 

炭治郎と老人しかいない蝶屋敷の客間。木製の机を挟み、湯気の立つ湯呑みを互いに一度呷ると、老人が静かに話し始める。

 

「私は鈴嶺(すずみね)鈴嶺弥生(すずみねやよい)だ。小屋内権兵衛と小屋内柊の育ての親で、過去に水柱を務めていたしがない老人だよ」

「水柱という事は、冨岡(とみおか)さんや鱗滝(うろこだき)さんの前に柱を務めていたと言う事、ですか」

「その通りだけど…意外だね、鱗滝の名前を知っているなんて」

 

炭治郎から鱗滝の名前が上がった事に驚くと、手に持っていた湯呑みを机に置く。

 

「はい。鱗滝さんは、自分の育手なんです」

「育手……成る程」

 

どこか安心したように口元を綻ばせる。その仕草にどこか既視感を覚えるが、それをどこで見たのかと思考を巡らせる事なく会話が続く。

 

「彼の修行は厳しかっただろう。良く頑張ったね」

「確かに厳しい人でしたが…それ以上に、優しい人でした」

 

厳しく辛かった修行時代だが、あの人のお陰で今の自分がある事を確信している炭治郎ははっきりと断ずる。

その毅然とした姿に笑みを浮かべると「所で」と言葉を続ける。

 

「彼はまだ天狗のお面を付けているのかい?」

「はい。付けています」

「…そうか。いや、個々人の自由だからね、うん」

 

「なんでまだ付けてるんだ…もう引退したんだろう…」と指を目に当てる。何か関わりがある事を察するが、それの興味よりもヒノカミ神楽の話の優先度が超えたのか、炭治郎が「あの」と会話を切り替える。

 

「それでその、ヒノカミ神楽––––日の呼吸について、何か知っているんですよね」

「少しばかりね」

 

鈴嶺の視線が炭治郎に向けられ、和やかだった雰囲気が消える。

 

「伝承によると、日の呼吸を扱う剣士は君の様に(ひたい)(あざ)があり、花札に似た耳飾を付けているとの事だ。恐らく君は、その剣士の直系か親族なんじゃないかな」

「けれど、うちは代々炭火焼の家系です。過去に剣士がいた事なんて…」

 

権兵衛に良く似た、とても穏やかな声色だと炭治郎は感じる。緩やかな風の様に静かな声は、彼の口調そのものだ。

 

「そもそも、この痣だって後から出来た物です。自分がその、始まりの剣士の直系とはとても思えません」

 

実際の所、炭治郎の額にある痣は幼少期下の子供を庇って出来た火傷痕に、最終選別時に会敵した手鬼と呼ばれる鬼から負傷した怪我が重なって出来た物だ。

その事実を聞いた老人は眉を顰め、下顎に指を当てる。

 

「…過去に何かあったと捉えるべきだろうね」

「それで日の呼吸とは、具体的にどんなもの何ですか?」

 

老人が手に持っていた湯呑みを置き、黒い視線が向けられる。

 

「極めて端的に話すのであれば日の呼吸とはつまり、始まりの呼吸だよ」

「始まりの、呼吸」

 

炭治郎が復唱し、鈴嶺が頷く。

 

「すべての呼吸の生みの親であり、今も残る呼吸を形成した原初の技だね」

「それって、凄いものなんですか」

「凄いよ。まず間違いなく、最強の呼吸だ」

 

はっきり「最強」と言い張る。

その声に揺らぎは無く、炭治郎も匂いから嘘は言っていない事を感じ、微かに手汗が浮かび上がる。

 

「そんなに凄い呼吸が、どうして自分の家系に…」

「詳しい事はわからない––––けど、鈴の呼吸の剣士に日の呼吸の剣士。この二人が同じ時代に現れたという事に、私は運命を感じているよ」

「鈴の呼吸…それって、権兵衛さんの」

 

鈴の呼吸。鬼殺隊所属、階級甲の小屋内権兵衛が会得した全集中の呼吸であり、鬼の血鬼術を弱めることの出来るとされる物。

 

「そう。彼が鈴の呼吸を会得したと聞いた時は驚いたよ。碌に教えてなかったからね」

「教えなかったんですか?どうしてそんな…」

「習得出来ない可能性が高かったから。だったら、確実に使える水の呼吸を教えた方が戦力になる」

 

あっけらかんと言い放ち、再び湯飲みを啜る。

 

「鬼殺隊の人手不足は君も知っている所だ。才能ある人間はなるべく早く前線に投入する、当然さ」

「けど……」

「それに、鈴の呼吸に限らず全集中の呼吸は全員が使える訳じゃない。使うには、明確な才能が必要なんだ」

 

「例えばこれ」と告げ、徐に杖を持ち上げる。その持ち手を引き抜くと綺麗な藍色の刀身が覗かれ、太陽の光に反射して綺麗に光る。それは、権兵衛が使っていた鈴鳴り刀と同じ光だった。

 

「その杖、仕込み刀だったんですね」

「お洒落だろう?鉄珍に作って貰ったんだ」

 

おちゃらけた風に笑うと抜かれた刀身を机に置き、その表面を指で撫でる。

 

「日輪刀が色付くのは才能がある者だけだ。これに色が付かない人間は総じて全集中の呼吸が使えない、若しくは剣の才能がないと思ってまず間違いない」

「成る程…」

「けどね、鈴の呼吸は日輪刀が色付いたから出来る訳じゃないんだ」

 

仕込み杖を納刀すると、困った笑みを浮かべて肩を竦める。

 

「鈴の呼吸を扱うには全集中の呼吸に加えて、極めて繊細な剣筋が要求される。全集中の呼吸が出来るからといって、鈴鳴り刀を鳴らすことは出来ないんだよ」

「難しい技なんですね…」

「その通り。あまりの難しさから使えない人が殆どだったよ。––––だから、権兵衛が鈴の呼吸を会得したと聞いた時は本当に驚いたよ」

 

そう言い、多少の寂しさを感じさせるように笑う鈴嶺。しかし、そこで炭治郎はある疑問を覚える。

 

「それじゃあ、鈴嶺さんも鈴の呼吸を使えなかったんですか?」

「私は使えなかった訳じゃ無い。使い(こな)せなかったのさ」

 

そういうと小さく息を吐き、人差し指と中指を持ち上げる。

 

「私が使えた鈴の呼吸は壱の型と弐の型だけで、それ以外は使えなかったんだよ」

「二つだけ、ですか」

「うん。しかも一度使うとかなり疲れてね、とてもじゃ無いけど連発なんて出来なかったんだ」

「それって、自分のヒノカミ神楽と同じ…」

 

一度使うと多大な疲労を伴うヒノカミ神楽と同様だった事実に驚愕する。何故なら、現在鈴の呼吸を使う事のできる小屋内権兵衛は技を難なく連発しているからだ。

 

「だからこそ、権兵衛の異常性が光るという訳だね」

 

日の本中を駆け回るズバ抜けた筋持久力に、夜更けから夜明けまで鬼と戦い続ける人並外れた体力。その二つを併せ持った権兵衛だからこそ為せる技、というべきだろう。

 

「権兵衛は私の想像の遥か先を行った。本当に、自慢の弟子だよ」

「鈴嶺さんも、権兵衛さんと同じで育手の人から鈴の呼吸を教わったんですか?」

「…うん、そうだね」

 

変わらない口調だけれど、その言葉に何か別の感情を感じる。

 

「その人は鈴の呼吸を使えたんですか?」

「いや、師匠は鈴の呼吸は使えなかった–––––––––––使えなかったんだよ」

 

鈴嶺が木目の天井を見上げ、力なく呟く。無力感に満ち、悲観に暮れたその声からは、何があったのか想像もする事ができない。

 

「とにかく、始まりの呼吸とされる日の呼吸はとても強力なものだ。もし物にできたのであれば、鬼殺に大いに役立つだろう」

 

「精進あるのみだね」と笑い、一息に湯呑みを呷ってから息を吐く。

 

「わかりました。その、色々と教えてくれてありがとうございました」

「此方こそ、鱗滝の弟子と話せて良かったよ」

 

そう言うと引き締まった雰囲気一転し、緩やかな空気が流れる。鈴嶺が空いた湯呑みに時間が経って少し濃くなったお茶を急須から注ぐと、一度呷ってから口を開く。

 

「所で炭治郎君。一つ頼みがあるんだけど、良いかな」

「なんでしょうか?」

「権兵衛に贈られてきた荷物がどこにあるか教えて欲しいんだけど、頼めるかい?」

「良いですけど、何かあるんですか?」

 

こてんと首を傾ける炭治郎に「いやね」と多少恥ずかしそうに頰を掻く。

 

「––––––私の愛弟子がどんな人達を救ってきたのか、それに興味があるだけさ」

 

そう言って微笑む姿は、権兵衛が浮かべる優しい微笑みにそっくりだった––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

____________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「––––––それじゃあ小屋内さんは、兄と尾張(おわり)の方で出逢ったんですね」

 

千寿郎君の淹れてくれたお茶と栗羊羹(くりようかん)に舌鼓を打ち、会話に花を咲かせる。

 

「そうだね。雨が降っている時だったから、よく覚えているよ」

「その時の鬼はどんな鬼だったんですか?」

「巨大化する鬼だったよ。煉獄さんが居なかったら、夜明けまで粘る事になっていただろうね」

 

柱の中でも煉獄さんの第一印象はそれはそれは強烈だった。迫力ある顔もそうだが、なにより圧が凄かったからだ。

 

『戦場に鈴は不要だろう‼︎外す事をお勧めするぞ‼︎』

 

強い眼光と共にそう言われた時は、それこそ貴方の髪の方が戦闘に不要になるのでは、と愚考した程だ。

 

「それからも何度か煉獄さんとは合同で任務が重なってね、気が付いたら色々と面倒を見て貰っていたよ」

「兄上らしいですね」

「何事も正面から突破しようとする所は、流石にどうにかして欲しかったけどね…」

「あ、兄上らしいですね…」

 

障害の(ことごと)くを粉砕して鬼の頸を斬る姿は多くの隊士に勇気を与える物だろう。しかし、見ているこっちとしては緊物だ。

 

「けど、鬼の策ごと頸を斬る事のできる人は稀だ。杏寿郎さんは、紛れもない最強の一角だよ」

 

圧倒的な剣術と身体能力で血鬼術毎鬼を殺す事ができるのも一つの才能だ。迅速な討滅は時間的余裕を生み、次の現場に向かう時間を早めることができるからだ。

自分に彼のような突破力があれば、と考えた事だって一度や二度じゃない。より多くの人を救う為にと邁進していた自分にとって、煉獄さんの後ろ姿は憧れの一つだった。

 

「小屋内さんは凄いです。兄と一緒に、肩を並べて鬼と戦えるなんて」

「…千寿郎君?」

 

俯き、唇を噛み締める千寿郎君。視線を巡らせると、袴を強く握りしめている事が分かる。

 

「私は、鬼殺の剣士にはなれません。兄の様には、なれません」

「…そこまで断言するって事は、日輪刀が色付かなかったんだね」

 

悔しさを滲ませながら頷く彼に「そっか…」と相槌を打つ。

炎柱の弟の日輪刀が色付かなかったという事実は多分、目の前の少年を相当に追い込んだのだろう。なまじ兄の才能が圧倒的であるが故に苦しんだ筈だ。その事は、彼の悔しそうな声色から容易に想像が付く。

 

「本当なら、兄の弟である自分が柱の控えとして実績を積まなければならないんです。けど、私は……」

 

言葉の端々から悔しさが滲む。煉獄さんが重傷を負ったと言う事実も、彼の罪悪感に拍車を掛けているのだろう。

兄に、自分の憧れに届かないと明確に突き付けられる辛さは、自分には分からない。この子にとって自分は「向こう側」の人間で、幾ら言葉を弄してもなんの慰めにもならないだろう。

 

 

「…凄いね、千寿郎君は」

 

 

––––––––それでも、言わなくちゃいけない場面だと思った。

 

 

「えっ…?」

「声を聞いていると分かるよ。君はまだ、諦めてないんだろう?」

 

悔しさに塗れた声––––けど、まだ諦めていない事だけは分かった。

 

「無駄かもしれない、報われないかもしれない。そう思っても尚頑張り続けられる人は、本当に強い」

「けど、自分には才能なんて…」

「才能の一言で片付けられる程、君の覚悟は安くは無いよ」

 

栗羊羹を楊枝で一口大に切り、そのまま口の中に放り込む。

俯き考え込む彼を横目にした後、玄関側の襖(・・・・・)を一瞥し、暖かいお茶を呷って羊羹の甘味を打ち消す。

 

「煉獄さんは今怪我を負っている。快復する事は間違いないけど、全快するまでには時間がかかるだろう。その間、彼に稽古を付けてもらうのは如何だろう?」

「けど、兄の時間を自分に割いて貰う訳には…」

「良いんじゃないかな。もしかしたら、最近弟と話せていないって寂しがってるかも知れないよ?」

「…そうでしょうか?」

「うん、煉獄さんはあぁ見えて寂しがり屋だから」

 

暫く悩んでいる素振りを見せる千寿郎君だけれど、やがて「…わかりました」と頷く。

 

「今日、兄に頼んで見ますね」

「それが良い」

 

栗羊羹の最後の一欠片に楊枝を刺し、お茶と共に口の中に入れる。うん、とても良い和菓子だった。

 

「さて、それじゃあここらでお暇させて貰おうかな」

「えっ?兄はまだ帰ってきてませんけど…」

「お兄さんとはまた後日会う事にするよ。それに、この後少し用事もあるからね」

 

畳から立ち上がり、千寿郎君に軽く会釈する。

 

「今日は話せて良かったよ。頑張ってね、千寿郎君」

「小屋内さんも、またいらしてください」

「ありがとう、それじゃあまた」

 

そう言って襖を開ける–––––前に「あぁ、そうだ」と声を上げる。

 

「見送りは大丈夫。それよりも、新しくお茶を淹れてあげて」

「へっ?それって如何言う–––––––」

「それじゃあ、お邪魔しました」

 

千寿郎君の言葉を最後まで聞く事なく襖を開け、外に出る。

 

「…さて、と」

 

襖を最後まで締めると、襖の直ぐ近くに佇んでいる包帯を巻いた男性––––煉獄杏寿郎さんに向き直る。

 

「聞き耳を立てるなんて感心しませんよ。煉獄さん」

「うぅむ…悪気は無かったのだがな…」

 

悪かったと思っているのか、眉を下げて肩を竦める。その仕草に「別に気にしてませんよ」と笑い掛け、そのまま言葉を続ける、

 

「本当にいい弟さんですね。折れず曲がらず、素晴らしい人です」

「そうだろう。千寿郎は自慢の弟だ!」

「ちょ、声が大きいですって」

 

突如声量を上げる彼の唇に指を当てる。近くに千寿郎君がいるのだから、もう少し考えて欲しい所だ。

 

「…千寿郎君の事、ちゃんと見てあげてくださいね」

「言われるまでもない。お館様から頂いた余暇を使って、千寿郎を鍛え抜くとも」

「そこまで言うなら安心です」

 

意気揚々と頷く彼に釣られて笑みを浮かべる。この人と千寿郎君なら、例え日輪刀が色付かなくとも、鬼殺の剣士にならなくとも大丈夫だ。そんな、根拠のない確信がある。

 

「それじゃあ、自分はここで失礼します。無限列車のお礼は、また改めてですね」

「お礼は必要は無いのだが…了解だ。その時は飯でも行こう」

「是非、お願いします」

 

「ではな、権兵衛少年」と手を上げる煉獄に頭を下げ、その場を後にする。

 

「帰ったぞ千寿郎!」

「兄上、お帰りなさい。丁度今さっき小屋内さんが–––––」

 

楽しそうな二人の会話を背景に煉獄家の廊下を歩く。

なるべく音を立てない様に玄関にたどり着き、草履を履いて外に出ると微かに赤みを帯びた空が目に映る。

 

「…帰るか」

 

眩い西日に微かに目を細めた後、蝶屋敷への家路を辿ろうと足を踏み出す–––––––すると、右後方から「おい」と声が掛かる。

 

「…?」

 

その声に振り向くと、煉獄さん達と似た顔立ちに無精髭を生やし酒瓶を片手に持つ男性が視界に入る。多少離れていても酒の匂いがする事から、相当飲んでいる事が伺えた。

 

「もしかして、元炎柱の––––––」

「千寿郎に余計な事を吹き込むな」

 

 

たった一言。もしかしたら酔っぱらった衝動で吐いた言葉かも知れない–––––––けれど。

 

 

「–––––––そうですか」

 

 

––––––––その一言は、自分にとって致命的だった。

 

「千寿郎には幾ら稽古を付けた所で無駄だ。才能のない者の背中を押して、お前は何がしたいんだ?」

 

憤怒と侮辱が混じった声に肩を竦める。

 

「才能があるかないかについては、限界まで足掻いた後に決まる物です。芽吹いてもいない草に、良し悪しも付けられないでしょう」

「詭弁だな。お前の何気ない一言が人を殺すんだ」

 

言われのない言葉をぶつけられても尚、なんの感情も浮かんでこない。言葉と言うのは話す人によって重さが全く異なるのだな、と見当違いな考えすら浮かぶ。

 

「杏寿郎を含めた私の息子達にはなんの才能もない。いつかは鬼に殺されるのが関の山だ」

「例えそうだとしても、死ぬその時までにあの人達は何百の人を救うでしょう。私は、そんな彼らを心から尊敬します」

 

言外に貴方は尊敬に値しないと告げる。その意図を理解したのか、眉間に皺が走り怒りが露わになるが、相手にする必要は無い。

 

「用事があるので、そろそろ失礼します」

 

諦めた人間に何を言っても仕方ないと考え、再び踵を返す。煉獄家の門から道に出るその刹那に、首だけ振り返って無精髭の面を睥睨する。

 

「–––––諦めた人間が、必死に足掻こうともがく人間を嘲笑うのは楽しいだろうな。精々死ぬまで愚痴を零してろ」

「–––––––貴様‼︎」

 

手に持っていた酒瓶を地面に落とし、弾かれた様に向かってくる男性。大きく振りかぶられた拳は自分の頭部目掛けて振るわれるが、その前に身体を捻って胴元に肘を叩き込む。

 

「ガッ–––––––⁉︎」

 

全集中の呼吸によって強化された肉体は彼の筋肉を容易く破り、口から酸素を吐き出させる。鳩尾に入った肘を引き抜き、そのまま右頬を左拳で殴り付ける。

殴られた男性は鞠の様に弾かれて壁に激突し、口から唾液の混じった血を吐き出して地面に(うずくま)る。

 

「貴方が何に絶望し、諦めたのかは知らない。元炎柱だ、きっと自分では想像もつかない何かがあったのでしょう」

 

蹲っている彼の襟元を捻り上げて持ち上げる。体液で汚れた覇気のない顔が間近に映り、そのまま背中から壁に叩きつける。

 

「けど、それは貴方の問題だ。貴方の気持ちを、あの二人に押し付けるな」

「何も、知らない小僧が…!」

「何かを知ってしまって足を止めるより、何倍もマシですよ」

 

彼の目から闘気が消えたのを見計らい襟元を離して手を払う。その後、再び彼の瞳を一瞥する。

 

「さっきの動き…貴方、まだ戦えるじゃないですか」

「…チッ」

 

座っている姿勢からあれだけの速さで疾走する身体能力…とてもじゃないが、酒に溺れている中年のそれでは無かった。

 

「どうして諦めたんですか。貴方程の腕があれば、何人もの人が––––」

「煩い!人間は産まれた時から能力が決まっている、所詮私も貴様も、そこらにいる有象無象に過ぎないのだ‼︎」

 

身を裂く様な叫びだった–––そしてその言葉は、自分の嫌な部分を突き刺した。

 

「–––––だからって、諦めるわけにはいかないでしょう」

 

力なく拳を握り、か細い声で呟く。

––––才能がない有象無象。そんなの、殆どの隊士が痛感している事だ。

目の前で取り零した命、手の届かなかった命––––数えるのも億劫な程見てきた、惨劇の数々。その度に唇を噛み、自らの不甲斐なさに静かに涙を流して来た。

 

「…お前」

「足を止めたら、それだけ悲しむ人が増える。腕を止めたら、それだけ鬼が人を喰う隙を与える。有象無象だからって、諦めて良い訳がない」

 

無残に焼け焦げた右腕–––––自分の無力の象徴を一瞥し、一息吐く。

 

「…其方が仕掛けて来た事とは言え、やり過ぎました。怪我が酷い場合は、烏を通して然るべき金額をお支払いします」

「…ふん、いらん心配だ」

 

強がっている口調で口元を拭い背を向ける男性を見遣る。足下が覚束ない姿勢から、言葉よりも効いているようだ。

これ以上話す事もないとその場から立ち去ろうとすると、背中から声が掛けられる。

 

「おい小僧。最後に聞かせろ」

「…なんでしょうか」

「–––––何故、お前は鬼殺隊として戦う」

「そんな事ですか。簡単ですよ」

 

–––––頰を緩やかな風が撫で、微かに鈴の音が残響する。

どうして血を流してまで、辛い思い出をしてまで戦うのかなんて、その理由は一つしかない。

 

「–––––––鬼の存在が許せないから、只それだけですよ」

 

眩い西日が頰を指す。もうすぐ、日が暮れようとしていた–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「父上⁉︎どうしたんですかこの怪我は⁉︎」

「えぇい煩い!酒に酔って転んだだけだ‼︎」

 

赤を通り越して青くなった頰に手を当て、覚束ない足取りで玄関の戸を開ける父に千寿郎が駆け寄る。しかしそれを手を振って拒むと、そのまま壁伝に歩く。

 

「転んでそんな怪我はしませんよ!一体誰が–––」

「む、父上!酔って転ぶとはやはり飲み過ぎでしょう!手を貸しましょうか?」

「えぇい、黙っておれ‼︎」

 

その様を見た杏寿郎は快活に笑い、父親に手を貸す–––が、それも当然跳ね除けられる。

 

「…少し考え事がある。暫く放っておいてくれ」

 

何やら含みのある一言と共に自室の戸を締め切る父親を、二人の息子が見守る。少しの間襖を見続けると、やがて杏寿郎が「…ふむ」と顎に手を当てる。

 

「権兵衛少年には借りを作ってばかりだな」

「えっ?という事は、あの怪我は小屋内さんが…?」

「幾ら酒に酔っているとは言え、父上は元炎柱だ。それをあぁも打ちのめせる人物など、彼以外に居ないだろう」

「しかし、どうしてそんな…」

「父上が何か言ったのだろう。悪戯に力を振り翳す少年ではないからな」

 

目に見えて動揺する千寿郎の頭に手を置き、優しく撫でる。すると快活な笑みを浮かべ「それより見たか、千寿郎」と意気揚々と語る。

 

「何をですか?」

「父の顔だ。何かを真剣に考える素振りなど、母が死んでからはてんで見ていない。恐らく、権兵衛少年に何か考えさせられることを言われたのだろう」

 

心底嬉しそうに語る杏寿郎の姿に首を傾けるが、兄が嬉しいのなら自分も嬉しいと千寿郎も笑う。

 

「もしかしたら、父上も変わるかも知れないな」

「そうでしょうか…?」

「かも知れん…だが、まずは飯にしよう!」

「わかりました、では準備をしますね」

「俺も手伝おう千寿郎!」

 

機敏な動きで手を上げる杏寿郎に首を振り、毅然とした声で断る。

 

「駄目です。兄上は怪我人なんですから」

「…むぅ」

 

どことなく寂しそうに呟く兄に笑い、父––––煉獄槇寿郎の部屋から二人が立ち去る。

 

「そうだ千寿郎、明日は朝から稽古を始めようか‼︎私は今怪我人だし、付きっきりで見てやれるぞ!」

「ありがとうございます!」

「最近はあまり見てやれなかったからな…。これも、良い機会だろう」

 

良い機会との単語に千寿郎が「そういえば」と何かを思い出し言葉を続ける。

 

「良い機会で思い出したのですが、今日の朝方お隣さんからさつま芋を貰ったんです。折角ですし、今日の夕飯に使いましょうか」

「そうか!それは楽しみだな‼︎」

 

煉獄家に杏寿郎の声が響き、それと同時に窓から爽やかな西風が吹き込む。清涼感に富んだその風は三人の金髪を撫で、快活な声を載せて屋敷の中を巡って行った––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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『–––––––助けて、お兄さん‼︎』

 

 

––––––あの時の記憶は、容易く自分の心を感情の炎で焼き焦がす。

 

どうして助けられなかったのか、どうして守る事が出来なかったのか。刀を抜くか否かで迷ってしまった自分への憎悪、あの少女を助ける事が出来なかった悔恨。その二つが織り交ぜられ、腐肉を煮詰めたようなどす黒い感情を生み出し続けている。

 

「…酷い話だ、本当に」

 

自分とあの酒飲みとの違いはたった一つ、諦めたのか、諦めなかったのかだ。前者が酒飲みで、後者が自分。二人の差なんてその程度だ。

自分の不甲斐なさに遣る瀬無い気持ちがあって、それに絶望して、その後どうしたかの違いでしかない。

 

「––––止めよう。考えるだけ無駄だ」

 

そこまで考えた辺りで頭を振り、濁った思考を遠ざける。

こんな事を考えた所で意味なんてない、勝手に自罰的になって勝手に赦された気になるだけだ。何の生産性もない。重要なのは自分が救えなかった人間である事、この一点だけだ。

 

「…もう蝶屋敷か」

 

嫌な思考のせいで体感時間が狂っていたのか、視界の端に見慣れた日本家屋が映る。すると、その門の目の前で白衣を着た柊がキョロキョロと辺りを見回している事が分かる。

やがて向こうもこちらを認識したのか、慌てた様子で此方に駆け寄る。

 

「兄さん!帰ってきましたか!」

「うん。ただいま、柊」

「どこに行っていたんですか!全く…心配したんですよ?」

「少し野暮用でね。それより随分焦っている様だけれど、何かあったのかい?」

 

心に残っている嫌な感情に蓋をし、いつもと変わらない笑みを浮かべる。すると柊は一度深呼吸した後、よく通る声で話し始める。

 

「落ち着いて聴いてくださいね––––––実は今、蝶屋敷に先生が来ています」

「…師範が?どうして蝶屋敷に」

「兄さんの様子を見に来たと言っていました–––––というより、あんまり驚かないんですね」

 

自分の反応が薄いと思ったのか、ふて腐れた様に頰を膨らませる柊に「そんな事ないよ」と苦笑する。

 

「けどね、あの師範だよ?やることに一々驚いていたらキリがない」

 

素手で六尺はある大熊を捻り殺したり、川に流れる大岩を容易く切り裂くのを平然とやるのが自分の師範なのである。そんな彼のやる事なす事に一々驚いていたら、心臓が幾つあっても足りない事請け合いだ。

 

「それはそうですけど…なんだか納得いきません。私なんて大声を出して驚いたのに」

「それだけ柊が素直で良い子だって事だよ。それで、師範は今どこに?」

「先程まで炭治郎さんと二人きりで話していたんですけど、今はしのぶさん達と一緒に兄さんの納屋を見ています」

「あれは別に俺の納屋じゃ…って、炭治郎君と話してた?」

 

柊の話に疑問符が浮かび、首を傾ける。

特に彼と師範に接点なんてない筈だ。それを態々二人きりで話すなんて、よっぽどの何かがあったと考えるべきだろうか。

 

「ありがとう柊。取り敢えず、今から先生の所に行ってみるよ」

「何かあったら呼んで下さいね、すぐに行きますから」

 

頭を下げる柊に手を振り、蝶屋敷の門を潜って外の納屋に向かう。玄関向かって右側の庭の隅に置かれた、かつて自分が勝手に増築したその場所には遠目ながら三人の姿が見て取れる。

鮮やかな色に染められた羽織を着た華奢な身体のしのぶさんに、隊服の上から白の割烹を被ったアオイさん。そして、漆に塗られた杖を地面に突き、長い白髪を後ろで一纏めにした老人の背後姿が見えた。

 

「–––––––お久しぶりです、師範」

 

多少離れた場所から声を掛ける。しのぶさんとアオイさんの視線が自分に集まり、最後にゆっくりと老人の視線が向けられる。

 

「権兵衛か。良かった、元気そうで何よりだ」

 

皺の増えた顔が弧を描き、目元が糸の様に細められる。そよ風の様に優しく笑うその仕草は、紛れもない師範の笑みそのものだった。

 

「権兵衛君、帰っていたんですね」

「お帰りなさい、権兵衛さん」

「ただいまもどりました…それより、納屋で何をしていたんですか?」

「権兵衛に贈られてきた品々を見ていたんだよ。それにしたって、凄い量だね」

 

そういうと右手に持っていた一枚の絵画を見せてくる。長い刀を携えてどこか寂しげに笑う剣士を描いた油絵であり、自分に贈られてきた品の一つだと分かる。

 

「これなんて権兵衛を模した絵だろう?凄い良く描けているから直ぐにわかったよ」

 

その絵を持って誇らしげに「これを描いた人は将来大成するに違いない」と笑う師範に苦笑する。

 

「自分はそこまで端正な顔立ちではないのですが…」

「謙遜する所は相変わらずだね。こういう時は胸を張ってその通りと言うのが正解だよ?」

「…考慮しておきます」

 

不承不承と頷くと「よろしい」と頷き、その絵に布を巻いて納屋へと戻す。その後、深い藍色の瞳が自分に向けられる。

 

「…君は、本当に多くの人を救ってきたんだね」

「師範のおかげです。師範が自分に剣を教えてくれたからこそ、今の自分があるんですから」

「私は道を示したに過ぎない。それを辿ったのは君だよ」

「…師範?」

 

自分を称賛する言葉だけれど、その声にはどこか別の感情が混じっている様に感じる。周りに視線を向けると、しのぶさんとアオイさんの二人もどこか元気がない様に思う。

そのちぐはぐさに違和感を覚えていると、師範が重々しい様子で皺の増えた口を開く。

 

「–––––––随分と目が濁ったね、権兵衛。初任務に送り出した時とは大違いだ」

「……色々とありましたから」

 

此方を咎める口調に頰を掻き肩を竦める。

本当に、筆舌に尽くし難い事が波の様にあったのだ。一年半前の自分とは、もはや似ても似つかないだろう。

 

「ここにいる二人からも聞いているよ。随分自分を追い込んでいたそうじゃないか」

「自分を追い込みたくて追い込んだ訳じゃありませんよ。自分を追い込まざるを得なかったから、それだけです」

「……その考えは、傲慢だよ」

 

そう言って目を伏せる師範を見て、彼が何を思っているのかを悟る。

彼は悔やんでいるのだ。只の凡人だった少年を、自分の身を削り戦いに明け暮れる一人の剣士に仕立て上げてしまった事を、後悔しているのだ。

 

「––––師範。自分は貴方に、本当に感謝しているんですよ」

 

–––––––けれど、その考えは甚だ見当違いだ。

 

「権兵衛…?」

「貴方が自分に剣を教えてくれたお陰で、本当に多くの人を助ける事が出来ました。そして、これからも多くの人を救えると考えています」

「けれど、その為に君は––––––」

「今までの行動は全て自分の意思で決めた事です。師範に剣を教えて貰ったからこうなった訳ではありませんよ」

 

今の自分に出来る精一杯の笑みを浮かべ、師範に笑い掛ける。

結局の所、自分は何処までも自分だけで完結しているのだ。師範に剣を教わらなくとも、誰に言われるまでもなく、この結論に達したのだろう。そんな、根拠のない確信がある。

 

「師範が俺に、人を救う手段を教えてくれたんです。本当に、感謝してもし切れません」

 

自惚れる訳ではないが、自分が刃を握ったお陰で助けられた命は確かにあった。だからこそ、師範は悪くないと胸を張って言い切れるのだ。

 

「それにですね。今の自分には守りたい、絶対に守り抜くと決めた場所も出来たんです」

「…もしかして蝶屋敷(ここ)、ですか?」

 

しのぶさんの言葉に頷き、屋敷へ視線を送る。

 

「自分はこの場所に何度も命を救われました。一生掛かっても返せるかわからない恩が、此処にあるんです」

 

身体の怪我は勿論、ここにいる人達が自分を「人間」足らしめてくれているのだと思う。この場所を知る事がなければ、自分の心はとっくに擦り切れていただろう。

 

「そんな大切な蝶屋敷(ここ)を守る力をくれたのは師範です。だから師範は何も悪くない、むしろ誇るべきなんです。私は弟子に、戦うための最高の術を与えたって」

「…全く、本当に面倒臭い弟子を持ったものだね」

「今更ですよ、そんなの」

 

心底呆れた様に溜息を吐き、その後困った様に笑みを浮かべる。自分が幼い時によく見た、呆れながらも許す時に浮かべる笑みだった。

 

「色々と言いたい事はあったけれど、今の権兵衛には意味がないだろう。だからせめて、一つだけ言わせて欲しい」

「何でしょうか?」

 

手に持つ杖から藍色の刃を光らせ、にっこりと笑う。

 

「孫の顔を見せるまで死ぬ事は許さないから、そのつもりでね」

「–––––––善処します」

 

下手をしなくとも鬼を殺すよりも厳しい難題に、捻り出す様に頷く。

とんでもない事を言ってくれたものだと内心辟易する自分と、師範らしいと微笑む自分が混在する。

 

「孫の下りは冗談とは言え、強ち全部が冗談という訳じゃない。鬼が居るこの世では、君は人並みの幸せを享受する事を拒むだろう?とことん自分に厳しい悪癖があるからね」

「別に悪癖とは言えないのでは…?」

「悪癖です」

「悪癖ですね、間違いなく」

「……ハイ」

 

しのぶさんとアオイさんの二人ににべもなく告げられ肩を竦める。ちょっと頑張り屋なだけなのに…。

 

「だから、まずは鬼を出来得る限り滅殺すると良い。そして、自分が納得出来るまで日輪刀を振るい続けたなら、その後は誰かと結ばれて、幸せになって欲しい。それが、私から君への最後のお願いだよ」

「…わかりました。約束します」

 

並々ならぬ想いを含む声に、静かに頷く。

 

「ありがとう–––––そろそろ夜になるね」

 

その言葉に倣い空を見上げると、茜色に輝いていた空が黒く染まり、月が輝く夜が訪れる。

 

「––––鈴の呼吸は剣技に非ず、神前に捧ぐ神楽也」

 

暗くなる空を黙って見上げていると、ふと師範が口ずさむ。

 

「鈴の呼吸の書物に書かれた一文だ。私と私の師匠はその言葉の意味が最後までわからなかったけれど、もしかしたら権兵衛には分かるかもしれないね」

「どうでしょうか。師範も知っての通り、自分はあまり頭が良くないので」

「感覚の問題さ。そういうものは、頭の良し悪しに関わらず直感的に理解できるものさ」

 

どことなく寂しそうに笑うと、藍色の眼が向けられる。その時、聞かなければいけない事を一つ思い出す。

 

「師範、鈴鳴り刀の事についてお聞きしたい事があるのですが…」

「権兵衛の事だ、完成までの期間が未定と聞いて焦っているのだろう?」

「…良くご存知で」

 

心の内を見事に当てられて苦笑する。

 

「鈴鳴り刀の製刀には特殊な玉鋼を使う。完成が未定なのは、それがいつ届くかわからないからだね」

「特殊な玉鋼、ですか」

「うん。私も詳しいことはわからないんだけれど、陽光山の麓にある神社からその玉鋼が里に送られるらしい」

「…何故神社が?」

「言ったろう?私も詳しい事はわからないと」

 

どうして日輪刀の鍛造に神社が関与するのかと思考するが、何の関係性も見出す事の出来ずに思考を手放す。

師範に聞こうと口を開くが、肩を竦めて「神道は秘密主義だからなぁ…」と零す師範に何かあった事を悟り、事前に閉ざす。蛇がいると分かっている藪を態々突く必要もない。

 

「それにしたって、ここまで長い間私の日輪刀を使うとは思っていなかったよ。自分の刀が欲しいとは思わなかったのかい?」

「特には。それに、師範の刀の方が綺麗な色ですから」

「…そうか。なら良かった」

 

どこか嬉しそうに目を細める師範を眺め、再び視線を空に向ける。すると何かを思い出したのか「そういえば」と口を開く。

 

「私が寄木細工に入れて送った鈴はまだ持っているのかい、権兵衛」

「えぇ。ですけど、あれにどんな意味が…?」

「師匠から聞いた言葉によると、あれは約束の鈴と言うらしい。鈴の呼吸を使う剣士が肌身離さず持っていたとされている物だね」

 

特別な鈴だとは思っていたが、どうやら自分が思っていたよりも重要な何かを抱えているのかもしれないと考える。

 

「約束の鈴、ですか…」

「まぁ、鳴らない鈴を鈴と言い張るなんておかしな話だとは思うけどね」

「それでも、師範から贈られた物ですから。大切にしますね」

 

軽く胸を張ってそう告げると、師範がキョトンとした様子で固まり、少し経つと息を吐く。

 

「––––本当に、鬼狩には勿体ない程良い子だね、権兵衛は」

「…どういうことですか?」

「自慢の孫って事だよ」

 

言葉の意味が分からず首を傾けると硬い掌が自分の頭に乗せられ、優しく撫でられる。何度もしてもらったその感覚に、自然と笑みが溢れる。

 

「さて、私はもうそろそろお暇させて貰おうかな」

「もう遅いですし、屋敷に泊まって行ってはどうでしょう?」

「権兵衛にも会えましたし、もう大丈夫です。お心遣いだけ受け取っておきますね」

 

しのぶさんの誘いを丁寧に断ると、自分の頭から手を離して背を向ける。

 

「–––権兵衛、くれぐれも身体には気をつけるんだぞ」

「はい、師範こそ」

「柊にもよろしく言っておいてくれ。それじゃあ皆さん、良い夜を」

 

その言葉とともに視界から師範が消え、何かが空を切る音が微かに響く。–––––立ち振る舞いから察していたが、まだ衰えは来てないらしい。

 

「…何者なんですか、あの人は」

「一応、先先代水柱ですね」

 

目を見開くしのぶさんに笑って語る。

 

「そういう訳ではなく……まぁ、良いです。夜も更けて来ましたし、そろそろ屋敷に入りましょうか」

「そうですね」

 

「私は夕餉の準備をしますね」と先に屋敷に入っていくアオイさんを見送り、しのぶさんと二人並んで屋敷の玄関へと向かう。

 

「良い月ですね、しのぶさん」

「えぇ、今日は月が良く見えます」

 

穏やかな西風に乗って微かに藤の花の香りが鼻に届く。鬼達の夜は、始まったばかりだった––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…にしたって、今日は疲れたなぁ」

 

蝶屋敷の縁台に腰掛け、小さく息を吐く。

煉獄家への訪問や突然の師範来襲という濃い内容の1日を過ごした為か、普段よりも疲労が溜まっている様な気がする。

 

「こういう時は甘い物に限るよ」

 

自身の側に置いたお盆の上に置いてあるカステラを一つ手に取り、半分頬張る。和菓子とは異なるハイカラな甘さに舌鼓を打ち、玄米茶の芳ばしい香りを楽しんでから一口啜る。うん、美味しい。

 

「うまうま」

 

玄米茶の余韻をカステラで打ち消し、再び玄米茶を啜る。身体に溜まっていた疲労が霧散していく様に覚えながら、再びカステラを手に取る––––––その時、耳に慣れた鈴の音が聞こえる。

 

「…うん?」

 

途中まで持ち上げたカステラをお皿に戻し、音の鳴った方を見遣る。すると、廊下の影から竹を咥えた少女が小首を傾けながら現れる。

 

「こんばんは禰豆子ちゃん。それ、気に入って貰って何よりだよ」

「むー」

 

右手に括られた鈴を鳴らしながらとてとてと歩み寄り、此処が定位置と言わんばかりにぽすんと膝に収まる。そのまま身体を揺らして何かを待つ様に目を細める彼女に微笑み、優しく頭を撫でる。

 

「むー♪むー♪」

「ご機嫌だねぇ」

 

頭を撫でられてご機嫌なのか、ニコニコと笑う彼女の愛らしい姿を見て頭を撫で続ける。

 

「むー?」

 

少しの時間そうしていると、今度は別の足音が耳に聞こえる。規則正しいその足音は徐々に近づいてきて、禰豆子ちゃんと同じ廊下の影から一人の少女が現れる。

 

「–––––権兵衛さん?」

「こんばんは、カナヲちゃん。任務から帰ってきたんだね」

 

普通の隊服とは異なる洋袴を着用した端正な顔立ちの少女、栗花落カナヲちゃんが影から顔を出す。肩に羽織った白の羽織が微かに土に汚れている事から任務帰りだと察し、微笑みと共に労いの言葉を掛ける。

 

「お疲れ様。もし良かったら甘い物でもどうかな?」

「……頂きます」

「うんうん、素直なのは–––––––うん?」

 

一度頷き、静かに隣に座る彼女を見る–––––なんだろう、雰囲気が前よりずっと丸くなった気がする。

そんな自分の視線を知ってか知らずか、お皿に乗せられたカステラを手に取ってパクパクと食べ始める。その様子に呆気取られつつも、もう一つある湯飲みに急須から玄米茶を注ぎ彼女に手渡す。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます」

 

湯呑みを受け取り一度呷るその姿は眩い月に当てられてか、まるで一枚の絵画の様に様になっている。それにしたって、雰囲気が随分と柔らかくなったに思える。表情こそ前と変わらないが、那田蜘蛛山の時のこの子を知っている自分からして見れば別人の様だ。

 

(…ま、良いか)

 

何かあった事は間違いけれど、別に詮索するに値しないと断じて湯呑みを呷る。彼女の雰囲気から察するに、事態が好転したのは間違いないからだ。

 

「…むー?」

 

そのまま少しの間そうしていると膝から禰豆子ちゃんが顔を出し、カナヲちゃんをこてんとつぶらな瞳で見つめる。

 

「貴女も居たのね、禰豆子」

「フガ!」

 

そんな彼女の頭をカナヲちゃんが優しく撫でる。その時微かに、本当微かだが、人形とは違う心からの微笑みを浮かべたカナヲちゃんを見た–––––初めて人間らしい表情を、見る事が出来た。

 

「–––––そっか。君の心にも、火が灯ったんだね」

 

その表情を見た時、口から安堵に塗れた声が意図せず溢れる。

 

「…えっと」

「炭治郎君は凄いな、本当に。人の心を拾い上げる事が出来るんだから」

「…………ど、どうして炭治郎だと分かったんですか?」

「禰豆子ちゃんに向ける表情で分かるよ。今まで無表情だったから余計に、ね」

 

「あぅ…」と赤くなった顔を俯かせる彼女に微笑み、空に浮かぶ月を見上げる。澄んだ空に浮かぶそれは眩く輝いていて、暗い夜を照らしている。

そんな月を見上げていると、ふと頭に一つの名案が浮かぶ。

 

「そうだ。二週間後のお祭り、炭治郎君達と周るのはどうだろう?」

「…えっ?」

「二人きりは善逸君や伊之助君がいるから難しいかも知れないけれど、同期同士親睦を深めるのも良いと思うよ」

「…っ」

 

なんて答えるのか迷ったのか、懐から銅貨を取り出して震える手で弾く––––––前に、その手を左手で抑えて彼女の瞳を覗き込む。

 

「カナヲちゃん自身は、どうしたいんだい?」

「–––––––––その、一緒が、良いです」

 

耳まで顔を赤くし、本当にか細い声でそう囁く彼女に頷き「だったら勇気を出さないとね」と肩を叩く。

 

「大丈夫、彼はきっと快諾してくれるよ」

「…そうでしょうか?」

「むー!」

「ほら、彼女もそうだって言っているよ」

 

賛同の意思を見せる禰豆子を抱き上げる。

気を抜くと彼女が鬼であることを忘れそうに成る程、彼女は人間らしい。

 

「–––わかりました。今度、炭治郎を誘ってみます」

「それが良い」

 

話が纏まったのでカステラを食べようとお皿に手を伸ばす––––が、その手は空を切って終わる。

 

「…あれ?」

 

皿を見るとさっきまでは確かにあったカステラが全て無くなり、白い底面が悲しげに鎮座しているだけだ。

 

「お茶ご馳走様でした。その、お休みなさい、権兵衛さん」

「あ、うん。お休みカナヲちゃん、良い夜を」

 

湯呑みのお茶を飲み干したのか、ペコリと頭を下げて縁台から立ち去るカナヲちゃんを半ば呆然としながら見送り、その後、再び空になった皿を見遣る。

 

「……意外と食いしん坊なのかな」

「むー?」

 

こてんと首を傾ける禰豆子ちゃんに苦笑し、少し温くなった玄米茶を二度啜る。

芳ばしい後味は相変わらずだが、何故か先程よりも苦い様な気がする。

 

「––––––––これは案外、俺の案が功を奏したかも知れないな」

 

甘味がなくなったお茶会に少しの寂しさを感じながら一人呟く。空にはそんな事は知らないと言わんばかりに月が輝き、俺と禰豆子ちゃんの二人を照らしていた––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––蝶屋敷の客間の一室。夜明け前の奇妙な青さが空を支配する時間帯にも関わらず、明かりを付けないその部屋で布が擦れる音が断続的に響く。

 

「こうして見ると、やっぱり酷いな…」

 

布の擦れる音–––––包帯が解かれる音が止み、それが巻かれていた右腕が露わになる。

肩口から指先にかけて無数の火傷痕が見受けられ、肌色だった肌も薄黒く変色してしまっている腕を見た少年が呻く。その後右腕の動作を確認する様に拳を握っては解くを二度繰り返し、溜息を吐く。

 

「–––––感覚はまだ鈍い、か」

 

元の色に戻るには年単位の時間が必要と思われる右腕を一瞥すると、箪笥から新しい包帯を取り出して先程よりも薄く右腕に巻き付けて行く。この状態で生活するのは注目を集めると判断したからだ。

 

「機能回復が必要なのは間違いないけれど…まぁ、祭りまでに動けるようになって良かった」

 

包帯を巻き終えた少年は安堵した声を上げた後、白の流から鬼殺隊の隊服––––––ではなく、青を基調とした淡色の和服と藍色の羽織を羽織る。

 

「にしたって、俺には派手すぎないか…?」

 

袖を通した和服には各所に白の錦糸で鈴を模した飾縫いが施され、細部にまで手が込んでいる事から名高い職人が織った布である事が伺える。そんなお洒落な和服に袖を通した自分に口を曲げつつも「…まぁ、良いか」と納得する。

 

「なんたって、今日はお祭りだからなぁ」

 

今日を指し示す日付にはやや汚い字で「祭当日」と書かれている。

日付に間違いが無いことを確認した後、部屋の中央に並べられた風呂敷を一枚手に取る。

風呂敷の上に「胡蝶しのぶさんへ」と筆で書いた手紙を載せて一緒に持ち上げると、少年はしたり顔で笑う。

 

「後は、皆んなが起きないように枕元にこれを置いていくだけだな」

 

「喜んでくれると良いなぁ」と呑気に笑う少年––––––小屋内権兵衛が音を立てないように戸を開け、廊下に出る。

まだ日が出ない早晩の寒気に僅かに肩を震わせると、いそいそと廊下を歩き出す。彼の目的はまだ、始まったばかりだった–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「…ん」

 

–––––––襖の隙間から陽光が差し込み、眩い光が目蓋を照らす。太陽の光に微睡み緩んでいた思考が少しずつ回り始め行くのを感じ、ゆっくりと目蓋を開く。

霞む視界に布団と畳が映り、今自分が横たわっていると理解する。昨日は確か、久しぶりに布団で寝ようと思って–––––––。

 

「…そう言えば、今日はお祭りの日でしたね」

 

いつもなら研究に明け暮れて机で寝る事が多いけれど、屋敷の皆でお祭りに行く為に布団で寝たことを思い出し、温もりの残る柔らかい布団から身体を起こす。

頰に掛かる髪を背後に払って目元を少し擦ると、やがて視界が鮮明になっていく。

 

「すみ達に和服を用意しないと…あと屋台で買い物する用のお小遣いも…」

 

本当なら親の元で遊んでいる年頃にも関わらずここで頑張って貰っているのだから、せめてお祭り位は年頃の女の子として楽しんで貰いたい。そんな罪悪感にも似た感情に少し暗い気持ちになるが、首を振ってその感情を振り払う。

 

「えぇと、前に買った和服は何処に–––––––」

 

掛け布団を外して立ち上がり、三人に前に買った筈の和服の場所を探そうと戸に手を掛ける––––––––前に、視界の端に見慣れない紫色の風呂敷が映る。

 

「…何でしょうか、これ」

 

戸に掛けていた手を降ろし、蹲み込んで枕元に置いてあるそれを見る。風呂敷の上には表に「胡蝶しのぶさんへ」と筆で書かれた手紙らしき物が鎮座していて、中身が自分宛のものだと分かる。

 

「…取り敢えず、手紙から見てみますか」

 

差出人には粗方見当がつくものの、とりあえずは手紙を手に取って中身を開ける。そこには、前に一度見た事がある筆跡で短い文が記されていた。

 

『しのぶさんへ 

柊から今日のお祭りは皆んなで行くと聞きました。

とても良い事だと思います。

そこで僭越ながら、普段のお礼を兼ねて自分から細やかな贈り物をしたいと思います。

枕元にある風呂敷の物は全て自分の気持ちです。今日のお祭りで使って貰えると嬉しいです。

 

小屋内権兵衛より』

 

「…相変わらず、味気のない文章ですね」

 

前に貰った手紙同様特筆する事のない手紙に苦笑し、それと同時にこの前の『女性に贈り物云々』の質問の意味をようやく理解する。突然贈り物をして此方を驚かせようと言う魂胆だったのだろう、年相応の少年らしい行動に自然と笑みが溢れる。あぁ見えて可愛い所もあるらしい。

 

「さて、どんな物が入っているんでしょうね」

 

朝から気分が微かに高揚するのを感じ軽い気持ちで風呂敷を解く。

 

「………えっ?」

 

中身を見た途端、口から声が漏れる––––––––––風呂敷の中には、それはそれは色々な物が入っていた。

巷で流行っていて手に入れるのが難しいとされる頬紅や口紅、小さいけれど細工の細かさに高貴さを感じる簪、光沢消しが施され花と蝶を模した絵があしらわれた下駄、どれも卓越した職人の技と素材の良さが見て取れる高級品の数々。

 

「…えぇと」

 

大凡手に入れようとしたら三月ばかり程掛かる事請け合いの品々が並ぶ中身に目を見開く––––けれど、贈り物はそれで終わりではなかった。

紙に包まれたそれらの品を丁寧に取り出していくと、下から一帯の帯と着物が出てくる。

その和服を手に取ると滑らかな感触が感じられ、非常に高価な糸で織られた織物だと言う事が分かる。

若干怖くなりながらもそれを拡げると、案の定と言うべきか、今まで見てきたどの着物よりも綺麗な色が目に映った。

 

淡い桃色を基調とした下地に所々蝶々が舞い、派手すぎない絶妙な色彩を保っていて、右袖にある銀の鈴の模様からこれを作った人がどのような人物なのか一目で分かる。帯は自身が普段来ている羽織と合う様に淡い緑色で淡白に纏められ、小さな鈴と蝶の刺繍が隅にあしらわれている。

 

「これ、一体幾らするんでしょう…?」

 

技一つ一つの細やかさを鑑みるに、並の職人が作ったものではない事が分かる。しかも和服を触った感触から高価な糸を使っているとも思われ、これ一式で幾らするかなんて想像だに出来ない––––あまり言っていい言葉ではないけれど、庶民に手に入る代物ではないと推測される。

 

『–––自分でちゃんと、考えたいんです』

「–––全く、権兵衛君らしいと言えばらしいですけどね」

 

いつのまに着物の柄を決めたのかはわからない…けれど、各所に施された鈴の模様から彼自身が考え職人に依頼した事が分かる。その事実が、なんだかとても嬉しかった。

 

「権兵衛君はどこにいるんでしょうか…」

 

広げた着物を丁寧に畳んで風呂敷に戻した後、自室の戸を開けて廊下に出る。まだ朝早いから何処にも出掛けて居ないとは思うけれど、彼の事だ。日が昇らぬ内から鍛錬に勤しんでいても不思議は無い。

となると行き先は道場か彼の自室の二択に絞られる訳だけれど……。

 

「––––しのぶ様〜!」

 

視線を回し彼の姿を探していると、ふと後ろからパタパタと三つの足音と声が聞こえ振り返る。

 

「おはよう、すみ、なほ、きよ。朝からそんなに走ってどうしたんですか?」

「おはようございますしのぶ様!聴いてください!」

「朝起きたら権兵衛さんから贈り物が届いていたんです!」

「今日のお祭りに使って欲しいって書いてありました!」

「あら、そうだったんですか」

 

きゃっきゃっと喜んでいる三人に微笑み–––––瞬間、頭に一つの予感が過ぎる。

 

「…所で、一体何が入って居たんですか?」

「えぇとですね…お揃いの柄の着物と、綺麗な模様の入った下駄、後は––––」

「可愛らしい柄の櫛と、鈴のついたがま口が入ってました!」

「–––––良かったですね、三人とも」

 

 

–––––––––権兵衛君、貴方と言う人は………。

 

 

動揺を悟られない様に上手く繕う。

実際に見ていないから確証はないけれど、彼の事だ。一人を贔屓するのは良くないと言わんばかりに三人分の着物も同じ所で依頼しているに違いない。そうなると、一体幾ら掛かったのか……。

 

「–––それでですね、しのぶ様。がま口の中に、権兵衛さんの手紙からお小遣いだと思われる物が入っているんですけど…」

「その、私達には分不相応と言いますか…」

「過剰、と言いますか…」

 

そう言い、真ん中のすみがおずおずとがま口を差し出してくる。見た目からはそんなに入っているとは思えない…が、それを持った刹那、何やら重い金属が入っている事を悟る。

 

「…もしかして」

 

そんな筈はないと、頭に浮かんだ一つの可能性を首を振って否定する。幾ら一般常識が一部欠如しているとは言え、まさか金貨が入っているなんて––––––––。

 

「……………」

 

–––––––そんな自分の考えを嘲笑う様に、開かれたがま口には一枚の金貨が静かに佇んでいた。

 

「–––––取り敢えず、これは一度預かって置きますね」

「私たちのもお願いします!」

「…三人全員にですか」

 

驚きが一周巡って冷静になり、一度ため息を吐く。あの人は本当に……。

 

「所で権兵衛君はお部屋に居ましたか?」

「それが、お部屋にも道場にも居ないんです」

「隊服が壁にかかっていましたから、鍛錬はしていないと思うんですけど…」

「妙ですね…」

 

鍛錬をしていないならば一体何処に居るのか。彼が普段居そうなところを頭の中で模索している–––––すると「あれ?朝からどうしたんですか?」と気の抜けた声が静かな屋敷に響き、其方を振り向く。

 

「おはようございます皆さん。今日はいい天気で良かったですね、これなら花火も上がりそうです」

 

–––––そこには、青の和服に袖を通した一人の青年が佇んでいた。

 

「…ご、権兵衛君、ですか?」

「そうですけど…もしかしてしのぶさん、まだ寝ぼけていますか?」

「いえ、そう言うわけではありませんが…」

 

服は人を着飾ると言うけれど、こうも変わる物なのかと驚愕する。普段病人服か隊服しか着ている姿を見ていないからか、着物を着た彼はっきり言って別人の様だった。

 

「その着物凄い似合ってますね!」

「別人かと思いました!」

「そうかな?自分には派手すぎると思うんだけど…」

「そんな事ありません!権兵衛さんにぴったりですよ‼︎」

 

どこか気恥ずかし気に頰を掻く彼を半ば茫然と眺めているが、すみ達の「しのぶ様もそう思いますよね!」との声に我に帰る。

 

「えぇ、とてもよく似合ってますよ。正直見違えました」

「ありがとうございます。そう言って貰えると嬉しいです–––けど、意外です」

「何が意外なんですか?」

 

彼自身の髪の毛を指差し、「髪型ですよ」と笑う。

 

「しのぶさんが髪を下ろした所を初めて見ましたけど、凄い似合ってます。やっぱりしのぶさんはどんな髪型も似合いますね」

「…あ、ありがとうございます」

 

心から言っている言葉に頰が微かに赤くなり、思わず顔を背ける。今自分がどんな表情をしているから分かるからこそ、それを彼に見せるのはなんだか負けた気分になるからだ。

 

「そう言えば権兵衛さんはこんな時間にどこに行っていたんですか?」

「近くの役所まで花火の観覧席を買いに行ってたんだ」

「花火の観覧席って凄い人気だったと思うんですけど、買えたんですか?」

「知り合いがいたお陰でね。もちろん、屋敷の皆んな全員分あるよ」

 

そう言って茶封筒から観覧券を取り出す彼に「お〜!」と彼女達が歓声を上げる。準備が良いというか、良すぎると言うか……。

キャッキャと喜ぶ三人に微笑むと、「そうだ」と権兵衛君が声を上げる。

 

「そう言えば枕元にある荷物には気付いた?一応目立つ所に置いて置いたんだけど…」

「そうです!すっごい綺麗な着物とか色々入っててびっくりしました!」

「けど、あんなに綺麗な着物貰って良いんですか…?」

「そうですよ、しのぶ様とかにも…」

 

どことなく心配そうな三人に「それは大丈夫だよ」と少し胸を張る。

 

「だって、しのぶさんを含めて屋敷にいる全員分用意してあるからね」

「…えっ?」

 

あっけらかんと言い放ち、すみ達が固まる。

大した事ないと言わんばかりの彼の口調に、思わず目を覆う。それと同時に、柊さんの心配がある種現実の物になってしまった事を理解する。

 

「–––権兵衛君、少しは加減する事を覚えた方が良いと思いますよ?」

「加減、ですか…?」

「えぇ。何もそんな、高価な物ばかり用意する事が大切な訳ではありません。些細な物でも、気持ちは充分伝わる物ですから」

 

彼は相手を大切にする余り、過剰な行動を取るきらいがある。その想いの源泉はとても素晴らしい物だとしても、行き過ぎた行動は万人には理解されない、必ず嫌な勘違いを生む。だからこそ、誰かがそれを正さないと行けない。

 

「…確かに、そうかも知れません」

 

自分の言葉を聞き、静かに頷く。

少し言い過ぎたかも知れないと僅かな後悔が過ぎると、「それでも」と彼はとても寂しそうに笑う。

 

 

「後悔だけは、したくなかったんです。…来年も、みんなで花火を観れるか分かりませんから」

 

 

「–––––––––––あっ」

 

 

–––––––その姿を見た時、自分がどうしようも無い思い違いをしていた事を悟った。

何事も無ければ、来年も変わらず祭りは行われ花火は上がるのだろう–––––けれどその時、今いる全員がいるとは限らないのだ。彼は誰よりもそれを理解していて、痛感しているから、こんな大掛かりな事をやってのけたのだ。年を越えれば、自分が死んでしまっているかもしれないから。

 

「こうして自分が此処にいる事が奇跡みたいなものです。だからせめて、こういう時位は自分のやりたい事をやろうって、そう決めていたんです」

 

「もしかして迷惑でしたか?」と心配そうに見る彼を見て、私は「いいえ」と首を振り、精一杯の笑みを浮かべる。

 

「贈り物、とても気に入りました。ありがとう、権兵衛君」

「…良かった。頑張って選んだ甲斐がありました」

 

–––––––––心から嬉しそうに笑うその姿は、私でも見惚れるほど晴れやかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それはそうと、なほ達に金貨をあげたことについては認めていませんから。これからお説教です」

「えぇ……?普段頑張ってる三人にはあれでも少ないと思ったんですけど…?」

「それでも金貨はやり過ぎです。それに、三人はお金よりも権兵衛君と一緒に遊ぶ方が嬉しいと思いますよ?」

「–––––一考の余地はありますね」

「一考せずに実行して下さいね?」

「…ハイ」

 

肩を落として項垂れる彼に小さく微笑む。

私だけの贈り物かと期待させたのだから、これくらいは許して欲しいと心の中で謝罪する。

 

「権兵衛君。贈り物をする時は大勢にではなく、特定の誰かに上げた方が効果は高いんですよ?

「そうなんですか?」

「えぇ。覚えて置くと良いです」

「なんだかわかりませんが…わかりました。覚えておきます」

 

素直に頷く彼に「是非そうして下さい」と念を押す。

–––––他人の感情に疎く自罰的な彼は多分、私の気持ちに気付く事はない。それでも、砂粒程度の可能性があるのであれば……。

 

「早く気付いて下さいね?蝶々って、皆んなが思っているよりもずっと気が移ろい易いんですから」

 

蝶屋敷の屋根から晴天の空に一羽の鳥が羽ばたく。その鳥はどこまでも遠くを飛んでいき、青空に溶けて行った–––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛

当代の鈴の剣士。ずば抜けた体力と最適化された身のこなしによって極めて長い間戦闘を行う事のできる人物であり、鈴の呼吸と極めて高い親和性を持つ剣士。

少年時代を取り戻したとある剣士

初めてのお祭りを楽しみにしている少年。楽しみにし過ぎて色々と加減が効いていないのが玉に瑕だが、それも愛嬌の一つであろう。
因みに、彼女らに送った品物は全て彼の救ってきた人々の作った特産品であり、権兵衛が宇髄に相談しつつ自ら連絡を取って作成を依頼した。

鈴嶺弥生

小屋内権兵衛の育手にして過去水柱。江戸時代末期から明治初期までの間に柱として活動し、下弦を含む多くの鬼を屠ったとされる。性格は権兵衛の育手だけあって温厚であり、滅多な事がなければ怒りを露わにする事はない。鈴の呼吸の習得に血道を上げたがその努力は結ばれる事なく、壱の型と弐の型しか扱う事が出来なかった自分を今でも悔いている。

鈴嶺弥生の育手

かつての鈴の剣士の直系に当たる女性。しかし彼女が鈴鳴り刀を鳴らす事は叶わず、弟子である鈴嶺に全てを託したのち結核で命を落とす。最期の最後まで、鈴の音を鳴らせなかった自分の事を恨んでいた。

鈴の呼吸概略 弐

鈴の呼吸の習得が困難とされる所以の一つに、流麗かつ寸分違わない剣筋が求められる事が挙げられる。訓練の時ならいざ知らず、実戦において流麗な剣線を辿る事は極めて難しいと言わざるを得ない。その難しさから捌の型まで習得した剣士は過去に三人しか確認されておらず、権兵衛で四人目となる。
捌の型まで鈴の呼吸を扱う事のできる剣士は鈴の剣士と呼ばれ、特別な意味を持つとされる。

鈴鳴り刀

日輪刀の原料となる玉鋼が産出される陽光山。その麓にあるとある神社がより質の良い玉鋼を選出し、長い期間を掛けて清めたそれから鍛造される日輪刀の亜種。正しい剣筋で振るうと鈴の音の様な音が鳴る事が特徴とされる。

約束の鈴

白と黒に塗られた二つ一組の鈴。普通に揺らしても音が鳴る事はなく、どの様な意図で作られたのかは不明とされる。




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鬼殺隊一般隊員は空に浮かぶ華を見る


遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした…。




 

「それにしても、あれだけ大掛かりな物を良く集めましたね。そこは本当に驚きました」

 

日の光が当たる蝶屋敷の縁側でお茶を啜っていると、ふとしのぶさんが口を開く。彼女の手に載せられた下駄を一瞥すると「あぁ、その事ですか」と湯呑みを横に置く。

 

「腕の立つ職人の技と見ましたけれど、どんなコネを使ったんですか?」

「コネなんてたいした物じゃありませんよ。少し縁があっただけです」

「少しの縁でこんなものは出来ませんよ。実際の所、どうなんですか?」

 

綺麗な瞳が覗き込まれ、これは隠しきれないなと肩を竦める。本当は言うつもりはなかったのだけれど…まぁ、この際仕方ないと割り切る。

 

「実を言うとですね。今回皆さんに用意した品物の殆どは、藤の花の家紋を掲げた家のものなんです」

「…と、言う事は––––––」

「えぇ。皆、自分が関わった鬼殺の関係者です」

 

 

『–––蝶屋敷の皆んなにお祭り様の着物を贈りたいんですけど、どこに依頼したら良いんでしょうか?』

『そんなの藤の花の家紋に頼めば良いだろ。お前の頼みだったら二言も無く喜んで引き受けると思うぜ?』

『それはちょっと…恩を利用しているようで申し訳ないです』

『馬鹿か。お前は着物を用意したい、相手はお前に恩を返したい。何方も利があるじゃねぇか』

『恩なんて感じる必要はないんですけど…』

『お前の価値観を相手に押し付けんな。取り敢えず俺から手紙を出しておくから、その返答次第で考えてみろ』

『そんな強引な…』

 

脳裏に宇髄さんとの会話が再現され、相変わらず強引だったなと苦笑する。

 

「…なるほど、道理で」

「そうしたら快く引き受けてくれる家がありまして、着物の方は京都に本店を置く光圀屋さんにお願いしたんです」

 

「代金なんて要らないからぜひ作らせて欲しいって、半ば押し売り見たいでしたよ」と若旦那さんが食い気味に現れたことを思い出す。本当に人が良いと言うか、何というか…。

 

「鬼殺隊って、こう言う人達の影からの支えがあるからあるんだなって事を思い知りました」

「鬼殺隊と言うより、権兵衛君個人が助けた結果ですけどね」

「自分は鬼殺隊の援助を受けて鬼を殺していたんですから、自分の戦果は鬼殺隊の戦果という事に間違いはありませんよ」

 

こうして縁台でゆっくりとお茶を啜る事が出来るのも、元を辿れば鬼殺隊の資金援助があるからだ。鬼殺隊の援助を受けているのに、自分が助けたのだから自分の戦果なんて宣うのは、些か以上に浅ましいと言わざるを得ない。

 

「蝶屋敷に届いた贈り物の一件で権兵衛君が助けた人達の多さは知っていたつもりで居ましたが、私が思っていた以上多くの人を救っていたんですね」

「たしかに、意外と多くの人を救えたんだなって気がします。といっても、あくまでも気がするだけですけどね」

「気がしたのではなく、実際に救ったんですよ。自信を持って下さい」

 

優しい声色で笑うしのぶさんに釣られ自分も笑う。過剰評価だとは思うけれど、彼女が思うのならそうなんだろうと、我ながら信頼を持ち過ぎた考えが浮かぶ。

 

「けれど、心配なのは代金です。高級品ばかりだったと思うんですけど…」

「代金なら大丈夫です。この前軍人さんから貰った金貨をそのまま分けてお支払いしました。と言っても、どの家からも要らないと突っぱねられたので、銀行の口座に振り込んで来ましたよ」

 

『素晴らしい技術にはそれ相応の対価が求められるんだよ』とは、師範の言だ。只でさえ無理を言って作ってもらったのに、代金まで支払わないとなれば正気で居られる自信が無い。

 

「この前の軍人さんって、話に聞いたあの人ですね。ですけど、その金貨は鬼殺隊に寄付したと聞いていたんですけど…」

「自分としてもそうしたかったんですけど、お館様から「権兵衛に使って欲しいと贈られたそれを全部は貰えないよ」と言われまして。結局、半分位は手元に残っていたんです」

 

お館様からの手紙の一文を、頭の中で反芻する。

『貰ったそのお金で何を為すかによって、人の価値とは分かるものだよ』との一文を見た時は、目から鱗の気分だった。

 

「さすがお館様、と言うところですね」

「えぇ、本当にそう思います」

「––––まぁ、贈り物について事情は大体把握しました。けれど、こんな事はあまりしないで下さいね?もしかしたら今後、権兵衛君につけ込む人が出兼ねませんから」

「大丈夫です。こんな事をやるなんて、しのぶさんや屋敷の皆さん位ですから」

 

心配そうに憂うしのぶさんに胸を張る。自分は屋敷の人達やしのぶさんにしかこんな事はしない、そして屋敷の皆は人の好意につけ込むような人ではない。

一瞬で完璧な論理が出来てしまった、自分の頭もまだ捨てたものではないのかも知れない。

 

「そう言う問題では無くて…もぅ」

 

何故か拗ねたように頰を膨らませる彼女を右目に湯呑みを呷って中身を空にする。自分の体感時間が確かなら、そろそろ朝餉の時間だからだ。

 

「–––––皆さーん!朝ご飯の時間ですよー!」

 

そんな自分の予想はピタリと当たり、屋敷にすみちゃんの元気な声が響く。

 

「それじゃあ行きましょうか、しのぶさん」

 

縁台から立ち上がり、しのぶさんの手を引っ張って立ち上がらせる。相変わらず蝶の様に軽いと思うが、年頃の女性は皆こんなものなのだろうか?

 

「所で権兵衛君。つかぬ事を聞くんですけど、今日のお昼過ぎは何か予定があるんですか?」

「お昼過ぎですか?そうですね…」

 

お祭りは夜からだから、当然昼にはなんの予定も入っていない。そう思い立って口を開く––––その前に、一つの用事を思い出して「あっ」と小さく声を漏らす。

 

「すいません…。実は一つ、外せない用事があるんです」

「そうなんですか?暇なら一緒にお茶でもと思ったんですけど…」

 

残念そうに目尻を下げるしのぶさんに「それはまたの機会ですね」と告げる。

 

「さぁ、朝ごはんが冷めないうちに早く行きましょう」

「それもそうですね」

 

自分には勿体ない程のいい朝が過ぎる。今日は忘れられない1日になると、そんな根拠のない確信を持ったのはきっと、気のせいではないのだろう–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蝶屋敷に備えられた板張りの道場。かつて炭治郎ら三名の機能回復訓練を行ったその場所にて、二人の剣士が木刀を持って対峙していた。

 

「悪いね炭治郎君。訓練に付き合って貰っちゃって」

 

青の着物から隊服に着替え、普通の木刀よりも一回り長い木刀を肩に担いだ権兵衛が、正面に構える炭治郎を見据える。右腕には変わらず包帯が巻かれているが、しっかりと木刀を握っていることから感覚がある程度戻っていることが分かる。

 

「寧ろ、権兵衛さんとこうして稽古をつけて貰えるこっちの方がありがたい位です」

「相変わらず生真面目だねぇ、それが君の良いところとは思うけど」

 

凛とした顔で言い切る炭治郎に権兵衛が笑みを零すと、それに反応してから二つの別の声が道場に響く。

 

「炭治郎、大丈夫かなぁ…」

「早く終わらせて俺と変われ権八郎‼︎」

 

姿勢を正しハラハラと見つめる我妻善逸とあぐらで叫ぶ嘴平伊之助も見守るその最中、徐に権兵衛が懐から銅貨を取り出す。

 

「改めて確認するけど、俺がこの銅貨を放り投げて、音が鳴った時点で訓練を始める。特に縛りは無いけれど、呼吸は積極的に使ってきて欲しい」

「わかりました!」

「––––––それじゃあ、投げるよ」

 

権兵衛の左手から銅貨が放物線を描き、空に舞う。直後、空気を裂くような呼吸音が炭治郎から響き、ミシッと道場の床が音を鳴らす。

 

「––––––さて」

 

権兵衛も木刀を下段に構えて静かに息を吸い込み–––––––––そして、甲高い音が鳴った。

 

「ッ‼︎」

 

––––水の呼吸 壱の型 水面斬り

 

小さな炸裂音にも似た音と共に炭治郎が直進し、権兵衛の懐に入り込んで袈裟懸けに木刀を振るう。

 

(剣の間合いが違う以上、懐に入り込むしかない‼︎)

 

炭治郎と権兵衛の木刀には大凡1.5倍程の差が存在している。間合いの広さは同じ剣士相手では極めて有利に働く事を知っているからこその炭治郎の行動であり、その勢いの良さに権兵衛も「成る程」と小さく零す–––––が、それは当然権兵衛も把握しているのだ。

 

––––水の呼吸 漆の型 雫波紋突き

 

炭治郎の直進を見越し最小の動作から最速の付き技が放たれる。

 

(早い––––––––けど‼︎)

 

予想よりも初動の動きが早いそれに炭治郎は微かに動揺するも、僅かに姿勢を崩してそれを躱す。

 

「…見違えた。本当に、凄い成長速度だね」

 

突きが最小の動きで避けられた事実に権兵衛が微かに目を見開き、感嘆を漏らした後に鋭い呼吸音を響かせる。

 

––––––壱の型改 飛沫・水面斬り

 

突いて腕が伸びきった状態から振り回す様に型を放つ。大太刀とは思えない軌道に驚いた炭治郎はその場から大きく跳躍しそれを躱す。

 

(なんて初動の速さだ!それにこうも連続して技を使えるなんて…‼︎)

 

雫波紋突きからおよそ刹那の間に次の技を使った権兵衛に冷や汗を流す。その場の対応力の次元が違う事を只感じ、再び木刀を正面に構える。

 

(それでもまだ反応出来ている!行ける、俺は成長している‼︎)

 

木目の床スレスレの低い姿勢から突貫し、再び木刀の間合いに権兵衛を入れる。

 

––––肆の型 打ち潮

 

激流を思わせる剣筋が権兵衛の胴体を打ち付ける––––––瞬間、技の初動を大太刀によって小さく払われる。

 

「なっ–––––」

 

初動を崩されて大きくふらついた姿勢が権兵衛の前に露わになり、その襟首が左手に容易く掴まれる。対抗する事も出来ず流れる様にそのまま空に投げられ、一瞬炭治郎の思考が固まる。

 

(さっきは通用したのに、なんで突然–––––)

 

宙に投げられた僅かな時間に炭治郎の思考が回る。先程通用した技が歯牙にも掛からなかった事実に動揺しつつも、特有の諦めの悪さから鋭く権兵衛を見据える。

  

(考える事は後だ!取り敢えず今は着地した後–––––––ッ‼︎)

 

––––––水の呼吸 肆の型改 荒波・打ち潮

 

地面に着地する僅か前、刃渡りの長い木刀が炭治郎の木刀を強く打ちつける。空中で碌に受け流すことのできなかった木刀は瞬く間に木片に早変わりし、道場の床にパラパラと落ちる。刀を失って地面に着地し半ば茫然とした炭治郎の眉間に権兵衛の木刀が突きつけられ、僅かな静寂が道場に響く。

静寂の後、権兵衛が小さく「ふぅ」と息を吐いて木刀を降ろすと、木刀の刀身を左手に持ち帰る。

 

「…見たところ、はじめは通用した動きが全く通用しなかった事に驚いている様だね」

「は、はい…。はじめは技を打たせて貰った、という事ですか?」

「それは違う、君の初動には本当に驚かされたよ」

「それじゃあ一体…」

 

心底わからないと首を傾ける炭治郎に権兵衛が笑う。

 

「答えは今さっき君が言ったよ。同じ動きをしたから、これが答えだね」

 

粉々になってもなお残る柄を拾い上げると、それを炭治郎に渡す。

 

「君には意外に聞こえると思うけれど、俺はそんなに初見への対応力はそんなに高くない。けどね、その分適応力は相当に鍛えたんだ」

「適応力、というと…?」

「相手がこう動いたらこう動く、要は対策を立てる訳だね」

 

 

–––––––小屋内権兵衛の強さ。それは一重に、並々ならぬ実戦数による豊富な戦闘経験値から成り立っている。

地頭の乏しい権兵衛は相手の考えや行動を読む事は難しい––––けれどその分、一度戦闘で経験した事は決して忘れない様並々ならぬ努力を行った。

画期的な技を使って華麗に鬼を殺す事なんて出来ないけれど、鬼を一匹殺す度に、血を浴びる度に強さを増す愚直な剣士。それこそが権兵衛の本質なのだ。

 

「だから、俺には同じ動きは一切通用しないと思って良い。ゴリ押しできるほどの身体能力があれば話は別だけどね」

「それが権兵衛さんの強さの秘訣、と言う事ですか」

「端的に言えばね。君の場合は頭が回るから俺みたいな周りくどい事はする必要は無いけれど、経験に勝る知識無しとも言うしね」

 

「要は頭と身体をどっちも使えって事だよ。俺の場合、頭を使うのがどうも苦手なんだけどね」と肩を竦めて苦笑する権兵衛とは対象的に、炭治郎は背中に冷や汗を流していた。

 

(権兵衛さんの話は匂いから本当だ。それじゃあ権兵衛さんは、今程の強さになる迄に一体どれだけの死戦を潜り抜けてきたんだ–––––––?)

 

歴然と存在する剣士としての力量の差。それが権兵衛の鬼を殺してきた数なのだと言う事を直感的に理解した炭治郎は、改めて権兵衛と自分の差をまざまざと見せつけられたと感じ入る。

 

「それで、次は誰か相手して貰えるのか?」

「次は俺だ‼︎俺は紋治郎の様に簡単にはいかねぇぞ‼︎」

「成る程、それなら俺も気合を入れないとね」

 

意気揚々と立ち上がる伊之助を一瞥した後、権兵衛が炭治郎の肩に手を置く。

 

「–––––ゆっくりで良いんだよ、炭治郎君」

「えっ…?」

 

二人には聞こえない様な小さな声で権兵衛が呟く。

 

「君の事情を鑑みると、こんな言葉は無責任な言葉なのかもしれない。けどね、焦って力を手に入れたら最期、何かを犠牲にする事になる。掛け替えのない大切な物をだ」

 

普段の優しい声色とは全く異なる鉛の様に重い言葉だと炭治郎は感じる。そして、これは彼自身の教訓から成る自戒の言葉だと理解する。

 

「君は君のまま強くなるべきだ。それはきっと、何より大切な事だと思う」

 

最後に微笑む権兵衛の姿にどうしようもなく胸が痛くなるけれど、それを抑えて「はい」と頷く。

 

「大丈夫、君は確実に強くなっているよ。そこは自信を持ってね」

 

そうまとめた権兵衛は炭治郎を送り出すと「さて」と伊之助の方を見遣る。

 

「それじゃあ始めようか。始まりの合図はさっきと同じで良いよね?」

「おう!なんでも良いからさっさと始めようぜ!」

「良い気合だ、それでこそだね」

 

地面から拾い上げた銅貨が再び空を舞い–––––そして、甲高い音が道場に鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「––––しまった。包帯も数が少ない」

 

蝶屋敷の薬箱を確認していると、普段ならば一定数備蓄があるはずの包帯が無い事に気付く。貼り薬の材料も少なかったけれど、まさか包帯も在庫が少なかったとは。

 

「うーん…しょうがないかな」

 

お祭りが始まる前、開催場所である付近の街は人で混み始める。薬を買いに行くにはあまり適しているとは思えないけれど、この備蓄ではもしもの時に対応できない。そう思い立ち、薬箱をしまってから立ち上がり、割烹着を外して玄関に向かう。

 

「お祭り前だから混んでるだろうし、始まる前に帰って来れるといいけど…」

 

例年通りならばそこまで気にする事ではなかったけれど、今年は権兵衛さんの事もあり、屋敷の皆んなで行く事が決まっている。なるべく遅れたくは無いのだけれど……。

 

「–––––あれ?」

 

なるべく急ごうと早足で玄関に向かうと、ふと視界に権兵衛さんの姿が映る。

 

「アオイさんじゃないですか、そんなに慌ててどうしたんですか?」

 

権兵衛さんが私の方を見ると、パチパチと瞬きする。小豆色の隊服に藍色の羽織を羽織る姿からはどこかに出掛ける事がわかるけれど、お祭り前に一体どこに行くのだろうか。

 

「そういう権兵衛さんこそ、何処か出掛けるんですか?」

「えぇ。少し近くの街の茶屋に用事がありしまして。そう言うアオイさんは?」

「私は薬の在庫が少なかったので、それを買いに行こうかと」

「そうですか。でしたら、途中まで一緒に行きませんか?」

 

小さく微笑む権兵衛さんの誘いに「良いですよ」と一度頷く。別に断る理由もなく、不都合もないからだ。

 

「ありがとうございます。それじゃあ早めに済ませましょう」

「そうですね。遅くなると道が混みますから」

 

嬉しそうに笑う権兵衛さんに少し気恥ずかしくなりながらも、努めて冷静さを保つ。何処かホワホワとしている彼に連れられ、揃って玄関を戸を開けて外に出ると、疎に人が行き交っているのが見えた。

 

「この時間でも人がいるんですね」

「えぇ。大きなお祭りですから、この時間からでも開いてる屋台があるんですよ」

「成る程。道理で」

 

得心が行ったのか、小さく権兵衛さんが頷く。「夜が楽しみですねぇ」と目を細める彼に釣られて微笑み、揃って屋敷の門から大通りに出る。

 

「–––––それにしても、朝起きたら凄い驚きましたよ」

 

平に均された土手道を歩いている時、ふと口を開く。「驚いてくれたのなら、頑張って用意した甲斐がありましたね」と朗らかに笑うと、藍色の瞳が私を映す。

 

「採寸は合っているとは思いますけれど、一応確認してみて下さいね?自分の目が狂っていては事ですから」

「…そう言えば、特に採寸された覚えはないんですけど、いつ採寸したんですか?」

 

屋敷の誰も、すみやなほ達も特に身丈を測られた覚えないと言っていた–––が、実際に一度袖を通してみた所、一部の狂いだって無かった。

一体どうやって調べたのか、そう思っての質問だったが、「それはですね」となんて事ない口調で彼が口を開く。

 

「実は、特に採寸はしてないんです。座っている姿勢、歩いている姿勢、立っている姿勢、この三つを見れば大体目星が付きますから」

「–––化け物じみてますね」

 

思わず心からの言葉が溢れる。

てっきり柊さんが管理している健康診断表を盗み見たかと愚考したのだが、そんな陳腐な予想など平気で飛び越えた答えに苦笑いを浮かべるしかない。そんな私の心情を知ってか知らずか、権兵衛さんは穏やかな雰囲気のまま口を開く。

 

「誰でも出来る技ですよ。それに、よく見ることは剣士にとって重要ですから」

「そんなものですか…」

「はい、そんなものです」

 

そんなものと言われれば納得するしかない–––––というより、権兵衛さんには非常識な能力など他に山ほどある。今更一つ増えた所で何にもならない。

 

「…それにしても、随分人が多くなってきましたね」

「ですねぇ」

 

疎だった人も街に近づくに連れて徐々に多くなっていく。華やかな着物に身を包み、若い男性二人で歩く男女や、子供に手を引かれて歩く夫婦––––––特に、男女との連合いが目立つ。

 

(…私と権兵衛さんも、周りから見ればそんな風に思われているのかな?)

 

男女の逢引が多い中に紛れているためか、そんな思考が頭を過ぎる。権兵衛さんの方をチラリと一瞥するが、特に変わっている点が見当たらない所から、特に意識されていないことがわかる–––––別に、なにか思っているわけではない、ないったら無い。

 

「…アオイさん?何かありましたか?」

「いえ、なんでもありません」

「……そうですか?」

 

こちらを心配そうに見る権兵衛さんに小さくそっぽを向く。普段は機転が効くのに、他人の感情にとことん疎い彼に何かを期待する方が間違っていた––––––––瞬間、右手が何かに包まれる。

 

「––––––へっ?」

 

素っ頓狂な声を上げ、右手を見下ろす––––––そこには、権兵衛さんの左手が私の右手を優しく握って………って⁉︎

 

「なっ⁉︎何を…⁉︎」

 

バッと権兵衛さんの顔を見ると、頬を小さく掻いて「えぇと…」と言い淀み、やがて恥ずかしそうに笑って口を開く。

 

「人が多くなりましたし、逸れない様にと思いまして…その、迷惑でしたか?」

「め、迷惑なんて思ってませんけど、その、突然で驚きました」

「…ですよね。こういう時、気の利いた言葉でも掛けられば良いんですけど」

 

「宇髄さんの様には行かないな…」と頬を赤くする権兵衛さん––––––その姿は、何処にでもいる普通の、年の近い男性の様だった。

 

「…良いんじゃないんですか、それで」

「…アオイさん?」

 

小首を傾げる彼に、藍色の瞳と目を合わせてはっきりと言い切る。

 

「私は、そんな権兵衛さんの方が好きですよ」

 

意図せず言った言葉だった–––––そして、言い放った直後、まるで遅延性の毒の様にジワジワと恥ずかしかさが込み上げくる。

 

(私は何を言ってるの⁉︎これじゃあまるで––––––––⁉︎)

「––––––アオイさんは、本当に凄いですね」

「…へっ?」

 

–––––––その笑みはとても穏やかで、それでいて………いや、それ以上に、寂しそうな笑みだった。

 

「それじゃあ、そろそろ別れましょうか。自分は近くの茶屋にいるので、後で合流しましょう」

 

確かな熱を感じていた右手が離され、小さく「あっ…」と声を漏らす。

 

「––––敵わないなぁ」

 

誰に言った言葉だったのか、人混みの中にすっと消えていった彼を一人見送る。彼がどうしてあんな笑みを浮かべたのか。その意味を掴めない私はその場で立ち竦み、彼の消えていった方向を見ていた–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「遅かったじゃねェか。遅刻だぞ」

 

いつぞやと同じ茶屋の、これまた同じ奥張った個室。そこには前と変わらずおはぎを頬張って太々しく居座る風柱の姿があり、思わず肩を竦めてしまう。

 

「…久しぶりです、不死川さん」

 

座布団の敷かれた椅子を引き、机を挟んだ彼の正面に座る。相変わらず堅気には見えない三白眼に一つ嘆息すると「…それで」と切り出す。

 

「俺を此処に呼んだ理由は教えてくれるんですよね?用事もなしに呼ぶなんて、そんな事はしないとは思ってますけど」

「誰が用もないのにテメェと茶を飲むか–––––用事は二つある。それで、一つ目はこれだな」

 

そう言うと、傍に置いていた紫の風呂敷に包まれた少し長い棒の様な何かを差し出す––––と言っても、傍目からなんなのかわかるのだけれど。

 

「…まさか、不死川さんが持ってきてくれるとは」

「偶々里に居たからな。ついでだ」

 

風呂敷を小さくめくり、漆に塗られた鞘を確認する–––––間違いなく、自分用に作られた日輪刀だと分かる。

 

「この長さ…要望は聞いて貰えたみたいですね」

 

前まで使っていた短刀よりも一回り大きくなったそれを一瞥し、柄を握って重さを確認する。

 

「それは知らねェが、良かったのか?短刀より結構長いぞ?」

「構いません。上弦と戦うには、多少の間合いは必要ですから」

 

短刀を風呂敷毎懐に仕舞い込み、一息つく。…それにしても、彼が自分の短刀を届けてくれるとは思っていなかった。里長自ら届けに来るとは思っていなかったが、現役の柱が届けるとも思っていなかったからだ。

 

「ありがとうございます。短刀、確かに受け取りました」

「気にすんな。言っただろう?ついでだって」

「ついでですか…というと、不死川さんは刀を研ぎに行ってたんですか?」

「それもあるが、本命はテメェの刀について調べてたんだよ」

 

あっけらかんと告げる彼に小首を傾げ、疑問を口にする。

 

「俺の刀…鈴鳴り刀を?どうしてそんな…?」

「…アァ?胡蝶から聞いてないのか?」

「いえ、何も聞いていませんが…」

 

そういうと、途端に機嫌を悪くして舌打ちをする。「あいつ、まさか喋ってねぇとはな……」と忌々し気におはぎを口に放り込み、鋭い視線が向けられる。

 

「–––––お前は、お館様の額の痣についてどれ位知ってやがる」

 

––––––どうして、ここでお館様の痣の話が出てくるのだろうか。

 

「…何も知らない、と言って差し支えないかと」

「そうか……なら、端的に説明してやる」

 

「言っておくが、これから話す事は他言無用だ。無闇に言いふらしたら最期、お前を血祭りにあげてやるからな」と警告する彼に一度頷き、次の言葉を待つ。

 

「あれは、鬼舞辻の呪いだ」

「鬼舞辻の呪い、ですか…?」

 

鬼舞辻の呪い…という事は、鬼の頭目である鬼舞辻無惨の呪いという事だろう。しかし、それと自分の鈴鳴り刀とそれにどんな関係が…?

 

「お館様…というより、お館様の一族はその呪いのせいで定命を生きられねェ。…言いたくないが、お館様ももう長くは無い」

「呪いって…何か、重い病気じゃないんですか?」

「それが例え病気だとして、原因が分からなきゃ呪いと変わらねぇよ。…けど、鬼舞辻が関わっているのは確からしい」

「……何か、方法は無いんですか?」

 

悔しさを滲ませる声色の彼に、こちらも微かに震える声で問う。

 

「打開策はひとつだ–––詰まる所、鬼舞辻を殺さなければならないって事だな」

「鬼舞辻の討伐って………」

 

過去現在、そして未来に生まれる鬼殺隊員全ての悲願。邪悪の根源であり、自身が二番目に憎悪を向ける対象––––––鬼舞辻無惨。

…だが、その難易度は考えるべくも無い。少なくとも、彼に生み出された上弦の鬼にすら勝てていない現状では、夢物語と断ずる他にない。

 

「…けどな、実はそれ以外にもう一つ、可能性が生まれたんだよ」

「可能性––––––––それが、自分の鈴鳴り刀ということですか」

「そうだ。お館様がテメェの鈴を聞いた日の夜、僅かだが痣が薄くなったと言っていた。間違っても嘘偽りを言う人じゃねェ、まず間違い無いだろう」

「鈴鳴り刀の音……無限列車に赴く前の日か」

 

自らの決意を示す為のあの舞がまさか、そんな重大な事を引き起こしていたとは夢にも思わなかった。––––しかし、そうなると一つ疑問が産まれる。

 

「しかし、あれは鬼の血鬼術を弱めるだけの筈。それが、お館様の呪いを抑えるとは到底思えないんですが…」

「それは俺もわからねェ–––だが、お館様が助かる可能性が僅かでも残るなら、試さないわけにはいかねぇだろうが」

「…仰る通りですね」

 

彼の言う通り、大事なのは理由ではなく結果だ。お館様が助かるのであれば、その力の源流など些細な問題に過ぎない。

 

「それで、二つ目の理由だが…お前は、鈴鳴り刀の製法は知っているのか?」

「詳しくは知りません……ですが、陽光山の麓にある神社で清められた玉鋼を製造に用いる、とまでは聞き及びました」

「神社でお清めだァ?随分だな」

 

お清めという言葉に口元を歪ませる彼に同調し、一度頷く。

 

「自分もそう思います。…ですが、理由はともあれ、鬼殺に役立つのであれば構いません」

「それもそうだが…その玉鋼はいつ里に届けられるんだ?」

「わからない、としか言えませんね」

 

「お待たせ致しました」と置かれたお茶を啜り、一息入れる。

 

「悠長に構えてる暇はねェぞ。…ここだけの話だが、お館様の痣の進行が早まってる」

 

普段らしからぬ声色に、彼が心からお館様を案じている事が分かる。

 

「…本当ですか」

「あぁ。まだ歩く事は出来るらしいが、それも時間の問題らしい」

「––––それなら、調達を急がないといけませんね」

 

神道は秘密主義、師範はそう言っていたが、どうやら相手の出方を伺っている暇はないらしい。…今日の祭りを終えた後、すぐさま行動に移さなければならないだろう。

 

「お話、ありがとうございました。早急に鈴鳴り刀を調達する様、最大限努力を尽くします」

「…すまねェな。なんだか押し付けるような形になっちまって」

 

いつも通りの彼の口からは決して聞くことのない言葉に一度瞠目し、笑みを浮かべる。

 

「そんな寂しい事を言わないでください。自分も、お館様には色々とお世話になりましたから」

 

半分以上残っているお茶を一息で飲み干し、「ご馳走様でした」とお盆の上に置く。すると、自分の右腕の包帯に彼の視線が向けられる。

 

「その腕、まだ治りきってねェのか」

「いえ、怪我自体は完治しました。只、肌の色が変色しているので、剥き出しのままはあまり都合が良くないんですよ」

「…そうかい」

 

何か思う所があったのか、それ以降目を瞑って黙り込んだ彼に頭を一度下げ、静かに席を立つ。

 

「それじゃあ、また何処かで」

「……おう」

 

素っ気なく呟いた彼に微笑み、自分は茶屋の個室を後にした––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––人々の喧騒が遠くに聞こえる、町外れの蝶屋敷。燦々と輝いていた太陽が落ち、替わりに提灯の優しい光が土手道にポツポツと光るそんな中。ひとりの少年が、屋敷の前に提灯を持って佇んでいた。

 

「–––本当、晴れて良かった」

 

鈴の装飾が施された和服に身を包み、育ての親から授かった羽織を着込む少年–––––小屋内権兵衛が空を見上げて一つ頷く。

 

「権兵衛さん!お待たせしました!」

「こんな上等な着物着ても良いのかなぁ…?」

「ったく、なんでこんなの着なきゃいけねぇんだよ‼︎」

 

それから少し立つと、屋敷の玄関から三人の少年が揃って出てくる。普段の隊服とは違い、各々色の異なる着物に袖を通して歩くその姿からは、彼らが普段鬼殺隊として死線を潜っているとは露にも思わないだろう。

 

「良く似合ってるね、良かった良かった」

 

その三人を見ると権兵衛が嬉しそうに笑う。

 

「けど、本当に良かったんですか?こんな良いものを貰っちゃって…」

「良いんだよ。先輩隊士からの、細やかな贈り物さ」

「どう見たって細やかじゃないですよねコレ…」

「気持ちの問題だよ、それはね」

 

どこか震えている善逸君の肩をポンポンと叩き、朗らかに笑う。すると、再び屋敷の戸が開けられてパタパタと少女が走ってくる。

 

「フガフガ‼︎」

 

普段と変わらぬ出立で走ってきた彼女を炭治郎が「ねずこ‼︎」と抱き上げ、彼女がキャッキャと笑う–––相変わらず、とても仲のいい兄妹だ。

 

「あれ?ねずこちゃんには何も用意しなかったんですか?」

「うん。本当は彼女にも用意したかったんだけど、彼女が着物はコレが良いって言ってね…」

 

「あぁ…」と納得したように頷く善逸君と並んで権兵衛が苦笑する。実は結構気合を入れて選んだのだが、本人が要らないのであれば仕方ない。

 

「それよりも意外だね。伊之助君が着物に袖を通してくれるなんて」

「それはですね…」

「しのぶに怒られたんだよ‼︎なんで俺が怒られなきゃいけねぇんだ⁉︎」

「あぁ、成る程。道理で…」

 

袖を肩まで巻くっているものの、それでも着物を着ている彼が疑問だったのだが、彼女が関わっていたのかと納得する。半裸で猪頭の被り物をしていたら、まず間違いなく憲兵のお世話になる事は確定なので、権兵衛は心の中で彼女の行動に賛辞を贈る。

 

「それよりも、他の皆さんは遅いですね?」

 

抱き上げていたねずこちゃんを抱え、疑問符を浮かべる炭治郎に「それはね」と権兵衛が口を開く。

 

「アオイさん達がすみちゃんらの着付けをやってるからだよ。といっても、そろそろ来ると––––––ほら」

 

話していた口を途中で閉じ、屋敷の方に指を向ける–––––そこには、可憐な少女が佇んでいた。

 

「そ、その…お待たせしました」

 

桃色を基調とする下地に蝶と花の刺繍の施された着物に身を包み、髪を普段の蝶の髪飾りで纏めている彼女––––栗花落カナヲちゃんを見て、善逸がピタリと固まる。

 

「カナヲ!その着物すごい似合ってるよ‼︎」

「ぇ、えぇと…ありがとう」

「むーむー!」

 

淀みない炭治郎の賛辞に、離れていても分かるほど顔を赤くするカナヲを見て権兵衛がニコニコと笑う。炭治郎が、彼女の気持ちに気がつけば良いのにと小さな願いを込めて。

 

「えっ、ちょっと待ってください。あの子ってあんなに可愛かったでしたっけ?えっ?求婚して良いですかね?」

「うん。君は少し落ち着こうか。それと、気の多い男は異性から好かれないよ?」

「なんだ、只服が変わっただけじゃねぇか」

 

混乱のあまり錯乱し始めた善逸を宥めた後、「良かった、これで揃ったみたいだね」と提灯を善逸に手渡す。

 

「えっ?揃ったって…?」

「これも良い機会だし、今日は君達同期組でお祭りを回ってくると良いよ。俺はしのぶさんやアオイさん達と回るからね」

 

目の良い彼女にだけ分かる様、唇だけ動かして「がんばれ」と告げると、小さく頷くカナヲちゃんに微笑む。

 

「行ってらっしゃい。鐘が鳴ったら外れの観覧席に集合することを忘れないように」

 

五人の背中を押し、蝶屋敷の門から送り出す。

 

「それじゃあ、お先に行ってますね!後で合流しましょう!」

「俺様が一番乗りだぜ!」

「ねずこちゃーん!今日は目一杯楽しもうね!」

「むー?」

「そ、それでは」

 

和気藹々としながら街へと歩いていく彼等に手を振った後、「…さて」と屋敷に振り返る。

 

「後はしのぶさん達を待つだけだけど……」

 

一緒に待つ人も居なくなった為、手持ち無沙汰になった権兵衛が空を見上げると、透き通るような夜空に幾つもの星が瞬き、綺麗な三日月が地面を照らしている。

 

「……良い月だなぁ」

「えぇ、本当に」

 

いつのまに現れたのか、隣で権兵衛の言葉に同調するしのぶを権兵衛が一瞥すると「…せめて一声掛けてくださいよ」と肩を竦める。

 

「随分と熱心に見上げていたものですから。…夜空が好きなんですか?」

「…どうでしょうか。自分でも、良くわかっていません」

 

権兵衛は蝶屋敷にいる間、かなりの確率で夜空を見上げる事がある。それを知っての言葉だったのだが、歯切れの悪い言葉にしのぶが疑問符を浮かべる。

 

「良く縁台で夜空を見上げいると記憶していますけれど、それでも好きじゃないんですか?」

「えぇ。…まぁ、日課みたいなものですよ」

 

会話をそこで途切れさせると、改めて権兵衛がしのぶの方を見遣る。

端正な顔立ちにはほんのり頬紅と口紅が刺され、権兵衛の贈った着物を着た彼女は、男であれば誰もが一目置く程に可憐だ。そんな彼女を見た権兵衛は頰を小さく掻くと、「…はぁ」とため息を零す。

 

「綺麗なものを見るとため息が出るって言うのは、どうやら本当だったみたいですね」

「ふふっ、ありがとうございます」

 

はにかんだ笑みもこれまた綺麗で、まるで花が綻ぶ様だと感じる。

 

「…なんだか俄然自信が無くなってきました。やっぱり、今から顔のいい柱の人を呼んだほうが…」

「結構です。…それに、私は貴方とお祭りに行きたいんですから」

「–––そう言う言い方は、少し狡いかと」

 

どう考えても不釣り合いであるが、本人の希望ならば頑張ろうと一人意気込む。すると「権兵衛さーん‼︎」と快活な声が三つ響く。

 

「どうやら、終わったみたいですね」

「えぇ。そのようです」

「すいません、少し時間が掛かってしまいました」

「お待たせしました、兄さん」

 

お揃いの着物を着た三人を連れて、藍色の華やかな着物を着たアオイと白の着物を着た柊が玄関から現れる。それを二人で見ると一度頷き合い、権兵衛が口を開く。

 

「全然待ってないよ–––––それじゃあ、行きましょうか」

 

 

今日は間違いなく忘れられない1日になる。

そんな確信を持った権兵衛は嬉しそうに笑い、蝶屋敷の門を潜った–––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「–––––––––––––って、思ってたんだけどなぁ」

 

ガヤガヤと騒がしくも賑やかな街を端の茶屋から座って眺め、ぼんやりと呟く。そんな呟きは何処に届けたいと思うものでもないのだが、目敏い声が背後より聞こえてくる。

 

「んあ?なんだよ、気になる奴でも居たのか?」

「美味い!美味いな権兵衛少年‼︎」

「あぁ…甘露寺に会いたい…会いたい…」

(綺麗な夜空だなぁ……)

 

自分の周りにはニタニタと笑う音柱、団子をこれでもかと頬張る炎柱、恋柱に想いを馳せる蛇柱、それと空を見上げている霞柱が揃っている–––––いやほんと、どうしてこうなったんだろうか。

 

「別に、そんな人は居ませんよ…というより、なんで柱の皆さんは此処に?」

 

しのぶさんやアオイさん達とお祭りを回る筈が、何故か男性柱の方々に囲まれてこの場にいる事を改めて疑問に思う。すると「細かい奴だなぁ」とやや呆れた口調の音柱…宇髄さんが傍の酒瓶を一息に煽る。

 

「祭があるってお前から聞いてたからな。ちょうど良い機会だし、親睦会も兼ねて集まろうって提案したんだよ」

「成る程、そういう事でしたか。…ですけど、それなら尚更自分がいる必要がないのでは…?」

「権兵衛だって実力的には柱と同じ位なんだから、別に大丈夫でしょ」

「はぁ…」

 

相変わらずぼんやりとしている時透君に促されて不承不承に頷く。

 

「親睦会と言いましたけど、それにしては全員が揃ってませんね。ほかの人達はどうしたんですか?」

「冨岡は途中まで一緒にいたんだが、鮭大根の香りがするとか言ってどっか行った。不死川と悲鳴嶋さんは遅れて来るんだと」

「冨岡さん………」

 

相変わらずと笑えば良いのか、呆れれば良いのか。読めない彼の顔を思い出して苦笑し、傍にあるお団子を頬張る。

 

「しのぶさん達は今頃お祭りを楽しんでるかなぁ…」

 

つい先程まで一緒にいた彼女…天女と見間違う程に可憐だった胡蝶しのぶさんと瞠目する程に綺麗だったアオイさん達を思い浮かべる––––改めて思うが、自分では役者不足が過ぎる。

 

「甘露寺と一緒にいるんだから騒がしいだろうが、楽しんでんじゃねぇのか?」

「そうだと嬉しいですね。折角のお祭りですから」

 

『あぁ!しのぶちゃん久しぶり‼︎凄い綺麗な着物ね!新しく新調したの?』

『お久しぶりです、甘露寺さん。えぇ、この着物は––––––』

 

唐突に現れた甘露寺さんは瞬く間にしのぶさんと会話の花を咲かせ、それを見ていた矢先、これまた突然現れた宇髄さんに拉致されたのが此処までの軽い経緯と言えるだろう。…我ながら荒唐無稽な話とは思うが、事実なのでしょうがない。

 

「それにしても、襟元を引っこ抜いて連れてくることもないでしょう。俺はそこらにいる野良の子猫ですか」

「馬鹿言え。お前の様な狂気じみた子猫がいてたまるか」

「…さらっと罵倒しますね」

「それより、権兵衛少年は良かったのか?彼女達と一緒にお祭りを回る予定だったのだろう?」

 

団子の山を平らげた煉獄さんがこちらを見遣り、心配そうに首を傾けている。

 

「それはそうなんですが…まぁ、女性同士の方が気楽で楽しそうですし、自分はこの際居なくても良いかなって」

「そうだそうだ。普段蝶屋敷に篭ってんだから、今日くらい付き合ったって良いだろ」

「…まぁ、権兵衛少年はともかくとして、宇髄は大丈夫なのか?話を聞いた限り、胡蝶の許諾なしに権兵衛少年を攫って来たのだろう?もしかしたら報復があるやも知れんぞ」

「怖い事言うなよ。それに、幾らあいつでもそんな事はしないだろう」

 

空になったお猪口に「お代わりをお待ちしました」とやけに綺麗な声と共に新たに注がれた酒を宇髄さんが手に取り「おう、ありがとう」とこれまた一息に煽る–––––あれ?今お酒を注いだのって……?

 

「大体よぉ、胡蝶のやつは権兵衛に構い過ぎなんだ。偶には俺にだって––––––––」

「…宇髄さん?」

 

揚々と話していた宇髄さんの言葉が止まり、首を傾ける–––––その時、周りの柱の方々が揃って顔を背けている事に気づく。

 

「–––––––全く、権兵衛君を拐おうなんてふざけた真似をしてくれますね」

 

–––––その声は、とても綺麗な音色だった。

 

「し、しのぶさん…?」

「探しましたよ、権兵衛君」

 

宇髄さんを睥睨していた視線を戻し、こちらを見てふんわりと花の様に微笑むしのぶさんを呆気見る。その一方で視界の端では宇髄さんが「うぐぐ」と呻きながら、身体を動かそうと必死になっている。

 

「やれやれ…。だから言ったろう、宇髄?」

「………」

「おい胡蝶‼︎何も毒を盛ることはねぇだろ⁉︎」

 

動けないと解ると声を荒げる宇髄さんにしのぶさんがニコニコと笑う。

 

「いきなり権兵衛君を連れ去るからです。少しの間動けなくなるだけですから、少し反省していて下さい」

「…だ、大丈夫ですか?」

「大丈夫に見えるか!お前からも何が言ってやれ‼︎」

「そ、そうは言いましても…」

 

どこか黒い感情を察し見る事のできる笑みを浮かべた彼女に、一体何を言えば良いのだろうか、とは口が裂けても言えない。–––何かとは明言できないが、トバッチリが来る事が目に見えるからだ。

 

「さて、それじゃあ柱の皆さん。権兵衛君は連れて行きますので」

「うむ。楽しんでくると良い」

「勝手にどうぞ」

「おい胡蝶。甘露寺はどうした?まさか一人で置いて来たのか?」

「まさか。今はアオイ達と一緒にいますけど、この後此処に合流すると言っていましたよ」

「そうか…!」

「おい胡蝶‼︎これ本当にすぐ治るんだよな⁉︎」

「えぇ。あんまり動くと良くないですから、安静にしていて下さいね?」

「どの口が言うんだよ⁉︎」

 

ガヤガヤと騒がしくなっている柱の方々を他所目に、残ったお茶菓子を一口で飲み込み「ご馳走様でした」と女中に頭を下げる。

 

「それじゃあ皆さん、お邪魔しました」

「ではな、権兵衛少年」

「えぇ、みなさんもまた」

 

席を立ち上がって柱の方々に頭を下げ、しのぶさんの方へ向き直る。

 

「それじゃあ、アオイさん達と合流しましょうか」

「えぇ。…それと権兵衛君」

「なんですか?」

「『女性同士の方が気楽で楽しそうですし、自分はこの際居なくても良いかな』って言葉、ちゃんと聞いてましたからね?」

 

–––––––どうやら、窮地に陥ったのは宇髄さんだけではないらしい。

 

「…お団子で手を打ちませんか?」

「打ちませんよ?」

「…ですよね」

 

長い小言が始まるなと辟易しながら、多くの人で賑わう街中を眺める。

 

「それにしたって、こんな人混みの中で良く見つけましたね」

「えぇ。鴉を使いましたから」

「–––––成る程」

 

鎹鴉の使用は公私混同なのでは、と思っても口には出さない。只噛み締める様に呟いた後、彼女の前を歩く様に街中を進む。

 

「それに、本当に心配したんですからね?この機に乗じて屋敷から出て行こうとしたんじゃないかって」

「…もしかして、屋敷を抜け出そうとした事、まだ根に持ってますか?」

「当然です。普通考えられますか?お腹に穴が空いた状態で鬼を殺しに行こうなんて」

「返す言葉もございません…」

「全くです。大体貴方は––––––」

 

微かに頰を膨らませて怒りを露わにする彼女に頭を下げる。そのまま彼女の小言を耳にしていると、ふと前から「権兵衛さーん!」と聞き慣れた声が聞こえる。

 

「漸く見つけました。どこに行ってたんですか、兄さん」

 

腰に手を当て困った様に嘆息する柊を相手に頰を掻く。

 

「いや、少し宇髄さんに拐われてねぇ…」

「拐われたって…。何というか、柱にはまともな人が少ないんですね」

「けど、こうして見つかって良かったですよ!」

「そうですよ!」

 

ぴょんぴょんと跳ねるすみちゃん達の手には綺麗な飴細工が握られ、頭には狐のお面を被っている–––なんだかんだ、お祭りは楽しめているらしい。

その様子を微笑ましく見ていると、ふと視界の横から一本のお団子が差し出される。

 

「これは権兵衛さんの分ですよ」

「アオイさん、わざわざありがとうございます」

 

差し出されたみたらしを受け取り、一口頬張る。「うまいうまい」と団子を食べ進めると「まだありますから、ゆっくり食べて下さいね」と彼女が笑う。

 

「あれ?そういえば甘露寺さんが見えませんけど?」

「あぁ、甘露寺さんなら…」

 

美味しい団子に舌鼓を打つと、一緒にいるはずの彼女が見当たらない事を疑問に思う。するとしのぶさんが人だかりが出来ている店を指差し、そこの人達が「おぉ〜」と歓声を上げていることがわかる。

 

「あれは……甘露寺さん?」

 

軽く背伸びをしてみると、店頭で蕎麦をおいしそうに頬張る彼女の姿が見える。傍には自分の背丈に迫る勢いの器の塔が聳え立ち、とんでもない量を食べていることが分かる。

 

「夜鳴きそばの大食い競争に参加しまして…因みに、挑戦者はあれで五人目です」

「はぁ…あっ、倒れた」

 

関取をも思わせる巨漢が地面に倒れ伏し、多くの人たちが歓声を上げる。–––––何というか、流石甘露寺さんだなぁ。

 

「彼女はあんな感じなので、私たちは私たちでお祭りを楽しみましょうか」

「ですね」

 

困った様に笑うしのぶさんに同調して微笑み、町並みを歩く–––その時、一つの体温が自分の右手を包む。

 

「––––えっ」

「人混みを多いですし、こうした方が良いですよね?」

 

横を向くと僅かに頰を赤くしたしのぶさんが見え、自分の顔も熱を持つ。

 

「それじゃあ、すみちゃん達は私と手を繋ぎましょうか」

「良いんですか!」

「えぇ。はぐれると大変ですから」

 

そんな自分達を見たからか、柊がすみちゃんとなほちゃんと手を取る。「ほら、アオイさんも!」ときよちゃんに促され、アオイさんも恥ずかしげに手を取る。

 

「それじゃあ行きましょうか、権兵衛君。私、実は行きたい屋台があるんですよ」

「私達もあるんですよ!」

「ほら、兄さん。時間は有限ですよ?」

「–––––そうだな」

 

手を引く皆んなに連れられ人だかりの中に脚を運ぶ。花火が始まるまで、後四半刻を切った––––––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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–––––––––カーン、カーン。

 

騒がしい街中に二つの鐘の音が響く。それは花火が始まる事を告げる鐘であり、お祭りを楽しんでいた人達は揃って花火がよく見える場所を目指して動き出す。そんな様を見ていた音柱––––宇髄天元は傍にあるお猪口を一口に煽り、ふぅと一息吐く。

 

「もうすぐ花火が上がるか。どうする?俺たちも移動するか?」

「この茶屋からでも見えるのだろう?なら別に大丈夫だと思うが」

「却下だ。俺は人混みが苦手なんだ」

「僕はどちらでも良いよ」

「そうか。なら、此処で奴等を待機って事だな」

 

煉獄が団子の最後の一串を食べ終えて後に「…それで」と口を開く。

 

「結局の所、悲鳴嶋と不死川、後は冨岡はここに来るのか?姿が全然見えないが…」

「あぁ、それなら問題ないと思うぜ」

「むっ?」

 

宇髄が笑いながら奥の方向を指差す––––––そこには、不死川と冨岡両名を小脇に挟んだ悲鳴嶋行冥の姿があった。

 

「うわぁ…」

「オイ!そろそろ離して良いだろ⁉︎」

「………鮭大根」

「すまない、遅くなった」

「こっちこそ、回収してくれて助かったわ」

 

茶屋の御座敷に二人を放り投げ、謝意を述べる悲鳴嶋に宇髄がカラカラと笑う。

 

「ところで聞きたいんだが、そいつらは何してたんだ?」

「実弥はおはぎを食べている所を、冨岡は鮭大根を食べている所を見つけた」

「ブれねぇなぁ…」

 

簡単に予想が付くそれを聞いて苦笑すると「これで、後はあいつだけだな」と告げる最中、「遅くなりました〜!」と間延びした声が響く。

 

「噂をすればだな」

「甘露寺!そんなに走ったら危ないぞ!」

「お前はあからさまだなぁ…」

 

桃色の着物に身を包み、パタパタと走ってくる恋柱、甘露寺蜜璃の姿が見える。

 

「いや、遅れてねぇよ。これで全員揃ったな」

「胡蝶は来ないのか?」

「あいつは屋敷の奴らと花火を見るんだとよ」

 

 

–––––––––カーン、カーン、カーン。

 

三度鐘が鳴る。

それは花火が上がる直前を告げる合図であり、街の人々がこぞって夜空を見上げる。それに倣い、柱の面々も空へと視界を移す。

 

「––––来年も又、同じ花火が見れると良いな」

 

悲鳴嶋が呟いた言葉を最後に、白い光が空へと登る。天へと登る龍をも幻視するそれは遙か高く空へと昇り–––––そして、真っ赤な華を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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––––––––––綺麗なものを、見た。

 

「見事な花火ですね」

「はい、赤が良く映えます」

「とっても綺麗です‼︎」

 

空に打ち上がる花火を見上げる彼等の横顔は、見ているこっちが救われる程に晴れやかなものだった。

 

『––––––嫌な匂いだ』

 

一つの村を焼いたあの日以降、火を尊いと思う事なんて、二度と無いと思っていた。

 

「むー!むー‼︎」

「そうだな、凄い綺麗だな」

「立派な花火だなあ」

「…ほわぁ」

 

けれど、こうして色んな人達を魅了する炎の華は、結果として自分の視線を掴んで離さない。色取り取りに咲き誇る大輪を、食い入る様に見つめる。

 

「––––––綺麗だ」

 

一瞬の内に開き、一瞬の内に消えて無くなる泡沫の夢の様な儚い存在–––––それでも、自分にはそのあり方が、とても尊いものに思えた。

 

「…権兵衛君、泣いてるんですか?」

「–––––えっ?」

 

しのぶさんの言葉に目元を指で拭うと、透明な雫が付着している事が分かる–––––涙を流すなんて、一体いつぶりの事だろうか。

 

「大丈夫ですか?どこか痛むんですか?」

「いえ、違うんです。…只、花火があんまりにも綺麗で」

 

手を繋いで花火を見上げる夫婦、花火を見てはしゃぐ子供、懐かしむ様に目を細める老人、楽しそうに酒を煽る男性–––––––此処には、人の営みが溢れている。細やかだけれど、本当に尊いものが、溢れんばかりに広がっている。

 

––––––––どうして、忘れていたのだろう。

 

人には人の営みがあって、それが積み重なって世の中を作っている。俺は、そんな今が少しでも続く様に、誰にも邪魔されない様に、それを願って剣を握ったんだ–––––––誰も、幸せな営みを奪われない事を祈って。

 

『––––––ハハッ』

 

燃え盛る火を眺めて、乾いた笑みを浮かべた過去は変わらない。流した血は、殺した命は決して帰らない。ましてや、ドス黒く濁った自分の手が綺麗に雪がれるなんて事は絶対にない–––––それでも、そんな手でも、小さな営みを守る事くらいはできる筈だ。

 

「…もう、充分です」

 

俺が守りたかったものは、確かに『人』だった。

けれど、それは単に命が尊いからだけじゃない。その人がいつか作るであろう、小さくとも幸せな世界が見たいからだ。

 

「なにが、ですか?」

「思い出したんです。どうして自分が人を守りたかったのか、どうして、辛い思いをしてまで刃を振るうのかを」

 

本当に、居心地の良い場所だった。暖かな陽だまりがずっと続く、夢のような時間だった。蝶屋敷に来て、こうして皆んなで花火を見なければ、どうして人を救いたいと思ったのかの原点すら、思い出せなかっただろう。

–––––だからこそ、自分はずっと此処にいる訳には行かないんだ。

 

「唐突ではありますが、蟲柱、胡蝶しのぶへ。階級甲、小屋内権兵衛より一つの嘆願を述べさせて頂きます」

 

花火を見上げていた視線を彼女へと移し、悲しげに微笑む彼女の顔を見る。

 

「……行ってしまうんですね」

「––––はい」

 

耳には花火の炸裂音が響いているのに、どこか遠くの世界のように音が遠のいていく。

 

「本当に君は酷い人です。鬼のような人とは多分、君の事を指すのでしょうね」

「すいません」

「…大体、なんですか。もう充分って。貴方はまだ休んでいても良いんです。寧ろ、そうするべきなんです」

「すいません」

「……それで、蝶屋敷を出てまた無茶をするんですか?それで重傷を負ったとしても、私はもう治療しませんよ?」

「すいません」

「………蝶屋敷に残って欲しいと頼めば、残ってくれますか?」

「…………すいません」

 

とても、とても悲しそうな声だった。今にも涙が溢れそうな程に声は震え、目も潤んでいる…それでも、彼女は泣かなかった。

 

「わかりました。なら、今日付で貴方の蝶屋敷防衛の任を解きます。もう二度と、同じ役職に就けるとは思わない事ですね」

「––––––今まで、本当にありがとうございました」

 

目を伏せ、万感の想いを込めて心からの感謝を述べる–––本当に、しのぶさんには迷惑を掛けてばかりだ。

 

「さぁ、話は終わりですね。なら、花火を見ましょうか」

 

もう一度目をあげると、そこには花のように綻ぶ彼女の笑顔があった–––––強い人だと、改めて思う。

そのまま空を見上げると、一際大きな花火が空に打ち上げられる。赤や橙色に染められたそれはとても綺麗で、それでいて––––––––––。

 

「––––––頑張って下さいね、権兵衛君」

 

なにか、とても柔らかい感触が右頬に触れる。思わず右側を見ると、そこには笑みを浮かべたしのぶさんの顔が近くに映る。

右頬に触れたものが一体なんなのか、そして、しのぶさんの顔が赤いのは花火の光のせいなのか。その二つの答えを出せない俺は、肩を竦めて

困ったように笑みを浮かべる。

 

「––––––––本当に、敵わないなぁ」

 

 

––––––––花火の光が入り乱れる夜。溶け入るように呟いたその一言は花火の音に掻き消され、誰の耳にも届く事なく消えて行った–––––––。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




小屋内権兵衛

お人好しの殺人鬼。人を救う為に人を殺すと言う極めて大きな矛盾を孕んだ行為を、彼は自身の精神を擦り減らす事によってそれを抑え込んでいた。
しかし、始まりの鬼殺を経て濁ってしまった彼の願いは、蝶屋敷の生活によって雪がれた。多くの人を救う事が目的ではなく、その人達が紡ぐ細やかだけれども幸せな世界を守る事が本来の願いの根源だったのだ。
その本質を思い出した所で、彼の行動は変わらないのだろう。人を傷つける人を許さず、人を喰らう鬼を赦さない。けれども、蝶屋敷での温もりは決して消える事なく、彼の心を灯し続けるのだろう。


胡蝶しのぶ

一つの鈴の音を送り出した少女。花火に当てられて微笑むとある少年の笑みを見た時、どうしようもない程に自分の想いを自覚した。彼女は彼を引き留めない。それが、彼への想いなのだから。


小屋内権兵衛(別側面)

一夜の内に三十余命から成る寒村を滅ぼした悪鬼。鬼殺と称して数多の市井を手に掛けた稀代の殺人鬼であり、その手で葬った人の数は百に登るとすら言われている。
性格は極めて希薄であり、人間離れしていると言える。自ら引いた線に極めて忠実であり、その線から外れた人の悉くを殺害する狂人。鈴の音を鳴らす長刀の扱いに長け、その刀をもって数多の命を奪ってきた。







作者からの謝罪

ここまでの読了してくれた事、誠にありがとうございます。そして、重ね重ねとは思いますが、投稿が遅れてしまった事、誠に申し訳ございませんでした。
今回投稿が遅れた原因は只一点、「権兵衛を蝶屋敷に残すか否かに悩んだから」に尽きました。当初の予定では権兵衛が蝶屋敷に残ったままの状態で物語を進行しようと画策していたのですが、そうなると描写が蝶屋敷に集中し、結果として焦点が当たるキャラクターが狭まってしまう事に気が付きました。
それから約三週間程度、書いては消して書いては消してを繰り返し、結果としてこのような結末となりました。描写が足りない中、次の展開に視点を移すのは、作者の力不足が祟った結果と言う他ありません。今後の展開的に蝶屋敷に焦点が当たる事は間違いなく、また、儚い恋模様も拙いながら精一杯努力する心意気なので、そこはお待ち頂ければ幸いです。
活動報告でも述べさせて頂いておりますが、作者は基本的にハッピーエンド主義者であります。その為、悲惨な結末や救いのない登場人物はなるべく避ける方向で行きます。そこはご了承下さい。
次の話なのですが、一度小噺か別の話を入れようかなと考えております。権兵衛が鬼になった場合とか権兵衛柱if、過去逆行編等色々と浮かんではいるので、それを短編で投稿するかも知れません。もし短編で何かご要望等がありましたら活動報告のコメントや個別メッセージで受け付けておりますので、其方にご連絡下されば幸いです。
長々となってしまいましたが、これにて作者からのコメントを終えます。改めまして、これまで拙作を応援して下さった方、本当にありがとうございます。これからも応援してくださると嬉しいです。








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