無限の剣製……? (流れ水)
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無限の剣製……?

 気が付けばゴミ山の中で私は生きていた。

 ただ、生きるだけの惰性のような人生を送っていた。

 そんな生活に嫌気がさしたのは何時だろうか。

 慣れ切り、何の感情も抱いていなかったゴミを汚いと思うようになったのは何時からだろうか。

 

 たぶん、前世の知識と記憶を思い出した時からだろう。

 その時からきっと私はここでの生活に耐えられなくなった。

 私は絶対にこんなところで死なない。死にたくない。

 もっと良い生活を送りたい。

 前世のように何かに縛られるのではなく、今世では自由に生きたい。

 

 その為には力がいる。

 暴力、権力、金。

 その中のどれかを手に入れる必要があるのだが、今日生きることすら苦心しているサクラには夢のまた夢だろう。

 

「…お腹空いた」

 

 サクラはぼそりと言葉を零す。

 しかし、この流星街において、無償で食べ物を分けてくれる聖人など存在するはずがない。

 どれだけ飢えていようと、自身の手でゴミをかき分け、食料を見つけ出すしかなかった。

 

 

 流星街で食料を手に入れる方法は主に3つ。

 

 1つ目は、持っている者から奪うこと。

 主に狙われる対象は力の弱い子供。

 しかし、奪われるだけでは子供もこの流星街では生き残れない。

 狙われやすい力の弱い者達は徒党を組み、襲いくる暴力に集団の暴力で対抗するのが流星街の常識である。

 

 よく狙われる子供に対して流星街の老人が襲われる事は滅多に無い。 

 流星街という無法地帯で老人になるまで生き残っているという事実そのものが驚異に値する事だからである。

 暴力の経験や知識が豊富であり、何処に繋がっているのか分からないほど横繋がりが深い老人を襲うなど流星街では自殺行為と言っても過言では無いだろう。

 

 2つ目は、自分で食料を見つけ出すこと。

 流星街の空に浮かぶ飛行船から落ちてくるゴミの中からまだ食べられる食料を見つけ出すか、ゴミの中を走るネズミやゴキブリを捕まえて自分の食料にする事であるが、これには問題が存在する。

 徒党も組んでいないか弱いサクラが食料を見つけ出しても、すぐに食べなければ誰かに奪われてしまうのだ。

 徒党を組もうにも、何か特技がある訳でもなく、身体が特別強い訳でも無い足手まといのサクラを徒党に入れる理由が無いのだ。

 

 3つ目は、食料を持っている存在と交渉をすること。

 物々交換が主になっている流星街では交渉を行うことで食料が手に入る。

 けれど、交渉を行う為には、相手に交渉を行うに値する実力があると思わせなければならない。

 そうでなければ、交渉を行う以前に相手の暴力で物々交換の物品を奪われてしまうからだ。

 

 

 暴力。それこそが流星街を支配している力なのだ。

 

 

 今までサクラが生きているのは単純に運が良かったから。

 何とかゴミの中から食料を見つけ出し、食い繋いでいくことが出来たから。

 

 けれど、その幸運が何時までも続くとは限らない。

 明日にでも大人の憂さ晴らし等というちょっとした理由で嬲り殺しにされる可能性も十分有り得るのが、流星街の世界。

 

 早急に力を身に付けなければ、明日を生きていけるかも分からないような世界こそがサクラが今生きている日常である。

 

 普通なら絶望するしかなさそうだが、前世を思い出したサクラには暴力を手に入れられそうな希望があった。

 ほんの一筋の、今にも消えてしまいそうな希望だが、それでもサクラは希望を持って生きていた。

 

 流星街。

 前世で読んだHUNTER×HUNTERという漫画でそんな名前が出てきたのをサクラは思い出した。

 

 なら……もし、ここがHUNTER×HUNTERの世界だとすれば、『念』が存在しているはずだ。

 

 前世の知識を元にすれば本当に『念』という暴力が手に入るのかまだ分からない。

 そもそもここがHUNTER×HUNTERの世界であるという保証は何処にも存在しないのだから。

 

 それでも、彼女、サクラ・ハバキリはその僅かな希望にすがりつく(ほか)なかった

 

 

 食料を探す合間の休憩に、悪臭を放つゴミ山の上で座禅するようになってから3日目。

 お腹を鳴らしながら、ひたすら自身の身体に意識を集中していると、唐突に自身の身体から流れ出すあやふやな流れを感じた。

 

 これだッ‼

 身体のオーラの流れを体感しながら、垂れ流されているオーラ量を増加させる。

 明確に感じるようになり、身体から流れ出すオーラを身体に押しとどめようとして、サクラはそれが出来ない事に気が付いた。

 どんどん減っていく体力、肉体に募っていく疲労感に背中に冷たい汗が流れる。

 

 ヤバいッ……⁉いや、落ち着け、落ち着け私ッ‼

 知識はあるんだ。対処法は知ってるんだ。

 だから、落ち着いて…落ち着いて…想像しろ。

 

 血液のように全身を巡っているオーラを想像。

 そして、頭から肩、手、足に循環しているオーラの流れがゆっくり止まり、身体の周りで揺らめているのを思い浮かべる

 時間にして2分。

 何とかオーラを身体に押しとどめる事に成功した。

 

「はあ……焦った……」

 

 文字通り身を削る緊張感から解放されたサクラは大の字でゴミ山に寝転がった。

 全身を包む疲労感と眠気に支配されながらも身体にオーラを押しとどめるイメージを浮かべ続ける。

 

「やった……」

 

 サクラは手に入れたのだ。

 『念』という力を。

 その実感に自然と頬が緩み、いつ振りかも分からない笑顔が零れ出る。

 でもまだまだ拙い『纏』と『練』もどきみたいなのが出来るようになっただけ。

 念能力者としての道を歩み始めたばかりなのだ。

 調子に乗ってはいけない。

 それでも、今は喜びに浸っても構わないだろう。

 

 生命エネルギーを消費した影響か盛大にお腹が鳴る。

 それをきっかけに元々ずっと我慢していた飢えが限界を超え、せっかく浸っていた喜びの情が飢えにかき消されていく。

 小柄なお陰か余りご飯を食べなくても、生きてはいけるが、そろそろ限界かもしれない。

 

「食べ物……」

 

 飢えで思考がぼんやりする中、サクラはゴミ山をかき分けて食料を探し始めた。

 

 

 2時間近くゴミ山を探して見つけられたのはカビの生えた食べかけのフランスパン一つだけ。

 カビを取れば食べられるかな。

 見つけたフランスパンはすぐにカビを取り除き、その場で口に放り込んで食べていく。 

 

「おい、嬢ちゃん良いもんもってんなあ。それよこせや」

 

 背後からかけられた野太い声に振り返ったサクラが見たのはサクラよりも遥かに巨大で筋肉質な大人だった。 

 そんな声など無視してサクラはフランスパンを食べるが、筋肉質な男が苛立たしげに叫ぶ。

 

「おい、聞いてんのか、クソガキ‼」

 

 筋肉質な足が動き、サクラの腹に突き刺さった。

 周囲の風景が流れ、ゴミ山に身体が衝突するが、いつもほどの全身を駆け抜ける衝撃は来なかった。

 

 のたうち回り呼吸が出来ないほどの激痛もやって来ない。

 手加減無しで蹴られたというのに、ただ痛いの範囲で済んだ事実に、サクラは念の力を実感した。 

 

 今なら、今ならこの男を殺せるのではないか。

 そんな淡い思いが心の中に湧き上がるも、サクラは殺意を抑え込んだ。

 

 まだ、駄目だ。

 まだ念を修得してまだ一日目。

 例え、あの男を殺せても、あの男の徒党に逆襲されれば、今のサクラはなすすべもなく殺られてしまうだろう。

 

 一時の衝動に駆られて行動しても、後が大変になる。

 ああ、でも、徒党を独りで皆殺しに出来るようになったら、殺そう。

 仄暗い決意を胸に、サクラは食料を奪っていった男を恨みがましく見つめた。

 

 

 翌日、修得したばかりの念を使い、絶で気配を消して街並みを歩いてみるが、誰一人としてサクラの存在を気にしない、気付かない。

 これは面白い。

 途中で空腹を我慢できず、露天商からカラカラになった菓子パンに手を出すが、サクラがその場を去るまで露天商は盗まれたことに気付かず、最後までサクラの存在に目も向けなかった。 

 

 これなら、これから飢える事は無さそうだ。

 サクラは菓子パンに齧り付き、ニンマリ微笑んだ。

 

 

 念を修得してから5日目。

 ゴミ山の上で仁王立ちになったサクラは肩の力を緩め、体内に流れるオーラにのみ意識を集中させる。

 身体の細胞の一つ一つからエネルギーを集め、体内に貯め——貯めたエネルギーを一気に解き放つ。

 

「練‼」

 

 体内から放出されたエネルギーが、普段よりも身体機能を大幅に強化。

 その状態を維持する事を心がけるが、まだまだサクラには厳しそうだ。

 

 オーラを練り上げ、維持する技術ならしっかり行えている。

 なら、何が問題なのかというとサクラの肉体面だろう。

 

 念は肉体エネルギーを元にしている。

 しかし、長年の栄養失調により、サクラの肉体は腕は枯れ木のように細く、今にも折れそうなほど脆い。 

 こんな身体では、しっかりとした念の修行すら行えない。

 すぐに体内の貯蔵オーラが切れてしまうからだ。

 

 これからは肉体の基礎から強化していかなければならない。

 

 『練』の修行で汗だくになり、体力も大幅に消費したサクラは誰にも見つからないように、『絶』で気配を消してゴミ山に隠していたすえた香りのする唐揚げとねちゃねちゃした腐ったご飯が特徴の唐揚げ弁当を食べる。

 

 サクラは大抵なにを食べても腹を下さない。少しでも食べたものを栄養にしようと、身体が流星街のそれに順応しているからである。

 これは大体の流星街の住人に共通している体質であり、ここで暮らしていれば嫌でも勝手に身に付く人間の力である。

 

 前世の記憶を思い出す前なら、この食事をご馳走だと思って楽しめただろう。

 けれど、前世の記憶を思い出さなければ、流星街の大人達から食料を盗むなんて真似は絶対に出来なかった。

 そんな世の中の上手くいかない関係に苦い想いが芽生える。

 

 仕方ないことは分かっている。

 贅沢を言っている事は理解している。

 

 それでも——

 

 もっと美味しいものが食べたい。こんなもの食べたくない。

 

 心中で不満を吐きながら、サクラは唐揚げ弁当を頬張った。

 

 

 それから数日後。

 昨夜は雨が降り注ぎ、サクラが着ていたワンピースはびしょ濡れになった。

 雨風を防げる場所は流星街でも強い力を持つグループが占領している。

 家を持つ。それだけでも、流星街では力が必要であり、流星街でも最下層に属しているサクラに雨を防ぐ手段は無かった。

 

 しかし、この程度の事は今更である。

 早朝。泥水でグズグズになった地面で目覚めたサクラは、ゴミ山から見つけてきたペットボトルの欠片に溜まった水を見て、小さく笑みを浮かべた。

 

 これでようやく私の系統が分かる。

 まだ寝ぼけ混じりの思考を泥水で顔を洗って、クリアにすると、そこら辺生えている雑草でも特に青々しいものの葉をちぎり、ペットボトルの水に浮かべ、サクラはペットボトルに両手を掲げて目を閉じた。

 

 練‼

 ペットボトルに向かいオーラを流し込んだ。

 ……⁉

 

「……何で⁉」

 

 おかしい……⁉

 変わらない、何も変わらない。

 試しに練を中断して、水を少し舐めてみるが味に変化は無い。

 半場泣きそうになりながら、サクラは何か変わったところは無いか、ペットボトルの水、葉を観察する。

 

 この葉っぱの先、少し鉄色に変色してはいないだろうか。

 もしかして……‼

 サクラは新しい青々しい葉を持って来て、再び練をする。

 今度はさっきよりも強く、長くじっくりと……変化がしっかり現れるように。

 練をしていると葉の先が緑から鉄色に変色していく。

 

「やっぱり‼」

 

 この反応は、特質系だ。

 自分の系統が分かり、サクラは興奮した。

 

 しばらく経ち、心中が落ち着いたサクラは念の知識を思い出していく。

 えっと………確か、発の修行はこの変化がもっと顕著に現れるようにしていくんだっけ。

 サクラは掘り起こした記憶を基にペットボトルにかけていた練を維持。

 そのまま、変化がより激しくなるように修行を重ねていく。

 

 そうして、修行を始めて何時間か過ぎた頃。

 

 コツコツと聞こえてきた足音がこちらに近づいてくるのを感じ取ったサクラは、即座に戦闘態勢を取る。

 ゴミ山から丸太のように太い腕にサンドバッグを握っている、腹がでっぷりと出た男が出てくる。

 

「なーにしてんだ~、水遊びなんかしてる暇があるなら、俺とちょ~っと遊ばない」

「うるさい、黙れ」

 

 その言葉に男は嘲るような視線を向けてくるが、修行を邪魔された苛立ちを隠せないサクラは冷たく男を見つめ返した。

 

「あー、何だって~?」

 

 そのニヤニヤとした笑顔、こちらを見下した視線が気に入らない。

 ああ、もう良いや。

 ……殺そう。

 サクラは地面を蹴り、距離を詰め、跳躍。

 

「はぇ——ッ」

 

 驚愕に染まった男の顔面に思いっ切り拳を振り下ろし、殴り飛ばした。

 拳から伝わってくる砕ける骨の音と潰れる顔面の感触。

 男は衝撃で吹き飛び、勢い良く何度も地面をバウントして、ゴミ山から突き出ていた鉄骨に胸から突っ込んだ。

 胸から鉄骨が飛び出し、手足はぐちゃぐちゃにへし折れている。

 

「ぎゃあああああああああ⁉」

 

 ……死んだ。サクラがそう思った男はどうやら生きていたらしく、懸命に手足をジタバタと動かし、自分の胸から突き出た鉄骨に目を剥いて叫び始めた。

 

「……本当にうるさい」

 

 耳に突き刺さる奇声にうんざりしながら、サクラは力任せにその顔面を殴り飛ばし、その脳天を砕いた。

 ようやくうるさいのが居なくなったゴミ山の上で、サクラはこちらを観察していた視線達に殺気を放つと、すぐさま観察していた視線達が消え、遠くにあった気配が散っていく。

 

「はあ……」

 

 ようやく一息つけたサクラは殴った拍子に飛んで行った男のサンドバッグを見つけ出し、中身を物色した。

 中のもののほとんどが長持ちする缶詰めと乾パンだった。

 運が良い。

 サクラは水の入ったペットボトルを全てサンドバッグに入れ、ゴミ山に隠し、男の死体を余り目に入らない位置にあるゴミ山に放り捨てた。

 後は勝手に流星街の住人が死体を持って行って肉に加工するか、臓器を売りさばくだろう。

 臓器を売りさばく伝も、人肉を進んで食べたいとの思いも無いサクラからすればどうでも良いこと。

 夜となり辺りが暗くなる前にサクラは基礎体力を鍛える筋トレを始めた。

 

 一か月。

 ひたすら肉体と念の基礎を鍛え上げる事に費やしたサクラは発の開発に手こずっていた。

 イメージはある。

 剣と鋼だ。

 念はサクラにとって剣であり、鋼の鎧。

 そこから自然と連想された能力を開発する発に決めた。

 問題はどういう制約と誓約を結ぶか、だ。

 重そうな冷蔵庫を背中に置いた高負荷の腕立て伏せをしながらじっくり吟味してゆき、ようやく自分の発の詳細を決めた。

 

 これなら、汎用性は抜群。

 敵に能力がバレても戦力は低下しない。

 ほとんど他人任せのような能力だが、自分の考えた能力こそが最強だとは決して思えないサクラにはそこが良かった。

 

 イメージすべきは「剣」を構成するあらゆる要素を内包している空間。それが心の中にあるということ。

 現実では無く、心、精神、魂という非常に曖昧な場所に念空間を具現化する。

 座禅を行い、サクラは夢現のような深い闇の中に意識を沈めた。

 食べても、寝ていても、筋トレする間もずっとイメージを維持する。

 イメージを維持する事は纏の修行で慣れている。問題無い。

 ひたすらイメージを維持していると段々、夢にまで見るようになって来る。

 いや、夢の中はイメージよりも曖昧で滅茶苦茶なのだが、明晰夢のようにその夢の中で修正を繰り返していく。

 夢の中でのイメージが段々と像を結ぶようになるにつれて、現実で心を落ち着けて自分に意識を向けるだけで心のイメージが思い浮かぶようになり、修正出来るようになった。

 そして、ようやくイメージの空間に満足した時、何時の間にかサクラの発は完成していた。

 

 

 何時完成したのか、サクラ自身にも分からないが、発を使えるようになったタイミングは覚えている。

 

 ある日、お腹が減ったサクラは、顔にかかるうっとうしい黒髪をはらうと、絶で気配を消し、適当な食料を持っている雑魚を探した。

 決めた。

 あの男にしよう。

 山刀を持ち、少しおどおどして視線を四方八方に向けるあの男に。

 手頃な石を持ち、一瞬で絶から練に切り替え、軽く手加減をして石を投げた。

 風を切り、豪速球で向かった石は、男の後頭部に直撃。

 男は血を垂れ流し、地面に倒れ伏す。

 

 突然男が倒れ、男を獲物に定めていた略奪者達が色めきだち、廃墟のビルから飛び出してくるが、サクラの存在に気付いたのだろう。

 呆然と棒立ちになる浮浪者染みた男達に、サクラはオーラに殺気を込めて頬笑むと、男達は凄まじい速度で廃墟に散り、姿を消した。

 

 男から食料を奪った後、ふと、サクラは心の砂漠のようなイメージ空間の中に目の前にあるものと同じ形状の山刀があることに気付いた。

 そこでようやくサクラは自分の発が完成している事に気が付いたのだった。

 

 発の完成を自覚したサクラが次に取った行動は発の能力の確認。

 イメージ空間の中で砂漠に突き刺さった山刀に触ると、山刀の重さ、構造材質、作成された目的や意図、製造技術、蓄積年数、どういう想いでどのように扱われてきたのか、という工程を踏み、明確なイメージでオーラを用いて山刀を具現化していく。 

 そうして、全ての工程を踏んだ後、気が付けば山刀は掌の中で具現化されていた。 

 

「出来た……‼」

 

 その具現化された山刀の姿に、サクラは満面の笑みで笑った。

 ようやく完成したという達成感、具現化の予想以上の精神的疲労感に包まれながら、ゴミ山に戻ったサクラは久しぶりに何も考えず眠りについた。

 これが、サクラが発を完成させた日の記憶だった。 

 

 




【無限の剣製……?】 特質系 具現化系×操作系の複合
 心の中に「剣」を構成するあらゆる要素を内包している念空間を具現化する。
 一度視認した武具の構造や本質を読み取り、心の念空間で複製、ストックする。
 ストックした武具の記憶、構造を読み取る。
 ストックされている武具を具現化する。
 具現化した武具の構造、動きを操作する。
 心の中の念空間を現実に具現化する。
  
 制約
 念空間にストックされている武具を具現化する際、その武具の具体的なイメージを頭の中で思い描かなければならない。
 イメージが欠けた分、具現化する武具の能力は低下する。
 念空間にストックされている武具以外を具現化出来ない。
 剣以外の武具を具現化する際、オーラ消費量が倍以上増加する。 
 手元以外で具現化した武具の構造、動きを操作出来ない。
 現実に具現化した念空間は、具現化した直後から時間経過と共に崩壊していく。(オーラを更に消費する事で崩壊速度を遅らせる事は可能)


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2話

「ふっ‼」

 

 刃渡り80㎝の一振り刀を振るう。

 流星街のゴミ山に捨てられていた刀剣の破片達。

 その中で、サクラが最も技量が高い記憶が蓄積されていると思った刃を【無限の剣製】で復元し、具現化。

 

 刀の記憶を読み込みながら、刀を振るい、骨の随まで技を刻み込んでいく。 

 けれど、特質系であるサクラは強化系と一番相性が悪い。幾ら先人達の経験や記憶があるとはいえ、他の系統よりも身体能力面では一際劣るのだ。

 

 ……能力開発に失敗したかもしれない。そんな思いが脳裏によぎるが、今更どうしようもない。

 大丈夫、まだ能力の真価が発揮されていないだけ。そう自分に言い聞かせることでサクラは心を落ち着け、鍛錬に意識を集中した。

 

 最近、ゴミ山の奥からサクラを覗いている細身のサラサラヘアーな青年が居るのだが、毎日、毎日本当にうっとおしい。

 いい加減殺してしまうおうか。

 

「――ッッ!」

 

 サクラが殺意を視線に乗せて、青年を見ると、青年は息を吞んだ。

 けれど、逃げない。

 もしかして、同じ念使いだろうか。

 近づいてくる青年に鋭い視線を向け、サクラは臨戦態勢を取る。

 

「毎日毎日、一体何の用?」

「あ、いやな、あんたの振るう技がとんでもなく綺麗なもんだから、つい毎日ここまで見に来ちまったんだ。見惚れてたってやつだな」

 

 冷たいサクラの問いに、あっけからんと笑いながら答える青年に、サクラは毒気が抜かれた。 

 

「此処で見学してても良いか?」

「別に良いけど……」

 

 全く悪気の無い青年の言葉に、何故かサクラは続けて言おうとした『何か怪しい行動をしたら殺すからね』という言葉を呑み込んでしまった。

 しかし、これ以上調子を狂わされる訳にはいかないと会話を打ち切り、ただ刃を振るう事に意識を傾けた。

 

 あれから毎日見学に来るこの青年は馬鹿なのだろうか。

 いや、馬鹿なのだろう。

 こちらが反応するまでひたすら自分の名前を連呼して自己紹介を行ってきた為か、ノブナガという名前をしっかりと覚えてしまった。

 更には、私の名前まで無理矢理聞き出したのだから。 

 死にたがり……?と怒り混じりに聞いた時、ノブナガは『え、なんでそうなるんだ?』と本当に不思議そうに言うもんだから……もう、怒りを通り越して呆れてしまった。

 

 まあ、毎日此処にノブナガが来て何も、聞いてもいないのにペラペラ喋るから、これまで知らなかった色々な知識は増えたが。

 例えば、サクラの住む地域は流星街でも政治的空白地域で、流星街でも一際治安が悪いらしい。

 ここら一帯は外から来た凶悪犯罪者がそこら中で殺し合っている地域であり、流星街の中でも明らかに異様である修羅の世界のようだ。

 サクラは、そんな事知らずに暮らしていたが、流星街の大半は長老たちによる議会制によって統治されている為、ほとんどの場所では治安が良いのだとか。

 既にここの空気に適応してしまったサクラにそんな事言われても今更である。

 そういう事はもう少し早く知りたかった。 苦労に苦労を重ねた過去を思い返すと、

 サクラはそう思わずにはいられなかった。

 

 荒れた息が整うと、気を取り直して、修行を再開。

 練で体内から放出されたエネルギーを纏で纏う事で、練よりも遥かに肉体機能を強化。

 放出するイメージと身体に留めるイメージという相反するイメージを脳裏に描きながら、4大行の応用技、堅を維持し増ける。

 練とは比べものにならない速度で減っていく体力と集中力。

 堅を維持し続ける事20分。

 複雑なオーラ操作に肉体と精神に疲労が蓄積。

 集中力が持たず、堅の状態が崩れ、肉体に押しかかる疲労感にサクラは倒れるようにゴミ山に座り込んで、絶で荒れた息と疲れ切った肉体を回復させていく。

 

「ずっと気になってたんだが、それ、どうやるんだ?」

「……それ?」

「いや、さっき身体からブワーって出ていたそれだよ」

「……⁉……見えるの?」

 

 その言葉に驚愕したサクラは、ゴミ山から顔をあげて、初めてノブナガの顔を真正面から見る。

 

「ああ、で、それって俺にも出来るのか?」

 

 特に気負いもせずノブナガは自分の疑問を質問する。

 

「まあ……見えるなら、出来ると思う」

「そうか」

 

 サクラは適当に答えてノブナガが問いを撒いて終わらせようとするが、一つのアイデアが思い浮かび、考え直す。

 

「これの使い方、3つだけ教えてあげる」 

「本当か⁉」

「3つだけ。後は勝手に見て勝手に覚えると良い」

 

 目を輝かせて言うノブナガに水をかけるようにサクラは告げるが、それでも嬉しそうノブナガは笑っていた。

 

 教えるのは練、凝、そして、流。

 何の利益にもならなければ、たぶんサクラはノブナガに念を教えなかった。

 サクラはノブナガが流の修行台になると思ったからこそ念を教えたのだ。

 そんなサクラの考えも知らず、ノブナガは無邪気にサクラの言葉に耳を傾けていた。  

 

 

 2日で練と凝を覚えてしまったノブナガのセンスに感服しつつ、サクラは流を教える。

 

「左手に30%、右足に40%。次、頭に70%、左足に20%……」

 

 まだノブナガの流はぎこちなさが残るが、まあ、これなら組手をしても大丈夫だろう。

 死んでしまったら、その時はその時。

 運が悪かったということで成仏して貰おう。

 

「まあ、出来てると思う」

「よし!」

 

 サクラの合格判定に喜ぶノブナガ。

 

「なら、次の修行に移行する。ここからが本番だから」

「はい」

「今から私が右腕にオーラを込めて殴るから。きっちり私のオーラを見て、身体の何処にオーラを集中させれば無傷でしのげるのか考えて防御すること。ここからは下手な失敗をしたら、死ぬから」

「はい!」

 

 力強く返事をするノブナガに腕に80%のオーラを込めて、亀のような歩みでゆっくり殴り、ノブナガの掲げる手に接触。

 衝撃で風が巻き起こり、土埃が舞い上がるが、ノブナガは無事。

 少し、衝撃で足が下がっては居るが、大丈夫そうだ。

 

「次はノブナガの番。私の真似をして、攻撃してきて」

「はいッ!」

 

 ノブナガが足にオーラを込めてゆっくりと蹴ってくる。

 サクラはノブナガの足に込められているオーラを目分量で推測。

 ゆっくり膝で受け止める。

 膝にオーラの込める量が甘かったのか衝撃がサクラの膝から全身を駆け抜けるが、この程度なら問題無い。

 修行を続行。

 のろのろとした蹴りでサクラはノブナガに反撃した。

 

 1週間も手合わせをすれば、流をしながら通常通りの速度で殴り合えるまでサクラの技量は成長した。

 やはり、相手が居るのと、居ないのでは成長速度も段違いのようだ。

 最初の頃のノブナガは練の維持さえ心もとなかったが、一回サクラが殴る途中で練が解けてあともう少しで殺しそうになってから、念の練度が格段に成長した。

 これならノブナガも念能力者と戦闘しても一方的に負けることは無いだろう。

 結果的にだが、Win—Winの関係になった訳だ。

 まあ、そんな自身の成長にテンションが上がり過ぎたのか、うっかりサクラの刀の鍛錬まで真似するようになったノブナガに、幾つか指導してしまったのは今でも本当に後悔している。

 そのままずるずると刀の指導までする関係にまでなってしまったのだから、その点では失敗したという他無いだろう。

 

 そろそろ流星街を出ても良いかもしれない。

 ノブナガには、刀術の基本を一通り身体に叩き込んでいる。

 あの才能なら後は勝手に自分で応用技を編み出すだろう。

 念能力もある程度使えるようになったし、流星街に心残りは無い。

 

 外から来た連中から適当に金と情報を巻き上げて、この街からおさらばするか。

 

 サクラはゴミ山の上から飛び降りると、適当な新人を探しに流星街の廃虚へ姿を消した。

 

 

 



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3話

 ——ヨークシン

 

 真っ黒なロングコートを靡かせながら、サクラはホテルの廊下を歩いていく。

 

「はあ……」

 

 面倒だ。

 そう思いながらも、これも戸籍を手に入れる為だと心を奮い立たせる。

 

 オーラが感知した微細な足音の振動から彼我の距離、こちらにやって来る護衛の人数は2人であることを把握。

 体重や重心から対象の骨格、筋肉量から男女一組であることを把握し、大まかな強さを予測。 

 

 手こずるほどの手練れでは無いと判断したサクラは、コートの下で握りしめていた全長31.5㎝、刀身17.7㎝の片刃のナイフを音もなく抜刀。

 護衛の男性が死角となる通路の角に足を踏み入れようとした、

 

 その瞬間——

 

 通路の角から一歩踏み出したサクラは、ナイフで護衛の男の首を切断。崩れゆく護衛の男の身体を横切り、何が起こっているのか分からないという表情で棒立ちの女性の首にナイフの刃を滑らせ、両断した。

 2つ分の肉塊が床に転がる前にサクラは、素早くオーラを円に広げ、肉塊を包み込む。

 

 そして——肉塊は床に倒れた。少しの音も立てずに……。

  

 高価な絨毯が血で赤く染まる中、サクラは、廊下を駆け抜けた。

 風を切る音、足で床を踏みしめる音、あらゆる音がサクラから消え去り、無音の暗殺者は足音や声などの振動から護衛の位置などを把握。護衛達を順序立てて効率良く殺していく。

 ようやく異変に気付いた最後の護衛の男が、大声をあげようとするが、背後に忍び寄っていたサクラが首を切断。ヒュー、ヒューと首から音を立てて、必死で叫ぼうとする男を円で包み、入念に音を消失させてからその脳天にナイフを突き刺した。

 

 危なかった。

 叫ぼうとする男に焦ってしまい、一刀で殺し切れなかった。

 こういう事が稀にあるからこそ、サクラは出来るだけ首を切断する手法を取っていた。

 

 安堵の吐息を漏らし、サクラは目標の居る扉の鍵を寸断。

 自分の護衛達が皆死んでいる事も知らずに暢気にベッドで寝ている男性の首を一振りで切断し、即死させた。

 

 仕事を終えたサクラは何事もなくホテルから離れ、人通りの少ない裏道に入っていく。

 それから幾ばくも無く、コートの下で携帯が震えた。

 

「…終わった」

「ああ、知ってるとも。ハッキングした監視カメラで見てたからね。カメラの記録は昨日のものとすり替えてるから安心してくれたまえ」

 

 電話越しに聞こえてくる恩着せがましい壮年の男の声に、サクラは苛立つがここは我慢する。

 

「契約は覚えてる?」

「勿論だよ。私が用意した10件の仕事を無事に終えれば、君に戸籍を用意するという契約をこの私が忘れるはずがないだろう」

 

 本当だろうか。

 

「契約は、次で終わり」

「その話なんだが、君、私と組まないかい?私達ならきっと上手くやっていけると思うんだが、どうだろう?」

「嫌……」

 

 本気で拒否を告げたサクラに、電話の主はくぐもった笑い声を漏らす。

 

「それは、それは、非常に残念だよ。まあ、気を取り直して、君に最後の仕事を告げるとしよう。電話の画面を見てくれ」

 

 電話の画面に一人の男性の写真とその情報が添付されて表示される。

 

「君の最後になるかもしれない仕事はその人物の護衛だよ。後の情報はそこに添付して、送っておいた。健闘を祈るよ」

 

 一方的に電話が切れる。

 

 

 事の始まりは、とあるマフィアから報酬金代わりに情報屋を紹介して貰った事にある。

 

 寂れた商店街にある古びたボロボロ時計屋。

 誰も居ないロビーの奥に続く薄暗い通路を、サクラは教えられた通りに進み、通路の一番奥の扉を押し開けて入る。

 

「ようこそ、お嬢様」

 

 部屋の中に入ったサクラに、明るい青年の声がかけられた。

 薄暗い蛍光灯が照らす部屋の棚には、膨大な本が立ち並んでいた。

 西洋東洋ジャンル問わず混沌とした様相で並べられた本棚に一瞬目を向けるが、すぐに部屋の主である金髪碧眼の美青年に顔を向き直す。

 

「…こんにちは」

 

 小さく返したサクラの挨拶に、情報屋の青年は人の良さそうな笑みを浮かべた。

 

「それで、一体何のようで?」  

「戸籍を作って欲しい」

「戸籍。戸籍か。そうだね、お嬢様はハートニ一家からのご紹介だからねぇ、割引して10億丁度のでどうかな?」

「……」

 

 とてもサクラに払える金額では無い。

 そのことを情報屋の青年は、サクラの顔から読み取ったのだろう。

 その碧眼を輝かせ、人の良さそうな笑みからニヤニヤとした笑みに変えて、青年はサクラに告げた。

 

「払えないんだったら一つ、僕から提案があるんだけど、良いかな?」

「……聞くだけなら」

「それで構わないよ。これは僕の親切心からの提案だからね。君が10億を払う代わりに、僕の依頼を10件受けるっていうね」

 

 怪しむサクラの視線を真正面から受け止め、情報屋の青年は話しを続ける。

 

「別に断ってくれても構わないよ。僕としては、10億という資金を用意してくれれば、構わない訳だから。最後の選択は君が自分でしくれ」

 

 どうする?

 仮に他の情報屋に依頼したとしても、同じような事を言われるのは目に見えている。

 なら——

 

「……幾つか、条件をつけさせて欲しい」 

 

 サクラの答えに、情報屋は満面の笑みで笑った。

 

 

 送られてきた明らかに割に合わない最後の仕事に、今更ながら胸に苦い後悔が押し寄せる。

 だが、ここまで仕事を遂行してきたのはサクラ自身である。

 後一件。これで最後だと思う事で何とか気持ちを前向きに持っていく。

 

 ……頑張ろう。

 携帯で情報を確認しながらサクラは最後の仕事へと歩き始めた。

 

 

 

 

 サクラの念能力【無限の剣製】が持ちうる手数は膨大である。

 その強みはサクラも理解している。

 

 だが、【無限の剣製】を戦闘で用いることは自殺行為と言っても良かった。

 

 理由は幾つもある。

 念空間にストックされている武具を具現化する際、その武具の具体的なイメージを頭の中で思い描かなければならないという制約が、一秒一瞬で勝者が決まる戦闘において致命的な隙に繋がること。

 その制約を克服出来ても、具現化に精神を疲弊すること、具現化に多大なオーラを消費すること等々、戦闘で用いるには余りにも難関過ぎる問題が待っている。

 けれど、これらの問題のほとんどは、直接戦闘を行っている間に【無限の剣製】を使おうとするから生まれている問題であり、事前に手段を限定、選択する事が出来れば解決する問題なのである。

 

 これまでの暗殺依頼において、サクラは、暗殺対象の情報を調べ、【無限の剣製】で相手の能力の弱点を突ける手段、状況に沿った武器を幾つか選択、戦闘前に具現化、必要な時に必要な手段を用いることで対象を暗殺してきた。

 

 しかし、今回のサクラの仕事は、ヨークシンシティ五大マフィア、ルッケーゼ一家のボス、ヴィットーリオ・ルッケーゼの護衛である。

 

 これまで暗殺依頼ばかりしてきたサクラにとって護衛依頼は未知の領域。

 調べれば、暗殺対象の居場所、護衛人数、対象の状況や環境が手に入る暗殺依頼とは違い、護衛依頼は襲撃候補が多過ぎて、一体誰が襲撃してくるのか何人になるかも分からない依頼。情報屋から渡された情報の中にも襲撃対象の情報は全く載っていないとなれば、サクラにも手段の限定のしようがない。 

 

 故に、今回の依頼、サクラは自身の念空間にある武装の中でも最高性能のものを厳選し、予め具現化。

 刃渡り80㎝の刀を2振りを両脇に、刃渡り60㎝の一振りの刀を腰に、刃渡り150㎝の刃肉が厚い大太刀を背中に、全長31.5㎝のグリーンベレー・ナイフをコートの心臓の上に。

 些か過剰にも感じられる武装だが、何が起こるか分からない護衛依頼。

 サクラからすれば、これでも不安で仕方がなかったが、過剰な装備は機動力を損なう。

 それ以上の装備はサクラも断腸の思いで断念するしかなかった。 

 

 

 足元から地平線にまで広がる暗闇の彼方。

 夜空に浮かぶ星々と月は分厚い雨雲によって姿を隠している中、地上ではまるで夜空を彩る星々のように文明の光が煌めいている。

 

 ヨークシンシティでも屈指の高さを誇るホテル、ルッケンシュタイン。

 その36階、社交用の広間の窓際からサクラは地上の景色を見ながら、手に持った紙皿の上に乗ったお肉を頬張っていた。

 

 広間に集まっている全ての人間が念を使える有名な殺し屋かブラックリストハンターであり、そんな錚々(そうそう)たる顔ぶれが揃う場だからこそ、そこに平然とした様子で紛れ混んでいる無名の子供(サクラ)の存在は異様に目立っていた。

 しかし、これまでの人生のほとんどを流星街で暮らしてきた世間知らずなサクラに、裏世界の有名人達がこの場に勢揃いしている事など分かるはずがなく——

 壁際のキッチンで待機している料理人達に様々な料理を頼み、窓から見える景観と食料を楽しむ事で気を紛らわせるしかなかった。

 

 

「どうしてあんたみたいな子供がこんなところに居るのかしら。此処は子供の遊び場じゃないんだけど」 

 

 背後から浴びせられた甲高いその声にサクラは振り返る。

 

「何よ、何か文句でもあるの」

 

 鴉色の長髪を靡かせ、綺麗な顔立ちの女性は眉をひそめる。

 

「何も…」

 

 苛立ちをぶつけてくるその女性に対し、特に興味がないサクラの深蒼の瞳が感情に揺れ動く瞳を見つめ返す。

 そんなサクラの態度こそが女性の怒りを増幅させるのだが、それをサクラは理解出来ない。いや、理解しようとしない。

 流星街で何の理由も無く怒り、何の意味もなく暴力を振るうゴミ達と同じものとしてその女性を見つめるサクラの瞳には、女性の怒りも苛立ちもよく見慣れたどうでも良いものとしか映らなかった。

 

 仮に女性がサクラに殺意を抱けば、サクラの身に刻まれた経験と技が女性を殺すだろう。

 見る限り、ほとんどあって無いような可能性だが、目の前の女性に返り討ちに合いサクラが殺される可能性も確かに存在している。

 けれど、サクラは自身の技を信用していた。

 返り討ちにあい、自身が死んでしまっても納得できる程度に、サクラは先人たちの経験と技に身を預けていた。

 だから、サクラは身に刻まれた経験が危険を囁くまで身構えない。

 ただ、自然体で、リラックスした態度で女性の前に立っていた。 

 

「何もってあんた、言い返す口がないわけ?何のために人に口がついているのか知ってるわよねぇ。まさかそんなことも……」

 

 ふと、違和感を感じ、サクラは窓に目を向けた。

 窓を震わせる風とは少し違った感じのする振動、リズム。

 キャンキャン喚く女がうるさい。

 

「ちょっとうるさい、黙って」

「はあ、どうしてあんたみたいな子供に指図——」

「黙れ」

 

 焦りと圧力を滲ませたサクラの言葉に、女性は黙り込む。

 

 静かになった女性を前にサクラは流れるように耳にオーラを集中し、聴覚器官を強化。

 コートの下のナイフを握り締め、微細な振動を増幅。周囲の物体を立体的かつ正確に把握。

 違和感が確信に変わる。

 

 ……来る。

 ホテルの壁を駆け上がるように、誰かが登ってくる。

 

 その驚愕の事実に、無意識にサクラが左腰の鞘に手を置き、警戒態勢を取った、その瞬間。

 

 ビルの外から膨れ上がる気配。

 肌に刺さる冷たい殺意の刃がサクラの背筋を怖気となって駆け抜け——サクラは爆発的な速度で鞘から刀【雷切】(レールガン)を抜刀。

 鞘と刀が生み出す磁力の反発力がサクラにも制御しきれない圧倒的な速度の斬撃を生み出し、ビルの壁と大理石の床を両断。

 明確な指向性を持って刀から放たれた扇状の衝撃波の嵐がビルの壁を崩壊。

 周囲に散った衝撃波が余波としてガラス窓や天井のシャンデリアを一瞬で粉々に砕き、広間が暗闇で閉ざされる中、サクラは、ビルの壁から空中に放り出された敵の姿を視認した。

 

 特徴的な腰まで伸びた銀髪。肉食獣の瞳を連想させる冷たく鋭い蒼眼。

 丸太のように鍛え上げられた手足。服の上から見ただけで分かる全身を包む鎧のような筋肉。

 その異形染みた身から漂う咽びかえるような血の臭い。

 そこまで視れば、前世の知識からその敵が誰か分かってしまう。

 ——シルバ・ゾルディック。伝説的な暗殺一家ゾルディック家の当主。

 

 そんな化物の視線が、サクラを冷たく捉えていた。

    

 空中で体勢を立て直したシルバはビルの壁だった瓦礫を踏みしめ、フッとその姿を掻き消す。それと同時にサクラはバックステップで滑るように後退。抜刀した刀の刃をまるで勝手に左腰の鞘に引き寄せられるように納めながら、胸のコートからナイフ【静刃咆震】を引き抜き、その能力をフルで発動。常時、微細に震えるナイフから放たれる微弱な高周波が、さながらイルカやコウモリが行う超音波反響索敵のように機能し、サクラの耳を通して暗闇の中の情報を正確に伝えてゆく。

 

 暗闇の中。

 サクラの視界での認識では追いつかない速度で移動するシルバが、棒立ちになったままの人間の首を掴み、骨をへし折り、まるでブーメランの如く一人の人間を剛速球でぶん投げてくる。

 だが、サクラの瞳に先程までの焦りは存在しない。

 

 筋肉の動き、骨の軋み、呼吸音、微細な癖、殺意。その全てを高周波で把握しているサクラは未来予知の如き読みで、右腰の鞘から居合いの要領で抜刀。

 【貧者の薔薇】(ガンマレイ)。光熱を纏った刀身から光熱の斬撃が放たれ、飛んできた人体を両断。

 

 更に、光熱の斬撃は人体の後ろに張り付くように、距離を詰めていたシルバにまでその牙を剥こうとする。

 

「——ッ‼」

 

 息を吞むシルバ。

 前進の加速から急速な背後への加速の切り替えという人体的に有り得ない挙動を行い、追いすがる光熱の斬撃を地を這うように身を下げかわすが……サクラはナイフ【静刃咆震】の能力、オーラを介した振動操作能力を用い、足先に極小の地震地雷を生み出し、さっき両断して地に転がっていた肉塊を蹴り飛ばす。

 

 クルクルと回りながら飛んできた人間の上半身を、シルバは地を這うような体勢から放つ剛拳で迎撃。

 サクラがその肉塊に込めた振動が拳から腕を通じて身体に伝播、肉体を中から破壊する……はずが……シルバは肉体を操作、筋骨を蠢動させることで、あろうことかサクラが念能力によって生み出した振動を、筋伸縮によって生み出した振動で真っ向から相殺、粉砕してみせた。

 

 爆散する肉塊。飛び散る肉片と骨の欠片。

 激しく飛び散った血しぶきの一滴が仮面のように表情を変えないサクラの頬を赤く濡らし——感情の見えない冷たい深い闇に閉ざされた双方の視線が静かに交錯した。 

 

 

 ……え……え?

 表面上、表情は微動だにしていないが、サクラの脳内は盛大に混乱していた。

 余りにも化け物染みたシルバの肉体の挙動を、常時放っている高周波によって正確に知覚、理解してしまっただけにサクラの心中の衝撃は大きかった。

 

 けれど、そんなサクラの精神状態をおいて、時は刻々と流れてゆき、戦況は静から動へと急激に変容を遂げる。

 

 サクラの視力では、もはや掻き消えたようにしか見えない速度で距離を詰めるシルバ。

 重戦車でも目の前に存在しているような威圧感を放つその巨躯が、サクラの間合いに入ろうとしたその瞬間には、サクラの刀は空間を切り裂き、切先から光熱の斬撃を放っていた。 

 

 圧倒的な先読みによる先の先。 

 僅かな身の動きから次の動きを予測。

 次の動きを潰すように放たれる光熱の攻撃を、シルバは全て回避する。  

 

 先手を潰すサクラに対し、シルバが取った手段は単純だった。

 自身の次の動きを潰そうと先に行動するサクラの動きを読み取り、後からそのサクラの動きに対応した動きを行う。それだけ。

 極限の領域まで鍛え上げられた身体能力と反射神経、肉体操作技術。

 その3つが歯車のように噛み合わさり、シルバは化物染みた芸当を成し遂げていた。

 

 カチリと鳴った微細な音にサクラは足に地震地雷を生み出し、床を粉砕。

 床から足に伝播した振動により一瞬硬直したシルバを置いて、サクラが下の階層に逃走したその瞬間、銃弾の嵐がシルバを襲った。

 

 サクラの光熱の斬撃が、闇の中を照らし、襲撃者であるシルバの姿を浮き彫りにしたのだ。

 

 

 だが……普通なら穴だらけになるはずの致命の多重攻撃は……シルバの皮膚とオーラによって悉く弾かれ——

 次瞬、一方的に攻撃をしていた射手達は身体に拳大の穴を空けて崩れ落ちた。 

 

「は……?」

 

 ポカンとした表情で状況が呑み込めず辺りを見渡した護衛の男は、次の瞬間にはその頭を360°回転させ、ただの骸と化した。

 

 

 

 シルバの念弾に反応すら出来ず、棒立ちのまま貫かれる射手達。

 次々と量産されていく骸。

 

 闇に乗じて動く銀髪の暗殺者が、鮮やかな手付きで広間の護衛達を一方的に虐殺するのを、サクラは下の階ではっきりと認識していた。

 

 サクラが下の階層の床に着地してから約3秒。銃撃を開始してから5秒。

 

 ——護衛達は全滅した。  

 

 その事実に顔が引きつりそうになる中、広間の護衛を殺し終えたシルバが穴の開いた天井から飛び出し、音もなく着地。

 その冷たい蒼眼を向けるシルバに、サクラは刀とナイフを持った手を翼のように広げて真正面から見据え、……言葉もなく突撃を開始した。

 

 



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4話

 振動操作により、増大した心拍が体内に爆発的な速度で血流を巡らせ、運動能力を一時的に上昇させる。それがこの場でどのくらい役に立つのか分からないが、まあないよりはマシだろう。

 

 既に後の先による狙い撃ちで徹底的に相手の手を初動から潰していくサクラの手の内は見られている。

 故に、シルバは、サクラが攻撃を仕掛けてくるのを待ち、その攻撃に呼吸を合わせることで後出しじゃんけんのようにカウンターを放っていくが、当たらない。

 当たれば即死の剛拳はサクラの身体をすり抜けるように通り過ぎていく。

 

 だが、全く攻撃が当たらないのはサクラも同じこと。

 刀の斬撃軌道線を避けるように、攻撃を仕掛けてくるシルバの魔技に、サクラは歯嚙みしていた。

 踏み込み、シルバがカウンターの攻撃を仕掛けてきたところを更にナイフでカウンターを仕掛けるも、やはりというべきか、届かない。

 

 圧倒的に身体能力が劣るサクラ。

 そんな存在がシルバの近接戦闘で拮抗していられるのは、サクラが刀を一閃するという一工程で攻撃している間に、シルバはその一閃の軌道線を見切り、避け、その後カウンターを仕掛けるという最低でも三工程を強いられているからであり——感知に秀でたサクラがシルバの攻撃を見切り、カウンターを放つ、又は最小限の動作で回避を行い、次の攻撃に繋げていくからである。

 

 必滅の力を持ちつつも、決定打に欠ける両者は止まらない。

 狂った暴走列車のように止まれない。

 

 刻々と時間が経つにつれて、サクラの肉体は崩壊していく。

 限界以上に駆動した筋線維が引き千切れ、骨はひび割れ、振動操作で爆発的に上昇している血流が肉体の血管を中から削り取り、毛細血管は血流の圧に耐え切れず破裂していく。

 サクラの纏う黒コートが、壊れる度に肉体の損傷を癒していくがそれはそれだけオーラが消費されていくということ。

 

 たったの30秒ほどの攻防でサクラの肉体は骨の髄まで削り取られていた。

 

 だからこそ、前へ、前へ、前へ……。

 生命を文字通り燃やしながらサクラは、ただ敵を撃滅することだけを考え、無数の剣閃を振るう。 

 何か他のことを考えてしまえば、悪い方向のことばかり浮かんでしまうから。 

 少しでも下がれば、ひたひたと迫る死に怯えて動けなくなってしまうから。

 だからこそ、サクラの意識は機械のように精密に肉体を動かすことに没頭し、目の前の戦闘のみに思考を傾けていた。

 

「——っ‼」

 

 前から槍の如く放たれた致死の抜き手が、ライフルの弾丸だろうと受け止めるサクラのコートを紙屑のように削り取り、掠っただけで捲り上がった肌から赤い肉を覗かせる。 

 肌に走る怖気。生存本能の警告が脳裏に走る。 

 

 ——見切られた

 

 何の根拠をもなくそう確信した、その瞬間……音を超え、大気を引き裂きながら迫る五指が軌道を捻じ曲げ、蛇がくねるようにサクラの心臓めがけて放たれた。 

 

 脳裏に過ぎる『死』の一文字。 

 既に次の攻撃に移行している身体は止まらない、止められない。

 

 しかし……心臓めがけて吸い込まれていくその一撃は、サクラの腰から現れた黒い1対の翼と衝突。

 轟音と甲高い金属音を立てて、ぶつかり合い——次の攻撃に移行していたサクラの一閃が自身を守るその翼ごと両断せんと振るわれた。

 サクラの一閃が熱したナイフでバターを切り裂くように黒翼を焼き斬り、切断、シルバの肉体を竹割に両断したかに見えた……が、それはサクラの肉眼ではシルバの動きを捉えきれなかっただけであり、残像。  

 

 すぐさまサクラは、【静刃咆震】の高周波で把握していた本物の居場所、あの一瞬で五メートルギリギリほどまで距離を開けたシルバに視線を向けた。

 

 

 サクラが付けれたのは、最後の奇襲染みた一撃による肩の薄皮一枚を切り裂いたような傷とも言えない傷のみ。

 だというのに、シルバはサクラから視線を外し、その傷に視線を向け……鋼鉄すら両断するであろう手刀で肩の傷周辺を丸ごと抉った。

 

「毒……か?」

 

 シルバの問うような独り言にサクラはゆっくり口を開く。

 

「放射性分裂光。核兵器の炎の疑似再現。それがこの刀の纏う光」

 

 サクラは淡々と種明かしをするが、シルバの表情は揺るがない。

 ただ、刀に向ける目が少しだけ変わっていた。

 

 オーラによって疑似再現された放射性分裂光のようなナニカ。その光に僅かでも触れれば、触れた部位から光が浸透し、細胞単位で肉体を破壊する。

 もう少し深く切り裂けていたら、腕一本丸ごととは言わないが、腕の機能を妨げる程度の手傷は負わせていただろう。

 

 本当に……惜しかった。

 

 自身の技量不足を悔やみつつ、サクラは腰の刀の姿を変え、3メートル以上の大鴉の念獣に変化させる。

 

 刀の性能を話し、呼吸を落ち着け、大鴉という手を見せることでシルバに警戒させ、少しでも体力を回復する時間を稼ぎたいところだが……サクラの思惑とは裏腹に、シルバの殺意が、身の雰囲気が、冷たく、鋭く研ぎ澄まされていく。

 その殺意に比例するように、サクラの感覚と思考速度が走馬灯のように凝縮され、いまだに底を見せていなかったシルバの実力がサクラの精神に重圧を与える。

 

 これは、死ぬかもしれない。

 

 その死の覚悟に呼応するようにサクラの筋骨が軋み声をあげた……その瞬間。

 

 ——プルルル、プルルルッ……‼ 

 

 断続的に鳴り響く着信音に、緩む殺意。

 サクラに警戒の視線を向けたまま、シルバはポケットから電話を取り出し、通話し始める。

 

「親父、ミルキだけど。親父の依頼主、けっこう良い賞金がかかってたから殺っちゃったんだけど……ヴィットーリオ・ルッケーゼってまだ生きてる?」

「まだ殺していない。要件はそれだけか?」

「うん。殺してないか聞きたかっただけ」

「…なら、切るぞ」

 

 電話を切り、ポケットに仕舞うシルバに殺意は無かった。

 

「…闘らないの?」

「俺の依頼主が死んだからな」

 

 それだけ言うと、シルバは背を向け、扉の向こうへ去っていく。

 その遠ざかっていく背中に、サクラの全身の力が抜け、独りでに抜刀され、その白刃を覗かせていた背中の大太刀が鞘に納まる。

 

 もつれるように、崩れる膝。

 

 回転する天地。

 

 頭蓋に響く衝撃。

 

 頬を伝わるひんやりとした感触に、サクラは自分の身体が倒れていることに気が付いた。

 

 動かない手足。

 

 押し寄せる疲労感に呑まれ、サクラの重たい瞼が眼を閉じた。

 

 

 

 薬品の香り。

 骨の芯まで走る痛みにサクラの意識は急速に目覚めた。

 

 白い天井。

 机の上に飾られた白い花。

 

 ——ピッ、ピッ、ピッ……

 

 サクラの心臓の鼓動に連動して断続的に響く電子音。

 腕に刺された点滴。

 すぐそばで椅子に腰をかけて眠っている黒服の強面の男。

 硬いベッドと薄い布団に、サクラはようやく寝ていたことに気が付いた。

 

 此処は……病院だろうか?

 

 身体に走る痛みを無視し、上体を起こして周囲の状況を確認すると、鞘に納められ、ベッドの端で転がっていた刀【小烏丸】(ヤタガラス)が巨大な鴉に変貌を遂げ、大きくその嘴を開いた。

 大鴉の口から吐き出されるように、出てきたのは、サクラが帯びていた刀やコート。

 

 布団の上に積み上げられたそれらをサクラは順番に身に着けてゆき、最後に刀に戻った【小烏丸】(ヤタガラス)をいつもの定位置、腰に身に着けた。

 

 

「起きたのか、というかもう起きれるのか」

 

 衣擦れや鞘を挿した時の音で目覚めたのか、眠気眼ねむけまなこの黒服の男は呆れたように言う。

 

「今、ボスに電話するから少し待っていてくれ」

 

 口から出た大きな欠伸を噛み締め、男は電話で話し始めた。

 しばらくベッドに腰を据えて待っていると、ようやく話を終え、男がサクラに視線を向けて言った。ボスが礼をしたいそうだから、会ってくれ、と。

 

 

 

 髪をオールバックにきめた白髪の青年とサクラは向かい合うような形でソファーに腰をかけていた。

 ルッケーゼ一家のボス、ヴィットーリオ・ルッケーゼは葉巻を吹かし、軽く口を開いた。

 

「結構な重症だと聞き及んでいたけど、案外無事そうじゃないか。もしかして、報告に不備でもあった?」

 

 チラリと視線を向けられたヴィットーリオの視線に、ドアで待機していた男が小さく首を振る。

 

「……だよねぇ。君が少し特殊なだけか」

 

 ヴィットーリオに珍獣でも見るような眼差しを向けられ、サクラは小さく眉を歪めた。

 

「ごめん、ごめん、何か気を悪くさせちゃったみたいだね」

「……別に」

 

 一言呟くように言葉をこぼし、サクラはヴィットーリオに鋭い眼差しを向けた。

 

「はい、はい、余計な話はこれまでにしろ、とね。分かったよ」

 

 降参とばかり両手をあげ、ヴィットーリオは半笑いで言葉を続ける。

 

「報酬の話に入る前に、一つ君に話をしておかなければならない事がある。そもそもの話、どうして私が君に報酬を渡すことになったかの話さ。

 

 普通なら私が情報屋に、情報屋が君に報酬を渡すというものが筋というもの。けれど、君の雇い主である情報屋が君に暗殺者を仕向けちゃってねぇ」

 

 やれやれと肩を竦めるヴィットーリオ。

 

「一応、私も部下に警護をお願いしていたんだけど、あんまり役に立たなかったみたいで……結局、暗殺者に警備網を抜けられちゃって……何かよく分からないうちに、その暗殺者の前にどデカい大鴉が現れて、暗殺者を惨殺していって消えたって、部下から報告が来たんだんよね。

 

 部下の報告にあった大鴉って君の能力でしょ?」

 

 そのヴィットーリオの問いに、サクラは少し躊躇うも頷く。

 

「やっぱりね~。で、その時は誰が君に暗殺者を仕向けたのか分かんなかったんだけど、調べてみたら君の雇い主、『古時計』だっていうじゃないか。

 

 ま、彼は大方不都合な依頼をした君を消したかったみたいだけど、もう少し上手いやり方は無かったのかな。

 

 いや、消したかったから、死亡確率の高いゾルディック家からの護衛の重要な位置に配置したんだろうけど……そう考えると上手いやり方だったのかもしれないね。普通は死ぬし」

 

 ヴィットーリオはクスクスと笑みを吊り上げ、楽しそうに情報屋について話す。

 

「その暗殺がきっかけで彼のことを色々調べてみたんだけど、あの『古時計』、どうやらどっかの弱小マフィアと結託して我々のことを嵌めようとしてたみたいで、ね……捕まえちゃったんだよねぇ、君の雇い主。

 

 問題は君の雇い主を私達が捕まえた事で、君は『古時計』から報酬を貰えなくなっちゃったことなんだ。流石にゾルディック家の暗殺者を撃退して貰っているのに報酬なしというのは、私のマフィア組織の評判が悪くなるというか、色々困った事になるんだ。ほんと、面倒なことに」

 

 ヴィットーリオはニコニコと笑いながらも、ここではない何処かを見つめるような眼差しをサクラに向ける。

 

「というわけで、私は君に『古時計』の総資産の半分をあげようと思いま~す」

 

 パチパチパチと手を叩くヴィットーリオに合わせるように、右横の扉前に居る黒服の男が手を叩く。

 

「更に、更に、私からもポケットマネーを入れようと思いま~す」

 

 大げさに手を掲げるヴィットーリオに合わせるように、黒服の男がパーティー用のクラッカーを鳴らす。

 ……けれど、部屋の空気は冷たく、どこか空虚だった。

 

「で、他に何か欲しいもの無い?」

 

 ずいっとテーブルに手をおいて、身を乗り出すヴィットーリオを前にサクラは考える。

 ……欲しいもの。それは決まっている。

 けれど、情報屋みたいに弱みに漬け込んできたりは……無いか…。

 

 一抹の不安を滲ませるも、ヴィットーリオに限ってはそんなことしないだろう。

 不思議とそういう面ではヴィットーリオのことをサクラは信頼出来るように思えた。

 ヴィットーリオのサクラを見る視線に、蔑みや侮蔑が一欠片も乗っていないからだろうか。

 

 何故か?

 そう信頼出来る理由を問われても、サクラにも明確な答えを出すことは出来ない。

 もしかしたら、それこそがヴィットーリオがボス足らしめている魅力なのかもしれない。

 

「……戸籍」

「戸籍ね。了解。一週間後には用意させるよ」

 

 にこやかに了承するヴィットーリオ。その姿は何処か空虚で、捉えどころがなかった。

 

「他には?」

「……ない」

「そうかい。なら、今から食事でも洒落こもうか。君、寝たきりだったから何も食べてないだろう?」

「……ん」

 

 ヴィットーリオの言う通り、丁度お腹が空いていたサクラはその提案に二つ返事で乗った。

 何か良いものでも出ないだろうか?

 のっぺらぼうのように空虚な表情を張り付けたサクラは内心ワクワクしながら、席を立った。

 

 食事の席で、サクラはシルバ・ゾルディックが撤退した理由を聞いた。

 ゾルディック家は、一度依頼されれば、その依頼の雇い主が死なない限り狙い続ける伝説的暗殺一家として裏社会では有名らしい。

 彼らに暗殺対象として狙われた者が生き残るためには、何らかの理由で雇い主が死亡するか、雇い主が依頼を取り下げるかのどちらか。

 

 ヴィットーリオは、ファミリーお抱えの情報屋からゾルディック家に依頼された事を知ったらしく、即座にその雇い主の暗殺依頼、多額の懸賞金を出し、もしもの時のための護衛を手配した。

 いやぁ、本当にギリギリだったよ、とカラカラ笑っているヴィットーリオに、サクラは呆れるしかなかった。

 もしかしたら、ヴィットーリオは自分の死をそれほど恐れていないのかもしれない。

 それほど楽しそうに、ヴィットーリオは自身の危機を語るのだ。

 

 ……壊れてる。

 サクラにはヴィットーリオの思考が理解出来なかった。

 それは、サクラがまだ狂人ではない事の証明なのかもしれない。

 

 でも……狂人と正常な人間の違いって何なのか?

 その2つの境界線が何処にあるのか、サクラには分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




【静刃咆震】 死者の念 具現化系 
 一昔前の戦争で特殊部隊が使っていた軍用ナイフ、グリーンベレー・ナイフ。
 所有者にオーラを介した振動操作能力を付与する。

 制約
 柄を手で握っていない限り、能力は発動しない。

 生前の所有者は具現化系であったが、能力の根幹である振動操作は操作系、振動の増幅は強化系、振動の遠隔操作には放出系と操作系を必要としていた為、手数は多くとも、精度や威力に欠けていた。
 死者の念によって能力に大幅な補正が入っているが、強化系と相性最悪のサクラが使用すると、やはり威力に欠ける。しかし、応用性では他の武器よりも格段に優秀である為、サクラはこのナイフを常時隠し持っている。



【雷切】(レールガン) 具現化系
 鞘に納められた刃渡り80㎝の刀。
 刀と鞘は磁石に似た性質を付与されている。
 磁石の性質であるS極とN極を自在に切り替えることで吸着と反発を操作でき、磁力の強さは刀に流すオーラの量により変化する。

 磁力操作を用い、最高速度の抜刀を放てる。
 オーラの量を誤れば、自身の筋骨を破損する可能性がある。

 
【貧者の薔薇】(ガンマレイ)死者の念 特質系
 鞘に納められた刃渡り80㎝の刀。元々は刃渡り1メートルの直剣。
 オーラを流すことで刀身に光熱を纏う。
 その光熱はオーラによって疑似再現された放射性分裂光のような効果を持つナニカ。その光に僅かでも触れれば、触れた部位から光が浸透し、細胞単位で肉体を破壊する。
 斬撃と共に刀の切っ先から刀身に纏う放射性分裂光を放出する事が出来る。射程距離は最大4m。
 放出された放射分裂光は即座に消滅する。

 燃費が悪く、特に光の斬撃のオーラ消費量は酷い。
 但し、即死系の能力の為、刀身に薄く光熱を纏うだけで十分効力は発揮する。
 光熱によって焼き斬るという方法で切れ味を上昇させることが可能。


【小烏丸】(ヤタガラス)死者の念 具現化系
 念を帯びた刃渡り60㎝の刀。
 3メートル以上の大鴉の念獣に変化する。
 念獣の耐久性、嘴、かぎ爪などの鋭さは刀に依存する。
 胃袋にある程度の物品を納めることが出来る。



 ヴィットーリオ・ルッケーゼ
 自身に与えられる痛みも苦しみは全て愛だと考える真正のドМであり、SMプレイをしていたら何時の間にか組織のボスになっていた愛の殉教者。
 死に対しては自身が抗ってこそ、死のSとMの自身が生まれるのだと信じている。つまり、死とSMしているド変態。
 サクラがいたことでシルバという絶対の『死』に抗え、人生最高のSM体験が出来たと、ヴィットーリオ本人は本気にサクラに感謝している。
 出来れば何回もシルバに命を狙われたいが、一度命を取られればもう2度とあの時の興奮を味わえない、とのことで現在、死に対して変則的な恐怖と葛藤を覚えている変態である。

 


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5話

警告。
今回の描写は残酷です。非常に残酷です。
残酷な描写が苦手な方は——東方に位置する国、ジャポン。までページをスクロールしてください。


 父が居て、母が居て、その二人と一緒に楽しげに笑う私が居た。

 いつもお腹を空かせていたけれど、子供の頃の私は幸せだった。

 家族と一緒に居る。

 それだけで、私は本当に幸せだったのだ。

 

 ある日、父が帰って来なくなった。

 そんな事は、流星街では、ありふれた話。

 

 クズが2つの荷物を捨てて逃げ出した。

 そう考えるのが普通なのかもしれない。

 

 でも、父は悪人ではあったけれど、クズでは無かった。

 望んで悪に手を染めるような人間では無かった。

 サクラにとって父は気弱で、母をいつも気遣う、優しい人間だったのだ。

 

 探した。

 隠れ住んでいた廃虚の一室から抜け出し、サクラは父を探して外を渡り歩いた。

 

 探した。

 父親のことを聞いた大人達に気紛れに暴力を振るわれ、殴られた。

 苦悶の表情を浮かべる度に、楽しげに笑う大人達。

 痛みの悲鳴をあげる度に、増える暴力の嵐。

 そして、悲鳴すらあげられないほどボロボロになって、ようやくサクラはつまらなさそうな顔をした大人達の暴力から解放された。

 どれだけ暴力を振るわれても、悲鳴をあげてはいけない、苦悶の表情を浮かべてはいけない。その2つの事をサクラは身をもって学ぶことになった。

 

 探した。

 独り、解放され、重い身体を引きずるように歩き始めるサクラの姿を、通路の隅でナニカの肉を焼いていた中年の男性が気持ち悪い目で見ていたが、サクラに何か反応する余裕はなかった。

 

 そうして、探して、探して、探し続けて、サクラは一つの骨と皮の塊を見つけた。

 腸や内臓、肉のほとんどを切り取られ、ゴミのように裏路地に放り出された骨と皮を。

 首を切断され、脳を取り除かれた頭を。

 

「……おとう、さん……?」

 

 その頬っぺを切り取られた見覚えのある顔を、変わり果てた父親を、サクラは見つけてしまった。

 

 信じられない。

 いや、信じたくない。

 そのサクラの想いこそが、まるで悪夢のような光景を、これは悪夢であるとすり替える。

 父親が死んだという事実を認められず、目の前に突き付けられた現実から逃避したサクラは、その父親だった肉塊から背を向けて駆け出した。

 

「——ハッ——ハッ——」 

 

 家に帰れば、いつも通りの日常が待っていると信じて。  

 父が居て、母が居て、私が居る楽しい日常に帰れると信じて。

 本当はそんな事もう有り得ないと分かっているのに、サクラはその現実から逃げ出すが如く、足を動かし、駆けていく。

 殴られた場所の痛みは何時の間にか消えていた。

 

 うるさいばかりの心臓の慟哭と吐息だけがサクラの耳を通り抜けていく。

 

 そして、そして、そして……家に帰ったサクラが眼にしたのは、廃虚の前の通路で、顔面がパンパンに腫れあがり、刃物で切り刻まれて全身から血を垂れ流して柱に貼り付けられた母の姿と、長く腸のように伸びた赤い紐をネックレスのように首に飾られ、その先でぶらぶらと垂れ下がる、首つり状態のもうすぐこの世に産まれてくるはずの幼い命だった。

 

 夢……?

 サクラの思考に走るノイズ、赤く、紅く染まる視界。

 消えていく身体の感覚。

 

 

 気が付けば、サクラはゴミ山の上で呆然と立っていた。

 何を食べても味がしない。

 何をしても夢の中にでも居るように現実味が湧かない。

 それでも、お腹の空腹だけがサクラが生きている事を伝えていた。

 

「……お腹減った」

 

 ぼそりと、喉元から漏れる言葉。

 どうして生きているのか?

 サクラには自分でも分からなかった。

 

 

 

 ——東方に位置する国、ジャポン。 

 シルバとの戦闘から、数年経った現在。

 古風な木造建築の一軒家でサクラは立派なニートになっていた。

 ヴィットーリオから戸籍を貰ってからは、気軽に国外への移動が可能になり、マフィアからの危険な依頼を受けなくとも天空闘技場に行けば簡単にお金が手に入るようになったからである。

 

 いまだにヴィットーリオとの繋がりはあるが、交流があるだけであり、一度も依頼されたことはない。不思議なことに。 

 

 勿論、念の修行は今でもしている。

 

 オーラの量は増加中。オーラの質は昔より大分禍々しくなってしまった気もするが、その大部分はサクラの発の影響である。

 狙った効果では無いのだが、どうやら【無限の剣製】の副作用として心の念空間に念で具現化された武具をストックする度に肉体のオーラ量は少しずつ増加、変化するらしい。

 特に死者の念で具現化された武具をストックした時のオーラの質の変化は顕著に思える。

 

 念は精神が大きく影響する能力。

 おそらく、他者のオーラや念で作成された刀剣を精神の中で複製する【無限の剣製】がサクラのオーラにまで影響を与えているのだろう。

 

 

 ジャポンには死者の念で具現化を維持したままの妖刀が普通に美術館などで飾られている。

 その為、サクラは旅行感覚で簡単にストックを増やす事が出来た。

 死者の念に関する武具のストックを増やすにつれてサクラのオーラはより禍々しさを増したのだが、その程度のデメリット、別に肉体に害がある訳でもあるまいし、得られるメリットに比べれば特に気にする必要は無いだろう。

 

 

 屋敷の庭で座禅をしたサクラは自身の心の念空間に意識を移動させた。

 砂漠。何処までも続く地平線の見えない砂漠には1000以上の刀剣が墓標のように突き立てられていた。

 空から顔を出す深紅の太陽が地を照らし、発散する高温が大気を熱している。

 

 その中の刀剣に意識を集中させれば、自動的に脳内にそれがどんな刀剣なのかイメージとして映し出されるのだ。

 

 今日の修行にはどれを使おうか。

 サクラは、天空からまるで太陽のように砂漠を俯瞰し、刀剣を眺める。

 

 …これにしよう。

 一振りの刀に意識を傾けた瞬間、サクラの脳内に刀の記憶が濁流のように駆け巡る。

 サクラは情報の嵐を的確に整理、現実に半分残した意識がその刀をオーラで物質化した。

 

 具現化したのは柄長70㎝、刃長1.45m、総長2.275mの大太刀である。

 銘は柳生の大太刀。

 この刀に刻まれている柳生宗厳の技量、経験を肉体にトレース、上段に刀を構える。

 柄を握る人差し指と中指の力を緩め、小指だけに力を込めるイメージで刀を、ゆっくりと振り下ろした。

 

 肉体の動作、筋肉の動きを確認、修正。

 踏み込み時の膝の力をほんの少し緩め、足の小指を浮かせた。 

 

 刀を振るう。より強く、より効率的に刀を振るう。

 

 今の肉体の動かし方で本気で刀を振るえば、衝撃波が庭を蹂躙するだろうが、それでは駄目。

 刀を振るう時に、衝撃波が生まれるという事は、それだけ刀に乗った運動力を大気に分散させている証。 

 全ての運動力が刀に乗り切っていれば、衝撃波は生まれないはずなのだが……これがなかなか難しいのだ。 

 

「おーい、師匠居るか~?」 

  

 門の扉を開けて、刀を片手に持ったちょんまげ姿のおじさんとピンク髪をポニーでまとめた美少女が敷地に入って来た。

 

「おー、居た居た」

「入って良いって、言ってない。……それで……何?」

「久しぶりに修行を付けて貰おうと思ってよ」

 

 2年前訪ねてきた時には既にちょんまげ姿のおじさんと化していたノブナガは悪びれも無く言う。まさか、ノブナガが幻影旅団のノブナガとは、ちょんまげおじさんとなるまで全く気付けなかった。

 サクラと別れた数年の間に一体何があったのだろう。

 不思議に思いはするが、サクラはその変化の理由を聞こうと思わなかった。

 

「貴方は、誰?」

 

 サクラはピンク髪をポニーでまとめた美少女に尋ねる。

 既視感はあるのだが、サクラにはその美少女が誰なのか分からなかった。

   

「こいつは幻影旅団の一員でな、マチって言うんだ。千切れた手腕とかを繋ぐ技術は一級品だから、連絡先を交換しといても損はしないと思うぜ」

 

 横から口を挟んだノブナガに、サクラはお前には聞いて無いと一睨みして、マチに視線を移す。

 

「自己紹介はノブナガの奴がしたから省くとして、あたしはノブナガみたいに頼み事があって此処に来た訳じゃないよ。仕事のついでにノブナガの師匠って奴を一目見たくて付いてきただけだ」

「そう…」

 

 マチに噓をついている気配は無い。

 家に上がらせるくらいは構わないかな。

 

「久しぶりのお客さん。お茶でも淹れる?」

「いや、いらないよ。特に喉も乾いて無いからね」

「俺もいらないかな。そんなことよりも、師匠、久しぶりに会ったんだ。手合わせしようぜ」

「ノブナガには聞いてない」

 

 横から口を挟んできたノブナガにサクラはピシャリと告げる。

 

「…刀」

「はいよ」

 

 サクラが手を出し、刀を寄越せとジェスチャーすると、ノブナガは気軽に自身の愛刀を手渡す。

 

 風貌は変わっても、こういう無防備なところは相変わらず変わらないんだな。

 

 手渡された刀の鯉口を切り、刃を視認、複製。

 刀をノブナガに返す。

 そして、念空間の中から、生物を斬らず物質のみを切断する刀、『怨斬』の記憶を読み込み、ノブナガの刀の情報を元に具現化。 

 ノブナガの刀と寸分違わない刀をノブナガに投げ渡し、自分は柳生の大太刀と同形状の刀を具現化した。

 

 

 

「……行くぜ」

「……」

 

 わざわざ開戦を言葉に出してから腰を落とし、居合いの構えを取るノブナガに、サクラは上段に構え、相対した。 

 

「……⁉」

 

 緊張感に空間が張り詰める中、サクラはノブナガの格段に上昇した技量に瞠目する。

 ノブナガの呼吸が読めないのだ。

 

 筋肉の原動力は酸素であり、呼吸である。

 呼吸によって取り込む酸素の量が少なければ、当然筋肉の出力も低下する。

 全ての攻撃において、呼吸と攻撃は密接に関わっているものであり、切り離せないものの一つと言える。

 

 それは逆説的に、呼吸さえ読めれば攻撃のタイミングを察知出来るということ。

 深く呼吸をすれば、次で攻撃がくる等と大凡の予測を立てることが可能なのだ。

 故に、呼吸を読める、読めないでは、戦闘的有利が大分変わってくるのである。 

 

 

 居合いには、相対する敵との間合いと剣筋を不明にし、真正面からの奇襲を可能にする効果がある。

 しかし、間合いを不明にする効果はサクラの念能力を前には無意味。

 問題はサクラが刀の間合いを完璧に把握している事を理解した上で、ノブナガは踏み出した右足を地に擦り、1㎜1㎜ずつ亀のような歩みで間合いを詰めていること。 

 

 ノブナガは少しずつ移動しながらも、自身の肉体を緻密に操作。

 体重、姿勢を全く崩さないまま、何時でも最高の抜刀を放てる状態を維持している。 

 隙を突き、上段から両断する事はほぼ不可能。

 仮にサクラが上段からの斬撃を放てば、即座にノブナガのカウンター、抜刀術が炸裂。

 そのノブナガの一撃で、サクラの上段斬りの勢いは消され、鍔迫り合いに移行されて押し切られてしまうだろう。

 幾ら技量が上とはいえ特質系のサクラが、強化系のノブナガに鍔迫り合いに移行されてしまえば、力尽くで押し切る事は不可能なのだ。

 

 ノブナガの狙いは恐らく鍔迫り合いに持ち込むこと。

 間合いを詰める事で無理矢理でも上段の斬撃を引き出そうとしていると、サクラは予測した。

 

 よって、サクラは構えを変える。

 腰を落とし、鞘無のまま居合いの構えを取り、刀の腹に掌を押し付けて鞘の代わりの機能をさせる。 

 

 サクラの見つめるノブナガの顔は能面のように変わらない。

 その顔からは焦りも、驚愕も読み取れないが——間合いを詰めるノブナガの足は停止した。

 

 暗く染まった何も読み取れない二人の瞳がぶつかる中、ゆっくりとノブナガが再び距離を詰め始めた。

 読みを間違えたか、などと動揺はしない。

 サクラの間合いにノブナガの足が侵入するが、それでもサクラはジッと好機を待つ。

 

 ノブナガの頭から汗の雫がでこをつたい、眉を通って流れていく。 

 雫が向かう先にあるのは、ノブナガの瞳。

  

 目蓋を流れ、ノブナガのまつ毛に汗の雫が触れようとしたその瞬間——ノブナガの手が動いた。

 引いた左足を軸に、抜刀。

 左手で鞘を捻り、鯉口で剣筋を低空からの左上への切り上げから横一文字に剣筋を変更した。 

 

 そのノブナガの抜刀術に少し遅れるように、サクラは抜刀。

 自身の掌を発射台に、刃を滑らせ、加速。

 掌をレールにして、ノブナガの剣筋の変更に合わせるようにサクラは剣筋を変更する。

 

 鏡合わせのように放たれた二人の斬撃線は、綺麗に重なり合い、刃筋と刃筋を正面から衝突させた。

 

 衝撃で鳴動する大気。

 思わぬ幸運にノブナガは強引に刀を振り抜こうとするが、残念ながらそれではサクラの思惑通り。

 ノブナガの行動に心中でほくそ笑みながらサクラは刃筋がぶつかり合った際の衝撃を利用。

 激突時に生じた衝撃を使い、手首で刃の向きをほんの数ミリ変える事で、刀の腹と腹を擦り合わせるようにして最小限の力でノブナガの斬撃を受け流しながら、ノブナガの刀に込められた力の流れに加重を加え、暴走させた。 

「……なっ⁉」

「——ッ‼」

 

 暴走する刀の動きに上体の重心を崩して前のめりに体勢を傾けるノブナガに、サクラは振り抜いた刀を次の技にスムーズに移行。

 返しの一閃でノブナガの首を切断しようとした、その瞬間。

 

 横合いから迫り、身体に絡み付こうとしてくるオーラの糸の気配にノブナガへの攻撃を中断した。

 

 驚愕に空白に染まるサクラの思考とは対照的に、肉体は骨にまで刻まれた技と経験による直感に沿い、回避を開始。

 刀に集約させようとした運動力を足に移行。

 地を蹴り、後方に爆発的に加速したサクラは、地面を滑るような足さばきと細やかな肉体制御でオーラの糸をすり抜けるように回避した。

 

「……何のつもり?」

 

 危機を逃れ、思考に理解が追いついたサクラはオーラの糸の主であるマチを睨みつけるが、マチは逆に殺意満点の視線で睨み返してくる。

 

「何のつもりってあんたが———」

「マチッッ‼何で勝負の邪魔しやがったッ‼返答次第じゃてめえ、叩き切るぞ‼」

 

 憤怒が滲むマチの声を叩き潰す勢いで、横合いから更なる怒りを交えたノブナガの怒声がマチを怒鳴りつける。

 

「ノブナガ、あんた、あたしに助けられといて良くそんな口を聞けたもんだね」

「はああああ⁉お前何言ってんだ」

「あんたこそ何言ってんの。もしかして死にたかったの?そうなら、さっさと言ってよあたしが殺してやるから」

 

 そこでようやくサクラは、マチが勘違いしている事に気が付いた。

 

「…マチ……」

「なんだいッ‼」

 

 凄まじい表情で睨み付けてくるマチに、サクラは冷静に告げる。

 

「この刀は生き物を切れない」

 

 刀の刃筋を掌に這わせる、刀の刃はそのまま掌をすり抜ける様子を見せ、サクラは言葉を続ける。

 

「触れたり腹を掴んだりは出来るけど、刃に生物が触れると自動で透過する」

 

 マチの怒りの顔が、疑問符で埋め尽くされていき、あれほど強烈だった殺意が風船がしぼむように消失した。

 

「あの、もしかしてあたしの心配って要らない心配だった?」

 

 サクラが無言で頷くと、マチの赤かった顔が面白いように青くなっていく。

 

「マチ……お前、そんな勘違いをしていたのかよ。はあ……ったくよお……」

 

 ノブナガもマチの行動が仲間を思っての事に気付き、怒るに怒れず深く溜息を吐く。 

 

「えっと………ごめんなさい……?」

 

 なんとなくサクラは謝るが、ノブナガが苦笑いして口を開く。

 

「師匠が謝ることねえぜ。勝手に勘違いしたマチが悪いんだ」

「ああ、今回ばかりはあたしが悪い。迷惑かけたね。お詫びと言っちゃなんだけど、手足切断とかの怪我を負ったら此処に連絡して欲しい。一回無料で仕事を請け負うよ」

 

 本当に申し訳なさそうにマチは名刺を手渡してくる。

 別にお咎め無しで構わないのだが、受け取らなければそれはそれで何かややこしくなりそうだ。

 サクラは名刺を受け取り、ポケットに仕舞った。

 

「次は邪魔するなよ」

 

 棘を刺すようにマチに言うノブナガ。

 

「はいはい、分かってるよ。ただ……こういう事は事前に説明しておいて欲しかったね」

「それは……すまんな。次から気を付ける」 

 

 苛立たし気だったノブナガもマチの言葉に一理あると思ったのだろう。

 自身にも非があったことを認め、素直に謝った。

 

 

 

 数度の模擬戦を終えた後。

 

「腹減ったなぁ。師匠、飯くれ、飯‼刺身の盛り合わせを作ってくれ。そうだ、マチも食ってけよ。師匠の刺身めっちゃ美味いんだぜ」

 

 サクラは図々しくも平然とした顔でマチを誘うノブナガの頭を、後ろから容赦なく蹴り飛ばした。

 

「痛ったああああ、何すんだよ」

「図々し過ぎ」

 

 抗議の声をあげるノブナガにサクラは端的に告げる。

 

「別に良いじゃねえか。この前も作ってくれたんだしよ」

「この前の時は実験も兼ねて料理をしただけ」

「えー……⁉」

 

 不満気に言うノブナガにサクラは冷たい視線を向けながら、サクラは口を開いた。

 

「お前は別として、マチなら別に歓迎するけど。家を滅茶苦茶にしなさそうだし」

「そりゃねえだろ」 

 

 ノブナガの抗議、視界に入るノブナガの存在そのものを無視。

 サクラはマチにのみ視線を向ける。

 

「あー……さっきの事もあるし、流石に悪いかな」

「別にさっきの事は特に気にしてないから、ね」

 

 サクラは具現化していた刀を消し、家の引き戸を開けて、マチを家に招待する。

 そんなサクラの強引な行動、やらかした事に対する罪悪感もあってかマチは苦笑しながら家をあがった。

 マチの後ろに張り付くように付いて入って来たノブナガをサクラは睨み付けるが、今度はノブナガが知らん顔。

 そんなサクラとノブナガの関係をマチが微笑ましげに見ていたことを二人は最後まで気がつかなかった。

 

 

 熟練の包丁捌きで、手際よく解体した魚の身を一つの芸術品のようにお皿に盛り付けていく。

 

「まだか~?もう腹減って死にそうなんだが……。お、もう出来てるじゃねえか」

 

 盛り付けたばかりのお皿に手を付けようとするノブナガの手を跳ね除ける。

 

「駄目、席で待っとく」

 

 サクラは指でリビングに帰れと指示する。

 

「もう邪魔しねえから。何か手伝うことねえか?」

 

 先にそれを言えと思いつつ、サクラはノブナガに口を開く。

 

「じゃあ、ご飯をよそって、テーブルに持って行って」

「はいよ」

 

 ご飯をよそい、テーブルに茶碗を運んでいくノブナガ。

 その後を続くようにサクラも盛り付けた皿を手に乗せてテーブルまで運んだ。

 

 

 

「おいマチ。これはそうやって食べるんじゃねえよ。これに付けて食べるんだ」

 

 マグロの刺身を何も付けないまま食べようとするマチに、ノブナガが得意顔で醬油に刺身をつける。

 

「これにかい?」

「そうだ」

 

 箸初心者だというのに、マチは器用に箸を操り、マグロに醬油をつけて口に運んだ。

 

「美味いね」

「そうだろ、そうだろ」

 

 サクラの料理の感想をぼそりと呟くマチに、ノブナガが嬉しそうに言う。

 いや、何でお前が得意顔をしたり、嬉しそうにするかな。

 マチに言おうとした言葉を全てノブナガにとられてしまったサクラは不満気な表情をちらつかせながらも、口には出さず、無言で刺身を食べた。

 

「昔に比べたら師匠も丸くなったよな。オーラの方はえらく禍々しくなってるが」

 

 確かに昔のように誰でも彼でも殺すような事はなくなったかもしれない。

 けれど、それは丸くなったというよりは——

 

「今の私は色々と満たされてるからそう感じるだけ。飢えたらすぐに昔に戻ると思う」

「そういうもんかね」

 

 何気なく聞いただけなのだろう。

 ノブナガはサクラの答えにそれほど興味を持った様子も無く箸を進めた。

 

 

 しかし——改めてノブナガの言葉を考えてみるに、最近は力ばかり求めている気がする。

 それは、シルバとの戦闘の力不足が原因だ。

 

 でも、そもそも、私はどうして力を求めていたのだろう。

 もっと美味しいご飯を食べたくて、もっと楽しい人生を送りたくて、もっと自由に生きたくて、()()()()()()()()()()()、力を求めていたはずなのに……。

 

 それなのに、どうして私は、前世の焼き直しでもするようにジャポンで暮らし、その生活に満足し切って、目的も忘れてただ力を求めているのだろうか。

 

「ふふっ」

 

 何時しか目的すら忘れていた自分が愚かしくて、サクラはクスリと笑う。

 

 突然笑い出したサクラを、怪訝そうに見つめるノブナガとマチ。

 そんな二人の顔が無性に可笑しくて、サクラはニンマリと笑みを深めた。

 

 

 

 

「ノブナガ、シャルナークに電話を繋いで欲しい」

 

 サクラはソファーで寝転んでいるノブナガに声をかけた。

 

「何で師匠がシャルナークのやつと電話したいんだ?」 

 

 ノブナガはテレビから視線を外し、顔をあげ、不思議そうにこちらを見る。 

 

「ハンターだから、次のハンター試験会場の場所も分かると思って」

 

 家に連れて来たシャルナークをハンターだとノブナガが紹介していたことを、サクラは何となく覚えていた。

 それに、サクラは情報屋を信用しきることは出来なかった。

 

「あー、確かにあいつならすぐに調べられるだろうな。良し、後で俺から聞いといてやるよ」

「……ありがとう」

 

 素直に礼を言ったサクラを、ノブナガは鳩が豆鉄砲を食ったようなポカンとした顔で見つめる。

 

「……その顔はけっこう失礼」

「あ、いや、えっとだな……」

  

 サクラは弁明しようにも言葉が上手く出てこないノブナガを冷たく一瞥して、部屋を去っていった。

 

 

 




 ここまで人気が出るとは思いませんでした。
 自分の為に書いて、ひっそり投稿してみて、それで満足して終わると考えていたので、少し驚きです。

 短編ですから、けっこう大雑把に話しを展開しています。

 また、短編だったので、ここまでしか話しを書いていませんでした。



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6話

ハンター試験編 スタート


 

 ――一ヶ月後。

 ノブナガから貰った情報を頼りに、立派なビルの隣にこじんまりと建っている定食屋の前にサクラは立っていた。

 風にはためく黒のコート。そのコートからチラチラと覗く、両腰に2本ずつ吊り下げた刀。その明らかに平和な町にそぐわない武装が周囲から奇異の視線を集めるが、サクラは気にしない。

 ただ、観察するように定食屋に意識を集中させていた。

 

 本当にここで合っているのだろうか。

 疑わしげに思いつつサクラは定食屋の中に入る。 

 

「ご注文は?」

 

 小太りの料理人が厨房の中から聞いてくる。

 

「ステーキ定食1つ」 

「……焼き方は?」

 

 するりと走る視線を受けつつサクラは答える。

 

「弱火でじっくり」

「あいよ、奥の部屋どうぞ」

 

 奥の扉を開けて、奥の部屋に入る。

 部屋の中にあったのは、簡素な丸テーブルと椅子。それのみ。

 ここが試験会場への道…?こんな感じだったかな。

 前世の記憶を思い返そうとするも、大まかなストーリーの流れを覚えているだけで、そんな細やかなところはとっくの昔に風化していた。   

 

 部屋の中をあてもなく歩いていると、軽い浮遊感と共に部屋が下降。

 部屋がエレベーターのように動き始める。

 

 ああ、これで会場まで行くのか。

 席に座り、しばらく待っていると、チーン!という到着を示す甲高いベルの音が鳴り、扉が開いた。

 扉の外は様々な人が溢れかえる薄暗い巨大地下通路。

 

 部屋から出たサクラに多数の観察するような視線を向けられるが、気にせず足を進め、スーツを着た顔が緑色の豆のような小柄な人から番号札を受け取る。

 番号札のナンバーは324番。それだけ確認すると、サクラは胸にナンバープレートを取り付け、通路の隅へ移動した。

 

「……っ」

 

 …視線。

 流星街の住人の情欲に濡れた視線を何倍にも増幅してナニカを放り込んだような、そんな余りにも気持ち悪い視線に、サクラの肌は鳥肌立ち、手は無意識のうちに刀の柄に伸びていた。 

 そんなサクラの反応を見て、ズボンにテントを立てた奇術師メイクの男は舌なめずりしながら笑い、こちらに近づいてきた。  

 

「君、良いねぇ♥」

「私は良くない」

 

 纏う禍々しい念オーラから念能力者であることは一目瞭然。

 漂う血の香りから判断しても、こいつ相当殺してる。

 

「そうつれないこと言わないで欲しいなぁ…♦ 僕は君と仲良くなりたいだけなのに♠」

 

 そう言いながらも、その身からは殺意が溢れ出ている。

 この特徴的な言葉遣い、右目の下に星、左目の下に涙のペイントをしている特徴的なメイク。

 

 もしかして——

 

「ヒソカ……?」

「何で僕の名前を知っているのかな?もしかして、僕達、昔何処かで会った事がある?」

「ノブナガに聞いたことがある人物に似ていると思っただけ」

 

 確か、ハンター試験で鉢合わせするかもしれないから、注意しとけみたいなこと、ノブナガが言っていた気がする。

 こんな奴なら、もっと注意して欲しかった。

 いや、私がもっと注意して聞いておくべきだった、か……。

 

「君、ノブナガの知り合いなのかぁ♥ 使っている武器は似ているとは思っていたけど、そっかぁ♣ もしかしたら、僕達運命の糸で結ばれてるのかもね♦」

「それは有り得ない」

 

 それきり会話を切り、サクラはヒソカから離れる。

  

「残念、振られちゃったかな♠ せっかく仲良くなれそうだったのに♥」

 

 背後から何か聞こえてくるが、無視してサクラは足を進めた。

 

「試験に来て早々あんな変態に絡まれるとは、災難だったな」

 

 背後からかけられた声に振り返ったサクラが目にしたのは、白髪をポニーに纏めた初老の男性。

 その筋肉質な肉体の質、佇まいからどのくらいの技量を持つのかサクラは無意識に予測。

 おおまかな脅威度、戦意を把握してから、ようやくヒソカの影響で入ってしまった戦闘スイッチを階段でも降りるかのように段階的に緩め、小さく頷いた。 

 

「その刃物のような雰囲気、身のこなし…。それなりの武人とお見受けするが、一体何処の流派の者か教えていただけるか?」

「……色々」

「その、色々とは?」

「名前の分からない流派が多いから色々としか言いようが無い」

 

 踏み込んで聞いてくる初老の男性に、サクラは正直に答えた。

 これまでサクラは、【無限の剣製】の能力により、刀剣の記憶・経験を読み取ることで、過去の英雄、怪物という一種の人の極天から刀剣術を学んできた。

 しかし、その能力故に、誰かに直接指導を受けた事がないサクラは、武術の流派に関する知識が薄く、読み取った記憶・経験の技が何処の流派に属しているのか、そもそも我流か何処かの流派の技なのかほとんど知らないのである。

 

 また、これからライバルになる人間に情報を与える必要もない。

 サクラは、幾ら深く聞かれようが、戦闘技術に関する情報は出来るだけぼやかして伝えるつもりだった。

  

「…ふむ、警戒されてしまったか。純粋な興味本位で聞いたのだが、このハンター試験の場での質問なると、探りを入れていると邪推されても仕方あるまいか」

 

 サクラの言葉をどう解釈したのかは知らないが、初老の男性は頷き、独り言のように呟く。

 

「私の名はボドロ。こんな年にもなっても、大成することを諦め切れないしがない格闘家だ」

「…サクラ」

「おお、サクラか。その特徴的な名と武器、ジャポンの出か?」

「…ん」

 

 その程度の情報なら大丈夫だろうと、サクラは頷く。

 

「その刀、見せて頂いても?」

「駄目」

 

 ボドロが興味本位で聞いてきていることは既にサクラも分かっている。

 だが、それは間合いや念能力を把握される事にも繋がりかねない危険な行為。

 無暗に手をさらけ出すつもりは無かった。

 

「そうか。いや、分かってはいたのだが……」

「駄目」

 

 口惜しそうにコートから覗く刀に視線を送るボドロにサクラはきっぱりと拒否の言葉を告げる。

 刀から溢れ出るオーラを鞘の中に収束する特殊な鞘に納められてもなお微量に漏れ出る妖刀、聖剣、霊剣としての美しくも禍々しい魅力をボドロは無意識のうちに感じ取り、惹きつけられているのかもしれない。

 

「あんまり見ると駄目。引き込まれる」

 

 サクラの冷たいものを滲ませた注意に、ボドロの意識はハッと目覚め、その瞳の色を変えた。

 

「あ、ああ、すまない。失礼した」

「大丈夫そうなら、それで良い」

 

 一欠片も心配の感情が籠っていない声音でサクラはボドロに言う。

 

「それは……いや、何でもない」  

 

 何か聞きたそうにボドロは言うが、サクラは何も説明するつもりはなかった。  

 途切れたボドロの会話の間を挟むように、ハゲが声をかけてきた。

 

「その武器から察するにあんた俺と同郷の侍だろ。実は俺も似たようなもんでな、忍びなんだよ」

「そう」

「……忍び。忍びとは、あの?」

 

 動きや所作から疑いを持ってはいたが予想通りだった。

 

「あの、忍びだ。流石に同郷ならそう驚かねえか。それも裏事情に精通してそうだしな。俺はハンゾーだ。試験じゃライバルになるが、よろしく頼む」

 

 グイグイくる忍びのハゲに戸惑いつつ、サクラは名前を告げる。

 

「……サクラ。よろしく」

 

 そして、手を出したハンゾーに応じ、サクラは軽く握手を交わした。

 握手の際に何か仕込んでくるかと密かに警戒していたのだが、特に何も起こらなかった。

 よくよく考えてみると、そんな事をする魂胆なら最初から忍びということを明かさなかっただろう。

 ヒソカの影響か、敏感になり過ぎていたようだ。

 

 ——ヂリリリリリリ!!

 

 ハンゾーの話にボドロと一緒に付き合っていると、甲高いベルの音が鳴り響き、前方の壁が地響きを立てて上に上がり始め、紫色のスーツを着た特徴的なカイゼル髭の紳士が姿を現した。

 髭紳士はベルを止め、辺りを見渡して口を開いた。

 

「只今をもってハンター試験受付時間を終了し、ハンター試験を開始致します。

 

 最終確認です。この試験は運が悪かったり、実力が乏しかったりすると大怪我をし…最悪死に至ることもあります。それでも構わないという方のみ、私に付いてきてください。そうでない方は後ろのエレベーターで速やかにお帰り下さい」

 

 重々しい言葉が地下空間に広がるが、当然誰も動こうとしない。

 

「承知しました。第一次試験405名、全員参加ですね」

 

 誰も帰ろうとしないことを確認したカイゼル髭の紳士は、反転。

 スキップのような軽やかな足取りで開いた壁の向こうの通路へ足を進め、試験者全員が紳士の後ろを追い始めた。

 少し足取りを速めた紳士は言う。

 

「申し遅れました。私、一次試験試験官のサトツと申します。これより皆様を二次試験会場にご案内します」 

「二次?……ってことは一次は?」 

 

 試験官の言葉に、疑問を覚えたのか、横を走っていたハンゾーがサトツに質問した。

 

「もう始まっているのでございます。二次試験会場まで私に付いてくること。それが一次試験でございます」

 

 ざわつく周囲の中、ハンゾーは更に質問を重ねる。

 

「ついてくるって、ただついて行くだけか?」 

「はい。場所や到着時間はお答え出来ません。ただ付いてきて頂きます」

 

 その言葉にハンゾーが笑みを浮かべた。

 

「それが一次か。ハンター試験、思っていたのより余裕そうだな」 

 

 そう簡単に行くだろうか。

 ハンゾーの言葉に、ぼんやりとそんな思考が浮かぶが、サクラは口には出さなかった。

 

  

 ぼんやりと考え事をして気を紛らわせながら走り続けること数時間。

 一歩一歩を身体を倒すように走り、倒れてゆく身体の力、重力を利用して走り続けてきたサクラは、微量程度しか体力が減っていなかった。

 何時まで変わらない通路の風景を見て走り続けなければならないのだろう。

 数時間同じ景色を見続け、いい加減精神に苦痛を覚えていたサクラの視界に、ようやく何時までも変わらない通路の変化、通路の先から何処まで先の見えない階段が現れた。  

 

「階段かよ。段差もある程度あるな。こりゃあ、ちょいとキツそうだ」

「…ん」

 

 ハンゾーの呟きに、サクラは頷く。

 また、変わらない風景。

 階段を登ること自体はそれほど苦ではないけど、この代わり映えのしない薄暗い風景をずっと見続けなければいけないのが精神的に辛い。

 いい加減彩りや変化が欲しい。 

 愚痴を零しながら走り続けるうちに、通路の先に光が見え、嬉しそうな『出口だ』と叫ぶ受験生の声が木魂する。

 

「やっと出口か。やっぱ少し疲れたな」

「…そうだね」 

 

 ハンゾーに、適当に言葉を返していると、銀髪と逆立った黒髪の少年二人が物凄い速度で階段を駆け抜け、そのまま光の先、出口へ駆け抜けていき——その後を追う形で足を速めたサクラが出口を抜けた。

  

「俺の方が速かった」

「いや、俺だよ」

 

 視界を覆い隠す濃い霧の中、2人の少年がどちらが先に出たのか楽しげに言い争っていた。

 

「ねえ、どっちが早かった?」

「私の眼には同着に見えましたね」

 

 少年の問いにサトツは真面目に答える。

 

「お姉さんにはどう見えた」

「おい、ゴン⁉」

 

 質問してきた黒髪の少年の肩を銀髪の少年が軽く注意するように叩き、こちらの一挙一動を注意深くを観察してくる。

 ……何か警戒されるような事、したかな。 

 内心で首を傾げつつ、サクラは黒髪の少年の質問に答えた。

 

「同着、だと思う」

「そっか~」

 

 純粋に残念そうな反応を見せる黒髪の少年に対し、銀髪の少年はずっとサクラを警戒している。

 その警戒の視線、獣のような蒼い瞳。

 まるで—— 

 

「猫みたい」

 

 子供の頃、流星街でよくネズミを分けてくれた白猫をサクラは思い出した。

 でも、大人達に鍋にされて……その肉の入ったスープを嘲笑しながらサクラに分け与えた大人達の顔を、何も知らずにその肉を獣のように貪った浅ましい自分を、その肉が何なのか後で教えられた時のあの最悪な気持ちまで、サクラは思い返してしまった。 

 

「キルアのこと猫みたいだって」

「いや、お前が言われたんだろ」

「えー、違うよ。キルアのことだよ」

「いいや、お前だね」

「じゃあ、聞いてみようよ」

「なら、俺が猫って言われていたなら、お前にご飯を奢る。お前が猫って言われていたなら、お前が俺にご飯を奢るってことでどうだ?」

「良いよ。絶対にキルアだもんね」

 

 憂鬱な気持ちに浸っていると、黒髪の少年が話しかけてくる。

 

「ねえねえ、お姉さん。さっきの猫みたいって俺たちのどっちに言ったの?」

「…銀髪の少年の方」

 

 そのサクラの言葉に、黒髪の少年は満面の笑みを浮かべた。

 

「やったー、俺の勝ち」

「あーくそ、負けた」

 

 悔しがり、八つ当たりでもするように草むらを蹴っていた銀髪の少年が先程までより明らかに柔らかくなった視線をサクラに向けた。

 

「あんた、名前は?」

「サクラ」

 

 銀髪の少年の問いに、サクラは答えた。

 

「俺は、キルア」

「俺は、ゴン」

 

 銀髪の少年、黒髪の少年の順に口を開く。

 銀髪の少年がキルアで、黒髪の少年がゴン。

 サクラは頭の中で名前を反芻する。

 何処かで聞いた覚えがある気がする……。

 

「あ…」

 

 思い出した。

 HUNTER×HUNTERの主人公だ。

 どうして、顔を見てすぐに思い出さなかったのか。

 

「どうかしたの?」

「…何でもない。ただ、キルアがシルバ・ゾルディックに似ていると思っただけ」

 

 心配げな視線を向けてくるゴンに、サクラは内心の驚愕を滲ませるように言葉を返す。

 

「ああ、それ俺の親父だよ」

 

 そのキルアの言葉に反応したのはサクラでもゴンでもない、第三者。

 

「なにぃ、お前ゾルディック家の子供だったのかよ⁉」

 

 丁度階段を上がってきたハンゾーだった。

 あ、やべっ、とキルアは小声で漏らすが時既に遅し。

 キルアは矢継ぎ早に放たれるハンゾーの質問の嵐に呑まれるしかなかった。 

 

 続々と受験生が階段から登ってくる中、キルアはいまだにハンゾーに話しかけられている。

 助けてくれ、とキルアはゴンやサクラに視線を向けるが、ゴンは苦笑するだけで何も出来ず、サクラは気づかない振りをしてその視線をやり過ごした。

 

「あ、クラピカ」

 

 ゴンが階段を上がってきた金髪碧眼の中性的な容姿の人物に声をかけた。

 その容姿は美少女にも見えるが、少年のような格好、骨格や筋肉の付き方、重心を見るに、男……なのだろうが、やはり姿を見ると男なのか女なのかよく分からなくなり、サクラには性別を断言することは出来なかった。

 

「ここが、ゴールなのか?」

「違うみたい。もっと先だってさ」

 

 クラピカの視線がゴンの横に立っていたサクラに変わった。

 

「そちらは——」 

「名前はサクラ。俺もさっき知り合ったんだ」

「そうか、よろしく」

「……よろしく」

 

 サクラは、クラピカと握手を交わし、小声で呟くように告げた。

 少し前から到着し、息を荒くしながら、こちらを見ていた上半身裸の30代位の男性がサクラに声をかけた。

 

「お嬢さんッ——ハぁッ——ッ俺はッ——ハァッレオリオって——ハァッ——言うんだ。よろしく頼む」

 

 出されるドロリと汗の滲んだレオリオの手をサクラは躊躇せず掴み、気軽に握手を交わした。

 それからその場に座り込み、何気ない会話をしていると、突然クラピカが声をあげた。 

 

「霧が晴れて来たぞ」

「え……本当?」

 

 立ち上がり、霧の向こうを眺めるゴン。

 霧の向こうの景色、不気味な森の風景が映り始め、ずっと森に視線を向けていたサトツが口を開いた。

 

「ヌメーレ湿原、通称詐欺師のねぐら。二次試験会場へはここを通って行かねばなりません。

 

 この湿原にしかいない奇怪な動物達……その多くが人間をも欺いて食料にしようとする狡猾で貪欲な生き物です」

 

 淡々とだが、重く、それが事実であると突きつけるような声でサトツは森の説明をしていく。

 

「十分注意して付いてきてください。騙されると……死にますよ」

 

 サトツの重ねるような重い注意の言葉が受験生の間に動揺を走らせ、背後の地下通路の出口がシャッターで閉ざされていくというギミックが、受験生の動揺を更に増幅させる。

 だが、逃げ口を塞いでいくように閉じていくシャッターに誰も地下通路に逃げ込もうとしない。 

 丁度階段から登ってきていた男が、閉じていくシャッターに手を伸ばし、待ってくれと懇願するが、シャッターは止まらない。

 シャッターは完全に閉じ、その向こう側から男の慟哭の声が響き渡るが、もう後がない事を悟った受験生達のほとんどが自身のことで一杯一杯。その慟哭を聞く余裕はなかった。 

 

「この湿原の生き物はありとあらゆる方法で獲物を欺き、捕食しようとします。標的を騙して食い物に——」

 

 どこか遠くから視線を感じ、その視線の方向に顔を振り向くと、木の上からこちらを縮こまるように観察していたサトツのような顔をした猿と人間のコンビと目があった。

 明らかに怯えたように震える猿と人間。

 何なんだろ。

 サクラは首を傾げ、サトツに視線を再び向け直す。

 その直後、猿と人間の気配が凄まじい速度で動き出し、遠くに去っていくのを感じたが、サクラには訳が分からなかった。

 

「それでは参ります。騙されることのないように、しっかりと付いてきてください」 

 

 それで説明を終えたのだろう。

 背を向け、サトツはスキップをするような独特の歩みで足を進め始めた。

 

 走る、走る、走る。

 森を駆ける中、サクラに一定の距離に近づいた動物達、視線を向けた動物達が凄まじい速度で、森の何処かに去っていく。

 ……何故?

 やはりオーラの禍々しさが原因だろうか。

 サクラが近付いた大抵の動物は、酷い怯えを見せるのである。

 

「うわぁああああああああ」

「がッ——ッ‼」

 

 考え事をしている間も、背後でバタバタと身体からキノコを生やして倒れる受験者達。

 悲鳴があがり、動揺から視野を狭めた受験者達は、更に植物の罠に嵌り、死んでいく。

 走っている途中、後ろの方からヒソカ他、複数の殺意を感じたが、それらはサクラには関係がない殺意。

 特に気にせず、サクラは走り続けた。

 

 段々と霧が晴れ、道とも言えない道から人の通りそうな道に変化した頃、木々で隠れた薄暗い森から突然拓けた広場とゴールらしき建物が現れ、サトツはその建物の前でその足を停止させた。

 

「ここが、ゴールなのか?」

「はい、こちらがゴールになります」

 

 ハンゾーの問いにサトツは息一つ乱していない声音で答えた。

 ゴールだ! やった!! やっと……やっとか……。

 受験生達に嬉しげな声が広がり、もはや精神だけで肉体を動かしていた者達は倒れるように広場に転がっていく中、サトツが広場に到着した受験生達に言葉を告げる。

 

「こちらが一次試験の終着点。ビスカ森林公園が二次試験会場になります。二次試験は正午、12時から始まる予定です。それまでの間、各々自由にお過ごし頂いて構いません。皆様、お疲れ様でした」 

 

 サトツの言葉に受験者達が喜ぶ中、ハンゾーがサクラに近付いてきた。

 

「予想していたより辛かったが、案外余裕の試験だったな。ボドロは?」

「…あそこ」

 

 サクラが指差したその先で、息を荒げたボドロが木を背もたれにする形で座り込んでいた。

 

「おーい、ボドロ。大丈夫そうか?」

「ハンゾーか。暫く休めば動けるようになる、心配は無用だ。そちらは心配するまでもないな。まだまだ余裕そうだ。その体力、少し分けて欲しい位だ」

 

 ハンゾーとサクラに視線を向けるボドロにハンゾーは軽く言う。

 

「ま、幼少期からそれなりに鍛えてますから。そのお陰だろうな」

「私の場合、ただ疲れないように走った。それだけ」

「もしかして、それ、秘伝とか、そういうものか?」

「……?違うけど……」

 

 ギラギラと目を輝かせて言うハンゾーに、サクラは困惑した。

 

「なら、教えて貰ったりは——」

「…無理」

 

 目に見えて残念そうにするハンゾーとボドロ。

 しかし、ノブナガにも理論的な説明をした覚えがないサクラにはどう教えれば良いのか分からず、見て覚えろとしか言いようが無かった。

 

 

 

 



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7話

 ちょっぴり残酷かもしれない。


「終了。おめでとうございます。今、ここにいる皆様が一次試験合格者です。皆様はこれからここビスカ森林公園にて、二次試験を行うことになります。二次試験での皆様の健闘をお祈りします」

 

 サトツは一次試験の終了と、二次試験の始まりを告げ、森の中にその姿を消した。

 

 ——ガオオオオ ガルルルル

 サトツが言葉を終え、一分もしないうちに、まるで大型猛獣のような唸り声が聞こえてくる二次試験会場の扉がゆっくり開き始め、受験者達の身に緊張が走った。

 

 だが、扉の中に居たのは、足を組んでソファーに座る細身の変な髪型の女性と、その後ろで床に座っている女性の倍近くの身長を誇る巨漢の二人のみ。

 試験会場に猛獣の類はおらず、その唸り声は巨漢の腹から聞こえていた。

 

 予想外の光景、事実に困惑する受験者達。

 中で猛獣が待ち構えていると身構えていたら、その実中に居たのは女性と巨大な男でしたという事実に困惑する場を置いて、変な髪型の女性は立ち上がり、楽しそうな声音で口を開く。

 

「もう腹ペコのようね~」

「聞いての通り、もうペコペコだよー、メンチ~」

 

 グルルルル、メンチの言葉に返事をするように、巨漢のお腹が鳴り響く。

 

「そんな訳で、二次試験は——料理よッ‼」

「りょ、料理⁉」

「ちょっと待て。俺たちはハンター試験を受けに来てんだぜ」

  

 予想外の試験についていけず、ついハンゾーが声をあげ、それに追従する形で体格の良い男性が非難を浴びせるが、メンチは動じない。

 

「そうよぉ~。あたしたちを満足させる料理を作る。それが二次試験の課題よ」

 

 むしろ、体格の良い男性を煽るようにメンチは課題を告げた。

 

「まず、俺の指定する料理を作って貰い——」「そこで合格した者だけがあたしの指定する料理を作れるって訳」

 

 更に重ねるように、巨漢とメンチが試験の内容を補足した。

 

「何で料理なんだよ!」

「なぜなら……あたしたちが、美食ハンターだから」

 

 何処からか飛んできた問いに、メンチは誇るように言い放った。

 

「ぷっ……ぷははははは」「あははは」

 

 受験者の間で湧き起こる嘲笑の嵐。

 その嘲笑に紛れ、体格の良い男性が挑発するように言う。

 

「それで、一体どんな料理を作れば良いんだい」

「ブハラ!」

 

 怒りの滲んだ声でメンチは巨漢、ブハラの名を呼んだ。

 ゆっくりとした足取りで地響きとともに立ち上がる巨漢、ブハラは冷静に受験生達に口を開く。

 

「俺が指定するメニューは豚だよ」

「豚⁉……豚⁉」

 

 困惑する声を置いてブハラは言葉を続ける。

 

「このビスカの森に居る豚なら種類は自由。その豚をここにある調理器具を使って料理して、俺が美味しいって言ったら合格だよ」

「美味しいと言っても味だけじゃ駄目。料理を舐めないでねえ」

「分かった、分かった」

 

 メンチが注意するが体格の良い男性はその言葉を受け流し、笑っていた。

 

「スタート!」

 

 ブハラがその腹を張り手で叩き、腹太鼓を鳴らす。

 その音を合図に、受験生達は駆け出した。

   

 ある程度森に出たところでサクラは地を蹴り、比較的高い木に向かい跳躍。

 そのまま重力に抗うように木の側面を地を蹴り昇り、木の頂に着地し、上から森を眺め、豚を探す。

 

 ……見つけた。

 サクラは発見した豚の群れに向かい、木の側面を蹴り上げ、飛ぶように移動。

 更に、木の側面を蹴り上げ、加速。

 

 蛇に睨まれた蛙のように動けなくなっていた豚とすれ違うように着地。

 

 ——リンッ

 乾いた音が森に鳴り響き、豚の喉に切れ込みが入り、その傷口から血液が溢れでた。

 倒れ、もがき苦しみ、豚は足をばたつかせるが、やがて痙攣するように動きを止め、豚の首からドロリと垂れる鮮血が地面を紅く染めあげていく。

 血抜き。一思いに首を切断するのではなく、暫く生きているように切断することで、大量出血死によって豚を殺害、体内で血液が凝固するのを防いだのだ。

 

 そこでようやく思考を停止させ、動きを止めていた他の豚達がサクラに背を向けて逃げ出していく。

 

 そんな豚達を見送り、サクラは今だに心臓を動かし、痙攣を繰り返す豚を持ち上げ、試験会場に歩き始めた。  

 まだ誰も帰ってきていない試験場。

 その調理台の一つに豚を乗せたサクラは、具現化した盾を変化させて即席で作りあげた鍋で、沸かしたお湯を硬い毛皮にかけ、お湯で取りやすくなった毛を素手でむしり取っていく。

 

 大体の毛の処理が終わったところで、サクラは切れ味が鋭いだけの刀を具現化。

 残った細かい毛を素早く切り落とし、足の関節と首を両断。

 そして、内臓に刃が入らないように喉元から尻まで切り裂き、ペニスと睾丸を切断。

 股を切り開き、その周辺をお湯で洗い、抜き手で横隔膜から脊椎まで一気に手を突っ込み、腸を掴んで尻に引っ張ることで、内臓を一気に引きずり出す。

 内臓を取り終えた豚の腹を切り開き、お湯で血を洗い流す。

 そうして、空白が出来た腹に森で見つけたハーブを詰め、塩と胡椒で味付けをしてから丸焼き用の調理器具の炎によって好みの焼き加減に焼き上げていく間に、内臓を処理。丸焼きの炎で大雑把に焼き上げていく。

 鼻をつく甘い、脂の焼けた肉の香りに自然とサクラのお腹が鳴り、焼き上げたばかりの豚のハツを口に入れた。

 コリコリとした肉の感触、新鮮だからこそ口に広がる肉の甘味と柔らかさ。

 そこら辺の高級で食べる豚よりも遥かに美味しい豚そのものの味にサクラの口元は綻んだ。

 

 まだまだ食べ足りないが、もうすぐ豚の丸焼きが焼き上がる。

 サクラは我慢して、料理に集中し、焼けたばかりの肉を皿に乗せてブハラの下へ運んだ。

 

「あら、美味しそうじゃない。……見た目と香りは」

 

 ブハラに運んだ皿の豚の丸焼き。その肉の身をメンチは横からフォークで削るように取りあげ、口に入れた。

 

「うーん……焼き加減が微妙ね。少し焼き過ぎかしら。肉の処理が良いだけに焼き加減がねえ」

 

 そう文句を言うメンチにサクラは眉をひそめるが、その横でブハラが皿の上の豚の丸焼きを一気に頬張った。

 

「ん~~!美味いぃぃ!」

 

 心底美味しそうに言うブハラに、胸に湧きあがっていた不快な気持ちが消え去り、サクラの眉の険が取れた。

 バタバタと遠くから聞こえてくる足音、揺れる地面。

 森から豚の死体を担ぎあげた受験生達が試験場に帰ってきた。

 舞い上がる土埃が、丸焼きを焼き上げる合間に作りあげていた豚の内臓料理と処理したばかりの豚の内臓を汚していく。

 

 ……不快。

 胸に湧き上がる苛立ちが死者の憎悪と殺意に染め上げられたサクラのオーラに乗せられ、周囲に明確な圧力となって広がっていく。

 

「お、おい、何かあったのか」

「……料理が土埃で汚れた」

 

 恐る恐る聞いてくるハンゾーに、サクラは怒りを滲ませた。

 更に、高まる圧力と受験生達の緊張感。

 若干一名が、そんなサクラに殺意を向けながら嗤っていたのだが、この時のサクラにとって、そんな事はどうでも良かった。

 

 しかし、これはもはや、どうにもならないこと。

 一度深呼吸をして感情を落ち着かせたサクラは、地面にあぐらをかいて座り込み、埃にまみれた内臓料理を口に運んだ。

 そんなサクラの様子にハンゾーは一息安堵を漏らし、自分の豚の丸焼きの下に戻っていった。

 

 

「はぁー。誰も彼も全然駄目ね。料理ってもんを分かってないわ。ちょっと貰って良い?」

 

 フラリと横にやってきたメンチが、返答を聞く前にサクラの食べていた砂埃付きの内臓料理を指で摘まんだ。

 普段ならそのメンチの行動に眉をひそめただろう。

 けれど、サクラの作った料理の量は、豚の内臓は丸々一頭分のもの。

 肉の量が多すぎて食べあぐねていたサクラにとって、メンチの行動は救済に等しかった。

 

「うーん、やっぱり微妙ね」

 

 メンチは文句を言いつつ、まだ生の内臓を丸焼き用の炎で炙り、塩を軽く降って口に入れた。

 

「んー、……まあまあね」

 

 色々と文句をいいながらもなんだかんだで肉を摘まむメンチに、サクラはいつの間にか視線の色が変わっていた。

 

「あたしが焼いたの、食べてみる?」

「……ん」

 

 向けていた視線を勘違いしたのか、食べるか聞いてくるメンチに、サクラは頷いた。

 皿に乗せられる肉を、素手で摘まみ、口に運んだ。

 口の中で弾ける豚の脂の甘味にサクラは驚いた。

 

「…美味しい」

「そっ」

 

 サクラの心からの感想に、メンチは素っ気なく返事を返すが、その雰囲気は不機嫌そうなものから大分変わっていた。

 

「そろそろ、か」

 

 次々と受験生達が運ぶ豚の丸焼きを食べていくブハラを見て、横に座っていたメンチが立ち上がる。

 

「この皿、貰っていくわね」

 

 もうほとんど残っていない豚の内臓。

 その残りをメンチは手早く丸焼き用の炎で焼き上げ、皿に乗せて運んで行き、テーブルの上に乗せ、ばちで銅鑼を鳴らした。

 

「しゅ~りょ~。豚の丸焼き70頭完食!豚の丸焼き料理審査、71名通過ー‼

 

 という訳で、二次試験後半。あたしのメニューは――スシよ!!」

「すし…?」「すしって何だ?」「さあ……」

 

 聞き覚えのない料理に、ざわつく受験生達。

 

「知らないのも無理ないわ。小さな島国の民族料理だからねえ」

 

 顔を背けたメンチは小声で小さく呟き、受験生達に向き直った。

 

「ヒントをあげるわ!この中を見てご覧なさーい」

 

 メンチは背後の倉庫に手を向け、受験生達を倉庫の中のキッチンに誘導する。

 

「ここで料理を作るのよ。最低限、必要な道具と材料は揃えてあるし、寿司に必要不可欠なご飯はこちらで用意してあげたわ」

 

 受験生達がキッチンを確保していく中、メンチは説明を続ける。

 

「そして、最大のヒント‼寿司は寿司でも握り寿司しか認めないわよ。

 

 それじゃあスタートよ。あたしが満腹になったところで試験は終了。その間に、何個作ってきても良いわよ~!」

「……握り寿司」「どうやって作るんだ?」

 

 受験生達が悩む中、ジャポンでよく握り寿司を食べていたサクラは、森に向かって歩みを進めた。

 

 

 川。それも比較的澄んだ綺麗な川で、サクラは元気に泳いでいる脂の乗った魚を素手で捕まえ、具現化した包丁でエラから入れて中の骨を一気に断ち切り、尾を切断して血抜きを行った。

 活〆。こうすることで、魚の鮮度の劣化速度を遅らせ、刺身の食感で最も良い、身が活きている時間を長く保つことが出来るのだ。

 

 そうして、何となく美味しそうな魚を手早く素手で捕まえ、試験会場に戻っていると、魚だ、魚と叫び、試験会場から飛び出してきた受験生達と遭遇した。

 

 だが、受験生達がサクラを視界に収める瞬間、明確に歩みが遅くなり、早歩きの速度で横を通り過ぎていく。

 

 若干一名。頬を吊り上げるようなとてもイイ笑顔を浮かべた奇術師が、サクラを煽るように横をバタバタと走っていったが……サクラは無視した。  

 何かを期待するような視線を背後から感じたが……サクラは無視した。

 殺意溢れる期待に満ちた気配が一気にしょぼくれたものに変わるが……

 

 ——サクラは、無視した。

 

「サクラは握り寿司に魚を使うこと、知ってたんだね」

「なんだ、それなら教えてくれても良かったじゃん」

 

 サクラの植物のツルで吊るした魚に、無邪気に反応するゴンに対し、少し棘のある物言いをしてくるキルア。

 

「…なぜ……?ライバルに塩を送る必要はない」

「うーん。それもそうか」

 

 それで、キルアは納得したのだろう。

 特にそれ以上言葉もなく、キルアとゴンは森の中に入っていった。  

 

 試験会場に魚を持って帰ったサクラは、包丁で身を熟練の手つきでさばき、試食していく。

 紫と黄色の縞々模様だった魚は淡白。カレイみたいな見た目の魚は脂が甘い。鯉みたいなのは食感が良い……。

 

 一通り試食を終えてから、お酢とご飯の配分を調整。

 ご飯の味と合うものを幾つか選別し、口に入れたらほどける程度の硬さに握り込み、試食。 

 

 少し、魚の香りが強いかもしれない。

 レモンを絞った水で魚の身を軽くそそぐ事で魚の生臭さを消し、そのままご飯と一緒に握り込んだ。

 

 これでどうだろう?

 出来た寿司を口に運び、試食。

 魚の生臭さはなく、魚特有の旨味と調和のとれたお酢とご飯が口の中に広がった。

 

 ……完成……したけど、メンチは美味しいと言うだろうか?

 メンチが焼き上げた肉の味を思い出し、サクラの心に暗い不安が落ちる。

 しかし、これ以上美味しそうなものを作れそうにないサクラは、不安に包まれながらも、メンチの下に寿司を運んだ。運ぶしかなかった。

 

「おー、きたきたッ」

 

 嬉しそうにメンチは言い、サクラの持ってきた寿司達にパクついていく。

 

「この魚にはちょっとお酢が濃いわね。これはまあまあね。これは……」

 

 最初の頃なら苛ついていたかもしれないが、今は素直にその言葉を聞き入れていた。

 メンチの料理の腕、技量を知ったからだろう。

 

「全体的に刺身としては良かったけど、その分寿司としては欠けてる感じだったわね。

 

 ま、合格」

「……え?」

「合格よ、ごうかくッ!」

 

 ポカンとするサクラにメンチはニッコリ笑って言う。

 

「これは数少ない情報から寿司を推測する試験。ある程度の味と形が出来ていたら合格なのよ」

  

 …合格…?……合格。

 その言葉がようやく頭に滑り込んだサクラは、自分のキッチンに戻った残りの魚の切り身を、合格の実感もないまま食べ始めた。  

 

 

 さばいた魚を食べているその途中、ハンゾーが寿司の作り方を大声で口走り、寿司を作りあげた受験生達がメンチに殺到、メンチが味で合格を判定することに試験内容を変更するなどという出来事が起こったが、合格判定を貰ったサクラは、それらを他人事のように見ていた。

 当然のことながら、味で判定し始めたメンチの要求に受験生達が応えられる訳がなく——

 

「お腹いっぱいになっちゃった」

 

 合格が出ないままメンチは自身が満腹になったことを告げた。

 

「という訳で、試験終了ッ‼」

「は……?」「……え?」

「だから、合格者は1名。終了よ」

 

 メンチの言葉に受験生達の間で理解できないといった声があげるが、メンチは無慈悲に追撃の言葉を言い放った。

 その判定に納得出来なかったメンチを非難していた体格の良い男性がキッチンを破壊し、メンチに詰め寄って掴みかかろうとしたが、横合いからブハラにぶん殴られ、十メートル以上吹き飛び、気絶した。

 

「他に文句あるやつは、いる?」

 

 文句はあっても目の前で見せつけられた圧倒的暴力に受験生達は言い出せない。

 

「ちっと、その判定、厳し過ぎやせんかのお」

 

 その沈黙を破ったのは、空から響いた声だった。その瞬間、ちょうど上空を飛んでいた飛行船から飛び出す人影。

 

 その人影を目にした時から、サクラの全身の感覚は凍え、冷たくなっていった。

 

 ……人。

 それも今まで会った中でもトップレベルでヤバい化物。

 

 地に落ちてくる度に朧気だった人影が明確になり、それが和服を着た白髪のちょんまげと長い白ひげを生やした爺さんに見えてから数秒の間もなく、地面にクレーターを作り、着地した。

 

 その痩躯を包む滑らかな纏。

 立っているだけだというのに、その佇まいには隙一つ見出せない。 

 

 その力量……サクラの記憶・経験の中にある中でもトップクラスの力を持つ英雄、人型をしているだけの化物と比較しても、同等かそれ以上としか読み取れず……見ているだけで全身を駆け抜ける何とも言えない悪寒が走っていた。

 まるで気がつかないうちに、寄生していた寄生植物が全身の筋骨を中から絡め取っていたかのような寒気に、サクラの全身の細胞が反応。

 

 堅で莫大なオーラに身を包んだその時には、上から地に押し潰すように受けた圧倒的な衝撃がサクラの肉体を蹂躙。

 脳に刻まれている先人達の記憶・経験が、肉体を操作、上からの力をそのまま地面に受け流すが、断続的な重圧に力を流し切れず、限界まで行使された全身の筋肉が一本一本引き千切れ、骨は圧壊、瀕死の重症に至り、サクラの纏う黒いコートの強化再生能力が自動発動。

 上空から押し潰してくる力を、莫大なオーラを消費した再生能力で対抗。

 全身を破砕され、肉と骨を圧壊されながらも、何とかその力を受けきり——

 

 サクラの脳が何かの攻撃を受けたと認識した時には既に、サクラの地にめり込んだ足を中心に十メートル以上のクレーターが出来上がり、全身から血が流れ、オーラの大部分が消耗されて動けなくなっていた。

 

 その時、腰に差していた刀【小烏丸】が、大鴉へ勝手に具現化。

 サクラの前に仁王立ちになり、何かからサクラを守るように黒い翼を交差させ、武の構えを取ったかと思うと、サクラの体内の時間、知覚が圧縮された。 

 

 急速に遅くなっていく時間。

 あらゆる色が消え去り、灰色と黒で構成される世界の中で、サクラは老人の背後に現れた巨大な観音の像と大気を歪ませながら、やってくる陽炎のような何かを視界に捉えた。

 

 何かを受け止め、技量をもって地に力を受け流す大鴉。

 

 ……手?

 何時の間にか、現れていた老人の背後に現れていた観音像。

 その観音像から伸びた数十の手の一つを大鴉が受け止めている事を、サクラが認識出来た時には、大鴉の全身は割れかけのガラスのようにひび割れていた。 

 

「ご無沙汰しています、ネテロ…会長……?」

「あ……」

 

 左手で右拳を包むようにして、メンチは包拳礼の姿勢をするが、突如目の前で巻き起こされた不可視の攻防に、表情をポカンとしたものに変えた。

 それに対し、虚空に観音を消失させ、やっちまったとでも言うように頭に手を当てるネテロ。

 

 そんな二人を前に、サクラの身体は力もなく、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。

 

 

 白いベッドの上で目覚めたサクラの意識を襲ったのは骨の髄まで包み込んだ異様な疲労感だった。

 ここは……?

 状況がよく分からず、刺されていた手首の点滴を引き抜き、起き上がると、すぐ傍で椅子に座り込み、真顔でこちらを見ているサトツと視線が合った。 

 

「おはようございます」

「おはよう…?…ここって……試験は…?」

「ここはハンター協会が管理する施設の一室であります。ハンター試験については既に1日前に終了致しました」

 

 終了……。

 その言葉に、サクラの胸の中が暗い想いに沈んだ。 

 

「目覚めたかの~?」

「ネテロ会長」

 

 下駄を鳴らして入ってきたちょんまげ爺さんの名前を、サトツが呼んだ。

 その瞬間、条件反射の領域で堅を行い、サクラは全身をオーラで強化。

 憎悪、怒り、殺意に塗れた負のオーラがサクラの肉体から迸った。

 

「最悪サトツに伝言を頼もうと思うておったんじゃが、ちょうど良かったわい」

 

 大気を鳴動させる圧力に、サトツは臨戦態勢の姿勢をとる。

 しかし、前に進み出たネテロがそのサトツの行動を手で制した。

 

「いやはや、前はこのオーラの質に驚いてしもうての、つい反射的に攻撃してしもうたんじゃわい。すまんかったの」

 

 そんな事を言いながらも余裕綽綽といった様子でこちらに歩いてくるネテロに、サクラの額から頬を伝い、冷たい汗が流れた。

 

「流石に謝罪の一言で済ますのは悪いと思うてな、今日はこれを渡すために来たんじゃよ」

 

 ネテロの手から放り投げるように渡されたハンターライセンスに、サクラはキョトンと瞳を瞬かせた。 

 

「……それはよろしいのですか?」

「良いんじゃね?今回の原因わしじゃし、わしが負傷させなければこ奴、十中八九試験に受かってたじゃろ」

「それは…そうですが…」

 

 言葉を詰まらせるサトツにネテロは澱みもなく言葉を続ける。

 

「では、しっかり渡したからの」

 

 そう言うと、ネテロは着物の裾を靡かせて部屋から去っていった。 

 

 サトツと二人、部屋に取り残されたサクラは、パタリと倒れるようにその身を布団に預け、そのまま心地好い夢の中に沈み込んだ……。

 

 

 




ジョーカー(ネテロ会長)によって流れるようにハンター試験終了。
 豚の解体(豚というよりは猪の解体方法)と魚の活〆が印象に残る話でした。


 農家の場合、豚に電気ショックを当ててから、急所をついて大量出血死させるところもあるようです。
 電気ショックですから、激痛が伴っている可能性ありです。
 また、電気ショックで気絶出来るとは限りません。
 豚によっては犬よりも高い知能を有するものも居るようです。
 
 そう考えると、サクラの行った豚の血抜き処理もそれほど残酷ではないのかもしれません。


 ネテロ会長
 純粋に身体能力と技量が高く、予備動作もなく攻撃出来る使い手のため、サクラにとってひたすら相性が悪い相手。
 近接距離から突発的な戦闘を始めた場合、作中の描写にあるように、ワンチャンすらなく圧倒的な力と速度と質量で叩き潰される。



【黒のコート】(バブレバヤーン) 特質系 死者の念
 英雄ロスタムが使ったという虎の毛皮に似た手触りの真っ黒なコート。
 損傷した肉体の細胞を強化し、再生する。

 制約
 瀕死の重症であること
 生への想い、欲求

 オーラと生への欲求や想いを糧に発動する。
 消費オーラの調整は出来ず、再生を途中で止めることは不可能。
 肉体の再生にオーラが足りなくとも、オーラが枯渇するまで止まらない。
 ロスタムが使っていた時は、自分の意志で発動させなければならならず、オーラ消費の燃費も更に悪かった。
 
 


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8話

 

 夢から目覚めたサクラは、何かに突き動かされるかのように借りた広場で刀を振るっていた。

 垣間見た一つの真髄。

 体感した圧倒的な技にサクラの中にあった堅い扉が開けた気がした。

 

 上段から真っ直ぐ刀を振るう。

 刀から生じた衝撃波が大気を駆け抜け、地埃を巻き起こす。

 

 昨日と比べ、一閃の持つ単純な力強さと速度は上昇している。

 だが、それと反比例するようにサクラの技量は低下、刀に乗る力が分散し、大気を衝撃波となって駆け抜けていた。

 【黒のコート(バブレバヤーン)】によって向上した身体能力にサクラの身体制御能力がついていけていないのだ。

 

 故に、サクラは剣を一閃しながら、体内を満たすオーラを円のように用いる事で、肉体の骨の動きから筋線維一本一本に至るまで把握、納得出来るまで修正を重ねていく。  

 

 回数を重ねるうちに、段々研ぎ澄まされる意識と感覚。

 

 水の中にでも居るように重くなる大気。

 

 凝縮される体内時間。

 

 それらが一定まで高まった瞬間、肉体の動きのみに収束されていた意識が剝離、急速に外側に広がってゆく。

 

 まるで機械のように、意識を向けるまでもなく、剣を動かすための効率的な動きに修正されていくされていく肉体。

 

 そんな自身の肉体に、僅かな違和感を感じる。

 けれど、更に深く沈み込むことで、感じていた違和感もすぐに気にならなくなり、自分という意識そのものが虚空に消え去っていく。

 

 消え去る意識に呼応するように、膨れ上がり、おぞましさを増していくサクラのオーラ。

 

 白昼夢でも見ているような不思議な意識の中、サクラは世界が真っ白に染まっていくかのような感覚に落ちてゆく。

 

 サクラの一閃から音が消えた。

 

 何も感じない。

 何も思わない。

 

 無我。

 

 無意識の領域に入ったサクラの一閃から音が消え、衝撃波は生まれなくなった。

 

 収束。

 一閃の度に生じる力を全て刀の上に乗せたのだ。

 

 サクラの一閃が大気を割り、大気はすぐに割った空隙を埋めていく。

 

 いまだに空は斬れず、大気を割るのみ。

 

 それでも、サクラの肉体は空を割り続ける。

 

 

 どれほど大気を斬り続けただろうか。

 

 冷たい風がサクラの頬を撫で、ふわふわと浮き上がっていた意識が身体に戻った。

 

 

 上段から剣を振るう。

 流れるように動く負の感情に染まり切ったオーラ。  

 

 剣に収束した力が——空を、切断した。 

 虚空に刻まれた一閃が、周囲の大気に呑み込まれず、そのまま傷跡として残り続けるのを見て、サクラは刃を鞘に納めた。

 

 

 

 

 美しい少女だった。

 

 綺麗ではない。可愛いでもない。

 

 美しい、その言葉が一番似合う、不思議な少女だった。

 

 腰まで伸びた艶やかな鴉色の髪は、夜の街を歩く人々の瞳を惹きつける。

 

 黄金色に焼けた肌は、妖精の如くきめ細やかく、艶めかしい。

 

 細く見える手足はどうしてか雌馬の足のような、可憐さと力強さを併せ持っていた。

 

 その雰囲気は何処までもおぞましく、仄暗い。

 

 それでもなお、人を惹きつけて止まない妖しい美が宿っていた。

 

 

 そして、何よりも人々を魅了するのが、少女の動き、動作、歩き方に宿る理。

 

 ある種の極限まで達した理。

 

 達人の舞い、踊り、武、技。

 

 それらを人が美しいと感じるように、少女の所作一つ一つに美が宿っていた。

 

 

 それは、少女が持つ美ではなかった。

 

 人が持つ美でもなかった。

 

 

 まるで、妖刀のような、破滅すると分かっているのに手に入れずにはいられないような、魔性の美が、そこにあった。

 

 

 

 カキン帝国。

 開催される刀剣展覧会に訪れるためにカキン帝国へ入国していたサクラは、何故か夜の街でナンパを受けていた。

 

 

「君、可愛いね。海外からの旅行者?」

「……?」

 

 スーツを着こなした優男からの唐突な問いに、サクラは首を傾げた。

 

「何で、この国に来たの?やっぱり観光目的?」

「…武器」

「武器……?」

 

 問い返してくる優男に特に思いもなくサクラは答える。

 

「そう、武器を見に来た」

「へ、へぇー…武器なんか見に来たんだ。こんな国まで来て一体どんな武器を?」

「刀剣」

「刀剣か~。俺そういう武器とかに詳しくないんだよね。ちょっとそこの店とかで教えてくれない?」

「嫌」

 

 優男が親指で、すぐ近くの怪しげな店を指し示すが、サクラは即座に断った。 

 

「えー、ちょっとは考えてくれても良いじゃん。悲しいなあ」

 

 ふわりと服から漂う尋常ではない血の香り。

 優男から滲み出る薄暗い雰囲気。

 十中八九、裏に属する人間。体捌きから察するに戦闘に関わる者ではないのだろう。

 関わっても良い事はなさそう。

 

「あ、俺、結構良いホテルに伝手を持ってるんだけど、良かったら紹介してあげようか?」

「必要ない」

 

 肩に手を置こうとする優男の手をすり抜けるように避け、サクラは歩き始める。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれ」

 

 空を切った腕を見て間抜け面を晒す優男。

 必死に呼び止める声が背後から聞こえてくるが、サクラは足を止めなかった。

 

 

 そんなサクラと優男の様子を覗いていた視線が険吞染みたものに変化していく。

 

 …そろそろか。

 臨戦態勢に入る思考とは逆にリラックスした態度で足を進める肉体。 

 

 店と店の間にある薄暗い通路。

 その奥からぞろぞろと現れたスーツ姿の厳つい男達が、緩慢かつ威圧的な態度でサクラの進む通路を塞いだ。

 道を塞いだ厳つい男たちの中から一歩前に進み出た禿頭に鳥の入墨を入れた男が、無知な子供に言い聞かせるように口を開いた。

 

「お嬢ちゃん、少しそこのホテルまでついてきてくれないか?私達も手荒な真似はしたくないんだ。……出来る限り、ではあるんだがな」 

 

 禿頭の言葉に、背後で幾人かの厳つい男が嗜虐的な笑みを浮かべ、その力を誇示するように暴力的な気配を漂わせる。

 

「沈黙は同意と取らせて貰うが、良いよな」

 

 もう堪え切れないとばかりに、禿頭の男の背後から進み出る厳つい男達を前に、サクラの腰に納められていた刀【小烏丸】が反応。

 黒い翼のみをサクラのコートから飛び出すように具現化。

 その翼を羽ばたかせ、黒い颶風を巻き起こした。

 

 黒翼から放たれた羽に反応すら出来ず、ソフトボールほどの穴を体中に空ける厳つい男達。

 飛び散る脳漿と血肉が棒立ちで立っている禿頭の男に降りかかり、そのスーツの白シャツを真っ赤に濡らした。

 

「……は?」 

 

 血に濡れた全身を触り、真っ赤に染まった掌や服を見て、膝を震わせる禿頭の男は一歩その足を後ろに進め、ずるりと肉片の中にこけた。

 自身の足元まで長く伸びた人の腸、誰かの手足や目玉を見て、禿頭の男の顔にようやく理解が浮かび、恐怖の色がその表情を染め上げる。

 

 何処からかあがる悲鳴。

 何が起こったかも理解出来ずに逃走する人々の濁流がその夜の街の通路を呑み込む中——

 

「ひっ…あっ……」

 

 人混みに紛れた禿頭の男は声にもならない悲鳴を漏らし、人混みの障害をすり抜けるように近づいてくるサクラから必死で四つん這いになって逃げようとするが、すぐにサクラの掌に首を掴まれ、持ち上げられた。

 

「誰の差し金?」

 

 サクラの問いに、禿頭の男は涙を流しながら首を振る。

 

「そ……」

 

 言わないなら、生かしておく意味はない。

 サクラはその首から手を離し、手刀で、その首に雷光のような一閃を放った。

 受け身も取れずに地面に倒れ伏す禿頭の男。その地に落ちた衝撃でコロリと禿頭が胴体から離れ、ボールのように転がった。

 人々の足の中を転がる禿頭は、より人々にパニックを引き起こし、何度も蹴られ、踏み潰され、その形をただのミンチに形を変えていくが、すでに人混みに紛れ、その場から去っていたサクラが、それを見ることはなかった。

 

 

 

 ——カキン帝国古代武器展覧会、会場。  

 世界の武器マニアが会場に集い、武器を食い入るように見ていく中、サクラもまた会場で展示された武具を眺め、歩いていた。 

 

 見る。

 視る。

 観る。

 

 その武具の材質を、その武具の構造を、その武具の記憶を、サクラの目は読み解き、念空間の中の砂漠に寸分の違いもなく、武器を模造し突き立てる。

 

 そうして一通り展覧会を見終えた頃、サクラを見ていた金髪の男がようやく動き出した。

 隠し切れないとばかりに、ニマニマとした笑みを浮かべ、近付いてきた金髪の男はサクラに口を開いた。

 

「やあ、お嬢さん。刀剣展覧会は楽しんでる?」

「…貴方、誰?」  

 

 その金髪の男から漂う腐敗した血肉の香りにピクリと眉をひそめ、サクラは無表情で名前を問う。

 だが、その内心、サクラは金髪の男から漂う戦乱の時代の英雄と比肩する血の濃さに、驚愕を抱いていた。

 

「ツェリードニヒ。それが俺の名前だ、サクラ・ハバキリ」

「そう」

 

 僅かに顔を変化させたサクラにツェリードニヒはニタリと笑みを深くした。

 

「警戒しなくて良い。俺はあんたの熱烈なファンだからな、敵対するつもりであんたに会いに来たわけじゃない。ただの一ファンとしてあんたに、あるお願いをしに来たんだけだ」

 

 その話を聞きながら、サクラはツェリードニヒを観察していた。

 肉体そのものは非常に鍛え上げられているが、技量はそれほどでもない。

 体内から溢れ出る生命オーラは凄まじいが、念能力者ではない。

 こいつ、一体、何?

 サクラはツェリードニヒの存在に戸惑っていた。

 

「偶然、あんたの殺す手際を監視カメラで拝見させて貰ったんだが……俺には衝撃的だったよ。最初見た時は訳が分からなかった。一体何が起こって人が死んだのかさっぱりだった。だが、何度も映像を見るうちに気付いたんだよ。あんたが単純に人の眼では視認出来ないほど速く動いただけってことになッ‼」

 

 まるで未知に遭遇した子供のような笑みを向けてくるツェリードニヒに、サクラはひいていた。

 

「それからだ。問題は。部下に解析させた映像を見たんだが、俺はもっと訳が分からなくなった。

 

 背中から黒い翼が生える?人にか?

 手刀で人の首を落とす?ははっ、化物かよ。

 

 原理は不明。種も仕掛けも理解不能。ああ、もう余りの理解不能さに感動したよ、世の中にはこんな訳が分からない殺し方をする奴が存在するのかってな」

 

 

 独白するように、その時の想いを吐き出すように、ツェリードニヒは感情豊かに話を続けていく。

 

 

「だから、あんたの過去について調べさせたんだが、ほとんどが不明のブラックボックス状態。生まれも育ちもほとんどが偽造された偽物だった。

 

 それでも、数少ないあんたの過去から情報を得ようとした結果、俺は天空闘技場200階でのあんたの闘いから、そこで不思議な力を使う闘技者に目を付けた」

 

 

 自身の世界に入りきり、酔いしれたように言葉を続けるツェリードニヒに、サクラはこの場から離れたい気分に陥っていた。

 

 

「200階層の闘技者といっても、所謂、あいつらは名誉欲しさに闘っていた連中だ。少し、餌をぶら下げただけで、俺が欲しかった情報はすぐに手に入った。

 

 その不思議な力で攻撃を受けた者は、その力に覚醒する可能性がある事。それが洗礼と呼ばれている事。手足の一本を失うような重症を負う事。本当に色々な事を知る事を出来たが、そいつら、その不思議な力の知識については全くのド素人だった。

 

 ま、それでも、世の中にはそういう不思議な力がある。それを知れただけでも俺としては僥倖だった。そういう力に詳しい奴に聞けば良いだけだからな」

 

 

 突如、ツェリードニヒは怒りに表情を歪ませる。

 

 

「だが! だがッ! だがッッ‼

 

 そういう不思議な力について幾ら調べようと、それ以上の情報は全く出てこなかった。

 

 誰が小細工をしているのか大体予想は付く」

 

 

 スゥと息を吸い、吐いた頃には心の整理を付けたのか、ツェリードニヒはその狂相を元の平坦な表情に戻していた。

 

 

「だが、今の俺には正直どうしようもないだろうな。

 

 そんなこんなで、今日、俺はあの不思議な力について知ってそうなあんたに直接教授を願いに来たって訳だ」

 

 真剣な表情でサクラを見つめるツェリードニヒ。

 その瞳には狂気染みた情熱の感情が渦巻いている。

 仮に断ったとしても、ツェリードニヒは絶対に諦めないだろう事をサクラの経験が囁いていた。

 こんな人間に目を付けられた不幸に、ため息をつきたくなるも、サクラは重く口を開いた。

 

「……教えるのは構わない。その代わり、この国にある刀剣という刀剣武具を見せて欲しい」

「ああ、出来る限りだが、どうにかすると約束しよう」

 

 上機嫌で笑みを浮かべ、サクラに他に何かないかと聞くツェリードニヒに、サクラは教える条件を幾つか追加した。

 その条件の中には、ツェリードニヒの心臓をサクラの用意した短剣で突き刺す事も入っていたが、その短剣で心臓を刺されても死なない事をサクラに確認した後、ツェリードニヒは笑顔で快諾した。

 そんなツェリードニヒの事をサクラは理解出来そうになかった。

 

 …どうしてこんな狂人ばかりに目をつけられるのだろうか。

 サクラは心の中で嘆きの声を叫ぶが、目の前の現実は何も変わらなかった。

 

 

 

 

 




 容姿がないという感想から、取り敢えず、サクラの容姿について描写を入れておきました。

 追伸、前半のサクラの美しさを説明しているのは、ツェリードニヒです。


 今回の話はサクラの強化回であり、不幸ぶりを示す物語でした。

 何故かツェリードニヒが話しまくっていますが、諦めて下さい。
 この後の話しで、ツェリードニヒが直接関わる予定は、今のところありません。

【血濡れた花嫁の束縛】(メリーバッドエンド)死者の念 操作系  放出系×具現化系の複合

 ツェリードニヒの気配を警戒して、その心臓に突き刺した短剣。

 具現化した短剣で、心臓に突き刺した対象に2つの命令を与える 
 1、対象は私に対して誠実でなければならない。
 2、対象は私を裏切ってはならない。 
 対象が命令を破れば、即時対象の心臓の鼓動は停止し、死亡する。 

 制約
 この具現化した短剣は、人を傷つける事は出来ない。
 この具現化した短剣の刃を対象の心臓に突き刺した場合のみ、能力を発動する。


 色々と薄暗い逸話のある短剣。

 元々は対象の命令に制限など無く、ある程度自由に命令出来る短剣でした。
 現在は、命令に制限が課された代わりに除念が非常に難しくなっています。
 また、与える命令は、信用出来ない取引相手に使用する場合、非常に有用です。


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9話

天空闘技場編、開始。


 ツェリードニヒは2週間という驚異的な速度で、基礎から応用までの念を修得。

 それからサクラはツェリードニヒに一通り刀剣武具を見せて貰った後、一言別れを告げてツェリードニヒの下から去った。

 

 ツェリードニヒの趣味、人を使った芸術がサクラには合わなかったからである。

 それに……稀に変わるツェリードニヒの視線がサクラは苦手だった。

 

 そんなサクラの内心を知ってか知らずか、念能力という力に夢中になっていたツェリードニヒは、おー、じゃあな、という簡素な別れの言葉しか告げなかった。その言葉を最後に、それ以上のことは何もなし。

 サクラとしては少し拍子抜けであったが、下手に親しくなり、厄介事に巻き込まれる事を考えれば、ベストな結果なのかもしれなかった。

 

 

 無事ジャポンの家に帰りホッと息をついたサクラを襲ったのは、金欠である。

 

 ……金欠である。 

 

 刀剣展覧会のチケットを手に入れる為、惜しまず金を使った結果である。

 

 一般的に言えば、サクラの貯金額はまだまだ余裕がある金額なのだろう。

 

 だが、美味しい食事や稀少な展覧会などのチケットを手に入れる為に金を惜しまないサクラからすれば、はした金でしかない。

 

 故にサクラはお金を稼ぐ為、家を飛び出すように、天空闘技場へ向かった。

 

 

 

 天空闘技場の闘技者登録を行わない。いや、正確には、行えない。

 

 サクラの闘技者登録は、既に二度抹消され、永久追放となっており、二度と闘技場に挑むことはできないからである。

 

 だが、それは、闘技場に挑めないだけ。

 

 天空闘技場のギャンブルの参戦権まで抹消された訳ではない。

 確かに、昔のように、190階層付近で互角の戦闘を演じ、ギリギリ勝ったように見せかける事で、大量の金銭を稼ぐことは出来なくなった。  

 

 しかし、サクラの先人達の経験により鍛え上げられた観察眼を利用すれば、闘技者の時ほどがっぽりとは行かないが、十分ギャンブルでも稼ぐ事は可能なのである。

 

 

 ——190階層。

 

 サクラは、闘技者の過去の映像を一通り閲覧する事で、その肉体能力や技量、天空闘技場という戦闘環境、今日の戦闘における体調を考慮。

 それらの情報から試合の動きを予測し、今日の試合の中でも比較的勝算が高いもののチケットを購入。

 どれほど試合内容がサクラの予測通りに進んでいくのかという確認と暇潰しを兼ね、サクラは試合の観戦に来ていた。

 

 闘技場に立つ二人。

 顔のバイザーが特徴的な、いかにも拳法家という服装を身につけた痩身の男性と、顔を威圧的なマスクで隠し、その筋肉を誇示するようにパンツとブーツのみを身につけた、プロレスラー風の男性の二人は互いを睨むように見つめ合っていた。

 

 言葉はない。

 二人は幾度となく、この階層、この闘技場で闘いあった仲故に。

 ただ、怨敵を睨むような瞳で互いを見つめ合うのみ。

 観客席で興奮のボルテージが上がっていく中、ジャッジの男性の合図を機に、両者、一気に距離を詰めんと闘技場の地を駆けだした。

 

「オラッ」

「シィィィッ‼」

 

 プロレスラー風の男性が、駆けだした勢いをそのまま腕に乗せ、バイザーの男性の腹をぶん殴らんと拳を突き出すが、バイザーの男性はしなやかな動きでくねるように踏み込むことで、その攻撃を避け、足を杭のように地に固定し、一種の意趣返しのように抜き手をプロレスラー風の男性の腹の急所にめり込ませた。 

 

「ぐっ⁉」

 

 プロレスラー風の男性の呼吸が止まり、全身の力が緩み、その筋肉の鎧に隙が生まれる。

 その隙をつき、バイザーの男性の素早い抜き手が、幾度もプロレスラー風の男性の腹の急所に突き刺さる。

 

「いい、加減に……しろ!」

 

 その腕を力任せに振り抜くプロレスラー風の男性。

 幾ら全身の力が抜けているとはいえ、その力は本物。

 一度捕まれば、敗北は必至。

 しかし、この隙を逃す事も惜しいバイザーの男性は足を大きく広げ、踏み込む際に身体を落とす事で、頭上ギリギリを通り過ぎるプロレスラー風の男性の腕を避け、睾丸にその抜き手を叩き込み、そのまま親指と4指で握り潰さんが勢いでその急所を握り込んだ。

 

「~~~~ッッ‼」

 

 プロレスラー風の男性の脳天を貫く激痛に悶絶。叫ぶように手足をがむしゃらに動かす。

 

 暴風のように繰り出される拳と蹴り。

 それらが来ることは予想していたバイザーの男性は身を低くしたまま、がむしゃらに放たれた蹴りの軌道を手刀で受け止め、その衝撃を利用し、自分から吹き飛ばされる事で背後に一度下がろうとするが、プロレスラー風の男性はバイザーの男性の手刀のガードごと腹を蹴り飛ばした。 

 派手に地に転がるバイザーの男性。

 だが、蹴り飛ばされた衝撃は器用に地面に受け流し、5メートルほど転がったところで何のダメージも受けていないという平然とした様子で立ち上がった。

 

 そこでようやくジャッジの男性が2人に判定を叫び、試合を再開しようとするが、プロレスラー風の男性がうずくまったまま動かない事に気付き、暫くプロレスラー風の男性に視線を向ける。 

 その場で立ったままジャッジの男性は暫く静観するが、いつまでも動けないプロレスラー風の男性の姿に、やがて仕方ないとばかり、バイザーの男性に勝利判定を下した。

 

 まだプロレスラー風の男性は闘える。

 しかし、彼はこの後の試合を考え、この試合の勝利を自ら捨てた。

 自身の身体を商売道具にしているのだ。

 妥当な判断であり、予想通りの結果となったことにサクラは微笑みを浮かべた。

 

 観客席に響き渡るブーイングの嵐の中、試合結果を確認し終えたサクラは購入した券を金に引き換えてもらうために、受付に持っていく。

 その道中、天井に吊り下げられるように設置されたテレビに映る天空闘技場の試合の中で、見覚えのある銀髪の少年と黒髪の少年が試合を行っているのを見つけ——サクラの思考は停止した。

 

 ゴンとキルア。

 その名前と連動するように、サクラはキメラアントとその王の情報をネテロ会長に伝えなければならなかった事を今頃思い出した。

 どうして、忘れていたのだろうか。

 ネテロ会長の攻撃によるショックの影響か、前世の記憶の摩耗か、自身の壁を突破出来た事で浮かれていたのか。

 それとも、純粋にサクラがうっかりしていただけ…?

 

 様々な言い訳染みた言葉が浮かびあがるが、最後に残ったのは、どうしよう、というたった一つの想いである。

 

 一介のハンターがネテロ会長と会うには、どうすればいいのか。

 まず、ハンター試験の試験官として起用されれば、試験官の権限の一つとしてネテロ会長と話せる手段を与えられる。

 だが、サクラは、一度、一方的なものとはいえ、ネテロ会長と敵対している身である。

 ハンター試験の試験官を申し込んだとしても、ネテロ会長に断られる可能性が高い。

 

 では、ハンター協会に影響力を持つ誰かと接触出来ないだろうか。

 確か、主人公達に関わる誰かがそうだったはず……。

 思考に沈むが、名前と顔が出て来ない。

 少女みたいな、でも、本当は少女ではなくて……?

 普段は普通少女で……本当の姿は漢女(オトメ)……?

 ……よく分からないが、ハンター協会にある程度影響力を持っている人だということは何となく覚えている。

 

 当面の目標はキルアとゴンとの間に繋がりを得、その人物と接触、キメラアントの情報を伝えるという感じだろう。

 

 ああ、でも、——キルアとゴンにどう接触すれば良いのだろう?

 

 取り敢えずキルアとゴンの試合の席を購入し、その闘いを観戦するが、これまで余り自身から誰かと繋がりを持とうとしなかったサクラには、その辺をどうすればいいのかよく分からなかった。

 

 

 天空闘技場からホテルへの帰り道。

 街道を歩くサクラはこちらを追ってくる2つの気配をはっきりと感じ取っていた。

 ゴンとキルアだ。

 視線を辿らなくとも気配だけでサクラは分かる。

 

 オーラには人それぞれの特徴がある。

 そして、個人のオーラの特徴がおぞましければおぞましく、禍々しければ禍々しく感じられるように、オーラの特徴は気配となって人に現れる。

 また、ゴンとキルアは念能力者ではなく、その身から特徴的なオーラの気配が垂れ流しにされている。

 

 つまり、そのオーラの特徴から生じる気配さえ覚えていれば、サクラにはその気配だけでそれが誰なのか分かるのである。

 サクラの気配察知を真っ向から防ぐには、絶によって気配を消すか、何らかの念能力で気配をどうにかするかしかないのであった。 

 

 キルアとゴンの存在に気付いていない風を装い、サクラは2人の目的を探りつつ、自然体で足を進める。

 さり気なく通路の角を曲がり、ゴンとキルアからサクラの姿が見えなくなったところで瞬時に絶を行い、単純な身体能力と技量のみで家の壁を駆け上がり、その後を追って通路を曲がってきたゴンとキルアを屋根の上から眺める。

 

「…消えた」

「あれ?どこに行ったんだろ」

 

 キルアとゴンがほとんど人のいない道に視線を巡らせ、お互いのどこにサクラが行ったのかを話しあう中、サクラは音もなく家の屋根から飛び降り、2人の背後に着地する。

 

「誰だ——ッ‼」

「……サクラ‼」

 

 キルアは僅かな人の呼吸、音から漏れ出る気配を察知、険しい表情で飛び上がるように距離を取るが、ほのかに漂った香りですぐに背後に着地した人物がサクラであると特定したゴンは無邪気な笑みを浮かべ、無防備なまま振り返った。

 

「なんだサクラかよ、ビックリさせんなよな」

 

 文句を言うキルアにゴンが、まあまあとなだめる。

 

「どうして二人は私を追って来ていたの?」 

 

 そんな二人の様子、雰囲気にノブナガに似たものを感じ、毒気を抜かれそうになるも、サクラは自身の疑問を尋ねた。

 

「やっぱ、気付かれてたのか。けっこう本気で隠れてたつもりだったんだけどな」

「バレバレだった」

 

 不遜な物言いをするキルアにサクラが呟くように言う。

 少しキルアが不機嫌そうな感情を漏らすが、一歩前に踏み出してきたゴンを目にした途端、キルアの中で渦巻いていた負の感情がフッと消え去った。  

 

「俺たち、サクラに聞きたいことがあって…それで、後を追っていたんだ」

 

 聞きたいこと……?

 二人が……?

 

「…何?」

「……念って言葉、知ってる?」

「知ってる」  

 

 そのサクラの返答に、ゴンがキルアの顔をニッコリ笑いながら見つめるが、キルアは怪訝そうにサクラを見つめた。

 

「それってハッタリとかに使う、そういう陳腐な技術じゃねえよな」

「違うよ…?念は人の生命オーラを操る技術のはず、だけど……?」

 

 キルアの尖った言葉にサクラは首を傾げつつ答える。

 その答えが満足のいくものだったのか、キルアは小さく良しと呟き、拳を握り締める。

 

「知っているなら、その技術、俺たちに教えてくれない?」

「……良いけど」

 

 詰め寄るキルアに、腹に一思い隠し持ちながらサクラは言葉を返す。

 やった!!と手を叩き、喜ぶゴンとキルア。

 

 その二人の肉体、オーラをサクラは観察した。

 

 ……大丈夫かな。才能はありそう。

 直感によって何となく感じただけだが、サクラの直感は様々な修羅共との経験によって構築されたもの。

 十中八九当たっているだろう。

 その程度には、サクラは自身の直感を信じていた。

 

「…行こ」

「何処に?」

 

 一言呟き、何の説明もなく歩き出すサクラにキルアが聞く。

 

「私の泊まってるホテルの部屋。ここでは教えられないから」

「…罠、じゃないよな」

「それは、サクラに失礼だよ」

 

 暗にお前を信用していないと告げるキルアに、ゴンは非難の視線を向ける。

 

「だってよ~」

 

 唇をツンと尖らせるキルア。

 

「罠……ね」

「あ、いや、キルアも悪気があった訳じゃなくて」

 

 慌ただしげに言うゴンにサクラは黙って首を振る。

 そして、殺意をオーラに乗せ、ゴンとキルアを冷たく睨んだ。

 

「「——ッ!」」

 

 驚いた猫のように飛び上がり後方に下がるキルア。

 ゴンは何とかその場で耐えているが、みるみるうちに二人の顔色は死人のような蒼白に変わり、溢れる冷汗で服をびっしょり濡らしていく。

 

「二人をどうにかするのに、罠は必要ない。……分かった?」

 

 サクラとしては優しく微笑み、言い聞かせたつもりだったが、ゴンとキルアには閻魔の笑いにしか見えなかった。 

 コクリと頷く二人を見て、サクラはオーラを鎮め、歩き始める。

 しかし、二人が後を追って来ない。

 少し、脅かせ過ぎただろうか?

 

「ついて来ないの?」

 

 その言葉に二人は我に返ったように瞼を瞬かせる。

 

「あ、ああ……」

「うん……」

 

 そして、緊張を隠せない様子で身体を強張らせながらサクラの後ろを歩き始めた。

 

 ルッケーゼ一家が管轄下のホテル、その最上階のワンルーム。

 大理石の床で構成されたリビングで、サクラはゴンとキルアに念の四大行の説明を行った。

 

「何をするにも、まずは、俺たちが纏を覚えない限り、それ以上先のステップには進めないという事か」

「それが出来るようにならないと、何も教えられない」

 

 ゴンは一気に渡された様々な念の情報に混乱し、真剣に話を聞き、理解したキルアはゴンにも分かるように話をまとめた。

 

 座禅をする二人。

 意識を体内に集中させ、必死にオーラを感じ取ろうとしている。

 

 そんな彼らの様子を見て、サクラは昔の自分を思い返し、小さく微笑んだ。

 だが、他人ばかり見てはいられない。

 

 サクラも座禅を行い、自身の精神にある念空間の中に意識を沈め、刀剣に刻まれた記憶や経験を読み取り始めた。

 

 数時間経った頃だろうか、集中力が途切れたのか、苛立った様子でキルアが目を見開く。

 

「あー、畜生、何か裏ワザとかないのかよ」

「…ある」

「そんな方法あるの⁉」

 

 キルアの横でジッと座禅をしていたゴンが瞳を見開き、サクラに身を乗り出した。

 

「うん。でも、私がやれば二人は死ぬと思う」

「あー。やっぱ、そう上手い話は無いか」

「私がということは、他の人ならその裏ワザが出来るかもしれないってこと?」

 

 予想通りとばかりキルアは溜息をつくが、ゴンはその言葉にどこか引っかかるところがあったのかサクラに尋ねてくる。

 

「うん。…たぶん。それでも、その人に少しでも悪意があれば二人とも死ぬと思う」

「そっかー」

「仮の話だけど、もし、サクラが俺たちにその裏ワザを行った場合、俺たちはどうなるんだ?」

 

 精孔を開く為とはいえ、念能力者ではない一般人に死者の凶悪な念を大量に叩き込むのだ。

 おそらく——

 

「良くてミンチ、悪くて赤いシミになると思う」

「シミか…」

「うん、シミ」

 

 思った以上のデメリットに、ひいた様子で言うキルアに、サクラは無自覚に追撃の言葉を吐く。

 

「…ま、自分でオーラを感じられるようになるしかないってことか」

「だね」

 

 気怠げな表情を繕うキルアに、ゴンは苦笑交じりに同意し、座禅によるオーラを感じ取る修行に戻る。

 何か出来る事は無いだろうか?

 じっくり考えるサクラの下に一つのアイディアが頭に思い浮かんだ。

 

 無我の剣に到達してから、以前よりスムーズかつ精神消耗も少なく具現化出来るようになった無限の剣製を用い、一本のアンテナ、【万能のアンテナ(パーフェクト)】を具現化するが、やはりと言うべきか、具現化した【万能のアンテナ(パーフェクト)】はサクラの死者の念を纏っていた。

 

 安全面を考慮するなら、最低限他者を念から身を守れるようになって実行すべき、か。

 サクラは具現化したアンテナをポケットの中にしまい込み、リビングで座禅する二人に背を向け、寝室へ足を進めた。

 

 

 

 夢を見る。

 自分のものではない。

 どこかの誰かの記憶の残滓。

 そんな夢をサクラはぼんやりと見ていた。

 

 

 ある普通の家庭に一人の男が産まれた。

 両親が居て、弟が居て、男が居る暖かい家庭に。

 生まれた家庭は裕福であり、何も不足する事無く男は両親の愛情を受けてすくすくと成長していった。

 大人になった男は友人や恋人にも恵まれ、一般で言う幸せな生活を送っていた。

 だが、男が成長するにつれて男の中のある想いもまた成長していく。

 

 愛する家族や恋人、友人が自分がこんな事を考えているなんて夢にも思っていないだろう。

 

 その血を見たい、その肉を斬りたい、その悲鳴を聞きたい、という残酷な欲望を抱いているなんて。

 

 始まりは、血が見たい、ただそれだけの衝動であり、釣った魚や捕まえた鳥を解体すれば満足出来ていた。

 だけど、ある日、鳥を解体している時に気が付いてしまったのだ。

 

 鳥の上げる悲鳴が堪らなく愉しいことに。

 

 一度そのことに気が付いてしまえば魚では満足出来なくなった。

 

 獲物は鳥や野良犬、猫に変わって行った。

 殺せば殺す程、彼は様々な殺し方を学び、愉しんだ。

 悲鳴を、刃で切り開く肉の感触と温もりを、刃が当たりゴリゴリと削れていく骨の音を………生命が終わっていく様子全てを愉しんだ。

 

 ああ、愉しい。

 

 それで、男は満足出来ていた。

 出来ていたのだ。

 

 人間なら——人間を殺したなら…一体どれほどの快楽を得られるのだろうか。

 そう考えてしまうまでは……。

 

 ああ、でも、それは駄目だろう。

 優しい両親が男に植え付けた倫理が、殺意を縛りつけた。

 

 それでも、男の中で、殺したいという欲望は膨れ上がり続けた。

 

 そんな男の思考は、ある日、弾けた。

 風船が爆発するように男の思考は弾け、真っ白に染まった。 

 

 そして、目覚めた男の視界を染めたのは、赤、その一色だった。

 家の中に散乱した、血や内臓を見て、男は自分がやったことを思い出した。

 

 そう、楽しそうに両親を殺す自分を、彼は思い出したのだ。 

 突然、ナイフが虚空に生まれて……それで…彼は……我慢出来なくなったのだ。 

 

 どうして……?

 何でこんな事に……?

 

 彼は両親を愛していた。

 憎んでいる部分もあったが、愛していたのだ。

 

 殺したいと思ったことなんて、1000回もない位だ。

 

 それなのに、その筈なのに……鏡に映った男の口端は吊り上がり、愉しそうな笑みを浮かべていた。

 矛盾に満ちた相反する想いが胸の中をかき混ぜ、男の思考を悩ませる。

 

 ——ピンポーン

 誰かが来たことを告げるインターホンの音に、男はゆっくり玄関の方を振り返った。

 際限なく膨れ上がる殺人衝動が、四肢の神経を支配し、体内に流れる血潮を爆発的に加速させる。

 

 これでは、駄目だ。

 取り繕わないと。

 すぐに自分が殺人鬼だという事がばれてしまう。

 

 そう思考した彼は、殺人衝動に蓋をする。

 今にも外れそうな蓋だが、外面を取り繕う位のことは出来るだろう。

 男は小さく微笑み、身体についた血を洗い流す為、バスルームへ向かった。

 

 

 ——そこで夢は途切れ……臓物に塗れた一室で、サクラは黒い霧に包まれ、輪郭しか分からない誰かと対面するように椅子に座っていた。

 一刻一刻輪郭がぶれ、印象が変わり、オーラが変貌し、雰囲気はあらゆるものへと変転していく。

 何なんだろ……?

 

「■■■■■■■■■」

 

 何十にも重なったノイズのような言葉を発する黒い人影がサクラに手を伸ばし……ドロリと泥のようにその形を崩した。

 そして、黒い霧のような形となり、サクラの周囲をクルクルと舞い、虚空に消えた。

 

 

 

 ベッドの上で目覚めたサクラは、明るい太陽の光に目を萎ませながら、夢の中で見た誰かの記憶と黒いナニカをぼんやり思い返した。

 

 ……もう少し良い夢を見たかったな。

  

 ポツリと心の中で不満を呟き、サクラはゴンとキルアの修行の進捗状況を見る為、リビングに向かった。

 

 ……出来てる。

 まだ、ぎこちなさを残すが、一日で形だけでも纏が出来るようになったゴンとキルアを見て、サクラは瞳を瞬かせた。

 

「おはよう、サクラ」

「どう俺たち、しっかり纏出来てる?」

 

 驚愕を隠せないサクラの様子に、ゴンが元気な声で挨拶を行い、キルアがいたずらっ子のような笑みを見せる。

 

「形は出来てる。だけど、練度はまだまだ」

「そうなの?」

「そう」

 

 不思議そうな顔をするゴンにサクラは、はっきり告げた。

 その声音には僅かな嫉妬のような感情が混じっていたのだが、ゴンとキルアが気付くことは無かった。 

 

「でも、その様子なら裏ワザを使っても問題なさそう」

「本当かよ⁉」

 

 興奮した様子で言うキルアにサクラは頷く。

 

「昨日私が思い付いた裏ワザだけど」

「え……それって大丈夫なんだよな……?」

 

 ぼそりと付け足すように言うサクラに、キルアの表情は一気に不安気なものへ変わった。

 

「たぶん…だけど…」

 

 纏を習得したばかりのツェリードニヒに【血濡れた花嫁の束縛】を突き刺しても問題なかった事から大丈夫だとは思うが、なにぶんサクラにとってその裏ワザは初の試み、自信満々に言うことは出来なかった。

 沈黙が場を飲み込み、キルアはじっくりサクラの言葉を吟味し、悩み抜く。

 

「死ぬ可能性はほとんどないんだよな」 

「ん…」

 

 確認するように言うキルアにサクラは頷く。

 

「なら、やってやるよ。それで普通の奴よりも何倍も早く強くなれるんだろ」

「それは勿論」

 

 真っ直ぐ見つめてくるキルアの瞳をサクラは黙って見返す。

 しばらくして、キルアの中で何らかの決心が付いたのか、信用するからな、と言い、緊張を孕んだ視線をサクラに向けた。

 

「キルアがやるなら俺もやるよ。余りサクラの事は知らないけど、信用出来るとは思うから」

「何か根拠はあるのかよ」

「ないよ、直感‼」

 

 間を置かずに言うゴンに、キルアはため息をつき、小さく苦笑を浮かべた。

 その二人の雰囲気に、先ほどまでの緊張感はなかった。

 

 瞳を閉じ、纏に集中する二人を前に、サクラは精神を集中させ、【万能のアンテナ(パーフェクト)】をもう一本具現化。

 その具現化したばかりの【万能のアンテナ(パーフェクト)】を無防備に立ち尽くすゴンの額に突き刺し。ポケットから取り出した【万能のアンテナ(パーフェクト)】をキルアの額に突き刺す。

  

『どこか痛いところとか、違和感を感じるところ、ある?』 

「特に問題ないよ」

「何か変わった気はしないけど、これで強くなれたのか?……いや、ちょっと待て…今ッ⁉」 

 

 言葉もなく、直接頭に語りかけるように、通じたサクラの言葉にキルアは目を見開いた。

 

『凄いや。喋らなくても話が出来るようになってる‼』

『こんな超能力染みた事も念は可能なのか……』

 

 お互いに筒抜けの思考に、キルアとゴンは顔を見合わせた。

 

「これで強くなれたのか?」

「それはこれから」 

 

 はやる気持ちを抑えきれないとばかり聞いてくるキルアをサクラはなだめるように告げる。

 

『そのアンテナの能力のお陰で、今、私は貴方たちに頭の中の言葉やイメージを送信することが出来る。その効果を使って今から私は貴方たちの前で四大行を実演すると共に、頭に私の四大行のイメージ、言葉に出来ない身体の感覚を叩き込む。

 

 一回しか行わないから集中して臨むこと。……準備は良い?』

『大丈夫、準備出来てるよ』

『何時でも構わないぜ』

 

 サクラは常に行っている、もはや当たり前となって言語化出来ない纏のイメージを直接ゴンとキルアの頭に伝え、寝ている間もずっと纏が出来るようにならなければならない事などを説明していく。

 そうして、念の四大行のうち、纏、絶、練の順番にそのイメージと説明を終えたサクラは床に汗だくで倒れ伏した二人の額からアンテナを抜き取り、解除、虚空に消失させた。

 

「当面は纏を滑らかかつ自然に出来るようになる事と、練を最低でも数時間は持続出来るようになる事を目標にしたら良い。伝えたイメージを自分の身体に合うように適用させるだけだから、すぐに出来るようになると思う」

「ということは、後は俺たちの努力次第って事か」

「頑張らないと」

 

 キルアは自信満々の笑みを浮かべ、ゴンは自身鼓舞するように拳を握り締める。

 疲労が抜け、起き上がれるようになったゴンがサクラに笑顔で口を開いた。

 

「しばらくここで修行しても良い?」

「…ん、構わない。でも、私には私の修行がある。付きっきりで見ることは出来ない」

 

 ほんの少し悩むがサクラはゴンのお願いを了承した。

 

「別にそれで構わない。こっちとしては見てもらえるだけでもありがたいからな」

「そう」

   

 本心からそう言うキルアを、サクラは不思議そうに見つめる。

 …意外。

 一言二言の文句を予測していたサクラとしては、内心キルアの意外な素直さに驚きを抱きつつ、部屋の隅で座禅を行い、意識を切り替える。

 そして、心の中にある念空間に自身の意識を沈めた。   

 

 

 天空闘技場。

 賭けた試合を観戦しに行く道中。

 

「やあ、久しぶりだね♠ まさか、こんなところで会えるなんて、やっぱり僕ら運命の赤い糸で結ばれてるんじゃないかな♥」

「…それはない」

 

 ジッと待ち伏せていた癖して空々しい言葉を吐くヒソカに、サクラのテンションは一気に下向した。

 

「そう言えば、僕、君がハンター試験で仲良くしていたポドロとホームコードを交換しあう仲になったんだ♦ 君にも番号、教えておこうか?」

 

 意味ありげな笑みを浮かべたヒソカはわざわざ首を斬るような動作を行い、一枚のトランプを掲げる。

 

「ポドロ…?誰……?」

「…えっ…?」

 

 驚愕に顔を染めるヒソカに、サクラはこてんと首を傾げた。

 

「君がハンター試験で仲良く話していた初老の男なんだけど……本当に覚えてないみたいだね♪」

 

 ヒソカはサクラのリアクションから本当にポドロが誰なのか分かっていない事を理解したか、自嘲するようにクツクツと笑い始めた。

 

 ハンター試験、最終審査。

 ヒソカはポドロを殺害しようとするキルアを止めた。

 勿論、善意からの行動ではない。

 折角見つけた素晴らしい果実たちが自分のあずかり知らぬところで殺し合う可能性を潰す為であり、命の恩人としてポドロとの間に伝手を作る事でサクラとの交渉カードに用いる事のできる可能性を考慮したからでもある。

 

 ああ、だけど、サクラが余り周囲の人間に興味を持っていない事は理解出来た♥

 どうすればサクラを戦闘に持ち込めるのか、ヒソカは考えるが……情報不足としか言いようが無かった。

 

「ヒソカは強い人と闘いたいの?」

「ああ、勿論♠」

 

 期待を込め、ヒソカはサクラに熱い視線を向けた。

 

「それが絶望的なほど強い相手でも…?」

「当然さ♦ むしろ。強い相手ほど興奮するね♥」

「なら、NGLとキメラアント、その2つの言葉を覚えておくべき。数年以内に貴方にとって良いことが起こると思うから」

 

 妙な方向に転がり始めた話にヒソカは訝しげにサクラに探りを入れる。

 

「……それは、僕に対する予言かい?」

「ん……予言みたいなもの」

 

 …予言、予言ね♠  

 ……念…かな?

 予言が現実に存在すると仮定し、一番あり得そうな可能性を考えるが、予言の念なんてあり得るのだろうか?

 ……可能性だけでも、その存在を考えておくべきかな♥

 

 意味ありげな言葉を残すだけ残し、去っていくサクラ。

 ヒソカは不敵な笑みを浮かべ、その後ろ姿を見送った。

 

 

 天空闘技場でヒソカvsカストロ戦が行われ、カストロがヒソカの凶刃に破れたその日の夜、サクラはその戦闘の内容、駆け引きが全く分からなかったから教えて欲しいと言うゴンとキルアに、四大行の応用技であるオーラを見えにくくする技——隠とオーラを目に集中させる事で隠を見抜く技——凝を教えた。

 それから半日とかからずに凝を習得した二人と共に、ヒソカvsカストロの映像を観戦し、その戦闘内容や能力を分析した。

 そのついでにサクラはゴンとキルアに水見式を用いた発の修行法と念の系統図の存在を、【万能のアンテナ(パーフェクト)】を使用せずに教えた。

 

 発とは性格、性質、素養、才能、能力などの個人の影響が一番色濃く出る能力。

 幾らサクラが教えようと思っても教えようがないのである。

 

 故に、サクラは水見式の修行までは見るが、その修行が終われば発の修行は自分で行わなければならない事を二人に説明した。

 

 発の修行を終えて、一ヵ月。

 その間、纏、練、凝の修行を重点的に行ったゴンとキルアは、200階層フロアの住人を相手に快進撃を成し遂げ、幾つもの勝利を重ねた。

 

 その二人の闘いぶりにサクラがそろそろ念の応用を一通り教える事を考え始めた頃、ゴンがヒソカに挑戦し、ヒソカがそれを受け入れたという情報が天空闘技場で流れた。

 この情報にサクラは驚きながらも、すぐにゴンとキルアを呼び出し、その情報の真偽を確認し、真という事を把握した。

 もはや、念の応用を修得させる時間はない事を悟ったサクラは、念の応用技を見せるだけ見せ、口頭で技の効果を説明。

 後は自分たちで修行を進めていくように、と二人に言った。

 キルアはアンテナみたいな裏ワザで修得出来ないのか聞いてきたが、もう既に自分なりのオーラ操作技術を確立しているゴンとキルアに、サクラのイメージや感覚を教えても、成長の妨げにしかならない事を教え、その代わりにこれから試合当日まで実践形式での模擬戦を行うことを告げた。

 

 

 

 誰にも見られず、誰にも邪魔されない、森の奥深く。

 両腰に2本ずつ差した4本の刀とは別に、左手に鞘に納められた刃渡り150㎝ほどの大太刀、【正宗】を握り締めたサクラは、疲労で息切れを起こし、地面に座り込んだゴンとキルアの前の木に腰をかけ、彼らが回復するのを待っていた。

 

「…休憩終わり」

 

 その一言をサクラが言い切る前に、地面に座り込んでいたゴンとキルアは跳ね上がるように立ち上がると同時に流れるように練を行い、構え、臨戦態勢に入る。

 ここに来たばかりの数時間前とは、まるで別人のような二人の対応、動き、オーラ操作技術に、サクラはゆっくり立ち上がり、寒気を感じさせるような薄い微笑みを浮かべた。

 

「——ッ!」

 

 キルアが不意打ちとばかり、休憩している間に拾いあげていた小石を親指でマシンガンのように弾き飛ばしてくるが、サクラは鞘に納められた大太刀を一振りする事で蠅を払うように粉砕した。

 

 粉砕された小石が飛び散る中、ゴンは真っ直ぐサクラとの距離を詰め、キルアは全身の筋肉をバネのように用いる事で地を爆発的な速度で跳躍、木を蹴り上げ立体的に移動する事でサクラの背後に移動。

 前と後ろから挟み撃ちでもするように攻撃しようとするが、サクラはキルアとゴンから見ても、緩慢に感じる速度ですり抜けるように避け、【正宗】の能力を発動。

 柄に触れた右手の指先でバトンでも操るように刀を一回転させ——鞘と地面をすり抜けて下回転した刀身の刃がゴンの股から脳天までを一刀両断した。

  

「がっ……はッッ⁉」

 

 訳が分からない方向からの攻撃。

 切り傷はない。

 しかし、その代わりに、切断された身体の部位に激痛と熱が駆け抜ける。

 混乱する頭、痛みに頭が白く染まり、ゴンは、一度サクラから距離を取るが、戦闘態勢は決して崩さない。

 

 実際に身体を真っ二つに割られた感覚に襲われているはずだというのに、戦闘の構えを取れるゴンの強靭な精神力にサクラは驚嘆した。 

 

「ゴンッ‼——ッ!」

 

 悲鳴をあげるようにゴンの名前を呼ぶ、無防備なキルアの腹にサクラの左手の鞘先が突き刺さり、凄まじい衝撃が背中を突き抜けた。

 

 吹き飛び、背後の木に勢い良くぶつかるキルア。

 ぶつかった衝撃で木がミシミシと音を立ててへし折れるが、キルアの筋肉に致命的な損傷はなく、骨は一つも折れていない。

 

 それは、キルアがサクラの一撃を受け流した事の証明。

 手加減しているとはいえ、サクラの一撃を受け流せるその技量と才能、そして、その動きからこれまで積んできた鍛錬を思い描き、サクラは呻き声一つ漏らさずに起き上がるキルアにゴンに向けるものとは少し違う驚嘆を抱いていた。 

 

 だが、容赦するつもりは無かった。

 

 

 サクラが、軽くトンと地に足を踏んだ地面が爆砕。

 飛び散る小石と土砂に、ゴンとキルアは瞳を腕で庇い、砂埃が視界を覆う中、サクラは隠を行い、自身の気配を四方八方に飛ばす。

 そして、その気配に混じるように軽く足先で地を蹴り、あらぬ方向に視線を向けるキルアに刃を振るった。

 

 何かを感じたのだろう。

 全力で振り向いた、キルアはサクラの姿を視認。

 自身に振るわれた刃を必死で避けようと後ろに跳躍するが、もう遅い。

 サクラの刃がキルアの首をすり抜け、その精神を切断した。

 

「ッ……⁉」

 

 首を押さえ、脂汗を大量に流すキルアを前に、瞬時に隠から堅に切り替え、刀を構えるサクラは、背後の怒りの気配に一歩下がり、半身をずらす。1秒前までサクラの頭があった場所をゴンの渾身のダブルスレッジハンマーがすり抜けていく。キルアに奇襲をかけたサクラを見つけたゴンは、湧き上がる怒りに身を任せ、サクラの背後目掛けて飛び上がり、サクラの脳天目掛けてハンマーのように組んだ両手を全力で振り下ろしたのである。

 

「……不意討ちするなら気配は隠す」

 

 サクラはくるりと身体を回転させ、空中に身を泳がせ、躱しようがないゴンの頭を蹴りあげる。

 

「がっ――」

 

 吹き飛び、勢いそのまま身体を木の幹に打ち付けそうになるが、その直前でゴンは飛んだ意識を覚醒させ、獣の如くクルリと回転し、体勢を立て直す事で木の幹に足から着地。木の幹に足跡がくっきり残るほどの脚力で蹴り上げ、さながら人間魚雷の如く、気を付けの姿勢のまま、頭からサクラに突撃する。が、鞘を手放し無手になったサクラの左手にそっと頭を触れられたその瞬間、力のベクトルを下に捻じ曲げられたゴンは、頭が地面にすっぽり埋まるほどの勢いで顔から地へと叩きつけられ、その意識を闇に落とした。

 その隙を罠であると分かっていながら、自身の技能の全力を用いて狙いをすまし、サクラの背中に貫手を放とうとするキルアの心臓に刃物で刺されたかのような激痛が駆け抜け——キルアの思考は混乱した。

 

「凝」

 

 ぼそりと吐かれたサクラの言葉に従い、反射的に凝を行ったキルアの視界に映ったのは、サクラの背中から突き出し、自身の心臓に突き刺さった大太刀の刃。

 これまでの戦闘からサクラの大太刀が斬りたいものだけを斬る能力を持つことは何となく予測していただけに、こんな運用をされる可能性を思いつけなかった自分に歯がみしつつ、キルアは背後に飛びずさった。

 

 ゴンの首根っこを掴み、地面から頭を引っこ抜いたサクラは地を滑るような足運びでキルアとの距離を詰め、ゆっくりした動作で大太刀を横薙ぎに振るった。

 

 

 ゴンとヒソカの試合、二日前、夜。

 地面に倒れ伏し、ボロボロになったゴンとキルアを前に、サクラは【正宗】を鞘に納めた。

「今日で修行は、お終い」

「「えっ!?」」

 

 上体を上げ、驚くゴンとキルアにサクラは優しい視線を向けた。

 

「明日は明後日のヒソカとの試合に向けて休憩すべき。

 

それに、私はこれ以上教えられない。だから、もし……念の修行をつけてくれるという人が現れたら、私に一言連絡して欲しい」

「うん、分かった」

「連絡すれば良いんだな」

 

 何も疑わずに頷くゴンと素直にサクラの言葉を受け入れるキルア。

 そんな二人にサクラはほんの少し罪悪感を抱くが――その口元は自然と小さく微笑んでいた。

 

 それから二日後、ヒソカに大敗したゴンは、一度キルアと一緒に故郷に帰ることになった。

 

 飛行船に乗り込む二人を見送った後、ジャポンの家に帰宅したサクラは天空闘技場で稼いだ資金を用い、これまで権限不足で見れなかった刀剣を見るための旅を始めるが、すぐにヴィットーリオ・ルッケーゼにヨークシンへ呼ばれる事になった。

 どうやら、ヨークシンで行われるオークションの護衛依頼のようだ。

 これまで、何も依頼をしてこなかったヴィットーリオがどうして今になって依頼してきたのか、サクラは不思議に思いつつ、ヨークシンへ向かった。

 

 

 




天空闘技場編、終了。

一話に一編分詰め込みました。

【正宗】 具現化系
 刀身150㎝ほどの大太刀。
 能力は斬る対象の取捨選択。
 
 斬りたいものを斬り、斬りたくないものは透過する能力であり、その性能は凶悪そのもの。
 相手の防御を無視することや外傷なしに臓器のみを斬り裂く芸当が可能になる。
 また、大気を透過する事でその刃から風を斬る音、大気と刀身の間で生じる摩擦力を消失させる事が可能。
隠と併用すれば、暗殺にもってこいの刀となる。
また、鞘に力を貯め、鞘を透過する事で、デコピンの原理を使った少し変わった抜刀術を放つ事ができる。
 応用次第では幾らでも化ける刀である。 

 【万能のアンテナ】(パーフェクト) 具現化系
 針ほどの大きさのアンテナ。
 能力は受信と送信。
 人に刺せばその人間の様々な情報を受信し、その人間に自身の持つ情報を送信出来るようになる。
 また、物に刺せば、その物から様々な情報を受信する事が可能であり、アンテナを刺した人間からアンテナを刺したパソコンに情報を伝えるなどアンテナとアンテナの間に情報をやり取りする事も可能。
 有効範囲は10m。
 その範囲からアンテナが離れると、所有者の念が届かなくなり、機能を失う。

 情報屋、古時計が使用していた念能力。
 パソコンにアンテナを刺す事でネットから自由に情報を受信していた。


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10話

 喉元で詰まり、胸を締め付けるような感覚。

 久しく忘れていた感情に、サクラは戸惑っていた。  

 

 寂しい。

 寂しいのだ。

 

 キルアの悪童染みた態度、無邪気で馬鹿みたいに真っ直ぐなゴンの笑顔、憎らしいノブナガの言葉、気遣うマチの視線、いつもニッコリ笑っているヴィットーリオとの会話を思い出すと、どうしようもない寂しさがサクラの心に襲い掛かるのである。

 

 数ヵ月。

 キルアとゴンと共に生活した数ヶ月は、確かに、サクラの内面に変化を与えていた。

 

 これまで、サクラは、余り人と関わって来なかった。

 仕事、戦闘、護衛、交渉などで人と関わる事はあったが、それらは全てビジネス。

 ギブアンドテイクの浅い関係。 

 

 ゴンとキルアに出会うまで、サクラが個人的な関わりを持っていたのは、ヴィットーリオとノブナガの二人くらいであり、その両名でさえも二ヵ月に一度出会うか出会わないか程度の関わりしか持っていなかった。

  

 孤独。

 

 サクラはずっと孤独だった。

 孤独に慣れ切り、何時しか孤独が当たり前のことになっていた。

 

 そして、それがサクラにとって当然のことだった。

 

 だから、サクラは今まで何も思わなかった。

 寂しいという感情なんて少しも抱かなかった。 

 

 ゴンとキルアに関わらなければ、サクラは寂しいという感情を忘れたままでいられたのかもしれない。

 

 あんなに近しい関係を築かなければ、師匠と弟子としてより距離を持って接していれば……。

 

 でも……もし、私に兄妹が産まれていたら……今頃、どんな関係だったのだろう。

 ふと、サクラは、考えてしまった。

 

 母の腹から垂れ下がる長い腸を首吊り縄のように首にかけられ、吊り下げられた赤子を思い出す。

 

 どうして……?

 何であんな事になったのだろう?

 

 その答えは既に出ている。

 

 力がなかった。

 運がなかった。

 

 ……それだけのこと。

 

 いつだって理不尽は襲い来る。

 その理不尽を追い払う力がなかった。

 

 だから、死んだ。

 

 だけど……もし、私が、母と赤子の未来を知っていたら、その未来()は、変えられたのだろうか?

 

 ああ、だからか。

 

 だから、サクラは、ネテロ会長に未来の情報を伝えようとしているのかもしれない。

 

 その有り得ない可能性を……。

 

 その結末とその先を……見てみたいから…。

 

 そっか…。

 

 心の中で納得し、一つの区切りをつけたサクラは小さく頷き、ヴィットーリオが待つホテルに足を進めた。

 ゴンやキルアに向けていた感情を別の問題にすり替えたことにも気付かないふりをして、サクラは一区切り付いたと自身を納得させた。

 

 

 ソファーに深く腰をかけ、手にしている一枚の紙切れを見て、ヴィットーリオはにやけた笑みをこぼしていた。

 その主の姿に、二人分の紅茶をテーブルの上においてくれた黒服のスーツを着た初老の白人男性は、何とも言えない困惑の雰囲気を漂わせていた。

 そのヴィットーリオの瞳は、テーブルを隔てソファーに座るサクラにも向けられている。

 だが、その瞳は虚空を映すのみ。サクラを映してはいなかった。

 

 夢心地でいるヴィットーリオに、サクラは用件を促すように視線を送る。

 しかし、自身の世界に浸っているヴィットーリオはサクラの視線に気が付かない。

 

 サクラは助けを求める視線を紅茶を淹れてくれた初老の白人男性に向けるが、素知らぬふり。

 初老の白人男性が微笑ましげな笑顔で頭を下げ、静かに部屋から出ていく後ろ姿を、サクラは恨めしそうに睨むしかなかった。

 

 何時まで待たされるのだろうか。

 サクラの苛立ちとオーラが呼応し、部屋にサクラの暗い気配が充満していく。

 その薄暗い気配に反応するようにヴィットーリオの虚ろな瞳に光が灯り、サクラの姿を捉えた。

 

「……うん?…ああ…来てたんだ。全然気付かなかったよ」 

 

 空虚な笑みを浮かべるヴィットーリオにサクラは心の鬱憤を吐くように溜息を吐き、意識を切り替えた。

 

「要件は?」

「最初から本題に入るの!?そこはほら、最近面白いことあったとかさ、そんなところから入るべきだと思うんだよね」

 

 チラリと見てくるヴィットーリオの視線をサクラは言葉で叩き斬る。

 

「……要件は?」

「うん……君が変わってない事は分かったよ」

 

 やれやれ、とヴィットーリオは首を振り、陽気そうに口を開いた。

 その動作が非常に癪に障る事を告げようかと思いながら、サクラはヴィットーリオの言葉に耳を傾けた。

 

「突然だけど、この世にはね、絶対に当たる占いというものが存在するんだよ」

「そう」

 

 念を知っているサクラからすればそれほど驚くことでもない。

 

「あれ、驚かないの?個人的には仰天する顔が見られると思っていたんだけど……」

「それで……」

 

 はあと溜息を吐くヴィットーリオの言葉を無視し、サクラは続きを促す。

 

「その占いの中での話だけど、なんと、私の死が占われちゃってるんだよねぇ」

 

 何が面白いのか、ヴィットーリオは表情を一転させ、楽しげに言う。

 

「だから、今回、君を護衛に出そうと思ってね」

「…報酬は?」

 

 ヴィットーリオは懐から取り出した一枚の紙切れを、サクラに提示した。

 

「私的にはもっと出したいんだけど、ポケットマネーからの依頼だから、その位が限界なんだよねぇ」

 

 紙切れに書かれた依頼の報酬額は60億。

 依頼を受けた時点で前金として20億の金額が支払われ、依頼者であるヴィットーリオが今月行われるオークション終了時まで生きていれば、依頼は終了、残りの報酬が支払われるようだ。

 更にその下に、例え依頼者であるヴィットーリオが死亡しようと、サクラに責任が問われない事や支払われた前金の20億に何の影響もない事が明記されていた。

 内容、金額から判断するに、それなりに危険な依頼という事だろう。

 

「さて、どうする?」

 

 依頼内容、報酬は良心的。

 内容に何か不備がある訳でもない。

 けれど——

 

「本当にこの依頼内容で構わないの?」

「勿論。これが私に出来る精一杯のことだからねえ。誠意を見せておかないとね。……あ、もしかして依頼内容の記載に気に入らないところがあった?報酬額は無理だけど、依頼内容であればある程度捻じ曲げれるから言って欲しいかな、なんて」

「別に訂正して欲しい場所はない」

 

 ヘラヘラと笑うヴィットーリオにサクラは、重く口を開いた。

 

「……引き受けようと思う」

「じゃあ、契約成立という事で」

 

 ヴィットーリオから軽く差し出されたサクラは、ペンを受け取り、もう一度依頼内容を確認し,依頼書に名前を署名した。

 

 

 自由に過ごして良いとヴィットーリオに言われ、専属ボディーガードから耳に装着する小型の無線を渡されたサクラは、数日、ホテルの中の設備や料理を満喫した後、ヴィットーリオの護衛としてヨークシンで開催されるオークション会場に来ていた。 

 

 にこやかな笑い声が響く会場。

 笑顔という仮面を被り、マフィア組織の幹部達が何気ない談笑で腹を探り合う中、サクラの周囲だけは穴が空いたかのように人気が無かった。

 

 周囲から聞こえてくる情報は、最近の麻薬取引状況、警察との協定の動き、どこのマフィア組織が勢力図を伸ばしてきているか、どこのマフィア組織が落ち目か等々、サクラからすれば余り興味のない話ばかり。

 会話しても苦痛でしかなかった。

 ……きっと、その筈である。

 

 それに……それは、護衛としては都合が良い。

 

 そう思い直し、会場のワインや食事から黒コートの下で隠を施した両腰の4本刀、護衛の役割に意識を傾けたサクラは、距離を置いた場所で眠たげな瞳で会話を交わしているヴィットーリオを中心に周囲の気配を観察。

 ヴィットーリオに危険な視線を送っている人間を把握。

 後で伝えられるように、その危険そうな人間の顔を順番に記憶していった。

 

「間もなくオークションが始まります。移動をお願いいたします」

「分かった」

 

 恐る恐る近付き、サクラの顔色を窺うように言葉を紡ぐ、ヴィットーリオの専属護衛にサクラは小さく頷き——専属護衛の丁寧な先導により、サクラは社交場からオークションが行われる本場へと移動した。

 

 

 世界各国の裏社会の幹部達が静かに席につき、壇上の幕から現れた2mを超える大柄な男性と小柄な東洋系の男性の言葉を待っている。

 

「……敵」

「へえ……」

 

 視線の先を辿ったヴィットーリオは歯を剝き出しにして笑った。

 おどろおどろしい情念が透けて見える笑みに、普段のサクラなら引いていただろうが、今は少しも気にならない。

 壇上を歩く二人が纏う巧妙に隠された悪意と殺意に、サクラは周囲に違和感を持たれないよう自然な動作で刀の柄に手を添え、何時でも抜刀出来る臨戦態勢に入る。

 

「えー……みなさまようこそお集まり頂きました」

 

 マイクを通した小柄な東洋系の男の言葉に、会場の者達が姿勢を正し、顔を壇上へ向けた。

 

「それではかた苦しいあいさつは抜きにして」

 

 東洋系の男の背後に黙して立っていた2mを超える大柄な男が、両手を突き出し、指先が外れた。

 銃口のようにぽっかり穴が空いた5指から伸びた鎖に繋げられたまるで玩具のように第一関節から外れた指先に、会場中の人間の思考が停止した。

 

「くたばりな‼」 

 

 壇上に立つ大柄な男の銃口のような指から念弾がマシンガンのように放たれた。

 何十人という人体をミンチに変え、会場の壁の向こうに消えていく念弾の嵐。

 余りの威力に、吹き飛び、破砕して飛び散った人体パーツが、血と臓物の雨となり、バラバラと会場に降り注いでいく。

 

 

 不味い。

 壇上の大柄な男に指先を向けられた瞬間、【小烏丸】の能力を発動、3mの大鴉をヴィットーリオと自分の即席の盾として具現化したサクラは、既に手を添えていた刀、【村雨】を抜刀。

 抜刀した勢いを利用し、クルリと刀を回転させ、逆手に持ち替え、床に突き立てた。

 

「——ッ!」

 

 サクラが流れるようにオーラを込めると同時に、【村雨】の刀身から放たれた無秩序な斬撃が床を切り刻み、崩壊する床と共に落下するサクラとヴィットーリオに対し、【小烏丸】は空中で翼を広げ、飛行。

 サクラを背中に乗せ、ヴィットーリオを嘴でつかみ取り、オークションの本場から一つ下の階層の狭い通路を低空飛行で駆け抜け、外に繋がる分厚いコンクリートの壁に向かい直進していく。

 

「おわああああああッ‼」  

 

 急激に変わる風景。

 近づく分厚い壁に、喜悦を滲ませ、悲鳴をあげるヴィットーリオ。

 その声を聞きながら、サクラは【小烏丸】の安定しない背中で泰然と刀を構え、まだ距離のある壁に向かい、横薙ぎの斬撃を放つ。

 【村雨】の刀身から放たれる、空気を震わせる暴力的な波。

 緻密に束ねられた衝撃波の斬撃が、壁を切り裂き、その力を周囲に拡散し、無秩序に広がる無数の衝撃波の斬撃が壁を粉々に切り刻み、瓦礫を粉砕。

 

 粉々に砕かれた粉塵が大気舞い散る中を黒翼が突っ切り、摩天楼のようにビルがそびえ立つヨークシンの空へ舞い上がった。その刹那、【小烏丸】を追い、ビルの窓ガラスを貫き、雨嵐のように飛来する念弾の嵐。

 それらの攻撃を迎撃すべく、サクラは【小烏丸】の背中から飛び降り、地表から百メートル以上離れた天空に身を躍らせた。

 

 【村雨】の刀身から放たれる衝撃波を推進力として利用する事で、空中で風に舞う木の葉のように舞いながら、サクラは念弾の挙動を正確に見切り、捉え、避けられないものだけを斬り裂いてゆく。

 一つ。たった一つの念弾でも、まともに当たれば、体勢を大きく崩し、次弾の弾幕が数の暴力に任せ、サクラの身体を木端微塵に消し飛ばすだろう。

 だが……いや、だからこそ、サクラは全く動揺を見せない。

 恐怖も絶望も圧縮された時間の彼方に置き去りにして、足場のない空中での体捌きをより高次元のものへと洗練させていく。

 

「——ッ!」

 

 迫りくる怒涛の念弾を打ち破るべく、サクラは【村雨】から衝撃波の斬撃を放ち念弾の豪雨を両断。

 衝撃波の斬撃が作りあげた即興の間隙に身を捻じ込ませ、さらに次の斬撃で間隙を作り出す事で念弾の豪雨を突破していく。

 そうして幾百、幾千、幾万もの念弾の雨を強引に駆け抜け、窓ガラスを突き破り、コンクリートの床を踏み砕きながら着地した怪物(サクラ)を見て、獣の毛皮の服を身に纏う、ライオンを彷彿とさせる風貌の巨漢——ウボォーギンは犬歯を剥き出しにして愉しそうに笑った。

 

 

「ようやく歯応えがありそうな奴が出て来たか」

 

 ウボォーギンは既に粗方の情報を聞き出したホテルの従業員の女の首を片手で絞め、力を込めた。

 パキリと乾いた音が響き、首から胴がもげ落ち、ウボォーギンの足元に地面に苦悶の表情を浮かべた女の首が転がった。

 言葉もなく感情すら見せず、ただ自堕落に刀を持つサクラの姿に、ウボォーギンの背筋に悪寒が走る。

 

「構えねえのか?」

「……必要ない」

 

 そう言うサクラを試すようにウボォーギンは床に落ちた女の首を無造作に蹴り上げた。

 技も何もなく、ただ純粋なウボォーギンの脚力によって砲弾の如く弾き飛ばされた首は、その形を崩壊させ、血や骨をまき散らしながらサクラに飛来するが、サクラの一閃と共に放たれた衝撃波に首や細かい骨は柔らかく軌道を逸らされ、ガラスをたたき割り、暗い空の向こうへその無惨な姿を消失させた。

 

 余りの速度に捉えきれず、ほとんど掠れて見えなかったサクラの斬撃に、ウボォーギンはヒューと口笛を吹いて、やるねえ、と余裕の笑みを零し、その巨躯から膨大なオーラを迸らせた。

 

 広がる知覚。より強靭に強化される身体能力。

 身を包む万能感に酔うウボォーギンに、サクラは何とも軽い足取りで歩み寄る。

 まるで雲の上を歩くような、ウボォーギンの隙に滑り込む玄妙な足さばきに、ウボォーギンの反応は一瞬遅れた。

 気が付いた時には、もうサクラの間合いで——肌が粟立つような寒気がウボォーギンの高揚感を磨り潰し、本能がその巨躯を背後に全力で跳び退かせた。

 そうしなければ、死ぬ。そう悟った本能が、驚いているウボォーギンの理性と思考を放棄。反射神経の為すがままに身を預け、今の状況において最適な行動を最速で為し、跳び退らせた。

 コンマ一秒前までウボォーギンがいた空間を、白光が縦一文字に駆け抜けたその刹那、ウボォーギンの全身を衝撃が蹂躙。

 視界が白光で染まった思うと、幾つもの壁や床をぶち抜き、分厚い柱に身をめり込ませた。

 

 閃光のような斬線が空を断ち切り、【村雨】の刀身に込められていた衝撃波の斬撃が周囲に拡散、そこから生まれた熱量が大気を焼き焦がし、周囲に展開。断裂、粉砕、焼滅の連鎖はとどまることなく大気を引き裂いてウボォーギンの巨躯を吞み込み、蹂躙した。

 そして、破壊の衝撃と光を泡のように広げ、弾け、その余波を周囲にまき散らし、ウボォーギンの巨躯を紙切れのように吹き飛ばしたのである。

 

 しかし、視界を白光で焼かれていたウボォーギンからすれば一体何が起こったのか、——まるで分からない。

 

「——ッ!ってえー!」

 

 身体の芯から響く今まで感じたことがない痛みに、ウボォーギンは眉をしかめた。

 油断した。憮然とした顔でウボォーギンは心の中で呟いた。

 回復したウボォーギンの眼に急速に大きさを増してゆく黒い影。

 ウボォーギン目掛け落下するサクラの姿に、ウボォーギンは、今まで5割程度に手加減していたオーラを全力で纏い、肉体を強化。

 めり込んでいた柱から抜け出し、その身の筋力で柱を力づくでへし折ると、一筋の彗星と化して強襲するサクラ目掛け、棒切れのようにぶん回した。

 

 旋風を巻き起こし、空間を薙ぎ飛ばすウボォーギンの攻撃に、サクラは【村雨】の衝撃波により軌道を変更するだけで対応、軽妙な足さばきで、ぶん回される石柱の上を駆け抜けた。

 石柱を伝い、距離を詰めるサクラの姿に、何か考えるよりも前に本能に導かれるままに動いた肉体が、ウボォーギンの脚が、柱を蹴り飛ばした。

 その刹那、柱を蹴り飛ばす直前に放たれたサクラの斬撃が、ウボォーギンの首元を掠め、首の薄皮に裂傷を走らせた。

 

 半歩。

 後、半歩サクラの足が踏み込んでいれば、

 もしくは、少しでも蹴りが遅れていれば、

 ……今頃、ウボォーギンの首は、地面に転がっていただろう。

 

 高速回転して吹き飛ぶ石柱の上から軽々と飛び降り、地に降り立つサクラ。

 その一つの動作でさえ、翼をはためかせるような優雅さで、

 

 ——その身には傷一つなかった。

 

 だというのに、ウボォーギンの口元は楽しそうに歪ませる。 

 

「はははははははッ‼」

 

 滾る心の闘志。

 その想いに呼応するが如く、ウボォーギンの身を包むオーラはより強く、より強大に変貌していく。

 

 ——ただ強く、何処までも強く。

 

 その言葉を体現するようにウボォーギンのオーラを滾らせた脚は容易く床を爆砕し、並の念能力者を軽く超越した速度でその巨躯を加速させる。

 

 ウボォーギンの急激な変化にサクラは目を見開くも、驚いている暇はない。

 その巨躯に似合わぬ残像を残す勢いで高速移動するウボォーギンはもはやサクラの眼前にまで距離を詰めていた。

 既に間合いに入っているその巨躯を迎撃するべくサクラは【村雨】に全力でオーラを叩き込み、斬撃を放つが——

 ウボォーギンの筋肉が脈動。

 勘と本能に身を任せた拳がサクラの斬撃と激突した。

 【村雨】の纏う衝撃波がウボォーギンの拳の威力を減衰させ、刀身から身を伝う衝撃をサクラは超人的な身体操作で地面に受け流す。

 

 サクラの身体から受け流されたエネルギーによって床や壁が連鎖的に破壊されていくビル。

 

 足場の崩壊により、サクラとウボォーギンの身体は宙を舞うことになるが、刃と拳の激突は止まらない。

 【村雨】の刀身から放たれた衝撃波によりロケット噴射の如く加速したサクラの剛刀がウボォーギンの突きや蹴りの連打を辛くも捌き——衝突の余波が下の階層の床や壁を破壊し、ビルそのものを震撼させながら崩落へと追い込んでゆく。

 

「さっきまでの余裕はどうしたッ‼もしかして、もう種切れなのか? なら——ッ!」

 

 肉体を震わせる振動、急激に鈍る動きにウボォーギンはようやく自身の肉体の異変に気が付いた。

 

 ——人体とはその殆どが水で作られている。故に、ある種の振動は人体に容易く波紋を生み、肉体を内側から破壊する。

 

 わざわざ真正面からウボォーギンの拳打を受け流していたのは、拳打を受け流す度にウボォーギンの肉体に波を生む衝撃波を直接打ち込んで行くため。 

 さらに、一度ウボォーギンの肉体に流し込んだ衝撃波は消えることなく、ウボォーギンの体内に留まり、次に打ち込まれた衝撃波とその力を相乗的に増幅させる事で、サクラはウボォーギンの強靭な肉体に異変を起こすレベルまでその波の力を昇華させたのである。

 

「ウオオオオオオォォォ——ッ!」

 

 肉体が内側から裂け、血しぶきをあげて隙を晒すその巨躯に、サクラが銀閃を閃かせたその瞬間、ウボォーギンは咆哮をあげ、自身の拳に膨大なオーラを収束。

 その拳で自身の胸を撃ち抜き、背後に自身の身体を飛ばす事でサクラの斬撃を回避すると同時に、体内を破壊しようとしていた衝撃波を強引に相殺。

 壁を幾つもぶち抜き、ボールのように回転しながら床を何度もバウンドし、外に繋がる分厚い扉に衝突、まるで蜘蛛の巣のようなひび割れを壁に作り、その勢いを停止させ、崩れゆく瓦礫の山の中にその姿を消した。

 

 自滅した……? ……いや、気配は健在…生きてる…。

 内心啞然としながら今にも崩れそうな床に着地したサクラの視線の先で、瓦礫の山が爆発する。

 飛び散る瓦礫の山から姿を現したウボォーギンはその口から垂れる血反吐を手の甲で鬱陶しげに拭い、壮絶な笑みを浮かべる。

 

「マジで死ぬかと思ったぜ」

 

 軽口を叩くウボォーギンを前に、サクラが両手に握りしめていた【村雨】の柄から左手を外し、左腰から【貧者の薔薇(ガンマレイ)】を抜刀した刹那——

 

 苦戦するウボォーギンを見かねたのだろう。

 ボロボロになり、いつ崩壊しても可笑しくない上階から指先が銃口のようになっている大男、フランクリンと細身の東洋系の男、フェイタン、首元にロザリオをかけた女、シズクがサクラを囲む位置取りでひび割れだらけの床に降り立った。

 

「随分ボロボロにされたね」

「大丈夫?」

 

 血塗れのウボォーギンにフェイタンは嘲笑うように言い、具現化した吸い込み口に鋭い牙がゾロリと生えた掃除機を片手にシズクは心配そうな視線をウボォーギンに向ける。

 

「問題ねえよ。この程度の傷なら半日もすれば治るだろ」

 

 余裕の笑みを浮かべながらもウボォーギンの視線は決してサクラから離れない。

 そして、それはフランクリンも同様。

 サクラから視線を外し、ウボォーギンに話しかける二人とは違い、フランクリンはその銃口のような両指をサクラに向けたまま、口を開こうとしなかった。

 

 ふと、自然な、慣れ切った動作でフランクリンの指先と腕に力が籠る。

 念弾の反動を受け止める為の反射的な筋肉の動き。

 念弾を発射する僅かな予備動作を明確に察知したサクラは、一閃と共に【村雨】の中で凝縮されていた衝撃波を解放した。

 放たれた斬撃、衝撃波が収束され形作られたそれは、刀身から解き放たれたとほぼ同時に、無数に分化。

 放射状に広がり、無秩序に空間を引き裂く衝撃波の斬撃に、攻撃に思考を傾けていたフランクリンは身構える事すら出来ず、斬撃の嵐に飲み込まれ、——赤い血飛沫が散った。

 

 フランクリンの動きを察知し、連携を取ろうとしていたシズクやフェイタンは、連携を初動から潰すサクラの動きに不意を打たれた。

 

 生じる刹那の隙。

 向けられていた殺意が嵐の前の凪のように搔き消え、彼らの動きの鋭さを僅かに鈍化させた一瞬、サクラは何気ない一歩でフェイタンとの距離を潰した。

 

 直後、動揺するフェイタンへ構えられた黄金光を纏う切っ先。

 

 フェイタンは重心を後方に傾け、何とか回避せんと試みるが……黄金の刃はフェイタンの腹を浅く刺し貫いた。

 流。オーラを集中し、突き刺さらんとする刃の動きを鈍らせ、貫通するよりも前に後方に退避する事で生命活動に必要な臓器を守ろうとしたのだろう。

 

 だが……それすら読み通りだとすれば?

 

 切っ先がフェイタンの腹を浅く刺し貫くやいなや、【貧者の薔薇(ガンマレイ)】の切っ先から放たれた黄金の閃光がフェイタンの腹を穿ち、貫通する。

 さらに捻られる柄、垂直に突き立てられていた刃を水平へ傾けられ、閃光が臓腑を抉り取り――横に薙ぎ払われる黄金の刃、付随する閃光がバックステップで後退するフェイタンの腹を一文字に焼き切った。

 傷口から滝のように溢れ出す鮮血。

 浸透する黄金の光は身体を循環する血液の流れに乗り、全身の細胞を泡のように破壊していく。

 急激に減少するオーラ。身を焼く激痛と致命的な負傷が、フェイタンに膝を突かせ、戦闘不可能な状態へ貶め――次瞬、背後から高速で飛来する念弾に、サクラは舞うように回避した。

 

 身体中を切り開かれながらも、臓腑だけは守り何とか生きていたフランクリンが、腹から飛び出そうになる内臓をズタボロの手で押さえ、フェイタンを助ける為に、片手を回避するサクラに向け、必死で念弾を放っていく中――、

 

「ハハハハハはは‼ 最高のタイミングだッ‼」

 

 ウボォーギンが天井を蹴り、縦回転して勢いをつけ、莫大なオーラを集中した豪脚を天から地に叩きつけるようにサクラに振り下ろした。

 

 タイミング、速度を考えても回避は不可能。

 念弾が放たれている限り、脚を鈍らせる受け流しや鍔迫り合いは悪手でしかなく、取れる対応も限られてくる。

 

「——ッ!」

 

 サクラはウボォーギンの蹴りを右刀、【村雨】で受け止めると同時に、身体を地上へ弾き飛ばし――相手の蹴りの力で、間合いを取ったサクラは隕石のように地に落下。

 幾つかの床を突き破り、深いクレーターを作り、脚を地面にめり込ませながら着地する。

 

 ぶらりと力なく、垂れ下がる右腕。

 ウボォーギンの剛力を柳のように受け流す為に自分で外した指、肘、肩の関節をサクラは筋を使い、一息で元の正確な位置に嵌め込むと、人差し指と小指で【貧者の薔薇(ガンマレイ)】の柄を軽く握りしめる。

 

 痺れる手足。

 呼吸する度に走る内臓の痛み。

 だが、敵が回復を待ってくれるはずがなく……濛々と舞う塵と砂埃の奥から突き刺さる複数の殺意にサクラは悠然と刀を構えた。 

 

 

 




【村雨】 具現化系
 村を切り裂き、雨のように降らせた事から村雨という銘が付いた物騒な刀。

 サクラがハンター資格を手に入れてから入手した刀身80㎝ほどの刀。
 刀身から剣気(衝撃波)を発生させる。
 発生させた衝撃波はある程度の操作する事やどっかの騎士王の魔力放出のように斬撃の速度や威力を向上させる事が可能。


 
 ヴィットーリオ
 護衛対象の為、真っ先に戦場から除外された悲しきドM。


 ウボォーギン
 脳筋。
 脳筋とは、全身の筋肉が脳の役割を果たす為、とても賢い人類として知られている。
 また、戦闘においても筋肉が勝手に判断して対応してくれるので、大幅に有利に働く。
 ――勿論、全て嘘である。


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11話

「気配から可能性だけは考えていたけどよ……やっぱ師匠だったか」

 

 濛々と舞う塵の中から響く聞き覚えのある声。

 姿を現す見覚えのあるちょんまげとピンク色の髪。

 悠々と歩くノブナガとその後ろで巧みに気配を消して立っているマチ。

 上階からウボォーギンが床を受け身も取らず粉砕しながら豪快に着地した瞬間、サクラの足元から無数の気配が襲い掛かる。

 

 床を貫き、サクラを中心に円で囲むように出現する10の念糸。

 円を収縮するように迫る全方位からのほぼ同時攻撃。

 そう、ほぼ、である。同時攻撃にも見える糸の攻撃には、刹那とも言える隙間が存在していた。

 その刹那の連撃の隙間を感覚で読み抜き、サクラは【村雨】を閃かせる。 

 

 

 ぶれ、消えるサクラの右腕と刀。

 視界を駆ける不可視の何かと白い光。

 それがサクラの斬撃だと認識出来たのは、オーラを変化させて作られたマチの念糸が周を使った時と同じように、オーラでものを感じとる事が出来るからであり、念糸から凄まじく鋭いもので斬られた感覚が伝わってきたからである。

 また、白い光の正体は念能力に関するものではなく、余りに鋭く速いサクラの斬撃が大気と擦過によって生じた摩擦発光現象であると、マチは冷静に分析していく。

 しかし、分析に思考を割いていたが故に、マチが念糸を伝い、何かが駆け抜けていった事を知覚した時には、――両指があらぬ方向に捻じ曲げられ、ズタズタに引き裂かれた皮膚から折れた白い骨が突きだしていた。

 

 

 切り刻んだ糸で覆われる視界。

 腕から血を垂れ流して背後に下がるマチの動きをオーラの気配で認識しながら、ウボォーギンの拳の一撃を右刀で受け流し、その拳の力を盗み、左刀に乗せノブナガの一閃を打ち払い、次なるウボォーギンの蹴りを左刀の反動を利用して勢いを得た右刀で迎撃。同時に【村雨】から衝撃波を放ち、牽制しているように見せかけながら一部の床の耐久力を蝕み、即興の落とし穴を形成する。 

 

「な——ッ‼」

 

 踏み込んだノブナガの足が先ほどまで問題無かったはずの床を踏み砕き——姿勢が揺らいだ事により、ノブナガの一閃から鋭さが消える。

 そして、そんな一閃がサクラに届くはずがなく、刀で迎撃すらせずに半歩足を動かすだけで一閃は虚空を切断した。

 

 渾身の一閃が空を斬る事によって生まれたノブナガの致命的な隙。そこへ当然のようにサクラの光刃が振り下ろされるが、ノブナガは一瞬の判断で振り下しの反動を利用、上体を深く沈ませ、被害を右肩を浅く裂かれる程度で済ませ、さらに前へ踏み込み、刃を切り上げた。

 床を削り、火花を散らしながら迸る極低空からの斬撃は、サクラの蹴りと激突し、……甲高い金属音を鳴らしながらサクラの靴底に受け止められた。

 

 何故、靴がノブナガの斬撃を受け止められたのか。

 その答えは、切り裂かれた靴底から覗く鈍い鋼色の刃が全てを示していた。

 

 サクラが靴底に仕込んでいた刀の刃。

 その刃にノブナガの斬撃は受け取られたのである。

 片足一本で。

 実に涼しげな表情でサクラはノブナガの斬撃を受け止めていた。  

 

 確かにノブナガの膂力はサクラに勝っていた。

 しかし、サクラの念【無限の剣製】による具現化した剣の制動操作とサクラ自身の膂力、そして、操作に特化した能力を持つ靴底に隠されていた刃【祢々切丸】の力を合わせた場合、サクラの力はノブナガの膂力など軽く上回る事を、ノブナガは知らなかった。

 

 晒されたノブナガの首元を狙い、まるで罪人を裁く断頭台のギロチンのように振り下ろされる光の刃。

 鋭く、速く、疾く、大気を燃やすほど速く振るわれた光刃をウボォーギンのオーラを収束させた拳が迎え撃つ。

 

 周囲に吹き散らされる颶風と衝撃波。

 拮抗する剛拳と光の刃。

 だが、少しずつ、【貧者の薔薇(ガンマレイ)】がウボォーギンの拳を焼き斬り、肉と骨を切り進み、――横薙ぎに振るわれた【村雨】がウボォーギンの腕を両断。

 

 足元で床を蹴り、一度下がろうとするノブナガ。

 その動きを察知したサクラは刀を踏みつけ、封じようとするが、ノブナガが刀に込めていたオーラを弱め、刀をわざとサクラに叩き折らせる事で背後に下がり、体勢を立て直す。

 

 突如、裂ける大気。

 身に迫る何か。

 隠が施されたマチの糸を大気の揺らめきで認識したサクラは【貧者の薔薇(ガンマレイ)】を振るい切断。

 踏み込み追撃の一撃を放とうとするが、ウボォーギンは一足でサクラの間合いから離れ、ノブナガの横まで下がり、ノブナガが刀を構えてサクラの動きを牽制する。

 

「……すまん」

「何がだ? もし、左腕の事を言ってるなら、これは俺のせいだぜ。気にするな」

 

 切断されたウボォーギンの左腕を見て、苦い表情を浮かべるノブナガに、ウボォーギンは余裕の笑みを見せた。

 

「それよりもだ。あのピカピカ光ってる左の刀、結構ヤバいぜ」

「ああ、掠っただけだっていうのに、全身灼けるような痛みが走ってるからな。俺の場合、まともに喰らえば一発でお陀仏だろうな」 

 

 だらりと垂れ下がり、力がまるで入らない右腕に、ノブナガは右腕一本で構えていた刀を両手持ちに持ち替えた。その瞬間、まるで火山が噴火したようにノブナガの纏うオーラが爆発的に増大していく。

 この世ではない何処かを見つめているかのように消えていくノブナガの瞳の光。

 吐いた吐息から漏れる血の混じった赤色の蒸気。

 制御しきれない余りの力にひび割れ崩壊していくノブナガの足元の床。

 そして、ノブナガが足を踏みしめた瞬間、サクラの視界からその姿が消えた。

 

 辛うじて捉えられたノブナガの筋肉に動き、視線、呼吸。

 踏みしめた時に生じた轟音から斬撃の軌道を逆算し、衝撃波を推進力に替える事で、辛くもノブナガの振り上げを【村雨】で迎撃する。

 ミシミシと悲鳴をあげる筋骨。

 踏みしめていた床から強引に引っこ抜かれ、上階に吹き飛ばされる肉体。

 上階の天井を破壊しながら流れていく景色。 

 轟音と共に動く人の気配に、サクラは両刀、両腰に納められた2本の刀、靴底に隠していた刀の制動を操作することで、勢いを緩め、靴底の刀を踏みしめる地の代用品とする事で、目の前の虚空に突然姿を現したノブナガの振り下しの斬撃をギリギリ【村雨】で受け止め、——右刀、【村雨】から指、手首、腕、肩へ伝わる莫大な運動エネルギーをサクラは体内で制御、循環させ、そのエネルギーを加え、爆発的に加速した左刀の斬撃を放つ。

 

 衝突する刃と刃。

 爆発する衝撃と高熱がノブナガの頬を叩き、——乾いた金属音を奏で、サクラの光刃がへし折れ、黄金の光を纏った刃の破片達が飛び散る。

 その全てがノブナガへ飛び散るが——

 

「おおおおおおおオオオオッ‼」

 

 ノブナガは咆哮と共にその破片の全てを視認し、軌道を読み切り、全力でオーラを放出し、肉体の挙動をさらに加速させる事でいずれの破片も悉く打ち払い、靴底の隠し刃に乗るように空を翔けるサクラに追いすがる。

 

 ——激突。

 

 ノブナガの刀から放出される斬撃の性質を有したオーラを紙一重で避け、馬鹿みたいな圧力と速度で放たれる斬撃を最小限の力で打ち払い、捌き、時には肘打ち、蹴り、膝蹴りを用いて巧みに剣閃を逸らしていく。

 先人たちの実戦の中で培われた邪道とも言える技術。それらを惜しみなく駆使しながら、サクラはノブナガの剣閃に食い下がる。

 剣閃を逸らす度に響く、手足がもげそうになるほどの衝撃。

 身を蝕む激痛はすぐに消え去るが、手足の感覚まで消失していく。

 

 加速するノブナガの動き。

 制御しきれていなかった超人的な力。

 体内から湯水の如く湧きあがらせ、大気に霧散させていたオーラをノブナガはサクラとの戦闘の中で掌握していく。

 

 そして、——遂に跳ね除けられる【村雨】の刃。

 身を両断せんとする斬撃に対し、もはやサクラの肉体の反応は間に合わない。

 それを理解しているノブナガはきっと勝利を確信しているだろう。

 

 だからこそ、サクラは左腰の一振りの刀にオーラを収束させた。

 

 発動する刀の能力。

 発生する陰陽極、磁気。

 

 ——【雷切(レールガン)

 

 次の瞬間、抜刀される左腰の一振りの刀に、ノブナガは身構える間もなく、ビルの壁全てを貫通し、町中の道路の中心に吹き飛ばされていた。

 

「うぐぅ…」 

 

 脇に、打ち付けられた背中に焼けるような痛みが走り、酸素を取り入れた肺から激痛が駆け抜ける。

 刻まれた腹から臓腑が零れ落ちそうになり、口から血反吐が溢れ出す。

 叩き斬られ、さらに短くなった刀を骨折した両腕で握り締め、ノブナガは立ち上がる。

 内臓が零れ出ないよう腹を刻まれた裂傷を治癒能力を強化する事で塞ぎ止め、折れた両腕の骨を膨大なオーラを消費して繋ぎ合わせ、サクラの襲撃に備えるが、——追撃はなかった。

 

 

 【雷切(レールガン)】の鞘と刀には、磁石に似た性質を付与されている。

 磁石の性質であるS極とN極を自在に切り替えることで吸着と反発を操作でき、磁力の強さは刀に流すオーラの量により変化する。

 

 抜刀の際に吸着の力を用い、デコピンにように鞘に力を溜める事で抜刀時の刀の速度を加速させ、抜刀時に同極に切り替え、磁力の反発力でさらに斬撃を加速させる。

 それがこの刀の本来の運用方法である。 

 

 サクラのオーラを介さない肉体的素養はキルアやゴンなどといった天才と比べれば低い。

 確かに、一般人から見れば、サクラの肉体的スペックは高い。化物のように。

 【黒のコート(バブレバヤーン)】の能力で強化再生を何度も繰り返し、上限を何度も突破したからこそのものなのだから当然だろう。

 しかし、それでもなお、【雷切(レ ールガン)】を全開で用いれば、サクラの肉体はその反動に耐え切れない。

 仮に全力を用いた場合、抜刀した腕は引きちぎれ、刀は何処か訳の分からない場所にすっ飛んでいくだろう。

 

 サクラのオーラ量で発揮する【雷切(レールガン)】の全開に、サクラの肉体がついていけないのである。

 

 なら、肉体で抜刀術を行うという部分を念の操作で補えれば——念の操作で【雷切(レールガン)】の動きを操り、抜刀する事が出来れば、肉体は反動を受けないのではないだろうか?

 

 

 ——【雷切(レールガン)

 

 オーラの操作で抜刀された白刃は、大気を燃やす勢いで弧の斬線を描き、ノブナガの斬撃と衝突した瞬間、ノブナガが、幻のように掻き消える。

 次々と壊れていくビルの壁や床、凄まじい速度で遠ざかっていくノブナガの気配で、サクラはノブナガが吹き飛んでいった事を認識した。

 

 赤熱化した【雷切(レールガン)】の刀身がガラスのように叩き割れ、大気に舞う花弁のように散っていく。

 遅れて、まるで巨大な刃に一刀両断された事に今頃気付いたかのように、ビルそのものが斜めにズレ、地に崩れ落ちていく。

  

 その瞬間、背後で大気が揺らめいた。

 背筋を走る死の予感。

 

 叩き割れ、空を舞う【雷切(レールガン)】の破片。

 その一つに、サクラの背後で、歪んだ笑みを浮かべるウボォーギンの姿が映り込んでいることに気が付いた瞬間、

 ――横腹を衝撃が突き抜けた。

 

「がっ――ッ」

 

 吹き飛ぶ景色、まるで流星群のように流れていく星々。

 ビルの壁全てを貫通し、まるで流星のように町中に落下する肉体を、サクラは他人事のように認識していた。

 

 へし折れ、肺や臓器に突き刺さった肋骨。

 ミンチのように潰れた五臓六腑。

 感覚が消失した肉体に、【黒のコート(バブレバヤーン)】が膨大なオーラを消費しながら叩き折れた骨を正常な位置に繋ぎ直し、千切れた筋線維や潰れた臓腑を再生していく。

 

「——ッ!」

 

 道路に剛速球で打ち付けられ、へし折れる背骨。

 再生し終えた事で正常に動き始めた痛覚が、激痛を呼び込み、サクラの意識を現実に引っ張り出す。

 

 トラックのコンテナに衝突してもなお、勢いを緩めずに吹き飛んでいく景色。 

 全身がバラバラに飛び散ってしまいそうなほどの衝撃に、視界が赤く染まり、喉元から血反吐が込み上げてくる。

 

 加速する思考の中、サクラは先ほどの衝撃でへし折れた右腕を無理矢理動かし、何とか右腰の刀、【紅桜】の鯉口を切り、その白刃を覗かせる。

 瞬間、白刃から溢れだした赤黒い水、血液がまるで生き物のようにサクラの肉体を包み込み、緩衝材とブレーキの役割を果たして吹き飛んでいく肉体の勢いを停止させた。   

 大気に漂う、むせ返りそうなほどの血の香りに眉をひそめそうになりながら、サクラは【紅桜】を自分の心臓に突き立てた。

 

 貫通し、心臓を穿つ白刃は、血液を吸収した直後サクラの体内に戻され、血管を通して肉体の隅々にまで循環、行き渡り、――それら全ての制動をサクラは【紅桜】を介して念操作の制御下に置いていく。

 急激に加速する血流の流れ。

 その流れに耐えきれず、弾ける毛細血管。

 皮膚下で蠢く血液が、千切れた筋繊維や折れた骨を繋ぎ止めていく。

 

 サクラの体から放たれるオーラが、まるで羽ばたく寸前の翼のような優雅な線を空中に描きながら心臓を穿つ【紅桜】へと収束し、――身体を包み込んでいた血液に波紋が生まれ、その形を波打たせながら2m以上の鬼の面を被った鎧武者に変貌していく。

 

 胸から引き抜かれる【紅桜】の白刃。

 その刀身から赤い血が溢れだし、2m以上の大太刀を形成した瞬間、サクラは一筋の赤い雷光のように駆け出し、撤退するべくヨークシンの郊外へその身を弾丸のように加速させた。

 

 

 肉体の反能速度には限界が存在する。

 オーラの強化によってある程度反応速度を速めることも出来る。

 だが、サクラは強化系と相性が最も悪い特質系である。

 

 戦闘中、脳のリミッターを外し、処理速度を加速させているサクラからすれば、肉体の反応速度は酷く鈍いのである。  

 

 故に、脳から放たれる電気信号を介さず、思考によって肉体を操作出来るようになった現在のサクラは、これまでとは別次元の速度で、高層ビルの壁を蹴り、ヨークシンの町中を跳んでいく。

 限界以上まで稼働される筋線維は血のコーティングによって補強され、決して引き千切れない。

 固体と流体の狭間を行き来する赤い鬼面の鎧は、サクラの動きを阻害せず、地を蹴った際に生じる脚が自壊し兼ねない衝撃を代わりに受け止め、パワードスーツのようにサクラの身体能力を飛躍させる役割を果たしていた。 

 

 ビルの前に着地したサクラの首筋を鋭い斬気が薙ぐ。

 その気配をビルの壁の向こう側から感じた瞬間、巨大な三日月形のオーラの斬撃がビルの壁を斬り飛ばした。

 直前まで全く感じられなかった不意の一撃は、辛くも反応したサクラの【紅桜】の刀身に受け流され、遥か遠くにあったビルやマンションなどの高層建築物を切断して空の向こうへと消失する。

 

 切断され、傾いていくビルの壁ごとサクラを切り裂かんとするノブナガの無数の斬撃の対処に、サクラは全神経を知覚に動員。

 余分な情報である色彩などの情報を視界から排除。

 脳の処理速度をさらに加速させ、サクラの受け流しの隙を突き、振るわれる不可視の斬撃を迎撃する。

 

 見えない刃の錯綜。

 闇夜に咲き乱れる火花。

 

 ノブナガのこれまでの技、成長、経験、力。それら全ての情報から斬撃の軌道を逆算。

 未来予知染みた先読みをもって、サクラはノブナガの斬撃を最小限の力で打ち払っていく。

 

 突然、崩壊するアスファルト。

 弾け飛ぶ民家やマンション、車両の窓ガラス。 

 何処かで事故が起こったのか、爆発音が響き、街から黒い煙が立ち昇り始めた。

 

 弾ける空気。

 巻き起こる旋風。

 視界を駆ける黒い人影。

 

 残像すら捉えられない疾き太刀筋をサクラは上体を倒すように踏み込む事で、避け、一閃を放つ。

 断ち割られるサクラの背後にあった民家が、旋風に煽られ、その形を崩壊させながら、空に舞いあげられていく。

 

 幾つにもブレるノブナガの姿。

 返しの一刀がサクラの太刀を弾き、追撃の太刀が放たれるが、——慣性を無視した肉体では有り得ない動きで、サクラは追撃の太刀に対応。

 受け流す。いずれの必殺を秘めた太刀もサクラの遅速弱剣が、受け流し、打ち払う。

 

 無駄なき遅速をもって速きを制し、弱をもって剛を制す。  

 確かに、ノブナガの動きはサクラよりも遥かに速い。

 だが、ノブナガに限定すれば、未来予知レベルの先読みが行えるサクラの動きには一切の無駄が省かれている。

 振るわれる太刀は全てノブナガの斬撃を弾く最適解の軌道を描き、ノブナガの太刀の悉くを迎撃していく。  

 視界に走る不可視の斬撃の正体。

 それが殆ど刃のない刀の柄から伸びる刀状のオーラであることや伸縮自在であることなどをサクラは識っていた。  

 

 ノブナガの剣戟を交わす度に、【紅桜】の刀身を通して、腕に流れる衝撃。

 それらはサクラの肉体を傷付ける事なく、体内を流れる血液と鎧を通して一回り循環し、【紅桜】の刀身に伝播。

 【紅桜】の攻撃力と速度を爆発的に高め、ノブナガの斬撃と刃を交えていく。  

 

 天を占める大質量の物質。

 ノブナガの切り裂いたビルがサクラとノブナガに崩落していくも、錯綜する刃の余波により一瞬で細切れに変化し、瓦礫となってヨークシンの街並みに降り注いでいく。

 

 圧倒的な膂力と速度。その力を制御する卓越した技量。

 一瞬にして間合いの遥か外に移動するノブナガに、サクラは決して追いすがれない。

 不味いと分かっていながらも、——追いつけない。

 

 

 大上段に構えられ、天高く掲げられるノブナガの刀。

 空へ版図を急激に広げ、天に昇る柱に姿を変えるオーラの刃。

 

 天を穿つオーラの圧力。 

 振り下されるは、避けようも、受け流しようもない一撃。 

 これまでの小細工は通じない。

 だが、それを理解していながら、サクラは両脚で、足の指で、大地を捉え、掴み取り、泰然と刀を構え、

 

 

 ——サクラは、天から落ちてくる斬撃に、刃を振るった。

 

 

 全身を押し潰す未曽有の質量。

 それはサクラの鎧の小手を容易く粉砕。

 衝突の衝撃が吹き飛ぶ大気。

 サクラが大地に受け流したエネルギーが、大地を波打たせ、周囲にあった建造物は崩壊。

 圧に抗おうとした総身の筋肉が限界を超え、断裂。 

 肉体を支える骨がへし折れ、鎧がひびを入れて割れていく。

 粉砕した筋骨を鎧の一部が皮膚に浸食し、繋ぎ合わせていくが、繋がった端から引き千切れ、肉体は壊れていく。

 

 そして――

 

 町に刻み込まれる一文字の斬撃。

 切り拓かれた一筋の崖。

 その底でサクラの意識は目覚めた。

 どれほど意識が無かったのか、分からない。

 1秒か、1分か、……。

 真っ暗な視界、肌の感覚、香りから自身の居る場所を割り出し、念の操作で起き上がる。

 

 右肩から胸まで縦割りに切断されてはいるが、血は溢れ出ない。致命傷足りえもしない。

 もはや襤褸切れと化した黒コート。すぐ傍の地面に転がっている半ばから断ち切られた【紅桜】の刀身。それらがサクラの身を守ってくれたのだろう。

 

 サクラの意に従い、傷口から伸びる糸のような血液が、切断された肉体の断面を正確に繋ぎ直し、血液そのものが潰れた肺や臓器の代用品の役割を果たし、体内に酸素や栄養を巡らせ、サクラの身体を動かしていく。  

 

 切り立った崖から覗く夜空。

 煌めく星達の中に、一つの気球と気球から伸びた念糸に引きあげられる死にかけのノブナガを発見するが、今のサクラに戦闘の継続は不可能。

 生命を維持するので、精一杯の状態である。

 

 しかし、……どうやら彼らはサクラの存在に気付いていないらしい。

 その事実に気付き、サクラは安堵の吐息を漏らすも、緊張を緩めず、隠を用いて気配を消して、崖を背にするように座り込む。

 

 

 風に乗り、徐々に小さくなる気球の姿。

 その姿が地平線の向こうに消えるのを、息を潜め、見送った。

 

 

 それから数日。

 

 血液操作による自動操作で全身の身体機能を代用していたサクラは【黒のコート(バブレバヤーン)】を具現化。ある程度回復していたサクラのオーラを根こそぎ食い潰し、潰れた肺や臓器、断裂した全身の筋肉、複雑に叩き折れた骨などの全身の機能を強化再生した。

 結果的には、身体能力や肉体の頑強性が向上したが、こんな体験はもう御免である。

 

 暫く護衛は不可能と判断され、ホテルで療養に努めていたサクラに、ヴィットーリオが落ち込み、本当に暗い顔をしながら、幻影旅団が街から去った事を伝えてくれた。

 あれだけの戦闘だったのだ。親しい部下の1人や2人、死んだのかもしれない。

 だが、次の日に見舞いには、とても楽しそうに街の被害を報告してきたのだから、ヴィットーリオのことは本当によく分からない。

 急段な変化についていけないサクラはいつも通りヴィットーリオの言葉を適当に聞き流し、適当に頷き、適当に戦闘内容を伝え、さらに興奮するヴィットーリオをぞんざいにあしらった。 

 

 

 誰であれ人は、サクラのオーラと雰囲気に畏れを抱く。

 だが、ヴィットーリオは決してサクラを畏れない。

 寧ろ瞳を輝かせてサクラを見つめる始末である。

 けれど、そんなヴィットーリオだからこそ、サクラとの交友関係を続けられるのかもしれない。

 ふと、サクラは自分がらしくない想いを抱いていることに気付き、苦笑を浮かべ、夜空を見上げた。

 

 

 

 




 ノブナガ
 技の初動を見せた時点で平然と対応してくるサクラに対抗するべく念能力を作成。

 【鬼刃】 強化系×放出系
 自身の潜在オーラを3分間に圧縮し、放出する。(要はウルトラマンである)

〈制約〉
 刀の柄を両手で握る。
 カロリーをオーラに変化させ、貯蔵しておく。

〈誓約〉
 カロリー消費。
 使用したオーラは24時間回復しない。
 過剰な強化による肉体的負荷。(息を吐いただけで血が混じったのはこの誓約の一端である)

 これまで能力発動による緩急の法により、残像を作成。
 爆発的に上昇したノブナガの動きに相手が対応出来ないうちに殺害していたため、能力の制御が甘かった。
 しかし、サクラの死闘を切っ掛けに、積んできた鍛錬と才能が覚醒、急激に制御出来てなかった力を掌握し、パワーアップした。 

 イメージ元はキング・アーサー聖剣無双とウルトラマンである。


 【祢々切丸】 具現化系 死者の念
 全長約325cm、刃長216.7cmの大刀。
 所有者の意に従い、自在に動く。
 それだけの能力だが、動く速度、力、共に強力であり、単純に強い刀と言える。

 サクラが靴底に仕込んでいたのは、この刀を短刀サイズに構成し直したものである。 

 【紅桜】 具現化系
 刀身から生物の血液を吸収する。
 吸収した血液を刀身から放出する事も可能。
 
 作中で血液を操作していたのは、サクラの【無限の剣製】による、剣の制動操作である。
 【紅桜】に吸収された血液はサクラの操作能力の制御下に入る。
 その能力を利用して使用されたのが、血液操作である。


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