疾風迅雷 (袈裟固め)
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第0章.『前日譚』
01. 『プロローグ』


リューさんヒロインの小説を見たいが為に執筆してしまいました。
楽しんで書きますので、頑張って拝読頂ければ恐悦至極。





 ―――オラリオ。

 

 世界で唯一の迷宮(ダンジョン)が存在する、冒険者の集う都市。

 

 未知なるダンジョンへの挑戦。数多行き交う冒険者相手の交易。本来であれば、活気や希望に満ち溢れているはずの場所。

 

 しかし近年、この都市を覆っているモノはドス黒く渦巻く【闇】。詐欺、強盗、殺人……あらゆる犯罪が都市の日常と化していた。人々は安心して外を出歩けず、かと言って家の中も決して安全とは言い難い。そんな、暗黒時代。

 

 それでも、その【闇】を打ち払うために。その都市に【光】を取り戻すために、立ち上がる者たちはいた。

 

 【ロキ・ファミリア】に、【ガネーシャ・ファミリア】、【フレイヤ・ファミリア】。

 

 そして―――――

 

 

 

 ――――――【アストレア・ファミリア】。

 

 

 

 正義と秩序を司る女神、アストレアを主神とする正義の派閥。そのファミリアに属する冒険者たちは、ダンジョンの探索だけでなく、オラリオの秩序安寧にも尽力していた。

 

 仄暗い都市の現状を変えるために。

 

 これが、派閥(ファミリア)に属する団員共通の意思。無論、そのためには実力がないと話にならないため、派閥の冒険者は精鋭揃い。そして、その彼女達と"彼"の努力によって、この都市は少しずつ変わりつつあった。

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 最近、随分犯罪が少なくなった。比例するように、街道を出歩く人の数が増えてきた。

 

 街行く人々の顔も、俯き加減でなくしっかり前を向いていて、心なしか活気があるように見える。

 

 決して急激に変わったワケではない。じわり、じわりと。徐々に顔を出す朝日のように、都市が明るさを取り戻してきた。

 

 きっと、住人達も確信は持っていないだろう。

 

 それでも、肌で感じ。そして、心で嗅ぎ取り。都市に漂う雰囲気の変化に無意識に気付いた人々が、行動を始めた。

 

 これは、大きな一歩だ。

 

 何よりも、力を持たない人々が自らの意思で動き出した点が大きい。冒険者のように、【神の恩恵(ファルナ)】を授かった力ある者たちがいくら行動しようと、一般人にとってそれは、言うなれば遠い世界の話でしかない。

 

 しかし、自身と同じ立場の者が行動したのなら話は別だ。俺も、私も、と。その光景を見た誰かが足を踏み出し、それに触発された誰かが外へと繰り出す。そんな風に、誰もが知らぬ間に良い循環を作る一員となる。

 

 この流れを作るのが、恐らく一番難しかった。【闇】と戦う者―――彼ら、彼女らが出来るのは、身体を張って環境を作るまで。そこから先は、住人達自身で進む必要があった。強制では続かない。自発的でないと意味が無い。そこが、最も難しい部分。

 

 しかし、とうとう成し遂げたのだ。後は、この流れが続くように力添えをすれば良い。悪い方向に向かわないように。滞留しても、後退はしないように。

 

 きっとその先に、平和になった都市という未来が待っている。

 

 そうなれば―――。

 

 と、そこまで考えて、"彼"は(かぶり)を振って一旦思考を中断した。自分の希望的観測が多分に混ざりだしたことに気付いたからだ。

 

 希望を抱くのはいい。けれど、それが多くなって楽観的な心構えに繋がるのはいけない。ある程度目処が立ったとはいえ、これからの戦いが決して楽になるワケではないのだから。

 

 せっかくここまで来れたのだ。油断して命を落とすなんてことは勘弁願いたい。

 

 悪党共の相手に、ダンジョンでの冒険。いつ死んでも不思議ではない出来事の連続だった。実際に、他派閥の同志には命を落としてしまった者もいる。しかし、団員達は皆いくつもの死線を共に越え、一人も欠けることなく第一線で活躍していた。

 

 "彼"は、その仲間達を思い浮かべる。

 

 正義の派閥を謳っているのに、一癖も二癖もある者ばかり。酒を(あお)ってはバカ騒ぎをし、下らない話で大盛り上がり。およそ、小さい子供らが思い浮かべる"正義の味方"などとはかけ離れた存在だった。【アストレア・ファミリア】に入っていなかったら、盗賊か詐欺師にでもなっていそうなヤツまでいる。清濁併せ持つとはよく言ったものだが、少々"濁"の部分が多すぎやしないだろうか。

 

 本当に、よくもまぁ纏まることができたものだ、としみじみ思う。

 

 主神の神望(じんぼう)もあるが、団長の手腕も大きかったのだろう。自称"完璧"な団長は、至る所に欠陥がある気もするが、間違いなくリーダーとしての素質は図抜けていた。なにせ個性(・・)溢れる団員全員が例外なく団長を信頼し、心を開いていたのだ。団長が「できる」と言えば、きっとできる、と。そんな気にさせてくれる不思議なリーダーシップがあった。

 

 これだけ優れた能力を持つのは、他に【ロキ・ファミリア】の【勇者(ブレイバー)】ぐらいしか思い当たらない。 そのくらい、稀有な才能を持った人物。そんな団長の目に留まって、派閥(ファミリア)に誘われたのはきっと運がよかったのだろう。

 

 そしてここで、"彼"の脳裏にもう一人の人物が浮かんだ。

 

 その人物―――基本無表情で潔癖なエルフの少女。自分と同様、団長に連れられて派閥(ファミリア)に入った"彼女"も、飛びぬけて才能に富んでいたからだ。

 

 "彼"よりも数か月遅れで入団した"彼女"は、凄まじい速度で成長し、今では派閥でもトップクラスの実力者。

 

 そんな"彼女"に、"彼"は特別な想いを抱いていた。誰よりも近くで"彼女"を見ていたからこそ、気付くことが数多あった。そしていつしか、"彼女"から目が離せなくなっていた。

 

 "彼"は、"彼女"の掴む未来を、その目で確かめたくなった。叶うのであればその隣、すぐ傍で。きっと他の団員達がこんなことを聞けば、飛び切り揶揄(からか)われるに違いないだろう。

 

 それでも。"彼"は、"彼女"の進む道を、共に歩みたかった。

 

 

 

 ―――と、ここで。自分でも少々恥ずかしい方向に思考が進んでしまったことを認識し、"彼"は気を紛らわせるために一度深く呼吸をして、閉じていた瞳を開けた。

 

 緑玉色(エメラルド)の瞳。風にゆらゆらとなびく、少々クセのついた茶色(ブラウン)の髪。ヒューマンよりは長く、エルフよりは少し短い耳。母親(エルフ)の特色を良く受け継ぎ、その顔は整っていると言えた。

 

 今日は晴天。

 

 心地よい風が吹き抜け、眠気を誘う。

 

 今居るのはアジトにほど近い、陽当たりの良い家屋の屋根上。"彼"の、最近のお気に入りの場所だった。

 

 もう一回、このまま眠ってしまおうか。そんな風に考えている"彼"の耳に、聞き覚えのある声が届いた。

 

「……―――ル! アル! ……はぁ、こんな場所に居ましたか」

 

 "アル"。そう呼ばれた"彼"は、仰向けに寝転ばせていた身体をのそりと起こし、声の聞こえた方角へ顔を向けた。

 

 そこに居たのは、先程まで頭に浮かんでいた"彼女"―――リュー・リオン。

 

 綺麗な金色で、肩に届かない程度に伸びている髪。空色の瞳を持つ端正なその顔立ちは、仲間を前にした時だけ感情が表に出やすくなる。他人に肌を晒すことを嫌うエルフらしく、華奢な身体を覆うローブを身に纏っていた。

 

 今まで、そんな"彼女"について勝手に想いを巡らせていたせいで、唐突に現れた実物(・・)に対して、"彼"は感情を表へ出さないために微妙な表情を作るしか出来なかった。

 

「そろそろ食事です。皆、もう準備して……どうしました? 私の顔に、何か?」

 

「……いや、何でもないよ。行こう、リュー」

 

 派閥の中で、"彼"だけが呼ぶ"彼女"のファーストネーム。それを聞いた"彼女"は、他人には判別出来ない程小さく表情を和らげた。

 

「はい。今日は確か、アルの好物のはずです」

 

「お、やった。……ところで、今日リューは手伝ってないよな?」

 

「? ええ、今日は当番ではありませんから。でも、何故そんな事を―――」

 

「あー、早く行って食べないと。競争競争」

 

「な、待ちなさいっ! 私の質問に―――」

 

 

 

 これは、何気なく。そして、とても大切"だった"日常の一幕。

 

 都市の平和のために、自身の目的のために、"彼"―――アル・チュールは今日も剣を振るう。辿り着く未来(さき)に、現在(いま)と変わらず仲間達が居ることを願って。

 

 

 

 



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02. 『疾風と迅雷』

 出会いは本当に偶然だった。

 

 道端で転びかけた彼女を、たまたま近くにいた自分が咄嗟に受け止めた。ただそれだけ。

 

 触れ合った部分を不思議そうに確認する彼女を、こちらも不思議に思って眺めていたが、それ以外特に何事もなく。日々起こる些細な出会いの一つに過ぎない、はずだった。

 

 この出会いが特別なモノになったのは、その後。

 

 我が派閥(ファミリア)の団長が、「新しく入る子だよー!」と、困惑気味の彼女を連れてきたのだ。

 

 さらに、運が良いのか悪いのか。その場にいた自分に気づき、驚く彼女を見て、知り合いだと勘違いしたらしい団長は教育係を自分に任命し(押しつけ)てきた。

 

 もちろん最初は、冗談じゃないと思った。

 

 エルフの例に漏れずやたら頭は固いわ、買い物に行けばぼったくられて帰ってくるわ、料理を作らせれば炭が出来上がるわ。

 

 もはや、「何ならできるの?」と問いかけたくなるレベルだった。

 

 しかし付き合いを重ねていくにつれ、それを補って余りある彼女の"良さ"があることに気付いた。

 

 エルフらしく高潔で義理堅く、決して自己研鑽を怠らず、いつ何時も仲間への思いやりを忘れない。

 

 ハーフエルフである自分にとって、自らの血がどうだとか種族がどうだとかは大して興味のあるモノではなかった。それでも彼女と接していく中で、自分にも彼女と同じエルフの血が半分流れているということを、少しではあるが誇りに思うようになった。

 

 自分の価値観を変えた存在。そんな彼女への懸想(おもい)に気付くのに、そう時間はかからなかった。

 

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

 ―――ヒュッ、ヒュンッ、ガコンッ。

 

 風を切る音、そして堅い木材が激しくぶつかり合う音が、早朝の青空に響く。

 

「……ふッ……ハァッ!」

 

 身の丈に迫る長さの木刀と、それを自在に操るエルフの少女―――リュー・リオン。【疾風】の二つ名を与えられた彼女の繰り出す剣戟は、吹き荒れる風のように激しく、速く鋭い。恐らく生半可な冒険者が見ても。いや、相当な実力者でなければ。その眼に彼女の動きは残像程度しか映らないだろう。

 

「―――ンのッ! ……らァッ!」

 

 しかし、彼女に相対するハーフエルフの青年―――アル・チュールは、その熾烈な攻撃を全て躱し、また捌き続けていた。

 

くせっ毛気味の茶髪。それを耳にかかる程度まで伸ばしている彼は、一見華奢な体格に見合わず、リューの扱うモノよりさらに長く、刀身の大きな木刀を器用に使いこなしている。

 

 

 

 敏捷と力(・・・・)において、都市トップクラスの能力を持つ彼に与えられた二つ名は、【迅雷(じんらい)】。【アストレア・ファミリア】唯一のLv.5にして第一級冒険者。成長著しく、近い将来より高みへ到達することができるだろうと噂される期待の若手。

 

 【雷】が()じ開け、【風】が薙ぎ払う。リューとアルのコンビは、冒険者集う迷宮都市(オラリオ)にあって随一の実力と名を轟かせる存在だった。

 

 

 

 

 

 ―――ガコォン……!

 

 一際大きな音が木霊(こだま)し、朝稽古の終わりを告げる。

 

 木刀を振り切った体勢で静止するアルに対し、何も手にしておらず、悔しげな表情で固まるリュー。数瞬後、カランカランと乾いた音を響かせて、リューの得物が地面へと落下した。

 

「……ふぅ、ここまでかな。おつかれさま」

 

「くっ……。今日もダメでしたか。……おつかれさまです」

 

 お互いに汗を拭う。まだ朝にも関わらず、ダンジョンで数度激しい戦闘をこなした程度の疲労を、アルは感じていた。

 

「いや、結構危なかったよ。ほんと、いやらしい(・・・・・)攻め方ができるようになったよな」

 

「……はぁ。言葉は選んでください。でも、もう駆け引きが重要なのは理解しましたから」

 

「はは、そりゃよかった」

 

 そう笑いながら、なんとなくアルは今までのリューを回顧する。

 

 初めのころの彼女は、潔癖でお堅く、その上世間知らずだった。

 

 世間知らずなのは別にいい。大きな不利益でもぼったくられる程度なのだから。一番困ったのは潔癖すぎること。

 

 リューは、自らが小狡い真似をするのが許せないのだ。そのせいで、広い意味で相手を騙すことができなかった。人付き合いにおいてそれは好ましい。が、戦いにおいては直すべき欠点となる。

 

 少なからずあった戦闘経験のおかげで、一応は駆け引きと呼べることを、彼女は無意識に行えていた。しかし、これから長く続いていく冒険者としての生活の中で、それを頭で分かっていないことは難点だと言えた。

 

 だから、アルは稽古で曲がった戦い方をする所から始めた。自身の考えが、決して相手には通用しないということを頭で理解させるために。リューが、正道とは外れた狡猾な戦い方に慣れるために。

 

 手を変え品を変え、本当に色々とやった。落とし穴を掘り、良く滑る液体を地面に撒き、団員お手製の"すごく目に染みる煙玉"を使う。

 

『せっ、正々堂々戦いなさいっ―――!!』

 

 その度に、リューが叫んでいた言葉。それこそ耳にタコができるほど聞いたが、しばらくすると諦めたのかサッパリ言わなくなった。その代わりか、何日間か口をきいてくれなくなったのは少し辛かったが。

 

 ただ、そんな稽古を続ける程リューは見違えるように力を付けていった。紆余曲折有れど、Lv.3になり―――現在Lv.4にまで至って多くを学び経験を積んだ彼女は、もはや十二分に相手を考えた立ち回りができていると言っていい。

 

 今ではもう大抵の相手、例えば同じLv.4の誰かしらを向こうに回したとしても、万が一にも引けを取ることなどないだろう。ともすれば、相手がLv.5であっても何とかしてしまうかもしれない。そのくらいのことを想像してしまうだけの実力が、今の彼女にはある。

 

 と、そんな風に考え事をしながら、一人で勝手にウンウンと頷いていると、どうにも瞼が重くなり意識がぼやけてきた。

 

「ふぁ……ふう。なんか眠くなってきたな」

 

 重度の疲労感。まだ朝だというのに、全身を重ったるしく覆うソレは、睡眠が必要だと脳に直接訴えかけてくる。

 

「アルはいつも寝ているでしょう」

 

 木刀を拾い戻ってきたリューは、アルの言葉に呆れた様に顔を緩めた。

 

「いやいや、"いつも"は言い過ぎだって。ちゃんとダンジョンにも行ってるし、雑用の手伝いだってしてるだろ? ああ、この朝稽古も」

 

「それ以外の自由な時間のことですよ。それに、眠りすぎだからあなたの言う変な魔法(・・・・)が発現したのでは?」

 

「うぐ……まぁ、確かに」

 

 痛い所を突かれたとばかりに、アルの顔に苦い笑みが浮かぶ。

 

 変な魔法。簡単に言えば、眠って回復するというもの。それだけなら、睡眠の度に色々回復できて便利だとも思う。が、つい昨日発現したことに加えて妙な文言(・・・・)が説明にあるせいで、未だ使用することすら躊躇していた。

 

 ―――え、……これが俺の魔法?

 

 あれは、更新されたステイタスの紙を見て、困惑しながら顔を上げた時。目が合ったアストレアの何とも言えない微妙な顔を、きっと忘れることはないだろう。「もう少し、活発に活動しましょうね?」と、遠回しに"眠りすぎ"と受けた指摘も相まって、良くない意味で印象深い場面だった。

 

 本当は、例え身内とはいえスキルや魔法を大っぴらにするのは良いことだとは言えない。しかし、その内容が内容だったため、愚痴兼笑い話のような感覚でリューには話してしまっていた。反応は、"まったく遠回しじゃないアストレア"だった。

 

「今は、割と頑張って起きてるんだけどなぁ……」

 

「出歩けと言っているんです。最近あなたが頻繁にする日向ぼっこは、眠っているのと変わらない」

 

「って言っても行きたい所なんて……あ、そうだ」

 

 何かを思いついたように、ポンと手を叩くアル。人差し指を立て、名案とばかりに言葉を続ける彼を尻目に、リューは自分の木刀の状態を念入りに確認していた。

 

「リューが興味あるとこに連れてってくれよ。その方が俺も楽しめて気分転換になりそうだし」

 

 ―――ゴトンっ、カランカラン。

 

 さっき聞いたような、乾いた音が響く。リューに目を向けると、彼女は足元に木刀を落としたまま、なにやら硬直して目をパチクリさせていた。

 

「……こほん。手が滑りました」

 

 何故かワザとらしく咳ばらいをし、腰を曲げて木刀を拾う体勢を作るリュー。なんとなくぎこちない動作に見えたが、アルは特に気にせず話を続けた。

 

「えーっと、それで。リューは行きたい所、ある?」

 

「……今すぐには思い浮かびません」

 

「そうだよなぁ、いきなりだもんな」

 

 こんなことなら自分でも色々調べとけばよかったな、とアルは小さくため息をついた。

 

 日頃から都市の巡回をしてはいるが、自分の担当はかなり治安の悪い区域。言うなれば、"【闇派閥】のお膝元"。

 

 であるからして、あまり他のことを気にかける余裕はなかったし、そもそも遊びに行くような場所でもない。潜入のために賭場や歓楽街へ通っていたことはあるが、趣味にするのは止めておいた方がいいだろう。

 

 難しい。非常に難しい。ある意味、【闇派閥】共の相手の方がよっぽど楽だと感じる程度に。

 

 アルは人差し指を額に当て、眉間に皺を寄せながら頭を悩ませる。しかし天を仰いでみても、こめかみに指で刺激を与えてみても、一向に良い考えは浮かばない。

 

 加えて、頭を左右に振って物理的に働かせようとしても、まるで効果がない。

 

(……これはもうアリーゼとか輝夜とかに聞いてみる方が早いかもしれないなぁ)

 

 アルが、自分で考えることを諦め始めた、そんな時だった。

 

「―――ぷっ、ふふ……ふ」

 

 唐突に、すぐ近くから漏れ出たような笑い声が聞こえた。

 

「……なに笑ってんだよ、リュー」

 

 その笑い声の主は、口を手で隠し、愉快そうに小刻みに体を震わせていた。

 

「いえ、あなたが……そんな難しそうな顔をしているのがとても珍しいので……くっふふ……」

 

「ほー、人の気も知らないでまったく。リューだぞ? 出掛けろって言ったの。少しは考えろよな」

 

 アルは半目で、リューを咎める。すると、彼女は「分かってます、分かっています」と、アルに掌を向けながら少しだけ乱れた息を整えた。

 

「分かっていますよ。だから―――」

 

 

 

 そして、滅多に見ることのできない陽だまりのような笑顔を咲かせて。

 

 

 

 

「一緒に考えましょう。今でなくても、すぐ後で。私も、楽しみにしていますから」

 

 

 

 

 そう、結論を出した。

 

 

 

「…………あ、ああ。そうだな、今じゃなくてもいいよな。また後でにしよう、か......」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけ。アルはその笑顔に見惚れてしまった。そのせいで、返答がオウム返しになってしまっていた。それに気づき、アルは呆けていた口元を掌で覆い隠し、視線を逸らす。

 

 

 

 ―――正直、ずるいと思う。その顔は、反則だ。

 

 

 

 アルは、心の中で強くそう思った。

 

 

 普段は無表情に近く、愛想笑いの一つも見せない。ともすれば、仏頂面とも取られかねない表情しかしないのに、稀に見せる柔らかな表情が、こちらの心までも解きほぐす。有り得るとは思えないが、彼女がこの笑顔を武器にしだしたら、世の男どもはコロッと騙されてしまうのではないか。そのくらい、魅力的で価値があると思えるものだった。

 

 

「そ、そういえば、団長(アリーゼ)がこの後話があるって言ってたっけ。なんでも、ギルドからタレコミがあったとか」

 

 半ば無理矢理、話題を変える。このままだとおかしなことを口走ってしまいそうだった。

 

「ええ。私も小耳に挟みましたが、下層域で【闇派閥(イヴィルス)】に大きな動きがあると」

 

 なんか胡散臭いよな。そう相槌を打ったアルに、リューは軽くうなずいて応える。

 

「しかし、だからと言って無視するわけにはいかない。どんな企みであれ、阻止する必要があります」

 

「リューらしいな。でも、今回が最後の足掻きに近いかもしれない。これを潰せば、少しは俺たちも休めるかもな」

 

「ええ、そう信じています」

 

 お互いに視線を交わし、頷き合う。

 

 この先に待っているのが、明るい未来だと信じて疑わない表情だった。

 

 

 

 

「では、私は着替えてきます」

 

「ああ、俺はちょっと身体を(ほぐ)してからしてから帰るよ。また後で」

 

「分かりました。……くれぐれも、集合時間に遅れないで下さいね? あなたはいつもその辺りが―――」

 

「はい、はい。存じてます。分かってまーす。ちゃんと間に合うようにするから、また後で、な?」

 

「……はぁ。えぇ、また後で」

 

 どこか釈然としない表情で部屋へと戻るリューを、ぱたぱたと手を振りながら見送る。

 

 そして、建物の中へリューの姿が消えるのを確認してから、アルは一息ついて自分の手を見やった。その雰囲気は、先ほどまでの緩やかなものでなく、いつの間にか真剣で鋭いものへと変わっていた。

 

(―――まだ、痺れが残ってる)

 

 アルは、相当な速度で成長を続けてきた。それこそ、期待の若手と評されるのに全く異論が出ない程に。しかしリューの成長速度はそれを優に超えており、Lv.2へのランクアップ最短記録を更新した()のアイズ・ヴァレンシュタインと比較されるほど、世間から注目されていた。

 

『あなたを、超えて見せます』

 

 あれはまだリューが入団して間もない頃、アルに向かって言い放った言葉。

 

 ダンジョンでモンスターに囲まれ危険な状況だった時、ちょうど近くにいて助けに駆け付けたアルが、ほどなく周囲を一掃した後の言葉だった。「すみません」や「ありがとうございます」の前にそう言われたことに、苦い笑みを浮かべて「期待してる」とだけ返したことをアルは覚えていた。正直なところ、ただの強がりだろうと考えていたりもした。

 

 しかしその考えとは裏腹に、言葉通りそれからのリューは目に見える程メキメキと成長していった。当初駆け引きにこそ多少問題はあれど、それ以外では何年も早く冒険者になった者達を、あっという間に追い抜く程に。

 

 そんなリューを最も近くで見て、アルが心に抱いたのは"嫉妬"とも"羨望"とも異なる感情。

 

 それは、"熱狂"。

 

 自分を目標とする彼女が、凄まじく早いペースで力をつけていく。日課の朝稽古では、三日もすれば同じ攻め方は通じなくなり、逆に想像を超える力で切り返される。

 

 ―――彼女は、いったいどこまで行くことができるのだろうか。

 

 そんな興味に頭が支配され、胸の内から湧き上がる熱いものを堪え切れずにいた。彼女なら、もしかしたら誰も知らない高みへと上り詰めることができるかもしれない、と。

 

 分かっていた。今、自分が彼女よりも上に居るのは、単純に数年早く冒険者になったからに過ぎないということを。きっと、同時に【神の恩恵(ファルナ)】を受けていたら、彼女は自分より遥か上の存在になっていたであろうことを。

 

 だからこそ自分は、努力し強くあり続けなければならない。絶えず、彼女の目標たり得なければならない。超えられたとき、「こんなものか」と落胆されるような壁ではダメなのだ。死力を尽くし、全身全霊を懸けてぶつかり、乗り越えたときに新たな景色が見えるような壁でないと、彼女の成長の足しにはならない。

 

 これは、アルにとって初めて目的と呼べるモノだった。

 

 実は、アルは【アストレア・ファミリア】に入団していたとはいえ、あまり目的など考えたことはなかった。

 

 適当に入った一つ目のファミリア(・・・・・・・・・)を脱退した後。無性に苛ついていて、視界に入った元同僚の悪事に邪魔を入れた場面が偶然団長(アリーゼ)の目に留まり。どうにも気に入られたようで、【アストレア・ファミリア】に入る運びとなった。

 

 そう。言ってしまえば、誘われたから入っただけ。単純に曲がったことは好きではなかったが、【アストレア・ファミリア】に入らずとも積極的に行動していたか、と問われれば答えはNoだろう。"正義"という曖昧なモノに特別興味が有るワケではなかった。

 

 しかし、だからと言って不満があったわけでもない。皆と平和な都市で暮らしたいという想いもあったし、仲間の夢を叶えたいという意欲もあった。ただ、そこに自身の強い意志が存在しなかったため、目に見える光景が少し色褪せていただけ。

 

 そんな時に、自分の心を突き動かしたリュー・リオンという存在。夢中にならないワケがなかった。

 

 アルは、未だ痺れの残る手をグッと握り締める。

 

 世間の噂とは裏腹に、残念ながら自分の成長はそろそろ頭打ちの気配を見せてきた。彼女の成長速度を考えれば、もうそう遠くないうちに超えられるだろう。けれど、少なくともそれまでは出来る限りの努力を続けなければならない。

 

(まだまだ……頑張らないとな)

 

 自分のためにも、リューのためにも。

 

「―――あ、……やばい」

 

 と、そんなことを考えて気持ちを新たにしたアルだったが、リューを見送ってから少々時間が経ちすぎていることに気づいた。

 

 彼女の部屋は集会部屋から近く、また彼女は着替えに時間をかけるタイプではない。ともすれば、もう準備を終えている可能性まである。

 

 

 

 毎度思うが、リューを団員が集まっているところに一人で行かせるなど、飢えた猛獣の檻へ新鮮な餌を投げ込むに等しい行為だ。

 

 

 

 このままだと、また祭り(三日ぶり)が開催されてしまうかも。

 

「……」

 

 少しだけリューへの同情心が湧き上がったアルは、着替えるため急いで自分の部屋へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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03. 『運命の日 前編』

※原作13巻/14巻のネタバレが含まれます。ご注意下さい。



遅筆故に少し悩みましたが、0章を長々引っ張るのもどうかと思いましたので今日からストック分を4日連続で投稿し章の終幕としたいと思います。

お目汚しかとは思いますが、お付き合い頂ければ幸いです。




 ダンジョン27階層。

 

 下層に分類されるその場所は、25階層から『巨蒼の滝(グレートフォール)』が貫通し、特徴的な水晶壁も合わせて幻想的とも言える光景を醸し出す。

 

 が、それは通常(・・)の話。

 

 今日、この日に限っては。この場所は誰をも寄せ付けない、残虐な悲劇の舞台へ成り果てていた。

 

 

 

 

 〇

 

 

 

 

「ぅぐ……いって……」

 

 アル・チュールが目を覚ましたのは、所々から僅かな明りの差し込む、薄暗く窮屈な場所だった。

 

 全身、特に頭から妙に痛みを感じるが、全く現状が思い出せない。

 

「どこだ……ここ」

 

 冒険者として培った長年の癖で、ひとまず自分の状態を手探りで確認しながら、思考する。

 

 何が起きたのか。ここはどこか。装備類は無事か。

 

 機動性に特化した革製(レザー)の鎧は、所々で焼け焦げている。ベストの中にあったポーション類は全部ダメだ。残らず割れてしまって、中身がぶちまけられている。ただ、幸いなことに武器はすぐ手元にあった。

 

 なら、まだ戦える。

 

 しかし、まだ状況が整理できない。

 

 回らない頭に手を添えると、べったりと液体が付着した。固まりかけているが、明らかに血液だった。

 

 確か、落石を捌き切れずマトモに食らってしまったのだ。徐々に、思い出してきた。

 

 

 【闇派閥】との抗争。

 

 【ルドラ・ファミリア(その一派)】が下層で何か企んでいるという情報が【アストレア・ファミリア】にもたらされ、それを阻止すべく団員総出でダンジョンへ突入した。

 

 抵抗(悪あがき)を続ける彼等を追い詰めたまではいい。が、使用してきた尋常でない量の火炎石(爆弾)のおかげで、自分はダンジョンの崩落に巻き込まれたのだ。

 

 油断ではない。ただ、"功を急いた"というのは正しい。罠の可能性はもちろん頭にあった。ひとつ想定外だったのは、その規模。

 

 爆発程度なら、避け切る自信があった。落石程度なら、粉々に砕く実力があった。しかし、今回はあまりにもその規模が大きかった。仕掛けた側をも巻き込んだ自爆覚悟のその罠は、避けるには範囲が広すぎ、砕くには量が多すぎた。

 

 結果として、今に至る。

 

 周囲を固めているのは落石だろう。潰されずに済んだのは奇跡と言う他ない。

 

 ―――情けない。

 

 自らの"著しい耐久の低さ"を恨みつつ、先刻までの行動を悔やみたい衝動に駆られたが、今がその時でないことくらい理解できる。

 

 他の仲間は大丈夫だろうか。

 

 突出しすぎたせいで自分だけが巻き込まれたならまだいい。しかし、何人もダメージを受けていたら、逆にこちらが追い込まれる可能性もある。

 

 早く、復帰しないと。

 

 そう考えて、近くにある落石を思い切り蹴飛ばす。と同時に、見えた外の光景へ飛び出した。

 

 バランスの崩れた岩が雪崩れる音を背後に、片手を添えて着地する。

 

 ズキリと、鈍く痛むのは右脚。折れかけ(・・・・)だ。

 

 一瞬だけ、アルの相貌が苦痛に歪む。

 

 しかし、隙は見せない。即座に表情を戻し素早く周囲を確認。

 

 一帯に充満するのは土煙と火薬の硝煙。視界は良好とは言えず、状況を満足に確認できなかった。

 

 が、それらの異常を上から塗り潰す程の濃厚な鮮血の臭い―――死の臭い(・・・・)が、アルの鼻孔を満たした。

 

 嫌な予感が、思考を埋め尽くす。

 

「…………―――――ッ!!!!」

 

 目を凝らしたアルは、認識できた眼前の光景に思わず息を呑んだ。

 

 それは、まさしく『地獄絵図』

 

 辺り一面、文字通り血の海だったのだ。壁には不気味な赤い文様が満遍なくぶちまけられ、真っ赤に染まった水流はまるで絵の具のようだ。

 

 アルはそこら中に、その赤色の水源(・・・・・)が散らばっていることを理解はしていたが、あまりにもそれらの姿が無残で直視出来なかった。

 

 しかし、それでも。鍛えられた視力は、その中のいくつかに見覚えがある(・・・・・・)ことを一瞬で認識してしまった。

 

 ―――それらは、まるでつい先程まで背中を預け合っていた仲間達(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)の様だと。

 

 吐き気が、胃の底から急激に込み上げる。

 

 胸が締め付けられたように苦しくなり、動揺を表すように呼吸と鼓動が激しくなった。

 

(―――う、そ……嘘、だ。こんな……こんなの……悪夢に、決まってる……ッ)

 

 頭ではとうに理解してしまっている。しかし、どうしても心がそれを肯定することを拒んでいた。 

 

 あまりにも現実味がなかったのだ。

 

 昨日まで笑い合って心を通わせていた仲間達が、こんな結末を迎えてしまったことが。死ぬ覚悟も、失う覚悟もできていなかった。そもそも、そんなモノする気さえなかった。それが今、仇となって自身に降りかかった。

 

 一体、何がどうしてこんな惨状になっているのか。

 

 心が肯定を拒んでいても、頭は無意識にその答えを求めた。

 

 

 アルの視線が再び、宙を漂う。

 

 

 団員(仲間)達は数多の場数を踏み、修羅場を潜り抜けて来た。その経験と才能に裏打ちされた実力は、他のどの派閥と比べても引けを取ることはない。

 

 そんな精鋭達を、どうすればこんな無残な姿へと変えることができるのだろうか。少なくとも、【闇派閥】でないことは確かだった。彼らも、其処彼処に肉片となって浮かんでいるからだ。

 

 

 そして数秒後、アルの瞳がその解答(・・)を視界に収めた。収めてしまった(・・・・・・・)

 

 

 遠く土煙の向こう側に揺らめく、歪な影。

 

 それは、紫紺色の化物だった。巨大な獣の骸骨としか形容できない、身肉が一切付いていない様にすら見える奇怪な化物。

 

 けれど、そんな不気味な容姿などどうでもよかった。全く気にもならなかった。アルの視線が集中したのは、その化物の醜悪な形状をした鋭爪の先。

 

 ―――そこには、アリーゼ・ローウェル(団長)がいた。化物と相対する形で、その爪に貫かれて(・・・・・・)。力無く、手足を垂らしていた。

 

 人は、あまりにも理解を超えることがあると、脳が思考を停止してしまうと聞いたことがある。

 

 今、目の前の光景が現実とは到底思えなかった。

 

 身体に力が入らなかった。剣が異様に重かった。足を踏み出すことができなかった。

 

 目を最大まで見開いたまま、アルはその場で膝をついて固まってしまっていた。

 

 化物は、そんなアルのことを気にも留めず、爪を無造作に獲物(・・)から引き抜く。

 

 アリーゼは人形のように崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。まるで、魂がどこかに抜け落ちてしまったかのようだった。

 

 そして、化物が再度大きく手を振り上げる。全てがコマ送りのように見えていたアルは、その手を振り下ろすであろう先に視線を向けた。

 

 そこに居たのは、倒れ伏した【疾風(リュー)】。ボロボロになった顔を僅かに上げ、もはや抵抗することすら諦めていたようだった。

 

 何が起きているのか、欠片も分からなかった。少なくとも、理解はしていなかった。頭が何かを考えることを止めていたのだから、当然と言えば当然だった。

 

 しかし、頭でこの光景を咀嚼し終えるよりも早く。その身体は反応していた。まるで、【雷】に打たれたように。

 

 「―――――ぁああぁあああぁああぁッ!!!!」

 

 雄叫びを上げながら、骨の化物に切りつける。間にあった距離を即座に詰めるほどの速度で。しかし、普段とは比較にならない程不格好な斬撃で。

 

 

 手応えはなかった。

 

 

 刃を振り切った先にあったのは、破砕された地面。攻撃によって砕けたワケではない。

 

 アルが刃を振り下ろす、その直前。化物が関節を(きし)ませ、恐ろしい速さで飛び退いた際に残したのだ。

 

 そして今、その怪物は遠く―――20〜30M(メドル)は離れた()に張り付いていた。大した予備動作もなかったにも関わらず、一瞬で。

 

 それは、巨体にあるまじき凄まじい速度。あり得てはならない機動力。

 

 しかし、そんな規格外の動きを目にしても。

 

 

(―――――迅い(・・)。そんなとこまで行ったか)

 

 

 アルには驚愕も畏怖もない。地面にめり込んだ武器を引き抜きながら、ただ相手の動きを無感情に分析するだけ。

 

 そう。このほんの僅かな時間で、アルは平静を取り戻していた。先程までの錯乱した心も、波が引いたように落ち着いていた。

 

 それは間違いなく、今自らの後ろにいるリューの姿を目にしたことが理由だ。

 

 彼女が危険な状態にある。アルにとってその事態は、どんな感情にも優先して対応しなければならないモノなのだ。

 

 ようやく、頭と心が一致してこの惨状―――"現実"を受け入れ始めたことを、アルは認識した。

 

 思うことは多くあった。それこそ、語り尽くすことの出来ない程に。吐き出さずに消化し切るのが、困難な程に。

 

 しかし、それは。そんな自分の感情は、もはや些末な問題だ。

 

 そんな程度のモノ(・・・・・・・・)を頭の片隅に追いやるほど重大なことが、今まさに起こっているのだ。

 

 ほんの一瞬だけ、後ろで倒れ伏すリューを見やる。

 

 意識を失っているのか、もしくは朦朧としているのか。どちらかは判別できないが、リューに反応はなく動く気配は感じられない。

 

 アルは武器を握り直し、覚悟を改めるように一度横に薙いだ。

 

 鋭く風を切る音が、動く者のいない広間に大きく響く。

 

 

 

 アルの愛用する武器、大剣(グレートソード)

 

 《エクスキューション》―――『執行』の名を与えられた第一級装備(その剣)は、三日月に似た巨大な灰色の刀身を持ち、切っ先から根本まで一筋の黒い稲妻のような文様が刻まれていた。

 

 その特性は、『超重量』『超耐久』『超火力』。使用者(アル)の無茶な扱い方(要求)にも応えてのける、最高の相棒(バディ)

 

 稽古用の大振りな木刀と異なり、相手を"叩き斬る"ことに特化した武器。剣自体の尋常でない重さと、アルの"力"でもって、立ち塞がるモノを文字通り両断する。【闇派閥(イヴィルス)】であろうが、迷宮の孤王(モンスターレックス)であろうが、そこに例外はない。

 

 

 

 武器を構え直したアルは、未だ壁面に張り付いたままの不気味な化物を睨み付ける。

 

 先程の異常な動きを見て、アルは理解していた。化物のあの尋常でない機動力が、ここを地獄へ塗り替えた大きな要因であると。

 

 そんな、油断なく敵を注視するアルの視界で。

 

 化物―――後に、(ひそか)に『破壊者(ジャガーノート)』と名付けられる怪物は、予想通りの動き(・・・・・・・)をして見せた。分かった所でお前に対応できるはずがない、とでも言うように。

 

 ――――予想通りの動き。

 

 それはつまり、先刻死体の山を築いた凄まじい高速移動。壁から壁、壁から地面、地面から壁。走るのは、息をもつかせぬ斜線の連続。

 

 並大抵の者では、その動きを追うことすら困難だ。

 

 

 そう、並大抵の者(・・・・・)では。

 

 

 アルは、膝を僅かに折り一瞬力を溜め、思い切り地面を蹴った。

 

 着地したのは、化物と同時。そして、化物と同じ場所(・・・・)

 

 

 迅さには、慣れていた。

 

 

 挑むのは、近接戦。決して苦手ではないが、アルが最も得意とする一撃離脱とは対極にあるようなモノ。

 

 そのため、出来ればこの選択は避けたかった。ただ、今回は事情が事情だ。

 

 景気よく飛び跳ねられて、リューにその攻撃が及ぶのを防げなければ元も子もない。加えて、自らの身体の状態もある。

 

 故に、釘付けにするためにも肉薄しての斬り合い。

 

 

 アルの緑玉色(エメラルド)の瞳と、化物の真紅の眼窩。

 

 互いの眼が、互いのみを映す。

 

 その中でアルは、着地の勢いをそのまま剣速に乗せ化物に対し鋭く振りぬいた。

 

 マトモに当たれば、手足の一本は容易に砕ける威力。間違いなく、アルは最初の一合で決めるつもり(・・・・・・)で攻撃を放った。

 

 が、そう簡単にはいかない。

 

 化物も俊敏に動く。間一髪で躱され、腰から伸びる4Mはある尾による反撃がアルへ襲い掛かった。

 

 これは、低耐久のアルにとって必殺の威力。

 

 正確に言えば、殆どの者を即殺する威力である。が、それをアルが知る由はなく。また、知っているか否かは彼にとって大した問題ではない。

 

 瞬時に地面スレスレまで屈んだアル。その頭上を、化物の尾が空気を裂きながら通過する。

 

 そう、アルはどちらにせよ回避する(・・・・)からだ。

 

 その点を以って言えば。アルは、この化物(ジャガーノート)との初見での相性は得てして良いと言えた。

 

 化物の持つ『破爪』。その特性は、『絶対防御不可能』。例え、加工超硬金属(ディル・アダマンタイト)だろうと一振りで破砕してのける。

 

 つまり、防御を試みた時点で。その冒険者の命運は尽きるに等しい。

 

 

 アルと化物は、互いに譲らず攻撃を繰り出し続ける。

 

 もはやこれは、先刻までの一方的な殺戮ではない。

 

 

 一対一の壮絶な殺し合い(・・・・)。その幕が今、切って落とされた。

 

 

 

 




話を流しやすいように、少しだけ原作とは異なった道筋となります。



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04. 『運命の日 中編』

2/4
遅くなりました。


 

 赤く(血に)染まった広間に立つのは、一人と一体。

 

 大剣を手にするのは、"一人"―――アル・チュール。彼は、遠巻きに眺めれば野性的なダンスを踊っている様にも見える。

 

 その相手は"一体"―――化物(ジャガーノート)

 

 彼らは今、殺し合い(・・・・)の真っ最中。

 

 その始まりから既に半刻は経過しているが、どちらも一歩も譲らず、未だ拮抗している―――ように見えた。

 

 しかし、その実情は。

 

 アルが、徐々に圧され始めていた。

 

 それは単純な理由だった。現在手にする大剣しか有効な攻撃手段がない彼に対し、化物は二対の爪に長く硬質な尾。そしてそのどれもが、必殺の威力。

 

 その上で、アルの状態は間違っても万全とは言えない。

 

 じわじわと、アルの手数は減っていく。次第に相手の攻撃への対応で手一杯となり、それが優劣を決定付ける大きな要因になりかけていた(・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 躱し切れない爪の斬撃が、細かく、極薄く。肌を、肉を裂いていく。

 

 代わりに化物の身体も徐々に削り取ってはいるが、明らかにこちらの方がダメージが大きい。

 

 そもそも【闇派閥】の罠で受けたダメージが、アルの最大の武器―――敏捷を大きく削っていた。

 

 元々アルは、相手の攻撃をガードしない。主に回避を第一に考え、稀にある対処し切れない場合は軽く受け流す。それが、【迅雷】の基本的な戦闘スタイル。

 

 しかしそれは、オラリオでもトップクラスと言わしめる敏捷があったればこその話。落石で強打しフラつく頭に、いつ限界を迎えてもおかしくない右脚。避けるにも避けきれず、受け流しの判断も間に合わない。いつもと同様の立ち回りを行うのは、極めて困難と言えた。

 

 相手も耐久が皆無に等しいとはいえ、現状手数も体の大きさもまるで違う。そのため、削り取られる比率が圧倒的に大きいのだ。

 

 このままではジリ貧。アルの頬を、幾筋もの汗が伝う。

 

 普段であれば、一度退却して態勢を立て直すことを視野に入れた立ち回りを始める頃合いだ。

 

 しかし、今に限っては。その考えは、元より頭の中から消し去っていた。

 

 自分の後ろには手負いの仲間(リュー)がいるのだ。それこそ、自分の命よりも大切な仲間が。

 

 彼女を抱えては逃げきれない。自分だけで逃げるなんて有り得ない。

 

 だから、アルは頭をフルに働かせた。激しく斬り合う中で、片隅程度の僅かな部分しか使えなくとも。

 

 目標は、目の前の化物を"破壊"すること、その一点。そして問題は、どうやって目標(そこ)に辿り着くか。

 

 時間の経過は破滅への片道切符だ。いずれ蓄積したダメージで身体が悲鳴を上げることが目に見えている。よって、相手に倣ってチマチマとダメージを与えていくのは下策。勝てる見込みは皆無に等しい。

 

 ならば。そうであれば。

 

 極大なダメージを一撃の下に叩き込む。そのための隙を、"どうにか"して作る。それが、最終的な結論。

 

『―――その"どうにか"を、具体的にするのが難しいんだろうが。間抜けめ』

 

 不意に、そんな仲間の声が脳内に響いた。

 

 無論、今言われた言葉ではない。記憶が蘇ったのだ。

 

 戦闘の最中であるのに、アルの口元が少しだけ緩む。

 

(……ホンッと脳筋だな)

 

 あれはいつだったか。極東出身の副団長(輝夜)から皮肉たっぷりに言われた言葉。

 

『貴方様は脳が筋肉で出来てるのではございませんか? (わたくし)、偶にそう思いますの。略して脳筋ですね、脳筋』

 

 あ゙? と短く上品に返答し、そのまましばらく睨み合いになったことを良く覚えている。普段は宥められる側のリューが、大慌てで仲裁に入ってきたことも。

 

 容姿端麗であるのに、性格は粗暴、態度は横暴。相手を煽る時だけ無性に腹の立つ"育ちの良さそうな"口調になる。そんな彼女に、時々青筋を立ててて対応していたことが、今となっては懐かしい。クソのような煽りだったが、それでも良い思い出として想起される。

 

 しかし、もうそんな何気ない掛け合いをすることすら二度と叶わない。視界の端には、その彼女だった(・・・)モノが映る。変わり果てた、無残な姿となったモノが。彼女も、もはや手の届かぬ彼方へと旅立ってしまったのだ。自分が気を失っている間に。情けなく、岩なぞに埋もれている内に。

 

 ――――悲嘆、悔恨、憤怒。

 

 いつの間にかアルが感じていた懐かしさは、そんな負の感情へと変化していた。

 

 目の前のコイツが、この化物が。自分達から全てを奪っていった、奪っていきやがった。そして今も、奪おうとしている。

 

 許すモノか。許せるモノか。許してなるモノか。

 

 感情が、漆黒へ塗り潰されていく。瞳は猛禽類のように鋭くなり、歯が砕けそうな程の力を込めて口元を引き締める。

 

 ―――しかし、それでも。手足に余分な力が入ることだけは防いだ。

 

 余分な力みは隙を生み、そのまま死へと直結することを、脳だけでなく身体で良く理解していたからだ。感情が制御できなくなっても、思考だけは冷や水を注入し続けるように冷静に。目的を見失わないように。

 

 これは知能を持つ敵を相手取って戦う上で、絶対に必要だった能力。つまり、日常の悪党との戦いで身に付けた力だった。

 

 この時ばかりは、アルは【闇派閥】に感謝した。彼らとの闘いが無ければ、果たして感情に呑まれない自分を作り上げることが出来ていたかどうか、疑わしいからだ。

 

 そして、それと同時に。

 

 必ず今日の代価を支払わせるという、強力な感情が込み上げた。残念ながら、そこにはもはや正義も悪も関係なかった。

 

 ただ、それを果たすためにもまず目の前の障害(・・)を排除しなければならない。

 

 アルは、一瞬の内に頭を巡った様々な思考を一旦打ち切り、全ての意識を目の前の化物へ再び向け直した。

 

 激しい爪撃。血や汗、小石や砂が舞い散る中、変わらず化物の攻撃を躱しながら思考する。

 

 どうすれば隙を作れるか。そのために、自分が切れる手札は何が残っているか。この化物は、何を望んでいるのか。

 

 相手の攻撃に合わせ、こちらも一撃加えようと一歩前へ踏み込む。

 

「―――ッ!!」 

 

 が、その時不意に。踏み込んだ右脚がズキリと疼き、一際強烈な鈍痛を発した。電流が、一瞬で右脚から全身を駆け巡るような感覚。

 

 ―――折れた(・・・)

 

 過去数度経験した感覚に、アルの脳裏をその原因が()ぎる。

 

 気合でもって痛みを無視してはいたが、とうとう身体が悲鳴を上げたのだ。そのせいで踏ん張りが効かず僅かにバランスを崩し、アルは次の行動に移り損なった。

 

 長く斬り合ったお互いの間で、初めて生じた大きな隙。そんな決定打になり得る瞬間を、本能で生きる獣が行儀良く待ってくれるはずなどなかった。

 

 左上方から迫り来る必殺の鋭爪。

 

 眼だけを動かしそれを確認したアルは咄嗟に、そして無理矢理に。上半身の筋肉をフルに用いて上体を急激に反らし、回避を試みる。

 

 しかし踏み込んでいたが故に、間合いが近すぎた。避け切るには、時間が全く不足していた。

 

 飛散した血と肉片が、視界を覆う。

 

「―――ぐッ……ぅ……ッ」

 

 抉られたのは、左の二の腕部分。痺れる様な痛みが一瞬で脳髄まで駆け登り、目に見える光景がチカチカと明滅する。

 

 思わず声が出そうになった。叫んで、この痛みから気を紛らわせたかった。

 

 しかし、どんなに激しい痛みが襲おうとも。今この瞬間に、余計なアクションを起こす余裕など皆無だ。

 

 ―――次が来る、と。

 

 まともに相手を見てはいないが、それでも直感が大音量で警告を発した。

 

 アルは、歯を喰いしばりながら身を捩り、瞬間的に化物と距離を取る。ほんの一拍だけ遅れて、先程まで立っていた地面が轟音と共に大きく削られた。それは、明らかに斬り合う最中とは次元の違う威力。化物は、決め(・・)に来ていた。

 

「……っ―――ふっ……ぅ……」

 

 今のは、危なかった。

 

 判断が一瞬でも遅れていたら、今頃は一面に飛び散る肉片に仲間入りしていただろう。"死"という現実がこれ程まで目前に迫ったのは久方ぶりだった。

 

 一撃必殺の威力を目にし、改めて化物の脅威度を頭に刷り込む。少しでも手順を間違うと、必ず命を落としてしまうレベルだと。

 

 額に、多量の脂汗が滲む。

 

 力を失い、だらりとぶら下がる左腕の状態を、化物から顔を外さずに確認する。負傷部から来る疼痛が、絶えずアルを襲っていた。無理して両腕で剣を振るとしても、もう片手で数えられるくらいが限度だろう。こちらの攻撃力が削がれたことは間違いない。

 

 ただ、利き腕でないことだけは幸いだった。勝機(・・)が完全に消えたと絶望せずには済んだ。

 

 ―――そう、勝機。

 

 甚大なダメージを受けながらも、今の一瞬で見出した一筋の活路。

 

 賭けには違いない。が、自分に残る手札と周囲の状況を鑑みて、他に道は無いように思えた。

 

 武器を握る指に、力を込め直す。

 

 例え賭けであっても、失敗は許されない。失敗して失われる命は、自分だけではないからだ。

 

 化物の窪んだ瞳が、こちらを見据える。視線と視線が、絡み合う。アルに退路はなく、化物に引く意思はない。

 

 であれば、双方が取り得る選択肢は、たったの一つ。

 

「―――――らァッ!!!」

 

 アルは再び地面を蹴り、化物へと肉薄した。先程同様、至近距離での戦闘を挑む。主として使えるのは、右腕と左脚。

 

 ―――明らかに、遅い。

 

 万全時と比較すると、もはや5割以下の機動力にも見える。剣速は多少マシだが、敵を捉えるのがより困難になったことに変わりはない。

 

 それでも、アルが受身に回る(引く)ことはない。

 

 引けば、勝機が消え失せる。蜘蛛の糸にも満たない微かな道筋を、むざむざ逃すことになる。

 

 故に、肉薄。今となっては、捨身と言っても過言では無い戦法。

 

 

 代償は、大きかった。

 

 

 先程までの傷は、身体のほんの表面のモノ。それが、今は。

 

「~~~~~ッ!!」

 

 アルの身体を、確実に抉り取っていた。声にならない叫びが、アルの口から漏れ出る。

 

 が、耐える。歯を食いしばり激痛に耐え続け、致命傷だけは回避しながら機を待つ(・・・・)

 

 

 ―――胸当てが砕けた。

 

 何も変わらない。むしろ軽くなって良い。

 

 ―――左肩を削られた。

 

 数回保てば問題ない。それに右側はまだ健在だ。

 

 ―――右の太腿が抉れた。

 

 なんてことはない。どうせ酷使するのは後二度(・・)だ。

 

 

 化物が爪を振り下ろす度、尾を翻す度。アルの状態が変わっていく。

 

 もはや、最初の拮抗は露と消えていた。一方的に、アルが化物に嬲られているような状況。血に染まり、赤黒く変色していく着衣。

 

 そして、とうとう。

 

 「――――ッ、ぅ……あ…………っ」

 

 攻撃を避けた拍子に、アルが膝をついた。

 

 「はっ……はぁっ……はぁ……っ」

 

 限界なのだろうか。顔を地に向け、アルは激しく息を切る。

 

 が、それを見下す化物に哀れみの感情はない。ただ、無感情に目の前の獲物を狩るだけ。

 

 化物は、この戦いを終わらせる為に爪を大きく(・・・)振り上げた。抵抗の激しかった獲物を、この一撃で葬る為に。

 

 ――――そう、間違いなくトドメをさす(・・・・・・)ための攻撃。

 

 斬り合う最中とは、明らかに質が違う。その威力は、数倍にも上るだろう。それこそ、不必要なまでに。が、しかし。その予備動作も、予想される威力に比例して大きくなっていた。

 

 そして、これがまさしく。アルが、先ほど見出した活路だった。

 

 化物は、気付いていなかったのだ。アルの眼が、諦めの色を欠片も帯びていなかったことに。地に顔を向けてなお、化物の様子だけは確実に窺っていたことに。

 

 

 リューにトドメを刺すときも、先程こちらを仕留めようとしたときも。どちらも、通常と比べて準備時間―――言うなれば、攻撃の助走(・・)が明らかに大きかった。

 

 残念ながら、演技は上手くない。が、こういった本能で生きる獣を騙すためには。その"トドメの一手()"を引き出すためには、偽りだと嗅ぎつかれてはならない。

 

 それ故の、肉薄。被害まで織り込んだ上での―――その身を、チップとして賭け(ベットし)た上での、分の悪い近接戦。"肉を切らせて骨を断つ"という言葉が極東にはあるらしいが、正に文字通りだった。

 

「――――ふ……ッ!!」

 

 溜めた力を開放するような短い一息。その一息の音が響いた瞬間、アルは疾風の如く動いた。一瞬後、化物の腕が振り下ろされ、暴力的ともいえる威力が叩きつけられる。既に誰も居なくなった(・・・・・・・・)地面へと。

 

 化物の視界から、アルの姿が消えた。しかし、化物が周囲を確認することはなかった。それよりも早く、その身を襲った衝撃によって獲物がどこにいるか思い知ったからだ。

 

 アルが移動したのは、化物の無防備な腹部の真下。どう足掻いても視界に入らないその場所で、化物が次のあらゆる行動に移る前に。アルはその瞬間の全力を以って大剣を振り上げた。剣の()を上方に向けて。

 

 つまり、化物の身が切断されることはなく。打撃によって砕かれた身体表面の欠片をパラパラと散らしながら、空中へと高く打ち上げられた(・・・・・・・)

 

 これが、化物を一撃の下葬り去るために作ろうとした、明白な隙。

 

 相対する者全てを恐怖へと突き落とす機動力も、接地面が無ければ意味を成さないのは自明の理だ。

 

 そしてアルは、そのトドメを放つための準備に移った。

 

 両手で柄を握った《エクスキューション(愛剣)》を肩に担ぎ、左脚を一歩前に踏み出して前傾姿勢。それは、吶喊(とっかん)する直前の姿そのものだ。

 

 宙に浮く化物の眼窩には、変化していく獲物(・・)の様子が映り込んでいた。

 

 アルの身体へ、徐々に光が収束していく。強さと(まばゆ)さを(たかぶ)らせながら。

 

 漏れ出た力が小さく爆ぜるように、バチバチと音を立てては弾けていく。彼の身体を中心に、地面との間に稲妻が走るように。その音量と規模を激しく拡大しながら。

 

 ―――――【雷轟一閃(ドゥオ・ブリッツ)】。

 

 これは、アルの切り札といえるスキル。

 

 その効果は、能動的行動に対するチャージの実行権。チャージすればするほど、力と敏捷(・・・・)が加速度的に増加していく。

 

 このスキルは色々と制約があり使い処が限られる上、体力も大幅に必要となる。が、それを補って余りある程の強大な能力補正を使用者へもたらす代物だ。

 

 

 化物が宙に打ち上げられ、再び地面に到達するまで約10秒。

 

 その10秒間の完全な無防備(・・・・・・)と引き換えに。スキル(切り札)はアルに、標的(化物)を破壊するに足る力を授ける。

 

 上昇から落下に転換する中で、化物は空中にも関わらずしきりに破爪を右へ左へ薙いでいく。それが単純に攻撃するためか、もしくは目の前の光景(光を纏っていくアル)に危機感を覚え自身を防衛するためか。誰も知る由はない。

 

 ―――――もはや眼前の怪物は、アルにとって正しく獲物と化していた。

 

 アルは、地面へ近付く標的(・・)をその二つの眼で確認しながら、きつく歯を喰いしばった。全身に力を込めたせいで、左腕に残された爪痕や体中の傷が活性化し、激しい痛みと共に多量の血が流れ出す。

 

 しかしそれら全てを、アルは意識の外へ追いやった。

 

 この一撃に、全ての想いを乗せるために。

 

 志半ばで惨殺された仲間達の無念も。その光景を目に焼き付けたリューの悲嘆も。それらの事態に関わることすら出来なかった自身の悔恨も。

 

 こんな惨劇を引き起こした、目の前の化物と【闇派閥】に対する獰猛な憤怒さえも。

 

 全てを、一部も逃さず力へ変換する。呼応するように、光が急激にその輝きを増していった。

 

 そして化物の爪先がようやく地面を掠めた、その瞬間。

 

 

 ――――― 一際眩い光が弾けた。

 

 

 以前アルがこのスキルを用い、階層主への最後の一撃(トドメ)とした時。

 

 周囲にいた誰しもの眼に映ったのは、一筋の歪な光の線。そしてそれが、敵を刹那で断ち切った結果(・・)

 

 全ての反応も―――音さえも置き去りにして、瞬きの間に標的(階層主)を真っ二つに切り裂いてのけた()を見て、その場に居た誰かが口から零した。

 

 まるで"雷"のようだ、と。

 

 故に、彼は【雷】。故に、彼は【迅雷】。

 

 

 そして今。

 

 【雷】に打たれたのは、化物(ジャガーノート)。光が弾けた瞬間、敵の眼前から姿を消した獲物(アル)

 

 そしてほんの一瞬遅れて。化物の前方と遥か後方から同時に(・・・)轟音が響いた。

 

 アルが着地(・・)したのは、化物から見て遠く後方にそびえる水晶()。蹴りだした地面も着地した壁も、どちらも衝撃に耐えきれず円形に大きく(ひび)割れ激しく隆起した。

 

 

 

 未だ着地を終えない化物。その眼孔がぐるりと動き、アルの姿を再び視界に収める。

 

 ―――そこにいたのか、と。

 

 化物は先程までと何も変わらないように、再び狩りへ戻ろうとする。化物にとって、アルがどんな手品を使用したかなど微塵も関係なかった。重要なのは、獲物がそこ(・・)にいて、自らがここ(・・)にいること。それ以外の事象は、なんら意味を持たない。

 

 そして化物は自らの意思に従い、狩猟を再開するため身を翻しながら地面に着地―――しようとした。

 

 が、その"身体"はその"意思"に追随しなかった。

 

 知覚していなかったのだ。それが、あまりにも刹那の出来事であったために。

 

 ―――身体が、二つに分断(・・・・・)されていることに。

 

 左肩に当たる部分から袈裟に真っ二つになり、後ろ半身に当たる部分は細かく刻まれていた。ついでとばかりに、その頭部も口から先端にかけて脱落していく。

 

 

 

 広間にガラガラと響く、バラバラになった骨が幾度もぶつかるような軽い音。

 

 アルは地面に降り立ち、化物を一瞥する。

 

 そして一つ息を吐いて、その物体(・・)に興味が失せたように視線を外しリューの下へと歩き出した。

 

 



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05. 『運命の日 後編』

3/4
今回は間に合いました。


 真っ二つに分かれた骨の化物(ジャガーノート)。特に、後半身は完全に粉々。

 

 自身に蓄積したダメージで少々狙いがズレた(・・・・・・・・)が、もはやソレは動く事など無いように思えた。

 

 

 ―――やっと。とうとう、とうとう斃した。

 

 

 アルの身体を、今まで押さえつけていた疲労感や痛みが襲う。崩れ落ちそうになる自分を、精神力で以って踏みとどまらせる。

 

 みんなの仇を取った。それは、間違いない。

 

 なのに。それなのに。

 

 歓びの感情など、欠片たりとも浮かんではこなかった。心を覆うのは、ただただポッカリと穴の空いたような喪失感だけ。

 

 被害が大きすぎたのだ。生き残ったのが、自分とリューのたった二人だけしかいない。他の十人の仲間達は、みな平等に血の海へ沈み、物言わぬ骸と化していた。

 

 こんな光景を、こんな地獄を、断じて現実だと思いたくはなかった。顔を覆って崩れ落ちたかった。心の底から、泣き叫びたかった。

 

 しかし、それら全ての感情を、アルは完全に黙殺した。

 

 まだリューがいるのだ。自分と同様、心と身体に深い傷を負ってしまった仲間が。いや、仲間という言葉では表せないほど、大切な存在が。

 

 彼女の前で、それもこんな場所で。弱い自分を見せることなどできない。

 

 そう考えて、自分自身にムチを打つ。

 

 軋む身体を引き摺り、全身に圧し掛かる疲労感を振り払い、アルはリューの下まで歩みを進めた。

 

「―――リュー」

 

「……」

 

 彼女の名前を呼びかける。しかし、まだ意識が混濁しているのだろうか。細く開いた瞼が微かに上下するだけで、反応も返答もない。

 

 アルは、瞳をキュッと強く瞑った。

 

 本当であれば、このまま自分が運んでやりたい。自分と違い、仲間全員の死の瞬間を目の当たりにしてしまったリューを、少しでも長く休ませてやりたい。

 

 しかし、アルの身体の状態が、それを不可能であると示していた。余裕など皆無だったのだ。

 

「……許せよ」

 

 小さく呟き、アルは平手でリューの頬を張った。

 

 パンッ、という乾いた音が広間に木霊す。

 

 ほとんど同時に、リューの瞼がしっかり開き、しばらくしてその焦点が合った。

 

「―――ぁ、アル? 私は、一体、何を……」

 

「リュー、よく聞いてくれ」

 

 状況を把握できていないリュー。そんな彼女が辺りを見回すよりも早く。アルはその細い両肩に手を置き、自分に視線を集中させた。

 

「残ってるのは俺たちだけだ。今から18階層まで戻る」

 

「……え、あ、アリーゼは……輝夜は……」

 

「リュー」

 

 有無を言わさぬ強い意志を、瞳と言葉に込める。

 

俺たち二人だけ(・・・・・・・)だ。今は何も考えるな。全部18階層まで戻ってからだ」

 

 その言葉で全てを思い出し、理解したのだろう。リューの瞳は数秒間いっぱいに見開かれていたが、やがて瞼を閉じ、唇を震わせた。

 

「わかり、ました……。ただ、少し……少しだけ時間を下さい」

 

「ああ。でも、本当に少しだけだ。余裕がない」

 

 非情とも言える言葉を、アルはリューへと無遠慮にぶつけた。

 

 非難なら甘んじて受ける。(なじ)り、(そし)り、全て受け入れる。

 

 その覚悟をするほどに、今のアルたちにとって時間は重要だった。

 

 偶々今は周囲にモンスターがいないが、いつ現れるとも分からない。大群でくれば、対処も難しいかもしれない。故に、二人が生き延びるためには、一刻も早い移動が求められていた。

 

(今のとこの心配事は……)

 

 【闇派閥】が遠慮全く無しで使用した火薬石のせいで、通路が塞がっていないかどうか。本当に面倒なことをしてくれたモノだ。

 

 見た所リューは、片足の骨が折れている。自分もかなりの手傷を負っていることを加味して、できる限り最短ルートを通りたい。移動する距離が延びれば延びるほど、生き残る確率は飛躍的に減少していくのだ。

 

 そんな、次の順序についてアルは思案していく。リューが心を落ち着かせる僅かばかりの時間ではあるが、決して無駄にはできなかった。

 

 そして数十秒後、リューはひとまずの落ち着きを取り戻したようで、その顔を上げた。

 

「リュー。大丈夫なのか?」

 

 アルは問いかける。

 

 しかし、これはほとんど確認に近かった。リューの瞳には、確かな意思が宿っているのが見て取れたからだ。

 

 そして彼女が、静かに頷き返答しようとした。

 

「……もう、大丈夫です。アル、すぐに移動し―――」

 

 

 その時だった。

 

 ドッ、と。

 

 アルが感じたのは、腹部への強い衝撃。僅かによろめく。

 

「ぁ……え……?」

 

 ほぼ同時に、目の前のリューの顔に、何やら赤色の飛沫が付着した。

 

 ―――あぁ、綺麗な顔なのに、また汚れちゃったな。

 

 そんな他人事のような考えが一瞬頭に浮かんだアルだったが、どうにもおかしいと思い直す。

 

 そして、その液体が自らの血液(・・・・・)であると気づくのに、時間は掛からなかった。

 

 

 驚愕したように見開かれる、目の前のリューの瞳。

 

 下に目を向けると、そこにあったのは自身の体を貫く骨張った爪のようなモノ。その表面には、べったりと満遍なく赤黒い液体が付着していた。

 

 腹部の異物感と圧迫感。そして、熱く鉄臭い塊が腹から込み上げてくる感覚が、アルを襲った。

 

「ぅ―――ごふっ……ゴホッゴホッ!!」

 

「あ、ぁ、アルッ!」

 

 ようやく理解が追いついた。自分は攻撃された(・・・・・)のだ。けれど、何から? 新しいモンスターの気配はなく、生きている【闇派閥】ももはやここにはいない。

 

「はぁッ……ごほッ、ゴホ!! はぁ、はぁッ……なに……が……?」

 

 口から血の塊を吐き出しながら、答えを得るためにアルは背後へと顔を動かした。

 

 ―――そこにあったのは、信じ難い光景。

 

 斃したはずの化物。その半分砕けた頭部―――眼孔には再び妖しい光が灯っており、かろうじて繋がっている右腕部を、目一杯伸ばしてこちらの体を刺し貫いていた。

 

 お前を決して逃がさないとでも言うように。狙った獲物は、必ず排除するとでも告げるように。

 

 ここに来て、初めてアルは恐怖を感じた。化物の不死身とも思える生命力と執念が、理解の範疇を越えていた。

 

「ぐ……っあ、あぁあああぁぁぁああッ!!!!」

 

 半ば錯乱したように力を込め、痛みも関係なしに無理矢理大剣を背後に薙ぐ。

 

 普通であれば、こんな雑な攻撃を化物は軽々と避けることができただろう。しかし、行動らしい行動は緩慢とも言える速度での身動ぎのみ。もはや、お互いに限界だった。

 

 軽い弾けるような音と手応え。腹から爪が抜ける。

 

 身体にパラパラとぶつかる細かい破片。それで、化物の右腕を破壊できたと理解する。が、同時に夥しい量の血液が、ぽっかり空いた穴から勢いよく流れ出た。

 

 フッと暗くなる視界。全身から力が抜け落ち、前のめりに倒れそうになる。しかし、アルは反射的に剣を地面に突き刺し、体重を預けることで何とか持ち堪えた。

 

 

 ―――意識が飛びそうだ。

 

 

 血を、失いすぎた。

 

 眼の焦点は揺らぎ、もはや痛みよりも寒気の方が強く感じる。

 

 アルには、意思とは無関係に震え続ける自分の身体が、もう無理だと叫ぶ声が聞こえていた。

 

 しかし、まだ。まだ化物(アイツ)は生きている。ヤツの眼孔には、()が灯っている。トドメを刺さすまで斃れることはできない。

 

 歯を食いしばり、アルは最後の力を振り絞る。

 

「こ、ンの―――ッ!」

 

 振り返り、その身に残るありったけの力を込め、担ぎ直した大剣を化物の頭部へ投げつけた。

 

 四肢を失い、もはやそれを躱す術はなく。化物は、動けないまま頭にその攻撃を受け、今度こそ粉々に砕け散った。

 

「ぐっ、……はっ、……はぁ……っ」

 

 それを見届けたアルは、天を仰ぐようにドサリと崩れ落ちた。そのアルを起点に、血溜まりが地面へと広がっていく。

 

「アル、アルッ!! しっかりして下さいッ!」

 

 すぐ近くで、リューがこの世の終わりのような顔をしながら叫んでいる。激しく、こちらの身体を揺さぶりながら。

 

 そう、リューが近くで叫んでいるはずなのに。

 

 アルにはその声が、やけに遠く聞こえてしまっていた。揺さぶられる振動さえも、揺り籠のように心地よく感じる。

 

 もう、このまま眠ってしまえば。

 

 きっと、アリーゼ達と同じ場所へ行ける。

 

 しがらみや罪悪感なんかからも解放されて、もう一度、彼女達と共に歩める。

 

 それもいいかもしれないな、と。アルは、全身を支配しつつある眠気に身を任せようとしていた。

 

 しかし。

 

 僅かに働いた理性の部分が、そんな自分を強く咎めた。

 

 ―――そのしがらみや罪悪感を、全てリューだけに押し付けるのか、と。なんという無責任なクソ野郎だ、と。

 

 アルは、手放しかけた意識を寸前で繋ぎ止めた。

 

(……確かに、な)

 

 リューは、決して強くない。いや、冒険者として見れば、実力も精神力も相当なモノを持っている。それこそ、【アストレア・ファミリア】でも随一と言えるほどの。しかし、それでも。彼女は、一人の等身大の少女であることに変わりはないのだ。

 

 一人で背負えるモノは、あまり多くはない。派閥全員分の意思でも背負わせようものなら、壊れてしまうかもしれない。

 

 そんな結末は、欠片たりとも望んでいない。

 

 それに。それよりも、何よりも。

 

 きっと、自分まで死んでしまったら、リューは酷く悲しんでしまうだろう。これ以上、彼女の悲しむ顔は見たくないのだ。

 

 ……いや正直、今の泣いている顔はどこか儚く綺麗であるから、見たくないというのは少しだけ嘘が入っている。霞む視界ではあるが、困ったことにもう少しだけ見ていたい。

 

 ただ、この顔をずっとさせてしまうのは、最低な男に他ならないだろう。まだ、最低にはなりたくない。

 

 

 だから。

 

 俺はまだ、ここでは死ねない。

 

 

 手足に力を込め、何とか身体を動かそうと試みる。

 

 実際には指先が痙攣している程度しか動かすことが出来ていなかったが、あがいて、もがいて、地面を掻き続ける。

 

 しかし、立ち上がるには足りない。何かの助けがないと、厳しい。

 

 奮起も虚しく、最後の力も徐々に薄れ始めていった、そんな時。

 

「―――【ノア・ヒール】ッ!!」

 

 遠く聞こえた言葉と共に、腹部にジワリと。暖かく優しい火が灯るような感覚。その温もりはやがて手足の先まで辿り着き、動くための原動力へと変換された。

 

 これは、リューの治癒魔法だ。

 

 眼に映る物が徐々に輪郭を取り戻し、呼吸からも若干ではあるが息苦しさが取り除かれていく。

 

 目の前にあったのは、血と涙と疲労でぐちゃぐちゃなリューの表情。

 

 もう何年も共に戦ってきた。顔を見ればわかる。リューだって『精神疲弊(マインドダウン)』寸前だろうに、貴重な残りをこちらに回したのだ。

 

「り、リュー……せっかく……ちょっと、休もう……と、して……たのに……なに……するんだよ……」

 

 アルは、リューを安心させるために精一杯口角を上げながら軽口を叩こうとするが、うまく舌が回らなかった。

 

 失敗したな、と息を整えながら思う。

 

「黙って下さい! 少し……少しでもっ、アルは体力を温存するべきだっ!」

 

 眼に涙を溜めて、リューは言葉を荒げた。

 

「は……はは、悪い」

 

 さすがにアルは、その姿を見ると大人しくせざるを得ないなと感じた。

 

 ただ、ここに留まることはできない。ここは決して、安全地帯では無いのだ。

 

 移動するのは、正直かなりキツイし、保つかもわからない。それでも、動いた方がいくらか生き残る目はある。

 

 だから、アルは覚悟を決めた。

 

「リュー……手を……貸してくれ」

 

「なっ、動くつもりですか!? そんな状態で移動したら、それこそ―――」

 

「あぁ、死ぬ……かも……しれない。でも……」

 

 動かないと生き延びる可能性はゼロだ、と。アルは、変えようのない事実を静かに告げる。

 

 そして、手短に指示を出した。

 

 出来る限り共に上の階層へ進み、可能であれば二人で18階層までたどり着く。不可能であれば、途中で自分を置いて、助けを呼びに行ってくれ、と。

 

 後者の指示に、リューは首を縦に振ろうとしなかった。それは、想定内。十分に起こり得ることだと、自分も含めて覚悟をすることが目的であるため、納得するか否かは大した問題ではない。それに立場が逆なら、きっと自分も了承しない。

 

 しかし、いくら辛かろうが移動する必要があることは、理解したようだった。

 

「……アル。苦しいと思いますが、立たせます」

 

 その言葉に、アルは何も言わずに軽く頷く。

 

 リューはアルの腕を自らの肩に回し、ゆっくりと立ち上がった。

 

「っ……ぅぐッ……」

 

 腹部どころか身体中に激痛が走るが、全て噛み殺す。叫ぶ体力すらも今は貴重だった。

 

「行きます」

 

「……あぁ」

 

 その言葉と共に、二人は歩き出した。

 

 擦るように歩くアルの歩幅は小さく、リューも片足を骨折しているため、その速度は極めて遅い。

 

 二人とも普段は高い敏捷、素早い動きで鳴らす冒険者。それが、今は見る影もなく。いっそ哀れにすら感じる程だ。

 

 そんな、絶望的な状況に変わりはないのに。

 

 それなのに、触れ合っている部分から伝わるリューの温もりに、アルは殊更生きているということを実感していた。

 

 そして、この実感がいつまでも続いて欲しいと願った。

 

 

 ―――すぐ傍に迫る"死"という現実から、目を背けて。

 



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06. 『エピローグ』

4/4
今回エピローグとなりますので、文章自体は極めて短くなっております。


 迷宮(ダンジョン)の中層域。

 

 数多の正義の命が儚く散った、運命の日。さらに一人の冒険者が、奮起虚しくその最期を迎えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

「―――少し……眠るだけだよ」

 

 いつも通りだろ? そう付け加えて、なんとか微笑んで見せる。

 

 彼女は、激しく拒絶した。

 

 あなたを一人置いては行けない、あなたが残るのなら私も共に、と。

 

 座り込み、大木に体重を預ける自分に対し、片膝をついて涙ながらに目線を合わせる彼女。

 

 困ったことだ。

 

 そんな泣き顔で、そんなことを言われてしまうと、やっと決心した気持ちが揺らいでしまう。

 

 けれど、だからこそ。

 

 何を言ってるんだ、と。助けを呼んでくるんだ、と。

 

「俺は……その間だけ、休ませて……もらうから」

 

 そんな風に、あくまでも"二人で生き残るため"だということを強調する。

 

 詭弁であることは分かっている。でも、そうしないと、彼女は到底納得しないだろうから。それに、嘘は言っていない。生きたい気持ちは本当だ。ただ、もはやその可能性が極端に低いだけ。

 

 ―――面倒をかけて悪いけど、頼む。

 

 狡い事この上ないが、有無を言わさずそう言って、押し付けた。

 

 しばらくの沈黙。

 

 そして数秒間の逡巡の後、音が出そうなほど強く拳を握り締め、俯き加減で。彼女は絞り出すように口を開いた。

 

 私を独りにしないで下さい、と。

 

 ズキリと、鋭い刃で貫かれたように胸が痛む。耐え難い苦痛だった。この日に受けた、どんな傷よりも。それでも、顔にも声にもその動揺を出さない。決めた心を変える訳にはいかなかった。

 

 それ故に、そんな彼女に掛けた最後になる言葉は。

 

 ―――俺が、死ぬわけないだろ?

 

 今までで、一番卑怯な嘘だった。

 

 

 

 背を向け、疾風(かぜ)のように疾走していく彼女を見送る。

 

 片足の骨が折れているというのに、とんでもない無理をしてくれているようだった。去り際の彼女の顔は、きっと生まれ変わったとしても忘れることはないだろう。 

 

 本当に、心苦しい。結果として彼女に全てを押し付ける形となった事も、嘘をついてしまった事も。しかしそれを踏まえても、これが正しい選択のはずだ。二人で生き残るのが最上であるが、一人でも―――彼女だけでも生かすのが、自分の為すべきことなのだ。

 

 そう、自分を正当化する。最期の時が近いのに、卑しさで自分のことが嫌いになりそうだった。

 

 

 

 そして、"限界"は程なく訪れた。

 

 何度か迫り来るモンスターを切り捨てはしたが、これ以上の抵抗は叶わない。

 

 端から(もや)が掛かっていくように、徐々に範囲を狭めていく視界。浅く、短くなっていく呼吸。手足を動かす気力すらも、もはや残ってはいなかった。

 

 そんな中、僅かに残る四肢の感覚が、幾本もの触手が巻き付くような感触(・・・・・・・・・・・・・・・・)を脳に伝えてきた。

 

 狭い視界にその光景は映らず、詳細は把握できない。

 

(養分……に……でも、なるのかよ)

 

 周囲の大木の一部だろうか。

 

 植物に生気を全て吸い取られた自分を想像して、そんな姿は見られたくないな、と頭の隅で思ってしまった。

 

 それでも、モンスターの餌になって食い散らかされるより幾分かマシではありそうだった。どうせ、迎える結末としては同じなのだ。

 

 しかし、結末が一つであっても。何もしないでただ"その時"を迎えるのは、彼女に不誠実だと思った。それに、ただ諦めてしまうと、"向こう"で待っている仲間達にも申し訳が立たない。

 

 だから。

 

 一縷の望みを賭けて、最後の言葉を紡ぐ。変えようの無い未来に抗うように。微かで弱々しいが、一言一言に凛と力を込めて。

 

 その効果すら経験していない、自らに初めて発現した『回復魔法』の詠唱を。

 

「―――【コールド…………スリープ】」

 

 そこで【迅雷】―――アル・チュールの意識は、完全に途切れた。

 

 

 

 この日、正義の派閥【アストレア・ファミリア】は壊滅した。

 

 第二級冒険者10人、及び第一級冒険者1人(・・・・・・・・)の行方不明―――すなわち【疾風】を除いた構成員全員の、迷宮(ダンジョン)からの未帰還という結果を残して。

 




ひとまず、この話をもって連続投稿完了、並びに0章の終幕となります。
今後は少々間を置いて1章の投稿という運びとなる予定です。

また、後書きという形で大変恐縮ですが
非常に多数のお気に入り/感想/評価を頂きましたこと、この場を借りて厚く御礼申し上げます。こんなにも反響を頂くとは夢にも思っておらず、リューさんの偉大さを唯々思い知るばかりです。今後はリュー様と表現することも検討中です。

リュー様マジ無上。



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