Life is what you make it《完結》 (田島)
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転移

 【ヘロヘロさんがログアウトしました】

 表示されたメッセージを悔しさとも悲しさとも言い難い複雑で微妙な思いを込めて見つめるが、メッセージウインドウはそんな思いなど汲みはせず余韻もなくすぐに消えていった。

 

 DMMO‐RPG「ユグドラシル」のサービス最終日。全盛期にはギルドランキング九位まで昇りつめ、PK(実際には大半がPKKであったが)の常習犯の巣窟として悪名高い異形種ギルド「アインズ・ウール・ゴウン」のギルド拠点、ナザリック地下大墳墓。最盛期には四十一人を数えたメンバー数は今は四人、そしてサービス終了直前の今そこに残っているのはギルド長ただ一人だった。ギルド長モモンガは円卓から立ち上がり歩き出し、ギルドの象徴たるギルド武器、スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが収納されている壁の前で立ち止まり、その豪華絢爛な杖をしばし見つめた後、部屋を後にした。

 思い出は所詮思い出にしか過ぎない。だけれどもそのアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの思い出だけが他には何も持たないモモンガ――鈴木悟にとっては人生の総てと言っても過言ではない輝きを持っている。輝かしい思い出の象徴とも呼べるギルド全員の力で作り上げたギルド武器を、最後だけでも手にしてみようと思いつつもそれは思い出を汚す行為ではないのかと躊躇し、結局やめた。スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンはモモンガが持つことを想定しチューンナップされた(スタッフ)だが、多数決を重んじたアインズ・ウール・ゴウンにおいてモモンガの一存で持ち出していいものではない。ギルド武器が破壊されればギルドは崩壊する。サービス終了まで後十分もない今となっては破壊などされようもないことは分かりきっていたが、それでも己の一存で持ち出そうとは結局思えなかった。

 ゲームを始めて十年、様々な事があった。始めたばかりの頃は異形種狩りが流行っていて、スケルトンメイジという異形種でゲームを始めたモモンガは幾度となくその被害に遭いこつこつと上げたレベルを狩られて死にレベルダウンして戻されるという繰り返しだった。ゲームの中でまで己は虐げられるだけの存在なのだろうか、そんな虚しさが降り積もりこんなゲームはいっそもうやめてしまおうかと思っていた頃、たっち・みーと出会い助けられ仲間たちの元へと連れて行かれた。最初の九人――クラン、ナインズ・オウン・ゴールで仲間と語り遊ぶ楽しさを知りレベルも順調に上がって、PKの被害に遭ったり異形ゆえ仲間のいない異形種たちを助け少しずつ仲間が増えていった。比較的初期に仲間に入ったウルベルトとクラン長だったたっち・みーのリアル事情も絡んだ確執からクランが割れそうになり、推挙を受けて説得もされモモンガが新たなギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長を務め纏めることになった。

 それからの騒々しくも賑やかで夢のように楽しい日々は忘れようとしても忘れられない。ギルド長といっても意見の調整や各種連絡などの雑務をこなしていただけだが、ウルベルトやペロロンチーノに乗せられて始めた魔王ロールが死の支配者(オーバーロード)の禍々しい外装(ビジュアル)と相俟って意外にもハマってしまい、アインズ・ウール・ゴウンがPKに興じる悪のギルドであるという一般的な認識も合わさって非公式ラスボスなんて嬉しくない評判が定着してしまった。日がなどうでもいい与太話に興じ、未知を求めて冒険をした。楽しさも嬉しさも仲間たちとなら何倍にもなり、怒りや悔しさは仲間たちが分かち合って笑い話にしてくれた。こんなにも楽しく心安らぐ居場所は、他のどこにもなかった。

 物心つかぬ内に父を、無理をして入れてくれた小学校を卒業する前に母を失い、どうにか小学校を卒業して貧民層としては最低限の学歴を得たが待っていたのはブラック企業の末端の歯車の一つに成り下がる日々だった。家族も恋人も友人もなく、リアルでの日々をただ耐え忍び惰性で生きる鈴木悟にとって、モモンガとして仲間たちと過ごす時間は何物にも代えがたいほど輝いていた。

 

 ――楽しかった、本当に、楽しかったんだ。

 

 廊下に出て、ふと立ち止まる。

 リアルでの事情などから少しずつメンバーは引退していき、現在ギルドに在籍しているのはモモンガを含めて四人。他の三人も今日は短い時間だけ挨拶に来てくれたがゲームを遊ぶ目的で最後にいつログインしたのかなどモモンガですら思い出せないほど前だ。最後まで残っていきませんかとは言えなかった。皆明日の仕事がある、事情がある。モモンガさんは少しぐらい我儘を言った方がいいですよとたまに言われたものだが、ギルドが所有する世界級(ワールド)アイテムの一つをモモンガ専用にする希望を多数決で可決された事以外には最後まで結局言わなかった。和を乱したくない気持ちはもちろんあったのだが、これといった希望が浮かばなかったというのもある。

 一人になった今、最後はギルド長らしく、悪の華と呼ばれたギルドの魔王らしく玉座の間で過ごそうかと思って円卓(ラウンドテーブル)を出た。だがここでモモンガの悪癖とも言うべき貧乏性が首を擡げた。ゲームの最後に記念になるような光景を仲間たちと見たい、そう思って墳墓の外グレンデラ沼地に用意したものの事を思い出し、労力をかけて準備したのに使わないのも勿体ないかと思ってしまったのだ。

 思い付いたら時間が惜しい。サービス終了は日付変更の零時、残り僅か数分しかない。指に嵌めたリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの転移機能を使って地上階の大霊廟まで転移し、大急ぎで外に出る。

 ナザリック地下大墳墓のあるヘルヘイムは永劫の闇に閉ざされた夜の世界、空は星明かりすらない暗闇に覆われ墳墓の周囲は毒の沼地に囲まれている。周囲にPOPするツヴェークたちも最終日のため今日ばかりはアクティブではなくなっていて近寄っても襲ってくることもない。今日は有給を取っていたので朝からログインしノンアクティブになったツヴェークたちの間を縫うようにせっせと仕込んでいたのだ。

 システムの時計を確認すると二十三時五十七分になっていた。もうそんな時間かと思い、頃合いとしては丁度いいだろうとも判断して、ナザリックの正門から沼地に踏み出したモモンガは沼地の至る所に設置したアイテムの最初の一つに着火した。

 ヒュー、と空を切る音が上空へと遠ざかっていき、時を置かずして暗闇に光の華が咲き、ドンと腹の底に響く重低音が鳴った。連動式にしてあるので最初の一つに着火すれば自動的に次々に花火が空を光で飾っていく。その総数五千、様々な色に彩られた光の華がぽっかりとした暗闇を埋めるがごとく飾り立て、残光を残して呆気なく消えていく。サービス終了記念に安くなっていた課金アイテムの花火を大量に買い込んだ。仲間たちと見る最後の光景をせめて華やかに飾りたくて。ただ、それだけの為に。

 墳墓といえば墳墓らしい栄光の残骸と化した墓を、仲間たちが戻ってくる事を信じいつ戻ってきてもいいように輝かしいまま維持しようと一人孤独にソロ狩りを続け、拠点の維持資金を稼いでいただけの墓守としての最後の数年。在りし日の輝きを忘れられなくてそれにただ縋っているだけなのだと、心のどこかでは分かっていた。それでも、どうしても捨てられなかった。花火だなんて、こんなものを見るんじゃなかった、心からそう思った。ひととき輝いて、残光を引いて消え散っていく。まるで、ユグドラシルでの輝いていた日々が所詮は儚い花火のようなものだったのだと言われているようで、一人で見上げる光の祭典はただ虚しく悲しかった。どうして花火なんて見ようと思ったのだろう、せめて誰かいてくれたなら、綺麗だと笑ってくれたなら、これもまた楽しく美しい思い出の一つになったかもしれないのに。

 打ち上がる花火は数を増し、見上げた視界が白く染まっていく。いくら最後だからって奮発しすぎたかなと苦笑が漏れた。この光景を見届けて強制シャットダウンされたらすぐに寝なければならない、明日は四時起きなのだ。夢の時間は終わりを告げ、輝きは胸に苦みと痛みを残して思い出に変わる。誰も現実からは逃れられない、ましてや貧民層にいる鈴木悟はその日を生きるのも精一杯なのだ。貧しい者は貧しいままそこから這い上がる機会は決して与えられない。世界はそういう風に出来ている。

 

 真っ白な視界が、突如暗転した。

 

 強制シャットダウンされたかと思い当たると、ぱっと視界が切り替わる。まず梢が見えた。どう考えても自室ではない、シャットダウンされていない。ならば未だゲーム内の筈、なのだが。

 グレンデラ沼地はその名の通り沼だ、木なんて生えている筈はない。だが周囲を見渡すとどう見ても深い森だった。まさかと思って目線を下に落とすと、地面をびっしりと覆い尽くし生い茂る下生えに脛まで埋まっていた。そして、緩い風に乗って湿った緑の匂いが鼻をくすぐる。

 待て、匂い? おかしくないか?

 辺りをきょろきょろと見回しながら、モモンガはただひたすら動揺していた。味覚と嗅覚はDMMO‐RPGの基本法である電脳法によって実装が禁止されておりゲーム上では完全に削除されている。そこまで再現すると現実世界と区別が付かなくなり混同するためというのがその理由だ。

 どう贔屓目に見てもここは自室ではない、どうして強制ログアウトされた様子はないのに匂いがするのだろう? 慌てて時計を確認しようとするが、先程まで表示されていたシステムコマンドやシステム一覧の表示全てが消えているし出すこともできない。左手首の時計を見てみると既に零時二分だった。

 ログアウトできないのは強制シャットダウンの延期なのだろうか、見覚えのない場所にいるのはバグなのだろうか、対処法がGMに連絡し確認するぐらいしか思い浮かばない。GMと連絡を取ろうとしてコンソールを出そうと操作しても反応がない。シャウトもGMコールもシステム強制終了も使えない。まるで完全にゲームのシステム上から除外されてしまったようだった。こんな事がありえるのだろうか。

「どういう事だクソ運営! 折角の最後だったんだぞ、最後の最後でこんな! ふざけるな!」

 やけくそになり湧き上がり溢れ出す怒りを叩きつけるようにありったけの大声で叫ぶ。モモンガの怒鳴り声にか怒気にかは分からないが周囲の命あるものが一斉に反応し、眠っていた鳥たちは叩き起こされ一斉に飛び立ち獣は駆け去り、虫たちは羽のあるものは全速力でモモンガから遠ざかろうと飛び去りバッタは地を跳ね地を這いずる虫も恐らくはその短い生で最高の速度を出してモモンガから距離を置こうと必死に足を動かしていた。

「……えっ」

 その光景を見て、怒りもすっかり忘れてモモンガは呆気にとられた。森にPOPモンスターが配置されているなら分かるのだが、ゲームには直接必要のないディティールである森の生き物たちをこんなに大量に微細に描写するのに一体どれだけのデータ量が必要なのだろうか。プログラムの専門家ではないから分からないがきっと膨大なのではないだろうか、今ここにヘロヘロさんがいたら聞けるのにと少しだけ思う。しかもただ表示されているだけではなく、モモンガの行動に明らかに反応した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 まるで、現実? そこまで考えてぞっと背中が冷えるのを感じた。DMMO‐RPGは確かに仮想現実であり深い没入感を得られるリアルさがある。だがあくまで仮想であり実際の現実ではない。目の前の森にしてもユグドラシルの森林エリアより格段に高い映像解像度とより緻密なディティール、リアルさがある。まるでこれが現実であるかのように。微風が頬を撫でる感触など本当に現実にいるかのようだ。

 淡い期待を込めてユグドラシル2の情報を追っていたので、最新のDMMO‐RPGに使われている技術に関しても鈴木悟は(浅くはあるが)ある程度は知っている。だがこんな本当に現実世界にいるかのようなリアルな描写を可能とする技術革新の話など聞いたことがなかった。そんなものがあったらいくらなんでもニュースにならないわけがない。そもそもそんな技術革新があっても法律で禁止されているのだから嗅覚の実装は無理だ。

 考えても分からないものは分からない。今考えるべきはGMと連絡を取る方法だ。そう気持ちを切り替え他の方法を考える。やった事はないが、〈伝言(メッセージ)〉の魔法でももしかしたら連絡がとれるのではないだろうかと思い当たる。GMにもキャラデータがあり、アバターがゲーム内を動き回っている。という事は、可能性としてはないわけではない。しかしコンソールが出ないのにどうやって魔法を使えばいいのだろう。

 しばし黙考し、突然理解した。これはコンソール操作のようなそういった言葉で説明できる種類のものではない、右腕を動かしたいと脳が指令を出したら即座に右腕が動くようなものだ。奥深くに確かに存在する魔力に手を伸ばし、〈伝言(メッセージ)〉を発動する。妙な感覚がした。糸のようなものがモモンガから伸びていって、やがてどこにも届かずに魔法の持続時間が切れた。もしかして、と思い、虚空に腕を伸ばし指を翳す。魔法を発動しようとするだけで魔法の効果範囲、リキャストタイム、残りMP、様々な情報が分かってしまう。

「〈電撃(ライトニング)〉」

 ばりばりばり、と閃光が夜の森を切り裂き震わせた。放った先にある木に大穴が開いている。

 魔法を、使えてしまった。そもそも手も腕も骨だ、恐らくは死の支配者(オーバーロード)のアバターのままなのだろう。纏っているローブもゲーム内で着ていたものだ。ということは、いまいるこの場所は現実――リアルでもない。ユグドラシルの魔法が使えるのだからユグドラシルの続編か何か、と思いたいところではあるのだが、そんな情報は何もなかったしサプライズにしても強制的に参加させるなど拉致監禁ととられてもおかしくはない、ユグドラシルの運営がそんなリスクを犯す理由もメリットもない。そもそもコンソールも出さずに念じるだけで魔法が使えるゲームなど今の技術では無理だろう。

 リアルでもなければユグドラシルでもない、では今いるここは一体何なのだろう。

 どれだけ考えても分かるわけがない。その内モモンガは考えるのをやめ、適当な木の根元に座り込んだ。リアルにある鈴木悟の肉体の脳内のナノマシンはゲーム中多量の栄養を必要とする。栄養が足りなくなればハード側で強制的にシャットダウンされる筈なのだから、もしこれがユグドラシルではないゲームなのだとしてもそれまで待てばいいのだ。最後に補給したのは夜九時頃だったので、そう待たない内に強制シャットダウンされるだろう。

 

***

 

 なんて思っていた頃が俺にもありました。

 夜が明けても、強制シャットダウンがかかる様子は一切なかった。

 そして不可解な点が新たに二点見つかった。まず一つ目は眠気と空腹感や喉の乾きが一切ないこと。そして二点目は時間の進み方である。

 徹夜している事になるのだが眠気など一切なく、昼間の活動的な時間のように頭が冴えている。生理現象のようなものも一切ないのは、あまり考えたくないがアンデットの疲労しない特性や飲食不要の特殊能力によるものなのだろうか。考えてみればあまりにもおかしな状況なのに動揺や怒りなどにより感情が昂ぶるとすっと冷えそれなりに冷静な思考を保っていられるのも、アンデッドの精神作用無効によるものなのかもしれない。夜の森でも昼間であるかのように見えていたのはゲームだからだと思っていたがこれも種族特性として持っている闇視(ダークヴィジョン)の効果だろう。

 時間については、時計で確認したが実時間と同じように進行していると思われる。ゲーム内ならば(クエストの進行などの基準としてのゲーム内時間の)日付の進みは実時間とは違っていたし、実際(ヘルヘイムのような常闇の世界では関係なかったが)ゲーム内時間に合わせて画面上の昼夜も進行していたので今いるここはゲームではない、どちらかといえば現実世界に近い世界であるという可能性がますます高まってしまった。

 一度確認のため〈飛行(フライ)〉で上空に上がり空から周囲を眺めてみたが、全く見覚えのない場所だった。今は、何をする気力もなく木の根元にただ座り込んでいる。

 モモンガにとって重要なのは、何処とも知れない場所に一人で放り出された、という事だった。

 リアルでは天涯孤独で恋人も友人もない鈴木悟を待つ人も探す人もいない。アインズ・ウール・ゴウンの仲間たちは一人また一人と去って行って、一人残された。そして今度は本格的に誰も知らない場所に一人放り出されたというわけだ。乾いた笑いすらこみ上げてくる。

 どうして俺は独りなんだろう。

 去っていく仲間をやめないでくれと引き止めればよかったのだろうか。特に仲の良かったウルベルトやペロロンチーノなどとはメール以外の個人的な連絡先も交換していたのだからリアルでもっと関わりを持つべきだったのだろうか。次々と後悔が押し寄せてきては降り積もる。

 何も、こんなに徹底的に独りきりにすることないじゃないか。

 泣きたい気分だったが、泣くほど昂ぶった気持ちはすぐに落ち着きじわじわと胸を締め付ける切なさだけが残る。そもそも眼球も涙腺もない頭蓋骨がどうやって涙を流すというのだろう。

 じわりと胸を締め付け続ける悲しさや虚しさが不快で、モモンガは膝を抱えた。

 

***

 

 その日、エンリ・エモットはその時期にしか採取できない薬草を探してトブの大森林に入っていたのだが、どうにも森の様子がおかしかった。

 生き物の気配が一切ないのだ。いつもならばやや離れた場所から鳥の声が聞こえてくるし、今の季節ならば虫など鬱陶しいくらいの筈なのに、影も形も見当たらない。

 そのただならぬ気配に嫌な予感は強く濃くなっていくものの、薬草は村の大事な収入源、今の時期を逃してしまえば薬草の薬効は薄くなってしまうから高く売れなくなってしまう。いつでも逃げ出せるよう身構えつつも進み慣れた森の中を殊更慎重に歩を進めていった。

 やがて背の高い草の茂みを抜け、やや開けた場所に出る。もう少し進めば目当ての薬草の群生地なのだが、茂みを抜けたところでエンリの足は止まってしまった、いや止まらざるをえなかった。

「ひっ……!」

 そこには異形がいた。

 見たこともない高価そうな生地の漆黒のローブを着込んで木の根元に座り込んだその異形の顔は、眼窩に紅い光を宿した髑髏だった。異形はエンリを一瞥すると、興味を失ったのか目線を下に落とした。

 これはきっと、話に聞くアンデッドなのだろう。エ・ランテルでは墓地でよく出るというけれどもカルネ村では見たことがなかった。トブの大森林の、それもこんなカルネ村に近い所にいるとなれば一大事だ。だがエンリの足は村に向かって動かなかった。恐怖によって縫い付けられていたというのが一つ目の理由。もう一つの理由は、生者を憎み見境なく殺すというアンデッドが生者たるエンリに全く興味を持っていないどころか何かにいじけているかのように膝を抱えて座り込んでいるのは何故なのかがあまりにも不可解だったからだ。

「あの……」

「……なんですか?」

「何、してるんですか? そんな所で」

 返答が来るとは思っていなかったのに思いがけず丁寧な口調の返事が返ってきたので思わず間抜けな質問が口から出てしまったが、覆水盆に返らず、吐いた唾は飲めない。今にも襲いかかられてもおかしくはないそんな状況からくる恐怖に竦みつつ答えを待つ。

「……何もしてないですよ。というか、何もする気が起きないし何をしていいのかも分からないんです」

「はぁ……」

「俺に用事がないなら放っておいてくれませんか」

「あの……そういうわけにはいかないです…………だって、あなた、アンデッド、ですよね?」

 強い警戒を口調に滲ませながらエンリが異形の様子を伺いつつ口にすると、異形は顔を上げてエンリの顔をまじまじと見つめた。異形の顔が怖い、一般的な人骨よりいかつい顔付きをしているしぽっかりと開いた眼窩に灯る紅の光は禍々しさがある。ローブの豪奢さも合わせると邪教の御神体と言われても納得してしまいそうだった。改めて観察すると恐怖に思わず崩折れそうになってしまう。

「多分……そうだと思います。そう、ですね、多分俺はアンデッドです。なったばっかりでよく分からないんですけど」

「えっ、そういう感じなんですか、アンデッドになるのって」

「いや、分からないです。突然の事なので俺自身戸惑っているので」

「あの……生きてるものを憎んだり、してますよね……?」

「えっ? いえ、そういうのは全然ないです。アンデッドってそういう設定なんですか?」

 ないない、とでも言いたげにアンデッドは顔の前で手をぶらぶら振った。その仕草があまりに生きている人間、しかも善良な人間のようでおかしくて思わずエンリはくすりと笑いを零していた。こんなに怖い顔のアンデッドなのに。

「せってい、というのはよく分かりませんけどアンデッドはそういうものだって、街に住んでる薬師の友人が教えてくれました。私はあなたが初めて見るアンデッドなので……」

「なんか……済みません、初めて見るアンデッドが俺みたいな変な奴で……」

「いえ、いいんです! 普通のアンデッドに襲いかかられる方が困ってましたから! 死んじゃいます!」

「あはは、それもそうですね」

 アンデッドの笑い声は優しげな気のいい青年のそれだった。魔王然とした恐ろしい容姿さえ考慮しなければ。すぐにでも村が襲われるような警戒はしなくてもいいのかもしれないとエンリは安心し息をつき、緊張しっぱなしで震えていた脚に力が入らなくなり少し進んでへたり込んだ。

「大丈夫ですか?」

「あっ、あの……緊張して脚が……その、怖かったので」

「怖い……あっ、ああ、そうですよね、済みません、俺の顔怖いですよね……」

「いいんです、あの、勝手に怖がったのは私の方なので……それであの、お名前を聞いてもいいですか?」

 名前を問うと、アンデッドは顎に手を添え目線を下に下ろして考え込んだ。アンデッドとしての生を受けたばかりというからもしかしたらまだ名前などないのかもしれない。質問を間違えてしまったかもしれないとエンリがおろおろしていると、アンデッドは顔を上げ顎骨を動かした。

「モモンガ……といいます。君は?」

「エンリです。エンリ・エモット」

「近くに村がありましたけど、そこに住んでるんですか?」

「そうですけど……あの、村に何か……」

「ああ、別に襲おうとか考えてるわけじゃないです。ただの世間話です。アンデッドじゃ人間の中でまともに生きていけそうもないのは君の話でよく分かりましたし、近付くつもりはないです」

「えっと……あの、済みません……そういうつもりじゃなくて……」

 申し訳なくなってエンリは目を伏せた。目の前のアンデッド、モモンガは悪意などなくただ話をしようとしているだけなのに、アンデッドだからというだけで警戒してしまう自分が恥ずかしかった。悪意があれば既に発見している村なのだからすぐに襲えばよかったのだ、村が襲われていないということがモモンガに悪意がない何よりの証明だ。それに最初に言っていた、何もする気が起きないし何をしていいのかも分からない、と。

「あっあの! 言ってましたよね、何もする気が起きないし何をしていいのかも分からない、って! 何かその、悩みとか、あるんですか?」

 顔を上げ一気に捲し立てると、モモンガはエンリを見つめしばし黙り込んだ。恐らくきょとんとしているのだろう、段々アンデッドの表情が分かるようになってきてしまった。やがてモモンガは深く溜息をつくと膝を抱え直しエンリから目線を逸らした。

「ここじゃない別の所でですけど、仲間がいたんですけど……皆俺の前からいなくなっていったんです、少しずつ。仲間たちといるのが本当に楽しかったから俺は戻ってきてほしかったのに、ずっと待ってたのに、誰も戻ってきてくれなかった。独りになってしまった。そうしたら今度はこんな何処なのかも分からない誰も知ってる人のいない土地に飛ばされて、本格的に独りぼっちです。ぼっちは慣れっこだった筈なんですけど、慣れてたんじゃなくて仲間たちといられる時間があるからやり過ごせてただけなんだなって思い知って……済みません訳の分からない話しちゃって……とにかく、何の為に生きたらいいのか、よく分からなくなってるんです」

「何の為に……生きる? モモンガさんはすごく難しい事を仰るんですね」

 素直に疑問を口にすると、モモンガはエンリの方へと訝しげに視線を戻した。

「そうですか? 誰しも一度は考える疑問だと思いますけど」

「だって、私達みたいな農民なんて死なない為に生きるので必死で精一杯ですから、生きる意味なんてそんな難しい事考えた事もないです。ただ、今のお話で分かった事があります」

「何ですか?」

「モモンガさんは、一人で寂しいんだなって事です。もしかして寂しくなくなったら、生きる意味も分かるかもしれませんよ? 今日は薬草を採りに来たのであんまりゆっくり出来ないんですけど、もし良かったらまたお話に来てもいいですか?」

 頬には自然と笑顔が浮かんでいた。最初いじけていた風だったのは何のことはない、置いていかれて寂しがっていたのだ、それが分かるとこの優しげなアンデッドの力になってあげたいという気持ちが湧き上がってきた。アンデッドとして生まれたばかりだというしこの辺りにも不慣れな様子だし、エンリのような平凡な村娘でも多少は力になれることがあるだろう。

 モモンガはエンリの申し出を聞いて少し呆然とした様子だったが、やがてゆっくりと頷いた。

「はい、是非。色々お話してくれたら、俺も寂しくないです、助かります」

「良かった。じゃあ私、ちょっと奥に薬草採りに行ってきますね」

「お気をつけて」

 (恐らく)にこやかに手を振るモモンガが見守る中、ようやく緊張の緩んだ脚で立つ。少し歩くと焦げ臭い匂いがしたのでふと横を見ると、巨木に大きな穴が開いて向こう側が見えるようになっていた。

「……あの、モモンガさん」

「はい、何でしょう?」

「えっと、あの……穴は?」

「あっ、あはは……ちょっと魔法の試し撃ちで……済みません」

 この人(?)は怒らせたら大変な事になるかもしれない、力にはなってあげたいけど注意しないと。エンリは決意を新たにして今度こそ目当ての薬草の群生地へと入っていくのだった。

 

***

 

「参ったな……」

 誰にも届かないようなかそけきモモンガの呟きは宙に溶け消えた。エンリと話してみて分かった事がある。自分は人間を同族として認識できていない。

 まず最初エンリが姿を見せた時は羽虫が飛んでるくらいの認識しか抱けずにすぐ興味を失った。声を掛けられ言葉を交わす内に、段々犬猫に抱くのと同じような愛着が湧いてきた。アンデッドは生者を憎むと言っていたが、モモンガの今の状態としては人間は特に憎んでないけど興味もない、邪魔なら踏み潰すくらいのものだ。

 モモンガさん、愛の反対は憎しみじゃなくて無関心だよ、愛と憎しみは双子なんだ。そんな事を言ったのは誰だったろう。いい感じの言葉はついぷにっと萌えさん語録にしてしまう癖があるがこれはぷにっと萌えさんではないような気がする。人間が同族だった場合に抱く親近感を愛のようなものとして考えれば、今モモンガは対極の位置にいる。いっそ生者を憎むアンデッドの方がまだ人間臭い。

 体だけではなく心まで知らない内に人間を辞めてしまっていた。さすがにこれは洒落にならない。

 死の支配者(オーバーロード)

 厨二病にかかっていた鈴木悟(モモンガ)がルビのカッコよさだけで最終目標に定めた種族。まさかこんな人間を蟻か羽虫みたいに認識するような種族だとは思ってもいなかった。いやそもそもこんな訳の分からない場所に飛ばされて体も心もアンデッドに変質するという事態が想定外すぎるのだが。同族なら認識は変わるのだろうか。そもそも同族はいるのだろうか。アンデッドはいるようだが。

 とりあえず好意を持てれば犬猫がかわいいくらいの認識は持てることが分かったのは収穫と言えるだろう。エンリの言う通り、モモンガは、鈴木悟は独りなのが、寂しいのが嫌だったのだ。辛くて、それを訴える人が誰もいなくて、もし言う機会があったとしても口にできなくて。だから、独りになってしまうような生き方は避けたい。なるべく面倒事は起こさず、アンデッドだから難しいかもしれないが明るく和やかに過ごしていきたいものだ。

 ほんの少しだけ、細い針で暗闇を穿っただけのものかもしれないけれども光が見えたような気がして、モモンガはもし表情筋があったなら微笑みを浮かべていたであろう上機嫌で膝を抱え直した。



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遭遇

『モモンガさん、今から行きますね』

「はい、待ってるよ」

 首から下げた金のどんぐりのネックレスから聞こえてきたエンリの声に返事を返すと、モモンガは〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉でエンリと出会った場所へと移動する。

 この何処かも分からない場所へと来てから五日経った。あの後、薬草を採って戻ってきたエンリにこの場所では他の村人に見つかる危険性があると言われモモンガは森の奥へと居場所を移していた。この森はトブの大森林といい、奥に分け入ると危険な魔物が跋扈する人跡未踏の地になるため人は寄り付かないのだという。奥に進む際に〈敵感知(センス・エネミー)〉で敵意を持つモンスターや魔獣を探りながら進んだのだが、どういう訳かモモンガに襲いかかる輩はついぞ現れなかったのでこの森のモンスターがどれだけの力を持っているのかは未だ分かっていない。

 ちなみにモモンガは全く気付いていないが、死の王の強大なオーラを前に危機察知能力に優れた周囲のモンスターが逃げ去り他のモンスターや魔獣の縄張りを侵犯し、北の魔樹が周囲の森林を枯らしている事による北からのモンスター達の大移動も合わせて、トブの大森林の勢力図は現在大混乱に陥っている。

 そしてトブの大森林の南端に接する平野部にあるのがエンリの住むカルネ村だ。人口百二十人ほどの開拓村で、穀物の栽培とトブの大森林で採取できる薬草を売る事で生計を立てているのだという。

 森の奥から離れた村にいるエンリと話したアイテムは、ナザリック地下大墳墓のNPCである第六階層守護者の双子のダークエルフにぶくぶく茶釜が持たせていた物と同じ物で、離れた場所にいる二者の交信を可能にするアイテムだ。アイテムコレクターの気があるモモンガも持ってはいたのだが使い道がなくアイテムボックスの肥やしになっていたものが有効活用できた。モモンガは人目を避けるため森の奥に移動するが、普通の村娘であるエンリにそこまで来てもらうのは多大な危険が伴う。なので、エンリと話す時だけ事前に連絡してもらい村の近くに移動するという方法をとることにした。

 睡眠の不要なアンデッドになりモモンガは正直暇を持て余していたので、様々な実験をした。各種アンデッド作成や絶望のオーラといった基本的な特殊技能(スキル)は特に問題なく使えた。負の接触(ネガティブ・タッチ)も切り忘れて有効になっており触った木や草が瞬く間に枯れていったので慌てて切った。友好的に他者と接触するなら正直いらないスキルだろう。

 持っていたアイテムは結論から言えばエンリに渡している事からして問題なく使えている。アイテムボックスは開けるのか試そうとしてゲームと同様に操作してみたら、虚空に窓のようなものが開きその中の空間にインベントリがありアイテムが陳列されていた。横で見ていたエンリからは突然宙に腕が消えたように見えたようで、更にそこからアイテムを引き出してきたので一体何の魔法かと大いに慌てていた。

 魔法といえばこの世界にも魔法詠唱者(マジックキャスター)という存在はあるらしい。冒険者という職業があり魔法詠唱者(マジックキャスター)もその一員となる事が多く、エンリの友人である街の薬師も魔法が使えるのだという。街にある神殿には信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が多数おり、寄進に応じて治癒をするという話もあった。具体的にどういう魔法が使えるのかは見たことがないため知らないということで聞けなかったのは残念だが、外見さえどうにかすればもしかしたら魔法詠唱者(マジックキャスター)として生活できるかもしれない。

 エンリとは短い時間ながら様々な事を話した。この辺りの国家の事、カルネ村周辺はリ・エスティーゼ王国の支配下である事、一番近い都市である城塞都市エ・ランテルの概要、年中霧に覆われアンデッドの跳梁跋扈する地であるカッツェ平野の話、農村の暮らしや街の友人の薬師、家族の事など。

 モモンガもここに来る前のユグドラシルでのアインズ・ウール・ゴウンの仲間たちとの冒険譚を語って聞かせた。ドラゴンハイドの確保の為にドラゴンを乱獲した話をした時、ドラゴンをそんなにいっぱい倒すなんてモモンガさんもお友達の皆さんも本当に本当に凄いんですね、と興奮気味に反応を返すエンリの姿に、かつての仲間たちを認めてもらえて誇らしくも嬉しい気持ちが胸を満たしたりもした。ドラゴンは全身余すところなく素材として有効活用できる話を思わず気分良く続けてしまった。

 NPCではなし得ない自然な会話の成り立つエンリの反応を見て初日に分かっていた事だが、周辺の国家などの話を聞いて確信に至った。ここはリアルでもユグドラシルでも他のゲームでもない、第三の世界だ。どうしてかは不明だがモモンガはこの世界にゲームのアバターの姿で転移してきてしまったのだ。

 とりあえずはアンデッドが多数いるというカッツェ平野に行ってみて同族との対話を試みてみるべきか。つらつらと考えていると茂みが揺れエンリが顔を出した。

「こんにちは、モモンガさん」

「こんにちはエンリ、畑の方はいいのか?」

「はい、一息ついて休憩してきてもいいってお父さんが」

「そうか。今日も来てくれてありがとう。毎日来てくれるなんてエンリも義理堅いな」

「モモンガさんのお話はすごく楽しいので、いっぱい聞きたいんです」

 話しながらエンリは歩み寄ってきて、モモンガの近くに腰を下ろす。距離も大分近くなった。

 最初モモンガは営業の時の癖の抜けない敬語で話していたのだが、ただの村娘に敬語を使われるのは居心地が悪いというエンリの言葉を受けフランクな言葉遣いを心掛けている。エンリももっと楽な言葉遣いでいいと提案してみたものの、あんな凄い魔法(木に穴を開けた〈電撃(ライトニング)〉の事だと思われる)を使える人に崩した言葉遣いはできません、と言われそれ以上強く出ることもできずに今に至っている。

 〈電撃(ライトニング)〉のような低位魔法をそんなに有り難られても、という気持ちは正直あるのだが、カルネ村には魔法を使える人はいないらしいし魔法に馴染みがなければそういうものなのかもしれないと納得する事にした。

「さて、昨日はどこまで話したっけ」

「氷の巨人が出てきたところまでです! ペロロンチーノさんが真っ先に攻撃を当てたんですよね?」

「そうそう、何だかその時ペロロンチーノさんやたらテンション上がってて、それでペロロンチーノさんの方に巨人が走っていっちゃって茶釜さんが怒り出しちゃったんだよ。まず盾役の自分に攻撃を向かわせなきゃいけないのに先に殴られたらヘイト管理できないだろう馬鹿弟って……ん?」

 話している途中がさがさと茂みが揺れ、そちらを見やると茂みを掻き分け十歳ほどの少女が姿を現した。

「ねっ……ネム! どうしてここにいるの!」

「えっ、あっ……あ、お姉ちゃん……その人、モンスター……?」

 ネムと呼ばれた恐らくエンリの妹と思しき少女は戸惑った様子でこちらを見ているが、戸惑いたいのはモモンガの方だった。妹がいるとは聞いていたしそこには驚きはないのだが、まさかモンスターもいる危険な森をこんな小さな女の子が一人で歩いてくるとは、カルネ村の危機管理は一体どうなっているのだろう。

「モンスター扱いは少し悲しいな。俺の名前はモモンガ、君のお姉さんにはお世話になってる、友達だと俺の方では思っているんだけど」

「お姉ちゃん、モンスターといつ友達になったの?」

「こらネム! モンスターじゃないってば! すみませんモモンガさん……ネム、どうしてここにいるの?」

「お姉ちゃん最近どこかにいなくなっちゃうから……何してるのかなと思って後を着いてきてみたの」

 怒られると思ったのだろう、ネムはしょんぼりとして目を伏せた。別に怒る気はモモンガにはないのだが、少々まずい事になったなとは思う。この状況をどう誤魔化せばいいのか名案が全く浮かばない。

 面倒だから消すか、と真っ先に考えてしまった己のアンデッド的思考が少し怖い。勿論エンリの家族だ、死ねばエンリが悲しむのだからその案は即座に却下だ。だが選択肢として真っ先にそういう思考が浮かんでしまう現在の状態からは己が人間ではなくなってしまったという事実を如実に感じさせられ薄ら寒い。

「お姉さんには俺の話し相手になってもらっていたんだ。お姉さんを取ってしまってすまないね」

「モモンガさん、謝ることなんて何もないです!」

「いいんだエンリ、この位の子ならお姉さんがいないと寂しいだろうし、この子から君と遊ぶ時間を取ってしまったのは事実だよ」

 モモンガとエンリのやりとりを顔を上げたネムはきょとんと眺めていた。恐ろしげなモンスターと姉が親しげに話していればそうもなるだろう。

 ユグドラシルでは異形種が当たり前にプレイヤーだったからつい忘れてしまうが、モモンガの外見は恐ろしいアンデッドモンスターなのだ。自身が非公式ラスボスと呼ばれていたのは、千五百人からなる討伐隊を壊滅させた難攻不落のギルド拠点たるナザリック地下大墳墓を擁する悪名高い異形種ギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長であるという理由だけではない。その魔王然とした外装(ビジュアル)となかなかの完成度を誇る魔王ロールも大きな要因だった。

 要するに己の外見が恐ろしいという自覚をしなくてはならない。だから、努めて友好的に振る舞わなければならない。エンリの妹ならば尚更嫌われたくない、というよりは好かれたい。

「そうだ、もし良かったら、ネムもエンリと一緒に俺の話し相手になってくれないか? そうすれば寂しくないだろう?」

「えっ……でも…………」

「ネム、大丈夫よ。モモンガさんはすごく優しいし話も面白いの。冒険の話も沢山聞かせてもらえるんだから」

「冒険……!」

 モモンガの提案に戸惑い気味だったネムが、姉の発した冒険の言葉に目を輝かせた。これといった娯楽のない村のことだ、冒険譚などはさぞ面白がられるだろう。そして子供はそういう胸躍る話が概ね好きなものと相場が決まっている。

「今丁度仲間たちと一緒に氷の巨人を退治した話をしていたんだ。聞きたいか?」

「うん、聞きたい聞きたい! ねえお姉ちゃん、座ってもいい?」

「いいよ。でも、一つだけ約束して。モモンガさんの事は村の皆には、お父さんとお母さんにも絶対に内緒だよ。そうしないとモモンガさんを退治するって皆が言い出すかもしれないから、絶対に話さないって約束して」

「……うん! 約束する!」

 ネムが力強く頷き、じゃあおいでとエンリが自分の横を指し示してネムがちょこんと座り込む。場が丸く収まった事に安堵しながら、モモンガは先程の続きを語り出すのだった。

 まるでお伽の世界の話のような英雄譚にネムが大いに興奮し、モモンガさんもお仲間の皆もとっても凄いとエンリ同様の高評価にモモンガは大いに気を良くして語りにも熱が入った。大満足で明日も来るねと満面の笑顔で手を振りながら帰っていく様子に一時はどうなる事かと内心かなり焦っていたモモンガはほっと胸を撫で下ろした。精神作用無効の種族特性を持ち強い動揺は即座に抑止されるため声に出ず骸骨なので表情も顔に出なくて助かったと心から思った。

 ちなみに一番ウケたのはたっち・みーの次元断裂(ワールド・ブレイク)で氷の巨人の一体がとどめを刺された下りだったので、たっちさんやっぱ強いなと改めてモモンガは思ったのだった。

 

***

 

 内心で舌打ちしたい気持ちを抑えながら周囲の気配を慎重に探りつつ、トブの大森林内を足早にクレマンティーヌは進んでいた。生い茂る下生えが脚に絡み付くこの場所はクレマンティーヌの持ち味であるスピードを十全に活かせない、出来れば早く抜けてしまいたかった。

 風花の奴らさえ追ってこなければこんな所通らないのに。分断さえ出来れば全員殺しちゃうのにな。

 そんな物騒な事を考えているとはおくびにも出さないのんびりとした顔付きで歩を進める。どうも森の様子がおかしいのは森林内に入ってすぐだった。トブの大森林内の亜人の間引きは主に陽光聖典の仕事だが、手伝いもあるので大体の勢力図位は頭に入っている。その知識からするといる筈のモンスターがいなかったり縄張りから移動中と思しき群れがいたりとどうにも騒がしい。

 この森でクレマンティーヌとまともに戦える相手は森の賢王級のモンスター、つまりは縄張りの主位なものだ。しかし、如何に彼我の力量に大きな差があるとはいえ数が多い群れと遭遇しては殲滅に時間がかかってしまう為、逃走中だというのに慎重に進まざるを得ず遅々として歩みは進まない。

 風花の連中だけでは森林の奥地へは入れないだろうが、陽光辺りに協力されたら厄介だ。そしてそれだけの追手をかけられてもおかしくはない物をクレマンティーヌは法国から持ち出している。ズーラーノーン、もっと正確に言えば同じ十二高弟たるカジットへの手土産だが、これだけの価値があり使える見込みも立っているのだ、無下には扱われまい。

 ふと、クレマンティーヌは歩みを止めた。この森は最初からおかしかったがこの辺りは殊更におかしい。生き物の気配が一切しない。モンスターや獣は言うに及ばず、鳥の囀りや羽音も虫の気配すら一切しない。まるで、森の中にぽっかりと突然姿の見えない死が舞い降りたような気味悪さがあった。

 迂回しようか。考えるが、それでは余計に時間を食ってしまう。追手を撒く為にわざわざ帝国まで行ってから森に入り足取りを追えなくしてからエ・ランテルへ向かっている途中だ、余計な追跡の時間を与えない為に時間が惜しい。大体にして、この森のモンスターの強さは概ね分かっている。森の賢王クラスなら苦戦は免れないが、それでも負けるつもりはない。

 この森に、私に勝てる奴なんているものか。

 嫌な予感を無理矢理押し殺しクレマンティーヌは足を踏み出した。耳が痛い程静まり返った森の中では、濃い緑の匂いさえ音のようにも感じられる。己の呼吸音と鼓動の音が耳に響いて煩わしい。こめかみに汗が滲むのは、それなりに暑い季節だからというだけではない気がする。

 茂みを抜けると、そこには「死」がいた。

 王侯貴族さえ手にするどころか見たことすらないであろう上質の生地を使った漆黒に金の縁取りをした豪奢なローブ、フードの下から覗くのは髑髏の顔、ぽっかりと開いた眼窩には紅の光が灯っている。骨の指には強大な魔力を宿していると思しき指輪を幾つも嵌め、木の根元に座り込んでいたその「死」はゆっくりとこちらを見た。

「……やれやれ、大人しくしてても厄介事が向こうから舞い込んできちゃうとか、ほんとついてないなぁ」

 優しげな青年の声で呟きながら「死」はゆっくりと立ち上がる。こいつ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)か? いや違う、あれはそういう次元のものではない、戦士としての直感がそう教えてくれる。そして立ち上がった姿は実物ではなく似姿とはいえよく見知ったものだった。

「さて、見られたからには……」

「スルシャーナ様!」

 咄嗟にクレマンティーヌは地面に平伏していた。それ以外の姿勢は有り得ない。クレマンティーヌどころか、クレマンティーヌを赤子のように捻り潰せる神人たる漆黒聖典第一席次さえ問題にならない程の圧倒的な力を持つという神の前では。

 六百年前に降臨し、圧倒的な身体能力と凶暴性で人類を滅亡寸前にまで追い込んでいた亜人や異形種を退け、人を滅びの運命から救い守ったという六大神の中でも最強の一柱、闇と死の神スルシャーナ。

 そう考えれば辻褄が合うのだ。死の神が顕現しているのだ、この周囲が死の静寂に包まれているのはむしろ自然といえる。しかし次元の違う力を振るうとされる神の存在をここまで近付きながらクレマンティーヌが察知できなかったのは何故なのだろう。疑問は残るが、とにかく今は平伏だ。

「……は? する、しゃーな? 誰?」

「八欲王に弑されたというのは偽りの伝説だったのですね!」

「いや、はちよくおうも誰よ……多分人違いだと思うんだけど……いやアンデッド違い?」

「そのお姿、間違える筈がございません!」

「いやあの……いいから頭上げてくれるかな? アンデッド違いだから……悪いけど、するしゃーな? だっけ? は知らないんだ。その人多分同族じゃないかな。俺の名前はモモンガだし、最近来たばっかりだから、知らない人に土下座される覚えが全然ないんだよね……」

 許可を頂き、頭を上げる。モモンガと名乗った「死」は頬の辺りの骨をぽりぽりと掻いていた。

「で、結局のところ君はどうしたいのかな? アンデッド退治する?」

「あの……あなた様は、もしかしてぷれいやー……なのでしょうか?」

「えっ、うん、そうだけど……もしかして俺の他にもプレイヤーっているの? さっきのスルシャーナって人もそうなの?」

「左様です。この世には、百年毎にぷれいやーと呼ばれる神にも等しい力を持つ方々が現れるといいます。スルシャーナ様を含む六大神、世界に混沌を齎した八欲王、魔神を討伐した十三英雄の幾人かなど、世界に大きな影響と爪痕を残す方々です」

「もしかして……その口振りだともう死んでる……? 百年毎って事はものすごく前の話だったりする?」

「はい。六大神が降臨されたのは六百年前の事です。六大神の内五柱の方々は天寿を全うされました。スルシャーナ様の従者は魔神に堕ちず今もご健在な為スルシャーナ様は生存しているのではないかと考える者もおりますが、八欲王と戦い弑されたともお隠れになられたとも伝えられております。その後八欲王は真なる竜王達のほとんどを滅ぼし世界を征服しましたが、仲間割れにより滅び去りました。それが五百年前の事。そして六大神の従属神達が魔神と化し世界に災厄を齎しそれを十三英雄が討ったのが二百年前の事、ぷれいやーはその中に複数人いたようですが、いずれも死去されております。同時期に大陸中央のミノタウロスの国に現れた口だけの賢者なるミノタウロスの勇者もぷれいやーだったと考えられていますが、彼も天寿を全うしております。スレイン法国の知る限りでは生存されている方はおられません」

「そう……か……同族と会えるかもしれないと思ったんだけどなぁ。……ん? 二百年前十三英雄と口だけの賢者って別々の所に現れたの?」

「はい」

「そう、か……そうか! という事は今回来たプレイヤーも俺だけじゃないかもしれないって事じゃないか! そうか!」

 モモンガと名乗った死の神は、希望を見出したと言わんばかりに嬉しげな声で何度も頷き手を打った。何がそんなに嬉しいのか分からずにクレマンティーヌは困惑し、水を差して怒りを買うのは避けたいけどと思いつつも口を開いた。

「あの……ぷれいやーといっても、彼の八欲王のように他のぷれいやーを殺し世界を我が物とするような者もおります……軽々に接触されて御身が害されては……」

「えっ、心配してくれるの? 会ったばっかりなのに結構優しい人なのかな? ありがとう。そうだな、友好的なプレイヤーばっかりとは限らないしアインズ・ウール・ゴウンの悪名を考えれば敵対される可能性もかなりあるな……とりあえず事前に十分な情報収集はきちんとしないとね。全ての基本だからね。それからどうするか考えよう。でもお陰でやりたい事が見つかったよ、本当にありがとう……えっと、名前は?」

「クレマンティーヌと申します、死の神よ」

「ええ……神じゃないんだよなぁ俺。その堅苦しい口調もやめない? ところでクレマンティーヌはこれからどうするの? 君からは有益な情報ももらったしここで俺を見たって事を口外しないって約束してくれるならもう行っていいけど」

 モモンガの言葉に、クレマンティーヌの中に迷いが生まれた。ここは通り抜けるだけの場所、エ・ランテルを経由してそこで大きな騒ぎを起こし、その隙にアーグランド評議国辺りまで逃げれば風花の連中も追ってこられないだろうというのが当初の目論見だった。だが、本当にそれでいいのだろうか。

 クレマンティーヌはスルシャーナ教徒だ。スレイン法国への忠誠心や人類を守るという使命感は消え失せているが死をもって人類に安寧を齎した神への敬意は消えていない。この出会いは天啓ではないのだろうかとすら思った。スルシャーナ様の同族というこのモモンガ様という神、情報収集といってもこのお姿では人や亜人の中には入れないだろう、自分でも十分お役に立てるのではないだろうか、と。

 何より、ぷれいやーならば法国も簡単には手出しできない。ある意味アーグランド評議国よりもこの方の側の方が安全なのではないだろうか。

「あの……もしお許しいただけるならば、モモンガ様にお仕えしたく存じます」

「だから口調……えっと、クレマンティーヌ? 俺に仕えて君に何かメリットがあるの? 俺は神じゃないから神に仕えるのは当然とかそういうのはナシで」

「……お恥ずかしい話なのですが、私は法国を裏切り追われる身です。ぷれいやーたる貴方様のお側にいれば、法国も簡単には手出しできない、私にとっての利はそれです」

「俺のメリットは? 確かにもっと詳しい話は聞きたいけど」

「手前味噌ですが、私は周辺国家でも五本の指に入る戦士と自負しております。神の力を持つ御身をお守りするというと口はばったいですが、有象無象は排除してご覧にいれます。それに情報収集ということであれば人間である私がいた方が何かと都合が宜しいのではないでしょうか? 憚りながら隠密行動や情報収集についてもそれなりの手腕がございます」

 クレマンティーヌの言葉を受け、モモンガは顎の先に指をかけしばし黙考の構えをとった。それも当然だろう、突然遭遇した怪しげな女、しかも法国から逃げているような者に仕えたいと言われたところで即座に信用できる訳がない。というよりは信用できなさすぎる。だがアンデッドであるモモンガにとって情報収集は頭の痛い問題だろう。本業の風花聖典にはさすがに負けるとはいえその方面でも十二分に役に立てる自信がクレマンティーヌにはある。

「……とりあえず立って。別に偉くもないのに平伏されてるのって落ち着かないんだよね」

「はい……」

 モモンガの言葉に従いクレマンティーヌは立ち上がった。せめて跪きたかったが、神の命とあらば従わないわけにはいかない。

「スレイン法国に追われてるんだっけ? 何やったの」

「叡者の額冠という国の神器を奪い逃走しました」

「理由とか聞いてもいい? 言いづらかったらいいけど」

「……スレイン法国は国是として人類種の繁栄と人類種以外の殲滅を説いております。私は漆黒聖典という特殊部隊に所属し人類種の繁栄の為に働いてきましたが、使い捨ての道具である事に嫌気が差しました。そこで、以前から密かに所属していたズーラーノーンという秘密結社に身を守る為に移ろうと思い立ち、逃亡する事にしました」

「……それだけじゃなさそうだけど、まあいいや。スレイン法国についても色々気になるけど……とりあえず叡者の額冠ってやつ、見せてもらってもいい?」

「勿論でございます」

 それだけではない。クレマンティーヌが法国を裏切ったのはそんな単純な理由ではない。こんなボロの出にくい短い言葉のやり取りでお見通しとは自らは否定されるが神と呼ばれるに値する力を持つ方だけの事はある。クレマンティーヌは叡者の額冠を取り出すとモモンガへと恭しく差し出した。

「〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉」

 クレマンティーヌに叡者の額冠を捧げ持たせたままモモンガが魔法を詠唱し、何やら興味深げに頷いている。

「成程……装着者の自我を奪い上位魔法を吐き出す道具に変える、か。〈魔法上昇(オーバーマジック)〉って知らないけど、この世界独自の何かなのか……? しかも外すと発狂とか……えげつないな。でもユグドラシルでは再現不可能なアイテムだなこれ……興味深いな。クレマンティーヌ、これ、もらっていい?」

 知らない魔法を唱えていたと思ったがアーティファクトである叡者の額冠の効果についてそこまで言い当てられるとは思わなかった。それだけで門外漢のクレマンティーヌでも並の魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない事が分かる。しかも効果を知った上で欲しいという。モモンガの思惑が読めず、クレマンティーヌは困惑を隠しきれずに口を開いた。

「勿論構いませんが……しかし、適合者でなければ使用できませんが」

「こんな怖い物使わないよ。コレクターとしてこういうレアアイテムは見逃せないだけ。コレクションの一環だよ」

「はぁ……では、どうぞお納めください」

「ありがとう」

 モモンガはクレマンティーヌから叡者の額冠を受け取ると虚空に手を伸ばす。途端、手首から先が掻き消えた。

「⁉」

「……あ、やっぱりびっくりするよね。ごめんごめん。ちょっとアイテムしまっただけだから気にしないで」

 モモンガが手を引くと消えていた手首から先が虚空から現れる。一体どんな絡繰りなのだろう、魔法か何かなのだろうか。やはりこの方は神なのではないだろうか、その思いが強くなる。

「さて、これで叡者の額冠強奪犯の共犯だね俺達。仕えられるのはちょっと困るんだけど、協力するっていうならどうかな? 言葉遣いも普通にしてくれると嬉しいんだけど」

「えっ……」

 一瞬、何を言われているのかがクレマンティーヌには分からなかった。この神は何と言っただろう? 罪を分かち、協力者であろうと言っている。クインティアの片割れと蔑まれ続けてきた、死んでしまった友達の他には誰も価値を認めてくれなかったクレマンティーヌをこともあろうに同じ目線で協力者としようという。あまりの事にクレマンティーヌは呆然とし、ぽかんと口を開けてモモンガを見つめた。

「何、嫌だった? やっぱズーラーノーンだっけ? そっちの方がいい?」

「いえ! 決してそのような! お仕えする事が叶わなくとも、協力者として必ずやお役に立ってみせます!」

「だから言葉遣い……それはまあ少しずつ直してくれればいいや。じゃあよろしく、クレマンティーヌ」

 モモンガが手を差し出してくる。尊い白磁の手を両手でそっと包み腰を曲げ、恭しく押し頂く。

「だからそういう……うわー、ちょっと引くわ……ただ握手したかっただけなんだけど、この世界ってもしかして協力する時に手を握り合う習慣ないの?」

「いえ、ございます。私がモモンガ様と握手など思いもよりませんでしたし恐れ多い事ですので」

「俺達協力者でしょ。様付け禁止ね」

「えっ、そんな! どうお呼びすればいいのですか!」

「呼び捨てでいいよ。それが嫌ならモモンガさんとか。あと敬語もやめて」

「……じゃあ、モモンガさん、で」

「おっ、いい感じいい感じ。その調子で砕けた口調で話してくれればいいから」

 捧げ持たれていた手を引くと腰に両手を当て、上機嫌な様子でモモンガはうんうんと頷いた。どうやら本当にクレマンティーヌを対等な協力者として扱うようで恐縮もするし困惑もするのだが決して嫌ではない、いや、嬉しかった。こんな風に接してくれたのは、死んだあの子だけだった。神にも等しい力を持っているであろうモモンガがクレマンティーヌを見下すことなく対等に扱ってくれる。嬉しくないわけはなかった。

「で、ちょっと聞きたいんだけど……変わった鱗鎧(スケイルメイル)だけど、それ何を貼り付けてるの? 何か文字が刻んであるような……」

 その言葉に心臓を鷲掴みにされたような衝撃が走りどきりと跳ねた。

「……これは……その……」

「言いづらい事?」

「…………冒険者プレートです」

 この方に嘘をつくなどありえない。これで不興を買ったならそこまでだったという事だ。クレマンティーヌは生き汚い方だし死ぬくらいならどんな手段を使ってでも生き延びてやる、今までそう思って生きてきたし今でもそう思っているが、それでも目の前の方に嘘をつく選択肢はなかった。そもそも嘘をついたところで今ではなくてもいずれは露見するだろう。街に行けば冒険者は皆これを首から提げているのだ。

「冒険者……なるほど、ドッグタグみたいなものか。特殊部隊にいたんだっけ? その時に集めたとか?」

「それも、ありますが……」

「……」

 沈黙が痛い。自分の歪められた性癖を楽しみこそすれ恨めしく思う事など初めてだった。いつまで続くのかと苦痛に思うほどの時間が経ち、地面に何かががしゃりと投げ出された音がした。見てみると、見た事のない材質の魔力を帯びた軽装鎧が落ちていた。

「それに着替えろ。魔法の装備だからサイズは自動的に合う。重さも見た目ほどはない。俺の協力者として最初に言っておくべき事ができたな。俺は人間がいくら死のうと自分が大切に思う者以外なら別にどうとも思わない。だが、無駄な殺しは嫌いだ。お前がもしこれからも自分の欲望を満たす為に冒険者を狩りたいというなら協力はできない。どうする?」

 淡々と紡がれた言葉だったが感情が乗っていない分だけ言外の重みは計り知れなかった。先程までの気の良さそうな青年の声の気配などどこにもない、こちらの声こそがこの方の本質ではないのか、そんな予感があった。

「すぐに着替えます。モモンガさんと協力する上で必要な殺し以外はもうしません。ですが……あの」

「何だ」

「いいんですか、こんな価値の付けようもないほど高価な鎧を頂いて……法国なら国の宝になるレベルです」

「……えっ、せいぜい聖遺物級(レリック)の鎧なんだけど……えっと、魔法詠唱者(マジックキャスター)の俺が持ってても使えない物だしクレマンティーヌが有効活用した方がいいだろう。じゃあ後ろ向いてるから着替え終わったら教えてくれ」

「はい」

 重い黒のフード付きマントと今まで着ていた革鎧を脱いで下賜された魔法鎧を装着する。漆黒聖典の装備でもそうだったが魔法の武具は装着者の体格に合わせて自動的にサイズを変える。モモンガの言葉通り革鎧並に軽く、これなら動きを阻害することもなさそうだった。

「着替え終わりました。こんな貴重な物を頂いて、本当にありがとうございます」

「……だから、口調なぁ……もっと砕けてほしいな。協力者だろ、俺達」

「ほんっとぉ~にありがとねぇ~、モモンガちゃぁ~ん」

「急に変わりすぎだろ! 敬意ゼロ!」

「どっちがいいかさぁ、選んでもいいんだよぉ~?」

「……どっちも選びたくない、中間はないの?」

 表情筋があれば渋い顔をしているであろうモモンガを一頻り眺めて満足するとクレマンティーヌは、気になっていた事を質問することにした。

「それで、先程したい事が見つかったと言ってましたけど、これから何をするんですか? 他のぷれいやーを探すのだろうとは推測が付きますが……」

 どうにか中間らしき地点に着地した口調のクレマンティーヌに問いかけられるが、モモンガは答えを躊躇するように顎を引いた。しばらくそうして考え込んだまま、ようやく重い口を開く。

「……プレイヤーを探す、そうだな……。俺は、この世界に来ているかもしれない仲間を探したい。最後にログインしていたのは俺だけだった、希望的観測に過ぎないのかもしれないけど……それでも、再会できる可能性があるとしたらその希望を諦めたくない」

「仲間……ですか?」

「俺の所属していたギルド、アインズ・ウール・ゴウン。その仲間たちだ。まあ……言い訳がましく聞こえるかもしれないが、もし仲間たちがいなかったとしても、プレイヤーの情報を集める事は無駄にはならないだろ? 敵対するかもしれないけど、仲間になれるかもしれない」

「そうですね、ぷれいやーであれば神に等しい力を持ちますから、必ず目立ちます。もしモモンガさんの他にいるのであれば、探すのはそう手間ではないかと。あと……アーグランド評議国を訪ねてみるのも一つの方法かもしれません」

「評議国? それはどんな国なんだ?」

「五匹の竜王(ドラゴンロード)が永久評議員を務め治めている国で、様々な亜人中心の国家です。その中でも始原の魔法(ワイルドマジック)の使い手である白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は長い時を生き、スルシャーナ様と世界盟約を結ばれたり八欲王とも戦い十三英雄にも参加していたといった経緯がありぷれいやーにも詳しいとか」

始原の魔法(ワイルドマジック)、また知らない単語が出てきたぞ……ふむ……とにかく情報だな。そんなに急いで事を進めることもないだろう。まずは詳しく話を聞かせてくれるか?」

「はい、勿論……といっても、私は漆黒聖典の中でもそんなに重要視されていなかったので中枢の情報には詳しくなくどこまでお役に立てるか分からないのですが」

「右も左も分からない俺にとっては十分過ぎるほど役に立つよ。クレマンティーヌと会えて本当に良かったよ。おっと、クレマンティーヌがいるなら野営地が必要だな、用意するか。話はその後でもいいだろう」

 そう言いながらモモンガが虚空から取り出した掌サイズの小さな家の模型のようなものがどういう訳かコテージになり中に入ると更に外からは想像できない広さだった事でクレマンティーヌはモモンガの底知れなさを改めて思い知るのだった。グリーンシークレットハウスっていうんだけど知らない? と聞かれたもののこの世界のどこを探しても知っているものなどいないだろうという結論しか出てこなかった。

 

***

 

 閑話。

 目にするまで圧倒的な力を持つ筈のモモンガの存在を認知できなかったのが疑問だったクレマンティーヌは、話が途切れたタイミングで思い切って聞いてみることにした。

「あの、私相手の力量は戦士でも魔法詠唱者(マジックキャスター)でも大体分かるんですけど、モモンガさんだけは全然強さが分からなくて……どうしてかなって」

「ん? ああ、探知阻害の指輪を着けてるから。これのせいじゃないかな」

 モモンガが指輪を一つ外した。刹那、暴力ともいえる暴風のようなオーラが室内を渦巻きクレマンティーヌは思わずひっくり返った。

「ひゃあぁっ! あわわっ……わっ、わた、わたっ、わたしぜったいうらぎりませんから!」

「え……何の話? 指輪付けていい?」

「おねがいしますつけてください!」

 モモンガが指輪を着けてもしばらくの間クレマンティーヌは荒い呼吸を整えるのに必死だった。




誤字報告ありがとうございます☺


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戦火

 グリーンシークレットハウスのデッキから、朝焼けに染まる空をモモンガは見上げ眺めていた。

 空の色は薄桃色から黄色、白く染まってそこから紺のグラデーションを描く。紺色の濃い夜空の名残の残る辺りにはまだ星が瞬いていた。

 この世界は美しい。ガスマスクなしでは外を歩く事もできないほど汚染されスモッグに覆われていつでも薄黒かった空しか見たことのないモモンガ(鈴木悟)は、この世界に来て初めて青空や白い雲や星空、朝焼けや夕焼けを目にした。どこまでも深く深く抜けて吸い込まれそうな空の蒼、柔らかく地上を照らし出す月と星の灯り。この森にしてもそうだし彼方に見える頂上に白雪のかかる青い山脈も美しい。

 ブループラネットさんが愛し焦がれた、リアルではとうの昔に失われてしまった自然。それがここには溢れんばかりにある。もし一緒にいたならあれだけやりたがっていたキャンプができるのに、そう思うと残念な気持ちが湧き上がる。

 元の世界に戻る方法を探すという選択肢が出てこなかったのはどうしてなんだろうな、とふと考えてみたが当然だろうとすぐに結論が出た。あそこは帰りたい場所ではないし誰も待ってはいない。人間でありたかったという気持ちがないといえば嘘になるが、アンデッドになってしまったという事を差し引いてもこの豊かな自然に満ちた世界の在り様はあまりにも美しく心惹かれた。

 だがもし万一元の世界に戻る方法があるならば探してみるのも悪くはないだろう。選択肢は多いに越したことはないのだから。この世界に来たというプレイヤーの多くが(道半ばにして散った者だけではなく天寿を全うした者も含め)死んでいるという事を考えると恐らくその方法を見つけるのは困難極まるであろう事は想像に難くないから優先順位は低くなるが。

 クレマンティーヌは遅い時間にベッドに入ってまだ眠っている。彼女を協力者にしたのは、単純にメリットの方がデメリットを上回るだろうと思ったからだ。生者を憎むとされ忌み嫌われているらしきアンデッドであるモモンガはこの世界で活動するには制約が多すぎる。特殊部隊にいたという事は自薦の通り情報収集の手腕にもそれなりに期待していいのだろう。

 それに彼女と一緒に行動すればモモンガに欠けているこの世界での常識や金銭感覚について心配することがなくなる。彼女に丸投げすればこの世界での常識に則って行動してくれる筈だ。それを側で観察する事で少しずつ学べばいい。

 昨晩遅くまで聞いたのはスレイン法国の概要と六大神についてだ。脆弱な人類を滅びの運命から救った六人のプレイヤー――六大神が建国した国。

 人類が滅びかけていたのは単純な話で、亜人や異形種に比べ人類が劣等種だからという理由からだった。ユグドラシル基準で考えても人間種はレベルを上げ職業(クラス)レベルを適切に取得すれば亜人や異形種よりも総合的に強くなれるが、素のステータスでは当然負けている。ましてレベルの上がっていない一般人であれば亜人には為す術もないだろう。事実、現在地は大陸の西端で、中央部はミノタウロスやビーストマンなど強力な亜人の国家が勢力争いに鎬を削っているらしい。人類は大陸の隅に追いやられているというのが実情らしかった。

 そんな事情もあってスレイン法国の方針は人類が滅びないように人類の活動圏内の亜人などを増えすぎる前に間引き駆逐するというものらしい。数が増えれば亜人は簡単に人類を圧倒するからだ。

 そんな亜人の間引きなどを担当するスレイン法国の暗部が六色聖典と呼ばれる特殊部隊だそうだ。クレマンティーヌが所属していた漆黒聖典はその中でもトップシークレットの存在で、隊員はアンダーカバーとして表の職業を持ちつつ裏で任務をこなすという。

 所属するのはいずれも人間種としては最高レベルの能力を持つ者達で、特に隊長である第一席次はプレイヤーの血を引きその能力を覚醒させた神人と呼ばれる存在であり、一人で他の隊員全てを向こうに回して圧倒できるらしい。そしてその隊長すら子供扱いする強さを誇る番外席次という存在もいるという。彼女はあまりにも強すぎてどう表現すればいいのか分からないとクレマンティーヌは言葉選びに苦慮していた。

 漆黒聖典は神の遺産(恐らくはユグドラシル産の装備)を装備し、他の部隊では対処不能な事態などに投入されるという話だった。

 他には殲滅戦に優れた陽光、ゲリラ戦やカウンターテロに優れた火滅、諜報部隊の風花など各部隊毎で特色があるらしい。

 不思議なのがスレイン法国は六大神を信仰しているがバハルス帝国やリ・エスティーゼ王国、ローブル聖王国などは六大神から闇と光を抜いた地水火風の四大神信仰なのだという。どういう経緯でそうなったのか興味は惹かれたが今追究する事でもないだろうと思い直し流した。宗教国家であるスレイン法国は教義の合わない他の人間国家とは(内実はともかく表面的には)微妙な関係だという。

 ただ人類圏の各国の神殿にはスレイン法国から神官が派遣されているらしいので、神殿が生活に密着した医療の場という事を考えると各国に根を張りある程度支配していると言えなくもない。病院や医者という概念はなく病気や怪我は神殿に行き神官の治癒魔法で治すのが一般的なのだという事も教わった。手術という概念は一応あるにはあるがそれはプレイヤーである口だけの賢者が提唱したもので、一般的には野蛮な治療方法と見做されているらしい。

 国民の気質としては人類至上主義で人類以外の人間種や亜人や異形種を排斥し下に見る傾向があるという。亜人中心の国家であるアーグランド評議国とは相容れぬ仇敵らしい。また宗教国家であるためアンデッドへの敵意は他の国にも増して強い。

 神人や番外席次の能力が未知数なのもあるし、アンデッドには居辛そうな場所のようだ。六大神の遺産などには興味があるがスレイン法国にはなるべく迂闊には近付かない方が無難だと思わされた。

 となれば道中で情報収集をしつつアーグランド評議国をとりあえず目指してみるのが無難か、つらつらと考えている内にすっかり朝になり日差しが東の空の際から刺すように降り注いでいた。今日もいい天気になりそうだが一度雨にも降られてみたい、ブループラネットさんが本来ならば雨は天からの恵みなのだと熱弁していた事を思い出した。この骨の体ならば雨に濡れる不快さもそう気にはならないだろうし満喫したいものだ。

 クレマンティーヌが起きるまでどうやって時間を潰そうか。そんな事を考えていると首に下げた金のどんぐりのネックレスからエンリの切羽詰まったような声が聞こえた。

『モモンガさん!』

「エンリ? どうした? まだ朝だろう」

『助けてくださいモモンガさん! 騎士が、騎士が村を襲って、お父さんが! 助けて、助けてください! お願いします!』

「待ってろ、すぐ行く!」

 返事を返しながらグリーンシークレットハウスの中に入り、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を取り出す。暇な時間を使って操作方法は把握済みだ。

「クレマンティーヌ! 起きろ!」

 怒鳴りつけながら縮小した画面でカルネ村を捉え拡大し画面を動かしてエンリを探す。村の中は阿鼻叫喚の様相だった。全身鎧(フルプレート)に身を包んだ騎士らしき者達が逃げ惑う村人に刃を突き立てている。

 一流の戦士らしくクレマンティーヌはフル装備で素早く起き出してきてモモンガの横から遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を眺めた。

「この村って森の近くのですか?」

「そうだ、助けに行く」

 画面を動かしていると、村外れで騎士に追われるエンリとネムの姿を捉えた。追い付かれそうになっている、予断を許さない状況だった。位置は把握した、これで転移できる。

「〈転移門(ゲート)〉」

 すぐ側に黒くのっぺりとした円形のゲートを開くとクレマンティーヌがぎょっとした顔をするが今は時間が惜しい。

「転移魔法だ、入れ」

 手短に言いながらゲートへと足を踏み入れる。潜り抜けた先では苦しげに蹲ってネムを庇うように抱きかかえたエンリと、エンリに斬りかかろうとして動きを止めた騎士がいた。人間だったなら剣を振りかぶった騎士など前にしたら恐怖で竦み何もできなくなっていたかもしれない、恐怖を感じてもすぐに沈静化されるアンデッドになった事をこんなにも感謝した事はなかった。

 見れば、エンリの背中からは血が流れているようだった。よく見れば右手も赤く腫れている。それだけでもうこの騎士は許されない、モモンガの敵だった。おっかなびっくりゲートを潜り抜けてきたクレマンティーヌに声をかける。

「クレマンティーヌ、あいつの強さはどれくらいだ」

「んー……私なら二秒で殺せますね、モモンガさんを煩わせるほどのこともないかと」

「じゃあやってくれ、村を襲ってる奴等全員やってくれて構わない」

「情報も必要でしょうし二三人は残しておきますよ、その他は遠慮なくやらせてもらいます」

 言うが早いかクレマンティーヌは腰からスティレットを抜き放ち力強く足を踏み出した。次の刹那には視認できない程の速度の突きが騎士のフルフェイスヘルメットの目のスリットを正確に穿ち眉間を抉っていた。エンリにとどめを刺そうとしていた騎士が逆に力なく地に崩折れる頃にはその後ろにいた騎士の眉間がスティレットによって穿たれる。そのままクレマンティーヌの姿は村へ向かってどんどん遠ざかっていった。

「疾風走破って二つ名は伊達じゃないみたいだな。さてエンリ、傷は大丈夫か。確かポーションがあった筈……ちょっと待っててくれ」

 アイテムボックスを開き無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)の一つを取り出す。記憶が確かならばこの中にショートカット登録用のポーション類がしまってあった筈だ。モモンガはアンデッドだからポーションを使うとダメージを受けるので自分には使わないが、仲間たちに使用する為にショートカットに登録してあった筈だった。少し探すと下級治療薬(マイナー・ヒーリング・ポーション)はすぐに見つかった。

「お待たせ、ポーションだ、これで治ると思うんだけど」

「ありがとうございます、モモンガさん……ありがとう……ございます……ううっ、う……」

 安心して気が緩んだのか涙を目に一杯に溜めたエンリがポーションを受け取り飲み干す。無事に傷は癒えたようで、痛みがなくなったときょろきょろと首を動かし背中と右手を眺めて確かめている。

 その間にモモンガは上位アンデッド創造で蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を創造する。

「お前は村を上空から監視、そこに転がっている騎士と同じ格好をした者が村の外に逃げ出そうとしたら殺せ。行け」

 青褪めた乗り手(ペイルライダー)は一礼すると空に飛び立ちそのまま空の蒼に溶け消え見えなくなった。アストラル体となって上空からの監視に入ったようだった。

「これでもう大丈夫だ、心配ない。怖かっただろ二人とも」

「モモンガさん……お父さんが、お父さんとお母さんが……なんで、どうして……どうしてこんな」

「モモンガさぁん……」

 エンリとネムは抱き合ったまま泣き崩れる。村はクレマンティーヌと青褪めた乗り手(ペイルライダー)に任せればいい、落ち着くまでしばらくこのまま泣かせてやりたかった。モモンガは二人の側に屈み込んで、温もりのない骨の手をそっと二人の背中に当てた。

 

***

 

 蹂躙劇は今や別の蹂躙に取って代わられた。村の広場で華奢な女の体は獰猛な肉食獣のようにしなやかに駆け跳ね、その刺突剣は反撃する間も与えぬ程の速度で正確に騎士達の眉間を穿つ。一人突かれたと思えば次の一人がその刃にかかり命を散らす。最初は女と舐めてかかって多くの騎士達が斬りかかっていったが、瞬く間に殺された。比喩でも何でもなく、瞬きする間にだ。一気に数を減らされて動揺し動きの止まった騎士達を女は正確無比に狩っていった。

 生き物としての格が違いすぎる。

 最早騎士達に戦意は残っていなかった。後頭部はヘルムで守られている、そう計算した一人が背中を見せ駆け出すが、瞬く間に距離を詰められ背中から心臓部を鎧ごと抉られる。どさりと崩れ落ちた同僚の姿を前に、残りの騎士達はただただ呆然としていた。

「あっ、なんで鎧の上から攻撃できるんだって思った~? 何でかっていうとねぇ、このスティレットがミスリル製のオリハルコンコーティングだからだよ~。そこらのなまくらアーマーなんか紙みたいなもんだからさぁ、諦めた方がいいよ~?」

 遊ばれていた。女はやろうと思えば鎧の上からでもヘルムの上からでも急所を突けたのに、わざわざスリットを狙っていたのだ。

「うわあああぁぁぁ!」

 最早統率はなかった。雪崩を打って騎士達は村の外へと逃げ出す。後ろから女が追ってくるが、正門と裏門の二方に一人で対応はできないだろう。裏門の出口に到達した騎士が逃げ出せた、と思った瞬間だった。その騎士の意識は一瞬にして刈り取られ、訳も分からぬまま原型を留めぬ肉塊と成り果てていた。蟻が象に踏み潰されて原型を留められる訳がない、両者の間にはそれだけの力の差があった。

 裏門にまるで転移してきたかのように突如現れ立ちはだかったのは、蒼い馬に跨った騎士。顔の分からぬフルフェイスの鎧は禍々しい突起がそこかしこから飛び出していて目を離せないような邪悪さがあるのに、そこにいるという存在感が異様なほど希薄だった。その存在感の薄さと目の前でミンチになった騎士だったものの成れの果てが恐怖をより強める。進退窮まった騎士達は、地べたにへたり込んで呆然とその禍々しい騎士を眺めていた。

 正門に散った残党を狩り終わったクレマンティーヌが裏門へと足を運んでくる。騎士の残りは四人。予定よりは多いが多い分には別に構わないか、と判断する。

「うっわー……私にやらせるよりこいつにやらせた方が早かったんじゃないの……モモンガさんを怒らせた時点であんた達詰んでたよ、ご愁傷様」

 裏門を遮る青褪めた乗り手(ペイルライダー)を見て取ったクレマンティーヌが苦笑する。こんなモンスターを使役できるなら戦闘面で役に立てることはあまりないかもしれない。オーバーキルというか殺し方が相当グロテスクなので死体を見る側に余計な恐怖を与えないという意味では自分の使い道はあるかもしれないが。

「さて、広場まで来てくれるかなぁ? お姉さんのお・ね・が・い、聞いてくれる? ほら立って立って」

 生き残った騎士達は気怠げに首を動かし疲れ切った顔でクレマンティーヌを見上げた。抵抗する気力は残っていないが立つ気力まで刈り取ってしまったようだった。

「……早く移動しないとそいつが襲いかかってくるかもよぉ?」

 クレマンティーヌのその言葉に生き残りの騎士達は面白い程しゃきんと立ち上がり、小走りに広場へと向かっていった。クレマンティーヌもその後を追う。

 広場では指示した通りに村人達が縄を用意して待っていた。クレマンティーヌの目の前で抵抗などできる筈もない、騎士達は指示通りに唯々諾々と剣を捨て縄を打たれた。

「さて、終わったけど……モモンガさん遅いなぁ? ちょっと待っててね、連れが村の女の子を助けて連れてくる筈だから」

 広場に集められていた村人達にそう声をかけて、肩を竦めて首を回しクレマンティーヌは一つ息をついた。

 

***

 

 エンリとネムが落ち着いてから、モモンガは二人を連れ村に向かった。

 アンデッドと分からないようにした方がいいとエンリに言われ、とりあえず顔と手を隠せばいいかとアイテムボックスを見繕ったが、差し当たって見つかったのは嫉妬する者たちのマスクとイルアン・グライベルという籠手だった。ゆっくり見繕っている時間はないし見た目はどうでも隠れればいいやと半ばやけになって装備する。これでどうにか邪悪なアンデッドの魔王から邪悪な魔法使いくらいには見た目の邪悪さをグレードダウンできただろう。

 途中で二つの実験を行った。まず騎士の剣を拾い、自分に突き立ててみた。何してるんですかモモンガさんとエンリにしこたま怒られたが、思った通りダメージは受けなかった。上位物理無効Ⅲのパッシブスキルは正常に動作しているようだった。

 次に、少しどころかものすごく勿体ないと思いながらも必要な事と自分に言い聞かせながら蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を取り出し騎士に使ってみる。杖が光を放ち蘇生魔法が起動するが、騎士は灰になり風に流されてその場には着る者を失った全身鎧(フルプレート)だけが残った。

 考えられるのはレベルが五に満たなかった為レベルダウンに耐えられずロストした、という可能性。そうであれば恐らくレベルなど上げている筈もない村人に使えば全員灰になるだろう、エンリとネムの両親も諦めざるを得ない。現地の蘇生魔法がどういう仕様なのか分からない部分もあるから、クレマンティーヌと合流したら聞いてみた方がいいかもしれない。

 どちらにしろ蘇生は行わない方がいいかもしれない。死者を生き返らせられるなんて評判が立ったら静かに生きていけなくなる。衆目に晒されればそれだけ正体がアンデッドであると露見する危険性は高くなる。エンリとネムには悪いが出来る限り敵は作りたくない。

 それから、平静になって振り返ってみると自分の怒りが度を超えて激しすぎたような気がした。騎士を全員殺せなんて人間だった頃なら同じ状況でも絶対に言わない。エンリが傷付けられた事によってどす黒い怒りが瞬時に意識を染め上げた感覚は覚えている。これもアンデッドになった事による変化なのだろうか。

 村に入り広場まで進むと、村人達の生き残りが集まっていてクレマンティーヌと縛り上げられた騎士の姿もあった。

「モモンガさん、何ですかその格好」

 クレマンティーヌがやや困惑した表情を見せつつ言う。合流して第一声がそれか。言いたい事はあったが仕事はきちんとこなしてくれたようだし文句を言う筋合いはないだろう。

「似合わないか……?」

「マスクはもうちょっと考えた方がいいかもしれません」

「そうだよなぁ、でも適当なのがなくてさ。まあそれはいいや、ご苦労様」

「お安いご用です。手応えがなさすぎて遊び足りませんでした。武技を使うまでもなかったですし」

 いい笑顔で言うクレマンティーヌに、ああやっぱりそういうキャラなんだという思いが湧き上がる。

「武技って何だ?」

「どう説明したらいいんですかね……戦士が使える魔法、というか必殺技、みたいな? また詳しく説明しますよ。ほら村長っぽい人来ましたよ」

 クレマンティーヌの要領を得ない説明にがっくり来ながら演台の近くに集められた村人達を見やると、村長と思しきがっしりとした体格の年長の男性が進み出てきた。

「あの……あなた方は?」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私は旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)でモモンガといいます。こちらは連れの戦士のクレマンティーヌ。村が襲われているのを見て、助けさせていただきました」

「どうしてこんな村を……?」

 村長の問いは訝しげだった。残った村人達も不安気な表情を浮かべている。通りすがりが村を助ける理由など普通に考えれば何もないだろう。何か法外な要求があるのではと不信感を与えているのかもしれない。

「実は先日森で道に迷い怪我をして難儀していたのですが、薬草を採りに来ていたこの村のエンリ・エモットに助けられたのです。その恩返しというのが理由の一つ。そして、助けるからには無償というつもりはありません、それなりの報酬を頂きたいというのがもう一つの理由です。勿論恩を受けた身ですから、そんなに無茶な要求はいたしませんのでご安心いただければと思います。もし宜しければ適切な金額について交渉させて頂きたいと思うのですが?」

「それは、勿論ですが……ご覧の通り多くの働き手を失って次の冬を越せるかも怪しい有様で……ご満足頂ける金額をお支払いできるかどうか」

「問題ありません。私は転移の魔法が使えますので、お支払いいただけるようになったらご連絡いただければ取りに参ります。恩人のいる村からすぐに毟り取ろうなどとは思っておりませんよ。エンリには私と連絡が取れるアイテムを渡してありますので、エンリを通じてお知らせいただければ結構です」

「それなら……村を救ってくださった恩人です、お二人がいらっしゃらなければ私共は皆殺しにされていたでしょう。出来る限りの謝礼はさせて頂きたいと思います。金額については私の家でお話いたしましょう。少しお待ち下さい」

 村長が村人達に死体や被害を受けた家屋の片付けの指示を始める。その間にクレマンティーヌに顔を近付け、小声で話す。

「相場が分からん、交渉は任せる。くれぐれもふっかけるなよ、良心的な値段だぞ」

「分かってますって」

「一つ聞きたいんだけど、蘇生魔法で灰になったりするのか?」

「蘇生に耐えられるだけの生命力がないと灰になりますよ」

「生命力……ここではそういう言い方をするのか。じゃあ普通の村人なんか大体灰になるか」

「多分そうなりますね」

 予想されていた回答ではあるが、エンリとネムの両親を蘇らせる案はこれで完全に没だ。可哀想だが耐えてもらうしかないだろう。

「後……鎧は帝国のですけど中身までそうとは限りませんよ」

「ここは王国だから……法国の偽装って線もあるって事か?」

「そういう事です。まだ目的は分かりませんけどね。一応一通りの尋問はしましたけどさすがに村人の前で拷問まではできませんし、あいつらただ指示通りに村を襲えって言われただけで詳しい事は何も知らされてないみたいだったんで」

 確かに法国の偽装の可能性はある、一応留意しておく必要はあるだろう。

 その後クレマンティーヌに任せた報酬の交渉を行い、死んだ村人達の埋葬が行われた。なんでもこの世界では死者は一刻も早く埋葬し弔わないとアンデッドとして偽りの生を与えられてしまう確率が高くなるのだとか。死者が多いので何回かに分けてだが、とりあえず第一陣だ。クレマンティーヌにも埋葬を手伝わせる。

 第一陣の中にはエンリとネムの両親の亡骸も含まれていた。盛り上げられた土の前で泣き崩れる二人の姿を見つめ、何か出来ないかと考える。両親を一度に失って、これからの暮らしはどうするのだろう。最悪人買いなんてものがあれば売られてしまったりしないだろうか。考え出すとどんどん不安になっていく。出口のない不安のループに陥っていると、落ち着いたのかエンリとネムが墓の前から離れ、こちらへと歩いてくる。

「モモンガさん、本当にありがとうございました……」

「いや、ご両親を助けられなくて本当にすまない。もっと早く駆け付けられれば」

「私が、もっと早くモモンガさんにお願いしていればよかったんです、モモンガさんのせいじゃありません」

「すまないな……ところでこれからどうするんだ? 畑はエンリだけでやっていけるのか?」

「一人ではとても……普通だったら他の家に助けてもらうんですけど、どこも働き手が足りないので助けてもらえる宛てもないです……」

 沈痛な面持ちで目を伏せエンリが語る。働き手が足りない、それなら、もしかしてあれが使えるのでは? 確か召喚アイテムとしては珍しく規定の時間がくると消滅する召喚じゃなくて無期限召喚だし。思い付いたモモンガは、懐に手を入れる振りをしてアイテムボックスを開け目当ての物を取り出す。

「それならこれが役に立つかもしれない、ご両親を助けられなかったお詫びだと思って取っておいてくれ」

 取り出した二つの小さな角笛の形をしたネックレスを、エンリの手を取り握らせる。

「あの、これは……?」

小鬼(ゴブリン)将軍の角笛というアイテムだよ。吹くと小鬼(ゴブリン)の部隊が現れて君の命令を聞く筈だ。畑仕事はそいつらに手伝わせればいいし、村の防衛にも役立てるといい。一つだと足りないかもしれないから二つ持っていてくれ」

「でも、すごく高いものなんじゃ……あの、モンスターを召喚するアイテムの価値なんて分かりませんけど……お返しするものが何も……」

 高いものも何もユグドラシルでは三文でも売れない有名なゴミアイテムだ。モモンガにとっても何の価値もない。コレクター的な理由で(というよりは生来の貧乏性が祟って)売ったり捨てたりできずにいただけだ。それなら召喚したゴブリンがエンリに働き手として重宝される方がアイテムを有効活用したといえるだろう。

「値段は気にすることないよ、大した事ないアイテムだから。それにこれは、君が俺に親切にしてくれたお礼でもあるんだよ。独りぼっちでどうすればいいのか途方に暮れていた俺に、君は優しくしてくれた、独りぼっちの俺と沢山話をしてくれた、だから俺は寂しくなかった。それをお返ししたいんだ。こんなものじゃまだまだ返せたとは思えないけどね」

「そんな……! 私そんな大した事なんて、してません……」

「君はとても勇気があるし、優しいし、見かけで判断しない。俺の話を聞いてくれて、俺の気持ちを分かってくれた。それに俺は助けられたんだ。それとも俺の気持ちは受け取ってもらえないのかな?」

「えっ……いえ、あの…………分かりました、有難く受け取ります。でもいつかこのご恩を返させてくださいね」

「それは簡単だしすぐ返せるよ。時々暇な時に気が向いたらそのペンダントで俺と話してくれればいいさ。旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)なんて名乗ったけど、実は近い内に本当に旅に出ようかと思ってるんだ。その間エンリと話せないと寂しいからね。ネムもペンダントを借りて時々話してくれると嬉しいな」

 目線を下に動かしネムを見やると、うん、と満面の笑みで元気よく頷いてくれる。エンリに視線を戻すと参ったと言わんばかりの苦笑いを浮かべていた。

 そうしていると広場の方がざわざわと騒がしくなった。今度は何だろうか。広場まで行くと、村長と村人数人が何かを話しているがどうも困り事のようでやや焦った様子も見受けられた。

「どうなさいました?」

「モモンガ様、実は……馬に乗った戦士の一団が村を目指してきているそうで……」

 ピンポイントに厄介事だった。今日は厄日かな? と思いつつも放っておくわけにもいかない。

「分かりました。村の皆さんは集会所に集まってください、建物に守りの魔法をかけます。その一団は村長と私、クレマンティーヌで対応しましょう」

「よろしいのですか?」

「恩と報酬の分は働きますよ、アフターケアというやつですから追加の請求は発生いたしませんのでご安心を」

「は、はぁ……分かりました、それじゃ皆、集会所に入ってくれ! 作業も一旦ストップだ!」

 村人達は大急ぎで集会所へと入っていき、全員入った確認が取れた後モモンガがいくつかの防御魔法をかける。準備が整ったところで、広場で騎馬の一団を待ち受ける。

 村に入ってきた騎馬の一団の総数はざっと五十ほど。先程村を襲った帝国兵(らしき者達)と比べると、武装に統一感がなく各自使いやすいようにアレンジを施しているようだった。兜をしている者もいればしていない者もいるが皆顔を出している。鎧に紋章が入っているからどこかの兵という事は推察できるがそうでなければ傭兵団としか見えなかった。先頭を進む黒髪を短く刈った屈強そうで精悍な男がモモンガ達から少し距離を置いて馬を止め、口を開く。

「私はリ・エスティーゼ王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らし回っている帝国の騎士を討伐する為に王のご命令を受け村々を回っているものである」

「王国戦士長……」

 村長が低い声で呟く。どうやら有名人のようだった。クレマンティーヌが耳許で、周辺国家最強の戦士です、と教えてくれた。という事はクレマンティーヌより強いのだろうか。

「貴殿が村長か、そちらの方は?」

 戦士長の鋭い目線がモモンガへと向く。人間だった頃ならばその射抜くような強い視線に圧倒され腰を抜かしていたかもしれないがお陰様でそういった動揺は即座に沈静化され平穏になる。村長が口を開くより早くモモンガは軽く頭を下げた。

「私は旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)でモモンガと申します。こちらは連れのクレマンティーヌ。この村には少々縁がございまして、襲われているのをたまたま見かけて助けさせて頂いた者です。といっても助けたのはクレマンティーヌですが」

 大体全部クレマンティーヌがやったので手柄を横取りするのは良くないだろう。モモンガは〈転移門(ゲート)〉を開いた位しかしてない。それを聞いて戦士長は何を思ったか馬を降り、クレマンティーヌの前へと進むと手を取り頭を下げた。

「この村を救って頂き、かたじけない。本当に、本当に感謝する」

「え……私はモモンガさんに頼まれたからやっただけだから、お礼はモモンガさんにどうぞ」

「モモンガ殿も、本当に感謝する。この村を救って頂いた事、感謝の言葉もない……!」

 戦士長は今度はモモンガに向き直り深く頭を下げる。後ろの戦士団がざわついている、周辺国家最強だというし戦士長というのもそれなりの地位なのだろうから軽々に頭を下げるのはどうかと思うのだが、それほど嬉しかったのだろうか。この辺境の寒村が救われた事が。

「いえ、個人的な恩義の為と、それから報酬も頂く事になっていますから。お気になされず」

「報酬……というと、モモンガ殿達は冒険者か何かで?」

「ただの旅人ですよ。ただ、旅人だって先立つものは必要でしょう?」

 肩を竦めてみせると、戦士長は苦笑しそれ以上は追及してこなかった。

「それは確かに。もしお時間が許せば、村を襲った不逞の輩について詳しい話をお聞かせ願いたい」

「構いませんとも。四人ほど捕らえてありますのでお引き渡しいたします。宜しいですね、村長殿」

「ええ、それは勿論」

「待って頂きたい、四人というが他の者は? まさかそんな少数ではなかった筈」

「クレマンティーヌが全て打ち倒しましたが何か問題が?」

 モモンガの返答を聞いて戦士長はしばし固まり、ほう、と呟いて鋭い目線をクレマンティーヌに向けた。無論そんな視線に怯むクレマンティーヌではなく、肉食獣のような笑みで歓迎する始末だったが。

「いや、問題はない。むしろ我等の仕事を代わりにやって頂いた事、心より感謝する」

「先程も申しましたが、報酬もありますしお気になさらず」

「……一つお聞きしたいのだが、その仮面は?」

 戦士長の問いかけに、汗腺があれば冷や汗が流れるであろう思いがこみ上げる。ですよね、やっぱり怪しいですよね。

魔法詠唱者(マジックキャスター)的な理由によって付けているものです」

「仮面を外していただいても?」

「お断りします。魔力が……暴走する危険性がありますので」

 勿論そんなのは大嘘なのだが、クレマンティーヌが万一にもそんな事をしてくれるなという必死の形相でモモンガを見、それ以上何も言うなとばかりに戦士長を見る。その様子から何かを感じ取ったのか戦士長は頷いた。

「……成程、外さないで頂いた方が良いようだ。失礼した」

「ありがとうございます」

「いや。では椅子にでも座りながら詳しい話を聞きたいのだが、適当な場所はあるかな。それともし構わなければ時間も時間であるし、この村で一晩の宿をお借りしたいのだが」

「分かりました。ではその辺りも踏まえて、私の家でお話を……」

 村長の言葉を遮るように蹄の音が近付いてくる。広場に駆け込んできた騎兵は即座に馬を降り戦士長へと駆け寄る。緊急の事態のようだった。

「戦士長! 周囲に複数の人影、村を包囲するような形で接近しつつあります!」

 えっ、また厄介事?

 思わずモモンガは頭を抱えそうになった。えっ、この村、狙われすぎ?

 穀物の栽培と薬草の採取で成り立っているだけの交通の要所というわけでもない辺境の開拓村に一体何の価値があってこんなに次々と敵がやって来るのだろう。とりあえず愚痴っていても始まらない、まずは状況の確認だ。戦士長と共に村外れの民家へと移動する。

 村を包囲しているのは、装備品からすると魔法詠唱者(マジックキャスター)らしかった。側に炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がいる事からしても召喚魔法が使える魔法詠唱者(マジックキャスター)だろう。疑問なのは、何故ユグドラシルのモンスターである炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)がいるかだった。

炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)だな。クレマンティーヌ、奴等が何者か分かるか」

「陽光ですね」

「殲滅戦に優れた魔法詠唱者(マジックキャスター)部隊、だったか? 何位階の使い手なんだ」

「最低第三位階、隊長のニグンは第四位階の使い手です」

「……は?」

 ガゼフから離れて小声で話していたのだが、思わず間の抜けた大声を上げてしまった。

 だって思ってもいなかったのだ、そんな雑魚だとは。

「今雑魚だって思いましたね? 言っておきますけど、第三位階が使えれば天才、第四位階は天才が果てない努力の先に行き着く領域です。モモンガさんを基準に考えないでください」

「なんか……ごめん」

 小声のクレマンティーヌに注意され、素直に謝る。

「で、お前を追ってきた可能性は?」

「ないとは言い切れませんが、それならもっと早く包囲してます。戦士団が村に入ったこのタイミングでの包囲ですし、ガゼフ・ストロノーフが五宝物も持たずにあんな軽装で任務に出されてるんですから、ガゼフを嵌める罠というのが妥当じゃないかと」

「五宝物? なんかレアアイテムの予感……いやその話は後だ。しかし法国がガゼフを嵌めて何の得が?」

「王国を滅ぼしたいんじゃないですかね。腐敗してますからね王国は。人類の為にならないと判断されたんでしょう」

「うわ……ドロドロしてんな……首突っ込みたくないけど乗りかかった船だからなぁ……お前やれる?」

「モモンガさん以外の魔法詠唱者(マジックキャスター)なんかスッといってドスッで終わりなんですけど……これだけ数がいて包囲されてると厄介ですね。正直自信はないです」

「そうか」

 顔を上げると、同じタイミングで外を見ていたガゼフがこちらを見やる。

「失礼、アークエンジェル・フレイム、と聞こえたのだが、モモンガ殿はあの召喚モンスターをご存知なのか」

「勿論知っておりますよ。私の魔法の系統とは違いますが、敵対するかもしれない相手の情報を把握しておく事は勝利する為に重要ですから」

「耳が痛いな……私は対人の戦闘や訓練ばかりで、モンスターを相手にする事があまりないもので不勉強でな。もし宜しければ、どのようなモンスターかお教えいただけないだろうか」

「第三位階魔法で召喚される天使で、その名の通り剣に炎を宿しています。天使の中では弱い方ではありますが、魔力を込めた武器でなければ有効打は与えられません。失礼ですが戦士団の皆さんは魔法の武具はあるのでしょうか?」

 その言葉に明らかに周囲がざわついた。俺何かそんな変な事言ったかな? と思っていたらクレマンティーヌに肩を掴まれる。

「魔法の武器なんて高価な物普通の兵士は持ってません……」

 そっと耳打ちされた言葉に、己の発言のおかしさを悟る。やっぱりクレマンティーヌがいてくれてよかった、一人だったら頭のおかしい奴になってしまっていた。

「私は武技〈戦気梱封〉で刀身に魔力と同等の効果を発揮する戦気を宿すことができるが……他の者は……」

「それでしたら、犠牲を出さぬ為にも戦士団の皆さんは村の防衛に回られた方がよろしいでしょう」

「しかし! それではどうやって敵を……!」

「今日はクレマンティーヌにばかり働かせて、私はまだ働いていないのですよ。少しはいい所を見せないと立つ瀬がないと思っていたところです」

「な……モモンガ殿! まさかお一人で行かれるつもりか!」

「あの程度であれば私一人で十分です。相手に奥の手がありそれが対処不能なものなら負ける可能性もないではないですが……実力的には負ける要素が一切見当たりませんね。生け捕りがご希望ですか? 何人かは殺してしまうかもしれませんが。無論皆殺しがご希望という事であればもっと楽です」

 相手は法国の特殊部隊だ、六大神が残した何かしらが奥の手として残されている可能性はないわけではない。できればその情報も収集したいところだがそんな時間はないだろう。あれ以上の戦力がないと仮定すれば普通に当たれば負ける要素のない相手でもある。

「…………自信家であらせられるのだな、モモンガ殿は」

「信用できないかもしれませんが、私の戦いを見て相手の手の内を知れると思えば戦士長殿にも益があるでしょう。まあ見ていてください、縄の用意をお忘れなく」

 呆然とする戦士団の間を通り抜け、民家の外に出て村の正門を抜け真っ直ぐに歩いていく。途中で上位アンデッド創造のスキルを使い青褪めた乗り手(ペイルライダー)を再度呼び出しておく。

「上空で待機し、向こうに見えているこの村を包囲している連中、陽光聖典、あいつらがこの場から逃げ出そうとしたら殺せ」

 青褪めた乗り手(ペイルライダー)は一礼すると空へと駆け上がり夕闇に紛れ溶け消えた。

 さて、お仕事の時間だ。どれだけ足掻いてくれるものか。

 うっかりすると思考に素で魔王ロールが出てしまっている、気を付けなければいけないと思いながらモモンガは〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉を使い指揮官と思しき者の眼前に転移した。

 

***

 

 陽光聖典が戦意を喪失した旨をエンリを通じて戦士長に伝え、戦士団が総出で捕縛にやってきた。

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)の姿と〈善なる極撃(ホーリー・スマイト)〉の閃光は村からでも見えたらしく、何があったのか、どうして無事なのかとガゼフからしきりに聞かれたが、運が良かったんですよと適当に流しておいた。

 何人かは逃げ出そうとして青褪めた乗り手(ペイルライダー)にミンチにされている。それも内部から破裂させる魔法を使って、と誤魔化しておいた。実際〈内部爆散(インプロージョン)〉という魔法はあるのだから(今回は使ってないが)あながちまるっきりの嘘というわけでもない。

 村に戻ると、村人達の暖かい歓迎を受ける。一人で向かったと聞いて心配したとエンリが少し怒っていたが、モモンガだって少しは働かないと格好がつかないというものだろう、それくらいは許してほしい。

 村長に是非食事を、と誘われたがエンリのところでご馳走になる旨を伝え、クレマンティーヌと合流してエンリの家へと向かう。

 今日は長い一日だった。こんなにも一気にイベントが押し寄せてこなくてもいいようなものだ。少しずつ来てほしい。何もなければないで暇を持て余すのは事実なのだが、今日はさすがに気疲れした。

 空を見上げると、今にも降り注いでくるような満天の星空。ナザリックの第六階層の星空も素晴らしかったけれども、やっぱりこの空をブループラネットさんと見たかったな、とそう思う。

「綺麗な空だな」

「そうですか?」

「俺の世界では、こんな美しい星空は見られなかった。この美しさを享受できる幸せを噛みしめるべきだぞ」

「そういうものですかねぇ、まあ綺麗といえば綺麗なんですけど、空がこうなのは当たり前ですから今いちピンとこないです。ただ……」

「ただ? 何だ?」

「一人で見ても味気ないですけど、誰かと一緒に見上げてるってのは、悪くないなと思いました」

「そういうものか」

「そういうものです」

 クレマンティーヌと夜空を見上げながらのんびりと歩を進める。ブループラネットさんと見たかったというのが本音だけれども、クレマンティーヌと見るのだって悪い気分じゃない。後でエンリやネムと一緒に見たらもっと楽しい気持ちになれるかもしれない。

 この世界には星座ってあるのかな。そんなどうでもいい事を考えながら、カルネ村の中をゆっくりと歩いていった。




誤字報告ありがとうございます☺


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魔樹

「魔法について聞きたいんだが」

「魔法ですか。正直専門外なのであまり詳しくはお答えできませんけど、私に分かる範囲でしたら」

 深夜(とは言ってもこの世界基準の深夜なのでまだ二十一時頃だが)、エンリの家。〈永続光(コンティニュアルライト)〉を明度を低めに灯し、既に眠っているエンリとネムを起こさないように静かな声で話す。

「今日炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)が召喚されてただろう? あれは俺が元いた世界のモンスターだ。それに陽光聖典の奴等が使ってたのも全部知ってる魔法だった。俺は別の世界から来たのに魔法やモンスターは俺の世界のものと同じなんて妙だと思ってな」

「ああ、そういう事ですか。モンスターについては分かりませんけど魔法についてなら。この世界の魔法は、元々始原の魔法(ワイルドマジック)しかなかったんです。それが五百年前、八欲王がどういう手段を使ってかは分かりませんけど世界の法則を歪めて位階魔法をこの世界の魔法の法則にした、と聞いています。八欲王が真なる竜王のほとんどを滅ぼしたのもあってそれ以降始原の魔法(ワイルドマジック)の使い手は激減し、今では限られた者しか使えません」

「世界の法則を歪めて……か、成程」

 クレマンティーヌの言葉に思い当たる事があった。八欲王はプレイヤーだ、世界級(ワールド)アイテムを保持していてもおかしくはない。それがもしも魔法システムの変更を可能にする五行相剋やさらに広範なシステム変更が可能な永劫の蛇の指輪(ウロボロス)で、この世界に転移した事でシステム変更を願い出る先がユグドラシル運営から世界そのものに効果が変質していたとするならば、有り得ない話ではない。

 問題は八欲王が何でそんな事をしたかだが五百年も前の話だ、いくら考えても分からないし答えを聞こうにも八欲王は滅びてしまっている。魔法を始原の魔法(ワイルドマジック)から位階魔法に切り替える理由。うーん分からん。竜王(ドラゴンロード)と戦って絶滅寸前に追いやったらしいから戦いを有利にする為に始原の魔法(ワイルドマジック)を使えなくなるようにしたかったのだろうか。

始原の魔法(ワイルドマジック)というのはどういう魔法なんだ?」

「詳しくは知りませんが位階魔法を遥かに凌駕する非常に強力な魔法だとか。始原の魔法(ワイルドマジック)を行使できる数少ない一人に竜王国の女王がいるのですが、使うためには百万の民の犠牲が必要とか聞いたことがあります。詳しい事はやっぱり実際に行使できる白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にでもお聞きになった方がいいと思いますよ?」

「何だその百万の犠牲って……穏やかじゃないな」

「竜王国の女王は真にして偽りの竜王という別名がありまして、始原の魔法(ワイルドマジック)を使う為に代償として他者の犠牲を必要とするらしいんですよね。真なる竜王はそうでもないようですがそもそも竜王(ドラゴンロード)が姿を見せたり力を行使する事自体がまずありえないのでなんとも。まあ実際見た事がないので全部伝聞ですけど」

 クレマンティーヌが肩を竦める。そりゃそうだよな、この世界で圧倒的な力を持つという竜王(ドラゴンロード)始原の魔法(ワイルドマジック)を使う状況なんてそれこそ八欲王クラスの敵との戦い位だろう。つまりプレイヤーが竜王(ドラゴンロード)と敵対でもしなければ見られないものだ。

 敵対……したくないなぁ。仲良くしたい。始原の魔法(ワイルドマジック)を喰らうなんて想像するだけで寒気がする。興味がないというと嘘になるのであわよくば誰かが喰らうのを見たい。

 そう考えるとプレイヤーに詳しいという白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)には話を通して友好関係を築いた方が良さそうだなという思いが強くなる。よし、まず最初の目的地はアーグランド評議国だ。

「うーむ、やっぱりまずはアーグランド評議国か。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と友好関係を築かなきゃな。どの辺にあるんだ?」

「王国の北西です。王国を縦断する進路になりますね。一ヶ月も歩けば着くかと。それともあの鏡を使って転移で行かれますか?」

「折角だから旅を楽しみたいな。他のプレイヤーについて情報収集もしたいし。カルネ村はもう大丈夫だろうし近い内に出るか」

「あの……それなんですけど……」

 歯切れ悪く口の重いクレマンティーヌを見やると、何やら言いづらそうにしている。カルネ村について何か気になる事があるのだろうか。

「カルネ村……だよな? 何か危ないのか?」

「森が、荒れてるんですよね。この辺りの森は森の賢王の縄張りなのでここまで魔物が出てくる事が今までなかったようなんですけど、今の荒れ具合だとその限りじゃないなと……」

「理由……まではさすがに分からないか」

「あの…………多分、モモンガさんです…………」

 えっ、俺? 何で?

 どういう事か分からずにクレマンティーヌを凝視すると、クレマンティーヌは縮こまって言いづらそうに口を開いた。

「多分、モモンガさんを恐れて魔物や魔獣があの辺りから逃げ出して、それであちこちで縄張りの混乱が起きてるっぽいんですよね……ただ、ゴブリンやオーガの群れが北から移動して来てるのも見たので、モモンガさんのせいだけではなさそうなんですけど…………原因の一つであることは、確かかなと……」

「えぇー……俺そんな影響与えてたの……」

「はい……ご自分の影響力についてもうちょっと自覚した方がいいですよ……」

 まさか森で座ってるだけでそんな強い影響を与えていたとは。プレイヤーが神とか呼ばれるような力を持ってるというのを舐めていた。自覚が足りなかったなと素直に反省する。

「なんか……ごめん。いや謝ってる場合じゃないな。どうすればいいんだ……縄張りの大元締めみたいな奴はいるのか? さっき森の賢王とか言ってたけど」

「はい。南の森の賢王、東の巨人、西の魔蛇。この三体が法国が把握しているトブの大森林で強い影響力を持つ魔物です。森の賢王は種族名は分かりませんが白銀の体毛と蛇の尾を持つ四足獣、東の巨人はトロールの亜種、西の魔蛇はナーガと聞いています」

「ふーむ、とりあえずそいつらに縄張りの中を落ち着かせるよう話を付けてみるか。会話できる知能はあるのかな……森の賢王は大丈夫そうだけど」

「そこまではちょっと分からないですね……元々陽光聖典の管轄なので」

「そうか。じゃあちょっと聞いてくるか。明日は森に行こう、クレマンティーヌは明日に備えてもう寝てていいよ」

 陽光聖典は捕縛され村にいるので丁度いい。クレマンティーヌがベッドに入ったのを見届けて〈永続光(コンティニュアルライト)〉を消し陽光聖典が集められている建物へと向かう。見張りの兵士に陽光聖典と話をしたい旨を伝えると、戦士長に確認に行かれたが少し待つと許可が降りたようで無事通してもらえた。

 陽光聖典の隊員達は縛られた状態でぐったりとしていた。逃げ出す気力もないのだろう、モモンガが入ってきても反応する者は少ない。反応も薄く、気怠げにモモンガを見やると俯いてしまう者が大半だった。

「何か用か」

 隊長はさすが隊長というべきか、言葉を発するだけの気力を残しているようで、モモンガに問いかけてきた。

「そう警戒しないでほしいんだけど。ちょっと聞きたい事があるだけだから何もしないよ」

「何でお前に教えなくてはならん」

「君らの任務にも関わりがある事だと思うんだけどな。トブの大森林が荒れてるから縄張りの主に話を付けに行こうと思うんだけど、森の賢王と東の巨人と西の魔蛇って話が通じる相手かどうか知りたいんだけど」

 そう問いかけると、隊長は心底不思議そうにモモンガを見やった。

「何で我等の任務にそれらが関わると知っている。いや、どうしてお前がそんな事をするんだ」

「この村の安全を守るためだよ。それ以外の理由はないね」

「どうしてこの村にそんなにこだわる、魔神をも凌ぐ力を持ちながら! それだけの力があれば何でもできる、この小さな村にこだわる理由は何だ!」

「別にいいだろ、俺は別にそんな大それた事がしたいわけじゃない、俺の大事な人が安全に暮らせればそれでいいんだよ。この村には恩人がいるんでね、安全を確保したい、ただそれだけだよ」

 答えると、隊長は信じられないものを見るように呆然とモモンガを見つめて黙りこくった。

 やっぱり俺には神にも等しい力があるとかそういう自覚が足りないのかもなぁ、と少しだけモモンガは思った。だがせいぜい一週間前までは何の力も持たない貧民層の一般人だったのだ、急にそんな自覚を持てと言われても無茶というものだ。正直許してほしい。

「森が荒れて亜人やモンスターが森の外に出て人間に被害が出るのは君ら法国にとっても不本意な結果だろ? お互いに利益になると思うんだけど」

「……確かに、本来であれば我等の仕事だ。お前によって果たせなくなったがな」

「そういう皮肉はいいよ。できれば穏便な手段で聞きたいんだけど、答えてくれないかな?」

 聞くだけなら〈人間魅了(チャームパーソン)〉なり〈支配(ドミネート)〉でも使えば一発で聞き出せるが、初手からそこまでするつもりはない。話の通じる相手なのだから聞けるなら普通に聞きたい。

 最初から魔法なんかに頼っては元営業職としての対話スキルへの自負に傷が付くというものだ。

「一体何が目的なんだ……この村を守りたいだけというが、信用できん。この村を足掛かりとして森をも制し支配を広げようとでもしているのか」

「えっ、そんな事しないよ。大体森の件が片付いたら旅に出るし、支配とか全然考えてないけど……どうしても俺を力を使った支配者にしたいの?」

「……したい訳ではない。それだけの力がありながら使わないというのが信じられないだけだ。人は力に溺れるものだからな」

「六大神はそうじゃなかったんだろ? 力に溺れず人を守った。力を自分の欲望の為じゃなく、他者の為に使った。そうだよな?」

 そう告げると、隊長は驚いたような何とも言い難い顔でモモンガを眺め、やがて諦めたように苦笑を漏らして目線を逸らした。

「これは一本取られたな。お前は己が神と同じだと言いたいのか」

「神っていうけど六大神だって人だった。だから人の痛みが分かったんだと思うけど」

 隊長が俯き、しばし沈黙が流れる。言うべきことは言ったと思えたので、モモンガは何も言わずに答えを待った。それなりに長い時間の静寂の後、ようやく隊長が口を開いた。

「……森の賢王と西の魔蛇は知能が高いから問題なく話は通じる。東の巨人は言葉は通じるが愚鈍だ、話は通じないと思った方がいい。全てに共通して言えることだが、対話の前にまずは力を示すことが重要になる。お前なら問題はないだろうがな」

 俯いたまま淡々と隊長が口にする。諦めのような悟りのような静かな何かが強く滲んだ口調だった。

「ありがとう、助かるよ」

「お前の為ではない、人類の為だ」

「どっちでもいいさ。森の事は任せて。それじゃおやすみ」

 返事を待たずにモモンガはその場を後にした。恐らく待っても返事は返ってこなかっただろう。だけどそれでいい。陽光聖典ひいては法国のやり口や考え方には共感できない部分が大いにあるが、ある部分では利益が一致する、そういう関係性の在り方も世の中にはあるだろう。

 モモンガは正義の味方ではない。たっち・みーのように分け隔てなく他者の為に身を抛てる正義の在り方に強く憧れはするけれども、自分にはあれは無理だとも思う。アンデッドになってしまった今、人間は同族と認識できなくなり関わりのない人間の死程度では一切心が動かなくなってしまったから尚更だ。

 せめて、大事だと思える人を守りたい。それだけを願う。掌から零れ落ちないだけの量を大事に抱えて。それがモモンガの限界だ。それだけの力があれば何でもできると陽光聖典の隊長は言ったけれども、そんな器は元からモモンガにはありはしないのだ。

 力って持ってるからって別にどうしても使わなきゃいけないってものでもないだろうし、使わないって選択があってもいいよね、そう思う。必要ならば行使するけれども、普段から振りかざそうとは思えない。今問題になっているのは振りかざしてもいないのに無意識の内に力が影響を及ぼしていたということなのだが、それはそれだ。

 一般人には過ぎた力を持っちゃったなぁ。そう思うと気が重い。神とか魔神とか仰々しい呼び方をされると本当に気疲れする。

 さて、朝までどうやって時間を潰そうかな。

 クレマンティーヌにリング・オブ・サステナンスを渡して暇潰しの相手にしてもいいのだが、種族特性として食事と睡眠を取れなくなってからあれはいいものだったなぁとしみじみと思っているモモンガからすると、食事と睡眠という三大欲求の内二つの楽しみをクレマンティーヌから奪ってしまうのはどうにも忍びないのだった。

 リング・オブ・サステナンスをしていても食事をしようと思えばできるが空腹こそがやはり最高のスパイスだ。今日のエンリの家の夕食もいい匂いだったしなんか美味しそうだったな……豆のスープと黒パン、どんな味がするんだろう。食べたくても食べられないこの骨の身が恨めしい。

 そんな事をつらつらと考えつつエンリの家へと戻る道をモモンガは辿っていった。

 

***

 

 次の朝、まずはエ・ランテルへと陽光聖典を護送するガゼフ始め戦士団を見送る。

「モモンガ殿には本当に世話になった。褒賞もお渡ししたいし王にもご紹介したい、出来れば一緒に王都へ来てほしいのだが、本当に来てはいただけないのだろうか……?」

 実は昨晩もガゼフから王都へ一緒に来てほしい旨の話をされたのだが断っていた。情報収集しつつゆっくりと旅するつもりだったので、戦士団と一緒というのは自由度が低いしやりづらい。王への謁見もこの世界での礼儀作法など全く知らないモモンガからすると勘弁してほしいイベントだ。だがガゼフは諦めきれないようで、控えめな声色ながら再度尋ねてくる。

「残念ながらこの地にてまだやるべき事がございまして。これからの旅程で王都へも立ち寄る予定ですので、その折には戦士長殿をお訪ねしたいと考えておりますのでその際はどうぞよろしく。ただ、一介の旅人ゆえ堅苦しいのは苦手でして、できれば王への謁見などは控えさせていただければと思います」

「そうか……では再会を楽しみにしていよう。精一杯おもてなしするので、是非我が家を訪ねていただければと思う。戦士団の者に名乗っていただければ話が通るようにしておこう」

「ご配慮ありがとうございます」

 モモンガが軽く一礼するとガゼフは頷き、横に停めていた馬に乗る。

「それでは失礼する、また会おう」

 軽く手を振りガゼフは馬を村の外へと進めていった。その後を、縄打たれた徒歩の陽光聖典が戦士団に囲まれて続いていく。魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団なのでやろうと思えばあの状況からでも逃げることはできそうなものだが、その気力も出ないといった様子だった。そんなに徹底的に戦意を喪失させるような事したかなぁ? とモモンガは疑問に思ったが、自分を基準に考えてはいけないというのは昨日も言われた事だ。多分第三位階の使い手からすると圧倒的な絶望だったんだろうなぁ、とどこか他人事のように考えた。

 戦士団が去ってから、村は昨日の後片付けの作業に入る。男達は錬金術油を流し込まれてしまった家屋の解体などの力仕事にかかり、女や子供も解体された木材を運んだり遺体を埋める穴を掘ったりと忙しく働いている。

 昨日渡した角笛を早速一つ使おうと思うとエンリが言うので立ち会った。エンリが角笛を吹くとプォー、と玩具の笛のような間抜けな音が鳴った。目の前に二十体弱のゴブリンが召喚される。

「召喚してくださったご主人様、我等一同あなた様に従います、どうぞご命令を!」

 ゴブリン達は一斉に跪き、先頭のゴブリンリーダーがエンリにそう語りかける。エンリはといえば、えっえっと戸惑いを隠しきれていない様子だった。

「とりあえず力仕事を頼んだらいいんじゃないか?」

「その前に村の皆にモモンガさんが渡したアイテムで召喚したって紹介した方がいいですよ。普通にモンスターですから村の中にいたら何事かと驚かれますから」

 エンリに助言したつもりでいたら、更にもっともな事をクレマンティーヌに言われてしまった。モモンガはつい忘れがちだがゴブリンはモンスターだし村の中にいたら普通の人間は何事かと思うだろう。それはそうだ。

「そうだな、クレマンティーヌの言う通りだ。俺も一緒に行くから紹介しに行こう」

「はい、それじゃゴブリンの皆さん、着いてきてください」

「了解です!」

 ゴブリン達の威勢のいい返事が響き、近くにいた村人は何事かと振り返る。とりあえずその辺りにいた人達にモモンガが渡したアイテムで召喚したゴブリンで危険はない事を伝えると、村の恩人が渡したアイテムならという事で納得してくれる。そのやり取りを幾度か繰り返し、村の人へのお披露目が終わってから家の解体などを手伝ってくれるようにとゴブリン達にエンリが頼む。命令しないところがエンリらしいな、とどこか微笑ましい気持ちでモモンガはその様子を見届けた。

「俺達はちょっと森へ行ってくる。夕方までには戻るつもりだけど遅くなるかもしれないから、待ってなくてもいいからな」

「クレマンティーヌさんの分の夕食は残しておきますね、気をつけて行ってきてください」

 エンリと護衛に残されたゴブリンに見送られ、グリーンシークレットハウスまでクレマンティーヌと〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で転移する。

「旅立つ事も決まったし、森の中にいると悪影響が多い事も分かった……とりあえずこれは片付けるか」

「そうですね」

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)とグリーンシークレットハウスをアイテムボックスに戻し邪悪な魔法使い変装セットを外して死の支配者(オーバーロード)の素顔を久々に晒し、下位アンデット創造のスキルで死霊(レイス)を五体召喚する。

「ううっ……モモンガさんの召喚モンスターだと分かっていても怖い……」

「この程度のモンスタークレマンティーヌならなんてことないだろ?」

死霊(レイス)は厄介なんですよ。単純な物理攻撃が通りませんから戦士の天敵です」

「成程な……さて、この辺りは森の賢王の縄張りということになるのか」

「そうなります」

「じゃあそいつから探そう。死霊(レイス)達よ、この森にいる白銀の体毛と蛇の尾を持つ四足獣を探すのだ、散れ」

 死霊(レイス)達が五方へ散らばって飛んでいく。それを見送りながら、ふと思い付いた疑問をモモンガは口にした。

「昨日ガゼフが威光の大天使(ドミニオン・オーソリティ)と〈善なる極撃(ホーリー・スマイト)〉にやたら驚いてたけど、周辺国家最強の戦士ならあれ位倒せるよな?」

「……無理です。五宝物があればまあいい勝負はできたかもしれませんが勝利まではどうかと……あの装備では為す術もなく殺されてましたね」

「まさかそんな、攻撃だってせいぜい第七位階魔法だぞ? 戦士職なら一撃位は余裕で耐えられるだろ?」

「……無理です。あの、モモンガさん。現在人類が使える魔法の最高位階は第六位階です。それだって使えるのはたった一人だけです。二百五十年以上の時を生きる帝国の主席宮廷魔術師、英雄の領域を超えた逸脱者、”三重魔法詠唱者(トライアッド)”ことフールーダ・パラダインただ一人だけなんです! 第七位階の魔法を受けてどうなるかなんて人類の想像の範囲を超えてるんですよ! それを! あなたは!」

「ご、ごめん……そんな怒らなくても……」

「分かればいいんですけどね! 自分を基準にして考えるの悪い癖ですよ⁉」

 若干息が切れ気味のクレマンティーヌにすごい剣幕で捲し立てられ恐縮してしまう。どうも自分というかユグドラシルを基準に考えてしまって現地人とのズレが生まれてしまう。これも神に等しい力を持ってるって自覚が足りないってことか……と遠い目になる。

「クレマンティーヌも……威光の大天使(ドミニオン・オーソリティ)には勝てない?」

「当然です。私は昨日の装備のガゼフなら勝てる見込みはありますけど五宝物を装備したガゼフには今の装備と実力では勝てないです。それにガゼフに勝てるといっても初見なら、という条件が付きます。戦士としての総合力は格段にガゼフの方が上です」

 周辺国家最強戦士に条件付きとはいえ勝てるクレマンティーヌ相当強いんじゃ、とモモンガは自分の中のクレマンティーヌの評価を改めたが、威光の大天使(ドミニオン・オーソリティ)には絶対勝てないというのはどうなんだろうという思いも捨てきれない。昨日の蘇生実験でも思ったが、この世界で生命力と呼ばれているものがもしレベルなら、レベルアップも可能なのでは? という疑問が出てくる。

「ふむ……そうかぁ。ちょっと聞きたいんだけど、強くなった、って実感する時ってどんな時? 例えばめちゃくちゃ強いモンスターを倒した時とか」

「ああ、確かに生きるか死ぬかの戦いをした後は自分の力が一段階強くなる感覚がありますね。視界が開けたり筋力が上がったり。蘇生魔法で蘇生すると生命力を失って弱くなってしまうのでそういう時は死ぬか生きるかの戦いに身を投じると力が戻るのが早くなるとかそういうのはあります」

「そうかそうか! じゃあ今度クレマンティーヌが強くなるための訓練をしよう、俺が適当な強さのアンデッド創るから!」

 死の騎士(デス・ナイト)辺りが適当だろうか、でも防御特化の死の騎士(デス・ナイト)とスピード特化の刺突系クレマンティーヌでは相性が悪いだろうか……いや待て、多少相性が悪い方がギリギリの戦いになってよりレベルアップ効率が良くなるのでは? スキルで強化されてるから、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)辺りでも結構肉薄した戦いができるのでは? 訓練ならバリエーションが色々あった方がいいしな! などと色々考えるとワクワクする思いをモモンガは抑えきれなかった。

「死なない程度にお願いします……お願いしますね、本当に……洒落になってないですから……」

 上機嫌で訓練メニューを考え始めたモモンガを不安そうに見つめクレマンティーヌが呟く。

 そんなこんなで時間を潰している内に、放った死霊(レイス)の一体が森の賢王らしき魔獣を捕捉したのが召喚モンスターと使役者の間に繋がれた糸でモモンガに知らされる。

「おっ、森の賢王がいたようだな。向かうとしよう」

 二人で森を奥へと進んでいく。二十分ほども歩くと、巨大な白い獣の影が見えてきた。

「あれが森の賢王か?」

「そのようですね、噂通り蛇の尾です」

 更に近付くと、森の賢王と思しき魔獣は数体のナーガと向かい合い睨み合っていた。だが問題はそこではない。ある動物に酷似した森の賢王のその姿が、モモンガを呆然とさせた。

「ジャンガリアンハムスターじゃないか……森の賢王っていうよりジャイアントジャンガリアンじゃないか……」

「森の賢王の種族名をご存知なんですか?」

「いや、俺の知ってるジャンガリアンハムスターとは大きさが違いすぎる……ハムスターは掌サイズなんだ……まあいいや、今はそこを気にしてたら始まらない……うん」

 そのまま進んでいき二者の間で立ち止まると、両者ともこちらに注意を向ける。

「森の賢王と西の魔蛇だな」

「えっ、魔蛇います? 普通のナーガだけじゃないです?」

「いるぞ、透明化してる。見えてるから出てこい、西の魔蛇」

 魔法的視力強化による透明看破のスキルでモモンガには透明化している者が見える。ナーガ数匹の後ろで透明化していた西の魔蛇は、モモンガの言葉に姿を現した。

「儂の透明化を見破るとはただのアンデッドではないようじゃな……お主、最近南の森に突如現れたという死の王じゃな」

「死の王でござるか、大層な称号でござるな。某は森の賢王、死の王よ、名を名乗られい」

 ござる……いやそこを気にしていては負けだ。あまりにも想像と違いすぎる森の賢王の姿に戸惑いながらもモモンガは口を開いた。

「俺の名はモモンガ。行く場所がなくやむを得ずとはいえ、この森の縄張りを荒らした事は謝ろう。今日は相談があってやって来た。ところでこんな所で何をしていたんだ? 抗争か?」

「違うでござるよ。この蛇が、同盟を組みたいと言ってきたのでござる」

「ふむ……話を聞きたいところだけど、まず力を示すことが肝要、だったっけ?」

 クレマンティーヌはやたら慌てていたので多分有効な手段だろうと思い、モモンガは探知阻害の指輪を外した。瞬間森の賢王は毛を逆立て腹を見せてひっくり返り、ナーガ達はうねりのたうち回った。ちょっと可哀想になったのですぐに指輪を着ける。

「強い、ということは理解してもらえたかな?」

「こ、降参でござるよ~……殺さないでほしいでござるよ~……」

「……強者で、ある、という事は、十分理解したぞ、死の王よ……できれば、そういうのは、やめてほしかったが……」

「殺さないから安心してくれ、君達には頼みたい事があるからな」

 その場の者達(密かに腰を抜かしていたクレマンティーヌ含む)が落ち着くのを待ち、再びモモンガは口を開く。

「さて、同盟だったっけ? どういう経緯なのか教えてもらってもいいか?」

「最近、北の森の草木が徐々に枯れ果て死の大地が広がっていっておるのじゃ。その原因を探りにいった東の巨人、グが戻らん」

「グ?」

「名前じゃ。トロールは短き名を勇敢の証とする。儂など長い名なのでよく侮られたものよ」

「ちなみにその名は?」

「リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンという」

「確かに長いな……さてリュラリュース、それでどうして森の賢王と同盟を結ぶんだ?」

「グは恐らく北に封印されている魔樹に殺されたと儂は踏んでおる。対抗するには儂だけの力では足りん。故に同盟を考えた」

 封印された魔樹、そんな剣呑な物があるのか。成程と思っていると、何か思い当たった様子のクレマンティーヌが目に入った。

「クレマンティーヌ、何か心当たりがあるのか」

「多分ですけど……トブの大森林付近で破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が復活するという予言が最近出たんです。もしそれだとしたら、森の賢王と西の魔蛇位じゃ対抗できない、漆黒聖典でも第一席次が出てくるような事態じゃないかと」

「予言? 当たるのか?」

「占星千里の予言は必中です。予言というよりは未来視に近いものです」

「成程な……しかし竜王(ドラゴンロード)というが、魔樹だぞ?」

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は、遥か昔に空間を切り裂きこの世界に降り立った強大な力を持つ魔物達全般を指した呼称なんです。ほとんどが竜王(ドラゴンロード)達によって倒されましたが、この魔樹は封印されていたようですね。今は封印が解けかけてるんだと思います」

「そういうことなのか。俺以外の森の混乱の原因というやつもそれだろうな……よし、森の賢王にリュラリュース、提案がある」

 呼びかけると元よりモモンガを見ていた森の賢王と西の魔蛇は軽く頷く事で返事する。

「俺がその魔樹を倒そう。その代わり、森のモンスターや亜人が森の外に出ないようにそれぞれの縄張りを鎮めてほしい。どうだ?」

「それは……可能ならこちらから願いたい位じゃが……勝てるのか?」

「やってみないと分からない、としか言えないな。まあ負ける気はない」

「某は異存はないでござるよ、しかし東の巨人の縄張りはどうするでござる? リュラリュース殿にお願いしてもいいでござるか?」

「森の均衡が崩れるが森の賢王よ、お主はそれでいいのか?」

「それについても提案があるぞ、不可侵条約を結べばいいだろう。お互いの縄張りを荒らさないという契約だ」

「某は今の縄張りがあれば十分でござるし、そちらの縄張りには立ち入らないでござるよ」

「うむ……裏がありそうないい話じゃが、そういう事ならば乗ろう」

 話は纏まったようだった。後は魔樹を探して退治するだけだ。死霊(レイス)達に北の方面で樹木の枯れている場所を探させると、広範囲に渡って樹木が枯れている一帯をすぐに発見できた。

「場所も見つかったようだし、それじゃちょっと行ってくるよ。第一席次が出る事態ということはクレマンティーヌは来ない方がいいな、ここで待ってろ。〈飛行(フライ)〉」

 一気に加速し飛び上がる。死霊(レイス)の待つ方を見やると、確かに円形に樹木が枯れている地帯があった。付近まで〈飛行(フライ)〉で近付きやや離れた森の中に着地する。

「さて、どれだけの強さかは分からんが一応全力で準備するか……」

 墓守生活で癖になった独り言を呟きつつ〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェント・ベリル)〉に始まる各種強化・支援魔法をかけすぎというほど自分にかける。何せ相手の手の内が全く分からないのだ、どれだけ用心してもしすぎるという事はないだろう。

 魔樹ということは恐らくトレント系のモンスターだから能力もそれに準じたものだろう。体力は高め、知能は恐らく低く魔法攻撃はないとみた。もし知能の高いトレントだったら一旦撤退することも視野に入れなければならない。トレント系は大体体力が高いのにそこに魔法まで使われたら戦略を練らなくては勝てない。この世界では圧倒的な強者らしい漆黒聖典第一席次が出る事態ならばそれ相応の強さのトレントが出てくる筈だ、簡単に削りきれる相手ではないだろう。

 しかし見渡す限りの朽ちた木が林立する荒野には魔樹の影はない。まだ封印は完全に解かれていないから姿を現していないのだろうが、どこにいるのやら。近付けば出てくるかと思い、荒野の中を死霊(レイス)に探索させる。丁度荒野の円の中心部分に死霊(レイス)が差し掛かったところで、突然大地が割れ探索させていた死霊(レイス)との繋がりが切れて巨大な触手がのたうち地を叩く。

「当たりか! 〈魔法三重最大化(トリプレットマキシマイズマジック)現斬(リアリティ・スラッシュ)〉!」

 第十位階でも最強の攻撃力を誇る斬撃の魔法が三発連続して触手を切り苛む。苦しむように触手がのたうち回り、大地が震え揺れる。触手を中心にして枯れた大地が盛り上がっていき、少しずつその恐ろしい魔樹は全容を明らかにしていく。

「……でっか」

 高さは三十階建てのビルほどはあるだろうか、幹には恐ろしい顔のような虚が刻まれている。六本の触手は森を飲み込むかのように長い。何もかもが規格外の存在だった。

「ううむ……よし、知能は低そうだな。やるしかないか……〈魔法三重最大化(トリプレットマキシマイズマジック)朱の新星(ヴァーミリオン・ノヴァ)!〉」

 範囲内に入り使える中では一番強い炎属性魔法を放つ。トレントだから炎が弱点じゃないかと思ったからだ。だが魔法の範囲内に入るということは長い触手の攻撃もこちらに届くということ、魔法職のモモンガでは視認できないような速度で振り下ろされた触手の一撃が全身を叩きつける衝撃が襲ってくる。

「くそっ、〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェント・ベリル)〉起動!」

 殴打属性ダメージを無効にし全速力で一旦下がり、〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェント・ベリル)〉をかけ直しておく。十位階の魔法だから魔力の損耗は気になるがあの触手の一撃は当たったら確実に相当痛い、まずは触手を一本ずつ確実に潰していくべきかと作戦を組み立てる。

「……よし、行くぞ。〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 転移で一気に魔樹の懐に飛び込み、眼下の触手の根元に狙いを定める。

「〈魔法三重最大化(トリプレットマキシマイズマジック)現斬(リアリティ・スラッシュ)〉、〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉!」

 斬撃を叩き込み然る後に範囲外まで転移、ヒットアンドアウェイ戦法。魔力の損耗は気になるしちまちま削るしかないというのがなんとも貧乏臭いがこれが確実だ。

 こうしてそれなりの時間が経った後、どうにか触手を全て片付ける事に成功した。

「……よし、後は胴体だな、って! 〈骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)〉!」

 突然魔樹が口から無数の種を飛ばしてきたので慌てて壁を出す。

「……あれだけでかければ全部当たりそうな気がするな、使ってみるか。〈魔法三重最大化(トリプレットマキシマイズマジック)隕石落下(メテオフォール)〉!」

 天から灼熱で赤化した無数の隕石が魔樹めがけて降り注ぐ。通常の三倍増しの隕石は、容赦なく魔樹の幹や枝を抉り削っていく。しかし魔力が残り少ない。こいつの体力どんだけあるんだよ、せめてタンクがいればなぁ、悪態をつきたくなるがないものねだりをしてもしょうがない。そしてタンクで思い出したが、予め超位魔法〈天軍降臨(パンテオン)〉で門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)を呼び出しておけばそれなりに使えたのではと今更思い付いた。今更思い付いても遅い。

「くそっ、こうなったらヤケだ、魔力が切れるまでやってやるぞ! 〈魔法三重最大化(トリプレットマキシマイズマジック)現斬(リアリティ・スラッシュ)〉!」

 飛ばしてくる種の攻撃に注意し〈飛行(フライ)〉の持続時間に気を配りつつ〈現斬(リアリティ・スラッシュ)〉を当てていく。もう無理、と思い始めた頃、ようやく魔樹はその動きを止め、生命の気配は失われた。一応確認の為〈飛行(フライ)〉で近付いてみるが反撃の気配はない。ようやく、ようやく長い戦いがおわったようだった。

「つ……疲れた…………」

 魔力切れ寸前、ポンコツ死の支配者(オーバーロード)の長い戦いが終わった。ゲームだと六時間だけどこの世界で魔力回復するのどれ位かかるんだろう、旅の出発まで結構時間かかっちゃいそうだなぁ、溜息が漏れる。

 とりあえず転移してクレマンティーヌ達の許まで戻り、魔樹を無事討伐したことを報告する。〈隕石落下(メテオフォール)〉のような派手な魔法はここからも見えていたようで、あなたは神かみたいな全員の視線が痛かった。神じゃないし今そういうのいいから、そう言いたい気持ちをぐっと堪える。

「それじゃ、縄張りの件は頼んだよ。秩序が戻るまではしばらくかかるだろうけど、森の外に魔物を出さないようにね」

「承ったでござるよ!」

「了解した、死の王よ」

 はぁ、帰ろう。邪悪な魔法使いセットを装備してクレマンティーヌを抱き寄せ、転移でカルネ村の前まで戻ってくる。

 空を見上げる。夕焼けが目に染みる。昨日といい今日といい、なんだかおかしな事態が続けざまに襲ってくるのでカルネ村は何かに呪われているのではないかと心配にすらなってきた。はぁ、紅く滲む空が美しいなぁ、クレマンティーヌの肩から手を離し、立ち止まったままぼんやりと空を眺める。

「モモンガさーん! おかえりなさいーっ!」

「モモンガさーん!」

 見れば、エンリとネムが向こうから駆けてきていた。出迎えに来てくれたのだろう。後ろを護衛のゴブリンが追いかけてきている。

 俺が守った笑顔だ(多分)、それは誇っても、いいかな?

 駆けてくるエンリとネムに手を振りながら、結果良ければ全て良し、そんな本日の標語を胸に浮かべるモモンガであった。




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採取

 魔樹との戦いで底をついた魔力が回復するまで結局数日かかったが、ただ漫然と過ごしていたわけではないためなかなか有意義な時間の使い方をできたのではないかとモモンガはご満悦だった。

 主にやっていたのはクレマンティーヌのレベリングだ。

 村の中では召喚したアンデッドの禍々しさで村人に恐怖を与えてしまう為、村の近くの陽光聖典と戦った辺りで訓練をした。クレマンティーヌにはナザリック地下大墳墓の一般メイドが持っているのと同じ疲労無効のアイテムを与えた。種族特性として元々疲労無効を持っているアンデッドのモモンガにとっては無用の長物で例によってアイテムボックスの肥やしになっていたアイテムだ。食欲と睡眠欲を奪うのは忍びないが疲労はない方がいいよな、ということでなかなかいい解決法だったのではないかと心密かにモモンガは自画自賛した。

 まずはレベル的に難易度の低そうな死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦わせてみるが、これがなかなかいい戦いになった。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が盾として召喚した骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)四体の処理に殴打武器の扱いは今いちのクレマンティーヌがやや苦戦する。うーん、なんかいい殴打武器持ってたっけなぁ、杖ならいっぱいあるんだけどその他はナザリックの自室のドレスルームに突っ込んでたような……とのんびり考えながら観戦する。

 骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)に囲まれながらも隙あらば後方の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)から〈火球(ファイアーボール)〉や〈電撃(ライトニング)〉で攻撃される。死なない程度に手加減してほしいけど殺す気でやってね、という無茶振りも召喚モンスターは忠実に実行してくれる、実に優秀だ。結果として白熱した戦いになったが一体ずつ確実に骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)を潰したクレマンティーヌが再召喚の隙を与えず死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の懐に入り、持ち前のスピードと武技を駆使して魔法を躱し続け死角に回り確実にダメージを与え、それなりに時間はかかったものの無事勝利した。

 食らったダメージはポーションで回復させる。最初ポーションを見せた時には色が赤な事に相当驚かれた。なんでもこの世界のポーションの色は青で、ユグドラシルポーションのような即効性を持つものは大枚をはたかなければ買い求められない貴重品らしい。即効性がないのは薬草を使っているからで、錬金術と魔法だけで錬成したポーションは珍しいのだとか。旅に出た時にポーションを使う際には注意しなければならないだろう。

「死ぬかと思った……なんかこの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、いつものよりやたら強かったんだけど、どういう事ですか……? 難度六十六とは到底思えない……」

「ああ、召喚アンデッドは俺のスキルで強化されてるから普通のより強いよ? 死霊魔法特化の魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)なのは伊達じゃないって事だ。どうだ、見直した?」

「嬉しくない情報ありがとうございます……」

 げんなりした顔でクレマンティーヌが肩を落とす。でも食らったのは回避不能な〈魔法の矢(マジック・アロー)〉のダメージ位だし危な気なく戦っていたからもっと強くないとレベリングとしては不適か? と考え込む。できればクレマンティーヌの得意な刺突で戦える相手とも訓練させたい。

「クレマンティーヌ、そのスティレットって魔法が込められてるんだったよな」

「あ、はい、そうです」

「使って空になったらその後俺でも込められる?」

「大丈夫だと思いますよ」

「そうか、じゃあ次の召喚アンデッドは君に決めた! 出でよ切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)!」

 中位アンデッド創造で切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)を呼び出す。ゾンビ系なのでスケルトン系と違って刺突無効というクレマンティーヌ圧倒的不利なカードではないし、クレマンティーヌの持ち味であるスピードを活かした戦いができるだろう。そして捉えられさえすれば、スティレットに込められた魔法を使って倒すこともできる。

「こいつはゾンビ系だから刺突も効くぞ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)よりかなり強いけど頑張れ」

「嬉しくない情報ありがとうございます……」

 クレマンティーヌがスティレットを構えると、切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)が素早い動きで距離を詰め先がメスになった指を振りかざす。金属音が幾度も響き、両者の間で激しい攻防が繰り広げられる。飛び退き距離を取った次の瞬間には既に至近距離に接近して連続して幾つもの金属音が響く、それが瞬きほどの間に繰り広げられるのだから両者のスピードは並外れている。

「モモンガさん!」

「何だ?」

「強すぎです! 死にます!」

「死なない程度にやれって命令してあるから大丈夫だ、頑張れ」

「鬼! 悪魔!」

「ははは、何を言ってるんだ、俺はアンデッドだぞ」

 戦闘中に悪態をつくとはクレマンティーヌもなかなか余裕じゃないか。切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は訓練相手としては最適解かもしれない。そんな事を考えながらクレマンティーヌの決死の訓練をモモンガはご機嫌で観戦し、召喚の時間限界が来て消滅すると再度召喚して戦わせる、という繰り返しを日が暮れるまで行った。

 そんな事を数日行っていたので、クレマンティーヌは自分でも確実に実感できる程格段に能力が向上したらしい。切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)は最初の頃はかなり手加減をしていたのだが今では本気で斬りかかってもクレマンティーヌは斬撃を捌いてみせている。死ぬすれすれの強敵と戦うとレベルが上がるというのは本当らしい。隙を突きスティレットが胸や眉間を穿つ事も珍しくなくなってきた。訓練の成果としては上々だろう。

 

***

 

 カルネ村の状況も大分変化した。変化の中心は、エンリの召喚したゴブリンだ。

 召喚主であるエンリをエンリの姐さん、と呼び慕うゴブリン達は、エンリのお願いを忠実に聞いてくれるどころか村の為に自主的に働いていた。

 村人達も数日の間にすっかりゴブリンを受け入れていた。同じ人間である騎士に襲われ軽度の人間不信に陥っていた村人達にとっては、村の恩人のアイテムによって召喚されエンリに従って村の為に働いてくれるゴブリンの方が下手な人間よりも信じられるようだった。

 驚いたのが、召喚されたゴブリンたちが自我を持っていてしかも優秀だったということだ。モモンガのゴブリン観はいい意味で壊された。ゴブリンリーダーなどは騎士が村を襲い村人が半減したという事情を聞いて率先して村の防衛計画を立て、村を守る塀の設置や自警団の組織などの提案を次々に行っていった。防衛にも使えるんじゃないかとは思っていたがまさかこんな優秀だとは思っていなかったので、あのゴミアイテムが……と驚けばいいのか喜べばいいのか微妙な気持ちでゴブリン達の働きをモモンガは眺めた。

 騎士の襲撃の後始末はゴブリン達の働きもあって概ね終わり、村人達は今は畑仕事に戻っている。働き手の足りない畑には率先してゴブリンが手伝いに行き、八面六臂の活躍を見せていた。勿論エンリの畑は最優先だ。父母がいた時よりも仕事が早く進むような話をエンリがしていたので、働き手の問題は解決したといっていいだろう。

 客人であるモモンガとクレマンティーヌをゴブリン達が警戒しているのが気になったので何でそんなに警戒するのかとゴブリンリーダーに直接聞いたのだが、敵に回したら勝てなさそうだから、という答えが返ってきた。モモンガがエンリの敵になるという状況がまずありえないのだが、ゴブリン達にとってはエンリが最も大切であり、エンリを守る上での危険要素はとにかく排除したいらしかった。俺の渡したアイテムなんだけどなぁ、とどことなく微妙な気持ちでモモンガはゴブリンリーダーのその返答に肩を落とした。しかし命に替えてもエンリを守ってくれそうなのはいい傾向だ。

 レベリングを終え夕食を摂った後はモモンガが冒険譚をエンリとネムに語る時間になった。炎の巨人スルトを倒した話、神祖カインアベルの討伐、セフィラーの十天使の一体に全滅寸前の憂き目に合わされた話、レア鉱石の出る鉱山を独占していたら世界級(ワールド)アイテムを使って締め出されて反撃したら返り討ちにあった話、どれもこれも、未だに思い出にはなっていなかった。未だに続きがあるような期待が胸のどこかにあり、今にも狩りに行こうぜと誘われるのではないか、そんな思いを消し去ることができずにいる。この何処かも分からない異世界に飛ばされてしまった今でも。

 旅立ちの準備としてモモンガは速攻着替えのデータクリスタルを組み込んだ見た目は地味なローブに着替えた。神器級(ゴッズ)の邪悪な魔法使いローブはあまりにも目立ちすぎるらしいからだ。そんな皇帝や王様でも着られないような高そうなローブ着てたらめちゃくちゃ目立ちますし全然旅人に見えませんよ、とクレマンティーヌに指摘され、見た目が魔王っぽいのも良くないだろうと思い旅人らしい地味なものに変更することにした。

 いざという時は速攻着替えで神器級(ゴッズ)装備に一瞬で変更できるので防御についても万全だ。速攻着替えをネムに見せてみたら大好評で、もう一回もう一回とせがまれ何度もやる事になったのは笑い話だ。

 見た目は平凡なローブに無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を背負うことによって旅人らしさを演出する。作ったもののユグドラシルではほとんど使わずアイテムボックスの肥やしになっていた物理攻撃用の杖でも持っておけばどこからどう見ても旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)だろう。隙のない完璧なプランだ。

 モモンガの意識は既に旅の空の下にあった。旅だなんて贅沢はリアルではついぞ経験がなかったものだ。働き蜂に旅行なんてする余裕はない。しかも徒歩で、一歩一歩己の足で道を刻んでいく旅。憧れない男はいないだろう。クレマンティーヌという旅慣れた案内役がいれば困る事もなさそうだし期待しかない。浮き立つ気持ちを抑えきれず、近日中に旅立とうとモモンガは決意していた。

 そんな風に少しずつモモンガ達が旅の準備を整え、それなりに平穏を取り戻しつつあったカルネ村に来訪者があった。エンリが度々話していた街の友人の薬師、ンフィーレア・バレアレが冒険者を護衛にしてトブの大森林での薬草採取にやって来た。

 その日のクレマンティーヌのレベリングを終え戻ってきたモモンガは、エンリと一緒にいる見慣れない少年が自分を見つけて駆け寄ってくるのを見て戸惑った。誰? エンリに聞く前に少年はモモンガの前に到達し立ち止まって勢いよくぶんと頭を下げ綺麗な直角、九十度の礼をした。

「モモンガさんですよね! エンリを、この村を救っていただいて、本当に本当にありがとうございます!」

「え……あの…………誰?」

「ちょっとンフィー、モモンガさんが困ってるじゃない、自己紹介が先でしょ? モモンガさん、彼は私がお話してた街の友人のンフィーレアです」

「ああ、薬師の彼だね。成程。モモンガです、どうぞよろしく」

 ようやく頭を上げたンフィーレアにモモンガが軽く一礼すると、エンリが僕の事を、とンフィーレアは小さな声で呟いた。

「君の話はエンリからよく聞いてるよ、優秀な薬師なんだって」

「そんな、僕なんてまだまだ未熟者で……日々勉強中です。モモンガさんは凄い魔法詠唱者(マジックキャスター)だとお伺いしましたが、第何位階の使い手でいらっしゃるんですか?」

「えっ…………んっ? それは……その……」

 まずい。正直に答えれば大変な事になる事位はさすがにモモンガも学習したが、この場合どの程度に抑えておくべきなのかはよく分かっていなかった。世界で一人しか使えない筈の第六位階とか答えたらまずい事はさすがに分かるが、陽光聖典を戦意喪失させるような魔法詠唱者(マジックキャスター)は第何位階の使い手なのが妥当なんだ。誰か教えてほしかった。

「モモンガさんはねぇ、第四位階の使い手だよ~、私はモモンガさんの連れのクレマンティーヌ、よろしくね少年」

「第四位階! 凄い、凄いです! 本当に凄い魔法詠唱者(マジックキャスター)なんですねモモンガさんは!」

「ま、まぁな……この歳まで研究一筋だったから、それなりにな……」

 追いついてきたクレマンティーヌがフォローしてくれた。ありがとうクレマンティーヌ。思えばクレマンティーヌには助けられてばかりいる。レベリングでビシバシ扱いているけれども少しは優しくしてやってもいいのかもしれない。街に着いたらなんか美味しいものを食べさせてやろう。お金ないけど。

 それにしてもンフィーレア少年の尊敬の眼差しが痛い。モモンガの魔法はゲームで遊んで習得したものだ。経験値稼ぎは苦労といえば苦労と言えなくもないかもしれないが基本的には遊びながら楽しんで習得したものだし、天才が果てない努力をして身に付けたなんて研鑽の結果では決してないのだ。その真っ直ぐで曇りない尊敬を受けるに値しないんだ俺は、そう思うと心が痛い。

 立ち話も何だしとエンリの家へと向かう。道すがらンフィーレアが薬草採取に来ているのだという話を聞き、もしかしてあいつそういうの把握してたりしない? と思い付いたので三人には先に家に入ってもらい玄関口の横の壁に凭れる。

「〈伝言(メッセージ)〉……あの、モモンガだけど覚えてる? 死の王。そう。縄張りはどう? いい感じか、そうか、ありがとな。あのさ、薬草を採りたいんだけど、どこに何があるかとか知ってる? ……おっマジで? じゃあ明日行くわ。行く時また〈伝言(メッセージ)〉送るから……えっ、何だその〈伝言(メッセージ)〉は何か変な感じだから嫌って……じゃあどうやって連絡するんだよ……。仕方ない、待ち合わせるか。明日の朝森の南の外れで。よろしく」

 〈伝言(メッセージ)〉を切断し内心ほくそ笑む。エンリから薬草は金になるという話を聞いている。これで旅の路銀にプラスしてクレマンティーヌにご褒美をあげる金が稼げる目処が立った。スキップしたくなる気持ちを抑えてモモンガは家に入り、ご機嫌でテーブルに座る。

「ンフィーレア君、一つ頼みがあるんだけど」

「はい、何ですか?」

「明日薬草採取に行くんだよね? 実は懐が少々寂しいんで俺も薬草を売ってお金を稼ぎたいんだ。だから一緒に連れていってもらってもいいかな? その代わりといってはなんだけど強力な助っ人を呼んである」

「助っ人ですか……? どんな人なんですか?」

「どんな……うーん、黒いつぶらな瞳がかわいいかな? 森にものすごく詳しいし、そいつがいたら森の中では怖いものなしかな」

 正確には人ではないがそこは別に言わなくてもいいだろう。

「一緒に行くのは歓迎ですよ。森は危険ですから、モモンガさんみたいな凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)がいてくれたら心強いです」

「ははは……」

 明日は危険な目に合うことなどありえない、という話も別にする必要はないだろう。クレマンティーヌも一緒に来ると言い、それなら護衛の冒険者と顔合わせをしておこうという話になり三人で冒険者達が滞在している空き家へと向かう。

 漆黒の剣というチーム名の冒険者達は戦士のペテル、野伏(レンジャー)のルクルット、森司祭(ドルイド)のダイン、魔法詠唱者(マジックキャスター)のニニャの四人組だった。皆まだ二十歳に届かないような若さだが、歴戦の強者の雰囲気がある。

「モモンガといいます。こちらは連れのクレマンティーヌ。明日の薬草採取に同行させていただくことになりましたのでよろしくお願いします」

 軽く頭を下げると、ご丁寧にどうもとペテルが恐縮する。営業職の癖で初対面の人にはまず礼をするのだが、どうやらあまり頭を下げて挨拶をする文化はないようだ。

「モモンガさんとクレマンティーヌさんのお噂は村の人から聞きました。何でも村を襲った騎士達を瞬く間に倒してしまったとか」

「野に隠れた実力者であるな」

「はは、ただの旅人です」

 和やかな会話が進むが、後ろから剣呑な気配が漂ってきた。

「可愛らしい! お美しい! スタイル抜群! 惚れました、付き合ってください!」

「……チッ」

 うわぁ、思いっきり舌打ちしてる……。ルクルットが突然の告白を始めてどうやらクレマンティーヌはうざったくなってしまっているようだった。

「クレマンティーヌ?」

「えっ、はっ、あっ! はいモモンガさん! 何でもありません大丈夫です! 仲良くします!」

「そうだな、皆仲良くしよう」

「おいルクルット、その見境なく美人を口説くの本当にやめろよ。すいませんモモンガさん、クレマンティーヌさん、仲間が失礼な事を」

「いえいえ、気にしてませんよ。なぁクレマンティーヌ。美人と言われて悪い気はしないよな」

 しきりに恐縮するペテルにこちらの方が申し訳ない気持ちになってしまう。ちょっと口説かれただけなのにクレマンティーヌは殺気を放ちすぎである。お前リアルの営業職に放り込まれたら生きていけないぞ。というかすぐに猟奇殺人犯として刑務所暮らしになりそうだ。

 その後明日の段取りについて聞いたり朝に森で一人(?)合流する事を告げたりしてからクレマンティーヌと二人でエンリの家へと帰る。ンフィーレアは漆黒の剣と一緒に夕食を食べるようだった。もしかしてモモンガ達がエンリの家に客として滞在しているので気を使わせているのだろうか、幼い頃からの友達というからこうしてたまに会った時位一緒に食事したかったかもしれない、悪い事をしたなと思った。

「モモンガさん、薬草採取なんてどういう風の吹き回しなんですか? 気分転換になっていいですけど」

「ンフィーレアに言った通りだよ、俺はこの世界の金がないから稼ごうと思って」

「私が持ってますから大丈夫ですよ?」

「やだよそんなヒモみたいな……」

「モモンガさんを養うっていうのも悪くないかもしれませんね」

「養われる気はないの俺は。大体飲食不要の骨なのに何をどう養うんだよ……」

 何が面白かったのかご機嫌な様子のクレマンティーヌを眺めて困惑して一つ息をつく。骨なんか養って何が楽しいんだ? 心から分からないぞ……。

「薬草を採ったらンフィーレア達と一緒にエ・ランテルに行こう。売るにしてもンフィーレアを頼った方が高く売れそうだしな。いよいよ旅の始まりってわけだ」

「えっ! じゃあれべりんぐはもう終わりですか⁉」

「いやそれは暇を見つけて続ける。そろそろ死の騎士(デス・ナイト)辺りいけるんじゃないか?」

「なんか名前からして嫌な予感しかしないんですが……」

「大丈夫、死なない程度に手加減させるから」

「それが怖いんですよ!」

 そんな会話をしているとすぐにエンリの家に着く。夕食の時にンフィーレアが帰る時に一緒にエ・ランテルに発つつもりだという話をする。

「そうですか……寂しいですけどモモンガさんにはやりたい事ができたんですものね……応援しなくちゃ」

「モモンガさん、もう帰ってこないの?」

「はは、ネム、俺は転移魔法を使えるんだぞ? 旅の途中でも顔を見に帰ってこようと思えばいつでも帰ってこられるさ。寂しくなったら知らせてくれ」

 その言葉に、エンリが首から下げた銀のどんぐりのネックレスを軽く掴む。

 なんだか自分の家のように馴染んでしまったエモット家、いざ離れるとなるとモモンガも何やら心細いような一抹の寂しさを覚えた。

「村の皆にも話しておきますね。皆モモンガさんとクレマンティーヌさんには返しきれない恩を感じてますから、きっとお礼もしたいですしお見送りしたいですし」

「礼なら沢山してもらったさ。それに大袈裟なのは困るぞ、照れちゃうからな。エンリとネムが見送ってくれれば十分だよ」

「モモンガさん……」

「永遠の別れみたいな雰囲気になってるけどいつでも会えるからな? 魔法は便利なんだ」

 そう簡単にホイホイ転移できるような使い手はモモンガさん位です、とクレマンティーヌは内心思っていたがちゃんと空気を読んで口には出さなかった。

 その夜、皆が寝静まってもモモンガはネムの手を握り続けていた。ベッドに入る時に握っていてほしいと請われてベッドの横に椅子を置き座って手を取り、そのまま離すタイミングを失ってしまった。

 いや違う、俺はこの手を取っていたいんだな。

 どこか自嘲気味な苦笑が漏れた。温もりもなく硬い骨の手。眠る時に握りしめ安心する材料としては不適格なそれをそれでも求めてもらえることを、自分が必要だと願ってもらえることをどうしようもなく求めていた。

 もしもあの時居てくれと言ったなら、皆は去らなかったのだろうか。俺が求めなかったから去ってしまったのだろうか。

 ふとそんな事を考える。夜は長すぎて、どうしても余計な思考が頭に浮かんでしまう。いつもそうだった、鈴木悟(モモンガ)は聞き分けがいい振りをして、皆にもリアルの事情があるから夢があるから生活があるからと、自分の気持ちなど何一つ伝えはしなかった。伝える事で嫌われるのを恐れたから、最後まで好きでいてほしかったから。嫌われたと傷付くのが怖かったから。

 離れたくないって伝えたって、好きな人を嫌いになるわけはないのにな。もしネムが離れたくないとこうして言葉で行動で気持ちを伝えてくれなかったならきっと俺はいてもいなくても同じだったのかと感じて寂しかっただろう。皆にもそんな寂しい思いをさせていたのかな。

 臆病者の鈴木悟はそんな簡単な事も分からなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆と過ごした時間が本当に幸せで、たまらなく大切だったから、少しずつ失われていくのが悲しくて苦しくて。聞き分けがいい振りをして誰にもそれを言えずにいた。その澱は心の底に降り積もり折り重なり淀んでいった。その淀みにすら自分で気付けずにいた。

 この子のように素直に言えていれば、こんな事にはならなかったのだろうか。誰か隣にいてくれただろうか。いくら考えても詮無いことではあるけれども、考えずにはいられなかった。

 この世界に来ているかもしれないアインズ・ウール・ゴウンの皆を探す。そう決めたし探したいと強く願っている。でももし再会できたとしたら、俺は何を言うのだろう。もし誰一人来ていないのだとしたら、俺はその先どうやって生きていくのだろう。今回は来ていないけれども百年後には来るかもしれないと淡い期待を抱き続けながら待つのだろうか? まるで帰ってこない皆をナザリックで何もせずただ待ち続けていたように。

 今はまだ答えが出なかった。慌てることはない、先はきっと長い筈だから、じっくり考えればいい。

 

***

 

 翌朝、エンリに二人分の背負い籠を借り、漆黒の剣とンフィーレアと合流し森へと向かう。森に少し分け入ったところでモモンガは立ち止まった。

「合流予定の助っ人が多分来ていると思うんですけど……呼んでみますね」

「……? はい、お願いします」

 モモンガの言葉にペテルは不思議そうな顔をしたが頷いた。

「森の賢王! 出てこい!」

 凛と通ったその声にクレマンティーヌ以外の面々は呆気にとられ呆然とした後、どういう事かと慌て出した。

「えっ? も、森の賢王ですか? どういう事なんですか?」

「ちょっ、待て……なんかでかいものがこっちに向かって来てるぞ! モモンガさん、あんた一体何を呼んだんだ!」

 やがて地を揺らし茂みを掻き分け、ジャイアントジャンガリアンハムスター――森の賢王が姿を現した。

「皆さんおはようでござる! 今日はモモンガ殿の薬草採取のお手伝いをするでござるよ、よろしくお願いするでござる! ……む? そちらのあまり強くなさそうな冒険者は某と戦うつもりでござるか? 相手になるでござるよ?」

「やめろ森の賢王、どうしてだか分からんが皆お前に怯えてるんだ。こんなにかわいいのに何で怯えるんだろうな? 皆さん、森の賢王は薬草の群生地や貴重な薬草の在処にも詳しく、また森の主である彼の者といればモンスターに襲われる危険もありません。稼ぎ時ですよ」

「……モモンガさんは、森の賢王とお知り合いなのですか?」

「ええ、ちょっとした縁がありましてね」

「モモンガ殿はこの森の救い主でござるよ、某でお役に立てることであれば何でも手伝うでござる!」

 胸を張り言い切った森の賢王をモモンガとクレマンティーヌ以外の面々は呆然と見つめた。モモンガからしてみれば、(クレマンティーヌといい勝負ができるらしいので)確かに現地基準では強いかもしれないがちゃんと話も通じるし、この愛らしい獣を何故そこまで警戒するのだろうと不思議でならないのだが、やがて放たれたニニャ達の言葉がモモンガの価値観を根底から揺るがした。

「これが森の賢王……なんて精強な獣なんだろう……」

「⁉」

「力強くも叡智を宿した瞳、まさに森の主に相応しき魔獣であるな!」

「噂通りの恐ろしい魔獣ですね、こんな魔獣を友とするとは、モモンガさんは凄い方ですね!」

「⁉⁉」

「これだけの大魔獣に認められるとは男としての格が違うな……モモンガさん、あんたにクレマンティーヌさんは任せたぜ……」

「いや任されても困るんだけど⁉ というかルクルットさん、あなたから任される理由が全然分からないんだけど⁉」

「昨日黒くてつぶらな瞳がかわいいと仰ってましたけど……この射抜くような鋭く力強い眼光がかわいいんですかモモンガさんは……やっぱり凄いんですね!」

「やめて! ンフィーレア君の尊敬の眼差しが痛い! ちょっとクレマンティーヌ、助けろ!」

「え、いやぁ、私もとてもかわいいとは思えないですね。精強な獣に一票です」

「ええいこの裏切り者!」

 分かった事は、どうもこの世界の価値基準はリアルとはかけ離れた部分がある、という事だった。

 その後森の賢王に案内され様々なレア薬草を採取したのだが、一つ判明したことがあった。モモンガは薬草を採取できなかった。これが薬草だと教えられ摘もうとするまではいいのだが、その後急に意識が混濁し、気がついた時には無残に毟られ潰され使い物にならなくなった薬草が手元に残っていた。何度試しても駄目だった。諦めてクレマンティーヌに採取してもらい、自分は荷物持ちに徹する事にした。

 クレマンティーヌへのご褒美のお金を稼ぎたかったのに自分の手で稼げないのは情けなかったが、もしかしたらこれはモモンガが薬草採取のスキルを取得していない事が原因なのかもしれない、と思い当たった。そんな馬鹿なとは思うが、いくらなんでもそこまでモモンガは不器用ではないし、意識の飛び方が不自然すぎる。取得しているスキルが使えるならば取得していないスキルは使えなくても不思議ではない。もしかしてスキルという事に関してゲームの法則に縛られているのでは、と思うとぞっと背中が冷えるような思いがした。

 夕方には荷馬車に一杯のレア薬草が集まっていた。森の賢王に全員で礼を言い、森を後にする。

「いきなり森の賢王が出てきた時は人生終わったかと思いましたけど、貴重な薬草がこんなに集まるなんて凄いです! モモンガさんのお陰です、本当にありがとうございます!」

「気にしなくていいよ。昨日も言ったけど俺も薬草を売って稼ぎたかったから。高値で買い取ってくれると嬉しいな、お婆さん次第だっけ?」

「はい、お婆ちゃんの査定次第ですけど、でもこれだけ貴重な薬草ならかなりいい値段が付きますよ」

「それで相談なんだけど、俺達これから旅に出ようと思ってるんだ。王国方面に行くから、もし良ければエ・ランテルまで同行させてもらっていいかな?」

「はい、勿論!」

 その後漆黒の剣・ンフィーレアの宿泊する家とエモット家とで一行は別れ、明日の出発に備える。

 この世界がどれだけ広いのか分からないけれども、不死のアンデッドであるモモンガなら隅々まで踏破できるのではないだろうか。あの高い山の頂上にも深い海の底にも何にも遮られずに行くことができる。もし誰も見つからなかったとしても、そんな生き方をしてみてもいいかもしれない。ふとそんな事を考えた。




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旅路

 翌朝、朝食を済ませてンフィーレアの荷馬車と漆黒の剣と共に村を発つ。やめてほしいと言っていたにも関わらず結局村人総出での見送りとなり、激しい恥ずかしさは沈静化されたものの恥じらいがじわじわと胸を苛み続け、だからやめてくれって言ったのにとモモンガは密かに頭を抱えた。

「モモンガさん、いつでも帰ってきてくださいね、モモンガさんの帰ってくる場所はこのカルネ村にありますから」

「ありがとうエンリ、ちょくちょく帰ってくるさ。それじゃ、行ってくるよ」

 歩き出し後ろに手を振り、名残りを惜しむようにしばらくカルネ村と村人達を見やった後前に向き直る。

 帰ってくる場所、それは母が死んで以来鈴木悟にはなかったものだ。一人で生きてきたし、これからも一人なのだと思っていた。ユグドラシル、アインズ・ウール・ゴウンは帰るべき場所に近いといえたが、辛い現実から逃れる為に一時繋がるだけの仮想現実に過ぎず、そこでだって最後の数年は皆に去られて一人だった。

 そんなモモンガだけれども、カルネ村に帰ってもいいのだという。カルネ村にはモモンガの為の居場所があるのだという。

 だがエンリもネムも人間だ。不老のアンデッドであるモモンガとは違い歳をとりやがて死ぬ。いつまでも一緒にはいられないだろう。いつかは、また一人になる。

 ずっと一人だったのに、一人になるのがこんなに怖いなんてな。いや違う、ずっと一人だったからこそもう一人にはなりたくないのかもしれない。大切なものを失う痛みを、こんなにも恐れてしまうようになっている。鈴木悟(モモンガ)にとって、大切なものとはいつでも簡単に失われてしまい自分の許には残らないものだったから。

 だから一番輝いていたアインズ・ウール・ゴウンの煌めきを取り戻したくて、あるかどうかも分からない希望に賭けてこうして旅を始める。プレイヤーが複数転移してくるという保証はどこにもないし、二百年前の十三英雄と口だけの賢者の例は例外だったのかもしれない。モモンガ以外のプレイヤーが転移してきていて、それがたまたまギルメンだった、そんな都合のいい展開などほぼ有り得ないだろう。それでも、その可能性がゼロではないのならば諦めきれなかった。

 愚かだ、と自分でも思う。それでも捨てきれない。取り戻せるものならば取り戻したい。あの日々は、鈴木悟(モモンガ)にとっての総てだから。

 カルネ村から街道沿いに西へと進路をとる。街道といっても馬車が一台通るのがせいぜいの道幅の土が剥き出しの粗末なものだ。所謂ダート道というやつだ。競馬という富裕層の遊びでそういう道の区分があるのは知っていたが、鈴木悟は舗装された道しか歩いたことがない。靴裏に感じる土と小石の感触は新鮮だった。周囲には見渡す限りの草原が広がっている。遠くに見える山や森と空の際は白く霞み、まだ東の空を昇りきっていない太陽が抜けるような青空と所々に浮かぶ白い雲を強く照らしている。

 一行は最低限の緊張は保っているものの雑談などを交えながら終始和やかに足を運んでいる。最後尾を進むモモンガとクレマンティーヌは特に会話もなくのんびりと歩を進めていた。

「あの、モモンガさんは第四位階の使い手とンフィーレアさんから聞きましたけど本当ですか?」

「ええ、本当ですとも」

 前を歩いていたニニャが振り返りそう声をかけてきたので、モモンガは少しばかり足を速めてニニャの横に並んだ。その方が話しやすいと思ったからだ。

「研究一筋とお聞きしましたが、お一人で第四位階まで到達されたのでしょうか? 凄いですね、師匠などには付かれなかったのですか?」

「師匠はおりませんね。独学です。様々な文献を研究しておりました」

 師匠なんて必要なくレベルさえ上がれば魔法は覚えられたし文献というよりは攻略サイトを参考にしていたのだがそんな事を言う必要はないだろう。場に応じた脚色は必要だ。

「……本当に凄いですね! 天才の中の天才です! お一人でその領域まで昇りつめられるのは本当に才能がある証拠だと思います!」

「いやそんな、上には上がおりますから。私はずっと辺境に籠もっておりました故世間の事には疎いのですが、実際、世の中には第五位階の使い手などもいらっしゃるのでしょう?」

「そうですね、彼のフールーダ・パラダイン老は第六位階を極めていますし信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)ですがアダマンタイト級冒険者・蒼の薔薇のリーダーは第五位階の使い手です。でもそこまで行くと人間の域を超えた逸脱者や英雄の領域ですから、片手の指で足りるような本当に一握りの人しか到達できませんよ。いえ第四位階だって本当に才能がある人が果てない努力の末に行き着く領域ですから、本当に凄いです」

 あっ、第五位階って英雄の領域なんだ……聞かれた時下手な事言わなくて良かった、絶妙なチョイスありがとうクレマンティーヌ。ニニャの言葉にクレマンティーヌへの感謝をモモンガは深めた。

「ニニャさんだってその若さで第一線の冒険者として活躍されているのですから大したものです。失礼ですが第何位階まで修められているのですか?」

「私は第二位階までの魔法が使えます。でもそれも「魔法適正」という生まれながらの異能(タレント)のお陰なんです」

「ほう? どういうものか詳しくお聞きしても?」

 タレント、というのは初めて聞いた単語だ。何か特殊能力なのだろうか。

「例えば普通なら習熟に八年かかる魔法を、その半分の四年で習得できるという生まれながらの異能(タレント)です。私の場合魔法の才能もありそれを師匠に見出され拾ってもらえたのは本当に運が良かったです。ご存知でしょうが持って生まれた生まれながらの異能(タレント)と才能や能力が噛み合う事は稀ですから」

 いや知らんけど、と喉まで出かかった言葉をどうにか抑える。どうもこの世界にはタレントという特殊能力があり、うまく噛み合うと八年勉強しなければならないものが四年で済むとかそういうチートに近い現象が起きるという事らしい、と理解する。後でクレマンティーヌに詳しく聞こう。

「その優秀な生まれながらの異能(タレント)でニニャはエ・ランテルの中ではそこそこの有名人なのである! もっとももっと有名な生まれながらの異能(タレント)持ちがすぐ側にいるのであるが」

 横にいたダインの補足にほう、と興味を示すと、ニニャが苦笑して続きを口にしてくれる。

「ンフィーレアさんは凄い生まれながらの異能(タレント)持ちなんです。全てのマジックアイテムを種族制限などの一切の使用制限に関わらず使用可能、というものです。要するにマジックアイテムなら一切の条件を無視して何でも使えてしまうというものですね」

「それは凄い」

 素直にモモンガは感心した。もしかして例えばだけれども、この世界には持ち込まなかったがモモンガ専用であるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンとかも使えちゃったりするのだろうか。やばくないかそれ。どういうチートだ。

 という事は最近手に入れた叡者の額冠も、適合者じゃないと使用できない筈だけど使えたりするのだろうか。やばい。あそこまでやばくなくてもなんか悪事に巻き込まれて利用されたりしたらエンリが悲しむなぁ、と思い当たるとンフィーレアの身の安全も確保した方がいいのではないかとモモンガは少し考え始めた。

「ところで先程ニニャさんは魔法の才能を師匠に見出された、というお話があったと思うのですが、どういうきっかけがあったのでしょうか? 修行の成績が優秀だったとかそういう理由ですか?」

「それも生まれながらの異能(タレント)のお陰ですね。師匠の生まれながらの異能(タレント)は、魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)のものに限りますが相手の魔力をオーラのようなものとして見ることができるというものなんです。それで偶然出会った私に魔力があることが分かって弟子入りさせてもらえたんです。師匠は街で私塾を開いていまして、生まれながらの異能(タレント)で見出した才能のある子供達に魔法を教えているんですよ」

「成程。立派な方を師匠に持たれているんですね」

 穏やかな声を心掛けながらモモンガは内心冷や汗をかいていた。そんなやばいタレントを持ってる人がいるとしたら(元々外すつもりはないのだが)街中では絶対に探知阻害の指輪は外せない。やばい事になるというのはいくら何でも学習した。

 タレント、やばくない? これは一刻も早く詳細をクレマンティーヌに聞かなくては。胸の中で強く決意する。

 その他にも世事に疎い世捨て人のロールプレイでモモンガは魔法についての様々な事をニニャから聞いた。中でも興味深かったのは、生活魔法というユグドラシルではありえない魔法だった。調味料や香辛料を作ったり紙を作ったり水を出したり温泉を出したりと何でもありだ。第一位階に届かない魔法詠唱者(マジックキャスター)の卵が使えるゼロ位階と呼ばれる、皿一枚のシチューを温めるだとか指の先に火を灯すだとか何に使うのかよく分からない魔法もあるらしい。しかもゼロ位階の魔法は第一位階の魔法と魔力の消費量が同じ為燃費が悪いという。よく分からないがすごく面白いし興味がそそられる。辺境で魔法を研究していた魔法詠唱者(マジックキャスター)という設定でなければ誰かに弟子入りしてその辺の魔法を使えるようにならないか試してみたい位には興味が惹かれた。

 何度か休憩を挟んで雑談しながら順調に歩を進め、途中で南に折れた街道沿いにどんどん進んでいく。まだ日が沈む気配もない頃にペテルがそろそろ野営の準備をする旨を伝えてきたのでびっくりしたが、野営の場所の選定と準備には時間がかかり、夜になればモンスターとの遭遇率も高くなる為日が暮れる前に野営の準備を終えなければならないのでこれ位の時間から野営するのが当たり前だとクレマンティーヌがこっそり教えてくれた。

 小川の畔の開けた場所が野営地に決まった。ルクルットが手際よくテントを張り竈を作り火を起こす。チャラチャラしているがさすがは第一線の冒険者として活躍する野伏(レンジャー)だな、と少し感心する。クレマンティーヌが協力してニニャは野営地の四隅に杭を打ち、細い糸を巡らせて鈴を付け鳴子とする。その後周囲を回って何か魔法を唱えているのでどんな魔法か聞いたら〈警報(アラーム)〉という魔法の範囲内に侵入者があれば術者に知らせる魔法だという。これもユグドラシルにはなかった魔法だ、どうやらこの世界独自の魔法が多数あるらしい。街に着いたら魔術師協会にでも行ってみてどんな魔法があるのか見てみるのも面白そうだ。

 ンフィーレアは馬の世話、ペテルとダインは武具の手入れを行っている。自分だけ何もしてないというのも申し訳ないような気がしたが、モモンガさんを働かせるわけにはいきませんからゆっくりしていてくださいとクレマンティーヌに言われてしまったので働けずにいる。それなりの期間を共に過ごし、かなり態度が軟化してこなれてきたので忘れていたが、クレマンティーヌにとってはモモンガは神に等しい存在だ。仕方ない事だろう。

 そして夕食の時間となったわけなのだが。

 忘れていたわけではないが考慮していなかった。モモンガは食事ができないのだ。ローブでは完全に首の部分が隠せない関係上一応低位の幻術で首も顔も作っているのでマスクを外すことは出来なくはないのだが、目の前によそわれたシチューなど口に入れてしまったら顎の下からだだ漏れになる。さてどうしたものかと湯気を上げる皿の上のシチューを眺めながら途方に暮れる。

「えっと……モモンガさん、何か嫌いなものとか入ってた?」

 ルクルットに話を振られてしまった。進退窮まった。ええいままよ、なるようになれと意を決しモモンガは口を開く。

「実は、このマスクの下の素顔を他人に見られてはいけないという呪いをかけられていまして……あと凄い猫舌なんです私。なので冷めた後にあちらで頂きたいと思います」

「呪いかぁ……大変だな、人前でマスク外せないんじゃ不便だろ? 神殿で解呪できないのか?」

「高位の呪いのようで神殿の解呪では無理でしたね。この呪いがあったので人目を避け辺境に引き籠もっておりました。今回の旅は、この呪いを解く方法を探すというのも目的の一つなのですよ」

「成程、苦労してんだなぁ……」

 何とか話が繋がったしルクルット達も納得してくれたようだった。内心だけで心密かにモモンガは胸を撫で下ろした。

「ところで、漆黒の剣というチーム名ですが皆さんの武器には漆黒の剣はないように思うのですが、どういった由来なのでしょうか?」

 ペテルは普通のブロードソード、ダインは鎚矛(メイス)、ルクルットは合成長弓(コンポジット・ロングボウ)とショートソードでニニャは(スタッフ)だ。黒い剣はない。何か面白い由来でもあるのだろうか、興味本位でモモンガは問いを口にした。

「ああ、あれはニニャが欲しいって」

「やめてくださいルクルット、あれは若気の至りで!」

「恥じるところはないのである! 夢を大きく持つのは大切な事なのである!」

「ダインまで、勘弁してください本当に!」

 漆黒の剣のメンバーは和気藹々とニニャを肴に盛り上がっている。漆黒の剣、ニニャが欲しい、多分これはチームの目標ということなのだろう。

「ご存知かと思いますが、十三英雄の一人の持つ剣に因んでるんです」

「十三英雄の一人、悪魔と人間の混血児で四本の魔剣を持つ黒騎士だね~」

 ペテルの答えにクレマンティーヌが絶妙なタイミングで補足を加えてくれる。ナイスアシストクレマンティーヌ! 人前でなければ惜しみない賞賛と拍手を贈りたいところだった。

「そうです、黒騎士の持っていた四本の伝説の剣、魔剣キリネイラム、腐剣コロクダバール、死剣スフィーズ、邪剣ヒューミリス。それらを発見するのが私達の目標なんです」

「英雄の剣の捜索ですか、夢がありますね。冒険者に相応しい素晴らしい夢だと思います」

 そのモモンガの言葉は、漆黒の剣へのお世辞ではない心からのものだった。

 ユグドラシルに「ワールド・サーチャーズ」というギルドがあった。拠点も貧弱でギルド戦でも弱いギルドだったが、未知を探求してほしいというユグドラシル運営の思いを一番体現したギルドで、誰よりも早く未踏の領域へと踏み出していく探究心の強い者達が所属していた。装備を強化する事よりも未知を既知にする探求を優先していたが故に彼らの装備は貧弱だった。貧弱な装備で情報のない場所へ突っ込んでいくなんて気が知れない、と当時は思っていたものだが、今思えば一番ユグドラシルの世界を満喫し楽しんでいたのは彼らだったのかもしれない。クレマンティーヌという案内役がいるとはいえ今まさにモモンガは何も知らない未知へと足を踏み出したところだからか、そんな感傷が胸を過ぎった。

「伝説の武具も色々あるけど、その中でもちゃんと実在が確認されてる珍しい武器だからな。まぁ、今でもちゃんと残ってるかは不明だがね」

「あっ、魔剣キリネイラムはもう持っている方がいらっしゃいますよ」

 そのンフィーレアの言葉に、漆黒の剣全員が一斉に首を回しンフィーレアを凝視する。

「だ、誰!」

「うぉー、マジかよー! じゃあ残り三本かー!」

「むぅ、全員分行き渡らなくなったであるな……」

「えっと、アダマンタイト級冒険者の蒼の薔薇のリーダーが持っているとか」

 悲嘆に暮れる漆黒の剣の面々に気の毒そうな顔を向けながら、ンフィーレアが申し訳無さそうに答える。別にンフィーレアが悪いわけではないと思うのだが。

「うげ、アダマンタイトかー! じゃあ仕方ねぇな……」

「そうですね、まだ三本残っていますし、それを手にすることができる位強くなりましょう」

「そうだな、実際に一本は実物があるんだから、他の三本も実物が残ってる可能性が高いって事だろうさ。俺達が発見するまで誰にも見つからないでいてほしいねぇ」

「それに、私達にはあれがあるだろ?」

「あれ、とは……?」

 モモンガの問いに、ペテルは照れくさそうな笑みを浮かべると腰のポーチを探り、一本の黒い短剣を取り出し目の辺りに掲げた。

「これです、モモンガさん。本物が見つかるまで私達の印として持っておこうと作ったんです」

「本物も偽物もないだろうさ。これが俺達がチームを組んだ証なのは間違いないんだからな」

 ルクルットも同じ短剣を取り出し、頭上に掲げて焚き火を照り返し輝く短剣を見上げた。ニニャもダインも、同じ短剣を取り出し思い思いに大事そうに見つめている。仲間達の強い絆、それは例えば全員で作り上げたスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンに向けるモモンガの心持ちのような。きっと似ているのだろうと思い憧憬を覚え、今は失われているものを目の前の若者達が共有している事に少しの嫉妬を覚えて、モモンガはマスクの下で目線を伏せた。

「ふむ、ルクルットが珍しくいい事を言ったのである!」

「あっ、俺の扱い酷くねぇ⁉」

「普段が普段だからな、仕方ないだろう?」

 今度はルクルットを肴に盛り上がる漆黒の剣に、ンフィーレアが問いかける。

「皆さん本当に仲がいいですよね。冒険者の皆さんって、こんなに仲がいいのが普通なんですか?」

「多分そうですよ。命を預けますからね、お互いが何を考えてるか、どう行動するかが理解できていないと危険ですし、理解すると自然に仲が良くなってますね」

「あと、うちのチームは異性がいないしな。いると揉めたりするっていうぜ」

「もしいたらルクルットが真っ先に問題を起こしそうですね」

 ニニャの言葉にルクルットはングッと言葉を詰まらせる。ぐうの音も出ないとはまさにこの事だろう。

「それに、チームとしての目標……も、まぁ、しっかりとしたものがあるからじゃないでしょうか?」

 続いたニニャの言葉に、他の三人も満足気に頷く。

「そうですね、皆の意志が一つの方向にしっかりと向いていると全然違いますよね」

「あれ? モモンガさんもチームを組んでいた事があるんですか?」

 ついポロッと口に出してしまったが、ニニャの問い返しに失敗したとモモンガは思った。呪いを受けて辺境で研究に明け暮れていた魔術師設定をうっかり忘れていた。

「この呪いを受ける前、そう、遠い昔です……冒険者、ではなかったですが」

 嘘をついた。昔だなどとモモンガは少しも思っていない。今でもつい昨日のことのように感じている。円卓(ラウンドテーブル)に誰かがログインしてきて他愛もない雑談が始まりその内に誰かの提案で狩りに行く、そんな日常が目を覚ませば戻ってくるのではないかと、今でも心のどこかでそう思っている。

 様々な想いが混ざり合い溢れ出す。それを言葉にすることはできず、それ以上の言葉をモモンガは続けられなかった。その様子に他の面々も何かを感じたのか誰も言葉を発さず、重い沈黙が流れた。

「――私が弱かった頃、最初に救ってくれたのは純白の聖騎士でした。彼に案内されて、四人の仲間と出会ったんです。そうやって私を含めて六人のチームが出来上がり、更に私と同じように弱かった者を三人仲間に加えて合計九人で最初のチームが出来上がりました」

「そうだったんですか」

「素晴らしい仲間達でした。聖騎士、刀使い、神官、盗賊、二刀忍者、妖術師(ソーサラー)、料理人、鍛冶師……最高の友人達でした。あの日々は忘れられません」

 噛みしめるように一人一人を思い浮かべながら、ゆっくりと口にする。最初の九人、ナインズ・オウン・ゴール。そこで初めて鈴木悟(モモンガ)は友人と呼べる者達と出会い、共に時を過ごし語り遊ぶ楽しさと素晴らしさを知った。それからも仲間は増え続け、輝かしいばかりのアインズ・ウール・ゴウンの日々へと続いていく。鈴木悟の人生で唯一眩い光を心に齎してくれた、大切な大切な日々。

「いつの日か、またその方々のような仲間ができますよ」

 ニニャのその言葉に、まるでぴしゃりと冷水を浴びせられたような心地をモモンガは覚えた。噛み締めていた懐かしさや暖かさはすぅっと冷め、胸には不快さと苛立ちだけが残った。

「そんな日は来ませんよ」

 自分でもびっくりするほど感情の乗らない冷たい声が出た。そんな日は、来ない。そうだ、彼らの代わりなどいない。

 誰もが、クレマンティーヌさえ唖然として言葉もないようだった。気まずさもあるが今は苛立ちの方が強い。とにかくこの場にいたくなかった。

「……シチューも冷めたようですし、あちらで頂かせていただきます。失礼」

 そう言い捨てると皿とスプーンを持って席を立ち、焚き火に背を向けて一行の声が届かない程度離れた岩へと腰掛ける。人前ではマスクを脱げないという設定だ、誰かがこちらを見ているかもしれないので一応マスクを脱いで横に置く。

 そんな日は来ないのならば俺はずっと一人のままなのだろうか、ふとそう思った。

 諦めきれないから僅かな可能性に賭けて探しはするけれども、今までの情報を総合してそれでも仲間がこの世界に来ていると思えるほどモモンガは楽天家ではない。九割九分いないだろうと思っている。残りの一分を諦められないだけだ。どういう条件で転移するのかはまるで分からないが、もし転移者の条件としてモモンガのようにサービス終了の瞬間までログインしていたという条件が付いたなら完全にアウトだ。

 クレマンティーヌはいるけれどもそういう事ではない。従者や信者が欲しいんじゃない。必要なのは、対等な立場で笑い合い分かち合う友だ。

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間達、彼らの代わりなんているわけがない。一人一人が掛け替えのない友だ。同じように大切だと思える誰かと出会えるなんて、そんな事は想像もつかない。有り得ないと心が叫ぶ。

 でも本当に、出会える筈がないと言い切れるのだろうか。この世界に来てエンリやネムがいたように。アインズ・ウール・ゴウンの仲間達と全く同じようにではなくても、別の形でも大切だと思える存在に出会うことはあるかもしれない。

 だがそんなのは嫌だった。モモンガにとって必要なのはアインズ・ウール・ゴウンの仲間達だ。理屈ではなくそう思ってしまう。本当は理屈では分かっているのだ、彼等は過去の存在で、待ち続けても戻っては来なかったのだと。彼等にとってはオンラインゲームの仲の良い友人、それ以上でもそれ以下でもなかったのだと。それでもモモンガの心は未だに待ち続けている。物言わぬNPCしかいないがらんとした墳墓を在りし日のまま維持し待ち続けていた墓守生活の頃のままだ。ルーチンを繰り返しただ期待して待っていた頃から何も変わってはいない。

 八つ当たりをしてしまっただけじゃないか。いくら待ち続けても帰ってきてはくれなかった事への悲しみと悔しさを、何も知らないニニャにぶつけてしまった。そんな自分にほとほと嫌気が差した。

 俺はいつまで待ち続けるのだろう。この旅も、旅とはいうけれども待っているのと何が違うのだろう。期待して待っているだけなのと何が違う。今となってはもう皆に気持ちを伝えることは叶わない。それでも会いたい。会って何を言うかは分からないけれども、会いたくてたまらない。その願いを抑えることができない。

 ニニャの言葉を聞いた瞬間覚えた強い苛立ちは沈静化され、じりじりと胸の底を灼くような不快さが続いている。蒼い月明かりに照らされた草原を風が渡っていく。闇に沈んだアゼルリシア山脈の輪郭を星の瞬きが彩っていた。美しさに息を呑むような光景はただただ悲しく映った。それはきっと、モモンガが独りきりだからだ。

 アンデッドは不老だ。仲間を待つ墓守を続けて永劫の時を過ごすのだろうか。百年毎に淡い期待を抱きながら。それがどんなに不毛か分からないほど愚かではないけれども、それでも会いたいのだと心が叫ぶのをモモンガは抑えられなかった。

 

***

 

「あの……モモンガさん、昨晩は、失礼な事を言ってしまって、すみませんでした……」

 朝一番にかけられたニニャからの言葉に、咄嗟にモモンガは答えられず言葉に詰まってしまった。

 正直な話苛立ちは未だに持続している。だがそれはニニャには何ら責任のないものだ。ここで何も答えないのは余りにも大人げなさすぎるし理不尽というものだろう。

「……こちらこそ、大人げない態度をとってしまい、申し訳ありませんでした」

「いえ、当然です! 誰だって大切なものがあります……それを簡単に代わりが見つかるようなことを言ってしまって……軽率でした」

「もう気にしないでください。彼等の話になると私もナーバスになってしまって……ニニャさんは悪くありませんから」

「それでは私の気が済みません! 何かお詫びしたいです……」

 必死に食い下がってくるニニャに、お詫びと言われてもなぁと困惑してしまう。正直昨日の件はモモンガが神経質になるような話題を不用意に出してしまったのが全面的に悪い。それに普通はきっと、出会いがあれば別れもあり、別れた後にはまた新しい出会いを探すのだ。ニニャの言葉は常識の範疇だ。

「……それでは、エ・ランテルで時間のある時に魔術師協会まで案内してくれませんか? 私の知らない魔法を色々見てみたいんです」

「! はい、勿論喜んで!」

 萎れた花のようだったニニャは、モモンガのその提案を聞くとぱっと花がほころぶように笑った。

「さて、そろそろ出発ではないですか?」

「あっ、はい、そうですね! あと半日くらいでエ・ランテルに着くと思います」

「楽しみです」

 ペテルが出発を告げ、馬車が進み出す。待つだけなのと何も変わらないのかもしれないと思った。それでも一歩一歩、自分の足で前に踏み出し地を踏みしめているのだけは事実だ。

 もう待つだけなのは嫌だった。だから、どうすれば待つだけではなくなるのか答えを探してみるのも悪くないかもしれない。まるで雲を掴むような話だけれども、それでもきっと見つけなければ、モモンガはこのまま前には進めないだろう。仲間が見つかろうと見つかるまいと、前に進みたかった。今はまだ、前に進むということがどういうことなのかすら分からないけれども、それでも。

 アゼルリシア山脈の稜線が朝の日差しに照らされ浮かび上がる。澄んだ空の蒼はどこまでも透明で吸い込まれそうだった。この美しい世界で生きていかなければならないのだとしたら、俺は何を為せばいいのだろう。今はまだ何も答えが分からないけれども、旅の終わりまでには見つけなければならないと、そう心の中だけで思った。




誤字報告ありがとうございます☺


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鏡像

 その日、ブレイン・アングラウスは塒にしている死を撒く剣団の根城からエ・ランテルへと出ていた。求めている魔化された刀はまだ入荷していないのは分かっているが、その他のマジックアイテムで有用な物を探す為に時折こうして街へと出てくる。エ・ランテルは三カ国の要衝に当たる交易都市で商人の往来が多く、冒険者も多いのでマジックアイテムの流通も盛んだ。強力なマジックアイテムはそれなりの値が付くがそれでも求める者は少なくない、こまめにチェックしなければすぐに誰かに買われてしまう。実際に実用する冒険者や傭兵でなくても投資目的の商人やコレクション目当ての貴族が買う事もある、油断できない。

 何箇所か馴染みの店を回ってから目抜き通りを歩いていると、向こうから馬車と冒険者の一団がやって来た。それ自体は別に珍しいことではない、日常の光景だ。冒険者達は見れば銀のプレートで、見た感じもプレート相応の実力というのがブレインの見立てだった。だが、その中に日常では有り得ないおかしな二人が混じっていたのだ。

 粗末なローブに妙な仮面の恐らくは魔法詠唱者(マジックキャスター)と軽装鎧の女の二人だった。冒険者プレートを付けていないことからみて、冒険者達の仲間ではないのだろう。

 まず女の方は、明らかに強かった。鍛え抜かれたしなやかな筋肉は天性の恵まれた素材を弛まぬ努力によって完成させたもの、そして身のこなしが違う。五分、いや、自分よりも明らかに上。自分と並び立てるような強者などガゼフ・ストロノーフと蒼の薔薇の死者使い(ネクロマンサー)の老婆以外に見た事がないブレインにとって、その存在は強い衝撃だった。集めた強者の情報の中で女の背格好や容姿と一致するものはない。これだけの強者について噂の一つも聞こえてこないというのが不自然で不気味だった。

 秘剣・虎落笛(もがりぶえ)で迎え撃って……勝てるか、躱されてしまうような予感もある。あの神速の一撃を躱せるような存在がいるのだろうか、ガゼフにすら当てる自信があるというのに。相手の力量に対する己の直感はまず外れたことがないが、それでも信じられない思いがした。

 そしてそれ以上におかしな存在が仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)の方だった。強いのか弱いのか、力量を一切推し量れないのだ。

 例えばそこら辺を歩いている街の住人なら百人や千人束になってかかってきても負けない自信がブレインにはある。その程度の弱さだ、ということが分かるのだ。だがあの仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)からは不気味な程何も感じ取れない、読み取れない。弱いかどうかすら分からない、ただひたすらに無だった。耳の痛くなるような無音の中に身を置かれて拠り所のなさを覚えて不安になるような、そんな異様さがその存在からは漂っていた。

 足を止めたブレインの横を一団は何やら楽しげに話しながら通り過ぎていく。あんな不気味な存在と和気藹々と語り合える冒険者達のその無邪気さをブレインは少し羨ましく思った。

 何者なのだろう。気にならないといえば嘘になったが、恐らく関わり合いにならない方が利口だろう。馴染みの店巡りを早々に切り上げてブレインは塒へと帰る事にした。

 

***

 

 エ・ランテルに入る際の検問で案の定モモンガは引っかかった。引っかからなければむしろ衛兵の正気をモモンガが疑うところだ。こんな怪しい仮面を付けた妙な奴をすんなり通したら真面目に仕事をしていないのではないかとしか思えない。

 だが、街の有名人であるンフィーレアの連れでガゼフとも知り合いであるという事が幸いして無事通ることができた。ガゼフ・ストロノーフに招かれ王都に向かう旅の途中、と話したら衛兵の態度が変わった。これは使える。仮面についてもンフィーレアや漆黒の剣が呪いにより人前では外せない旨を説明してくれた。これも使える。自己申告だと信頼度が今いちなので、今度からはクレマンティーヌに説明させよう。

 エ・ランテルは三重の城壁に囲まれた要塞都市で、一番外の区画は主に軍事施設と共同墓地に使われているとのことだった。二番目の区画は街の住人達の住居や商店などがあり、一番内側の区画は食料庫と行政区が置かれているという。この一番外周の区画は帝国との戦争の時には所狭しと兵士が溢れるらしいが、平時の今は閑散としている。特に見るものもなく通り過ぎ二つ目の壁を越えると、まさにファンタジー世界の都市といった光景が広がっていた。

 年甲斐もなくわくわくする気持ちをモモンガは抑えきれなかった。ユグドラシルの街にもそれなりに似たような気持ちは覚えたものだが、今目の前に広がる光景は生きた人間の息遣いの気配と現実感が段違いだ。人の往来が多く活気に溢れた大通りは露店が立ち並び、呼び込みや値切りの声が賑やかに飛び交っている。まるでおのぼりさんのようにきょろきょろと辺りを見回しながら、ゆっくりとモモンガは歩を進めた。

「どうですか? エ・ランテルは賑やかでしょう」

「ええ、今まで人里離れたところにいたもので、こんなに賑やかなのは久し振りです」

「ここは王国と帝国と法国の三カ国の商人が集まりますから色々と珍しいものもありますよ。もしよければ明日にでもご案内しますからゆっくりしていかれるといいですよ。魔法詠唱者(マジックキャスター)でしたらマジックアイテムなども色々ご興味があるでしょう」

 ペテルが人のいい笑みを浮かべてそう申し出てくれる。いい人だなぁ、栗鼠辺りの小動物に向けるような親しみをペテルに感じながらモモンガは礼を述べた。

 ちなみに漆黒の剣のメンバーに対して感じている親しみ具合は、ニニャが犬猫、ペテルが小動物、ダインとルクルットは虫だ。

「それじゃ私達は冒険者組合に依頼完了の報告に行って報酬を受け取ってきます。モモンガさん達はバレアレ商店で薬草の査定ですよね?」

「はい、まず先立つものが必要ですからね。その後宿を取ろうかと」

 ペテルの問いに答えると、後ろからニニャが進み出てきた。

「あの、宿が決まったら、私達は小川のせせらぎ亭という宿にいますので是非いらっしゃってください、約束の魔術師協会にご案内しますから」

「それは楽しみです、是非そうさせていただきます」

 それじゃ後で、とペテルが手を振り漆黒の剣は冒険者組合へと向かって別れていく。ンフィーレアの馬車に着いて行き草の匂いが強い区画へと入る。薬師の店が集中している区画なので薬草の匂いが漂っているのだそうだ。

 この区画の他の店が店舗に工房をくっつけたような作りをしているのに対して、バレアレ商店は工房に工房をくっつけたような作りだった。店の前に馬車を止め、入り口をンフィーレアが開けるとドアに取り付けられた鈴の音が大きく鳴った。

「お婆ちゃん、今帰ったよ」

 ンフィーレアがそう声をかけると、しばらくしてから奥から一人の老婆が出てきた。真っ白な髪を首の辺りでばっさりと短く切り、皺の深い顔に魔女のような鷲鼻が印象的だった。

「お帰り、ンフィーや。何だい、その妙ちくりんな仮面の男は」

「えっと、この人はモモンガさんっていって、凄いんだお婆ちゃん、モモンガさんのお陰で森の賢王に手伝ってもらえて珍しい薬草が一杯手に入ったんだ」

「ンフィーや、私だってまだボケちゃいないのに若いお前がもうボケちまったのかい?」

「違うよ、本当なんだって。モモンガさんは一緒に採った薬草を売りに来たんだ。今運んでくるから査定してもらってもいいかな?」

「そりゃ構わないけど……ふーむ」

 構わないという返事をもらったンフィーレアが薬草を取りに外に出て、手伝うよ少年というクレマンティーヌの声が後ろから聞こえる。モモンガと申しますと告げて軽く一礼すると、ンフィーレアの祖母はいかにも胡散臭いと思っていますという訝しげな視線をモモンガに向けてきた。当然だろう。こんな妙な仮面をした男を怪しく思わない人はどうかしている。

 ンフィーレアとクレマンティーヌがまずモモンガとクレマンティーヌが採取した分の薬草を入れた壺を持ってくる。その壺を開けて、ンフィーレアの祖母は目を見開いた。

「こっ、これは……ラフレア? レレニクも……一体どういう……」

「だから言ったろお婆ちゃん、森の賢王に案内してもらって森の奥で採ってきたんだ。この壺はモモンガさん達の分だけど買い取るよね?」

「当然じゃ! 他の所に売られてたまるものか!」

「それじゃ値段を出してあげて。僕は他の壺を薬草庫に入れて馬車を戻してくるから。モモンガさん、時間がかかりますのでどうぞ座ってお待ちください」

 ンフィーレアにソファを勧められる。クレマンティーヌにンフィーレアを手伝うように伝えてからモモンガはソファに腰掛けた。目の前ではンフィーレアの祖母が目の色を変えて壺から次々に薬草を取り出し仕分けしている。

 話し相手もいないし特にする事もないので魔術師協会でどんな魔法が見られるかぼんやりと妄想しながら査定が終わるのをモモンガは待った。その内ンフィーレアとクレマンティーヌが戻ってきたがそれにも気付かない様子で鬼気迫る表情のンフィーレアの祖母はひたすらに査定を続けた。

「すみません……お婆ちゃん夢中になると回りが見えなくなるんです」

「気にしてないさ、職人気質(かたぎ)というやつだろ?」

「まあそうですね。お婆ちゃんはこれでもエ・ランテル一の薬師なので」

「真剣さを見れば分かるよ。というか、これってそこまで貴重な薬草だったの?」

「あはは……そうですよ、あんな森の奥普通は行けませんから、なかなか入手できないんです」

 ンフィーレアが苦笑しているが、門外漢のモモンガにはその希少性が今いち分からない。森の奥が危険な場所だという事も今一つ分かっていない。ふーん、という気のない感想しか出てこなかった。

 しばらく待つとようやく壺の中が空になったようだった。テーブルの上には所狭しと薬草が並べられている。

「……正直、これだけの希少な薬草がこんなにあったら価値の付けようもないわい。未加工、という事で差し引いて……金貨二百枚…………じゃな」

「ええっ!」

 素っ頓狂な声を上げたのはクレマンティーヌだった。見れば唖然とした顔をしている。この世界に来てからまだお金を使った事がないモモンガは貨幣価値について全くといっていいほど理解していないので、ンフィーレアの祖母の提示した額がどれだけのものなのかよく分かっていなかったが、クレマンティーヌの驚きようからして多分大金なのだろう。金貨だし。ということは恐らく路銀としては申し分ない額が稼げたということだろう。

「異存はありません。是非その額で買い取ってください」

「商談成立、じゃな。お主、定期的に薬草を採ってくる気はないか?」

「すみません、旅の途中なもので。これから北へ向かうんですよ」

「そうか、残念じゃ……金を用意してくる、少し待っておれ」

 言葉通り心から残念そうに言うと、ンフィーレアの祖母は立ち上がり奥へと入っていった。

 待つ間ンフィーレアに旅人向けのお勧めの宿を聞いておく。クレマンティーヌが寝られればどこでもいいので、適当な宿でいいだろう。

「じゃあ宿はその三羽の烏亭だな。宿は俺が取っておくからクレマンティーヌ、お前は情報収集だ。夕方に宿で落ち合おう」

「大丈夫ですか、宿までの道分かります?」

「僕がご案内しますよ」

「そっか、ありがとね少年。それじゃ早速行ってきます、バイバ~イ少年」

 ンフィーレアに笑顔で手を振りクレマンティーヌが店を後にする。入れ替わるようにンフィーレアの祖母が戻ってきて、ずっしりと重い革袋を渡してきた。薬草は全部クレマンティーヌが採取したものなので本当は全額クレマンティーヌに渡すのが筋だろうが、森の賢王を呼んだ代として半分貰うことにしよう。全額渡したらヒモ生活を余儀なくされてしまう。

「いい取引をありがとうございました」

「こちらこそじゃよ、また機会があったら売りにきておくれ。ポーションが入り用になったら贔屓にしてくれると嬉しいの」

「お婆ちゃん、モモンガさんを宿まで案内しにちょっと出てくるね、すぐ戻るから」

 ンフィーレアの言葉に祖母が頷き、ンフィーレアと連れ立って二人で店を出る。途中で美味しい食事が食べられる店をンフィーレアに尋ねると、黄金の輝き亭という最高級の宿がエ・ランテルで一番料理が美味しいと教えてくれた。一階部分がレストランになっており、レストランのみの利用も可能だという。今日のクレマンティーヌの夕食はそこで決まりだ。

 宿は大通りの分かりやすい場所にあった。モモンガが街に不慣れという事を考慮して立地の良い宿を勧めてくれたのだろう。これなら道に迷うこともなく戻って来られるから安心だ。

 ンフィーレアに礼を言って別れ、宿に入って二人部屋を取る。二人部屋食事付きで一泊銀貨二枚だったので薬草を売った金の破格の価値がようやく何となく分かった。部屋に入ってまずは薬草を売った金を二等分してから一旦宿を出た。適当な通行人に道を聞き、小川のせせらぎ亭を目指す。

 小川のせせらぎ亭の一階部分は酒場になっており、冒険者と思しき集団が数組テーブルを囲み酒を飲んでいた。奥の方に見知った顔がある。歩いていくと、奥に座り入口側を向いていたルクルットが気付いたようで手を振ってきた。

「ニニャ、お待ちかねのモモンガさんが来たぜ」

「モモンガさん、早かったですね、もう大丈夫なんですか」

「ええ、宿も取ってきました。それではご案内願えますか?」

「はい。それじゃ皆、行ってきます」

 ニニャが立ち上がり、連れ立って宿を出る。薬草を売った金額を話すとニニャもやはりというか大層びっくりしていた。薬草の採取の依頼も冒険者にはよくあるらしいのだが、森の奥はモンスターが強く危険で立ち入れない為、森の入口付近に生えている薬草しか普通は採れないのだという。あんなに森の奥深くで薬草を採取したのは数々の冒険を繰り返した漆黒の剣でも初めてだったと教えてくれた。森の賢王様々だ。

「魔法を見たいということですけど、実演とかはやってないんですよね。スクロールのリストがありますのでそれで知らない魔法を探して、私が説明するというのはどうでしょう?」

「それで構いませんとも。未知の知識を得られる機会ですから、非常に楽しみです」

 魔術師協会は大通りを中央へ進んだ所にあり、近くには冒険者組合もあった。

 魔術師協会に入ると、中は広いホールになっており、ラウンジ的なソファがいくつか並び掲示板のようなものの前では冒険者風の男が張り出された羊皮紙を真剣に眺めている。ニニャは迷わず奥のカウンターへと進んで行き、モモンガもそれに続いた。

「ニニャ様、当魔術師協会へようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 カウンターの向こうに立ったローブ姿の受付の男が丁寧に口上を述べる。さすがというか何というかニニャは名前と顔を覚えられている常連のようだ。

「今日は一緒に来た旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)のモモンガさんにスクロールのリストを見せてあげてほしいんです。モモンガさんは今まで辺境で研究をされていたんですけど、古い文献を元に研究されていたので比較的最近に開発された魔法についてご興味がおありなんです」

「かしこまりました。モモンガ様、こちらへどうぞ」

 受付の男に呼ばれニニャの横に並ぶ。受付の男は後ろの棚から厚い本を取り出すと、カウンターへと置いた。

「こちらがスクロールのリストになります、どうぞご覧ください」

 差し出されるままにモモンガはリストを開いた。予想していた事だが、文字が読めない。

 何で言葉は通じるのに文字は読めないんだ? 若干の理不尽さを覚える。

 懐に手を入れるふりをしてアイテムボックスを開き、魔法の力で文字を解読できるモノクルを取り出し左目に当ててリストを読んでいく。

「えっ……なんですかこの〈清潔(クリーン)〉って……」

「第一位階魔法で、汚れや埃を綺麗にしてくれます。部屋にも服や体にも使えますよ」

「えっ面白い……」

「そうですか……?」

「〈浮遊板(フローティング・ボード)〉というのは?」

「半透明の浮遊板を術者の背後に作る第一位階魔法で、荷物を運んだり土木作業に使ったりします。術者の魔力によって最大荷重や大きさが決まります」

「えっ面白い……」

「そうですか……?」

 この調子でモモンガは知らない魔法の説明を受けては面白いと呟くマシーンと化していった。戦いに使うようなものではなく、生活に密着した魔法が主にこの世界では作られているらしかった。ニニャによると、腕のいい魔法詠唱者(マジックキャスター)は自分だけのオリジナル魔法を作れたりするらしい。すごい。レベルアップで魔法を習得したにすぎないモモンガには論理立てて術式を組んでオリジナル魔法を作るなど絶対に不可能なので素直に尊敬する。

 本音を言うと知らない魔法のスクロールを全部買いたかったが、いくら大金が入ったとはいえこれはこれからの路銀だ。泣く泣く涙を飲んでモモンガは、一番面白かった〈清潔(クリーン)〉のスクロールだけを買った。まず汚れるということがユグドラシルではありえないのでユグドラシルでは絶対に生まれない魔法だ。これは大切にコレクションすることにする。

 十二分にスクロールのリストを堪能してから魔術師協会を出て、ペテルから申し出のあった街の案内について明日の朝待ち合わせる事を約束してニニャと別れた。宿に戻ると、クレマンティーヌは既に部屋に帰っていた。まずは薬草を売った金を半分渡す。受け取れないと言われたが薬草を摘んだのはお前だからと無理矢理押し付けた。その後本題を切り出す。

「さてクレマンティーヌ、夕食を食べに行こう」

「えっ? 何でですか? ここ食事付きですよね?」

 不思議そうなクレマンティーヌににやりと笑ってみせるがマスクをしているしそもそも表情筋がないので表情は伝わらない。

「そんな普通の食事じゃなくて最高級のやつを食べるんだよ。黄金の輝き亭に行くぞ、俺の奢りだ」

「ええっ? な、何でですか? どういう事ですか?」

「お前にはいっつも助けられてるしレベリングも頑張ってくれてるから、感謝の気持ちだよ。絶妙なフォローいつもありがとうな。ほら行くぞ」

 立つように手振りで示すが、涙目のクレマンティーヌはベッドに座ったままで感極まったように肩を震わせるだけだった。

「も、モモンガさぁあん!」

「あーもう泣くな! 喜ぶのは料理を食べてからにしろよ!」

「だってぇ……うわああぁぁん!」

 とうとうクレマンティーヌは泣き出してしまった。参ったな、泣かせるつもりなんて全然なかったのに。落ち着くまで待ったが結局泣き腫らした目のクレマンティーヌを連れ歩く事になってしまった。黄金の輝き亭は有名な宿なので場所は把握済みだというので案内を任せる。

 途中、クレマンティーヌが道脇に寄る。馬車も来てないのに何だろうと思い振り返ろうとしたら、そのまま前を見ててください、と言われた。

「付けられてます。正体を確認しますから着いてきてください」

「了解」

 クレマンティーヌは少し進んだ先にあった細い横道に入っていったので並んで入る。袋小路だったので奥まで進んでから立ち止まる。

「挟み撃ちにしよう。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉」

 不可知化してからクレマンティーヌと少し距離を開けて脇に立ち追跡者を待つ。二人で路地に入ったのに一人しかいなかったら不審には思うだろうが完全不可知化しているこちらを看破できる術者はこの世界には多分そうそういない。

 追跡者が路地の入り口に姿を見せると、クレマンティーヌが何かに気付いたようだった。

「ああ、カジっちゃんとこの」

 何やら知り合いの様子だ。警戒する必要もなかっただろうかと思うもののまだ安全とは言い切れない、不可知化は解除せずに黒いローブ姿の男が近寄ってくるのを待つ。

 男はゆっくりと歩いてきた。クレマンティーヌは何の用だと言いたげな怠そうな顔をしている。

「お前がこの街に来るとは聞いていないが」

「いちいち報告しなくちゃいけないのぉ~? ここは確かにカジっちゃんのシマかもしれないけどさぁ、通るだけで何かする訳じゃないんだから一々干渉しないでくれるかなぁ? 潰すぞ?」

「……っ! 何もしないというならそれでいい、我等の邪魔はするな」

「テメェらの儀式なんか興味ないしどうでもいいんだよ、アタシは今ご機嫌で飯を食いに行くところなんだよ、その不愉快な面見せんな、とっとと失せろ」

 凄んでみせたクレマンティーヌの殺気に気圧され男は踵を返すと早足で駆け去っていった。カジっちゃんって誰なんだろう、儀式って何? 色々と聞きたいことができてしまった。とりあえず不可知化を解除する。

「カジっちゃんって誰?」

「ズーラーノーンの十二高弟の一人で、カジット・デイル・バダンテール。このエ・ランテルを根城に活動している死者使い(ネクロマンサー)です」

「儀式って?」

「昔ズーラーノーンの盟主が死の螺旋という儀式を行ったことがありまして。アンデッドを大量に召喚しそれらが発する負のエネルギーで更に強いアンデッドが生まれ、加速度的にアンデッドが増えていきそこから生まれた膨大な負のエネルギーで盟主がアンデッド化したと伝え聞いています。その儀式で一つの都市が滅びました。カジットはそれをこのエ・ランテルで再現しようと数年を費やし準備しています」

 なんか穏やかじゃない話を聞いてしまった。別にエ・ランテルが滅びるのはいいんだけど、ンフィーレアに被害が行くのはエンリが悲しむなぁ……と考え込む。

「ちょっと聞きたいんだけど、ズーラーノーンってそもそもどういう組織なの?」

「盟主ズーラーノーンを頂点として十二高弟がおり、もう帰属意識はありませんが一応私もその一員です。十二高弟の下に無数の下部組織があり、邪法を行う魔術師が多く所属し、人類圏に広く深く根を張っています」

「広く深くか……いいねそれ、使えるんじゃない? 情報収集に」

「確かに、情報収集力は精査力は置いておくとすれば法国にも負けないかと……」

「人類圏って事はここから離れた場所にも組織はあるんだろ?」

「はい、西のアーグランド評議国や東のカルサナス都市国家連合、南方の砂漠の都市エリュエンティウまで、広くカバーしています」

「うーん、俺達二人だと収集できる情報はかなり限られるだろ? どうにかしてその力を使いたいなぁ……まずはそのカジットって奴に会ってみようか。協力できるかもしれないだろ?」

「確かに、モモンガさんの話であればカジットも……」

 そう呟くとクレマンティーヌは俯き考え込む。何だか分からないけどカジットとかいう奴はモモンガの話を聞いてくれる可能性が高いようだった。

 剣呑な儀式を阻止してンフィーレアの安全を確保して、もしカジットが従ってくれるようだったら危険な生まれながらの異能(タレント)を持ったンフィーレアを守らせてもいい。そして広範な範囲から入手した情報もカジットを介して手に入るようになるかもしれない。我ながら完璧な計画じゃないか。

「とりあえずまずは先に飯だ。その後カジットとやらに会いに行こう」

「はい、それじゃ行きましょう」

 豪華な夕食の事を思い出したのかにっこり笑顔が戻ったクレマンティーヌが歩き出したのでそれに続く。腹が減っては戦が出来ぬだ。戦なんて剣呑な事にならないよう願うけど。

 

***

 

 黄金の輝き亭の食事は控えめに言ってめちゃくちゃ美味しそうだった。匂いがすごくいい匂いだった。食材や料理は〈保存(プリザベイション)〉という魔法をかけられているらしく、レタスなんて瑞々しくパリッとしてパンは焼き立てホカホカで湯気を上げていた。

 正直言ってモモンガだってものすごく食べたかった。リアルではこういう食材は富裕層しか食べられない超がつく贅沢品で、鈴木悟のような貧民層は必要カロリーと栄養素を最低限摂取できるだけの味気ない栄養食品を日常的に食べていた。だから、本当はものすごく食べたい。どういう食感でどういう味なのか、知りたくてたまらない。鈴木悟にとってはエンリの家の豆のスープだってものすごいご馳走に映っていたのだ。食欲は消滅しても好奇心や興味までは消せない。

 最初は一人で食べるのが申し訳ないような事を言っていたものの、結局クレマンティーヌは終始ご満悦でコース料理を食べ終え、満足そうにお腹をさすっている。

 いいんだ、これはクレマンティーヌの日頃の働きへの感謝なんだから。クレマンティーヌに一杯助けられてるだろ俺。呪うなら食事が食べられない骨の身を呪うんだ。必死にそう自分に言い聞かせる。

 満腹のクレマンティーヌに案内されて向かったのは、共同墓地だった。奥まった場所にある廃棄されたような寂れた霊廟の中にクレマンティーヌが入っていくので続く。奥に置かれた石の台座の下の方に彫り込まれた彫刻をクレマンティーヌが何やらいじると、カチリと何かが噛み合ったような音がして重そうな台座が動き、下に階段が現れた。

「マスクと籠手は取っていった方がいいと思います」

「えっ何で? カジットって奴が死者使い(ネクロマンサー)だから?」

「カジっちゃんもスルシャーナ教徒だったんです。今は違うって自分では言ってましたけどね」

 成程、だから俺の話なら聞くかもしれないと言っていたのか。納得し速攻着替えし邪悪な魔法使い変装セットを外して死の支配者(オーバーロード)の素顔を晒して階段を降りていく。

 ゆっくり歩いてきてくださいね、とクレマンティーヌに言われたので、岩壁に不気味なタペストリーがかかり火の灯された赤い蝋燭から血の匂いが漂ってくる階段をゆっくりと降りていく。クレマンティーヌは小走りに先に階段を降りていった。

「やっほー、カジっちゃんいる~?」

 下に先に辿り着いたと思しきクレマンティーヌの声がした。タイミングとかあるだろう、とりあえず様子見で姿を見せずにいようと思いモモンガは少し上で待機した。

「クインティアの片割れか。この街は通り過ぎるだけと聞いたが、何をしに来た」

 しわがれた男の声が聞こえた。恐らくカジットなのだろう。

「…………あぁ? その呼び方でアタシを呼ぶんじゃねーよタコハゲ、殺すぞ」

「貴様が我が儀式の邪魔をしようというのであれば一戦も辞さぬが」

「テメェの出来の悪い手下にも言った通り、アタシはテメェの下らねぇ儀式なんぞ一切興味はないんだよ」

「では何をしに来た、まさか遊びに来たというわけでもあるまい」

「ふふっ……カジっちゃん、儀式なんかしなくってもあんたの望みがもし叶うとしたらさぁ、どうする?」

「……どういう意味だ」

「その力をもつお方がいるとしたら? あんたはどうする?」

「それは我が盟主にも不可能な事、そんな事をできる存在など……」

 おっ、いい感じのタイミングではないか? と思いモモンガは靴音を立てて階段を降りていく。階段の下は岩盤を穿った広い空間になっており、パッシブスキル・不死の祝福で周囲から無数のアンデッド反応が捉えられた。〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉の灯りがあるのか視界は悪くなく、クレマンティーヌの向かいには体毛らしきものが一切ない為年老いているようにもそうでもないようにも見える年齢不詳のやけに血色の悪い屍のような肌色のローブ姿の男がいた。彼が恐らくカジットなのだろう。

「……まさか、闇の神……? いや、闇の神は八欲王に弑された筈……何? 死の宝珠よ、貴様は何を言っているのだ!」

 カジットはどういう訳か右手に持った鉄の玉らしきものに話しかけ始めた。もしかして電波とかそういう危ない人なのだろうか、こんな墓の下に住んでる位だし……墳墓をギルド拠点にしていた自分の事を綺麗に棚上げしてモモンガは若干引いていた。

「カジットよ、俺はお前の言う闇の神、スルシャーナではない。だが恐らく同族だ。俺の名はモモンガ。必要なら力を示すが?」

「……いえ、その必要はありません。人を支配し死を振りまく存在である死の宝珠が、あなた様の気配を感じた瞬間、己が仕えるべき至高にして偉大なる死の王が現れたと言いました。人を支配する死の宝珠を支配する方、それだけであなた様の偉大な力は十分分かるというもの……成程な、クレマンティーヌよ、これだけのお力を持つお方ならば貴様も従うだろうよ……」

「その宝珠は話せるのか、面白いな。少し見せてもらってもいいか?」

「どうぞ」

 カジットが死の宝珠を両手で捧げ持つ態勢をとる。モモンガは歩み寄り、捧げられた宝珠に手を翳した。

「〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉……ふむ、インテリジェンスアイテム、見たことがないぞ、興味深いな。能力としてはアンデッド支配能力の強化に死霊系魔法を一日数回発動か……能力的には特にいらんな」

「お望みであれば献上いたしますが」

「いや、お前が持っていた方が役に立つだろう。そのまま持っているがいい」

「はっ、ありがとうございます」

「今日はお前の行おうとしている儀式の話をしに来た。死の螺旋……だったか?」

 死の宝珠を手元に戻したカジットは僅かに躊躇した後モモンガの言葉に頷いた。

「エ・ランテルが滅びる事に別段の興味はないが、お前が何故その術式を行おうとしているのかを聞いてもいいか。理由如何によっては力を貸す事も吝かではない」

 死の螺旋を阻止するにしても話のとっかかりは必要である。説得が失敗して力でねじ伏せることになっても別に困りはしないだろうが、カジットは他にも利用したいことがある。できれば言葉で説得したかった。故にモモンガは理由をまず聞くことにした。

「……少々長い話となりますがよろしいでしょうか」

「構わん」

「わたくしめが幼い頃、母が心臓の発作を起こして死にました。その日わたくしめは遅くまで遊び呆けて家に帰るのが遅くなり、帰った時には母は既に冷たくなっていたのです。もう少し早く帰っていれば母が生きている間に神官に治療してもらえたのではないか、そう思うと悔やんでも悔やみきれませんでした。わたくしめは母の復活を望みましたが、蘇生の魔法に耐え得る生命力は母にはございません。故に、母でも復活できるような生命力の消費のない蘇生魔法を編み出そうと決意し信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)の道を選びました。しかしながら新しい蘇生魔法を編み出すには人の生ではどう足掻いても時間が足りません。そこでわたくしめは、研究の時間を得るべく不死のアンデッドとなろうと邪法を修め始め、ズーラーノーンに所属するに至りました。ですが自我を保ったままの他者のアンデッド化は我が盟主にも不可能な事、ですから私は……死の螺旋を起こしその負のエネルギーをもってアンデッドと化するしか他に道はないと……五年の歳月をかけ今まで準備してまいりました」

 話し終えたカジットは口を閉じ沈黙し、モモンガの言葉を待った。だがモモンガにはカジットにかける言葉などなかった。

 まるで、歪んだ鏡で己の姿を写しているようだった。

 過去に囚われ固執し、取り戻そうと足掻き藻掻き、前に進めない進もうとすら思わない者。

 第三者の事として見ればはっきりと分かってしまう。そんな事は間違っているのだと。他人を犠牲にするのが間違っているとかそんな事をしても母親は喜ばないとかそんな事を言うつもりは全くない。ただ、それではあまりに悲しすぎるのだと分からされてしまう。人は未来に向かって今を生きているのに、カジットには過去しかないのだ、今も未来もありはしない。過去しかない者が永劫の時を生きるアンデッドになって、過去だけを抱えて生きていく。それはどれだけ悲しいことだろう。

 こいつは、俺だ。歪んだ鏡に映し出された俺自身だ。それが嫌という程分かってしまう。

「カジットよ……死は私の支配するところ。それを人が弄ぶことを私は喜ばない」

「はっ……」

「お前の母の死もまた運命であった。人は確かに死に抗う力を持ってはいる、だがそれは万人に与えられたものではない。お前の母は既に運命を受け入れているのに、お前はそれを己の都合だけで覆そうというのか」

「それは…………」

「お前の悔いは分かる。だが取り戻せないものの重さと尊さをこそ知れ。それこそが死の重みだ。弱き種たる人が必死に足掻く様は嫌いではないが、私は無為な殺戮が嫌いなのだ。何故なら、そんな事をしなくても人はいずれは必ず死ぬものであるからな。さてカジットよ、お前は今もまだ母を蘇らせようと望むか」

「それが……運命だったと仰るのですか、死の王よ……」

「そうだ。運命は善も悪も考慮しないし情も与えない。無慈悲で残酷で不平等なものである。だが死は等しく万人の上にある、平等だ。お前の母は誰もが迎える平等な死に迎えられた、それだけの話だ。それでもお前はアンデッドと化し私の支配から脱し平等なる死に抗うか。それならばお前は私の敵だ」

「……わたくしめに、あなた様と敵対するような恐れ多いことはできません、死の王よ」

 ぐったりと疲れ切ったような声でそう告げると、カジットは糸が切れたようにその場に座り込み呆然と足元を眺めていた。

「お前の五年の歳月を無駄にした事は謝ろう。何か償えるか」

「償いなど恐れ多い事、今は望むことは何もございません」

「私はお前の力を買っている、私の為に働く気はあるか」

「今は己の望みを失った身なれば……無為に生きるしかないこの身を御身のお役に立てられることは望外の喜び。何なりとお命じを、死の王よ」

 そう告げると、カジットは居住まいを正しモモンガの前に跪いた。

「頼みたい事は二つある。まずは、ンフィーレア・バレアレを常に見守り不測の事態から守れ。次に、ズーラーノーンの情報網を駆使し世界中の強者の情報を集めろ。そう……神に等しい力を持つ者の情報をな。その情報は定期的に私から〈伝言(メッセージ)〉でお前に連絡して報告してもらう。差し当たってはそれだけだ。お前に望みができれば働きに報いることもできるだろう、何か考えておくがいい」

「慈悲深きご配慮に感謝いたします。粉骨砕身、御身に仕えさせていただきます」

「クレマンティーヌもそうだが、お前は既にズーラーノーンの盟主とやらに仕えているのではないのか?」

「力によって従っている身なれば、より強いお方に着くのは当然の帰結でございます」

「ならば私よりも強き者が現れればそちらに着くか。それもまたよかろう。では頼んだぞ」

 そう言い残すと踵を返しモモンガはその場を去り階段をゆっくりと登っていった。じゃーねーカジっちゃんと軽快な声でクレマンティーヌが挨拶しているのが後ろから聞こえてくる。霊廟まで戻ると、ローブを着替え邪悪な魔法使い変装セットを装備して旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)姿に戻る。

「何かほんとに死の神っぽかったですねモモンガさん、演技にしては真に迫ってましたよ。声まで全然違ってたし」

「まぁな……ああいうのはちょっと慣れてるんだ」

 まさか悪ノリで始めた魔王ロールがこんな所で役に立つとは思わなかった。人生なんでもやってみるものである。いや俺の場合人生はもう終わってるのか? 深く考えると泥沼に嵌りそうだったのでモモンガは考えるのをやめた。

「しかしすっかり深夜ですね、こんな時間に帰ったら宿屋の親父に嫌な顔されそうですね」

「まあ……仕方ないだろ、こっちが迷惑かけてるんだからな。舌打ちとかするなよ」

「大丈夫ですって、そんな事しませんから。信用ないなぁ」

「だってお前ルクルットに思いっきり舌打ちしてただろ……」

「あれはちょっとドスッと殺したくなって……」

「ほんとそういう所だぞお前……」

 夜の静寂に沈んだ墓場を、クレマンティーヌと他愛もない話をしながら帰っていく。突然突き付けられ見せつけられた己の鏡像に対する苦さを忘れられないまま、間違っていて悲しくてもどうしてもそうせざるを得ない己の愚かさを思い知らされながら。




誤字報告ありがとうございます☺


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遊戯

 宿に戻ってから、クレマンティーヌが寝る前に生まれながらの異能(タレント)について聞くことにした。

 なんでも二百人に一人ほどの割合で生まれつき持っている能力らしいが、多くはあまり役に立たないものらしい。例えばお湯の温度が分かるとか、水上を五歩だけ歩ける(それ以上進むと沈む)とか。ンフィーレアのような強力かつ汎用性の高い驚異的な生まれながらの異能(タレント)は本当に例外中の例外で、あそこまで強力なものはそうそうないらしい。

 また、ニニャの言っていた通り生まれながらの異能(タレント)と本人の才能や能力が噛み合う例は稀らしい。魔法に関する生まれながらの異能(タレント)を持っているのに魔法の才能は全くない、という事も珍しくはないのだとか。ただ、ニニャのように噛み合った時には驚くほどの力を発揮するみたいなので、本人も言っていた通りニニャは本当に運が良かったのだろう。

生まれながらの異能(タレント)と才能が噛み合った例っていえば、陽光聖典の隊長、ニグンもそうですよ」

「えっ、そうなの? どんな生まれながらの異能(タレント)持ちだったのあの人」

「召喚モンスターを強化する、っていう生まれながらの異能(タレント)です。天使を召喚して使役する陽光聖典の隊長としてはこれ以上ない生まれながらの異能(タレント)って感じですし、魔法の方も第四位階の使い手になれる才能がありましたから、相手がモモンガさんでなければそうそう負ける男じゃないんですよあいつも。運が悪かったんですねー、わー気の毒ー」

 全然気の毒だと思ってない楽しげな口調でクレマンティーヌが語る。あの天使強化されてたんだ……あんな簡単に捻り潰してごめんな……という気持ちになる。〈獄炎(ヘルフレイム)〉と〈暗黒孔(ブラックホール)〉はやりすぎだったかなぁ……。あの時はどの程度の魔法がこの世界の普通なのかよく分かってなかったからなぁ。まさか〈火球(ファイアーボール)〉や〈電撃(ライトニング)〉辺りの基本的な低位魔法が使えれば魔法詠唱者(マジックキャスター)としては一流だとか思わなかったんだよ……。

 そんな反省をしつつ夜を過ごし、次の朝。観光に行くモモンガとは別行動を取るとクレマンティーヌが申し出た。

「エ・ランテルは大体分かってますから私はいいです。カジっちゃんの協力を取り付けられたとはいえ情報収集は元々私の仕事ですし、地道に足で稼いできますよ。この先の旅程を考えると一番情報が集まってるのがこの街ですしね」

「なんか俺だけ遊んで悪いな……」

「気にしないで楽しんできてください。モモンガさんの為に役立てるのは私の喜びでもあるんですよ?」

 クレマンティーヌがまるで社畜みたいな事を言っている。つい忘れがちなのだがクレマンティーヌにとってモモンガは神に等しい存在だ、奉仕できるのが喜びみたいな感じなのだろうか。やめてほしい。そんなブラック企業みたいな人の使い方をするつもりはないのだ、ブラック反対、ホワイトで行きたい。

「うーん……お前だってちゃんと適度に息抜きして楽しんで休まなきゃ駄目だぞ? 楽しむといっても無駄な殺しはご法度だけどな」

「人殺しに恋しちゃって愛しちゃってる私としてはその縛りは苦しいものがありますが、モモンガさんの言いつけですからちゃんと守ります、安心してください」

「ほんとサイコパスだなお前……」

 やっぱこいつリアルなら猟奇殺人犯として刑務所で最低でも無期懲役位にはなってそうだなという思いを強める。

 本当はクレマンティーヌも一緒にいた方がもっと楽しそうだな、という思いがモモンガにはあったのだが、それは口にしなかった。クレマンティーヌは漆黒の剣の面子にはまるで興味がなさそうで自分からはほぼ接触しないから彼等がいてもクレマンティーヌは特に楽しくないのだろうし、やる気に水を差すのも悪いなと思ってしまったからだ。

 ……こういうの、ちゃんと伝えた方がいいんだろうな、きっと。そう思い当たる。

 どう伝えるべきかをモモンガは考え込んでしまう。ストレートに言うのはなんだか愛の告白のようで照れ臭い。だがネムの事を考えれば恐らくはストレートに言った方がいいのだ。愛の言葉っぽかったところで、まさか骨に恋愛感情なんて抱かないだろうし。心の中で意を決して口を開く。

「……あのさ、クレマンティーヌ」

「何ですか?」

「行くのはいいけど……お前とも、一緒に見て回りたかったな……って、思って……いや真面目に仕事してくれるのは嬉しいんだけど、ちょっと……寂しかったっていうか……」

 目線をやや逸らし照れ臭さを堪えながらそう告げると、クレマンティーヌはぽかんと口を開け素っ頓狂な間抜け面をした後にぱちくりと瞬きを繰り返し、やがて目に涙を浮かべて肩を震わせた。

 またこのパターンかよ!

 ある意味恋愛感情より面倒臭い信仰心ともいうべきものがそこにはあった。寂しいと拗ねてみせただけで感激に咽び泣かれても困るのだ。どうしてこうなるんだ、思わずモモンガは頭を抱えたくなった。

「何で泣くんだよ……」

「だっでぇ……モモンガざんがぁ……」

「たっ! ただちょっと寂しいなって思っただけだろ! そんな感激するほどのことかよ!」

「だっで、だっで、わだじなんがをぉ……うわああぁぁん!」

 結局また泣かせてしまった。俺か? 俺が悪いのか? いなくて寂しいなってちょっと思っただけでそんな感激する?

 リアルではぼっちだったので咽び泣く女性を宥めたことなどあるわけがない、昨日同様おろおろしながらクレマンティーヌの背中をさすったりしてどうにか泣き止むよう宥めようとする。ようやく泣き止んで落ち着いたクレマンティーヌが顔を洗い直してきて元気に出かけるのを見送ってから漆黒の剣との待ち合わせ場所に向かう。途中で金のどんぐりのネックレスを手にし、小声で話す。

「エンリ、おはよう」

『モモンガさん、おはようございます、どうしたんですか?』

「エ・ランテルに昨日着いたから報告しようと思ってさ。昨日はちょっと忙しくて話せなかったから。村の様子はどう?」

『ゴブリンさんたちのお陰で畑も順調ですよ。でも姐さん呼びと護衛はやめてほしいです……』

「ははは、それ位は我慢しないと。召喚モンスターってすごく忠誠心が厚いみたいだから。じゃあ何かあったらすぐ知らせて、また連絡するよ」

『はい、ありがとうございます』

 集合場所では漆黒の剣が既に待っていた。小走りに駆け寄り遅くなった事を詫びる。

「おはようございますモモンガさん、クレマンティーヌさんは?」

「今日は別行動なんですよ。彼女は彼女でやりたい事があるようでして」

「成程。それじゃ今日は私達がしっかりご案内しますね」

 爽やかな好青年の見本のような笑みをペテルが浮かべる。やっぱいい人だなぁ、とかわいい栗鼠が木の実を食むのを見つめるようなほのぼのとした気持ちでモモンガはペテルに礼を言った。

「大通りの露店はやっぱり食べ物が一番豊富なんですけど、その呪いがあると食べられないでしょうから残念ですね」

「そうですね、匂いだけで美味しそうですから。でもその分、知的好奇心を満足させてくれるようなものが見られればと思っていますよ」

「さすが優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)の方は心掛けから違うんですね。その向上心、私達も是非見習わないと。なぁルクルット、お前も少しは見習えよ?」

 ペテルに突然話を振られたルクルットが心外そうに声を上げる。

「何でそこで俺に振るかなー? 俺って優秀な野伏(レンジャー)だろ? パーティの目と耳だろ?」

「トラブルメーカーでもありますよね」

「ングッ……ニニャは相変わらず毒舌だぜ……」

 意外とニニャのツッコミは鋭い。モモンガにはあまりその面は見せていないがかなりの毒舌家らしい。

「聞いてくださいモモンガさん、ルクルットの女癖の悪さのせいで酷い目にあった事があるんですよ。水の神殿の巫女さんが美人だったので依頼を安請け合いしてきて、それが必要経費を考えると手元に残る報酬がマイナスみたいな依頼だったんですから。内容的には難しいものではなかったですけど、あの時は本当に参りましたよ」

「ははは、冒険をしているとそんな事もありますよね。でもそんな酷い目にあったような経験も、絆の深い皆さんならこうして笑い話として大切な思い出になっていくものです」

「確かに、そうですね……全部、大切な思い出です」

 モモンガの言葉を噛みしめるように繰り返したニニャは、そっと微笑んだ。そうだ、嬉しかった事も楽しかった事も苦労した事も、どれも一つ一つが大事な思い出になる。その思い出をしまっている心の中の場所はまるで思い出という名の煌めく宝石で溢れているようで、誰にも覗かせたくはない。

 正直、トラブルメーカーとしてのルクルットなどるし★ふぁーに比べれば子供のように可愛らしいものだ。アインズ・ウール・ゴウン一の問題児が起こした数々のトラブルも今となっては楽しい思い出だ。まだ許してないけど。

「しかしルクルットは出来れば美女から安請け合いはしないでほしいのである!」

「わーった、わーったよ! 気をつけます!」

 賑やかな雑談を続ける一行がまず向かったのは、冒険者の案内らしく武器防具屋だった。クレマンティーヌの装備を整えたいと思っていた事もあり丁度いいとモモンガは思い品揃えを見たのだが、魔法を付与されていない素の状態のお世辞にも質がいいとは言い難い武器しか置いていなかった。

「魔法の武具などは置いていないのでしょうか?」

「魔法の武具は非常に貴重品で値段も高いですから、街の武器屋にはないですね。マジックアイテム扱いです。何か買われるんですか?」

「ええ、クレマンティーヌにモーニングスターのような殴打武器を何か買おうかと思っていまして。今すぐ買うわけではないですがどの程度の価格なのか知りたいのですよ」

「マジックアイテムを取り扱う店に品揃えがあればいいんですが。正直、そんなに沢山流通するものではないですし品揃えもその時々によりますので確実にあるかどうかは分からないんです」

「成程、そうなんですね」

 そういえばクレマンティーヌが魔法の武具は普通の兵士が持てるような品ではないとか言ってたような気がする、その辺の武器防具屋には置いていないのも当然かもしれない。

 モモンガの希望を汲んでくれてペテルは次にマジックアイテムを扱う店に案内してくれた。だが、そこに置いてあるものもモモンガからすると正直な話相当に効果が微妙な品物ばかりだった。そして微妙なのにやたら高い。

 考えてみればユグドラシルではドロップしたデータクリスタルを外装に組み込んで簡単に特殊効果の付いた武具が作れるが、この世界では魔法の武具を作るのには手間暇がかかるのだろう。仕方ない事かもしれないのでどこかで妥協しなければならないようだった。

 一軒目には殴打武器はなかったが、やはりクレマンティーヌを連れてくればよかったなと思った。本人がどういう武器が使いたいかの希望が分からなければ妥協点も探りづらい。とりあえず参考価格を見るだけと割り切るしかないかと、漆黒の剣の案内のままにいくつかのマジックアイテムを取り扱う店を回った。

 漆黒の剣の面々も思い思いにマジックアイテムの効果や値段を店主に聞いては物色している。銀のプレートだとまだ手が届かないものばかりなんですけどね、とニニャが苦笑交じりに教えてくれた。なんでも冒険者には等級があり、上に行けば行くほど希少金属のプレートになるらしい。最高位はアダマンタイトだそうだ。そんな柔らかい金属なんだ……という心の声は外に出さずにおいた。

 魔法の武具の大体の相場は分かったが、高い。これからの旅費も考えると今の所持金ではとてもではないが手が出せないことは分かった。何かお金を稼ぐ方法を考えなければならないだろう。

「ないですね殴打武器……タイミングが悪かったのかな」

「でも大体武器防具の相場のようなものは分かりました、ありがとうございます。それになかなか興味深いマジックアイテムもありましたし」

「いえいえ。私達も楽しませてもらいましたから。手が届かない値段でも見てるだけでも楽しいんですよね、マジックアイテムって」

「分かります」

 その後昼食(モモンガはお腹が空いていない旨を申告して食べなかった)を挟んで案内されたのは、見晴らしのいい丘だった。住宅地の中に緑が残されていて、緩やかに小高い丘からは周囲の家々が一望できる。

「ここ好きなんです、私達。依頼がなくて暇な時とかによく来るんですよ。特に何かするわけじゃなく、座り込んでどうでもいい話をしたり……」

 座ったニニャの横に並んで腰を下ろすと、ニニャは誰に聞かせるともない静かな声でそう呟いた。

「そんな特別な場所を教えてくださってありがとうございます。いい景色ですね」

「はい、何ていうか、すごく好きなんです。街の人の生活が見えるっていうか……」

「この街が好きなんですね」

「第二の故郷みたいな感じですね。私は貧しい農村の生まれで、そこでの暮らしは酷いものでしたけど、村を出て師匠に拾ってもらってこの街で魔法を学んで冒険者になって、夢に近付けましたから」

「黒騎士の剣ですか?」

「それもあります……あともう一つ」

「……お聞きしても? 話したくないことであれば結構ですが」

 モモンガの問いかけにニニャは目を伏せ俯いてしばし考え込んだ。ニニャの答えをモモンガは空を眺めて待つことにした。今日は雲がやや多く、空の青は白く霞んでいる。ゆったりと大空を渡っていく白い雲、これも鈴木悟の世界では決して見られなかったものだ。そよ風が丘を渡り、丘を覆う足首を隠すほどの高さしかない低い草がさぁっと揺れた。夏の鋭い日差しは雲に遮られ和らいでいる。

「貴族に妾として連れていかれた姉を……取り戻したいんです。その為に、力が欲しい」

「酷い話ですね」

 王国は腐敗しているとクレマンティーヌが言っていたがまさかそこまでとは。素直に驚いてそう言うと、ニニャは諦めの滲んだ表情で首を横に振った。

「この王国ではよくある話です……私の生まれ故郷の領主の貴族は、素行の悪い男で……あちこちの村から見目の良い女を攫っては妾にして飽きたら捨てるんです。姉もどうなったのか今となっては分かりません……それを探し出して、また一緒に暮らすのが私の夢なんです」

「見つかると、いいですね」

「絶対に見つけてみせます」

「立ち入った話を聞いてしまってすみませんでした。でも、話してくださってありがとうございます」

 ニニャに目線を向けそう告げると、ニニャはモモンガを見上げてにこりと微笑んだ。

「知ってるのは師匠と漆黒の剣の仲間達位で、人にはほとんど話さないんですけど、モモンガさんになら話してもいいような気がしてしまって。不思議です……会ったばかりの方なのに。なんだか、ちゃんと聞いてもらえるような気がしてしまったんですよね。こちらこそこんな重い話を聞いていただいてありがとうございます」

 ゆっくりとそう語るとニニャは微笑んだまま照れ臭そうに目線を伏せた。広い額、ふっくらとした頬、線の細い顎、ぱっちりとした蒼い目。美少年だなぁ、はにかんで街並みを見つめるニニャの横顔を見てモモンガはしみじみとそう思った。

 その後丘を挟んで北側にあるマジックアイテムを取り扱う店や書店などを回り、漆黒の剣の一同に礼を言って別れ宿に戻ったのが夕方頃。クレマンティーヌは既に部屋に戻っていた。

「めぼしい情報はなかったですね。大体アダマンタイト級とかガゼフとか帝国の四騎士とか表の強者の話で、最近現れた強者については何も。ただ一点、カジっちゃんの手下からこの街の近くにブレイン・アングラウスがいるって聞きました」

「ブレイン? 誰だそれ」

「王国の御前試合の決勝でガゼフと戦って、激闘の末に僅差で敗れた男です。つまりガゼフ級ということです。まあモモンガさんからするとあまり興味は惹かれない強さかもしれませんが。今は傭兵団とは名ばかりの野盗の用心棒をやってるようです」

「結局ガゼフの強さがどの位なのか見てないから興味はあるな。ちょっと会いに行ってみるか。場所は分かるか?」

「アジトの場所も把握済みです。それにしても、昨日も思いましたけどモモンガさんって結構フットワーク軽いですよね……」

「思い立ったが吉日が俺のモットーなんだ」

 傭兵団のアジトはエ・ランテルの北の方にあるというので早速、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)でエ・ランテルの北側の街道沿いの人目につかないような森の中を映し出し、そこに〈転移門(ゲート)〉を開く。その後は街道に出てクレマンティーヌの案内で徒歩で傭兵団のアジトを目指す。

 一時間ほども歩いただろうか、森を分け入り進んでいくと、向かう先でなにやら金属のぶつかり合う音がした。

「何だ……? 傭兵団が襲撃でも受けているのか?」

「何か聞こえるんですか?」

「金属がぶつかる音だ。俺は種族的に普通の人間よりは耳がいいからな。まあとりあえず行ってみるか」

 そのまま進んでいくと、木々が切れ開けた場所に出た。すり鉢状になった窪地には洞窟があり、その前で冒険者らしき者達と傭兵団と思しき男達が切り結んでいた。野盗の討伐、といったところか。だが冒険者側が押されているようだ。

「やっていいですよね?」

「傭兵団をだぞ。うっかり間違えましたとかはナシだからな」

「分かってますって」

 にっこりいい笑顔で答えるとクレマンティーヌはスティレットを抜いて腰を落とし、クラウチングスタートのような独特の姿勢をとった。次の刹那、極限まで引き絞られた弓から放たれた矢のようにクレマンティーヌは窪地へと駆けていった。

 リアルなら世界新狙えるかもな。どうでもいい事を考えながらモモンガも後を追う。ブレインだったかはクレマンティーヌと戦わせて力を見てもいいけど俺もちょっとは遊びたいなぁという気持ちが湧き上がる。あっという間に傭兵達はクレマンティーヌに掃除され、今は洞窟の中から悲鳴が聞こえてくる。呆気にとられている冒険者達の間を通ってモモンガも洞窟へと入る。

 洞窟の中は死屍累々だった。どの死体も一撃で眉間を突き殺されている。この程度クレマンティーヌには遊びにもならないだろう。しかし一人で前に進みすぎだ、と思いつつ歩を早めると、通路が少し広くなった場所でクレマンティーヌが立ち止まり無精髭の男と向かい合っていた。

 ぼさぼさの頭に無精髭だが、肉体は極限まで鍛え上げられているのが見て取れる。恐らく鍛錬以外に興味のないストイックなタイプなのだろう。軽装のチェインシャツに左の腰には刀を提げている。

「モモンガさん、こいつです」

「そうか。悪いけどクレマンティーヌ、こいつ俺が遊んでもいい?」

「勿論構いませんけど……ミンチにしちゃいません?」

「しないよ」

「じゃあちょっと見物します」

 クレマンティーヌがあっさりと下がってくれたので、入れ替わりにモモンガはクレマンティーヌが立っていた位置に立った。

魔法詠唱者(マジックキャスター)か。この俺を相手に遊ぶとは大層なご挨拶だな」

「俺にとっちゃ遊びだよ」

「……正直、あんたは底が知れん、戦いたくないんだが」

「それは困るな、君の力量を見にわざわざここまでやって来たんだ、少しくらいは遊んでもらわないと」

「……ブレイン・アングラウスだ」

「俺はモモンガ。そうだな、君にハンデをやろう。俺は()()()()()()()使()()()()

 モモンガは腰の杖を抜き右手に握った。ブレインはモモンガの言葉に呆れているのか驚いているのか呆然としていた。

「それともハンデなしが希望かな? それだと加減が分からなくてミンチにしてしまうかもしれないんだよなぁ」

魔法詠唱者(マジックキャスター)が……魔法を使わないで、どうやって戦うんだ?」

「一つ使うさ。それで十分」

「……馬鹿にしやがって」

 吐き捨てるとブレインは脚を開き腰を落として刀に手をかけ構えの姿勢をとった。恐らくは待ちの剣、居合というやつだろう。別にそれで問題はない、正面から叩きのめせばいいだけの話だ。

「さて、遊んでやろう、()()()()。〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)〉」

 魔法を詠唱し、無造作にブレインの間合いへとモモンガは踏み出していく。迎撃があるだろうが何も問題はない。ブレインまで後三~四歩まで近付いた刹那、ヒュッと光が筋を描いた。

「な…………に……?」

 視認を超えた速度で抜き放たれた刀を振り抜こうとした中途半端な態勢で、ブレインは驚愕に顔を歪めていた。半径三メートルのあらゆるものを知覚する武技〈領域〉と武技〈瞬閃〉を高め極めたオリジナル武技〈神閃〉の組み合わせ、回避不能の居合の一刀、秘技・虎落笛(もがりぶえ)。頸動脈を狙って放たれたその刃は、領域で知覚できない動きで翳された無骨な杖に阻まれていた。

 こいつは、いつの間に杖を動かした? 〈領域〉の中で知覚できないものなどある筈がないのに?

「まあ別に斬られても多分問題はないんだけどな。防いだ方が遊びとしては面白いだろ? さて、もう終わりかな? もっと遊んでくれよ」

「モモンガさん、私のことサイコパスって言いますけど、モモンガさんだってなんか戦闘ジャンキーみたいになってますよ」

「えっ、それはやだなぁ……久し振りに体を動かしたかっただけなんだけど……だから魔法を撃つんじゃなくてわざわざ〈完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)〉使ったのに……」

 後ろの女が茶々を入れてくる。どこまで馬鹿にしているんだとプライドが傷付けられるが、虎落笛(もがりぶえ)を防いだ動きから力量差は歴然。この魔法詠唱者(マジックキャスター)は、ブレインが鍛錬に鍛錬を重ねて編み出した秘技を遊びで簡単に防いでみせたのだ。それが事実だった。

「うわあああぁぁぁ!」

 力の限りにブレインは刀を振るった。だがどんな斬撃も、体の軸を動かすことすらなく仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)は片手で捌いてみせた。何一つ通用しない。そもそもブレイン最大の必殺技である虎落笛(もがりぶえ)が簡単に防がれてしまったのだ、他の攻撃が通用する道理がなかった。

 やがて刀を振り疲れ、息を切らしてブレインは茫然自失といった体たらくで悄然と肩を落とした。もうプライドなど欠片も残ってはいなかった。人生を賭し高めてきた剣は、魔法詠唱者(マジックキャスター)に片手で防がれてしまうようなものだったのだ。

「……ちょっとやりすぎた?」

「正直イジメですね」

「うるさいよ。遊びは終わりだ、クレマンティーヌは奥の奴等を片付けてきて」

「はいはい了解です」

 女が奥へと進んでいくが、もう止める気力もなかった。あの女にも恐らくブレインは勝てない、それはこの二人を街で見かけた時から分かっていたことだ。無駄な足掻きだ。

「ううっ……う……」

 人前で泣きたくはないのに熱い涙が零れ落ち頬を伝う。ただただ情けなかった。天才と言われ、事実剣を取れば無敗だった。だがガゼフに土を付けられ、それからはただひたすらに剣の腕を磨き高めてきた。その日々は一体何だったのだろう。

「なんか……ごめんね。ちょっと悪ノリしすぎたね……つい魔王ロール出ちゃってたし……」

「俺を、殺すのか……いいさ、殺せ。もう生きていてもしょうがない……」

「えっ、いや、殺さないよ? 俺はただ君がどの位強いのか知りたかっただけだから」

「……俺は、弱い…………それがよく分かった……ひたすら鍛錬して、肉刺(まめ)が潰れて柄がすり減るまで鍛錬して……それでも俺は、魔法詠唱者(マジックキャスター)に一撃も与えられないほど、弱いんだ……」

「えっと、それなんだけどね、俺の使った魔法、魔法詠唱者(マジックキャスター)の強さを戦士の強さに変換して戦士になるっていう魔法なんだ。だから俺は今は魔法が使えない、戦士だよ。魔法詠唱者(マジックキャスター)に負けたって点では落ち込まなくていいと思うよ?」

 その言葉にブレインは顔を上げ仮面の男を見た。〈領域〉でも捉えられない動きを見せた目の前の男、戦士としてどれだけの高みにあるのかは正直想像も付かない。その戦士としての強さが、本来は魔法詠唱者(マジックキャスター)としての強さだというなら、一体どれだけの強さの使い手なのだろう。もし本来の魔法詠唱者(マジックキャスター)としての戦いをしていたとしたら……そう考えると寒気がした。そしてこの男にとっては言葉通り遊びだったのだと本当の意味で理解した。

 やはりこの男は底が知れない、その思いが強くなる。

「それにしてもやっぱストイック系なんだね。なんでそんな強くなりたいの?」

「……ガゼフ・ストロノーフに勝ちたかった。だがそれも今となってはどうでもいい……俺やガゼフの腕など、あんたの前では児戯に等しい」

「うーん、そう卑屈になることもないと思うんだけどなぁ。俺はこの世界の人達から見たら神みたいな力を持ってるらしいから比べたら駄目だと思うよ。武技とか使えるんでしょ? 君も十分強いんじゃないかな」

 この世界の人達? 妙な事を言う男だった。

「はいはーい、終わりましたよ~。奥に多分性欲処理用の女がいますけどどうします?」

「冒険者に話せば保護してくれるんじゃないか?」

「了解です」

「あのさぁクレマンティーヌ、こいつを強くするメリットって何かあるかな?」

「どうしたんですか突然」

「いや、なんかプライドへし折っちゃって悪いなと思って……生きててもしょうがないとか落ち込んじゃってるし……メリットがあるなら鍛えてもいいかなって」

「モモンガさんが手を下すまでもない有象無象の処理には役に立つと思いますよ。カルネ村の時もそうでしたけど私一人だと二方に逃げられたりしたら手が回らないとかありますから。まあそれもあの時みたいに召喚モンスターで解決できますけど……ただ、召喚モンスターだと殺し方がエグいんで、いらぬ恐怖を助けた人に与えることにはなりますね」

「やっぱミンチはまずいかぁ」

 何やらブレインが知らない間にブレインについてどんどん話が進んでいく。この二人は何を言っているのだろう。ブレインを、鍛える――強くする?

 強く、なれるのか? 今よりももっと。

「後は……そうですね、今日みたいに私が出てる間、モモンガさんが寂しくなくなるかもしれません」

「人を寂しんぼみたいに言うなよ」

「仲間が増えるのは悪いことじゃないと思いますよ。こいつがモモンガさんの顔を見ても驚かずにその秘密を守れればですけど」

「必ず秘密は守ってみせる! だから俺を鍛えてくれ! 俺は強くなりたい!」

 仮面の男までは無理でもこの女になら届くのではないか、そう思った。今この機を逃してなるものかとブレインは必死に訴えた。

「うーん、じゃあ顔を見せるけど、多分びっくりするよ? 攻撃してこないでね?」

「……分かった」

 ブレインが頷くと、男は仮面をゆっくりと外す。その下から現れたのは、白い、肌……ではない。それは骨だった。つるりとした頭蓋骨、ぽっかりと開いた眼窩には禍々しい紅の光が灯っている。首の辺りもいつの間にか見えていた筈の肌が消え骨が露出していた。

「アンデッド……!」

「うん、そうなんだけど……戦う?」

 その言葉にしばらく答えられない程ブレインは呆然としていたが、やがて首を横に振った。

「……いや、俺を強くしてくれるっていうなら、悪魔だろうがアンデッドだろうが何だっていいさ」

 その答えを聞くと男は仮面を着け直し首も現れる。幻術なのだろうか。

「その意気や良しだね、なかなか見所があるじゃないか。それじゃあよろしく、ブレイン・アングラウス」

「あんたの事は何て呼べばいい?」

「モモンガでいいよ」

「じゃあよろしく頼む、モモンガ」

「あぁ? さんを付けろよモジャヒゲ野郎」

 見れば女が恐ろしい形相でブレインを睨んでいた。殺気が凄い。思わずごくりと唾を飲む。

「付けなくていいから! クレマンティーヌ、イジメはやめろ!」

「さっきのモモンガさんほど酷くありませーん、大体にしてあれだけの力を示されたのにこの男にはモモンガさんへの敬意というものが足りません」

「いいよ別に敬意とか! そういうの苦手だからいらない! クレマンティーヌはさん付けを強要しないこと、これ命令ね!」

「ええっ! それじゃどうやってこの男にモモンガさんへの敬意を表させるんですか!」

「だからいらないから!」

 何だか分からないがやかましい二人の仲間入りをする事になってしまった。だがそれでも、あの高みへ一歩でも近付けるなら、何に魂を売る事になっても構わない。剣を極める、それこそがブレインの人生そのものなのだから。

 その後洞窟を出て、冒険者達に中に女達がいる事を伝え脱兎の如くその場を離れる。追及されると色々面倒だからだ。森を少し進んでモモンガが開いた〈転移門(ゲート)〉にブレインが唖然としたり、宿屋に戻ってきたものの二人部屋だし急に増えたブレインが普通に宿屋から出ようとしたら宿屋の親父がどう考えてもおかしいと勘付くという事にようやく気付いてブレインを〈転移門(ゲート)〉ですぐ裏の路地に送って部屋を取らせたりと色々あったのだが、こうして一行は人数を一人増やし三人となったのだった。

 

***

 

 昨日生きる目標を奪っちゃったカジットも何か考えてあげなくちゃなぁ、とモモンガが考えていたその頃。

 カジットは実に生き生きと部下に指令を送っていた。

「昨日出された二つの命令……様々な局面において切り札となるであろうンフィーレア・バレアレの確保とそしてあの御方にとって邪魔になる、あるいは力になり得る強者の情報……! この二つを組み合わせてみればその意図が分かるというもの……まずはズーラーノーンを御方に捧げ、然る後に強者の情報とンフィーレアを使い世界を! 世界を死の王のものとするのだ!」

 めちゃくちゃ元気になっていました、という話。




誤字報告ありがとうございます☺


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北へ

 エ・ランテルを旅立つにあたってその前に小川のせせらぎ亭を訪れ、漆黒の剣の面々に旅立つ旨とここまでの道中親切にしてもらった礼を改めてモモンガは述べた。こういう挨拶は基本中の基本だ。銀級とはいえ冒険者との友誼を結んでおいて得こそあれ損はないだろう。

 その後エ・ランテルの北門へと向かったのだが、一応カジットにもエ・ランテルを離れる事を伝えておくかと途中でモモンガは思い当たり、クレマンティーヌとブレインを待たせて人気のない路地へと入る。

「〈伝言(メッセージ)〉……カジットか、私だ」

『おお、死の王よ、如何なさいましたでしょうか』

「私とクレマンティーヌはこれよりエ・ランテルを離れ北に発つ。以後の事は頼んだぞ」

『委細お任せください。必ずや世界をあなた様の手に』

 ……は? 世界? を? 俺の手に?

 えええぇぇぇ⁉ 何、何がどうなってそういう事になってるの⁉

 激しい驚愕と動揺が襲ってくるがすぐに沈静化がかかりある程度冷静な思考が戻ってくる。と、とりあえず動揺を見せると死の王ロールが崩れてしまう……冷静に、冷静にだ。

「フ……私は死を手中にしている、それは世界を手にしているも同様ではないか。今更世界を望むと?」

『あなた様こそ名実共に世界の王となられるに相応しいお方、そしてその狙いはわたくしめにお命じになられた命令の内容からも簡単に推察ができます』

 ……は⁉ (何かあったらエンリが悲しむから)ンフィーレアを守れって命令と(プレイヤーを探したいから)強者の情報を集めろって命令だよね⁉ 何がどうなってそうなるの⁉

 しかし、これは修正しようとすると死の王ロールを崩さないと無理だぞ……しかも〈伝言(メッセージ)〉の時間内では絶対に無理だ……。いや延長すればいいんだけど死の王ロールを保ったままだと何をどう言い包めたらこの誤解を解けるのかさっぱり分からないよ……。

「まあよい、私の影は絶対に見せるな。誰にも悟られぬように、密かに静かに事を運ぶのだぞ」

『かしこまりました、死の王よ』

「ではまた連絡する」

 多大な精神的疲労を覚えながらカジットとの〈伝言(メッセージ)〉を切断する。言い包める方法が思い付かなかったからいざとなったら俺は関係ありませんでしたと言い張る作戦をとりあえず使ってしまったけど大丈夫だろうか……。不安だ、不安すぎる。

 表通りに戻ると憔悴しているのに気付いたのかクレマンティーヌが心配そうに顔を覗き込んできた。

「どうしたんですかモモンガさん、何かありましたか?」

「なんか……カジットの中で俺は世界征服する事になってた……」

「あちゃー……カジっちゃんって思い込み激しいですからねー。まあモモンガさん位の力を持ってれば世界征服とかしようとするだろうって普通思いますよ」

「しねーよ! 俺はただ仲間を見付けたいだけなんだよー!」

「欲がないですよねぇ。そこがモモンガさんのいい所なんですけど」

 若干呆れ気味のクレマンティーヌに生暖かい目で見られているような気がしてしまう。これが被害妄想というやつか……。気を取り直しエ・ランテルの北門から街道へと出る。この辺りの街道は舗装されているが、道が舗装されているのは王直轄領とレエブン候という貴族の所領だけで他は舗装されていないのだという。何か貴族の利権がどうとか難しい話だった。

 モモンガ達は街道を北へと歩いていく。ここから王都までは徒歩だと半月程度かかるという。別に急ぐ旅ではない、ゆっくり行こうとモモンガはのんびり構えていた。

 道中、モモンガが百年に一度現れるプレイヤーという六大神や八欲王と並ぶ強大な存在である事などがクレマンティーヌからブレインに説明されたが、ブレインはピンと来ていない様子でクレマンティーヌに凄い顔で睨まれていた。だがアーグランド評議国に行き白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に会うのがとりあえずの旅の目的だと教えられた際にはさすがにブレインも驚いていた。ドラゴンはどの世界でもやっぱり凄い存在なんだなと分かる。

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に会ってモモンガは何をするんだ……?」

「とりあえず八欲王みたいな事をするつもりはないし敵対する気もないって伝えないと怖いだろ、始原の魔法(ワイルドマジック)とか使われたら。話を通しとこうと思ってさ。あとプレイヤーに詳しいらしいから他のプレイヤーに関する情報も引き出せたらいいなと思ってる」

「会うったってあっちは国のお偉いさんだぜ? どうやって会うんだよ」

「うーん分からん。とりあえず行ってみてこっちがプレイヤーだって伝えてみたら会ってくれるんじゃないかと思ってるけど」

「結構行き当りばったりだな……」

「うっさいわ」

 ブレインのタメ口が気に入らないのかクレマンティーヌが睨んでいるがタメ口のほうがモモンガとしては気楽でいい。敬語強要禁止も後でクレマンティーヌに付け加えておかないといけないかもしれないと考える。

 十五時位まで歩いたら、街道を外れて人気のない人目につきづらい場所を探しレベリングを開始する。

 ブレインにはクレマンティーヌ同様に疲労無効のアイテムを与えた。あと道中ブレインの装備を確認したのだが、言ってはなんだが貧弱なのでこの際だと思ってクレマンティーヌとブレインに毒や石化、視覚異常や移動阻害などの状態異常を無効化する指輪をとりあえず渡した。モモンガ自身が手持ちのアイテムを把握しきれていないので夜の間に把握してからになるだろうが、二人の装備も強化しなければならない。ブレインの刀もなんか微妙だったしなぁ、ナザリックの自室のドレスルームに行ければもっといっぱいあるんだけどなぁ、と思うもののないものねだりをしても仕方がない。

 レベリング相手は二人とも死の騎士(デス・ナイト)だ。ブレインはレベル的に厳しいかもしれないが死ぬか生きるかギリギリのいい勝負になる程度に適度に手加減するように死の騎士(デス・ナイト)には命令するし、相手の急所を突く事に特化したクレマンティーヌのスティレットよりも汎用性の高い戦い方のできる刀を使っているので問題はないだろうという判断だ。中位アンデッド創造で死の騎士(デス・ナイト)を二体召喚すると、その姿を目にしたブレインが唖然として息を呑んだ。

「おい……これとやるのか……?」

「そうだよ。何か問題ある?」

「いや……どう考えても勝てないだろこんなの……」

「その内勝てるようになれればいいよ、それまでは死なないように手加減させるから」

「……死なないように?」

「怪我してもポーション一杯あるから安心して」

「安心できるか!」

「強くなりたいんだろ、文句言わない。はい始め~」

 モモンガの開始の合図で死の騎士(デス・ナイト)がブレインに斬りかかる。咄嗟に反応したブレインは暴風を伴う刃をどうにか躱してみせた。なかなかやるじゃないか、満足気にうんうんと頷きながらモモンガはブレインの決死の訓練を見守った。

「おいモモンガ!」

「どうしたブレイン?」

「勝てん! 死ぬ!」

「だから死なないように手加減させてるから大丈夫だって、安心していいよ」

「鬼! 悪魔!」

「ははは、俺はアンデッドだぞ」

 訓練中に悪態をつくとはブレインもなかなか余裕があるじゃないか。見ればクレマンティーヌは大振りな死の騎士(デス・ナイト)の攻撃を躱し懐に入る事には成功しているが、巨大な盾の守りに阻まれ攻め手に欠けているようだった。クレマンティーヌの素早さをもってしても死の騎士(デス・ナイト)の厚い防御はなかなか抜けないらしい。さすが俺の愛用の盾モンスターと何となく誇らしい気持ちになる。

 訓練を続け二人とも傷は負うものの戦闘続行不能になるような深い傷は負わない。死の騎士(デス・ナイト)の手加減がいい具合なのか二人が一流の戦士だからなのかはたまた両方か。召喚の限界時間が来て死の騎士(デス・ナイト)が消滅したタイミングでポーションで傷を癒やさせ夜まで訓練を続ける。

 街があれば情報収集も兼ねてそこに宿をとるつもりだが道中は基本的にレベリングをしてその後その場でグリーンシークレットハウスを使い野営することにした。グリーンシークレットハウスを展開してみせると目の前に突然コテージが現れたその光景にブレインが呆然として、恐る恐る中に入ると更に唖然とした。二人の食事は冷蔵庫に食材があるので台所で適当に作って食べてもらう事にする。

「このれいぞうこって奴……口だけの賢者が作ったマジックアイテムを大きくした感じだな」

「へえ、口だけの賢者って冷蔵庫作ってたんだ」

「色んなマジックアイテムを考案したんだが、何がどうしてそうなるのか理屈が全然説明できなかったから口だけの賢者、って言われてんだよ」

「えっ面白い」

「そうか……?」

 ブレインが妙なものを見る顔で見てくるがそんな事は気にならない位モモンガは興奮していた。口だけの賢者が作ったというマジックアイテムの数々もいつか見てみたい、夢が広がる。

 アンデッドは疲労とは無縁なので徒歩での旅も苦にはならない。旅の開放感、未知への期待、そんな明るいものがモモンガの胸を占めていた。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に話を通した後どうするかはまだ決めていないが、情報を集めながら世界中を回るのも楽しそうだ。

 どうやら新入りなのでブレインが料理をさせられている様子だった。最低限食えるもんしか作れないぞ、と文句を言いながら調理している。手が空いたクレマンティーヌはモモンガの向かいのソファに腰掛けた。

「モモンガさん、今日からのれべりんぐの相手、強すぎません?」

「そうか? いい感じで戦ってたじゃないか」

「全然勝てる気がしないんですけど……」

「大丈夫大丈夫、レベルアップすれば勝てるようになるよ。切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)も最初は死ぬって言ってたけど最終的にはかなりいい戦いができるようになったろ?」

「それはそうなんですけど……英雄の領域を超えて逸脱者の領域に至らないと勝てない予感がしますあいつ……漆黒聖典でも勝てるの第一席次位なんじゃ……」

「ははは、いいじゃないか逸脱者。なっちゃえよ」

「他人事だと思って軽く言いますね……」

 そんな感じで適当に雑談をしているとブレインが炒め物とスープを手早く仕上げて運んでくる。手慣れた感じだ。

「むむ……結構美味しい……」

「そりゃ良かった。それにしてもなんだこの肉と野菜……やたらめったら美味いな……」

 複雑そうなクレマンティーヌの様子にブレインが肩を竦めた。この二人がもっと親睦を深められるようなイベントを何か起こせないだろうか、考えてはみるもののリアルでは友達のいないぼっちだったモモンガに分かる筈もない。

 待てよ、殴り合う事で理解し合えて友情が深まるとか昔の漫画でそんなのがあったな。ふとそう思い当たる。シチュエーションとしては夕方の河原がいいらしいが、街道沿いは見渡す限りの平原で、時折林や森がある程度だ、河原など望むべくもない。まあ別に時間と場所はそんなに拘らなくてもいいか、そう思いモモンガは提案してみることにした。

「なあ、明日の朝にでもちょっと軽く二人で手合わせしてみないか? これから一緒にやっていくんだ、お互いの力量を把握しておくことも大事だろ?」

「私は構いませんけど突然ですね」

「なぁ……まさか殺されたりしないよな……?」

「モモンガさんが生かすと決めたものをアタシが殺したりしないよぉ? まぁちょっと、痛い思いはするかもしれないけどねぇ?」

 戦々恐々といった様子で尋ねるブレインに、クレマンティーヌは肉食獣の笑みで応える。

「もし死んでも蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)あるから安心して」

「安心できねぇよ!」

 モモンガはフォローしたつもりだったのだがブレインにとっては安心材料にならなかったらしい。まあもし死なれたりしたらレベルダウン分を取り戻すのに時間がかかりレベリングの効率も悪くなる、それは望むところではない。

「クレマンティーヌは殺したり大怪我をさせないようにくれぐれも気をつけるように。力量を見る為の軽い手合わせだからな? 殺し合いじゃないからな?」

「はーい、了解でーす」

「何でこんな毎日生きるか死ぬかの思いをしなきゃならないんだ……? 傭兵団で自分より強いモンスターと戦ってた時より怖いぞ……」

「生きるか死ぬかの状況の時にこそレベルが上がって強くなるらしいぞ、やったな」

「嬉しくねぇよ!」

 モモンガはフォローしたつもりだったのだがブレインには慰めにならなかったらしい。フォローって難しいとモモンガは実感したのだった。

 二人が眠っている間にモモンガはアイテムボックスのアイテムの整理をして時間を過ごし、明けて朝。

 グリーンシークレットハウスを片付け、クレマンティーヌとブレインを向かい合わせる。

「よし、じゃあ、始め」

 モモンガの開始の声にブレインは居合の構えをとり、クレマンティーヌもスティレットを構えた。そしてそのまま、数分が過ぎた。

「ちょい待ち、ストップ……えっと、クレマンティーヌ、何で動かないの?」

「間合いに入ってもいいんですけど、それだと手加減が難しくて。モモンガさんは簡単に防いでましたけど、あの技避けるのかなり難しいですよ。出来なくはないと思いますけど殺す気でかかる必要がありますね」

「それじゃ仕方ないな……じゃあ、ブレイン、何か自分から攻撃する技はないの?」

「ある……が、あまり使いたくない」

「えっ、何で?」

「……俺の技じゃない、人の技を真似したものだからだ」

 ブレインは意外とオリジナリティに拘るタイプらしい。そういえば昨日の道中で例の居合の技、虎落笛(もがりぶえ)は〈領域〉と〈神閃〉というオリジナル武技を組み合わせた技だ、と聞いた。虎落笛(もがりぶえ)のネーミングセンスが最高だとモモンガの中二心が疼いたのは余談だ。

「うーん、別に人の技でもよくない? 俺の魔法だって誰かが作ったものを使ってるし俺のオリジナルなんて一つもないよ? 重要なのはその技をブレインが使えるって事じゃないか」

「……そうだな、分かった」

「よし、じゃあ再開」

 モモンガの合図でブレインは刀を抜き正眼に構えた。じりじりと足を擦りクレマンティーヌとの間合いを少しずつ詰めていく。クレマンティーヌの脚に力がこもり、バネのようにしなやかに地を蹴った瞬間だった。

「〈四光連斬〉!」

 ブレインが刀を振り抜いた、と思った瞬間にはキンキンキン、と連続して硬い金属音が響いた。素早くクレマンティーヌは飛び退って距離をとっている。

「……中々やるじゃん。この武技使いたくなかった理由も分かったよ」

「えっ何で?」

「この武技はガゼフの技です。ブレインは、王国の御前試合でこの武技が決め手になってガゼフに敗れたんです」

 クレマンティーヌの説明に成程とモモンガは納得した。単に人の技だからという理由だけで使いたくなかったというわけではなかったらしい、様々な微妙な思いを抱く武技なのだろう。

「でもこの武技、こんなに命中率良い技じゃないよね? 狙いが正確すぎる」

「……自分なりに鍛え上げたからな。もっとも、お前さんには全部防がれちまった訳だが」

「それもモモンガさんに鍛えてもらってれべるあっぷしたら分からなくなるでしょ。まあちょっとはアンタの事認めてやってもいいかもね? その技術力は大したモンだよ。剣の天才って看板もあながち嘘じゃないって訳だね」

 お互いがお互いの腕を認め合っている、中々いい感じなのでは? 手合わせの結果にモモンガはご満悦だった。それにしても技のブレイン、いい響きだ。そういえばたっちさんが好きだった昔の特撮ヒーローにもいたな、技の一号とかっていう奴、熱く語っていたのを覚えている。これで力の二号がいれば完璧になるのに。そんなどうでもいい事を考える。

「よし、お互いの力量も分かったところで手合わせは終わり! じゃあ出発するぞー!」

 モモンガの言葉にクレマンティーヌとブレインは武器をしまい、足取り軽く歩き出したモモンガの後に続いた。

 

***

 

 昨日の内に王直轄領は通り過ぎ、今は舗装されていない街道が北へと続いている。この辺りは貴族の領地なので舗装されていないらしい。帝国が侵略してきた際に舗装された道だと容易に侵攻を許すだっけか? 来てもいない帝国を言い訳にして民の利便を無視して必要な公共事業を行わないのだから貴族というのもいいご身分なのだなという思いがする。

「王国は腐敗してるって言ってたけど、まともに道の整備もしないんだな。王都へ向かう主要道路だろ? 道を整備すれば往来も楽になって物流が盛んになって産業も商業も発展するのにな」

「それを考える頭が王国の貴族共にはないんですよ。例外はいますが。多くの貴族共の頭にあるのは派閥の利権争いと自分の利益だけです。それに多分、道を整備するとなれば大半の貴族はその費用を民から徴収しますね」

「えっ、そういう事業費って予算で組んでないの?」

 クレマンティーヌの答えのあまりといえばあまりな内容にモモンガは驚いて素っ頓狂な声を上げた。

「法国や帝国では国家事業として行ってますけど、王国でそういう事を考えるのは黄金こと第三王女ラナーと六大貴族のレエブン候位なものですね。だから道の舗装が済んでるのも王直轄領とレエブン候の領地だけなんです」

「えぇー……ドン引きだわ……。さすがにそれは国とか上に立つ者の役目でしょ……その為の税金じゃないの……?」

「全部貴族の懐に入りますし民の為に使ってくれるような貴族は珍しいです。王国は元々の税率が高い上に私腹を肥やす為に貴族が税を上乗せしたりしますから、その上道路整備の費用の徴収までかかったりしたら完全に民が干上がりますね。労役も発生するでしょうからその間農村から男手がなくなりますし。ノブレス・オブリージュというんですか? そういう誇りは腐敗しきった王国の貴族にはありませんね。無駄にプライドが高い奴は多いみたいですけど。その点法国は枯れるまで民を搾るような愚は絶対に犯しませんから、王国に生まれた平民には哀れみを覚えます」

「それに関しちゃ同意だな。俺は元々王国の農民出身だが、農村の暮らしなんて酷いもんだぜ。貴族に搾られるだけ搾り取られて食うや食わずやの生活だからな。俺は剣の腕があったから村を出られたが、才能がなくてあのまま百姓暮らしだったらと思うとぞっとしないね」

 二人の言葉に、どの世界でも虐げる者と虐げられる者がいるのだなとモモンガは不快さを覚えた。虐げられ何の希望も持てなかった貧民層の暮らしを思い出す。王国の農民も、明るくは振る舞ってはいたけどエンリ達カルネ村の住民もきっと、鈴木悟と同じように希望を持てないでいるのではないか。そう思うとただただ不快だった。

 生きるのに必死だから、生きる意味なんて考えている余裕がない。エンリの言葉を思い出す。貧民層の鈴木悟にすら僅かにあった余裕がエンリ達王国の農民には全くないのだ。それ程に生きていくのが厳しいということなのだろう。

「王国は肥沃な土地です。他の土地ほど努力しなくても豊かな実りが得られます。王国の貴族達は、その豊かな実りに胡座をかいて民から実りを吸い上げ続け長い時間をかけて腐敗していったんです。今や国を蝕み取り除き切れない程に。法国の人類至上主義の理念に対する共感はもうありませんけど、腐敗した王国が人類の為にならないというのは分からなくもないですよ」

「……不愉快だな。豊かな実りは民の力があるから得られるものだろ。仮にも同族を働き蜂程度にしか考えられない富裕層には虫唾が走る。俺だって知らん人間はそもそも同族じゃないし虫程度にしか思わないけど、それでも例え虫だって働きには報いがあるのが当然だと思うぞ」

「サラッと怖い事言うよなモモンガは……人間は虫程度なのか……」

「ブレインは仲良くなったからかわいい犬位にはランクアップしてるよ、愛い奴め」

「それはそれで……複雑だな」

 ブレインの表情は明らかに引き攣り強張ってドン引きしていた。だけどモモンガはアンデッドで人間ではないのだ、それ位は許してほしい。仲良くなればちゃんとランクアップするし、役に立ってくれたらその分お返しもしたいと思っている。

「さて、次の街まではどの位なのかな?」

「王都とエ・ランテルの中間地点にあるエ・ペスペルまでは情報が収集できそうな大きな街はないですね、小都市や村ばかりです……という事はずっとれべりんぐが続くのかぁ……うわぁ……」

「マジかよ……」

「ははは、二人ともそんな事じゃ強くなれないぞう? レベリング頑張ろう!」

 にこやかに笑うモモンガにじとりとした目をブレインが向ける。

「お前は頑張らないだろ……」

「だって俺は多分もうレベルアップできないもん。試そうにもレベルアップできそうな敵がいないし。いたら実験してみるんだけどな」

「モモンガさんが生きるか死ぬかの思いをする敵って……真なる竜王位じゃないですかね……」

「それは敵対したくないなぁ……でもレベルアップの実験はしたい……二律背反だな。魔樹は苦労したけどレベルアップしたって感じはなかったなぁ。それを考えるとやっぱり経験値はもう取得できないのかも……」

 そのモモンガの言葉を聞いたブレインが不思議そうな顔をした。

「魔樹って?」

「昔竜王(ドラゴンロード)達が倒したっていう破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の内倒しきれずにトブの大森林に封印されてた一体だよ。モモンガさんが一人で倒しちゃった。モモンガさんの魔法凄かったんだから、遠くからでも見えるような炎が上がったり星が降ってきたりして」

「マジかよ……半端ねぇなモモンガ……」

「そう思うならブレインも少しはモモンガさんに敬意を持ったほうがいいよ? 凄いお方なんだから」

「敵には回さないようにするわ……」

 やっぱりブレインはちょっと引いてるような反応を見せている。だからこの世界の人間から見ると神にも等しい力を持ってるらしいよ? ってちゃんと言ったのになぁと若干の理不尽さをモモンガは覚えた。まあ実際に見たりしなければ実感できないものなのかもしれない。探知阻害の指輪を外して力を感じ取ってもらう手を使ってもいいが、あれはかなり怖いらしいので可哀想だろう。

「そういえば、さっきの貴族の話に戻るけど、王様がいるんだろ? なんでちゃんと貴族に言う事聞かせないんだ? 馬鹿なの?」

「リ・エスティーゼ王国の国王は全国土の領土の三割を領土として持っている一番大きな貴族、というのが一番実態に近い表現ですね。あと三割が六大貴族で、残りの四割が他の貴族の領土です。だから王といってもそこまで強い権力は持っていないんですよ。直轄領でない国土に対する力もありません。その点法国は昔から最高神官長を最高位とした六大神殿のしっかりとした組織がありますし、帝国も今統治している鮮血帝が専制君主制を強行して中央集権社会をほぼ完成させましたから、どちらも国のトップに強い力があります」

「クレマンティーヌってやたら物知りだよな……一体何者なんだよお前」

「秘密。まぁこういう知識は必須なお仕事してたってだけだよぉ」

 ややたじろいだブレインの問いをクレマンティーヌは涼しく受け流す。そこに、ぽつりとモモンガが実感のこもった呟きを零した。

「それにしても鮮血帝って怖い名前だな……血塗れ皇帝……」

「軍を掌握してその武力を背景に即位直後から権力争いを仕掛けてきそうな肉親や無能な貴族を次々と粛清したんですよ。流した血の多さからその名が付いてます」

「怖……近寄らんとこ……」

「ただ、無能な者は容赦なく粛清されますが有能であれば平民からでも積極的な登用を行いますから、平たく言って名君ですね。まだ二十代前半の若さですが容姿もいいですしカリスマもあるので国民からの人気は高いですよ」

「でも怖い……」

 正直なところを言えば、お前(モモンガ)の方が余程怖いよとブレインはその時思っていたのだが、口に出すほど迂闊でもなければ愚かでもなかったので黙って聞いていた。

「怖いといえば、ブレインは俺の正体見た時あんまり怖がらなかったけど何で?」

「例えば死者の大魔法使い(エルダーリッチ)位知能の高い存在になると六腕の不死王デイバーノックみたいに生者と共存するアンデッドもいる。お前はその手の存在だろうと思ったからだ」

「へー、そうなんだ。という事は普通のアンデッドは話が通じない?」

「大体知能が低いな。生者への憎しみだけで動いてる」

「成程なぁ……という事は同族(アンデッド)との対話は諦めた方が無難かぁ……ところで六腕って?」

「王国の裏社会を牛耳ってる八本指って犯罪組織があるんだが、そこの警備部門のトップ六人の事だ。それぞれがアダマンタイト級の強さを持ってるって話だ」

「裏社会……怖……」

 だから何が怖いんだよ! と言いたい気持ちを抑えブレインはこっそり息をついた。竜王(ドラゴンロード)が出てくるような存在を一人で倒せる強さを持っているモモンガが恐れるような存在などそうそういる訳がないのだが、鮮血帝が怖いと言ったり裏社会が怖いと言ったり妙に小市民的な所がある。底知れない神のような力と小市民的な気さくな人柄(?)のギャップが強すぎてこのアンデッドはよく分からない奴だ、というのが今のところのモモンガに対するブレインの印象だ。

 他の世界からやって来た神と呼ばれるに相応しい力を持つ存在、というのがまずブレインの想像力の限界を超えている。六大神や八欲王や十三英雄なんて神話やお伽噺の空想上の存在だと思っていたのに、それが実在し英雄譚通りかそれ以上の力を持っているというのだ。そんなもの想定している訳がない。ブレインの知っているそういう存在といえば蒼の薔薇の死者使い(ネクロマンサー)の老婆、十三英雄の一人リグリット・ベルスー・カウラウだが、彼女だってそんな圧倒的な力は持っていなかった。死者使い(ネクロマンサー)として名高いリグリットなど相手にもならない程の強力なアンデッドをモモンガは使役している。クレマンティーヌの口振りでは更に強力なアンデッドも召喚できるらしい。規格外すぎる。しかもその上強力な魔法も使えるというのだ。

 真なる竜王だっけ? でないと対抗できないってのは案外マジなのかもな。そう思う。

 そんな危険物がのんびりと王国の街道を歩いているのだ。国家どころか種族、いやそんな枠に留まらない、世界の危機とも言うべきものがここを歩いている。でも話してみると決して悪いアンデッドではないので何とも言い難い微妙な心持ちになる。人間の味方というわけではないようだが悪意も特に持っていないようだし、本人は仲間を見つけるのが目的と言っている上に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の許へ行って平和的に話をつけるつもりだというから世界に害を為す気もないようだ。

 そういう奴が危険な力を持っているというのは、どちらに転ぶのか分からない危うさがありある意味恐ろしい事なのでは? とも思うがブレイン如きが何か出来るわけでもないので本人がこうして平和に旅を満喫している限りは普通に接していていいのではないかと思う。何より他ならぬ本人が普通に接される事を望んでいる。

 モモンガという奴は、変な奴だなぁ、としか言い表しようがない。

 妙な女と変なアンデッドとの旅路は始まったばかりだ。れべりんぐとやらがある時点で既に平和ではないのだが、平穏無事な旅路をブレインは願わずにはいられなかった。



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嵐の予感

 スレイン法国の最奥、神聖なその部屋ではスレイン法国の最高位に立つ最高神官長、六大神殿の神官長、研究機関長、大元帥が一堂に会する会議が緊急に執り行われていた。

 議題は、リ・エスティーゼ王国戦士団に拿捕された陽光聖典についてである。

「先だって王都に到着した陽光聖典と接触した王都に潜伏している風花聖典の隊員から、伝言の羊皮紙(スクロール・オブ・レポート)にて陽光聖典隊長、ニグンから聞き取った内容が報告された。驚くべき内容だが、土の巫女姫他多数が死亡した痛ましい爆発事故の原因もほぼ特定できた」

 本日の議長である光の神官長の言葉に一同はざわめいた。

「なんと、どういう事なのだ」

「陽光聖典は任務に従いガゼフ・ストロノーフをカルネ村という村に追い込み包囲した。だが出てきたのはモモンガを名乗る仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)ただ一人だったという。恐らくは転移の魔法を使い突如出現したモモンガなる者は、炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)多数、ニグンの監視の権天使(プリンシパリティ・オブザベイション)、そして魔封じの水晶から召喚した最高位天使をも見たこともない魔法で打ち倒した。計三発、それぞれ一撃の魔法でだ。その際、最高位天使の第七位階魔法〈聖なる極撃(ホーリー・スマイト)〉を受けても余裕で立っていたという」

「なっ⁉ 最高位天使を一撃だと⁉ しかもニグンの生まれながらの異能(タレント)によって強化されている最高位天使の〈聖なる極撃(ホーリー・スマイト)〉を耐え切るなど……ニグンが嘘をつくとは思われんが……信じられん……」

「信じられない思いは私も同じだよ。逃げようとした者は空から現れた騎士のようなモンスターに一撃で殺され、陽光聖典一同は戦意を喪失し降伏したそうだ。その際陽光聖典の任務進捗の監視の為にこちらで大儀式を行い〈次元の目(ブレイナーアイ)〉を発動したのがモモンガなる魔法詠唱者(マジックキャスター)の魔法障壁に阻まれた、とニグンは証言している。考えられる可能性として一番高いものは、その魔法障壁に反撃の手段が組み込まれており、それがあの大爆発を引き起こした、というものだ」

 淡々とした口調の光の神官長の報告に場は静まり返った。誰がそんな話を信じられるというだろう。そんな驚異的な力を持っているとすれば、最低でも魔神――それに類する者しか考えられなかった。

「…………そろそろ……百年の揺り返しの時期だ」

「その可能性はあろうな……我等は初手から敵対してしまったという訳だ……。どう取り戻すべきか、いやそもそもそのモモンガなる者は人類に対してどういう態度をとっているのか、その辺りの情報を集める事から始めなくては」

「確かに、情報がない内に下手に接触してはいらん敵意を招く危険もあるな……それで、陽光聖典の釈放についてはどうなっているのだ」

「その点は問題ない、王国の貴族を使って手配済みだ。戻ってきたら、彼等自身の口から改めて報告を聞かねばなるまい……」

 光の神官長を含め一同の面持ちは沈痛だった。もし人類に仇なす者であれば――どう対抗すればいいというのだろう、それだけの圧倒的な力を持っている存在に。切り札として所有している神人・漆黒聖典第一席次は神の力を覚醒させてはいるが、それでも神そのものの力は持っていない。番外席次は様々な事情から動かすわけにはいかない。もし揺り返しによって訪れた来訪者が六大神にも等しい力を持つ者ならば、対抗手段などないに等しい。

 人類という弱い種は、百年毎に襲い来る暴風の嵐に晒され沈みかける脆弱な小舟だ。それでも、その命脈を保ち未来へと歴史を紡いでいかなければならない、何としても。この場にいる一同の思いは誰もが同じだった。

 

***

 

 今日も今日とてモモンガ一行はレベリングに適当な場所を探していたのだが、見渡す限りの平野が続いていたので街道から三十分程も歩き続けた。グリーンシークレットハウスを視界から遮るのに良さそうな小ぢんまりとした森をようやく見つけたが、その森を抜けた場所に奇妙な村があった。いや、村なのかどうかも分からない、その場所は高く頑丈そうな塀に囲まれ物見櫓まで備えた小さな砦とでも言えるような外見をしていたからだ。

「こんな場所に……妙だね」

「ああ、妙だな」

「えっ? 何が?」

 一体何が妙なのか一人だけ分かっていないモモンガが二人に尋ねる。

「砦に見えなくもないんですがこんな場所に砦を作る意味が分かりませんから恐らく村だとは思うんですが、一般的な村は、カルネ村のように村の外に畑を作ります。そうしないと畑を広げる時に外周の柵も広げないといけなくて、多大な労力がかかるからです。この村には外に畑が見当たらず、見た感じの広さからするとあの塀の中に畑があるのではないかと。それにあの塀も妙です。普通の村でもモンスター対策に塀を作ったりはしますが、ここは街道の近く、然程強力なモンスターはいません。それにモンスター対策にしてもあんな頑丈そうな高い塀は作る労力を考えると一般的には普通の村にはありません。見れば見るほど不自然です」

 クレマンティーヌの答えに、モモンガは成程と頷いた。言われてみればカルネ村の畑は村の外にあったし、村の境界線だって簡単な柵しかなかった。それにここは完全に人の生息圏でモンスターは森に潜んで少数が暮らしている程度だ。

「そんなに何を警戒してるのかな、王国のど真ん中だから敵国ってわけでもないだろうし……」

「考えられるのは人間を警戒している……それも同じ王国の人間を、といったところですか。情報が少なすぎるので推測にすぎませんが。もし必要なら少々探ってきますが」

「うーん……無視してもいいんだろうけど見つけちゃったからにはちょっと気になるなぁ。見てきてもらってもいい? 無理そうならすぐ戻ってきて」

「分かりました、ではちょっと行ってきます」

「よし、じゃあ不可知化……は無理だからせめて透明化の魔法をかけておこう。〈透明化(インヴィジビリティ)〉」

 モモンガが魔法を詠唱するとクレマンティーヌの姿が掻き消える。

「ブレイン、後は任せたからね、しっかりやってよね」

「へいへい」

 気のない返事を返したブレインに背を向けクレマンティーヌは姿勢を低くし村に向かって走り出した。とりあえずクレマンティーヌが戻ってくるまでは暇だ、背中を見送ってからモモンガは何となく空を見上げた。

「……あれ?」

「どうしたモモンガ、何かあったか」

「人が飛んでる」

「……? 何も見えないが……」

「透明化してる。あっこっち見た……?」

 透明化し恐らくは〈飛行(フライ)〉で空に浮いていたローブ姿の子供らしき人影は、モモンガ達を見つけるとこちらへと向かって来た。少し離れた場所に着地し透明化を解き姿を現す。モモンガの言葉を今一つ信じきれていなかった様子のブレインが突然現れた子供にぎょっとしていた。

 子供は奇妙な仮面を被っていてその表情は窺い知れない。見るからに怪しい嫉妬マスクを被っているモモンガが言うのも何だが変わった仮面だ。

「貴様達、何者だ! その怪しげな格好、八本指の手の者か!」

「えっ……八本指って犯罪組織でしょ、そんな怖い人達と関係なんかないよ、ただの旅人なんだけど……」

 突然の誰何にモモンガは戸惑った。その声から目の前の子供の性別がようやく女の子だと分かる。ただ、年老いているような幼いような年齢がよく分からないくぐもった声だった。

「こんな場所に居て、しかもそんな邪教に使いそうな見るからに邪悪な仮面姿で何を言っている!」

「悪いけど君に言われたくないよ……?」

「言え、何が目的だ! 答えないなら……!」

「目的も何もたまたま通りかかっただけだし……って聞いてないよ……」

 モモンガの言葉に耳を貸さず戦いの構えを取った少女の姿に、ブレインが一歩下がった。

「モモンガ、あいつは俺には無理だ。任せる」

「お前達のその相手の強さが大体分かっちゃう能力凄いよね。俺はそういうの全然分かんないからなぁ」

「多分お前は分かる必要ないと思うぞ……」

「この私を前にぺちゃくちゃと、よくも余裕を見せてくれたものだな……馬鹿にしているのか! その傲慢、死で償わせてやるぞ八本指! 〈結晶散弾(シャードバック・ショット)〉!」

 少女が腕を前に伸ばし翳した手から拳大の水晶の結晶が前に出たモモンガへと向かって無数に発射される。後ろのブレインをも一挙に葬り去ろうと算段したと思しきその水晶の散弾は、しかしモモンガに届く前に弾けるように消え去り、一つとしてモモンガの後ろに迄到達したものはなかった。

「無効化能力だと⁉ 弱いんじゃない……違う、強いのか弱いのかどれ位の強さかが分からない……? 何なんだお前、一体何者なんだ!」

「いきなり攻撃してくるとか危ないなぁ……だからただの旅人って言ってるでしょ、話聞いてよ……」

「くっ! 〈魔法抵抗難度強化最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)水晶の短剣(クリスタルダガー)〉!」

 相手の魔法抵抗力を貫く力を込めた鋭い水晶の短剣を放つが、その一撃もやはりモモンガに届く前に弾け去り飛び消えた。

「防御突破を込めた魔法でも届かないだと……⁉」

「なあブレイン、話聞いてくれないし面倒臭くなってきたからやっちゃっていいと思う?」

「……好きにしろよ。御愁傷様だなお嬢ちゃん、あんた死んだぜ」

「空も飛べるみたいだからとりあえず様子見であれを使おうか。〈黒曜石の剣(オブシダント・ソード)〉」

 魔法を詠唱したモモンガの前に現れた数本の黒曜石の剣が、まるで意志を持っているかのように真っ直ぐに仮面の少女へと向かっていく。〈飛行(フライ)〉で後ろ向きにジグザグに避ける少女を黒曜石の剣は踊るような動きで正確に追っていく。

「くそっ、〈水晶防壁(クリスタル・ウォール)〉!」

 少女の前に展開された輝く水晶の壁が黒曜石の剣の行く手を阻むが、勢いを殺し切る事は出来ずに脆くも破壊され粉々になる。水晶の防壁を抜けた剣が少女を襲い肩口や胸、脚に刺さり、仮面に当たり弾き飛ばす。勢いのままに吹き飛ばされた少女は崩折れ仰向けに地面に横たわった。

「様子見で倒しちゃった……でもこの世界ではかなり強いらしい陽光聖典よりも多分強い感じがするけど何者なんだろ? ちょっと顔でも拝んでみるか」

 ちょっとした好奇心を刺激されたモモンガは少女へと歩み寄っていく。見れば少女の胸元には冒険者プレートが下がっている。あちゃー、冒険者だったか、失敗した。でも相手が話を聞いてくれなかったんだから仕方ないよね、とモモンガは自分に言い訳をする。

「こりゃアダマンタイトのプレートだな。噂に聞く蒼の薔薇か?」

 モモンガの後ろから覗き込んだブレインがそう呟いた。蒼の薔薇ってどこかで聞いたような……リーダーが魔剣持ってるとか第五位階を使えるとかそういえば言ってたな、と思い出す。

 とりあえずの気休めだが証拠隠滅として黒曜石の剣は消す。なるべく波風は立てたくないのに冒険者、しかもアダマンタイト級の有名人に大怪我をさせてしまった、大失敗だ。差し当たってはもしまだ生きてたら傷を治す為にポーションか? とモモンガが考えていると少女が目を開いた。どうやら生きていたようだった、アダマンタイト級は伊達じゃないということか。

「……殺すのか、やれ」

「いやあの……こんな怪我させといて今更何だけど誤解だからさ……っていうか君」

 少女の瞳は人では有り得ない紅に染まり、食いしばった歯には犬歯としては尖すぎる牙があった。異形らしい異形ではないが人間とも言い切れない。この特徴には覚えがある。

吸血鬼(ヴァンパイア)……? 吸血鬼(ヴァンパイア)がアダマンタイト級冒険者やってんの?」

 それにしては不死の祝福にアンデッド反応がない。何らかの手段で隠しているのだろうか、モモンガだって隠蔽しているわけだから人の事は言えないが。不思議に思いブレインに尋ねてみる。

吸血鬼(ヴァンパイア)って人間と共存するの?」

「上位種は知能が高いから有り得ない話じゃないと思うぜ。まぁ大抵は人間の事は餌程度にしか思ってないし見下しきってるから普通は共存なんてしないが、変わり者もいるだろうしな」

「ふーん、そっかぁ。あのさ、話を聞いてほしいんだけど、いいかな?」

「話……? 貴様がただの旅人で偶然通りすがっただけとかいう有り得ないような与太話か」

「本当なんだけど何でそう疑ってかかるかなぁ……俺達はほんとにただの旅人だし、ガゼフ・ストロノーフに会いに王都に向かってる旅の途中でたまたまここに来ただけなんだよ。君を怪我させちゃったのは正当防衛ね、全然話聞いてくれない上に問答無用で攻撃してくるんだもん。一発殴って言う事を聞かせるのは悪い手じゃないってぷにっと萌えさんも言ってたしな。あれ武人建御雷さんだったっけ……やまいこさんも言いそうなんだよな……」

 本当は殺すつもりだったがそんな事は言う必要はないだろう。相手がどれだけの力量かモモンガには分からないのでどの程度の力があるのか知る為に様子見をしたのが幸いした。結果良ければ全て良し、だ。

「……お前は、ガゼフ・ストロノーフの知り合いなのか」

「そうだよ、王都に来てくれって言われてる。俺の名前はモモンガ、こっちはブレインね。八本指とやらとは本当に全然関係ないよ」

 ガゼフの知り合いと聞くと、少女の警戒が少し緩んだようだった。名前の威力が凄い、ガゼフ様々である。

「何でそんな怪しげな仮面を被っている」

「モモンガは他人の前で仮面を取って顔を見られると魔力が暴走する呪いをかけられてるんだよ。分かるだろ、こいつの魔力が暴走したら相当やばいってのは」

「それは確かに……身をもって実感した」

 聞かれたら説明してね、とお願いした通りにブレインが説明してくれて少女が素直に頷いた。ナイス。やっぱり他人から説明してもらった方が説得力が増す気がする。

「誤解だと分かったところで傷を治したいけど吸血鬼(ヴァンパイア)だとポーション使えないな……じゃああれを使えばいいのか、〈負の光線(レイ・オブ・ネガティブエナジー)〉」

 モモンガが翳した掌から流れ出た負のエネルギーが少女に流れ込み、傷を癒やしていく。

「……すまない、話を聞こうともせずに一方的に攻撃して、悪かった……こんな所にいるものだからてっきり八本指の手の者だと思ったんだ」

 傷が癒え起き上がった少女はばつが悪そうに俯いて目線を逸らしそう呟いた。

「それにしてもお前は、私が吸血鬼(ヴァンパイア)だというのに治すのか。本来であれば人間の敵だぞ」

「でも人間と共存して冒険者やってるんでしょ? なら別に退治する必要もないと思うし。不幸な誤解から生じた事故だったんだから、こっちも怪我させちゃったお詫びって事で。安心して、君の事は誰にも言わないから」

 そもそも人間がどうなろうとあまり興味はないし、モモンガ自身だって似たような立場だし、というのは言わなくてもいいだろう。余計な混乱の元だ。少女は仮面を拾い上げ顔に被り直す。

「名前、聞いてもいい?」

「イビルアイ、蒼の薔薇のイビルアイだ」

「変わった名前だね」

「お前程じゃない。それよりここはすぐに離れることだな、今晩あの村の畑を焼く」

「えっ何で?」

「あの村は八本指に支配され麻薬を栽培している。王国を蝕む麻薬の脅威を少しでも取り除く為に麻薬は全て焼き払う」

 成程、ただの村にしては物々しい理由がようやく分かった。そういう事ならクレマンティーヌが戻ってきたらすぐにでも離れよう。と思っていると、丁度良くクレマンティーヌが戻って来るのが見えた。

「私は行く。すまなかったな、王都に来たら詫びをさせてくれ、モモンガ」

「気にしなくてもいいけど……俺がこんな怪しい格好してるのも悪いしね」

「私は依頼がなければ王都にある天馬のはばたき亭という宿にいる。有名な宿だからすぐに分かる筈だ、暇があったら訪ねてきてくれ。じゃあな」

 言い残すとイビルアイは〈透明化(インヴィジビリティ)〉で透け消え〈飛行(フライ)〉で空に飛び立っていった。しばらくすると透明化の効果時間が切れたクレマンティーヌが戻ってくる。

「戻りましたけど、何かあったんですか?」

「問答無用で攻撃されたから返り討ちにした」

「うわぁ……命知らずな奴もいたもんですね」

「さて、お前を待ってる間に実はあの村の情報が分かったんだ。あの村は八本指の支配下で麻薬を作ってて、今夜蒼の薔薇が焼き討ちするそうだ。野営するにしてももうちょっと離れた場所を探した方が良さそうだ」

「変な草しか畑にないから何かと思いましたけど麻薬ですか、成程。じゃあ行きましょうか」

 一行はその場を離れ、北に進路を取り野営地探しを再開した。遠ざかっていくその姿を上空から眺めていたイビルアイは、先程の戦いの恐ろしさを反芻する。

 例えば無効化能力ではなく力量差がありすぎて攻撃が通らなかったのだとしたら。世界でも並び立てるような強者はほぼおらず、エレメンタリストとして地属性、その中でも宝石系に特化しより強力に磨き上げられたイビルアイの魔法が通用しない。あの見たこともない攻撃魔法の強大さからその可能性はありえない話ではないと思えた。しかもイビルアイの聞き間違いでなければあの魔法は様子見だとモモンガは言っていたのだ。もし様子見をされていなかったなら、イビルアイなど今頃灰となって欠片も残っていなかったかもしれない。

 そして何より不気味なのはそれ程の圧倒的な強さがモモンガからは一切感じられなかった、ということだ。相手の力量を正確に推し量る能力に関しては些かの自負があるイビルアイをもってしても、だ。

 何者なのかは結局分からなかった。あの恐ろしさを知って尚ガゼフは知人となったのだろうか。後ろの男もイビルアイには及ばないものの相当の強者だった。

 これから何かが起きるのかもしれない。あれだけの力、望まずとも厄介事を招き寄せてしまうだろう。嵐の予感を感じながらイビルアイは監視の為村へと視線を向け直した。

 

***

 

 エ・ランテルと王都の丁度中間に位置するエ・ペスペルへとモモンガ一行が到着したのは昼頃だった。恐らくはエ・ランテルと同規模と思われる街で、四方を囲む高い城壁があり、街の中央には六大貴族の一人、ペスペア候の館がある。ちなみに検問で勿論モモンガは引っかかったがガゼフの名前パワーとクレマンティーヌのフォローで事なきを得ている。

「ペスペア候は先代も代替わりしたばかりの現当主も中々の人物で、その領地は王国の中では割とましな統治がされてますね。レエブン候ほどの先進的な考えは持っていない保守派ですが、余計な課税もしませんし各種産業の発展にもそれなりに費用を充てたりしています。ただ、王派閥なのですが派閥の力を強くする事にかなり強く拘っていて、その辺が玉に瑕ですね」

 クレマンティーヌの説明にモモンガはふーんと頷いた。

「問題はあるにしても街が賑わってるって事はそれなりにいい領主なんだろうな。さて宿屋は……」

「おっ、あそこにあるぜ」

 ブレインが指差した先にはベッドの描かれた看板がかかった店舗があった。王国語の読めないモモンガでも分かりやすくて助かる。

 早速宿屋で部屋をとる。ちなみに道中で協議したのだが、クレマンティーヌとしてはモモンガと離れたくないので三人部屋で構わないらしい。ブレインは嫌がっていたが、クレマンティーヌに結局押し切られ宿屋をとる際には三人部屋、という事に決まった。早速部屋に入る。

「さて、それでは私は情報収集に行ってきますけどモモンガさんはどうするんですか?」

「折角だから街をちょっと見て回ろうかな。ブレインも来るよな?」

「モモンガさんがこう言ってるのにまさか行かないわけがないよねぇ?」

「……分かった、行く」

 にっこり笑顔のクレマンティーヌに半ば脅されるような形でブレインが頷き、満足したクレマンティーヌは一足先に宿を出ていった。

「で、何を見に行くんだ?」

「うーん、とりあえずペスペア候って奴の館とか? 何か凄そうだし。あとブレインとクレマンティーヌの武装強化もしたいからマジックアイテムの店とかも探してみよう。というかお願い探して? ほら俺こんな仮面だから通行人に聞こうにも不審者扱いされちゃうし」

 そうなのだ、仮面が怖くてモモンガは不審者扱いされるのだ。エ・ランテルで小川のせせらぎ亭の場所を探した時も実はかなりモモンガは苦労していたのだ。

「可愛く言ったって可愛くねぇぞ……」

「うっさいよ」

「まあいいぜ、その辺は俺の役目だろうからな。んじゃとっとと行くか」

 そう言うとブレインは軽く伸びをしてベッドから立ち上がりドアへ向かう。モモンガもそれに続いた。

 宿屋を出て大通りを街の中央へと進む。まずはペスペア候の館とやらを見に行く。貴族の館なんて見たって面白くも何ともねぇぞ、とブレインには言われたがどういうものなのか単純に興味があるので一度見てみたいとモモンガは思っていたのだ。

 大通りを一時間ほども歩くと貴族の館の広大な敷地が見えてきた。敷地は高い塀で囲まれ、門の前には衛兵が立っている。外から窺い知れるのは立派な庭木と青々とした芝生と丁寧に刈り込まれた低木が両脇に植えられた敷地の奥に続く白い道だけで、館など欠片も見えなかった。どれだけの広い庭があるというのだろう。

「でか……広……庭しか見えない……」

「まあ六大貴族ともなれば身分に応じた立派な庭園を備えた屋敷に住んでるってこった。残念だったな、見えなくて」

 がっくりと肩を落とすモモンガに至極真っ当な追い打ちをブレインがかける。その言葉にモモンガは顔を上げると、きっとブレインを見やった。

「裏に回ろう」

「何でだよ」

「こうなったら〈飛行(フライ)〉で空から見てやる。〈全体飛行(マス・フライ)〉を使ってブレインも一緒に見るんでもいいぞ」

「そこまでするか? それに空なんか飛んだら確実に悪目立ちするぞ……」

「うぅーやだー見たいー!」

「駄々っ子かよお前は……可愛く言っても可愛くねぇぞ」

「うっさいよ……ふーんだブレインのバカバカおたんこなーす!」

「おたんこなすって何だよ……多分馬鹿にする類の言葉なんだろうけどな」

「……いいもん、宿に帰ってから遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で見るもん……」

「最初っからそれでいいじゃねぇか……」

「生の感動を味わいたいだろ! いいよもうちゃんと諦めたから……マジックアイテム探しに行こう……はぁ」

 肩を落として歩き出したモモンガをまぁそう落ち込むなってとブレインが慰め、二人はマジックアイテムを取り扱う店舗探しに移った。

 剣士風の風体をしたブレインがマジックアイテムを探していることを怪しむ者はさすがにおらず、二人は何軒かのマジックアイテム取り扱い店舗を順調に回った。モモンガからするとどの店もエ・ランテルに輪をかけて微妙な品物しかなかったのだが、ブレインにとっては違うようでどの店でも興味深げに店主の説明に耳を傾けていた。

冷気属性防御(プロテクションエナジー・アイス)のネックレスか……使えるな」

「属性対策は無効化が基本じゃない?」

「お前のその基準相当おかしいぞ……まあお前の基準がぶっ壊れてるのは渡された指輪からも分かるけどな」

「ええー……あの指輪は基本中の基本だよ」

「あんなもん買おうと思ったら金貨数千じゃきかないぞ、値段が想像できんしそもそも存在すら多分してねぇよ……なんであんな途方もなく強力なマジックアイテムをポンと二つも渡せるんだお前は」

「基本だから……クレマンティーヌとブレインにはちゃんと属性対策もしたい。今頑張ってアイテムボックス整理してるところだから待っててね」

「怖い……お前のその発想が怖い……」

 ブレインはドン引きしているが軽減なんて生温い対策では足を掬われるぞとモモンガは思った。例えば雷属性を軽減対策してたものの〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉でも使われたとしたらこの世界の人間では死んでしまう。全属性に対する完全な対策は無理としても状況に応じて対応できるような各種装備を渡したいところだ。幸いにもモモンガはアイテムコレクターで死蔵しているアイテムは山のようにあるのだ。まず第九位階魔法である〈万雷の撃滅(コール・グレーター・サンダー)〉を使われるような状況がこの世界ではほぼありえないという事はモモンガの頭からは抜け落ちている。

 夕方になりいい時間になったので大通りを南へ進み宿に戻る道を辿っていると、途中で人だかりができていた。人々のざわめきには不穏の色があった。

「何だろ、ちょっと見ていこう」

「やめとけよ、どうせ酔っ払いの喧嘩か何かだぜ」

「えぇー気になるー、いいじゃんブレインー」

「だから可愛く言っても可愛くねぇって言ってんだろ……分かったよ、ちょっと見たらすぐ帰るぞ」

 モモンガは苦い顔を見せたブレインと人混みを掻き分け人垣の最前列に出る。輪の中心では柄の悪い男と大きな荷物を抱えた痩せた男が向かい合い、痩せた男の後ろではやはり大きな荷物を持った若い娘が怯えていた。

「お願いします、娘は、娘だけは!」

「そういう事はきっちり借金を返してから言うんだな。払えねぇってんならその分を賄えるもんを持ってかなきゃなんねぇってのは分かるよな? 俺も子供の使いじゃねぇんだよ」

「借金は少しずつでもお返ししますから、お願いです!」

 その様子を見ていたブレインが小さく舌打ちした。

「質の悪ぃ金貸しに金を借りたんだろうな。胸糞悪いぜ」

「王国って奴隷制はなくなったんだろ? 娘を連れてくってどういう事?」

「借金の形に連れてって従業員として借金分働かせるのは奴隷じゃないって法の抜け穴さ。あの娘も碌でもない所で働かされる事になるんだろうな……」

「それじゃ奴隷と何も変わりないじゃないか」

「そういうこった。ま、関わり合いになってもあの父娘の人生背負える訳じゃねぇんだ、可哀想だが悪目立ちしたくないなら手は出さない方が無難だぜ」

 ブレインに窘められ、納得できないながらもその言い分は正しいとモモンガは認めざるを得なかった。今助けたところであの父親の借金が消えてなくなる訳ではないし、ブレインの言う通りあの父娘の人生など背負えない。不快だが見ているしかないようだし、不快なものを見続けていても嫌な気分が増すだけなので早々にこの場を立ち去るべきなのだろう。

 帰ろうとブレインに言おうとしてふと、モモンガにとっては基本の装備であり大した事のない指輪が価値のつけようがないとブレインが言っていた事を思い出した。それならガチャで爆死した時に大量に手に入ったアイテムももしかしたら使えるのではないだろうか? と思い付く。

「ブレイン、ちょっと聞きたいんだけど」

「何だ?」

「例えば、俺とブレインが離れた所にいてその居場所を交換するみたいなマジックアイテムがあったら、どれ位の価値になる?」

「……は? 唐突だな、そんなぶっ壊れた性能のアイテムがあったら価値のつけようがねぇよ」

「そうか、ありがとう」

 ブレインの返答を聞いてモモンガは袖に手を入れるとこっそりアイテムボックスを開け、目当てのアイテムを取り出すと前に進んでいった。

「ちょっ、おいモモンガ、何してんだ! 戻ってこい!」

 ブレインの制止を無視してモモンガは進んでいく。金貸しの男がモモンガを鋭く睨め据えた。

「……んぁ? 何だてめぇ」

「そいつの借金を代わりに返してやろうと思ってね。あんた、これをやるよ」

 父親に向かって差し出されたモモンガの手の上には五百円ガチャの外れアイテム、チェンジリングドールが乗っていた。

「えっ……あの、これを貰って……何か意味があるんですか?」

「これはマジックアイテムだ、売れば金になる。この中に〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉を使える人はいますか? この人形を鑑定してその価値をこの二人に教えてあげてください」

 その呼び掛けに一人の男が進み出てきた。モモンガが差し出したチェンジリングドールに〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉を唱える。

「えっ……ちょっ、待って、あの……何ですかこれ…………強大なんて言葉では言い表せない魔力の込められた品です……。離れた二者の位置を交換って通常では考えられない有り得ない性能ですね……。正直その、価値を教えろと言われてもこれがどの位の価格になるのか私程度では見当も……最低でも金貨数千枚は下らないのでは?」

 余りの事に青褪めて恐る恐る話す魔法詠唱者(マジックキャスター)の言葉に、金貸しも金を借りた男も娘も周囲の野次馬達もただただ唖然としていた。

「じゃあこれをどうぞ、魔術師協会にでも持っていけばいい金になるのでは? あんたもその程度の時間は借金の返済を待てるよな?」

 モモンガは呆然とする痩せた男にチェンジリングドールを握らせ、金貸しにそう言い放つ。脂汗をかいた金貸しは壊れた機械のようにこくこくと頷いた。それを確かめると行くぞとブレインに声をかけ、モモンガは人垣を割ってその場を後にした。

「……何であんな事したんだ? あいつらの為にならねぇぞ」

「気紛れだよ。困っている人を助けるのは当たり前、ってのもたまには良いかと思ってね。それにあのアイテムめちゃくちゃ余ってるんだ」

「やっぱ価値基準がぶっ壊れてるなお前はよ……それにしても似合わねぇな、その台詞」

「余計なお世話だよ、似合わないのは分かってるけど憧れてるの。俺は正義の味方にはなれないけど、たまには真似事をしたくなるんだよ」

 そんなもんか、と呟いてそれ以上ブレインは尋ねてこようとはしなかった。西の際に太陽が沈みかけ、空は澄んだ暗い紅に染まっている。ただ生きる事に必死になるしかない貧しい者を見ると希望のない貧民層の暮らしを送っていた鈴木悟を思い出し、感傷のような痛みのような思いを抱かされる。

 あの生活からはもう解き放たれた筈なのに、自由にはなれていないんだな。

 やはり感傷がこみ上げてきて紅の空を往く鳥の影をモモンガは見送った。鈴木悟が帰るべき場所はもうない。宿に帰ったらちょっとカルネ村に転移して顔を出そうか、そんな事を考えながらモモンガはゆっくりと歩を進めた。




誤字報告ありがとうございます☺


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ガゼフ邸にて

 その日の旅程を終えレベリングもこなして夜。グリーンシークレットハウスのデッキに出たモモンガはぼんやりと夜空を見上げていた。特に何を考えているという事もない、ごくごく単純に夜空の美しさを堪能していた。

 この世界の自然の美しさはいくら見ても飽きない。王国の街道沿いに遥か地平線まで広がる草原も素晴らしいし、山並みや時折見られる小川の澄んだ流れ、時間毎に表情を変え一時も同じではない空の色、どれも本当に心から美しいと思った。これから行くアーグランド評議国は山の多い峻険な地形だというし、ずっと南方には大きな砂漠もあるという。海の水はしょっぱくないのだそうだ。霜の竜(フロスト・ドラゴン)霜の巨人(フロスト・ジャイアント)、ドワーフ達が住むという彼方に見えるアゼルリシア山脈、エルフやダークエルフの国があるという南方のスレイン法国とアベリオン丘陵の間にあるエイヴァーシャー大森林。話を聞くだにどれもこれも行ってみたい見てみたいと好奇心が刺激された。

 今頭上に広がる満天の星空にしてもそうだ。ブループラネットさんがナザリック第六階層の星空を作る時に確か言っていた六等星という光の弱い星もきっとはっきりと見えているからこんなにも数え切れない程の星の光に溢れているのだろう。星がはっきり見えるのは地上が明るすぎず空気が綺麗な証拠なのだという事もいつだったか教えてもらった。月というものだってこの世界に来てから初めて見たけれども、柔らかく静かな蒼い光が本当に美しい。

 鈴木悟のいた世界と同じくここは人の世の不条理に満ちてはいるけれども、この世界には鈴木悟の世界にはなかった汚染されていない自然と豊かな実りがある。それでもウルベルトさんなら、こんな世界不公平だって言うかな。公平な世界なんてきっとどこにもなくて、強い者が弱い者を喰い殺すのが世界の理で、それでもあの人は理想を追い求めてしまうだろうか。何気なくそんな事を考える。

 仮定の話など無意味だ。だけれども考えてしまう。もしここにブループラネットさんが、ウルベルトさんが、たっちさんが、アインズ・ウール・ゴウンの皆がいたならば何をどう感じ何を語っただろうか、と。何を感じたのかを聞き、語り合いたかった。この美しい世界について。同じものを見て同じことをしたかった、そう、あの頃のように。

 物思いに耽っていると、後ろでドアの開く音がした。

「モモンガさん、何してるんですか?」

「クレマンティーヌ、まだ寝てなかったのか」

「あのココアってやつが美味しいので、飲みたいなと思いまして、起きてきました。そうしたらモモンガさんの姿が見えなかったので」

「そうか。まぁ何をしてるって訳じゃない、星を見てただけだよ」

 デッキに出てきたクレマンティーヌはモモンガの横に並び同じように星空を見上げた。

「好きですよねぇ、何がそんなにいいのかちょっと分かりませんけど」

「本当に綺麗だから見てて飽きないんだ。いくらでも見てられるぞ」

「変わってますよね」

「そうか?」

「そうです」

 話が途切れ、瞬く星の光だけが音のようだった。二人は黙って星空を見上げていたが、やがてクレマンティーヌが口を開いた。

「あの、もし、お答えになりたくなかったらすみません、無視していただいて結構です……モモンガさんがお探しになっているモモンガさんのお仲間の方々は、ここに来る時に一緒にいたのにモモンガさんだけがはぐれてこの世界に来てしまったのでしょうか?」

「……いや、違うよ。あの時、俺は一人だった。正直な話をすると、この世界に仲間が来ている可能性なんてほとんどないと思っているんだ」

「そうなのですか……すみません」

 申し訳無さそうに俯くクレマンティーヌに、モモンガは緩く首を横に振ってみせた。

「謝らなくていいさ。そうだな、皆……自分の生活や夢や現実があって離れていった。それを俺は止めなかった。でも別に死に別れたわけじゃないし、この世界で会える可能性だってゼロじゃないだろ? だから希望をくれたクレマンティーヌには感謝してるんだよ、ほんとに」

「そんな、感謝なんて勿体ないです。モモンガさんのお役に立てただけで、私にとっては光栄な事です」

「はは、大袈裟だな。でも本当に皆こっちに来ていたらいいのになって今思ってたとこだったんだ。こんな美しい星空を一緒に見上げて、広い世界を皆で冒険できたら最高だろうなって」

 それは、夢物語だ。美しさが鋭く胸を刺す空想だ。それでも胸が切り刻まれ血が滲み流れても、そう思うことを鈴木悟(モモンガ)はやめられない。もう戻ってはこないのだという現実にどれだけ痛んでも、求める心を消し去ることができない。

「もし一人でもお仲間の方が見つかればその夢も叶いますね。その為にも私も情報収集頑張ります」

「ありがとな。じゃあ答えづらい事を聞かれたお返しに俺も一個聞きづらい事聞いてもいい?」

「……何でしょうか? 何なりと聞いてくださって大丈夫ですが」

 不思議そうに首を傾げたクレマンティーヌを前に、口に出していいものかどうかを迷いモモンガはしばし躊躇した。カジットに言われたあの時、クレマンティーヌは相当キレていた。恐らくは触れられたくない事なのだろうとは思うのだが、だから余計にというか気になって仕方がない。意を決して口を開く。

「……あのさ、クインティアの片割れ、って、どういう意味? クインティアが二人いて、片方がクレマンティーヌであともう一人いるって事?」

「…………クインティアは、捨てた名です。今の私はただのクレマンティーヌ、他の名はありません。でもそう……私は、出来損ないの方のクインティアだったんです」

 クレマンティーヌが出来損ない? えっ、どこが……?

 疑問を解決する為に質問した筈なのに、クレマンティーヌの答えを受けて疑問はいや増すばかりだった。戦士としての力量はこの世界の人間ではトップレベル、気も利いてフォローも上手いし頑張り屋さん、そしてスタイルのいい愛らしい美人、サイコパスという欠点はあるもののモモンガから見たクレマンティーヌに出来損ないの要素など何もなかった。

「えっ……あの、お前のどこが出来損ないなの……? マジでよく分からないんだけど……めちゃくちゃ優秀じゃない……?」

「そんな事を言ってくれるのはモモンガさんと、あと一人だけです」

「いやブレインにも聞いてみろよ、絶対違うって言うから。正直お前がいなかったら俺路頭に迷ってた自信あるよ? こうして楽しく旅ができてるのってほぼほぼお前のお陰だよ? 一杯助けてもらってめちゃくちゃ感謝してるよ? もっと自信持つべきだと思うよ?」

「そう言って頂けるのは素直に嬉しいです、ありがとうございます。でもこの思いはきっと、何をしても一生捨て切れないのではないかと、そう思うんです……」

 諦めたようにそっと微笑んで目を伏せ、クレマンティーヌはそう答えた。そこにかける言葉をモモンガは見付けられなかった。

 どれだけ己を傷付けても愚かしくても捨て切れない思い、それは今まさにモモンガ自身も抱えているものだったからだ。そんな男が偉そうに何を言えるというだろう。

 そんな思いは否定してやりたかった、だけどそのクレマンティーヌにとって大きな部分を占めるであろう思いを否定する資格など自分にはないのではないかと、そうモモンガは感じてしまっていた。

 

***

 

 王都に着くまでの間のレベリングの結果は満足のいくものだった。クレマンティーヌもブレインも順調にレベルを上げているようで、死の騎士(デス・ナイト)を倒し切るまではいかないもののダメージを与える事も珍しくなくなってきていた。特に驚くべきはクレマンティーヌよりはレベルが低かったらしいブレインが善戦している事で、一瞬の隙を掻い潜り有り得ないような角度から死の騎士(デス・ナイト)に一太刀を浴びせる、といった場面が多く見られた。勘が鋭いというか、天性の剣の才があるというのは誇張でも何でもないのだろう。本人としては強大な力を持つモンスターの自己の力への驕り高ぶりを利用した戦法が得意らしいが、死の騎士(デス・ナイト)には驕り高ぶりなど一切ないのが残念だ。クレマンティーヌはブレインと比較すると怪我も少なく堅実な戦いぶりで、持ち前のスピードと間合いの見切りに磨きをかけ確実に急所を突く戦いをしていた。アンデッドには人間のようにこれといった急所がないのが残念だ。

 そんなこんなで王都に着いたのは、エ・ランテルを出て半月程経過してからだった。勿論モモンガは検問で引っかかったのだが、戦士団の団員を呼んでもらうとガゼフから話が通っているようでガゼフの恩人であると証言してもらえ無事に通る事ができた。

 ガゼフは今日は非番ということで、戦士団の団員にそのままガゼフの家まで案内してもらう。悪く言えば古ぼけたような、積み重ねた歴史と年月を感じさせる街並みが続く。往来は少なくないものの、エ・ランテルやエ・ペスペルよりは落ち着いた雰囲気の街だった。戦士団員によると今は午前中で人々は皆店の中などで仕事をしているので余計に落ち着いているように感じられるのだろうということだった。朝や夕方などの時間帯にはもっと賑やかになるらしい。

 到着したガゼフの家は、周囲の一般的な民家に比べて一回り程度は大きいがとても周辺国家最強の王国戦士長という地位にある者の住まいには見えなかった。

「随分質素なお住まいなんですね、戦士長殿の家は」

「華美や浪費を好まれない方ですし、戦士長という地位も貴族位を与えるのに貴族達の強い反対があったから王が新しく作ったもので、実質は部隊長程度で然程の権力はないんですよ。あれだけの力を持つ方だというのに、平民出というのが災いして貴族に足を引っ張られているというわけです……おっと、喋りすぎましたね。今戦士長をお呼びします」

 お喋りな団員は肩を竦め、ガゼフ宅のドアのノッカーを叩いた。しばらくして中から顔を見せた老人にガゼフに来客がある旨を伝えてくれる。ガゼフを呼びに行ったのか老人が中に戻っていき、それでは自分はこれで、と言い残して団員は王城の方角へと立ち去っていった。

 少し待つとドアが開き、寛いだ服装のガゼフが中から顔を出した。

「客というから誰かと思えば、モモンガ殿か! これはよく参られた、本当にお出で下さってこのガゼフ感謝の念に耐えません。それに……アングラウス……ブレイン・アングラウスか?」

「ようストロノーフ、御前試合以来だな」

「お前が何故……? まあその話も含めて中で聞こう。ささ、むさ苦しい所ですがどうぞお上がりください」

 歓迎に感謝の意を示してモモンガが中に入り、クレマンティーヌとブレインもそれに続く。入ってすぐにダイニングテーブルが置いてあり、ガゼフは奥に入って椅子を取ってきてテーブルを四人掛けにしてくれた。それぞれ思い思いの席に腰掛ける。

「遠路遥々よく参られた、モモンガ殿、クレマンティーヌ殿。それにアングラウス。お前は何でモモンガ殿と一緒にいるのだ……?」

「まあ色々あってな、今はこいつのお守りをしてるよ」

「お守り言うな」

「他に適当な形容が思い浮かばねぇんだから仕方ねぇだろ」

「……何だか分からんが相当気安い関係のようだな。何にしても俺にとっての最大のライバルが元気にしていてくれて嬉しく思うぞ、アングラウス」

「お前も元気そうで何よりだ。宮仕えは何かと大変そうだがな。よくやるよな」

「平民の俺を見出して重用して下さる王へ忠義を捧げるのに何の苦があろう。民を思う心優しき王を助けるのは俺にとってもやり甲斐のある仕事だからな」

 きっぱりとそう言い切るガゼフの瞳は真っ直ぐで、仕事にやり甲斐などついぞ感じたことのなかった鈴木悟はそこに自分には持ち得ないものを見出して眩しさを感じた。こういう事を何の計算も裏もなく正面切って真っ直ぐ言い切れてしまうからこそきっと戦士団の部下にも慕われるのだろうし、武名だけではなく人柄にも尊敬が集まっているから各地で名前を出した時の威力が凄かったのだろう。高潔な戦士、そんな形容がまさにぴったりと当て嵌まる人物だった。

「モモンガ殿は旅の途中ということでしたがこれからどちらへ行かれるのですか?」

「今はアーグランド評議国を目指しております。是非とも会いたい人物がおりまして」

「左様でしたか。彼の地まではモンスターの跋扈する危険な地域もあるが……モモンガ殿ならば心配は不要ですな。すぐにお発ちになるので?」

「しばらくは観光も兼ねて王都を見て回ろうと思っております。歴史のある街並みには興味が惹かれますし、装備なども十分整えておきたいですしね」

「備えは大事ですな。先日の件で身につまされたところです。冒険者などに教えを乞うてモンスターの知識も身に付けなければと考えておりました」

「それはいいことです。情報が全てを制し、戦いは始まる前に終わっているというのが私の友の教えでして。敵の情報をどれだけ事前に手に入れてそれを活用できるかが勝敗を分けるといっても過言ではありませんからね」

「含蓄のある言葉ですな。良き友をお持ちなのだな……羨ましい限りです」

 確かな憧憬を含んだ目線をガゼフに向けられ、誇りに思う友をてらいなく称賛された事に対する嬉しさにモモンガの胸は満足感で満たされた。ぷにっと萌えさんを含むアインズ・ウール・ゴウンの仲間達、彼等を褒められるのは自分が褒められるよりも何倍も嬉しい事だった。

「さて、歓迎していただけるという話でしたが、先だっても申し上げました通り私は人前で仮面を外すと魔力が暴走する呪いをかけられておりまして……ですのでその分もクレマンティーヌとブレインをおもてなし頂ければ嬉しく思います」

「それは勿論です。早速家の者に使いを頼んで昼食を買ってこさせましょう。作って貰ってもいいのですが、家の者の料理はどうもちと薄味でしてお気に召していただけないかと……昼食までの間、どうだアングラウス、一つ手合わせといかないか」

「ブレインでいいぜ、俺もガゼフと呼ぶことにする。手合わせは勿論望むところだ」

「よし、ではそうしよう、ブレイン」

 ガゼフが奥にいた老人に昼食の使いを頼んでからブレインを伴って庭へと出る。観戦しようとモモンガも後ろに着いていき、クレマンティーヌもそれに続いた。

 ガゼフ邸の庭は簡単な剣の稽古には十分な広さがあった。刃を落とした訓練用の剣がブレインに渡され、ガゼフも同様のものを手に取る。

「クレマンティーヌ、審判して。俺は剣の事はよく分からんからできない」

「了解です」

 ガゼフとブレインが間を開けて立ち構え、両者の中間にクレマンティーヌが立って始めの合図を出した途端、続けざまに何合も剣閃が飛び交った。両者飛び退き、一旦距離を開ける。

「腕を上げたな、ブレイン!」

「お前も彼のヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンに師事したってのは本当だったってわけだ、御前試合の時とはまるっきり別人じゃねぇか」

「俺も変わったが、お前はそれ以上だ、どうやってそれ程の剣技を身に付けた?」

「ちょっとな、ここ半月ほど毎日死と隣合わせだっただけさ、さて行くぜ!」

 ブレインが鋭く踏み込みあっという間に距離を詰め目で追い切れぬほどの剣閃が幾度も再び交わされる。横薙ぎが防がれその流れで袈裟懸けに払う剣が見切られ空いた脇腹を狙い剣が襲い来る、両者の剣捌きは例え防がれようとも一時たりとも止まらず流れ続けていく。そうしてどれだけの時間、何合の打ち合いが続いただろう。昼食を買ってきたと思しきガゼフの家の老人がいつの間にか後ろに来ていて、モモンガが時計を見ると丁度昼食の頃合いだった。両者の打ち合いは終わる気配を見せなかった。

 やがてそれが止まったのは偶然だったのか必然だったのか。

「そこまで!」

 クレマンティーヌの声が響いた。ブレインの肩口を狙ったガゼフの剣は宙空で止まり、ブレインの剣はガゼフの頸動脈を捉え寸止めされていた。両者はクレマンティーヌの声を聞いて剣を下ろすと、しっかりと握手した。

「……負けたよ。本当に腕を上げたなブレイン」

「死ぬ思いをし続けたからな、あれで強くなれてなかったら困る」

「そこまでか、一体どういう鍛錬をしたんだ……気になるところだが、適度な運動もしたことだしまずは昼飯にしよう」

 二人は剣を戻し、老人の先導で一同は中へと戻った。テーブルの上には料理と食器が既に用意されていて、モモンガを除く三人は早速食事を始めた。

「さっきの話だが、ブレイン、お前はどういう鍛錬を積んだんだ?」

「まあそれが俺がモモンガといる理由の一つなんだが……鍛えて貰ってるというかな」

「モモンガ殿は魔法詠唱者(マジックキャスター)だろう、剣は教えられまい。クレマンティーヌ殿と訓練しているのか?」

「いんや、アタシも鍛えて貰ってるよぉ~、ブレインの居合とは相性が悪いからあんまり訓練になんないんだよねぇ」

「私の召喚モンスターと戦わせているのですよ。死ぬか生きるかの状況に置かれ戦うと生命力が増す、と聞いたものですから、その手法を実践しているのです」

 その答えを聞くと、ガゼフはぎょっとした顔をしてモモンガを見た。

「……ブレインと対抗できる、そんなに強力なモンスターをモモンガ殿は使役できるので?」

「二人の力量に見合ったモンスターを使っています」

「どこがだよ! 死ぬっつうの!」

「いい感じに手加減させてるし事実まだ死んでないだろ?」

「死んでないだけだ、毎回死ぬ思いなんだよこっちは!」

「だから強くなれたんだろ、やったなブレイン!」

 苦々しい顔のブレインにモモンガは元気よくサムズアップしてみせる。その様子を呆然とガゼフは見守っていた。

「……モモンガ殿は、強力な魔法が使えるだけでなく召喚についてもそれ程の力量をお持ちなのか……いやはや、私の想像など軽く超えたお方だ……」

「そんな大した者ではありませんよ、ただの旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)です」

「ご謙遜を……私としては願わくば王家に仕えてそのお力を貸してほしいところだが……」

「残念ながら旅の目的もありますし、堅苦しいのは苦手でしてね。ですが偶然とはいえこうして戦士長殿と出会い友誼を結べたのは僥倖に思っております。出来れば今後ともよいお付き合いができれば幸いです」

「それはこちらからお願いしたい事だ。ブレインに対する態度までとは言わないが口調も崩していただいて結構」

「俺に対しては崩しすぎなんだよな……」

「文句あるの?」

「まぁ今更他人行儀な態度取られても困るから文句はねぇよ……」

 やはり苦い顔のブレインを尻目に、モモンガはガゼフに向き直る。

「それではお言葉に甘えて、私もガゼフ殿と呼ばせて頂こう。ブレインだけガゼフ殿と仲が良いみたいでちょっとやきもちを焼いていたところなので」

「ははは、やきもちですか。モモンガ殿にはそんな面もあるのですな、意外です」

 愉快そうにガゼフは笑った。むしろそういう所しかねぇよ、と言いたげな顔をしているブレインをモモンガは意図的に無視する。

「ところで、モモンガ殿の旅の目的というのは?」

「いくつかあるのですが、主なものとしては二つですね。この呪いを解く方法を探すのが一つ、もう一つはかつての仲間を探し出す、というものです」

「成程、仲間とは先程仰られていたご友人ですかな?」

「ええ、彼も含めて四十人の仲間がいました。事情があって散り散りになってしまいましてその後の消息も分からず……その内の一人でも見付けられないかと思い立ち今回旅を始めたのです。皆が私と同等、あるいは私以上の能力を持つ者ですから、その力は噂になる筈です。その情報を集める旅というわけです」

「そうなのですか……無事再会できるといいですな。しかしモモンガ殿と同等あるいはモモンガ殿以上の強者が四十人ですか……想像も付きませんな……モモンガ殿と話すと己の常識を壊されるというか、驚かされる事ばかりだ」

「その気持ち痛いほど分かるぜガゼフ……こいつには常識が通用しねぇんだよ……」

「何だよブレイン人を非常識な奴みたいに、失礼な奴め」

「お前自分の言動を顧みてみろよ……ああそれが分かってないからクレマンティーヌと俺がいるのか……」

「ぐっ……それはあながち否定できない……」

 ブレインの指摘にモモンガは返答に詰まる。この世界の常識が自分の常識と余りにもかけ離れているからクレマンティーヌやブレインに頼っているのは事実だ。そこを突かれると痛い。

「大丈夫ですよぉ、モモンガさんには私が付いてますから」

「ありがとうクレマンティーヌ、お前は優しいな、誰かさんと違って」

「別にいいけどよ……微妙な気分だぜ」

「ははは、仲が良いのだなお三方は。さぞかし旅も楽しかろう」

「お前にはそう見えるのかガゼフ……」

「ええ、実に楽しい旅ですよ、お陰様で満喫しています」

 微妙な面持ちのブレインは放っておいて素直な気持ちをモモンガは答えた。旅は楽しいし思いっきり満喫している、それは紛れもない事実だ。

「モモンガ殿やブレインのような……そんな自由な生き方に憧れたりもするが、私は不器用者故……生き方を選べぬというか、そういう所がありましてな」

「私はガゼフ殿のような真っ直ぐで人に慕われる人柄の御仁に憧れますよ。そうですね……どこか、かつての私の友の一人に似ています」

「ほう、どんな方だったのですか?」

「純白の鎧を纏った最強の聖騎士で、困っている人がいたら助けるのは当たり前、という言葉を実践している、やはり真っ直ぐな人柄の人でした。その言葉通り困っているところを彼に助けられたのが私と彼との出会いだったのです。私の憧れの人です」

「そんな立派な方と比べられては面映いな。しかしモモンガ殿にそう言って頂けるのに相応しく在れるよう、日々努めていかねばなるまい」

 言葉通りどこか照れ臭そうに眩しげに笑んだガゼフの面持ちを見て、かつて電脳世界の向こうでたっちさんもこんな風に笑っていたのだろうか、とそんな他愛ない想像をモモンガは胸に浮かべた。

 

***

 

 夕刻になりモモンガとクレマンティーヌはガゼフ宅を辞し宿をとる事にした。

「本来ならば逗留して頂きたいのだが、何分手狭なもので申し訳ない」

「いえいえ、お気になさらず。王都滞在中にまたお訪ねしてもよいですか?」

「勿論いつでも歓迎する。我が家の門はモモンガ殿に対していつでも開いてる、気軽に訪ねてほしい」

「ありがとうございます。話し相手としてブレインは今日残していきますので、無聊の慰めにでもなさってください」

 その言葉にブレインは微妙そうな顔をしたが意図的にモモンガは無視した。

「俺の扱い……無聊の慰めって……」

「ライバルとしてガゼフ殿と積もる話もあるだろ? 泊まってけよ。宿の名前と場所は後で〈伝言(メッセージ)〉で教えるから」

「そうだなブレイン、お前だけでも是非泊まっていってくれると嬉しいのだが」

「そうまで言われちゃ仕方ねぇな。じゃあ今日は男二人で飲み明かすか」

 ガゼフの言葉で話が纏まりモモンガとクレマンティーヌはガゼフ邸を後にする。残ったガゼフとブレインは、一度外出して酒と料理を仕入れてきて飲み会を開始する。

「じゃあ……何に乾杯する? 再会か?」

「そうだな、再会に乾杯」

 素焼きの陶器の器が二つ合わさりかちりと音を立てる。それからしばらく料理を食べ酒を飲む。

「ブレイン、御前試合から今までお前の消息を聞かなかったが、何をしていた? 貴族からの誘いを蹴ったとは聞いていたが」

 ガゼフのその問いにブレインは答えを迷ったのかしばらく目線を逸らして考え込み、ようやく口を開いた。

「……お前を倒す為に腕を磨いていた。貴族に仕えたんじゃ人を斬る感覚を忘れちまう、腕が腐っちまうからな。まぁ、色々とやったさ。今となってはどうでもいい事だが」

「どうでもいいとは、どういう事だ?」

「剣士としての俺は一遍死んだんだよ、ガゼフ。今はやり直してるところなんだ」

 要領を得ないブレインの答えにガゼフは首を捻った。

「死んだ……とはどういう事だ? 何があった?」

「完璧な敗北ってやつを突き付けられて完膚なきまでにプライドを粉々に打ち砕かれたのさ。モモンガの奴にな」

「戦ったのか」

「ああ、戦った。そして知った。あれは戦いなんて呼べるようなものじゃなかったんだ、一方的な蹂躙だ。そしてそれはあいつにとっちゃ、ただの遊びだった。俺は決して到達できない高みという奴を目の前に突き付けられたんだ」

「……それ程の差か」

 ガゼフの問いにブレインは軽く頷くことで答えた。厳然として横たわるブレインとモモンガの間に存在する力量差、それは人の生の長さでは、いや例えどれだけの長さを生きたとしても埋められるものではないだろう。

「俺達の強さなどあいつにとっちゃゴミ同然さ、どんぐりの背比べだと気付かされた、だからどうでもよくなったのさ」

「成程な……だが、モモンガ殿という例外と己とを比較するのがまず間違いではないか? 彼の御仁はスレイン法国の特殊工作部隊である陽光聖典四十人程を一人で投降させた実力の持ち主だぞ、我々の常識でその力を推し量る事など不可能だ。我等は我等の高みを目指せばいい、そうではないか?」

「そうだなガゼフ、お前は正しいよ」

 自嘲するように笑みを見せ、ブレインは盃をぐいっと煽った。空になった盃にガゼフが酒を注いでやる。

「お前はやり直しそして確実に強くなっている、その結果があるというのに何故そんなに不安そうなんだ、ブレイン」

「俺はな、分からなくなったのさ、ガゼフ。自分が何の為に強くなろうとしているのか。今までは良かった、全てはお前を倒す為だった。だが今となってはその目標に価値を見出せない。俺は力を得て、それで何をするというんだろうな。確かに剣を極める事こそが俺の人生だ、俺にはそれしかない、他の何も持っちゃいない。だが俺は何の為にその剣を振るうんだ? それがすっかり分からなくなっちまったんだ」

「俺に言える事は一つだけだ、己の信念の為に剣を振るえ、ブレイン・アングラウス。今の俺にとっては王に忠義を尽くすという事が信念だから俺はその為に剣を振るう。お前はまず己の信念を見付けなければならない、そしてそれは他人が教えられるものではないんだ。お前自身が己の心の内から探し出さなければならない」

「……ああ、全くもってお前は正しいよ、ガゼフ・ストロノーフ」

 そう呟いてブレインは笑みの自嘲の色を深めた。正しい事が必ずしもいい事なのかどうかはガゼフ自身にも分からない事だったが、自覚しているように不器用者であるから他の在り方ができないだけだった。もっと器用に世渡りをできる性格であれば、王に要らぬ負担をかけずに済んだのかもしれない、そんな事を考えたりもする。

 再び一気に盃の中の酒を煽ったブレインに飲み過ぎだと苦言を漏らしつつもガゼフは再度その盃を満たしてやった。

「信念はまだ分からんが……すべき事はあるな」

「それならそのすべき事を為しながら考えればいい、時間はあるのだろう、焦る必要はない」

「それはどうだかな……いつ爆発するか分からん爆弾を抱えているようなものだ」

「どういう事だ……? ブレイン、お前の為すべき事とは何だ」

「今の俺の役目は、モモンガ、あいつの暴走を止める事さ。暴走が始まったら俺の命位じゃ到底止まらんだろうが、暴走する前に方向を逸らすのが自分の役目だと思ってるよ」

 ブレインのその答えにガゼフは驚愕の色を隠し切れずにブレインを凝視した。ブレインの面には既に自嘲の色はなく、代わりに困ったような笑みが浮かんでいた。

「暴走、とは、どういう事だ? モモンガ殿は非常に理性的だし辺境の村を救ってくれるような仁徳厚き方だ、誰彼構わず力を振るうような御仁では決してあるまい」

「そりゃお前用に見せてる余所行きの顔だよ。確かにモモンガは理性的だ、話だって分かる奴さ。だけどそれはあいつの一面でしかないんだ。理性的だからこそ自分にとって利益か不利益かで判断する。そして不利益が勝てばあいつはいとも簡単に切り捨てるぞ。間違っても王国に取り込もうなんて考えるんじゃないぞ、これは忠告だ、あいつはそこいらの王に使いこなせるようなタマじゃない。そしてそういう奴なのに、時々ひどく感情的になるんだ。そこが怖いのさ、正直何をしでかすか分からん。あいつの理性的な所も、人懐っこさも、ひどく不安定なんだよ。だから俺は、間違った方向にあいつの力が向かないようにしなきゃならない。少なくともあいつが人に害を為そうとは思ってない間はな、それが俺の役目だ」

「お前の話は……俄かには信じ難いのだが……いやお前が嘘をつく理由は何もないな、真実を話しているのだろう。それにしてもブレイン、それならそれでどうしてお前はそんな重い役目を自分から背負おうとするのだ」

「何でかねぇ、何だかんだ言っても結構気に入っちまってるんだろうな、あいつの事が」

 くすりとブレインは笑い声を零した。自嘲と困惑の入り混じった諦めにも似た笑みだった。

「だから最初に、あいつのお守りだって言ったろ」

「まさかそういう意味だとは思わなかったぞ」

「あいつの前で言えるかよ、こんな事」

「確かに、それはそうだ」

 二人はようやく心からの笑みを浮かべ、酒で口を湿らせた。酒の肴はまだ尽きず、葡萄酒も何本もある。二人の男が長い夜を過ごすのに必要な話題も、尽きる事はなかった。



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蒼の薔薇

 王都の酒場はどこも二三日前辺りから流れ始めた一つの噂で持ち切りだった。

 曰く、借金を返し切れずに逃げ出すところを借金取りに捕まった父と娘に破格の値が付くマジックアイテムを与えた通りすがりの仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)がエ・ペスペルに現れた、というものだった。

 仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)と言われて王都の者が思い出すのは蒼の薔薇のイビルアイだ。だがそんな無償の施しなど決してしないと本人は関与を完全に否定したし、エ・ペスペルにその日居なかった事も裏付けが取れている。噂する者達の関心の中心はその謎の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)が何者なのかという点と、マジックアイテムがどのようなものだったのかという点が主だった。

 冒険者達が集う宿屋の酒場でも話題の中心はやはりその謎の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)で、どこに行ってもこの話ばかりだな、と多少うんざりした心持ちをイビルアイは覚えた。

「なあ、イビルアイ。噂の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)だけどよ、この前お前が会ったっていう変な二人組の旅人の片方じゃねぇのか? お前が簡単に負けたってんだから恐ろしいよな……」

「あっ、あの時は! ちょっと油断して……いや、認めなければな、圧倒的な力量差があったと。あいつは決して敵に回してはいけない……モモンガと名乗っていたが、妙な名前だし偽名か?」

「お前には言われたくないだろうさ。変な仮面を被ってるところといいお前とは妙に共通点があるじゃねぇか、意外と気が合うんじゃねぇか?」

「馬鹿を言うな! しかしあの力……まさかとは思うが。癪だがあの婆ぁに相談してみるか……」

 自分との会話を途切らせ思考の海に沈んだイビルアイを、ガガーランは珍妙なものを見る目付きで眺めた。

「何だぁ? そんなに深刻になる事なのかね?」

「イビルアイ、何か気になる事があるの? あなたの知識でしか分からない危険がその仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)にはあるというの?」

 横に座ったラキュースの問いにイビルアイは顔を上げ、盗聴防止の魔法の込められたペンダントを取り出すと力を起動させた。周囲から聞こえてくる音が消え蒼の薔薇の三人が座っているテーブルの辺りの空間だけが隔絶される。

「……あいつはもしかしたら、ぷれいやーかもしれん」

「ぷれいやーって……十三英雄にもいてあなたやリグリットと共に魔神と戦ったっていう?」

「そうだ。異世界から来訪し、我々では到達できない強大な力を振るう者達だ。その力はぷれいやーである八欲王が世界の魔法の法則を始原の魔法(ワイルドマジック)から位階魔法へと捻じ曲げた事からも分かるように途方もなく巨大なものだ。モモンガという奴がどれだけの力量なのかは全く分からなかった、ただ強いという事しか分からなかったが……もし八欲王と並ぶような力を持ち彼の者達のように世界に害を為そうとするのであれば由々しき事態だぞ。対抗できるのは竜王(ドラゴンロード)位のものなのだからな」

 イビルアイの説明に、ラキュースは納得しきれないように首を捻る。

「でも、ただの旅人でガゼフ・ストロノーフを訪ねる旅だと言ったのでしょう? それにもし世界に対して悪意があるのだとしたら今頃大きな被害が出て騒ぎになっているでしょうし、今流れている噂だって妙よ、人助けをしているんだからまるで逆じゃない」

「それももっともだが……警戒するに越したことはない。何が奴の狙いなのか全く分からんからな」

「なぁ、もう一人の名前はブレインって言ってたよな? お前から見てどれ位の強さだった?」

 ガガーランの問いにイビルアイはあの時の事をしっかりと思い出そうとするように僅かに俯き考えてから口を開いた。

「そうだな……私よりは弱いが、お前よりは強かった」

「じゃあそれって、もしかしてブレイン・アングラウスじゃねぇか? 何で奴がそんな妙な魔法詠唱者(マジックキャスター)と一緒にいるのかね?」

「ブレイン・アングラウスって、確か五年前の御前試合の決勝でガゼフ・ストロノーフに敗れた男よね」

「そうそう、そいつだ。敗れたっていってもかなりの接戦だったから、まず間違いなくガゼフ級の腕と才能の持ち主だぜ。そんな奴が何でその謎の魔法詠唱者(マジックキャスター)と旅なんかしてるのか、俺ぁそっちの方が気になるぜ」

「気になる事ばかりだな……よし、私はリグリットに連絡をとってみる」

 そう告げてイビルアイが〈伝言(メッセージ)〉を発動させようとした時だった。店の奥側の席に座り入り口を向いていたガガーランが、ちょっと待て、とイビルアイを押し留めた。見やるとガガーランは店の入口を指差していた。

 振り向くと三人の男女が店に入ってくるところだった。一人はブレイン・アングラウスと思しき男、一人は軽装鎧のやはりガガーランより強者の風格を漂わせる小柄な女、そしてもう一人は、モモンガを名乗る謎の仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)、噂の中心人物その人だった。

 モモンガはぐるりと店内を見回すと奥に座るイビルアイを見つけ出し、真っ直ぐに蒼の薔薇の座るテーブルへと歩いてくる。

「やあ、イビルアイ、だっけ。久し振り、怪我はもう大丈夫? あの時はごめんね?」

「……あ、ああ、大丈夫だ、問題ない。こちらこそすまなかった……」

「王都に着いたんでお言葉に甘えて訪ねさせてもらったんだけど、今忙しくない? 大丈夫?」

「いや、今は……丁度いい依頼がないので待機していたところだ……」

「そちらお仲間? 紹介してもらっていい? あっ、俺はモモンガ、こっちがブレインでそっちがクレマンティーヌね、皆さんどうぞよろしく」

 にこやかな声で挨拶し話を進め軽く頭を下げるモモンガにイビルアイとラキュースは呆気に取られていたが、ガガーランは愉快そうに笑い出した。

「ははははは、面白ぇ奴じゃねぇか! 俺ぁガガーランってんだ、よろしくな」

「えっと……えっ、あの……いや、こういう質問は失礼かな……」

「モモンガさん、蒼の薔薇は女性だけで構成されたパーティです」

「ナイスアシストクレマンティーヌありがとう。お陰でセクハラせずに済んだ」

「その程度の細けぇ事ぁ気にしねぇから安心しな! はははは!」

 ガガーランの恐らく性別が分からず困惑するモモンガにクレマンティーヌがフォローを出し、その様子を眺めたガガーランが愉快げに破顔する。

「ところでモモンガだったよな、あんた童貞だろ」

「……⁉ えっ、え、ええっ……? ななななななんで、なにが、えっ……そ、ソンナコトナイデス……」

 ガガーランに問いかけられたモモンガの様子が明らかに落ち着きを失い、みるみる動揺の様相を見せる。もし仮面をしていなかったなら冷や汗をびっしりかいていたかもしれない、そんな様子を容易に想像させる落ち着きのなさだった。

「ハハッ、その反応バレバレだぜ。どうだい一発、筆下ろしといかないかい?」

「いやあの物理的に不可能というか……すみません……初めては好きな人とっていうのもあるんだけどやっぱり物理的な壁があって、だから」

「マジで反応が童貞だなお前……」

「うっさいよ、余計なお世話です! バーカバーカブレインのバーカ!」

 ブレインの横槍にモモンガがムキになって肩を怒らせる様子もガガーランはやはり楽しげに眺めていた。

「そうかい、残念だ。まぁ気が向いたらいつでも声掛けてくんな。いざという時好きな人とやらに下手くそって罵られねぇようにしっかり仕込んでやっから」

「あっ……そういうノリなんだ。意外と軽い」

「モモンガさん、蒼の薔薇の戦士ガガーランの初物好きは有名なんです」

「成程納得、ほんとクレマンティーヌは物知りだなぁ」

 クレマンティーヌの説明にモモンガが頷く様子を見て、軽く溜息をつくとラキュースは口を開いた。

「もうガガーラン……初対面からそれなんだから。初めまして、私は蒼の薔薇のリーダーを務めているラキュース・アルベイン・デイル・アインドラと申します。先日はうちのイビルアイが大変失礼をしたそうで……本当にすみませんでした」

「これはご丁寧にどうも。あの件は不幸な事故でしたしもう気にしてませんよ。まあお詫びをしていただけるという話だったのでこうして今日伺ったんだけど、優秀な冒険者の皆さんでしたら様々な情報もお持ちかと思います。俺の旅の目的に、強い力を持つ者の情報収集というのもありまして。それを聞かせてもらえたらと思うんですが」

「何故だ、何故お前はそんな情報を求める!」

 つい立ち上がり大声を上げてしまったイビルアイの様子に、酒場中が静まり返りイビルアイに注目が集まっていた。情報というものは大切だ、取り扱い方によっては危険な武器になる。それをこの何が狙いなのか分からない謎の男に渡す事に対する警戒がつい態度に出てしまったのだが出しすぎてしまったようだった。それだけイビルアイはこのモモンガという男を危険だと思い無意識の内に強く警戒していた。どれだけ友好的に接されても少しも安心できはしない。

 少し困ったようにモモンガは仮面の頬を掻きおずおずと言葉を発した。

「えーと……あの、実は俺はぐれた仲間を探してて……すごく強い人達だから絶対噂になると思ってそれで情報を集めてるんだけど……何かおかしかった?」

「……あ、いや…………すまない、おかしくはない。ただそういった情報は冒険者にとっては大事な商売道具だからな、ついカッとなってしまって」

「ああ、そうだよね。情報は大切だもんね、よーく分かるよ。あの程度の事故のお詫びにしては高すぎたかぁ……すみません無理言って」

 モモンガがぺこりと頭を下げて詫びる。この腰の低さもイビルアイには恐ろしく不気味に感じられた。簡単にこちらを捻じ伏せ黙らせるだけの力を持つというのに、なぜこの男はこんなにも腰の低い平凡な男のような態度をとるのだろう。

 いや、違う。この男の力は確かに恐ろしいがそれよりも、この男について何も明らかになっていない、碌な情報がない現状の方がイビルアイにとっては恐ろしいのだ。仲間を探したいというがその話だってどこまで信用できるかは分からない、仲間を探したいというのが本当だったとしても、もし強い力を持つという仲間を集めて世界に害を為そうとするのであればどうする。対抗できる者など本当にほんの一握りだろう、それにイビルアイは含まれない。

 情報を、集めなければならない。こうして訪ねて来てくれた事を僥倖と思わなくては。このモモンガという男の事を少しでも知らなくては。即座に思考を切り替えイビルアイは口を開いた。

無料(タダ)という訳にはいかんが、その代わりにお前達の事を話してくれるならば考えなくもない」

「えっ? 俺達の事? 何で?」

「情報を渡してどう使われるか会ったばかりのお前を信用しきれんからな、そのお前の仲間とやらを集めて何をしようとしているのか、旅の目的は何なのか、知っておきたい」

「相変わらず疑り深いね……まあ簡単にホイホイ他人に情報を流す人よりは信用できるか」

「ここでは何だ、部屋に行って話を聞こう」

 イビルアイの言葉に異存はなかったのかラキュースとガガーランも椅子から立ち上がり階段へと歩いていく。モモンガ達もそれに続いた。最高級の宿屋に相応しく部屋は六人が入っても十分な広さがあった。イビルアイがいくつかの情報収集対策の魔法を部屋にかけてからベッドに腰掛ける。

「率直に聞く。モモンガ、お前はぷれいやーか」

「えっ、うん、そうだけど、何で?」

 警戒し意気込んだイビルアイの質問に、あっさりと軽くモモンガは答えた。肩透かしを食らったような脱力感を僅かに覚えながらイビルアイは質問を続ける。

「この世界でぷれいやーがどういう存在かは知っているのか」

「六大神に八欲王に十三英雄の内の何人かと口だけの賢者だっけ? 良い事も悪い事も何か色々とやらかしてるみたいだね」

「詳しいな……お前は仲間を探したいと言ったが、仲間を探して何をするつもりなんだ? もう知っているだろうが、ぷれいやーとは良くも悪くも世界に大きな影響を与える存在だ。お前の答えによっては我々も態度を考えなければならない」

「ええと……会いたいってだけで、会ってその後何をするかまでは正直深く考えてないんだよね。皆で世界中を冒険できたら楽しそうだなぁとかは思ってたけど」

「……は? …………それだけ、か?」

「それだけだけど……何かおかしかった?」

 不思議そうに首を傾げるモモンガを、信じられない気持ちでイビルアイは凝視した。会いたいだけでその後の事は考えていない、冒険できたら楽しそう、そんな答えはまるで子供のようだ。

「信じられない気持ちは痛いほどよーく分かるがお嬢ちゃん、こいつの言ってる事は残念ながら紛れもなく本当だ。こういう奴なんだ……」

「モモンガさんは本当に欲がないよねぇ、何でも好きな事できちゃう力があるのに」

 ブレインとクレマンティーヌの言葉が更に追い打ちをかけてくる。その言葉はイビルアイの理解力の限界を超えていた。ぷれいやーとは神に等しい力を持つ存在だし実際に神として崇められているのが六大神だ。誰よりも強くなったリーダーを見れば分かる、人では決して届かない領域に到達できる者だ。それがこんな、良く言えば無邪気な、悪く言えば何も考えていない目的で、旅をしている? それが本当? とてもではないが信じられなかった。

「うーん、会ってからの事もやっぱりちゃんと考えた方がいいかなぁ? でも会えるかどうかも分からないのに考えるのは気が早いかなって思って……イビルアイはどう思う?」

「私に聞くな……先程お前ははぐれたと言っていたが、仲間も一緒にこの世界に来たという事なのか」

「それなんだけど……違うんだ、ちょっと盛った。この世界に来たのは俺一人。でも二百年前に十三英雄と口だけの賢者は同じ時期に別々の場所にやって来たんだろ? だから仲間に会える可能性もゼロじゃないって思ってさ」

「別々にぷれいやーが現れたのが歴史上で確認されているのはその例だけだし、もしお前以外にぷれいやーがいたとしてもそれがお前の仲間とは限らんだろう」

「そうだね、でも仲間だったっていう可能性だってゼロじゃないだろ? 可能性が限りなく低いのは分かってるんだけどさ、それでもどうしても会いたくって」

 そのモモンガの言葉を紡いだ音は、嘘を言っている者の声色ではなかった。いくら疑り深くてもそれ位の事はイビルアイにだって分かる。ただ会いたい、たったそれだけの理由でこの男はいるかどうかも分からない仲間を探しているのだ、それは恐らくは本当なのだ。

「ねぇイビルアイ、モモンガさんはあなたが心配するような人ではないと思うわ、信用してもいいんじゃない?」

「俺もラキュースに賛成だな。慎重なのは必要な事だが今回のお前さんはちょっと行き過ぎだぜ」

「……分かっている。モモンガ、ぷれいやーは危険な存在とはいえ警戒が過ぎたようだ、すまなかった」

「気にしてないさ、神に等しい力を持ってるらしいから警戒するのも当たり前だろうしね。八欲王みたいなのもいたみたいだし。分かってくれればそれでいいよ」

 実に気軽な声でモモンガはそう答えた。言葉の通りに全く気にしていないのだろう。邪な思いを抱く者ではないという事は分かった、しかしながら警戒の気持ちはイビルアイから消え去らなかった。初めて会ったあの時モモンガは、面倒臭いからやっちゃっていいよね? と今のような声音で言っていたのだ。つまりは命をその程度に考えているということだ。確かにあれは話を聞かなかったイビルアイが全面的に悪いが、善良とは言い切れない何かがモモンガにはある気がしてならなかった。

「ガゼフ・ストロノーフに会いに旅をしていると言っていたが、これからどこへ行くんだ」

「しばらく王都観光と情報収集したらアーグランド評議国に行こうと思ってるよ」

「評議国に? 何故そんな所へ行く、あそこは国民がほぼ亜人の国だぞ、仲間に亜人がいるのか」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に会おうと思ってね。今回みたいに俺が何か悪い事するんじゃないかって疑われる前に、その気はありませんよって話を通しに行こうと思って。あとプレイヤーに詳しいらしいから他にプレイヤーがいないか知ってる可能性もあるだろ?」

「確かに、一番最初にぷれいやーの存在を感知できる存在は奴だろうな……竜王(ドラゴンロード)の感知力は並外れているからな、何か大きな力の行使があれば感知する筈だ」

「えっそんな能力あるの、ドラゴン超すごい」

 イビルアイの説明にまるで子供のようにモモンガは驚いた。語彙が貧弱になっている。

「奴とはちょっとした知り合いだ、共通の知り合いに頼んで話を通しておいてやる、今回の詫びと思ってくれ」

「助かるよ、ありがとう」

「それで、お前が欲しい強い者の情報とは、ぷれいやーの情報なのだろう? それであれば申し訳ないが持っていない」

「そっかぁ……そうだよね。期待はしてなかったけど……」

「もしそういう噂が聞こえてきたら、真っ先にモモンガさんにお教えする事をお約束します。イビルアイは優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)で、〈伝言(メッセージ)〉の魔法もかなり距離が離れていてもはっきりと伝えられますので」

「えっ、〈伝言(メッセージ)〉って距離が離れるとはっきり伝えられないの……?」

「えっ……そうですけど……」

「知らなかった……」

「お前の魔力なら世界の果てでもくっきりはっきり届くだろうよ……」

 ラキュースの申し出を聞いてそこに食い付くか? という部分にモモンガが食い付き、呆れ顔のブレインが処置なしとばかりに肩を竦める。一応ブレインはモモンガが神の領域である第十位階やその上の超位魔法が使えるという話を半信半疑ながら聞いている。

 モモンガとしても第十位階魔法を使う機会なんて魔樹との戦いでもなければそうそうないだろうからあまり使わずにいたいところだった。超位魔法は〈天軍降臨(パンテオン)〉や〈天地改変(ザ・クリエイション)〉辺りであれば使う機会があるかもしれないが他の攻撃的なものは出来れば使わずに平和に過ごしたい。〈星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)〉あるいは流れ星の指輪(シューティングスター)を使ってプレイヤーを探すのも考えたが、前者であれば消費した経験値を補充する当てがないし後者であればもう二度と手に入らないアイテムなのに勿体ない。そもそも情報は地道に足で稼げるし旅自体も楽しんでいるのでやめた。

「あっ、えっと、話が逸れた。情報が入ったら教えていただけるんでしたね、ありがとうございます。何かお礼した方がいいのかな? やっぱお金を稼ぐ方法を考えないと……」

「人類に敵対したり支配しようとしたりしないお礼だと思っていただければ安いものです。それに他のぷれいやーが人に害を為す存在であれば対抗できるのは同じぷれいやーであるモモンガさんか竜王(ドラゴンロード)位ですから、そういう意味でも情報をお渡しする事には意味があると思いますので」

「えっ、そんなんでいいんですか? 何か悪いなぁ……」

「ぷれいやーという存在はそれだけの力を持つんだ、素直に受け取っておけ」

「うーん……納得はできないけど分かったよ、お気持ちありがたく受け取ります」

 イビルアイの言葉を受けモモンガが了承する。モモンガに伝える役目はイビルアイが請け負う事になるだろう、伝えてもいい情報と伝えてはいけない情報はその時に取捨選択すればいい。

 何でこいつはこんなにも人となりと力がちぐはぐなのだろう、英雄の膂力を子供が持っているようでどう振るわれるのかが分からず不安にさせられる、危険だ。

 直感のようなその思いを、イビルアイは胸から消し去ることができなかった。

 

***

 

 宿への帰り道をラキュースが送ってくれることになった。何でも彼女は今日は家に帰り明日登城するのでそのついでだという。貴族のご令嬢と一人だけ知らなかったモモンガだけが驚いていた。

「名前で分かるだろ、称号含めて四つの名前があるのは貴族なんだよ」

「そんなの知らないもん……ブレインの意地悪……」

「別に意地悪はしてねぇよ、悪かったよ、常識だから覚えとけ? 俺みたいな平民は二つで、名前が三つなのはスレイン法国の人間だからな? そんで王族は称号含めて五つだ」

「スレイン法国の人はなんで一つ多いんだ?」

「あそこは宗教国家だからな、姓と名の間に洗礼名が入るんだ」

「成程」

 ブレインの懇切丁寧なレクチャーをモモンガが受けながら歩を進める。いつかのエ・ランテルの時のようにクレマンティーヌが道脇にすっと寄った。さりげなく歩速を落としモモンガが横に並び落とした声で話しかける。

「……付けられてるの?」

「はい。人数が多いですね。どうしますか」

「一人残して片付けていいよ。あんまり狭いとやりづらい?」

「そうですね、狭いと後ろの奴に逃げられる可能性があります。この数だとある程度広めの道に誘い込んでブレインと二人で片付けるのが確実かと」

「そうか、じゃあ適当な道に入って。任せる」

 繰り広げられる物騒な会話を先頭のラキュースはやや硬い表情で聞いていた。モモンガは人に積極的に敵対はしないが、敵対者には容赦がないらしいという事にようやく気付く。クレマンティーヌが先頭に立って広めの脇道に入り、どんどん進んでいく。人気がなくなった辺りで立ち止まると、追跡者の一団が一行を取り囲み始めた。平たく言ってチンピラのような風体の男達だった。

「お前が金目の物を持ってんのは分かってんだ、大人しく……」

 脅し文句を言い切る前に男は絶命して大地に伏した。前をクレマンティーヌ、後ろをブレイン。二人の流れるような動きは人を殺しているとは思えない舞いのようなものだった。一人を残して十人以上の男達が命を絶たれるまでに十秒程だったろうか。

「ひ……ひぃっ……!」

 一人だけ残された男は何故自分が残されたのか分からずに恐怖で混乱し腰を抜かしていた。その男の前にモモンガが進み出る。

「〈支配(ドミネート)〉」

 魔法を詠唱すると男の瞳から光が失われていき、恐怖に歪んでいた顔もまるで夢の中にいるように陶然とした表情になる。

「答えろ、誰かに頼まれて襲ったのか」

「はい」

「依頼した者の名前を言え」

 モモンガの質問に男が答えた貴族の名前を聞いたラキュースが眉を顰めた。

「……知ってる名か」

「ええ、ちょっとね」

 ブレインの問いに手短に答えるとラキュースは黙り込んだ。

「じゃあお前の職場に案内してもらおうか。ゴミは纏めて焼却処分した方がいいだろ」

 モモンガの言葉に従って男は立ち上がり歩き出し、一行はその後を追った。人がすれ違うのがやっとといった感じの細い通りに差し掛かると、ラキュースの表情が硬くなった。

「やっぱり……」

 短く呟いただけでラキュースは再び黙り込み脚を動かす。蒼の薔薇が八本指と対立しているならばそれ絡みか、という程度の推測はブレインにも付くが確証もない事だし聞いても答えてもらえるような問いでもないので黙って歩き続けた。

 薄汚れた生臭いゴミの臭いが染み付いた路地を進む。大分進んだ頃、先頭を進んでいた男はある建物の前で立ち止まり、ここです、と建物を指差した。

「ご苦労様。ふむ、ナイフはちゃんと持ってるな。じゃあお前は次に、お前にこの仕事を依頼した貴族の館の前に行き、今後仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)に手を出すような事があればこうなると知れ、と叫んでからそのナイフで喉を掻き切れ」

「はい」

 モモンガの言い付けを受諾した男が歩き出していく。その背中を見送って、恐る恐るラキュースが口を開いた。

「あの……何もあそこまでしなくてもよかったのでは……」

「そうですか? 敵対する愚を徹底的に教えてやらないとこういう輩がわんさか寄ってくるでしょう、それは煩わしいので。それにしても何で俺狙われてんだ?」

「エ・ペスペルのあれじゃねぇのか、王都に着いてからずっと注目の的だぞお前」

「あーあれか……確かに金目の物があるって思わせたかも、失敗したなぁ……まぁ今更言っても仕方がない。さてここはどうするかな……頑丈そうな扉だな」

「ラキュースさん、あんた、この建物が何か知ってるようだが」

「そうなのか?」

 ブレインの言葉にラキュースは答えを躊躇ったが、やがて口を開いた。

「ここは、先程の貴族が経営に関わっている裏の娼館です。前からマークしていたのですが、ここを叩くと八本指の他の組織が地下に潜って追えなくなってしまうので迂闊に手が出せないんです。叩くなら一斉に叩かなければならないんですが、私達だけでは手が足りず……」

「成程、ではここは手を出さない方がいいという事ですね。脅しはあれで十分でしょうし、じゃあ帰りますか」

 モモンガの言葉にラキュースも頷き、一行は道を進み始めた。歩き始めてすぐに後ろで扉が開く音がして、次にどさりと何かが地面に投げ出される音がした。振り返ると、何か大きなものが袋詰めにされて地面に転がっていた。

「ゴミ捨て……にしちゃ雑だな」

「よく見ろ。ありゃあゴミじゃねぇ、人間だ。動いてる」

「だねー。裏の娼館って話だし廃棄処分ってとこかな?」

 振り返った一行の内三人はそんな会話をしていたが、一人だけ冷静になれない者がいた。ラキュースだった。咄嗟に駆け出したラキュースは袋の元まで駆け寄ると口を縛った紐を解き、中で藻掻いていた人間を救い出そうとする。放っておくわけにもいかず三人も袋の元まで戻った。

 中から這い出てきた恐らくは女の顔はひどく腫れ上がっていた。目も口も鼻もどこなのか分からない程紫色に腫れ上がってまるで水死体のようだった。長い金髪は艶がなくぱさぱさで、腕には赤い斑点がいくつも浮き出ていた。呼吸しているのかどうかも唇がひどく腫れ上がっているため判別できない。ただ微かにだが動き袋から這い出ようとはしているところを見るとまだ生きてはいるようだった。

「この人を助けるのですか?」

「……それは…………ええ、助けます」

 モモンガの問いに躊躇を見せながらもはっきりとラキュースは答えた。瞳に宿る決然とした光は誇り高さを感じさせた。きっとこの人も、困っている人を見たら助けずにはいられなくて実行してしまうタイプの人間なのだろう。そう思うとモモンガの胸には羨ましさと憧れと尊敬と、自分はそうはなれないのだという諦めが浮かんだ。

 これは、恩を売るチャンスかもしれない。このゴミを助ける手助けをすればアダマンタイト級冒険者との強い繋がりが出来てお得では? という打算が働いているのでモモンガには利害抜きで人を助けるということが気紛れ以外で出来ないのだ。

「何だお前等! 見せもんじゃねぇぞ、散った散った!」

 店の中から体格のいい男が姿を見せていた。一行を恫喝してくるがそれに怯むような者は残念ながらこの中にはいない。

「答えなさい、この女性をどうしようとしていたの」

「勝手に袋開けんじゃねぇよ! この(アマ)……」

「〈(デス)〉」

 ラキュースに殴りかかろうとした男は突然動きを止め、どさりとその場に倒れ込んだ。一瞬の出来事に何が起こったのかとラキュースが戸惑っていると、モモンガはブレインに袋ごと女性を担がせていた。

「あの……この男は……」

「目撃者は残さない方が都合がいいのでは? 〈転移門(ゲート)〉」

 宿の部屋へのゲートを開きブレインとクレマンティーヌを先行させる。

「私達の宿への転移魔法です、入ってください。治療にはラキュースさんのお力が必要でしょうから」

「は……はい……」

 戸惑いながらもラキュースがゲートを潜り、最後にモモンガが入ってゲートを閉じる。これで現場に証拠は残らない。

 宿の部屋で検分した女性の体はひどいものだった。袋から出したら裸だったのでぎょっとしてモモンガはすぐに後ろを向いたのだが、ちらりと見ただけでも分かる、ぼろぼろの状態だった。確か第五位階を使える信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)って言ってたよな、という記憶の通りラキュースが女性の体を見て症状を調べる。

「ひどい……外傷は私の魔法で治癒できますけど、抜けた歯や切断された腱は治せません……それに何か病気にもかかっているようですし、ものによっては病気を治せずに命を落としてしまうかもしれません……」

 それを聞き、モモンガは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から一本のスクロールを取り出した。ラキュースを招き寄せ、スクロールを手渡す。

「これは……?」

「第六位階の治癒魔法、〈大治癒(ヒール)〉のスクロールです。これでしたらあらかたの病気は治せますし、歯や腱の欠損も元に戻るでしょう」

「第六位階って……! そんな貴重なものを提供していただくわけには!」

「乗りかかった船ですからお気になさらず。早くしないと死んでしまうかもしれませんよ」

「はい……ありがとうございます!」

 ラキュースが早速スクロールを使用し、クレマンティーヌが用意していた寝間着を着せる。もう大丈夫ですよ、とクレマンティーヌが声をかけてくれたので振り返ると、髪の艶が戻り頬がふっくらとした愛らしい女性がベッドに横たわっていた。その姿を見て、誰かを思い出せそうで思い出せずにモモンガは首を捻る。誰だったっけ……喉まで出かかっているのに……、という気持ちの悪さに襲われる。

 しばらくすると女性はゆっくりと目を開いた。ぱっちりとした青い目が、天井を捉えて横で見守るラキュースへと移る。

「あっ!」

 思わずモモンガは大声を上げていた。ようやく思い出した、この輪郭、上向いた小振りの鼻、唇の形、ぱっちりとした青い目、モモンガは見たことがある。漆黒の剣のニニャにすごく似ている。

「ひっ……」

 モモンガの大声でモモンガの存在に気付いた女性が怯えた声を上げた。

「あっ、大丈夫よ、あの人が下さったスクロールのお陰であなたを治せたの。安心して。腕も脚もちゃんと動く? 歯も全部元に戻っているでしょう?」

「あの…………あ……うごき、ます……なん、で…………」

「仮面が怖いかもしれないけど、あの人がとても貴重なスクロールを使わせてくれたお陰よ」

「ごめん……顔怖いよね……やっぱ後ろ向くわ。ところであの、聞きたい事があるんだけど話せる?」

 がっくりと肩を落としモモンガは後ろを向いた。慰めてくれる筈のブレインは、男がいたらまずい事になるだろうと言い残して少し前に部屋を出ている。ブレインが正しかったけど何でなのか教えてほしかった。

「あ……あの…………はい……」

「あの、君、名前は?」

「ツ…………ツアレ……です」

「ニニャって弟いる?」

「おとうと…………は、いま、せん…………いもうと……なら…………」

 その答えを聞き人違いかなと首を捻っていると、クレマンティーヌが顔を寄せてきた。

「ニニャですよね? あいつ多分女です」

「…………えっ? マジ?」

「隠してるつもりだったんでしょうけど、歩き方と骨格で大体分かります」

「やっぱりクレマンティーヌ優秀……分からないなら本人に聞けばいいのか、よし。〈伝言(メッセージ)〉」

 〈伝言(メッセージ)〉を繋げると、繋がった感覚があったのか、ん? というニニャの声が聞こえた。

「ニニャさん? モモンガですけど」

『モモンガさん? これって〈伝言(メッセージ)〉ですか?』

「そうです。どうしても確認したい事があって。お姉さんの名前はツアレさんですか?」

『えっ……どうしてそれを……? でもちょっと違います、ツアレニーニャというのが姉の名前です』

「あともう一点、ニニャさんは実は女性?」

『えっ⁉ いやあの、その……すみません、騙すつもりはなかったんですけど……』

「分かってます、パーティに異性がいると問題が起きやすいんですよね? その点を責めるつもりはありません。それより一ついいお知らせがあります。偶然ですが王都でお姉さんを発見しました」

『……えっ? えっ? どういう事ですか? 何で? モモンガさんが?』

「正確には蒼の薔薇のラキュースさんが助けられたのですよ。私は少しお手伝いをしただけです。ニニャさん、これから王都に来られますか?」

『はい、皆に相談して、私だけでもすぐに向かいます!』

「今は私の宿で治療したのですが、お姉さんを預かってもらう先が決まったらまたご連絡します」

『はい、よろしくお願いします!』

 〈伝言(メッセージ)〉を切断すると、後ろを向いたままツアレに報告を始める。

「ツアレさん、実は妹さんと私は偶然にも知り合いだったんです。貴族に連れて行かれたお姉さんがいるという事を聞いていたので今ツアレさんが見つかったと妹さんに報告しました。現在はエ・ランテルで冒険者をしているので王都まで来るのには少し時間がかかると思いますが、もうすぐ会えますよ」

「いもう、と…………ほんと、ですか……」

「本当です、楽しみに待っていてください。とりあえず食事でもした方がいいかもしれませんね。クレマンティーヌ、何か消化の良い食事作ってもらってきて」

「了解です」

 モモンガの言葉を受けクレマンティーヌが部屋を出ていく。

「ラキュースさん、ツアレさんが滞在できる場所はありますか?」

「妹さんが見えられるまでは家で引き取ります。八本指に手出しはさせません」

 そうか、八本指が居場所に気付いたら取り戻しに来たり報復に来る可能性があるのか、とモモンガは思い至る。証拠は残していないからモモンガ達やラキュースに辿り着くのは至難を極めるだろうが、目撃者がいないとは言い切れない。

 ラキュースはツアレを家に連れて行く為に馬車を呼びに行き、今まで男に暴行されてたんだから男は怖いに決まってるだろとようやくブレインに教えてもらったモモンガは部屋を出て廊下をウロウロしていた。

 ゴミとか思ってたけど助けてみたらニニャの姉だったとは。こうなってくると、ただのゴミにしか見えないまでニニャの姉を傷めつけたあの娼館、ひいては八本指に面白くない気持ちが湧き上がってくる。あの娼館を経営してるとか言ってたから脅すだけに留めておいたあの貴族も抹殺してもいいかもしれない。飼い犬に暴行された飼い主だって警察に訴えるだろう、八本指がのさばっているのを見る限りでは王国は警察機構が頼りにならなさそうだから多少はモモンガが動く必要がありそうだ。

 よくも手を出してくれたな、というどす黒いものが胸の底から湧き上がってくる。こういう黒い気持ちの抑制が効かなくなっているのは間違いなくアンデッド化の影響だろうとモモンガは思った。鈴木悟は憎しみや怒りなど人前で表に出す人間ではなかった。いや、今まで溜め込んだ分をここに来て吐き出しているのかもしれない、とやや自嘲気味に考える。

 ただ、目立つ事は極力避けたい。八本指は王国の裏社会を支配しているとか聞いたし、それなら拠点も多いだろう。アンデッドを使えば制圧など容易いがそれでは目立ちすぎてしまう、王国の兵士をどうにか動かさなければならない。一挙に叩く為にまずは拠点探しだ。

 もしかしてこういう時にあの組織が使えるのでは? と思い至り〈伝言(メッセージ)〉を起動する。

「カジットか、私だ、死の王だ。今日はお前に尋ねたい事があってな。八本指、という組織についてズーラーノーンはどこまで把握している?」




誤字報告ありがとうございます☺


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協議

「というわけで、八本指を始末しようと思う」

 宿の部屋、ラキュースが馬車で家へと連れて行ったのでツアレは既にいない。そう話を切り出したモモンガに対するクレマンティーヌとブレインの反応は両極端だった。クレマンティーヌは明らかに喜色を浮かべ、反対にブレインは怪訝そうに眉を顰めた。

「おい、何がというわけだ。全然話が繋がってねぇぞ。大体そんな目立つ事したらお前さん白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に会った時何て言うんだよ、王国最大の犯罪組織をぶっ潰しましたけど自分には害はないですとでも言うつもりか」

「私はだいさんせーです。モモンガさんが表に出なければいい話だし、一杯殺れそうだし。私には対抗できないって風花の調査で分かってますけど六腕でも出てきてくれたらちょっとはいい勝負ができるかもしれないなー」

 クレマンティーヌ、お前は遠慮なく人を殺したいだけだな、うん、サイコパスめ。思いつつもモモンガは口には出さなかった。折角賛成してくれているのに賛成意見を潰すなど全くもって意味のない行動だからだ。

「クレマンティーヌの言う通り俺は表には出ないよ。王国の戦力を動かす方向に持っていきたい。そこでだ、八本指の拠点の情報を蒼の薔薇に渡して、そこ経由で王家に話を通して動いてもらう。拠点の情報は入手の目処が立ってるし、蒼の薔薇は八本指と戦ってるっぽいしラキュースは王城に登城できる格の貴族だ。実現不可能なプランじゃないと思うけど?」

「お前は直接手を下さないんだな?」

「基本的にはね。蒼の薔薇以外の方面から王様に働きかけてもらうためにガゼフに協力をお願いしに行こうかな位は考えてるけど」

「それなら、まぁ。にしても何だって急にそんな事言い出したんだよ」

「ツアレみたいに酷い扱いを受けてる人がいるなら許せないだろ?」

「……まるっきりの嘘ってわけでもないだろうが、お前はそんな単純な正義感だけで動く奴じゃねぇよな? 何を考えてる」

 モモンガを見つめるブレインは内心を見通そうとでもするように目を眇めた。この程度の言い訳では誤魔化せない位には見透かされちゃってるのか、と自分の事を理解して貰えたのが嬉しいような困ったような微妙な心持ちをモモンガは覚えた。

「モモンガさんがやりたいって言ってるんだからアタシ達はそれに従うだけじゃない? モモンガさんが許してるとはいえブレインちょっといい気になりすぎ」

「お前はそうだろうが俺は違うんだよ。納得できる理由ならちゃんと協力する」

 食い下がるブレインにクレマンティーヌが不穏な空気をちょっと醸し出し始めているが、ブレインも引き下がる気はないようだった。どうしてそこまでモモンガの行動の理由をブレインが気にするのか、という疑問はあるのだが早めに何とかしないと部屋の中で斬り合いが始まってしまいそうだった。

「理由、そうだな。ツアレの妹のニニャはカルネ村からエ・ランテルまでの旅で親切にしてくれた。というか人間の中では個人的にニニャは割と気に入ってる。ニニャは貴族に妾として連れ去られたツアレを救い出す為に冒険者になった、そのツアレの末路があれだ。そういう風に弱者を食い物にする八本指という奴等の存在がどうにも我慢ならんし、何より俺の気に入ってる人間の身内に手を出したらどうなるのか思い知らせてやりたい、というのが理由だよ」

「一番最後が本音だな……いいぜ、本当にお前が手を出さないってんなら俺も異存はない」

「八本指には俺は手を出さないよ。お前達二人に任せるつもりだ」

「それだが、俺は八本指の方に回る気はないぜ」

「えっ何で?」

 八本指を潰す話なのに何でブレインは八本指を潰すのに参加しないのか。六腕とかいう奴等が出てきたらブレインが必要になるだろ、と言いかけてこちらを見透かすように薄く笑ったブレインの表情にモモンガは気付いた。何を見透かされてるんだ? という疑問が募る。

「お前が手を下すまでもない有象無象の処理役は必要だろ?」

「いや別にいいよ、自分でやるし」

「ほらやっぱり何かやる気なんじゃねぇか、一人では行かせらんねぇな。お前が自分でやったら目立ちすぎんだろ」

 しまった、誘導尋問だったのか。簡単に引っ掛かってしまったモモンガは軽い屈辱感に呻いた。

「ほら俺って死霊系特化の魔法詠唱者(マジックキャスター)だし……得意の即死魔法ばっかり使えば全然目立たないよ?」

「後で騒ぎになる、そしてお前のそのマスクはとても目立つ。まさか全然関係ない目撃者まで一々全部消すつもりじゃねぇよな?」

「ぐっ……」

 バレてたか……〈嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)〉とか使って一気に処理するつもりだったってバレてたか……。どこまで俺を見透かしてやがるんだこいつは、とブレインに対しモモンガはやや薄ら寒い気持ちを抱いた。

「まあ六腕の相手に回れないのは悪いと思うけどよ、それは蒼の薔薇辺りにでも頑張って貰えばいいだろ。第一クレマンティーヌがいりゃ俺はいらん気がするぞ」

「さすがのアタシも外れを引いて六対一とかの状況だったら分が悪いかも。でも一対一だったらどいつ相手でも絶対負けないけどね、三対一位までなら何とかなるかなー? それにモモンガさんが手を下すまでもない有象無象の処理役が必要なのは賛成」

「二対一……多数決で負けなら従わないとな……それがアインズ・ウール・ゴウンの掟だ」

 クレマンティーヌまでブレインの意見に賛意を示したのでがっくりと肩を落としつつもモモンガは従う事にした。まあ別にブレインがいるからって困る事があるわけじゃない、と思ったのもある。目的さえ果たせればそれでいい。

 それにしてもブレインはどうしてこんなにもモモンガの行動の理由を知りたがったり、八本指や六腕を差し置いてまで着いてくると言ったりするのだろう。その理由が今一つモモンガには分からなかった。クレマンティーヌのような忠誠心はブレインにはない筈だから、単純にモモンガの身を守る為に、とかそういう訳ではないだろう。

 ブレイン側は強くなれる、モモンガ側は常識を教えてもらえて寂しくない。ブレインとはお互いにそういったメリットで結ばれた関係だし、何かモモンガの不利益になるような事をするとは考えづらいのだが、狙いが分からないのはどうにも据わりが悪い。しかしあのこちらを見透かすような笑みを思い出すと、普通に聞いたところで理由を教えてはくれないのではないか、という予感もする。

 一体ブレインは何を考えているんだろう。知りたかったけれども、知ってしまうのが怖いような気持ちもモモンガにはある。そうやって恐れて決して深入りはしなかった、あの頃は多数決をとるばかりで自分の意見なんて言わなかった、だから誰とも深い関係を築けず、結果として誰も残らなかったのかもしれない。そんな後悔があるから一歩踏み出すべきなのかもしれないとは思ったけれども、どうしてもその勇気が出せない。第一、どうやって切り出せばいい? 何て言い出せばいい? それがモモンガには分からなかった。

 臆病者の鈴木悟は未だに臆病者のままだ。

 クレマンティーヌのように忠誠で慕って従ってくれているわけではないから、ブレインはいつ去ってしまっても不思議ではないのだ。メリットで繋がる関係ならば、デメリットが勝れば関係を断とうとするだろう。結局自分はそんな浅く薄い関係しか他人と築けないのだろうか、そんな苦い思いさえ浮かんできてモモンガは息をついた。

 

***

 

 翌日、〈伝言(メッセージ)〉でカジットから聞き取った八本指の拠点の場所をモモンガが復唱しクレマンティーヌに書き取らせる。さすがズーラーノーンは広く深く人類圏に根を張っているだけあって、八本指の中にもかなりの数の構成員が潜伏していた為拠点の把握は容易だった。襲撃の際には内応までしてくれるらしいのでこれなら拠点の制圧も簡単だろう。頭目クラスの主な居場所も判明している。完璧な情報だった。やるなズーラーノーンとカジット、有能だ。心のなかでこっそりとモモンガは舌を巻いた。

『死の王よ、一つお願い事がございます』

「何だ、言ってみよカジット」

『王都に潜む我等の同志にも、その神々しいお姿と威光と威厳を示していただきたいのです。さすれば御身の偉大さに触れた者達が喜んで御身の前に跪きその為に働くでしょう』

「うむ、構わぬぞ。私はどうすればよい」

『日時と場所を調整いたしますので、また後程、夕方頃にでもご連絡いただければと思います。最後にお伺いしたいのですが……』

「何だ?」

『御身がその尊い手を下してまで八本指を誅殺する狙いとは何なのでしょうか? 愚かなこの身に教えていただければ幸いです』

「ふふ……簡単な話だ。腐った果実は食えぬであろう? 今の王国は今にも枝から落ちんとする腐り切った果実よ。私が手にする時には、美味なるものである方が良いではないか」

『成程、納得いたしました。先を見通される慧眼恐れ入りましてございます』

「世辞はよせ。ではまた夕方以降に連絡する」

 〈伝言(メッセージ)〉を切断し、溜まりまくった精神的疲労から肩を落とし首を回す。骨しかないのだから凝ったりはしないのだが、何となく気持ちが楽になる気がするのだ。

「……怖、キャラも声も変わりすぎだろ、ていうか王国征服する気なのかよ……」

「しねーよ! カジットがそう思い込んでるから合わせてるだけ! 誤解を解く方法があったらこっちが教えてほしいよ!」

 横で聞いていたブレインが初めて見る死の王ロールにドン引きしている。中々の完成度なので普段とのギャップに驚いているのだろう。死の王ロールを崩さずにカジットの誤解を解く方法を本当に心から知りたい、その願いはモモンガの願いの中ではアインズ・ウール・ゴウンの皆と再会したいという願いの次位には間違いなく今の所来ている。

「麻薬栽培してる畑の場所のリストも用意してくれてるっていうからそれは後日蒼の薔薇に渡せばいいだろ。さて、蒼の薔薇に会いに行くにしてもラキュースは今日登城してるんだったっけ……というかまずはアポ取るか。〈伝言(メッセージ)〉」

『……モモンガか?』

「やあイビルアイ。ちょっとお願いというか提案が蒼の薔薇にあって相談したいんだけど、ラキュースさんっていつ頃戻ってくる? というか今日も天馬のはばたき亭にいるの?」

『何だ、ラキュースがいなければできん話か? 他の者は宿にいるが』

「やっぱリーダーであるラキュースさんがいた方がいいかなと思って。結構重要な相談だからさ。八本指の事でちょっとね」

『……何故お前が八本指の話を? 提案とは何だ』

「一気に根こそぎ叩き潰す相談、と言ったら?」

『…………すぐには答えられん話だな。ラキュースに確認をとってこちらから連絡する、少し待て』

 イビルアイのその言葉の後〈伝言(メッセージ)〉が一旦切断される。しばらく待っているとイビルアイと繋がる感覚があった。他人から〈伝言(メッセージ)〉を送られるとこんな感じがするのか、と初めての感覚にモモンガは軽く感動を覚えた。

『待たせたなモモンガ、ラキュースに伝えたが話を聞きたいので王城まで来てほしいとのことだ』

「えっ王城? やだよそんな堅苦しそうなとこ……」

『子供かお前は。まあ私もあそこは好かんがラキュースは今王城で八本指対策の話をしている、まとめて話したいという事なのだろう。私達も向かうからお前も来い』

「うーん……まぁどっちにしろ行かないといけなかったからいいか……分かったよ、王城前で合流しよう」

『了解した、ではまた後程な』

 イビルアイの了承の後〈伝言(メッセージ)〉が切断される。こんな不審者が王城なんて入れるのだろうか、不安で一杯だが貴族であるラキュースが何とかしてくれるかもしれない、そうすればもう一つの目的であるガゼフとの接触もやりやすくなるだろう。前向きに考えるしかない。

「さて、王城に行くけど」

「俺ぁここで待ってるぜ、行ってきな」

「ダメに決まってるでしょぉ? アタシは情報収集があるからブレインがモモンガさんに着いていってよね。役割分担ってヤツだからさぁ」

「マジかよ……」

 クレマンティーヌの言葉にブレインがげんなりした顔を見せるが、一人で行くのは不安なのでモモンガとしては誰か着いてきてほしい。ので止めない。

 リストを持ち宿を出てクレマンティーヌは一人情報収集に、モモンガとブレインは王城へと向かう。広大な国土を持つ人口九百万人(とクレマンティーヌが教えてくれた)の王国の王城だけあって立派な建物で高さもあるので土地勘のないモモンガでも向かうのは然程難しくはない。大通りへと出て王城の方角へと歩いていく。

 王城前では蒼の薔薇の面々が既に待っていた。ガガーランとイビルアイの他に、初対面の顔が二人いる。双子のようで、差し色が赤と青で違う他はそっくり同じな体にぴったりとした露出の高い服装で、見分けが付かない同じ顔をした二人の少女だった。

「よう、モモンガ、待ってたぜ」

「どうもガガーランさん、イビルアイ。そちらの二人は初めましてだね、モモンガといいます。こっちはブレインね」

「私はティア」

「私はティナ」

 まるでステレオスピーカーだ、声までそっくりだ。今自己紹介されたばかりだというのにどちらがティアでどちらがティナなのか既に分からず、モモンガは大いに困惑した。

「……うーん、ごめんね、名前は覚えたけど正直見分けが付かない」

「問題ない、モモンガはどちらも対象外だから」

「……? 対象外?」

 双子の謎の発言にモモンガが首を捻っているとイビルアイがこれ見よがしな溜息を大きくついた。

「この変態双子の事は気にしなくていい。さて、ラキュースが迎えに来てくれるという話だったが」

 そのまましばらく待つと、門からラキュースが出てきた。昨日の動きやすそうな服装ではなく見事なドレス姿だ。

「遅くなってごめんなさい、奥にいたものだから移動に時間がかかって」

「いえ、こちらこそ急にすみません、蒼の薔薇の皆さんもご足労いただき感謝します」

「お話は中で伺います、聞かせたい人がいますので。じゃあ行きましょう」

 ラキュースの先導で王城へと入ろうとするものの当然の如くモモンガは止められた。だがブレインの仮面の呪いの説明と貴族であるラキュースの口添えで何とか事なきを得て、城門で各自武器を預け無事王城へと足を踏み入れる事に成功する。

 幾つかの立派な建物を通り過ぎ王城の敷地内を奥へと進んでいく。最も奥まった所にある三つの建物の内一番大きなものへとラキュースの先導で向かう。ちょっと待て、話を聞かせたい人ってこんななんか凄いとこにいるの……? と内心激しく動揺しているものの話を聞いてもらうにはとりあえず着いて行くしかない為、モモンガは内心の動揺を隠しながら蒼の薔薇の後に続いた。

 王宮の最奥にある立派な建物に入ろうとして勿論衛兵にモモンガは止められたが、先程同様の手順でやり過ごす。その時にラキュースがとんでもない事を言った。

「第三王女、ラナーがこの人を呼んでいるのよ。信じられないなら確認を取って頂戴」

 ……は? 聞いてないんですけど? 王女?

 思わず素でモモンガは言いそうになったので必死に抑えた。ラナー殿下と親しいアルベイン様の仰る事ならば、とか衛兵が納得してるけどどういう事だ。聞いてないぞ。えっもしかしてここって王族がいるの? ラキュースってここ顔パスできるの? 俺今から王女に会うの? 疑問が次々に湧き出てくる。あまりの動揺に精神が沈静化された位だ。

 沈静化され落ち着きを取り戻した思考で改めて考えれば、王族に直接話を出来るのは悪い事ではない。王族に話を通すのはラキュースに丸投げして楽をするつもりでいたが予定が変わっただけだ。直接説得できる方が都合がいいといえばいい。ここは前向きに考えるべきだろう。

 微動だにしない近衛兵がそこかしこに立つ宮殿をラキュースはずんずん奥へと進んでいく。幾度か階段を登り奥へ奥へと複雑な経路で進んで、奥まった一室の前でようやくラキュースは立ち止まった。

「ティエール、戻ってきたわよ」

 ラキュースがノックをしてそう声をかけると、ドアが開いて白銀の鎧を身に着けた少年が姿を見せた。

「お待ちしておりました、どうぞ、アインドラ様、蒼の薔薇の皆様方……あの、そちらの、仮面の方は?」

「さっき言っていた八本指を潰す提案を持ってきてくれた人よ、クライム。今から彼の話を聞くから、入ってもいいわよね?」

「ラナー様がご許可されている事に異存などございません。お引き止めして大変失礼いたしました、皆様どうぞ」

 少年が脇へと下がり、一行は部屋の中へと入っていく。外側の一面に透明なガラスを嵌め込んだ窓が数多く並び光に満たされたその部屋には、陽光にも負けない眩しい美貌の少女が微笑みを浮かべて座っていた。

 そもそもこの世界は顔面レベルが高い。鈴木悟の世界であればテレビや映画でスターになれるような美貌を持った男女が街にいればそこら中を普通に歩いているし、ブレインとクレマンティーヌにしてもモモンガから見ればかなりの美男美女だ。蒼の薔薇だってラキュースを筆頭に美女揃いだし、ガガーランも全体的に造りが大きくてごついだけで造形自体は整っている。アンデッドの体になって性欲が失われていなければクレマンティーヌとの旅は正直相当辛かったと思う。

 そんな高い水準の顔面レベルのこの世界の人間の中でも、恐らくは王女と思われる目の前の少女の美しさは群を抜いて際立っていた。さらさらとした手触りが容易に想像できる艷やかで細いプラチナブロンド、美しい曲線を描いた頬は健康的な薔薇色で、小振りの唇も程良い濃さのピンク色、上向いた長い睫毛に縁取られた濡れたような明るい碧色の瞳が印象を強く残す。にこやかに笑んだ少女が愛らしく口を開いた。

「皆様、ようこそお越し頂きました。どうぞお好きな席へお掛けください」

 声まで可愛いわ……非の打ち所のない完璧な美少女じゃないか……そんな思いをモモンガは浮かべながら下座と思われる席に腰掛けた。椅子が足りないのでブレインはモモンガの後ろに立っている。

「椅子が足りませんでしたか……今持ってこさせますね」

「おっと、お気遣いは無用。俺はこいつの付き添いなんでね、話には参加しませんから」

 後ろに控える少年兵へ追加の椅子を申し付けようとする王女をブレインが押し止める。参加しろよ! とブレインにツッコみたくなったが王族の前でそんな態度をさすがに見せるわけにもいかず、絶対に後で文句言ってやるぞとモモンガは心に誓った。

「ご存知の方もいらっしゃいますが、初対面の方もおられますから自己紹介を。わたくしはリ・エスティーゼ王国第三王女、ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフと申します」

 上品に名乗り王女は微笑んだ。そこから自己紹介が始まりモモンガの番になる。

「モモンガと申します。一介の魔法詠唱者(マジックキャスター)でして王族の方とお話できるような礼儀作法の心得がございませんので、ご無礼の段がございましてもご容赦頂ければ幸いです」

「ご安心下さい、堅苦しい席ではございませんから言葉遣いも楽にしてくださって結構ですよ。お名前は以前より伺っております。ガゼフ・ストロノーフ戦士長を狙った法国の特殊部隊、陽光聖典でしたっけ? をお一人でほぼ全員降伏させた凄腕の魔法詠唱者(マジックキャスター)とか」

 ラナーのその言葉に蒼の薔薇一同が驚きを見せる。

「よくご存知ですね、武勇を誇るようでお恥ずかしい限りです」

「いえ、そんな方のご提案という話でしたので是非ともお聞きしたいと思ったのです。それで、モモンガ様の提案というのは一体どんな内容なのでしょうか?」

「まずはこれをご覧ください」

 そう告げてモモンガは身を乗り出しテーブルの上にクレマンティーヌに書き取らせたリストを置いた。

「……これは?」

「八本指の拠点のリストです。首魁の主な居場所も判明しております」

「モモンガ、お前はどうやってこれを手に入れた、これの信頼性は如何ほどのものだ」

「かねてより付き合いのある、とある組織から情報を提供してもらいました。組織の構成員が八本指に潜入しておりまして、襲撃の日時さえ決めれば内応してくれる手筈となっておりますので拠点も容易に制圧できるでしょう。信用されるかされないかはご随意に。ご希望であれば後日麻薬を栽培している畑のある場所のリストもご用意しますよ」

 イビルアイの問いに対するモモンガの答えに、ラナーとブレイン以外の者が息を呑んだ。

「……お前がそこまでする理由が分からないな、何が狙いだ」

「私は憂えているのですよ、この国の現状を。旅をして今回初めてこの王国を訪れ、弱き者の生き辛さを見ました。弱者が強者に喰われるのは確かにこの世の理、それでも面白半分に弱者が虐げられるような事はあってはならないと愚考いたします。単刀直入に申し上げるなら、極めて不愉快なのですよ、八本指という強者気取りの愚か者共の愚行が」

 淡々と述べたモモンガの言葉に誰も返事を返さなかった。蒼の薔薇の面々はモモンガの怒りが向く事の恐ろしさが恐らく一端とはいえ分かっているから、ラナーはどうしてかはモモンガには分からない。

 しばしの沈黙の後、ラナーが口を開く。

「提案、という事でしたが、このリストをご提供頂いて提案するのであれば八本指を一網打尽にするという事ですよね。それは勿論わたくしとしても望むところなのですが、何分わたくしには動かせる兵力がございません」

「是非とも王にご提案頂けませんか。王国を蝕む巨悪を王都から根絶したとあれば王の権威と力も増すでしょう、利のない話ではないと思いますが」

「そう簡単な話ではないのモモンガさん……八本指と繋がって甘い汁を啜っている貴族は派閥を問わず数多いですから、八本指を潰せば王への貴族の反発はそれだけ強くなるんです。和を尊ばれる王は強権を発動する事を好まないでしょうし……」

 ラナーの質問にモモンガが答えるが、ラキュースの反応からすると王を動かすのは難しいようだった。しかし拠点の数からしても多くの兵士が必要になるだろう、王やそれに準じる数の兵力を動かせる者の協力は必須だ。

「なればこそ王に動いて頂く意味があるのではないでしょうか? 王女たる方の前で失礼かとは存じますが、和を尊ぶといえば聞こえはよろしいですがその実王は優柔不断な所があり、貴族派閥と王派閥どちらにもいい顔をしようとしてかえって派閥間の対立を深める一因となっていると聞き及んでおります。ここで断固たる態度を見せれば王を見直す貴族も多いでしょうし、滅びてしまえば八本指から受ける利益ももうありません、強い王の前では内心はどうあれ貴族も黙るしかないのでは?」

 派閥と王の話は勿論クレマンティーヌ情報だ。強い王の前では黙るしかないというのは鮮血帝の話の記憶から今考えついた。鮮血帝は名前からして怖いがそれ位強気でいかなければ国をまとめる事などできないという事なのかもしれない。

「分かりました、お父様にはわたくしからお話してみます。ただ、派閥間のバランスを取りお父様を助ける事に苦慮しておられる方もおりますので、その方にもお話を通しておいた方がよろしいでしょう。恐らく兵力などのご協力もいただけますしね」

「そのような方がおられるのであれば是非ご協力頂ければ心強いですね、お任せします。私の方からは本日は来ておりませんがクレマンティーヌという戦士をお貸しします。六腕とも対等以上の闘いが出来る事は保証致します」

「モモンガ様は参加されないのですか?」

「私は他にやる事がございまして。それに私が力を振るう事で要らぬ不安を煽りたくはございませんので」

 モモンガのその言葉にラキュースとイビルアイが僅かに俯いた。ラキュースの顔色には確実に安堵の色があった。

「ただ、蒼の薔薇とモモンガ様からお貸し頂く方だけでは六腕への対抗戦力としては数的に不安ですね……」

「それであれば、私は死霊系統の魔法を修めておりますので、六腕と戦って十分勝算のあるアンデッドをお貸しできますよ。勿論私の命令に絶対服従ですので八本指以外に危害を加える事はありませんし、例えば現場の指揮官の命令を聞くようにする事も可能です」

「如何ほどの数ですか?」

「十二体ですね」

 そのモモンガの答えに蒼の薔薇の面々は一様にぎょっと驚愕の色を見せた。

「六腕と戦えるアンデッドを十二体ですか……? 同時に?」

「そうですが、少なかったですか?」

「多すぎるんです……ただ、アンデッドですと兵士達が動揺するでしょうから、その案の採用は難しいかと……」

「やっぱりそうですよね……」

 ラキュースの答えに予想はしていたもののアンデッドへの人間の忌避感の強さを再確認させられモモンガはがっくりと少しだけ密かに落ち込んだ。

「ならば、私が遊撃として上空で待機しよう。六腕がいた拠点を担当する隊は蒼の薔薇やモモンガの所の戦士がいない場合には発煙筒を使ってもらい、私が向かって順次制圧していく、というのでどうだ」

「イビルアイなら確実ね、それでいきましょう」

 イビルアイの案があっさりと採用される。モモンガには強さがよく分からないのだが、ブレインより強いのだからイビルアイは恐らくこの世界では相当の強者なのだろう。ならばクレマンティーヌより恐らく格下の六腕となら勝算十分というところなのだろう。

「ブレイン・アングラウス、お前は来ないのかよ」

「俺はこいつのお守りをしなきゃならないんでね、すまんな」

 ガガーランの問いにブレインが軽い調子で答える。お守り言うな、と言ってやりたいのはやまやまだったがさすがにこんな場所でそんな事はできない。後で言う文句に追加だ。

「話は纏まりましたね、後はお父様の説得だけです。それではクライム、お願いがあるのですが」

「はい、ラナー様」

「レエブン候をここへ呼んできて頂けますか? つい最近の会議におられたので、まだ王都内にいらっしゃる筈です」

「レエブン候は派閥間を飛び回る蝙蝠って聞く、利益があればどちらにでも付く男、八本指からの金でも動く」

「そこから情報が漏れるなど考えたくもないぞ、王女」

 ラナーの呼んだ人物にティアかティナのどちらかとイビルアイが批判を向ける。ラキュースも懐疑的な表情でラナーを見やった。モモンガは領地を治める当主としては先進的な良君とクレマンティーヌから聞いているが、どうやら一般的なイメージとしてはフラフラ派閥間を飛び回る蝙蝠らしい。しかしラナーは先程、協力者は派閥間のバランスの調整に苦慮していると言っていたような記憶がモモンガにはある。この差は一体どういう事なのだろう。

「ねぇラナー、レエブン候には良いイメージがないんだけど、信頼していいのかしら?」

「確実とは言い切れないし、それに彼は八本指からある程度の見返りを貰っていると思うわ。でも、レエブン候が皆さんの言うような方だったとしても八本指から受ける以上の利を示せば動いてくれるのではなくて? それに金銭を貰っていても八本指に協力する意志のない人物だっている筈でしょう。候の策謀がわたくしの想定を上回っていればどうなるかは分かりませんけど、賭けですね。クライム、レエブン候にモモンガ様が八本指について情報を提供して下さったという話をして下さい、それで会って下さると思いますから」

「かしこまりましたラナー様、それでは行って参ります」

 クライムと呼ばれた白金の鎧の少年は一礼すると足早に部屋を出ていった。さて、と言い置いてからモモンガも席を立つ。

「差し当たってのお話も終わったと思いますので私はこれで失礼したいと思います。王のご説得の結果や決行の詳しい日時や段取りなどはイビルアイさんを通してお伝え下されば幸いです」

「大変有意義なご提案をありがとうございました、モモンガ様。わたくしも王族としての務めを果たす為及ばずながら出来る限りの努力をさせて頂きたいと思います」

「色々とご無礼もあったかと思いますが寛大なお心に感謝いたします、王女殿下。それでは失礼致します」

 深く一礼してからブレインを伴ってモモンガは王女の部屋を辞した。ドアを出てから、道が分からないという事に気付いた。

「……ブレイン、外までの道覚えてる?」

「誰か付いてないとやっぱ危なっかしくていけねぇなお前は……付いてこい」

 どうやらブレインは道を覚えていたようで、淀みなく先を進んでいってくれる。〈妖精女王の祝福(ブレス・オブ・ティターニア)〉をダンジョンでも何でもない城で使うとか格好悪い事にならなくて良かった、ブレインがいてくれて心から良かった……とモモンガは深い感謝を覚え先程心に刻んだブレインへの文句を忘れる事を決めた。

 建物の外まで出て衛兵に戦士団が詰める場所を聞く。というかブレインに聞いてもらった。戦士団がどこにいるのか衛兵の説明ではモモンガにはよく分からなかったのだがブレインは理解したようで、やはり淀みなく城の敷地内を進んでいく。しばらく進むと、カルネ村で見たカスタマイズされた鎧姿が複数道の先に見えた。

「モモンガ様でいらっしゃいますか? お久し振りです。覚えていらっしゃらないかもしれませんが、カルネ村で助けていただいた内の一人です」

 戦士団の一人がこちらに気付いて声をかけてくれる。声に応えモモンガは軽く頭を下げた。

「その節はどうも。ガゼフ殿にお会いしたいのですが、今どちらにいらっしゃいますか?」

「戦士長は今訓練中です。お呼びしてきましょうか?」

「いえ、大事な訓練を中断させてしまうのも心苦しいですから終わるのをお待ちしたいと思います。どこかお待ちできる場所はございますか?」

「了解しました、それではご案内します」

 団員は城の尖塔の一つの中にある部屋にモモンガとブレインを案内してくれた。部屋には椅子とテーブルと何が入っているのか分からない木箱があるだけで簡素だが、人を待つのには十分だろう。団員がガゼフに声を掛けに行ってくれたので椅子に腰掛けガゼフを待つ。

 四半刻も待っただろうか、ひょっこりとガゼフが姿を見せた。

「お待たせして申し訳ないモモンガ殿、ブレイン。本日はどうされたのだろうか? 何故王城に?」

「お仕事中でお忙しい中すみません。実は今日、ラナー王女殿下とお会いしある提案をして参りました。その事についてガゼフ殿にお話があります。お時間は大丈夫でしょうか?」

「……王女殿下が関わる程重要な話ならば、時間を割いてでも聞かねばなるまい」

 表情を引き締めるとガゼフは椅子に腰掛け話を聞く態勢を整えた。一つ頷いてモモンガは口を開く。

「提案というのは八本指についてです。彼の者達の王都内の拠点について情報を得る機会がありましてね、兵力さえあれば王都から一挙に一掃する事も可能です」

「それは誠か! いや、そんな嘘などつかれる方ではないな、モモンガ殿は。で……私に何を望まれる?」

「王女殿下には王が動き兵を動かすよう説得して頂く事をご提案いたしました。ガゼフ殿からも、是非王を説得してほしいのですよ。勿論実行の際にはガゼフ殿も戦力として加わって頂ければ心強いです」

「説得か……口の回る方ではないので荷が重いが……」

「回る口など必要ではありません。ガゼフ殿の真心を感じさせる言葉があれば、王の心も動くのではないですか? 王が八本指を王都から排除したという実績をもって権威と力を回復されれば、王に対する貴族の信頼も強くなり結果として派閥争いも王側の勢力が強くなるでしょう。貴族派の反発はあるでしょうが、強き王であれば表立っては逆らえますまい。そしてガゼフ殿も王の為に働きやすくなるでしょう。カルネ村の時のように碌な装備もなく陽光聖典と戦わされるような事態もなくなるのでは?」

 モモンガのその言葉にガゼフは目線を伏せしばし黙り込んだ。ガゼフの言葉には恐らく力がある、嘘をつけない男だと誰もが知っているから信頼度が違う。不器用者だと自分では言っていたが、だからこそその言葉は人から信頼されるのだ。

「……王国を蝕む麻薬の害を例に出すまでもなく八本指の排除は急務、それを王自らが為すのが一番の良策なのは確かだ。派閥間のバランスがどう動くか分からず宮廷が混乱に陥るかもしれないという懸念はあるが……モモンガ殿の言われる通り強き王であれば貴族達も概ねは従うだろう……分かった、私からも王にお話してみよう。ただ、上手くできるか全く自信はないのだが」

「ガゼフ殿のそのような所を王も評価され重用されているのだと思いますよ、ですからその言葉も必ずやお耳に入れて下さるでしょう。無理なお願いを聞いて頂き感謝いたします」

「よして下さいモモンガ殿、貴殿に受けた恩義に比べればこの程度の事何という事もない。戦士団の装備では天使達には為す術もなく部下が殺されていた、あの巨大な天使に至っては対峙すれば私も生きてはいられなかった。今私があるのはモモンガ殿のお陰なのだから」

「ふふ、その恩はこうして返して頂くのですからもう十分ですよ。それでは、話も終わった事ですしお仕事を邪魔しているかと思いますので我々は退散いたします。また後日、この件が片付いたら是非お宅を訪ねさせてください」

「是非とも来訪をお待ちしている」

 モモンガは椅子から立ち上がると一礼しブレインを伴って部屋を出た。尖塔を出てから道が分からずブレインに先を歩かせたのは当然といえば当然の結果だった。

 

***

 

 モモンガという男は、人ではないかもしれない。それがラナーの分析だった。

 八本指に対する不快感の表明の言葉、言葉の内容こそ強い怒りを感じさせるが、声色は極めて軽かった。道端の小石を蹴るような軽さだ。

 モモンガの発言に対するラキュースの反応も気になった。モモンガが八本指への攻撃に参加しないと宣言した時、明らかにラキュースは安心していた。参加されたら大変な事になる、とでも言わんばかりに。そして、人ではない力を持つイビルアイも表情こそ見えないもののラキュース同様の安堵を微かに見せていた。

 国堕としが恐れる存在が果たして人だろうか。否、例え人間という種であったとしても人ではない力を持つ者だろう。

 どうせならこの国を滅茶苦茶にしてくれれば、王家など存続できないようにしてくれれば、私はただのラナーとしてクライムと結ばれる事が出来たのに。その意志があのモモンガという魔法詠唱者(マジックキャスター)にない以上、不要の接触は危険を招くだけだろう。王家は崩壊させてほしいがラナーは死にたくない。わざわざ虎の尾を踏む事もない。

 危険、という事を覚えておけば大丈夫でしょう。馬鹿なお兄様が尾を踏んで虎に噛み殺されてしまえば面倒が減るのですけれども。

 闇に沈んだ夜の街を窓から眺めラナーは考える。ああ、どうすれば私はクライムと望む形で結ばれる事が出来るのだろうか、と。




誤字報告ありがとうございます☺


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襲撃

 王都某所、深夜。ちょっとしたホールに集められた者達の数は百は下らないだろう。皆黒いローブ姿でフードを被り顔がよく見えないが、こっそりとドアの隙間から中を覗ったモモンガにもこれから起こる事への皆の期待は痛いほど伝わってくる。今回の八本指の件は世界征服の計画の一環だとカジットは八本指排除に参加する者達に伝えているらしい。勘弁してほしい、ない筈の胃が痛む気がする。

 軽い気持ちでカジットの願いを聞いたらこれである。見せるっていっても精々十人程度だろうとモモンガは気楽に考えていたのだが全然そんな事はなかった。この百を下らないズーラーノーン構成員達の前で今からモモンガは死の王ロールを行わなくてはならないのだ。装備は既に神器級(ゴッズ)の姿、邪悪な魔法使い変装セットも外して死の支配者(オーバーロード)の素顔を晒している。威光と威厳を示せって言われてもなぁ……なんつう無茶振りだよカジット……。世界征服とかいうとんでもない勘違いも合わせて言ってやりたい事がカジットには山程あるのだが、何というかモモンガの為に一生懸命働いてくれているし今回の八本指の件にしてもカジット抜きでは計画が成立しなかった。とても言いづらい。

 威厳が出るかなと思ってとりあえず絶望のオーラレベルⅠを発動させておく。いつまでも待たせているわけにはいかないしここは行かなくては、一生懸命頑張ってくれているカジットの為だぞ俺、頑張れ。己を鼓舞してドアを開き中へと足を踏み入れる。

 モモンガが部屋に入った途端、場の空気が凍りついた。ん? と思ってちらりと横目で見ると皆立っていた筈なのに今は汗びっしょりで跪いているし息が荒い。とりあえず威厳を見せるのには成功したと思っていいのだろうか。

 中央まで進むとモモンガはズーラーノーンの者達の方へと向き直った。頭を上げる者は誰もいない、それどころか身じろぎすらしない。これだけ人がいて無反応だったら泣いちゃうかもな俺、涙出ないけど。そんな不安を抱えながら口を開く。

「よくぞ集まってくれた、ズーラーノーンの諸君。私が死の王である。私が支配しているところである死を人の身で弄ぶ愚か者共、八本指を排除するにあたり今回皆の者の協力が得られた事を私は嬉しく思っている。頭を上げ私の威光に触れるがよい」

 モモンガの言葉に場の一同は弾かれたように頭を上げた。誰も彼も皆息を呑み恐らくは驚愕に目を見開いている。反応が薄いのか濃いのかよく分からないが、できればモモンガは良い方に考えたい。でないと心が折れてしまいそうだ。威光と威厳いい感じで示せてると思いたい。

「王国は既に虫喰いだらけの倒れかけた巨木、だがその根を腐らせる八本指を排除する事で王国は倒れる事を免れよう。いざとなれば刈り取り易い形で残ってくれるという訳だ。私が得る時には実り多き国を、それを私は望んでいる。そしてそれ以上に、人の死が己の手の内にあると奴等が驕り高ぶっているという事が私にとっては何より許されぬ事だ。私が動いているという事が誰にも悟られぬよう私の計画は水面下で静かに進まねばならぬ。故に私が表に出る事はないが、その分皆の者の働きには期待している、存分に力を振るうがいい」

「はっ!」

 百人以上の声が唱和し、訓練したのかと聞きたくなる程の揃った動きで一斉に皆が頭を下げる。とりあえず、好反応なんだよな? そうだって誰か言ってくれ。時間が時間だったので馬車で迎えに来てもらって一人でここまで来たので尋ねられるクレマンティーヌもブレインもいない。いやブレインはもし来ていたらドン引きしていただろう。そういえば神器級(ゴッズ)装備はまだ見せてないし。

 モモンガとしても王国をいずれ手に入れるなんて嘘八百は口にしたくないのだが、この場の者達は世界征服の件をカジットから聞かされているらしいので話は合わせなければならない。どんどん話が大きくなっていく、しない筈の頭痛がする気がした。

「詳しい日時などは追って知らせる事となろう。働きによってはそれに報いる事もあろう、励むがよい」

 報いるも何も大して金もないモモンガには褒賞を与えることなどできないのだが、死の王ロールの時にはつい言ってしまうし働きにきちんと報いたい気持ちがあるのは本当だ。カジット本人への報いは別として他の奴への褒賞はカジットに丸投げしてもいいだろうか、それ位は許されるよな。話をどんどん大きくしてくれる張本人への恨みつらみを口にできない遣る方無い気持ちをモモンガはそんな風に昇華させた。

 言うべき事は言ったので死の王っぽい威厳のある(とモモンガが思う)ポーズを取って〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉で宿の部屋へと戻る。

「ひぃっ!」

「ひぇっ!」

 灯りを落とした部屋に絶叫が二つ響いた。クレマンティーヌとブレインが飛び起きている。二人とも汗びっしょりで何かに恐怖したような怯えた顔をしている。

 あっ、絶望のオーラ切り忘れてた。

 うっかりしていた事に気付き絶望のオーラを切ってからモモンガは部屋の灯りを付けた。

「俺だよ俺。ごめんごめん、起こしちゃったね、今帰ってきたんだ」

「起こしたってレベルじゃねーぞ、殺す気か! ショックで心臓止まるだろ!」

「さすがにこれはモモンガさん……洒落になりません……」

「えっそんなに? 威厳を出す演出としてはやりすぎだったかなぁ……」

 捲し立てるような早口な口調のブレインと荒い息の中から絞り出すような口調のクレマンティーヌに口々に文句を言われ、この二人より多分レベルが低いであろうズーラーノーンの者達はもっと怖かったのではないかと事ここに至ってようやくモモンガは思い至った。

「演出であんなとんでもなく禍々しくて恐ろしい気配ダダ漏れにしてたのかよお前……」

「まあ……力を示すという意味では効果的だと思いますよ……私達はもう十分知ってるのでさすがに寝入ってる所に不意打ちは勘弁してほしいですが……」

「ごめんね? わざとじゃなかったから許して? それにショック死しても蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)あるから安心して?」

「安心できねぇよ!」

 フォローの材料としては蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)はどうも弱いらしい、ブレインは全然安心してくれない。そもそも殺すな、と言いたいのだという事にモモンガは全く気付いていない。

 すっかり目が覚めてしまった二人は寝直す事もできず結局そのまま起きている事になったので、ちょっと悪い事をしたなぁとモモンガは大いに反省したのだった。その格好丸っきりアンデッドの魔王だな、とブレインに言われてもその通りですと素直に許した位には反省した。

 

***

 

 王宮を訪れて二日後、イビルアイからモモンガに連絡が入った。ラナーとガゼフが王の説得に成功したという喜ばしい知らせだった。レエブン候も説得に協力してくれたらしいし兵力も出してくれるという。兵力だけならまだしも虎の子である麾下の元オリハルコン級冒険者チームまで戦力として提供してくれるというので、ラナーがレエブン候に一体どんな話をしたのか少し気にはなったが、王族と話をするなどこの前のように必要に迫られなければご免だ、それ以上の追及をモモンガは諦めた。八本指から提供される以上の利をラナーが提示したという事なのだろうと納得することにする。ガゼフ始め戦士団も勿論襲撃に加わるので、六腕に対する戦力の不安はかなり少なくなったといえると思われた。

 詳しい作戦を立案し兵力を整え適切に隊を編成するまでにどんなに急いでも最低一日はかかるため、決行は二日後の夜と決まったとのことだった。情報が漏れないよう出来るだけ速やかに行った方がいいのは確かだが、それで準備が疎かになっては本末転倒だろう。兵は拙速を尊ぶというけどそれは時と場合によりけりだよモモンガさん、と言ったのは間違いなくぷにっと萌えさんだろう。速度に拘りすぎるよりはより確実に勝てる布陣の構築を優先する方に重きを置くのはモモンガとしても賛成できる。故に何も文句はない。

 日時をカジットにも伝え、これで準備万端。モモンガのする事は後は当日夜まで何もない。

 作戦当日の朝、情報収集に行くと部屋を出ていこうとしていたクレマンティーヌをモモンガは呼び止めた。

「今日はクレマンティーヌはお休みでいいよ」

「えっ、何でですか?」

「皆でマジックアイテム見に行かないか? クレマンティーヌに殴打武器その内買ってやりたいなぁって思ってるから、どういうのが欲しいのかとか知りたいんだよね」

「……モッ、モモンガざんが……わたじなんがのだめに……まじっぐあいでむを……」

 ドアの前で立ち止まって振り向いていたクレマンティーヌは目に涙を一杯に溜めて肩を震わせている。これは良くない兆候だ。

「なっ! 泣いたらブレインに慰めさせるからな!」

「何でそこで俺に振るんだよ! おかしいだろ!」

「俺は童貞だから女の子の慰め方なんか知らないの! ブレインは童貞じゃないだろ!」

「そういう問題かよ! 俺ぁ女より剣にしか興味がねぇからそんなに経験はねぇし、慰め方なんか知ってるタイプに見えるか⁉ そもそも関係ない俺を巻き込むな! 泣かせたのはお前なんだから自分で責任取れよ!」

「殴打武器買いたいって言っただけで泣くとか思わないだろ⁉ どうしろってんだよ!」

「モッ、モモンガざああああぁぁぁん! うわあああぁぁぁん!」

 酷い言い合いが繰り広げられている横で結局クレマンティーヌは泣き出した。腕組みをして苦い顔をしたブレインに顎をしゃくられ仕方なくモモンガはクレマンティーヌの背中を擦り優しく声をかけ必死に宥める事となってしまったのだった。

 泣き止んで落ち着いたクレマンティーヌが顔を洗い直してから三人で宿を出てマジックアイテムの店巡りを始める。情報収集をしていたクレマンティーヌはマジックアイテムを取り扱う店の場所もある程度把握していてくれたのでとても助かる。

「ブレインにもその内刀買いたいんだけど泣く?」

「泣くわけねぇだろ」

「そうだよね、その方が助かるよ……俺だってブレインみたいなごつい男なんか慰めたくないもん」

「俺だってお前に慰められてもこれっぽっちも嬉しくねぇよ……」

「私はモモンガさんに慰めてもらえて天にも昇る心地ですよ。モモンガさんと出会ってからの私恵まれすぎです」

「えぇ……そこまで? 別に普通じゃない? 一体どんな酷い生活してたのクレマンティーヌ……」

 道中の会話でクレマンティーヌがさらっと爆弾発言をする。本当にどんな生活してたんだクレマンティーヌ……漆黒聖典ってそんな劣悪な環境だったのか……名前通りブラックなのか? スレイン法国の暗部を見たような思いでモモンガは暗澹とした気持ちになるのだった。

「言っとくけど刀は相当高いぞ、魔化されてない普通の刀がそこそこの魔法の武具と同じ値段だからな。お前さんの眼鏡にかなうような魔化された刀となったらとんでもない金額になるぞ」

「そうなんだ。何で?」

「刀は貴重品なんだよ。ここいらじゃ作れる職人がいなくて、南方から時々流れてくる僅かな品しかないからな。しかもその中で魔化されたものとなると相当の値が付くんだよ。お前にゃ微妙って言われたけど今の俺の刀だってかなりの額だったんだぞ」

「うーん、そうなのか……やっぱりお金を稼ぐ方法を何か考えなくちゃなぁ。そうだ、南方に行ってみたらもっと種類が多くて安く買えるんじゃないか? 職人に作ってもらえるかもしれないし」

「確かにそうかもな。見てはみたいな、興味はある」

 南方というときっと、大きな砂漠がある辺りだろう。南の砂漠の都市・エリュエンティウは八欲王の国の首都だったというからその辺りに刀を作る技術が残っているのかもしれない。その都市も是非訪れてみたい。それまでにはお金を稼ぐ方法も考えようと密かにモモンガは心に決めた。

 王都のマジックアイテム取り扱い店舗はどこも品数は中々豊富だったのだがモモンガにとってはやはり微妙と感じられる品しか置いていなかった。鎚矛(メイス)があったのでこっそりと〈魔法無詠唱化(サイレントマジック)道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を使ってみたが単に打撃力向上の効果がかかっていただけだった。それでも十分といえば十分なのだろうが、ユグドラシルの武具に慣れた身からするともう一声と言いたくなってしまう。

鎚矛(メイス)ですか。中々良さそうですけど、私はモーニングスターの方が好みですね」

「何か使い勝手とか違いがあるの?」

「棘が痛そうじゃないですか、モーニングスターの方が。あれで殴ると良い声出してくれるんですよね」

 にこやかにクレマンティーヌは答える。あっそういう事ね、とモモンガは理解し納得した。こいつやはりサイコパスだ、棘が肉に刺さる感触とかが好きに違いない。ちなみにその微妙な鎚矛(メイス)も今の所持金ではちょっと手が出せる金額ではなかった。金策の確立は必須だろう。

「言っとくけど殴って良い声を出してくれるような相手に打撃武器使うの禁止だからね。それ目的が拷問でしょ、そんな事する必要はこれからもないから。打撃武器はあくまでモンスター対策だよ」

「うーん、それなら鎚矛(メイス)でも問題ありません。残念ですけど我慢します」

 そんな穏当でない会話を交えつつも陽が西にかかる頃までマジックアイテム探しを続け、頃合いになったのでクレマンティーヌは八本指の拠点襲撃に加わる為王城へと向かっていった。

「さて、それで。お前はこれから何をする気なんだ?」

「そんな急ぐ用事でもないしまだ時間もあるから、一旦宿に戻るさ」

 尋ねてくるブレインの表情からはこれといった感情は読み取れない。ただ視線は鋭い。そんなに警戒される程大騒ぎになるような事はしないのにな、とモモンガはちょっと心外に感じた。精々が今日の八本指騒ぎに紛れてしまう程度の小さな事件になる予定だ。

 どうしてこんなにブレインはモモンガの行動を気にしてくるのだろう。幾度も浮かべた疑問を今回もやはりモモンガは頭に浮かべた。いくら考えたところでブレインが何を考えているかなど分かる筈もないのだから意味のない事なのだが、それでも気になってしまう。

 こんな気持ちは初めてだな、とモモンガは思った。ここまで相手の思惑が分からずそれを知りたいと思った事は鈴木悟にもモモンガにもなかった。相手の言葉も行動もそういうものとして受け入れ流してきた、そういう生き方をしてきた。それが一番楽だったからだ、深く考えずに済んだからだ。去り行く仲間が去る理由など深く考えてしまえばきっと立ち直れない程の痛みを受ける、そんな事は耐えられなかった。

 痛いのが嫌なんだな俺は。少しでも傷付くのに耐えられない程、弱い。

 その自覚はモモンガ自身にもあった。皆自分の生活が、夢がある、リアルの方が大事だから、そう理由付けをして、そうして誰とも向き合わなかった結果、誰も残らなかった。アインズ・ウール・ゴウンの輝かしい日々の中、モモンガはただその場所に身を置いて流されていただけだ。多数派の意見に、他人に合わせるばかりで、自分からやりたいと言った事など未攻略ダンジョンだったナザリック地下墳墓の攻略の他にどれ程あったというだろう。日々の細かい記憶などもう記憶の海の中に紛れてしまっているというのに輝いているという事だけは忘れられずに捨てられない。それなのにそんな大事なものと、モモンガはきちんと向き合おうとせずに失われていくのを受け入れ流した。そういう生き方しか知らなかったから。

 だから独りなんだ、それは分かっている。でも今更他の生き方などできるだろうか。鈴木悟(モモンガ)には良くも悪くも自分というものがない、たっち・みーやウルベルトのようにはっきりとした自分の意見や主張もない。だから誰ともぶつからなかった。それは意見の調整役という自身の立場上好都合だと思っていたけれども、誰とも向き合えないという事でもあったのだ。

 それが自分の生き方だと思っていたのに、どうしてブレインの思惑をこんなにも気にして流せないのか、そこがモモンガ自身にも分からなかった。どうせモモンガの行動の邪魔などブレインにはできはしない、監視されたところで気にすることもないような瑣末事なのに。今までの人生で流してきた事柄と比べてもそれ程重要とも重大とも思われない、そんな取るに足りない事の筈なのに。

 

***

 

 兵力が王城へと集結している動きは既に察知されていると思った方がいい。だからこそ行動を始めたら迅速に。それが作戦の一番重要な部分だった。城門、下水道の王都外へ続く水路などは朝の内から多くの兵を配備して厳重に固めさせている。如何な八本指とはいえ王と第二王子ザナック、第三王女ラナーとレエブン候のみで密室で決定した今回の作戦を完全に把握しているとは考えづらい。いつもの表面的な摘発だろうと高を括っていてくれればその隙を突いて一網打尽にできる。それこそが狙いだ。

 夕闇の中行動を開始した王直轄部隊とレエブン候麾下の兵は迷いなく素早く持ち場の八本指拠点へと移動していく。夕陽が完全に沈みかけ西の空の際が赤黒く染まる頃、城から一番近い拠点に到着し周囲を包囲した部隊が内応者があらかじめ開けておいた入口や裏口から突入を開始する。

 その騒乱は夜の闇が深まるにつれ王都全域に広がっていった。ガゼフ・ストロノーフ率いる部隊が向かったのは六腕の拠点の一つと目される建物だった。今日のガゼフは五宝物の装備を許され万全の体勢で戦いへと臨んでいる。八本指の最大戦力たる警備部門、ひいてはアダマンタイト級の武勇を持つ六人である六腕と最も有利に戦えるのは全部隊の中でも一番士気の高いガゼフの部隊で間違いないだろう。

 門は閉じているように見えるが閂は外されていた。押すだけで簡単に開いた門から部隊が突入する。少し進んだ先に邸宅があり、その前は広場のようになっていた。そこには八本指の警備部門所属と思しき男達が布陣しており、先頭には全身に入れ墨を入れたスキンヘッドの筋骨隆々たる巨漢が仁王立ちしていた。

「貴様が来たか、ガゼフ・ストロノーフ。丁度いい、貴様を倒し、この”闘鬼”ゼロこそが王国最強であるという事を名実ともに証明してやろう」

「そんな称号には興味はない。王国を害する貴様らを許せん、戦う理由はそれだけで十分だ。者共、突撃!」

 ガゼフの号令と共に戦士団を前に立てた部隊が突撃を開始する。その中で、ガゼフとゼロが睨み合う一帯だけはぽっかりと穴が開いたように視界を遮り邪魔する者が入ってこなかった。

 切っ掛けは何だったのか、それは最早分からない。すらりと剣を抜き上段に構えたガゼフと拳を握りしめたゼロは距離を詰め、ゼロの拳を皮一枚で避けたガゼフが袈裟懸けに剣を振り抜き、それをゼロが後ろに飛び退って躱す。

「鋼さえもバターのように斬り裂くという王国の至宝・剃刀の刃(レイザーエッジ)とやり合うのでは俺の分が悪いな。だがその不利を跳ね除けて勝利を掴んでこそ価値があるというものだ。久し振りに全力を出すに足る相手という訳だな」

 不敵に笑うとゼロは特殊技能(スキル)を起動させた。足の(パンサー)、背中の(ファルコン)、腕の(ライノセラス)、胸の野牛(バッファロー)、頭の獅子(ライオン)。全身に刻まれた五つの入墨が光を放つ。動物の霊魂がゼロの身体に宿り、身体機能を爆発的に飛躍向上させていく。ガゼフ・ストロノーフは能力を温存して戦えるような相手ではない、勝負はこの一撃で終わる。そしてゼロ必殺の剛速の一撃を躱せる者などいる筈がない。

 それに対抗してガゼフも能力向上の武技をいくつか発動させる。

「お互いに出し惜しみなど出来る相手ではないな、こちらも全力でいかせてもらう」

「死してその名と栄光をもって我が踏み台となれ、ガゼフ・ストロノーフ!」

 ゼロは腰を落とし深く構え、かっと目を見開いた刹那目にも止まらぬ力強い踏み込みを助走にして回避不可能と思わせるような速度の剛風を伴う正拳突きを放つ。八相の構えを取ったガゼフはその正拳突きを――

「〈流水加速〉」

 流れるような動きで躱しすれ違いざまに剣を振り抜いた。すぱりと、ゼロの喉が裂け血が迸る。

「ば……か、な……」

剃刀の刃(レイザーエッジ)に斬れぬ物はない。そして、お前の拳よりこの前した軽い手合わせの剣筋の方が鋭く速かった。元々俺は王国最強などではないのだがな」

 石畳を血で濡らしどうと倒れ込んだゼロにそのガゼフの言葉が最後まで届いたかどうかは分からなかった。

「六腕が一人”闘鬼”ゼロ、このガゼフ・ストロノーフが討ち取った! 一気に畳み掛けるぞ!」

 ガゼフの勝鬨に部隊が沸き立ち戦意が昂揚する。この場の勝敗は決したようだった。

 

***

 

 王都の倉庫が集まる区画に向かったガガーランとティアの部隊は、六腕の一人”空間斬”ペシュリアンと対峙していた。

「あいつの剣は見えない剣、どこから襲ってくるか分からない」

「へっ、ならよぉ、忍術で何とかしてくれや」

「ガガーランなら自分で何とかできる、そろそろ血の色も変わって人間から進化してる筈だから」

「何を根拠に、俺の血はまだ真っ赤だよ。さてとりあえず、様子見と行くかね! 援護頼んだぜ!」

 ガガーランが踏み込むとペシュリアンの剣の柄にかかった手が動き、次の瞬間これはやばいと直感したガガーランはしゃがみ込んでいた。頭上をヒュンと何かが通る音がする。追撃を防ぐためティアが爆炎陣を放つ。その隙に立ち上がったガガーランは駆け出し爆炎陣を避けたペシュリアンとの距離を詰め、ペシュリアンの動きと呼吸、そして自分の勘だけを頼りにペシュリアンの見えない剣を回避していく。

「やっぱりガガーランは既に人間を辞めてる、血の色も変わってる筈」

 適切なタイミングで爆炎陣を放ちガガーランを援護するティアにはそんな軽口を叩く余裕もあるがガガーランは必死だ。

「んなわけあるか! ギリギリだっつーの! だが後ちょっと!」

「くそっ、アダマンタイトが! 大体にして何でここが分かったんだ!」

「さあてね、お前さん方が年貢の納め時だったって事さ!」

 そう叫ぶとガガーランは、刺突戦鎚(ウォーピック)を何もない地面に力一杯叩きつけた。

「砕けや!」

 刺突戦鎚(ウォーピック)が土を固めただけの地面に突き立ち、そこを中心に大地が裂け砕ける。もう少しで刺突戦鎚(ウォーピック)の射程という所まで接近を許していたペシュリアンは、その衝撃に巻き込まれバランスを崩し転びはしないまでも前のめりに数歩よろめく。

「うらぁっ!」

 そこに刺突戦鎚(ウォーピック)の強烈な一振りが上段から襲いかかる。回避などできる筈もないペシュリアンはその強烈な打撃をもろに頭に受け、勢いのままに地面に叩き付けられた。

 地面にはフルフェイスヘルムごと頭を叩き割られた無残な死体が残った。ふぅ、と息をついたガガーランの後ろでは戦況を見定めた部隊が動き始め倉庫内の八本指の者を拘束、あるいは抵抗する者は倒していく。とはいっても戦況の決したこの場で抵抗しようという気概のある者はそう多くはなかった。

 

***

 

 六腕の一人、”幻魔”サキュロントは非常にまずい状況に置かれていた。娼館は既に王国兵に包囲され地上部分は制圧され、店のある地下にまで踏み込まれている。処分する予定だった女が一人消えた件で奴隷売買部門の長・コッコドールに雇われ調査と警護を行っている折だった。隠し通路を使うつもりで資材を入れた木箱を置いた広い部屋まで辿り着いたところで、反対側のドアから有名人が扉を開け入ってきた。

「鬼リーダー、あれは奴隷部門の長と六腕の幻魔」

「やっぱりここは当たりだったわね。あなた達はどうしても私の手で始末をつけたかったから都合がいいわ」

 向かいのドアから入ってきたのは、アダマンタイト級冒険者蒼の薔薇のリーダーと盗賊の片割れ。二対一ではどう考えてもサキュロントの分が悪い。しかもこちらはコッコドールを守りながら戦わなくてはいけないのだ、サキュロントには荷が重すぎる。

「コッコドールさん……悪いですが、あなたを守ってる余裕はないですよ。俺が死なないので精一杯になりそうです」

「そっ、そんなの困るわよっ! 高いお金払って雇ってるんだからちゃんと仕事してちょうだい!」

「無茶言わないで下さい……あっちはアダマンタイト級冒険者二人ですよ。まあ俺も死にたくはありません、やるだけはやってみますがね、駄目でも文句言わないで下さいよ」

 ごくりと唾を飲みながらサキュロントは剣を抜いた。正直言ってサキュロントは剣士としては二流だ、蒼の薔薇のリーダーも純然たる剣士ではないとはいえ盗賊の援護があればその力はサキュロントを軽く超えるだろう。まだ手の内のバレていない初手でどれだけダメージを与えられるかが鍵か、と考える。が。

「鬼リーダー、あいつは幻術を使う。見えているものは虚、実は別の所にある」

「ちょっと厄介ね……まあ何とかしましょう」

 手の内はバレバレのようだった。蒼の薔薇の情報収集力をさすがと褒め称えるべきなのか。知られているとしてもサキュロントにはその手しかないし、すぐに対応できるようなものでもない筈だ。勝機は……正直に言えばほぼないだろうが完全にないとも言い切れない。幻術を使うとバレているのであれば最初から全力だ、出し惜しみする余裕など一切ない。

「〈多重残像(マルチプルビジョン)〉」

 複数のサキュロントがその場に現れるが、勿論本体は一つだけだ。どれが本物かなど区別がつくまい。

「不動金縛りの術」

 盗賊の方が印を組む。サキュロントの体が固まったように動かせなくなり、噂に名高い魔剣キリネイラムを抜いた蒼の薔薇のリーダーが動けないサキュロントへと一気に駆けて来る。

「私の、怒り! この一撃に全て込める! 暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)オォッ!」

 ちょっと待て、そこまでお前に怒られる理由が俺にはないぞ、サキュロントは訴えたかったが幻影全てを巻き込んで吹き荒れた漆黒の爆発にあっという間にその全身は飲まれ、意識は一瞬で刈られた。

「ひ、ひぃっ!」

「八本指奴隷売買部門の長コッコドールね、大人しく縛に付きなさい」

 残されたコッコドールは最早抵抗の意志もなくへたり込んだ。こうしてサキュロントの人生は非常に理不尽な結末を迎えたのだった。

 

***

 

 上空で待機していたイビルアイは発煙筒が上がったのを確認するとその場へ急行した。到着すると既にかなりの数の兵が一人の女の手にかかり命を落としていた。

「チッ、アダマンタイトじゃないか、どこから湧いて出てきたんだい」

「貴様等のような自分より弱い者をいたぶる事しかできん手合いの方が次から次へと湧いてくるだろう。だがそれもここまでだ、貴様の人生は私の手によって終わる」

「できるもんなら、やってみなってんだよ」

 女の周囲を何本もの三日月刀(シミター)が踊るように巡る。あれは恐らくは剣の結界、正攻法では容易な事では突破できないだろう。

「成程な。だが、貴様は結局はただの剣士、それが貴様の限界だ」

「減らず口を!」

 ”踊る三日月刀(シミター)”エドストレームは激昂し、結界を構成する三日月刀(シミター)の内の一本がイビルアイ目掛け飛び掛かってくる。

「〈水晶盾(クリスタルシールド)〉」

 だがその三日月刀(シミター)は、イビルアイに到達する目前でイビルアイを包むように展開された障壁に阻まれ跳ね返された。

「チッ、魔法詠唱者(マジックキャスター)……!」

「ただの魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思ってもらっては困るな。貴様には分からんか、己と私との実力差が」

「舐めた口ばかり叩く小娘が!」

 三日月刀(シミター)が連続して襲い来るがイビルアイを守る〈水晶盾(クリスタルシールド)〉はびくともせずに飛び掛かる三日月刀(シミター)を全て弾き返す。

「フッ、私は貴様などより余程長く生きているぞ。さて他の応援要請もあるかもしれん、余り時間もかけられないからな、決着にしよう。〈結晶散弾(シャード・バックショット)〉」

 イビルアイがこの魔法を前回使った時はまるで通用しなかったがあれは例外中の例外、本来であればかなりの破壊力を誇る魔法だ。エドストレームは三日月刀(シミター)を防御に回し自分に向かい襲い来る水晶の散弾を防ごうとするが、手数が足りなさすぎる。水晶の弾丸を防ぐ事に成功した三日月刀(シミター)はしかしながら大きく跳ね飛ばされ、次の弾に対応しようとする前に無数の拳大の水晶がエドストレームの骨を砕き肉を抉る。数秒後には物言わぬ肉塊がそこに残されるだけになった。

「拠点の制圧は任せるぞ、私は遊撃の任に戻る」

 兵士達にそう言い置くと、イビルアイは再び〈飛行(フライ)〉で空へと舞い上がった。

 

***

 

 ここは当たりだったね。クレマンティーヌはほくそ笑む表情を隠そうともしなかった。

 担当した拠点にいたのは、”千殺”マルムヴィストと”不死王”デイバーノック。欲を言うなら、もっと手応えのある相手が良かったといったところだろうか。二人は兵士達の前に進み出てきたクレマンティーヌを不審げに見やった。

「何者だ……? 王国の兵ではないようだが」

「ある人に頼まれちゃってぇ、アンタ達を殺しに来たの、よろしくねぇ。ちなみに不死王ってさぁ、その二つ名アンタには相応しくないよぉ? その名に最も相応しい偉大なお方が他におられるんだからさぁ」

「小娘が戯言を……焼け死ね! 〈火球(ファイアーボール)〉!」

 女に向かい〈火球(ファイアーボール)〉を放った刹那、女の姿が掻き消えた――ように、デイバーノックには見えた。次の瞬間には眉間に刺突武器が刺さっている感触。いつの間に……刺突無効の特性を持つ死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とはいえ、得体の知れない攻撃には肝が冷える。だがダメージはない、一旦距離を離してマルムヴィストに、その一瞬の思考の内に女がにいっと笑うのが見えた。

「起動」

 女の愉快そうな声が響いた次の瞬間、デイバーノックの体は内側から猛烈な炎で焼かれていた。口から鼻から耳から目から、轟々と炎が漏れ出し黒煙を上げる。

 数秒後に火が消えた頃には、その場には灰しか残っていなかった。

「あちゃー、やっぱりモモンガさんの〈火球(ファイアーボール)〉は威力強すぎ……まあ強くて困る事はないんだけど」

 飄々と言いながらクレマンティーヌは自分目掛け襲い来た鋭いレイピアの突きをするりと避けていた。

「……貴様と俺ではリーチの長さが違う、ならば俺の方が有利!」

「本当にそう思ってるんだぁ?」

「腐ってもこの”千殺”、レイピアの腕だけなら王国最強のガゼフ・ストロノーフにも勝てる自信がある。そして一撃さえ与えれば俺の勝利、貴様に負ける道理はない!」

 嘘を言っている、と自分の事ながらマルムヴィストは笑ってしまいたいような滑稽さを感じた。先程のデイバーノックを倒した動きを見れば一目瞭然、目の前の女はマルムヴィストより格段に上の使い手だ。だが建物は包囲されている、逃げ場はないし、そもそも背中を見せた時点で容赦なく殺されるだろう。活路を開くより他に生きる道はないのだ。

 呼吸を整え、タイミングをはかり、今、と思ったその時には既に腕は動いている。最高の一撃と確信できる突きが女を捉え――するりと滑らかな動きで躱され、次の瞬間にはマルムヴィストの心臓にスティレットが突き立っていた。

「あーあ、アダマンタイト級っていうからもうちょっと手応えがあると思ってたんだけどなぁ? 意外と呆気なかった。まぁいいや、遊び相手には困らなさそうだしねー」

 次の遊び相手を探す愉快そうな女の声が、マルムヴィストが人生で最後に聞いた言葉になった。




誤字報告ありがとうございます☺


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仮面の下

 王都中が八本指の拠点摘発で騒然としている中、数多くの兵士が足早に移動するのを目にした一般市民達は異常事態の発生を感じ取り早々に家へと引きこもった為、街中に兵士と八本指以外の人影はほぼない。

 ひっそりとした街中をモモンガは歩いていた。この辺りは貴族の邸宅が立ち並ぶ区画の為、この夜の時間帯には人通りは元々ほぼない。目的地はクレマンティーヌに昨日までにこっそり調べさせ道順も事前に遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で確認済みなので多分大丈夫だ。

 記憶通りに進んでいくと、クレマンティーヌに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で確認してもらい教えてもらった邸宅が見えてきた。街中の騒ぎを聞きつけた貴族の邸宅がどこも騒ぎに巻き込まれないよう防備を固めているのと同様に、門は固く閉ざされている。

 モモンガは目的の邸宅の門の前まで進むとおもむろに門を蹴りつけた。モモンガは純然たる魔法職とはいえ百レベルともなれば戦士換算でも三十レベルになる程の能力がある。レベリングなどの経験から推察すると、この世界ではトップクラスの戦士と同等の身体能力をモモンガは持っていることになる。勢いよく蹴りつけられると頑丈そうな鋳物門扉は簡単にひしゃげばきりと内側の閂が折れた。これでもし足が痛いだけだったら格好悪いなと思っていたので想定した通りに事が進んだ事にモモンガは密かに安心した。

「で、ここは何なんだ?」

「例の俺に喧嘩を売ってくれた貴族の家だよ」

「成程な、まぁそんなこったろうと思った」

 宿を出てからずっと無言だった後ろのブレインがようやく質問を投げかけてきた。後ろを見ないままモモンガはその質問に答える。

「その全部お見通しみたいな態度引っかかるなぁ。もしかして止めたいの?」

「止めやしねぇさ。お前を止めるなんざ俺如きにできっこねぇだろ。それに俺の仕事は有象無象の処理だからな」

「……分かってるならいいけど」

「こっからは有象無象が湧いてくるだろうから先に行くぜ」

 言うとブレインは門を押し開け先に進んでいった。モモンガも後に続く。

 進んでいくと貴族の私兵らしき兵士達がたむろしており、こちらに気付いたのか何者だと誰何の声を上げ戦闘態勢をとってきた。ブレインは刀に手もかけないまま進んでいき、斬りかかってくる兵士の槍や剣を苦もなく躱すと鳩尾に拳や蹴りを叩き込んでいく。しばしの後には全ての兵士が痛みに呻き腹を抱え地面に蹲っていた。

修行僧(モンク)の真似事?」

「こんな奴等刀を抜くまでもない。それにお前の目的はこいつらを皆殺しにする事じゃねぇだろ」

「そうだけど目撃者を生かしておくと後々リスクが残るよ」

「やめとけ、ただ見たってだけで一々殺してたらキリがねぇぞ。お前にとっちゃそこいらの人間はその程度の存在なんだろうが、それじゃ騒ぎが大きくなる、これからの為にならねぇんじゃねえか。何の為に評議国くんだりまで行くんだよ」

「それは……まぁ、確かに。じゃあ任せるよ」

 納得しきれないながらも理解はしたのでブレインの言葉にモモンガは了承を返した。確かに一人の貴族の為に屋敷の人間を皆殺しにしたなんて事が知れたら白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の心証は悪くなるかもしれない。不法侵入の時点で心証は良くないかもしれないが。評議国までの旅は自分は害がない存在だとアピールしに行くのが目的なのに、屋敷の人間皆殺しなんて不穏な行動をしたら台無しになるかもしれないというのは確かだ。発端が怒りからの行動とはいえ少し考えが足りなかったかもしれないとモモンガは素直に反省した。

 他の場所にいた兵士達が騒ぎを聞きつけたのか駆け付けてくるが何人かかろうがブレインの敵ではない。全ての者を黙らせるのにかかった時間も数分といったところだろう。増援の気配がなくなったところで歩を進める。

 玄関は鍵がかかっていたのでモモンガが正拳突きでドアノブの辺りをぶち抜いて鍵を壊した。阿呆みたいな馬鹿力だな、とブレインは若干引き気味ながらも先に立ち屋敷の中に入っていく。イルアン・グライベルを着けているので腕力には補正がかかっているのだとモモンガは自己弁護したくなったが面倒だったのでやめた。それを差し引いてもこの世界の基準からいうと多分モモンガは馬鹿力だからだ。

 音を聞きつけて警護の者と思しき男達が玄関ホールへと集まってくるがブレインの前に立って二秒と立ち続けていられる者はいなかった。イケメンで喧嘩も強いとかちょっとむかつくな、と暇を持て余すモモンガは全くもって筋違いの怒りをブレインに抱いていた。これでブレインが女にモテる男だったら普段からむかついていたかもしれないが、その気配はないようなのでその点は安心だった。

 ちなみにモモンガは知る由もない事だが、この世界の人間は劣等種である為生存本能が刺激されやすく、より強い男性の遺伝子を残そうと強い男に本能的に女性は惚れる傾向があるので街にいればブレインは確実にモテる。今までは人里離れた男所帯の傭兵団にいた上に性欲処理用の女にも興味を示さないストイックぶりだったので女と縁がなかっただけだった。モモンガから見て今の所モテていないように見えるのは、モモンガという珍妙な仮面の男やクレマンティーヌという美女が横にいる為声をかけづらいというそれだけの理由だ。

 玄関ホールが蹲り呻く男達で溢れ返り、これ以上出てくる様子がなくなったところで倒れた男の一人にモモンガが〈支配(ドミネート)〉をかけ、貴族の部屋の位置を聞き出す。部屋を一つ一つ確かめても別にいいのだが、女性の部屋をいきなり開けるのは何だか申し訳ない気がしたので聞くことにした。メイドの部屋とかもあるだろう、着替えとかしているかもしれないしそもそも女性の部屋を許可もなしに開けたくない。我ながら妙な所で遠慮をしているとモモンガは思った。

 玄関ホールの奥にある階段を登り右手の奥の部屋が貴族の自室だった。この世界にも同じ木材があるのかは知らないがウォールナットによく似た風合いの重厚なドアを開けると、広い部屋には奥に立派な机が置いてあり目的の貴族と思しき男はそこで書き物をしていた。ドアが開いたのに気付いた貴族は顔を上げるとそこに居たモモンガの姿を認め驚愕に顔を歪めた。

「かっ……仮面の、魔法詠唱者(マジックキャスター)……?」

「初めまして、先日のプレゼントは気に入っていただけたかな? 貴様の無礼に対するちょっとした返礼だったのだがね」

「誰か、誰かいないのか! 侵入者だ!」

 貴族は立ち上がり大声を上げるが、それに応えられるような戦力はここまでの道程で全て潰している。駆け付ける者はおろか返答すら返ってこず、狼狽えた貴族は壁に走り、飾ってあった剣を鞘から抜き放ってへっぴり腰で震えながらも構えた。

「よよよ、寄るな! きっ来たら、斬り殺す!」

「俺は温厚な男なんだが、こう見えて売られた喧嘩はきっちり買うんだよ。その愚かさの対価、身をもって支払ってもらおうか」

 正面に貴族を見据えモモンガは特殊技能(スキル)・絶望のオーラレベルⅠを解放した。効果覿面なのはこの前立証済みだ。

「ひいいいぃぃぃああああああぁぁぁぁ!」

 刹那、圧し潰されそうな猛烈な威圧感に襲われ強い恐怖に囚われた貴族は背中からその場に倒れ込み無闇矢鱈に手足をばたつかせ、泣きじゃくって涙と鼻水で顔を汚していた。股間が濡れアンモニアの匂いが立ち込める。剣などそこらに放り投げてしまっていた。

「やだやだやだっ、しにたっ、しに、しにたくないっ!」

「何を言ってるんだ貴様は? 喧嘩を売ってきた奴を簡単に死なせてやる程俺は慈悲深くないぞ」

「ななな、なんでも、なんでもしますっ! かねっ、かね、おかねっ! おかねをさしあげます!」

「言ったよな、身をもって支払ってもらうと。さて次はどうしようか。貴様がやらせているように手足の腱を切るのがいいか、歯を一本一本抜いてやろうか? それとも元の顔が分からなくなるまで殴るか? 一体どれが希望だ、好きなものを一つずつ順番に選ばせてやるぞ。時間をかけてじっくりと己の愚かさを思い知らせてやる」

「やだっ、やだやだやだっ、たすけてっ!」

「そう訴えてきた者を助けた事があるのか? 貴様は。自分だけ助かろうというのは虫がいいと思わないか。選べないなら俺が選んでやるぞ」

 貴族は恐怖に声を上げながら闇雲に体をばたつかせるばかりでまともに受け答えする事すらもう無理だった。モモンガが一歩足を踏み出すと、後ろに控えていたブレインが歩き出し、貴族とモモンガの間に立った。

 何でそんな所に立つ、とモモンガは思った。わざわざ絶望のオーラの範囲は貴族への直線上前方にしたのだ、後ろに立っていれば影響を受ける事はないのに。目の前のブレインの額やこめかみからは汗が溢れ出し顔を滴っているし、首も既に汗でびっしょりの様子だ。呼吸も荒く、肩で息をしている。二度とやるなと怒られたのは記憶に新しい、今だってきっと逃げ出したい程恐ろしいだろう、好んで影響を受けたい訳ではない筈だ。それなのにどうして。

 いやそれ以前に、この体勢はモモンガから貴族を庇う体勢だ。こんな生きている価値もないどころか生きていても害にしかならないようなゴミ虫を庇うとはブレインは気でも狂ったのだろうか? さっき邪魔はしないと言ったばかりだ、それなのにどうして。

「どけブレイン」

「断る」

「まさか、自分は殺されないだろうと思っていい気になってる? それならそれは勘違いだよ」

「んなこた分かってるよ、殺したきゃ殺せ、覚悟は出来てる」

「何で命を賭けてまでそんなゴミを庇うんだ、俺の邪魔が出来るって思い上がってるの?」

「俺程度でお前の邪魔なんか出来る訳がない、それはよく知ってる。だがここをどく気はない。このゴミはお前が手を出すまでもない有象無象どころか俺から見てもゴミだよ。だけど今お前がやろうとしてる事を見過ごしちまえば、俺はお前がこのゴミと同じになっちまうのを何もせず止めないゴミになる。そんなのは死んでもご免だ」

 モモンガが、この貴族(ゴミ)と同じになる? ブレインの言っていることがよく飲み込めずにモモンガはしばし考え込んだ。例えば〈時間停止(タイム・ストップ)〉でも使えばブレインなど何の障害にもならないが、こちらを真っ直ぐに睨み付けてくるブレインの視線からどういう訳か目を逸らせなかった。

 鋭く強い目線だった。だが敵意のような嫌なものは感じられない。この強い視線に込められた感情を何と呼ぶのか、それをモモンガは知らなかった。名前の分からないものが真っ直ぐに自分を見つめてくる、そこから目を逸らせず隠れ逃げることもできない。知りたい、と思った。この目線に込められた感情の名を。どうしてブレインは今にも逃げ出したい強い恐怖から一歩も動く事なく、こうして真っ直ぐにモモンガを見つめ続けるのかを。

「俺が……そいつと同レベルになる、って事か?」

「そうだよ。お前はこいつがしたのと同じ事をそっくりやろうってんだろ? それじゃ丸っきりこいつと一緒じゃねえか。こいつがどうなろうと構やしねえ、だけど俺はお前にそんな事はさせたくねえんだ」

「同じ痛みを受けないと自分が何をやったのか馬鹿は思い知れないだろ?」

「脅しは十分、あの時お前はそう言った。今もそうだ、こいつは十分思い知った。そこまでやる必要はない」

「あの時は脅しだけでいいだろうと思ったからそう言っただけだよ。今は違う」

「お前は間違ってる、こいつのやった事は許せねえがこいつを裁くのはお前じゃない、王国だ。こいつがお前の敵ならいくらでも俺が斬ってやる、だけど違う、こいつはお前の敵じゃない、敵にすらなれないゴミだ」

「……それは、人間の理屈だよブレイン。俺はそういう考え方はしない」

「人間だろうがどうだろうが関係あるか! ダチが間違ってる事したらぶん殴ってでも目ぇ覚まさせてやる、そういうもんだろうが! その為なら俺の命位いくらでもお前にくれてやる!」

 血を吐くような必死なブレインの叫び声に答える言葉をモモンガは持たなかった。何故なら、そういうものなのかどうかを全く知らなかったからだった。

 ダチ――友達。

 友達だと言ってくれた人が一人もいなかった訳じゃない、アインズ・ウール・ゴウンの仲間は皆良き友人でもあった。だが、間違いを正す為に命を賭けてくれるようなそんな種類の友達なんて、鈴木悟はおろかモモンガも知らない。そもそも鈴木悟(モモンガ)の事を真剣に心配して間違いを正してくれた人なんて、母親しか記憶にないのだ。

 ああ、このブレインの真っ直ぐな目線に込められているのは、友達を心配している真剣さなんだきっと。その事が何の疑いも生じずにすとんと腑に落ちた。こちらを言い包めるような欺瞞の色を感じられないのはモモンガがその言葉を信じたがっているあまり故なのだろうか、心からの真剣な言葉で嘘などないようにしか思えないのはモモンガがそう言われたいという願望を形にされたからなのだろうか。

 そんな事はもうどちらでも良かった。嬉しい、その強い感情の波が沈静化されても次から次から溢れ出してきてただそれだけが胸を満たしていく。

「はは……はははは、何で、何で俺、泣けないんだろう……今、すごく泣きたいのに、涙が、流せないんだ……悔しいなぁ……畜生」

 まるで泣いているように。モモンガは俯き両手で顔を覆った。肉のあった頃の名残りなのだろうか勝手に体がそう動いてしまった。真似事しかできないけれどもそれでもモモンガは今確かに泣いていた。嬉しすぎて泣いてしまうなんて、そんな事は今までにあっただろうか、なかったような気がする。きっと、初めてだった。

 あんな真っ直ぐな目で友達だと言われたのは、初めてだった。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆だってブレインのような真っ直ぐな目をしていてくれたのかもしれない。でもそれは表情のないアバターからは伝わりようのないものだった。伝えてくれた、それがどうしようもなく嬉しかった。人の強い思いが伝わってくるのがこんなにも嬉しい事だなんて、今まで知りようもなかった。

「ブレイン」

「……何だ」

「もう一回言って」

「断る、あんな恥ずかしい事そうそう言えるか。それからそんな事言ってる暇があるならその恐ろしい気配をとっとと消せ、そろそろ限界だ……」

 言われてはっとなりモモンガは顔を上げ、絶望のオーラを切った。その瞬間汗だくのブレインはその場にへなへなと座り込み、床に手を突き俯いて必死に呼吸を繰り返し肺に空気を取り入れようとしていた。相当無理をしていたようだった。

 いつの間にか貴族は気絶していた。こんな奴はもうどうでもいいな、ブレインの言う通り脅しとしては十分だったろうし放っておいてもいいか。そうモモンガは考えていたのだが落ち着いたらしきブレインが貴族の頬を強く(はた)いて起こした。

「おい」

「はいっ!」

「八本指と癒着してた証拠を用意して今すぐ詰め所でも王城でも行って自首してこい。出来ないってんなら今ここで俺がお前を斬る」

「やっ、やります! やらせてください!」

 恐怖に引き攣った表情とひっくり返った声で答えた貴族は、本棚の奥にある隠し棚を開けると中の書類を持ち出し逃げ出すように走り去っていった。その素早さたるや声をかける余裕すらなかった。

「ねえブレイン」

「何だ」

「もう一回言って」

「しつこい奴だな……俺ぁお前の事ダチだと思ってるよ、これでいいか」

「もっと心を込めて、と言いたいところだけど今はそれで満足しておく」

 ツアレの件があって以降モモンガの胸を覆っていたどす黒いものはいつの間にかすっかり消え失せていた。

 誰とも向き合おうとしてこなかった鈴木悟(モモンガ)に、どうしてかは分からないがブレインは真っ向から向き合ってくれた。友達だと言ってくれた。

 俺も向き合えるかな、こいつみたいに命を賭けてなんてのは無理でも、少しは痛む覚悟で。向き合ってみたい、そう思った。向き合ってもらえるのがこんなにも嬉しい事ならば、大切な人にこの嬉しさを分け与えたい、そう思った。

「じゃあ帰るか。クレマンティーヌが帰ってきたら一杯褒めてやんなきゃいけないし」

「俺も褒めろよ……扱いの差……」

「……ブレインのお陰で、間違った事しなくて済んだ、ありがとう。これからも助けてほしい」

「……お、おう」

 素直な気持ちを言葉にすると、ブレインは戸惑ったような声色の返事を返してきた。

「もしかして照れてんの? ブレインみたいなごつい男に照れられても全然嬉しくない……」

「余計なお世話だよ、放っとけ」

「いじけないいじけない。ほら帰ろう、〈転移門(ゲート)〉」

 ゲートを開き宿の部屋へと帰る。王都の騒乱はまだ終息していないが、モモンガの心は今とても穏やかだった。

 

***

 

 明けて朝。八本指の各部門の首魁と纏め役は全て拿捕された。幹部格もほぼ抑えられ、捕らえられた者を収容するのに牢ではとても足りず王城の空いている場所に兵を配置して下っ端どもを集めているような有様だった。それ程昨日の大捕物は大成功だったという事だ。

 王は貴族の横槍が入る前に即日首魁八人の処刑を断行。誰の入れ知恵か、と揶揄する者はあったがその果断ぶりは今までの王と違うと感じさせるのには十分であった。第一王子バルブロと八本指麻薬部門の癒着の証拠が流れ、次期後継者にバルブロを推す貴族派閥、とりわけバルブロと娘が婚姻関係にあるボウロロープ候に大打撃が与えられたのは余談である。

 王都が静けさを取り戻すまでにはまだ少しの時間がかかるだろう。そして、社会の暗部、裏社会は決してなくならない。裏社会は表の社会から零れ落ちた者を受け入れる必要悪の側面もある。だが八本指のようにやり過ぎれば叩かれるというある種当然の事が今回示せたのは、王国と国王ランポッサⅢ世にとっては大きな前進だっただろう。

「祝勝会?」

『そうだ、今日の夜に天馬のはばたき亭でやる。お前達三人も来い。今回の勝利の立役者だからな』

 イビルアイからの〈伝言(メッセージ)〉が入ったのは作戦から二日後だった。

「いや、クレマンティーヌは分かるけど俺とブレイン何もしてなくない?」

『お前の提案がなければ今回の作戦自体が成立していないし、ブレインを一人だけ仲間外れにするのも悪いだろう。コソコソと何やらしていたお前のお守りで大変だったのだろうしな。(ねぎら)ってやれ』

「ぐっ……それを言われると弱い……」

『ガゼフも来るそうだがお前とブレインに会いたがっていた。いいな、参加しろよ』

「分かったよ。別に何か用事があるわけじゃないしめでたい席を断る理由はないしね」

『夕方の五時頃から始めるからそれまでに来てくれ、また後で会おう』

「了解、また後で」

 〈伝言(メッセージ)〉を切断し、刀の手入れをしていたブレインに祝勝会の話をすると案の定俺は何もしてないと言うので説得に苦労した。俺だって何もしてないのに強制参加みたいになってるんだからお前もだよ、ガゼフとの飲み会だと思え、という方向の論調で強引に連れて行く事にした。情報収集に出ているクレマンティーヌにも〈伝言(メッセージ)〉で伝えておく。ちなみに六腕の内二人を仕留めて帰ってきたクレマンティーヌを褒めまくったら感激されてまた泣かれた。俺はどうすればいいんだろうと途方に暮れたのもいい思い出だ。

 そろそろ夕方の頃合いに引き摺るようにブレインを連れて宿を出て天馬のはばたき亭に向かう。今回集まったのは蒼の薔薇とレエブン候麾下の元オリハルコン級冒険者、ガゼフと戦士団の副長、ガゼフに連れられて来たラナーの所にいた少年兵(クライムとかいう名前だった)、そしてモモンガ達だった。

「何でぇ、お前もリグリットに負けたのかよ、ブレイン!」

「負けたんじゃない、痛み分けだ。今やったら勝つ。ってか、も、って事は他にも誰か負けた奴がいるのか」

「イビルアイが、ボコられた」

「泣かされた」

「うるさい、お前と一緒にするな! 私の時はあの婆ぁに加えて、蒼の薔薇(こいつら)もいたんだぞ!」

「ふふ、懐かしいわね」

「飲みすぎるなよクライム、感覚を覚えるだけでいいんだからな」

「はい! しかし、お酒というのは不思議な味がします……これが、美味しいのでしょうか?」

「そういう真面目すぎる所がお前の欠点なんだ。場の空気を楽しめ!」

「そういう戦士長だって相当真面目一徹ですけどね」

「ガゼフはもうちょっと遊びを覚えたら一皮剥けるんじゃないかなぁってお姉さんは思うなぁ~」

「遊びですか……剣に遊びは必要なのですか?」

「何事にも遊び、つまり余裕というものは必要だぞクライム。俺も人の事が言えたものではないが、お前のようにいつでも全力で力一杯で遊びのない状態はいつ折れるか分からない危険な状態だ。張った弦は容易に切れるが、弛んだ弦は簡単には切れないということだ」

「はい、気を付けます!」

「だ~か~ら~、そういうとこなんだよなぁ~少年、分かってにゃい~」

「モモンガ殿は第四位階の使い手とお伺いしましたが師匠はどなたなのですか?」

「独学です。最近まで辺境に籠もって魔法の研究をしておりました」

「ほう、それは凄い! 独学で第四位階とは彼のフールーダ翁もそのお歳では到達しておりませんでしたぞ!」

「それより、ルンドクヴィスト殿はいくつもオリジナルの魔法を開発されていると噂を耳にした事がございます。そちらの方が私にとっては凄い事です、残念ながら私にはその方面の才能が全くないので。良ければどのような魔法を開発されたのか詳しく教えていただけますか? 非常に興味深いので」

「誰だヨーランに酒飲ませた奴! 絡み上戸だから飲ませるなって言ったろ!」

「だ~れ~が~、絡み上戸だってぇ~? ボリス、大体お前いつもそうだよな、仕切り屋っていうかさぁ、まぁリーダーだから俺も許してるよ? でも限度ってもんがあるだろ? 今日だって俺はパモタが食べたかったのにお前がルンキキを頼んだんだ! どうしてくれる、この俺のパモタを食べたい気持ちはどこに行けばいい!」

「可哀想になぁヨーラン……ストレスが溜まってるんだな……」

「ロックマイアーお前誰の味方なんだ! 助けろよフランセーン!」

「酒美味い」

「今日のルンキキはさぞや美味かったろうなぁ~ボリスぅ~!」

「分かった、悪かった、俺が悪かったよ! 次はお前が頼みたい物を聞いてやるから! 許してくれ~!」

 祝勝会は賑やかに続いていく。話の途切れたタイミングでモモンガは席を外した。飲食のできないモモンガにとって飲食必須の場は仮面の呪いという言い訳があるにしてもあまり居やすい場所ではない。パモタって何だよ、ルンキキって何、エール美味しそう、葡萄酒美味しそう、そんな好奇心や欲望と闘いながらにこやかに話さなければならないのだ。

 店の外に出ると大きな月が向かいの建物の屋根の上にかかっていた。もっとよく眺めたくなったので〈飛行(フライ)〉を使って屋根の上に上がる。するとそこには先客がいた。

「ん、何だ、モモンガか。どうした」

「休憩。イビルアイも?」

「ラキュースは酔うと絡んでくるから面倒なんだ」

「あはは、意外。隣、座っていい?」

「構わんぞ、座れ」

 許可が出たのでイビルアイの横に腰を下ろす。見上げると月は視界を覆うほど大きく、蒼白い光は眩しいほどだった。

「綺麗だなぁ」

「そうか……? いつもの月だと思うが」

「この世界の人は皆そう言うよ。月も星も空も山も川も草原も森も、この世界は美しいものばかりだ。俺は、すごく好きだよ、この世界」

「お前は……それを我が物としようとは思わなかったのか」

「なんで発想がすぐそっち行くかなぁ? 旅とか冒険で十分見られるし、そっちの方が性に合ってるというか好きなんだ。支配なんて柄じゃないよ」

「……正直に言う。それでも私はお前を信じ切れない。お前が仲間を探したいだけだというのは本当だろう、そこは信じられる。だが嘘はついているな。例えば仮面」

 図星を突かれモモンガはぽりぽりと仮面の頬を掻いた。

「……やっぱ分かる?」

「私とて人前で仮面を外せない事情を抱えている身だ、大体の察しは付く。それも含めて、お前の腹の内が見えていない、そんな感じを受けている」

「うーん……意図して隠してる事は他には特にないんだけど……じゃあ素顔を見せればちょっとは信用してもらえる、って事なのかな?」

「それは確約できん。ますます警戒する結果になるかもしれん。ただ、出来れば信用したいとは思っている。世界の為にも自分達の為にもな」

「まぁ、隠してるのは君と大体同じ理由だよ。ただ見たらちょっとびっくりするかもしれないけど」

「これでも長い時を生きてきた、少々の事では驚かん」

「そう? まあこっちは君の仮面の下を見てるわけだしお互い様って事で秘密にしてくれるならいいよ。後、攻撃してこないでね?」

「そんな命知らずな事はもうしない」

「ここだと誰かに見えちゃうかも、上行こうか」

 二人は立ち上がり〈飛行(フライ)〉で上空へと昇る。雲が流れるほどの高さまで上がると先行していたモモンガが止まり、イビルアイもそれに合わせて止まった。

「ほんとにびっくりしないでね?」

 言いながらモモンガは仮面を外した。下から現れたのは白磁の骨。磨かれたように白くつるりとした頭蓋骨、ぽっかりと開いた眼窩には禍々しい紅の光が灯っている。邪悪な意志を感じさせる髑髏の顔がそこにあった。先程までは肉が付いていた筈の首も今は頚椎を晒している。

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)、いや、ナイトリッチか?」

「残念、もっと上の種族だよ。死の支配者(オーバーロード)っていうんだけど知らないか」

「寡聞にして知らんな……」

「六大神の闇の神、スルシャーナも多分同族。俺とそっくりらしいから」

「そうなのか……首は普段どうしているんだ」

「低位の幻術だよ。触ったらバレちゃうけど今の所不都合は起きてないね」

「そうか……」

 それきりイビルアイは黙り込んだ。モモンガは仮面を被り直し、イビルアイが何か言い出すのを流れる雲を眺めながら待った。さやかな月光が烟るような灰色の雲を照らし出している。眼下には地平線まで草原が広がっている。月と星の明かりだけで世界は静かに輝いていた。この世界は光に満ちているんだな、そんな事をふと思う。昼でさえ薄暗かったリアルとの対比で余計にそう思ってしまうのかも知れない。

「私が言うのも何だが、生者を憎む気持ちはないのか」

「ないよ。ただ、知らない人間は虫くらいにしか思えないかなぁ。仲良くなるとそうでもなくなってくんだけど。これってスルシャーナもこうだったのかな? それなのに人類救ったとしたら素直に凄いと思うよ」

「……成程、納得した。お前は根本的に感じ方や感覚、価値観が人間と違う、積極的に人を害するわけではないが敵対する者を殺すのは虫を潰す位にしか思わない、そういう事だな」

「うん、そういう事」

「もし国が敵に回ったらどうする」

「……それはその時になってみないと分からないとしか言えないかなぁ。出来ればそんな事にはならないように立ち回りたいと思ってるけど。俺がしたいのは仲間探しと世界中を旅する事だから、旅する先を減らしちゃうのは残念だろ?」

「そういう軽さが今一つ信用できん所なのだが……さておき私が感じていた違和感の正体は分かった。その上でお前がツアー……白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に話を通しに行こうとしているのならば本質的にはお前の言う通り人に仇なす存在ではないと信じて良さそうだ」

「分かってくれて嬉しいよ。屋根に戻ろうか」

 屋根まで戻ると中ではまだ賑やかな酒盛りが続いているようだった。喧騒が漏れ聞こえてくる。

「賑やかだね」

「ああ」

「イビルアイに一つ聞きたい事があったんだ」

「何だ?」

「イビルアイは冒険者をやってるけど、いつか仲間は寿命で先に死ぬだろ? そうでなくても歳になれば引退するだろうし。仲間がいなくなっちゃうのって、耐えられるのかなって」

 モモンガのその問いに、イビルアイはしばしの沈黙を返した。その後ゆっくりと口を開く。

「寂しいだろうな。きっと耐えられないほど辛いだろう。だが、時の流れはどんな傷も癒やしてくれるものだ。それを知っているから私はまた仲間を持とうと思えた」

「そうか、強いんだな、イビルアイは。俺はそういうの全然駄目でさ。蒼の薔薇の皆と冒険できなくなったら、イビルアイはどうするの?」

「さてな、分からん。抜けるか、他のチームに入るか、だが今のチーム程楽しい場所はそうはないだろうな。まぁ前もそう思っていたのに今は今で楽しいのだからやってみなければ分からんというのが正直なところだが」

「前のチームの方が良かったなぁって思う事、ないの?」

「ないな。そもそも比較するものではない、それぞれ別のものだ。それぞれ別個に心の中に席ができるんだ。前のチームだって別に過去の存在になって隅に追いやられるわけじゃない、私の中ではどちらも同じ位大切な存在だ」

「別の席かぁ……難しいな」

「そんなに難しく考えることはない。とはいってもお前では実力差がありすぎてチームを組める相手がいないだろうがな」

「俺は別に冒険者にはならないからそこは心配してない」

「お前に冒険者になどなられたら私達の商売上がったりだ、勘弁してほしいものだな」

 会話が途切れ、二人はしばし黙って月を見上げた。柔らかに地上を照らす光、傷を癒やす時の流れもきっとこんなたおやかで優しいものなのかもしれない、何となくモモンガはそう思った。

 傷は癒えるのだろうか。そもそもこれは傷なのだろうか。モモンガの中ではまだ傷ではない、諦めてはいないのだから。

 いつか認められる日が来たら、その痛みに耐えられたら、俺は前に進めるんじゃないだろうか。

 そんな確信のような思いつきがモモンガの胸に浮かんだ。独りでは絶対に耐えられない、でももしブレインとクレマンティーヌがいてくれるなら? 踏み出す勇気を持てれば? 今すぐにではなくても、心の準備をしてからでも、きちんと認めた方がいいのかもしれない。臆病者が一歩前に踏み出す勇気は途方もないほど大きなものが必要だけれども、それでも。

 鈴木悟の心の中の席は狭すぎて四十しかないけれども、もし別の席を作れるのだとしたら?

 様々な思いが胸を交錯するけれども、柔らかな月の光は全ての答えであるようでいて何も答えてはくれなかった。




誤字報告ありがとうございます☺


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王都の日常

 祝勝会の席でモモンガが取り付けた約束が二つある。その内の一つがラキュースによる王都案内だ。

 名所名蹟なども多いだろうと思っていたので是非とも案内役が欲しいと思っていたのだが、長年王都に住む貴族であるラキュースがその話を聞いて案内役を買って出てくれた。

 もう一つの約束が、ガゼフ宅訪問の日時についてだ。約束がなくともいつでも構わないと言われてはいるもののできるならばした方がいいだろう。次の非番の日を聞きその日に訪れる事を約束する。どうやら八本指絡みのゴタゴタの処理でガゼフは忙しいようで、割と日にちが開いてしまった。

 兎にも角にも予定ができたのでそれまでは王都に滞在することとなった。予想はついていたがクレマンティーヌの情報収集の成果はあまり芳しくない。蒼の薔薇が情報を持っていないのだからプレイヤーに関する情報などそこら辺の酒場に流れている訳がないとは思っていたものの予想通りだ。それでも評議国までのルートに関しての危険地帯や出没モンスター情報など使える情報もきちんと集めてきてくれている辺りクレマンティーヌはやはり優秀である。

「後は神官と盗賊がいればパーティバランスとしては完璧なんだけど……盗賊はともかく神官は俺と仲間になってくれないよなぁ……」

「まあ無理だろうな、諦めるこった」

「アンデッドの神官……だめだ治癒魔法が使えない」

「そもそもアンデッドの神官なんて存在しねえよ……」

「それが俺の本拠地のNPCにはいたんだなぁ。真祖(トゥルーヴァンパイア)の神官戦士、どうだ、かっこいいだろ。まともに戦ったら俺も勝てない位のガチビルドで最強だったんだぞ」

「どうだって言われてもな……」

 返答しようがねえよ、と書いてある字が読めそうな困惑した顔をブレインが返してくる。とりあえず今日はする事がないのでモモンガとブレインは宿で待機しているので暇である。ブレインは暇な時間には大体刀の手入れをするか庭に出て鍛錬をしているのでモモンガ一人が暇を持て余しているというのが正確だ。今も刀の手入れをしているブレインに話しかけた。

 そんな何もする事がない時間をぼんやりと過ごしていたのだが、ドアをノックする音が響いた。

「どうぞ」

 ドアが開くと、そこには意外な人物が立っていてぺこりとモモンガに頭を下げた。

「ニニャさん、どうしたんですか、随分早い到着ですね」

「この度は本当にありがとうございましたモモンガさん。一刻も早く着きたくて、早馬を乗り継いで来ました」

「とりあえずそこでは何ですからどうぞ入ってください」

 ニニャを招き入れ、椅子に座ってもらう。連絡を入れてからまだ一週間ほどしか経っていないので余程急いで来たのだろう。取り戻したくて冒険者にまでなった程の肉親が見つかればそうなるか、ともモモンガは思った。例えばもしアインズ・ウール・ゴウンの仲間が見つかったと分かったならモモンガだって何を置いても一目散に最速の手段で駆け付けてしまうだろうから。

「お姉さんにはもう会ってきましたか?」

「はい、お陰様でアインドラ家でとてもよくしていただいているようで、姉も落ち着いた様子で安心しました。それで、その……ラキュースさんから伺ったのですが、発見された時姉は生死の境を彷徨う酷い有様で、その治療の為にモモンガさんが第六位階の魔法のスクロールを提供してくださったとか……本当にありがとうございます! このご恩が返しきれるとは思いませんが、何年かかってもきっとスクロール代をお支払いします!」

 椅子から立ち上がったニニャは前屈運動かという程深く頭を下げた。あのスクロールは再入手の当てがないという意味では確かに貴重品なのだが数はまだある、あの場で使ったのは蒼の薔薇との関係強化の為の投資だったので使う意味もあった事だし、モモンガにとってはそこまで気にする程のものではない。第六位階魔法のスクロールがこの世界では多分ものすごく貴重なのだろうなというのは何となくぼんやりとは分かるのだが、そんなに重大な恩を感じられても正直困ってしまうのだ。

「ええと、ニニャさん、お代は結構ですよ。そのお金があったら、あなたとお姉さんがこの先不自由なく暮らしていく為の費用に充てて頂いた方が私としては嬉しいですから。本当に偶然とはいえあなたとお姉さんの再会の手助けができてそれだけで私は満足していますので」

「そういう訳にはいきません! そんな恩知らずになってしまってはこの先恥ずかしくて生きていけません……」

「まあとりあえずニニャさん落ち着いて、座ってください」

 そう告げつつ手振りでも座るようにモモンガが示すと、ニニャは椅子に座り直したが納得できかねるといった表情のままだった。

「正直な話、スクロール代と言われましても買ったものではないのであのスクロールが如何ほどの価値があるのか正確なところが私には分からないのですよ。第一位階の魔法のスクロールで金貨一枚と銀貨十枚でしたね、それが第六位階ともなれば相当な額になるのではないでしょうか? それを支払うといっても生活だってあるでしょうし、冒険者である以上装備の強化などもしていかなければならないでしょう。ニニャさんの負担になりたくてあの時スクロールを提供したわけではないのです」

「確かに第六位階のスクロールの値段なんて想像も付きません、ですけど……!」

「お気持ちも仰りたい事も分かります。ですので、お金ではなく別の事で支払うというのはどうですか? 例えば……そうですね、他の皆さんと相談した上でになるでしょうが、私からの依頼があれば最優先で受けてくれる、といった事ではどうでしょう。それにニニャさんは私の知らない知識を豊富に持ってらっしゃいますから、それを私に教えてくださる、というのもいいですね。魔法詠唱者(マジックキャスター)にとって知識は商売道具、ある意味金銭より高い報酬では?」

 モモンガの提案を聞いて、ニニャは相変わらず承服しかねるといった表情なものの反論はしてこずに目を伏せ考え込んだ。

 お金が欲しくないかというと正直モモンガだってお金は欲しい。当面の路銀は問題ないがクレマンティーヌとブレインの装備を強化しようとするとお金はいくらあっても足りないというのが分かってきたので、どうにかお金を稼ぐ方法を考えなくてはと思っていたところだ。でもそれは例えば薬草採取のように正当な労働でお金を稼ぎたいということであって、ニニャにスクロール代を支払ってほしいかというとほしくないのだ。

 ニニャにも言った通り恐らくは非常に高額なスクロール代の支払いはニニャの生活を圧迫するだろう。そんな事の為にスクロールを提供したのではない。あのスクロールはラキュース、ひいては彼女がリーダーを務める蒼の薔薇の信頼を得るという意味で使ったもので、その役割は多分十分に果たしている。それ以上の事は期待していないのだ。

 しばらくそのまま待つと、ニニャはちらりと上目遣いにモモンガを見上げた。

「……それでは、一生かかってもご恩が返し切れません」

「一生お付き合いが続くという事なら私は大歓迎なのですがね? それに私の方は貸しにしたとは思っておりませんので後はニニャさんの気持ちの問題ですよ」

「モモンガさん……あの、納得はできませんけど分かりました……お金は受け取って頂けないということなんですよね?」

「ええ、金銭を受け取るつもりはありませんね」

「それであれば私の知っている事なら依頼の守秘義務に関わる事以外は何でもお話しますし、依頼を最優先で受ける件も仲間もきっと賛成してくれると思います。他に何かあれば思い付いた時にでも言ってください、出来る限りの事はします」

 顔を上げたニニャは困り果てたように笑みながらそう言った。根負けした、といった様相だ。

 ツアレをエ・ランテルへと連れて帰るのは後から追ってきている他の仲間が合流してかららしい。今日は時間があるというのでそのまま夕方までニニャの知識を披露してもらったモモンガは暇を覚えることなく知識欲を満たして満足してその日を過ごしたのだった。

「気に入ってる人間にはクソほど甘いなお前……虫扱いとの差が大きすぎだぞ」

「放っとけ」

 ニニャが帰った後で半ば呆れ顔のブレインからそんなツッコミが入ったのは余談である。

 

***

 

 王国自体は二百年ほどの歴史の国だが、王都のある地は幾つもの国が昔から興亡を繰り返してきた地である。故に名所史跡は数多い。多くは約二百年前に魔神によって破壊されてしまったというが、それでも観光地としては十分な名所が残されている。滅んだ国の名残りである遺構が大半だが、英雄譚に語られる英雄が訪れた地、なんて場所も多くあり、この世界の英雄譚も中々面白そうだとモモンガは興味を惹かれた。十三英雄が魔神の一体と戦った場所なんて名所もあった。本当にその場所で戦ったのかどうかは定かではないが、この王都の地で十三英雄が魔神の一体を滅ぼしているのは実際にあった事実らしい。

 今日は以前約束した通りラキュースに王都を案内してもらっている。クレマンティーヌは情報収集、ブレインは付いてくるのを面倒臭がったのでモモンガ一人で来た。

 多くの史跡は息をするのを忘れたかのようにひっそりと静かにその場に在るだけで、古ぼけた街並みに溶け込み薄ぼんやりとした存在感で一瞥もせずに誰もが通り過ぎていた。リアルの鈴木悟の世界ではまだ環境汚染が深刻でなかった頃には名所史跡を巡る観光旅行が盛んだったらしいが、この世界の人々はそういう事はあまりしないらしい。説明に興味深そうに相槌を打つモモンガを見て、ラキュースも変わり者に向けるような視線を送ってくる。興味を持って説明を聞いているやり甲斐のある相手なのだからもっと嬉しそうにしてほしい。

 こんなとびっきりの美人の観光ガイド付き名所史跡巡りなんてリアルではどんな富裕層もした事のない贅沢だろう。リアルの名所史跡はアーコロジーの外、汚染され富裕層は立ち入らない区域にある事も多かったし、ラキュースはリアルではTVや映画でも見たことがないような華やかな美人だ。強い感情の動きが沈静化され精神が平坦になるアンデッドの特性がなければ正直な話モモンガはドキドキしすぎてまともに話などできていないと思う。実のところドキドキはじりじりと弱火で胸を焦がしているので落ち着きはない。

 一日中王都を満喫したモモンガが案内され最後にやって来たのは、街外れにある緑地だった。日はまだ落ちてはいないものの西に傾き、影が長くなってきた。母親に手を引かれた子供が革のボールを抱えて帰路についている。

「ここは……お気に入りの場所、とかですか?」

 特に何もなさそうな芝生とまばらに生えた木があるだけの緑地は、所以を示す石碑などもない。エ・ランテルで漆黒の剣に案内された場所の事を思い出しモモンガは疑問を口にした。

「いえ、そういう訳では。ただちょっと、落ち着いてお話をできる場所がよくて」

「話ですか? 何でしょう、改まってお話とは」

 尋ねるとラキュースは何かを躊躇うようにやや俯いた。そのまま沈黙が流れ、二人の間を緩い風が通り過ぎていく。そう広くはない緑地に他の人影はなく、街の喧騒は遠い。意を決するようにラキュースは唇を引き結び、ゆっくりと開いた。

「モモンガさんが、(いたず)らに人を害する方ではない、というのは理解しています。でもそれでも私は、モモンガさんの怒りが誰かに向く事が恐ろしい。例えそれが救いようのない悪党であったとしても、です。だから正直……今回の八本指の件についてお話があった時、初めは恐ろしくてたまりませんでした。ご理解いただきたいのですが、モモンガさんの怒りが向けられるという事は私達人間にとっては逆らう事など不可能な竜王(ドラゴンロード)の怒りが向けられるようなものなのです。私はモモンガさんのお力を直接見てはいませんが、あのイビルアイがいとも簡単に敗れたのですからどれ程強大な力をお持ちかは正直推測も付きませんし、この世で最強の存在である竜王(ドラゴンロード)でなければ対抗できない程の力がぷれいやーにはあると聞いています。あなたが本当に怒りを見せたなら、止められる者など誰もいない、それが恐ろしいのです」

 硬い声でゆっくりとラキュースはそう告げた。その意を決した告白を聞き、神にも等しい力を持つとかそういう自覚が自分にはまだ足りないようだ、という事を改めて知らされた気がしてモモンガは何やら申し訳ない気持ちにすらなっていた。

 いくら賢くて温厚で人を食わないと言われたところでライオンが檻から解き放たれそこら辺を歩いていたら安心できるわけがない。モモンガはつまり街中を自由に歩いているライオンのようなものだ。いとも容易く大量の殺戮を行えそうな超位魔法の数々など自身の力を鑑みればもっと性質が悪いかもしれない。敵対するとすればモモンガは人間にとっては対抗し得ない脅威そのものでしかない。

 もし人間(ひと)の中で生きていくのだとしたら、その辺りもきちんと考慮しなきゃいけないんだな、そう思った。この世界へとやって来たあの日の事を思い出す。仲間が皆去り、その上何処とも知れぬ場所に一人で放り出され、何をする気力も失ったあの時。エンリに励まされたモモンガはあの時、一人になるような生き方はすまいと強く思ったのだ。その辺りは今の所ブレインに丸投げしている感があるが、自分でもきちんと考えた方がいいのかもしれない。

 考えたところであの猛烈な勢いで胸を覆い尽くすどす黒いものを制御できるのかという不安はあるのだが、何も考えないでいるよりは幾分かはいいだろう。

「ラキュースさんのご不安はもっともな話。ただ、クレマンティーヌとブレインがいるのはその辺りも踏まえて、あの二人が面倒事を片付けて私が力を使わなくても良いように、という意味もあるのですよ。あの時も言ったように力を振るう事で要らぬ不安を煽りたくもありません。私の目的は世界中を旅し仲間を探す事です、過剰な力を振るえば竜王(ドラゴンロード)達に睨まれて私の目的にそぐわない争いに巻き込まれるかもしれませんからね。怒らない、というお約束はできませんが可能な限り穏便に事を運ぶよう努力する事はお約束しましょう」

「本当ですか……そのお言葉を聞けて、安心しました」

「ただ……そうですね、大切に思う人達が危険に晒されたり傷付けられたりしたなら、その時には私は力を振るうのを躊躇しないでしょう。そんな事がないのを願うばかりですが」

 その言葉に、ラキュースは表情を強張らせごくりと唾を飲んだ。そんな事がなければいいというのはモモンガの本心だ。必要がなければ力を使う気がないというのも本心だ。だがきっと、「敵」に対してモモンガはどこまでも冷酷に非情になれるだろう、そんな確信めいた予感がある。それは恐らくはそこらの虫を踏み潰すのとはまた違う感情だ。ブレインに止められなければその苛烈さはあのゴミのような貴族に容赦なく向けられていただろう。

 本当に人間ではなくなってしまったのだな、とどこか他人事のように改めてモモンガは思った。そしてそのアンデッドとしての感じ方と考え方は、今となってはモモンガの中ではまるで生まれた時からこうであったかのようにごく自然なものだ。それなのに寂しさだとか人の優しさに覚える感情だとかそういった部分は中途半端に人間のままであるかのように働いている。人ではなくなったのにアンデッドとも言い切れない、それならモモンガは一体何なのだろう。

 スルシャーナもこうだったのだろうか、それなのに滅びに瀕した人類を慈悲から救ったというのだろうか。もし生きていたなら聞きたい事が沢山あったけれども、彼は五百年も昔に八欲王に滅ぼされたというから聞けはしない。答えはモモンガ自身が見つけ出さなければならなかった。

「イビルアイにも国が敵に回ったらどうするなんて聞かれましたが、どんな状況でも正直その時になってみなければどうするかは分かりません。ただ、力を振りかざすつもりはありませんし使わずに済むならそれに越したことはない、そう思っています。私が力を使う、そんな事態にならないように行動したいし、ならないでいてほしいと心から願っていますよ」

「そう、ですね……微力ですが我々も、そんな事態にならないように精一杯協力させていただきます。力が必要な時はいつでも声をかけてください」

「ありがとうございます、心強いです」

 何かを思い直したように決然とした口調で申し出てくれたラキュースに、モモンガはもし表情筋があったなら明るい笑みを浮かべていたであろう声色で礼を言った。もしかしたら逃げ出したいほど恐ろしいのかもしれない、それなのに彼女は恐らくは人類の守護者たるアダマンタイト級冒険者チームのリーダーとしての責務を果たす為こうしてモモンガと相対し言葉を交わしている。勇気があり誇り高い(ひと)なのだな、とモモンガは思った。彼女もまたガゼフのように、こういう風になれたらいいのにな、と思うけれども決してモモンガには真似できない在り方をしている。彼や彼女に憧れる気持ちは、まるで西日に長く伸びた影法師のように不格好で、いくら手を伸ばしても実体である憧れを決して掴むことはできない。

 

***

 

 暇な日はアインドラ邸を訪れて姉の側にいるニニャと魔法談義などをしたり様々な知識を教えてもらって数日を過ごした後、ガゼフ邸を再訪した。

 前回同様寛いだ服装のガゼフが出迎えてくれる。ブレインは勿論だが、クレマンティーヌも情報収集を休ませて連れてきた。

「本来ならばこちらからご挨拶に伺わねばならぬところを、ご足労いただき感謝する、モモンガ殿」

「いえいえ、私もガゼフ殿のお宅に遊びに来るのを楽しみにしていたのですよ。お忙しい中貴重な休みの日を割いて頂きこちらこそ感謝します」

「休みといっても普段は鍛錬の他にする事もない無趣味な男故、モモンガ殿の来訪は喜ばしい事。さて、今日はまずはモモンガ殿にお渡しするものがあるのだ、しばしのお待ちを」

 モモンガ達が席に着くと、ガゼフは二階に上がっていきすぐに戻ってきた。手には中身がずっしりと重そうな革袋を持っている。テーブルに座ったガゼフがモモンガの前に革袋を置くと、がしゃりとやはり重そうな金属の音が鳴った。

「これは先の陽光聖典拿捕、そして今回の八本指拠点襲撃におけるモモンガ殿の働きに対しての王からの感謝の気持ち故、是非とも受け取って頂けぬだろうか。王は出来れば直接謁見し感謝の気持ちを伝え短剣なども授与されたいとお考えだったようだが、以前モモンガ殿が謁見を固辞されていた事をお伝えし責任を持って私が預かってきた。モモンガ殿に王が伝えきれぬ程の感謝を抱いているという事、決して金で済ませようと考えているわけではない事、どうか知ってほしい」

「失礼、確認させて頂きます」

 モモンガは手前に置かれた袋の口を開け中を見た。中に入っていたのは金貨でも銀貨でもない、見た事はないが恐らく金貨十枚の価値がある白金貨という奴ではないだろうか。それが決して小さくはない革袋の中にずっしりと入っている。

「……これ程の褒美を頂ける程の働きをしたとは思えないのですが。そも全て自分の為にやった事であり、それが結果としてリ・エスティーゼ王国と利害が一致したというだけ。こんなに頂く理由がございません」

「モモンガ殿と利が合った事は我が国にとってこれ以上ない僥倖だろう。モモンガ殿のされた事は、我が国にとって紛れもない利だったのだ。それに対しての褒賞だ、どうか気持ち良く受け取ってほしい。突き返されたなどとあってはこのガゼフ、王に合わせる顔がござらん」

「……ガゼフ殿を困らせるのは本意ではございません。納得はしていませんが有難く頂戴する事にします。じゃあこれ三分割するか」

 そのモモンガの言葉にクレマンティーヌとブレインが首を横に振る。

「お前が取っとけ、俺はいらんぞ、大して働いてないしな」

「私もいらないです、これからマジックアイテムとか買うのにお金がいるんですからモモンガさんが持っててください」

「それじゃ俺が給料なしで働かせてるみたいだろ! そういう社畜精神は良くないぞ! 働きに対する報酬はちゃんと受け取る、これが社会人の基本だ!」

「……しゃちく、というのは何やら分からんがモモンガ殿の言う事は正しい。ただその金額を三分割というのが遠慮の原因なのでは? 本人が働きに対して正当だと思う額を聞いてみるのが妥当かと」

 ガゼフの提示した妥協案に成程とモモンガは頷いた。

「じゃあまずブレインは?」

「今のところの俺の働きじゃその白金貨一枚でも多いぜ」

「クレマンティーヌ」

「私は前回の薬草の分も過分に貰ってますから返したい位です」

「話になんねーぞ! 俺の金が受け取れないのかお前達は!」

「……とりあえず、月給制にしてみては?」

「それです! ガゼフ殿素晴らしい! じゃあまずブレイン希望の月給額を言え!」

 びしりと指差すとブレインは困惑しきった顔で顎を撫でた。

「……それなぁ、聞かれても困るんだよな。だってお前といると金がかからんから月給も必要ないんだよ。新しい刀もお前自分で買いたいんだろ?」

「うん……装備を整えるのは俺の責任だからね……」

「俺は刀とマジックアイテム以外に欲しい物なんかないから今の蓄えがありゃ生活に困る事もないし、第一お前にゃ鍛えてもらってるんだぜ? こっちが金を払わなきゃならん立場かもしれんって思うんだが俺の言ってる事おかしいか?」

「……おかしくないです」

 ブレインに言い負かされすっかり打ちひしがれたモモンガにガゼフが助け舟を出す。

「……剣士という専門職と考えれば金貨三枚から五枚といったところが妥当ではないかと思いますが、ブレイン異存はあるか」

「お前は優しいなガゼフ……そんなに給料出したいならいいぜ、仕方ないから貰ってやるよ。三枚でいいぜ」

「ぐっ……なんか屈辱感……クレマンティーヌもそれでいい?」

「分かりました、モモンガさんがそんなに出したいなら仕方ありません」

「おかしいぞ、お前等絶対おかしいぞ!」

「……そうは言われても別にお前に雇われてるわけじゃねぇからなぁ」

「そうですよモモンガさん、私達雇われてるわけじゃないですよ?」

「そういえばそうだった……何だ今の俺達の関係……なんかすごいふわっとしてて名前が付けられない……」

「旅仲間、という事でよろしいのでは。そうなると給料を出すのはちとおかしいという事になりますが……」

 ガゼフのもっともな言葉に成程とモモンガは膝を打った。なぜそれが出てこなかった、という位ぴったりの形容だ。

 いや違う、恐らくモモンガは無意識の内にその呼び名を避けていた。その自覚がじわじわと湧き上がってくる。仲間は今探しているのだ、ではクレマンティーヌとブレインはモモンガにとって何だ、それが分からなかった。ふんわりとしていて掴みどころがない、形にしようとしても雲を掴むようだ。この関係に名前を付ける事をモモンガは今まで()()()()()()()()、そんな気がした。

「しかし今回の事でモモンガ殿にはまた恩義ができてしまった。王国を蝕んでいた八本指は大打撃を受け、麻薬を栽培している畑のある村まで明らかになっては村を所領に持つ貴族も対策を打たぬわけにはいかない。必要悪の側面もあるのだと今まで見過ごすしかできず歯痒い思いをしていたものが、一気にすっきりとした思いでこのガゼフ久々に爽快な気分を味わいました」

「いえ、先程も申し上げた通り自分の為にした事、しかも今回は提案のみ、いわば王国軍の兵力を利用させて頂いただけですよ。王のご決断とそれを補佐するガゼフ殿始め王族や家臣の方々、そして実際に働いた兵士達あればこその成果でしょう」

「確かに仰る通りかもしれないが、それも全てモモンガ殿のご提供下さった情報とご提案があったからなのだ。その切っ掛けさえ王国の者は自分達で掴む事ができずにいた。お恥ずかしい限りだが、それでも今回の事で自分達の行動で国を良くしていけるのかもしれないと、そんな希望さえ見えてきたのです。王も国を纏める為に変わる事を約束して下さりそれを実行して下さっている。帝国との戦争など難問はまだまだ山積しているがこれからはいい方へ変わっていける、そんな風に思えるようになったのはモモンガ殿のお陰なのだ」

 穏やかに笑んで言うガゼフの言葉に、モモンガはゆっくりと(かぶり)を振った。切っ掛けがいくらあろうとも、自ら変わろうとしない者は決して変わることはない。その事をモモンガはよく知っている。変化を恐れて足を踏み出せない臆病者だっている。仲間という言葉を四十人以外に決して許せないような臆病者がここにいる、それならば変わろうとする王国はそれだけで足を前に踏み出そうとする勇気ある者達だ。

「そんな大層な事はしておりませんよ。ガゼフ殿は六腕の中でも中心格の人物を見事仕留められたとか。さすが周辺国家最強の戦士と感心していたところです」

「いや、それは……クレマンティーヌ殿など二人を同時に相手取ってあっという間に倒してしまったという話を耳にしましたので、卑下するものでもないでしょうが誇るのも面映い話で……」

「いんや、あの二人ならガゼフでもあっという間っしょ~。でも魔法詠唱者(マジックキャスター)はちょっと苦手かなガゼフはぁ」

「……苦手というか、あまり対峙した経験がないが。どうしてそれを?」

「経歴調べれば一発だよぉ。傭兵上がりで王国戦士団団長、対人戦特化ってカンジだよねぇ~。傭兵時代もあんま魔法詠唱者(マジックキャスター)とはやらなかったんだ?」

「機会がなかったな。厄介な相手だろうとは思うのだが具体的にどう攻撃してきてどう対応すればいいのかイメージが湧かんな……」

「奴等はめちゃくちゃ厄介だぞ。単体ならモモンガ(こいつ)と蒼の薔薇の仮面の奴とあの婆ぁ以外は大した相手でもないが冒険者パーティで来られると最悪だ。味方に補助魔法はかけるわこっちの妨害はしてくるわ隙を見て攻撃魔法まで撃ってきやがる。何度死ぬ思いをしたことか」

「まぁそういう役割なのだろうからな……冒険者パーティであれば確かに厄介な敵だろうな。協力する事で個の力が何倍にもなるのが彼等だからな。戦う事はないと思うのだが……想定した訓練は必要だろうか……ブレインがその戦いを切り抜けて来ているというのならばやはり私も……?」

 ガゼフが真剣に悩み始めたのでモモンガは深い溜息をつき両手を二度下ろしてストップの手振りをする。

「はいはいそこまで。お前達、ガゼフ殿は真面目な方なんだ、あまり悩ませるような事を言うなよ。魔法詠唱者(マジックキャスター)はともかくガゼフ殿が冒険者と戦うってどういうシチュエーションだよ」

「えへへ、すいません、面白くってついそのまま止めずに」

魔法詠唱者(マジックキャスター)の警戒はしといた方がいいと思うぜ。今んとこ戦争には出してないとはいえ帝国は育成に力入れてんだろ」

「うむ……帝国は国を挙げて魔法詠唱者(マジックキャスター)を育成しているのだからいつ戦争に出てきてもおかしくはない……その対策も考えなくてはな。彼のフールーダ・パラダインなど一人で帝国全軍と同じだけの力を持つと専らの評判だ、それだけ魔法というのは恐ろしい力を持つのだろうからな」

「戦況を大きく左右するのはいつでも強力な魔法ですとも。王国は魔法詠唱者(マジックキャスター)の育成はされていないのですか?」

「モモンガ殿の前でお恥ずかしい限りなのだが……王国の者は魔法の恐ろしさを知らないどころか手品扱いする者までいる有様で……勿論魔法の有用性と恐ろしさを知る例外もいるのだが、魔法詠唱者(マジックキャスター)の地位自体が低く軽んじられているのです」

 そのガゼフの言葉を聞いて、ここは一発〈失墜する天空(フォールンダウン)〉でも撃って魔法の凄さを教えた方がいいのでは? と過激な発想がモモンガの頭に浮かんだがさすがにそれはないわと自分でツッコミを入れて取り止める。派手ならいいというものではない。

「王国にはまだまだ課題が多いようですな。ですがガゼフ殿の信じられる王とガゼフ殿が変えようとしておられるのです。自分が変わろうとしたその瞬間から人は変わっていると申します、変わろうと思う事自体が既に変化なのです。ですから己の信じた道を行かれますよう。変化しようとするその勇気を私は尊敬いたします」

 昔読んだビジネス書に載っていた台詞を引用した言葉はどこか浮ついているような気がして、自分で口にしておきながらモモンガは落ち着かなかった。変化しようとする勇気、それが一番欠けているのは誰か。

 ブレインはモモンガの事を友達だと言ってくれたのに、モモンガはクレマンティーヌとブレインを仲間と呼ぶ事に違和感というよりは拒否感を覚えている。心の中の椅子を増やすという変化を恐れている。

 俺の仲間はアインズ・ウール・ゴウンの皆だけだと頑として言い張るモモンガがいて、友達だと言ってもらえた事が涙も出ないのに泣くほど嬉しかったモモンガもいるし、クレマンティーヌの気持ちにどうにか報いてやりたいモモンガもいる。あちらこちらにとっ散らかっていて、収拾が付かなくなってしまっている。

 変わる事の痛みを恐れている臆病者の鈴木悟。

 認めてしまえばアインズ・ウール・ゴウンが本当に過去のものになってしまいそうで怖い。すり抜けていくのをただ見ているだけで掴まえようともしなかった、もう手は届かない。未来を見て今を生きるのではなく過去だけを抱えて過去に生きるなど悲しすぎるのに。今手を取ろうとしてくれている人の手を離すのか。認めた方がいい材料は十分に揃っているのに、認める勇気だけが足りない。

 一頻り魔法詠唱者(マジックキャスター)対策の戦法でブレインと盛り上がったガゼフが、昼食を買いに行ってくると立ち上がる。

「済まんなモモンガ殿、客人を放ってしまって。今日は家の者に休みを取らせているのでな。すぐ戻る。ブレイン、お前も付き合え」

「いいぜ。じゃあちょっくら行って来るわ」

 そう言い置いてドアを出る二人を見送っても、モモンガの心はどこかここにあらずだった。

 

***

 

「さて、俺に何を聞きたいんだ?」

 しばらく歩くとブレインがそう切り出した。ガゼフはしばし躊躇う様子を見せたがやがて口を開く。

「お前とモモンガ殿は、あの日何をしていた」

「まぁちょっとな、野暮用って奴だよ」

「……ある貴族が、仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)に死ぬより酷い目に合わされるから捕まえて牢に入れて守ってくれ、と詰め所に駆け込んできたという話を耳にした。八本指の奴隷部門との繋がりの証拠まで持ち込んでいて、それがこちらが押収した資料と一致したので近日中に裁判される事になっている。一体何をしたんだ?」

「ちょっと脅しが効きすぎたんだろ。あいつは加減って奴を知らねぇからな」

「……本当に脅しだったのか?」

「ご想像にお任せするよ」

 ブレインは肩を竦めてみせた。今の気持ちを的確に表す行動が他になかった。

「しかし、何故その貴族だけだったんだ? 八本指と繋がりのある貴族など掃いて捨てるほどいるが……」

「逆鱗に触れたってやつさ。そいつの運と巡り合わせが悪かったんだろうよ」

「そんな理由なのか……」

 やや呆然としたガゼフにブレインは一つ息をついてみせる。

「そういう奴だぜあいつは。お前さんが夢を見たくなる気持ちは分からなくもないが、そんなご立派な奴じゃないのさあいつは。自分で言ってたぜ、正義の味方にはなれないけど憧れてるって。だからあいつにとっちゃ、お前こそ憧れなのさ」

「俺とて、必ずしも正義を行えているわけではない……力が及ばない事も多い」

「そういう所が正義の味方なんだよ、お前さんは。ま、俺からしたらどっちもどっちだがね」

 ブレインが苦笑して、釣られるようにガゼフも苦く笑った。昼食のメニューを考えるべき店までの道程の時間はそうして潰れていった。



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潮騒

 ガゼフ邸を去り際にモモンガは明日王都を発つ事をガゼフに告げた。またいつでも気軽に訪ねてほしいとガゼフは気持ち良く送り出してくれた。宿に帰る道すがらに蒼の薔薇とツアレ・ニニャの姉妹にも別れを告げておく事にする。

 天馬のはばたき亭にいたイビルアイはモモンガが王都を発つ事を聞くと、一通の手紙を取り出しモモンガに差し出した。

「これを持っていけ」

「これは?」

「ツァインドルクス=ヴァイシオン、つまり白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)への紹介状だ。これでもアダマンタイト級冒険者として近隣諸国に名を馳せているんだ、私の名前で書いたこれがあればスムーズに面会できるだろう。お前はどうも検問で引っ掛かるようだからそこでも使えるかもしれん」

 そのイビルアイの言葉に、この先はガゼフパワーが使えない事を思い出す。今度はイビルアイパワーを使え、という事かと納得する。

「わざわざありがとう、有難く使わせてもらうよ」

「ツアーは話の分かる竜だが、竜王(ドラゴンロード)の中では最も強い力を持つ者の一人だ。罷り間違っても敵対してくれるなよ」

「分かってるよ、そもそも敵じゃないって話をしに行くんだからね。仲良くできるように頑張るよ」

「お前のその軽い物言いにはどうも不安が残るが……そのつもりならいい。旅の無事を祈る、息災でな」

 蒼の薔薇の他のメンバーからも別れの挨拶を貰い、アインドラ邸でニニャとツアレにも別れを告げて宿に戻る。クレマンティーヌとブレインが食事などを済ませてから明日からの旅程の計画を話し合う。

「評議国との国境付近にある都市、エ・アセナルまでのルートは二つあります。一つは内陸部の街道を通りリ・ボウロロールを経由するルート。もう一つは海沿いの街道を進むルートです。リ・ボウロロール経由ですと情報収集の機会がありますね。どちらも距離的にはあまり変わらずエ・アセナルまでは徒歩で十日程ですが、モモンガさんはどちらがご希望ですか?」

「海! 海見たい! 海沿いのルートにしよう!」

 クレマンティーヌの質問に間髪入れず食い気味にモモンガは即答した。この世界の海は是非見たいと思っていたので思ったよりも早く機会が巡ってきた事に興奮を隠しきれない。情報収集の機会が減るのは惜しいがリ・ボウロロールで何かあれば王都やエ・アセナルにも情報は届くだろうし、情報収集自体をそんなに急いでいる訳でもない。元々が何か掴めればラッキー程度の気持ちなのだ。

 鈴木悟は海を見た事がない。リアルの海は汚染されきっていて好き好んで近寄るような場所ではなかったし、アーコロジー内の会社とアーコロジーの外の家を往復するだけの生活では見る機会もなかった。ユグドラシルでは見た事があるしあれも素晴らしいと思ったものだが、現実の海がこの目で実際に見られるとなると興奮をどうにも抑えられない。

「二三日も歩けば海沿いの道に出ますからすぐ見られますよ。そんなに面白いものでもないですけどね」

「海は俺も見た事がないから少し楽しみだな。こいつ程はしゃぐのは無理だが」

「クレマンティーヌは景観の美しさに対する情動が薄すぎるぞ! 初めての景色にワクワクしたりしないのか!」

「うーん……そういうのはあんまり……拷問されてる可哀想な人の痛くて苦しそうな呻き声とかならものすごく興奮するんですけど」

「分かってたけどサイコパスめ……そうだ、この機会にクレマンティーヌに聞いておきたいんだけど」

「何でしょうか?」

 微笑んだクレマンティーヌは僅かに首を傾げた。答えを聞くのが怖いような気持ちを覚えて躊躇ってしまうけれども、意を決してモモンガは口を開いた。

「お前にさ、そういうお前の好きな事……拷問とか人殺しとか我慢させてるだろ? それってストレス溜まらない? 嫌になったりしてないかなって……」

「うーん、我慢してないといえば嘘になりますけど。それより今は、モモンガさんと一緒にいられる方が私にとっては大事な事ですし楽しいですし、我慢するのもそんなに苦じゃないですよ」

「本当に? 無理してない?」

「私なんかの事をそんなに気遣ってくださって、モモンガさんは本当にお優しいですよね。でも本当に無理とかはしてないです。こんなに毎日が楽しいなんて、今までの人生でありませんでしたから」

 嬉しげににっこりと笑んでクレマンティーヌはそう答えた。前も思ったけれどもクレマンティーヌは一体どんな環境で生活していたのだろう。確かにモモンガも旅は思いっ切り満喫しているけれどもユグドラシルでの日々だって楽しかったし、室内での娯楽に限られるとはいえ社会の底辺である貧民層の暮らしでもそれなりに楽しみはあった。そんなものすらクレマンティーヌにはなかったのだろうか。

「無理してないならいいけど……ストレス溜まったら言ってね? 爆発する前にガス抜きしないと取り返しのつかない事になるってヘロヘロさんも言ってたから」

「分かりました。この前みたいに気兼ねなく人殺しできる機会が適度にあれば嬉しいんですけどね」

「そういう事を言うから心配になるんだよなぁ……」

 気にはなったもののどう切り出せばいいのか結局分からずモモンガはお茶を濁した。踏み込まれたくない事も話したくない事もあるだろうと思うと聞く勇気が出ないし、どう聞けばいいのかも分からない。アインズ・ウール・ゴウンでもそうだった、モモンガは相手の話す事に相槌を打つような会話が主で、相手の事に自分から踏み込んだり自分の事を自分から話したりといった事はあまりしなかった。アインズ・ウール・ゴウンの皆は放っておいても盛り上がるような面々だったというのもあるし、語るべきような何かが鈴木悟にはないというのもあった。自分から話す事といえばユグドラシルのゲーム内容に関する事位だっただろう。

「海沿いのルートを進むということは……もしかして、ずっとれべりんぐですか……」

「情報収集できそうな街がないならそうなるだろうな」

「うへぇ……」

「マジか……」

 ずっとレベリングが続くという事実に気付いてしまったクレマンティーヌとブレインがげんなりした顔を見せる。

「ははは、そんな顔するなよ、強くなれるんだぞ! 二人ともレベリング頑張ろう!」

「その代わり死ぬ思いし続けんだよ……他人事だと思いやがって」

「エ・アセナルが遠い……」

 エ・アセナルに着くまでの目標は死の騎士(デス・ナイト)を二人が倒せるようになる事だな、と密かに決めておいて、げんなりした二人を楽しげな声で励ましつつもしかしながらモモンガの心はどこか晴れないままだった。

 漆黒の剣のペテルは、冒険者パーティは共に戦う仲間だからお互いがどう行動し何を考えているかを深く理解し合うようになるのだと言っていた。それを聞いた時はアインズ・ウール・ゴウンの仲間達と自分も同じだったと思っていたけれども本当にそうだったのだろうか。ニニャが冒険者になった目的は仲間達に話していると言っていた。そこまで深く信頼しているという事だろう。そして、それだけ沢山の事を語り合い、時には自分の領域を曝け出し相手の領域に踏み込んだということではないだろうか。そこをまさに今、モモンガは尻込みして踏み込めずにいるし、今までだって積極的に自分から踏み込んではこなかった。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆とは沢山の事を話したしお互いの事をよく理解していたし息だってぴったりだった。でもそれは皆が心を開いてくれたからで、モモンガは相手に心を開いてもらえてようやく自分の心を開くことができた。だから今のクレマンティーヌのように心の内を明かさない相手にはどう接していいのか分からない。

 別にクレマンティーヌは嘘をついている訳ではないだろうけれども、どうも口にしたことが全てではないような気がするし、そもそも協力者になる前のクレマンティーヌについてモモンガは漆黒聖典の一員でズーラーノーンに鞍替えしようとしていたという事とクインティアの片割れという蔑称しか知らない。ブレインに聞かれてもはぐらかすし、自分の過去についてあまり触れられたくないような雰囲気がクレマンティーヌにはあった。

 モモンガが聞けばクレマンティーヌは忠誠心から恐らく答えるだろう。だけどそれがモモンガは嫌だった。当初から思っていた事だけれども崇拝と忠誠を向けられても困惑しかできないし、ユグドラシルでは手に入らないレアアイテムを収集したいという欲が働いたのも確かだけれども、叡者の額冠を貰って協力者という体にしたのはあくまで対等の関係でいたかったというのが一番大きい。クレマンティーヌは未だに「仕えている」という気持ちなのかもしれないがそれをモモンガはやめてほしいのだ。だがそれにしたってどうすればやめてくれるのか、どう言えばいいのかが全く分からない。

 二人が眠りに就き深い闇の中に沈んだ部屋の中でモモンガは答えの分からない問いについて考え続けた。

 

***

 

 王都を発って街道を西に進み三日目、そろそろレベリング場所兼野営地探しの頃合いかという頃、彼方に海が見え始めた。

「あれ? もしかしてあれが海? すごい! でかい!」

「少し寄り道して海岸に行きましょうか。モモンガさんも海をちゃんと見たいでしょうし」

「うん、見たい! うわーすげーよブレイン海だよ! 本物の海! 今日はレベリングはお休みして海だ!」

「めちゃくちゃ語彙が貧弱になってんぞお前……」

「お前だって初めて見るんだからもっと興奮しろよ! うわぁすごいほんとに青い……水ってほんとは青いんだなぁ……」

 興奮が最高潮に達したところで沈静化がかかるがわくわくした気持ちはじわじわと続いている。地平線を北から南までずっと海と思しきものが続いている。湖はトブの大森林にあったものを空から見た事があるが、これから眼前に一杯に広がる海を見られるのだ。これがわくわくせずにいられようか。

 そのまま西に進み海岸線に出る。海岸線は切り立った崖になっていて、視界一杯の海の濃紺の水平線の上は霞んだ雲がかかってその上で澄んだ空の蒼がグラデーションを描いていた。彼方には海鳥が飛び、崖の下を見やると波が寄せては返し飛沫を上げている。

「少し北まで行くと港町があるんでもっと近くから見られるかもしれませんけどこの辺りは崖みたいですね」

「ふっふっふ、クレマンティーヌ、魔法は万能なんだ。こんな崖なんて何の障害にもならないぞ! 〈全体飛行(マス・フライ)〉!」

 ちっちっち、と立てた人差し指を何度か振ってモモンガは魔法を詠唱した。三人の体が浮き上がる。

「ちょっ、お前、そこまでするか……?」

「海上散歩ってのも乙なもんだろ、さあ行くぞー!」

 告げてモモンガは先陣を切って垂直に崖を降りていく。飛沫がかかりそうな程海面に近付いてから直角に方向を変え海上を進んでいく。〈飛行(フライ)〉はそれなりの速度が出る。纏った速攻着替えのローブに風を孕ませて広げ全速力で進むモモンガの横で波打つ海面が後ろへとどんどん流れていく。それでもどこまでも先へ先へ視界一杯に海は広がっていて、果てなどないように見えた。

「お前これ散歩って速度じゃねーぞ! 飛ばしすぎだーっ!」

「細かい事は気にするなよー! さいっこーに気持ちいいーっ!」

「モモンガさんちょっとーっ! 待ってくださいーっ!」

 ほとんど怒鳴るような大声で言葉を交わすのも気持ちがいい。この瞬間今、一切のものから解き放たれモモンガは自由になっている、そんな確かな実感が胸を満たす。何にも妨げられず今まで知らなかった世界を見ている、それはこんなにも胸躍る事だったのだ。ワールド・サーチャーズを哀れんでいた過去の自分に恥ずかしささえ感じた。

 うっかり夢中になりすぎて途中で〈全体飛行(マス・フライ)〉の効果時間が切れてしまい三人仲良く海にドボンしたのもモモンガにとっては笑い話だが二人にはこっぴどく怒られた。ぶーぶーと二人から文句を垂れられる、それさえも楽しかった。もし海水が塩水だったら乾いたらベタベタになっていたのでこの世界の海水が真水だったのは幸いだった。

 ずぶ濡れの衣服を乾かす為崖の上で焚き火を焚いて下着姿になったブレインの鍛え上げられた身体を目にしたのは(鈴木悟の貧弱な身体を思い出して嫉妬心を覚えたので)ちょっと面白くなかった。ちなみにクレマンティーヌは普段からお前それ下着か? と聞きたくなるような軽装だからか鎧を脱いだだけで焚き火に当たっていた。普段から目の毒な格好だし宿でも目の前で普通に鎧を脱がれていたのでモモンガの感覚も段々麻痺してきた。やはり三人部屋は失敗だったかと今更ながらに思う。クレマンティーヌはもう少し自分が女性であるということを大切にしてほしい。ブレインだってかなり困っていた。

 因みにクレマンティーヌが情報収集に出ている間に聞いておいたのだが、ブレインの認識としてはクレマンティーヌは女というよりは危険な肉食獣みたいなものらしいので欲望の対象にはならないそうだ。手を出したら確実に死ぬ、という危機感が先に立つらしい。困っているのはそうは言っても一応性別は女だから気を使わざるを得ないからだという言い分だった。

「いいなぁ海。船にも乗ってみたいなぁ」

 しみじみと呟きを漏らしたモモンガに、ブレインは微妙な表情を、クレマンティーヌは困ったような笑みを返してくる。

「王国からでしたらこの先にある港町から聖王国方面の商船が出ているみたいですよ。海はモンスターが強くて危険なので、船旅自体があまり一般的ではないんですけど」

「そうなのかぁ……聖王国は今の所行く予定がないけど、行く時は船で行ってみたいなぁ」

「でも聖王国といえばアベリオン丘陵との境に築かれた大城壁がやはり見応えがあるので、陸路も捨て難いですね」

「そうそれ万里の長城的な奴、見てみたいんだよなぁ、でも船旅もしたい……悩ましいな」

 鈴木悟には想像もできなかった贅沢な悩みだ。何処に行って何を見てもいい自由が今のモモンガにはあり、見てみたいものも数え切れない程にある。

 でもきっと一人だったなら、今日の海だってこんなに楽しくなかったろうな。ふとそう思う。一緒に分かち合う事で楽しさが何倍にもなり、失敗だって笑い話にできてしまう、この感覚をモモンガは知っている。これはあの頃感じたものと同じなのだ、それを認めたくない自分がいて、認めたがっている自分もいる。定まらぬ壊れた秤の針のように二つの気持ちの間で意志は振れ動いて正しい答えは出ない。

「何も一回しか行っちゃいけねぇって訳じゃないんだから、船も陸もどっちも行けばいいだろ、仕方ないから付き合ってやるよ。まぁそれも評議国でのお前と白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の話の結果次第だろうけどな」

 愉快そうに微笑みを浮かべたブレインがそう言う。下着姿でも格好いいのがかなりむかつくが、言葉の内容は素直に嬉しくて返す反応にモモンガは戸惑った。

「……そうだね、聖王国がいい所だったら何回も行きたくなるかもしれないし。名前からしてアンデッドには厳しそうな国だけど……」

「法国程ではないですけど厳しいですね。あそこも神殿勢力が統治に大きく関わっていて国民も信仰心が厚いですから」

「はぁ……アンデッドに優しい国はないの?」

「ねぇだろそんな国は」

「カッツェ平野とかだったらまぁ……仲良くできるかどうかは別ですが」

「あそこ知能が低いアンデッドばっかりなんでしょ? 仲良くできないよ……」

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)達やより上位の存在等の知能あるアンデッドによる秘密結社の噂も聞いた事がありますけどズーラーノーン以上に謎に包まれてるので……本当に存在してるのかどうかすら眉唾なところがあるんですよね」

「へぇー面白い、そんなのあるんだ。そいつらを探してみるってのも楽しそうかもな。やっぱり話ができそうな同族には興味あるし……」

 話があちらこちらに飛んで広がっていくがそれが何気ない雑談という感じでこの感覚もまた楽しい。失くしていたものを取り戻しているような奇妙な感覚があってそれは嬉しさと痛みを同時にモモンガに齎す。

 別々のもので比較するものではない。イビルアイの言葉は正しい。アインズ・ウール・ゴウンの仲間達との輝いていた時間と今流れている時間はまるで別のもので、そもそも比べるべきものではない。それなのにアインズ・ウール・ゴウンのあの時間をどうしてもモモンガは連想して思い出してしまう。

 胸が、痛い。

 痛みの余りに空を仰ぎ見れば陽は暮れかけて、水平線は朱に染まり赫々と燃えるような色をした太陽はもう半ばまで姿を隠していた。楽しかった一日が終わる。明日もきっと楽しい旅路になるだろう、一人ではないこの旅は。その事が嬉しいと同時にどうしようもなく辛くて胸が詰まる。アインズ・ウール・ゴウンの皆を忘れたくない、そう思ってしまう。別々のものだから、今が大切になったとしてもアインズ・ウール・ゴウンで過ごした時間は心の中から消えるわけでもなくなるわけでもないのに。

 今ここに皆が居てくれたなら。それはないものねだりで贅沢な願いで、その為に何の努力もモモンガはしなかった。していた事といえばひたすらに待つことだけで、戻ってきてくれとすら言い出せないのに戻ってきてくれないことにもどかしさや寂しさや悲しさを感じて恨みにすら思っていた。どれだけ自分勝手だったろう、当然の帰結を恨みに思うなんて。

 以前の過ちを繰り返さずに今ここにあるものを大切にすべきなのだ、それは分かっている。だけれども、願ってしまう気持ちはそれならばどこに行けばいいのだろう。行き場のない気持ちは胸をじりじりと焦がす。

 そろそろ夕食にしたいというので、王都で買ってアイテムボックスに入れて保存している肉や野菜や調理器具などを取り出してブレインに渡す。ユグドラシル時代に入手してアイテムボックスに入れていた食べ物は問題なく食べられたので王都にいる間に実験したのだが、この世界の食べ物もアイテムボックスに入れる事によって入れた時の状態で保存されるようなので冷蔵庫要らずだし嵩張らない。無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)があれば水の持ち運びも必要ない。焚き火を使ってブレインが手際よく夕食を作る。修行時代には一人旅をする事もあり自分で料理をしなければ食事できなかったのでその時覚えたのだという。

 食事を食べられないモモンガは闇に沈んだ海を見た。濃紺の海はどこまでも沈んでいきそうなほどの深さがあるように見えて昼間とは違う表情を見せていた。東の空に昇り始めた月の光を受けて波頭が煌めく。潮騒だけが世界を支配する音のように遠く近く寄せて返す。この世界の自然がどれもそうであるように美しいけれども、どこか遠く切ない物悲しさを感じさせるような光景だった。これが日本人特有の侘び寂びって奴なのかな、と骸骨の姿に似合わない事を考える。

「やっぱれいぞうこの中にあった肉とかモモンガが前の世界から持ち込んだ肉の方が美味いな」

「野菜もそうだねー。でもさぁ、あの肉ドラゴンの肉とか言われた時はびっくりしたよぉ」

「俺も人生でまさかドラゴンの肉を食う時が来るとは思ってなかった……美味かったけど」

 そんなに美味いのかフロスト・エンシャント・ドラゴンの肉……とぼんやりとモモンガは思った。何せ噛む事は出来ても味覚もなければ噛んだところで顎から零れ落ちるだけなのでドラゴンの肉がどれだけ美味しいのかをモモンガは確かめようがない。今二人が食べている肉と野菜だって鈴木悟(モモンガ)からしたら最高級食材だ。どうにかして飲食できるようにならないかな、と考えるもののモモンガの手持ちのアイテムにはそういうものはない。ユグドラシル時代には一切必要なかったからだ。同じ不用品でもリング・オブ・サステナンスとか疲労無効のアイテムとかはちゃんと持ってたのになぁ、と自分に対し理不尽さと後悔を感じる。

 アイテムといえば王都を出る前に二人には炎・冷気・電気・酸の属性ダメージをそれぞれ無効にするアイテムを預けた。敵によって使い分ける運用方法を想定している。最初の一撃は喰らう事になるかもしれないが例えばドラゴンなら種族によってブレスの属性は決まっているし魔法を使うモンスターにしても使える魔法は限られているのでそう問題にはならないだろう。聖属性と闇属性は二人が人間で特に弱点ではないし対人戦でその二つの属性の魔法が使われる事はあまりないらしいという事もありとりあえずは不要かと思ったので渡していない。本当に属性ダメージ無効装備渡してきやがった……とブレインは完全に呆れ返っていた。最低限の装備を整えるのはモモンガの責任とはいえもう少し位は感謝してほしい。頑張ってアイテムボックスを整理して見つけ出したのだ。

 食事の後片付けを終える頃にはブレインの服も乾いていたので焚き火を始末してグリーンシークレットハウスを出し二人は就寝する。寄せて返す潮騒を聞きながらモモンガの長い夜はいつ終わるとも知れず更けていった。

 

***

 

 将来聖王国に船旅をする時の為に転移ポイントを作る為港街に立ち寄ったりしながらエ・アセナルへの旅路は順調に進んでいった。レベリングも至極順調で、死の騎士(デス・ナイト)は今ではほぼ手加減なしで二人と戦っている。その様子を見て、これはひとつテストをしてみた方がいいかな、とモモンガは考えた。

 テストのタイミングは、明日にはエ・アセナルに着ける所まで辿り着いた日の事。適当なレベリング場所を見つけたところでモモンガは用件を切り出した。

「今日は一人につき一回しか召喚しないから、二人とも全力で戦ってみて」

「いつも全力だよ……じゃねぇと死ぬから」

「でも長時間訓練を続ける事を想定して武技とかはセーブしてるだろ? そういうの考えないで自分の出せる全力をぶつけてみて。そうすればそろそろ二人とも死の騎士(デス・ナイト)には勝てるんじゃないかって気がするんだよね」

 そのモモンガの言葉を聞いてもクレマンティーヌもブレインも半信半疑といった顔付きだった。勝利のビジョンが浮かばない、といったところか。死の騎士(デス・ナイト)には二人がまだ知らない特殊能力があるのでその点は少し厄介かもしれないが、昨日までの戦いぶりを見れば十分勝算があるとモモンガには思える。

「まあとにかくやるだけやってみて、クレマンティーヌからね」

 そう告げるとモモンガは中位アンデッド創造で死の騎士(デス・ナイト)を一体創り出した。やるだけはやってみますけど、と自信なさげにクレマンティーヌは死の騎士(デス・ナイト)と対峙し、四つん這いの獣とクラウチングスタートを掛け合わせたような独特の姿勢をとる。

「〈能力向上〉〈能力超向上〉〈疾風走破〉」

 刹那、二者の間の距離などなかったかのようにクレマンティーヌは死の騎士(デス・ナイト)の懐に入り込んでいた。その速さたるや転移と見紛うばかりだ。死の騎士(デス・ナイト)は盾を動かしクレマンティーヌを排除しようとするが、それに先んじてクレマンティーヌのスティレットが死の騎士(デス・ナイト)の胸に突き立っていた。

「起動っ!」

 スティレットにモモンガが込めた〈火球(ファイヤーボール)〉が起動し内側から死の騎士(デス・ナイト)の身体を焼く。死の騎士(デス・ナイト)はアンデッドでありながら炎属性は弱点ではないが、回避不能のダメージをそっくりそのまま体の内側に受けてしまうこの攻撃は脅威だ。暴れるように振り回した剣がクレマンティーヌの頭目掛け振り下ろされるが胸から抜いたスティレットをクレマンティーヌは頭上に構えた。

「〈不落要塞〉〈流水加速〉」

 細身のスティレットがまるでグレートソード並の質量でもあるかのように死の騎士(デス・ナイト)のフランベルジュの一撃の勢いを完全に受け止め殺す。次の刹那にはクレマンティーヌが左手で抜き放っていたもう一本のスティレットが死の騎士(デス・ナイト)の胸に突き立っていた。

「おらぁっ! 〈超回避〉!」

 二本目のスティレットから解放された魔法は〈電撃(ライトニング)〉。素早くスティレットを抜いたクレマンティーヌは横薙ぎに振り回された盾を先読み発動したと思しき武技でするりと躱し一旦距離を取り、左手の魔法を発動したスティレットをしまい込むと三本目のスティレットを抜き放つ。

「〈疾風走破〉っ!」

 再び武技を発動し瞬く間に距離を詰めたクレマンティーヌの動きは二度目ともなると死の騎士(デス・ナイト)に読まれていた。クレマンティーヌが懐に入り込んだタイミングに合わせてフランベルジュの重い一撃が振り下ろされる。しかしそれを読み切れないクレマンティーヌではない。

「〈不落要塞〉!」

 レベリングを始める前であれば対応不可能だった速度で振り下ろされた死の騎士(デス・ナイト)の一撃は右手のスティレットに完全に防がれ、そのまま一歩踏み出したクレマンティーヌの左手のスティレットが再度死の騎士(デス・ナイト)の胸を穿つ。

「これで、終われぇぁっ!」

 三本目のスティレットに込められていたのは氷の属性ダメージ魔法。四本目のスティレットには〈人間種魅了(チャームパーソン)〉が込められている為、クレマンティーヌは死の騎士(デス・ナイト)相手に切れる手札をこれで全て切った。しかし死の騎士(デス・ナイト)は未だ倒れず、クレマンティーヌを間合いから排除しようと横薙ぎに払われた盾が襲い来る。

「ぐぎっ!」

 今度は回避に失敗したクレマンティーヌは右腕にもろに盾の一撃を喰らい吹っ飛ぶ。素早く立ち上がりはするものの、強烈な一打を貰ってさすがに腕の骨が折れたのか右腕はだらんと垂れ下がった状態だった。

「……モモンガさん、やっぱり無理な気がするんですけど」

「あとちょっとだと思うよ、頑張れ」

「んもー、死んだらどうするんですか……蘇生できるから大丈夫ってのはナシですよ」

「あと一発、頑張って当ててみて、クレマンティーヌならできる!」

「……モモンガさんにそう言われちゃったら頑張るしかないですね……死なないように祈っててください」

 動かないクレマンティーヌに死の騎士(デス・ナイト)が突進攻撃を仕掛けてくる。振り下ろされるフランベルジュのタイミングを見誤らないよう、それだけに全身全霊を払いクレマンティーヌは武技を発動させる。

「〈超回避〉!」

 フランベルジュが空を切り、死の騎士(デス・ナイト)の右側面に回り込んだクレマンティーヌがスティレットを胸部に突き刺す。魔法はもはや込められておらずアンデッド相手では急所も狙えない、スティレットは有効な武器とは言い難い。次の動きに対応しようと素早くスティレットを戻したクレマンティーヌの前で、しかしながら予想に反して死の騎士(デス・ナイト)は膝を折り、うつ伏せに崩折れた。そのまま灰になり風に崩れ消えていく。

「……えっ?」

「だから言ったろ、あと一発だって。おめでとうクレマンティーヌ、死の騎士(デス・ナイト)卒業だ」

「えっ? えっ? ちょっ、ちょっと待ってください、卒業ということは……」

「次はもう一段階強いアンデッドだな」

「えええーっ! ちょっ、ちょっと、いくらモモンガさんの言葉でもそれはないです! 今だって本当に死ぬかと! 大体にして何で最後あんなあっさり……」

「ああ、あれはね、死の騎士(デス・ナイト)の特殊能力なんだ。どんな強力な攻撃でもギリギリの状態で一撃だけ耐える事ができるから、死の騎士(デス・ナイト)に致命傷を負わせてもギリギリの状態で耐えちゃうんだよ。どんな攻撃でも一撃は絶対に耐えてくれるんだから盾としてすごく優秀だろ?」

「そ、そういう事は……さ、先に言ってください……」

 クレマンティーヌはへなへなと座り込むとそのまま仰向けに地面に倒れ込んだ。緊張が解けてしまったらしい。とりあえずポーションを飲ませ傷を癒やす。

「……俺はあれはまだ無理だと思うぞ」

「まあやるだけやってみようよ、減るもんじゃなし」

「俺の命は一個しかねえんだよ! 減るんだ!」

 ブレインの訴えは無視し中位アンデット創造でもう一度死の騎士(デス・ナイト)を創り出す。

「人の話を聞け!」

「問答無用だよー、はい始めー」

「俺の扱い! くそっ!」

 言葉通り問答無用で襲い掛かってきたフランベルジュの一撃を後ろに躱して一旦距離を取り、ブレインは刀を抜いた。

「ほんと人の話聞かねぇ奴だな……〈能力向上〉〈縮地〉」

 レベリングで新たに習得した武技で滑るように一気にブレインは間合いを詰め刀の間合いへと踏み入る。

 次に発動した武技〈領域〉によって間合いの中の音、空気の動き、気配、何もかもをブレインは知覚し、死の騎士(デス・ナイト)のいかなる攻撃をも紙一重で回避し受け流し、攻撃できる隙をひたすらに待つ。こうして回避できるようになったのもレベリングの効果で、いくら〈領域〉があるとはいえ対応不能なスピードの攻撃が来れば回避できないのは自明の理、故に今もブレインは一切気を抜けない。いつでもギリギリすれすれのところで躱しているからだ。

 無限の繰り返しにも思える攻撃と回避の応酬が続く。その均衡が破れる時が来た。

「そこだ!」

 死の騎士(デス・ナイト)が盾を振り抜き剣を振り下ろして前面ががら空きになったほんの一瞬の事、瞬きの間に四閃、胴を狙った斬撃が残光を残して走る。本来のブレインのスタイルならば首を狙うところだが、二メートル以上ある巨体の死の騎士(デス・ナイト)の首を狙うのは難しい。故に狙うのは曝け出されている胴体部になる。

 すぐに構えを戻したブレインは一瞬も気を抜く事なく〈領域〉の助けを借りて襲い来る攻撃を回避し続ける。回避が紙一重なのは反応できるギリギリの速度だからなので、回避しきれずに傷を受け盾に殴られる事もあるが、半ば以上は避けているので致命傷までは負わない。この戦法に辿り着くまでにも紆余曲折があった。最初は〈領域〉の助けを借りても避け切れず死にはしないまでもかなりの大怪我を負った事もある。だが待ちの剣である虎落笛(もがりぶえ)は巨大なタワーシールドがある限り有効打とはなり得ない。故にブレインは自ら間合いに入り隙を窺う戦法を選択した。

 隙を窺い一撃を加える、それだけの繰り返しなのでブレインの戦いは第三者から見れば全く派手さはなく単調だ。しかし常に武技を発動している状態のブレインの気力は回避がギリギリである事も併せて極限まで削られ続けている。そんな事情もありブレインはレベリングに最も適した状態である死ぬか生きるかの瀬戸際の状態に常に置かれていた。

 その後ブレイン側が攻撃する機会が幾度かあったが、結局死の騎士(デス・ナイト)を倒すまでには至らず召喚の限界時間を迎えた。

「うーん惜しい、あとちょっとじゃない?」

「……どこがだよ、お前の目は節穴か」

「だって今の死の騎士(デス・ナイト)ほぼ本気だよ? それなのに受けた傷も浅いし攻撃は全部入ってたじゃないか」

「疲労しないお陰で何とか戦えてんだよ……気力は削られまくるけどな」

「その刀も魔法蓄積できれば勝てそうじゃない?」

「できねぇから……一時的に魔法武器化するオイルならあるがあれ相手には特に意味ないだろ」

「そうだね、特に意味はないね。聖属性付与とかなら別だけど」

「疲れた……もう寝てぇ」

 クレマンティーヌに続いてブレインもその場にへたり込み仰向けに寝転がる。

「ほらほら二人とも、そんな所で寝てたら風邪引くぞ、せめて部屋で寝なよ」

 グリーンシークレットハウスを用意してからモモンガが二人に声をかけると、二人は首だけを動かし恨めしげな視線でモモンガを見やった。

「……誰のせいで起きられないほど疲れたと思ってんだ」

「ちょっと……まだ起きる気になれないですね」

「お前達疲労無効アイテム持ってるでしょ?」

「精神的疲労で起きられねぇんだよ!」

 我慢も限界といった様相のブレインがたまらず叫ぶ。陽が暮れかけて風も冷たくなってきた、このままにしておいたら本当に二人とも風邪を引いてしまうかもしれないと思い腕力だけなら三人の中では一番のモモンガが横抱きに部屋に連れて行ったので、クレマンティーヌは耳まで赤くなり慌てまくるという珍しい姿を晒し、ブレインはめちゃくちゃ嫌そうな顔をしたものの立つ気力も出ないらしく羞恥プレイに必死に耐えたのだった。

 

***

 

「エ・ペスペルにて借金に追われた者に施しを与えた仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)……同じ者が王都で蒼の薔薇と接触、王城に入って二日後に王直轄軍が中心となって動き八本指が粛清された……これが本当ならば彼のモモンガなる者は人の側にある者なのでは?」

 スレイン法国神都・最奥。最高神官長のその言葉に部屋に集った皆が頷いた。

「ならば我等の採るべき道は一つ」

「気になるのは八本指検挙に協力した者の中に裏切り者の疾風走破の名前があった、という報告だが」

「もし万一行動を共にしているとしても、あの人格破綻者の事、本性を知らせれば誅する事に異を唱えるとは思われませんな」

 その意見に皆が頷く。人を守ろうと動くモモンガともし共にあるならば、クレマンティーヌは本性を隠しているのでは、と推測された。でなければ不興を買うだろう。

「では方針は決定ですな。先行させた三名に伝えよ、彼の方をお迎えせよ、と。そして、裏切り者には死を」

 土の神官長レイモンが控えていた者にそう告げる。スレイン法国の来訪者に対する方針はこうして密室で定まった。



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エ・アセナルの一日

 浅い眠りを覚ましたのは誰かの気配だった。ごく近くまで近付いていたその気配に今まで気付けなかった事にツアーは驚いたし、ここまでツアーに気付かせずに接近できる相手など世界中でもそう数はいない、誰が訪れてきたかの見当は付くというものだった。ゆっくりと目を開くと、悪戯が成功した子供の笑みを湛えてそこに立っていたのは推測通り、時折訪れてくれる懐かしい盟友だった。

「久方振りじゃの、ツアー」

 前に会った時よりまた目元の皺が深くなっただろうか。十三英雄の一人、リグリット・ベルスー・カウラウの面を眺めそんな事をぼんやりとツアーは考える。

「なんじゃ、挨拶も忘れるとは儂の友は呆けが来てしまったのか? (ドラゴン)にとってはまだ呆けるような歳でもあるまいに」

「すまないねリグリット。懐かしい顔を見て感慨に浸っていたんだよ。よく来てくれたね、君は確か冒険者をしていたんだっけ? 今日は依頼か何かかい?」

「いや、冒険者はもう引退したんじゃよ。こんな年寄りをいつまでも働かせるものじゃないからの。儂の役目は泣き虫に譲ったよ」

 リグリットが肩を竦めて苦笑しながら答え、その答えにツアーはしばし考え込み、やがて思い当たる事があったのか口を開いた。

「泣き虫……ああ、インベルンかい。彼女が冒険者をやるとは思っていなかったけど、一体どんな手を使って納得させたんだい?」

「はん、あの泣き虫が愚痴愚痴言っとるから、儂が勝ったら言う事を聞けといってな、ぼこってやったわい!」

 呵呵と笑うリグリットを見やってツアーは目を細めた。

「あの娘に勝てる人間は君位だよ」

「なぁに、仲間達も協力してくれたしの。それにアンデッドを知るということはアンデッドを倒す術をも知るということ。地の力では勝てんとしても有利不利の関係があればそれも覆せるわい。それにあの泣き虫が強いといってもより強き者はおる、例えばお主。自らに縛りさえかけていなければお主はこの世界でも最強の存在なんじゃからな……」

 笑いかけてくるだろうと思ったのにリグリットがやや目線を伏せ考え込んだのをツアーは不審に思った。そういえば今日来た用件をまだ聞いていない事を思い出す。

「それで、今日はどうしたんだい? 遊びに来てくれたのかい?」

「今日は伝言の使いっ走りじゃよ。全く、儂を使うとはあの泣き虫も偉くなったものじゃ。そう、お主に並ぶであろう存在についてな」

 リグリットのその言葉にツアーの顔も引き締まる。最強の竜王(ドラゴンロード)の一体である己と並ぶ存在、そんな者がいるとすれば同じ竜王(ドラゴンロード)かはたまた――

「そろそろ、百年の揺り返しの時期だと思っていたけれども、インベルンが接触したのかい?」

「ご名答じゃ。あ奴め迂闊にも戦いを挑んであっさり敗北したそうじゃ。己の力を過信しすぎとるとは思っておったがまだ命があって本当に幸運じゃよ。その者の名はモモンガ、どこで情報を仕入れたのかお主の事を知っておって、己が世界に害を為す存在ではないと話を通しに来たいそうじゃ。あの泣き虫が紹介状を持たせるそうじゃから、来たら会ってやってほしいとの事じゃ」

「その話確かに承ったよ。しかし、まず私に話を通しに来るなんて今度の来訪者は随分変わり者のようだね」

「そうかね? お前さんは世界の守護者と言っても過言ではない存在、睨まれたくはないんじゃろ。インベルンの話では、モモンガなる者の目的は前の世界での自分の仲間を探す事と世界を旅して回る事だと言っておったそうじゃ」

「やっぱり変わり者じゃないか。そんな来訪者は初めてだよ」

「六大神然り八欲王然り十三英雄然り口だけの賢者然り、大いなる力を振るい世界に多大な影響を与えてきた存在じゃからな。しかし、少なくとも世界に害意がないという事は喜ばしいことではないかの?」

「それは、まだ分からないね。実際に会って話をしてみるまでは」

「リーダーのように善き者であればよいがの……」

 そう呟きリグリットは遠くを見る眼をした。リーダーの死は彼女の心に消えない傷を刻んだ。その痛みは、二百年経った今も消えはしないのだろう。

「そうある事を願おう。今はそれしか我々にはできないのだからね」

 ツアーもまた彼方を見通すように遠くを眺める。振るわれる方向によって世界に災厄を齎しかねない恐るべき力。今回も振るわれるのかはたまた。己が動かざるを得ないような事態にならない事をこの場から動けないツアーはただ願うしかなかった。

 

***

 

 エ・アセナルに着いたのは昼頃、勿論お約束通りモモンガは検問に引っ掛かったがイビルアイのくれた紹介状とクレマンティーヌのフォローのお陰で無事門を通る事ができた。

 通りには人間だけでなく亜人の姿もちらほら見えた。蜥蜴人(リザードマン)豚鬼(オーク)牛頭人(ミノタウロス)馬人(ホールナー)等々。どうやら評議国から来ている商人等らしい。それが異文化という雰囲気を醸し出していてモモンガにとっては何とも目に楽しい光景だった。

「亜人と人間ってあんまり仲良くないイメージだったけど、ここは平和だな」

「基本的には仲は良くないですね、人間に興味がなかったり比較的好意的な種族もいますけど、大体が捕食者と餌の関係ですから。評議国に行くと亜人の方が圧倒的に多くなりますから亜人と人間が入り混じってるのはこの街の特色かもしれませんね」

「捕食者と餌……俺達っていうか二人は評議国行って大丈夫なの?」

「評議国では数は少ないですが人間もちゃんと暮らしてますし権利が保証されてます。いきなり取って食われたりはしませんよ。まあそうでなくてもそこらの亜人なんてスッと行ってドスッで終わりですが」

 クレマンティーヌが不穏な事をまた言うが、まあ襲い掛かられたとしたら降りかかる火の粉は払うべきだろう。許容範囲内の発言だ。

 宿で部屋をとり少し遅めの昼食にする。この世界の宿は基本的に食事付きなので楽だなぁとモモンガは思うのだが、二人に言わせると味の当たり外れが大きすぎて博打の要素がかなり強いらしい。今日の宿の食事は可もなく不可もなくといった具合のようだった。

「普通に食えりゃ文句はねえな。今日は当たりだ」

「確かに。外れ引いたら目も当てられないもんねぇ」

 まず当たり外れがある事自体がモモンガにとっては羨ましいのだが、それは言わないでおく。二人がお腹一杯美味しい食事ができればそれでいいじゃないか、そう考えて必死に涙を(出ないが)飲みながら耐え忍ぶ。

 昼食は何かのシチューと黒パンに蒸したじゃがいもだった。じゃがいもってどんな味がするんだろうなぁ、シチューって美味しいのかなぁ、どうも二人の食事中は食べているものへの興味がモモンガの頭の中を占めてしまっていけない。

「国境は何か検問とかあるの?」

「いえ、砦とかは特にはない筈ですよ」

「そっか、ちょっと安心……最終的に通れるとはいっても毎回引っ掛かっちゃうからなぁ」

「その見た目だとちょっと……せめてマスクを何とかできればとは思いますが……」

「それがさぁ、アイテムボックス整理して探したんだけど他のマスクは全部本拠地に置いてきちゃったみたいなんだよね……一生これで通すしかないみたい」

「そりゃ御愁傷様なこった」

「マジックアイテムのマスクとかないかなぁ、もうちょっと不審者じゃないデザインのやつ」

「市場では見た事ねえな」

「だよね……マスクを魔化してどうするんだよって感じだし……」

 ほう、と思わずモモンガは溜息を漏らしてしまう。まさかこの嫉妬マスクと一生付き合っていく事になるとは。正確に言えば嫉妬マスクは年度違いの他のバージョンをいくつか持っているのだが、色違いなだけで基本的なデザインは同じな為何の解決にもならない。

「蒼の薔薇の魔法詠唱者(マジックキャスター)の仮面、あれ多分マジックアイテムでしょうし全くないわけではないんでしょうけどね。いっそ作っちゃうとか」

「マジックアイテム製作か……結構な金額がかかりそうだけど検問で引っ掛かる率を下げると思えば……」

「いやどんなデザインでも仮面被ってる時点で止められると思うぞ……アダマンタイト級冒険者みたいな有名人ならともかく」

「だめかー」

 万策尽きてモモンガはテーブルに突っ伏した。検問問題はこの先もどうやら逃れられないらしい。アンデッドの身体は便利な事も多いが不便や制約も多い。その問題を考えると冒険者になって名声を得るというのはどこでも通じる冒険者プレートという身分証を得られるし悪い手ではないのだが、モンスターの退治屋みたいな夢のない仕事だと知った時にその選択肢はモモンガの中から消えてしまった。モモンガは冒険はしたいしその過程で強力なモンスターと戦うならいいのだが、モンスター退治を繰り返すだけのような仕事にはあまり興味が湧かない。

「さて、ご飯も食べましたし私は情報収集に行ってきますがモモンガさん達はどうしますか?」

「俺達はいつも通りマジックアイテムでも見に行こうかな」

「俺も強制的に数に入ってんのかよ……まあいいけどよ」

「何だよーブレインだって好きだろーマジックアイテム見るのー!」

「はいはい、嫌いじゃねえから付き合ってやるよ」

 肩を竦めてブレインが息をつく。しかしマジックアイテム屋巡りは楽しくはあるが実りは少ない。モモンガが欲しいと思えるようなアイテムがどうにもこうにも置いていないのだ。

 南の砂漠の都市、エリュエンティウには八欲王が残したという(この世界では)規格外のマジックアイテムが多数あるというが、それならば是非見てみたいと思う。ユグドラシルポーションもできれば補充したいし、クレマンティーヌとブレインの武装もユグドラシル製にできれば尚良い。エリュエンティウの上に浮かぶ浮遊城というのは恐らくギルド拠点と思われるので維持費もかかるだろう、死蔵しているユグドラシル金貨で取引できたりしたら最高だ。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と穏便に話を終えられたら次は帝国に行くのもいいかと思っていたが、エリュエンティウを目指すのもありかもしれない。

 とりあえず食器を片付け三人とも席を立ち宿を後にする。クレマンティーヌは一人別の方角へ向かい、モモンガとブレインは街の中心部へ向けて歩き出した。道すがらにマジックアイテムを取り扱う店の場所を白金(プラチナ)の冒険者プレートを提げた男にブレインが聞き、そこへ向かう。三店舗ほど教えてもらったので近い所からだ。

 リ・エスティーゼ王からの下賜金があったお陰で軍資金はあるのでいいものがあれば買えそうなのだが、果たしてモモンガが欲しいと思えるものがあるのかは謎だった。とりあえず一店舗目の入り口を潜ると、この世界の店がどこもそうであるように中は薄暗く少し埃っぽい。奥のカウンターの中にいる店主がちらりとこちらを見た。

 〈魔法無詠唱化(サイレントマジック)道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉で置いてあるアイテムを見ていくが案の定これといったものはない。ブレインは気になったものを手にし店主に色々話を聞いているがかなり楽しそうなのでやはりマジックアイテム探しが好きなのだろう。でも電気属性ダメージ低減装備ってそれもういらないだろうお前と思いつつ会話を聞く。

「ちなみに刀……はねぇよな」

「さすがに刀はここまでは流れてこないねぇ、南の方で全部捌けちゃうよ。お兄さんの腰のものも業物みたいだけど、それ以上のものとなると中々ないだろ」

「まあな。でもこれを微妙って言う奴がいてな、誰とは言わねえけど」

「ははは、そいつぁ凄いな。柄とか鞘の造りだけで分かるがそんじょそこらの刀とは違う一品だろうになあ」

 さすがマジックアイテム屋の店主をやっているだけあって鑑定眼は確からしい。そうだ、モモンガの基準がユグドラシルのアイテムを基準にしているのがこの世界ではおかしいのだ、それは認めざるを得ない。でも仕方ないだろ、ユグドラシル基準からしたらブレインの刀はかなり微妙なんだから、とも思うが。エリュエンティウにユグドラシル産の刀があったらブレインにギャフンと言わせてやると心に決める。武人建御雷さんの斬神刀皇とか見せたらどんな顔をしただろうと思うとちょっと見せてやりたくなった。あれは確かナザリック第五階層の守護者コキュートスに持たせていた。何度も思った事だがナザリックがあればなぁと毎度のように思う。

 そのまま夕方まで五六件の店を回り宿に戻る頃合いになる。この街には魔化された殴打武器はなかった。いっその事マジックアイテムについてはエリュエンティウで色々見るまで保留にした方がいいかもしれないとぼんやりと思う。

「なぁ」

「ん、何?」

 声を掛けてきたのにブレインは続きの言葉を口にしようとせずゆっくりと歩を進めた。夕焼け空の雲は桃色に染まっている。ガアガアと太い声で鳴きながら鳥の群れが街の外へと飛び去っていく。

「これから先、お前はどうすんだ」

「どうって、今まで通りさ。情報収集しながら、色んな所を回るつもり」

「もし、仲間が見つかったら、どうする?」

「……どうするんだろうね。見つかってみないと分からない。相手の気持ちだってあるし」

 そのモモンガの答えを聞くとブレインはちらりとモモンガを見やり微妙そうに唇を歪めた。

「俺には全然遠慮がねえのに仲間にはえらい遠慮してんだな」

「どうしてだろうね。自分でも理由はよく分からないんだけど……俺ずっと遠慮してて、それは嫌われたくなかったからだった。でもそれは、本当に言いたい事をちゃんと伝えられないのは間違ってたのかもしれないって思って、それでブレインには遠慮してない」

「多少はしてくれてもいいんだぜ……何事も程々が一番だろ。ま、今更遠慮されても困るだけだから今のままでいいけどな」

「アインズ・ウール・ゴウンの皆には、今でも真っ先に嫌われたくないって思っちゃうんだ。刷り込みみたいな感じなのかなぁ。人生で初めて、友達で仲間だって思える人達だったから」

「仲間……か。そんな奴ぁいなかったな俺は」

 そこで言葉を切ったブレインをモモンガはちらりと横目で見た。ブレインは前を向いて夕陽を睨め付けていた。ただひたすらに真っ直ぐな視線だった。

「俺には剣しかなかった。他には何にもありゃしない、たったそれだけだ。俺の前に立つ奴は誰もが敵だった。ダチは多少はいたが、根無し草の俺じゃたまに顔を合わせて酒を飲む程度の付き合いだ。傭兵団だって強い奴と戦えて金払いが良いから居ただけで、どうなろうと知った事じゃないと思ってたし事実そうだった。誰と居たってずっと俺は一人だった、そう思うよ」

 ブレインの独白を、モモンガは意外な思いで聞いていた。孤独、気さくで面倒見のいいブレインに対してそんなイメージはまるでなかった。そして恐らくそれをブレインは大して苦には感じていなかったのだろう。剣しか見えていない、今の真っ直ぐな視線のようにただそれだけを見つめていたから。

「この前ガゼフの奴に己の信念の為に剣を振るえなんて言われたが、元からそんなもん俺にはありゃしなかった。それしか能がねえから剣を振ってただけだ」

「……でも、好きなんだろ?」

「ああ、そうだな。俺ぁどうしようもなく剣の道ってやつに魅入られちまってるんだ。この道を極められるなら自分の何を犠牲にしたっていい、今だってそう思ってる。いや……違うな」

 そこで言葉を切ってブレインは、恥ずかしいから一度しか言わねえぞ、と前置きをした。

「今は俺は何かの為に、お前が人間(ひと)の中で生きてく為に剣を振るうのも悪くないかって思ってる。お前さんといれば死ぬ思いをする代わりに強くなれるしな。それに、俺は今はもう一人じゃないんじゃないかって、そう思ってるんだ。らしくねえ話だがな」

 苦笑しながらまるで独り言のようにブレインはそう言葉を紡いだ。ブレインの言いたい事は十分に伝わってきたけれども、それに答える言葉をモモンガは探し出せなかった。剣の他には何もいらなかったひたすらにストイックで孤独だったこの男が、今は変わったのだという告白。それに答えるべき言葉をモモンガは未だ持てない。これだけの思いにどうすれば応えられるというだろう。答えなど分かりきっているのにそれを口にすることができない。モモンガにとっては決して安易に口にすることができない言葉だし、適当に口に出してしまうのはブレインの思いを侮辱する事になるような気もしていた。

「だから、お前さんの仲間が見つかるまでは面倒見てやるよ、仕方ねえからな。ただ、その先の事は……お前が決めろ」

 どうしてお前の事なのに俺が決めるんだ、そう問いかけるのは簡単だったろう。だけれどもモモンガはその質問も口にできなかった。決めるのはきっと自分でなければならないのだと、そう思わされてしまったから。

 事情を知らないながらもモモンガの迷いをブレインは感じ取っているのではないか、そんな確信めいた予感が過ぎる。もし全てを話したならば、ブレインはどんな反応を返すのだろう。馬鹿な奴だと笑うだろうか、愚かな奴だと嘲るだろうか、それとも。それはきっと、話してみなければ分からない事だ。

 モモンガは迷って心を定められないでいる。ただひたすら仲間を待ち続ける墓守を続けるのか、それとも違う道を見つけ出すのか、それを今選べないでいる。自分からは何もせずに置いていかれた事を寂しがり恨みにすら思ってしまうそんな事はやめにして前に進みたい、心からそう思っているのに、その筈なのにアインズ・ウール・ゴウンのあの時間は自分にとって総てなのだと胸の奥が叫ぶ。

 本当は選ぶようなことでもないんだろうな、前に進んだとしたってアインズ・ウール・ゴウンで過ごした時間が消えてなくなってしまうわけではないのだから。理屈はちゃんと分かっている、後は決断するだけだ。

 たっちさんが熱く語っていた昔の特撮の名台詞の中に「男の仕事の八割は決断だ、そこから先はおまけみたいなもんだ」というものがあったのをモモンガは思い出した。その台詞が登場する話を見せられて感動ポイントを熱く語られたのをよく覚えている。聞いた時はピンと来なかったのに、今ならその言葉の重みがモモンガにも分かる。決断というものが、こんなにも難しく重いものなのだという事をモモンガは今まで知らなかった。虐げられ耐え忍び流され生きる生き方の中には、心を定め人生の方向を決めるような本当の決断をする場面などなかったのだから。本当の意味で自分で決断した事など今まできっとモモンガにはなかった、決断する位なら沈黙を選んでしまっていた。沈黙して耐えた方が楽だったから、面倒がなかったから。

 

「お前は今まで一つでも自分で何かを決めて何かをした事があるか?」

 

 同じく思い出したのはたっちさんに見せられた特撮映画の中にあった台詞だ。さっきの台詞と合わせて熱く語られたからよく覚えている。

 人生に於いて選択した事のない人などいないだろう。小さな選択は日常の中に常に無数にある。だけどきっとこの台詞はそんな小さな選択の話をしているのではない。確固たる自分の意志を持ち流されずに何事かを決断したかを問うているのだろう。

 痛むだろう、苦しむだろう、悲しむ事もあるかもしれない。それでも人は選ぶ。選んだ答えこそが己の人生の道筋を描いていくのだから。「僕の前に道はない。僕の後ろに道はできる」という言葉を教えてくれたのはやまいこさんだったろうか。確か昔の文学者の言葉だと言っていた。敵をひたすらぶん殴って道を作りながら言っていたので台無しだったが。

 仲間達との思い出も言葉も、今もこうしてモモンガの胸に生きている。決して消えたりはしない。モモンガという人格を形作る上で重要な要素だ。教えられた言葉の意味が会えなくなってからこうして分かるなんて皮肉だけれども、あのまま理解できないまま惰性で日々を過ごしていたよりもずっといい。

 生きているのだ、胸の中に、決して消えたりはしない、あの日々の煌めきが色褪せることはない。会いたいと思う気持ちも会えなくて寂しいという気持ちも消えないけれども、その実感が湧き上がってくるとまるでアインズ・ウール・ゴウンの皆に会いたい時にいつでも会えるようなそんな心持ちになった。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」これはタブラさんだったろうか、死獣天朱雀さんだったかもしれない。こうして痛みを経た上で人に教えられる事でしか愚かな鈴木悟(モモンガ)は知ることができなかったのかもしれない。

 後は踏み出す勇気と切っ掛けだけ。それだけが必要だった。それさえあれば、臆病者の鈴木悟でも一歩前に踏み出せるかもしれない。そんな気がした。

 

***

 

 宿でクレマンティーヌと合流して夕食がてら報告を聞くが、やはり大した情報はなかったらしい。この辺りで強者といえば最近この辺りに留まって依頼をこなしているアダマンタイト級冒険者・朱の雫の面々になるようだ。

 夕食は豆のスープに黒パンそれから肉と野菜を炒めたものだ。宿の食事でおかずが付く事はあまりないので、この宿の食事はなかなか豪華なようだ。

 留まって情報収集しても実りはなさそうなので明日発つ事に決めて部屋に戻る。因みに部屋をとる前にクレマンティーヌに部屋を分けることをやんわりと提案してみたのだが断固として拒否された。何故だ。

「明日には評議国に入りますね。モモンガさんと出会ってまだ一ヶ月ちょっと位ですけど、長かったような短かったような不思議な時間の経ち方です」

「なんだその永遠の別れみたいな言い方……俺達の旅はこれからもまだまだ続くんだぞ?」

 変にしみじみと呟いたクレマンティーヌにそう声をかけると、クレマンティーヌは嬉しそうににっこりと笑った。

「ありがとうございます、これからも頑張って役に立ちますね」

「……クレマンティーヌ、その、別にそんな気負わなくてもいいよ。役に立つから一緒にいるわけじゃないんだからさ」

「何でですか? 私はモモンガさんの協力者です、役に立たなきゃ協力者とは言えないじゃないですか」

 心底不思議そうな顔をしてクレマンティーヌがそう尋ねてくるので、返す言葉をモモンガは見付けられなかった。クレマンティーヌの言っている事は正しい、何も変な所はない。だけど、だけど違うのだ。

 タオルを手にしたブレインが体を拭いてくると小さい声で言い置いて部屋を出ていった。二人で話せ、ということだろう。腹を括るしかないようだった。意を決してモモンガは口を開いた。

「違うよクレマンティーヌ、協力っていうのは、複数で何かを成し遂げるって事なんだ。だから、成し遂げようと頑張れば結果として貢献するかもしれないけど、そういう風に役に立つとか立たないとか考えなくたっていいんだ」

「……ちょっとよく分からないですね。役に立つ方が良くないですか?」

「良いとか悪いとかじゃないんだよ。そんなメリットデメリットでお前と一緒にいるわけじゃないんだ」

「……そうなんですか? モモンガさんは最初に私が仕える事による利益を聞かれましたよね? その上で私が役に立つと判断されたから仕えさせていただけたのではないんですか?」

 そういえば聞いた、確かに聞いた。ブレインの時も聞いた。デメリットの方が上回るなら関係を持ちたくないというのは確かにモモンガの本音だ。だけど今は、クレマンティーヌの存在はもう利益不利益だけではなくなっているという事をどうやって伝えればいいのだろう、それがモモンガには分からなかった。

「聞いたな。確かに聞いた。お前の言う通り、お前がいてくれた方が利益があると思って協力者になった。そこまでは正しいよ。だけど、いつまでもそのままじゃないだろ? ずっと一緒にいて、仲良くなったって思ってたのは俺だけだったのか?」

「モモンガさんと仲良く、というのは、私には恐れ多い事です。出来るだけ気楽に接するようにというご希望通りにしてはいますけれども、私はお仕えするという気持ちを忘れた事はないです」

 不思議そうな顔をしてクレマンティーヌはそう答え、その内容に後頭部を鈍器で殴られたような強いショックをモモンガは受けた。全てが演技だった、という事ではないだろう。だが、クレマンティーヌは演じてはいたのだ。クレマンティーヌは出会った時から今までずっと従者で、もう従者ではなくなっていると思っていたのはモモンガの方だけだったのだ。

 ふらりと、一歩後退る。強いショックによる動揺は即座に沈静化され、不安定な気持ちがじわじわと心を揺さぶる。何か言わなければと気ばかりが焦り、思考が空回りして口にする言葉が何も浮かばない。

「俺と……一緒にいるのが楽しいって……あれも、演技?」

「それは本当の気持ちです。モモンガさんのお役に立てるのは本当に嬉しくて楽しい事なので」

「違うだろ! そんなの違う!」

「モモンガさん……?」

 思わずモモンガは声を荒げていた。クレマンティーヌは訝しげな顔できょとんとモモンガを見つめている。悔しい、悲しい、こんなにも噛み合っていない事が。でもそれはきっときちんと伝えるのをモモンガが怠ったからなのだ。伝えなければ分からないという当たり前の事は、教えられた筈だった。伝えようとした筈だった。でも足りなかった。クレマンティーヌの心を動かすには全然足りなくて。

「すみません、あの、何か気に障るような事を言ってしまったでしょうか、何が違うのか、私には分からないのですが……」

「違うんだクレマンティーヌ、そんなの違う……確かに俺は、お前に感謝してるよ。お前は精一杯役に立ってくれてるよ。でも、そうじゃないんだ。お前は、俺の役に立てるのが嬉しいのか? 俺と一緒にいるのが楽しいんじゃなくて?」

「その二つの、どこが違うのでしょうか……」

「違うよ、全然違う……なあクレマンティーヌ、役に立つ立たない関係なく一緒にいて楽しい人はいるんだ。お前にはそういう人はいなかったのか?」

「……一人だけ、いました。でも、私は役に立てなかった。だからあの()は殺されてしまったんです」

 クレマンティーヌは目を伏せそう答えた。それに対して返す言葉などモモンガにある筈がなかった。たった一人だけの恐らくは友達が死んだのを、クレマンティーヌは自分が役に立たなかったせいだと思っている。出来損ないの方のクインティア、という言葉を思い出す。役に立てなかったという劣等感を抱え、自分を出来損ないだと思い込んで生きてきたのだきっと、クレマンティーヌは。そこにモモンガが利益と不利益の話をしたものだから、モモンガの利益になれば喜んでもらえると思ったクレマンティーヌは役に立つことをこんなにも喜びとしているのだろう。役に立てるなら出来損ないではないという証明になるから。役に立てるなら守れるから。

 そんな事は知らなかった、言い訳をしようとすればできないわけではない。だけどしたくなかった。言い訳が一体何になるというだろう、結果は変わらない。そもそも知ろうともしなかったモモンガに全ての責任がある。それに、ここから目を背けて逃げてはいけないような気がしていた。ここで手繰り寄せなければ踏み出す勇気をこれから先も臆病者の鈴木悟は持てないのではないか、そんな予感があった。

「さっきも言ったけど、お前が役に立ってくれてる事にはすごく感謝してるよ。だけどそれとは別に、俺はお前と仲良くなれたと思ってた。それが俺の勘違いだったって事は分かった。でも俺の気持ちをちゃんと知ってほしい。俺は今はお前が役に立つ立たないに関わらず一緒にいたいと思ってるしお前にもそう思ってほしい。お前が俺に仕えてるなんて、そんなの嫌だ。そもそもそれが嫌で協力者って体にしたのに、お前はずっと仕えてるつもりだったのか?」

「お役に立つという形で仕える事はできると思いましたから、仕えているつもりでした。モモンガさんは、どうしてそんなに仕えられる事を嫌がられるんですか?」

「俺はそんな立派な人間……じゃないな、そんなに立派なアンデッドじゃない。人に仕えられるのに相応しい奴じゃないんだ。仕えてくれる人も欲しくない。俺が欲しいのは、そんなものじゃない……」

「それではモモンガさんの望むものというのは、どういうものなのでしょうか?」

 困惑し戸惑った声のクレマンティーヌの問いかけに、モモンガは返す言葉を失った。

 言うなら今しかないというのに、まだ口にできない。

 夕方の決意が何だったのかというほど恐ろしくなってしまって、ない筈の喉が震えて詰まったような気がした。まだ心の準備が足りなかったというのだろうか、まだ勇気が足りないというのだろうか、今言わなければいつ言うというのだろう。

「俺、は……」

「私はモモンガさんは、お仲間の皆さんを求められているのだと思っていましたが、違うのでしょうか?」

「……それは、その通りだよ。でもアインズ・ウール・ゴウンの皆とお前は別なんだ、違うんだ」

「お仲間の皆さんを探すために、私の知識や力を利用しているのではないのですか?」

「利用なんて言うな!」

 思わずモモンガは怒鳴り声を上げていた。クレマンティーヌがひゅっと息を呑む。

「どうして……どうして分かってくれないんだ、どうして…………俺はもう、お前の事そんな風に考えてないのに……利用なんて、したくない……そんなの嫌だ」

「モモンガさん……?」

 戸惑った表情のクレマンティーヌが見上げてくるが、これ以上何をどう説明していいのかまるで分からなかった。どこまでも食い違い噛み合わない。それもこれも、鈴木悟が臆病者のまま足踏みしているからだ。クレマンティーヌのせいではないのは確かだ。

 己への苛立ちは即座に沈静化されじりじりと胸を灼く。困り果てた様子のクレマンティーヌを置いてモモンガは部屋を出てそのまま外に行き、人気の絶えた夜道で〈飛行(フライ)〉を使い空に飛び上がった。一人になれるならどこでもよかった、空が一番手っ取り早いというだけだ。

 どこまでもどこまでも、高く高く昇っていく。そんな事をしても問題から離れられるわけではないし、苛立ちも消えはしないのに。雲の上まで出ると大きな月の光は煌々と辺りを照らし眩しいほどだった。この美しい世界で生きていくのだと決めたんじゃないか、それなのに俺は、最初の一歩も踏み出せない。己の意気地のなさにほとほと嫌気が差した。

 雲の上では轟々と強い風が渦巻いている。それ位うるさい方が今は良かった。どうすれば、どこから、一歩を踏み出す勇気を絞り出せるのだろう。そんな勇気を出すことから今まで逃げ続けてきたモモンガには見当も付かない。強風にローブをたなびかせながらあと少しだけの勇気が欲しいのだとそれだけをモモンガはひたすら願い続けた。

 

***

 

 受け取った伝言の羊皮紙(スクロール・オブ・レポート)に目を通し終わると、第一席次は他の二人に向き直った。

「彼の方はお迎えする事に方針が定まった。王国民を守る今までの行動から、人類に対し庇護の感情を抱かれている可能性が高いだろうという判断だ。ただ一点、問題がある」

 第一席次の視線がちらりと動き、すぐに伝言の羊皮紙(スクロール・オブ・レポート)に戻る。視線を向けられた男も、何を言いたいのかは視線だけで推測が付いてしまったようだった。

「裏切り者の疾風走破が行動を共にしている可能性があるとのことだ。恐らくは本性を隠し騙して利用しているのではないかというのが上層部の見解だ。異論のある者は?」

 第一席次の言葉に、二人は何も答えなかった。その様子を見て、第一席次は一つ息をつき言葉を続ける。

「個人的には他の可能性も考えるべきだとは思うが……どちらにしろ疾風走破は国の宝を奪い巫女姫を発狂させた大罪人、彼の方を騙しているにせよそうでないにせよ始末を付ける必要はある。騙しているなら本性を暴けば事は済むだろうから楽でいいのだがな。上層部の命は裏切り者には死を、だ」

 第一席次の言葉に二人が頷く。迷いはないようだ、ちらと目線をやって様子を確認し第一席次はそう判断した。もっとも、ここで迷うような者ならば人類の守護者たる漆黒聖典の隊員に選ばれはしないのだが。

「風花の調査では、彼の方は評議国を目指している様子。なるべく急いで追うぞ、もうすぐ追いつける筈だからな」

「はっ」

「了解です」

 返事を聞くと第一席次は手にしていた伝言の羊皮紙(スクロール・オブ・レポート)を背負い袋にしまい、出発を二人に告げた。全速力で追わなければ評議国に入られてしまう、あの国はあの竜の本拠地、少々厄介な事になるかもしれない。せめて国境付近で追い付いておきたい。〈早足(クィック・マーチ)〉をそれぞれにかけ全速力でひた走る。

 この接触は人類の存亡に大きく関わる一大事だ、万一にも失敗は許されない。拭いきれぬ不安をどこかで覚えながらも、それを振り払うように第一席次は走り続けた。




誤字報告ありがとうございます☺


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自然に体が動く時

 翌朝、エ・アセナルを発ち評議国と王国の国境へと向かう。進んでいくと次第に草原は土肌を晒し始め、昼過ぎにはごつごつした岩肌が目立つようになってきた。道も勾配が緩やかについてきている。

 昨日の夜遅くに部屋に戻ってから、モモンガは一言も言葉を発していない。戻るのが遅いのを心配したのだろうクレマンティーヌは起きて待っていたが、喋りかけられても謝られてもモモンガは返事をせずに顔を背け椅子に座って押し黙っていた。こういう時ブレインは空気を和ませようとするのではなく一歩引いて静観するので、クレマンティーヌとも必要最低限の会話しかしていないしモモンガにも朝の挨拶をしただけだ。何故モモンガが怒っているのかが分からないのだろうクレマンティーヌはどうすればいいのか分からずに沈み込んでいた。

 先頭をモモンガが進んでその後ろをクレマンティーヌとブレインが並んで歩いている。我ながら大人げないとは思うものの誰とも今はモモンガは話す気になれなかった。絶望的に噛み合っていなかった事への悔しさと悲しさはじわじわと今も胸を苛んでいる。全ては自分の意気地のなさ故なのにこうして周囲に当たり散らしているのは本当に大人げがないが、どうすればいいのかが自分でもモモンガは分からなかった。

 眼前には乾いた赤い土の色をした険しい山がもう迫っていた。街道は山を登る道に続いている。この辺りが多分国境なのだろう。いつもだったらクレマンティーヌに聞くのにな、と思うとクレマンティーヌをどれだけ自分が頼りにしていたかをモモンガは思い知らされて、それなのに神と従者という関係でしかなかったのだと思うとそれがたまらなく情けなくて、もし涙腺があったなら涙が滲んだであろうほど昂ぶった気持ちが沈静化されじわりとした虚しさが後に残る。

 こんなの八つ当たりだ、それは分かっている。クレマンティーヌにとってモモンガが神のような存在だという事は最初から分かっていたことで、モモンガはもっと楽に接するようには言ったけれどもその認識を改めさせようとはしなかった。どれだけモモンガが平凡かむしろ駄目な所を見せようと、ブレインと気安く接して自分は普通なのだと示そうと、そんな事はクレマンティーヌの信仰心の前では何の意味もなかったのだ。

 きっともっとちゃんと話すべきだった、それなのにモモンガは怯んで踏み込まなかった。それがこの結果を生んだ。今から話しても遅くはないだろうけれども、何をどう話せばいいだろう。モモンガは神ではないのだと言ったところでクレマンティーヌがそれを納得するかというとしないだろうという気がした。モモンガは元々は鈴木悟というただの平凡なサラリーマンで、神なんて存在とは遥か遠い所にいるのだとどうすれば納得してもらえるだろう。

 いやきっと、そんな枝葉の話ではない。もっと大切な、言うべき事がある。昨日喉まで出ていたのにつっかえて出てこなかった、踏み出すのを恐れて言い出せなかった言葉。それを、自分の気持ちをまず伝える事の方が大事だ。

 もっと知ってほしいし知りたい、そう思う。モモンガは自分の事などほぼ話していないし、クレマンティーヌの事も知らないに等しい。一ヶ月以上もずっと一緒にいたのに、まるで赤の他人みたいだ。モモンガとクレマンティーヌはきっと今はまだ赤の他人で、そうでなくなる為には、モモンガがまず踏み出さなければならないのだ。手を差し伸べられるのを待っているばかりでは何も始まらないし進まない。たっちさんがどこにでもいるわけではないのは分かり切っている事だ。

 だけれども、言えるだろうかという思いがモモンガの胸を過ぎる。昨日あの時本当は言わなければならなかった、あの時以上に言うに相応しい場面などあったろうか。それを十分に理解していたのに、それなのにモモンガは怯んで言い出せなかった。理屈でもなく心でもなくもっと奥深くの部分で何かのストッパーがかかっているかのようにその言葉は封じ込まれてしまう。

 まるで、呪縛だ。

 アインズ・ウール・ゴウンの皆への思いを呪いなんてものにはしたくない、そう思う。だからその意味でもきっとモモンガは足を踏み出さなければならないのだ。輝いていて美しくて楽しくて暖かい、そんな大切な思い出を呪いになんてしていい筈がない。

 勇気と切っ掛け、足りないのはそれだ。今日歩いていてモモンガはクレマンティーヌに何度も声を掛けようとしては何を言っていいのか分からずにやめた。昨日からの態度について多分まずは謝るべきだろう。でもその後言葉を続けられるだろうか、そう思うと逡巡が生まれる。臆病者が足を踏み出す為の勇気が足りない。こんな宙ぶらりんの状態はお互いを苦しめ続けるだけだというのに一歩を踏み出せない。どうすればクレマンティーヌは分かってくれるだろう、そんな考えたところで意味のない事を延々と考え続けてしまう。

 考えても分からない事を考え続けていても仕方ない、まずは謝ろう、その後の事はそれから考えよう。そうモモンガが思った時だった、右手首の〈敵感知(センス・エネミー)〉のバンドに反応があった。周囲を取り囲んで段々近付いてくる。数は十五程だろうか。モモンガは立ち止まり後ろの二人に止まるよう手振りで伝えた。

「どうした?」

「敵だ。モンスターかな。それにしちゃ動きが変だけど……こっちを取り囲んで近付いて来る」

 やがて周囲を取り囲んだモンスターの群れを見て、後ろの二人が息を呑んだのがモモンガにも伝わってきた。

「ギガントバジリスクが……何でこんなに? この山は巣でもあんのか? ていうかまず群れるモンスターじゃねぇよな?」

「違うよ……これは多分召喚モンスター。そしてこんな事ができるのは……あいつだ……あいつらが来たんだ」

 クレマンティーヌの声が低く歪む。振り返ると、後ろを向いたクレマンティーヌは肩を震わせ拳を握りしめていた。漏れ出す殺気が凍り付く程伝わってくる。その視線の向こう、エ・アセナル方面から三人の男が姿を現した。

「……おい、何だ真ん中の奴、桁が違うってレベルじゃねえぞ…………」

「そりゃそうだよ……あいつは神人、血に眠る神の力を覚醒させた人類最強の男なんだから」

「漆黒聖典か」

 モモンガの問い掛けにクレマンティーヌは頷いた。

「漆黒聖典第一席次”漆黒聖典”、第八席次”巨盾万壁”……第五席次”一人師団”!」

 低く唸るようだったクレマンティーヌの声は最後の一人を呼ぶ時に揺れ乱れ荒ぶった。三人はある程度距離を取り立ち止まり、真ん中の神人と思われる男が口を開いた。

「裏切り者の疾風走破、やはりそのお方と行動を共にしていたのだな。だがお前の処分は後だ。モモンガ様でいらっしゃいますね、わたくしはスレイン法国よりあなた様にお願いの儀があり使者として罷り越しました」

「モンスターで囲んで威圧して話し合いとは、ガゼフの件といい法国はよくよく穏当な手段というものを知らないようだな」

「周囲のモンスターはその裏切り者を逃さぬ為の檻です、ご無礼の段は平にご容赦下さい。この程度のモンスターがあなた様に傷一つ付けられないであろう事は明白、威圧など意味のない事ですしその意志もございません。その裏切り者さえいなければこんな礼を失する行為はせずに済んだのですが。申し訳ございません」

 モモンガの不機嫌な声にも第一席次は怯む様子を見せず、詫びると軽く頭を下げた。

「用件を聞こう」

「モモンガ様、あなた様に人類の救い手となって頂きたい、我等スレイン法国と共に人類の為に戦って頂きたいのです。カルネ村での一件は不幸な行き違い、スレイン法国は人類を滅びの運命から守るべく戦っております。無辜の王国民を守るお優しい方ならば、我等の思いについても必ずやご理解頂けると考えております。何卒我等と共に法国へとお越し頂けないでしょうか」

 何かと思えばそんな事か。それが第一席次の言葉を聞いたモモンガの偽らざる感想だった。

 はっきり言ってしまえば興味がない。人類がどうなろうとモモンガの知ったことではない。エンリとネムやニニャやブレインやクレマンティーヌは守ろうと思うが、人類全体についてはモモンガの興味の範囲外だ。蟻が滅ぶと言われたら生態系への悪影響を心配するかもしれないが、それも運命だと思う程度だろう。生憎モモンガは絶滅危惧種の保護活動に熱心に参加するようなタイプではない、どちらかといえば無関心派だ。

「ガゼフがカルネ村以外の多くの開拓村がほぼ全滅の状態にされ焼き払われたと言っていたが、無辜の民をそれだけ殺しておいて不幸な行き違いとは中々面白い冗談だな。それで、答える前に聞きたいんだが、さっき処分と言っていたな? クレマンティーヌをどうする気だ」

「……では、そちらの話を先に済ませましょう。その者はスレイン法国の神器を奪い巫女姫を発狂させ逃亡した大罪人、然るべき裁きを下さねばなりません。何卒お引き渡しを」

「断る、と言ったら?」

 低いモモンガの声に、漆黒聖典の三人が息を呑んだのが分かった。だが第一席次はいち早く我を取り戻し口を開いた。

「ご存知かどうかは分かりませんが……その者の本性は人の命を弄ぶ快楽殺人者、もしご存知でなかったならあなた様を騙し利用しているだけなのです。ご存知でありながらその者を庇うのであれば、納得のいく理由をお聞かせ願えますでしょうか」

 何かと思えばそんな事か。再びその言葉がモモンガの頭を過ぎる。先程の話も合わせて考えると、どうやらスレイン法国はモモンガの事を人間に対し慈悲深い慈善家か何かと勘違いしているらしい。それにしてもあれだけ献身的に尽くしてくれたクレマンティーヌを事もあろうにモモンガを利用しているなどとは何という不愉快な勘違いだろう。その上始末? 強い苛立ちが湧き上がり沈静化されるが不愉快さはじわりと心をざわつかせ続けるし胸の奥に滲んだどす黒いものは段々広がっていく。

 深い溜息を一つつき答えようとすると、先んじて第一席次の少し後ろ脇に控えていた、そう、クレマンティーヌによく似た男が口を開いた。

「クレマンティーヌよ、お前はまだ罪を重ねるのか! その尊いお方を欺いているのがどれだけ罪深い事かお前は理解しているのか! そうであるならば、最早妹とは思わん……この手でお前の罪を清算する!」

 その叫び声の声色は悲痛だったが正直な話勘違いも甚だしい。しない筈の頭痛がする気がした。クレマンティーヌを始末するというのならばこの三人は間違いなくモモンガの「敵」だ。神人の力が未だ未知数であるのだけが不安要素だが、非常に腹立たしいし面倒臭くなってきたし全員始末して終わらせようかと考えていると、クレマンティーヌがモモンガの方へと首だけで振り返った。

「モモンガさん……お心を理解できず本当に申し訳ありませんでした。法国と敵対すれば竜王(ドラゴンロード)に睨まれる結果になるかもしれません、私の存在はモモンガさんの不利益です。今までお仕えできて、本当に幸せでした、ありがとうございます」

 えっ、何その死に際の別れの言葉みたいなやつ? 問い質そうとする前にクレマンティーヌは前に向き直りスティレットを抜き放って構えを取る。

「ちょっと待てクレマンティーヌ……」

「いいよぉ兄貴……心ゆくまで殺し合おうか。どうせあんたがいたら、アタシはまともに呼吸(いき)が出来ないんだ、あんたとアタシ、どっちかが死ななきゃアタシは息苦しくてまともに生きてられない! モモンガさんにお仕えできて、初めてアタシはちゃんとまともに呼吸(いき)が出来た、生きられた……でもそれももう終わり、お前等の言う人格破綻の快楽殺人者らしく見るも無残にブッ殺してやるよぉ! クアイエッセ・ハゼイア・クインティアぁっ!」

 モモンガの制止を無視して放たれたクレマンティーヌの叫びは、兄とは違う種類のものだがやはり悲痛な声色だった。

 呼吸(いき)が出来ない。優秀な方のクインティアと比較されクインティアの片割れと蔑まれてきたのだろうクレマンティーヌは、ずっと息苦しい思いをして生きてきたのだ。そんな事だってモモンガは知ろうとしてこなかった。踏み込まれたくないのだろうと忖度して、クレマンティーヌの苦しみから目を背けて、自分に仕え役に立てる事にどれ程の喜びをクレマンティーヌが感じているのかすらも知ろうともせずに。

 クレマンティーヌはこれまできっとずっと孤独だった。そしてモモンガが理解しようとしなかったのだから、モモンガといた間も孤独だったろう、誰にも心を開かずに孤独でいたのだ。神の高みにある者が人の事など理解しないのは当たり前かもしれないからクレマンティーヌはそれで良かったのかもしれない、だがそんなのは嫌だとモモンガは思った。だってモモンガは神なんかではないのだ。悩み痛み悲しみ、喜び笑うごく平凡なアンデッドだ。種族は違えどクレマンティーヌとどれ程の差があるというだろう。

 一緒にいたのにクレマンティーヌはずっと独りだった。モモンガだけが独りではなくなったと思っていて、クレマンティーヌを独りにしてしまっていた。

 そんなのは、嫌だ。

 クレマンティーヌと出会ってから今までの一ヶ月強の事を思い返す。旅路を思い返す。心の奥底の軛となっているものと比較してその日々は軽いものだろうか。いや違う、そもそも比較すべきものではないのだ。思い返す、心から嬉しそうな笑顔、サイコパスと呆れた事、何回か感極まって泣かれて困り果てた事、絶妙なタイミングのフォロー、豊富な知識に助けられた事、他愛のない会話の数々。

 

――楽しかった、本当に、楽しかったんだ。

 

 失いたくない、昨日だって言った、これからも旅は続く、これからもきっと楽しい日々になる。そこにクレマンティーヌとブレインがいてくれたらきっとモモンガの旅は一人でするより何倍も楽しいものになる。

 だから、これからは苦しみも悲しみも分け合おう。分け合ってしまえば案外笑い話にできたりするものなのだから。そうでなくても、独りで背負わなくてもいいように、孤独にならないように、話せるだけでいいから知りたい、心からそう願った。

 自然と脚が動き出していた。数歩歩き後ろからクレマンティーヌをモモンガは抱き竦めた。

 

***

 

 まずい、あの方が騙されていたのかそうでないかの真偽は定かでないが、このまま静観していてはあの裏切り者を引き渡してもらえなくなる。そう考えた第一席次が一歩前に踏み出そうとすると、クレマンティーヌの横にいた青毛の男が前に出てきた。

「今大事な話が始まりそうなんでな、邪魔しないでくれるとありがたいんだが」

「あなたの方こそ邪魔しないで頂けますか。ご自分が邪魔ができると?」

「あんた相手じゃ無理だろうな。でも例えそうでも退けねえ時ってのはあるもんだ」

 青毛の男は皮肉げな笑みを浮かべると抜刀の構えをとった。刀使い、待ちの構え。間合いに踏み込んだところに攻撃が来るのだろう。だが恐らく対応不可能な速度ではない、己の歩みを妨げるものではないと判断して第一席次は碌に武器を構えもせずに前に進んだ。

 第一席次は知らない。その強者の余裕――驕りこそが、青毛の男、ブレイン・アングラウスにとっては利用すべき強い武器になるのだと。

 少しずつ両者の距離が近付き、四~五歩ほどの距離となった刹那。

 

〈領域〉〈神閃〉――〈四光連斬〉

 

 刹那の間に四閃の斬撃。一瞬の出来事の後に、かちりと鍔が鳴りブレインの刀が納刀される。第一席次は元いた位置に飛び退いていた。長い前髪が半ばからはらりと断ち切られ、頬から鼻梁へ浅い刀傷がすっと走り血が流れ出す。

「今の、技は……あなたは、一体……」

「さしずめ窮鼠猫を噛むってやつだろうさ。さて、どうする? 続けるかい?」

 口の片端を上げブレインは不敵に笑んだ。第一席次の見立てでは漆黒聖典の他の面々には匹敵するかもしれないが、第一席次をどうにかできる程の力はこの男にはないと思っていた。だが今の技の鋭さは何だ。何らかの武技であるのは間違いないだろう。恐ろしい程に正確な狙いの斬撃が四閃、捌けない事はないがその後の攻撃に力を抑え対応できるのか。単純に無力化すればいいと思っていたが、今の技に対応するならば本気でかかる事も視野に入れなければならない。しかしあの方に随伴しているこの男を万一にでも殺してしまえばあの方の不興を買うことになり交渉は決裂が確定するだろう。結果として第一席次はその場に釘付けにならざるを得なかった。

 

***

 

 後ろから抱き竦められたクレマンティーヌの肩はびくりと震えた。意識せずにクレマンティーヌの体が強張る。

「モモンガさん……?」

「もういい、もういいんだクレマンティーヌ……ごめんな、お前はずっと、独りぼっちだったんだな。俺がお前を、独りぼっちにさせてた、ごめんな。俺は協力者なのに、お前の為に何も協力してこなかった、お前にしてもらうばっかりだった、本当にごめん」

 無骨な手甲と骨の身体、温もりなど微塵もない。だけれども、存在だけでも感じ取ってほしかった。ここにいるのだと知ってほしかった。

 クレマンティーヌの体の力が抜けたところで体を離し、肩を掴んで正面を向かせる。何が起きているのかよく理解できていないのだろう、クレマンティーヌは呆然とした顔をしていた。

「クレマンティーヌ、俺は……お前の協力者をやめる」

「えっ……」

 見捨てられたと思ったのか、クレマンティーヌの顔が頼りなさげに歪む。親に見捨てられた子供のような寄る辺ない表情に胸が痛むが、これは必要な事だ。間を置いてモモンガは口を開く。今度こそ喉はつかえない、詰まらない。もし妨げられたとしても絶対に声に出してやる、そう決意して言葉を紡ぐ。

「協力者じゃ駄目なんだ。仕えるなんてもっての他だ。俺は、お前とブレインと、仲間になりたいんだ。俺の、仲間になってくれるか?」

 そう問い掛けると、クレマンティーヌはぽかんと口を開けまじまじとモモンガを見つめた。

 言えた。今度こそ言えた。伝えなければならない事を、怯まずにモモンガは口にできた。勇気は絞り出さずとも湧き出てきた。本当に必要だったのは勇気でも切っ掛けでもなく、相手を思う気持ちだったのかもしれない、そう思った。クレマンティーヌを独りにしておくのは嫌だ、その思いが自然に体を動かし言葉を紡がせていた。

 きっと困っている人を助けるたっちさんも、こんな風に自然に体が動いていたんだろうな。そう思うと心の中で苦笑いが漏れた。モモンガは自分と大切な人の為にしかできないけれども、たっちさんは見も知らない人の為にも動ける。その差異は埋まらないだろう。でもきっと、それでいい。

「俺ぁとっくにダチで仲間だと思ってるよ」

 構えを崩さず後ろを見ないままブレインがそう言葉を投げ掛けてくる。その声に反応したのかクレマンティーヌの口が一旦閉じ、幾度か開きかけては閉じられ、躊躇うようにそっとやがて開かれた。

「私なんかが……モモンガさんの仲間になんて、なれる訳……」

「お前がいいんだよ。お前がいないと困るし、何より楽しくない」

「だって私は……モモンガさんのお気持ちも分からなくて……」

「それは俺がちゃんと言わなかったからだ、お前が悪いんじゃない。俺はずっと、仲間が欲しかったんだ。だから仕えるなんてやめてほしい、お前に仲間になってほしいんだ。俺も自分の事お前に話すよ、だからお前も、話せる事だけでいいから、お前の事を俺に教えてほしい。何だっていい、好きな食べ物でも小さい頃の思い出でも腹が立った事とか面白かった事とか、どんなつまらない事でもいいから、役になんて立たなくたっていいから、教えてくれ」

 言って聞かせるようにゆっくりとそうモモンガは告げた。緩く口を開き見開いた目を何度か瞬きした後クレマンティーヌの目に涙が溜まって、ぽろぽろと零れ落ちた。瞬きをする度に大粒の涙が零れ頬を伝い筋を作る。イルアン・グライベルを着けたこの手で涙を拭っては痛いかもしれない、早速対応にモモンガは困ってしまった。

「仲間になんてなりたくないっていうなら無理にとは言わないよ、でも、お願いだ。お前に居てほしい」

「仲間なんて私、そんな、畏れ多くて……」

「なあクレマンティーヌ、最初から言ってるだろ、俺は神様じゃないんだ。後でゆっくり話すけど、ここに来る前は平民だったんだ。お前と何も変わらない、泣いて笑って喜んで怒って、そんな感情を持ってる人間だった。アンデッドになって大分変わっちゃったけど、でもやっぱり、平凡なただの元サラリーマンだよ。すぐじゃなくていい、少しずつでいいから、俺が神様なんかじゃないって知ってほしいんだ」

「でも、私がいたら、ご迷惑が……」

「よし、じゃあ今からそれを解決しよう」

 クレマンティーヌの肩を離し漆黒聖典の三人へとモモンガは向き直り進んだ。下がってろとブレインに告げると、ブレインは構えを解き後ろに下がる。すれ違いざまにブレインの視線がモモンガを見やったのを感じた。

 分かっている、ブレインの願い。モモンガが人間(ひと)の中で生きていくということ。

 それでも譲れないものはある。もしも白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)と取り返しが付かないような関係の断絶が起きるような結果になっても許してほしい。例えそうなったとしても譲れないのだ。

「待たせたな、先程の提案と質問に答えるとしよう。まず質問、クレマンティーヌの本性など会った時から知っていたしその上で一緒にいたとも。ふふ、お前達の勘違いが心底おかしくてたまらないな」

「勘違い、というのは……?」

 問い掛けてきた第一席次の静かな表情から感情は読み取れない。神人に傷を付けるとはブレインやるじゃないか、やっぱ本気出せば死の騎士(デス・ナイト)に勝てるんじゃないか? と関係ない事を考えつつモモンガは速攻着替えをし邪悪な魔法使い変装セットも外して本来の姿――神器級(ゴッズ)装備に身を固めた死の支配者(オーバーロード)の髑髏の相貌を顕わにする。ついでに箔付けに特殊能力(スキル)で漆黒の後光を背負っておく。

 その姿を見た漆黒聖典の三人は、明らかに動揺を見せた。おお、と感極まったような声を上げ、膝を突いてしばし呆然とし、その後に三人共が跪き頭を垂れた。この反応はモモンガの予想の範囲内だ。

「誤解が増えるといけないから説明しておくが、俺はスルシャーナではない、全くの別人だ。同族で装備が似ているだけだろう。さて、お前達はアンデッドであるこの俺が人の命などというそこらの虫と同様に価値のないものに頓着するとでも思うのか?」

「……恐れながら、申し上げます。御身のこれまでの行いは無辜の王国民を救うもの、慈悲深き方であると推察されました」

「それは結果としてそうなったというだけで、俺は俺の大切な者以外の命などそこらの羽虫ほどの興味も持たないぞ。好んで命を奪う趣味もないがな。だが……」

 そこで言葉を切りモモンガは特殊能力(スキル)・絶望のオーラレベルⅠを解放した。第一席次以外の二人の肩が明らかにびくついて揺れる。

「お前達は事もあろうにクレマンティーヌを始末すると言ったな? この俺の大切な仲間をだぞ? これが許せるか? 〈魔法三重化(トリプレットマジック)集団標的(マス・ターゲティング)〉〈(デス)〉」

 モモンガの魔法の詠唱の直後、周囲を囲んでいたギガントバジリスクの群れは糸が切れたように一斉に巨体を揺らして倒れ、召喚された体は黒い塵となって(くう)に溶け消えた。恐らくは召喚主と思われるクレマンティーヌの兄が驚愕に呼吸を荒くする。

「一撃……一撃の魔法で全て……」

「改めて言うが、俺は人類がどうなろうと興味はない。スレイン法国には味方するつもりはないが積極的に敵対するつもりもなかった。だが、俺の大事な仲間に手を出そうというのであれば話は別だ。そんな事をしてみろ、貴様らの国民を最後の一人まで残さずその命を刈り取ってやる。まさかとは思うがそんな事は不可能だなどと思っているんじゃないだろうな? その結果竜王(ドラゴンロード)と敵対することになっても構わない、世界中を敵に回してでも戦ってやるぞ」

 モモンガの宣告に場は静まり返った。息遣いさえ聞こえてきそうな緊張感の中沈黙が続き、やがて第一席次が顔を上げた。

「……分かりました、ですが疾風走破の罪を無条件で許すわけにはいきません」

「隊長、それでは!」

「控えろクアイエッセ! お前は、あの方と戦えるのか……? 己の短慮で国を滅ぼす気か……?」

 横から口を出そうとしたクレマンティーヌの兄を第一席次が嗜める。反論は出来なかったらしくクレマンティーヌの兄は上げかけた顔を再び下ろした。

「無条件では、という事は何か条件を出したいという事か」

「疾風走破は国の宝である叡者の額冠を強奪しております、それを返却するよう命じてはくださいませんか。叡者の額冠の奪還をもって今後疾風走破の罪は問わないようわたくしの責任において上層部を納得させます」

「確約できるのか」

「あなた様と敵対する愚が分からぬ程我が国も愚かではございません、いえ、六大神に創られし国であればこそ、ぷれいやーの力の計り知れぬ強大さは他の国よりも弁えておりますれば」

「いいだろう」

 答えるとモモンガはアイテムボックスを開き、クレマンティーヌから貰っていた叡者の額冠を取り出した。無造作に放るが、第一席次は危な気なく受け取った。正直なところアイテムコレクターとしてはあのアイテムはとんでもなく惜しいし後ろ髪を(髪はないが)引かれる思いだがクレマンティーヌには替えられないだろう。

「それは俺が貰っていた、つまり俺も強奪犯の共犯というわけだ。今後この件についてクレマンティーヌを尚も罪に問おうというなら、俺も一緒に裁く心積もりで来ることだ」

「……そのような畏れ多い事はできかねます。快くご返却頂けた事、誠に感謝いたします」

 叡者の額冠を捧げ持ち恭しく頭を垂れ第一席次は礼を述べた。盗まれたものが返ってきただけなのだから本来ならば礼を言うような場面ではないだろうとモモンガは思ったが、変にツッコんで藪蛇になっても困るので黙っておくことにする。失礼いたしますと言い置いてから第一席次が叡者の額冠を布で包み背負い袋にしまいこむ。

「他に用件がないなら国に帰れ。俺はお前達と敵対する気はないが協力する気もない」

「誠に遺憾ながら……確かに承りました、国にはそのように伝えさせて頂きます。ご無礼の数々何卒お許しください。では、失礼いたします」

 漆黒聖典の三人は立ち上がると深く礼をし、山を下りていった。その姿が見えなくなってからモモンガは漆黒の後光と絶望のオーラを切りローブを着替えて邪悪な魔法使い変装セットを装備する。

「はい、これで問題解決、だろ?」

「……ヒヤヒヤさせんじゃねえよ、お前絶対本気だったよな、あの国民一人残らず狩り尽くすってやつ」

「うん、本気だけど多分やらなくてよくなったし結果オーライじゃない?」

「そういうのマジでやめろ! 大体にして問題解決って力技にも程があんだよ!」

「何だよ、解決したんだからいいだろー」

「そういう所が危なっかしいっていうんだよ!」

 いつもの調子で始まったモモンガとブレインの口論をきょとんと眺めていたクレマンティーヌが、くすりと笑いを漏らした。頬には涙の跡が残っていて目も赤いけれども、晴れやかな笑顔だった。

「昨日の夜から今日の俺の態度最悪だったよね、ごめんなクレマンティーヌ。俺、自分が悪いのにお前に八つ当たりしてた。怒ってもいいよ」

「怒るだなんてそんな……」

「こういう時は怒るんだよ、仲間だったら」

 モモンガがそう言うと、クレマンティーヌは困ったような苦笑を返してきた。仲間になりたい、そう言ったけれども本当の仲間になれるのにはまだしばらくの時間がかかるだろう。何せモモンガとクレマンティーヌはまだ赤の他人も同然な程にお互いを知らないのだ。

 これから知っていける、絆はより強く深まっていくだろう。そう、例えば、アインズ・ウール・ゴウンの皆とモモンガがそうだったように。心の中の席を置く場所はモモンガが勝手に自分で壁を作って狭めていただけで、本当は果てなどない、いくらでも席は増やせる。それぞれが別の席で、どれも同じ位に大切な重みのある席だ。

 アンデッドには寿命がない、人間である二人との別れは避けられないだろう。きっと耐えられないほど辛くて寂しい、イビルアイが言っていたようにモモンガもまた同じようにその思いを抱くだろう。だけれども心の奥にしまいこんだ宝石のように煌めく思い出は色褪せることはなく、またその宝石をしまいこんでおく場所も広さに果てなどないのだから、いつでも会いたい時に会えるように宝石の数を増やして沢山しまいこんでおけばいいのだ。

 後でニニャに〈伝言(メッセージ)〉を送ろう。かつての仲間と同じ位に大切な仲間が出来たのだと、ニニャの言葉は正しかったのだと、あの時の事を詫びて伝えよう。思い付いたら嬉しくなってしまって、もし表情筋があったら満面の笑みを浮かべていたであろう気持ちでモモンガは山頂に続く道を見上げた。

 「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」という言葉を教えてくれたのは誰だったろう。思い出せないとついぷにっと萌えさんにしてしまうのは本当に悪い癖だ。もしかしたらウルベルトさんだったかもしれない。人間・鈴木悟にはその言葉がぴったりだった。一人きりで腰が砕けそうなほど重い荷物を背負って先行きの見えない暗い道を何の希望もなく歩いていた。アンデッドであるモモンガの道は終着点が見えないけれども、今は重い荷物を一緒に負ってくれる人がいる。先の見えない道である事に変わりはないけれども、今胸に抱いているのは未知への期待だ。世界を知る、というのはそれだけで冒険なのだと、今までモモンガは知らなかった。閉じた小さな世界の中だけで生きていた鈴木悟(モモンガ)には知りようもなかった。それが知れただけでも、アンデッドになってしまった事を差し引いてもこの世界に来られて良かったのだと思う。

 赤い岩肌の露出した山道は空の蒼とのコントラストがくっきりとして、写真で見ただけのリアルのグランドキャニオンとかエアーズロックのような昔の名所を彷彿させた。こんな贅沢な景観、リアルの富裕層だって誰もきっと見たことがない。後で〈飛行(フライ)〉を使って空からも見てみようと心に決める。

 こんな感動がこの世界には後どれだけ隠されているだろう。寿命のないアンデッドであるモモンガならば全てを見尽くす事も可能なのだ。勿論、その時には仲間と呼べる誰かが隣にいてほしい。モモンガは寂しんぼなのだから。時間の許す限りはクレマンティーヌとブレインと、今まで知らなかった景色を見ていきたい。

「さて、さっき話すって言ったから俺の話なんだけど。俺が別の世界から来たのは知ってるよね?」

「はい、ぷれいやーとはそういうものだと聞いています」

「その別の世界、ユグドラシルっていうんだけど、その世界ってゲーム……何て説明すればいいんだろうな、ユグドラシルでの俺は仮の姿で、現実世界に本当の俺がいたんだ。本当の名前は鈴木悟、さっき言った通り平民で、仕事は……これも説明が難しいな。例えば、商人に雇われてその商人が売ってる品物を他の店とかに仕入れてもらえるよう売り込みにいくみたいな仕事をしてたんだ」

「変わった仕事ですね……販路拡大は商人が自分でコネクションを作ってするものですから、そんな事を雇われでしている人はいません」

「そうだよなぁ。まあそういう仕事があったんだけど、それってすごく給料が安い、平民の中でもスラムに行かなくて済んでるだけマシっていう仕事だったんだよ。いなくなっても誰でも替えが利く社会の歯車、それが鈴木悟だった。モモンガはそんな現実を忘れて遊ぶための仮の姿だったんだけど、それがどういう訳か本当の姿になっちゃったっていうのが今かな」

「……よく分かんねぇな。二重人格か?」

「違うよ。まぁそうだよな、ビデオゲームって概念が分からないと理解してもらえない話だと思うよ……とにかく、俺はこの世界に来るまではスラムに落ちる手前の平民だったって事。だからほんと神とか言われるの勘弁してほしいんだよね……クレマンティーヌだってある日突然自分が神とか言われたら困惑するだろ?」

「崇められるのも中々気持ちよさそうですね」

「駄目だこいつ……」

 陽は西に傾いてきているので今日中には山を越えられないかもしれない、野営地探しをした方がいいかな。そんな事をつらつらと考えながら自分の身の上を話して、昨日までと同じように楽しいけれども昨日とはまるで違う道をモモンガは一歩一歩己の足で歩んでいった。




誤字報告ありがとうございます☺


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人生は自分でつくるもの

 山越えが多かったので平地ばかりの王国の旅とは違い地図上の距離よりも踏破する時間がかかる、結局あれから一週間ほどもかかっただろうか、アーグランド評議国の首都へとモモンガ達はようやく到着した。

 途中の街や村も亜人ばかりで人間は少なく、話には聞いていたもののその事にモモンガは新鮮な驚きを抱いていたのだが、嬉しい誤算が一つあった。評議国に入ってから検問で止められていないのだ。どうやら亜人から見ると人間は仮面を付けていようがいまいが大して変わらないように見えるらしい、瑣末事なのだろう。紹介状を見せるまでもなくあっさりと通る事ができた。人間から見て亜人の個体判別が難しいのと同じ理由なのかもしれない。

 評議国の首都は今まで通った都市だとエ・ランテルのような賑わいだった。ただ違うのは通りを行き交うのがとにかく多種多様な亜人であるという点だ。人間であるクレマンティーヌとブレインが浮いて見える程の亜人率だ。ゴブリンやオーガなどの知能が低いとされ王国であれば人間と敵対している種族も何食わぬ顔で街中を闊歩している。クレマンティーヌは余裕そうだがブレインは多少緊張しているようだった。別に襲われたってどう考えてもお前負けないだろ、とモモンガは思ったが面白いのでそのままにしておく。

 街の中央に高く立派な尖塔が建っているのが街の外からでも見えていたが、あの辺りにおそらく議会などがありそこに行けば白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に会える手掛かりが得られるだろうと思われたのでとりあえず目指す。

 亜人種は基本的な身体能力が人間より格段に高い種が多い。そのせいか王国では二チームしかないアダマンタイト級冒険者チームも四チームあるのだという。後でマジックアイテム屋巡りもしたいしマーマンやシーリザードマンが住むという海も見てみたい、しばらくは評議国を観光するか、などとつらつらとモモンガは考えながら大通りを街の中央へ歩いていく。

「ブレインちょっと緊張しすぎ」

「仕方ねぇだろ……人間を喰う奴等がそこらを普通に歩いてんだぞ」

「襲ってこないから大丈夫だって言ってるのにねぇー。大体にして襲ってきてもズバッで終わりっしょ?」

「そりゃそうなんだけどよ……分かってても緊張するもんはするんだよ」

「二人は喰われるから大変だな。俺は喰われる所がないから安心だけど」

「そういう問題か……?」

 不穏な会話をしながら歩くのもいつも通りだ。小一時間ほども歩くと中央の尖塔を中心にした議会などの建物が眼前に見えてきた。

 入り口の衛兵(山羊人(バフォルグ)だった)にイビルアイの紹介状を渡し、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)への仲介を頼む。イビルアイの言葉通り事前に話が通っていたのだろう、あっさりとモモンガは通る事を許された。

「申し訳ございませんが、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はモモンガ様と一対一でのお話をご希望です。お付きの方はご遠慮いただいてもよろしいでしょうか」

「それは勿論。二人は宿でもとっておいてよ、終わったら〈伝言(メッセージ)〉で連絡するから迎えに来て」

「分かりました、お気をつけて」

「くれぐれも穏便にな、忘れんじゃねぇぞ」

「心配性だなぁブレインは、お前は俺のおかんか」

「おかんって何だ……大体誰のせいでこうなったと思ってんだ、ったく……」

 クレマンティーヌとブレインは門で別れて道を戻っていく。衛兵に案内されモモンガは広大な敷地内を進んでいった。衛兵は敷地の中央に建った立派な尖塔の入り口で立ち止まる。

「この塔の最上階に白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)がおられます。申し訳ございません、わたくしはこの塔への立ち入りを許可されていないのでここまでしかご案内できないのですが」

「いえ、ここまでご案内ありがとう。ではお邪魔させていただきます」

 ここまで案内してくれた山羊人(バフォルグ)の衛兵に軽く頭を下げて塔の中へ入る。中は明かり取りの窓から入る陽光が照らすだけで薄暗く、右手の壁に塔の壁の内側に沿う形で登っていく螺旋階段があった。誰かがいる気配はない。最上階にいるという話なので階段を登っていく。

 延々と登り続けて、ようやく最上階と思しき階へと到達する。階段を登りきった先には短い廊下があり、その先には両開きの立派な扉があった。腹を割って話しに来たのだから姿は偽らない方がいいだろう、速攻着替えをして邪悪な魔法使い変装セットを外し死の支配者(オーバーロード)の姿を晒し、ついでに漆黒の後光も背負っておく。身支度が整ったところで廊下を進み扉を開けた。

 扉の先は広い空間になっていた。その中央に、巨大な竜が横たわっている。爬虫類を思わせる金色の竜の瞳がモモンガを捉えて細められた。

「まるで、もう二度と会えないと思っていた懐かしく親しい友に会えたような気持ちだよ」

 竜の声は優しげで穏やかだった。モモンガは足を踏み出し歩を進め竜の眼前へと歩いていった。

「よく間違われるんだ。俺の名はモモンガ、残念だがスルシャーナとは別人だ。面会を許可してくれた事を感謝する」

「ああ、挨拶の前に抑えきれない感動をつい言葉に出してしまったよ、すまないね。私はツァインドルクス=ヴァイシオン、君達が言うところの白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)だよ」

 最上階は窓が多く室内を照らす光量は十分だった。陽光に煌めく白銀の鱗に全身を覆われた巨大な竜は、穏やかだが冷静な瞳で品定めするようにモモンガを見据えた。

「君の用件は事前に聞いてある程度把握しているけれども、その姿からも確かにぷれいやーなのだろうね」

「ああ、そうだ、プレイヤーだ。用件は二つある。といっても片方は今はもうあまり拘ることでもなくなってしまったんだけど。まず一つ目、俺が世界に害を為す存在ではないという事を知ってほしい。この通り俺はアンデッドだが生者を憎む気持ちはない。スルシャーナのように積極的に人類を救おうとも思っていないが。俺の目的はこの美しい世界を仲間達と隅々まで旅して回る事だ。決して八欲王のように支配を目論んだりはしない、その事を知ってほしい」

 そのモモンガの言葉を聞き、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)はゆっくりと幾度か瞬きをした。真贋を見定める鑑定士のような瞳で。

「私には君の本質は悪のように見えるけど、違うのかな」

「性質の話なら極悪だな、何せカルマ値がマイナス五百だ。人を殺す事も虫を潰すのと何ら変わらない気持ちでやれる。だけど必要もないのに殺すのは好きじゃないんだ。それに俺自身一人になるような生き方はもうしたくないと思っているし、人間(ひと)の中で生きてほしいってめちゃくちゃ面倒を見てくる奴がいてね、無茶をするとそいつに怒られる」

「君を怒れるのかい、それは凄い。それにしても悪側のアンデッドだというのに人間(ひと)の中で生きようだなんて、君はよくよく変わり者だね」

「ただの寂しがり屋だよ。独りにされるのがもう嫌なんだ」

 モモンガが苦笑しつつそう言うと、ふむ、と白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は軽く唸った。

「君の考えは分かったよ。君がただ旅をするだけだというなら干渉はしない事を私も約束しよう。ただ、あまり大きすぎる力の行使は必要がない限りくれぐれもやめてほしい。もしそんな事があったら、結果によっては私も君に注意か、それ以上の事をする必要が出てくるからね」

「分かったよ。元々そのつもりだしね。お陰様でいい案内役がいてどれ位がこの世界の普通かも大体分かったから、せいぜい目立たないようにするよ。あの魔樹みたいな敵でもなければ高位の魔法を使う必要もないし」

 魔樹という言葉を聞いた白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の瞼がぴくりと動く。

「魔樹……もしかして、トブの大森林の破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)は……君の仕業かい?」

「えっ、うんそうだけど……何かまずかった?」

「いや……むしろ助かったと言えばいいのかな。あれが法国の手に落ちていたら大変な事になっていたからね」

「法国? そういえば予言がどうのって言ってたけど法国が退治するつもりだったんじゃないの?」

「いや、法国はケイ・セケ・コゥクというアイテムの力を使い魔樹を支配しようとしていたんだ。そして王国にけしかけて滅ぼすという筋書きだったんだよ」

「えげつな……とんでもないな法国……」

 やっぱり協力しなくて正解だった、と噛み締めつつモモンガは法国の手段を選ばないやり方にドン引きしていた。自分が漆黒聖典にそれ以上にえげつない宣告をした事は勿論棚に上げている。

「これからは出来れば君が力を出さなければならないような事態の時には先に一言相談してくれると助かるよ。私は事情があってここを動けなくてね。私から君に何か用事がある時は、あそこに飾ってある鎧を動かして会いに行くから覚えておいておくれ」

 ツアーの目線を追うと、壁の窪みに飾られた白銀の全身鎧が見えた。鎧の遠隔操作までできるなんて竜王(ドラゴンロード)カッケーとモモンガは心の中だけで感動する。

「分かった、覚えておくよ」

「それで、もう一つの用事というのは何なんだい?」

「プレイヤーの話だ。今回俺以外にこの世界に来たプレイヤーはいないのか、それを知りたい」

「君は確か、前の世界での仲間を探しているんだったね」

「そうだ。それはもう急がないけれども、もし何か情報があるなら教えてほしい」

 そのモモンガの問い掛けに白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)は幾度か瞬きした後、そっと目を閉じた。

「いや、残念ながらと言えばいいのかな、君以外のぷれいやーの力の痕跡は今の所感知していない。力を使っていないだけなのか、本当に他に誰もいないのかは分からないけどね」

「そうか……まあ知らないなら仕方がない。これまで通り地道に足で情報を稼ぐとしよう」

「もし何か感じ取れたら君に知らせる事を約束しよう。複数の来訪者がある場合はそれぞれが現れる時期が多少ずれていた例もあったしね。さすがに年単位ではずれはしないとは思うけど」

「期待しないで待ってるよ、ありがとう」

 順調に話も済んだ事だし帰ろうかとモモンガが考えたところで、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)が何かを思い出したように、そうだ、と呟いた。

「君はインベルン……イビルアイと会ったんだったね。どんな印象を持ったんだい?」

「めちゃくちゃ疑り深いし血の気が多いね……でも、いいアドバイスを沢山もらったよ」

「そうか……。これは個人的なお願いなんだけど……」

「何かな? プレイヤーの事を教えてもらえる代わりに可能な事なら聞くよ」

「彼女は今冒険者をしているだろう? いつか、仲間達とは別れなくてはならないだろう。そうしたら彼女はまた独りになってしまう。その時に寂しくないように、たまに彼女と話してやってくれないだろうか。君も寿命がないのだろうから、そういう友達がいれば彼女も少しは寂しくないだろうと思うからね」

 その白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の言葉に、あの祝勝会の日屋根の上で二人で見上げた月の事をモモンガは思い出した。時の流れは悲しみや痛みを癒やしてくれるだろうけれども独りの寂しさを紛らせることはできないだろう。

「そうだね、俺も寿命のない友達は欲しいと思ってたところだし。それに、そうだな、もしイビルアイが冒険者をやめたら一緒に世界中を旅したって楽しそうだ。まあイビルアイの気持ち次第だけどね」

「それは楽しそうだね。私も参加したいものだよ」

「動けないんだろう? 仲間外れにして悪いな」

「あの鎧で行くのさ。十三英雄にもそうやって参加したんだ」

「へえ、十三英雄にいたんだ。今度、詳しく話聞きに来てもいいかな? この世界の英雄譚にもちょっと興味が湧いてきたんだ。六大神や八欲王の話も聞きたいし」

「いいとも、大体は暇にしているからね、いつでも来てくれ。私の事は気楽にツアーと呼んでくれると嬉しいよ」

「永久評議員っていうから仕事一杯してるのかと思ったら暇なのか……意外」

「永久評議員は名誉職みたいなものだからね、実務は若い者に任せているのさ」

 目を細めふふふと楽しげな笑いをツアーは漏らした。さすがに長い年月を生きているだけあって食わせ者の予感がする、などと思いつつモモンガは今度こそ帰ろうと口を開く。

「さて、とりあえず今回は顔見せっていうことで、話も済んだ事だし帰るよ」

「最後に一つ聞かせてくれないかな。世界を巡り尽くしたら、君はその時どうするんだい?」

「そうだな……もう一周するのかどこかに落ち着くのか、その時になってみないと分からないけど、でも……」

 そこで言葉を切ってモモンガはやや考え込んだ。やがてゆっくりと口を開く。

「自分で決断して選択して、そうやって自分の道を切り開いていくものなんだって。そんな当たり前のことに俺はようやく気付けた。だから、大切な人の思いを裏切らないように、自分自身に後悔がないように、選択したいと思っているよ」

「そうか。君の本質は紛れもなく残酷で無慈悲な悪なのだろうけれども、だからといって悪しき者、世界に害を為す者というわけではないのだろう。それが知れて良かった。会いに来てくれてありがとう」

「またすぐ来るよ、それじゃあ」

 ツアーに別れを告げ手を振ってモモンガは広間を後にした。階段を降りながらローブを着替え邪悪な魔法使い変装セットを装備し、クレマンティーヌに〈伝言(メッセージ)〉を送って迎えに来てくれるよう頼む。

 決断し選択し、人生の道筋を描いていく。踏みしだかれ描かれていく道筋がどんなものになるかは、全て自分次第なのだ。虐げられ耐え忍び流され生きていた中では発生しなかった責任がそこには生まれる。ましてや神に等しい力を持つモモンガが本気で力を振るったなら国だって滅ぶかもしれない、その責任を取れと言われてもモモンガにはとても無理だろう。選択するというのはそういう事なのだ。

 多数決で多かったから、なんてもう言えない。これからモモンガは自分の人生を自分の足で歩んでいくと決めたのだから、自分の意志で決断し選択しなくてはならない。悩んでも苦しんでも、そうして自分の人生の道筋を描いていきたいのだと心から願ったから。もう誰のせいにもしない、自分の人生を自分のものにするのだと、そう決めたから。

 その道筋はできれば穏やかで暖かで楽しいものであればいい、そうなるように選んでいこう。そう心から思う。それに、自分で選びはするけれどもそれを助けてくれる人もいるのだ。この世界に来た一ヶ月半程の間にも、モモンガは数多くの人に助けられ支えられた。

 これからも数多くの出会いがあり、そして別れがあるだろう。怯まずに進んでいけるだろうか、恐れはあるけれども怯みながらでも進みたいとそう思う。足はいつでも前へ、踏み出していきたい。

 「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」この言葉も確かやまいこさんが教えてくれた昔の文学者の言葉だ。夢なんてなかった鈴木悟にはよく分からない言葉だったけれども、今のモモンガならば分かる。後ろにはかつて夢だった思い出の宝石の煌めきが残されて、前に進まなければ新たな煌めきを手にすることはできないのだ。遠い日の煌めきを後生大事に抱えて生きていくそんな生き方もあるのかもしれないけれども、それはとても悲しい事なのだと思う。モモンガは、前に進みたい。

 あの日々の栄光は残骸ではない、いつでも胸の中に蘇る限り生きている。それは、モモンガの胸の中にさえ生きていればいいだけなのだ。決して忘れたりはしない、あの日々も仲間も、もうモモンガの一部なのだから。

 そうして積み重ねて、別れて出会って、人は己だけの道を切り拓いていくのだろう。

 これから作られていく道がどんなものになるのかは、モモンガにもまるで予測がつかない。でもだから、分からないからこそきっと面白い。何が起こるのか分からない事に胸が躍る。

 後悔だけは残さないように、己の気持ちを伝えていこう、選び取っていこう、そう思う。それは、経験という名の痛みから愚かなモモンガがようやく学べた事だ。

 門まで出るとクレマンティーヌとブレインが既に待っていた。表情筋があったなら微笑んでいたであろう心持ちでモモンガは二人の元へと向かう。

「お待たせ。話し合いは上手くいったよ。今度十三英雄の話聞かせてもらう約束しちゃった」

「そうかい。まあ無事に済んで何よりだ」

「宿に行きますか? それとも何か店でも見ていきますか?」

「そろそろ夕飯時か……どこかで食べてく?」

「美味しいお店が分かるといいんですけど……亜人と人間じゃ味覚も違うでしょうし」

「外れがあるから当たりの嬉しさが大きくなるんだろ?」

「お前なぁ、自分は食わないからって適当な事言ってんじゃねぇぞ……飯はいつでも美味い方がいいに決まってんだよ」

「それは食べたくても食べられない俺へのイジメ? うわぁひどいブレイン……」

「ちょっ、まっ、悪かったよ! そういうつもりじゃねぇよ!」

 西陽に向かって三人並んで歩いていく。どうせモモンガは食べられずに見ているだけなのだが、まずはどこの飯屋に入るのかを決める、それ次第で人生が変わるなんてことはないけれども、新しい道の第一歩はそこからになりそうだった。




これにてこのお話は本編は完結となります。
まずは素晴らしい原作を生み出してくださった原作者の丸山くがね先生に、そして感想を下さった皆様、評価してくださった皆様、読んでくださった全ての皆様に心よりの感謝を申し上げます。

三者三様の孤独を抱えたそれぞれ自分勝手な三人が、仲間になれたのだと思っていただけたならそれだけでわたしの伝えたい事は伝わったと思います。そもそも何が書かれていたかを感じ取るのは読者の皆様次第であって、わたしは書きたいように書いただけですしね。
鈴木悟という孤独な魂が孤独ではなくなったのだなと思っていただけたならこれに勝る喜びはありません。

今後、外伝として帝国編の投稿を予定しておりますのでよければお付き合いいただければ幸いです。最後まで読んで頂いてありがとうございました。


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外伝・帝国編
千変の仮面(カメレオン・マスク)


外伝・帝国編開始です。


 評議国での観光を満喫したモモンガは一旦カルネ村に帰る事にした。二三日ゆっくりして、その後新しい旅に出る計画だ。〈転移門(ゲート)〉を開きカルネ村の前に転移する。

「いやー、久し振りに帰ってきたなぁカルネ村」

「そうか……? お前しょっちゅう転移で帰ってたじゃねぇか」

「それは顔を見せてただけだからカウントしないんですー! パッと行ってパッと戻ってくるだけじゃ我が家に帰ってきた感がないだろ!」

「よく分からん拘りだな……」

 突然目の前に現れたゲートとモモンガ一行にぎょっとした表情の門番のゴブリンを置き去りにしていつものじゃれ合いが始まる。

「こんちわー、ゴブリンさん。門、開けてもらっていいかなぁ?」

「あの……そっちの、見たことない顔の人は?」

「ああ、初めてだったねぇ。こいつはねぇ、モモンガさんの仲間のブレイン。いつもの勝てそうにないからってヤツぅ? 安心していいよぉ、こいつが斬るのはモモンガさんの敵だけだからさぁ」

 クレマンティーヌの言葉に渋々ながらもゴブリンが門を開く。村を囲む塀の建設状況は一割といったところだろう。ナザリックがあればゴーレムとか貸せるのになぁと毎度ながらモモンガは残念に思った。アンデッドでも労働力として使える筈だが、この世界の人のアンデッドへの忌避感を考えるといくら村の恩人が貸し出すとはいえ喜んで受け入れてもらえそうにない。血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)とか屍収集家(コープスコレクター)とか多分とっても力持ちだと思うんだけどなぁと思うともどかしい。

 モモンガはしょっちゅう転移で帰ってきているので村の人々も慣れたものだ、にこやかに挨拶を交わしながらエンリの家に向かう。エンリは今は畑に出ているだろうがネムはきっと家にいるだろう。

 案の定ネムは家の前で薪を運んでいた。一生懸命仕事をしているのでモモンガ達にはまだ気付いていないようだ。

「ネム、ただいま」

 声をかけると、振り向いたネムはぱっと明るく笑った。

「モモンガさん! おかえりなさい! クレマンさんもいるー!」

「ティーヌを略すのは相変わらずだねぇ……まあいいけど」

「ねえねえモモンガさん、そのおじさんだぁれ?」

 そのネムの言葉に、抑えきれずにモモンガはブフーッと笑いを噴き出した。横ではブレインが極めて微妙そうな顔をしている。

「おじさん……いや、まあ、そうだな」

「このおじさんはね、ブレインっていうんだよ、俺の仲間。仲良くしてやってね」

「うん、よろしくねブレインおじさんー!」

「お、おう……」

 複雑そうな顔のままブレインは片手を上げネムの言葉に応えた。横でずっと笑い続けているモモンガの脚をブレインが蹴るが上位物理無効化Ⅲのパッシブスキルがある為全くダメージが入らないので残念ながら痛くも痒くもない。

 ブレインおじさんが手伝って薪を運び終わってからネムがエンリを呼びに行く。家の中でしばらく待っていると、ネムがエンリと護衛のゴブリンを連れて戻ってきた。護衛のゴブリンはやはりというか何というかブレインという自分の勝てない初対面の相手に警戒心丸出しである。ブレインに向けて槍を構えている。

「モモンガさん、クレマンティーヌさん、お帰りなさい。それから、ブレインさん、でしたよね? 初めまして、エンリ・エモットといいます。モモンガさんのお仲間だと伺いましたけど」

「まあそうだ、よろしくな。ところで何で俺はそのゴブリンにそんなに警戒されてるんだ……?」

「あはは、すみません……クウネルさん、ブレインさんはモモンガさんのお仲間なんですからそんなに身構えなくても大丈夫ですよ」

「そうですかい? まあ姐さんがそう言うなら……」

 エンリに言われクウネルはようやく構えを解いた。その様子を見てブレインが不思議そうな顔をする。

「召喚モンスターだよな? 名前付けてんのか?」

「ええ、ゴブリンの皆も大切なカルネ村の仲間ですから。それに名前がないと呼ぶのに困るじゃないですか」

「……中々の変わり者だな。さすがモモンガに最初に声をかけただけあるわ」

「一言多いよブレイン」

 言いながらさっきのお返しとばかりにモモンガはブレインの脚を軽く蹴る。いくら軽くてもモモンガの馬鹿力で蹴られてはたまったものではない、いってぇと叫んでブレインは蹴られた脹脛を押さえた。

 とりあえず座って下さいとエンリに椅子を勧められるが椅子は四つ、(ゴブリンは座らないので)座る人は五人。どうしたものかと思っているとネムは踏み台に使っている小さな椅子を持ってきて腰掛けたのでモモンガ達もテーブルを囲む。

「それでモモンガさん、今日はどうしたんですか? いつもだったらお一人なのに」

「とりあえずの旅の目的は済んだからカルネ村で少しのんびりしてから新しい旅に出ようと思ってね。またちょっと厄介になってもいいかな?」

「そんな他人行儀な事は言わないでください、ここはモモンガさんの帰ってくる場所なんですから。ネムも嬉しいよね?」

「うん、ゆっくりしていってねモモンガさん!」

 そのエンリとネムの言葉にモモンガは我が家っていいなぁという思いを噛みしめる。母親は寝る間も惜しんでずっと働いていたので鈴木悟が家に帰っても待っていてくれる人などいなかった。息子に教育を受けさせる為に過労で死んでしまうまで働いてくれた母親への感謝は尽きることがないが、寂しくなかったといえば嘘になってしまうだろう。それが今はいつ帰ってもおかえりと言ってくれる人がいる。いつ帰ってきても迎えてもらえておかえりと言ってもらえることがこんなにも暖かく胸安らぐものなのだと、エンリとネムに出会うまで鈴木悟(モモンガ)は知らなかった。だからついちょくちょく転移で帰ってきてしまうのだ。

「女所帯に俺がいたらまずいだろうから他に泊まれる場所はあるかい?」

「泊まれる空き家ならありますけど……気になさらなくてもいいですよ? モモンガさんのお仲間ですし」

「いや、あんたが気にしなくても俺がするよ……あんたの中でモモンガの仲間ってのはどういう立ち位置なんだ……」

「俺はどうせ寝ないからベッドは足りてるし、ブレインもここに泊まればいいだろ」

「気にするっつってんだろ! 俺は男でこの子は女! お前クレマンティーヌのせいで感覚麻痺しすぎだぞ!」

「アタシのせいにしないでほしいにゃぁ~」

「どう考えてもお前のせいだ!」

「うわぁブレインそんな下心あんの? いくらかわいいからってエンリに手ぇ出したら殺すよ?」

「下心なんかねえし手も出さねえよ! お前は村の事を知らなさすぎんだよ! 親がいねえ年頃の娘の所に男が泊まったなんて知れたら嫁に行けねぇぞ!」

 至極まともな事を言っている筈なのに四面楚歌のブレインが頭を抱える。結局(当然だが)頑としてブレインが譲らなかったので、村長に相談して空き家を一軒貸してもらってブレインはそこで寝る事になった。尚、モモンガについてはクレマンティーヌがそっち方面の相手をしているのでエンリには興味がないと村の者には説明して納得されていると判明した。

 もしアンデッドになってモノと性欲がなくなっていなければ本当にそうなっていたかもしれない。だが神と従者だったクレマンティーヌとの関係を思うとそんな事になっていたとしたらそれって権力でクレマンティーヌの身体を……ということだと考えてしまってアンデッドになった事にモモンガはやや感謝を覚えた。モモンガは夢見がちな童貞なので初めては心から愛し合っている人としたいのだ(もうできないが)。クレマンティーヌがこれからその愛し合う相手になる可能性が全くないわけではないのだが、種族の壁とか神の壁とかとにかく壁が多すぎるし、何よりしたくても物理的にできないしそもそもしようという欲も湧かない。深く考えると泥沼に嵌りそうだったのでモモンガは考えるのをやめた。

 エンリはまだ仕事が残っていたので畑に戻る。のんびりするんじゃなかったのかよとげんなりした顔のブレインに文句を言われたが夕方まで村の外でレベリングをし、夕食が済んでからエンリとネムに旅の話をする。今日はアダマンタイト級冒険者の魔法詠唱者(マジックキャスター)にモモンガが圧勝した話だ。派手な魔法の応酬にネムも大興奮で大満足である。勿論相手の正体が吸血鬼(ヴァンパイア)だった事は秘密にして、いい感じに手加減したので助かった事にしておく。

 そうして寝る時間になりブレインは空き家へと移動していった。灯りを落とし月明かりが窓から入ってくるだけの部屋の中でモモンガは真剣に悩んでいた。帝国に行くか、エリュエンティウを目指すかを。

 位置的には順当に行くなら近い帝国である。クレマンティーヌの話では帝都アーウィンタールの北市場は冒険者やワーカーが中心となってマジックアイテムを売るフリーマーケットのような場所で、意外な掘り出し物もあったりするらしいのでそれを見るのは楽しそうだ。だがエリュエンティウには恐らくはユグドラシル産の強力なマジックアイテムがある事が分かっているのでそこが悩みどころである。エリュエンティウの問題点は、そもそもその強力なマジックアイテムを取引で入手できるのかが分からないという事だ。三十人の都市守護者(拠点のNPCではないかと推察される)が守護しているというが、話が通じる相手なのかどうかすら今の段階では分からない。NPCならばプログラムに従って動くだけの存在なので都市を守っているだけで話ができなくても何ら不思議ではない。

 そういえば六大神のNPCは従属神って呼ばれてたんだったな、と思い出す。何らかの理由で魔神に堕ちたらしいが会話は可能だったのだろうか。こういう事を聞くならあの竜だと思い〈伝言(メッセージ)〉を発動する。

「やあツアー」

『モモンガかい、どうしたんだい?』

「ちょっと聞きたい事があってね。六大神には従属神っていうのがいたんだろ?」

『ああ、彼等には多くの従属神がいたよ。ほとんどは魔神に堕ちてしまったんだけど……』

「それで、その従属神って、会話はできた?」

『会話? できたよ。使者としてやって来た者と話した事もあるよ。彼等は六大神に絶対の忠誠を誓って従っていたけど、それがどうかしたのかい?』

「いや、普通に会話が成立したのかどうか知りたいと思って。俺の推測だと特定の言葉にしか反応しない可能性もあったから」

『そういうものなのかい……? 従属神が特定の言葉にしか反応しないという話は聞いたことがないね』

「そうか、それはびっくりだ……NPCがこの世界に来ると自我が芽生えるんだな……ユグドラシルでは特定の命令にしか反応しない存在だったんだよ」

『それは初耳だ。でも何でそんな事を?』

「エリュエンティウって八欲王のギルド拠点があるんだろ? そこでマジックアイテムを取引できればいいなぁと思って。都市守護者って多分従属神だろうから、話が通じるのかなって」

『成程ね。でももし取引できたとしてもあまり強力過ぎるものは持ち出さないようにね。君の装備並のものを持ち出したら没収するからね』

「あはは……神器級(ゴッズ)装備はそうそうないだろうし多分売ってくれないよ……まあ程々の強さの奴が欲しいだけだから気を付けます」

『次はエリュエンティウに行くのかい?』

「んー、今悩んでるんだ。帝国に行くのもいいかなぁと思ってたんだけど」

『帝国も悪くないんじゃないかな? あの国は今、日の出の勢いだからね、活気があって楽しいと思うよ』

「成程なぁ……もうちょっと悩んでみるよ。ありがとう、それじゃ」

『ああ、またね』

 挨拶をしてツアーとの〈伝言(メッセージ)〉を切断する。それにしても従属神、つまりNPCがこの世界に来ると自我が芽生えるらしいというのにモモンガは驚いた。もしナザリックが転移してきていたらどうなっていたのだろうと考えると、ちょっと考えるのが怖いような気持ちを抱いてしまう。異形種ギルドらしくNPCは異形種だらけで(人間種も多少いたが)純然たる人間は一人しかいなかったし、悪のギルドらしくほとんどのNPCのカルマ値は良くて中立、ほぼ悪に振ってあった。善側の属性はごく少数しかいなかった筈だ。人類にとってはとんでもない事になっていたのではないかという予感がする。

 そして、自我を持って絶対の忠誠を誓ってくるということはもしNPC達がいたらモモンガは今のように自由に旅などできていなかったのではないだろうか。多分モモンガの方がNPCを放っておく気になどなれないだろう。そうなればきっと今とは全く違う行動をとっていたのだろうな、と思う。それはそれで楽しかったかもしれないが、絶対の忠誠を誓われるということは仲間と呼べる存在をナザリックで得るのはきっと難しかっただろう。

 まあ、仮定の話など考えたところで意味のないものだ、今は今の事を考えようと思い直す。

 エリュエンティウの都市守護者と恐らく話は通じる事は分かったが、取引ができるかどうかはまた別だ。それに別に急ぐわけでもないし取引の為の金策の事も考えなければならない。それならば今回は距離的にも近い帝国から回るのが順当かもしれないとモモンガは考えた。将来的にカルサナス都市国家連合に行こうと思った時の転移ポイントも作っておきたいことだし。

 帝国といえば鮮血帝という恐ろしい名前の皇帝の話を思い出す。一介の旅人であるモモンガが会う事などまずないだろうが、目を付けられるような派手な行動はくれぐれも慎もうと肝に銘じる。

 そうしてカルネ村に三日ほど滞在しモモンガがエンリ分とネム分をしっかりと補給してからモモンガ一行は帝国へ向け旅立ったのだった。

 

***

 

 ゆっくりと旅をして二十日ほどをかけ、帝国の首都アーウィンタールにモモンガ一行は到着した。

 道中のレベリングの成果は上々だった。なんと、とうとうブレインが死の騎士(デス・ナイト)を倒す事に成功した。堅実に死の騎士(デス・ナイト)の攻撃を躱してダメージを与え続け、神人との戦いで編み出した技(技名はこれだというものがまだ思い浮かばないらしい)が一瞬の隙をついて見事決まり、死の騎士(デス・ナイト)をあと一撃という所まで削り切り追撃で止めを刺したという文句なしの圧巻の勝利である。次からはより強いアンデッドを相手にする事になる為本人は相当複雑な思いだったようだが。クレマンティーヌももう一段階強いアンデッドとの訓練にかなり馴染み、アンデッド側の手加減の度合いも大分低くなってきている。順調順調、と上機嫌のモモンガを精神的疲労の激しいクレマンティーヌとブレインが恨めしそうに見てくるのも最早日常の光景だ。

 アーウィンタールの城門の衛兵は何故かやたら親切だった。帝国領に入ってからずっとそうだったのだが、検問でどう見ても不審者のモモンガを前にすると衛兵たちは何やらひそひそと話し込み、それからあっさりとモモンガを通してくれるのである。どうして王国のように止められないのか不思議でならないのだが止められても困るので口には出さない。ちゃんと仕事しろとは思うが。それに加えてこの帝都の衛兵など親切にお勧めの宿まで教えてくれた。良心的な値段で食事が美味しいとまで言われたらそこにするしかないだろう、クレマンティーヌとブレインには美味しい食事を食べさせてやりたい。他の通行人にはそんな事をしている様子はなくモモンガにだけお勧めしてきたのはかなり不審なのだが、国に仕える衛兵がまさかぼったくり宿など紹介しないだろうからここは乗っても特に問題はないだろうと判断する。

 帝国領はどこもそうだったが王国とは違い通りは裏通りも含めて舗装が行き届いているし、ここまでの街道だってきちんと舗装されていた。この帝都は広い道に縁石があって歩道と馬車が通る道が分かれているのがかなり近代的だ。一定の間隔を置いて立っている街灯はクレマンティーヌの話では魔法の灯りだという。国を挙げて魔法詠唱者(マジックキャスター)を育成しているとは聞いていたが、生活に密着するレベルでこれ程大掛かりに魔法が活用されているというのに新鮮な驚きをモモンガは覚えた。国家事業にしなければ確かにこれは無理だろう。

 そんな魔法先進国の帝国だが、主席宮廷魔術師であるフールーダ・パラダインが魔力系魔法を主に修めているからか研究が進んでいるのは主に魔力系魔法の方面で、信仰系魔法については第五位階以上の使い手はいないのだという。

 広々と綺麗に舗装された道を行き交う街の人々の顔は押し並べて明るい。リアルでの鈴木悟は見た事がない、これからの生活がより良くなっていくという希望に満ち溢れた顔だ。王国の活気のある賑やかな街でもこういった種類の希望に満ちた顔というのはあまりなかったろう。ツアーの言っていた日の出の勢いとはこういう事かと納得する。

 名前は怖いが、平たく言って名君というクレマンティーヌの鮮血帝評は的確なのだろう。

 衛兵に紹介された宿は小綺麗だが肩肘張りすぎない建物で、一階の酒場では何組かの男達が騒ぎすぎずに酒と与太話を楽しんでいた。いい雰囲気の店である。やんわりと提案してみたがやはりクレマンティーヌに断固拒否されたので仕方なく三人部屋をとる。何故だ。

 案内された部屋は、本当に三人部屋かと疑ってしまう程かなり広々としていた。調度品も小洒落ていて、ただ泊まるだけの宿だというのにソファとテーブルの応接セットまで用意されている。これで食事付き三人一泊銀貨三枚は安すぎない? とモモンガは首を捻った。酒場の様子を見る限りぼったくりの気配は全くないのだが話がうますぎる。

「値段の割には随分いい部屋だな……慈善事業か? どっかの富豪が趣味でやってんのかこの宿は?」

「出る時に追加料金でぼったくられる……っていうのも多分ないんだよねぇ、先払いだから」

 ブレインとクレマンティーヌもさすがにこれはおかしいと思ったのか疑問を口にする。何だろう、あの衛兵がモモンガを騙すメリットが全く分からないし、そもそもこれは騙されているのだろうか。一体これはどういう状況なんだ? モモンガにはさっぱり分からなかった。

「うーん……考えてても分からん。とりあえず分かる事は、いい宿って事だ……」

「まぁ、そうだな、これで本当に飯が美味いなら最高の宿だ」

「ですね……何か狐につままれたような感はありますが……」

 三人で考え込むが考えるにも情報が足りなさすぎる、当然結論は出なかったのでモモンガは考えるのをやめる事にした。多少ぼったくられたとしても金はあるし、たまには贅沢もいいだろう、今日はとりあえずここに泊まろうと考える。

 丁度昼時だったので一階に降りてクレマンティーヌとブレインが昼食を食べるが、これは当たりだと言っていた。どうやら衛兵の言葉は全て真実だったらしい。どういう事なんだ、ますます分からなくなる。

 着いたばかりだし時間もまだあるし情報収集は明日からという事にして、モモンガが楽しみにしていた帝都北市場に三人で行くことにする。帝城をぐるりと回り込み街の北側へとクレマンティーヌの先導で移動する。

 やがて到着した北市場は、人通りこそそう多くないものの多くの露店が並び活気に溢れていた。歩いているのも店を出しているのも身なりからして冒険者やワーカーと一目で分かるような者が多い。

 冒険者やワーカーが中古品や不用品を出品する市場だけあってこれまで巡ったどのマジックアイテム屋よりも残念な品物が正直多いのだが、雰囲気がいい。とてもモモンガ好みだ。全盛期のユグドラシルで街の道路に所狭しと並んでいた露店の様子を思い出す。あれも一つ一つ見て回って掘り出し物を探す行為それ自体が楽しかったのだ。神器級(ゴッズ)装備を整えたかった頃のモモンガは素材を主に狩りで集めていたが、露店売りのものを値段交渉などを頑張って入手したものもある。アイテムコレクターなので不要であっても少し珍しければつい買ってしまっていたのもいい思い出だ。

「おっ、あれ口だけの賢者のマジックアイテムじゃねえか? お前見たいって言ってたよな」

 ブレインが指差した先には立派な天幕があった。机の上には所狭しとどこか見覚えのある品物(思わず家電製品と言ってしまいそうになる)が並んでいる。小走りにモモンガはその天幕へと駆け寄っていき、ドアの付いた箱を手にとった。

「何これ、小型冷蔵庫じゃん、うわっ中ちゃんと冷たい、何これどういう仕組みなの、えっコンプレッサーとか全然付いてないのに冷たい、何で」

「知らねぇよ……そういう魔法が付与されてんだろ、マジックアイテムなんだから。というかこんぷれっさーって何だ……」

「すごい扇風機回ってる、コンセントに繋がってないのに何で?」

「だから魔法が付与されてんだろ……こんせんとって何だよ」

「うわ蛇口だ、水道管繋がってないのに水出てくんの? 何で?」

「だから……お前発言が質問形の割には人の話聞いてねえな」

 その調子でモモンガは机の上の品物を手に取り一つ一つじっくりと上からも下からも横からも後ろからも眺めては何で? と言うマシーンと化していった。口だけの賢者考案のアイテム、想像以上にエキサイティングである。店主の困った様子などモモンガの目に入る筈もない、モモンガの目はアイテムに釘付けだ。

「すごい、口だけの賢者すごい、全部欲しい……」

「そんなに金はねえだろ、大体にして旅暮らしならこの辺りのアイテムは使わねえだろうが」

「そうだよなぁ……うーん……毎朝の水汲み大変そうだから蛇口だけエンリへのお土産に買ってくか」

 蛇口の正式名称は湧水の蛇口(フォーセット・オブ・スプリングウォーター)だった。それっぽい名前が付いているがやっぱり蛇口である。モモンガが単なる冷やかしではなかった事に店主はほっとしている様子だったがモモンガは気付いていない。

 その後も露店を一つ一つ見て回るが、目ぼしいアイテムは見付けられなかった。

「うーん……やっぱり仮面はないなぁ……ちょっとだけ期待してたんだけど」

「そりゃそうそうあるもんじゃねぇだろ、マジックアイテムの仮面なんて」

「希少品でしょうからねえ、まあ気長に探しましょう」

 一生嫉妬マスクかと思うと励まされはしてもやはりがっくりくるものがある。溜息をついたモモンガの耳に、その時背後から飛び込んできた会話があった。モモンガは種族的に人間よりも耳がいいので雑踏の中の会話も聞き分けられる。

「仮面かぁ。そういやバルバトラの奴が持ってる千変の仮面(カメレオン・マスク)いいよなぁ、売ってくれねえかなあ」

「どっちのバルバトラですか?」

「鉄壁の方だな。あれ便利だよなぁ、顔を変えられるんだぜ? 俺達みたいな後ろ暗い仕事してるとなるべく顔は覚えられたくないからなぁ」

「確かに欲しいですがワーカーなら誰でも欲しいアイテムでしょう、売ってくれるとは思えませんね」

「ハハッ、そりゃそうだ」

 顔を、変えられる、仮面?

 欲しい、とんでもなく欲しい、口だけの賢者のマジックアイテムの比ではなく必要不可欠だ、そんな物があるとしたらいくら積んでも欲しい。カメレオン・マスク、欲しい。

 瞬間、モモンガはぐりんと後ろを向き駆け出してその会話をしていた二人の肩をぐわしと掴んだ。

「カメレオン・マスクですか? その話、もっと詳しく」

「えっ……?」

「勿論タダとは言いません、情報料は出します、ですからもっと詳しく」

 不審な仮面のモモンガのただならぬ様子に気圧されたのか、全身鎧(フルプレート)にサーコートのいかにも人の良さげな風貌の三十代程と思われる背の高い男と、中背で二本のショートソードを腰に差した剣士と思われる若い男は、二人ともごくりと唾を飲んだ。

 いざとなれば余りまくっているチェンジリング・ドールを取引条件に出せば恐らく買い取れる、ユグドラシルアイテムをあまり市場に流通させるとツアーに怒られそうだがこれはどうしても必要な事だ、許してほしい。まだ入手した訳でもないのに気は早いが心の中だけでモモンガはツアーに詫びた。

「おいモモンガ、何人様に迷惑かけてんだ……」

「どうしたんですかモモンガさん?」

「この二人が、顔を変えられるマジックアイテムの仮面の話をしてたんだよ! 欲しいだろそんなの!」

「あー……確かにそれがありゃ大分面倒は減るな」

「アンタ達ワーカーっしょ? お金次第で情報も売ってくれるよね?」

 そのクレマンティーヌの言葉に、未だモモンガに肩を掴まれたままの二人の男は顔を見合わせ、やがて同時に頷いた。

 

***

 

 モモンガという恐らくは魔法詠唱者(マジックキャスター)はおよそ魔法詠唱者(マジックキャスター)とは思われない程の恐ろしい怪力だった。未だに掴まれた肩が痛い。痛む肩をぐるりと回し、先頭を歩くヘッケランは歌う林檎亭のドアを開けた。

「だから言ってるでしょ! 知らないって!」

「いえいえ、そんな事を言われましてもね」

「別にあの娘の保護者でもなければ、家族でもないんだから、あの娘がどこにいるかなんて知るわけないでしょ!」

「お仲間じゃないですか。私も知らないと言われて、はいそうですかと引き下がるわけにはいかないんですよ、仕事なもので」

 宿屋の一階、酒場兼食堂で睨み合っている男女の女性の方はよく知る顔で、男の方はヘッケランは見たこともない顔だ。女はイミーナ、ヘッケランがリーダーを務めるワーカーチーム「フォーサイト」の一員である。

 太い腕と厚い胸板をした押し出しの強い男は、下手に出たような下卑た笑いを浮かべている。それはそうだろう、イミーナが誰か知っているのであればそこらの腕自慢などあっという間に殺せる実力の持ち主だと知っている筈なのだから。

「だからさっきから言っているようにね!」

「何をやってるんだ、イミーナ」

 声を掛けて中に入ると、イミーナはヘッケランの存在に今気付いたようにはっとしてヘッケランを見やった。優れた野伏(レンジャー)である彼女がこれだけの人数の気配に気付かないとは余程激昂していたのだろう。

「……何だい、あんた」

 男はじろりとヘッケランを睨め据えてくるが、その後目を丸くした。ロバーデイクに続いて入ってきた魔法詠唱者(マジックキャスター)があまりにも異様な仮面を付けていた事に驚いたのだろう。確かにこの仮面を付けなければならない事情があるなら、代わりに千変の仮面(カメレオン・マスク)を求めるのも当然かもしれない、そう思わせるのに十分な程の邪悪さがこの仮面にはある。

「お仲間? 揉め事?」

「そうみたいだねぇ。あんた達は奥行って座っててくれていいぜ」

「はいはい、急いでないからごゆっくり」

 そう答えると仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)――モモンガは奥のテーブルへと向かい、連れの二人もそれに続いた。その場にはヘッケランとロバーデイクが残る。

「で、お前は何だ」

「あんたらこそ何だい」

 ヘッケランのその問いに男は怯まず、却ってこちらを威圧するように上から睨め付けてきた。勿論こんな雑魚の威圧になど臆するような柔な心はヘッケランには持ち合わせがない。それはロバーデイクも同様だ。

「……うちのリーダーと神官よ」

「おお、これはこれは。ヘッケラン・ターマイトさんですね、それではそちらがロバーデイク・ゴルトロンさん。お噂はかねがね」

 イミーナの言葉を聞くと男は下卑た愛想笑いを浮かべた。先程の威圧的な態度はヘッケランがどの程度の人間か計る為の行動、といったところか。少しでもヘッケランが下手に出ればそのまま威圧的に上から話を進めるつもりだったのだろう。そういう風に値踏みされるのはヘッケランは好きではない。今の所目の前の男には嫌悪感しかないが一体何の用事があるというのだろう。

「騒がしいな、ここは宿屋なんだよ。他にもお客さんがいるだろう? 騒がしい事はよしてほしいんだが」

 事実、今入ってきたばかりとはいえここには他に三人の客がいる。とはいってもモモンガの連れの二人は恐らくは相当の腕の戦士、この程度の騒ぎは酒のつまみにもならないだろうが。ヘッケランが眼光を鋭くすると、男はやや怯み腰が引けた。

「い、いや、申し訳ないですがね、そういう訳にもいかないもので」

「私達はあなたになど見覚えが一切ないのですが、一体どういったご用件なのでしょうか。用件によっては態度を考える必要がありますね」

 静かながらもはっきりと硬い口調のロバーデイクの言葉に男がごくりと唾を飲んだが、それでも男は口を開いた。

「いえね、皆さんのお知り合いのフルトさんにお会いしたいと思いまして」

「アルシェ? あいつがどうかしたのか?」

 ヘッケランの知っているフルトといえば一人だけ、アルシェ・イーブ・リイル・フルト、フォーサイトの魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。しかしアルシェがこんな男と知り合いとは考えづらい、ならば厄介事に巻き込まれていると考えるのが妥当だろう。

「アルシェ……ああ、そうでしたね。フルトさんとしか私達は言っていないものですから。ええと、アルシェ・イーブ・リイル・フルトさんですね」

「それで、アルシェがどうしたというのですか?」

「いえ、少しお話したい事がありまして……内密のお話でして、何時頃お戻りになるかと……」

「そんな事知るか」

 けんもほろろに言い切ったヘッケランに、男は返す言葉もないようだった。

「で、話は終わりか」

「し……仕方ありませんね、この辺で少し待って……」

「失せろ」

 ヘッケランが顎をしゃくって入り口を示してみせると、男の目が落ち着きなく揺れた。

「し、しかしですね」

「今から仕事の話がありますし、あなたのような素性の知れない信用ならない方に話を聞かれたくないんですよ。ご自分で出ていけないというならお手伝いしますが?」

「ここは酒場ですし、私が……」

「そうだよなぁ、確かに酒場だな。酒を飲んだ奴がよく喧嘩をする場所でもあるな」

 首を動かしてヘッケランとロバーデイクを見やって男は明らかに狼狽える。そんな男にヘッケランは不敵に笑いかけてやった。

「そう警戒しなくてもいいぜ、あんたが喧嘩に巻き込まれてもうちの神官が有料で治してやるよ」

「割増料金にしないと駄目よ? そうしないと神殿がうるさいんだから。神殿から暗殺者を送り込まれるなんて真っ平ご免よ。まあ、でも多少はサービスしてあげましょうよ、あんたも感謝してくれるでしょ?」

「そうですね、たっぷりと感謝してもらう為にも少々痛い目に合ってもらわなくてはならないかもしれませんね。そうしないと有難味が薄れるでしょうから」

 イミーナも人の悪い笑みを浮かべて言葉を添える。それにロバーデイクまでもが乗っかる。

「脅す気……」

 男の言葉は途中で途切れた。正確にはそれから先を言えなくなった。ヘッケランの表情の急激な変化を目の当たりにして。

 ヘッケランは前に踏み出し、男とヘッケラン、お互いの表情しか目に入らないような至近距離まで詰め寄る。

「はぁ? 脅す? 誰が? 酒場で喧嘩が起こる位珍しい事じゃねえよな? おめぇ、親切に忠告してやってる俺に対して、脅すだぁ? 喧嘩、売ってんのか?」

 奥から鉄がぶつかる音が聞こえる。無骨な籠手をしていた仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)がおぉーっと小さく歓声を上げて拍手しているようだった。

 幾つもの死線を潜り抜けてきたヘッケランの放つ殺気に耐えられる筈もなく、男は気圧され後退り、せめてもの抵抗だろう舌打ちを残して入り口の方へと向かっていった。入り口の前で首だけで振り返り三人に吐き捨てるように怒鳴る。

「フルトん家の娘に伝えておけよ! 期限は来てるんだからってな!」

「あぁ?」

 唸るようなヘッケランの威圧に今度こそ男は尻尾を巻いて逃げ出すように歌う林檎亭を出ていった。一つ深い息をついてヘッケランはイミーナを見やる。

「それで、何事だ?」

「不明よ。さっきあなたが聞いた内容と同じ事しか聞いてないから」

「あちゃー、失敗したな。ならもう少し話を聞いてからでも良かったか」

「その話は後にしましょう。今はお客さんが先でしょう」

 ロバーデイクに言われ、ヘッケランは奥のテーブルに座る三人組に向き直る。怪力、仮面、謎の多すぎるモモンガという魔法詠唱者(マジックキャスター)とどう考えてもヘッケランよりも遥か上の実力を持っているであろうと思われる二人の戦士に。

「お客さんって、仕事?」

「いや、情報を買いたいんだとさ。そこからもしかしたら仕事になるかもしれんけどな」

 イミーナの質問に答えてからヘッケランは奥へと歩き、客の三人が座っている隣のテーブルに腰掛けた。

「どうもお待たせしてすみませんね、お見苦しいところを見せちまったみたいで」

「いえいえ、中々見応えがありましたよ、あの顔芸」

「顔芸ってお前失礼な奴だな……大体にしてお前の死の王の方が凄いと俺は思うがね」

「その話は今やめろ! 実演する事になったらどうするんだ!」

 モモンガの言う顔芸というのは失礼といえば失礼だがヘッケラン自身も芸の一つだと思っているのであまり気にはならない。イミーナにも顔芸と言われている。それよりも死の王って何だ、というのがとても気になるのだが、そんな事より今は仕事だ。

「それで、千変の仮面(カメレオン・マスク)についてでしたね。被ると顔立ちを変化させる事ができるマジックアイテムで、ワーカーチーム「鉄壁」のリーダー、バルバトラという男が持っています」

「是非欲しいのでそのバルバトラさんと交渉したいのですが、どこにいるかは分かりますか?」

「さて、何とも。定宿にいればいいですが仕事に出ているかもしれませんし、そういえば最近見かけてないんですよね。死んだという話は聞かないんですが」

「ふむ……まずはその辺りの情報収集からか……」

 モモンガが仮面の顎に手を当て考え込む。今は閑散期でカッツェ平野にでも行くしかないかと考えていた位だ、安い仕事だろうがここで少しでも収入が得られれば御の字だと思いヘッケランは口を開く。

「奴等が定宿にいなかったら、もし良ければワーカー同士の伝手って奴もありますし、我々に調査と交渉までの段取りを依頼しませんか?」

「成程……伝手があれば情報も集まりやすいのは確かだな。報酬額次第かな……クレマンティーヌ、交渉して」

「了解です。さて、調査だけだったら装備品の消耗もないし交渉までの段取りって事なら……今の情報料も含めて十金貨くらいが妥当じゃないかなぁ?」

「五十だな。ワーカー同士の繋がりを使うのだってタダじゃない、金がかかる。後は人件費。こう見えても冒険者ならミスリル級相当なんでね、安くないんだよ」

「十五」

「四十」

「……ねえ、そんな安くていいの?」

 交渉を任せると言った筈のモモンガが横から口を挟んでくる。一体いくら払うつもりだったのだろう、気になったヘッケランは聞いてみる事にした。

「モモンガさんは、いくら払うつもりだったんだい」

「百くらいまでなら。だって千変の仮面(カメレオン・マスク)どうしても欲しいし」

「……へ?」

 百金貨? ただの調査に? 五十金貨だってそこから大幅に下がる事を想定したふっかけた値段なのだ。余りといえば余りな金額に思わずヘッケランの目が丸くなる。

「駄目ですよモモンガさん、それは払いすぎです」

「駄目かー」

「お前は黙ってろ……クレマンティーヌに任せとけ……」

 横の刀使いが呆れているのがよく共感できる。どうもこのモモンガという魔法詠唱者(マジックキャスター)は世事に疎いところがあるようだ。

「二十、これ以上は払わないかなぁ~」

「二十五」

「払わないって言ってるのにねぇ。まあでもモモンガさん次第かなぁ、どうですか二十五金貨で」

「それでオッケーだよ。その代わり調査は徹底的にね、必ず「鉄壁」の足取りを掴んでほしい」

「契約成立、だな。任せてくれ、だがその前に定宿にいるかどうかの確認だな。早速ちょっと行って確認してくるから待っててくれ」

 そう言ってヘッケランは立ち上がり店を出た。アルシェの件も気にかかるし厄介だが、とりあえず今は目先の仕事だ。もしかしたら出ている間にアルシェが戻ってきてロバー辺りが上手いこと事情を聞き出してくれるかもしれない、そんな願望にも似た期待を抱きつつヘッケランは「鉄壁」の定宿へと向かった。




誤字報告ありがとうございました☺


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闘技場~襲来

「爺よ、例の魔法詠唱者(マジックキャスター)が帝都に入ったとの情報が上がってきたぞ」

 入室したフールーダに皇帝から一言目に掛けられた言葉は、挨拶でも(ねぎら)いでもなくそんな言葉だった。だがその言葉こそフールーダにとっては何より待ち望んでいた吉報に他ならない。おお、と呻いて相好を崩しソファに座る皇帝の元へと足早に駆け寄る。

「誠でございますか陛下、それは何よりの朗報」

「ふふ、お前は会いたくてたまらずこの帝都を飛び出してもいいとまで思っていたのだろう?」

「勿論でございます。彼の魔法詠唱者(マジックキャスター)集団・陽光聖典の精鋭四十名をたった一人で降伏せしめる魔法詠唱者(マジックキャスター)であれば、わたくし以上の使い手に相違ございません」

「だが、お前に出ていかれるのは様々な面で問題があるからな、許可するわけにはいかん。お前がその者と魔法談義ができるようになるには、まずその者が私に仕えてからになるだろうな」

 バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスはフールーダにそう告げて艶美な笑みを頬に浮かべた。その胸に秘めた様々な思惑を窺わせない色のある、自信に満ちた笑みだった。

「左様でございますな。居所が知れているのであればわたくしも陛下にお供して早速……」

「そう急ぐな、その者とてすぐに帝都を離れるわけではないようだ。フールーダ・パラダインよ、お前の「眼」の力をもってその者の力量を見極めるのだ。よいな、承知しているとは思うが魔法談義をさせる為に連れて行く訳ではないのだから、その点を重々弁えてもらわなければ連れてはゆけん」

 二百歳以上も歳上のフールーダに皇帝は噛んで含めるようにそう告げる。ここまで言っても皇帝の不安は消え去らない、フールーダの魔法狂いは異常とも狂気とも言える域だからだ。モモンガなる魔法詠唱者(マジックキャスター)が本当にフールーダ以上の使い手ならばその場で泣き崩れて土下座して弟子入りしようとしても何ら不思議ではない。それ程までにフールーダの魔法の深淵を覗きたいという思いは深く重く強いのだ。

「承知いたしております陛下、モモンガなる魔法詠唱者(マジックキャスター)と心ゆくまで魔法の深淵について語り明かす為にも、わたくしは己の役目に徹する所存でございます」

「ならばよい。私も楽しみだ、お前以上という魔法詠唱者(マジックキャスター)に会えるのがな」

 そう言って皇帝は(くう)に眼を向ける。地位、栄誉、権力、財、女、何をいかほど与えればその魔法詠唱者(マジックキャスター)を跪かせることが可能かを様々に計算して。

 

***

 

 「鉄壁」は定宿にはいなかった。ヘッケランがその場で簡単に集めてきた情報では、帝都の外に仕事に行った様子もないのに二週間ほど前から姿が見えないのだという。これは所謂失踪というやつではないだろうかとモモンガは思った。何で用事のあるワーカーチームがピンポイントに失踪してるんだ、その理不尽さに何とも言い難い思いを抱えるものの、組合という後ろ盾があり予め組合が調査した仕事を引き受ける冒険者とは違いワーカーは一切の後ろ盾はなく頼れる者は自分たちのみの冒険者以上に危険と隣り合わせの仕事、失踪だってもしかしたらするかもしれない。ただ、ヘッケランはチーム全員が姿が見えないのを怪しがっていた。確かに全員まとめて失踪というのはいかにも考えづらいし怪しい。

 本格的な調査は明日からという事になり、まずは調査に二日ほど時間が欲しいという話だったのでモモンガ達はひとまず宿に帰る事にした。毎日夕方に歌う林檎亭を訪れて報告を聞く段取りも済ませておく。

 帰ろうと立ち上がった所で酒場兼食堂の入り口のドアが開いた。入ってきたのは十代半ばと思われる、冒険者風の丈夫そうな皮の服にマント姿ではあるがそれに似合わない上品な顔立ちをした少女だった。

「アルシェ、待ってたんだぞ、何処に行ってたんだ」

 ヘッケランの呼び掛けに、これが厄介事に巻き込まれているアルシェか、とモモンガは納得する。これから込み入った身内の話が始まるのだろうから早目に退散した方がいいだろう。

「それでは我々はこれで失礼します。明日からよろしくお願いしますね」

「あっ、はい、任せてください、また明日」

 フォーサイトの三人に別れを告げて入ってくるアルシェと入れ違いに歌う林檎亭を出て宿へと戻り、夕食にする。夕食のメニューはほかほかのシチューに白パン、そして分厚いステーキだった。何の肉なのかはモモンガには分からないが焼ける肉の美味しそうな匂いだけは分かる。

「……なんか黄金の輝き亭みたいなメニューだな」

「まず……この価格帯の宿で白パンが出るのが普通じゃないですし、この肉の厚さも考えられないですね……」

「やっぱぼったくりなんじゃねぇか……? 後から追加請求が来るんじゃねぇか……?」

「うん……もしそうだったとしてもいいよ、お前達が美味しいご飯を食べられるなら多少ぼったくられても払うからいいんだ……」

 そう呟いてモモンガは(仮面で他の二人からは見えないが)遠い目をした。あったかシチューも柔らか白パンも肉汁滴るステーキもモモンガは食べられない、だけど二人がお腹一杯美味しい食事ができればそれでいい、それでいいんだ。クレマンティーヌが白パンを割いているがいかにも柔らかふかふかそうである。ブレインが肉を咀嚼してうめえと呟いた。鈴木悟が食べた事があるのはパサパサの薄切り肉を少しだけだ、あんな汁の滴った厚切り肉の味は知らない。どんな味でどんな噛み応えなのか食べるとどんな気持ちになるのか、本音を言えば知りたくてたまらなかったがそれは叶わない。

 夕食を済ませて部屋に戻ってから、明日からの行動について相談する。

「まずクレマンティーヌの情報収集だけど、いつもの奴に加えてこっちでも「鉄壁」について調べてみよう。フォーサイトだけだと分からない事が分かるかもしれないからね」

「了解です」

「で、俺とブレインはどうせする事もないし観光しよう。ごめんねクレマンティーヌ、一人だけ働かせて」

「気にしないでください、二人がいない方がやりやすいので。帝都の観光スポットですと、闘技場なんかが有名ですね」

 闘技場と言われてモモンガは昔見た映画の事を思い出した。金持ちの娯楽として剣奴が戦わされていたが、剣奴の中に優れた男が現れて皆を纏め反乱を起こすという筋書きだった。最後には反乱は結局鎮圧されて主人公も悲劇的な死を遂げたので奴隷は奴隷のままと思わされて暗澹とした気分になった事を覚えている。

「闘技場……なんか奴隷とか戦わせてんの……? そうだとしたら趣味悪い……」

「そういう奴隷もいますが、冒険者とかワーカーもモンスターや魔獣とかと戦ったりしますし、闘技場専属の戦士もいますね。闘技場の中でも最強の戦士は武王という称号を与えられます。今の武王はトロールでただでさえ身体能力が高くて生半可な攻撃では有効なダメージを与えられない上に戦闘技術も優れているので負け知らずです」

「冒険者とかワーカーも出るのか……それってもしかして飛び入りもできるの?」

「仕組みまでは詳しくは分かりませんが……冒険者やワーカーが仕事がない時に糊口をしのぐ為に闘技場に出る、というのはよく聞く話ですね」

「そうか……よし、それじゃ明日は闘技場に行ってみよう」

 モモンガがそう宣言すると、じとりとした目でブレインがモモンガを見てくる。

「何かするつもりじゃねぇだろうな……? まさか出場するなんて言ってくれるなよ……?」

「武王以外はどんな相手でも低位魔法一発で片付いちゃいそうだし、モモンガさんが出ても楽しくないっしょ」

「こいつには俺と戦った時の戦士になる魔法があるだろうが……あの時もちょっと運動したかっただけとか言ってたよな……?」

 ブレインが疑いの眼差しをモモンガに向けてくる。確かに戦士になって闘技場で遊んでみるのも悪くはないのだが、それよりももっと楽しそうな事をモモンガは思い付いたので今回はやめにしておく。

「俺は出ないよ、客席で観戦するつもり」

「本当だな? 絶対だな? 誓うな?」

「本当だってば、疑り深いなぁ。あっでも例えばこういう魔法はどう? 〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉」

 モモンガが立ち上がって魔法を詠唱すると、黒に金と紫の縁取りをした一級品と一目で分かる全身鎧がその身を覆う。背には二本のグレートソードが背負われている。

「おい、お前なぁ……」

「こういう事も出来るってだけだよ。これだとレベル的には三十三位の戦士だから、今のブレインよりも弱いよ。まあブレインが攻撃してきても俺にダメージは通らないんだけど」

「どっちにしろ勝てねぇんじゃねぇか……。それはいいが、まさかその格好なら自分だって分からないから大丈夫とか言い出さないよな?」

「それも悪くないけど今回は本当に観光気分で観戦とかを楽しむつもりだからやめておくよ。また機会があったらね」

 もし表情筋があったなら満面の笑みを浮かべていたであろう心持ちでモモンガは〈上位道具創造(クリエイト・グレーター・アイテム)〉で作り出した鎧を消してローブ姿に戻りベッドに腰掛け直した。

 明日の闘技場が楽しみだ、大荒れになるぞ。さぞ観客席も沸くに違いない。その様子を想像して興奮気味のモモンガの夜は更けていくのだった。

 

***

 

 妹達を連れて家を出る。その決意を噛み締めながらベッドの中アルシェは眠れずにいた。

 使用人を全て解雇した場合の費用は試算が出たが今回ヘッケランが持ってきた仕事の報酬では足りない、他に何か収入を得なければならない。

 そして出来れば、出ていく態勢が整うまでに妹達が無事でいる為に期限が来ている分の借金だけでも返しておきたい。

 今受けている仕事が終わったら、フォーサイトのメンバーは全員好まない仕事だが闘技場に出る事を頼んでみようか、と考える。闘技場で見世物になって戦うのは正直嫌いだが短時間で纏まった収入を得られるのは大きい。それに今は好き嫌いを言っている場合ではないだろう、手段を選んではいられない。

 もし妹達を引き取り家を出たならアルシェももうワーカーの仕事なんて無茶はできない。妹達をこれから育てるのは自分なのだ、命を失う危険の大きい仕事はできない、チームを抜けざるを得ないだろう。

 魔法学院を辞めてすぐの頃、魔法詠唱者(マジックキャスター)を探しているという噂話を頼りにフォーサイトの三人を探し当てた時の事を思い出す。ヘッケラン、イミーナ、ロバーデイク。三人はまだ子供同然のアルシェが仲間に入れてくれと突然言ったのを見て目を丸くして、そして魔法の腕を見て興奮して驚いてくれた。それから幾度も様々な仕事をして幾度も死線を乗り越え、本当の仲間になっていった。そんな三人とも、別れなくてはならないだろう。

 いつまでも続けられるとは思っていなかった。だけど心のどこかで、いつまでもこの四人で続けられるような、いや続けていきたいという願望も抱いていた。アルシェにとって大切な仲間。アルシェがいつまでも両親に見切りをつけられず愚図々々していたからその大切な仲間に迷惑をかけた。ここまで追い詰められなければ決断することができなかったのはアルシェの弱さだ。

 家がまだ貴族だった頃はこんなではなかった。父は確かに有能ではなかったかもしれないが温和な父親だった。母はあまり変わらないかもしれない。才能を見出されて魔法学院に入り順調に位階を上げていく生活の中で、アルシェはこれからの人生がより良くなっていくのだと疑っていなかった。

 何が間違っていたというのだろう。誰が間違えてしまったのだろう。アルシェにとっては生活を滅茶苦茶にした相手だが鮮血帝の正しさは嫌という程に分かるから責めたり恨んだりする気にはなれない。誰も悪くはないのかもしれないけれども原因を探さずにはいられない。こんなになってしまってもアルシェにとっては父と母はやはり大切な存在で、捨てると決意した今でも心は乱れ揺れる。

 誰も何も間違っていなくても時には悲しい運命が牙を剥いて襲い掛かってくるのだという事を、こんな歳でアルシェは知りたくはなかった。

 

***

 

 翌日クレマンティーヌは情報収集に出て、モモンガとブレインは予定通りに闘技場へと足を運んだ。

 一般入り口の前には何やらビラが張り出されている。文字解読のモノクルを取り出して読んでみると、「本日”天武”エルヤー・ウズルス登場! 挑戦者求む!」といった内容だった。ますますいいじゃないか。これは面白くなってきた。モモンガはほくそ笑むが仮面をしているしそもそも表情筋がないので表情は他人からは読み取れない、隣のブレインは熱心にビラを見るモモンガを不審そうに眺めていた。

「観戦するんだろ、さっさと行くぞ」

「ちょっと待って、聞きたい事があるから案内係みたいな所はないかなぁ」

「チケット売り場で聞けばいいだろ」

 それもそうかと思いブレインの言葉に従いモモンガはチケット売り場へと歩き出した。並んでいる列はなく売り場のお姉さんがすぐに対応してくれる。

「いらっしゃいませ、観戦席のご希望ですか?」

「うん、そうなんだけど、その前に一つ質問いいかな」

「はい、何でしょうか?」

「エルヤー・ウズルスだっけ? に挑戦したいんだけど、どうやって手続きすればいいの? あ、俺じゃなくてね? こいつが」

 そう告げてモモンガは後ろのブレインを指し示した。刀を腰に差した剣士風の出で立ちのブレインを見て売り場のお姉さんも挑戦に不審を抱かなかったようだが、ブレインはモモンガの肩を掴んできた。

「おい、どういう事だ」

 ブレインの声が低い、ドスがきいている。でも残念でした~全然怖くないです~、と言ってやりたい気持ちを抑えてモモンガは至極冷静にブレインを振り返った。

「聞いた通り、お前がエルヤーなんちゃらに挑戦するの」

「勝手に話進めてんじゃねえよ!」

「いいじゃんブレインー、お金稼いでよー! 絶対いいお金になるからさー! お前の新しい刀の資金だよー?」

「ぐっ……!」

 ブレインの顔が苦々しげに歪む。刀の資金の話をすれば絶対に断れない事は事前に読めていた。ブレインよ、お前は私の掌の上で踊らされているのだ、などと思考に魔王ロールが混ざりそうになる。

「挑戦ということであれば専用の受付窓口がございますのでご案内しますね。係の者に付いていってください」

 係の者と思しき男性が横の扉からすぐに出てきたので嫌々ながらもその男にブレインは付いていった。モモンガは一般席のチケットを買い闘技場へと入場する。

 闘技場の中は特に休日という訳でもないだろうにほぼ満員御礼の状態だった。場内は歓声が飛び交い熱気に溢れている。一般席は自由席なので適当な席にモモンガは腰掛ける。というかこの世界では休日という概念があまり一般的ではないらしい、ブラックである。でも考えてみれば農民とかは毎日働かないと作物は休んでくれないもんなぁ、と冒険者たちとモンスターの戦いを眺めながらモモンガは思い至る。冒険者たちはダメージを食らいながらも中々のチームワークで見事モンスターを倒してみせる。上がる血飛沫に場内の熱気もますますヒートアップしていく。精神作用無効のせいで感情が平坦なモモンガが申し訳なくなってしまうほどの熱狂ぶりだ。

 モンスターの死骸が片付けられた(なんと地面の血痕の後始末に〈清潔(クリーン)〉を使っているところを見られてしまった事にモモンガは沈静化がかかる程に大層興奮した)後で拡声器らしきものを手に持った男が出てくる。

「さて皆様、ここで本日登場予定の”天武”エルヤー・ウズルス、常勝無敗であり挑む者がいないのではないかと思われた彼になんと、挑戦者が現れました! 王国からやって来た剣士、その名はブレイン・アングラウスです! 無敗のエルヤーが本日も勝利を収めるのか、それとも未知の挑戦者が見事無敗の剣聖を倒し武名を上げるのか! 勝負は午後からとなります、投票券売場にてご自身の予想を是非的中させてください!」

 どうやらあの拡声器のようなものは本当に拡声器らしい、マジックアイテムだろうか。そのアナウンスを聞いていた観客の一人が、ブレイン・アングラウス……と呟いたのが聞こえたのでモモンガはそちらの方を見た。ずんぐりむっくりした黒っぽい髪と髭のおじさんが眉根を寄せ唸っている。

「挑戦者を知ってるのか? グリンガム」

「ああ……俺は王国の御前試合で奴と戦ったんだわ……もう五年も前になるかな。三合と保たずにあっさりと敗れたわ。決勝であのガゼフ・ストロノーフと互角の戦いをして激戦の末に僅差で敗れたんだぜ? あの試合をお前にも見せてやりたかったなぁ、ありゃあ真の天才ってやつよ」

「お前が完敗してガゼフと互角……そんな奴がこれまで無名とはな……」

「しかし、俺の見立てでは御前試合の時のブレインは今のエルヤーよりは下だなぁ。ま、ブレインだってあの時のままではないだろうがな」

「で、結局どっちに賭けるんだよグリンガム」

「俺はブレインよ。エルヤーも天才には違いなかろうがブレインはそれより上と見るね」

 グリンガムとかいうおっさん中々見る目があるじゃないかと聞き耳を立てていたモモンガは心の中だけで感心する。自分でも言っていたがブレインは本当に無名らしい。これは金策が捗りそうだとモモンガは内心ほくほくである。

 そう、競馬や競輪や競艇といったリアルで富裕層が楽しんでいたギャンブルというものは、勝つ確率の高いものに賭けると配当が少なく、勝つ確率の低いものに賭けると配当が高いのだと鈴木悟は聞いたことがある。それは恐らくこの闘技場の賭博でも同じことだろう。無敗の天才に挑む無名の剣士、ブレインはいわば大穴である。モモンガからしてみれば、元々がガゼフ級でクレマンティーヌにも実力を認めさせていたのにそこからレベリングして今まで成長してきたブレインがそこいらの剣士に負けることなどほぼ有り得ない、賭けるしかないではないか。立ち上がり投票券売場へといそいそとモモンガは急いだ。

 

***

 

 そしてエルヤー・ウズルスとブレイン・アングラウスの試合の時間がやってきた。挑戦者として先に入場したブレインはげんなりとした顔を隠そうともしなかった。新しい刀を買う費用を稼ぐ為、と言われてしまっては自分の武器の費用なので自分で稼ぐのは当然という理屈になってしまう為断れない。それをいいことにこんな見世物に出しやがって、後で覚えてろモモンガ。どうせ何もできないのだがどうにかしてこの憤懣遣る方ない気持ちを元凶であるモモンガにぶつけてやるとブレインは決意を固める。

 じきに対戦相手のエルヤー・ウズルスが入場してくる。灰がかった色素の薄い金髪を後ろで一つに纏め、涼やかな切れ長の目が印象的な整った顔立ちだ。装備は動きやすい革鎧の軽装、機能的な格好をしている。体幹がしっかりした様子、体捌き、腰に佩いた刀の造り、歩く様子だけで分かる範囲でもひとかどの剣士である事は間違いがないだろう。だが問題は後ろから重い足取りで着いてきた三人の恐らくはパーティメンバーの女性である。

 三人とも防御力などまるで考えられていない襤褸切れのような薄汚れた粗末な布の服を着て、生気のない眼をしてその長い両耳は半ばで切り落とされている。森妖精(エルフ)の奴隷、それを三人このエルヤーという男は引き連れてきた。

 正直な話ブレインにとってあまり愉快な光景ではない。帝国の奴隷制は契約奴隷とも言うべきもので、奴隷になる代わりに契約に応じた金銭が支払われてしっかりと契約内容が定められ契約以上の無体な扱いをされる事はない。だがそれは人間とドワーフに限った話で森妖精(エルフ)など他の種族は権利を保障されていない。ブレインは奴隷制についてどうこう言う気はまるでないが生き死にさえ好きなようにできる奴隷を引き連れて得意げな顔をしている輩を見るのは胸糞が悪い。奴隷制が廃止されるまでは嘗ては王国にも主に貴族でこうやってボロボロの奴隷を引き連れてそれが財力の証とでも言わんばかりの顔をしていた者もいた。つまりエルヤーという男はそういう貴族と同列の、所謂下衆なのだろうとブレインには思われた。

 まあ今から倒す相手が下衆だろうとどうだろうと関係はないのだが、出来ればガゼフのような戦士としての誇りを持った戦い甲斐のある相手と戦いたかった、というのがブレインの本音である。

「あなたが今日私に倒されて私の引き立て役になってくれる方ですか。どうぞよろしくお願いしますね」

 闘技場の中央、ブレインの眼前に立ったエルヤーは自分の勝利を疑う様子など微塵もなくそう言い放った。鈴を転がしたような涼やかな声である。凛とした整った容姿といい、自分の持つ美しさを外面のみに全て割り振ってしまったような男だった。

「勝負ってのはやってみなくちゃ分からねぇぜ?」

「分かりますとも、この私があなた如き無名の剣士に負ける事など有り得ませんから」

「大した自信だ。いつまで保つか見物だな」

 口の片端を上げて笑いブレインは刀を抜いた。正眼に構えるとエルヤーはやや目を見開く。

「ほう……いい刀です。それほどの刀、あなた如きには勿体ない。あなたを殺し、私がその刀を手に入れるとしましょう」

「好きにしな。準備はしなくていいのかい? 後ろの三人もただ居るだけって訳じゃないんだろ?」

「そんなものは必要ありません、私の実力だけであなた如きを屠るのには十分過ぎる程です」

「そうかい。じゃあ、いつでもかかってきな」

 ブレインの刀を手に入れる皮算用をしているのだろう、愉快げな笑みを浮かべながらエルヤーも刀を抜く。

 二人が構えをとったところで開始の合図の鐘が鳴り、エルヤーが素早く距離を詰めてくる。力強い踏み込みからの鋭い斬撃、成程無敗の剣士というのも頷ける。二ヶ月程前のブレインであればかくや己に並ぶやもという相手だと思っていたかもしれないが、毎日のように死線を潜り抜け生命力を高めてきた今では捌くのに然程苦はない。死の騎士(デス・ナイト)の巨大なフランベルジュの重い一撃をすれすれで受け流す方が余程心臓に悪い。

 エルヤーのいかなる攻撃をもブレインは余裕をもって受け躱す。絶対の自信を持つ己の剣技が尽く通用しない事に苛立ったのか、エルヤーの顔には明らかに焦りの色が混ざり始めていた。大上段からの大振りの一撃を躱したところで、ブレインはエルヤーの首筋に刀の峰を当てた。

「ぐがっ!」

「隙だらけだぜ、油断大敵ってな」

 大きく横にエルヤーはよろける。刀の構えを正眼に戻し、ブレインは首筋を押さえたエルヤーの戦意が回復するのを待った。勝利間違いなしと目されていたエルヤーの意外な苦戦に観客達はざわめき始めている。

 どういう訳かエルヤーは大きく飛び退きブレインと距離をとった。刀の攻撃レンジでは有り得ない距離の取り方だ。何をするつもりなのかとブレインが眺めていると、ぎりりと歯軋りの音が聞こえてきそうな程敵意に満ちた目でエルヤーはブレインを睨み付ける。

「どうやら、本気を出すに足る相手のようですね、いいでしょう、全力で潰してやります」

「そうした方が観客も喜ぶだろ、準備したいなら待っててやるぜ」

「そんな余裕を見せた事を必ず後悔させてやりますよ! 〈能力向上〉〈能力超向上〉!」

 眦を上げながら能力向上の武技をエルヤーが発動する。〈能力超向上〉が使えるのは極僅かな才能に恵まれた者のみ、成程エルヤーは天才と呼ばれるに相応しい才能を持っているらしいとブレインにも知れる。レベリングの中でブレインも既に習得したのだが。

 距離を保ったままエルヤーは唇を大きく歪めて笑んだ。勝利を確信した顔だ、あれは。何を根拠に、と思うもののエルヤーが次何をしてくるか大体の見当はブレインにも付くというものだった。

 大きく距離が離れたままでエルヤーが刀を振るい(くう)を裂く斬撃の衝撃波が生じる。この〈空斬〉という武技は、距離によって威力は減衰するものの今のエルヤーとブレインの距離であれば十分な威力が見込める、そして刀使いであるブレインにとってこの距離は攻撃を当てられない致命的なもの、エルヤーが一方的に攻撃することができる。故にこそのエルヤーの自信の笑みだった。が。

「笑うんなら命中させてからにするんだな。攻撃の動作をばらしたくないならな」

 不可視の斬撃をブレインは苦もなく横に飛び躱した。涼しげに笑んでそんな忠告すらしてくる。連続して〈空斬〉をエルヤーは放つが、エルヤーの動きや呼吸を見てからでも躱す余裕があるのだろう、ブレインに当たったものは一つとしてなかった。

「もう終わりかい? もうちょっと手応えのあるところを見せてほしいもんだが」

「クソが、クソがクソがクソがぁっ! お前達何をしているんですか、強化だ、強化の魔法をよこせ!」

 エルヤーが怒号を上げ、怯えた様子の森妖精(エルフ)達がエルヤーにいくつかの強化魔法をかける。準備が整ったエルヤーは美しい顔立ちを醜く歪めて笑みとも怒りともつかぬ表情を見せた。

「殺してやる……必ず殺してやりますよ! 〈縮地改〉!」

 身体能力が大幅に向上しているエルヤーの縮地によって一瞬でエルヤーとブレインの間の距離はなくなった。下段からブレインの首目掛けエルヤーが鋭く刀を振り上げる。

「〈斬刃〉!」

 刀身に気を込めたエルヤー入魂の一撃、しかも武技に加え強化魔法までかけたエルヤーの一撃を躱せた者などモンスターを含めても今まで存在しなかった。この距離からでは到底躱せまい、エルヤーが勝利を確信した時だった。

 がきり、という硬い感触がエルヤーの手に伝わってきた。ぎゃりぎゃりぎゃりとブレインの刀の棟がエルヤーの斬撃を受け止め逸らしていく。エルヤーは刀を大きく上に振り抜いた体勢になってしまう。そして生じた隙を見逃すような甘い相手ではない、エルヤーの腹部目掛けブレインが刀の峰を大きく振り抜いた。

「ぐごっ……ふ……っ」

 からり、と地面にエルヤーの刀が落ちる硬い音がした。峰打ちでも当たり所が悪ければ人は死ぬ、あまりの衝撃に両手で腹を押さえて蹲ったエルヤーの首筋にブレインは刃を宛てがった。

「確か必ず殺すんだったよな、まだやるかい?」

「……ま、まけ、です……わたしの、まけ……」

 エルヤーのその宣言で勝敗は決した。あまりの意外な事の推移にしんと静まり返っていた観客席は、ブレインの勝利を伝えるアナウンスに徐々にざわめき、やがて怒号が飛び交い始める。ブレインに罵声を飛ばす者、エルヤーを詰る者、様々だがとにかく怒っている。それはそうだろう、回収は確実と思われていた賭け金がパァになってしまったのだから。

「負けた方が得るものが多いんだぜ、無敗の剣士さんよ。一つ忠告しておいてやる、俺達の剣の腕など所詮はゴミ程度だぞ、本当の高みには努力などしても届かない。お前さんのその自信も自負も、ちっぽけなものだ。分を弁えるってのは大事だぜ?」

 そう言い残しブレインはアリーナを後にした。剣を取れば無敗だった頃の自分を思い出す。あんなに品性が低くはないが鼻っ柱の強さはエルヤーも当時のブレインも同じだったろう。それがガゼフに敗北した事でブレインの人生は大きく変わった。何を犠牲にしても強さを得たいという執念だけが己を支配し、それからの日々は全て剣の腕を高める為の修練の為だけにあった。そしてその執念も、モモンガという絶対的な強者によって粉々に打ち砕かれた。何もかも失ってそこからブレインはまた一歩一歩、自分の剣の道を歩み直しているのだ。

 エルヤーがそういう風に思い直せるかどうかは分からないしブレインには関わりのない事だ。だがもしエルヤーが真に剣の道を志す者であるならば、願わくは再起し己の剣について考え直してほしいと、ほんの少しだけだがブレインはそう願ってもいた。エルヤーのあの才能は慢心で腐らせるには勿体ないからだ。

 その頃モモンガはやや困惑していた。怒号、悲鳴、観客席からはとにかく膨大な負の感情の渦が放たれていた。モモンガが意図したものとは違う、もっといい意味で盛り上がるだろうなぁと思っていたのに残念である。

 モモンガの利殖計画は大成功だった。リ・エスティーゼ王からの下賜金を全額賭けていたのだが、元々がかなりの金額であった上にブレインの倍率がかなり高かった為最早億万長者と言っていい程の金額を稼ぐ事に成功した。闘技場の白金貨の在庫が足りないので銀行で取引できるという金券板を明日取りに来る事になる。

 控室に下がっていったブレインと合流する為モモンガが〈伝言(メッセージ)〉を送ると、ブレインの明らかに不機嫌な声が返ってきた。

『お前後で覚えてろよ……この恨み絶対忘れねえからな』

「新しい刀の為だろー? 余裕で勝ってたし何か問題あった?」

『こういう見世物にされるのは俺の趣味じゃねえんだよ!』

「お金の為には誇りさえ時には売らなくてはならない……そういうものだろ?」

『何ちょっといい事言った風になってんだ! いいか、こんな事もう二度とやらねえからな!』

「じゃあどうやってお金稼ぐのさ」

『ぐっ……おっ、俺じゃなくてクレマンティーヌを出せばいいだろ!』

「あいつ出したら相手をいたぶって嬲り殺しにするでしょ……観客ドン引きだよ」

『それは……困る……な』

「まあその話はまた後でゆっくりすればいいだろ、チケット売り場の辺りで待ってるから早く来てね」

『ふん、寂しんぼめ』

「寂しんぼ言うな」

 待ち合わせ場所は告げたので言い捨てて〈伝言(メッセージ)〉を切断する。チケット売り場の側で待っていると、しばらくしてブレインが出てきた。かなり注目を浴びている。

「くそっ……だから嫌だったんだよ」

「武名が上がって損はないんじゃない? 無敗の天才に圧倒的勝利なんてこれはもう有名人確定だね。話題の男だよ、嬉しいだろ?」

「嬉しくねえよ! 俺は別に名を売りたくて剣士やってんじゃねえんだ」

「はぁ……ほんと剣術バカだねブレインは」

「余計なお世話だ」

 苦い顔をしたブレインを促して闘技場を後にし、夕方までマジックアイテム屋巡りをして時間を潰す。頃合いになってから歌う林檎亭に移動すると、クレマンティーヌは先に来ていた。

「お疲れ様クレマンティーヌ。どうだった?」

「これといったものは何も。大体四騎士の話ですね。帝国のアダマンタイト級は二つとも特殊な構成で純粋な戦力という意味では多少落ちますし。モモンガさん級の力の持ち主の話は勿論なかったです」

「うーん、やっぱりそう簡単には見つからないかぁ。ツアーが年単位でずれることはなかったって言ってたから、情報収集の期間は俺が来てから一年が目処かな。もう一つの話の方は?」

「街から出たという情報はありませんでした。ミスリル級相当のワーカーであればある程度の有名人ですし目立つんですけどね。やっぱり大体二週間前から居なくなってるのが確認できたといったところです」

「どこで何をしてんだろうな……早く会いたい……」

 モモンガが溜息をついているとフォーサイトも歌う林檎亭へと戻ってきた。報告を聞くが、やはり二週間前から失踪しているという確認が取れただけだった。

「二週間前の目撃情報も洗ってみたんだが、夕方に共同墓地の辺りで鉄壁の面々を見かけたという不確かな情報だけだったな。明日はワーカー仲間に聞き込みをかけるのと同時に墓地の辺りも洗ってみようと思う」

 ヘッケランの言葉に、ふむ、と唸ってモモンガは考え込んだ。

「墓地か……何でそんな所にいたんだろう。ワーカーって墓地に用事あるの?」

「墓地で自然発生する骸骨(スケルトン)やら動死体(ゾンビ)やらの低級アンデッド退治の仕事を請け負う冒険者やワーカーはいるが、内容的に駆け出しのする仕事で、ミスリル級がする仕事じゃないな」

「ますます不審……何か仕事があったのかな」

 考えても分からない、まずは情報収集だろう。明日金券板を換金したら自分でも墓地の辺りを洗ってみようとモモンガは考えた。

 とりあえずまた明日という事でフォーサイトと別れ歌う林檎亭を後にし、宿へとモモンガ一行は戻ることにする。そこに何が待っているのかも知らずに。

 

***

 

 宿のドアを開けたモモンガの目にまず入ったのは、酒場兼食堂に立っていた王子様としか形容しようのない男だった。

 白雪姫にキスした王子様って絶対こういう奴だったろ、そんな容姿をしている。流れるような鮮やかな金の髪、誠実そうなぱっちりとした青い眼に凛々しい眉、大きすぎず小さすぎない絶妙なバランスの鼻はすっきりと通り、口元は凛々しく引き締められていて、精悍な印象を与える引き締まった頬は骨張っているわけでもなく程よく肉付いていい感じの曲線を描いている。紛う方なきイケメンだ。キラキラしている。そんな王子様だが、不審な点があるのだ。何故か黒い全身鎧(フルプレート)を着用しているのだ。その鎧はあんまり王子様っぽくないぞ? と思っていると王子様が口を開いた。

「モモンガ殿でいらっしゃいますか。わたくしはバハルス帝国騎士、ニンブル・アーク・デイル・アノックと申します。あなたに面会を希望されているさる方がこの宿の前までいらっしゃっております、お時間を割いていただいてもよろしいでしょうか?」

 王子様じゃなくて騎士だったんだ、そんな事を考えているとクレマンティーヌが小声で四騎士です、と教えてくれた。四騎士って確か帝国で一番強い四人の騎士で、そんな奴が先触れに出されるようなモモンガに会いたい相手といえば、相当偉いのではないだろうか、という予感がする。

「あの……面会を希望されている方のお名前を伺っても?」

「バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下と、主席宮廷魔術師フールーダ・パラダイン様です」

「え? あの……何で皇帝陛下が? こんな一介の旅人に?」

「申し訳ございません、用件については直接陛下からお話がございます」

 ニンブルと名乗った王子様改め四騎士は至極冷静な面持ちでそう告げてくる。えっ? 皇帝? 皇帝がこんな宿屋まで一介の旅人に会いに来たの? あまりにもフットワーク軽すぎじゃない? というか俺皇帝待たせてんの? あまりの事態に動揺が頂点に達しモモンガの精神が沈静化される。

 やや冷静になった頭で考えてみるが、追い返すというのはどう考えても無理だろう。本当なら皇帝なんて会いたくないが波風は立てたくない、一介の旅人がここまで今来ている皇帝を追い返すなんてできる訳がない。呼ばれたなら何かしら理由を付けて断れたかもしれないが、皇帝が自ら来た時点でもうモモンガには選択肢など残されていない、会う一択だ。

「……分かりました、ですがこの宿屋、いえすっごくいい宿なんですけど皇帝陛下をお迎えするには失礼じゃないかと……」

「問題ございません、陛下はそのような些事は気にされぬお方、モモンガ殿のお部屋にてゆっくりとお話されたいとのご希望です。陛下が座れるソファなどはございますか?」

「あっ、はい……あります……」

 そのニンブルの言葉に、謀られた、とモモンガは確信した。このやたら居心地のいい宿にモモンガが泊まるように全ては仕組まれていたのだ。旅人が泊まる宿には必要のない応接セットはこの為だったのだ。やられた。

 問題は皇帝が何故逃げられない状況を作ってまでそんなにもモモンガに会いたいかである。一体何がどうして。さっぱり分からない。話すしかない状況なわけだし、話してみなければ分からない事だろう。腹を括るしかないようだった。

「分かり、ました……ではあの、部屋でお待ちしていればいいですか……」

「ご了承頂きありがとうございます。では陛下とフールーダ様をお呼びして参りますので、お部屋でお待ちください」

 初めてにこりと微笑んで颯爽とニンブルは宿を出ていった。王子系イケメンの笑顔やたらキラキラしてるな、と現実逃避気味にモモンガは思ったが、今はそんな事を考えている場合ではない。

 とりあえず部屋まで移動して待っていると、しばらくしてノックの音が響いた。どうぞ、と応じるとニンブルがドアを開け入ってきた。

「バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下、お成りです」

 そのニンブルの言葉に、とりあえず敬意を表さなくてはならないのではないかと思い至りモモンガは片膝を突いて跪いた。これが正解なのかは分からないが、クレマンティーヌとブレインも同じようにしてるし多分大丈夫だろうと思う事にする。

 やがて入ってきた皇帝は、一目で皇帝と分かった。オーラが常人と違う。ニンブルも大概王子様だが、皇帝はもう見るからに支配者の気配を纏っていた。そしてすごいイケメンである。緩やかなカーブを描いた艷やかな金髪にこの顔面レベルの高い世界でも最上級といえる男版ラナーかという程に整った顔立ち、そしてアメジスト色の瞳が強い印象を残す。イケメンだらけの大運動会か、(こうべ)を垂れながら心の中だけでモモンガはそう毒付いた。

「私がバハルス皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ。そなたがモモンガか」

 皇帝は声までかっこいい。イケメン声だ。どこまでイケメンなんだよとモモンガは再度心の中だけで毒付いた。

「はい、皇帝陛下。一介の旅人故皇帝陛下とお話できるような礼儀作法の心得がございません、ご無礼の段がございましても平にご容赦頂ければ幸いです」

「そのような事は気にしなくて構わない。公式の場でなければ無駄な礼儀作法など時間を食い潰すだけの無用の長物よ。さて、頭を上げてソファに掛けてくれるかな? 向かい合って腹を割って話そうじゃないか、モモンガ」

 そう言われてしまっては仕方がない、渋々ながらモモンガは顔を上げた。皇帝は既にソファに腰掛けており、その隣には若く見積もっても八十代は行っているのではなかろうかと思われる老人が座っていた。ニンブルと同じ鎧を着けた騎士がもう一人増えて、二人で皇帝の後ろに立っている。もう一人の騎士の顔は精悍だが男らしく四角くごつい顔付きで、イケメンという訳ではなかった。今はそのイケメンじゃなさがモモンガにとっては救いだった。ありがとう名前を知らない騎士さん、やっぱり全員が全員美男美女って訳じゃないって確認させてくれてありがとう。名前を知らない騎士にモモンガは心からの感謝を抱いた。

 言われた通りにモモンガは皇帝と主席宮廷魔術師の座る向かいのソファに腰掛けた。

「それで……あの、今日はどのようなご用件で皇帝陛下自らお越しになられたのでしょうか……」

「時間の無駄は嫌いだからな、単刀直入に言おう、帝国に仕えてほしい」

 は?

 頭が真っ白になりモモンガは返す言葉に詰まった。何でそういう話になってるの? 訳が分からないよ。

 どこかに仕えるなど勿論お断りである。モモンガは旅したいから拘束されるのは困るし、国の為に振るうにはモモンガの力は大きすぎる。仕えるとなれば何もしないわけにはいかない、どこにも属さないのが恐らくは正解だしどこかに仕えるなんて言ったら多分ツアーにも怒られるだろう。

 だがどう言えば穏便に断れる? 何て言えばこの皇帝は納得する? それがモモンガにはさっぱり分からない。

「あの……質問よろしいでしょうか、皇帝陛下」

「何かな?」

「どうして、こんな一介の旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)に皇帝陛下自らが足を運んでまで仕えろなんて仰られるのか理由が分からないのですが……」

「ふふ、帝国の情報収集力を舐めてもらっては困るな。モモンガ、君がカルネ村でスレイン法国の特殊部隊、陽光聖典の精鋭四十人を降伏させたという話は耳に入っているのだよ。聞けばこのフールーダさえ殲滅ならともかく降伏させるのは難しいという。ならば君はフールーダ以上の使い手という事になるわけだ、是非とも我が国で迎えたいと思うのは当然ではないかね?」

 あれかー! モモンガは頭を抱えたくなった。あの、この世界に来たばかりでこの世界の普通がよく分かっておらずに上手いこと手加減できなかったやつである。まあ他の国に情報が漏れない訳がないだろう、法国も当然知っていたし。この場を何とか切り抜けようととりあえずモモンガは思い付いた言い訳を口にした。

「あの……私は第四位階の使い手でして……とてもフールーダ様と並べるような者では……」

 そうモモンガが告げると、フールーダが何事かを皇帝に耳打ちした。それを聞いた皇帝の眉根が微かに寄る。一体何を話したんだ? 疑問を口にするより早く皇帝が口を開いた。

「モモンガ、君は自分で第四位階の使い手だというが、どのような系統の魔法を修めているのかな?」

「魔力系魔法、その中でも主に死霊系統を得意としております」

「……それはおかしな話だな。このフールーダは魔力系魔法の使い手に限るが相手の魔力をオーラとして見る事ができ、使用できる位階も正確に当てられる。そのフールーダが、君には魔力を一切感じないというのだよ。これはどういう事なのかな?」

 えっ、あのやばい生まれながらの異能(タレント)⁉ ここでその生まれながらの異能(タレント)来る⁉

 動揺は即座に沈静化されるのが本当に助かる。そうでなければモモンガはおろおろしすぎて話などまともにできなかっただろう。

「ええと……己の手の内を晒す事は相手に情報を与える事になり、戦いの場においては己を危険に晒すものともなりかねません。ですので、普段から探知阻害のマジックアイテムを使用しておりますのでそれが原因ではないかと……」

「それを外して君の魔力をフールーダに見せてくれる事は可能かな?」

「すみませんが……お断りいたします。もし証明してみせよというなら〈第四位階死者召喚(サモン・アンデッド・4th)〉など第四位階魔法を使用してご覧にいれる事は可能です」

「それでは君がそれ以上の位階の魔法は使えないという証明にはならないな」

「信じていただくより他ございません。それに私が探知阻害のアイテムを外すのは、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)にも固く戒められておりまして……怒られたくはございませんので」

 嘘である。ダシに使ってごめんツアーと心の中だけでモモンガは謝ったが、この場面で探知阻害の指輪を外したら多分ツアーは怒るだろうから問題ないだろう。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の名前の神通力たるや凄いものがある、皇帝も眉を顰めたがそれ以上の追及を諦めたような気配があった。

「……君は、あの竜と知り合いなのか」

「ええ、ちょっとした縁がありまして、懇意にさせていただいております」

「そうか……まあその話だけで君がただの旅人ではないということの証明のようなものだが。それで、我が国に仕える事についてはどう考えているのかな? 地位、名誉、財、魔法の研究に必要な物、君の望むものを可能な限り用意する事を約束しよう」

「申し訳ないのですが、私はどの国にも仕えるつもりはないのです。私の望むものは自由な旅、ただそれだけなので」

 そのモモンガの答えを聞き皇帝の表情が硬くなった。自由な旅、それは国に仕えては決して与えられないものだ。そしてモモンガが望んでいるのは自由と仲間、本当にそれだけなのだ。

「本当に他の国に属さないという保証はできるのか。君に敵に回られるなど想像したくもないのだが」

「これも信じていただくより他ございません。既に王国でも知己であるガゼフ・ストロノーフの誘いを断りましたし、スレイン法国からの誘いも断っております。決して己を高く売ろうという魂胆があるわけではなく、本当にどこにも属する気がないのです。ただの一介の旅人でありたいのです」

 モモンガの言葉を聞いても皇帝は答えなかった。ただ鋭い目線でモモンガを見透かそうとするように見据えてくる。もし人間だったなら表情と声に動揺が思いっ切り出ていただろうから仮面のアンデッドでよかったとモモンガは感謝した。一つも嘘は言ってないから疑われても潔白だが。

 やがて皇帝は視線をふっと緩めた。

「そうか……だが私は諦めん。さておきあまりしつこくても逃げられてしまうだろうからな、今日のところはこれで退散するとしよう」

「ご希望に沿えず申し訳ございません、何度お声を掛けていただいても心は変わりませんので」

「それを変えるのが私の務めというものだ。人の上に立つ皇帝たる者、心を掴めない者がいるのは名折れというものよ」

 強い自信と自負と余裕に満ち溢れた魅惑的な表情で言いながら皇帝は立ち上がった。そのままドアへと歩いていく。

「また会おうモモンガ」

 もう会いたくないです、という心の声は口に出さずに胸の内に留めておく。皇帝は振り返らずにドアを出ていきニンブルも続いた。が、フールーダはソファから動こうとしなかった。何か言い出そうとするところを名前を知らない騎士が取り押さえ立ち上がらせる。

「離せバジウッド! 私はこの方とお話したい事が!」

「へいへい、陛下から引きずってでも連れてこいと命を受けてますんでね、その言葉は承服しかねます。さて行きますよフールーダ様」

「離せええええぇぇぇ! あああああぁぁぁ!」

 そうしてフールーダもバジウッドと呼ばれた騎士に引きずられ部屋を去った。とりあえずモモンガはとても疲れた、精神的疲労がすごい。またいつ皇帝が来るかもしれないから明日からは宿を変えた方がいいだろうが、居場所なんて簡単に突き止められてしまうだろうと思うと気が重い。

 帝国やっぱりあんまり近寄らない方がいいみたいだな……千変の仮面(カメレオン・マスク)見つかったら早々に退散しよう。その思いを新たに強くしたモモンガであった。

 

***

 

「どうしたアルシェ、何か気になることでもあるのか?」

 何事かを考え込んでいる様子のアルシェにヘッケランが声をかける。アルシェは少し躊躇した様子だったがやがて口を開いた。

「あのモモンガという魔法詠唱者(マジックキャスター)、何者なのだろう」

「さてねえ、世界各地を旅してるって言ってたが、詳しくは知らんよ」

「本当に魔法詠唱者(マジックキャスター)なのだろうか……」

「……どういう意味だ? まさか、見えなかったのか?」

 ヘッケランの言葉にアルシェははっきりと頷いた。

「私の”看破の魔眼”では魔力を一切感じられなかった。少なくとも魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)ではない」

 アルシェのその答えに、ヘッケランの中にあった疑問は大きくなっていった。魔法詠唱者(マジックキャスター)では考えられない怪力、あれだけ魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)然とした格好なのにアルシェの眼では見えない魔力、モモンガとは一体何者なのか。

 どこかで、これ以上深入りしてはいけないという予感がある。胸の内で膨れる疑問を抑え込みヘッケランは眉根を寄せ目を細めた。




誤字報告ありがとうございます☺


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中央広場~共同墓地

 翌朝モモンガ一行は宿を出て他の宿をとった。新しい宿も皇帝がその気になればすぐに突き止められてしまうだろうが、居場所がバレているよりは幾らかはいい、単なる気休めである。

 今日は共同墓地について少し探るつもりなのでクレマンティーヌには情報収集を休ませる。まず向かったのは闘技場、そこで昨日の配当の金券板を受け取る。その足で帝都銀行へと向かった。

 銀行の窓口で金券板を出して換金したい旨を申し出ると、受付係の顔が硬くなった。私がこの客を引いてしまった、という顔である。申し訳ないがモモンガに出来ることは何もない、粛々と対応してもらうしかない。やがて運ばれてきた白金貨の詰まった袋の山を見て、ロビーにいる者達が呆然とし騒然とした。袋の山は一つだけではない、五つほど来た。これを入れる為に夜の内に無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を一つ空にしてきたのである、モモンガは空の無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に金の詰まった袋の山から袋をどんどん放り込んでいく。横で見ていた人がどれだけ詰め込んでも袋が全然大きくならないことに面食らっていた。

「……お前どんだけ賭けてたんだ」

「王様から貰ったお金全部だよ」

「は? 俺が負けたらどうする気だったんだよ!」

「それは有り得ないと思ったし、事実圧勝だったろ?」

「お前なぁ……」

 無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に金を詰め込みながら答えるモモンガに、ブレインは呆れ返った声を返してきた。ちなみにブレインが受け取っていた試合の報酬もなかなかの額で、それは既に無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)の中に入っている。

「いいなぁー、アタシも闘技場出たいです」

「お前は駄目だよ」

「お前は駄目だ」

 クレマンティーヌのぼやきに即答したモモンガとブレインの言葉は図らずもシンクロしてしまった。これ以外の回答などありえないのだが。

「息ぴったりすぎません? ブレインは良くてなーんでアタシは駄目なんですかー」

「自分で理由分かるだろ……? お前の戦い見たら観客ドン引きだよ……出禁になりたくない」

「人間が相手なのが問題なんであって、モンスター相手とかだったらよくないです?」

 クレマンティーヌのその言葉に、モモンガは袋を詰める手を止め、むむ……と考え込む。

「成程……もう一回稼ぐチャンスかなぁ。クレマンティーヌのストレス解消にもなるし……」

「流されるんじゃねえよモモンガ!」

 その後モンスター専門の女剣闘士クレマンティーヌが爆誕したかは謎である。無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に金を詰め込み終わるのに結構な時間がかかってしまい(モモンガの背負い袋が全然膨らんでいない事に銀行中の人が狐に化かされたような顔をしていた)、銀行を出る頃にはすっかりお日様が空の上に昇り切っていた。

「まずはお昼ご飯にしようか。午後は共同墓地を軽く探ってみよう」

「了解です。ご飯は安くて美味しいお店があるらしいので、そこに行ってみましょう」

「任せた」

 とりあえずはクレマンティーヌとブレインの昼飯だ。クレマンティーヌの先導で店へと向かう。店はいかにも大衆向けの食堂といった感じの店構えで、老若男女を問わないお客さんで賑わっていた。

 どうやらその店はランチの時間はメニューが決まっているらしく、オーダーの際も人数の確認だけだった。勿論モモンガは食べられないので二人分である。すぐに運ばれてきたランチは、サラダと野菜のスープに黒パン、メインは青椒肉絲のような炒め物である。ちなみに青椒肉絲を鈴木悟は知識として知っているだけで食べた事はない。何か香ばしいいい香りがするという事は分かる。野菜と肉にとろんとソースが絡んでてらりとしている様子もいかにも美味しそうだが、これがシズル感という奴かと実感する。

「成程、こりゃいけるな」

「これは当たりだねー、口コミも馬鹿にはできないわー」

 クレマンティーヌとブレインは青椒肉絲のような炒め物をフォークで器用に食べ進めていく。ある意味すごい、モモンガだったら箸が必要である。どっちにしろ食べられないのだから無用の心配なのだが。

「この料理は帝国の家庭料理みたいな感じなのかな?」

「多分そうですね、少なくとも法国にはないです。法国の料理ってもっと質素っていうか貧乏臭いんですよね」

「王国でも見た事ねえな」

「やっぱ地域によって色々料理も違うんだなぁ……そうか……ハハ」

 乾いた笑いしか出ない。料理の地域差、味覚で実感したかった、その思いしかモモンガにはない。ちなみに評議国では肉の塊に生キャベツを適当に千切ったものを付けましたみたいな豪快な料理が多かった。料理と呼んでいいのかもちょっと疑問だったが、亜人は肉を生で(場合によっては生きたまま)食べるのが好きという種族も多いらしいし焼いたり千切ったりしてあるだけでも料理なのだろう。

 やっぱり食べ物を食べられるようになりたい、という思いは強いのだが、だからといって別にアンデッドを辞めたいというわけでもない。何で俺種族をこんな骸骨にしちゃったんだ? 吸血鬼(ヴァンパイア)とかだったら多分飲食できたのに……と今更思ってみたところで遅い。それに吸血鬼(ヴァンパイア)動死体(ゾンビ)系は趣味ではないし、死の支配者(オーバーロード)という種族について食べ物が食べられないのと知らない人間が虫程度にしか思えない以外はモモンガはカッコよくて気に入っているのだ。

 我ながら厨二入ってるなぁと思うが自分の厨二病については作成NPCのパンドラズ・アクターを思い出せば昔の方がかなり酷かった。あれはタブラさんとかに設定を相談したらどんどんネタ出しされて悪ノリしてしまったのもあるのだが、ナザリックがこの世界に来なくて本当に良かったと思う点の一つである。あれが動き出して自分の意志で喋ったらと思うと恥ずかしさで背中がむず痒くなって地面を転げ回りたくなる。軍服は今でもカッコいいと思うが。

 でもNPCに関してはもし自分の意志で動き出しているのを見たらモモンガ以上に悶絶する人とか逃げ出す人がいる気がするので自分はマシな方だと思いたい。その点たっちさんは強いよな……とモモンガは思った。たっちさんが作ったあの執事(名前はど忘れした)めちゃくちゃ普通にカッコいいし確か数少ないカルマ値善の性格だしナザリックの良心の一人だろう。あと良心と呼べるNPCを作ったのはやまいこさんと餡ころもっちもちさんで両方女性メンバーだ。ああいうのってやっぱり性格出るよなと思う。自分の性格がパンドラズ・アクターに出ているというのはなるべく考えたくないが。

 飲食できない問題を解決できるアイテムはユグドラシルに存在していたのだが、モモンガにとっては不要アイテムでレア度も低かったので入手次第モモンガは店売りして拠点の維持費用の足しにしていた。何で一個位取っておかなかったんだ……という後悔先に立たずである。もしかしたらナザリックの自室にはあるかもしれないが、ナザリックはないのだし考えても仕方ない事だ。

 少し早めの二人の昼食が済んだところで共同墓地へと移動する。この世界では墓地はあくまで死者を弔いアンデッド化を防止する為に存在していて墓参りの習慣はあまりないらしく、周囲は人通りがなくしんと静まり返っていた。墓地の近くの脇道にモモンガ達は入っていく。

「さて、まずは偵察だな」

「偵察っていっても三人ともあんまり偵察向きじゃないだろ、どうするんだ?」

「ふっふっふ、こういう時に最適なアンデッドがいるんだよ」

 ブレインの疑問に答えモモンガは上位アンデッド創造で集眼の屍(アイボール・コープス)を創り出す。無数の濁った目玉が付いた不気味な肉塊がいきなり眼前に現れ、クレマンティーヌもブレインも面食らう。ドン引きである。

「見た目はアレだけど、こいつは探知能力にすごく優れてるんだ。不可知化程度ならいとも簡単に見破れるぞ。この墓地に何かあるとしたら何者かが潜んでる可能性もあるだろ?」

「それは凄いですが……見た目が……かなり目立つというか」

「透明化しとけば大丈夫。〈魔法持続時間延長化(エクステンドマジック)透明化(インビジビリティ)〉」

 その他に集眼の屍(アイボール・コープス)の視覚情報を遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)に連結する魔法をかけてから集眼の屍(アイボール・コープス)を墓地へと送り出し、墓地内を探索させる。

「ふむ……これは……」

「あれですね……」

「あの組織だな……」

「あの組織ですね……」

 墓地のあちこちには、目立たないよう物陰をひっそりと動く見覚えのある黒いローブの姿がちらほら見えた。どう考えてもあの組織である。

「どの組織だよ」

「ズーラーノーンだよ」

 一人だけズーラーノーンと実際に接触した事のないブレインの疑問にモモンガが答える。名前はさすがに知っていたらしく、マジか……とブレインが呟いた。

「ちなみにカジットもズーラーノーンの十二高弟だし、クレマンティーヌも十二高弟の一人だよ」

「マジか……ズーラーノーンとズブズブじゃないかお前……」

「うんまあ……結果としてそうなってるね」

「アタシは気分としてはもうズーラーノーンは辞めてるなぁー。今はモモンガさんの仲間だしー」

「気分とかそういう問題なのか……? 秘密結社なんだろ……?」

 ブレインの疑問はもっともだが組織を抜けたからといって抜け忍みたいにクレマンティーヌを追ってくる事のできる者は相当限られるだろうし、大体そんな奴が来たらモモンガが黙ってはいない。消す。

「あの組織……という事は奥に寂れた霊廟とかあったりしたらそこが怪しい?」

「多分……大体やる事は一緒ですから。帝国の担当は確かあいつかぁ……まあモモンガさんがちょっと威光と威厳を見せてくれたらあいつもあっさり裏切ると思いますよ」

「えぇー……威光と威厳はもうこりごりだよ……あいつって誰?」

「名前は不明なんですよ。ミイラとかデクノボウとか、皆適当な名前で呼んでますね」

「ミイラ……不気味そう……。まあ威光と威厳は考えておくよ。しかし、さすがに墓地だけ探っても鉄壁がいなくなった理由はよく分からないな。ズーラーノーン絡みならミスリル級チームが一つ消える位はあるかもしれないけど……もう消されてるのかな……俺の千変の仮面(カメレオン・マスク)……」

 取らぬ狸の皮算用をしていた千変の仮面(カメレオン・マスク)の入手が遠のいた事にモモンガががっくりと肩を落とす。

「まあまだ分かりませんよ、利用価値があれば案外生きてるかもしれませんし」

「……そうだな、希望は捨てずにいよう」

 気を取り直して遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を見ると、墓地の奥まった所にはやはりというか寂れた霊廟があった。怪しい。集眼の屍(アイボール・コープス)を中に入れると、地表ではなく地下に幾人かの気配を感じ取っていた。

「ふむ、やっぱり地下に何かあるみたいだな。ただこのズーラーノーンの拠点が鉄壁の失踪と関係があると決まった訳じゃないからなぁ、とりあえず今日のフォーサイトの報告を聞いて夜も探ってみて、それから考えるしかないか……」

「何か儀式でもやったり動きがあるとすれば夜でしょうし、探ってみる必要はあるでしょうね」

「夕方まではどうしようか……何か面白そうな所ある?」

「中央広場はまだ見てないですよね? 賑やかな市場ですよ、モモンガさんが好きそうな所です」

「おっ、いいね、よしじゃあここは一旦撤収して中央広場を見に行こう」

 集眼の屍(アイボール・コープス)は一旦呼び戻して透明化の魔法をかけ直し、召喚限界時間まで上空で墓地に出入りする者を監視させる事にし、モモンガ達は中央広場へと移動を始めた。

 

***

 

 アーウィンタールの中央広場は、王国で一番印象に残っているエ・ランテルをもっと大掛かりで賑やかにしたような場所だった。

 所狭しと様々な露店や屋台が立ち並び、肉の焼ける匂いや小麦の香ばしい匂いや甘い匂いしょっぱそうな匂い、様々な匂いが辺りから漂ってくる。威勢のいい呼び込みや値段交渉の声が飛び交って通行人の話し声が大きなざわめきとなって場を支配していた。人混みも芋洗い状態で、アーカイブで嘗てリアルにあったアメ横という場所の映像を見た事があるが、まさにそんな感じの場所だ。露店の商品も様々で、野菜などの食料品や布、衣服に雑貨に日用品、宝石などの装飾品に武器防具など本当に多種多様だ。ここ一日中いられるやつだ、モモンガは確信する。露店を冷やかし歩いているだけでも楽しいのである、お祭り気分だ。鈴木悟は祭りというものに参加した事がないのでよくは分からないのだが。

 アーコロジー内では縁日なども行われていたようだが鈴木悟の住んでいたアーコロジー外の汚染区域でそんな事ができる筈がない。ただ、ユグドラシルで縁日を模したイベントが開催された事はあり、その時の雰囲気と似たものをこの場所にモモンガは感じていた。どちらかといえば昔の中東やアフリカなどの市場の方が雰囲気としては近いかもしれないが、それこそ鈴木悟には知りようのないものだ。

 クレマンティーヌとブレインは各々気になった食べ物を買い求めては食べ歩きしている。あれができれば更に数倍楽しいのだろうなとモモンガは思うが如何せん叶わぬ願いである。ブレインが薄焼きの小麦生地で何かの葉野菜と肉を巻いたようなものを食べ、クレマンティーヌは串焼き肉に齧りついている。二人がこうして食べられないモモンガを気にせずに食べているのは、そうしてほしいとモモンガがお願いしたからである。非常に辛いのは確かだがそこは気を使って我慢しないでほしいのだ。

 横に目をやると、様々な布を並べた露店の店主のお婆さんの膝でキジトラの猫が丸くなって寝ていた。かわいい。こんな騒がしい場所でよく眠れるものである。布の生地は綿と麻が中心で、大体は染められているだけの無地である。柄物はかなり高級品のようだった。織物技術はあまり進んでいないようである。ナザリックがあれば最古図書館(アッシュールバニパル)の文献から技術を持ってきてこの世界に広めて大儲け、なんて事もできたかもしれない、とモモンガは妄想したがもしかしたら好きな生地と色柄の布を作り出す魔法なんてのもこの世界ならありそうである。ラキュースやラナーのドレスは絹っぽかったから、養蚕業もちゃんとあるのだろう。

 そんなこんなで露店を一つ一つ見ているだけでも様々な発見があったりして楽しい。さすがクレマンティーヌ、モモンガの好みを分かっている。有能である。

 武器防具はさすがに魔法付与されていない素のものだった。マジックアイテムのような高価なものを露店で売るとなれば北市場のように冒険者やワーカーが自分で売るとかでなければ強盗盗難を警戒しなければならないだろうし当然だろう。大体にして素の武器防具だって平民からしたら大概高級品である。自分の事は小市民だと思っていたがモモンガの価値基準はブレインの言う通り相当ぶっ壊れているらしい。この世界は魔法などユグドラシルの法則が通じるのでどうしてもユグドラシルの基準で見てしまうから仕方ないと誰にともなくモモンガは心の中で言い訳した。

「そういえばブレインは副武器って持たないの? スケルトン系とか斬撃耐性のある敵もいるでしょ」

「ん、ああ、今までは必要なかったな。考えた方がいいかもしれんが動きの邪魔になるのが嫌でなぁ。それに剣以外はほとんど扱いを知らんしな」

「ガゼフにでも習いに行く?」

「確かにあいつなら他の武器もある程度使えそうだな……それはアリかもしれん」

「斬撃、刺突、殴打の三つは揃えておきたいよね」

「属性ダメージ無効の装備といい、お前ほんとそういう点に関しては完璧主義だよな」

「備えあれば憂いなしだよ? まあ刺突はクレマンティーヌがいるからいいとして、殴打は強化すべき点でしょ」

「ガゼフに習うならいいかもしれませんね、ちゃんと教えてくれそうですし」

「クレマンティーヌの殴打武器が見つかったらガゼフに弟子入りに行くかー」

 ガゼフだって暇ではないのだしまた取らぬ狸の皮算用をしているが、ガゼフに弟子入り、横から見るだけのモモンガにとってはとても楽しそうである。多分情に厚い鬼教官みたいな厳しい感じなんだろうなと思うとワクワクする。リアルでの百五十年ほど前のテレビドラマみたいである。漫画でも「安西先生、俺、バスケがしたいです」とかあったよな、あっあれは別に鬼監督じゃない。はっきり言ってガゼフはお気に入りの人間なので会える機会があるならバンバン会いに行きたいので、弟子入りの案はモモンガの中で採用決定である。王都に行けばイビルアイともう少し仲良くなれる機会も作れるかもしれないし。ツアーに言われたからではなくて仲良くしたいのでもう少し距離を縮めておきたい。

 隣の露店には手頃な値段の様々な日用品が売られている。食器とかは農民にとっては高級品で買うのは大変だってエンリが言ってたなと思い出す。この世界は陶芸技術の発達も今一つらしい。エンリの家の食器も木を削ったものだった。衛生面が気になるので陶器の皿を買っていこうか、と思い付く。

「シチューとか入れるんだったらどの皿がいいかなぁ?」

「ん、食器なんか買うのか?」

「お土産にエンリに買っていこうかと思って。とりあえず四人分と予備も合わせて六枚も買えば十分かな。やっぱかわいい方がいいよね」

「成程な、陶器の食器なんか農民にとっちゃ高級品だからな、きっと喜ぶだろ」

「これなんかどうですか?」

 クレマンティーヌが指差したのは、青い花が染め付けられているスープ皿だった。これなら手頃な大きさだし確かにかわいいしいい感じだろうと思い六枚選び、ついでに同じ柄の平皿も六枚追加する。皿が陶器ならフォークやスプーンも金属の方が様になるだろうと思いカトラリー一式も六組買い揃える。エンリが見たらこんな貴族みたいな食器と言うかもしれないがモモンガの感覚としてはこれ位がごく普通なので受け入れてほしい。

「すごいな中央広場、マジックアイテム以外は何でも揃っちゃうな」

「思いっ切り買い物楽しんでるなお前」

「うん楽しい、リアルではあんまり思わなかったけど買い物って楽しいんだなぁ」

 リアルではアーコロジー内にはショッピングモールなどもあったがそんな所の商品は安月給の鈴木悟には手が出せないような高級品だし、アーコロジー外はそもそも出歩くのが危険である為基本は通販で買い物を済ませていた。通販は通販で通販サイトで色々な商品を見比べる楽しみはあったが物欲の薄い鈴木悟はどうしても生活に必要な物しか大体は買わなかったし、こうして様々な店を直に見て思い付くままに買い物をしていくのは非常に楽しいとモモンガは思った。何よりお土産を選んでいるというのがいい。動揺してから喜んでくれるエンリの顔を想像して思い浮かべるとそれだけで楽しい。いい布屋があったら成長の早いネムが来年に着るであろう晴れ着用の布でも買うか、と思い付く。

 誰かの為に品物を選んで買う、という経験が鈴木悟にはほぼなかった。少ない小遣いを必死に貯めて母の誕生日に高級嗜好品であるチョコレートを(ほんの少しだけだったが)買ったとかその程度だろう。その薄くて小さなチョコレートを母は半分こにしてくれたのを今でもよく覚えている。母以外には選んで渡したいと思う人も受け取ってくれる人もいなかった。

 そう思うと、この世界に来てから鈴木悟(モモンガ)を取り巻く環境は本当に大きく変化した。出会いに恵まれていると言えばいいのだろうか、家族のように思える人も仲間だと思える人も得ることができたし友人だってできた。この世界に一人で放り出された時は大層絶望したものだが、踏み出してみれば様々な事が変化するのだなと学ぶことができた。差し出された手に引かれるままに歩いているのではなく、自分の意志で歩いているというのも大きな違いだろう。今のモモンガにはやりたい事や夢ができた。与えられたものを甘受しているだけではなく、自分から探しに行こうと思えるようになれた。アンデッドになってしまったということよりも、その心の在り様の変化の方がモモンガの中ではずっと大きな変化かもしれない。

 夕方までたっぷり中央広場で買い物を楽しんでから歌う林檎亭へと向かった。フォーサイトの面々は既にモモンガ達を待っており、すぐに報告会が始まる。

「まずワーカー仲間から二週間前の鉄壁の目撃情報を洗い直したが、昼間は宿にいたのは間違いない。夕方になる頃にどこかに出ていったそうだ。墓地付近での目撃情報も二三追加で得られた」

「墓地付近にいた可能性はかなり高くなったのか……まずいな。こっちでも墓地についてちょっと簡単に調査したんだけど、あそこどうもズーラーノーンのアジトがあるっぽいんだよね」

「……野伏(レンジャー)や盗賊もなしでどうやって調べたんだ? 俺達も墓地は簡単に見てきたが大した発見はできなかったが」

「魔法は便利なのさ。墓地の奥に廃棄された霊廟があって、その下に恐らくアジトがある」

 そこまで、とヘッケランは呟き息を呑んだ。フォーサイトの他の面々も一様に驚きを見せ、特に野伏(レンジャー)であるイミーナの驚きは大きいようだった。レベル七十台の探知に特化したアンデッドを使ったのだからこの程度の成果はモモンガとしては当然である。

「夜になれば何か動きがあるかもしれないから墓地の近くで張ろうと思うんだけど」

「それなら俺達も行こう、野伏(レンジャー)のイミーナや神官のロバーがいた方が色んな状況に対応できるだろう?」

「確かに。隠密行動するにしても俺じゃ〈静寂(サイレンス)〉はかけられないし、隠し扉とか探すのもイミーナさんがいた方がいいね。ちょっと報酬からは割に合わないかもしれないけどお願いするよ」

「仕事は鉄壁を発見して取引の段取りを付けるところまでだからな、構わないぜ」

 話が纏まり、墓地に行く前に夕飯を済ませることになる。クレマンティーヌとブレインも食事代を払って歌う林檎亭で食べる事にする。

「親父、今日のメニューは何だ」

「お前さんの大好物の豚肉のシチューだよ」

「おっ、さすが分かってるねえ! 肉多めでな!」

「追加料金取るぞ?」

「長い付き合いだろー? そこを何とか!」

 ヘッケランが軽口を叩きながら夕食を受け取っている。一人だけ動こうとしないモモンガを不審に思ったのかアルシェが振り返った。

「モモンガは夕食を食べなくていいのか」

「ああ、こいつは他人の前で仮面を取ると魔力が暴走するって呪いをかけられててね、人前じゃ食べられないのさ。その対策として飲食不要になるマジックアイテムを装備してるから心配ご無用」

「飲食不要……そんなマジックアイテムが本当に存在するのか?」

「あるんだなこれが、ただとても貴重品だからおいそれと人には見せられない」

 ブレインの説明に、半信半疑の表情ながらも分かったと言い残してアルシェはその場を離れた。一人だけご飯を食べない変な仮面をしてる奴なんてそりゃあどう考えても不審者である、変な奴と思われても仕方がないとモモンガは少しだけ項垂れた。でも飲食不要になるマジックアイテムは本当にあるんだぞ、付けてないけど、と心の中だけで呟く。

 夕食のメニューは豚肉のシチューと黒パンにサラダだった。毎度の事だがいい匂いがする。

「おっ、ここの飯は当たりだな」

「ふっふっふ、ここの豚肉のシチューは特に当たりだぜ、あんたいい時に来たよ」

「ヘッケランは本当に好きですからねこれが」

「言うだけあって美味いぜこれは。ワーカー向けの宿じゃなかったら定宿にしたい位だ」

 そこまで言うほど美味いのかブレイン……豚肉……モモンガの思考は既にシチュー一色である。

「ところで、闘技場で天武のエルヤーに圧勝したブレインって剣士……あんたか? 知り合いのワーカーがかなり興奮して試合の様子を話してたんだが」

「……だから嫌だったんだ、どうしてくれるんだモモンガ!」

「俺知ーらないっと」

「この野郎……」

 漆黒の剣と野宿した時も思ったが、こうして見ると大勢で和気藹々と食事するのは本当に楽しそうである。会話しているだけでも楽しいがやはり食事もできた方がより楽しいだろう。鈴木悟にはそういう機会は会社の飲み会しかなかったが、あれは気を使うだけで少しも楽しくなかったし早く家に帰ってユグドラシルやりたいとばかり思っていたものだ。でもきっとクレマンティーヌやブレインと色々話しながら食事するのは絶対に楽しいだろうし、フォーサイトの面々も(善人とは言わないが)話しやすい気さくな人達なのでもしモモンガが食事ができていたらきっと今とても楽しかったのだろうな、と思う。

 そう考えると食事をできないのは相当損をしているような気がする。何とかしたい。あんな一部の異形種にしか意味のないレア度も低いゴミアイテムがあるかどうかは分からないがエリュエンティウに期待である。

 早めの夕食を済ませ共同墓地へと一行は移動する。墓地の入り口が見える裏道で待機していると、一台の立派な馬車が墓地へと入っていった。

「ありゃあ貴族の馬車だな……何でこんな時間にこんな所に?」

「待って、まだ来るわ」

 イミーナの言葉通り、続いて二三台の馬車が次々に墓地へと入っていった。

「葬式でもあるのかな?」

「貴族が死んだって話は聞かないな……何かありそうだなこれは。推測になるが、貴族共が墓地で何かしてる動きを鉄壁は掴んだんじゃないか? それで強請りのタネにでもしようとして貴族共が具体的に何をしてるのか探ろうとしたところでズーラーノーンに……ってところじゃないかと」

 強請り。成程ワーカーだしそういう稼ぎ方もあるのか。ヘッケランの推測を聞きありそうな話だとモモンガは納得した。

「とりあえず奴等の後を付けたいな、隠密行動でいこう」

「じゃあ〈静寂(サイレンス)〉をロバーが、〈透明化(インビジビリティ)〉をアルシェがかけてくれ」

「あっ、俺は自分でかけるからいいよ、今から完全に消えるけどちゃんと着いてくから安心して。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウンブル)〉」

 完全不可知化の魔法をかけ一切の気配を絶ったモモンガを見て、フォーサイトの一同は一様に驚愕していた。

「何……今の魔法……知らない……」

「嘘でしょ……完全に気配が消えた……」

「イミーナでも分からないなら俺達には絶対に分からないな……」

「と、とりあえず、他の人には〈静寂(サイレンス)〉と〈透明化(インビジビリティ)〉ですね……じゃあ順番にかけますから」

 まず〈静寂(サイレンス)〉をロバーデイクが自分とアルシェ以外にかけ、次に〈透明化(インビジビリティ)〉をアルシェがロバーデイク以外にかける。最後にロバーデイクとアルシェがお互いに魔法を掛け合いロバーデイクが〈静寂(サイレンス)〉を自分にかければ完了だ。早速移動を始めるがフォーサイトの四人はお互いが見えないというのにきちんと隊列を崩さずに組んで早足で移動している。ミスリル級は伊達ではないらしい。その後ろのクレマンティーヌとブレインは気配でフォーサイトの動きが分かるらしく淀みない足取りで着いていっている。

 共同墓地は墓石が整然と並び、あちこちに魔法の灯りが置かれているので墓場に付き物の陰鬱さや陰惨さはなく清潔で明るい印象だった。途中にある十字路の交点が円形になった場所に馬車が置かれていて、その先に貴族達の背中が見えた。歩速を速めて距離を詰める。

 貴族達は談笑しており、邪神とか儀式とか不穏な単語が漏れ聞こえてくる。これはヘッケランの推測当たってるかもしれない、そんな気がモモンガもしてくる。だとすれば鉄壁はどうなったのだろう、鉄壁というか千変の仮面(カメレオン・マスク)はどうなってしまったんだ。もう気が気ではない。もし鉄壁が処分済みで千変の仮面(カメレオン・マスク)もどこかに売り払われて流れてたりしたら最悪である。そんな事になってたとしたら関係者全員八つ裂きにしても到底飽き足らない、この世の地獄を見せてやらなければ気が済まない。

 貴族達の会話によると今日は月に一回の集会の日らしい。この日を心待ちにしていたとか邪神様にお会いしたいとか実に楽しげに語っている。誰だよ邪神、邪な神に会いたいって相当変だぞお前達。苛立ちと焦りを紛らせる為そんなツッコミを心の中だけで貴族達に入れつつモモンガは最後尾を進んだ。貴族達はどんどん奥まった場所へと進んでいくのでやはりズーラーノーンと関係している可能性が高い。邪神崇拝というのはいかにもズーラーノーン絡みっぽい響きだし。

 邪神を崇めてるっぽいし儀式もなんか禍々しい感じなのだろうか……と思うと見るのが怖いような気がしてしまうが、今更後には退けないし何より千変の仮面(カメレオン・マスク)の無事を確認しなければならない。鬼が出るか蛇が出るか、本当はどっちも出ないでほしいが退く訳にはいかない理由がモモンガにはある。飲食不可を解決するユグドラシルアイテムはもし手に入ったとしてもデメリットも相当きついので安全面の問題で常用はできない、千変の仮面(カメレオン・マスク)と併用できれば理想的なのである。

 推測通り貴族達は最奥にある霊廟に入って行った。〈透明化(インビジビリティ)〉と〈静寂(サイレンス)〉の効果も切れたのでモモンガも完全不可知化を解除し少し離れた物陰から見守る。気配がなくなったとイミーナがサインをだしたところで一行は霊廟へと足を踏み入れた。

「〈永続光(コンティニュアル・ライト)〉」

 アルシェが杖の先に光を灯し霊廟の中を照らす。その灯りを頼りにイミーナが霊廟内の探索を始める。

 本当はモモンガには分かっている。奥の方にある大きな台座の下の方に付いてる彫刻、めちゃくちゃ見覚えがあるあそこである。あそこを操作すれば多分台座が動く。だがピンポイントでそこを当ててしまうと下手をすると(自分ではそうではないと思っているが)ズーラーノーン関係者だとバレてしまうので下手な事は言えないし怪しまれるのは間違いないので黙っているのが無難である。多分同じ理由でクレマンティーヌも特に何もしないし何も言い出さない。

 しかしイミーナもミスリル級のパーティに籍を置く一流の野伏(レンジャー)である。台座の下に空洞があることをじきに探り当て、いかにもといえばいかにもな彫刻のスイッチにもすぐに気付いた。幾度か試行錯誤してイミーナが彫刻のスイッチを操作すると、重い音がして台座が後ろへと動いていく。

「マジでアジトって感じだな……もし鉄壁がやられたとなると相当の戦力がいると考えた方が良さそうだが」

「心配いらないよぉ、モモンガさん以外の魔法詠唱者(マジックキャスター)なんてスッといってドスッで終わりだからさぁ、邪魔する奴が出てきたらアタシとブレインに任せてくれればいいから」

「……そうだな、多分その方が確実だろう、任せるよ」

 クレマンティーヌの言葉にヘッケランが頷く。こいつも見た感じで相手の力量分かっちゃう系か、とモモンガはやや感心する。モモンガにはない能力なので正直羨ましい。

「一つ聞きたい事がある。モモンガ、あなたが使ったさっきの魔法は私が知らない魔法だったが、どんな系統の魔法なのか教えてほしい」

 アルシェの質問に、さすが魔法詠唱者(マジックキャスター)は知識欲が高いなぁとまたまた感心を覚えてモモンガは答えた。

「魔力系魔法だよ。俺魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)だから。不可知化は魔力系だろ?」

「何位階の魔法か聞いてもいいだろうか」

「それは秘密」

 第九位階ですなんて正直に答えたらとんでもない事になるのでそこは秘密にしておく。その答えを聞いてアルシェはじっとモモンガを見やったがやがて、そうかと呟いて目線を台座の下の階段に向けた。えっ、そんなんでいいの? とは思ったもののこれ以上ツッコまれても困るのでモモンガも黙っておくことにする。

「さて……じゃあ行きますか」

 ヘッケランがそう告げ、一行は深い闇へと続く階段を一歩一歩降りていった。




誤字報告ありがとうございます☺


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死の王、降臨

 石造りの階段は途中で一度折れ曲がっていた。階段を降りきると、そこは広い空間になっていた。

 壁には邪悪と醜悪と怨嗟を詰め込んだような奇怪で陰惨な絵の描かれたタペストリーがかかり、その下では赤い蝋燭が幾本も灯り血の匂いが部屋に立ち込めている。何というかモモンガにとってはものすごく既視感のある光景である。エ・ランテルの地下神殿と同様、どこからか空気を取り入れているのか空気は外と同様新鮮で淀んでいる気配はない。

 その広間の奥には黒いローブ姿の二人の男と、一人と言っていいのかよく分からないが小さな男らしきものが居た。こちらに気付いたローブ姿の男の一人が手を上げると、どこに隠れていたのか周囲から同じようなローブ姿の男達が多数出てきて、上の方で何か重いものがゆっくりと動く音がした。恐らく入り口が閉じられたのだろう。

 小さな男らしきものは何なのかがモモンガには本当によく分からなかった。子供のような小ささのそれは裸体に腰布を巻いただけの格好で、肌はかさかさで痩せさらばえており鎖骨も肋骨も腰骨も痛々しいほど浮き出ている。(モモンガに言えたことではないが)目にはそこにある筈の眼球がなくぽっかりとした窪みが空いており、半開きの口は歯茎が剥き出しになって歯は一本も生えていなかった。

 確かにミイラだ。成程とモモンガも納得せざるを得なかった。

 周囲の男達はいつでも魔法を撃てる態勢を整えている。退路もなく普通であれば全滅か降参を余儀なくされる場面だろう。そう、普通であれば。

「成程な……鉄壁もこれでやられたって訳か……」

 微かに動揺した声色のヘッケランの低い声が聞こえた。大ピンチなのだから動揺するのも当たり前である。むしろこれだけの状況でも冷静さを保っている辺りはさすがミスリル級相当のワーカーチームのリーダーと言うべきか。

 威光と威厳かぁ……できればやりたくなかったが仕方ないか。魔法を撃たれても全部無効化するところをフォーサイトに見られるよりはマシである。モモンガは腹を括る。

「フォーサイトの皆さん」

「何でしょう?」

「今からもの凄く怖い思いをすると思うんですが、少し我慢しててください。すぐ終わります」

「えっ…………あっ、はい……何をするんですか?」

「ちょっとした……手品みたいなものです」

 説明のしようがない。モモンガは説明することを放棄した。そして前に出て、特殊技能(スキル)・絶望のオーラレベルⅠを広間全体を覆うように解放する。フォーサイトとクレマンティーヌとブレインも巻き込んでしまうのだが我慢してほしい。すまない、許してほしい。心の中だけでモモンガは詫びた。

 次の瞬間には、モモンガとある程度心構えのできているクレマンティーヌとブレイン以外の者が全て腰を抜かしていた。ひぃっという悲鳴があちこちから漏れ聞こえる。ミイラも腰を抜かし金魚のように忙しなくぱくぱく口を開けたり閉じたりしていた。これ位でいいかな、と思い絶望のオーラをモモンガは切った。

「さて、聞きたい事があるのだが。まだ戦うかね?」

 そうモモンガが問い掛けると、ミイラは勢い良くぶんぶんと首を横に振った。意外と元気なミイラである。

「その前に上の入り口を開いておいてもらおうか。帰れないと困るからな。閉められるんだから開けられるだろう?」

 モモンガの言葉にミイラは今度は勢い良くぶんぶんと縦に首を振り、すぐ横にいたローブの男に何かを言った。何を言っているのかは全く聞き取れない。腰を抜かしていたその男は四つん這いで必死になってスイッチがあると思しき方向へと移動していく。

「さて、俺達は鉄壁というワーカーチームを探してここに来たんだが、心当たりはあるかな?」

 モモンガのその問いにミイラは頷き、移動していったのとは別の男にもごもごと何かを耳打ちした。耳打ちされた男がおずおずと口を開く。

「二週間ほど前に……ワーカー共が……侵入してきましたので……捕らえました」

「それで、まさかとは思うが、そのワーカー……もう始末済みだったりはしないよな?」

「本日……月に一度の儀式がありましたので……その生贄に使う為に…………生かしてありました」

 生贄?

 それってつまり、これから殺すって事?

 貴族達が霊廟に入ってからまだそんなに時間は経っていない、今ならまだ間に合うかもしれない。モモンガの気持ちは逸る。

「儀式は! どこでやっている! もう始まっているのか!」

「ひぃっ! も、もうっ、始まっておりますっ!」

「案内しろ、早くだ! もし彼等が死んでいたら……貴様達には地獄さえ生温いと思えるような運命が待っていると思え! そこのミイラも来い! フォーサイトの皆さんも怖かったとは思いますが早く立って!」

 焦りまくりのモモンガの言葉に、呆然としていたフォーサイトの面々もようやく我を取り戻し立ち上がる。そこでモモンガは、邪教に耽り生贄を捧げていた貴族を突き出したらもしかしたら皇帝に恩が売れるのでは、とふと思い付く。恩がある相手とあれば皇帝もあまりしつこくは勧誘しづらいだろう。どうせフールーダ以上の力があることはバレているのだ、この程度の事は出来て当たり前と思ってもらえる筈である。

「誰か一人詰め所に行って衛兵を呼んできてくれますか、貴族を捕らえる人手が必要でしょう」

「……私が行く、〈飛行(フライ)〉を使えば走るより早く呼んでこられる」

「ではアルシェさんお願いします、他の人は行きますよ、お前! 早く案内しろ!」

 アルシェは一人階段を登っていき、モモンガ一行とフォーサイト残り三人はミイラと黒ローブの先導で広間から伸びた通路を急ぐ。行く手からやがてざわめきが漏れ聞こえてきて、その歓声と熱気は段々と近付いて大きくなってくる。やがて光の漏れる入り口の前で黒ローブとミイラは立ち止まり、ここですと黒ローブが告げてきた。

「生贄だ!」

「生贄を捧げろ!」

 中は玄室のようになっており、裸体の背中がずらりと並んでその向こうにツアレが入っていたような大きな袋が幾つか見えた。あれが恐らく鉄壁だろう。それにしても裸体はだらしなく脂肪で弛んだものや皺だらけのものなど正視に耐えないものばかりである。それを大量に並べられると最早精神的ブラクラである。大体にして何で裸なんだ? 何も邪教だからって全裸で儀式しなくてもいいだろう? 貴族の考える事はモモンガにはよく分からなかった。

 それにしてもやばい、状況はかなり切迫している。モモンガとしては中の奴等を皆殺しにして片付けたい気持ちで一杯だがここにはフォーサイトがいる。フォーサイトにここまで来てもらったのは救出した鉄壁と渡りを付けてもらい千変の仮面(カメレオン・マスク)を譲り受ける交渉を有利に運ぶ為だが、フォーサイトの手前皆殺しはさすがにまずい。それに皇帝に恩も売れなくなる。

 皆殺ししないでこの状況をすぐに解決する方法。それをモモンガは一つ思いついた。できれば使いたくない手であるが最早一刻の猶予もない、手段を選んではいられない。

「ミイラ、一つ確認だ。鉄壁の持ち物や装備は処分してないだろうな?」

 モモンガの問いに即座にミイラは頷いた。

「ではお前は荷物のある所まで案内しろ。イミーナさん、お願いします」

「は、はいっ」

 イミーナも即座に頷き、黒ローブの先導で通路を先へと走っていく。

「さて、ヘッケランさんにロバーデイクさん、提案があります。これから起こる事を目にしても一切口外せず私に攻撃もしないと約束してくれたら、報酬に百金貨上乗せします」

「ど、どういう事ですか?」

「受けますか、受けませんか? 私としては受けてもらいたいのですが、今すぐ鉄壁を助ける方法が他に思い付かないので」

 モモンガのその言葉を聞いたヘッケランの中には確かな逡巡が生まれていた。これから起こる事は見ない方がいいのではないか、そんな確信のような予感があった。アルシェの目で魔力が見えないのに強力な未知の魔法が使える魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)である事実といい、先程放たれた世にも恐ろしい気配といい、このモモンガという男は何か自分達の常識では計り切れない所があるように思えてならなかった。一瞬の間に数十数百の計算が頭を駆け巡る。しかし、ここまで来て仕事を放棄するなどワーカーとしての信用問題に関わるし、ヘッケランとロバーデイクの胸の内にさえ収めておけば鉄壁を助けられるというならばここは乗るべきだろう。一体何を見せられるのかと思うと恐ろしくてならないし攻撃するなとはどういう事なのかという疑問は尽きないのだが。ロバーデイクに目線をやるとヘッケランと同じ思いのようだった。

「……分かりました、受けます」

 ヘッケランとロバーデイクが頷いたのを確認して、肺はないがモモンガは大きく息を吸い吐き自分に活を入れる。

「じゃあブレインとクレマンティーヌは通路を塞いで貴族を逃さないようにして外まで誘導して。私が奴等の注意を引き付けている間にヘッケランさんとロバーデイクさんは部屋の中に入って待機して貴族が逃げ次第鉄壁を救出してください。ミイラは逃げるなよ、逃げたら地の果てまで追いかけて死んだほうがマシだと思うような目に合わせるからな」

 各々が頷いたのを確認して、モモンガは速攻着替えをして装備を神器級(ゴッズ)装備に変え、邪悪な魔法使い変装セットを外して死の支配者(オーバーロード)の素顔を晒して漆黒の後光を背負う。ヘッケランとロバーデイクとミイラが明らかに息を呑んだのが分かった。

「アッ……アッ、アッ……」

「アンデッドです。じゃあ頼みましたよ。〈上位転移(グレーター・テレポーテーション)〉」

 ロバーデイクの言いたかったであろう事を代弁してからモモンガは転移で部屋の中へと移動した。突如現れた闖入者に貴族達は呆然とし、場は静まり返った。ちらりとモモンガが下を見て確認すると、鉄壁が詰まっていると思しき袋はまだどれも剣が突き立っていたり血が流れたりはしていない。良かった間に合った、心の中だけでモモンガは安堵の息を深くついた。

「邪神様……」

「邪神様がご降臨なされた……!」

「我等の祈りに邪神様が応えてくださった!」

「邪神様!」

「邪神様!」

 誰かがぼそりと呟いた邪神様という言葉が波紋が広がるように場を包んでいき、やがて全ての貴族達による邪神様の大合唱となった。中には涙を流して感激している者までいる。その光景にモモンガは正直内心ドン引きしていたのだが、手筈通りヘッケランとロバーデイクが部屋の中にこっそりと侵入しそれぞれ隅に位置取って待機したのを確認してから両手を肩の上まで上げ、ゆっくりと下ろした。その動作に合わせたように場が静まる。

 鎧の音や足音がしないところをみると、きっちりとロバーデイクが〈静寂(サイレンス)〉をかけてから行動しているのだろう。モモンガの正体はかなりショッキングだったと思うのだがそれを目の当たりにしてもしっかり仕事はやってくれる辺りフォーサイトはなかなか頼りになるとモモンガは感心した。

 そして、それにしても背中はまだマシだったな、とつくづくモモンガは思っていた。正面から見た貴族達のだらしない体は見るに堪えないというレベルを超えている。一人ならまだ良かったろう、耐えようもあった、しかしながら部屋一杯である。視界を覆ってしまっている。これから死の王ロールを行って語りかける以上見ないわけにもいかない。干し柿とかチャーシューと思う事にしよう、と考えるものの食べ物の事を考えると食べたくなってしまってそれはそれで苦しい。集中だ集中、集中するんだモモンガ。必死に自分にモモンガは言い聞かせる。

「私は死の王。総ての死を掌中に収める者である。多くの死を我が元に齎したのは汝らの行いか」

「……左様でございます、尊きお方。御身に捧げるべく、多くの者を生贄に捧げ御身に祈って参りました。我等の祈りが届きその尊きお姿を現していただけたのでしょうか」

 横で呆然とモモンガを凝視していた神官らしき格好の男が跪き口を開いた。恐らくは邪教集団の取りまとめでもしているのだろうとモモンガは推測した。

「祈りが届いた……? 勘違いも甚だしいとはこの事よ。汝らの勘違いを正す為今日この場にわざわざ私は姿を見せたのだ」

「は……あの、何かお気に召さぬ点がございましたでしょうか……」

 戸惑ったような神官の問い掛けに、モモンガは本日二度目の特殊技能(スキル)・絶望のオーラレベルⅠを発動する。一瞬にして場の空気が凍りつき、神官は息を呑んで身動いだ。壁際のヘッケランとロバーデイクを巻き込まないよう効果範囲には気を使う。ちらりと窺うと二人ともドン引きしているのが明らかな表情である。辛さを心の内だけに秘めモモンガは左手を神官へと差し出し、握りしめてみせた。

「総ての死は我が手中にあるもの、故に私は弱き種たる人が命を弄ぶ事を好まぬ! 汝らの行いは死を弄び冒涜するものである!」

「は、はっ! し、しかっ……しかしっ、御身に捧げるものとなれば、人にとっては命より尊きものはなく……!」

「愚にもつかぬ答えよ……ならば汝の命を捧げるがよい、(おの)が意志で我が元に来たる者を拒みはせぬ。(おの)が命以外の命を人の身が支配するか、私を差し置いて! その行為のどこに私への崇拝があるというのだ?」

「も、ももも、申し訳ございませんっ! ど、どうか、何卒お怒りをお鎮めくださいっ!」

 跪いていた神官は今は既に土下座の姿勢である。演技も疲れてきたしそろそろ頃合いだろうと思いモモンガはめちゃくちゃ怒ってみせることにする。

「これ以上人の身で命を弄びそれを私への祈りであると勘違いを重ねるならば、その不敬命をもって贖ってもらう事になろう。疾く去ね! この場に残る者は私がこの手でその命を刈り取る!」

 そのモモンガの宣告に(モモンガにとっても)阿鼻叫喚の地獄絵図が生まれた。見たくないものが一杯見えたのである。あんな汚いものをしかも大量に好き好んで見ていたくない、できれば目を逸らしたいのだが、全員この場からいなくなるまでこの姿勢を崩すことはできない。慌てて立ち上がり押し合いへし合い転んで潰されながら貴族達は恐怖に凍り付いた顔で一目散に出口へと駆けていく。尻も見たくないなぁと思いながらモモンガは必死に耐え続けた。神官も勿論逃げ出した。

 出ていったところで通路はクレマンティーヌとブレインに押さえられている。恐らく全裸の自分の前に武器を持った者がいる事に恐怖したのだろう、ひぃっと悲鳴が聞こえてその後移動が始まり、最後尾のブレインが出入り口を横切って姿を消した後でモモンガは絶望のオーラと漆黒の後光を切り、ローブを着替えて邪悪な魔法使い変装セットを装備した。

 ドン引きして強張り引き攣った表情のヘッケランとロバーデイクはそれでも仕事だからだろう、恐る恐る近寄ってきて鉄壁が詰まっている袋の口を開き、メンバーを救出していく。

「眠らされてるのか?」

「生贄に捧げるまで起きないように何か薬を使われている可能性もありますね、試してみますか……〈毒治癒(キュア・ポイズン)〉」

 ロバーデイクが治癒魔法をかけた男がうう、と呻いた後ゆっくりと目を開く。どうやら推測通り薬で眠らされていたらしい。全員に魔法をかけ、無事鉄壁のメンバーが目を覚ます。

「……ヘッケラン? 何で、お前がここに?」

「ようバルバトラ。お前さんを探して遥々こんな所まで来たんだぜ? 命の恩人に随分なご挨拶だな。といってもまあ、俺は何もしてないけどな。お前達の命の恩人はそっちの人だよ」

 ヘッケランが指し示したモモンガを見て、バルバトラはぎょっとした顔をする。それはそうだろう、こんな怪しげな場所でこんな怪しげな仮面をした男を見てぎょっとしない人はどうかしている。とりあえずモモンガは軽く礼をしてから口を開く。

「旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)のモモンガと申します。あなたがお持ちの千変の仮面(カメレオン・マスク)の話を聞き、是非お譲り頂けないか交渉したいと思い参りました。とりあえずその話は後です、まずは装備品を取りに行きましょう。立てますか?」

「え、あ、はい……」

 鉄壁のメンバーはどうやらどこも不調はないようで、全員無事に立ち上がった。廊下に出るとイミーナと黒ローブとミイラがいた。イミーナに装備品がある部屋までの案内を頼み、モモンガはその場に残る。

「さて、じき衛兵も来るだろう。無事解決したのでお前達は逃げていいぞ。邪教集団を潰して悪かったな」

 モモンガの言葉を聞いて何を思ったのかミイラは黒ローブに何事かを耳打ちした。直接話せないのだろうか。

「あの……我等を潰しに来たのではないのですか?」

「鉄壁を助けに来ただけだから正直な話お前達に興味はない。ミイラに逃げるなと言ったのは鉄壁がもし死んでいた場合地獄より恐ろしい目に合わせる為だ」

「は……はぁ……」

「早く逃げないと帝国兵が来るぞ? 俺の気も変わるかもしれないしな」

 モモンガのその言葉にミイラも黒ローブもぎょっとし、脱兎の如く入口方面へと駆けていった。さて鉄壁と交渉するか、と考えたところで装備品がある部屋までの道が分からない事にようやくモモンガは気付いた。待ってればじきに来るだろうと思い待つことにする。何もこんな所で交渉しなくてももっとゆっくり話せる場所で交渉すればいいのだ、急ぐことはない。そう、鉄壁は無事だったのである。こんなに嬉しいことはない。

 ワーカーチームが一つ消えようがどうしようがモモンガにはまるで関係ない話だが、鉄壁は別だ、千変の仮面(カメレオン・マスク)を交渉で手に入れなければならないのだから。鉄壁が死んで千変の仮面(カメレオン・マスク)は残っていた、という場合でもまあ悪くはないのだが墓荒らしでもして掠め取ったような後ろめたさが残る。やはり正々堂々と交渉で手にしたいではないか。

 しばらく待っていると装備を整えた鉄壁とフォーサイトが戻ってきたので連れ立って外へと出る。霊廟の外ではクレマンティーヌとブレイン、アルシェ、それから帝国兵が一人待っていた。帝国兵はモモンガを見つけると小走りに駆け寄ってきた。

「モモンガ殿でいらっしゃいますね」

「はい、そうですが」

 帝国兵が何故自分の名前を知っているのだろうとモモンガは疑問に思いながら返事をしたが、目立つマスクだしあの皇帝ならモモンガの特徴を全兵士に周知とかやってそうである。

「通報して頂いたワーカーの方からモモンガ殿の依頼である事を聞きその旨皇帝陛下にお伝えしたところ、褒賞を与えたいのでワーカーの代表者の方と共に明日帝城までお越しいただくようお伝えするようにお言葉を賜りました」

 うわぁ、情報伝達早いね帝国……国としてはとてもいい事なのだがあまりの素早さにモモンガもびっくりである。この速度ということは多分〈伝言(メッセージ)〉とかで伝えたのだろう、こんな夜中によく怒らないものである皇帝。モモンガに関することなら時間は問わないとかやってそうであるあの皇帝。

「ということは、フォーサイト……ワーカーの皆さんにも褒賞が出るということですか?」

「はい、左様です」

「分かりました、それでは明日伺いますのでよろしくお伝えください」

「ありがとうございます、それでは失礼いたします」

 一礼して帝国兵は去っていった。こんな墓場で話も何だしとりあえず移動しようという事になり、鉄壁を加えた一行は歌う林檎亭へと向かった。

 結構な大人数が夜中に押しかけてきて宿屋の親父も困り顔である。だが許してほしい、他に適当な場所がなかったのだ。心の中だけでモモンガは詫びた。

 ヘッケランの推測は概ね当たっていた。ウィンブルグ公爵とかいう貴族が中心になって貴族達が墓地に度々出入りしているのを突き止めた鉄壁はこれは強請りのネタに使えると思い調べ、あの霊廟に何かある事を突き止め、探ろうと突入して今回のモモンガ達のように退路を断たれ多数の魔法詠唱者(マジックキャスター)に囲まれて袋の鼠になり捕まってしまった、ということだった。

「さて、では本題の千変の仮面(カメレオン・マスク)のお話をさせていただきたいのですが、大変貴重なアイテムでしょうしどうしても手放したくない、とお考えかもしれません。ですが私にとっても非常に必要なアイテムなのです。そこで、価値を正確に把握する為にも、まずは鑑定魔法をかけさせていただきたいのですがよろしいでしょうか?」

「それでしたら、どうぞ」

 バルバトラがモモンガの前に千変の仮面(カメレオン・マスク)を置いてくれたので、モモンガは〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉を唱える。

「ふむ……ふむ、ふむ……………………えっ⁉」

 何かに驚いたモモンガが徐々に項垂れていき、やがて首が完全に垂れ下がり肩ががっくりと落ちた。

「……あの、お返しします…………見せていただいて、ありがとうございました……」

「えっ? あの、交渉ですよね? 命を救っていただいた恩もありますし、適正な価格であればお譲りしてもいいと思っていたのですが……」

「いえ……その仮面は、バルバトラさんの元に居たがっているのです……居させてあげてください……」

 完全にテーブルに突っ伏したまま弱々しい声色で答えたモモンガの様子に、その場の誰もが戸惑った。

「どうしたんですかモモンガさん、あんなに欲しがってたのに」

「そうだぜ、あれがありゃ検問だって楽々パスだぜ?」

「……………………種族制限、人間種」

 モモンガの様子を心配して椅子を立って側に立ち声をかけたクレマンティーヌとブレインにだけ聞こえる声でモモンガは、あれだけ欲しがっていた千変の仮面(カメレオン・マスク)を諦めた理由を告げた。その答えを聞いたクレマンティーヌとブレインは何も言わずにモモンガの肩にそっと手を置いた。

「……しかし、命を救われて何もしないってのも何だしなぁ。大した金額ではありませんがよければ礼金だけでも払わせていただけませんか」

 バルバトラの申し出に、ショックから少し回復して顔を上げたモモンガが頷く。

「そうですね……ただ、今回皆さんをお助けできたのはそもそもフォーサイトのヘッケランさんとロバーデイクさんが千変の仮面(カメレオン・マスク)の話をされていた事が切っ掛けなので、それがなければ皆さんを助けに行くこともなかったでしょう。ですので礼金はフォーサイトの皆さんにどうぞ。今回私の方では働きの割にはかなり安い金額の依頼をしてしまったので」

「それは悪いですよモモンガさん、俺達は報酬分の仕事しかしてませんよ?」

「期限はもう来てるんだからな、でしたっけ? 何かとご入用なのでは?」

 ショックから立ち直りきれておらずまだ力ないモモンガの言葉にヘッケランが黙り込む。モモンガも金が欲しくないかといえば欲しいのだが、あわや全滅かという思いをさせたり絶望のオーラを食らわせたり死の支配者(オーバーロード)の姿を見せたりフォーサイトには報酬以上の無理を強いたな、という気持ちがあるのだ。追加報酬も勿論払うが口止め料としてはそれでも安すぎるだろう。

「私にお支払いいただいてもフォーサイトに渡しますので、それでしたら直接フォーサイトに渡していただいた方が手間が省けるでしょう」

「……どうしても、ですか?」

「はい、どうしてもです」

 ヘッケランの問いにモモンガは即答した。困り果てた様子のヘッケランが息をついて肩を竦めた。

「……じゃあ、有難く頂いておきます」

 仕方ないといった様子でヘッケランが折れ、一度宿に戻って金を纏めて明日持ってくる事になり鉄壁は定宿へと帰っていった。

「さて、では今回の報酬ですね」

 モモンガは背負い袋から金の袋を取り出し、白金貨十二枚と金貨五枚をテーブルの上に置いた。

「えっ? 何でこんなに?」

「十枚、多い……」

 事情を知らないイミーナとアルシェが面食らっている。それはそうだろう、いきなり金貨百枚上乗せである。

「まあ、成功報酬というやつとでも思っておいてください。皆さんの働きに満足した代金と思っていただければ」

「でも……!」

「イミーナ」

 尚も疑問を口にしようとするアルシェとイミーナに、ヘッケランが黙って首を横に振ってみせる。何か事情があるのだろうと察した二人は、それ以上の追及を諦めたようで何も言おうとしなかった。

「さて、あともう一件。実は今回の邪教集団の捕縛について、皇帝陛下から褒賞が出るそうです。フォーサイトからも代表者を連れてくるようにという話だったのですが、明日のご都合は大丈夫でしょうか?」

 突然の褒賞の話にフォーサイトの面々は互いに顔を見合わせる。棚から牡丹餅である、それは驚くだろう。

「……礼金に褒賞まで出るのであれば、お二人の結婚資金としては十分なのでは?」

 ロバーデイクが突然妙な事を言い出し、ヘッケランとイミーナが頬を赤らめて慌て出す。

「ロバー、お前突然何を……! 知ってたのかよ……」

「気付かない訳がないでしょう。さて、こういう場合ですとパーティはもう続けられませんね。残念ですが、解散、ですかね」

「……そうね、パーティ内に夫婦がいたんじゃ信頼関係に問題が生じるものね。じゃあ今回の報酬やらは、四分割で大丈夫ね」

 この二人ってそういう関係だったのか、と全然気付いていなかったモモンガが男女の機微に思いを馳せていると、ダン、とテーブルが叩かれた。音のした方を見るとアルシェが俯いていた。

「待って……待ってほしい! 私が、私が抜けるってちゃんと自分から言えないから! 二人のせいに……したくない!」

「お前こそ落ち着けアルシェ、お前の件は関わりなく俺とイミーナは結婚するつもりだったんだ。遅かれ早かれフォーサイトは解散だったのさ。それが今になっただけだ」

「そうよ、進む道がこれから先は違うっていうだけ。あなたのせいでも誰のせいでもないわ」

「そうです、それぞれに続けられない事情ができた、それだけですよ。あなたが気に病む事ではありません」

「皆……」

「一番大変なのはお前なんだぜアルシェ、小さな妹二人抱えて稼いでいかなきゃいけないんだからな」

 こんな年若い女の子が小さな妹二人を育てながら働く、なかなかハードである。しかし〈飛行(フライ)〉が使えるということはアルシェはこの若さで第三位階に到達しているという事である。第三位階って確か天才の領域だっけ? 将来性も相当あるのでは? この世界では結構凄いのでは? という事はこれは使える、という結論にモモンガは至る。

「一つ、提案があるのですが。明日帝城へ行くフォーサイトからの代表者は、アルシェさんにしませんか?」

 突然のモモンガの提案に、フォーサイトの面々は素っ頓狂な顔をして驚いた。

「……何で、私が? リーダーはヘッケランだ」

「実は私は今皇帝陛下から仕えないかとお誘いを受けているのですが、旅の目的もあるものですからお仕えすることができないのです。ですがただ断るのも心苦しいので、それであればその若さで第三位階まで到達している将来有望なアルシェさんを代わりに推薦できれば皇帝陛下にも少しはご納得いただけるのではないかと思いまして」

「……確かに、第三位階を使えるアルシェなら魔法省に入ったっておかしくはない……給料だっていい」

「チャンスよ、行ってきなさいアルシェ!」

 ヘッケランとイミーナが意見の後押しをしてくれる。ありがとうヘッケランとイミーナ、心の中だけでモモンガは感謝した。

「私は……魔法学院を中退した身だ……魔法省になんて入れる訳が……」

「皇帝陛下は実力主義と聞いております、アルシェさんの実力であれば十分評価されると思いますが」

「そうですよアルシェ、皇帝は必要ならあなたをもう一度魔法学院に入れる位はする方ですよ。あなたの力は必ず評価されます、自信を持ってください」

 ロバーデイクの後押しも有り難い。ありがとうロバーデイク、モモンガは心の中だけでの感謝に一人追加する。

「…………分かった、行くだけは、行ってみる」

「そうだ、それでいいんだアルシェ! 絶対上手くいくって!」

「こーんな優秀な魔法詠唱者(マジックキャスター)を評価しないなら皇帝の目は節穴よ」

「あなたの肩には妹さん二人の将来もかかっているのですから、皇帝に自分を売り込んでやる位の気持ちでいかなくては駄目ですよ」

 入れ替わり立ち替わりアルシェを励ます三人を見て、フォーサイトは本当に仲がいい、とモモンガは思った。ワーカーについて冒険者のドロップアウト組で汚れ仕事をやっているという話を聞いて抱いていたイメージとは大分違う。初日にも見た通りワーカーらしい立ち居振る舞いもできるのだろうが、仲間を思う気持ちや絆の強さは冒険者と何も変わらないだろう。

 でも、漆黒の剣の絆の強さに嫉妬を覚えた時とは今は違う。モモンガにももう、大切な仲間がいるのだから。

「ヘッケランさんとイミーナさんはご結婚されたらどうするのですか? 何か他のお仕事を?」

 何となく気になりモモンガが疑問を口にすると、ヘッケランは視線を上向けうーんと考え込んだ。

「実はまだ何も考えてないんですよね。ただ、帝国はハーフエルフには住みやすい国とは言えないんで、他に移ろうかとは考えていたんですが……」

「私は平気よ、いいじゃないここで何か仕事を探せば」

「俺が辛いんだよ、勘弁してくれ」

 結婚する前から意見の相違が出ているようだが、まあそんなものなのかもしれないとモモンガは思った。何せモモンガには恋人すらいた事がないのだからどういう感覚かなど分かる筈がない。移住先か、と考えてぴったりの場所を思い当たる。この二人なら村を守る戦力としても恐らく申し分ない。

「もし移住するなら、王国領になりますがカルネ村という私がホームタウンにしている村がありまして、そこはどうでしょう。そこでしたら今移住者を募集していますしすぐ住める空き家もありますし、村では召喚されたゴブリンも働いていますのでハーフエルフだからといって差別されるような事もないと思いますよ。ヘッケランさんとイミーナさんなら自警団の心強い戦力として快く迎え入れてもらえるでしょう」

「……ゴ、ゴブリンですか? 大丈夫なんですか?」

「大丈夫ですよ。私が渡した召喚アイテムで召喚されたゴブリンなので、召喚主の命令に絶対服従で無闇に人に襲い掛かったりはしませんし、普通のゴブリンよりも知能も高く優秀です」

「成程……どこか村がいいかと思ってたけどそういう所があるならそれもいいかもな……」

「ちょっと、勝手に一人で話を進めないで」

「イミーナは嫌か? 村で暮らすのは」

「……嫌じゃ、ないけど……」

「まあ、その辺りは明日にでもゆっくりご相談されてください。ではそろそろ我々も引き上げますので、また明日。アルシェさん、明日はよろしくお願いしますね」

「こちらこそ、よろしく頼む……」

「お疲れ様でした、おやすみなさい」

 そうしてモモンガ達も宿へと戻り、長い一日はようやく終わったのだった。無駄働きだったなぁと思わなくもないのだが、こういう事もあるだろう。取らぬ狸の皮算用とはよく言ったものである。取ったどーと思ったら狸の皮装備できなかったよ……そんな事を考えたモモンガの背中には哀愁が漂っていた。

 

***

 

「ヘッケラン……一体何があった? どうして報酬が百金貨も上乗せされた?」

 モモンガ達が去った後アルシェが口にした疑問は当然のものだった。だがヘッケランには答える意志はない。

「あのモモンガという魔法詠唱者(マジックキャスター)……魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)だというのに私の眼では魔力が見えないしあの世にも恐ろしい気配といい本当に分からない事だらけ……一体何者なんだ」

「深入りはするな、アルシェ。妹が大事ならな」

「……どういう意味?」

 訝しげな視線を向けてくるアルシェにヘッケランは苦い顔を返した。己が抱えている秘密を思えば顔も苦くなるというものである。

「そのままの意味さ。いいかアルシェ、これは忠告だが、世の中には知らない方がいい事ってやつがある。俺は今回見た事をお前にもイミーナにも誰にも話すつもりはない、墓の中まで持ってくつもりだ。それはロバーも同じ事だと思うぜ」

 アルシェがちらと目線を向けると、ロバーデイクはヘッケランの言葉に頷いていた。

「結婚する前からそんな秘密を持たれてたんじゃ、この先が思いやられるわね」

「勘弁してくれよ、他には絶対に秘密なんて持たねえからさ、これだけはマジで本当にやばいんだ」

「仕方ないわね、それなら許してあげる。私の為に秘密にしてくれてるんですものね」

「はいはい、それ以上いちゃつくなら部屋でごゆっくりどうぞ」

 いい雰囲気になりかけているヘッケランとイミーナにロバーデイクの茶々が入る。こんな日常も、もう終わり。楽しい時間が過ぎるのはあっという間で、過ぎてしまえば時間などまだ経っていないかのように感じられてしまう。この時間はもうすぐ失われてしまうのだ、その事実にアルシェの胸はどうしようもなく痛んだ。

 

***

 

 次の日、歌う林檎亭で合流したモモンガとアルシェは帝城へと向かった。門番に用件を告げると、少しお待ち下さいと言われ門番の一人が誰かを呼びに行った。やがて城の中から出てきたのは王子様ことニンブルだった。

「モモンガ殿、ようこそお越しくださいました。こちらへどうぞ、陛下の元までご案内します」

 相変わらずの凛々しい顔でニンブルがそう告げ、先に立って歩く。モモンガとアルシェもそれに続いた。褒賞を渡すだけなら何も忙しい皇帝が直々に会うこともないだろうにと思わなくもないのだが、多分皇帝はモモンガに用事があるのだろうから何も言えない。

 王国の城が重厚なら帝城は絢爛だろう。白亜の壁にシャンデリア、大理石の床に赤い絨毯、金を基調とした装飾品。あちらの方がきらびやかさは数段上だがどこかナザリックの第九階層を彷彿させるところもある。

 城の奥まった所にある部屋にモモンガとアルシェは通され、しばらくお待ち下さいと言い残してニンブルが去っていった。応接室らしきその部屋はやはり絢爛な造りで、白に金の調度品一式と白い石のテーブル、赤いソファが置いてあった。モモンガがソファに腰掛けるとアルシェは向かいに座った。特に話す事もなかったのでしばらく沈黙が続く。

「……イミーナも、村への移住に前向きになっている」

 黙ったままでは気詰まりだったのだろうか、アルシェがぼそりと口を開いた。その内容にそうかそうかとモモンガは嬉しげに頷いた。

「それは良かった。カルネ村はいい所だからきっとあの二人も気に入るよ。皆親切だしきっとすぐに馴染めると思うよ」

「ヘッケランとイミーナが村暮らしなんて想像が付かない」

「村では獣の肉を取ってくる狩人も必要だし、カルネ村は多分大丈夫だとは思うけどモンスターに襲われる危険だってある。冒険者やワーカーを引退した人があちこちの村に住んでくれたら村の人ももっと安心して豊かに暮らせるんじゃないかな」

「そういうものなのか……」

「そういうものさ。カルネ村は辺境の開拓村でスレイン法国に襲われて村人が半減しちゃったからね、人手が足りないんだ。俺としてはあの二人には是非来てほしいと思ってるよ」

 話をしていると、ドアがノックされた。開いたドアから顔を見せたのはニンブルだ。

「お待たせしました、陛下のご準備が整いましたのでご案内いたします」

 ニンブルのその言葉にモモンガとアルシェは立ち上がり部屋を出てニンブルの後に続いた。奥まった一室の前でニンブルはドアをノックした。中から文官らしき出で立ちの男が顔を見せ、一度ドアが閉まって再度開く。中へどうぞ、と告げてニンブルが先に部屋へと入って行ったので二人も後を追い部屋に入った。

 部屋の中央に置かれたソファには、皇帝とフールーダが腰掛けていた。フールーダはモモンガを見、そして隣のアルシェを見て驚きからか目を見開いた。

「アルシェ・イーブ・リイル・フルト……」

 フルネームまで知ってるし知り合いか? とモモンガは不思議に思ったがアルシェはフールーダの呼び掛けに特に何も答えなかった。

「よく来てくれたなモモンガ、そしてこの度はこの帝都を蝕む邪教集団の検挙に協力してくれた事、誠に大儀であった。さあ、向かいに掛けてくれ。そちらの娘も」

 皇帝が立ち上がりそう告げて手でソファを指し示したので、言葉に従いモモンガは皇帝の向かいに腰掛けた。アルシェも隣に座る。それを見て満足したのか皇帝もソファに掛け直した。

「さて、まずは今回の褒賞だ、受け取ってほしい」

 皇帝が手で合図すると横に控えていた侍従が捧げ持っていた盆の上の袋をモモンガとアルシェの前に置いた。

「有難く頂戴します」

 モモンガが頭を下げ礼をすると、いい、と皇帝は微笑んでみせた。その笑顔があまりにも魅惑的な事にモモンガは嫉妬さえ通り越して感心していた。つくづく徹底的なイケメンである。ここまで徹底的だと嫉妬とかそういうレベルを超越して鑑賞の対象にすらなる。

「奴等は中々尻尾が掴めず難儀していたところだったのだよ。君のお陰で一網打尽にすることができた」

「私は探し人をしていただけだったので、たまたまの結果です。それに今回はこちらのアルシェさんが所属するフォーサイトの皆さんのお力なくてはこの結果には結びつかなかったでしょう」

「フォーサイトか、君達もよく働いてくれたようだな、ご苦労」

「勿体ないお言葉です、陛下」

 硬い声で答えながらアルシェは皇帝の方は見ずに視線を下に向けていた。確かに目上の人とあからさまに真っ直ぐ目線を合わせるのはあまり褒められたことではないが、それでも顔を見て話さないと失礼だぞ、とモモンガは思わず注意したくなるがさすがにこんな所でそんな事はできないしそこまでする義理もないだろう。放っておくことにした。

「今日は皇帝陛下に一つご提案があるのですが」

「何かな?」

「先だっても申し上げました通り私は国に仕える事はいたしませんが、それでも優秀な人材を求める皇帝陛下のお心が分からぬわけではございません。ですので本日皇帝陛下に推挙したい優秀な人材であるアルシェさんを連れて参ったのです。このアルシェさんは、この若さで第三位階まで到達した天才とも呼ぶべき才能の持ち主です。事情があってチームが解散する事になりまして働き口を探している様子だったので、ならばと思いお連れしました。是非取り立てていただけないかと思うのですが」

 モモンガの言葉を受けて、皇帝はアルシェの方を見やり何事かを思案している様子だった。やがて何か思い当たる事があったのか、ふむ、と口の片端を上げた。

「……フルトか。あのさして毒というわけではないが薬にも決してならん何の利用価値もない無能だな。今まで存在すら忘れていた」

 皇帝の低い呟きに目線を下に向けたままのアルシェの肩が震えた。よく事情の分からないモモンガは余計な口を挟まない方がいいだろうと思われたので黙っておくことにした。

「爺よ、この娘を知っている様子だったが」

「は……この者は魔法学院始まって以来の天才と呼ばれた娘。どういう訳か途中でいなくなり惜しい人材を無くしたと思っておりましたが、既に第三位階まで到達しているとあれば我が元で魔法の深淵へと更に近付く事も可能でしょう。大いに陛下のお役にも立てる者かと」

「ふむ……フールーダがそうまで言うのであれば取り立てることも吝かではないが、アルシェといったな、お前にその意志は本当にあるのか?」

 皇帝はうっすらと笑みを浮かべてアルシェにそう問い掛けた。アルシェは下を見たまま答えない。モモンガは内心かなりおろおろしていた。何でこんな緊迫した雰囲気になっているのかさっぱり事情が分からないのである。推挙したいといって連れてきた人間がやっぱり嫌ですとか言ったらモモンガの面子丸潰れだし、面子が潰れるのは別にいいのだがその結果やっぱりお前が仕えてくれと皇帝に言われるのは非常に困る。だからどうにかしなければならない。そう、多分あれを言えばいい、答えは分かっている。

「……アルシェさん、妹さんの為でしょう」

 低くモモンガが告げると、アルシェの肩に力が入った。拳を握りしめている。やがてアルシェは決然と顔を上げた。

「私は……陛下の元に仕え陛下のお役に立ちたい、そう考え今日ここに参りました」

 眉根に力を入れ力強い目線で、まるで仇でも睨み付けるように皇帝を真っ直ぐ見てアルシェはそう言い切った。その顔を見て皇帝は笑みを深めた。

「いいだろう、詳しい事はフールーダと相談するがいい。チームが解散するといってもすぐ動けるわけではないのだろう? 準備が整ったらフールーダの元を訪れよ」

「畏まりましてございます」

 アルシェは左胸に手を当て頭を下げた。どうやら丸く収まったようである。これで一安心、と思ったのだが。

「さて、それはそれとしてモモンガ、君も是非我が国に仕えてくれると更なる戦力の増強ということになるのだが。自由な旅は確かに与えられんがそれ以外のものならば望むものを与えよう」

「申し訳ないのですが……お断りいたします……」

「ふふ、冗談だ。有能な人材を連れてきてくれた事感謝する」

 冗談かよ! 目が本気(マジ)だろ! ツッコミたくなる気持ちをモモンガは必死に抑えた。

 

***

 

 そして最後に残ったロバーデイクなのだが。

「これからどうするか、ですか?」

 歌う林檎亭にアルシェと共に戻ってきたモモンガに問われたロバーデイクは、そうですね、と言葉を置いてから少し考え込んだ。

「どこかの開拓村で神官の真似事でもしながらのんびり暮らそうかと思っていたのですが……」

「ロバーデイクさん、冒険の旅、興味ありません?」

「……は?」

 突拍子もない質問にロバーデイクの頭の中は疑問符で一杯になる。全然話が繋がっていない。そうこうしている内に、そうまるで、出会った時のようにがっしりとモモンガが肩を掴んできた。今度は正面から両肩をである。全身鎧(フルプレート)を着ていなかったら肩に痣ができそうなものすごい力である。

「世界中を巡る、冒険の旅、興味ありません?」

「えっ、えっ……あの……」

「世界中に眠る遺跡、秘境、そんな未知の領域を開拓する旅、興味ありません?」

「あの……まさかとは思いますが……仲間に、誘われてます?」

「そのまさかです! 神官、殴打武器! あなたこそ私が探し求めていた人材! うんと言うまでこの手は離しませんよ!」

「えええぇぇ!」

 まさかアンデッド――しかもそこらにいるようなアンデッドとは一線を画する明らかに規格外の力を持った存在に仲間に誘われるなど考えてもいなかったロバーデイクを思わぬ悲劇(?)が襲ったのだった。

 結局モモンガが本当にいつまで経っても手を離してくれなかったのでロバーデイクが折れざるを得なかった。何せアンデッドは疲労知らずだ、根比べとなれば人間が負けるに決まっている。

 そんなロバーデイクの最初の試練はガゼフへの弟子入り……と言われていた筈が何故か蒼の薔薇のガガーランへ弟子入りして殴打武器の扱いをみっちり扱かれることだったのだが、それはまた別の話である。




誤字報告ありがとうございます☺
これにて帝国編は終了です。お付き合いありがとうございました。


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外伝・竜王国~エリュエンティウ編
準備


外伝・竜王国~エリュエンティウ編開始です。


 フォーサイト解散に伴う共有財産の処分分配等の様々な処理とアルシェの引っ越し・就職が済んでからモモンガ一行とカルネ村に移住するヘッケラン・イミーナは帝都を後にしカルネ村に向かった。アルシェと妹達の引っ越しはモモンガ達も手伝ったのだが怪力で疲労知らずのモモンガは荷物運びで大活躍できたのでご満悦である。引っ越しの日に両親に決然と三行半を叩き付けたアルシェは既に魔法省で忙しい日々を送っている。給与に余裕があるのでフルト家で雇っていたメイドを一人再雇用して妹達の面倒を昼間見させているのでその点も心配はない。

 帝都を出て少し歩いてから街道を外れ突然近くにある森の中に入って行ったのを元フォーサイト三人は大層訝しがっていたが、やがて立ち止まってモモンガが開いた〈転移門(ゲート)〉を見ると唖然とした。カルネ村への転移魔法だから心配ない旨を説明しクレマンティーヌとブレインを先行させると渋々ながらも後に続く。最後にモモンガが通ってゲートを閉じると、あっという間にカルネ村の正門前である。

 例によって例の如く自分では勝てない新顔三人に門番のゴブリンは大層警戒を向けたのだが、カルネ村への移住希望者とモモンガの仲間である事を伝えて通してもらう。まずは村長の家に行き、移住希望者であるヘッケランとイミーナを紹介する。ミスリル級相当の実力を持つ元ワーカーであり村の防衛力の増強に大いに役立つというモモンガの説明に村長も大いに喜んだ。騎士達の襲来からまだ半年も経っていない、恐怖の記憶はまだまだ鮮明なのだ。ミスリル級の力を持つ冒険者やワーカーであればそこいらの兵士など相手ではないのだから村の防衛力としては申し分ない。すぐに村の人間を集めてくれて二人が紹介され、新居となる空き家も用意された。ヘッケランは帝国の村の農民の出身らしく農作業も基本的な心得はあるらしいが、大事な防衛力を農作業に回すことに村長が反対したのでとりあえず自警団でイミーナと共に指南役をするのが当面の仕事という事になった。イミーナは狩猟班にも加わる事になったのでヘッケランは自分だけ暇が多いと嘆いていた。

 新居に向かったヘッケラン・イミーナと別れモモンガ一行はとりあえずエモット家でテーブルを囲んだ。ロバーデイクが仲間入りする事は了承を(無理やり)得た日に他の二人には伝えていたものの、フォーサイトの解散のゴタゴタなどもあったので仲間としてしっかりと顔合わせするのは今日が初という事になる。

「じゃあとりあえず改めて紹介ね、ご存知ロバーデイク・ゴルトロンさん。神官で殴打武器使いという俺の理想の人なので仲間になってもらうことにしました」

「……どうぞ、よろしく」

「モモンガ……お前絶対無理やり引き入れたろ……ロバーデイクの顔が引き攣ってんぞ」

「無理やりなんて人聞きが悪いなぁ、根気強いとか粘り強いとか他に言い方があるだろ? ねえロバー?」

「……ご想像にお任せします」

 がっくりと項垂れたロバーデイクの反応を見れば答えは分かるというものである、愚問だったとブレインは思った。

「じゃあ次、クレマンティーヌね。殺人と拷問に恋しちゃって愛しちゃってる快楽殺人者だけど今は無駄な拷問と殺しは禁止してるから心配しなくて大丈夫だよ」

「しますよ! 駄目じゃないですかそんな危険な人を野放しにしてたら!」

「大丈夫だよぉ、モモンガさんの言い付けはちゃんと守ってるからさぁ、心配ないよぉ」

 ロバーデイクの言い分はもっともなのだがブレインにとっては今更感があるので諦めろとしか言いようがないしそれは追い打ちにしかならないのでブレインは黙っておくことにした。実際クレマンティーヌは本当にモモンガの言い付けをちゃんと守っているのだし。

「で、ブレインね。強くなることにしか興味がない剣術バカだよ」

「随分と雑な紹介だな……」

「マジックアイテムも好きだけど……あれも強くなる為でしょ?」

「まあそうなんだけどよ……」

「ほらやっぱり強くなることしか興味ないじゃないか」

「分かったよそれでいい……」

 言っても無駄だし事実強くなること以外にはあまり興味がないのでブレインは適当に流すことにした。人柄はこれから知ってもらえばいいのである。印象を左右する紹介がこれでは先が思いやられるが。

 その後クレマンティーヌからモモンガが六大神や八欲王等と並ぶ異世界から来訪したプレイヤーという存在であることや、神の領域である第十位階の魔法やその上の超位魔法が使える神と呼ぶべき力の持ち主である事、他のプレイヤーについて情報収集をしながら旅をしている事などが説明されるが、案の定ロバーデイクはただ呆然として聞いていた。それはそうだろう、こんな話をすんなりと受け入れられる方がどうかしている。実際にモモンガの力の一端を目にしていたのに話を聞いた時はブレインだって信じられなかったのだから。

「さて、とりあえず次の目的地なんだけど、エリュエンティウを目指そうと思うんだ。手に入れられるかどうかは分からないけどユグドラシル産のマジックアイテムは是非欲しいしポーション類も補充したいからね。あっでも、その前にロバーデイクとクレマンティーヌをガゼフに弟子入りさせるか。殴打武器特訓だ」

「ガゼフって……あのガゼフ・ストロノーフですか?」

「そうだよ、友人というか知り合い? だから。忙しいだろうから引き受けてもらえるか分からないけど、頼むだけ頼んでみよう」

「そこは友人って言ってやらないとガゼフが泣くぜ……」

「えっ、ほんと? 嬉しいなぁ、ガゼフとももっと親交を深めたいしやっぱり弟子入りだな」

 王都でガゼフと親交を深める計画に思いを馳せモモンガはご機嫌である。

「エリュエンティウを目指すなら法国を通るかアベリオン丘陵を通るか竜王国を通るかの三ルートになりますね」

「法国は避けたいなぁ……となるとアベリオン丘陵か竜王国か。アベリオン丘陵って危険地帯なんだっけ?」

「そうですね、亜人達が日々抗争を繰り返しているので人間にとっては危険です。モモンガさんの前では問題にはなりませんが……中には戦闘技術や魔法などを身に着けた強力な亜人もいるので、ロバーデイクには少々厳しいかもしれません」

「情報収集の機会も作れなさそうだし、そうなると竜王国ルートかな」

「竜王国も近年ビーストマンの侵攻を受けてますから安全とは言い切れませんけど、部族単位の侵攻と聞いてますから亜人だらけのアベリオン丘陵よりは安全でしょうし情報収集の機会は作れそうですね」

「よし、じゃあまずは王都に行って殴打武器修行をしてから戻ってきて竜王国を通ってエリュエンティウを目指そう」

 方針が定まり早速ガゼフが在宅しているであろう夕方に王都に行く事が決まる。王都にも〈転移門(ゲート)〉で行く旨を告げられるとロバーデイクは明らかにドン引きしていた。あんな見たこともない強力な転移魔法をホイホイ使われたらそりゃそうなるだろうな、とブレインは深く納得し共感したので何も言わない。出会って早々宿の部屋から宿屋の裏の路地にブレインを送る為だけにホイホイ使われた時の自分も唖然としたからだ。

「ちなみにですが……墓地で使ったあの不可知化魔法、第何位階だったんですか?」

「あれは第九位階の〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウンブル)〉だよ。自分にしかかけられないのがちょっと不便なんだよね」

「第九位階……」

 ロバーデイクは唖然としすぎて最早言葉もないようだった。第九位階とかあっさり言われてブレインだって今更とはいえ内心驚いている。出来るのは知っていても実際にやられるとやはり驚きは隠せない。モモンガに本気を出させないようにするのがブレインの役目だが、こいつが本気になったら一体どんな事になるのだろうという空恐ろしさが胸を過ぎる。法国の国民皆殺しだって口だけではなく本気でやるつもりだったのだろうし実際にやる力も手段もあるのだろう。

「あ、普段は第四位階の使い手って事になってるからその辺よろしく。あとこの仮面、外して他人に顔を見せると魔力が暴走する呪いをかけられてるから外せなくて、食事は飲食不要になるマジックアイテムを付けてるからいらないって設定になってるから。今度から検問とかでの説明はロバーにしてもらった方がいいかな? 何か信頼されそうだし」

「私としては役目を取られるのはちょっと不満ですが確かにロバーデイクが言った方が信憑性が高くなりそうですから仕方ありません……」

 言葉通りクレマンティーヌは大層不満そうである。それでも殺気を放たないだけよく我慢しているといえる。役に立つから利用しているわけではないという事を理解した今でもクレマンティーヌにとってはモモンガの役に立てる事は依然として嬉しい事らしい。問題はそれが何故なのかをモモンガが全く気付いていないところなのだが、今の所大きな問題にはなっていないので放っておいても大丈夫だろうと思いブレインは口出しをしない。できれば自分で気付いてほしいがモモンガは(アンデッドで人間と感じ方が違うからかもしれないが)特にそういう部分は鈍そうなところがある。

 そんなこんなしている内に昼になりエンリとネムとゴブリンが帰ってきた。まずはロバーデイクを紹介する。ネムはおじさんが一人増えたと喜んでいた。おじさんが好きなのだろうか。ゴブリン達の分も用意する為量が多く大変そうなのでブレインとクレマンティーヌも手伝ってエンリが昼食を用意し皆で食べる。エモット家にはもう一つテーブルを持ち込んだ。ゴブリン達はモモンガ一行がいない間に丸太を割って外に作られた食卓で食べている。普段はエンリとネムもゴブリン達と一緒に食べているらしい。食卓が賑やかなのはいい事だ、と食べられないモモンガは内心歯噛みしながら自分に言い聞かせた。

「そうだ、今回はエンリとネムにお土産が沢山あるぞ。帝国の首都の市場がすごく賑やかで色んなものがあったから、ついつい買いすぎちゃったんだ」

「えっそんな、悪いですよお土産なんて。私達にそんなに気を使ってくれなくても……」

「まあそう言うなよ、こいつも二人の為に買い物するのめちゃくちゃ楽しそうだったからよ、付き合ってやんな」

「何だよブレイン、俺が無理やり付き合わせてるみたいなそういう言い方良くないぞー!」

「じゃあ黙るが遠慮されて受け取ってもらえなくていいんだな?」

「うっ……それは困る……」

「という訳だ。こいつの道楽に付き合ってやると思って、気持ち良く貰ってやってくれると嬉しいんだがな」

 ブレインにそう言われてもエンリは尚も遠慮したい様子だったが、ネムは既にお土産を想像して目を輝かせている。昼食の後片付けが済んでから早速モモンガは帝都で買った数々の品を取り出し広げたのだが、マジックアイテムの蛇口やら陶器の皿やらいかにも高価そうな物を見てこんな高い物、とやはりエンリはかなり困惑したし、それなりに質がいいと思いモモンガが買った晴れ着用の桃色の布を見てネムは大はしゃぎした。お土産を渡すのいいな、最高に楽しい、ハマってしまいそうだ。二人の反応にモモンガはご満悦である。台所に取り付けた蛇口から水が出てくるのを見てエンリとネムが大層驚いているのも最高だ。

 竜王国はビーストマンに侵攻されているというから大変そうだし帝国程の賑わいは期待できないかもしれないが、エリュエンティウならまた何か面白そうな土産を見繕えそうである。旅の楽しみが一つ増えてしまった事にモモンガは大いに満足した。

 

***

 

 夕方になり、王都付近の森に作ってあった転移ポイントに〈転移門(ゲート)〉を開いてモモンガ一行は再び王都を訪れた。検問で止められるモモンガのフォロー役は今回からロバーデイクだが、説明してほしいとお願いした通りの事をすらすらと淀みなく説明してくれる。善良な人柄が滲み出た容貌といい穏やかで落ち着いた雰囲気といい説得力のある話し方といいこれはいい人材をゲットしたとモモンガは内心ほくそ笑んだ。ロバーデイクの話の説得力に衛兵も納得して無事に検問を通る事ができた。

 先に宿を取ってからガゼフの家に向かう。ノッカーを叩くと老人が出てきた。ガゼフが在宅かどうかを尋ねるともう帰ってきているというので取次を頼む。じきドアが開きガゼフが姿を見せた。

「これはモモンガ殿、よく参られた。ささ、とりあえずお上がりください」

 家に入りガゼフが椅子を持ってきてくれて五人でテーブルを囲む。

「それでモモンガ殿、今日は評議国からの帰りに寄っていただけたのかな? 目的の人物とは無事に会えたのだろうか?」

「ええ、評議国での目的は無事果たしました。その後帝国にも行きましてね、そこでこのロバーデイクと出会って共に旅をすることになったのです」

 紹介されたロバーデイクが軽く頭を下げるとガゼフも返礼する。

「ガゼフ・ストロノーフと申す。モモンガ殿には返しきれぬ恩義を度々受けた身、モモンガ殿のお仲間とあらばどうか気兼ねなく接してほしい」

「ロバーデイク・ゴルトロンと申します、ご丁寧な挨拶痛み入ります。周辺国家最強と名高い王国戦士長殿にお会いできただけでも光栄です」

 ガゼフとロバーデイクはお互いに丁寧な口調で挨拶を交わす。社会人同士の挨拶って感じでいいなぁ、と横で眺めながらのんびりとモモンガは感心していた。ブレインやクレマンティーヌならこうはいかない。

「実は今日はガゼフ殿にお願いがあり伺ったのです」

「何だろうか? 力になれる事があれば何でも言ってほしい」

「ガゼフ殿ならきっと剣以外の武器の扱いにも長けているのではないかと思うのですが、殴打武器の扱いをこのロバーデイクとクレマンティーヌにご指南いただけないでしょうか。クレマンティーヌはメイン武器の刺突剣に関しては並ぶ者がいませんが殴打武器はどうも今一つ苦手でして、強化したいと思っていたのですよ」

 モモンガのその申し出を聞いて、ガゼフはすぐには返事をせずにやや考え込んだ。どうしたのかな、とモモンガが思っているとやがてガゼフが口を開いた。

「勿論私が指南してもいいのだが殴打武器の扱いは私も剣に比べればそれなりであるし、戦士長の職務がある身故付きっきりという訳にもいかぬ。それならばモモンガ殿は蒼の薔薇とも懇意でしょう、ここは一つ依頼を出してガガーラン殿にご指南いただいてはどうだろうか? 彼女であれば主武器としている殴打武器の扱いは勿論一流、面倒見の良い御仁でもあるしきっと良き指南役になってくれるだろう」

 そのガゼフの提案に成程とモモンガは膝を打った。主武器として殴打武器を使っているアダマンタイト級の戦士、竹を割ったような性格で面倒見も良いという、確かに良い教師である。しかも依頼を受けてもらえれば一日中訓練してもらう事も可能ときている。幸いにも金は湯水のようにある、アダマンタイト級の冒険者に依頼を出す事も不可能ではない。戦士長の職務が忙しいガゼフを煩わせるよりそちらの方が良いだろう。情に厚い鬼教官ガゼフが見られないのは残念だが、それは戦士団の訓練を見学にでも行けば見られる気がする。

「成程名案です、早速ガガーラン殿にお願いしてみようと思います。素晴らしいご提案をありがとうございます」

「いやとんでもない、私自身が引き受けられれば多少なりとも恩を返せたのだが」

「それはもうお気になさらずと言った筈ですよ、私としては十分返して頂いたと考えておりますから」

「参ったな……これでは一生恩を返せる気がしない」

 ガゼフが苦笑し、そこに諦めろとブレインが声をかける。ガゼフが夕食をご馳走してくれる事になり、その前にモモンガはまずは蒼の薔薇が依頼で王都を出ていないかどうかを確認する為に〈伝言(メッセージ)〉を起動した。

『……モモンガか?』

「やあイビルアイ、久し振り、元気?」

『変わりない。評議国での話はどうだった』

「ツアーとは結構仲良くなれたと思うよ、昔のイビルアイの話も一杯聞いちゃった」

『あいつ……変な事話してないだろうな……で、今日はどうした』

「実は蒼の薔薇、というかガガーランさんに依頼したい事があってね、今王都にいる?」

『ああ、いつもの宿だ、ガガーランもいる』

「そうか、じゃあ明日行くから待っててもらっていいかな?」

『依頼というが金は大丈夫なのか? これでもアダマンタイト級だ、それなりに高いぞ』

「心配ないよ、実は帝国で大儲けしちゃってね、依頼できるお金もあるよ。その話も明日にでもするよ」

『そうか。では明日待っている』

「よろしく、じゃあ明日ね」

 挨拶をして〈伝言(メッセージ)〉を切断する。折よく蒼の薔薇は王都にいてくれたようで助かった。何日か待つ事もモモンガは覚悟していたのでラッキーである。

 夕食の席で帝国の闘技場でのブレインの活躍をそれはもう愉快痛快にモモンガがガゼフに語りブレインが半ギレになった一幕もあったりしたが、また非番の日にガゼフの家に遊びに来る約束と戦士団の訓練を見学に行く約束を無事取り付けガゼフの家を辞してモモンガ達は宿に戻った。

 宿に戻ってからロバーデイクにモモンガは疲労無効のアイテムと状態異常防止の指輪と属性ダメージ無効アイテムのセットを渡したが、それぞれの効果の説明を受けたロバーデイクは呆然とした後青褪めた顔で、これ金貨何万枚分なんですか……と弱々しく呟いた。その気持ちがよく分かるブレインはロバーデイクの肩にそっと手を置き、慣れろ、と一言だけ告げた。モモンガといればこういう価値基準がぶっ壊れているとしか思われない場面に数多く遭遇する事になるのだから慣れる以外にないのだ。

 翌朝、宿でゆっくり朝食を食べてから天馬のはばたき亭へと向かう。ガゼフに続き蒼の薔薇である、有名人と次々会う事になるロバーデイクはかなり緊張していた。しかも会うだけならまだしもガガーランに弟子入りである。ミスリル級相当の実力があるとはいえ所詮はワーカーは日陰者、雲の上の人と思っていた王国戦士長やアダマンタイト級冒険者と次々会う事になったロバーデイクの戸惑いたるや尋常ではない。

「モモンガさんはどうして王国戦士長や蒼の薔薇なんて有名人とお知り合いなんですか……?」

「ん? なんか偶然出会った」

「そんな偶然ありますか……?」

「どっちもほんとにたまたまだよぉ、モモンガさんの人徳って奴じゃないかなぁ?」

「はははクレマンティーヌ、それを言うならアンデッド徳だ」

 モモンガ渾身のアンデッドジョークにロバーデイクとブレインは引き攣った苦笑いを返した。白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の所にも夜によく遊びに行ってるよと話したらロバーデイクはどんな反応を返すのかモモンガはちょっと見たくなったが、これ以上有名人プレッシャーをかけるのも可哀想かと思いやめておいた。

 天馬のはばたき亭に入ると、いつもの奥の席に蒼の薔薇がいたので真っ直ぐに向かう。

「やあ、皆さんお久し振りです、お元気そうで何より」

 軽く手を上げてモモンガが挨拶すると、ラキュースが軽く頭を下げる。

「モモンガさん達もお元気そうで。評議国での話し合いも上手くいったとイビルアイから聞きましたが本当に良かったです。新しいお仲間が増えたんですか?」

「ええ、彼はロバーデイク・ゴルトロン。帝国でワーカーをしていたのですが故あってチームが解散することになり仲間に勧誘しました。今日はこのロバーデイクとクレマンティーヌについてガガーランさんにお仕事の依頼をさせて頂きたいと思い伺いました」

「イビルアイからも聞いたがよ、俺っちに一体何の依頼なんだ?」

 モモンガが自分に頼む用件の見当がまるで付かないのだろう、ガガーランは訝しげに首を傾げている。

「この二人に殴打武器の訓練を付けてやってほしいのです。期間はガガーランさんが二人を合格だと思うまで」

「それは構わねえけどよ、俺ぁ高いぜ? いつ合格できるかも分かんねえのに金は大丈夫なのかよ」

「心配ありません。ブレインのお陰で帝国で一財産築くことに成功しましてね、十分お支払いできる余裕があります」

 ギリリとこちらを睨んできたブレインを意図的にモモンガは無視した。

「ふーん……金がなきゃモモンガの童貞払いでもいいぜって言おうと思ってたのにな、残念だぜ、ははは!」

「だだだだっだから! 初めては好きな人としたいというか! それより何より物理的に無理ですから!」

「相変わらず反応が童貞丸出しだなお前……」

「うっさいよバーカバーカブレインのバーカ!」

 既視感のあるやりとりに軽く溜息をついた後ラキュースが口を開く。

「正式に依頼していただけるという事であれば勿論こちらも異存ありません。モモンガさんのお仲間の戦力を増強する事は必要ですし、出来る限りの協力をさせて頂きます。ただ、アダマンタイト級でないと対応できないような緊急の依頼が入った場合は訓練を一旦中断してそちらを優先させて頂いてもよろしいでしょうか?」

「それは勿論です。急ぎではありませんので、腰を据えてじっくりと鍛えていただければと思います」

「そうしましたら、冒険者組合に指名で依頼を出して頂いてそれを受理するという形を取りたいので一緒に組合に来て頂いてもよろしいですか?」

「はい、ラキュースさんのご準備がよろしければ早速参りましょう」

 依頼を受ける当人であるガガーランも一緒に冒険者組合まで行く事になり、出ていこうとするモモンガをブレインが呼び止めた。

「俺はする事がなくて暇だからガゼフの所に通う事にするぜ。奴が他の仕事をしてても戦士団の奴と訓練できるだろうしな。今から早速王宮に行くがいいか」

「構わないよ、する事がないのは俺も一緒だし何ならブレインだけレベリングでもいいけど」

「勘弁しろ……戦士団と訓練したいんだ俺は」

「冗談だよ、俺もしたい事があるからレベリングはお休みだよ。ガゼフによろしくね」

 げんなりした顔をしたブレインにもし表情筋があったならにんまりした笑みを浮かべていたであろう心持ちで手を振ってラキュースとガガーランに連れられ冒険者組合へとモモンガは向かった。組合でラキュースに必要書類を書いてもらい一日の報酬を決め指名依頼を出しその場で受けてもらう。

 天馬のはばたき亭に戻ってクレマンティーヌとロバーデイクは早速庭でガガーランとの稽古開始となる。ティアとティナは情報収集に出たそうで、宿に残っていたのはイビルアイだけだった。ラキュースと一緒に蒼の薔薇の指定席へとモモンガは腰掛けた。

「お前はする事があるんじゃなかったのか」

「うん、今回の俺の王都でのミッションは、イビルアイと仲良くなること」

「……は?」

 テーブルに肘を突いていたイビルアイの顎が手からずるっと外れた。しばし呆然としていたイビルアイに更なるモモンガの追撃が襲いかかる。

「十三英雄のリーダーにチョロインって呼ばれてたんだって? 意外だったなぁ、イビルアイがまさかチョロインとはね」

「ちょっ! まっ! その話はやめろ! くそっツアーめ、次会った時覚えてろ!」

「ツアーにはチョロインって何? って聞かれたけど適当に誤魔化しておいたから安心して」

「安心できるか!」

「チョロインって何ですか……?」

「そこで追及するなラキュース! お前本当に私と仲良くなる気があるのか、いきなりそんな話題を振ってきて!」

「打ち解けられるかなぁって思って。ほら、本音で話した方が早く仲良くなれるだろ?」

「それ以上その話をしたらお前は私の敵だ!」

「じゃあさ、イビルアイが十三英雄の話聞かせてよ。俺今この世界の英雄譚に凝ってるんだよね。ツアーからも聞いてるけどイビルアイの話も聞きたいな」

「……それなら、まぁ、いいだろう。分かった」

「あっチョロインだ、成程納得」

「お前なぁ! 話してやらんぞ!」

「ごめんごめん、許して? わざとじゃないから、ねっ?」

「私も十三英雄の話聞きたいわ、話してイビルアイ」

 ラキュースの口添えもあって渋々ながらもイビルアイは十三英雄の冒険譚を語り始め、それにモモンガは相槌を打ったり質問をしたりする。ある日はイビルアイが独自に開発しているという魔法の話を聞き、ある日は蒼の薔薇のこれまでの冒険の話を聞く。モモンガも帝国の闘技場でのブレインの活躍や評議国で見たマーマンやシーリザードマンの棲む海の話、アインズ・ウール・ゴウンの仲間達との冒険の話などをした。クレマンティーヌとロバーデイクの訓練中は大半の日をそうしてモモンガはイビルアイと過ごした。イビルアイとは中々に打ち解けて仲良くなり距離も縮まったのではないかとモモンガはご満悦である。

 勿論ガゼフとの親交を深める事も忘れない。戦士団の訓練を見学に行ったが、予想通りガゼフは情に厚い鬼教官だった。ガゼフの鋭い一撃で吹っ飛ばされた部下に、立て! と厳しく檄を飛ばす姿などまさに理想の鬼教官である。かっこいい。部下を厳しく鍛えるガゼフの姿にモモンガはすっかり魅了されていた。鬼教官ガゼフかっこいいと呟いた横でレベリング中のお前の方が余程血も涙もない鬼だよとブレインが思っていた事など知る由もない。

 ガゼフ邸もブレインと一緒に訪れた。カルネ村の件が帝国に筒抜けで皇帝に勧誘された話をすると、きっと王国の貴族の誰かから漏れたのだろう、申し訳ないとしきりにガゼフに恐縮されたのでガゼフ殿が悪いわけではないと宥めるのにモモンガはいたく苦労した。こういう時ブレインは助けてくれないで横で見ているだけだ、薄情な奴だとモモンガは内心憤慨していた。次のレベリングの時の召喚アンデッドの手加減具合を死ぬ方向に一段階引き上げてやると心に決める。

 最近日課になっているという二人の手合わせも庭で観戦するが、前回見た時以上に白熱した長い戦いだった。主武器の刀ではなく訓練用の両刃剣だからブレインは切り札の居合の技は使えないし、あくまで手合わせなのでお互い能力向上系の武技などは使わず軽く打ち合っているだけらしいのだが、殺気が凄い。帝国の闘技場にいたグリンガムとかいうおっさんに見せたらさぞや興奮するだろうなとモモンガはずんぐりむっくりしたおっさんの顔をぼんやりと思い出した。二人の手合わせは勉強になるということで戦士団の団員からの人気も随分高いらしい。ガゼフとここまで打ち合える人間がそうそういない為、大体ブレインの勝ちで決着が着くところも団員から随分と驚かれているようだった。訓練の様子を見た兵士達から口コミが広まり、王家に仕えないかという誘いをブレインはしきりに受けていて断るのが大変らしい、ざまあみろである。

 そんなこんなで王都でのんびりと一ヶ月程を過ごしたある日、訓練を終えて酒場に戻ってきたガガーランがイビルアイと話していたモモンガの背中をばんと叩いた。不意打ちを受けたモモンガはびっくりしてしまう。

「うわっ! 何ですかガガーランさん! いきなりびっくりするなぁ!」

「二人とも合格だよ、おめっとさん。もうどこに出しても恥ずかしくない位に鍛えてやったぜ」

「えっ、本当ですか! いやぁ、ありがとうございます!」

 朗報に思わず立ち上がりモモンガは礼をしたが、やけに骨張った背中だなとガガーランは不思議そうにしていた。それはそうだろう、骨しかないのだから。ちゃんと食ってるのかと随分心配されたが残念ながら食べたくても食べられないのだ。少食なんですと適当にモモンガは誤魔化しておいた。

 ロバーデイクは基本は出来ていたが地力が(ガガーランから見れば)足りず、逆にクレマンティーヌは基本が滅茶苦茶だったらしい。正反対の二人の殴打武器の扱いをアダマンタイト級の戦士から見て合格レベルまでそれぞれ引き上げてくれたガガーランには感謝の言葉もない。次の日に報酬を精算して一括払いした。感謝の気持ちを込めて色を付けてある。

「いやあ、二人もよく頑張ったね、偉い偉い」

「れべりんぐを思えばこの程度の訓練は軽いものです」

「……その、れべりんぐというのは、そんなに恐ろしいものなのですか?」

「死ぬよ?」

「死ぬな」

「えっ……」

 戦々恐々といった面持ちのロバーデイクの質問に返ってきた答えは綺麗に揃っていた。ロバーデイクの顔がさっと青褪める。

「二人ともロバーをそんなに脅すような事を言うなよ。大体にしてちゃんと死なないように手加減させてるだろ、人聞きの悪い。事実二人ともまだ一度も死んでないぞ?」

「まだ死んでないだけだ! 毎回死ぬ思いだしいつか絶対死ぬぞありゃ!」

「それはレベルアップ効率が悪くなるから困る。ちゃんと死なないように手加減させるよ、安心して」

「安心できねぇんだよ! 毎回死ぬすれすれで何とか生きてるんだぞこっちは!」

「だってそういう訓練だからね。死ぬか生きるかの戦いじゃないと生命力が上がらないだろ?」

「ど……どういう訓練なんですか一体……というかそれは訓練と呼べるんですか……」

 ロバーデイクの顔色は今や完全に真っ青である。ちゃんと説明しておいた方がいいだろうと思いモモンガは説明を始めた。

「どういう訓練かというと、俺が召喚したアンデッドと戦ってもらいます。ちゃんと力量に見合ったアンデッドと戦わせるし、死なない程度に手加減させるから安心して」

「どこが力量に見合ってんだよ! 強すぎんだよ!」

「ええ……だ、大丈夫ですか私、生きて帰れますか……」

「ブレインは大袈裟なんだよ、事実ブレインもクレマンティーヌもまだ一度も死んでない、それがこの訓練の安全性を証明していると言っても過言ではない」

 もし表情筋があったなら思いっ切りドヤ顔をしていただろう心持ちでモモンガは胸を張るが、ブレインはじとりとした視線を向けてくる。

「放っといたら死ぬ程の大怪我はしたぞ……」

「即死じゃないしすぐ治したろ?」

「お前には人の痛みが分からねぇのか!」

「ごめんね? だって俺アンデッドだしさ、ホラ、ねっ?」

「可愛く言っても可愛くねえんだよ!」

 ブレインは必死だが、残念な事に死にかける程の大怪我を負った経験も死にかけた経験もモモンガにはないので気持ちを分かれと言われても難しい。痛いのも死ぬのも怖いし絶対嫌だなぁという緩い共感が生まれる程度である。

「まあ確かに痛いし怖いんだけどさぁ、その分確実に強くなれるよぉ? 成長の限界が来てなければだけどね?」

「そ、そんなにしてまで強くならなくてはいけませんか……」

「モモンガさんと一緒に旅するなら必要だねぇ?」

 にっこり笑んで告げたクレマンティーヌを見てロバーデイクはごくりと唾を飲み込んだ。

「ところでミスリル級の強さってどの位なの? どのアンデッドが適当かなぁ」

「ミスリル級のパーティだと、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に楽勝できる位ですかね」

 クレマンティーヌの答えにふむとモモンガは頷いた。

「じゃあロバーには死者の大魔法使い(エルダーリッチ)出せばいい?」

「一人では無理です、勘弁してください! ちゃんとしたパーティなら勝てる相手という事です!」

「うーん、そうかぁ。まぁその辺は適当なのを考えておくよ」

 ロバーデイクの必死の抗議にモモンガは考え込んだ。どの程度が適当だろう、とりあえず骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)辺りで様子を見ようか、もしかしたら紅骸骨戦士(レッド・スケルトン・ウォリアー)位はいけるのでは? 魔法を使う相手との訓練も必要だろうからやはりゆくゆくは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とも戦えるようになってほしい。色々と夢が広がる。

 一旦カルネ村に帰って準備を整え二三日ゆっくりした後、モモンガ一行は竜王国ルートでエリュエンティウを目指すべく、南東へと旅立っていったのだった。




誤字報告ありがとうございます☺


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カッツェ平野を越えて

竜王国の都市の名前はジェネレーターでそれっぽいのを適当に付けましたので今後原作で出てきた場合齟齬が出る場合がございますがご了承ください。話の流れ上都市名出さないのはさすがに不自然だった為……。


 カルネ村から南東に向かう旅の途中は、カッツェ平野までは村落がちらほらある程度でずっと平原が広がっている。長閑な旅路で興味の向くままモモンガはロバーデイクがワーカーになったきっかけを聞いた。

「私は元々神殿の神官をしていたのですが、ご存知の通り神殿ではお布施に応じて治癒をします。しかし、それでは本当に助けを必要としている人々を救うことはできません……。お金がないというそれだけの理由で助けられるべき命が助けられない、そんな神殿の状況にもどかしさを感じ神殿のしがらみから解放されるワーカーとして働く事を選んだのです」

「えっ、めっちゃいい人じゃないか。そこまでいい人だと思ってなかったよロバー……」

「お人好しですよねぇ、報酬なしで治癒とかしたら規則違反で最悪神殿から暗殺者送られるらしいのに。ワーカーの報酬を孤児院に寄付とかもしてたらしいですよ」

「マジ? すごいねロバー、尊敬しちゃう……」

 殴打武器特訓の間色々話したのかクレマンティーヌが補足してくれる。モモンガは純粋な善意からの行いをするというのがどうも苦手で、気紛れを起こした時以外はどうしても損得勘定が働いてしまうところがある。だからたっち・みーやラキュースやロバーデイクのように純粋な善意を素直に行動にできる人を無条件に尊敬する。

「そんな大した事ではありませんよ、ワーカーは儲かるとはいっても私一人の寄付では微々たるものでしたしね。ほとんど自己満足のようなものです」

「微々たるものっていってもそういう一人一人の積み重ねが大きな力になるんだぞ? だから積み重ねるロバーは偉いんだ。そこは卑下しちゃいけないと思うぞ?」

「……アンデッドに言われていると思うと微妙な気持ちですが仰る通りです……」

「それはアンデッド差別だぞ? 差別反対!」

「神官に対してそりゃ無茶ってもんだろ……」

 そんな雑談を交わしながら十五時頃まで歩き続ける。旅人には必須技能らしいがクレマンティーヌもロバーデイクも太陽の位置から大体の方角が分かるらしい。すごい。一応の備えとしてエ・ランテルに最初に行った時に方位磁針も入手してあるが今まで使ったことはない。

 街道から外れ人目のない平原を歩いているので、隠れる事はあまり考えずに済む。適当な位置でレベリング開始となる。まずクレマンティーヌとブレイン用に召喚したアンデッドを見て、ロバーデイクが唖然とした。

「……な、なな、な、何ですかこれ……」

「何って、マミーチャンピオンだけど?」

「そうじゃなくて! こんなのと戦うんですか⁉」

「これはクレマンティーヌとブレイン用だからロバーはもっと弱いやつだよ、安心して」

「すごく……不安です……」

「大丈夫だって、最初はとりあえず様子見だから」

 そう言ってロバー用に下位アンデッド創造で呼び出したのは骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)である。戦い振りを見てどの程度のアンデッドと戦わせるのか考える予定だ。十分戦えそうなアンデッドだった事にロバーデイクが大きく息をついて安心している。心配しなくてもそんな無茶はさせないのにロバーデイクがこんなに心配しているのはクレマンティーヌとブレインがあんなに死ぬ死ぬ脅すからである。全くもって心外だとモモンガは内心憤慨していた。

 そして訓練が始まり、ロバーデイクは中々いい感じで骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)と戦っているのでこれならもう少し強いアンデッドでも良さそうだなとモモンガは考えていたのだが。

「モモンガさん!」

「どうしたロバー」

「この骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)強すぎます! どういう事ですか!」

「召喚アンデッドは俺の特殊能力(スキル)で強化されてるから普通のやつより強いよ、凄いだろ」

「そういう事は! 先にっ! 言ってくださいっ!」

 言葉の割にはロバーデイクは危な気なく戦っている。骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)だと死ぬか生きるかというラインまでは持っていけそうにない。もっと強力なアンデッドが必要そうだとモモンガは確信する。

 程なく勝負が付き、無事勝利を収めたロバーデイクが自分に治癒魔法をかけている。ポーションいらずである、神官最高だなとロバーデイクの良さみをモモンガは噛み締めていた。

「さて、じゃあロバー、次行こうか」

「ま、まだやるんですか……」

「夜までやるよ? さて次の相手は、こいつです!」

 その宣言と共にモモンガは下位アンデッド創造で紅骸骨戦士(レッド・スケルトン・ウォリアー)を召喚した。モモンガとしてもロバーデイクの力については未だ手探りの部分があるので、ちょっとづつ強くしていって様子を見ようと思っているので訓練相手を急に強くしたりはしない。しかしながらロバーデイクは顔面蒼白である。

「……ちょっと、これは…………」

骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)は余裕だったんだからこいつもいけるだろ? 本当は死ぬか生きるかのところでやってもらわなきゃいけないからもっと強くないと駄目かなと思うんだけど、とりあえず少しずつ強くしていっていい感じのラインを探ろう」

「いやあの……今の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)も大分厳しかったですよ? 普通の骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)二体が私が受け持てる限界で、モモンガさんの召喚した骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)だと一体でギリギリというか、今の戦いも大分ヒヤヒヤさせられたんですが……」

「でも死ぬか生きるかって感じじゃなかったからね。とりあえず始め」

 有無を言わさぬモモンガの宣言で紅骸骨戦士(レッド・スケルトン・ウォリアー)がロバーデイクに向かい剣を振り下ろし、咄嗟にロバーデイクはそれを鎚矛(メイス)の柄で受ける。刃を流され押し返されても紅骸骨戦士(レッド・スケルトン・ウォリアー)の体勢は崩れず、ロバーデイク目掛け次々に斬撃を放っていく。

「モモンガさん!」

「どうしたロバー」

「強すぎです、死にます!」

「大丈夫、死なない程度に手加減させてるから、安心して」

「鬼! 悪魔!」

「ははは、何を言ってるんだ、俺はアンデッドだぞ」

 訓練中に悪態をつくとはロバーデイクも中々余裕があるじゃないか、これはもう少し強いアンデッドにする必要があるかもしれないとモモンガは考えながらロバーデイクの必死の訓練を見守った。

「うっしゃ、次! お願いします!」

 召喚限界時間を迎えクレマンティーヌとブレインが相手にしていたアンデッドが消える。クレマンティーヌは何だかやたら気合いが入っている。中位アンデッド創造でアンデッドを再度召喚し直しながらもモモンガは首を傾げた。

「クレマンティーヌ気合い入ってるね……何かあった?」

「いえ、特に何も。ただロバーデイクに負けてられませんので」

「ロバーの何に勝つ気なんだよお前は……」

「モモンガさんの為に一番役に立てるというポジションを誰にも譲る気はないので!」

「クレマンティーヌ……お前なぁ……」

 呆れ声で言葉を続けようとしたモモンガに、クレマンティーヌはにこりと笑ってみせた。

「何を言いたいのか大体見当は付きますがそれは違いますよ。モモンガさんが教えてくれた大切な事です、忘れたりしません。私が、モモンガさんの一番になりたいだけなんです」

「うん……? お前は一番頑張り屋さんだよ? でも度を超えて頑張りすぎちゃ駄目だよ? いや死ぬ思いさせてる俺がこんな事言っても説得力ないけどさ……」

「はい、ありがとうございます。さてやりましょう!」

 その頃ブレインは全然分かっていない様子のモモンガに呆れる余裕もない程死ぬ思いをしていた。

 陽が沈むまでレベリングした後はその場でグリーンシークレットハウスを出し野営する。グリーンシークレットハウスが展開される様を見てその後中に入って案の定ロバーデイクは二三回唖然とした。いつの間にか食事当番になっているブレインが食事を作って夕食になる。

「れべりんぐがあんなに恐ろしいものだとは思っていませんでした……」

「な? 死ぬだろ?」

「死ぬよねぇ」

「失礼な、まだ三人とも一度も死んでないだろ!」

「気持ちとしては今日だけで二十回位は死を覚悟しました……」

「それでいいんだよ、そういう訓練なんだから! 死ぬか生きるかの状況が生命力の大幅な増加を齎すんだ!」

「理屈は分かります……分かりますが……」

 そう呟いたロバーデイクは大きく溜息をつき、がっくりと項垂れてからスープを啜った。

 そんな風に三日ほど歩いて、カッツェ平野へと到着する。話に聞いていた通り濃霧に覆われていて先は全く見通せない。霧自体にアンデッド反応があるという話で不死の祝福のアンデッド反応が大変な事になっているのでカッツェ平野を抜けるまでは切る事にした。

 骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)腐肉漁り(ガスト)黄光の屍(ワイト)骸骨戦士(スケルトン・ウォリアー)骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)など低位のアンデッドが無尽蔵に湧いてくるが、ここで殴打武器特訓の成果が出た。苦手だったスケルトン系にクレマンティーヌのモーニングスターの強烈な一撃が決まり、ロバーデイクも危なげない堅実な戦いぶりで雑魚を処理していく。骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)だけは処理が大変そうだったのでモモンガが〈火球(ファイアーボール)〉で掃除しておく。

 霧で太陽の位置が確認できないのでようやく方位磁針の出番がやってきた。方角を確認しながら南東へと歩を進める。アンデッドの自然発生を放っておくと負のエネルギーによってより上位のアンデッドを生み出してしまう為、カッツェ平野のアンデッド討伐は王国帝国が協力して国家事業として取り組んでいるらしい。王国と帝国が共同で物資を運び込みアンデッド討伐を行う冒険者や兵士の支援をする街もあるのだという。ワーカー時代はロバーデイクもその街を拠点にアンデッド狩りをしていたのだそうだ。ただ、アンデッド反応を頼りにできずどこから襲われるか分からない濃霧のカッツェ平野でのアンデッド討伐は危険度に比べて割の良い仕事とは言い難いので、どうしても他に仕事がない時に仕方なく来る所だったらしい。

「こんなにアンデッドだらけならそれなりに強いアンデッドもいるのかな?」

「カッツェ平野で特に強力なアンデッドは、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ですね」

「へぇー……」

 つまらなさそうに返事をしたモモンガに、クレマンティーヌがじとりとした目を向けてくる。

「モモンガさん、今大した事ないなって思いましたね? 確かにどちらもそれなりの等級の冒険者パーティが力を合わせれば倒せないアンデッドではありません。でも骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は魔法への絶対耐性がありますし、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は強力な魔法を使ってくる上にアンデッドを召喚する恐ろしい敵です。そして戦ってる間にも物音を聞きつけて他のアンデッドが背後から襲ってくるかもしれないんです、カッツェ平野で戦うというのは恐ろしい事なんですよ! 自分を基準に考えないでください!」

「だ……だって……骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の魔法耐性だって第六位階までだし……」

「それは初耳ですが第六位階が通用しないという事はフールーダ・パラダインだって魔法では倒せないんです! 殴るしかないんですよ! 私だって今なら多分それなりに戦えますが殴打武器特訓する前だったら一人では戦うのが難しい敵でした! 皆が皆モモンガさんみたいに強いわけじゃないんです!」

「な……なんかごめん……」

「分かればいいんですけどね、分かれば!」

 ブレインが来て以降ツッコミはブレインに全部丸投げしていた感のあるクレマンティーヌの久々の激しいツッコミにモモンガはたじたじとなった。モモンガにしてみれば雑魚しかいなくて退屈だなぁとしか思えない場所なのだが普通の人間にとってはいつどこからアンデッドに襲われるか分からずに神経をすり減らす場所らしい。自分の力に対するモモンガの自覚はまだまだ足りないらしい、素直に反省する。

「でも、カッツェ平野をこんなに楽に歩けるのは初めてですよ。モモンガさんの魔法は勿論凄いのですが、お二人も強すぎですよ……何でそんなに強いのに無名なんですか?」

「ブレインは無名って訳じゃないよぉ、王国の御前試合の決勝でガゼフと互角に渡り合って惜しくも敗れた隠れた天才って事で事情通には割と知られてるかなぁ」

「王国以外じゃ無名だがな」

「帝国でももう無名じゃないだろ、ヨッ、無敗の剣聖に圧勝した天才剣士!」

「その話はもうやめろ!」

 アンデッドの多量発生する危険地帯を進んでいるとは思えない緊張感のない会話を交えつつ一行は南東へと歩を進める。カッツェ平野の中で夜を迎えてもグリーンシークレットハウスがあればアンデッドに寝込みを襲われる心配もないので安心である。アンデッドにいつ襲われるかも分からないのでカッツェ平野の中ではさすがにレベリングはお休みである。いつ敵に襲われるか分からない緊張感もレベルアップにはいいのではないかとモモンガは思ったのだが三人から猛反対に合ったので泣く泣く諦めた。

 霧で先が見通せずアンデッドもそれなりに出現するのでゆっくり進み七日程をかけてカッツェ平野を踏破し、モモンガ一行はついにアンデッド反応を持った霧を抜けた。不死の祝福も復活である。ようやく開けた視界を見やると行く手には西側に大きな湖、東側に険しい山脈地帯が広がっている。進行方向である南東の方角も東側ほど険しくはないものの山脈地帯となっているようだった。

「山越えかー、疲労はしないから登るの自体はいいけど山は越えるのに時間がかかるのが難点だよね」

「でも〈飛行(フライ)〉で行くのは嫌なんですよね?」

「それは旅情がないよ、帰りはともかく行きは歩きたい」

「よく分からん拘りだな……」

「六大神の遺した言葉に『家に帰るまでが遠足です』っていうのがあるんですけど、帰り道も旅の内という意味ではないんですか?」

「微妙に違うな、つい気を抜きやすい帰り道も何が起こるか分からないから気を抜かないようにという警句だよ。さすがに六百年も経つと正しい意味が失われてしまうんだな……」

「というか遠足って何だ……」

「生徒皆で弁当を持って連れ立って学校を出てどこかに行って遊ぶ学校行事、らしい。俺のいた学校にはなかった」

「変わった行事があるんですねえ……」

 他愛のない会話をしつつ街道を歩き小高い山を登り始める。環境汚染前は遠足ってこんな山を登ったりしてたのかな、とモモンガは他愛ない想像を浮かべた。もしそうなら、何十年か遅れの遠足をしていると言えなくもない。残念ながらおやつは食べられないがそれは仕方ない事だ。

 おやつといえば甘いものはこの世界でも結構な高級品らしい。香辛料もそうだが砂糖も魔法で生み出すものは質があまり良くなく、北の方では甜菜に似た植物を栽培しているらしいが庶民にまで行き渡るほどの量は生産されていないようだった。北が甜菜なら南には砂糖黍に似た植物があるのだろうか。旅に満足したら北方を開拓して甜菜(に似た植物)のプランテーションを作って一儲けするのも悪くないかもしれない。もしくは南にカカオに似た植物を探しに行くのもいいかもしれない。飲み物のチョコレートはあるようだが王侯貴族しか口にできない高級品らしいし、カカオのプランテーションを作って固形のチョコを何とか作り出せれば大儲けできそうである。鈴木悟には縁のないリア充イベントだったがバレンタインデーを広めるのも悪くない。

 そしてロバーデイクは甘いもの好きだという。グリーンシークレットハウスに置いてあったクッキーを食べて、こんなに美味しいクッキーを食べたのは生まれて初めてですと半泣きで感激していた。さすがに勧誘が無理やりすぎたかと哀れに思う気持ちもモモンガにもなくはないので、今度ロバーデイクには何か甘いものを買ってやろうと思った。

 見渡すばかりの荒れた山肌には草はまばらで時折思い出したようにひょろりとした木が生えていた。評議国の山はもっと赤土と岩という感じだったが、こちらは乾いた白茶けた土肌だった。クレマンティーヌの話では竜王国の辺りは乾燥地帯だそうで、乾季と雨季があるのだという。雨季になると眠りから目覚めたように見渡す限りが若い緑の草原になるというがそれもいつか見てみたいなとまた見たいものがモモンガの中で一つ増える。竜王国の本土は灌漑が進んでおり農業や生活を営むのには問題ない程度の水が得られるらしいが、国土の端の山岳地帯まではさすがに手を回す必要を感じないのだろう。カッツェ平野と湖を隔てた法国側はまるで天候や環境が違うというから気候というのは不思議なものである。

「六大神の遺した言葉といえば、『バナナはおやつに入りません』というのもあったんですがこれはどういう意味なんですか?」

「それも遠足絡みの言葉だな。遠足にはおやつを持っていっていいんだが、三百円まで……例えば銅貨十枚まで、というような決まりが学校毎にあるんだ。バナナはなんとその縛りを無視して値段を勘定せずに銅貨十枚分のおやつの他に持っていっていいという素晴らしい果物なんだ」

「お得感がありますね、それだったら絶対に持っていきますよバナナ」

「俺も食べた事はないんだバナナ……黄色くて細長い外見しか知らない。ねっとりとしていて甘いらしいがどんな食べ物なんだろうな……」

「ねっとりしていて甘い……ラナフルみたいな感じですかね?」

「あーラナフルか……成程な、確かにねっとりしてて甘いな」

「そこ! 俺の分からない話をしない!」

 びしりとモモンガが指差すとロバーデイクとブレインは顔を見合わせて肩を竦めた。バナナも気になるけどリアルには戻れない以上もう決して食べられないから諦めも付く、でもラナフルは食べ物を食べられるようにさえなれば多分食べられる位ポピュラーな果物なのだろうからめちゃくちゃ気になってしまう。酷い奴等だとモモンガは内心憤慨していた。

「六大神は遠足が好きだったんですかね……遠足ってどういうものなのか今いちイメージがつきませんけど」

「分からん、遠足に行けるような富裕層の学校の出だったのかもしれない……俺みたいな貧民層じゃ例え遠足があってもおやつなんて買えなかったしな……それにしても人類を救った慈悲深いプレイヤーとか聞いてたのになんか変な言葉ばっかり遺してるんだな六大神は……もっと神っぽいと思ってたけど意外と親しみやすさを感じる」

「六大神の遺した言葉は神学の研究の対象なので遠足とかバナナとかもそれだけで論文が書かれて日夜議論研究されてますよ」

「正解を教えてやりたい気分だよ……でも法国には関わりたくないな……」

 モモンガならば(もし六大神が富裕層の出で貧民層の鈴木悟にはさっぱり分からない事ばかり言っているのでなければ)六大神の遺した言葉のほとんどを解き明かす事も可能だろう、神学の大家にもなれるかもしれない。でもスレイン法国に行ったらその前に神として崇められそうなのでそれは嫌である。モモンガは一般市民としてひっそり生きたいのだ、アンデッドだけれども。陽光聖典を一人で降伏させてズーラーノーンにパイプがあってガゼフや蒼の薔薇やツアーと懇意で皇帝自ら出向いて勧誘されている時点で全然一般市民ではないという点はモモンガの頭からすっぽり抜け落ちている。

 のんびりと雑談をしながら山岳地帯を越えること三日程で竜王国に入って初めての小都市が見えてきた。ずっとグリーンシークレットハウス暮らしだ、宿があれば久し振りに泊まるのも悪くないかなと思いモモンガはその街に立ち寄る事にした。

 その街の検問の衛兵は矢鱈とピリピリしていた。戦時下とはいえ戦争相手はビーストマンである、人間(モモンガはアンデッドだが)をそこまで警戒しなくてもと思うのだが特にモモンガは念入りに取り調べられた。魔法詠唱者(マジックキャスター)まで呼ばれて〈魔法探知(ディテクト・マジック)〉と〈道具鑑定(アプレイザル・マジックアイテム)〉を使われてしまったので全身マジックアイテムだらけで粗末なローブすら(この世界基準では)強大な魔力を秘めているということがバレてしまったが、モモンガは旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)で装備品は各地での旅で集めたものである、とロバーデイクがいい感じに説明してくれた。第四位階の使い手、という点もその言説に信憑性を与えてくれたらしい。本当に凄いんだな第四位階の使い手、とモモンガはようやくその時実感した。

 そんなこんなで検問を抜けるのに結構な時間がかかりようやく街の中に入れたのは夕飯時だったが、通りはひっそりとして人影はほとんどない。まるで息をするのを忘れたかのように静かな街は暗く長い影を伸ばして夕闇の中に沈もうとしていた。

「この時間ならもっと人が多くても良さそうなものなのにな……随分静かだな」

「……これはちょっとまずいかもしれないですね。思ってたよりも状況が悪いのかもしれないです」

「状況って、ビーストマンの侵攻?」

「そうです。国境近くのここまで攻めてくる可能性が高いから街がこんなだとしたら、考えていたよりもビーストマンの侵攻は大規模で状況が切迫しているのかもしれません」

「うーん、だとすると竜王国ルートは失敗だったか……かといってアベリオン丘陵はもっと危険なんだろうし……」

「消去法で行くなら竜王国ルートしか残らないので……腹を括るしかないかと」

 クレマンティーヌの言葉に、確かに、とモモンガは頷いた。一番安全なルートは法国を通る道だが法国には極力関わりたくないから問題外、アベリオン丘陵はモモンガがロバーデイクを守れば通れないことはないだろうが情報収集の機会が作れないから旅の目的からするとあまりいいルートではない。竜王国の大都市で情報収集をしながら進むのが理想的なのだが、この状況では難しいだろうか。まあ今更考えたところでもう竜王国に入ってしまったのだし、考えても仕方のない事だろう。それよりは今夜の宿と三人の夕食である。

「とりあえず宿を探そう。というか探して?」

「この規模の街でしたらあっても一~二軒でしょう、聞いてきます」

 数少ない通行人に向かってロバーデイクが小走りに近寄っていく。ロバーデイク、すっかり渉外担当である。人当たりが良く弁も立つのでとても助かる。宿屋の場所を聞き出すのに成功したロバーデイクが程なく戻ってきて今夜の宿へと向かう。

 昨今のビーストマンに侵攻を受けている状況では訪れる人も少ないのだろう、宿は閑散としていた。とりあえず部屋をとり夕食にするが、食糧事情もあまり良くないらしくメニューはオートミールのみだった。

「うーん……これならグリーンシークレットハウスで食べた方が良かったかも……ごめんね?」

「気にしないでください、この程度の粗食には慣れてます」

「そうだな、食えなくはないし外れじゃないぜ」

「元ワーカーにとっては旅先で温かい食事というだけでも有り難いですよ。最近の食事が随分豪勢なので本当に旅してるんだろうかとちょっと不思議に思っていた位です」

 三人は気にしていないようだがモモンガは気になる。三人には出来るだけ美味しい食事を食べてほしいのだ。オートミールだけでは夜中にお腹が空かないか心配になってしまう。鈴木悟の食べていた栄養食は胃の中で膨れてお腹が一杯になるようにはなっていたがすぐ食べ終わってしまうので腹が膨れた感じはあっても食事をしたという満足感というものはなかった。あんな少しも楽しくない食事になっているんじゃないかと心配なのである。

 気になったので美味しいご飯が食べられる飯屋はあるかと宿屋の親父にモモンガは聞いてみたが、今は内からも外からも物流が途絶えている状況らしくどこへ行ってもオートミールか黒パンが食べられればマシだと言われてしまった。帝国や王国からはカッツェ平野を抜けなければ来られないこの街には外からの商人は元々あまり来ないらしい。東の方では人間の方が食料にされてるんだからオートミールを食って生きてられるだけ俺達は上等さ、と言われてしまえばそれ以上何も言えない。ビーストマン侵攻、どうやら思ったよりも随分まずい状況のようである。

 夕食を済ませ部屋で今後の旅程について話し合う。

「このまま南下すると竜王国第二の都市カナヴがありますね。ただ、もしかするとそこも既にビーストマンに陥とされているという可能性はなきにしもあらずですが……首都ウスシュヴェルはその西です」

「うーむ……最低限の情報収集はしたいからとりあえずそのカナヴは行こう。南に行くなら遠回りになるけどできれば首都も行きたいところだな……」

「カナヴまでは三日といったところでしょうか。途中は村落ばかりでこれといった街はない筈です」

「いつも以上に詳しいねクレマンティーヌ」

「竜王国は陽光の手伝いで来た事があるので。竜王国は法国に多額の寄進をしてて、その代わりとしてビーストマンを追い払うのにあいつらが派遣されるんですよ」

 成程、とモモンガは納得した。ガゼフ暗殺のような仕事より亜人の殲滅の方が陽光聖典の仕事としては本業らしいし、実際ビーストマンが魔法の武具を持っていないなら天使の集団は随分と役に立つだろう。

「じゃあ今回も来てて偶然バッタリ、なんて事もあるかもな、ははは」

「あいつらにとっては笑い事じゃないと思いますけどそうなったら愉快ですね、鳩が豆鉄砲を食ったようなニグンの顔が浮かぶようです」

「誰だよニグンって」

「教えてあーげない、アタシとモモンガさんの二人の秘密だもぉん」

 ブレインの疑問に機嫌良さそうににんまり笑ってクレマンティーヌは答えた。モモンガは秘密にするつもりは別に全然ないのだが、クレマンティーヌが秘密にしたいならまあいいか、と思ったので黙っておくことにした。そんなそうそう偶然ばったりなんて事が起こる筈がないし、知らなくて困る事も特段ないだろう。

 それにしても、予想していなかった訳ではないのだがここまで状況が切迫しているとは思っていなかった、モモンガは甘く見ていたようである。これではエンリとネムへのお土産どころではない。

「ビーストマンは生きたまま人を喰らうと聞きます……今も犠牲になっているであろう人々の事を考えるだけで痛ましいです……」

 めちゃくちゃいい人のロバーデイクは竜王国の現状に一人胸を痛めている。でも申し訳ないがモモンガが力になれる事は多分ない。モモンガはどちらの味方でもないので、どちらかに加担する気はない。モモンガにとっては人間もビーストマンも等しく価値がないし、人間を助けて正義の味方を気取るつもりもない。何か得があったりどうしても力を使わざるを得ない状況になったりしたら別だが、そうでなければただ通り過ぎるだけだ。今回の旅の目的は竜王国をビーストマンの脅威から救う事では決してない、エリュエンティウでユグドラシル産のアイテムを手に入れる事で、竜王国は通過点に過ぎないし現状では助ける価値もない。

 早朝に南に発つ事になり眠らないモモンガは一人バルコニーに出て空を眺めていた。バルコニーがあるなんて安宿の割には洒落ているとモモンガは感心した。どこかの街で凄惨な血の饗宴が繰り広げられているのであろう国の上でも変わらず月は美しく輝いている。それが良い事なのか悪い事なのかは分からない、残酷なのか優しいのかも分からない。月はただそこに在って地上を照らしているだけだ。神というものがもしいるとするならば、ただ在って照らすだけのこんな存在なのかもしれない、何となくそんな事を考える。

 こんな時、スルシャーナならどうしたのだろう。慈悲をもって人を救ったのだろうか。スルシャーナではないモモンガには分からないしもういない本人にも聞くことはできない。恐らくは同族ということでよく自分と比較して考えてしまうが、考えれば考える程スルシャーナの為したことは分からなかった。何故等しく価値のないものどもを彼は救ったのだろう。仲間がそれを望んだからだろうか。それとも彼はモモンガとは違い人の心を色濃く残していたのだろうか。もし彼がたっち・みーやラキュースやロバーデイクのような人だったなら、意志の力で正義を為したということだってあり得るかもしれない。いくら考えても正解など分かる筈もないことだが、夜長の暇潰しには丁度いい。

 モモンガは自分と自分の大切な者の味方だ。それ以上にはなれない。自分らしい自分なんてないと思っていたのに何の事はない鈴木悟(モモンガ)は思いの外自分勝手で我が強くて我儘だった。これまでは出し方を知らなかっただけ、それだけの話だった。もっと我儘だったなら違う結果があったかな、それともそもそもギルドが纏まらなかっただろうか。これもいくら考えても答えなど出る筈もない無意味な思考だ。

 キィ、と窓が開く音がして誰かがバルコニーに出てきたようだった。振り向くと、クレマンティーヌが立っていた。

「モモンガさん、また星を見ていたんですか?」

「今日は月が明るいから星はあんまり見えないよ。〈飛行(フライ)〉で空に行けば見えるかもしれないけど……月を眺めたい気分かな。ところでどうしたの、眠れないの? やっぱり夕食少なかったからお腹空いちゃって眠れないとか?」

「そういう訳ではないんですけど……」

 くすりと軽く笑ってクレマンティーヌはモモンガへと歩み寄ってきて、隣に並んで空を眺めた。

「美しい空を見られる事に感謝すべきだ、って言われた事ありましたよね」

「あったな。というか今でも思ってるぞ」

「感謝とかは今でもよく分からないんですけど……やっぱり誰かと見上げるっていうのは、悪くないと思います。ううん、誰かじゃ駄目です、モモンガさんと見るのが最高です」

「そうか? こんな変な仮面を被った骨と見てて楽しいなんてクレマンティーヌは変わってるな」

 そんな事ないですよ、とクレマンティーヌは低く呟いてそれきり黙った。変わってるなぁと思いながらモモンガも月を見上げた。

 あの時は今にも降ってくるような満天の星空をブループラネットさんと共有したくてたまらなかったから側にいるのがクレマンティーヌな事に少しの残念さを覚えたものだけれども、今は違う。一緒に見上げてくれる事に感謝している。優しくしなやかな月の光を見ているのが一人ではない事がこんなにも嬉しい。クレマンティーヌはこの美しさに大した感銘は受けていないのかもしれないけれども、それでも何か感じてくれているといいなと思った。

 誰とでもいいというわけではない。モモンガは、大切な人と美しい景色を見たい。

 モモンガと見るのが最高だと感じるのならば、クレマンティーヌもきっと同じような気持ちなのだろうとモモンガは思った。

「ずっと、隣にいて、いいですか?」

 やはり低くクレマンティーヌは呟くように問い掛けてきた。目線は月に向いたままだ。

「勿論、クレマンティーヌが他にしたい事が見つかるまで、いつまででも」

「モモンガさんのお側にいる事以上にしたい事なんて、見つかる気がしません」

「そうやって可能性を狭めるのは良くないぞ、もしかしたら殺人と拷問以上にやりたいとか好きになれる事だってあるかもしれないじゃないか……例えば、何だ、アレだ……陶芸とか?」

 しどろもどろにモモンガが言うと、クレマンティーヌは目線をようやくモモンガに向けてくすりと笑いを漏らした。

「陶芸は趣味人が最後に辿り着く趣味らしいぞ、土との対話だ。クレマンティーヌだって土と話せば今と違う自分と出会えるかもしれないだろ」

「私、今の自分が結構気に入ってるので。このままがいいです」

「そうか……? 別に追い出したいわけじゃないから、ずっといてくれていいよ。俺、寂しんぼだしね」

「はい、そうします」

 にこりと笑うとクレマンティーヌは目線を月に戻した。何か死亡フラグっぽいけど大丈夫かなと斜め上の不安を抱きつつモモンガも再び月を見上げる。更け行く夜はまだ明ける気配を見せなかった。




誤字報告ありがとうございます☺


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ビーストマンの災難

 まさかこんな事になるとはモモンガだって全然思っていなかったのだ。

 目の前には鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたニグンと怯えきった陽光聖典の隊員達、それから知らない冒険者風の一団がいる。何でお前がここにいるんだという顔をニグンはしているしこの後多分聞かれるだろうが、たまたまなのである。本当にたまたまだ。旅の途中で立ち寄っただけだ。

 昨日竜王国第二の都市カナヴに到着したモモンガ一行は宿をとった。到着が午後だったので情報収集などは明日からにしようという事で宿でゆっくりする事にした。途中の村落の人々はどうやらどこかに避難しているようで途中には人の気配がなく、それがまたビーストマンが近いという証左ではないかと思わせられてモモンガは気が気ではなかったのだがレベリングはしやすかったのでよしとする。宿の食事は黒パンと野菜スープだけだったが、スープが付いているだけ現状では恵まれているかもしれない。明日からは情報収集と一応マジックアイテム屋巡りもするかという事でその日は三人は寝たのだが、眠らないモモンガが起きていると夜半に俄かに街中が騒がしくなった。窓から様子を窺うと松明を持った兵士たちが忙しく行き交っている。何事かと思いクレマンティーヌを起こして探らせたのだが。

 街は五万程のビーストマンの軍勢に包囲されていた。

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)でも確認したが確かに包囲されている。見ただけではモモンガは数を判別できないが、すごい数のビーストマンがいるという事だけは分かる。クレマンティーヌに見せると、疲労しないのでクレマンティーヌとブレインで囲みを破る事はできるがロバーデイクが少々危険な目に合うかもしれないという答えが返ってきた。ロバーデイクもビーストマンの一人や二人なら遅れをとることはないだろうが、なにせ数が数だ。物量はそれだけで暴力である。四方八方から襲い掛かられて対処できる程の力量はさすがにロバーデイクにはない。

 そしてそれ以前に恐らく門を開けてもらえない。〈全体飛行(マス・フライ)〉で強行突破できなくもないが、もし敵が飛び道具を持っていたらいい的だしそんな行動をしたら人間側にだって攻撃されるかもしれない。つまりモモンガ一行は完全にカナヴに閉じ込められてしまったのである。

「まさかビーストマンがこんなに組織だって動いているとは思いませんでしたね……今までは多くても千から二千程度の部族単位での侵攻だったんですけど、群れを纏める長みたいな奴でも現れたんでしょうか」

 クレマンティーヌが不思議そうに疑問を口にするが、その答えをモモンガは持っていない。問題はこの街から出られないという事である。このままではビーストマンの大攻勢に巻き込まれてしまう。どういう訳かは分からないがビーストマンは種として強い代わりに飛び抜けて強力な個が現れにくいらしい。戦士としての技量を磨かずとも持って生まれた身体能力だけでも十分に強いのでその辺りも関係しているのかもしれない。しかし今回のこの大軍はその中々現れない強力な個が現れたかもしれない、という事を示唆している。

 とりあえず状況を確認しようと、朝になって宿を出たらモモンガ一行はばったりと会ってしまったのである。ニグン率いる陽光聖典と。

「……何故、お前が、ここにいる?」

 聞かれるだろうと思った通りの事をニグンは聞いてきた。モモンガの答えなど一つしかない。

「旅の途中でたまたま立ち寄っただけだよ」

「そんな偶然があるか」

「こっちだって街に閉じ込められて困ってるんだよ……俺達は南に向かう旅の途中でここはたまたま昨日着いただけ、これは本当だよ。ねえロバー」

「そこで私に振りますか……あの、どなたかは存じませんがモモンガさんの言っている事は本当です。私達はエリュエンティウへ向かう旅の途中で、昨日ここへ到着し一夜の宿をとったところ今の事態に巻き込まれてしまっただけなのです」

 ロバーデイクが説明すると、まだ疑わしいという顔ながらもニグンは口を閉ざし考え込んだ。同じ事を言っていてもこの信頼度の差である、ロバーデイクが羨ましいと言うべきなのか己の嫉妬マスクの不審者ぶりを恨めしがればいいのか、モモンガには分からなかった。

 ニグンは何事かを考え、幾度か口を開きかけてはやめるのを繰り返した。言いたい事があるならはっきり言えばいいのにと思っていると、やがて意を決した様子のニグンがようやく口を開いた。

「恥を忍んで頼む……力を、貸してもらえないだろうか……」

「……え?」

 意外な言葉にモモンガが戸惑っていると、ニグンはゆっくりと頭を下げ、その姿勢のまま言葉を継ぐ。

「この街に駐留する兵力と陽光聖典とクリスタル・ティアだけではあの大軍には為す術もない……お前の力を借りる以外に方法がないのだ……! このままでは多くの人命があたら失われてしまう! その為なら私のちっぽけな自尊心など捨てて構わん、頼む!」

「えっ……何で俺が……人間の問題でしょ? 人間で解決してほしいっていうか……」

「まるで自分が人間ではないような言い方ですがあなたも人間でしょう、人類の危機に立ち向かわなくてどうするのですか!」

 ニグンの横にいた冒険者の中のリーダー風の男に指摘され、確かに今の言い方は失敗したとモモンガは思った。冒険者は蒼の薔薇と同じ色のプレートを付けている。という事はアダマンタイト級なのだろう。

「モモンガさん……私からもお願いします……この街に住む多くの人々が生きながら喰われる地獄をみすみす見捨てていくのは、耐え難い事です……もしモモンガさん達がここを去るとしても、私だけでも残ります……」

「思う存分暴れられそうなので私も賛成です」

 ロバーデイクも控えめな声ながら訴えてくるが、続くクレマンティーヌの言葉で台無しである。ロバーデイクにここに一人で残られるのは非常に困る、どう考えても助からない。しかしながらモモンガはそう簡単にホイホイ力を使っていいわけではないのだ。確かに今はのっぴきならない状況だが、それでもはいそうですかと首を縦に振るわけにはいかない。一体単位ならロバーデイクでも十分対抗できるビーストマンを駆逐するなど容易い事だが、だからこそ容易く振るってはいけない力なのだ。

「……ちょっと待って、こういう時には報告・連絡・相談が大事だから。〈伝言(メッセージ)〉」

『モモンガかい? どうしたんだいこんな時間に』

「やあツアー、ちょっと面倒臭い事態になっててね、もしかしたら俺が力を使わなきゃいけないかもしれない状況みたいなんだけど……」

『それは聞き捨てならないね。何がどうしてそんな事になっているんだい』

「実は今エリュエンティウを目指しててね、竜王国を通ってるんだけど、途中の街でビーストマンの軍勢五万に包囲されてるんだ。街に駐留してる戦力では相手にならないらしくてね。いや俺はどっちかに加担するつもりはないよ? でも仲間が人間を助ける為に一人ででも残るっていうからさ……そんなの放っておけないじゃないか……」

『……成程、とりあえず状況を見てみないと何とも言えないな。そっちに向かうから待っててもらっていいかい?』

「あっ、それならゲート開くからそれ通ってきて。〈転移門(ゲート)〉」

 モモンガの横に突如開いた黒くぽっかりとしたゲートに、陽光聖典と冒険者達がぎょっとする。

『君ねえ、これもかなり高位の転移魔法だよね……? あまり軽々しく使わないでほしいんだけど……』

「今は非常事態だから仕方ないだろ? 急ぎだし。ほら早く来て」

 〈伝言(メッセージ)〉が切断され、ゲートからツアーの白銀の鎧が姿を現す。その様子を目にした陽光聖典の隊員と冒険者達はただただ唖然としていた。

「やあツアー、悪いねわざわざ」

「いや、君に軽々しく力を使われるよりはいい。まずは状況を確認してくるよ、待っててくれるかい」

 言うなりツアーの鎧は空へと飛び立っていった。周囲のビーストマンの軍勢を確認しに行ったのだろう。

「あれが白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)……の操作してる鎧か」

「プップププ、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)⁉」

 ブレインの呟きを聞いたロバーデイクが素っ頓狂な声を上げた。陽光聖典の隊員達もざわついている。

「……何故、白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)を呼ぶ? 奴には関係のない事だろう」

「あっそうか、法国と評議国って仲悪いんだったね。でも、俺が力を使わなきゃいけないような時には先に彼に一言相談する事になっててね。ツアーも多分どっちの味方でもないから、ビーストマンが亜人だからって贔屓したりはしないだろうからその点は安心していいと思うよ」

 話している内にツアーの鎧は周囲を一回りし終えて帰ってきた。ゆっくりとモモンガの前に着地する。

「確かにあの数相手だと人間の兵士はあまり持ち堪えられないだろうね。その他に……陽光聖典かい? それとアダマンタイト級冒険者か。今までの規模の侵攻だったら十分撃退できた戦力だろうけどこの数の前ではそれも覚束ないね。でもだからといって君が味方するのかい?」

「だってロバーが一人でも残るって言うからさ。街はともかくロバーは見捨てられないよ」

 そのモモンガの答えを聞くとツアーの鎧は深く溜息をついた。空っぽの鎧なのに溜息がつけるなんて器用だと思いながらモモンガはツアーの言葉を待った。

「君、街の外に転移すればいいんじゃないのかい?」

「えっ、それは嫌だなぁ」

「……何で?」

「帰りは転移を使ってもいいけど行きは歩くって決めてるんだ、そのポリシーに反する」

「非常事態だって君自分で言ったじゃないか」

「……うっ、確かに。でもそれじゃロバーが一人で残っちゃう根本的な問題が解決できないよ」

 そのモモンガの言葉に、成程、と呟いてツアーは腕を組んだ。

「じゃあ、とりあえずどういうプランがあるのか聞こうか。それによって考えよう」

「超位魔法を一つ撃つプランと、超位魔法を二つ使うプランと、アンデッドを召喚するプランがあるよ」

「まずは一番無難そうなアンデッド召喚プランから具体的に聞きたいんだけど」

「ビーストマン相手だったら魂喰らいのスキルが有効そうだから、魂喰らい(ソウルイーター)を四体位呼んでめちゃくちゃ即死させる。死の騎士(デス・ナイト)も考えたけど殲滅に時間がかかるし従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)の処理が面倒だから魂喰らい(ソウルイーター)の方が適してるかなと思って」

「……モモンガ、君は沈黙都市って知ってるかな?」

「えっ、何それ? 知らないけど」

「ビーストマンの国のとある都市にある時魂喰らい(ソウルイーター)が三体出現、あっという間に十万の市民が全滅して廃墟と化した街がそう呼ばれているんだけどね……! つまり! 君は! ビーストマンのトラウマを抉って! 全滅させようとしているんだよ! そもそも! 殲滅に時間がかかるって何! 君はビーストマンを! 全滅させる気なのかい!」

「痛い痛い痛い痛いツアー! ダメージ! ダメージ入ってる!」

 こめかみの辺りにツアーの拳を当てられぐりぐりと抉られてモモンガに激痛が走った。上位物理無効化Ⅲが効かないとはツアーの鎧恐るべしとモモンガは戦慄した。六十レベル以上あるという事である、遠隔操作の鎧なのに。

「……あまり聞きたくないけど超位魔法一発のプランは?」

「これはね、お勧めだよ。ド派手で俺も大好きな魔法なんだけどね、〈黒き豊穣の貢(イア・シュブニグラス)〉っていう奴でね。まず範囲即死魔法が発動します」

「……まず? 続きがあるっていう事かな? その範囲ってどの位なの?」

「うーん、範囲は広いね、多分正面の敵全部入るかな。それで、その即死魔法で死んだ敵を生贄にして、かわいい仔山羊が生まれます」

「……その仔山羊ってどういうものなのか聞いていいかな?」

「レベル九十超えだけど特殊能力とかはないよ。ただ単に耐久力が高くて力が強いだけ」

「そのレベルっていう概念がよく分からないんだけど、比較対象を教えてくれないかな?」

「俺がレベル百、クレマンティーヌがレベル四十くらいかな?」

 モモンガがクレマンティーヌを指し示すとツアーはちらとクレマンティーヌを見やり、徐ろに拳をモモンガのこめかみに押し当てぐりぐりと抉り出した。

「痛い痛い痛い痛いツアー! ダメージ! ダメージ入ってる!」

「どう考えても! やりすぎじゃないか! そのお嬢さんだってビーストマンより何倍も強いじゃないか! その二倍以上強いモンスターを召喚して! 君は! ビーストマンを! 皆殺しにする気なのかな!」

「やめっ! やめます! このプランなし! 許してツアー!」

 (涙は出ないが)半泣きで謝るとツアーはようやく手を下ろしてくれたのでモモンガはほっと息をつく。こめかみが痛い、抉られっ放しである。

「……一応最後の超位魔法二つも聞いておくよ、碌でもないような気がするけど」

「これはそんなに不穏じゃないよ? まず、超位魔法で天使を召喚して陽光聖典に貸します。東門の方になるべくビーストマンを追い込んでもらって、リキャストタイムが過ぎたら集まった東門前のビーストマンに俺が一発でかいのをかまします。これは全滅とかは多分しないから大丈夫」

「……最後の、でかいの一発は必要かい?」

「戦略的な優位性がこちらにないと敵が退却しないだろ? 今回の場合はそれはつまり数だ。ビーストマンが恐れをなす位には数を減らす必要はどうしても出てくるよ。勿論天使だけでビーストマンが退却してくれたらでかいの一発は必要ないし」

 そのモモンガの答えを聞くと、ツアーはふむと唸って考え込んだ。しばらくの沈黙の後ツアーが顔を上げる。

「天使だけでビーストマンが撤退したら君は追撃はしない、約束できるね?」

「勿論」

「ビーストマンに襲われているのは何もこの街だけじゃない、竜王国の各地で人間が食料になっている。それを全部助けに行くなんて言わないだろうね?」

「それはロバーに聞いて。俺はどっちの味方でもないから今回だってあまり乗り気じゃないよ、仕方なくやるだけだから」

「その割には没にしたプランが二つともどう考えても皆殺しでやる気満々だったけど……」

「没にしたんだからもういいだろ? ロバー、君の考えをツアーに説明して」

 話を逸らす意味も込めてロバーデイクに話を振ると、緊張した面持ちのロバーデイクは一つ頷いてからゆっくりと口を開いた。

「勿論全ての命を救えるなどという思い上がった事は考えておりません。ですが、目の前で失われようとする命を見過ごせないのも事実です」

「私にとっては人間の命もビーストマンの命もどちらも同じ命だと思えるんだけど、それについてはどう考えているのかな? それに、弱い者が強い者に喰われるのはこの世の理だろう?」

「弱き者もただ喰われはしません、必死に足掻きます。同じ命であれば、弱き者もまた命を精一杯生きる事は神に赦されているでしょう」

「いい事言うねロバー、一寸の虫にも五分の魂って言うもんね」

 そう、モモンガにとっては知らない人間などそこらの羽虫同然だが、それでも五分の魂はあるだろう。モモンガが知らない人間の事を虫程度にしか思えないと知っているブレインとツアーはモモンガの発言にドン引きしている。クレマンティーヌは自分がサイコパスだからか引かないのでその優しさ(?)にモモンガは胸が温かくなった。

「……良いだろう、分かったよ。君のような善き者がモモンガの側にいてくれる事は私としても望ましい事だ。ただし本当にやりすぎない事、無駄に殺しすぎない事は約束してくれ。この街を包囲したビーストマン達は仕方ないけど運が悪かったと思って諦めて貰うしかないだろうね……」

「ありがとうツアー、約束するよ。じゃあニグン、協力できる事になったけどプランは聞いてたよね? あれでいい?」

「天使というが、どういう天使なのだ。貸すというが指揮には従ってくれるのか」

 ニグンの疑問は当然である。レベルの概念はちょっと難しいから流す事にしても他はちゃんと説明した方がいいだろうと思いニグンの疑問に答えるべくモモンガは口を開いた。

「貸すのは門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)っていう天使で、とりあえずかなり強い。本当は耐久力重視でタンク向きなんだけど攻撃力もレベルなりにあるからビーストマン程度なら軽く蹴散らせるし、知能も高いから陽光聖典の指揮下に入れる事は十分可能だよ。それを六体。二体ずつ三方に配置すればいいんじゃないかな? 後ブレインとクレマンティーヌも貸すからそれでビーストマンを東門方向に追い込むには十分じゃないかな。ロバーデイクは後方で負傷者の手当てとか支援担当ね。クレマンティーヌ……は問題ないだろうけどブレインもそれでいい?」

「構わないぜ」

「裏切り者の疾風走破と共闘する事になるとは思わなかったが……状況が状況だ、仕方ないだろう」

「そんなに嫌わなくてもいいんじゃないかなぁ? よろしくねぇニグン」

 ニグンに向けたクレマンティーヌの笑みは獰猛だった。そういう所だぞお前と思いつつモモンガは一つ息をついた。

「じゃあ天使召喚するね。ちょっと時間かかるけど待っててもらっていいかな」

「構わんがなるべく早く頼む、いつ総攻撃されてもおかしくない状況だ」

「はいはい」

 ニグンの言葉に返事を返してモモンガは超位魔法〈天軍降臨(パンテオン)〉を発動させた。モモンガの周囲を超位魔法発動のエフェクトの魔法陣が取り囲みそれを目にした全ての者が一様に動揺し慄いた。

「おまっ……なんだそのとんでもない魔法陣! 何かとてつもなくやばいものだという事しか分からんぞ!」

「えっ……超位魔法発動のエフェクトだけど……ただのエフェクトだから触っても害はないよ?」

「害があるとかないとかそういう問題じゃない! 何をするつもりなんだお前は!」

「だから天使の召喚だってば……」

 狼狽するブレインに冷静に答えを返しながらモモンガは時計を操作しタイマーをセットする。

『モモンガお兄ちゃん! 時間を設定するよ!』

 突然響き渡った子供の声とも大人の声ともつかない無理やり甘ったるく高く出したような女の声に、周囲の狼狽はより色濃くなっていく。

「なんだ今の声! 次は何をしたんだよモモンガ!」

「いや、リキャストタイム分からないと困るからタイマーセットしただけだから……何でこの時計はボイスをカットできないんだろうな……茶釜さんほんと……」

 狼狽するブレインを尻目にモモンガは頼もしき盾役だったピンクの肉棒の姿を思い出し懐かしさに浸っていた。浸っている内に超位魔法の詠唱時間が経過して魔法陣が弾け、無数の光の粒となって砕け散り、次にモモンガの周囲に六本の光の柱が立つ。そこから現れたのは六体の天使。獅子の頭に広げられたものと体を包むもの二対の翼を持つ。光り輝く鎧を纏い目の意匠が記された盾と穂先に炎を宿した槍を両手に持っている。門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)六体の召喚が完了した。

「そこにいるニグン――陽光聖典の指揮下に入り命令に従うのだ。この街の周囲を囲むビーストマンを駆逐し東門方向へと追い込め」

「畏まりました、召喚主よ」

 モモンガはニグンを指差し命令を下した。命令に従い門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)は陽光聖典の元へ移動する。

「……お前は、こんな神々しい天使まで召喚できるのか…………」

「えっ、うん、天使の召喚はこれしかできないけど一応ね」

「ふふ……最初にお前と敵対する事になったのはとんだ貧乏籤を引かされたという事のようだ。とりあえず協力に感謝しておく。では兵を集めて三方に分かれビーストマンを東門方向へ追い込むぞ! 行くぞ!」

 陽光聖典と冒険者達が移動を始め、クレマンティーヌとブレインとロバーデイクもそれに続いた。モモンガは一人東門へと向かう事にしたのだが。

「ツアー、何で着いてくるの?」

「君が無茶しないかちゃんと見ておかないとどうも怖くてね」

「はぁ……信用ないなぁ俺」

「さっき自分が口にした皆殺しプラン覚えてるかな? あれで信用されると思う方がどうかしていると思うよ?」

 実際ビーストマンの軍勢を皆殺しにする気満々だったので何も言い返せずツアーが着いて来る事についてモモンガはそれ以上何も言えなかった。

 〈飛行(フライ)〉を使い東門の上へと登る。ツアーは勿論隣にででんと居座っている。

「……もしビーストマンの中にプレイヤーがいたら俺死ぬかも。その時は守ってくれる?」

「そうだね、出来るだけは努力しよう。ただ、この鎧ではぷれいやーにどれだけ対抗できるかは約束できないからあまり期待しないようにね」

「ありがとうツアー、気持ちだけでも嬉しいよ」

 そのままぼんやりと二人は東門前に布陣したビーストマンの大軍を眺めた。どうやら敵に飛び道具はないようである。それともたった二人で東門の上に陣取ったモモンガとツアーを脅威とは考えていないのかもしれない。超位魔法のリキャストタイムが過ぎるまでは結構な時間がある、正直モモンガは暇を持て余していた。

「……暇だ、超位魔法じゃなくて〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉にしとけば良かったかな」

「何だいそれは」

「第九位階魔法で、効果範囲が広い攻撃魔法だから今使おうと思ってる超位魔法とビーストマン相手なら同じ位効果があると思う。ただ自分が効果範囲の中心にいないといけなくてダメージを喰らうんだよね。〈光輝緑の体(ボディ・オブ・イファルジェントベリル)〉を使ってダメージを無効化してもいいんだけどどうせ東門前に敵を追い込む時間が必要だから超位魔法で問題ないかなと思って。後使う予定の超位魔法がド派手な魔法だから使いたいというのもある」

「君そんな魔法まで使えるのか……どれだけ魔法を覚えているんだい」

「七百十八個だよ。名前も効果も全部暗記してるよ、凄いだろ」

「褒めてほしそうだね……」

「褒めてくれたら嬉しいな」

「それから使ってみたいという理由でド派手な魔法を使うのはどうかと思うんだけど……一度許可した作戦だからやめろとは言わないけど」

「あっ、そこツッコまれないで済んだと思ったのに。そこまでツアーは甘くないか、くそっ……」

 話している内に左右からビーストマンが追い立てられてくる。さすがにレベル八十台の天使に対抗できるような戦力はビーストマンにはないのだろう、切り札を温存しているのでなければプレイヤーの存在は警戒しなくても良さそうだった。クレマンティーヌも今頃思う存分ストレスを発散しているのだろうか、そんな事をぼんやりと考えつつリキャストタイムが過ぎ去るのをモモンガはひたすら待った。

 街の周囲を包囲している筈の味方が続々と逃げ込んできて、東門前に布陣したビーストマンの軍勢にも少なからず混乱が生じている。このまま退却してくれればツアーに怒られずに済むんだけどな、とモモンガは思ったもののビーストマン達に退却の気配はなかった。殺すのに躊躇はないが別に進んで殺したい訳でもないので退却してくれるならモモンガとしてはそれに越した事はないのだがそうは問屋が卸さないようだ。

 どうやらこの世界に来てからトラブル巻き込まれ体質になってしまったような気がする、遠い目をしながらモモンガはそんな事を考えた。カルネ村での陽光聖典との遭遇もそうだし、王都でツアレを偶然発見したのもそうだ。そして今回のビーストマンによる街の包囲である。半年も経っていないのにこんなに次々とトラブルに巻き込まれなくても良さそうなものである、モモンガは平和に暮らしたいのだ。鈴木悟はこんなに厄介事に次々見舞われるような波乱万丈な人生ではなかった。一体何がこの厄介事の数々を引き寄せているのだろう。

『予定した時間が経過したよ、モモンガお兄ちゃん!』

 ぶくぶく茶釜のロリ声で時間の経過が知らされる。声を聞いたモモンガは即座に超位魔法を発動し再度超位魔法発動エフェクトの魔法陣がモモンガの周囲に展開される。

「その声……何ていうか、何とも言い難い声だね……不思議というか何というか」

「言葉を選ばなくてもいいよツアー。でも俺にとっては大切な思い出の声なんだ。昔の仲間が残してくれた声だからね」

 再びぶくぶく茶釜の思い出に浸りながらモモンガは手にした砂時計を握り潰した。魔法陣が光の粒となって弾け飛び、ビーストマンにとっては弔鐘ともいえる規格外の威力をもった超位魔法が発動する。

「〈失墜する天空(フォールンダウン)〉!」

 瞬間、世界は白く染まった。東門前に布陣したビーストマンの軍勢の中心で発生した超高熱源体が爆発的に広がり視界が白く灼ける。広範囲に渡って発生し広がった超高熱はすぐに収束し、後には高熱によって円形に抉られ黒く変色し硝子化さえしたクレーターが残されただけだった。熱によって未だ煙が燻るそこには、確かに存在していた筈のビーストマンの死体などどこにも残ってはいない、骨すらも残さずに蒸発し焼け消えてしまっていた。

 範囲外のビーストマンには一切被害はない、目測だが凡そ半数が生き残っているだろうか。まだ他の門の前で戦い東門まで到達していない者を考えればもっと生きているだろう。数だけを見ればビーストマンはまだまだ優位に立っているといえるが、一瞬にして万を灼き尽くした魔法の発動を見て冷静でいられる程彼等も豪胆でもなければ恐れ知らずでもない。怯えたような高い獣の鳴き声が束ねられ大きな一つの生き物の鳴き声のようにも聞こえる。恐慌はすぐに全体に伝播しビーストマン達は最早隊列も何もなく、集団としての機能を失って各々勝手に背中を見せ全速力で駆け出した。

 他の門の前に残っているビーストマンにも強い恐怖に彩られた今の声は届いただろう。そうでなくても数の優位は最早失われた、早晩掃討される筈だ。とりあえずこれでモモンガの仕事は終わりである。

「モモンガ」

「ん? どうしたツアー」

 達成感に浸っていたモモンガにツアーがやけに静かな声で呼び掛けてきた。達成感に浸っていい気分だったモモンガはお気楽な声で返事を返したのだが、どうも何か嫌な予感がする。その嫌な予感通りにモモンガのこめかみの辺りにツアーの拳が添えられ力が込められる。

「君ねえ! 派手にも限度があるだろう! あんな力! 人間の世界で! 使っちゃいけないんだよ! どうするのこれ! 大体にして! 殺しすぎだよ! 一瞬で何万殺してるんだい君は!」

「痛い痛い痛い痛いツアー! ダメージ! ダメージ入ってる!」

「もうちょっと! 使う魔法選べなかったのかい! 七百十八も使えるんだろう!」

「こっこれでっ! あいたた、恐れをなして竜王国までもう! 攻めてこないかも、しれないだろ! 痛い痛い!」

「そこまで! 介入していいとは! 言ってないよ! 大体君は!」

 その後拳グリグリによるこめかみの激痛と共にツアーのお説教が続いたのは言うまでもない。

 ようやく解放されたモモンガとまだ若干おかんむりのツアーが下に降りると、クレマンティーヌとブレインとロバーデイクが待っていた。

「何か、上から降りてくるの随分遅かったですね? 結構待ちましたよ?」

「ごめんね……ツアーのお説教が長くて……」

「誰のせいだと思っているんだい」

「あはは、派手でしたもんね、ピカーってすごく光って。そんな大変な事になってるんですか?」

「東門前は大変なんてものじゃないよ、これで第四位階の使い手なんて言い張っても誰も信じてくれないよ」

「うわぁ……とりあえずビーストマンは殺した奴以外は逃げちゃいました。当面はこの街も安全でしょう」

「そうか、それは良かった……痛い思いをした甲斐もあったってもんだよ」

 言いながらモモンガはこめかみの辺りを押さえた。痛いのは全部ツアーの仕業である。

「あの、モモンガさん。私の我儘を聞いて下さって、ありがとうございました。しかも痛い思いまでされたなんて……」

「いいよロバー、痛いのは俺の自業自得みたいな所あるから気にしないで。でも毎回毎回こうやって助けられるわけじゃないからそれは覚えておいてほしい。今回は仕方ない状況っていうのもあったからやったけど、俺は人間の味方っていうわけじゃないし、力を振るうのはあんまり良い事とは言えないから」

「そうですね……よく覚えておきます」

 返事をしてロバーデイクは目線を伏せた。モモンガが力を振るうのはあまり良い事とは言えないのは東門外の状況を見せれば多分一瞬で理解してもらえるだろう。ツアーの言う通り、人間の世界で振るうには大きすぎる力だ。使うとなるとあれもこれもと試したくなってしまうのだがあれもこれも試すのは諦めた方が良さそうである。自身を第四位階の使い手で通したいモモンガとしてもあまり多くの人間に力を知られるのは都合のいい状況とは言えない。

 街はまだ戦時の混乱が残っていて慌ただしい、情報収集はもう少し落ち着いてからでなくては出来なさそうだった。とりあえず宿に戻る事にするがツアーは依然として着いてきていた。

「ツアー……まだ帰らないの?」

「良いじゃないか、まだ暇なんだ。折角来たんだから久し振りにドラウディロンの顔でも見ていこうかなとも思ってるしね」

「ドラウ……誰?」

「竜王国の女王ですモモンガさん。始原の魔法(ワイルドマジック)が使える希少な生まれながらの異能(タレント)を持った黒鱗の竜王(ブラックスケイル・ドラゴンロード)の二つ名を持つ七彩の竜王(ブライトネス・ドラゴンロード)の曾孫です」

「ナイスフォロークレマンティーヌありがとう。じゃあ首都に行けばいいじゃないか」

「どうせ君達も行くんだろう? だから一緒に行こうと思って」

 Why? 思わず素で言いそうになったモモンガは困惑を隠しきれずに既にウキウキ気分のツアーを見た。

「あの……宿四人部屋なんだけど……」

「どうせ君は寝ないだろう? 私の鎧もベッドは必要ないしね」

「そういう問題じゃないだろ! 思ったより気まぐれ竜王(ドラゴンロード)だな!」

 気まぐれ竜王(ドラゴンロード)、自分で言っておいて何だが何故か妙に耳馴染みがいい。そんなタイトルの昔の漫画があったような、記憶の海に沈みそうになってはっとなりモモンガは表層に強引に意識を引き上げた。ツアー問題は何も解決していないのだ。

「久し振りだなあ、こうして旅気分に浸れるのは。ずっと退屈だったんだ」

「暇潰しか! 俺がちょくちょく遊びに行ってるじゃないか!」

「モモンガと話すのは勿論楽しいけど、やっぱり外も見たいじゃないか。外出する時はいつも漆黒聖典の動向の監視とかそんな面白くない用事ばかりだからね、こういう楽しいのもたまには許されてもいいだろう?」

「許されてもいいけどついでに遊びますみたいなのどうなの! 世界を守護する竜王(ドラゴンロード)としてさあ!」

「私が出張るような用事は君絡み位だから、君と一緒にいるのは都合がいいと思うよ? 安心して、そう長く国を空けてもいられないからドラウディロンに会ったらちゃんと帰るから」

「~~~っ!」

 ああ言えばこう言う竜だな! 叫びたいのをモモンガは必死に抑えた。ツアーが出張るような用事がモモンガ及びプレイヤー絡み位なのは本当なのだろうから何も言い返せない。

「ちょっと待って……俺の一存で決められないよ……仲間がいるんだ……」

「私としては二人でも三人でも一緒ですからどっちでもいいですよ」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に何か言えるほど肝っ玉座ってねえよ……」

「……人数が多い方が楽しいのではないでしょうか?」

「お前達ーっ!」

 味方ゼロである。孤立無援の中竜王国の首都ウスシュヴェルまでツアーと同行する事が決まってしまいどうしてこうなったというモモンガの心の叫びは心の中だけで木霊し続けていった。




誤字報告ありがとうございます☺
ご指摘があり一部の文章を削除いたしました。(2019/11/29)


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謁見

 情報収集から帰ってきたクレマンティーヌの表情は申し訳無さそうななんとも微妙なものだった。

「お帰り、お疲れ様……どうしたの変な顔して」

「いえ……何というかその……集まった情報がですね。著しく偏ってるといいますか……」

 クレマンティーヌはドアの前で立ち止まって何やら言いづらそうに縮こまっている。とりあえず座るようにモモンガが促すと、ようやくクレマンティーヌは椅子に腰掛けた。

「偏ってるってどう偏ってるの?」

「皆、モモンガさんの話しかしてないんですよ……」

「あっ……」

 それはそうである、少し考えれば分かる事だ。東門前に巨大なクレーターを作って五万のビーストマンを撃退した規格外の魔法の使い手、話題にならない方がおかしい。

「あんな派手な魔法を使うからそうなるんだよ」

「反省してます……」

 ツアーの言葉に反論もなくモモンガは素直に反省した。あの時はテンションが上っていて超位魔法を使うチャンスとばかりについやってしまったが〈失墜する天空(フォールンダウン)〉はまずいチョイスだった。この世界で使うのは初めてだったのであんな巨大なクレーターが出来るとまでは想像していなかったというのもあるのだが、ユグドラシル時代はクレーターなんて出来なかったので許してほしい。

 東門前のクレーターを見たロバーデイクの驚愕と衝撃は大きかった。ビーストマンも同じ命だというのに、それが一瞬にしてこんなにも失われてしまったのですね、と沈痛な面持ちで呟いていた。人間を守る為にやった事なんだからもっと自信を持てばいいのに真面目だなぁとモモンガは思ったが、ビーストマンを消すのも殺虫剤で虫を駆除する感覚だったモモンガからすると命の大切さをこんなにも真剣に考えているロバーデイクは偉いなぁと尊敬の念が湧き上がる。ロバーデイクを少しはモモンガも見習うべきなのかもしれないが虫程度にしか思えないものは思えないのでそこが困りどころである。

 ブレインは苦い顔でいくらなんでもやりすぎだろ……とだけ言ってきたがモモンガには反論の言葉はなかった。このクレーターを見てしまえば確かにやりすぎとしか言いようがない。まさかここまでとはモモンガも思っていなかったのだが言い訳などしても意味のないことだ。ここまで派手なクレーターではなかったかもしれないが〈核爆発(ニュークリアブラスト)〉でも環境の破壊は少なからず起きていただろう、使う時は十分に注意しなければならないとモモンガは気を引き締めたのだった。トラブル引き寄せ体質になってしまっているようなのでまた何かしらのトラブルに巻き込まれる可能性は十分にあるが、出来ればモモンガは力を出さずに何とか切り抜けたいところである。その為にもクレマンティーヌとブレインとロバーデイクにはもっと頑張ってレベリングして力を付けてもらわなくてはならない。

 何はともあれ、モモンガの話で持ち切りならカナヴでの情報収集は実りがなさそうである。ここは早目に切り上げて首都に向かうべきか、と思考を切り替える。

「俺の噂を集めてもしょうがないし……明日ウスシュヴェルに発とうか」

「そうですね、しばらくはモモンガさんの噂で持ち切りでしょうから」

「その前にとりあえず晩ご飯だな、食べに行こうか」

 そのモモンガの言葉に武器を手入れしていたブレインとロバーデイクも了承を返して立ち上がり、連れ立って一階の食堂兼酒場へと降りていく。モモンガは寂しんぼなので食事の間もせめて会話には参加したいので着いていくのだが、何故かツアーも着いてくる。この竜も意外と寂しんぼなのだろうかとモモンガは他愛のない思考を浮かべた。

 今日のメニューも黒パンと野菜スープだった。適当な雑談を交えながら食事していると、宿のドアが開き誰かが入ってきた。そちらを見やるとモモンガの記憶に微かに見覚えのある顔だった。確かニグンの横にいた冒険者だったような……と考えているとその男はモモンガ達のテーブルへと歩いてきた。

「お食事中失礼します、皆様先日はこの街の防衛にご協力ありがとうございました。私はアダマンタイト級冒険者チームクリスタル・ティアのリーダー、セラブレイトという者です」

「これはご丁寧にどうも。旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)でモモンガと申します」

 食事をしていなかったモモンガは立ち上がるとセラブレイトに軽く礼をした。ツアーが一人で座っていた隣のテーブルの席をセラブレイトに勧め、モモンガもそちらのテーブルに移る。

「それで、今日はどのようなご用件で?」

「はい、実は今回の件を女王陛下にご報告したところモモンガ殿に是非直接会い礼を述べたいということで、私共が消耗品の補充に首都に戻る際に同行して頂くようにお願いせよとのお言い付けがございました。ニグン殿とのお話の中でエリュエンティウに向かう旅の途中と仰っていた記憶がございますが、モモンガ殿は首都へお立ち寄り頂く事は可能でしょうか?」

 セラブレイトと名乗った冒険者の言葉を聞き、モモンガは返答を迷った。首都へはこれから行く予定だったから何も問題はないのだが、女王との謁見なんて堅苦しいイベントは嫌である。別に竜王国の為にやった訳ではなくロバーデイクの為だったので礼もいらない。一介の旅人だから、といういつもの奴でいこうかと返事をしようとしたのだが。

「私達はこれから首都に行く予定だったし私もドラウディロンに会う予定だったから丁度良いね、モモンガも一緒に会おう」

 迷っている間に一足早くこの竜である。実に余計な事を言ってくれる。モモンガは頭を抱えた。

「ちょっツアー! 勝手に決めない!」

「いいじゃないか、いい機会だしドラウディロンに君を紹介しよう」

「いらない、王族とかの知り合いはいらない! 俺は一介の旅人だから!」

 全然違う事は既に知られているからツアーに一介の旅人の言い訳をしても仕方ないのだがせめてセラブレイトには理解してほしい、モモンガは一介の旅人でありたいのだ。王族とか皇帝とかはもうお腹一杯なのだ。

「首都に行かれるご予定だったのですね、それでしたら是非ご一緒頂けますか?」

 しかしながらセラブレイトは全く空気を読んでくれなかった。爽やかな笑顔と共に申し出を受け、モモンガは進退窮まった。また孤立無援の四面楚歌である。王族に会いたくはないが会わない為の正当な理由がないのだ。精々が一介の旅人だから堅苦しいのは苦手で礼儀も知らない、という奴である。それでも言わないよりはマシか、とモモンガは思い直して口を開く。

「申し訳ないのですが……私は一介の旅人に過ぎず女王陛下に拝謁できるような礼儀作法の心得がございません。また堅苦しい場も苦手でして……出来れば謁見はご遠慮させて頂きたいのですが……」

「心配ございません、女王陛下は私のような冒険者とも親しくお言葉を交わして下さる気取らないお優しいお方。また白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)のご紹介とあらば多少の礼儀作法などとやかくは言われますまい。あれだけのビーストマンの大軍を退けこの街を救って下さったモモンガ殿へ直接礼を伝えたいというのは女王陛下のたっての望み、是非叶えて頂けませんか?」

 今度は気取らない女王ときた。フットワークが軽すぎて向こうから会いに来る皇帝よりはいいがこれ以上の断り文句がモモンガには思い付かない。それにしてもこのセラブレイトという男、冒険者という話なのに何でこんなに一生懸命モモンガを女王に会わせようとするのだろう。ガゼフなら分かる、王の為に忠義を尽くしているから王の為に役に立つであろうモモンガを引き合わせたいという気持ちなのだろうと理解できた。だが冒険者は国家権力からは独立した存在と聞いている。竜王国は現状が現状なので人類を守る為に協力しているのだろうが、女王の為にこんなにモモンガを口説く理由が分からない。分からないが何にしろ迷惑である。

「モモンガ、君はリ・エスティーゼ王国の王女や帝国の皇帝とも会ってるんだろう? ドラウディロンとだけ会わない理由が分からないよ」

 断り文句を必死にモモンガが考えていたらこの竜がいらない事をまた言う。何でそう余計な事を言うかな! と叫びたい気持ちをモモンガは必死に抑えた。

「別に会いたくて会ったわけじゃないよ……どっちも仕方ない状況だっただけ。竜王国の女王様とは会わなきゃいけない状況っていう訳じゃないだろう?」

「可哀想になあドラウディロン、そんなに嫌われて……」

「別に嫌ってないよ! 会ったこともないのに好きも嫌いもないよ!」

「じゃあ会ってみて判断しよう、うん、いい案だ。ドラウディロンはいい子だからね、きっと君も気に入るよ」

 腕を組んだツアーは満足気に頷いている。失言だった、とモモンガは思った。断り文句は何も浮かばないしいつの間にか会って好悪を判断する事になっているし。

「女王陛下は可憐なお姿ながら竜王国を立派に統治されている素晴らしい方です。可愛らしいお声でいつも我らを励まして下さるのです……!」

 セラブレイトの鼻の下が若干伸びているが何事だろう。セラブレイトの折角の凛々しい容姿が台無しになっているのをモモンガは残念に思った。

「婉曲な断り文句が思い付かないので直球で言います、嫌です」

「納得できる理由がない以上、女王陛下の願いを叶える為このセラブレイト、いいお返事が頂けるまでは梃子でもここを動かぬ所存!」

「えぇー……」

 爽やかなイケメンという感じの容貌の割には面倒臭い奴だセラブレイトとモモンガは思った。ツアーとセラブレイトに挟まれたモモンガは助けを求めるように隣のテーブルを見たが三人は既に食事を終え部屋に戻っていた。薄情者共である。

 結局セラブレイトがいつまで経っても本当に帰ってくれなかったので仕方なくモモンガが折れた。クリスタル・ティアも首都に帰還する準備は既に整っているというので、明日首都に向け一緒に出発する事とモモンガがツアーとセラブレイトと共に女王に謁見する事が決まってしまったのだった。ごめんなロバーデイク、お前もこんな気持ちだったんだな。自らの行いを顧みたモモンガは少しだけ反省したのだった(但し後悔はしていない)。

 

***

 

 カナヴを発つ時に門の前でニグンが待っていた。何の用事かとモモンガは首を捻ったが、改めて礼を言いたいのだという。

「今回は本当に助かった。お前がいなければこの街はビーストマンに蹂躙され、首都も危うい状況に陥っていただろう。礼を言う」

「何か素直に感謝されると不思議な気分……ロバーを死なせたくないからやった事だし、別に感謝はしてくれなくてもいいんだけど、まあ素直に受け取っておくよ」

「今回の事は本国に報告させてもらう」

「えっ、それはやめて……」

 食い気味に即答したモモンガにニグンは戸惑いを見せた。

「お前の存在がなければビーストマン五万を軽微な被害で撃退した説明が付かないのだが……」

「ううっ、それは確かに……いやでも、俺スレイン法国とは敵にも味方にもなりたくないから、そっちの上層部がやっぱり我が国に迎えよう! みたいに思うような報告の仕方はやめてね……」

「どう報告しろというのだ……無茶な注文を付けてくるな。悪いがありのまま報告させてもらうぞ」

「……じゃあせめて、俺が法国に行く気はないって言ってた事も付け加えておいて…………」

「それならばいいだろう、分かった」

 困惑した顔のニグンが頷く。陽光聖典はこれから東に向かい大きく数を減らしたビーストマンを掃討していくのだという。クリスタル・ティアの面々にも挨拶を済ませたニグンが去り、モモンガ一行とクリスタル・ティアはカナヴを出発した。

 カナヴから首都ウスシュヴェルまでは徒歩で四日程の行程だった。こういう事もあるかもしれないと思って帝国にいる間に普通の野営セットも用意しておいて正解だった。無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)から取り出したのでクリスタル・ティアの面々には面妖なものを見た顔をされたが。

 道中のツアーの楽しそうなことといったらなかった。クリスタル・ティアの冒険譚を聞き、ブレインの居合の技の解説を聞き、ロバーデイクと神について議論し、とにかくのべつまくなし誰かの話を聞いていた。飛べる鎧なのに普通に歩いていたのも不思議な点である。

 四大神の元になった六大神とは直接会っているだろうに神の存在証明とかの話をするのだからツアーも人(竜?)が悪いと思いながらモモンガはツアーとロバーデイクの議論を横で聞いていたのだが、魂の存在とか魂が神の段階に移行するかとかそういう話になっていた。ツアーによると始原の魔法(ワイルドマジック)とは魂の魔法であり、魂の力を使って行使する魔法なのでこの世界においては魂というものは確かに存在するのだという。ただプレイヤーである六大神の魂が死後本当に信仰系魔法の力の源泉となる神となったのかというのは疑問らしく、その点を重点的にロバーデイクと話していた。

 ロバーデイク曰く信仰系魔法を行使する時に感じる大いなる存在があるそうで、それこそが神だと信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)達は信じているのだという。でもそれが六大神なのかは確かに非常に疑問だな、と横で聞いているモモンガは心の中だけで思った。信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)が行使している魔法はユグドラシルから齎された位階魔法であり、ユグドラシルでは始祖カインアベルなどいくつかの神が(設定としての)信仰の対象となっていた。しかしそれらの神がいないこの世界でも信仰系の位階魔法は問題なく発動している。力の源泉はユグドラシルの神なのか六大神なのかそれとも他の神なのか、はたまた神という存在はなくただ大きな力だけがあるのか。非常に興味深い命題だけど検証のしようがないな、とそれ以上考えるのをモモンガは諦めた。

 ブレインのオリジナル武技の数々にもツアーは強い興味を示した。不可避の高速の一撃〈瞬閃〉を更に鍛え上げることによって生まれた神速の一刀〈神閃〉、半径三メートル以内のあらゆる気配、音、動きなどの全てを知覚する〈領域〉等々、ブレインの生まれ持った天才的なセンスと戦いや鍛錬で高めた技量によって生み出されブレインのみが使える技についてツアーは興味深そうに話を聞き、時折質問を挟んだりしていた。

 何せほとんど訪れる人もいない塔の最上階で日がな守り人をしているのだから、新しい知識や人との会話にツアーは飢えているのだろう。そんな風にモモンガは感じた。八欲王が残したギルド武器をツアーはあの場で守っているのだという事は既に聞いている。ギルド武器が破壊されればギルドは崩壊する。八欲王は既に滅んでいるが、ギルド武器が破壊されたとして八欲王の拠点だった浮遊城がどうなるのかはモモンガには分からない。恐らくはこの世界においては桁違いといえるだろう強大な力を持った都市守護者達がギルドが崩壊した時にどういう行動を取るかが不明なのは恐ろしいことだ。どうなるのかをツアーは知っているのではないかというのはモモンガの中の確信だが、尋ねても詳しい事は教えてくれなかった。

 モモンガの中ではドラゴンは孤高の存在というイメージがあるし実際この世界のドラゴンも多くは群れを作らず個々に縄張りを持っているらしいので人と話すのが好きなツアーは変わり者なのかもしれない。そうでなければ十三英雄に参加したり様々な亜人と人間が共存する国を作ってその長になったりはしないだろうが。

 帝国のような日の出の勢いこそないものの、人間を食糧と見做す筈の亜人と人間が対等に平和に共存している評議国はある意味この世界における理想の国家だと評議国を回ったモモンガは思った。それを可能にしているのが竜王(ドラゴンロード)達による統治である。この世界で最強の生物である(ドラゴン)という存在あればこそ亜人も人間もそれに従うのだ。社会の単位が国まで大きくなったならば、(ドラゴン)とまではいかずとも強力なリーダーシップを持つ存在は平和な統治に必要不可欠なのだろうとそんな事をモモンガはぼんやりと考えた。鈴木悟の世界(リアル)のように強力な力を持ち権力を握った存在が人を数でしか考えず使い潰す事を何とも思わない大企業であったりした場合は大多数の民衆にとっては欠片の希望もない地獄が生まれるわけだが。

 ウスシュヴェルに到着し、謁見は明日の午前という話なのでクリスタル・ティアとは別れ宿をとる。カナヴでは四人部屋なのに途中からツアーが入ってきた事に宿屋の親父がいい顔をしていなかったので本来は相部屋に使う六人部屋をとった。五人部屋というのはなかったので仕方ない。

 クレマンティーヌは一人情報収集に行き、他四人でマジックアイテム屋巡りをした。一軒目に入った途端にツアーが「ここには大した物はないね」とか言い出すので(それは本当にそうなのだろうが)モモンガはない筈の肝が冷える思いを味わった。そんなに大声ではなく抑えめの声量だったのでそれだけが救いだった。

「ツアー! そんな失礼な事は思ってても言わない! 大体にしてパッと見ただけで何で分かるんだよ!」

「あれ、知らないかな? (ドラゴン)は財宝に対する嗅覚とも言うべきものがとても鋭くてね、見ただけで大体どの程度の価値の物か分かってしまうんだよ」

「えっすごい、ドラゴン超すごい」

「お前また語彙が貧弱になってんぞ……」

 それでもブレインとロバーデイクは興味深そうにマジックアイテムを物色し始めた。ツアーにとっては大した価値がなくてもブレインとロバーデイクにしてみればそれなりに有用性のあるアイテムだ。(ドラゴン)と人間では生物としての強靭度がまず違う、人間はマジックアイテムで身を守らなくてはならない脆弱な種族だ、価値観の違いというやつだろう。一応念の為と思って〈魔法無詠唱化(サイレントマジック)道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉で確かめていくがツアーの言う通りモモンガから見ても大した物は置いていなかった。

 物色する行為自体は楽しいのでマジックアイテム屋を巡るのはいいが、購入・入手についてはやはりエリュエンティウが本番だろう。ユグドラシル産の刀を見せてブレインをギャフンと言わせる決意についても勿論モモンガは忘れていない。伝説級(レジェンド)の物ではこの世界では強力過ぎるだろうし怒られそうなので聖遺物級(レリック)位の物が入手できれば最良とモモンガは考えている。うまいことその辺りの刀があればいいのだが。

 マジックアイテム屋を巡って夕方までを過ごし宿に戻って夕食の後就寝の時間になる。ツアーも夜の間は(本体が)眠るのでモモンガは一人で夜を過ごす。刻一刻と朝が近づいてくるにつれて女王との謁見をしなければならない事実にモモンガの気持ちがどんどん重くなっていく。モモンガは元貧民層の一般市民で今だって一介の旅人である、どうして王女とか皇帝とか女王とかそんな人達と会わなくてはならないのか。今思えばガゼフは本当にいい人だった、断ったらちゃんと聞いてくれた。モモンガとしてはガゼフの対応が普通だと思いたいのだがどうやらそうではないようなので(涙は出ないが)泣くしかない。一介の旅人では権力には抗えない筈なので従う他ない、モモンガは一介の旅人でいたいのだ。

 夜が明けて朝、ツアーと城の前で待ち合わせたセラブレイトと共に登城する。本当に気が重くてモモンガは一言も喋りたくなかった。はいといいえとありがとうございますと遠慮しますだけで発言を済ませたいと本気で考えている。

「ドラウディロンと会うのは何十年振りだったかなあ、中々こっちの方まで来る事がないからね」

 楽しげな様子のツアーが恨めしい。セラブレイトは可憐と言っていたような記憶があるのだが何十年振りに会うということは結構な歳なのではないだろうか、どういう事なのだろうかとモモンガは疑問に思いつつ近衛兵の先導に従って城内を進んだ。広い廊下を進み奥にある繊細な細工の施された両開きの扉を開くと、中は王の居室に相応しい豪華な内装の部屋になっており、両脇には家臣団と思しき男達が控えている。奥に向かって引かれた赤い絨毯の先には玉座が置かれ年の頃は十を過ぎた辺りと思しき少女が座っていた。成程可憐だとモモンガは納得したがツアーは何十年か振りに会うのにこの外見はどういう事なのだろう。竜の血を引いているというから歳の取り方が人間とは違うのだろうか。

 どうせツアーはフリーダムな行動を取るだろうからモモンガはセラブレイトの行動に合わせる事にした。横目でセラブレイトを窺い同じように女王の少し手前まで歩き跪く。思ったとおりツアーは立ちっ放しである。竜王(ドラゴンロード)としては女王より格上だし同じ国家元首でもあるのだからツアーなら許されるのだろう。跪く方が逆におかしいかもしれない。

「やあドラウディロン、久し振りだね」

「ツァインドルクス殿も壮健なようで何より、ご来訪心より嬉しく思います」

 女王と思しき少女の声は天真爛漫という言葉がよく似合うような明るく澄んだものだった。この女王は何歳なんだろうという疑問が今モモンガの頭の中の大半を占めている。

「君は今日もそっちの形態なんだね」

「ツァインドルクス殿、すみませんが形態という言い方はおやめ下さい!」

「別にいいじゃないか形態で」

「ほらやっぱり形態じゃないですか」

「宰相、妾は今ツァインドルクス殿とお話しているのです、黙っておりなさい!」

 女王の横に控えていた宰相と思しき男は全然反省していない顔ではいはいと投げ遣りに答えて口を閉じた。そっちの形態ってどういう事なんだ、この女王には何種類か形態があるのか、ラスボスか、その疑問が今モモンガの頭の中の大半を占めている。

「こほん。セラブレイト、クリスタル・ティアが我が国の為に働いてくれている事心から感謝する。この度もカナヴをよく守ってくれた」

「勿体なきお言葉、誠に恐悦至極に存じます」

「うむ、これからもよろしく頼むぞ!」

 形態から話を逸らしたかったらしき女王は次にセラブレイトに言葉をかけた。普段とは違う妙に締まりのない声でセラブレイトが返事をしたので何事かと思いモモンガはついセラブレイトの方を向いてしまったのだが、セラブレイトは至極真剣な顔をしていた。怖くなるほど真剣な眼差しで只管に一点を凝視しているので何を見ているのだろうと不思議になり最小限の動きを心掛けて視線を追うと、女王の剥き出しの生脚があった。返事をする時には普通は顔を見るものではないだろうか。あの幼女ペロペロチーノに幼女の魅力としてすらりとした脚の良さなどよく語られたものだが、つまりはそういう事なのだろうか? こんなに真剣に幼女の脚見てるって他に理由ないよね? この人実はロリコン? モモンガの頭の中をまた新たな疑問が駆け巡る。後こんな事で懐かしい仲間を思い出したくなかった。

「ドラウディロン、今日は私の新しい友人を紹介するよ。モモンガだ」

「クリスタル・ティアからの伝言の羊皮紙(スクロール・オブ・レポート)と早馬で報告は受けております。陽光聖典の使役するものを遥かに上回る非常に強力な天使を召喚、その上強大な魔法を使いカナヴを包囲したビーストマンの軍勢五万を追い払ったとか。我が国にとっては救世主といえる働き、誠に感謝するぞ、モモンガ殿」

「有難きお言葉を賜り光栄の至りです」

「ツァインドルクス殿のご友人というが、どのような関係なのか?」

 めちゃくちゃ答えづらい質問を女王に突然ぶっこまれてしまい返す答えにモモンガは戸惑った。この場合何と答えるのが適当なのだろう。自分がプレイヤーだという事を言っていいものかもまず分からないし、ツアーとの関係性を端的に表す言葉も友人以外に適当な物が思い浮かばない。説明しろと言われるととても難しい。

「……心の友と申しますか」

「モモンガは私の話し相手になってくれているんだよ。よく遊びに来てくれてね、色々な話をしているよ」

 話し相手、それがあったか! やられたとモモンガは思った。いやツアーはフォローしてくれたのだからここは感謝すべき場面なのだが、何故それが思い付かなかったという悔しさのようなものが微妙に残る。それに思い付かなかったせいで心の友とか恥ずかしい事を言ってしまった。皮膚と血管があったら耳まで真っ赤になっていたであろう強烈な恥ずかしさがすぐに沈静化されるが、じわじわとした恥ずかしさは胸を苛み続ける。

「旅人と聞いていたが評議国に住んでおるのか?」

「いえ、旅人です。転移魔法が使えますので転移でツァインドルクス殿の元を訪れております」

「早馬を飛ばしてきた者からも魔法の恐るべき威力は聞いていたが、モモンガ殿は相当高位の術者のようであるな……どうだろう、我が国の領地からビーストマンを追い払うまでで構わぬ、雇われる気はないだろうか?」

 来た、とモモンガは思った。予想はしていたがやはりこの流れである、あれだけ派手にやってしまったのだ、それはそうなるだろう。上手いことフォローしてくれよツアー、と神頼みならぬ竜頼みしながらモモンガは口を開く。

「申し訳ございませんがお受け出来かねます。旅の目的もございますし、わたくしが特定の勢力の為に力を行使する事はわたくし自身も望んでおりませんしツァインドルクス殿も望まれぬ事かと思います。あくまで一介の旅人であり続ける事がわたくしの望みですので」

「……ツァインドルクス殿が、何故忌避するのだ?」

「ドラウディロン、モモンガの力は人の世界で振るうには余りに過ぎた力なんだ。モモンガの言う通りモモンガがどこか特定の勢力に加担するような事は望ましくないと私は考えている。君だって私に比肩する存在が状況によっては敵に回るかもしれないなどと考えたくはないだろう? モモンガ自身も中立であることを望んでいるし、私もそれを支持している」

 ツァインドルクス=ヴァイシオン、この世界で最強の存在の一体である白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)に比肩する存在。それを聞いたその場の者達は一様に息を呑んだ。女王の幼い顔には隠しきれぬ驚愕が浮かぶ。門番の智天使(ケルビム・ゲートキーパー)の力と〈失墜する天空(フォールンダウン)〉の閃光とカナヴ東門外の状況を見ているセラブレイトはどこか納得しているような様子もある。

 そこまで言っちゃうか、という思いもモモンガにはなくはないのだが、竜王国の状況は相当切迫しているからこの対応は多分正しい。首都のすぐ近くの街までビーストマンの軍勢の侵攻を許していた程だ、折良くモモンガがいなければ早晩首都が包囲されていたとしてもおかしくはなかったろう。あれだけ派手にやって力を見せてしまったモモンガを必死になって勧誘してきたであろう事は想像に難くない、モモンガだけでは勧誘を断り切るのはかなり難しかっただろう。ツアーに比肩する力を持つ危険な存在という説明がツアー自身の口からされればこれ以上の説得力はない。もしかしてどの道モモンガが女王に謁見する事になるのを予測してツアーは残っていてくれたのだろうか、とモモンガは思い当たる。かなり面白がっていた部分もあるような気はするが。

「成程、利によって味方になる者は利によって敵に回るかもしれない、ということか。ツァインドルクス殿が己と並ぶと言う存在を敵に回す可能性を生むなど真っ平御免だな、モモンガ殿にはどこにも属さぬ旅人でいてもらった方がよいようだ」

「ご理解頂け心より嬉しく存じます」

「すまないね、竜王国と君の窮状は理解しているし同情もしているけれども、こればかりは許してしまうと大変な事になってしまうから」

「よいのです、過ぎたる力は思わぬ禍いの元ともなりましょうし。幸い主たる軍勢はモモンガ殿が追い払ってくれましたから、後は我等の力でどうにかするしかないでしょう。これまで以上に頼ってしまうだろうが許せよセラブレイト、クリスタル・ティアが頼みの綱だ!」

「はっ、一命に替えましてもこの国の民の為、そして敬愛する女王陛下の御為に力の限り尽くす所存です」

 セラブレイトの返答はやはり締まりのない声だったのでまず間違いなくこいつロリコンなんだろうなという思いをモモンガは新たにした。

 女王の前から退出し、セラブレイトとは城門で別れる。城門前で立ち止まったままツアーは空を見上げた。

「さて、ドラウディロンの顔も見たことだしそろそろ私も国へ帰ろうかな」

「ツアー」

「何だいモモンガ」

「残っててくれてありがとう、助かったよ」

「感謝する事は別に何もないさ、私はドラウディロンの顔を見に来ただけだからね。それじゃまた」

「それでも助けてくれただろう? だからありがとうだよ。すぐ遊びに行くよ、またね」

 手を振りながらツアーは空へ飛び立ち、北へと向かい遠ざかって行った。〈転移門(ゲート)〉を開けば良かっただろうか、と思い当たるが、軽々しく使うなと怒られただろうことが容易に想像できたので使わなくて正解だったようだ。

 宿に戻ると部屋にいるのはブレインだけだった。

「ロバーはどこに行ったの?」

「情報収集で数日は滞在する予定なら全身鎧(フルプレート)の手入れをしてもらおうってんで鍛冶屋探しに行ったぜ」

「そうか。うーん、やっぱり魔法の防具は欲しいな……メンテ要らずだし。ブレインにも何か動きやすくて軽い鎧か鎖着(チェインシャツ)辺りを見繕いたいところだね。エリュエンティウには夢が一杯だ」

「俺は怖いよ……どんだけとんでもない価値のあるものが飛び出してくるのか分からなくて」

 渋い顔をしながらブレインが呟く。聖遺物級(レリック)の鎧をクレマンティーヌは国宝級と言っていたのでブレインはきっと腰を抜かす事になるだろう。都市守護者との交渉が上手くいけばだが。ブレインにユグドラシル産の刀を見せてギャフンと言わせる為にも交渉を頑張らなくてはならないとモモンガは決意を新たにする。

 竜王国を抜けひたすら南に進むと、その先には広大な砂漠が広がっているという。その真ん中にエリュエンティウはあるのだという。砂漠では道が分からないが途中の街でエリュエンティウに向かう隊商でもあればそれに便乗して楽に辿り着けるかもしれない。ただその場合はレベリングがお休みという事になってしまうので痛し痒しである。例え地図があっても砂漠では大して役には立たないだろう。砂漠付近の集落でガイドを雇えたりしないだろうか、着いてもいない内から想像が広がる。クレマンティーヌもエリュエンティウには行った事がないというので正真正銘未知の領域だ。

 そういえばズーラーノーンはエリュエンティウにもいるんだったな、と思い出す。定期連絡以外で連絡するのは久し振りだが〈伝言(メッセージ)〉を起動する。

「カジットか、私だ、死の王だ」

 突然始まった死の王ロールにブレインが明らかに引いているが気にしないことにする。

『おお、偉大なる御方、御方に捧げるべくズーラーノーンの掌握は着々と進んでおります!』

「う、うむ……そうか。それは喜ばしいことだ」

『帝国のデクノボウめにもその偉大なる御力を示されたとか。奴めは既に御方に恭順を誓っております』

 カジットが本気でズーラーノーンをひっくり返そうとしている。巻き込まれたくないけどどうすれば死の王ロールを崩さずに回避できるのかそれがモモンガには分からなかった。

「急いては事を仕損じるとも言う、着実に確実に事を進めるのだカジット」

『はっ! 畏まりましてございます!』

「して、今日連絡したのは、道案内を一人用意してほしいと思ってな。私は今エリュエンティウに向かっている。彼の地は砂漠の中にあり、案内人であるクレマンティーヌも未踏の地。エリュエンティウまで私を導ける者を砂漠近くの集落にでも用意してほしいのだ。可能か?」

『御方の言葉とあらば不可能も可能としてみせましょう。エリュエンティウに潜む者に連絡を取り御方をお迎えする準備を整えたいと存じます』

「う、うむ……私が動いている事が悟られぬよう、静かにな。砂漠に近付いたら再び連絡する故、それまでに用意を整えてほしい」

『確かに拝命いたしました。一つ、お伺いしてもよろしいでしょうか』

「うむ、構わぬぞ。申してみよ」

『人の領域の果てである彼の地へ御方自ら赴かれるのにはどのような狙いがあるのでしょう』

「ふふ……彼の地には規格外のマジックアイテムが多数眠っている。それらを入手し戦力を増すのが狙いだ」

 モモンガは嘘は言っていない。戦力増強が狙いである。ただ世界征服なんてしないだけだ。

『成程、マジックアイテム……御方の深遠なる狙いの一端ではありますが理解できたように思います』

 えっ、ちょっと待って、深遠な狙いとか一切ないんだけど何を理解したんだカジット! 叫びだしたくなるのを必死にモモンガは抑えた。

「お前は私の心をいつもよく分かっている。これからも励むがよい」

『はっ、有難きお言葉!』

「ではまた連絡する」

 〈伝言(メッセージ)〉を切断し精神的疲労からモモンガはがっくりと項垂れた。カジットと話すといつも非常に疲れる。だがとりあえずこれで準備は整った。後は旅立つだけである。

 エリュエンティウがどんな場所なのか想像は尽きないが、この目で早く見てみたいと気持ちは逸る。旅程はまだまだ長いが旅立ちの日が待ち遠しくてそわそわし始めたモモンガをブレインは珍妙なものを見る目で見たのだった。




誤字報告ありがとうございます☺


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エリュエンティウ

 ウスシュヴェルからエリュエンティウまでの旅程は一ヶ月半程かかった。竜王国を抜けてから砂漠までの距離がまず思っていたよりも遠かった。既に人間国家ではなく亜人の国の領域だったが、アベリオン丘陵のように紛争が頻発しているわけではなく日常生活を亜人が営んでいる国だったし、人間(エサ)が来たと絡む者あればクレマンティーヌとブレインが片付けてしまうので何の問題もなかった。ただ亜人の中には鉄鼠人(アーマット)のように鋼のような体毛で剣や刀を弾く斬撃耐性を持つ種族もいるらしいので、やはりブレインの副武器と副武器訓練も検討した方がいいかもしれないとモモンガは考えた。

 一ヶ月強をかけて砂漠近くの集落まで到達し、カジットに用意させていたズーラーノーンの道案内役と合流する。死の王だと証明するのに神器級(ゴッズ)装備と死の支配者(オーバーロード)の素顔を見せると絶望のオーラを浴びせるまでもなく平伏されてしまったのでカジットがモモンガの力を誇大宣伝しているのではないかと少し心配になった。ズーラーノーンの中で死の王とはどういう存在だと認識されているのだろうか、知りたかったけれども聞くのが怖くてモモンガはカジットにも道案内役にもそれを聞くことができなかった。

 砂漠は広大だった。砂漠とは降水量が極端に少なく植物が育たない地域を指す為、鈴木悟のいたリアルの砂漠は多くの人が思い描くような砂の大地は実は然程多くなく、石ころや岩石が剥き出しで乾いた荒涼とした荒れ地と言ったほうがしっくり来る大地の方が多かったらしいが、エリュエンティウまでの道程はまさに砂漠と聞いて多くの人が思い浮かべるイメージ通りのもので、砂の大地による砂漠がどこまでも果てしなく広がっていた。鬱金色の砂漠はいくつもの砂の丘が複雑に入り組んで、踏み荒らす人のいないその丘には風紋が綺麗に残っていた。その上には雲一つない深い深い蒼の空が広がり痛い程の鋭く強い陽射しが照りつけている。リアルにいた頃アーカイブで見た昔のサハラ砂漠やタクラマカン砂漠の映像のような光景がモモンガの目の前に広がっている。命の絶えた死の大地であるのにそこには胸をつくような美しさがあり、やはりこの世界はどこまでも輝いているのだとモモンガは改めて感じた。

 案内役はエリュエンティウと砂漠の外を何度も行き来して歩き方を把握していて、案内にも迷いはなかった。旅人の基本技能である太陽の位置で方角が分かる技能は標準装備だ。何度も砂漠を行き来している案内役はモモンガにはどれがどれだか見分けが付かない砂丘を目印にして道を覚えていた。砂漠の旅はただでさえ過酷である、この広さの砂漠ともなれば行き来するのは一大事だ。成程刀もなかなか北へ流れない筈である。実際案内役の話でも隊商は月に一つも来ればいい方なのだという。エリュエンティウに行こうという隊商がまずそうそういないのだから探すのは困難を極めただろう、隊商に便乗しようとしなくて良かったとモモンガは心密かに思った。

 アンデッドであるモモンガは暑さを感じないから平気だが、人間である他の三人と案内役は暑さで大変そうだった。三人は疲労はないとはいえ暑さは堪えるようだった。特に全身鎧(フルプレート)のロバーデイクは負担が大きそうだったが、モンスターも出るというので備えを怠ることはできない。幸い無限の水差し(ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター)があるので冷たい水はいつでも飲むことができる。案内役の言葉に従って三人は飲みすぎないようにしながらこまめな水分と塩分の補給を心掛け砂漠を進んだ。

 本来であれば砂漠では日中と夜の極端な温度差が旅の難点になるが、モモンガ一行はシークレットグリーンハウスがある為極寒の夜の砂漠に凍える事なく進む事ができた。シークレットグリーンハウスを見て例に漏れず案内役も唖然とした。更にアイテムボックスから食糧を取り出してそれを調理した夕食が出てきたのを見てあなたは神かみたいな目でモモンガを見てきたのでやめてほしいとモモンガは心から思った。神みたいな力はあるかもしれないがモモンガは神ではない。一介の旅人だ。一介の旅人でいたい。いさせてほしい。

 道中のレベリングは順調だった。足場の悪い場所での訓練も必要だろうと思い砂漠でもレベリングは続けた。特に成長目覚ましかったのはロバーデイクで、エリュエンティウに着く頃にはロバーデイクはまだまだ手加減の度合いはかなりあるものの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦い始めていた。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)一対一(サシ)で戦う神官を見て案内役が唖然としたのは言うまでもない。お前もレベリングするかと冗談半分で案内役にも聞いてみたのだがかなり本気でものすごい勢いで拒否された。クレマンティーヌとブレインの成長も順調で、そろそろまたテストしてもいいかなと思える程にまでなってきた。ただ、テストはベストコンディションで行ってほしいので足場が悪く暑い砂漠は不適な環境だろう。正確な数値は分からないがクレマンティーヌはもとよりブレインもレベル四十は超えたのではないだろうか。

 そうして十日程砂漠を歩いて、そろそろ見えてきましたよと案内役が指差す先に空に浮かぶ城が見えた。空に浮かぶ島には雲がかかり、島の上には遠目にも分かる絢爛な城がある。島からは地上に向けて幾筋も滝のように水が流れ出していた。城の真下には緑に彩られた城壁が見える。あれが浮遊都市、エリュエンティウなのだろう。

「ラピュタだ……ラピュタは本当にあったんだね!」

「あの城ラピュタっていうのか?」

「いや多分違う。でも俺の世界ではこういう光景を見た時にはこの台詞を言うっていうお約束があるんだよ」

「よく分からん決まり事だな……」

 ブレインは困惑しているがお約束を達成できてモモンガは満足である。あのギルド拠点はもしかしたらアースガルズの天空城かもしれない、そうでなくても規模的に三千レベル級かそれに近い拠点ではないだろうか。だとしたら都市守護者三十人が全員百レベルという可能性も現実のものとなってくる。下手なことをせず大人しくしていなければモモンガでも容易に死ぬ。敵と見做されないよう言動にはくれぐれも細心の注意を払わなくてはと内心冷や汗ダラダラでモモンガは気を引き締めた。

 その日の内にエリュエンティウに到着した。城壁は継ぎ目が分からないような石の組み方がされていて、まるで一枚の岩を切り出して作ったような美しさだった。王国や帝国、竜王国などの建造技術とは明らかに一線を画している。街の周囲には天から降り注ぐ水が堀を作り、堀の内側は砂漠の真ん中である事を忘れたように若草が生い茂り城壁を蔦が這っていた。検問で勿論モモンガは止められたのだが、最早恒例行事なので何も言う事はない、説明はロバーデイクに丸投げして任せる。その結果無事通れる事になったが、通る前にモモンガは衛兵に質問をすることにした。

「すみません、一つ伺いたいのですが」

「何だ?」

「都市守護者にお会いするにはどうすればいいのでしょう」

 モモンガの質問に衛兵たちは顔を見合わせ、何だこいつはと言いたげな呆れた顔をした。

「都市守護者様は上の城におられて年に一度の徴税の日に行政府にお出でになる他は非常時でなければこちらに降りてこられる事はない。俺はこの街で生まれ育ったが都市守護者様を拝見した事など一度もないぞ」

「何か連絡する手段はないのでしょうか?」

「非常時用に連絡するためのマジックアイテムはあるが、非常時でなければ使えない決まりだ」

「では是非ともお伝え頂きたいのですが、私はユグドラシルのプレイヤーです。ユグドラシル金貨でのお取引をしたくこの街にやって来ました。お伝え頂ければ都市守護者の方にはお分かり頂けると思います」

「非常時でもないのに使う訳にはいかん」

「お伝え頂ければ分かるかと思いますが、十分に非常時にあたる用件だと思いますよ。皆様方にはご迷惑がかからないようにいたしますのでお願いできませんでしょうか」

 言いながらモモンガは用意しておいた心付けをこっそり衛兵に握らせた。一度やってみたかった、憧れのシチュエーションを前に思わず沈静化がかかるほど興奮してしまう。都市守護者が徴税の際にしか地上に降りてこないのは案内役から既に聞いていた為、今のやりとりは連絡を取る手段があるかの確認と連絡を取ってもらう交渉の会話だ。もし連絡手段があったとしても非常用だろう事は容易に予想できたので、こうして前もって心付けも準備しておけたという訳である。

「分かった分かった、だからこれはしまっておけ」

 しかしながら衛兵は握らせた心付けを押し返してきた。何で受け取ってもらえないのだろう、折角用意したのにとモモンガはたじろいでしまう。

「旅人なら知らんだろうが、そういったものを受け取ると役人や兵士はここでは厳しい処罰の対象となるのだ。お伝えするだけはお伝えしてみるから待っていろ」

 憧れのシチュエーションならずである。奥に引っ込んでいった衛兵の後ろ姿を見送ってモモンガは思わずしょんぼりとしてしまった。役人や兵士が心付けを受け取るのが禁止されているという話は案内役からは聞いていなかった、何故ならモモンガがまさか禁止されているとは露ほども思わず聞かずに用意していたからである。しかし役人や兵士に鼻薬を嗅がせるのが厳しく禁止されているというのは、健全な政が行われているという証拠だろう。悪徳の限りを尽くしたという八欲王の逸話から来るイメージとは全く違う。八欲王についてはツアーは敵対者だったので人となりなどは詳しく知らない為不明点が多いのだ。聞かせてもらった話は竜王(ドラゴンロード)がバッタバッタと薙ぎ倒されていくという恐ろしい話だった。八欲王の力はプレイヤーとして考えても規格外だったかもしれないと思わされるような殺戮振りだった。

 衛兵は不思議そうな顔をしながらすぐに戻ってきた。不思議にもなるだろう、狂人の戯言だと思っていたら話が通じたのだろうから。明日の朝十時に行政府で都市守護者が面会するという回答が返ってきたと伝えられる。とりあえず首尾は上々だ、衛兵に礼を言ってからモモンガ達は街の中へと入っていった。案内役にも礼を言い一旦別れることとなる。実はエリュエンティウでもズーラーノーン構成員向けに死の王ロールをやる事になったのでまた会わなくてはならないのだ。

 とりあえずは案内役が勧めてくれた宿に行き部屋を取り、街を見て回る事にする。明日は交渉が上手く行けば装備品を見繕えるかもしれないのでクレマンティーヌも連れていきたい、情報収集は明後日からでいいだろう。ガゼフのような黒髪黒目は南方の血が入っていると聞いていたが、行き交う人々は確かに黒髪黒目の日本人のような容貌である。但し顔面レベルはこの世界水準なので美男美女がかなり多いが。行政府に通じる目抜き通りを歩くが、露店の多くは野菜や果物を売る店だった。こんな砂漠のど真ん中なのに食糧はどのように仕入れているのだろう、色々と興味深い都市である。ロバーデイクを使って通行人に聞いてもらったが、この辺りは食料品を売る店が集まっていて他の通りではまた別のものを扱う店が集まっているらしい。どうせしばらく滞在する予定なのだから街中をゆっくり見て回ってエンリとネムへのお土産を探すのも楽しそうだと浮き立つ気持ちのままモモンガは足を運んだ。

 エリュエンティウはこの世界の都市としてはかなり大きな規模の都市で、宿から行政府までも歩くと二時間程はかかった。人気のなさそうな路地裏を探して転移ポイントを作っておいて、そろそろ陽も西に傾いてきたので宿の部屋まで〈転移門(ゲート)〉で戻る。

 ここまでの道程はそれなりに長かったがそれだけの価値のあるものが恐らくはあの頭上の城には眠っている。都市守護者とは是非とも友好的に話を進め交渉に持ち込まなくてはならない。頑張れ俺、モモンガは心の中だけで自分に気合いを入れた。気分は鈴木悟時代の大きな取引のプレゼン前日である。ただ今回の問題点は下手を打つと死ぬ、という事だが。いくらモモンガでも百レベルNPC三十体を向こうに回しては為す術もなく確実に死ぬ、非常に緊張感に溢れている。こんな極度の緊張の中では人間なら中々寝付けなかったりして困るものだがアンデッドはそもそも睡眠が不要なのでその点は助かる。

 決戦は明日。(下手をすると本当の戦闘になるが)モモンガにとって大きな戦いの幕が落とされようとしていた。

 

***

 

 翌日朝九時半頃に昨日作っておいた転移ポイントで行政府の近くまでモモンガ一行は転移し、行政府に向かった。入り口の衛兵に用件を告げると、衛兵がそのまま先導してくれたので建物の中へと足を踏み入れる。

 行政府の一階はどこかリアルの役所を思い出させるような風景だった。奥まで長いカウンターが続いてカウンターの向こうでは多くの役人が働いていて市民と役人がカウンター越しに話して何かの手続きをしている。モモンガ達が歩いている側には多くの机が並んでいて上には書類が置かれ、市民たちは机で各々の必要な書類を記入していた。一階を奥まで横切り階段を登っていく。五階まで登ってから廊下を進み、一際立派な扉の前で衛兵が立ち止まった。

「十時にこちらに都市守護者様がいらっしゃいます、中でお待ち下さい」

「ありがとうございます、失礼します」

 案内してくれた礼を衛兵に告げモモンガはドアを開け中に入った。広い部屋の中は落ち着いた雰囲気ながらも財をかけた事が分かる豪華な作りだった。奥には玉座と思しき豪奢な椅子が置かれている。こちらもプレイヤーなのだから立場的にはあちらと対等だろうと思い、モモンガは玉座の近くで立ったまま待つ事にした。幸い疲労とは無縁なので立ちっ放しでも疲れは覚えない。

 しばらく待っていると、玉座の前に転移してきた者があった。紺碧の鎧兜に身を包み聖なる光に包まれた槍を持ち、純白の四枚の羽根を背に生やした、恐らくは戦乙女(ヴァルキリー)。戦ったらめちゃくちゃ相性の悪そうな相手がいきなり現れたので内心のモモンガの緊張が強くなる。

「わたくしはこの都市の都市守護者、グズルです。ユグドラシルのプレイヤーを名乗る者はあなた方ですか」

「プレイヤーは私です。私はヘルヘイムのナザリック地下大墳墓を拠点とするギルド、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長だったモモンガという者。本日はユグドラシルの装備とアイテムをお取引したいと思い伺いました」

 一歩前に進み出てモモンガが答えると、グズルを名乗る都市守護者はモモンガを見つめ何事かを考え込んだ。

「……そのマスク、確か嫉妬する者たちのマスクとかいうものでしたね。我等が主にお見せいただいた事があります。確かクリスマスに一緒に過ごす彼氏や彼女も友達もいないぼっちでなければ入手できないアイテムだとか聞きましたが」

「…………ハイ、ソノトオリデス」

 中々に胸にくる言い方をするNPCである。事実クリスマスに一緒に過ごすような彼女も友達もいないぼっちだったのだからモモンガには何も言う事はない。

「ですがそれもこの世界に来た他のプレイヤーから入手したという事もあるかもしれません。他にあなたがプレイヤーだと証明するものは?」

 その言葉に、モモンガはアイテムボックスを開いた。論より証拠である、アイテムボックスを開く事が可能なのは恐らくはプレイヤーである証拠になるだろう。アイテムボックスからモモンガは二枚の金貨を取り出した。

「ユグドラシルの旧金貨と新金貨です。個人的にはこちらの男性の意匠の方、旧金貨の方が思い入れが強いですね。大型アップデートのヴァルキュリアの失墜が実装されて新金貨に切り替わった頃には金など余ってしまっていて金貨を得ても有難味が薄かったので」

「似たような事を我等が主も仰っておられました。ギルドの名はアインズ・ウール・ゴウンとか言いましたね、我等が主が噂しているのを聞いた事がありますが、何でもユグドラシル一のどきゅんギルドだとか……どきゅんとはどういう意味なのですか?」

 DQNとかやっぱ言われてましたよねー! 懐かしい呼称を出されてモモンガの胸に様々な思いが去来する。一番強いのは恥じらいだったが。

「ええと……そうですね、やんちゃ、とでも思っていただければ結構です」

「いつだったか我等が主がアインズ・ウール・ゴウンについて独り占めしやがって許せないと随分と憤慨されていた事がございましたが、何があったのですか。敵対関係だったのですか?」

「独り占め……ああ、七色鉱の一つ、セレスティアル・ウラニウムが発掘できる鉱山をアインズ・ウール・ゴウンが最初に発見したのですが、発掘したセレスティアル・ウラニウムを市場にほとんど流通させなかった事を言っているのでしょう」

「……ああ、そうですね、確かにセレスティアル・ウラニウムの話でした。成程、我等が主や我等のようにアイテムボックスも開けるようですし、七色鉱などユグドラシルの事もよく知っている。ひとまずはプレイヤーだと思って良さそうです。装備とアイテムの取引が希望ということですが、具体的にはどのような物を希望しているのですか? 基本的には我等が主が残して下さったユグドラシルの装備やアイテムは外には出していません。大抵がこの世界に出すには強力過ぎる物ですし、我等が主との大切な思い出の品でもありますので」

「そんなに強力な物は必要としておりません。聖遺物級(レリック)の装備品と、下級(マイナー)中級(ミドル)のポーション、それから人化の腕輪を求めております」

 モモンガの申し出に、グズルは不思議そうな顔を返した。

「装備品とポーションは分かりますが、人化の腕輪ですか……? あれであれば我等には使い道のないアイテムですし余っていますから店売りの価格で譲ってもよいですが、一体何に使うのですか?」

「実は私は異形種でして、このマスクもそれを隠す為にしております。不便は様々あっても我慢できぬわけではないのですが、ただ一つ、私の種族は飲食ができないのだけが耐え切れないのです。この世界の様々な食材や料理を見るにつけ食べてみたいという思いを抑え切れないのですが、あれさえあれば食事も可能となります」

「成程、ちなみにどの種族なのですか?」

死の支配者(オーバーロード)です」

「スケルトンであれば物を食べられる構造ではないですね。分かりました、人化の腕輪はお譲りしましょう」

 頷いたグズルを見てモモンガはほっと息をついた。とりあえずこれで主目的の一つは達成できた事になる。

 人化の腕輪は端的に言ってゴミアイテムである。異形種にしか意味がなく特定用途にしか使えず使用時のペナルティもかなりきつい。レアリティが低く外れアイテムとしてよくドロップするので、またゴミが出たよとゴミ呼ばわりされるようなアイテムである。

 簡単に言うと異形種では入れない街にどうしても入らなければならない用事がある異形種の為の救済措置アイテムである。使うとレベル一の人間になる。例えばモモンガが使えば、職業(クラス)レベルが魔術師(ウィザード)レベル一の人間になる。使える魔法はレベル一の時に覚えた三つだけになるしMPも駆け出しの魔法詠唱者(マジックキャスター)と同じ量になるしHPもそこらの街の人と同じ貧弱さになる。要するにちょっと魔法が使えるだけの一般人になる。そして人間が装備できない装備制限の付いている装備品は勿論装備できなくなる。効果時間は最長二時間、効果が切れてから二時間は再使用できない。

 街中でPKすればPKした側が衛兵NPCにボコられるとはいえPKの危険が完全にないわけではない、そしてモモンガは異形種が入れない街には全く用事がなかったので入手した横から店売りしていた。ナザリックの維持資金はそれなりに高かったから、仲間達の残したものに手を付けずにやっていこうとすれば結構な額を稼がねばならなかったのだ。売っても価格の安いゴミアイテムとはいえないよりはマシだった。そして嫌になるほどドロップするレアリティの低さがモモンガがアイテムボックスに入れていなかった最大の原因だ。それにしたって一つ位持っておけよと過去の自分に説教してやりたくなるが、何はともあれ入手できることになったのだから許してやろうという位には広い気持ちになれた。

「それから装備品とポーションですが……聖遺物級(レリック)とはまた微妙なチョイスですね」

「それなりに使えるものは欲しいですが伝説級(レジェンド)ではこの世界で使うには強力過ぎますので。全身鎧(フルプレート)を一つと軽い鎧か鎖着(チェインシャツ)を一つ、鎚鉾(メイス)辺りの殴打武器を二つとそれから刀とスティレットが欲しいのですが」

「何に使うのですか? 目的によっては譲渡できません」

「後ろにいる者達、私の仲間なのですが、彼等の装備です。私の目的は世界中を旅して回る事、モンスターと戦う必要も出てきますし人間と共に旅すれば食糧にしようと亜人が襲い掛かって来る事もあります。その為に最低限の装備を整えるのが目的です」

 そのモモンガの言葉にグズルは後ろの三人を見やった。恐らくは装備を眺め回して納得したのだろう、モモンガに視線を戻す。

「何故人間と共に旅をしているのですか? あなたには拠点やNPCは? 何の目的で旅を?」

「一人でこの世界に飛ばされましたので拠点はありませんしNPCもいません。旅自体が目的といいますか、美しいこの世界を見て回る事が私の目的なのです」

「強力な装備品を渡してそれを使ってあなたが世界に害を為したとなれば忌々しき竜王(ドラゴンロード)共に我等が睨まれる結果になるやもしれません。あなたの言葉が本当であるという保証が欲しいのですが」

白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)からは持ち出す装備品が強力過ぎなければいいという許可を既に貰っています」

「あなたは忌々しき彼の竜とどういう関係なのです」

「友です。ですがあなた方ともいい取引相手になれればと思っています、敵対する意志はございません」

 白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の名前を出されてグズルの表情は明らかに硬くなったが、八欲王と敵対関係にあった白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)の名前を出すデメリットを差し引いてもその名前の信頼度は高いだろう。微かに眉根を寄せてグズルは考え込み、やがて息をついて表情を緩めた。

「……いいでしょう。彼の竜は我等にとっては忌々しき仇敵とはいえ、その友であれば世界に仇なす存在ではないでしょう。良からぬ野心があれば伝説級(レジェンド)神器級(ゴッズ)の装備を求めるでしょうしね。あなたの言葉を信じ装備品とポーションもお譲りします。但し装備品はこの世界に出して問題ないものをある程度こちらで選ばせて頂きます。ポーションはいかほど?」

下級(マイナー)中級(ミドル)それぞれ五百ほどあれば差し当たっては十分かと。足りなくなったらまたお取引に伺ってもよろしいですか?」

「ポーションであれば生産できる体制がありますし材料もまだまだ余裕がありますので問題ありません。ただ無限という訳にはいきませんからこの世界のポーションを使われた方がいいのではと思いますよ」

「検討します」

 確かにグズルの言う通りだとモモンガは認めざるを得なかったが、しかしこの世界のポーションは劣化するしユグドラシルポーションに比べて効果が薄い。劣化はアイテムボックスに入れておけば防げるだろうが効果の薄さは如何ともし難い。レベルに比して三人の体力量も上がっている、この世界のポーションでは費用対効果が悪いのでポーション代を稼ぐ為に本格的にブレインに闘技場デビューしてもらうとか考えなくてはならなくなる。

 その後グズルが〈伝言(メッセージ)〉を飛ばし、それなりの時間待たされてから〈転移門(ゲート)〉が開き装備品と人化の腕輪が運ばれてきた。聖遺物級(レリック)の物はそれなりの量があるらしく、何回かに分けて運ばれて来る。予め空にしてあった無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を運搬係に渡し、この中にポーションを詰めて持って来てくれるよう頼む。

「この世界に出しても問題ないだろうというものに絞ってありますのでここから選んでください」

 グズルのその言葉に、後ろの三人は、は? と言いたげな顔を返していた。三人にとっては国の宝レベル、漆黒聖典で伝説級(レジェンド)と思しき装備品を貸与されていたクレマンティーヌは別にしてもモモンガと関わらなければ手にするどころかお目にかかる事もなかったであろう(この世界基準では)最上級の装備品が山と積まれているのだ。とりあえず数の少ないスティレットから選び始める事にして〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉をモモンガは唱え一つ一つの装備品の性能を確認していく。

「やっぱり炎属性と電気属性と冷気属性は押さえておきたいよね。正直〈人間種魅了(チャームパーソン)〉はいらなくない? 毒とか酸とかにした方がいいと思うんだけど」

「そうですね……というか大丈夫なんですか、そんな高価そうな武器を買っていただくにしても、お金は足りるのでしょうか……」

「ユグドラシル金貨は唸る程あるから大丈夫だよ、心配しないで」

 手持ちのユグドラシル金貨は持てる上限までカンストした状態でモモンガはこの世界に来たのだ、聖遺物級(レリック)の装備を買う位は(適正価格で売ってもらえるなら)訳無い事だ。炎、電気、冷気、酸の属性をそれぞれ付与されたスティレットを選び山から離しておく。

 次はお楽しみ、刀タイムである。一番いい物を選ばなければならないとモモンガは気合い充分である、何せブレインをギャフンと言わせなければならないのだ。全てに〈道具上位鑑定(オール・アプレイザル・マジックアイテム)〉をかけて性能を確認し、悩みに悩んだ末に選んだ一振りをブレインに差し出す。

「どうよこの刀、これを見たら俺がブレインの刀を微妙って言った訳が分かってもらえると思うんだけど?」

 差し出された刀を受け取ったブレインは鞘から刀を抜き放って刀身を確認する。じっくりと刀身を観察した後刀を鞘に戻し、一つ深い息をついてブレインは苦い顔を上げた。

「……あのなあ、俺の刀が微妙なんじゃねえよ、この刀が凄すぎるんだよ」

「そうやって素直に認めないのよくないぞ!」

「この刀が凄い事を認めてるだろうが! とんでもねえ刀だよ!」

「これだって俺からしたらちょっと微妙な性能なんだぞ! この世界に合わせてこれだけど!」

「その! お前の基準が! おかしいって言ってんだよ!」

 ギャフンと言わせられなかったのは残念だが、さておきブレインは刀を気に入ったらしいのでこれも山から避けておく。その調子で結構な時間をかけて装備品を選び終わり、〈転移門(ゲート)〉を通って来た経理担当と思しきNPCがポーションと人化の腕輪も合わせた値段を算出してくれる。安心の適正価格だったので快く精算して装備品とポーションと人化の腕輪を受け取った。

「わたくしクヴァシルと申します。取引にいらっしゃる場合は次からは事前にわたくしにご連絡ください。魔法詠唱者(マジックキャスター)とお見受けしますが〈伝言(メッセージ)〉は使えますか?」

「はい、問題ありません。次からはそうさせて頂きます」

 次からの取引の段取りも終わらせ装備品をとりあえずポーションの入っている無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)に入れてモモンガ一行は行政府を後にした。

 

***

 

 宿屋に帰ってまずしたのは各自の装備の交換である。古いものは基本的に下取りに出すが魔法蓄積(マジックアキュムレート)の付与されたクレマンティーヌのスティレットは惜しいのでコレクションとしてモモンガが貰うことにした。いきなり国宝級の全身鎧(フルプレート)を着る事になったロバーデイクは緊張のあまり手が震えていた。慣れるまでにしばらくかかりそうな様子だ。ブレインの鎖着(チェインシャツ)もアダマンタイトより数段硬い金属製になったので今のレベリングのレベル帯なら破損の心配はしなくていいだろう。〈修復(リペア)〉はモモンガも使えるが耐久度が落ちるのであまり使いたくない最終手段だ。前の普通の鋼の鎖着(チェインシャツ)死の騎士(デス・ナイト)相手で既に何の役にも立っていなかったので気休めにもならないと途中からブレインは装備していなかった。

 その後酒場兼食堂に移動し夕食となったのだが、この世界に来て初めてモモンガは食べ物を頼んだ。左手首の時計は時間を確認したい時に取り出す事にして外して人化の腕輪を装備してある。目の前に肉と野菜を炒めたものと湯気を立てるシチューと黒パンが並び、モモンガは緊張を隠しきれなかった。

「ど……どうしよう…………だだだ、大丈夫だと思うけど、ちゃんと人間になれなかったら……街中にいきなりアンデッド出現した事になっちゃうよ……」

「とりあえず使ってみて、テーブルの下で籠手を外して確認してみたらどうですか?」

 クレマンティーヌの出した案にモモンガは頷いた。動きはぎこちない。

「成程名案……そ、そうしてみよう……これ使うと俺ほんとにそこら辺の街の人並に弱くなるから、頼むね皆……」

「大丈夫ですよぉ、モモンガさんは私が守ります」

「任せとけ」

「お二人がいれば大丈夫だと思いますけど、私も頑張ります」

 三人からそれぞれ心強い言葉をかけられ、モモンガは意を決して人化の腕輪の力を発動させた。

「あっ……」

「どうした?」

「何かあったんですか?」

「すごい……人間が虫じゃない……人間だ」

 驚くべき事に、視界の中の見も知らない人々は先程までモモンガには羽虫が飛んでいてうるさい位にしか思えていなかったのに、今は人々の賑わいがきちんとモモンガにも認識できている。人間が同族に思えている。その答えを聞いて、ブレインは苦い顔をしてロバーデイクはぎょっとしてみせた。

「人間は元々虫じゃありませんよ、人間です!」

「ロバー……こいつはな、人間が虫程度の存在に見えてたんだ……まあとりあえず人間になるのは成功してるって事じゃないのか? 手も見てみろよ」

「そうだね……」

 気を取り直してモモンガはテーブルの下でそっとイルアン・グライベルを片方外してみた。

「あっ……」

「どうした?」

「まさか失敗ですか?」

「人間の、手だ……」

 モモンガはイルアン・グライベルを外した腕をそっと上げる。そこには皮膚が付いて血の通う腕があった。もう片方も外してみるが、ちゃんと人間の腕になっている。

「成功ですね! マスクも外してみましょうよ!」

 クレマンティーヌに言われ、モモンガはマスクに手をかけた。心臓がドキドキする、激しい動揺に沈静化がかからない、この感覚も本当に久し振りだ。外さなければ食べ物は食べられない、恐る恐るそっと外す。外した顔を見たブレインとロバーデイクは微妙な表情を浮かべた。

「……えっ? 俺の顔何か変? やっぱりアンデッドとか?」

「いや、違う、ちゃんと人間になってるから安心しろ。南方系の顔だな……何ていうか、何かに疲れてるというかこう……いや何でもない」

「言いかけて辞めるなよ! 気になるだろ! ロバーデイクも何か変な顔してるけど何が言いたいんだよ!」

「いえ……何というかその……大分窶れていらっしゃるのですが、健康状態に問題があるのでしょうか……治癒した方がいいですか?」

「私は好きですよモモンガさんのお顔。モモンガさんらしくてお優しそうで」

 三人の反応に一体自分の顔がどうなっているのかとモモンガは袖の中でアイテムボックスを開き鏡を取り出して自分の顔を映した。そこには鈴木悟がいた。

 よりにもよってこの顔か!

 顔が苦くなるのをモモンガは抑えきれなかった。もっとこの世界仕様の顔にしてくれてもいいのではないか、どうして鈴木悟の顔なのか。それは反応が微妙にもなろうというものだ、リアルでもいい所三枚目の顔だったのにこの世界なら五枚目くらいにはなっているだろう。

「くそっ! お前等自分がイケメンだと思って! レベリングの時に手加減させないようにしてやるぞ!」

「誰もそんな事は言ってねえだろ! 手加減して貰わないと死ぬだろうが!」

「私はただモモンガさんの健康状態が心配で……」

「まあまあ、モモンガさん早く食べないと料理が冷めちゃいますよ? あんなに楽しみにしてた食事じゃないですか」

 いつもなら煽るクレマンティーヌが珍しく仲裁に入る。そうだ、手加減はしないにしてもまずは食事だ、パンはともかく折角のシチューと炒め物が冷めてしまう。覚えてろと捨て台詞を吐いてからモモンガは炒め物を口に運んだ。咀嚼し、飲み下す。シチューと炒め物とパンを次々と無言で口に運び、あっという間に食べ終えてしまう。

「一週間位食ってなかった奴が食事してるみたいな食べっぷりだったな……」

「何これおいしい! こんなおいしいもの食べたの生まれて初めてなんだけど! お前等ずっとこんなおいしいもの食べてたの⁉ ずるい!」

「えっ……そんなにですか……?」

 驚いたロバーデイクがシチューを口に運ぶが直後に不思議そうな顔をして首を捻る。どうやらこの世界的には並の味らしい。

「帰ったらエ・ランテルに行って黄金の輝き亭行くぞ、あそこのコース料理絶対食べる。ガゼフとも食事したいし一緒に酒も飲みたい。エンリの手料理も食べたい」

「夢が広がって良かったな」

「うん、でも俺の顔を見て微妙な顔をした件は許さないから」

「だから! お前が随分疲れた顔してるってだけで別に他意はねえよ!」

 ブレインが必死に訴えてくるがモモンガは無視した。腹八分目といったところでシチューもう一杯くらいなら食べられそうだ、お代わりをすべく皿を持ってモモンガは席を立った。

 美味しすぎてついがっついてしまったが、本当は雑談を楽しみながらゆっくり食べたい。そんな事が出来る余裕が生まれるほどモモンガがまともな食事の美味しさに慣れられるのはいつになるだろうか。焦ることはない、ゆっくり慣れていけばいいのだけれども、一日も早くそんな日が来ればいいと思いながらモモンガはお代わりのシチューを受け取った。




竜王国~エリュエンティウ編はこれにて終了です、お付き合いありがとうございました☺
今回の話にはR18差分(夜の話)がございますので閲覧希望の方は各自探してご覧ください。


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いつかの未来
Ahead on our way


時間軸は一年後かもしれませんし十年後かもしれません、いつの話かは分かりません。いつかの未来の話です。


 カルネ村を見渡せる高台の上にまで歩いてきたモモンガは、手を繋いでいたクレマンティーヌのもう片方の空いた手もとって屈み、木の根元に座り込むのを助けた。クレマンティーヌが腰を落ち着けたのを確認して自分も隣に座る。

 露出の多い鎧姿ではなくゆったりとした綿のワンピースを着たクレマンティーヌの姿には大分慣れたが、日々大きくなっていくお腹にはまだ慣れられていない。疲労無効のアイテムがあるから重さによる負担はないとはいえ、出っ張ってしまったお腹は様々な動きを阻害して不便が多いだろう。女の人って大変だし偉いなぁ、と薄ぼんやりとした感想がモモンガに浮かぶ。

「モモンガさんは、ここが好きですよねぇ」

「うん、自慢じゃないけど俺カルネ村大好きだからね。ここは最高に景色がいいよ」

「私にはただの村にしか見えませんけど。モモンガさんは変わってますね」

「そうかなぁ……?」

 少しだけ首を傾げて、モモンガは改めてカルネ村の全景を眺めた。広場ではヘッケランが剣の指導を、イミーナとゴブリンアーチャーが弓の指導を自警団に行っている。荷物を持ったゴブリンが行き交い、村人と和やかな挨拶を交わしている。少しだけ非凡だけれども概ね平凡で事もない平穏な村の風景がモモンガは好きだった。理不尽で残酷だけれどもそれ以上に美しい世界で人々は今日を精一杯に生きている。その頬に浮かぶ明るい笑顔は鈴木悟がリアルでは持てなかったもので、苦しい暮らしの中でもカルネ村の人々は決して明るさを忘れてはいない、その強さが眩しかった。

 強さって、モンスターや人を殺す力じゃない。それはこの世界に来てモモンガが学んだ事の一つだ。モモンガには持ち得ぬ強さを持った人間にモモンガは数多く会った。例えばガゼフ、例えばラキュース、ブレインだってそうだろうし、エンリもそうだし、その他のカルネ村の人々だってそうだ。アインズ・ウール・ゴウンの仲間達にだってそういう輝きはあった。それをモモンガは、眩しく美しく感じる。

 そんな輝きに満ちたこの村の風景が美しくないわけはないだろう。やはりこの高台からの眺めは最高だな、とモモンガは改めて思った。

「やっぱりしばらく旅はお休みしようと思うんだけど。クレマンティーヌ一人じゃ大変だろうし」

「私は大丈夫ですよ、村の人が手伝ってくれるって言ってくれてますから。モモンガさんは気にしないで、色んなものを見てきてそれを私に話してください。本当は一緒に行ければいいんですけど、今はモモンガさんの子供が一番大事ですから」

「そうはいかないよ。最初の内はお乳をあげるだけでも母親はまともに寝られないって聞いたよ? おしめを替えたり家事したりは俺に任せて。赤ちゃんの世話は最初は慣れないかもしれないけど、こう見えて一人暮らしは長いんだ、洗濯もエンリに教わって合格貰ったし今度は料理を習うし、家事はバッチリだから」

 料理についてはユグドラシルではスキルが必要な行為だったため薬草採取のようにまた意識が遠のかないか不安だったのだが、どうやら一般的な食材を使用したバフのかからない普通の料理については問題なくできるらしい事が分かった。今はゴブリン達の分と合わせてエンリに毎食作ってもらっているが、まだまだはっきりした自覚や実感は湧かないものの一応は父親になる身なので、エンリにおんぶに抱っこというのも良くないだろうと考えモモンガは自分でやろうと思い立ちエンリに相談して色々習っているのだ。料理は畑仕事などもあるエンリではなく鍛錬しているとはいえ暇がないわけではないブレインに習ってもいいのだがなんか癪なのでやめた。

「それより……赤ちゃんを見てちゃんとかわいいって思えるかどうかの方が心配だよ……同族じゃないし……」

「同族じゃないけど私の事は大事だと思って頂けてるんですよね? なら私の子供なら、かわいいと思って頂けるんじゃないですか?」

「うーん……大丈夫かな、自信ないけど……」

 自分の子供が虫程度にしか思えなかったらさすがのモモンガもショックである、だがその可能性はかなり高い。エンリに親しみを感じた状態でも初見でのネムの印象は虫だったのだ(直後にアインズ・ウール・ゴウンの仲間を褒められて爆上げしたが)。今から戦々恐々としている。

「自信がないから、その意味でも何年かは一緒に子育てしたいんだよね。自分で育てて一緒に過ごして自分の子供だって自覚が出てかわいいって思えたら虫じゃなくなるから」

「そこに話戻してきましたか……モモンガさんって頑固なとこありますよね」

「そんな事はないと思うよ? でもこれは譲れないよ、クレマンティーヌの為にも俺の為にも子供の為にも」

「やっぱり頑固です」

 そんな事を言いながらもクレマンティーヌは心底嬉しそうな笑みを浮かべた。モモンガの肩に頭を凭れかけてくる。その様子を猫っぽいなとモモンガは思った。モモンガは犬派だが、猫も同じ位好きになってしまいそうだ。

「顔はクレマンティーヌに似てるといいなぁ。俺に似てたら可哀想な事になっちゃうよ」

「私はモモンガさんに似ててほしいです」

「俺に似てたらいい所がなくなっちゃうよ……それはあまりにも可哀想だ」

「そんな事はないです、心の優しい子になります」

「なんか……気のない相手に女の子が言う良い人なんだけど、みたいな感じだな。心の優しい子……」

「私にとっては一番大事な事です。他は平凡だっていいからモモンガさんみたいに優しい子になってほしいです」

 別に普通なのにな、とはモモンガは言わない事にしているから今回も口には出さなかった。どちらかといえば自分は優しくなどないのではないかとモモンガは思っているけれども、クレマンティーヌにとってはモモンガの普通が救いだったのだと理解しているので余計な事を言ったりはしない。

 他の誰でも良かったのかというとそうではないのだろう。この世界ではなまじトップレベルに強いクレマンティーヌは自分より弱い大多数の男の事など認めることはできず、神に等しい力を持つモモンガが自分を対等の相手として接してきたからこそそれに感激してしまったのだ。法国ではクインティアの片割れと蔑まれて使い捨ての道具のように使い潰されようとしていたクレマンティーヌにとって、その対応は思いも寄らぬ事だったのだと寝物語に語られた事がある。モモンガの普通は、クレマンティーヌにとってはこれ以上ない特別だったのだ。

 そんなんでいいのかなぁ、とモモンガは思わなくもないのだが結果として現在こうなってしまったのだし、これからは普通という名の幸せでクレマンティーヌを包んでやりたいとも思う。モモンガにとっても家族や家庭というものはずっと憧れで、(特にアンデッドになってからは)手に入らないだろうと諦めていたからこうして得られた事は素直に嬉しい。

「それにそんなに平凡な子にはならないと思いますよ。覚醒めてはいませんが一応私も六大神の血を引いてるのでこの子も普通の人よりは強くなれる筈ですし、神の血が覚醒して神人になる可能性もありますね」

「そうなのか……神人なんかになったら法国に狙われそうだから嫌だなぁ……強くなくたっていいから平穏な人生を送ってほしいよ」

「モモンガさんに憧れて旅人や冒険者になりたいって言うかもしれませんよ?」

「それならそれでいい。どんな道を選ぶにしても、この子の道だからこの子が自分で選ぶべきだしね」

 自分の人生の道筋は自分で描いていくものだから。選ぶ手助けは親や周囲の人々がしてやるべきだろうけれども、最後に決断するのは自分でなければならない。他人に委ねて後悔ばかりを口にするようなそんな人生は決して送ってほしくない。その事を、モモンガはこの子に教えてやりたいと思う。できれば歴史に学ぶ賢者になってほしいものだ。

 モモンガは永劫の時を生きるアンデッドだから、まだ生まれていないこの子ともいつか別れの時が来るだろう。でもこの子が孫を残して、孫がまた子供を残したならば命はずっと悠久の時を受け継がれていく。静止して成長することのないモモンガとは違う、ずっと変化し続けていく。そんな命の営みを、これからモモンガは見守り見送っていくことになるのだろう。続いていくその命が、日々を精一杯明るく生きることができるように世界が在ればいいと心から願う。この美しい空や山や森や草原が、そよめく風や木々のさざめきや鳥の囀りが、これからも美しいままでいてくれればいいと心から願う。

 俺に似て臆病者で生まれてくるのが怖いなんて言うんじゃないぞ、お前がこれから生きる世界はこんなに美しいんだ。

 クレマンティーヌの大きくなった腹に手を当て、心の中だけでそっとそうモモンガは呼び掛けた。祈りにも似たその言葉はきっと届かないだろう。いるかどうかも分からない神に捧げる祈りなんて元々一方通行のもので、虚空に消えていくだけのものなのかもしれない。それでも届くのが確実ならば信じるまでもなくて、そして届くかどうか分からないものを信じるという行為はとても直向きで美しいものだから、モモンガはその直向きさに憧れて自分も信じたいと願ってしまうのだ。

 手を伸ばしても届かない眩しい輝きにそれでも手を伸ばしてしまう。浮かぶのは、目の覚めるような鮮やかな赤のマントにきらびやかな純白の鎧の聖騎士。在り方も生き方もまるで違うから決して届かないけれどもそれでも憧れてしまうその人が、オフ会でビールを飲みながら楽しそうに笑っていた顔を懐かしく思い浮かべる。

 全ては過ぎ去っていくけれども、心に刻まれたものは消えはしない。

 モモンガとクレマンティーヌの行く先には、そしてこの子の行く先には何が待っているだろう。抱いているのは希望ではなくて期待だ。果ての果てまで駆け抜けていきたい、そんな高揚感がある。これからどれだけの事柄を思いを胸に刻んでいけるだろう。大切なものをどれだけ増やしていけるだろう。

「クレマンティーヌ」

「はい、何ですか?」

「ずっと、一緒にいような」

「勿論です。モモンガさんのお側に、ずっといさせてください」

 お互いのその願いもやはり祈りに似ていた。掌で掬えるだけの量を、必死に取り零さないように、それがモモンガの限界だ。だけど掌で受け止められたものは決して失わないように守り抜きたい。

 今日も平穏な村の平凡な一日が過ぎていく。同じ繰り返しのようでいて、一日だって同じ日はない。リアルにいた頃はこれから良くなるという希望を一切持てない代わり映えのしない似たような日々の繰り返しにうんざりしていたものだけれども、この村の平穏はこのまま月並みで構わないから続いていってほしい。緩い風が吹き抜けて下生えがさわさわと揺れ、明るい蒼天を白い綿雲がゆっくりと流れていく。

 不平等で理不尽で残酷で、そしてどうしようもなく美しいこの世界で。これからどれだけの長い時を生きていく事になるのかは分からないけれども、未来を向いて今を生きていきたいと、流れる雲を眺めてそうモモンガはぼんやりと考えた。




~Fin~

というわけで番外編も終わりです。ここまでお付き合いくださり本当にありがとうございました。
聖王国編はネタが出来て気が向いたらということで。
また何かこのサイト向けのネタが出来ましたら書くかもしれませんのでその際はどうぞよろしくお願いいたします。


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